前世で見れなかった物語の続きを (マジンガーD)
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転生

俺ガイルの最新刊の発売日に道路に飛び出してしまった犬を助けようとして、車にはねられて死んでしまった。

 

そして・・・・・、

 

俺は、神様だと言い張る子供の前に居る。

 

 

「やり残した事は無いかな?1つだけ願いを叶えてあげるよ」

 

どういう理由か願いを叶えてあげると言う神様に、

 

「それじゃあ、俺ガイルの続きが知りたいんですけど」

 

パッと頭に思い浮かんだ事を口に出す。

 

「そんな事でいいの?君は欲が無いんだね」

 

アホな子を見る様な目をして、神様は言う。

 

「死んだ日が最新刊の発売日だったんで、それで」

 

「了解。それじゃあ、その物語の中に記憶を持ったまま転生させてあげるよ」

 

急にぶっ飛んだ事を言い始める神様。

 

「えっ、続きを教えてもらうだけでいいんですが?」

 

「嫌だよ、面倒臭いもん」

 

俺は負けじと、

 

「それじゃあ最新刊を下さい。自分で読むんで!」

 

「もう手続きしちゃったから、自分の目で物語の続きを見てくるといいよ」

 

「そんなぁー」

 

情けない声を出してしまう。

 

そんな俺に神様は、

 

「それじゃあ、第2の人生を楽しんでねー」

 

『ちょっと待って!』と口を動かそうとした瞬間、夢から覚める感覚で視界が開けてくる。

 

『知らない天井だ』と口を動かそうとするのだが、

 

「あうあうあう」

 

うまく発音する事が出来ない。

 

次に横になっている体を起こそうとしたが、体もうまく動かせなかった。

そうやって必死に自分の体と格闘していると、

 

「あら、起きちゃったの?」

 

女性の声が聞こえ、視界の中に20代前半くらいの綺麗な女性が入ってきた。

 

「ろく君、おっぱいの時間かな?」

 

その女性に軽々と抱っこされ、それから10分少々、辱しめを受ける事となった。

 

やっとの思いで解放されて、ある事に気づく。

 

『赤ちゃんからスタートするの?』

 

うまく発音出来ない口で、思った疑問を口に出す。

 

『あの神様なんなんだよー。全然、仕事できないじゃん!』

 

物語の続きを知りたいという願いに、赤ちゃんから転生させられてしまうという現実で、ここには居ない神様に悪態をついてしまう。

 

それをきっかけに、物語の続きが始まるまで何年かかるのかとか、色々な不安が押し寄せてきた。

 

それから数十分経過したのだが、

 

俺はまだ神様への悪口を止めることが出来ないでいた。

 

するとそこに、

 

「んー、今度はオムツかな?」

 

先ほど聞いた女性の声が聞こえ、また視界の中へと入ってくる。

 

俺に向かってニッコリ微笑むと、女性の手が俺の下半身に伸びていき、

 

『ちょ、ちょっと、待ってー!』

 

理解出来る筈がない俺の言葉は無視をされ、女性に辱しめられる作業を進んでいく。

 

その最中、頭の中には「ざまぁ」と言う、神様の声が聞こえてきた様な気がした。

 

 

俺は、こうして俺ガイルの世界に転生してしまったのだ。




初めて書きました。
よろしくお願いします。


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最初の出会い

2話目です。
主人公の名前は、(クロダ ロク)と読みます。



黒田 録へと転生してから、5年の月日が流れた。

 

「ろく君、お祖父ちゃんと道場に行く時間よ」

 

「・・・」

 

「どうしたの?」

 

「ママ、お腹いたい。道場いかない」

 

俺はベッドの中で丸まり、叶わない願いを口に出す。

 

と、そこへ

 

「コラァ、録!なんばしよっとか、道場に行くとよ!!」

 

怒鳴りながら祖父が入ってくる。

 

「お義父さん、ろく君はお腹が痛いと言ってますから」

 

「栄子さん。儂は、そがん柔か鍛え方はしとらんとよ。竹刀を振り回しよったら治るったい!」

 

無茶苦茶な事を言っている祖父に無理矢理ベッドの中から引き摺り出された俺は、そのまま道場へと、ドナドナされてしまうのであった。

 

この様な日々が始まってしまうきっかけになったのは、俺がもう少しで3歳の誕生日を迎えようとする頃だった。

警察官の祖父に連れられて行った剣道場で、見よう見まねで竹刀を振り回していたら、

 

「さすが儂の孫たい。センスの塊とよ」

 

そうやって、祖父との地獄の日々が始まってしまったのである。

 

 

転生からの5年間は祖父の事を抜きにしても絶望的な毎日だった。

赤ん坊からの転生に落胆していた俺に追い討ちをかけたのは転生した場所だった。

 

祖父の方言でお解りと思うのだが、ここは千葉のチの字も無い場所・・・・・。

 

九州の福岡県だった。

 

ここが福岡だと最初に知ったときは、

 

『神様のバカヤロー』

 

俺は空に向かって叫ばずには、いられなかった。

 

果たして神様は物語の続きを見せる気があるのか、この世界が本当に【俺ガイル】の世界なのか、と色々な疑念が頭の中を支配していった。

 

それから、自分の体が自由に動かせる様になると母親の目を盗んでは、この世界が本当に【俺ガイル】の世界なのかを物語の知識を使いながら調べた。

 

千葉にある夢の国、そこにいるキャラクター、千葉の県議会議員、そして物語の舞台になる高校が現実にあるということで、

結果、この世界は間違いなく【俺ガイル】の世界なのだと確信する事ができた。

 

後は千葉に行くためにはどうしたらいいのか、という難題が残ったのだが、それから2年後に解決する事になる。

 

 

~2年後~

 

あれから2年という月日が流れ、日々の成長を自分の体で感じていると、

 

「録。 大切なお話があるから、ちょっといいかな?」

 

少し申し訳ない顔をした父親が話しかけてきた。

 

「もう少しで2年生にあがるけど、友達は沢山出来たかい?」

 

「うん、 友達たくさんだよ」

 

前世より少しだけ上がったコミュニケーション能力で、友達が出来た事を自慢気に話す。

 

「そうか、良かったな」

 

俺の頭を撫でながら、先ほどよりも一層申し訳なさそうにした。

 

「録、大切な話があるんだ」

 

父親は真剣な顔をして話し出す。

 

「パパの仕事の関係で、この街から引っ越ししなくちゃいけないんだ。だから、友達ともお別「パパ!!どこに引っ越しするの!?」れしないと・・・えっ?」

 

言葉が続かず固まる父親に同じ質問を繰り返す。

 

「パパ、どこにお引っ越しするの?」

 

再起動した父親は、戸惑いながら答えてくれる。

 

「えっ、えーと、千葉県の〇〇市っていう「行く、行かせて下さいお願いします!!」所なんだけど・・・えっ?」

 

フリーズしてしまった父親の肩を揺すりながら、同じ事を繰り返す。

 

「パパ、千葉行く!連れてって!!」

 

「ど、どうして、そんなに千葉に行きたいんだい?」

 

父親は急にテンションがあがる息子に戸惑いながらも、行きたい理由を尋ねてくる。

 

「えっと、えっとね。毎日、ディスティニーランドに行けると思って♪えへへっ。」

 

とっさに子供らしい言い訳を口に出した。

 

「そっか、録はディスティニーランドが好きだったんだな。毎日はさすがに無理だけど、向こうで落ち着いたらママと3人で行こう」

 

「うん、約束だよー」

 

とっさに出てしまった言い訳だったんだけど、父親とした約束は、俺の心を優しい気持ちにしてくれた。

 

「本当にごめんな、友達や親父達と離れて寂しくなってしまうけど」

 

「パパ、大丈夫だよ。仕事じゃ仕方ないよ」

 

「ふふっ、録は大人だな」

 

「そうだよ。だから、向こうで友達たくさん作るから、心配しなくても大丈夫だよ」

 

「そっか。ありがとな」

 

そう言った父親は、優しい顔で俺の頭をそっと撫でた。

 

 

それからは、春休みになる前に学校の友達にお別れをしたり、千葉に行く前にたっぷりシゴいてやると言う祖父に道場に引っ張られて行ったりと、慌ただしく毎日を過ごした。

 

 

そして、・・・・・とうとう千葉へとやって来た。

 

福岡を出た時から秒速であがる胸の高鳴りは、これから暮らしていくマンションに着き、引っ越しの後片付けが終わってからも収まる事は無かった。

 

ベランダから広がる街並みを眺める。

この街の何処かに彼らは居るのだろう。

そう考えると、自分まで物語の登場人物だと勘違いしてしまいそうになる。

 

「ろく君、お隣の方にご挨拶にいくわよ」

 

母親の言葉に夢から覚めた気持ちにされて、現実に帰ってくる。

 

 

〈ピンポーン〉

 

お隣さんのチャイムを鳴らす。

 

「はーい」

 

ドアの向こうから女性の声が聞こえてくる。

 

〈ガチャ〉

 

出てきたのは20代半ばくらいの優れた容姿の女性と、女性の影に隠れて顔が見えないが小学生に上がるか上がらないか位の小さな女の子だった。

 

「こんばんは。隣に引っ越ししてきました、黒田です。これから、宜しくお願いします。」

「「宜しくお願いします。」」

 

両親と一緒に挨拶をする。

 

「ご丁寧にありがとうございます。一色と言います。こちらこそ、宜しくお願いしますね。」

 

その名字を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。

 

「息子さんはおいくつですか?」

 

「黒田 録、7歳です。宜しくお願いします」

 

一色さんが両親にした質問を俺が答える。

 

「お利口さんね。それじゃあ、うちの娘とは1つ違いになるわね。ほら、いろはちゃんもご挨拶」

 

一色さんの影に隠れていた女の子は、こちらに少し顔を出した。

 

俺は先ほどまで出来ていた息が、当たり前に出来なくなる感覚に陥る。

 

その子の顔を見た瞬間、間違いなくこの女の子は、物語の中のヒロインの1人なんだと確信した。

 

 

 

「いっちきいろはです。6さいです。よろちくおねがいちます。」

 

 




祖父の博多弁が無茶苦茶ですいません。


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繋ぐ距離

物語の中での【一色いろは】といったら、あざと可愛くて、男子を手玉にとってしまう小悪魔女子。

現実にいたら男子からの人気は高く、女子からのウケは期待できないであろう印象だった。

実際、物語の中でも生徒会長選の時に女子から嫌がらせを受けている。

 

しかし、お隣に住んでいる小学1年生の【一色いろは】には、可愛い以外は1つも当てはまる所はない。

無口な恥ずかしがり屋さんで、人見知り。

万人が守ってあげたくなるような女の子だ。

 

こんな真っ白な女の子が、あの小悪魔女子になってしまうと考えるとロリコンの気持ちが、少し解ってしまう気がする。

 

・・・。

 

・・・。

 

俺、ロリコンじゃないからね!

 

大事な事なので、もう一度言います。

 

俺、ロリコンじゃないからね!!

 

 

そんなこんなで春休みも終わり、俺の転校初日やいろはちゃんの入学式などもつつがなく終わていった。

転校してからの1週間は、他にも俺ガイルメンバーが学校内に居るかもしれないと探し回ったりしていたのだが、結局誰も見つけることは出来なかった。

 

 

それから2ヶ月、クラスにも馴染め充実した学校生活を送っていた俺は、ある問題に直面していた。

 

それは、いろはちゃんの人見知り具合が度を越しているという事だ。

 

基本は2人で登校しているのだが、学校まで10分弱のこの空間に言葉のキャッチボールという物は、存在していない。

 

《俺がいろはちゃんに話しかる》

《彼女は俯いて反応してくれない》

《俺は1人でワチャワチャして、その話題を完結させる》

《俺は違う話題をみつける》

 

これの繰り返しである。

傍から見たら、モテない男子が脈の無い女子に猛アタックを仕掛けている様に見えているに違いない。

 

嫌われているのかもと不安になった次の日、彼女の俺に対する好感度を手繋ぎ実験で確かめて見る事にした。

手を繋いでくれたら嫌われてはいないだろうとか、嫌々手を握ってくれても涙は流さないよう耐えようとか、ベッドの中で夜遅くまで悩まされる事になった。

 

翌朝、いろはちゃんが来るのをマンションの前で待っていると彼女は出てきた。

 

「おはよう、いろはちゃん」

 

「・・・おはよぅ」

 

「それじゃあ、行こっか」

 

俺は手を繋ごうと左手を差し出す。

 

(ギュッ)

 

「えっ」

 

俺が差し出した左手を彼女の右手が何の躊躇いもなく握った事で驚いて声を出してしまう。

 

「あうっ」

 

驚いてしまった事で、彼女は顔をみるみる赤くして握ってる手を離そうとしてくるが、力を少し強め、離れてしまわないように精一杯耐える。

 

「「はぁ、はぁ、はぁ」」

 

一時の攻防ののち彼女の体力が無くなってしまった事で、この戦いに終止符が打たれた。

 

「ほら、学校に行こう。」

 

俺が声をかけると、彼女はいつもの様に顔を俯かせてしまう。

 

「手を繋ぐのは、嫌かな?」

 

「・・・・・。」

 

俯いたまま何も言わない彼女に申し訳ない気持ちになり、手を離そうと握る力を弱める。

 

(ギュッ)

 

離そうとした俺の手は、彼女の手により離れる事を拒まれた。

 

「・・・いやじゃない」

 

「えっ!?」

 

「・・・てをつなぐの、いやじゃない。」

 

そう言って彼女は歩きだそうとするが、まさかの不意打ちに動く事が出来なくなった俺は、彼女の歩みを止めさせる。

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「・・・がっこう、いかないの?」

 

その一言で現実に戻ってくる。

 

「う、うん、そうだね。学校に行こう」

 

そう言って歩き出す2人、学校まで10分弱のこの空間にいつも通り言葉のキャッチボールは無いのだけれど、彼女と繋がる左の掌の温もりは、俺の心を満たしてくれた。

 

 

~翌朝~

 

「おはよう、いろはちゃん」

 

「おはよぅ」

 

いつもの様に待っていると彼女がマンションから出てきた。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

歩き出した俺はその場から動こうとしない彼女に気づき歩くのを止める。

 

「いろはちゃん、どうしたの?」

 

「・・・んっ、」

 

俯いていた彼女は顔をあげて右手を差し出してくる。

 

「・・・て、つなぐ」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・。はっ!もしかして、今の行動って口説こうとしてましたか、ごめんなさい。かなりときめきかけましたが、冷静になるとやっぱり法律的に無理です。」

 

いろはちゃんの不意の一発に朝からKO寸前まで追いつめられてしまうが、未来の彼女の言葉を借りて冷静になる。

 

「あぅ・・・、だめ?」

 

「いやいや、さっきのは違うからね。いろはちゃんがカワイイ事するからパニックになっちゃったんだ。」

 

俺は誤魔化しながら、彼女の手を握った。

 

(ギュッ)

 

「ほら、遅刻しちゃうよ」

 

「・・・もぉ。」

 

そう言って彼女は頬を膨らます。

 

その顔を見て俺は、

 

やっぱり彼女は【一色いろは】なんだと嬉しくなった。

 



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くまだもん

今回のサブタイトルは意味がわからないと思いますが、読んでいただけたら解ります。



秋の気配がする10月半ば、最近の俺は子供の教育方針の事で毎日、頭を悩ませていた。

もちろん子供というのは、いろはちゃんの事である。

何を悩んでいるのかというと彼女のコミュニケーション能力に関してだ。

俺との関係については良くなっているというか、良くなり過ぎているのだが、他の子達との関係は決して良いとは言えない。

 

このままの状態で高校生になってしまうと、この物語は“ボッチのボッチによるボッチのための高校生活”と、比企谷君といろはちゃんの2大ボッチによるボッチ主義の基礎を作るためのボッチ物語になってしまう。

 

それに物語の続きを見るという俺のルーツがこのままでは達成出来なくなってしまうのだ。

 

ただ『最近のお前は目的の事忘れていただろう!』と言われると、それを否定する事はできない。

だって、いろはちゃんがカワイイんだもん!

 

おい、そこー!ロリコンじゃないからね!!

 

 

そうやって、彼女の事で頭を悩ませる日々を過ごしていると、ある事件が起きてしまう。

 

その日は日曜日で、俺は日課になったトレーニングと素振りをするためにマンションの前で準備運動をしていた。

 

「おにいちゃん、おはよぅ」

 

「おはよう、いろはちゃん」

 

熊のぬいぐるみを抱いたいろはちゃんが、マンションから出てきた。

 

彼女が抱いている熊のぬいぐるみは、夏休みに帰省した際に彼女へのお土産として俺が買ってきた物だ。

この熊のキャラクターは福岡県の隣の県のゆるキャラで、名前を“くまだもん”いう人気のキャラクターだ。

 

「きょうも、おにいちゃんのすぶり、みてていぃ?」

 

「良いけど、見ててもつまんないでしょ?」

 

「つまんなくないよ、おにいちゃんといっしょにいれるから♪」

 

(ズキューン)

 

「なんですか口説いてるんですか、ごめんなさい。ボクシングなら失神KOなんですが、落ちたら法律的に負けなんで、無理です。」

 

「もぉ!また、へんてこなこといってるぅー」

 

「ごめん、ごめん。素振りはトレーニングをした後にするから家の中で待ってて、迎えにいくから。」

 

「うん、わかった」

 

彼女と別れ、トレーニングを開始した。

 

 

~2時間後~

 

マンションに戻り、家の中から竹刀を持ち出して、いろはちゃんの家のドアの前までやって来た。

 

〈ピンポーン〉

 

チャイムを鳴らすと、いろはママがドアを開けてくれた。

 

「おはようございます、いろはちゃんを迎えに来ました。」

 

「おはよう、録くん。いろはちゃんは、待ちきれなくって20分ぐらい前に公園に出かけちゃったのよ。」

 

「わかりました、急いで行ってみます。」

 

「録くん、いろはちゃんの事よろしくね。」

 

「はい、任せて下さい」

 

そう言って、マンション近くの公園までの道程を駆けて行く。

 

 

「うぇーーーん!」

 

公園の入り口付近まで来ていた俺の耳に、女の子の泣き声が聞こえてきた。

 

慌てて公園の中に入って行くと、そこには頭が転がっていた。

 

“くまだもん”の頭が転がっていたのだ。

 

 

その先に目を向けると、いろはちゃんが高学年ぐらいの男子4人と向かい合って泣いている。

 

急いで彼女のもとに走る。

 

「うぇーーーん、おにぃちゃーーん。」

 

「いろはちゃん、大丈夫!?」

 

俺は怪我が無いかを確認していくが彼女自身は無事なようだ。

 

「”くまだもん“が・・・、おにぃちゃんがくれた“くまだもん”が・・・。」

 

「よしよし・・・、大丈夫だから。」

 

彼女の頭に右手を置き、撫でた後、竹刀を持った左手を使って優しく抱きしめる。

 

そうしていると後ろから声が掛けられた。

 

「“くまだもん”を渡さなかった、こいつが悪いんだ。」

 

「「「そうだ」」」

 

「せっかく貰ってやるって言っ、グハァ。」

 

持っていた竹刀を横に投げて、俺はリーダー格の少年を殴った。

 

「テ、テメェ、何しや、ガハァ」

 

彼女の泣き顔を見た俺は、怒っていた。

 

彼女の泣いた声を聞いた俺は、我慢が出来なかった。

 

彼女の震える体に触れた瞬間、この女の子を守るんだと、心に誓った。

 

 

リーダー格の少年だけに執拗に挑んでいた俺に他の3人が殴りかかってきた。

4対1の不利な戦いになったのだが、俺は折れる事なくリーダー格の少年だけに挑み続ける。

彼が泣き顔になり戦線を離脱したくらいからは、よく覚えていない。

気付くと仰向けに倒れ、視界一杯に空が広がっていた。

 

「さすがにこの体では、上級生4人は無理だったか、転生特典に身体チートでも貰っておけばよかったな。」

 

と乾いた笑みを浮かべ呟く。

 

「おにぃちゃん、・・・グスン。」

 

涙声のする方に視線を送るといろはちゃんが心配そうにこちらを見ていた。

 

「心配かけてごめんね、いろはちゃんは大丈夫?」

 

「うん。・・・でも、“くまだもん”が」

 

「そうだね。“くまだもん”を早く治してあげないとね。」

 

「なおるの?」

 

「治るから安心していいよ。それじゃあ、お家に帰ろう。」

 

俺は左手を差し出す。

 

(ギュッ)

 

彼女の温もりが俺の冷えた心を暖めてくれる。

 

彼女の温もりが俺の傷んだ体を癒してくれる。

 

彼女の温もりが・・・・・。

 

 

最近の俺は子供の教育方針で毎日、頭を悩ませている。

 

子供というのは、一色いろはの事である。

 



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間違える

思い描いていた物より重い感じになってしまい、試行錯誤してたんですが無理でした。


「よし、完成っと」

 

前世で得た裁縫スキルを駆使して“くまだもん”の大手術は無事に成功に終わった。

少し縫い目が気になったので、リボン付のシュシュを作り、縫い目が隠れるようにつける。

 

「俺の女子力高すぎる」

 

自身が修復したぬいぐるみを見ながら呟く。

 

このぬいぐるみの持ち主はというと俺の隣で眠っている。

最初は修復作業を見ていたのだが、気付いた時には夢の中へと旅立っていた。

 

「泣き疲れちゃったかな」

 

ここ最近ずっと悩んでいた、彼女の今後の事を考える。

 

物語の中では、どの様な過程を経て彼女という人物を形成していったかは書かれていなかった。

 

小学校に上がったばかりの彼女には時間があり、物語の中の彼女を少しずつ形成していけば良いんだと考えていた。

 

しかし、この世界の中には俺というイレギュラーが存在しているのだ。

 

俺という存在は彼女の成長に間違いなく影響を与えている。

 

福岡から物語の舞台に来た俺は舞い上がり、お隣のドアから現れた物語のヒロインの1人に夢中になって、無口で恥ずかしがりやな彼女を依存させ、そんな彼女を守っているんだと、自惚れていたのだ。

 

「ネガティブな思考しか出てこないな」

 

部屋が闇に包まれている事に気付き、窓の方に顔を向けた。

そこから見える街の光は何時もより暗く感じる。

 

物語の中の彼女なら、似たような状況でも無難に乗り切れたのであろう。

今の彼女はあんなに強い女の子に成れるのだろうか?

 

容姿、言葉使い、仕草、すべてを計算して最善の方法で切り抜ける。

 

彼女のあざとさは武器。

彼女のあざとさは盾。

彼女のあざとさは強さ。

 

「このままじゃ、いけないよな」

 

隣で眠る彼女の頭を撫でる。

彼女が弱いのは俺のせい。

 

彼女の温もりが・・・・・俺を間違えさせる。

 

 

俺は動き始める。

 

まず始めに俺の同級生や彼女の同級生達との遊びや会話に積極的に参加して、彼女の交友関係を広げるために動いた。

 

最初は戸惑っていた彼女だが、すぐに打ち解けていく様子を見て、嬉しさを感じる反面、寂しさも感じていた。

 

彼女が同級生達との親交を深めていくのに比例し、俺は彼女と距離をとるようになる。

 

千葉に来てから辞めていた道場通いを再開したことで、俺の時間と彼女の時間が交わる事は無くなっていった。

 

ぽっかりと空いた心の隙間をを埋めるように、来る日も来る日も剣道に打ち込んでいたのだが、心が満たされる事は無い。

たった半年間の彼女との思い出は、今の俺という存在の大多数を作り上げていたのだと再確認する事となった。

 

それからの日々は彼女のことを遠目で見守りつつ、1日1日が瞬きの早さで過ぎ去っていくのを感じ、気づいたら半年という時が流れ、俺達は1学年進級していた。

 

 

進級したからといって、俺の生活は変わる事は無い。

早めに家を出て、いつもと変わらない学校生活を送り、学校が終わると道場に行く。

このサイクルを繰り返す毎日だ。

 

そんな繰り返す日々はある出来事をきっかけに崩れさる事になる。

 

いつもの様に道場の稽古が終わり家に帰ると、膝を抱え顔を俯かせた女の子が家のドアの前に座り込んでいた。

 

「・・・・・いろはちゃん?」

 

かけた言葉に女の子は顔を上げる。

彼女の可愛らしい顔は涙で濡れていた。

 

「おにいちゃん・・・」

 

「・・・・・」

 

「おにいちゃん、いやだよ」

 

彼女の顔を見た俺は、言葉を発する事が出来なかった。

 

「おにいちゃん、いやだよ。いろは、つよくなるから。おにいちゃんをまもるから。おにいちゃんといっしょにいたいよ!」

 

彼女の心からの叫びを聞いた瞬間、自分が間違えていた事に気づかされた。

 

「おにいちゃんをまもれなかったから。いろは、なにもできなかったから」

 

今までの人見知りの彼女なら、すぐに友達を作ろうと、馴染もうとする事は無かったはずだ。

 

何もしなくても彼女は強くなろうとしていた。

何もしなくても彼女は自身の弱さを解っていた。

 

そんな彼女に俺は何をした?

