はいかぶり (とましの)
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1話

「魔法使いは幸せを望むすべての子供の母親で希望なの。だけど簡単に会うことはできないのよ。でももし、あなたが正しい心を失わずにいたなら、魔法使いは必ずあなたを助けてくれるわ」

幼い頃に母から聞かされたのは夢と希望に満ちたおとぎ話だった。そしてその頃の彼は、そんな母の話を聞くのがなによりも好きだった。

けれどそれは遠い過去の話。

 

 

夜が明けると慶次の仕事が始める。家畜の世話から広大な屋敷の掃除。そして洗濯まで。すべての家事を昼までに終わらせると今度は庭に作った畑仕事が待っている。

母は慶次が幼い頃に亡くなり、父はその後で別の人と再婚した。母が亡くなった事は悲しかったが、新しい母やふたりの兄ができたのは嬉しかった。けれどその幸せもすぐに終わってしまう。

父と継母は新婚旅行に出掛けたまま帰ってこなかった。旅行途中で船が沈没してしまい、ふたりとも天に召されてしまったのだ。

それでもその時の慶次はまだ独りではなかった。継母が連れてきたふたりの兄とともに力を合わせて生きていけたらと考えていたのだ。

 

けれどそれが間違いであると気づいたのは、父たちが亡くなって数ヶ月が経った頃だった。

仕事があるからと出掛けた兄たちはたまに帰るだけとなってしまう。思えばまだ子供だった慶次は継母がどんな素性の人なのかを知らなかった。そして年の離れた兄たちがどんな仕事をしているのかもわからない。

そうして独り広い屋敷を維持しながら、慶次は17の誕生日を迎えようとしていた。

 

 

朝から屋敷の掃除をした慶次は暖炉やかまどの灰を集めて畑に運ぶ。その足元を家畜小屋から出てきたアヒルがつきまとっていた。

「ガーコさん、離れてないと灰まみれになるよ」

畑に肥料として灰をまく作業の合間もアヒルは慶次にまとわりつく。そのため慶次はアヒルを避けることに苦心しながらなんとか灰をまき終えた。

作業を終えた慶次は道具を片付けながら顔に垂れた汗をぬぐう。今日はさわやかな晴天に恵まれ外の作業も苦にならない。しかしふきだすような汗は少し気持ち悪かった。

意を決して屋敷を飛び出した慶次はアヒルに声をかけながら庭を駆け抜ける。

「川で水浴びしてくるから留守番よろしくな!」

声をかけたところでアヒルから何かが返されるわけがない。ましてやアヒルが留守番などしてくれるはずもない。けれど慶次はいつもそうやって家畜に話しかけていた。

 

屋敷から少し走ったところに緩やかな流れの川があり、慶次はよくそこで魚を釣って夕食などにしていた。そんな馴染みの場所ではあるが、今まで他に人を見たことはなかった。

街から遠く離れたこの土地は森に囲まれ近くに民家もない。そのためまさか川に人がいるなど考えてもいなかった。

お気に入りの場所へ近づいた慶次は茂みの中から恐る恐る先客をみる。釣りをしているらしいその若者は慣れた様子で針にミミズを刺して川に垂らしていた。

しばらく見ていると若者の竿に魚がかかる。この川は流れも緩く栄養も豊かで魚にとっては良い環境だ。そのため慶次が釣ってきた魚もどれも大きくよく育っていた。

そして若者もおそらくかなりの大物を相手にしているのだろう。狭い足場で苦戦していた若者の身体が不意に傾く。

「あぶない!」

とっさに飛び出した慶次は若者にしがみつき支えようとする。けれど支えきれずふたりはそろって川に落ちた。

 

 

流れの緩やかな川の中で立ち上がった慶次は流されていく竿を眺める。すると若者から大丈夫かと声をかけられた。

そのため慌てて振り向き笑顔を作る。

「俺は大丈夫! それより支えてやれなくてごめんな」

久しぶりに人と話すためいくぶんかの緊張はあった。けれどそんな慶次よりも若者のほうが驚いたようなおかしな顔を見せている。

しばらく停止していた若者はかなりの間を開けて首を縦に振った。

「あ、ああ…それは構わない。それよりこの近くの子か?」

「そうだよ。すぐそこに家があるんだ」

若者からしたらこんな森に人が住んでいた事が驚きなのかもしれない。だから変な顔をしていたのだろう。そう思いながら慶次は岸に上がった。

「どこから来たのか知らないけど、これから帰るなら濡れたままだと風邪引くよな。それならうちで服を乾かすとか……」

途中で馬のいななきが聞こえたため慶次は言葉をとぎらせる。振り返ると茂みの向こうに黒く大きな馬がいた。馬には人が乗っていて、並び立つ白馬の手綱をつかんでいる。

帽子を目深にかぶっているため顔はよく見えないが背の高そうな男だった。黒い軍服を着た男は騎馬に乗ったままこちらを見つめている。

「なぁ、あの人は…」

「すまない。もう行かないと」

男に気づいたとたんに若者は慌てた様子で岸に上がり駆け出した。茂みをかきわけ馬に近づくと白馬にまたがり慶次に顔を向けてくる。

若者が何かを言う前に、慶次は思いきって手を振ってみた。

「また会おうなー!」

笑顔で声をかけると若者は小さく手を振り返してくれる。ただそれだけで慶次は嬉しい気持ちに包まれた。

 

 

馬蹄の音を響かせて森の中を進む若者は前を進む男に目を向ける。

「隊長、こんな森の中にも人が住んでいるんだな」

思いきって男に問いかけてみる。すると前を進んでいる馬が歩みを緩めて若者の隣にやってきた。

「いないと思ったのか?」

「こんな広い森の中では不便しかないからな。それに隊長が勧める場所だから、誰もいないと思っていた」

誰もいなければ警備もいらないからと、若者は苦笑いを浮かべて言う。そんな若者に男は鼻で笑って返した。

「ガキがひとりいた程度で問題にならねぇだろ」

「確かにあの子が俺を襲うとは思えない。だが…」

あんな可愛らしい子がこちらを衝撃するなど考えられない。だとしたらあの子がいたところで、隊長としては警備に支障を来さないのだろう。そう思いながらも若者は先ほど知り合った人物について頭を巡らせた。

