カミュと双子のものがたり (だる   )
しおりを挟む

1話

「アンタ、これ盗んできたんじゃないでしょうね?」

 ベロニカが三つ編みを指でくるくるといじりながらいたずらっぽくそう言うと、カミュは苦笑した。

「違うって。言わなかったか?オレは盗みはやらねえの、真っ当に手に入れた品だよ」

「それならいいけど」

 山奥という地形のけわしさもあり、ときおり巡礼者がおとずれるだけであまり外部のものが寄り付かないラムダの里の一軒きりの宿屋では、今日もゆっくりと時間が流れていた。

 旅人にちょっとした食事をだすために、いくつかのテーブルが置かれた宿のかたすみで、ベロニカが指輪を窓にかざすと、くすんだ細工にかざられた指輪は、さしこむ光をあわいオリーブ色に変えてみせた。

「ヒスイだな。かざりはちょっとくすんじまってるが、モノは悪くない」

「ええ、きれいだわ。でも、どうしてあたしに?」

「本当はマヤのヤツにやろうと思ってたんだが、まあ、なんだ」

 カミュはすこし言いよどむと、照れくさそうに笑ってみせた。

「この手のアクセサリーにはイヤな思いでがあるからな、きっと受けとらないだろ」

「イヤな思いで……」

 ベロニカはひとしきり考えこみ、やがて大声で笑った。

「あはは。そうね、首飾りのおかげで、ひどい目にあったんだもの。マヤちゃん、元気でやってる?」

「ああ、すっかりな。呪いのことなんて、忘れちまってるように見えるよ」

「よかったわね、本当に。アンタたち、いまなにしてるの?」

「デクの……いや、仲間に商売をやってるヤツがいるんだが、そいつの手伝いをな。ここに来たのもその用事だよ」

「へえ、上手くやってるのね」

「まあな。お前たちはどうしてるんだ?」

「まあ、あいかわらずね」

 ベロニカはあいかわらず、とためいき混じりに吐きだしながら、テーブルへと目を落とした。

 つかのま沈黙がながれ、カミュが思いをめぐらせるようにすっかり冷えきった焼き物のカップを口に運ぶと、ベロニカはそれにしても、と口を開いた。

「アンタ、レディに指輪をおくる意味、わかってるの?」

「レディってお前」

 カミュはあわててせきこみ、むせながら言葉をつづけた。

「そんなセリフどこで覚えたんだよ?そんなシルビアさんみたいな……ああ、シルビアさんか。いろいろ吹き込まれたな?」

「へへ。いつか、またお話したいわね。シルビアさんとも、ほかのみんなとも」

「ああ。ま、みんな収まるところに収まってんだ、そのうち顔を合わせることもあるだろ」

「そういう意味では、アンタが一番心配なのよね。あ、そうだ、アンタに渡そうと思ってたものがあるのよ」

「お、なんだ?」

「ま、あとでね。楽しみにしといて」

 二人がかつての仲間たちとの思いで話に興じていると、入り口のほうから、お姉さま、と誰かを探すような声がひびいた。

 声の主である、白地に紫をあしらった、ラムダの里のゆったりとした衣装を身にまとった長身の少女は、姿をみせるとすぐに二人に気がついた。

「お姉さま?まあ、お姉さま、ここにいらしたのですね。あら、カミュさまも」

 カミュが久しぶりだな、と言いながら手を振ると、セーニャは笑顔を見せながらゆっくりと二人のいるテーブルへと歩みよった。

「カミュさま、お久しぶりですわ。お姉さま、カミュさまがいらしているなら、教えてくださればよかったのに」

「呼びにいかなくても、どうせすぐにあたしを探しに来るだろうと思ったのよ」

 ベロニカがいじわるっぽくそう答えても、セーニャは気にとめていないようだった。

「おっしゃるとおりでしたわね。カミュさまは、お姉さまにご用事があってこちらへ?」

「いや、べつの用事で来たんだが、ついでだからあいさつをと思ってな」

「あいさつついでにおみやげをくれたのよ。ほら」

 ベロニカがイスから飛びおり、指輪をセーニャに手わたすと、セーニャはベロニカがしたのと同じように指輪を窓にかざした。

「きれいですわ。心なしか、お姉さまの身につけていらっしゃる腕輪と似ていますわね」

「ああ、セーニャのぶんもあるんだ、ちょっと待ってな」

 そう言ってカミュが床においた荷袋をほどきはじめると、セーニャはベロニカにはめてみても良いかとたずねた。

「いいわよ、でも、指輪ってどの指にはめたらいいのか、わからないわね」

「私もわかりませんわ。右手でよろしいのかしら」

「わかんない。ひとさし指でいいのかしら?はめてあげる」

 小さなベロニカに合わせるためにセーニャがひざまずき、差しだした右手にベロニカが指輪をはめると、セーニャは突然その場にくずれ落ちた。

「え!?なに、ちょっとどうしたの!」

 ベロニカが叫ぶと、異変に気がついたカミュは荷物を放り出して駆けより、セーニャを背中から抱えおこした。

「なんだよ、いったいどうして倒れたんだ?おい、セーニャ、大丈夫か?」

「ちょっと!どうしたの、どうしたのセーニャ、冗談はやめてよ!」

 二人が必死で呼びかけると、やがてセーニャはゆっくりと目を開き、力なくあたりを見わたした。

「良かった、起きたか。おい、いったいどうしちまったんだよ?」

「……力が……必要だ……」

 セーニャの口から重々しく言葉が発せられると、ベロニカは目を丸くした。

「え?何言ってんのよセーニャ?」

「……お前たちは……この者の……仲間だな……」

「ちょっと、これって」

 ベロニカがそう叫びながらカミュと視線を交わすと、カミュは苦々しい顔をした。

「呪い、か?」

「……案ずるな……我らに害意はない……」

 アンタ、と何か呼びかけようとするベロニカをさえぎり、セーニャは言葉をつづけた。「……今より……その証を示そう……害意はない……我らに……力を貸してくれ……」

 セーニャがゆっくりと顔の前に右手をかざして指輪をはずすと、セーニャの体は糸が切れたように力を失い、指輪は床に投げ出された。

「いったいなんだってんだ?」

「呪い、なんだろうけど……ちょっとセーニャ?」

 ベロニカがカミュに抱かれたままのセーニャの腕をつかみ、大きくゆり動かすと、セーニャはふたたびゆっくりと目を開けた。

「ああ、お姉さま……びっくりしましたわ」

「びっくりしたのはこっちよ、大丈夫なの?」

「ええ、とつぜん体が動かなくなって……怖かったけれど、もう平気ですわ」

 良かったあ、とおおきなため息をつきながらベロニカが肩を落とすと、いまにも泣き出しそうな顔をしながら、カミュが震える声でつぶやいた。

「すまねえ、まさかこんなことになるとは」

 セーニャは自力で半身を起こして向きなおり、私は大丈夫ですわ、とうなだれたままのカミュの肩をたたいた。

「とりあえずは、良かったけどさ」

 ベロニカはぺたんと床にへたりこんだまま、視線を指輪へと送った。

「どうするのよ、これ?どう見たって呪いの品だわ」

 長い沈黙のあと、カミュは大きなため息をついて指輪を拾い、ゆっくりと自分の指にはめてみせた。

「見てのとおり、オレがはめてもなにも問題なかったんだ。コイツはオレが処分するよ……悪かったな」

 カミュがのろのろと指輪をポケットにしまい込もうとする腕を、セーニャがひきとめた。

「お待ちください、カミュさま。指輪さまの声、私にも聞こえましたわ」

「やめときなよ、セーニャ」

 ベロニカが疲れた顔で口をはさんだ。

「害意はないとかなんとか言ってたけどさ、怪しいもんだわ。だってそうでしょう、他人の体をのっとるような呪いなんて」

「でも、お姉さま」

「油断させておいて、さいごはひどい目にあうに決まってるわ。あたしたちが三人でいるから引き下がったのかもしれないし」

 強い口調でまくしたてるベロニカをさえぎり、セーニャは言った。

「悲しかったんです」

「悲しかった?」

「ええ、あの方の、悲しみが伝わってきたんです。うまく言葉にできませんけれど……私も、同じ気持ちを知っているような」

 カミュが手のひらにのせた指輪を三人はだまって見つめていたが、やがてセーニャが顔を上げた。

「なんとか」

 セーニャはそれだけ言ってしばらく口ごもったあと、か細く、しかし決意を感じさせる口調で二人に告げた。

「助けてさしあげたいですわ」

 

 

 

 

 

「これでよし、と。いいかセーニャ、ヤバい時はふたりで一気に引っ張るんだぞ」

「ええ、わかりましたわ」

 カミュが手にしたヒスイの指輪には、二本のヒモがが結び付けられており、片方はセーニャがしっかりと握っている。

 石造りの家の二階のそう広くはない部屋には、ふたつのベッドとふたつのクローゼットが並んでいて、その合間で本棚がきゅうくつそうに本の束をかかえていた。

 生活のにおいを感じさせないほど整頓された部屋の中では、片側のベッドのそばの板きれでつくられたベロニカのための粗末な踏み台が、なんとも居心地わるそうにしていた。

 ベッドに腰かけてふたりの様子をみていたベロニカは、大きなため息をついた。

「まったく……あんたたち、どれだけお人よしなのよ?」

「お互いさまだろ、ベロニカ」

 カミュは笑った。

「なんだかんだいっても、こうして協力してるんだから。部屋まで貸してくれてさ」

「しょうがないじゃない、なにが起こるかわかんないんだから。まったく、どうしてあたしがこんなこと」

「お姉さま、ありがとうございます」

 ベロニカは、はいはい、とイヤそうに返事をした。

「アンタがわがまま言うの、めずらしいことだから、付きあってあげるわ。いい、セーニャ。これからあたしが指輪をはめてみて、なにか悪いことが起こったらキッパリあきらめること。わかってるわね?」

 三人で話しあった結果、結局ふたりはセーニャに押し切られるかたちで、ベロニカが指輪をたしかめてから結論を出すことになったのだった。

「ところでよ、いまさらなんだが」

「なによ?」

「その指輪、オレがはめても何も起こらなかったのを見ただろ?お前がはめても、セーニャと同じことが起こるとは限らないんじゃないのか」

「バカね」

 ベロニカは憮然としながらも、自信をもって答えた。

「あたしたち、双子なのよ。セーニャにできることは、あたしにだってできるわ」

 そうですわ、とセーニャも同意すると、カミュは神妙な面持ちで頭をさげた。

「そういうものか。うたがってすまなかった。じゃ、頼むぜ」

「うまく乗せられた気がするけど……ま、乗せられてあげるわ。ほら、貸しなさい」

 ベロニカはベッドに腰かけたまま、カミュからヒモをつけられて不格好になった指輪をうけとり、おそるおそる右手のひとさし指にはめると、深くため息をつくようにうなだれ、やがてゆっくりと顔を起こした。

 ベロニカはふだんの様子からは想像もつかないような、いっさい感情が読みとれない表情でカミュとセーニャをたしかめると、重々しく口を開いた。

「……先ほどの者たち……だな……力を……貸してくれるのか……」

 ベロニカの言葉を聞くと、カミュとセーニャは目を合わせてうなずいた。

「まずは、確かめさせてもらおう。さっき自分から指輪をはずしてみせたが、他人の体を手にいれるのが目的じゃないのなら、お前はいったいなにがしたいんだ?」

「それに、あなたはいったいどなたなのですか?」

 ベロニカは表情を作らず、とぎれとぎれの言葉で答えた。

「……我らに……残された力は……もはや……こうして……他者の体を……借りること……だけだ……」

 ふたりは黙ってベロニカの言葉に耳をかたむけた。

「……汝らに……力を……貸して欲しい……無念だ……ニザーナ……我らが……父なる……故国……」

「ニザーナ?聞いたことがないな。セーニャ、知ってるか?」

「いいえ、わかりませんわ」

「……かの怨敵……ハスダール……奪われ……殺された……無念……我らは……無念を忘れぬ……ために……指輪……に……意思を……込めた……」

「ハスダール……そっちも聞いたことがないな」

 カミュは首をかしげた。

「あのな、オレたち、世界中を旅したんだぜ。信じられないだろうが、空まで飛んでな。でも、どっちもはじめて聞いた名前だよ」

「……無念だ……無念を晴らしたい……」

「復讐ってことか?」

「……わからぬ……だが……無念だ……ニザーナ……ハスダール……力を……貸してくれ……」

「そう言われてもさ、力を貸すって、オレたちは何をしたらいいんだよ?」

「……無念……我らは……ただ……無念……だ……」

 カミュとセーニャは困った顔で目を見合わせた。

「うーん、思ったよりやっかいな頼みごとだな……とにかく、そのニザーナとハスダールって国を探してやりゃあいいのか?」

「そうですわね……お姉さまなら、なにかご存知でしょうか」

「ああ、そうだな。なあ指輪さんよ、その体のあるじと話をしたいんだ、返してくれるか?」

 カミュの言葉をきいて、ベロニカはゆっくりとうなずいた。

「……承知……した……感謝する……ぞ……若者……たちよ……」

「まだ返事はしてねえんだが。まあ、そう悪いヤツでもなさそうだしな、ちょっと時間をもらうよ」

「ええ、またお会いしましょう、指輪さま」

 ベロニカはしずかに右手から指輪を抜きとると、はめたときと同じように力を失い、がっくりとうなだれた。

 ベッドから床にくずれ落ちないように、ふたりがあわてて支えようとすると、ベロニカはうなだれたままぐすんと鼻を鳴らしはじめた。

「お姉さま?」

「おい、大丈夫か?」

 ベロニカは嗚咽をもらしながらしきりにこぶしで目をこすり、やがて顔を上げると、おおきな両目からは涙がこぼれていた。

 心配そうに顔をのぞき込むふたりを前に、ベロニカはふるえる声を必死でしぼりだした。

「……どうしてか、わからないんだけど……あたし、知ってるわ」

 ベロニカは肩を抱こうとするセーニャを拒み、嗚咽をこらえながら続けた。

「……知ってる、この気持ちを。悲しみ、憎しみ、怒り、くやしさ……いろんなものが混ざって、だけどそのどれでもない。たいせつなものがあって、未来があって……だけど、どうにもならなかった……無念……そう、無念だわ」

 そこまで話すとベロニカは顔を伏せ、ふたたびすすり泣きはじめた。

 カミュとセーニャは、困り果てたようすでただベロニカを見守っていた。

 

 

 

 

「お姉さま、お母さまにお茶を入れていただきましたわ。ミルクとハチミツもたっぷりと。はい、カミュさまも」

 トレイを持って部屋に戻ってきたセーニャは、ふたりに素朴な焼き物のカップを手わたすと、音をたてないようにそっと窓をあけ、カミュと向かい合ってベッドに座るベロニカのとなりに腰をおろした。

「ありがと、セーニャ。もう落ちついたわ」

「よかったですわ、お姉さま。指輪さまのお話、お姉さまも聞いていらしたの?」

「うん。ニザーナとハスダール、だったわね。残念だけれど、あたしも心当たりがないわ」

 カミュはカップを口にはこび、音をたててすすると、渋い表情でため息をついた。

「どうもこのミントってやつは苦手だな。しかし、いまのところまったく手がかりなしってことか。探してやろうにも、心当たりさえないんだよな」

「私たち、世界中を旅してきましたけれど、まだどこかに立ちよっていない場所があるということでしょうか?」

 いや、と言いながらカミュはふところから指輪をとりだし、つまんでみせた。

「オレのみたところ、こいつは相当に古いもんだよ。十年や二十年前に作られたもんじゃない。バンデルフォンやユグノアの城跡を覚えているか?あれは不運な例だが、そうじゃなくても国というものは永遠じゃない、どれだけ立派な城があろうと、いつかあんなふうに消えてしまうんだ」

 カミュがそこまで話すと、ベロニカとセーニャはうつむいてカップに目を落とした。

 カミュはふたりの様子を見て、慎重に言葉をえらびながら続けた。

「そう、指輪さんには気の毒だが――どっちの国も、もう無くなっちまったものと思ったほうがいいだろうな。探すなら、どこかにあった国のあしあとを探すってことになる。そんなもの見つけたって――いや、それにしても、なんだってそいつにそこまで肩入れするんだ?」

 カミュが水を向けると、ベロニカとセーニャは視線をかわし、だまってうなずいた。

「言葉にしづらいのだけれど……伝わってきたのよ、指輪の心が」

「さっき泣いてたのはそれか?」

「ええ。うまく言えないけれど、どうしてかあたしもおなじ気持ちを……いえ、なんとかしてあげたい、してあげなきゃって思ったの。セーニャもそうでしょ?」

 ふたりがセーニャをうかがうと、セーニャは小さく首を縦にふった。

 しばらく沈黙が流れ、やがて、カミュが口を開いた。

「クレイモランの古代図書館、覚えてるよな?あれだけの本の山だ、ほんとうにあった国なら、記録が残ってないってことはないだろ」

「そうよ、そうだわ」

 ベロニカはぱちんと両手を叩いた。

「エッケハルトさん、だったかしら。図書館を管理していた、あのひとなら、なにか手がかりをみつけられるかも」

「ああ、頼ってみるとしよう。オレは明日クレイモランに戻るから、何かわかったら――」

「あたしたちも行くわ」

 カミュの話をさえぎり、ベロニカがそう言うと、カミュはえっ、と声をあげた。

「なによ。手がかりはちょっとでも多いほうがいいでしょ?あんたひとりじゃ、指輪の話は聞けないんだから」

「そうですわ、カミュさま。私たちもいっしょに探したほうがよろしいですわ」

 ふたりの言葉を聞いて、カミュは頭を抱え、おおげさにため息をついた。

「はいはい、わかったよ。オレが何を言ったって、お前らどうせついてくるんだろ?」

「ふふ、よくわかってるじゃない」

「ありがとうございます、カミュさま」

 カミュは頭をかきながら苦笑いした。

「ま、元はと言えばオレが持ってきたもんだしな。しかしなあ、オレがニブいだけなのか?お前ら、どうしてそこまでするんだよ?」

「自分でもバカみたいだと思うわ。でも……うーん、うまく言えないのよ。ね、セーニャ?」

 セーニャがだまってうなずくと、カミュはいぶかしげな顔をした。

「不思議なもんだな。じゃ、明日の夜明けに発つから、準備をしておいてくれよ。オレは宿にもどる。この指輪はオレが預かっておこう、オレにとってはただの古びた指輪だからな」

 そういって立ち上がり、部屋を出ようとするカミュの後ろ姿に、ベロニカがカミュ、ありがとうと声をかけると、カミュは片手をふってドアをぱたんと閉じた。

 

 

 

「お、懐かしい格好だな」

 空が赤くなり、かがり火の消えかけた里の広場で、山の向こうから半分だけ顔をだした朝日に、赤いずきんと緑のドレスが照らされていた。

「外の世界では、里の衣装は目立っちゃうからね」

 ベロニカは、上着のスソを両手でつまみ、くるっと回ってみせた。

「これを着て皆さんと旅をしていたことが、ずいぶん昔のことのように思えますわ」

「ああ、いくらも経っていないのに、夢の中のことだったように思えるよ。身支度はできたみたいだが、ご両親にはちゃんと話したのか?」

「クレイモランまで行ってくるって、ちゃんと話してあるわ。アンタがいっしょなら大丈夫だろうって、おつかいまで頼まれたわよ」

 はは、と笑いながら、カミュは毛皮のコートのえりを直し、荷袋を担いだ。

「そいつはどうも。ま、あの旅に比べりゃ、何があろうとちょっとしたおつかいみたいなもんだよな。そんじゃ、行くとしよう」

 カミュがそう言うとふたりはうなずき、早朝の張りつめた寒さのなか、ゆっくりと歩きはじめた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

「ああ、お腹がすいたわ。もう一歩もあるけない」

 クレイモランの城門をくぐったとたん、ベロニカはそういってたき火のそばにすわりこんだ。

「ごめんなさい、お姉さま。私が食事をたくさん分けていただいたからですわ」

「バカねセーニャ、大きい人がたくさん食べるのはあたりまえでしょ。急な出発だったから、持ちだせる食べものが残りもののおイモのおだんごとパンしかなかったのよね。カミュが多めに用意してくれていて、助かったわ」

 落ちかけた太陽のまなざしは、城壁にかこまれたクレイモランの城下町にはすでにとどかないが、石づくりの家々にはめこまれたステンドグラスからもれだす色とりどりの光と、日暮れでもせわしなく行きかう人々のおかげで、町は明かりがなくとも歩けるあかるさを保っていた。

「おつかれさん。まるまる二日、歩きどおしだったもんな。ギリギリだったが、陽のあるうちにたどり着けてよかったぜ。調べものはあしたにするとして、まずは宿をとらないとな」