 

弱さを知った彼女を突き放し、強くなろうとしていた彼女から逃げ回っていたのだ。

 

俺は最低だ。

 

「ごめん、いろはちゃん」

 

「なんでおにいちゃんが、ごめんなさいするの?ごめんなさいするのは、いろはだよ。」

 

「違うよ。いろはちゃんは、何も悪くないんだ。自分ではどうにも出来なくて、いろはちゃんから逃げてた、全部俺が悪いんだよ」

 

そう、すべて俺が悪いんだ。

 

「だから・・・、ごめんなさい」

 

俺は頭をさげた。

 

彼女の顔を見ている事が出来なかった。

彼女の涙を見ている事が出来なかった。

 

俺はまた逃げたのだ。

 

(ペタッ)

 

下げた頭に彼女の手が乗る。

 

「おにいちゃんは、いろはのことまもってくれたよ」

 

彼女の手が、俺の頭を優しく撫でる。

 

「おにいちゃんは、いろはのことギュッてしてくれたよ」

 

彼女の温もりが、俺の空いた心を満たしてくれる。

 

「おにいちゃんのては、いろはをあったかくしてくれて、だいすきだよ」

 

俺の視界に広がるマンションの通路の地面は、自身の涙で濡れていた。

 

この世界に生まれ、初めて流した涙は、彼女の温もりが熱伝導したみたいに温かかった。

 

「いろは、つよくなるから。おにいちゃんをまもれるようにつよくなるから」

 

俺は顔を上げると、彼女の目は真っ直ぐに俺を見ていた。

 

「いろはちゃん・・・・・」

 

「おにいちゃんといっしょにいたいよ」

 

俺は決意した。

 

彼女から逃げないと決意した。

彼女と共に強くなる事を決意した。

 

もう間違えないと決意した。

 

「俺もいろはちゃんと一緒に居たい。いろはちゃんを守れるように強くなりたい。

だから・・・・・、いろはちゃんから逃げてしまって、ごめんなさい」

 

「おこってないよ。いろはもおにいちゃんをまもれるなくて、ごめんなさい」

 

下げていた頭を2人同時に上げる。

 

〈ガチャ〉

 

開いたドアから、母親が顔を出した。

 

「二人共、まだ外は寒いんだから風邪をひいちゃうわよ。」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・はい!」

 

母親の登場に二人で固まっていると、彼女が先に現実に戻ってきた。

そのまま自分の家に戻って行こうとするが、クルリとこちらに振り向き、

 

「あしたから、がっこうにいしょにいこうね?」

 

不安そうにこちらを見る。

 

「そうだね。明日から、また一緒だね。」

 

俺がそう言うと、彼女は笑顔になり

 

「ばいばい」

 

と言って、家の中に戻っていった。

 

「ろくくんは、いつも大人びているけど。やっぱり子供なのね♪」

 

生暖かい目で見てくる母親にジト目を送りながら、

 

「ママ、ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

いつも聞いてる母親の言葉が、いつもより暖かく感じた。

 

 

~翌朝~

 

「おにいちゃん、おはよう♪」

 

「おはよう、いろはちゃん」

 

マンション前で待っていると、彼女が出て来た。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

俺がそう言うと、彼女が右手を差し出してくる。

 

(ギュッ)

 

少しの躊躇いの後、彼女の手を握り、歩き出す。

 

左手から感じる彼女の温もりがこの半年間、白と黒に感じられた通学路をカラフルに色付けていく。

 

〈グイッ〉

 

彼女が止まった事で、俺の歩みが止められる。

 

「おにいちゃん、そっちはがっこうじゃないよ」

 

「えっ、あっ、えっ、アハハ、ぼーっとしてたみたいだ」

 

「もぉ!」

 

そう言って、彼女は俺を引っ張り歩き出す。

 

強く握られたその手は、やっぱり温かかった。

 

彼女の温もりが・・・・・俺を間違えさせてしまう。

 



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物語のワンシーン

「お兄ちゃん、どう?」

 

「うん、美味しいよ」

 

あれから2年が経ち、小学5年生に進学した。

 

そして、今日は月一回のお兄ちゃんDay。

 

お兄ちゃんDayというのは、月1回、いろはちゃんが指定した日に2人でマッタリとする日の事で、これが始まったきっかけは、一緒に居れ無い時間が続いていた、ある日曜日の朝に彼女が急に家の中に入ってきて「今日はお兄ちゃんDayです!」と宣言した事から始まった。

 

 

あれからも道場通いは続けている。

自分の弱さを知り、強くなるために途中で辞めることはしたく無かった。

いろはちゃんも自身のコミュニティを持ち、交友関係を着々と広げている。

傍目で見て彼女は強くなった。そして、

 

あざとくなった。

 

「もぉ、ほっぺにクリームついてるよ♪」

 

彼女の指は俺のほっぺからクリームを奪い去ると、そのまま自身の口に運び

 

(パクッ)

 

「お兄ちゃんの味がする~♪♪」

 

あ・ざ・と・い

 

俺は怪物を作ってしまったのかもしれない。

 

いっそこのまま魔王まで成長させ、これから出て来るであろう魔王との戦いに備える事も考えるべきであろう。

 

とバカな考えは置いておく。

 

この2年間の彼女は自分磨きに余念がなかった。

外面はもちろんの事、内面の事もだ。

休日はお菓子作りに精を出したり、俺から裁縫を習ったりと彼女の女子力は日に日に上がっていた。

 

「あー、美味しかった。ご馳走さまでした。将来はケーキ屋さんを開けるね」

 

「将来の話とかして、口説いてるんですか?ごめんなさい、まだ無理です。私が16歳になってから、もう一度お願いします。」

 

物語の中の彼女のお決まりフレーズを彼女も使える様になったのだが、使い方をよく解っていないため、これは修正が必要だ。

 

「本当に美味しかったわ。いろはちゃんをお嫁さんにできる男の子は幸せね」

 

母親の言葉に彼女は顔を赤くして俯いてしまう。

 

彼女がお嫁さんに嫁ぐ日に笑って送り出せるだろうか。

 

彼女が結婚相手を連れて来て「この人と結婚します」と言われた時に冷静でいられるだろうか。

 

彼女が彼氏を連れて来た時に彼氏を殴らないでいられるだろうか。

 

前世から妹という者がいなかった俺は、比企谷くんの気持ちが痛いほど解った。

これまでリアルにシスコンの方を見たら”この人、気持ち悪い”と思ってしまっただろう。

だがしかし、俺はシスコンの入り口を見つけてしまったのだ!

いや本当の妹では無いので“イロコン”なのだ。

すき焼きの中に入れてしまいそうな名前になってしまったのだが、彼女が連れて来る男は俺が見極めなければならない。

ふと、比企谷くんだったらと考える。

この世界の中で出会っていないのだが、物語の中の彼で考えてみると優しくて男気もある。

それでもって頭もキレる。

 

しかし、専業主夫になるとかいう輩にウチのいろははやれません!

 

ただ彼女が比企谷くんに告白して、彼が彼女をフッたと考える。

間違いなく彼のことを殴ってしまうだろう。

そうなってしまうと、俺は無条件で葉山くんも殴ることになってしまう。

彼には申し訳ないのだが、いろはちゃんをフッてしまうような男は悪なのだ!

 

 

そんな、お兄ちゃんな日々を過ごしていた俺は運命的な出会いをした。

 

剣道の稽古の帰りに家の近くの公園の前を通ると、公園のベンチに女の子が俯いて座っていた。

俺は立ち止まり女の子の様子を伺っていると、女の子の肩が震えているようだったので、近づいて話かけてみた。

 

「こんな時間にどうしたの?」

 

いきなり話しかけられた事により、女の子は驚き顔を上げた。

顔を上げた女の子の容姿は可愛らしい顔していて、髪は肩にかからないくらいのセミロングなのだが、特徴的なアホ毛が伸びている。

俺はその特徴的なアホ毛を掴んでしまいたい衝動にかられてしまうが、彼女が泣いていることに気付き、正気に戻る。

 

「えっと・・・、なんでも無いです。」

 

「なんでも無い事はないでしょ、涙が出てるよ」

 

ハンカチを差し出す。

 

「けっこうです。自分で持ってますので」

 

「・・・・・警戒してるよね」

 

「兄が優しくしてくる男には気をつけろって、注意されてますので」

 

「この女の子は絶対、小町ちゃんだよ」と内心叫びつつこの世界で出会った2人目の登場人物に歓喜していた。

 

「いいお兄さんだね!俺も妹的な子がいるんだけど、悪い男に騙されてしまわないか、心配で心配で」

 

小町ちゃんの目がより一層、警戒心に染まってしまった。

 

「よいしょっと」

 

俺は小町ちゃんの隣に座る。

 

「なんで隣に座ってるんですか!?」

 

「お兄さんが来るまで、話しようと思って」

 

「・・・・・兄は来ないです。」

 

「なんで来ないのかな?」

 

「・・・・・。」

 

小町ちゃんは何も言わなくなってしまった。

 

「俺は今からベンチの一部になります。」

 

「何、言ってるんですか?」

 

彼女はジト目で睨んでくる。

 

「君がどんな弱音を吐いても、俺はベンチの一部なのです。」

 

「・・・・・プフッ、何やってるんですか。変なのは、兄だけで間に合ってます。」

 

彼女が笑ってくれた事にホッとする。

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・家出してきたんです」

 

それから彼女は家出の原因を話してくれた。

家に帰っても誰もいないという寂しさに耐えられなかった事を。

 

「・・・・・寂しかったんです」

 

「そっか」

 

「なんでベンチが相づちしてるんですか」

 

小町ちゃんは悲しい顔をして笑う。

 

「家族に君の寂しさは、話せたのかな?」

 

「話して無いです。というか話せないですよ」

 

「遠慮しないで、家族に話してみることだよ。ほら、お迎えだよ」

 

「えっ」

 

小町ちゃんは公園の入り口を見る。

 

「小町!!」

 

「お兄ちゃん!!」

 

小町ちゃんは立ち上がると比企谷くんに向かって駆けていく。

 

俺はそのままベンチに座り感動的な再会を遠目で眺めていた。

 

しばらくすると小町ちゃんが、比企谷くんを連れて近づいて来る。

 

「兄とは、少しですけど話してみました。」

 

「そっか、君は遠慮する事ないんだよ」

 

「い、妹が迷惑かけたみたいで、すまん」

 

「俺は何も迷惑かけられて無いですよ、お兄さん」

 

「お前にお兄さんて呼ばれる筋合いはねえ!」

 

「もう何いってんの、お兄ちゃん」

 

比企谷くんが俺の“お兄さん”に反応してくれた事に喜びを感じる。

 

「妹さんとちゃんと話してくださいね。お兄さん♪」

 

「うるせぇ、お前に小町はやらん。帰るぞ小町!」

 

「もう何やってんのお兄ちゃん。本当にすいません、バカな兄で」

 

「いや、シスコンの鑑だよ!君のお兄さんは目標だ!!」

 

「そういえば、あなたもバカな人でした。それじゃあ、行きますね♪」

 

「うん、もう遅いから気をつけて」

 

「はい、本当にありがとうございました。ベンチさん」

 

小町ちゃんは比企谷くんを連れて帰って行った。

2人の背中を見送りながら遅れて来た感動に浸っている。

物語の場面に立ち会えたことに運命を感じ、これから立ち会えるであろう場面を想像し興奮していた。

一時の間、余韻に浸っていた俺は、家に帰ることにした。

マンション前までやって来ると、入り口の所にいろはちゃんが立っている。

 

「・うわ・き・?・・あの・・お・んな・・なに・?」

 

入り口の前でブツブツ言っているいろはちゃんに話かける事が出来なかった・・・。

 



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約束

ここまでが第一章みたいな感じです。


中学生になった俺は、福岡に居る。

帰省中だとかそういう事では無く、福岡に住んでいる。

 

なぜこういう事態になってしまったのかというと、小学6年生の2学期に入ってすぐに祖父が倒れてしまったためだ。

お盆に帰省した時は何事も無さそうに俺に稽古をつけてくれた。

俺をボコボコにして、「録にはまだ負けられんたい!」と笑っていたのに祖父は倒れてしまった。

容態も芳しくなく、長期の入院が必要とのことだ。

父親は家族会議を開き、仕事を辞めて福岡に帰りたいと母親と俺に訴えかけた。

それに対して母親は「あなたについていきます」という言葉を伝え、俺もそれに続いた。

だが、彼女との4年半の日々は、俺の心を重くする。

 

父親は引き継ぎの関係で、すぐには辞めることが出来なかったため、俺には少しの猶予ができた。

 

だけど、彼女に別れの言葉を伝えられないまま、別れの日が近づいてくる。

 

そんな中、最後のお兄ちゃんDayの日曜日がやって来た。

 

「ご馳走さまでした」

 

「おそまつさまでした♪」

 

俺は彼女が作ったパンケーキを食べながら、話を切り出すタイミングを伺っていたのだが、結局食べ終えてしまった。

 

「遠くに行っちゃうの?」

 

「えっ!?」

 

切り出そうとしていた事を彼女に言われ狼狽えてしまう。

 

「パパとママが話してるのを聞いちゃったんだ」

 

「そっか、知ってたのか」

 

「遠くに行っちゃっても、全然平気だよ」

 

「・・・・・」

 

「お兄ちゃんのおかげで、縫い物もできるようになったよ」

 

初めて作ったシュシュつけて喜ぶ彼女を思い出す。

 

「・・・・・」

 

「お兄ちゃんが美味しそうに食べてくれたから、お菓子作りも上手になったよ」

 

俺のために誕生日ケーキを作ってくれた、彼女を思い出す。

 

「・・・・・」

 

「お兄ちゃんの近くに居れたから強くなれたよ・・・」

 

弱さを知り強くなり続けた彼女の成長の日々を思い出す。

 

「・・・・・」

 

「あれ・・・、強くなれ・・たのに・・・涙が・・出ちゃう・よ」

 

「・・・・・」

 

「お兄ちゃん、一緒に居たい。離れたくないよ!」

 

「いろはちゃん、俺は」

 

俺は彼女に宣言する。

 

「俺は総武高校に行く!」

 

「総武高校?」

 

「俺は総武高校でいろはちゃんの事を待ってるから」

 

ここで言わなくても彼女は総武高校に入学しただろう、だが俺は宣言せずには、いられなかった。

 

「私も総武高校に行く、お兄ちゃん待ってて!」

 

「うん、待ってるから」

 

「約束だよ」

 

そう言って彼女は右手を差し出した。

 

「約束する」

 

俺も右手を出し、自身の小指を彼女の小指に絡ませる。

 

俺は彼女と再会の約束をして別れた。

 

 

そうやって福岡に戻って来た俺は、3年先の未来の事しか見ていなかった。

中学生に上がっても変わることなく先を見ていた。

 

そんな中、中学2年の夏に祖父は亡くなった。

祖父は最後まで元気一杯で、このまま良くなってくれるんだろうと思っていた矢先に亡くなってしまった。

俺は1回も祖父に勝つことが出来なかった。

悲しみを中学で入った剣道部に没頭することで紛らわせ、その結果、中学3年で全国制覇をする事となった。

 

総武高校の事は、中学2年の冬に両親に打ち明けた。

反対されると思っていたのだが、両親は反対する事無く、すんなりと賛成してくれた。

3年間だけだからと母親が着いてくる事になった。

俺の我が儘で申し訳なく、一人暮らしをすると言ったのだが押しきられてしまい、俺は家族崩壊になる様な事はしないよう、父親に釘をさす事を忘れなかった。

 

 

あっという間に卒業式の日を向かえた。

式はつつがなく終わり、俺は屋上に続く階段を上がって行く。

 

〈ガチャ〉

 

屋上に着くと、1人の女子が待っていた。

 

「来てくれて、ありがとう」

 

目の前の彼女は3年間、同じクラスで過ごし、同じ部活動で汗を流した栗山真彩という。

容姿は整っていて、長い黒髪を後ろで一つに束ねた女の子だ。

 

「待たせたかな?」

 

「今、来たとこだよ」

 

「それで話って?」

 

「えっと、えっとね」

 

俺は彼女がこれから言うであろ言葉は見当がついていた。

 

「黒田くん、私とつき合って下さい!」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「ごめん、付き合えない」

 

俺は少しの沈黙の後、用意していた言葉を彼女に伝える。

 

「・・・・・理由を教えてもらても、大丈夫かな?」

 

「千葉の総武高校って所に行くんだ。高校生活の3年間はその場所以外の事を考える事は出来ない。」

 

「そっか・・・、つき合ってもらえないって事は解ってたんだ」

 

彼女は、俺から目を離さない。

 

「・・・・・」

 

「私の事を見てくれてない事は解ってた。いや違うね、黒田くんは私達の事、誰一人として見て無かったから。」

 

「・・・・・」

 

俺は彼女から目を反らす。

 

「クラスメイトとして、部活動仲間として一緒に居てくれたけど、誰一人として私達を見てな無かった。」

 

「・・・・・」

 

俺は彼女の言葉に何も反論する事が出来なかった。

 

「ここじゃない、どこか違う世界を見てるみたい」

 

「・・・・・」

 

「黒田君を見てると、違う世界に消えて無くなっちゃいそうで恐かった」

 

「・・・・・」

 

「だから、つなぎ止めたかったのかな」

 

「・・・・・」

 

「なんか意味わかんない事を言ってごめんね、千葉でも頑張って」

 

彼女はそう言うと、小走りで屋上から去って行った。

 

彼女に言われた事が間違いでない事は、自分が一番解っていた。

 

俺は中学生の3年間を蔑ろにしていたのだ。

未来しか見ておらず現在を見ていなかった。

 

こんな俺が彼らの本物を、物語の続きを見ていいのだろうか?

 

・・・・・いや!

 

俺にも本物がある。

 

彼女との約束を守るため。

 

彼女との再会を果たすため。

 

俺は総武高校に行くんだ。

 




次の話はいろはちゃんサイドからの話を予定してます。
読んで頂きありがとうございました。


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一色いろは①(一色いろは視点)

総武高校編の前にいろはちゃんサイドの話を書きました。
①は3話と4話です。
①は振り返りの話なので見てもつまらないと思う方がいらっしゃると思います。
②は話に出て無い部分も書こうと思ってます。


一色いろは 中学2年生

趣味はお菓子作りに自分磨き

お兄ちゃんと別れて3年が経ち、お兄ちゃんと再会できるまで2年をきりました♪

 

私は今、お菓子作りの材料を買うために近くのスーパーまで来ています。

食べてもらいたい人がいないから作る目的を見失っちゃうんですけど、2年後のお兄ちゃんとの甘々な高校生活を送るために日々精進なんです。

 

私がお兄ちゃんと出会ったのは、小学校に入学する時でした。

その時の私は恥ずかしがり屋さんの人見知りちゃんで、お兄ちゃんがせっかく話しかけてくれたのに勇気が出せなくて、何も話す事が出来ませんでした。

ですが、そんな私に転機が訪れます。

いつもの様に2人で登校しようとしたら、お兄ちゃんが左手を差し出してきたんです。

私はママと繋ぐみたいにお兄ちゃんの手を握ると、お兄ちゃんの驚く声が聞こえ、自分のしてしまった事に恥ずかしくなっちゃいました。

握っていた手を急いで離そうとしたんですが、お兄ちゃんは離してくれません。

恥ずかしくて俯いてしまったら、

 

「手を繋ぐの嫌かな?」

 

悲しげな声が聞こえてきました。

すると、今度はお兄ちゃんが手を離そうとしてきたんです。

私はさっき離そうとしていたお兄ちゃんの手が急に恋しくなって、離したら2度と繋げないと思い、おもいっきり握りしめました。

 

「手を繋ぐの嫌じゃない」

 

こうして、お兄ちゃんとの手繋ぎデートが始まったんです。

 

テヘッ♪

 

お兄ちゃんとの距離は、日に日に近くなっていきます。

お兄ちゃんとなら恥ずかしさが薄れ、たくさんおしゃべり出来ました。

 

そんな時です、あの出来事が起こってしまったのは、

私はお兄ちゃんのトレーニングが終わるのを待てなくて2人で公園に行く事にしました。

2人というのは、私と"くまだもん"で、

"くまだもん"というのは、お兄ちゃんと私の愛の結晶です。

その"くまだもん"が近所の悪ガキに連れ去られそうになってしまい、必死に"くまだもん"を引っ張ります。

 

〈ブチッ〉

 

私の耳に嫌な音が聞こえてきました。

その瞬間後ろに飛ばされて、尻餅をついてしまいましたが"くまだもん"を離す事はしませんでした。

走って逃げようと"くまだもん"を見ると、愛くるしい癒し顔がありません。

私は涙が込みあげてくるのを止める事ができませんでした。

 

「うぇーーーん!」

 

声を聞いて私のヒーローが助けに来てくれるように、大きな声で泣きました。

 

その時です。

 

「いろはちゃん、大丈夫!?」

 

私のヒーローの登場です。

冷めていた心を撫でてくれ、冷めていた体を抱きしめてくれました。

彼の温かさに私の心と体は包まれていきます。

そんな私のヒーローは1人の悪ガキを殴り飛ばしました。

胸が高鳴ります。

ここからは、彼のヒーローショーです。

 

ですが敵が4人に増えたのを期に形勢が変わってしまいました。

 

私のヒーローが殴られました。

 

私のヒーローが蹴られました。

 

私のヒーローが殴られました。

 

私のお兄ちゃんが蹴られました。

 

私のお兄ちゃんが殴られました。

 

私のお兄ちゃんが・・・・・・。

 

もうやめて、私のお兄ちゃんをいじめないで・・・。

私の大切な人を・・・・・。

 

私は恐くて動く事が出来ませんでした。

お兄ちゃんを助けに行く事も出来ませんでした。

 

そしてお兄ちゃんは糸が切れた人形の様に倒れてしまい、私はすぐに側に駆け寄っていきます。

悪ガキ達はお兄ちゃんが倒れるのを見て、公園を出て行きました。

 

「お兄ちゃん・・・グスン」

 

お兄ちゃんのかっこいい顔が傷だらけになっていた。

お兄ちゃんの鍛えた体が傷だらけになっていた。

 

私が動く事が出来なかったせいで、

私が助ける事が出来なかったせいで、

私が弱かったせいで・・・・・。

 

「心配かけてごめんね、いろはちゃんは大丈夫?」

 

お兄ちゃんは私の事を心配してくれる。

私が弱かったせいなのに。

お兄ちゃんに謝らないと、ごめんなさいしないと。

 

でも、お兄ちゃんに嫌われたくない。

 

「うん。・・・でも、"くまだもん"が」

 

謝る事が出来ませんでした。

私はお兄ちゃんに嫌われるのが恐くて謝る事が出来ませんでした。

 

「それじゃあ、お家に帰ろうか」

 

お兄ちゃんが、こんな私に手を差し出してくれる。

 

(ギュッ)

 

私はこの手を離さない。

 

私はこの手を離せない。

 

離してしまったら、2度と触れられなくなってしまいそうだったから。

 



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一色いろは②(一色いろは視点)

予定がくるってしまいました。
②は5話のいろはちゃん視点です。
③でいろはちゃん視点を終わらせようと思います。
(予定です)


「んー、何にしようかなぁ」

 

今、私は迷っています。

アップルパイを作るのは決定なんですが、それに合う飲み物で迷っていて、普通なら紅茶なんですけど、お兄ちゃんの事を考えていた私は甘々な気分なんです。

私は"マックスコーヒー"と書かれた缶コーヒーを手に取りました。

たまにお兄ちゃんがトレーニングの後に飲んでいて、「俺の2時間が無駄になったぜ」とか意味の解らない事を言っていたのをよく覚えています。

 

「あれ、いろはちゃん?」

 

持っていた"マックスコーヒー"を元々あった場所に戻して、名前を呼ばれた方に顔を向けます。

 

「やっぱり、いろはちゃんだー」

 

「あっ、ナナちゃん先輩」

 

「何してるの?」

 

「お菓子作りの買い出しです」

 

「あいかわらず女子してるねぇ」

 

~10分後~

 

「またね!」

 

「ではでは、さよならでーす♪」

 

私の一つ年上になるナナちゃん先輩とは、6年以上の付き合いになります。

小学生の頃はお兄ちゃん一筋で私の良きライバルだったんですけど、お兄ちゃんが転校しちゃってからは年下大好きビッチちゃんになっちゃいました。

今も、私の隣のクラスの学校一番のイケメン君に片想い中です。

 

ナナちゃん先輩との関係はお兄ちゃんが繋げてくれたんです。

 

あの出来事があった後、私はお兄ちゃんに連れられて、お出掛けするようになりました。

話した事が無い同級生や知らないお兄さんやお姉さんがいて戸惑ってしまい、いつもみたいに縮こまってしまいます。

 

このままでいたら、お兄ちゃんが助けてくれる。

このままでいたら、お兄ちゃんが守ってくれる。

このままでいたら、お兄ちゃんが頭を撫でてくれる。

 

『あなたはこのままでいいの?』

 

頭の中でお兄ちゃんを守れなかった私が問いかけます。

 

お兄ちゃんを助けたい。

お兄ちゃんを守りたい。

お兄ちゃんの頭を撫でてあげたい。

 

私はもっと強くなりたい!

 

勇気を出して近くにいる女の子に話しかけました。

 

「い、いろはです。おはなしいいですか?」

 

「いろはちゃんていうの、かわいいねぇ。わたしはナナだよ、ナナちゃんって、よんでね」

 

私はそれから、いろんな人とお話しました。

お兄ちゃんを守れる勇気が欲しかったから・・・・・。

 

気付いたら私の周りには沢山の人がいて、物語の中のお姫様になっちゃった気分です。

 

私が強くなれたら王子様が迎えに来てくれる。

私が強くなれたら王子様が抱きしめてくれる。

私が強くなれたら王子様がキス・・・・・。

 

キャーーー ( 〃▽〃) ♪♪♪

 

違うんです、違うんです!

小学2年生の頃の私はそんなマセた女の子じゃないんです!

純真無垢な女の子なんです!

それは、今の私の願望なんです!

 

キャーーー ( 〃▽〃) ♪♪♪

 

違うんです、違うんです!

