逸見エリカの姉 (イリス@)
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第1話:悪戯好きな姉

 戦車道の朝練習を終えて登校した私が教室に入った時、隣の席にいつもと違う異様な光景が広がっていました。

 

「はあ……」

 

 常に凛々しい表情を崩さず、戦車道チームの副隊長として皆を引っ張ってくれるエリカさんが、憂鬱そうに顔を歪めながら教室の机に伏せ、何度もため息をついているのです。

 

「エリカさん、どうかしたんですか? 元気無さそうですよ」

 

 普段では考えられない姿に心配になって声をかけるとエリカさんは机に伏せたまま暗い声で答えてくれました。

 

「ん、ちょっとね……明日から来る短期編入生のことを考えると落ち着かなくて」

「そういえば、とうとう受け入れが始まるんでしたよね」

 

 つい先日のこと、提携校との連携強化や戦車道の振興を目的に他校の戦車道履修者を短期編入という形で受け入れる制度が導入されることが西住隊長を通じて伝達がありました。

 編入生は指導役の監督の元、黒森峰で戦車道に関する技術や練習方法、指導についてのノウハウを学び、自身の学校に還元することになっているのですが、エリカさんは隊長直々に指導責任者に任命されているのです。

 積み重ねの無い、ゼロから始める制度で何もかも手探りで進めなければならないという問題は勿論のこと、あくまで他校の生徒という難しい立場であるという点から見ても、容易にはいかないであろうことは間違いありません。

 それを考えれば、エリカさんがプレッシャーを感じてしまうのは無理も無い話です。

 

「初めての制度ですから仕方ないですよ。私も手伝いますから一歩ずつやっていきましょう」

 

 少し前までのエリカさんは、みほさんのこともあって自分がどうにかしないといけないと1人で抱え込んでしまうことが多く、とても辛そうにしていました。

 少し前にみほさんと話した時に憑き物が落ちたのか、最近は私たちを頼ってくれるようになりましたけど、それでもまだまだ1人で思い悩んでいることが少なくありません。

 こうやって声をかけることで少しでもエリカさんの力になれればいいんですが。

 

「別に制度自体にどうこうってわけじゃないのよ、よりにもよってどうしてあれが来るのよ……」

「もしかして、エリカさんのお知り合いなんですか?」

 

 ぶつぶつと口から溢れてくる文句を聞く限り、どうもエリカさんは指導の方法や責任よりも編入してくる生徒の方を気にしているみたいです。

 

「一体誰が来るんですか?」

「……なのよ」

「え、なんですか? よく聞こえません」

 

 聞き取れない声でボソリボソリと呟くエリカさんにそれを聞き返す私。

 そのやり取りを何度か繰り返したところでエリカさんはようやく顔を上げて、弱弱しいながらも芯の通った声で答えました。

 

「……姉よ」

「え?」

「だから、姉。今回編入してくるのは私の姉さんなのよ」

 

 言い終わるや否や、エリカさんは再び机に顔を伏せてしまいました。

 

「そうだったんですね、お姉さんが……」

 

 エリカさんにはお姉さんがいるという話は聞いていましたが、戦車道をやっているという話は初耳でした。

 というより、ほとんどお姉さんに関する話をエリカさんから聞いたことがありません。

 もしかして仲が悪いんですか? とおそるおそる問いかけるとエリカさんは仲が悪いわけじゃないけどと言いづらそうにしながら答えてくれました。

 

「姉さん、大の悪戯好きなのよ。子どもの頃からしょっちゅう私を巻き込んで周りを驚かせたりするの」

「それはまた……エリカさんとは全然違うタイプの人なんですね」

「まあね、姉さんがここでも何かしでかすんじゃないかと思うと正直不安でしょうがないわ」

 

 よほどお姉さんのことが心配なのか、ため息をつきながら窓の外を見つめるエリカさん。

 でも、その表情は本気で嫌がっているのではなく、どこか複雑な気持ちを抱えているように見えます。

 たぶん、エリカさんはお姉さんの悪戯に困っているだけで、決して嫌っているわけではなく、もしかしたら、むしろ姉妹としての仲は良好だからこその悩みなのかもしれません。

 

「お姉さんが来たら紹介してくださいね。是非お話ししてみたいので」

 

 ほんの僅かな会話だけで私の中のお姉さんへの興味は膨らんでいくばかりで、まるでタイプが違うにも係わらず、姉妹仲も悪くない2人が一体普段どんな会話をしているのか気になって仕方がありません。

 エリカさんは嫌がるかもしれないけど、可能であればゆっくりお話をしてみたいという気持ちを私は抑えきれませんでした。

 

「……別にいいけど、その代わりに一つだけお願いしてもいい?」

「ええ、もちろん」

 

 もしかしたらエリカさんに嫌がるかもしれないという心配も多少ありましたが、どうやら杞憂に終わったようです。

 なんでも言ってくださいと微笑む私に対してエリカさんは僅かに微笑んだかと思えば

 すぐにいつもの凛々しい顔に戻って私の手を握り――

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 真剣な眼差しを向けたまま、私の理解できない言葉を呟きました。

 

 

 

 

 

 

『ちょ、ちょっと、何これ、どうなってるの?』

『なにこれ、もしかして忍術?』

 

 私が聞き返そうとしたところで廊下の方から耳にしたことの無いざわめきが聞こえてきました。

 放課や休み時間でも比較的静粛なことが多い黒森峰ではあまり見られない様子に教室のクラスメイト達も次々と廊下を覗き始めますが、彼女たちはまるで幽霊でも見たかのような驚愕な表情を浮かべながら一斉にこちらへ視線を向けてきました。

 

 一体廊下で何が起こっているのか。

 廊下を覗きに行くべきかそれともここでしばらく様子を伺うべきか、と思案しているうちに私は廊下の騒ぎの原因とエリカさんの言葉、双方の意味を理解してしまいました。

 

 教室の前扉から入ってきた少女は銀色に近い髪に凛々しい表情、均整のとれたスタイルに黒森峰の制服を身に纏う見慣れた姿で、何もかもがエリカさんと完全に同一の容貌だったんです。

 

「そういうことだったんですね……」

 

 エリカさんがお姉さんのことをあまり話さなかったことや間違えないでと言った理由も全て合点がいきました。

 姉の話をしてしまえば、どうしても一卵性の双子ということが知られてしまい、周囲から大きな話題の種になってしまいます。

 

 エリカさんの性格からすればそういう詮索を嫌っても不思議では無いですし、あれだけ似ていれば恐らく大勢の人に間違えられてきただろうと容易に想像できるので、そのあたりも気にしているのかもしれません。

 もっとも、悪戯好きらしいお姉さんは積極的にエリカさんのフリをしていそうな気はしますが。

 

『もしかしてドッペルゲンガー!』

『いやいや、ありえないでしょ。ただの双子じゃないの?』

『逸見さん双子だったんだ。凄ーい』

 

 騒然とするクラスメイトを尻目に、お姉さんは何か思うところがあるのか、エリカさんそっくりのしかめっ面を浮かべたまま無言でこちらへ向かってきます。

 勢いに気圧されたのかそれとも気まずいのか、エリカさんは机に顔を伏せてしまい、その表情は伺いしることはできません。

 ここは止めた方がいいのか、それとも様子を見てから動いた方がいいのか。

 私が行動を決めかねているうちに、お姉さんはエリカさんの机の前まで到達すると、右手を思い切り机に叩き付けて苦々しく口を開きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして私の机に座ってるのか、説明してもらえるかしら? ()()()

 

 

◇◇--------------------------------

 

 少し冷静になって考えれば単純な話でした。

 そもそも、あのタイミングでわざわざお姉さんが教室へやってくること自体が不自然だったんです。

 エリカさんに話したいことがあれば携帯電話で連絡を取り合えばいいですし、朝の人が疎らなこの時間に教室へ行ってしまえば、悪戯としてはどうしてもインパクトに欠けてしまうため、悪戯好きのお姉さんからすれば不本意なことこの上ありません。

 他の人を効果的に驚かせたいなら方法は2つ。

 普通にHRで先生と一緒に全員の前に現れるか、エリカさんに成りすまして教室で過ごすかの2択しかありません。

 

