仮面ライダーフォーゼ サンシャインキターッ! (高砂 真司)
しおりを挟む

第0話 青・空・跳・心

「二年も協力しといていうのもなんだけどさ」

「なんだ」

「生徒の前であんだけカッコつけてドライバー捨てちまった手前、今更二号機作るってのもなぁ、なんて……」

「フォーゼドライバーは父さんがアストロスイッチからコズミックエナジーを安全にマテリアライズするために発明したクッション兼ブーストシステムだ。この先コズミックエナジーを研究していくには宇宙に行かなくてはならない。そのためにもフォーゼは必要になる。別に君がフォーゼに変身するために使わなければ問題はないだろ」

「いや、理屈じゃそうなんだろうけどよ……」

「それとも何か? アストロスイッチのチャンネル開放率を上げてゾディアーツのようなニュークリーチャーになれと? 体の負担が大きくスイッチャーが死にかねない危険極ま「わーかった! わかったから! 捨てた俺が悪かった! 協力させていただきます!」

「わかればいい。そもそもフォーゼドライバーの負担にも耐え、アストロスイッチの力を引き出せた適合者は現在地球上で君だけだ。ラビットハッチは崩壊してデータは残っていない。父さんが研究していたコアスイッチもない。君の協力なしに二代目フォーゼドライバーの完成は不可能なんだ」

「……わかってるよ。ダチの頼みだ。自分のケツくらい自分で拭く!」

((でもこのやり取り、今ので何回目だ……?))


「転勤? 三月も終わりのこの時期にか。えらく急な話だな」

 

「決定じゃないんだけどよ。俺さえよければ、って理事長がさ」

 

 着崩したスーツ姿の青年は空を仰いだ。視界いっぱいの青と、舞い始めた桜の花びらが到来する季節を告げている。春休みに入って休講中だからか、それとも時間帯か。人影の無い大学の中庭に吹く風は、早朝ということもあっていつもより澄んでいるように感じた。

 しかし晴れやかな天気模様とは真逆で、青年の声は湿っぽい。トレードマークのリーゼントも心なしか力がないように思える。二年ですっかり通い馴れたベンチに腰を掛ける彼は、顔を真上に向けたまま言葉を続けた。

 

「理事長の娘さんが転勤予定の浦の星って学校で理事長になるんだと。だから、君のように真っ直ぐな教師に見ていてほしいって言われた」

 

「なんだ引き抜きか。たしか新理事長は小原(おはら)とか言ったな。流石は我望(がもう)理事長の後任、といったところか」

 

 心配して損した。そう言いたげな声色で、話し相手の白衣の青年は笑う。缶のプルタブを開けた彼は、隣の悩める親友を横目にブラックコーヒーを流し込んだ。大人になって覚えた苦味が口一杯に広がり、夢心地な徹夜明けの目を覚ます。彼は懐からもう一本同じコーヒーを出すと、そっと悩める親友の隣に置いた。

 

「てっきり、君の非常識さに愛想をつかしたのかと思ったよ」

 

「そんなわけないだろ。理事長だって俺のダチだ。俺はダチの嫌がることはしねぇ」

 

「……やっぱり変わらないな、君は」

 

 クスッと笑う青年は、上司をダチだと言い切る親友に安堵を覚える。こんな彼だからこそ、きっと理事長とやらも目をつけたのだろう。親友のような生き方を羨ましく思えると同時に、そんな彼の親友でいられる自分を誇らしく思う。

 黙って考える親友に、青年は柔らかく訊ねた。

 

「君はどうしたいんだ?」

 

 その問いに考えを巡らせる。リーゼントの青年は、纏まらない思考をポツポツと吐き出し始めた。

 

「必要とされてるなら何かしたい。大杉先生も校長も、いい経験になるって言ってくれた。生徒も概ね送り出してくれるみたいだ。ミヨッペも三郎も、これからは自分たちが天高を守るって張り切ってた。ダチの言うことだ、安心して任せられる」

「でも、部員の少ない宇宙仮面ライダー部のこともある。三郎たちも三年になったことだし少年同盟も見届けたい。他の生徒たちのことも気になる。お世話になった先生方もいる。それに……」

 

「それに?」

 

「……俺たちの思い出が詰まった天高を離れるってのが、少し寂しい」

 

 そう言った彼の横顔は、青年に七年も前のことを思い出させるには十分だった。別れが辛く、心細く、それでも泣きながら送り出そうとしてくれたあの日を。

 

「なあ賢吾(けんご)。俺はどうすりゃいい?」

 

 あの思いを返すのは、今だと感じた。

 

「……君のやりたいようにすればいいさ」

 

 賢吾と呼ばれた青年は立ち上がり、飲み干した缶を近くのゴミ箱に放り込む。その姿を見つめる親友に、賢吾は笑顔を向けた。

 

「別れは心の骨折だ。今は痛いが、治ればもっと強くなる。だろ?」

 

 賢吾は胸を二回叩くと、指をまっすぐ、力強く親友に向ける。その笑みは、彼の中で燻っていた何かを突き動かした。

 

「別に一生会えなくなるわけじゃない。寂しくても、離れても、君と繋いだ俺たちの絆は切れやしない。天高での思い出も無くなるわけじゃない。ダチが困れば何処へだって駆けつける」

 

 すっと、指していた手を開く。握手を催促しながら、賢吾は続けた。

 

「君は宇宙人とも、機械とも友達になる男、如月(きさらぎ)弦太朗(げんたろう)じゃないか。もう答えは君の中で出てる。そうだろ?」

 

「賢吾……」

 

 弦太朗は立ち上がると賢吾の差し出した手を掴む。握手、拳を重ねて、友情のシルシ。お互いの拳を突いたとき、弦太朗はいつものように快晴の笑みを浮かべた。

 

「ありがとよ賢吾。お陰で前に走れそうだ」

 

「そうか。ならよかった」

 

 よし、と気合いを入れた弦太朗はリーゼントを整え直してベンチに置かれた缶コーヒーを勢いよく飲み干す。眉間にシワを寄せ、この上なく厳しい表情を作る弦太朗は、缶を握りつぶすとゴミ箱へと投げ込んだ。カランと軽い音が響く中庭で、大きな息を吸ってありったけの声で叫ぶ。自分の中で、ケジメをつけるために。

 

「苦さは別れの悲しみだ! 涙も一緒に飲みこんじまえばわけはねぇ! 今日辛い別れがあるなら、明日は新しい出会いがある!」

 

 二度大きく自分の頬を叩き、目を大きく開く。真っ赤な手形の残る顔は、知り合ったときから変わらない笑顔を咲かせていた。

 

「待ってろよ沼津! 俺は沼津の連中全員と友達になる男。如月弦太朗だーーッ!」

 

 真っ直ぐに太陽へと向けた目には、まだ見たことのない夢の軌道が映っていた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 疎らな人波。広いバスターミナル。何もかもが東京都は違う街。

 駅中で売られていた静岡限定のっぽパンを飲み下し、新天地に降り立った弦太朗の第一声はお決まりのものだった。

 

「沼津キターーーッ!」

 

 駅前で大きく腕を上げ叫ぶ。登山家のような大きなリュック、トレードマークのリーゼントはお馴染みで、道行く人から奇異の目を向けられても一切気にしない図太い精神は今日も絶好調だ。

 

「さて、こっからどうすっかな」

 

 バス停のベンチに腰を落ち着かせ、持ってきた沼津の地図を広げた。一応、急な転勤だったために小原理事長からは仮住まいとしてホテルを用意されている。そこまでの経路を地図で辿ると、かなり時間はありそうだった。日付も学校やらの挨拶があるため二日と余裕をもってやって来ている。

 なので。

 

「ま、とにかく腹ごしらえからか」

 

 早々に地図を畳んだ弦太朗は、リュックから貰い物の観光雑誌を取り出す。転校を繰り返していた学生時代を思い出し、久々の転居に心を踊らせる姿は友人たちに見られれば変わってないと言われることだろう。パラパラと雑誌を捲っていると、不意に一通の封筒が落ちた。

 

「あ、これJK(ジェイク)から貰ったうまい飯屋リストじゃねぇか」

 

 拾い上げて、親友と話したあとのことを思い出す。

 各先生への挨拶回り、生徒たちへの感謝の言葉、そして仮面ライダー部の仲間たちに新天ノ川学園高校を離れるということを伝え回った。その時のJKの言葉を回想して、神妙な面持ちになる。

 

 

 

『いいっすね沼津! きれいな海、山、旨い海産物! ……でも気を付けてくださいよ。最近その沼津で、被害こそ出てないもののゾディアーツらしき姿が目撃されてます。これも弦太朗さんの、いや、仮面ライダーの運命ってやつなんすかねー』

 

 

 

「仮面ライダーの運命、か」

 

 何故か悪い気はしなかった。その運命で救える人がいるのなら、弦太朗としては諸手を挙げて喜ぶべきだと思えたからだ。立ち上がった弦太朗は、挑戦的に口角を吊り上げた。

 

「なら俺は運命とさえも友達になる男。どんなことが起こるかわからねぇが、楽しみだぜ!」

 

 二回胸を叩き、真っ直ぐに空を指す。空は、今日も快晴だった。

 




「お疲れですね、歌星(うたほし)教授」

「君か。……見ての通りだ。これで三徹目だが、全く形にならない」

「フォーゼシステム、でしたっけ。基盤のドライバーとスイッチは完成してるんですよね」

「ああ、そっちはもうとっくに。だがコズミックエナジーの伝達が悪すぎる。これではフォーゼになるどころかモジュールを展開するのも不可能だ」

「何か足りないってことでしょうか?」

「その何かが分かれば苦労はしないんだがな……」

(父さん。俺にはいったい、何が足りないっていうんだ……?)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 軌・跡・輝・待

「悪ィな賢吾、朝早くから」

『いや、こっちもドライバーの調整中で一息いれようと思っていたところだ。ゾディアーツについて、何か掴んだのか?』

「画像もねぇから聞き込みのしようもねぇ。っと、電話の用件はそれとは別なんだけどよ……」

『? どうした。君にしては歯切れが悪いな』

「…………スマン! フードロイドなんか送ってくれ!」

『フードロイド? まさか持って行ってなかったのか!? 一体も!?』

「ああ! 俺にはメンテとかできねぇからと思ったが無理だ! 明日から仕事ってこと考えると寝ずの番なんて絶対できねぇ! 今も無理矢理テンションあげてるが、船待ってる間に寝ちまいそうだ!」

『今までどうしてたんだ?』

「バイクで沼津を周回! その後、ダチと夢について語り明かしてた!」

『まったく、君という奴は……。わかった。フードロイドは先にそっちに送る』

「助かるぜ! これで、安しんして、ねむれ……」

『……弦太朗? まさか寝たのか? 弦太朗!』

「Zzz……」

『おい! 起きろ! 弦太朗ーーッ!!』

「Zzz …………」


 ーーー明日に希望を

 

 

 広大な暗闇。頭に響く声。ただぽつんと、ちっぽけな自分がいるという孤独感だけがあった。

 

 

 ーーー未来に光を

 

 

 誰の声かわからない。それでも声は止むことなく、世界に反響する。早くこの闇から逃れたい。襲い来る切迫感に気が急くのがわかる。

 

 

 ーーー宇宙に夢を

 

 

 声が響く度に、広大な暗闇に光の粒が散りばめられていく。その惹き付けられるような煌めきに、必死になって手を伸ばした。この蔓延する闇から逃げ出すにはそれしかなかったから。しかし、遠すぎて届くことはない。

 

 

 ーーー星に、願いを

 

 

 届くはずのない煌めき達が、目を背けたくなるほど眩い輝きを放つ。その中でも、一際輝きを増す一点があった。あれなら届く、掴める。そんな気がした時だった。

 

 

 

 

「……また、あの夢だ」

 

 目覚めてまず見えたのは、見慣れた天井と真っ直ぐに伸ばした自分の腕だった。もう十六年も過ごした自分の部屋に、ほっと安堵の溜め息が漏れる。

 

「最近よく見るな、あの変な夢……」

 

 ここ数年で見るようになった、奇妙な夢。目覚めたあともハッキリと覚えていて、恐怖とは違う言い表せない不安のような、焦りを感じさせる気味の悪い夢だった。高校に上がってからというもの、頻度は昔に比べて高くなっているような気がする。

 時計を見れば草木も眠る丑三つ時。数ヵ月前なら全身にかいた気持ちの悪い汗を気にしながら無理矢理寝ていたが、今は違う。ベッドから起き上がり音楽プレイヤーを握った少女は、他の人間に気づかれないよう音を殺しながら部屋を抜け出した。

 

 

 

 自宅の目の前、月明かりに照らされた海を眺めながら砂浜に腰を落ち着かせる。片耳で波の音を聴きながら、少女は音楽を再生した。

 イヤホンから流れ出す、憧れの人たちの歌。このスクールアイドルというものを知ったのは少女にとって本当に偶然で、奇跡だった。だが、今ならこの出会いは運命だったと信じられる。

 自分と同じどこにでもいる普通の女子高生が、楽しそうに歌い、踊り、キラキラと輝く姿が目に焼き付いていた。歌詞の一言一言、メロディの一音一音から暖かな光を感じる。その光が、さっきまで自分の中で渦巻いていた気味の悪い靄をどこかへ追い出してくれているような、そんな気がするのだ。だから彼女たちの存在を知ったとき、夢も目標もなかった少女の人生に光が差した気がした。

 

「なれるかな、私も。スクールアイドルに……」

 

 水平線に向けて呟く。まだ輪郭すらぼんやりとした夢に、少女の胸は高鳴っていた。

 

「おい。こんなとこで何やってんだ?」

 

「ひゃぅ!?」

 

 自分の世界に入っていたせいか、声をかけられるまで全く人の気配を感じなかった。それ故に、突然の来訪者に少女は飛び上がり違う意味で胸が高鳴る。驚きは来訪者にも伝達したのか、振り向くとそこに立っていた青年も目を剥いていた。

 

「わ、悪ィ! 驚かせるつもりはなかったんだ!」

 

 両手を挙げてホールドアップの姿勢をとる。申し訳なさそうな彼の表情に、少女はわたわたと手を振った。

 

「いえ! 私も音楽聞いてて全然気がつかなくて!」

 

 そう言いながらパッと立ち上がる。音楽プレイヤーを仕舞いながら、少女は見かけない青年の全体像をまじまじと観察した。ジーンズにシャツというラフな格好。優しげな顔立ちはなかなか直に拝めることのないイケメン。しかし、少女の視線はある一点に注がれる。

 

「……リーゼント?」

 

「お。お前わかるのか? この男を貫く髪型がよ」

 

 どうやら中身は残念な方向に振り切れてしまっているようだ。悪い人では無さそうだなと、少女は愛想笑いを浮かべて回答を流す。ふと、路肩に止められたスペースシャトルを彷彿とさせるバイクが目に入った。公道を走るには素人目からしても難のありそうなデザイン。少女の視線に気がついたのか、青年もそちらに目を向けた。

 

「えっと、お兄さんは旅行の方ですか?」

 

「いいや。仕事でこっちに引っ越してきたんだ。良い町だな、ここは。飯もうまいし、人も良い」

 

「そうでしょ? 私たちの自慢なんです!」

 

「そりゃ誇らしいな。ところで、お前はこんな時間に何してたんだ?」

 

 その問いに言葉が詰まる。正直に見た夢の話をしても、姉のようにバカにされることはないだろうが、幼馴染みのように心配されてもそれはそれで困る。上手い言葉の見つからない少女は、当たり障りのない無難な理由を選んだ。

 

「ちょっと眠れなくて、風に当たって音楽を聴いてたんです。大丈夫ですよ、家はそこなので」

 

「そうか。でも早く帰れよ。こんな時間に先生に見つかったら、生徒指導じゃ済まねぇぞ」

 

 納得した風な青年は、脅すように頭に指で角を作って笑う。その姿が少し滑稽で、少女はつい吹き出してしまった。

 

「ふふっ、生徒指導って。まるで先生みたいなこと言うんですね」

 

「ま、これでも一応教師だからな」

 

「……教師? 仕事で引っ越してきたんじゃ?」

 

「おう。今年度から浦の星女学院ってとこに転勤だ」

 

「そうなんですか! 私、そこの二年です!」

 

「お、ホントか!? なら、お前が浦の星第一号だな!」

 

 そう言って、彼は手を差し出す。不思議そうに見つめる少女に、青年は楽しそうな笑顔を見せた。

 

「俺は如月弦太朗。夢は宇宙中のやつら全員と友達になることだ」

 

「夢……」

 

 その眩しい笑顔と言葉が頭の中で響く。夢という文字が胸を暖かく締め付け、鼓動が速くなったのがわかった。

 この気持ちを夢と呼んでいいのか。そんな疑問が脳裏を過る。ただの憧れなのかもしれない。それでも、この輝きたいという気持ちは嘘ではない。意を決して口を結んだ彼女は、ぐっと力強く弦太朗の手を握り返した。

 

「私は浦の星女学院二年、高海(たかみ)千歌(ちか)! 夢はスクールアイドルになって、いーーっぱい輝くことです!」

 

 笑顔を向け合う千歌の手を離した弦太朗は、いつものように握り拳を作る。釣られて握った千歌の拳に拳を重ね、内浦で初めての友情のシルシを刻んでいく。自分の手を眺める千歌に、拳を突き合わせた弦太朗は笑いかけた。

 

「これは友情のシルシ。ダチの証しだ。お前の夢、応援するぜ。叶うといいな!」

 

「……はい!」

 

 新たな出会いに胸を膨らませる。千歌には奇跡が起きそうな、そんな予感がしていた。

 

「……ところで、スクールアイドルってなんだ?」

 

「ええ!? スクールアイドル知らないんですか!?」

 

 それまでの道のりは、前途多難のようだが。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「ーーで、結局日が昇るまでスクールアイドルの話してたんだ! きっと(よう)ちゃんも弦ちゃん先生と気が合うよ!」

 

 始業式は明日ということもあって、通学者の疎らなバス。一番奥の席で揺られながら楽しげに語る隣の幼馴染みを眺め、曜もまた目を細める。

 

「そっか、東京からの新しい先生か。いい人そうで良かったね!」

 

「うん! 今日のビラ配りは入学式の準備があるから手伝えないって言われたけど、五人集まって部が承認されたら顧問になってくれるって! ほら!」

 

 千歌は鞄から引っ張り出した一枚の紙を見せる。新規部活動申請書と書かれた事務的な用紙に、“高海千歌”と欄外に“如月弦太朗”の名前が書き込まれていた。流石の行動の早さに、曜も驚きを見せる。

 

「そんなのまで書いてもらったんだ」

 

「うん! こういうのは早い方がいいかなって!」

 

 目を輝かせながら、二人分の名前が書かれた申請書を見つめる。それはスクールアイドルに恋する乙女の表情だった。未来を夢見てわくわくが収まりきらないようで、口角は緩みっぱなし。隣の曜までが嬉しくなるほどの笑顔を咲かせていた。

 

「えへへー。……わっと!」

 

 と、紙ばかりに夢中になっていたせいか、バスの停車時の揺れに手から申請書が抜け落ちる。ひらひらとバスの中央まで飛ばされてしまったので追いかけて行くと、申請書を拾い上げてくれる手があった。

 

「あ、すみません。それ私のなん……で、す……」

 

 千歌は申し訳なさそうに頭を下げる。そして顔を上げた時、言葉を失った。

 黒のドレスに鍔の広い黒の帽子。全身黒装束にも拘らず見える肌は死人のように真っ白で、浮世離れした風貌は内浦という田舎の背景から浮かび上がるような、異様な出で立ち。血の気のない真っ白な顔と吸いまれそうな真っ黒な瞳が帽子から現れたとき、素直に綺麗な人だと感じた。

 

「いいのよ。夢は大切だもの」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 聞き入ってしまいそうなソプラノに、千歌は慌てて感謝を伝え申請書を受け取る。すると彼女は何かに気がついたようにそっと千歌の頬を撫でた。ひゃっと、突然のことに肩が跳ねる。自身を写す彼女の純黒の瞳に既視感と、言い表せない寒気が背筋を走った。

 

「不思議。あなたの星はとても輝いているわね」

 

「え?」

 

 困惑する千歌を他所に微笑んだ彼女は、何事もなかったかのようにバスを降りていく。その後ろ姿を呆然と追いかけていると、運転手に座席に座るよう促され慌てて元の席へと帰った。

 

「千歌ちゃん? どうしたの?」

 

 元の席で窺う曜に、千歌は首を振って答える。

 

「大丈夫だよ。見たことないけど綺麗な人だなって」

 

 あれだけ目立つ格好なのだから、きっと市外から来た人なのだろうと当たりをつける。しかし、当の曜から返ってきたのは以外な返答だった。

 

「あれ、千歌ちゃん知らないの? あの人有名だよ」

 

「へ? そうなの?」

 

「うん。淡島の方にできたリバースターって会社の社長さんなんだって。色白美人社長って漁協の人が噂してたもん」

 

「へー、そうなんだ……」

 

 うわ言のように呟きながら、撫でられた頬を触る。感触はとっくに無くなっていたが、それでもあの異常な感覚は忘れることができなかった。

 

(手、氷みたいに冷たかったな……)

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「お待ちしておりました、如月先生」

 

「ダイヤじゃねぇか。どうした?」

 

 入学式も無事終了し、後片付けを済ませた弦太朗が職員室に戻ると、扉の前で一人の少女が待ち構えていた。日本人形のような美しい髪と凛々しい目元が、端整な顔立ちをより際立たせている。二日ぶりの再会だったが、用件は決して楽しいものではないらしい。彼女の険しい表情に、弦太朗も身を構えた。

 

「スクールアイドル部のことです。今朝、他の部と混じって無断で部員集めを行っていたところを摘まみ出しました。高海千歌さんから聞きましたが、承認されれば顧問になると約束されたというのは本当で?」

 

「ああ、本当だ。それで、部はできそうなのか?」

 

 スクールアイドルに情熱を燃やす千歌のことを思い出す。全国的な人気のスクールアイドルを一切知らなかった弦太朗だったが、千歌に教えられてから自分で調べ、今ではμ'sの曲も一通り聴いている。顧問としてそれなりの知識を付け始めていたのだが、ダイヤの口から出てきたのはいい答えではなかった。

 

「いいえ。申請された部員は高海さん一人。あれでは最低五人のラインに届いていませんわ」

 

 それに、とダイヤは続けた。

 

「例え五人集まったとしても、スクールアイドル部は認められません。今日はそのことをお伝えしに来ました」

 

「どうしてだ?」

 

 彼女の通告に弦太朗も眉をひそめる。何か明確な理由があると勘繰ったのだが、一瞬口ごもったダイヤは表情を隠すように背を向けてしまった。

 

「この学校にスクールアイドルは必要ないからです」

 

「なんでそう言いきれる」

 

「……なんでもです」

 

「理由があるみたいだな。何かあったのか?」

 

「それを先生に言う必要はありません」

 

「それじゃあ千歌も納得しねぇだろ。俺もできねぇ」

 

「納得していただかなくても結構です。このことは私に一任していただけるよう、先程校長先生より許可を頂きました」

 

「任す任せねぇってことじゃねぇ。そこまで拘るならそれ相応の理由があるんだろう。でもな。誰かの夢にケチ付けるってんなら、その理由が知りたいって話をしてんだ」

 

「高海さんには悪いと思います。ですが、これは私たちの問題です。……それでは生徒会の仕事がありますのでこれで失礼します」

 

「あ、おい! まだ話は終わってないぞ!」

 

 伸ばした手は空を切る。これ以上話すことはないと言いたげに、ダイヤは足早に去っていった。手持ちぶさたになった手で、答えの出そうにない疑問を抱えて頭を掻く。

 

「こりゃ一筋縄じゃいきそうにねぇな……」

 

 振り返ることのなかった彼女の背中は、弦太朗の目には横暴と言うより少し寂しげに写っていた。

 

 

 

 夕焼けを背景に、海岸線をバイクで走りながら考える。どうしてダイヤがあそこまで頑なだったのか、どうして校長は生徒会長とはいえ一人の生徒に一任したのか。

 初めて浦の星を訪れたとき、学校を案内してくれたのはダイヤだった。真面目な生徒会長、というのが印象的な少女。そして校長も人任せにするような無責任な人ではなかった。堂々巡りで答えはでない。

 

(過去にスクールアイドル絡みで何かあった、って考えるのが妥当なんだけどな)

 

 詮索していいものか。きっとこれも、“ダチになるだけでは解決しない問題”なのだろう。踏み込まれたくない事情がそこにはあって、それは今の弦太朗ではどうしようもない。トンネルを抜けても、もやもやは晴れない。

 

(ま、わからねぇことをうだうだ考えても仕方ねぇな。今は流れに任せるしかないか)

 

 そもそも、これは千歌の夢に立ち塞がる障害だ。それを無理に解決へと導くのは、千歌のためにもダイヤのためにもならないだろう。問題の解き方を教えるのが教師で、隣で待つのが友達で、正解を見せてやるのは、そのどちらでもない。

 今のところの結論を出した弦太朗は、慣れた様子でバイクを船着き場に停めた。時計を確認しつつ、次に淡島へ渡る船の時刻と照らし合わせながら歩いていく。すると、乗り場の待ち合いに設けられたベンチに人影があることに気がついた。

 視界を占める黒の割合に、弦太朗の本能が歩みを止める。直感が、コレは危険だと囁いていた。

 

「どうかされましたか?」

 

 鍔の広い黒の帽子から覗いたのは、黒のドレスに身を包む何のことはない色白の美女だった。柔和な表情を浮かべ、この世の者とは思えない透き通った白い肌に輪郭を与えている。聞き入ってしまいそうなソプラノは、男心を擽ることに熟知した声色。自分のプロポーションもよく理解した動き。しかしそんな出来過ぎた色香に惑わされるほど、弦太朗の戦士としての勘は落ちぶれてはいなかった。

 

「……アンタ、何者だ」

 

 口をついて出た言葉。無意識に体が半歩開く。その様子を見た女は驚いたように目を丸くすると、俯いてくつくつと喉奥で笑い始めた。

 

「何者だ、なんて心外だわ。貴方が昼も夜も休みなくずっと私のことを探してるから会いに来てあげたのに。それともーー」

 

 彼女は胸元から弦太朗もよく知った物を取り出す。手のひらに収まる、小さな怪物の種。新たな体へと人類を強制進化させる魅惑(パンドラ)小箱(はこ)。血走ったドームと棘のついた持ち手に、弦太朗の顔は険しくなる。

 

「ーーこっちの方がわかりやすいかしら?」

 

「ラストワンのゾディアーツスイッチ……!」

 

 女は笑みを浮かべ、躊躇いなくスイッチを押す。黒い靄が吹き出し女を包むと、内に秘められた星の輝きが怪物を型どっていく。靄が晴れたとき、そこに立っていたのは人間ではなかった。

 枝を彷彿とさせる飴色の体躯に走る星の連なりと、胸元まで垂れた額から突き出す長い触覚。異形と呼ぶに相応しい、星座の力を宿す怪物・ゾディアーツがそこにはいた。円柱状に変化した右腕を自身の足下に向けると、腕から四発の光弾を射出する。命中した弾から黒い靄が噴き出し、それは瞬く間にゾディアーツの分身体・ダスタードへと姿を変えた。ジャケットとネクタイを投げ捨てた弦太朗は、肩を回しながら疑問を口にする。

 

「おい。何でラストワンなのに体が排出されねぇんだ」

 

『「私に最後の一回(ラストワン)なんて存在しないわ。だって、この体は無限に生き続けるんですもの」』

 

 腑に落ちない表情だが、ゾディアーツは待ってはくれない。駆けてくるダスタードの攻撃を受け流し、捻りを付けて顔面に蹴りを見舞う。立て続けに襲い来るダスタードたちも殴り、頭突きで迎撃していくが、何処と無く歯応えがない。ダスタードが生み出したゾディアーツの力量に起因するということを思い出し、何度地に伏せてもゾンビのように立ち上がる星屑をこれまた何度も叩き伏せる。

 

『「貴方には感謝しているの。私の目的にとても貢献してくれているもの」』

 

「感謝だ? 生憎、感謝されるようなことをした覚えはねぇな、っと!」

 

『「気づいていないだけよ。貴方には特別な力がある。流石は仮面ライダーに選ばれた、といったところかしら」』

 

 四体ものダスタードが劣勢で進む乱闘を眺めながら、ゾディアーツは続ける。

 

『「貴方はフォーゼになるべくしてなった。それが貴方の星のもつ運命。地球の輝きをその身に宿す、選定された英雄」』

 

「何訳わかんねぇこと言ってやがる」

 

『「私には人の中に眠る星を視る力がある。その星がわかれば、ゾディアーツになれるかなれないか、そして何座のゾディアーツになれるのかわかるのよ」』

 

「へぇ。そいつは便利な能力だ、な!」

 

『「ええ。でも欠点があるわ。満たされた者は自身の輝きで星の光をかき消してしまう。人工の光で見えなくなってしまう夜空のように。そうなれば、例え星が目覚めていたとしても最輝星でもない限り輝きを視るのは不可能なの」』

 

「そりゃ、困ったな!」

 

 何度倒しても立ち上がるダスタードに、弦太朗の息も上がり始める。弱いとは言ってもやはり異形の存在。並みの人間以上の力は伊達ではない。取り囲むように間合いをとる四体に、弦太朗も膠着状態に陥る。が、何を思ったのかゾディアーツは手を叩いてダスタードたちを影に戻していった。

 

『「だからこそ星の輝きを視るためのアプローチが必要だった。この町中の人間全員の輝きを失わせて星を浮かび上がらせる、負の感情に漬け込む方法。簡単よ」』

 

 

『「ハズレとわかった人間を殺していけばいい」』

 

 

 その一言に、弦太朗の表情が固まった。

 

『「手間はかかるけど、なるべく残忍に、惨たらしく有効利用(ころ)していけば他の星が見やすくなるくらいには、人々が負の感情に支配されてくれる。この町の人間は皆仲良しこよしなことだし、何十人か間引けば十分だと思ったわ。いえ、思っていたが正しいかしら」』

 

 ふふふ、と笑うゾディアーツに、嫌悪以上の感情を抱く。睨み付ける弦太朗に、ゾディアーツは歩み寄り余裕の態度で続けた。

 

『「そこに貴方が来た。一度死に、コズミックエナジーと絆の力で生き返ることができた貴方が。生命を蘇生させるほどの膨大なコズミックエナジーを内包した貴方が人と関われば、眠っている星は影響を受けて最輝星と同等の輝きを得られる。その確証を得たとき思ったわ。ヒーローって本当にいるのね、って」』

 

 愉快そうなゾディアーツは、肩を震わせて笑い始める。本当に、心の底から楽しそうな笑い声に、弦太朗は素直に気持ちが悪いと感じた。これほどまでにエゴと欲にまみれた人間がいたということに恐怖さえ感じる。このゾディアーツは、既に心が怪物なのだ。

 

「テメェの目的はなんだ」

 

 語気が荒くなるのがわかる。ここまで強い怒りを覚えたのは随分と久しぶりな気がしたが、やはり気持ちのいいものではない。弦太朗の厳しい視線を意に介すこともなく、ゾディアーツは大袈裟に手を広げて空を仰いだ。

 

『「私だけの星空を作ること。そして、そのために必要なある星座を探し出すこと」』

 

「ある星座?」

 

『「それは秘密よ。安心して? 仮面ライダーは殺せって言われてるけど、私の目的が果たされるまでは生かしておいてあげる」』

 

 弦太朗の脇を通り抜けたゾディアーツはスイッチを押して女へと戻る。黒装束に身を包む女の後ろ姿を睨んでいると、女は立ち止まって振り返った。

 

「私の名前は遠望(とおぼう)(みやこ)。よろしくね、仮面ライダー」

 

 立ち去っていく彼女の笑い声が船着き場にこだまする。嵐が来ると、潮風が騒いでいるような気がした。




「……はじめまして、私は浦の星女学院で生徒会長を勤めております、黒澤(くろさわ)ダイヤと申します」

「おう! 俺は宇宙中のやつら全員と友達になる男、如月弦太朗だ! よろしくな!」

「は、はぁ……。その、如月先生のお話はお伺いしております。当校はミッションスクールですので、何かわからないことがあれば遠慮なく仰ってください」

「ミッション? 何か特別な任務でも請け負ってるのか?」

「いいえ。ミッションスクールというのはキリスト教の理念に基づいた教育を行う学校という意味でして、決してそういうことではありません」

「そうか。キリストってたしか、隣人を愛せってやつだろ? 大丈夫だ! 俺は隣人ともお向かいさんともダチになるからな!」

「そ、そうですか……」

「おう! お前も何か質問とかないか? 何でも答えるぜ!」

「あの、別に質問大会ではないのですが……」

「気にすんなよ!」

「はあ……。では一つ」

「おう、なんだ?」

「……その髪型、どうにかなりませんの?」

「リーゼントは俺のポリシーだ。どうにもならねぇ」

「はあ、そうですか」
(また面倒臭い感じの方がいらっしゃいましたわね……)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転・校・生・徒

 はじめまして。東京の新天ノ川学園高校から来た、如月弦太朗だ。基本的にみんなとは生徒指導や進路相談なんかで会うことになる。休みの先生の代打で教壇に立つこともあるから、そんときはよろしく。だいたい職員室、放課後は生徒指導室にいるから、声かけてくれ。

 早速だが、みんなには夢があるか? 俺の夢は、宇宙中のやつら全員と友達になることだ。宇宙中ってのはあれだぞ。この浦の星の教師も、生徒も、内浦の人たちも、それからどっかにいるはずの宇宙人とかもだ。この宇宙にダチになれないやつはいねぇ。俺はそう思ってる。
 馬鹿馬鹿しいって思うかもしれない。それでも俺は夢の可能性を、ダチの力ってのを信じてる。心の通い合った本当のダチってのは、どんな逆境だって跳ね返す奇跡を起こす。実際、俺はこれまで数え切れないくらい助けられた。
 今日はこの場を借りて、みんなにある言葉を届けたいと思う。これは俺の親友の、亡くなった親父さんが残した言葉だ。

“宇宙を掴む若者達へ。宇宙は一人では挑めない。互いを信じて、手を繋げ。最後に不可能を越えるのは、人間同士の絆”

 諦められないなら、どんな無茶な夢でも挑戦してほしい。困ったことがあったら頼ってほしい。繋がりあって奇跡を起こせる、そんな絆を育める青春を送ってほしい。奇跡なんか起きないって思うな。信じるだけじゃ奇跡は起こせねぇが、信じてやんなきゃ奇跡は起きねぇ。だってみんなには、無限の可能性があるんだから。

 お前ら、これからよろしくな!


 積み上げてきた練習の日々も、所詮は砂の城でしかないと気づかされる。砂浜に築いた王国も、寄せては返す波に飲まれ更地に戻されてしまうのだから。たった一人の努力でその波を抑えることができるだろうか? 波に打たれても城が崩されずに済む方法はあるのだろうか? 考えたところで答えはでない。優しい少女は、誰に頼ることもできず答えを出せない。だから、ここにいるのだ。

 拍手に囲まれ鍵盤に手を添えるも、指は動かない。弾かなくてはいけない。弾けなくてはいけない。打ち寄せる波は戸惑いとざわめきの濁流になって王国を飲み込もうとする。自分の城を守ろうと身一つを壁にしようとも、孤独な力では抗うことすら許されない。聴衆の期待という波が、王国のみならず大切な城さえも削り取ろうと激しく打ち付けてくる。

 

 弾けない。

 出来ない。

 

 わかってしまった。指一つ満足に動かせない重荷が、重圧が、全身にのしかかるのが。聴衆からの、周囲からの、他人からの、友人からのプレッシャー。できなくてはいけない、弾けなくてはいけないという自分自身のプレッシャー。すべての期待を飲み込もうとし、そして無惨にも押し潰されてしまった優しい少女は、波に押されて城もろとも崩れ去り、辛うじて残った砂の塊とともにただ静かに蓋を閉じるしかなかった。崩れ去った心を支えるものはなにもない。過去から鳴り響く旋律は、優しい少女を縛り付ける呪いの鎖へと変化してしまった。

 

 そんなときだった。

 

 “御守り”を手にしたのは。

 

 御守りをくれた女性は、とても美しかった。惹き付けるような仕草も、美貌も、大切なものが破片しか残っていない少女にとって羨ましい限りだった。彼女は言った。

 

 期待は雑音である、と。

 周りは雑音である、と。

 邪魔物は全て雑音である、と。

 雑音を全て消し去ってこそ自分の奏でたい音が出せるのだ、と。

 雑音を消さなければ美しい音色は描けないのだ、と。

 雑音を黙らせる力が御守りにはあるのだ、と。

 自分という殻を破るための御守りだ、と

 

 しかし、少女には雑音を黙らせることなどできはしなかった。そんな残忍で、残酷な選択ができるような人間ではなかった。だから、優しい少女は雑音から遠ざかることを決めた。

 そのとき、御守りはただの御守りになるーーーはずだった。

 

「星に、願いを」

 

 美しい女は、微笑みながらそう言った。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

『バガミールの昨日の記録を確認した。遠望京はテレスコープ、望遠鏡座のゾディアーツだ』

 

 NSマグフォンの向こう側、賢吾は開口一番にそう言った。フードロイドを足元で遊ばせている弦太朗は、登校してくる生徒たちを屋上から眺めつつ缶コーヒーに口をつける。

 

「望遠鏡座か。他に何かわかることとか無いか?」

 

『スイッチャー本人に関してはJKからの返答待ちだ。ゾディアーツについてだが、解析結果はなかなか興味深いものだった。君の意見が聞きたいんだが、すまないがこっちも今立て込んでいるんだ。今晩でも構わないか?』

 

「俺も仕事だから別にいいけどよ。何かあったのか?」

 

 口をついて出た疑問だった。何事も要領よくこなす親友にしては、何かを後回しにするということが珍しかったからだ。トラブルかと思われたが、返ってきた言葉に心配が杞憂であることがわかった。

 

『今から地方に出張なんだ。仕事が溜まっていたからな。意見交換と会食を繰り返したら、週末からは地方の大学で海洋研究に協力することになっている』

 

「大変だな。でも、賢吾って確かコズミックエナジーの研究してただろ? なんで海?」

 

『光の届かない深海での生物に対するコズミックエナジーの影響、が研究テーマらしい。地元の水族館やダイバーたちとも連携をとって行うと聞いている。ちょっと待ってくれ』

 

 そう言うと、電話の向こうで誰か知らない声とのやり取りが聞こえる。一言二言ほどの聞き取れない会話のあと、賢吾は弦太朗にこう告げた。

 

『すまない、そろそろ新幹線の時間だ。夜までに動きがあればまた連絡をくれ』

 

「わかった。任せとけ」

 

 見えはしないだろうが、胸を叩いて自分を鼓舞する。手持ちの情報は少ないが、昨日の戦いで手応えはあった。しかしそんな考えはお見通しだったのか、賢吾は真剣な声色でそれと、と付け足した。

 

『最後に。君はまだフォーゼに変身できない。生身でゾディアーツに挑むのは危険だ。だから次に遭遇しても戦わず逃げろ。そのためのフードロイドでもある。いいな?』

 

 その言葉に、弦太朗は返答が詰まる。きっといつもの調子で戦うことがわかっているのだろう。そして、だからこそ心配しているというのがわかる。親友の思いを受け取った弦太朗は、言いたいこと全てを飲み込んで頷いた。

 

「わかった、約束する。研究頑張れよ賢吾」

 

『ああ、お互いにな』

 

 通話の終わったNSマグフォンをポケットにしまい、コーヒーを一気に流し込む。時間としてはかなり早いが登校する生徒はもういないようで、早朝一番に職員室で挨拶を交わした教師の一人が門を閉じているのが見えた。誰にも見つからないようにしゃがみ、フードロイドを召集する。

 

「よし、頼んだぞお前ら」

 

 一列に並んだフードロイドに拳をぶつけ、気合いを入れていく。生徒にも教師にも見つからないように屋上から出発していく姿を見送り、空になった缶を握り潰す。ゾディアーツのこともあるが、今は教師の仕事が優先だ。リーゼントを軽く整え、自分にも切り換えの意味で気合いを入れ直す。

 

「さて。ちょっと早いが行くか」

 

 弦太朗には今日の全校集会で生徒への挨拶がある。初の母校以外の勤務ということで多少の緊張はあるものの、それ以上に楽しみが気持ちを占めていた。今年は更に転校生がいると聞かされていたので、より期待は増す。ただ一つ懸念があるとするならば、まだ理事長と顔を会わせていないということだけだった。

 

「ま、その辺は俺が気にしても仕方ねぇな」

 

 手持ちの潰した缶の所在を気にしつつ屋上からの階段を下りていると、こちらに気づかず横切っていく二人組が目に入る。教室とも体育館とも違う方向へ進んでいく後ろ姿に、弦太朗は見知った少女の影を重ねた。

 

「どこ行くんだお前ら」

 

「あ! 弦ちゃん先生! ちょうどいいところに!」

 

 振り返った千歌は弦太朗に気がつくと、パタパタと駆け寄ってくる。見て見て、と少し興奮気味に弦太朗へと突き出したのは、水も滴る申請書だった。

 