「そうですわね。さあ、お姉さま、あたたかいところまで行ってから休みましょう。冷えてしまうとお体にさわりますわ」

 セーニャがベロニカの手をとって立ちあがらせると、ベロニカはうめき声をあげながらよたよたと歩きはじめた。

 

 

 

 古代図書館が発見され、学術の都として興ったクレイモランは、陽のあるうちは雪国らしい厳かさと静けさにつつまれているが、夜になると貿易港としてまったく違う顔をみせる。

 船の積み荷の揚げおろしはたいへんな力と人手がいる作業であり、港にはなりわいを求めて多くの男たちが集まるものだ。

 そんな仕事をになう屈強な男たちが、一日を終えてねぐらにもどり、疲れた心と体を癒すためにもとめるものは酒と女と相場がきまっており、夜の町は彼らの期待にこたえるため、相応のいかがわしさをみせるのだ。

 そんな町で、女子供がおちつける場所をさがすのは、すこしばかり骨の折れることだった。

 三人は酔っぱらいになんども絡まれながらにぎやかな大通りをぬけ、城壁につきあたるせまい路地に入ると、窓のあかりをたよりに奥へと進んだ。

「ああ、この看板だ。安宿だが、船乗り連中じゃなくスジのいい客を選んでやってるんだ」

 カミュがふたりにそう言ってドアをこぶしでドンドンと叩くと、やがてドアが開けられ、中から顔を出した恰幅のいい女は三人をじろじろとたしかめた。

「旅のご夫婦かい?あいにくだけど、ベッドがひとつしか空いてなくってね」

「いや、夫婦じゃないし、オレは泊まらない。こいつらが休める場所を探してるんだ」

 カミュがベロニカとセーニャにベッドはひとつでもいいよな、とたずねると、ふたりはだまってうなずき、様子を見ていた女将は不思議そうな顔をした。

「なんだい、なにかワケありかい?まあ、そっちの二人だけならかまわないよ。食事は?」

「たのむ。オレにも飯だけ食わせてもらっていいかい」

 女将はだまって三人を中へと招きいれ、暖炉のそばのイスのふたつあるテーブルへ案内し、いちど奥へと消えると、がたがたと音を鳴らしながら木製のイスをテーブルのそばへと運び、クッションをふたつイスの上に重ねた。

 

 

「あたしたちね、魚とか貝とか、里を出てからはじめて食べたのよ」

 ベロニカは口とスープのあいだでスプーンをせっせと往復させながら言った。

「さいしょはね、なんだこれと思ったわ、生臭くって。だけど、今では好きな味になったわ」

「私も世界にはこんなにおいしいものがあるのだと知って、感動しましたわ」

「そうかい。オレにとっては、またこれかって味なんだが」

 油をはった小皿の灯りでかろうじて見えるテーブルの上には、じゃがいも、タマネギ、にんじんに貝を加え、ミルクで煮込まれたとろりとしたスープが木でできた皿から湯気をたちのぼらせており、その脇にはすっかり固くなってしまったパンが何切れか添えられていた。

「そういえばさ、アンタ、いまはこの町で暮らしてるの?マヤちゃんといっしょ?」

「ああ。こいつを食いおわったら帰るよ」

「へえ。旅をしていたころ、アンタこの町にくると複雑な顔をしていたじゃない?マヤちゃんのことがあったからだって、今はわかるんだけど。それだけじゃないような気もしたのよね」

 カミュはまあ、と言いづらそうに答えた。

「正直いって、マヤのことも含めていい思い出は全然ないよ。だが、オレひとりならともかく、アイツといっしょに暮らすとなると、なかなかな。いい思い出はないが、ここはよく知ってる町なんだ」

「妹さまのこと、たいせつにされているのですね」

 セーニャが尊敬をこめた口調でそう言うと、カミュは苦笑した。

「そんな大それたもんじゃないよ。うまく言えねえが……お前たちだってそうだろ?一人でほったらかすわけにもいかねえというか、ま、そんなとこだよ。こんなんでも兄貴だからな」

 すこし照れてみせるカミュに、わかるわ、カミュ、とベロニカがセーニャのほうを見ていじわるっぽく言った。

「マヤちゃん、アンタがついていないと、ひとりで突っ走っていっちゃいそうなとこがあるもんね。あの性格、セーニャに半分わけてやってほしいわ」

「はは。セーニャからも半分もらったら、お互いちょうどいいかもしれねえな。おっと、セーニャ、気にすんなよ、オレたちお前を褒めてんだ」

 ふたりの話を聞いて困惑するセーニャに、カミュは笑いかけた。

「そんじゃ、オレは帰るよ。明日、陽がのぼりきる前に迎えにくる。ゆっくり休んでくれ」

「おやすみ、カミュ。また明日ね」

「ゆっくりお休みください、カミュさま」

 カミュは女将からランプを借りると、ドアの前で片手をあげてふたりにあいさつをし、夜の町へと消えていった。

 

 

 

 真冬のようなうすい青空の下で、広場のおおきな宝玉は太陽に負けんとでもするようにかがやきを放ち、それを抱くようにそびえるクレイモラン城は、多くのステンドグラスでかざられ、城そのものが芸術作品であるかのようだった。

「エッケハルトさん、だったな。頼むぜ、セーニャ」

「だいじょうぶ。いつもと同じように話せばいいのよ」

 ふたりがそう言うと、セーニャは不安げな顔をみせた。

 世界全土をおびやかすような脅威は去ったが、いかに平穏な時代でも、城や王宮はだれもがおいそれと立ち入れる場所ではない。

 クレイモラン城ももちろん例外ではなく、衛兵たちがしっかりと城門を固めていた。

「しかし、ほんとうに思い出すほどに夢みたいな話だよな。相棒もふくめてよ、いっしょに旅をしていたあの八人のなかで、オレたち三人とシルビアさんのほかは、きっと顔を見せるだけで堂々とあんな城にも入って行けるんだぜ」

 カミュは自嘲するように笑ってみせた。

「シルビアさんも入れるんじゃないかしら、外の世界では有名なんでしょ?まあ、いまはそんなことを言っても、しかたがないわね」

「だけど、どうして私なのですか?私はお姉さまやカミュさまのように、頭のまわりがよくないですわ。うまくお話できますかどうか」

 セーニャがたずねると、カミュとセーニャはおたがいの顔を見合わせ、セーニャにおどけてみせた。

「すっかり見慣れちまっててわかんねえか?オレはこのとおり、ハタからみりゃ小汚いカッコをした、何をやってるのかわかんねえ怪しい男だしよ」

「あたしは見てのとおり、チビのくせに生意気な口をきくお子様だわよ。セーニャ、あんたが一番“フツー”にみえるの」

「そういうことだ。くわえて言うなら、お前に話しかけられて悪い気のする男はいないだろうと思うぜ」

 はあ、とセーニャは納得いかないようすで生返事をした。

「わかりましたわ、エッケハルトさまにお会いできないか、お願いすればよろしいのですわね」

 カミュとベロニカが衛兵から見えないよう、外壁のかげにこそこそと隠れると、セーニャは衛兵たちから見えるよう、正面扉のまえへと歩きだした。

 

「あ、あの。ごきげんよう」

 セーニャが衛兵たちに向かって深くおじぎをすると、向かって左がわの衛兵が槍をかまえて警戒をみせ、右がわの衛兵はそこで止まれ、と大きな声でさけび、鎧を鳴らしながらゆっくりとセーニャに歩みよった。

「ふむ、見ない顔だな。ご婦人、われらが城に何用か」

「は、はい。エッケハルトさまにお会いいたしたく、こうしてまいりました」

 ふむ、と衛兵は左手でひげをなでた。

「たしかご息女はおられなかったように思うが。ご婦人は学問の徒かね?」

 いえ、とセーニャはなんとか声をしぼりだした。

「ですが、おうかがいしたいことがありまして」

「エッケハルト様はなにかとお忙しい身だ、訪ねてくるものも多い。ご婦人、面識はあるのかね」

「はい、たいへんお世話になりましたわ。魔女さま……いえ、リーズレットさまが凍てつかせたこの町を救う手立てをさがして、いっしょに旅を」

 衛兵がとつぜん、おお、と叫ぶと、セーニャはびくっと身をすくめた。

「もしや、勇者どののお連れの方か?」

 ひげを生やした衛兵が、槍をかまえているもうひとりの若い衛兵におおきな身ぶりで手招きをすると、若い衛兵は小走りにセーニャに駆けより、顔をのぞきこむと、興奮したようすで口をひらいた。

「ああ、間違いないです。セーニャさまですよね、自分、覚えております」

「おお、そうであったか。これは失礼いたした。自分は勇者どのとそのご一行を目にしたことがなかったものでな。無礼をお許しくだされ」

 いいえ、そんな、とセーニャが緊張した笑顔で返事をすると、衛兵たちはせきを切ったようにはなしはじめた。

「こいつはあなた方にすっかり熱をあげておりましてな、城のもの皆にあなた方の話を聞いて回っておるのですわ」

「いやあ、またお会いできるなんて、自分光栄っす。勇者さまは故郷にもどられたんすよね?セーニャさまはいま何を?」

「ふむ、しかし思っていたよりお若いですな。救国の英雄と聞きおよんで、もっと威厳のある方かと思っておりましたぞ。うちにも同じくらいの歳の頃の娘がおりましてな、そのような物腰、身につけさせたいものですな」

 

「なんか……おかしなことになってないか」

 ようすをうかがっていたカミュが、小声でぼそぼそとつぶやいた。

「歓迎はされているみたいだけど……押しが弱いのよね、あの子」

「どうする?助けにいってやるか?」

「うーん。あ、こっちを見たわ。手をふってる」

 ふたりが城壁のかげから身を出し、軽くおじぎをすると、衛兵たちはにこやかに敬礼をした。

「お連れの方がいらっしゃったとは。ええと?」

「カミュさまと、ベロニカさまっす。そうですよね?」

「ふむ。ようこそおいでくださった」

「どうも。なあ、悪いんだけどさ、オレたち、エッケハルトさんに用事があって来たんだ」

「おお、そうであったな。すぐに取り次ぎますゆえ、中に入ってお待ちくだされ」

 城に招きいれるために衛兵たちが背を向けると、セーニャは胸をなでおろして深くためいきをつき、カミュとベロニカはねぎらいをこめてその背中を軽くたたいた。

 

 

 若い衛兵は三人を城の一部屋へと案内し、すこし待つように言って、持ち場へともどっていった。

 おそらく城の学者たちのものであろうその部屋は、どの机も古めかしい本や紙の束で散らかっており、壁一面の本棚からは本があふれ出し、床に積みあがっていた。

 部屋の広さに反して中にはだれもおらず、三人は部屋のすみからカミュが見つけ出してきたスツールにそれぞれ腰かけた。

「知らない間に、あたしたちけっこう有名になっていたのね。握手までたのまれちゃったわよ」

 ベロニカは、片手で鼻をこすりながら、得意げに言った。

「まあ、悪い気はしないが、自分が知らない相手が自分を知ってるってのは、おかしな感じだな」

「ほんとうですわね。どうお話すればよろしいのか、わかりませんでしたわ。名前が知られることは、よい事ばかりではないのかもしれませんね」

 三人がすっかりたいくつし、本棚をぼんやりとながめ始めたころ、ノックの音が聞こえ、すぐにドアが開いた。

「ようこそクレイモランへ。さて、私になんの用だね?」

 エッケハルトが単刀直入に切り出すと、三人は軽く頭をさげてあいさつをした。

「こんにちは、エッケハルトさん。お忙しいところ、ごめんなさいね。あたしたち、どうしても知りたいことがあって」

「ええ。ニザーナとハスダールって国を探してるんです。でも、オレたち、世界をくまなく旅したつもりだったんですけど、聞き覚えがないんですよ」

 エッケハルトはふむ、としばらく目を伏せると、やがてかぶりをふった。

「いや、私も覚えがない。事情を聞いてもよいかね」

 三人が指輪のことを話すと、エッケハルトは興味深い、とつぶやいた。

「実はな、この国の学者たちが長年取り組んできたことがあるのだ。先代、先々代のクレイモラン王の時代から、いや、もっと以前からかもしれん。これは、その成果を試す絶好の機会。君たちは運がよいぞ」

「それは、どういうことですの?」

 セーニャがたずねると、エッケハルトは嬉々としたようすで語りはじめた。

「古代図書館の目録の編纂。君たちも見たであろう?あの図書館は、年代、文字、内容、そのすべてを無視して書物を並べてあるのだよ。手に入れたい知識があっても、まずはその本にたどり着くまでに想像を絶するような苦労が必要だった。だが、私たちは長い時間をかけて、その目録を制作してきた。一冊づつ丁寧に読み解き、分類し、記録し」

 熱弁するエッケハルトに、つまり、とベロニカがわりこんだ。

「今はわからなくても、調べられるということかしら?」

「その通り」

 エッケハルトは満足げにうなずいた。

「だが、国名だけではなく、もう少し手がかりが欲しいな。例えば地理、時代。手がかりが多いほど、特定も早くなる」

 カミュはふところから指輪を取り出すと、カミュとセーニャにめくばせをした。

「指輪さんから、もう少し手がかりを聞き出してみるとするか。辛いだろうが、頼むぜ」「ごめん、セーニャ。お願いしてもいいかしら」

「ええ。お姉さま、お任せください」

 セーニャはカミュから指輪をうけとり、ゆっくりと右手にはめると、すぐに力を失ったようにうなだれ、やがて顔をあげた。

「……この者……も……お前たちの……仲間か……」

「ああ、偉い学者さんなんだぜ。お前と話したいって」

「ふむ。私は君をなんと呼べばよいかね」

 エッケハルトはセーニャを見つめながらあごをなでた。

「……我ら……名を……持たぬ……」

「そうか。君たちの暮らした世界のことを、なにか覚えているかね。例えば、ニザーナ、ハスダール、その二つのほかに国を知っているかね」

 セーニャは表情を失ったまま両目を閉じ、やがて答えた。

「……わからぬ……我らの記憶……薄れている……」

「君たちの故国の景色はどうかね。森林、雪原、山岳、どんな場所だったか」

「……黄金色の……大河……我らに豊穣を……もたらす……神の恩寵……なり……」

 ほう、とつぶやき、エッケハルトは片めがねをあげた。

「なるほど。貴重な手がかりだ。君たちの無念が晴れ、安らかに眠れる日を祈ろう」

「……汝らの……仁心……助力……感謝する……」

 感謝の言葉を伝えおえると、セーニャはそっと両目を閉じ、指輪をはずした。

 セーニャはふたたびうなだれると、すぐに力を取り戻した。

「だいじょうぶ、セーニャ?」

「ええ、お姉さま。でも、少しそっとしておいてください」

「うん。何も言わなくていいわ、ついててあげる」

 ふたりの様子を見て、エッケハルトはほお、と感心したようすだった。

「敵意を持たぬ呪いか。そういうものもあるのだな。いまだ叶わぬ永遠の命の代わり、後世のものに願いを託したのだな」

「それで、エッケハルトさん、なにかわかったんです?」

「うむ。君は荒野に流れる川を見たことがあるかね」

 カミュはひとしきり考えこみ、首をふった。

「荒野に流れる川は、多くの土砂を含むため、泥水のような色をしている。黄金色とはおそらく、それを讃える表現だろうな。サマディー王国に広がる砂漠には、かつて大河があったそうだ。今では枯れ果ててしまったがな」

「砂漠か……なんだか、だいぶ絞りこめましたね」

「しかし、あの広大な砂漠から国の痕跡を探り当てるには、さらに絞り込む必要があるだろう。つまり、我々の出番と言うことだ」

 エッケハルトは、そういって自信たっぷりに笑ってみせた。

「とはいえ、それなりに時間をもらうぞ。君たちは君たちで、別の探し方をしてみてはどうだ」

「うーん、オレたちに出来ることがあればやりたいんですけど。なにか、心当たりなどはありますか」

「うむ。たとえば、君たちに同行していたロウ様は、相当に歴史に明るいようだったぞ。それに、君はその指輪をどこで手に入れたのかね?」

「ああ、こいつはデルカダールのスラムで、がらくた売りから手に入れたんです」

「故買はあまり感心しないが、その者に入手経路を問いただしてみても良いだろうな。ところで、なにか分かった時、どこに連絡をすればよいのかね?」

 カミュは少し考えこむと、エッケハルトから紙とペンを借り、城下町のかんたんな地図を描き、さいごに印を書きいれた。

「オレの妹、城下町に住んでるんです。マヤって言うんですが、こいつに連絡をもらえれば、オレたちにも伝わるはずです。印のあたりの界隈で、オレかマヤの名前を出してもらえれば、すぐに見つかると思います」

「うむ、了解した。では私はこれで……いや、そちらのお嬢さん方は平気かね。城の者を呼んできても良いが」

 エッケハルトがセーニャに声をかけると、セーニャは弱々しく笑顔をつくった。

「ええ、ありがとうございます、エッケハルトさま。でも、もう少しここで休ませていただいても、よろしいでしょうか」

「構わんよ、今日はおそらくこの部屋に立ち入る者はいないだろう。では、君たちも何か手がかりをつかんだら、連絡をくれたまえ」

 三人がお礼を告げる間もなく、エッケハルトは部屋に入ってきたときと同じように、すみやかに立ち去った。

 

「衛兵さんが言ってたけれど、ほんとうに忙しい人なのね。でも、おかげでなんとかなりそうな感じがしてきたわね」

「ああ、いつか改めてお礼を言わないとだな。しかしセーニャ、ほんとうに大丈夫なのか?」

「そうよセーニャ、ヘンな意地をはらなくてもいいのよ。あたし、人を呼んでくるわね」 セーニャが駆けだそうとするベロニカの服の襟をあわててつかむと、ベロニカはぐえっという声をもらし、せき込んだ。

「なにすんのよ!頭がとれちゃったかと思ったわ!」

「ごめんなさい、お姉さま。今からセーニャは、ほんとうのことをお話しますわ。実は」

「実は?」

「先ほどの衛兵さまたちとのやりとりで、すごく疲れてしまって。お城の方を呼んだら、きっとあの方たちと、それ以外のみなさまも……」

 カミュとベロニカは顔を見あわせると、口をそろえてセーニャはよくがんばった、とねぎらいの言葉をかけ、ぽんぽんと背中を叩いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

「階段がちょっと急なんだ、足元に気をつけてくれよ」

「ええ、先に行ってちょうだい」

 入り組んだ路地の奥、ふたつの家のあいだの狭い通路に面した裏口のドアを開けると、肩をすくめないと両ひじが壁にふれてしまいそうな狭い階段が、明かり取りのためのいくつかの小窓にぼんやりと照らされていた。

 カミュが扉をあけると、天井が斜めにかたむいた屋根裏部屋のなかで、机に向かってなにかを磨いていた少女は手を止め、ふり返ってカミュをたしかめるとにっこりと笑った。

「おかえり兄貴、はやかったじゃん。城には入れてもらえたのか?」

「ああ、なんとかなったよ。わりぃな、狭い部屋だが、入ってくれ」

 カミュにうながされると、ベロニカはカミュの背後からひょこっと顔をだし、あいさつした。

「マヤちゃん、おひさしぶり。あたしのこと、覚えてるかしら」

「ん、おれに子供の知りあいなんか、いたっけ?あ、でもその赤ずきん、なんとなく覚えてる。兄貴がおれを助けに来てくれたとき、いっしょにいたか?」

「ああ、そうだ。こっちのちいさいのがベロニカ、こっちのおとなしそうなのがセーニャだ」

 セーニャがこんにちは、と言いながらおじぎをすると、マヤはすこし困ったようすだった。

「えー、兄貴、双子といっしょだって言ってたじゃん。このふたりはなんなの?」

 マヤの言葉を聞いて、三人は笑った。

「まあ、見えないわよね。あたしとセーニャは双子なのよ。いろいろあってさ、あたしだけ若返っちゃったの」

「へー。じゃあホントはおれより年上なのか。若返ったなら年下か?」

「難しいな……黄金になってた五年間をいれると、お前のほうがちょっと年上になるのか?」

「やだ、入れたくない。それならおれが年下でいーよ」

 そう言って、マヤはにししっと笑った。

 

 