「すっかり騙されちゃいました。最初からお姉さんとお話し出来ていたんですね」

 

 机に伏せ続けるエリカさん、いや、お姉さんに対して私が感じた気持ちは騙された悔しさよりも、素直に感嘆の言葉でした。

 元々同じような気質なのか、演じていたのかはわかりませんが仕草も口調も違和感無くエリカさんそのものでしたし、机に何度も顔を伏せたり、私の名前を決して呼ばなかったのも万が一、細かい表情や呼び方から正体がばれないようにするための工夫だったのかもしれません。

 

 もし、本物のエリカさんが来なかったら、きっと私は今もお姉さんをエリカさんと思って接し続けていたでしょう。

 

「だから言ったでしょ? 悪戯好きだって」

 

 いつの間にかお姉さんは机から顔を上げて、エリカさんが決して見せないであろう満面の笑みで私に微笑んでくれました。

 

 しかし、その笑顔も――

 

「職員室で待っててって言ったのに! どうして教室にいるのよ!?」

「痛い! 痛い! 痛いっ! エリちゃんごめんってば」

 

 怒り心頭のエリカさんがお姉さんの耳を掴み上げたことで一瞬で崩壊してしまいました。

 

「だって、校舎に入ったら皆私のことエリちゃんと勘違いしてくれたから、つい面白くなって……」

「ついじゃないわよ。もう子どもじゃないんだから、くだらない悪戯はやめてって昨日も言ったじゃない!」

 

 エリカさん、もといお姉さんは机に伏せたまま本物のエリカさんに怒られています。

 どうやらエリカさんはお姉さんが来なかったことで、長年の付き合いから自分に成りすましているのではないかと察して教室へ直行してきたみたいです。

 やはり、姉妹だけあってお互いのことをよく理解してるんだなあと実感します。

 

「いいから、早く来て! いつまで経っても姉さんが来ないって先生も困ってたのよ」

「もう、わかったってば。ちゃんと行くから、耳を引っ張らないで」

「最初から素直にそうすればよかったのよ」

 

 赤星さんまた後でね、と私に微笑みながらエリカさんに手を引かれ連行されるお姉さん。

 その姿は仲の良い姉妹のやり取りそのもので非常に微笑ましく感じられて、これからしばらくはこうした2人のやり取りが見られるのかと思うと私の期待は膨らむ一方でした。

 

 とりあえず、お昼は一緒に食堂へ誘ってみようかなあと企みつつ、私は手を振りながら廊下へ向かう2人を笑顔で見送りました。

 

 



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第2話:悪戯好きな姉を隠したい妹

時系列的には前話の少し前



 それは隊長と戦車道履修者短期編入制度の打ち合わせを終えて、寮に戻った時だった。

 廊下ですれ違ったヤークトパンター車長の直下が私の顔を見るなり、まるで幽霊でも見たかのような驚愕の顔を浮かべながらよくわからないことを言い出したのだ。

 

 「あ、あれ? 逸見さん、いつの間に外に出たの?」

 

 直下曰く、さきほど彼女が談話室へ行こうと部屋を出た際に大きな荷物を抱えた私が部屋に入るのを目撃したらしい。

 その時はさほど気にしなかったが、いざ談話室の前まで来たところで部屋に入ったはずの私が玄関方向から向かってきたのに驚いて声をかけてきたらしい。

 

「あなたのことだから、どうせ見間違いか寝ぼけてたんじゃないの? しっかりしなさいよね」

 

 正直なところ私は直下の目撃情報をまったくと言っていいほど信用していなかった。

気さくで面倒見の良い直下は多くのメンバーに慕われている上に車長としても優秀で、一見非の打ちどころの無いように見えるものの、日常生活においてはかなりそそっかしい面があり、やらかした時の度合においてはあの子――みほ以上に酷かった。

 

 マークシートの解答を1つずらしで記入して補習一歩手前になった事件や、財布を忘れて陸に上がってしまうといった大失敗のエピソードは近しい者であれば何度も耳にする話だ。

 

「ええ~、あれは絶対逸見さんだったよ。信じてよ~」

 

 直下は私の肩に手を載せて懇願するかのごとく表情で訴えてくるが、実際に目撃されたはずの当人が今帰ってきたばかりの私という時点で信憑性がまるで無いのだから、信じろという方が無理な話だ。大方、寝ぼけて夢でも見ていたか、誰かを見間違えたに違いない。

 「はいはいわかったから」

 

 生返事を返しながら肩に乗せられた手をどかし、「疲れてるなら早く寝た方がいいわよ」と告げてその場を立ち去ろうとするが、直下はまだ諦めきれないのか私の手を掴んで離そうとしない。

 

「嘘じゃないってば。どう見ても逸見さんだったんだから」

「だから、私は帰ってきたばかりだって言ってるでしょ。誰かと見間違えたに決まってるわよ」

「いくら私でもドッペルゲンガーか双子でもない限り逸見さんを間違えるわけないじゃん」

 

 互いに譲らない押し問答の最中、直下が放った何気ない一言。

 その言葉を聴いた途端、私の頭の中にある仮説が浮かんできた。 

 

「逸見さん?」

「いや、まさか……そんなはずは」

 

 怪訝な顔をする直下に後で話を聞くからと言い残して手を強引に振りほどき、そのまま自身の部屋へと大急ぎで歩みを進める。

 歩みを速めれば速めるほど嫌な予感がまるで光に集まる虫のように増殖していくのがわかる。

 

 

 私が思い浮かんだ仮説――。

 それは、直下が私と姉さんを見間違えたという可能性だ。

 

 

 

 

 私と姉さんは一卵性の双子で生まれた時から髪の色や顔立ちは勿論のこと容姿は完全に瓜二つだった。

 付き合いの長い友人どころか両親からも見た目だけでは時々混同されるほどで、初対面で見分けられた人は皆無に等しい。

 わざわざ積極的に話すことでも無いし、余計な注目を浴びたくないと考えた私は黒森峰では姉が双子であることは誰にも話していなかったので、おそらく直下は一般的な例えとして口に出しただけなのだろうけど、思い返してみれば、小学校の頃、姉さんは私に成りすまして私の友達や両親を驚かせる悪戯を頻繁に行っていたので、さっきの直下のような食い違いがよく起きていたような気がする。

 

「まさか……ね、いくら姉さんでもさすがに……」

 

 もし直下の言っていることが事実であったと仮定した場合、目撃された人物は十中八九姉さん以外の何者でもない。

 ただ、私はまだその悪い予感が間違いであることを信じたかった。

 姉さんが昔から悪戯好きなのは事実だったが、黒森峰に来る理由も無ければ、わざわざ悪戯をするためだけに黒森峰に来るほど暇人でも無いだろうし、高校生にもなって妹のフリをするなんて子どもじみた真似をするはずがない。それを考慮すれば、まだ直下が寝ぼけて見間違えたという方がまだ可能性がある。

 いや、むしろそうであって欲しい。

 心の底から信じたかった。

 

「おかえりなさい、エリちゃん。遅かったから心配してたんだよ」

 

 だが、そんな私の儚い願望は部屋の前に差し掛かった瞬間、中から黒森峰の制服に身を包んだ姉さんが出迎えたことで脆くも崩れ去った。

 

「……何してるのよ、姉さん」

「何ってエリちゃんの帰りを待ってたんだけど。ご飯もう食べた? まだなら一緒に食べよ」

 

 学園艦内のお店で購入したであろう黒森峰印のヴァイスヴルストを掲げながら満面の笑みを浮かべる姉さん。

 一方の私は希望を打ち砕かれたショックと困惑で頭を抱えてしまった。

 どうやって部屋の中に入ったのか。いや、それ以前にどうして黒森峰にいるのか。

 いや、理由はどうあれ、妙な注目を集めないよう双子だという事実をせっかく隠し続けてきたのに、ここで姉さんを誰かに見られたら全てが無駄になってしまう。

 一体どうすればいいのか。混乱した頭を必死に働かようとするも考えがまとまる気配は無い。

 呆然と立ち尽くす私に、さらに追い討ちをかけるような事態が起こってしまう。

 

