絹に込められた物語 (玉ねぎ島)
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(前編)チハとのお別れ

<登場人物>

○西本幸子(隊長)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 独身
習志野女子中学に在学中は戦車道のエースだった
1941年に千葉県開拓団の一員として満州に入る

○玉岡晴美(ハル)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 夫と8歳の子供有り
西本とは習志野女子中学の同級生で、一緒に戦車道を履修していた
西本と同時に千葉県開拓団の一員として満州に入る

○細山田恵美(メグ)
福島県郡山市出身 36歳(1909年生) 夫有り
二本松女子中学に在学中に戦車度を履修
1939年に福島県開拓団の一員として満州に入るが、動員等により同開拓団が
立ち行かなくなったため、単身千葉県開拓団の一員に加わる
過去に2度、西本率いる関東選抜と戦ったことがあり、2人とは旧知であった


1945年8月15日正午。

西本、玉岡、細山田は開拓団宿舎前の広場で玉音放送を聞いていた。

 

~~~~~~~~

 

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」

 

「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

 

「抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」

 

「然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」

 

「而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ・・・」

 

~~~~~~~~

 

やがて放送は終わる。

涙を流す者、状況が理解出来ない者、途方に暮れている者など様々であったが、

 ”天皇陛下万歳!” を皆で唱え、集まりは解散となった。

 

玉岡「敗けちゃった・・・ってこと?」

 

西本「そのようだな・・・」

 

細山田「どうなるんだろ・・・私達」

 

西本「満州国自体がどうなるか分からん・・・というか、ソ連や国民党軍、共産党が三者入り乱れている状況だ。我々を庇護する者は消えたと考えた方がいい」

 

実際に玉音放送の2日後の8月17日に重臣会議は満洲国の廃止を決定、翌18日未明には溥儀が大栗子の地で退位の詔勅を読み上げ、満洲国は誕生から僅か13年で滅亡している。

そして溥儀は奉天から四式重爆撃機に乗り換え日本への亡命を図っていたのだが、奉天に到着するわずか前に、既に飛行場はソ連軍の手に落ちていた。捕えられた溥儀はその後東京裁判のおりに再び日本人の前に姿を現すことになる。

 

玉岡「じゃあ早く逃げないとどうしようもないじゃない!」

 

西本「しかし鉄道が動いているのかすら分からん」

 

玉岡「そんなこと言っているうちにソ連が来たら、この子はどうなるのよ!?」

8歳の男の子を持つ母としてはとても安穏とはしていられない。

 

細山田「私もハルも夫を動員に取られています。動こうと思えばすぐに動けます」

 

細山田は2人よりも年齢は上で満州に入ったのも先なのだが、後で開拓団に加わったこともあり、2人に対しては基本敬語を使っている。もっともそのまま話してしまうと福島の言葉が出てしまうというのもあるのだが。

 

西本「とりあえず団長に状況を聞いてくる。2人は先に準備をしておいてくれ」

 

玉岡「逃げる時は一緒だからね!」

 

西本「ああ」

 

~~~~~~~~

 

西本が開拓団の団長に聞いてきた内容では・・・

 

・国境付近の関東軍はほぼ壊滅、もしくは既に国境付近から撤退しているらしい

・満州国は体制として既に崩壊、満州国軍は霧散したばかりか侵入者の手助けをしている

・ソ連軍の侵攻が進んでいるため、一先ずの退避先としてハルビンまで行くようにとのこと

・兵器廠に武器・弾薬を渡すよう迫っているが、ポツダム宣言受諾・武装解除を盾に拒まれている

 

というものであった。

 

玉岡「ふざけてんじゃないわよ! 勝手に軍が逃げて、武器も渡してくれないなんて。じゃあ私達はどうすればいいのよ!」

 

細山田「ハルビンまで何キロあると思ってるだ?」

 

西本「とにかく・・・事は一刻を争う。今日中に我々だけでも発とう」

 

玉岡、細山田「分かった」

 

~~~~~~~~

 

玉音放送から3時間後。

もともと単身、もしくは子1人の暮らしのため身支度は早い。この頃にはおおよその準備は出来上がっていた。

 

西本「私の方は出発準備は出来ている」

 

細山田「こっちもあらかた大丈夫」

 

玉岡「うちも大丈夫だよ」

 

「「「・・・」」」

 

玉岡「これで・・・終わりなんだね・・・」

 

「「「・・・」」」

 

細山田「あの・・・急がないといけないんだけど・・・戦車見に行きませんか?」

 