「スクールアイドル部、曜ちゃんも入ってくれるって!」

 

「初めまして! 千歌ちゃんの親友やってます、渡辺(わたなべ)(よう)です! あなたが噂の弦ちゃん先生ですね!」

 

「おう、如月弦太朗だ。よろしくな!」

 

 千歌の後ろから敬礼のポーズで現れた曜に、弦太朗は握手を求める。差し出された手に目を丸くした曜は、得意気な顔で顎に手を当てた。

 

「ほほぅ。これが千歌ちゃんの言ってた友情のシルシでありますな」

 

「なんだ、知ってんのか」

 

「はい! では僭越ながら、スクールアイドル部の結束を深めるためにも! よろしくヨーソロー!」

 

 そう言って、曜は弦太朗の手を固く握り返す。刻んでいく友情のシルシを見届けた千歌は、ヨーソローと敬礼しあう二人を背に高らかに宣言した。

 

「よーしっ! メンバーも揃ったことだし、スクールアイドル部発足に向けて全速前進だー!」

 

「残り三人の当てはあるのか?」

 

「ありません! でも、生徒会長にこの熱意が伝わればきっとわかってもらえると思うんです! あの人たちも歌ってました! 諦めちゃダメなんだって!」

 

 教師相手に規定違反を堂々と宣言する千歌に、曜はしまったという顔をした。本人が友達と言っても教師は教師。流石にまずかったのではと隣の弦太朗を横目で確認すると、曜の考えとは裏腹に彼はわなわなと肩を震わせていた。悲しいことに弦太朗の手にあったスチール缶は微かな悲鳴とともに痩せ細っている。その震えが怒りなどではないと気づいたとき、親友は静かに肩を掴まれていた。

 

「千歌。お前の熱い思い、十分伝わった」

 

「……」

 

「だから俺は! 今! 猛烈に感動している!」

 

「……! 弦ちゃん先生!」

 

「思いは青春のガソリンだ! 一度入っちまえば、どこまででも走れる! それが青春ってもんだ!!」

 

「はい! 私もそう思います!!」

 

「よし、諦められねぇその熱い思い。ぶつけるぞ! 生徒会へ殴り込みだ!」

 

「はい!」

 

 二人揃って胸を二回叩く。廊下の先を指さす二人の目には、燃える闘志と見えぬ生徒会長を映していた。

 

「如月弦太朗!」「高海千歌!」

「「タイマン張らせてもらうぜ!」」

 

「いや、三人で行くからタイマンじゃないですよねー、なんて」

 

「行くぞォォ!」

「うおー!」

 

 一人冷静になってしまった曜の、控え目なツッコミは耳に入っていないのようで。数世代前の熱血青春ドラマのような空気を残して、二人は廊下を全力疾走していく。なんというか、一人だけ時代の波にも乗り遅れた曜は、少し寂しいながらも保護者のような気分で二人の背中を追っていった。

 

(ていうか先生、スチール缶あそこまで握り潰すってすごい握力してるんだな……)

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「よくこれでもう一度持ってこようと思いましたわね」

 

 机の上を濡らす申請書は、怒りが臨界点に達しつつあるダイヤに睨まれて居心地が悪そうにしなだれていた。目を見れば、眉がピクピクとひきつっているのがわかる。何となくそんな気がしていた曜はやっぱり、と不格好な愛想笑いを浮かべているが、あとの二人はやはり違っていた。

 

「生徒会長は私の根性を試しているんじゃないかと思って!」

 

「この思いをぶつければ、ダイヤにも千歌の本気をわかってもらえると思ってな!」

 

「そんなわけないでしょう……」

 

 室内温度を一、二度上昇させる千歌と弦太朗の熱気に、怒りが一周回ったダイヤは気を落ち着けるため、眉間を押さえて深い深い溜め息を吐いた。漏れ出る苦労人の雰囲気が、スクールアイドル部サイドで唯一冷静な曜の同情を誘う。それほどまでにダイヤの二人を捉える半眼は、底無しの阿呆を見るような目付きをしていた。

 

「人数云々は言わずもがな。それを除いても、スクールアイドル部は認められないと前に伝えたはずですが?」

 

「どうしてですか!」

 

「それをあなた方に言う必要はありません」

 

「なんでです!」

 

「なんでもです」

 

 納得のいかない千歌は膨れっ面でキャンキャンと噛みつくも、ダイヤは子犬が吠えている程度の扱いで適当にあしらっている。そんな子どもと大人の争いを眺める曜は、気づけば同じく一歩離れた位置にいる弦太朗にそっと耳打ちをした。

 

「止めなくていいんですか?」

 

「ぶつかり合って互いを認め合う。青春には付きもんだろ。それに割って入るなんて野暮なことしねぇよ」

 

「は、はあ……」

 

「それに、これでダイヤが腹割ってくれりゃいいんだけどな」

 

「?」

 

 首を傾げる曜の隣で傍観者に徹底する弦太朗。淡く願いつつも物事はそう上手くはいかないようで、腹を割るどころか二人の溝は徐々に広がっているようにさえ思える。このままでは埒があかないと判断したのか、ダイヤは渋々といった様子で口を開いた。

 

「では仮に。やるにしても作曲はできるんですの?」

 

「「……作曲?」」

 

「スクールアイドルの祭典、ラブライブにはオリジナル曲でしか参加できない。だったよな?」

 

「スクールアイドルにとって最初の難関ですわ。よくご存じですわね、如月先生」

 

「顧問やるっつったんだ。こんくらいは勉強してるぜ」

 

「ですが、そのくらいの知識も持ち合わせていない方が、二人もいらっしゃるようですが?」

 

 話を振られ、気まずそうに弦太朗から目を逸らす千歌と曜。弦太朗は頬を緩めるがダイヤは追求の手を緩めず、口許を隠すように頬杖をつく。所謂、圧迫面接というやつだと弦太朗は悟った。

 

「どちらか作曲、もしくは楽器の心得は?」

 

「「……ありません」」

 

「話になりませんわね」

 

「で、でも! 探せば一人くらい!」

 

「一人くらい? ならその一人くらいに心当たりは?」

 

「……ない、です」

 

「曲も作れない。メンバーも集まらない。この程度のことも出来ないような熱意なら私を動かすことは、人の心を動かすことはできません。スクールアイドルは諦めなさい」

 

 鋭い言葉が千歌の胸を突き刺していく。彼女自身も反論の言葉が見つからないのか、唇を真一文字に結んでいる。今の自分だけではどうにもならない壁が、目の前に立ち塞がっていた。現実を突きつけたダイヤは、俯く千歌から目を背けるように立ち上がる。一瞬だけ覗いた苦しそうな表情が、弦太朗の目に鮮明に焼き付いた。

 

「奇跡なんていうものはいつだって、都合よく起きはしないのですから……」

 

(……? ダイヤ?)

 

 ダイヤの呟きが三人の耳に入る。しんみりとした背中が寂しそうに見えたのは、どうやら弦太朗だけではなかったらしい。俯いていた千歌ですら、不思議なものを見たような顔を上げていた。しかし誰かに声をかけられるより早く、ダイヤは三人の脇をすり抜けていく。

 

「話は終わりですわ。次は全校集会ですから、急いだ方がよろしいのでは?」

 

 去り際の気丈な台詞がどこか悲しく、三人はダイヤが消えていった扉を見つめることしかできなかった。遠ざかっていく足音を見送る千歌は、何かに突き動かされるように廊下へ飛び出した。

 

「私は諦めません! 奇跡だって、起こしてみせます! 必ず!」

 

 千歌の叫びが廊下に響き渡る。しかし、ダイヤは一度たりとも振り返ることはなかった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「どうしても作曲できる人が必要でー!」

 

「ごめんなさーい!」

 

 

 

「……一週間も何してるんでしょうね、高海さん」

 

「ははは。まあ、青春ってやつッスよ」

 

 受け持ちの授業がない教師同士、二年の体育風景を眺めながら熱いお茶をすする。歳をとった気分になるが、この落ち着いた空気というのも浦の星らしさというか、内浦らしさというか。配布用のプリントを作る手は止まるが、都会の忙しなさを忘れさせてくれるこういう時間は弦太朗にとって心地よいものになりつつあった。

 

(それにしても千歌のやつ、ダイヤとのやり取りを相当バネにしてんな)

 

 千歌の、スクールアイドル部の目の前に舞い降りた大逆転の奇跡、ピアノが弾けて作曲のできる転校生がやって来て早一週間。暇さえあれば勧誘を繰り返す彼女の姿は、職員室でも有名になりつつあった。この分ではダイヤの耳にも届いているだろうことは想像に難くない。

 

(頑なにスクールアイドルを拒絶するダイヤ。あの心を抉じ開けねぇと、作曲者が入っても創部は厳しそうだけどな)

 

 熱いお茶に再び口をつけ、そもそもその転校生に加入の意思がないことも付け加えておく。一難去ってまた一難。前途多難な千歌の夢に、応援すると背中を押した弦太朗もダチになるだけではダメな問題の解決方法を模索していた。そんな弦太朗は、隣でそわそわしている同僚の視線に気づくことはない。

 

「そ、そういえば、如月先生もいらっしゃってそろそろ一週間ですね! 歓迎会とかしようかって話が出てるんですけど、週末のご予定とかありますか……?」

 

「あー、ないっちゃないんスけど、あるっちゃあるっていうか……」

 

「?」

 

「いや、こっち来たばっかで、やることとか色々あるんスよー」

 

 町を狙う謎の怪人がいつ現れてもいいようにパトロールするんですよ、などとは流石の弦太朗も言いづらく。キョトンとした表情の同僚に、なんとか笑って誤魔化そうと下手な作り笑いで場を濁す。仕事仕事と呟いて書類作成に戻ろうとするも、脳裏に甦ったのは数日前の作戦会議だった。

 

 

 

 

『朝方に話しかけていたテレスコープの解析結果だが、その前に』

 

『遠望京ですよね。ちゃーんと調べてきましたよ、謎多き美女』

 

「頼む、JK」

 

 NSマグフォンをケーブルで繋いだバガミールが、賢吾とJKの二人を薄暗くしたホテルの壁にそれぞれ投影する。三者間のビデオ通話での情報交換に、一番に名乗りをあげたのはJKだった。

 

『株式会社リバースター社長、遠望京。年齢、血液型、出身地、家族、親しい友人、その他諸々の略歴、不明!』

 

「『不明?』」

 

 声を揃えた二人に対し、JKは両手を挙げて白紙の束を掲げる。眉を潜める先輩に、後輩は困ったように眉を垂らせた。

 

『はい。どれだけ調べても確かなものは出てきませんでした。ただ忽然と、その姿のままそこに産まれたみたいな感じで。これじゃまるで幽霊です』

 

『ふざけてるのか?』

 

『大真面目ですよ。東京の関連会社、それと俺個人の情報網全部に当たりましたけど、彼女個人についてはなーんにも得られる情報はありませんでした』

 

 でも、とJKは続ける。

 

『彼女が代表を務めるリバースターって会社。宇宙関連の機材の製造・販売を主としてるんですけど、この会社については興味が湧くと思いますよ』

 

 意味ありげな前置きをし、JKは白紙の束を後ろへと放り投げて手元から一枚のイラストを取り出した。そこに描かれているのは、人の姿をした真っ白なコスチューム。ロケットのような頭部に、顔の部分は黒貫き。両腕と両足には見覚えのある四種類のマークがあしらわれていた。よく知った姿との既視感に、弦太朗は思わず呟く。

 

「フォーゼ……?」

 

『いいえ。これは数ヵ月前、リバースターが東京で行われた新型宇宙服の選考会で発表した、オリジナルの新型宇宙服のデザインです』

 

『そんな馬鹿な! ドライバーが無いだけで、見た目は完全にフォーゼだ!』

 

『でしょ? しかもこのデザイン、描いたのは遠望京だそうです。選考会でそう発言したと関係者から。でも面白いのはここからですよ』

 

 イタズラっぽく指を振り、JKはニヤリと口角を釣り上げる。彼が画面から消えると、代わりに書き込まれたホワイトボードが現れた。声に合わせて見切れたJKの持つ指示棒がホワイトボードを指していく。

 

『リバースターが立ち上がったのは一年前。本社を沼津市に建てたのは二ヶ月前。それまでは東京の秋葉原近辺でビルの一室を借りて運営してました。で、金の出所がおかしいんですよね。銀行はどこも融資を行っていません。でも本社を沼津に建てた際、支払いは一括現金だったそうです。当時の経営状況からして、そんな金があったとは思えません』

 

『出資者がいる、ということか?』

 

『そこも不明です。でも変だと思いませんか? 名前以外何もわからない人間が、自力で宇宙関係の会社を立ち上げ、オリジナルと称してフォーゼのデザインを盗用し、本社をゾディアーツの目撃情報のある沼津に移す。さらには本人がゾディアーツになるし、謎の出資者からの莫大な援助ときた。何かあるって思うのが普通でしょ』

 

『……財団X、か?』

 

 賢吾の呟きに、弦太朗は七年前の戦いを思い出す。我望を援助し、ゾディアーツスイッチに関わっていた死の商人たちのことを。それは二人も同じだったらしく、皆が一様に険しい表情をしていた。だからこそ、弦太朗はフッと笑みを浮かべる。

 

「考えたって仕方ねぇ。あいつらとは、いつかは決着をつけなくちゃいけねぇんだからな」

 

『……それもそうだな。JK、他には?』

 

『現状での報告は以上です! もうちょっと探ってみますけどね』

 

『よし、なら次は俺だな』

 

 そう言うと、バガミールの映像に変化が現れる。二人の枠が収縮し、代わりに先日のテレスコープとの戦闘の映像が映し出された。テレスコープが地面に光弾を発射するシーンで画面が止まり、そこから弦太朗では理解不能なアルファベットの羅列が記入されていく。

 

『テレスコープの戦闘データだ。威力に加えて、射出の制度、速度、それからダスタードの腕力と脚力から概算した。こちらからのアプローチが何もなかったため装甲の固さはわからないが、結論から言おう。テレスコープは弱い』

 

「確かにダスタードは手応えなかったけどよ、どういうことだ?」

 

 弦太朗の疑問に、咳払いをした賢吾は解説を始める。

 

『まず光弾。ダスタードを召喚するためのものだろうが、幹部クラス(ホロスコープス)が腕を振るうだけで容易に行っていたものを、わざわざ弾にしている。つまりそのレベルの力量ではない証拠だ』

 

 映像は動きだし、次は弦太朗とダスタード四体との混戦の様子に切り替わる。今思い返しても、今までのダスタードの中で一番手応えのない相手だったように感じていた。が、その感想についても賢吾は補足する。

 

『そして召喚されたダスタードもこの様だ。例えるなら無尽蔵に体力のあるゴロツキレベルだな。ゾディアーツとしては論外だ』

 

『そこまで言っちゃいます?』

 

 苦笑いを浮かべて少し同情を見せるJKに、賢吾は真剣な表情で画面を操作する。四体のダスタードとテレスコープが画面に並び、またアルファベットが羅列されていく。答えない賢吾は、腑に落ちない様子で息を吐いた。

 

『だが、このテレスコープはゾディアーツとして例外過ぎる』

 

「例外?」

 

『力は弱い。恐らく望遠鏡座の特性は戦闘能力ではなく、羅針盤座のピクシスのような特殊能力に傾倒するゾディアーツのはずだ』

 

「牧瀬か。なら、他人の星を見るってのがそれか。確か天高って、理事長がホロスコープスを覚醒させるために建てた学校だったよな?」

 

『ザ・ホールの影響下なら降り注ぐコズミックエナジーへの耐性がつき、人間の許容量も比例していく。ゾディアーツを量産するには効果的だ。スイッチでチャンネルを開いても、コズミックエナジーを受信する人間が耐えられなければゾディアーツにはなれないからな。朔田の親友、二郎君が例だ』

 

『ゾディアーツになれるかなれないか、さらにどんなゾディアーツになれるか確実に当てられるってことですよね。確かにチートっぽいですけど、ホロスコープスを探してる訳じゃないし意味ありますか? 例外過ぎるってほどじゃないでしょ』

 

『テレスコープの内包するコズミックエナジーが、我望の変身したサジタリウスを優に越えている、と言ってもか?』

 

「『え?』」

 

 賢吾の一言に、次は弦太朗とJKの声が重なる。疑問符を飛ばす二人を置いて、賢吾も納得できないように続けた。

 

『俺はゾディアーツスイッチに一番関わっていた我望が人間の許容量の限界だと思っていた。膨大な量のコズミックエナジーを直接攻撃力に転換できるんだ、最強のゾディアーツと言っても過言じゃない。しかし、それを越えるテレスコープは観測してきた中で最弱の存在だ。訳がわからん』

『影響を受けたダスタードも耐久値だけが異様に高い。復帰能力に注目すればゾンビといった方がいいかもしれないな。受けたダメージや消耗した体力をすぐさまコズミックエナジーで補っている。まるでテレスコープ自身が無限にコズミックエナジーを生成しているようだ』

 

『実際そうだったりして』

 

『それはありえない。スイッチはコズミックエナジーを物質化するキーでしかない。コズミックエナジーを生成することができるなら、我望は天高を建てるなんて回りくどいことはしていなかったはずだ。何かカラクリがある』

 

 

 

 

(今までで一番弱くて、一番訳わかんねぇゾディアーツか……)

 

 帰路に着こうと、バイクを停めてある校舎横の駐輪場に向かいながら頭を悩ませる。一週間も音沙汰のないテレスコープが何を考えているのか。他のゾディアーツが現れる兆候も今のところない。平和で喜ばしいことなのだが、弦太朗にはどうも何かあるとしか思えなかった。

 

「とにかく、今の俺にはパトロールくらいしかできることはねぇな」

 

 バイクに跨がり、ヘルメットを被ろうとしたときだった。

 

 

「きゃっ!」

 

 

 駐輪場から更に奥の方で悲鳴に近い声が聞こえた。ヘルメットを投げ捨てた弦太朗は素早く駆け出し、声の主へと急行する。思い起こされるのは遠望の言った大虐殺を予感させる言葉。頭に浮かぶだけで気が焦る。

 

「どうした!?」

 

 角を曲がった校舎裏。無事であってほしいと願い、強ばる弦太朗の目に飛び込んできたのはーーー

 

「いたた……。あれ? 弦ちゃん先生?」

 

 ーーー地面に転がるハンバーガーと、頭の天辺を押さえて座り込む千歌の姿だった。あまりの拍子抜けっぷりに、肩の力が抜けるのがわかる。ゾディアーツの襲撃でなかったことに胸を撫で下ろした弦太朗は、落ち着きを取り戻して尋ねた。

 

「こんなとこで何してんだ?」

 

「いやー、帰りにもう一押し桜内さんを勧誘しようと探してたんだけど、何かハンバーガーが降ってきて……」

 

 たはは、と頭を擦る千歌を背に、見覚えのありすぎるハンバーガーを手に取る。背面部に刺さったカメラスイッチを抜き取って確信した。これは、なんとかして誤魔化さなければならないと。後ろ手にフードモードのバガミールを隠し、弦太朗はできる限りの笑顔を作った。

 

「ま、まあ、空からハンバーガーが降ってくる日もあるよな! 保健室行くか?」

 

「いや、大丈夫だけど……。それって弦ちゃん先生の?」

 

「い、いや? 違うぞ? まあこれは俺が持ち主を探して返しておくから、任せとけ。な?」

 

 はははと笑うも誤魔化しきれず、何となく冷めた目で見られる。どうしたものかと考え、そういえばと思い出したように千歌に尋ねた。

 

「梨子の勧誘は順調なのか?」

 

「え? うーん、もうちょっと、って言いたいんだけど……」

 

「自信なさげだな」

 

 弦太朗の言葉に、千歌は少し視線を下げる。

 

「桜内さんにね、言われちゃったんだ。やらなきゃいけないことがあるからごめんなさい、って。今は雑音に構ってる暇はないからって……」

 

 語尾が尻すぼみに弱くなっていく。自分の夢を雑音呼ばわりされたのだ、誰だって気持ちが滅入るだろう。悔しそうに握る手に、力が込められているのがわかる。一歩進むごとに増えていく壁は、打ち破るには堅すぎるようだ。ふと、弦太朗は疑問に思っていたことを口にする。

 

「気になってたんだけどよ。なんで梨子のこと、桜内さんって呼んでんだ?」

 

「え? だって、まだ全然仲良くないし、下の名前で呼ぶの嫌がるかなって……」

 

「ああ、なるほど。そういうことか……」

 

 一枚目の壁を破る取っ掛かりが、見えた気がした。

 

「なあ、千歌の好きなものってなんだ?」

 

「好きなもの? えっと、みかんかな?」

 

 唐突な質問に、千歌は不思議そうな顔で答える。対して弦太朗は納得したように首を縦に振った。

 

「じゃあ質問だ。千歌がどうしようもない理由で都会に転校したとしよう。周りの人間がどんなヤツかわからねぇその学校で、ダチでもねぇやつが、“高海さん! 美味しいみかんを作る園芸部に入りませんか!”って勧誘してきたら、千歌はどうする?」

 

「……困る、かな」

 

 質問の意味を察したのだろう。千歌の表情がより暗くなる。諦めた方がいいのか、そんな気持ちが心の中で渦を巻く。

 でもよ、と弦太朗は続けた。

 

「ダチならどうだ? 例えば曜が本当に困ってるって知ったら」

 

「もちろん助けるよ! 曜ちゃんが困ってるなら私……!」

 

 弦太朗の言わんとしていることが伝わったのだろう。暗くなっていたのが、光明が差したように開けた表情になっていく。その変化を見た弦太朗は、優しく語りかけた。

 

「勧誘の前に、まずはダチになること。今見えてないものも、通じ合えば見えてくる。梨子のやらなきゃいけないことってのも、理解できるんじゃねぇかな。そうすりゃ千歌が困ってることもわかってもらえる」

 

「で、でも。下心あるって思われて、友達にもなれなかったら……」

 

「千歌は下心しかねぇのか?」

 

「そんなわけない! 私、桜内さんと、梨子ちゃんと仲良くなりたい! これは作曲ができるからとか、そんなの関係なく!」

 

「ならその気持ちをぶつけろ。信じてくれねぇなら、信じてくれるまでぶつけるんだ。真っ直ぐな思いはみんなを結ぶ。ダチになりてぇって思いは絶対に裏切らねぇ」

 

 胸を二回叩いて千歌を鼓舞する。ニカッと快活な笑みを見せる弦太朗は、目線を合わせて千歌の頭をポンポンと撫でた。

 

「まずは友達から。梨子のことを知って、自分のことを知ってもらう。それで断られたら、梨子が今やりたいことはそれだけ大事だってことだ。そうすると諦めるしかねぇけどな」

 

「……それでもいい。私、自分のことばっかり考えてて、梨子ちゃんのこと考えてなかった。大事なこと忘れてたよ」

 

 立ち上がった千歌の目は力強く、吹っ切れたような表情を浮かべる。なんというか、素直に眩しいと弦太朗は感じた。

 

「スクールアイドルは皆を笑顔にする。だから、梨子ちゃんを笑顔にしてあげるんだ。これから同じ学校で過ごす仲間なんだもん!」

 

「よし、その意気だ!」

 

「ありがとね、弦ちゃん先生!」

 

「おう。気を付けて帰れよ」

 

 じゃーねー! と走り去っていく千歌を見届けて、弦太朗は一人考える。これだけ千歌に言っておいても、きっと梨子の加入という話はダチになるだけではダメな問題のはずだ。それでも、ダチにならないと何も始まらない。

 

「あれだけ偉そうに演説しておきながら、俺も大事なこと忘れてたな」

 

 どんなことも、ダチからもらった思いと力で解決してきた。どんな苦境も、絶体絶命のピンチも、心を一つにして、支えられて今がある。大人になって忘れそうになっていたことを、見失いそうになっていたことを思い出せた。込み上げてくる熱い何かが、弦太朗の顔を綻ばせる。

 

「まずはダチになる。じゃなきゃ、ダイヤの抱える問題がわかるわけねぇよな」

 

 この熱い何かを一言で表すことはできない。それでも、この気持ちが弦太朗に力をくれているのはわかった。




 海を一人眺める少女は、今しがた別れたばかりの“友達”のことを思い出す。

 内浦に来て自分が初めて話した同年代。
 崩れ行く自分を凄いと言ってくれた少女。
 寄せ集めの成れの果てとなった自分を、必要としてくれた人。
 拒絶する自分を受け入れてくれた彼女。

 こんな私に、まずは友達になろうと笑ってくれた女の子。

(高海……千歌ちゃん)

 桜内梨子は、ただ波の音に耳を傾ける。欲しても決して聴くことができない海の音を探して。雑音の中に眠る、自分の音を探して。友情のシルシを刻んだ手の中には、すがるように握られた気味の悪い“御守り”が顔を覗かせていた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 曇・天・降・下

「んーーーー…………」

「どうしたの弦ちゃん先生。そんなに唸って」

「ん? ああ、曜か。おはよーそろー」

「随分投げやりなヨーソローだね……。悩みがあるなら、曜先生にお任せヨーソロー!」

「悩みっつーかなんつーか……。まあ、ダイヤのことなんだけどよ」

「ダイヤって、あの生徒会長の?」

「そうそう。ダチになろうと思って声かてるんだけどよ。あと一歩ってところで躓いてる感じがするんだよなぁ。何が原因かなって考えてたんだよ」

「……ちなみに、生徒会長の反応ってどんなの?」

「反応? そんなの聞いてどうすんだ?」

「いいからいいから。何となく察してるから。で、どうなの?」

「えーっと……


『ダイヤ! 俺とダチになってくれ!』
『はぁ!? ダチ!? 本気で言っていますの!? はぁー……。初めて会った時から先生は破天荒だ非常識だと感じていましたが、ここまでとは思いませんでした。そもそも、ダチとは対等な関係。つまり教師と生徒という立場があるのですから対等なんてありえません! ぶっぶー!ですわ! 如月先生には我が浦n(以下作者都合により省略』


って感じだったのが、最近は


『ダイ『お断りします』


って感じになったんだ。だからあとちょっとって感じなんだけどなー」

(…………わかってた。近い未来、千歌ちゃんもああなるんだろうなって)


「……だぁー! ダメだー! 全然動かねぇー!」

 

 太陽が山を登り始めようかという早朝。既に燃えつきたのか灰色の雲が徐々に空を覆う頃、悲鳴にも似た弦太朗の声がカーテンで遮られたバルコニーから漏れ出した。

 背面部にカメラスイッチを抜き差しして十数回。フードロイドたちが心配そうに見守るなか、当のバガミールは一向に起動する様子はなかった。パッと見たところ派手な損壊はないので内部の故障のように思えるが、どちらにせよ弦太朗にどうにかできる問題ではない。寝間着のままベッドに手足を投げ出し力尽きた弦太朗は、か細い声で呟いた。

 

「すまねぇバガミール……。やっぱり俺じゃ、お前を直してやれそうにねぇ……」

 

 共にベッドに転がるハンバーガーは、物言わぬ置物と化していた。何を語りかけようと、死んだように眠るバガミールが答えることはない。その代わり、慰めるようにツナゲット四機が弦太朗の頭の上を旋回する。

 

「……サンキューな、お前ら」

 

 しかし、嘆いてばかりでは何も前へは進まない。壊れているというのなら、直すより他はないのだ。NSマグフォンへと手を伸ばし、開いた電話帳からお目当ての人物を探し当てる。そこに表示されているのは、困ったときに頼れる親友の名前。だが、後一つ押せば繋がるというところで、弦太朗はゆっくりとNSマグフォンを閉じた。

 

「いや。週明けまで連絡しねぇって、一昨日決めたじゃねぇか」

 

 フォンを枕元に投げ、静かに寝転がるバガミールを掴む。賢吾にもやることがあって、やりたいことがあって、そこを割いて作った時間でドライバーやらゾディアーツやらで負担を強いている。一度でもそう自覚してしまうと、どうも気が引けてしまうのだ。それが例え、緊急を要するものだったとしても。幸い相手の方にも目立った動きはない。あと一日くらいなら自分がカバーすれば何とかなるだろうと、弦太朗は楽観的に構えることにした。

 

「悪ィな。お前の修理は明日以降になりそうだ」

 

 起き上がった弦太朗はバガミールをテーブルに置き、他のフードロイドたちを呼び集める。並び立つ彼らを見ると、沼津に来て一週間ほどで傷ついた箇所に改めて気づかされた。録にメンテナンスもしてやれていないが、それでも色々な場所を探索してくれているのだろう。もしかするとバガミールも、そういったものの積み重ねが原因かもしれない。傷だらけになりながらこの町を守る小さな英雄たちにささやかながら、弦太朗は先輩から教わったサムズアップを贈った。

 

「いつもありがとな。今日もよろしく頼む!」

 

 フードロイドたちは頷くような仕草を見せて、いつものように壁にかけられた空のリュックへと飛び込んでいく。中でフードモードへと移行したのだろう、全てが収まりきる頃には静かなものになっていた。

 自分も準備を始めようとベッドから立ち上がる。洗面台へ向かう前に、弦太朗は光の差してこないカーテンを開け放った。

 

「……しっかし折角の日曜だってのに、あんまり良い天気じゃねぇな。一雨来るか?」

 

 天を仰げば、いつの間にか分厚い雲が明け方の空に蓋をしていた。充満する空気はいつもの内浦のものではなく、潮と雨のにおいが混じり合う不愉快なもの。今日は吹き飛ばしてくれる風さえない。この得体の知れない不穏な空気に、弦太朗は気だるげに眉を垂らす。

 ふと、弦太朗は一隻の船が淡島に近づいていることに気がついた。

 

「……クルーザー、か?」

 

 

 

 

「見ねぇ船だな……」

 

 いつもの船着き場から少し離れた、石垣でできた階段下にその船は停まっていた。覗きこんでも中に人はおらず、わかることと言えば内浦と淡島を繋ぐ船でも、ホテル直通の船でもないことぐらいだ。どこかで見たことがあるような、船体に描かれたイルカのマークに記憶を手繰り寄せるが思い出せずもやもやが増すばかり。外観は沿岸に並べられている私用の船という印象が強く、見た目からは業務目的のようには思えない。注意深く観察するうち、船内に掛けられたタオルに文字が印刷されていることに気がついた。

 

(松浦……ダイビングショップ?)

 

「あの、うちの船に何か用ですか?」

 

「ッ!?」

 

 船に夢中になっていたため、不意に頭の上から降ってきた声に肩が跳ねる。振り返って見上げた場所に立っていたのは、訝しげな表情をしたダイビングスーツ姿の少女だった。不審者を見るような目に、弦太朗は慌てて弁明する。

 

「わ、悪ィ! 怪しい者じゃねぇんだ! その、見かけねぇ船があったもんだから気になっちまって!」

 

 どう取り繕おうとも、少女の見る目は変わらない。それもそうだろう。いくら高校の頃と比べて大人しい服を着るようになったとはいえ、よくあるジーンズに背中で竜と虎が睨み合うTシャツという組み合わせ。そしてガチャガチャとうるさいリュックを肩に担いでいれば怪しくも感じる。寧ろ慌てているせいか視線は厳しくなる一方だ。

 このままでは船泥棒と勘違いされてしまう。何とか誤解を解こうと頭を捻るが、そう都合のいい言い訳がポンポン浮かんでくるほど頭は回らない。しどろもどろしているうちに出てきた言葉は、間の抜けた一言だった。

 

「……この船、あんたのなのか?」

 

「うちの店のですけど……?」

 

 そう言う彼女越しに、船体に描かれたものと同じイルカのマークが目に入る。島を一周したときに見たものだと思い出したとき、滝のように冷や汗が吹き出てくるのがわかった。

 

「そ、そっかー! いい船だなー!」

 

 あははと笑って誤魔化そうとするが、二人の間に吹き抜けるのは早朝の潮風より冷たい風。ぴったりと張り付いたシャツが居心地の悪さを際立たせる。尻すぼみになっていく笑い声が途絶えたとき、場にやってきたのは重い沈黙だった。

 

「「…………」」

 

 本当に不審者になってしまう。脳裏によぎる一文と、静岡の新聞にでかでかと自分の顔が載るところを想像してしまうと生きた心地がしなかった。どうしたものかと知恵を絞るが、起死回生の天啓は降りてこない。

 いっそ、町を狙う悪いやつの船だと思ったと正直に話そうか。ふと浮かんだ案を、怪しさが五割増すと判断し即座に却下する。もうダメだと、短い教師人生を思いながら諦めかけたその時、この沈黙に耐えかねたのか少女はぷっ、と吹き出した。

 

「あははっ! お兄さん面白いね! うん。悪い人じゃなさそうかな」

 

 納得したような少女は先程までとは打って変わって明るい表情を見せる。絶望の縁に立たされていた弦太朗は、ただポカンと間抜け面を貼り付けたように少女を眺めていた。一頻り笑った少女は目尻に蓄えた涙を指で掬い、弦太朗の顔を見てまた笑い始める。

 

「ごめんごめん。逃げたりしたらとっちめてやろうと思ってたんだけど、お兄さんの顔があんまり正直だからさ。あははっ!」

 

 あまり誉められたような気がしないが、楽しげに笑う彼女を見て人生最大級のピンチを乗り越えたことを察し、一旦胸を撫で下ろす。他人慣れしているというか、少女の砕けた態度に弦太朗も気を緩ませると、笑いっぱなしだった彼女は落ち着いてきたのか優しげな笑みを向けた。

 

「うちはそこでダイビングショップやってて、その船はポイントまでお客さんを乗せていく船なんだ。お兄さんは観光?」

 

「いや、仕事でこっちに」

 

「じゃあそこのホテルに泊まってるんだ。また時間があったらおいでよ。楽しいよ、海の中は」

 

「へぇ。海の中か……」

 

 目の前の彼女のように、ダイビングスーツを纏う自分を想像してみる。魚たちと海中を一緒に泳ぐというのはさぞかし気分がいいのだろう。海中には自分の知らない世界が広がっていて、たくさんの命を感じられるはずだ。そういう意味では、一人を感じる宇宙とは対極にあるのかもしれないと、弦太朗は一人ごちた。

 

「宇宙は何度も行ったけど、海の中はあんまりねぇな」

 

「? 宇宙?」

 

「え? ……あ。いや、なんでもねぇよ! そうだ! 折角だし今日とかどうなんだ? 飛び込みで悪ィんだけど!」

 

 不思議そうに首を傾げた少女に、弦太朗は慌てて失言を誤魔化そうとする。多少強引ではあったものの話を逸らすことはできたようで、少女は少しばつが悪そうに頬を掻くだけだった。

 

「ごめんね。今日は先約があるんだ」

 

「そっか、そいつは残念だ。繁盛してんだな」

 

「そんなことないよ。午前は知り合いの子たちだし、午後はダイビングあんまり関係ないしね。って、言ってる間に来たみたい」

 

 そう言って彼女は船着き場の方向へやんわりと手を振る。その仕草に、弦太朗からは死角になって見えない少女の知り合いとやらは元気よく、おーいと声を返していた。何となく聞き覚えのある声のように思うが、気のせいだろうという考えに至る。

 が、世間というものは弦太朗が思う以上に狭いものだった。

 

「おはよ、果南(かなん)ちゃん! 今日はよろしくね!」

 

 果南と呼ばれたダイビングスーツの少女に並び立つのは、見覚えのありすぎる顔ぶれ。二人と、それに引き連れられるように姿を現した一人に、弦太朗は今の状況を忘れて思わず声を出してしまった。

 

「なにしてんだお前ら」

 

「あれ、弦ちゃん先生。先生こそ、そんなとこで何してるの?」

 

 いち早く反応した千歌に、わかりきっていた返答の困る質問をされる。言葉につまり苦笑いを浮かべるしかない弦太朗に疑問符と視線を向ける三人だったが、その中でも何かに気づいたのか、曜は顎に手を当ててしたり顔を浮かべた。

 

「はっは~ん。弦ちゃん先生も隅に置けませんなぁ、浦女一のナイスバディー果南ちゃん狙いとは。無咲(むざき)先生が泣いちゃうぞ~?」

 

 曜の言葉に、千歌と梨子はキャーっと女子高生らしく目を輝かせる。弦太朗はというと、よく話をする同僚の顔を思い出し、ついでにこの間の誘いを断ったことを思い出していた。いざというときにお酒飲んでました、では済まないからという理由があるのだが、それをここで説明することはない。更にいうとどうしてこの場面で同僚の名前があがるのか、彼は今一ピンときていないのだ。そもそも、今の弦太朗の意識は違うことにあった。

 

「……浦女の、果南?」

 

「……弦ちゃん、“先生”?」

 

 それは少女も同じだったらしく、お互い眉を潜めて見合う。頭のなかで散らばっていたピースがパチパチと音をたてて嵌まっていくような気がしていた。先に行動を起こしたのは、大事なことを思い出して大きく目を見開いた弦太朗だった。

 

「あーーー!!! 果南! お前が松浦果南か!」

 

 階段を無視し、数歩の助走で石垣を垂直に蹴り上がった弦太朗は、落下防止のために取り付けられた丸太の柵を軽々と飛び越えて四人の前に降り立つ。呆気にとられる三人をよそに、弦太朗は満面の笑みを少女、果南に向けた。

 

「初めまして、だな! 家業の手伝いで休学中の三年がいるって聞いてたから、一度挨拶には行きてぇって思ってたんだよ。まさかこんなところで会えるとは思ってなかったけどな」

 

「仕事って、教師だったの……?」

 

「おう! 生活指導、進路指導担当の如月弦太朗だ! 夢は宇宙中の奴ら全員と友達になること! よろしくな、果南!」

 

 弦太朗はいつものように握手を求める。差し出された手をまじまじと見つめた果南は、一瞬迷うような素振りを見せたのち、弦太朗の表情を覗きこむように呟いた。

 

「あなたが、如月弦太朗……」

 

「? 俺のこと知ってるのか?」

 

「……千歌たちから、東京から新しい先生が来てるっていうのは聞いてたから。その、お兄さんが先生だとは思わなくて」

 

「わかる! 私も初めて会ったとき先生って言われてビックリしたもん!」

 

「学校で会わないとわからなかったと思う。絶対髪型のせいだよ」

 

「一目見て、先生って感じじゃないですよね」

 

「お前ら好き勝手言い過ぎだろ」

 

 口々に正直な意見を述べる女子陣に、弦太朗は肩を落とす。そう言えば同じようなことを内浦に来てから何度か言われたような気がして、自慢のリーゼントに手を当てた。

 

「ダイヤにも言われたんだよなぁ。そんなに変か? 俺のリーゼント」

 

「まあ、変ではないけど珍しい髪型ではあるよね。さ、千歌たちは準備始めよっか。お昼までだから時間なくなっちゃうよ?」

 

「そうだった! ごめんね梨子ちゃん、早く行こ!」

 

「あ、待ってち……高海さん! 引っ張らないでー!」

 

 困惑する梨子の腕を引っ張り、馴れた様子で店内へと消えていく千歌。その姿を眺めて笑みを浮かべていた曜は、未だ髪型を気にする弦太朗へと視線を移した。

 

「弦ちゃん先生はこのあと予定とかあるの?」

 

「ん? まあ一応な。それがどうかしたか?」

 

「いやー、先生もスクールアイドル部の一員みたいなものだしさ。いっしょにどうかなって。……それだけ!」

 

 返答を待たずに手を振る曜は、二人に続いてダイビングショップへと駆けていく。取り残される形になった弦太朗は、唐突なダチからの誘いに困ったように少し息を吐いて、果南にどうするかと目線を配った。少し広角を緩める果南は目を合わせることがなかったが、どういった心境かは察しているのだろう。彼女は、ただ言葉を返すだけだった。

 

「うちは貸し出しのセットが三つしかないから、船に乗るだけなら安くしとくよ」

 

 何となく空を仰ぐ。雲行きは怪しいままで、いつ雨に降られるかわからない。雲の切れ間はまだ見えず、町は日の光を浴びれないためどんよりと薄暗い。今日はカモメも飛んでいないようで、クルージングには不向きな天気と言っていいだろう。弦太朗の答えは決まっていた。

 

「……潜るのは、また次の機会だな」

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 そこは真っ暗な場所だった。

 探し物を求めて進もうと、そう易々と見つかりはしない。諦めそうな心に火を灯すも、挫けそうになる度に胸に秘めた種火が揺らめく。道はなく、当てもなく、照らす光もなく、出口もない。この先に探し物があるのかどうかもわからない。それでも進む。無駄な足掻きだとしても、進むしかなかった。この先に、探し物があると信じて。

 

 そこは静かな場所だった。

 静寂と呼ぶに相応しい空間に、吐いた息がぼこぼこと微かな産声をあげて溶けていく。何も聞こえない、何もわからない。過ぎていく時間と消耗していく体力の儚さが、求めたものなんて初めから無かったのではないかと思わせる。だが浮かぶ疑念に首を払い、果南に言われたことを思い出す。

 

(想像力……)

 

 

 

 目を閉じる。耳を澄ます。潮の流れを感じる。

 しかし、突きつけられるのは暗闇と無音の現実だけ。鼓膜を揺らす海流の胎動も、世界を照らす光さえも描くことができない。寧ろ海底から沸き上がってくる闇が体に纏わりつき、より深い場所へ引きずり込もうと手を伸ばしてくる。

 

(いや……!)