「そんなわけでね、お兄ちゃんをもう少し、借りてもいいかしら」

「マヤさまも、お兄さまといっしょにいたいでしょうけれど、お願いしますわ」

 ふたつ並んだベッドに半分を占領された屋根裏部屋で、カミュは据えつけのストーブに薪を放り入れると、ベロニカとセーニャの話をきいていたマヤのそばに座りこんだ。

「事情はだいたいわかったよ。その指輪、おれにも見せて」

 カミュがふところから指輪を取り出してマヤに渡すと、マヤは指輪を窓にかざした。

「ふーん、かなり古いものだな。しっかし兄貴、呪いのアイテムに縁があるね」

「言わないでくれ」

 マヤは右手に指輪をはめたが、なにも変化は起こらなかった。

「マヤちゃんもはめてもなにも起こらないのね。どうしてあたしたちだけ、指輪にやどっているものを呼び出せるのかしら」

「ああ、不思議だな。おれたち兄妹は魔力がないからか?」

「違いがあるとすれば、そのくらいしか思い浮かびませんわね。もしそうなら、ロウさまにはめていただいたら、私たちと同じことが起こるのでしょうか」

 マヤはつまらなさそうにカミュに指輪を返すと、頭の後ろで腕組みをした。

「事情はだいたいわかったよ。そんで、兄貴はどうすんの?」

「まずはデルカダールまで行ってこようかと思う。指輪を売ってたヤツを当たるついでに、ロウ様の行方もわかるだろうしな。マヤ、お前はどうする?」

「どうするって?」

 ん、とカミュは意外そうな顔をした。

「いいのか?オレはてっきりついてくると言いだすかと思ってたんだが」

「うん、おれは行かない。デクさんから任された商売がおもしろくってさ。見てよ、もうほとんど残ってないんだぜ。おれ、こっちの才能があるのかも」

 そういって、マヤはアクセサリーがいくつか入った箱をかたむけて見せた。

「お宝さがしの旅もいいけど、いつか店をかまえるのもいいかもね。兄貴が仕入れ担当ってことでさ。どっちにしても、もうちょっとお金をためて、こんな屋根裏暮らしとはおさらばしたいね」

 カミュはマヤから箱をうけとって中身をたしかめると、感心したようすを見せた。

「マヤ、お前すごいな。デクのやつ、こんなに山のように押し付けやがってと思ったんだが。どうやってさばいたんだ?」

「にしし。コツがあるんだよ。旅の貴族とか、酔っぱらいに、あとは女を連れた男なんかだな。金を持ってるヤツと、財布のヒモがゆるくなってるヤツを狙うと、よく売れるんだ」

 うれしそうに語るマヤを見て、カミュは腕を左右にひろげて手のひらを上に向け、苦笑いした。

「たいしたもんだが、あんまり危ない橋は渡ってくれるなよ。じゃあ、オレも旅先から手紙を出すから、城からなにか連絡があったら、頼んだぜ」

「うん、兄貴も気をつけてね。ところでさ、そっちのでっかいお姉ちゃん、貴族か王族だろ?兄貴、いつ結婚すんの?」

 マヤがそう言うと、ベロニカはええ~と大声を出し、セーニャはあっけにとられた顔をした。

「しねえよ!何言いだすんだ!」

 カミュがあわてて叫ぶと、マヤはいたずらっぽく笑った。

「なーんだ。1ゴールドにもならないのに手伝ってるからさ、そういう話かと思ったよ。兄貴が貴族になったら、おれも城に入れるかと思ったのに」

 カミュはおおげさな身ぶりをして片手で顔を覆い、ため息をついた。

「残念だったな、この人たちは貴族でも王族でもないんだ。まあ、いっしょにあんな旅をした仲間が困ってるのに、知らん顔はできないだろ」

「ホントにそれだけ?実はちっちゃいほうのお姉ちゃんとか?まあ、兄貴らしいや。そういうことにしといてやるよ」

 マヤが歯をみせながらにしし、と笑うと、カミュはベロニカとセーニャにやれやれという顔をして見せたが、ふたりはどうしたらよいのかわからない様子だった。

 

 

 翌日、朝の陽射しがふりそそぐ港には数隻の船が停泊しており、男たちがあれこれ怒声を飛ばしながら、忙しくタルや木箱を積み込んでいた。

 桟橋では乗船するものと見送るものたちが、おいおいに言葉や抱擁を交わし、別れを惜しんでいた。

 人々の喧騒と潮の音のなか、三人は見送りにきたマヤにしばしの別れを告げていた。

「マヤちゃんごめん、だれに頼んだらいいのかわかんなくて、ここまで持ってきちゃった。これ、両親への手紙なんだけど、あたしの代わりにラムダの里へ送っておいてもらえる?」

「おう、任せといて。おれ、読み書きがあんまりできないんだよね。いつか教えてくれよ」

「ええ、かならず。次に会うときは、もうちょっとゆっくりお話しできるといいわね」

 ベロニカからあずかった手紙をふところにしまいこむマヤを見て、カミュはなにかを思い出したようだった。

「ああ、そうだよ、お前たち両親にクレイモランまで行ってくるって話してたよな?予定より長い旅になりそうだけど、いいのか」

 ベロニカはセーニャに目くばせすると、カミュにだいじょうぶよ、と答えた。

「こうして手紙も書いたし、なによりアンタが一緒だって知ってるからね。いまさら引き返せなんて、言わないでちょうだい」

「ええ。私たち、ふたりでイシの村まで旅したこともありますわ。危険がないことは、両親もわかってくださっているはずです」

 ふたりの話を聞いて、マヤはいじわるそうににっこりと笑った。

「なんだよ兄貴、お姉ちゃんたちのご両親ともう顔見知りか。すっかり認められてんじゃねーか、妬けるね」

 カミュは髪をかきむしり、両手でマヤの頬をつねった。

「だから、その話はもうやめろって。ふたりとも困ってるだろ?そんじゃ行ってくるから、あんまり無茶するんじゃないぞ」

「痛いよ、くそ兄貴。無事に帰ってこいよな」

 マヤはカミュと軽く抱き合うと、同じようにベロニカとセーニャとも抱擁を交わした。

「お姉ちゃんたち、兄貴のことを頼むぜ。じゃあ、また会おうね」

 三人が水夫に手を取られながらタラップを登って三本マストの船に乗り込み、甲板からマヤに手をふると、マヤは手をふり返し、寂しげに背を向けた。

 

 

 クレイモランを出港した船は順調に航海をつづけ、甲板で潮風をうけて旅の気分を楽しんでいた乗客たちも、陽が昇りきるころにはすっかり飽きて、船倉へとおりていった。

 三人がのりこんだ商船には客室はついておらず、乗客たちは荷物をつめこまれた船倉の入り口そばの、木箱とタルが人間のためにゆずってくれたスぺースで、おいおいにおしゃべりやカードに興じたり、荷物をまくらに雑魚寝をして時をすごすのであった。

 

 日没からどのくらい経ったのか、波と風にゆられて船体のきしむ音だけがぎいぎいと響く船倉でカミュは目をさまし、天井からつるされたランプの頼りない灯りのなか、ほかの乗客を踏んでしまわないようにそろりそろりと歩き、きしむ階段をのぼった。

 船は三方を山にかこまれた入り江に停泊しており、まだ冷たい潮風のむこう、赤みがさしはじめた東の空は、山々のあいだをぬって走る運河のシルエットを浮かび上がらせていた。

 カミュはあたりを見まわすと、セーニャが甲板の手すりにつかまって海をながめていることに気がつき、揺れる足元に気をつけながら、となりまで歩いて行った。

「どうしたセーニャ、眠れなかったのか?」

「おはようございます、カミュさま。なんだか目が覚めてしまって、風に当たりにきました」

 セーニャはちらりとカミュの顔をたしかめると、うつろな表情でまた遠くの空をぼんやりと見つめた。

「そうか。まあ、もう船はここまで来てるんだ、今夜はソルティコの町で眠れるだろ」

 セーニャが遠くをみたまま軽くうなずくと、ふたりの間に長い沈黙がながれ、やがてセーニャはカミュのほうを向きなおり、しずかに口を開いた。

「カミュさま、指輪をすこしお貸しいただけますか」

 カミュがああ、と返事をして指輪をセーニャの手ににぎらせると、セーニャはその場にかがみこみ、そっと指輪をはめた。

「おい、急にどうしたんだよ?」

 カミュはあわててセーニャの肩を抱こうとしたが、セーニャはすぐに立ち上がり、カミュと目を合わせたあと、ゆっくりとあたりを見わたした。

「……立派な……船だ……それに……海は……いつの世も……変わらぬのだな……」

 心配そうに見つめるカミュを横に、セーニャは黙って海を見つめていた。

「……ふむ……この者の身に……なにか……起こったのか……」

「いや、そんなことはねえけど。いまんとこ、順調に旅をしてるよ」

「……そうか……深くは解らぬ……が……この者の……迷いが……伝わってくる……」

 カミュは首をかしげ、あごに手を当てて、迷い?と聞きかえした。

「……この者は……何も語りたく……ないようだ……」

 ふたりはすっかり黙りこくり、長いあいだ海にむかって立ちつくしていた。

 波の音に混じって水夫の足音が聞こえると、セーニャはふたたびかがみ込んで指輪をはずし、ゆっくりと立ちあがって指輪をふところに入れると、黙ったままなにかを訴えるようにカミュの目をみたが、すぐに背を向けて船倉へと降りていった。

 

 

 太陽がてっぺんをすぎてほどなく、船はソルティコ海岸に停泊し、乗客と荷の一部を小舟で砂浜へ降ろすと、ダーハルーネへ向けて旅立っていった。

 三人は船をおりると広大な花畑のなかを小半時ほど歩き、入り江にかかる巨大な石橋をわたって、半島の先端につくられたソルティコの町へとつづく門をくぐった。

「もうついちゃった。眠っているあいだに運んでくれるんだから、船旅は楽でいいわね」

「お前みたいにいくらでも眠れるやつは、そうはいないよ。寝る子は育つってやつか?」

 ベロニカは荷物をおろし、階段に腰かけると、カミュをからかった。

「もう子供あつかいされるのも、すっかり慣れちゃったわよ。船のあの揺れかたって、なんだか眠たくなるのよね。セーニャはちゃんと眠れた?」

「はい、お姉さま。ですが、私、お腹がすきましたわ。船での食事は、ビスケットや干した果物、乾いたものばかりでしたから」

「あはは、セーニャがそんなこと言うの、珍しいわね。でも、そうね、あたしもお腹がすいたわ。カミュ、アンタは……ん、どうしたの?」

 心配そうにセーニャを見つめていたカミュは、はっと我にかえった。

「いや、なんでもないんだ。そうだな、なんか腹にいれるとするか。しかしオレ、この町はちょっと苦手なんだよな。場違いというか、居場所がないというか」

「私は好きですわ。私たちは寒いところで育ったので、お話に聞く楽園とはこのような暖かでうつくしい場所なのではないかと、はじめて足をふみ入れたときに思いました」

 ソルティコの町は、入り口から砂浜にむけた斜面に整然とつくられており、町のどこからでも海が一望できる風光明媚な場所だ。

 あたたかい気候にも恵まれ、世界中からかたとき日常をわすれ、羽根を伸ばしにおとずれた観光客や長者たちでにぎわっており、あまり生活のにおいが感じられない。

 建ち並ぶ家々は一様に純白の塗装がほどこされており、あちこちに咲きほこる花々との抑揚が、陽の光をよりまぶしく感じさせた。

 三人はうつくしく整備された石畳と階段をすすみ、砂浜へとたどりついた。

「あったわ、あれあれ。あのわらの家で、海を見ながらのんびりしてみたかったのよ」

「へえ、ここって酒場だったんだな。まだ陽も高いし、宿をさがすのはあとにするか」

 ベロニカが荷物をおろし、布張りのイスに飛び乗ると、カミュはガラスでできたカップをテーブルにみっつ置き、となりに腰をおろした。

「あら、お水かと思ったら、あまずっぱい。なにこれ?」

「レモネードだってさ。世の中には、まだ知らないものがいっぱいあるな。うまいか?」

「うん、いいわね。これ、たぶんセーニャの好きな味だとおもうわ。あら、セーニャ、どうしたの?」

 セーニャはテーブルのそばに立ったまま、テラスで砂浜を向いて座っている客のひとりをみつめていた。

「お姉さま、あの方に見覚えはありませんか?ほら、あの黒髪の女性」

「あのすっごく髪の長い女の人?青いパンツの?うーん、わからないわね」

 ベロニカが言うが早いかカミュは駆けだし、テラスの女性に声をかけた。

「マルティナさん?ですよね?」

 女性はカミュの顔をたしかめると、ゆっくりと立ちあがり、ほほえんだ。

「あら、カミュくん。久しぶりじゃない」

 

 マルティナが腰まである長い髪をイスに挟まないようにかきあげながら三人とおなじテーブルにつくと、ベロニカはにっこり笑いながらあいさつをした。

「マルティナさん、こんにちは。髪を下ろしているから、あたし、わかんなかったです」

「ふふ、お化けみたいでしょ。本当は、うっとおしいから切っちゃいたいんだけどね」

「マルティナさま、お久しぶりですわ。こんなところでお会いできるなんて。こちらへは、遊びにいらしているのですか?」

 マルティナはテーブルのカップに口をつけ、中身を半分ほど飲み干すと、右腕で口をぬぐった。

「ごめんね、飲んじゃった。また頼んで。私はね、ロウ様がジエーゴ様に、あらためて旅の助力のお礼をしたいとおっしゃるから、同行させていただいたの」

「ああ。ジエーゴ様にはいろいろ、お世話になりましたからね」

 カミュが真面目な顔でそう言うと、マルティナは吹き出すように笑いだした。

「ウソだけどね。本当はね、私がおねがいしたの。ソルティコの町で、しばらくのんびりしてみたいって。ロウ様は口実を作ってくださったのよ」

「お気持ち、わかりますわ。私も旅でこちらへ立ち寄ったとき、いつかゆっくり過ごしてみたいと思いましたから」

「でしょ。あなたたちも遊びに来たの?」

「いや、ちょっと事情があって。デルカダールへ向かう旅の途中なんです」

 マルティナは三人からひととおりいきさつを聞きおえると、いいなぁ、とつぶやいた。

「ロウ様との長い長い旅、それにあなたたちとの旅は、もちろん辛いこともあったんだけど、終わってみるとなんだか寂しくてね。自由に旅ができることが、今ではうらやましく思うわ。あ、イヤミじゃないのよ。もちろんあなたたちの今の旅だって、大変なのはわかっているわ」

「ええ、あたしも、旅のことを思い出すと、辛かったこともあったはずなのに、楽しかったことばっかり、思い出しちゃいます」

「本当にね。実はね、マルティナさんなんて呼ばれたの、ひさしぶりだったのよ。みんな姫、姫って、誰も私の名前なんて呼んでくれないの。もちろん、自分の立場はわかっているわ。イヤなわけでもないし。でも、先のことを考えるとね、まだ、しっかり受け入れられているとは、いいがたいわ」

 饒舌に語り続けるマルティナにあいづちをうち、笑顔を見せながら、三人はひそひそと話した。

「なあ……マルティナさん、かなり酔ってるだろ?」

「うん。こんなにおしゃべりな方だなんて、知らなかったわ」

「ふだんは疲れや不満を表にださず、耐えていらっしゃったのですね」

 マルティナがわざとらしくテーブルにカップをがたんと打ちつけると、三人はビクッと向きなおった。

「聞いてる?こんなふうに息抜きに来てもね、お忍びだから、こんな格好しなきゃいけないわけ。見える?この地味な恰好。だれかと仲良くなろうにも、相手のほうから逃げていくわよ。あ、あなたたち、お腹すいてない?なにか頼みましょうか」

「はい……ところで、ロウ様はまだこの町におられるんです?」

 マルティナは給仕に手をふって呼びよせると、メニューの文字を次々と指さした。

「いるわよ、ロウ様。ロウ様に用事?」

「ええ、あたしたち、ちょっとロウ様におたずねしたいことがあって」

 ベロニカの言葉をきいて、マルティナは不機嫌そうにふーん、とうなった。

「私に用はないってわけね。そりゃそうか。ロウ様に比べたら、私なんかお飾りみたいなものだしね」

「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」

 あわてて謝るベロニカを見て、マルティナは大声で笑ってみせた。

「冗談よ、冗談。ごめんね、ちいさな赤ずきんさん。でもね、ロウ様は今日はお忙しいの。明日でもいいんでしょう?今日はゆっくりと、わたくしめの話に付き合ってくださいませんか、お嬢様がた。そちらの精悍な紳士どのも」

 そう言って大げさな身ぶりでかしこまって見せるマルティナに、三人は渋い笑顔ではい、と答えるしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

「あら、アンタも起きてたの?」

「おう」

 すっかり陽の落ちきった海岸で、ベロニカはカミュに声をかけた。

 ソルティコの町は治安がよく、夜でも安全に出歩けるが、要所をかためる衛兵たちと、カジノで遊ぶ観光客たちをのぞけば、人影はまばらだった。

 ベロニカは片手で持ったランプのともしびを揺らしながら、カミュのとなりに腰をおろした。

「マルティナさんが、付き合ってもらったお礼にって、宿をとってくれて助かったわね。それも、すっごくいい宿。ひさしぶりにたっぷりお湯をつかえて、さっぱりしたわ」

「ああ、それで髪を下ろしてんのか。いいな、オレもあとで頼むとしよう。潮風で体中べとべとだよ」

「洗濯もできたら、もっとよかったんだけど。着たきりだから、なかなかね。せっかくきれいにしたのに、潮のにおいがするわ」

 そういってベロニカは服のすそを顔に押しあて、鼻をならした。

「ところで、セーニャを探しにきたんだけど、見かけなかった?」

「いや、見てないな」

「そう。すこし夜風に当たってきますって出ていったんだけど、まだ戻ってこないのよ」

「まあ、この町なら心配はいらないんじゃないか。セーニャだって、ひとりになりたいこともあるんだろ」

「それならいいんだけど。アンタはなにしてるの、かんがえごと?」

 ベロニカが髪をくるくるといじりながらたずねると、カミュは頬杖をついて海を見つめながらぽつりぽつりと答えた。

「なんか不思議だな、と思ってさ。オレ、クレイモランで生まれ育ったから、夜の海が怖かったんだよ」

「こわかった?海が?」

「ああ、なんていうのか。北国の夜の海ってやつは、静かで、冷たくて、オレが死ぬときってのは、あの夜の海みたいな場所に引きずりこまれていくような感覚なのかなって思ってたんだ。でも、ここの海は逆なんだよな。おだやかで、暖かくて、いつか帰る場所は、こういうところなのかもなって」

 ベロニカはランプでぼんやりと照らされるカミュの横顔をみつめながら、ふーん、と言った。

「アンタって、ときどきそういう事を言うわよね。なにかの詩みたいっていうか、なんていうか」

「変か?」

「ううん。あたしには、そういう感覚って、ないからさ。海をみても、海だって思うだけで。ニブいのかしら」

 カミュは、ははっと笑った。

「オレだってニブいぜ。オレさ、みんなで旅をしているあいだ、ずっと引け目を感じてたんだよ。使命だとか、運命だとか、立場だとか、そういうものをみんな背負ってたのに、オレだけ何もなくてよ。正直、ちょっと嫉妬してたんだぜ。お前も含めてな」

 カミュは、月明りにてらされた海を見つめながら淡々とした調子で話をつづけた。

「でもさ、マルティナさんの話を聞いて、思ったんだよ。重たいもんは重たいよなって。オレはなんにも背負っちゃいないが、重たいもんを持ってる人から見たら、オレの身軽さはうらやましく見えるのかな、ってな。まあ、今はオレにも、マヤがいるけどな」

 ベロニカは両手をいじりながら、軽くためいきをついた。

「そうよ。あたしだって、マルティナさんほどじゃないけれど、役目があるわ。この先、ずっと里で暮らすことになるでしょうし、セーニャと離れるわけにもいかないし。もちろん、イヤなわけじゃないけど」

 ベロニカはすこし言いよどむと、軽く首をふって明るい調子をつくった。

「アンタみたいにさ。もちろん、すぐにじゃないかもしれないけど。いつか好きな場所へいって、好きな人と暮らせる、そんな未来があるかもしれないってこと、うらやましく思うわ」

 カミュは黙ったままベロニカとゆっくり目を合わせ、すまん、とつぶやいた。

「変な話をしちまった。悪かったな。マルティナさんから愚痴をたっぷり聞かされたもんで、影響されたかな。さて、セーニャを探しにいくか?」

「あたし一人でだいじょうぶ。お散歩しながら、探すとするわ。船でいっぱい寝ちゃったから、あんまり眠たくないのよね。アンタは宿にもどって、お湯でもつかったら」

「そうか。じゃあ、気をつけてな。何かあったら、部屋に知らせにきてくれ」

 カミュは立ちあがって服についた砂を払い、ベロニカに片手であいさつをして宿へと戻っていった。

 

 