「副隊長が瞬間移動? 直下さあ、お前どうせ寝ぼけてたんだろ」

「もう、みんな酷いよ。私はそこまで抜けてないってば」

「そうは言っても過去の事件が……ん、どうした副隊長ドアの前で立ち尽くしたりして」

 

 どうやら私が当惑している間に接近してきたのだろう。

 姉さんを目撃した直下、それにパンター車長の雛芥子がいつのまにか開いたドアのすぐ横にまで差し迫っていた。

 幸いにもまだ扉の影になっているから姉さんの姿は2人に見られていないが、このままではいつ発見されるかわかったものじゃない。

 

「……別に。ちょっとドアの調子が悪かったから確認してただけよ」

「そうなのか? そういえば副隊長。さっきも寮母さんに部屋の鍵がうまく開かないと言って交換してもらってたな」

「しっかり見てもらった方がいいんじゃない? 私の部屋も窓が開きにくくて困ってるんだよね~」

 

 雛芥子の話から察するにどうも姉は私のフリをして首尾よく中に入り込んだらしい。

 子どもの頃とまったく変わらない姉の行動には呆れ果てて何も言えないが、とにかく今は姉の存在を隠すことを最優先にしなくてはならない。

 既に直下だけではなく、雛芥子にまで目撃されている以上、一刻の猶予も無い。

 私は2人の隙を見て、すぐ側で微笑む姉に対して扉を閉めるから奥に入ってと目でサインを送る。

 すると姉さんはその私の仕草をじっと見つめたかと思うとゆっくりと頷いてくれた。

 ほっと一息をつき、直下と雛芥子へ目を向けようとしたその時。

 

 

 あろうことか、姉さんは私のサインに反してゆっくりと前へ歩みを進める。

 戸惑う私が止める間も無く、姉さんはそのまま私の横から顔を出して――。

 

 「こんばんは」

 

 2人の方へ満面の笑みを向けてしまった。 

 

 そう、私は焦りのあまり完全に失念していた。

 悪戯好きの姉がこんなシチュエーションを逃すはずが無いのはわかりきったことだったのに。

 

 「え? えっ?」

 「こ、こんばんは……」

 

 突然の事態に理解が追いついていないのか、2人とも目を点にしたまま私と姉さんの顔を交互に確認していて、そんな2人の様子を姉さんはしてやったりとばかりの楽しそうな顔で眺めていた。

 隠蔽しておきたかった姉さんの存在が一気に白昼の元に晒されてしまった私は、キリキリと悲鳴を上げる胃を押さつつ、これからのことについて覚悟を決めた。

 もうここまで来てしまったら隠し切ることは出来ない。

 なら、せめてこの2人を落ち着かせてダメージを最小限に抑えよう。

 方針を決めた私は、姉さんの腕を掴んで有無を言わさず部屋の中へ押し込むとドアを閉め、そのまま廊下で立ち尽くす2人の前に対峙した。

 

「あのさ、逸見さん。今の人は……その……」

「そ、そうだ。説明を要求するぞ」

 

 落ち着いてだいぶ事態が飲み込めてきたのか、説明が終わるまで絶対に放さないと言わんばかりの視線を向けてくる2人。

 戦車道の試合中ですら滅多に受けたことの無い強烈なプレッシャーを前に、私は2人に一体どこから説明するべきなのかと必死に頭を働かせていた。

 

 

 




少し修正


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第3話:悪戯好きで妹が大好きな姉

 

「明後日からしばらく黒森峰に通うことになったからよろしくね」

 

 直下と雛芥子への説明を終え、疲労困憊で部屋に戻った私に追い討ちをかけるかのように、姉さんはとんでもないことを言い出した。

 

「……冗談でしょ?」

「もう、冗談なんかじゃないってば。この服見ればわかるでしょ?」

 

 身に着けた黒森峰の制服を嬉しそうに見せ付ける姉さんとは対象的に、私はこれから起こるであろう事態を想像して頭を抱えてしまう。

 私に双子の姉がいてそれが編入してきたなんてことになれば、噂は一瞬で学園中へ伝わってしまうことは間違いない。

 変な注目を浴びかねないのが嫌というのは勿論だけど、下手をすれば姉さんがあちらこちらで私のフリをしてうろつきかねない。そんなことを考えるだけで、さっきから悲鳴を上げていた私の胃がさらに痛みを増していくのがわかってしまう。

 こんなすぐにばれるなら、直下と雛芥子に口止め代わりのノンアルコールビールを差し出すんじゃなかった。

 

「そもそも何しに来るのよ。姉さんが黒森峰に通う理由なんてないでしょ」

 

 姉さんは九州を母港とする学園艦の中で随一の進学校に通っている。

 黒森峰も勉学に関しては力を入れている方ではあるけど、それでも向こうの学園艦に比べてしまうとわざわざこちらに編入してまで学びたい内容があるようには思えなかった。

 一瞬、悪戯のためかとも頭をちらつくものの、姉さんは悪戯好きな困った人ではあるけど、それだけのために短期編入してくるほど愚かな人じゃないと思い直す。

 

「エリちゃんはもちろん知ってるよね? 戦車道履修者の短期編入者制度」

「知らないわけないじゃない。副隊長だし、一応私が指導責任者なんだから」

 

 姉さんが言っている黒森峰の戦車道履修者向けの短期編入制度は二週間前に導入が決まったばかりの新しい試みで、表向きは提携校への支援及び戦車道の振興のために黒森峰の戦車道履修を希望する学生を期間限定で受け入れる、ということになっている。

 実際は「大洗の奇跡」の影響で戦車道に力を入れ始めた弱小校を取り込むことで、2年連続準優勝に終わり、強豪校としての威信が揺らいでいる黒森峰のイメージ回復及び高校戦車道界への影響力を維持することが生徒会やOG、西住流関係者の目論見らしい、と西住隊長がこっそり教えてくれた。

 私個人としては、ミーハーなノリで技量も根気も足りない子に来られても邪魔なだけでかえって黒森峰にとってマイナスなのではと心配したものの、隊長曰く、そういったことが無いよう、履修希望者には黒森峰の練習内容を周知して、中途半端な覚悟では来ないようにと念を押しているらしい。

 その甲斐あってか、有象無象の希望者が押し寄せることはなく、明日最初の編入者1名が手続きに来るということは今日の幹部打ち合わせで隊長から事前に説明があった。

 

「まさか姉さん……」

「ふふん、そうだよ。私がその記念すべき短期編入者第1号なんだ」

 

 「凄いでしょ」と胸を張る姉さんに私は空いた口が塞がらなかった。

 黒森峰に姉さんがやって来るというだけでも一大事なのに、よりにもよって戦車道の編入制度を利用してくるなんて想定外なんてレベルの話では無い。

 

「考え直したら? 勉強の息抜きで戦車道やってる姉さんがついていけるほど、うちの練習は甘くないのよ」

 

 笑みを絶やさない姉さんを窘めるように私は強い口調で告げる。

 確かに姉さんは小学校の頃までは私と同じチームで本格的に戦車道をやっていた。

 でも、進学した学園艦は戦車道に関してはまったくと言っていいほど話を聞かない無名校。

 戦車道自体は今でも続けているとは聞いていたものの、そのような環境で黒森峰の激しい練習に耐えられるほど厳しく戦車道に取り組んでいるとはとても思えなかった。

 

「もしかして心配してくれてるの?」

「勘違いしないで。中途半端な気持ちや実力で練習の邪魔になったら困るって言ってるの」

 

 つい、強い口調で言い切ってしまったが、別に姉さんのことを心配していない訳じゃない。

 わざわざ短期編入までしてきた姉が練習の厳しさで脱落してしまい、辛い想いをして帰ってしまうなんてことになれば、妹として良い気持ちがするものではない。

 だが、その程度で根を上げてしまうぐらいなら、早く帰ってもらった方がチームにとってのマイナスは少ないのも事実。

 薄情と思われるかもしれないが、副隊長としての立場上そちらのことを優先せざるをえない。

 

「心配してなくても大丈夫。エリちゃんが困るようなことにはならないから安心して」

 