 

 一度足に絡み付いた闇は、そう簡単に離しはしない。引き剥がそうと身をよじるが遅かった。巻き付き体を這って登ってくる二本の黒い手は、全身へと広がり心も体も侵食してくる。体に染み込んでくる黒から伝わってくるのは、海のうの字もない割れんばかりの雑音。車が煩い、電車が煩い、布の擦れる音が煩い、街頭に映るメディアが煩い、人々が煩い……。

 

 そして、旋律が煩い。

 

 気がつけば、梨子はピアノの前に座っていた。あの日の服、あの日の観客、あの日のライトが梨子を照らす。あの日の気持ちがふつふつと甦り、あの日のように規則正しく佇む鍵盤に指を添える。しかし、いや、やはりと言うべきか、どれだけ念じてもあの日のように指は動かなかった。やり直しはできない。そう悟ったとき、世界が真っ暗になると同時にあの日は終わりを迎えた。……ように思えた。

 目の前に過去の級友が立つ。

  あの哀れむような目が、梨子を責め立てる。

 隣にピアノの講師が立つ。

  あの落胆したような目が、梨子が顔を上げることを許さない。

 同じ志を持っていた少女たちが取り囲み、聞くに堪えない乱雑な伴奏と共に何かを言ってくる。何も聞き取れない、でも何を言っているのかわかってしまう。

 

 だってこれは、あの日から呪いのように忘れられない言葉の群れなのだから。

 

 蓋をして見ないふりをしても、終わったことにはならない。解決したことにはならない。あの日はまだ終わらないと、延々と梨子の心に影を落とす。

 聴きたくないと思えば思うほど、耳を塞げば塞ぐほど、無意味な音が脳の内側から響き、浴びせられた言葉が溢れてくる。自分が音符の中に埋もれていく。自分という存在が何かつまらないものに塗り替えられていく。どれだけ体を小さく丸めても、音が止むことはない。規則性もない、自由奔放な旋律が無理矢理頭を占領してくる。梨子はただ、黙って耐えるより他はなかった。

 

 ふっ、と世界が静かになる。恐る恐る目を開けると、暗闇のなかには誰もいなくなっていた。また始まる、一人ぼっちの時間。後悔が、心細さが、荒波のように梨子を削っていく。これまでの自分の血肉となった音楽が、今は憎らしいとさえ思えた。こんな思いをするくらいなら音楽なんていらない。そんな考えが過ったとき、梨子にある疑問が浮かび上がった。

 

 自分がしたかったことは、こんなことだったのだろうか。

 

 投げ掛けた疑問が闇に波紋を打つ。思い出すのはピアノを初めて触った日のこと。自分を取り囲む闇はスクリーンのように梨子の頭の中の絵を写し出した。押すだけで生まれる未知の音が、幼い梨子の世界を彩る。押すだけで自分も、家族も、皆が笑顔になるピアノが、梨子は心の底から好きだった。

 でも今は、ただ自分の首を絞める恐怖の対象でしかない。あの頃が遠くなって、また梨子は一人になる。すがり付くように手を伸ばしても、掴むことなんてできはしない。再び闇が訪れる。きっともう、あんなに輝くことはできない。きっと、もうーー

 

『ーーきっともう、ピアノじゃあんなに笑顔になれない』

 

「誰……?」

 

『だって怖いもの。周りの期待も、皆の視線も、並び立つライバルも』

 

「誰なの……!?」

 

 闇に反響する声が、ぼんやりとした輪郭を伴って人の形に集まっていく。はっきりと形を手に入れた声の主に、梨子は言葉を失った。

 

『一人ぼっちの音楽室も、押し付けられる楽譜も、それを弾けない自分も、ね。そうでしょ?』

 

「私……?」

 

 過去の、音乃木坂の制服に身を包む自分が、目の前にいた。怪しげな笑みを携えて、音乃木坂の自分が驚き固まる梨子の肩に手を添える。そこから耳を塞ぎたくなるような悲鳴と悪寒が伝わってきて、梨子は反射的にその手をはね除けた。

 

『初めまして、わたし。でも、まだ心を開いてくれないのね』

 

「本当に、私なの……?」

 

 愕然とする梨子に、音乃木坂の梨子は平然とした様子で答える。

 

『ええそうよ。私はあなた、あなたは私』

『あなたが実像なら、私は虚像』

『私は、あなたを写し出すネガフィルム』

『そして私は、あなたの心そのもの』

 

「ネガ……? 心……? いったい何のこと……?」

 

『私が触れて聴こえたはずよ。思い出さない? 音乃木坂に入学して、初めて音楽室に入ったときの気持ちを』

『クラスメイトの視線。それが妙に突き刺さる感覚を』

『意味もわからず、背負わざるを得なかった重圧を』

『いつからか義務になったピアノは、五線譜に首を絞められるように少しずつ、少しずつ、重く、苦しくなっていくだけ』

『眩しすぎる期待の星は、あなたという人間に強烈な影を落とした』

『影に隠れてしまったあなたに、みんなが口を揃えて言ったわ』

 

『「貴女はすごい」「才能があるわ」「優勝間違いなしだよ」「期待してるからね」』

 

『弾けずに帰ってきたときの、腫れ物を触るような扱い』

『クラスメイトに先生。()()()()学校のみんなが距離を置いた』

『その日からよね。あなたが鍵盤に触れなくなったのは』

『あんなに楽しくて、大好きだった音楽を憎らしく思い始めたのは』

『私は何でもわかる。あなたの抱える悩みも、苦しみも、辛さも、痛みも、悲しみも』

『その全てを私は知っている』

『だって私だもの。あなたの心だもの。ずっとずっと、沈黙しながら悲鳴をあげ続けていた私だもの』

『愛想笑いの仮面に本心を隠して、雨に打たれながらでしか泣けない私だもの』

 

 音乃木坂の梨子は微笑みながら、そっと梨子の右手を握る。割れんばかりの悲鳴と、嗚咽と、暴風雨のような激しい涙が、右手を伝って濁流のように梨子の中に流れ込んできた。音乃木坂の自分が微笑んだまま、人の色を失い濁っていく。その濁った人形(ひとがた)から、ごぼごぼと真っ黒な汚泥が止めどなく噴き出し始めた。醜い。汚い。しかしどういうわけか、その濁りを取り除こうという気にはなれなかった。

 

『私を受け入れて。そうすれば、あなたの苦痛の全てを取り除いてあげる』

 

 足元からひたひたと、真っ暗な世界に溢れた濁りが責め立ててくる。人形はその濁りに溶け込むように形を崩していった。じわじわと梨子に染み込んでくるのは、阿鼻叫喚の嵐。ただ、さっきのような不快感はなかった。

 気づいたのだ。この声も、涙も、じぶんを飲み込むこの汚れきったものも、全て自分のものだということに。ずっと目を背けていた、この感情に。逃げ続けていた、この負の激情に。

 濁流に頭の先まで溺れ、意識の薄れていく梨子の頭に声が響いた。

 

『ねぇわたし。いいことを教えてあげる』

『どうしてあなたがあれだけの重圧、あれほどの期待を背負わなくちゃいけなかったか』

『それはね。みんなにとってあなたは憧れだったの。あの学校で認められたあなたへの、どうしようもない憧れ』

 

 クスクスと笑う声は、朧気に意識を保つ梨子の耳元で秘密を打ち明けるようにそっと囁いた。

 

『音乃木坂学院は、五年前廃校の危機にあった。それを救ったのは音楽の力』

『だからあの学校の人間は、音楽に関わるあなたに特別な期待を抱いていたの。九人の女神と称された彼女たちを、あなたに重ねていた』

『何も残していかなかったが故に、憧れを抱いた人間は手近なあなたを代用するしかなかったの』

『嘘だと思うなら高海千歌に訊きなさい。音乃木坂学院を救った、九人の奇跡の少女たちのことを』

『そして覚えておくといいわ。あなたを巨大な影で覆った、眩しすぎる輝きの名を』

『しっかりと胸に刻むの。あなたが壊すべき、奇跡の存在を』

『彼女たちは、ーー _   ー __

         ー  ̄_ー ー

 

 

 

 

 梨子はゆっくりと目を開いた。体から入ってきた情報が、少しずつ脳で分解されていく。見知らぬ天井、まだ馴れない海のにおい、ダイビングスーツのぴっちりとした感覚から解放された体、自分に覆い被さる微かな重み、反発のある背中の感触。先程まで海に潜っていたとは思えない現状に、夢心地な梨子は状況を飲み込めずぼんやりと天井を眺めていた。

 

「あ、気がついたみたい」

「じゃあ私、外の二人に知らせてくるね」

「うん。お願い曜ちゃん」

 

 パタンと扉の閉じる音がして、梨子はそちらに首を傾ける。こちらを見ていた千歌と目が合うと、彼女は梨子に向けて優しい笑みを浮かべた。 

 

「具合はどう? 気分悪いとかない?」

 

「うん大丈夫。えっと、ここは……?」

 

「ここは果南ちゃんの部屋。梨子ちゃん溺れちゃったんだけど、覚えてる?」

 

 溺れた。そう言われ、記憶を手繰り寄せるが思い出せるのは海をイメージしようと目を閉じたところまで。何か大切なことが抜け落ちているのか、漠然とした喪失感が梨子の胸にぽっかりと風穴を開けていた。

 

「……ごめんなさい。思い出せないわ」

 

「そっか。無理に思い出すこともないし、気にしなくていいよ。そうだ! 温かい飲み物もらってくるね! 体暖めないと!」

 

「あ、ち……高海さん!」

 

 梨子の声は一歩遅く、千歌は勝手知ったる我が家のように扉の向こうへと消えてしまった。ぼんやりとする頭で少し申し訳ない気持ちになりながら、梨子は天井へと視線を戻す。それにしても千歌が自分の家のように馴れた様子だったのは、昔から知っている仲だというのが大きいのだろうか。それともこの町は仲が良いのが当然なのだろうかと、疑問が浮かぶ。

 

(そういえば千歌ちゃん、幼馴染みだって言ってたっけ)

 

 その幼馴染みに頼み込んで、ようやくもらえた時間に溺れて、迷惑をかけて。ワガママを聞いてもらいながら、そのお膳立てを自分は全て台無しにした。拒絶されることの恐れから、名前で呼ぶ勇気すら自分にはない。“友達”だと言ってくれた彼女の期待を、気持ちを、全てを裏切っているのだ。

 

 少し息を吐いて、梨子は考えを取り払うように首を振った。

 

(どうしたんだろう……。なんだか、すごくネガティブになるわ)

 

 きっと彼女はそんなことを考えていない。そして、そんな優しい彼女を育んだこの町で暮らす人たちも。気持ちを切り替えようと、“友達”と友情のシルシを刻んだ右手に力を込める。すると、握った手のひらからは固い感触が返ってきた。

 

「?」

 

 触り慣れた感触に、もしやと思い慌てて右手を掛け布団から出す。そこには思った通り、今まで自分を支えてくれた“御守り”が握られていた。

 

「どうしてこれが……」

 

 肌身離さず持ち歩いてはいるが、鞄から出した記憶はない。そもそも気を失っていたのだから取り出して握る暇は無かったはずだ。なら、どうしてこれが手元にあるのか。疑問に感じていた梨子の頭に、聞き覚えのない声が響いた。

 

 

 

 

   『私はあなた、あなたは私』

『私は、あなたの心そのもの』

 

 

 

 

「うっ、くっ…………ッ!」

 

 直後、鈍器で殴られたような痛みが梨子を襲った。ぐわんぐわんと目が回り、ジェットコースターに乗っているかのような浮遊感がやってくる。胃の内容物が逆流してくる不快感。頭を押さえても痛みは決して引くことはない。むしろ頭だけでなく全身に波紋のように痛みは広がり、その激しさは増していく。ベッドの上でのたうち回る梨子の内側から、聞いたことがあるような声が響いてきた。

 

 

 

『音乃木坂に入学して、初めて音楽室に入ったときのことを』

         『眩しすぎる期待の星は、あなたに強烈な影を落とした』

 

 

 

「なに……ッ? なんなの、これ…………!?」

 

 体表がボロボロと剥がれ、覚えのない傷が露になる度にフラッシュバックしてくる過去の映像。思い出したくもない記憶が、痛みを伴って脳の奥底から引きずり出されていく。真っ白なキャンパスに真っ黒な絵の具をぶちまけるように、空白になっていた記憶が聞き覚えのない言葉で溢れていく。黒が自分という存在を塗り替えていく。その黒の中にぼんやりと人影が見えたとき、梨子の手から“御守り”は床へと滑り落ちた。

 

 

 『私は何でもわかる』

          『愛想笑いの仮面に本心を隠して、雨に打たれながらでしか泣けない私だもの』

 

 

(…………そうだ。これは、わたしの痛みだ)

 

 そう自覚したとき、梨子の記憶はぼんやりとしていた人影に確かな輪郭を与えた。目蓋を閉じれば、黒の中に立つその人影の顔がはっきりと見える。その顔を見ると、痛みはまるで役目を終えたかのように引いていった。

 胸にぽっかりと空いていた風穴には、彼女(わたし)を見ているだけで鮮血の混じった汚泥が満ちる。その汚れ、泥……“濁り”が、体中にできた傷口を補修するかのように不気味に貼りつき、内側へと染み込んでくる。それだけではない。“濁り”は体をゆっくりと飲み込み、梨子の中に今まで感じたことのない、怒り、恨み、妬み、悲しみが混ざりきらない、形容しがたい濁った負の感情を芽生えさせた。

 彼女(わたし)は、その爛々と輝く赤い瞳に自分(わたし)を写す。鏡写しのように佇む彼女(わたし)は、愛しそうに梨子(わたし)の頬に手を添えた。

 

『ありがとう梨子。私を受け入れてくれて』

『こころがこんなにボロボロになるまで、よく耐えたわ』

『優しい子ね。だって、じぶんが傷つくことでずっと我慢してたんだもの』

『辛かったわよね。苦しかったわよね』

『でもね。もう我慢しなくていいわ』

『全てを私に委ねて。一年かけてあなたの中で育った、この私に』

『そのためにあと一つ、確認しなくちゃいけないの』

『確かめなくちゃ。あなたの敵を』

『わたしの、取り除くべき雑音を』

『一緒に確かめましょう? わたしの胸に刻んだ、消すべきものを』

 

 目蓋の裏の彼女は、“濁り”に飲み込まれた泥人形を優しく抱き止める。その耳元で、優しく、優しく、割れ物を扱うように囁いた。

 

『星に、願いを』

 

 彼女(りこ)は、にんまりと三日月のような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「おまたせ~。あったか~い緑茶だよ~。やっぱり静岡といったらお茶だよね~」

 

 小さなお盆に湯飲みを二つ乗せた千歌は、器用に扉を開けて入室する。朝よりも厚くなった雲のせいか、昼前だというのに部屋は全体的に暗い。体を起こしていた梨子の表情は、部屋の暗さと垂れた髪のせいで窺い知ることはできなかった。しかし起き上がれるまでに体調の回復した姿を見て、千歌は内心でほっと息をつく。

 

「私的には紅茶にみかんジャムを溶かしたみか「千歌ちゃん」

 

 千歌の言葉を遮るように、梨子の声が部屋に響いた。

 

「一つ、教えて欲しいことがあるの」

 

 梨子の表情は、やはりわからない。

 

「な、何、かな……?」

 

 千歌は、背筋に氷柱でも刺されたかのような寒気を感じた。初めて名前で呼ばれたことの喜びや、さっきまでのほっとした気持ちを凍えさせるような寒気を。目の前の桜内梨子が、つい数分前までとは別人のように感じさせる何かを。

 ただ怖いという気持ちだけが先行していると気づいたとき、梨子は顔も上げず呟いた。

 

μ's(ミューズ)って、どうしてそんなに有名になったの?」

 

 答えてはいけない。

 直感的にそう感じた。何か変だよ、とか。スクールアイドルに興味出た?、とか。適当な言葉を見繕ってお茶を濁した方がいいとさえ千歌は思う。だがどういうわけか、千歌の口は言うことを聞いてはくれなかった。

 

「……自分たちの通う学校を、廃校の危機から救った。から、かな?」

 

 求めていた解答を得たのか、梨子はそっか、と口の中でぼそぼそと繰り返す。得体の知れない寒気に支配されていた千歌は、その場から動くことができない。逃げたいとは思いながらも、梨子の一挙手一投足から目を離せない。今までで感じたどの危険よりも、もっと危ないものを感じていた。

 

 うふふ、と。梨子から笑い声が漏れた。

 

「そっかぁ。()の言う通りだったんだ」

 

「え……?」

 

「音乃木坂を存続させたのも、わたしを苦しめたのも、わたしの音を奪ったのも、全部全部μ'sのせいなの』ね」

 

「梨子、ちゃん……?」

 

 梨子がゆっくりと顔を上げる。

 糸のような髪がさらさらと掻き分けられていく。

 にんまりの釣り上がった三日月の笑みが見える。

 最後に覗いた瞳は、美しい深紅に爛々と輝いていた。

 

「『じゃあ、消さなきゃ。スクールアイドル(ざつおん)を。うふふふふ♪』




[何故、仮面ライダーを殺さないんだ。EL3(エルスリー)

「その呼び方、やめてって言わなかったかしら所長さん。私には親からもらった“遠望京”って名前があるの」

[偉そうにするな人形風情ガ。口を慎メ]

「私に偉そうにしたかったら、バーチャルじゃなくて直接顔を出しなさい。臆病なガリ勉眼鏡君♡」

[きさマ……ッ!]
[アハハッ! スコープったらバカにされてやーんのー! アハハッ!]
[笑うなキャンディー! なら君はまな板チビだロ!]
[俺はテメェの二回り下でテメェより賢いからいいんだよ。あと、次身長と胸の話したら麻酔なしで眼球摘出してその眼鏡のレンズ埋め込むからな]
[やはり高校生とは思えんな君ハ……]


「楽しそうな職場ね」

[……すまないな。気を付けよう遠望京君。それで、私の質問に答えて欲しい]

「必要だからよ。私の欲望を埋めるために。好きにしていいって言ったのはそっちよ?」

[そうだったな。なら構わない。ただ、仮面ライダーは我々の天敵と言っても過言ではない。変身出来なくなったからといって、油断はしないよう気を付けてくれ。君は知らないだろうが五年前、我々はそれで痛い目を見た]

「わかってるわ。話は以上かしら?」

[それともう一つ。その町にスクールアイドルが生まれるというのは本当かね]

「さあね。それがどうかしたの?」

[……いや、あんな奇跡が起こせるのはあの九人だけだろう。気にしなくていい。健闘を祈る]




「……スクールアイドルね。あの子が教えたのかしら」
「まあいいわ。仕掛けは上々のようだし。楽しくなりそう」

「ねぇ、梨子? うふふふふ♪」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 画・歌・転・向

 シリアスな展開なのでギャグの前書きを挟めません。
 例のBGMは読んでくださった皆さんの頭のなかで各々自由にかけてください。
 今回は文字数多いです。
 よろしくお願いします。


「先生って、結構無茶するよね」

 

「? そうか?」

 

「経験上で言わせてもらうとさ。普通の人は溺れてるってわかってても助けになんて行けないよ。助けなきゃって気持ちより、怖いとかビックリで体が動けなくなるから」

 

 絞ったTシャツを船着き場の階段下から上で待機する果南へと投げ、やはりピンときていないようで少し首を捻る。不思議そうな顔を見下ろす果南は、受け取ったシャツを丸太の安全柵に干しながら続けた。

 

「あんなに躊躇いなく飛び込む人も初めて見た。生徒って言っても、まだ一ヶ月も付き合いのない他人でしょ? やっぱりダチだから?」

 

「んー。それはちょっと違うかもな」

 

 借り物の無地のTシャツに袖を通し、重くなったジーンズを短パンへと履き変えるために手をかける。当の本人は全く気にしていないが、果南の花の女子高生。くるりと振り返って柵に腰を掛けると、答えを待つように空を仰いだ。

 

「ダチだろうがそうでなかろうが、きっと俺は助けに行ってた。体が勝手に動いたっつーか。ま、そんな感じだ」

 

「それって、先生にとっては誰の命であれ無意識にでも自分の命を懸ける価値があるってこと?」

 

「はははっ! そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ、守れるものがあるなら守りたい。助けられるものなら助けたい。目の前で何かを失いたくない。それだけだ」

 

「……すごいね。正義のヒーローみたい」

 

「そうか? きっと、誰にでもできることだと思うけどな」

 

 弦太朗の言葉に、少しだけ憂うような表情を浮かべる。その眼差しは寂しそうで、懐かしそうで。足下に視線を落とした果南は、誰にも聞き取れないであろう小声で呟いた。

 

「…………誰にでもは、できないんだよ」

 

「? 何か言ったか?」

 

「別に、なんでもない。お客さん来たみたいだからちょっと行ってくるね。あの子が目を覚ましたら、ちゃんとホテルに返ってシャワー浴びるんだよ」

 

 そう言って腰を上げた果南の足音は、少し速めに店の方向へと消えていった。昼から用事があると言っていたので、恐らく断りの対応だろうと予想する。ぐっしょりと重くなった靴を手に、これまた借り物のサンダルを履いた弦太朗はふっと息を吐いた。

 

「体が勝手に、か。まあそれだけじゃねぇけどな」

 

 さっきまでいた海の上へと視線を戻し、あの一瞬のことを思い返す。

 

 三人だけで潜り始めてしばらくあと。手持ち無沙汰な弦太朗が遊覧船よろしくカモメに餌をやりながら海を眺めていると、突然全身に寒気のようなものを感じたのだ。嫌な気配と鳥肌に驚く間もなく、千歌たちが慌てて顔を出して確信した。

 

(あの嫌な感じ。初めて遠望を見たときと似てた)

 

 寒気によって思い起こされる、闇を纏った女の姿。瞼と鼓膜に焼き付いた仕草と声に不安が掻き立てられ、気付けば体は船外へと飛び出していた。

 

 石段を踏みしめ、考える。

 

(梨子が目を覚まして、何もなけりゃそれでいい。ただの思い過ごしならいいんだけどな)

 

 助け出したときの梨子は気絶していて、全くと言っていいほど海水を飲んでいなかった。奇跡的だと思えればよかったのだが、寒気のこともあって懐疑的な思考が拭えない。

 もしあれが遠望からの攻撃であれば。一番訳のわからないゾディアーツの能力の影響を梨子が受けていたら。そのせいで梨子が気絶してしまったのなら。考え始めると不安は更に増長していく。

 

(今は様子を見るしかねぇか。一応、フードロイドの護衛も付けとかなきゃな)

 

 ガチャリと金属のぶつかり合う音を鳴らし、リュックを背負い直す。いつも以上の重みを感じながら階段を登りきった弦太朗は、残りの着替えを干そうと柵へと向かい合った。

 その時だった。

 

「……!?」

 

(なんだ!? また……ッ!?)

 

 再度全身に走る寒気。驚きに弦太朗の体は仰け反り、手元からジーンズと靴がこぼれ落ちる。腕を見れば寒気を拒絶するかのように、つい先ほどと同じ鳥肌が立っていた。

 ぞわぞわと肌の下を這いずる気味の悪さに、間違いないと直感が囁く。梨子が溺れたときと同じ感覚が、今の弦太朗を襲っていた。

 

「ですから、今日の営業は終わりなんです。申し訳ないですけど、また明日以降にお願いします」

 

「なら丁度よかったわ。待ってる間、飲み物をいただけるかしら。貴女ともゆっくりお話ししたいし」

 

「あの、話聴いてました? そもそもうちは喫茶店じゃないんですけど」

 

「若いうちからそんな顔してると、綺麗な顔から皺が取れなくなっちゃうわよ」

 

 怒気を含んだ果南の声を、挑発的な女性の声が窘める。眉間に皺を寄せるが、そんなことはどこ吹く風という涼しい顔。女は悪びれる様子もなく、デッキに並んだパラソルの影に腰を落ち着けていた。

 日陰よりも濃い黒。徹底的に自身を隠し通そうとするドレスと帽子が、ちらつく浮き世離れした白い肌をより際立たせる。余裕の表れともとれる微笑を蓄えた女は、弦太朗と目が合うと旧知の知人のような気さくさと笑みで手を振った。

 

「こんな所で会うなんて奇遇ね、如月先生。もしかしたら私たち、引かれ合う運命なのかもしれないわ」

 

 口から出任せの台詞に、クスリとも笑うことはない。果南の「何とかしろ」と言いたげな迷惑そうな表情も映り込むが気にしている余裕も弦太朗にはなかった。嘘臭いジョークを鼻で笑い、冷めたい目で小首をかしげる女をとらえる。

 

「そいつは探す手間が省けていいや。なんなら、ここがお前の年貢の納め時だと、これから探す手間が無くなってもっといいんだけどな。遠望」

 

「あらそうなの? でも私、納める年貢に覚えがないわ」

 

「しらばっくれるのも大概にしておけよ。……梨子に何しやがった」

 

 両者一歩も譲らず、にこやかな笑みとは対極の視線で睨み合う。ピリピリとした空気を察したのか、果南は口を挟まずただじっと行く末を見つめていた。生温い風が頬を撫で、水っぽい臭いが鼻を掠める。

 ゆっくりと、遠望は空を見上げた。

 

「今日は天気が悪いわね。一雨来そうだわ。これじゃ太陽は拝めない」

 

「……何の話だ?」

 

「大事な話よ」

 

 弦太朗の疑問に、目を細める遠望は白い指を空へと向ける。日の光を遮る雲へと二人の視線を誘い、彼女は続けた。

 

「あの雲の向こうに太陽が、光があるとわかっているのに、人一人の力ではどうすることもできない。影を落とされた人間は、雲がどこかへと去っていくまで耐えるしかないの。人の力はちっぽけよ。雲を払えるのは、貴方のような選ばれた人間だけ」

 

 演説に聞き入る姿に満足したのか、うふふと笑う遠望はデッキから一飛びで弦太朗の隣に着地する。重さを感じさせない軽やかさとは反対に、ふわりと広がった厚みのあるドレスのスカートが、重力を思い出してゆっくりと萎んだ。遠望は弦太朗の前を横切ると、先程まで持っていなかったはずの真っ黒な日傘をステッキのように手のひらの上で回し始める。オーディエンスからの視線に気をよくしたのか、そこからはまるで演劇の舞台のように、仰々しい身振り手振りで語り始めた。

 

「人が手を伸ばすだけでは、指先すら宇宙に届くことはない。背伸びをしても、空に近づけるわけじゃない。ただの人であり続ける限り、輝きを手に入れることなんてできはしないのだから」

 

「…………」

 

「一年前大切なものを失ったあの子は、今ようやくそれに気がついた。自分の求める宇宙を掴むには、人を越えなければならないと。だから彼女は願ったの。自分の中に眠る星に、この雲を払いのける力が欲しいと」

 

「星……? まさか!」

 

「願いは欲に。欲は彼女を飲み込み、一つの輝く星座となった。私の星空を飾るに相応しい瞬きが目覚めたの。つまり私の夢に一歩近づいたってこと。それってとても素敵なことじゃない?」

 

 嬉しそうに喉を鳴らす遠望は、柔らかく、可愛らしい笑顔を振り撒いていた。狂気が渦巻く腹の中とは正反対に、無邪気な少女の如く笑う様はやはり異様としか形容しがたい。

 スッ、と表情を大人びたものに戻した彼女は、日傘で目元を被う鍔を押し上げた。

 

「舞台は整った。役者はまだ少し足りないけれど、ようやく運命の幕が上がる。この物語、貴方にピリオドが打てるかしら。ねぇ、如月弦太朗(ヒーロー)さん?」

 

 遠望の問いかけと共に、ガラスの甲高い破砕音が周囲に木霊した。粉々に砕け飛び散った破片が、デッキやコンクリートへと雨のように降り注ぐ。辺りに散らばる水溜まりをジャリジャリと踏み鳴らし、遠望の視線の先に現れたのは、瞳を血のような紅に染めた梨子の姿だった。

 

「梨子ちゃん! どうしたの!?」

 

「千歌ちゃん待って! 今の桜内さんは変だよ!」

 

 追いかけ、梨子へと手を伸ばす千歌を曜は必死で抑えようとする。しかしそんな二人を梨子は、右手を振るだけで後方へと弾き飛ばした。放たれた見えない衝撃が二人を襲い、短い悲鳴と共に床に叩きつけられる。痛みに歪む二人の顔を一瞥すると、梨子は何事もなかったかのようにまた歩き始めた。

 

「千歌! 曜!」

 

 傍観に徹していた果南が、吹き飛ばされた二人へと駆け寄る。すれ違う果南に目もくれず、梨子は血の足跡を残しながら歩みを進める。決別を知らしめる後ろ姿に、千歌は声を漏らすことしかできなかった。

 

「どうしちゃったの、梨子ちゃん……?」

 

 梨子はただ、遠望を目指して一歩を踏み出す。足の裏にこびりついたガラス片がアスファルトを踏み締める度に奥へ奥へと食い込むが、彼女は眉ひとつ動かすことはない。痛みなんて気にしていないような足取りが、不気味な足跡をより色濃く滲ませていた。彼女に届きすらしない千歌の言葉に、躊躇う要素など無いのだろう。誰にも掬い上げられない思いは破片の海に溶け込もうとしていた。

 ただ、この男はそれを良しとしない。

 

「ダチが心配してるだろ。答えてやれよ」

 

 弦太朗の声に、梨子は壊れた人形のように首を傾けた。だらりと滑り落ちる髪から爛々と輝く双眼が覗き、厳しい視線を向ける弦太朗を映しとる。彼を認識してにんまりと三日月に変質する口から漏れ出したのは、くぐもった音が重なって聴こえる不快な声色だった。

 

『「ダチ、ですか。そんなもの、もうこの子には必要ありませんよ」』

 

「……誰だお前」

 

『「かわいい生徒の顔を忘れちゃったんですか? 桜内梨子ですよ。正確には、自分を受け入れた桜内梨子ですけど」』

 

 うふふと笑う彼女は、さっきまでとはうって変わって上機嫌に回りだす。記憶をどれだけ探っても、大口を開けて笑う梨子の浮かれた姿に思い当たる節はない。くるくると回る毎に、見ていられないような血がアスファルトに水溜まりを作っていた。普段の彼女との異常過ぎる乖離に、弦太朗の頭にある可能性が浮かぶ。

 

「……スイッチを押したのか」

 

 眉をしかめる弦太朗に、回り終えた梨子は上目遣いに腰を折る。その瞳にはまるで光がなく、虚ろさは人形かと錯覚させるほど。本当に人間かどうか疑いたくなる仕草と雰囲気を滲ませる彼女は、ゆっくりと首を振った。

 

『「押してませんよ。この子はまだ」』

 

 含みのある笑みを浮かべ、梨子はどこからか“御守り”を取り出す。無機質な風体を大事そうに両手で包み、彼女は危険な小箱にそっと口づけを重ねる。高校生、いや、桜内梨子とは思えない色香に、弦太朗の中の危険信号はけたたましく鳴り始めた。

 

『「私は一年、わたし()の中からずっと見続けてきました。寄り添ってきました。だからわたし(この子)のことならなんだってわかりますよ」』

『「周りから見離された辛さ。音楽に挫折し、今は楽しさを感じられない苦しさ。でも捨てきれない音楽への思いと、手入れだけは欠かさないピアノ。海の音が聴ければと淡い期待を抱いてやってきたこの町への不安と潮風の心地よさ。よそ者の自分を受け入れてくれた内浦の暖かさと嬉しさ。熱心に誘ってくれた千歌ちゃんへの感謝。友だちと呼んでくれた喜び。そんな彼女に自分をさらけ出せない怯え。そして聴こえなかった海の音。見つけられなかった自分の音。取り戻せなかった美しい音。あったのは無言と、微塵の光さえ届かない真っ暗な世界だけ。だからスイッチ()という彼女(じぶん)の中に巣食う、目を逸らし続けてきた心の闇を受け入れる決意をしたんです」』

 

「心の闇?」

 

『「真っ暗な世界。夜に堕ちて、わたしは今深い眠りについています。もう誰にも起こすことができないくらい、深い深い眠りに。闇に引きずられ、闇を受け入れ、ようやく自分自身の負の感情に全てを任せることにした。溜め込んできた思いに正直になることにしたんです。自分の音を取り戻すために、自分を取り巻く全ての雑音を消し去るために、私を受け入れてくれたんです」』

 

 そう語る梨子は、両手で抱えていた小箱を胸の前に掲げる。梨子の瞳がまた一段と紅に輝くと、共鳴するようにゾディアーツスイッチは真っ黒な靄を吹き出して形を変えた。

 

《LAST ONE》

 

 地の底から沸き立つような禍々しい声が辺りに響く。外に飛び出した千歌たちの前で、梨子は人としての一線を越えようとしていた。荒々しく伸びる荊と、血走ったドームへと変貌したスイッチに指をかける。何が飛び出すかわからないおもちゃ箱を開けるような、好奇心が形をもったような口元に弦太朗は声を荒げた。

 

「やめろ梨子! 押すな!」

 

『「私はあの子(わたし)の願いを果たす。わたしを救い出すために。この雑音だらけの世界から、わたし(この子)の音を取り戻すために!」』

 

 カチッ、と冷たい音がした。

 放出される闇。それは吸い込まれそうな宇宙の黒だった。黒が無邪気に笑う梨子を塗りつぶすと、まるでその黒を肯定するように目映い光の連なりが浮かび上がってくる。スイッチから解き放たれた闇と連なりは、沈黙していた淡島の木々を不穏にざわめかせる。惹き付けられる美しい輝きに千歌と曜は理解が追い付かず息を呑み、遠望は嬉しそうな、弦太朗は悔しげな顔を向けるよりない。ただ一人、果南はその目映さに言葉をこぼした。

 

「画架座……」

 

 闇が大まかな人の形を縁取る。光の連なりはその形をなぞる線となり、それを骨格として肉体は形成されていった。大小様々な星が点在し、闇は散りばめられた粒に収束していく。闇が晴れていく。だがそこにいるはずの“桜内梨子”はいなかった。そこにいたのは人であり、人間とは決定的に違う存在。

 大きな絵筆と化した右手。極端に伸びた左手の爪。額から伸びる触覚と硬質な赤い眼球。両腕の皮膚はパレットのようにも、鈴虫の翅のようにも見える楕円形に変質している。黒色(こくしょく)の体躯に巻き付いた蔦と、全身に音符記号が散りばめられたその姿は、およそ人が思い付く人間の形とは似ても似つかないものだった。

 

『「……うふふ。やっとなれた」』

 

 その存在はゾディアーツ。宇宙の力で人を越えた人類の進化種。一言で表すとするならば、それは━━━

 

「梨子ちゃんが、怪物になっちゃった……?」

 

 漏れでた千歌の声に、梨子だったモノは視線を向けた。テカりのある赤く小さな昆虫の瞳が、三人の少女の姿を順番に反射させる。言い表せない嫌悪感を抱いた曜は、意識せずに一歩下がってしまった千歌の怯えの表情を見逃さなかった。

 

『「千歌ちゃん。渡辺さん。松浦さん。こんな私でも、受け入れてくれる? ……なーんて、無理よね?」』

 

 そう嘯いた梨子だったモノは、喧しく下卑た笑いをあげた。小馬鹿にしたような態度は、その場にいる誰もがこの怪物と梨子とを結びつけられない要因となる。ケタケタと笑うゾディアーツに、弦太朗はやはり怪訝な目を向けた。

 

「一発でラストワンか……。おい。なんで梨子の体が出てこねぇんだ」

 

『「ふふ。きっと梨子(この子)は外に出るのが嫌なんですよ。大丈夫、私がずっと守ってあげますから」』

 

 意味ありげに視線を向けてくる辺り、ゾディアーツは覚醒した自身の力に気分が高揚しているのだろうか。千歌たちを、弦太朗さえも歯牙にかけない態度は余裕の現れだと落ち着いて観察する。だが、そんなゆとりを与えてくれるほど相手も馬鹿ではなかったようだった。

 

『「まあ先生はそんなこと気にする必要ありませんよ。……ここで死ぬんですし!」』

 

 その言葉を引き金に、体に巻き付いた蔦が浮き上がり均等な感覚を保つ五線譜となって弦太朗に放たれる。唐突な攻撃に横に飛び退いた弦太朗だったが、その場に派手な音もなく突き刺さる蔦に驚きを隠せない。避けなければ今頃地面に縫い付けられていたかと思うと背筋に冷たいものが走るのがわかる。

 ゾディアーツは絵筆となった右手を見せつけるように振り、不敵に笑った。

 

『「まさか、避けられたとか思っていませんか? ちょっと甘いですよ(ritenuto)」』

 

 右手の筆で空中に文字をなぞる。形を得たritenuto(アルファベット)は、書き終わると同時にゾディアーツに後押しされ空を滑った。この構図は見たことがある。千歌と曜が弾き飛ばされたあのとき。

 

 危険だ。

 

 弦太朗がそう感じたころにはすでに遅く、ritenuto(アルファベット)は吸い込まれるように横に跳ねた彼の足に当たり、体中に溶け込んでいく。二人のように弾かれることはなく、痛みも一切感じない。しかし、次の瞬間変化は起きた。

 

「!? 体が重い……ッ!?」

 

 横に跳ねた弦太朗の体は、スロー再生されているように慣性の法則を無視して宙に浮く。体が地面に接しない気味の悪い感覚が五感を支配する。宇宙の無重力と違いきちんと地球の重力を肌が感じているため、この浮遊はたちが悪い。頭ははたらけど、全身は思い通り動くことができない閉塞感。まるで水よりももっと重い液体のなかにいるような、重苦しさが体を包んでいた。

 

『「逃がすわけないじゃないですか、先生!」』

 

 五本線は更に伸びる。放たれ続ける蔦は、アスファルトを貫通して飛び退いた弦太朗の後ろから飛び出してきた。刺し殺すわけでもなく大きく弧を描いた蔦は、空中と地面を縫い付けるようにまた地中へと帰っていく。弦太朗の体が自由を取り戻したときには既に、彼を逃がすまいとする五線譜の檻が出来上がっていた。

 

「なんだよこれ……!」

 

『「気に入っていただけました? 先生専用の特別ルームですよ」』

 

 気分良さそうに喉を鳴らすゾディアーツを無視して、弦太朗は線に触れる。見た目の細さと裏腹に、檻を構成する柵は並みの金属よりよっぽど冷たく、硬い。ガンガンと遠慮なく蹴っては見るものの、ビルの壁を蹴っているような感触しか返ってこない強固さに脱出の糸口を見つけようと躍起になる。が、起きて半畳寝て一畳とはよく言ったもので、腕が通る程の隙間しかない堅牢な牢獄に弦太朗の抵抗は虚しいものだった。

 

『「無駄です。生身の人間がその檻を破れるわけありません」』

 

 ゆっくりと弦太朗の前に立ったゾディアーツは、右手で大きくト音記号を描く。宙に描かれた黒いト音記号は、絵であるにも拘わらず重力に従って地に落下した。カランカランと転がる厚みのないト音記号を拾い上げたゾディアーツは、一度振るってその切っ先を弦太朗に向ける。アスファルトに真一文字の傷を付けながらもキラリと微弱な太陽光を反射するそれは、刃物よりよっぽど鋭利な獲物だった。

 

『「まずは面倒なあなたから。先生もダチのために死ねるなら本望でしょ? 大丈夫です。痛くないようにしますから」』

 

 ゾディアーツはト音記号を振り上げる。当たれば人の体なんてものは真っ二つになるだろうことは想像に難くない。避ける隙間なんて、この狭い牢屋にありはしない。ここまで攻撃性の強いゾディアーツなら、フードロイドだけで応戦させるのは無理がありすぎる。万事休すかと冷や汗が頬を伝ったとき、二人の間に割って入る影があった。

 

『「……どいて、千歌ちゃん」』

 

「どかない」

 

『「……。もう一度だけ言うわ。死にたくなかったらそこをどきなさい」』

 

「どかないよ」

 

 ゾディアーツを睨む千歌の迫力に、曜も、果南も息を飲む。ただその姿に、遠くから眺めているだけだった遠望はほくそ笑んだ。

 

「どけ千歌! そいつは本気だぞ!」

 

「わかってるよ。何がどうなってるのかはいまいちわかんないけど、梨子ちゃんが怪物になったことも、すごく危ないことしてるってこともわかってる。でも、嫌なの!」

 

 語る千歌の肩を見て、弦太朗は察する。恐いのだ。目の前の怪物も、怪物の危険にさらされた弦太朗が命を失うことも、友達が人の命を奪おうとしていることも。それでも彼女は、何かに突き動かされてこの場に立っている。怯えは震えに、しかし思いは瞳に宿っていた。

 そんな目に当てられたのか。ゾディアーツはため息をつき、振り上げていた武器をアスファルトに突き刺した。

 

『「否定からできた私にはわからないわ、そういうの。だけど感動的ね。友情っていうのかしら」』

『「……でも、無意味よ♡」』

 

 そして、左手を振って千歌を撥ね飛ばした。

 

「千歌!」

 

