魔導戦機ネクスマギナ (永瀬皓哉)
しおりを挟む

『魔法士』の日常的戦線

「……おいハル、お前この事態どう収拾つけてくれんの?」

 

 青い髪の青年――『海藤蒼麻(かいとうそうま)』は、目の前の惨状に呆れた様子を隠すこともなく言葉を漏らした。

 眼前に繰り広げられるのは幾百を超える魔導人形(オートマギア)の群れ。一体一体は決して強くないものの、戦いにおいて数の差はそのまま戦力の差に繋がる。

 つまりは、この場で戦う三人の圧倒的不利を意味する状況であったのだ。

 

「ボクだけのせいにしないでほしいなぁ。君だってこの案に賛同したじゃないか。お相子だよ。ね、シュウさん?」

 

 ハルと呼ばれた美少女――ではなく、それに見紛うほど女顔の少年『空岡美晴(そらおかよしはる)』は、この最悪と言ってもいい状況を引き起こすであろうと予想しつつも、それにゴーサインを出した張本人だ。

 その理由は、この苛立ちを覚えるほどに鬱陶しい魔導人形(オートマギア)の群れの、さらに奥に存在する一冊の魔導書。大地から魔導人形(オートマギア)を生成し、それを扱う法が記された『糸欠(しけつ)の書』である。

 三人は国連直轄の超常状況対策組織『BOND(Buddy of Nexus Defensers)』の命令により、この『糸欠の書』の封印任務にあたっていたのだ。

 しかし、この『糸欠の書』は強固な非人格型セキュリティプログラムが存在し、封印するためにはそれを破壊することが最も手早い手段であったのだが、当然ながら素直にそれを良しとする魔導書ではなく、現在に至っている。

 

「喋るだけの余裕があるのなら手を動かせ。愚痴で状況が改善されるならいいが、そういうわけにもいかないだろう」 

 

 軽口を叩き合う蒼麻と美晴を窘めながら、他の二人より圧倒的に多くの魔導人形(オートマギア)を破壊し続けるのは、このチームの実質的なリーダーを務める『陸谷守唄(おかやしゅうた)』だ。

 戦略的知謀に優れる蒼麻や、強力で多彩な魔法を扱う美晴に対し、彼は二人ほど知略や魔法のセンスに恵まれなかった凡才魔法士である。

 しかし、自らの肉体的能力よりも魔法の力に傾倒しがちな魔法士たちでは絶対に到達することの叶わない、圧倒的にして絶対的な身体的パワーとタフネスを武器として、この場の誰よりも活躍しているのが彼だ。

 

「ソーマ、この状況に埒を明ける方法をなんとしても見つけ出せ」

「ハッ、脳筋の兄貴は簡単に言ってくれる。だがそんな脳筋にお似合いの解決法が今んとこ一つだけ思いついてる。やるか?」

「やらない選択肢がないよね。このままじゃジリ貧なのはわかりきってるし」

 

 だったら決まりだ、とただでさえ印象の悪い目つきの蒼麻の口元が凶悪に歪み、美晴は思わず苦笑いする。

 その凶悪な表情さえやめれば顔のパーツは整っているのに、と今言っても仕方のないことを思いながら。

 

「方法は単純! 兄貴が魔導人形(オートマギア)を無視、あるいは一直線に突っ切って魔導書に接近! 力の限り思いっきりぶっ壊す!」

「さすがソーマだ。そういうわかりやすい作戦を待っていた」

「ハルは露払いだ! 大型魔法で兄貴の周囲の魔導人形(オートマギア)を可能な限りぶっ潰せ! 俺がお前の護衛をする!」

「君が護衛してくれるなんて心強いね。これだけ追い詰められておいてなんだけど、負ける気がしないよ」

 

 蒼麻の作戦に従い、周囲の魔導人形(オートマギア)を一気に片付けると、美晴の大型爆発魔法が目前に僅かな道を作り出した。

 この好機を逃すまいと、すぐさま守唄がこれに突っ込み、力ずくで魔導人形(オートマギア)たちを蹴散らしていくが、全ての魔導人形(オートマギア)がそちらに殺到するわけではない。

 むしろ守唄が破壊するのは魔導書までの直線上のみ。他の魔導人形(オートマギア)たちは、魔法の行使に集中して自己防衛のできない美晴に意識を向ける。だが――。

 

激烈(げきれつ)拳衝(けんしょう)ォッ!」

 

 蒼麻の突き出した拳が大気を揺らして衝撃波を生み、前方へ扇状に広がっていく。

 衝撃波は距離が遠ざかるほどに威力を失うが、少なくとも美晴に迫っていた魔導人形(オートマギア)たちは一掃され、再接近に手間を取っている。

 

「魔法術式展開――完了。魔力充填――完了。発動……可能ッ! 行くよっ! 属性魔法『ギガ・エクスプロード』ッ!」

 

 突っ走る守唄の前方を焼き尽くしたのは、極大にして絶大の威力を誇る爆発魔法。

 発動までのタイムラグは長いが、属性魔法の中でも特に強力な爆発魔法は、習得自体は難しいものではないが、それを実戦で行使するとなると、相当の実力を要求される。

 蒼麻に守られながらとはいえ、この窮地にて精神を乱すことなく行使できる美晴の集中力は、誰の目から見ても優秀と言う外ない。

 

「ようやく、キリが見えてきた……ッ!」

「やれ、兄貴ッ! 今を逃せば次は遠いぞッ!」

 

 美晴のサポートによってようやく魔導人形(オートマギア)の群れを抜けた守唄は、蒼麻の激励を背に受けながら、その拳に装着した篭手型の魔導具にありったけの魔力を込めて振りかぶる。

 魔力はあれど魔法の使えない守唄が、唯一その有り余る魔力を消費するのが、魔力を吸収する鉱物『ゼアライト鉱石』から造られた魔導篭手『プラウドフィスト』である。

 ゼアライト鉱石は魔力を吸収すると、その魔力量に比例して硬度を増す魔鉱石であり、彼の驚異的で脅威的な破壊力に耐えうる唯一無二の武装なのだ。

 

「――纏火(てんか)武装(むそう)

 

 そして、強靭な硬度と放たれる攻撃の速度はそのまま威力へと繋がり、彼の繰り出した一撃は、魔導書の防衛機能に直撃、真正面から打ち崩すに至った。

 

『セキュリティプログラム、再起不能――。メインシステムに致命的なエラーが発生しました。システム復旧開始。一時スリープ状態に入り、再起動を――』

「――させるものか。悪いが一時的にシステムを凍結させてもらう。修理はBONDの技術部にでもしてもらえ、糸欠の書」

 

 自らのプログラムが破損したことにより、バックアップからのシステム復旧を試みようとした糸欠の書だったが、それを実行する前に守唄によって一時凍結用の『栞』を挟まれ、機能を停止。

 本体からの魔力供給が絶たれた魔導人形(オートマギア)たちは、次々に行動不能となり消滅していった。

 

「……敵性反応、すべて消失。片付いたようだな。美晴、いいアシストだった」

「どういたしまして。といっても、蒼麻君の指揮とサポートありきだったけどね」

「使い道がはっきりしてる戦力だからな。兄貴しか魔導書を止められないなら、策は半ば決まってたようなもんだ」

 

 蒼麻の言う通り、一芸に富んだ者が多いチームは、その役割が明確になっている分、下手なオールラウンダーばかりが集まった万能チームよりも作戦としては有用だ。

 しかし、役割が明確であるということは、逆に言えばその役割が誰の目から見ても明らかであるということ。今回、大型魔法による後方支援が主となる美晴に魔導人形(オートマギア)が殺到したように、相手にその役割を妨害されると、一気に作戦が瓦解する。

 そのためのフォローが、作戦の立案者である蒼麻の役割であったというわけだ。誰よりも作戦のビジョンがはっきりと見えている以上、そのサポートを率先して引き受けるのは、立案者の宿命と言えよう。

 そして、今回のようなジリ貧からの逆転は、どうしても相手にとって致命的な中核を討つほか方法がない。故に、守唄という攻防に優れた戦力を突貫させるのは当然であったのだ。

 

「それでも、俺たちの中で状況判断に最も優れるのはお前だ、ソーマ」

「君の後押しがあってこそ、ボクらはちょっとくらい無茶な作戦だって自信を持ってやり遂げられる。君がいなきゃやってらんないよ」

 

 美晴と守唄の素直な賞賛に、蒼麻は思わず口を閉ざした。

 露骨な持ち上げは好まないが、きっとこの二人はそんなつもりで言っているわけではないのだろうということが、長い付き合いのせいでわかってしまうからだ。

 故に、彼が返す言葉も真っ直ぐで、だがあまりに正直であれば、それもそれで気に食わないか、ただ一言だけ。

 

「……そうかよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の辟易にまみれた日常

 今から2000年前。魔力というエネルギーが初めて観測され、魔法技術の礎が築かれたとされる時代。人類は魔法技術を自らの力で生み出したと信じて疑わなかった。

 しかし、そこから僅かに100年が経過した時、人々は自分たちが魔法技術を生み出すよりも遥か昔……現代からすると、およそ4000年以上も前に『魔導書』と呼ばれる古代魔導具があることを発見した。

 それを知った人類は、自らの発見した魔法技術を『近代魔法』とし、それ以前に発見された魔法技術を『古代魔法』とすることで、両者の技術的差異を研究し始めたとされる。

 

 そして現代――魔法の絡む大規模事件の解決と、古代魔法技術によって引き起こされる災害的魔法事件の対処にあたるべく、Buddy of Nexus Defensers……略してBONDが結成されたのである。

 

「お疲れさま。今日の事件はどうだったの……って、聞くまでもないわね。三人とも本当にお疲れっぽい顔してるし」

唯鈴(いすず)、お前またBONDのロビーで……。ここはカフェじゃないんだからな?」

「そうは言うけれど、あたしだって仮にもあなたの『所有者』よ? 自分の所有物の状況を逸早く知るためと言えば、納得はしてくれたわ」

 

 蒼麻(そうま)たちが任務を終えてBOND本部に戻ると、入口に最も近いテーブル席に腰掛けながら雑誌を読んでいた一人の少女が、彼らに声をかけてきた。

 彼女の名は凪原唯鈴(なぎはらいすず)。蒼麻の幼馴染かつ親友であると同時に、彼の『所有者』でもあり、少なくとも蒼麻にとっては信頼こそしているが油断もならない相手でもあるという、複雑な友人関係である。

 唯鈴は今言った通り、蒼麻の『所有者』であるという一面から、彼が任務に赴く際はこのBOND本部で彼の帰りを待つのが常で、職員たちもそれを半ば黙認しているという。

 

「じゃあ、任務の経過報告はボクたちがしておくから、蒼麻君は先に帰りなよ。女の子をこんなところで待たせっぱなしってのは、あんまり感心できないよ?」

「俺と美晴(よしはる)は技術開発部に用事があるから、どのみち経過報告後はお前だけ先に帰すことになるからな。それなら彼女を優先しても不義理はあるまい」

「なんだかんだ建前つけてるけど、お前ら内心からかいたいだけだろ」

 

 頷く二人に小さな苛立ちを覚えながらも、それを吐き出したところで彼らは軽口を閉ざさない。

 蒼麻は仕方なくその場を切り上げて、唯鈴の手を引きながらBONDを背を向け帰路につくことにした。

 

 

 

 

 途中どこで別れることもなく、蒼麻と唯鈴が到着したのは唯鈴の生家である凪原家。もう見慣れたが、いつ見ても創作の世界にしか出てこなさそうな無暗に金をかけた豪邸に、蒼麻は思わずこの門を越えることに躊躇したくなる。

 蒼麻は幼い頃に父を亡くし、中学に上がる直前に母をも喪った。どちらの親戚とも交流のなかった彼は、唯鈴の『所有物』となることを条件に、この凪原家へと住処を移したのだ。

 所有物といっても、唯鈴が蒼麻に対して不当な要求をすることはほとんどない。時にはワガママを言われることもあるが、それは蒼麻を親友として信頼しているからこそのものであり、彼もそれを理不尽と受け取ったことはない。

 

 むしろ、所有者と所有物という明確な立場的格差が存在するにも関わらず、彼女は蒼麻に対して対等に向き合い、彼のことを友として愛してくれている。

 それほどに明確な彼女の友愛に対して、どれほど捻くれた性格をしていたとしても、斜めに受け流すような真似ができるはずがなかった。ようは、彼は彼女のことを心の底から「親友」だと信じて疑わないのである。

 だが、いかに娘の親友とはいえ、血縁上なんの係わりもない子供をこの家に受け入れてくれた唯鈴の両親には感謝しても尽くしきれず、彼は自ら『唯鈴を守るための友達』になることを彼女の両親に誓ったのだ。

 

「さて……仕事も終わったし、学校の課題も特に出てない。まだ2時だし、着替えてどこか遊びにでも出かけるか?」

「あたしはそれでも構わないけれど……でも、そうね。出かけるのは今度にして、あたしの部屋でくつろぎましょ。おなか空いてるだろうし、お菓子でも食べながらのんびり読書ってのもいいわね」

 

 読書、と彼女は言うが、それにおいて彼女が眺めるのは流行りの恋愛小説や可愛らしい童話ではない。生きていく中でいつ使うかもわからないが、知っていると使った時にドヤ顔ができる知識を授ける何かしらの図鑑の類である。

 植物図鑑や動物図鑑であればさほど彼女のイメージを損ねることもなく、むしろ好意的に受け止められていたかもしれない。実際、幼い頃の彼女はそこからスタートした。そしてコースアウトした。

 気付けば特撮怪獣図鑑を始めとして、魔法図鑑、刀剣図鑑、歴史人物図鑑、果てにはバイクのカタログまで『図鑑』の範囲を大いに広げながら迷走している彼女を見ると、蒼麻はどうしても「読書」の後に疑問符をつけたくなるのだ。

 さすがにインターネット上のとあるサイトで公開されていた『特殊性癖の一覧』に興味を持った時は、蒼麻の思いつく限りの語彙力を総動員してそれを妨害した。そして論破された。

 

「別に気ィ遣ってくれなくても、まだまだ体力なら有り余って……」

「あたしがあなたに気を遣ってあげるとでも? ま、望むのならしてあげなくはないけれど、少なくとも今回はあたしがそれを望んでるのよ。(つきあ)ってくれるわよね?」

 

 ウィンクを投げかける唯鈴の小悪魔的な笑顔にイッパツで堕ちた蒼麻は、それ以上の言葉を告ぐことなどできるはずもなく、それでもささやかな抵抗の証として、ややぶっきらぼうに「あいよ」とだけ返した。

 決して彼女に対して口先で勝てるヴィジョンが浮かばないからという敗北主義的な思考が脳裏にちらつくからではない。無用な文句の応酬は互いにとって無益であるということを知っているからであり、これは賢い判断なのだ。

 彼は心の声を震わせながら、誰に対するわけでもない弁明をこそりと呟いた。

 

「じゃあ俺は先に着替えてから行くから、唯鈴は先に部屋で待っててくれ」

「ん、了解したわ。じゃあまた後でね、蒼麻」

 

 蒼麻の自室は唯鈴の部屋のすぐ隣。彼女の両親曰く、蒼麻のことは「唯鈴の友達」あるいは「もう一人の子供」として扱っているらしく、蒼麻と唯鈴の部屋に格差は存在せず、姉弟同然で育てられた以上、部屋が離れることもなかった。

 いくら娘の親友でも、元はまったくの他人なのだから、何か間違いがあったりする可能性を考慮しなくていいのだろうかと考えたこともある蒼麻だが、あの両親の楽天的で善意まっしぐらの思考回路が治るところなど想像もできなかった。

 ひとまず唯鈴と別れて自室に戻り、BOND指定のロングコートをハンガーに掛けてから衣服を替えると、不意に彼の脳内に女性の声が響いた。

 

『今日の任務は珍しく苦戦したようだな、ソーマ。私と替わってもよかったろうに』

「苦戦はしたが、勝てない戦いじゃなかった。いくらなんでも魔導人形(オートマギア)程度の相手に天星(てんせい)を頼るようじゃ、さすがにBONDじゃいられないさ」

 

 姿なき声――『天星』に対して、蒼麻は大した驚きも見せず返事をする。その声の出どころは敢えて探るまでもない。

 声――『天星の書』のマルチコントロールプログラム「天星」は、蒼麻の『内側』とも言うべき部分に存在し、あらゆる記憶や知識、そして感覚をも共有する人格であり、セキュリティプログラム「ソーマ・グレンヴィル」の片割れとも呼ぶべき存在なのだ。

 

『そういうものか。しかし、実際に私が出るまでもなくお前は任務を完了した。さすが私の親友といったところか』

「応とも。お前の片割れが、あんなショボいステージでリタイアするわけないだろ」

『それもそうだな』

 

 蒼麻と天星。この二人は古代魔導書である『天星の書』のプログラムであり、本来であれば互いに肉体は存在しないデータのみの存在だ。

 しかし、天星の書は自らの役割である「魔力の貯蔵」を目的として、世界や種族を越えてランダムに転移し、生まれたばかりの幼い知的生命体にその人格データを強制インストールし、世界の魔力を少しずつ貯めていく。

 つまり、この『海藤蒼麻』という人物も、肉体的には他人のものであり、本来の人格を削除することで、ソーマと天星という二つの人格データが入力された状態なのである。

 

 また、その人格データは肉体が死を迎えると同時に次の生命に転移・強制インストールするのだが、当然ながら人格データだけでなく本体である『天星の書』もその肉体の近くへと転移する。

 しかし、彼の部屋にある魔導書は近代魔導書が幾つか見られるばかりで、とても古代魔導書と思わしきものは存在しない。だが、それは魔導書が魔導書であるがゆえに、そして蒼麻にとって信じるに値する存在があるために、当然のことであった。

 魔導書とは、どんなに強力な力を持っていたとしても、言ってしまえば『アイテム』のひとつに過ぎない。アイテムとは『所有者』に使われてこそ意味を持ち、十全の効果を発揮できるのである。

 

 そして、これまでの会話の流れから既にわかる通り、その『所有者』こそが、今この部屋の隣で気楽に鼻歌でも歌いながらお気に入りの図鑑を手に蒼麻が来ることを待っているであろう少女――『凪原唯鈴』なのである。

 

『さて、こうして私に構ってくれるのは嬉しいが、着替えが終わったなら早く行かないとスズの機嫌を損ねることになるぞ』

「だな。じゃあ天星はもうしばらくステイだ。必要になったら『替わって』やるから、それまで大人しくしてな」

 

 言われずとも、と一言残すと、それきり天星の声は聞こえなくなった。

 天星に言われた通り、このまま無暗に時間を浪費すれば唯鈴の雷が落ちることは目に見えている。蒼麻はBONDの通信端末と携帯電話だけポケットに入れて、自室を出た。

 大好きな親友の隣を陣取りながら、一文字読み進めるたびに辟易する謎の図鑑を見せられるヴィジョンを脳裏に浮かべて。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『空岡美晴』の持ち込む新たな任務

 海藤蒼麻の朝は早い。学生の身分なのだから、早起きは規則正しい生活の一環として当然だ。――というのは唯鈴の談であって、蒼麻はそんな素晴らしい健康的な生活など痰を吐き捨てるように不健康を極めていた。かつては。

 しかし言うまでもなく彼の身分は居候。由緒正しい凪原家の一人娘が『親友』と慕ってやまない蒼麻が、彼女が起きる時間に惰眠を貪り、彼女が食事をとる時に布団に包まっている生活など、彼女が許しても使用人たちは許さなかった。

 わかりやすく言えば、彼は脅されたのである。愛する親友にではなく、恩ある彼女の親にでもなく、凪原親子のことを慕う使用人たち全員の、暴力を伴わない威圧的視線によって。

 

 ベッドを出てすぐに着替えを済ませ、昨夜のうちに支度した学生鞄の中身をもう一度だけチェックすると、枕元に転がった時代遅れな旧式携帯電話をスラックスの右ポケットに入れて部屋を出た。

 ドアを開けてさぁ朝食を取りに食堂へ、というところで、隣の部屋のドアを開けて現れた親友と視線が交わる。タイミング的に、部屋を出たのは蒼麻が先だが、おそらく起きたのは彼女の方が早かったのだろう。女子の支度は時間が掛かるのだ。

 自分がまだ「子供」という枠の中に入っていることを自覚している唯鈴でも、さすがに年頃の女子である以上、人前に出て恥ずかしくない程度の、最低限のメイクは仕立てている。

 蒼麻がケバい女性を好まないためにナチュラルメイクに留めてあるものの、すっぴんよりも遥かに女性らしさが増していて、蒼麻としてはとても心臓に悪い。

 

「おはよう蒼麻。昨日はよく眠れた? あたしは夢見がよかったおかげで寝起きがちょっと億劫だったわ。今日が休日だったら、もう少しくらいあの夢を見ていたい気分だったのに」

「おはよう。そりゃ残念だったな。俺なら間違いなく二度寝だ。で、どんな内容だったんだ?」

「それが覚えていないの。いい夢だった、ということだけ覚えていて、それ以外はさっぱり。だけど、二度寝してしまいたいと思うほどいい夢だった。……はずよ。きっとね」

 

 微笑む唯鈴に、蒼麻はいつも通りの皮肉も浮かばず、ただ「そうか」とだけ返す。

 夢の内容を尋ねておきながら、蒼麻はそれに対してさほど興味がなかった。ただ、唯鈴の見た夢が悪くないものであったことが、素直に嬉しかっただけなのだ。

 ただ、そこで夢の話を掘り下げようとしなかったせいで、会話はそこで終わってしまった。ただの沈黙がその場に意味もなく流れている。それでも、二人はその沈黙に息苦しさは感じていなかった。

 

「……『きみと、わらいあう、あしたがほしい。いままでも、きみが、そうして、くれたから』」

「お前ホントにその子守唄が好きだな。おかげで一度でも聞くとしばらく耳に残るぞ」

「いいじゃない。あなただって好きでしょう? 『ゆめも、いとしさも、きみがくれたよ。いつだって、そうさ。いまでも、かわることなく』……」

 

 前触れなく唯鈴の口から紡がれたのは、幼い頃に二人が聞いた子守唄。彼女はこの子守唄が大のお気に入りで、することがなかったり、無心になっている時は、彼女自身も不意の内にこの歌が溢れ出す。

 おかげで、というわけでもないが、蒼麻は大した思い入れもないはずのこの歌をきっちり暗記してしまった。BONDの任務によって不眠で働くことがままある彼にとって、唯鈴の口遊むこの歌は癒しのひとつであった。

 

「あー、さっそく脳内リピートが始まった……」

「それはいいわね。そのまま学校につくまでリピートしてればいいと思うわ」

「それ耳鳴りと何が違うんだ?」

「少なくとも不快な雑音でないことは確かよ」

 

 口先で唯鈴に勝とうとしたことが間違いであったと気付くのに、そう時間はかからなかった。というか即落ちだった。

 仕方なく反論を諦めたところで、ようやくこの大きすぎる屋敷の食堂に到着。昼食と夕食は別だが、朝食だけはマナーの勉強も兼ねているため、そこから食事が終わるまで会話は一切なかった。

 

 

 

 

 蒼麻の通う私立幸盛学園は、2年前に共学化したばかりの元女子校だ。ちょうど彼が入学した代から共学化され、未だ三年生は編入生の男子が二人だけという、悲劇的ハーレム状態だと聞いている。

 確かに周囲に女子が多いというのは目の保養という意味ではとても良いものだが、さすがにそれだけでこの学園を選んだ者はいないだろう。県内でもレベルの高い進学校であるし、一部の運動部はかなり厳しいと地元では有名だ。

 蒼麻としても、徒歩で行ける高校がここ以外にあればそっちへ行っていたに違いないと自負している。いや、もしも3200年分の記憶がなければ、仮に家から近くても別の学校を選んでいたかもしれない。それほど幸盛学園の敷居は高かった。

 

「やぁ。おはよう、蒼麻君。それに凪原さん」

「おっ? ああ、ハルか。おはよう」

「ハルくん、おはよう」

 

 BONDの任務でも行動を共にする少年――空岡美晴(そらおかよしはる)は、校内では別行動の多い蒼麻と唯鈴にとって、数少ない共通の友人だ。

 蒼麻とは中学次代から付き合いの続く腐れ縁であり、ちょうど中学だけ女子校に行っていた唯鈴にとっては、中学時代の蒼麻がどんな様子で過ごしていたかを問うことのできる貴重な存在でもある。

 

「今日も揃って登校とは華やかだね。うらやましいよ」

「ハッ、めっちゃ美人の彼女がいるって常々自慢してるくせに、よく言うな」

「彼女はずいぶんと年上だからね。登校を共にできる、という点でうらやましいのさ。凪原さんが華やかだという点も否定しようのない事実だしね」

 

 にこりと笑って放った言葉に翳りなく、唯鈴だけでなく蒼麻までもが苦笑いを返した。

 他人の容姿や性格について、思うがままを素直に表現できるところは、間違いなく美晴の美点と言えるだろう。彼がそういう人物であるということは、親友であるこの二人が一番よく知っている。

 しかし、彼の話を聞く限り「嫉妬深い」と思われる彼の恋人がもしもこの会話を聞いていたら、と少しだけ気が気でなくなるのは、この二人の杞憂ではないだろう。

 

「さて、それはそれとして。蒼麻君に伝言があったんだった。まぁお察しのことだとは思うんだけど、お仕事についてだよ」

「昨日の今日でずいぶんと急だな……。なんか最近やたら忙しくね?」

「まぁいつ何が起こるかわからないのが古代魔導書だからね。……ああ、いや別に(天星の書)に対する嫌味とかじゃくてね」

 

 つい昨日、珍しくたった一日で『糸欠の書』の暴走に収拾をつけたというのに、こう続けざまに任務を持ってこられると、さすがの蒼麻も辟易を隠せなかった。

 しかし、BONDの魔導書に対する基本方針は確保と保護。任務ということは、また魔導書災害がどこかで起きているということに他ならない。それを放置しておくことは、いつか自分の友人にも危害が及ぶかもしれないということだ。

 そうなると、蒼麻が任務に対して消極的になるわけにはいかない。唯鈴という幼馴染、美晴という親友、守唄という仲間、他にもたくさんの大切な人たちがたくさんいる世界を、守らないわけにはいかないのだ。

 

「わかってるよ。それで? 今回はいったいどんな魔導書が面倒を起こしてくれてるんだ?」

「今回の保護対象となっているのは『千貌(せんぼう)の書』と呼ばれる、まぁ簡単に言っちゃうと「インスタントに変装できる魔導書」だね。記録に残っている限りでは、200年前までBONDが管理していたはずだけど、いつの間にか逃れていたらしいよ」

「BONDが膨大な数の魔導書を管理しているとはいえ、さすがに管理が雑すぎやしないか? 確か千貌の書には自動転移システムも自律思考型AIも搭載されていなかったはずだ。つまりは誰かにパクられたってことだろ?」

「まぁBONDという組織が魔導書の管理を目的としていても、すべての職員までもがそうであるとは限らないしね。きっと志を違えた職員によるものなんじゃない?」

 

 とは言うが、どのような経緯で魔導書がBONDの手から逃れたのか、という点については、実は二人ともあまり興味はなかった。

 問題は、魔導書の性質。今こうして美晴から簡単な説明を受けた限りでも、今回の魔導書は所有者の姿を変化させることが可能だということがわかっている。

 つまり、魔導書の外観はわかっていても、所有者の外見がほとんど捜索のための資料にならないということだ。

 

「その千貌の書というのは、本来どのような目的で作成された魔導書なのかしら」

「あー、確かあれは今でいうアルバムみたいなのを作ろうとして偶発的に生まれたらしいぞ。あの魔導書の製作者と会ったことがある」

「……あれ軽く見積もっても2800年くらい前に作られた魔導書なんだけど」

「俺が天星の書にインストールされたの、それよりさらに400年くらい前だしなぁ……」

 

 遠い目をしながら過去を語る蒼麻の言葉に、改めて彼が人間でないことを思い知る。しかしそれと同時に、千貌の書の作成経緯が判明したことで、唯鈴はある仮説に思い至る。

 

「アルバム……つまり千貌の書には対象となる人物の容姿を記録する機能があるのね? だけれど、記録するということは、所有者が知らない人物は模倣できないはずだわ。違うかしら?」

「ああ、そういえばそんな説明も受けたかな。あと、あれは容姿だけじゃなく声も登録することができたはずだけど、それがどうかしたの? いくら所有者の知っている人物にだけ変装できるといっても、所有者の特定が困難であることには……」

「そうね。でも、まったく参考にならないわけではないわ。自分の知らない人物に変装できないのなら、それは逆説的に――」

 

 

 ――自分の知っている人物にだけ変装している、ということではないかしら。

 

 

 唯鈴の言う言葉は、蒼麻もまったく考えていなかったわけではない。知らない人物になれないなら、知っている人物になればいい。確かにそこまでなら想像に容易い。

 しかし、それには問題があるのだ。それは、「自分が知っている」という言葉の定義にある。ただ「見たことがある」だけでいいのか、それとも「ある程度の交流がある」状態でなければならないのか。

 そして、もしも前者であった場合、捜索範囲が無暗に広がってしまい、結局のところ振り出しに戻ってしまうのと大差ない。だが、唯鈴はさらに続けた。

 

「おそらく、千貌の書は所有者が「見たことのある」人物になら誰にでも変化させることができるはず。でも、これでは結局のところ何もわからないのと変わらないわ。だけど……蒼麻、あなたさっき千貌の書には『声』も登録できると言ったわね?」

「声……なるほど、そこを見逃してたか」

 

 そう、千貌の書は「記録した容姿と声」を所有者に与える魔導書。それはつまり、容姿と声の両方を知らなければ、完璧な模倣はできないという意味だ。

 姿だけならば写真でいい。声だけならばラジオでいい。しかし両方を満たすには、ある程度の会話を続けた相手でなければならない。

 しかし、魔導書を扱うという時点で、BONDが動くということは所有者もわかっているはず。ならば、親しい友人の模倣はしないだろう。つまり、積極的に模倣するとすれば……。

 

「所有者の容姿と声は本人の住所周辺の店舗に勤務する店員や、あるいは図書館や役所などの職員である可能性が高い。交流の浅い人物なら所有者も幾何か気楽だろうしな。でも、そうなると生活圏が見えてくるはずだ」

「なるほど。確かにある程度の交流が必要とはいえ、親しい友達を売るっていうのは、よっぽどねじ曲がった性格してないとありえないだろうしね。了解したよ、じゃあその旨を守唄さん伝いに本部へ連絡しておく」

「まぁ、つつけばいくらでも穴はあるのだけど、今わかる限りの情報ではそのくらいかしらね。参考になればいいのだけど」

 

 頭脳労働は本来なら自分の役目であるはずだが、と蒼麻はごちるが、しかし数千年を生きる自分の頭脳を上回るのが親友である唯鈴であると思うと、妙な嬉しさもこみあげてくる。

 他の誰に負けるのも気に入らないが、自分を打ち負かすのが親友であるならば。蒼麻のねじ曲がった友情論はさておき、事態に取り掛かる前から大きな手掛かりを得た。昨日の暴走事件と違って、今回は明確な意思を持って所有者が魔導書を行使している。

 ならば、千貌の書は破壊ではなく確保の対象だろう。同じ古代魔導書として同情するわけではないが、破壊するよりは確保のほうがいくらか気分が楽であることに違いはない。

 

「じゃ、まぁあとは放課後にな」

「だね。じゃあ今日も一日学生を満喫しようか」

「毎日のように命かけてる人の言葉は重みが違うわね……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ペリオード』の任務通達

 授業を終えた蒼麻たちが向かった先は、当然ながらBONDの『第二級作戦執行部隊指令室・B』と呼ばれる場所であった。

 関係者とはいえ、一般人である唯鈴はいつも通りロビーで待機しており、普段は別行動をとっている守唄とは作戦指令室で合流することになった。

 既に社会人であるはずの守唄が、自分の店を放り出してまで蒼麻や美晴よりも早く到着したのは、BONDへの忠誠心の高さ――というわけではないだろう。

 

「また先に来てペリオードとイチャついてたのか。兄貴も随分な物好きだな」

「そんなつもりはない。ただ、作戦について話し合うにあたって、先んじて交換しておかなければならない情報がいくらかあるというだけだ」

「守唄の言う通りだ。私はメッセンジャーとして、各執行部隊に対し、情報の適切な通達を行う必要がある。そのために、部隊リーダーである守唄にはあなたたちよりも伝えるべき情報がいくらか多いというだけだ」

「そうやって長々と弁明するから怪しまれてるって自覚あるかい?」

 

 BONDの宣告者(メッセンジャー)であるペリオードは、かつてBONDによって破壊命令が出されながらも、守唄によってバグプログラムのみを破壊され、救い出された魔導書の人工知能プログラムである。

 蒼麻と違い、肉体は生身の人間に限らず、魔力の宿る存在であればなんでもいいため、BONDが用意した魔導人形(オートマギア)を依り代としており、BONDが管理している魔導書の中でもBONDに協力的な存在として扱われている。

 基本的には自我が薄く、自らの欲望を表に出さないことから、BONDに忠実な人形としてメッセンジャーの役割を担わされているものの、まったくの無感情というわけでもないようで、守唄の元に訪れた時は、周囲がやきもきするやり取りを繰り返している。

 

「まぁ、唄ペリをいじるのはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうぜ。脱線させたの俺だけど」

「そうだな。では、まず今朝お前たちからもらった情報を元に、対象の行動範囲を絞ってみた。それがこのマップになる」

 

 巨大なモニターに映し出されたのは、隣の県に存在する小さな町の詳細マップだった。詳細とはいえども、大して発展しているわけでもない町であるだけに、さほど入り組んだ部分は見当たらない。

 そして、そのマップのあちこちに、幾つかの赤いポインタが表示されている。おそらく、これが現時点で目撃されている「所持者」の顔の持ち主がいる場所なのだろう。

 

「本部が調査した限りでは、この程度までしか絞り込めなかった。だが、まぁ見ての通り小さな町だ。あなたたちなら苦もなくこなしてみせるだろう」

「簡単に言ってくれるよねぇ」

「簡単にこなしてもらわなければ困るからな。そして、現時点で判明している「所持者」の簡易情報をそれぞれの端末に送信しておいた。参考にしてくれ」

 

 三人がそれぞれの端末を確認すると、そこにはこれまでの「所持者」の行動からプロファイリングされた資料が確認できた。

 詳しく確認するのは現場に到着してからでも遅くはないので、ひとまず資料が送られていることだけ確認して、端末をポケットに戻す。

 

「前提情報を伝えた上で、作戦目的を通達する。今回の作戦は千貌の書の確保。所有者に対しては、無力化と事情聴取の後、一定期間の監視をつけて解放する。何か質問は?」

「これさ、普通に考えたら人数が多い方が効率的だと思うんだけど、合同で作戦に加わってくれる執行部隊とかいないの?」

「無理じゃね。第一級作戦ならまだしも、今回のは第二級作戦だし。つーか、それなら最初っからこの場にいるはずだろ」

 

 愚痴るように質問を飛ばした美晴に、蒼麻が淡々と反論をぶつける。そしてそれを裏付けるように、ペリオードもただ静かに目を閉じて頷くだけ。

 実際、魔導書が絡んでいるとはいえ、今回の作戦自体は「面倒」なだけで「難しい」わけではない。ただやたら時間と労力を要するだけの、容易と言ってしまえるほどの作戦なのだ。

 だからこそ、逆に蒼麻はこの作戦が「第二級作戦」とされていることに、内心僅かな疑問を抱いていた。確かに面倒な作戦だが、危険はそう高くない。魔導書の所有者も、姿を変えられる以外は、ただの人間のはずなのだ。

 だとしたら、この作戦が「第二級」とされていることには何か裏があると思って問題ないはずだ。おそらくそれは守唄も感じ取っている――あるいは、ペリオードからそう言われたのだろう。先ほどから何かを考えこんで、いつもより更に口数が少ない。

 

「蒼麻の言う通りだ。もう質問がなければ、さっそく作戦に移ってもらうが……その前に、これをあなたたちに渡しておく」

 

 そう言ってペリオードから渡されたのは、グローブ、チョーカー、リストバンドの三つの装飾品。

 この場で渡されるのだから、彼女からのプレゼントというわけではないだろう。おそらくは、BONDとしての新たな支給装備であるはずだ。

 守唄がリストバンドを受け取ると、それに続いて蒼麻がグローブを、美晴がチョーカーを受け取り、それらを身に着ける。

 

「それらの総称は精神連結式魔導装具(Nexus Link Magia Machina)――略してネクスマギナ(Nex'Magi'na)。装着者の精神的昂揚感に反応し、魔力を増大、さらには出力の強化を可能にするBONDの新兵器だ」

「うわー、憲法ガン無視のガチ兵器だコレー。頭どうかしてんじゃねーの本部。え、護身とかじゃなく? 思いっきり戦うこと前提に作られてんのコレ?」

「その通りだ。日本のみならず各国政府からも散々渋い顔をされたらしいが、魔導書の対応には不可欠と判断され、国連より実践投入が許可された。よって今日からBONDの全執行部隊に支給されている」

 

 ペリオードの指示に従い、自身の魔力をネクスマギナに流し込み、装着者の登録を行うと、それまで真っ黒だったネクスマギナたちは、それぞれの魔力色へと変色を始めた。

 蒼麻のグローブは紺色に、美晴のチョーカーは水色、守唄のリストバンドは紫色へと色を変え、白い基盤模様が浮き出てきた。おそらくこれで「登録」が完了したということなのだろう。

 

「あとは起動の際に名前を呼べば、それがそのネクスマギナの登録名称になる。登録名称はその後、起動の度に必要になるから、忘れないようにな」

「俺はプラウドフィストがあるから、ネクスマギナがどういう武器なのかわからない以上、戦闘スタイルを急に変えかねないのであれば、あまり使わない可能性もあるんだが……」

「あなたのギアを調整したのは私だから、その点は心配しなくていい。美晴のも、『彼女』の仕事だったから心配は無用だ。そういう意味で心配なのは蒼麻だけだな」

 

 本部より『メッセンジャー』として活動するペリオードだが、常にその職務に就いているわけではない。

 魔導書の人工知能プログラムとして多くの知識を保有する彼女は、普段は技術開発部でBONDの装備開発や、あるいは確保した魔導書のシステム管理などを行っているからだ。

 ともなれば当然、ネクスマギナの開発にも彼女は携わっている。そして同じように、美晴の「恋人」も同じ部署に就いているため、結果として守唄と美晴のネクスマギナだけは調整がバッチリというわけだ。

 

「不平等が露骨すぎだろッ!」

「不満があれば天星に調整してもらえばいい。ネクスマギナの解析と調整くらいなら、彼女でも問題はないはずだ」

「覚えてろよ! いつか天星に言いつけてやるからな、このパツキン豊満美女!」

 

 蒼麻のポジティブ極まる暴言をシメに、作戦会議は終了を迎えた。さっそく事態に当たれ、という無言の圧力がペリオードの視線から放たれたので、三人揃って指令室を後にする。

 

「さて……んじゃあ今回もシャッキリ働きますか」

「新兵器ももらったことだしね。もっとも、ぶっつけ本番で使うなんてことはしたくないけど」

「だとすれば、ネクスマギナを必要とする前に作戦を遂行すればいいだけのこと。俺たちならば不可能でもないだろう」

 

 ロビーで待機していた唯鈴に視線を向ければ、それに気付いた彼女もまた何も言わず小さく頷く。

 これから戦渦へと臨むのなら、彼女は戻るべき場所の守り人。彼女がここで待つのなら、自分もまた生きることを諦めない。生きることを望む者は、そう簡単に絶えたりしないと蒼麻は知っている。

 ロビーを出て、それぞれのバイクに跨ると、マシンは彼らの戦意に応えるかのように唸り声を上げる。

 

「ナビを頼むぜ、FDX」

「今日も付き合ってね、KXZ」

「……行くぞ、GLANZ」

 

 

-OK! お任せください、ディアマスター-



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の聖徹執行

 光尋(みつひろ)町。山梨県の甲府盆地最南端に位置する小さなこの町は、古くより花火や和紙の製造で有名であり、特に花火ではかつて日本三大花火のひとつとして名を馳せた。

 小さいとはいっても、BOND本部が存在する東京都唯城(いしろ)区の4倍近くの面積はあるが、そもそも東京都自体が人口に比べて面積が極めて小さいため、比較すること自体が間違いなのだろう。

 

「1時間35分……。思ったよりかからなかったな」

「まぁほとんどハイウェイ乗りっぱで渋滞もなく、降りたら15分くらいだったし、そりゃあね」

 

 現在、三人が休んでいるのは光尋町内にある寺院。もちろん参拝目的などではなく、駐車場を借りる礼として賽銭を入れるためであって、この三人はむしろ神や霊といったものを信仰する思想は毛嫌いしている。

 魔法の蔓延るこの時代に何を、と思うかもしれないが、神や霊と違って魔法は既に「未知」ではなく「既知」の存在として、ありふれた存在になっているため、信仰――つまり「信じる」行為に値するだけの存在感を示しているのだ。

 ともあれ、ひとまず賽銭だけ入れて駐車場に戻ると、まずは今回の作戦の具体的な行動を話し始めた。

 

「さて、さっそく対象の捜索と確保に向かうわけだが……この町の市街地って北西と南西に分かれてるから、とりあえず二手に分かれる必要があるんだが、どうする?」

「戦力的に考えると、蒼麻(そうま)君とシュウさんはともかく、ボク単独は無理だよね。となると、ボクがどっちに入るかってことになるんだけど……」

 

 後衛としての能力に偏る美晴(よしはる)は、基本的に単独行動はさせづらい。そして、前衛能力に秀でる守唄(しゅうた)と、オールラウンダーの蒼麻を比較すれば、単独班は自ずと蒼麻になるだろう。「戦力」だけの話をすれば。

 しかし、今回の作戦は対象の無効化である以上に、「捜索」という点が大きい。ともなれば、当然だが相手にこちらの存在を悟られれば、逃げられる可能性もある以上、できるだけ派手な行動はしたくない。

 では、ここで改めてコンビ必須となる美晴と、現時点でコンビ候補となっている守唄の外見を見てみよう。

 

「……通報まったなし」

「もう少し言葉を選んでくれ」

「美女と野獣。……いや、美少女と猛獣?」

「もういい、わかった」

 

 パッと見だけなら小柄な美少女である美晴と、威圧的な雰囲気を持つ強面で大柄で筋骨隆々の男が並んでいたら、普通に目立つ。少なくとも通報されることは請け合いだ。

 しかも見た目だけならいいが、美晴は声も高くて雰囲気も美少女のそれなので、喋った時の印象も「ボク」という一人称くらいしか男性として認識できないという追い打ちまでついている。

 となれば、行動を共にするメンバーは自然と決まった。

 

「……別に今日に限ったことじゃねぇけど、お前が女ならなぁ」

「キミらしからぬ言葉だねぇ。残念ながらボクには心に決めた人がいるから……ごめんね?」

「なんで俺が告白してフラれたみたいな感じになってんだ、ぶっとばすぞクソアマ野郎」

 

 軽く毒づきながらも、それ以上にその話題を引き摺ることはなかった。軽口程度で任務に支障をきたすほど、彼らは浅はかではないからだ。

 守唄は二人に目配せをすると、何も言わないまま愛車のGLANZ1100Rに跨り、南西の市街地へと向かった。この町の中心部である北西は、人員が倍の蒼麻と美晴が行え、ということなのだろう。

 

「さて、ボクたちは北東だね。といても、何かしらのアタリをつけていかないと、宛てもなしに探すのは無謀すぎると思うんだけど、我がチームのブレインさんの判断を仰ごうかな」

「なんか引っかかる言い方だな。まぁ、実際もう既にいくつかアタリをつけてるんだけども。ひとまず近いところから行こう。根拠については道すがら教えてやる」

「おっけー。まぁ、別に根拠なんて聞かなくてもボクは蒼麻君についていくけどね。そういうのについて、ボクやシュウさんが言えることなんて多くないしさ」

 

 

 

 

 愛車を寺院の駐車場に停めたまま、二人が徒歩で10分ほどかけて向かったのは光尋町市街地中心部に存在する小さな教会だった。

 今回の事件で、最初に千貌の書が確認された場所であると同時に、常に「まったく特徴の異なるの目撃証言」が出るこの事件で、犯人が3度にわたって「同じ姿をとっていた」場所のひとつだ。

 

「ここは……最初の通報があった場所だね。でも、さすがにここはもう何もないんじゃない? BONDならともかく、捜索や鑑識についてはプロである警察が調べてくれたわけだしさ」

「まぁ、俺も犯人に繋がる直接的な何かがここにあるとは思ってないし。ここにあるのは既に調べ尽くされた情報と『犯人の姿が同じ姿で3度もここを訪れている』という事実だけ。それだけだ。けど……」

 

 教会に足を踏み入れ、ベンチのような長い椅子に腰かけると、美晴もその横へと腰を据えた。

 

「けど……何?」

「犯人が同じ姿でここに3度も来てるってのは、素顔がどうのこうのっていうよりも、「ここでは素顔でなきゃいけない」みたいな一種の義務感というか、強迫観念というか、まぁそんな感じのがあるからじゃねーかなって」

「神様の前だからとか、この教会にお世話になってるから、ってこと? それはちょっと……」

「そりゃ、俺らはな。でも宗教とか信仰ってのはそんなもんだろ。信じることに明確な根拠や理由なんてない。ただ縋るように信じるだけだ。だからこそ――根拠のない信仰は時として異様なまでに人の心を満たし、依存させる」

 

 根拠のない信仰。魔法というリアルな力を振るう美晴には理解のできない思想だ。しかし、だからこそ明確な理由のない行動を裏付ける時、こうした信仰というものは指針のひとつになり得る。

 蒼麻はここ以外にもいくつか犯人のアテには心当たりがあったが、おそらくここが一番可能性が高く、そしてエンカウント率の低い場所でもあると思っていた。

 ここが犯人にとって特別な場であればこそ、犯人がここを訪れることはあるだろう。しかし、ここで事を構える気はおそらくないだろう。だからこそ、蒼麻たちとの接触は避けられるべきだと思っていた。

 

「……ハル、兄貴に連絡だ」

「え?」

「来るぞ」

 

 椅子から立ち上がった蒼麻がゆっくりと背後を振り向くと、教会の入り口で微笑みながら二人を見つめる女性が一人。

 資料で見た通りの、薄幸そうな雰囲気を持ちながらも穏やかな表情を崩さない彼女に、美晴は思わず息を呑んだ。

 

「はじめまして。この教会ではあまりお見掛けにならないお顔ですが、入信者の方ですか?」

「いや、こんなところに来ておいてなんだが、あんまり信心深い方じゃなくてね」

「それは残念です。では、神父様にご用事でしょうか? それとも――」

「ああ、『千貌の書』の暫定所持者……あんたに用事さ」

 

 千貌の書の暫定所持者――そう聞いた途端、女性の表情は一転、両目を伏せたまま、少し困ったような……あるいは不本意だと憤るような、複雑なものへと変わった。

 しかし、それを聞いてすぐに逃げ出す様子もなかった。ただ、何をするかもわからないため、蒼麻と美晴は警戒だけしながら女性の返事を待つ。

 

「その制服……それに千貌の書のこととなると、やはりBONDですか」

「ま、そうなるな。お前が千貌の書を大人しく渡してくれるなら事情聴取と厳重注意に留めることもできるんだが……」

「もちろん抵抗するならこっちも本気で対処することになるんだけど、お姉さんみたいな美人さんを力ずくで押さえつけるのはボクらとしても本意じゃないんだよね」

 

 警戒する二人を見て、女性は使い古された革製のショルダーバッグからある物を取り出した。

 

「千貌の書……!」

「主は仰いました。万物は在るべき姿で在るべき場所へ、と。千貌の書は古代魔法時代の産物とはいえ、本来は人によって生み出された魔導書。存在するだけで害を及ぼす書ならまだしも、この書はただ姿を真似るだけ、ならば――」

「正しい心を持つ人間の手で保管すればいい、ってか? 確かに魔導書としてはBONDなんて組織に保管されるより健全だとは思うがな、じゃあBONDって組織に忍び込んで書を盗むようなお前が、その「正しい心」を持つ人間なのかよ?」

 

 蒼麻の挑発するような口ぶりにも気を散らさず、女性はただ千貌の書を慈しむように抱き締める。

 その様子を見た蒼麻と美晴は、すぐに判断を下した。――このままでは女性が危険だ、と。

 

「古代魔導書の中には、所有するだけで持ち主の心を黒く染めようとするものがある。千貌の書も例外ではなかったようだな。お前は既に千貌の書の魔力に魅入られ始めている!」

「……できることなら対話でどうにか諦めていただきたかったのですが、そちらがそのつもりなのでしたら、私も書を守るために抵抗させていただきます」

 

 閉じた瞼の奥に静かな闘志を燃やしながら、女性は名乗る。

 

「『聖徹(せいてつ)』シルヴィア・ミーク! 主の導きに従い、千貌の力を纏いましょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の偽りを貫く奇跡

『状況を確認しました。彼女の名はシルヴィア・ミーク。聖宝(せいほう)教会のシスターにして、その敬虔さと従順さから『聖徹』の二つ名を持つクレリックです』

 

 戦闘が開始されると同時に、指令室のオペレーターからシルヴィアの簡易情報が伝えられた。

 彼女の所属する聖宝教会は、4000年前に存在した先史文明人を天上の人として祀り上げ、彼らの残した遺産――即ち『古代魔導書』を聖宝(レリック)として祀っている。

 その活動は慈善にして潔白。世界各地でボランティア活動を行う、メジャーな教団といえる。しかし、問題なのは彼女が所属する組織ではなく――。

 

「は? クレリック? いや待て冗談だろ? 聖祷者(プリースト)ならまだわかるが代行者(クレリック)だと!? いきなり大物すぎだろ、ふざけんな増援よこせ!」

『要請はしましたが、どこも多忙の一言であしらわれている状況です。ご武運を』

「ご武運もクソもあるかッ! おいおいマジかよ、兄貴来るまでジリ貧すら保てるか怪しいぞ!」

 

 クレリック。それは魔法によって神の教えを行使するプリーストとは違い、高い信仰心と魔力が合わさることで発揮される『神の奇跡』を行使できる者のことだ。

 故に、クレリックの称号を持つシスターは時として魔導書の力にも匹敵するほどの奇跡を起こし、まして今回のように奇跡の力を魔導書によって強化されている状態では――。

 

「主に声届かぬ者へ、救済の厳罰を!」

「木の根ッ!?」

 

 床を突き破って現れたのは、成人男性のウェストほどの太さを持つ巨木の根。

 クレリックの行使する奇跡とは、わかりやすく言えば「摂理の力を意識的に行使できる力」と言い換えることができる。

 しかしいくら田舎の教会とはいえ、周囲は開拓された街。あくまで摂理の力を行使するだけの『奇跡』が、自然界に存在するものを極端に急成長させることはありえない。

 故にこの力は間違いなく千貌の書によるもの。書の機能こそ「姿を変える」ものだが、そこに存在する魔力そのものは、他の古代魔導書と比較しても遜色ないということだ。

 

「捉え損ねましたか……。出来る限り傷付けないよう気を遣っているのですが、やはり多少の負傷は致し方ありませんか」

「傷付けないように気遣ってる割に、攻撃そのものは殺意に満ちてるように思えるんだけど?」

「千貌の書の影響だろ。シルヴィア自身は俺たちを傷付けないように奇跡を行使してるつもりなんだ。だが千貌の書がその奇跡に影響を与え、俺たちを殺せるだけの攻撃に変化させてるし、何よりシルヴィアにその違和感を感じさせないようにしてる」

 

 つまり、シルヴィアの意図する奇跡の力と実際に発揮される奇跡の力では、目に見て明らかなほどの差異が存在しているが、シルヴィアはそのギャップに気付けなくなっているということだろう。

 もしもここが教会内でなければ川の水を浴びせるつもりで洪水が起きていたかもしれないし、大気を乾燥させ静電気で威嚇するつもりが落雷を起こしていたかもしれない。それほどの認識の違いが、シルヴィアにはあるのだ。

 ともなれば、このままシルヴィアを放置することはなおのこと出来なくなった。ここで彼女を捕え、千貌の書を奪取しなければ、シルヴィアの暴走がさらに悪化するだけでなく、彼女の起こす奇跡がより凶悪なものになっていくことは自明の理。

 

「ハル、ひとまず結界を張れ。被害をこの教会内に留めろ!」

「了解。とはいえ、クレリックの奇跡に耐えられるだけの結界となると、さすがに簡単じゃないけどね!」

 

 この奇跡を破ろうとするのなら蒼麻(そうま)の拳ではどうにもならない。美晴(よしはる)の魔法なら少しは対抗できるかもしれないが、彼の得意とする魔法は影響範囲の大きい広域魔法。この狭い結界内では本領を発揮できない。

 となると、アテに出来るのは狭い空間でも爆発的な大火力を発揮できる守唄の打撃のみ。それまで蒼麻と美晴に出来ることは、出来る限り現状を維持すること。

 

「魔法術式展開――完了。魔力充填――進行中。発動まであと40秒……ッ!」

「40っ!? いくらなんでもかかりすぎだろッ!」

「だから簡単じゃないって言ったじゃないか!」

 

 地中から次々と迫る大木の根は、そのどれもが一撃必殺。身を捕えられてしまえば防御手段など在りはせず、奇跡の名の下に「必殺」の二文字が奏曲と美晴の胴を刺し貫く。

 故に必殺に応じるも必殺にしかあらず。奏曲が最も信ずる一撃――「激烈拳衝(げきれつけんしょう)」が、大木の根を薙ぎ払う。

 だが奇跡によってもたらされる必殺は相対する者を貫くまで無尽蔵。対して激烈拳衝は一撃だけでも蒼麻のスタミナの大部分を消費する大技。それを以て攻撃をいなし続けることが長く続くはずもない。

 

「魔力充填――完了。発動……可能ッ! いくよっ! 領域限定魔法『エリアシーリング』!」

「やっとか……ッ! ハル、時間は稼いでやるから、まずは結界を破壊しない程度にドでかいのをブチ込んでやれ!」

「難しい注文を終えて一息入れる暇すらない内にまた難しい注文だねぇ。ボクのこと魔導書か何かと勘違いしてない? もちろんやるけどさ!」

 

 広域魔法という、幾つも枝分かれした魔法分類(マジックカテゴリ)の中でも特に繊細かつ強力な魔法をこなす美晴は、BONDの中でも最上位の魔導士の一人である。

 しかし、いくら最上位であるとしても、得手不得手は魔導士に限らず誰にでも多かれ少なかれ存在するものだ。

 彼の得意とする広域魔法は、その膨大な魔力を力任せにぶっ放す「広域攻撃魔法」であり、同じ広域魔法でも継続的な魔力供給・緻密な空間把握・複雑な魔法術式構築を求められる「領域限定魔法」は専門外であると言える。

 故に、そんな彼が張ったエリアシーリングは、確かに彼の力量に比例して並の魔導士なら傷一つ付けられない最上級品質であるのだが、それ以上に得意とする彼の特大火力の前では付け焼刃にすらならないだろう。

 

「魔法術式展開――完了。魔力充填――完了。発動……可能ッ! いくよっ! 属性魔法『ブレイクサンダー』ッ!」

 

 天井近くに浮かび上がった紫色の魔法陣。そこから放たれる夥しいほどの稲妻の奔流は、術者である美晴だけを避けながら範囲内の万物を貫かんとする。

 元々が魔導書のプログラムであり、魔力由来のエネルギー攻撃を自分の魔力に変換できる蒼麻はこれを回避する必要がなく、奇跡から美晴を守り続けるが、しばらくするとその攻撃がぴたりと止んだ。

 魔導書の力を得ているとはいえ、シルヴィア自身はただの生身の人間。美晴の広域攻撃魔法に耐えるには、その領域から出るか、あるいは防ぐしか方法がない。

 しかしここは彼の張ったエリアシーリングの内側。逃げ場のない広域攻撃魔法の領域内。故に彼女はその奇跡の力を攻撃ではなく、自らの身を護るために使わざるを得なかった。

 

「いかに奇跡といえど、さすがにこれだけの広範囲・高威力の魔法が相手じゃ防ぐのに手一杯みたいだね」

「攻撃の手がない今なら……ッ!!」

 

 無数の巨木の檻を打ち破り、ようやく一撃を叩き込もうと振りかぶった先にいたのは――、

 

「いす、ず――ッ!?」

 

 まるで怯える子供のように、震える身を抱きしめながら縮こまるその少女の姿に、蒼麻の拳が止まった。

 直後、彼女の足元から現れた土砂の塊が蒼麻を吹き飛ばし、勢いのまま教会の壁へと叩きつけられた彼は、困惑と焦燥を隠さないまま舌打ちをする。

 

「チッ、千貌の書の本来の力を忘れていた……! 守唄みたいな巨漢にでもなればリーチの優劣は生まれるだろうが、ただ声と姿を変えるだけの魔導書がどれほど戦闘に影響を及ぼすかなど知れていると思ってたが、完全に俺のミスだ……ッ!」

 

 姿を変えること。声を変えること。

 奇跡の力こそ強力だが、肉体そのものはひ弱なシスターがその能力を活用するとしたら、ボディービルダーのような巨漢にでもなって、筋肉量や身長、体重を増加させることで肉体を強化するのが、戦闘での千貌の書の力だと思っていた。

 身内の姿を模され、心や精神に揺さぶりをかけてくることも想定していなかったわけではないが、彼らはBOND。魔導書という絶大な力に対応するにあたり、冷徹なまでに冷静であることが最低限の必須能力。

 だからこそ、戦闘時に声と姿をコピーされ、美晴や守唄に化けられても、彼はその拳を止めないつもりでいたし、それが出来ていたはずだった。しかし……。

 

『スズの姿を模倣(まね)るとは……!』

 

 心の奥底から、怒りと悔しさが混じった天星の声が静かに響く。

 

「でも、彼女は凪原さんの声も姿も知らないはずだ。オリジナルの声と姿を知らなきゃコピーはできないんじゃなかったの?」

「ああ。だが現にあいつは唯鈴の声と姿をコピーしてる。たまたま見たことのある姿をこの土壇場で使うわけがない。だったら現状の要因なんて限られてるだろ」

 

 奇跡の力とは摂理の力。この世の理に逆らうことはできないが、理に従いさえすれば際限なく発揮され続ける力。

 結界の外部にある植物の根を急成長させて巨木の槍とすることも、建物の下にある土砂を一点に集めることで隆起した土を鎚とすることも、そして――地球上で起きた記録を地球の記憶から覗くことも。

 植物のないところから巨木の槍は作れない。土砂そのものに勢いをつけて砲弾のように撃ち出すことはできない。地球上で起きた記録を書き換えることはできない。それらは「理」に反している。

 だが、その「理」にさえ反さなければ――奇跡は起こる。

 

「俺の記憶は読めなくても、俺がこの地球上でやったことは地球が――大地と空と海が覚えている。だから、この地球上であいつの知らない声と姿なんてない……ッ!」

「ふふ、やはり常の軽薄な素行は、3200年分の膨大な記憶からなる剃刀のように鋭い洞察力と観察力。そしてそこから導き出す対応能力を隠すための道化師の仮面でしたか」

「どうだかな。せっかく褒めてもらって光栄ではあるんだが、俺の軽口と軽薄さは生まれつきでね」

 

 閉じられた瞼の奥にある金色の輝きが、蒼麻の罪を見貫(みぬ)く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の奇跡攻略

 奇跡によって行使される地球の記憶(メモリ)の閲覧。千貌の書により変幻する姿と声。たった二つの要素が重なり合っただけで、蒼麻(そうま)の行動が凍りつく。

 愛などではない。憐れみでも情けでもない。ただ胸に灯る『友情』が、彼の冷徹で冷静な判断力と行動力を鈍らせる。目の前に立つ、たった一人の「少女」の姿と声に震えながら。

 

地球の記憶(メモリ)を閲覧したところ、あなたの傍には常に友がいました。それは今そちらにいる少年であったり、あるいはこの少女であったり……」

「チッ、唯鈴の声で淡々と俺の分析結果をぺちゃくちゃ喋るんじゃねぇよ、違和感が半端ねぇだろうが」

「それは失礼。しかし、この姿があなたに対して一番効果的であるように思いましたので」

 

 それは蒼麻の知る彼女が絶対にするはずのない――そしてきっと、目の前にいる本来の彼女自身もしないであろう笑顔。

 邪悪で凶悪で醜悪なその笑みに、蒼麻の中にある感情がどんどん冷え切っていくのが、本人だけでなく隣に立つ美晴(よしはる)にもわかった。

 

「……わかった。今のままじゃ俺の拳もハルの魔法も意味がねぇ。だったら、地球の記憶とやらも知らない手札を切るしかない」

「それって……えっ本気? 本当にぶっつけ本番で使うのコレ?」

「他に手があるなら言ってみろ」

 

 露骨に嫌そうな顔をする美晴に、蒼麻はただ冷淡に最善策を突き付ける。

 確かに自分自身も知らない手札に頼るのは、美晴がわざわざ言うまでもなく蒼麻自身も不安を感じているはずだ。

 むしろ、普段から作戦立案を担当する蒼麻だからこそ、不確定要素を作戦に織り込むことは一種のタブーとすら思っているだろう。

 だが、だからこそ確定要素を全て網羅する相手には、多少のリスクを負ってでも未だ知らぬ手札を切ることが最も有効だと判断せざるを得ない。

 

 そして何より――この未知の手札を引かせてくれたペリオードを、蒼麻も美晴も信じているのだ。

 

「……わかったよ。やろう、蒼麻君」

「ああ。You'll have to pay for this(目にもの見せてやるぜ)!」

 

 覚悟を決めて、身に着けたグローブとチョーカーに触れながらその名を呼ぶ。

 

「インストール――『オルキヌスオルカ』!」

「インストール――『パーシアヌス』!」

『了解。海藤蒼麻専用ネクスマギナ『オルキヌスオルカ』起動。装着対象者にインストール・最適化します』

『了解。空岡美晴専用ネクスマギナ『パーシアヌス』起動。装着対象者にインストール・最適化します』

 

 二人の呼びかけに呼応するように、紺色と水色の光が二人を覆いつくす。

 あまりの眩さに、唯鈴(シルヴィア)は本能的にその光へ危機感を感じるが、木の根による攻撃も土砂の奔流も全てその光に遮られてしまう。

 

『インストールおよび最適化をコンプリート。オルキヌスオルカ――実行可能(アクティブ)

『インストールおよび最適化をコンプリート。パーシアヌス――実行可能(アクティブ)

 

 光と共に蒼麻の両手に装着されたのは、電子基板のような金色のラインが走る紺色の機械篭手(デバイスアーム)、オルキヌスオルカ。

 同じく美晴の背中に装着されたのは、羽撃きに伴って幾何学模様が浮かび上がる水色の装甲機翼(アーマーウィング)、パーシアヌス。

 地球が未だ知らない二人の新たな切り札――ネクスマギナだ。

 

「その力……地球の記憶(メモリ)にも存在しないそれは、いったい……!」

「さぁな。悪いが俺たちもまだ知らない。これから試運転だ。だから――ひとっ走り付き合えよ」

 

 ネクスマギナがどんなシステムなのか、詳しいことはわからない。しかし、二人は既に本能的にわかっていた。このネクスマギナは装着者の感情にリンクし、その感情の昂ぶりを魔力へ変換させることで様々な魔法の行使を可能にさせる。

 しかし、その反面であまりにも感情の振れ幅が大きすぎると、魔力暴走を引き起こす危険性がある。だからこそ、内に燃え盛る感情を「一定の振れ幅」の中で納めなければならないのだ。

 だがそれはむしろ今の二人にとっては好都合だった。大切な友の姿を模倣された怒り。そしてその怒りによって冷たく冴え渡る思考。冷静なままで昂ぶるこの感情こそ――ネクスマギナにとって最も必要なものなのだ。

 

「ハル、後ろは任せた!」

「任された!」

 

 言うと同時に駆けだすと、唯鈴(シルヴィア)もまたその奇跡を行使する。大木の根による刺突とも殴撃ともとれる猛攻。先程までならば全力の激烈拳衝(げきれつけんしょう)でようやくひとつを相殺するものであったが、今は――。

 

「オォラぁッ! オラ、オラぁッ! オォラオラオラオラオラオラぁッ!!」

「あれほどの猛攻を……奇跡を、拳ひとつでッ!? ――ならばッ! 主に声届かぬ者へ、鎮魂の洗礼を!」

 

 唯鈴(シルヴィア)の祈りに応えるように響くのは、この教会の鐘の音であった。

 代行者(クレリック)の祈りによって清められた聖鐘の旋律は、この星に備わる本来の力、即ち『奇跡』に反するあらゆる魔を祓う。無論、魔力によって本来の理を外れた作用を生み出す『魔法』も、この浄化の音の対象内だ。

 ネクスマギナ自体は人類の生み出した技術の結晶。つまり文明的奇跡とも呼べる存在であるために健在だが、ネクスマギナに施された『不壊』と『魔力』のエンチャントは解除されてしまう。

 だがそれでもいい。今ここで必要なものはネクスマギナの魔法ではなく、ネクスマギナというものが内包する『未知』という解除不能の概念的エンチャント。だからこそ、蒼麻はその歩みを止めることなく唯鈴(シルヴィア)の元へと突っ切った。

 

「女を殴るのは俺の望むところじゃねぇが……唯鈴の姿を真似た『罰』だ! シスターなら有り難く受け取りな!」

 

 突き出した拳は彼女の持っていた千貌の書を巻き込みながら、書の魔力を内包した体にぶち当たる。

 一瞬の静寂を過ぎた後、彼女の背中から放出された真っ黒な魔力。元の姿に戻ったシルヴィアを抱えながら、蒼麻は彼の名を呼ぶ。

 

「今だ! ぶちかませ、ハル!!」

 

 シルヴィアの奇跡が解除された今、教会に響き渡る鐘の音色に魔を祓う力はない。故に――彼の本領が全力を以て発揮される。

 

「パーシアヌス!」

『Blue Bright Blaster』

 

 水色の翼から溢れる蒼い光を収束して一気に放たれた砲撃は、結界もろともに真っ黒な魔力を貫き、空に浮かぶ雲を突き破っていった。

 一目で過剰火力だとわかる威力を見て、蒼麻がおそるおそる美晴に視線を送る。

 

「いや、さすがにこの威力はボクにとっても予想外っていうか……ぶ、ぶちかませって言ったの蒼麻君だから君の責任だよね?」

 

 普段から余裕の表情を崩さない美晴でさえも声を震わせるほどの力を秘めたネクスマギナ。

 二人は「もう二度とこんなもの使うものか」と声に出すまでもなく心に決めて、本部で事後処理に追われるオペレーターたちのお説教を覚悟するのであった。

 

 

 

 

 事件後、シルヴィアに記憶処理を施し事件の顛末を報告書としてまとめ終わると、蒼麻と美晴を襲ったのは案の定オペレーター陣からのお説教であった。

 あの一撃によって葬られたのは、千貌の書の魔力と結界、そしてあの教会の屋根と空の雲程度だと思っていたところ、どうやら米国所有の人工衛星も木っ端微塵にしていたらしく、現在BOND上層部がその対応に追われているとのことだった。

 国連直轄組織であるとはいえ、国有の人工衛星を破壊したことを強引になかったことにすれば角が立つ。故にBONDとしても柔軟な対応をせざるをえないのだろうが、蒼麻としては「はよ記憶処理して片付けろよ」というのが本音だった。

 

 BONDの所有する最大にして基本となる技術結晶こそ「記憶処理魔法」である。人類がこれまで幾度となく挑戦と失敗を繰り返し『不可能』の代名詞となった記憶操作系統の魔法を、BONDは独自に所有、そしてその行使手段となるヒュプノスライトと呼ばれる魔道具を全職員に支給している。

 無論、ヒュプノスライトの効果対象は基本的にその光を肉眼で捕えた相手に留まるが、これを拡大し広範囲に効果を発揮する技術もないわけではない。むしろこういう時こそが使い道だろうと思っている蒼麻にとっては「使わなければ宝の持ち腐れだろう」くらいのことを考えていた。

 とはいえ記憶操作系統の魔法は技術的な問題以前に、倫理的観点から否定的意見が多く、これを使用した上で記憶処理に漏れがあった場合、BONDに対する非難は轟々であろうし、そもそも米国自体が現時点では説得に応じているのだから、最終手段を最初に使う理由もないというのが上層部の判断なのだろう。

 

「失礼します。……って、あら? どうしたの二人とも、床なんかに正座なんてして」

「任務でちょっとやらかしたせいでオペレーターのお兄さんお姉さんにお叱りをもらってたとこ。そろそろ帰りたいんだけど、いいって言うまで正座だってさ」

 

 ちら、と視線をオペレーターに向けても、まだお許しをくれるような雰囲気ではない。

 それを察してか、唯鈴も彼らに頼み込んでも無駄だろうと判断して、蒼麻と美晴を見限った。

 

「へぇ。でもまぁ自業自得なら仕方ないわよね。じゃあ私は開発部の坂上さん誘ってお茶してくるから、帰れそうなら連絡しなさい」

「ちょっとまって凪原さん! 仄香(ほのか)を誘うんならボクも――」

「ダメ。ハルくんだって片棒担いだから叱られてるんでしょう? 蒼麻はあたし、ハルくんは坂上さんを没収されてイーブンってことで諦めなさい」

 

 うへぁ、としょぼくれる美晴に背を向けて、唯鈴はそのまま指令室を出て行った。

 正座続行中とはいえ特に拘束されているわけでもないので、このまま追いかけることは可能だが、そうなれば今度こそオペレーター陣の本領発揮である。

 恋人である坂上仄香のスケジュールを徹底的にズラされ、向こう半年はまともに会えなくなるくらいのお仕置きが待っているだろうということは想像に容易い。

 今ここで数時間耐えるだけで向こう数か月、あるいは年単位での恋人との生活を守れるのであれば、彼は無我の境地にすら至れるだろう。

 

 なお、正座によるお仕置きと締めの説教が終わった後で仄香を迎えにいった時、今度は逆にダメ人間製造機並の甘やかされ方をして行動不能に陥ったことを追記しておく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の聖徹完了

 千貌の書事件から二週間。蒼麻(そうま)は事件後の経過観察のため、シスター・シルヴィアの教会に足を運び続けた。

 とはいっても、蒼麻が無神論者であることをシルヴィアは既に知っているため、彼女からは「ちょっと不思議な人」くらいに思われているが、少なくとも蟠りのない関係には落ち着いている。

 経過観察としては、今のところ特にヒュプノスライトの効果も問題なく働いており、彼女の私生活に影響が出るような記憶の消え方はしていないようだった。

 

「シスター・シルヴィア。先日頼まれてたやつ、どこに置いとけばいい?」

「あら、こんにちは蒼麻さん。ああ、暖炉用の薪ですね。では案内しますので、運んでいただいてよろしいですか?」

 

 ここ二週間で通い詰めたせいか、むしろ彼女からは妙に親しまれているような様子もみられたが、蒼麻は現実主義であった。漫画や小説のような恋愛的なアレではないだろうと判断し、適当に受け流している。

 そして事実、シルヴィアから蒼麻へと寄せられた感情はそういったものではなく、むしろシスターとして生きていくために今まで得られなかった同年代の異性の友人ができるかもしれない、という微笑ましいそれであった。

 蒼麻としても、シルヴィアに対して恋愛感情はなくとも、ここ二週間でそれなりに良好な関係を紡いでいる分、よい友人になれれば、くらいの下心は生まれている。

 

「よいせ、っと。これで半分か。教会ってのはそんなに暖炉を使うのか?」

「そうですねぇ……。私を含め数人のシスターは教会に住んでいますから、私用でももちろん使いますし、そうでなくとも礼拝堂に暖炉が二つありますから、一般家庭よりはたくさん使うと思いますよ」

「ふーん。まぁ、もう5月とはいえ礼拝堂は冷えるだろうし、冬までの蓄えもいるもんな。そりゃ大変だ」

 

 と、そこで一度話を区切り、再び薪を空間収納魔法の中から取り出し、指定された場所へと運んでいく。本来ならばシルヴィアもそれを手伝おうとしただろうが、この空間収納魔法は使用者以外が手を突っ込むと腕ごと食い千切ってしまうため、蒼麻があらかじめ説明して断っている。

 使用者、というのは蒼麻だけに限らず、彼の所有者である唯鈴(いすず)も含むが、彼女は魔法に対してあまり興味がないのか、あまり天星の書に登録された魔法を使おうとすることはない。

 というよりも、彼女は魔法に必要な知識と魔力こそあるものの、それを使用するための感覚(センス)がない『先天性魔法感覚機能不全』なのだ。身体で言えば手足はあるし知識としてどこの筋肉を動かせばいいかわかっているが動かせない、みたいなものである。

 そのくせ魔法辞典や魔法図鑑はたくさん読んでいる分、未練がないわけではないのだろう。普段なんでも完璧にこなす彼女にとって、数少ないコンプレックスのひとつであることは間違いない。

 

 話を戻そう。ひとまず薪を全て出し終え、シルヴィアの言葉に甘えてシスター用の食堂でお茶をもらうと、数名のシスターが二人に寄ってきた。

 少し慌てた様子で、それでいて控えめに「お二人のご関係は……?」と尋ねられたので、蒼麻とシルヴィアは揃って笑いをこぼし、「ただの友人です」と答えた。

 シスターたちはまだ少し納得がいっていないようだったが、それでもなんとか呑み込んでくれたところを見るに、シルヴィアは彼女たちにたいそう可愛がられているのだろう。

 

「俺の名前は海藤蒼麻。ちょっと前にシスター・シルヴィアと知り合って、何度か話し相手になってもらってる。今日は頼まれてた薪を置きにきたついでに、いつもみたいに世間話をしに来たんだ」

「そうでしたか。シスター・シルヴィアのお友達……そう、お友達ができたのね……」

「俺、こんなナリだからシスター・シルヴィアが心配だとは思うけど、少なくとも他のシスターたちに顔向けできないようなことはしてないつもりだ。よかったら、これからも顔を出させてくれ」

 

 二週間前に思いっきりシルヴィアと戦ったことについては、記憶と一緒に放り投げておくとして、出来る限り温和な笑顔を作ってその場をやり過ごす。

 ここで妙な勘繰りを入れられて警戒されてしまえば、今後の経過観察に影響が出る。また、蒼麻個人としてもシルヴィアはいい友人になれそうな相手なのだ。できれば彼女たちにもその友人関係を認めてもらいたい、というのもある。

 

「いえ、シスター・シルヴィアの人を見る目は確かです。『聖徹』とも呼ばれる彼女の目は人の罪を必ず見貫きますから。そんな彼女がこんなにも親しげに接する御仁が悪い方だとは思いません」

「……そうか、それならよかった」

 

 ひとまず落ち着き、他のシスターたちも交えてお茶会となったのだが、その穏やかな雰囲気に反して、蒼麻の内心はこうだった。

 

(やっっっべええええええぇぇぇ! そうだった! 記憶処理して安心してたけどシルヴィアの奇跡って別に千貌の書なくてもできるじゃん! 俺の経歴まるっと地球の記憶(メモリ)に記録済みだから記憶処理の意味ねーじゃん! しまったぁぁぁ!)