西本「そうだな・・・チハともちゃんとお別れしとかないとな」

 

千葉県開拓団のチハ。どこでどう入手したのかは今以て不明なのだが、とにかく満州に入って早々開拓団のシンボルとなった。そしてただのシンボルだけでなく、ドーザーブレードを付けての整地作業、鍬を付けての開墾作業、重量荷物を引っ張る牽引作業と開拓団にとっては何役も果たす貴重な戦力であった。元々戦車乗りであった西本や玉岡にとっては農作業の後にチハを乗り回すのが最高のストレス発散方法でもあった。もっとも最近は軽油の節約も有りその乗車回数は少なくなっていたのだが、45年7月の根こそぎ動員後に開拓団に加わった細山田も、無理を言って一度だけ乗り回したことがある。

 

武装解除というからには当然チハに乗って逃げるわけにはいかず、ここに置いていかざるを得ない。そもそも乗って逃げようにも燃料はそんなにないだろうし、他の団員の手前自分達だけが戦車を使うのも難しい。敵の目にもつきやすいし、かえって逃避行の邪魔になるだろう。

 

そして3人は宿舎から歩いて3分ほどの格納庫にあるチハの前に集まった。

 

西本「チハ・・・」

 

玉岡「今まで・・・有難う・・・」

 

細山田「もっと一緒にいたかった・・・」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

3人が戦車に乗っていた1930年代の後半、チハは当時の最新鋭戦車だった。

1937年に完成したチハはなかなか戦車道に使用される戦車として回ってくることはなかったのだが、3人とも当時の名戦車乗りであったこともあり、それぞれ数回使用する機会に恵まれた。

 

もっとも1938年4月には国家総動員法が施行、当時細山田は東北選抜チームの一員であったが、その頃の東北地方は昭和初期の大不況、大飢饉の影響が色濃く残っており、選抜チームは直後に解散、所有していた戦車・砲弾とも供出されることになった。

そしてその波は西本と玉岡が所属していた関東選抜チームにも及び、1940年には同じくチーム解散、並びに戦車・砲弾等の供出の憂き目に見舞われた。

 

西本は母を病気で早くに亡くしており、父は既に軍人として戦線に出ている。残された親戚は早くに婿さんをもらってお家の存続というのを当然願ったのだが、戦車を取り上げられた西本には喪失感しかなく、たまたま募集があった満州開拓団に応募。女性単身で開拓団の一員に選ばれることは本来ないのだが、そうした身寄りのない事情、そして戦車道で名を売った西本が団員に加わるとなれば明るい材料にも、そしていざという時の戦力にもなるだろうとのことでその一員に加えられたのであった。

 

細山田「・・・1度ならず2度までも・・・」

 

細山田「・・・守ってあげられなくて・・・本当にごめんなさい・・・」

 

「「・・・」」

 

場面は違えど3人にとってはチーム解散の時と今回と2度、自らの手からチハがもぎ取られたことになる。

それを思うと、細山田と玉田は思わずその場で泣き崩れた。西本も涙を隠すことが出来ない。それでも西本はそんな2人をなんとか抱え上げ、そして3人はチハの中に入った。

 

玉岡「最後に乗ったのはいつだったかな・・・」

 

西本「メグが7月に来て、それから道路整備で1回使ったのが最後かな・・・」

 

その時は作業が終わった後も2人が止めるのも構わず、細山田はチハを乗り回していたのだが。

それを思い出したのか、細山田は一旦は収まったものの再びその場にへたり込んで泣き始めた。

 

細山田「・・・もういい!・・・私、チハと一緒にここで死ぬ!」

 

「「・・・」」

 

玉岡「何言ってるのよ。まだ旦那さんもどうなっているか分からないでしょ。それに、チハもあなたみたいなおばさんと一緒に死にたいとは思ってないわよ・・・」

 

細山田「だって・・・だって・・・」

 

細山田「ウワワーン!!」

 

とうとう声をあげて泣き出した。

戦争は細山田からいろんなものを奪い取っていった。戦車道も、夢も、希望も。病気がちだった夫も先の7月の根こそぎ動員でもっていかれ、一緒に満州に渡った開拓団の面々も散り散りになった。そして今、やっとの思いで辿り着き、そこにたまたま居合わせたかつて戦車道で戦った仲間と過ごした千葉県開拓団での暮らしも消滅しようとしている。それよりなにより数時間前の玉音放送は、国民としての誇りも意地も含め、積み上げてきたもの、支えになっていたものを根こそぎ倒すようなものであった。