そんな若者を横目にした男は口許を緩める。

「おまえがあいつを襲いでもしない限り何も起きねぇよ」

「はっ!?」

男から向けられたからかうような言葉に若者は顔を赤らめる。するとなぜか男は顔をしかめてにらみつけてきた。

「マジか」

「隊長の言いたいことはわかってる。こんな辺鄙な場所に住む平民を相手にするなんて非常識だ」

「いやそういうことじゃ…」

「それにあの子は男だからな」

「あのな…」

「だけど一目惚れなんだ。むしろ俺は最初あの子を森の妖精なのかと思ったくらいだ。だけどあの子はどうやら人間で、この国の民だ。だとしたら恋愛関係になるのも不可能じゃないはずだ」

熱弁を振るう若者の隣を進みながら男はため息を吐き出した。

 

 

 



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2話

自然豊かなその国は小国ではあるが長い年月を平和に過ごしてきた。近隣諸国ともおおむね良好な関係を築けているのはこの国が有する軍事力のおかげである。そして長く国を守ってきた国王のもとには腹違いの王子が四人いた。

長兄である第一王子は文武に優れ今は軍を率いる逸材とまで言わしめている。そして心優しい第二王子は政の際には民を第一に考えてくれる。さらに第三王子は近隣諸国との外交を担い貿易を活性化させている。

そんな優秀な兄たちを持つ末の王子はもうすぐ15の誕生日を迎えようとしていた。王国では15から大人として扱われ、王子であれば政に参加することもできる。そしてその時に初めて国民の前にお披露目される事になっていた。

 

 

王子が成人を迎える際にはいつも国内がお祭り騒ぎとなる。城下には多くの人が集まり酒を飲みながら王子を祝ってきた。そして今回はさらに王子と同世代の者たちが招かれパーティが開かれる事が決定した。

そんな話を慶次は買い出しに出た街の商店で耳にする。開かれるのは仮装パーティで十代後半の者であれば誰でも参加できるらしい。

「それ、俺も参加できるって事ですか?」

驚きとともに問いかけた慶次は店主からできると返され笑顔を輝かせた。この街では慶次と同世代の者はあまりに少ない。みな少し離れた大都市や王都へ働きに出てしまっているのだ。そのため慶次はこの街でも友達がいなかった。

ただこの街で働く少し年上の女性たちからはとても親切にしてもらっている。

「おいテメェ!」

仮装パーティ用の布を買い終えて街を歩いているとがらの悪い男に呼び止められた。慶次よりもはるかに年上であるこの男は、いつも酒に酔っては暴れているらしい。そのため近づかないようにと、慶次は随分前に教えられていた。

そして今回も呼ばれて立ち止まった慶次の周囲から人が離れていく。人がいなくなった道の真ん中で、慶次は酒臭い男に突き飛ばされた。

「テメェのアニキはどうなってんだよ! クソ野郎このおれを踏みつけて財布を奪っていきやがって!」

「あぇっ、にい……兄が財布を盗んだんですか?」

「だから言ってんだろ!」

地面に尻餅をついたまま見上げる慶次の前で男が憤然と声を荒げる。慶次はそんな男の発言に驚き固まっていた。たまにしか帰宅しない上の兄がどこで何をしているのかを慶次は知らない。しかしまさか他人の物を奪うような人間だとは思いもしなかった。

「けどテメェも可哀想だよなぁ。血の繋がらないとはいえあんな悪党をアニキに持っちまってよ。親父の土地屋敷を奪った性悪な継母と極悪非道なクソアニキってか」

「家は取られてません。俺は今でも住んでるし……」

「は? テメェ権利人が移ってんの知らねぇのかよ。ここの大人のほとんどが知ってることだぜ。だからみんなおまえに同情してんだよ」

嘲笑った男は呆然自失の慶次をおいて立ち去った。突き飛ばして文句を言うことで気がはれたのだろう。けれど事実を知らされた慶次は気がはれるどころか混乱のど真ん中にいた。

よろよろと立ち上がると落ちてしまった餌の袋を拾いあげる。そして事実を確認するために長の家へ向かうことにした。

この街の長は住民同士のいさかいなどを仲裁する役目は持つがそこに権限はない。しかし国から信任はされていなくとも住民の信頼は得ていた。そんな老齢の長のもとで事情を話した慶次は相手の悲しげな顔を目にする。

「そういう届け出が国に出されたという話は聞いているよ。君のお父さんが所有していたあの広い森も今は私有地として扱われていてね。だからこの街の誰も森で狩りや採集などできないんだ」

私有地として国に定められたため街の人間が踏み込むことはできない。そんな難しい説明までされた慶次は、それを意地悪な話だとしか思えなかった。森で木の実を拾うことも狩猟もできないでは猟師などは仕事が立ち行かないはずだ。

「俺…兄が帰ってきたら聞いてみます。土地の権利とか難しいことはわからないですけど、せめて街の人が使えないかって」

「よろしく頼むよ」

街の人の生活がかかっているのだからと慶次は勇んで帰宅した。誰もいない屋敷へ飛び込むと購入した布を台所に投げる。そして再び外に出ると購入した餌を庭の草とまぜて餌箱に入れながらアヒルに言葉を向けた。

「聞いてくれよガーコさん! 兄ちゃんたちすっごい悪いやつだったんだ!!!」

他人の財布を奪い迷惑をかけるだけでなく父が遺した土地まで奪っている。そんな兄たちを、慶次はもう唯一の肉親として慕うことができなかった。けれどそんな気持ちを吐き出しても目の前のアヒルは餌を食べるだけで返事をくれない。

それにも寂しさを覚えた慶次は家を離れると、独り気落ちしたまま川へ向かった。既に日は沈み森の中は静まり返っている。そんな中で川辺に近づいた慶次は岩の上に腰をおろした。

川のせせらぎに包まれながら慶次は少し前に出会った若者を思い出す。あの時はろくに会話もしていなかったが、きっと話をすれば楽しい気持ちになれるだろう。少なくともアヒルを相手にするのとは違った反応が得られるはずだ。