 目の前を飛ぶ虫を払うように、最小限の鬱陶しげな動きが千歌を地面に叩きつける。人間を軽々と越えてみせる腕力の前に、女子高校生ができることなどありはしないのだ。道端の小石を蹴ったゾディアーツは、弦太朗の命を摘むため再び獲物を振り上げる。だが、ゾディアーツは何かに気がついたように呟いた。

 

『「…………。そういえば、千歌ちゃんってスクールアイドルだったわよね?」』

 

 光沢のある眼球が、ギョロリと起き上がりそうな千歌を捉える。何を考えているのかわかってしまった弦太朗は、目を見開いて檻を殴る。注意を引こうと痛みなんて忘れてしまう程に何度も殴るが、ゾディアーツはこちらに振り向きすらしない。

 

「おいやめろ!! 千歌! 早く逃げろ!!」

 

『「そうね。初めては千歌ちゃんがいいわね。友達で、スクールアイドル。ここまでお誂えな人間がいたのに忘れちゃってたわ!」』

 

 笑うゾディアーツの標的は、弦太朗から千歌へと完全に移行してしまっていた。状況を理解した果南が飛び出そうとしているが、間に合ったところで犠牲者が増えるだけ。事態はより悪くなるだけだ。離れてしまったゾディアーツに手は届かず、弦太朗本人にはどうすることもできない。

 

「頼む! あいつらの逃げる時間だけでも稼いでくれ!」

 

 満を持して、弦太朗はリュックの中身をぶちまけた。ロイドモードとなった機械仕掛けの戦士たちが、牢屋の隙間を縫って脱出しゾディアーツへ反撃を始める。

 ポテチョキンが武器を持つ腕を狙い、フラシェキーが視界を封じるために発光。その隙にホルワンコフとナゲジャロイカが疎かな足元を襲い、ツナゲットたちとソフトーニャが体を攻撃する。歴戦を勝ち抜いてきた連携でゾディアーツを数歩後退させ、千歌から引き離す十分な隙を与えることに成功した。

 飛び出した果南と後に続く曜がへたりこんだ千歌を起き上がらせる。

 

「果南! 曜! 千歌を連れて早くここから離れろ!」

 

「先生は!?」

 

「俺のことは気にすんな! 千歌が狙われてる! 次はたぶん曜だ! 今しかねぇんだ早く行け!」

 

 何とか隙間を抉じ開けようと蹴り、殴るが歪みひとつできない牢屋から声を張り上げる。置いていくことに後ろめたさがあるのだろう、三人の足は一向に動こうとしない。フードロイドに手をとられた怪物と囚われた弦太朗を見比べた果南は、二人の背中を船着き場の方向へ押して弦太朗の元へと駆け寄った。

 

「二人は早く走りな! 私も先生出したらすぐに追い付くから!」

 

「果南、お前……!」

 

「私だって死にたいわけじゃないよ。ただ、店の前で死人が出たら縁起悪いでしょ!」

 

「……悪ィな。さっさと逃げるぞ!」

 

 果南も交えて檻を蹴る。それでも動じることの無い特製の檻に、一心不乱に衝撃を与える。

 

「私たちだけ逃げられるわけないじゃん!」

 

「四人ならもっと早く開けられるんじゃないかな!」

 

 千歌と曜が二人がかりで柵の一本を引っ張る。その一本に果南と弦太朗が蹴りを入れる。出せる全力を振り絞る。少し、ほんの少しずつ歪みが生まれてきた檻に微かな希望を見出だし始めた。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 

「きゃ!?」

 

「千歌!」

 

 不意に千歌が羽交い締めにされる。弦太朗が気づいたときには、四体の黒装束が檻の周りを取り囲んでいた。やつらがいくら他の異形と比べて弱いと言えど、普通の人間が腕力で敵う相手ではない。拘束された千歌が暴れるも意に介した様子のない忍者衣装に身を包む怪人、星霜忍者ダスタードの登場に弦太朗は悔しげな視線を向ける。

 

「遠望……!」

 

『「ま、ちょっとだけお手伝いよ」』

 

 離れた柵に腰を掛けたテレスコープが、フードロイドたちを光弾で撃ち落としていく。多少自由が利くようになったゾディアーツも、粘っていた残りを一体ずつ丁寧に排除し始める。悲鳴もあげられないフードロイドたちは、強過ぎる衝撃を受けて物言わぬ置物と化していった。

 牢は多少歪んだだけで、逃げることなどできない絶望的な状況。絶対絶命という言葉がお似合いの場面に、歯軋りをするしかない。自由の身となって息を吐いたゾディアーツが、くつくつと笑った。

 

『「無駄な抵抗でしたね、先生」』

 

 ダスタードが暴れる千歌をゾディアーツの前へと連れていく。僅かに手の届かない距離に弦太朗は声を荒げるが、それくらいでどうにかなるはずもなく意味などない。助けにいこうとした果南を二体のダスタードが抑え、最後の一体が逃げられないように曜を捕まえる。想定しうる最悪の展開を前に、拳が血で滲んでいることも忘れて檻を殴り続けるが、ゾディアーツは止まるはずがなかった。

 千歌に膝をつかせ、ダスタードは首を差し出す。自分が何をされるのか理解しているのだろうか、それでも千歌は命乞いをするでもなく、罵声を浴びせるわけでもなく、ただぐっと口をつぐんで自分が反射するゾディアーツの目を見つめていた。

 

『「悲しむのは一瞬よ。あなた(わたし)の雑音は順番に消してあげる。勝手に失望して梨子(わたし)を遠ざけた友達も、梨子(わたし)の音を影に追いやったスクールアイドルも、邪魔なものぜーんぶ消してあげるから! アハハハハハッ!」』

 

 弦太朗は声を張り上げる。

 ゾディアーツはト音記号を振り上げる。

 曜は目を伏せ涙をこぼす。

 遠望はつまらなさそうに腕を組む。

 千歌は覚悟して目をつぶる。

 

『「ーーーーーー」

    

 が、千歌は、目を見開いた。

 

《POWER DIZER》

 

 機械の声がその場に響く。大きな飛沫と派手な音を伴って海面から現れた黄色の巨体・パワーダイザーに、全員の視線が釘付けとなった。振り下ろそうとしていた武器を鋼の腕がはね除け、動きの鈍ったゾディアーツを右のフックで後方へと弾く。そして千歌を捕らえるダスタードの拘束が驚きで緩んだ瞬間を逃さず、拳を見舞い彼女から引き剥がす。仲間がやられた姿を見てパワーダイザーを危険と判断したのか、残りのダスタードも乱入者の排除へと動き出した。三体のタックルをくらいなんとか持ちこたえるパワーダイザーは、踏ん張りながら声を絞り出す。

 

『「滑り込みギリギリセーフって感じっすかね! 何か昔を思い出しますよ弦太朗さん!」』

 

「その声、JKか!? 何でお前が!? つか何でパワーダイザーがここに!?」

 

『「ダチを助けるのは当然でしょ! 説明は、後でまとめてしますんで!」』

 

 ダスタードを振り払い、ゾディアーツの攻撃をくらいながら注意を引くために突進していく様はぎこちない。体力を使うパワーダイザーの操縦に、久々のJKもやはり切迫しているようだった。長い間のブランクがあるためか、歩き方も腕の振りも決して滑らかと言えるようなものではない。何が起きているのかわからない三人は言わずもがな。現状に頭が追い付かず呆然とする弦太朗だったが、そんな彼の耳に嫌でも冷静になる声が聞こえた。

 

「松浦君。予定が変わったのなら早めに連絡をしてくれと伝えたはずだ。客がいるのならこちらも日をずらすなり対応ができる。研究に協力してくれているのだからそれくらいの折り合いは当然つけるさ」

 

 背後からかけられた慣れ親しんだ声。顔を見ずとも間違えるはずがない。

 

「それと弦太朗。君を閉じ込めている檻は画架座のゾディアーツ、ピクターが能力でコズミックエナジーを物質化したものだ。生身の人間が寄り集まったところでどうこうできる代物じゃない」

 

 振り返る。そこには、頼りになる親友の顔があった。

 

「賢吾……!」「歌星先生……?」

「「……知り合い?」」

 

「説明は後でまとめてと言っただろ。この状況を切り抜けることの方が先決だ。と、その前に」

 

 仮面ライダー部のシールが貼られたアストロスイッチカバンとジェラルミンケースを引っ提げた白衣姿の賢吾は、弦太朗の前に立つ。その表情は、久々に会った親友に対するものでも、軽口を叩けるような優しいものではなかった。何となく、言いたいことがわかってしまった弦太朗は静かに次の言葉を待つ。

 

「弦太朗、約束したはずだ。今の君にゾディアーツと戦える力はない。遭遇しても戦わず逃げろと」

 

 なぜ逃げなかった? 冷たい口調で言い放たれた言葉に弦太朗は押し黙る。

 逃げられる状況ではなかった。逃げる前に捕まった。そう言えば納得してもらえるのかもしれない。実際、隙などありはしなかった。しかし、それだけの余裕があったとしても逃げなかっただろうと自分で予想がついてしまう。それは驕りや、約束を蔑ろにしたとかそういう話ではなくて、もっと単純なもの。

 空気に耐えきれずおろおろと擁護しようとする千歌や曜を制して、弦太朗はまっすぐに賢吾の目を見る。

 

「約束を忘れたわけじゃねぇ。ただ俺は、ダチを見捨てるような男にはなりたくなかったんだ。生徒に背中を向けるような教師にもな」

 

「……だろうな。それでこそ如月弦太朗だ」

 

 笑みを溢す賢吾は、ジェラルミンケースからあるものを取り出す。それは片手にはあまりにも大きく、澄んだ空に近いクリアブルーを基調とした装置だった。レバーと、そして四つのスイッチが嵌め込まれたそれ━━━フォーゼドライバーを賢吾は弦太朗に差し出す。

 

「君が最後に触ったときから何も変えていない。手は尽くしていたからな。使え」

 

「使えって、それじゃ使えないだろ」

 

「俺はずっと考えていた。何が足りないのか。装置としてそれ以上の手の施しようはない。なら何故起動しないのか。原因はなにか。……それは君だ」

 

 そう言って、賢吾は弦太朗にドライバーを押し付ける。反射で受け取ってしまった弦太朗は、ただじっと胸に収まるフォーゼドライバーを見つめ、頭のなかで賢吾の言葉を反芻させる。

 

「アストロスイッチは気持ちのスイッチ。君はそう言った。なら、足りないのは弦太朗の気持ちだ」

 

「俺の、気持ち……?」

 

「思い出したんだよ。君が戦い続けてきたのは、君が戦いたいと、何かを守りたいと思えていたからだ。しかし最近の弦太朗は変身することに抵抗があった。それをアストロスイッチが感じ取っていたんだろう」

 

 ガチャリと重々しい音をたてるドライバーへと視線を落とした。懐かしささえ感じるその姿から、これまでの思い出が流れ込んでくる。ゆっくりと目を閉じれば、瞼に焼き付いたあの頃が鮮明に映し出された。

 初めて変身したとき。それはまだダチと呼べない賢吾の代わりに、体の弱い彼の代わりに怪物を退治したかった。それからもダチを守るために、目の前の敵を倒すために変身し続けた。色んな思いの人間がいて、道を踏み外すこともあって、根性の曲がった人間もいて、後悔することもあって、ぶつかり合うことがあって、それでも手を、絆を繋いできた記憶。怪物は倒す、でもダチにはなる。その一直線がいつか一つの道になると信じて走り抜けた青春の日々が、弦太朗に再び力を与える。

 

「今の、君の心はどうだ?」

 

 賢吾の言葉に、弦太朗は笑ってフォーゼドライバーを腰に宛がった。ドライバーから伸びるベルトは久々にやってきた相棒の思いを汲み取るように自動で巻き付き、その様相を変える。弦太朗の闘志に火を付けるのは、コズミックエナジーだけの影響ではない。

 

「そんなもん決まってんだろ」

 

 四人が見守るなか、弦太朗はドライバーのスイッチソケットに付いた赤いトランスイッチを順に押していく。一つ一つアストロスイッチの力が解放されていき、内蔵されたコンピューター・AXS-4000に伝達されたコズミックエナジーがステイタスモニターに反映される。

 

「今も昔も、俺の心の真っ直ぐは変わらねぇ」

 

《3……》

 

 機械の声がカウントを始める。左腕を構え、右手をエンターレバーに添える。逸る心を押さえつけ、そのときを待つ。

 

「ゾディアーツは倒す。人は助ける。そんで、そいつとダチになる。それが俺の一直線だ」

 

《2……》

 

 弦太朗の様子が変わったことに気がついたのか、パワーダイザーに手を焼いていたゾディアーツ・ピクターは苛立ちを露にして右手を振るう。

 

『「ギシギシ雑音を振り撒いて! 邪魔なのよ鉄クズ! どけ《pesante》!」』

 

『「うわ!?」』

 

 顕現したアルファベットにぶつかったパワーダイザーは、まるで鉄球にでもぶつけられたかのように大きく体を傾かせた。はねられた巨体は体勢を保てずに後退し、強過ぎる衝撃に作用した緊急時脱出機能によってJKはコックピットから排出される。かなりの無茶をしていたのだろう、肉体の限界に近い疲労をみせ、玉のような汗を流すJKはピクターの意識が弦太朗たちにあることを察して、出せる全力の声で叫んだ。

 

「賢吾さんたち! 伏せてーー!!」

 

「だから頼むフォーゼドライバー! 俺にもう一度、生徒を、ダチを助ける力を貸してくれ!」

 

《1……》

 

「変身!!」

『「消えろ!(sforzando)! 消えろォ!(fuoco)!」』

 

 弦太朗がエンターレバーをいれるのと、ピクターが攻撃を放ったのはほぼ同時だった。右手で描かれたアルファベットが混じり合い、赤く燃え上がる塊が右手を高く掲げた弦太朗へと吸い寄せられていく。檻に着弾した塊から広がる爆風と熱気が、伏せた四人を後ろに吹き飛ばす。余波で十分な威力を発揮する攻撃に、千歌は直撃した弦太朗の身を案じる言葉さえ飲み下してしまった。煙と砂埃は絶えず沸き立ち、視界はお世辞にも良好とは言えない。見ていた誰もが諦めた。

 ただ、確信した賢吾を除いて。

 

 聞こえたのは金属の破裂音だった。バキンと甲高く、煙の中から勢いよく飛び出してきた檻だったものを見て、ピクターは表情を歪ませる。

 

『っしゃあ!』

 

 煙を切り裂く白い腕。背中に付いたブースター。露になった全身のフォルムは白く、メカメカしいが全体的に角張った印象はない。一歩踏み出し現れたその姿に、千歌は疑問を口にした。

 

「宇宙飛行士……?」

 

『久々に、宇宙キターッ!』

 

 体を×の字に大きく広げ、そう宣言する白い存在。声からして弦太朗であることに疑いはなく、賢吾の安堵した表情と、檻から解き放たれたことによる身軽さを背中が語っているのだから間違いないだろう。賢吾が、千歌の疑問に答えた。

 

「あれはフォーゼ。自由と平和を守る、仮面ライダーと呼ばれる戦士だ」

 

 二度自分の胸を叩き、右の拳を一直線にピクターへと向ける。それはいつだって、弦太朗が自分の気持ちをぶつけるときにする仕草。白き異形……仮面ライダーフォーゼは力強く宣言した。

 

『仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!』

 

『「仮面、ライダー……ッ!!」』

 

 言うが早いか、フォーゼは憎らしげに肩を震わせるピクターゾディアーツへと駆け出していく。二体のダスタードがピクターを庇うように立ち塞がるがものともしない。フォーゼが飛び上がると背中のブースターが作動し、落下とブースター二つの勢いを得た弦太朗我流の喧嘩殺法が人間を優に越えた腕力を発揮する。一撃食らえばゾンビのようなダスタードでさえノックアウトする拳を振るえば、降り立った勢いに任せて体を捻りもう一体に蹴りを見舞う。立ち上がってくるダスタードの胸に蹴り、殴りかかってくればそれを避けて胸ぐらを掴み投げ飛ばす。数年離れていたとはいえ、体が勝手に戦い方を思い出していく。あり過ぎる力の差に残り二体がフォーゼへと体当たりを食らわせるが、それも意味のない攻撃だった。

 

『そんなもん効くかァァッ!』

 

 二体の体を両腕で挟み回転することで、遠心力を利用して放り投げる。起き上がったばかりの先の二体にぶつけ、動きが鈍った瞬間を弦太朗は見逃さなかった。賢吾と果南がJKを連れて後退したのを確認すると、プロレスは終わりだとばかりに肩を大きく回す。

 

『そういや、ダチと生徒の礼がまだだったな』

 

《LAUNCHERーRADERーON》

 

 スイッチソケットに挿入されていた「No.02ランチャー」と「No.04レーダー」の二つを同時に起動する。オンになったスイッチが中に秘められたコズミックエナジーを、フォーゼをサポートするモジュールへと変換し対応する部位に刻まれたモジュールベイスメントに物質化していく。右脚、そして左腕に装着されたランチャーモジュールとレーダーモジュールは、展開が完了すると同時にその真価を発揮する。

 

『キツいのお見舞いしてやるぜ!』

 

 レーダーモジュールが四体のダスタードの姿を認識し狙いを定める。ロックオンされたことを確認したフォーゼが右脚に力を込めると、ランチャーモジュールからコズミックエナジーで生成された強力なミサイルが五つ発射された。危機を察知したのか四体は散り散りに逃げるが、レーダーによって追尾機能が付与されたミサイルは正確に四体を撃ち抜く。吹き飛ばされ地に伏せるダスタードは完全に沈黙し、起き上がってくる素振りはなかった。それどころか体はサラサラと分解していき、身構えていたフォーゼの目の前で塵となって風に溶け込んでいく。テレスコープは散っていく僕だったものを見ているだけで、不審げに見守るフォーゼすら眼中にない様子だった。

 

『「どいつもこいつも私の邪魔ばかり……! いい加減鬱陶しいのよ(secco)!!」』

 

 ギリギリと歯軋りをし、ピクターは右手を振るう。現れたアルファベットは弓を引くような斬撃となってフォーゼを襲った。一歩飛び退いて回避した弦太朗は、コンクリートを綺麗に抉る攻撃に冷や汗が垂れるのがわかる。フォーゼの装甲が無ければ、足の一本くらい簡単に持っていかれているだろうことは想像に難くない。

 

『当たったら痛そうだな』

 

『「痛いですめば(secco)! いいですね(secco)!」』

 

 しかし、攻撃自体は読みやすい。必ず右手を振らなければならない点を注意し、体から伸びてくる五線譜さえ警戒できれば回避にはなんら問題ない。そもそも中距離、遠距離の立ち回りが基本のピクターにフォーゼがとれる戦法は一つだ。

 

『そんじゃ、こっちもいかせてもらうぜ!』

 

『「ふふっ……。倒せるものなら倒してみなさい!」』

 

 右へ左へと避けるだけではない。駆け出したフォーゼはスーツによって補正された脚力で一気に懐へと潜り込む。近距離で警戒すべきは長い爪の左手と五線譜。あの蔦で動きが封じられれば大きな隙を作ることになってしまう。まずは大振りの左腕を弾いて脇に蹴りをいれる。怯んだ胴体に休まず拳を叩き込み、顔を殴りそうになった手を抑えて腹に蹴りを見舞う。スイッチャーである梨子が戦うということに馴れていないせいか、近づいてしまえば気味が悪いほどに脅威を感じられなかった。寧ろわざと攻撃をくらっているような気さえしてくる。

 手応えのなさに首を捻る弦太朗。途端に優勢に傾いたことを疑問視する賢吾の耳に、とても聞き取りやすい声が聞こえた。

 

「あら、倒しちゃうの?」

 

 いつの間にか人間の姿に戻っていた遠望が一人パラソルの影で呟いた。不気味なほど真っ白な顔を美しく歪ませ、釣り上がった唇は満足げに三日月を描く。湿っぽい風に吹かれて純黒のドレスを揺らす彼女は、警戒する賢吾たちをよそに笑みを携えて佇んでいた。

 

「女の子にはちょっとショッキングな映像になりそうね」

 

「どういう意味だ?」

 

 疲労困憊のJKと怯えを見せる少女たち。弦太朗も気にはしているが、ピクターの相手をしているため対応はできない。最善の判断として、警戒を解かずに一歩前に出た賢吾はそう問い返した。ちらりと視界の端に彼を映した遠望は、不敵な笑みで異形の戦いに目を向ける。

 戦況はどう見てもフォーゼが優勢に進んでおり、一見すればピクターの敗北は揺るぎ無いものだろう。スイッチをオフにして観戦に回っている遠望にも疑問を覚えるくらいだ。それでも、ピクターの戦い方には全くと言っていいほどに焦る様子がなかった。押されている同胞を眺め、遠望は口を開く。

 

「コズミックエナジー研究の権威、歌星教授ならもちろん知っているでしょうけど、ラストワンは言わばコズミックエナジーの塊。リミットブレイクによってその形が崩壊すれば、爆発するエネルギーは人体の耐えられるものじゃない。排出されていない梨子の体は無事じゃすまないわ」

 

「排出されていない……? まさか、ピクターまで変則的なラストワンなのか!? 弦太朗! 足止めしてカメラを使え!」

 

『おう、わかった!』

 

 フォーゼへと指示を出し、苦々しい顔をして賢吾はアストロスイッチカバンを起動させる。ピクターを蹴って距離をとった弦太朗は、指示通り「No.06カメラ」と足止めの「No.12ビート」をスイッチソケットへ挿入し、すぐさまスイッチをオンにする。

 

《CAMERA》《BEET》

《BEETーCAMERAーON》

 

『耳塞いでろよ!』

 

 放送用のビデオカメラを連想させるカメラモジュールが左腕に、大型スピーカーのビートモジュールが右脚に展開される。低音域と高音域の両方を操るビートモジュールから放たれる大音量の不協和音が辺り一帯に拡散し、ピクターゾディアーツの足を止める。事態の転換を静観するだけの遠望は、テーブルに自分のスイッチを転がして遊んでいるだけだった。

 耳を塞いでいる後方の千歌たちすら堪らず膝をつくほどの音に、踞るピクターは恨み言を溢す。

 

『「よくもこんな雑音を……!」』

 

『賢吾! どうだ!』

 

 ピクターに向けられたカメラモジュールは、その機能を遺憾なく発揮していた。バリアブルズームレンズとクロスビューファインダー機能を備えた超高感度のビデオカメラによって余すとこなく状況を映し取り、転送されたデータの解析結果に賢吾が目を通していく。ピクターゾディアーツ本体だけでなく周辺の温度、湿度、人には見えない物質から関知できない光や音、歪みまで分析していくなかで、一つのデータに賢吾の目が止まった。

 

『「私に向けて音の攻撃なんて、意趣返しのつもりですか……? そういうのが、甘いって言うんですよ(fine)!」』

 

 ゆっくりと立ち上がるピクターは、右手を走らせる。ビートから放たれる音波に溶け込んだfineの文字が意味するところは終わり。スイッチをオフにしていないのに音はピタリと止み、自由を取り戻したピクターは右手を振るう。

 

『「余所見はいけませんよ(fuoco)!」』

 

 カメラに集中していたためか、それともビートの拘束に油断していたのか。放たれたfuoco()はフォーゼの装甲に直撃し、派手な火花と炎を撒き散らす。後ろに大きく弾かれた弦太朗は、少なくないダメージに肺の中の空気を搾り取られた。

 

『クッソ……! やっぱ距離取ったら不利だな!』

 

 体勢を素早く立て直し、立ち上がった弦太朗はビートスイッチをオフにして反撃のためスイッチを探り出す。近づいて一気に攻勢に転じようと両足用のスイッチを取り出したとき、それに待ったをかける声が上がった。

 

「やめろ弦太朗! ピクターに攻撃するな!」

 

『は!? 攻撃するなってどういうことだよ!』

 

『「また余所見。随分と余裕ですね、先生(fuoco)!」』

 

 迫り来る炎を受け、注意を怠ったフォーゼはまた後ろに弾かれる。今が攻め時だと判断したのか、ピクターは笑いながら猛攻を仕掛けてきた。fuoco()を体で受け止め「No.18シールド」スイッチを取り出したフォーゼは、カメラスイッチをオフにして取り替える。

 

『全員俺の後ろに隠れろ!』

 

《SHIELD》

《SHIELDーON》

 

 カメラと交代に左腕に展開された、スペースシャトルを模したシールドモジュール。後ろに控えた仲間に一発だって漏らすまいと、シールドと体で攻撃を防ぎながら弦太朗は賢吾へと声だけを向ける。

 

『攻撃するなってどういうことだよ』

 

「スイッチとスイッチャーの融合率が異常に高かった。そのせいでダメージを受ける度、取り込まれたスイッチャーへコズミックエナジーが逆流している。このまま攻撃を続ければゾディアーツと肉体が完全に融合してしまう」

 

『は!? じゃあどうしろってんだよ!』

 

「スイッチをオフにするしかない。だが今リミットブレイクすれば、遠望の言った通りスイッチャーは無事ではすまないだろう。しかもスイッチャーの脳波は眠っているときと同じだった。ゾディアーツ体に宿った自我がスイッチャーの意識を眠らせている状態だ」

 

『そういや、夜がどうだのって言ってたな』

 

「仮に、肉体とゾディアーツ体が完全に融合する前にリミットブレイクできて肉体を無傷のまま解放できたとしても、二郎君のように眠ったままになってしまう可能性が高い」

 

『オフにするには倒すしかねぇし、倒しちまうと梨子は目覚めない。手の打ちようが無いってことか?』

 

「ゾディアーツの状態が長く続けば、立神や我望のようにスイッチの消滅とともに肉体が消滅するリスクもある。このまま放っておいてもスイッチャーの意識をゾディアーツの自我が取り込み融合してしまう。手をこまねいている時間もない。スイッチャーが目を覚ませば自らの意思で抜け出すこともできるだろうが……」

 

 そこで一旦言葉を区切った賢吾だが、言いたいことは話を聞いていた全員が理解していた。手詰まり。八方塞がり。そんな言葉でしか説明できない。このまま防戦を続けていても事態は深刻化していき、危険な存在へと進化してしまう可能性もある。手を打つなら早くしなければならない。暗にそう言っているということを。

 一つの結論を導き出してしまった賢吾は表情に影を落とし、届きそうで届かない距離に自然と弦太朗は奥歯を噛み締める。

 

「泣いてたの、梨子ちゃん」

 

「千歌ちゃん……?」

 

 お通夜のように静まったなかで、千歌が呟いた。爆炎を防ぐ弦太朗も、悔しそうに眉間にシワを寄せていた賢吾も、彼女の声に耳を傾ける。

 

「あの怪物が私を殺そうとしたとき、確かに聞いたの」

 

 ーーー

 

 死を覚悟し、目をつぶる。一時でも痛みを柔げられるのならと暗闇の中に逃げ込んだとき、千歌の鼓膜を震わせたのはたった一言だった。

『「ごめんなさい」

 たったその一言で、千歌の瞼は驚くほど速く開いた。目に写るのは真っ黒な怪物。でも確かに見えたのだ。頬を伝う、一筋の滴が。

 

 ーーー

 

「あれは梨子ちゃんだった。きっと梨子ちゃんだって苦しいんだよ! 私は、梨子ちゃんを助けてあげたい!」

 

「それは我々も同じだ。だが感情論だけでどうにかなる問題じゃーーー『千歌』

 

 諭すような賢吾を制したのは、他でもない弦太朗だった。迫る炎を防ぎながら、こちらを向くことのないフォーゼは淡々と問う。

 

『何か案があるのか?』

 

「あります」

 

 振り返ることはない。ただその背中を一心に見つめる千歌には、弦太朗の言葉が自分の心の底を覗いているような気さえしていた。

 

「        」

 

 だから嘘偽りのない気持ちを言葉に乗せて、ぶつける。使える頭はフルで活用する。あの怪物の言葉尻を取って懸命に考える。せっかく出会った“友達”を救うための知恵を絞る。

 

「        」

 

 曜はただ目を丸くしているだけだった。普通を自称する幼馴染みが、初めて見る怪物相手にとる作戦があまりにも突飛だったからだ。しかし真剣な千歌の表情を見て、何となく、嬉しくもなる。

 

「        」

 

 かなり無茶なことを言うだろうと果南は思っていた。実際、話を聞けば無茶もいいところだった。一歩間違えれば死にかねない危険な賭け。大博打で確率は五分五分。それでも揺るがない千歌の目に、果南は黙って聴くだけだった。

 

「    どうかな?」

 

 言葉にしてみて、自分が何を言っているのかようやく理解する。それでも後悔はなかった。やらずに失って後悔するより、やって得るものの方が大切だと思えたからだ。お人好しの彼なら、もしかしたら却下されるかもしれない。そんなことを考えて震えた言葉を受け取った弦太朗は、千歌の気が抜けるほどあっさりと頷いた。

 

『よし、それでいこう。場所と合図は頼んだぞ賢吾』

 

「待て弦太朗。いくら手がないとはいえこの作戦は無謀過ぎる! 素人の考えた作戦が通用するとは思えない。失敗するリスクを考えろ!」

 

『考えた。それと、無謀なんてことはねぇよ。なあ千歌。お前はあいつの、梨子の何だ?』

 

「私は……」

 

 そう問いかけられ、眉を潜める賢吾の視線を強く受ける。自分が誰かの何かなんて、千歌が生きてきてこれまで考えたこともなかった。

 

「わた、しは……」

 

 言葉につまる。どんな答えでもこの歌星賢吾という人は無茶だというのかもしれない。でもそれは頭ごなしな否定ではなくて、この場にいる人間の誰よりも最善を考えてのことだということはわかっている。言葉が喉で止まる。頭がぐるぐると回り出す。本当にいいのかと疑問が浮かぶ。声が小さくなる。思いが弱くなる。視線が落ちる。

 

 そのとき、自分の右手が見えた。

 

 目が開く。思い出す。約束を、あの時海岸で見た笑顔を。そして初めて見たときの切なそうな顔を。

 クラスメイト? お隣さん? 違う。もっと大切なもの。

 

(守りたい。絶対に、見捨てたりなんてしたくない……!)

 

 いつか刻んだシルシを胸に、右手を宝物のように抱き締めた千歌は狂ったように腕を振る怪物を見て答えた。

 

「……私は梨子ちゃんの、友達です」

 

 的外れだっただろうか。目を丸く開いた賢吾は数秒の間を置いてくつくつと堪えた笑いで喉を鳴らす。やがてそれだけでは耐えきれなかったのか、大きく口を開けて笑いだした。馬鹿にされているだとか、そういった嫌な笑いではない。心底楽しそうな笑顔で笑い終わった賢吾は、晴れやかな顔を千歌に向ける。そこには、先程までの迷いも苦悩も、微塵もなかった。

 

「今日はよく驚かされる。そうか、友達か」

 

 なら何の問題もないな。目を細めた賢吾は、そう告げた。

 

 

 

 

《CHAINARRAY》《PEN》《WHEEL》

 

 ピクターが変化に気づいたのはすぐだった。爆煙の舞う的役から機械的な反撃の音声が聞こえたとき、梨子を犠牲にすると決めた彼らの判断に内心でほくそ笑む。散々友達だなんだといっていた正義の味方の落ちぶれた顔を見てやりたいと、胸の内で渦巻く黒いものが色濃く顔を出した。

 

『「あらら。諦めちゃうんですね」』

 

《WHEELーON》

 

 左脚に二輪のタイヤ、ホイールモジュールを展開したフォーゼがシールドモジュールを盾にして猛スピードで突進を仕掛けてくる。愉快そうなピクターを撥ね飛ばしたフォーゼは素早く「No.26ホイール」をオフにし「No.13チェーンアレイ」を起動することで右腕に鎖付き鉄球のチェーンアレイモジュールを装備した。

 

《CHAINARRAYーON》

 

『「そうですよね。一人の命で大勢が救えるなら、切り捨てても仕方ありませんよね」』

 

 挑発的な物言いを無視し、ゆっくりと起き上がるピクターとの間合いを計りながらタイミングを逃さないようその時を待つ。ガントレットから伸びる鎖と約一二〇㎏のスパイク付き鉄球を回しながら、フォーゼは言葉を返すことなく静かに構えた。

 その姿は、怪物の無機質な目には滑稽に写る。痛いところを突かれて黙っているようにも、選択の余地のない現実に意気消沈しているようにも見えたからだ。ドス黒い感情が沸き起これば(ピクター)の存在は強まり、残るわたし(梨子)の存在をじわじわと飲み込んでいく。

 

『「友達だ生徒だと言いながら、先生は何も救えない。でも私ならわたし(あなた)を守ってあげられる。やっぱり私は正しかった! 雑音(たにん)なんて必要ない。スクールアイドルじゃ笑顔になんてできない! 私だけがわたしを理解してあげられる!」』

 

 ピクターは駆けた。一撃をもらうために。フォーゼの、弦太朗の心を折るために。モジュールによる強力な攻撃を受ければダメージの加減で梨子との融合は加速するだろう。取り込んだ梨子の意識は埋没し、自身は異物のない純粋な存在(桜内梨子)になれる。見捨てられた梨子の苦しみや悲しみが強まれば、負の感情で力が増大するゾディアーツスイッチの更なる力を引き出すことができるはずだ。

 案の定、フォーゼはピクターの一歩目と同じタイミングでチェーンアレイモジュールを投擲した。鉄球は手から離れ、ガントレットから絶え間なく射出される鎖を軌跡として恐ろしいまでの破壊力でピクターへと迫る…………はずだった。

 

『悪ィけど俺たちは諦めが悪くてな!』

 

 投げられた鉄球はピクターを狙ったものではなく、水平に右へと飛んでいく。しかしそれは手が滑っただとか、単なるミスではない。腕ごと鎖を振るって鉄球を迂回させたフォーゼの狙いは、ピクターを倒すことではなかった。鉄球がピクターの後方を通過すると同時に、鎖はピクターを起点に形をくの字に曲がる。目的を察したときには時すでに遅く、鉄球の重みで反動の付いたチェーンアレイモジュールは抵抗を許さずピクターに巻き付き拘束した。

 

『「こんなもの、すぐに壊してあげますよ!」』

 

『させるか!』

 

《PENーON》

 

 文字を書こうとする右腕に、「No.25ペン」の起動と共に右脚に展開された巨大な筆・ペンモジュールで真っ黒なインクを塗りつけた。速乾性の高い同質のインクがたちどころに筆を固め、ピクター固有の描く能力を封じる。

 

『これでもう描けねぇ。体の蔦も縛った。能力は封じさせてもらったぜ!』

 

 鎖を手繰り、ピクターの胸ぐらを掴んだ弦太朗は額がぶつかりそうなほど顔を引き寄せた。本当なら、梨子を縛るこの怪物に頭突きの一つでもかましてやりたいところだが、その一切の感情を飲み込む。しかしそれはピクターも同じだった。手が出せないとわかっているが故に、余裕の態度を崩すことはない。まるで焦りのない立ち振舞いで、彼女は弦太朗に向けて毒を吐いた。

 

『「だからどうしたっていうんですか? 例え能力を封じたとしても、倒せなきゃ意味はないんじゃないですか?」』

 

 クスクスと嘲笑されているにも関わらず、フォーゼは至って冷静だった。殴るわけでも怒るわけでもない。ただ静かに、弦太朗はピクターの瞳の奥にあるゆらぎを覗いていた。

 

『お前、梨子を取られるのが嫌なんだろ』

 

『「……ハァ?」』

 

 途端、ピクターは笑い声を引っ込め低いドスのきいた音を漏らした。余裕も何もかもを簡単に手離して見せた反応に、弦太朗の疑問は確信に変わる。

 

『千歌からさっき聞いた。梨子が一年前挫折したこと、立ち直るために海の音を探して引っ越してきたこと、内浦で千歌と出会ってスクールアイドルを初めて知ったこと、今日ここに来る約束をしたとき改めてダチになったこと。お前の恨みが向いてるのは、全部梨子が前を向こうしたことだ』

 

『「……私に揺さぶりをかけて梨子(この子)から引き離そうという魂胆ですか。言い掛かりも甚だしいですね」』

 

『お前の言う雑音ってのは、梨子とお前を引き離す全てだ。だからイレギュラーな俺を消したがったし、ダチやスクールアイドルを否定する。違うか?』

 

『「違いますよ。私の言う雑音は、梨子の邪魔をする全てです。梨子は純粋な音楽を求めている。自分の音を、海の音を。そこに友達やスクールアイドルなんて雑音は不要です。それを取り除けるのは、梨子そのものである私だけ。だからあなたたちを消したいんです。わかりましたか?」』

 

 挑発的に覗きこむピクターの目は、おちゃらけているようにも真剣なようにも見えた。奥にあったゆらぎはいつの間にか見えなくなり、奥の奥へと追いやられたのだと直感が告げる。ただ言えることは、弦太朗をたしなめるほどの余裕が見えなくなっているということだけ。それだけでも、布石は打てたことを確信する。

 不意に、海の方から光が差した。それが作戦開始の合図だと理解している弦太朗は、左脚のスイッチを「No.09ホッピング」に差し替える。

 

《HOPPING》 

 

『でも梨子はそれを望んじゃいない。今からそれを証明してやる!』

 

《HOPPINGーON》

 

 左脚に展開されたホッピングモジュールはバネを利用してフォーゼに跳躍力を与える力。常時発動され制御の難しい反面、操れれば素早く変則的な攻撃を加えられる特殊なスイッチでもある。何度かのタメを行って、鎖に繋がれたピクターごと大きく垂直に飛び上がったフォーゼは起動していた全てのスイッチをオフにした。拘束が解かれたピクターだが、能力を封じられているため地上四〇mの高さでは何をどうしたって逃げ延びることはできない。そもそもこの高さから地上に落下すれば梨子どころかゾディアーツ体である自身の身さえ危ないだろう。気持ちの悪い浮遊感が三半規管を支配する。恐怖による離別を狙ったのかと考えるが、そんな力業で対処に乗り出すとは思えない。ピクターには弦太朗の考えがさっぱりだった。

 しかし、助かる絶対の自信はあった。

 

《ROCKET》

《ROCKETーON》

 

 諦めないと言った弦太朗が梨子を見殺しにするはずがないという自信だ。案の定、空中でのフォーゼの動きは予想通りのものだった。

 「No.01ロケット」スイッチによって右腕に巨大なロケットモジュールを装着したフォーゼが自然落下を始めたピクターを受け止める。身動ぎをする余裕さえ無いほどしっかりと固定された胴回りに抵抗を試みるも、フォーゼに手を離す様子はなかった。淡島を周回し海の上を飛ぶフォーゼが何を考えているのか、仮面の上からでは伺い知ることはできない。

 ぐっと、体にかかる圧力の方向が変わる。

 

『梨子、お前宛の伝言だ。一つ目、「終わったら私も、梨子ちゃんって呼んでいいかな?」』

 

 その言葉を聞いて、何故か心がざわついた。

 

 高度が低下し、徐々にフォーゼは海面に近づいていく。そこで初めて、ピクターは向かっている方向に一隻の船が浮いていることに気がついた。どこか見覚えのある船体は、朝方乗っていた小型のクルーザー。常人離れした知覚をもってすれば、そこに待ち構えるように男が一人立っているのが見える。最もイレギュラー要因となった仮面ライダーフォーゼの復活に貢献した忌々しい白衣を見間違うはずもない。

 どうしてそんな人間が海の上にいるのか。

 

『二つ目、「海は必ず答えてくれる。信じて」』

 

 何かわからないが、とにかくまずい。

 直感と言うよりも、予感に近い。なおもざわつく心に、ピクターは自分(じぶん)の変化に薄々感づき始めていた。

 

『「梨子、聞く耳なんてもたなくていいの! あなたは私が守ってあげるんだから!」』

 

 心のどこかがベリベリと剥がれていくような感覚に、ピクターは焦りを感じた。閉じたままであり続けるはずの瞼がゆっくりと開くような、とてもじゃないが喜ばしい感覚ではない。違和感が広がる内面に恐怖を覚え、フォーゼから離れようと必死にもがくが捕む腕は決してほどけない。

 

『「離せ! 離せ!!」』

 

『最後に、「友達だから約束は絶対守る」。あいつらの思いは一つだ。ちゃんと受け取ってこい!』

 

 海面すれすれで手を離したフォーゼに押し出され、ピクターは一直線に青の世界へと潜り込んでいった。海水の抵抗で徐々に減速していくも、自分の手さえ見えない真っ暗な世界の中では上も下もわかりはしない。宇宙空間でも生命活動が続けられるゾディアーツの体だからこそ無呼吸で耐えきれるが、この孤独の中では体より心の方が先に根をあげてしまいそうだった。

 

『「真っ暗な世界。まるでわたしの心の中。これじゃ何も見えない。何も聴こえない」』

 

 現にピクターの胸の内の違和感はなりを潜めていく。何を企んでいたかわからず仕舞いだが、目論みは外れたようでピクターは気を緩めた。

 何よりフォーゼから解放されたのは、ピクターにとって嬉しい誤算だ。このまま海底に潜って逃げおおせれば、今すぐにとはいかないが梨子と完全に同化することもできる。そうすれば自分の力は増し、フォーゼを、友達を、スクールアイドルを排除することもできるようになるだろう。ようやく一つになることができる。そう考えると気がはやる。