 私の考えを見透かしたのか、姉さんは珍しく真面目な表情を見せると愛おしそうに私の髪を撫ぜる。

 姉さんは昔からこうしたスキンシップが好きで、人前でもお構いなしにベタベタしてくるのが日常茶飯事だった。

 恥ずかしいから止めてと手を掴むと、「はいはい」と言いながら私の手をそっと掴み返してきた。

 

「こう見えて結構ちゃんとやってるんだよ、うちの戦車道チーム。まあ、人数も戦車も少なくて他校と試合する機会も全然無いからしょうがないんだけどね」

 

 手を握りながらじっと私の目を見つめる姉さんの顔は真剣そのもので、中途半端な気持ちは感じられなかった。

 悪戯好きでどうしようもない姉さんだけど、こういった時に決して嘘をつかないのを私は知っている。

 その姉さんがそこまで真面目に言うのであれば、私にはその言葉を信じる他無かった。

 

「……笑い者にならない程度には頑張ってよね」

「もちろん」

 

 姉さんはいつもの笑みを浮かべると傍らに置いてあったビニール袋を掲げ、お腹空いたから何か食べる? いっぱいあるよと中から買いこんできたであろう食材を取り出す。

 ヴァイスヴルストやノンアルコールビールの缶、プレッツェルなどなど、私からすれば見慣れた味のものばかりだけど、他の学園艦から来た姉さんとしては珍しくてしょうがないのだろう。

 楽しそうに食材を選ぶ姉さんを見ていると実家にいるようでどこかほっとする。

 

「でも、どうしてわざわざ短期編入してまでうちに来たのよ? まさか悪戯がしたかったわけじゃないでしょうね?」

 

 姉さんから受け取ったノンアルコールビールの蓋を開けながらふと生じた疑問を口にした。

 話を聞く限り、向こうの学校でも戦車道に関してはそこそこ取り組んではいたはずなのに、わざわざ戦車道短期編入制度を使ったということは、黒森峰でしか出来ない何かを求めてのことであるとは思ったものの、それが何かというのは検討がつかなかった。

 

「色々と理由はあるんだけどね、やっぱり一番の理由は大洗連合と大学選抜の試合映像見たことかな」

「ああ、あれ。姉さんも見てたのね」

 

 大洗連合と大学選抜の試合は様々な事情から公式上は試合映像について非公開とされているが、何故か試合開始直後からあらゆるサイトで生放送が配信され、現在もあらゆる動画サイトでアップロードと削除が繰り返されているらしい。

 そのため、よほど電子機器に疎い人でなければすぐに見られてしまう試合動画の一つに過ぎない。

 

「エリちゃんのティーガーⅡを見て思ったんだ。エリちゃんは本当に凄くて、こんな凄い妹と私は戦車道をしてたんだなあって」

 

 あの試合、私がもっと頑張っていれば西住隊長とあの子がもう少し楽が出来たのではないかと今も悔しくて堪らない。

 でも、嬉しそうに私のことを語る姉さんの顔を見ていると、とてもそんなことは言えなかった。

 

「だからね、エリちゃんとちょっとの間でいいからまた一緒に戦車道したいなって……そう思ったの」

 

 今日一番の笑みで言い切る姉さんに私は照れくさくなって顔を背けた。

 姉さんはいつもこういう恥ずかしいこと――

 私をからかうためでもなんでもなく心の底から思っている本音を隠す気も無く、ストレートにぶつけてくる。 

 こういうところがあるから、多少の悪戯程度では嫌いになんてなれるはずがない。

 

「……それで、色々と言うからには他にも何かあるんでしょ理由?」

「え……それはその、ほら色々だよ、色々」

「いや、だからどういうことって聞いてるのよ」

 

 照れくささを誤魔化すために他の理由を聞き出そうとしたところ、姉さんは先ほどまでとは打って変わってあいまいな解答しか返してこない。

 理由の中に言い辛い内容のモノがあることは幼い頃からの付き合い故にすぐ理解した。

 確かに姉さんは嘘はつかないし、素直な気持ちをぶつけてくる人だけど、思っていることの全てを口に出すわけじゃない。

 言いたくないことや言うべきでないと判断したことに関してはなかなか口を割ろうとしない。

 そういう人だ。

 

「まあ、いいわ。こうなった姉さんが口を割らないのはわかってるし、追及しないでおいてあげるわよ」

「……ごめんね、エリちゃん」

 

 滅多に見ることの無い姉のしょんぼりとした顔を見るによほど言いたくないことだったのだろう。

 一体どんな理由なのかと気にはなったが、この様子だと口にしそうにはない。

 

「ふん、謝るくらいなら最初から話せばいいのよ。そうやって姉さんはしょっちゅう答えをはぐらかすんだから」

「エリちゃんだって思ったことすぐ口に出すのに一番大事なことは言ってくれないくせに。心配してくれてるなら、そうだって言ってくれればいいのに」

「……余計なお世話よ」

 

 姉さんの指摘どおり、私はそういう感情を表に出すのは苦手で今も実際に口に出していないことがある。

 

 黒森峰に姉さんが短期編入してくると聞いた時、最初に思ったのは双子だと知られて大騒ぎになることへの不安。次が練習の邪魔にならないか、そもそも姉さんは練習についていけるのかという心配。

 でも、ほんの少しだけ、久しぶりに姉さんと戦車道をすることに対する期待とも喜びとも分からない不思議な気持ちがあったのもまた事実だった。

 

 勿論、それを言葉にして姉さんに伝える気はまったく無い。

 

 こんな恥ずかしいことを口にするのは姉さんだけで充分だからだ。

 

 




修正


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第4話:姉と妹と妹の友人

今回はまた赤星さん視点です。


 

 朝の教室で起こったちょっとした騒動の後、残念なことにお姉さんが戻ってくることはありませんでした。

 エリカさんが言うには、授業のある時間は学校や寮といった施設の案内と説明を受けていて、昼食もその途中どこかで食べているらしいです。

 エリカさんも含めてお昼をご一緒できなかったことは残念でしたけど、放課後にお姉さんを迎えに行くというエリカさんに無理を言って同行させてもらうことには成功しました。

 連れて行く代わりにあなたも指導担当者になって貰うからとエリカさんには厳命されましたが、その方が必然的にお姉さんと話せる機会が増えるので私としては願ったり叶ったりの展開としか言いようがありません。

 

 どんなことを話そうか、期待に胸を膨らませて考えているうちにいつの間にか待ち合わせ場所の公園に到着していて、ベンチに腰掛けながら本を読んでいるお姉さんの姿が見えました。

 

「エリちゃん、迎えにきてくれてありがとう。それと確か赤星さん……だったよね?」

 

 こちらに気づいたお姉さんは本を鞄にしまいながら近づいてくると、私の方を見ながら恐る恐る確かめるように話しかけてくれました。

 そうですよ、と答えたところ、「驚かせてしまってごめんなさい」とわざわざ朝の出来事について謝罪してくれたのです。

 

「気にしないでください。むしろ、貴重な体験が出来て楽しかったぐらいですから」

 

 教室にいた全員に違和感を感じさせないほどエリカさんに成りきっていたお姉さんの演技は今思えば非常に見ごたえのあるものでしたし、エリカさんのお姉さんに対する素の態度を見ることも出来て、私としては満足としか言いようが無い経験でした。

 エリカさんにとっては大変だったかもしれませんけど、微笑ましい悪戯だと思います。

 

「……ありがとう。これからよろしくね」

 

 安心したように微笑むお姉さんの表情は朝に会った時同様とても穏やかで柔らかく、やっぱり、顔は似ていてもエリカさんとはかなり印象が違うように感じられました。

 そのまま握手を交わし、お互いに挨拶を済ましたところで、ふとエリカさんの方へ視線を向けたお姉さんはそのままエリカさんのところへ近づくと顔を手で押さえてじっと見つめ始めました。

 

「あれ、エリちゃん、凄く疲れた顔してるけど何かあったの?」

「疲れるに決まってるじゃない。あれからどれだけ大変だったと思ってるのよ」

 