「名前……知りたいな」

「それは俺も思っていた」

月を見上げてつぶやいた慶次の語尾に別の声が続く。ありえない出来事に驚いた慶次は慌てて振り向いた拍子に川へ落ちてしまった。

ずぶ濡れになりながらも立ち上がると慶次の頭上から謝罪の言葉が落ちる。そのため見上げた先で、細い手が差し伸べられた。

「大丈夫か?」

月明かりだけが照らす暗い森で、若者は微笑とともに手を貸してくれる。その手をつかんで岸に上がった慶次は周囲に目を走らせた。

「もしかして今夜もあの人と夜釣りとか? でも川魚は夜には寝てしまうって…」

「違う。その……お前に会いたくて」

またあの怖そうな人と来ているのかと探す慶次に若者が言う。

「だからひとりで…その、家を抜け出して来たんだ」

「ひとりでここまで? 俺に会いに?」

「ああ、迷惑だったらあやまる」

「迷惑なものか!」

あふれだした喜びが抑えられず声とともに吐き出す。そんな慶次の目の前で若者も嬉しそうな顔を見せた。

「良かった。本当に、俺は友人というものがいないから、会話も苦手なんだ。だから楽しくはないと思うけど」

「そんなことない。君が……あ、名前聞いていい? 俺は慶次っていうんだ」

「真琴」

「まこと…」

若者の名前を聞いた慶次はその名前をはんすうする。そんな慶次の目の前で若者は少し緊張したような顔を見せた。

しかし慶次は若者の変化に気づかないまま緩んだ笑顔を浮かべる。

「かっこいい人は名前もかっこいいんだな」

「慶次は可愛いな」

「なんだと!?」

「あ、いや……明るくて好感が持てる」

同世代の男から可愛いと言われても嬉しくない。そう返そうとしたが素早く言い換えられ反論の余地を失う。ただそんな若者の硬い態度が新鮮で、誰かと会話できるのも嬉しかった。

 

「慶次、は……十日後の仮装パーティには来るのか?」

ふたり隣り合い川辺の岩に腰を下ろして言葉を交わす。その中で問われた慶次は行くつもりだと返した。

「ごちそう食べ放題らしいし、同世代の人たちが集まるって聞いたからな。今日は仮装用の布も買ったんだ。その時にいろいろ嫌なこともあったけど、それはまぁいいや。真琴と会えたからチャラになった!」

「まさか慶次、セクハラされたのか」

「セク?」

「ああ……えっと嫌がらせを受けたのかと思ったんだ」

頭が良いらしい真琴は、たまに硬い言葉や難しい単語を出してくる。けれど慶次はそれを気にする事をしなかった。育ちが良いだろうとは先日一緒にいた男を見ればわかる。大切なことはそんな真琴がこうして会いに来てくれたことなのだ。

「嫌がらせじゃないよ。なんていうか、義理の母さんたちが父さんの土地を取ったらしいことがわかっただけ」

「それは大事じゃないか。土地の権利を略奪したと言うことだろう?」

「リャクダツ……ってのはわからないけど、たぶんそうかな」

「詐欺事件の案件に当たるか調べる必要があるな。今すぐ戻って……」

急いだ様子で立ち上がる真琴に慶次は慌てて腕をつかみ引き留めようとした。だがその勢いで濡れた岩に足を滑らせ体制を崩す。

倒れかかった真琴はそんな慶次の頭を守るように抱え込み一緒に倒れ込んだ。

岩の上に倒れた状態で慶次は間近から大丈夫かと声をかけられる。そうして目を開かせた慶次は驚きに固まった。

光をちりばめたような星空の下に真琴の整った顔がある。ただそれだけのことで慶次の心臓が大きくはねた。

「だいじょーぶ……真琴がきれいなこと以外は」

「なんだそれ」

落ち着かない心臓を全力で抑え込もうとしているそばで真琴が笑う。そしてわずかに顔を近づけてきた。

「慶次のほうがずっときれいだ」

「そんなこと…」

「ここではじめて会った時から、ずっと思っていた。素直に笑う慶次はきっと誰よりも正直でまっすぐで、誰よりもきれいなんだって」

「あの時の俺は灰まみれだったけどな」

「たとえ灰かぶりでも、俺の評価は変わらない」

まるで愛の告白のような言葉とともに慶次は頬にキスをされる。ただそれだけで慶次は完全に思考が停止してしまった。しかし心臓があまりにも激しく脈打つため自分は死ぬのではと思える。

ただそれでも慶次は、このまま時間が止まればと願ってやまなかった。

 

 

 



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3話

夜明け前に家へ帰った真琴はこれから忙しくなると言っていた。誕生日が近いから大人になる準備があるのだと真面目な顔で語る。そんな真琴に見とれながら、慶次は自分より年下なのかとぼんやり考えていた。

 

 

それから八日後、慶次は仮装パーティの衣装を完成させつつあった。子供の頃に母から聞いた魔法使いに扮する衣装だが黒い帽子は難易度が高い。

苦心しながらとんがり帽子を縫っていると玄関から声が聞こえた。聞きなれない声に驚き作業の手を止めた慶次のもとへ兄が姿を見せる。

「元気そうですね」

分厚い本を手に現れたのは下の兄だった。兄は台所で作業をしていた慶次のもとへ近づき首をかしげる。

「何をしているんですか?」

「仮装パーティの衣装作りだよ。そういうみっちゃんは……」

問いかけようとしたところで土地が奪われた事を思い出して表情を曇らせる。そんな慶次の変化に気づいた兄だが何を聞くこともせず机に本をおいた。あげく棚からグラスを出すと、水瓶の水を注ぎ椅子に腰を下ろす。

「俺はいつも通り書記の仕事をしていました」

「その仕事って、土地の権利をいじったり……」

「それは別の部署ですね」

「みっちゃんはこの家の権利とか知ってる?」

下の兄とは7つ違いだが、それでも上の兄より親しい相手ではあった。幼い頃は本を読んでくれて、今も帰宅する際には本を買ってきてくれる。そんな相手だからこそ慶次は少しの勇気とともに問いかけてみた。