 

~~~~~

 

コホン、失礼しました。

えっと・・・・、どこまでお話しましたっけ?

そうでした。

 

そんなお姫様気分の私は、お兄ちゃんがくれた絆を深めていきました。

小さかった私の世界が、拡がって行くのを感じます。

今までの恥ずかしがり屋さんで人見知りちゃんな私は、いなくなっていきました。

これでお兄ちゃんを守れるんだと思った時、

 

大切な人は私の拡がっていく世界からいなくなりました。

 

私の世界が闇に飲まれていきます。

明るかった世界が、温かかった世界が、

 

私を照らしてくれていた太陽がいなくなってしまったから。

 

気づいたら、お兄ちゃんの家のドアの前で座り込んで泣いていました。

 

「・・・・・いろはちゃん?」

 

久しぶりに聞いたその声で、私は顔を上げます。

 

嫌われたって、離れたくない。

嫌われたって、一緒にいたい。

謝るために私の弱かった心をお兄ちゃんに話しました。

 

話し終えた私は、お兄ちゃんに謝ろうとしたんですが、

 

「ごめん、いろはちゃん」

 

「いろはちゃんから逃げてた、全部俺が悪いんだ。

だから・・・。ごめんなさい」

 

そう言って、お兄ちゃんが頭を下げたんです。

言葉の意味が理解できませんでした。

 

私を助けてくれるのに。

 

私を守ってくれるのに。

 

私を強くしてくれるのに。

 

(ペタッ)

 

気づいたら、お兄ちゃんの頭を撫でていました。

 

久しぶりに繋がれた気がして、温かさが私の中に流れ込んできます。

 

彼の温もりが、私の心を満たしてくれました。

 

その後は2人で、ごめんなさいしあってからお別れしました。

お別れする間際、次の日の手繋ぎデートの約束も忘れません。

 

私の世界に太陽が戻って来てくれました。

 

 

「一色さん」

 

あの時の弱々しいお兄ちゃん可愛かったなぁー。

 

「一色さん!」

 

あの時のお兄ちゃんをギュッてしてあげたかったなぁー。

 

「一色さん!!」

 

んっ、せっかく小さい頃のお兄ちゃんと頭の中でラブラブしてたのに。

 

わたしは怒り顔で名前を呼ばれた方に振り向きます。

 

そこには隣のクラスの学校一番のイケメン君がいました。

 

「こんにちは、一色さん」

 



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一色いろは③(一色いろは視点)

いろはちゃんサイドは、これで終わりです。


小学3年生の頃に、私は高い壁にぶつかりました。

お兄ちゃんが恋愛対象として、見てくれないんです。

色々なアプローチを仕掛けたんですが、妹がジャレてくるみたいにしか思ってくれません。

私は絶望に打ちひしがれました。

このままじゃ、妹ポジションで終わっちゃう。

そんな時です、魔法の本に出会ったのは、

従姉妹のお姉ちゃんが置いていったファッション誌を広げたら、10ページにも満たない小冊子が出てきました。

なんだろう?と思いタイトルを見てみると、

 

『男を落とせる小悪魔術』

 

私は悪魔を召喚しちゃうヤバい本だと思い、投げ捨てました。

 

少し時間をおいて冷静になった私は、もう一度確認してみます。

そこには男性を思い通りにしてしまう、様々なテクニックが記されていました。

お兄ちゃんに恋愛対象として見てもらえるなら、小悪魔でも魔王でもなんだってなってあげます。

それからは勉強の日々でした。

モテメイク、モテファッション、モテ仕草

小学生には早いと思われるかもですが、私は本気なんです。

着々と小悪魔としての基礎が出来てきた私は、お兄ちゃんに試してみます。

 

結果・・・・・・・手ごたえアリです。

 

いつもの妹を見るような慈愛に満ちた目では無く、顔はクールに装ってますが目は明らかに動揺していました。

私は感動に震えてしまいます。

この魔法の本は"一色いろは"という小悪魔を召喚してしまったのです!

 

それからは、私とお兄ちゃんの我慢比べの毎日でした。

"お兄ちゃんDay"という大義名分を得てまでイチャイチャしてるのに、お兄ちゃんは土俵際で踏みとどまるんです。

膠着状態がしばらく続いていたんですが、お兄ちゃんの転校という結末で締め括られました。

 

でも、約束したんです。

総武高校で再会する時までに、最高の女になるんです。

 

 

ここで終わったら最高だったのですが、ハッピーエンドとはなりませんでした。

 

 

中学校に入学してからも女磨きに邁進していたんですが、私の中の小悪魔ちゃんが制御不能になっちゃったんです。

無意識のうちに出てしまうみたいで、男子のみんなが私の事をチヤホヤするようになっていきました。

それに比例して、一部の女子が私に嫌がらせを始めたんです。

困った私はナナちゃん先輩に相談したんですが、「自業自得」の一言で片付けられてしまいました。

 

 

そして今、私は中学校生活最大の分岐点にいます。

 

目の前にいるイケメン君への対応を間違えてしまうと、大多数の女子を敵にする事になってしまうでしょう。

 

「こんにちは、一色さん」

 

目の前にいるイケメン君の名前は・・・・・佐藤?田中?・・・鈴木!

彼の名前は鈴木君です。

 

「隣のクラスの"脇屋"だけど解るかな?」

 

そうでした。そうでした。彼の名前は"脇役ん"でした。

 

「こんにちは、どうしたの?」

 

「偶然見かけたから話しかけちゃったけど、迷惑だったかな?」

 

「全然、迷惑とかじゃないよ」

 

すごく迷惑です。

お菓子作りの買い物も、まだなのに。

それに、彼は良い噂を聞きません。

二股、三股は当たり前で、数々の女の子が彼の魔の手に堕ちているそうなんです。

私も、彼が女の子とデートしている現場を、数々と目撃した事があります。

 

「ちょうど、一色さんに相談したい事もあるんだけど聞い貰えるかな?」

 

面識も無い私に、相談とか怪しすぎます。

 

ただ、ここで簡単に拒否してしまうと、最悪の結果になってしまう可能性があるんです。

彼が「一色さんに相談したんだけど、話も聞かずに拒否された。」と私の事を良く思ってない女子に話されてしまうと 、私は終わります。

その女子が尾ひれ羽ひれをつけて、彼の事を好きな女子に話したら、私の事を羨望し、嫉妬し、憎悪する事になるでしょう。

 

学校一番のイケメン君の彼を好きな女子は、そこら中にいるんです。

ヤバいです。ヤバいです。本当にヤバいんです!

 

「そ、相談って何かな?」

 

「ここで話すのはなんだから、近くに良い感じのカフェがあるんだ。そこで話をするってどうかな?」

 

「・・・・・」

 

良い感じのカフェに2人だけで居るところなんか見られたら、それだけで終わります。

もう、帰りたい・・・・・。

 

「一色さん、お菓子作りが趣味なんだよね。そこのカフェはパンケーキが有名なんだ、参考になるかもしれないよ」

 

~1時間後~

 

彼に乗せられてあげました。

別にパンケーキが食べたかったわけではありません。

まあ、パンケーキが有名なだけあって美味しくはあるんですが。

 

カフェに着いてからは、お菓子作りの話で盛り上がりました。

彼もお菓子作りが趣味なんだそうです。

最初は嘘だと思い、しっぽを掴んで恥をかかせてあげようと思ってたんですが、本当にお菓子作りが趣味みたいなんです。

 

そろそろ時間も時間なんで、本題に入ることにしました。

 

「ところで、相談したい事って何なのかな?」

 

少しの沈黙の後、彼は口を開きます。

 

「一色さんは、○○小学校の出身校なんだよね?」

 

ヤバいです。ヤバいです。本当にヤバいんです!

彼は私のこと、知りすぎています。

イケメンのストーカーとか、本当の本当の本当にヤバいんです!

私が恐怖に狼狽えていると、

 

「黒田録さんって、知ってるよね?」

 

私はお兄ちゃんの名前が彼の口から出たことによって、頭が真っ白になります。

 

「この前、剣道の全国大会があって僕も出場したんだ。まあ、僕は一回戦で負けてしまったんだけど、黒田さんはその全国大会で鬼の様な強さで優勝したんだよ」

 

えっ、・・・・・優勝?

 

「僕は黒田さんの強さに憧れたんだ、だから彼の事をもっと知りたい。それで一色さんに、黒田さんの事を教えてもらえないかなと思って」

 

彼は興奮している様で、顔を赤くしています。

 

お兄ちゃんが剣道の全国大会で優勝していた事を初めて知りました。

手紙のやり取りをしていますが、そのようなことは書いてありませんでした。

というか、お兄ちゃんは学校での事をあまり書いてくれません。

上手く馴染めてないのかなと、心配になります。

 

「そっか、お兄ちゃんは日本一の強さを手にしたんだね」

 

私も、負けてられません。

お兄ちゃんに置いてけぼりにされるわけには、いかないんです。

 

 

それから私は、お兄ちゃんの素晴らしさを脇屋君に教えてあげました。

食い付きかたが凄く、私も饒舌になってしまいます。

彼は"私のストーカー"などではなく、"お兄ちゃんのファン"だったようです。

 

「一色さんが羨ましいなあ、僕も黒田さんとお話してみたい」

 

そうでしょう、そうでしょう。あなたでは、お兄ちゃんの足元にも及びません。

 

「一色さんが羨ましいなあ、僕も黒田さんと手繋ぎ登校してみたい」

 

私の時間が止まりました。彼の言葉がうまく理解出来ません。

 

「一色さんが羨ましいなあ、僕も黒田さんの鍛え上げられた体で抱きしめてもらいたい」

 

店内の時間が止まりました。脇屋君のことをチラチラ見ていた周りの席の女の子達が、口を開けたまま固まっています。

 

彼は"お兄ちゃんのファン"などではなく"私の敵"でした。

 

「一色さんが羨ましいなあ」

 




次の話からは総武高校編です。
次もよろしくお願いします!


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3人の始まり

総武高校編です。よろしくお願いいたします!


「交通事故です。負傷者がいますので、救急車をお願いします。場所は・・・」

 

用意していた言葉で、救急車を呼ぶ。

 

「彼をそちらの方に移動させます。頭を動かさないようにお願いしますね」

 

用意していた救急セットで、できるだけの応急処置を始めた。

 

俺は今、交通事故現場にいる。ただの事故現場では無い。

 

3人の始まりの場所だ。

 

~~~

 

中学校の卒業式が終わって1週間後、母親と一緒に千葉に戻ってきた。

住むところは小学生の頃に住んでいた場所とは違い、総武高校の近くのこじんまりとしたアパートで、2人で住む分には問題なく、充分すぎるくらいの所だ。

 

こっちに戻って来て、いろはちゃんに再会するという事は、まだしていない。

今すぐに会いに行きたい気持ちもあるのだが、彼女との約束が俺の足を踏み止めた。

 

「いろはちゃんを総武高校で待ってるから」

 

俺の方から彼女に会いに行くのは、ルール違反な気がする。

俺のやることは、彼女と再会した時にガッカリさせないよう、迷わずに自分の"道"を進んで行くということだ。

 

 

そして俺は・・・、千葉に来て早々に“道”に迷っていた。

心理的な事では無く、地理的な事だ。

こっちに来た次の日の朝、日課となったジョギングをしていたのだが、久しぶりの千葉に気持ちが高ぶっていたのか、少し遠くまで来すぎてしまったようだ。

どの辺りに自分が居るのかを確認するために、標識を探していると、

 

「おはようございまーす♪」

 

挨拶の声に目を向けると、明るい茶髪の女の子が飼い犬のミニチュアダックスフンドを連れて通りすぎて行った。

俺は女の子の後ろ姿に向かって、

 

「おはようございます!」

 

挨拶を返すと、女の子はこちらに顔を向け笑顔で会釈をする。

俺は彼女に近寄りながら、

 

「このミニチュアダックスフンド、可愛いですね。名前は何ていうんですか?」

 

俺の質問に、

 

「サブレっていいます♪」

 

俺は運命に感謝する。

 

「名前も可愛らしいですね。

あー、実は道に迷っちゃって、総武高校ってどっちの方向ですか?」

 

「あっ、その高校だったら向こうの方向ですよ。私、4月からその高校に通うんで」

 

彼女との出会いに感謝する。

 

「・・・偶然だね。俺も総武高校に通うんだよ。」

 

「じゃあ、同い年なんだー。よろしくね」

 

「こちらこそ、よろしく」

 

~5分後~

 

「それじゃあ、行くね」

 

「それじゃあ、道を教えてくれてありがとう。」

 

彼女はサブレに引かれ歩きだした。

 

俺は、感謝する。

千葉に戻って来て、最初にしなければいけなかった目的が、叶った事に感謝する。

 

俺は、彼女の後ろ姿に向かって歩き出した。

 

 

それから1週間、俺の朝の日課は増えた。

ジョギングを変わらずこなし、その後は1人の女の子を尾行している。

帽子、眼鏡、マスクにコートと完全装備だ。

彼女の警戒心が少しでも高かったら、俺は警察に通報されてもおかしくないだろう。

しかし彼女の警戒心はゼロに等しい、容姿が良いのだから変態さんに目をつけられないか心配になってしまう。

 

なぜ彼女を尾行しているのかというと、ストーカーとして目覚めてしまったからという理由では無い。

入学式当日に起こる交通事故の場所を特定するためだ。

物語の中で、入学式の日も犬の散歩をするくらいだから、毎朝の散歩は彼女がしている可能性が高いとは思っていた。

入学式までの休みを使い探し出すつもりでいたのだが、千葉に来た次の日に見つけれたのは運が良かったと思う。

この1週間、彼女の散歩コースには規則性は無くバラバラで、散歩コースを決めているのは飼い犬のサブレのようだ。

この分だと、入学式当日も彼女を尾行する事に・・・・・、

いや、サブレを尾行する事になるだろう。

 

俺は、別に交通事故の場所を特定して、比企谷君を助けようと思ってる訳では無い。

彼を助けてしまうと、この物語のきっかけが無くなってしまう。

あの事故で3人の関係はスタートするのだ。

 

ただ、同じ様な状況に遭遇して死んでしまった身としては、彼の事が心配でならない。

出来る事なら、少ないダメージで乗り気ってほしいと思う。

だから俺は、彼のケアに最善を尽くすため動くのだ。

 

~~~

 

やはり、比企谷君の意識は無いようだ。俺は、怪我の箇所を確認していく。

いつもの尾行ルックのため、ここが交通事故の現場では無かったら、酔っぱらって寝ている人の財布を盗もうとしている、スリ犯に間違われてもおかしくないだろう。

 

チラリと左側を見ると、彼をはねてしまった運転手が顔面蒼白になりながらも応急処置を手伝ってくれている。

その運転手の向かい側には、事故の原因となったサブレを抱いた由比ヶ浜さんが佇んでいる。

両方の目には涙を溜めて、比企谷君の事を心配そうに見つめていた。

 

〈カラーン〉

 

俺は消毒液を落としてしまったことで、自分の手が震えている事に気付いた。

比企谷君が撥ね飛ばされたシーンを見た後から、心臓の鼓動が早くなっている気がする。

これがトラウマというものなのかもしれない。

 

「君、大丈夫かい?」

 

顔面蒼白な運転手が俺の心配をしてくれたことで、なんだか可笑しく思え、気持ちが少し楽になった。

 

「大丈夫です」

 

それから出来る限りの応急処置を施し終えた俺は立ち上がり、事故を起こした車の後部座席に目を向けた。

こちらからは、そこに居るであろう女の子の様子は窺うことは出来ないが、俺の頭の中では彼の事を心配そうに見つめている物語の中の彼女がそこには居る。

 

これから1年後に交わる彼等の運命を、俺はどれだけ近くで見れるのだろうか。

 

遠くから聞こえてきた救急車のサイレンを耳にして、集まって来た野次馬の中に消えて行く俺は、これから始まる入学式へと歩みを進める。

 

 



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仕掛けられた地雷

一年生のクラス分けは、アニメを見返したんですが、何も描かれて無いようだったので、書きたい様に書かせてもらいました。


「おはよう」

 

クラスメイトと挨拶を交わしながら、自分の席へと辿り着く。

慌ただしかった入学式の日から2ヶ月が経ち、高校生活もだいぶ馴染んできた。

クラスメイト達とも友好的な関係を築け、中学生時代の様な独善的な関係にならないように気をつけている。

 

入院中だった比企谷君は、少し前から学校に通うようになっていた。

廊下ですれ違った際、ギブスで固定されていたであろう右足以外は、どこも心配ないように見える。

ただ、彼が怪我をしてしまう原因を作った由比ヶ浜さんは、見かける度に暗い顔をしていた。

彼女達の関係に介入するつもりは無いのだけれど、あんな顔をされたら心配になってしまう。

彼の元気になっていく姿を見て、心の重りが軽くなるように願うばかりだ。

あの場所に居たもう一人の雪ノ下さんはというと、物語の中で"氷の女王"と比企谷君に言われるだけあり、容姿はとても綺麗で、人を寄せ付けない雰囲気を纏い、感情が読めない。

今の彼女が、何を思って学校生活を送ってるのかは、俺には知る事は出来ないだろう。

 

彼ら奉仕部の3人とは、同じクラスに編成されなかった。

雪ノ下さんとは科が違うため、元から同じクラスにはなれないと解っていたのだが、比企谷君と由比ヶ浜さんのどちらかとは、クラスメイトとして親交を深められたらと考えていたため残念に思ってしまう。

 

だが、嬉しい事もある。

 

「クロダ君、パねぇわー!マジ、朝から黄昏過ぎだからー♪」

 

「戸部君、おはよう」

 

「おはよーっす♪」

 

そう、葉山グループの"戸部翔"である。

高校一年生の彼は、まだ葉山グループでは無いのだが、チャラい感じは物語の中の"戸部翔"そのままなのだ。

 

「何々、恋愛的な事とかで悩んでる系?」

 

「いや、悩み事なんか無いよ。」

 

いや、悩み事はある。俺は、今の"悩みの種"に顔を向ける。

そこには、肩までの長さの黒髪に赤いフレームのメガネを掛けて読書をしながらチラチラとこちらを見ている、小柄な女の子が居た。

そう、彼女もまた葉山グループの1人の"海老名姫菜"である。

 

彼女はこうやって俺と戸部君が話していると、少し気持ち悪い笑みを浮かべながらチラチラ見ているのだ。

彼女の頭の中でどんな光景が広がっているのか、考えただけでゾッとしてしまう。

 

「クロダ君、わかりやすすぎっしょー!」

 

「えっ、何が?」

 

「メッチャ海老名さんの事、見てっからー♪

俺、察しちゃう系だから、クロダ君、パないわー」

 

「そ、そんな事、無いからー!好きになるとか無いからー!戸部君、安心していいからNe!!

ガンガン恋しちゃってー!もう、You恋しちゃいなYoー!!」

 

「お、おう」

 

フー、危ない、危ない。

戸部君が海老名さんに恋をする未来がこないと、奉仕部の未来も変わってしまう。

 

これからの学校生活は、そこら中に地雷が仕掛けられているのだ。

 

「ところでクロダ君、帰りにみんなでカラオケ行くっしょ!」

 

「大丈夫だけど、サッカー部は?」

 

「戦士の休息なわけよー。1年の扱い、世知辛いわー」

 

彼は物語の中の様にサッカー部で頑張っている。

いろはちゃんの良いパシリ・・・ゴホン、ゴホン。

良い先輩として彼女を支えてあげてほしいものだ。

 

 

~放課後~

 

「クロダ君の歌声、痺れるわー」

 

「へへっ、ありがとう」

 

俺達はカラオケにやって来たのだが、俺は人前で歌うという行為にまだ慣れていない。

この世界に来て同級生達と深く関わろうとはせずに、剣道に逃げていたせいだろう。

 

こう思える事は、成長したのだろうか。

それとも、弱くなっているのだろうか。

 

どちらにしても俺は、この空間を楽しみたいと思えている。

 

「今日は歌いまくりっしょ!」

 

「そうだね♪」

 

 

それから、同級生達との時間を過ごし。

 

「ちょっと、トイレ行ってくる」

 

俺は立ち上がって部屋のドアに手をかける。

 

「ちょー、クロダ君!今から俺の歌声で痺れる順番っしょー」

 

「戻って来てから聞かせてもらうよ」

 

「ちょー、クロダくーん!」

 

 

俺は部屋を出て、トイレへ向かう。

その道中、受付の方が騒がしかったため様子を窺うと。

 

「イイじゃん、遊びに行こうぜ♪」

 

「うっさい、消えろし」

 

「またまたー、連れないこと言っちゃってー」

 

「マジ、キモいんだけど」

 

女子高生3人のグループが、大学生ぐらいの男2人にナンパされているようだ。

そして、その中の1人の女の子には見覚えがあった。

 

葉山グループの女王様"三浦優美子"である。

 

彼女とは面識が無く、物語の中の彼女と比べ、どうなのか解らないのだが、ナンパ男に対しての対応をみると、今の彼女も女王様をやっているようだ。

 

「ガキが調子乗ってんじゃねーぞ!」

 

「ガキに声をかけるなよ」と言ってやりたいのだが、男達の低い沸点が女王の攻撃によって、もう限界をむかえそうだった。

 

「ごめーん、三浦さん!待たせちゃって♪」

 

俺は、彼女に声を掛ける。

 

「・・・・・・」

 

「ちっ、なんだよ。男連れだったのかよ」

 

このままナンパ男が引いてくれて、無事解決と思っていると。

 

「あんた、なんだし。あーし、知らないんだけど」

 

「・・・・・」

 

俺は、固まって次の言葉を出せなくなってしまった。

 

「ゆみこー、隣のクラスの“ロクダ君”だよー」

 

女王様の隣の女子に追い討ちをかけられる。

“ロクダ君”って誰?まあ、間違えやすいけど。

これって、“ヒキタニ君”的な事だよね。

隣のクラスで俺の事、“ロクダ”になっちゃうの?

 

「マジ、キモいヤツばっかだし。もう、行こう」

 

「ちょ、ちょっと、優美子」

 

「ごめんねー、ロクダくーん♪」

 

「・・・・・」

 

俺は言葉を出す事ができないまま、彼女達の背中を見送った。

 

「・・・・・」

 

「「プ、ププハハハハハハハハ!」」

 

「・・・・・」

 

「おい、にいちゃん!笑わせんなよー。マジ腹いてー、けっさくだぜ」

 

「・・・・・」

 

「もう、行こうぜ。あー、イイもん見れたわ」

 

「・・・・・」

 

今度は、ナンパ男達の背中を見送る。

俺は、暫くその場に、1人で佇んでいた。

いや、違う。

受付のカウンターで一部始終を見ていたであろう店員が、1人で佇んでいる俺に哀れみの視線を送っている。

 

「・・・・・」

 

女王様の洗礼に、俺は改めて思ってしまう。

 

これからの学校生活は、そこら中に地雷が仕掛けられているのだと。

 



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捻れ者

梅雨の晴れ間のムシムシとした風が、顔を撫でていく。

俺は、ジャージ姿でグラウンドに立っていた。

 

「あっちぃーわー、やる気ナッシングだわー」

 

「梅雨だから湿度が高いしね」

 

これから体育の授業が行われるのだが、この場にいる者の士気は低い。

 

「あっ!」

 

「なになに、UFO見ちゃった系?」

 

「いや、何もないよ」

 

体育の授業に参加している比企谷君を見つけた。

退院してからはずっと見学をしていたのだが、怪我が完治したようだ。

 

そこへ体育の教師がやってきた。

 

「おまえら、キャッチボールやるからペアになれ」

 

教師の声を聞いて、生徒達がペアを組んでいく。

 

「戸部君、ゴメン!今日は、他の人とペア組んで」

 

「ちょー、クロダ君!?」

 

本当にスマン!戸部君。

俺は、比企谷君のもとに駆ける。

 

んっ、なんか海老名さんが喜びそうなシチュエーションになってない?

女子が体育している方から、視線も感じるような。

 

そそくさと移動し、壁に向かってボールを投げている比企谷君に声を掛ける。

 

「ペア、組まない?」

 

「・・・・・」

 

聞こえていないのか、無視しているのか解らないが、彼は変わらずに壁とのキャッチボールを続けている。

 

こんな事でヘコたれるはずも無く、もう一度声を掛けた。

 

「ヒッキー、組もう!」

 

「ヒッキー、言うな!・・・・は?」

 

“ヒッキー”に反応してしまったみたいだが、面識が無い人物だったため困惑している。

小学5年生で一度だけ会っているんだけど、流石に覚えては無いみたいだ。

 

「C組の黒田だけど、ペアどうかな?」

 

「・・・・・」

 

比企谷君は何も言わずに、こちらの意図を探っているようだった。

 

「そんな警戒しなくても大丈夫だよ、比企谷君にもメリットあるから」

 

「メリット?」

 

比企谷君が少し興味を持ってくれたようだ。

 

「そうなんでございます。私と組んで頂けましたら、比企谷様の人生で味わった事がない様な、素晴らしい体験ができるんでございます。」

 

「怪しすぎるだろ、ヤバイ宗教の勧誘かよ!」

 

「違うますよー。ゴホン!ところで、ペア組んでくれる?」

 

「メリットってなんだよ」

 

ここで俺は切り札を出す。

 

「なんと、俺と組むと・・・・・、球速130キロ台の豪速球のキャッチボールが出来るんです」

 

そうなのだ。剣道に打ち込んだ副産物かは解らないが、俺は130キロ台のボールを投げる事が出来る。

中学校の頃は野球部のエースより、速い球を投げる事が出来たのだ!

 

「はっ?」

 

「どう、最高じゃない♪」

 

「おまえ、バカなの?俺にデメリットしかねーよ」

 

な、なんだと・・・・、戸部君は最高に喜んでくれたのに。

流石は比企谷君だ、予想以上に手強い。

 

「フフフ、理由を聞かせて貰えるかな?」

 

「はぁー、素人がそんな速い球を捕れるわけねぇだろ。こえーわ、それに捕れたとしても手が痛いから。何?足が完治したら、次は手を折られちゃうの?そりゃー、人生で体験したこと無いわ」

 

「・・・・・」

 

なんも言えねー。冷静になってみればそうなんだけど。

比企谷君との絡みで、テンションが変な方向に上がってしまっていたようだ。

もうここは、強引に進めてしまおう。

 

「よし、じゃあやろうか」

 

「なんでだよ」

 

「その壁よりは、生きたボールを返せるよ」

 

「俺が欲しいのは生きたボールじゃなくて、1人だけの空間なんだよ」

 

「・・・・・」

 

彼は、やっぱり捻れている。

 

「そっか、わかったよ」

 

「じゃあな」

 

 

 

〈ドンッ〉〈パシッ〉

 

〈ドンッ〉〈パシッ〉

 

〈ドンッ〉〈パシッ〉

 

「・・・・・」

 

〈ドンッ〉〈パシッ〉

 

「・・・・・」

 

〈ドンッ〉〈パシッ〉

 

「おい!」

 

「へっ、なに?」

 

「なんで、お前も壁に投げてんだよ」

 

「ペアが組めなくてね、誰か組んでくれる人はいないかなー」

 

(チラリ)

 

「ウゼェー」

 

ふっふーん、俺はタダでは転ばない。

俺達はそのまま二人並んで壁にボールを投げていた。

 

 

「なかなか出来る事じゃないよ」

 

壁を叩くボールの音と他の生徒達の声しか聞こえていなかった空間を俺の声が切り裂いた。

 

「はっ?」

 

「誰かを助けるために自分を犠牲にするって事」

 

「・・・・・」

 

彼はこれからも自分を犠牲にする。

自分だけで解決しようとしてしまう。

 

「なんか困った事があったら協力するから」

 

この言葉は物語の続きを見るためにとか打算的な事じゃなく、自然に出てきたような気がした。

 

「困った事があっても、おまえに協力してもらう筋合いはねぇーよ。同情すんな、気分悪くなる」

 

「同情じゃないよ、憧れているんだ」

 

「はっ?」

 

物語の中の彼は、間違え続けても前に進んで行く。

自分を傷つけながら進んで行く。

 

本物を掴むために。

 

「憧れているんだ」

 

「おまえ、大丈夫か?

ボッチに憧れるとか、気持ち悪いぞ」

 

「この前も言われたばかりだよ」

 

「はぁー、何なのおまえ」

 

そこで、体育教師から声がかかる。

 

「集合!」

 

俺は、壁当てを止め

 

「今日はありがとう」

 

「何もしてねーよ」

 

「それじゃあ、また」

 

「・・・・・おう」

 

俺は、集合場所に向かって駆けながら思う。

 

やっぱり彼は捻れているんだと。

 

海老名さんの視線を遠くに感じながら駆けていく。

 

 



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梅雨の雨

梅雨の雨が地面を濡らしている。

昼休みのチャイムが鳴るとすぐに教室を後にして、比企谷君のベストプレイスにお邪魔したのだが、さすがに今日はいないようだ。

少し待っていたのだが、諦めて教室に戻ることにする。

湿気のせいで滑りやすくなった廊下に注意しつつ、2日前にお邪魔した時のことを思い出していた。

 