 心配そうにエリカさんのことを見つめるお姉さんを逆にじと目で睨みながらため息をつくエリカさん。

 実際のところ、お姉さんがこうして一目見ただけで気付いてしまうくらい、エリカさんは疲労していたんです。

 

 朝に起こった騒動で、私たちの教室どころか学校中がちょっとした騒ぎになってしまいました。

 なにしろ、あのエリカさんに双子のお姉さんがいて、その上黒森峰に編入してくるという衝撃ニュースですから当然と言えば当然かもしれません。

 その情報は凄まじいスピードで学校中に広まっていったらしく、ホームルームが始まる前には高等部のほぼ全員が知ってる公然の話になっていたみたいです。

 その渦中にいるエリカさんへの注目度は相当なもので、休み時間になるや、クラスメイトどころか他のクラスの同級生、一部の後輩までがエリカさんを取り囲んで質問攻めにするという異様な光景が生まれていました。

 

『ねえねえ、お姉さんいつ編入してくるの?』

『見た子に聞いたんだけど逸見さんにそっくりなんでしょ? 写真とかないの、写真』

『お姉さんも戦車道上手いの?』

 

 副隊長として普段は凛々しい表情で皆を統率しているエリカさんですら今回の熱狂っぷりにはとても対処が追いつかなかったらしく、ひたすら皆の昂揚を抑えることに終始していました。

 明日になれば機甲科に正式編入してくること。

 質問が多過ぎてとても答えきれないので今日の練習後にちゃんと機会を作るから今は解散して欲しい。

 休み時間になる度にこの2つをひたすら訴えかけるエリカさんの疲弊っぷりは相当なものだったようで、最後の授業が終わった途端、机に突っ伏してしまうほどでした。

 

「だってエリちゃん、私と双子だってこと話してなかったんでしょ? もし事前に知ってたらここまで大騒ぎにはならなかったと思うよ」

「それは……そうかもしれないけど……」

「双子だって知っていれば、赤星さんだってエリちゃんじゃないって気付けたかもしれないよ?」

 

 事実、私もエリカさんにお姉さんがいるということ自体は知っていましたが、それが『双子の姉である』という最も重要な情報に関しては知らされていませんでした。

 ただ、双子だという知識が事前にあったとしてもあの時のお姉さんをエリカさんではないと気付けるかどうかはまた別です。

 

「それでも難しかったと思います。あの時のお姉さんは完全にエリカさんに成りきってましたから」

 

 仕草や表情も普段のエリカさんと瓜二つで、私は何も違和感を感じることができませんでした。

 誰か人の名前を呼んでもらったり、エリカさんしか知らないようなことを話せればまだわからなかったかもしれませんが、巧妙にそのような話題を避けて会話をしていたのでそれも難しかったかもしれません。

 

「当然よ。それぐらいやれないようなら黒森峰副隊長の姉なんてやっていられないもの」

「あ、それ凄くエリカさんっぽいですね」

 

 先ほどまでの穏やかな表情から凛々しい顔に変貌するお姉さん。

 その見事なまでの切り替えっぷりに思わず感嘆せざるをえませんでした。

 

「だから、私のフリは止めてって言ってるでしょ! 今度やったら本気で怒るわよ!」

「はいはい、わかってるってば。もうしないって朝ちゃんと約束したでしょ?」

「今やったばかりじゃない!」

「これはただ物真似しただけ。エリちゃんのフリしたわけじゃないよ」

 

 微笑ましい姉妹のやり取りで場が和む中、ふと私の頭に素朴な疑問が沸いてきました。

 

「エリカさんはお姉さんの真似ってできるんですか?」

「は? 突然何言い出すのよ」

「いえ、なんとなくですけど。何でもそつなくこなせるエリカさんだったらこういうのも出来るのかなって」

 

 はっきり言ってしまえば個人的な興味以外の何ものでもありません。 

 ただ、やはり、エリカさんになりすましていたお姉さんを見てしまった以上は、

エリカさんの方もどうなのか非常に気になってしまいます。

 

「私もエリちゃんがやる私の真似見てみたいな。なんとなくわかるでしょ?」

 

 私の疑問にお姉さんも気になったのか、援護射撃を送ってくれました。

 エリカさんは普段見ないような渋い顔していましたが、疲労困憊の中、私とお姉さんの期待する目に抗えなかったのか、これっきりよと言いながら顔を手で触って表情を変えてくれました。

 

 

 

 でも、残念ながらその結果は凄惨そのものでした。

 

 口元はお姉さんのように笑おうとしているのがわかるんですが微妙に引きつってますし、何より目が全然笑っていないのがとても怖いです。

 自分で言っておいてこう思うのは申し訳ないんですけど、正直やらない方が良かったとしか言えません。

 

「ひ、酷いよ、エ、エリちゃん。わ、私そんな顔じゃない……あははははっ……お腹痛い……」

 

 よほど壷にはまったのか、お腹を抱えながら大笑いするお姉さん。

 ですが、その直後に怒りの形相に変貌したエリカさんに思い切り耳を掴まれてしまいました。

 

「痛い痛い痛い! エリちゃん、耳は止めてってば!」

「姉さんがやれって言ったくせに笑い過ぎなのよ」

「ごめん、ごめんってば。許してよお」

 

 再び始まった仲良し姉妹2人の掛け合い。

 その光景を穏やかな気持ちで見守りながら、今日の朝感じた期待が間違いではなかったことに私はとても安堵しました。

 思っていた通り、これからしばらく退屈することは無さそうです。

 

 



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第5話:熟睡する姉

 気が付いた時、目の前に広がっていたのは小さい頃の懐かしい記憶だった。

 

『ほら、エリちゃん泣かないで。いい子だから』

 

 泣きじゃくる私を慰めながら、姉さんは「どうしたの?」「何か嫌なことがあったの?」 と優しく問いかけてくれていた。

 

『だって……だってお父さんとお母さんが……戦車道……危ないからダメだって……』

 

 途切れ途切れの嗚咽を漏らしながら訴える度、余計に悲しくなって涙を溢れさせる幼い頃の私。その間も姉さんは頷きながらずっと頭を撫ぜてくれていた。

 

『お姉ちゃん……私……戦車道……やりたいよぉ……』

『そうだね。エリちゃん、お友達と約束したもんね』

 

 夢の中の姉さんが言う通り、私がここまで戦車道に拘ったのはある約束が理由だった。

 夏休みのある日、祖父母の家に遊びに行った私は偶々出会った同じ年くらいの子ども2人に戦車に乗せてもらって一日中遊び回った。

 重厚なフォルムに力強さ。そんな強大な存在を小さな体でも操ることが出来ること。気付いた頃には私はすっかり戦車に魅了されていて、日も暮れた頃、心配して迎えに来てくれた姉さんと帰ることになった私は別れ際にこう宣言した。

 

『私も戦車道する。絶対あなたたちより上手に動かせるようになるんだから』

 

 楽しみにしてるねと笑いながらさよならをしてくれた2人を見送った私は祖父母の家に戻るなり、両親に戦車道がやりたいと訴えたものの、返ってきたのは期待していた了承の言葉ではなく反対の声だった。

 その時は2人との楽しい思い出や約束を否定されているようで悲しさしか感じなかったけど、今になって思えば当時の私はだいぶお転婆で頻繁に危ない行為をしていたから、両親が戦車道を始めることに良い顔をしなかったのも無理の無い話だったと思う。

 

『絶対戦車道やりたいんでしょ? なら、もう一回頼みに行こう』

『でも、またダメって言われちゃうよ……』

 

 不安げな私を安心させるように私の手を握ってくれる姉さん。

 その手は本当に心強くて、いつの間にか幼い私は泣くのを止めていた。

 

『私も戦車道やりたいってお父さんとお母さんに言ってあげる。2人で頼めばきっと大丈夫だよ』

 

 その時の姉さんの表情は、忘れようがないくらい温かい笑顔だった。 

 

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

 

「ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」

 

 目を覚まして最初に目に入ったのは寝転びながら私の顔を覗き込む小梅の姿だった。

 シンプルだけど可愛らしい寝巻きを身に着けた彼女は、まるで小動物でも愛でるような慈愛の表情を私に向けていた。

 