しかし兄はそんな慶次に首を振って返す。

「俺はそういった事には興味がないですし、親が死んだ時はまだ子供でしたから」

「あ、そっか……その時のみっちゃんは14歳か」

父と継母が死んだのはちょうど10年前となる。慶次自身はまだ7歳で下の兄も14だった。だとしたら土地の権利などに関わることはなかったのだろう。

「じゃあ兄ちゃんが父さんの土地を取っちゃったのか。あ、そういえば兄ちゃん街で財布盗ったって」

「それは凄いですね」

「ひどいよな。ホントびっくりしてさ。兄ちゃんそんな悪いヤツだったのかって」

本当に絶望したのだと慶次は作業そっちのけで愚痴る。すると下の兄は慶次に真面目な顔を向けた。

「悪事であるかどうかは、人の主観によって変わるものだと思います」

「へ?」

「兄の行動を悪と取るかどうかは、人によって変わると言うことです」

「ちょっとわからないけど、みっちゃんは人の財布を盗っても悪いと思わないの?」

「状況によりますね」

もしかしたらこの兄たちは自分と同じ正義感を持っていないのだろうか。そう疑念を抱きつつ慶次は首をかしげた。

「もしかしてだけどさ。貧しくて死にそうな子供を抱えたお母さんがパンを盗んだ時は許す、みたいな」

「それは窃盗罪ですね」

「じゃあ兄ちゃんのもセットウザイだよ」

「物事は一片だけ見ても判断できないものです。常に様々な視点で見なければ、真実は見えてきません」

「うーん、どこからどう見ても兄ちゃんが財布を盗ったのはホントのことだと思うけど」

やはり血の繋がった兄弟だからこの兄は上の兄をかばいたいのだろう。兄の話は難しく理解に苦しんだが、そんな印象で片付ける。そんな慶次の目の前で、下の兄はとんがり帽子の形を整えてくれた。

「ここを縫うと、もう少し綺麗になりますよ」

「わかった!」

兄の指摘を受けた慶次は帽子作りの作業を再開させた。帽子の後ろ側を縫って詰める慶次を眺めていた兄はふと目を細めて視点を移す。

すると再び慶次が口を開いた。

「あ、みっちゃん。俺スキな人ができたよ」

弟から向けられた思わぬ告白に、兄は目を見開いて視点を戻す。

「どこの方ですか」

「どこの人か知らないけど、真琴っていうんだ。近くの川で会ったんだよ」

「それは男性ですか?」

「うん、でもすごくかっこよくてきれいだよ。それにほっぺにキスしたから結婚しないとだからさ。そのうちみっちゃんにも紹介するよ」

今時、幼い子供でも頬にキスされた程度で結婚は決めないだろう。そう思いながらも兄は純真無垢な弟に現実を向けられなかった。むしろこの兄自身も恋愛話はあまり得意ではなかったのだ。

 

 

 



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4話

下の兄の手伝いもあり、慶次が製作した魔法使いの衣装は見事なものとなる。朝から家事や家畜の世話を行った慶次昼前にその衣装をカバンに積めていた。

カバンを背負った慶次はアヒルに声をかけながら屋敷を飛び出す。街から城までは乗り合いの馬車が使えるのだが、馬車は昼過ぎに出発するとも聞いていた。昼過ぎに街を出発して夕暮れには城に到着する予定らしい。

街に到着すると慶次は急いで広場へ向かった。街道に停められた馬車のそばを走り抜けて広場へ急ぐ。けれどそんな慶次をじっと見つめる者がいた。

停車した馬車の上に立ったその人物は深くかぶったフードを少し持ち上げる。そして大きな荷物を背負い走る慶次を眺めた。

「どうやらアレみたいだね」

馬車の上に立つその人物を、通りすがる人々は奇異の目で眺めていく。しかし本人はそれを気にすることなく堂々とした態度で馬車を進めるよう指示を出した。それに合わせて馬車もゆっくりと進みだす。

けれどそんな人物の視界の中で、不意に慶次の身に異変が起きた。路地から出てきた男と偶然ぶつかったのは仕方ない。しかしその男によって慶次が路地へ引きずり込まれたのは看過できなかった。

「政宗! 一大事だ」

声をあげると進んでいた馬車の屋根から飛び降りる。すると馬車の扉が開いて政宗と呼ばれたもうひとりが姿を現す。

「どうした?」

「真琴の花嫁が拉致された」

「花嫁ではなくその候補なのだが、それは助けてやらねばならんな」

「行くよ」

慶次が引きずり込まれた路地へ向かうべく走り出せば政宗もその後に続く。そうしてふたりが立ち去り、残された馬車から金髪の若者が顔を出した。

「気を付けろヨー」

気のない声を出した若者は手元の袋から焼き菓子を出しては食べ始める。

 

 

昼間と言うこともあり酒場にはまともな客がいなかった。連れ込まれた慶次が救いを求めても他の客たちは助けようとしない。

そんな状況下で慶次は荷物を奪われ床に引き倒された。それでも抵抗しようとすれば服を引きちぎられおとなしくしていろと脅される。

「おれぁいま気が立ってんだ。あんまうるせぇとテメェのケツにデカブツぶっ込むぞ」

あきらかに痛そうなその言葉に慶次は小さく悲鳴をあげた。そうして縮こまった慶次の目の前で、男は慶次から奪ったカバンを開かせる。

「おっ、やっぱ城に行くとこだったみたいだな」

楽しげに言いながら男は慶次の衣装を取り出してしまう。しかも男は何を思ったのか短刀で衣装を切り裂き始めた。

「やめっ……やめろ!」

制止の声をあげた慶次の目の前で男がとんがり帽子を切り裂く。下の兄と作った帽子がふたつに裂かれると慶次は涙をこぼしはじめた。

「どうしてこんな…」

酷いことをと言おうとした慶次のそばで男が当たり前だろと笑う。

「あんなヤツの弟がのうのうとお祭り騒ぎに参加するなんてありえねぇからな。まぁ、テメェはこれからおれら相手に乱行パーティといこうぜ」

男が楽しげに言うと周囲の酔っぱらいたちもつられるように笑う。複数の笑い声に包まれた慶次は涙目になりながら迫ってくる男を見上げた。嫌だと首を横に振っても男を止めることはできない。

けれどその強行は慶次が床に倒されただけで終えられた。慶次に馬乗りとなった男の顔のすぐ横で長剣がきらめく。

「腕力を持って弱者を虐げるなど男の風上にもおけんな」

マントに身を包んだ人物の手には長剣が握られ、それは確実に男へ向けられている。そうして強行を止められた男は顔を引きつかせて慶次から離れた。

慶次を助けてくれた人物は深くフードをかぶり顔を隠してしまっている。しかしそれでも相手は慶次に手を貸し立ち上がらせてくれた。

しかもその人物はまとっていたマントを脱ぐと服の破れた慶次の肩にかけてくれる。その優しさはどこか真琴と似ている気がして慶次はますます悲しい気分になった。

 

 