 

 その時、一匹の魚が目の前を通り過ぎた。

 

 

 

 

 

「どうして急に乗り気になったんですか?」

 

「作戦のことか?」

 

 操縦席から問いかける果南に、デッキでフラシェキーを片手に二本の命綱を見守る賢吾は問い返した。喉奥につっかえたようなぎこちない話し方をする果南は、無言のまま眉間にシワを寄せて神妙な面持ちで答えを待つ。

 果南には不思議だったのだ。まだ数えるほどの日数しか交流はなく、歌星賢吾という人間を深く理解しているつもりはないが、無謀な賭けに乗るような人間だとは思えない。小を救うために尽力を惜しまず、いざというときは犠牲の責任を負える人間。考えに考え尽くし、最もベストな解決策を選びとれる賢い人物。行動を共にすることがあった果南にはそういう風に写っていたからだ。

 どう返すべきか悩んでいるのか、一拍分息を吐いた賢吾は気恥ずかしげな一人言のように呟いた。

 

「友達というものを信じているから、かな」

 

 その言葉に、果南は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。驚きで点になった目に反射する賢吾は、その沈黙にやはり恥ずかしさを感じたのだろう、決してこちらを向くことなく早口で捲し立てる。

 

「俺も最初は友達だの友情だの馬鹿馬鹿しいと思っていたさ! ……でも弦太朗が教えてくれたんだ。信じるということ、繋がるということの大切さを。だから信じているんだ。不可能を可能に変えてしまう、友達ってやつの力を」

 

 来たぞ! と表情を引き締めた賢吾は手を上げた。命綱が二回引っ張られるのを合図に、賢吾は手にしていたフラシェキーを起動させる。フラシェキーは最後の一踏ん張りとスイッチに残されたコズミックエナジーを絞り尽くす勢いで光輝く。出遅れはしたものの果南も我に帰り、クルーザー全ての照明のスイッチを入れて一点に照射させた。それは陸で待ち構えていたパワーダイザーも同様で、放てる最大光量を同じ箇所に照射する。太陽よりも眩しい光が海の中へと注がれ、波の動きが上澄みを乱反射させる。期待と不安の入り交じる賢吾は、両手を強く握りこんで祈った。

 

「頼んだぞ、二人とも……!」

 

 

 

 

 

『「なに? 光……?」』

 

 煌めく魚の姿と海面から射し込む光に、ピクターは首を傾げた。先程までの空は太陽のたの字もない、いつ雨が降ってもおかしくない曇天だったはずだ。それが唐突に、こんなピンスポットのように日の光が射すなんてことはありえない。見上げると一部だけが目映い光に照らされていて、そこから光が広がっているのがわかった。

 

『「光……」』

 

 右手が、吸い寄せられるように光へと伸ばされる。

 それは無意識だった。筆の成れの果てとなった右手は考える間もなく光へと伸びていく。この真っ暗で孤独な世界から垂れてきた一本の蜘蛛の糸を掴まんと、手が延びるのは必然だったのかもしれない。しかし、ピクターゾディアーツはその右手を長い爪が備わった左手で掴んだ。

 

『「どうして、右手が勝手に……!」』

 

 どれだけ押さえ込もうと、右手は照らす光へと伸びていく。この真っ暗な世界を拒絶するように、ただ右手には光への渇望があった。光に触れる。そんな気がしたときだった。

 

 

 ━━ ━

 

 

『「!?」』

 

 耳に届いたのは、確かな音。今まで聴いたどの音よりも美しい高音が頭の中に広がり、響き、奏でられる。心がざわつく。もっと聴きたい、あの美しい音を。そんな欲がピクターに生まれるが、首を払ってその思考をかなぐり捨てる。

 

『「やめなさい梨子! こんなものにすがってなんになるって言うの!」』

 

 

 ━━ ━━━ ━━ ━

 

 

 右手は収まらない。触れれば触れるほど音はピクターの中に溢れていき、聴けば聴くほど心のざわつきが蘇ってくる。光は止まることを知らず、真っ暗だった海の中を照らしていく。影に隠れて見えていなかった魚たちの群れがキラキラと光を纏い、ピクターの異形を意に介さず通り過ぎていった。そのキラキラでさえも音を宿し、駆け抜ける大群は無数の音楽となってピクターを責め立てる。

 体が拒絶する。痛みが全身に走る。張り付けていた糊ごと引き剥がされているような感覚がピクターを襲う。

 

  「ねぇ、聴こえてる? 梨子ちゃん」

 

『「誰!? わたしを呼ぶのは! やめろ! わたしを呼ぶな! わたしは、私のものだ!」』

 

  「一人ぼっちは真っ暗だよね。闇の中って言ってた。夜は寝るのが当然だもん。だからね、私考えたんだ。どうやったら梨子ちゃんに海の音聴いてもらえるか、どうやったら梨子ちゃんが起きてくれるか」

 

『「やめろ! 黙れ! 海の音なんて聴こえなくていい!」』

 

  「簡単だった。照らせばいいんだって。朝になったら起きるもん。私には朝にすることができないからちょっと無理矢理かもだけど」

 

『「やめろ! 梨子がやっと私を見てくれたんだ! 嫌いだ! スクールアイドルも! 友達も! 梨子から音楽を取り上げて一人にしたくせに、またそうやって私から梨子を奪うんだ!」』

 

 もがき苦しむピクターの右手に、何かが触れた。柔らかな感触。伝わってくる暖かさ。響く優しい鼓動はそれだけで心安らぐ音となり、ピクターの中に溢れていた海の音と重なりあう。

 左手も誰かが握る。そこから伝わってくるのは右手とも、海ともまた違う音色。とても落ち着いた静かさと、しかしどこか寂しげで元気のある音。

 それぞれは何の感動も生まない二つの音。ごくありふれた、耳にもつかない雑音なのかもしれない。それでもいつしかどこからか流れてきた四つめの音が重なり、バラバラのメロディーが一つに溶け合う。それは紛れもなく、雑音なんかではない“音楽”だった。

 

 繋がれた両腕から、人の手が抜け出た。

 

『「駄目よ梨子! また裏切られるのよ!? また傷ついて大切なものを失うことになる! 私と一つになれば、私はあなたを裏切ったりなんてしない!』

 

 ピクターが泣きじゃくる子どものように駄々をこねるが、体から梨子はベリベリと剥がれていく。痛みが、悲しみが、苦しみが、海に溶け込むように抜け落ちるのがわかる。体に散りばめられた音符が剥がれ落ち、体に巻き付く蔦は梨子の体に引っ張られ白い繭へと変化していく。それを、じぶんを、必死でかき集めようと腕を伸ばすがピクターの指の隙間からは簡単にすり抜けていってしまった。

 

  (あなたは、私なのよね)

 

 ピクターの頭の中で、弱々しい声が鳴る。

 

『そうよ、あなたは私、わたしは貴女!』

  (私の、誰かのせいにした私の弱い部分が、あなた)

『誰かのせいになんてしてない! あれは雑音のせいよ!』

  (プレッシャーを感じていたのは、期待を背負って、誰にも相談せず一人で抱え込んでいたから)

『でも、友達はみんなわたしに失望して離れていった!』

  (私がプレッシャーで潰れたから、みんな気を使って距離をとっていた。そんなこと、わかってたはずなのに。私はそう思い込んで八つ当たりしていた)

『スクールアイドルがいなければ、μ'sがいなければ、わたしはあの学校に通うこともなかった! こんな苦しい思いをすることもなかった!』

  (初めて聞いたとき、普通だなんて嘯いた。わかってた。きっと人を魅了する何かに、私は嫉妬していただけなんだ。正面から向き合うことから逃げていたんだ)

 

 

(だから、ごめんなさいわたし。虫のいい話かも知れないけれど、私はもう一度前を向いてみようと思う)

 

 

 ありがとう。その一言を最後に、梨子はピクターゾディアーツという殻から抜け出した。手を伸ばしても、もう足を引っ張ることはできない。浮上していく三人の影に、突き放された異形の腕は届かない。じぶんという存在意義を否定され、ただ真っ暗な世界に取り残されたピクターは、より暗い場所に沈みながら一つの答えを出した。

 

『……そう。貴女の中に、もう真っ暗な世界(わたし)はいないのね』

 

『梨子は照らせる光を見つけた。真っ暗な世界を照らして、埋もれちまった雑音を音楽に変える光を。人を越えなくても、特別じゃなくても、誰かと手を繋いで腕を伸ばせば届く光を』

 

《ROCKET―DRILL―ON》

 

『人はそれを、友情って呼ぶんだ』

 

『……否定からできたわたしには、わからないわね』

 

 左足に装着された「No.03ドリル」スイッチによるドリルモジュールとともに右腕のロケットモジュールを再度展開する。左手でエンターレバーを引くことで、フォーゼモジュールシステムの真の力を引き出すことができる奥の手。スイッチに秘められたコズミックエナジーが解放され、モジュールに伝達されたエネルギーは過剰分が目に見えて漏れ出すほどの威力を顕現させる。

 

『あばよ、もう一人の梨子』

 

《ROCKET―DRILL―LIMIT BREAK》

 

 フォーゼドライバーからのコールとともに、各モジュールの出力が大幅に上昇する。右腕を引き、左足を付き出す体勢をとれば右腕のロケットモジュールの推進力でフォーゼは真っ直ぐにピクターゾディアーツへと進んでいく。海の中の抵抗さえ感じられないのはドリルモジュールの高速回転がフォーゼの進む道を切り開くから。海上を波打たせるほどの究極の一撃を、何の反応も示さないピクターへと叩き込む。

 

『ライダーロケットドリル海中キーーック!!!』

 

 ドリルモジュールがピクターの腹部を突き刺す。悲鳴のひとつも漏らさない満足げなピクターを明るい海面へと押し上げ、ロケットモジュールの力で更に上へ上へと登っていく。大きな飛沫とともに宇宙を目指して飛び出したフォーゼは、天高い空を見据えて突き進んだ。空で見た輝く海を、ピクターは目に焼き付ける。浮上した千歌と曜を含めた、顛末を見届ける全員の前でフォーゼの必殺キックはピクターゾディアーツを貫く。断末魔の悲鳴のような爆発音とともに身に宿した全てのコズミックエナジーを破裂させたピクターゾディアーツは、内に秘めた真っ暗な世界とともに内浦の空にて爆炎に飲み込まれた。

 爆発から唯一難を逃れたゾディアーツスイッチを振り返り際に器用にキャッチしたフォーゼは、そのスイッチを押す。オフになったスイッチはフォーゼの手のひらでブラックホールに飲まれたかのように跡形もなく消滅した。見届けた弦太朗は、ふぅと息を吐く。

 

『やったぜ』

 

 空は弦太朗の勝利を祝福するように晴れていく。もうこの世界には暗闇なんてないと言いたげな太陽が、雲間から顔を覗かせた。

 

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 

 パワーダイザーの背後でスイッチを押して、人間に戻る。同時に周囲を覆っていた膜のようなものが弾け、涼しい潮風が鼻についた。唾の広い帽子を被っていても日差しが眩しかったのか、遠望はこれまたドレスと同じ真っ黒な日傘をぱっと差す。生まれた影と心地よさそうな笑みを蓄えて、彼女は船の上に着地して変身を解除した弦太朗と目が覚めた様子の梨子を取り巻く仲間たちを眺めていた。

 

「負けちゃった。残念だわ」

 

『「どうして手助けなんてしたんだよ。ピクターが倒されて困るのは、あんたじゃないの?」』

 

「助けてもらって感謝の言葉もないなんて、随分といい教育を受けたのね。この距離であれだけの光を届けられるのは、私の望遠鏡座の力あってこそよ?」

 

『「……助かりました。ありがとうございました」』

 

「ふふっ。それでいいの。素直な子は好きよ」

 

 皮肉を口にする遠望は、くるくると傘を回して歩きだした。向かっているのは船着き場だろう、さっさとこの島から出ていこうとしているのは明白だ。逃がすまいと操縦席を飛び出したJKだが、体は正直なもので溜まった疲労を無視できるほどの元気はない。ただ、離れていく真っ黒な背中に答えを求めるしかなかった。

 

「まだ答えてもらってない! どうして仲間を倒させるような真似したんだよ!」

 

 何か新しい情報が得られれば儲けもの。JKの言葉に、遠望はぴたりと歩みを止める。回していた傘も止めて、少しだけ考える素振りを見せて空を仰いだ。

 そして、振り返った彼女の表情を彼は一生忘れることはないだろう。

 真っ白な肌の下に、透けて見える真っ黒な笑み。美しい顔立ちとは真逆の、歪んだ口元。目が合うだけでハートが掴まれるような瞳だが、今は見られるだけで心臓を掴まれるような冷たい眼差し。唇に指を添えた遠望は、後ずさるJKに向けて呪詛に似た言葉の羅列を吐き出した。

 

  一つ、星が目覚めた。

      私の願いはいずれ果たされる。

   この空に、私たちだけの星空を。

      宇宙に夢を。

 

     星に、願いを。

 

 心の底から楽しそうな笑い声を引き連れ、日傘を機嫌よくくるくると回して去っていく。JKには追いかける気力などなく、糸が切れたようにそのまま腰を抜かしてへたりこんでしまった。クルーザーは凱旋してくる。遠望は上機嫌で歩いていく。大きな邪悪が迫っているのだと確信させるには、十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、仮面ライダー……」

 

 淡島に、勝利を見届ける姿がひとつ。少女を担いだリーゼントの男と服を絞る二人の少女は船から降りると慌ただしくダイビングショップへと消えてしまった。チャラそうな男に駆け寄る白衣の男性と果南を影から眺め、少女は誰に聞かれるでもない独り言を呟く。

 

「二年ぶりですか」

 

 目的を終えたのか、誰かの目につく前に少女は踵を返す。期待や不安が入り交じる心、やり遂げなくてはいけない使命。その全てを胸の内に秘めて、彼女の思い描く未来を選びとるために。しかし、そんな彼女の存在を機敏に感じとる人間が一人だけいた。

 

「どうした、松浦君」

 

「え? ……いや、何でもないよ」

 

 誰かいたような気がする。そんな一言を、果南は口にしなかった。これは無関係な誰かに話すものでもないと思ったからだ。

 果南の髪が潮風になびく。夜になれば用事も済まさなくてはならない。今夜は星がよく見えそうだと、眩しいくらいに輝く太陽を見て思った。




『「ダイヤっほー。今日は月が綺麗だね」』

「そんな下らないギャグを言うために、わざわざ深夜に電話をかけてきたんですの?」

『「違う違う、一つ報告があってさ。仮面ライダーを見た」』

「っ! ということは、やはり昼間の爆発はリバースターの謝罪文通りというわけではなかったのですね」

『「何それ?」』

「近隣住民宛に声明が出ていました。実験の失敗による爆発音で迷惑をかけたという旨が書かれていましたが、見ていないんですか?」

『「来てたかなー? もしかして、当事者だからハブられちゃったとか? ……あ、ごめん。捨ててた」』

「そんなことだろうと思いましたわ。……それで、ゾディアーツの方は」

『「うん、違うよ。画架座。スイッチャーは転校生だった」』

「……そうですか。で、どうでしたか? 如月弦太朗先生は」

『「んー、いい人だね。すこぶる善人って感じ。あれなら鞠莉のお父さんが推してきたってのもわかるよ」』

「そうですか。私も話をしましたが、信用に足る人物であると思います」

『「だろうね。でも、ごめん」』

「……わかっています。私も押し付ける気はありません」

『「ありがと。それじゃ、起こしちゃってごめんね。夜の感覚わかんなくなってきててさ。おやすみダイヤ。いい夢見てね」』

「あ、ちょっと果南さん! ……切れてしまいましたか」

 切れてしまった罪悪感を胸に、ダイヤは少しだけ空を見上げる。確かに月が綺麗で、星空もまた美しい限りだった。だからこそ、胸を締め付けられる。

「あなたは、鞠莉さんが帰ってきていることを知っているんですの……?」

 時間は止まったままでも、運命は動き出したのだろう。新しい風と、新しい嵐を引き連れて。ダイヤの溢した誰にも聞かれない呟きは、もう一人の眠れぬ夜を過ごす少女の耳に届いていた。
 立ち聞きとは気づかれれば怒られるだろうが、そんなことは少女にとって些末なこと。少女に捨てきれぬ憧れを向けられた九人の彼女たちは、抱き締められてシワになりながらも全員が満面の笑みを浮かべていた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 最・初・一・歩

「あの、渡辺さん。聞きたいことがあるんだけど……」

「曜でいいよ。どうしたの、梨子ちゃん?」

「……ありがとう。で、その、聞きたいことなんだけど。私が入る前って、作曲は誰がする予定だったの? 引き継ぎみたいなことしておかないとなって思って」

「あー……。一応弦ちゃん先生ってことになりそうだったんだよね」

「先生って作曲できるの?」

「先生自身はできないらしいんだけどさ。先生の友達で、高校の頃自分で衣装作って作詞作曲してミスコンみたいなのに出た人がいるらしくって」

「それってすごい人なんじゃ」

「うん。今は宇宙飛行士として頑張ってる人なんだって。確か曲名は、がんばれはやぶさくんだったっけな?」

(どうしよう。突然不安が襲ってきた)

「だから私、梨子ちゃんが入ってくれて本当によかったと思ってるよー。あははっ」

(この人、笑いながらすごいこと言うのね)


 寝ぼけた朝日が差し込む山道に、バイクのエンジン音がこだまする。日の光を浴びた木葉が嬉しそうに風と騒ぎ、場違いな機械音に驚いた鳥たちが飛び立っていく。五月ともなれば走っているときの肌寒さもある程度和らいで、沼津なら上着を着ずともスーツ姿でバイクに乗れるほどに暖かい。心地よい風を切りながら、スペースシャトルを模したマシンは目的地に向けて進んでいた。

 

「……この辺だよな」

 

 指定された場所は山道を上った先にある……と思われる沼津大学。地図やナビに従っているものの、電波が不安定でGPSが飛びやすいのと周りが木々ばかりなので正しい道を進んでいる自信が沸いてこない。不安に苛まれながらも走り続ける弦太朗の目にようやく建物が見えてきたのは、それから数分後のことだった。

 

「お、ここか」

 

 建物は早朝ということもあってか静まり返っていた。ヘルメットを脱ぎ、珍しいものを見るような目の警備員に頭を下げた緊張気味の弦太朗は、マシンマッシグラーを案内通りの場所に駐車して校舎の中へと進んでいく。途中見つけた自販機で購入した土産の缶コーヒーを片手に歩く静かな構内は、ドライバーの調整で研究室に通っていたときと同じ匂いがして少し落ち着く。送ってこられたメッセージ通りの階に着けば、あとは簡単に目当ての部屋を割り出すことができた。一室しか電気が付いていないのだから一目瞭然なのだが。

 コンコンコンと三回、小気味良いテンポでノックした弦太朗は、向こうからの返事を待つことなく扉を開いた。

 

「オッス。悪いな賢吾、朝早くから」

 

「構わないさ。こっちもバスを逃しては泊まり込んでばかりだったからな。運動部用のシャワーもついているし、サークルの洗濯機も借りられるからかなり快適だぞ」

 

「なんつーか、喜んじゃいけない気がするのは俺だけか?」

 

 そう言いながらありふれたレイアウトの教授室に踏み込んだ弦太朗は、いつもの銘柄を手渡した。受け取った賢吾が口をつけている間に、机に広げられた資料を覗く。深海の写真、水揚げされた深海魚の資料、見ただけで頭が痛くなるような数式の羅列に、小難しそうな専門用語がびっしりと書き記された紙。パソコンのモニターにはグラフが映っており、入るギリギリまで作業をしていたのがよくわかる。とはいえ、徹夜明け特有の自室と化したこの部屋の有り様や空のカップとビーカーの中で冷めたコーヒーなどの、学生時代ではまずあり得なかったはみ出してしまう生活感は相変わらずのようだった。これも学生が登校してくる頃には元通り綺麗にしてしまえるのだから、ラビットハッチを荒らしていた自分とは雲泥の差があると弦太朗は何度か省みたことがある。

 

「へー。これが言ってた海洋研究か。見てもよくわかんねぇや」

 

「なかなか面白いぞ。特に海底に生息する生物も陸上の生物も、コズミックエナジーは同程度有しているというのが非常に興味深い。ここが解明できればコズミックエナジーがどうやって発生しているかがわかるからな。わざわざパワーダイザーを海底の圧に耐えられるよう強化した甲斐があった」

 

「海から出てきたときはビックリしたぜ。そういや、JKもこっちに来てたんだな」

 

「たまたまパワーダイザーの操縦を頼んでいたんだ。研究成果の独占取材を交換条件にな。今は遠望のことで気になることができたらしいから調べに戻っているが」

 

 話の一区切りで、賢吾はコーヒーを流し込む。口いっぱいに広がる苦味と酸味に一息ついて、しばしばとする目に活気を与える。

 データを纏め始めると止まらなくなってしまうのは高校の時の反動だろうと、賢吾は個人的に解釈している。学生の頃のような時間的制約と拘束がないというのは、人をダメにしてしまうと身をもって体験しているのだから。今日の講義は自習にしようと、少し悪い知恵を付けてしまったのも要因の一つだろう。と、そんな無駄な言い訳を考え付くくらいには目が覚めてきたのかもしれない。賢吾は資料から弦太朗に目を向けた。

 

「それはそうと、弦太朗はよかったのか? 今日もこれから仕事だろう。別に午後でも良かったんだぞ」

 

「いや、放課後は色々と忙しいんだよな。書類整理したり、家庭訪問したり、千歌たちの練習の補助したり」

 

「練習?」

 

「あ、言ってなかったな。千歌たち三人でスクールアイドルってのをやってんだよ。知ってるか?」

 

「……すまないが、流行りのことは全くわからない。部活か何かか?」

 

「学校公認のアイドルで大会もあるんだぞ。ま、今は人数足りてないから仮だけど、正式に始動すればそこで顧問をやる予定だ。ライブするときは呼ぶぜ」

 

「……楽しそうだな」

 

「ああ、スゲー楽しいよ」

 

 迷っていたことが嘘のような彼の笑顔につられ、こちらも笑ってしまう。心から楽しいのだろう、賢吾の目に写る偽りのない表情は昔のままだ。青春に夢中になっている姿も、高校のあの頃と同じだった。

 

「そうだ。一つ知らせがあったんだ」

 

 そう言って思い出したように賢吾は机の引き出しを開いた。そこから飛び出したのは、見た目は完全にファーストフード。しかしバンズを車輪代わりに自立走行する姿を見間違うはずがない。弦太朗は悪戦苦闘した先週を思い出して思わず声を大きくしてしまった。

 

「おお! バガミールじゃねぇか! 直ったのか?」

 

「ああ。内部の回路だけが不自然にショートしていたから電気系統の攻撃を受けたと考えられる。記録データを解析しようとしたが、破損していたせいで復元には時間がかかりそうだ」

 

「つまり、バガミールに撮られちゃまずいものを撮られたから壊したってことか?」

 

「俺もその可能性は高い思う。相手にとって重要か、不都合な映像であることは間違いないだろうな」

 

 それともう一つ。指を一本立ててそう前置きした賢吾は、神妙な顔つきで言った。

 

「テレスコープに電気を操る力はない。断言する」

 

「……新しいゾディアーツ、か」

 

「そう考えるのが妥当だ」

 

 新しい悩みの種の出現に頭を悩ませる弦太朗のポケットの中で、NSマグフォンが間抜けな着信音を鳴らした。画面に表示されているのは自分の勤める学校の名前。嵐の到来を予感した弦太朗を真似してか、机の上で跳び跳ねるバガミールがやたらと場違いに首を傾げていた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 クールビズが奨励されるのはまだ早い。熱意の現れである真っ赤なネクタイを締め直し、ようやく主が現れた部屋の前で自慢のリーゼントを整える。

 話でしか聞いたことがない小原(おはら)鞠莉(まり)理事長。自分の知る天高の理事長の年齢から想像するに、かなり若いことは間違いないだろう。良くて同年代、下手すれば大学卒業したてという可能性もある。その若さで理事長に就任するというのであれば、かなり堅物かやり手なのかもしれない。実際どんな人間かそれとなく役職持ちのベテラン勢に聞き出そうとしてみたものの、名前を出すだけで皆は口を揃えて「会えばわかる」としか教えてくれなかった。そう思うと、始業前から同僚伝で呼び出された理由がわからないという点も踏まえて自然と緊張が高まる。

 

「ま、なるようになるか」

 

 しかし結局のところ、やることは同じなのだから考えても仕方ない。宇宙に生きる全員と友達になるという夢を掲げる彼に、恐れることなど一つもないのだ。腹を括った弦太朗はノックをして待つ。どうぞ、という若々しい女性の声が聴こえると、弦太朗は思いきって扉を開いた。

 

「失礼します!」

 

 賞状、トロフィー、決して少ないわけではない栄光を飾る理事長室の奥。暖かな日に照らされる中庭を背景に真っ黒な革のシートに背中を埋める人物の姿は、弦太朗の言葉を簡単に奪い去った。

 

「御呼び立てして申し訳ありません如月弦太朗先生。初めまして。理事長の小原鞠莉です」

 

 落ち着いた印象のある一言目は、やはりあの小原理事長の娘さんといったところか。気品ある佇まいに、こちらを見つめてくる瞳には力と、優しさがある。しかし弦太朗の思考を困惑の色に染め上げたのは、太陽の眩しさに溶ける髪でも、革のシートに浮かび上がる肌でもない。それは……

 

「気軽に、マリーって呼んでね。ゲンタロー?」

 

 浦の星女学院の制服を身に纏う彼女は、年相応らしいチャーミングなウインクを弦太朗に披露した。

 リボンの色が緑なので三年らしいことはわかる。だが、それが理事長として堂々と構えているのだから目を剥くのも仕方ないことだろう。一言目と二言目の雰囲気がガラリと違うこともさることながら、彼女の顔をこれまで学内で一度も見たことのないということがより混乱を招く。

 

「マリー、理事長……?」

 

「ノンノンノン! みんなとダチになるのがゲンタローなんでしょ? ならマリーともダチになってほしいわ。ダメかしら?」

 

 堅苦しい空気をぶち壊す鞠莉は、そう言って立ち上がり右手を差し出した。その手と彼女の笑顔を交互に見比べた弦太朗の頭はその意味を瞬時に理解し、難しいことなど簡単に隅に蹴飛ばしてしまう。一歩踏み出した弦太朗は、快くその手をとった。

 

「ダメなわけねぇ! こっちこそ取り乱して悪かった。よろしくなマリー」

 

 固い握手を交わし、友情のシルシを刻む。突き合わせた拳に、彼女は一瞬懐かしむような視線を送り優しく笑った。

 

「パパから聞いていた通り、とっても真っ直ぐな人ね。あなたなら私も信頼できるわ」

 

「俺がこうして呼び出されたのと、何か関係あるのか?」

 

「ええ。じゃあうるさい生徒会長も来そうだし、腹を割って話しましょうか。ここからの話はトップシークレットだから、他言無用でお願いね」

 

 背を向けた鞠莉は何を思っているのか、窓から中庭を眺めて一呼吸おく。風に揺らされた木の葉が光を反射させ、人っ子一人いない空間を賑やかに囃し立てる。彼女は、努めて明るい声で呟いた。

 

「この浦の星女学院には、統廃合の話が持ち上がっています」

 

「統廃合? 無くなるってことか……?」

 

「このままいけば今年度中に。しかし、私はその運命を変えるために理事長として帰ってきました」

 

 振り返った鞠莉の表情は、真剣そのものだった。生半可な気持ちを飲み込んでしまう力強い瞳に、弦太朗は目が離せない。確固たる意思を見せる彼女は、ただまっすぐに弦太朗を捉えていた。

 

「もちろん私も手は尽くします。ですが廃校を回避するための方法として、私はスクールアイドルが最も有効であると考えています。地域の過疎化、それに伴って減少した生徒数を回復させるためには、今の子達にここまで登校してくれるだけのメリットを提示する必要がありますから。そこで特例ではありますが、現在あるスクールアイドル部を正式に部として承認しようと思っています。顧問はもちろん如月先生で」

 

「タダで、ってわけじゃないんだろ?」

 

「……話が早くて助かるわ。私の目に狂いはなかったわね」

 

 そう言った鞠莉は親指と人差し指を立て、ゆっくりと人差し指を折る。強調するように示されたその行為に、弦太朗は“トップシークレット”の意味を悟った。秘密にしたい条件というのに、意識せずとも身構えてしまう。生徒数の確保を目的とするならただの部活では終われないのかもしれない。頭の中で勝手にハードルが上がっていくが、その心配が肩透かしなほど彼女が挙げた条件というのは至ってシンプルで、そして不可解なものだった。

 

「一つ、友達としてマリーのお願いを叶えてほしいの。ゲンタロー」

 

 

 

 

 

「……随分とたくさんコピーしてますね。明日の教材ですか?」

 

「え? ああ、これは部活のチラシッス。来月の最初の日曜にライブすることになったんで、無咲先生もよかったら」

 

 そう言って、熱いお茶をすする同僚に出来立てのコピー用紙を一枚差し出した。手に取った無咲はまじまじとそれを見つめ、そして頬を緩める。ヒラヒラとしたカラフルな衣装に身を包む三人の可愛らしい絵と日時が記された宣伝用紙に、彼女はへぇーと声を漏らした。

 

「朝方仰ってたスクールアイドル部ですね。気になってたんですけど、これって高海さんの絵ですよね?」

 

「わかります?」

 

「もちろん。小テストの裏とかにちょこちょこ描いてるので」

 

 裏よりも表を正答で埋めて欲しいんですけどね、なんて茶化すように言うはにかみ顔に、弦太朗はただ苦笑いを返すしかなかった。しかし彼女に責める雰囲気はなく、ただ湯飲みに口をつけながら感心したように全体を目で追っていく。興味を持ってくれているのかその目は少し楽しそうに揺れていて、ステージに立つのは自分でないのにくすぐったいような嬉しさが込み上げてきた。

 無咲はチラシから目を離すことなく口を開く。

 

「これ、正面玄関の掲示板に貼っておきましょうか。実は私、高海さんから貰っちゃってるんですよね」

 

「あ、そうなんですか? じゃあ、お願いします」

 

「わかりました。……でも、先生も大変じゃありませんか? 部活の顧問なんて。一年生の不登校のあの子。お家に通われてるんですよね?」

 

「津島のことですか? あれは俺が好きでやってることなんで。自己紹介で躓いたくらいで、折角の青春を無駄にしてほしくないじゃないですか。ただの俺の自己満足です」

 

 そう言って頭を掻く弦太朗の胸ポケットが、メッセージの受信を知らせて震える。画面に表示された差出人は、今まさに駅前でチラシを配っているはずの人物だった。断りを入れてからメールを開く。

 

『チラシが風で飛ばされちゃった~! 早く来て~!』

 

 その一文だけでなく、体育座りでベンチに座る横並びの千歌と曜のたいへんに愉快な画像が添付されていた。誘われた梨子が苦笑いで断る場面が簡単に想像できてしまえるのが、特に笑いを誘う出来映え。

 

「すいません! 今日はお先に失礼します!」

 

「あ、はい! お疲れ様です!」

 

 出来上がったチラシをリュックに詰め、NSマグフォンをねじ込んで職員室を飛び出す。同僚の声を後押しに少し走るスピードをあげた弦太朗は、真面目の塊である生徒会長に出会さないよう祈りながら廊下を駆け抜けた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「遅いよ弦ちゃん先生ー!」

 

「距離考えろって。どんだけ離れてると思ってんだ」

 

 これでも急いだんだぞー、とリュックからチラシの束を手渡す。

 マシンマッシグラーのデザインと、それを乗りこなすスーツ姿のリーゼント。それが駅前で怪しげな行為をしていた女子高生三人組と関わっているのだから色々な意味で注目を集めている。客観的に見てこれからチラシ配りをするのが正解かどうか返答に困る梨子は、二歩ほど離れた位置から成り行きを見守っていた。

 

「で、調子はどうだ?」

 

「バッチリだよ!」

 

 親指をピンと立てる自信満々の千歌を横目に、弦太朗は曜へと視線を向ける。この一月で扱いが何となく掴めてきたのを悟ったのか、彼女は目を合わせても答え辛そうにあははと笑みを浮かべるだけ。困ったときの愛想笑いとはよく言ったものだと、弦太朗はつくづく感心させられる。

 

「空回りしてんだな」

 

「察し方がひどいよっ!」

 

「でも、飛ばされたの考えても結構な枚数配れてたもんね!」

 

「否定してよっ! フォローしきれてないよっ!」

 

 助けを求め、千歌は梨子の胸へと泣きつく。梨子が思い返してみても、スルーされたり壁際に追い詰めて押し付けたりするのをバッチリと呼称するにはいささか無理があるような気がしないでもない。そもそも配れたのも大半を捌いた曜の活躍が大きいことは明らかだろう。自分も怪しげなサングラスとマスクの人物に一枚渡せたのがいいところだったのだから。

 しかし、言いたい本音をグッと飲み込んで子どもの頭を撫でる梨子も、当初より少しはこの空気に馴れたのか手つきは母親のそれだった。

 

「うぇ~ん! 梨子ちゃ~ん! 二人がいじめる~!」

 

「よしよし。元気出して配り直そ?」

 

 同学年にあやされている少女を眺め、それでいいのかと心の内で問いかける弦太朗の思いは届きそうにない。少し羨ましそうな曜の眼差しに、最近の女子はこういうのが当たり前のやり取りなのだろうと解釈する。姉がいるらしい千歌の甘え方がうまいのだろうか、それとも自分から言うのは恥ずかしいものなのか、曜はただ二人を見ているだけだった。

 ふと、弦太朗の視界に大きな風呂敷を抱える人の姿が映りこんだ。この時代に風呂敷? と首をかしげて注視すると、いくつか気づくことがある。その人物が女性であること、隣にもう一人いること、それと……

 

「……うちの制服か?」

 

「あ! 花丸(はなまる)ちゃんだ!」

 

 やる気を取り戻したのか、立ち直った千歌が手を振って駆けていく。遠くから呼び止められた二人も気づいたようで歩みを止めるが、隣のもう一人は怯えた様子で風呂敷の影に身を隠してしまう。離れていく千歌の背中を見つめ、弦太朗はようやく思い出し手を打った。

 

「そうだ。一年の国木田(くにきだ)とルビィだ」

 

「知ってるんですか?」

 

「全校生徒の名前と顔は一応な。将来のダチの顔なんだから当然だろ?」

 

「あはは。弦ちゃん先生らしいね」

 

 後ろに隠れてしまったルビィに、千歌は目線を合わせてチラシを渡す。怯えつつも手を伸ばすその姿は、さながら餌を手渡しされる小動物。教頭から口頭で注意されていた人見知りと男性恐怖症の二点から、弦太朗が学院で最も気を使っている相手でもある。一度職員室の前で遭遇したときに見た、リトマス紙のように赤から青に変化した彼女の顔は忘れるはずもない。

 

(あのダイヤの妹っていうんだから、姉妹でも似ないところは全然似てねぇよな)

 

 堅物、真面目、寄らば斬るという日本刀のような鋭さと脆さを感じさせる生徒会長を思い出し、ダブりもしない影を隣に置く。武器で例えるなら、ルビィはさしずめピコピコハンマーといったところか。両極端でありながら、どこか似た匂いのする姉妹の並ぶ姿を想像するが、印象がかけ離れすぎているため仲睦まじい絵は浮かんでこなかった。校内外で揃った姿を見たことがないというのも、要因かもしれないと一人ごちる。

 三人のやり取りを遠巻きに眺める弦太朗の隣で、梨子が何かに気がついたのか声をあげた。

 

「あ。あの人……」

 

 今度は何だと、弦太朗は曜と共に梨子の視線の先へと目を向ける。

 千歌たちとは対面。支柱の影に隠れて三人をこっそり見つめる怪しげな影がそこにはあった。暖かくなってきたというのにコートを着込み、マスクとサングラスで隠された顔は火を見るより明らかな不審人物。花粉症という言い訳すら通用しないほど、怪しげな空気を身に纏うその人影は髪の長さと華奢な肢体から女性であることは予想できた。

 

 

 「テレスコープに電気を操る力はない」

 

 

 パッ、と今朝の賢吾の言葉が蘇る。もし仮に新たなゾディアーツが浦の星女学院に潜伏しているのだとしたら、その目的は破壊工作よりもスイッチの頒布である可能性が高い。

 梨子が回復してからというもの、遠望からの接触は途絶えている。しかし、だからといって裏で何もしていないとは限らない。

 

(でも、流石にあれはないよな……)

 

 不審者は周りの視線に気づいていないのか、道行く人が振り向くも三人から視線を外すことはなかった。観察しているこちらとしても、あんな間抜けな敵がいるものかと懐疑的な思考を拭えない。そもそもあのシルエットをどこかで見たことがあるような引っ掛かりを感じていた弦太朗の頭は、考えれば考えるだけもやもやが溜まっていく。

 が、そのもやもやを晴らすのは曜のたった一言だった。

 

「思い出した! 入学式の日に木の上から落ちてきた子だ!」

 

 すっきりとした様子の曜の声に、不審者がこちらを凝視する。その背丈、その髪型、その団子。生徒手帳用に撮影された写真しか弦太朗は見たことがないが、入学式の日に木から落ちるなんてエピソードに思い当たる人物は一人しかいなかった。流石に一ヶ月以上も登校していなければ周りが気になるのか、季節外れのコートと顔は変装用だろう。イメージと不審者の影がピタリとはまったとき、弦太朗の脳に電気のような閃きが走った。

 

「あああ!! お前、津島か!!」

 

 弦太朗の絶叫に対して見せる、マスクやサングラス越しでもわかる頬の引きつりと心底嫌そうな表情。どれだけ訪問しても部屋から出てくることはなく、未だ声すら聴くことができていない不登校児。不審者こと津島(つしま)善子(よしこ)は一拍の間をおいて全力で走り去っていった。

 

「え、ちょ、何で逃げるんだよ!」

 

 弦太朗の問いかけに反応することなく、善子はぐんぐんと距離を離していく。ここで追わなければ二度と会うことができないのではないか。そんな考えが浮かんでしまったせいか、そこからの弦太朗の動きは早かった。

 

「梨子! これ頼む!」

 

「え? え!?」

 

「帰るときはバイクにでも引っ掛けといてくれ!」

 

 口の空いたままのバッグを梨子に押し付け、彼女の返事も待たずに駆け出す。なかなかに素早い動きを見せる善子が消えていった入口から、弦太朗も少し遅れて土地勘の無い裏道へと足を踏み入れる。

 残された梨子と曜は、顔を見合わせてパチパチと瞬きをした。

 

 

 

 

 

(津島のやつ、何で逃げるんだよ……)

 

 夕日に照らされた海岸線を、いつもとは反対方向に進む。

 結果的に善子は見失ってしまった。見知らぬコンクリートジャングルから迷路を脱出する気分で歩き回り、ようやく駅前まで戻れたのは日もだいぶ傾いてからのことだが、驚いたのは駅から大して離れていなかったというところだった。駅を出入りするのは学生より会社員の方が目立つようになり、当然千歌たちは撤収済み。バッグは梨子が預かっているらしい連絡が来ていたので、ひとまず下宿先を通り越して練習場所となっている海水浴場に足を向けることとなった。

 きつい西日が弦太朗を照らす。

 

(やっぱ沼津の方は全然道わかんねぇな。今度回ってみるか)

 

 流石、地元の人間と言うべきか。体力には自信があったので、すぐに追い付くと高を括っていたのもよくなかったのだろう。反省する箇所は多かれど、今生の別れというわけでもないのでこれ以上考えても仕方無いと切り替える。

 そして対向車の疎らな道をひた走り、漁協の近くに差し掛かったときだった。

 

「……ダイヤ?」

 

 遠くでも、後ろ姿でも、制服に映える日本人形のような黒髪を見間違うはずがない。未だ心を通わせるに至っていない堅物な生徒会長が、そこにいた。

 目前までやってきたバスを眺めているように見受けられるが、実際は違うようだった。目の前で停車してドアが開いても、ダイヤは視線を外すことなくじっとどこか遠くを見据えていたからだ。乗り込むときに流れる髪からちらりと覗いた表情はいつもより固く、不安げな皺が眉間に深々と刻まれている。すれ違い様でも、彼女は終始弦太朗に気づくことはなかった。

 信号に引っ掛かった弦太朗が振り返る。バスは当然見えなくなっていて、ダイヤがどこへ向かったかは皆目検討もつかない。思い返すと、背景の漁協との言い知れぬミスマッチさもさることながら、ひとつの決定的な違和感が小骨のように弦太朗の喉に引っ掛かっていた。

 

「アイツの家、反対じゃなかったか?」

 

 そもそも、どうしてこんなところからバスに乗っていたのか。周りにあるものと言えば、コンビニ、喫茶店、漁協に郵便局と、どれも目的をもって降りたとは思えない。

 だからといって、生徒のプライベートにズカズカと踏み込んでいいというわけではない。堅物なダイヤとはいえ、高校生にもなれば寄り道くらいはするだろう。束縛したり、邪推する権利は弦太朗にはないのだ。