~~~

 

「来ちゃった」

 

「・・・・・」

 

比企谷君は、ものすごく嫌そうな顔をして俺を見る。

 

「ほい」

 

俺は比企谷君にマッ缶を投げ渡す。

 

「俺は養われる気はあるが、施しを受ける気はない」

 

「まあ、場所代だと思って受け取ってよ」

 

「ボッチのサンクチュアリーをなんだと思ってんだよ」

 

「凄く神聖な気分だ、ボッチパワーがみなぎってくる!」

 

「はぁー、頭が痛くなってきた」

 

「よっこいしょ」

 

俺は腰を下ろし、弁当を食べ始めた。

 

「比企谷君は養われたいだよね?」

 

「まぁな、希望職種は専業主夫だからな」

 

「じゃあ、結婚しないとね」

 

「うるせぇーよ!」

 

俺達はそうやって、昼休みを過ごしていった。

 

~~~

 

俺は比企谷君のために買ったマッ缶を飲みながら廊下を進む。

 

「やっぱり甘いな」

 

血液が糖分に変わってる気がした。

思考が砂糖の海に溺れかけていた時、女の子の悲鳴で現実に帰ってくる。

 

「キャッ!!」

 

その方向に視線を向けるとプリントの束を持った女の子が、滑りやすくなった廊下のせいで転んでいるところだった。

 

プリントの束が空中に舞い上がり、瞬きの間で雨のように床へと落ちてきた。

 

「いったぁーい」

 

「・・・・・白」

 

固定していたい視線を無理やり動かし、プリントを拾い集めながら彼女の元に駆け寄る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

彼女の顔を見た瞬間、物語の中の登場人物の1人が俺の頭の中に浮かんだ。

お下げ髪がよく似合う癒し系の可愛らしい顔立ち。

未来の生徒会長の白巡、ゴホン、ゴホン。

えーと、未来の生徒会長の"城廻めぐり"先輩だ

 

「立てますか?」

 

「んー、んー、ちょっと無理みたいかな」

 

転んだ拍子に足を捻ってしまったみたいだ。

彼女にプリントの束を渡す。

 

「ありがとうございま、ふぇっ!」

 

俺は彼女を"お姫様だっこ"して保健室に向かう。

 

「ちょっと、ちょっと!」

 

「すいません、少し我慢していて下さいね」

 

「・・・・・」

 

彼女は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。

俺も顔が熱い、たぶん真っ赤になっているのだろう。

 

なぜ、有無を言わさず"お姫様だっこ"を決行したのかというと。

彼女の白を守るためだ!

"おんぶ"より"お姫様だっこ"の方が彼女の白を俺の支配下におけるのだ。

「肩を貸すだけで、よかったよね?」という輩がいると思うが、そんな選択肢は最初から俺の頭の中には無い!

馬鹿な考えをしていたら、保健室へと着いてしまった。

保健室の扉を開けて中に入ると、養護教諭は居ないようだ。

 

「イスに降ろしますね」

 

そう言って、彼女を椅子に座らせる。

 

「ありがとうございます。でも・・・、肩を貸してくれるだけで、よかったですよね?」

 

な、なんだと・・・・。

俺の善意が解ってもらえていなかったみたいだ。

 

「いやいや、捻挫とかも早くしないと危ないんですよ!」

 

俺は比企谷君の応急処置のために覚えた知識で彼女を治療していく。

 

「そうなんですか?」

 

「そうなんです。この前も同級生を応急処置したんですが治療が遅れちゃって、その子の目を腐らせちゃったんですよ」

 

「・・・・・」

 

包帯を巻き終えて、顔をあげる。

 

「終わりまし・・・」

 

彼女のジト目が俺を貫く。

治療が遅れて、少し腐ってしまったようだ。

 

「すいませんでした」

 

俺は素直に謝る事にした。

 

「ぷ、ふふふ。こちらこそ、すいませんでした。迷惑かけちゃって」

 

彼女の笑顔を見て安心する。

 

「迷惑だなんて思ってないですよ。

それに俺の方が年下なんで敬語はやめてください、城廻先輩♪」

 

「ふぇ、そうだったの!それに私の名前も・・・」

 

「可愛い先輩の名前はリサーチ済みです♪」

 

「もう、からかわないでよー!」

 

彼女はほっぺを膨らます。

 

何なの?この可愛らしい生き物!

はぁー、癒される。

 

「君の名前は?」

 

「黒田録です。よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ、城廻めぐりです。よろしくお願いいたします♪」

 

「あっ、そういえば!」

 

「どうしたの?」

 

「プリントはどこに運んでたんですか?」

 

「あっ、そうだった。職員室に運んでたんだったー」

 

「それじゃあ、俺が持っていきますよ」

 

「えっ、いいのかな?」

 

「頼ってください」

 

「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね」

 

俺は机の上に置いていたプリントの束を手に持った。

 

「それじゃあ職員室まで行って来ますね」

 

「ちょっと待って」

 

歩き出そうとしたところで、彼女に呼び止められる。

 

「どうしました?」

 

「えっと、えっとね、お礼をしたいから連絡先を交換してくれないかな?」

 

「・・・・・」

 

俺は喜びのあまり、言葉を出せなくなった。

 

「駄目かな?」

 

「お、お礼とかはどうでもいいんですが、連絡先は交換したいです。ていうか、むしろそれをお礼の品として頂きたいというか・・・、俺と連絡先を交換して下さい!」

 

「やったぁ、じゃあ交換だねー」

 

彼女に携帯電話を差し出す。

 

高校生になって携帯電話を持つようになったのだが、登録先に女の子の名前が無い。

そう、これが初めて女の子との交換になる!

そして、俺の初めてを城廻先輩が奪ってしまうのだぁー!!

 

「登録終わったよ」

 

「あ、ありがとうございまする」

 

「じゃんじゃん、連絡してね!」

 

「は、はい!」

 

俺は喜びに震える。

 

「それじゃあ、職員室に行ってきますね」

 

「うん、お願いね」

 

保健室を出て、職員室まで続く廊下をスキップで歩く。

 

梅雨の湿気のせいで滑りやすくなった廊下は、プリントの雨を降らせるのだった。

 

 



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魔王降臨

総武高校から歩いて10分の所に小さな喫茶店がある。

女子達がこぞって押し掛けるオシャレな店という感じでは無く、落ち着いた雰囲気が特徴的でゆったりとした時間が店内には流れていた。

 

俺は夏休みの初日から、この喫茶店でアルバイトとしてお世話になっている。

マスターは今年66歳になるそうで、定年退職後に喫茶店を始めたそうだ。

ここで働き始めて10日が経ち、ある程度の事はこなせるようになった。

今日もマスターから店番を頼まれ、今は1人だ。

あまりお客さんが来ないため、経営の方は大丈夫なのかと心配になってしまう。

 

時計に目をやる。

時間は午後2時を過ぎた辺り。

 

「暇だぁ」

 

これでバイト代が貰えるのは大変嬉しいのだが、罪悪感というか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

店内に流れるクラシック音楽を耳に、ゆったりとした時間が流れていく。

 

〈カラン、カラーン〉

 

ドアが開くと鳴るベルの音で、そちらに顔を向ける。

 

「いらっしゃいませ」

 

「こんにちは、黒田君」

 

「こんにちは、城巡先輩」

 

彼女はこうやって、よく来てくれる。

お客さんがいない時は話相手になってくれ、お客さんがいる時は読書に勤しんでいる。

 

「いつもので大丈夫ですか?」

 

「うん、お願いね」

 

カウンターの中に入り彼女がいつも注文してくれる紅茶とケーキのセットを用意する。

 

「様になってきたね!」

 

「ありがとうございます。城巡先輩がいつも来てくれるからですよ」

 

「そうなの、えへへっ♪」

 

はぁー、癒されるー。

 

「用意できましたよ、お嬢様」

 

「もう、恥ずかしいよー」

 

そうやって、2人だけのゆったりとした時間が流れていく。

 

 

 

「紅茶のお代わりは、どうですか?」

 

「お願いできますこと」

 

「かしこまりました。お嬢様」

 

2人で戯れていると、

 

〈カラン、カラーン〉

 

ドアベルが鳴る。

 

「いらっしゃいませ」

 

俺は仕事モードに切り換えて入り口の方を向くと、一組の美男美女が店の中に入ってきた。

男性の方は見たことがあった。

葉山グループの中心人物“葉山隼人”君だ。

物語の中と同じイケメンリア充で、勉強もスポーツも完璧にこなす非の打ち所がない男だ。

女性の方は見たことが無いのだが、彼女に似た顔立ちの女の子なら知っている。

たぶんこの女性は、

 

「ハルさん!」

 

そう、彼女は雪ノ下陽乃だ。

 

「あっ、めぐりー!奇遇だね」

 

「お久しぶりです」

 

「あの、お席の方はどうなさいますか?」

 

「じゃあ、めぐりの隣がいいなー」

 

城巡先輩はカウンター席に座っていたため、陽乃さんを挟んで3人が並んで座る形となった。

 

「こちらがメニューになります。

ご注文がお決まりになりましたら、お申し付け下さい」

 

「はーい」

 

「君は確か、戸部や比企谷とよく一緒にいる・・・・・」

 

「C組の黒田だよ、よろしく葉山君」

 

名前を知られていなくても、悲しく無いんだからね。

 

「そうだった、ゴメン黒田。俺は葉山だ、よろしく」

 

「私は雪ノ下陽乃だよ。君と同学年に妹ちゃんがいるんだけど、わかるかな?」

 

「わかりますよ、雪ノ下雪乃さんですよね。彼女は有名ですし、雪ノ下さんと容姿はそっくりなので」

 

「ふふふ、容姿はそっくりね。雪ノ下さんじゃなくて、陽乃で良いよ」

 

「滅相もないです!」

 

絶対に下の名前でなんか呼ばない、恐すぎる。

 

「さっき比企谷って言ってたけど、入学式の朝に交通事故にあった子だよね」

 

「えー、そうなんですか。大丈夫なのかな」

 

「城廻先輩、大丈夫ですよ。彼は一学期の途中で復学して、怪我も完治してますから」

 

「そうなんだ、安心したよー」

 

めぐりんはバファリンの比じゃないくらい、優しいんです。

 

「そういえば今年の入学式って、比企谷君も含めて4人の欠席者と遅刻者がいたんだって」

 

「そんなにですか」

 

遅刻者の1人は俺だ。

比企谷君の応急処置を終えてすぐに学校に向かっていたら間に合ったのかもしれないが、事故現場でのんびりとしすぎてしまった。

 

「そうなのよー。コホン、言い訳はあるのかな?黒田君」

 

「えっ?」

 

体が冷たくなっていく感じがする。

 

「ハルさん、なんで黒田君なんですか?」

 

「黒田君は、入学式の日に遅刻しちゃった悪い子なんだよね」

 

「そうなの?」

 

「・・・・・はい。次の日の入学式の事を考えてたら、なかなか寝付けなくて寝坊しちゃいました」

 

俺は苦し紛れの嘘をつく。

 

「私も去年の入学式の前の日は緊張しちゃったなー。えへへ」

 

城廻先輩の笑顔を見ても、俺の心は癒される事は無い。

 

「ふふふ、でも遅刻はイケないんだからね。話を戻すけど、比企谷君の事故にはヒーローがいるんだー」

 

「・・・・・」

 

「なんですか?ヒーローって」

 

「どこからともなく現れ、事故で怪我を負った比企谷君を救ってみせるとそのまま名を告げる事なく消え去る。ねっ!まさしくヒーローでしょ♪」

 

「それって、本当の話なんですか?」

 

「事故を起こした運転手が警察官に話してた内容によると、見た目は変質者みたいな格好で、所々から見える表情は高校生ぐらいの年齢だと判断されるんだって。それでもって、身長は・・・ちょうど黒田君ぐらいだったかなー」

 

「・・・・・」

 

「なんで変質者みたいな格好だったんだろう?」

 

「さあ、なんでだろうね、それにまだあるんだよ。その運転手は剣道の有段者みたいで、そのヒーロー君も剣道の実力が、かなりあったんじゃないかって言ってるのよ」

 

「剣道ですか?」

 

「うん、そうだよね。中学3年生の時に剣道の全国大会を優勝した黒田録君」

 

「えっ、黒田君?」

 

彼女の言う通り、剣道の有段者になると相手の所作で実力が解ったりする事がある。

ただ、彼女は嘘をついている。

 

「・・・・・雪ノ下さんは嘘をついてますよね」

 

「なんのことかな?」

 

「実は事故現場にいたんです」

 

「やっぱり」

 

「でもヒーローとかじゃ無いですよ、ただの野次馬です」

 

「ふぅーん」

 

「遠目からですけど運転手を見てたんですが、あの人は剣道なんかやってませんよ」

 

「ありゃー、バレちゃったかー」

 

すんなりと嘘を認めた事に驚きを感じる。

 

「すいません、ヒーローじゃなくて」

 

「大丈夫だよ、最後に一つ質問していい?」

 

「どうぞ」

 

俺が言葉を発した瞬間、彼女の雰囲気が変わった。

 

「どうして君は、寝坊して遅刻しそうだっていうのに学校とは真逆の事故現場に居たのかな?」

 

「・・・・・」

 

俺は雪ノ下陽乃が本当に恐ろしく感じた。

 

「どうしてかな?」

 

「・・・・・」

 

「陽乃さん、そんなに追い詰めたら彼が可哀想だよ。彼にも言えない事情があるんじゃないかな」

 

「そうですよ、ハルさん!黒田君は別に悪い事をした訳じゃなくて、誉められる事をやったんです!!」

 

今まで事故関連の話に加わる事が無かった葉山君と少し怒ってる様な感じがする城廻先輩が助けてくれる。

 

「えー、これから面白くなるところだったのにー」

 

「もう部活の時間だから、俺は先に失礼するよ」

 

「そう、付き合ってくれてありがと♪」

 

えっ、あなたは帰らないんですか?

 

「あー!今、帰れって思ったでしょ」

 

「・・・・・思ってないですよ」

 

一時間前までホワイトだった職場は、真っ黒々のブラックな職場になってしまった。

 

「すまない黒田。何も注文せずに」

 

「いや、こちらこそ」

 

「また来るよ」

 

「うん、楽しみに待ってるよ」

 

「黒田君!めぐりと同じのおねがーい」

 

「あっ、はい」

 

俺は彼女に言われた紅茶とケーキの用意に取り掛かる。

 

「*****なんだ」

 

〈カラン、カラーン〉

 

葉山君の声が聞こえた気がして振り向いてみると、ドアベルの音だけがその場に響いていた。

 

 



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仮面ロクダー

お食事中の方は不快な表現があります。
後、黒田録君は精神が病んでしまっているので後半はいつもよりアホな子になっています。


先日の一件から数日が経ち、夏休みも中盤へと差し掛かる。

 

「お疲れ様でしたー♪」

 

「お疲れ様、明日も頼むよ」

 

〈カラン、カラーン〉

 

今日のバイトも終わりドアを開けると、外は夕焼けに染まっていた。

 

「はぁー」

 

溜め息を一つ吐き、帰途につく。

 

喫茶店の冷房で冷やされた体は、夕方になっても下がることの無い気温で、汗が噴き出してくる。

シャツがベトベトと湿る不快感と闘いながら、先日の事を思い返していた。

 

あの時は冷房の効いた喫茶店の中だというのに、魔王の攻撃によって出た冷や汗で今の比では無いくらい服を濡らしてしまって・・・・・。

 

えっ、漏らしてないからー。

あれ、汗だからー。

本当の本当の本当だからねー!

・・・・・ゴホン、気を取り直して。

 

俺は結局のところ、応急処置をした事は認めた。

あの後も彼女の追求が止むことは無く、早く楽になりたいという思考に陥りゲロってしまったのだ。

ここでの"ゲロった"は白状したという意味で、本当にゲロってしまったのは彼女達が帰った後なので注意してもらいたい。

ただ何故あの場所に居たのかは、「偶然」で押し通した。

彼女もこれ以上、俺が話さないのだと解ると「そういう事にしといてあげる」と引き下がってくれ折り合いをつける事が出来た。

それに比企谷君に応急処置の事を知られたく無いから、他言しないでほしいという事も了承してもらい、これで彼に知られて面倒臭い事になる事態は起き無いと信じたい。

 

隣に座る城廻先輩も納得はしてくれたものの、変質者みたいな格好をしていたという事に最後まで引っ掛かっているようだった。

なので彼女に向かって、

 

「あの格好をしていたのには理由があるんです!俺の身体には暗黒龍が棲んでいて、朝の日の光りを浴びてしまうと暗黒龍が暴走してしまって・・・・・」

 

とヤバイ発言をしていると、

 

「解ったから、もうやめて!男の子には、そういう時期があるって事は知ってるから大丈夫だよ」

 

と言って、ダメな弟を見る様な目で俺の事を見つめながら頭を撫でてくれた。

 

『めぐりん、チョロい♪』

 

と思っていた俺の心が、自分への情けなさで泣いていたのは誰も知らないだろう。

 

ふと、頬を流れる涙で現実に戻ってくる。

 

「はぁー」

 

あの日からこうやって、よく溜め息を吐くようになった。

雪ノ下陽乃に恋をしてしまったからという理由では無い、出来る事ならもう二度と会いたく無いと思う。

彼女が帰り際に言った「また遊びに来るねー」のフレーズが頭の中でリフレインして、目に見えない圧力が俺の肩に重くのし掛かる。

 

俺は無事に2学期を迎える事ができるのだろうか。

 

「はぁー」

 

何度目かわからない溜め息を吐き顔を上げると、前の通りを見覚えのある女の子が横切って行く。

 

ゆるふわウェーブの金髪をなびかせ、美しく整った容姿が人の目を惹き付ける。

獄炎の女王の"三浦優美子"さんだ。

 

2ヶ月前に彼女からもトラウマを植え付けられたのだが、雪ノ下陽乃の恐ろしさを知ってしまった今、その出来事は些細な事に感じられる。

人はこうやって、大人になっていくんだな。

 

センチメンタルな気分で彼女を見ていると、ある違和感を感じた。

彼女の十数メートル後ろを二人組の男達が追いかけるように後をついて行く。

二人の男の間には会話は無いようで、その視線は彼女を捕らえたまま離さない。

俺の中で嫌な予感が膨れ上がってくる。

2ヶ月前の事を考えれば最悪な事態に陥る可能性も充分に予測できるため、俺は男達の後をつけて行く事にした。

 

 

 

数分つけているのだが、やはり男達は彼女の後をつけているようだ。

空のオレンジ色も闇が混じり始め、だいぶ視界も暗くなってきた。

俺はバッグの中を漁り、常備している尾行四点セットを引きずり出す。

 

コートを羽織り、マスクをつけ、帽子をかぶる。

そして、最後にダテ眼鏡を手に取ったところで動きを止めた。

これをつけても、正体がバレてしまう可能性があるという事を思い出したのだ。

 

『くそぉー』

 

自分の無力さに心の中で叫んでしまう。

瞬時に丸腰の状態で立ち向かう事を決意し、持っていたダテ眼鏡をバッグの中に仕舞おうとしたその時、バッグの角で見慣れない眼鏡ケースを見つけた。

 

「こ、これは」

 

夏休み前に買った、サングラスの入ったケースだった。

夏休み入ったら友達と海に行く機会があるだろうと買っていたのだが、今のところ出番はまだ無い。

 

い、いやさ、まだ夏休みも中盤だからー

それにバイトも忙しいしー

別にボッチって訳じゃないんだからねー

て、ちょっと待てよ。

比企谷君のベストプレイスの影響かもしれない。

ボッチのサンクチュアリー恐るべし!

ボッチパワーを過剰摂取しすぎたぜ。

 

あれれ、俺は何してたんだっけ?

あー、海に行きたいなって話だ。

比企谷君を誘って行こうかなー。

あっ、連絡先を知らないんだった・・・・・。

 

『くそぉー』

 

自分の無力さに心の中で叫んでしまう。

俺の弱さが三浦さんを助けるという事から目を逸らさせてしまった。

周りを見てみる、三浦さん達を見失ってしまったようだ。

ヤバイ急いで探さないと、俺は持っていたケースを開けてサングラスを取り出すと、

 

「変身!!」

 

掛け声と共にサングラスを装着する。

 

「仮面ロクダー、見参!!」

 

三浦さんのお友達に命名してもらった名前をモジって、最高のヒーローを誕生させてしまった。

 

「ねぇー、ママー、あの人なにー?」

 

「見ちゃいけません!この時期はああいう人が多いのよ!」

 

通り過ぎて行く親子が声援を送ってくれる。

 

「トォー!」

 

仮面ロクダーは、三浦さんの元に駆け出した。

 



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獄炎の女王

仮面ロクダーは悪を許さない。

 

仮面ロクダーは正義の味方。

 

 

俺は全力で走っている。

彼女のつけていた香水の匂いの痕跡を追って走っている。

仮面ロクダーになった黒田録の嗅覚は犬の6倍もあるのだ。

 

はっ、はっ、はー!

 

すいません、嘘をつきました。

仮面ロクダーになっても、いつもの黒田録です。

なんなら、夕闇が迫る周辺の暗さとサングラスのせいで、視界がいつもより悪くなってます。

 

俺は見失ってしまった三浦さんを闇雲に捜索していた。

 

そんな状態では見つけれるはずも無く、見失ってしまった場所から200メートルぐらいの位置にある、○○公園の側までやって来た。

ここは自然が豊かで少し大きめの公園だったはずだ。

 

んっ、あれは?

道端に落ちている物を見つけ、近くに駆け寄り掴み上げる。

 

「ハンカチ・・・」

 

すぐさま公園の中へと入って行く。

 

入るとすぐに男女が言い合っているような声が聞こえてきた。

 

「おい、静かにしろ!」

 

「触んないでよ!」

 

「大人しくしてれば、痛い思いはしなくて済むからさ」

 

な、なんだとー。

あいつら、三浦さんに何をしようとしてるんだー!

 

聞こえてきた声に妄想を膨らませ、声がする方に急ぐ。

 

「トォー!」

 

〈ズサー〉

 

足を地面の砂に滑り込ませながら3人の前に登場する。

 

「悪党ども、そこまでだ!」

 

三浦さんの様子を窺う。

彼女は男の1人に手を捕まれていて、必死に振りほどこうとしている状態だった。

恐かったのであろう、顔をひきつらせながらこちらを見ている。

想像していた光景とは違った事に安堵した。

 

「なんなんだコイツは!」

 

「話と違うぞ!」

 

男達が俺の登場に戸惑っているようだ。

 

「彼女を離して立ち去れ」

 

出来れば暴力沙汰は勘弁してもらいたい。

 

「おい、どうすんだよ。こんなヤバイ奴って聞いて無かったぞ!」

 

「ここまで来て、逃げられるかよ!」

 

男達は何かを話し合ったのち、攻撃態勢をとる。

 

「いいだろう、オマエ達に正義の鉄槌をくらわせてやる!」

 

自らの懐に手をやり、忍ばせていた物を掴む。

俺の行動によって男達に緊張が走った。

 

「あの世で後悔するんだな!必殺・・・」

 

掴んだ物を出し、ボタンを押して耳にあてる。

 

「もしもし警察ですか!?〇〇公園で女の子が襲われています!今すぐ来て下さい!!」

 

「「なっ!?」」

 

男達の時間が止まる。

 

「さあ、どうする?オマエ達が捕まるのも時間の問題だぞー!」

 

「おい、どうすんだよ!?」

 

「くそ!逃げるぞ!!」

 

男達は恐れをなして逃げて行く。

 

はっ、はっ、はー!

 

俺は通報などしていない。

これは、マジックアイテムで正義の番人を召喚したと思わせ、逃げるを選択させるという必殺技なのだー!

 

俺は男達が公園から出て行くのを見届けて、彼女の方に向きなおる。

 

「お嬢さん、お怪我は無いですか?」

 

「・・・・・」

 

さすがの彼女でも恐かったのであろう、言葉が出ないようだ。

 

「心配はいらないですよ、悪は滅びました」

 

「・・・・・あんた、C組の黒田でしょ?」

 

な、なんだとー、何でバレたー!

 

「ち、ち、ちがうよー!だれ、それー!!」

 

「・・・・・」

 

彼女は無言のまま、目の前までやってくると、

 

〈ひょい〉

 

俺の顔からサングラスを奪い去る。

 

「えっ!?」

 

「ほらー、やっぱりあんたじゃん」

 

反応できなかっただと・・・・・。

もう、お嫁にいけない!

 

「なんでそんな変な格好してんの?」

 

「・・・・・日焼けしたくないから」

 

ごめんよ、仮面ロクダー。

自分の弱さには勝てなかったよ。

 

「ふーん、それ暑くないの?」

 

「暑いけど、美白のためなら我慢できる」

 

「あんた、バカなの?」

 

仮面ロクダーを捨ててしまった俺には、美白キャラしかないのだ。

 

「ていうか、何で俺の名前を知ってるの?」

 

「わかるわよ!だって、・・・・・前にも助けてもらったし(ボソッ)」

 

「えっ、なんて?」

 

「もういいでしょ!うっさいし」

 

後半を聞き取れ無かったんだけど、顔を赤くして怒っているため聞くのはやめておこう。

 

「ところで、あの男達はなんだったの?」

 

「わかんないし。友達と別れて1人で帰ってたら、あいつらに急に手を引っ張られてここまで連れて来られたんだから」

 

「面識は?」

 

「無い。・・・あっ、もしかして前に付きまとってきた奴かも」

 

やはり、あいつらは女王様の洗礼を受けた男だったのかもしれない。

 

「三浦さんは、自分の言動には気をつけた方がいいよ」

 

「どういう意味よ、それ」

 

彼女はムッとした顔をする。

 

「別に愛想を振りまけとは言わないけど、もう少し遣り方があると思う」

 

「うっさい・・・・、助けたからって何様のつもり。

なんで近寄って来る男達の顔色を窺うような真似をしなくちゃいけないのよ」

 

彼女の美しくしさなら、数多くの男が近寄って来てしまうのだろう。

こうなってしまうのも仕方がない事なのかもしれない、だが

 

「三浦さんの事が心配なんだ!」

 

「えっ・・・・」

 

「今日みたいな事がまた起きて、君が傷つけられてしまうかもしれないと考えると心配なんだ!」

 

「・・・・・・」

 

物語の中の"三浦優美子"は女王様なのだが自身の近くにいる者に対しては世話焼きで友達思い、愛に溢れている女の子なのだ。

そんな彼女が誰かに傷つけられて、あの教室に"三浦優美子"がいなくなってしまうと考えると心配で堪らなくなってしまう。

 

「決めた!」

 

彼女の声が暗くなった公園に響く。

 

「あんたをボディーガードにする」

 

「・・・・・はっ?」

 

「だって、あーしの事が心配なんでしょ?」

 

「・・・・・」

 

彼女の頭の中がどうなっているのか心配で堪らなくなってしまう。

 

「だ・か・ら、あーしのボディーガードにしてあげる♪」

 

「ごめんなさい、無理です」

 

「うっさいし。もう、決めたの」

 

王様ゲームならぬ女王様ゲーム。

女王様の命令は絶対!女王様だーれだ?

・・・・・。

なにこれー、俺のターンは一生来ないよね!?

女王様の命令をこなしていくだけの流れ作業だし。

 

「あっ、あんたのコートのボタン、取れてるし」

 

「ふぇっ」

 

彼女の声で現実に帰ってくる。

コートを確認してみると確かにボタンが無かった。

たぶんバッグから取り出す時に引っ掻けてしまったのだろう。

 

「コート脱ぎな」

 

「はっ?」

 

何?身ぐるみまで剥がされちゃうの?

 

「あーしがボタンを付けといてあげる」

 

「あっ、自分で出来ますんで大丈夫です」

 

「いいから脱ぐ」

 

俺はコートを脱がされる。

女王様の命令は絶対!

 

「あーれぇー」

 

「いちいち反応すんなし」

 

彼女はコートを剥ぎ取り満足そうにこちらを見ている。

 

「自分で出来るからよかったのに」

 

「ボディーガードのケアはしてあげないとね」

 

ボディーガード=ペットって意味じゃ無いですよね?

 

「出来上がったら連絡するから、あんたの連絡先を教えて」

 

そう言うと手に持っていた携帯電話を奪い取られてしまう。

そして連絡先の交換が終わると彼女は、

 

「じゃあ、あーし帰るから」

 

落ちていたハンカチの事を思い出し声をかける。

 

「このハンカチって、三浦さんのじゃない?」

 

彼女に手渡すと

 

「あーしのじゃない、ていうかこれ男物でしょ」

 

なるほど、なるほど。

それじゃあ、あの男達のどちらかが落とした物なのだろう。

 

「じゃーね」

 

「送って行かなくて大丈夫?」

 

もう、あの男達はいないと思うが心配だ。

 

「ここから近いから大丈夫。なに?あんた、家に上がり込もうとか考えてる?」

 

「いえいえ、滅相もないです」

 

「少しくらい考えなさいよ、ボディーガードでしょ!」

 

彼女はスタスタと公園の入口の方に向かって歩いて行く。

えっ、俺はどうしたらいいの?

 

すると彼女は立ち止まり、こちらへクルリと振り返る。

 

「今日も助けてくれて、ありがと♪」

 

そう言うと、小走りで公園から出て行ってしまった。

 

「・・・・・可愛い」

 

最後のめっちゃ可愛いんだけど、ボディーガードも言うほど悪く無いのかもしれない。

 

 

ふー、緩んだ気持ちを切り換え、最後の仕事をするため後ろに目を向ける。

そこには、木々や背が高い植物などが生えていた。

 

「そこで、見てないで出てきたらどうかな?」

 

この場所に来てからずっと視線を感じていた。

最初は勘違いかと思っていたのだが、だんだんと気配が強くなる。

 

〈ガサガサ〉

 

「・・・・・」

 

「ニャー」

 

一匹の黒猫が出て来た。

 

「・・・・・」

 

最初から、猫って解ってたんだからね!

 

「ニャー」

 

「・・・・・可愛い」

 

「ニャー」

 

「もう、暗いからお家に帰りな」

 

「ニャー」

 

猫はそのまま入口の方まで歩いて行く。

 

「よし、俺も帰るか」

 

猫の後を追うように入口に歩いて行く。

 

“雪ノ下陽乃”に“三浦優美子”俺は無事に2学期を迎える事ができるのだろうか。

 

「はぁー」

 

溜め息を一つ吐き、帰途につく。

 

 

〈ガサガサ〉

 



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魔王と女王と心のオアシス

今日から新学期が始まる。

地獄のようだった夏休み後半も終わり、なんとか無事にこの日を迎えられた。

 

だが地獄の日々ばかりだったかというとそうでも無く、城巡先輩という名の心のオアシスが居てくれた。

彼女との喫茶店での時間は俺の心をほっこりとさせてくれ、この時間が永遠に続いてほしいとも感じさせてくれた。

 

それなのに魔王は突如として現れる。

 

〈カラン、カラーン〉と鳴るドアベルをきっかけに店内に流れていたクラシック音楽が無音になる感覚に陥った。

店内に入ってきた人物を見た俺の頭の中には、シューベルトの[魔王]が流れてくる。

彼女が席に着き、俺に話しかけてくるたびに福岡に居る父親に向け「お父さん、お父さん!」と叫びたい衝動にかられてしまい、心のオアシスから変な目で見られてしまった。

 

勤務中に散々と精神を削られバイトを終えると、次は女王様からの呼び出しである。

 

「〇〇に居るから迎えに来て」と言う命令を受け、馳せ参じれば「ロク、遅いし」とお叱りを受ける。

この女王様フルコースは、ほぼ毎日頂戴する事になった。

それと、名前呼びを許した覚えは無い!

ただ彼女のアメとムチのバランスは絶妙で、俺が疲れた顔をしていると褒美と称し、女の子に流行っているというスイーツのお店などに連れていってくれる。

「ロク、ほっぺについてる」と言ってティッシュでクリームを取ってくれる所作は、勘違いしてドキッとしてしまう時もあった。

こうやって彼女が世話を焼いてくれるという事は、俺も彼女の近しい人物になれたんだと思い嬉しくなる。

「友達と花火大会に行くからロクも来て」と彼女に地獄へと誘われる事になるまでは、

 

~花火大会当日~

 

バイトを少し早めに上がらせてもらい、彼女との待ち合わせ場所へと向かう。

時間より早く着いたのだが待ち合わせた場所には彼女が立っていた。

 

「ごめん、待たせちゃったかな?」

 

「遅いし」

 

まあ、待ち合わせ時間には間に合ってるんですけどね。

 

「えっと、他のメンバーは?」

 

「きゅ、急用とかで、今日はロクと2人だけ・・・なんだけど」

 

彼女は顔を赤くして、目を合わせない。

友達に約束を反故にされ怒っているのだと思い、下手にでる事にした。

 

「じゃあ、2人で楽しもう!」

 

「・・・・・うん♪」

 

「ていうか、浴衣似合ってるね。いつも綺麗なんだけど、浴衣だとまた違った感じで魅力的だよ」

 

「い、いつも綺麗・・・・、魅力的・・・・」

 

「うん、三浦さんと2人で花火を見れるなんて、俺は幸せ者だよ」

 

彼女に機嫌を良くしてもらおうと畳み掛けた。

 

「う、うっさいし。もう、行くよ」

 

彼女はスタスタと歩いて行く。

下駄を履き慣れていないのか、歩き方がぎこちない。

 

「はぁー、失敗」

 

俺は彼女の機嫌を上げれなかった事に肩を落としながら、彼女に追いつこうと歩き出す。

すると、履き慣れていない下駄のせいで彼女がバランスを崩してしまう。

 

「キャッ!」

 

(ガシッ)

 

素早く彼女の所まで駆け、抱き締めるように支える。

 

「大丈夫?」

 

「・・・・・」

 

「どこか捻ったりした?」

 

「・・・・・大丈夫」

 

「よかった」

 

そう言って、抱き締めていた彼女を離す。

 

「ありがと」

 

彼女は下を向きながら感謝の言葉を伝えてくる。

 

「手を繋ごう」

 

左手を差し出す。

 

「ふぇっ!?」

 

「下駄を履き慣れていないようだから、俺が支えるよ」

 

いつもの彼女らしく無い反応に可笑しく思いながら理由を伝える。

 

「・・・・・うん」

 

彼女が左手を握ってくれたので、花火大会の会場に向かって歩き出す。

 

彼女の温もりが左手を伝い、頭の中まで流れて込んでくる。

子供の頃もこうやって登校したよな。

彼女は今どうしているんだろう?

夏が終われば受験勉強で忙しくなっちゃうのかな。

早く会いたいな・・・・・。

 

「ロク!!」

 

三浦さんの呼び声で現実に返ってくる。

 

「なんて顔してんの、あーしと手を繋げて嬉しいのはわかるけど」

 

「・・・・・面目無いです」

 

「キモいし」

 

手を繋いでいる女の子の事じゃなくて、違う女の子の事を考えていた俺は、最低な男なのだろうか?

 

うん、最低な男だろう。

 

 

そうやって俺達は、花火大会の会場までやって来た。

 

「足は大丈夫、痛くない?」

 

「そんな気遣わなくても、大丈夫だし」

 

「痛くなったら、言ってくれていいからね」

 

「・・・・・うん、わかった」

 

「お姫様抱っこでも、おんぶでもリクエストにお応えしますから♪」

 

「キモいし」

 

そうやって、出店が続く道を進んで行く。

 

 

「優美子?」

 

三浦さんを呼ぶ声が聞こえて振り向く。

 

「隼人」

 

「やあ」

 

振り向いた先には葉山君が居た。

なるほど、1年生の頃から2人は面識があったのか。

 

「黒田も久しぶり」

 

「そうだね。久しぶり」

 

喫茶店で魔王にボコボコにされた時に会って以来だ。

 

「隼人とロクは知り合いだったんだ」

 

「この前、ちょっとね」

 

そう、俺の血祭りショーの観覧者さんです。

 

「ふーん。あ、そうだ!この前、大変だったんだから。隼人達と別れた後に変な奴らに襲われそうになって・・・」

 

「大丈夫だったのかい?」

 

「うん、ロクが助けてくたから」

 

「へぇー、君は誰だって助けてくれるんだね。ありがとう、優美子を救ってくれて」

 

「偶然だよ」

 

そう、あそこで彼女を見かけなかったら助ける事はできなかった。

 

「ところで・・・・」

 

葉山君は目線を下げる。

 

「2人はそういう関係なのかい?」

 

彼の目線を追うと、三浦さんと繋いだ手があった。

 

「ち、違うよ!これは、理由があって!!」

 

俺は三浦さんのために必死に離そうとするが、離してくれ無い。

いや、むしろ握る力が強くなってきている。痛い!

 

「危ないし、支えてくれるんでしょ」

 

「はい、すいませんでした」

 

彼女が顔を赤くして怒るため、素直に謝罪する。

 

「ははは、2人はお似合いだね」

 

違うから、彼女は葉山君一筋だからね。

 

「三浦さんが下駄に慣れてないようだから支えているだけなんだよ」

 

痛い!

 

「そうなんだ。でも、2人はお似合いだよ」

 

「三浦さんとお似合いだなんて光栄だよ」

 

あっ、握る力が緩んだ。

 

「それじゃあ、俺は行くよ。早く戻らないと陽乃さんに怒られてしまうから」

 

「えっ!?」

 

俺は彼の言葉を聞いて固まってしまった。

 

 



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2学期の始まり

~花火大会当日~

 

「どこから見よっか?」

 

「・・・・・」

 

ヤバイ、ヤバイ!

 

「やっぱ混んで無いとこが良いわよね?」

 

「・・・・・」

 

どうしよう、どうしよう!

 

「ロク、聞いてんの」

 

「いふぁいっ!」

 

三浦さんが空いている左手で、俺のほっぺたをツネってくる。

 

「いたた、ごめん。聞いてなかった」

 

「もう、さっきから様子がおかしいんだけど」

 

「そ、そうかな。ところで何の話でしたっけ?」

 

「花火をどこから見るかって話だし」

 

葉山君と別れた俺と三浦さんは、花火を見る場所を探している。

