―――妖精郷。
英霊、妖精、精霊、幻想種……元々の霊格が非常に高い、あるいは生前偉業を果たし、輪廻転生の枠組みから外れたモノ達の楽園。彼のアーサー王が死後にたどり着くという、世界最後にして唯一のユートピア。
「……あぁ。どうかしたのですか? ヘラクレス」
そこに時間の概念はなく。
「クーフーリンが勝負を望んでいる? ……すいません。今日はどのような気分ではないもので」
時代の概念も存在し得ない。
「御身には迷惑かもしれませんが、後日ならば勝負を受けると返答をお願いできませんか?」
ありとあらゆる場所で、時代で生まれた無数の英雄が。
「……いえ。心配をおかけしてしまったようで、申し訳ありません」
最盛期の姿のまま、老いることもなく存在し続ける理想郷。
「はい……ありがとうございます。また今度、共に早駆けでも楽しみましょう」
―――それで、話すことはなくなったのか。
鉛色の巨人。半神半人の大英雄は優しげな微笑みを讃えたまま静かに去り。
金髪の少女。騎士王は最期の時のように大木へもたれかかって目を閉じる。
「ふう……」
そうして吐き出した。
望郷の念にも似た、微かな―――だが確かな憂いを宿した、溜息を。
「…………久々でしたね。あの夢は」
生前、死に至る直前に見た幸せなユメ。
楽しく、緩やかに過ぎ去っていった日。
あの人と共に駆け抜けた、戦いの記憶。
人としてではなく、王として生きた自分にはありえない―――普通の少女の日常。
「……懐かしい」
理想郷の風に頬を撫でられながら、薄れることのない記憶に思いを馳せる。
忘れえぬように。その記憶がずっと、尊いものであるように。
「また、会いたいものですが」
―――叶わない願いであることは知っている。
この身は清純の英雄として祭り上げられ、輪廻転生を脱し魂の座に至った。
飢えることもなく老いることもなく、永遠を約束された理想郷で無限の時を過ごす自分と。
輪廻転生を繰り返し、喜怒哀楽の入り混じる世界の中で有限の時を精一杯に生き抜く彼ら。
時間も場所も観念も次元も何もかも―――世界そのものが違う両者は、歩み寄ることはあれ決して交わることはない。
あの戦いのように歩み寄ることはあっても。
虚ろなユメ(ホロウ・アタラクシア)のように交わることだけはない。
「……やめましょう。不毛な望みだ」
何も考えず、眠ってしまおう。
眠って、またユメを見よう。
―――起きた時、その日常がユメだと気づいて落胆したとしても。
ユメの中にいる間は、共にいる間だけは幸せな気分になれるから。
「……………………」
静かに意識を落とす。
眠りに入るのに、余計なプロセスなどは一切必要ない。意識を静め、呼吸を低くし、思考を振り切って夢の中に埋没するだけ。
そうして静かに、空虚で虚構のユメに辿り着く直前。
「――――――アルトリア。時間は、あるかな?」
「え?」
虚構ではない現実で、ユメの声が聞こえた。
閉じていた眼を見開き、目の前にいる人物の姿を凝視する。
「――――――――――――」
眩き紅の、遥か昔に滅んだ人物の聖骸布。
男としては少し足りなかった身長は長身と呼べるまでに増え。
肌は褐色、薄き赤の毛髪は白く変わっていたけれど。
その魂の色、存在の在り方には一片の違いも見られなくて―――。
「シ、ロウ?」
いかなるユメか。幻か、蜃気楼か陽炎か。
交わらぬはずの両者が今、余人には到達できぬ理想郷で交わっていた。
「……久しぶり、セイバー。その、会えて嬉しい」
その声はどこまでも優しく。
ぶっきらぼうではあったけど、あの頃のままで。
「……ええ。シロウ。私も、ずっと貴方に会いたかった」
だからそうやって、彼女も返答することが出来たのだ。
彼女の鞘であった少年と。
彼の剣であった騎士王に。
「シロウ。しかし……どうやってここに?」
「うーん……なんでだろうな」
本当に不思議そうに、彼は首を傾げた。
「セイバーのマスターだったことに恥じないように、切嗣の息子だってことに誇りを持って、ただひたすらに正義の味方を目指して―――気づいたら、ここにいた」
「……貴方らしいですね」
―――必死に走ってきたのだろう。
肉体を省みずに血反吐を吐き、精神を気にせず魂を食いつぶして、それでも己の在り方だけは決して曲げずに走り続けたに違いない。
あの頃のように、歪な願いを抱えたままで。
「シロウ……話を聞かせて欲しい。私がここに戻ってからどのくらい経ったのかは解りませんが、凛が、桜が、大河が、イリヤスフィールがどうしたのか。他の誰でもない貴方の目で見たこと、耳で聞いたこと、肌で感じたことを全て教えて欲しい」
「えっ? それは別に構わないけど……長くなっちゃうぞ?」
「ふふっ。それこそ構わないではありませんか」
時間なら無限にある。
決して使い果たすことのない時間があるのだから―――百年でも千年でも話を聞いていられる。
「…………そうだな。それじゃ、何から話そうか―――」
彼女に倣うよう、大木へともたれかかる青年。ここから訪れるのは、必死に駆け抜けてきた少女と青年に与えられた、安らぎの時間。
噛み締めながら、急ぐことなく時間を使っていこう。
虚構ではない、現実に在る理想郷の中で。
いつかの日に見たユメを果たそう。
剣の元に戻った鞘のように、どんな届かないユメでも、走り続ければ届くのだと信じて。
そして何よりも。
精練と錬鉄、二人の英霊が、幸せであることを信じて―――。
お目汚し失礼しました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む