「なんなのよ、朝から人の顔をじろじろと……」

 

 眠い目を擦りながら起き上がると視線に入ってくるのはオシャレな小物やどこかで見たような傷だらけのぬいぐるみの置かれた見慣れない部屋の風景。

 ここがどこなのか一瞬混乱したものの、すぐに昨夜は小梅の部屋で姉さんや小梅と夜遅くまで話していてそのまま泊まったことを思い出す。

 ふと気になって横に視線を向けると、夢で見た時のように穏やかな顔で静かに寝息を立てる姉さんがいた。

 

「寝顔はお姉さんと一緒なんだなあって思ったらつい見入っちゃって」

 

 こんな光景滅多に見られないですからね、まさに眼福ですと微笑む小梅を見るにどうやら小梅は私の寝顔を観察していたらしい。人の寝顔なんて見て何が楽しいのか私にはさっぱり理解できないけど、別に見られて減るものでも無いし気にしないことにした。

 

「コーヒーでも入れましょうか。エリカさんは砂糖無しで良かったですよね?」

 

 私がお願いと返答する否や、小梅はキッチンへ向かって慣れた手つきでコーヒーの準備を始める。

 窓からはカーテン越しに日差しが差し込み、時間の針も既に9時を回っていたものの夜更かしのせいか、まだだいぶ眠気は残っている。

 いくら今日が授業も練習も無い日曜日とはいえ、これ以上怠惰に過ごすのはよろしくない。

 今はとにかく熱いコーヒーを飲んで目を覚ましたい気分だったのでありがたい提案だった。

 

「ほら、姉さん起きて。もう朝よ」

 

 小梅がコーヒーを入れてくれている間に姉さんを起こそうと試みるものの、姉さんの眠りは相当深いらしく、肩を揺すったり、頬を指で突いたりしてみても多少を身動きする程度でまったく起きる気配は無い。

 

「……やっぱり、だいぶ無理してたのかしらね」

 

 黒森峰に編入してきて5日間、姉さんは私の思っていた以上にしっかりと戦車道に取り組んでいた。基本たる装填は勿論のこと、他の役割も全うしていたし、黒森峰の厳しい朝夕の練習にも音を上げること無かった。

 それだけでも充分大変だと思うのに、空き時間には試合に関する資料を読み漁ったり、私や小梅に質問をしてきたりと怖いくらい精力的に活動していたのだ。

 最初は無理をしているんじゃないかと少し疑っていたものの、姉さん本人がいつもと変わらない調子のままだったから、私の気にし過ぎだったのかなと次第に気に止めなくなっていった。

 でも、今の様子を見るに姉さんは無理していることを悟られないように隠していたのだろう。

 朝に弱いわけでもない姉さんがこの時間まで熟睡を続けるなんてことは疲労が原因でも無ければ有り得ない。

 

「お姉さん、まだ眠たそうですか?」

 

 布団をかけ直してあげたタイミングで、小梅が2人分のコーヒーを手に戻ってきた。

 もうちょっと寝かせてあげてもいい? と尋ねると勿論ですよと返しながらカップを手渡してくれる。

 口にすると染み渡る苦味が脳を覚醒させてくれるのを実感する。

 コーヒーが苦手でこの素晴らしさがわからない姉さんは絶対に損をしていると思う。

 

「だいぶ疲れてたみたいですね。……私の誘いで無理させちゃいましたか?」

 

 小梅は入れてきたばかりのコーヒーに口も付けず、心配そうな表情を浮かべてベッドで熟睡している姉さんを見つめていた。

 昨日の夜、私と姉さんをお話しませんかと部屋に誘ったことを気にしているのだろう。

 

「気にしなくたっていいわよ。姉さんだって楽しそうにしてたし、その前の歓迎会と比べたら夜の雑談の疲労なんて微々たるものよ」

 

 近頃、黒森峰ではチーム内の円滑なコミュニケーションを育む施策の一環として週最後の練習日である土曜日の練習後は全員で打ち上げをするのが恒例になっていた。勿論それは昨日の土曜日も例外ではなく、当初はいつも通り準備が進められていたのだが、ある一言で状況は一変する。

 

『せっかくだから、お姉さんの歓迎会もやろうよ』

 

 直下の何気ない提案に皆が飛びついたのが全ての始まりだった。

 普段は大人しいのに凝り出すと止まらない黒森峰の気質故か、滅多に無い転入生というイベントのせいか、歓迎会という名目を得た打ち上げは盛大なものになってしまい、昼過ぎから太陽が沈むまで延々と続けられた。

 姉さんは会の間中、先輩後輩問わず大勢の人に取り囲まれて身動きが取れず、新しい誰かが来る度に料理やノンアルコールビールが振舞われるという今思い返しても凄まじい状況だった。

 そんな状態を6時間近く続けるのに比べたら、のんびりと寝転びながら部屋で雑談するぐらいは大したことじゃない。

 むしろ、姉さんにとっては気軽に過ごせていた夜中の雑談の方が良い気分転換になっていたと思う。

 

「だいたい疲れてるなら疲れてるって言えば良かったのよ。どうでもいいことは素直に話すくせに、こっちに来た理由とか大事なことは全然言わないんだから」

「理由ですか? 歓迎会ではエリカさんとまた一緒に戦車道がしたかったからって言ってましたけど、あれは違うんですか?」

 

 首を捻る小梅に「あれはあれで本音だから困るのよ」とぼやいてしまう。

 あれからも姉さんは黒森峰に来た理由を話してくれてはいない。

 どうにか理由を解明しようと観察してはいるものの、今のところ目的らしき候補すら浮かび上がってこない。

 

「教室の時みたいに悪戯がしたかったとか?」

「最初はそれなのかなとも思ってたけど、姉さんの格好を見てるとそれも違う気がするのよね」

「確かにエリカさんと見間違えられないよう凄く気を遣ってますからね」

 

 教室に突然現れた日の姉さんは私とまったく同じ格好をしていたのに、翌日正式に編入してきた時には意図的に違いを作っていた。

 右側の髪を僅かな部分だけどヘアゴムで纏めていたし、戦車道の練習中は左側の腕に自作の腕章まで付けるほどの徹底っぷりだ。

 そもそも、私か小梅と一緒に行動していることが大半だったので、こっそり成りすまそうとすること自体を試みようとしていないように見えた。

 

「小梅は何か気付いたことは無い? 姉さんがとった不自然な行動とか」

「……そうですね、エリカさんのことを頻繁に見てることはわかるんですけど」

 

 愛されてるんですね、と笑顔を向ける小梅にそれはいいから他には何か無いの? とせっつく。

 小梅は目を閉じて腕を組みながらじっと考え込み始めたけど、1分ほど経ってから急に「あっ」と何か思いついたかのように声を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の気のせいかもしれないんですけど、西住隊長のことをよく見ているような気がします」

 



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第6話:妹から想像される姉のイメージ

全然書けなくて気が付いたら2か月近く経過していたという恐怖……。
年内には本筋完結したかったのに無理かもしれません。



 生徒で賑わう昼休みの食堂。

 その片隅で私は1人黙々と食事を取りながら、これまで入手した情報を整理していた。

 

『姉さんが西住隊長に視線を向けている』

 

 小梅から不確かながらも数少ない有力情報を入手した私はその事実を確かめるべく、姉さんの様子をさりげなく窺うことにした。

 とはいえ、隊長と姉さんが同じ場所にいる状況は戦車道の練習時間以外皆無に等しく、観察できたのは全員が集合する練習の開始と終了時、もしくは隊長による直接の指導といった限られた機会しかない。

 それも私自身がその場にいなければならないのだから、数日間で実際に観察できたのは僅かな時間に過ぎなかったが、そんな短時間の観察でもじっくり見ていればすぐに気づく程度に姉さんは隊長の方に度々視線を向けていた。

 練習中だからか表情こそ引き締めていたものの、子どものように目を輝かせながら隊長を見つめる姉さんの姿は、隊長に憧れて黒森峰に進学してきた同級生や後輩に少し似ていて、一瞬、姉さんも隊長のファンだったのかと考えたものの、すぐにそれは無いと思い直す。