人が多くて混んでいるため、良い場所を見つけるのに難航しているのだが、俺はそれどころではなかった。

彼が別れ際に言った"雪ノ下陽乃"の名前が、俺の心を不安にさせる。

 

「こんなに混むってわかってたら、小さなビニールシートでも持ってくれば良かったね」

 

「ロクって、そういうとこは、気を使えるわよね」

 

「そうかな。男は地面にそのまま座っても別に問題ないけど、さすがに女の子はね。せっかくの浴衣も汚れちゃうし」

 

「どうしよっか?」

 

「あっ、良い事を思いついた」

 

「なに?」

 

「俺が地面に座るから、三浦さんは俺の上に座りなよ。お父さんと子供♪みたいな感じで」

 

「ふん!」

 

三浦さんの空いてる左の拳が俺のボディに突き刺さる。

 

「ぐふっ」

 

「バッカじゃないの。お父さんと子供って、何だし」

 

うずくまる俺を三浦さんは、顔を赤くして見下ろしている。

良い案だと思ったのだが、女王様はお気に召してくれなかったようだ。

俺は立ち上がりながら妙な既視感を覚えていた。

いくら思い出そうとしても思い出すことが出来ない。

そのまま、人の少ない方へと歩いて行く。

 

「ここって有料エリアよね」

 

彼女の言葉を聞いて妙な既視感の正体がわかった。

これは、比企谷君の物だ。

2年生の夏に彼が由比ヶ浜さんと行く花火大会の記憶。

物語の中のワンシーン。

となるとここは、彼らが行くであろう花火大会の前年の花火大会って事になるのだろうか?

 

そうだとしたらヤバイ、ここに居てはいけない!

俺は知らず知らずのうちに魔王の領域まで侵入してしまっていたようだ。

 

「三浦さ・・・」

 

この場所から早く移動するために彼女に声を掛けようとするが、有料エリア側からの声によって止められてしまう。

 

「あれー、黒田君だ」

 

その声を合図に一発目の花火が打ち上がった。

花火の花が開き、照らされる彼女の顔は、どこか不気味に微笑みを浮かべている。

遅れて耳に伝わる花火の音は、これから始まる地獄の号砲に聞こえた。

 

 

「良かったよ、隼人と2人だけじゃつまんなかったからー」

 

魔王に見つかってしまった俺達は、魔王の本拠地へと連れて来られていた。

先ほどまで居た場所から少しの距離しかないのだが、先ほどまでの喧騒が遠くに消え、全然違う別の場所に来てしまった様な感覚に陥ってしまう。

 

俺達は長椅子に掛けて花火を眺めているのだが、その座る配置がどうにもおかしい。

長椅子の大きさが4人で座るには狭く、周りには誰も座っていない長椅子が何脚もあったので、葉山君の座っている前の長椅子に三浦さんと座ったのだが、何故か魔王様もこっちの長椅子に座ってしまったのだ。

葉山君を見ると、苦笑いを浮かべ申し訳なさそうにしている。

その様子を見てると俺の方が申し訳なくなってしまう。

 

「隣のその可愛い子は?」

 

「彼女は高校の同級生の三浦さんです」

 

「・・・三浦優美子です」

 

三浦さんは無愛想に名前を言う。

やめてー、魔王様を怒らせる事だけは止めてね!

妹さんの比じゃないくらい泣かされちゃうよ!!

 

「三浦さん、よろしくね。私は雪ノ下陽乃だよ」

 

「雪ノ下・・・・」

 

雪ノ下雪乃さんの噂は女王様の耳にも入っているのだろう。

雪ノ下の名に引っ掛かったようだ。

 

「ところで2人は付き合っているの?」

 

「そんな関係では無いですよ」

 

彼女のペースに持っていかれないように冷静に答える。

 

「手繋ぎデートを楽しんでたのに?」

 

「それには事情があるんです。」

 

「へぇー、事情ね。気になるなー♪」

 

「そんなに大した事情じゃないんですけどね。

2人だけだったのは、他のメンバーに約束を反故にされてしまったからです。手を繋いでいたのも彼女が下駄に慣れていないようだったので、それで」

 

ふふーん、今日の俺は1ミリも隙が無い。

最後まで冷静に対処していけば、魔王など恐るるに足らず。

それに三浦さんも俺を応援してくれている、長椅子に置いた手の甲を彼女がツネってくれ、俺が冷静でいられるように手助けしてくれているのだ!

・・・そうだよね?・・・うう、痛い。

 

「黒田君はジェントルマンなんだね」

 

「そんな事は無いですよ。普通に接しているだけです」

 

最近はタガが外れかけているのだが、俺は普通に接していつもりだ。

 

「それが難しいんだよ。当たり前に出来る事が大事なんじゃないかな」

 

何か気持ち悪い、嫌な予感が込み上げてくる。

 

「そんなに褒めてもらっても、何も出ないですよ」

 

「何も出ないのはイヤだなー。それじゃあ、簡単な事だから1つだけお願いを聞いてくれないかな?」

 

ほら来た。でも焦るな、ここも冷静に対処するんだ。

 

「簡単なお願いですか?」

 

「うん、そうだよ。でも、言うの恥ずかしいなー」

 

うわー、うざい。

 

「そんなに、勿体ぶらないでください。気になるじゃないですか」

 

「わかった、言うわね」

 

「はい」

 

さあ、どんとこーい!

 

「お姫様抱っこしてもらいたいなー♪」

 

「はい?」

 

この人は何を言っているのだろうか?

 

「だって、めぐりにはしてあげたんでしょ?」

 

はぁー、わかった。

その話題で俺の事を冷やかそうとしているのだろう。

今日の俺をナメないでもらいたい。

このくらいの攻撃は冷いいいいい痛いー!

痛みの原因に顔を向ける。

 

「どういう事?」

 

ひーっ!三浦さん、何て顔してんの!?

めっちゃ恐いんだけど、いや痛い!コワ痛いよ!!

 

「み、三浦さん、痛いのでその手を」

 

い、痛い!もう一段階あがるだとぉ。

いやいや、それ以上やったら皮膚がちぎれちゃうから!!

 

「・・・・どういう事?」

 

 

それから三浦さんに事細かにその時の事を説明するハメになった。

何とか納得してもらえた事で、俺の左手の痛みは無くなった。

いや、だいぶ前から麻痺していたので、左手の状態がどうなっているのか解らない。

 

なんで三浦さんは、こんなに怒ってしまったのだろうか?

もしかして嫉妬?もしかして彼女は俺の事を・・・・。

いや、いや、いや、それは無いだろう。

彼女は葉山君一筋なのだ。物語の中と同様に・・・・。

 

「怒られちゃったねー」

 

「・・・・・」

 

この人は俺が怒られている間、ずっとニヤニヤと笑っていた。

あなたが原因でしょう。という思いを込めたジト目で彼女を見る。

 

「黒田君が悪いんだよ。いくらジェントルマンでも、簡単に女の子に触れちゃダメなんだからね♪」

 

「うっ、・・・・はい、反省してます」

 

「わかればよろしい。今日の事、めぐりには内緒にしといてあげるから」

 

はぁー、何なんだこの人は・・・・・。

 

でも、何で彼女は俺にちょっかいをかけてくるのだろう?

あの事故現場にいたからなのか?

彼女の考えている事が少しも解らない。

俺は彼女に好かれているのだろうか?それとも嫌われているのだろうか?

 

『あの人は興味のないものには何もせず、好きなものを構いすぎて殺すか、嫌いなものを徹底的に潰すことしかしない。』

 

物語の中で葉山君が言ったセリフを思い出していた。

 

 

~2学期初日~

 

はぁー、あの日の事を思い出すだけで気分が重くなる。

 

下駄箱で靴を履き替え教室に向かう。

教室に向かう道すがら、奇異の目で見られている様な感じがした。

別に2学期デビューをするためにイメチェンをしたつもりは無いのだが。

嫌な予感を抱きつつ教室へとたどり着き、ドアを開けて中へと入っていく。

 

「おはよう」

 

挨拶をしながら自分の机に向かおうとすると、クラスメイトの視線が一斉に俺へと集中する。

 

「二股男のお出ましだ」

 

「うらやましい」

 

「誠実そうな顔して裏ではゲスいわよね」

 

「黒田君の事、狙ってたのにー」

 

みんなはコソコソと話しているつもりのようだが、その内容は俺の耳にも伝わってくる。

教室まで来る途中の奇異の目の理由もこれで納得した。

 

「クロダ君、パないわー。二股とか、うらやま。もうクロダさんだわー!」

 

戸部君から声が掛けられる。

 

「おはよう」

 

「おはよーっす!マジ、パないわー。1、2年のマドンナを落とすとか、さすがクロダさんだわー♪」

 

俺の地獄は終わっては、いないようだ。

 

 

 



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広まった噂

2学期も始まってから時が流れ9月も終盤、肌で感じる気温もだいぶ涼しくなっている。

しかし学校内はというと、1週間後から始まる文化祭に向けて熱が高まっていた。

そんな中、俺は比企谷君のいないベストプレイスにお邪魔して、黄昏真っ最中だ。

いつもの俺なら文化祭を楽しむため、準備に精を出しているのだろうが、今の俺には文化祭を楽しむ余裕は無い。

2学期の始めから出回った、俺が三浦さんと城巡先輩に対して二股をかけているという噂のせいだ。

俺だけが中傷されてるだけなら我慢できたのだが、彼女達の事を中傷する様な噂まで立ち始めたため見過ごす事ができなくなった。

特に三浦さんに対する噂が酷くて心配しているのだが、「言わせとけばいいでしょ」と当の本人はあまり気にしていない様にしている。

城廻先輩も「時間が経てば無くなるよ」と何時もの彼女と変わらない様子だ。

女性の強さを肌で感じているのだが、俺は許す事が出来ない。

彼女達を貶する様な噂に怒りが込み上げてくる。

それにこのまま放置してしまったら、彼女達の未来に悪影響が出てしまうかもしれない。

三浦さんは葉山君との事があり、城廻先輩に至っては生徒会長選がある。

気持ちばかりが焦ってしまい、噂の火消しはうまくいっていない。

 

しかし、何でこんな噂が広まってしまったのだろうか?

三浦さんと2人で一緒に居るところを目撃されて、噂が立ってしまうのは納得できるのだが、城廻先輩とはバイト先の喫茶店の中でしか過ごしていなかったはずだ。

もしかしてと、1人の女性の顔を思い浮かべる。

ただ、彼女の仕業だとしたら陰湿で幼稚すぎる。

それに城廻先輩や三浦さんを巻き込む様な事はしないはずだ。

物思いに耽っていると、背後から声が掛けられる。

 

「あっ、何でこんなとこで黄昏てんだし」

 

噂の彼女がやってきた。

 

「何か用かな?」

 

「用がないと、来ちゃダメなの」

 

「そんなつもりで言ったんじゃないよ」

 

「ふん、休憩に来ただけだし」

 

そう言って、俺の隣に座る。

 

「文化祭の準備は順調?」

 

「まぁね、それにあーしが忙しくなるのは当日だから」

 

「メイド喫茶だったよね。三浦さんのメイド姿を早く見てみたいなー♪」

 

文化祭を楽しむ余裕が無いと言ったが、あれは嘘だ!

 

「キモいし」

 

「そんなこと言いわないで、夏休みに喫茶店で鍛えた接客テクニックを伝授してあげるからさ」

 

「まあ、聞いてあげない事もないけど」

 

この子は、素直じゃないなー。

 

「じゃあ、俺の後に続けて挨拶してみて」

 

「なに、挨拶の練習するの?」

 

「そう。じゃあ、いくよ!

ロクお兄ちゃん、いらっしゃ(パシン)痛い!!」

 

「殴るわよ!」

 

「殴ってから言うなし」

 

(パシン)

 

「三浦様、すみませんでした」

 

最近、暴力的になっている三浦さんに向かって頭を下げる。

んっ?暴力的になってるのって、俺のせいなのかな?

 

(ペタッ)

 

下げている頭の上に三浦さんの手が乗る。

 

「・・・・・ロクはさ、頑張りすぎだから」

 

「へっ?」

 

「顔見たらすぐわかるし、思い詰め過ぎ」

 

「で、でも」

 

(グイッ)

 

頭を上げようとするが、下に押され返される。

 

「うっさい、あーしは気にして無いって言ってるでしょ。それに2年の先輩もあーしと同じ気持ちだと思うし」

 

「・・・・・」

 

「だから、いつも通りのロクで大丈夫」

 

三浦さんの手は、俺の頭の上から離れていく。

彼女に今の自分の顔を見せれなくて、頭を上げれないでいると彼女の両手によって、頭を両端から挟まれる。

 

「ロク、顔を上げる」

 

顔を上げられたことによって、彼女の整った美しい顔が目の前にやって来る。

 

「男の子でしょ、泣くなし」

 

「・・・・・泣いてねーし」

 

(ペシッ)

 

優しくほっぺを叩かれる。

 

「あーしがロクの事、守ってあげる」

 

女の子に守ってあげると言われたのは、これで2人目だ。

三浦さんと小さい頃のいろはちゃんの姿が重なる。

 

「女の子に守らせるとか噂通りの最低な男になっちゃうよ」

 

「ロクは最低な男じゃないし、それに・・・・・本当に付き合って、噂じゃ無いって事にしても良いんだけど(ボソッ)」

 

後半ボソボソ喋ったと思ったら、自身の頬に手を当て、体を揺すり始めた彼女に俺は何も話し掛ける事が出来ない。

 

「ところで、ロクって明後日が誕生日でしょ?」

 

急に正気に戻ったと思ったら、俺の誕生日の話題になった。

 

「うん、そうだけど」

 

あれ、彼女に言ったかな?

 

「お祝いしたいから、明後日の放課後は時間を空けといて」

 

「そんな悪いよ」

 

「あーしがお祝いしたいだけだし、それにあーしの誕生日の時はロクに祝ってもらうから♪」

 

なるほど、そういう事ですか。

 

「わかったよ。ありがとう」

 

「それじゃあ、あーしは教室に戻るから。ロクもサボるのはホドホドにね」

 

そう言って彼女は学校内へと軽やかに掛けていく。

 

「俺もそろそろ、教室に戻るかな」

 

三浦さんの後を追うように学校内に入り、廊下をゆっくりと歩いて行く。

 

ふと、壁に貼ってあるポスターに目を向ける。

 

[大声コンテスト参加者募集!文化祭で日頃の不満をぶちまけよう!!]

 

こんなイベントもあるんだな。

俺もぶちまけられるなら、不満をぶちまけたいよ。

でも、渦中の人物の俺が何かを言ったところで、誰も聞く耳を持たないだろう。

余計に酷くなってしまうかもしれない。

 

「はあ」

 

解決方法が出ない現状に溜め息を吐いて、また廊下を歩き出す。

 

「待ちたまえ」

 

声を掛けられた方に顔を向ける。

 

「廊下の真ん中で溜め息なんか吐いて、悩み事でもあるのか?」

 

向いた先に居たのは、スーツの上に白衣を着た、長い黒髪の美人教師。

 

平塚先生だった。

 



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平塚先生

「廊下の真ん中で溜め息なんか吐いて、悩み事でもあるのか?」

 

向いた先には、平塚先生がいた。

 

「黒田」

 

「いえ、悩みなんて何も無いですよ」

 

今まで少しも絡む機会が無かったのに、先生に名前を知られているという事で警戒してしまう。

 

「それより、俺の名前なんか知って頂けてて、驚きましたよ」

 

「なぜ驚く?教師が生徒の名前を知っているのは、当然の事だと思うのだが」

 

「それもそうですね」

 

「ふふふ、君は変わっているな。それはそうと、時間があるなら少し付き合いたまえ」

 

美人教師の誘いに思わずドキッとしてしまいそうになるが、物語の中での残念だった面を思い出して冷静になる。

 

「それは強制ですか?まだ文化祭の準備があるんですが」

 

「今までサボっていたというにどの口がそれを言う。そう警戒しなくても大丈夫だ、着いてきたまえ」

 

先生はそう言うと、俺の腕を引っ張り何処かに連れられて行く。

 

サボっていた事を知っているという事は、俺を探していたのかもしれない。

先生は生活指導の担当でもある、例の噂が耳にも届いてしまったのだろう。

 

そのまま職員室の片隅にある、衝立で仕切られたスペースまで連れて行かれた。

 

「そこに腰を下ろしてくれて良い」

 

ソファーへと促され座ると、先生も対面にあるソファーに腰を下ろした。

 

「煙草を吸いたいんだが、大丈夫か?」

 

「どうぞ、吸って下さい」

 

先生は煙草を取り出し、ライターで火をつけて、吸い始めた。

その一連の動作が絵になってしまうくらい格好良くて、目を奪われてしまっていたのだが、そのまま見ているのも居心地が悪いため、こちらから話を切り出す事にした。

 

「ここに連れて来られたのって、噂の事ですよね?」

 

「ん、噂?私は陽乃から君の事を聞き、少し話をしたいと思い連れて来たのだが」

 

まさかの理由だった。

雪ノ下陽乃がどこまでの事を話てしまったのかは解らないのだが、あの人は夏休みにした約束を何だと思ってるんだと憤りを覚えてしまう。

しかし、俺ももう少し慎重になるべきだったと後悔した。

 

「雪ノ下さんとお知り合いなんですね」

 

噂の事から話を反らすため、違う方向に会話を進める。

 

「ああ、あいつはここの卒業生だからな。優秀な生徒だったが、問題もよく起こしてくれたよ」

 

そうですよね、次々と問題を起こされてます。

 

「へぇー、そうだったんだー。あっ、もうこんな時間だー。長々とすいませんでした。それじゃあ、失礼しますね。」

 

素早く立ち上がり、先生に向かって一礼すると、すぐさま職員室の出口に向かって歩き出そうとする。

 

〈ガシッ〉

 

「君は何をやっているんだ」

 

掴まれ左腕から〈メキ、メキ〉と聞いた事が無い様な音が聞こえてくる。

 

「い、いえ、先生のお仕事のご迷惑にならないようにと思いまして」

 

「そんな気遣いは無用だ、生徒との触れ合いも立派な仕事だからな」

 

「ふ、触れ合いだなんて言われたら、ドキドキしちゃいます。それにいくら衝立があるからって、そんなに思いっきり握られて引っ張られたら声が出ちゃいますよ。お、お願いですから、離して下さい」

 

「ほぅ、教師をからかうとは良い度胸だな」

 

掴まれた左腕から聞こえてくる音が、さすがにヤバくなってきた。

 

「先生、そんなにムキにならないで下さい。処女なんですか」

 

「黒田、歯を食いしばれ!」

 

俺の左腕を掴んでいない方の手が強く握り締められていて、それを後ろに引き、俺を殴る為の体勢が整えられている。

 

「ヒーッ!?」

 

「逝けー!!」

 

恐怖の余り、歯を食いしばり目を瞑る。

 

〈ドスッ〉

 

その瞬間、腹部に衝撃が走り、体の力が抜け、膝を床についてしまう。

 

もしかしたら俺は、禁断のフレーズを言ってしまったのかも知れない。

腹部の痛みより、そちらの方が気になってしまう。

えっ、違いますよね?違うって言って下さい!

膝を床につき、顔を俯けている状態なのだが、チラリと視線を上げて先生を見る。

先生は顔を真っ赤に染め、般若の様な形相をしていた。

俺は、そのまま視線を下げて、頭を床につけ、土下座の体勢をとる。

 

「申し訳ございませんでした!」

 

俺は、そのままの姿勢で10分間くらい謝り続けた。

 

 

「はあ、解ったよ。ただ、私は処女じゃ無い。それなりに男性経験もあるんだからな」

 

許して貰えたのは良かったのだが、この人は生徒に何をアピールしているんだろう。

 

「解ってます、先生は処女じゃ無いです。簡単に出来る女です」

 

土下座の状態からソファーに腰を掛ける状態に戻り、先生も対面に座っている。

 

「殴られ足りない様だな」

 

「間違えました。出来る女です」

 

「はあ、何なんだ君は、教師を何だと思っているんだ。・・・成る程な、陽乃が興味を持つのも解る気がするよ」

 

迷惑なんです、止めて下さい。というか助けて下さい。

 

「ところで君が言っていた、噂の事だが」

 

先生を傷つけてまで話を反らしたのに、全部が無駄だった。

 

「何の事ですか?」

 

先生に話たところで、何も解決はしない。

 

「私を信用出来ないか?君が頭を悩ませているのは、それなのだろう」

 

「悩みなんて、何も無いですよ」

 

先生が解決に動く事によって、噂の真実味が増してしまうという事態にもなりかねない。

 

「ふふふ、悩みが何も無い人間なんて、どこにもいないさ」

 

「・・・・・」

 

「教師に言いづらいなら、周りに居る者に相談する事は出来ないのか?」

 

「・・・・・」

 

三浦さんや城巡先輩の顔が浮かぶ、だが彼女達は何もしないという結論に至っている。

未来を知らない為に時間を掛けるやり方を選んでいるからだ。

他にも何人かの顔が浮かぶが、頼る事は出来ない。

自らが撒いてしまった種のせいで、迷惑を掛ける事に申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「なんでもかんでも、1人で解決出来ると思わない方が良い。君は人を頼る事を忘れてしまったのか?」

 

あー、なるほど。やはりこの人は、全てを知っているんだ。

俺がしてきた事も、噂の事も。

 

「でも、1人で出来る事は自分でしたいです」

 

「君も不器用な人間だな。君に良く似た人間を知っているよ。まあ、君の様に人と関わりを持とうとはしないのだがな」

 

たぶん比企谷君か雪ノ下さんの事を言っているのだろう。

 

「そうだ、良いことを思いついたよ」

 

「良いことですか?」

 

「そうだ。君は奉仕部という名の部活動を知っているか?」

 

この物語の運命が大きく変わり始めようとしていた。

 



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1人だけの奉仕部

「すぅー、はぁー」

 

大きく深呼吸をして、軽く握った右手をドアの前まで持ってくる。

 

しばらくその体勢のまま動く事が出来ず、ドアの前まで持ってきていた右手を元々あった位置まで下ろした。

 

「はあー」

 

今度は深呼吸では無く、大きな溜め息を吐く。

 

なぜ、このような事態に陥ってしまっているのかというと、平塚先生の口から奉仕部の名前が出た後、奉仕部の部活内容が説明された。

そして案の定、悩みを解決するために奉仕部に依頼してみてはどうかという話になってしまったのだ。

俺は「一度持ち帰って検討してみます」と、すぐに断ろうとはせずに大人の対応を見せたのだが、「うるさい、来たまえ」と、先生からガキ大将の様な対応をされ、無理矢理引っ張られていく事になった。

しかし、その途中で先生を呼び出す放送があり、先生は職員室へと戻ることに、俺はそのまま逃げてしまおうと考えていたのだが、去り際に先生が「黒田、行かなかったらどうなるか解っているだろうな」と、鬼の形相で右の拳を力強く握り締めていたため、俺は仕方なく奉仕部の部室の前までやって来たのだった。

 

「すぅー、はぁー」

 

もう一度、深呼吸をして、軽く握った右手をドアの前に持ってくる。

少しの間を置いて、今度はノックをするために軽く握った右手をドアに打ちつけようとした瞬間、

 

「そんな所で、何をしているのかしら?」

 

後から掛けられた声に驚いて、心臓がドキッとはね上がる。

そしてそのまま後を振り向くと、そこには奉仕部の部長"雪ノ下雪乃"さんが立っていた。

 

「い、いや、これはその」

 

「あっ、あなたは、C組の黒田君よね」

 

名前を知ってもらえていたみたいだ。

いや、彼女なら全校生徒の名前ぐらいなら平気で覚えているかもしれない。

 

「そうだよ。はじめまして、雪ノ下さん」

 

「ええ、はじめまして。私の事を知っているのね」

 

ええ、色々知っています。例えば、姉が魔王様だとか・・・。

 

「君は、有名人だからね」

 

「そう、あなたの方が有名人だと思うのだけれど・・・。ところで、ここに何の用かしら?」

 

例の噂の事を知っているようだ。

 

「えっと、平塚先生の勧めで、奉仕部に相談するように言われて来てみたんだけど・・・・」

 

「そうだったの、ごめんなさい。文化祭の準備で遅れてしまって、いま来たところなの。すぐにドアを開けるわ」

 

案外すんなりと受け入れられてしまった。

物語の中の彼女なら、何か嫌みの1つでも言ってくるかもと思い構えていたのだが、肩透かしを食らってしまった気分だ。

 

〈ガチャ〉

 

「どうぞ、そこにある椅子を使ってもらってかまわないわ」

 

「失礼します」

 

彼女に促され部室の中へと入る。

他の教室と同じ作りなのに見える物1つ1つに目を輝かせてしまう。

ここがあの奉仕部の部室なんだと感動していたのだが、この奉仕部には比企谷君と由比ヶ浜さんが、まだいない事に寂しさも感じてしまう。

 

「珍しい物は、何も無いと思うのだけれど」

 

あまりにもキョロキョロしていたので、不審に思われたのかもしれない。

 

「いやー、ここからの眺めって素晴らしいよねー。お金を取れるよー」

 

「そう?」

 

彼女は外を見ながら、首を傾ける。

 

そのまま二人で椅子に座り、向き合う形になった。

 

「早速なんだけど、この奉仕部の活動内容は知っているのかしら?」

 

「うん、平塚先生から聞いているよ」

 

平塚先生に聞く前から、知っているんだけど。

 

「そう、なら話が早いわ。依頼内容を聞かせてもらえる?」

 

「えっと、・・・・・俺の噂って聞いた事あるよね?」

 

「ええ、あのくだらない噂なら私の耳にも入ってきたわ」

 

「くだらない噂?という事は、俺のこと信用してもらえてるのかな?」

 

「昔の事なのだけれど、あの手の噂で私も迷惑を掛けられたの」

 

「そうだったんだ」

 

そういえば物語の中でも、その様な事を言っていた描写があったかもしれない。

 

「それとも、あの噂は本当なのかしら?」

 

雪ノ下さんの目が鋭さを増した。

 

「違うから!二股をかけられて捨てられる様な事はあるかもしれないけれど、俺が二股をかけるとか絶対無いから」

 

「それはそれで、どうかと思うのだけれど」

 

彼女は、先ほどまでの鋭い目つきから一変して、呆れたような顔になる。

 

 

それからは、噂の内容の事やこれからの対策などの事について話し合いを進めていった。

 

 

「時間の経過に身を任せる事は駄目なのかしら?結局のところ、それが一番良い解決方法だと思うのだけれど」

 

「・・・・・」

 

「何かあるの?」

 

「城廻先輩が生徒会長選挙に出るかもしれないんだ。だから出来るだけ早く解決したい」

 

言うか、言わないか迷ったのだが、言う事にした。

 

「生徒会長選挙。そうね、それなら早く解決するに越した事は無いわね」

 

彼女はチラリと壁に掛けてある時計に目をやる。

 

「時間も遅いから、今日はここまでにしましょう。」

 

「うん、遅くまでごめん」

 

「いいえ、明日の放課後にまた来てもらえるかしら?少し噂の事を調べてみるわ」

 

「お願いします。明日の文化祭の準備は何時頃に終わりそう?」

 

「明日は無いから、すぐに来てもらっても平気よ」

 

「それじゃあ、帰りのホームルームが終わったらすぐに来るよ」

 

俺は立ち上がりドアの方へと歩き出す。

一歩ずつドアに近づくにつれ、このまま彼女に頼ってしまっていいのか不安になってくる。

ドアのところまで来ると彼女の方を向く。

 

「雪ノ下さん」

 

「どうしたの?」

 

「えっと、依頼を受けたく無かったら、受けなくても平気だから」

 

「・・・・・」

 

「今さらごめん。でも、関係の無い君にこのまま頼ってしまって良いのか解らないんだ」

 

「何も気にしないで、この依頼は受けるわ。それに・・・」

 

一瞬の間が流れる。

 

「私は、あなたに借りがあるから」

 

「借り?」

 

最初は何の事を言われているのか解らなかったのだが、彼女との接点を思い出していたら彼女の言っている事の意味が解った。

借りとは、あの事故現場での事を言っているのであろう。

 

またまた、雪ノ下陽乃の顔を思い浮かべてしまう。

次に彼女と約束を交わす時は、紙に書き記そうと心に誓う。

 

「借りって何の事だか解らないんだけど、力を貸してくれるならお願いするよ」

 

彼女がすんなりと部室に入れてくれ、依頼を引き受けてくれた事に納得した。

そんな融通が利かなくて、馬鹿正直な彼女の気持ちを無下にする事が出来ずに俺は依頼をお願いする。

 

「ええ、任せて」

 

この決断が守りたい者を傷つけてしまう事になるとも知らずに。

 



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嵐の前

帰りのホームルームが終わると急いで教室を飛び出し、奉仕部の部室の前までやって来た。

 

息を整え、昨日は出来なかったノックをする。

 

〈コンコン〉

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

ドアを開けると昨日見たばかりの奉仕部の光景が目に入ってくる。

昨日は感動に浸ってしまったのだが、今日はそんな事をしている暇は無い。

解決するための糸口を早急に見つけなければいけないのだ。

 

「こんにちは、雪ノ下さん」

 

「ええ、こんにちは」

 

彼女の顔を見ると、なんだか昨日よりも目の鋭さが増している様な気がする。

 

「まずは、そこに座りなさい。まっ黒田君」

 

ふふふ、噛んじゃったのかな、雪ノ下さんが噛むと何か可愛らしい。

 

でも、言葉にトゲがあるのは気のせいだろうか?

うん、気のせいにしておこう。

 

彼女の対面にある椅子に座ろうとすると、

 

「どこに座ろうとしているのかしら?」

 

「えっ、ここじゃないの?」

 

彼女は無言で床を指差す。

 

「えっと、・・・・・どういう事でしょうか?」

 

昨日、SMプレイをする約束をした覚えは無い。

 

「自分の胸に手を当てて、考えてみたら?」

 

言われた通り、胸に手を当て考えてみる。

 

少しの間を置いて、

 

「どう?見当はついたかしら、まっ黒田君」

 

か、噛んで無いだと!

 

「えっと、さっきから俺の名前を間違えてるみたいなんだけど・・・」

 

「あら、そうだったかしら。ごめんなさい、まっ黒田ろくでなし君」

 

あっれー、パワーアップしちゃってるよー!

 

「そ、その名前で呼ばれてる理由を教えてもらえるかな?」

 

「あなた、三浦さんと城廻先輩のどちらとも付き合っていないと、昨日の話し合いで言っていたわよね?」

 

昨日の話し合いを進めて行く中で言ったと思う。

 

「そうだけど・・・・」

 

「今日、例の噂について調べてみたのだけれど、あなたと三浦さんの噂に関しての目撃者が複数人居たの。これはどういう事かしら?」

 

ああ、成る程。彼女は俺が嘘をついて依頼していると思っているのか。

ていうか複数人の目撃者って、1日でどれだけ調べたのだろう。

 

「せ、説明させて下さい」

 

そこからは、俺の弁明するための時間が続いた。

 

 

「付き合ってもいない女性の手を握るのは、どうかと思うのだけれど。一応、その説明で納得はしたわ。灰田くん」

 

グレー、疑惑は晴れる事は無かった。

 

「納得して頂き、ありがとうございます」

 

「次は城廻先輩との噂に関してなのだけれど、あなたが言っている事が本当なら少しおかしいわね」

 

彼女は顎に手をやり、首を俯けながら言った。

 

「おかしいとは?」

 

「城廻先輩との噂の目撃者を1人も見つける事が出来なかったの。本当にあった事も噂として流れてるなら、目撃者が少なからず居るはずよね」

 

やはりか、城廻先輩をお姫様抱っこして保健室に運んだ事も例の噂の中にあるのだが、あの時に誰かとすれ違ったという記憶は無い。

遠くから見られていたとして、運んでいるのが俺だと解ったとしても抱えられている女の子が城廻先輩だと気づくのは難しいはずだ。

 

容疑者、雪ノ下陽乃説が俺の中で膨れ上がっていく。

昨日判明した、約束を反故にされたという事実も相まって、俺の考えを後押ししてくれた。

 

「それと城廻先輩に関しての事で、もう1つあるの」

 

「なんだろう?」

 

「あなたは昨日、城廻先輩が生徒会長選挙に出られる様な事を言っていたのだけど、あれは本当なのかしら?」

 

「どういう事?」

 

「城廻先輩に近い、周りの人達に話を聞いてみたのだけれど、生徒会長選挙に関しての事を誰も知らないようなの」

 

んっ、どういう事だろう。

彼女は物語の中で確実に生徒会長として存在していた。

 

まあ、立候補まで一ヶ月ぐらいあるから、まだその意思を決めかねているのだろう。

 

「城廻先輩は生徒会長選挙に出るよ。立候補まで一ヶ月ぐらいあるから、まだ誰にも話していないのかも」

 

「そう、あなたは城廻先輩に信用されているのね。誰にも話されていない事をあなたには話されるのだから」

 

まあ、物語の情報なだけで、聞いてはいないんだけどね。

 

「ははは、そうなら嬉しいんだけど」

 

「立候補まで行事も詰まっているものね。体育祭もあるし、城廻先輩は2年生だから修学旅行もあって、お忙しいと思うわ」

 

修学旅行か、来年は俺達だもんな。

京都の観光名所を巡り、最後には比企谷君の・・・・・。

 

あっ、これだ!

 

これなら、いける。

 

でも、誰に?

 

目の前に居る、女の子を見る。

 

彼女は手伝ってくれるだろうか?

 

《私は、あなたに借りがあるから》

 

いや、彼女には手伝ってもらう。

 

このプランなら、確実に噂を無くせるはず。

 

でも、待つんだ。

 

これを実行したら物語はどうなってしまう?

 

比企谷君は?

 

雪ノ下さんは?

 

由比ヶ浜さんは?

 

 

《・・・・・ロクはさ、頑張りすぎだから》

 

《顔見たらすぐわかるし、思い詰め過ぎ》

 

《うっさい、あーしは気にして無いって言ってるでしょ。それに2年の先輩もあーしと同じ気持ちだと思うし》

 

《だから、いつも通りのロクで大丈夫》

 

《ロク、顔を上げる》

 

《男の子でしょ、泣くなし》

 

《あーしがロクの事、守ってあげる》

 

 

このまま、彼女達に守ってもらうだけでいいのか?

このまま、何もしないで、彼女達を傷つけてしまっても・・・・・。

 

そんなの嫌だ!彼女達が傷つけられるのを黙って見ているなんて出来ない。

 

俺が彼女達を守るんだ。

 

「急に黙りこんで、どうしたのかしら?」

 

この時の俺は、物語の続きなんて、どうでもよかったんだ。

 

彼女達を守れるのなら。

 

「雪ノ下さん、頼みたい事がある」

 

 

~文化祭2日目~

 

「大声コンテストに出場される方は、体育館に集まってください」

 

教室にあるスピーカーが、俺の出番が始まる事を伝えてくる。

 

「この放送って、ロクが出るやつでしょ?」

 

「そうだよ」

 

今、俺は三浦さんのクラスがやっている、メイド喫茶に来ていた。

 

「何を叫ぶか知らないけど、恥を掻かない様にしなさいよ」

 

たぶん恥を掻く事になると思います。

 

「まあ、三浦さんのメイド服姿も拝むことが出来たから、思い残す事は何も無いよ」

 

「なに、バカな事を言ってんの。まあ、頑張りな」

 

「・・・うん、頑張る」

 

体育館に行くために立ち上がり、教室の出口に向かう。

 

彼女に何も言わずにこのまま行ってしまっても、良いのだろうか?

 

今からしようとしている事を何も言わずに。

 

「三浦さん」

 

「どうしたの?」

 

「俺、・・・・・頑張ってくる」

 

「うん、頑張ってきな。あーしも休憩に入ったら、応援に行ってあげるから」

 

「うん、ありがとう。それじゃあ、行ってくる」

 

「また後でね」

 

三浦さんや城巡先輩には、言えない。

彼女達は、このやり方を否定するだろう。

彼女達は、優しいから。

俺の事を守ると言ってくれるから。

 

俺が彼女達の事を守る。

 



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噂の解決法

「君も参加するのか?」

 

集合場所の体育館までやって来ると、そこには美人教師が待機していた。

 

「そうですけど"君も"という事は、先生も参加するんですか?」

 

「ああ、勿論だ。と言っても参加者が少ないという理由で、私のところまで話が回ってきただけなんだがな。そういう事だから、日頃の鬱憤をこのイベントで晴らしてやろうと考えている」

 

「先生、溜まってそうですもんね」

 

「何がだ」

 

「な、何って、鬱憤がですよ」

 

急に先生がピリついてしまったため、防御体勢をとってしまう。

 

アラサー女子って、こんなにデリケートな生き物なの?

それとも、先生が特殊なだけなのだろうか?

下手な事は言わない様に気をつけながら会話を進める。

 

「それより文化祭はどうですか?楽しんでます?」

 

「君は何を言っている。学校の行事という物は教師が楽しむ物ではない、生徒が楽しむ物だよ。教師はそれを見守っているに過ぎない」

 

うん、こういうところは教師らしいんだよな。

 

「だがな」

 

「はい?」

 

「見守っているといっても目の前で、イチャイチャイチャイチャとされるのは堪ったものではない!」

 

うーん、教師らしいんだよな?

 

「あー、羨ましい。私もイチャイチャしたいよー」

 

先生、本音が漏れてます。

 

それから少し時間、愚痴を吐く先生を温かく見守っていた。

 

 

「ゴホン、ところで君が抱えている悩みの方はどうなったんだ?」

 

「・・・それなら、もう少しで方が付くと思います」

 

「そうか、ならいいのだが。君が無茶をしそうな気がしてな」

 

「解っています。自分が出来る範囲でしか無茶はしません」

 

「まったく君という奴は」

 

今からやろうとしている事を話したとしても先生は止めはしないだろう。

だが、彼女達に話さなかったのに先生に話してしまうというのは何か違うんじゃないかと思った。

 

「大声コンテストに出場される方は、ステージ裏に集まって下さい」

 

「いよいよだな」

 

「そうですね」

 

予定通りに事を進めれば、間違いなく解決できるはず。

事前準備に不備は無い。後は遂行するだけだ。

平塚先生との会話で落ち着いていた気持ちが昂り出す。

 

ここで終わらせる。

 