 

西本「とにかく・・・今はなんとか日本に帰ろう。このまま露助や支那に蹂躙されるのだけは御免だ」

 

玉岡「ほら、メグ。行くよ」

 

細山田「・・・ここに何か残したい・・・このままじゃ、私が私でなくなっちゃう・・・」

 

玉岡「うーん・・・何か書いていく?」

 

西本「そうだ!」

 

西本はチハから飛び出し、荷物をまとめているところに駆け出していった。玉岡と細山田もそれを追いかける。

やがて西本は荷物の中から絹の着物を取り出し、その端を破ろうとしていた。

 

細山田「金目になるものは後々のために置いておいた方がいいんじゃ・・・」

先ほど ”チハと一緒に死ぬ” と言っていた細山田もなんとか落ち着いたようである。

 

西本「いや、どうせ今のハルビンに日本の着物なんて買ってくれる人はいない。というより、女性の格好をしている方が危ない。ばあちゃんの形見だけど置いていく」

 

西本「でも・・・私が生きた証を紐にして・・・チハに残していく」

 

玉岡「分かった。私もそうする!」

 

3人はそれぞれ絹の着物の端を千切り、撚って紐にし、さらに3本を逆回りに撚って1本の紐にした。そしてチハに戻り、その紐を普通では目に届かないようなところにある部品に括り付ける。

 

細山田「このチハはどうなるんだろうね・・・」

 

玉岡「今のソ連がこれを必要とするはずもないし・・・演習の標的になるだけかもしれないね」

 

西本「でも・・・消え去る瞬間まで、私らがここに居た証は残ることになる。満州では苦しいことの方が多かったし、いつ死ぬかもしれないと思うことも多かったけど・・・でもみんなと一緒に頑張った。収穫が上がれば嬉しかったし、楽しいこともゼロじゃなかった。私もここに来たことをゼロにはしたくない」

 

3人は話ながら元の場所に戻り、端を切り取った着物は穴を掘って地中に埋めた。

 

~~~~~~~~

 

8月15日16時。3人は「皆と一緒の方が食料もあるし安全じゃないのか?」という団長の引き留めを振り切り、開拓団をあとにした。ハルビンまでは150kmほどの道のりになる。

陽が沈むまでに少しでも距離を稼いでおきたかった。

 

細山田「日本に戻っても、多分戦車に乗ることはないよね・・・」

 

玉岡「戦車道、もう復活しないかな?」

 

西本「日本も他の国も・・・この戦争で多くの人が死に過ぎた。戦車道は平和の象徴でもあると思うけど、戦車でなぎ倒された、殺された人の事を思うと・・・感情としてそれが許されることはないかもしれないな」

 

玉岡「もし戦車道が復活するようなことがあったら、それは私達の想像もつかないような、平和で楽しい世界かもしれないね」

 

西本「そんな世界・・・いつか来たらいいな」

 

細山田「まずは元気に日本に帰りましょう!」

 

3人の表情はもちろん明るくもないが、かといって沈んでもいない。ハルビンに行けば日本に戻れる希望も出てくるだろう。

 

「(・・・もし何かあっても・・・最後の時が来てもこの3人(子も入れると4人)なら・・・)」

 

誰も口にはしなかったが、3人はそう思いつつ、夕暮れの中1台の荷車を引っ張っていた。

 

<後編に続く>

 



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(後編)炸裂音の後に

<登場人物>

○西本幸子(隊長)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 独身
習志野女子中学に在学中は戦車道のエースだった
1941年に千葉県開拓団の一員として満州に入る

○玉岡晴美(ハル)
千葉県習志野市出身 28歳(1917年生) 夫と8歳の子供有り
西本とは習志野女子中学の同級生で、一緒に戦車道を履修していた
西本と同時に千葉県開拓団の一員として満州に入る

○細山田恵美(メグ)
福島県郡山市出身 36歳(1909年生) 夫有り
二本松女子中学に在学中に戦車度を履修
1939年に福島県開拓団の一員として満州に入るが、動員等により同開拓団が
立ち行かなくなったため、単身千葉県開拓団の一員に加わる
過去に2度、西本率いる関東選抜と戦ったことがあり、2人とは旧知であった


8月15日夜。

日が落ちると急に気温は下がる。また狼などの獣を遠ざける上でも火を焚きたいところであるが、見つかってしまえばソ連軍や匪賊の格好の餌食である。

子も含めた4人は服を重ね着して身を寄せ合って暖を取っていた。

 

玉岡「明日はどうする?」

 

西本「この人数だと相手に見つかってしまえば終わりだ。本当は夜に行動したいところだけど、磁石と簡単な地図しかないし、方向を見失うのはリスクが大きすぎる。目標を決めて日中に少しずつ動いていこう」

 

細山田「となると、夜が明ける頃の出発ですね」

 

西本「地図を見せてくれ」

 

注意深く懐中電灯を点けて地図を照らす。

 

西本「しばらくは林沿いに行ける。林が切れるところで一旦休止。夕方前に出発して平原を突っ切って湖に向かう。水の補給もしたいしな。うまくいけば明日の夜は水浴びが出来る」

 

玉岡「林が切れるまで20キロ、そこから湖まで12、3キロってとこね」

 

細山田「今日は交替で見張りを立てましょう」

 

見張りは2時間ごとに交替することにした。

3人の心が冷えているのは大陸の冷たい風だけではないだろう。今日1日でそれまで自分を守ってくれたものが全て吹き飛んだ。自分達を支えるのはここにいる3人だけ。しかし武器もない女3人子1人で何かが出来るわけでもない。4人の終わりを告げる瞬間はおそらく不意に訪れ、そして4人の心が折れた瞬間が終わりを告げる時だろう。

 

とにかく今は何も考えずに眠りたい・・・しかしそれで眠れるほど今日1日で起きたことは平穏ではなかった。

 