 姉さんの性格からして、もし本当に隊長のファンだったとしたら私に隊長のことをあれやこれやと質問してきたり、意気揚々と語り合おうとすることは間違いない。

 そもそも、編入前日に隊長のところへ挨拶に連れて行った時も特に変わった様子は無く、むしろ、姉さんを一目見た隊長が普段決して見せないような驚きっぷりを示したことの方が私には衝撃的だった。

 

 しかし、そうなると隊長にあんな視線を向ける理由が他に思い浮かばない。

 本来であれば、関係する当事者本人に聞くのが確実なのはわかってはいるけど、姉さんに聞いても絶対答えてくれないだろうし、隊長に「姉が隊長を気にしているんですが、何か心当たりはありませんか?」なんてこと聞けるはずがない。

 何かがあるのはわかっているはずなのに一向に先が見えないばかりで、どうにも煮え切らないモヤモヤした気持ちが広がっていくばかりだった。

 

「あれ、逸見さん今日は1人なんだ」

「お姉さんと一緒じゃないなんて珍しいな」

 

 突然の声にはっとして顔を上げると、いつの間にかトレーを持った直下と雛芥子がテーブルを挟んだ正面に立っていた。

 ここ空いてるよね、と微笑みながら正面の席に付く直下に続いて、雛芥子も彼女の隣の席に腰を下ろす。

 まだ何も言ってないじゃない、と心の中でぼやいたものの、席は実際に空いているし、考えごと自体も煮詰まっていて中断するつもりだったので別に相席を断る理由は無い。

 

「もしかして喧嘩でもしてるのか?」

「違うわよ。姉さんは小梅の車両の子たちとお昼に行ってるだけよ」

 

 基本的に姉さんは様々な車両に割り当てられているけど、その中でも直接の指導役に指名されている小梅のパンターに乗車する場合が多いので自然とその乗員と交流する機会も多く、是非どこかで一緒に食事をしたいと誘われていたらしい。

 私も1人で姉さんについて考えごとをしたかったのでこれ幸いと今日のお昼は別行動を取ることにしただけなのに、なぜ喧嘩まで考えが飛躍したのか理解できなかった。

 

「だって逸見さん、お姉さんが黒森峰に来てからだいたい一緒に行動してるよね」

「そうだな。なんかもう見慣れすぎて普通の光景に思えるぐらいだ」

「それなのに突然1人で食事なんてしてたら何かあったのかなって思っちゃうよ」

 

 どうも2人の中では私と姉さんはセットとして扱われているらしい。

 確かに最初の数日間は姉さんが私の見ていないところで悪戯をしでかすんじゃないかという不安から、決して目を離すまいと常に行動を共にしていたのは事実だった。

 姉さんが変なことをしないと判断してからは別行動していることも少なくは無かったというのに、まさかこんな短期間で2人1組なイメージを持たれてしまうとは思わなかった。

 

「その普通になった光景もあと3日で見納めよ。それが過ぎたらいつの通りに戻るだけよ」

 

 そう言うと、直下はもうあと3日しかないんだねと一瞬寂しそうな表情を見せるも、すぐにいつもの人懐っこい表情に戻って、送別会の準備しないといけないねと週末の計画を画策し始めていた。

 先週行われた歓迎会も盛大になり過ぎた感は否めなかったものの、それでも直下が上手く取り仕切ってくれたおかげで会は円滑に進んでいたし、姉さんも楽しめていたのが見てわかった。

 こういう気さくで準備の良いところが直下の慕われる理由なんだとよく理解できる。

 

「雛芥子さんも手伝いよろしくね。お姉さんには色々助けてもらってたでしょ?」

「あ、ああ。もちろん手伝うぞ。それにしても3日か……あと3日しかないのか」

 

 一方の雛芥子はどこか心配げな表情を浮かべながら、あと2か月、いや、せめて再来週までいてくれればな、などとよくわからないことを呟いている。

 それに雛芥子が姉さんをではなく、姉さんが雛芥子を助けていたというのがよくわからない。

 

「雛芥子、あなた姉さんと何かあったの?」

「いや、その……実はこの前出された数学の課題が全然終わらなくて……それで色々と手を借りたというか……」

 

 言いづらそうに答える雛芥子の言葉でだいたいは理解した。

 雛芥子は戦車道は勿論のこと勉強や運動も基本的に優秀だけど、数学だけは大の苦手でテストも毎回赤点のギリギリ上ぐらいをようやくキープできている有様だった。

 先日の課題はかなり難しい問題が多かったので、おそらく雛芥子は姉さんに助けてもらってどうにか提出までこぎつけたのだろう。

 その時のように、テスト前の勉強でも助けて貰いたかったという願望が無意識に口から漏れていたに違いない。

 

「せめて赤点だけは回避しなさいよ。車長が赤点で補習なんて後輩たちにも示しつかないわ」

「……努力する」

 

 恥ずかしさからか体を小さくする雛芥子に直下が頑張らないとねーと能天気に声をかける。

 そんな2人とのやり取りを通じて、私の頭にある考えが浮かんできた。

 姉さんが黒森峰で一番接することが多いのは私と小梅。そしてその次はと考えると直下と雛芥子、もしくは小梅のパンターの乗員になるだろう。

 姉さんに関する情報が小梅から入手することが出来たことを考えれば、この2人も私の見過ごしている何かを知っているんじゃないか、そう考えてしまうのだ。

 

「一つ聞きたいんだけど、あなたたちから見て姉さんはどんな風に感じた?」

 

 今は少しでもいいから情報が欲しい。

 だから、私は小梅が提供してくれた西住隊長の件については変に先入観を与えないように伏せて、直下と雛芥子に素直に質問をぶつけることにした。

 2人は突然の質問にキョトンとした表情を浮かべる。

 直下はやっぱりお姉さんと何かあったの? と心配してきたけど、ただ気になっただけと話すと、とりあえず納得はしてくれたのか、少し考えるような素振りを見せた後、すぐに口を開いた。

 

「なんて言うのかなあ。見た目はそっくりだけど全然逸見さんのお姉さんって感じがしないなあって」

「確かに。思ってたイメージと全然違ったぞ」

「……どういうことよ、それ」

 

 怪訝な顔をする私に直下は逸見さんにお姉さんがいるってのは知ってたんだけどさ、と前起きをした上で――

 

「いやあ、逸見さんぐらい強気で強烈な人だと思ってたから、凄く穏やかでちょっと戸惑っちゃったんだよねえ」

 

 聞く人によってはかなり失礼にあたるのではないかということをしれっと言い放った。

 

「そうね、よく言われるわ」

 

 正直なところ、自分の気性が荒いのは承知しているし、姉さんと比較されるのも昔からのことなのでもう慣れてしまっているから、腹を立てる気もさらさら無い。

 しかも、それを言い出したのが人懐っこい直下が相手とくれば尚更だ

 

「言っておくけど、姉さんああ見えて怒ると相当怖いわよ? 小学校の頃、同級生を無言で張り倒した時なんて教室が凍りついたわ」

 

 私の発言があまりに衝撃だったのか、2人はとても信じられないといった表情に変貌する。

 2人がそんな反応をするのも当然だと思う。

 なにしろ、当時の私ですら穏やかな姉さんが起こした突然の凶行に仰天して身動き一つ取れなかったのだから。

 

「一体、その同級生は何をしでかしたんだ……。小学生とはいえ、いきなりそんなことをしでかすのは相当ヤバイぞ」

 

 恐る恐る問いかける雛芥子に、ああそれは、と言いかけたところで私は自分の失敗に気づいてしまった。

 この出来事を話題にしてしまうと、最終的にどうしても私自身が恥ずかしいことになるからだ。それは一にも二にもその原因が私にあるというのが理由だからで、出来ればこのまま口を紡ぎたいと思ってならない。

 だが、ここまで話してしまっては2人とも理由を聞くまで納得してくれない。

 気になってしょうがないと言った表情でこちらを見つめる直下と雛芥子を前に、意を決して2人に事件の原因について話すことにした。

 

「……私がその子に髪を思い切り引っ張られたのよ。それを廊下で見てた姉さんが怒って攻撃した。それだけの話よ」

 