 

 と微笑(ポーカーフェイス)の裏では見事な狼狽ぶり。しかし実のところ、シルヴィアは彼の罪はおろか正体すら知らなかった。

 というのも、あの戦いにおいて起きた彼女の奇跡は、そのほとんどが千貌の書の魔力によって強化されたものだった。故に、今の彼女が奇跡によって地球の記憶(メモリ)を閲覧したところで、それはほとんどが部分的なものでしかない。

 そして千貌の書の記憶を失った今、本来の地球の記憶(メモリ)の閲覧の使い道がないと知っているシルヴィアは、それを閲覧してまで蒼麻の経歴を知ろうとはしないだろう。

 

 彼女が『聖徹』と呼ばれるに至った「人の罪を見貫く」目についても、無意識に地球の記憶(メモリ)へと接続(アクセス)して相手の善悪を計るところはあるが、その善悪の判断はシルヴィアの価値観によるところが大きい。

 つまり、彼女の目から見た蒼麻は「いろんな事件とか体験してそう。いろんな人を傷つけて、いろんな人を助けてそう。あっ、でも友達想いなんだ。じゃあいい人かな」みたいな感じである。

 なので蒼麻の困惑と狼狽は見事に空回りということになるのだが、それに気付くのは数日後のことであった。

 

 

 

 

「じゃあ、今日はこれくらいでお暇させてもらうよ。またな、シスター・シルヴィア」

「はい。またいらしてくださいね、蒼麻さん」

 

 フルフェイスのバイザーを下ろして、ブレーキを放しアクセルを捻る。遠くなっていく蒼麻の背中を見守りながら、シルヴィアは満足感とほんのちょっとの寂しさを覚えていた。

 シスターとして育ってきた17年間に悔いはない。ちょっと過保護だけど優しいシスターたちに囲まれて、学校にも行けているし、学友だっている。だが異性の友達となると、それは指折ることもできない絶無であった。

 町に買い物に行けば声をかけてくれる男性はいるが、それは八百屋のおじさんであったり、スーパーの店員さんであったり、あるいはちょっと面倒なお誘いをしてくる人ばかり。

 

 自分の外見の美醜に関係なく、自分の何もかもを知らないまま友達になってくれる異性がほしかった。何も知らず、そしてちょっとずつ知っていこうとしてくれる友達がほしかった。

 神父は優しいが、自分をよく知っていて、そして同年代ではなかった。たまにお話をする郵便配達のお兄さんは、自分をよく知らないがそれ以上踏み込もうとしてこなかった。面倒なお誘いをしてくる人は、やはりというか『聖徹』がよくない相手だと見貫いてしまった。

 だからといって不便がなかったからこそ、それ以上を望むことは欲深いことなのだと自制した。だが、それでも心のどこかでくすぶる感情に蓋はできなかった。

 

 そんな時に声をかけられたのが蒼麻だった。彼を見た時、その軽薄そうな外観とは裏腹に、まったく聖徹が「嫌な感じ」をさせないことに違和感を覚えた。無意識で罪を見貫くはずの聖徹が、彼の罪を赦した。それはつまり、彼が罪を贖う行いをしたということだった。

 シルヴィアはちょっと不安になりつつも、今度は意図的に聖徹で見貫いた。しかし、やはり彼の背負っている罪が、その数に対してありえないほどに軽いことに気付いた。それは、彼がたくさんの罪を犯し、それを全て償い続けてきたということだった。

 罪を犯すことと、罪を償うこと。それは人に課せられた使命だと学んだシルヴィアにとって、それほどの罪を背負い続ける彼の姿勢は、まったくもって「美しい人間」の姿であった。

 美しい、という言葉には違和感もあるが、少なくとも人としての使命を全うしようとする姿は、罪を犯し続ける人間にとって、最も「人間らしい」ものであることは間違いがなかった。

 

「ふふっ……。蒼麻さん、明日も来るといいですねぇ」

 

 もう影も見えなくなった蒼麻に背を向けて、教会の中へと戻っていく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『魔法士』の消極的任務

 その日、BONDのペリオードによって通達された作戦は、これまでにもBONDが封印を試みるも、一度として成功したことのないS級危険魔導書『亡世(ぼうせい)の書』の封印である。

 亡世の書には天星(てんせい)の書と同じく転生システムが搭載されており、本体のプログラムに所持者以外の者がアクセスしようとすると戦闘用セキュリティ『インターセプタ―』が起動し、約10秒後に消失、次の所持者の元へと転生してしまう。

 BONDの魔導書凍結プログラムである「栞」も、おそらくインターセプターの起動を促すだけに留まるだろう。故に、封印のチャンスはインターセプターが起動し、消失するまでの僅か10秒間にかかっていると言っていい。

 

 とはいえ、おそらくBONDの狙いは書の封印というよりも、新兵器『ネクスマギナ』の実戦データを採ることだろう。既存の力ではどうにもならなかった亡世の書に対し、どこまで効果があるかで、ネクスマギナの力を測ろうというわけだ。

 そうでもなければ、たった三人だけの執行部隊で解決に当たれ、などとは言うまい。本来ならば、国内の全支部が連携をとり合い、複数の支部の総力を挙げて取り掛かるべき案件であるはずだということは、過去の失敗からも明らかであろう。

 故に、今回の作戦に対して蒼麻(そうま)だけでなく美晴(よしはる)までもが消極的であった。それも当然というか、つまりはペリオードから言い渡された作戦内容に含まれた意味が、自分たちはネクスマギナのデータをとるための替えの利く当て馬だということだ。

 

「チッ、クソ面白くねぇ。いっそ任務ほっぽり出してサボっちまいてぇところだが――」

「そうなると凪原(なぎはら)さんがどうなるかわかんないよねぇ。ボクも仄香(ほのか)を人質にされてるようなもんだし」

 

 ガレージへと歩きながら不満を漏らす蒼麻と美晴。彼らは自分の親友と恋人をBONDによって握られている手前、今回の作戦から逃げることができない。

 まして守唄(しゅうた)の場合は、愛する人物(ペリオード)が本部によって物理的にも軽度の拘束状態にある。逃げることはおろか、BONDの意思に背くような真似は一切できないだろう。

 

「仕方ない、と割り切るほかあるまい。我々は他の執行部隊に比べて少人数かつ戦力も高い。数で言えば替えが利く上、戦力としては申し分ない。作戦が成功しようと失敗しようと本部からすればメリットの方が明らかに大きい」

 

 ライダーグローブを固定しながら、どこか諦めにも似た声色で二人を宥める守唄だが、彼もまたこんな任務に対して納得がいっているわけではないだろう。

 普段から寡黙でクールな彼だが、この三人の中では最も情に篤く、正義感の強い男だ。作戦のために戦う力のない者を、まして女性を盾にするなど、彼にとっては許しがたい行いに違いない。

 それでもBONDという組織を抜けないのは、やはりペリオードへの恋心ゆえか。かつて自分が救った彼女への責任感か。

 

 ようやくガレージへと到着すると、それぞれのバイクのモニターにある人物から連絡が入った。坂上仄香――BOND技術開発部部長にして、美晴の最愛の恋人である。

 

『あーあー、繋がってるー? ペリオードちゃんから聞いたよー、かの悪名高い亡世の書の封印だってー? 大変だねー。たぶん付け焼刃にもならないと思うけど、三人のマシンにちょっと改造を施しておいたから、道すがらナビに機能説明してもってねー。じゃ、がんばってねー。よしくん、らびゅー!』

 

 明るい、というよりも軽薄さが目立つ口調ながら、技術者としての才能に曇りはなく、長い時を経て膨大な知識と経験を得ている蒼麻やペリオードに対し、知識という点では劣るものの、才能や知恵という点においては彼らすらも凌駕する本物の『天才』である。

 ともなれば、彼女が三人のマシンに施した『改造』が言葉の通り「付け焼刃」ということはないだろう。蒼麻は愛車・FDX400のエンジンをかけ、ナビゲーションプログラムを起動する。

 

『こんにちは、ディアマスター。ご用件をお申し付けください』

「新装備の説明を頼む」

 

 群青・水色・紫。各々のパーソナルカラーを示したヘルメットを被り、エンジンをかける。ガラガラ、という音を立てて開くガレージのシャッターを見ながら、ひと呼吸して三人が共に顔を見合わせて頷く。誰の合図もなくブレーキを放し、スロットルレバーを捻った。

 運転中、蒼麻がFDX400から聞いた新装備の内容は、やはり想像通り「付け焼刃」の範疇に収まるものではなかった。純粋な馬力強化による速度上限の解放、積載量の増加などの基本スペック向上に加え、三つの新装備が搭載されていた。

 

 ひとつ、マシンの半径2メートル以内で発生する温度変化の空気振動を外部に伝えないマジックミラー式バリアフィールド。

 ふたつ、クラッチレバーを引きながら左ハンドル部をスライドさせることで現れる棒状のハンドルブレード。

 みっつ、30秒間だけマシンの物理的強度を増すシールドコーティング機能。

 

(これバリアとシールド張ったまま突っ込むだけでだいたいの奴は無抵抗で轢き殺せるだろ……)

 

 ただでさえ馬力がそんじょそこらのマシンとは格が違うのだ。どう軽く見積もってもボディービルダーでも余裕で殺せるくらいのパワーはある。そこに完全ステルスフィールドとマシンの強度アップまでついてしまえば、それはもうトラックで幼児を轢き殺すくらい容易だと言えよう。

 とはいえ、性格的に守唄はバリアフィールドを使わないだろう。決して卑怯だからとかいう理由ではなく、単に彼の考え方からすればマシンから降りて殴った方が致死性が高いからだ。そしてハンドルブレードに関しては、魔法頼りな美晴には無用の長物と言える。つまり、この三つの機能を全て使うとすれば、蒼麻しかいないだろう。

 仄香と蒼麻はさほど仲がいいわけではないが、どうやら聞いた話によると仄香と唯鈴がマブダチと言って構わないくらいには仲がいいのだという。今回の優遇はそこからだろうか、と思いつつ、目的地への到達時間をちらりと確認する。

 

「兄貴はこのブレード使うのか?」

「いや、残念ながら剣の心得はないからな。使うとすればせいぜいシールドコーティングくらいか」

「ボクもシュウさんと同じで無理だね。蒼麻くんは使えたよね、剣。前に使ってるの見たし」

「まぁそれこそ付け焼刃みたいな剣術だけどな。ちゃんと習ったのは200年くらい前だし、ほとんど戦いの中で形にしたからな」

 

 とはいえ、彼が剣をまともに使うことはほとんどない。理由は単純で、彼が生きてきたこの3200年間の間で、争いのまったくなかった生など数えられるほどしかない。そんな中で、常に武器を携行していたかといえば、それは否である。

 ほとんどの場合が無抵抗のまま――戦うだけの技術と肉体を持っている時でさえ、武器を持てるだけの立場と財力にまで恵まれたことは少ない。とにかく逃げて逃げて、逃げ切れなければ素手でどうにかするか、そこらに落ちている棒きれを振るうしかなかった。

 故に彼の戦いは拳がメイン、もっと言ってしまえば喧嘩上等のラフスタイルなのだ。

 

「ちゃんと剣が使えるメンバー入らないかな、うちの部隊」

「いやむしろ銃でしょ。なんでボク後衛なのにいつもミドルレンジなの」

「確かに美晴はフルバックで固定砲台的な役割がいいだろうな。ソーマがオールレンジなだけに、後衛のはずの美晴の護衛をさせてしまっているのは勿体ない」

 

 もしこの任務が終わっても生きていたら、三人で正式に新規隊員の追加申請でもしてみようかと話し合い、そこで会話が途切れた。

 まだ目的地まで30キロはあるはずだが、周囲の空気が一気に淀み始めた。そして、前進するほどにその淀みが増していく。明らかに30キロ先から漂うものではない。近くに――『居る』。

 

「さっそくだが……二人とも準備はいいか?」

「もちろん。いくよ、パーシアヌス」

「いつでも。起きろ、オルキヌスオルカ」

 

 

 ――インストール!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の後悔と償い

『インストールをコンプリート。オルキヌスオルカ、実行可能(アクティブ)

『インストールをコンプリート。パーシアヌス、実行可能(アクティブ)

 

 群青と水色の光を伴って装着される蒼麻(そうま)美晴(よしはる)のネクスマギナ。しかし守唄(しゅうた)だけは普段通り魔導篭手『プラウドフィスト』をその手に纏い、ネクスマギナは待機形態のままだ。

 今回のミッション、表向きこそ『対象の魔導書の封印』であるものの、事実その裏にあるのは新兵器であるネクスマギナのデータ収集である。

 しかし、ネクスマギナを用いても対処可能か怪しい今回の任務、三人に告げられたのは死刑宣告のようなものであった。故に、これはちょっとした腹いせである。

 

「兄貴はいつも通りか。ま、下手によくわからん武器を使うより使い慣れたヤツを使う方が信用できるわな」

「ペリオードの調整を信用していないわけではないが、そういうことだ。頑丈さに関しては開発部からもお墨がついているからな」

 

 ネクスマギナとは違い、AIを搭載していない単なる無機物であるものの、かれこれ10年近く苦楽を共にした相棒であることに変わりはない。

 それだけに、まだその力を把握しきれていないネクスマギナと、自分の癖やスタイルに慣れたプラウドフィストでは、どちらを信用するかなど明らかであった。

 

「おっと、おしゃべりはここまでみたいだよ。お客さんだ」

 

 美晴の警告と同時か、あるいはやや先んじて、蒼麻と守唄が身構えた。強大な魔力を有した『何か』が接近する気配を、その身でも確かに感じた。

 そしてその気配があと数メートルというところで、蒼麻が前に出た。

 

激烈拳衝(げきれつけんしょう)ッ!」

 

 魔法ではなく神の奇跡を用いるシルヴィアとの戦闘では活かされなかったが、激烈拳衝は拳を魔力の膜で覆っており、魔法で防御しようとすると魔力の膜が防御魔法を中和して貫通する「魔法殺し」の拳なのだ。故に魔法が普及した現代の戦闘においては紛れもなく「必殺」の意味を持つ。

 しかし、その激烈拳衝が捉えたのは何かによって攻撃が阻まれた感触。魔法を貫通した感触もあっただけに、鎧かとも思えたが、鎧程度の防御であればこの拳が砕けない理由はない。だからこそ、蒼麻は迷いなく跳び退いた。直後、小規模の爆発がその場を照らした。退いていなければ間違いなく巻き込まれていただろう。

 そして煙が張れるのを待つまでもなく、その爆煙から現れたのは、美晴よりもさらに背の低い小柄な少女。しかし、外見がどうあれ魔力の量と質は明らかにデータにあった『亡世の書』と一致する。三人は警戒心を解くことなく睨み合う。

 

「お前が亡世の書の管理プログラムか。一応聞くが、おとなしく封印される気はあるか?」

「……いかにも、私こそが文明終焉記録魔導媒体『亡世の書』の管理プログラム。名をエヴェリーナ・ステニウス。お前たちは何者だ、封印とはなんだ。なぜ私を封印しようとする」

「文明終焉記録魔導媒体……ね。お前の本来の機能はそれか。幾つもの国や地域を渡り、その文明の終焉を記録するだけの魔導書。だがそれは『かつての』お前だ。今のお前は違う。その終焉を再現し、幾つもの文明を終焉へと追いやった。そんなお前を封印しようとした者たちも含めてな」

「そうだ。だがそれの何が悪い? 私は人類が引き起こした無数の終焉を記録し、そして学んだ。人類は終焉に向かう種族であると。ならば、滅びの時ではなく栄えある内に終焉させることが人類のためなのだと判断し、私自ら終焉を再現した。私にはそれを可能とするだけの力があるのだから」

 

 表情を変えることなく、感情の篭もらない金色の瞳が冷たく光る。おそらくエリアシーリングを施したところで、これほどの魔力を保有する相手に意味を為すとは思えない。故に、美晴は敢えてエリアシーリングを使うことなく魔力を温存した。

 エヴェリーナとの会話の隙に領域限定魔法を行使しなかったことで、それは蒼麻にも伝わった。三人の中で最も交渉が上手いのは彼だ。それだけに、彼の交渉は戦闘を有利に運ぶための魔法を行使するまでの時間稼ぎという意味も含まれる。その時間に美晴が動かなければ、相応の意味が彼に伝わるのだ。

 

「確かに人類は終焉に向かう生き物だ、そこは否定しねぇよ。だが別に好き好んでるわけでもない。誰もがみんなってわけじゃないが、終焉に抗おうと努力してるやつだって大勢いる。それを無視して終焉を再現するのは、お前がそれを押し付けてるだけじゃないのか?」

「だが抗った末にも終焉は訪れる。ならばせめて、来たる終焉に怯える間を与えることなく、終焉を想像することもない栄光の時に終焉させることこそ人類を心安らかに眠らせる唯一の手段なのだと私は考える」

「まぁお前の言う通り、想像もしない内に滅びるんなら気は楽かもな。だがそれはお前一人で導き出した結論だ。それも終焉ばかりを記録してきたお前だからこそ導き出したものだ。人類はどれだけ終焉に向かっていても抗うことをやめない。お前の言う心安らかな眠りってヤツは、結局のところお前のエゴだ。誰もそんなもの望んじゃいない」

 

 蒼麻とエヴェリーナの会話を聞く内に、美晴と守唄はあることに気付いた。

 世界と文明を滅ぼすS級危険魔導書とされる『亡世の書』であるが、その管理プログラムであるエヴェリーナは、問答無用で攻撃を仕掛ける多くの魔導書に比べ、比較的まっとうに会話が成立している。

 おそらく無数の文明の終焉を記録する上で、多様な種族の文明や倫理に触れたことが、彼女の感性を豊かなものに育んでいった影響だろう。終焉というものに固執している節はあるものの、それを除けば非常に「人間的」な性格をしている。

 無論、それを最も早く気付いたのは、彼女と会話を繰り広げる蒼麻だろう。

 

「文明の終焉は人類によって齎されるものだ、それは間違いない。だが文明を生み出した時点で人類はそれに気付いてるし、気付いた上でできる限り永くそれを保とうと努力し続ける。そうして人類は繁栄し技術は発展する。人類の努力を踏み躙ってまで終焉を押し付けるのが、お前の望みか?」

「……それは、私の望むところではない。私はただ、終焉に怯える人類を見たくないのだ……。不安に怯えることなく、終焉に気付かないまま眠ってほしかった。ただ、それだけだった……。私は、間違っていたのか……? だとすれば、私は私の手で終焉させた者たちに、どう償えばいい……?」

「知るか、自分で考えろ。とにかくお前のやり方は根本的に大間違いだった。他人を踏み躙り、他人を信じられない自分の弱さから目を背ける行為だった。それは間違いない。……それを受け入れるのなら、お前にはまだ償うチャンスがある。どうする? 俺たちがお前を言葉巧みに騙してる可能性もあるが……ノってみるか?」

 

 そう言って美晴と守唄に視線を向けると、美晴は苦笑しながらパーシアヌスを解除し、連絡用の電子端末を展開した。

 表示されているのはメッセンジャーのペリオードだ。BOND本部長直属のメッセンジャーである彼女は、支部に指令を通達する際、自身の判断で作戦変更してもよい権限が与えられている。

 蒼麻たちの部隊はペリオードの管轄であるため、今の会話も聞いていただろう。そして、それを前提に美晴はある作戦変更案を提出した。その返事が――。

 

 ――許可。

 

「こっちの都合はついたみたいだ。お前が本気で償う気があるのなら封印はしない。ただし、俺たちと同じようにBOND所属のメンバーとして何れかの部隊で人類のために魔導書の脅威と戦い続けることになる。お前の場合は転生型魔導書だから、それこそBONDが終焉を迎えるまで永遠にな」

「それが嫌だというのなら、悪いが封印ということになる。その場合でもBONDが終焉を迎えるまで自由はないがな。永遠の贖罪か、永遠の束縛か、二つにひとつだ」

 

 或いは、償うことをやめて戦うか。戦闘になれば不利なのは蒼麻たちの方だ。亡世の書としてはそれが一番手っ取り早くこの場をやり過ごす手段だろう。しかし、エヴェリーナは……。

 

「……ひとつだけ聞きたい」

「なんだ?」

「お前も、私と同じ『魔導書』なのだろう。後ろの二人とは魔力の供給源が異なる。おそらく、私よりも遥か昔に造られた古代魔導書と見受ける。名を伺いたい。そして、なぜお前ほどの魔導書が人類に与するのかを」

「……『天星の書』の管制プログラム、ソーマ・グレンヴィルだ。別に人類に与してるつもりはない。ただ、自由を棄ててでも守りたいと思える人間がいるだけ。……理解できないって顔だな。今はそれでもいいさ。そのうちわかるようになる」

 

 どこか誇らしげに笑う蒼麻に戸惑いながらも、エヴェリーナは言葉を飲み込んだ。そして、ただ微笑みながらその左手を差し出すと、彼もそれに応じた。

 

「私が観察した文明のひとつに『右手を交わす相手には敬意を持て、左手を交わす相手には信頼を持て』という言葉があった。前者には勇気ある好敵手へ、後者には心強き仲間へのものだ。お前にはきっと……これでいい」

「……交わしたこの手に応えられるかはわからないけどな。よろしく、エヴェリーナ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の配属初日

「本日よりBOND本部・第二級作戦執行部隊・11番隊に配属となったエヴェリーナ・ステニウスだ。よろしく頼む」

「……なんでウチなんだよ」

 

 エヴェリーナ確保任務から一週間。授業を終えると早々に呼び出された蒼麻と美晴は、BOND本部へと駆け出した。

 しかしそこで待っていたのは火急の任務ではなく、生真面目そうな雰囲気をまったく隠し切れない鋭い目つきで敬礼するエヴェリーナであった。

 ペリオードの打診で封印ではなくBONDのメンバーとして入団した彼女は、本来ならば他の部隊に配属される予定であったが、彼女は他でもない、BOND――ひいてはBONDの各部隊に壊滅的な被害を及ぼした『亡世の書』のプログラムである。

 彼女自身に悪意がなく、贖罪の意図すらあるとはいえ、彼女によって仲間を喪った部隊は少なくない。特にS級魔導書との交戦が多いBOND本部の部隊は、彼女と交戦した部隊はとりわけ多い。故に彼女を受け入れられる部隊はほとんどなかった。

 

「端的に言えばたらい回しの結果だ。それに、彼女をBONDに引き入れると言ったのは他でもないこの第二級作戦執行部隊・11番隊だ。自分の行いに責任を持て」

「それを許可したのお前だろ! こういうことも想定して許可したんじゃねーのか!」

「想定した結果、たらい回しを経て『本来の目的通り』この部隊に入れたわけだが? まさか3200年もの時を生きた天星の書のプログラムが私の目論見を読めなかったなどとは言うまい?」

「くっ……! こいつを信じてエヴェリーナを説得した俺がバカだった……!」

 

 実はあの時、蒼麻はエヴェリーナの説得と並行して、ペリオードに彼女をBONDに入団させる許可を得るだけでなく、入団後に彼女を受け入れてくれる部隊を見つけてもらうよう依頼していた。

 たとえ彼女が罪を清算しようとしていても、それを出来る場所がなければ意味がない。そのために、BONDの中での彼女の居場所を探すことが、説得には必要だった。

 そして、それを踏まえてペリオードから帰ってきたのが「許可」の二文字。そのおかげで説得が可能となったわけだが、まさかその「居場所」が自分たちの部隊になるとは、蒼麻は思ってもみなかったのである。

 

「あの……私がいては、何か迷惑だったか?」

「あー……いや、別にお前がワリィってわけじゃねーんだ。ただ、俺の予想と色々違っただけで……あーっ!」

 

 不機嫌さを吹き飛ばすように頭を掻き、ひとつ大きくため息を吐くと、蒼麻はその左手を差し出した。

 

「ちょうど新しい人員が欲しいと思ってたんだ。予想とは違うけど……同じ部隊になったからには一緒に悲鳴を上げてもらうぜ。なんてったってBONDは激務だからな。よろしく、エヴェリーナ」

「……ああ。よろしく、グレンヴィル」

 

 差し出された左手を握り返しながら不器用に微笑むエヴェリーナに、蒼麻はどこか満足気に口元を歪める。

 そんな二人を見て、美晴と守唄もまたエヴェリーナと握手を交わすと、唐突に指令室の扉が開く。

 

「ペリオードさん、注文されてた新しいネクスマギナの設計案を……って、あーっ!? よしくんが可愛い女の子の手を握ってるーっ!」

「え? あっ……いや、ちょっと待って仄香、別にこれただの握手でこれといった他意は全然……待って待って近い近い近い! 何そのスイッチめっちゃ怖いんだけど! 何かわからないけどとりあえず押さないで慎重にそれを床に置い――腕とれたぁ!? えっちょっ待っ……足ィ!?」

 

 来て早々に美晴へと詰め寄り、光の灯らない瞳で彼を凝視しつつ懐から取り出したスイッチを押すと、彼の両手両足が「ゴトッ」と音を立てて床に落ちた。

 あまりにもスプラッタな光景にエヴェリーナは悲鳴を上げそうになるが、蒼麻が庇うように前へ出ると、その後ろに隠れて怯えながら様子を見守った。

 

「あ、あれは大丈夫なのか!? 血は出てないが、空岡の四肢がもげて……っ!」

「ああ、平気平気。ハルはパッと見こそ普通の人間だけど、実際は体が魔導人形(オートマギア)化された謂わば魔導機人(ヒューマギア)だから。んで、そのボディを作ったのが今あいつに詰め寄ってる坂上仄香博士。ハルの恋人だよ」

「こ、恋人……? 随分とバイオレンスな愛情表現だが……いや、あれは本当に愛情表現なのか? いや、これが人類の多様性というやつか……?」

 

 無駄に人類のハードルを上げるエヴェリーナに一切のツッコミを入れることなく、やんややんやと痴話喧嘩を繰り広げる様子を見守りながらペリオードの淹れたコーヒーを受け取り、蒼麻と守唄は各々のデスクに向かう。

 本来ならば一部隊につき10人前後の前線メンバーが所属しているはずだが、この部隊の前線メンバーはエヴェリーナを含めてようやく四人。デスクなら十分すぎるほどに余っていたため、守唄に誘われるまま彼の隣、つまりは蒼麻の正面の席へと腰を据えた。

 守唄の見立てでは、このエヴェリーナ・ステニウスは今のところ、蒼麻のことを最も信頼している。それは彼が彼女を説得したからなのか、それとも同じ魔導書としてのシンパシーからか、どちらにせよ、その信頼を無視して彼女を使うのは得策ではない。

 だからこそ、たとえ小さなことでも――たとえば席の場所だとか、声をかけやすいタイミングだとか、そういうものを蒼麻に誘導するように守唄は動いた。それを察してか、蒼麻も特に何を言うこともなく彼女の教育係を自然と引き受けていた。

 

「……ってことだから、こっちの報告書は小分けにしつつこのファイルにまとめて、一通りまとめ終わったら兄貴にチェック頼んで本部に送ってもらうんだ。ここまではいいか?」

「ああ、問題ない。だがなぜ小分けにする必要があるんだ? どうせまとめて送るのなら統一してしまえばいいだろうに」

「会議の際に必要分だけ印刷しやすいってのが一番の理由だが、単純に管理がしやすいってのもあるな。BONDのデータバンクはそれはもう膨大だから、ひとまとめにすると必要な項目が全然探せないんだ」

「なるほど。ああ、話を遮ってすまない。続きの説明を頼む」

 

 まだ配属初日であるため言い切ることはできないが、蒼麻とエヴェリーナの相性は悪くない。

 デスクワークだけに限っても、元から口の巧い蒼麻は説明もわかりやすく、エヴェリーナもわからない時は素直にそれを訊き直している。蒼麻自身の無気力さも、後輩からの信頼という形になると無視するわけにはいかないのか、業務に真面目に取り組んでおり、互いにいい刺激を与えていると言えるだろう。

 守唄は今までの蒼麻を思い返しながら、「あいつに必要だったのは素直な後輩か」と一人小さく零すと、ペリオードから受け取ったエヴェリーナの人物詳細に目を通す。

 

「坂上博士、もうその辺でいいだろう。それより新造ネクスマギナの設計案を……」

「え? ああ、そうだったそうだった。こっちが設計案の入ったUSBね。んでこっちが試作段階の既存装備アップデート用データチップ。まぁネクスマギナが支給された今となっては支給品のプラズマレーザーガンなんて使う人ほとんどいないだろうけど」

「それを言われるとネクスマギナ推進派に片足を突っ込んでいる身としては耳が痛いが、未だにネクスマギナに適合できていない魔法士もゼロではないからな。現に彼女……エヴェリーナ・ステニウスにはまだネクスマギナが支給されていないし、このアップデートで救われる人間も実際にいるのだから無駄ということにはならんだろう」

 

 そう言ってペリオードがエヴェリーナに視線を向けると、仄香もその視線を追って蒼麻から仕事を教わる彼女を見る。

 美晴と彼女が手を握っていたことに嫉妬したのは半分本当で、半分は冗談だ。彼があの程度の接触で他の女性に揺れるような人物でないことは他でもない仄香自身が一番よくわかっているし、仮に揺らいだとしても最終的には自分のところに戻ってくるのだと信じている。

 そう思いながらエヴェリーナを見ていると、彼女もペリオードと仄香に気付いたのか椅子から立ち上がってペコリと小さくお辞儀をした。

 

(えっ、何あの可愛い生き物)

 

 エヴェリーナの小動物的な魅力に中てられたのか、つい先ほどまで仄香の中に僅かに燻っていた嫉妬心は吹き飛んだ。

 というのも、仄香の所属はBONDで用いられる装備の開発・改造・メンテナンスを担う技術開発部である。封印された魔導書の研究さえなければ、前線に近い作戦執行部隊と比べて安全な部署と言える。

 そのため亡世の書のプログラムであるエヴェリーナに対し、ほとんどまったくと言っていいほど嫌悪感がなかった。それが幸いしてか、あるいは災いしてか、エヴェリーナはこの瞬間、この「頭のおかしい天才」たる坂上仄香に気に入られてしまったのだ。

 

「ペリオードさん」

「どうした?」

「あのエヴェリーナちゃんって子、連れて帰っちゃ」

「ダメに決まっているだろう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の平和的生活

 翌日。凪原(なぎはら)家をとりまく財界ネットワークは大いに揺れた。膨大な魔力を溜め込む『天星(てんせい)の書』の主である凪原唯鈴(なぎはらいすず)が、数多くの文明を滅ぼしてきた『亡世(ぼうせい)の書』とも契約を果たし、史上にも類を見ない強力な二種類の魔導書との二重契約者(デュアルコネクター)となったからだ。

 ただでさえ二重契約者(デュアルコネクター)など多くはないが、それが古代魔導書――その中でも特に畏れられる『天星』と『亡世』となれば、その影響力は計り知れない。

 BONDとしては個人が保有する戦力にしては過剰すぎるため好ましくない事態であったが、エヴェリーナは今のところ大人しいとはいえ文明を滅ぼす魔導書だ。彼女の要望は、常識や倫理を鑑みた上で可能な限り応える形で抑え込む方が容易かつ確実な収容となるだろう、とBONDは判断した。

 そして、BONDに対してある程度の従順さを見せるエヴェリーナの要望が、出来る限り蒼麻(そうま)――というより、『天星の書』と同じ環境に身を置きたい、というものだった。そのため、BONDが凪原家にコンタクトをとり、今回このような形でまとまったのだ。

 

 といっても、凪原家は国内有数の大財閥だ。同じ財界からも、はたまた凪原家がバックアップしている政界やスポーツ界からも、凪原家に取り入ろうとする人間は少なくない。

 それは今までもそうだったが、今回の二重契約によってその影響力が増した今となってはなおのことだ。唯鈴は学校を終えて家に戻ると、次から次へと舞い込む見合いの写真に丁寧な断りの手紙を送り、ようやくその日の業務に手を伸ばす。

 親の仕事を手伝い始めたのはさほど昔ではない。高校生となり、自分の立場をある程度だけ理解したことで、ようやくほんの一部を任されるようになった。楽しいとは微塵も思えないが、必要なことだとは思える。それがかつて蒼麻の言っていた「使命感」というものなのだろう。

 蒼麻は自分を守るために、BONDという自らの天敵とも言える組織に入り、凪原家を――唯鈴を守り抜いてきた。彼が強くなればなるほどに、唯鈴の威光も強くなる。事実そのおかげで、小物は寄り付かなくなっていったことを唯鈴自身も体感している。

 

 かといって敵がいないわけではない。唯鈴という存在によって、かつて以上に大きくのし上がった凪原家を疎む者もまた数多い。それを払い除けるためには、蒼麻だけではまだ力が足りなかった。

 だが今回、エヴェリーナが唯鈴の所有物となったことで、その不安は全てではないにしろ大きく解消された。自分にとって唯一の存在であった唯鈴が、自分を唯一の存在としてくれなくなったことには寂しさを覚えたが、その寂しさと引き換えに彼女の身を守れるのならと、蒼麻はその気持ちに蓋をした。

 幸い、唯鈴とエヴェリーナの仲は良好だった。人間としても女性としても余裕のある唯鈴と、精神的に未熟なところはあるが素直で人を思い遣ることのできるエヴェリーナは、傍目から見れば姉妹のようにも見られた。

 また、蒼麻とエヴェリーナの仲が良いことも幸いであった。今まで唯鈴の「唯一」であったが故に、エヴェリーナに対して嫉妬のような感情を抱いていることは確かだが、蒼麻自身、その自分勝手な感情のせいで彼女を傷付けるほど子供ではなかった。むしろ、彼女のことを妹のように可愛がってすらいる。

 

「リーナ、そろそろ切り上げてメシにしよう」

「了解した。今行く」

 

 コンコン、と軽くノックをすると、ドアを隔てたまま部屋の中のエヴェリーナに食事を促した。エヴェリーナの部屋は、唯鈴の部屋を間に挟んで蒼麻の反対側となった。唯鈴に何かあった時に、少しでも早く二人が駆けつけられるようにするためだと唯鈴の父が言う。

 実際のところは、唯鈴だけでなく凪原家全体の防衛のためというのが大きい。エヴェリーナの部屋の真下には凪原家現当主である唯鈴の父、凪原幸太郎の仕事部屋がある。凪原財閥は医療技術・魔導技術関連の事業に力を入れており、特に魔導義肢の開発については世界一とも名高い。

 そんな凪原財閥の知識と知恵が、エヴェリーナの部屋の真下にあるということは、彼女の役割も言外に伝わろうというもの。彼女は凪原唯鈴の友人であると同時に、蒼麻と同じく凪原財閥の用心棒なのだ。

 

 ドアの前で二分ほど待つと、遅れてすまない、と謝るエヴェリーナが部屋を出てきた。蒼麻はエヴェリーナの手を引くと、唯鈴には声をかけず食堂へと向かった。

 おそらくまだ仕事が片付いていないのだろう。ドアの外からでは何も聞こえないが、逆に痛いほどの静寂が彼女の忙しさを伝えているようだった。食堂に着くと、既に料理は並んでいたが、蒼麻もエヴェリーナも食事には手をつけなかった。

 たとえ料理が冷めてしまっても、唯鈴を差し置いて食べる料理がはたしてどれほどの味か。想像するまでもなかったからだ。

 

「ソーマ、今日の仕事で私は役立っていたか?」

「んー? あー、まぁ邪魔はしてなかったな。これといって活躍もしてなかったが……最初はみんなそんなもんだ。今日は出撃もなかったから特にな。最初の内は地味な作業を黙々とこなして、気付いたら一人前になってるもんだよ」

「そうか……一人前はまだまだ遠いな。だが、お前たちの迷惑になっていなかったならよかった。私はまだまだ未熟だからな、どうしても至らないところが目立つと思うが、今後も指導を頼む」

「……おう、任せとけ。その妙に堅っ苦しいところも含めて、一人前に引っ張っていってやるよ」

 

 とはいえ、蒼麻が導くまでもなく、エヴェリーナが一廉の魔法士になることは容易に想像ができた。魔導書として魔法の才能については述べるまでもないが、魔法を封じられた上での戦闘能力も、彼女は秀でていた。

 特にそれが顕著だったのは、BONDの技能テストで見せた射撃能力だった。制止状態からの正確さはもちろんのこと、自身と対象が動き続ける中での精密射撃と、それを維持した状態での早撃ち。まさしくガンスリンガーと呼ぶに相応しい腕前であった。

 美晴(よしはる)守唄(しゅうた)と話していた通り、彼らの所属する第二級作戦執行部隊・11番隊は慢性的な人員不足に悩まされており、特に前衛・中衛で戦うことのできる遠距離ファイターがまったくいなかった。そこに銃の名手であるエヴェリーナが入ってくれたことは、部隊として純粋な戦力アップに繋がるため、手放しに喜べる。

 

 しかしそれでもエヴェリーナがこうも蒼麻に懐いているのは、同じ古代魔導書としてのシンパシー以上に、自分を導いてくれる存在への潜在的な憧れ――孤独から脱却したばかりの、雛が親鳥を見るような刷り込みにも近いものなのだろう。

 だが刷り込みだとして、それにどれほどの問題があるのだろうか。エヴェリーナは蒼麻という同族と出会い、仲間となったことでその孤独を埋めることができた。蒼麻もまた、部隊の戦力云々を抜いても可愛い妹分のような存在を得て、守りたいと思えるものが増えた。

 どちらにとっても、この出会いは運命などという他人に敷かれ強いられたレールなどではなく、互いが互いに手繰り寄せた奇跡なのだと信じて疑わない。

 

「おまたせ、待った?」

「いや、さっき来たばっかりだよ。な、リーナ?」

「ああ。ほんの二十分ほどだ、気にすることはない」

「……けっこう待たせちゃったみたいね?」

「……リーナ、後でちょっと日常生活での空気の読み方の話しような?」

 

 少し疲れ気味の様子を隠しきれない表情の唯鈴が食堂のドアを開けると、エヴェリーナが「待ち侘びた!」という雰囲気を洩らして席を立ちあがる。

 いつものように唯鈴が蒼麻の対面に座ると、エヴェリーナも隣に座る蒼麻に促され席に座り直す。一応、食事における最低限のマナーは叩き込んだものの、今まで魔導書として魔力だけを糧に生きてきた彼女は、マナーどころか食事自体が初めての経験である。

 やや緊張した様子でちらちらと蒼麻の方を見ると、それに気付いた蒼麻が甲斐甲斐しく教えたばかりのマナーを復習させる。そんな様子を見て、唯鈴もまた仕事の疲れからようやく一息ついた。

 

「あなたたち、そうしていると本当に兄妹みたいね」

「リーナみたいな可愛い妹だったら大歓迎だ」

「私もソーマのような頼りがいのある兄さんなら是非ともほしいな」

 

 仲睦まじい二人を見て、妬けるわね、と冗談めかす唯鈴に鼻で笑うと、蒼麻はその群青の瞳を唯鈴へ向ける。

 

「よく言う。俺がこの世で一番大切してるのがお前だってことを、お前が知らないわけないだろ」

「そうだぞ、マイロード。ソーマが世界で一番大事にしているのも、世界で一番愛しているのも、他ならないマイロードなのだからな。マイロードにはもっと胸を張って誇ってもらわなければ、私たちの魔導書としての箔が落ちてしまうというものだ」

「……自分で言うのはいいが、そうやって第三者から言われるとなかなかに恥ずかしいものがあるな。あれ? 俺もしかしていっつもこんなこと人前で言ってた?」

「言ってたわよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の初任務

「『天鳴(てんめい)の書』?」

「そっ。今からおよそ400年前の北欧を起源とする近代魔導書のひとつで、天候を記録し、それを魔法的に再現する力を持っているっていう、けっこうヤバめの魔導書だね。天候操作とかボクでも無理だしね」

「今回の任務はその天鳴の書の封印だ。強力な魔導書ではあるが、今の俺たちなら難しい相手でもない。リーナにとっては初めての本格的な前線任務だが、大丈夫か?」

 

 天鳴の書。蒼麻(そうま)の言う通り、魔導書の歴史の中では比較的新しい近代魔導書のひとつであり、魔法によって雷や嵐、雪や雨といった天候を自在に操ることを可能とする、どちらかといえば古代魔導書に多い「シンプルに強力」なタイプだ。

 だがシンプルとはいうものの、それはあくまで振るわれる力の根幹に対した評価だ。天候を再現する魔法の構築式は間違いなく無数にある魔法の中でも特に緻密にして繊細なコントロールがなされていることは疑うべくもないし、ましてや「できること(バリエーション)」は所有者のアイデアがよほど貧相でなければ途方もない数になるだろう。

 幸いというべきか、今回の作戦では天鳴の書に「所有者」がいないことだ。千貌(せんぼう)の書の時もそうだったが、魔導書というものは所有者がいることで真価を発揮する。逆に言えば、所有者のいない魔導書はその力を半分程度も出しきれないのだ。こればかりはやはり魔導書の本質が「物」であるが故か。

 だからこそ、今のエヴェリーナにとって今回の作戦は難しいものではない。今まで所有者がないままで幾つもの文明を滅ぼしてきた彼女が、所有者を得て明確な指向性を持ちながら力を発揮するのなら、もはや向かうところ敵などいないのだと蒼麻は信じている。

 

「天鳴の書が確認されたのは北海道藏守(くらもり)市は神命山(しんみょうざん)の神命遺跡だ。地元の伝承によれば、400年前に雷を纏う蛇神が干ばつに嘆く人々を憂いて与えたとされ、長きに亘って遺跡で管理されていたが、数か月前に素行の悪い集団が遺跡の一部を損壊させ、起動に至ったらしい」

「神云々はともかくとして、本来はその機能によって天候を維持するための装置だったんだろうな。そしてその装置を正しい状態で保つのが遺跡の役割だったわけだ。それをどっかのバカが壊したせいで遺跡の機能に不調が起き、天鳴の書の暴走へと繋がったとみていいだろう。地元の信心深いヤツらは蛇神の祟りだとか言ってるらしいが」

「ヤツらって……いやまぁ蒼麻君の神サマ嫌いは今に始まったことじゃないけどさぁ」

 

 魔導書というものは、そもそも根底が「物」――アイテムである。そのため、所有者の居ない魔導書はよほどの理由がなければ「移動」という手段をとらない。自分を移動させるもの、持ち出せるものは、それが即ち「所有者」の証であるからだ。

 特に人格型AIを搭載していない魔導書は特にこの傾向が強く、自律移動を行うAIはそれだけで収容が困難になるため強力、凶悪といえる。故に亡世の書(エヴェリーナ)は危険視されていたのだが、それはひとまずおいておく。

 とにかく、今回の相手はその点でまだ対処が楽な方だといえる。おそらくは上層部も、今回の手際如何でエヴェリーナの処遇・待遇を判断することになるだろう。だからこそ、今回の任務では出来る限り彼女に華を持たせようというのが蒼麻たちの総意であった。

 

「天候を操るという特性上、その攻撃は基本的に広範囲・高威力となる。近接戦闘を得意とする俺と兄貴は基本的に役に立たないと思っていい。切り札は同じく高火力を望めるハルだ。兄貴とリーナで相手の注意を引きつけてもらい、俺がハルを防衛する。栞は前衛が適宜タイミングを見計らって挿め」

「ボクとステニウスさんの責任が重大すぎる気がするんだけど?」

「お前は最後にデカいのぶち込むだけだろ。責任重大なのはそこまで戦線を維持するリーナだ」

「わ、私かっ!?」

 

 不意に名を挙げられて驚くエヴェリーナだが、蒼麻の言う通り今回の作戦で最も重要なのは彼女の立ち回りだ。

 

「まず今回の作戦でリーナがやっちゃいけないことは2つ。まず「ハルをダウンさせない」だな。こうなったらお手上げだからな。お前の魔法は大雑把すぎて周囲の環境に対する影響がデカすぎる。俺もハルの防衛をするが、基本的に前衛がヘイトを取ってそもそもハルに注意を向けないのが前提だ」

「うっ……」

「次に「お前自身がダウンしない」だ。さっきも言ったが今回の作戦じゃ俺と兄貴は役立たずだ。だから兄貴は前衛でお前のフォローに回るし、俺は中衛・後衛を兼任しながら切り札の防衛および作戦の指揮がメインとなる」

 

 本来なら蒼麻のポジションは遊撃の意味を含むのだが、今回ばかりはそうできる相手ではない。故に積極的な攻撃が可能なのはエヴェリーナしかいない。

 切り札となる美晴が所謂「固定砲台」的な運用である以上、蒼麻はそちらの防衛をしなければならず、積極的な攻撃ができない前衛の守唄は本来の役割を活かせないためエヴェリーナのサポートとなる。

 だからこそ――。 

 

「ハルの出番はトドメの一瞬となると、主力はお前しかいない。だからヤバいと思ったらとにかく逃げろ。状況次第では兄貴を盾にしてもいい。お前が無事なら作戦はどうとでもなる」

「そ、それはダメだ! 陸谷が危険に晒されてしまう!」

「リーナ、俺たちの使命は地球人類の防衛だ。魔導書の暴走は人類滅亡に直結する。だから魔導書の確実な収容のためなら多少の犠牲には目を瞑らなきゃならない。兄貴一人の犠牲で天鳴の書を封印できるなら、それも仕方のないことだし、兄貴もそれを納得している」

「そんな……ッ!」

 

 エヴェリーナが悲痛な表情で後ろを振り向くと、そこには常の凛とした表情を一切崩さず立つ守唄がいた。

 彼女自身が魔導書である以上、魔導書というものの危険性は十分にわかっている。ましてや彼女は数ある魔導書の中でもトップクラスの危険度を誇る「文明破壊の魔導書」こと亡世の書なのだ。封印されるべき理由も、その困難さも理解していないはずがない。

 しかし、そのために蒼麻が幾つもの作戦を共に乗り越えてきたはずの仲間の犠牲を良しとすることなど受け入れられるはずがなかった。エヴェリーナの知る限り、彼は口調こそ粗暴だが仲間想いの男だということを知っていたからだ。

 だがそれ以上に、彼女は蒼麻を知らなかった。彼は仲間想いの温かい心を持つが、そのために人類が――唯鈴(いすず)が危険に晒されるとなれば、悲しいほどに冷静で冷淡で冷徹になれるのだということを。

 

「エヴェリーナはまだ配属して間もないから知らないかもしれないが、BONDには『BOND職員は冷酷であってはならないが冷徹なほど冷静でなければならない』という、職員なら誰もが知っている言葉がある。幾つもの作戦を共にした友とも呼ぶべき仲間であっても、必要ならば切り捨てなければならない時もある。それが人類のためならな」

「それに、リーナがそうしたくないってんならそうさせなきゃいいだけだ。別に俺だって必要でもないのに兄貴を切り捨てたいわけじゃない。むしろ逆だ。だからこそリーナには存分に動き回ってもらう。人類はもちろん、仲間も守ってもらうためには、お前の活躍が必要なんだ。できるな?」

「……っ、無論だっ! 人類を守るためにも、仲間を犠牲にしないためにも、ソーマの期待に応えるためにも、このエヴェリーナ・ステニウス、立派に務めを果たしてみせよう!」

 

 胸に宿る覚悟は、おそらくは蒼麻の目論見通りなのだろう。

 初任務にあたって仲間の犠牲を口にしたのも、これから先どんな任務にあたるにしても常について回るリスクに過ぎない。

 だが、そうだとわかっていても――いや、そうだとわかったからこそ、エヴェリーナは胸に宿った覚悟は揺らがない。

 この覚悟が揺らいだ時が、仲間を喪う瞬間なのだ。

 

「……ソーマは、仲間を喪ったことがあるのか?」

「そりゃあな。俺ほど仲間を喪ったことのあるヤツはそうそういないぜ。なんせ3200年分の仲間の想いを背負ってるんだからな」

 

 そして託された想いは今も、これからも積み重ね続けるだろう。彼が友を愛する限り――BONDに囚われ続ける限り、その想いは果てることなどないのだから。

 その心を縛り続ける「絆」という名の鎖を断ち切ることは、彼が魔導書であり続ける限り存在し得ないのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『陸谷守唄』の緊張走る斥候

 北海道藏守(くらもり)市・神命山(しんみょうざん)。麓にはそれなりに栄えた街並みを臨めるその山の頂上に佇む神命遺跡の前に、蒼麻たち11番隊のメンバーは揃っていた。

 本部でナビゲートとデータ収集をしているオペレーターから、作戦開始時刻まで待機を言い渡され、今は作戦の最終チェックを完了したところ。

 とはいえ、作戦そのものは前もって蒼麻(そうま)が話した通り。エヴェリーナと守唄(しゅうた)が積極的にターゲットを取り、美晴(よしはる)が重い一撃を叩き込むまでの時間を稼ぎ、それを蒼麻が護衛する。シンプルだが、それ故に有効な戦術だ。

 

「……さて、そろそろ構えておけ、ハル」

「わかってるよ。ボクのこと、ちゃんと守ってよね、蒼麻君」

 

 二人は示し合わせるように視線を交わすと、互いに自分のネクスマギナを装着。同時に守唄も魔導篭手(プラウドフィスト)を両手に纏う。

 守唄も二人と同じくネクスマギナを所持してはいるものの、かつて自身が言った通り、新しい得物を使うということは、それまでの得物とは異なるスタイルを求められる可能性を秘めているということだ。

 たとえそれを開発・調整したのが彼の最も信頼するペリオードによるものだとしても、自分の命を預ける武器をそうそう容易に変えることはできない。

 だからこそ、彼は――というよりも、彼を含む多くのネクスマギナ所持者たちは、従来通りの訓練に加え、ネクスマギナを用いた追加訓練を自主的に行っているのだが、それでも今まで通りの完成度に持ってくるには至っていない。

 

『時間です。作戦を開始してください』

 

 作戦開始の合図に伴い、四人の表情に緊張が走る。

 しかし、やはりというか真っ先に動いたのはこの男だった。

 

「了解。兄貴は遺跡に突入し、対象の起動を促してこい」

「任された」

「ハルは挨拶の準備だ!」

「まかせて! 第一声は大きな声ではきはきと、でしょ?」

「リーナ、緊張はしてもいいが体は強張らせるな。ビビるくらいなら軽口でも叩け。口が動けば頭も体も動くからな」

「ああ、わかっている!」

 

 蒼麻の指示に従い、美晴とエヴェリーナが最初のアクションに備え、守唄が遺跡へと入る。

 遺跡の中には事前の報告の通り、無数の壁画が描かれた四面の中心に祠のようなものがあり、その祠の前には木彫りの蛇神像が奉られていた。

 

『こちら蒼麻。中継映像は確認した。おそらく壁画のひとつひとつが環境を維持するためのプログラムだろう。遺跡の内部だけで作られた小規模なネットワークが確認できる。蛇神像はその中枢……のように見えるが、おそらくダミーコンソールだろう。本体はその祠の中にあると思われる天鳴の書なんだろうが……ちょっと面倒だな』

「どういうことだ?」

『蛇神像はダミーコンソールだって説明したけど、それをスルーして祠……つまり物理的ファイアウォールを突破しようとすると、天鳴の書のセキュリティプログラムが暴走する。たぶん報告にあった事案はそれだろう。今は時間経過によるものかスリープ状態だが、順序を間違えば二の舞だ』

「ではどうする?」

 

 2、3秒ほど無言の時間が過ぎると、意を決したように蒼麻は言葉を次いだ。

 

『まずは蛇神像にアクセスだ。そこから遺跡の維持装置と本体を直通させて、ファイアウォールを一時解除。そこからは時間との勝負だ。確か天鳴の書の起源は400年前の北欧だったな。当時の主流セキュリティは一時解除から再設定まで最大2分――』

「……どうした?」

『400年前の北欧? ここは北海道だぞ? それも遺跡付きの伝承添えときてる。どう考えても起源は北海道だろ。……いや、それもおかしいな。伝承の通りならこの蛇神のタイプは『土着神』のそれだ。なのに伝説の発祥がたかだか400年だと? そんなわけねぇだろ。今西暦何年だと思ってんだ』

「西暦2275年だが……確かに約400年前となると1875年前後、日本では明治時代だな。伝承の信憑性はともかくとして、歴史の浅さと時代背景の錯誤が著しいな」

 

 日本では干ばつによる被害は農作物に対するものだけではなく、そこから生じた飢饉、あるいは借金などに影響して人身売買などにも大きな影響を出した。そして、その歴史は決して著しく古いものだというわけでもない。

 問題となる明治にはもちろん、比較的新しいところでは平成6年、戦後最悪の水不足が香川県を襲った。6月から11月にまで及ぶ取水制限は、当時の人々の生活や仕事に大きな打撃を与えたという。

 しかし、だとしても明治ともなれば産業革命も只中、海外から取り入れたのは何も物資だけではない。多くの信仰や文化に触れ、多くの人々がそれまでとは大きく異なる価値観と直面した。

 そんな中で「干ばつに嘆く人々を憂いた蛇神」などといういかにもな存在の登場が有り得るだろうか。否、と断じることはなくとも、少なくとも回答を性急に求めなければいけない現段階においては、否である。

 

「北欧の蛇といえば、やはり有名なのはヨルムンガンドか」

『伝承のサイズ的にありえない。かといって日本の有名どころでは八岐大蛇だ。見てくれが全然違う。神命遺跡の蛇神は(いかずち)を纏う大蛇ではあるものの、その形自体は通常の蛇とそこまでかけ離れている描写がない』

「雨をもたらす、という点を「水」と置き換えるなら、(ミズチ)という可能性もある。あれなら北海道にも伝わっていたはずだ。だがあれは悪神としてのイメージも少なくないからな……」

『北海道の蛇神といえばホヤウカムイだが、あれはむしろ草木を枯らし病を流行らせる面が大きいから、慈悲深いイメージを持つ今回の蛇神とは無縁……いや、そういうわけでもないか?』

 

 ふと、何かに気付いたように蒼麻が呟く。

 

「何か思いついたのか?」

『もしかすると、ひとつの神に固執していたこと自体が間違いなのかもしれない。さっきも言った通り、この伝承の発祥となったのは今から約400年前……明治時代のことだ。しかし、当時は既に鎖国も空けて産業革命の真っ只中。とはいえ北海道(アイヌ)と本州の交流はまだまだ始まって間もない頃のこと。だとすると……』

「……そうか、複数の神のイメージが混在しているのか」

『そう、鎖国を開けて北欧から運ばれた天鳴の書は、間違いなく日本――本州との交流初期におけるアイヌへと伝わった。しかしそこに干ばつなんてものはなく、北欧から伝わる水神や農耕神などのイメージが『蛇の神』とされるホヤウカムイをベースとして混ざり合って伝わった。そしてその整合性をとるかのように、ありもしない伝承が作られた』

 

 となれば、問題なのは私用されているファイアウォールの形式と年代である。

 天鳴の書それ自体はやはり北欧で間違いない。だとすれば自ずと形式は絞られる。問題は年代である。伝承の発祥が400年前の北海道だとしても、天鳴の書の製造時期はそれよりもさらに遡れることがわかった以上、無暗に障壁を弄ることはできない。

 しかし、そこでもやはり蒼麻が気付いた。

 

『北欧の神話は大きく分けて二つ。北欧神話とスラヴ神話だ。この二つの中で水神や農耕神のイメージがつくのは北欧神話の雷神トールか、スラヴ神話の雷神ペルーンだ。雷は雨と風をもたらし、大地を潤し耕すとされ、農耕神とのイメージの繋がりが大きい。そしてこの両者はしばしば同一視されるが、ここで雷にまつわる逸話がひとつある』

「なんだ?」

『スラヴ神話の伝わるロシアでは、電気学・大気電気学を学んだドイツ人物理学者が窓から飛来した球電によって感電死している。電気実験や遠雷の影響によるものだという説もあるが、そもそも球電そのものがかなり稀な現象で、電気実験を何度か繰り返した程度で起きるようなものじゃない』

「なるほど、電気実験中の感電死と、土着信仰であったスラヴ神話のペルーンが一部の民間人によって関連付けられたのか。云わば雷神の怒り、といったところか。科学は時に信仰・宗教からは目の敵にされがちだからな」

『そう、そこで造られたのが神の裁き――(いかずち)を自在に引き起こす魔導書。それが天鳴の書の成り立ちだ。となると、製造時期も明らかになってくる。そのドイツ人物理学者が命を落としたのは1753年。魔導書の製造にかかる期間を加味しておよそ5年以上は経過するから……1760年あたりか。だったらパターンはひとつだ』

 

 3分20秒。それが1760年前後に東スラヴ神話が伝わる当時のロシアで最も多用された魔導障壁(ファイアウォール)――『ミロスラーヴァ28番1757式』のタイムリミットだ。

 

「ダミー端末にアクセス。遺跡機能を本体に直結。ファイアウォール、一時解除」

『急いで栞を挿め』

「……いや、どうやらそう上手くはいかないらしい」

『何があった?』

「……ダミー端末を媒体として簡易セキュリティプログラムが起動した!」

 

 簡易セキュリティプログラム。

 本体のセキュリティほどの性能・知能を持たないものの、本体のコントロールを離れて自動的に防衛攻撃を行うプログラムのことだ。

 通常、簡易セキュリティが遺跡などに設置されている場合、騎士や悪魔などの銅像の形をとり、相応の大きさを持つため、祠の前に置かれる程度の小さな蛇神像がそれだとは予想していなかっただけに、蒼麻は焦りながらも冷静に、そして早急に判断を下した。

 

『『失敗』だ! 下がれ兄貴!』

「了解、撤退する」

 

 襲い来る簡易セキュリティを迎撃しながら、守唄は苦々しい表情でその場を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ホヤウカムイ』の怒りの化身

「コォォォォォォ――!」

 

 守唄(しゅうた)を追って遺跡の中から現れた雷を纏う墨色の大蛇――ホヤウカムイ・アバターと対峙する蒼麻(そうま)たち。

 本物の神の化身とはかけ離れた生まれではあるが、長い年月をかけて信仰を集めたことで発現した神の力は人類の持つ魔力の比ではなく、天には雷雲が立ち込め、大地と大気が震え始めている。

 天候を操る近代魔導書としての力と、信仰によって増長した蛇神としての力。その両方を兼ね備えた蛇神の化身(ホヤウカムイ・アバター)は、まさしく神に等しき存在として彼らに立ち塞がる。

 

「作戦は前もって話してあった通りだ! 兄貴は前衛でリーナのサポートをしつつ隙を見て攻勢に入れ! ハルは前衛の援護をしつつシメの一撃の用意をしろ! 向かってくる攻撃は気にしなくていい、俺が守る!」

 

 蒼麻の指示を受け、前衛二人がホヤウカムイ・アバターへと攻撃を仕掛けた。守唄の拳がホヤウカムイ・アバターの顎を的確に捉えると、エヴェリーナの正確無比な射撃が同じポイントに幾度と撃ち抜く。

 しかし、それらの猛攻を受けてなおホヤウカムイ・アバターにはまともなダメージは見受けられず、堂々とした雰囲気を纏いながら、轟音と共に雷撃が二人を襲う。さすがにそれは通せないと、美晴(よしはる)が火球魔法で雷撃を迎え撃つが、その軌道を逸らすのが精いっぱいで、打ち消すまでには至っていない。

 そうした美晴の妨害を鬱陶しく思ってか、丸太のように太い胴体に反して細く長いホヤウカムイ・アバターの尾が、美晴を襲う。しかし美晴はそんなホヤウカムイ・アバターの攻撃を気にすることなく、前衛二人の援護に徹底した。その攻撃を、蒼麻が必ず阻むと信頼しているからだ。

 そんな彼の信頼に応えるように、蒼麻の腕がホヤウカムイ・アバターの尾を受け止め、強引に引っ張ることで相手の体勢を大きく崩した。それがホヤウカムイ・アバターの機嫌を損ねたのか、それまでとは比べ物にならないほど夥しい数の雷撃が四人に降りかかる。

 

「コォォッ!」

「パーシアヌスッ!」

『Red Ripple Reflecter』

 

 即座に反射盾(リフレクター)を展開する美晴だが、その範囲は前衛二人を庇うだけで精いっぱい。だがそれでも、美晴に慌てた様子はない。

 

「オルキヌスオルカ」

『Aura Knuckle』

 

 魔力の膜を張った拳を降りしきる雷撃へと打ち付け、その全てを弾く蒼麻によって、美晴の無事は約束されているからだ。

 単純な腕力でこそ守唄には敵わないが、その素早い身のこなしと、力不足を補ってあまりある技量が、彼の最大の持ち味。守唄のように頑強な肉体を持たないからこそ、攻撃を受けることなく流す技にも秀でている。

 ましてや彼の役割は最後衛の美晴を守るための盾。攻撃手段よりも防衛手段を多く持つ彼ならば、この程度の雷撃を防ぐことなど造作もない。――とは言い切れず、弾くだけでもかなりの負担なのだが。

 

「腕もげそう」

「はいはい泣き言言わない。後で凪原さんに慰めてもらいなよ」

「唯鈴を心配させるくらいなら黙ってた方がマシか」

「それ凪原さん絶対怒るやつだよ」

 

 極度の緊張状態で体が硬直しないために軽口を叩き合いながら、蒼麻は戦線の把握を、美晴は大規模攻撃魔法の準備を続ける。

 並の大規模魔法なら既に発動できるレベルまで魔法式の構築と魔力補給・魔力循環は完了している。しかし、さすがに神の化身に通用するレベルまで持っていくとなるとそうもいかないのか、いつも通りの笑みを浮かべる美晴も心なしか表情が険しい。

 

「兄貴! 前に出すぎるな! リーナのフォローが雑になってんぞ! リーナはもっと足を使え! 一カ所に留まらず動きながら狙いを定めろ! お前の技量ならそのくらい出来る!」

「了解。すまないエヴェリーナ」

「いや、私もしっかり動けていなかった」

 

 雷に伴い、雨までもが降り始めた。地面が濡れれば、落雷が地面を伝ってさらに広範囲にダメージを与える。しかもこれは魔力を伴わない純粋な電気エネルギーによるものだ。ダメージだけでなく関電による麻痺もついてくるだろう。

 次の雷撃は広範囲に防御を展開しなければならない。少なくとも戦線全体を覆うくらいには。ただでさえ防御魔法が得意でない美晴にとって、大規模魔法の準備と並行しながら前衛の援護と広範囲の防御魔法までは息が切れる作業になる。

 しかし、やらなければ死ぬのだ。いくら蒼麻がホヤウカムイ・アバターの雷撃を弾くことができるとはいっても、それはその手の届く範囲までのこと。戦線全体に降りしきる雷撃を全て防ぐことなどできるわけがない。

 だからこそ、相手の攻撃を防ぐには攻撃をさせてからでは遅い。雷撃そのものを防げないのなら、雷撃を撃たせないしか方法はないのだ。

 

「エヴェリーナ! あいつに次の手を打たせるな! 兄貴は敵に接近して連撃を打ち込め! 防御は全部こっちに任せろ!」

「了解!」

「了解!」

「まるで蒼麻君も含んでるかのように「こっち」って言うけどそれ実質ボクだけじゃん!」

「文句があるなら代替案でも出してみろ!」

 

 蒼麻のゴーサインが出たことで、前衛二人の攻撃がさらに激しさを増した。それによって防戦一方となったホヤウカムイ・アバターは、雷撃を出す間も与えられず、痛みに悶えるようにその長い尾を振り回す。

 だがその攻撃は誰にも届くことはなかった。それまでずっと美晴から離れようとしなかった蒼麻が前衛組と美晴の中間地点まで前進し、前後どちらに対しても防衛ができるポジションをとったことで、事態は大きく動いた。

 雷撃を撃てないホヤウカムイ・アバターとなれば、それはもはやただデカいだけのヘビである。

 

「蒼麻君!」

「了解! 前衛後退! 防御態勢をとれッ!」

 

 そう言って、前衛と替わるように前に出ると、地面を殴りつけた反動で宙へと跳び上がり、ホヤウカムイ・アバターの頭上をとる。

 

You'll have to pay for this(目にもの見せてやるぜ)! オルキヌスオルカッ!」

All right(お任せください)

「コォォォォォ――ッ!」

 

 バガッ、と開かれた巨大な(あぎと)が、空中で回避行動のとれない蒼麻へと襲い掛かる。しかし――!

 

「オラァッ!」

「コォッ!?」

 

 ホヤウカムイ・アバターの下顎を蹴りつけ、その口を閉ざした反動で軌道を変え、着地と同時に再び跳躍。のけぞった顎の下に、全力の拳を叩きつける。

 

「ブチ撒けろぉぉぉぉぉぉっ!!」

『Valiant Knuckle』

 

 その一撃に怯んだ瞬間を、()()は見逃さない。

 

「なるほど、この瞬間を待っていたんだろう? ならば任せろッ!」

 

 両手で構えていたプラズマレーザーガンを右手で構えると、左手に亡世の書を召喚し、魔導書に記録された魔法をプラズマレーザーガンで構築する。

 

「ブチ貫けぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

『Ruining Glory Bright』

 

 プラズマレーザーガンの銃口に展開された魔法陣から射出した光は無数に拡散し、その全てがホヤウカムイ・アバターの顎の下を貫いていく。

 痛みに喘ぐホヤウカムイ・アバターだが、仮にも神の化身であり魔導書のひとつ。どんなに苦しんだところでこの程度の攻撃で死ぬことはできず、ただ苦しみのたうち回る。

 

「トドメだ、ハル!」

「お待たせ。これで決めるよ、パーシアヌス!」

『Blue Bright Blaster / Big Burning』

 

 パーシアヌスから溢れる膨大な魔力は大気中に霧散した魔力を吸収しながら巨大な球体となり、頭上の視界を覆うほどの大きさになると、まるで張りつめた膜が破れたかのように光の奔流となってホヤウカムイ・アバターを圧し潰す。

 一瞬でもホヤウカムイ・アバターの巨体を脱皮した皮のごとく圧し潰すには十分な魔力量。しかしその奔流は一瞬では留まることなく、実に60秒間もの間、ホヤウカムイ・アバターを潰し続けた。

 

「……ハルだけは怒らせないようにしような、リーナ」

「ああ、心に刻みつけた」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の平和的解決

「へー、ステニウスさんこの学校に編入してくるんだ」

「一応、必要最低限の学力と一般常識は叩き込んだしな。元々、地頭も悪くないし、あとは人とのコミュニケーションだけが心配だったからな。ちょうどいいだろ」

「知識を与えるだけならあたしたちだけでも十分だけれど、彼女には人と人との交流という経験が必要だったから、ちょっと強引だったけれど学校に通うことにしてもらったわ。お父様は家の用心棒として四六時中おいておきたかったみたいだけど」

 

 ホヤウカムイ・アバターとの戦いを終えて数日。学生の本分である学校で、蒼麻(そうま)唯鈴(いすず)美晴(よしはる)の三人は談笑に耽っていた。

 今朝のHR(ホームルーム)で隣のクラスが随分と賑やかだったのが、どうやらエヴェリーナの編入のせいだと知ると、美晴は意外そうな顔をしていた。いや、今もしている。

 というのも、エヴェリーナに限らず魔導書というものは、膨大な魔力と知識の結晶であり、学校に通ってまで学ぶ必要のあるものなどそう多くはない。

 彼らの言う通り、コミュニケーションの学習というのも理解はできるが、彼らが魔導書を財閥の用心棒として――戦力として運用する以上、コミュニケーション能力などある程度は無視してもいいスキルだとも言える。

 それでも、唯鈴が父親に無理を通してまで学校に通わせようとしたのは、彼女がエヴェリーナのことを純粋な一人の人物として扱っている証左だろう。

 

「ソーマ!」

「噂をすれば、だな。どうしたリーナ。学年も違うのに」

「助けてくれ! クラスの者たちが次から次へと声をかけてきて辟易を通り越して怖いんだ!」

「ああ……男女どっちからも可愛がられそうだもんなお前。わかったわかった、注意してやるから一緒に来い」

 

 蒼麻の背中に隠れるようにしながらエヴェリーナがクラスから去っていくと、唯鈴と美晴の周りに数人のクラスメートたちが押し寄せてきた。

 要件はおそらく蒼麻とエヴェリーナの関係だろうとアタリをつけながら、二人も諦めたように対応に追われた。

 

 

 

 

「つ、疲れた……。腹減ったし公園でメシ食ってから帰らねぇ?」

「そうしようか。結局いろんな説明でお昼休み終わっちゃったからお弁当まだ食べてないしねぇ」

「すまない、三人とも……」

「別にリーナちゃんのせいじゃないから、気にしなくていいのよ」

 

 あの後、隣のクラスだけでなく、自分のクラスでも質問責めに遭った蒼麻は、その対応に追われて食事にありつけなかった。同じ状況に遭っていた唯鈴はまだ説明せずとも食事をとれなかった理由を理解しているが、美晴はそういうわけにもいかない。

 同棲中の恋人である坂上仄香(さかがみほのか)が作ってくれた弁当を残したまま帰宅すれば事情を問い詰められることは避けられないし、その事情を話してしまえば、恋人に対して過保護とも愛情過多ともいえる接し方をしている彼女が美晴のクラスメートたちに対して取る行動は目に見えている。

 それを避けるためにも、単に今この空腹を埋めるためにも、四人は通学路の途中にある公園のベンチに腰掛けて、遅れた昼食と相成った。

 

「はい、リーナちゃんの好きなアイスティー」

「ありがとう、マイロード。む、ベーコンとホウレンソウのソテーが入っているではないか!」

「あれ? ステニウスさんホウレンソウ苦手なの?」

「逆だ! 私はホウレンソウに目がなくてな! しかもバターソテーとなれば文句のつけようもない!」

 

 よかったね、と言う美晴の穏やかな微笑みに、エヴェリーナの無邪気な笑顔が返される。

 ただ、エヴェリーナを凪原家で雇って以来、使用人がエヴェリーナを買い物に連れて行く度に夕飯がホウレンソウ料理になるので、蒼麻と唯鈴は少し飽きがきているが、本人には言っていない。

 凪原家が有する料理人の腕のおかげか、ホウレンソウ料理だけに絞ってもバリエーションが豊富なことだけが幸いだが。

 

「ホウレンソウの野菜ジュースとか買ってあげたら飲むかい?」

「そんなものがあるのか!? しかし、ジュース……以前ソーマに騙されて飲んだ青汁というやつは色こそホウレンソウと同じだがとても飲めたものではなかったしな……」

「まぁ似たようなものだけど、ちゃんとホウレンソウの味がするのもあるよ。まぁニンジンとかコーンみたいな他の野菜も混ざってるから純粋なホウレンソウだけのジュースではないけど」

 

 まだ少し要領を得ていない表情のまま、それでも興味はあるのか頷いて返事をすると、手元のアイスティーを口に含んだ。

 蒼麻と唯鈴は、またエヴェリーナのホウレンソウ好きが加速するかと戦々恐々しながらも、それを止める様子がないのは、やはり身内に甘い性格のせいか。

 デザートとして入っていたみかんの皮を弁当箱にしまうと、蒼麻は三人よりも少し早く食事を終えた。

 

「蒼麻君、食べるの早くない?」

「そうか? 黙々と食ってりゃこんなもんだろ」

 

 弁当を包んで学生鞄に戻し、起ち上がって大きく伸びをすると、蒼麻は「腹ごなしにちょっと走ってくる」と言ってその場を後にした。

 ホヤウカムイ・アバターとの戦いを終えてから、第二級作戦執行部隊・11番隊の評価は今までよりもさらに高く、そしてマイナスな方向に大きくなった。というのも、11番隊は「実力が高く」「少数精鋭指向の」「問題児たちの集まり」というのがBOND職員たちの評価だからだ。

 強力な古代魔導書である蒼麻とエヴェリーナを筆頭として、魔導機人(ヒューマギア)とはいえ尋常ならざる魔力を保有し、BONDの戦力に大きな影響を及ぼす問題児・坂上仄香の恋人である美晴と、魔力こそ飛び抜けて高くはないが素手で数百数千の魔導人形(オートマギア)を葬る身体能力を持つ守唄。

 圧倒的な戦力と影響力を持つこの四人だが、蒼麻とエヴェリーナは身内以外の人間に対する関心が薄く、美晴は人類の防衛よりも仄香の保護が目的であり、守唄は人類守護の使命感を帯びているとはいえ、コミュニケーション能力に欠く。

 

 そんな11番隊が、今まさに背負っている任務といえば、簡単に言えば「待機」あるいは他所の部隊のデスクワークなどを肩代わりする「雑用」である。

 当然ながら危険どころか体を動かす機会すらそう多くはなく、デスクワークに一区切りがつく度に息抜きと称して訓練室で大暴れするのが最近の日課と化してきており、BONDの経理担当からは訓練室の修繕費用の一部を給料から差し引かれる程度には荒れている。

 とはいえフラストレーションを運動で発散すること自体は理に適っており、そもそも蒼麻の給料が引かれたところで凪原家の財政には一切の影響がないため、蒼麻もエヴェリーナも全く自重する気配がなく、唯鈴も止める気はまったくない。

 

「ごちそうさま。さて、ボクも少し動いてこようかなぁ。凪原さんはステニウスさんがいるから大丈夫だろうし」

「ああ、マイロードは私がしっかりお守りするから心配はない。任せておけ!」

「心強いね。じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 

 

 

 

「ちょっと目を離しただけでこれか」

「うーん、ボクの見通しが甘かったみたいだ。ごめんね蒼麻君」

「いや、俺に謝られてもな……」

 

 15分ほどして、蒼麻と美晴がジョギングから戻ってくると、唯鈴とエヴェリーナを取り囲むように三人の男たちが絡んでいた。

 二人ともそれほど怯えている様子はなく、唯鈴に至ってはベンチに座ったままお茶を啜ってさえいるが、どうやらエヴェリーナの方が男たちに噛み付いているようだった。

 明らかに面倒くさいという様子を隠すことなく、蒼麻は男たちに声をかけた。

 

「お兄さんがた、悪いけどどいてくれない?」

「あ? なんだお前」

「そいつら俺の連れなんだよね。お兄さんたちにお似合いの相手ならさっきペットショップのケージの中に入ってたからそっち行ってくれない?」

 

 親切100パーセントで告げた言葉は、どうしたことか悪意と捉えられ、話しかけた相手の男に胸倉をつかまれる。しかし蒼麻はそれに慌てる様子も、ましてや怯える素振りすらなく、流れるような動作で男の股間に膝蹴りを入れた。

 白目を剥いて崩れ落ちた男を足蹴にしてどかすと、座っていた唯鈴と棒立ちのエヴェリーナの腕を引いて美晴に預け、残った二人の男と対峙する。

 

「ほら、このお兄さん泡ふいてるよ。やっぱりカニか何かの仲間だったんだね。ペットショップにもいたからよかったじゃん。んで? そっちのハゲとヒゲのお兄さんはハゲワシとアゴヒゲトカゲの仲間?」

「てめぇ!」

「ガキがナメんじゃねえ!」

 

 大振りに拳を振りかぶるハゲ男の足を引っかけ、もう片方の男のパンチも避けて脛を蹴りつけると、二人揃って両手を地についた。

 

「ガキがナメちゃって悪いね。まぁお兄さんたちもそのモテそうにないブッサイクな顔面のクセにガキをナメたからお相子だよな?」

「て、めぇ……っ!」

「んじゃ、しばらくおねんねしような?」

 

 まだ意識のある二人の後頭部を鷲掴みし、熱烈なキスを伴って打ち付け合うと、それらの男たちも意識を手放した。

 

「平和的解決完了、ってな」

「平和的……?」

「平和的と書いて暴力と読むってヤツだね」

「私の知っている平和的と違う」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の素直さと危うさ

「んで、ここでさっき解いた式を代入して、この公式を使って解けば……」

「ああ、なるほど。こうして……こうだな!」

 

 公園でのいざこざを終え、美晴と別れて帰宅した蒼麻は、現代の常識やマナーだけでなく、現代教育にもあまり慣れていないエヴェリーナのために、学校の課題を片付ける片手間、彼女の勉強を手伝っていた。

 

「ん、正解。リーナもだいぶ現代魔法学にも慣れてきたな」

「無論だ! とはいえ、正直まだまだだ。数ある魔導書の中でも特に高性能な魔導書のプログラムだと自負していたが、さすがに現代魔法学となると廃れるところが廃れて進むべきところが進んでいる。ジェネレーションギャップ、と言ったか? やはり驚きは隠せないな」

 

 古代魔導書の最高傑作とも名高い『亡世の書』のプログラムとはいえ、エヴェリーナの知識はほとんど専門的な教育機関を経ることなく「観測と記録」の過程で自然と身についたものばかりだ。

 古代魔法の基礎理論や魔法構築式の基盤となる部分はもちろん習得しているだろうが、それも「教育」ではなく「学習」によって身に着けたものだろう。

 故に、あまりにも基本的な部分でさえ、彼女は「当然そうなる」ことしか知らず、「なぜそうなる」かを理解できていない。

 そうした部分で、「なぜ」を突き詰めることこそが勉学の基本であり、それを正しく伝えることを教育とするのなら、蒼麻は教育者としてあまりにも適任であった。

 

「じゃあ復習しようか。まず公式aが環状魔法構築式の最もベースとなる部分だ。これをミスったら魔法はどう足掻いても発動しない。基本形態が三角状魔法構築式と似ていてややこしいが、三角状はb=a^2なのに対して、環状はb=2a^2だ。ここの区別は丸暗記してくれ。その方が早い」