 朝のかたむいた陽射しがさわやかに差しこむ部屋に、トントン、とノックの音がひびいた。

「カミュ。もう起きてる?カミュ?」

「ああ。待ってくれ、いま開ける」

 カミュがドアのわきに下げられている鏡をみて、軽く髪をととえてからドアを開けると、ベロニカが不安げなようすで立っていた。

「どうしたんだ?きのうの夜、セーニャは見つかったんだろ?」

「うん。ちょっと、中に入れてもらっていいかしら」

 ベロニカはささっと部屋のなかに入り、いそいでドアを閉じると、テーブルのそばのイスのひとつをベッドのそばまで押し、飛びのった。

 カミュがベッドに腰をおろすと、ベロニカは小声で話した。

「ねえ。どうしてセーニャに指輪をわたしたの」

「指輪?指輪ならオレが持ってるが」

 カミュはふところをさぐり、指輪がないことに気がついた。

「ああ、そうか。船で、セーニャに貸してほしいって頼まれたんだが、そのままあいつが持ってるのか」

「船で?あたしが寝てるあいだに、なにかあったの?」

「オレにもよくわからないんだが、指輪を渡すなり自分ではめてさ。指輪のヤツが、この者は何もしゃべりたくないようだ、とかなんとか言ってたぞ」

 ベロニカは両手で顔を覆い、大きなため息をついた。

「あの子ね、きのうの夜も、指輪をはめていたみたいなのよ。指輪が、話を聞いてくれるんだって、言ってたけど」

「うーん、そいつはちょっと心配だな。オレたちの前でならともかく、ひとりだと何が起こるかわからんからな」

「うん。あとで、セーニャから返してもらっておいてよ」

 ふたりが話していると、ドアからふたたびノックの音と、セーニャの声が聞こえた。

「カミュさま、お目覚めになられていますか?ロウさまとマルティナさまがおいでくださいました」

 

 

 マルティナがベッドに座るカミュたちと向き合うようにイスを用意し、ロウがよっこいしょ、と腰をおろすと、マルティナはその隣にイスを置いてしずかに腰かけた。

「久しぶりじゃな、三人とも元気そうでなによりだ。昨日は姫がずいぶんと世話になったようじゃな」

 ロウがそう言うと、マルティナはきまりが悪そうに三人に笑ってみせた。

「きのうはごめんね。久しぶりにあなたたちの顔をみたら、なんだかタガが外れてしまって。でも、いろいろ聞いてもらえたおかげで、なんだかすっきりしたわ」

「いいえ、気にしないでください、マルティナさん。あたしたち、マルティナさんの苦労をわかってなかったわね、って、あのあと話していたんです」

「ありがとう、ベロニカさん。やさしいのね」

 ロウはひげをなでながら、目を細めてほほえんだ。

「姫は、わしや城の者たちには話せんことを、いろいろ抱えておったのじゃろう。わしらは良き友を持ったな。さて、用件は姫からおおまかに聞いたぞ。国の名前を、もう一度聞いてもよいかの」

「はい、ニザーナとハスダール、です。エッケハルトさんにも調べてもらってるんですが、おそらく今のサマディー地方、砂漠のどこかにあった国だろう、といってました」

 ふうむ、とうなりながら、ロウはしばらく考え込んだ。

「すまんが、わしも覚えがない。じゃが、君たち、デルカダール城にも書庫があることを知っているかね」

 ああ、とマルティナが笑った。

「あの、ホコリに埋もれた書庫ですね。武を重んじる国ですから、仕方のないことですけれど」

「うむ。わしは今、姫のお目付け役としてデルカダール城で世話になっているのじゃが、書庫をひととおり調べていたらな、わしにも読めん古い文字で書かれた本がかなりあった。おそらく、だれも寄り付かぬゆえ古くから残されたままになっているのじゃろうな。あまり期待は持てんが、調べてみればなにか手がかりが得られるやもしれんぞ」

「ですが、ロウさま。ロウさまに読めない文字は、きっと、あたしたちにも読めないですよ」

 ベロニカがそう言うと、セーニャがふところから指輪をとりだし、手のひらに乗せて皆にみせた。

「お姉さま、指輪さまなら読めるかもしれませんわ。指輪さまが読める文字なら、指輪さまの時代に記された本、ということではありませんか?」

「あっ、そうよね。冴えてるわね、セーニャ」

「ふむ、これが件の指輪か。どのようなものか、わしらにも見せてもらってよいかね?」

 セーニャがうなずき、指輪をはめようとしたところで、カミュがセーニャの手を取って引きとめた。

「すまん、ちょっと待ってくれ、セーニャ。ロウさま、マルティナさん、この指輪、オレがはめても何も起こらなかったんですよ。お二人にも試してもらって、いいですか」

「いいわよ。じゃあ、まずは私からね」

 マルティナはそう言ってセーニャから指輪をうけとり、ゆっくりと右手の人さし指にはめたが、とくに変わったようすはなかった。

「なんとなく、マルティナさんならと思っていたのだけれど。やっぱり、魔力がある人じゃないと、ダメなのかしら?」

「ということは、ロウさまならいけるんじゃないか?」

 マルティナは不思議そうな顔をして、手のひらをくるっとひっくり返した。

「やっぱり、私にはなんの変哲もない指輪にしか見えないわね。次はロウ様に?」

「はい、お願いします」

「わかったわ。それではロウ様、手を出してください。ふふ、せっかくだから左手の薬指にしましょうか」

 マルティナに手を取られ、ロウは顔をだらしなくゆるめた。

「ほほ、これはとんだ役得じゃ。まさか姫から指輪を授かる日が来ようとは。指輪のあとは、誓いのくちづけもちょうだいできるのかね」

 マルティナがだまって指輪をはめると、ロウは座ったまま、力をなくしてがっくりとうなだれた。

 

「おお、そういうことか。魔力がないとダメだったんだな」

「ね、あたしの推理、当たってたでしょ」

 うれしそうに顔を見合わせるカミュとベロニカを横目に、マルティナは慌てたようすだった。

「ロウ様?ちょっとあなたたち、これってどういうこと?ロウ様、大丈夫ですか?」

 マルティナに支えられて、ロウはむくりと顔を起こし、ゆっくりとあたりを見回した。「……なんだ……この者は……何者か……」

「ごめんな、指輪さん。ちょっとした実験なんだよ」

「ごきげんよう、指輪さま。指輪さまには、魔法の力が必要だったのですね」

「……そうだ……指輪に宿した……魔力は……残り少ない……借り受ける必要が……ある……」

 カミュたちが話しかける様子をみて、マルティナは呆れて苦笑いした。

「ああ、びっくりした。呪いってこういうことだったのね。しかしあなたたち、慣れているわね……呪いに慣れているって、どうかと思うわ……」

「えへへ。見てのとおり、体を借りてしゃべるだけで、悪意はないみたいです」

「まあ、どんなものなのかはわかったわ。指輪をはずしたら、元に戻るのね?」

「ええ、そうですわ。指輪さま、体をお返しいただいてもよろしいですか?」

 セーニャがロウにたずねると、ロウは無表情のまま目をとじた。

「……すまぬ……この者と……少し対話が……したい……通じ合う……ところが……ある……」

 ロウの言葉をきいて、カミュたちは怪訝な表情で顔を見合わせたが、やがてカミュが、そうか、とつぶやいた。

「ロウ様、辛い目にあったんだものな」

 そう言ってカミュが目くばせすると、ベロニカとセーニャは何かに思い当たったようすで目を伏せた。

「カミュくん、どういうこと?」

「マルティナさん、すいません。なにも聞かずに、ロウ様についててあげてもらえませんか。オレたち、軽い気持ちで気の毒なことをしてしまったみたいです」

「ロウ様は大丈夫なのね?」

「ええ、保証します」

 マルティナが心配そうにぶつぶつと何かをつぶやくロウの肩を抱く様子を、カミュたちは苦い顔でただ見守っていた。

 長い沈黙がながれ、やがてロウはマルティナにむかって、ありがとう、とつぶやくと、指輪をはずし、がっくりとうなだれた。

「ロウ様?お気をたしかに、ロウ様?」

 マルティナの呼びかけに応えるように体を起こしたロウの顔からは、嗚咽と、とめどない涙があふれていた。

「ロウ様、ごめんなさい、あたしたち」

 ロウはベロニカの言葉をさえぎるように、嗚咽まじりの声をしぼりだした。

「いいんじゃ、君たちは何も悪くない。だが、少しそっとしておいてくれ。姫もすまぬ、このまま抱いていてはくれんか」

 そう言って泣き続けるロウの肩を、マルティナはしっかりと抱き寄せた。

 

 

「亡国の民の無念か……立場は違えど、わしも国を亡くした時の、エレノアとアーウィンを失った時の、あの噴き上げるような気持ちを思い出したわい。わしとて決して無念を忘れたことはないが、感情とは風化するものなのじゃな」

 落ち着きをとりもどしたロウは、しみじみとそう語った。

「ロウ様、マルティナさんも、本当にすみませんでした。思い出したくないこと、でしたよね」

 深々と頭を下げるカミュに、ロウとマルティナはほほえんだ。

「いいんじゃよ。むしろ、思いださせてもらったことを感謝したい。わしらは、無念を新たに世に産まぬため、努力せねばならぬ立場じゃ」

「はい、ロウ様。我ら決して忘れてはなりません」

 カミュに続いて、ベロニカとセーニャもなにか言おうとしたが、ロウは片手をあげて静止し、にっこりと笑った。

「いいんじゃ。何も言わなくてよい。だが、わしからも頼む。その指輪の無念、是非とも晴らしてやってくれ」

 ロウの言葉を聞いて、ふたりはにこやかに、しかし決然とした調子で言った。

「はい、ロウさま。うまく言えないんですけど……あたしも、不思議とその気持ちを知っている気がするんです」

「私もですわ、ロウさま。お姉さまとおなじで、かけがえのないものを失った気持ち、わかる気がするんです」

「うむ、わしらも助力は惜しまん、助けが必要な時は遠慮なく言ってくれ。さあ、この話はこれで終わりにしよう。実はな、君たちに頼みたいことがあるんじゃよ」

 ロウは荷袋の中から手のひらほどの包みを取り出し、カミュに手渡した。

「すまんが、イシの村に立ち寄って、これをわしの孫に渡してはくれんかな?」

「相棒に?これはなんです?」

 カミュがたずねると、ロウはいたずらっぽい笑顔をみせた。

「ないしょじゃ。だが、君たちから手渡してほしいのだよ。孫といっしょに包みを開けてくれたまえ」

「わかりました、イシの村ならちょっとした寄り道です、任せてください。それと……すみません、さっそくお願いがあるんですが」

「なにかね?」

「オレたち、クレイモラン城に入れてもらうときに苦労したんですよ。王族でも貴族でもないもんで。おまけに、オレが相棒と出会ったのはデルカダール城の地下牢なわけで……」

 ロウとマルティナは顔を見合わせ、大声で笑った。

 

 

「もう行ってしまうのね。せっかくだから、何日かゆっくりしていけばいいのに」

 ソルティコの町の門の前で、マルティナは寂しそうに言った。

「はい、まだ陽も高いし、ちょっと急げば陽のあるうちに着けそうなんです」

「そうよね、酔っぱらいの愚痴を聞くのはもう、うんざりよね」

 マルティナがわざとらしくスネてみせると、カミュたちは笑った。

「ふふ。マルティナさんがあんなにおしゃべりだなんて、あたし、知らなかったです」

「私たちでよろしければ、また、いくらでもおうかがいしますわ」

 マルティナは髪をかきあげ、照れくさそうにはにかんだ。

「ありがとう。私も勇者クンと会いたかったな。いつか、四人でそろってお城に来てちょうだいね。話したいことは、いくらでもあるわ」

「はい、必ず。マルティナさんも、いつかクレイモランに来たらオレのこと訪ねてください。それじゃ、また会いましょう」

「あたしたちも、旅を終えたらお手紙をだします。また会いましょうね、マルティナさん」

 カミュたちはマルティナと抱擁を交わし、町を後にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

※主人公=ハンスです。


「はぁ……ギリギリ間に合ったわね。マルティナさんたちに遠慮しないで、ソルティコでもう一泊すればよかったかしら」

 そう言って、ベロニカは呼吸を荒げたまま、その場に座りこんだ。

 沈みかけた夕陽が西の空をぼんやりと赤く染めるころ、三人はイシの村にたどりついた。

 山間にある小さな村はすでに静まり返っており、小さな土地に仲よくならぶ数軒の家々の窓から漏れだすともしびだけが、人の気配を主張していた。

 

「おつかれさん。いつも感心するんだが、お前その小さい体で、よくオレたちと同じ速さで歩けるよな」

「えへへ。もう、こうなる前がどうだったか、おぼえてないんだけど、この体ってあんまり疲れないのよね。それに、あんな虫だらけのジャングルでキャンプするの、イヤだったし」

「以前の旅でいちど経験しましたけれど、思い出したくないですわ……」

 夕闇のなか、カミュは呼吸をととのえると、さて、と切り出した。

「この村には宿屋がないんだよな。こんな時間で気が引けるが、相棒のところを訪ねるとするか」

「ええ。たしか、階段をのぼったさきの、村でいちばん高い場所にある家だったわ」

 三人は足元に気をつけながら石橋をわたり、階段をのぼって、石造りの家のドアをドンドンと叩くと、中から、どなたと返事がきこえた。

 ドアから顔を出した恰幅のいい女性は、手に持ったランプでカミュの顔を照らした。

「こんばんは。おや、見ない顔だね、旅のお方かい?宿をお探しなら、悪いけどこの村にはないんだよ。村長さんのところか、教会を当たっておくれ」

「こんばんは、遅くにすみません。オレたち、相ぼ――いえ、ハンスの友達です」

「まあ。これは失礼、そうだね、言われてみれば、そっちのお嬢ちゃんたちは見おぼえがあるよ。いつかハンスを旅に連れ出しにきたことがあったね?待っとくれ、いま呼んでくるから」

 ばたんとドアが閉じ、家の中からハンス、ハンスと呼ぶ声と足音がきこえ、再びドアが開くと、中から現れたさらっとした長髪の少年は、三人をたしかめると、言葉を交わす間もなくカミュと抱き合った。

「カミュ、久しぶりだね。ベロニカとセーニャも。よく来てくれたね、さあ入ってよ」

 

 ハンスはカミュたち三人の座るテーブルに湯気のたつスープの皿を並べ終えると、うれしそうな笑顔で席についた。

「遠慮せずに食べて。みんな変わらないね。今日は、ボクに会いに来てくれたの?」

「ああ。ちょっとワケあって旅をしてるんだが、近くまで来たから、ついでにと思ってな」

「また、旅をしているんだ。だけど、意外な組み合わせだね」」

 そういってハンスがカミュたちの顔を順番にのぞくと、ベロニカはにっこり笑って片手でカミュをしめした。

「あの旅ではさ、大人の人たちがいっぱいいたから、わかんなかったんだけど。カミュがね、思いのほか頼りになるのよ」

「へっ、思いのほか、か。オレって信用なかったんだな」

「そんなことはありませんわ、カミュさま。私たちのこと、いつも気にかけてくださっておりましたもの」

 カミュがやめてくれ、と言いながら照れくさそうに顔をそむけると、ハンスは大きな声でわらった。

「ははは。カミュとベロニカがいっしょじゃ、なんとなくケンカばっかりしてるんじゃないかと思ったよ。でも、よかった。うまくやれているみたいだ」

 四人が食事をしながら歓談していると、ベルラがハンスの肩をたたいてほほえんだ。

「ハンスや、あたしは村長さんの家に泊めてもらうことにするよ、水差しちゃ悪いからね。それで足りなかったら、棚にあるものを好きにお食べ」

「ごめんね、母さん」

「いいんだ。あなたたち、ゆっくりしてお行きなさいね」

「ありがとう、おばさま。急におしかけてしまって、ごめんなさい」

 ベルラがおやすみ、と言って家を出ていくと、ハンスはトマトで鶏ときのこを煮込んだスープを口にしながら、カミュたちにたずねた。

「それで、旅の理由ってなんなんだい?聞いてもいい?」

「おう、話すとちょっと長くなるんだが」

 カミュが旅のいきさつを一通り説明すると、ハンスは感心した顔をした。

「へええ。人助けの旅、ということになるのかな?やさしいね、みんな」

「オレは指輪のことなんてどうでもいいんだが、まあ、きっかけを作っちまったからな」

「そういうところがキミらしいよ、カミュ。ロウ様とマルティナさんにも会ったんだね。お忍びで骨休めかあ」

 ベロニカは切り分けたチーズをパンにのせ、一口かじった。

「マルティナさん、ちょっとまいってる感じだったわ。そうよね、十六年も旅を続けてきて、いきなりお城暮らしだもの、とまどうわよね。そういえばアンタさ、ベルラおばさまは母さんって呼ぶのに、ロウ様はロウ様なのね。おじいちゃんじゃないの?」

「母さんは母さんだよ。だって、子供のころからずっと、母さんだったんだもの。ロウ様は……」

 ハンスはあごに手をあてて考え込み、うーん、とうなった。

「ボクが赤ん坊のころからロウ様といっしょに旅をしていたマルティナさんが、それでもロウ様って呼んでいたじゃない?だから、ボクもロウ様って呼ぶのがいいのかなって」

「ふーん。オレは両親の顔も見たことがないから、そういう話はよくわからんな。そうだ、ロウ様からお前に渡してくれって、頼まれたものがあるんだよ。灯りをくれるか?」

 ハンスは立ち上がり、ドアのそばに提げられたランプを手にとり、テーブルの油をはった小皿から灯りをうつし、カミュに手渡した。

 カミュは荷袋からロウよりあずかった包みをとりだし、皆にみえるようランプといっしょにテーブルのまんなかに置いた。

「これだ。お前といっしょに開けてくれって言ってたぜ」

「へえ、なにかな。手紙がはいってるね」

 ハンスが包みから手紙を取り出してランプのそばに置くと、ベロニカが読みあげた。

「えーと。『若人たちの末永き友情を願って ロウとマルティナ姫より、親愛なる友人たちへ』だって。中身はなんだった?」

「これは、勇者のつるぎでしょうか?」

 ほどいた包みの上では、親指よりすこし大きな、勇者のつるぎを模した水晶細工がランプのあかりで輝いていた。

「へえ、勇者のつるぎのペンダントか。旅の思いでを忘れないようにってことか?」

「きれいだね。あれ、鎖が四本ついているよ。鍔と、柄のところに三本ある。ちょっといいかな」

 ハンスはそういってペンダントを取りあげ、両手でいじると、剣の鍔の部分がはずれて、刀身がみっつに分かれた。

「そうか。これはみんなの分だね、ほら」

 そういってハンスは、よっつに分かれたペンダントをテーブルにならべた。

「まあ、これはお姉さまの杖を模したものですね」

「ほんとだわ。こっちがセーニャのスティック、これがカミュの短剣?」

「で、ハンスの鍔の部分と合わせると、つるぎになるわけか。ロウ様、気が利いてんな」

 四人はそれぞれ鎖をもって自分のぶんを手で提げると、腕を突きあわせてよっつのペンダントを触れあわせた。

 

「セーニャは、ベロニカといっしょのベッドでだいじょうぶかい?」

「はい。おばさまのベッドをお借りしてしまって、申し訳ないですわ」

 テーブルのランプにぼんやりと照らされたうす暗い部屋の、かたすみに置かれたベッドの上で、ベロニカがすうすうと寝息をたてていた。

「気にしないで。カミュはボクの部屋を使ってね、そこのハシゴを上がった先だよ。暗いから気をつけて」

「わりぃな。お前はどうするんだ?村長さんとこにいくのか?」

「ボクはとなりの馬小屋で眠るよ。けっこう快適なんだ」

「おいおい。それならいいよ、オレが馬小屋で寝るから」

 カミュがあわててそう言うと、ハンスはほほえんだ。

「相棒に遠慮するのかい、カミュ?水くさいこと言わないでよ」

「はっ、お前意外とズルいな。わかったよ、相棒」

 ハンスはカミュの真似をするように後ろをむいて片手をあげてあいさつをし、おやすみ、と言い残して家を出ていった。

「なんだか、うらやましいですね」

 ふたりの様子を見ていたセーニャは、どことなく寂しげに言った。

「ん?何がだ?」

「おたがいに信頼されていることがわかりますわ」

「うーん。オレ、アイツの考えてること、よくわからないことのほうが多いぞ。それに、お前にとってのベロニカは同じようなものだろ?双子って不思議なもんだなって、オレはいつも思ってるぜ」

 カミュがそう答えると、セーニャはすこしうつむいた。

「そうでしょうか。私、いつもお姉さまの足をひっぱってばかりいる気がして。もしも私がいなかったら、お姉さまはもっと自由にふるまえるのではないかと思うんです」

 カミュはおいおい、と言いながら言葉をはさもうとしたが、セーニャはかまわず続けた。

「カミュさまとマヤさまだって、そうですわ。カミュさまがただ面倒を見ているわけではないことを感じました。ロウさまとマルティナさまだって、お互いに尊敬と信頼がありました。それに比べて、私は、お姉さまがいないとなにもできないんです。私、お姉さまにとって、ただの重荷になっている気がして」