~~~~~~~~

 

世が白み始める頃、4人は荷車を引いて出発した。幸か不幸か雨は降らなさそうである。

目指すハルビンはおおよそ南東の方向になるが、もちろん歩いていったこともない。磁石はあるものの、太陽を観測しながら進めるのは有り難かった。20キロの行程は思いのほか順調に進み、昼前には目標地点に到達した。

 

西本「ここまでは順調だな。哲夫くんもよく頑張ってる」

 

玉岡「そりゃそんなやわな鍛え方はしてないわよ。とはいうものの、さすがにここに着くとすぐ寝ちゃったけどね」

 

西本「途中平原になるけど湖への目標は明らかだ。最悪日没後も少し歩くくらいの感じでいこう」

 

昨日からの緊張と行軍でさすがにみな疲れが見えている。昨日より遅い17時の出発とし、それまで休憩をとることにした。

 

玉岡「隊長・・・」

 

西本「なんだ?」

 

玉岡「私は哲夫と一緒だから・・・最悪何かあれば1人で行っていいからね」

 

西本「それが出来るくらいなら、私はここには居ないよ」

 

玉岡「そりゃそうだね・・・」

 

西本「いいから少し寝とけ。ただでさえ1人分余計に気を遣ってるんだから」

 

玉岡「うん・・・」

 

西本「メグも寝ておきなよ」

 

細山田「私は大丈夫だから。敵が来ないか見張っとく」

 

西本「ほどほどにね」

 

細山田「大丈夫。東北の女は強いから」

 

西本は ”確かにそうだな” と思わざるを得ない。実際に西本が率いていた関東選抜は、細山田率いる東北選抜と2度戦って、2度とも敗れている。 ”戦車で勝てば米をもらえるから” かつて細山田はそう言っていた。昭和初期の大飢饉、地震による津波、そしてその前の戊辰戦争。ほか幾多の悲劇に見舞われている東北の人からしたら、私の苦しみなど小さいものなのかもしれない。西本はそう思った。