 後続の車に急かされた弦太朗はグリップを捻る。千歌たち三人は今も砂浜でダンスの練習をしているだろう。今は彼女たちの夢の実現に向けて応援に注力するべきだと気持ちを切り替える。たった二週間でパフォーマンスを形にして、宣伝もこなすのだからやることは山積みだ。困難な道のりのようにも思えるが、弦太朗はどこかワクワクとした気持ちだった。

 

 

 

 しかし、後に弦太朗はこの日のことを思い返して二度後悔することになる。わかっていたはずなのに、注意していたはずなのに、と。見えないところを見ていなかったこの日の自分を激しく責めるなんてこと、このときの彼は知る由もなかった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「すみません如月先生! 声かけてみたんですけど、この雨で遅れてるみたいなんです!」

 

「いやいや、無咲先生が来てくれただけでもありがたいっスよ。できるだけ前の方で見てやってください」

 

 生徒のステージだからか、気合いの入った私服姿の無咲を先に通した弦太朗は、振り返って辺りを確認する。校舎からはみ出る二つの影に事情を察した弦太朗も、誘導を切り上げて濡れた革靴を脱いだ。水を吸った靴下は踏みしめる度に水分を絞り出すが、僅な変化では足の裏にある違和感は拭えない。

 本当は弦太朗も一番前で見たいところだが、選んだのは有事に備えて全体を見渡せる一番後ろの壁際。入り口のそばの方が良いのかもしれないが、外にいるルビィが入ってこれるよう少し離れたところに陣取った。体育館の前には看板も立て掛けてあり、校門にはここまでの道順を記した案内板も用意してある。遅れてきた人もやってこれるように準備はしているので、後は信じて待つだけだとジャケットの内側にしまっていた宣伝用紙を広げた。

 

「……Aqours(アクア)、か」

 

 修正を経て出来上がったチラシに踊る、千歌たちが浜で偶然見つけたという名前を呟く。しかしその言葉は誰かに言ったわけでも、聞かれるわけでもなかった。彼の呟き程度、壁に打ち付ける雨粒の大合唱が、吹き込んでくる暴風が、唸る雷が、いとも容易くかき消してしまうからだ。この日内浦を直撃した嵐は、Aqoursの船出を祝うには少し激し過ぎるようだった。

 照明が落とされ、光源は解放された入り口のみという体育館は太陽を遮る分厚い雲のせいか、それとも暗幕のせいかやや暗い。不安や期待、それ以外にも色々な感情がひしめき合うこの暗闇だが、弦太朗は逆に緊張で速くなる鼓動を落ち着けるにはちょうど良いのかもしれないと思った。

 胸ポケットで震えたNSマグフォンを開く。

 

『道が混んでいて車が動かない。すまないが少し遅れそうだ』

 

 親友からの断りの一文に、弦太朗は短い返事を送る。この天気だ、沼津からここまでほぼ片側一車線しかない道路なら混むのも仕方ないだろう。親友にダチの晴れ舞台を見せてやれないことは悔やまれるが、事情がわかってしまうのでここは落胆を飲み込む。

 返信が済んだのを見計らったように、NSマグフォンをしまうと隣に誰かが立つ気配がした。同じように壁に背を預ける彼女の顔は見るまでもなく、あのいつもの難しそうな顔をしているのだろうことは雰囲気で察することができる。ちらりとも見ずに、弦太朗は口を開いた。

 

「正直、ダイヤが来てくれるとは思わなかった」

 

「鞠莉さんが来ているんですから、来ないわけにはいかないでしょう。それに、私は確かめに来ただけです。あなた方の言う熱意とやらで奇跡が起こせるのかどうかを」

 

「……そうか」

 

 冷徹にも聞こえる言葉の裏に、ほんの少しの混じり物を感じる。その混じり物を機敏に感じ取った心が囁く。この冷たさは、厳しさだと。

 

「結果はもう見えていますが」

 

「わかんねぇぞ。こっから大逆転サヨナラ満塁ホームラン叩き込んでやるからな。ダイヤだってちょっとは期待してるんだろ?」

 

「……知りませんわよ。彼女たちがどうなっても」

 

「大丈夫だよ、あいつらなら。きっと」

 

 ダイヤの心配する通り、逆境と呼ぶに相応しい舞台だった。思い返してみても、僅かな時間で彼女たちはかなりの努力をしただろう。短い時間の中で揃えたダンス。経験者の梨子指導のもとレベルを上げた歌唱力。弦太朗考案の基礎体力メニュー。曜が生み出した衣装も、裏方を頼んだよしみ、いつき、むつの三人のサポートも、足掻きに足掻いた宣伝も、その他恵まれている事を差し引いても申し分のない努力を重ねたと、贔屓目に見ても弦太朗はそう断言できると確信していた。

 

 幕が上がる。

 

 ゆっくりと、運命を彼女たちに突きつけるために。自然と弦太朗の握り拳が固くなる。腕を組むダイヤも息を飲む。静かにその時を待つ鞠莉は、期待の眼差しを注ぐ。ただ共通していたのは、これから起きることから目を反らすまいとしていたことだけだった。

 三人がステージに照らし出されたとき、拍手が起こった。パチパチと、壁に吸い込まれるほど控えめに。集まった()()名|()の生徒たちが、友人たちを期待の目に、これから起こることを想像したワクワクした目に写していた。

 

 体育館満員という条件達成には、程遠い数の生徒。

 

 手を繋いだ三人は目を伏せる。着飾った衣装と一段とうつくしく引き立てられた表情に影を落とし、流すまいと涙を堪えているのかもしれない。彼女たちの夢も、希望も、一瞬にして瓦解してしまったのかもしれない。

 それでも、顔を上げた千歌は一歩前に踏み出した。

 

「私たちは、スクールアイドル! せーのっ!」

 

「「「Aqoursです!」」」

 

「私たちはその輝きと」

「諦めない気持ちと」

「信じる力に憧れて、スクールアイドルを始めました」

 

 三人の言葉に、この場にいた全員が聞き入っていた。このステージが最初で最後になるかもしれないとわかっているからこそ、弦太朗にはその言葉の一つ一つが重く感じ、心にぐっとのしかかる。自分達が一番わかっているはずだ。どれだけ手を伸ばしてもまだ遠いということを。それでも腐ることの無い真っ直ぐな光を灯した千歌の瞳は、弦太朗には瞬く星を幻視するほどにキラキラと輝いて見えた。決して夢に嘘をつかない彼女は、その真っ直ぐな輝きを放ちながら言った。

 

「目標は、スクールアイドルμ's(ミューズ)です! それでは聴いてください!」

 

 

 “ダイスキだったらダイジョウブ!”

 

 これはμ'sの代表的な曲の一つであるラブソング、“Snow halation”のような曲が作りたいと無茶な事を言い出した千歌が、“自分の大好きなスクールアイドルへの気持ち”を歌詞にした曲。歌われているのは今、この瞬間を生きる千歌のありのままの心そのものだった。キラキラとしたスクールアイドルに出会い、憧れ、たくさん躓いて、ようやく繋がった三人の絆があったから立てた舞台。好きという気持ちだけでここまで走ってきた彼女だからこそ紡ぐことができた歌詞。そして、熱い好きという気持ちがあれば誰だってなんだってできるという思いが込められた一曲。

 

(これが、スクールアイドルか……!)

 

 練習も見てきた。衣装合わせも見てきた。裏側の全てを見た。つい数時間前まで普通の女子高生だった三人が、今はキラキラと輝くアイドルとして踊って歌っている。記録として残された他のスクールアイドルとは違う、身近な普通だった女子高生がアイドルになる瞬間。その一瞬が今、目の前で起きている。その感動が、手の届かなかった現実に対する悔しいとかそんな気持ちをどこかへ払ってしまえるほど、彼女たちに夢中にさせる。それだけの力と熱量がこのステージにはぶつけられていた。

 

「鞠莉さん……?」

 

 隣で見ていたダイヤが小声を漏らした。一気に現実に引き戻された弦太朗は、はたとして目を凝らす。この暗がりでステージに熱中する生徒の中に、先程までいたはずの鞠莉が忽然と姿を消していた。解放された入口から出入りしたのなら、夢中になっていたとはいえ二人して気づかないはずがないし、どこかを開ければ光が入ってすぐに気がつくはずだ。

 そして。

 

 

 ブツンッ

 

 

 残酷で、とても短い悲鳴が上がる。

 前フリも、大きな雷の音もなかった。しかし体育館に響いた機械音につられて照明が、音楽が、必然に歩みを止める。きらびやかな夢の世界は唐突に終わりを迎え、一際暗く感じる闇が館内を包む。

 停電。

 それっぽっちの言葉で集約されてしまう現実が、彼女たちの努力の何もかもをかっさらっていった。二度目の厳しい現実が、彼女たちスクールアイドルの雛に突きつけられる。騒然とする館内で、ダイヤは強く弦太朗の腕を掴んだ。

 

「来てください」

 

 切れ長の目はより鋭く。有無を言わせぬ圧のある声で短く用件を伝えた彼女は、腕を引いて入口へと向かう。品行方正な生徒会長のイメージにそぐわない乱雑な履き方で革靴に足をねじ込んだダイヤは、傘に目もくれず吹き降りの中庭へと駆けていく。声をかける暇もない弦太朗も、それに倣って外へと飛び出した。

 

「おい! どこ行くんだよダイヤ!」

 

「体育館は災害時に備えて、学校の予備電源とは別に手動の非常用電源があります。ですが、そもそもどうして予備電源は機能していないのでしょうか」

 

「それは俺も変だと思った。……って、校舎電気付いてるぞ。直ったのか?」

 

「さっき停電になってからすぐ、先生がぼさっとしている間に確認しましたが電気が落ちた様子はありませんでした」

 

「何か当たりキツくないか?」

 

「主電源は無事。だとするなら……」

 

 ダイヤは何かを見つけたのか立ち止まる。苦笑いの弦太朗も、彼女の視線を辿っていくにつれて顔が引き締まっていくのがわかった。

 まず見つけたのは体育館の天井から垂れた電線。引きちぎられたのかチューブが延びきり少し溶けた状態で、雨降りでもゴムの焼けた臭いが鼻につく。しかし、周りを見てももう片方あるはずの切れた電線は見つからなかった。

 それもそうだろう。ゆっくり、本来なら電線が繋がっていた場所を見上げればその理由が簡単にわかってしまうからだ。三年生の教室近くの壁に張り付く異形に、ダイヤは憎らしげに目を細め、逆に弦太朗は大きく目を見開いた。

 

「やはり……」

 

「おいおい。蜘蛛が電線食ってるぞ……!」

 

 雨に触れて火花を散らす電線を前足で器用に掴み、その先端にかじりつく人間大の巨大な蜘蛛の姿がそこにはあった。弦太朗の声でこちらに気がついたそれは、チューブから口を離して赤い八個の目に二人を焼き写す。そして、事もあろうかそれは三階ほどの高さから簡単に身を投げた。自然に加速していくそれは慌てることなく、それでいて受け身をとる様子もなく、ただ青く発光しただけで体を激しく地面に打ち付ける。子どもに見せるべきではないと思いダイヤの前に立って背中で隠すが、それは杞憂だったようだ。地面に接触したそれの体はまるで水のように弾け、そしてすぐさま人型へと形を変えた。

 全身の錆び付いた金属色と頭の左側に引っ掛かったボロボロの王冠。右肩には口の開いた宝箱を備え、そこから溢れだしたのか右半身には光のない大小様々な宝石たちが埋め込まれていた。背中から申し訳程度に覗かせる縮こまった二組の脚と、時折開閉する顎は虫嫌いにはトラウマものだろう。だがそれはもちろん、自然発生した突然変異種などではない。

 

「クラウン、ゾディアーツ……」

 

 背後のダイヤの呟き通り、体に刻まれたスターラインがその存在の名を示していた。その蜘蛛人間ーークラウンゾディアーツは微動だにせず、こちらの出方を伺っているのか直立不動のままピクリともしない。異様さと不気味さを際立たせる存在感に、弦太朗は一歩前に踏み出した。

 

「何でゾディアーツって名前を知ってるのかとか、色々と訊きたいことができたが後回しだ。とりあえず、こいつは俺が引き受ける。電源は任せたぞダイヤ」

 

「……承知しました」

 

 フォーゼドライバーを腰に宛がった弦太朗は、ベルトが巻き付くとトランスイッチを押してエンターレバーを握り構える。

 《3……》ドライバーのカウントを見守るダイヤ。

 《2……》それでもピクリとも動かないクラウン。

 《1……》降りしきる雨を身に受ける弦太朗は、一人と一体の視線に挟まれながら強く宣言した。

 

「変身!」

 

 コズミックエナジーが物質化し、軽快なメロディと共に空を掴まんと手を伸ばす弦太朗の姿を変えていく。白いアーマーとオレンジのラインが宇宙飛行士を想起させる、宇宙の力を宿す戦士・フォーゼへの変身を完了させた彼は、体を大きく広げてお決まりの台詞を叫んだ。

 

『宇宙キターーー!!』

 

 胸を二回叩き、拳を突き出す。例え相手が何であれ必ず伝えてきた信念を胸に、弦太朗は言葉を放った。

 

『仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!」』

 

 一連の動きを見届けたクラウンは、スイッチが入ったのかグッと身を屈めた。ようやく動きらしい動きを見せたかと思えば、クラウンの肩で口を開いていた宝箱から微弱な光が漏れ出す。その光は埋め込まれた宝石に呼応して、クラウンの全身に淡い黄色の光を付与する。

 バチッ と音がした。

 

『ヴゥ……』

 

 呻き声と共にフォーゼの眼前まで接近したのは、ほんの一瞬の出来事だった。

 

『「!?』」

 

 瞬きをしたコンマ数秒の世界で実に十数メートル先への瞬間移動に近い動きを見せたクラウンは、鋭く変形した右手で喉を突いてくる。脊椎反射とフォーゼの性能だけでその先制攻撃を紙一重でかわすことができた弦太朗は、僅かな音を残して空間を貫く凶悪な一手を無意識に蹴り上げた。一撃で急所を突いてくる、人を殺すことに躊躇いの無い感覚に怖じ気が走る。鋭利な切っ先が弦太朗の真後ろにいたダイヤの鼻先を掠め雨粒を綺麗に二等分する刹那、やっと頭が追い付いてきた弦太朗は倒れかけの姿勢からクラウンの腹を蹴り飛ばした。

 

『グヴゥァ!!』

 

 クラウンが後方に弾かれたのと、フォーゼが背中から地面に倒れこんだのは同時だった。ワンバウンドしたフォーゼは背中のブースターの勢いを利用してバク宙で体勢を立て直す。まぐれにしてはいいのが入ったのか、隙を見せるクラウンを見て弦太朗はすかさず左腕のスイッチを「No.16ウインチ」に差し替えた。

 

『動きが速いなら、捕まえるまでだ!』

 

《WINCH》

《WINCHーON》

 

 左腕に展開されたオリーブグリーンのウインチモジュールから、内蔵されたスピニングタービンによってロープを高速で射出し、五トンの力で牽引するブーストフッカーでクラウンを拘束した。ほどこうと暴れるクラウンを体育館側から力ずくで引き剥がし、水を吸った芝生に叩きつける。弦太朗は一瞬で起きた攻防に放心するダイヤに向けて叫んだ。

 

『ぼーっとすんな! 早く行け!』

 

「は、はい!」

 

 ダイヤは慌てて体育館袖の扉から中へと入っていく。舞台裏の配電盤から非常用電源とやらで復帰させるのだろうが、今はその辺りのことを気にかけている余裕はない。思考を切り替えて目の前の敵を見据える。

 あの瞬間移動で距離を詰められればいくら動きを封じていても注意が必要だ。そもそも液体化、瞬間移動と手の内がまるでわからない相手にいつまでもウインチの拘束が続くとは思えない。それに、戦闘に時間をとられ過ぎるとライブどころの話ではなくなる。早く次の手をと考えるが、その時間をくれるほどクラウンは優しくはないらしかった。

 起き上がったクラウンは腰を低くして反撃の動きに入る。

 

『キシュルルル……』

 

 右肩の宝箱がもう一度黄色く、しかし今度は強烈な光を放つ。八個の目で狙いをつけるクラウンが咆哮と共に全身に力を込めると、その光は稲妻となってウインチモジュールを伝播した。

 

『うわおばばば!?』

 

 左腕から高圧の電撃を食らったフォーゼは膝から崩れ落ち、堪らず拘束を緩めてしまう。電撃を止めても追撃の手は緩めないクラウンはたわんだロープの隙間から腕を出すと、ウインチモジュールを両手で掴んでお返しとばかりにフォーゼを地に叩きつけ、引き寄せる。体勢を崩されている上での近接戦闘は危険だと判断した弦太朗は、痺れる体に鞭を打ってスイッチをオフにした。

 引っ張られた勢いを前転で逃がし、懐に潜り込んだフォーゼの拳がクラウンの腹に突き刺さる。だが、その攻撃は予見していたのか少し体をずらして急所を避けたクラウンは、逆に腕を掴んでフォーゼの装甲を加減なしに数度蹴りあげ、喉を掴んで持ち上げる。

 

『ぐっ、おあ、うぅ……っ!』

 

『グルルゥゥ……』

 

 姿に似つかわしくない獣のように喉を鳴らすクラウンは、まだ余力があると言いたげに首を捻る。開閉を繰り返す口を見て、ずいぶん前に見たSF映画の宇宙人を思い出しゾッとする。締め上げる手を剥がそうと抵抗を試みるが、片手とは思えない握力で掴まれているため取り除きようがない。人体の構造を理解しているのだろう、的確に気管と脛動脈を押さえられているので少しずつ意識が遠退いていく。明滅する視界に、弦太朗は多少のリスクを覚悟して右脚のスイッチをオンにした。

 

『この、やろ……ッ!』

 

《LAUNCHERーON》

 

『グギ!?』

 

 モジュールの展開と共に吐き出されたミサイルが超近距離のクラウンに着弾し、解き放たれた爆風が鈍い痛みとなってフォーゼを襲う。決して少なくないダメージと引き換えに自由とたっぷりの酸素を手に入れた弦太朗は、じっくりと肺を満たしながらクラウンとの距離を大きくとって両脚のスイッチを入れ換えた。

 

『お前がどこの誰だかわかんねぇが、電気使うってことはお前がバガミール壊した犯人って事でいいのか?』

 

『シュゥゥゥ……』

 

『それどういう返事だよ』

 

《CHAINSAW》《SPIKE》

《CHAINSAWーSPIKEーON》

 

『倒したら答えてくれるってことでいいんだよな? 行くぜ!』

 

 右脚に「No.08チェーンソー」、左脚に「No.15スパイク」と近距離戦闘用に装備を整えたフォーゼは、起き上がるクラウンを目指し地を駆ける。一分間に一万五千回転する右脚のチェーンソーモジュールの回し蹴りを避けられても、左脚の伸縮する棘・デンスリークラッシャーを備えたスパイクモジュールは避けきれない。斬撃と串刺しの二通りの攻撃全てに対応できるはずもなく、次第にクラウンには傷が増え、戦局もフォーゼの優勢に傾き始める。

 ソーブレードがクラウンの胸を切り裂き、芝生を転がる。蓄積されたダメージのせいか、まるで抵抗してこないクラウンは起き上がろうとする姿も弱々しい。チャンスを確信した弦太朗は、エンターレバーに手を掛けた。

 

『決めるぜ』

 

《CHAINSAWーSPIKEーLIMIT BREAK》

 

『食らえぇぇ!!』

 

 二つのモジュールの力が極限まで解放され、目に見えるほどのエネルギーを纏う。駆け出したフォーゼは、側転からハンドスプリングの要領で飛び上がって勢いを付け、高速回転するソーブレードと伸び代を残したデンスリークラッシャーでの挟み蹴りを繰り出した。猛獣が大口を開けてエサに食らいつくような、大振りかつ獰猛な一撃。為す術のないクラウンは、防御の姿勢もとらずフォーゼの必殺キックをまともに食らってしまう。

 

 かに思われた。

 

『悪いけど、そこまで』

 

 牙が怪物を噛み砕く。その寸前で、響いた声とともに放たれた水の塊でフォーゼは弾き飛ばされた。見えない位置から襲ってきた衝撃に持っていかれかけた意識を立て直し、水を吸った芝生のクッションを転がる。鈍器で殴られたような背中の痛みを堪えながら、弦太朗は襲撃者を探すため顔を上げた。

 

『誰だ……っ!?』

 

 緑を踏みしめて現れたそれは、疲弊するクラウンを庇うようにして立つ。

 身を包むぼろ切れのようなエメラルドグリーンのマントから見える、青みがかった筋肉質な体とスターライン。両肘から突出したヒレ。小さく真っ白な瞳と細かく綺麗に生え揃った歯。どこか魚座のピスケスゾディアーツを彷彿とさせる、しかしあれより細く精錬された体躯。ただ立っているだけで凄みのある気迫を放つそのゾディアーツは、勢いの落ちてきた雨の中でフォーゼを見下ろす。

 

『ゾディアーツが、もう一体……!』

 

『ここで倒されるわけにはいかないんだよ』

 

 男とも女とも、子どもとも老人とも聴こえる不安定な音を出すゾディアーツが右手を広げると、雨粒は意思を持ったように手のひらに集まっていく。ようやくソフトボール大に形成された流動する塊を、ゾディアーツは躊躇いなくフォーゼへと投げつけた。

 

『うぉ!?』

 

 バッティングセンターのどの機械よりも速い、豪速球と呼ぶに相応しい球体を反射的に避けた弦太朗は、自分の勘の良さに感謝することになる。芝生をえぐり爪痕だけを残して元の水に戻った球体は、たかが水とは侮れない鉄球並みの破壊力を持つ凶器へと変化していた。

 

『お前も遠望の仲間か?』

 

『答える義務はないかな』

 

 コズミックエナジーを消費した両脚のスイッチをオフにして、拳を構える。静観するゾディアーツもまた、フォーゼの姿に合わせて少し腰を低く落とした。先に動いた方が負ける。そんな緊迫した空気に騒がしかった雨が緩やかに黙り始める。屋外とは思えないほど静かになった中庭で、暗灰色の雲だけが時が流れていることを証明してくれていた。

 少しして何かに気がついたのか、構えを解いたゾディアーツは体育館を振り返る。途端、中から世界を揺らすつもりなのかと勘違いしてしまうほどの拍手が起こった。静寂を打ち破る歓声に、ゾディアーツは先程までの刺々しい雰囲気を抑えて肩の力を抜く。そしてあろうことかフォーゼに背を向け、片手をあげてこう宣った。

 

『今日はやめておくよ』

 

 ゾディアーツがクラウンの肩に手を乗せると、二体を中心に霧が渦巻く。ゾディアーツが操っているのか、じゃあね、と一言告げると竜巻のように激しく猛威を振るう霧は二つの異形の使徒を軽々と飲み込んでいく。

 

『あ、おい! 待て!』

 

 逃がすまいと弦太朗が手を伸ばすが、霧散した水蒸気の先に二体の姿はなかった。虚空を掴んだ手を下ろし、辺りを見回すも気配はない。数秒の沈黙をもって完全に離脱したのだと確信を得た弦太朗は、トランスイッチを上げて変身を解除した。

 水の滴るジャケットを脱ぎ、雨に打たれてしなだれた髪を整える。中庭に残った戦闘の傷跡は浅く、既に命のやり取りがあった場所とは思えないほど風景に溶け込んでいた。唯一非日常を仄めかす分断された電線を見て、弦太朗は頭を掻く。

 

「何て説明すっかな」

 

 困り顔で見上げた空は、二体のゾディアーツの出現に当てられてかまだどんよりとしている。しかし、千切れた雲の隙間から差し込む光明は分け隔てなく世界を照らす。その輝きの方へと飛んでいく三羽の白い鳥を見て、弦太朗はなんとなく行き先が気になった。




 吹きぶる雨に晒されても、この町の温もりは冷めない。次々に入ってくる車と、嵐に負けない人々が校門を潜るのを見て賢吾はそう思う。
 しかし、その人々の流れの中でも浮き彫りになる純粋な黒の存在は、やはり目に余る。母親と手を繋ぎ、もう片方で無邪気に手を降るレインコートの少女に微笑みと手を振り返す女の背後に立った賢吾だが、件の遠望は意に介す様子もなくやってくる観客たちを迎え入れる。その姿にどうも嘘臭さを感じられない不可解さに、頭を悩ませる他はない。

「ゾディアーツが交通整理か。一体何を考えている」

「地域貢献に決まってるじゃない。我がリバースター社は人類の自由と平和を愛し、沼津の発展と地元の子どもたちの夢を応援する優良企業よ? これくらいのこと、当然サービスでやってあげるわ。夢は大切だもの」

「馬鹿も休み休み言え。何を企んでいる」

 間を開けて、ふぅっと遠望は息を吐く。うんざりした表情で振り返った彼女は、懐から取り出したこれまた黒のオペラグラスで体育館を覗き見る。
 最初に乗り込んでいった、高海千歌の姉が引き連れていった一軍が体育館に消えていって数分が経つ。もう少しすれば、()()()()()()()ライブは再開されるだろう。

「早く行かないとライブ始まっちゃうわよ。折角学校までたどり着いたのに、見れませんでしたじゃ悲しくならない?」

 そう言うと、賢吾は納得できないながらもしぶしぶ体育館へと足を進める。

 そう。誰も、中庭で行われている戦闘には気づいていない。テレスコープの光の膜によって隠されたあの場所での戦いは誰にも気づかれない。
 再度オペラグラスで体育館横の中庭を見れば、予定通りフォーゼはクラウンと静かに激しい戦闘を行っていた。

「へぇ。いるか座……。まさか、私以外にスイッチを持ってる子がいるなんてね」

 体育館の屋根で様子を伺う一体を見て、遠望は口角を歪める。少し面白くなりそうだと、心の中でほくそ笑んだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 異・心・友・心

「千歌ちゃん! その、歌詞の期限、一応今日までなんだけど……」

「ごめん梨子ちゃん! まだ全然書けてなくて……!」

「そっか、じゃあ仕方ないね。私も手伝おうか?」

「いいの!? 助かるよー!」

「練習終わりに曜ちゃんも誘って、皆で考えよっか」

「うん! 次はちゃんと間に合わせるから~!」






「千歌ちゃん? 歌詞の期限、今日までって言ったよね?」

「ごめん梨子ちゃん! まだ全z「全然? 千歌ちゃん一度も期限守ったことないよね? 毎回毎回次はちゃんと間に合わせるから~って言ってるの、あれは嘘なの?」

「あ、いや、嘘じゃなくて。その、インスピレーション? っていうのが湧いてこなk「言い訳は聞きたくありません。今週中には提出してね」…………はい」

「大丈夫、千歌ちゃん? 手伝おうか?」

「曜ちゃんがそうやって甘やかすから、いつまで経っても期限通りに千歌ちゃんが書いてこないんじゃないの!?」

「ご、ごめん梨子ちゃん……。頑張ってね、千歌ちゃん」

「そんなぁ~……」

(仲良いんだろうけど、あれは仲間とかダチっていうより親子だよな)


∝ ∝ ∝

 ∝ ∝ ∝

 

 

 気がつくと、そこは見知らぬ空間だった。

 真っ白で、しかし安心する匂いに包まれた不思議な世界。この鼻をくすぐるものが紙の匂いだと理解すると、  の周りには最初からそこに有ったような顔をした本棚たちがずらりと現れた。突然起きた夢のような出来事に驚くけれど、すぐに嬉しい気持ちが湧いてくる。例え夢でも、こんなにたくさんの大好きなものに囲まれるということはとても楽しいし、嬉しいからだ。だけど、心のどこかに魚の小骨でもつまったような違和感が  の中にはあった。

 そのたくさんの、良く言えば簡素な、悪く言えば味気のないデザインの本たちに触れる。でも、  は一冊たりとも手に取ることができなかった。触れているのに引き抜けない。抜けないほど詰まっているわけではないのに、なんというか、立体的な背景に触っているような感覚。ハードカバーがぎっしりと押し込まれた、無限とも思える数の夢の本棚たちは、まるで  に読まれるのを拒むようにタイトルや背表紙の文字すらぼやけて見えた。

 

 いくら歩いただろう。読める本を探していたのに、いつからか出口を探していた。

 進む度、誰かに呼ばれている気がして帰らなくちゃいけない気がしたからだ。でも、途方もない無限の書庫に終わりなんてなかった。歩けど歩けど景色はかわらず、振り返っても背景が変わっている気がしない。進むのは本棚の隙間のような道で、楽しいはずの遠足の途中で道に迷ったことに気がついた、そんな気分。雪山で一人遭難しているような心細さと寂しさ。何かに急かされるようにそわそわと心の底の方が落ち着かず、そのそわそわに蓋をするように雪のような不安が静かに、しかし確かに積もる。

 早く帰らないと。

 そんな気持ちだけが奥底から、  の心の底の底から、不安の雪の底の方から、ふつふつと湧いてくる。

 

「あれ? オラ、どこに帰るんだっけ……?」

 

 それは唐突に、口をついて出た言葉だった。

 疑問が一つ生まれると、自分がここに来るまで何をしていたのか覚えていないことを自覚する。すると、途端に震えるほど怖くなった。夢だと思っていたけれど、これは夢じゃないのかもしれない。このまま一生、この書庫の住人として生きていかなくてはならないのかもしれない。そう思うと、  の足はすくんでしまった。

 一人なんて嫌だ。どうしても会いたい人がいる。家族に、大切な  に。その  の名前は……。名前……?

 思い出せない。ふとしたときに見せる笑顔も、可愛らしい声も、小動物のような仕草も……。とても大切な  の  のはずなのに。ただ大切という事実だけが頭にあって、それに伴う全ての事柄が検閲でも受けた後のように空っぽで。心に、記憶に、修正液をこぼしてしまったみたいな大きな空白を作っていた。

 

 怖くなった  は、その恐怖心を振り払うために走った。心の大切なものがジグソーパズルのピースみたいに抜け落ちていて、部屋中を探しても見つけられないような、そんな気分。無くても飾ることができる端っこのピースなのか、やけに目立つど真ん中なのかはわからない。しかし、それが無ければパズルは、  という人間の物語は完成しない。ここで放り投げてしまうことは、  の全てを否定してしまうような気がした。

 考えても考えてもわからない。ここに眠る知恵の結晶も、人々の思想の書きなぐりも、空想を膨らませる作り話も、何も教えてくれない。いつも  が一人のとき傍に居てくれる文字たちは、今は振り向きもしない。何も語りかけてくれず、何も囁いてくれない。そのことがより怖かった。堪らなく、怖かった。だから、  は逃げるように走った。どうしてこんな文字の群れや紙切れの束が好きなのか、自分でもわからなくなっていくのが堪らなく怖かったから。ピースがパラパラと落ちていく音が、  の走った後を追いかけてくる。落とし物を知らせてくれる親切な人のように、はたまた、  の記憶のピースを奪い取る追い剥ぎのように、  のうしろをぴたりとくっついて離れない。

 

「誰か! 誰かいませんか!?」

 

 人生の中でも、一番の大声だったと思う。でも  の声を拾ってくれる人なんていなかった。真っ白な世界に吸い込まれた  の声は、宇宙のように広いこの世界では蚊が鳴くのと相違ないのかもしれない。

 

「あッ!」

 

 足が縺れて倒れても、手を差し伸べてくれるあの子はいない。鼻にじわりと残る痛みが、これは夢なんかじゃないと囁く。足は言うことを聞かず、もう立ち上がることもできない。揺るぎないと信じていた気持ちさえ朧気になっていく。

 

 とても強くてとても儚い、  にとってとても大切な  は、   ちゃんは、ここにはいなかった。

 

 望んだ“一人”。でも、“独り”になりたいわけじゃない。背中を押したことを後悔なんてしていないのに、  はあの子が向けてくれていたはず笑顔が、あの  を呼んでくれていたはずの声が、共に過ごしたはずの温もりが、思い出すことさえできなくなりつつあるその全ての、曖昧な虚空になろうとしているそれが、とても恋しく感じた。

 

「誰か……」

 

 悲しみよりも深い、ひとりぼっちの世界で嘆く言葉は誰にも届くことはない。たった一人なのだと心に強く、鮮烈に刻み込んでくる孤独という獰猛な牙が、  という人間に食い込みその形を少しずつ崩していく。俯く目から涙が一滴溢れ落ちそうになったとき、ついっとその滴を掬う風が  の頬に触れた。

 

「……誰?」

 

 そこにいたのは、膝を着くぼんやりとした輪郭を持つ人影だった。どこもかしこもがぼやけていて、人なんだろうということしかわからない幻想的な姿。頬を伝った悲しみを拭う指の確かな熱が、怯える  の心に優しく微笑む。

 

「あなたは、何……?」

 

 人影は悩むように顎に手を当てると、納得したのかどこからともなく一冊の本とペンを取り出した。紙の上をさらさらと走る筆がその人影の言葉を紡ぐ。そして差し出されたページには、こんな一文が記されていた。

 

【僕はここの管理人みたいなものさ。君はどうしてこんなところに?】

 

「わかり、ません……。気がついたらここにいて、帰り方もわからなくて、それでオラ、名前も、何も、思い出せなくて……」

 

【それはとても心細いだろうね。でも安心してくれ。君のことは僕たちが必ず帰してあげるよ。探偵の名にかけて、ね】

 

「探偵……?」

 

【猫探しから不思議な事件まで、なんでも解決するのが探偵さ。もちろん女の子一人お家に帰すことも、君の涙を拭うことも、二色のハンカチには造作もないことだよ】

 

   に本を預けたその人は、背を向けて手を広げる。すると、本棚は自分の意思を持ったように動き出した。

 ただ動いているだけじゃない。その数を少しずつ減らしながら  たちの周りを取り囲んでいく。夢物語、まるで魔法のように世界が移り変わっていく様を見て、  は言葉を漏らすことしかできなかった。

 

「み、未来ずら……!」

 

 やがて本棚はすべて消え去り、残ったのは一冊の本。宙に浮かんだその一冊を手に取った彼は、それをへたりこむ  にすっと差し出した。

 受け取ったマルは、そのずっしりと重い黄色のハードカバーの表紙に目を落とす。そこには【diary】とだけ書かれていた。

 

 パチッと、何かが嵌まった音がした。

 

 

 ∝ ∝ ∝

∝ ∝ ∝

 

 

「よっ! ダイヤ」

 

「お疲れ様です、如月先生」

 

 一冊のファイルを持った弦太朗は、後ろ手に生徒会室の扉を閉める。ずかずかと入ってくる彼を意に介さず、顔をあげることもなく作業を続けるダイヤ。机に積まれた書類は生徒会の仕事だろうか。彼女と机を挟んで向かい合った弦太朗は、遠慮なんて微塵も感じられない様子で椅子を引き寄せ、背もたれを抱えるように跨がった。

 じっと見られるだけでは居心地が悪いのか、渋い表情でダイヤは口を開いた。

 

「スクールアイドル部。承認されたようですね」

 

「おう。千歌たちと部室の掃除中だ。あいつらは図書室に、俺はこれを生徒会に返しに来た」

 

 そう言って、手に持っていたファイルを片付けてねBOXなる箱に投函する。丸文字なところから見てダイヤが作ったものではないのだろうが、なんというか、とても場にそぐわないチープな可愛らしさがクセになる。

 用事が済んだにも関わらず立ち去る様子がない弦太朗は、頬杖をついてダイヤの顔を覗きこんだ。

 

「気になってたんだけどよ、生徒会って一人なのか?」

 

「いいえ。あと二人います」

 

「何で手伝ってもらわねぇんだ?」

 

「……一人の方が落ち着くので」

 

 適当な相槌を打ってそれ以上の言及を避けた弦太朗は、ぐるりと辺りを見回す。黒板に書き込まれた年間行事と最新の掲示物。放送室と兼任になっているせいか、ダイヤの声が構内に響き渡った件は記憶に新しい。壁に立て掛けられた看板などが空間を圧迫し、実際よりも狭く見えるのは仕方のないことなのだろう。ただ、一人には少し広い部屋だなと感じた。

 

「昨日はありがとうございました。先生のお陰で被害を最小限に抑えることができました」

 

「ん? ああ、気にすんな。違うやつが乱入してきてクラウンには逃げられちまったしな」

 

「違うやつ、ですか?」

 

「ああ。ダチに確認してもらったら、いるか座のゾディアーツらしい。つーわけで、もしまたゾディアーツを見たら連絡くれ。これ、連絡先な」

 

 じゃ、と言って立ち上がった弦太朗は、椅子を元の位置に戻して踵を返す。未練なく真っ直ぐに出入り口を目指す彼の背に少し驚くように目を開いたダイヤは、扉に手を掛けた弦太朗を言葉で制した。

 

「待ってください! ……本当は、昨日のことを訊きに来たのではないのですか?」

 

「んー。まあそのつもりだったんだけどよ。ダイヤ、言いたくなさそうだからやめた」

 

「やめたって、そんな簡単な……!」

 

「言いたくないこと無理に聞き出したりしねぇよ。それとも、訊いたら教えてくれるのか?」

 

「それは……」

 

 へらっと見透かしたように笑う弦太朗に毒気を抜かれたのか、彼女の語尾は萎んでいく。それでも納得がいかないのか、ダイヤは弱々しい言葉で反論した。

 

「……前と言っていることが違うじゃありませんか」

 

「前?」

 

「スクールアイドル部に、反対したときです」

 

「あー。あれは、千歌の夢にケチつける理由が知りたかっただけだ。嫌いなら嫌いでよかったし、事情があるならそれも仕方ないしな。別に、ダチの心に土足で踏み込みたいなんて思ってねぇよ」

 

「……ダチではありません」

 

「いつかなるさ。ダチってのは、心に抱えた重いものを一緒に持ってやれるやつのことを言うんだからな」

 

 そんじゃあな、と手を振る弦太朗は今度こそ扉を開いて歩いていく。ふらつくことなくまっすぐ歩く彼の背中に迷いなど少しも感じられず、陰日向を選ぶことなく進む足に躊躇いはない。

 

「……その意見については、私も同感です」

 

 その背中が、ダイヤには目が眩むほどの輝きを放って見えた。照らし出された自分の濃すぎる影が、あの日の幻影となって脳裏に蘇る。

 

 

 ━━━“友達”、やめよう。それが鞠莉のためだから

 ━━━スクールアイドルなんてやらなければよかった。巻き込んでごめんね、ダイヤ

 ━━━ごめん。もう、誰も信じられないんだ。鞠莉も、ダイヤも。……私自身も

 

 

「だから、一番傷の浅い私がぬるま湯に浸かりに行くわけにはいかないんです」

 

 手を伸ばしても届かない過去を心にしまい、ダイヤは引き出しから悪夢の始まりをそっと取り出した。これを壊してしまえばあのときの後悔がなくなるんじゃないか、なんて淡い期待はとっくの昔に捨て去っている。痛みも、苦しさも、そんな誤魔化しで消えるようなちゃちなものではないのだ。

 ダイヤは知っている。この中に詰まっているのが、絶望だけだということを。

 

「私は誓ったのです。もう二度と、果南さんを一人にはしないと……!」

 

 ゾディアーツスイッチを、憎らしげに精一杯握りしめる。静かな生徒会室に溢れ落ちた独り言は、物悲しく壁に吸い込まれていった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「そう言えば知ってますか? 鳥人間の話」

 

「鳥人間、っスか?」

 

 カキーン、とグラウンドから響く音が二人の会話を遮った。窓から入ってくる風がソフトボール部の声を乗せて生徒のいない廊下を駆け抜けたあと、無咲は薄いファイルを片手で抱え直し乱れた髪を耳にかけ直す。顔に疑問符を張り付ける弦太朗への答えを出すため、彼女は顎に指を当てて記憶の中を覗くために天井の方へと視線を向ける。

 

「最近、沼津の方で深夜になると空を飛ぶ人のような影が出るらしいんですよ。たまたま生徒たちが話してるの聴いちゃいまして。如月先生は津島さんのところに通われているから聞いたことあるんじゃないかな、と」

 

 弦太朗の脳内に書き起こされた姿は、鳥人間というより蜘蛛女。未だに何のアクションも起こさない、誰がスイッチャーかも見当がつかないクラウンゾディアーツだった。思い浮かんだ幻影を振り払い、へらっと笑顔を浮かべる。

 

「いや、俺は聞いたことないですね。何かの見間違いじゃないスか?」

 

「私もそう思うんですけど、見たって子が一人や二人じゃないんですよ。不思議だと思いませんか?」

 

 無咲のいぶかしむ表情に、弦太朗も少し考える。新手のゾディアーツという可能性が高いのだろうが、現れるだけで何か目的をもった行動は起こしていない。その一点に何か、得体の知れない疑問が張り付いていた。

 

(沼津の方なら、賢吾に連絡した方がよさそうだな)

 

 そんなことを考えていた弦太朗を置いて、無咲は職員室を目指していた歩みを止めた。彼女の視線の先には、美しい澄んだ青を隠すような白の雲が浮かぶ空。少し眩しそうに目を細めた無咲は、ぽつりと言葉をこぼした。

 

「でも、もし本当なら空を飛べるなんて凄いですよね。あの雲の向こうまで行けたら、きっと自由で気持ちいいんだろうなって思います。……私はいいかな」

 