~~~

 

「次はアラサー美人教師の平塚先生です。お願いしまーす!」

 

司会進行を行っている生徒がステージ中央の位置に先生を呼び入れた。

 

先生の順番は俺の1つ前、落語で言うところの“膝代わり”でトリの1つ前になる。

という事は俺がトリになる訳なのだが、これは事前準備の成果だ。

これからしようとしている事を運営側に話し、順番を最後にして欲しいと願い出たところ、盛り上がりそうだという事で、二つ返事で了承が得られた。

 

「観客も多いみたいだし、なんだかワクワクしてきたぞ!」

 

そう言うとステージ中央にゆっくり歩いて行く。

 

「は、はい、頑張って下さい」

 

いつの間にか先生のテンションが可笑しなゾーンに入っていた。

 

えっ、何があった?

緊張している様には、見えないんだけどな。

 

「さあ、平塚先生の登場です。こんなに美人な先生なんですが、なんとびっくりアラサーで独身なんです!」

 

「フフフ・・・・・」

 

あっ、解った。

平塚先生が可笑しなテンションになってるのは、司会をしてる生徒が先生を呼び入れる時からずっと煽っているからだ。

 

「それでは先生、アラサー女の魂の叫びを聞かせて下さい!」

 

散々と煽っていた生徒は先生に合図を送ると、ステージ端の方に移動していく。

ところで平塚先生は何を叫ぶのだろうか?

嫌な予感がしつつ、ステージ袖から先生を見守る。

 

「・・・・・」

 

先生は微動だにせず、ステージ中央で無言のまま佇んでいる。

拗ねちゃったんじゃないよね?