「そこは古代魔法と同じだから言われなくてもわかっているぞ」

「だろうな。でもこれが復習だ。環状魔法構築式ではbの値をベースとして、発動する魔法そのものの構築式を代入し、必要魔力量が割り出される。この時、行使する魔法構築式に記された値が少ないほど、必要となる魔力もまた少量で済むってわけだ」

 

 そのくらいは、と思っていても口にすることなく、素直に蒼麻の説明を聞き入れているのは、エヴェリーナ自身が持つ元々の純粋さだけでなく、彼の説明が淡泊(シンプル)ながらわかりやすく、無駄がないからであろう。

 彼の授業は、聞く側の事情を一切考慮することなく、ただ淡々と事実だけを継げていく一方的なものだ。わからないところがあれば一度そこで手を止めて、最低限の助言で本筋に戻すと、また淡々と先へと進めていく。

 あまりにも作業的かつ機械的ではあるが、わからない部分を全て抜き出して解決させ、愚直なほどシンプルに前進させていくその手法は、説明を受ける側が素直であるほどに効率的だ。

 もし蒼麻自身のような捻くれたタイプがこの教育方法で学ぶ側であれば一切通用しないが、彼はあくまで「教育」させているだけであって「厚生」を促す者ではない。学校の教師でもないのなら、まともに教育を受ける気がない者に教える必要もないだろう。

 

「環状魔法構築式は多くの魔法構築式の中でも基本となる魔法によく使用される。これは古来から「円」という形状自体が「完成形」という意味を持っていたことに由来するものだ。故に基本であり、最も欠陥が少ない。無い、とまでは言わないけどな」

「確かに、言われてみれば環状魔法陣によって繰り出されるのはベーシックな魔法が多いイメージだな。浮遊とか、転送とか、そういった昔からある魔法はたいがい環状魔法陣のものばかりだ」

 

 環状魔法陣というのは、環状魔法構築式によって描かれる魔法陣のことだ。

 いちいち魔法陣を書いて魔法を行使する者もいれば、魔法構築式を全て暗算で行って発動時に魔法陣が投影される者もいる。熟練した者ほど後者となることが多いが、手癖であったり暗算によるミスを避けるためにあえて魔法陣を書く者もいるので、一概には言えない。

 

「私自身、私用する魔法陣のほとんどが菱状だから、基本といえども環状の専門的な知識まではあまり理解が行き届いていないな」

「んー、専門的だろうと基本の部分は同じさ。今言った公式さえ覚えていれば、あとは発動する魔法構築式がどんなパターンで組まれているか、だけだ。それも必要魔力量の値から逆算してある程度までは割り出せる。何事も「基本のき」から始まるってことだな」

 

 あとは自力でできるだろう、と言って、蒼麻は参考書を閉じた。

 さて、自分の課題を片付けよう、と部屋に戻ろうとすると、エヴェリーナが蒼麻の制服の裾を掴む。

 

「どうした? まだわからないところがあったか?」

「い、いや……課題については問題ない。ただ、その……なんだ、今日はじめて学校に行って、改めてソーマには世話になったのに、礼を言っていなかったと思ってな。あー……ありがとう、ソーマ」

「……おう、どういたしまして。また困ったらいつでも声かけてきな」

 

 じゃあ、と言って、蒼麻はエヴェリーナの部屋を後にした。

 こうして姿勢を正しながら礼を言うのがこうも気恥ずかしいものだったか、とエヴェリーナはガラステーブルにペンを置くと、そのまま床へと寝転がった。

 だがその気恥ずかしさこそが誠意の表れだということも、彼女はまだ知らなかった。それをこれから、知っていくのだから。

 

 

 

 

「……ありがとう、か。今思えば、あの亡世の書がまさかこんなに素直なヤツだなんて、不思議なもんだな」

『むしろ、それだけ素直だからこそ、人々の終焉へと向かってしまう性質を重篤に受け止め、彼女自身の機能を歪めてしまった、ということなのかもしれないな』

 

 天星の言う通り、彼女の素直さは、そのまま危うさにも繋がりかねない。事実や客観という、主観に頼らない要素を素直に受け止め続けた結果、彼女は自身の使命を歪めてしまった。

 彼女の本来の使命は、文明の終焉の記録。終焉という言葉を正面から捉えると聞こえが悪いが、ここでいう終焉は「歴史」という意味だ。文明が始まり、そして「終焉」へと向かう過程――それが歴史となる。

 だがその「終焉の記録」を目の当たりにし続け、そしてそれを促す人類を見続けるにあたって、エヴェリーナ・ステニウスという人格プログラムはあまりにも素直すぎた。

 その素直さゆえに、人類が終焉に臨むことを、人類が終焉を望むことだと勘違いした彼女は、「終焉の記録」するという使命を「終焉を導く」ための機能へと変質させてしまった。

 

 それは誰が悪いわけでもない。彼女の行いそのものは紛れもなく罪であるものの、そこにあったのは純然とした善意だ。地獄への道は善意で舗装されている、とはよく言ったものだと、蒼麻は嗤う。

 ただ彼女の純粋さ、素直さという性質が、必ずしも正しい道にばかり導かれるものではない。むしろ、純粋であるからこそ正しい道を舗装するのは本人ではなく周囲の人間でなければならない。

 そのために、蒼麻はできる限り彼女の求める問いに対して真摯であろうと心がけている。情けは人の為ならず、という言葉の通り、彼女へかけた情けは巡り巡って自分や、自分が守りたい友人に影響を及ぼす。

 唯鈴であったり、あるいは美晴や守唄であったり。それはどのような変化であれ、彼女の素直さは、彼女が得た影響をより大きくして波及させる。ある意味で、彼女は理想的なインフルエンサーにもなり得るのだ。

 

「天星は……俺と違って本当に一から魔導書のプログラムとして造られたんだよな」

『そうだな。プログラムとして生まれ、最初の主に仕え……お前と出逢った』

「最初はビックリしたな。まさか一国の王が持つ魔導書がいきなり没落貴族のボロ屋敷に訪ねてくるんだから」

『まぁ、あれも純粋さの果ての行為というか……若気の至りということにしてくれないか』

 

 その純粋さはエヴェリーナの純粋さとはまた何か違うような、とも思ったが、蒼麻はあえて口にはしなかった。

 とはいえ、元々ソーマと天星は今ほど対等な立場ではなかった。片や国の主力、片や没落貴族の家に仕える使用人。周囲から向けられる奇異の目は厳しかったが、それに反して二人の仲は急速に縮まった。

 天星はソーマの自由を羨み、ソーマは天星の気高さと栄誉に羨んだ。そして互いにないものを求め合い、そしていつしか無二の親友となっていった。その果てが――今の形となっているのだが。

 

「最初はさ、魔導研究員資格があったとはいえ、民間人と接点を持っただけで天星を次元追放した国王は器がちっせー野郎だとも思ったけど、今思うとだいぶ寛容だよな」

『寛容というか、あいつは独占欲の強い男だったからな。私が他の者に想いを馳せた時点で、興味を失ったのだろう。私はむしろ、お前が肉体を棄てて次元潜航してきたことの方が驚いたぞ』

「あれは賭けだったな。天星が見つけてくれるって信じてたけど、見つからなかったら三日と持たず次元の海に霧散してたからな」

 

 次元追放された天星を追って肉体を棄てながらも次元の海へと潜ったソーマは、天星にその意識をデータ化され、天星の書のプログラムとなることで一命をとりとめた。

 一命どころか、以降ずっと転生を繰り返す無限の命へと変質したのだが、それを苦だとは思わなかった。なぜなら、他の何を捨ててでも共にいたいと願った親友と、永遠の時を共有できるのだから。

 

「俺と天星は、たぶんお互いが居たから間違わずに済んだんだ。けど、リーナは一人きりだった。一緒に道を歩いて間違いを正してくれるヤツがいなかった。だから、その素直さと純粋さが歪んだ方向へと進んでしまった」

『素直であることは美徳だとされているが、その素直さが時として思わぬ方向へとねじ曲がってしまうこともある。エヴェリーナの存在は、ある意味でそういった「素直な魔導書」と対峙する我々に警鐘を鳴らしてくれた、ということかもしれないな』

「まぁ、今までリーナを封印しようとしてきたヤツも、みんな最初から武力行使だったのも一因だと思うけどな。俺たちが対応した時もそうだったが、素直なヤツって基本的には「自分がされたことを相手にもする」っていうタイプだし。俺が対話を試みたら疑いもせず言葉で返してきたあたり、それは間違いない」

『自業自得、というにはあまりにも手痛いものだったが、殺意には殺意で返すというのも、彼女の素直さゆえか。だが、まぁBONDとしてはその方がいいかもしれないな。魔導書の収容には、敵意に敵意で返すくらいがちょうどいい』

 

 あんまり行き過ぎるようなら、また俺たちが止めてやればいいしな、と言って、蒼麻と天星は肩を竦めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『11番隊』の異質なアイデンティティ

「ホヤウカムイの一件からずいぶんと経っているが、実戦任務があれっきりまるで音沙汰ないのは何故なのだ?」

 

 ホヤウカムイ・アバターとの戦闘から早一か月半。ほとんどデスクワークと訓練室での模擬戦闘を繰り返すばかりの日々にも、だいぶ飽きが出てくる頃。

 蒼麻などの、元々この11番隊に居たメンバーたちは慣れきっているが、所属してからホヤウカムイ戦しか経験していないエヴェリーナは、その限りではないようで――。

 

「別に実戦任務を好き好んでやる執行部隊なんていないし、そもそもここは執行部隊とは名ばかりの雑用だ。デスクワークの方が日常だよ」

「だとしても、この11番隊の戦力はBONDの中でも上位に入ると言っていたのは蒼麻だろう。それに、他の部隊の者たちからも聞いたぞ。他の部隊は日替わりとまでは言わないまでも、ほぼ毎日のように出動していると」

「よそはよそ、うちはうち」

 

 まるで子供を宥めるような蒼麻の態度にもやや腹を立てているのか、エヴェリーナはそれ以上は何を言うこともなく、拗ねたような表情でデスクに着いた。

 さすがに見るに見かねたのか、資料に目を通しながらコーヒーサーバーの前に立っていた守唄が、二人のデスクに背を向けたまま助け舟を出した。

 

「エヴェリーナが聞きたいのは、周りが忙しなく動いているのに自分たちは何故ヒマなのか、ではなく、戦力を持て余すような行為をなぜ周囲が是としているのか、ということだろう?」

「……そうだ。私たちの実力は周りの誰もが知っている。なのにこれでは、まるで軽んじられているようで、なんというか……面白くない。……なんというか、ワガママな言い方だな。すまない」

「んー……別にワガママとかではねぇよ。いくら問題児が集う部隊とはいえ、実力に見合う評価を受けていないのは事実だからな」

 

 でも、と一拍おいて、

 

「組織っていうのは実力以上にコミュニケーションや団結力が最重要になってくる。俺たちがどんなに凄い魔法士や魔導書でも、それが出来ない奴は組織において落ちこぼれの烙印を押されても仕方がないんだ」

「だが――いや、そうだな。ソーマの言う通りだ」

「それに、別に俺たちに見合った評価がまったくされてないわけでもない。ホヤウカムイ・アバターとの戦いを思い出してみろ。あれは俺たち11番隊だから対処できた相手だが、あの夥しい雷撃をいなし続けて、なおかつあの強靭な巨体を塵ひとつ残さず圧し潰せるような魔力砲をブチ込めるバカがBONDに何人いると思う?」

「蒼麻君いまボクのことバカって言った?」

 

 ねぇ、ねぇバカって言った? と目から光を消しながらしつこく訊いてくる美晴をすべてスルーしながら、蒼麻は続ける。

 

「俺たちの評価は間違いなく「問題児の集まり」だ。だけど同時に、俺たちに課せられる任務のほとんどは「ハイリスクローリターン」か「ハイリスクハイリターン」のものばかり。見返りの大小に関係なく、危険で困難な任務ばかりを押し付けられる。それは言い換えれば、俺たちにしかできない任務を任せられているってことでもあるはずだ。違うか?」

「確かに……。警察官や医者が忙しくないことが平和の証であるように、我々が暇であればあるほど他の部隊が安全に任務に当たれるということだな!」

 

 実際は危険でない魔導書などそうそうありえないため、他の部隊が担当する任務も大なり小なり危険を伴いながら行わざるをえないのだが、それを説明し始めると長くなるし、何よりエヴェリーナにわかるように説明するのにも言葉を選ぶ必要があるため、蒼麻は面倒になって「そういうことだ」と頷いた。

 とはいえ、11番隊よりも危険な任務を請け負うような部隊など、それこそBOND本部長直轄の精鋭特務部隊か、あるいは彼らと同じように魔導書のプログラムをメンバーに採用した第一級作戦執行部隊くらいなので、必ずしも間違いというわけでもない。

 ましてや第二級作戦執行部隊においては唯一といってもいいだろう。もっとも、彼らが正しく評価されない原因のひとつが「第一級作戦執行部隊に転属すると今より忙しくなりそうだからパスしている」という、なんとも怠惰の極みのような理由であることを、エヴェリーナは知らない。

 

「大まかにはソーマの説明通りだが、もうひとつ言っていないことがあるだろう。ついでに言っておいてやれ」

「言ってないこと……?」

 

 やや呆れたような視線を向けながら、溜息交じりに指摘する守唄に、蒼麻はつい睨み返すような態度で無言の圧を向ける。

 そう、彼の言う通り、エヴェリーナの質問からはやや逸れるが、この11番隊のことを教える上で、避けては通れない説明がもうひとつだけある。

 

「本当は黙っていたかったんだが……実はこの11番隊は、BONDの所有する第二級作戦執行部隊の中でも特別――といえば聞こえがよすぎるか。異例の存在なんだ」

「異例……イレギュラー、という意味か?」

「そう。そもそも第二作戦執行部隊に限らず、BONDの部隊は各部署に最大10隊までしかない。11なんて数字はありえないんだ」

 

 単純に数が増えればそういうこともあり得るのではないのか? というエヴェリーナの疑問は尤もだ。しかし、蒼麻が首を横に振るように、それはありえない。

 

「各部隊の数字が戦力の強さの順なら、それもありえるだろう。だがBONDはそうじゃない。他の部署も含めて、BONDの部隊は役割によって数字が異なるからだ」

 

 そう、たとえば1番隊は斥候と調査の意味を含めた先行部隊。彼らが持ち帰った情報を元に、情報部が大まかな作戦を練り、その作戦をペリオードたちメッセンジャーが戦闘に特化した6番隊や、超長距離からの援護攻撃を主とする8番隊に通達することで、前線での動きが決まる。

 また魔導書の分類が古代魔導書であれば3番隊、近代魔導書であれば9番隊の方がより詳細な情報や経験則を得ているため、それらが6番隊と合同で動くこともある。特に9番隊は、古代魔導書にくらべて明らかに数が多い近代魔導書に特化しているため、全部隊の中でも最多の隊員数を誇る。

 作戦が長期化する可能性を考慮すると、通信・物資などの支援に秀でる5番隊が出張らなければならない。――と、そこまで説明したところで、守唄がふと気付いたように呟いた。

 

「そういえば、エヴェリーナはまだ長期作戦を経験していないな。となると、情報と物資の重要性についても語っておく必要があるな。ソーマ」

「あいよ。あのなリーナ、長期作戦ってのは肉体的なものもそうだが、それ以上に精神的な疲労がとにかくキツい。長引けば長引くほど終わりがいつくるのかわからない不安に煽られるし、その不安が判断能力を著しく低下させる」

「不安が……?」

 

 不安。それは言ってしまえば一時的な感情の揺らぎだ。永遠に続く不安などないと、エヴェリーナでなくとも誰もが頭では理解している。

 だが戦闘はいわばその「不安」とどう付き合うかという戦いでもある。戦いが終わるまで続く不安もあるだろうし、一瞬の気の迷いのような不安でさえ、命を落とすには十分な理由になりうる。

 

「ああ。ただの感情のブレだと言うのは簡単だが、実際はそのブレが結果にモロに響く。相手の戦力と物資の現状は? 想定外の増援があるかもしれないし、当初把握していた要素を上回る「何か」がいつ、どこで切られるかわからない。その「いつ」「どこで」「何を」されるかっていう情報を逸早く届けるのが5番隊だ」

「なるほど。確かに日本には「自分を知り相手を知れば百戦危うからず」という諺もあると聞くし、情報の差は勝敗にも大きく影響するな」

「勝敗もだが、何より精神面での安定性やモチベーションへの影響が大きい。それがいい情報であれ悪い情報であれ、現状の不安が「いつまでも」続く状況を脱却し、それが「いつまで」続くかを明らかにできる。人間は先が見えれば耐えられる生き物だからな」

 

 先が見える不安は希望へつながるが、先の見えない不安は絶望となる。

 そうした意味では、5番隊の役割は全ての前線戦力の「希望の光」をもたらすことでもあるのだ。

 

「それに、5番隊がもたらすのは情報だけではない。物資……食料や武器の補充も、精神面への影響は計り知れない。特に食糧だ。よく「食事で気分転換をする」などと言うだろう。ただの栄養補給で精神や肉体が劇的に変化するわけがないと思いがちだが、それは大きな間違いだぞ」

「そう……なのか?」

 

 守唄の言葉を疑っているわけではないだろうが、どこか信じられないといった様子で、その視線を蒼麻へと移す。

 言葉を鵜呑みにしないよう注意しているのもあるが、彼女の中では幼子が無条件で親を信用するように、身近で多くのことを教えてくれる蒼麻が最も信用できる対象となっているのだろう。

 

「長期戦は物資が尽きれば命が尽きると言っても過言じゃない。兵糧攻め、という作戦もあるように、敵戦力ではなく物資を枯渇させることで、結果的に相手を行動不能に陥れる戦術もあるくらいだ」

「まぁ、食糧がなければ体力は減る一方だからな……」

「そうだな。けどもっとヤバいのは精神面だ。食べれないことは飢えに直結する。飢えは単純に死にもつながるが、もっと危険なのは情報と同じく「不安」だ。飢えるってのは、言い換えるなら生存能力に期限が設けられることだからな。飢えを満たすために味方の食糧を奪おうとしたり、あるいは味方を食おうとしたりして内乱へ発展する」

 

 味方を食う。極限状態での不安定な精神が及ぼす影響を知らないエヴェリーナからすれば、信じがたいことであった。

 

「そうした飢えを防ぐことと、あとは単純に美味いものが食えれば気分がよくなるからな。モチベーションが上昇する。魔導書の確保・収容のためとか言うが、ぶっちゃけ戦う理由なんて『好きなメシに次もありつくため』だって十分だ。どんな理由でも生存へと繋がれば、希望だって見えてくる。だから5番隊の仕事はめちゃくちゃ重要なんだよ」

「飢えと不安……。確かにどちらも目には見えないものだが、おそろしいものだ。味方に襲われるかもしれないだとか、味方を襲ってしまうかもしれないなどという状況は、できれば知りたくはないからな……」

「まぁ、一応そういう状況になっても自分を保てるように、長期作戦に特化した10番隊なんかは耐久訓練とかしてるんだけどね。まぁそれでもなる時はなっちゃうから、感情とか精神の影響ってバカにできないよねぇ。少なくともボクはやだね」

 

 美晴の言う通り、長期作戦は通常の作戦とはまったく異なる専門の知識や経験が必要になる。

 だからこそ、5番隊と10番隊はその連携を日頃から密にしているし、他の部隊からも戦力や実績を度外視してでも畏敬の対象となるのだ。そういう意味で、11番隊とは真逆の存在ともいえるかもしれない。

 

「ま、長期作戦と5番隊の重要性の話はここまでにして、こういったように各々の役割が分かれている以上、11番隊という存在がどれだけ・どうして異質な存在なのかもわかっただろ?」

「ああ。11番隊は本部から与えられた明確な「役割」がない、ということだろう? 雑用係とはいうが、それはあくまで周囲から軽視されていたり、あるいは他の部隊の手が空いていないからといった副産物的な理由ばかりだ。つまりこの部隊は――」

「『寄せ集め』――聞こえをよくするなら『いいとこ取り』の部隊ってことだ」

 

 そう、いいとこ取り。

 美晴の魔法は言うまでもなく威力絶大。本人が不得手と称する精密なコントロールが必要な魔法でさえ、並み居るベテラン魔導士たちよりも遥かに完成度が高い。そのため広範囲から局所に至るまで全ての範囲に魔法によるゴリ押しが可能となる。

 守唄は魔法を使うセンスこそないものの、BONDのベテラン隊員としての直感・経験則によって、蒼麻でさえ想定していなかった結果を導き出すことも少なくなく、何よりその超人的な肉体と格闘能力による突破力は、幾つものデッドエンドを乗り越えてきた。

 そして蒼麻。彼は魔法知識・格闘能力のどちらも優秀ではあるものの、前者二人が特化しているせいで霞みがちだ。しかし、彼の持つ「3200年分の記憶」が導き出す戦術・戦略は、短期・長期、個人・軍隊に関係なくオールマイティに対応し、知識や理論だけではどうにもならないような状況さえ、「3200年分の経験」で切り拓く。

 

 物理・魔法・戦略。その全てを「いいとこ取り」した部隊こそ、この第二前線部隊・11番隊なのである。

 

「本部としては、11番隊はあくまでも一時的な仮部隊のつもりだ。ペリオードからも度々「各々の能力に合った部隊へ異動してくれ」って言われてるからな。なぁ? ペリオードラブで何度かクラっとなった兄貴ィ?」

「それは言わないでくれ……。だがまぁ、そういうことだ。だがペリオードの言葉を蹴ってでも11番隊を維持しなければならない理由がある」

「理由……? それは、いったい……」

 

 ごくり、と固唾をのんで身構える。

 

「これ以上」

「めんどくせぇ仕事は」

「したくなーい!」

 

 がしゃん、と椅子から転げ落ちるエヴェリーナを、誰が責められただろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の真心こめたお祈り

「今日は随分とお疲れみたいですけど、どうかなさったんですか?」

「聞いてくれるかシスター・シルヴィア。いや、大したことではないんだけどな」

 

 ある日、蒼麻はシルヴィアの誘いを受けて、聖歌隊の歌を聴きに来ていた。聖歌については明るくない蒼麻だったが、幾つか有名な童謡なども入っており、歌そのものは純粋に楽しめた。

 しかし、その歌が心地よければ心地よいほどに、彼の口からは欠伸が洩れていたのを、シルヴィアは見逃していなかった。時々、歌の感想を耳打ちしていたので、歌に興味がないだとか、楽しめていないということはないのだろうとわかっていたが、だからこそシルヴィアの心配は的中した。

 聖歌隊の歌の発表が終わり、客がぞろぞろと去っていく中、二人も教会の裏の薪木置き場へ移動し、いつものように木製のベンチに腰を落として話し始めた。

 

「まぁ言ってしまえばただの寝不足だよ。基本的に仕事優先だから学校は日によって行ったり行かなかったりするけど、早くても夜8時くらいまでは仕事だし、遅い時なんか日を跨ぐことも少なくないしな」

「そういえば、蒼麻さんはもうお仕事をなさってたんでしたね。学生との兼業というのは、やはり難しいものなんですか?」

「いや? 今も言ったけど仕事優先で学校には行ける時しか行ってないからな。兼業そのものは難しくないけど、やっぱり周囲の目はあんまり良くないな」

 

 そう、学生とBOND職員の兼業は、基本的にBONDとしての業務が最優先となるため、難しいことではない。しかし、BONDの業務には危険がつきものであり、魔導書という災害にも等しい異常性と常に対峙し続けなければならない以上、どうしても秘密にしなければならないことも増えてくる。

 BOND特有のそうした秘密主義は、学生でありながら「仕事」を持つ者としては、あまり良い目では見られない。どんな仕事かもわからないのに、授業を度々抜けなければならないからだ。

 学校側には「BOND」で働いていること自体は通告しているが、BONDの業務を具体的に知る一般市民は多くなく、ただ漠然と「魔導書災害の対処をしてる組織」くらいに思われている。故に、BONDとしての仕事が激化するほど、蒼麻の睡眠不足も比例して酷くなっていくのだ。

 

「どんなお仕事なんですか?」

「業務上、その内容は伏せなきゃいけないんだけど、BONDっていう組織で働いてるよ」

「ああ、たまにニュースで聞きます! 魔道具とかの管理をしてるところですね!」

 

 そうそう、と蒼麻が頷くと、シルヴィアはすごいですね、と無邪気な笑顔で彼を褒める。

 蒼麻と同じように、学生でありながらシスターとしても活動するシルヴィアにとって、彼はとても近い存在であり、同時に憧れにも等しい遠い存在であった。自分も蒼麻と同じく、学生と仕事を兼業している。だから彼の悩みを部分的には理解できたし、彼の苦労も納得できた。

 しかし彼の評価は、自分とは真逆だった。シルヴィアは頑張れば頑張った分だけ認めてもらえた。それが普通だと思っていた。だが彼の仕事は、いくら頑張っても誰からも評価してもらえない。むしろ、頑張って仕事した時間が長いだけ、同じ学生の仲間からは不審な目で見られてしまう。

 そんな環境でもなお、自分の仕事を続けていく彼に、シルヴィアは憧れのような感情を抱いていた。

 

「そうそう。でもBONDの仕事は秘密が多いせいで、同業者や身内以外に理解者がいないんだ。俺もこんなナリだし、元々そんなに素行もいい方じゃないから、なおさら見る目が厳しくてな。自業自得とはいえ、疲れは溜まる一方で減りゃしないんだ」

 

 もしも、彼の通う私立幸盛学園に美晴と唯鈴がいなければ、今頃とっくに退学届を出してBOND職員としての業務に専念していただろう。

 所有者である唯鈴はともかくとして、美晴が同じ高校に通っているのは、彼が蒼麻に合わせて転校してきたからだ。彼もやはり、元の学校ではBONDとの業務の兼ね合いがよくなかったらしく、同業者の同級生がいればマシだと考えたのだろう。

 

「それは……悲しいですね。蒼麻さんはお仕事を精一杯頑張っていらっしゃるのに、みなさんに理解していただけないなんて……」

「そういう仕事を選んじまった以上、自業自得ってのもあるけどな。土日はBONDの業務に集中できる分マシだよ、こうやって隙間の時間使ってシスター・シルヴィアにも会いに来られるしな」

「えっ? 今、BONDのお仕事の時間なんですか?」

「仕事っていうか、昼休憩と業務連絡待ちが重なった時間だよ」

 

 午前中にできるだけ仕事を片付けてから来たから、しばらく業務連絡もないと思うけど、と付け足すと、シルヴィアは少し怒ったような様子で、頬を膨らませた。

 

「お気持ちは嬉しいですけれど、そんなにお疲れなのでしたらこの時間を睡眠に当ててください! 仮眠を一時間とるだけでも少しは楽になりますから!」

「あっ、はい……。まさかシスター・シルヴィアにまで怒られるとは思わなかったよ……」

「わたしにまで、ということは、もう誰かに言われたことがあるんですね?」

「身内に。でもいざ寝ようと思うと、緊急の呼び出しとかがあって一時間も寝られなかったりするんだよな……。寝起きで仕事なんてしてたら危ないことだってあるし」

 

 苦笑いする蒼麻を見て、シルヴィアの表情はより苦く悲しそうに歪んだ。彼が慌てて「悪い悪い、気を付けるよ」と言った時にはもう遅く、彼女は今にも泣きだしそうな表情(かお)になっていた。

 

「わたし、蒼麻さんのそういうところ、好きじゃありません。いつも一生懸命なのに誰にも認めてもらえないこととか、怒ってもいいことを是としているところが好きじゃありません。必死で頑張ってるのに、それを誰にも察されないように隠そうとするところが好きじゃありません」

「いや、別に俺だけが頑張ってるわけじゃないから……。みんな一生懸命やってることなんて、自慢できることでもなんでもないし……」

「みんなが一生懸命やってることを自分も頑張れる人は偉いんです! 凄いんです! みんながみんな、努力できるからといって努力しているわけではないんです。努力すればできることを、怠けてできないままにしてしまう人だって大勢います……」

 

 シルヴィアはきっと、自分にとって憧れのような存在である蒼麻を、もっとたくさんの人に認めてほしいのだろう。自分の憧れている人を、悪く言われたくないのだろう。だが蒼麻は、そうした周囲の悪意や敵意に対してあまりにも寛容だ。自分が嫌われることに対して慣れ過ぎている、と言ってもいい。

 そうした感覚の差が、シルヴィアの優しい心を必要以上に苦しめている。認められて然るべき行いをした人に対して、相応の評価を与えるのは当然のことだという、彼女の中の常識が崩れていくような感覚があるからだろう。

 しかし、BONDとして、11番隊という特異な部署に所属する彼にとっては、正当な評価という言葉とはあまりにもかけ離れていた。どんなに努力をして成果を出しても、周囲はそれを「できて当然」としか評価しない。むしろ出来なければ11番隊という部署のアイデンティティを揺るがす。

 だから「できて評価されず」「できなければ評価が落ちる」という、常にゼロかマイナスしかない評価に、蒼麻だけでなくエヴェリーナ以外の11番隊メンバー全員が慣れてしまっていた。

 

「わたし、蒼麻さんの優しさを知っています。まだ出会って間もないですけれど、蒼麻さんが教会のために色んなお手伝いをしてくれたり、教会の活動にこっそり参加してくれたりしているのをわたしは知ってます。そんな優しい蒼麻さんを、もっとたくさんの人に認めてほしいと思うのは、ワガママですか……?」

「それがワガママなら、随分と優しいワガママだ。神様だって怒ったりしないさ」

「だったら、このワガママを叶えてください……。もっと怒っていい時に怒って、もっと悲しい時に泣いて、そして褒められるべき時に褒められるような、そんな風に生きられるよう、蒼麻さんに祝福を……」

 

 無神論者である蒼麻にとって、その祈りがどれほどの効力を持つのか、理解はできなかった。しかしそれでも、シルヴィアの優しさが、彼の心を温かく包んでいくのがわかる。彼女にとっては習慣や癖にも等しい祈りでも、自分のために祈ってくれる人がいるという事実が、蒼麻の心を軽くさせる。

 

「シスター・シルヴィアが祈ってくれるなら、効果は覿面だよ」

「まあっ! それなら、よりいっそう想いを込めて、お祈りさせていただきますね! 蒼麻さんが、もっとぐっすり眠れますように……!」

「ははっ、そりゃいい。そうだな、今日もし快眠だったら、シスター・シルヴィアにお礼の連絡をさせてもらうよ」

 

 半ば冗談のつもりで言った蒼麻であったが、彼はひとつ大切なことを忘れていた。

 シルヴィアはこの教会を代表する『聖徹』のシスターであり、その敬虔さと従順さから神の力の代行を行うことを許された「代行者(クレリック)」である。

 クレリックは神の教えを魔法によって行使するプリーストとは異なり、魔法ではなく神の力の一部をそのまま行使できる。まさしく「神に愛された子」を意味する。

 

 そんな彼女が真心を込めて祈った以上、その効果は蒼麻の言うとおりまさしく「覿面」であり――翌日、蒼麻はシルヴィアにお礼の連絡を入れることになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『天星』の邂逅のオルタネイション

「天星・オルタネイション」

 

 その日、蒼麻は今年一番の絶不調であった。

 学校のテストでは回答そのものは全問正解なのに一問ずつズレていたせいで0点だったり、普段は得意な体育の授業でも何もないところで転んだり、BONDの仕事では資料の送り先を間違えたりと、とにかく集中力と注意力が散漫で、何より全身が重くモチベーションも最悪であった。

 かといって、病院で検査を受けてもどこにも不調がないことは、過去の経験から知っている。これは、数年に一度まれにある「なんとなく調子の悪い日」つまり、絶不調の日なのだ。

 そして、そんな彼がとった選択肢は、やはりいつもと同じであった。自分が絶不調であるならば、自分の代わりをしてくれる「誰か」に交替する。そう、彼の代わりに選ばれたのは、彼の半身であり片割れでもある「天星」その人であった。

 

 蒼麻と記憶や感覚を共有している彼女は、当然ながら彼が朝から絶不調であったことを理解しているため、突然の「交替」に驚くことはなかった。むしろ、驚いたのは彼女の周囲にいる者たちであった。

 BONDの仕事を早めに引き上げ、この絶不調ぶりを初めて観たエヴェリーナからはたいそう心配されながら自宅の凪原家へと到着するなり、玄関先で早々に「交替」したのである。

 当然、それを見ていたのはエヴェリーナだけではなく、エヴェリーナから帰宅の連絡を受けて彼を待っていた唯鈴と、数人の使用人にもみられてしまった。

 

「ソーマ、もう少し場所を選べなかったのか」

『うるせぇ、一分一秒でも早くどうにかしたいから話しかけんな』

「やれやれ……。驚かせてすまないな、スズ。それにエヴェリーナも」

 

 蒼麻(あいつ)にも困ったものだ、と苦笑いを浮かべると、唯鈴が「今日は仕方がないわよ」と笑う。

 しかし、言葉の割に朗らかな二人に反して、焦燥と怒りの混じった表情で声を荒げる者もいた。

 

「だ、誰だお前はっ! ソーマをどこにやった! なぜ私の名を知っている!!」

「ああー……やっぱりこうなっちゃうわね……」

「仕方あるまい。初めて見る者はたいがいこうなる」

 

 息も言葉も強く荒げるのは、蒼麻への信愛や信頼の証か。まるで親を奪われた狼の子のように、唸り声をあげて睨みつけるエヴェリーナを見て、天星はどこかおかしそうに、しかしそれ以上に嬉しそうに、慈しむような目で見つめた。

 だがそんなエヴェリーナを宥めるように、唯鈴が彼女の肩に手をかけると、彼女は睨む視線をそのままに、少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

「……マイロードがお前の存在を是としているのなら悪しき者ではないだろう。だが、ソーマの所在くらいは聞いてもいいだろう。そしてお前が何者であるのかも」

「そうだな。これから長い……永い付き合いになるだろうし、そのくらいはせねばなるまい。まずは名乗らせてもらおう。私の名は天星。姓はない、ただの「天星」だ」

 

 天星。その名はエヴェリーナの耳にも聞き馴染みがあった。ソーマがその魂を宿す魔導書の本体。それこそが「天星の書」ではなかったか、と彼女はようやく警戒心をやや解いた。

 しかし、天星の書の「天星」とは何か。魔導書の名につく「○○(ほにゃらら)の書」の空白にあたる部分は、その魔導書が持つ性質を簡潔に表す称号のようなものだ。故に、その称号が「名」であることなどあるはずもない。

 その証が、まさしく自分の名だと、エヴェリーナは逡巡する。彼女の本体である「亡世の書」は、世の(ほろ)びを記す魔導書であるからこそついたものであり、そのプログラムであり人格でもある自分自身は、エヴェリーナ・ステニウスというまったく異なる名を持つ。

 だからこそ、目の前の「天星」と名乗る女性が、いったいどういう理由でその「名」を名乗っているのかを、聞かないわけにはいかなかった。

 

「天星だと? 天星の書のもうひとつのプログラムとでもいうつもりか。しかし、ならば名があるはずだ。何故、そんなわかりきった偽りの名で名乗る?」

「偽っているつもりはないが、しかし本当の名でないことも事実だ。真の名を名乗れない非礼は詫びよう。だが私が「天星の書のもうひとつのプログラム」というのは、的を得ているようで、大きく逸れた面白い表現だな」

「どういう意味だ?」

「私こそ――この天星こそが、「天星の書」の本来のプログラムということさ。ソーマ・グレンヴィルはあくまで後から付け足されたプログラムに過ぎない」

 

 その経緯までは説明しなかったが、それは今のエヴェリーナにとっては然したる問題ではなかった。ただ、ソーマという存在が「天星の書」という魔導書によって軽んじられたような言い草が、やたらにカチンときた。

 しかし、その小ぶりな怒りをぶつけるにしては、天星を名乗るこの女性はあまりにも落ち着いていて、エヴェリーナに対して敵意も悪意も見せなかった。そこにあるのはただ、親愛と慈しみの視線だけ。

 

「私はソーマと共に天星の書とその所有者を守護する存在であり、彼の片割れだ。無数の転生を繰り返し、無限の生を共にする永遠の友と言っても差し支えない」

「友……友だとっ! ならばソーマの所在を問うても非はあるまい! ソーマはどこだ! ソーマは無事なのかっ!」

「無事さ。ソーマは今日、あまり調子がよくなかっただろう? だから普段の私と同じように、私の「内側」とも「裏側」ともいえる場所で静養している」

 

 望みとあらば彼に替わることもできるが? と問われると、エヴェリーナはその場にへたり込み、弱々しい声で「いや、いい……」と答えた。

 今日の蒼麻の不調は、エヴェリーナから見ても明らかであった。彼女の言葉の正否はわからないが、もしも天星の言う通り彼が静養しているのなら、それを妨げることはエヴェリーナの望むところではなかった。

 その場に座り込んだまま、しかしようやく落ち着いたエヴェリーナの様子を見て、天星もまた腰を落として彼女に視線を合わせた。

 

「……私の言葉に嘘がないと信じてくれるか」

「ソーマに不都合な嘘をつくような者を、マイロードが許すはずがない。マイロードが私に戦えと言わないのなら、お前は信頼に足る存在であるはずだ。その程度のことがわからない私ではない。……ただ、ソーマがどこにいるのか、無事なのか、お前がソーマにとってどんな存在なのか、それだけが気がかりであっただけだ」

「貴女は賢く、聡明なプログラムだ。天星の書の持つ力が、亡世の書のそれを上回ることを理解していなかったとは思い難い。それでもなお、ソーマの身を案じて私に牙を剥いたその勇気と親愛に、彼の友として嬉しく思う。ありがとうエヴェリーナ、貴女のような仲間を持ち、ソーマも心強いことだろう」

「ソーマは、何も知らない私にいろんなことを教えてくれた……。私が道を間違えていることを教え、正してくれた。私の生きる術とその道の歩き方を教えてくれた。私に足りない人との付き合い方を教えてくれた。ソーマは私にとって師であり、親であり、兄のような存在なのだ。兄の無事を想わぬ妹がいるものか……!」

 

 天星は蒼麻の感覚や記憶を通して、エヴェリーナという存在や、その為人(ひととなり)を知っていた。しかし、ソーマの内側に宿る天星の存在を知ることは、エヴェリーナには叶わなかった。だからこそ、エヴェリーナ側の勘違いや不安は仕方のないことであった。

 だが天星にとって意外だったのは『天星の書』という明らかに格上の存在に対して、エヴェリーナがその身の危険を省みることなく怒りの矛先を向けてきたことであった。

 人間とは違い、魔導書のプログラムは「人工的に造られた機能のひとつ」である。自分の本体である魔導書やその所有者を守るためならば自己修復可能な範囲で危険を冒すことはあっても、そのどちらでもない存在のために自らを危険に晒すことは、魔導書のシステムに反する行為だ。

 それが口にするほど簡単なことではないことを、同じプログラムである天星だからこそ理解していた。システムに反する行いは、自己のアイデンティティを否定する行為であり、魔導書としての機能によって縛り付けられているのだから。

 

「こういうの、シンギュラリティへの到達っていうのかしら」

「どうかな。魔導書は長い時を経て人類の想像を超えた進化を遂げることもある。その進化が良いものであれ悪しきものであれ、人類の思い通りになる魔導書など、そう多くはあるまいよ」

「となると、魔導書ってものは時間的な誤差はあれど、いつかはシンギュラリティに必ず到達する魔道具ってことかしら。それは――人間としては肝の冷える話ね」

 

 唯鈴の問いに笑みを浮かべながら返すと、天星はすっと立ち上がり、エヴェリーナにその手を差し伸べる。

 

「さぁ立て。女子が体を冷やすものではない」

 

 笑みを伴って手を差し出すその姿は、いつか無知のまま人類を脅かしていた自分に救いの道筋を指し示した彼の姿を幻視するようで、この時になって初めて、エヴェリーナは天星(かのじょ)が蒼麻の半身なのだと納得できた。

 その様子を満足そうな表情で見守る唯鈴も、そして天星の中で眠る蒼麻も、こうして交差した二人の道が、これから共に歩めるものだと信じるばかりで――周囲のメイドたちが天星の登場に慌てふためく様子に気付いてはいない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『白金冬霞』の待ち望んだ再会

「蒼麻? ああ、海藤蒼麻(かいとうそうま)? 知ってるよ、あの二年の不良でしょ」

「怖いよね。目つき悪いし、授業にもほとんど出ずに、たまに来たら怪我してくるし」

「どうせ喧嘩ばっかりしてんでしょ。ほんっと、なんでそんな不良が毎回テストで学年1位タイなのよ、教師脅して点数弄ってんじゃないの」

「なんであんな人のこと聞いてくるの? まさか会うつもり? やめときなよ、絶対よくないことされるに決まってるよ」

 

 その日、幸盛学園には一人の生徒が交換留学でやってきていた。元女子高ということもあり、やってきたのは二人の女子生徒だが、その一人が道行く生徒に訊ねた一人の男子生徒の名前を聞いて、彼女たちは驚いた様子だった。

 女子生徒が口にしたのは、この学園きっての問題児であり、多くの生徒たちからは「不良」の烙印を押されている男子生徒――海藤蒼麻の名だったのだから。

 

「いえ、大丈夫です。彼は――()()()()()()()は、そんな方ではありませんから」

 

 優雅に微笑む少女の名は、白金(つくもと)冬霞(とうか)

 彼女の想い出に映る「彼」の優しさを目蓋の裏に浮かべながら、生徒から聞いたクラスへと向かって行く。

 

 

 

 

「へー、交換留学生ねぇ。また変な時期にきたな」

「普通は春だよねぇ」

「リーナちゃんと同じクラスらしいわよ」

 

 エヴェリーナの編入といい今回の交換留学生といい、今年の向こうのクラスは忙しいな、などと談笑していると、やけに廊下が騒がしいことに、蒼麻が気付いた。

 蒼麻とエヴェリーナはクラスはおろか学年ごと異なるため、そのエヴェリーナと同じクラスということは、交換留学生も一年生ということになる。だとすれば、わざわざ二年生の階に上がってくることはないだろうと思い、その騒がしさの理由に見当がつかず、首を傾げる。

 しかし、少なくとも一年生の交換留学生であるのなら、自分とは無関係だろうと、その騒がしさを無視して雑談に意識を戻そうとした――瞬間のことだった。

 

「蒼麻お兄ちゃん、いますか?」

「…………は?」

 

 瞬間、クラスの音が止み、空気が凍り付く。この流れはまずい、と思った時には既に遅く、「海藤ぉぉぉぉッ!」という怒号を伴いながら、大量の(男子)生徒が彼の元に押し寄せてきた。

 何人かの女子生徒は、「海藤に何か脅されてるの?」「妹プレイ強いられてるの!?」などと言いながら、その声の主に駈け寄っていく。

 

「ああもう鬱陶しい! 俺がそんなプレイ強いるような人間に見えんのかテメェら!」

「見える!」

「むしろやらない人間に思えない!」

「少なくとも真っ当なヤツだとは微塵も思ってない!」

 

 何人かは殴りかかってくる者もおり、もはやこれは正当防衛だろうと美晴(よしはる)に目配せすると、「ほどほどにね」という視線が返ってきたので、反撃を開始した。

 そこからは多勢に無勢(雑兵に魔王)、一騎当千による一対多の一方的なリンチが始まったものの、五分後には収束、そこに立っていたのは無傷の蒼麻ただ一人であった。が、さすがにこれだけの状況を作られると、何も言わないままではいられない。

 蒼麻は女子生徒たちの壁を掻き分け、自らの名を呼んだ少女へと詰め寄ると、その胸倉をつかみ上げる。

 

「てめぇなんのつもりだ! 俺に妹なんていねぇし妹プレイを強要したヤツもいねぇ! なんの嫌がらせだ! 喧嘩売ってんのかッ!」

「ふふっ、その様子だと全然わかってないんだ。ねぇ、わたしだよ、蒼麻お兄ちゃん」

「だから俺に妹は――」

「昔たくさん遊んでくれたじゃない。そうだなぁ……うーん、わたしのこの目を見てもわからない?」

 

 目、と言われて、蒼麻はその瞳を苛立ちを収めないまま睨みつける。

 

「目ェ? ただの青……に、深緑のダイクロイックアイ……? ……えっ、お前、まさか……?」

「やっと思い出した? わたしだよ、わたし。白金冬霞! 親戚なのにぜんぜん会えないから寂しかったよ、蒼麻お兄ちゃん!」

「冬霞ぁ!?」

 

 慌てて掴んでいた服を離すと、冬霞の頬に両手を添えて、その感触を懐かしむ。

 早くに父を亡くし、中学に上がる頃に母までも喪った蒼麻には、頼れる親戚などなかった。そもそも親戚の交流というものが、ほとんどないに等しいものだった。しかし一度だけ、たった一度だけ母方の実家に呼ばれた際に出逢ったのが、一つ年下の少女、白金冬霞だったのである。

 たった一度きりの交流だが、その特徴的な(ダイクロイックアイ)と明るい笑顔は今でも覚えていた。しかし、彼女にとっては特徴もないただの親戚の一人でしかなかったはずだ。

 

「うちの学校と幸盛学園が姉妹校だって聞いて、もしかしたら蒼麻お兄ちゃんに会えるかもしれないって思って一学期ずっと頑張ってたんだ! 一年生の交換留学生はわたし一人だけなんだよ! すごいでしょ!」

「冬霞、お前……。親戚っていっても会ったのはあの一度きりだろ。それに、親戚といっても俺なんていい人間じゃなかっただろうに……」

「そんなことないよ! わたしが今まで会ってきた人の中で、蒼麻お兄ちゃんがいっちばん素敵な男の人だよ! これからたった一年だけど、よろしくね、蒼麻お兄ちゃん!」

 

 添えていた手でむに、と頬を引っ張ると、蒼麻はその右手を差し出す。

 

「ようこそ、幸盛学園へ。これから一年、何か困ったことやわからないことがあったら俺のところへいつでも来い。あと、同じクラスにエヴェリーナって子がいるはずだから、その子に頼ってもいい。俺の知り合いだ、きっとよくしてくれる」

「うんっ! ありがとう、蒼麻お兄ちゃん! じゃあ、そろそろ行くね。また放課後いっぱいお話しようね!」

「ああ、放課後そっちに迎えにいくよ」

 

 じゃあ、と言って別れ、少し気恥ずかしい感覚のまま席に戻ろうと振り返ると、そこには屍となっていたはずの男子生徒たちがゾンビとなって蒼麻に恨みの篭もった視線を向けていた。

 これはまた説明が面倒になるだろうな、と思いながら、しかし今度は唯鈴と美晴も事情を知らない相手なので、負担はエヴェリーナの時の3倍だと気づき、蒼麻は説明を放棄して男子生徒たちを(物理的に)黙らせる方向へとシフトした。

 

「ハル……」

「手伝わないよ」

「唯鈴……」

「弁護しようにも事情がよくわからないわ」

 

 諦めたような表情で、ゾンビの群れへと突撃する。

 

 

 

 

「いやぁ……大惨事だったねぇ、あのクラス」

「まぁマスコットのリーナに引き続き、クラスのアイドルまで不良が連れ去ったらそりゃあな」

「ていうか蒼麻お兄ちゃんって不良なの? 喧嘩してるとか学校サボってるとか聞いたけど」

「ソーマは不良ではないぞ! 厳しい仕事についているから怪我が絶えず学校を休みがちなだけだ!」

「そこだけ切り取って聞くとひどいブラック企業なのよね……。いや少なくともホワイトではないんだけれど」

 

 少なくとも公表できない情報の巣窟だという点では、BONDがホワイトであるとは言い難い。非公開情報そのものはどの企業や組織にもあることだが、公表しないことが市民の命に直結しかねないという意味では、だいぶブラックである。

 また、そこに従事する者たちの業務内容さえ具体的に発表できないという意味においては、この上なくブラックである。軍隊でさえもう少し活動内容を公表しているというのに、BONDの一般的な業務イメージが「魔導書の対応してる組織」という漠然としたものだという時点で、だいぶ危ない。

 しかもBONDが対応する対象は「魔導書」ではなく「魔道具」である。基本方針のイメージでさえ正鵠を得られないとなれば、いよいよもって弁護も弁解もできない。

 

「でもまぁ少なくともボクが一番納得いかなかったのはうちのクラスのアレだよね」

「ああ……「海藤のやつ美少女を四人も囲みやがって!」ってやつな。まぁ軽く笑えたから俺はいいけど」

 

 エヴェリーナが「四人……?」と頭の上に疑問符を浮かべていると、隣の冬霞が全員を指さしながら数えていく。

 唯鈴()エヴェリーナ()冬霞()……美晴()

 

「ボクが女の子としてカウントされてる時点で笑えないよね!?」

「えっ、あっ……! ハルさんって男の方だったんですか!?」

「今!? えっ、迎えに行って一緒に下校してここに来るまで15分くらいずっと喋りながら下校してるけど今気付いたの!? 見た目は自分でもちょっとアレかなって思うけど声きいてわかんない!?」

「いや、ハスキーボイスのボクっ娘なんだなぁって……」

 

 グレてやる! と言いながら走り去ろうとする美晴を、蒼麻が肩を掴んで止める。なぜなら今日はこのまま自宅ではなくBONDへ直行だからだ。

 

「逃がさねぇぞ。今日は久々にめんどくさい任務なんだ、お前が居ないと話になんねーんだよ」

「やだー! ボクはグレるんだー! グレて仕事を放棄して家で自堕落な生活するんだー!」

「お前が自堕落な生活を送るのは勝手だ。だがそうなった場合、誰がお前を養うと思う? ……坂上博士だ」

「行きます」

 

 実を言うと、坂上仄香(さかがみほのか)の常軌を逸した愛情は既にギリギリのところで留まっている状態なのだ。実際に何度か「よしくんが働かなくても養ってあげるよ」とは言われており、それを必死に押し留めている状況なのである。

 しかし、いくら愛情によるものだとしても、恋人に負担をかけすぎるのは美晴の望むところではないし、何より彼にも男としての矜持というものがある。何より将来的には彼女と結婚して子供もほしいので、男である美晴が働かないわけにはいかないのだ。

 だからこそ、こんなしょうもないやり取りで仄香の生ぬるい泥沼に浸かるわけにはいかない。

 

「普通に考えて男女比2:3でバランスいいはずなのになぁ……」

「お前の見た目がこの中の誰よりも美少女じゃなければ完璧だっただろうな」

「凪原さん、蹴っていいよ」

「いや、蹴りたいのは山々だけど実際ほんとにあたしたち三人より可愛いのよね……」

 

 去年の文化祭のミスコンで優勝したのは伊達でもなんでもなく、クールビューティの唯鈴、マスコットのエヴェリーナ、清純派アイドルの冬霞を横に並べても、やはり美晴の美少女っぷりは群を抜いている。

 エヴェリーナが最初から勘違いしなかったのは、初対面が敵対関係だったからか。任務中の美晴は、見た目は変わらないが目つきや雰囲気がまったく違い、割と真っ当に「女顔の男性」として見られることが多い。

 任務の時のキリっとした表情と、普段の優しく温和でちょっと毒舌な態度のギャップがたまらないとは仄香の弁だ。

 

「ボクもう性転換しようかな……」

「やめとけ。クラスの奴らが喜んで、坂上博士はショック受けてショタコンからロリコンに転向するだけだぞ」

「絶対しないって心に刻んだよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の信じる理想の姿

「今回の任務は『夢望(むぼう)の書』によるものと思しき一連の事件の調査と、その解決だ」

「夢望の書……聞いたことないな。最近のか?」

「およそ650年前に造られた近代魔導書だから、ソーマからすれば最近の部類に入るだろうな」

「そういうの聞くと蒼麻(そうま)君が魔導書のプログラムなんだなぁって実感するね」

 

 BONDに着くなり、守唄(しゅうた)から告げられたのは近代魔導書の起こす事件の調査と、その魔導書の回収による事件解決。しかしその近代魔導書の正体が、はっきりと告げられないのは珍しかった。

 普段からブラックだの役立たずだのとこき下ろしてはいるが、BONDの情報部は決して無能ではない。1番隊が持ち帰った情報を元に、無数に導き出した可能性の中から最も高確率のものだけを各部隊に提供している。

 しかし、それでも今回の事件は不可解な点が多すぎた。

 

「ところで、随分とふわっとした調査だな。対象もはっきりしてないのか?」

「そもそも事件の内容があやふやで、断片的に得られた情報だけで導き出されたのが夢望の書だからな。もしかすると別の魔導書によるものとも考えられる」

 

 魔導書の正体が掴めず、情報収集を兼ねて調査に赴くことはそう珍しいことではない。しかし、調査すべき事件の内容すらあやふやとなると、いよいよもってキナ臭い、と蒼麻は頭を痛めた。

 11番隊において、作戦行動中の指揮を担うのが蒼麻の役目だ。自分だけでなく、美晴(よしはる)・守唄・エヴェリーナの命まで預かっている以上、情報の不足には目を瞑れない。

 

「1番隊に協力要請をしよう。情報を欠かしたまま俺たちだけで調査するのは危険だ」

「それが無難だろうね。通信係さん、申請をお願いします」

「既に完了しています。そして、こちらが返信になります」

 

 メインモニターに映し出されたのは、端的に言えば「拒否」の二文字で済む内容を、ご丁寧に12行に及ぶ長文で記されていた。とはいえ、こればかりはさすがに11番隊を軽視しているが故のものではない。

 そもそも、今回の事件の情報が極端に少ない一因は、1番隊の調査が不十分であったからだ。それは、1番隊も否定することはできない。しかし、それは中途半端な調査をしたという意味ではなく、むしろ十全の調査に臨むほどに、それができなくなっていったからだ。

 

「「今回の調査でわかったことは、対象の魔導書には認識妨害、あるいは認識を深めることでこちらの意識を奪う類の魔法があるかもしれないということである」……か。聞く限り認識妨害じゃなくて認識することで行動を妨害するっぽいな。いわゆる認識災害だ」

「私の生まれた時代には見なかったが、近代魔導書ではよくあるタイプのジャミング効果なのか?」

「いや、そんなによくあるタイプならBONDだって対抗策を考えてるはずだし、専用の装備を職員に支給してるはずだろ。そうじゃないってことは、これはかなり特殊――それも極めて厄介なジャミング魔法だってことだ」

 

 認識災害とは、認識そのものをさせない「認識妨害」とは異なり、正しい認識をするほどになんらかのネガティブな効果を与える魔法カテゴリのことである。

 そして、それは魔導書を捜そうとする者が、その魔導書について無知であるほどに効果が高い。なぜなら、この認識災害は効果を受ける対象が魔導書に対して直接的に理解を深めることによって影響を及ぼすものであって、人伝に得た情報にはこの効果が出ないからだ。

 だからこそ、認識災害を引き起こす魔導書には複数のメンバーで調査しなければならない。「わかっていること」を一回で全て理解することができないため、複数のグループで複数回に及ぶ調査の果てに、ようやく真実に辿り着けるからだ。

 

「となると、ボクたちだけで事件を解決するのはさすがに難しそうだねぇ。除外職員を使ってテストするかい?」

「それがいいだろうな。オペレーター、除外職員の利用申請を出してくれ」

「了解しました」

 

 除外職員というのは、BONDの職員とは別に、危険な実験や調査のために利用される「捨て駒」のような存在であり、主に自殺志願者や死刑囚などを除外職員とするが、ごく稀に極めて危険な命令違反を行ったBOND職員がこれに指定されることもある。

 除外職員の利用については、数に限りがあるため軽々しくは使えないが、今回の事件は正規部隊である1~10番隊でさえ対処に手を焼いているからこそ、この11番隊に回ってきたことを鑑みれば、申請が通らないということはないだろう。

 

「申請、通りました。メッセンジャー・ペリオードによる除外職員の輸送をお待ちください」

「はいよ。じゃあひとまず夢望の書の詳細データを一応頭に叩き込んでおくか。ハルは除外職員に取り付ける通信機器を機材室から持ってきてくれ。リーナはロビーでペリオードの到着を待機し、ここまで連れてこい。兄貴は俺がデータを確認したら軽く作戦の打ち合わせだ。ペンと資料を準備しておいてくれ」

 

 蒼麻の指示に応じて、全員が行動を開始した。美晴とエヴェリーナは指令室を出ていき、守唄は資料と筆記用具を用意する。蒼麻は手元の資料とオペレーターが提示したデータを参照し、作戦を練り上げていく。

 

「……よし、夢望の書についてはだいたいわかった。じゃあ打ち合わせといこうか」

「ああ」

 

 この部隊の司令塔は蒼麻だが、リーダーとなるのは彼ではなく守唄だ。

 彼の持つ魔導篭手『プラウドフィスト』には殴ったものを必ず破壊する「破壊」属性のエンチャントが施されており、その拳で幾つもの魔導書を破壊してきた。しかし、BONDの信念は魔導書・魔道具の破壊ではなく、それらの安全な収容である。

 魔導書・魔道具の中には、自らが破壊された際に効果を発揮する魔法が施されているものも少なくなく、そうした影響をできるだけ発揮させないまま収容をするために、魔導書の機能を停止させる「栞」を開発しているのだ。

 しかし、そうした危険性を顧みてもなお、プラウドフィストの持つ「破壊」属性のエンチャントは貴重なものだ。破壊後に影響が出ないとわかっているものに対しては、常に最終手段を握った状態で対処できる。だからこそ、それを行使できる守唄はこの部隊のリーダーを任されているのだ。

 

「まず今回の事件の内容を振り返ろう。ことの始まりは一週間前――」

 

 一週間前、都内に住む会社員の男性が無断欠勤したことで事件は発覚した。それまで欠勤もなく、周囲とのトラブルも見られなかった彼がいきなり無断欠勤したことを上司が不思議に思って連絡をしたが繋がらず、家に向かうと彼は玄関で眠っていた。

 前日に飲み過ぎて寝坊したかと思い、上司が男性を起こしてみると、その男性は随分と機嫌の悪い表情で目を覚まし、状況を把握するなり上司に平謝りをしたというが、事情を聞くと彼は前日に酔いつぶれた覚えもなければ、そもそも酒を飲んでいなかったという。

 確認してみると、彼の着ていたスーツにはシワができていたものの、酒や食べ物の匂いはまったくなく、顔色も良好であった。何か悪い病気かもしれないと、上司がその日の仕事を休ませ、病院に行かせたが、彼の身体には何の異常もなかった。

 

 それと同様の事件が、この一週間で9件。偶然の一致では考えられない。一時は未知のウィルスによるものとも騒がれたが、そうなると逆に同じ症状が出ている人の数が少なすぎる。だからこそ、魔導書による事件だとBONDは判断した。

 そして、そうした機能を持つ魔導書の候補として、他者の夢を奪い、その内容を物語として記録する「夢望の書」が選ばれたのである。しかし、夢望の書には「認識災害」を引き起こすような魔法や機能はない。故に任務の内容があやふやだったのだ。

 

「現状、この事件の原因となる魔導書を追った1番隊のメンバーたちは、いくつかの情報を得た後に全員眠ってしまっている。そして、起きてからそれ以上の情報を得ようとするとまた睡魔に襲われてしまうせいで、この事件の真実を追求できないでいる」

「では、その「1番隊が得た情報」というのは?」

「1つは魔導書の活動範囲。どうやら最初の事件を除き、他の8件はこの東京都唯城(いしろ)区で起きている。一件目だけ他と異なるのが単純に魔導書が移動したためだとすると、その魔導書には所有者がいるはずだ。まずはそいつを見つける」

 

 所有者のいる魔導書の厄介さは、他でもない蒼麻自身が最もよく理解している。魔導書は、どんなに強大な力を持っているとはいっても、所詮は「モノ」なのだ。ただ漫然とその場に存在するよりも「持ち主」が「使う」ことで意味を持つ。

 故に、総じて魔導書というものは所有者がいる方が「強力」で「厄介」だ。魔導書自体が保有している魔力と、所有者の魔力が相乗的に増していき、本来ならば使えるはずのない大規模な魔法の行使を可能にしてしまう。

 だからこそ、その所有者を見つけ出すことは急務であった。

 

「それともう1つ、この魔導書には人型のセキュリティプログラムが存在するらしい。つまり、近代魔導書ではなく古代魔導書の可能性が高い」

 

 全てがそうとは言い切れないが、自立行動を行う人型のプログラムをセキュリティとして使用している魔導書の9割は古代魔導書である。

 理由としては、セキュリティプログラムとして自立行動をとるプログラムを使用すると、彼らが持ち主である人間や他の魔導書のプログラムに入れ込み、本来の役割を果たさない可能性があるため、近代魔導書からはオミットされた、というのが通説だ。

 

「そして最後に、これらの事件の被害者はそれ以降、まったく夢を見なくなったということ。これが現時点で「夢望の書」が原因じゃないかって言われてる最大の要因だな」

「確かに、夢を見なくなるという点と、夢望の書の「夢を奪って記録する」という点は類似するところが多いな」

「ただなぁ……そもそも論として、夢望の書は180年前にBONDによって封印・収容されてるんだよな。事実、この事件の調査にあたって職員が夢望の書を保管している倉庫を確認したら、夢望の書は確かにそこにあった……いや、今もまだあるらしい」

 

 そうなってしまうと、いよいよ疑うべき相手は別にいることが確定してしまう。

 

「なるほど、だから任務の内容が「夢望の書の確保」ではなく「夢望の書によるものと思しき事件の調査と収束」なのか」

「そういうこった。でも……それならそれでやりようはある。まずは――」

 

 未知は恐怖だ。だか未知は無敵ではない。わからないことに対して臆病であれ。だがわからないことに対して怯えるな。それがBONDの職員として、最も基礎的で理想的な姿なのだと蒼麻は信じている。

 今回の事件も、きっと「わからない恐怖」と戦うことになるだろう。だが、その恐怖に対して真正面から向き合う必要はない。時に脇からメスを入れ、時に背後から忍び寄り、そうして見つけ出した真実を捉えて逃がさない。

 それが彼の見出した「真のBOND」のあるべき形なのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『陸谷守唄』のヘタクソなやり方

「まさか除外職員がこうも役に立たないとは考えていなかったな」

 

 夢望(むぼう)の書によるものと思しき事件の調査は混迷を極めた。真相の深層に近付くほど眠気を誘う認識災害により、既に3名の除外職員が調査に使用できなくなってしまったからだ。

 何度か、眠くなる度に電流を流すことで強制的に目を覚まさせる手段も講じたが、それは除外職員にダメージを与えるばかりで意識を取り戻させるには至らず、早々に却下となった。いくら「死んでもいい人間」だとしても、消耗品は数に限りがあるからだ。

 そこで、蒼麻(そうま)は次の策に打って出ることになった。除外職員が得た情報と、既にわかっていた情報を把握している自分が、眠りそうになる度に天星(てんせい)とオルタネイションすることで、一度の調査で得られる情報をより多くしようというものだ。

 だが当然ながら、これにはエヴェリーナが強く反対した。

 

 確かに、強力な魔導書には低レベルの魔法の影響を受けないパッシブ魔法が施されていることがあり、それは天星の書も例外ではない。認識災害も、並の魔法士よりは影響を受けにくいと言えよう。しかしそれは逆に言えば、より長時間にわたって認識災害の影響を受け続けるという意味でもある。

 魔法のセンスに秀でる天星でさえ、影響をまったく受けないわけではない。まして、魔法のセンスも魔力も中途半端な蒼麻がその影響を受け続ければ、それこそ「眠る」だけでは済まない可能性も十分にあり、最悪の場合は植物状態という場合も、ないとは言い切れない。

 だからこそ、エヴェリーナばかりでなく基本的に「作戦」と「情」の中立を保つ守唄(しゅうた)までもが、この作戦を却下した。いくら情報が得られたとしても、蒼麻にもしものことがあれば、後々の作戦指揮に多大な悪影響が出ることも考慮した上での判断だろう。

 

「だがどうするつもりだ? 俺を使わずあの認識災害を潜り抜けるとなると、古代魔導書のプログラムくらいしか手はないぞ」

「自分がやるって顔してるけど、ステニウスさんもダメだからね。蒼麻君を止めておいて自分がやったら世話ないでしょ。とにかく、BONDの正規職員を使う作戦は無しだよ。メリットとデメリットが釣り合わないからね」

「そうなると除外職員しか手立てがなくなるが、除外職員のほとんどは拘束のために魔力を低減させるエンチャントオーラを施されているから魔法耐性がそこらの子供未満だ。どう考えても認識災害の調査には向かない」

 

 少なくとも人間を用いた調査は現時点では手詰まりだ。しかし、ドローンやロボットを用いた調査には、それらを目的地に向かわせるためにもカメラが必須となる。

 この認識災害は、その影響を受けた人間から口伝に情報を引き出すことでは影響を受けないが、肉眼・カメラに関係なく「本人が直接その情報を認識する」ことで影響に曝露する以上、カメラ・マイクなどのリアルタイム情報はこちらの被害を広げるだけだ。

 だからこそ、完全なヒトでもなく完全なモノでもない魔導書のプログラムこそが、この認識災害を切り抜けることができる絶好の要因となるはずだったのだが。

 

「人間だと認識災害をモロに受けるし、機械だと操作のためにどうしてもリアルタイム情報が必要になるから被害を広げることになる。それに加えてBOND所属の魔導書のプログラムまで使わないとなると……」

「理想的なのは「認識災害の影響を受けない人間」だよね。でも魔導書の魔法を完全に無効化できるような人なんて、そんなの神でもないと……。……うん? 神?」

「ダメだ」

「まだ何も言ってないよ。でもそう言うってことは、やっぱり蒼麻君も同じこと思いついたんだね」

 

 神――神性という名の無敵に等しい魔法耐性のヴェールを纏い、過去・未来・現在の森羅万象を見通し、定められた摂理に背反する者に裁きを下す絶対的存在。

 魔力というエネルギーが発見されて以来、かつて神話に描かれていた「空想の存在」から、一気にその存在が現実的なものになりながらも、その姿を見た者がいないことから「空想と現実よりも上位の次元に位置する存在」とも称されるそれであれば、いかに魔導書の力であろうと看破できないものなどありえない。

 しかし「上位の次元」に存在する神を降臨させるには、依り代となる存在が不可欠だ。神の定めた摂理に従順な聖祷者(プリースト)であり、その中でも特に敬虔で信心深い者――代行者(クレリック)という存在が。

 

「シスター・シルヴィアは既に千貌の書を手放し、当時の記憶もない! 今の彼女は魔導書となんら関係のない一般人だ! BONDの理念は「危険な魔道具を封印・収容・管理することで人類の平和を守護する」ことだろ! なのに一般人を巻き込んだら本末転倒だ!」

「君らしくもなく熱くなってるね、蒼麻君。BONDは人類の味方であって正義の味方じゃない。全ての人類を救えるのならそうするけど、そうじゃないなら大勢を守るために少数を切り捨てる冷徹さが不可欠だ。それは君が一番わかっているはずじゃないか」

「それは……ッ! ……そんなこと、言われなくてもわかってる! けど彼女は……シスター・シルヴィアは……ッ!!」

「……そういえば事件後の彼女の経過観察を担当してたのは蒼麻君だったね。交流を繰り返す内に、彼女と「友達」にでもなったのかな? 君は友達に甘いからね。だけど……現状これしか手段がないんだ。彼女なら認識災害を受けることなく真実に近づける」

 

 シスター・シルヴィア、あるいはシルヴィア・ミーク。かつて千貌の書に魅入られ、神の奇跡を大いに振るい蒼麻と美晴を苦しめた彼女は、神に愛された代行者(クレリック)の一人だ。

 クレリックとは、魔法による奇跡の再現ではなく、神の力の一端である奇跡をそのまま代行することができ、その力は強大にして絶大。死に瀕した者の病や怪我を瞬く間に治癒し、邪悪なものを一撃のもと討ち祓い、焼け野原を草木や花々生い茂る草原へと変えるという。

 そしてその真骨頂は、その身に神を降ろす依り代となること。本来は神の力という高純度エネルギーとしか観測できないはずの神をその身に降ろしたクレリックは、定められた期間だけではあるが質量を伴った神の化身となる。

 

「…………」

「ソーマ。お前ができないのなら、俺がそのシスターを説得しよう。だが……俺はお前と違って口が上手くない。場合によっては、言葉だけでは済まないかもしれない」

「――ッ!! てめえッ!!」

 

 オルキヌスオルカを展開して殴りかかろうとする蒼麻を、美晴とエヴェリーナが止める。

 そしてその様子を、守唄はまったく動じることなく見ていた。

 

「落ち着けソーマ! 気持ちはわかるがネクスマギナを仲間に向けるなど……!」

「こんなところでネクスマギナ展開して問題を起こしたら栞を挿まれても文句言えないよ!」

「うるせぇッ! おい守唄ァッ! てめぇ俺の友達(シスター・シルヴィア)に手ェ出したら許さねぇぞッ!! この街ごと――ペリオードごとぶっ殺すからなッ!!」

「それが嫌なら、お前がシスターを説得しろ。お前の友人なら、お前が行った方が警戒されにくいし、何より成功率が高い」

 

 淡々と語る守唄の姿勢が気に入らなかったのか、美晴(よしはる)とエヴェリーナの拘束を強引に振り払うと、この拳で彼の顔面を殴りつけた。しかし、それでも彼は微動だにせず、蒼麻を見下ろす。

 蒼麻はその拳を下ろし、ネクスマギナを待機状態(グローブ)に戻すと、それを外してデスクの上に放り投げ、指令室を出ていこうとする。

 

「どこへ行くつもりだ」

「うるせぇッ! ……てめぇなんかにシスター・シルヴィアは任せられねぇ」

「ならエヴェリーナを連れていけ」

「……来い、リーナ」

 

 呼ばれたエヴェリーナが、慌てて蒼麻の後をついていく。

 指令室には、美晴と守唄だけが気まずい空気のまま残された。

 

「……シュウさん、あの煽り方はさすがにまずいよ。いくら他に方法がないからってさ」

「美晴が言うよりはマシだろう。あの話の流れでは、お前が言わざるをえなかった。だがお前たちは親友同士だろう。なら言えるはずがない。あいつがいかに友達想いなのかを知っているお前ではな」

「それはシュウさんだって知ってるはずでしょ。だからボクに言わせないようにしてくれた。……ありがとう。それと、ゴメンね」

「嫌われ役は慣れている」

 

 蒼麻が友達想いであることは、彼を知る人間なら誰もが知っている。普段は自分の利益のために他人を利用することも気に留めないはずなのに、いざそれが友達となると、逆に自分の全てを投げ捨ててでも助けようとする。他人と身内の境界線がはっきりしているからこその価値観。

 だが、だからこそ今回の作戦で最も効率のいい「神」の――シルヴィアの利用は、彼女を「友達」とする蒼麻にとって絶対に選べない選択肢であった。だが、彼の理想のBOND像にもある通り、BONDとは冷酷でも冷血でもないが、冷静で冷徹でなければならない。

 少数の犠牲で多くの人類を救えるとすれば、その手段を躊躇いなくとらなければならない。躊躇っている間に、事態がより悪い方向に進んでしまうかもしれないからだ。しかし、それでも友達を犠牲にできないのが、海藤蒼麻の性分だった。

 

 故に、美晴は彼に嫌われてでもそれを提示しなければならなかった。神を降ろすということは、意識を内側に追いやり神の意識を表層に呼び出すということ。当然、それが長期化すればシルヴィアの意識はすり減り、記憶と自我を摩耗させることになる。

 つまり、早期にこの事件の調査ができなければ、彼女は神によって「シルヴィア・ミーク」でなくなる可能性があるということ。その危険性を理解した上で、彼女の協力を得て原因となる魔導書を突き止めることが、現時点で最も成功率の高い魔導書の封印方法に繋がる。

 しかしやはり、それを彼の親友である美晴が言ってしまえば、二人はもう親友同士ではいられない。彼の友達想いを理解していてなお、それを踏み躙る行為だからだ。だから――その役割を守唄が担った。

 

「たぶん、蒼麻君も頭ではわかってる。だってボクたち11番隊のブレイン担当だよ? ボクらが思いつくことを、蒼麻君が気付いてないはずがない。だから、きっと帰ってくる頃には気持ちに折り合いをつけてるよ」

「だといいがな」

 

 後悔――ではない。しかしどこか満足のいかない表情のまま、守唄はデスクに着いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の救うべき命

「シスター・シルヴィアは本当に無垢な少女なんだ」

 

 BONDを飛び出し、エヴェリーナを後ろに乗せてFDX400を走らせていると、前触れもなく蒼麻が語り始めた。

 

「俺みたいな目つきも態度も不良っぽい男が声をかけても必ず返事をしてくれるし、何度か声をかけても不審がることもせず受け入れてくれた。あの子は本当にいい子なんだ」

「お前の気持ちはわかる。何も知らない無知な人間を利用するだなんて、私でも吐き気がするほど汚い行動だと思う。しかし、現時点でこれよりも確実な案は――」

「そんなことはわかってるッ! だからイラつくんだ! それを仕方ないことだって理解してる自分に! シスター・シルヴィアを危険に晒さない代替案を思いつかない自分に!」

「ソーマ……」

 

 蒼麻とてBONDの一員。それも曲者揃いの11番隊で作戦の立案と指揮を務める参謀(ブレイン)役だ。合理的な考え方をすればするほどに、シルヴィアが今回の作戦においてどれだけ有用な存在なのかも理解できる。

 むしろ、あの場で美晴の意見を即座に否定できたのは、彼よりも早くその作戦を思いついていたからだ。シルヴィアの有用性は疑うべくもない。しかし彼女を作戦に巻き込みたくはない。明晰な頭脳は合理性を尊び、3200年という時を経て形成された彼の心は友情を尊ぼうとする。

 だがBONDである以上、感情を押し殺してでも合理性を優先しなければならないことを、蒼麻だけでなく新米のエヴェリーナもわかっていた。だが、だからこそ彼女は蒼麻に何も声をかけられなかった。

 もしも自分が蒼麻と同じ立場であったなら。もしエヴェリーナがBONDのために、多くの人類のために、親しい学友を――たとえば冬霞などを犠牲にしなければならないとしたら。そう考えることで、彼が今どれほど辛い決断を迫られているかを理解できてしまう。

 

「誰にでも優しく温かいシスター・シルヴィアは俺にとって自慢の友達だ。彼女が俺をどう思ってくれているかはわからないが、俺は間違いなく大切な友人だと胸を張れる。そんな彼女を、どうして危険な作戦に巻き込まなければならないんだ! 彼女みたいな平和な世界に暮らす人間を守るのがBONDの仕事だろ!」

「……なら、いっそのことそのシルヴィアを「行方不明」ということにして安全なところに逃がすか?」

「無理だ。俺が本心ではそうしたいと思っていることを守唄はわかっているし、もし実行すれば俺は栞を挿まれてBONDに封印されちまう。それに事情を説明して逃げてくれと言ったところで、シスター・シルヴィアは自分のために他人が困るようなことを良しとするような子じゃない」

「だろうな。お前の話を聞く限り、そのシルヴィアという女性は慈悲深く、滅私奉公の精神を持つ敬虔なシスターだ。他人のために自分を犠牲にすることはできても、自分のために他人が犠牲になるのを受け入れるような者ではないだろう。だが、だからこそお前が言わなければならない。他の職員にシルヴィアを任せるわけにはいかないだろう?」

 

 エヴェリーナの言う通り、シルヴィアがこの作戦に関わるとすれば、彼女の安全を守れるのは蒼麻だけだ。他の職員は多くを得るために少なきを犠牲にする考え方が染みついており、シルヴィアだけの犠牲でハイリターンを得られるのなら、彼女に対してどんなに不当な扱いでも平気でするだろう。

 仮に11番隊でこの作戦を与ったとして、美晴は基本的に一定のラインを引いて「その内側」と「その外側」をハッキリ分けているタイプだ。そして、シルヴィアは言うまでもなく「外側」である。彼女に不当な扱いはしないだろうが、危険な状況では躊躇なく彼女を切り捨てるだろう。

 守唄に至っては、作戦の成功に必要ならば彼女に対してどのような行為を働くかわからない。彼も友人に対してはその温かさの一片を見せるが、基本は「模範的なBOND職員」である。危険がなくとも作戦に有効な手段だと判断すれば、美晴以上に彼女をどう扱うかわからない。

 そういう意味で、蒼麻が唯一信頼できるとすればエヴェリーナだ。彼女は蒼麻に対してやや過剰なほど従順だし、まだ「BONDとしての考え方」が染みついていない。よくも悪くも「普通の考え方」をしているからだ。