「? どうしてですか?」

 

「届かない空を目指しても、いいことなんてありませんから。近づき過ぎればその翼は溶けて落ちてしまう。届かない太陽は、地上から眺めているくらいがちょうどいいんですよ。……あ、イカロスの翼ってご存知ですか?」

 

「すいません、神話とかはあんまり……」

 

「こちらこそすいません! 大学で神話学を噛っていたのでつい」

 

 頬を染め、恥ずかしそうに手をパタパタと振る無咲に笑みを向ける弦太朗もふと空を見上げた。雲は流れ、空を染め上げるのは心まで晴れる群青一色。

 ふと、イカロスという言葉に折れた翼を持ったあの姿を思い出す。

 

(元気にしてるかな、あいつ……)

 

 そんな風に物思いに耽っていると、校舎の屋上に動く影を見つけた。無咲も気がついたようで、弦太朗と顔を見合わせる。どちらから声を出すわけでもない日が差し込むだけの廊下に、カキーンと音が響いた。

 

 

 

「あ、弦ちゃん先生!」

 

「こんなとこで何してんだお前ら」

 

「練習だよ。部室は狭いし、外は他の部が使ってるからさ。ルビィちゃんの提案でここに来たんだー」

 

「声も通りますし、教室からも近いので」

 

「ほーん」

 

 代わる代わる答えてくれた二年生三人から視線を外し、花丸とその後ろで萎縮してしまったルビィを捉える。そういえば昨日、生徒会室から帰れば体験入部だなんだと千歌が騒いでいたな、と思い出した弦太朗は、ふむとついでにもう一つ思い出したことを口にした。

 

「そういや、μ'sも屋上で練習してたんだっけか」

 

「先生、μ'sのこと知ってるんですか……!?」

 

 不意に呟いた言葉に思いの外食いついたルビィの目は、花丸の影から大きく身を乗り出すほど輝きに満ちていた。今まで怯え以外の感情を向けられたことのない弦太朗は流石に面食らってしまったようで、ワンテンポ反応に遅れる。

 しかしそれも一瞬のことで、瞬きをすれば弦太朗の中で落ち着いていた気持ちが燃え上がってくる。

 

「そりゃあ、第二回大会優勝者で生ける伝説なんて言われてたら押さえておかねぇとな! どれもいい曲で、知ったのはついこの間だけどはまっちまったぜ」

 

「生ける伝説……! そうですよね! 結成からたった一年で駆け上ったスターダム! 各地からスクールアイドルを集めたアキバでのSUNNY DAY SONGは今でも語り継がれる伝説です!」

 

「おお! そのあとのラストライブも印象的だよな。直接見てたら、俺も映像に写ってたファンみたいに光るやつ振り回してる自信あるぜ」

 

「ライブDVD見たんですね! ぼくひかがラストライブっていうのは公式なんですけど、実はその少し後にどこかの町で災害の追悼ライブをしたっていう噂がファンの中にあって━━━」

 

 顔を付き合わせ、μ'sトークが熱を帯びていく二人を眺める千歌たちは目を丸くした。もう周りが見えていないのだろうか、二人の話は終わりが見えないほど加熱していく。流石にルビィが推しへの熱を語り始めた頃、ようやく千歌と曜が割って入って練習を促すと、ルビィは弦太朗との距離の近さに飛び跳ね、当の弦太朗はばつが悪そうに頭をかいていた。

 

「本当に、ルビィちゃんってスクールアイドルが好きなのね」

 

「はい。オラじゃ話を聞いてあげることしかできないから、久々に語り合えて嬉しいんだと思います」

 

 わちゃわちゃとした雑踏を見つめる花丸の目は嬉しそうで、母親のように優しく暖かなものだった。視線の先にはいつものように怯え、弱々しい小動物の彼女はいない。そこにいるのは、人に囲まれて笑みを溢す大切な友達だ。そんな花丸の慈愛に満ちた表情を見た梨子はにこりと微笑み、引きずられて会話に飲み込まれつつある千歌を引き剥がしに向かった。

 そんな彼ら彼女らの姿を見て、花丸はとても嬉しそうに笑う。自分じゃない誰かの後ろに隠れ、最も苦手とする男の人と言葉を交わす彼女を見て、自分の選択が間違ってなかったのだと確信する。

 

(よかったね、ルビィちゃん)

 

 夢に一歩近づいた彼女の放つ輝きを、花丸は少し眩しいなと感じた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「これ、一気に登ってるんですか!?」

 

 夕陽が煌めく海岸線を背景にして、急すぎる参道を前にルビィの声は響いた。頂上を眺めて自分が走っている姿を想像しているのか、花丸は至って大人しい。対照的な二人の反応に、階段ダッシュを始めた頃の千歌と梨子の顔を思い出して、弦太朗と曜はくすりと笑う。

 

「もちろん!」

 

「いつも途中で休憩しちゃうんだけどねー」

 

「でも、ライブで何曲もやるには頂上まで駆け上がるスタミナが必要だし」

 

「ま、途中で休憩しても登りきる根性がいるってことだ。早速始めようぜ」

 

 準備運動を終えた弦太朗は、スーツのシワなど気にせずジャケットを腰に巻く。ネクタイを緩めボタンを幾つか外し、大きく伸びをしたところで花丸から声がかかった。

 

「先生も走るんですか?」

 

「おう。ハンデで三十秒後からスタートだけど、俺に勝てたら帰りにコンビニでアイス買ってやる約束してんだよ」

 

「アイス……!」

 

「でも、弦ちゃん先生からアイス買ってもらえたことないんだよね」

 

「人聞き悪ィな。参加賞のジュースが嫌なら俺に勝ってみろ」

 

「二人とも無理せず、自分のペースで走ってね」

 

「よし、じゃあ行くよー! よーい、ドン!」

 

 千歌の合図と共に、五人は階段を駆け上がっていく。その姿を見送った弦太朗は腕時計で時間を見ながら、静かになった鳥居の前できつく絞ったジャケットの腕を見下ろした。腰に巻き付けたせいで少し悲鳴をあげているのか、若干の後悔が押し寄せてくる。

 

「やっぱバイクに置いてきた方がよかったか……?」

 

「なら預かっておいてあげようか? 如月先生」

 

 不意にかけられた言葉に振り返る。声の主は自販機に用事があるのか、小銭をいれて指を迷わせているところだった。何にするか決めたのかボタンを押すと、自販機はガトン、と間抜けな音を上げてミネラルウォーターを吐き出す。

 

「先生足速いからここに置いていっても問題ないと思うけど、どうする?」

 

「んー。じゃ、頼んだ果南」

 

「はいよ」

 

 弦太朗は腰に巻いていたジャケットを引き剥がし、ベンチに腰を落ち着けた果南に渡す。綺麗に畳んだそれを自分の隣に置くと、彼女は少し憂うように目を細めて夕日を見つめた。

 

「如月先生は参加賞、準備しておかなくていいの? どうせ勝っちゃうでしょ」

 

「そんな、あいつらを馬鹿にするようなことしねぇよ」

 

「そっか」

 

 キャップを開けて口をつける。果南が少し眉間にシワを寄せるのと、弦太朗が少しの寒気を感じるのは同時だった。暖かくなったとはいえ日も暮れれば海辺の潮風は冷えるようで、弦太朗はもう一度体をほぐすために伸びをする。そんな彼の動きを視界の端で捉えていた果南は、海を見つめて呟いた。

 

「…………来た」

 

「? なんか言ったか?」

 

「別に。そういや先生、気を付けてね。なんか昨日ぐらいから変な風が吹いてるんだ」

 

「変な風?」

 

「ダイバーの勘ってやつかな。ま、それだけ。そういえばハンデの時間は大丈夫?」

 

「……やっべ! すぐ帰ってくるから頼むな!」

 

 捨て台詞を置いて、倍以上オーバーしたハンデをものともしないスピードで駆け上がっていく。もう石段を踏みしめる音がしなくなった鳥居を観察し、果南はふーっと息を吐いた。

 

「ダイバーの勘、ですか」

 

「なんだ。ダイヤ来てたんだ」

 

「とっくに気がついていたでしょう。それに、連絡を寄越したのは果南さんではありませんか」

 

「ま、そうなんだけどさ。……飲む?」

 

「結構です」

 

「そっか。じゃ、勿体ないけど」

 

 何を思ったのか結った髪を下ろした彼女は、ペットボトルの中身全てを頭から被り空になった容器をゴミ箱へと投げ入れた。そして折り畳んだジャケットを無造作に掴み、それをダイヤへと放り投げる。

 

「それさ、明日にでも如月先生に返しといてよ。どうせ先生、今からジャケットどころじゃないだろうしさ」

 

「……承知しました」

 

「ん、お願いね。必要なら船着き場に置いてるフローディングバイク使っていいから」

 

「果南さんは、どうなさるんですか……?」

 

「私? 決まってんじゃん」

 

 逆光だからかどこか影の差すダイヤに、薄っぺらい笑顔を向けた果南はポケットをまさぐる。お目当ての物はすぐに見つかったようで、それを掴んだ手を顔の近くまで、ダイヤにもよくわかるように掲げて見せる。絶望だけが詰まったそれに対して暗い表情に深いシワを刻みこんだ彼女を見ても、果南の顔色は少しだって変わることがなかった。

 ダイヤは痛ましく目を伏せる。西日はより傾き、更に濃くなる影に向けて果南は至って普通に、さしずめ自販機に飲めもしないミネラルウォーターを買いに行くような気軽な表情で答えてみせた。

 

「掛かった網の様子を見に、かなん?」

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「━━━ィよっし! 二番!」

 

「ハァ……ハァ……。今日は、勝てるかもって、思ったんだけど……」

 

「うー……。また負けたー!」

 

「三人とも……最後、飛ばし過ぎよ……」

 

「いやいや、今回は俺たちの負けだ。国木田のやつこんなに体力あったとはな」

 

 頂上にて登りきった順に倒れこむ二年生たちを見下ろし、称賛するため一番乗りを探す。しかし、どこを向いてもお目当ての人物はおらず、隠れるような場所のない二つ目の鳥居周辺から拝殿の裏まで確認するが誰もいない。不思議そうに弦太朗が首をかしげていると、息の整った曜が訝しげに口を開いた。

 

「花丸ちゃんがどうしたの?」

 

「いや……。登ってくるとき国木田を追い抜かしてないから、あいつが一番だろ? どこいったんだ?」

 

「花丸ちゃんが? 一番後ろだったはずだけど、ルビィちゃんと一緒じゃなかったの?」

 

「ルビィは一人だったぞ」

 

「でも、私たちは先生以外に追い抜かされていませんよ」

 

「……どういうことだ?」

 

「一人で降りちゃったのかな」

 

「それでもすれ違うだろ。ロックテラスにもいなかったんだぞ」

 

「迷ったり踏み外して落ちたりするようなところ、なかったわよね」

 

「柵もあるしそれはないと思うよ」

 

 沈黙と共に、最悪の事態を思い浮かべてしまう。冷や汗が垂れる弦太朗は、何一つ理解できていない現状を打破すべく登ってきた石段に足を掛ける。

 

「探してくる。国木田がどこからか登ってくるかもしれねぇし、お前らはここで待っててくれ」

 

「あの子ならもうここにはいないわよ」

 

 三人が不安げに弦太朗を送り出そうとしたときだった。嬉しくもないが聴き慣れてしまった声が境内に木霊したのは。振り返った弦太朗の視線は、ただ一点に釘付けになる。

 拝殿の瓦屋根に腰を掛け、足を組んで夜を誘う。暮れていく空に溶け込むそれが優雅な笑みを従えてふわりと地面に着地すると、コツコツと靴を鳴らして四人へと歩み寄ってくる。迷いのない足取りにすかさず三人を背中で隠すよう立ち塞がる弦太朗は、訳知り顔な遠望を睨み付けた。

 

「ハロー、梨子。元気そうで何よりだわ」

 

「遠望さん……」

 

「国木田はどこだ」

 

「あらかわいそう。心配するのは花丸だけかしら」

 

 挑発的な笑みを浮かべる遠望が指を鳴らすと、彼女の背景の一部が奇妙に揺れ動いた。空間が意思をもって歪み、まるで始めからそこに立っていたように姿を現したのは、記憶に新しい異形の存在。羽交い締めにされた人質の姿を見て、千歌は反射的に声を上げた。

 

「ルビィちゃん!」

 

「クラウン……! ルビィまで……!」

 

 目いっぱいに涙を溜めたルビィの口を塞ぐ生々しい錆色の異形・クラウンゾディアーツは、耳の中を撫で回すような生ぬるい唸り声を上げて肩を上下させていた。背中から伸びる二組の足がカチャカチャと音を立てて動き、その気になればルビィを串刺しにできることをうかがわせる。こちらの声を聞く気がないのか、主導権がどちらにあるかよく理解している遠望はにんまりと口角を吊り上げ、唇をなぞった。

 

「私にも花丸がどこにいるかわからないのよね。だから、ちょっと協力してもらおうと思って」

 

「協力だと?」

 

「そ。花丸は今、内なる自分と対峙しているわ。梨子は経験したことがあるからわかるわよね? 見ないようにしていたもう一人の自分と真正面から向き合う辛さとか、受け入れるしかない闇を突きつけられる痛みとか」

 

 梨子の眉間にグッと皺が寄る。遠望に傷口をなぞられて思い出してしまったのか、噛み締める歯がギリッと音を鳴らす。

 そんな彼女の手を優しく握ったのは千歌だった。曜も痛くない程度にしっかりと肩を支える。二人の温もりに安堵し表情が少し柔らかくなった梨子を見た遠望は、少しだけ眩しそうに視線をルビィへと移した。クラウンはその動きに合わせて幼い少女の拘束を緩める。口呼吸と僅かばかりの自由を取り戻したルビィを覗き込む遠望は、その奥の奥に眠る暗い心にまで入り込もうと目を爛々と輝かせていた。

 

「ルビィ、あなたならわかるんじゃない? そんな花丸がどこへ行くか」

 

 話を振られたルビィだが、喉元まで出そうになっている言葉を飲み込もうとしているのか真一文字に結んだ口を開くまいと必死につぐむ。死の恐怖と隣り合わせにいる彼女は、その畏れに負けそうになる心を奮い立たせ大粒の涙を頬に伝わせた。一音たりとも漏らすことない固い彼女の意思にあっさりと諦めたのか、遠望は両手を広げて降参のポーズをとる。

 

「友達思いのいい子ね。自らの命さえ惜しむことがない、尊くも素晴らしい友情だわ。そういう子は好きよ」

 

 遠望は見せつけるように胸元からスイッチを取り出した。それをルビィにもよくわかるように目の前でちらつかせると、先程まで見せていた愉悦とは違う柔和な笑みを浮かべる。それが何故か、三日月に裂けた口元と重なっても美しく思えたルビィの背中に悪寒が走ったとき、彼女は呼吸の一環のようにごく自然にスイッチを握りしめた。

 

「だから、ご褒美をあげなくちゃ」

 

 スイッチを押す。溢れだした暗黒が純黒を飲み下せば、そこにはやはり人間と呼べるものは立っていなかった。右腕が望遠鏡と同化した、クラウンが蜘蛛ならば七節とでも形容すべき怪物がその正体を現す。

 目を見開き息を飲むルビィに銃口を突きつけるテレスコープの姿を見て弦太朗がフォーゼドライバーを構え腰に巻き付けると、テレスコープは首だけをこちらに向けて笑い声をあげた。

 

「駄目よ、先生。変身したらルビィの可愛い顔が無くなっちゃうかもしれないわ」

 

「遠望、テメェ……ッ!!」

 

「さあルビィ。私に協力してくれるかしら?」

 

 右腕を彼女の頬に添える。例えテレスコープが弱くとも、人類を超越した怪物の放つ一撃を食らえば一堪りもないだろう。クラウンに動きを封じられ身動ぎも儘ならない状況では、遠望の機嫌一つで簡単に命を失ってしまう。そうとわかっていながらも、ルビィは強い意思をもって大きく首を振った。目尻に溜まった滴が跳ね、その軌跡を追うテレスコープは心底疲れたように溜め息を吐く。

 

「そう。じゃ、仕方ないわね」

 

「やめろッ! 遠望!」

 

 弦太朗は叫ぶ。今から変身しても距離は間に合わず、仮に間に合ってもクラウンの手でその幼い命は摘み取られてしまうだろう。万策つき、目の前の生徒の手を掴めないやるせなさが彼の心を支配する。そんな弦太朗を嘲笑うように、テレスコープはその制裁を下した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 裏・心・融・心

 しかし、静かに構えたテレスコープの右腕からか弱い女子高生の頭くらい容易に撥ね飛ばしてしまう光弾が射出される刹那、茂みから飛来した何かによってその凶手は払い除けられた。

 

『「……水?」』

 

 あらぬ方向に飛んでいく光弾を見送り、濡れた腕を垂らしたテレスコープは静かに問う。クラウンは何かを察知したのか、ルビィの拘束を完全に解いて臨戦態勢で茂みに注意を向けた。そのたくさんの視線が集まる中、落ち葉や垂れた枝を掻き分け踏み越えて現れた新たな異形は、左手の中で小さな水の塊を転がしながら怒りにも似た口調で言葉を発した。

 

『久しぶり、の方がいいよね』

 

『「誰かと思えば、この間クラウンを逃がしてくれたいるか座の子じゃない」』

 

『……いるか座の子、じゃ他人行儀でしょ。気軽にドルフィンでいいよ、望遠鏡座』

 

 軽口を叩きながら、ドルフィンは手の平で転がしていた水の塊を拳で弾いた。分離し高速で打ち出された水の鏃たちがマシンガンのようにテレスコープたちを襲うが、クラウンがその悉くを撃ち落とす。両腕を濡らしたクラウンが唸り声を上げながら獣のようにドルフィンに襲いかかるのと、隙をついて駆け寄っていた弦太朗がドライバーの《3……》のカウントと共にテレスコープにドロップキックを見舞うのはほぼ同時だった。

 

「オラァ!」

 

 突然の衝撃だが、テレスコープは受け身をとって地を転がる。背中から着地した弦太朗も一瞬苦悶の表情を浮かべるがすぐに起き上がり、ゾディアーツ同士の攻防を呆然と眺めるルビィに向き直った。目を合わせ、彼女の肩が跳ねるのも無視して、捨て台詞のように背を押し吠える。

 

《2……》

 

「ルビィ! 走れ!」

 

「は、はい!」

 

《1……》

 

 胸を両手で押さえながらルビィが離れていくのを確認した弦太朗は、素早く腕を構えた。余裕の態度のテレスコープが膝についた葉や土を払い、こちらに銃口を向けるが怯まない。倒すべき敵を見定め、守るべき者を背に隠して、弦太朗は戦う意思を固める。生徒の、敵の、第三の勢力の、その全ての視線を一手に引き受け、エンターレバーを握りしめ、叫ぶ。

 

「変身!」

 

 レバーを入れ、宇宙の力に手を伸ばす。コズミックエナジーはその弦太朗の思いに答えるように、その身を戦士の姿へと変えていった。雨のような光弾の連射をものともせず、蒸気をその身で切り開いて現れた白き戦士・フォーゼは銃撃を腕でガードしながら強引に突っ切り、テレスコープの腹に前蹴りを見舞う。

 

『宇宙キター!』

 

 一連のルーティーンを済ませ、自慢のリーゼントをマスク越しに整えたフォーゼは畳み掛けるようにテレスコープに追撃を加えていく。拳が腕のガードを貫き、蹴りが脇腹を薙ぐ。振るい下ろされた腕を少し体を開いてかわせば、がら空きの腹部に膝で蹴りを突き立てた。型などない喧嘩殺法で徐々に追い詰められていくテレスコープだが、逆転の手だてはないようで反撃すらままならない。

 肉弾戦は不得手なのか、そもそもフォーゼに勝てるだけの戦闘能力を有していないのか。されるがままのテレスコープの顔面に突き刺さりそうになった白い鉄拳を、乱入してきたクラウンが片手で掴み受け止める。右足でフォーゼの腹部を蹴り後退させると、疲弊する主を抱え背中から身の丈以上に伸び出た節足動物特有の長い足でバックステップし距離を置く。仕切り直しのつもりなのか、余裕のできた弦太朗は肩を回して振り返らずに背後に言葉を飛ばした。

 

『ルビィ。国木田(ダチ)の居場所、わかるんだよな』

 

「は、はい……!」

 

『よし。なら、ここは俺に任せて行け。千歌、曜、梨子。ルビィのこと、頼めるな』

 

「任せて! 行こう、ルビィちゃん!」

 

 パタパタと石段を駆け降りていく音を聞き送り、フォーゼは再び拳を構える。息を整えダスタードを四体揃えたテレスコープも、あれだけ一方的にやられてまだやる気があるのかダメージを感じさせない仕草でクラウンの前に立つ。

 

『「格好付けたのはいいんだけれど、先生がいくら強くても七対一なら私を止められないんじゃないかしら?」』

 

『七対一、か。……なあドルフィン。お前、敵の敵は敵だと思うか?』

 

『悪いけど、仲間だとは思わないよ。……でも、望遠鏡座。六対二の間違いじゃない?』

 

『「あら。ゾディアーツ同士仲良くできると思ったのに。とても残念だわ」』

 

 ドルフィンはフォーゼの隣に並ぶと、抱拳礼の後に体勢を低く保ち隙のない構えを披露する。しなやかさと力強さを兼ね備えた美しい姿勢は、スイッチャーが何か武術の心得でもあるのかと錯覚するほど堂にはいったものだった。我流のファイティングポーズと並ぶとその異様さはより際立ち、しかし歴戦のフォーゼもまたひけを取らないほど迫力に凄みを増す。凹凸の即席コンビを組み上げた弦太朗は、胸を二回叩いて拳を向けた。

 

『仮面ライダーフォーゼ。二人でタイマン、張らせてもらうぜ!』

 

『二人ならタイマンじゃないでしょ』

 

『細かいことはいいんだよ』

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 速く、少しでも早くと心が急ぐ。足がもつれそうになると、このまま転げ落ちた方が速いんじゃないか、なんて考えが頭をよぎるくらいには自分の体力と心の焦りの解離を感じもどかしくなる。ただルビィの頭には、例え海を泳ぐことになっても、一秒でも早く親友の所に行きたいということしかなかった。

 そんな彼女の耳に、少し悪い話が入ってくる。それは時間を確認した曜の一言だった。

 

「まずいよ船出ちゃう! ギリギリ間に合わない!」

 

「次のって十五分後だったわよね?」

 

「そんなに待てない! 果南ちゃんに船借りよう!」

 

「連絡してみる! ……ダメ、出ないよ!」

 

「とりあえず果南ちゃん家行くよ!」

 

 先輩たちが騒いでいることすら、ルビィの耳には入ってこないどこか遠くの出来事のように思えた。何か、何か手だてはないかと考えを巡らせるが、この島から沖に戻るにはどうしても船が必要なのだ。一秒でも早くというなら、本当に泳いで渡るしかない。だが自分の体力を考えればそんなことは不可能だろう。

 胸元で、グッと両手で包み込んだものを握りしめる。

 

(これを使えば、もしかして……)

 

「ルビィ?」

 

 それは階段を駆け降りて、今からダイビングショップに乗り込もうというところだった。後ろから掛けられた声にルビィが、三人が振り返ると、そこに彼女は立っていた。

 千歌、曜、梨子を順番に、品定めするように眺めた後、ダイヤはルビィへと視線を移す。蛇に睨まれたように固まってしまった、幼げな彼女に向けられた目はひどく厳しく、潮風にかき上げられた髪がメデューサの髪のようにうねり、躍り狂う。

 

「何をしているの? ルビィ」

 

 二年生三人にとって、それは冷たい言葉だった。その一言でルビィの肩はビクリと跳ね上がり、弁解しようと開いた口は閉じることもできず固まってしまう。

 そんな彼女の反応が不服だったのか、ダイヤの眉間にはより深く皺が刻まれる。それを見て、ルビィの心臓には締め上げられるような痛みが走った。罪悪感が、罪責感が、負い目が、引け目が、ルビィの良心に容赦なく絡み、巻き付き、とぐろを巻く。

 

「ち、違うんですダイヤさん。これは━━「千歌さん」

 

 大丈夫です、と微笑む彼女に気圧されて、千歌は押し黙った。やせ我慢もいいところな、無理のある表情に三人は口を挟むことを憚られる。不安げに見守る彼女たちの前で、意を決したルビィはゆっくりと、一つの過去を清算するために深呼吸をした。

 もう一度、姉と向き合う。歯を立てられた心から全身にかけて、息がつまるだけの毒が優しく回ってくるのを感じた。この毒が、姉の抱いたどんな大罪かをルビィは知っている。気持ちが落ち着けば落ち着くほどその毒の回りは早まり、もう一時前の自分とは違うんだと感じる。それでも一歩前に踏み出したルビィは、まず初めに頭を下げた。

 

「帰ったら、ちゃんと、全部話します。だから、今は行かせてください」

 

「今、話せないの?」

 

「友達が、待ってるの……!」

 

 “友達”。

 それが自分の姉にとってどれだけ強い言葉か、強烈な意味を持つ言葉かを知っている。また一段と強く心が締め上げられることを知っている。反則に近い言葉だということも知っている。ダイヤの前では極力使わないようにしていた言葉だったからこそ、ルビィは恐れそのまま顔を上げることができなかった。

 今の姉が、強くも脆い最愛の姉が、粉々に砕け光を失った宝石が、どれだけの業火に身を焼かれているかを知っているから。理性と感情の間に身を置く、置かざるを得なかったダイヤの気持ちを思えば、一番近くで苦悩する姿を見続けていたルビィには直視する勇気が無かった。

 

「………………場所はどこ?」

 

 短い沈黙を破り、ダイヤは静かに声を絞り出した。大切なものを噛みきり飲み下したような声に顔を上げたルビィは、姉の表情を見て一瞬呆けた後、彼女の火傷だらけの鋭い瞳に一縷の希望を見出だして答える。

 

「学校! 浦の星の図書室、だと思う……!」

 

「船が来るのはあと十分少々。渡っても学校方面のバスは当分来ないわ。どうするつもり?」

 

「走って行く!」

 

「あなたが行って、何かできるの?」

 

「…………何も、できないかもしれない。それでも行かなくちゃいけないの……! きっと、花丸ちゃんは待ってくれているから……!」

 

「……そう」

 

 直視できなくなったダイヤはルビィに背を見せてふーっ、と長く息を吐く。肩の力が抜けて楽になったのか、それとも背負った重みを改めて感じているのか、それはわからない。何も語らないダイヤは覚悟を決めて振り返り、その痛ましい目をただただ眩しい最愛の妹に向けた。

 

「急ぐのでしょ。着いてきなさい」

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 ドルフィンの視界に海上を横断する二艇のフローディングバイクが紛れ込み、ほんの少しだけ気をとられる。

 

『前見ろ!!』

《SHIELDーON》

 

 弦太朗は怒号と共に、その一瞬の隙を作ってしまったドルフィン目掛け放たれたクラウンの水のマシンガンを受けきった。流石にシールドモジュールだけでは守備範囲が狭かったのか、脚や腕など被弾した箇所から火花が散る。幾分か後ろに押されたものの、膝をつくことなく耐えた弦太朗の背中にドルフィンは目を向け直した。

 

『サンキュ、ライダー』

 

『気にすんな』

 

 短い言葉を交わしつつダスタードをいなす二人に、クラウンは一飛びで追撃をかけてくる。本物の手足のように使い慣れているのか正確に動く二組の脚を利用し、驚異的な跳躍力から振り下ろされた右腕は軽い音と共に空を切った。それをシールドモジュールで難なく受け流したフォーゼの脇から、ドルフィンの鋭い蹴りがクラウンの腹部を貫く。それを反射的に背中から延び出した脚で受け止めたクラウンだが、流石にフォーゼの鉄拳という二段構えはかわしきれなかったようだ。スーツ越しでもわかる生の感触が、弦太朗の右拳にダイレクトに伝わってくる。

 顔面に突き立てられた拳の勢いに負け後退させられたクラウンは、流れに身を委ねて勢いを殺すもたたらを踏み、蜘蛛とも人とも思えない猛獣のような唸り声を上げた。腹の底から響くような重低音に、ダスタードに取り囲まれた二人は背中合わせに拳を構える。

 

『遠距離攻撃されるのは厄介だな。あの反射スピードじゃ接近戦もキツい』

 

『クラウンはもう水の弾丸を打てないよ。でも、ミサイルとかはやめた方がいいかな』

 

『? どういうことだ?』

 

『クラウンには飲み込んだものを自分の力に変換したり吐き出す能力がある。びっくり箱みたいなものかな。だから遠距離で攻撃すればだいたいは返されるよ』

 

『なるほどな。この間の高速移動も液体化も、電気とか雨とか飲み込んでたからってわけだ。……つか、何でそんなこと知ってんだよ』

 

『……あれとは長い付き合いだからさ』

 

『「仲良くお喋りなんて、随分と余裕じゃない?」』

 

『羨ましいならこんなことやめるんだな!』

 

『別に仲良くないんだけど。……調子狂うな、ホント』

 

 呆れたように肩を落とすドルフィンを見て、クラウンの背に隠れるテレスコープもまたフローディングバイクの行方を目で追う。もうかなり遠くへと進んでしまっているが、航路は海上の白波が示しているため自分の予定通りに事が運んでいることは一目瞭然だった。無謀にも近道を選んだ彼女たちの賢明な判断を見てほくそ笑むテレスコープは、前傾姿勢のクラウンの肩に肘をついて耳元で囁いた。

 

『「適当に切り上げて良いから、あとは頼めるわね? クラウン」』

 

 声をかけられた途端に獣のような荒い息から一転、借りてきた猫のように狂暴な成りを潜めたクラウンは体を起こしてシュルシュルと息を巻く。そして四体で再度陣形を組み直すダスタードを一瞥したテレスコープは、満足げな笑みを浮かべ手をヒラヒラと振った。

 

『「私、用事があるから行くわ。じゃあね先生、イルカさん。また遊びましょう」』

 

『そう簡単に逃がすかよ!』

 

《NET》

《NETーON》

 

 シールドをオフにしてフォーゼが入れ換えた右脚のスイッチ、「No.38ネット」の起動とともに盤面は急激に変化する。スイッチのコールを合図に遠望を逃がすため飛びかかったクラウンの頭を、フォーゼの肩を踏み台にしたドルフィンが蹴り飛ばした。バク転で衝撃を逃がしきったクラウンが肩慣らしのためか首をぐるりと回すと、静かに構えたドルフィンは人差し指で挑発する。

 

『来なよ。ちょっと本気で相手してあげるからさ』

 

『シュルルルル……』

 

 拳を交わす両者を背景に、展開されたネットモジュールでテレスコープの捕獲を狙う弦太朗は群がってくるダスタードを避けながらその機能を発揮させる。モジュールに搭載されたアークグリッドが空間に、対象を傷つけずに捕まえられる虫取網のような電磁ネットを構築し、フォーゼの右脚に付随するローディングヘッドと連動して自在に動き回る。

 しかし。

 

『クソッ! 邪魔だッ! どけッ!』

 

 攻撃性の無さと、自在に動かせるということが多対一の混戦では逆にデメリットとなり、上手く扱いきれないでいた。遠望を逃がすことが最大の目的であるダスタードたちがフォーゼの邪魔をするために立ち回り、電磁ネットは空間を右往左往するだけで全くと言っていいほどその力を発揮できていない。ダスタードの排除を優先すれば距離を取られ、その間にも肝心のテレスコープは望遠鏡座の力で光を屈折させ透過していく。

 

『このままじゃ……!』

 

 弦太朗は考える。姿が見えなくなったテレスコープを足止めし、尚且つ邪魔なダスタードを一掃できる方法を。広範囲を覆う攻撃ができるスイッチはない。ランチャーやガトリングをむやみに乱射して被害を広げるわけにもいかない。見えなくなった姿を見えるようにする力でも、足場を固めてしまう方法でもなんでもいい。考えに考え抜いた末、弦太朗はある一つの方法を閃いた。

 

(固める……? そうか!)

 

『ドルフィン! お前、霧出せたよな!』

 

《FREEZE》

 

『……注文多いな』

 

 気の抜けた愚痴をこぼすドルフィンは、クラウンと間合いを取りすぐさま腕を振るう。ドルフィンの体表から放たれたコズミックエナジーが空気中の水分にはたらきかけ、増幅した水分が霧へと変化していく。弦太朗の予想以上の、太陽の光さえ遮る濃霧が辺りを飲み込み下準備は完了した。

 光を封じられ、纏う霧の影響で迷彩を破られたテレスコープの姿を確認し、フォーゼは逆転の一手を打つ。

 

《FREEZEーON》

 

 フードロイド・ソフトーニャの起動にも使用される「No.32フリーズ」。ネットと入れ替わりで右脚に展開されたフリーズモジュールの能力はその名の通り単純明快。サーマルクーラントで熱を奪い、リブートシンクへと循環させて冷気を放つ。強力な冷気は瞬間冷凍とでも表現するべき威力であらゆるものを凍らせ、敵の動きを封じることもできる。それが霧を、水蒸気を伝播すればどうなるか。

 

『ちょっと冷たいぜ』

 

 フリーズモジュールから放たれた冷気は、霧に包まれた境内をフォーゼを中心に白銀の世界へと変えていく。地表に逃げ場などはなく、取り込まれれば凍てつく世界からの脱出は不可能。木が、石畳が、土が、落ちる木の葉が、逃げ惑うことを許されず、その時を切り取られていく。

 それはゾディアーツとて例外ではない。テレスコープを庇うため飛び出したダスタードを、冷気が丁寧に一体ずつ氷の中に閉じ込めていく。身動き一つ取れなくなったダスタードは浮かぶ標本のように美しくその姿を宙に止めた。飛び退いたドルフィンに危機を察知したクラウンすら容易に丸飲みにした氷河期の到来に、足を捕まれたテレスコープは叫ぶ。

 

『「クラウン!!」』

 

 途端、長い年月眠っていた古代の生き物が突然目覚めたように、クラウンの右半身は輝きを増す。埋め込まれた宝石たちは白とも青とも言えない、言うなれば氷色の明かりを灯し、クラウンを閉じ込める氷にヒビを入れた。それが、自分の周りの氷を取り込んだために生じた亀裂だと気がついたのはやはりドルフィンだった。

 

『ライダー!!』

 

 木の上に避難していたドルフィンが声を上げるが間に合わない。薄くなった氷の牢獄を打ち砕いたクラウンは、凍結した右半身を携えてフォーゼへと強襲をしかけた。

 

『のわッ!?』

 

 右腕から放たれる氷の鏃に吹き飛ばされたフォーゼは、スーツから火花を散らしながら弾かれ木に背を打つ。芯まで凍った木はガラス細工のように砕け、強い衝撃を受けたフリーズモジュールは安全装置が作動し自動で停止した。転がるフォーゼに追撃をかけるため狙いを定めるクラウンに、下半身を氷に食われたテレスコープが指示を出す。

 

『「クラウン! 撤退するわよ!」』

 

『させるわけないじゃん』

 

 テレスコープの思惑を打ち破るように、氷の世界に降りてきたドルフィンがクラウンの腹に素早く拳を叩き込む。先程までと比べて明らかに鈍くなった動きは、氷を取り込んだせいか。しかし、より固い感触と触れただけで凍結した拳を見つめ、デメリットだけではないことを確信する。

 

『触っただけで凍るんじゃ迂闊に攻撃できないな……。あんまり持たないよ!』

 

『大丈夫だ! 一発で決める!』

 

《ROCKETーDRILLーON》

《ROCKETーDRILLーLIMIT BREAK》

 

『食らいやがれ!』

 

 立ち上がり、駆けながらモジュールを展開したフォーゼは右足で蹴り上がり、ロケットの推進力を得て弾丸のように勢いを爆発させた。有り余るコズミックエナジーを纏い、圧倒的な破壊力を見せつける必殺の一撃が身動きのとれないテレスコープ目掛けて一直線に突き進む。氷を砕き、凍結したダスタードを砕き、しかし勢いは落ちない。

 

『ライダーロケットドリルキーーック!!』

 

 数々の強敵を撃破してきたフォーゼの代名詞とでも言うべき必殺キックが迫る。たが、勝利を確信した弦太朗に向けて遠望が放った言葉は、敗北宣言でも、ましてや命乞いでもなかった。

 

『「……まさか、こんなに早く手の内を晒すことになるなんてね」』

 

 余裕のある言葉を呟いた遠望は、自らの胸に左手を突き立てた。クラウンの動きが驚きで止まり、つられてドルフィンの目も奇っ怪な行動に釘付けとなる。心臓を掴もうとしているのかと疑うほど深く突き刺した手を抜き出すと、テレスコープはその手に掴んだ物を片手で砕き、躊躇いなく目の前にばら蒔いた。

 それは、銀色の硬貨……いや、()()()だった。

 

『「これはチップよ。受け取りなさい」』

 

 その無数にばら蒔かれたメダルの破片は欲望のオーラを放ちながら一片ずつが怪異的な怪物へと変化する。真っ黒の素体に巻き付けられてたミイラ男を連想させる薄汚れた包帯に、顔と思われる部分にぽっかりと空いた黒穴。もったりとした怠慢な動きで起き上がったそれらは、フォーゼからテレスコープを守る壁になるように群れを成す。

 

 弦太朗は知っている。この異形の名を、正体を。

 

『屑ヤミーだと!?』

 

 驚きで姿勢がブレたか、肉の壁に阻まれ必殺の一撃はテレスコープに届かない。群がってくる全てのミイラを撃破し尽くしたフォーゼは、爆炎の中で全てのスイッチをオフにして着地した。煙幕を切り裂いて辺りを見回すが、あるのは溶けかけの氷ばかり。テレスコープに食らいついていた氷も根本から砕かれているため、逃げられたのだということはすぐにわかった。

 

『クソッ! 逃げられた……!』

 

『こっちも』

 

 肩を竦めるドルフィンも、行方を見失ったクラウンについて嘆息した。遠望のとった行動に目を奪われ、隙を与えてしまったのは大きかったようだ。しかし、気を抜くのはまだ早いと弦太朗は地面を見渡す。チャンスを逃したものの、得られたものはあった。

 お目当ての、爆発と共に散らばった銀の破片を一つ拾い上げる。無造作に砕かれたせいか大小のばらつきがあるものの、一目見れば何かは確信が持てた。

 

『なんで遠望がセルメダルを……?』

 

 これは、そう易々と手に入る代物ではない。口にした疑問を頭の中で反芻させるが、まるで答えが出る気がしなかった。ごちゃごちゃとする頭に整理がつく前に、絡まった思考を隅に蹴り飛ばす。

 今はそんなことよりも、優先すべきことがあるのだ。

 

『ここは片付けておいてあげるから、さっさと行きなよ。急ぐんでしょ』

 

『……サンキュ。お前いい奴だな!』

 

《ROCKETーREADERーON》

 

『この借りはいつか返すからな!』

 

 レーダーモジュールで千歌と曜の持つ携帯電話のGPSを拾い、再度ロケットモジュールを展開したフォーゼはドルフィンの言葉に甘えて空へと舞う。

 白煙をあげて一直線に南へと下っていく白い姿を見送ったドルフィンは一人、水分を操作し右手の凍結を解くと彼に習って破片の一つを拾い上げた。

 

『セル……細胞ってこと?』

 

 そして、そのまま膝から崩れ落ちた。

 

「果南さんっ!!」

 

 肉質な異形の姿は、受け止めたダイヤの腕の中で悶え苦しみながら人間の━━果南の姿に戻る。破裂しそうなくらい激しく脈を打つ心臓を押さえ、玉のような汗を流しながら願うようにスイッチを握り締める彼女の体表を這いずるゾディアーツの体を構築していた闇は、スイッチへと吸い込まれその姿を変えようとする。

 

「ダメッ……! まだ、ラストワンには……ッ!」

 

 明滅する感覚の中で願いは届いたのか。膨張する闇は成りを潜め、果南は詰まっていた息を一気に吐き出した。手放しそうになる意識を気力で手繰り寄せ、逆流してくる胃酸で食道を焼きながら酸素を取り込む。閉じられない口からは唾液が垂れ、全身に倦怠感と皮膚を切るような痛みが駆ける。その苦しみに耐えながらすがり付いているダイヤの腕に加減なく爪を立てるが、当のダイヤは痛みなどないようにただ強く果南を抱き締めていた。

 

「いくら果南さんと言えど、気力だけでスイッチの力を押さえつけるのには限界があります! やはり、私も……!」

 

 幾度か空気を入れ換えた果南は、それ以上は言わせないと指でダイヤの唇を閉じた。肩で息をしながらも少しずつ呼吸を整える。

 

「ダメ、って……言って、るじゃん……」

 

 青い痣と血が滲む爪痕が痛々しいダイヤの腕から手を離し、大の字で寝転がった彼女は最後の力を振り絞って腕を振るった。するとその一振りで、白銀の世界は少しの涼しさだけを残し魔法のように消えてしまう。唯一、一本だけ破砕した木が異形同士の戦いを覚えているだけで、何食わぬ顔をする境内に氷漬けになった痕などはない。そのことを確認した果南は、苦悶の表情で自分を見つめるダイヤに向けてか細い笑みを浮かべた。

 

「ご、めん、ダイヤ……。後……、よろし、く……」

 

「……わかりました。ゆっくり休んでください」

 

 一瞬で個体から気体へと変化させた彼女を見て、落ち着きを取り戻したダイヤは独り言を呟いた。日常に溶け込んだ声は、気を失ってしまった果南には届かない。ただ寝息を立てる彼女の頭を撫で、手入れの放棄された髪を指で鋤く。力の抜けた果南の手からこぼれ落ちた悪夢の始まりを憎らしげに睨みつけるも、やがて自分の弱さを突きつけられているような気になって拾い上げるだけに留まった。

 

「ゾディアーツの力、また強くなっているのですね」

 

 人の身でありながらコズミックエナジーを扱えるまでに成長してしまった果南に対し、重い十字架を背負わせてしまっているのだと自覚する。自分はただ彼女の優しさに甘んじて立ち止まっているに過ぎないのだと、突きつけられた現実に唇を噛むことしかできない。

 

「鞠莉……」

 

 果南の頬を伝う滴を掬い上げたダイヤは、寝言を漏らす彼女の頭を愛しそうに撫でた。せめて今だけは優しい夢の中にいてほしいと、ただそれだけを願って。

 

「取り戻しましょう、私たちの日々を。二年前のあの日から、必ず」

 

 ダイヤの見上げた空に、もう白煙はない。




 姿が見えないからと言って、笑い声を漏らすほど遠望京は間抜けではない。力の抜けた果南を支えながら階段を降りるダイヤを見下ろし、彼女はその美しい顔をいやらしく歪めた。

「メダルを見せたのは思わぬ誤算だったけど、こっちも収穫があってよかったわ。そう。なるほどね」

 怪しく、喉を鳴らす。背後に付き従うクラウンに意地悪な笑みを向けると、まるで新しいおもちゃを手に入れた子どものように遠望の心は軽くなった。

「どうしてドルフィンが私たちに執着するのか疑問だったんだけど、そう。二年前……」

 面白くなりそうだわ

 誰もいなくなった日常に、声は響かなかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 異・心・電・心

「……で? その、()()ってのは誰だったんだよ」

「? 何のことだい?」

「忘れたとは言わせねーぞ! 『「地球の本棚」に誰かがアクセスしてきたようだ……。少し見てくるよ』って言ったあと、俺や亜樹子に散々検索ワード上げさせるわ、説明もなしに静岡の大学教授に連絡し始めるわ、と思ったらまた「地球の本棚」に引きこもるわ!」

「国木田花丸のことかい? そのあと〈アカデミー〉について検索していたからすっかり忘れていたよ」

「ああ? 〈アカデミー〉っていや、照井がインターポールと一緒に追ってるガイアメモリの流れ先か。関係してるのか?」

「いいや、彼女は流出したマインドメモリの使用者ではなかった。偶然が重なり、奇跡的な確率で迷い込んだだけの一般人さ。その証拠に、彼女は「地球の本棚」に対する一切の干渉ができなかった。……しかし、彼女のお陰でやつらの尻尾は見えた気がするよ」

「尻尾?」

「国木田花丸はメモリの使用者ではないが、マインドドーパントの攻撃を受けていた。そのうえゾディアーツスイッチのスイッチャーでもあり、本や知識に関する造詣もあった。恐らく、地球も宇宙に散らばる星の一つだった、ということだろう。随分、幸運な星だ」

「……〈アカデミー〉って連中は、ガイアメモリだけじゃなくゾディアーツスイッチにまで手を出してるのか?」

「まだ隠し球はありそうだけどね。でも、国木田花丸については問題ない。あそこには僕たちの後輩がいるからね」

「……そうか。まあ、俺たちもこの街のドーパントで手一杯だからな。そっちは任せるとしようぜ、フィリップ」

「勿論だとも翔太郎。……ところでさっきの僕の真似だけど、あまり似ていないから外で披露するのはやめてくれたまえ」

「いや、今の話で気になるところはそこか!?」


 心が落ち着く紙の匂い。

 座り慣れた受付の椅子。

 見覚えのある景色。

 本棚を焼き尽くす茜色。

 一度も触れたことのないパソコン。

 今日は動いていない業務用の大きな扇風機。

 いつもより静かで寂しく感じる空間。

 

 机の中には、いつぞやのスクールアイドルの雑誌が入っているのだろうか?