これから広場へ行ったとしても馬車は既に出発しているだろう。それに馬車がまだいたとしても衣装もなくこんな姿ではパーティには出られない。

酒場から離れた慶次はフードの人物たちに連れられそばに停車していた馬車に乗る。けれど慶次はこのまま帰宅することを決めていた。

「助けてくれてありがとうございます。俺はもう帰ります」

「パーティには行かないのかい?」

礼を告げた慶次に赤いフードの人物が問いかけてくる。しかし慶次は借りたマントを握りしめ無理だと返した。

「衣装は切られちゃったし、新しい衣装を買うお金もないし…」

真琴に会いたい思いはあるが、物理的に無理となってしまった。ならばもう諦めるしかない。そう考えた慶次はペコリと頭を下げて馬車から降りようとした。

するとそれまでのんきに菓子を食べていた三人目が動く。

「どうしてもってなら、魔法使いらしいことをしてやらなくもないヨ」

馬車を降りようとしていた慶次は魔法使いという言葉に驚き振り返る。するとからになった袋を丸めていた人物が肩をすくめた。

「あんたがして欲しいってならの話だけど」

「して欲しいです……お願いします!」

完全に諦めていた慶次は魔法使いらしい人物の話に飛び付いた。

 

 

 

 



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5話

第四王子の誕生日と成人を祝うパーティは日没とともに開始された。パーティが始まり間もなく現れた王子は集まった民たちの目にも聡明で麗しく見える。しかし王子は一通り会場内を巡り客たちと言葉を交わしただけで踊ることはしない。王子の席として用意された椅子に座ると近衛隊長を呼んだ。

間もなくやって来た隊長は帽子を目深にかぶり王子を見上げる。

「隊長、例の子を探してきてくれないか。あの子はきっと城のどこかで迷子になっているのだと思う」

「例の……川で会った人物ですか」

「ああ、今夜ここに来ると言っていたんだ」

そこまで話した王子は自分の失態に気づいて口を押さえた。そんな王子の目の前で近衛隊長の目が細められる。

「ここに来ると、本人と会って確認したかのような言い草ですね」

「あああ……えっと、そう、言い間違えたんだ。あの子なら必ず来ると思うから」

慌てて訂正した王子は隊長に探して欲しいと改めて頼み込む。そのため隊長も嫌とは言えず了承して会場を離れた。

 

会場のある大広間を出た隊長はひとり回廊を歩きながら嘆息を漏らした。成人前の王子が森で民と密会していたなどと周囲に知られればただでは済まないだろう。特に口うるさい大臣の今河などは前代未聞と騒ぐに違いない。そしてその非難の矛先は確実に近衛隊長である自分だけでなく森に住むあの子にも及ぶ。

「だから中間管理職は嫌いなんだよ」

そうなれば面倒だと隊長は顔をしかめる。しかしそんな隊長の視界の先、回廊の入り口から足音を響かせて女性が走ってきた。

そのため隊長はかぶっていた帽子を目深にさせ顔を隠しながら柱の裏に隠れる。すると間もなく深い青色のドレスをまとった女性が駆け抜けて行った。

やがて足音が遠ざかると近衛隊長は柱の影から出てくる。そして走り去る女性の後ろ姿を眺めた。

「平民にしちゃ高そうなドレスだったな……」

もちろん今夜のパーティには貴族の淑女なども普通に参加している。その中には王子の妃を望む者も多い。だからこそ淑女たちがパーティに遅刻するなどありえなかった。だとしたら遅刻したと走るあの女性は貴族の出ではないだろう。

しかしだとしたらあのドレスはどこで手に入れたものなのか。王家を守る役目を担う者として隊長はそれが気になっていた。

「監視したほうが良さそうだな」

そうして歩き出したところで回廊の角から新たな人物が現れる。隊長を越える身長の持ち主はいつもと変わらない真面目な顔で声をかけてきた。

「仕事中ですか」

「ああ、まぁな。どうした」

「仕事で会場に行ったのであれば、慶次を見かけたかと思いまして」

子供の頃から書物だけが友達だった弟から向けられた問いかけに隊長は口を閉ざす。そして眉をひそめるとわずかに首を振った。

「見てねぇし、王子から探すよう命じられたところだ」

「では慶次が言っていた相手というのは、第四王子の事ですか」

「あいつから何を聞いたんだ」

問いかけ隊長の目の前で書記官を勤める弟が眼鏡を押し上げる。

「結婚したいそうですよ」

「は?」

弟の発言が信じられず隊長は訂正の言葉を待つ。しかし元々冗談を言わない弟は、この時も真面目な姿勢を崩さなかった。

「もし王子と結婚したいと言われたらどうしますか」

「無理だな。あいつをこんな薄汚れた場所にいさせることはできねぇ」

「そういうと思いました。しかしあの子と一緒にいない俺たちが、あの子に何か言えるとは思いませんけどね」

どこまでも落ち着いた様子の弟はそう言い放つと立ち去ってしまった。そのためひとり残された近衛隊長も舌打ちしながら歩きだす。

 

ドレスの裾を揺らしてパーティ会場へ到着した慶次はひとまず乱れた息を整えた。驚くほどに広い会場では大勢の人々がそれぞれ楽しげに過ごしている。談笑する人々の隙間を縫うように歩きながら慶次は真琴の姿を探した。だがそんな中で慶次に気づいた人々がささやきながら視線を向ける。

小さなざわめきを起こしながら人々がさざ波のように引いていく。そうして道が開けたその先で白い衣装をまとった真琴が立っていた。

慶次は目的の人物を見つけた喜びに微笑みながら歩き進んでいく。そして真琴も微笑みとともに慶次のもとへ来てくれた。

「驚いた」

「ごめん、遅れたせいで変に目立っちゃってるな」

素直に驚いたと告げる真琴に、慶次は苦笑いで謝罪する。周囲の人々から視線が向けられているのは自分が遅れてしまったためだろう。ならば皆にも謝罪しなければと慶次が考えていたところで真琴に手をつかまれた。

「よろしければ、あなたと御一緒する最大の名誉と無上の喜びを、この僕に与えてくれませんか」

「へ?」

「……俺と踊ってくれませんか」

突然の聞きなれない言葉に驚く慶次に真琴は笑顔で言い換える。そうしてやっと理解した慶次はそっかとうなずいた。

「わかった。踊ったことないけど」

おそらくここでは踊らなくてはならないルールがあるのだろう。そう思うままに応じれば真琴が大丈夫だとささやいてくれた。

「実は俺も得意じゃないから」

それは真琴の優しさから出た言葉に違いない。そう思った慶次だが指摘することなく真琴と踊り始めた。

慶次は今までの人生で一度も踊りというものをしたことがない。そもそも言葉を交わす相手すらいないのに、踊る相手がいるはずもなかった。それでも真琴のリードが上手だったおかげで慶次はなんとか一曲乗り越えられる。