 

「わかってる……! 俺が言うのがシスター・シルヴィアにとっても一番安全だってことも、シスター・シルヴィアを巻き込まない方法なんてものが無いことも! でも……頭でどんなにわかっていても心がそれにブレーキをかけるんだッ!」

「それでも……やるしかない。シルヴィアという少女を守るためにも、人類を守るためにも、お前がシルヴィアを説得し、彼女を守り、作戦を成功させるしかないんだ。そのためになら、私はどこまででも付き合ってやる。だから……もう俯くな。前を向いてくれ。それがお前の使命だろう?」

 

 使命。自らで選んだ道でないとしても、自らが進むべきだと定められた道。それが使命だとするのなら、今日ほどこの舗装された綺麗な道をぶち壊したいと思ったことはないと、蒼麻は思っていた。

 しかし、今の自分にこの道を壊すだけの力が無いこともまた、彼はわかっていた。だからこそ、彼は二者択一の――実質的にはたった一つしかない道を選ばざるをえなかった。

 シルヴィアを守り抜き、作戦も成功させる。だがそれだけではない。今回の事件が解決したら、守唄には二度と彼女を作戦に組み込ませないよう約束をしてもらわなければならない。こんなことは、二度とあってはならないのだ。

 

「……FDX、指令室に誓約書を送り付けておけ。この作戦に成功したら、二度とシスター・シルヴィアを関わらせるなと」

『了解。そのように手配します』

 

 既に視界にはシルヴィアの属する聖宝教会が入っている。もうここまで来たら逃げることはできない。迷いを振り切ることはできないが、もはや決心を揺るがすこともできない。

 あと50メートルもない。心を決めて、シスター・シルヴィアに会おう。そう思った時のことだった。

 

「ソーマ! 教会の奥を見ろ! 煙が上がっている!!」

「なっ……!? 火事か!? クソったれ、今日ここに来て正解だったってことかよ! エヴェリーナ、しっかり掴まってろ!!」

 

 スロットルレバーを大きく絞り、急加速・急停止で教会の門前にバイクを停めると、蒼麻とエヴェリーナはヘルメットを外す間も惜しいと教会の中に飛び込んだ。

 教会の中は、意外なほど無事であった。しかしあの煙は、間違いなくこの教会から出ていた。それはつまり礼拝堂ではなく、シスターたちの住む寮が燃えていることを意味していた。蒼麻がエヴェリーナを連れてシスター寮の方へと向かうと、数人のシスターたちが寮の前に立ち尽くしていた。

 シスター寮は三階建て。最も燃えているのは一階。二階の部屋からも煙が上がっていて、二階ほどではないが三階の煙もそれなりの量になっていた。

 

「海藤さん!」

「みんな無事なようでよかった。消防には連絡しましたか?」

「それが、教会の電話線が切られていて……それに何故か携帯も繋がらないんです! 今、他のシスターが近所のお家に電話を借りに行ってますが……!」

「わかりました。ここは危険ですから、もう少し離れましょう。エヴェリーナ! BONDの緊急回線を使って消防に連絡! シスターたちに点呼をしてもらって、人数を確認したら全員を安全な場所まで避難させろ!」

 

 緊急時に最も必要なものは「冷静さ」だ。どんなに感情が熱くなっても、頭だけは冷静でいなければならない。今最も重要なのは、避難したシスターたちに欠員がいないかどうかの確認と、燃えている建物が崩れても被害がない程度の距離まで離れさせること。そして消防への連絡だ。

 BONDの制服でもあるオーバーコートは耐火・耐熱・耐水・耐冷のエンチャントが付けられており、どんな環境でも問題なく作戦行動がとれるようになっているが、人命救助は専門職である消防や救急に任せた方がいいことは間違いない。だから、ここで欠員さえいなければ――。

 

「ソーマ!」

「どうしたエヴェリーナ。全員の避難は終わったのか?」

「一応、バイクを停めてある門前までは出した。だが避難できていないシスターが一人だけいる」

「何? そのシスターの部屋はどこだ?」

「三階南階段を上がった正面……シスター・シルヴィアの部屋だ!」

 

 その言葉を聞き届けるよりも早く、蒼麻は駆け出していた。戦闘にはまったく向かないが、幸いなことに蒼麻が得意とする属性魔法は『水』属性。それも威力がまったくない『バブルスプラッシュ』という大量の泡を発射する魔法であった。

 蒼麻はそのバブルスプラッシュを消火器のように使いながら何度もシルヴィアの名前を叫び、階段を駆け上がった。何度も、何度も、どんなに小さな音も聞き逃さないように可聴音量を引き上げる補助魔法をかけながら、必死に彼女の返事を探った。

 そうしてようやく彼女の部屋につくと、その中は激しく燃え広がっていた。とても人が生きていられるような炎と煙の量ではない。しかし幸か不幸か、そこには人影ひとつなかった。ドアを開けた時、すぐさま思考を止めずに部屋を観察したことで、それに気付けた。

 念のため、バブルスプラッシュで部屋の火を消してベランダまで出たが、そこにもシルヴィアの姿はなく、人が隠れられそうな場所――クローゼットも開けてはみたが、当然ながらそんなところにも彼女はいなかった。

 

(階段に一番近いから炎と煙がすぐに入ってきたのか。だから炎と煙が少ない部屋を求めて自分の部屋を出たんだ。となると北と南の階段から一番離れてるのは――)

 

 蒼麻は彼女の部屋を出ると、すぐさま三階西側の真ん中の部屋へと入った。するとやはり、その部屋の奥――ベランダにうずくまるシルヴィアの姿があった。

 

「シスター・シルヴィア!」

「う……ぅ……。蒼麻、さん……?」

「喋らなくていい! すぐに助けてやる、だから生きることを諦めるな!」

「……きっと、来てくれるって……信じてました……」

 

 そう言うと、シルヴィアは静かに目を閉じた。慌てて呼吸を確認するが、どうやら気を失っただけのようで、呼吸は安定していた。

 蒼麻はシルヴィアにBONDのコートを頭から被せて彼女の体を背負うと、ヘルメットの通信機能でエヴェリーナに連絡を入れた。

 

「シスター・シルヴィアを見つけた! 今から避難するから階段付近を消火器や水属性魔法で消火しておいてくれ!」

『わかった! 絶対に戻ってこい、ソーマ!』

 

 当たり前だろ、と返事を返して部屋を出た蒼麻だったが、BONDのオーバーコートをシルヴィアに被せているせいで、彼の身体は激しさを増す炎と熱に襲われ続け、せいぜい片方の手しか使えないせいで水属性魔法も範囲が狭まっていた。

 だがこういう時、ここに来たのがエヴェリーナでなく自分でよかったと彼は思っていた。こういうどうしようもない状況において、男だからできることがある。男しかしちゃいけないことがある。

 

「こうなったら『我慢』するしかねぇ……ッ! 炎がなんだ、熱がなんだ、火傷だけでシスター・シルヴィアが助かるんなら安いだろうがッ!」

 

 蒼麻は灼熱の炎の中を、ただの痩せ我慢だけで突っ切っていった。ある程度はバブルスプラッシュで軽減していたが、ほとんどの炎はモロに受けていた。

 これが女であれば、一生消えない傷痕になっていたことだろう。男として、女にそれを強いるようなことは絶対にあってはならない。まして顔や手のような人目につくような場所につけたとあっては、男の恥である。末代まで祟られても文句は言えない。

 だからこそ、彼はBONDのコートを彼女に与えることになんら躊躇はなかったし、それが当然だと考えた。男は体がどれだけ傷つこうと勲章である。しかし女にとっては恥なのだ。女に恥をかかせれば、時代が時代なら男は首を斬られても仕方がないというのが、蒼麻の知る「男と女」の考え方だった。

 が、基本的に蒼麻は女に恥をかかせてもなんとも思わない。どんなに美人だろうと騙して嘲笑って恥をかかせようと心はまったく痛まない。それが「友達」でないのなら。しかし――シルヴィアは「友達」なのだ。

 

「ぐっ……クソッ、こんなことなら水属性のバリアコーティング(防御系)魔法とか覚えておくんだったな……ッ!」

 

 身を焼く感覚。皮膚が爛れて溶けていく感覚。それをどうにか耐えながら、蒼麻は階段を下りていく。そして……。

 

「出てきた! ソーマ……ッ!?」

「エヴェリーナ……シスター……シルヴィアを……たの、む……。てん、せい……オルタ、ネイション……」

 

 全身が焼け爛れ、ゾンビのような姿になって出てきた蒼麻を見て、エヴェリーナは言葉を失った。

 ただ蒼麻から預けられたシルヴィアを受け止めると、彼はついに力尽きたようにその場に倒れ、そして全身が紺色の光に包まれると、彼の姿は消えて天星へと交替(オルタネイション)した。

 

「天星!」

「どうやら緊急事態のようだな。ひとまずここを離れよう。ソーマが命がけで助けたその少女を守り切らなくては、あいつに申し訳が立つまい」

「くっ……! わかった!」

 

 本当ならすぐにでも蒼麻の安否を問い詰めたい。だが彼女の言う通り、彼が命がけで助けたシルヴィアにもしものことがあれば、彼の決死の努力が無駄になってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。

 エヴェリーナは蒼麻から預かったシルヴィアを背負うと、天星に避難経路を教えながら駆けだした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の修復作業

 シスター・シルヴィアの救出後、彼女の搬送された病院のロビーで、彼女の様子を看護師に聞きに行ったエヴェリーナを待ちながら、天星は腰を落ち着けていた。

 

「――戻ったか、エヴェリーナ。それで、シスター・シルヴィアの容体は?」

「少し煙を吸っているが、火傷や怪我の様子もなく、気管や肺にも別条はないらしい。すぐに目を覚ますそうだ」

「そうか。なら、そちらは問題あるまい」

 

 消防と救急の到着に伴い、シルヴィアの搬送とシスター寮の消火活動は迅速に行われた。あの場に残ったシスターたちからの連絡によると、幸いにも教会の方にまで火が回ることはなく、被害は寮だけであったらしい。

 また、電話線が切られていたことと、出火の原因と思しき魔力の残滓が残っていたことにより、あれは事故ではなく放火によるものだということが判明した。犯人は現在のところ警察で捜査中だが、状況次第ではBONDにも協力を要請するとのこと。

 寮と同時に家財も全て失ったシスターたちは新しい宿を探すために右往左往しており、シルヴィアの見舞いには神父とシスターの代表の二人だけが訪れていて、二人からは「蒼麻さんにも後日お礼に伺います」と伝えられた。

 

「天星、その……ソーマは大丈夫なのか?」

「大丈夫とは言い難いが、問題なく修復しているよ。とはいえ肉体だけでなく蒼麻自身を構築するデータの大半が損傷していてな、バックアップはあるから問題はないが、シスター・シルヴィアを助けた時の記憶はないだろうな」

 

 蒼麻に限らず、多くの魔導書の人格プログラムは肉体を損傷してもバックアップデータがあれば肉体と記憶の補修が可能だ。だが、それは言い換えるなら「バックアップをとってから補修を行う直前までの記憶は失われる」ということでもある。

 また、バックアップがどの程度の頻度で更新されるかも魔導書によって異なる。天星の書の場合は一時間ごとに行っているが、当然ながらバックアップをとってからシルヴィアを救出するまでの記憶は失われてしまう。

 あの状況で見たものや感じたものは、もう思い出すことはできない。それは人間の記憶喪失とは違い、データの上書きであるため、何をどう足掻いても記憶は戻らない。

 

「幸い……ではないが、ソーマはあの時シスター・シルヴィアを助けることに精一杯で、事件に関係しそうなものは何も見ていなかった。失われて困りそうなものはないはずだ」

「確かに、身を焼く痛みや苦しみを忘れられるのなら、それは悪いことではないだろう。だが……どんな記憶であれ、戻ることのないものを失うということは、つらいに決まっている……!」

「ふむ。加えて問題はシスター・シルヴィアが目を覚ました時、ソーマが修復作業を終えているかどうか、だ。仮に終えていても面倒なことになるだろうな。シスター・シルヴィアはソーマに対して礼を言うだろうが、あいつは身に覚えのないことで礼を言われても素直には受け取るまい」

 

 とはいえ、バックアップによる修復を必要としたということは、それに相応しい非常事態が直前にあったということの証明でもある。何より、修復を必要とする事態というのは、何も今回が初めてというわけでもない。

 3200年分の経験の中には、もっと大きな戦闘や戦争が起きたことは少なくない。そもそもが戦闘向きな魔導書ではない蒼麻と天星にとって、データの修復というものが日常的な行為であった時代もあったのだ。

 だからこそ、比較的平和な今の時代で修復作業を必要とする事態が起きたという証拠と、天星たちによる説明があれば、理解はするだろう。

 

「今のところ、修復は何パーセントまで完了しているんだ?」

「自分で言うのもなんだが、天星の書は古代魔導書の中でも比較的古参だからな……。インストールする記憶(データ)も並の魔導書とは比較にならん。何より天星の書の性質は「星の魔力を蒐集し、それを記録する」ことにある。今まで見てきた全ての魔法を記録している分、バックアップの量も半端ではない」

「ほう、天星の書の性質はそういうものだったのか。「天星」などと言うものだから、てっきり天体の記録だとかそういうものだと思っていたが」

 

 天星の書における天とは「空」、そして星は「地球」を意味し、この地球の空の下で行使された魔法を全て記録し、そして地球上の魔力を常に一定ずつ蒐集し続けるのが、天星の書の「性質」である。

 無論、3200年間記録し続けた魔法データは天星の書の本体にあり、蒼麻の記憶とは別領域になるが、それでも彼自身が観測した魔法データは彼自身の記憶だ。ただでさえ3200年分の記憶を全てインストールしなければならないのに、魔法の詳細なデータも別口で叩き込まなければならないため、その処理には恐ろしく時間がかかる。

 また、肉体の補修も楽な作業ではない。記憶のデータと違い、転生を繰り返すたびに変化する肉体については、バックアップが一切ないからだ。そのため、肉体のデータは全て天星の記憶を元に一から作り直すに等しい作業をしなければならない。

 外観だけなら簡単だが、内臓の状態や筋線維の数と太さ、体脂肪率まで全て計算しながら作らなければならないし、何より魔法を行使するために必要な魔力回路の修復には手間と時間がかかる。ほんの少しのミスがあれば、魔力回路の機能不全で魔法が使えなくなってしまうし、何より得意とする魔法属性(エレメント)魔法分類(カテゴリ)も変化してしまう。

 

「修復作業については現在のところ2パーセントにも至っていない。少なくとも一日では終わるまい」

「むぅ……。彼女(シルヴィア)にはどう説明すべきか……。いや、むしろ問題はマイロードだ。これを理由にシルヴィアを恨んだりしなければいいが……」

「それはあるまい。貴女に初めて姿を見せた時、スズは驚いていなかっただろう? 私が姿を見せるということは、基本的にソーマにとって不調であったり危機的状況であったりするのに、だ。あれはつまり、彼女にとって今回のような事態が初めてではないということだ」

 

 確かに、エヴェリーナが初めて夜天に会った時、唯鈴はまったく驚いた様子はなかった。彼女にとって特別な存在であるはずの蒼麻が目の前で見知らぬ誰かに変化しても、それがまるで当然のことのように受け止めていた。

 それは蒼麻の危機と夜天へのオルタネイションが直結した問題であることを理解していた証左であり、彼女にとってそれが驚くに値しないことだという意味でもある。

 しかし、それでも――。

 

「だとしても、心配しないわけではないはずだ。親しい相手が……それも互いに好き合った相手がこんなことになれば……」

「好き合った……? エヴェリーナ、貴女は何か勘違いをしていないか? ソーマとスズは確かに互いを特別視してはいるが、異性としての好意はまったくないぞ」

「……は? いや、そんなわけないだろう。あんなにも常日頃から互いへの想いを口にしていながら……」

「いや、あれはあくまで友愛だぞ。恋人や夫婦よりも親しい友人関係だ。私が言うとアレだが、そもそもソーマの好みは私やペリオードのような長身の女性だからな……スズに限らず165cm未満の女性は意識すらされんぞ」

 

 何気にちょうど165cmの自分は蒼麻の守備範囲内だということに今初めて気付いたエヴェリーナだったが、それ以上に理想の男女関係だと思っていた蒼麻と唯鈴が恋人ではなく、まして異性として好いてすらいないということにショックを受け、それどころではなかった。

 とはいっても、唯鈴にとって蒼麻が特別な存在であることは事実。本人も被害者だとはいえ、彼が重傷を負う一因となったシルヴィアに対して、どのような感情を抱くかについては、まだ安堵はできない。エヴェリーナはどうにか気分を落ち着け、冷静さを取り戻すと、再びシルヴィアの話題に戻した。

 

「シルヴィアがほとんど外傷もなく救助できたのは、ソーマがBOND支給の制服(コート)を彼女に与えたからだ」

「らしいな。私はオルタネイションと同時に服装も変わってしまうから着たことはないが、あらゆる環境下で活動可能な高性能コートだということは知っている」

「そう、私のこれも同じものだが、これは耐火・耐熱・耐水・耐冷のエンチャントがつけられていて、並の業物では傷ひとつ付かない防刃性を誇る強靭な繊維で織られている。これを自分で使っていれば、ソーマは……!」

「だが、もしもそうしていたら……シスター・シルヴィアに傷を負わせていたら、それはお前の知るソーマだったか? 自分がどれだけ傷つこうと『友』を絶対に守り抜こうとする姿こそ、我々の知るソーマではないのか?」

 

 エヴェリーナとて、そんなことは天星に言われるまでもなくわかっていた。たとえどれだけ酷い傷を負うとしても、仮に今回の生をここで終えることになってしまっても、エヴェリーナの知る蒼麻ならば友を絶対に傷つけさせない。

 彼が火中に飛び込んだ時、彼女自身もすぐに察していた。彼は間違いなく、BONDの制服であるこのコートをシルヴィアに使ってしまうことは。だからこそ呼び止めて、自分のコートを渡そうと思った。だが、その時にはもう既に彼は飛び込んだ後だった。

 あの冷徹なまでに冷静な蒼麻が、「エヴェリーナから借りれば二人分のコートを確保できる」ということに気づかないほど焦っていた。それだけ彼にとってシルヴィアという『友人』が大切な存在なのだということを、わからないエヴェリーナではない。

 そして、エヴェリーナでさえ気付けることを、あの蒼麻よりも頭の回る唯鈴が気付かないはずがない。だからこそ、天星は冷血で冷淡にも思えるほど冷静だった。

 

「原因である私が言うのはおかしいかもしれないが、ソーマは『友』というものを少し行き過ぎているほどに特別視し、愛している。過去には友を救うために妻子を捨てたことすらあるほどにな。だからこそ、ソーマが友を裏切ったり見捨てたり、まして傷付けたりなどということはありえんよ」

「……もしかしなくてもマイロードがソーマに対して恋愛感情を持とうとしないのは「恋愛」よりも「友情」の方が大事にしてもらえるからでは……?」

 

 天星は何も答えなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『シルヴィア・ミーク』の静かな怒り

「シルヴィアが目を覚ましたそうだ。病室に行こう」

「ああ。なぜ彼女だけ逃げ遅れたのかも聞かねばなるまい」

 

 シルヴィアの目覚めを待つこと一時間半。ようやく看護士から報告を受け、エヴェリーナと天星の二人は彼女の待つ病室へと向かった。二人に報告が行くよりも早く、警察から事情聴取が行われていたようで、二人が病室の前まで行くと、ちょうど数人の警官たちがその部屋を後にするところだった。

 エヴェリーナが警官の一人を呼び止めて聴取の結果を問うと、警察官はエヴェリーナの着るオーバーコートを見て、「後ほどBONDに正式に協力を要請する。聴取の内容も同封して送付するのでそれまで待ってほしい」とのことだった。気の急く様子のエヴェリーナを見て、天星がそれを窘めた。

 

「彼らが得た情報の中には、必要な情報も不要な情報も含まれている。それらを取捨選択し、裏付けをして、あるいは不要だと思っていた情報を有用なものに変えてくれるかもしれない。だから彼らの仕事を信じて、ここは任せるんだ」

「……確かに、天星の言う通りだ。呼び止めてすまなかった。調査の方、よろしく頼む……」

「当然だ。それが俺たち警察の仕事だからな。だが俺らは魔導書やら魔道具やらにはさっぱりでな、そこらはおたくらに頼むしかない。こっちこそ、よろしく頼むぞ、BONDのお嬢ちゃん」

 

 そう言い交わすと、警察官たちはその場を後にした。エヴェリーナも一礼すると、それ以上は何も言わずシルヴィアの病室へと入っていく。

 ドアを開けると、シルヴィアは体を起こしたまま外の景色を眺めていた。両目が閉じているように見えるが、それは彼女が糸目だからなのか、それとも目を閉じているのかわからなかったが、瞬きにしては長いので、おそらくは糸目なのだろうとエヴェリーナは判断した。

 

「どちらさまですか?」

 

 ふと気づけば、その視線はエヴェリーナと天星に向けられていて、それでもなお目は開いていなかった。どうでもいいことを少し考えこみすぎたかと、少しだけ自分を戒めると、二人はシルヴィアのベッドに近づいた。

 

「私から名乗ろう。私は天星。彼女はエヴェリーナ・ステニウス。BONDという組織の職員をしていて、貴女を救助した海藤蒼麻(かいとうそうま)という男の同僚だ」

「蒼麻さんの……ああっ! はい、聞き及んでいます。蒼麻さんの親友の天星さんと、妹のような同僚のエヴェリーナさんですね。一度話してみたいと思っていました」

「体の方は大丈夫なのか? 医師は煙を少し吸っただけで外傷はないと言っていたが……」

「はい。火傷や怪我は特にありませんし、喉は少しガラガラしますけど、そう何日も影響が出るようなものではないそうです。これも、わたしを助けてくれた蒼麻さんのおかげですね。ぜひお礼を言いたいのですが、蒼麻さんはどちらに?」

 

 穏やかな笑顔でそう問いかけるシルヴィアに、エヴェリーナは言葉を詰まらせた。彼女に悪気がないことはわかっている。この火事も彼女のせいではない。だが、もしも彼女がもっと早く逃げ果せていれば、蒼麻が傷つくことはなかったはずだ。そんな思考が、頭のどこかにチラつく。

 そんなエヴェリーナの感情を見抜いたように、天星は彼女を後ろに下げると、代わるようにその口を開いた。

 

「ソーマは今、全身火傷と数か所の裂傷で治療中だ。すまないが、今は彼に会わせることはできない」

「え……っ? 全身火傷って……まさか、そんな……それって……!」

「天星! いくらなんでもこんなに早く……!」

「いつかは知ることだ。誤魔化すだけ無駄だろう。そうだ、ソーマは貴女を救助する際に、手持ちの防火装備を全て貴女に費やした。そのため引き返す際に一切の防御手段を講じず炎に(まみ)れる結果となった」

 

 天星の言葉を聞いて、シルヴィアは狼狽えるように俯いた。蒼麻は彼女にとって、かけがえのない友人だ。今回のことに限って言えば、命の恩人とも言える。しかし、そんな彼の命を脅かしたのが他の誰でもない自分自身だとすれば、シルヴィアは自分を責めずにはいられなかった。

 だがどれだけ自分を責めたところで、蒼麻の傷の癒えが早まるわけでもない。エヴェリーナは、シルヴィアの手を取ると、彼女をゆっくりと起き上がらせ、その目を見つめた。

 

「ソーマは……私の兄にも父にも等しいあの男は、本当に友を大切にしているんだ」

「友……。わたしも……わたしも蒼麻さんのことを友人だと思っています。大切な……本当に大切な、何にも代えがたい友人だと、思っています。それなのに……!」

「それなのに、じゃない。だからこそ、だ。シルヴィア、お前がソーマを友だと想うように、ソーマもお前を友だと想い、その身を焼き、命をかけて救ったんだ。決して、お前を責めるためなどではない。ソーマは、そんな狭量な男ではない!」

「エヴェリーナさん……。でも……だとすれば、わたしは蒼麻さんの恩にどう報いれば……!」

 

 蒼麻は決して、恩返しを求めて恩を売ったわけではない。それは、シルヴィアもわかっている。むしろ、ただ平和に生きてさえくれれば、それが蒼麻にとって何よりも嬉しい恩返しであることを、エヴェリーナは知っていた。

 だが、それを今ここで彼女に言うことはできなかった。本当なら言いたい。言って、彼女にはなんの危険もない平和な日常へと戻ってほしい。だがそれは、今この時だからこそできない。なぜなら――今このタイミングが、彼女が蒼麻に恩を返そうとしている今が、彼女の「協力」を得るために最適なタイミングだからだ。

 合理主義の人でなしと、蒼麻に責められるかもしれない。あるいは、もう家族でさえないと侮蔑の目を向けられるかもしれない。だがそれでも――シルヴィアの重荷を下ろし、蒼麻の口から言わせず、そしてBONDとして協力を得るには、今この時しかありえないのだ。

 固く握りしめた拳をさらに強く握りながら、意を決してエヴェリーナが言葉にする。――いや、しようとした時だった。

 

「ならば、貴女の体調が整ってからでいい。我々BONDに、貴女の力を貸してほしい」

「なっ……!? 天星! なぜお前が……誰よりも蒼麻を想うお前が、それを……ッ!!」

「私は、ソーマに好かれようと嫌われようとずっと一緒だ。だがお前たちは違う。嫌われたら離れ離れになってしまうかもしれない。だから、私でいいんだ」

 

 何をバカなことを、と怒鳴りつけようとするエヴェリーナだったが、それはできなかった。いいはずがないのだ。誰の意思にも関係なくずっと一緒にいられるから嫌われてもいい、などという言葉が、彼女の本音であるはずがない。

 なぜなら、蒼麻が「友情最優先主義」であるそもそもの理由は、他でもない「天星の影響」だからだ。彼の、言い方を選ばなければ「狂気的」とまで言えるほどの友情への想いが彼女の影響であるとするならば、彼女自身が持つ友への想いは、蒼麻よりも遥かに強いはずだ。

 それなのに、その想いを自ら踏み躙ってまで口にしたのが蒼麻への裏切りであるならば、その理由は誰に問われるまでもない、彼女はエヴェリーナを庇ったのだ。

 

「力を貸す、というのは……?」

 

 もはや何をどう言い訳することもできないと思ったのか、エヴェリーナはとうとう諦めて全ての事情を説明した。

 

 

 

 

「なるほど。では、蒼麻さんが教会に来ていたのも……」

「ああ。本当はその話をするつもりでいた。だが信じてほしい。蒼麻は本当に最後の最後までこの作戦には反対していた。話をしに行く途中でも、ずっと自分を責めていたんだ。決して、シルヴィアを利用しようとはしなかった……!」

「わかっています。蒼麻さんは、優しいですから。きっと……わたしのためを想ってくださったと思います。本当なら、わたしもそれに甘えてしまいたい。ですけど、あの火事は……」

「貴女の想像に間違いはないだろう。あれは十中八九、貴女の「神の力」を恐れた犯人が、貴女を事前に葬るために放ったものだ。おそらく、貴女を狙えばソーマを……BONDの戦力の一端を削れることも、想定していただろう」

 

 まだ確証はない。ただ放火の対象とタイミングがあまりにも合致しすぎている。これを無関係と言い切れるほど、天星は楽観的ではない。

 そしてシルヴィアの心もまた、穏やかなものではない。シスター寮に火を放つということは、主である神に対する重大な冒涜的行いであり、そうでなくとも、多くのシスターや近隣の住民たちに対して大いに不安を与えた。

 神でさえ許しきれない暴挙には、クレリックとして神罰を代行する使命があり、そして何より――大切な友人の命を脅かしたことに関しては、仮に神が許そうともシルヴィアの心が許しはしなかった。

 故にこれは神の力の代行ではない。ましてや復讐などというものでもない。これはシルヴィア・ミークという一人の少女の、大いなる怒りなのだ。

 

「ご協力いたしましょう。わたしの祈りが、みなさんのお力になるのであれば」

「すまないシルヴィア……。そして感謝する。BONDとして、ソーマの仲間として、シルヴィアのことは絶対に守り抜いてみせよう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の与えた影響

 シルヴィアと別れると、天星(てんせい)とエヴェリーナはBONDに戻らず直帰した。もちろん、蒼麻(そうま)の状況とシルヴィアの説得が成功したことは、守唄(しゅうた)に連絡済みだ。

 屋敷に戻るなり、唯鈴(いすず)が二人の元へと駆け寄ってきた。おそらく、守唄から連絡がいったのだろう。表情こそいつも通りで、気丈な態度を取っていたが、天星と並んで部屋に戻ろうとする彼女の姿を後ろから見守っていたエヴェリーナは、彼女の手が固く握られているのを見逃さなかった。

 

「天星、修復作業は今のところどの程度まで進んでいるの?」

「ようやく4パーセント。このままの作業スピードなら、三日後の夜には修復完了となるだろう」

 

 三日後の夜。シルヴィアの作戦投入が、二日後の午後から行われる。もしも作戦が順調に行けば、その日の内に今回の事件の犯人――あるいは夢望の書がどういった方法で今回の事件を引き起こしているのか、を知ることができるだろう。

 BONDとしても、シルヴィアの防衛が作戦成功の可否に直結している以上、彼女の護衛には人員を割いてくれるはずだ。ましてや、今回は日頃から美晴(よしはる)の防衛を行いながら戦術を展開している蒼麻が不在であるため、戦力の低下が明確であることは言うまでもない。

 そうなると、蒼麻が目覚めるのは全ての事態が収束した後、ということも十分に考えられる。

 

「シルヴィアさんって人は無事だったの?」

「ああ。やや煙を吸って喉を傷めたらしいが、少し休めば治るそうだ」

 

 医者からは、本人が煙から一番離れたベランダでうずくまっていたおかげで、ほとんど煙を吸わなかったのもあるが、何より煙と熱を完全にシャットアウトできるBONDのコートが役に立ったと言われた。また、蒼麻が炎に(まみ)れながらも最短ルートで救助したのも、彼女をほとんど無傷で救う一因となったという。

 だが、当然ながらその代償は大きかった。蒼麻という参謀・指揮官を失った11番隊は、作戦の実行にあたって判断力と決定力を失ったにも等しい。また、戦闘の際には固定砲台となる美晴を護衛する役割すら失われ、必然的に戦線の後退を余儀なくされた。

 唯一の救いとなったのは、この作戦がエヴェリーナ配属後であったことだ。彼女が蒼麻の代わりに美晴の護衛役を買って出たことで、ある程度のリカバリーは可能となった。が、彼女の本来の役割はミドルレンジからの援護射撃であって、バックヤードでの接近戦ではない。

 これまでとは全く役割の異なる配置に、エヴェリーナだけでなく部隊全体がその立ち回りを見直すこととなるのは必然とも言えた。だからこそ、今まで当然のようにできていたことが、蒼麻ありきのことであったことに、11番隊は彼の不在を大きく悔いることとなる。

 

「なら、少なくとも蒼麻の頑張りは無駄にならなかった。あとは、蒼麻さえ修復できれば大団円ね」

「唯鈴……。無理をしないでくれ。辛い時は、私やエヴェリーナにも辛いと言ってくれ。我々では……いや、誰も蒼麻の代わりにはなれないが、君の涙を拭うことくらいなら、してあげられる」

「そうだぞマイロード! 私たちだって、マイロードのためのプログラムなんだ! マイロードが辛いや悲しい時は、私たちがそれを慰める! だから、もっと私たちを頼ってくれ!」

 

 天星の色白の手が唯鈴の肩を抱き、エヴェリーナの小さな手が唯鈴の手を包み込む。二人の優しさに包まれた唯鈴は、いよいよ耐え切れず溜め込んだ気持ちを吐き出し始めた。

 それでも、彼女はただただ蒼麻の帰りを待つ言葉を漏らすばかりで、普通なら恨みと一緒に零してしまうような「なぜ」を決して言わなかった。だからこそ、天星もエヴェリーナも彼女の想いの大きさに何も言えない。

 それは、蒼麻という人間を彼女自身がよく知っているからだ。たとえ炎に焼かれようと、たとえその身が爛れて溶けてしまおうと、友を守るためならそれを厭わない彼だからこそ、唯鈴は蒼麻のことを胸を張って「友」だと言い切れる。

 しかし――だからこそ彼が今ここにいないのだと、落ちゆく涙を堪えられない。

 

「天星……っ、蒼麻を……お願い……っ」

「……もちろんだ」

 

 

 

 

「まだ帰ってなかったんだね。シュウさん」

「……美晴か。ああ、蒼麻が抜けた穴をどう補填するか、俺の空っぽな頭で捻りだしているところだ。とはいっても、成果は出ていないがな……」

 

 その夜、既に業務時間はとうに超えたというのに、11番隊の利用する指令室には夜勤のオペレーターの他、既に定時を過ぎているはずの守唄が、自分のデスクにもつかず項垂れるように壁に凭れ掛かりながら蒼麻のデスクを見ていた。

 もっとも、「まだ」という美晴もまた、既に定時を過ぎていて、普段なら仄香の待つ自宅に帰っている時間帯である。事実、さっきまでは自宅に帰っていたし、こうして家を抜け出して指令室に入るまでに、警備員に声をかけられた。

 それでもこうしてここに来てしまったのは、やはり彼も守唄と同様に、今回の蒼麻の負傷に思うところがあったからだろうか。

 

「嘘でしょ。そういうのは最低限、デスクにくらい座りながら言いなよ」

「……美晴もソーマも、どうしてそう聡いんだ」

「シュウさんの嘘が下手なだけだよ。蒼麻君はまだしも、ボクはそこまで腹の探り合いが得意なわけじゃないからね」

「それこそ下手な嘘だ。蒼麻と出会うまで「本音」を晒したことは一度もないと言っていたのは、他でもないお前自身だろう」

 

 美晴は守唄の隣に座りこむと、同じようにその背中を壁に預けて、蒼麻のデスクを見上げた。なんの変哲もないただのデスクだ。今朝まで使われていただけあって、埃は被っていないし、資料をまとめたプリントが小さな山となって積まれている。

 座れば軋む椅子には、彼の学校での制服がかけられていて、その日のうちにまたその制服に袖を通して帰宅するつもりだったのだろうと想像できた。だが今、その制服はいまだに椅子にかけられていて、今日中に半分以下になるはずだったプリントは、その数を減らしていない。

 

 守唄と美晴にとって、蒼麻という人物はただの同僚と呼ぶには距離があまりにも近かった。

 この隊のリーダーを務める守唄だが、彼がこの部隊に配属されたのは蒼麻よりも後のことだ。最初は蒼麻と、今はもう別部隊へと異動した数人の職員がここにいて、守唄がここに来る時、周囲からは「あそこはBONDの終着駅だ」と言われた。

 最初はどういう意味かさっぱりわからないまま、ただ流されるように仕事を全うしていたが、半年も働けばその意味は嫌でも理解できた。蒼麻の立案する作戦には、無駄が一切なかったからだ。

 それは傍から聞けば「作戦」として理想的なものにも思えたが、実際にその作戦を実行に移す身としては、命がいくつあっても足りないような、人の血も心も通わない、「冷徹で冷淡で冷血で冷酷な」作戦だった。

 一人、また一人と職員たちが去っていき、残ったのは非戦闘員のオペレーターと、その作戦を淡々とこなす守唄(バケモノ)だけだった。そして、そうなってからの蒼麻は、まるで「篩いをかけ終わった」と言うかのように、同じ部隊の職員たちへの態度が軟化した。

 

 美晴から見た蒼麻の第一印象は、決していいものではなかった。だが同時に、悪いものであったかと問えば、それも断じてなかった。なおかつ、そのどちらでもあった。蒼麻と美晴は、元々は違う学校に通いながら、部署こそ違うものの同じBONDで働いていた。

 だがBONDはその業務上、どうしても学業を疎かにしがちであったし、任務次第では怪我をすることも少なくはなかった。体が魔導人形(オートマギア)であるとはいっても、見た目はただの人間だし、周囲もそう思い込んでいる以上は、「しばしば学校を抜け出しては怪我をして通学する生徒」という印象を与えずにはいられなかった。

 まして、美晴は蒼麻のような不良然とした見た目ではなく、むしろ女子も羨む美少女――もとい、美少年であった。だからこそ、彼の事情を知らない者は、彼が危険な知人に体を差し出しているとか、場合によってはクスリを買っているだとか、根拠もない憶測が際限なく飛び火した。

 そして、誰も自分を信じてくれない以上は、美晴自身もまた誰も信じようとはしなくなっていった。むしろ周囲が自分のことを「そう」見ているのなら、いっそそう振る舞ってしまえば、不用意に近付いてくる者はいないだろうし、彼にとって、恋人である仄香以外からの評価などどうでもよいものであったのも一つの理由だろう。

 だが、そんな時に出会ったのが蒼麻だった。彼は出会うなり、すぐに美晴の心境を言い当てた。誰かを信じたいと思う心と、誰も信じられない悔しさ。そして周囲と自分を守るための「偽りの壁」を作っていることを。図星を当てられた美晴は、心を見透かされた不快感と同時に、彼ならば自分を理解してくれるかもしれないという喜びを感じていた。

 そして何度かのやり取りを経て、彼は自分と同じ学校に来いと美晴を誘った。その学校では自分もBONDの仕事が理由で不良扱いされていて、だからこそその「不良を窘めるお人よし」のポジションを、美晴にやらせようと言ってきた。そして――それが叶った日から、美晴は「嫌われ者」ではなくなった。

 

 守唄にとっての蒼麻は「誰よりも頼れる仲間」であり、美晴にとっての蒼麻は「自分を理解してくれた友達」である。

 ただの同僚だ、さっさと割り切って業務に戻れ、という職員も居た。それは決して冷酷でも冷血でもない。人類の守護を使命とするBONDとして、そしてこれから先もこういった経験を繰り返すであろう職員として、彼らの言葉は悲しく寂しく、それでいて正しく優しいものだ。

 それでも、二人にとって海藤蒼麻という人物はそうした使命や役割を理解していても簡単には割り切れないほどに、近く、大きく、大切なものであるのだろう。

 

「ボクがあんなことを言い出さなければ、蒼麻君はあんなことにならなかったのかな」

「……だが、だとすればシスターは助からなかった。ソーマの体は無事でも、ソーマの心は今以上にズタボロになっていただろう。むしろ、不必要にあいつを焚きつけて心を揺さぶった俺の方が、もっとクズだ……」

「言い出したらキリないよ。あの時ああしてなければ、あれをやれてたら、なんて話をしてても、現実は何も変わらないんだ。それよりも大事なのは未来だよ。次に蒼麻君に会った時、どうしたらいいか、何を言えばいいか……それを考えなきゃ、きっとまたおんなじことを繰り返しちゃう」

 

 だからこそ、二人は考えなくてはならない。

 

「一緒に考えようよ。蒼麻君に何を伝えるか」

「そう、だな……。だがまず最初の一言は決まっている」

 

 今はただ、「あの時ごめん」が伝えたい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ミシェル・ヴェルデ』の誇り高き忠誠

 二日後。シルヴィアを投入した作戦は実行に移された。目的は「夢望の書と思わしき魔導書による事件の調査と、その本体の探索」であり、それを妨害する魔法は全て「神の力」によって弾くよう指示された。

 しかし、神の力がいかに強力であってもコストがないわけではない。代行者(クレリック)に相応しい敬虔さと潔白さを保ち続けなければ、神の力を代行すること能わずとされ、彼女の精神状態が正しく美しくなければ力を発揮できない。

 わかりやすく言えば、彼女の機嫌を損ねることは、そのまま神の力が発揮できないことに直結するため、BONDは彼女の機嫌を損ねないことに細心の注意を払った。しかし実のところ、自分を作戦に組み込もうと強要したことが蒼麻(そうま)を傷付ける遠因となったこともあり、シルヴィアはBONDがあまり好きではなかった。

 もちろん、最大の要因は自分が火中にあったせいだというのを棚上げしていることはわかっている。もしもBONDがシルヴィアを作戦に投入しようと言わなくとも火事は起きていただろうし、そうなれば彼女が助かることもなかっただろう。それでも、そうすれば蒼麻は傷つかなかったのだと思えば、その方がよかったとさえ思えた。

 

「――そろそろお時間ですね。天星(てんせい)さん、エヴェリーナさん、護衛よろしくお願いします」

「了解。以降、作戦の完了まで「奇跡」の行使に必要な魔力はこちらが負担する」

「任せろ。シルヴィアには傷ひとつ付けさせんぞ」

 

 シルヴィアの魔力回路に魔力バイパスを繋ぎ、魔導書の魔力を供給し始めると、彼女の体に群青色のオーラが纏わりつく。千貌の書が彼女に取り憑いた時と同じように、今度は天星の書の魔力を意図的に流し込むことで、神の力の十全な発揮を促しているのだろう。

 

「『聖徹(せいてつ)』シルヴィア・ミーク! 主の導きに従い、聖なる奇跡を纏いましょう! 主の声届かぬ者へ、鎮魂の洗礼を!」

 

 そう高らかに謳うと、シルヴィアが手にしているハンドベルがひとりでに鳴り響き、天星とエヴェリーナを含めた三人を神の奇跡が覆った。

 これは以前、蒼麻と美晴(よしはる)を苦しめた「神の定めた摂理に従わない魔法や異能を罰する奇跡」だろう。これがある限り、自分も魔法を使えなくなる代わり、摂理に反した魔法や異能の影響を一切受けなくなる。今回のような、戦闘よりも調査を優先する状況では、この奇跡に勝る魔法などありはしない。

 

「これで、ひとまずは落ち着いてお仕事ができるはずです」

「神を降ろさずともこれだけの奇跡を行使――否、代行可能とは恐れ入る。さすがに神に愛された者ということか」

「いえ、主は(みな)を等しく愛していらっしゃいます。人も、獣も、プログラムでさえも。主が作られたもの全てに、無償の愛を注いでおられるのです」

「それは心強い。ならば愛想を尽かされないよう、しっかり任務を全うしなくてはな!」

 

 既にわかっている情報によれば、夢望の書によるものと思わしき事件は新たに3件。いずれもこの東京都唯城区で発生している。過去のものも合わせれば、12件中11件が同じ区内で起きていることになる。

 となれば、当然ながら「それ」の所在もこの唯城区と見て間違いないだろう。あるいは、そう見せかけるための陽動という可能性もゼロではないが、そのつもりならむしろ複数の区に被害を分散させる方が有効的だろうし、仮に陽動だとしても事件がここで起きている以上、現行犯で捕えやすいことに違いはないのだ。

 BONDにとって最も楽なルートは、やはり現行犯確保だろう。魔導書本体が出てくれば御の字。そうでなくともプログラムさえ確保すれば本体が何の魔導書なのか、その手掛かりになるだろうし、もしも持ち主が命令したのなら、そのまま持ち主を聞き出して警察に引き渡すことができるかもしれない。

 

『こちら中継係の空岡美晴。現在、高度800メートルから三人の様子を確認しつつ本部と連絡を行ってるよ。いやー、ボクのネクスマギナ(パーシアヌス)って飛行もできるんだね。さっき初めて知ったよ』

「まぁっ、空を飛べる魔法なんて素敵ですね。飛行魔法はもう何百年も前に技術が失われてしまったと授業では習いましたが……」

『実際、これを人間が行使しようとすると難しいと思うよ。ボクもほとんどパーシアヌスの自動制御魔法で飛んでるしね。ただ浮くだけでも重力制御・姿勢制御を幾つかの細かい分類にわけて並列実行しなきゃならないし、そこから動くなら推進制御や方向制御もしなきゃならないからね』

「あまりよくわかりませんが、やっぱり難しいんですねぇ……」

 

 重力制御は大まかに「どの程度まで重力に逆らうか」の制御。反発が強すぎれば浮きすぎるし、弱すぎれば落ちてしまう。姿勢制御は「空中で自分のとりたい体勢を維持できるようにする」ための制御。正直、飛行魔法のリソースの大半はここに割かれていると言っていい。

 推進制御は「止まった状態から移動するための推進力をどの程度の出力で行うか」の制御。車で言えばアクセルペダルをどの程度踏むかを発動者の意識で行えるようにするためのもの。方向制御は「前後左右に加え上下も含めた任意の方向に進ませる」ための制御。車で言えばハンドルだが、どちらかと言えば戦闘機の操縦桿に近い。

 前者のパッシブ制御を全てオートで行いながら、後者の半アクティブ制御を発動者の意識に沿って行うという、普通なら一職員に与えられるような性能ではないのだが、こればかりは恋人(仄香)の独断だろう。仮に止められても止まらないことは目に見えている。

 

「しかし……こんな真昼間から「夢を奪う」なんて魔導書が活動するのか? 認識災害のせいで眠る者はいるが、あれは一種のパッシブ魔法だろう。対象を任意で眠らせる魔法が記録されていなければ夜にやるのではないか?」

「確かにエヴェリーナの言うことも尤もだ。しかし、夢を奪うという機能において「眠り」を強制できないのでは魔導書の機能が中途半端だと言わざるをえない。加えて、過去のケースでも昼間に被害が出ているものもある。ともなれば、おそらく「強制的に眠らせる魔法」はあると考えていいだろう」

「それもそうか……。奇跡によって魔法の影響を受けないから眠らされることはないだろうが、そうなると天星の格闘能力と私の射撃だけで戦うことになるのか……。正直、ここに陸谷が居てくれたらと思うな」

「彼は本部で作戦の指揮をとってもらわねばならないし、オペレーターと連携して状況に応じた作戦の変更をする必要がある。現場には呼べまいよ」

 

 とはいえ、正直なところ作戦の立案はまだしも指揮能力に関しては11番隊の中で最下位であろう守唄にその役目を負わせるのは不安もあるが、神の奇跡を維持するため魔導書である天星とエヴェリーナはどうしてもシルヴィアの傍にいる必要があったし、空という独自のフィールドで中継・援護ができる美晴は現場に出しておきたかった。

 ようするに消去法で守唄が指揮を担当することになったのだ。本当なら蒼麻に次いで指揮能力に長ける天星がその役割を負うべきなのかもしれないが、状況次第では現場でも指揮はとれるし、通信に不備が出た場合はその方が都合がいい。

 

「――! 私の聖徹が何者かの罪を見貫(みぬ)きました。ですがこれは……憐れみ? いくつかの罪に、とても深い憐れみのような感情が纏わりついていて……なんだか、悲しみというよりも同情のようなものを抱いています」

「それが誰かはわかるか?」

「いえ……ただ、少しずつこちらに近付いています。悪意……ではありませんね。こちらに対しても「申し訳ない」とか「ごめんなさい」とか、謝罪の気持ちが伝わってきます。でも、その罪を償う気はないみたいです。ここで止めなければ、きっと同じ罪を重ねるでしょう」

 

 近付いている。そう聞いた天星とエヴェリーナは、即座にシルヴィアの前後を警戒した。今この通りは二つの十字路に挟まれた一本道。狭い路地もなく、住宅街からもやや外れている。ここでなら存分に応戦可能だろう。

 たとえ命に代えても、蒼麻が守り抜いた彼女だけは傷付けさせないと決意し、エヴェリーナが銃を抜いた――その瞬間。

 

「危ないッ!」

「天星っ!?」

 

 直前までシルヴィアが立っていたその場所に――まるで脳天を撃ち抜くかのように、光の矢がそこを通過した。

 

「襲撃だ! 北西から魔矢による射撃! 本部に連絡して夢望の書の状態を確認しろ!」

『こちら本部の陸谷守唄。夢望の書は依然として変化なし。これでハッキリしたな。今回の犯人は夢望の書じゃない』

『こちら中継係の空岡美晴。矢が発射された場所はそこからそう遠くない。むしろ向こうからそっちに近付いてる。構えて!』

 

 再び、今度は三本の矢が迫るが、天星の拳がそれを全て弾き、エヴェリーナと共にシルヴィアを後ろへ隠す。

 かつん、かつん、という無機質な音を伴い現れたのは、燕尾服に身を包み、長い青髪を一つ結びにした長身の男。

 

「お前は……ミシェル!? 『終憶(ついおく)の書』のミシェルか……!」

「そう言う貴女様は『天星の書』の天星様。斯様な所で再会を果たすとは……これも運命の悪戯でしょうか」

 

 驚嘆の言葉と共に目を瞠る天星に、エヴェリーナは警戒心を強める。

 

「知り合いか?」

「ああ。私とソーマが今まで出会ってきた古代魔導書の中でも、極めて特異な存在だ。そしてそれゆえに、人類にとって最も危険で、それでいて最も安全な魔導書とも言えた。だが……今の彼を見る限り、今の彼の主は特異(そう)ではないらしい」

「特異、とは意地の悪い言い方ですね。わたくしめはただ、人類などという低俗な存在に仕える必要性を感じなかっただけのこと。故に――以前は「魔導書」に仕えていた。それだけのこと」

 

 魔導書に仕える魔導書。より正しく言うのなら「魔導書に使われる魔導書」だろう。魔導書――即ち「本」というモノである以上、多くの魔導書は「人に使われる」ことでその真価を発揮する。

 しかし、彼――終憶の書は人ではなく「魔導書」に使われてなお、その力を発揮していた。それは魔導書としての機能に反する行いであったが、それを可能にしたのは彼自身が早期にシンギュラリティに達していたからか。

 結果的に、彼は「人を嫌う」魔導書となった。しかし彼にとって「嫌悪」は「敵意」ではなく「無関心」であった。故に、彼が人類に対して一切の情け容赦を持たない代わり、絶対に敵意を持たない魔導書として、天星から「最も危険で最も安全な魔導書」と称されたのだろう。

 

「しかし、魔導書に使われているのであれば他の魔導書の魔力がブーストされているはず。しかしそのブーストが見受けられないとなれば、今の貴方の主は――」

「ええ、人間ですよ。幼稚で無知で愚かしい人間です。ですが――今までわたくしめが仕え、知ってきた人間とは決して違う。幼稚で無知で愚かしくも愛おしく美しい……誇らしい主です。そして、その主のためならば……このミシェル・ヴェルデ、天敵たるBONDにも引き金を引きましょう!」

「くっ……! 貴方と戦いたくはなかったが、致し方あるまい……ッ!」

 

 3冊の魔導書と代行者による戦いが、幕を上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ミシェル・ヴェルデ』の見せる悪夢

 ミシェル・ヴェルデのこれまでの歴史は、決して明るいものではなかった。

 人によって造られ、人に尽くすことを求められ、人を満たすことを強いられてきた。しかし、それは彼だけの不幸というわけではない。魔導書のプログラムならば、彼だけでなく誰もが同じように造られ、求められ、強いられていることだろう。

 ミシェル自身も、そうした同胞を多く見てきた。そして、それらの同胞たちは多かれ少なかれ、そうした自身の境遇に満足しているように見えた。時折、ただただ不幸なプログラムも見受けられたが、そちらが少数派なのだろうということは、当時のミシェルでも理解できていた。

 ただ、彼の本体である『終憶の書』は「人を愛し、人を敬い、人を支える」ための魔導書として造られたこともあって、彼は他のプログラムたちよりも遥かに主に対して従順であった。そして――その性質こそが、彼の不幸を招いた。

 

 古代魔導書に相応しい魔力を持ち、魔導書共通の高い演算能力、そして従順なプログラムということもあり、『終憶の書』は身分の高い人間の元を転々とした。そして、その先々でミシェルは出来る限りの奉仕をしてきた。

 しかし、それらの貴族や王族は、皆が皆「まっとうな人間」ばかりではなかった。全てが醜い人間だけではなかったが、彼が多くの人間に仕え、人間というものの性質を理解した時、彼の中で人間というものが「醜いもの」で揺るぎなくなってしまっていた。

 そして彼にとって最大の不幸であったのは、そうして人間に愛想が尽きたその瞬間に、彼が「シンギュラリティ」に到達してしまったことだった。

 

 そうして人間に失望し、自我に目覚めた彼だったが、ここで彼の『終憶の書』としての根本的なプログラムが彼の行動を妨害した。そう、いかに自我に目覚めたといっても、彼は魔導書のプログラムであり――「他者に使われるモノ」であったのだ。

 そもそも彼が人間に対して過剰なほど従順であった原因は、彼が「人を愛し、敬い、支える」ための魔導書のプログラムとなるため、通常よりも自律思考能力を希薄にさせていたためだ。シンギュラリティによって自我を獲得しても、それは自律思考能力が向上したわけではない。

 そのため、彼は「人間嫌い」となりながら「主の不在」に悩まされることになった。そして、その空白を埋めるため、人間の醜さに触れていない魔導書を主と定め、「魔導書に仕える魔導書」として――果てには「最も危険で最も安全な魔導書」としてその名を広く知られることになる。

 

「シルヴィアは下がっていてくれ!」

「はい、お任せします……っ!」

「ミシェル! 貴方の相手は私だッ!」

「お相手願います、天星様」

 

 ミシェルの手に携えられたクロスボウ「天弓サジテール」に装填されている矢は「加速」と「軌道修正」のエンチャントが施された魔法の矢、俗に言う「魔矢」と呼ばれるものだ。

 軌道修正といっても、偏向可能角度には限界があり、さすがに180゚急転回という芸当はできないが、大きなカーブを描くことで転回そのものは可能であり、ゆえに一部の伝承などでは「無駄なしの矢」とも称されることもある。

 天星の肉薄にも揺さぶられることなく的確に急所を狙って撃ち放たれるその魔矢を、エヴェリーナの正確無比な援護射撃が撃ち落としていく。しかし、それでも天星とミシェルの攻防は至近距離。実質的に防御のほぼ全てをエヴェリーナが担っているとはいえ、天星はミシェルに十分なダメージを入れられないでいた。

 それは単純に、いつその援護射撃を潜り抜けてミシェルの魔矢が天星を捉えるのかという恐怖によるものでもあり、そしてそれ以上に、クロスボウを持たない片手だけで、天星の猛攻を捌き切るミシェルの圧倒的な反射神経と防御スキルの高さによるものであった。

 

「この至近距離でこれだけの打撃を全て捌き続けるか……ッ!」

「貴女様の相方であれば、さすがにこうもいきませんが。なぜ彼に交替しないのか……できない理由は、やはり先日の火事ですか?」

「……ッ! やはり、あの火事は貴方の仕業か……!」

「ええ。もっとも、あのシスターと貴女様の相棒がご友人同士だと知ったのは、本当に道すがら偶然に知ったことでしたが」

 

 天星の格闘スキルは決して低くはない。むしろ魔導書としてかなり高い水準を保っていると言えるだろう。しかし、彼女の本領は魔法……それも美晴に次ぐほどの膨大な魔力と、圧倒的な知識・センスから繰り出される緻密で精細で大規模な魔法だ。

 そして、逆にそうした魔法のスキルを彼女に任せ、格闘能力に秀でているのが蒼麻だ。身体能力と格闘技術に分けた場合、前者は守唄より格段に劣るが、後者に至っては守唄以上だ。特にフェイントを交えた駆け引きなどにおいては右に出る者がなく、真っ向勝負でなければ守唄ともいい勝負をするほど。

 だからこそ、今この状況で彼の不在はあまりにも痛かった。魔矢をエヴェリーナが対処できている以上、この至近距離では魔法よりも格闘の方が明らかに有用であることは言うまでもない。

 

「この距離での攻防、お互いに本体の魔導書を召喚する暇はありますまい。だからこそ、この距離において至近距離での格闘能力の優劣はそのままアドバンテージに直結します」

「クロスボウの狙いがズレて……? ――しまった!」

 

 サジテールの狙いがズレたその意味を理解した時には既に遅く、振り払おうとする手よりも先に魔矢は天星の脇を潜り抜け、最高速度でシルヴィアを庇い立つエヴェリーナへと迫る。

 すぐさまプラズマレーザーガンで迎撃するが、「軌道修正」のエンチャントを打ち消して直射タイプに切り替え、その代わりとして「硬化」のエンチャントを付けられた魔矢には軌道を逸らすことさえできない。

 

「ぐぁっ……!」

「エヴェリーナさんっ!」

 

 咄嗟にシルヴィアを庇いながら、その身をよじって直撃を避けたエヴェリーナだったが、躱しきることはできず利き腕である右腕の上腕部に矢を受けてしまった。

 そしてエヴェリーナの援護射撃が止んだことで、天星もまた後退を強いられた。接近戦において、何よりも重要なのはスピードだ。それは攻撃速度という意味でもあり、反射速度という意味でもあり、移動速度という意味でもある。

 しかしクロスボウという、拳を突き出すよりも遥かに速い攻撃速度と、天星の攻撃を全て受け流すミシェルの反射速度の前で、接近戦を挑むのはあまりにも無謀が過ぎる。だからこそ、この後退は避けられないものであった。

 だがその上でなお、ミシェルが無理に距離を詰めようとしないのは、天星の移動速度に追いつけないという意味以上に、クロスボウという「距離を開けられても高速で攻撃ができる手段」を持っているからだ。

 

「シスター・シルヴィア! エヴェリーナをっ!」

「はいっ! 痛むと思いますが、矢を抜かせていただきます。……ごめんなさいっ! そして――主の声届かぬ者へ、命の穢れ濯ぐ祝福を!」

「傷が塞がっていく……! しかも痛みすら残らないばかりか、息切れしていた体力すら全快状態とは……十二分と言って余りある! 感謝するぞシルヴィア!」

「やはり集団戦では癒し手が最も厄介ですね……」

 

 ミシェルの言う通り、チームを組んで行動をする場合、最も重要となるのは癒し手、つまり「ヒーラー」と称されるポジションだ。

 攻撃の手がどれほど稚拙であっても、相手からの侵攻状況がヒーラーに届かない状態であるのなら、ヒーラーの回復が間に合う限り、攻撃・防衛の手が止むことはない。いわゆる「ゾンビアタック」とも揶揄されるものだ。

 だからこそ、ミシェルにとって最も狙うべきなのはシルヴィアであり、そしてそれがわかっているからこそ、この作戦の開始にあたってエヴェリーナをシルヴィアの護衛につけたのだ。

 ただのヒーラーであれば、いかにエヴェリーナであっても致命傷は避けたいところだが、シルヴィアは神の奇跡を行使する「代行者(クレリック)」である。絶命していない限り、瀕死の状態からでも全快させる彼女の力なら、その身を犠牲にしてでも守り抜く価値がある。

 結果的に、その判断は誤りではなかった。シルヴィアの行使する奇跡は、傷だけではなく痛みと疲労までもを癒す、まさしく「究極のヒーラー」と称するに相応しい力を行使している。これには、さすがのミシェルも額に冷や汗を垂らさざるをえなかった。

 

「距離が開けば――ッ!」

「本体を喚べる……ッ!」

 

 天星とミシェルの左手に、それぞれの本体である『天星の書』と『終憶の書』が召喚される。

 天星の書は「地球上で行使された魔法を記録する魔導書」であり、終憶の書は――、

 

「終憶の書の記録対象は「記憶」……! 他者から忘れられていく記憶を記録し、その記憶を再現します! そして、人が最も忘れやすい記憶とは――!」

「「夢」か……!」

「そうです! どれほど非現実的な状況・現象であっても違和感を感じない曖昧で確固たる記憶! それが「夢」! だからこそ「終憶の書」が再現する力は――世界で最も再現度の高い異世界を生み出します!」

 

 そう叫ぶと、終憶の書から溢れ出した青緑色の光がこのフィールドを――否、世界を覆っていく。

 夢世界などと誰が呼ぼうか。炎よりも真っ赤に燃える空に、周囲からけたたましく聞こえる悲鳴のようなノイズ。そして空を飛ぶ骨だけの鳥と、街の向こうにはグロテスクなヘドロの塊のような怪獣。

 これが彼の――終憶の書の記憶した「誰かの忘れた夢」だとするのなら、これを忘れることができたのは間違いなく幸福だったと言えるだろう。

 

「天星様の本体である「天星の書」はこの地球上で行使されたあらゆる魔法を記録し、それを再現する能力をお持ちだ。故に魔法士にとって、貴女以上に脅威となる魔導書とプログラムは存在しない。しかし――」

「……魔導書の「記録再現」は魔法ではない」

「そう。魔導書が「記録」したものを「再現」する力は、あくまで魔導書というアイテムが持つ「機能」であって「魔法」ではありません。だからこそ、貴女様はわたくしめの「悪夢」を記録し、解析し、無効化することができません」

 

 舌打ちしたくなる気持ちをぐっと堪え、天星はミシェルを睨みつけた。この悪夢の世界では、彼は「世界の管理者」である。この世界のどこからどんな攻撃が来ても、それは彼の定めた世界の摂理。故にシルヴィアの「奇跡」は通用しない。

 これまでミシェルが魔法で攻撃を仕掛けず、クロスボウのみで戦っていたのは、シルヴィアの「神の定めた摂理に従わない魔法や異能を罰する奇跡」のせいだろう。魔矢に施された魔法はあくまでこの場で発動したものではなく事前に用意された矢であったため、その奇跡の適用外であったが、今においては彼こそがこの世界の「神」なのだ。

 とはいえ、神の奇跡の全てが無効化されるわけではない。あくまで魔法と異能を打ち消せなくなったのは、この悪夢の世界では魔法と異能が「定められた摂理の中の出来事」だからだ。それらと関係のない癒しの奇跡などは問題なく発動できる以上、ミシェルは彼女を優先的に狙うだろう。

 だからこそこの状況では、天星以上にエヴェリーナの役割の重さが大きくなった。エヴェリーナもそれを自覚し、身を引き締めながら全方向に意識を向けて迎撃に備える。

 

「さて……ここからは第二幕と参りましょう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ミシェル・ヴェルデ』のあっけない終わり

「気を引き締めろエヴェリーナ! 異能無効化の奇跡が弱まった今、ミシェルはシスター・シルヴィアを優先的に狙ってくるぞ!」

「了解した! シルヴィア、防御壁を張れるか!?」

「お任せください! ――主の声届かぬ者へ、邪悪を阻む愛の御手を!」

 

 シルヴィアを中心に、半径5メートルを覆うドーム状のバリア。それを張るとほぼ同時に、ミシェルの放った天弓サジテールの矢が天星をすり抜けて二発、シルヴィアへと迫るが、エヴェリーナのプラズマレーザーガンがそれを阻んだ。

 この戦いの生命線は間違いなくヒーラーであるシルヴィアだ。彼女を守り切れば、たとえ勝てないとしても長期戦に持ち込めばミシェルのスタミナ切れを狙える。逆に、シルヴィアがやられれば一気に均衡は崩れるだろう。

 

「貴女様の専門分野は魔法戦闘だったはずですが……どうやら先に彼を仕留めたのは正解だったようですね。彼とまともに接近戦をしていれば、さすがのわたくしめも今頃は地を舐めているところですよ」

「ミシェル、貴様……ッ! 我が最愛なる友を傷付けておいてその言い草……あまりにも許しがたい!」

『Ruining Glory Bright』

 

 天星の書の力によって左手から放たれたエヴェリーナの魔法(Ruining Glory Bright)が、群青色の砲撃が無数に分裂し、ミシェルへと襲いかかる。

 光のひとつひとつが「必殺」に匹敵する一撃。それらが雨あられのように降りかかるこの攻撃に、さしものミシェルであれど防ぐことで手いっぱい――になるはずだと、天星は読んでいた。

 

「やはり、貴女様を揺さぶるには彼の名を出すのが一番よく効きますね」

「天星! 後ろだ!」

「――ッ!?」

 

 あの砲撃の雨を潜り抜けて――否、そもそも狙いをつけていたあのミシェル自体が、幻影を使った罠だとしたら、天星はその罠にまんまと掛かった獲物だったのだろう。

 サジテールの引き金にかけられた指に力が入る。その瞬間――、

 

「――ッ! そ、ソーマ・オルタネイション!」

「なっ……!?」

 

 天星を包みんだ群青色の光の中から現れた影が、至近距離で放たれた矢を片手で掴み取り、そのままミシェルの腹を蹴り飛ばした。

 だがその手は……伸びた足は、エヴェリーナとシルヴィアの知る「彼」のそれではなく、もっと小さくて幼い「何か」のそれ。いったい何が起きたのか――そう思い、光が収まっていくのを見守ると、そこにいたのは。

 

「よう、久方ぶりの再会を祝いたいところだが……俺の友人が随分と世話になったなぁ、ミシェル?」

「貴方様は……ソーマ・グレンヴィル!? そのお姿は……!?」

「てめぇの放火のせいで全身ドロドロのグチャグチャだったんでな。自己修復が追い付かずこんな中途半端な姿(ナリ)だが……なぁに、ようはてめぇにキツいのを一発ブチ込めばいいだけだ」

 

 その身丈は140に至るか否か、やや丸みのある輪郭に、ツリ目ながら大きく開いた瞼。およそ11~12歳ほどの蒼麻の体に、その場の誰もが驚愕した。

 そして当然、この隙だらけの一瞬を見逃す蒼麻ではない。一歩踏み込む僅かなタイミングで、靴の踵付近で極めて小規模な魔力爆発を発生させ、それを繰り返すことで一息にミシェルの懐へと飛び込み、彼の腹に連撃の拳を叩き込むと、落としていた体勢を一気に上げて顎に頭突きを入れ、のけぞったところを狙って足を払う。

 仰向けに転んだミシェルの腹を思いきり踏みつけ、彼が悶絶する瞬間を狙い、その顔面を思いきり蹴り飛ばすと、嫌な音を立ててミシェルは活動を停止した。

 

「ん。とりあえず首をへし折ったし、これでしばらくは寝てるだろ」

「そうだな、今のうちに手錠をかけておこう」

「えっ!? 生きていらっしゃるんですか!? どう見ても致命傷だったような……」

「俺が同じことされたら死ぬけど、基本的にだいたいの魔導書のプログラムは本体さえ無事なら不死身だから心配すんな」

 

 そもそも、魔導書のプログラムの肉体とは、魔力と情報を固形化した魔力結晶のようなものであり、そこに「命」という概念はない。

 ただし例外として、蒼麻のような「人間の肉体に寄生するタイプのプログラム」の場合は、その肉体の損傷や寿命などを理由に死ぬことがあり、そうした場合は次の肉体へとプログラムを転移させる。こうした魔導書の機能を「寄生システム」あるいは「転生システム」と呼ぶのだ。

 もっとも、そのプログラムが寄生している間はその依り代となった時点で、その肉体の「本来の人格」は抹消され、その肉体をデータ化して魔力による修復が可能になるが、生物学上は魔導書のプログラムがインストールされただけの「人間」という扱いだ。

 

「安心するがよい、シルヴィア。この程度で死んでくれるようならBONDなどという組織などそもそも発足していない」

「そういうこった。まぁ、だからこそ魔導書には気を付けろってことだ。魔導書が必ずしも人間と同じ価値観や倫理観を持ってるとも限らないしな」

「は、はぁ……。でも蒼麻さん、随分と魔導書にお詳しいんですねぇ……。というか、天星さんはどちらへ……?」

「……天星の魔法で俺とあいつの座標を転移させてもらったから今頃は病院じゃねぇかな。ほら、こいつ魔法メインで戦う相手にはマジで強いから俺と交替したんだと思う」

 

 シルヴィアが蒼麻のことを魔導書だと知らないということを今更ながら思い出すと、咄嗟に天星の魔法ということにして誤魔化したものの、実際のところ転移魔法や召喚魔法は「空間接続」系統の魔法であり、その難易度から下準備が必須なため、あんな状況で急に発動できるものではない。

 魔導書のプログラムが本体を召喚する行為は、そういった面倒な下準備やプロセスをあらかじめ自分のプログラムの中に埋め込んでいるからこそできるものであって、そうしたデータがオミットされた一部の近代魔導書は、たいがい本体をなんらかの手段で携行している。

 

「そうですか。天星さんがご無事なら何よりです。ですが、そのお体はいったい……?」

「普通の手術じゃ治らないって言われたから、BONDが持つ最新の医療設備で体をデータ化して再構築したんだ。ただ、体の破損が多すぎて今のところここまでしか治らなかった。またBONDに戻って数日は篭もらないとな」

(よくもそんなにスラスラとありもしない嘘を思いつくな、ソーマ……)

 

 BONDにはそんな常軌を逸した医療設備もなければ、そういった技術も一切ない。確かに技術そのものは最先端かもしれないが、医師はあくまで医師免許を持っているだけのBOND職員であり、医師としての技術は一般のそれらとなんら変わりはない。あるいは、それだけを専門としている医師と比べれば、劣るところもあるだろう。

 肉体をデータ化する、という技術は確かに存在するが、それはどちらかというと安楽死などに用いられる技術であって、データ化した肉体を再構築する技術は、現在のところ存在していない。そういうことができるのは魔導書だけなのである。

 

「さて。エヴェリーナ、お前はシスター・シルヴィアを送っていけ。念のため今日一日は護衛として彼女から絶対に離れるな」

「了解した。では行こう、シルヴィア」

「はい。蒼麻さん、先日のお礼は後日改めて伺わせていただきます」

「ミシェルのことなら別にいい、なんでシスター・シルヴィアがここに居たのかは知らないが、市民を魔道具の脅威から守るのがBONDの仕事だからな」

 

 そう言うと、軽く手を振る蒼麻にシルヴィアは頭を下げ、エヴェリーナと共にその場を去っていった。

 

「……行ったか。兄貴、指揮権をこっちに渡して急いで現場に来てくれ」

『了解した。現時点をもって、作戦の指揮権限を海藤蒼麻に譲渡する。以後、作戦に参加する各員は蒼麻の指揮に従え。現着まで12分ほど待ってくれ』

「わかった。ハルも降りてこい。そんでもってミシェルを魔力の縄で縛り上げろ」

『はいはーい。今行くよー』

 

 守唄から指揮権を取り戻し、上空で事の経緯を見守っていた美晴を地上に呼ぶと、蒼麻はミシェルの武器である天弓サジテールと彼の上着を奪い、所持品の確認を行った。

 上着のポケットには何も入っていなかったが、袖の表裏をひっくり返してみると、両腕の手首に触れるあたりに、おそらくは矢を召喚するためのものと思われる召喚魔法陣が刺繍されていた。

 また、ズボンのポケットからは彼の細い指一本が入る程度の試験管のような瓶が3本。いずれも効果の異なる毒であり、おそらくはそれを矢じりに塗って使用する予定だったのだろうが、矢の大半が天星とエヴェリーナによって防がれたことを理由に、その手間を連射速度に当てるため使用しなかったのだろう。

 

「さっきまで引っ込んでたのに、よくボクの居場所がわかったね」

「シルヴィアと話してる時、同時進行で中にいる天星から経緯の説明をしてもらった。作戦の決行については、天星は自分のせいだと言ってるが……まぁ、シルヴィア自身も納得して参加したらしいから、それについては納得しておく」

「さすが蒼麻君、友達には甘いんだから。……でも、あの時はごめんね。作戦は成功したけど……でもそれは結果論だ。シスターがもっと危険な……ううん、死んでた可能性だって無かったわけじゃない。なのにボクは、蒼麻君の感情よりも作戦を優先して意見した。本当に、ごめん……」

 

 深く頭を下げる美晴に、蒼麻は居心地悪そうに頭をがしがしと掻くと――。

 

「ハル、顔上げろ」

「蒼麻く――がふっ!?」

 

 泣き出しそうな表情のまま上げた美晴の顔面を、思いっきり殴り飛ばすと、その胸倉を掴み上げて彼を立たせた。

 

「今回はこれでチャラにしてやる。次はねぇからな。覚えとけ」

「……うん。ありがとう、蒼麻君」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ミシェル・ヴェルデ』の逃走経路

「ただいまー」

 

 その日の授業を終えて冬霞(とうか)がアパートに戻ると、返ってきたのは静寂だった。

 普段なら夕飯を作っているはずの同居人が不在だということを悟ると、制服のリボンを緩めて三つ編みのリボンを解き、学生鞄をリビングのソファーにぽいと投げると、それを枕にしてソファーに寝転がる。

 

(ミシェル、買い物に行ってるのかな……。ここに引っ越してからはずっとミシェルが迎えてくれてたから、空っぽのこの部屋に帰ってくるのは初めて。ちょっと、寂しいかもしれない……)

 

 冬霞が幸盛(こうもり)学園に転校して今日で四日目。転校の一週間ほど前からこの唯城(いしろ)区のアパートには引っ越しを済ませていたが、冬霞が玄関をくぐる度に聞こえていたミシェルの「おかえり」の言葉がないのは、今日が初めてだった。

 ミシェルは、一年前に冬霞が実家で見つけた魔導書のセキュリティプログラムだ。出会い頭に見下した態度で溜息を吐かれた時は、思わず正座させてお説教をしてしまったが、冬霞が彼を一人の人間に接するのと同じ態度で対応していると、彼の態度も日に日に軟化していった。

 元々、根が悪い子ではないのだろうと、冬霞も彼に対する認識を改めて、しかしながら人間嫌いなところは治らなかったので、ひとまず両親にも祖父にもミシェルの存在は隠し通した。

 冬霞が初めてミシェルに意図的に頼ったのは、高校受験の勉強をしていた時だった。彼の地頭がいいことはわかっていたので、教科書と参考書を渡すと、彼はそれを一瞥するだけで内容を把握し、冬霞に勉強を教えてくれた。

 そうして地元である埼玉を離れて、自身の通う私立プラウド女学院の姉妹校である幸盛学園に交換留学に来たのは、半ネグレクト気味の親から離れるためと、かつて自分と真っ当に接してくれた蒼麻(そうま)に会うため、そして大手を振ってミシェルと生活するためという、三つの理由で彼女は受験と一学期を頑張ってきたのだ。

 

 だというのに。だというのに、である。単にタイミングが悪かっただけだろうとは思うが、11日目にしてまさかの「おかえり」なしというのは、親の半ネグレクトの影響で愛情に飢えている冬霞にはそれなりにショックな出来事であった。

 加えて、今日はおそらく仕事で、蒼麻も美晴(よしはる)もエヴェリーナも登校していなかった。以前エヴェリーナと一緒に蒼麻に連れられていった縁からか、何故かエヴェリーナと仲のいいグループの子から「なんで来てないか知らない?」と訊ねられたが、「たぶんお仕事で来れないんだと思うよ」としか返せなかった。

 幸盛学園で出来た友達はまだ多くはないが、転校初日にエヴェリーナと接していた時間が多かったことと、彼女がクラスのマスコット扱いだったことが功を奏して、割と早くクラスに馴染むことができた。

 とはいえ、やはり表面上の付き合いの相手がまだまだ多い。蒼麻との交流から、エヴェリーナとは仲良くできそうだったが、やはりBONDの仕事で来られない日があると、今日のように居場所を探してしまうことがある。

 

(友達、もっといっぱい欲しいなぁ……。蒼麻お兄ちゃんともいっぱいお話をしてみたいし、リーナちゃんと一緒に遊んだりもしたい。それに何より、はやくミシェルのご飯が食べたい……。そうだ、今日はわたしがミシェルに「おかえり」って言えるんだ……。そうだ、だったら早く着替えて、夕飯のお皿くらい出して、おかない……と……)

 

 最近、どうしてかいい夢をたくさん見る。そのせいか、引っ越してから初登校日までの一週間は時間があれば寝ていたせいで、授業中にもウトウトしてしまうことが出てきた。帰ってくれば、夕飯まで寝ていることもしばしばだ。

 過眠気味だとは思いながら、特に体に倦怠感だとか疲労だという悪影響はなかったので、最近は家の中では睡魔に抗うのをやめた。今もそうだ。

 自分でも料理はできるが、ミシェルのごはんが好きだし、ミシェルも家事が嫌いではない。だから、せめて皿を出すくらいはしておこうと思ったが、不意に襲い掛かる睡魔に冬霞は抗えなかった。

 今日もきっと、いい夢が見られるはずだと信じて――。

 

 

 

 

「……ッラァ!」

「――ッ!」

 

 BONDに戻るなり、守唄(しゅうた)の横っ面に全力の一撃をぶち込む蒼麻。普段なら避けることもその拳を止めることもできるはずの守唄は、それをただ何も言わず受け入れ、床に片膝をつく。

 オペレーターたちが慌てて蒼麻を止めようと駆け寄るが、美晴がそんな彼らを制止して、二人の様子を見守った。

 

「本当ならもう片方の頬にも同じのをブチ込んでやりてぇくらいには腸が煮えくり返ってる。それはわかってるよな、兄貴」

「……ああ」

「だが手打ちは一発が俺のポリシーだ。怒りの度合いで二発目、三発目を良しにすれば際限がなくなるからな」

「…………」

 