俺は人の心配をしている場合では無いんだけれど。

 

そんな事を考えていたら、

先生は無言のまま両方の手を上に翳した。

 

「すぅー、はぁー」

 

大きく深呼吸を1回。すると、

 

「オラに婚期を分けてくれぇーーーーー!!」

 

先生が発した魂の叫びは体育館内に響き渡ると、そこには無と言っていい程の静寂が訪れた。

 

先生はジャンプに毒され過ぎているんだと思う。

どういうつもりで言ったのかは解らないが、他人の婚期まで分けて貰っていたら、彼女の結婚は今世では難しいだろう。

 

白衣を翻し、清々しい顔をしてこちらに戻ってくる。

大勢の観衆の婚期と元気を奪って、俺の横を通り過ぎて行く。

声を掛ける事が出来なかった。

先生は更なる高みに行ってしまったのだ。

孤高の存在へと・・・・・。

 

間違えてはいけない。

孤独では無く、孤高なのだ。

 

 

「・・・・・あ、ありがとうございました。先生らしい魂の叫びでしたね」

 

1番最初に目の前で起こった悪夢から覚めた司会者の生徒が感想を述べる。

 

「気を取り直しまして、といいますか次が最後の参加者になってしまいます。1年生の黒田君です。お願いしまーす!」

 

名前を呼ばれて、ステージ中央へと歩みを進める。

 

先生に場を荒らされてしまったが、やることは変わらない。

 

「さあ、1年C組の黒田録君です。1年生ながら、そのプレイボーイぶりが有名な黒田君なんですが、どういった愛の叫びを聞かせてくれるんでしょうか!」

 

この司会者は俺の事も煽ってくる。

しかしそれによって、俺の事を観衆達が理解しだしたようだ。

 

「アイツって二股野郎じゃん」

 

「マジだ。どっちが良かったかとか発表するんじゃね」

 

「羨まし過ぎる。3人一緒にもやってるだろ」

 

「クソ!リア充爆発しろ!!」

 

「先輩、ファイトー!」

 

観衆のざわめきが拡がっていき、下衆な言葉が俺の耳にも届いてくる。

胸の奥で怒りの火が膨れ上がりそうになるが、冷静さを失わないように我慢する。

 

「皆さんも盛り上がってるみたいですね。それでは黒田君、愛の叫びをお願いします!」

 

司会の生徒はそう言うと先程と同じ様にステージ端に移動していく。

 

「おい、謝罪しろー!」

 

「そうだ、そうだ」

 

「土下座だー」

 

色々な方向から野次が聞こえてくる。

謝罪をして噂が無くなるのなら幾らでも土下座をしても良いのだが、謝罪してしまうと認めてしまった事になるため、それをする事は出来ない。

 

無駄に時間を引き延ばしても野次が酷くなるだけなので、俺は動く事にした。

 

「うるせぇーーーーー!」

 

俺の出した大きな声で、会場中に拡がっていたざわめきは止まった。

 

「黙って聞いてれば好き勝手に言いやがって、何が謝罪だよ!」

 

畳み掛ける。

 

「糞みたいな噂なんか信じ込みやがって、俺の事を悪く言う分には良いけどな、大切な友人の事を悪く言う奴は絶対許さない」

 

そうだ、彼女達を悪くなんか言わせない。

 

「彼女達は優しい人達なんだよ。こんな俺なんかの事を守るって言ってくれるような優しい人達なんだ!」

 

芝居染みた口調と動きで、観衆達の気を完全に惹き付けられただろう。

俺はここで違うスパイスを加える。

 

「それにな、俺には総武高校に入学してから一途に思い続けている人が居るんだよ!その人に勘違いされたらどうしてくれるんだ」

 

「どうせ嘘だろ」

 

「話しを反らしているだけだよ」

 

「そうだ、そうだ」

 

気を取り直した数人が反論の野次を送ってくる。

 

「解った、良い機会だ。今からその人に告白しようと思う!」

 

会場の雰囲気が変わったような気がする。

 

二股男と彼女達の噂は今日で消えて無くなるだろう。

 

明日からは、文化祭の熱に当てられ勘違した1人の男が、多くの観衆の前でフラれるという笑い話で持ちきりになるはずだ。

 

「すぅー、はぁー」

 

間を取るために1度深呼吸をする。

 

派手に散ってやる。

 

「1年J組の雪ノ下雪乃さーん!」

 

俺の合図によって所定の位置に立っていた雪ノ下さんにスポットライトの光が集まり、運営側の女子生徒がマイクを持って側に掛け寄る。

 

「はい」

 

彼女の声がスピーカーから聞こえてくる。

巻き込んでしまって申し訳ないのだが、勘違いした男に巻き込まれてしまった被害者、彼女が何かを言われるという事は無いだろう。

 

「あなたの事が大好きです。俺と付き合って下さい」

 

最低最悪な解決方法を実行した。

 



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後の祭り

「クロダ君、パないわー、男の中の男だわー!」

 

「ははは・・・・」

 

戸部君の言葉に渇いた笑い声で答える。

文化祭も終わり、今は教室で後片付けを行っていた。

 

「あの場で告白とか根性アリすぎでしょ!」

 

「文化祭の熱気で舞い上がっちゃっただけだよ」

 

文化祭2日目終盤のイベントだった事もあり、俺のした行動の余韻は少しも収まる事は無く、様々な感情のこもった視線をクラスメイト達から浴びせ掛けられていた。

 

「でもクロダ君がユキノシタさんの事を好きだったなんて、マジびびったわー」

 

「ははは・・・・。まあ、告白は失敗だったんだけどね」

 

「ユキノシタさんとか無理ゲーっしょ。人を寄せ付けないオーラとかマジ恐いから。クロダ君の勇気にダツボーだわ」

 

「そんなこと無い、彼女は優しい人だよ」

 

そう、あんな計画に付き合ってくれた彼女は優しい人だ。

 

「そ、そうだよねー。まぁなんつーの、打ち上げでパァーと騒いで今日の事は忘れるきゃないじゃん!」

 

「うん、ありがとう。・・・・本当にごめん」

 

彼の思いやってくれる気持ちが、俺の心を罪悪感で締め付ける。

 

「ヨーシ!あらかた片付けも終わったし、みんなで"おつかれクロダ君会"にレッツゴーでしょ」

 

「「「「「オー!!」」」」」

 

戸部君の言葉を合図にクラスメイト達が集まって、この後の予定を決めていく。

 

「ごめん、少し用事があるんだ。その後で合流するよ」

 

「リョーカイ、主役のタメに舞台は整えとくから!」

 

「ありがとう。それじゃあ、また後で」

 

そう言うと俺は、すぐに教室を後にした。

あの場所に居るのが、こんな俺の事を気遣ってくれる彼の顔を見ているのが本当に申し訳なかった。

 

教室を出て、目的の場所まで歩みを進める。

 

「黒田君!」

 

その途中、声を掛けられ振り向くと

 

「・・・・城廻先輩」

 

守りたかった女の子の1人、城廻先輩が立っていた。

 

「えへへ、大声コンテスト見てたよ。・・・・・残念だったね」

 

「あっ、あの・・・・・」

 

「ハルさんの妹さんの事が好きだったなんて、もうびっくりだよー」

 

あの噂の事は、もう大丈夫だって言わないと。

 

「私なんかが、どう足掻いたって敵いっこないよね(ボソッ)」

 

「えっ」

 

「何でもない。後片付けの途中だったから、もう戻るね」

 

「ちょっ、ちょっと城廻先輩!」

 

彼女は、こちらを振り返る事なく廊下を駆けていった。

 

 

~~~

 

〈コンコン〉

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

ドアを開けると、この1週間で見慣れた奉仕部の部室の光景が目に入ってきた。

 

「あら、どうしたの?」

 

「雪ノ下さんのおかげで無事に計画も達成できたから、お礼を言いに来たんだけど」

 

「いいえ、その事じゃないわ。私が言っているのは、あなたの顔の事よ」

 

「顔?」

 

彼女が言っている事の意味が解らず、手で顔を触れてみる。

 

「自分で解らないの?今のあなた、とても酷い顔をしているわ」

 

あれ?今の俺って、どんな表情をしているだろう。

 

笑えてる?喜べてる?・・・・・泣いてる?

 

 

「そんな所に立っていないで座ったら」

 

「あっ、・・・・・うん」

 

立ち尽くしていた俺は、彼女の言葉に従い椅子に腰を掛けた。

 

「ありがとう。雪ノ下さんのお陰で無事に終わらせる事ができたよ」

 

「まだ終わってはいないわ。例の噂が終息したのかは、時間を置かないと解らないもの」

 

そうだった。計画を実行したからといって、噂が無くなるという事じゃないんだ。

 

「そうだよね。でも一応、お礼は言わせてよ」

 

「私は何もしていない。あなたが自分で考え、そして行動しただけよ」

 

「そんな事は無いよ。雪ノ下さんがいなかったら、この計画は実行出来なかった。・・・・・だから、ありがとう」

 

彼女に向かって、頭を下げる。

 

あんな最低な計画に付き合わせて、・・・・・ごめん。

 

「わかったわ、その感謝の気持ちは受け取っておきましょう。でも、・・・・・あなたのやり方、嫌いだわ」

 

やっぱり君は、そうだよね。

 

「上手く説明出来なくて、もどかしいのだけれど。あなたのやり方が嫌い」

 

それなのに付き合わせてしまって、本当にごめん。・・・・・でも、

 

「あれは、俺のやり方じゃないよ」

 

「えっ」

 

「あの方法は俺には考えつか無い。俺はただ模倣したにすぎないんだ」

 

「それは、どういう事?」

 

「あのやり方を実行した人物を知っているんだ。似たような状況で誰にも頼る事も無く、自らを犠牲にして、誰かを守るやり方を・・・・・。」

 

みんなを、奉仕部を、

彼が君の信念を守るために行った、最低なやり方を・・・・・。

 

「だから俺は実行出来たんだよ。雪ノ下さんを巻き込んでしまったんだけど」

 

「・・・・・模倣する方も模倣する方なのだけれど。そんな解決案を考え付くなんて、その人物は人としてどうかと思うわね」

 

「俺もそう思うよ。でもね、雪ノ下さんはその人の事を嫌いにはならないんじゃないかな」

 

そう、物語の中の様に君は彼の事を・・・・・。

 

「仮定とはいえ、そんな"ろくでもない人物"とそんな風に言われるのは不愉快なのだけれど」

 

「・・・・・ごめん。でもね、これから雪ノ下さんの前にそんな人が現れる時が来たら、その時はちゃんとその人の事を見てほしい」

 

「・・・・・?」

 

「その人のする事を解ってあげてほしい」

 

あれ?俺は何でこんな事を言っているんだ。

 

「そして、その人の事を叱って、優しく抱きしめてあげてほしい」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「ごめんなさい。あなたの言っている事の意味がよく解らないのだけれど」

 

「ははは。だよね、俺も自分で言ってて何を言っているのか解らなくなっちゃったよ。・・・・今日の事で、ちょっと疲れているのかもしれない」

 

ただでさえ物語をグチャグチャにしてしまったのに俺は何を言っているんだろう。

 

「そうね。あなたは少し休んだ方が良いと思うわ」

 

「うん。何かごめん、お礼を言いに来たのに・・・・」

 

「いいえ。気にしていないわ」

 

俺は立ち上がる。

 

「それじゃあ、俺は行くね。依頼の件、本当にありがとう」

 

「ええ、気にしないで。・・・・・さようなら」

 

奉仕部の部室を後にする。

 

俺はどうして彼女にあんな事を言ってしまったのだろう。

この物語が大きく変わってしまう様な事をどうして言ってしまったのだろう。

 

あんな事を・・・・・・いや、違うな。

 

あれはたぶん、今の俺がしてほしい事なんだ。

 

こんな駄目な俺を誰か・・・・・・。

 

「三浦さん」

 

奉仕部のある階の階段に差し掛かった時、俺が守りたかったもう1人の女の子。

三浦さんが階段の壁に背中を預ける様な体勢で立っていた。

 

「ロク、話があるから連いてきて」

 

彼女はそう言うと、上の階に向かって階段を歩き出した。

 

 

~屋上~

 

お互い無言のまま彼女に連れられて薄暗い階段を上がり、屋上へとたどり着いた。

 

彼女はそのまま屋上の端の手すりの所まで歩いて行き、こちらに振り返る事なく、そこから見える景色を見ていた。

 

お互い無言のまま時間だけが流れていく。

 

ここが学校内でまだ沢山の人が居るというのを忘れてしまうくらいにこの場所には音が無く、さっきまで居た空間とはまったく違う空間に来てしまったんじゃないかと錯覚してしまう。

 

この空気に耐えられなくなった俺は、話があると言っていた彼女より先に言葉を発した。

 

「えっと、・・・・・見に来てくれた?」

 

「・・・・・うん」

 

「それじゃあ、俺がした告白も?」

 

「・・・・うん」

 

やはり、あの場所に来ると言っていた三浦さんにも見られていたようだ。

事後報告になってしまうが、彼女に話しておこう。

いや、話さないといけない。

俺が実行してしまった、最低な計画を。

 

「実は、あの告白なんだけどね」

 

「・・・うん」

 

「嘘なんだ」

 

「・・」

 

「あれは噂を無くす為に計画した嘘なんだ」

 

「知ってる」

 

「えっ!?」

 

何で?彼女が何であの計画を知っているんだ。

 

「ロクの事なら解るよ。どんな事をしようとしてるのかは解らなかったけど、何かをしようとしてるのは解ってた」

 

「・・・・・」

 

彼女はこちらを見ないまま話を進める。

 

「あのステージの上での立ち振舞い方ってさ、あーしを助けてくれた時みたいに演技がかってたし」

 

「・・・・・」

 

そうか、彼女には全て見透かされていたんだ。

 

「・・・でもさ、あんな事をする前に言ってほしかった。あんな馬鹿な事をする前に言ってほしかった!」

 

彼女がこちらに振り返る。

 

「えっ」

 

振り返った彼女の瞳からは涙が流れていた。

 

「あーしがどんな気持ちであの告白を聞いていたかわかってる?嘘だと解っていても・・・。嘘だと解っていてもつらかった」

 

何で泣いてるの。

 

「言ったよね。いつも通りのロクで大丈夫だって」

 

俺は君達を守りたかったんだ。

 

君達の笑顔が見たかったんだ。

 

「あーしがロクの事を守ってあげるって」

 

「・・・・・」

 

「あーしの気持ちをもっと考えてよ!」

 

あっ、俺はまた間違えたのか。

 

彼女達を守る為と言っておいて、本当は自分の事を守りたかったんだ。

 

弱い自分を見せているのが嫌で彼女達の言葉も聞かずに自己満足の為、彼の行った解決方法を模倣した。

 

何が最低な解決方法だ。最低なのは俺自身じゃないか。

 

「ロクの側に居るのが苦しい。ロクの側に居るのがつらい。・・・・・このままじゃあーし、ロクの側でちゃんと笑う事ができない」

 

俺はまた間違えたんだ。

 

「ロクの顔を見ていたくない」

 

彼女はそう言うとこちらに向かって歩いて来る。

そして、俺の横を通り過ぎる間際。

 

「バカ」

 

その言葉を残して屋上のドアから消えていった。

 

彼女が居なくなってしまった屋上。

 

俺は重い足取りでさっきまで彼女が居た屋上端の手すりの所まで来た。

 

そこには彼女の瞳から零れてしまった涙の後が残っている。

 

俺はそのまま視線を上げて空を見上げながら、手すりに寄り掛かった。

 

あの時、君が見ていた空はどんな風に見えていたんだろう。

 

澄みきった空にちゃんと見えていたのだろうか。

 

こんなに心が雲ってしまっているのに。

 

君はどうだった?

 

青く澄みきった秋の気配がする空は、その答えを教えてくれる事は無かった。

 




1年生の黒田君視点はこれで終わりです。
次からは別の視点で話を進めていきます。


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比企谷八幡①(比企谷八幡視点)

この話は文化祭の少し前から始まります。

屋上での話が抜けていました。
10月14日23時30分に修正しました。


「ただいま」

 

「お兄ちゃん、お帰りー」

 

リビングへ入ると先に帰っていた小町がソファーにうつ伏せに寝転がりながらファッション雑誌を広げ、ノールックで帰宅の挨拶を返してくる。

 

文化祭の準備というサービス残業を課され疲れきった俺は、心と体を休めるべくソファーの空いたスペースにすぐさま腰をおろした。

 

「今日も文化祭の準備だったの?」

 

小町が視線を雑誌に向けたまま問いかけてくる。

 

「ああ、マジ疲れたわー」

 

返答しながら小町が見ている雑誌に目を向ける。

 

"小悪魔と書いてモテ女と読む"

 

なんて記事のタイトルだよ!

はぁ。毎度毎度、飽きずによくもまあ。

我が愛しの妹はこんな偏差値25ぐらいの記事ばっか見てて、お兄ちゃんは凄く心配だ。

 

「小町的には嬉しい事なんだけど、2学期になってから活動的だよね。何か心境の変化でもあった?」

 

こちらに視線を向け、意味が解らないことを問いかけてくる。

 

「なんもねぇよ。スクールカースト上位者共のツケを払わせられてるだけだ」

 

「なにそれ?」

 

「アイツらはな、文化祭のクラスの演目を自分等で勝手に決めといて、いざ準備期間に入ると最初の内は独裁的なリーダーシップを振りかざし「俺等、文化祭楽しんでるぜー♪」とナルシシズムに浸りながら地味な作業はスクールカースト下位者に押し付ける。なのに日が進むにつれて準備作業に飽きてきやがったと思ったら「俺等、本番を楽しむ派だから後ヨロシクー」って具合に全部をこっちに全部を押し付けて逃げやがるんだ。そのくせ、一々とこちらの作業にはダメ出しをしてきやがる、それに」

 

「はいはい、お兄ちゃんストップ!はあ、解ったからもういいよ」

 

これからというところで小町からストップを掛けられる。

 

「でもさ。きっかけはどうあれ、そんなに頑張ってるんだったら文化祭が終わった後の達成感なんて、ひとしおなんじゃないのー?」

 

小町は何も解っていないようだ。

 

「ふふふ、文化祭が終わった後の達成感?そんなものあるはずが無い!あるのは絶対的な敗北感だよ小町君。スクールカーストの序列という絶対的な敗北感。アイツらは俺達が積み上げて来たモノを全部奪い去っていくんだよ」

 

そう、アイツらは養蜂家のおじさんみたいに全部を奪っていく。俺はアイツらの為に汗水垂らして蜜を集めるミツバチハッチなのだ! 

すまない、ひとつだけ訂正させてくれ。養蜂家のおじさんが全部を奪っていくというのは間違いだ。おじさんは蜜蜂との共存共栄を果たしている。持ちつ持たれつの関係だ。

それだというのにアイツらは、

 

「はぁー。もう、お腹一杯だよ」

 

これからというところで、八幡わんこ蕎麦はストップを掛けられた。

おい小町、まだ頑張れるぞ。

 

「仕方ないなー、心も体も疲れきっている可哀想なお兄ちゃんに優しくて可愛い小町がスペシャルなマッサージをしてあげるよ!」

 

「こ、小町・・・・」

 

ブラックな職場から帰って来たお兄ちゃんの為に優しい気遣いをしてくれる献身的な妹に感動しているのだが、その優しい気遣いをしてくれた張本人はというとうつ伏せに寝転んだ状態のまま起き上がりはせず足をバタつかせ始めた。

 

「ほら、お兄ちゃん!小町マッサージ機が動き出したよ。ウィーン♪」

 

「な、なんだと」

 

予想の斜め上を行くマッサージ方法に驚愕した俺が動けないでいると。

 

「何してるの?早くしないとJCの生足マッサージが終わっちゃうよー」

 

小町の言葉に体が反応しそうになるが俺は何とか踏みとどまる。

いくらシスコンとはいっても越えてはいけない一線があるんだ。

 

「俺を馬鹿にするんじゃねぇよ。親父みたいに小町に足蹴にされて喜ぶ趣味は無いからな」

 

「もぉー、小町の優しさを無下にしないでよね。お父さんは凄く気持ちが良いって言って、お小遣いをいっぱいくれるんだから」

 

これはあれだ。親父に変な性癖が芽生えてしまい家庭崩壊という事態になる事が無いように気をつけなければならないな。

 

「はあ、もういい。着替えてくる」

 

〈ギュッ〉

 

俺は立ち上がり自分の部屋に移動する為に歩き出したのだが、腰の辺りを後ろから抱きしめられた事により歩みを止めさせられる。

 

「心配してるんだからね。最近のお兄ちゃん、様子がおかしかったから・・・・」

 

「・・・・・」

 

「悩みでもあるの?」

 

「・・・そんなもん、ねぇーよ」

 

そう、悩みなんて何も無い。

 

ただ胸糞悪い事があっただけだ。

 

最近、学校で拡散されている噂。

 

悪意のある噂。

 

それで悩んだ顔をしている1人の馬鹿。

 

その馬鹿は俺のボッチライフを邪魔をするだけの男。

 

ただそれだけ、だから俺には関係の無い事だ。

 

そう、俺には悩みなんて物は何も無い。

 

「・・・・そっか。何かあったら小町に話してね。恋の悩みだったら大歓迎だよ」

 

「そんなんで悩んだりしねぇよ。まあ、そのなんだ。何かあったら話すから心配しなくて大丈夫だ」

 

「うん、わかった。じゃあ、晩御飯の準備するね」

 

小町はそう言うと体を離してキッチンの方に掛けていく。

 

それを見届けた俺は、自分では納得する事が出来ない後ろめたさを感じながら部屋へと移動するのだった。

 

 

~文化祭2日目~

 

ここ一週間続いたブラックな労働環境も今日で無事に終える事が出来た。

ただ最後の試練とばかりに休憩無しのぶっ続けで働かされた事は一生、根に持つ事になるだろう。

俺の休憩を奪った奴、マジで許さん!

 

今はというと文化祭の閉会式も終わり、教室で後片づけを行っている。

 

「そういえば聞いた?C組の黒田君がJ組の雪ノ下さんに公開告白したってよ」

 

「知ってる。フラれちゃったんでしょ!」

 

「ウケるよねー♪」

 

クラスの連中がアイツの話題で盛り上がっているのが俺の耳に入ってくる。

はあ、またあの馬鹿は何か仕出かしたらしい。

アイツは羞恥心という物を母ちゃんの腹の中に忘れて来てしまったんじゃないだろうか。

 

「でもさ、黒田君って二股疑惑があったよね。あれは、何だったの?」

 

「どうせデマだったんでしょ。高校に入ってから一途に雪ノ下さんの事を好きだった様に言ってたから」

 

「そうそう。フラれちゃった後に「告白が失敗したのは、お前らが噂を拡散したからだー」って怒ってたもんね」

 

「えー、言い訳じゃん!かっこわるー」

 

「「「ハッ、ハハハハハハ」」」

 

本当にこいつらにはヘドが出る。

人の噂で散々と楽しんだ挙げ句、自分等には非がないと上から目線でまた人の事を謗る。

 

・・・・・ただ、

 

何か引っ掛かる。何がどうとは言うことが出来ないのだが、アイツの行動に違和感を感じてしまう。

 

「・・・・・」

 

まあ、どうでもいい事だ。

アイツが何をしようと俺には関係が無い事なんだ。

 

「この後、どうする?」

 

「みんなで打ち上げやろうよ!」

 

「そうだねー」

 

まだ後片づけの途中だというのにこの後の事を話し合いだした。

コイツらは帰るまでが文化祭だと先生に教わらなかったのかよ。

俺は気にせずに黙々と片づけの作業を進めていたのだが、クラスメイトの女子が話し掛けてきた為にその作業を止めさせられた。

 

「比企谷君だったよね?」

 

「ああ」

 

何で疑問形なんだよ。と思ったのだが俺もコイツの名前を知らない事を思い出し、まあお互い様かと1人で納得した。

 

「あのさ、あそこにあるゴミを指定されてるゴミ置き場まで持って行ってくれるよね?」

 

「・・・・ああ」

 

これはお願いされているのだろうか。命令されているのだろうか。

 

まあ、どちらでもいい。

 

女子はそれだけ言うと話し合いの場に戻っていき、俺は自分のしていた作業を終わらせるとゴミ袋を片方に2つずつ持ち教室を出た。

 

・・・・・指定されてるゴミ置き場ってどこだよ。

 

 

~~~

 

ゴミ置き場にゴミ袋を置くと今きた道を教室に向け歩きだす。

 

はあ、やっと終わった。これでいつものボッチライフに戻れる。

 

俺はこの1週間で疲れ固まってしまった筋をほぐそうと首のストレッチをしながら歩く。

 

ん、何だあれ?不意に視野の中に入ってきた物に視線を向ける為、屋上を見る。

 

・・・・人か?目に力を入れて、よく見ようとした。

 

そして俺は、・・・・・無意識の内に屋上に向けて走り出していた。

 

屋上に立っている人物を認識した瞬間に走り出していた。

 

あの馬鹿!!

 

 

~屋上~

 

〈ガタン〉

 

屋上に着くとすぐにアイツに声を掛けた。

 

「馬鹿!女にフラれたぐらいで何しようとしてんだよ」

 

「へっ、比企谷君!?」

 

アイツはこちらに顔を向けて驚いている。

 

「ハア、ハア、ハア」

 

階段をかけ上がって来たせいで息が上がってしまい言葉を続ける事が出来ない。

 

「どうしてここに?」

 

「ハア、ハア、お前がそこから・・飛び降りようと・・・してたから」

 

俺は息も切れ切れで必死に言葉を発した。

 

「えっ、俺がここから飛び降りる?」

 

その言葉で俺の時間が止まる。

 

「・・・・・ち、違うのか?」

 

「・・・・・うん、出来れば飛び降りたく無いかな」

 

屋上になんとも言えない空気が流れる。

 

恥ずかしさのあまり、今すぐにここから飛び降りたい衝動にかられてしまう。

 

俺達はお互いに無言のまま、時間だけが過ぎていった。

 

「ははは、やっぱり比企谷君は優しいね」

 

アイツの言葉で屋上の時間が動き始めた。

 

「・・・・・そんなことねぇーよ」

 

「やっぱり俺は比企谷君に憧れていたんだな」

 

コイツは平気は顔をして、こんな事を言う。

 

「何でボッチに憧れてんだよ。気持ち悪いぞ」

 

いつだったかコイツに言ってやった言葉をもう一度繰り返す。

 

「いや、憧れるよ。比企谷君にはなれないんだと解っていても」

 

「・・・・・」

 

コイツは俺に向かって言っているようで言っていない。

 

お前はいったい誰に向かって言っているんだよ。

 

「ありがとう比企谷君。そろそろ戻ろう」

 

黒田はそう言うと入り口側にいる俺の方に向かって歩いてくる。

そしてそのまま俺を通り過ぎようとした時に

 

「本当にありがとう」

 

そう言って黒田は屋上のドアから中へと入っていく。

 

「いったいお前は何者なんだよ」

 

1人だけの屋上で呟いた俺の声は誰にも聞こえる事は無かった。

 



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城巡めぐり①(城巡めぐり視点)

前話で最初に投稿した物に屋上の話が入っていませんでした。すいません。


黒田君は雪ノ下さんの何処に惹かれたのかな?