そうして踊りが終わると、それをきっかけとして他の客たちも踊り始めた。二曲目が始まると慶次は真琴に手を引かれて人の波を避けながら進む。

大広間を出た真琴は回廊を横切り庭園へ向かった。

「慶次は本当に踊ったことがないんだな」

「当たり前だろ。でも真琴が踊り下手ってのはうそだったな」

手を繋ぎ庭園への階段をくだりながら言葉を交わす。その中で真琴はそんなことはないと笑った。

「兄たちと比べたら本当に下手なんだ。いつも教師に注意を受けてる」

「真琴も兄ちゃんがいるんだな」

「ああ、三人いる」

「四人兄弟かー。にぎやかで楽しそうだな」

いつもひとりぼっちの自分とは違うと思いながら最後の段を降りる。すると真琴はそんなことはないとつぶやいた。庭園に降り立つと真琴は空にそびえる月を見上げる。

「多忙な兄上たちの邪魔をしてはいけないからと、言葉を交わすことも許されてない。近づくだけで大臣たちから叱責されてしまうんだ」

「変な話だな。それじゃあまるで真琴が王子様みたいじゃないか」

「そうだよな」

愚直な慶次の指摘に真琴は弱い笑みをこぼす。そして改めて慶次に顔を向けた。

「俺はこの国の第四王子なんだ。だが慶次が好きなことに変わりはない。誰よりも女装の似合う可愛い慶次と結婚したい」

「かわいいは余計だぞ」

月明かりの下で再び向けられた告白に慶次は照れ隠しのように返す。結婚は慶次自身も望んでいたことで、真琴も同じ思いだったことが嬉しい。

だがその喜びは兄の存在を思い出した瞬間にかき消えた。父の土地屋敷を奪ってしまった兄がね真琴の存在を知ったらどう思うだろうか。街の人から財布を奪うように、真琴にも迷惑をかけることになるだろう。

自分の幸せと迷惑をかけることを天秤にかけて悩んでいると鐘の音が響き出した。零時を知らせる鐘の音に我に返った慶次は半歩後ずさる。そうして真琴から離れるとドレスの裾をぎゅっと握りしめた。

「ごめん、俺は真琴と一緒にいられない」

全力で涙をこらえながら告げた慶次の目の前で真琴は驚いた様子を見せた。

「何か問題があるのか? 俺に直すべき部分があるのなら…」

零時を告げる鐘はまだ鳴り続けている。その中で慶次は今だけはと全力を振り絞って声をあげた。

「真琴は悪くない!」

けれど慶次が告げられたのはそれだけだった。我慢が続かず決壊したように涙があふれだすとそれを隠すようにその場から逃げ出す。

 

 



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6話

慣れない女性物の靴で走って転んで靴を片方なくしながらもさらに走った。城下町を抜けて野原を進み森を抜けて、一晩中歩き続けていつもの街に戻る。その頃にはドレスの裾も破れて泥だらけになっていた。きれいに整えられていた髪も乱れて縮れなぜか落ち葉が絡んでいる。

夜明け前の静かな街をとぼとぼと歩き自分の家がある森へ入っていく。そうして帰宅した慶次はボロボロのドレスを捨てた。ただひとつ残されたガラスの靴はどうすればいいのかわからず処分に困り果てる。

ボロボロになってしまったドレスは無理だが、靴は魔法使いたちに返すべきだろうか。そう考え事もあったが、そのために街へ行く気力も残っていなかった。

そして慶次はひとり畑の世話をしながらまとわりつくアヒルに話しかける。

「これで良かったんだよ。真琴に迷惑をかけちゃいけないからさ」

そんなことを言ったとこでアヒルは返事をくれない。そして返事がもらえないといういつもの事が、なぜかもう耐えられる気がしなかった。

痛む胸をぎゅっとつかんだ慶次は涙をこらえるため歯を噛み締める。

「迷惑かけちゃいけないんだ……絶対」

 

 

誕生日を迎え成人となった第四王子だが、まだ正式に執務らしいことは行っていなかった。むしろ仮装パーティ以降、王子は思い詰めた顔で庭園にいることが多い。

そんな末王子を見かねた第一王子が側近である近衛隊長を呼びつけた。

「君は知っていると思うけど、真琴はどうやら花嫁との間に問題を抱えているらしいね」

「そのようですが、職務外の事ですので」

第一王子の質問に近衛隊長は片膝を着き恭しく頭を垂れて答える。そんな近衛隊長を見下ろしていた第一王子は緋色の髪を揺らして首を傾けた。

「それはおかしな話だね。真琴の花嫁は君の弟だというのに」

第一王子が指摘した瞬間、頭を垂れる近衛隊長の眉間にしわが刻まれた。けれど第一王子からはその変化を見て取ることはできない。

第一王子は余裕を含んだ笑みをこぼすと近衛隊長に立つよう告げる。

「普通程度の野心を持った人間であれば、身内が王子に気に入れられれば喜ぶものだよ。けれど君はまるで宝物を隠すようにあの広大な森に閉じ込め続けている。あるいは、血の繋がらない弟を疎んであの森に隔離しているのかな」