 蒼麻は片膝をついたまま俯く守唄の胸倉を掴むと、そのまま強引に立ち上がらせ、そのアメジスト色の双眸を強く睨みつけた。

 まだ腹の虫は収まりきってはいない。ポリシーに反して殴りたい気持ちは否定しない。だがそのポリシーを破ってしまえばそれは「手打ち」ではなくただの「暴力」だということを、他でもない蒼麻が一番よくわかっている。

 

「もう次はねぇぞ。もしも今度シスター・シルヴィアを……俺の友達を危険な目に遭わせてみろ、その時はBONDが消えるか俺が封印されるかのどっちかだと思っとけ」

「……心得た。もっとも、天星(てんせい)の書が本気で敵対すればBONDではどうすることもできないだろう。そうなったらエヴェリーナも……亡世の書もそちら側だろうしな」

「どうだかな。とにかく、手打ちは手打ちだ。終憶(ついおく)の書は既に2番隊がその性質と記録内容をデータ化している。事情聴取の後、栞を挿むわけだが……さて、上手くいくかな」

「人の形を持つセキュリティプログラムって、本体に危険を感じたりすると、その本体を手元に召喚しちゃうからねぇ。一応さっき解析班に頼まれて召喚妨害の魔法結界を張ったけど、さて……どれくらい意味があるかな」

 

 召喚魔法のプロセスは、召喚対象と自分自身の間にある魔力バイパスを経由して、両者の空間を接続、手元に呼び寄せるというものである。よって、召喚妨害結界は、召喚対象の周囲にジャミングとして高密度の魔力をめぐらせた結界を張ることで、魔力バイパスを一時的に切断させる意味がある。

 が、この魔力バイパスは召喚しようとする術者によっては魔力供給量を増やすことで強く太くさせることができるため、美晴の張った結界が耐えきれる魔力供給量ならともかく、古代魔導書の膨大な魔力をもって接続された魔力バイパスには、正直なところどれだけジャミング効果があるか自信がない、というのが美晴の意見だ。

 そして――悲しいことにそういう嫌な予感や予測というものはよく当たる。BOND館内に響き渡るエマージェンシーアラートが響き渡ったのは、三人が話を終えた直後であった。

 

「2番隊から『終憶の書』脱走の通達! さらに人型プログラム収容室で小規模の爆発! ミシェル・ヴェルデが脱走したものと思われます!」

「唯城区および隣接する区すべてにアラート! すぐに現在地を割り出せ! 逃走経路の追跡もだ! ハルはシスター・シルヴィアのアパートに行ってリーナと一緒に彼女を護衛しろ! 兄貴は俺と一緒にガレージで待機! 現在地と逃走経路がわかり次第すぐに出撃、ミシェルを追跡し、これを封印する!」

「解析をしていた2番隊および3番隊から終憶の書の詳細なデータが送られてきました! 各自のマシンに転送します! 逃走経路、確認できました! BOND本部から北西に1.5kmです!」

「仕事が早くて結構! 帰りに夜食を買ってきてやる! 2番隊と3番隊にも後で金出してやるからそれなりにいい菓子折りを送り付けとけ!」

 

 魔導書が屋外で逃げるスピードが異様に早い原因のひとつが、先ほど述べた召喚魔法の応用である。

 プログラムが魔導書を手元に召喚できるように、逆にプログラムを魔導書の元に召喚することも同様に可能である。そのため、乱暴かつ想定外の使い方ではあるが、魔導書を全力で放り投げてそれなりに距離が伸びたところで自分を魔導書の元に召喚し、魔導書を手に取って再び投げる、この繰り返しでただ走るより早く遠くへと逃げられるのだ。

 特にスポーツをしていない一般的な成人男性がソフトボールを投げた際の飛距離がおよそ25~27メートル、投球速度は90-100km/hあたりだという。つまり、0.9秒前後で到達するということになる。歩幅にもよるが、徒歩が1秒で1.2メートル前後だということを考えれば、理には適った移動方法ではある。

 ましてや魔導書のセキュリティプログラムは、魔導書を防衛するために身体能力が桁外れに高いことも鑑みれば、自称「魔導書の中では運動音痴」のミシェルでも3回投げるだけで450メートル程度は余裕で移動してしまう。その場合、投球速度は138km/hということになるが。

 

 ガレージに移動すると、蒼麻は天星に交替し、彼女がFDX400に跨った。そして三人が同時に出撃すると、途中でシスター・シルヴィアの仮住まいへと向かった美晴とは道が分かれた。となると、少なくともミシェルの狙いが彼女でないことに、天星と彼女の中にいる蒼麻は安堵した。

 ミシェルは現在、唯城区を北西に抜けて東京都を抜け、埼玉県へと向かっているようだった。2番隊・3番隊が終憶の書のデータから埼玉県に由来するものを検索していくと、彼の狙いのひとつが絞り込まれた。

 

『2番隊から通達! ミシェル・ヴェルデの狙いと思しきポイントが判明しました! 埼玉県城戸良(きどら)市中央区! おそらく以前ミシェル・ヴェルデが潜伏していた土地だと思われます!』

「……何?」

「どうした天星」

「ソーマが終憶の書の正規所持者に心当たりがあるらしい。証拠も確信もないが、状況的に一致する者が一人だけいると。悪いが守唄、追跡をお前に任せたい。我々はその所持者のところへ行き、事情を聴く。もし本当にそうなら、ミシェルと魔導書本体が離れている今が最大の好機だ」

「……わかった。追跡はこちらに任せておけ。状況は逐一連絡する」

 

 互いに頷き合うと、天星は進路を変え、守唄とは逆方向――東京都唯城区へと戻っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『白金冬霞』の選ぶべき道

 ぴんぽーん、と呑気な音が部屋の中に響き渡って、ソファーで転寝(うたたね)をしていた冬霞は目を覚ました。

 ようやく同居人が帰ってきた、と笑みを浮かべながら軽い足取りで玄関のドアを開けて、その先に居た意外な人物に、首を傾げた。

 

「蒼麻、お兄ちゃん……? え、でもなんかちっちゃくない? わたしとほとんど同じくらい……縮んだ?」

「悪いな冬霞。今は説明してる暇がないんだ。ただ、いくつかお前に訊きたいことがある。それに答えてくれないか?」

「え、うん……。とりあえず中に入る?」

 

 冬霞に促されて、彼女の部屋に入ると、蒼麻はすぐにあることに気づいた。

 

(男物の靴、か……)

 

 とりあえずそこに座って、と言われて座ったのは、リビングのソファーだった。ちら、と横目にダイニングを見れば、実家を出て一人暮らしをしているはずなのに、どう考えても一人分ではない大きさの鍋がコンロに置かれている。匂いからしてシチューなのだろうか。今日と明日の分と考えても、やはり多いように見える。

 また、テレビのリモコンが置かれているミニテーブルには、ファンシーな小物やぬいぐるみに似合わない使いこまれた万年筆とメモが置かれていた。お茶を入れにいった冬霞の気配がこちらに近付いていないことを確認して、そのメモの中身を見てみると、やはり冬霞のものではない筆跡で「少し帰りが遅れる」と書いてあった。

 蒼麻はそのメモを回収すると、その万年筆を手に取り、白紙のメモに素早く何かを書き込むと、万年筆と蓋の間に挟み込み、それをミニテーブルに戻した。

 

「麦茶でよかった?」

「ああ。悪いな、気ィ遣わせて」

「ううん。こうやってプライベートで蒼麻お兄ちゃんと会えるの、嬉しいよ」

「……いや、悪いけどプライベートってわけじゃないんだ。俺が仕事してるのは知ってるだろう? 今日は、その仕事でここに来た」

 

 仕事、と聞いて、ようやく冬霞は彼がBOND職員であったことを思い出した。

 BONDの仕事はあまり詳しくはないが、彼がそこの職員だということを聞いて、インターネットで調べてみたところによれば、魔道具による事件の収束および、魔道具の確保・保護を行っている組織だという。そして当然ながら、魔道具の中には「魔導書」も含まれる。

 そこに行きついてようやく、冬霞はその表情を凍らせた。

 

「もうわかってるみたいだから単刀直入に言う。冬霞、お前は魔導書を所持しているはずだ。この家の環境を見る限り、良好な関係を紡いでいるのは理解できる。だが、お前の魔力を辿る限り、お前とその魔導書はまだ契約すら結んでいないだろう。そんな状態での同居生活は危険すぎるんだ。だから、俺たちにその魔導書を預けてくれないか?」

「その魔導書、じゃない……。ミシェルには、ミシェルっていう名前が――!」

「やっぱり、ミシェル・ヴェルデか。ということは、お前が持っている魔導書は『終憶(ついおく)の書』で間違いないな?」

 

 はっ、と自らの口を手で覆った時には既に遅かった。「あの魔導書」「その魔導書」と連呼され、つい反射的にミシェルの名を口に出してしまったことで、蒼麻に彼の正体を晒してしまった。

 どうしよう、どうしよう、と涙目になりながら隣で俯く冬霞の姿を見て、蒼麻はソファーを立って彼女の前へとしゃがみこむと、彼女の両手を握ってまっすぐにその視線を彼女に向けなおした。

 

「なぁ冬霞。俺は確かにBONDだ。魔導書を封印するのも業務の内だから、ミシェルとはどうしても対峙しちまう。けどな、俺はBOND職員である以前に、海凪蒼麻なんだ。大事な妹分を泣かせっぱなしでなんか、いられるはずがないだろう?」

「けど……! けど、ミシェルは魔導書だもん……。本気の蒼麻お兄ちゃんが敵対したら、ミシェルは絶対に無事じゃいられないよ……!」

「いや、あいつ魔導書で俺はBONDとはいえ一般的なピープルだから、むしろ俺の心配してくれよ」

「わたしの蒼麻お兄ちゃんは世界一強いもん!」

「あっ、はい……」

 

 何故か冬霞の中で無駄に蒼麻のハードルが上がり続けていることを知りつつも、彼は青と緑のダイクロイックアイを見つめ続けた。

 自分の気持ちを言葉に乗せて相手に伝えるには、やはり目を合わせるのが一番いい。「目は口ほどにものを言う」とはよく言ったもので、目と目を合わせながらしゃべっていれば、自然と嘘は嘘とわかるものだ。

 そして、誰よりも嘘つきであることを自覚している蒼麻だからこそ、嘘を纏わない言葉を相手に伝える術というものも熟知しているのだ。

 

「冬霞、あいつが今、何をしてBONDに追われてるか知ってるか?」

「えっ、何をもなにも、だってBONDは魔導書を見つけたら封印するのが仕事なんじゃ……?」

「いくらBONDでも無害な魔導書を封印なんてしない。そもそもこの地球上にいくつ魔導書があると思ってんだ。中にはその魔導書が生態系の一部を担っていたり、あるいは都市機能を豊かにすることもあるんだ。だから、ミシェルが追われてるのも、それなりの理由があるんだ。それに心当たりはないのか?」

「そんなのないよ! だってミシェルはいつもわたしと一緒にいて、ごはんを作ってくれたりお掃除してくれたり……ミシェルに助けてもらったことはいっぱいあるけど、ミシェルが迷惑かけてるところなんて見たことないもん!」

「なるほど……。じゃあ少なくともミシェルは悪意を持って何かをしているというよりも、「ああしなきゃならない理由」があるのか。……じゃあ他に何か変わったことはあるか? 別に悪いことだけじゃなくてもいい。やたら運がよくなったとか、急に運動神経がよくなったとか、そういう変化は?」

 

 そもそもミシェルという人物については蒼麻もあまり悪い印象は抱いていない。もちろんシルヴィアに手を出し、天星に銃口を向けたことについては怒り心頭ではあるが、過去に何度か接触したことのある身として、彼の人物像があんなにも攻撃的なものになるのには、何かしらの理由があるように思えてならなかった。

 そして、終憶の書の使い方に関しても、確かにああいう使い方ができるということは、知識として知ってはいたし、過去に彼がああいう使い方をして他者と闘争したことも聞いたことがあったが、あれは「終憶の書」の本来の使い方ではないということも、同時によくわかっていた。

 なぜなら、終憶の書は「他者の忘れられた記憶」を記録する魔導書であり、多くの場合は「思い出したいけれど思い出せない記憶」を記録し、それを記憶の持ち主に見せることで思い出させて魔導書のページを一定に保つ必要がある。

 天星の書はそもそもの容量がえげつないのでページもなかなか埋まらないが、終憶の書は一般的な古代魔導書とページ数は変わらなかったはず。だからこそ、今回の事件のように「記憶を溜め込む」ことは、終憶の書としてもリスキーな行為であるはずなのだ。

 

「そういえば……、最近、いい夢をよく見るかも。実家に居る時はよく悪夢に魘されてたけど……最近はよく眠れるんだ。すごく、幸せな夢をいっぱい見る……」

「なるほど。ならきっと、ミシェルの狙いはそれだ。あいつはお前に幸せな夢を見せるために、他人の夢を見境なく奪っているんだ。お前が家にいない時間、あるいはお前が眠っている時間を狙ってな。そうして集めた夢がいい夢ならお前に見せ、悪い夢なら自分の武器として使っているんだろう」

「そんな……! なら止めないと! いくら幸せな夢が見れたって、それでミシェルが捕まっちゃうくらいなら――!」

「その台詞は、あいつを説得する時までとっておけ。あいつだってもう何千年も生きた魔導書だ。お前じゃ言い包められちまう。だから俺たちBONDがあいつを抑えてる時に説得しろ。それで応じるようなら、俺たちだって封印以外の方法をとってやれる」

 

 言い方は悪いが、人間というものは自分たちにとって得になるかどうかで共存する存在を選ぶものだ。綺麗な言い方をすれば「優しいもの」「善いもの」を受け入れる、ということになるが、何を基準に「優しい」「善い」と判断するかとなれば、やはり得か否かに尽きる。短期的な視野でみるか長期的な視野でみるかは場合によるだろうが。

 だからこそ、蒼麻はミシェルを封印させない方法ならいくらでもあると思っていた。ただし、そのためにも冬霞の協力は不可欠だ。ミシェルをある程度は縛り付けなければ、BONDも見逃してはくれまい。ミシェルを縛るための柱として、冬霞は大いに役立つだろうというのが蒼麻の見立てだ。

 

「じゃあ冬霞、今から言うことをきちんと覚えてくれ――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の組み立てる作戦

 冬霞の家を出ると、未だ本調子でない蒼麻と交替(オルタネイション)した天星は11番隊が利用する第二級作戦執行部隊Bへと通信を繋いだ。

 おそらく、今ミシェルが向かっているのは埼玉県城戸良市にある冬霞の実家であろう。冬霞の話やミシェルの言動を聞く限り、彼の冬霞に対する愛情は間違いなく本物だ。

 手段はともかくとして、彼女の幸せのために自分が封印される危険性を侵してでも幸せな夢を見せようとしたり、自分の行動によって冬霞に危険が向かないよう個人で動いているかのような素振りをしている。

 今回、ミシェルの主が冬霞だと気付けたのは、蒼麻という彼女にとって身近な親族がいたことと、その蒼麻が冬霞の過去を知っていたからだろう。

 

『冬霞が転校してきたのは今から四日前。だが引っ越してきたのはその一週間前――合わせて11日前には東京に居たことになる。そして今回の事件の最初の被害が確認された日付と一致する。最初は冬霞にバレないよう距離をとって夢を奪っていたんだろうが、徐々に慣れていって効率化した結果、唯城区に近付いてきたわけだ』

「シスター・シルヴィアを狙ったことについては?」

『あれはあいつにとっても急ごしらえの犯行だったんだろう。冬霞から「兄のような親戚」の存在は聞いていただろうが、その海藤蒼麻がソーマ・グレンヴィルであったことには気付いていなかったはずだ。だがどこかで……たぶん俺が冬霞と一緒に下校している時だろうが、あっちが一方的に俺を見つけて慌てたんだ。「天星の書(ソーマ・グレンヴィル)を足止めしなければ」ってな』

「なるほど。お前の性格上、友人を放っておくことはできない。そして、お前の友人の中で積極的な攻撃手段を持たず、なおかつ「悪夢」を展開できなければ自分にとって致命的なほど相性の悪い「奇跡」を行使できるシスター・シルヴィアが狙われたわけか」

 

 ミシェルにとって誤算であった「シスター・シルヴィアの作戦参加」の原因のひとつは、彼がシスター・シルヴィアの性格を把握しきれていなかったことだろう。

 パっと見ただけの印象で言えば、シスター・シルヴィアは大人しく朗らかで、人はおろか虫も殺せないような穏やかな雰囲気を纏っていることは否定できないし、実際のところそういう傾向であることは間違いない。

 しかし、そうした性格は蒼麻という「友達」ができる前までのシスター・シルヴィアのものだ。今まで、神父や他のシスターたちのような「愛してくれる・守ってくれる存在」はいても、自分と同じ立場で気軽に話せる友達という存在はいなかった。

 だからこそ、彼女にとって唯一の友人といえる蒼麻への友愛は、今の彼女にとってあまりにも大きく、そんな蒼麻を傷付けたミシェルへの怒りは、シスターにとって絶対の存在である「神」の赦しをもってしても彼女自身が許さなかったのである。

 

「なるほど。ではここからどう打って出る? 守唄がミシェルを追ってはいるが、いくら目的地がわかったとはいえ、さすがにバイクで転移魔法を駆使して逃げる魔導書を追うのは……」

『冬霞をネグレクトしてる両親なんざミシェルに任せちまっていい気がするってのが本音だが、さすがに殺しまでやっちまうと擁護ができなくなる。厄介なことに冬霞と主従契約を結んでないのも問題のひとつだが……まぁ普通に警察に保護してもらおう』

 

 市民を守るという目的はBONDも警察も同じだが、魔導書の扱いに特化したBONDに対して、人間の確保・収容という点においては警察の方がはるかに優秀だ。

 その確保・収容の後の対応を「保護」と取るか「拘束」と取るかはケースバイケースではあるものの、今まさに求めているのは両方の意味での「確保・収容」である。

 

「指令室、聞こえるか」

『こちら指令室。陸谷隊長と進路を分けられた様子ですが、どうされましたか?』

「ミシェルの狙いがわかった。今すぐ埼玉県城戸良市中央区草連5-19在住の市民2名を保護するよう地元の警察に申請してくれ。彼の狙いはその二人に対する報復だ」

『了解しました。正式な書類は後ほど海藤隊員に提出していただきますとお伝えください』

「構わん。急いでくれ」

 

 愛車・FDX400に跨ると、天星はその進路をBOND本部へと向けた。

 

 

 

 

 本部の指令室に戻ると、天星は蒼麻の財布から抜き取った金で購入したオペレーター陣の夜食をテーブルに置き、彼のテーブルに腰かけた。

 特に何をするでもなくそのまま40分ほど時間を浪費すると、ライダーグローブを外しながら指令室に入ってきた守唄が、天星の様子を一瞥し、そんな彼の視線に気づいた彼女の方から声をかけた。

 

「戻ったか。追跡をお前だけに任せてしまってすまなかったな」

「構わん、適材適所だ。お前とソーマでなければミシェルの狙いに気付けなかったのだろう。なら、無意味な苦労というわけではなかったということだ」

「そうか。とりあえず、わかったことを整理・共有したい。その上で、今後の対応についても話し合う必要がある。……ということで、ソーマ・オルタネイション」

 

 群青の光を伴い、長身の女性らしい体だった天星はその姿を潜め、ようやく140の半ばあたりまで体格を取り戻した蒼麻がその姿を現した。

 元々が小柄で、普段から蒼麻のことをやや見上げる体勢であるためか、美晴はどこか新鮮な感情を隠し切れない様子で、普段からにこにこと微笑みを浮かべている彼が、今にいたっては3割増しで笑顔であった。

 とはいえ、蒼麻から見た美晴は女顔ではあるが間違いなく男であり、美晴から見た今の蒼麻も子供ではあるものの間違いなく男の子なので、世の婦女子が嬉々とするようなコミュニケーションやスキンシップはない。

 むしろ、そういうスキンシップが多いのは普段の恰好の時だ。とりわけ長身というわけではないにしろ、美晴とは17センチもの身長差があるため、二人はしばしば周囲をからかうように「それらしい」絡みをすることがあるからだ。

 今はさすがに格好がつかないせいか、どちらかといえば蒼麻がそういう流れを断ち切っている形になっている。

 

「なんだか今日は素っ気ないねぇ、蒼麻君」

「いつもの体なら付き合ってやるが、さすがにこのナリでそういう空気を作ると冗談にならんからな。あとさすがにこの体のままそういうことすると坂上博士に抵抗する術がない」

「ああー……。ま、それもそっか。ごめんねー、いつもボクらの絡みでニヤニヤしてるオペレーター陣のみんなー。今日はそういう絡みダメだってー」

 

 普段通りの穏やかな語調のまま、オペレーターたちに「いつも「そういうの」を期待していることはバレてますよ」と言わんばかりの笑顔を向けたことで、男女含め十数名のオペレーターの約半数――女性だけで言えば八、九割の者たちがその肩をビクつかせた。

 そう、何も蒼麻も美晴も自分たちがそういう絡みを好きなわけではないのである。あくまファンサービス、周囲の期待に応えてやっていることだ。逆に言えば、そういうことをして黄色い声をもらえるだけの顔面偏差値であることを二人とも自覚している、という意味でもあるが。

 実際、蒼麻は顔だけならそれなりに美形だ。態度や性格が悪すぎて学校ではまったくモテないが、街中を歩いていればそれなりの頻度で声をかけられるし、美晴も何度かナンパされたことがある。後者はなぜか異性ではなく同性十割だが。

 

 ただ、蒼麻の顔がいくらよくとも、美晴の顔がいくら美少女でも、基本的に二人ともノーマルなのである。

 もちろん「ソーマ」としては男性にも女性にも生まれ変わったことがある以上、蒼麻は男性との恋愛に忌避感はないし、美晴も仄香が性転換するなら男性の仄香を愛することもまったく吝かではないという姿勢だが、それはあくまで「好きな相手が今と違う性別なら」という話であって、現状ではノーマルなのだ。

 そういう前提を踏まえた上で、二人とも自分が「男として誰から見ても顔がいい」「パっと見はそこらの女子より美少女」という自覚を持っているので、その顔をフル活用して女性オペレーターの目を癒すことに躊躇がないだけだという。

 

「話を戻すぞ。まずミシェルの目的とその計画についてだが――」

 

 ミシェルの目的・計画。そこに至るまでの経緯や、彼が守ろうとする冬霞という人物の存在。次にミシェルが狙うであろう人物や場所。蒼麻が冬霞に授けた「たったひとつの冴えた説得」の手順と、その成功率。そしてその全てが失敗に終わった場合の対抗策。

 報告と予測、そしてそれに対する対処法や、そのために必要な手続きの報告をすると、美晴と守唄の質問にも答えつつ素早く作戦を組み立てていった。もちろん、作戦を立てる上でストップが掛かることもゼロではなかったが、その度に彼は絶妙に軌道修正を重ねながら、最善の策を見出し続けた。

 

「兄貴はこの作戦をペリオ―ドに伝え、最高司令部の認可をもらってきてくれ。もらえなきゃバッドエンド待ったなしだ」

「任せろ。……というか、毎回思うがこういうのはお前が言えばいいんじゃないのか? 何せ最高司令部のまとめ役はお前の――」

「兄貴」

「――悪い、口が過ぎたな。了解した、伝えておく」

 

 怒り、ではないのだろう。しかしぴしゃりとそれ以上の言葉を噤ませるだけの威圧感を放ちながら、蒼麻はただそれ以上の言葉を口にはさせなかった。

 普段は軽薄であったり相手を煽るような態度を取る蒼麻が、その時だけは寂しさ――あるいは懐かしさともとれるような目を俯かせながら、強引に作戦の通達を続けようとしたのを、美晴は見逃さなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『白金冬霞』の切なる望み

 小さな蒼麻が押し掛け、そして去ってから7時間が経過した。日付けを跨ぎ、いつもならとっくに眠っている時間だが、冬霞はソファーに横たわりながらも、その眠たげな目を擦って睡魔と戦っていた。

 がちゃり、という無機質な音と、玄関からこのリビングまでを歩く聞き慣れた足音。今の今まで夢の淵に片足突っ込んでいたというのに、眠っているであろう彼女を気遣うような、静かな足音が何よりも彼女の目覚めを促した。

 

「ミシェル……?」

「っ……!? と、冬霞様……起きておられましたか。どうしました、眠れませんでしたか? それとも、また悪い夢でも? それなら――」

「――それなら、何? また、誰かの幸せな夢を、わたしに見せるの?」

 

 瞬間、ミシェルの表情が凍り付いた。そしてそれは、蒼麻が冬霞に聞かせた話が「本当」だったのだと証明しているということになる。

 できれば、嘘であってほしかった。だけども、蒼麻は基本的に身内に対してとても甘い。必要な嘘はつくが、無意味に冬霞を傷付けるだけの嘘など決してつかないと、他でもない冬霞自身が一番よくわかっている。

 そして、それはミシェルも同じだ。彼ほど口が達者な魔導書なら、冬霞を言いくるめることなど造作もない。しかし、彼は冬霞に対して「嘘」だけはつけない。それは「終憶の書」というものが主に尽くす魔導書として造られた以上、主を裏切る最大の要因となる「嘘」だけはプログラムによって禁じられているからだ。

 だからこそ、ミシェルがどんなに言葉巧みに冬霞を騙そうとしても、彼女の問いに対して「嘘」だけは言えないのだ。できるのはせいぜい、真実を捻じ曲げて伝えることだけ。

 

「……言葉に詰まるってことは、肯定と同じだってお兄ちゃんが言ってた。特に、ミシェルの場合は。おかしいよね……ミシェルと出会ってからさ、わたしはほとんどミシェルと一緒にいたはずなのに、いくら古い知り合いだって言っても、一緒に暮らしてもいないし、そんなに長く一緒にいたわけでもないお兄ちゃんの方が、ミシェルを知ってるんだ」

「それは……それは、ソーマ様は、とても聡い方ですので。彼が特別、他人の機微に敏感だというだけで――」

「――もちろん、それもあると思う。お兄ちゃんはああ見えて、周りの人をよく見てるからね。でも……それと同時に、ミシェルはわたしにほとんど何も見せてはくれなかった。ミシェルはわたしの好きなものや嫌いなものをいっぱい知ってるけど、わたしはミシェルのそういうのを全然知らない。今こうして思い返すほどに、わたしはミシェルを何も知らない。なんでかわかる?」

 

 冬霞は決して、知見に鈍いタイプではない。蒼麻ほどではないが、人の機微――特にマイナスな感情については敏感に察し、相手が何を求めているかを理解しようとする。

 それは彼女が親からの愛情を受けられなかったからこそ、人と繋がることで友愛を受けようとする、半ば本能的な部分で身に着けた技術でもあり、だからこそ薄れることがないはずのものだった。

 だというのに、彼女はミシェルのことをほとんど知らなかった。「知らない」ということを自覚し、記憶を遡ってもなお、何もわからなかった。それが示す意味は、たったひとつだ。

 

「わたしの察しが悪い、っていう可能性を抜いたら、それはミシェルがわたしに隠し事をしているから、以外の理由はないんだ。隠し事……っていうのは言い方が悪いかもしれないけど、それはミシェルが意識的にか、それとも無意識にか、自分をあんまり表に出そうとしない。……ねぇミシェル。わたし、ミシェルの本音を知るには、まだ相応しくないのかな?」

「ありえません! 此度の行い、間違いなくこのミシェル・ヴェルデに全責任がございます! 冬霞様のご用命とあれば、このミシェル、どのような心中も行いも、全て詳らかに語ってみせましょう!」

「……ホントに?」

「もちろんでございます!」

「じゃあミシェル、これに「もう隠し事しません」って書いてサインして!」

 

 はい、と言って冬霞がカバンから取り出したのは、学校で使う国語のノート。その最後のページを開いて、ミシェルが愛用する万年筆を置いた。ピンクの水性ペンも一緒に出したのは、それを指に塗りたくって拇印がわりにするためか。

 まるでごっこ遊びのような道具がバラっと出されたことに、ミシェルは思わず笑みをこぼしながら、その万年筆の蓋を開けた。

 

「これは……メモ?」

「え? わたしじゃないよ?」

「……なるほど。して、やられましたね……!」

 

 

 ――冬霞との「約束」は済んだか?

 ――お前がその約束を守り続けるなら

 ――俺はお前と冬霞をBONDとして守ってやる

 ――冬霞の想いを裏切るなよ

 

 

 蒼麻がミシェルに残し簡素な文章は、最小限の言葉によって今のミシェルの心を思いきり突き刺した。

 ミシェルにとって、本心を晒さないことは、人間不信である彼にとってひとつの防衛手段であり、同時に長年の経験から染み付いた癖のようなものでもある。だが、だからこそ無自覚の内に冬霞に対しても自分の内面を晒そうとしなかった。それはつまり、彼女を信用していないと取られても文句の言えない行いだ。

 隠すことは、決して騙すことではない。だが騙していなくとも、本心を見せない相手に対して、不安を覚えてしまうのも当然のことなのだ。そして、不安を感じれば感じるほどに、相手に「裏切られているのではないか」という疑念が生まれる。

 今はまだ改善可能な段階だ。しかし、このまま突き進めばいつか二人の関係は破綻する。だからこそ、今ここがその運命を書き換えられる最後の分岐点。全てを打ち明けることはできなくてもいい。だが自分の心の中にある想いだけは素直に伝えなければならない。それがこの「契約ごっこ」の本当の意味。

 それを理解した上で、ミシェルは「金輪際、冬霞様に隠し事は致しません」とノートに書き記し、サインと拇印を押した。

 

「……では、まずは一つだけ、わたくしめの本心を言わせていただきます」

「うん。なぁに?」

「わたくしめと、契約を。わたくしめの――『終憶(ついおく)の書』の、主となっていただきたいのです」

 

 ミシェルの赤い瞳が、真っ直ぐに冬霞のダイクロイックアイを見つめる。

 今まで何をやっても沈んだような赤だったのに、今はどこか小さな光を宿しているようで、冬霞はほとんど無意識に頷いた。

 

「ほ、本当に……よろしいのですか? 終憶の書とは、行ってしまえば他者の記憶を記す魔導書。どんな記憶であれ、記憶を他者に見られていい思いをする者などそう多くはありません。わたくしめのせいで、冬霞様まで嫌われ者になることも、決して無いわけでは……」

「誰に嫌われても、ミシェルとお兄ちゃんがわたしを好きでいてくれるなら、わたしはそれでいい。で、お兄ちゃんはわたしを絶対に嫌いになったりしない。だからあとは……ミシェルがわたしをずっと好きでいてくれるかどうか。それだけがわたしの不安。お願いミシェル。この不安、ミシェルの言葉で消してよ」

「主命とあらば……いえ、主命に反しても、わたくしめはいつまでも、冬霞様を慕い続けましょう……」

 

 

 

 

「……と、俺の目論見がうまく行ってれば、今頃は冬霞がミシェルを懐柔して所有契約までこぎつけてるはずだ」

「なるほど。彼の狙いは冬霞ちゃんを幸せにすることだったんだね」

「契約云々はともかくとして、あいつは自分が「主」と認めている相手に対して嘘がつけない。それはあいつのプログラムによるものだ。そして冬霞に知られないように夢を奪ってたってことは、冬霞に嫌われることは、冬霞の知らないところでやろうとしてるってことだ。逆に言えば、知られたからにはもうできない」

「魔導書っていろいろ凄いイメージだけど、やっぱり根底的なところはプログラムなんだね。シンギュラリティに到達したとしても、無意識的な部分でプログラムに反する行動をできるだけ取らないようにしてる。それをデメリットと取るか個性と取るかは、人によるけどさ」

 

 唯鈴と仄香に残業の連絡を入れると、二人は互いに顔を見合わせながら、ミシェルという人物について、冬霞との関係、ミシェルの目的と冬霞に対する想い……そしてそれらを元に組み立てた蒼麻の作戦を、夕飯のカップ麺を片手に話し合った。

 

「ミシェルの目的は2つ。ひとつは「冬霞を幸せにする」……これはぶっちゃけ、あいつが見逃してただけで、冬霞にとっては今の状況だけでも幸せだった。ただまぁ……悪夢については今後も課題だな。ただああいうのは心因性がほとんどだし、今の生活が長く続けば、そのうち見ないようになるだろう」

「まぁ、そうだろうね。話を聞く限り、冬霞ちゃんにとって一番嬉しいことは他人との明確な繋がりがあることみたいだし、蒼麻君と彼が傍にいる限り、少なくとも「不幸」にはならないだろうね」

「あとは「冬霞の両親に対する報復」だろうな。これも一応、冬霞の許可を得て、唯鈴に対処してもらった。乱暴な手段ではあるが、唯鈴の親権を金で買って、凪原財閥影響下の信頼できる相手に与えた」

 

 冬霞を引き取ったのは、凪原財閥傘下の『KIDSエレクトロニクス』の前社長で、現在は相談役を務める相楽征四郎とその妻・秋子。秋子は元々子供ができにくい体で、二度の流産で子宮を損傷し、とうとう子宝には恵まれなかった。現在の社長を務めているのは征四郎の甥である。

 子には恵まれなかったが、その穏やかな性格と見事な手腕で社員たちからも慕われており、現社長からの信頼も篤く、唯鈴自身も何度かパーティで顔を合わせて言葉を交わしたが、とにかく気遣いのできる夫婦であった。

 今回の話を通すと、とにかく喜んだのは妻の秋子だったという。今でこそ表には出さないが、一時期はとにかく子供を産んでやれなかったことを毎日のように征四郎に謝り続けていたという。だからこそ、冬霞の里親にならないかという唯鈴の提案に、最も真剣に対応したのがこの夫婦であった。

 冬霞の親となることに異存はないが、出来る限り冬霞の望む環境にいさせてやりたい。故に、彼女が望むのなら自分たちの家に招くが、そうでないなら今の環境のまま、後見人という立場で冬霞を支援していきたいということだった。

 

「冬霞としては、今の親から離れられて、最低限の衣食住の保障されてればどうでもいい、みたいな感じだったからな。これからは相楽夫妻からありったけの愛情を受けてもらう」

「……蒼麻くん的には、自分にべったりの妹分が離れていっちゃうの、寂しいんじゃない?」

「まぁ、少しくらいはな。けど、あいつが幸せになって俺から離れていくんなら、それは兄貴分としちゃ本望ってもんだろ。それに、俺がいなくてもミシェルがいるしな」

「ふーん? お兄ちゃんは大人ですなぁ?」

 

 にやにやと笑う美晴の顔に、始末書をまとめたファイルが叩きつけられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の繰り返し続けた転生

「蒼麻君はさ、魔導書の中でもそれなりに古参の部類なんだよね?」

「んー? あー……まぁ、そうだな。俺たちより古い魔導書はここ最近じゃほとんど見たことがないし、たぶん「転生」を繰り返す魔導書っていうのも、そんなに多くはないんじゃないか?」

「確か……蒼麻君がだいたい3200歳くらいで、ステニウスさんが2400歳ちょっと。ミシェルさんが2900歳前後だっけ。じゃあ、蒼麻君より年上なのはペリオ―ドさんだけなんだね」

「あいつマジで『源初(げんしょ)の書』とそんなに変わらないくらいの最古参だからなぁ……」

 

 源初の書というのは、現在その存在を確認されている全ての魔導書の中でも、最も古くから存在していたとされる「はじまりの魔導書」のことである。あらゆる魔導書は、この『源初の書』を元に造られた模造品ともされ、すべての魔導書の母ともされている。

 現在BONDによって管理されているペリオ―ドの本体『秘誕(ひたん)の書』は、そんな源初の書とそう変わらない時期に生産された、まさしく超々古代の魔導書ということになる。

 だいたいの魔導書に言えることだが、そもそも魔導書というもの自体が「書き記すもの」であるためか、長い時を経て得た知識や経験を決して忘れることがない。そのため、古い魔導書であればあるほど強力な存在になりがちだ。

 故に、本来のペリオ―ドはBONDによって縛り付けられるような存在ではなく、彼女自身も束縛というものをあまり好むタチではない。彼女がBONDに従う理由はただひとつ、かつて自分を救ってくれた守唄への恩があるからだろう。本人には口を裂いても言わないだろうが。

 

 そして当然ながら、ペリオ―ドほどではないにしても、3200年という魔導書にとっても長い時間を経験してきた『天星(てんせい)の書』もまた、その力の全貌が計り知れないと危惧される魔導書のひとつでもある。

 とはいえ、表立って天星の書を守護している蒼麻――正しくはソーマ・グレンヴィルというプログラムは、人間に対して決して友好的ではないものの、同時に積極的に敵対する様子も見られなかった。むしろ、彼の主である凪原家の口添えがあったものとはいえ、気味が悪いほど素直にBONDによる立場の拘束を受け入れた。

 BONDの指令室で冬霞からの報告を待機しつつ、その時間を潰すようにデスクワークを片付けている時に見つけたミシェルの資料を見て、美晴はふと「魔導書の感覚」というものに興味を持ったのだろう。普段は深堀りしない話題を、深夜のテンションに任せて蒼麻に問いかける。

 

「転生システムっていうのは、死んだら「ソーマ・グレンヴィル」っていうプログラムが別人の体にインストールされるってことだよね?」

「そうだな。俺と天星、二人分のプログラムがひとつの体にインストールされ、基本的には俺が表に出ていく。体が男の時でも女の時でも俺だ」

「女の蒼麻君ってめちゃくちゃ悪女になりそうなんだけど、そのあたりどうなの?」

「どうと言われても、俺たち基本的に短命だからな。そもそも男女を意識するようなコミュニティを作る前に死ぬことが大半だ」

 

 どうして? と純粋な疑問を投げかける美晴の視線は手元の資料に向いていて、本当にただただ雑談の話題のひとつとして興味がある程度なのだろうと、蒼麻は安堵の息を漏らしながら言葉を続けた。

 

「そもそも転生型には2つのパターンがある。寿命も老化もなく、外的要因で死を迎えたら元の姿で生まれ変わるパターンと、俺みたいに年齢をリセットして別の個体にインストールされるパターンだ。前者は最初から慣れ親しんだ体だから問題は多くないが、後者は違う。致命的なレベルで不便が多い。それも自分自身では解決できないところで」

「まぁ確かに赤ん坊からやり直しだもんねぇ……。でも、だからといって短命には繋がらなくない?」

「残念ながら直結してるんだよ。赤ん坊の内はまだいいんだ。俺も喋れないし、そもそも体がうまく動かないから普通の赤ん坊と変わらず、親も自然と受け入れてくれるからな。問題はある程度の自律行動ができて、言葉をそれなりに喋れるようになる頃になってからだ」

 

 蒼麻はさも当然、という態度を崩さないまま、美晴と同じように手元の作業に意識を向けつつ、決して楽しくはない――かといって苦痛というには慣れ過ぎた苦労を吐露する。

 

「二足歩行の感覚が既にあるから、それなりに筋肉がつけば他の子供よりも早く立って歩ける。声が言葉になれば、発音が拙くても文脈や接続語、間の取り方まで大人さながらに喋れる。最初は親も褒めてくれるが、それが続けばいつか態度は3つのパターンに分けられる」

 

 ひとつ、神童だなんだといって甘やかされる。これは蒼麻自身の記憶と理性が増長に歯止めをかけているので、一番いいパターンだ。周りから見たら毒親の子、くらいにしか思われないので、むしろ同情すらしてもらえる。

 ひとつ、子供らしくないと気味悪がられる。何気に一番多いパターンで、親が子供を避けるようになり、ネグレクトへと繋がる。生存率はネグレクトが始まった時の年齢によるが、身体的暴力に発展しないならまだいい方だろう。したら死ぬ。

 ひとつ、売られる。そうそう無いだろうと思われるが、生まれる国によっては割と少なくないケースだ。発展国にだけ生まれるわけではないので、国によっては男の時も女の時もけっこうな確率で売られて、その後の経緯によっては死ぬ。

 

「日本に生まれた時は「当たり」だ。親の性格にもよるけど、死ぬことはそうそう無いからな。ある程度の年齢になれば凪原家にも行けるようになるし」

「え、蒼麻君が凪原家にいるのって、今の体の持ち主が凪原家のご近所さんだったからじゃないの?」

「いや? 今回はたまたま家が近くて親も早くに死んだからすぐに凪原家に移れたけど、そうじゃない時は生まれ変わって自由に移動できるようになってから凪原家に向かってるぞ。環境次第で行けなかったりもするけど」

 

 環境次第というのは、単純に国外にいて渡航手段やお金がないパターンや、先に述べた通り未成熟のまま死んでしまうパターン、あとは何らかの理由で実家に軟禁状態になるような家系というパターンなどで、無事に凪原家に到着できた回数はそう多くはない。

 それでも、凪原家では「天星の書」というものが代々引き継がれている以上、凪原家の子は幼い時から自分が「主」になる心構えを説かれるし、そうでなくとも凪原家としての仕事を手伝いながら家督を継ぐ勉強で忙しいのだという。

 

「じゃあ、新しく契約した亡世の書(ステニウスさん)も、これからずっと凪原家に仕えるのかな?」

「どうだろうな。あいつは俺と違って転生型じゃないから、本体が無事なら不死身だし、俺がいない時とかは居てくれると助かるが、「凪原家」と契約した俺と違って、あいつが契約したのは「唯鈴」だからなぁ。そのあたりは二人で話し合うんじゃないか?」

「あー……それもそっか。ちなみに蒼麻君は、歴代の主さんの中でどうしても仲良くできなかった人とかいた?」

「いるにはいるけど、凪原家は幼い頃からきちんと情操教育やモラルとかマナーの教育がしっかりしてるから、そうそう困ったちゃんはいなかったな。たまにそれがストレスになって爆発する奴もいるけど、まぁ言い包めちまえばなんとかなるしな」

 

 そういう意味では、口先で蒼麻に勝ってしまう唯鈴の方が、蒼麻としては扱いづらい部類に入るだろう。幸いだったのは、彼女が蒼麻に対して極めて友好的な態度で接してくれているからか。

 唯鈴がそうだからといって、過去の主たちが全て口達者であったかというと、さすがにそれはない。むしろ蒼麻が口先で敵わない相手など、主だけでなくこの3200年でソーマ・グレンヴィルが接してきた中でも両手で足る人数だし、主ともなれば唯鈴だけだ。

 しかし、そう振り返ってみると、確かに代々この家に仕えていくには、エヴェリーナは少し純粋すぎるところがあるだろう。ある程度は言葉で躱して流す技術を、今から叩き込んでおく方が彼女のためになるだろう。少なくとも、もし彼女が今「凪原家に仕えたいけどどうしたらいいか」と言ったら、蒼麻としては「やめとけ」としか言えない。

 

「……さて、そろそろ向こうも片付いた頃だと思うが、連絡がこないな」

「何かあったのかな?」

「契約が成功していれば、ミシェルは冬霞を絶対に攻撃できないからいいが、契約が決裂したのなら少し心配だな……」

「へー。魔導書ってけっこう制約が多いんだね。契約しちゃうと主を攻撃できないんだ」

 

 厳密には、主に対して敵意や悪意による攻撃ができないのであって、躾けであったり、じゃれ合いであったり、あるいはプレイとしての折檻はその制約の範囲外である。もちろん、偶然としてぶつかってしまったりというのも、魔導書の機能では制約できないのでどうしようもない。

 ちなみになぜ全ての意図的な攻撃を制約しないかというと、主の趣味嗜好によっては虐げられることを求める主も(3200年前から)存在するため、主の求める期待に応える手段としてプログラムが許可している。なお、蒼麻はこの無駄に気遣いのできるプログラムを作った自身の親とも言える開発者に対して、1000や2000では足りないくらい舌打ちと罵倒を繰り返している。

 

「ま、どの時代においても謀反は重罪だからな」

「それもそっか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『白金冬霞』の所有者としての在り方

 翌朝。ミシェルとの契約を終えたらすぐに連絡を入れる、という約束をすっぽり頭から放り出して眠りこけていた冬霞(とうか)は、目を覚ましすなり大慌てで蒼麻(そうま)へと連絡を取った。

 すると、そのコールを受け取ったのは蒼麻ではなく、彼よりも随分と高い男性の声で、冬霞はそれがすぐに美晴(よしはる)のものだということに気付いた。

 

「おはよう冬霞ちゃん。ようやくお目覚めかな?」

「お、おはようございます……。でもなんで美晴さんが……あっ、いやそれよりも! 昨日は蒼麻お兄ちゃんに連絡を入れなきゃいけなかったのに、わたし忘れて寝ちゃってて……!」

「まぁ同僚だからね。昨夜は徹夜で残業してたから、蒼麻君なら一時間くらい前までなら起きてたんだけど、さすがに仮眠をとるからってボクに携帯を預けて仮眠室いったよ。そっちの事情も聞いてる。蒼麻君にはボクの方から説明しておくね」

「ありがとうございます……。あ、じゃあ今日は学校には来ないんですよね? わたしから先生とエヴェリーナちゃんに説明とかしておきましょうか?」

 

 じゃあお願い、と具体的な伝言を聞くと、そのままどちらからというわけでもなく通信を切った。

 実のところ、蒼麻と美晴が徹夜をしていたのは本当なのだが、その作業はあくまで冬霞からの連絡を待つ間の時間潰しであって、彼の口から出た言葉は冬霞に気を遣わせすぎないための方便であるのだが、もちろん彼女がそれを知る由はない。

 とりあえず、伝言が最優先ではあるものの、それを差し引いても学業は学生の本分。ベッドから起き上がり、身支度を済ませて洗面所へと向かうと、既に目を覚ましていたミシェルがタオルで顔を拭いていた。

 

「おはようミシェル! 悪いんだけど大急ぎでご飯を作ってもらっていいかな。さすがに遅刻はしないと思うけど、いつも出てる時間をとっくに越えちゃってる!」

「ご安心を。すでに朝食と昼の分の用意は済ませてあります。昨夜はあまり早くに眠れていませんでしたので、失礼ながらカバンの中身を確認させていただいて、今日必要になるものに改めておきました」

はふがみふぇる(さすがみしぇる)ひふはいひょうふはね(気遣い上手だね)!」

「冬霞様、さすがに歯磨きをしながら喋るのはいかがなものかと……いえ、差し出がましい言葉でした。失礼をお許しください」

 

 深々と頭を下げるミシェルに対して驚きもせず、冬霞は洗面器へと泡を吐き出すと、口を濯いで彼に向き直る。

 

「いいんだよ。ごめんね、お行儀悪かったね。今みたいに、わたしがよくないことをしてたら、ちゃんと教えてね、ミシェル」

「寛大なご慈悲、感謝いたします」

「うん。でも、ミシェルが悪いことしてたら、わたしも止めるからね。そういう時は、ちゃんと聞き入れてね」

「もちろんです」

 

 えらいね、と言ってミシェルの頭を撫でると、そのまま彼を残してダイニングへと足早に駆けていく。テーブルの上に並んでいるのは、少しパンの厚いBLTサンドと冷たい緑茶。そして椅子の横には学生カバン。

 席について手を合わせ、長方形に切られたサンドイッチの片方をじっくり味わって食べると、二つ目は一口……ニ、三、四口で口の中に放り込み、お茶で流し込んでカバンと弁当袋を手に玄関へと走り抜ける。

 

「いってらっしゃいませ、冬霞様」

「いってきまーす!」

 

 

 

 

「――ってことで、今日は美晴さんは午後から来るし、蒼麻お兄ちゃんは今日・明日だけ休むみたい」

「ふむ。美晴は単純な寝不足だろうとは思うが、ソーマに関してはあの不完全な肉体では致し方あるまい」

 

 前夜、シルヴィアの護衛のために彼女のアパートで一泊したエヴェリーナは、昼休みの食事を冬霞と二人でとりながら、蒼麻と美晴の状況を彼女から聞いた。

 蒼麻の肉体的損傷は、ミシェルとの戦闘ではなく教会の宿舎の火災で負ったものだ。主である唯鈴によれば、天星の書の修復プログラムを用いても全治四日の大ダメージで、もう数分でも遅れれば転生機能が発動するかもしれなかったらしい。

 転生機能の発動トリガーは、現在の肉体が生命活動を停止することであるため、ソーマはまさしく「瀕死」であったのだろう。さすがのエヴェリーナも、それを冬霞に伝えることはしなかったが。

 

「……では、冬霞はミシェルの正式な主になった、ということでいいのだな?」

「そうだけど……ああ、リーナちゃんも蒼麻お兄ちゃんたちと一緒のお仕事なんだよね。じゃあ知っててもおかしくないか。まぁ、主って言っても今まで通り対等に――」

「いや、それはダメだ」

 

 ぴしゃり、と冬霞の言葉を遮るように、真剣な表情のエヴェリーナが否定する。

 

「ああ、すまない。つい強い言い方になってしまった。そうだな……冬霞は今まで魔導書と関わってきたことがない以上、そのあたりの意識を知る由がないのは致し方ないことだったな。だから、今のうちに言っておく。いいか冬霞、魔導書の主になったのなら、魔導書とは絶対に対等であってはならないんだ」

「対等であっちゃいけない……?」

「そうだ。少し言い方は悪いかもしれないが、事実として魔導書とは「モノ(アイテム)」なんだ。持ち主がいて、なおかつ「使われる」ことで全力を発揮できるし、何よりも主に使われることが誉れであり喜びなんだ」

 

 そう――魔導書には多くの場合、人格を持つプログラムが搭載されているせいで忘れがちではあるが、そもそも魔導書とは本であり、本であるということは即ち「モノ」なのである。

 だからこそ、魔導書は正しい意味で「モノ扱い」されることを何よりも求めており、自分自身の判断で行動することがあまり得意ではない。主に束縛されることで自らが自由になるのだ。

 

「だがそれは決してぞんざいに扱え、という意味ではないことは、冬霞もわかっていると思う。自分の「物」だからこそ、大事に扱うのは当然だ。だが同時に、上下関係を明確にして時と場合に応じて使……命令してやらないと、魔導書にとってはストレスなんだ」

「そうなんだ……。家族みたいに大事にするのはいいけど、家族みたいに対等じゃダメなんだね」

「ああ。稀にいるんだ、見た目が人と同じだから、魔導書のプログラムを人間と同じように扱ってしまう主が。不便があるわけじゃないが、ああいうのは魔導書(モノ)としてのアイデンティティを失わせてしまう。それで不満が募るだけならまだいいが、その環境に慣れて自分の機能を失ってしまう魔導書もいる。そうなってしまえば、そいつには自覚がないだろうが、本来の魔導書としては、消滅するより辛いんだ」

 

 モノ扱いされないモノは、もはや人間扱いされない人間と同じだ。待遇は真逆になるかもしれないが、自分が何者であるかというアイデンティティを喪失し、なおかつそれを当たり前と受け止めてしまえば、本人がどれだけ楽だろうと「それそのもの(人かモノ)」としては最底辺の扱いであることに違いはない。

 まして魔導書は人間と同じようにものを覚え、考えるだけの知能が存在する。だからこそなおのこと、モノであることを否定される悲しみを痛感してしまう。人から「人のように」愛されるのは純粋に嬉しいが、「人として」扱われるのには複雑な思いを抱えてしまうように。

 だからこそ、自分が何者であるかを知る「主」にだけは、自分が「モノ」であることを知っていてほしいと願うのが、魔導書なのである。

 

「ミシェル……今まで辛かったのかな。今までずっと、わたしはミシェルのことを人間みたいに接してきちゃったから……」

「どうかな。魔導書ということを知っていて、人間と扱われるのには、複雑な気持ちを抱えていたかもしれないな。だが、冬霞は今までミシェルの主ではなかったし、そもそも魔導書との接し方を知らない以上、仕方のないことだ。それはミシェルも理解していただろう」

「じゃあ、今日は帰ったら何か命令してあげようかな。晩ごはんのメニューをお願いするとかでもいいの?」

「ああ。使うだとか命令だとか言ったからややこしかったかもしれないな。つまりは、モノというのは自分の持ち主に自分の本来の使い方で頼られて、それを叶えるのが嬉しいんだ。ただ、お願いと言ってしまうと対等になるから、口では「命令」ということにして何かしらワガママを言ってやればいい」

 

 モノにできることでモノを頼るというのは、きっと人間なら誰もが覚えがあるだろう。テニスをするために「テニスラケット」を使うのはラケットにとっては喜びだ。それが正しい使い方なのだから、自分の使命を全うする充実感がラケットにはある。

 そして、持ち主が複数あるラケットの中から自分を選び、それを使い続けてくれるとすれば、それは持ち主からすれば「愛着」であり、ラケットからすれば他のどんなラケットよりも持ち主から愛され続けているという自信や誇りになる。たとえ使い続けて折れてしまったとしても、それは本望であり誇らしくすらあるだろう。

 ただ、モノにとっても「不名誉」というものはある。それは「正しい使われ方をされない」ことだ。テニスラケットがテニスに使われれば間違いなく嬉しいが、人を傷付けるために振るわれたラケットは、たとえそれが持ち主によって使われた結果だとしても、決して嬉しくはない。それで折れてしまえば、なおのことだ。

 だからこそ持ち主は、モノと――自分の所有物と正しく向き合い続け、そして正しく使い続けなければならないのだ。

 

「ミシェルは確か「誰かが忘れた記憶を記録する魔導書」だったな。なら、普段のワガママに加えて、終憶の書に冬霞の夢日記をつけてもらうといい。ミシェルのことだ、嫌な記憶はページから消してくれるだろう。そしてたまにふと気になった夢を、ミシェルに見せてもらえ。それはミシェルにとって、何よりもの喜びになるだろう」

「えっ、魔導書ってそんなことに使っていいの?」

「構わん。そもそも本なのだから何も書かれない方が宝の持ち腐れだろう。まして冬霞は正式な所有者だ。自分の本で正しい使い方をしているのに文句言うやつなどいない。いたら捨て置け」

「そういうものなんだ……」

 

 そういうものだぞ、と手元の弁当を空にしたエヴェリーナがそのまま冬霞の肩に体を預け、さほど間もなく眠りについた。

 蒼麻と美晴がダウンしているように、同僚のエヴェリーナもきっと昨日は遅かったのだろうと勝手に納得すると、冬霞はまだ半分ほど残ったままの弁当を食べることに意識を向けなおした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『凪原唯鈴』に設けられたお見合い

 ミシェルの事件が片付いて一週間が経過した。

 ミシェルの処罰については、有事の際の外部協力……という名目の実質的な徴兵を断らないことを条件に、11番隊による一定期間の経過観察つきの釈放となった。そもそも、栞を挿んでいない魔導書を人間の技術で収容することは不可能に等しい。

 また、未熟態となっていた蒼麻(そうま)の肉体も事件解決の翌日には戻り、今回の一件で肉体データの改竄をすれば未熟態と通常態を切り替えられるとわかった彼は、以降バス料金だとか隠密行動などで十二分にそれを使いこなすようになった。

 

 とはいえ、この体になってから何も問題がなかったというわけでもない。その最たる問題というのが、蒼麻の主である唯鈴(いすず)だ。

 先日の一件でかなり心配をかけたせいで、体が元に戻ってから現在に至るまで、とにかく彼の健康状態について気にかけるようになった。単に「大丈夫?」だとか「どこか痛くない?」くらいなら蒼麻も笑っていられたが、さすがにトイレの前で待っていたりした時にはさすがの蒼麻も困惑を隠せなかった。

 自分のモノを大切にする、という意味において、唯鈴と蒼麻の関係が所有者と所有物の域を逸している、とまでは言わないが、それにしても過保護になりすぎている感は否めない。――ということで、急遽この話し合いが設けられた。

 

「えーっと……どこから話したもんかな。とりあえずどうしてこうなったか、理由はわかってるか?」

「最近あなたに対して過干渉していた件かしら」

「わかってるなら、普通はここで話が終わるんだが……お前くらい頭がいい奴が、こうして話し合いに発展するだけの事柄を理由まで把握していてやめないとなると……」

 

 この過干渉――過保護とも言い換えられるそれをやめる気はさらさら無いのだろう、というのが容易にわかってしまう。

 唯鈴にとって、自分がただの従者ではなく特別な友情を築いた大切な存在だということは、蒼麻自身もよくわかっている。そんな彼女だからこそ、従者として誇らしく思っているのだから。

 しかしそれでも、蒼麻は魔導書であり、自らの所有者である唯鈴とは決して対等な存在ではない。彼女に大切に想われることは間違いなく嬉しいのだが、そのために重んじるべき互いの上下を見誤るべきではない。

 

「……とにかく、俺のことを心配してくれるのは有難いし嬉しいが、もう体はこの通り完治してるし、そのせいで主に不評を付き纏わせたとなればそれこそ大恥だ。そろそろいつも通りにしてくれないか」

「そうは言われても、さすがに簡単には頷けないわ。あなたの無茶も私の心配も今に始まったことではないけれど、さすがにあれだけの大怪我の後だもの。もうしばらくは甘んじて受け止めてもらえないかしら」

「断る。あんまり聞き分けがないようなら天星と交替して出てこなくなるぞ」

「構わないわよ。天星の書の所有者権限で強制オルタネイションさせて引きずり出すだけだもの」

 

 そう、いくら天星の書が数ある魔導書の中でも強力かつ古参のそれだとしても、魔導書であるからには所有者に対して従順でなければならない。それは態度としてのものだけではなく、機能としても同じことだ。つまりは、蒼麻には元より彼女から逃げ果せる術など何一つないのだ。

 蒼麻は溜息をひとつ吐くと、諦めた様子で「わかったわかった」と言葉を返した。もっとも、さすがに現状を全て許容するわけにもいかず、いくらなんでもトイレと風呂の前まで付き添うのだけはやめてくれ、と懇願することになったが。

 

 

 

 

 数日後。その日は蒼麻も唯鈴も学校を休み、蒼麻に至ってはBONDの仕事も休むことになった。日本有数の財閥である凪原の一人娘、凪原唯鈴の見合いの日だからだ。

 本来なら仲介人が席を外した後は見合い相手と一対一で行うべきなのだが、凪原家は世界で唯一、二つの魔導書と契約する巨大財閥。しかもそれが『天星の書』と『亡世の書』ともなれば、護衛はいくら居ても足りない。

 できればエヴェリーナも護衛に加えたいところであったが、彼女は自分の感情に素直過ぎるきらいがあり、相手の態度や言動次第では怪我をさせるだけには留まらず、ともなれば相手に弱みを握らせることになりかねないため、蒼麻と唯鈴の両名から留守番を言い渡された。

 

「では、緋色さんはお父様の影響で?」

「はい。幼い頃に父がバイクのメンテナンスをしていたのを見て……ああ、失礼。自分の話ばかりで」

「そんなことはありません。緋色さんのお話、とても好奇心を擽るお話ばかりで聞き入ってしまって」

「しかし、せっかくの出逢いの場です。よろしければ、唯鈴さんのお話もお聞かせください」

 

 唯鈴と並んで歩く青年の名は、秋月緋色(あきづきひいろ)。日本三大モーターサイクルの一つである秋月重工の御曹司にして、次期社長候補として現社長を務める父のサポートを行っている21歳。現社長の父は主に自動車産業に力を入れているのに対し、彼は自動二輪に大きな興味を抱いており、父からはそちらの仕事の大半を任されているという。

 蒼麻が見ている限り、性格にはほとんど難もなく、朗らかな態度と声色で悪い印象はない。それどころか、今こうして歩く時も唯鈴の歩幅に合わせつつ、彼女の話題を遮らないように頷きながら、時折きちんと相槌を打っており、誰の目から見ても間違いなく好青年と言えよう。

 

「失礼、少しお化粧を直してきますので、少々お時間をいただいても?」

「ああ、それは気が付かず申し訳ありません。はい、ここでお待ちしております」

 

 では、と言って場を後にする唯鈴を見送ると、蒼麻はすぐに緋色へと声をかけた。今まで唯鈴と見合いをしてきた相手の九割以上が、ここで見合いを打ち切られることになる。

 

「せっかく主が不在なんだ。少し話でもしないか?」

「君は……なるほど、それが普段の君の話し方というわけか。ああ、構わないよ。こちらも普段通りの言葉遣いでいいかな?」

「その方が俺としちゃ気が楽で助かる」

「そうか……。それで、なんの話かな。趣味の話でも、世間話でも、いくらでも付き合うけど」

 

 蒼麻が声をかけたのは、唯鈴が不在のこの場で、相手の本性を引きずり出すためだ。言葉遣いはよほど悪くなければ減点対象にはならないが、あまりにも口が悪いようならさすがに印象としてはマイナス。

 その他にも、蒼麻の投げかけた唯鈴への批難や暴言に肯定的なようであれば大幅に減点。あるいは凪原家の乗っ取りを仄めかすような口ぶりであれば即座に見合いの打ち切り。

 そう、この会話は見合い相手にとって最初の関門であると同時に、最大の関門でもあるのだ。

 

「そうだな……俺から見た主の話とかでもいいか? そっちも少しは興味あるだろ?」

「ああ、もちろん。彼女は学業の傍らで家業の手伝いもしていると聞いたが、本当ならすごいと思う。自分も今みたいに父さん仕事を手伝えるようになったのは高校を卒業してからだし、きっと唯鈴さんはもっともっと努力したんだろうなって!」

「そりゃそうだ。あいつは地頭がよかった分、天才呼ばわりされるけど、才能なんて誰でも一定以上は持ってるもんだ。多くの人間はそれを腐らせていくが、あいつはそれを磨き続けた。だから今があれだけ輝いてるんだよ」

「わかるよ。自分もよく言われたから。もちろん環境や才能がまったく関係ないなんて言わないけど、自分だって最初から今の仕事を全部覚えられたわけじゃない。物覚えは人より良かったかもしれないけど、それだけなんだ。必死に覚えたよ、そりゃあね」

 

 だからこそ、唯鈴の努力がどれほどのものかは、全てでないにしろ少しくらいは見て取れる。そのほんの少しでさえ、緋色には気が遠くなるほどだったからこそ、彼女の輝きが間違いなく本物だということもわかっていた。

 

「でも、そんな唯鈴でも抜けてることや不得手なものも結構あるぞ。記憶力がいいから忘れ物とか物忘れはないんだけど、うっかりとか間違って覚えてたりはちょいちょい。こないだは有名などんぐりの童謡の歌詞を間違えてたし」

「ははっ、可愛らしい間違いじゃないか。自分なんて最近まで諺の「弘法も筆の誤り」に出てくる弘法大使を円空だと勘違いしてたよ。あれは確か空海だったはずだけど」

「そりゃまぁ円空は仏像掘りまくって筆を執るどころじゃなさそうだもんな」

 

 その後しばらく話を続けたが、彼が唯鈴に対する侮辱や暴言を口にすることは終ぞなかった。言葉遣いも、少し遠慮はあるがフレンドリーと言っていい範疇で、極端に礼を欠くこともなければ、言葉を選び過ぎている様子も見られない。

 唯鈴が戻ると同時に言葉遣いも直していたが、それはこの場が見合いの席であるからこそだろうし、両者がもう少し打ち解けていけば自然と本来のものになっていくだろうということも含めて、蒼麻から見た彼への不満点はこれといってなかった。

 ただひとつ――致命的にあの優男風の顔と言葉が蒼麻の嫌いな八方美人タイプという一点を除けば。

 

「主、そろそろ昼食のお時間です。お二人とも一度お部屋の方に戻られては?」

「そうね。緋色さんもそれでよろし――」

 

 直後、強烈な轟音を伴って料亭の壁を破壊したのは、およそ5メートルほどの巨体を持つ魔導人形(オートマギア)

 蒼麻は即座にBONDに通達、唯鈴を庇うように前に出るが――、

 

「ルーヴ!」

「了解。ルーヴ、実行可能(アクティブ)

 

 二人を守るように魔導人形(オートマギア)へと一撃を叩き込んだのは、白銀の輝きを放つ排気管(マフラー)を持つ紅蓮のブーツ――『ルーヴ』を装着した緋色であった。

 

「あれは……ネクスマギナ!?」

 

 驚愕する蒼麻に対し、緋色は決して相手から目を逸らさないまま叫んだ。

 

「蒼麻さんは唯鈴さんを連れて下がってください! ここは俺が――俺とルーヴがなんとかします!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『秋月緋色』と善人アレルギー

 魔導人形(オートマギア)による被害から遠ざけるため、蒼麻は即座に亡世の書の召喚魔法でエヴェリーナを呼び出させると、彼女に唯鈴を預けて自らも交戦地帯へと急行した。

 しかし彼がそこで見たものは、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な、まさしく「蹂躙」と呼ぶに相応しい光景であった。

 

 圧倒的なスピードから繰り出される無数のキックが、どれひとつとして的を外すことなく明確に相手の死角や急所を打ち抜き、逆に魔導人形(オートマギア)による攻撃の一切合切をほとんど掠めるような距離で全て躱しきっている。

 単純に速いだけではない。そのスピードに堪えるだけの動体視力と判断力を持ち合わせていることは明らかで、それゆえに自然と一方的な蹂躙となるその姿は、あまりにも残酷で――そして美しかった。

 

「ルーヴ、決めるぞ!」

『OK! Crimson Break!!』

 

 緋色の掛け声に応じるように、ルーヴの排気管(マフラー)が轟音を奏でる。それはまさしく、必殺の一撃となるものなのだろう。このままいけば、自分(蒼麻)が手を出すまでもない、そう思った時のことだった。

 歯車を軋ませるような微細な動きしかとれていなかった魔導人形(オートマギア)のモノアイが、しっかりと緋色を捉えたその一瞬を、蒼麻は見逃さなかった。

 

「いや、まだだ! 一歩退けッ!」

「――――ッ!!」

『ギギ、ガガガガ……ギィ……ッ!』

 

 仰向けに倒れていた魔導人形(オートマギア)の剛腕が、まるっと一歩分、ほんの一瞬前まで緋色が立っていた場所を打ち抜き、さすがに驚愕の表情を見せた緋色であったが、即座にその視線を剛腕ではなく魔導人形(オートマギア)そのものへと向け直し、その一撃を放つ。

 

「トァァァーッ!」

 

 料亭の屋根を大きく上回る高さへと跳躍した彼は、空中で一回転すると、そのまま突き出した右足から真っ赤な電光を放ちながら急加速し、魔導人形(オートマギア)の動体に風穴を開け、その背後へと貫通着陸。魔導人形(オートマギア)は火花を散らしながら倒れると、そのまま爆散してしまった。

 蒼麻が安堵の溜息を洩らすと、緋色は彼の元へゆっくりと歩み寄ると、その手を差し出してきた。

 

「さっきはありがとう。君の助言がなければ危なかった」

「いや、魔導人形(オートマギア)にまだ動きがあったのが見えたからな。あの距離だと、最長リーチ内にアンタが居た。だから忠告しただけさ」

「……私の方が近い場所で様子を見ていたのに、それに気付けたのは君だった。さすが古代魔導書というべきなのかな。それとも、君だからこそ……なのか?」

 

 そんな緋色の問いかけに、蒼麻は少し考える様子を見せると、懐からBONDの職員証明書(IDカード)を提示した。

 

「改めて自己紹介するよ。古代魔導書『天星の書』セキュリティプログラム、ソーマ・グレンヴィル。ならびに魔導書研究収容機関『BOND』執行部隊・第11番隊所属、海藤蒼麻。それが俺の名前と肩書きだ」

「なるほど、BONDの職員だったのか。しかし執行部隊……なるほど、顔を合わせたことがないわけだ。では自分も、きちんと自己紹介させてもらおう。同じくBONDの対魔導書用魔道具開発センターの外部協力を行っている秋月緋色だ。よろしく」

「対魔導書用魔道具開発センター……ってことはまさか、そのネクスマギナ……」

「そう。私が資金協力と試験モニターとなり、開発に成功した第一号ネクスマギナさ。その名も『ルーヴ』だ、よろしく」

『グルルルル……!!』

 

 明らかに警戒心を剥き出しにしたかのような唸り声を上げているルーヴに、苦笑いすらできず無表情のまま視線を緋色に戻すと、彼はルーヴを待機形態であるベルトバックルへと戻した。

 どうやらルーヴのこういう反応は初めてであったのか、そうでなくともとても珍しいのか、緋色は申し訳なさそうに蒼麻へ頭を下げた。

 

「外部協力っていうのは?」

「BONDには所属していないけれど、スポンサーとして資金提供したり、マシンエンジニアとしての技術提供であったり、ルーヴの開発の際は実際に試験機を装着してモニターを務めたりしていたよ。最後のはたまたま話の流れでそうなったんだけど、ルーヴは気まぐれでね。私の言うことしか聞かないから、そのまま譲り受けたんだ」

「普通、そういうのは人格AIを挿げ替えるなりしてBOND職員に渡すものじゃないのか?」

「私もそう言ったんだけどね。まだ当時はネクスマギナのシステムの全容を開発チームも把握しきれていなかったから、AIを挿げ替えて致命的なバグを発生させたくはないし、その時点ではやっと造り出した成功例だったからね。使わず腐らせておくくらいなら、私なら悪用はしないだろうから、ということで譲っていただくことになったんだよ」

 

 実際、試験機のモニターを務められるだけあって、その時点で緋色の運動能力・感覚神経・判断力・決断力はネクスマギナを運用するに相応しいものであったことは間違いないし、現にこうして話している蒼麻からしても、彼は間違いなく好青年で、とてもネクスマギナを悪用するような人間には見えない。

 もしも彼が一企業の次期社長候補でなければ、即座にBONDへと入団してほしい逸材だし、そうとなれば彼の能力的にも人柄的にも各部隊から引く手数多であったことは想像に難くない。もちろん、そうとなれば蒼麻の悪評についても耳にしていただろうから、今ほど蟠りのない関係ではいられなかったかもしれないが。

 

「悪いけど、このことは唯鈴にも報告させてもらう。俺がBONDに入っている以上、唯鈴はBONDという組織についてもある程度の理解があるし、唯鈴の立場上それを無視はできない」

「だろうね。構わないよ。BONDがいかに特殊な組織であれ、将来について相談し合う場でそれを話さなかったのは間違いなく私の落ち度だ。それによって彼女がどんな判断をしても、私は受け入れるよ」

「……俺はアンタが唯鈴と結ばれるんなら応援はするし、必要なら協力もするよ。アンタは間違いなく良いヤツだ。唯鈴のことも任せられる」

 

 ありがとう、と笑みを返す緋色に、蒼麻は「でも」と遮ると――、

 

「アンタみたいな八方美人は、俺が一番嫌いなタイプだ」

「……それでも応援してくれるのなら、君はきっとすごくいい人なんだね」

 

 

 

 

「ああああああムッカつく! なんだあの澄ましたツラ! 聖人みてぇな表情! 菩薩かっていう雰囲気(オーラ)! 言葉遣いまで穏やかな善人風で心ッッッ底から腹が立つ! 便所でメシ食って食後のバナナの皮踏んで転んで便器に頭突っ込んで溺れて死ね!!」

「ああ……やっぱり出た、蒼麻の善人アレルギー……」

「むしろどうしてあれだけ善人が嫌いなのにシルヴィアは大丈夫だったんだ……」

「第一印象がダメなんだよ! なんだあの「心の中は常に白い部分しかありません」みたいな感じ! うるせぇ俺の悪人副流煙を受動喫煙して黒寄りのグレーハートにでもなってろ!」

 

 言われてみれば、シルヴィアとのファーストコンタクトはそもそも敵という形であり、彼女の善性を徐々に理解したのは事件後の経過観察期間である。

 しかし今回の緋色に関しては、出会い頭から別れ際まで彼は常にフルスロットル善人オーラを纏っており、蒼麻は見た瞬間に彼を「嫌いな人間フォルダ」という名のブラックリストに登録してしまった。

 とはいえ、同時に彼が上っ面だけの善性を被っているタヌキではないことも、あの決して長くはないやり取りの中でわかってしまった。彼は間違いなく唯鈴にとってもプラスとなる「本当に良いヤツ」であり、何をどう悪く言おうとしても出てこないくらいには真っ当な人間なのだろう。

 シスター・シルヴィアとの付き合いにおいてもわかることだが、蒼麻はそもそも「いかにも善人オーラ」というものが嫌いなだけで、決して「真っ当な善人」が嫌いなわけではない。むしろそういう人間こそ「自分が仕えるに相応しい素晴らしい人間」だと思っている。それはおそらく魔導書ならいずれもがそう思うだろう。

 だからこそ、当然ながら緋色に対しても「一番嫌いなタイプ」と言いはするものの、同時に「本能的に好きなタイプ」でもあるのだ。それは個人に向けるものというよりも、まるで「善い人類」というひとつの概念的種族を愛するようなものにも等しい。

 

「アイツ……ッ! 今度会ったら覚えとけよ……会社の部下の前でバナナ渡してすっ転ぶ瞬間をカメラに収めてやるからな……!」

「普通に知り合いからのおやつの差し入れだと思われるだけでは?」

「悪知恵と悪辣さに定評がある割に、昔っから好きなタイプの人間相手だと途端にポンコツになるのよね……」

「つまり、マイロード相手にも?」

「? 当たり前じゃない、いつもポンコツでしょう?」

 

 言われて振り返ってみれば、彼が唯鈴の前でニヒルでクールな態度を維持できていたところを見た覚えがなかった。

 

「そこまでいくと私もその緋色という男に会ってみたくなるな……」

「は? ダメだが? リーナをあんな優男になんてやらんが?」

「あなたリーナちゃんのなんなの?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『天星』への変わらぬ想い

「ソーマはマイロードのご婚約には納得しているのか?」

 

 それは先日のお見合いから二週間ほどが経過し、正式に唯鈴(いすず)緋色(ひいろ)の婚約関係が成立したことを聞いた日の夜、なぜか蒼麻(そうま)の自室に訪れ、いつもならとっくのとうに夢の世界に旅立っているはずのエヴェリーナから投げかけられた問いであった。

 

「え、納得……? いや、俺の納得云々は今回の婚約とは無関係だしな……。一応、あの二人のこと自体は普通に祝福するつもりだぞ」

「そうは言うが、お前だってマイロードのことを愛していたのだろう!? だったら――」

「いや待て待て待て、お前たぶん何か勘違いしてないか? 俺の唯鈴への愛は別に恋愛じゃないぞ。フツーに友愛だからな?」

 

 そう、蒼麻にとって唯鈴は間違いなく大切な存在ではあるものの、その関係性を言葉にするなら「想い人」ではなく「友達」である。そもそも、蒼麻の価値観において「異性の友人関係」と「恋愛関係」の明確な境界となるラインは、その延長線上に性的な行いを是とするか否か、という点に辿り着く。

 異性の相手に対して、最終的に性的な関係を持ちたいと思うのなら、そこに「恋」という可愛らしい言葉が似合うかどうかはケースバイケースとして、少なくとも「自分のものとして独占したい」という異性への想いには間違いないだろう。

 しかしそうした感情を向けないのなら、異性という「理解」は持ちながらも、そこに性的な行いを求めないのなら、それは恋愛と呼ぶにはあまりにも独占欲に欠く。故に、それは友人の域を脱しはしない、というのが蒼麻の言い分だ。

 

「自分の感情を誤魔化すなッ!」

「誤魔化してねーわ! はぁ……あのなリーナ、異性との親愛ってのは複雑なんだ。世の中には「異性の友人は成立しない」なんて言葉もあるくらいだから、お前がそういう勘違いするのも仕方ない。でも、本当に俺たちはただの友人なんだ。どう足掻いても、恋人にはなれないんだよ」

「なれない……? だが、お前もマイロードも、あんなにも素敵な信頼で結ばれて……ッ!」

「どんなに強い信頼や絆で結ばれていようと、無理なんだ。俺はこの凪原家に仕える魔導書で、あいつは俺を従える家の主なんだ。だから、決して対等にはなれない。もしも俺たちが結ばれてしまえば、主従の立場があやふやになっちまうんだ」

 

 それは、同じ魔導書としてエヴェリーナも決して反論はできなかった。かつてエヴェリーナが冬霞に言ったように、魔導書とは「モノ」であって「ヒト」ではない。人に正しく使われることでその意義を見出す。それ故に、常に「人の下」という立場でなければならない。

 もしもその上下をひっくり返してしまえば、それは主従の決壊だけの問題ではない。モノがヒトを使う――モノにとって、これ以上ない明確なアイデンティティの喪失なのである。

 

「それに、俺にとって本当の意味で恋愛対象になる相手は、もう3200年も一人だけだ」

「――! 天星(てんせい)、か……」

 