「やめろって。ベロニカだって、嫌々セーニャのそばにいるわけじゃないだろ。なんだってそんなことを考えるんだ?お前、ここんとこちょっと変だぞ」

 カミュが強い調子でそう言うと、セーニャはだまってイスに座り、テーブルにひじをついて両手で顔をおおった。

 カミュはテーブルにつき、困ったようすでセーニャを見つめていたが、やがて言葉を切り出した。

「なにかきっかけがあって、そんなことを考え出したのか?」

 カミュの質問に、セーニャは返事をしなかった。

「オレとベロニカには話せないことなのか?」

 セーニャが顔をおおったままうなずくのを見て、カミュはすこし考えこみ、ふところから指輪を取り出して、つまんで見せた。

「指輪はそういう話を聞いてくれるのか?」

「……はい」

「話すって、今オレたちがしてるように言葉を交わすのか?」

「いえ……言葉はいらないんです。ですが、共感というのでしょうか……わかっていただけたような気持ちになるんです」

 カミュはちいさくため息をついた。

「わかった、こいつはセーニャに渡しておく。ベロニカにバレないように使えよ、心配してたぞ。だがな」

 カミュはベロニカの前にそっと指輪を置き、言葉をつづけた。

「マヤの呪いの話をみんなに切り出せなかったオレが言うのもなんだが、他人を頼るのも勇気だと思うぜ。今はそいつでも構わないが、オレたちだっているんだってこと、忘れるなよ」

 セーニャが黙ってうなずくと、カミュは立ち上がり、セーニャの肩を軽くたたいて二階へとつづくはしごを登っていった。

 

「もう行っちゃうんだね、さびしいな」

 まだすこしうす暗い翌朝、四人は昨晩とおなじスープがならんだ食卓を囲んでいた。

「ああ。お前をまた馬小屋で眠らせるわけにもいかないしな。ちゃんと眠れたのか?」

「え、馬小屋ってなによ?」

 ベロニカが不思議そうな顔でたずねると、ハンスはにっこりとほほえんで見せた。

「なんでもないよ、ベロニカ。これから、デルカダール城に行くんだっけ?」

「ええ。そういえば、カミュがアンタとはデルカダール城の地下牢で出会ったっていってたんだけど、どういうこと?」

 ベロニカの言葉を聞いて、カミュとハンスは顔を見合わせて笑った。

「あはは。まあ、聞かないで。だいじょうぶ、人を殺したりしたわけじゃないから」

「その言い訳はどうかと思うぜ。まあ、こいつがぶちこまれた理由は、完全に無実の罪だったからな、安心しろ」

 ベロニカは、ふーん、と言って両手で頬杖をついた。

「アンタさ、いろいろひどい目にあってるのに、なんていうか、いつも明るいわよね。ふわっとした性格のわりに、へこたれないっていうか。あんな旅をしてきたのに、今みると、そこらへんにいる子供みたい。表に出さないだけなの?ふしぎね」

 ハンスはつかのま考えこんだあと、胸元のペンダントをさわってみせた。

「みんなのおかげだと思うよ。バカだと思われるかもしれないけれど、ボクにとってのあの旅は、みんなにただついて行っていただけだったんだ。誰かが困っているから助けよう、すべきことがあるからがんばろう、みんながそう言うから、がんばれたというだけでね。ボクひとりじゃ、すぐにくじけていたと思う」

「そうは言っても、それができるヤツはなかなかいないぜ?」

「そうなのかな?でも、不思議な旅だったよね。あの地下牢でカミュと出会わなかったら、ホムラの里でベロニカとセーニャに出会わなかったら、ボクはいまこうしてここにいなかったんだろうから。そのあとだってそう。どの出会いが欠けても、たぶん、違う今があったんじゃないかな」

 ベロニカは三つ編みをくるくるといじりながら、くすっと笑った。

「アンタもそうやって、カミュと同じように、詩みたいなことを言うのね。男の子って、みんなそうなの?」

「はは。でも、本当にそう思うよ。オレがお前と出会ったのだって、マヤの呪いと預言者、いや、ウラノスがいたからだしな。運命ってやつなのかな、不思議なもんだ」

「はい。私たちが双子として生まれてこなければ、きっと違う今があったのでしょうし。不思議です」

 カミュたちがそう話すと、ハンスは照れたように頭をかいた。

「変な話をしちゃった。ゴメンね」

「いや。それじゃ、そろそろ出発の準備をするよ」

「うん。食べものはあるかい?棚から好きに持っていっていいからね。それと、ベロニカ、ちょっといいかな。ふたりで話したいことがあるんだ」

「え?あたし?ふたりで?」

 ベロニカはきょとんとした顔でハンスを見つめた。

 

 ベロニカとハンスは家を出て階段をくだり、家から見えない場所までいって、川辺に腰かけた。

「ここでいいか。ベロニカ、君に聞いておきたいことがあってね。ふたりに聞かれるとまずいんだ」

 ベロニカはハンスのとなりに座り、困った顔でハンスをみつめた。

「なに?そんなにあらたまって、なんなの?なんのはなし?」

「うん。セーニャのことなんだ」

「セーニャの?」

 ハンスはうん、と答え、言葉を選びながら慎重につづけた。

「例えばだよ、例えばのはなし。例えばボクが、君といっしょに暮らしたいんだ、って言ったら、どうする?」

 ベロニカはええ~と大声をあげ、ハンスはあわててベロニカの口をふさいだ。

「例えばだよ、例えばのはなし。落ち着いて聞いて」

 ベロニカは必死の抵抗をみせ、ハンスの手をふりほどいた。

「なっ!なによ!なにを言い出すのかとおもったら!あ~、びっくりした」

「ごめんごめん、例えが悪かったね。落ちついたら、つづきを話そう」

 ベロニカはうしろをむいて息をととのえ、ふたたびハンスの横に腰をおろした。

「いったい、なんのはなしなの?」

 ベロニカが眉を吊り上げてハンスを見つめると、ハンスはふたたび考え込んだ。

「……そうだね。これも例えばの話だよ、セーニャがさ、カミュといっしょに旅に出たいって言い出したら、君はどうする?」

 ベロニカはハンスに驚いた表情をみせたが、すぐにうつむいて小川に目をやった。

「それも、たとえばのはなし?」

「うん、例えばのはなし」

 ベロニカはうつむいたまま長いあいだ考え込み、ぽつりと、わかんない、と言った。

「わかんないわ。そんなこと。考えたこともなかった」

「そっか。ちょっと、心配だったんだ」

「心配?なにが?」

「ベロニカとセーニャ、ふたりはずっといっしょにいるけどさ。もしかして、無理してる部分があるんじゃないかって。これも例えばの話だよ。おたがいに無理して、おたがいに遠慮して、あの子がいるからしょうがない、お姉さまがいるからしかたない、おたがいにそんなことを思いながら毎日を過ごしてさ。いつかふたりがおばあちゃんになったとき、後悔しないかな?」

 うつむいたまま黙っているベロニカのほうを見ながら、ハンスは続けた。

「セーニャは、強い子だよ。きっと、君が思っているより、ずっと。いまはまだ、君にとっては目を離せない、手をとってあげないとひとりでは歩けない存在かもしれないけれど、いつかかならず、ひとりで歩きだせるよ。だから……ベロニカ、君も、君自身のことを考えてもいいんじゃないかな」

 ベロニカは、なによ、とつぶやき、ハンスの目をしっかりと見つめた。

「ずいぶん、わかったようなことを言うじゃない。見損なわないで。あたしだって、わかってるわ。セーニャは……みんなとくらべたら、グズでノロマかもしれないけど……ちゃんと、前をむいて歩いているわ。ゆっくりだけど、すこしづつだけど、歩いてる。だから、いつかひとりで歩きだすこともわかってるわ。だけど……たぶん。あたしも……そんな日が来ることを、怖がっているんだわ。セーニャがあたしを置いて、いつか遠いところにいっちゃったら、あたしひとりで、どうしようって」

 ベロニカがふるえる声でそう言い終えると、ふたりのあいだには長い沈黙がながれ、やがてハンスが口を開いた。

「そっか。ごめんね、余計な心配だったみたいだ。やっぱり、他人の心のことなんて、わからないね」

 うん、とベロニカがうつむいたままつぶやくと、ハンスは目を閉じ、空をあおぎながら言った。

「ボクね、最近考えることがあるんだよ。他人の心のことは、わかんないけど。実はボクたちは、こうして生まれる前に、いろんな辛さを何度も何度も経験していてさ。悲しかったことも、苦しかったことも、心のどこかで覚えていて、だから他人の辛さにも、自分自身が経験したことのように共感するのかもしれない、って」

 ベロニカはぐすっと鼻を鳴らし、袖でごしごしと顔をふいて、ハンスのほうを向いた。

「言ってることは、よくわかんないけど。アンタ、詩人にでもなったらいいわよ」

 

 ふたりがハンスの家に戻ると、カミュとセーニャはベロニカをみて、ぎょっとした顔をした。

「お姉さま、どうされましたの?泣いていらっしゃったの?」

「なにも聞かないで、セーニャ」

 ベロニカはそう言って、心配してかがみこんだセーニャに抱きついた。

「おい、なんだよ?お前、ベロニカと何を話してたんだ?」

「ごめん、ボクが悪いんだ」

 ハンスはそれだけ言うと黙りこみ、長い静けさが四人を包みこんだ。

 

「セーニャ、ありがと。もう、だいじょうぶ」

「よかったですわ、お姉さま。元気を出してくださいね」

 旅の準備をすすめながら、ベロニカとセーニャのようすを見守っていたカミュは、いぶかしげにハンスに目を向けたが、ハンスは口を閉じたまま立ちつくしていた。

「相棒、お前の考えてること、やっぱり全然わかんねえな」

「ボクだって、他人のことが全然わかってなかったから、こうして失敗したんだよ。カミュ」

 ハンスの言葉をきいて、ベロニカは目をつりあげてハンスを見つめた。

「許してあげるわ、ハンス。アンタの言ったこと、ちゃんと考えておくから。いつか、あたしの出した答え、聞いてよね」

「うん。ふたりがどんな答えをだすのか、ボクはずっと楽しみに待っているからね」

 そう言ってほほえみを交わすふたりを、カミュとセーニャは不思議そうな顔でながめていた。

「うーん?なんだかよくわからんが……まあ、仲直りできたなら良かったよ」

「ええ。ふたりって、どなたのことなのでしょう?」

 ベロニカはベッドのほうへ走りだすと自分の荷袋を取りあげ、肩にかついだ。

「ごめんね。待たせちゃったみたい。もう、準備はできてるわよね?」

「ああ。それじゃあ、出発しよう」

 ハンスはセーニャとベロニカと抱擁を交わし、カミュに向かって右手を高く上げると、カミュはぱちんと大きな音でハンスの手を叩き、抱き合った。

「じゃあ、また会おうな、相棒。いつか、お前と旅に出られる日を楽しみに待ってるぜ」

「うん、ボクもだよ。待ってるぜ、相棒」

 カミュのくちぶりを真似して見せたハンスに、ベロニカとセーニャはくすくすと笑った。

「アンタたち、ほんと仲良いわよね。兄弟みたい。それじゃハンス、また会いましょうね」

「ハンスさま、ごきげんよう。またお会いしましょう」

 別れの言葉をつげて歩き出す三人の背中が見えなくなるまで、ハンスは手をふり続けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

「うーん、当たり前だが、いないよな」

 デルカダール城下町のスラムで、指輪を売っていた人間をさがしていたカミュは、そう言って腕組みをした。

 デルカダール城の堀にいつからか形成されたスラムは、ありあわせの材木でこしらえられたあばら家が建ちならび、そこに暮らす者たちが生み出す活気と、風通しの悪さをあらわすよどんだ空気、そして暮らしの中で生み出されるゴミの腐臭や排泄物のにおいに満ちていた。

「まえに来たときより、人がふえてない?においもキツくなってる気がするわ。ここで暮らしている人たちは、慣れきってて気にならないのかしら?」

 ベロニカは服の袖で鼻と口をおおいながら、目を細めていた。

「お前の背が低いせいもあるんだろうな。においってのは、低いとこからたまっていくから。無理しないで、上で待っててもいいんだぜ」

「だいじょうぶ。アンタが指輪を買ったひとって、どんなひとだったの?」

「それが、顔をよく覚えてないんだよな。女だったのはたしかだが」

 ベロニカは、口元をおおったまま肩をすくめる身ぶりで呆れたことをしめした。

「でも、見たらすぐわかるぜ。左腕がなかったんだ」

「私も目を配っておりましたが、そのような方はお見かけしませんでしたわ。目立つはずですのに」

「昨日今日の話じゃないし、どっか別の町に行っちまったのかもな」

「いないものはしかたないわ。上にもどって、お城にいきましょ」

 三人がスラムから城下町へもどろうと歩きだすと、だれかがカミュの服のすそをひっぱった。

「ん、なんだベロニカ」

 カミュが後ろをふりむくと、口元をおさえるベロニカのとなりで、ベロニカと同じほどの背丈の子どもがカミュのすそをつかんでいた。

 すっかり体に合わなくなってしまった服をきゅうくつそうに着た少年は、カミュの顔をじっと見つめていた。

「どうしたんだ、坊主」

 カミュは少年の前でかがみ、視線をあわせて話した。

「お兄ちゃんたち、上から来たひとでしょ。なにか、食べ物をわけて」

「なんだ、腹減ってんのか?たいしたもんは持ってないが、待ってろ」

 カミュは荷袋からわずかにのこった堅焼きのパンと干しイチジクを取り出し、少年の手に乗せてやった。

「お兄ちゃん、ありがとう」

「いいって。お前もいつか、だれかが腹を減らしてたら、食いものを分けてやるんだぞ」

 カミュがそういって少年の頭をぽんとたたくと、少年はどこかへ駆けていった。

 少年の背を見送るカミュのすがたを見て、ベロニカはきまりが悪そうに口をひらいた。

「アンタって、やけに面倒見がいいのよね。気が利くっていうか。あたし、そういうことをうまくできないわ」

 カミュは立ちあがって振り向くと、首を横にふった。

「今のはそんなんじゃないんだ。もしかしたら、あの坊主はオレだったかもしれない、って思ってな」

「え?どういうこと?」

「オレだって孤児だったんだぜ。もし、オレがこの場所で生まれていたら、きっと同じようにだれかに食いものをねだって暮らしてただろ。上の城下町の人間と、ここで暮らしてる人間、いったいなにが違うんだろうな。少なくとも、オレにはここにいる連中がなまけものの集まりには見えないぜ」

 ベロニカとセーニャがだまってカミュの顔を見つめると、カミュはふたたび首をふった。

「いや、いまのは忘れてくれ。さて、城に行くとしようぜ」

 

 カミュたちは下層のスラムから城下町へ上り、にぎやかな目抜き通りをぬけて城門の前へとたどり着いた。

 ロトゼタシアの地でもっとも巨大な城塞であるデルカダール城の威容は、スラムから来たばかりの三人の目にはより厳めしいものにみえた。

 城へと近づくと、城門を固める衛兵たちが目に入り、三人が足を止めると、セーニャが緊張したようすで口をひらいた。

「あの、今回も私が?」

「いや、ロウ様に手紙を書いてもらっただろ。こいつがあれば、オレたちでもすんなりと入れてくれるだろう」

 カミュがそう告げると、セーニャはほっと胸をなでおろした。

 三人が衛兵の見える位置まで歩みよると、衛兵のひとりがそこで止まれ、と大声でさけび、三人のそばへゆっくりと近寄ってきた。

「諸君ら、城になにか用事かね?」

「ええ、ここに手紙があるんです。これをグレイグさんに渡してもらえませんか」

「グレイグ様に?改めさせてもらってもよいかね」

 カミュが手紙をてわたすと、衛兵は封筒を念入りにしらべはじめた。

「ロウ様と……なんと、マルティナ姫からだと?ふむ、封蝋があるので、中は読まないほうがよかろうな。すぐにグレイグ様に届けてくるゆえ、諸君らはそこで待っていたまえ」

 そういって衛兵がどこかへ駆けだしていくと、ベロニカはカミュにひそひそとしゃべった。

「お手紙は、グレイグさんに通してもらえってことだったのね。あたし、グレイグさんとはあんまり話したことないのよ」

「オレなんて、相棒といっしょに命を狙われてたこともあるんだぜ。まあ、見かけほど怖い人じゃないよ」

「あはは。それはなんとなくわかったわ。シルビアさんと、よくおしゃべりしてたわよね。セーニャはなにか話したことある?」

「いえ、私もあまり。グレイグさまのほうも、私とは何を話したらよいのか、おわかりにならないようでしたわ……」

 三人が話していると、衛兵が息を切らせながら戻ってきて、敬礼をした。

 

「お客人、失礼した。グレイグ様はただいま教練中ゆえ、練兵場へとお連れするように、とのことだ。どうぞこちらへ」

 衛兵に連れられて城の廊下をなんどか曲がると、ふたたび空がみえ、巻き藁でつくられた人形や的のそばで、十余人の兵士たちがかけ声を出しながら剣を振るっていた。

 案内していた衛兵がグレイグに駆け寄ってなにかを伝えると、グレイグはカミュたちに向かってほほえみ、兵士たちのほうを向きなおって大きな声で号令を飛ばした。

「よーし、そこまで。よいか、剣の基本は一に体力、二に体力だ。技も大事だが、すべてはそれを振るう体躯の強さがあったればこそ。私は所用があって外させてもらうが、各自鍛錬にはげむように」

 兵士たちが、はい、と声をそろえて返事をして、ばらばらに散っていくようすをたしかめたグレイグは、三人の前で右手を差しだした。

「久々だな、よく来てくれた。ロウ様よりの手紙には、書庫を調べる手助けをされたしとあるが、いったいどういった用事なのだ?」

 カミュたちは順番にグレイグと握手をかわし、すこし緊張した調子で答えた。

「グレイグさん、お忙しいところ、すみません。話すとちょっと長くなるんですが」

「おお、すまぬ。立ち話ではいかんな、客人には席を設けねば。少し待たれよ」

 グレイグはそういって兵の一人を呼び、カミュたちを城の一室へと案内させた。

 

「ふむ、姫様の心労に気がいたらぬとは。俺は、つくづく読みの浅い男だな」

 カミュたちからひととおり旅のいきさつを聞くと、グレイグはそう言って目を閉じ、腕組みをした。

「オレにも、立場の上での苦労なんて、よくわかんないです。でも、マルティナさんにはロウ様がついてますから」

「そうそう。あの二人は、もうほとんど親子みたいなものでしょう?あ、この焼き菓子、食べてもいいですか?」

「ああ、構わん。好きなだけ食べてくれ、持ち帰ってくれてもいい」

 ベロニカが皿に盛られたナッツの入ったビスケットを手にとってかじりだすと、グレイグは音をたてて紅茶をすすった。

「それにしても、亡国の跡を探すとは、なんとも胸の痛む話だな。アーウィン様のことは覚えているか?」

「はい。ユグノア城の跡で、苦しんでいらっしゃいましたね。なんとかお救いできて、本当に良かったですわ」

「うむ。死して強い未練を残すと、あのように浮かばれないのだな。しかし、アーウィン様はご子息の無事をみて召されたようだが、その指輪とやらの場合、果たしてどうなるものか」

 グレイグの言葉をきいて、セーニャは目を落とした。

「そうですわね……どうなるかはわかりませんけれど、せめて私たちに出来ることは、やってみようと思っています」

「そうか。俺には理解の及ばぬことだが、殊勝な行いであると思う。俺もな……」

 グレイグはなにかを言いかけてすこし考えこみ、ためらいながら切り出した。

「ホメロスのことを覚えているか?」

「大樹様のところで、あたしたちに襲いかかってきた人ですか?」

「ああ。奴と俺は、子供のころから無二の親友だったのだが。今となっては逆賊扱い、語ることはおろか、墓も立ててやれんのだ」

 無念そうに語るグレイグの様子をみて、カミュたちはうつむいた。

「奴がどうして道を踏み外したのか、もはや知るすべもないが、いまでも翻心に気づけなかった自分を責めているよ。俺になにか止められたことはないのか、なにか聞いてやれることはなかったのか、と」

 グレイグはそう言って目を伏せ、部屋にしばらく沈黙がながれた。

「私たちにははかり知ることのできない事情ですが……グレイグさまのそのお気持ちがあれば、ホメロスさまもきっと浮かばれると思いますわ」

「ああ、そうであるように祈っているよ。すまんな、君たちにとっては命を狙われた敵の話だ。もっとも、俺もそうだが。もし、俺が君たちにした所業を許してくれるのなら、奴のことも許してやってはくれまいか」