 

~~~~~~~~

 

「そろそろ時間だよ」

 

玉岡の起こす声で西本は目を覚ました。

 

玉岡「よく眠れた?」

 

西本「うん。メグは?」

 

玉岡「最後1時間ほど、見張りを代わって休んでもらってた」

 

西本「そうか、私だけ悪かったな」

 

玉岡「苦しいときはお互い様だよ」

 

 ”私がしっかりしないと・・・” これまでの開拓団での生活から自然とそう考えていた西本だが、私がしっかりするまでもなく他の皆が私以上に頑張っている。そう思うとかなり心が軽くなった。

 

西本「そうだな、よろしく頼む」

 

玉岡「うん」

 

予定通り17時に4人は再び出発した。ここから先は遮るものが少ない原野となる。その不安は4人の足取りを自然と急がせた。

 

しかし、幸いにもソ連軍にも匪賊にも見つかることなく順調に来ている。残り2キロほどになってようやく4人にも安堵の表情が見られるようになった。

 

玉岡「哲夫、疲れたなら荷台の上に乗ってていいよ」

 

”うん、そうする” と返事して哲夫は荷台に乗り、しばらくすると歌を歌い始めた。それにつられてか、3人も荷車を引きながら戦車道の試合で戦った時の話で盛り上がり始めた。

 

細山田「だいたい隊長の攻撃はワンパターンなんですよ。こっちは突撃するのを待ってりゃよかったんで。そりゃ私達に勝てないはずです」

 

西本「しかし・・・我々は ”いつ突撃するか” 、 ”どう突撃するか” しか教練で教わってないぞ」

 

細山田「たしかにいつ突撃するのかが分からなければ苦戦するんですけど・・・ただ隊長の突撃は分かりやすいんです。突撃の前に空気が静まるというか。静まったら ”あ、そろそろ来るな” ってな感じで」

 

玉岡「しかしどうせなら堂々と戦いたいじゃないか」

 

細山田「まあうちは勝たないといけない事情もあったから・・・その辺も違うのかもしれないですけどね」

 

そして・・・

 

 

会話は盛り上がりすぎていた・・・

 

4人から肉眼ではっきり見える距離に、ソ連兵の乗った車がいた。

3人は荷車を引いて一斉に走り始め、降りる猶予もなかったため哲夫は必死に荷車にしがみついていたが、走るのと自動車とでは勝負にならない。

 

「ダン!」

 

ソ連兵の銃が発射され、哲夫もろとも荷車に命中した。

 

玉岡「哲夫ーーー!!!」

 

西本「む、無理か・・・」

 

ソ連兵との距離はどんどん縮まる。荷車に載せている荷物はバラバラになり車輪も銃撃で壊れた。ソ連兵はおそらく女の私達を殺しはしない。いや、殺すかもしれないが、その前に性的にとことんまで蹂躙されることになるだろう。

 

「(自殺する方法を・・・)」

 

そう考えていた西本だが、目の前で奇跡が起きた。

 

日本兵の乗った九五式小型乗用車が、ソ連兵の乗った車両に突っ込んだのである。

突っ込むや否や運転していた日本兵は、衝撃にふらつくこともなく運転席ドアを開け、燃料タンクを見つけるや否や、それを抱え込んだまま手榴弾のピンを引いた。

 

「ドォォン!!」

 

轟音とともに車2台もろとも炎上した。

なんとか逃げ出そうとしたソ連兵が1人いたが、もう1人の日本兵が落ち着いて銃で撃って仕留めた。

 

「大丈夫でしたか!?」

 

ソ連兵を銃撃した日本兵が近づいてきたが、西本はまだ目の前で起きたことが理解出来ていない。

ただ、玉岡は違った。

 

「アンタらが戦わずに逃げ出したからこんなことになったんだ!!」

 

そう言って日本兵の胸倉をつかんだのだが、すぐにそのまま足下に崩れ落ちた。

 

「・・・哲夫・・・」

 

荷車から転げ落ちている玉岡の息子は、頭を打ち抜かれている。誰がどう見ても即死であった。

 

西本「有難うございました。お互い残念なことにはなりましたが・・・帝国軍人にふさわしい見事な戦いぶりでした」

 

日本兵「いえ・・・車は捨てたくなかったのですが、相手は6人いましたのでああせざるを得ませんでした」

 

日本兵「それに・・・私達が皆様を守れずに撤退したのも事実です・・・申し訳ありませんでした」

 

玉岡「・・・こちらこそ・・・乱暴な振舞いをして申し訳ありませんでした。見事な最期でした。お礼を申し上げます」

 

日本兵はまだ脱帽のまま頭を下げている。

 

西本「あなたも任務の途中だったのでは?」

 

日本兵「はい・・・ハルビンまで伝令で行く予定でしたが」

西本の問いかけにようやく頭を上げる。

 

西本「私達も開拓団が解散してハルビンに行く予定です。よかったらご一緒頂けませんか?」

 

西本「それともう一つお願いが・・・手榴弾か青酸カリを分けて頂けませんか。今回のようなことが起きた時に、露助や支那に性欲のままに犯される・・・これまで貞操を守ってきた者として、日本婦女として、そんな最期だけは迎えるわけにはいきません」

 

日本兵「分かりました。ちょうど手榴弾が3つあるので皆さんにお渡し致します。ハルビンまで宜しくお願い致します」

 

西本「全部頂いていいのですか?」

 

日本兵「これでも帝国軍人です。自らの後始末をどうするかの教育は受けています」

 

ハルビンまでお守りしますとは言わず、そして「自らの後始末」というあたり、次に襲撃を受ければ最後というのがこの日本兵にもあるのだろう。

 

西本「有難うございます。ところで、ずいぶんお若いようですがおいくつですか?」

 

日本兵「は、19でございます」

 

玉岡「世が世なら・・・この子も・・・あなたも無邪気に楽しい生活を送れたのでしょうに・・・」

そう言いながら、玉岡は血に染まった哲夫のシャツを脱がせようとしている。おそらく形見にするのであろう。

 

日本兵「いえ・・・それよりも先を急ぎましょう。日が暮れかかっているとはいえ安心できません」

 

玉岡「この子を・・・埋葬することも出来ませんが、せめて勇敢な日本兵と一緒に眠らさせてやって下さい。露助も一緒なのは気に食わないですが」

 

火勢は弱くなったとはいえ、2両の車両はまだ燃え続けている。

玉岡はその火の中に哲夫の遺体を投げ置き、日本兵も含めた4人は読経をあげた。

荷車が使えなくなってしまったため、3人はリュックに出来るだけのものを詰め込み、再び湖に向かって歩き始めた。少し離れて日本兵が後を付いてくる。

 

玉岡「でも、19歳の男の子を捉まえるなんて、男日照りの隊長としてはよくやったもんね」

 

西本「男日照りとかは関係ないだろ・・・ただ我々3人だけだと正直限界が来ていた。3人一緒ならとは思ってたけど・・・団長が言ってたのはこういうことだったのかもしれないな」

 

細山田「でもここまでソ連兵が来ているということは、もしかしたら開拓団も既にやられてしまっているのかもしれません。隊長の判断は間違ってなかったと思います」

 

西本「ありがとう。なんにせよ、何かあっても3人一緒だ」

 

そう言って3人はそれぞれ身に付けている手榴弾に視線を向ける。

その後は襲撃されることもなく1時間ほどで湖の畔に到着した。 ”運が良ければ水浴びが出来る” と昨日の夜には言っていたが、皆その気力もなく、茂みの陰に隠れるようにして横になった。玉岡からは声を忍びつつもすすり泣きする声が聞こえる。だが、西本にも細山田にもかける言葉は見つからなかった。

 