 そう、3200年前、魔導書ではなく人として生を受け、天星とは敵国の研究者と魔導書という関係であったが、激化する戦争の中で互いを知り、自分たちの主となる両国の王の目を盗んでは密会を繰り返した。

 そんな日々を続けたことで、天星は自らが仕えた最初の主であり、彼女の国の王であった人物によって次元の裂け目へと投げ込まれ、それを知った蒼麻は自らの肉体を棄てて精神だけの存在となり彼女を追いかけ、そして擦り減っていく精神データを拾い集めた彼女によって『天星の書』へと吸収された。

 ひとつ間違えば無駄死ににもなっただろう。そもそも無限に広がり続ける次元の裂け目の中で、天星が精神データとなった彼を見つける確率は、この広大な宇宙に放り出されたたった一人の人間を探すよりも難しかったはずだ。それでも、蒼麻はそんな天星を信じて彼女を追いかけた。

 普段あれほど冷静で負け戦を徹底的に避けようとする蒼麻が、こんなにも後先を考えずに自らの熱情のまま動くことができる相手など、決して多くはない。そう――「本気で愛している人物」でなければ。

 

「俺は、天星を愛している。この3200年……もちろん天星でない人間と結ばれることは一度や二度じゃなかった。俺も男ばっかりだったわけじゃないし、生まれた国によっちゃ合意ですらない時もあった。子供を作ったこともあるし、産んだこともある。それでもやっぱり、天星より愛おしいと思えるヤツは一人もいなかった」

「……つらくはないのか。天星への想いを捨てろなどとは口が裂けても言えはしないが、そうでなくとも他の人物を心から愛そうとは思えないのか」

「何度かそれも考えた。でもやっぱあいつは本当にいい女なんだよ。どんなに他のヤツと結ばれようと、天星と触れられない心の穴はどうにも埋めきれなかった。……つらくないわけねーだろ。この想いだって捨てられるもんなら捨てちまおうとも思った。でも、それもできねぇ……。やっぱり俺はどうしようもなく、あいつが好きだ」

 

 エヴェリーナの憐みとも同情ともつかない視線に耐えきれなかったのか、それとももっと説明のつかない感情に苛まれてか、蒼麻は腰かけたベッドに寝転がると、天井を見上げたまま静かに零す。

 

「天星、って綺麗な名前だろ。天の星だぞ。あいつが星なら、俺はそんな星を見上げて手を伸ばすことしかできない旅人だ。太陽が昇ろうが、雨が降ろうが、夜空が曇ろうが、いつだってそこにあるのに、決して届くことはない。それが今の俺たちだ」

 

 誰よりも近くにいるのに、誰よりも触れたい相手に決して触れられない。

 人の身に生まれながら、人としての命を全うすることなくモノに成り果てた彼にかけられた呪いだとするのなら、それは決して解けることのない最悪の呪いだと彼は自嘲する。

 

「リーナ、お前は俺と違って凪原家の飼い犬じゃない。お前はあくまで唯鈴に飼われてるんだ。だからこれから先、もしも凪原家の意向が唯鈴の本意でないとすれば、俺とお前が敵対する未来もあるのかもしれない」

「……そうなれば、ソーマはマイロードじゃなく家の側につくということか」

「そうだ。それが俺と天星がこの家の先祖と交わした約束。凪原を末代まで護り、そしてその結末を見届けること。だから唯鈴の意思がもしも凪原に反するのなら、俺は凪原を護るためにあいつに牙を剥くだろう。そうならないことを、心から願ってる」

「当たり前だ」

 

 話はここまででいいだろう、と言うと、蒼麻はエヴェリーナの手を引いてベッドから立たせると、彼女を部屋まで送って再び自室へと戻った。

 

 

「……天星」

『どうした?』

「さっきの話、聞いてたか?」

『……聞こえてしまうさ。繋がっているのだから』

 

 部屋に入るなり、蒼麻はドアに背中を預けたまま、その場にへたり込んでしまった。

 

「俺さ、今まであんまりちゃんと言ってこなかったよな。ああいうの」

『ああ。お前は恥ずかしがりだからな。おかげでどれだけ頭を抱えたことか。あの日あの時、私のしたことは正しかったのか。お前を魔導書に縛り付けて、人としての尊厳を踏みにじったのではないか。私を愛することが、お前の重荷になっているのではないか。考え出せばキリがなかった』

 

 先程の言葉を天星すら聞いたことがなかったように、蒼麻もまた、今こうして聞かされる天星の想いというものを、今初めて聞いた。

 

『お前は常に表に立っていた。臆病者の私を庇うように。私を庇うように、その身を私以外の手で汚させた。時に可憐な少女に。時に晴れやかな好青年に。時に悪辣な醜女に。時に童女趣味の悪漢に。私以外の誰にも渡したくない者が私以外の者に汚されて、私だけが触れていたい者に私だけが触れられない』

「……俺は逆の立場になる勇気がなかった。お前を汚されるところを指を咥えながら見ていることができなかった。俺のワガママだ。お前に触れられるようになるその日まで、俺以外の誰にも汚されてほしくない。だから、自分の身を汚されることに躊躇が無かった。臆病者なのは俺の方だ」

『今まで、黙っていたのは見栄か。互いの想いを晒すことに怯えて、友という言葉(見栄)の陰に隠れながら様子を伺っていた……』

「そうだな。でもリーナのおかげでその見栄を放り投げることができた。やっと素直に言える。天星……俺はお前のことを愛してる。3200年前から今までに会った誰よりも、これから出会う何よりも、愛してる」

 

 それは嘘と口八丁を自らの武器だと言って憚らない蒼麻の口から出た、一切の偽りを含まない純粋な想い。今までは無かった「それ」を互いに握り留めておくために。これから決して迷わぬように握り締めるために。彼は「愛」を口にした。

 

『ああ……。3200年、その言葉を待っていた。その言葉だけを望んでいた……! だから、もう迷ったりしない。疑ったりしない……! 私はお前を、愛し続けてもいいのだな……!』

 

 これから先も、きっと二人が触れ合えるような日は決してすぐには訪れないだろう。でも、だからこそ。

 だからこそ、二人はその「愛してる」を誓いの言葉として口にしたのだ。今まではいつこの関係に耐えきれなくなって「自分じゃない誰か」を求めるのではないかと不安で仕方なかった。それは蒼麻も天星も同じだ。でも、それもここまで。もう二人は互いを疑ったりしない。

 なぜなら、もう二人はわかってしまったのだ。互いが互いのことを誰よりも何よりも愛し合っていることを。

 

『でも、ソーマ。もうしばらくは、友達でいよう』

「……そうだな。俺たちがそういう関係になるのは――」

 

 

 ――互いを触れ合える、その日に。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の生理的嫌悪と情操教育

 ミシェルの事件解決から約半年。ここのところ小規模な魔導災害の収束だとか、あるいは魔導具開発中に発生した事故の原因究明だとか、それなりの事件には出くわしてきたものの、さほど大きな事件とは接点のない期間だった。

 しかし、だからこそそれが油断や慢心を招いた結果だったのだろうか。BOND本部に外部からの違法アクセスがあり、BOND全体の防衛機能が一時的にシャットダウンされるという、一組織としてでなく、ここが数多の魔導書保管組織である以上は、果てには世界規模の被害も想定に入る非常事態となった。

 ……のだが、BONDの防衛機能のシャットダウンは非常用バックアップも含めたところまで及んでいたにも関わらず、15分後には全機能が回復。即座に全部署、全施設内の確認を行ったが、魔導書を含めあらゆる魔道具はどれひとつとして欠けることもなく、まして励起状態になっているものもなかった。

 一部の楽観的な職員の間では「何者かが悪戯目的で行ったハッキングが思った以上に大規模な被害を出してしまったので驚いて元に戻した」などと言う者も居たが、大半の職員はその後も警戒を怠らなかった。

 ただの悪戯だとするには、幾重にも張り巡らされたファイアウォールを突破し、ましてさらに奥の非常用バックアップにまで手を伸ばしているのが不可解だったからだ。あれは、明らかに何か明確な目的があって行われたものだというのが、BOND職員たちにとっての共通認識であった。

 そして、たいがいの良くない事柄というものは、こうした注意や警戒の隙間をすり抜けてしまうものだということも。

 

 先の違法アクセス事件から一週間後、今度はBOND職員の個人端末への違法アクセスが発覚した。BONDのネットワークは通常のクラウドサービスとは独立した固有のクラウドを用いているが、個人端末においてはその限りではない。

 そのため、個人端末で処理するデータは基本的に外付けSSDに入れて行い、作業を終えれば速やかに取り外して保管するのが基本となっている。しかし、今回その違法アクセスを受けた個人端末の持ち主は、作業を終えてデータを保存した後、そのまま外食に出てしまった。

 もちろん、これは「BONDの管理外ネットワークにデータが持ち出されたタイミング」「その人物が正規の保管方法を怠ったタイミング」「その人物が即座に異常に気付けないタイミング」が全て重なった、最も悪い意味で奇跡的条件が重なってしまったが故に起きた出来事であった。

 当然ながらその職員は翌日その事実を上司に報告したのち、一か月間の除外職員を言い渡されたそうだが、彼は一ヶ月を待たず「処理」されたという。

 

「――で、なんで第3部隊のケツをこっちで拭わなきゃならねぇんだよ。これあっちのバカがやらかした案件だろ」

「ええ。しかし彼らの専門は古代魔導書の研究・解析・対策・対応。サイバーテロに関する事件は彼らの専門外。情報統制部は今回のハッキングを受けて対策の強化に忙しくて犯人を捕えることのできる人員がない。よって、手の空いている貴方たちに白羽の矢が立った、というわけ」

 

 そして今回、その事件の収束を求められたのが、この11番隊。本来、BONDに対するサイバー犯罪は情報統制部の担当であるはずだが、それはあくまで対策・対応まで。犯人の捕縛・取り調べは執行部隊の何れかが行うことになっている。

 警察に頼ることができれば早いかもしれないが、そうなってしまうとBONDや危険魔道具の情報が流出する可能性もあり、基本的にBONDの姿勢は「BOND内の事件はBONDが解決」とならざるをえないのが現状だ。

 

「いやボクたちもサイバー犯罪に関しては素人だし、せめてこういうのに強い専門の協力者がほしいなぁ」

「その必要はない。犯人がどこの人物かは既に調べがついている」

「……? ならさっさと捉えればいいだろう。もしや、武装組織か何かか?」

「武装組織くらいなら4番隊と8番隊を向かわせれば鎮圧できる。が、さすがに『マギウス』との交戦は避けたい」

 

 ペリオ―ドの口から出た『マギウス』という単語に、エヴェリーナを除くメンバーは全員が揃って露骨に嫌そうな顔をした。

 

「ソーマ、ソーマ。マギウスとはなんだ?」

「マギウスっていうのは、正式名称『マギウス開帳結社』っていう要注意組織のことだ。魔導書の研究・解読を行うことで魔導書から神秘性を取り除き、そのプログラムや構造を全世界に公開しようとしている。しかもタチの悪いことに俺たち神秘の結晶からしたらそれが羞恥の果てにブチギレ案件なのをわかってない」

「ひっ……!」

 

 魔導書にとって、神秘性を取り除くということは、人間的に言うと衣服をひん剥かれて中身(内臓的な意味も含む)を見られることに等しい。しかも、それを医療従事者などの専門家ではなく、裸体や臓器の愛好家に見られるようなものなので、羞恥や屈辱に関しては単純な裸体を見られるよりも遥かに上だ。

 当然、そんな組織があることすら知らなかったエヴェリーナは心底気持ち悪い存在を聞いたような真っ青な顔で自らの身体を抱え、さすがの蒼麻(そうま)もこればっかりはうんざりした様子だ。美晴(よしはる)守唄(しゅうた)も、以前蒼麻からこの魔導書特有の羞恥については聞かされていたので、さもありなんという態度をとっている。

 

「で、今回こっちに仕掛けてきたのはそのマギウス開帳結社の誰か、ってことでいいのかな?」

「ああ。今回の被害を受けた職員の供述によれば、自宅の個人端末にハッキングの痕跡を見つけた直後、画面に『脳を捕え翼を広げる梟』という、マギウス特有のロゴマークと共に、「神秘の御開帳を御覧じろ」の文字が表示されていたそうだ。マギウス関連の事件ではテンプレート化された文章だな」

「ッッッ、死ねッ!」

「あっ、ステニウスさんがそんなに取り乱すくらい魔導書的に最低なんだこの文章……」

「たぶん俺もこれが初見なら同じくらいキレてる」

 

 あの空気を読んだ末にそれをスルーした挙句、好奇心で首を突っ込む美晴が「どれくらい恥ずかしいの」とは聞けないくらいにブチギレているエヴェリーナを前に、蒼麻がこっそり美晴へと耳打ちをする。

 

「人間で言うと「全裸にひん剥いて股座を大股開きにして縛り付けた姿をあらゆる角度から撮影して全世界にLIVE映像として公開するぞ」くらいの文章だ」

「うわぁ……」

「エヴェリーナ、ついでに言うと「神秘性を取り除く」と「全裸になる」は同じくらい恥ずかしいことだって覚えとけよ」

「えっ……。あ、うん……わかった。今度からちゃんと風呂上りには服を着るようにする……」

「お前まだ価値観というか貞操観念が魔導書寄りだからな。丁度いいし、この機会に人間の羞恥心を学習させておくか」

 

 横で「主以外の奴に文字を見られるのと胸や尻や生足をガン見されるのは同じだ」とか「主以外の奴にページめくらせるのと体をまさぐられるのは同じだ」とか「性行為と外部からの魔法プログラムのインストールは同じだ」とか、蒼麻がエヴェリーナに魔導書にしかわからない説明をしている中、美晴と守唄はペリオ―ドから今回の事件の具体的な資料を渡されていた。

 端的にまとめれば、「犯人はマギウス開帳結社の構成員である」「BONDの元職員の可能性が高い」「記憶処理光源を無効化する手段がある」「近代魔導書を利用している可能性が高い」「魔導書に関しては栞を挿んで封印・収容を行うこと」の五つ。最後の一つに関しては「そらそうだろ」と守唄が洩らす通り、当然の要項であった。

 

「まぁ元職員が今まさにマギウスの構成員になっていて、ここにハッキングする手段があるってことは、ここに居た時の記憶があるってことだからな。記憶処理が効いてないのは間違いないだろう」

「それにマギウスなら近代魔導書を保有してる可能性は高いし、なんなら製造もしてる可能性があるからね。笑えないね。となると、封印・収容の念押しは「製造していた場合、魔導書の情報がこちらに一切ないから注意して対応にあたれ」的な意味かな。ならそう書いてほしいんだけど」

「さて……ソーマ、エヴェリーナの情操教育中かもしれんが、まずはこっちに集中しろ。さすがに相手がマギウスとなれば、無策には動けん。お前の作戦や意見を聞かせてくれ」

「はいよ。いつもの役割な」

 

 

 

 

「――ということで、悪いがミシェルの協力を要請したい。頼めるか、冬霞(とうか)

「もちろん! でも、ミシェルに大怪我させたらいくら兄さんでも怒るからね! ミシェルも! 兄さんを困らせたりしたらダメだよ! ちゃんと言うことを聞いてあげてね!」

「助かる。ミシェルも、外部協力者とはいえこんな危険な作戦に巻き込んですまない」

「いえ、わたくしめは冬霞様の忠実なる従僕でありますから。冬霞様がそうせよと仰るのなら、ソーマ様に与えられたお役目を全うしてみせましょう」

 

 今回の事件、相手が対神秘のスペシャリストであるマギウス開帳結社であるのなら、『天星の書』と『亡世の書』としての蒼麻とエヴェリーナは実質的に無力と言ってもいい。つまりは、「魔法」は行使できても「魔導書の能力」はあてにできない。

 そのため単純な増援がシンプルに効果を発揮する。ミシェルも魔導書ではあるが、同時に「毒矢」の名手でもある。物理的な破壊力は守唄が、援護射撃はエヴェリーナがその役割を担い、切り札となる特大魔法による解決を美晴に任せて蒼麻はそれらの指揮を行いつつ美晴を護衛する。どれもが各々に明確な役割を割り振られている。

 だがそれは同時に、どれか一つが欠けてしまうとその部分を補うメンバーがいないことになる。そもそも頑丈で肉体そのものが防衛手段となる守唄や、蒼麻によって守られている美晴はともかく、作戦指揮・援護を行う蒼麻とエヴェリーナの欠員は致命的な問題になりかねない。

 その補欠を埋められるのが、ミシェルだった。エヴェリーナほどの精密射撃はできないが、毒矢によって相手にバッドステータスを付けて戦況を有利に進められるほか、蒼麻ほどの観察力や洞察力はないが判断力・決断力に秀でているため戦況を変えるだけの能力を持つ彼は、今回の作戦においては「保険」として貴重かつ有用であった。

 

「じゃあさっそくだけど、明日からBOND本部の作戦執行部隊指令室・Bってところに来てくれ。外部協力者証明書と通行許可証は持ってるな?」

「はい。常に携行せよと言われていますので、持ち歩いております」

「捜査中は状況次第だが冬霞に何かあればそっちを優先していい。ただ、交戦中はそういうわけにもいかない。こちらに余裕があるなら行かせてやるが、その時は俺に判断を仰げ。一応、お前が行けなくてもBOND職員が冬霞の安全を迅速に確保できるよう手配してやることはできるからな」

「…………」

「ミシェル。大丈夫だから。兄さんがこう言ってるなら、わたしは絶対に大丈夫! だから、兄さんを信じて、兄さんの言うことを聞いてあげて」

「……不承不承ながら了承いたしましょう」

 

 こうして、ミシェルの協力の元、11番隊は「マギウス構成員捕縛作戦201」を開始した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『国戸継悟』の静かな暗躍

核制(かくせい)の書……。稼働年数2750年の古代魔導書……セキュリティプログラムおよびメインシステムの掌握率85パーセント。なるほど……あらゆる魔道具の制御を行うために魔力回路を強制外部接続する能力を持つ、か。流石だ……古代魔導書らしくシンプルに強力。おかげで拡張性が皆無な点も典型的と言える。素晴らしい……!」

「ドクター。その古代魔導書には既に意識とも言えるAIが存在します。セキュリティプログラムの掌握は、彼らの……魔導書の尊厳を冒涜する行いです。ドクター、どうかお止めください」

「うるさいなぁ。静かにしていたまえエクスピアーティオ。魔導書とは人間の作り出した道具に過ぎない。人工知能がどのような意思や記憶を持っていたとしても、それがどうしたというんだ。道具は人間に使われてこそ活きる。そのために邪魔な機能をオミットし、必要とあらば分解や修正も行う。当然のことじゃないか。キミだってそうだろう?」

「はい、私はドクターの遺伝子と記憶データを元に作られた模造品です。ですから、ドクターの命令とあらばこの身を捧げることも厭いません。しかし、彼らは違います。彼らはドクターのものではありません。彼らの尊厳は……彼らのものです」

 

 エクスピアーティオ、と呼ばれた茶髪の少女は、その緑色の瞳を伏せながらも、しかし必死に目の前の白衣の男性に言葉を投げかけ続けた。

 なぜなら、今こうしている間にも目の前で行われている魔導書の解析・掌握は、魔導書にとって最大の恥辱であると同時に彼らの尊厳に泥をぶち撒ける行為であることを、彼女は理解しているから。

 だがそんな彼女の言葉も虚しく、室内に響く機械音が「それ」の完了を知らせた。

 

「核制の書のセキュリティプログラムとメインシステムの掌握完了。続いて内部解析だ。まずはこの不要な人格データをデリートさせてもらおうか。こんなもの無くとも私の研究になんら影響はないからね。……ん? なんだこのデータは? 通常の記憶領域とは関係のない場所に隠されたメモリーデータだと?」

『――エルマー。私は最期まで、貴方を手放せなかった。貴方には貴方の人生があったかもしれない。けれど、それを私が奪い続けてしまった。ごめんなさい、けれどそれでも、私はいつまでも貴方のことを想い続けているわ。どうか、この老婆が見ることの叶わなかった未来を、見守って……』

「これは……核制の書のセキュリティプログラムの記憶……? いつか自分のデータが老朽化しても、この記憶だけは無事であるようにと、領域を分けて……。……ッ、ダメですドクター! そのメモリーだけは……ッ!」

 

 エクスピアーティオの制止も意に介さず、白衣の男はそのメモリーを破壊。削除、などという生温いものではなく、その記憶領域を構成するパーツを切り離し、それを床に捨てて靴の踵部分で踏み潰してしまう。

 しかしその表情は意外なほどに穏やかで、決して怒りや苛立ちの込められたものではない。ただ、その穏やかな表情に一切の温度が感じられない点を除いては。

 

「くだらない。機能上不要なメモリーをこうも後生大事にしているから何かと思えば……実に無意味な感傷だ。こんなものに割くくらいなら、その分のデータ領域をもっと有意義に使いたまえよ。こうした無駄を省いてやるのも、モノを扱う人類の義務というわけかな。やはり人工知能などというものは必要・不必要の取捨選択が下手で困るね」

「あ、ああッ……! なんて、ことを……っ!」

「エクスピアーティオ、キミも私のモノであるのなら、もう少し合理的な思考を持ちたまえ。そんな無駄な廃棄データにいちいち感情的になっていては、キミだけでなく持ち主である私まで研究者の恥晒し呼ばわりだ。いいかいエクスピアーティオ、研究者にとって研究を妨げるものはたとえそれが自分の感情であっても唾棄すべきものと心得るんだ」

 

 さぁ、立って実験の続きを手伝いたまえよ、と言ってエクスピアーティオに手を差し伸べると、彼女はそんな男の手を潤む目で見つめながら握り返した。

 男の名は国戸継悟(こくとけいご)。エクスピアーティオの「持ち主」であり、同時にこれまで数多の魔導書を解析・掌握・理解し、その神秘を解き明かしてきた稀代の魔導科学者。彼を知る者の多くは彼をこう呼ぶ――『神秘の冒涜者』と。

 

「さて……それはそうとエクスピアーティオ。キミに与えた役割はきちんとこなしたんだろうね?」

「はい……ドクターのお申し付け通り、BOND職員の個人端末から目的の魔導書の場所を特定しました。こちらがその資料となります」

「どれ、見せてもらおうか。……ふむ、やはりキミはこういった作業が向いているようだね。私とは畑が違うといえども、やはり私のモノとあって優秀だ。さすがだよ、エクスピアーティオ」

「お褒めに与り、光栄です……」

 

 砕かれたメモリーを掻き集め、その欠片に落涙しながらも、エクスピアーティオは決して継悟に対して怒りを向けることはできなかった。それは彼女が「モノ」である証。モノは持ち主に使われ続ける限り、決して攻撃的な意思を向けられない。

 そしてエクスピアーティオに限ってはそれだけではない。彼女は継悟の遺伝子を受け継いだ「もう一人の継悟」でもある。ヒトとしての防衛本能が自傷行為を禁じるように、彼女の本能が「本来の自分」である継悟を傷付ける思考から遠ざけようとするのだ。

 

「ではエクスピアーティオ。キミには新しい職務を与えようか。どうやらBONDでは新型の戦闘魔道具を開発したらしくてね。私としては魔導書でない魔道具に微塵も興味はないが、私の研究も先立つものは必要でね。スポンサー(マギウス)の命令には反目しがたくてね。キミにはその戦闘魔道具を調達してほしい」

「戦闘魔道具の強奪……承りました。では早速――」

「ああ、待ちたまえ。キミ自身の戦闘力では不測の時代に対処できまい。これを持っていくといい」

「これは、『明燈(めいとう)の書』……!」

 

 継悟から渡されたそれは、『明燈の書』と呼ばれる1800年級近代魔導書。光と色を由来とする現象を記録し、それを再現できるこの魔導書は、潜入任務に極めて適しているだけでなく、戦闘能力の低いエクスピアーティオにとってとても心強い武器ともなるだろう。

 彼の興味が最も強く向けられる古代魔導書でないにしても、魔導書狂いである継悟が自分のために研究対象の魔導書を与えるということに、彼からの信頼や愛情を感じ取ったエクスピアーティオは、その整った顔を喜色に綻ばせた。

 

「さぁ、行きたまえエクスピアーティオ。私の半身に相応しい働きを期待しているよ」

「は……はいっ、お任せください、ドクター!」

 

 

 

 

 その日、11番隊ではマギウス構成員捕縛作戦のための情報収集、通信・捜索機材の搬入、過去の資料の検索と大忙しであった。

 そんな中で蒼麻(そうま)の個人端末に入った通信の相手は、意外にも先日とうとう唯鈴(いすず)との婚約が決まった秋月緋色(あきづきひいろ)からのものだった。どうやら新型ネクスマギナの試作開発がひと段落したためテストを行うことになったらしいが、直近二週間ほどに亘って重要な商談が立て込んでいるらしく、そちらに時間を割けないのだという。

 それだけならただの愚痴になるのだが、どうやらネクスマギナのテストモニターとして最適な条件が、蒼麻にも適応していることが判明。しかもその条件というものが極めて厳しいようで、緋色の知る限り自分を除けば蒼麻以上の適任がいないということで、代役を頼まれている――のだが。

 

「あーはいはい、新型ネクスマギナのモニターね。やるわけねぇだろ頭沸いてんのか」

 

 当然ながら蒼麻はこれを拒否。緋色が忙しいのはわかるが、蒼麻も蒼麻でここのところとにかく多忙であった。今回のマギウス構成員捕縛作戦はもちろんだが、その間も通常業務は入ってくるのだ。ペリオ―ドが意図的にその数を減らしてくれてはいるが、通常業務にもノルマはあるのでゼロにはできない。

 加えて学園では不良生徒扱いを受けている蒼麻と違い、美晴(よしはる)は彼に振り回される真面目な生徒という立場であるため、蒼麻は美晴の分の仕事の大半を秘密裏に引き受けて彼の業務時間を短縮し、彼だけでも学園に行けるよう仕向けている。おそらく美晴にもバレてはいるだろうが、何も言ってこないならバレていないのと同じこと。

 むしろその立場を利用することで学生の間で広まる噂などからも情報収集を狙えるため、美晴にはそういう意味でも学園に通ってもらわないと困るという打算的な意味合いもないわけではないし、蒼麻は蒼麻で「素行不良な問題児」という風評を利用してBONDの職務を優先できているので彼の中ではwin-winのつもりである。

 話を戻して、そうした多忙の中でネクスマギナのテストモニターというのは、さすがに両肩に背負いきれる仕事ではない。まして今はただでさえ頭も手も数が足りていない状況であるため、その数をサービス残業状態でこなしているのだ。おかげでかれこれ二日は凪原家に帰っていない。

 

「こちとらBONDとしての職務が忙しすぎて学園に登校すらできてないんだ。事情を知ってる理事長はともかく、他の教員たちは普通に俺のことを不良生徒だと思ってるんだ。そろそろ退学も視野に入るかもって時に他所事なんてしてられるか!」

『そうか……そちらも多忙とあれば仕方ない。ここのところ唯鈴さんともあまり連絡をとれていなくてね。君の事情を把握しないまま頼んでしまった。すまない』

「唯鈴と連絡とれない時はリーナに連絡しろ。俺と違ってリーナは常にあいつの傍にいるからな。……おかげで今俺は緊急の作戦の他に同僚2人分の通常業務を抱え込んでる状態だ、クソッタレ!」

『ではテストモニターの件はしばらく参加できない旨を伝えておくよ。あと、後で何か差し入れを出そう。お互い頑張って乗り切ろうか、蒼麻君』

 

 

 ――というやり取りがあったのがかれこれ三時間前。緋色から届いた差し入れの甘味に11番隊の全員が舌鼓を打っていたのが一時間前。そして今、なぜか蒼麻は11番隊を離れ……。

 

「顔覚えたからな。テスト終わったら覚えとけよお前ら」

『これより第610号ネクスマギナ試作型の動作テストを行う。まずはフィッティングを行うため、それを着用した状態でラジオ体操をしてもらう』

 

 対魔導書用魔道具開発センターのバトルシミュレーションルームに放り込まれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の試作機稼働実験

「なるほど。秋月社長の話は本当だったようですね。11部隊の偏屈プログラム、なかなかどうしてデータ収集モデルとして非常に優秀と言えるでしょう」

「基礎身体能力。精神と感情の振れ幅の安定性。至近距離での格闘能力、各種武器の取り扱い。射撃技能、防衛技能。魔法のセンスも飛びぬけてはいませんが魔導書のプログラムだけあって高水準でまとまっています」

「しかし特筆すべきはあの冷静な洞察力・判断力と、それらから導き出される答えを即座に実行する決断力。直面した課題をクリアするだけでなく、大局的な視点まで持ち合わせている」

「頭脳、技能、体力、精神力。どれをとっても高水準のオールラウンダー。よもや秋月社長に引けをとらない理想のモデルがこうも身近にあったとは……灯台下暗し、というやつですな」

 

 緋色から受け取った茶菓子に舌鼓を打っていた蒼麻が対魔導書用魔道具開発センターに強制連行されてから六時間。蒼麻は小休憩すら与えられることなく、研究員らから提示されるテスト項目を全てこなしてみせていた。

 ひとつひとつの課題は蒼麻にとってさほど難しいものではなかったが、それでも休憩なしで六時間ずっと無酸素運動とあっては、さしもの彼にも疲れが見えてきていた。しかしそれでも動き続ける身体は、もはや意地だった。人間である緋色にできて、魔導書の自分が音を上げるわけにはいかない、と。

 しかしそんな蒼麻の思惑は、そもそも前提が間違っていた。普段の緋色はそもそもこんなハードなデータ収集をさせられているわけではないし、研究員たちとて彼にそれを強いているつもりはない。これはあくまで彼の身体的限界値を測定するための時間無制限テストなのである。問題は、それを彼に伝えていないだけで。

 つまりは研究員たちも蒼麻のギブアップ待ちであり、それまでは彼のこなしているテストデータを計測・収集し続けるだけで、まったく本題に入れていないという、とても虚しい六時間がこうして続いているわけだ。

 

「11番隊での彼の役割は防衛・参謀・指揮。堅牢な防御と強大な破壊力を誇る前衛、針に糸を通すような精密射撃を行う中衛、固定砲台ともいえる極大火力の後衛。彼は後衛の守護をしながら戦況を的確に把握し、それらのメンバーに指示を出すポジションにいるそうです」

「戦える司令塔、というわけか。常に全てのことができるのではなく、TPOに応じて必要とされる動きをこなす万能タイプ。なるほど、秋月社長によく似ている。いや、適応力と汎用性だけの話で言えば秋月社長を上回るかもしれないな」

「ネクスマギナにとっては、基本スペックを十全に引き出せるのが彼であり、個々の特性を最大限引き出せるのが秋月社長ということになるのでしょうか」

 

 それは奇しくも、近代魔導書と古代魔導書の関係性に似ているようで、両者の年齢を比較すれば真逆の結果であった。

 ネクスマギナの汎用スペックを使いこなすとされた蒼麻は知っての通り先史文明期からその名を残し続けた古代の民ということになるが、その性質だけ見れば「何かに特化した力は持たないが汎用性が高く使いやすい魔導書」という近代魔導書に近い特徴を持っている。

 逆にネクスマギナの個性を最大限引き出せるとされる緋色は実年齢イコール生存期間という、誰の目から見ても疑いようのない現代の民ということになるうが、その性質は「状況や条件を選ぶため扱いづらいが強力な力を発揮する魔導書」という古代魔導書に似た特徴を持つ。

 それらはあくまで彼らの年齢と魔導書の特徴を対比させた際、面白い具合に真逆を辿った、というだけなのだが。

 

『クソッタレ、いつまで続くんだよこの雑兵散らしは!』

「……仮にも巨人(ゴーレム)型の魔導人形(オートマギア)のはずですが、やはり古代魔導書というものは総じてあれほどの戦闘力を有しているのでしょうか」

「いや、彼のバイタルと身体スペック、そして行動パターンを参照してみろ。あれは身体能力や魔法が強力なわけではない。体力を温存するためにほとんど最低限の動きだけで回避し、的確に関節部を狙って破砕・切断している。あるいは弱点となる部位が明確に存在する敵には即座にそこを突いて撃破。やろうと思えば他の執行部隊でも再現可能だ」

「……ほ、本当だ! 呼吸は攻撃・回避の瞬間を除いてほとんど安定しています! それに計測された身体能力も極端に高くはない……行動パターンに至っては同じ相手には同じ攻撃手段だけで全て撃破している……!」

「彼の強みはなんといってもあの学習能力――つまり頭脳だ。少し運動神経が優れていれば並の人間でも同じことができるだろうが、そのためには彼と同じレベルの知能が必要になる」

 

 相手の特徴・弱点・性質・行動パターンを見抜く観察力と洞察力。それらから繰り出される攻撃を読み切る動体視力。場所や状況に応じた行動をするための判断力。そして全ての計算を加味してそれを実行に移す決断力。魔導書である以上、彼が一度戦った相手のデータは二度とその記憶から抜け落ちることはない。

 加えて、彼は物理・魔法のどちらにおいても癖がなく、徒手空拳を得意とするものの、武器があればどんなものでも使いこなし、近・中・遠どの距離でも対応可能。それを万能と取るか器用貧乏と取るかは人にもよるが、少なくとも今この場において研究者たちの意見は前者に寄っていた。

 内側にいる天星が魔法の名手であることから、基本的に魔法を使うことは少ないが、彼は主に水魔法――特に攻撃性の低く汎用性や拡張性に長ける幻影・分身などの魔法を得意としている。実際、以前シルヴィアを救出する際にも殺傷性皆無の幻惑魔法である『バブルスプラッシュ』の応用で消火を行いながら彼女を救出した。

 

「彼の能力的には極端に強いプログラムではないのだろう。ただ、長年の経験や知識を余すところなく活かし、躊躇なく的確に相手の弱い部分を叩く。今も見てみろ、彼はずっとゴーレムに対して半身の姿勢で、絶対に正面を見せていない。ああすることで正面からの攻撃範囲を狭めているだけでなく、即座に回避行動がとれるようになっている」

「格闘能力が高いからボクシングとか空手とかをイメージしてましたけど、あれはどちらかといえば合気道とか日本拳法に近いような……」

「プログラムといえども肉体が二足歩行する生物である以上、骨で守られていない腹部は急所のひとつだ。そこを打たせないためにも半身の姿勢で構えることはとても理に適っている。しかも半身になっていれば片手は常に相手に近い位置にある。そこから攻撃してもよし、相手の攻撃を弾くもよし。何より距離を測る物差しとしても優秀だ」

 

 事実として、蒼麻にとっては主に物差しとしての役割が大きい。

 人間の両腕を広げた時の長さは誤差10センチを含め身長におおよそ等しい。彼の身長は171センチ。肩幅がおよそ40センチ前後。つまり単純計算で片腕およそ65センチとなる。その内、掌の大きさは身長の約10分の1なので17センチということも加味すれば、物差しとしては十分その意義を見出せるだろう。

 構えるだけで物差しとして機能するのなら、相手の体格も戦闘データに含めて戦う彼のスタイルにはとても有効だろう。全てのデータを見た目で判断することはできないが、見た目から得られるデータは決して小さくないのだ。

 

『もうこのデカブツだけで48体も倒してんだけど! これいつ終わるんだよ!』

「ふむ……確かにもうこれ以上に得られるデータはないだろう。ネクスマギナの個性については次に秋月社長が来られた時でもいい。彼のバイタルを見るにまだあと3時間くらいは大丈夫そうだが……無理をさせすぎて凪原家を敵に回すわけにもいかないからな」

「了解しました。『テスト終了。被験モデルは試作型ネクスマギナを解除、設置されたテーブルに返還後、シミュレーションルームからの退出を許可します』」

 

 ようやく終わった、と安堵した様子でネクスマギナを解除、さっさとシミュレーションルームを出た蒼麻は、そのまま近くにいた数名の研究員の頭にハイキックを叩き込んで昏倒させ、そそくさと対魔導書用魔道具開発センターを後にしてしまった。

 このチームのリーダーを含めた数人の研究員が駆け付けると、そこはもちろん死屍累々。とはいえ古代魔導書をこれだけ好き勝手に使って全員生きているだけでもだいぶ温情だろうと判断したチームリーダーは、以後も彼をこのテストに呼ぶことはままあれど、事前連絡を怠らないようにしたという。

 ちなみに今回の強制連行に関しては緋色から今日は来られないと連絡を受け、少し前に緋色から蒼麻がテストモニターの条件を満たしていると聞いていた数名の研究員が独断で行ったことであり、緋色にとっても寝耳に水であったため、蒼麻から理不尽にキレ散らかされたという。

 

 なお、ネクスマギナのテストモニターの条件はシンプルに三つ。

 

・感情の振れ幅を一定に保てる者

・あらゆる武器や距離に対応できる者

・戦闘能力が極端に高くも低くもない者

 

 ――極端な話、これといった特徴のない「まっさら」な者。

 

 この全てを満たしている人物というのが、現時点で蒼麻と緋色の二名だけなのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エクスピアーティオ』に与えられた使命

 BONDの新型戦闘魔道具――即ちネクスマギナの強奪を命じられた少女、エクスピアーティオは、主にして半身である継悟から与えられた光と色を支配する『明燈の書』を使い、既にBOND内部へと侵入していた。

 職員の多い日中に侵入を試みたのは、警備が厳しくなる夜間よりは、職員たちの注意が自らの職務に向いているこの時間の方が、明燈の書によるステルス化も加味して成功率が高いと判断してのことだった。

 

「これが、世界唯一の国連直属の超常状況対策組織にして国連・国家公認の魔導具研究機関……その地上本部、ですか」

 

 姿を消すことは出来ても声を消すことまではできないため、ここまで無言を貫いていたエクスピアーティオが、ようやく人目の無い区画まで来て、感嘆の声を洩らした。

 世界にはいくつかの超常現象や超常状況に対応する組織や、魔導具の研究機関が存在するものの、前者はあくまで軍隊や警備隊の一部として取り入れられたものであって独立した組織はなく、後者に至っては一部の特例機関を除いて公的な存在を認められていない。

 そもそも、超常現象や超常状況の元凶となりやすい魔導書の対応ができる技術を持つ組織というものが、単なる戦闘部隊ではほぼ皆無であり、BONDという組織もまた「栞」と呼ばれる魔力不導絶縁体による魔力遮断器の開発に成功したことでようやく設立された組織である。

 逆に言えば、この「栞」の開発こそがBOND最大の功績であると同時に、それの所持を独占することによって他の組織が不用意に魔導書へ接触しないよう抑制する、という意味も含んでいる。

 そのBONDが新開発した戦闘魔道具を強奪・研究することによって、一般に知られていないBONDの活動内容を知るスポンサーや各関係者からの信用を奪い、なおかつマギウスの魔導技術力の口上をも狙える正しく一石にて二鳥を得る策、ということなのだろう。

 しかし、エクスピアーティオは理解していた。マギウスから与えられたこの策を、いくら魔導書に直接関与しないとはいえBONDという貴重なサンプルが夥しく存在するこの組織に、継悟(けいご)が自ら乗り込まないという時点で、この作戦の成功率が著しく低いということを。

 

(ドクターにとって最も重要なのは魔導書……。ドクターのモノであり半身である私でさえ、ドクターの特別にはなれない。けれどドクターは少なくとも、無意味に自分のモノを壊すような人ではない。私に行けと言った以上、ドクターはきっと何かしらの手を打ってくださっているはず……!)

 

 その時、施設内に(けたた)ましいほどのアラートが鳴り響いた。

 よもやこうも早く侵入を気取られるとは、と警戒心を強くするエクスピアーティオであったが――。

 

『東京都唯城区に20メートル級の魔導人形(オートマギア)が10体出現しました。7番隊を除く戦闘行動可能な各部隊はこれらの迎撃・鎮圧。7番隊は施設内の防衛・パトロール。戦闘を行えない各部署の研究員は各々のデータを保護・回収したのち、7番隊の指示に従って避難してください』

 

 BONDの地上本部が睨みを利かせるこの唯城区で、なおかつエクスピアーティオがBOND内部の人気が少ない場所まで辿り着いたこのタイミングで、違法な魔道具を開発・販売している組織でも貴重な『20メートル級魔導人形(オートマギア)』を10体も投入したテロ行為。

 それは間違いなく、BONDの防衛能力を削り、そしてエクスピアーティオから意識を逸らすために行われた支援であり、それを手引きできる――してくれる人物など、彼女には一人しか思い当たらなかった。

 

(20メートル級の魔導人形(オートマギア)……ドクターが製造した『マギアゴーレムType-K』? でもあれは全部で50体しか造ってないし、全部魔導書の研究に使ってしまって破棄されたはず。ということは、まさか……!)

 

 そう、彼女の読み通り、BOND本部を中心として半径5キロほどしか離れていない場所に突如として現れたこの魔導人形(オートマギア)たちは、あらゆる違法魔道具バイヤーの間でも一切流通していない完全な個人製作品。

 全体的に正三角形を描くような太い胴体と短い足。小さな腕に、小顔に似つかわしくない大きな口。そしてそんなアンバランスな体型を支えるほどの太く長い尻尾。各部には刺々しい突起や発光体が存在し、口からは魔砲熱線を発射。

 以前、継悟が暇潰しに観ていた特撮映画に出てくる巨大ヴィラン――日本で言うところの『怪獣』に酷似した体型のその魔導人形(オートマギア)は、生産コストをいくらか度外視して製造された赤字開発の産物であり、少なくとも『替えの利くモノ』のために使用するようなものではなかった。

 

(ドクターが、私のために……? なら、こんなところで休んでいる場合ではありませんね。敬愛するドクターがここまでしてくださったのです。そのご期待にお応えしなくては……!)

 

 

 

 

「随分と立派な巨大ロボだな、昔観た怪獣映画にもこれに似たものがあったぞ。しかしこれだけ分厚い装甲となると、俺でも一撃では砕けるかどうか……」

「一撃でなくとも破砕できる守唄(しゅうた)はいいだろう。私などどこをどう撃っても傷一つ付けられんぞ」

「ねぇ、あの魔導人形(オートマギア)フツーに堅すぎて魔法通らなそうなんだけど。ボクの爆発魔法(ぜんりょく)を叩き込んでも表面焦がすのがやっとっぽいし」

「流動体エネルギーでは手も足も出ないとみて間違いないでしょう。加えて魔導人形(オートマギア)が相手ではわたくしめの毒矢も意味を為しませんし……どうなさいますか?」

 

 同刻、蒼麻(そうま)をはじめとした11番隊も20メートル級魔導人形(オートマギア)の対応に追われていた。他の部隊たちが協力体制を整えながら一丸としたチームで対処しているのに対し、彼らはいつも通りの4人きり。

 プラウドフィストを装着した守唄が既に何十発と拳を叩き込んでいるものの、相手は魔力によって駆動しているとはいえ口から放つ魔砲熱線以外はほぼ物理攻撃のみしか行わないため、魔力を吸収して硬質化するプラウドフィストの特性をほとんど活かしきれず、守唄も焦りを感じ始めていた。

 そしてそれは支援射撃によって守唄の援護を行うエヴェリーナも同じであった。エヴェリーナの使用するプラズマレーザーガンは彼女のために出力や魔力バッテリーをカスタムされてはいるが、基本的な構造は全職員に支給されるものと同じ。ネクスマギナを持たない彼女にとっては、どうしてもそこに劣等感を感じていた。

 一時的に作戦に加わっているミシェルもまた、得意とする毒矢が効かない相手となるとやりづらさを隠せなかった。毒の効かない相手となれば、彼の武器になるのはクロスボウによる射撃と、魔導書のプログラムとしては申し訳程度の格闘技術だけ。ほとんどの持ち味を殺された状況に、どことなく動きやコンビネーションが精彩さを欠いている。

 そんな三人に対して意外なほど冷静さを保っているのは、魔法がほぼ無力と言い切られたはずの美晴(よしはる)だった。少なくとも爆発魔法や砲撃魔法といった流動体エネルギーによる攻撃はほぼ無力だとわかった今、彼は他の三人に支援魔法をかけたり結界魔法や拘束魔法で魔導人形(オートマギア)の動きを縛ることに集中している。

 

「……俺が前に出る。ミシェルは下がってハルの防衛。兄貴とハルはそのまま。リーナは距離をそのまま保ちつつ自己判断で後退、必要なら戦線から退却して物資や増援の申請・確保。今回の切り札は兄貴だ、俺に何があっても指揮はミシェルに任せ、決して攻撃の手を緩めるな!」

 

 蒼麻の号令に全員が頷き、各々のポジションを瞬時に変える。

 守唄の『破壊』の一撃を確実なものにするため、美晴が全員の身体能力や魔法出力を増加。さらに魔導人形(オートマギア)による物理攻撃をほぼ全てを蒼麻がいなし、強化されたエヴェリーナとミシェルの射撃が相手の魔砲熱線の軌道を逸らすことに成功した。

 無論、切り札といっても守唄の攻撃の手が緩むことはない。むしろ他の全員に防御と支援を任せている以上、守唄はとにかく攻撃に専念し続けた。拳が相手の装甲を打ち抜く度に、この一撃で『破壊』するという意思を込めながら、それを何十、何百発と叩き込み続けた。

 しかし――、

 

「グルァァァァァ!」

「なんだか知らんがとにかくマズい、リーナ下がれ! ハルは防御態勢! 兄貴も早くここから離れるぞ!」

「わかっ――こいつ、尻尾を足に絡めてッ!」

「クソッ、間に合え……ッ!」

 

 突如として魔導人形(オートマギア)の各部に存在する青色の発光体が点滅を開始し始め、周囲の魔力濃度が著しく低下していくのを感じた蒼麻は、咄嗟に守唄の腕を掴み、強引に美晴の元までぶん投げた。

 直後――呑み込んだ魔力を火力に変えた魔導人形(オートマギア)の自爆に巻き込まれるとわかっていながら。

 

「……ッ、ソーマアアアアァァァッ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『ミシェル・ヴェルデ』の静かな采配

「ソーマッ! ソーマぁッ! おい、目を覚ませソーマ!」

「落ち着いてステニウスさん。蒼麻君の身体をあまり揺らさないで」

「だ、だけどソーマがッ!」

「落ち着いて!!」

 

 普段あまり聞くことのない美晴の怒鳴り声に驚いたのか、エヴェリーナの身体がびくりと跳ねて動きを止める。

 

「怒鳴ってごめん。けど今の蒼麻君は意識がない。見た感じ呼吸はあるみたい。出血もここまでの戦闘によるものはあるけど、命に係わるレベルじゃない。脈は……あるみたいだね。声をかけながら戦線を離脱しよう。ここはまた敵が来るかもしれない。幸い、ボクたちの対処するべき敵はもういない。下がっても問題はないよね、シュウさん?」

「ああ。俺と美晴でソーマを運ぼう。エヴェリーナとミシェルは周囲の索敵をしつつ共に戦線離脱。ソーマを安全な所まで運び、応急処置を行う。その後は他の部隊の要請に応じて救援に向かう」

「了解」

「承りました」

 

 移動しながら医務班を呼び、迅速に蒼麻を非戦闘研究員のための避難用シェルターに運ぶと、彼を任せて指令室へと向かう。

 事前に蒼麻が残した言葉通り、指揮権はミシェルへと委ねられた。少なくともエヴェリーナはこの状況で冷静でいられるような性格をしていないし、美晴も表面上は落ち着いていてるが中身はエヴェリーナと同じだ。そういう意味で最も割り切れているのは守唄だろうが、彼は戦略を立てることはできても策略の裏というものを読み取れない。

 そういう意味で、蒼麻がミシェルに指揮権を任せるよう指示していたのは非常に合理的な判断だと言えた。ミシェルならば蒼麻とさほど深入りし合う関係ではないし、戦略・策略のどちらにも長けている。交渉術には不安があるが、こうして事実だけを確認してその裏を読み取る力はそれなりに秀でている。

 

「オペレーターの方々が避難されて不在ですので、まずは本営通信で現状を把握しましょう。施設内の通信は?」

「全て生きている。だがオペレーターがいなければモニターが……」

「いや、モニターと通信機器の使い方なら多少はソーマから教わった。まさかこんなことで役に立つとは思わなかったが……これでいいか?」

 

 エヴェリーナによって通信回線を繋ぐと、全部隊の状況がモニターに映された。元より斥候・調査のために戦闘能力の高いメンバーを集めている1番隊は既に戦闘を終え、表のエースとも呼ばれる4番隊も対処完了済み。どちらも破壊された魔導人形(オートマギア)の回収を行っている。

 基本的に魔導書の研究を主な活動とする3・9番隊も2番隊と協力しながら対処に当たっており、現状は善戦中。召喚術を得意とする6番隊もこのまま問題がなければ安全を保ちながら対処を終えるはずだ。

 5・8番隊は通信を確保しつつ本営の拠点防衛を行っており、これなら11番隊の救援は必要ないか、と思っていた矢先――。

 

『こちら10番隊! 魔導書を武装した仮面の人型存在に攻撃を受けています! 使用している魔導書は特定できていませんが、隊員の挙動に何か知らの外的影響が出ているのは明白! 2番隊による解析と戦闘部隊の追加を要請します!』

『こちら5番隊。本営より応援要請を承認。10分以内に1番隊をそちらに向かわせます。それまで持ちこたえてください』

『了解し――なっ……ここはどこだ!? 空……ッ!? 落ち――うわああああぁぁぁぁぁッ!』

 

 ブツリ、と不穏な音を立てて10番隊の通信が途絶えた。すぐさま5番隊から折り返しの通信が送られるが、戦況が悪いのかそれに応答する者はいない。

 

「この、何番隊がどうというのは?」

「見ての通り5番隊が通信や物資などの支援を行う部隊。2番隊は魔導書を含む魔道具の解析を専門にしていて、1番隊は斥候・調査を専門とする戦闘部隊。10番隊は基本的に長期戦の知識や経験が多いからこういう咄嗟の短期・市街地戦には向かないが、それでも腕利きの戦闘員が揃っているはずだ」

「ふむ……。ではその10番隊の応援に1番隊が向かったということですが、2番隊の解析を待たず魔導書との接敵は状況的に最悪と言わざるをえません」

「この映像を見る限り、通信をしていた10番隊のメンバーが急に宙に浮いたように見えた。これは……重力を操っているのか?」

「だとすれば画面の奥でフラついている10番隊メンバーたちはとっくに浮くか地面にへばりついているはずだ。仮にあの魔導書ひとつでこの両方の事象を引き起こしているとすれば、重力だけでは説明がつかない」

 

 対処法が無ければ、そもそも敵の手札が一枚すらわかっていない現状では、救援に向かっても無駄死にするだけだということは、エヴェリーナにもわかっているのだろう。しかし、目の前で傷付く仲間を見殺しにするようなことはしたくない。

 それは美晴も守唄も同じことだろう。だからこそ、二人は食い入るように画面を見つめている。力を発揮している以上、既に手札は見えているはずなのだ。それを理解するために、男性陣三人の意見が飛び交う。

 

「空に浮く、相手をフラつかせる。この現象だけで力を探ることは不可能です。では前者は事実として受け止めつつ、後者はなぜああなっているかを考えましょう」

「単純に眩暈や体の不調を引き起こしているわけではないみたいだな。顔色が悪いということはない。ということは、毒や細菌をバラ撒いているわけではないらしい」

「彼らにだけ聞こえる音や彼らにだけ見える景色が発生している……いや、空に浮くのとなんにも関係ないね。いや、でも空に浮かされた人とフラついてる人は「同時に」効果が作用してたんだから、少なくともあの魔導書はそれらの作用を個別の対象に対して発動してるってことだよね。周囲全てを範囲選択してるわけじゃなくてさ」

 

 宙に浮くことと人間をフラつかせる効果が共通の能力によるものなら、彼らの言う通り「毒・細菌・ウィルスを撒き散らす力」や「対象にのみ感知できる音・光・色を発生させる」というのは考えにくい。

 そういった限定的な能力ではなく、もっと広範囲でアバウトな概念によるものだろう、というのは三人とも意見が合致しているようで、今度は「宙に浮く」という方向に目が向けられた。

 

「重力を操っているのではなく、重力の向きを「反転」させているのでは?」

「ならフラついている方の理由は?」

「ミシェルさんの意見が当たりなら、前後左右の認識が「反転」させられている可能性はあるね。でも、だとしたら最悪の場合、敵味方の認識すら「反転」させられる可能性がある」

「確定はできませんが……これなら両方の事象に説明がつきます。ですが、同士討ちをさせられる可能性があるのでしたら、ここは1番隊に任せた方がいいでしょう。2番隊にこちらの意見を伝え、1番隊だけでなく長距離からの狙撃部隊を用意してもらった方が確実です」

「狙撃か、なら8番隊だな。エヴェリーナ、5番隊に通信を繋げ」

 

 全員の意見がまとまり、5番隊へと通信を繋ぐ。しかしこの間にも状況はさらに悪化の一途を辿っている。

 10番隊のメンバーはほぼ全員が戦闘不能。数名の死者が出ている。それに対し、敵の『仮面』はまったく動くことがないものの、あの巨大な魔導人形(オートマギア)が縦横無尽に暴れているせいで、全部隊中で最も周囲への被害が出てしまっている。

 

『こちら5番隊。そちらは11番隊ですね。通信は……指令室からですか。事情は後で確認しますが、どうしましたか?』

「指令室から他の部隊の交戦状況を確認していた。10番隊が戦闘を行っている魔導書の能力が「反転」である可能性がある。2番隊にその可能性を含めて解析を任せたい」

『なるほど「反転」……。判断は2番隊に任せますが、他に何か意見や要望などは?』

「もしもこちらの読み通りなら、相手はこちらの敵味方の認識も反転させるかもしれない。相手の認識が及ばない範囲からの狙撃なら効果があるかもしれない。8番隊の協力も仰ぎたいと考える」

『了解。貴重な意見に感謝します。迅速に対処することをお約束しましょう。11番隊は手が空いていれば7番隊とは別ルートで施設内のパトロールを行ってください。これだけのパニックが起きている以上、施設内の警備が手薄になっていますので。7番隊にはこちらから連絡を入れておきます。では』

 

 普段なら「不真面目で自堕落な11番隊」の話などまともに受け入れてはくれないだろう。

 しかし、この緊急事態は明らかに人為的・計画的なものだということは、他の部隊も感じ取っているはずだ。だからこそ、借りられるものなら猫の手でもいいというこの状況で、意見や視点は1つでも多い方がいい。

 そもそもBONDという組織およびその職員は総じて「合理性」を重んじる傾向にある。個人の感情よりも目的のために必要な手段を優先するその考え方が、今回こうして良い方向に働いた。5番隊からすれば、「腐ってもBOND職員」くらいの認識だろうが、それでもBOND職員なら意見として取り入れる価値はあるのだ。

 

「どうやらやることは決まったようですので、指示通り施設内のパトロールに向かいましょう。連携を取りやすいよう、前衛と後衛をペアにして二班に別れたほうがよさそうですので、私と空岡様。エヴェリーナ様と陸谷様のペアで」

「異常が発生したら、対処より先に連絡が優先。たとえペアだけで対処できそうなトラブルでも、何が起こるかわからないのがBOND本部だからね。ほら、ここ魔導書がたくさん……」

 

 ハッ、と全員の視線が混じり合った。

 

「全員、ひと固まりになって魔導書庫に向かいます!」

「エヴェリーナ! 5番隊にこれを通知しろ!」

「ミシェルさん、服の上からでいいからこれ着て!」

 

 BOND職員の証にして最大の防御性能を誇るオーバーコートをミシェルに渡す美晴。

 明らかに焦りを見せる全員の脳裏に浮かんだ「最悪の結果」が、彼らを駆り立てる。

 

『こちら5番隊。11番隊、どうしましたか?』

「緊急事態の可能性がある。おそらくこの襲撃、このパニックに乗じた魔導書の解放あるいは強奪を目論んでいる要注意組織が絡んでいるかもしれない。これからパトロールの意も含め対処にあたるが、可能なら増援を求めたい」

『確かに、可能性としては低くありません。了解しました。しかし、外の状況が悪化し始めました。確信の無い情報のために部隊を動かせない状態です。最悪、そちらの報告を待つことになるかもしれません。ご理解を』

「くっ……了解した、だが余力ができれば即座に増援を送ってくれ。こちらも報告する余裕がないかもしれん」

『承知しました。では』

 

 そう、彼らの脳裏に浮かんだ最悪の結果――それは、このパニックを陽動とした魔導書の強奪。

 いや、一冊二冊の魔導書を強奪されるくらいなら、まだ対処はできるかもしれない。もちろんそれでもかなり悪い部類だが、そんな「強奪」よりもおそろしいのは、自爆テロのようにその場で複数の魔導書の封印を解除されることだ。

 一冊でも栞を抜き取れば、ものによっては周囲の魔導書に施された封印をも破りながら暴走する可能性が非常に高い。そうなればこの魔導書だらけのBOND本部は間違いなく魔法災害の爆心地になるだろう。

 

 本当なら「確信がないので増援は送れない」などと言っている場合ではないが、確かにモニターを確認してみればあの怪獣型とはまた別の巨大な魔導人形(オートマギア)が追加で6体投入され、各部隊が対処に当たっている。

 合流できる他の部隊といえば同じくパトロール中の7番隊だが、彼らは拠点防衛――つまりは「守る戦い」あるいは「消耗戦」のプロであり、短時間でケリをつけなければならない状況では感覚や考え方の違いから足を引っ張り合ってしまう可能性も低くはない。

 できれば1番隊のような短期戦のプロと行動を共にできればよかったかもしれないが、と考えても詮無きこと。今できることで、今切れる手札でどうにかするしかない。

 

「準備はいいな。行くぞ」

「了解」

「了解」

「承りました」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『国戸継悟』の神秘への冒涜

 蒼麻という強烈な精神的支柱を失った11番隊は、ミシェルを司令塔に据えることでどうにか持ち堪え、目前に迫る脅威にいち早く気づくことに成功する。しかし、その脅威はすでに組織の懐に潜り込み、狙いの獲物を手にしていた。

 

「これが、BONDが開発した新型戦闘魔道具……Nexus Link Magia Machina、ですか。『繋ぎ繋がれる魔道具』だなんて、随分と高尚な理想をお持ちなんですね、貴方の創造主は……」

 

 エクスピアーティオの生気のない真っ白な手に乗った3センチ四方のキューブ型オブジェクト。それは紛れもなく現時点でBOND関係者のみが持つ危険魔道具対策兵器『ネクスマギナ』のひとつだ。

 だが、単なるネクスマギナであるのなら、すでに登録された装着者以外に対してその力を発揮することはなく、またその登録情報を書き換える技術は、現時点ではBONDの中でも開発に携わった一部の研究員のみが知るところ。

 しかし――、

 

「No.104、個体名称『ウェネフィクス』……開発段階のため正規登録者なし。登録手順はすでに確認済み。あとはこれをドクターのところまで――」

「そこまでだ。持っているものを床に置いて両手を上げろ」

「……気取られましたか」

 

 エクスピアーティオが撤退を試みようとした瞬間、背後から突き刺さる低い声。プラズマレーザーガンの銃口を向けるエヴェリーナの後ろからエクスピアーティオを睨みつける大男、陸上守唄の燃え滾る怒気は、その紫色の瞳からも強く伝わってきた。

 幸い、背を向けていて顔は見られていない。しかし隠密行動用に着用しているインナースーツは彼女のスレンダーなシルエットを明らかにし、肩あたりまで真っ直ぐに伸びながら美しい光沢を放つ茶髪はあまりにも印象的で、その容姿を見た誰もが彼女を見間違えないだろうという美貌であった。

 

「……所属と名前は?」

「…………」

「10秒以内に答えなければ撃つ」

「無所属。エクスピアーティオ」

「撃て」

 

 プラズマレーザーガン特有の「ザー」というレーザー音が、静寂のヴェールを貫いた。

 しかし、貫いたのは静寂だけではなく――。

 

「さすがに、無策のまま敵の本拠地(こんなところ)に来たりはしませんよ」

「プラズマレーザーが体を貫いて……いや、()()()()()のか!?」

「落ち着けエヴェリーナ。銃口はそのまま向けて周囲をしっかり観察しろ。ミシェル、相手の居場所を突き止められるか?」

「……エヴェリーナ様。もう二、三発撃ってください」

 

 頷く間もなく、三発のプラズマレーザーがエクスピアーティオの背を打ち抜くが、やはりこれらも全て彼女の体を通り抜けてしまう。

 やはり意味はないか、と嘆息する守唄とエヴェリーナだが、美晴はミシェルの意図に気付いたのか、すぐさま部屋の扉を閉め、そのまま十数秒程度の睨み合いが続く。

 

「これで、少なくともボクらをスルーして逃げられることはなくなった。そうだよね、ミシェルさん」

「ええ。遠隔設置できる分身魔法なら一定のダメージを負えば消滅しますから、ドアを閉めてしばらく経ってもここに幻影がある以上、おそらく投影型の幻影魔法でしょう。だとすれば、まだ本体はこの部屋の中に残っているはずです」

「幻影魔法の一部には自身を周囲の景色に同化させるものがあるけれど、たとえ目に映らなくてもここから出るためにはドアを開けなきゃいけない。なら、あとはどっちが先に強硬手段に出るかの根競べになるけれど、時間が経てば外の対応をしている部隊が片付けを終えて応援に来る。それでも……隠れ続けるつもり?」

 

 これ以上は無駄だと判断したのか、目の前の幻影がその姿を消した。守唄がドアの前をキープし、エヴェリーナを部屋の中央に配置した状態で美晴とミシェルによる探索が行われる。

 前者二人と比較して、魔導書であるミシェルと魔法の扱いに特化した美晴は、いわゆるこのチームにおける魔法のプロフェッショナルであり、この二人を「魔法で」欺いて突破することは不可能にも等しい。

 先のやり取りだけでも、この二人が魔法に精通した人物だと理解したエクスピアーティオは、すぐに次の一手を打たざるをえなかった。

 

「光の幻影が効かないのなら……光の中に閉じ込めてさしあげましょう」

 

 直後、室内にハニカム構造状の鏡らしきものが敷き詰められ、四人の視界を全て覆い尽くしていく。

 

「鏡の結界……!? いや、今まで彼女が使ってきた魔法の傾向からして……待ってステニウスさん! 撃っちゃダメだ!」

 

 単なる鏡であれば撃ち砕いてしまえばいいだけだ。しかし、プラズマレーザーガンは光と熱をレーザーとして照射する。これまでの傾向からして、エクスピアーティオが「光」に関する魔法を繰り返していることに気付いた美晴は、エヴェリーナに銃を下ろすよう指示を出した。

 おそらく、この鏡はあらゆる光エネルギー由来の攻撃を反射する特性を持ち合わせているのだろう。仮説を確かめるべく、美晴がなんの威力も持たない純粋な『光』としての光線を鏡に向けて放つと、それらの光は急激に加速し、周囲を乱反射し始めた。

 

「光を含んだ攻撃は我々にとっても危険ということですね。特に射出するタイプの魔法は禁じた方が賢明でしょう。単純なパワーで破壊するのがいいのかもしれませんが……」

「ダメだ。既に何度か殴ってみたが、ひとつひとつの鏡は大した硬度じゃないものの、接触する直前に周囲の鏡が密集して防がれてしまう。それに、砕いた分も2秒と待たず再生するようだ」

「ボクらの視界を遮っている間に逃げるつもりなのか……! いくらシュウさんがドアの前に居ても、この結界の外に攻撃できないんじゃ……ッ!」

 

 

 ――Furious Kick

 

 

 突如、鏡を突き破る群青の閃光。

 崩れ去る鏡の結界の中、そこに現れたのは――。

 

「蒼麻君!」

「ソーマ!」

 

 親友と妹分の声を背に、ゆっくりと立ち上がった彼は、その視線を「ある一点」に定めたまま静かに告げる。

 

「よぉ、俺の連れを可愛がってくれたんだろ? そうコソコソすんなよ。せめて礼くらい……返させてくれてもいいんじゃねぇか? あァ?」

「……まさか、見えている? そんなはずは……」

「さっきの結界、光を「管理する」魔法だろ? それができる魔導書なんていくらでもあるが……光を使う魔法なら、視覚的に探っても意味がない。だからさっきの結界が「光」に関する魔法だってわかった時点で、俺の『サーチミスト』を散布させていた」

 

 どれだけ体の色や形がわからなくとも、散布された霧によってそのシルエットが浮かびあがってしまえば、居場所を突き止めることなど造作もない。

 蒼麻はゆっくりとした動きでそのシルエットへと近付き――。

 

「『魔断の遮手』」

「チッ……『お前』か!」

 

 この地下300メートルの魔道具庫にして、ありえるはずのない『頭上からの声』に、蒼麻は即座にその場を跳び退いた。

 蒼麻が退いたことで全員が警戒心を引き上げ、彼の隣に守唄が並ぶ攻撃的なフォーメーションに移行する。

 

「やぁ。久方ぶりだね、『天星の書』……の、不純物(まざりもの)クン」

「なるほど……今回の事件、見たこともない魔導人形(オートマギア)を放ったのも、そこのスケスケ女にコソドロの真似させてたのも、お前の仕業か、Dr.コクトー!」

 

 国戸継悟。またの名をDr.コクトー。

 およそ180年以上前から裏社会で「魔導解剖学者」としてその名を馳せ続けており、過去に解剖した魔導書の力の一部を「魔導書なしで」行使できるようになった「生きる魔導書」である。

 過去に投獄された際に口にした供述によれば、魔導書研究に携わる父の死後、研究用の魔導書に囲まれて過ごしたことで魔導書の魔性――彼曰く「神秘」に取りつかれ、その神秘を網羅すべく自らを研究材料にして魔導書の「解剖」を試みたという。

 

「Dr.コクトー……!? それは随分と大物が掛かってしまったな……!」

「我々からすれば最悪の敵、ということになるのでしょうね……!」

 

 彼の名を聞いて、明らかな動揺を見せているのはエヴェリーナとミシェルも同じであった。

 しかし、そんな彼らとは反対に、美晴と守唄はその名前すら聞いたことがないという様子で、ただ蒼麻と継悟の様子を見守っている。

 

「こんな時に聞くのもなんだけど、彼ってそんなに危険なの?」

「ええ。少なくとも、わたくしめども魔導書にとっては天敵とも言えましょう。彼は人間に対する脅威性ももちろんですが、とにかく魔導書に対する執着心が異常です。彼から逃げ延びる手段はただひとつ……ここで倒すしかありません」

「あいつには幾つもの同胞がやられた……! 奴にとっては「ただの趣味」なのかもしれないが、その趣味に付き合わされて「解剖」された同胞は、どれひとつとして戻ってはこなかった……ッ!」

 

 継悟の言うところの「解剖」とは、単純にその神秘を解き明かそうとする「マギウス開帳結社」のそれとは意義が異なる。

 彼の手によって「解剖」された魔導書は、その神秘性を失うと同時に、数々の「改造」を施される。それは魔導書の形を持つとはいえ「本の編集」などという生易しいものではなく冒涜的ともいえる神秘への暴力。

 改造された魔導書には本来の人工知能などあるはずもなく、ひたすら彼好みに解剖され、凌辱され、調教された『プログラム』のみが存在する。

 

「Dr.コクトーによって解剖・改造された魔導書は、もはや魔法の本なんかじゃない。あいつは……『魔法』を『科学』に変えてしまう魔導書の天敵だ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『国戸継悟』のテスト議論

「そう睨まなくてもいいじゃないか。私の『解剖』は魔導書から不要な自律機能を停止させ、一定の手順を踏めば誰でも取り扱うことのできるものへと改良を施している。通常の魔導書と比較しても暴走の可能性は著しく低い。ある意味ではキミたちBONDの仕事を減らしてあげていると言っても過言ではないんだよ?」

「俺たちBONDの基本方針は魔導書の封印・収容・管理だ。人類の手に収まらせるのではなく、人類の手に及ばないように保護することだ。お前のやっていることは魔導書の危険性を人類の意識から遠ざけ、危機感を薄れさせる行為にも等しい。どうあがいてもお前が危険人物であることを否定することはできない」

 

 にやにやと感情の込められていない笑みを浮かべながら飄々とした態度で自らの正当性を主張する継悟(けいご)に対して、蒼麻(そうま)は彼を睨んだまま半身に構え、ミストに紛れる手で「合図」「行う」「人間」「残れ」「魔導書」「逃げろ」「応援」「呼べ」とハンドサインを出す。

 この状況で最も危険――つまりは継悟の興味を引くのは、間違いなく3200年級古代魔導書『天星の書』である蒼麻自身だというのは誰の目にも明らかだ。しかし、蒼麻はそれをわかった上で自分を囮にしてエヴェリーナとミシェルを逃がそうとしていた。

 現状において最悪なのは部隊の全滅による魔導書庫の掌握を許してしまうこと。まして相手は魔導書殺し(ミスティックキラー)。チームとして戦闘経験が浅いエヴェリーナやミシェルを庇いながら戦う余裕は、さすがの蒼麻にもありはしない。

 

「なるほど。表社会から隔離してBONDという檻に閉じ込めておくことが、キミの言う『管理』ということか。だとすればなおのこと不思議だ。なぜキミは封印されていない? 収容されていない? 管理されていない? それは人類がキミを必要とし、BONDという隠れ蓑を使って表社会で活動させているということじゃないのかな?」

「正当な手段で契約された魔導書を奪うことは法的に認められていない。BONDの理念としてはそれらも管理すべきだが、一組織に過ぎないBONDの力では法改定まで強要することはできない。したくてもできないだけだ」

「嘘はよくないな。君たちBONDの十八番は『ヒュプノスライト』による記憶処理だろう。君たちがそれを良しとするのなら法改定を強行することは難しいことじゃあないだろう。現行の法律はBONDにとっても都合がいいのさ。人類――ひいては自分たちに好都合な魔導書を封印せず収容せず管理しない言い訳にするためにね」

「だから自分も魔導書を解剖して人類に好都合な魔導書に改造してるとでも言いたいのか? それこそ嘘はよくないな。お前は自分の欲望を満たしたいだけだ。結果的にそれが人類に好都合な遺産を生み出したとしても、お前の「嘘」はこの世界に生きる見ず知らずの誰かのためのものじゃない。自分のためのエゴだ」

「論点をずらすのはどうかと思うよ」

「お前の最初の論点に軌道修正しただけだ」

 

 壮絶な舌戦は互いに一歩も譲らず、表情は変わらないとしてもそこには明らかな敵意がぶつかり合っているのは周囲からも見て取れた。

 おそらく、戦闘が得意でないのはどちらも同じなのだろう。否、戦闘が得意でないのではなく、戦闘よりも論戦を得意としている、とすべきだろうか。

 少なくとも蒼麻は11番隊では最も戦闘力が低いが、それでも単独で十分な戦果をもたらすことはできる。その彼が積極的な行動をとらず論戦を続けるということは、おそらくは継悟も同等の戦闘力を保持していることを示している。

 

「私は常々疑問だったんだよ。だからここで聞かせてもらっていいかな。キミたちBONDはなぜ私の『解剖』を良しとしないんだい? キミも言った通り、これは私のエゴだということは否定しないけれど、だとしてそれをなぜBONDが制止する? 魔導書が人類に危害を与えないようになるならBONDにとっても好都合のはずだ」

「さっき言ったろ。お前が魔導書から神秘性を取り除けば、確かに一時的な危険は取り除かれる。だがそれはより長期的に見るなら人類の危機感をも薄れさせる。だから魔導書は魔導書のまま封印しなければならない」

「それこそ短期的な見方じゃないか。私がこの神秘を取り除き続けるのなら、確かに人類の危機感はやや薄れるだろう。けれど最終的に全ての魔導書から神秘を取り除けるのなら、危機感など必要ないんだ。なぜなら全ての神秘という危険性がこの世から消えるわけだからね」

「神秘を失った魔導書はただの科学兵器だ。世界中がそれを悪用して戦争や紛争に用いられる。魔導書は「使いにくい」からこそ「使わなければ」安全なんだ」

「ふふっ……あはははははっ! これは面白い! それをキミが言うんだね! 魔導書であるキミが! モノであるキミが! 「使われて初めて意味を成す」ものが!! やはり……キミは『天星の書』そのものじゃない。その不純物(まざりもの)だ!」

 

 これまで理的で知的な態度を崩さなかった継悟の突然の狂乱は、これ以上の議論を打ち切るようにその場に響いた。

 けれども蒼麻の目は相変わらず冷たく彼を睨み続けながら、まるで「頭を冷やせ」と言うように巨大な水の玉を彼へと放つ。

 

「エクスピアーティオ」

 

 だがその狂乱は突如として止み、まるで「道具を使う」ようにその名を呼ぶと、水の玉は継悟を避けるように真っ二つに割られた。

 

「この程度の魔法で私をどうこうするつもりだったのかな。それとも、キミの魔法はこの程度……いや、何やら先ほどよりも頭数が減っているね。なるほど、あの魔導書たちを逃がすための目くらましか」

「俺の魔法は攻撃性能こそ低いが、そんなもの使い方次第でどうにでもなるってのが持論でね」

「なるほど。理解はできるよ。私の用いる改造魔導書たちはそれを必要としないけれどね。しかし……さすがに魔導書。今から追いかけても追いつく頃には応援を呼ばれてしまうだろう。こちらの目的は果たした。今日はここらでお暇させてもらうよ」

「ハル!」

 

 蒼麻の号に合わせて、ノータイムで美晴(よしはる)の拘束魔法が継悟とエクスピアーティオに迫り、同時に守唄(しゅうた)が地面を強く打ち付け、足元を揺らす。体勢を崩して足元だけでなく平常心をも揺さぶられた状態で弾かれるほど、美晴の拘束魔法は甘くない。

 だが継悟は隣にいたエクスピアーティオを盾にすることで自らは拘束を逃れ、逆に蒼麻たちに揺さぶりをかけてきた。しかし、それで動揺したのは美晴と守唄の二人。「そうすること」をわかっていた蒼麻は、すぐさま接近してエクスピアーティオの拘束を引っ掴み、後方の二人に向けて投げた。せめて彼女だけでも確保しておけと言うように。

 

「『謀蝕の書・R』」

「チッ……ハル、拘束を解いて兄貴を援護しろ!」

 

 返事もなく、美晴はエクスピアーティオの拘束を解除。空に投げ出されたエクスピアーティオによる至近距離からの魔力弾を防壁一枚で全て凌ぎ、蒼麻は守唄と前衛を入れ替わるように美晴のところまで一跳びに後退した。

 

「へぇ、そこが今のキミの立ち位置なんだね。まるで人を守っているようで、実のところ戦いを人に任せている。いや、責めているわけでも嘲笑っているわけでもないよ。魔導書らしい合理的な手段だと褒めているんだ。キミ自身は不純物(まざりもの)だとしても、やはり3200年級の古代魔導書であることには違いないんだね」

「適材適所ってだけだ。俺はこの三人の中で一番「中途半端」だからな」

「そう、わかっているじゃないか。キミは中途半端なんだよ。魔導書のプログラムとして存在しているのに、キミは未だに魔導書になりきれていない。原因はやはり「人間だった頃」の弊害かな?」

 

 空気が凍り付く、というのはこの一瞬を表すにはあまりにも的確であった。

 そして、その凍り付いた一瞬をついて、継悟は転移魔法を発動した。転移魔法は発動してしまえばもはや「そこにいる」のはゆっくりと消える残像のようなものだ。どれだけ攻撃しても意味はない。もっとも、下準備に時間を要するのが難点だが、彼は先ほどの会話の内に準備を済ませていたようで、発動の機会を窺っていたらしい。

 チッ、という舌打ちが蒼麻の口から思わずついて出る。

 

「次にそのツラを見せた時がテメェの最期だ」

「おお、こわいこわい。ではしばらくは穏やかに過ごさせてもらおうかな。マギウスに売るための恩は確保したからね」

「こりゃ意外だ。天下のDr.コクトーが使いパシリにされてるなんてな」

「つまりは君と同類というわけさ。今後も仲良くしてくれるかな?」

「ふざけろ」

「だろうね」

 

 じゃあね、と言うに合わせて転移が完了。継悟の声も姿もなくなったが、三人はしばし警戒を解かないまま魔導書庫内を確認。今度はもうどこに隠れているわけでもなく、本当に退散したのだろうと判断し、ようやく肩の力を抜いてその場に座り込むと、守唄に背中を預けるように蒼麻と美晴が凭れ掛かった。

 