 グレイグがそういって深々と頭を下げると、カミュたちはあわてて立ちあがった。

「やめてください、グレイグさん。もう過ぎたことですから、オレたち気にしてないです」

「そうですわ、グレイグさま。私たち、恨んでなどいません」

「グレイグさんが王様、いえ、ウルノーガにだまされていたように、ホメロスさんもきっとなにか事情があったんだって、あたし、思ってます」

 グレイグはゆっくりと頭を上げ、つぶやくように、ありがとう、と言った。

「……さて、個人的な話などしてしまって、すまなかったな。書庫に案内するよ」

 グレイグはそういって立ちあがると、すっかり空になった皿に気がついて、ベロニカにほほえんだ。

「菓子が気に入ったか?ほら、俺の分も持っていくがいい。あとで書庫にも茶を届けさせよう」

 

 グレイグはカミュたちの前に立って広大なデルカダール城の廊下を歩き、一角のつきあたりにあるドアを、ぎいぎいときしませながら開けた。

「鍵などはかかっていないから、好きに出入りしてもらって構わない。ここはホコリっぽくてかなわんな、窓をあけるか」

 グレイグは片手で口をふさいで部屋の奥へと入り、窓をあけると、吹き込んだ風があちこちでホコリを舞い上げた。

 広い書庫に並ぶ無数の本棚たちは、だれも触れないことに抗議をしめすかのように大量のホコリを積もらせ、床と山積みにされた本も同様の主張をあらわしていた。

「ううむ、近ごろは立ち入るものが増えたはずなのだが、だれも掃除をせんのか、まったく。すまんな君たち、汚いところで」

「いえ、いいんです。しかし、ずいぶん広いとこですね」

「ああ。書庫はもうひと部屋あるのだが、古い本はこちらの部屋にまとまっているはずだ。悪いが、俺は兵たちに稽古をつけに戻らねばならん、なにか困ったことがあれば、城の者を呼んでくれ」

 カミュたちがお礼をいうと、グレイグは片手をあげてあいさつをし、部屋を出ていった。

「さてと、思ったより大変そうだな。とりあえずは、オレたちが読めない文字の本を探していけばいいのか?」

「うん、地道にやっていくとしましょ。あたしじゃ上のほうは見えないから、アンタとセーニャで頼むわね」

「わかった。なあ、ちょっと気になることがあるんだが」

 カミュが床をじっと見つめながらそう言うと、ベロニカとセーニャはそばに寄って、同じように床を見つめた。

「あら?ここだけあしあとがいっぱいあるわね、奥に続いてるみたい」

 三人があしあとをたどって部屋の奥に進むと、つきあたりの本棚の周りだけ、床のホコリがすっかりなくなっていた。

「いちばん下の段のここだけ、きれいになってるわね。なにか、人気の本でもあるのかしら?」

「そうみたいだな。お、ここらへんの本だけ、ホコリが全然ついてないぞ。なになに、『子供の遊び図鑑』『家庭の薬草学』『歴王による詩篇集』……なんでこんな本が?」

「この『竪琴のための独奏曲』という本、気になりますわ」

 セーニャがそういって本棚から一冊をとりだそうとすると、中から数冊の小冊子がばらばらと飛びだし、床に散らばった。

「ん、なんだ?……ああ、そういうことか」

 カミュはそう言うと、片手で顔をおおって大笑いした。

「えっちなほんがいっぱい……あー……まったく、男って、どうしてこうなのかしら」

「これって、ネルセン様にもらったやつだろ?ロウ様のしわざだな」

 カミュがそう言って一冊をとりあげ、ぱらぱらとめくりはじめると、ベロニカは何かを思いつき、いじわるっぽくカミュをからかった。

「ふーん、アンタ、ちゃんと覚えてんだ。いっつもすました顔してるクセに、みんなとおんなじね」

「そりゃあ、オレだって男だからな。なにか悪いのか?」

 堂々と開き直るカミュにベロニカはたじろいだが、すぐに不機嫌そうな顔をしてカミュのすねを蹴飛ばした。

「痛ってえ!なんだよ、なんで怒るんだよ?」

「うっさいわね!遊んでないで本を探すわよ!」

 ベロニカはそう叫ぶと後ろを向いて歩き去り、セーニャはカミュの顔をみておかしそうに笑った。

 三人があちこちの本棚を探すうち、ときおりドアが開いては兵士たちが顔を出したが、カミュたちの姿をみるや、皆あわてて退散していった。

 

「とりあえずは、こんなものかしら?ここの本棚も本がバラバラにならんでて、どこにまぎれてるか、全然わかんないわね」

 ベロニカはそう言ってスツールの上に本を積みあげた。

「ああ、どこまで探したか、覚えとく必要があるな。そんじゃ、指輪さんにたしかめてもらうか。どっちがやる?」

 セーニャが私がやります、と答え、本の山のそばにもうひとつスツールを置いて座った。

 カミュとベロニカがそっと背中を支えると、セーニャはゆっくりと指輪をはめ、うつむいた。

「……うむ……事情は……理解した……確かめて……みよう……」

 セーニャはそう言うと、ふたりが見守るなか、一冊づつ本をたしかめ始めた。

「……この文字は……我々にも……わからぬ……この本もだ……」

「うーん。どれもあたしたちにはわかんない文字だけど、全部ばらばらの文字だもんね」

 セーニャはゆっくりと本の山をくずし、数冊目の本の表紙をじっとみつめた。

「……『プレミュト』……これは……我々の……文字だ……」

「お、当たりか?何が書いてあるんだ?」

 セーニャが重々しい手つきでページを繰るようすを、ふたりはかたずを飲んで見守った。

「……これは……叙事詩……ある英雄の……物語だ……おそらく……事実では……ない……」

「うーん、そうよね。古い本だからって、歴史の本とは限らないわね」

「でも、これと同じ文字の本を探せばいいってことは、わかったな。指輪さん、残りの本はどうだい?」

 セーニャは残りの数冊もたしかめたが、歴史について書かれたものはなく、最後の一冊を調べおえると、だまって首をふった。

「……残念だ……だが……感謝する……」

「いいって。調べてない本棚は、まだいっぱいあるんだ。あとでまた頼むぜ」

 カミュがそう言うと、セーニャは指輪に手をかけ、はずす間際にうっすらと笑みを浮かべたように見えた。

 指輪をはずしてうなだれたセーニャはすぐに顔をあげ、両手で軽く顔をたたき、口をひらいた。

「残念でしたけど、すこし手がかりが得られましたわね。また、探しましょう」

 

 陽がすっかりかたむきはじめ、書庫の中もうす暗くなってきたころ、ドアからノックの音が聞こえ、すぐにグレイグが入ってきた。

「どうだ、陽も暮れてきたが、なにか見つかったか?」

 カミュたちはすっかり疲れた顔でグレイグの前に集まると、ベロニカはくたびれた笑顔でグレイグをからかった。

「グレイグさん。あたしたち、見つけちゃいましたよ。えっちなほんの山を」

 グレイグは、片手で顔をおおって苦笑いした。

「ははは。あれは、ロウ様の計らいなんだが、いつの間にやら城の者に広まって、おまけに本がどんどん増えていってしまってな……まあ、見なかったことにしてはくれんか」

「いいんですって、グレイグさん。でも、オレたちがここにいるのを見て、兵隊さんたちがみんな困ってるようでした」

 そういってグレイグと笑い合うカミュを見て、ベロニカはおおげさに呆れてみせた。

「まったく、バカなんだから、もう。そんなことは置いといて、今からまた、指輪に見てもらうところです」

 ベロニカはそう言って、片手で本の山をしめした。

「ふうむ、それで全てか?ずいぶん集めたものだな」

「はい。見落としがなければ、ほかに同じ文字の本はなかったと思いますわ」

 セーニャはそう言ってスツールに腰かけ、カミュとベロニカが背中をささえるのを見て、指輪をはめ、すぐにうなだれた。

 セーニャは顔を起こすと、ゆっくりとあたりを見回し、グレイグをたしかめた。

「……貴兄は……おそらく……武人と……見受けるが……」

 セーニャに問われたグレイグは、片手でこぶしを作って背筋をのばし、胸をたたいて敬礼した。

「はい。某は、当デルカダール城にて将を務める、グレイグと申す者です」

「……お目にかかり……光栄だ……だが……貴兄のような……者が……まだ必要な……世で……あるのだな……」

 グレイグはセーニャの言葉を聞いて、寂しげな表情を浮かべた。

「残念ながら。ですが、我らのような者が剣を打ち棄てられる世のため、尽力しております」

「……すまぬ……余計な……話をした……助力に……感謝する……」

 セーニャはそう言うとゆっくりと本の山へと目をおとし、ふたたび一冊づつ確認しはじめた。

「……『アラミヤ』……これも……英雄譚だ……『天文』……これも違う……」

 カミュたちがじっと見つめる中、セーニャは数冊目の本をゆっくりとめくりはじめた。

「……『スーシャナ』……はは……おそらく……この者は……目にしたく……ないであろう……」

 セーニャは乾いた笑い声を発し、カミュに本を差しだした。

「ん、なんだ……ははは、まったく、人ってやつは変わらないもんだ」

「どういうこと?なにが書いてあるの?」

 カミュが手わたされた本を開いてベロニカに見せると、ベロニカはだまって後ろを向き、じだんだを踏んだ。

「どうしたのだ?ああ……はは、春画というものは、古来より変わらず存在するのだな。例の場所に収めておくとしよう」

 カミュから本をうけとるグレイグを、ベロニカは思い切りにらみつけた。

「はぁ……もうなにかを言う気もおこらないわ。勝手にして。で、指輪さん、見つかった?」

「……『本草』……これも違う……『歴史』……ふむ……」

 セーニャは重々しい手つきで、だまったまま次々とページをめくると、やがて手が止まり、一節を読みあげはじめた。

「……かつて……大河の……流域には……多くの国が……存在した……タプアハ……シェマル……ニザーナ……」

 カミュたちが静かに見守るなか、セーニャはふるえる声で続けた。

「……数々の小国を……ハスダールは……平定し……版図を広げ……繁栄した……しかし……」

 読みあげるセーニャの手はふるえだし、絞りだすように言葉をつづけた。

「……やがて……大河は枯れ……すべては……砂に還った……民は方々へ散り……伝承は……」

 すっかり押し黙り、うつむくセーニャの肩を、カミュがぽんぽんと叩いた。

「どの国も、すでに地上にないのはわかっていたことだ。辛いだろうが、場所についての手がかりを探せるかい」

 セーニャはだまってうなずき、ふたたびページを繰ると、ある一節に目を止めた。

「……かつて在りし……ニザーナ……その領の……大河が海へ……注ぐ地に……ハスダールの……王は……海を臨むよう……石碑を……打ち立てた……」

 セーニャは続けてページをめくったが、やがて手を止め、目を閉じて言った。

「……我ら……故国の……記述は……それで……終わりだ……」

「そうか……ご苦労さん。あとはオレたちに任せてくれ」

 カミュがそう言うと、セーニャは黙って指輪をはずし、うつむいた。

「セーニャ、だいじょうぶ?」

 ベロニカが心配そうにセーニャの顔をのぞき込むと、セーニャは黙ったまま、ベロニカを両手で抱きしめた。

 グレイグがすっかり陽の落ちきって暗くなった書庫からの退出をうながすまで、四人は一言も話さなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

「正直いって、気が重たいけれど……サマディーの砂漠に、たしかめに行くしかなさそうね」

 カミュたちはデルカダールの城下町の宿で一晩休んだあと、カミュの部屋で朝食をとりながら、旅の行く先について話しあっていた。

「ああ。たしかめたところで、どうなるものかとも思うが。まあ、オレたちにできるのはそこまでだ、できるところまではやってやろうぜ。セーニャはどう思う?」

 カミュが心配そうにセーニャにたずねると、セーニャはすこし疲れた表情でこたえた。

「はい。無念が晴れることはないかもしれませんが……たしかめてみれば、なにか、違った思いが浮かぶかもしれませんね」

「そうだな。しかし、だいぶまいってるように見えるぜ、セーニャ。昨晩はちゃんと眠れたのか?」

 ベロニカは、かるくため息をついて、首を横にふった。

「この子、あんまり眠れなかったみたい。旅をつづけるにしても、もう少し、この町で休んでからのほうが、いいかもしれないわね」

「お姉さま、私は大丈夫ですわ。もし、私のせいで旅が遅れるなら、セーニャにはそちらのほうが辛いことです」

 セーニャの主張を聞いて、カミュとベロニカが顔を見合わせると、誰かがドアをたたく音が聞こえた。

「おはよう。グレイグだ、もう起きているか?」

 カミュが返事をしてドアをあけると、グレイグはカミュの頭ごしに部屋の様子をたしかめた。

「三人おそろいか、話が速いな。すまん、入ってもいいか」

 カミュが中へ招きいれ、椅子を用意すると、グレイグはきゅうくつそうに腰かけた。

「セーニャ、まだ顔色が優れないようだな。俺は人の心がわからん男だが、あまりわかりすぎてしまうのも、辛いことなのだな」

 セーニャは姿勢をただし、グレイグにほほえんでみせた。

「いいえ、私は元気ですわ。ところで、お話とはなんでしょう?」

「ああ、カミュ、君に手紙を届けにきたのだ。読みづらい文字だが、マヤという者からのようだ」

 カミュはグレイグから手紙をうけとると、すぐに封を開けて、ざっと目を通した。

「エッケハルトさんからだ、もう見つかったらしい」

 カミュはそう言うと、皆に見えるように手紙をそっとテーブルに置いた。

「どれどれ。『我らの行った作業の成果は、想像をはるかに超えていたようだ。その証拠として、こうして君の要望に数日で応えることが出来た。貴重な実験の機会を提供されたこと、深く感謝する――』あはは、なんだか自慢みたいなことが、ず~っと書いてあるわ」

「ああ、でも助かったな。結果は最後のほうに書いてあるぜ。『広範にわたったハスダールと違い、ニザーナとは小さな国であったようで、位置の特定は容易だった。かつての大河の跡に作られたバクラバ石群を北にたどれば、河口の跡、すなわちニザーナの痕跡が見つかるだろう』だそうだ。オレたちの調べた結果と、ほぼ同じだな」

 グレイグは一通り手紙に目を通すと、そうか、とつぶやいた。

「目指す場所はわかったようだな。ここから向かうのであれば、俺がウマと船を手配しよう。デルカダール神殿のそばから海に出て、内海を渡ってダーハラ湿原へ。うまくすれば、今日のうちにサマディー王国にたどり着けるだろう」

 グレイグの話を聞いて、カミュとベロニカが心配そうにセーニャを見つめると、セーニャはふたりに目くばせをして、口をひらいた。

「グレイグさま、ご厚意に甘えさせていただいても、よろしいでしょうか」

「わかった。なに、自分で足を動かさなくてもよい旅だ、心配には及ばないだろう。では、半刻ほどで用意させるので、城門を出たところで待っていてくれ」

 カミュたちがありがとうございます、と口をそろえると、グレイグは顔の前で手をふり、立ちあがった。

「かけがえのない友人たちのことだ、礼には及ばんよ。では、残念だが、俺は見送りには出られないのだ。ここでひとまずお別れだな」

 グレイグはカミュたち三人と順番に握手を交わし、すこし照れたように笑った。

「書庫のことはどうか内密に頼む。これ以上、話が広まるとまずいのでな。それと、いつかまた城を訪れて、旅の顛末を俺に聞かせると約束してくれ」

「はい、どっちもわかってます、グレイグさん。また会いましょう」

「あはは。マルティナさんなら、きっと耳に入っても、笑って見逃してくれる気がします。グレイグさん、またお会いしましょうね」

 別れの言葉を語り終えたカミュたちに向かって、グレイグは深々と頭を下げた。

 

 

「もう着いちゃったのね、ウソみたい。あたしたち、きょうの朝は、まだデルカダールにいたのよね」

「世界って、広いのか狭いのか、よくわからんな。しかし、オレ、馬車なんてはじめて乗ったんだが、こいつは良いもんだ」

 夕陽が砂漠を美しく照らすころ、カミュたちは簡素な馬車に揺られて、サマディー王国へとたどりついた。

 三人は足元に気をつけながら馬車から降り、御者にお礼を告げると、門をくぐって王国の中へと足をふみ入れた。

 馬の競技場を中心として、美しく長方形に整備された町並みは、夕焼けの色に染まって、より幻想的に見えた。

「黒い太陽のことがあって、さびしい街になっちゃったこともあったけれど、すっかり元通りね。あたし、ここのにぎやかさ、好きだわ」

「ああ。しかし、今となってはアレをなんと呼べばいいのか。勇者の星、黒い太陽、邪神、いろんな呼び名がついたもんだ」

「うん。みんな、勇者の星なんて呼んで、良いものだと思ってたこともあったのに、真実って、わからないものだわ」

「ま、今となってはもう過ぎた話だな。さて、明日にそなえて、宿をとるとするか」

 カミュたちは宿や酒場が立ちならぶ街の一角で、適当に一軒をえらびだし、ドアを開いた。

 まだ時間が早いせいか、食事のために置かれたいくつかのテーブルに人影はなく、カウンターでは宿の主らしき男がたいくつそうに帳簿をめくっていたが、カミュたちが入ってきたことをたしかめると、人のよさそうな笑顔をみせた。

「こんばんは。三人なんですけど、ベッドは空いてます?」

「ああ、何人だって泊まれるよ。旅の方だね、どっから来たんだい?」

「オレたち、クレイモランから来たんです。ちょっと用事があって」」

「そいつははるばるようこそ、歓迎するよ。それに、君たちは運がいい。シルビアって旅芸人を知っているかな?彼が、つい最近ここのサーカスにもどって来たんだよ。まだ陽もあるし、見に行ってきちゃどうだい」

 カミュたちは、えっ、と大声を出し、顔を見合わせた。

「サーカスって、まだやってますか?」

 ベロニカが興奮したようすでたずねると、宿の主はにっこりと笑い、追い払うように手をふった。

「もちろんさ。お嬢ちゃん、サーカスが好きなのかい?さあ、まだ間に合うよ、行っておいで」

 カミュたちはお礼もそこそこに宿から飛びだし、夕暮れの町を駆けだした。

 

「三人分、お願いします。シルビアさんって、まだ出てきますよね?」

 カミュが息を切らせながらサーカスの入り口の女にたずねると、女はにこにこしながら、おおげさにはやしたてた。

「もちろんでございます。我が劇団の花形、シルビアはいつだって大トリ。運が良い方も悪い方も、早く来た方も遅れてきた方も、シルビアの芸を見て笑顔でテントを出られる寸法ですわ。ささ、もう公演も終わりかけ、お安くしておくから、いそいでいそいで」

 カミュたちがあざやかな色のテントに足をふみ入れると、舞台はからっぽだったが、客のようすからすると、次の演目が間もなくはじまるようだった。

 三人は中ほどの空いている席にすわり、息をついた。

「はあ。間に合ったか?しかし、まさかシルビアさん、ここに戻ってきてるとはな」

「うん。あたしもなんとなく、世界じゅうを自由に旅してる気がしてたのよね」

「はい。シルビアさまにはあの旅のあいだ、ずっと芸を見せていただいていましたけれど、こうした舞台で拝見するのは、ふしぎとドキドキしますね」

 やがて舞台にぴっちりと髪をかためた小太りの座長が歩みでて、テントにひびく大きな声で口上をのべると、次にシルビアと劇団員たちがぞろぞろと現れ、さまざまなしぐさをしながら、観客たちに視線をふりまいた。

「あ、いま、目が合ったわ。シルビアさん、こっちをみてウインクしてたでしょ?」

「え、そうか?オレは気づかなかったな」

 ひととおりのあいさつが終わると、楽器を持った団員たちが体でリズムをとりながら楽しげな音楽を鳴らしはじめ、舞台の中央で、シルビアが左右の団員たちとともにジャグリングをはじめた。

 団員たちは音楽にあわせて踊り、飛びはね、ひとりで、大勢でさまざまな芸を見せ、やがてシルビアが終演の口上を述べると、客席からは大きな拍手がおこり、団員たちは退場していった。

「あいかわらずスゲーよな、シルビアさん。でも、以前に見たときと感じが違うか?」

「はい。以前はシルビアさんおひとりでしたが、今回はにぎやかでしたね」

「言われてみれば、そうだったわね。でも、あたしは、こっちのが楽しくて、好きだわ」

 思い思いの感想をのべながらたのしげに退場していく観客たちに混じって、カミュたちがテントを出ようとすると、ベロニカは入り口で女に引きとめられた。

「あ、いたいた。赤ずきんちゃん、ちょっとまって。あなたって、シルビアの知りあいなの?」

 ベロニカがいぶかしげな顔をしてうなずくと、女はカミュとセーニャをじろじろとながめた。

「青い髪と、のっぽの女の子、うん、間違いないわ。シルビアにね、あなたたちを楽屋に連れてきて、って言われたのよ」

 