弟を疎んでと、第一王子が告げれば近衛隊長は素直に顔をしかめた。そうして今度こそ反応を目の当たりにした第一王子は口許を緩める。

「君は本当にわかりやすい男だね」

「弟をどうしようと、それは身内の問題です。殿下が気に病まれるほどの事ではありません」

臣下ながら噛みついてきた近衛隊長は軽く会釈をすると手にしていた帽子をかぶる。この近衛隊長はなぜかその帽子で顔を隠そうとする傾向にあった。

そして第一王子は、牙を隠そうとする近衛隊長と合間見えるのが嫌いではなかった。

「近衛隊長、僕はただ真琴を思いやっているだけだよ。それに僕は悪漢に襲われ貞操を奪われそうだった君の弟を助けた恩がある。君はそんな僕をありがたがって……」

「それはどこの悪漢だ」

へりくだるべきだと言おうとした第一王子に地獄の底から響くような低い声が流れる。同時に帽子の隙間から殺意の眼光が向けられ第一王子は嘆息を漏らした。

「君への恨みを抱えた愚か者があの街にいるんだよ。君も覚えがあるだろう」

少しあきれながらも情報を提供すれば、近衛隊長は舌打ちしながら踵を返す。そうして立ち去る近衛隊長の後ろ姿を第一王子はあきれた目で眺めた。

「あんな野蛮人が僕の親戚だなんて、本当にうんざりするよ」

未来の国王への礼儀を忘れた近衛隊長の態度を大臣たちが見たら何と言うだろうか。しかもそれが血の繋がらない弟の為だなどとあきれ果てて救う気にもならない。

そう考えた第一王子だが、血の繋がった身内を救うため行動に移すことにした。末の弟はまたへあのガラスの靴を抱えて庭園にいるのだろう。

普段は聡明で行動力もあるはずなのに、自分の事となるとそれが半減してしまう。そんな愚かで可愛い末弟の背中を押してやるのも兄の役目だと第一王子は考えていた。

 

 

第一王子のもとを離れた近衛隊長は憤然と回廊を突き進んでいた。その威圧感に通りかかる者たちが小さく悲鳴をあげて離れる。そんな中で通りかかった書記官が、近衛隊長の前に立ちはだかった。

近衛隊長よりも上背のある書記官はその時も真面目な顔を見せている。

「どこへ行くんですか」

「慶次に手を出そうとしたヤツを潰しに行くんだよ」

「あなたが今すべきことはそういうことでないと思いますが」

書記官として多くの仕事を抱える弟だが、たまにあの家へ帰ることをしているらしい。そのあたりは、ほぼ城から出ない近衛隊長よりは健全な生活をしているかもしれない。

そんな弟の言葉に近衛隊長は腕を組みどういうことかと問いかける。

「ほとんど帰らねぇ俺が口出しするもんじゃねぇって、前も言ってたよな」

「それ以前に、あなたは彼から悪人だと思われていますよ。街の者から財布を奪い、彼の父が遺した土地屋敷を奪った者として」

「あ? なんだそれ」

「そんな身内がいる自分が王子と共にはいられない。おそらく彼はそう考えたのでしょう。先日帰宅した時は庭先に落ち葉とともに青いドレスの燃え残りが落ちていました。その際にはガラスの靴の捨て方を聞かれましたよ」

「答えたのか」

「とりあえず埋めておくよう伝えました。ガラスであれば腐敗もしませんから、後で取り出すこともできるでしょう。しかしそれは彼が自分の幸せを見いだした時の話です」

若くして書記官となったこの弟は、近衛隊長よりも聡明で優秀な男だった。それは城内の誰もが知ることだが、今はその聡明さが憎らしく感じられる。

「俺はあいつをここに近づかせるのもイヤだって言ったよな」

「それは第四王子では彼を守り幸せにできないと考えていると言うことですか」

「そうは言ってねぇよ」

「言ってますよ。そして彼をいま絶望の底に落としているのはあなたです」

遠慮も優しさもない言葉は突き刺す勢いで近衛隊長に向けられる。そしてその正しさに近衛隊長は反論の余地をなくしていた。

そうして近衛隊長が黙り込むと回廊の奥から足音が近づいてくる。足音を響かせ走ってきたのは渦中の主である第四王子だった。

「近衛隊長!」

きらめくガラスの靴を片手にした第四王子は嬉々とした様子で走ってくる。

「この靴の持ち主を探すぞ! ついてこい!」

先ほどまで意気消沈していた第四王子の変化に驚いた近衛隊長は否とは言わなかった。長身の弟を上目に見やると帽子をかぶりなおして王子の後を追うように駆け出す。

 

 

 



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最終話

『第四王子は仮装パーティで知り合った謎の人物との結婚を望んでいる』

そのお触れは瞬く間に国中へ伝えられ、国民を大いに喜ばせた。王子の幸福は王国の民にとってもめでたいことであったのだ。

しかしそのお触れが届くのは人里だけで、人里から離れた森の奥までは届かない。さらに第四王子は探し人である慶次の家を知らなかった。森で出会った相手だが、まさか本当に森に住んでいるとは思いもしない。そのため必然的に森近くの集落で探すことを決めていた。

近衛連隊総勢五十名を連れた王子の馬列は街を騒がせ多くの人を集める。その中で近衛兵がガラスの靴をはかせて、それに合う人物を探していった。

その様子を眺めていた王子は見覚えのある人物がいないことに落胆する。

「近衛隊長、あの子はこの街にいないのだろうか」

「……殿下」

「もしやあの子は本当に森の妖精なのではないか? あの子は零時の鐘が鳴ると同時に去ってしまった。もしかしたらあの鐘が、妖精であるあの子が人の世界にいられる期限だったのかもしれない」

人ではないのかもしれないと、王子はたくましい想像力をさらに膨らませている。そんな王子に近衛隊長は帽子を少し引き下げながら口を開きかけた。そんな近衛隊長のもとへ兵士がひとりやってくる。

「おそれながら殿下に報告いたします。この集落より先の森は私有地であり、そこを進んだ先に一件の邸宅があるとのこと」

森のなかに屋敷があると報告を受けた王子の目に輝きが戻る。笑顔で近衛隊長を見やった王子はそこへ行こうと兵士たちに告げた。

 

秋が深まり落ちた木の葉が庭を埋める。そんな中で慶次はガラスの靴を埋めた場所を見つめていた。本当なら畑にできた作物を収穫しなければならない、けれど畑に立ち入ってあのガラスの靴を踏んでしまうことが恐ろしかった。ものあの靴が割れでもしたら、真琴との思い出も壊れてしまう気がしたのだ。

夜の森での泣きそうなほど嬉しかった告白。パーティでの下手なダンス。きらびやかな光の中で見た彼の笑顔も庭園で見せた真面目な顔も、すべてが好きで楽しい思い出だ。

だからこそ捨てるように靴を埋めてもなお、その思い出にすがってしまう。

「ガーコさん、これでもまだ希望と正しい心を持たないといけないのかな。この家だって父さんのものじゃないんだから守っても仕方ないよ。どうせ俺はこれからもずっとひとりなんだ。それならいっそ…」