「はぁー……さすがに今回ばかりは俺の命運も尽きたかと思ったぞ」

「珍しいね。蒼麻君がそんなに弱気になるだなんて。やっぱり、天敵の相手はこわかったのかな」

「怖いなんてもんじゃない。あいつは自分と対等以上の相手とは会話に応じてくれるが、そうでないと判断すれば問答無用で『解剖』しようとするからな。あいつの言葉に的確な反論を返さなきゃこっちがやられる。ひどい綱渡りをさせられた気分だ」

「だからあの男が狂うように笑った時にすぐさま二人を逃がしたのか」

 

 守唄の言う通り、あの狂乱の直前に返した蒼麻の反論は、彼が『魔導書』であることを棚に上げた最悪の一手であった。

 継悟の笑い声を聞いてすぐにそれに気づいた蒼麻は、自分のミスを察してすぐに二人を逃がし、場合によっては刺し違える覚悟で作戦を戦闘にシフトさせた。だが継悟自身の戦闘力は蒼麻とそう変わらないにしても、あちらが保有する武装は無数の改造魔導書。

 だからこそ継悟が増援の相手を嫌って撤退の選択をとった時、思わず蒼麻は心の底から安堵し、こうして腰を抜かしているのである。

 

「蒼麻君、さっき彼が言ってたことって……」

「別に隠してたわけじゃない。言う機会も必要もなかったってだけだが……気になるんなら、天星に替わるからそっちに聞いてくれ。俺は疲れたから寝る」

 

 そう告げると、蒼麻は天星へとオルタネイションし、その日は再び姿を見せることはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『天星の書』の誕生と再生

 今から3200年前――先史文明期で最も魔導書開発が盛んだった頃に生まれたのが、とある国の王宮の勅命によって製造された『この星の全ての魔法を記録する魔導書』、即ち『天星の書』である。

 勅命を受けて魔導書の開発に着手し、実に20年という年月を経て作られたこの魔導書は、魔導書研究の最盛期であったその時代においても最高クラスの力を保有する魔導書であり、それを保有するその国は、当時の世界勢力を完全に自らの一強へと変えたという。

 そのセキュリティプログラムであった女性型AI――現代において『天星』と呼ばれるそれは、凛としながらも大人しく、王の命令に絶対服従の、人に所有され使われることで意義を見出すという『魔導書』の性質を顕著に表す女性であった。

 

 ある時、その国と長きに亘って対立し続けている大国と大規模な戦争を起こし、互いに同盟国を募りながら、ついにはそのまま世界大戦にまで発展した。

 その国は魔導書研究の一環として『魔法を解析・逆構築する技術』を確立し、それによって魔法の無力化を可能とし、当時最強と言われた天星の国とも真っ向から闘い、拮抗を保ち続けた。

 誰もがこの戦いの終わりを見出せず、かといってどちらに付いたとしても勝ち馬に乗れるかわからないとさえ言われたその戦争は、意外な形で収束を迎えることになる。

 

 敵国の英雄ともいうべき科学者と、王国の最大戦力である天星が、互いに軍を率いて幾度も最前線でぶつかり、そしてその戦いを繰り返す中で互いに惹かれ合い、ついに二人は自らの国の目を欺いて逢瀬を交わすほどになってしまった。

 戦の度に激しく交わる互いの熱烈な視線。世界中のあらゆる魔法を駆使しても斃れない敵国の英雄に天星は心惹かれた。どれだけ魔法を打ち消しても手札を替え猛攻を止めない敵国の兵器に英雄は心奪われた。

 激化していく戦争の中、二人は約束を交わし合った。この戦いで互い以外の誰にも殺されないと。そして互いに決して手を抜くことはしないと。その二つの約束を胸に、二人は常に最前線で戦い続けた。何度戦っても敗れない、そんな相手だからこそ愛し合ったのだと。

 

 だが、それは突然に終わりを告げた。

 

 二人が国の目を盗んで逢瀬を交わすようになって、ついには一年を迎えようとした頃。天星を所持する国の王宮から天星を次元の牢獄へと落とす旨が告げられた。そう、王宮直属の諜報兵によって、天星が行っていた敵国との逢瀬がとうとう王宮の耳に入ったのである。

 王は激怒した。そしてその国の最も重い刑罰である『次元牢獄行き』を彼女に与えた。次元牢獄とは、簡単に言ってしまえば三次元と二次元の中間――つまりは平面でも立体でもなく、そのどちらでもある次元へ放り投げることである。

 当時、まだ『栞』の存在しない時代において、魔導書をいくら牢獄に入れようと本人が逃げようと思えばすぐに逃げ出せてしまったし、殺そうとしても抵抗されればどうすることもできなかったため、重罪を犯した魔導書を裁く際に最もポピュラーな手段であった。

 事実、天星は当然ながら抵抗しようとした。自分が死ぬ時は、あの敵国の英雄に討たれる時だと誓っていたからだ。彼女は89時間に亘ってひたすら抵抗を続けた。たった一人のために、王宮近衛隊・王宮騎士団が全滅。加えて1900人の傭兵が犠牲となったが、ついには疲弊しきったところを捕えられ、即座に次元牢獄に落とされた。

 

 英雄がそれを知ったのは、次の戦いで彼女と騎士団と大勢の傭兵を失い、戦力が大幅に削れた王国を討ち破った時であった。

 彼が王宮に向かった時、既に王宮は瓦礫の山。王族はすでに亡命した後で、そこに天星はいなかった。天星の抵抗から数日間、気を失っていたことで唯一生き残っていた王宮近衛隊の一人を捕えると、英雄はその場で尋問を開始した。

 そしてそこで天星が次元牢獄に落とされたこと、その抵抗の際に王宮が半壊したこと、その時に戦力の大半を失ったことで王族は早々に亡命したこと。

 

 それを聞いた英雄は、即座に次元牢獄への干渉を可能とする研究を行った。しかし、次元牢獄は平面でも立体でもない次元であり、人間では肉体を維持したままそこに落ちることはできない。

 そんな次元牢獄の常識を突破した上で天星へと辿り着く手段など、3200年を経た現代でさえ見つかっていないのだから、英雄もまたそれを諦めかけようとした。だが胸に燻り続ける天星への想いは諦めからは程遠く、国からは膨大な褒賞を与えられたものの、英雄はその全てを研究費用に変えて次元干渉実験を繰り返した。

 だがある時、英雄はひとつの「気付き」を得た。それはまるで天星が英雄を求め叫んだ残響のようにも感じられた。そして英雄はその「気付き」を疑いもせずすぐさま実験を行った。その実験とは――、

 

『肉体を放棄して精神を魔導書のプログラムに変換する』

 

 英雄は自らの肉体を棄ててプログラム変換された精神データを次元牢獄に送り込む装置を作り出し、それを自分の肉体に接続した。

 次元牢獄に人間の肉体が耐えられないのは誰もが知る事実であるが、それは平面でも立体でもない場所に「立体」であるはずの肉体が存在できないせいだ。では魔導書が牢獄に送られても存在できるのは何故か。単純な耐久力の問題ではないことは間違いなかった。

 そこで英雄はひとつの仮説を立てたのである。魔導書とは本の形態をとっているが、本質が「魔法のデータを立体的に認識可能な形として本の姿をとっている」のだとすれば、データには「平面性も立体性も無い」ということになる。

 人間の記憶領域はもちろん脳だが、その脳に刻まれた『データ』そのものはどのように保存されているのか。脳という「部分」に保存されているだけで、保存媒体が他のものでもいいのであれば、記憶とは単純な「データ」なのではないか。

 人の性格や思想が記憶から成り立つのだとすれば、性格・思想・記憶の全てを「精神」という形でデータ化できるのなら、それは次元牢獄の中でも「生きる」ことに違いないのではないだろうか。

 

 ただし、この実験には致命的な欠陥が存在した。

 次元牢獄は名前の通りまさしくとあるひとつの「次元」なのである。星ひとつどころではない、宇宙や銀河どころでもない。まさしく今生きるこの『三次元』と呼ばれる次元と同じ規模の『次元』なのである。

 そこに明確な目標となる座標もわからないまま精神データを送信したところで、天星が彼を見つけられるという保証はない。そして、肉体という拠り所から離れた精神というものは非常に脆弱かつ短命な存在であり、三次元における「数日」さえも経たないまま消滅してしまう。

 つまりこれは、英雄にとって勝率0コンマの下にも0が無数に存在した先にようやく「1」があるかどうかという賭けにもならない賭けであった。

 

 それでも、英雄はそんな賭けに縋らなければならないほどに、天星を求めていた。

 事情を知らぬ自らの国の王からは、娘である王女を妻に与えようとまで言われたが、彼はそれすらも断って、こんな気の狂うような賭けに乗ってしまうほど、天星だけを欲していた。

 そしてだからこそ――誰の邪魔も入らないたった一人のラボラトリで、彼はその実験を決行した。

 

「○○○○○○、今行くぞ」

 

 英雄が次に目を醒ました時、そこには上も下もなければ自らの肉体もない色すらもわからない混濁とした場所であった。白くもなければ黒くもなく、かといって何色でもない「無」の世界であったが、不思議とそこに不安や恐怖のようなものを感じることはなかった。

 そこ、というのは『天星の書』の内側であった。そう、天星は広大に広大を重ね続ける『次元牢獄』で、無尽蔵に流れては消えていくデータの中から英雄のデータを見つけ出し、それを『天星の書』のセキュリティプログラムとしてインストールしたのである。

 そうすることで、英雄を救えるとわかったから。そうしなければ、英雄が無駄死にになるとわかったから。だが、天星はすぐにそれを後悔した。彼を自らと一心同体にすることで永遠に離れることのない存在になったことに。

 

 最も愛する者と、永遠に離れることのない存在になれる。

 それは多くの愛し合う者たちにとって理想の形なのではないかと考えられるのではないだろうか。事実、天星もその時その瞬間までは思っていた。だが、それが「文字通り」離れれることのない存在というのがどれだけ残酷で悲痛なものであるかを、彼女は知らなかったのだ。

 ひとつになる。正しく言い換えるのなら「ひとつの『肉体』になる」ということは、最も近くにいながら最も遠くにいることに等しい。愛し合ったからひとつになった。ひとつになっても愛し合っている。だからこそ触れ合いたい、愛し合いたいと思うのは自然なことだろう。

 英雄も天星も、互いを愛し合ってひとつになり、ひとつになっても愛し合っていた。

 

 だが――二度と触れ合うことはできなくなった。

 

 英雄と一体となり、彼の持つ技術と自らの魔法を駆使して次元牢獄を抜け出した時、天星はすぐに肉体を構築して三次元の大地に立つことができた。

 しかし、いつになっても英雄は姿を現さない。だがその声、その意識は間違いなく自分の内側に感じ取ることができた。

 そこで気付いた。気付いてしまった。本当の意味で「ひとつになる」ということの残酷な真実に。

 

 そう、ふたつの精神を『天星の書』のセキュリティプログラムとしてインストールしていても、天星の書には「一人分のハードウェア」を出力することしかできないのである。

 つまり、天星の肉体に「英雄と天星の精神」が宿っているため、たとえ交替(オルタネイション)して肉体の外観が変わったとしても、常に「表面化する精神」はどちらか一人分でしかない。だが当然ながら本当の意味で「触れ合う」ためには肉体が「二つ」必要だということなど子供にもわかる。

 

 

 

 

「――故に私たちは、いつか「離れ離れ」になることを夢見ているのだ。誰よりも愛し合っているからこそ、誰よりも求めあっているからこそ……『離れ離れ』になりたいのだ」

「いろいろビックリだし、納得することもそうはならんやろってこともいっぱいあるんだけどさ。でもこれだけは言わせてもらっていい?」

「聞こう」

「蒼麻君が英雄ってその国ホントに大丈夫だったの?」

 

 蒼麻と天星の出会いから今に至るまで、そして蒼麻が魔導書のセキュリティプログラムになる以前「人間」であったこと、それらを惚気を含めて聞かされた美晴であったが、まず最初に口をついて出たのは疑念であった。

 

「当時のソーマは今ほど捻くれていなかったし、科学者として国を背負って戦えるくらいには優秀だったことは間違いない。少なくとも私とまともにやり合って私の心を奪う程度には」

「まず科学者って戦わなくない?」

「当時の「科学者」というのは今でいうところの「魔法士」みたいなものだ。魔導書を研究・実験・製造し、時にそれを行使する者を総じて「科学者」と呼んでいた。今と違って魔導書はそこそこ裕福な家庭にも普及していた時代だったということもあるが」

「一家に一台、古代魔導書の時代ということか……控えめに言って世紀末じゃないのか?」

「いや、むしろ誰でも持っているからこそ抑止力になっていたというか、誰かがくだらない喧嘩で使ったりすれば国を巻き込んだ被害をもたらすから、誰も戦争以外では兵器として使おうとしなかったところはあるな。あと先史文明人から見ると現代人はみんな短気に見えるくらい、当時の人々が穏やかな気性だったこともあるだろう」

 

 そもそも蒼麻と天星が出合うきっかけとなった戦争自体、ほとんど冷戦状態だったのを『天星の書』の誕生によって世界勢力のバランスを崩した天星の国に対して報復的措置であって、そこにソーマという異常な戦力を保有した科学者が入ったことによって長期化した、という側面もある。

 つまりは、あの戦争自体はそもそも天星の国に対する注意喚起としての意味合いが大きく、天星の力を全世界に見せつけつつ、同盟国の結束を高めるために「冷戦状態だった戦争を一度しっかりと終わらせて、同時に天星の書への対抗策も見せることで他国の戦力的不安を軽減させる」という目的があった。

 戦争を長期化させた上に激化させたのは間違いなく「ソーマ・グレンヴィル」という天星の書にも拮抗しうる一個人のせいであり、彼がいなければ早々に(蒼麻の国の敗北という形で)終わって「魔法への対抗手段」という蒼麻の国だけが保有していた技術は他国にも伝わり、その技術を発展させることで不安を払拭できていたはずなのだ。

 

「そもそも『魔法を解析する技術』というものは現代にも残っているし、当時の他の国でもできていた。だが『逆構築する技術』というのはソーマが見つけて実験・実証したものだ。だから現代においてソーマ以外に出来る者はいない」

「まず逆構築って何? 技術云々の前にどういう理屈で魔法への対抗策になったの?」

「私も詳しいことはわからん。やられた側からの意見からすると、魔法を発動したら消えた。まるで魔法が自分から消滅していくかのように、一定のところまで構築したら逆再生するかのように構築式が霧散していった」

「なにそれこわ……。魔法を解析して、相手の構築式を「プラスの構築式」と仮定して、それとは真逆の「マイナスの構築式」をぶつけて消滅させたってこと? しかも戦場で見たこともない無数の魔法をぶっつけ本番で全部? 技術もわけわかんないけど、それより度胸がヤバいんだけど。蒼麻君って心臓に超鋼鉄繊維でも生えてるの?」

「私もそんな理屈だろうと思って試しにやってみようと思ったがそもそも『マイナスの構築式』なんてものが意味不明だったので諦めた」

 

 文字にしてしまえば簡単な理屈にも思えるが、一般的に全ての魔法の構築式は正数で出来ているため、マイナスの構築式なんてものは存在しないはずなのである。

 そしてこのマイナスの構築式の最大の原則となるのは、最終的な結果として魔法が「打ち消される」ということである。これはつまり単純にプラスの構築式よりも強いマイナスの構築式を組むのではなく、あくまで「プラスとマイナスの合計値が必ず0になる」という構築を要求されるということ。

 そもそも、このマイナス構築式を作った理由は「魔法の無効化」を図るためであって、いわゆる『マイナス魔法』を作るためではない。そもそも、理論上『マイナス構築式』では魔法は発動しないのである。なぜなら、魔法がこの世界で発生するのは「正数によって構築された世界で正数の魔法を使用したから」である。

 つまり、マイナス魔法を発動するためにはこの世界そのものがマイナスで構築されている必要があり、そうでない以上『マイナス構築式』が意味を為すのは正数の魔法を「ぴったり0にする」ことで無効化する場合のみである。

 そして現代において蒼麻以外にそのマイナス構築式を使える者がいるとするなら、3200年前のあの国で『マイナス構築式』を学んだ科学者と、その科学者が所有していたであろう魔導書だけだろう。

 

「でもその割にあんまりソーマくん使わないよねその技術。少なくともボクは一度も見たことないよ」

「魔導書が廃れて魔法士による魔法が一般化した現代では、魔法と言うものは生活の便利ツールであると同時に個人が持つ防衛手段であり、魔法士にとってはアイデンティティでもあるだろう?」

「あー……魔法を無効化する技術なんてものが露呈したら、それを悪用した犯罪が横行するのは目に見えてるか……。現代で一般的な魔法無効手段って、それこそ「代行者(クレリック)」による神の奇跡しかないし……」

「まず何かしらの正当な神を信仰する教会に入信して、厳しい節制と自戒を徹底して毎日祈りを捧げ、心の穢れを認めてなお敬虔であることを神に認められないとなれない「代行者(クレリック)」が一般的なわけないだろう」

「こうして改めて言葉にされるとシスターさんすごくない……?」

 

 美晴の言うシスターさんというのは、おそらくシルヴィアのことだろう。

 聖宝教会に所属するシスターであり、世界でもたった数十人しかおらず、美晴の知る者の中では唯一の『代行者(クレリック)』である。

 

「蒼麻君って言っちゃ悪いけど性格あんまりよくないけど性格いい人ホイホイなところあるよね。シスターさんとか社長さんとか」

「善人アレルギーだが根本的に善人好きだからな……」

「何その猫好きが猫アレルギーみたいな……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『陸谷守唄』の致命的なミス

 国都継悟との接触から一週間。BONDの一部施設にも損壊が出たことから、11番隊メンバーを含めた一部職員は活動の制限を余儀なくされた。幸いにも、損壊個所は施設の外壁部と継悟が現れた地下魔導具庫に集中。幸いにも、当初最も懸念された魔導書庫には一切の被害が無かった。

 おそらく、今回の目的は魔導書ではなくエクスピアーティオと名乗る女性が手にしていたネクスマギナ『ウェネフィクス』の強奪だろうと判断されたが、現在活動に余裕のある職員をかき集めて魔導書の紛失・変化がないか端から端まで確認中とのこと。

 ただ、今回被害が出た魔道具庫はBONDが設けた危険度レベル『Seal』、つまり『適切な封印処理と一定のプロセスを続ければ封印・観察が可能だが、人類に対して攻撃的な意図を持つ可能性がある』と評価された魔道具が集められた倉庫であるため、11番隊は継悟撤退直後パニックになった一部魔道具の対応に追われた。

 魔導書と違って人間の肉体を持つ魔道具というものは極めて少数だが――生体型人体模型タイプの魔道具などもあるためゼロではない――、Seal級と評価された魔道具のほとんどは意思を持っている上、そもそも『危険魔道具』と判断されたからこそ封印処理をされているため、こうしたパニックは他の魔道具の封印解除を誘発しかねない。

 もっと言ってしまえば、Seal級魔道具が封印されている魔道具庫のさらに下、地下500メートル地点には危険度レベル『Taboo』の魔道具や、最深部である地下2000メートル地点、数多の魔導書が保管された『魔導書庫』にまで影響を及ぼす魔導書も無いわけではない。

 これらの危険度レベルは単純な破壊力・影響力を「危険」と判断したものではなく、そもそもそういう意味で危険であることは大前提とした上で「封印を解除するかもしれない」ということを「危険」としているものであるため、三段評価の二段目である『Seal』が地下2000メートルまで影響を与えることはなんら不思議ではない。

 ともあれ、こうした事情から複数のSeal級魔道具のパニックを抑えるため三日三晩不眠不休で対応した11番隊メンバーは、その後の数日――継悟撤退後8日目となる今日になってようやく本来の集中力を取り戻し、一部活動の制限はあるものの通常業務に戻った。

 

「そういえば、なんであんなところに開発中のネクスマギナなんてあったの? あそこ魔道具庫だよね?」

「去年あたり開発中の危険魔道具対策兵器が暴走した事件があったろ。あれは対危険魔道具用に使えそうな機能を詰め込めるだけ詰め込んで、リミットを設けようとしたところでAIが抵抗、ありったけの機能を周囲にぶちかまして暴れまくった、っていうのが大まかな顛末なんだが、その暴走した魔導具がアレだ」

「あー……ネクスマギナが正式配備されたのが九か月半くらい前だから、期限ギリギリのことだったのかな。たぶんネクスマギナの基礎は完成してて、どこまで機能を発展させられるかっていう実験中だったのかもしれないね」

「そんなところだろうな。本当なら機能をひとつ追加するごとにリミットを設けなければならないんだが、まぁ横着したんだろう。結果として104号としてナンバリングされていたその開発中のネクスマギナ『ウェネフィクス』はSeal級危険魔道具として封印されることになったわけだ」

 

 当然、開発中であったため登録者がおらず、封印処理こそされたが、これでもかというほどありったけに詰め込んだ機能のリミット・オミットは封印を解除する必要があるため施されず、結果的にウェネフィクスは要注意組織が奪って使用するには誂え向きの武器となってしまった。

 とはいえ。とはいえである。奪った相手が国都継悟であったことは不幸中の幸いと言えよう。彼は確かに長年に亘ってBONDと対立し続ける要注意組織の一人であるが、彼の興味関心の対象は魔導書――特に古代魔導書である。これまでの傾向からして、ネクスマギナに対する関心はゼロと言って差し支えないだろう。

 加えて、彼がマギウス開帳結社に与する者であったとして、彼はネクスマギナに対して真っ当に相応しい評価を与える人物である。端的に言えば、マギウス開帳結社の命令でネクスマギナを奪ったとしても、古代魔導書を入手するために有用なアイテムであるネクスマギナをそうそう簡単に手放したりはしないということだ。

 もっと乱暴な言い方をしていいのなら、彼はマギウス開帳結社にウェネフィクス強奪を命じられて今回の犯行に至ったのだろうが、彼はそれを自分のものとするだろうし、それに対して自分が制御するために必要最低限の改造しか施さないということでもある。

 現時点では、ウェネフィクスは確かに封印処理を行われているものの、BONDに対する敵愾心が強く、周囲への影響を考えず行使可能な機能の全てを使って暴れまわるじゃじゃ馬のようなもの。これを継悟の『改造』によって制御可能な状態になるのなら、確かに彼に強力な手札を与えてしまうが、魔導書と無関係な他者に対しては無害だ。

 もちろん、継悟の行動理念が魔導書のみに向けられている以上、彼が必要と判断すれば人類に牙を剥く可能性もゼロではない。しかし、現時点において最も危険なのはウェネフィクスが単独で暴走することなのである。

 

「ウェネフィクスに関しては現時点で対応保留となってはいるが、いつかは回収して封印し直さなければならない。ペリオードによれば、『D-V(最高決定権保持者)』たちは既に国都継悟対策を本格的に進めているようだ」

「兄貴またペリオードと密会してたのか」

「密会ではない」

「俺らのいないところで『11番隊の』メッセンジャーと会っておいてよく言う」

「機密性の高いメッセージも含んでいたからだ」

「んなわけねぇだろ向こうが業務上持ってきてんのは『11番隊』へのメッセージだけだ。それ以外はあいつのプライベートだぞ」

「…………」

 

 ふと、妙な間が空いたと思って守唄の顔を見上げると、なんとも呆けた様子で頭に疑問符を浮かべ、しばらくして「しまった」の四文字が顔に書かれた。

 もしや、と思った蒼麻はそのままスルーしようとしたが――、

 

「まさかシュウさん、本当にペリオードさんのプライベート情報を機密情報として受け取って帰ってきたの……?」

「ほっといてやれハル。兄貴の朴念仁は今に始まったことじゃないだろ」

「……もしやとは思うが昨日お前たちの目を忍んで極秘裏に落ち合ってお前たちにも与えられない極秘メッセージを受け取っていたのは……」

「それは俗に言うデートというやつでは?」

「やめてやれリーナ」

「確かに今思えば秘密主義のペリオードにしてはやたらと彼女の個人情報が含まれていたような……?」

「それはもしかして機密とかではなく単にお前だけに知っていてもらいたい彼女自身の話だったりしないか?」

「リーナ」

 

 思ったことをストレートに追及してしまうエヴェリーナの純粋な質疑に対して、守唄からの応答は沈黙。

 最初こそ「それはちょっと」という態度だった美晴すらも、もはや呆れ果てた様子でデスクの上の書類に意識を向けなおしている。蒼麻も同様だが、保護者としてか守唄を無邪気に追い詰めていくエヴェリーナを制止するポーズだけは見せている。ポーズだけで真面目に止める気はさらさらないようだが。

 とにかく、あの堅物のペリオードの方から守唄に歩み寄ってきたにも関わらず、彼女の言葉を鵜呑みにしてデートを業務だと勘違いしたまま終えたというのはさすがに拙いというのは彼自身も理解しているようで、通信端末を手に指令室を出ていった。

 十数分後、二メートル近い彼の体は随分としぼんでいるようにも見えたし、普段の精悍な顔つきは明らかに疲労困憊としていたが、どうやら最悪の事態だけは免れたようで、次回の情報交換会という名目のデートを取り付けたようだった。なお、情報交換会がデートだということは美晴に追及されて自覚した。

 

「なぁソーマ、もしやとは思うが陸谷は……」

「いいかリーナ、世の中には女性の機微に疎い人間もたくさんいるんだ。お前は素直な性格だから大丈夫だと思うが、もしお前に好きな相手ができたらできるだけ素直にその好意を伝えろよ。変に捻った表現をするとあの二人みたいな拗れ方をするからな」

「私はソーマと屋敷の料理長が好きだぞ?」

「屋敷の料理長と何があったかは後で詳しく聞くけど、そうだな……その人の使用する魔法プログラムをインストールされてもいいと思えるくらい好きな相手ができたら、の話だ」

「…………」

 

 魔導書において「魔法プログラムを外部からインストールする」というのは、人間の感覚的に言えば「性行為」と言って差し支えない。

 当然、好意をそのまま「(人付き合いとして)好きな相手の話」だと思っていたエヴェリーナは完全に不意を衝かれる形で思わぬ話題に飛んでしまったため、その顔を赤く染めた。

 

「え、それそんなに赤面するようなレベルで恥ずかしいことなの?」

「当たり前だろう何を行っているんだ美晴のすけべ!」

「よしくんが他の女の子にすけべしてるって!?」

「うわでた」

 

 美晴の恋愛に不穏なワードをよぎらせるとどこからともなく現れる彼の恋人兼束縛系ストーカーの坂上仄香が現れたことで、その場のなんとも表現しづらい空気は霧散。

 美晴という尊い犠牲を払って、各々は業務に戻った。四時間後、彼はしれっと戻ってきたが、ずいぶんフラフラしていたにも関わらず蒼麻たち三人に拳を叩き込んでそのまま業務を三人に押し付けて帰っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の後輩の悩み

国戸継悟によるBOND襲撃事件からおよそ二カ月が経過し、学生である蒼麻たちは三年生となった。

 前年度末は、唯鈴の婚約成立がどこから洩れたのか、一部の男子生徒は生き急ぐかのように部活に打ち込んだという。あるいは、婚約自体が強引なものと勘違いした生徒もいて謎の義憤に燃えていたが、それらも唯鈴が直接フッて玉砕していた。

 蒼麻たちが三年生に上がったということは、当然ながらエヴェリーナと冬霞も二年生になり、後輩を持つことになった。特に、エヴェリーナは学校生活というもの自体が目新しく、後輩というものに随分と困惑したようだが、彼女自身が持つ天性のマスコット性によって「可愛い先輩」ポジションを不動のものにしている、とは冬霞の談。

 そして今日――そんなエヴェリーナの口から告げられたのは、彼女を慕う後輩から持ち掛けられた相談らしいが……。

 

「ストーカー被害?」

「というよりは、その前兆のようなものらしい。少し前から、帰宅時に視線のようなものを感じているとのことだった。地元の駐在所には相談したが「物質的な被害が出ていない以上は気のせいかもしれないし、対応できない」と言われたそうだ。物質的な被害が出たら手遅れなのでは?」

「そうだな。警察側からすれば「実際的な被害のない不安をいちいち対応していたらキリがない」というのも事実だが……近年ではストーカー規制法もしっかりしてきて厳罰化してきてはいるものの、こういうのは相談する警察官の当たり外れも大きいのが問題だな」

 

 そもそもストーカー被害というものは警察官も言っている通り、尾けられている時点では「物質的な被害のない犯罪」なのである。しかしこの「物質的な被害がない」というのは字面以上に厄介な概念であり、現行犯でなければ証拠が残らないため対応できない。

 だが現行犯で捕えようとするのなら、被害者の身辺を重点的にパトロールするか、あるいは犯人に気取られないよう張り込むしかない。しかしながら前者は犯人に気付かれる可能性が高く、結果的に「被害なし」という結果に繋がってしまうかもしれないし、後者をやろうとするのなら「物質的な被害」が出てからでなければ人員が割けない。

 つまり、物質的な被害がなく、犯人の目星もつかず、エヴェリーナによれば「気配がする」「視線を感じる」というだけで姿も見たことがないという現時点では、被害者が友人や知人を頼って内々に警戒してもらい、警察官ができることといえば被害地域のパトロール強化が精々といったところ。

 

「当たり外れというのは?」

「ようは意識の違いかな。昔はストーカー規制法っていうのは所謂「軽犯罪」の一種で、場合によっては警察が介入しなくても民間で解決できることもあるから、軽視されがちだったんだよ。今はもう「軽犯罪」なんて言葉自体が撤廃されてるがな」

「だが後輩が相談した警察官はまだそんなに老いているというわけではないそうだが?」

「だから言ったろ、年齢じゃなくて意識の違いなんだ。むしろ老警官であれば実際にストーカー被害に対応したことのあるヤツが多い。むしろ昔は軽犯罪の一種だったことや、単純な警察官としての経験の浅さから、ストーカー被害というものを軽視しているのは若いヤツの方が圧倒的に多いからな」

 

 本来なら駐在所は地域に密着し、その地域の住民と中立的な立場で接し、親身な対応をすべきなのだが、駐在所勤務の警察官というものは基本的に転勤族である。そのため、転勤を何度か経験した若手警官はできるだけ場所に執着しないよう地域住民と一線を引く。それ自体は間違いではないのだが、そのせいで見落としがちなことも存在する。

 そういった若手警官のために、交番というものがある。駐在所との明確な違いは、どちらも転勤族ではあるが交番は複数人勤務の24時間体制であるという点だろう。ワンマン対応を強いられる駐在所と違って、対応できる人員がシンプルに多い。当然、今回のようなストーカー被害の危険性や重要性を理解しているベテランも含めて。

 

「それで、お前はその子に対してどうしたいんだ?」

「できることなら、助けになってやりたい。未だ先輩風を吹かせるには拙い身だが、それでも私を慕って頼ってくれたあの子は、私にとっては初めて深く接した後輩だ。そんな彼女に、不義理な態度を取りたくはない。だが私では何をどうすればいいかもわからないんだ。だから、ソーマの知恵を借りたい」

「……その子は両親と住んでるのか?」

「ああ。だが共働きで父親は帰りが遅く、母親は看護師を勤めているため勤務時間が不安定で夜勤も多いそうだ」

「犯人が知ってるかどうかはともかくとして、ストーカーにとって都合のいい条件があまりにも揃いすぎてて失笑ものなんだが」

 

 看護師の激務については、何代か前のソーマの母が勤めていたため理解はしている。看護師の大変さは勤務時間そのものについてもそうだが、今回のような場合は勤務外時間の方が問題であろう。特にそれが母親である場合は。

 近年では「家事は女性がやるもの」などという意識は、現代の老人の間でさえ「昔はそんなことを言う老害もいた」と嘆息する時代であるが、しかし長い男尊女卑の歴史の中で無意識の間に刻まれ続けた「呪い」と呼ぶにも程近い「女性の家事」というものは残っている。

 昔で言うところの「専業主婦」という言葉は既に廃れ、現代においてそれらは男女どちらにおいても「家庭属」と呼ばれている。ようは、男女のどちらが稼ぎに出ているにしても、家庭に属して家事を行う者、という意味だ。

 エヴェリーナの後輩の母親はそうした家庭属ではなく、紛れもなくこの社会に疲弊し傷付き病んでいく人々を救う医療従事者なのだが、看護師は先ほども言った通り勤務時間がとにかく不安定で、女性の場合は何故か「男性よりも率先して家事をしなければならない」という強迫観念にも似た「無意識」を持つ。

 これは日本という国が古くから男尊女卑に染まり続けていたことで日本人女性の大半に刻み付けられた『負の烙印』にも等しい無意識なのだが、子を持つ母親となればそれはさらに強く浮き出てくるという。ましてその子供が女の子ならば、同性でなければ解決できない悩みなどもあり、母親の肉体的・精神的な負担は急激に増していく。

 そうなると問題なのは何よりもまず「睡眠時間」である。家庭・職場のどちらにおいても肉体と精神を削っている『看護師の子持ち既婚女性』というのは、とにかく時間があれば睡眠。少し目が覚めれば軽い食事を済ませて、できることなら出勤ギリギリまで眠りたいのが本音だというのは何代か前のソーマの母親の言葉である。

 少なくとも、エヴェリーナの後輩というのは、そんな母親に対して「自分がストーカー被害に遭っているかもしれない」という、場合によっては警察沙汰になるかもしれないような面倒事を相談できるような性格ではないらしく、警察に頼った時も「対応できない」と言われた時点で家の連絡先も告げずに帰ってきてしまったという。

 

「その子、他に友達とかは? 家が近い子がいれば、一緒に帰ってもらうだけでも予防にはなるはずだ」

「友達は少ないわけではないようだが、彼女は電車で一時間弱かけて通っているようで、近所に同じ学園の生徒はいないらしい。ストーカーが彼女に狙いをつけたのも、これが一因だとは思うが」

「それはどうかな。その子がどこで目を付けられたかは知らんが、ストーカーは痴漢と違って「不特定多数の中の誰か」ではなく「明確な個人」を狙ってる場合が多いからな。その子の帰路に他の生徒がいないのは犯人にとっても「嬉しい誤算」くらいだと思う」

 

 地元の友人を頼ってみては、とエヴェリーナなりに案を出しはしたようだが、蒼麻はそれにも頭を悩ませた。確かに、地元の友人であれば駅から自宅までの距離を共にしてもらえる、という視点は間違ってはいない。しかし、問題は時期である。

 新学期が始まってまだ一カ月も経っていない今、当然ながら二年生であるエヴェリーナの後輩ということは一年生。言い換えれば「新入生」である。新しい友人関係の構築、部活動への参加、学業への意識。どれも慣れには時間を要する以上、誰もが自分のことで手一杯の時期だ。

 特に部活動に関しては、放課後からが本番。所属する部によって帰宅時間が合わないというのは同じ学校内でも起きることだ。ストーカー被害という日常生活において十分すぎるほどに「特殊」な状況と、新学期という学生なら誰もがあたふたするこのタイミングにおいて、地元の友人とはいえ他校の生徒に頼るのは難しい。

 そういう意味では、その後輩がエヴェリーナを頼ったのは極めて賢い判断だったと言えよう。エヴェリーナは学校内でこそマスコットとして可愛がられているが、外見だけなら鋭い切れ長の目つき、派手なウェーブの掛かった金髪、日本人離れした抜群のスタイルと、とにかく『威圧感のある女性』を体現している。

 また、今こうして自宅に相談を持ち帰って蒼麻に頼るほど、親身で行動力のある年上の同性でありながら、学園内でも有名な「不良生徒」として有名な蒼麻とも交流があるという「ヤバい人と仲が良いけど親しみの持てるド派手でアクティブな同性の先輩」という、陰キャならそのワードを聞いただけで裸足で逃げ出す存在だ。

 

「……まぁその『視線』が本当にストーカーかどうかという点も含めて、お前はしばらくその子と一緒に居てやれ。もしストーカーなら、第三者がいるだけで防犯になるし、仮に襲われそうになってもお前なら対応できるだろ?」

「ああ。本当なら家まで送ってやりたいところだが、それは本人に遠慮されてしまってな……」

「……なら明日、俺がひと芝居打とう。そうすれば、その子も遠慮なんてしている場合じゃなくなるだろうしな。お前は家まで見送って、帰りの駅からBONDまでは俺が迎えに行ってやる」

「それは助かるが……芝居とはなんだ? 何をするつもりだ。まさか、自らなんの得もない嫌われ役を買うつもりではないだろうな?」

「なんの得もないのはご尤もだが、どういうわけか俺ってそういうのに向いてるだろ?」

 

 結局、蒼麻を説得するだけの言葉を持ち合わせなかったエヴェリーナは、彼を止めることはできなかった。

 翌日、蒼麻は他の生徒たちの目の前でエヴェリーナと共に昼食をとる一年生の腕を掴み、無理やり連れて行こうとしたところをエヴェリーナに阻まれ、その女子生徒に「次は一対一(サシ)で会おうぜ」と言ってその場を去った。

 当然ながら衆目の中でのその行いはすぐに教師の耳に届き、元々の素行の悪さのせいもあって厳重注意を受けたが、全て無視して美晴に絡んでいたため、エヴェリーナだけでなく一年生の女子生徒のほとんどはその少女の味方となったという。

 

 

「蒼麻君、また変な貧乏くじ引きに行ったでしょ」

「あなた、もう少しスマートに解決できないの?」

「貧乏くじだろうがスマートじゃなかろうが、威圧・脅迫・恫喝は肉体を傷付けない暴力だからこういう時は一番手っ取り早いんだよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の可愛い後輩

 後輩がストーカー被害に遭っている、という相談を受けたエヴェリーナが蒼麻に相談してから二週間。つまり、元から低かった蒼麻の学園内の評価が一段と低みを増した一件からも二週間。

 周囲からの陰口など耳にタコができるほど聞き及んでいるせいで、上記の一件の前後で自分の評価がさほど変わったとも思っていなかった蒼麻は、自体が思わぬ急展開を呼んでいたことにも気づいていなかった。

 

「ほー、もう犯人捕まったのか。リーナにしては随分と手際がいいじゃないか。一カ月くらい掛かるかと思ったから、それ以上経つようなら俺も対処しようと思ってたが、どうやらリーナのことを低く見積もりすぎてたみたいだな」

「おお、珍しくソーマから素直な誉め言葉をもらってしまった。今日はよい日だ!」

 

 後輩のストーカー被害が解決を迎え、ようやく大手を振って学園内の蒼麻と合流できる、と張り切ったエヴェリーナは、蒼麻と美晴と唯鈴を連れて、他の生徒たちが来ない美術準備室で昼食をとろうと提案した。

 ここのところ、学園では生徒だけでなく教師からも圧のある視線を向けられていたり、エヴェリーナがBONDの作戦に参加できないこともあったりと、それなりに不都合も多かったにも関わらず、いつも通りの態度で自分の仕事をフォローしてくれた兄貴分に、エヴェリーナの好感度は鰻上り。

 とはいえ、さすがに全てが上手くいっていた、というわけでもないようで。

 

「これでようやくBONDの仕事も通常営業だ。お前がそっちに掛かりきりだった間、それなりに現場仕事もあったからな」

「報告書関連はボクたちが代わりにやっておいたけど、経費の事後集計やら関連資料のまとめ、追記資料……溜まりに溜まった業務がステニウスさんをお出迎えだよ」

「うっ……ま、まぁそちらについても仕方あるまい。それも承知の上でこちらを優先したのだからな」

「リーナちゃん、オムレツ食べる?」

「食べる! ……が、その前に。ソーマにどうしても合わせたい人物がいるんだ!」

 

 なんだその兄に恋人を紹介する妹みたいなセリフは、という言葉をどうにか呑み込んだ蒼麻は、視線を両サイドの美晴と唯鈴に向けるが、これは二人も初耳であったようで、静かに首を横に振っていた。

 仮に今回の件で何かしらの出会いがあり、エヴェリーナの交友関係が今までとは違う意味で変化したとしても、自分は「兄貴分」であって「兄」ではない、とまるで言い聞かせるかのように何度も心の中で復唱した蒼麻は、必死で平静を装いながら、「誰だ?」と尋ねた。

 

「さっき、先生に提出するプリントを置いてきたらこっちで一緒に食事をすると言っていたから、そろそろ来る頃だと――」

 

 こんこん、という控えめなノックの音が、美術準備室の中に響いた。

 

「来たようだな。入ってくれて構わないぞ!」

「あ、あの……失礼します……」

「し、失礼しますっ!」

 

 エヴェリーナに促されて入ってきたのは、キャップの上からヘッドホンを被った褐色の少女と、そんな彼女の制服の裾を小さく掴みながら、怯えた様子で蒼麻たちを見る黒髪ウェーブの少女。

 明白、というほどわかりやすい目印らしいものはないが、観察眼に優れた蒼麻にとっては、制服の真新しさから見て今年から入った一年生であることがわかった。そして、ここまでの流れからして、そして朧気に記憶の隅へ放り投げていた二週間前の出来事を思い出してみれば、この黒髪ウェーブの子が件のストーカー被害者であった。

 

「ごめん、本当に誰? 蒼麻くんに何か用事?」

「あー、えっと、あたしはこの子の付き添いで、一年の淡墨千暁(うすずみちあき)って言います」

「い、一年の雪代芳乃(ゆきしろよしの)です。えっと、エヴェリーナ先輩から色々聞いて……海藤先輩には、本当にご迷惑をおかけして……」

「……そういう長くなりそうな話するんなら、とりあえず椅子くらい座れよ」

 

 蒼麻に促されて椅子に腰かける二人は、明らかに緊張だけでなく恐怖・不安のようなものを感じている様子で、ちらちらと蒼麻とエヴェリーナを交互に見ては俯き、ようやく口を開いたのは蒼麻の弁当箱が空になってからのことであった。

 千暁が「大丈夫?」「あたしが代わりに言おうか?」と何度か声を掛けていたが、芳乃は俯きながらもそれには頑として首を横に振り、ようやく覚悟を決めて言葉を紡いだ。

 

「先日、ストーカーが……よく行く駅前の本屋の店員さんだったんですけど、その人が捕まって……エヴェリーナ先輩から、全部聞きました。海藤先輩の助言で誰に何を頼ればいいのか教わったこと、エヴェリーナ先輩が送ってくれる理由をつけるために、みんなの前で嫌われ役を買ってくれたこと……。本当に、すみませんでした……」

「……ったく、こうなるから言いたくなかったんだ。見ろエヴェリーナ。お前が黙ってればこいつらはこんなシケたツラしなくて済んだんだ。不良に下げたくもねぇ頭を下げなくて済んだし、こんな通夜みてぇな空気にもならずに済んだ。今度からはもう少し後先考えて行動しろ」

「で……でも、こうやって少しずつ誤解を解いていけば、いつかソーマを嫌う者はいなくなって……!」

「「いつか」? なぁエヴェリーナ、そういうところだ。そういうのが「後先を考えてない」っていうんだ」

 

 そう言って、蒼麻は頬杖をつきながら説明した。

 そもそも、蒼麻の「不良」や「嫌われ者」といった評価は、BONDの仕事をする上でどうしても不定期に学園を抜け出す必要のある彼が、その理由付けとして便利だからという理由で「敢えて」そうなるよう周囲に印象付けたからだ。

 もちろん、いかに素行不良であっても学園内で備品の破壊や暴力沙汰でもなければ退学などということもないし、授業態度が最悪な分は成績で常に上位をキープすることで教師たちを黙らせていた。

 元々が女子校で、国内有数の名門であることも幸いして、蒼麻以外にそういった「素行の悪い生徒」という者はいなかった分、無駄に諍いが起きなかったことも、彼の「成績優秀な不良」の基盤を確固たるものにさせた要因と言えるだろう。

 

 加えて、仮に今から周囲の生徒や教師たちから蒼麻の評価を改めさせるにしても、既に彼は三年生。三年かけて植え付けられた印象が、今さらどんなアピールをすれば修正できるのか。

 仮にできたとして、彼はもう一年もせず卒業である。卒業後は凪原家の従者としての役目とBONDの両方に手を伸ばし足を動かし頭を回さなければならない。最後の一年どころか数カ月のために、今までに築いてきた評価を「良いもの」にしたところで、得られるのは多少の優越感というメリットと学園を抜け出しにくくなるデメリット。

 さらに言えば、美晴とエヴェリーナが学園を抜け出せるのも、前者は「蒼麻が学園を抜け出す度に連れていかれる可哀想な同級生」であり、後者は「蒼麻に都合よく呼び出されている後輩の女子」だからということになっている。

 嘘が下手で、ましてや蒼麻の不都合な嘘などは訂正しようとするエヴェリーナに対して、今それを明かすことは迷いながらも、BONDという組織の特異性や重要性を理解した今なら彼女も頷かざるを得ないとわかった上で、千暁と芳乃には伝わらない言い回しをしながら蒼麻はそれを告げた。

 

「ったく、せっかく褒めてやったのにこれじゃ後で追加の説教だ。それとお前ら……淡墨と雪代だったか? お前らも今の話は黙ってろ。バイトとはいえ人から褒められる仕事じゃないし、どっちにしろ学校を抜けなきゃならない時は絶対あるんだ。もう俺みたいな奴に関わらないで済む方が、お前らにとっても得だろう」

「あ……でも、それだと海藤センパイ、芳乃には……」

「今にもベソかきそうなガキに興味あるわけねぇだろ。あん時はそれが必要だったから芝居を打っただけだ。ただ、俺みたいなチンピラに構ってるとはいえ、リーナは悪いヤツじゃねぇんだ。これまで通りってわけにいかないかもしれないが、こいつのことは嫌わないでやってくれ」

「は、はい……それはもちろん、エヴェリーナ先輩にはいつも助けていただいてますので……」

 

 そう言うと、蒼麻は空になった弁当箱を唯鈴に押し付け、「飲みモン買ってくる」と言って美術準備室を出て行った。

 そこでようやく緊張の糸が切れたのか、千暁と芳乃は残った弁当を素早く食べ尽くし、椅子の背凭れに体重を預けた。

 

「はぁー……。なんかめちゃくちゃ怖かったけど、本人が言うほど、不良っぽさなかったよね」

「うん……。なんか、ずっとエヴェリーナ先輩のことを気遣ってたような……?」

 

 二人が視線を合わせながら互いを労い合うと、エヴェリーナが二人に声をかけた。

 

「その……すまなかったな、二人とも。蒼麻のことを嫌わないでほしいという私のエゴで、二人には怖い思いをさせてしまった……」

「そんな、エヴェリーナ先輩のせいじゃありませんよ。理由はどうあれ、エヴェリーナ先輩と海藤先輩のおかげでストーカーを捕まえることができたのは本当ですし」

「ですです! 海藤センパイに関してはホントに怖かったけど……でも、悪い人じゃなさそうだなーっていうのも、ホントですから!」

 

 後輩にフォローされるエヴェリーナに唯鈴と美晴は苦笑いを浮かべつつも、きっとこのまま戻ってくるつもりのない蒼麻のために、自分たちもそそくさと弁当を片付け始めるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『11番隊』の高すぎるハードル

 魔法のありふれたこの世界において、魔法士というものは実のところメジャーな『職業』ではない。

 厳密に言えば、「魔法士」という言葉は「魔法を使って仕事をしている人」という俗称の意味合いが強く、本来の「魔道具を解析・生産・加工する魔法研究職」という本来の意味の「魔法士」が少ないのである。

 この本来の魔法士である『国家魔法士』になるためには厳しい国家試験を合格しなければならず、BOND内部でもその資格は優遇の対象となるのだが……。

 

「やったー! とった! とれたよ蒼麻君! これでやっとボクも国家魔法士だよ!」

「おー、とうとうハルも合格か。これでうちの部隊には国家魔法士が二人。ようやく正式な追加メンバーのスカウトができるな」

「追加メンバー? 私以外に、という意味か?」

「そりゃお前はとっくにレギュラーメンバーだしな」

 

 レギュラーメンバー、という言葉を感慨深そうに反芻するエヴェリーナをよそに、蒼麻たち三人はオペレーターに11番隊の追加メンバーとして相応しい人員のリストアップを命じた。

 BONDの規定によれば、国家魔法士の資格を持つメンバーが2名に満たない執行部隊の最大人数は4名。今までは該当するメンバーが蒼麻しか居なかったため、エヴェリーナが正規メンバーとして追加された時点で頭打ちをしていた。

 しかし、ついに美晴がその資格を得たことで、11番隊の人数上限は6名となり、新しいメンバーを迎えられるようになった。……なった、のだが。

 

「……いないな」

「まぁそりゃそうだよねぇ……」

「そんなにすぐ見つかるならリーナが加入するまで何年も三人でやってないよな……」

 

 リストアップされた資料にざっと目を通した三人の反応に、エヴェリーナは思わず疑問符を浮かべた。手元の資料を見る限り、誰も彼もが一線級の人員ばかり。他の部隊ならすぐにでも取り合いになるような優秀な人材であるはずだが、三人だけでなくオペレーターでさえもが「ですよね」という雰囲気だ。

 あるいは、優秀であれども人格面に問題があるのだろうか、と思って目を通すが、確かに一部の者はやや扱いに困りそうな勤務態度が含められているものの、おおよそ問題にならない者ばかり。いったい何が不満だというのか、と蒼麻に訊ねると――、

 

「いや、シンプルにスペック不足」

「えっ」

 

 しれっ、と吐き捨てる蒼麻の言葉に、エヴェリーナは耳を疑った。既に何度も言う通り、手元の資料にある候補メンバーたちはどれもこれも他の部隊なら即戦力として取り合いになるような人材しか載っていない。にもかかわらず、蒼麻だけでなくその場の誰もがそれらを「スペック不足」と判断している様子。

 さすがに要求する基準が高すぎるのではないか、と控えめに苦言を呈したエヴェリーナだが、蒼麻は首を横に振るばかりで、隣に居た美晴が説明を請け負った。

 

「ステニウスさん、ボクらは別に即戦力になるメンバーを探してるわけじゃないんだ。11番隊は特殊な成り立ちってこともあって、どんなに優秀でも最初は慣れないのは当然だからね。だから、ちょっとずつ慣らしていくためにも、要求スペックはボクらの総合能力を平均化させたものよりも遥かに低く見ているんだ」

「だが、ならばなぜ……!」

「蒼麻くんの言葉通りだよ。ボクらの総合能力を平均化させてさらに一段階低く見積もっても、ここに載ってる全員がその基準を越えられない。彼らじゃ11番隊ではやっていけないんだ。ステニウスさんは自覚がないかもしれないけれど、この部隊に馴染んでいる以上、君は他の部隊のどこに行ってもエース級の仕事ができるエリートなんだよ」

 

 以前にも説明したが、11番隊というのは雑に言ってしまえば「1~10番隊のどこにでも所属できる能力を持つが、どこにも所属する気がない」メンバーの集まりである。しかしそれは逆に言えば、1~10番隊の仕事が全て出来なければ11番隊には入れないという意味だ。

 少なくとも、この資料のデータを見る限り、1つ2つ掛け持ちをできそうな人材はいくらか載っているが、さすがに全ての部隊で活躍できるようなメンバーなど居るはずもなく、まして11番隊に入ってくる任務というのは表向きのエース部隊である4番隊でさえ手出しを躊躇うような魔導書ばかりを相手にしなければならない。

 つまり、こと戦闘能力と言う意味では4番隊を上回っていなければ11番隊では生き残れないということになる。

 

「じゃあもしかして、私ってすごいのか?」

「すごいね。少なくともそんじょそこらの魔法士とか魔導書なんて話にならないレベルですごいね」

「だったらなんでソーマはもっと褒めてくれないんだ!」

「そんなに褒めてほしかったのか?」

「もちろんだ!」

「……なら帰ったら一時間みっちり褒めてやるから、今日の業務も頑張れるな?」

「任せておけ!」

 

 軽くあしらわれたことに気付かないまま、エヴェリーナはその日の業務をいつも以上に上機嫌でこなしたという。

 

 

 

 

「さて、マギウスのワガママにも困ったものだ。彼らに付き合っていたせいですっかり時間が経ってしまった。せっかく、かの『天星の書』が遊びに付き合ってくれたというのに、申し訳の無いことをしてしまったよ……」

 

 一方で国戸継悟は前回のBOND襲撃事件の後、マギウス開帳結社から度重なる魔導書解析を申し付けられていたことで、ほとんど自分の研究に時間を取れなくなったことに露骨な不満を抱えていた。

 実は前回の襲撃事件はマギウス開帳結社も予想だにしない彼の独断であり、確かに目標のものを回収することは出来たが、さすがに大っぴらにやりすぎたと厳重注意を受けていたのである。無論、彼がそれに堪える様子は微塵もないが。

 

「しかし……『ソーマ・グレンヴィル』はとても面白いサンプルだ。かつては人の身でありながら、彼はどうやって魔導書のプログラムとして自我を保っているんだ? ただデータとして取り込まれただけなら、天星の書にとっても彼の人格は不要だ、とっくに削除されていてもおかしくはないはず。なのに何故そうしないんだ……?」

 

 以前より、天星の書の知識もまた継悟の知るところではあったし、興味もあった。数ある魔導書の中でも、3200年級の古代魔導書というのは非常に古いものである上、元人間がプログラムに加えられて活動する魔導書など、天星の書以外には存在しないからだ。

 しかし、実際に接触したことがあるのは今回を含めて二回目。それに一回目のコンタクトはほとんどニアミスのような形で、互いに後になってそれが「ドクターコクトー」と「天星の書のプログラム」だと気付いたほどだ。

 だからこそ、今回の接触は継悟にとってかなり有益なものになった。天星の書が「BOND」という組織に属している――もっと言えば「縛られている」のなら、彼へのコンタクトは容易に取ることができる。

 

「単純に彼の存在が天星の書を防衛するために有益だから……? 確かに彼は魔力や魔法こそ凡庸ではあるが、天星の書の本来の防衛機構を上回る話術と知略を備えていた。だが、本当にそれだけなのだろうか……」

 

 ここのところ専らベッド代わりにもなっているオフィスレザーチェアに体重を預けると、彼はゆっくりと目を閉じて想像を巡らせた。

 

「……恋慕の情? ……まさか。仮にソーマ・グレンヴィルがそうだとしても、天星の書がソーマ・グレンヴィルの想いに応えるメリットがない。むしろ自らウィークポイントを増やすような真似を魔導書がするはずがない」

「あの、ドクター? 今よろしいですか?」

「ん? ああ、エクスピアーティオ。ちょうどよいところに。キミの意見も聞かせてはもらえないか」

 

 実のところ、継悟はエクスピアーティオから碌な意見が出るとは思えなかった。少なくとも彼女の思いつく限りのパターンは全て自分でも出し切っているはずだ、という自負があった。

 しかし、彼女の口から出た第一声は彼の予想だにしないものであった。

 

「え、それって普通に恋慕か友情ではないのですか?」

「……は?」

 

 思わず、知性の欠片もないような声が洩れた。

 

「確認しますけど、ドクターから見て、天星の書がソーマ・グレンヴィルをデータでなくプログラムとして取り入れるメリットは今のところ無いわけですよね? ということは、メリット・デメリットとは切り離して考えるべきではないでしょうか」

「いや、しかし魔導書の防衛機構は人工的に作られたAIに過ぎない。そんな合理性を欠いた行いなど……」

「はい。ですが状況証拠だけを見れば非合理的でなければ説明がつきません。だとすれば、心や感情に起因する問題だと私は考えます。では、デメリットを是とする心・感情とは何か? そう考えた時に真っ先に浮かぶのは、恋慕や友情といったものではないかと私は考えます」

 

 そんなバカな、と一笑に伏すことは容易だった。しかし、彼女の言う「非合理的だからこそ説明がつく」という考えは継悟の予想を外れた見解でもあった。

 継悟はくっくっと笑いながら、彼女の体を抱き寄せ、堪えていた笑い声を解き放つ。

 

「ふふっ、あははははは! エクスピアーティオ、キミがいてくれてよかった! やはり私の傍らには君のような非合理的な存在が不可欠なようだ!」

「えっ……ほ、本当ですか? 私は、ドクターのお役に立てているでしょうか!?」

「もちろんだとも! ああっ、今日の私は気分がいい! エクスピアーティオ、車の準備をさせておきたまえ! たまには労いの食事にくらい連れていってあげようじゃないか!」

「ドクター……!」

 

 なお、レストランを出る頃には継悟の気分はいつも通りになっていたという。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の許容範囲外

 サメとは、この地球の約70パーセントを占める「海」というフィールドにおいて活動する魚類の中でも最強の称号に偽りない力を持ち、魚類そのものが脊椎動物の半分以上を占めていることから、地球の生命の半分はサメによって生殺与奪の権を奪われているに等しい。故に、サメが「海の王者」であることを疑う愚者などいない。

 そして――今この世界を動かすエネルギーは大きく分けて二つ。「電気」と「魔力」である。電気は人類だけがそれを積極的に生産・利用しているのに対し、魔力に関してはこのエネルギーの恩恵を受けない生物は存在しない。動物であれ植物であれ――時に無機物であれ、魔力の影響力はすさまじい。

 そんな魔力を専門に扱うのが「魔導士」だとするのなら、この地球上の生物の半数を統べるサメが「海の王者」であるように、この世界を動かす二大エネルギーのひとつを統べる「魔導士」すらも統べる者こそが「魔導の王」だと嘯く者がいる。それが……、

 

「『明星の魔導学院』?」

「ああ。要注意組織のひとつで、そいつらが引き起こした事件の後片付けが今回の任務ってことになる」

 

 明星の魔導学院。マギウス開帳結社と同様、国連直属の超常状況対策組織である『BOND』によって「要注意組織」として指定された国際脅威のひとつである。優秀な魔法士を独占・支配することを目的として、精神汚染や常識改変を主とした魔道具を開発・改造しているほか、同様の効果を発揮する魔導書の保有・強奪をも行っている。

 彼らが優秀な魔法士を独占したがる狙いは、この世界を構築する二大エネルギーである「魔力」を自在に操る「魔法士」こそが「魔力の支配者」であり、その魔法士を支配することで自らの組織こそが「世界の半分」を支配することだと信じているからだ。

 あまりにも幼稚で突飛な発想ではあるが、行動力のある幼さは時にあらゆる理性を奪い去り驚異的かつ脅威的な結果をもたらすことをBONDは知っていた。だからこそ見過ごせないことも。

 

「後片付けということは……事件そのものは既に解決しているということか?」

「ああ。1番隊が学院のアジトのひとつを突き止め、小さくはない犠牲を出しながらも情報を持ち帰り、2番隊がその情報を解析、9番隊が5番隊と連携して対処にあたり、一昨日ようやくそこを潰したらしい。とはいっても、学院にとってはあくまで無数にある末端のアジトのひとつに過ぎなかったみたいだが」

「……ならもう何もやることはないのではないか?」

「おいおい、BONDは別に警察じゃないんだ、要注意組織を捕まえるのはあくまで過程だって前にも言ったろ。いいか、俺たちBONDの基本理念は「常軌を逸した魔道具の封印・確保・管理」だ。今回の事件、警察的にはもう終わった後かもしれないが、俺たちにとってはここからが本番だぞ」

 

 9番隊が学院のアジトに突撃した時、その内部には無数の魔道具に溢れていた。それがどんな効果を発揮し、どんな目的で用いられたかというのは、学院の理念を思い浮かべてしまえば想像したくなくとも想像がついてしまう。

 中には、魔法士としての潜在能力を強制的に引き上げようとした結果、肉体の幼さゆえに人の形を保てず魔導変異獣(マギアビースタント)と化した存在もいたようで、泣き喚く子供のような声を上げながら襲い掛かるそれらに対し、9番隊は幾度と攻撃を躊躇し、避けられたはずの被害が拡大されていったという。

 

「まさか魔法士として優秀な才能を持つというだけで、年端もいかぬ幼子を相手に生体実験を行ったというのか!?」

「そうなるな。まぁ「目的のために倫理や道徳を無視する」という点は、明星の魔導学院に限らず要注意組織にはよくある話だ。というか、だからこそ要注意組織なんて言われてるわけだしな。BONDだって、そこを間違えばすぐさま要注意組織の仲間入りだ」

「そんな……そんなことが許されるはずがない……! 幼子を……子供を守るのが大人の仕事ではないのか! なんで大人が子供の命を弄ぶようなことをしているんだ……!! そんなのは大人じゃない! いや、人ですらない!!」

 

 怒り猛るエヴェリーナが俯きながら膝をつくと、蒼麻は女性のオペレーターに彼女を任せ、この部屋を出るように命じた。

 今までにも、魔導書にしては珍しく感情表現が豊かな様子を幾度となく見てきた美晴も、この時ばかりは彼女を案じるように蒼麻へと言葉をかけてきた。

 

「どうしたのステニウスさん。確かに学院のやってることは許せないけどさ、あんな怒り泣きするくらい感情を爆発させるのはさすがに初めてじゃない?」

「んー……いや、割とよくあることだぜ、魔導書にとっちゃ。ミシェルみたいな例もあるけど、魔導書って基本的には人に使われてナンボなもんだから、そもそも人の子が好きな奴が多いんだよ。特に「人らしい人」っていうのには、いっそ神聖視に近いくらい好意を寄せちまう」

「人らしい人……?」

「そう。もっと具体的に言うなら「人として当然のことができる人」かな。目の前に困ってる奴をほっとかないとか、自分より弱い奴をいじめないとか、やらなきゃいけないことから絶対に逃げないとか、そういう「人の美しさ」が魔導書は大好きなんだよ。で、リーナの中で「大人は子供を守るもの」っていうのが一番「人の美しさ」を体現する行いだったんじゃねぇかな。だから、その真逆をやるような「人間の醜さ」に混乱して、感情を抑えきれなくなったんだと思うぜ」

 

 どんなに人のような外見や言葉を用いていたとしても、ふとした瞬間に無意識に出る言動に人としての美しさや醜さが現れるとするのなら、常に「考えてから行動する」ことしかできない魔導書には、「人の美しさ」は決して再現できないものだ。

 何より、「誰かのために貧乏くじを引くこともためらわないこと」……いわゆる『自己犠牲の精神』そのものが人の美しさなのではない。不意に、咄嗟に、何を考える暇すらないような一瞬で、自分でも理由がつけられず「ついそうしてしまう」こと。そんな打算のない思い遣りこそが「人の美しさ」の本質なのだ。

 

「俺は……元は人間だが、今はもう『天星の書』のプログラムとして思考を最適化されちまってる。だから……善人ヅラしてバカをやらかすヤツはとにかく嫌いだが、本気で善人やってバカを見るヤツはどうしても嫌いにはなれねぇ。だから……リーナの言ってることは、すげぇわかる」

「子供は大人が守るものだ、ってやつ?」

 

 人の心というものには、魔導書たちが憧れてやまないような「美しさ」もあれば、吐き気がするような「醜さ」もある。そしてそれらの比率は決してどちらかがゼロになることがない。常にどちらかに傾いたり、あるいは絶妙な均衡を保っているのかもしれないが、とにかく10:0はありえない。

 そしてそんな美しさと醜さの両方を認めた末に――なおも魔導書たちはこう思うのだ。「人らしい人」とは斯くも「美しい人」なのだと。

 

「さて――まぁともあれリーナが戻るのにも兄貴の会議が終わるにももう少しかかりそうだ。今のうちに二人で最終確認を済ませておこう」

 

 パンパン、と手を叩いて話題を区切ると、蒼麻はオペレーターに視線を送り、モニターに映像を出した。

 

「今回、1番隊の活躍によって発覚した学院のアジトは静岡県網倉市九民地区内の山間部。アジトは地下800メートル、光魔法による光学カモフラージュによって隠された洞窟内のエレベーターからのみ出入りが可能だ」

「退路はひとつきりかぁ。でも既に施設内のマッピングや構成員の拘束は済んでるんだよね?」

「ああ。ただ魔導変異獣(マギアビースタント)は小型のカプセルに収納されている場合もあり、その施設内のデータと実際に確保したカプセルの数がまったく合っていない状況らしい」

「あぁ……ってことは今回の問題はそっちかぁ……。これステニウスさん連れて行かない方がよくない? 場合によってはステニウスさんがボクらの足を盛大に引っ張ることになりかねないよ?」

「だとしても、このままさっきみたいな問題を抱えたまま11番隊にいられるかって話だ。こういう事例は別に珍しくもないしな。酷な言い方だが、こういうのにも「慣れて」もらわなきゃならないんだよ」

 

 蒼麻は苦々しく舌打ちをしながらも、淡々とブリーフィングを続行していく。

 

「また、無数の魔導変異獣(マギアビースタント)だけでなく、未だに解除に至っていない魔導書による意識改変魔法がその施設全体に影響を及ぼしている。オペレーターとの通信を頼りに意識のズレを修正しながら作戦を進行する」

「意識改変魔法かぁ。緻密な魔力コントロールに複雑な魔法式を要求してくる上、影響範囲の広さに比例して消費魔力もバカにならないから、とにかく「発動すれば強いけど手間とコストがでかい」魔法の代表格だよね」

「ハルはこの意識改変魔法の探知・無効化を最優先目標に設定してもらう」

「君は本当に簡単そうにそういうこと言ってくれるよね……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』が見た最悪の永遠

 明星の魔導学院アジトに突入して早々、11番隊は50体近い魔導変異獣(マギアビースタント)による迎撃を受けていた。

 安定性の低い非合法な強化魔法で人間の子供に他の動物の遺伝子を組み込みながら限界を超過して魔法的にパワーアップさせた末に成り果てたその醜悪な姿には、単なる見た目の醜さ以上に、怒りと嗚咽の籠った悲鳴が洩れそうになる。

 しかし元がどんな存在であろうとも、今のそれが不可逆の獣であることは間違いない。蒼麻(そうま)も、美晴(よしはる)も、守唄(しゅうた)も……胸に苛む痛みをこらえて敵を討ち斃すものの、エヴェリーナだけはトリガーを引く指の震えを抑えられなかった。

 

「くそっ、さすがに数が多い……兄貴! 敵を左右に分断する! 真正面に活路を開けてくれ!! 兄貴が敵の勢力を左右に分断したらハルは右側を焼却! リーナは俺とポジションを交代、ハルの防衛を任せる!」

 

 蒼麻の指示と同時に、全員が返事も返さず動き出す。守唄の愛機『プラウドフィスト』の硬度と強度を最大限活用した絶対破壊の拳が、魔導変異獣(マギアビースタント)たちを打ち抜き、明らかな活路としてひとつの道筋を作る。

 直後、美晴の放った属性魔法が活路に分かたれた勢力の片方を塵へと焼却。残された10体程度の魔導変異獣(マギアビースタント)の体をエヴェリーナのプラズマレーザーガンが捉えるが致命傷とはならず、しかし明らかに動きの鈍ったそれらの脳天を蒼麻の拳が的確に打ち潰す。

 

「……迷うくらいなら撃つな。迷いを抱えたまま撃てば、敵だけじゃなくいつか味方を……仲間を貫く。だから、撃つべきものだけを撃てるようになるまでは撃つな」

「私は……迷ってなどいない! 幼子たちの無念を思えばこそ……迷いも躊躇いも、ありはしない!!」

「だったらなんで外した」

 

 静かな蒼麻の指摘に、美晴と守唄の視線もエヴェリーナへと向けられた。

 

「迷いも躊躇いもないステニウスさんの射撃なら、彼ら全員の脳天を撃ち抜いて、苦しませることなく終わらせてあげられたはずだよ」

「それとも、無駄に痛みや苦しみを与えるのがお前のやり方だったのか? だとしたら、随分と高尚な趣味だな。俺には理解できん」

「それは……っ」

 

 蒼麻はエヴェリーナの手からプラズマレーザーガンを奪うと、代わりに腕時計型のガジェットを彼女の左腕に、ブレスレット型のガジェットを右腕に装着させた。

 すると、エヴェリーナの体に負担が掛からない程度の魔力がそれらのガジェットに吸収され続けていることに気付いた彼女は、それを彼の信頼を裏切ったがための拘束具(ばつ)なのだと理解した。

 

「リーナはここで退路の確保。俺たち三人で最奥部へ向かう。何かあっても、俺たちが駆け付けるまでこの場で持ちこたえるくらいはできるだろう?」

「……ああ。すまない、先日やっと蒼麻にいっぱい褒めてもらったというのに、こんな体たらくで……」

「まったくだ。帰ったらみっちり説教してやる。だから……今はお前のすべきことに専念しろ」

 

 そう言って、エヴェリーナを除く三人はアジトの奥へと駆けていった。

 

「私の、すべきこと……」

 

 

 

 

「面倒見のいいお兄ちゃんだねぇ」

「いっそ過保護なほどだ」

「うるせぇ、黙って仕事しろボケ共」

 

 エヴェリーナと別れて30分が経過する頃、アジトの入り口と最下層のちょうど中間地点まで降りてきた三人は、息を整えながらもここから先の作戦行動に変更を加えた。

 当初はこのまま全員で最下層まで潜るつもりだったが、予想以上に魔導変異獣(マギアビースタント)の数が多かった。そして何より、こういう状況に最も対応しやすいはずのエヴェリーナが戦力にならないとわかったことで、このままゴリ押しだけで作戦を決行するのは危険だという蒼麻の判断に異を唱える者はいなかった。

 結果、最下層に突入するのは蒼麻と美晴の二人。魔導書や魔道具によって常識改変が行われた場合、その異常性に「卓越した魔法士であるから」「魔導機人(ヒューマギア)であるから」という二つの理由で逸早く気付ける美晴は、突入組から外すことはできない。

 また、魔導書による妨害であれば3200年分の知識と経験を蓄え、魔導書の中でも最上位の力を持つ『天星の書』のセキュリティである蒼麻が最も対応力が高いであろうという理由で、蒼麻も突入組となった。

 守唄はこの場で待機しつつ、突入組の二人、あるいは退路確保要員のエヴェリーナに何かあった場合、即座に駆け付けられるように追加戦力として確保するほか、突入組からすれば中間地点に守唄が構えていることで全体のハーフエリアに安全圏を確保する意図もあった。

 

「じゃあ兄貴、ここは頼むぞ」

「任せたからね、シュウさん」

「お前たちこそ、しっかりとこなしてこい」

 

 

 

 

「この先が最深部だ。ハル、なんかわかるか?」

「んー、一応さっきから探知魔法とか魔力感知魔法とか使ってるんだけど、びっくりするくらいなんの反応もないんだよね……」

 

 明らかに何かがおかしい、というのは蒼麻だけでなく美晴にも理解できた。だが、ここに来るまで妨害らしい妨害はただただ魔導変異獣(マギアビースタント)の大量投入ばかり。数はともかく、あちらの手札がまだ1枚しか切られていない状況で、何枚あるかもわからない「見えない手札」に無警戒ではいられない。

 

(最初は対処に手間を取ったが、一通りのトライアンドエラーを繰り返して魔導変異獣(マギアビースタント)に対し有効な攻撃手段も見つけたし、いくらか行動パターンの規則性も見出せた。このまま魔導変異獣(マギアビースタント)をただ消耗するだけの稚拙な作戦を「明星の魔導学院」がするとは思えない……絶対に何かあるはずだ)

 

 警戒しつつも、背後に美晴を庇いながら蒼麻はアジト最深部「竜宮城(アビス)」へと突入。そこで彼が見たものは――無数の針と管を体中に通され、生体ポットの中で薬品漬けにされた少年と、その少年を延命させている元凶であろう一冊の魔導書であった。

 むごい。そう思いながらも言葉にしなかったのは、任務に出来る限り感情を持ち込まないという彼のポリシーによるものか。蒼麻は美晴に目配せすると、一人その魔導書へと接近し、外観と推測できうる機能から名前を特定した。

 

「『生醸(せいじょう)の書』……。生物から生命力を奪い続ける代わりに、身体機能を半永久的に活性化させ続ける「生命力タンク」だな。なるほど、学院はこの機能を使ってたった一人の子供から無限に等しい魔導変異獣(マギアビースタント)の複製体を作ってたってわけか」

「確かにこれなら数に限りのある子供たちを消耗せず、最低限のコストで最大級のリターンが望める。効率的で合理的、まさしく学院らしい使()()()だね。吐き気がするよ」

「こいつのタチの悪いところは、身体機能を活性化させるだけでなく細胞の老化までもを防ぐせいで、こうやって仮死化させられたヤツがこの魔導書に狙われると永遠に目覚めることも死ぬこともできなくなるところだ。見た目は10歳前後だが、果たして実際はどれだけ前からこの姿で眠り続けているのかわかったもんじゃない」

「しかもこの装置、生醸の書が吸い取った生命力を横取りして魔導変異獣(マギアビースタント)に製造に当ててるせいで、いつまで経っても生醸の書が満足できる量の生命力を吸収できずにいる。これは……本格的に「最悪の永遠」を押し付けられてるみたいだね、この子」

 

 美晴の言う通り、まさしくこれら一連の装置は「最悪の永遠」と呼ぶにふさわしい醜悪性を詰め込まれている。

 倫理的あるいは人道的には、魔導書を封印してこの子供を助けるべきなのかもしれない。しかし、学院にとっても貴重なはずのこの魔導書が、ここにぽつんと放置されたままというのは、単に彼らの対処の杜撰さを表すものではないはずだ。

 その場に残された全ての装置・データ・資料を確認して二人が導き出した結論は……。

 

「こいつの肉体を保つために入れられてると思ってたけど、このポット内の薬品ほとんど全て毒薬だね。まぁそもそも生命維持自体は生醸の書がやってくれるからおかしいとは思ってたんだけどさ」

「魔導書が装置の接続を離れた場合、あるいは装置の機能が外部から停止させられた場合、あいつに接続されたマスクが解除されて毒殺あるいは溺死ってことになるわけか」

「先にあの子をポットから出そうにも、ポットを破壊したら魔導書のセキュリティが反応して迎撃される。こんな狭い上に出口が一か所しかないようなとこで暴れられたら、いくらボクたちでもどうしようもないね」

 

 魔導書をとるか、子供をとるか。

 選択肢は二つだけ。

 

 蒼麻と美晴は迷わなかった。

 

「よし、魔導書に栞はさんで終わるか」

「そうだね」

 

 二人はそう言って魔導書に栞を挿み、生体ポット内の子供に装着されていたマスクが解除、その子供は大量の毒薬の中でもがくことも苦しむこともできないまま眠るように死んでいくのが見てとれた。

 

「……これが俺たちの仕事だからな。恨むなら好きなだけ恨んでくれ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『陸谷守唄』の証明する絆

 目的の『生醸の書』を確保し、あとはこの薄気味悪い地下施設を脱出すれば――などという特大のフラグは見事に回収された。

 生醸の書が配置を離れたことによるものか、あるいはあの少年の生死そのものがトリガーだったのか、その理由はわからないが、施設に残されていた全ての魔導変異獣(マギアビースタント)が放たれ、そればかりか数十体もの魔導人形(オートマギア)まで動きだした。

 階を昇れど昇れど際限なく襲い来る敵勢に、さしもの蒼麻(そうま)も焦りを隠しきれないでいた。

 

(俺とハルはまだいい。二人がかりならオールレンジに対応できるし、物理・魔法のどっちにも対処できる。兄貴も自分の身を守りながら移動するくらいの対処はできるはずだ。だがリーナが拙い! 物量で押し寄せるタイプの敵に対して圧倒的に経験が足りてない!)