 テントの中にある団員たちの楽屋は、さまざまな小道具や大道具と、舞台の出来について話す団員たちでにぎやかだった。

 楽屋の一角のテーブルで休んでいたシルビアは、カミュたちを見つけると、すぐに立ち上がって駆けより、三人に抱きついた。

「みんな、久しぶりじゃない。さっきの舞台、見てくれたのね。ちゃんと、こっちからも見えてたのよ」

「ええ、あいかわらずスゴかったです、シルビアさん」

 カミュがそう言うと、シルビアはちょっと、と言いながら指をふった。

「カミュちゃん、話し方が違うでしょ。シルビアでいいの、アタシたち友達でしょ。はい、もう一度ほめて?」

 カミュは苦笑いし、すこし言いづらそうにくりかえした。

「あいかわらずスゲーな、シルビア」

「うふふ。よくできました。ベロニカちゃんとセーニャちゃんも、元気そうね」

「ええ、シルビアさ……いえ、シルビアも変わらないわね。あたし、なんとなく世界中を旅してまわっているんだろうって、思ってたわ」

 ベロニカがそう言うと、シルビアは涼しいまなざしを細めてほほえんだ。

「ええ。ちょっと、思うところがあってね。今日の舞台、前に見たのと違ってたでしょ?」

「はい、なんだかにぎやかで。シルビアさまの芸はあいかわらず素晴らしいのですけど、以前に拝見したときより、楽しい気分になれましたわ」

 シルビアがとつぜん、そう!と大声をだし、カミュたちはビクッと身をこわばらせた。

「あ、ゴメンね。でも、そこなのよ。ひとりで演るのももちろんサイコーなんだけど、今日見てくれた舞台みたいにね、みんなでじゃないと出来ないこともあるのよね。それに、劇団のみんなに教わること、教えたいこと、どっちも色々あるわ」

「言ってること、なんとなくわかる気がしま……するぜ、シルビア。じゃあ、これからはずっとここで?」

 カミュがたずねると、シルビアは両手を頭のうしろで組み、うーんと考えこんだ。

「わかんないわ。でもね、きっといつか、ひとりじゃないと出来ないこともある、って考えて、また旅に出ている気もするわ。わかんないわね、先のことなんて。そういえば、アンタたち三人はどうしてここに来たの?アタシに会いに来てくれたの?」

「それがね、話すとちょっと長くなるのよ、シルビアさ……シルビア」

 カミュたちがひととおりのいきさつをシルビアに話すと、シルビアはふーん、と言いながら、首をかしげた。

「楽しくないわね」

「まあ、楽しい旅じゃないな。たまたま、あの旅のみんなとまた会えて、話せたのは良かったが」

「うん。あしたで旅は終わるのかもしれないけれど……めでたしめでたしで終わることは、ないような気がするわ」

 カミュとベロニカがそう言ってセーニャに目をやると、セーニャはうつむき、だまりこんだ。

 シルビアはカミュたちのようすを見て、なにかを思いついたように、わかったわ、と言った。

「旅は楽しくなくっちゃ。あとから思い出したとき、いい旅だったなって思えなきゃダメよ。アタシがいま、アンタたちに楽しい思いで、ひとつ作ってあげるわ」

 きょとんとするカミュたちに、シルビアはウインクをしてみせた。

「ベロニカちゃん、セーニャちゃん、アナタたち、楽器ができるわよね」

「え……できるって、言っていいのかしら。あたし、横笛しかできないし、曲もすこししか」

「私も竪琴と、笛をすこしだけですし、曲もあまり知りませんわ」

「いいの。で、カミュちゃんはダンスがとびきり上手」

「オレだってあまり自信はないぜ。でも、踊るのは好きだな」

 シルビアは満面の笑みをうかべて、待ってて、と言いながら立ちあがり、団員たちとなにやら話はじめた。

 

 シルビアは大小さまざまなドラムをイスのまわりにならべると、ベロニカに横笛を、セーニャに竪琴をわたし、カミュに鈴のついた小さなドラムを手わたした。

「慣れてるものとはちょっと違うかもしれないけれど、基本は同じはずよ。どうかしら?」

 ベロニカとセーニャは手わたされた楽器で調子の外れた音を鳴らしたが、すこし練習すると、きれいな音色がひびきはじめた。

「うん、これなら吹けるわ。だいたいおんなじね」

「この竪琴も、里に置いてきたものと同じように弾けますわ」

「よーし。じゃあ、カミュちゃん。いまからアタシがリズムを作るから、自由に踊ってみて」

「自由にって言われてもな。まあ、やってみるよ」

 シルビアがトン、トン、とゆっくりドラムをたたくと、カミュは大きな身振りでステップを刻みはじめた。

「カミュちゃん、やっぱりあなたセンスあるわ。それじゃあね、次は、踊りながらその楽器を叩いて。いい?アタシがトン、ってやったら、タンって叩くの。トン、タン、トン、タンよ。体のどこで叩いてもいいわ」

 シルビアに言われ、カミュは踊りながら、ある時はももに打ちつけ、ある時は背中に手を回してリズムを刻んだ。

「ばっちりね!じゃあベロニカちゃん、セーニャちゃん、演奏をお願いね。曲は、あの塔で演ったのがいいわ。すこしづつリズムを変えていくから、合わせてちょうだいね」

 いち、に、さん、はい、とシルビアがとった音頭に合わせ、ふたりは演奏をはじめた。

 はじめはドラムの刻むリズムにとまどっていたふたりだったが、すこしづつ四人のリズムは調和していった。

「いいわね!さあ、テンポを上げていくわよ。ほら、ベロニカちゃん、セーニャちゃん、もっと体を揺らして、リズムをとるのよ。そうそう。足でもリズムを刻んでね」

 四人の演奏が楽屋に響きだすと、すこしづつ団員たちが集まってきた。

 あるものは手を叩き、あるものは歌いだし、やがてカミュのとなりでリズムを合わせて踊るもの、フィドルや手風琴を持ちだし、曲を奏でるものもあらわれた。

 場にいるもの全員が一体になったような熱演が続き、いつしか演奏はフィナーレを迎えた。

「はい、拍手ゥ!」

 シルビアがそう叫ぶと楽屋には皆の笑顔と拍手の音があふれ、カミュはその場にへたりこみ、はあはあと息を切らした。

「アンタたち、最高ね!」

 シルビアはカミュたちとパチンと大きな音を出して手をあわせ、ベロニカとセーニャもぱん、とタッチを交わした。

 

「えへへ、あんなのって、はじめてだったわ。楽しかったぁ……」

「どう?忘れられない夜になったでしょう?」

 すっかり落ち着きをとりもどした楽屋で、四人は笑い合っていた。

「私たちの竪琴や笛で、あんなに楽しいことができるなんて。考えたこともなかったですわ」

「オレも音楽に合わせて踊ったのなんて、はじめてだったよ。良いもんだな」

「うふふ。アンタたち三人で、いまのをどこの町で演っても、立派にお金がとれるわよ。旅芸人として食べていけるわね」

 シルビアがそう言ってウインクをすると、カミュたちは大きな声でわらった。

「いや、それは話が飛びすぎだぜ、シルビアさ……シルビア。でも、こういうのも面白いな」

「ええ。カミュちゃんならジャグリングだってナイフ投げだって、すぐに覚えられそうよ。いつか、習いに来なさいな。ベロニカちゃんとセーニャちゃんも、息がぴったりだったわよ。さすが双子ね」

「ありがとうございます、シルビアさ……シルビア。旅芸人なんだから、あたりまえのことなのかもしれないけれど、シルビアってなんでもできるのね」

「ええ、尊敬いたしますわ」

 シルビアは頬に手をあて、うふふっと笑った。

「ち・が・う・の。何でもできるように、見せているのよ。アナタたち、こう思わない?こうして自分に出来ないことをやっている人間を見て、自分でもがんばったら、あんなことができるのかもしれない、って」

「ああ、思います……いや、思う」

「そういうことよ。アタシたちは、夢を見せているの。あんなことが出来たら楽しいだろうなぁ、っていう夢。夢をみたとき、人は笑顔になるのよ」

 カミュたちが感心したようにシルビアを見つめると、シルビアはわざとらしく照れてみせた。

「いっしょに旅をしていたときから、思っていたけど、やっぱりすごい人だわ。シルビアさん。あの……ずっと聞きたかったことが、あるんですけど」

「その話し方じゃなかったら、答えてあげるわよ。なぁに?」

 ベロニカは、言葉をえらびながら言いづらそうにたずねた。

「ずっとわかんなかったんだけど、シルビアって、どうして女の人の真似をしているの?あたし、尊敬するシルビアさんと、たのしいお友達のシルビア、どっちが本当のシルビアさんなのか、わかんなくって」

 カミュとセーニャがぎょっとした顔でベロニカを見たが、シルビアはいつもの調子で答えた。

「ちょっと考えてみて。もしアタシが、グレイグみたいにいっつも真面目な顔をして、あんなふうにカタい話ばっかりしていたら、アナタたち、こんなふうにアタシと仲良くなれたかしら?」

「ああ……そうですね、なれなかったと思うわ」

「ね?だから、それでいいじゃない。ベロニカちゃんからはふたつの顔が見えているのかもしれないけど、どっちもアタシであることに、違いないわ」

「うん。変なこと聞いちゃって、ごめんなさい」

 そう言って頭を下げるベロニカに、シルビアはすこし悲しげな表情を見せた。

「いいのよ。気にしないでちょうだい。で、アナタたち、明日にはもう行っちゃうの?寂しいわね」

「そのつもりで……そのつもりだ。ありがとな、シルビア。楽しかったぜ」

「アタシもよ。アナタたち三人、いつだって歓迎するから、また遊びに来なさいよね」

「ありがとうございます、シルビアさま。なんだか元気が出ましたわ。また、お会いしましょうね」

「うふふ。アタシは旅芸人なのよ。人を元気にするためにいるの」

 カミュたちはシルビアと抱擁を交わすと、たがいに手をふり合って、楽屋を後にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

「なんだかオレたち、その指輪に良い旅をさせてもらったのかな」

 サマディー王国の宿の一角のうすぐらいテーブルで、カミュはつぶやいた。

 ベロニカとセーニャがなにか答えかけたが、食事をもってきた宿の主をみて、口を閉じた。

「サーカスはどうだったかね?シルビアは見られたかい?」

「ええ、最高でした。あたしたち、前にも見たことがあるんですけど、今日はずっとよかったです」

 宿の主は、そうかい、と言ってほほえみ、テーブルに皿を並べた。

「ちょっと辛いけれど、手づかみでやっとくれ。こっちの薄いパンで挟んで食べるんだ」

「ありがとうございます、いただきますわ」

 三人は食前のお祈りをすませると、テーブルに置かれたひき肉と見なれない野菜の炒め物を、黙々と口に運んだ。

「辛い……んだけど、ハチミツが入ってる?甘いのか辛いのか、よくわからないわね。うん、おいしい。セーニャは、辛いの大丈夫だっけ?」

「得意ではないですけれど、これはおいしいですね。おもしろい味ですわ」

「オレ、何食ってもウマいんだよな。味の好き嫌いってやつがよくわからんよ、舌がニブいのかな」

 三人はそう言って笑いあったが、その後はだまったまま食事を終え、やがてカミュがかるく息をついて、つぶやいた。

「なんか、寂しいな」

「うん」

「正直に打ち明けると、オレ、指輪をダシにして、旅を楽しんじまった。すまんな、指輪さん」

「あはは。あたしも、正直に言うと、半分はそうだわ。セーニャは?」

 セーニャは首をかしげてすこし考えこむと、ゆっくりと話した。

「楽しかったことがはんぶん、辛かったことがはんぶん、はんぶんはんぶんですわ。あんな旅をしたあとですのに、わかったこと、学んだこと、知らなかったこと……そういったものが、たくさんありました」

「うん。あたしたち、自分でもびっくりするくらい、ものを知らなかったのね。まだ終わったわけじゃないけれど、いい旅だったと思うわ」

 ベロニカとセーニャは、そう言ってみつめあい、うなずいた。

「オレだってそうだ。みんなのこと、わかってるようでわかってなかったんだな」

「うん。アンタも含めて、みんな色んなことを抱えながら、生きているのね」

 三人はふたたび黙りこむと、やがてカミュがははっ、とわざとらしく笑った。

「すまん。こんな話はもうやめよう。せっかくシルビアさんに元気づけてもらったのにな。今日はもう休むとしようぜ」

 カミュたちは宿の階段をのぼり、おやすみ、と言ってそれぞれの部屋へと入っていった。

 

「セーニャ、油のお皿をとってちょうだい」

 自分たちの部屋に戻り、ベロニカがそう言うと、セーニャは窓からかろうじてさしこむ月明りでテーブルの小皿を見つけ、かがみこんでベロニカに手渡した。

 ベロニカが指先から小さな火をぽっと出して灯心にともすと、セーニャはベッドのわきのテーブルにそっと置いた。

 セーニャがベッドにそっと腰をかけ、ベロニカがベッドに登るのを手伝うと、ベロニカは赤いずきんを脱ぎ、セーニャの横にすわった。

「炎の魔法、便利ですよね。私もできればよかったのに」

「なんども言ったでしょ?資質っていうのかしら、人によって、できる魔法とできない魔法があるのよね。あれだけの魔力をもったロウ様でも、炎の魔法はできないみたいだったし」

 そう言うと、ベロニカはにこっと笑った。

「でも、ずっと見てたから知ってるわよね。あたしだって、コレ、苦労したのよ。ちっちゃく火を出すのって、おっきく出すのと同じくらい、むずかしいのよ」

「ふふ。お姉さま、いろんなものを焦がしていましたね。前髪を焦がして、泣いていたこともありましたっけ」

 セーニャが笑うと、ベロニカは、歯を見せて苦笑いした。

「そうだったわ。だけど、失敗するたび、セーニャに治してもらっていたわね。あたしだって、セーニャの癒しの魔法、うらやましく思っているのよ。それに、この体になって、セーニャに頼ること、増えちゃったわよね。ベッドにもひとりでのぼれないの」

「私は、お姉さまに頼られることが増えて、うれしく思っていますわ」

 セーニャがそう言うと、ベロニカはうつむき、すこし考えこんでからぽつりと言った。

「ねえ、セーニャ」

「なんでしょう?」

「たとえばのはなしだから、落ち着いてきいてね。たとえばのはなしよ」

 セーニャが不思議そうな顔でうなずくのを見て、ベロニカはつづけた。

「たとえば……ごめん、やっぱりやめるわ。なんでもない」

「お姉さま?」

「いいの。忘れて」

 ベロニカはベッドの上をもぞもぞとたどり、枕にばふんと頭を落とした。

「ねえ、セーニャ」

「はい……」

「あの旅でさ、大樹様をのぼる途中でキャンプしたとき、アンタと話したこと、まだ覚えてる?」

 セーニャはベロニカのとなりに背を向けて横になると、いじわるっぽく言った。

「お姉さまは、忘れてほしいのですか?」

「そうじゃないの。あやまろうと思って」

「……」

「あたし、うれしかったわ。でも、あたし、セーニャみたいに、素直になれないの。だから、アンタのこと、グズだからなんて言って、ごまかしちゃった」

「……」

「セーニャ、ごめんね。今は……あのときのセーニャの言葉、そのままあなたに言いたいわ。覚えてる?」

「芽吹くときも、散るときも……」

「芽吹くときも、散るときも……」

 ふたりの声がうつくしく重なり、ふたりはそこで口を閉ざした。

 どちらのものか、あるいはふたりのものなのか、どちらともつかないすすり泣く声が部屋にしずかに響いた。

「セーニャは知っていましたよ。でも……いえ。おやすみなさい、お姉さま」

 セーニャがゆっくりとそう言うと、ベロニカはおやすみ、と小さな声で答えた。

 

 

「水はたくさん持っているな?磁石は?」

 翌朝、サマディー王国を出たカミュたちは、関所の衛兵に引きとめられていた。

「ここにあります。地図も」

「よし。オアシスの場所に印をつけておく、こことここと、ここだ。もし野営をするハメになったら、陽があるうちに急いで向かうんだぞ。夜具はもっているか?」

「はい。ちゃんと毛布をもってます」

 ベロニカがくるっと回って、衛兵に背中の荷袋を見せると、衛兵はうなずいた。

「うむ。砂漠の夜は冷えるからな。万が一方向を見失ってしまったら、まっすぐ南に向かえば、ここから続く岩山が見えてくるはずだ。左手でつたって進めば、ここに戻ってこられるからな」

 衛兵の忠告を聞いて、カミュたちがだまってうなずくと、衛兵は念を押すように続けた。

「口うるさくてすまんが、ここに関所がある理由を理解してほしい。軽い気持ちで入り込んで、戻ってこなかった者を私は何人も見てきた。どんな用事があるのか知らないが、くれぐれも慎重にな」

「はい、ありがとうございます。それでは、行ってきます」

 衛兵がゆっくりと扉をひらくと、向こうには一面の砂の海がまぶしく輝いていた。

 カミュたちが一歩を踏みだすと、照りつける日差しと、ゆるく流れる熱風が、砂漠の厳しさを教えていた。

「ねえ、カミュ、アンタ砂漠の進みかた、知ってるの?」

「あんまり自信はねえが、まあ、なんとかなるだろ。とりあえず、あの輪っかの遺跡を探せばいいんだろ?」

 カミュがそう言うと、ベロニカは足元の砂をばんばんとふみつけた。

「ここで干からびて、砂漠の砂になっちゃうなんて、ゴメンだわよ」

 カミュは不安そうなベロニカのかたわらにかがみこみ、地図をみせた。

「いいか、いまオレたちがいるのはここな。輪っかの遺跡はここ。右手にそって岩山を進んで、ここのオアシスからまっすぐ北に向かえば、西に遺跡がみえるはずだ」

 カミュが地図を指さして説明すると、ベロニカは片手でずきんを深くおろして言った。

「ごめん。アンタがそういうなら、大丈夫よね」

 カミュが不思議そうな顔をして立ちあがり、セーニャを見ると、セーニャはにっこりとほほえんだ。

 

 三人はひたすら砂漠を歩き続け、オアシスで太陽のてっぺんをやりすごすと、勇者の星を観測していた遺跡のわきを通りすぎ、海が見える場所にたどりついた。

 あたりは砂の海からまばらに岩が顔を出しているだけで、大きな石碑などは見当たらなかった。

「場所はここで合ってると思うが、なにか探すのは骨が折れそうだな。もしかしたら、すっかり砂に埋もれちまってるかもしれないし」

「うん。でも、ここまで来たんだから、やるしかないわ」

「はい。手分けをして探しましょう」

 カミュたちは太陽の照りつける砂漠の岩をひとつひとつたしかめ、砂を払ってみたが、石碑らしきものを見つけることはできなかった。

 やがて陽がゆっくりと傾きはじめ、三人が諦めかけたころ、南のほうを探していたカミュが、大声でベロニカとセーニャに呼びかけた。

「なあ、来てくれ。なにか刻んであるものを見つけたんだ」

 

 砂に沈む明らかに人が削った岩のまわりを、三人が息を切らしながら掘り起こすと、平らに刻まれた石碑らしきものと、きざまれた文章が浮かび上がった。

「この文字、見おぼえあるよな。デルカダールの書庫で見たやつだ」

「まちがいないわ。指輪さんに読んでもらいましょう」

 ふたりがセーニャを見ると、セーニャは決然とうなずき、ふたりが背を支えることをたしかめてから、ゆっくりと指輪をはめた。

 うなだれたセーニャは、すぐに顔を起こすと、ゆっくりとあたりを見回した。

「……ここは……」

「あんたたちの故郷、があった場所らしいぜ。見覚えあるか?」

「……いや……わからぬ……だが……懐かしい……」

「指輪さん、ここに石碑を見つけたのよ。読めるかしら?」

 セーニャは石碑の正面へと進み、ゆっくりと読みあげた。

「……我……大陸を……統べし……ハスダール王……なり……永久に続く……我が栄光……ここに刻む……踏み砕かれ……砂塵と……なりても……讃え……慄け……」

 セーニャは碑文を読み終えると、やがて乾いた笑い声をあげた。

「……はは……我らの……血を吸い……築いた……王国も……いまや……はは……ははは……」

 カミュとベロニカはただ立ちつくし、空が赤く染まりはじめた砂漠には、風の音と、セーニャの慟哭だけが響いていた。

 