~~~~~~~~

 

翌8月17日朝。

既に日は上った時間だが、誰も動こうとはしない。唯一同行している日本兵が辺りを警戒するように見張りをしている。前日までとは違い、3人は明らかに気力を削がれていた。

 

すると、西本がおもむろに服を全て脱ぎ出し、一糸纏わぬ姿となって湖に向かって歩き出した。

 

玉岡「どうしたの?」

 

西本「せっかくだ。ここで汗を流そう」

 

玉岡「分かった」

 

そう言って玉岡も細山田も服を全て脱ぎ出した。日本兵は少し離れたところにいる。見た感じでは気付いているのか気付いていないのかは分からないが、3人が何をし始めたかは伝わる距離にはいるはずだ。

 

細山田「兵隊さん、そのまま見張り続けてますね」

 

西本「もっとも服脱いでこっちに来られても困るがな」

 

玉岡「頼もしいじゃない!」

 

3人で素っ裸になった解放感と、心地よい水の冷たさが3人の心を和らげてくれた。3人の表情に笑みが戻り、西本と玉岡はかつて千葉の海岸でそうであったように、思い思いに泳ぎ始める。一方細山田は、荷物のある場所に戻り何かを用意してまた湖に戻ってきた。

 

細山田「やったー」

 

玉岡「どうしたの?」

 

細山田「へっへー」

 

玉岡「凄いじゃない!」

 

細山田は片手にナイフ、片手に仕留めた魚を持っている。

 

西本「変な毒とか持ってないかな?」

 

玉岡「内臓取って、焼いたら大丈夫なんじゃない?」

 

西本「よーし、そしたら私も」

 

西本と玉岡もそれぞれナイフを持って湖に戻り、2人で1時間ほどで3匹魚を仕留めた。細山田は1人で5匹ほど捕まえたようである。細山田は火を起こしはじめ、残りの2人は魚の頭と内臓を取り、湖の水で洗う。30分ほどでいい感じの焼き魚が出来上がろうとしていた。

 

玉岡「兵隊さーん、朝ごはんにしましょうよ」

 

日本兵「有難うございます。まさか・・・焼き魚を食べられるとは思っていませんでした」

 