返事の期待ができない言葉を漏らしながら慶次は涙をこぼした。そんな慶次の耳に馬のいななきが届き、足元のアヒルが逃げていく。

 

広い庭の入り口にたくさんの馬と兵士が現れる。そしてその先頭にいた第四王子が慶次を見つけて笑顔を輝かせた。馬から降りると軽い足取りで慶次のもとへやってくる。

「探した」

好きな人の短い言葉に慶次は別の意味で泣きそうになった。けれど喜んではいけないと自分に言い聞かせて慶次は王子から目を背ける。

「困るよ。だって俺は……」

「俺にとっての問題は慶次の出自じゃない。平民でも何でも、慶次が妖精でないのならそれで良い」

人として人の世にいられるのなら、結婚を阻むものは何もない。そう笑う王子に慶次はほだされそうになった。好きな人にここまで言われて幸福を感じない人間はいない。しかしそれでも慶次は笑ってしまわぬように唇を噛んだ。

そんなふたりの様子を見守る近衛連隊の中で、不意に隊長が動く。

馬を降りた近衛隊長は黒い軍服の裾を揺らしながらふたりのもとへやってきた。その姿を慶次は緊張のまま見つめる。

「もう帰るなら」

「殿下。もし許されるなら、彼へ謝罪と釈明の機会をいただけませんか」

帽子を目深にかぶった近衛隊長は王子の前であるためか頭を下げたまま告げる。そのため帽子のつばに隠され表情を見ることはできなかった。

そんな近衛隊長の様子に、王子は慶次を一瞥しながらも許しを向ける。

「構わない。だが慶次への釈明は俺も聞くぞ。隊長が彼に何をしたのか知っておきたいからな」

そう告げた王子は慶次を守るようにその肩を抱いた。そんなふたりの前で、近衛隊長は礼を述べながら帽子を脱ぐ。

そうして隊長の顔があらわになると慶次は驚きに目を丸めた。

「兄ちゃ……え?」

「まずはひとつ、俺がこの土地屋敷を奪ったとの事だがそれは誤解だ。親父さんが他界したとき、おまえは遺産を相続管理するには幼すぎた。だから俺は代理人としてそれらの管理を行い、おまえが成人したら渡すつもりだった」

「俺はもう17だよ!」

長兄である近衛隊長の説明を聞いた慶次は反射的に返していた。そこで年齢を知った王子が驚いた顔を見せているが、慶次はそれにも気づかない。

「それに兄ちゃんは街で財布を取ったって」

「強盗から財布を奪い返して被害者に返したことなら何度もある。ただ、俺の失態はその加害者をあの時に見逃したことにある。そのせいでおまえが狙われたらしいからな」

「じゃあ兄ちゃんは悪人じゃないつてこと?」

兄を疑うすべての事に理由が出され、慶次は戸惑いのまま兄の左胸を見た。黒い軍服の胸には金の紋章がつけられている。それに王子は兄の事を隊長と呼んでいた。だとしたら本当に兄は悪党ではなく、兵士たちを率いる人なのだろう。

そう納得しかけた慶次の目の前で、不意に兄が悪そうな笑みを浮かべた。

「悪党や周辺諸国にとっちゃ誰よりも恐ろしい悪人だけどな」

「近衛隊長は俺たちが最も信頼する側近だ。そして兵士たちの間では悪をくじき弱者を守る兵の鏡とまで言われている」

悪人でいようとする兄に代わり、王子が訂正してくれる。そうして話が落ち着いたところで王子が笑顔を見せた。

「慶次、俺はこのままおまえを連れて帰りたいんだが、良いか?」

兄が悪人でないのなら障害となるものは何もないということになる。慶次が兄をちらりと見れば、兄は帽子を目深にかぶり背を向けてしまった。その広い背中を見た慶次は笑みをこぼして真琴に抱きつく。

「俺ももう真琴と離れたくないよ」

 

 

 

 

昔々あるところに自然豊かな王国がありました。老齢の王に四人の王子、そして王家を守る強い騎士たち。聡明で強い彼らのおかげで王国は小さいながら長い平和の時を過ごしていました。

そして王国で最も愛された末王子は、成人を迎えるとともにはじめての恋の相手を見つけます。

もちろん恋は平坦な道ではなく、時に高い障壁もあるでしょう。けれど真実の愛を手にしたふたりはたくさんの障壁を乗り越えいつまでも…………。

 

 

 

「まったく、王子が小汚ない平民と結婚など認められるか。あんなもの国の恥だぞ」

忠臣たちを引き連れ夜の城内を歩く今河大臣は不機嫌顔で悪態をついていた。成人したばかりの第四王子が、数日前に結婚相手と名も知らぬ小僧を連れてきている。それ以降、王城の中は混乱の極致にあった。第一王子は賛成しているようだが、平民との結婚など認めて良いものではない。

そのため今河大臣は婚礼の話を壊すべく他の大臣たちへ根回しをしようとしていた。そんな大臣たちの前方から固い足音がひとつやってくる。ランプも持たずに暗い夜の回廊を歩く何者かに大臣は顔をしかめて立ち止まった。

「何者だ。見回りの兵であれば灯りくらい持たんか」

「…テメェこそ、なにデカイ声出してんだよ」

従者がランプを掲げた先に現れたのは黒い軍服をまとった近衛隊長だった。不審者ではないと知った従者は安堵の顔で引き下がる。そうして道をあけたところで、やってきた近衛隊長は今河大臣の胸ぐらをつかんだ。

勢いよく大臣を壁に叩きつけるとその顔近くの壁を殴り付ける。

「俺の弟のどこが小汚ないってんだ? なぁ、大臣」

暗い回廊で、ランプの灯りに照らされた近衛隊長の目が殺意に見開かれていた。その恐ろしい眼光に突き刺された大臣は猛獣ににらまれた蛙のようにうち震える。

「っ、たっ隊長の弟君っ……ということは公爵家の……」

「テメェは、俺の弟と王子の結婚が気に入らねぇらしいな」

「だっだだだだ大賛成させていただきます」

恐怖にろれつが回らなくなった舌で賛成を述べれば近衛隊長がゆっくりと離れてくれる。あげく近衛隊長は笑みを浮かべると大臣の襟元を整えてくれた。

そうして近衛隊長が立ち去ると大臣は青ざめた顔でその場に座り込む。

 

 

かくして王国の皆から祝福され結ばれたふたりはいつまでも幸せに暮らしました。

 

 



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