「……ありがとう……若者たちよ……」

 セーニャが重々しくそう言うと、カミュは苦々しい顔でこたえた。

「いや、すまねえ。もうちょっと、なにか痕跡が残ってると思ってたんだが。まさか、敵さんが作ったこの石碑だけとはな」

「……良いのだ……諸君には……感謝しても……しきれぬ……」

 カミュとベロニカは、だまって顔を見合わせ、うつむいた。

「……最後に……ひとつ……頼みがある……」

「なんですか?」

「……指輪を……砕き……祖国の砂と……しては……もらえまいか……」

 ふたりはだまって考え込み、うなずいた。

「……わかりました。じゃあ、これでお別れですね」

「……ああ……諸君らの……未来……我らと……同じ道……辿らぬよう……祈っている……ぞ……」

「ありがとう、指輪さん……どうか、やすらかに眠ってくださいね」

 ふたりの言葉を聞いて、セーニャはかすかにほほえむと、深々と頭をさげ、指輪をはずした。

 カミュたちがだまってセーニャを抱きかかえると、セーニャはいそいで指輪を拾いあげた。

「お姉さま、ごめんなさい」

「え?」

 セーニャは強引にベロニカの手をとり、指輪をはめると、ベロニカは力を失い、その場にぺたんとへたりこんだ。

「おい、なにしてんだ、セーニャ!?」

 セーニャはカミュを無視して、ベロニカを強く抱きしめた。

「……なんだ……どうしたのだ……」

「ダメです」

「……」

「ダメです!」

 セーニャはベロニカを抱きしめたまま、涙まじりに叫んだ。

「指輪さまの無念、ちっとも晴れていないじゃないですか!私にはわかります!」

「……だが……」

「探しましょう」

「……」

「あなたたちだって、生きていたかったんでしょう?生きていたかったから、指輪に宿ってまで、こうして」

「……」

 セーニャは声をあげて泣き出した。

「探しましょう。いっしょに、どんな形でも生きていてよかったと思えるなにかを」

「……」

「私がかならず探します。探してみせます。あなたたちの命に、意味があったと思える何かを」

「……」

「ですから、お願いです……指輪さま……私のことだって……励ましてくださったじゃないですか……」

 セーニャがベロニカを抱いたまま泣き崩れると、カミュも横から、ふたりを強く抱きしめた。

「なあ、こうまで言ってくれる人なんて、いないぜ。指輪さん、オレがアンタの気持ち、わかるって言ったらウソになるが……こんな人たちがいるんだ。オレだって協力する。いいだろ?」

 ベロニカは、力なく伸ばしていた腕を上げ、ふたりを抱きしめた。

「……ありがとう……」

 ぽつりとそう言って、ベロニカはふたつの大きな瞳から涙を流し、やがて力を失った。

 ベロニカはすぐに力をとりもどしたが、三人は強く抱き合ったまま、いつまでも声をあげ、泣きつづけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

「あら、もう起きてたのね」

「おう」

 やさしい朝日につつまれたラムダの里の宿のかたすみで、カミュはベロニカに片手をあげてあいさつをした。

 ベロニカはイスにクッションを積みあげると、カミュのとなりに座り、テーブルに頬杖をついた。

「ありがとね」

「ん?」

「アンタのおかげで、無事に旅を終えて、こうして帰ってこられたのよね」

「ああ、いいって。オレにとっても、いい旅だったよ」

 しばらく沈黙がつづき、ベロニカがぽつりと話した。

「楽しい旅だったわね」

「ああ」

「あたし、セーニャのこと、誤解してたわ」

「誤解?」

「うん。あの子は、あたしのあとを、ゆっくりついてきてるんだと、思っていたんだけれど。そうじゃなかったみたい。セーニャは、あたしにないもの、たくさん持っているのね」

 カミュは片手を顔のまえで振り、ははっと笑った。

「らしくねえこと言うなあ」

「そうかしら?」

「オレから見ればよ、お前たちふたりが持ってるものって、同じに見えるよ」

「同じ?」

「ああ。例えばこのハーブティだよ」

 カミュはそう言ってハーブティにミルクとはちみつを注ぎ、スプーンでぐるぐるとかきまぜた。

「ベロニカとセーニャ、どっちもハーブの味がして、ミルクとはちみつが入ってる。違うのは、注いだお茶の濃さだったり、はちみつの量だったり……はは、すまん。例えが悪かったな」

「あはは。あいかわらず、詩みたいなこと、言うわね。でも、言ってること、なんとなくわかるわ。他人からは、そう見えるのかあ」

 カミュはカップからお茶を口にふくむと、顔をしかめた。

「オレ、好き嫌いはあんまりないはずなんだが、このハーブティってやつ、やっぱり苦手だな」

「なによ!失礼ね!」

 ベロニカが大声をだし、カミュはたじろいだが、ベロニカがにっこり笑っているのをみて、すぐに苦笑いを返した。

「はは。すまねえ、オレってこういうところ、本当に気が利かないよな」

「いいのよ。そういうとこ、アンタらしいって思うもの」

「そいつはどうも。きっと、みんなこうやって、無いものねだりしてんだな。他人の持ってるもんがよく見えてさ。他人を見れば、そのままでいいのにって思うんだが、どうしてか、オレはこのままでいいのかなって、不安になるんだよな」

「うん。あたしだってそう」

「この旅でみんなに会って、そういうことがよくわかったよ。指輪の無念じゃねえが、こういうの、ずっと抱えていくんだろうな」

 カミュはそう言って手持ちぶさたにお茶をすすり、また渋い顔をした。

「そういや、指輪はどうなったんだ?」

「なんかね、ただの指輪にもどっちゃったみたい。セーニャは、はめるとお話ができる気がするんです、って言ってたけど」

「そうなのか。無事に召されたってことなのか?」

「わかんない、けど、そういうことにしておきましょ。セーニャのためにもね」

「ああ、それがいい。オレたちにとっても、そっちのほうがいい話だ。しかし、あの手のモノは、まだ世界中に転がってるんだろうな」

「あっ、そうだ。アンタに渡すものがあるのよ。ちょっと待っててね、取ってくるわ」

 ベロニカがそういって宿から駆けだすと、ほどなくして代わりにセーニャが入ってきた。

 

 セーニャはカミュの顔をたしかめると、軽く頭をさげ、ゆっくりとカミュのとなりに座った。

「おはようございます。カミュさま、このたびは本当にありがとうございました」

「いいって。ベロニカにも言ったが、オレにとってもいい旅だったんだ、言いっこなしにしようぜ。指輪、セーニャが持ってるんだって?」

「はい。お姉さまが、これは私のものだって」

 セーニャはそう言って、ふところから大事そうに指輪をとりだした。

 カミュが見守るなか、セーニャはゆっくりと指輪をはめてみせたが、なにも変化は起こらなかった。

「そうか……まあ、消えちまったってことは、悪い意味じゃないよな、きっと」

「ええ、そう思います。それに、お姉さまが」

 セーニャはそう言いかけて、はっと何かに気がつき、両手で口をおおった。

「ん、ベロニカがなにか言ってたのか?」

「いえ」

 セーニャは口元に立てた人さし指をあて、ウインクしてみせた。

「私たちふたりの、ヒミツです」

 カミュはセーニャのしぐさをみて目を丸くしたが、すぐに大きな声で笑った。

「はは。セーニャ、なんか変わったよな。少しだが、お前のお姉さまに似てきた気がするよ」

「そうですか?」

「ああ。逆に、ベロニカは少し、セーニャに似たんじゃないか。うまく言えないが、少しだけ、素直になった気がするぜ」

「それは私にもわかりました。カミュさまも、同じことを感じていたのですね」

「おう。ベロニカのヤツ、お前のこと、褒めてたぜ。しかしふたりとも、なにがあったのかね。そういや、お前の言ってた悩み事ってやつ、どうなったんだ?」

 セーニャは笑顔のままうつむき、言いづらそうに答えた。

「それは……おたずねにならないでください。でも、私はもう大丈夫ですわ」

 カミュは、ふーん、と言いながら腕組みをした。

「やっぱりオレ、他人の心のこと、全然わかんねえんだな。ニブいのは知ってたが、今回の旅で痛感したよ」

「いえ、カミュさまは、そのままでよろしいのです」

「はは。ベロニカにも同じことを言われたよ。ま、オレに話せないことでも、ベロニカにはいつか話せるだろ?」

 カミュがそう言うと、セーニャはしみじみとした表情でうなずいた。

 

 ふたりが話を続けていると、ベロニカが息を切らせて宿に駆け込んできた。

「あら、セーニャ、ここにいたのね」

「はい、お姉さま。あれをお持ちになったのですね?」

 ベロニカはセーニャに手を取られ、クッションを積みあげたイスに座ると、テーブルの上に、円錐形で空色に透きとおった、小指ほどの石を置いた。

「ん?これはなんだ?」

 カミュがたずねると、ベロニカとセーニャはお互いの目をみて、ほほえんだ。

「これはね、ふたりで作ったのよ。ほんとは、アンタが指輪を持ってきてくれたときに、渡そうと思ってたんだけど。忘れてたわ」

「はい。きっと、カミュさまのお役に立つはずですわ」

 ベロニカが片側についた鎖をつまみあげ、持ってきた杖に向けて石を垂らすと、円錐形の石は、赤い光をはなった。

「みえた?これね、魔法がかかっている品を見分けられるのよ。良い魔法か、悪い魔法かまでは、わかんないんだけどね」

「へえ、そいつは便利だ。そいつがあったら、今回の旅に出ることもなかったのかな」

 三人は顔をみあわせ、うーん、とうなった。

「まあ……そういうことになるわね。でも、あたしたちが手にしなかったら、指輪さん、ずっとあのままだったのよね」

「ええ。いったいどう考えたらよいのか……めぐり合わせとは、本当に不思議なものです」

「うん。ま、そういうことだから、これ、アンタにあげるわ。あたしたちふたりからの、旅のお礼ってことでね」

 ベロニカとセーニャはふたりで鎖を持ってカミュに差しだすと、カミュは手のひらで受けとった。

「ありがとな。さっそく、なにかで試してみたいな。お、そうだった」

 カミュは荷袋をごそごそとあさり、深紅の宝石がついた一対の耳飾りをとりだし、テーブルに置いた。

「これもお前らにやるつもりだったんだが、どれ、確かめてみるか」

 そういってカミュが耳飾りにむけて円錐をたらすと、円錐は赤いかがやきをはなった。

 三人は顔を見あわせると、カミュは大きなため息をつき、ベロニカとセーニャは大きな声で笑った。

「アンタ、この手の品をさがす専門家になれるんじゃないの?」

「我ながらスゲーと思うよ。もう、お宝だとか宝石に関わるの、やめようかな」

 ベロニカがなぐさめるようにカミュの肩をぽんぽんと叩くあいだ、セーニャは耳飾りをじっと見つめていた。

「それで、この耳飾りはどうされるのです?」

 カミュたちはしばらくだまって考えこんでいたが、やがてセーニャが耳飾りを手にとり、にっこりとほほえむと、カミュとベロニカはあわててイスから立ちあがった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おまけ

あったかもしれない、もうひとつの結末。
エピローグではなく、第八話からのつづきです。


「ここはね、あたしたちが子供のころ、だいすきだった場所なの」

 ラムダの里からつながる静寂の森の奥、ひときわ大きな樹のそばで、カミュとベロニカはそれぞれ手に持ったランプの灯りで、ぼんやりと照らされていた。

「へえ。静かでいいとこだが、夜はちょっと怖いくらいだな」

「うん。ねえ、座りましょ」

 カミュはベロニカにうながされ、大樹の根本でベロニカのとなりに腰を降ろした。

「まずは、ありがとね。今回の旅、アンタがいなかったら、どうにもならなかったわ」

「いいって。そもそも、オレが指輪を持ってこなけりゃ、旅にでることもなかっただろ?」

「あはは。まあ、そうなんだけどね。でも、楽しい旅だったわよね」

「ああ、心からそう思うよ。みんなにまた会えて、指輪のことも、めでたしめでたしと」

 ふたりはぼんやりと星空をながめていたが、やがてカミュが切り出した。

「なあ、ヘンなこと言っていいか?」

「なに?」

「オレ、ここには初めてきたはずなんだが……なぜか、ここですごく悲しい思いをした気がするんだよ」

「あら、アンタもなの?」

 ふたりはランプの頼りない灯りのもと、じっと目を見あわせた。

「不思議なのよね。あたし、ここには楽しかった思い出しかないはずなのに」

「上手くいえないが。なんというか、誰かと辛い別れをした感じか?」

「そう。なんでなのかしら。みんなと旅にでる前は、そんなことなかったはずなのに」

 カミュはふーん、とうなずき、星空に目を戻して、切り出した。

「で、ふたりで話したいこと、ってのはなんなんだ?」

「うん。ごめん、ちょっとまってね」

 そう言ってベロニカは深呼吸すると、絞りだすように言った。

「たとえばよ。たとえばのはなし」

「ああ」

「たとえば……ごめん、やっぱりうまく言えないわ」

「なんだよそれ?」

「うん……あのさ」

 カミュがベロニカに目を戻すと、ベロニカは泣きだしそうな顔でカミュを見つめていた。

「あのさ……これからするお話、この森をでたら忘れるって、約束してくれる?」

「ああ、わかった。ほら、指きりしよう」

「もう、そうやって子供あつかいするの、やめて」

 ベロニカはそう言いながらも、カミュが差しだした小指に、自分の小指をからませた。

「誓約は果たされた。さぁ、お嬢様、なんなりとお話ください」

 カミュがそういっておどけて見せると、ベロニカは袖で顔をごしごしとこすった。

「カミュ……いつか。いつかでいいわ。マヤちゃんが立派にひとりだちして、アンタひとりになったらでいい。いつかまた旅に……いえ。いつか、あたしたちといっしょに、暮らしてくれないかしら……」

 カミュはベロニカをじっと見つめたまま黙りこみ、やがて口をひらいた。

「あたし、じゃなくて、あたしたち、なのか?」

 ベロニカはだまってうなずき、ふるえる声で話した。

「うん。ごめん。あたしにもわかんないの。この気持ちを、どうしたらいいのか。セーニャはすごく大事よ。だから、傷つけたくない。でも、アンタのこと考えると……アンタにも、セーニャと同じように、そばにいてほしいのよ……あたし、どうしたらいいのか、わかんない。わかんないわ」

 なんとか想いを吐きだすと、ベロニカの瞳から涙がこぼれおち、声をあげて泣きはじめた。

 カミュは腕組みをして空をあおぎ、深いため息をついた。

「まったく、イヤんなるよ。オレ自身のニブさがな。お前がそこまで思い詰めてたなんて、オレ、まったくわからなかった」

「いいの。あたしが言葉に出さなかったんだから」

 涙まじりに話すベロニカを、カミュはやさしい瞳で見つめ、ぽんぽんと頭をたたいた。

「そうだな、オレは、口に出して言われなきゃわからんらしい。だからよ、お前にどう応えてやったらいいのかも、わかんねぇんだ。バカな男だろ?」

「いいのよ。あたしにだって、どう答えてほしいのか、わかってないんだもん」

 カミュはだまって、泣きじゃくるベロニカの小さな背中をさすった。

「じゃあ、整理していこう。例えばだ、オレがお前を連れて旅にでたい、って言ったら、イヤなのか?」

「……ダメよ。セーニャを傷つけたくないし、あたし、里から離れられないもん」

「そうか。じゃあ、セーニャがオレと暮らすって言いだしたら、どうする?」

 ベロニカは大きな声で泣き出し、そんなの、と絞りだすように言った。

「イヤ……だけど……セーニャがそうしたいなら、そうすればいいわ……でも、あの子も、きっと、イヤだって言うとおもう」

 カミュは、そうか、とつぶやき、ねぎらうように話した。

「双子ってのは、苦労するんだな。おたがいを傷つけず、ふたりでいっしょに幸せになる方法か……たしかに、わかんねぇな」

「うん……」

「じゃあ、こうしようか。ちょっと立ってくれ」

 ベロニカが真っ赤になった目をごしごしとこすりながら立ちあがると、カミュもいっしょに立ちあがり、ベロニカの頭に手をおいた。

「お前の背丈が、ま、このへんか。オレの首のあたりな。このへんまで伸びたら、この場所にもう一度、お前の気持ちをたしかめに来るよ。お前はどうしたいのか、それまでに考えておくこと」

 カミュはかがみこんでベロニカの顔をのぞくと、ベロニカは顔をこすりながらうなずいた。

「だが、いいのか?そのころにはオレ、すっかりおっさんになっちまってるぜ。グレイグさんみたいに、ひげを生やしているかもしれない」

 カミュがそう言って笑うと、ベロニカは無理矢理に笑顔をつくった。

「あたしがセーニャやマルティナさんなんて目じゃない、とびきりの美人に育っても、アンタ、そんな口を叩けるのかしらね」

「はは。やっぱり、お前はそれがいいよ。泣いてるところなんて、似合わないぜ。ところでよ、この話は忘れるって約束しちまったが、どうする?」

「あ……もういっかい、ゆびきりする?」

 ベロニカがそう言うと、カミュはにっこりと笑った。

「いや。こいつをオレの約束の証としよう」

 カミュはそう言ってベロニカのずきんを取りあげ、額にくちづけをすると、強く抱きしめた。

 ふたりは長く抱擁を交わし、やがてカミュが離れてずきんをかぶせると、ベロニカの瞳には、また涙があふれていた。

「ありがとう、カミュ。ありがとう」

「オレは必ずここに会いに来る。忘れんなよ」

「うん」

「そんじゃ、戻るとするか。もうすっかり夜更けだ」

「……ごめん、先にもどってちょうだい。あたし、落ち着くまでここにいるから」

 カミュはだまってランプを取りあげ、いつものように片手をあげてあいさつをし、立ち去った。

 

 カミュが里へと戻る林道を足元に気をつけながら歩いていると、ランプをさげて近寄ってくる人影が見えた。

 カミュは身を伏せて警戒したが、人影の正体はすぐにわかり、ほっとため息をついた。

「おい、セーニャだろ?どうしたんだよ、こんな遅くに」

 セーニャは何も言わずにカミュに近づき、真正面に立って向き合った。

「カミュさま、お願いがあります」

「ん、いきなりなんだよ?」

「そのまま、だまって目を閉じていただけませんか?」

 カミュが言われた通りにすると、セーニャはすこし背伸びをしてカミュの頬にくちづけをし、そのまま抱きしめた。

 カミュもセーニャの背に手を回し、かたとき抱き合うと、セーニャは離れ、深くおじぎをした。

「なにも、言わないでください。お姉さまのところに行ってまいります」

 セーニャはそう言うと、カミュのわきを抜け、森の奥へと歩き出した。

 

 セーニャは森の奥にたどり着くと、ランプをわきに置いて座りこむベロニカと、だまって抱きあった。

「お姉さま」

「うん」

「私たち、同じですね」

「うん」

「お気持ち、伝えることができましたか?」

「……うん」

「なにか、言ってらっしゃいましたか?」

「うん……ごめんね、セーニャ。あとで、教えるから」

「ありがとうございます……お姉さまは、勇気がおありですわ」

「なにも言わないで、セーニャ。なにも言わないで」

 ふたりが黙りこむと、静寂が森をつつみ、夜が更けていった。

 

 まだ薄暗い明け方、三人はラムダの里の入り口に立っていた。

「もう、行っちゃうのね」

 そうつぶやくベロニカの瞳は、まだ赤みが残っていた。

「お前、ひどい顔だぜ。人に見られない時間でよかったな」

 カミュがそういって笑うと、ベロニカは歯を見せて笑った。

「あはは。ほんとだわ。じゃあ、マヤちゃんによろしくね。楽しい旅だったって、伝えておいてちょうだい」

「ああ。世話になったな」

「カミュさま、こちらこそ、ありがとうございました。カミュさまがいなくては、成しえない旅でした」

「いいんだ。オレも楽しかったよ」

 カミュはそう言って右手をだそうとしたが、思い直した。

「いや、いいよな。ここで別れを惜しまなくたって」

「ええ。それじゃあ、またね」

「またお会いしましょう、カミュさま」

 片手を上げてあいさつし、背を向けて去っていくカミュを、ふたりはじっと見守っていた。

「お姉さま」

「なあに?」

「私、カミュさまがつぶやいた言葉で、印象に残っているものがあるんです」

「どんなの?」

「自分の人生がどうなるのか、最後までただ見届けたい、だそうです」

「あはは。アイツらしいわね。でも、いまは、すごくわかる気がするわ」

「私もです、お姉さま」

 ふたりはお互いをたしかめ、ほほえむと、真っ赤に染まる朝焼けの空を背に、ゆっくりと歩き出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。