玉岡「1人2匹あるからね。兵隊さんは男の子だから3匹」

 

4人は枝に刺した焼き魚にむさぼり始める。

 

西本「そういえば名前を聞いてませんでしたね」

 

日本兵「は、福岡眞一と申します」

 

西本「お国は?」

 

日本兵「鹿児島であります」

 

玉岡「そういえば九州男児って感じがするわね」

 

西本「また適当なことを」

 

玉岡「眞一君は戦車には乗っていたの?」

 

日本兵「いえ、私は経理などの事務方でした。元々が商業の出身ですので」

 

西本「卒業してすぐに動員がかかったというわけね」

 

日本兵「はい。皆さんは戦車に乗られていたのですか」

 

細山田「よくぞ聞いてくれました。私が全国大会二連覇の東北選抜の隊長、細山田恵美であります!」

 

西本「私は・・・その二年連続準優勝だった関東選抜の隊長の西本です」

 

玉岡「私は副隊長をしていた玉岡ね」

 

細山田「でもソ連やドイツの戦車って凄くなったんですよね。私らが戦車に乗ってた時はそうでもなかったのですが」

 

日本兵「はい。ドイツのティーガーは88mmを積んでいました。ソ連のT34も85mmを積んでいます」

 

玉岡「は、はちじゅうはちー!? そんなのが戦車道の試合に出たら無敵じゃない!」

 

西本「戦車道があと10年続いてたら、西住流の天下だったな」

 

細山田「もっともドイツも戦争に負けちゃいましたけどね・・・」

 

西本「我々が戦車に乗ることも・・・もうないな・・・」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

玉岡「魚、美味しかったね」

 

細山田「うん・・・」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

日本兵「出発なされますか? 昨日のソ連兵が戻っていないのはもう向こうも分かっているはずです。追手も来るとは思いますが・・・」

 

西本「やはりそうですよね・・・」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

玉岡「もう・・・ここでいいんじゃないかな・・・」

 

西本「そうだな・・・日本人として最後楽しい時間を過ごせた。思い残すことは・・・あるけど、潮時だ」

 

細山田「私も異論はありません」

 

日本兵「では、私もお供致します」

 

西本「いいのですか?」

 

日本兵「はい。既に終戦の御聖断が下されております。こちらが先に敵に銃を向けることは出来ませんし、軍人として私のやることは終わりました。ただ、私は帝国軍人として何も為すべきことをしておりません。関東軍は皆様を守ることが出来ませんでした。そして今も、本当ならば皆様を無事にハルビンまで送り届けることなのでしょうが・・・それが叶わぬのなら、せめて皆様の最後をお見送りし・・・そして・・・私も最後くらいは帝国軍人らしく死にたいと思います」

 

言葉に詰まるところはあったが、19歳の青年は淡々とその言葉を言い切った。

 

西本「ありがとうございます。そのお言葉を聞けただけで、日本人として生きてこれてよかったと思います」

 

玉岡「眞一君は靖国に帰るんだよね。私達はどうなるのかな・・・」

 

細山田「どのみち逆賊の二本松の人間は、靖国には行けません」

 

戊辰戦争において、時の明治政府の敵であった幕府軍は靖国神社には祀られる対象ではない。

 

日本兵「靖国に祀られていないのは我々鹿児島の先人も同じです。そして私も・・・国家のために一命を捧げた人間と言えるのか・・・」

 

西本「あなたは私達をソ連兵から助けてくれたではありませんか。そして・・・最期を見送ってくれるあなたが靖国に帰らなければ、私達も一緒に日本には帰れません」

 

玉岡「そうだね。日本に帰れるならそれでいいよね。眞一君、頼んだわよ」

 

日本兵「はい・・・」

 

それまで冷静を保っていた青年も、ついにその緒が切れたようにむせび泣き始めた。

 

玉岡「それじゃ。日本は敗けちゃったけど、天皇陛下万歳でいいのかな?」

 

西本「神国日本は時の政権の興亡や1つの敗戦で滅びるものではない。万世一系の天皇が御健在であられるなら・・・そこは日本であることには変わりはない」

 

玉岡「分かった。じゃあ手榴弾を持ってこよう」

 

西本「紐と、あと大きめの石もな」

 

3人はそれぞれの手榴弾と、紐と石を持ってきて、もう一度先ほどと同じように円を作った。

そして石を紐で十字に縛った後、その紐を自分の体に巻き始めた。

 

西本「重たくなるけれど、3人とも湖に沈めて下さい」

 