 

(あれ……? マルはどうしてここにいるんだろう?)

 

 疑問が頭に浮かび、ここに至るまでの記憶が欠落していることを認識する。妙に頭が重く、思考が回らず、どこかで事故を起こしたのか言葉が渋滞しているようだった。

 ゆっくりと、順を追って、覚えていることを、思い出す。

 

 スクールアイドルの体験入部、慣れないダンスへの戸惑い、淡島神社での階段ダッシュ、すぐに差をつけられて、自分を気にする彼女の背中を押して、彼女は彼女の夢の先へと駆け上がっていった。そして……

 

(マルは、階段を降りた)

 

 そうだった。

 親友に自分という足枷を外させるために、姉というしがらみから解放するために、その小さな翼で夢の大空へと羽ばたかせるために、背中を押したのだ。しかし、だからと言って自分がここにいる理由とは結び付かない。

 まだ何か忘れている。記憶の糸を手繰り寄せようとしたとき、自分が何かを大切に握っていることに気がついた。

 

「これは……?」

 

 見た目は何かのスイッチのようだった。黒く、どこか禍々しく、洋物推理小説の犯人が持つ爆弾のスイッチのような、一見するとそういう類いのもの。勿論、国木田花丸という人間にこういったものを収集する趣味はない。精々、読んだ本の世界を空想で広げ、その中に登場させる小道具程度でしか馴染みのない代物だ。こんなものを買った覚えも、貰った覚えも……

 

 

『寂しいなぁ。悲しいなぁ。でも、ルビィちゃんのことを思えば仕方ないなぁ』

『なぁんて、嘘嘘。大嘘ずらっ』

 

 

「っ!?」

 

 頭に響いた声に体が跳ねる。とても馴染みのある、でも内側から耳の中を嘗め回すような気味の悪い声に驚き立ち上がると、椅子は激しい音を立てて床に倒れた。

 

「誰……?」

 

 静かな問いかけに答える者はいない。しかし、何となく気配はわかった。自分以外の何かがこの空間にいる。そんな気がして目を凝らし、耳をすます。

 

『本当は一人に戻りたくない。いつまでもルビィちゃんと一緒にいたい。もう、一人寂しく空想の世界に引きこもるなんて耐えられない』

『建前で塗り固めて大人ぶっても、素の国木田花丸は孤独に耐えられない、未練がましい、よわぁいよわぁい存在ずら』

 

 影が動いた。

 三文芝居もいいところな声が、本棚の影から現れる。驚きはしたが、声は上げなかった。せめてもの抵抗だとか、そんなみみっちい理由ではない。あの覚えのある声を聞いたときから何となく、そんな気がしていたからだ。

 

 抜き出た影が色を持つ。そうして出来上がった()()()()()は、とても楽しそうに笑っていた。

 

物怪(もののけ)、ずら?」

 

『そんなわけないずら。マルはマル。オラはオラ、ずら』

 

 問いに対しそう答えた彼女は、ふんふんと鼻唄を歌いながらステップを踏む。不器用で、不格好で、ダンスと呼ぶには程遠い足運び。筋力も持久力もない自分に相応しい無様な舞だと、正直に思った。千歌たちに教えてもらったそのワンフレーズを楽しそうに踊りきった彼女は、揺れる花丸の機微を感じとりニヤッと口元を歪める。そして鼻先で馬鹿にするように、大振りな動きをつけて三文芝居の続きを演じた。

 

『真似事だけどとっても楽しかったな、スクールアイドル。やっちゃおっかな。ルビィちゃんと一緒に』

「……」

『練習についていけるか自信はないけど、やってみたいな。あんなキラキラしたこと』

「……」

『でも、頑張ってる皆の足を引っ張っちゃうのは嫌だなぁ。嫌われたらどうしよう』

「……」

 

 静観する花丸に、彼女は嗤う。

 

『一人立ちしたかったのは、どっちなのかなぁ?』

 

「……マルの姿で(かどわ)かそうとしても無駄ずら」

 

『拐かすなんて人聞きが悪いよ。これはマルの本心。貴女の胸の内の声ずら』

 

「マルはそんなこと『思ってない? 本当に?』

 

 クスクスと笑う彼女は、見透かしたように花丸の瞳を覗きこむ。ずいっと近づいてきた自分の顔に思わず顔を反らしてしまった花丸を見て、彼女はより滑稽を嘲笑うように喉を鳴らした。

 

『嘘をついても無駄。マルは貴女なんだからなんだってわかる。貴女もマルのことわかるよね? ただ、今みたいに弱さから目を反らしているだけ』

 

「でも! ……仮にあなたの言う通りだっだとしても、ルビィちゃんを応援したいって気持ちは同じ。マルのお話はここでおしまい。また昔のように、一人の図書室に戻る」

 

『戻れる……ずら?』

 

 ムキになって反論しようとする花丸の唇を指で塞ぎ、見透かしたように笑う彼女は耳元でそっと続きを囁いた。

 

『戻れないよ。もう一人には』

『二人で肩を並べて読む本の良さを知ったから。二人で歩く帰り道の楽しさを知ったから。二人で過ごす休日の充実感を知ったから』

『もう、一人の静かな図書室には戻れないよ』

 

 押し寄せる言葉の群れに、花丸はもがくことすらできなかった。記憶の深いところから引きずり出された感情が、彼女の手足を絡めとり動きを封じる。満足げな表情に影を落とす彼女は尚も続けた。

 

『きっと、ルビィちゃんは図書室に来る時間なんて無くなっちゃう。帰る時間もバラバラになる。休日だって練習がある』

「…………て」

『ルビィちゃんの前には煌めくスクールアイドルの世界が広がっている。でも、マルにはそれが眩しかった。楽しそうな彼女を見てそう思った。だから階段を降りた。逃げだした』

「……めて……!」

『わかっちゃった。マルはルビィちゃんと違う世界を生きなきゃいけないってこと。違う道を歩かなきゃいけないってこと。もうルビィちゃんは━━

「やめて!!」

 

 花丸の声に、窓ガラスが揺れた。飲み込んだつもりの気持ちが噎せ返り咽を焼く。蓋をしようとしても、どうしてか口は、心は、止まらない。

 後悔なんてしていない。それは事実で、彼女の羽ばたく姿が見たいと、輝く姿が見たいと思った。しかし、目の前に立つ彼女……自分は、その奥に蓋をした感情を引きずり出してくる。僅かな逃げ場を奪っていく。じわりじわりと足元を侵食し、花丸を後の無い崖の縁へと追い込んでいく。

 目の前の、心の内をどろどろと垂れ流すまるで溶岩のような自分は告げた。

 

『ね? 戻れないでしょ?』

『だからやろうよ、スクールアイドル』

『我慢なんてせずにやりたいことをやればいいんだよ』

『そうすればルビィちゃんとも一緒にいられる』

『一人寂しい思いをしなくてすむ』

 

 甘美な誘いだった。友達と一緒にいるために、友達と同じ景色を見る。実に簡単で、わかりやすくて、理屈の通った誘い。追い込まれた自分の前に垂れてきた蜘蛛の糸だった。断る理由なんて無いはずの、花丸にとっての最適解。

 それでも、それは黒澤ルビィの最適解ではないと首を振る。

 

「……マルがルビィちゃんの足を引っ張るわけにはいかない。マルには、あんなキラキラしたことはできないし、…………ああは、なれない」

 

 今日一日。それで自分が向いていないことを花丸は自覚した。

 自分にはあのキラキラした世界は眩し過ぎる。自分には皆についていけるだけの体力も、筋力も、溢れんばかりの情熱もない。

 自分には彼女たちのような、スクールアイドルたらしめるものは何もない。だからこそ、この糸を掴むことなんてできはしない。

 誘いをはね除けた花丸に、もう一人の花丸は呆れたように肩を落とす。

 

『頑固だなぁ。……あっ! じゃあこうしよう』

 

 名案を閃いたのか、両手を合わせた彼女はにっこりと、鏡の前で笑ったときのように柔和な笑みを見せる。そして優しく花丸の手の中にあるスイッチごと両手を包み込むと、甘く耳元で囁いた。

 

『このスイッチを押せば、貴女は今の貴女をやめられる。生まれ変われる。どう?』

 

「生まれ……変わる……?」

 

『そうずら。今の弱い貴女を捨てて、もっとずっと強い貴女になれる。そうすれば、ルビィちゃんのいない世界で一人孤独に立ち向かえる強い貴女になれる。……かもしれない』

『弱い自分を捨てて、一人でも大丈夫な、“一人でなんでもできる貴女”になれる。そんなおまじないずら』

 

 視線を手に落とす。正直に子供騙しだと思った。こんなスイッチ一つで思うように自分の世界が変わるわけがないと、本気でそう思った。

 それでも。

 頭では理解していても、目の前の自分がそう言うのなら可能性があるのかもしれない。

 

 自分の中には些細なきっかけで変われるだけの力があるのかもしれない。

 

 もし親友の輝きを犯すことなくその光を見つめ続けられたら、その僅かな望みに期待をしてもバチは当たらないんじゃないか。そういう気持ちがふつふつと芽生えた。

 一人でも平気な強い自分になるために。輝かしい彼女の姿を見ていられる新しい自分になるために。目の前の糸を掴める自分になるために。

 変わるために足掻き、殻を脱ぎ捨てるためにもがく。そんなおまじない。

 

『そう。「ただの、おまじない』……」

 

 藁にも縋る思い。激しい思い込みの類い。それでも、何かきっかけがあれば“できる”かもしれない。

 手元を見つめる花丸は、その手を包み込む影たる彼女の悪しき笑みには気づかない。

 彼女……もう一人の花丸は、瞳から光の失せた花丸の背中をそっと押した。

 

 その崖の先が例え、光も届かぬ奈落の下だとしても。

 

 

 

 

「ダメだよ! 花丸ちゃん!」

 

『「ルビィちゃん……?』」

 

 体が甘い重力に屈するという寸前。あとほんの少しでスイッチが押されるというとき。扉から勢いよく現れたのは花丸が心待ちにしていた人だった。汗の張り付く練習着姿で跳ねる心臓を押さえつけ息を切らす彼女に続いて、二年生の三人も駆け込んでくる。皆が一様に険しい顔をし、恐らく自分の身を案じてくれているのだろうことはぼんやりとした意識でも察しがついた。

 

    「国木田さんが二人……!?」

 

    「ッ! スイッチ持ってる! 止めないと!」

 

    「ダメだよ花丸ちゃん! それを押しちゃダメ!」

 

 声が遠くに聞こえ、目に映るものを脳がゆっくりと噛み砕き処理する。徐々に自分というものがわからなくなり、不安定に揺れる思考が少し、また少しと忘我の谷へと落ちていく。

 それでも、追い付かないほどにその姿が眩しくて。

 必死な姿が愛しくて。

 そうなりたいと思ってしまった。

 “輝きたい”と、星に願ってしまった。

 強い自分に、できる自分に、彼女の隣にいても眩しいままの彼女を見つめ続けられる自分に、なりたいと。

 

 口は自分の意思を無視して動いていた。

 

 

 

 

「『……ルビィちゃんは、マルが変わるのが嫌なの?」』

 

 二人の花丸の言葉が重なる。口の動きも、瞬きも、まるで鏡合わせのように同じ。どこを見ているかわからない空っぽの瞳と、喜びを感じているのか意地悪な瞳が一組ずつルビィを見つめる。物言わぬ迫力が気の弱い少女を丸飲みにしようと襲ってくるのが、傍目から見ていた千歌にもわかった。

 それでも、強く眩しい彼女の光は揺るがない。

 

「目を覚まして花丸ちゃん! こんなの押したって何も変われないよ!」

 

 その強い光が、空っぽの影をより濃くする。突きつけられた現実に目眩がし、きゅっと花丸の心臓を掴んで離さない。その痛みだけがふわふわした感覚に囚われた花丸の中にある唯一確かなもので、上っ面の言葉すら簡単に奪い去り空っぽを満たす負の感情を器から溢れされる。ドロドロと垂れてくる熱い熔岩は、冷めることなく花丸の身をじわじわと焦がした。その度に体の力がゆっくりと抜け、もう自分の意思で立っている気さえしない。

 その変化を感じ取ったもう一人の花丸は満を持して、蓄えた微笑と共にルビィの言葉を突く。

 

『変われないなんて酷い言い草ずら。マルは必死に足掻いて前に進もうとしてるだけなのに』

 

「変われないよ! ……誰も、前になんて進めなかった。人を越えたって、いくら星に手を伸ばしたって、叶えたい願いには届かない! そうやって逃げた先にあるのは、希望なんて優しいものじゃないの!」

 

『希望か絶望かを判断するのはオラずら。星の力を信じもしないルビィちゃんじゃない。……そうずらよね、オラ?』

 

 その花丸の言葉に導かれるように、虚ろな花丸はスイッチを両手で握り前に突き出した。邪な笑みを浮かべる片割れの花丸の体が、闇となってそのスイッチに吸収されていく。そして、花丸(かのじょ)を飲み込んだスイッチは姿を変え、自身の名を高らかに、しかし静かに宣言した。

 

《LAST ONE》

 

『「ルビィちゃん。オラも変わるから。見ててね」』

 

「ダメーー!!!」

 

 握りしめたスイッチに指をかけた花丸へ、ルビィは片方の手を必死に伸ばした。谷底へ落ちようとする大切な友達へと、必死に。するとスイッチから放たれた闇は、花丸だけでなくルビィまでも簡単に飲み込んでしまった。

 

「ルビィちゃん!!」

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 暗闇の中で指が触れ合う。力のない手を握ったルビィは離すまいと懸命にもがき、この闇から逃れようと身を捩る。しかし奈落の底から伸びてきた絶望は、そう簡単に手を離してはくれなかった。

 煌めく星の輝きが、ルビィの思いを嘲笑うように花丸の肉体を怪物へと変えていく。柔らかく温かな肌が硬質で冷たいものに塗り替えられようと、握った手からルビィの腕へと闇が這いずり上がってこようと、ルビィはただ親友を抱き寄せその体を包み込む。

 

「ルビィは花丸ちゃんを一人になんてしない! 絶対に……!」

 

 闇がルビィの体に染み込む。自分の体が異形の姿へと変質する恐怖はあった。目をつぶり、ぐっと震えを我慢する。理性と本能が同時に危険を訴えかけ、人から足を踏み外す感覚が全身に奇妙な高揚感を与える。

 ルビィにあったのはなんでもない、意地だった。離すまいという意地と、離れたいという恐怖のせめぎあい。

 だが、それ以上に。

 最後にちらついたのは、静かに涙を流すあの日の姉の背中だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あれ?」

 

 空気が変わった。

 ルビィは恐る恐る、そっと目を開く。先程までの闇とは打って変わって、目の前に広がるのは真っ白な何もない空間だった。抱き締めていたはずの花丸も、捕まったときに押し付けられたまま握りしめていた悪夢の象徴も、何もない。空虚な無の空間が、見渡す限り無限に続いているようだった。

 

「ここは……?」

 

『どうしてルビィちゃんがここにいるずら?』

 

 突然の声にばっと顔をあげる。そこにはさっきまでいなかったはずの花丸が一人、腰に手を当て不満げにため息をつきながらこちらを見返していた。

 もう名残惜しさも感じない思い出の中にある中学の制服。それに身を包む彼女を見て、ルビィの直感は違うと囁いた。身の丈も、指先までの仕草も似ているが、決定的に何かが違うという確信。その確信が花丸にも伝わったのか、彼女はまた大袈裟にため息をついた。

 

『ルビィちゃんが思ってる通り、マルはルビィちゃんの思う国木田花丸ではないずら』

 

「ここはどこ……? 花丸ちゃんは……?」

 

 ルビィの問いかけに、つまらなそうな顔をする彼女は顎でルビィの後方を指す。つられて振り返り、そしてルビィは大きく目を見開いた。

 

「花丸ちゃん!」

 

 大切な人は、そこでお姫様のように眠りについていた。練習着のまま仰向けで、死んだように静かに寝息をたてる花丸を揺すり、声を何度もかけるが反応はない。このまま目を覚まさないんじゃないかという恐怖がルビィを追いたて、わかっていた結末を避けられなかった自分の無力さに唇を噛む。しかし、もう一人の花丸はそんなルビィに一筋の可能性を示した。

 

『ちょっとやり過ぎたけど、まだ死んだわけではないずらよ。より深い意識の層まで落ちてしまった国木田花丸の体だけを引っ張ってきただけだから、その点は保証するずら』

 

 もう一人の花丸は、何もないはずの空間にどっかりと腰を落ち着けた。見えないだけで大きな椅子でもあるのか、普段の花丸らしからぬ姿勢で足を組み、挑発的な視線をルビィに送る。

 

『ここは国木田花丸の精神世界ずら。ルビィちゃんのせいでオラがここに引き留められたのは誤算だったけど……ま、結果オーライというやつずらね。十分巻き返せるずら』

 

「精神世界……?」

 

『“あんだーわーるど”って呼ばれてるらしいけど、オラもルビィちゃんも関係ないから説明はくしゃくしゃのぽいっ、ずら。時間もあまりないずらからな』

 

 さて、長々とした前置きはここまでずら。

 

 そう言ってもう一人の花丸は指を二本立てる。まるでそれだけが救いだとでも言いたげに見せつける彼女は、にやっと口元を歪めた。

 

『ルビィちゃんに残された道は二つずら。このまま二人して存在が消えるのを待つか、その国木田花丸を残して外に出るか』

 

 さぁ、どっちずら?

 

 残酷な選択を突きつけたもう一人の花丸は悠然とした態度で、瞳に写るルビィを静かに眺めていた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 二つの星が瞬いた。千歌たちの目の前で闇は濃縮し、そこから一人分の体が排出され床へと崩れ落ちる。

 

「ルビィちゃん!!」

 

 曜が倒れた彼女へと駆け寄り体を持ち上げた。意識がないのか反応のないルビィの脈をはかり、力はないが生きていることを再確認し安堵する。少しうなされながらぐったりとした彼女の様子に一抹の不安が過るも、医学的な知識やこういう超常的なものへの理解があるわけでもない曜にはどうすることもできなかった。

 一先ず体の自由を奪う白い繭を引き千切ろうとするが、何度剥がそうと繭はルビィ自身の体から抜け出てくるので終わりが見えない。

 

「何この繭……?」

 

「曜ちゃん危ない!!」

 

 不気味な繭に困惑する曜の耳に、千歌の声が響く。怪物の存在を思い出しハッと顔をあげたとき、目の前にあったのは犬のような毛で覆われた障害物だった。

 

「ッ!!」

 

 瞬時に危険を感じ取った曜がルビィの頭を抱き抱えて身を縮ませる。直後、肩辺りにやって来た痛みが曜の体をサッカーボールのように簡単に蹴り飛ばし、壁際の本棚まで綺麗に床を転がした。

 

「曜ちゃん!」

 

 激突し走る背中の痛みに苦悶するが、目を開けなければ死が待っている。そんな強迫観念が曜の瞼をなんとか抉じ開けた。

 眼前に立ち塞がるのは、左半身が獣のような豊かなピンクの体毛で覆われた獣人、右半身が鈍い黄土色の西洋甲冑で覆われた涙滴型の縦を持つ騎士という、見た目ちぐはぐな怪物だった。唸るわけでも、叫ぶわけでもない。ただじっと立ち尽くすそれに梨子は声を漏らす。

 

「なに、あれ……」

 

 片身のどちらにも異なったスターラインの走る異質な怪物。このゾディアーツが二つの星座をもつ異常なものだということは、ゾディアーツやスイッチに詳しくない三人にも目に見えてわかるものだった。

 ギョロリと左半身の獣の目が動き、声を出した梨子の姿を捕らえる。

 

『ヴ……ア"ァ"……』

 

 声帯から出ているのか疑わしい音を漏らしながら、怪物は覚束無い足取りと錆び付いた機械のような動きで体の向きを梨子の方向へと変えた。両半身が別々の意思を持っているのか、獣の左足を引き摺りながらガチャガチャと音を立てて怪物は一歩一歩近づいていく。

 きっと悪魔はこうして這い寄ってくるのだろう、と梨子は思った。

 焦点の合わない血走った左目。近づいてくるごとに耳に響く甲冑の音。怪物の重みに耐えられず静かに軋む床。嫌悪感が形を持てばこういう姿をしているのだろうか。十分に逃げられるのったりとした動きだが、その異様さと言い知れぬ恐怖が梨子と千歌の足を掴んで離さなかった。

 

「だあああぁぁぁぁッ!!!」

 

 痛みを押して立ち上がった曜が叫ぶ。自分を鼓舞するためか、それとも注意を引くためかはわからない。肺の空気を絶叫と共に吐き出し、出せる全力をもって二人に忍び寄る恐怖に迫る。怪物がこちらに向くかどうかの瀬戸際で、曜は目標に全体重を乗せた体当たりを見舞った。

 

 手応えは、とても軽い。その一言に尽きた。空気や紙にぶつかったような手応えだとか、そういった物理的な軽さではない。何なら人二人分以上のような重量の感触であったし、現に曜は跳ね返され床に転がっていた。それは、耐えようとか迎え撃とうという本来あるべき意志が全く感じられない軽さだったのだ。

 結果、怪物はされるがままに押し出され、たたらを踏み、腰ほどの高さの本棚を越えて窓に激突する。決して古くはない窓枠の棧が、怪物の重みに悲鳴をあげて五月蝿いほどの嘆きと共にその存在を外へと吐き出した。

 

「曜ちゃん! 大丈夫!?」

 

 窓ガラスの破砕音でようやく我に帰った千歌が、倒れる曜へと駆け寄った。平気だよ、と蹴られた左肩を押さえてはにかむのも束の間、穴の空いた窓から中庭を確認した梨子の言葉で二人の表情はひきつる。

 

「どうしよう……! あのゾディアーツ、外に出ようとしてる……!」

 

「外に出て暴れたら大変なことになるよ! 弦ちゃん先生を早く呼ばなきゃ!」

 

 曜の言葉に梨子が登録したての番号を探し出す。あの独特のデザインとカラーリングの携帯電話を思い出しながらワンコール、ツーコールと返答を待っていると、千歌は何かを決心したように立ち上がった。

 

「……私、行ってくる」

 

「!? 千歌ちゃん!?」

 

 そう宣言した千歌は、名前を呼ぶ曜を無視して図書室を出ていった。見えなくなった後ろ姿に、曜は弦太朗に連絡を取る梨子へと目を向ける。

 

「お願い梨子ちゃん! 千歌ちゃんに着いて行って! 私もルビィちゃんを連れてすぐに行くから!」

 

「う、うん! わかった!」

 

 電話をかけながら、梨子も転がるように図書室を飛び出した。静かになった部屋で、緊張から解き放たれた曜はアドレナリンのお陰かいくらかマシな体の痛みに顔を歪める。

 

「ッ……! 痕、残らないといいんだけど……」

 

 強がりを吐いて震える足を少しつねる。あともう少しだけと気合いで足を支え、やっとこさ立ち上がった曜はよろめきながら眠りにつくルビィの傍に腰を下ろした。やはり繭はルビィを離さないように体に巻き付いていて、引きちぎるとそれは空気にとけるように消えてしまう。

 

「もう少し頑張ってよ、私……!」

 

 何とかルビィの体を背中におぶり立ち上がる。鈍痛と小柄な女子高生の体重を一身に背負うと、流石に筋力に自信のある曜でも少しよろめいてしまう。ずれ落ちそうになる体を慌てて支えると、その衝撃でルビィの手から何かがこぼれ落ちた。

 

「これって……」

 

 軽い音を立てて転がったものを、恐る恐る、ゆっくりとしゃがみ拾い上げる。見知ったというか、なるべくなら見たくはない元凶たる装置。赤い魅惑的な突起は押し込まれておらず、まだ使われていないということはわかる。初めて触れるにしては手に馴染む、思っていたよりずっと重いそれはただ沈黙を貫いていた。

 

「どうしてルビィちゃんがスイッチを……?」

 

 疑問を口にした曜は肩越しに眠り続けるルビィを見る。魂が抜けたような表情で苦悶する彼女がいったいどんな夢を見ているのか、曜には皆目見当もつかなかった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「ルビィは、外に出るよ」

 

『……ふーん、意外ずら。てっきりルビィちゃんはその国木田花丸と心中の道を選ぶと思ってたずら。ま、人間なんてそんなものずらね』

 

 少しつまらなさそうな花丸は、エスコートするように視線と右手を差し出す。すると、どっかりと座る花丸の横にグルグルと空間を歪ませる奇妙な渦が現れた。

 

『さ、お待ちかねの出口ずら。早く行くずらよ。友情を簡単に裏切るルビィちゃんの顔なんか━━━って、何してるずら?』

 

「何って、花丸ちゃんも連れていくに決まってるよ……!」

 

 花丸が視線を戻すと、そこには眠る花丸を引き摺りながら出口を目指すルビィの姿があった。何がしたいのか理解のできない花丸が言葉を失っている間にも、ルビィは一歩一歩着実に外へと歩みを進めていく。可笑しさよりも驚きの方が勝ってしまった花丸は、眉間のコリをほぐしながら彼女を手で制す。

 

『待って待って待つずら。無茶ずらよ。国木田花丸の意識はより深い層にあるって言ったずらよね? 体だけ外に引っ張り出しても意識が戻らなければ直に国木田花丸は死ぬずら』

 

「じゃあ、花丸ちゃんを助ける方法を教えて!」

 

『無茶苦茶言うずらなぁこの子は……。二択って言ったの覚えてないずらか? 国木田花丸はもう助けられないずら』

 

「そんなのわからないよ!」

 

『わかるずら。この精神世界っていうのは、謂わば国木田花丸にとっての心の支えずら。その中にいないってことは、国木田花丸は自分の全てを投げ捨ててしまったってことずらよ。“変身”を望んだ国木田花丸はこれから一つ一つ大切なことを忘れていって消滅し、代わりにオラが新しい国木田花丸として生きていくことになるずら。今、この瞬間、元の国木田花丸が後悔していようと関係ないずら。奇跡でも起きない限り、国木田花丸が目覚めることはないずらよ』

 

「奇跡……」

 

 そこで、ルビィの足は止まってしまった。奇跡という、憎たらしくて愛しい言葉が頭の中でこだまして煌めく。その僅かな輝きがいかに簡単に手のひらを返してくるかを知っているルビィは、もう自信をもって一歩を踏み出すことができなかった。宇宙に瞬く星々の輝きが自分達を裏切ったように、そんな甘い言葉さえ誰も救ってはくれないと、幼いながらも彼女は知ってしまっているのだ。

 

「奇跡、なんて…………」

 

━━━━奇跡なんか起きないって思うな

 

 見知った声が、ルビィの中で優しく囁いた。

 この言葉を知っている。とても力強くて、彼女の否定し続けてきた思いを優しくほどいてくれた人の言葉。都合のいい奇跡なんてこの世にはないのだと思っていたルビィの世界に、ほんのちょっとだけ差した光。

 

    信じるだけじゃ奇跡は起こせねぇ

 でも信じなくちゃ、奇跡は起きない……!

 

 未だに男だというだけで怯えてしまう彼の、その言葉を強く自分の中で握りしめて胸を張る。

 躊躇う理由なんて、最初からない。

 

 花丸の体をそっと下ろしたルビィは、自分もその場に腰を下ろすと彼女を優しく抱き締める。そして躊躇うような大きな沈黙の間を設けたのち、ゆっくりと重たい口を開いた。

 

「……ルビィね、花丸ちゃんのこと見てた。花丸ちゃんがルビィを見ててくれたくらい、ルビィも見てた」

「ルビィに気を使って、無理してるんじゃないかなって思ったから。辛くないかなって不安だったから。……でも、花丸ちゃん笑ってた」

「美味しそうにご飯を食べてるときみたいに。新しい本を読んでるときみたいに。練習中も、みんなといるときも、すごく楽しそうに笑ってた」

「だからルビィ思ったの。花丸ちゃんも、ルビィと同じくらいスクールアイドル好きなんだって。好きになってくれたんだって……!」

 

 ぽつぽつと吐き出し始めた心中に、花丸は茶々を入れることもなくただ静かに聞き耳をたてていた。奇跡をひた向きに信じる彼女の姿に心打たれたわけでも無いだろうに。見守るような、憑き物が落ちた眼差しで静かに。まるでこの時を待ちわびていたかのように優しい目で頬杖をつく。

 

「ルビィだって弱いよ! 変わりたいって思う! 花丸ちゃんに頼ってばかりなルビィも、如月先生に怯えちゃうルビィも、人見知りなルビィもやめたいって思う。でも、だからこそこんな力に頼っちゃダメなんだよ!」

「一人でなんて変われない。ルビィも、きっと花丸ちゃんも弱いから、一人で変われるなんて思わない。だからルビィは、花丸ちゃんと一緒に変わりたい! 一緒にスクールアイドルして、“変身”して、新しい自分になりたい! ワガママかもしれないけど、ルビィは花丸ちゃんと一緒にいたい! だからお願い。目を覚まして、花丸ちゃん!」

 

 話終えたルビィの瞳から、一筋の涙がこぼれる。その滴は頬を伝い、はぐれた数滴が眠りにつく花丸を濡らす。咽び泣くルビィの目元を拭ってくれる人はいない。それでも“奇跡”を信じるルビィは強く花丸を抱き締めた。

 

「…………ルビィ、ちゃん?」

 

 涙を止めてくれる声がした。そっとルビィの頬に触れた温もりが、二人に希望の光を照らし出す。

 

「オラも、ルビィちゃんと一緒にいたい。いいかな……?」

 

「……うん!!」

 

 はにかみ合う二人を見届けたもう一人の花丸は、満足げに立ち上がる。満を持して動き出した彼女に気付いたルビィだが、心のどこかで警戒という文字は不要だと切り捨てていた。安心感というには少し違う、しかし怖さももう感じない不思議な感覚があったのだ。

 もう花丸とは似ても似つかない彼女は、穏やかな声を紡いだ。

 

『ようやく受け入れてくれた? 私』

 

「……貴女はオラなんだね。今まで色んなことを押し付けてきた、オラの心の弱い部分」

 

『さ。消えたくなければ、生きたければ、とっとと行って。時間は待ってくれない━━

 

 見た目からは想像のできない腕力でルビィの襟首を掴んだ彼女は、浮いた足に目が点になる少女を大きく振りかぶり……

 

 ━━よっ!』

 

「ぴぎゃぁぁ!?」

 

 抵抗する間も与えず、軽々と渦の中へと放り込んだ。ルビィのか細い悲鳴が聞こえなくなると、もう一人の花丸は次に花丸の襟首を掴もうとする。しかし、その手をやんわりと払った花丸は、もう一人の自分に笑みを向けた。

 

「大丈夫。オラはもう、一人で立てるよ」

 

『……そう』

 

 重い体をゆっくりと持ち上げた花丸は、自分の足でしっかりと立ち上がった。もう一人の花丸は、よろめく彼女を支えることもなく、その背中を押すこともなく、ただじっと明日へ向かう姿から目を反らさない。役目を終え消えてしまった渦を少しの間見つめていた彼女は肩の荷が下りたのか、うんと一つ伸びをした。

 

『ここも賑やかになるなー。もう、オラの居場所はないかも。……あ、まだオラって言っちゃってるずら』

 

 そう呟いた彼女は、心底楽しそうに笑った。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

『賢吾! ゾディアーツから国木田の体が出てきた!』

 

「弦ちゃん先生! ルビィちゃんの体の繭も無くなったよ!」

 

 レーダーモジュール越しに報告する弦太朗たちの目の前で、二つの星座━━盾座と小犬座をもつゾディアーツから左半身だけが溶け落ちた。小犬座のカニスミノルゾディアーツを脱ぎ捨て立ち竦む異形は、内側から更に闇を放出してその身に纏う。吸収した闇の影響か、色が抜け落ち黒々しく変色した西洋甲冑に身を包む、涙滴型の盾を両手に携えた盾座・スクトゥムゾディアーツは先程までの乱心した様子はなく、ただ静かに騎士然とした様子で構えた。

 

『うっし! こっからが本番ってわけだ』

 

『気を付けろ弦太朗。スクトゥムは防御力に長けたゾディアーツだ。物理的な攻撃は効果が薄いぞ』

 

『じゃあ、こいつで行く』

 

《ELEK》

 

 フォーゼが取り出したのはクリアオレンジ一色のスイッチ、「No.10エレキ」。他のアストロスイッチとはどこか違う存在感を放つそれを右腕のスイッチと交換し、ブレーカーのようなスイッチをオンにする。

 

《ELEK━ON》

 

 その瞬間、曜の髪を静電気が優しく撫でた。

 モジュールを展開するだけではない、“普通じゃない”スイッチのみが持つ特殊な性質「ステイツチェンジ」。その秘めたる素質を解放したエレキスイッチは、フォーゼに強力な電気の力を授け新たな姿へと変えていく。梨子が目を細めるほどの目映い電撃がフォーゼの装甲を包み込み、その色を瞬く間に金色(こんじき)へと染め上げた。雷神太鼓の意匠がその身に刻まれ、稲妻の走るマスクに複眼は青。

 

「金ぴかのフォーゼだ……!」

 

 千歌の言葉を背中に、右手に出現したロッド型のエレキモジュール「ビリーザロッド」を担いだ“ありのままを受け入れる心”が覚醒させた力、フォーゼ・エレキステイツは、真っ白な左拳をスクトゥムへとつき出して力強く宣言した。

 

『仮面ライダーフォーゼ、ようやくタイマン張らせてもらうぜ!』

 

 間髪いれずに迫ってくるスクトゥムの攻撃をかわし、鍔にある三つのユナイテッドタップの内の一つに柄尻から伸びるイグニッションプラグを刺しこむ。近接戦闘に最適な「帯電」を選んだ弦太朗は、追撃を仕掛けてきたスクトゥムとのすれ違い様にビリーザロッドを腹部目掛けて一閃した。

 

『このパワー、シビれるぜ?』

 

 声を漏らすこともない無言のスクトゥムだが、電撃は有効だったようで痺れが足の自由を奪い膝をつく。プラグを差し替え「放電」を選択した弦太朗は、空中でビリーザロッドを振り抜くことで電撃の塊を射出する。

 

『食らいやがれ!』

 

 最早誰の意思をもって動いているのかわからないスクトゥムは、反射的に両手の盾で防御を試みる。しかし受け止めた電撃は盾からスクトゥム自身へと伝い、ゾディアーツの手から唯一の武装を剥ぎ取った。

 スクトゥムの身を守るものは何もない。しかし逃げることも拳を握ることもないゾディアーツに何かを悟った弦太朗は、フォーゼドライバーからエレキスイッチを抜き取った。

 

『弦太朗』

 

『わかってる。……()()なんだな、お前』

 

 賢吾の言葉を遮った弦太朗は、弔うような一言と共にビリーザロッドにエレキスイッチを装填する。エレキスイッチの力で増幅した電撃が周囲を駆け巡り、フォーゼは一撃必殺の力を解放したビリーザロッドを構えて腰を落とした。

 

《LIMIT BREAK》

 

『あばよ、国木田』

 

 ゾディアーツは答えない。それでも弦太朗は、けたたましい警告音が鳴り響く校内を切り裂くようにビリーザロッド振り抜いた。

 

『ライダー100億ボルトシューートッ!!!』

 

 地を抉る一筋の電撃が、防御も回避もしないスクトゥムを容赦なく襲う。満足げな表情にも思えた異形は悲鳴をあげることもなくその一撃を受け、爆炎のなかで静かにその生涯に幕を下ろした。弾き出されたスイッチは催促するかのように弦太朗の手にすっぽりと収まり、弦太朗もその意思を汲み取り迷うことなくオフにする。消失した虚空を握りしめ、フォーゼは少し寂しそうに呟いた。

 

『……やったぜ』




「聞きましたよ、如月先生。スクールアイドル部、部員増えたそうですね」

「あ、無咲先生。そうなんですよ! 一年のルビィと花丸! これで五人です!」

「黒澤会長の妹さんと、図書委員の国木田さんですか。二人とも、そういう人前に立って何かするっていうイメージじゃなかったんですけどね」

「まあ、二人とも静かな方ですからね。……でも、千歌が言ってたんです。できるかどうかじゃなくて、やりたいかどうかだって。二人がやりたいって思ってくれたなら、挑戦する価値はありますから。それで笑い支え合える仲間になれれば最高じゃないッスか」

「ふふっ、そうですね」

「ダチとの笑顔は青春のしおりです。辛くて、悲しくて、心が折れそうなくらい苦しいことがあっても、ダチとの笑顔、絆が思い出させてくれる。それを乗り越えられる強さを」

「青春のしおりですか……。とっても、ロマンチックですね。……それでその、私にもしおりが欲しいというか、お祝いというか、親睦を深めるという意味でこの後しょくj「いけね! もうこんな時間だ。すみません先生! 俺、津島のところ行かなくちゃなんで、お先に失礼しますね!」あ、はい、おつかれさまでしたー」


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。