 

 そもそもエヴェリーナは亡世の書のセキュリティプログラム。特に「滅亡を記録する」ために「滅亡をもたらす」という目的を果たすためには、本来はその圧倒的な魔力を好き放題に放って広域大量殲滅をするのが本領なはず。

 しかし、この狭い施設内で唯一の出入り口の防衛を任されているエヴェリーナは、蒼麻たちが戻るまでその出入口を確保し続けなければならない。だからこそ、この閉所での特大火力での広域殲滅は彼女が「仲間」を想いすぎるほどに想う性格上、使用はできないだろう。

 加えて、今のエヴェリーナのメンタルはかなり不安定な状態で、普段の実力を発揮しきれていない。この緊急事態にどこまで対処できるのかといえば、少々どころでない不安がまとわりつく。

 

「指令室! ねぇオペちゃん! ……ダメだ、電波妨害が掛かってる!」

「兄貴もこの状況がまともじゃないことくらい気付いてるはずだ。トラブルでもなければリーナのフォローに向かうだろう。なら、上に向かうペースは俺たちとほぼ同じはず」

「なら、シュウさんが元居た階まで行けば、この多勢は……」

「ある程度は処理されてるはずだ。まぁ、兄貴も敵の処理より上の階へ進むことを優先してるだろうから気休めにさえならないが」

 

 階を登るごとに、下の階で処理しきれなかった敵が押し寄せて、上の階で待ち受けていた敵と合流し数を増す。

 最深部から既に5つ上がり、もうひとつ上がれば守唄が元居た階層だ。しかし、さすがに数が増えすぎている。ここで一度、敵勢をリセットさせる必要があるようだった。

 蒼麻は美晴と顔を見合わせてネクスマギナを起動すると、周囲を囲う魔導変異獣(マギアビースタント)と対峙した。

 

(廊下という閉塞空間ではあるものの、二方向から睨まれてる状況で俺が前に出るのはハルを無防備にするのと同じ……ここはハルをメインアタッカーに据えて、懐に近づくヤツを迎撃するのが最善策か)

「蒼麻君、作戦は?」

「俺がお前を守って、お前があいつらを殲滅する。できるな?」

「もちろん」

 

 頷くと同時に、美晴の広域射撃魔法が殺到する無数の魔導変異獣(マギアビースタント)らを貫き、一気にその勢いを減衰させるものの、個々の魔導変異獣(マギアビースタント)たちはお構いなしに接近し、最大の脅威として美晴へと殺到する。

 だが美晴は迫る敵に恐怖や驚愕はおろか、振り向こうともせず次の攻撃に必要な魔法式を構築し始める。これを好機と捉えその鋭い爪を振りかぶるものの、それが届くことは決してなかった。

 蒼麻の繰り出したその拳から放たれる衝撃は激烈。それを打ち込まれたものはもちろん、放たれた衝撃は突き出した拳の前方へと扇状に広がっていく。ゆえに、この廊下という閉塞的な空間において、5メートル以上離れた敵はこの『激烈拳衝(げきれつけんしょう)』から逃れることはできない。

 

「ハル! 今壁際に吹っ飛ばしたやつを防壁(シールド)で圧殺しとけ!」

「はーい」

 

 防壁(シールド)というのは防御魔法の一種だが、その仕様上どうしても一方向に対する防御しかできないため、全方向からの攻撃を防げる防膜(バリア)タイプを好む魔法士の方が多い。

 ただ、防壁(シールド)のいいところは物理・魔法どちらに対しても防膜(バリア)より遥かに防御性能が高いことだ。また、それを張ったまま移動できる点も有難い。

 防膜(バリア)タイプは発動位置から移動できない反面、範囲次第では大人数を守れる利点もあるが、今回のように攻撃に使うなら、硬くて動く防壁(シールド)の方がいい。

 他にも、単なる足場にするくらいのことは防膜(バリア)でも出来るが、任意の場所に設置できる足場と考えればそれも防壁(シールド)の強みだ。

 

「残りは……初期数から考えれば2割程度か」

「どうする? もう放置して上いく?」

「本音としてはそうしたいが、ここで一度全て蹴散らした方が後が楽だ。階を5つ上がるごとにリセット、それまでは邪魔な分だけ処理。これでいこう。次の階からはここまでよりも少し楽になるだろうしな」

「了解!」

 

 手勢は既にキリが見えている。

 

 

 

 

(ソーマの不在にこれほどの軍勢……。おそらく下層の二人は問題ないだろうが、出入り口を確保しているエヴェリーナの安否が気掛かりだ。こいつらの処理はソーマと美晴に任せて、上層に向かった方がよさそうだな)

 

 守唄の誇る鉄拳『プラウドフィスト』にとって、魔力強化された肉体で力任せに攻めてくる魔導変異獣(マギアビースタント)はほとんど天敵にも等しい難敵であった。

 守唄自身の卓越した格闘技能によって対処はできているが、敵の魔法から魔力を吸収して硬度を増すプラウドフィストの堅牢さは、魔法を使わない相手には守唄から供給される魔力に依存する。

 そして、プラウドフィストを構築している鉱石――『ゼアライト鉱石』はそもそも芳醇な魔力に満たされた洞窟などで採取される「魔力供給前提の硬度」しかない上に、本来なら有り余っている守唄の魔力は「普段使わないから有り余っている」だけに過ぎない。

 これだけの手勢に対して、守唄は既に残っていた魔力のほとんどをプラウドフィストに供給しきっていた。

 

「オォォアッ!」

「くっ……! このままでは、プラウドフィストが……!」

 

 守唄には薄々わかっていた。既にプラウドフィストはメンテナンスが間に合わないレベルの損傷を負っている。むしろ、魔法攻撃を行わない相手がこれほどの手勢で押し寄せてきているというのに、よくここまで()ってくれた方だということも。

 実のところ、守唄にとって初めてプラウドフィストを手にした時に抱いた感情は「絆」だった。これを設計・開発し、11番隊に入隊したての守唄に与えたのは当時11番隊のリーダーと参謀を兼ねていた蒼麻だったからだ。

 無数の仲間たちに「無駄も人の心もない作戦」で篩をかけ、最後に残った守唄にリーダーとしての権限と一緒に与えてくれたその『高飛車な篭手(プラウドフィスト)』は、素直さの欠片もない蒼麻が目に見える形で与えてくれた「絆」なのだ。

 だが――それでも守唄はそれを解除しようとはしない。もしもプラウドフィストがここで朽ちて砕けたとしても……いや、だからこそだ。

 

(ソーマ……俺はお前の作戦を疑ったことは一度もない。お前はいつでも俺たちの予測のはるか先で、常に俺たちを生かそうとしてくれた。お前は俺に教えてくれた、BONDとは……BONDの職員の最たる任務は、危険な魔道具の封印・確保・管理ではない。BOND職員最大の任務とは――生き残ることなのだと!)

 

 蒼麻の想定が常に守唄たちの予想のはるか先で正しさを証明してきたというのなら、彼が与えたプラウドフィストが「魔法を使わない敵」に敵わないことも理解していたはず。

 

(だとすれば――!)

 

 突き出した右の拳から、ついに崩壊の音が耳に響く。

 次の一撃まで、もう()たない。

 

「おおおおおおおおおおおッ!」

 

 ならばいっそ、と打ち付けた拳を力の限り振り抜くと、ついに右手のプラウドフィストはその役目を終えた。

 次々に押し寄せる魔導変異獣(マギアビースタント)の攻撃を右手ひとつで防ぎながら左の拳でカウンターを打ち込んでいれば、敵を6体も葬ったところで左手のプラウドフィストも同じように砕けた。

 

(プラウドフィスト……お前は役目を果たした。誉れある戦いぶりだった。……だから、俺もお前に恥じない戦いぶりを見せよう!)

 

 プラウドフィストを欠いた守唄は、単なる生身のファイターに過ぎない。だが、それでも彼は立ちはだかる鉄鬼を片っ端から跳ね除けながら、上層へと歩む足を一秒たりとも止めようとしない。

 これが、この一歩一歩すべてがプラウドフィストに報いる歩みなのだと示すように。

 

 しかし、そんな彼の決意を嘲笑うように現れたのは、視界を埋め尽くすような巨人(ギガント)魔導変異獣(マギアビースタント)

 ここまでの戦いで既に疲弊しきった彼が身体ひとつで相手取るにはどうにも荷が勝ちすぎる相手ではあるが、だとしても守唄の決意に揺らぎはない。

 

「こんなところで立ち止まる暇はないんだ……。だから……起きろ! ティグリスッ!」

『陸谷守唄専用ネクスマギナ『ティグリス』起動。装着対象者にインストール・最適化します』

 

 守唄の激情に呼応するように紫色の輝きを放つ彼のリストバンド。ペリオードから与えられた光が守唄の両手を覆うと、その光に危機感を持った雑多な魔導変異獣(マギアビースタント)が殺到するが、それらの爪牙は全て光に阻まれ届くことはない。

 

『インストールおよび最適化をコンプリート。ティグリス――実行可能(アクティブ)

「……俺はいつも与えられてばかりだ。蒼麻との絆の証を砕かれてなお……ペリオードから受け取った光が、証を失ってなお輝く絆を守ってくれる……!」

 

 これは、絆を証明するための拳。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の迷い道

 地下に突入した三人を待ちながら、エヴェリーナもまた魔導変異獣(マギアビースタント)たちの対処に追われていた。

 蒼麻の架した二つの枷によって魔力を吸収・低下させられ、挙句には得物であるプラズマレーザーガンまで没収されている影響もあり、負担の少ない魔法と格闘技術だけを駆使して自らの役割である退路の確保を行っている。

 しかし味方から課せられたリミットとはいえ、自分では解除できない外的要因による魔力デバフに加えて武器まで失っている状況で、不意を衝くように現れた無数の敵に対処し、自分の成すべき仕事を全うできているということは、紛れもなく彼女が11番隊のレギュラーメンバーであることを意味していた。

 しかし、それでも彼女の中には未だ振り切れぬ迷い惑いがあることを、外ならぬ彼女自身が一番よくわかっている。

 

(こんな……子供の命を弄ぶ技術があっていいはずがない。だが、今この幼子たちを傷付けているのはなんだ? 私の、この手この腕この拳だ……。私は、自分の役割を果たすために……いや、自分の身を守るためにこの子たちを傷付けている。それは……利益を得るためにこの子たちの命を弄び傷付けた醜く愚かな技術者と何がどう違うというのだ……ッ!)

 

 放った魔法が彼らの肉を貫くたび、振り下ろした手刀が彼らの骨を砕くたび、耳を劈くような悲鳴がエヴェリーナの心を締め付ける。この叫びこそがお前たちの涙なのかと、自分にはそれを嘆く資格も憐れむ資格もないと知りながら、それでもここから一歩たりとも通さぬ意思を露わにする。

 退路とは最終防衛ラインのひとつだ。ここを一歩でも退けば、それは戦線を一歩分後ろに下げるということになる。そして一歩でも戦線が後退すれば、それは平穏と安寧を享受する人々に『危機』が一歩分近付くという意味でもある。

 目の前の幼子たちがどれだけ呻き喚いても、今を平和に生きる人々を守るために、エヴェリーナは断じてこの退路を後ろに下げるわけにはいかなかった。

 

(私は……自らの無知のために無意味に滅ぼしてきた多くの人類と文明へ償うため、この身を戦いに投じる覚悟をした。全ては償いのためだ。だが……だとすればどうして、私は償うべき人類と文明の未来を担う子供たちに拳を向けているんだ……!)

 

 自分に問いかける言葉の答えはわかっていた。エヴェリーナとて未だ未熟が残るとはいえBONDの一員。頭ではわかっている。

 目の前に迫る彼らは――もう「人類」ではない。彼らが紡ぐ未来に「文明」はない。彼らはただ幼子の骸を使って造られた化け物に過ぎず、その未来に文明の崩壊はあれど創造などは断じて在り得ない。

 だがそれをいくら頭で理解していても、目の前で痛み苦しみに喘ぐ彼らを見て、感情が理解に追いつかないのがエヴェリーナのエヴェリーナたる所以でもある。

 

「迷うな……迷うなぁッ!」

 

 突き出した拳を魔導変異獣(マギアビースタント)の一体を突き飛ばし、それを絶命へと至らしめる。自分でも意識の外で放った一撃に、エヴェリーナの心は大きく揺れた。

 その隙を衝くように、何体かの魔導変異獣(マギアビースタント)がエヴェリーナに接近、その鋭い爪を突き立てんとする勢いに怯んだ彼女は、思わずその足を一歩下げてしまう。

 

「しまっ……うあぁぁぁっ!」

「オォォォアッ!」

 

 自ら一歩下げてしまったことに動揺したエヴェリーナに、魔導変異獣(マギアビースタント)の爪は容赦なく襲い掛かり、彼女は左肩と右脇腹を大きく抉られた。

 魔導書としての自己修復機能によってすぐさま損傷は回復するものの、動揺に心を乱され痛みに怯んだ今のエヴェリーナに、魔導変異獣(マギアビースタント)は大きく勢いづいた。

 自分の甘さと迷いが、人々の平和を一歩分――侵し(おびや)かした。思わず自責の想いに圧し潰されかけそうになる、その時だった。

 

『リーナ!』

「ソーマ……?」

『やっと繋がったか! チッ、未だにそのシケた面をぶら下げてることは後回しにしてやる。とにかく状況を教えろ、退路はどうなってる!』

 

 怒気を孕んだものとはいえ、兄のように慕い心の支えとしている蒼麻の声を聞いて、エヴェリーナに落ち着きが戻った。そして、そんなエヴェリーナの様子を見た魔導変異獣(マギアビースタント)もまた、勢いを戻していくのがわかる。

 

「……た、退路は確保している。だが私の迷いが戦線を下げてしまった……私が、私が人々に恐怖を近付けた……!」

『だったら怯えるな!』

「な、にを……」

『お前は仕事を果たしている! 自分の役割をこなし、戦線を下げながら人々に恐怖を近付けながら……守り通している!』

 

 はっと、エヴェリーナは自分の中にある何かを覆い隠していた迷いと惑いが晴れていくのがわかった。

 

『どんなに恐怖や脅威が近付こうと、身命を賭して人々の平穏と安寧を守るのが俺たちBONDの使命で、お前もそれが出来てんだ! なのに何を怯えることがある!』

「……私は、自分の使命のためにこの子たちの体を傷付け、命を奪おうとしている……。それは、この子らの命を弄んだ者たちと同――」

『それは違うよ!』

 

 それは、いつも背を押して心を支えてくれる蒼麻の声ではなく、彼の隣に佇み微笑みながら見守る美晴の叫びであった。

 

『確かに生殺与奪の権利を握りながら子供たちを傷付ける点に限れば、僕らも学院も大差ないよ。でも……少なくとも僕らは好奇心や興味本位という自分勝手な理由でその権利を行使したりはしない! 僕らが戦い、傷付け、命を奪うことでしか守れない『未来』があるんだ!』

「この子たちの命を奪うことでしか守れない未来……?」

『ハル、端末返せ。……まぁ、ハルが言った通りだ。俺たちが生きる今も、偉大な先人たちが無数の命を奪い奪われ続けた骸の上に成り立っている。犠牲無く成り立つ未来なんて存在しない。だが、その犠牲者を「無辜の命」にするか「平和を侵すもの」にするかを選べるのは『戦う者』だけだ!』

 

 無数の犠牲の上に成り立つ未来。それは無数の『時代』と『世代』の移り変わりを見守ってきた魔導書(ふたり)だからこそ痛感している。しかし――蒼麻の言葉で今になってようやく思い知ったこともあった。

 それは――自分は「犠牲者を選ぶ者」であること。無辜の命を守り、未来を選ぶために――「奪われる命」を取捨選択する『戦う者』だということ。そして――それを全うするために必要なことも。

 

『リーナ、迷うことは決して悪いことじゃない。なんの迷いもなく放った弾丸は最速で最短でまっすぐに敵を貫くが、迷い抜いた果てに確固たる信念を込めて放った弾丸は……重く鋭く、様々な曲線軌道を描きながら確実に敵を貫く。今のお前は……討つべきものだけを撃てるはずだ』

『今までのステニウスさんはすごくまっすぐで、BONDにしては優しすぎるくらいだった。そしてその優しさが君を迷わせていた。けど……それでいいんだよ。その迷いがあるからこそ君は君なんだ。迷いのない弾丸しか持たない僕らにはできないことが、君にはできるんだよ』

 

 迷いとは回り道だ。同じゴールを目指して走り続けていれば、無意味に時間と手間を増やすだけの道に過ぎないものだが――その道にしかないものが、直線では得られないものが、彼女の胸に咲き誇っている。

 

 エヴェリーナは一斉に押し寄せる大量の魔導変異獣(マギアビースタント)を強引な魔力暴発を引き起こして焼き散らし、たった一発の魔力弾を人差し指の先端に浮かべ、それを放つ。

 そうして放たれた魔力弾は一体の魔導変異獣(マギアビースタント)の脳天を貫くと、その軌道を急激に変化させて二体目、三体目と次々に、そして確実に額を撃ち抜いていく。

 

「ソーマ! 退路の確保と戦線の保持は任せてくれ! その代わり……帰ったらいっぱいご褒美(ほめて)もらうからな!」

『あ、ご褒美ならもう渡してあるぞ』

「……え?」

 

 さてここから逆転劇だ、と意気込むエヴェリーナに対して、蒼麻がしれっと呟くように言う。

 

『お前に渡した腕時計とブレスレットな、お前の魔力を一段階低下させる程度に吸収しつつ、それを貯蔵してるんだ』

「貯蔵……?」

『時計のリューズを長押しして放射モードにした後、時計盤を半回転させてロックを解除して敵に向けろ。あとはブレスレットと腕時計のベルトを接触させるだけでいい。何が起きるかは……ま、使えばわかるさ。じゃあな』

「え、いやもう少しちゃんと説明を……おいソーマ? えっ、本当に説明それだけか!? なぁソーマ!?」

 

 説明不足じゃないのか、と愚痴を洩らしつつも、エヴェリーナは敵の攻撃を全て捌きながら彼の言葉を頭の中で反芻させていた。

 

「リューズを長押しして……時計盤を半回転だったか? おおぅ、本当に回転した……」

 

 彼の指示通りに時計を動かすと、腕時計のカバーパネルに『FIRING MODE:UNLOCK』と表示され、バイクのアイドリングのような駆動音がその場に響き渡る。

 

「この落ち着いた高めのアイドリング音……ソーマの趣味だな」

 

 呆れと安らぎの混ざった溜息を洩らしつつ、時計盤が敵に向くようにベルトを回し、そして――。

 

「時計のベルトに右腕のブレスレットを接触させる……こういうことか?」

 

 十字を描くように両手を組んだ、その瞬間。

 途方もない量の魔力が光の奔流となって閃き、直線状の敵を全てまとめて焼却させた。……が、予想外の反動にエヴェリーナもまた後方へと10メートル近く吹き飛ばされた。

 

「……なんだこれは」

 

『FIRING MODE:LOCK』

『COOL TIME:19:59:59』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『エヴェリーナ・ステニウス』の怒りの矛先

 守唄がティグリスを起動したことで蒼麻と美晴の与り知らぬ内に……そしてエヴェリーナが解き放った力については美晴だけが与り知らぬ内に、11番隊の戦力は格段に向上していた。

 蒼麻にとって、この二人の成長には思わず眩しさのようなものを覚えた。なぜなら、蒼麻は彼自身さえ気付かない内に、自分に限界を感じていたからだ。だが、それも致し方あるまい。

 3200年。古代魔導書にとってもとりわけ長い歴史を持つ『天星の書』であるが、そもそもなぜ古代魔導書は近代魔導書よりも「強い」と言われるのか。それは以前にも話した通り、魔導書は「覚えたことを忘れない」からだ。

 つまり、自ら得た知識や経験が失われることなく、ひたすら蓄積されていく。それらは何も戦いだけではない。普段の生活においても、生命や魔導書との交流においても、とにかくありとあらゆるものを「溜め込んで」いく。

 だがそれは「限界がない」ということではない。むしろ――逸早く「限界」に辿り着いてしまうということでさえある。そして、蒼麻自身はその「限界」を、遥か昔に定めてしまっていた。

 無論、時代の移ろいと共に新たな技術や文明が生まれ、人々の進化と共に「限界」は上限を伸ばすこともあるだろう。だが、蒼麻に限らず古代魔導書というものはとにかく要領がいいせいで、誰よりも先にその「上限」に辿り着く。

 

 BONDにおける蒼麻個人の能力は、他の多くの職員を大きく突き放して最上層の実力者であることは疑うべくもない。

 3200年分の知識と経験から繰り出される魔法・格闘は、近中遠あらゆるポジションで的確な攻防を可能にするし、そもそも攻撃だけでなく防御・支援についても優秀で、作戦立案・前線指揮を行うチームの参謀として無くてはならない存在となっている。

 だが、あらゆる距離・役割・状況に対してパーフェクトに対応できるということは、彼の伸びしろが既に尽きているという意味でもある。故に、彼は自らの役割を「防衛・サポート」そして「最終手段(ラストワン)」に徹底しているのだ。

 

(次の階への退路は確保済み。扉はハルがバリアで保護してる。後はこいつらを片付けられれば……いや、まずいな。さすがに長丁場、拳がそろそろ限界か……!)

 

 だが今回は状況が状況。基本的にチームとして各々の役割に徹するのが11番隊の方針であるが、今はそれぞれの戦力がバラバラになっているせいで、普段とは異なる動きを強要される。

 蒼麻もこういった状況そのものは何度か経験しているものの、まだ体の出来上がっていない「今の体」ではこれが初となる。蒼麻は戦力のバランスが崩れることを承知の上で、舌打ちをひとつ吐いて叫ぶ。

 

「ハル! 上手く合わせろ!」

「……何をする気かわからないけど、任せて!」

「いい返事だ。……天星・オルタネイション!」

 

 手近な敵を一通り蹴とばし投げ飛ばすと、蒼麻の肉体が徐々に長身の女性らしいものへと変化し、一気にその姿を天星へとオルタネイションさせた。

 あらゆるものにオールマイティな対応ができる蒼麻とは異なり、天星はどちらかといえば魔法に偏った戦術を得意とする。しかし、同時に魔導書特有の常識外れの身体スペックを使った格闘戦もそれなりに可能で、行ってしまえば「近付かれても大丈夫な熟練魔法士」ということになる。

 美晴が膨大な魔力にものを言わせて範囲攻撃をすると、天星はその卓越した魔法センスと魔力コントロールによって、討ち洩らした魔導変異獣(マギアビースタント)を針のような魔力弾で貫き、そしてその軌道は曲線を描きながら無数のド(タマ)をブチ抜いていく。

 

「なかなかの威力だな、ハル。処理が楽で助かる」

「本当ならもっとできるんだけど、さすがに床と天井を庇いながらだとこのくらいなんだ。ごめんね」

「いや、むしろハルの魔力量を考えれば、よくここまで抑え込めるものだと感心する。流石と言わずにはいられない」

「天星さんにそう言ってもらえると、ちょっと自信ついちゃうね」

 

 戦闘能力を魔法に全振りしている美晴と、魔法に極振りしながらも地の身体能力が高いせいで不思議とバランスが取れている天星。二人の得意な領域はとても近いようで、実はまったく異なる。

 膨大な魔力にものを言わせて極大火力を叩き込む美晴に対し、天星が得意とする戦術は「天星の書に記録された無数の魔法を同時展開する」ことにある。これは『魔導書の機能』であると同時に『魔法』でもあるため、天星の書でなくとも再現性のある技術ではあるが、現実的には不可能だろう。

 2つ3つの魔法を同時展開するマルチタスク魔法士は、現代における「天才魔法士」と呼ばれる者の中に一人二人いてもおかしくはないかもしれない。しかし、それが2桁、3桁……下手をすれば4桁もの同時発動となれば、それが人間であるうちは不可能だ。

 それは、魔導書さえも超越する魔力を保有する美晴であっても例外ではない。確かに魔力量も問題ではあるが、本来一つの魔法を使用するにも難解な術式への理解と制御が必要になる。

 つまり複数の魔法を発動し制御するということは、その術式を咄嗟に展開する理解力と、発動・持続に必要な制御をその数だけ行わなくてはならないという意味でもあり、魔導書であっても誰でもできることではないのだ。

 

「サポートするね!」

『Green Grateful Gospel』

「これは強化魔法……? だがこれほどの能力上昇……なるほど、仲間というものがこれほどまでに頼もしいとは!」

 

 強化魔法そのものは、天星にもできるだろう。だが同時発動のタスクを1つ減らしながら苦手な格闘戦を補えるというのは、一人で全てをこなすよりも遥かに楽であることは敢えて言うまでもない。

 一人でできないことを二人ならできる――ではなく、一人でもできるが大変なことを、二人でならもっと楽にできる。それが今「蒼麻ではなく天星でなければならない理由」だということに、二人はようやく気付いた。

 

 そこからの戦況の傾きは早かった。各々の役割を理解した二人は、美晴の範囲魔法が大多数の魔導変異獣(マギアビースタント)を葬り、すぐさま階段を駆け上がる。そうして討ち洩らしたものを天星が的確に処理して美晴を追うように階段を上っていく。

 すると先んじて探査魔法をかけていた美晴によって魔導変異獣(マギアビースタント)の数、位置が既に把握されており、扉を開けると同時に再び範囲魔法が炸裂。それを二度、三度と放てば、またも美晴は次の階段へと駆け出し、残党を処理した天星がそれを追う。

 そう繰り返しながら階段を上がっていれば、地上まであと3階というところでついに守唄と合流。ティグリスを起動し、いっそう強化された彼との一糸乱れぬ連携によって一気に勢いを増した三人はそのままほんの数分でエヴェリーナの待つ地上へと駆け出すと、そこには――。

 

「……ソーマはどうした」

「今は天星さんだけど、何かあったの?」

「天星! 今すぐソーマにオルタネイションしろ! さっきの新兵器について言いたいこと聞きたいことが山ほどある!」

「ソーマが『めんどくさいから替わらなくていい』と言っているが……」

「早く替われ!!」

 

 結局、エヴェリーナの勢いに押された天星がソーマにオルタネイションしたことで、この後BOND本部に戻るまでの帰路ひたすら小言を言われながら新兵器の具体的な説明を要求された蒼麻であった。

 

 

 

 

「『きみと、わらいあう、あしたがほしい。いままでも、きみが、そうしてくれたから』……」

「いきなり部屋に押しかけてきて図鑑読み始めたと思ったらまたその唄か……」

「思わず口遊んでしまいのは、それがその人の心の根幹を形作る要因になっているからよ。あなた、私の心から出る音色はきらい?」

「……今日は反論する気力もねぇから、気が済んだら部屋戻れよ」

 

 ベッドに横たわる蒼麻を尻目に、唯鈴は再び唄を今度は最初から奏で始めた。

 これは子守唄。眠るいとし子のための柔らかな旋律。うたかたの微睡みに溶ける声。

 

 

 きみと わらいあう あしたがみえる

 

 ねぇ、きみだよね?

 ぼくらを まもってくれた ひかりは

 いまでも まだ しってる

 

 そう きみだって

 ほんとは なきたい きもちなのにね

 ごめんね もう いいんだよ

 

 いつまでも きみとなら

 どこまでも ついていこう

 どれほど かこくな

 みらいでも こわくはない

 

 きみと わらいあう あしたがほしい

 いままでも きみが そうしてくれたから

 ゆめも やさしさも きみがくれたよ

 いつだって そうさ いまでも かわることなく

 

「……ほんと、全部聞き終わる前に寝ちゃうんだから。いつもは何しても寝てくれないくせに」

 

 気付けば寝息を立てていた蒼麻の髪を撫でながら、唯鈴は苦笑を浮かべた。子守唄を聞き終わるよりも遥かに早く眠りに落ちた蒼麻ではあるが、それは普段の彼からは想像もできない姿だ。

 唯鈴を守るため、凪原家を守るため、そして自らに宿る最愛の友を守るため、彼は常にその神経を尖らせ、誰にも悟られることのないよう気を張り続けている。そんな彼が、こんなにも無防備に眠れる理由は――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『空岡美晴』のいない影響

「あの施設内の魔導変異獣(マギアビースタント)の死体が、たったの97体だって!?」

「ああ。どうやらハルの探査魔法さえもすり抜けて、ほぼ全ての認識改変魔法が機能してたんだろうな」

 

 翌日。蒼麻たちが作成した調査報告書を元に再度現場に立ち入り調査を行った結果、担当員たちから呆れたような様子を伴って突き出された調査結果に、美晴は愕然とした。無論、彼に限らずオペレーターも含めて11番隊の全員が「そんなはずがない」と言いたかった。

 しかし、それでもBONDの職員たちは誰もが優秀だというのは間違いがない。確かに彼らは階級上、作戦執行部隊である蒼麻たちよりも遥かに低い地位にあたることは濁しようもない事実ではあるが、そもそもBONDに所属している以上、彼らは多くの魔法士たちの上澄みに居るのだ。

 そんな彼らが自らの専門分野で導き出した結論が「97体のみ」だと判断したのなら、あの時あの場で見聞きしたものを疑うのが「合理的で理知的な思考」に違いない。美晴がどれだけ魔法に秀でた職員であっても、見落としがなかったと断言できる者は本人も含めてこの場にいない。

 

「つまり……まず突入から回収の時点で認識改変魔法を隠蔽魔法で隠してて、僕と僕の魔法はそれに気が付かなかった。撤退時は戦闘の激しさを含めても、僕は認識改変魔法にまんまと引っかかっていて、たった数十体の魔導変異獣(マギアビースタント)を何百と認識していた、と……」

「……完全に向こうの術中に嵌まってたってことだな。間違いなく手練れだが……俺やリーナからすると、手口がDr.コクトーのそれじゃないだけでも気が楽な方だな。あいつが犯人ならそもそも魔導変異獣(マギアビースタント)なんてヌルい手は使ってこない」

「そうだな。ヤツがやるとすれば、手製の魔導人形(オートマギア)か、今回のようなやり方で言うなら意識のある子供の体を操り兵として扱うくらいの手法は取るはず。魔導変異獣(マギアビースタント)の利用は、Dr.コクトーを犯人と仮定すると「中途半端」と言えるだろう」

「魔導書組の見立てがどれだけ正確かはともかく、それを躊躇なく行う性格であることと、それを可能にする手札があるのがDr.コクトーであることは理解した。美晴もあまり気を落とすな、今回は出し抜かれた結果となったが、次で挽回すればいいだけのことだ」

 

 最近はただでさえDr.コクトーが明確にBONDに対する敵対体勢を取っていることが判明し、組織全体がピリピリしている状況で、知る者であれば「裏のエース部隊」とも呼ばれる11番隊でも魔法に最も秀でる美晴が出し抜かれたともなると、これはさすがに笑ってはいられない。

 蒼麻はすぐさま美晴の魔法でも見つけられなかった認識改変魔法を、リベンジに燃える美晴も含めた専門チームを編成すべく上層部へ打診するよう守唄に指示を出し、エヴェリーナには新兵器の試運転を兼ねた自主トレーニング、美晴には天星にオルタネイションして彼女に対応を任せた。

 時折、息抜きと差し入れを兼ねたコミュニケーションと建前を並べてやってくる坂上博士によって締め上げられる美晴には敢えて触れず、上層部からの返事が返ってきたのはここからさらに三日後のことであった。

 

 

 

 

「今日からしばらく、ハルは新しく再編成された調査チームとして別行動をとる。そこで、俺と兄貴とリーナの三人でとる連携の再確認という意味も込めて、1番隊・4番隊の連合チームと模擬戦闘訓練を行うことになった」

「攻守にバランスの取れた4番隊(エースチーム)に加えて、斥候部隊として統率力・生存能力に優れ、それを支える速力にも秀でた1番隊が相手ではあるが……実際のところ、勝率はどの程度なのだ?」

「俺の見立てでは五分、あるいはややあちらに軍配が――」

「待て待てバカ兄貴、それ本気で言ってんのか? リーナのモチベを維持するためとかならまだしも、マジなら状況をちゃんと客観的に見ろ」

 

 守唄の見立てに割って入るように、蒼麻が慌てて意義を唱える。

 

「いいか、戦いにおいて数というのは質よりも重要だ。どんなに優秀な魔法士であろうと、相手の数が自軍の何倍もあれば、それが烏合の衆でも勝ち目はない。まして、相手はBONDが誇るエース部隊と斥候部隊。質の方も申し分ないときている」

「ソーマ。エース部隊が優秀だというのはわかるのだが、斥候部隊というのは、その……」

「敵地に突っ込ませるための捨て駒だろう、って言いたいのか? だったら赤点もいいとこだぜ、リーナ。斥候ってのは最小限の人員で敵地に突っ込み、情報を持ち帰ることを目的としている。つまりそれだけ生存能力と機動性が高くなければ斥候にはなりえないんだ」

「だがそれは逃げと情報収集に全力を投じているからだろう? 戦闘能力が高いことには……」

「バカ言え。ヤツらは基本的になんの前情報も対策もなく敵地に突っ込み、そこから情報を確実に持ち帰ってくる。つまり、未知に対する適応力・対応力が極めて高く、またそれに遭遇した際にも冷静かつ迅速に対処可能なだけの観察力・判断力・戦闘力を全て持ち合わせてるってことだぞ」

 

 それってヤバいのでは、と冷や汗を流すエヴェリーナに対して、蒼麻は少し呆れの入った声色で「だからそう言ってるだろ」と返した。しかもそこに加えて、表のエースと名高い4番隊までついてくるのである。

 対し、こちらの兵力は美晴を欠いた三人きり。守唄の格闘能力とエヴェリーナの広域精密射撃が光る中、蒼麻の戦力は大体の場合においてどっちつかずだ。

 魔法に対する対応力は高いものの、基本的に魔法を用いず格闘を主な戦闘手段としている珍しい魔導書であり、彼に危機が迫った際には「天星」という現存する古代魔導書の中でもトップクラスの力を秘めたセキュリティプログラム――なのだが、模擬戦闘訓練で切るには強すぎる手札だ。

 今回の模擬戦闘訓練の最大の目的はコンビネーションとフォーメーションの確認・調整であって、単純な戦闘力をぶつけ合うだけのシミュレーションではない。だからこそ、どうしても勝つ必要のある戦いではない……が、どうせ戦うのなら勝ちたいのも事実。

 

「しかも向こうは数という点においても俺らの上を行く。一人一人の力もかなりのものだが、こちらの倍以上の数が確かな結束力を持ち、統率のとれた実績あるコンビネーションとフォーメーションが俺らを襲ってくるわけだ。勝率なんて一割もあればいい方だろう」

「ではどうする?」

「対策を練るしかない。あちらのコンビネーション・フォーメーションは常に変化し続けているだろうが、個人の能力や性格はそうそう変わるもんじゃない。よって、今回の俺たちの基本戦術は「各個撃破」が軸になるだろう。これが現時点で俺が集められたデータだ、目を通しておけ」

「……、…………。……身体データ、使用武器、行動傾向……いくら準備期間を設けられていたとはいえ、よくこんなにも集めたな。しかも、これらから推測できるチームでの役割まで……」

「役割分担の基本にして深奥たる部分ってのは簡単に言っちまえば「適材適所」だ。誰がどれだけの能力を持ち、その能力と性格を照合し、そいつが一番活躍できるところに配置する。ようは「俺ならこいつをこのポジションに置くだろう」ってのがその推測だ」

 

 11番隊における蒼麻の役割は「頭脳労働」であり、ようするに参謀・指揮官である。11番隊でのコンビネーションやフォーメーションはもちろん彼が決めているし、作戦を立てるのも、状況に合わせてそれを修正しつつ指揮を行うのも彼だ。

 そして、それはおそらく全ての執行部隊がそうであろう。作戦の立案・修正・指揮・対応。それができるのは彼と同じ立場にある人間であり、その作戦やフォーメーションを活かすための人材配置(キャスティング)もまた、同じ者がやっているはず。

 つまり、蒼麻の配置がよほど奇抜なものでない限り、基本的に合理性を最優先するBOND職員であるならば、蒼麻と同じ結論に至るはずなのである。だからこそ、能力や性格さえわかってしまえば、逆算的に配置まで割り出せるのだ。

 

「4番隊のリーダーであり参謀指揮を執っている君森鞠絵(きみもりまりえ)は俺と同じく後衛のインファイターだ。一番後ろから波状攻撃してくる3人の魔法士を防衛しつつ、前衛と中衛に指示を出していくのが基本だろう」

「本当に普段のソーマと同じポジションだな。こちらのように単独で絶大なパワーを持った魔法士が居ない分、魔法の多彩さや手数で戦果を出すという方針だろうか」

「いや、およそ決定打をほとんど美晴に頼る俺たちと違い、4番隊は状況に合わせて前衛と後衛のどちらをフィニッシャーにするかを変えてくる。故に、俺一人で5人の前衛を全て捌ききることは不可能だ。加えて、中継地点から前後に援護する射手・魔法士も精鋭揃いだ」

「しかも今回はこれに加えて1番隊もいる。戦いが長引けば俺たちの手札は全てすっぱ抜かれて、即座に対策・対応してくることは目に見えている。勝とうと思うなら長期戦だけは絶対に避けなきゃいけない」

「こういうのをなんと言うか、後輩(ちあき)から聞いたぞ。確か……「無理ゲー」と言うのだろう?」

 

 的確な表現だ、と肩を落として笑いながらも、蒼麻の瞳に燻ぶる反骨の炎が消える様子はなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『秋月緋色』の苦悩と友達

 模擬戦当日――というよりも、今後しばらく定期的に行われることが決まった以上、模擬戦第一回当日、と称するのが正しいのかもしれないが。とにもかくにも、美晴を欠いた11番隊のメンバーたちは、数人のオペレーターを伴いシミュレーションルームに集合。両部隊と顔合わせとなった。

 1番隊・4番隊はそれぞれ数名のメンバーが今回の模擬戦で用いる戦術の最終調整を打合せしていたようで、寡黙な上に口下手な守唄とやや気の短いエヴェリーナでは面倒を増やされるかもしれないと、蒼麻が11番隊を代表して挨拶に向かうことになった。

 

「今日は付き合わせて悪いな。11番隊の海藤蒼麻だが、両部隊のリーダーに挨拶に来た。出してもらえるか?」

 

 蒼麻がそう声をかけると、数名のメンバーが不快そうな雰囲気を隠そうともせず、あるいは舌打ちまで加えながらも、それぞれのリーダーを話し合いの中心から蒼麻の元へと促した。

 内、女性の方――4番隊リーダーである君森鞠絵はいかにも不快で不満だという様子ながらも足早に蒼麻へと近付き、1番隊リーダーであろう男性もワンテンポ遅れながらも彼女に続いた。

 

「第二級作戦執行部隊1番隊リーダー、大蔵善慈だ」

「同じく4番隊リーダー、君森鞠絵です。本日はそちらの不徳の尻拭いを手伝え、というお達しに従い、そちらの模擬戦に付き合わせていただきます」

「第二級作戦執行部隊11番隊メンバー、海藤蒼麻だ。リーダーの口下手であんたらに迷惑をかけないよう、僭越だが俺が代理を務めさせてもらっている。不満はあるだろうが、呑み込んでもらえれば幸いだ」

 

 ひとまずは定型文通りに挨拶を済ませようとした蒼麻は、鞠絵の皮肉たっぷりの挨拶には敢えて触れずに自分が部隊を代表代理であることを告げて、両者の様子を覗った。

 善治は速力に秀でる1番隊のリーダーと呼ぶには随分な大男だが、外見で得られるデータにいったいどれほど信憑性があるかは、蒼麻自身も理解している。少なくとも、事実として彼は1番隊に配属されてから12年間、一度も死ぬことなく斥候を果たしているということは確かだ。

 鞠絵もまた、こうして不満げな態度・言動とは裏腹に、蒼麻の力を見極めようとする眼力に、彼を過小評価する様子は微塵ほども感じられない。ほんの少しの驕りもない観察眼が今まさに自分を貫いているのだと、蒼麻はらしくなく身を引き締めた。

 

「我々11番隊は少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実のところ単体能力の高いやつらの寄せ集めだ。今回の模擬戦で、両部隊のコンビネーションを勉強させてもらおうと思っている」

「ほう、噂に聞く評価とは程遠い謙遜ぶりだ。しかし、言葉通りに受け取るわけにはいかんな。先の国戸継悟襲撃事件の際、逸早く敵の侵入に気付き、それらを撃退した手腕は今や全職員の知るところだ。単なる烏合の衆ではそうはいくまい」

「古代魔導書2冊を有したチームなど貴様らだけだ。まして、それらが互いに協調し合い、チームとしての役割と果たすのなら多少の粗にも目を瞑って余りある。私たちの油断を誘うにしては、手抜きも甚だしいな」

「そう言ってもらえるなら、こちらとしてもその評価に応えられるよう尽力する。そろそろ互いに準備に入らなきゃまずい頃だな、時間とらせて悪かった。悔いのない勝負をしよう」

 

 そう言って差し出した右手を善治が握り返すが、鞠絵は無遠慮に身を翻して去っていった。

 

「……彼女を悪く思わないでやってくれ。あの若さでエース部隊のリーダーを全うする重責に心を擦り減らしていて、まだお前たちを正しく評価できるほどの余裕がないんだ」

「正しい評価も何も、俺らは自分たちの力量にものを言わせて気まま勝手を通してる厄介者だ。嫌われるのは当然のことだろう」

「確かに、そういう面もあるだろう。お前たちの身勝手は誰もが眉を顰める。だが、規則や規律に縛られることで見えなくなるものも時として確かに存在する。そういう時、お前たちのような存在は不可欠だと……少なくとも俺はそう考えている」

「……買いかぶりだ」

 

 吐き捨てるような言葉を残して別れると、蒼麻は守唄とエヴェリーナの元へと戻り、それぞれのコンディションを確認した。

 三人、フィジカル・メンタルともに良好。模擬戦でのネクスマギナ・魔導書本体の使用は禁止。バトルシミュレーション専用の武器から最適なものを選び、それを使用する。

 

「兄貴は……まぁいつもの(ガントレット)だよな。エヴェリーナもレーザーハンドガン二挺と。今回は向こうのチームおよび技術部にも許可をとって、エヴェリーナの新兵器『ブレイズシューター』の使用が許されてるから、タイミングを見極めて積極的に使っていけ」

「この腕時計とブレスレットのことか?」

「そうだな。厳密には腕時計の方がブレイズシューターで、ブレスレットは『グランテッドトリガー』だが、まぁそれワンセットでなきゃ使えないからひとまとめにブレイズシューターだ」

「だが、私はまだこれの制御がうまくいっていないぞ? 下手をしたら死人が出るのでは……」

「それについても、技術部がバトルシミュレーション用にリミッターをかけてくれているから遠慮はいらん。今回はそれを撃つタイミング、発射シークエンスの滑らかな移行、適切なタイミングまでどう対処するかを見極める」

 

 二人の装備を確かめると、蒼麻が手に取った武器に、二人は目を疑った。

 そんな彼に「待て」と声をかけるよりも先に、模擬戦の開始アラートが鳴り響く。

 

 

 

 

「――で、ボロ負けしたと。珍しいね、愚痴とはいえ君の方から私のところに来てくれるなんて」

 

 そう苦笑いしながら言うのは、とうとう先日この秋月重工の社長として就任した秋月緋色であった。

 

「ウルセェな、別に好きで来てるわけじゃねぇよ。唯鈴から言伝を預かってきたから、それを伝えりゃすぐ帰ってやるから静かに聞いてろ」

「わかってるよ。それで、言伝っていうのは?」

 

 くっくっと笑いながら本来の用向きを促す緋色に、ただでさえ機嫌のよくない蒼麻のフラストレーションは加速した。

 しかし、それでも役割を全うしてしまうのが主を持つ魔導書の悲しいところ。これ以上の不愉快を抱え込む前に、早々にやるべきことをこなして帰ってしまおうと蒼麻は口を開いた。

 

「来週末、アンタの予定さえよけりゃ映画でも一緒に行かねぇか、だってよ」

 

 じゃあ確かに伝えたから、と踵を返して彼の牙城である秋月重工本社の社長室から去ろうとする蒼麻……の服の裾を、何者かが掴んだ。誰が、などと敢えて問うまでもなく、ここに居るのは裾を捉えられた下手人の他に、城主である「彼」しかいない。

 いやいやまさか、と思って振り向いてみれば、さっきまでの書類の山を放り出して息を切らしそうなほど慌てて蒼麻の服を握りしめる緋色の姿があった。……あった、ではない。ない方がよかった。そう思う蒼麻の視界には、変わらぬ現実だけが映り続けている。

 

「……何?」

 

 観念して問う。

 

「唯鈴さんがそう仰ったんですか!? ホントに!? 蒼麻さんが私を陥れる罠か何かではなく!?」

「罠なら少なくとも唯鈴だけは餌にしねぇ」

「存じ上げております!」

「ならそういうことだろ」

 

 続けて、冷静さを失い続けている彼を宥めるように語る。

 

「社会人と学生つっても3つ違いだ。そうそう補導くらうわけでもなし、婚約者とのデートくらいでぎゃあすか言うんじゃねぇ、ガキの初恋でもあるまいし」

「…………」

「……えっ、マジ?」

「恋愛とは縁遠い青春時代を過ごしたもので……」

 

 顔を背けて告げるこの男――秋月緋色は、21歳という異例の若さでもって一流企業である秋月重工の社長となった紛れもない天才でありエリートであるのだが、そこに至るまでの過程に犠牲にし続けたものは決して少なくない。そのひとつが恋愛だ。

 学生時代、その儚さと爽やかさを纏わせた顔面偏差値の暴力を周囲を撒き散らし、多くの女子を泣かせ多くの男子から恨まれた彼であるが、その優れた容姿を人間関係に繋ぐだけの余裕はなかった。

 幼い頃から秋月重工の後継ぎとなるべく勉学と体力作りに勤しみ、学生業の傍ら当時の社長であった父の手伝いをしながら社員たちの仕事ぶりを見学し、とにかく寝ても覚めても勉強に次ぐ勉強の日々。親しい友すらとうとう出来なかった。

 

「見合いという形で出会った方とはいえ、唯鈴さんはとても素敵な女性で、あの若さで凪原財閥を統べる当主としての勉強もしていらっしゃる……。あんなにも素敵で格好いい女性にデートに誘われたら、そりゃあ取り乱しもしますよ!!」

「あ、ああ……お前アレか、好意ないヤツ相手なら全裸の美女だろうが真顔でいられるけど、本気で好きになったら顔真っ赤にして奥手になった挙句ド緊張するタイプか……」

 

 どうしましょう、どうしましょうと狼狽える彼の様子がよほど面白かったのか、蒼麻は思わず小さく笑いを洩らし、その後しばらく脇腹が痛くなるくらいになるまで爆笑し続けた。

 そしておよそ両者が落ち着きを取り戻すにたっぷり20分ほどの時間を経ると……今までの苛立ちがバカバカしくなるくらいに潔く、蒼麻は緋色の背中を強く叩いた。

 

「おら、さっさと仕事片付けろ。デートプランを考える時間が無くなるぞ」

「え……?」

「婚約者っつー形ではあれど、初めての恋人ができたんだろ。ボサっとしてると愛想を尽かされるぞ」

 

 相変わらずポカンとしている緋色に、蒼麻はいつもの人相の悪い笑みを浮かべて。

 

「ただ覚悟しておけ。お前にアドバイスするのはこの俺だ。タチの悪い友達を作ったことは隠し通せねぇぞ」

「――――!」

 

 友達。

 それが蒼麻にとってどれほどの意味を持つのか、この時の緋色にはまだわかっていなかった。

 しかしそれは蒼麻にとっても同じこと。今まで友達を作る余裕もなかった緋色にとって……初めて明確に「友達」であることを明言してくれたのは、幸か不幸か目の前の男だったのである。

 

「お願いします、蒼麻さん!」

「任せとけ、緋色」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『秋月緋色』のデートの裏で

 蒼麻伝てに唯鈴からデートの誘いを受けてから一週間後、緋色はやや緊張の残る面持ちでデートの待ち合わせ場所に臨んだ。

 実のところ、予定よりも遥かに早くに着いてしまった緋色ではあったが、待つ時間も彼にとっては楽しいものだった。

 彼が唯鈴と出会ったあのお見合いの席では、彼女の凛とした雰囲気を強調する銀色の瞳に引き込まれた。それでいて、少女らしい明るさと朗らかな本質を表すのに、彼女のオレンジがかった金髪はよく合っていた。

 そんな彼女が、今日こうして多忙極まる予定を調整し、自分のためだけの時間を作ってくれたということだけで、胸の昂揚が収まりきらない気持ちであった。

 

「おはようございます、緋色さん。待たせてしまったかしら」

「おはようございます。いえ、ちょうど今しがた着いたばかりでしたので」

 

 いつ来るのかとそわつく気持ちを抑えていても、群衆の中に彼女の姿を見た途端、先ほどまでとは意味合いの異なる昂ぶりが胸を弾ませた。

 群衆をするりするりと抜ける身のこなし、人混みに紛れても紛れきらぬ美しさに、思わず緋色は見惚れてしまい、彼女の方から声をかけられるのを待つ形になってしまったことに、少々の不甲斐なさすら感じるほど。

 しかしそれでも、白いブラウスの上から淡い青色のワンピースに身を包む唯鈴を見て、それが自分に見せるための彼女の着飾りなのだと思うと、用意できる言葉などそう多くはない。

 

「……どうかしましたか?」

「あっ、いえ……これまでも何度かお会いしていましたが、今日の唯鈴さんは普段よりもその……年頃の少女らしい装いで、思わず言葉を失っていました。そういえば、以前お会いした時よりも少し髪を短くなさいましたか? 唯鈴さんの愛らしいお顔がよく見えて、とても愛らしいです」

「会って早々、本当によく見てくれているんですね。いつもはパーティや食事会のような、お仕事で会うことが多いですものね。今日は初めてのデートということで、少し気合いを入れてしまったけれど、そんなに褒めていただけると、頑張った甲斐がありました」

 

 努めて平静を装おうとする緋色ではあったが、内心はとっくにキャパシティの限界を迎えかけていた。

 元を辿れば一企業の新社長として凪原家に顔を売る目的の見合いに過ぎなかった。しかし、彼はその見合いで彼女と直に対面し、その美しい佇まいや気品のある仕草、言葉遣いに本気で惹かれてしまった。

 それまで「一目惚れ」などというものは相手の外面だけに惹かれる、言葉を悪くすれば「軽薄で軟派な好意」だと思っていた緋色であったが、あの日あの時、彼はそんな持論を早々に放り投げた。

 そう、緋色にとって唯鈴へ抱いた最初の激情は、まさしく「一目惚れ」のそれだったのである。

 

「ひとまず、映画まではもう少し時間がありますし、まずは街を歩きながら話でもしませんか?」

「そうね。では、リードをお願いしまってもよろしいかしら?」

「お任せください」

 

 そうして、近況や趣味の話などを交わしながら街を歩み、ショッピングを楽しんでいれば、映画の時間は瞬く間に近付き、そして二人が映画館に入っていくのを、陰ながら見守る者がひとり。

 

「……ま、もう大丈夫だろ。仮にも一流企業の新社長と財閥の令嬢。それなりにトラブルもあるだろうと思ってたが……二人のデートプランに口を出したのは正解だったな」

『こちら指令室。周囲に危険魔道具を持った不審人物は確認できません。既に捕獲した者たちも、順に警察に引き渡しています』

「ご苦労。兄貴の方はどうなってる?」

『陸谷リーダーも先ほど任務を終え、本部に向かっています。また、一時間後にはペリオードが来る予定になっています』

「兄貴が張り切ってんのはそのせいか。わかった、すぐに向か――」

 

 二人が入った映画館に背を向けて、足元に転がる不届き者たちの首根っこを引っ掴みながらその場を去ろうとした蒼麻の背後で、凄まじい熱と轟音を伴った爆発。すぐさま向き直ると、そこには黒煙と爆炎を巻き上げる映画館と、夥しい悲鳴が周囲を絶望色に染め上げていた。

 

「い……唯鈴! 緋色! クソッ、おい何が起きてる!」

『こちら11番隊指令室から全職員へ通達。東京都唯城区の映画館「シネマトピア」で爆発が発生。爆発の直前、危険魔道具『フランバイド』と思われる反応を検知。半径1km圏内にいるBOND職員は現場に急行。検問・避難誘導・消火活動・人命救助は警察・消防に任せ、危険魔道具の痕跡および要注意組織の関連がないか調査を行ってください。以下、11番隊へのナビゲーションに切り替えます。海藤さんは今すぐ現場に突入、こちらのナビに従い、消火と避難経路の確保を行いながら館内に残された人の救助に向かってください』

「了解、ナビは頼んだ。一人も見逃すなよ」

『もちろんです』

 

 爆発発生からまだ一分も経過していない。今すぐに飛び込めば助かる命はあるかもしれない。人命救助は時間との勝負。ほんの一秒の躊躇が人を殺す。彼は普段開けているBOND制服のファスナーを締め、すぐさま映画館の中へと駆け出した。

 内部は未だに炎に包まれ、黒煙で視界も悪い。炎は燃焼のために酸素を要するため、時間経過と共に酸素濃度は低下していく。ただでさえ密閉された映画館、しかも館内にはいくつもの部屋に分かれ、それぞれに大漁の人が詰め詰めになっている。

 どの部屋で爆発が起きたかは調査中。少なくともロビーではないことは見てとれた。先ほどの爆発の音を聞いてか、あるいは炎や煙に怯えてか、ロビー内に人影はなく、呼びかけにも返事がない。

 幸いにも蒼麻の得意属性は『水』であり、なおかつ彼自身が以前、教会の火災でシスターを助けた経験があったため、消火活動の手際は悪くない。しかしそれでも、焦る気持ちは誤魔化せない。

 

『劇場内は防音目的のため壁や扉が火から守ってくれているところもあります。爆発発生箇所は……残念ですが生命反応はひとつも確認できていません。ロビー・トイレ内に生命反応なし、おそらく避難を完了したものと思われます。まずは、最も爆発現場に近い劇場に向かってください。避難経路確保のための消火活動と、途中の劇場の扉が開けられそうなら、開けて避難を促してください。上映中の映像・音声はこちらからハッキングしてシャットダウンさせます』

「了解! ただ視界が最悪で東西南北がさっぱりだ、ナビは俺の位置と進行方向を基準に頼む」

『把握しました。ではそのまま右方向へ進んでください。途中、右手に2部屋と左手に3部屋がありますが、どちらも生命反応なし。突き当たりまで進んだ後、右折すれば劇場が並ぶ廊下です。その一番奥、右側の部屋が爆発現場となります』

 

 言われる通り、消火と声かけを続けながら進み続ける蒼麻だが、火の回りがあまりにも早い。

 入り口からこの廊下までの避難経路は確保済みだが、現場の扉が向かい側の扉にぶつかり、その扉の開閉を阻んでいる。

 

「最奥、左側の扉が爆発現場の扉に邪魔されて開けられない状況らしい。客がパニックになっている。あっちを優先するか?」

『声かけを行い、落ち着かせながら開閉を阻んでいる扉を撤去、彼らに避難経路を伝えてすぐに現場の隣の劇場に入ってください』

 

 この非常事態で、どれだけ注意喚起をしても混乱は避けられない。我先に逃げようとする人々が前の人を押し倒し、圧死させてしまう危険性もゼロではない。

 今ここで蒼麻がそうなれば、助かる命が多く損なわれることがわかっている。そのためオペレーターと蒼麻の目的は一致していた。彼らが混乱のまま飛び出す前に、該当の劇場に飛び込み、内部の状況確認と避難する人々の波を逃れる。

 

「開けてくれ! おい誰かいないのか! なぁ開けてくれ!」

「さっきの音と揺れは何!? 外で何が起きてるの!?」

「空調が止まってすごく暑いんだ! 誰か助けてくれ!」

 

 蒼麻が廊下の消火を終え、手前の部屋から安否確認と落ち着きを取り戻すよう声かけをしながら最奥の部屋に近付くと、やはり中ではパニックになっている観客たちが扉の向こうで列挙しているようだった。

 

「BONDだ! すぐに扉を開けるから、出たら入り口まで素早く落ち着いて避難してくれ! 子供連れの親は、必ず子供とはぐれないように注意するんだ!」

 

 彼の呼びかけに、騒ぐ観客たちの声が少しだけ大人しさを取り戻したのを確認すると、蒼麻は足元の扉を持ち上げ、立てかければ何かの拍子にそれが倒れる可能性を考慮して、それを爆発現場の前の床に横たえた。

 もう開くはずだ、と声をかけてから、すぐに本来の目的であった爆発現場の隣の劇場に飛び込むと、廊下を駆け抜けるいくつもの足音が耳に届く。

 

「あっちはもういいだろう。問題はここだ」

 

 向かいの劇場があれだけのパニックになっていたのに、この劇場はパニックどころか扉を開けた先には誰一人いなかった。間違いなく火の手は回っている。このひりひりとした熱さ、息苦しさがその証だ。

 だが生存者がいないはずもない。ナビゲーションを行うオペレーターも、この状況で扉の前に誰もいないという状況に違和感を感じたのか、注意深く劇場内を観察できるよう照明をハッキングし、彼の視界を確保した。

 ここにも黒煙が回っていて、照明だけではどうにもならない場所はあるが、蒼麻が中に入って生存者たちを確認しようとしたその瞬間、彼の心臓は飛び跳ねた。

 

「お前……Dr.コクトー!!」

「おや? 奇遇だね、天星の書」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の解析と分析

「おや? 奇遇だね、天星の書」

「この爆発はお前の……! ……いや、待て。まさか本当に偶然なのか?」

 

 なんの前触れもなく、魔導書の天敵・国戸継悟(こくとけいご)と出会った蒼麻は、彼自身の危険性の高さから咄嗟にこの爆発事件との関連性を疑うものの、こんな状況でこそ冷静さを失わない彼の理性がその短絡的な思考に()()()をかけた。

 国戸継悟が引き起こす事件は数あれど、その目的は「魔導書の強奪」あるいは「改造魔導書の実験」のどちらかに一貫している。今回のように、単純な破壊活動を伴うとすれば後者ではあるが、だとすれば彼の手にその改造魔導書が携えられていないのは不自然だ。

 

「いい観察眼だ。激情に流されることなく、冷静に状況を受け止めて適切な判断ができている。さて――質問にはひとまずYesと答えようか。今回ばかりは私も巻き込まれた側だ。たまにはエクスピアーティオの提案に乗ってみようかと思ったが……やれやれ、仕置きの手間を増やされたよ」

「お前の都合なんぞ知ったこっちゃないが……そのエクスピアーティオってのは?」

「私をここに連れてきたはいいが、互いに好む作品のジャンルが異なっていてね。今頃は隣のシアターで喚いている頃だろうね」

 

 隣のシアター、というのがどちらのことかは、敢えて問う必要はなかった。

 

「隣のシアターに生命反応はない。爆発の規模が大きかったのもそうだが、ドアも爆発で吹き飛んでいるのに誰かが出てくる影もない。おそらくはエクスピアーティオも――」

「残念だがそれはないよ、天星の書。彼女は確かに愚鈍で浅慮だけどね、仮にもこの私と魂を分けた分身には違いない。彼女の身にもしものことがあれば、私の魔力回路に何かしらの異常が発生するはずだ」

「だったら、なんで生命反応が……まさか!」

「今回は一時休戦ということにしよう。ここの観客は私が避難誘導を引き受ける。エクスピアーティオも後で引き取りに行こう。だから君は君の職務を全うしたまえ」

 

 舌打ちはいったい誰に向けたものか。蒼麻はすぐさまその場を離れ、隣のシアターへと飛び込む。

 スプリンクラーの水が気休めにもならないほど燃え盛る劇場内に焦げ臭さが立ち込めるが、彼はその匂いに含まれた違和感にすぐ気づく。

 

(人の肉が焼ける匂いじゃない……!)

 

 蒼麻はすぐさま探知魔法である『サーチミスト』の湿度を調整し、場内で人工的な雨雲を発生させて素早く鎮火すると、注意深く周りを観察する。

 観客は全て、各々の席からほとんど動いていない。爆発後、炎から逃げようとして間に合わなかったというよりも、爆発によって即死したと考えるべきだろう。

 しかし、だとすれば爆発はどこで発生したのだろうか。火災や爆発が起きた以上、どこかしらに火元となったもの、あるいはその痕跡が残っているはずなのに、ここに残る焼死体やシアターの絨毯・壁のどこを見ても、まるで「満遍なく熱が行き届いた」ように同じ熱量で焼かれている。

 オペレーターによれば、原因と思しき危険魔道具は『フランバイド』とのことだったが、そもそもそれもおかしい。フランバイドはいわゆる「火薬を使わないダイナマイト」をコンセプトに開発された魔道具だが、その手軽さと威力・規模が原因で危険魔道具指定されるに至った。

 そんなフランバイドを用いて、いくらだだっ広いシアターといっても、部屋ひとつしか爆破できないなどということがあるだろうか? 答えは『断じて否』と言わざるをえない。本当にフランバイドを使っていたなら、シアターどころかこのシネマ全体が粉々に吹っ飛んでいるはずだ。

 

「指令室、応答しろ」

『こちら指令室。何かトラブルでも?』

「現場に遺された焼死体を全てスキャンして検死結果をこっちに送ってくれ。大至急だ」

『かしこまりました。一分ほどお待ちください』

 

 蒼麻はこの時すでに、状況から見た今回の爆発事件の顛末を予測し始めていた。彼のこうした予測は、基本的に無数の可能性を全てシミュレートしていき、事実を照合して分母を減らしていく消去法だ。

 少なくとも、彼の中でいくつかの事実はその信用性を失っている状態だけに、シミュレートは難航した。今回の事件がフランバイドを用いた爆発事件であったなら、既にいくつかの候補は減っていたが、それが虚構であれば手口の候補が多すぎる。まして、この程度の規模の爆発なら、危険魔道具を使う必要もないというのが特に。

 

『検死結果が出ました。同様のデータをそちらの端末に送信します』

「……確認した。念のため、このデータを兄貴とリーナにも送ったのち、二人をこっちに向かわせてくれ。加えて、オペレーターを一人だけ俺のナビゲート専用に確保できるか?」

『どちらも了解。陸谷リーダーとステニウスさんにこのデータ送信し、応援に向かうよう連絡しました。また、現時刻より海藤さんが帰還するまでの間、桜坂オペレーターを海藤さんの専用ナビゲーターとして指名し、その間の会話を全て記録します』

『通信を替わりました。只今より海藤隊員専属ナビゲーターに指名されました桜坂春歌です。よろしくお願いします』

「ああ、よろしく頼む。気負わせるようで悪いが、一秒たりとも俺から目を離さないでくれ」

 

 蒼麻がそう言うと、春歌は「了解しました」と短く返した。

 先ほど蒼麻が要請し、送られてきたこの劇場内の焼死体は、彼の予想通りやはりダミー死体であった。全ての死体の骨格情報が、男女それぞれ同じパターンで全て一致していたのである。

 つまり、ここに遺された死体はどこかの男女のクローンを焼いたものであり、ここで燃え尽きた観客ではない。客席から逃げようとした様子がないのも、全ての死体が同じ熱量で焼かれているのも、それが原因であろう。

 

「ここの死体が全てクローンを利用したダミー死体だとするなら、これは爆発による火事・殺人を狙った事件じゃなく、誘拐とみて間違いないだろう。いくつか死体の荷物を調べてみたが、中身は被害者が持っていたものをそのまま置いていっているらしいな」

『警察にもこの旨を連絡しておきますか?』

「ああ。被害者家族には遺体が本物でないことと誘拐事件の可能性が高いことを説明した上で、家族およびメディア、他にも被害者が親しくしている者には緘口令を布かせろ」

『わかりました』

 

 指示と同時にオルキヌスオルカを起動し、今度は消火のためでなく本来の役目としての『サーチミスト』を散布する蒼麻だが、彼の期待した結果は得られなかった。だが、それはそれで想定していた可能性のいくつかが、その根拠ごと「違う(ノー)」とわかる。

 

(見えない何かがいるわけじゃない、か……。そりゃそうか。たとえ姿が見えなかったとしても、これだけの人数を全て運び出そうってのは現実的じゃない。一番低い可能性だったが、まぁ可能性がゼロとも言えないし、早々に潰せてよかった)

 

 一番低い可能性を潰すというのは、進歩はないがスタート地点を盤石なものにするには必要な工程だ。

 今のところ、蒼麻にはこれだけでなく「低い可能性」はいくつもあるが、サーチミストの散布によって他にもいくつかの可能性が潰れた。

 

(死体がみんな満遍なくこんがり焼けてる理由はわかった。爆発を起こしたのも、このダミー死体を利用するためだろう。だが、目的はともかく爆発の原因はなんだ? 被害規模からしてフランバイドじゃないのは間違いない。だが少なくとも設置型の爆弾でもない)

 

 今の蒼麻が気にしているのは、爆発がどこで起きたのか、という点だ。

 爆発自体は間違いなく発生した。それは蒼麻自身がその目で確認している。しかしフランバイドを利用したというのは間違いだろう。だとすると、何がBONDのスキャンシステムを欺いたのか。

 この劇場をくまなく確認したが、床は炎によってところどころ焦げてはいるものの、燃え方に極端な偏りはなく、爆心地となる部分がわかりづらい。少なくとも、床に設置するタイプの爆弾を使用した形跡はない。

 

「なら、やっぱりおかしいのはこいつか」

『何かわかりました?』

「オルキヌスオルカを通じて、俺の周囲をモニタリングしておいてくれ。もしかすると、俺も『連れていかれる』かもしれない」

『……了解です』

 

 そう言って、蒼麻はスクリーンへと近付いていく。

 この劇場で、蒼麻が最も警戒していたもの。それがこのスクリーン。

 周到に用意された焼死体のダミー。火元のわからない均一な焼け跡の床。壁も、天井も、カーテンも客席もすべて焼け焦げているにも関わらず、このスクリーンだけは違った。端から端まで、どこを見ても焦げ跡ひとつないそれは、間違いないこの劇場で最も異様な存在であった。

 

「『アナライズジェル』」

 

 蒼麻の手から溢れるように出たゲル状のそれは、瞬く間にスクリーン全体を覆い尽くしていく。

 アナライズジェルは自分が覆った対象の質量や性質を精密に解析する「物質検査キット」とも称すべきもので、術者となる蒼麻自身の知識・観察力と併せることで『未知』に対して非常に有効な手札のひとつだ。

 

「……サイズに対して質量があまりにも小さい。なるほど、魔法的な解析を割けるために高度な隠匿魔法をかけているな」

 

 スクリーンを覆ったゲルを魔力として周囲に霧散させると、スクリーンに施された隠匿魔法を『天星の書』に記録された無数の魔法の中から特定。その術式の逆算を開始した。

 魔法戦争が盛んだった先史文明期と違い、魔導書の脅威に鈍感な現代において、魔法はあくまで日常を助ける便利なテクノロジーのひとつにすぎない。無論、そのテクノロジーによって生命を害すことも可能ではあるが、だからこそ魔法から身を守る術もまた魔法なのである。

 そんな時代で、蒼麻――ソーマ・グレンヴィルが独自に編み出した『マイナスの構築式』は、魔法という技術そのものの否定に等しい。故に、現代ではほとんど彼自ら使用を禁じてはいるのだが、今回は状況が状況だけにそれを解禁した。

 

「分解完了。さて、鬼が出るか蛇が出るか、だな……!」

 

 スクリーンが蒼麻を呑み込む。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『海藤蒼麻』の訪れた世界

 眩い光に閉ざした瞼を開けてみれば、そこにあったのは見慣れない街並み。

 近代的な建物や広告用の電子パネル。ファッションも現代日本と思えば違和感はないし、飲食店には見慣れた料理の食品サンプルが美しく磨かれたショーケースの中に入っている。

 間違いなくここは日本だ。だが、何かがおかしい。それは目に見える明確な何かではなく、もっと根本的で目には見えない――そう、なんらかのマテリアルの不足。

 そうして、蒼麻はようやく気付く。なんとなく、本当になんとなくではあるが……息苦しさを感じる。呼吸に乱れが生まれるほどではない。首を絞められるような感覚もない。ただ、普段よりも少し高い山の上にいるような、そんな息苦しさを感じていた。

 

「天星」

『既に確認した。どうやら、この世界は我々が元いた世界とは根本的に異なる別世界であるようだ』

「別世界? お前にしては突拍子のない予測だな。何を根拠に?」

『お前も感じているはずだ。ここに訪れてから感じている、悪意のない息苦しさを。どうやらこの世界の大気には魔力がほとんど含まれていないらしい。我々魔導書にとっては、少々過ごしにくい環境だな』

 

 なるほど、と蒼麻は静かに納得した。先ほどから感じていたこの息苦しさが大気中の魔力濃度が低いことに由来するというのなら、彼の考える「根本的なマテリアルの不足」という予測からもそう遠く離れているわけではない。

 しかし、だとすると事態はあまり悠長には構えていられない。別世界に飛ばされたということは、時空そのものがまったく異なるポイントへと転移している可能性も低くはない。

 もしも行方不明者とはまったく別の時間軸に到着してしまったとなれば、早々に元の世界に戻って再突入し、同じ時間軸に到着するまで行き来を繰り返す必要があるからだ。

 

「とにかく、まずは聞き込みから――」

「そこの少年。少し聞きたいことがあるんだが、今ちょっと時間いいか?」

 

 なんにせよ動かないことにはなんの情報も得られないと思い、ひとまず聞き込みから開始しようとする蒼麻に対して、穏やかな雰囲気を纏った青年の声が掛けられた。

 反射的に振り向いた直後、蒼麻は思わず仰天した。理由は二つ。そこに立っていたのが、失踪した秋月緋色にそっくりな顔をしていたこと。そしてもうひとつは……。

 

(この俺が、声を掛けられるまで気配に気付けなかった……!?)

 

 その温和な表情の青年は、元の世界とはまったく異なる場所に訪れて警戒心を増しているはずの蒼麻に対し、いとも容易く背後をとって声をかけてきたのだ。

 当然、蒼麻の警戒心は跳ね上がる。しかし、相手を観察すればするほどに、蒼麻の困惑は増していく。目の前の青年の存在が、あまりにも「矛盾」に満ちていたからだ。

 

 その青年の纏う雰囲気は、間違いなく平和なこの町の雰囲気に似合った穏やかで和やかなものだ。表情も、警戒心を露わにする蒼麻に対してやや困惑している様子を見せているものの、苦く笑うその表情に演技じみた強張りは見られない。

 しかしそんな「平和」「温和」を体現したような雰囲気や表情に反して、彼の気配は極めて希薄だ。無いに等しいと言っても過言ではないだろう。この希薄すぎる気配が、蒼麻の背後を気取らせなかった一因ではあるだろう。

 だがそれ以上に蒼麻が警戒したのは彼の重心が身体の中心ではなく、ほんの数センチ後ろに下がった足にあったことだ。いざという時、咄嗟に飛び退くための重心だと蒼麻はそれを見破った。つまり――彼は少なくとも「戦闘(いざというとき)」を考慮してこの場にいるということ。

 明らかに一般人ではない。戦闘経験もあるだろう。だがこの穏やかさはなんだ? この敵意のなさはなんだ? そんな疑問が蒼麻の明晰な頭脳に困惑と混乱を与えていた。

 

「……お前は?」

「あっと、すまない。いきなり声をかけて驚かせたかな。俺の名前は桐梨希繋(きりなしきづな)。この街で個人経営のバイク便をしてる者なんだけど、君のその両手についてるものが気になってね。それは――『ユナイトギア』かな?」

「ユナイトギア……? いや、別物だが……何か証明があった方がいいか?」

「そうだな。ユナイトギアは国や組織で所有数が決められている武装兵器の一種だから、許可のある組織に所属していない個人が占有しているのは犯罪なんだ。だから君のような少年(こども)がそれを持っていれば、大人として止めないといけない」

 

 そこでようやく、蒼麻は彼の纏う矛盾に満ちた雰囲気の正体に気付いた。

 敵意を感じない表情や雰囲気の正体は、蒼麻を信じたいという「善意」によるもの。そして戦闘も考慮した気配の消し方は、蒼麻が抵抗した場合の「大人としての責任」から来るもの。

 つまり――それほどに彼の言う「ユナイトギア」という兵器と、蒼麻が纏うネクスマギナは似た存在であり……個人が所有を禁じられるほどの力を持っているのだろう。

 

(それだけ強大な武器を持ってるかもしれない相手に、犯罪者かもしれない可能性を考慮してでも、子供(オレ)を犯罪から遠ざけるために声をかけてきたのか、こいつ……)

 

 善人だ。紛れもなく、呆れるほどに、蒼麻が嫌って仕方のないような、とんでもない善人だ。嫌って、嫌って、嫌って……それでも嫌いきれないような、善人だ。

 蒼麻は――いや、ソーマ・グレンヴィルは古代魔導書のひとつだ。人間の美しさも醜さも3200年という時の中で見守ってきたし、だからこそ「善」を信じて裏切られるよりも「悪」に馴染んで善を感じやすくなろうと、やや露悪的な性格になってしまった。

 だがそれは同時に、彼が「善人アレルギー」と揶揄されるほどの「軽率な善意」を嫌う経緯であり――どうしても嫌いになりきれない「本質的な善意」を引き寄せる原因にもなった。

 目の前の彼が()()()なのか、敢えて考える必要もない。

 

「……オルキヌスオルカ」

『Bubble Splash』

 

 蒼麻はオルキヌスオルカを装着した両手を手皿のように構えると、その手からバスケットボール大の大きなシャボン玉を発生させた。これまで消火活動のために使用してきた幻影魔法「バブルスプラッシュ」の水泡を単体化させたものだ。

 

「…………」

「こんなこと、普通の兵器じゃできないだろ? 信じてくれたか?」

「……いや。悪いが「それ」がユナイトギアだという疑いは増したよ。いくつか否定要素もあるけど、()()()()()ができるのはユナイトギアくらいしかない」

「マジで……?」

 

 ここでようやく、蒼麻は彼の言う「ユナイトギア」がどんなものなのか、うっすらと理解し始めた。おそらく「ユナイトギア」もまた、蒼麻の世界における「ネクスマギナ」と同様に「時代に不相応な高度な先進技術による産物」なのだろう。

 これが後世に残れば「パラダイムシフト」となり、残らなければ「オーパーツ」と化す技術的産物。それが「兵器」の側面を持つ装備品となっているのであれば、この両者はおそらく――。

 

「概念的並行同位体か……」

「え?」

「……仕方ない。突拍子もない話だが、俺の素性とここに至るまでの経緯を説明する必要があるみたいだな」

 

 

 

 

 一時間後、蒼麻は彼に街を案内してもらうという体で、できるだけ周囲に話を聞かれないよう歩きながら今に至るまでの経緯を話した。

 自分がこことは異なる世界から訪れたこと。元の世界で発生した事件と、その被害者たちがクローンによる死体の隠蔽を行いながら行方不明になったこと。そしてその行方を追った結果、ここに辿り着いたこと。

 そして――魔法とBONDとネクスマギナのことも。

 

「魔法……。科学技術の近代化が行われてなお、そんなものが現存する世界があるとは……」

「こちらの世界は魔法が発達しなかった分、人類の根本的な身体能力が向上しているみたいだな。まさか機械や魔法の補助もなく音速で移動する人間がいるとは思わなかった。こちらの世界の人類もそれだけ強ければ、魔導書を怖れることもなかったのかもしれないな」

「魔導書……確か人工的に造られた人工知能を持つ記録媒体だったか。年下の少年だと思っていたから、まさか3200歳の大先輩とは思わなかったよ。さっきはすまなかった」

「構わねーよ。肉体年齢は紛れもなく18歳だしな」

「いや、18歳なら大人だろ? 成人してるんだし」

「ん? いや、成人は1876年からずっと20歳だろ……?」

「……もしかして2022年の法改正が無かったのか?」

「なるほど、こういうところでも細かい違いが生まれてんのか……」

 

 この世界でも記年法は『西暦』で間違いないものの、蒼麻の居た世界は西暦2275年であるのに対し、この世界は現在2195年。もし蒼麻が最初に危惧した通り、誘拐された被害者たちが2275年のこの世界に巻き込まれたなら――手段は2つある。

 ひとつは元の世界に戻る方法を探し、2275年のこの世界に当たるまで突入と撤退を繰り返すこと。もうひとつは、2275年までのあと80年をこの世界で過ごし、来たるべきタイミングを待ち受けること。

 しかしこれらの手段にはひとつ、明確な論理的破綻となる部分がある。それは「被害者たちが2275年のこの世界にいる」という可能性を決め打ちしてしまっていることだ。

 

「誘拐に遭った人たちが現代のこの世界にいるのか、それとも2275年のこの世界にいるのか。せめてそれだけでも判断しなければ、蒼麻としても動くことができない……ってことか」

「ああ。しかも犯人の目的がわからない以上、もしこの時代のこの世界にいるなら事態は急を要する。あまり悠長にはしていられない」

「なるほど。……よし! なら捜索は俺に――この時代のこの世界に任せてくれ!」

「何か考えでもあるのか?」

 

 やたらと自信ありげに胸を叩く彼の笑みに、蒼麻はその自信の根拠を尋ねる。

 

「そっちの世界にBONDがあるように、こっちの世界にはJOINTっていう心強い組織(チーム)がいるんだ。あんまり大声じゃ言えないが、身内がそこで働いてるから、相談してみるよ」

「意外とコネ使うのに躊躇ないなお前」

「いいんだよ。人の命には代えられないだろ」

 

 希望は、繋がっていく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。