 

あの、美しく整った顔?

 

あの、長くて綺麗な黒い髪?

 

あの、人を寄せ付けない落ち着いた雰囲気?

 

私には無いものばかり・・・・・。

 

「おーい、城巡」

 

雪ノ下さんが羨ましいな。

 

「城巡!」

 

「ひゃい!?」

 

肩に置かれた手によって現実へと引き戻された。

 

「大丈夫か?」

 

目の前には心配そうにこちらを見ている担任の先生が居る。

 

「な、何がですか?」

 

「何がって城廻の事だよ」

 

「私の事?」

 

「そうだ。周りを見てみろ。みんな下校したぞ」

 

周りを見渡すと先生の言う通り、教室には誰も居ない。

 

「最近、様子がおかしいみたいだが何か悩みでもあるのか?」

 

「・・・・いいえ。悩みなんて無いです」

 

そう、悩みなんて何も無い。

結果はもう出てしまってるんだから。

 

「そうか。何かあったら頼ってくれていいんだからな」

 

「・・・・はい」

 

「俺も学級委員長の城廻に頼り過ぎてたところがあったからな。反省するよ」

 

「そんな、私は学級委員長として当然の仕事をしているだけです」

 

「そういうところだよ。もっと肩の力を抜け」

 

「・・・・」

 

最近の私は本当に駄目だな。

周りのみんなに心配をかけてばっかり。

 

「おっ、そうだ。城廻、今度の生徒会長選に立候補してみないか?」

 

「生徒会長選ですか?」

 

「そうだ。城廻ならやれると思うんだが」

 

「無理です。私に勤まるはずがありません」

 

「そんな事は無いと思うぞ」

 

「・・・・」

 

せっかく先生が勧めてくれる話だけど、こんな私が生徒会長だなんて絶対無理。

雪ノ下さんみたいな完璧で選ばれた人がするべき事なんだよ。

こんな私が生徒会長だなんて似合わない。

 

私は先生の顔を見るのが申し訳なくて下を向いてしまう。

 

「城廻はもう少し自分を信じてあげてもいいと思うんだけどな」

 

「・・・・」

 

「まあ、そんなに重く受け止めるな。少し考えてみてくれるだけでいい」

 

「・・・・はい」

 

そこで会話は終わり先生から下校を促されると、私は帰り支度を終えて教室を出た。

 

昇降口で靴に履き替え外へ出ると陽はだいぶ傾き秋の空はオレンジ色に染まっている。

 

その空を見ているとより一層心が重くなるのを感じ、顔を自然と俯けてしまう。

 

少し前までの私はこんなんじゃ無かったのにな・・・・。

 

「めぐり?」

 

名前を呼ばれそちらを向くと、

 

彼が一途に恋心を抱いている女の子のお姉さん。

 

「やっぱりめぐりだ」

 

雪ノ下陽乃さんが立っていた。

 

「おーい。めぐり、どうしたの?」

 

私が声に反応を示さず黙っていたため、ハルさんは私の顔の前で手の平をこちらに向け左右に振るという動作をしていた。

それを認識した私はすぐさま返事を返す。

 

「あっ、こんにちは。お久しぶりです、ハルさん」

 

「久しぶりだね」

 

「今日はどうされたんですか?」

 

「静ちゃんとお喋りにね♪」

 

「そうだったんですね」

 

ハルさんは高校を卒業した後もこうやって平塚先生を訪ねてくる。

 

「ところでさ、めぐりはどうしてそんなに元気がないのかな?」

 

「えっ、そんな事は無いですよ」

 

今の私はちゃんと笑えているよね?

 

「ふーん、そうは見えないんだけどな。まあ、いいや。この後って予定とかある?」

 

「・・・・何も無いですけど」

 

「じゃあ、お茶でもしよう♪」

 

 

~~~

 

あれから私はハルさんに連れられるがまま総武高校近くのカフェへとやって来た。

テーブル席に案内され椅子に腰掛けるとハルさんは一段落する間も与えてくれずに先程の話の続きを再開した。

 

「やっぱり変だよね。ここに来るまでの間もずっと下を向いてたよ」

 

「・・・・・」

 

「・・・悩み事があるんでしょ?」

 

「・・・・・」

 

言えないよ。黒田君が妹さんに恋心を抱いていたことに悩んでいるだなんて。

 

言えないよ。黒田君から告白された妹さんが羨ましいだなんて。

 

だってこれはただの嫉妬なんだから・・・。

 

「黒田君が雪乃ちゃんに告白しちゃった事?」

 

「えっ、えっ、・・・・」

 

いきなり言い当てられた事で動揺してしまう。

 

「あはは、やっぱり」

 

「ど、どうしてハルさんが知っているんですか?」

 

「静ちゃんから聞いたのよ」

 

「平塚先生に・・・・」

 

「でもさ、悩む必要なんて無いんじゃない?黒田君はフラれちゃったのよ」

 

「・・・・確かにそうなんですけど」

 

ハルさんの言う通りなんだけど。でも、どうしても自分と雪ノ下さんを比べてしまう。

 

「それに・・・・・。黒田君は雪乃ちゃんに対して恋心なんて抱いていないんだから」

 

ハルさんが発した言葉の意味を上手く処理出来ず、頭の中が混乱してしまう。

 

「めぐり聞いてるー?」

 

頭の中で何度も何度も言葉の意味を理解しようと思考の渦に飲まれているとハルさんが何時もの飄々とした声で問いかけてくる。

 

「ど、どういう事なんですか!?」

 

「うーんと、黒田君がした告白は嘘で酷い茶番劇だったってことだよ」

 

「な、なんで・・・。なんでそんな事を黒田君はしたんですか!!」

 

私は心の中から溢れ出てくる感情を抑える事が出来ずに声を荒らげてしまう。

 

「何でって・・・・。めぐり達の為に・・・・かな?」

 

「えっ・・・・」

 

・・・・・どういうこと?

 

「二学期が始まってから黒田君とめぐり、それと三浦さん。その3人の関係に関しての噂が学校内で拡まっちゃったんでしょ。だから黒田君はその噂が消えるようにあんな寸劇を演じちゃったってわけ」

 

あっ、そういえば文化祭が終わってからは噂の事が私の耳に入ってこなくなっていた。

 

「でも、何でそんなやり方を」

 

「何でだろう?彼らしくないやり方だよね」

 

「もしかしてハルさんの妹さんが?」

 

「雪乃ちゃんがあんなやり方を提案するはず無いよ。逆に否定しちゃうんじゃないかな」

 

「そ、それじゃあ」

 

「私にもわかんないなー。雪乃ちゃんに聞いても教えてくれなかったし」

 

なんで、なんで黒田君はそんなやり方を・・・・・。

 

「でもさ。彼も必死だったんじゃないのかな?あんなやり方を選択しちゃうぐらいなんだから」

 

「うぅ。それはそうですけど」

 

いま思い返せば、黒田君は何だか焦っていたように感じる。・・・・でも、

私達の為にやってくれたんだって解ってもそんなの簡単には納得する事が出来ないよ。

 

「彼の事、嫌いになった?」

 

「そんな事あるはず無いです!」

 

今の私は、もう彼の事を嫌いになんかなれるはず無い。

 

「じゃあ、めぐりはどうするの?」

 

「えっ」

 

「彼の側に居たい?」

 

「・・・・はい。居たいです」

 

文化祭の前までのように彼の側で笑って居たい。

 

「側に居てどうするの?彼はまたあんな事をしてしまうかもしれないわよ」

 

「私が止めます」

 

もうあんな事はさせたくない。

 

「今のめぐりに・・・。今の弱いままのめぐりに彼を止める事は出来ないんじゃないかな」

 

「弱い?」

 

「うん、めぐりは弱いよ。彼がした事に気付かずにただ傷つけられていただけ。今のままのあなたならまた傷つけられてしまう事になる」

 

「じゃあ、じゃあ私はどうしたらいいって言うんですか!!」

 

「彼の側に居たいのなら強くなりなさい」

 

「・・・・強く。・・・・どうやったらなれますか?」

 

「私には解らないわ。悩んで考えて、めぐり自身で見つけなきゃいけない事よ」

 

「私自身で・・・・」

 

私はどうやったら強くなれるんだろう。

 

どうやったら彼の側に居ることが出来るのだろう。

 

「まあ、焦らないでゆっくり考えてみなさい」

 

「・・・・はい、考えてみます」

 

「うん、そうしなさい。焦っても良い答えは見つからないと思うから。・・・・あと、噂の事でなんだけど一つ聞いておきたいことがあるの」

 

ハルさんが今までの私を諭すような穏やかな表情から一変して、たまに見せる真剣な顔つきで噂の事を問いかけてきた。

 

「めぐりと黒田君が出会った時の話って私の他に誰かに話したの?」

 

「いえ、誰にも話してませんよ」

 

あの時の話は恥ずかしくて誰にも話せない。

ハルさんに話したのも誘導尋問みたいに聞き出されてしまったのだから私からしてみれば不本意だったんだけど。

 

「・・・・そう。ありがとう」

 

「えっ、それだけですか?」

 

「うん」

 

私からの返答を聞いたハルさんの顔は悲しげな表情に変化していった。

 

「そっか。・・・・彼は誰でも無条件に救ってくれるのかな?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「そのままよ・・・・。彼は誰でも救おうとしてくれる。その行為には何か条件があるのかなって思ってね」

 

「はあ、条件ですか」

 

私を助けてくれた行為にもあったのかな?

 

「はーい、この話は終しまい。なんか喉が乾いちゃったよ。何か注文しよう」

 

ハルさんは何時ものような飄々とした雰囲気に戻るとメニューを開き悩みはじめた。

 

「どれにしようかなー」

 

どうしてなのか解らないんだけどこの時の私は、

 

「あの、ハルさん」

 

「どうしたの?」

 

道を示してくれたハルさんにはどうしても宣言しておきたかった。

 

「黒田君の側に一緒に居れるように私は強くなります」

 

何時もの私らしく無いけど言っておきたかった。

 

「うん、頑張って♪」

 

私は強くなるんだ。

 

 

~10日後・学校(屋上)~

 

高校二年生の一番の行事と言ってもいい修学旅行も終わり、ハルさんに強くなると宣言してから10日が経った放課後。

私は1人の男子を屋上で待っている。

これからの事を想像して胸が高鳴り体が熱くなってしまうのを屋上に吹く風は冷まそうとしてくれる。

 

〈ガタン〉

 

屋上のドアが開くと待ち人の黒田君の姿が私の目に入ってくる。

彼はそのまま私の近くまで歩いて来ると立ち止まり口を開いた。

 

「こんにちは。城廻先輩」

 

「こ、こんにちは。黒田君」

 

私が避けていたせいで久しぶりとなってしまった黒田君との会話を緊張の余り噛んでしまう。

 

「えっと・・・。話があるとの事だったんですけど、俺も城廻先輩に話さなければいけない事があるんです」

 

「えっ、ちょっと待って!私の方から先に言わせてくれないかな?」

 

「・・・・はい。解りました」

 

伝えるんだ。・・・・私の覚悟を伝えるんだ。

 

私の想いを彼に伝えるんだ。

 

「私ね、・・・・今度の生徒会長選に立候補しようと思ってるの」

 

「・・・・はい」

 

「そして生徒会長になることが出来たら、・・・・黒田君に私の事を見ていてほしい」

 

今の弱くて駄目な私から・・・・、君に守られてばっかりの私から・・・・、君を守れるぐらい強い私になるから・・・・。

 

「生徒会長として頑張ってる私の事を見ていてほしいの」

 

あなたの側に居たいから・・・・。

 

「大丈夫ですよ。生徒会には入れないですけど城廻先輩のお手伝いはさせて下さい」

 

「違うの!そう言う事じゃ無くて生徒会長としての私を見ていてくれてるだけでいいの」

 

黒田君は私の事をすぐに甘やかそうとしてくれる。

でも、それに頼ってしまったら私は強くなんかなれない。

 

「見ていてるだけですか?」

 

「うん、見ていてくれるだけでいいの。・・・・それとね」

 

「・・・・・」

 

「私が生徒会長を勤めきったら黒田君に聞いてもらいたい事があるの」

 

生徒会長を勤めあげて強くなった私ならきっと君に言えるはずだから。

 

「聞いてもらいたい事?」

 

「うん。だから、私の事を見ていてほしい」

 

生徒会長として頑張る私を・・・・。

 

「はい、解りました。しっかりと拝見させてもらいます」

 

「ありがとう。でも、まずは生徒会長に選ばれないといけないんだけどね」

 

そうだよ。これで生徒会長に選ばれなかったらとんだ恥さらしだよね。

 

「大丈夫です。城廻先輩ならなれますよ。俺が保証します」

 

「えへへ。黒田君に言われると心強いな♪」

 

やっぱり彼の声は私の背中を押してくれる。

 

私の心を温かくしてくれる。

 

「黒田君・・・・」

 

「どうしました?」

 

「ありがとう」

 

遅れてしまったけど、これだけは言っておきたい。

 

「私を・・・・、私達を守ってくれて、ありがとう」

 

今度は私が君を守れるように・・・・、強くなるよ

 



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三浦優美子①(三浦優美子視点)

~12月10日~

 

残りのカレンダーも最後の一枚だけとなり、冬の空気は吐く息を白く染めるようになっていた。

街の中はすっかりとクリスマス一色で、先程から聞こえてくる定番のクリスマスソングはここ最近で何度も耳にしている。

視界の中に映るクリスマスのディスプレイも色鮮やかに煌めきながら、その雰囲気にすれ違う人や立ち止まる人達も少しソワソワしているように感じられた。

 

そんなキラキラとした光景を眺めながら歩いている"あーし"はというと残り2週間となったクリスマスイヴや冬休み。

それに明後日には自分の誕生日だというのに少しも心が躍らないでいた。

 

はぁ、誕生日か・・・・。

 

そう、あの時からおかしかったんだ。

 

9月28日。

 

"あーし"の大好きな人の誕生日。

 

ロクの誕生日。

 

その前日の昼休みに会った時はそれまでと同じでロクは思い悩んだ顔をしていた。

"あーし"はロクの抱えている重しを少しでも取り払おうと頑張ってたんだけど、思い悩んだ顔を変える事が出来なかったんだ。

 

・・・・無力な自分が嫌になる。

 

でも次の日の誕生日に顔を会わせた時は昨日までが嘘のように晴れ晴れとした顔をしていて、その目には何か決意がある様に見えた。

 

何があったのかを聞きたかったんだけど前日までの思い悩んだロクの顔がよぎってしまい、一歩踏み込む事を止めて見守る事にしたんだ。

 

ロクに任せておけば大丈夫だから。

だって“あーし”のボディーガードなんだから。

 

ロクなら・・・・。

 

そして文化祭当日。

ロクと過ごす文化祭はとても楽しくて一つ一つの光景がキラキラと輝いていた。

噂の事なんか気にせずにロクを引っ張り回し、こうやって来年も再来年もずっと同じ思い出を共有して過ごしていけるんだって、この時の"あーし"は浮かれていたんだ。

 

あんな事をしてしまうだなんて思わずに・・・・。

 

クラスの出し物の喫茶店でメイドをやってた"あーし"は休憩に入ると急いで体育館に向かう。

体育館に着いたタイミングでロクはステージの中央へと進んでいるところだった。

周りの野次にイライラしながらもステージ中央に居るロクに目を向けて直感した。

 

ここで何かをするんだって・・・・。

 

そしてロクは口を開く。

 

その言葉をただ黙って聞いていた。

その姿をただ黙って見つめていた。

 

怒りや悲しみ、様々な感情を抑えつけながら。

 

でも我慢が出来なかったんだ。

見守るって自分が決めたのに・・・・。

踏み込む事をしなかったのは自分なのに・・・・。

 

屋上でその抑えつけていた感情をロクにぶつけた。

 

理不尽だって解っている。

傲慢だって解っている。

 

でも抑える事が出来なかった・・・・。

 

あんなのって無いよ。

あーしの気持ちをもっと考えてよ。

 

それを最後にロクとは話をしてはいない。

廊下ですれ違う事はあったんだけど、ちゃんと顔を合わせてはいない。

 

何であの時にもっとロクに踏み込まなかったんだろう。

 

何であの時に・・・・。

 

あーしの時間はあの文化祭の日から止まったまま、心は冷たく沈んでしまっているんだ。

 

あれから何度となく繰り返した思考に陥りながらも気が付けばいつものように自宅へと辿り着いている。

 

「ただいま」

 

短く帰宅の挨拶をすると自分の部屋に向かう。

 

リビングの方から聞こえてくるママの声を尻目に部屋へと入り、壁に掛けてある一着のコートを手に取り抱きしめるとその状態のままベッドに倒れこんだ。

 

そのまま何時もの様に抱きしめていたコートを無意識の内に顔へと近づけると。

 

(クンクン)

 

このコートの持ち主の匂いを探して、空っぽの心を少しでも満たそうとする。

 

「・・・・ロク」

 

ボタンの色が一つだけ違うコート。

 

12月の誕生石。

 

鮮やかな水色の石で出来たボタンは"あーし"の瞳から溢れた涙で濡れていた。

 

 

~12月11日~

 

ホームルームを終えて、帰りの準備に取り掛かる。

 

今日もいつもと変わらない1日だった。

 

ほんの少しの勇気で変えられる1日を"あーし"はいつまでも変えられない。

 

止まったままの針を動かそうと近寄る事さえ出来ないでいる。

 

らしくないな・・・・。いつからこんな弱い人間になったんだろう。

 

「ゆみこー、帰ろー♪」

 

気付くと目の前に友達のカナの顔があった。

 

「また、ボーッとしてるよー」

 

「大丈夫。ボーッとなんかしてないし。・・・・よし、帰ろ」

 

そう言うと鞄を手に取り教室を出る。

 

「ちょっと待ってよー」

 

カナは慌てながらもすぐに追い付いてくると横に並んだ。

取り留めのない会話を交わしながら昇降口に向かって進んで行く。

 

「あっ!」

 

もう少しで昇降口という所でカナは声を上げた。

 

「ゆみこ、ごめーん。用事を思い出しちゃった♪」

 

そのままニコニコした顔で手を振りながら進んできた廊下を引き返して行く。

 

「ちょ、ちょっとー!・・・・何なのよ、もう」

 

カナの急な行動に戸惑いながら1人で昇降口に向かい進んでいくと

 

「あっ!」

 

“あーし“もさっきのカナの様な声を上げてしまう。

 

だって目の前に

 

「・・・・三浦さん。ちょっと話せないかな?」

 

ロクが居たから。

 

 

~~~

 

冬の寒空の下、ロクと二人でとある目的地を目指し歩いていた。

並んで歩るく二人の間隔は夏の頃より少し遠い。

 

なんでだろう、あれだけ撥ね付けていたというのにロクの言うことをすんなりと受け入れてしまった。

それも自分からあの公園に行きたいって、ロクが助けてくれた公園に行きたいって言ってしまったんだ。

 

今日の"あーし"は何かおかしい。

 

胸の鼓動が"あーし"の体をロクの方に突き動かそうとする。

その鼓動のせいで血液が高速で全身を巡り、脳をオーバーヒートさせてしまう。

 

あれもこれも全部が冬のせい。

 

今年の冬の始まりの気温がもっと寒かったら冷静でいられたんだ。

 

だから冬のせい。

 

「三浦さん、この辺りでどうかな?」

 

ロクの声で辺りを見渡すと既に公園の敷地内へと入っていた。

 

「うん」

 

「寒くない?」

 

「大丈夫」

 

そこで会話が途切れてしまい、お互いに向きあったまま無言の時間が過ぎていく。

1分少しぐらいの時間なはずなのに体感ではとても長く感じられる。

 

「あの。・・・・ごめん」

 

お互いの緊張感で重くなった空間の中、ロクが口火を切った。

 

「・・・・何も見ようとせず自分勝手に突っ走ってしまってごめん。・・・・何も相談せずに身勝手に決めてしまってごめん。・・・・言葉を聞かずに傷つけてしまって本当にごめん」

 

ロクは頭を下げる。

 

そのまま動かないロクに向かって"あーし"は、

 

「・・・・許したくない」 

 

その言葉にピクリとロクは体を揺らす。

 

ふふ、小動物みたいだ。なんか可愛いし。

何故だかさっきまでの緊張感が体の中から消えていく。

 

うん、解ってる。

あーし達の為にしてくれたって事は解ってるんだ。

それは嬉しく思うんだけど。

でも、ここで簡単に許してしまったらロクはまた同じ様な事をやってしてしまう。

 

「・・・・許してほしい?」

 

「・・・・・」

 

「ムッ、・・・・許してほしく無いの?」

 

「許してほしいです」

 

頭を下げたまま弱々しい声で返事が返ってくる。

 

「・・・・うん、決めた!」

 

"あーし"はロクの頭の両端を両手で挟むと頭を上げさせる。

そのままロクの目をまっすぐと見つめながら言う。

 

「ロク、顔を上げる。・・・・男の子でしょ、泣くなし」

 

「・・・・」

 

「"あーし"がロクの事、守ってあげるよ。・・・・だから」

 

文化祭の前に言ってあげた台詞を繰り返す。そして、

 

ロクの頭から両手を離し、その両手でロクの頬っぺたをつねり上げると。

 

「悩みがあったら"あーし"に全部言うこと。・・・・嫌、それじゃ駄目。・・・・悩む前に全部を言うこと!次に勝手なマネをしたら只じゃ置かないから」

 

「・・・・」

 

「返事は?」

 

つねる力を少し強める。

 

「ふぁい!!」

 

「ふん、よろしい。・・・・ていうか、来んの遅いし」

 

頬っぺたから両手を離してあげる。

 

「・・・・ごめん。なかなか三浦さんに会う勇気が持てなくて。・・・・恐かったんだ。三浦さんに拒絶されてしまうのが」

 

「・・・・何で、今だったの?」

 

「あっ、それは」

 

ロクはそう言うと鞄の中から綺麗にラッピングされた手のひらサイズの四角い物を取り出した。

 

「誕生日おめでとう。俺もお祝いしてもらったから絶対に三浦さんの誕生日もお祝いしたくて」

 

ん?ちょっと待って。とっても嬉しいんだけど・・・・。

 

「・・・・誕生日は明日なんだけど」

 

ロクに向かって、ジト目で視線を送る。

 

「あっ、そうじゃ無くて。明日は予定とかもう入ってるかなって思ったから今日にしたんだ。・・・・ごめん。1日早いけど誕生日おめでとう」

 

あっ、そうだ。ロクってこんなんだった。

相手の事ばっかり優先して、自分の事は後回し。

 

「・・・・ありがとう」

 

ロクからプレゼントを受けとる。

 

「開けていい?」

 

「うん。気に入ってくれると嬉しいな」

 

綺麗にラッピングされたプレゼントを開けていくと中からトップに綺麗な水色の石が付いている可愛いらしいネックレスが現れた。

 

「・・・・どうかな?女の子が喜ぶプレゼントって解らなくて。そのネックレストップに付いている石は12月の誕生石なんだよ。お守りとしても使われたりするだ。名前はターコイズ」

 

「知ってる。・・・・それじゃあ、この石がどんなチカラを与えてくれるかロクは知ってる?」

 

「えーと、チカラはね。」

 

ロクの返事を待たずに近づくと、その胸に飛び込んで抱きしめた。

 

「ちょ、ちょっと、えっ、えっ」

 

早く脈打つ心臓の動きやロクの体温を左の頬で感じる。

あのコートで探していたロクの匂いが体を包んでくれる。

 

ふふ、こんな事をしてしまうのはこの石のせいだ。

 

この石が勇気と行動力を与えてくれるからこんな事をしてしまう。

 

「・・・・寒い」

 

適当な言い訳を言葉にする。

 

「・・・・さっき寒くないって言ったよ」

 

「うっさいし」

 

懐かしく感じるロクとの掛け合い。

そんな冷静に返したって、ロクがドキドキしてるのなんかすぐに解るんだから。

 

そのまま動く事なく時間は過ぎていく。

 

「・・・・こんなところを見られちゃったら、また変な噂が立っちゃうよ」

 

ムッ、ロクの言うことは正しいんだけど何かムカツク。

 

「ロク」

 

「何?」

 

そうだ。これから言う事もこの冬の始まりの気温がもっと寒くないせいなんだ。

 

「"あーし"はさ」

 

そうだ。これから言う事もこの石が勇気と行動力を与えてくれるせいなんだ。

 

「ロクの事が好き」

 

そうだ。これは"あーし"が・・・・。

 

「だから"あーし"と付き合って下さい」

 

ロクの事を大好きなせいなんだ。

 

「・・・・えっ。・・・・えー!?」

 

左の頬がロクの体温と胸の鼓動で温かく揺れる。

 

右の頬を冬の風が優しく撫でていく。

 

この幸せな時間が一生続けばいいな。・・・・でも、

 

「嘘」

 

抱きしめていた腕を緩めると後ろ髪を引かれながらもロクから離れる。

 

「・・・・えっ、嘘?」

 

「そう。さっきの告白は嘘。だからこれでおあいこね」

 

"あーし"から告白なんかしてあげるもんか。

 

「はぁー、もう何て事してるのビックリしたよ」

 

「うっさい。ロクがあんな事をするからいけないんだし」

 

ロクの方から告白をさせてやるんだ。

 

「・・・・本当に反省してます」

 

「ふん。・・・・なんか、お腹が減っちゃった」

 

「あっ、そうだった。夏休みにバイトしてた喫茶店のマスターに三浦さんのバースデーケーキをお願いしてるんだった」

 

「・・・・ケーキ食べたい」

 

「じゃあ、行こう」

 

「うん」

 

あんな嘘の告白なんかじゃ無い。

 

本物を"あーし"に。

 



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