玉岡「じゃあ隊長、音頭よろしく」

 

西本「分かった。じゃあ」

 

「天皇陛下万歳!」

 

「「「万歳!」」」

 

「千葉県開拓団万歳!」

 

「「「万歳!」」」

 

「福島県開拓団万歳!」

 

「「「万歳!」」」

 

「関東選抜戦車隊万歳!」

 

「「「万歳!」」」

 

「東北選抜戦車隊万歳!」

 

「「「万歳!」」」

 

4人はそれぞれ思い思いの万歳を唱えた。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

西本「じゃあ ”いっせーのーで” でいくよ」

 

玉岡、細山田「分かった」

 

西本「じゃあ、いっせーのーで!」

 

 

「・・・」

 

「・・・」

 

玉岡「誰もしてないじゃない!」

 

細山田「いや、これで終わりかと思うと、なかなか・・・」

 

西本「じゃあもう一回いくよ、いっせーのーで!」

 

 

「・・・」

 

「・・・」

 

玉岡「なかなか難しいのね、これって・・・」

 

西本「今まで自分の体なんか全然大事にしてこなかったのにな・・・」

 

玉岡「眞一君、景気づけになんか歌ってよ」

 

日本兵「分かりました・・・じゃあこの歌を」

 

「雪の進軍氷を踏んで♪」

 

玉岡「これなら私らも歌えるよ!」

 

「どれが河やら道さえ知れず 馬は斃れる捨ててもおけず ここは何処ぞ皆敵の国 ままよ大胆一服やれば 頼み少なや煙草が二本」

 

「焼かぬ乾魚に半煮え飯に なまじ生命のあるそのうちは こらえ切れない寒さの焚火 煙いはずだよ生木が燻る 渋い顔して功名噺 すいというのは梅干し一つ」

 

「着のみ着のまま気楽な臥 背嚢枕に外套かぶりゃ 背の温みで雪解けかかる 夜具の黍殻しっぽり濡れて 結びかねたる露営の夢を 月は冷たく顔除き込む」

 

「命捧げて出てきた身ゆえ 死ぬる覚悟で吶喊すれど 武運拙く討死せねば 義理にからめた恤兵真綿 そろりそろりと頸絞めかかる」

 

 

「どうせ生きては還らぬつもり・・・」

 

 

西本「天皇陛下万歳!」

 

玉岡「万歳!」

 

細山田「万歳!」

 

3人は手榴弾のピンを抜いた。若き日本兵は頭を下げる。

 

 

~~~~~~~~

 

 

「バン、バン、バン」

 

かわいた3回の炸裂音で西絹代は目を覚ました。

 

前を見ると見慣れたチハが走りまわっては砲弾を撃っている。

 

玉田「珍しいですね、居眠りなんて」

 

西「教練は13時からだよな」

 

玉田「ええ。でも連合軍を組んで親善試合に参加とか初めてですからね。黒森峰との試合の後でみんな沈んでいたけど・・・みんな張り切っていますよ」

 

西「今日は8月17日」

 

玉田「どうしました? 何かおかしな夢でも見ていました?」

 

西「ああ。最後19歳の男の子と一緒だった」

 

玉田「男日照りでそんな夢見ちゃいましたか?」

 

西「お前がそれを言う資格は・・・いや、お前には確かに8歳の男の子がいたな」

 

玉田「何ですか、それ?」

 

どういう夢だったかは思い出せそうで思い出せない。ただ日付が8月17日の午前だったこと、最後みんなで歌を歌っていたのは明確に覚えている。 ”みんなと一緒ならなんとかなる、肩の力を抜け” なんとなくそう言われていたような気はする。

 

西「さて、我々も戦車に乗るとするか」

 

~~~~~~~~

 

乗員A「あ、西隊長。準備はいつでも出来てますよ」

 

西「うん」

 

乗員A「しかし、親善試合楽しみですね。優勝した大洗はどんな突撃をするのでしょうか」

 

西「分からんが・・・ただ我々は一歩も後れをとるわけにもいかん!」

 

乗員A「もちろんです! ところで隊長、気付いてました? ここの奥に紐が括り付けてあるの」

 

西「ああ。何のおまじないかは知らんけどな。まあ理由があってのことだから外す必要もないだろ」

 

西絹代がチハに託されたものを知り、慟哭するのはもう少し先の話である。

ただ、紐のことを聞いた時、西は夢の中でチハに紐を括り付けていたのを思い出していた。



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