 それを聞いた途端、2人はまるで微笑ましいモノを見たかのような柔らかい笑みを浮かべてくる。

 『愛されてていいね』『大事に想われてるんだね』

 口にしなくても言いたいことはなんとなくわかってしまう。

 嬉しくないわけではないけど、考えるだけでも気恥ずかしくなる。

 

「まあ、お姉さんが逸見さんのこと大好きなのは見ててすぐわかっちゃうからね。練習中も、逸見さんのことよく見てるし」

 

 直下の言うとおり、姉さんが私のことを想ってくれているのはわかっている。

 小さい頃、我侭ばかり言う私に文句も言わずに付き合ってくれて、私が泣いている時には横で慰めてくれていた。

 私のフリをする悪戯には困らされたけど、それでも決して私や周囲が傷つくような行為まではしなかったのも確かだ。

 

「うちに編入してきたのもさ、逸見さんのこと心配してたってのはあると思うよ。普段の様子とかよく聞かれたし」

「同感だ。お姉さん、副隊長のこと凄く心配してたぞ」

 

 どうも姉さんは2人を通じて私の様子を色々と聞いていたらしい。

 おそらく、2人の言う通りきっとそれは私を心配してのことなんだろう。

 

「別にそれならそれで心配だったって言ってくれればいいのに」

「いや、きっと下手に聞いたら怒られると思ったんじゃないか?」

「あ~それわかる。逸見さん、子ども扱いしないでって言っちゃいそう」

 

 直下の指摘が図星過ぎて思わず口を閉じてしまう。

 心配してくれるのは素直に嬉しい。

 でも、私はもう姉さんに泣きついていた時のような子供じゃないし、黒森峰の副隊長という責任ある立場にあるわけなのだからあまり構い過ぎないで欲しいと感じてしまうのも事実だった。

 もし、あの夜にそうやって言われていたらきっと2人の言う通り怒っていたかもしれない。

 

「副隊長もお姉さんとはこの機会にちゃんと話しておいた方がいいぞ」

「そうそう。逸見さんは偶に素直じゃない時あるし、大事な人だからこそしっかり話さないと伝わらないよ?」

「……悪かったわね、面倒な性格で」

 

 ふてくされる私を見て直下は何もそこまで言ってないよと苦笑して、雛芥子は雛芥子で同意するかのように首を縦に何度も振っていた。

 

 自分が素直じゃないのは言われなくたって自分が一番わかっている。

 元副隊長――みほに対してもそうだったように、姉さんにも自分の正直な気持ちを伝えていたかと言われると正直なところ出来ていない。

 姉さんが黒森峰に来た初日の夜だってそうだ。答えてくれるはずがないと理由をつけて素直な気持ちを伝えるのを避けていた。

 ちゃんと理由を聞かせて欲しいと素直に頼めていれば、姉さんも答えてくれたかもしれない。そう今になって思えてしまう。

 

「大丈夫よ。姉さんとはちゃんと話すから心配しないで」

 

 私の言葉を聞くと雛芥子は少し安心したように安堵の表情を浮かべて頑張れよと激励をしてくれた。

 

 直下は直下で送別会のこともよろしくねと声を弾ませていたので、姉さんにも伝えておくわと約束する。

 少なくとも、会に関しては直下に任せておけば問題は無いだろう。

 

「……あと3日。どこかで時間作らないといけないわね」

 

 結局姉さんと西住隊長の関わりについての情報を得ることは出来なかったし、恥ずかしい思いもする羽目になった。

 それでも2人と話して得られることはとても多かったと思う。

 

 姉さんとどこで話す機会を作ろうか。

 私は今後の練習日程を思い浮かべながら、中断していた食事を再開した。

 

 




・どうでもいい裏話
ちなみに雛芥子(げし子)さんの名前が決まるまでの流れ

げし子

それっぽい名前思いつかない

そういえば幽☆遊☆白書の映画に【ひなげし】ってキャラいたよね

ひらがな4文字だと見にくいから漢字にしよう

という安直な流れ


ご無沙汰なお姉ちゃんは次の話にはちゃんと出ます(たぶん)


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第7話:姉と妹

「話したいことがあるから、練習の後で部屋に行ってもいい?」

 

 姉さんが誰にも聞こえないよう小さく耳元で囁いてきたのは、私が直下たちとの昼食を終えて教室に戻って来てすぐのことだった。

 

 姉妹でしっかりと話し合う。

 心の中でしっかりと決意を固め、あとはいつ話し合おうか決めるだけと思っていた直後だっただけに、姉さんの言葉は嬉しくもある反面出鼻を挫かれてしまったように感じてしまい、愚痴や軽口の一つでもこぼしたいぐらいだった。

 でも、私を見つめる姉さんの珍しい真剣な表情を前にそんなことが言えるはずもないし、どのみち話がしたかったのは私も同じだ。

 わかったわと了承の意思を伝えたところ、安心したのか姉さんはいつもの柔らかい表情に戻る。

 そして、また夜にねと手を振りながら自分の席に戻っていった。

 

「お姉さんと何か内緒話ですか?」

 

 姉さんとの会話を終えて自分の席に戻ったところ、先ほどのやり取りを目にしていたのか、隣の席の小梅がこっそり耳打ちしてくる。

そんなところよ、と答えると小梅はどこかホッとした仕草で、「それなら問題無さそうですね」と励ましなのかよくわからない返事を返してきた。

 その言動にどこか引っかかる点はあったものの、今優先すべきは夜に姉さんと会話する機会に他ならない。

 ただ、意気込んでおきながら、話し会いの機会を作るきっかけを姉さんに先を越されてしまったのは少しだけ悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

 

「話を始める前にこれだけは約束して」

 

 戦車道の練習後、約束通り姉さんを部屋に招いた私は姉さんが指示通りベッドに腰かけるや否やこう持ち掛けた。

 

「お互いに隠し事は一切無し。本音だけ話しましょ。約束できないなら話はおしまいよ」

 

 予期していなかったであろう一言に驚愕した表情を見せる姉さん。

 そんな姉さんをしり目に、口を挟ませまいとそのまままくし立てる。

 

「昔から思ってたけど、姉さんは何でも直球で話すくせに中途半端に隠す時があるじゃない。そういうの逆に気になって仕方ないのよ」

 

 今まで決して伝えてこなかった言葉を姉さんにぶつける。

 これは『ちゃんと本音を言うから姉さんも同じようにして欲しい』という宣言に他ならない。

 この1週間弱、どうにもモヤモヤした状況が続いていたのは姉さんが本当に気になるところだけ話してくれなかったのも勿論だけど、私自身がその気になってしょうがないところを教えてほしいと素直に言わず、あれやこれやと考察ばかりして正直に話すことを避けていたことにある。

 素直に聞くという選択肢を最初に排除してしまったあたり、直下たちが言うように、私は面倒な性格をしていると思う。

 

「……私だって姉さんのこと言えた義理じゃないけど、今日はさっきみたいに正直に話すわ」

 

 だからお願い、と姉さんの目を見て訴えかける。

 

 

 

「うん、いいよ。私もちゃんと話すつもりだったから」

 

 姉さんは私の目をしっかりと見つめ返し、柔らかいながらも真剣な面持ちで頷いてくれた。

 

「ありがとう、姉さん」

「でも、驚いちゃった。まさか、エリちゃんがそんなこと言い出すなんて思わなかったから」

「私も驚いてるわ。きっと、どこかのお節介な子たちのせいかしらね」

 

 お昼の会話が無ければおそらく今でもグダグダと終わりもしない考察を続けながら1人悶々としていたに違いない。

 そういう意味では直下と雛芥子が背中を押してくれたことにはとても感謝している。

 姉さんにお願いして、2人が欲しがっていたツーショット写真を送ることもやぶさかではない。

 

「そっか、じゃあ私と同じだね」

 

 本当に嬉しそうに微笑む姉さんにどうしてと尋ねると姉さんは実はねと理由を話してくれた。

 今日のお昼。姉さんが待ち合わせていた昼食場所に向かう途中で小梅に私が悩んでいることを教えてもらい、『エリカさんは悪い意味で考え過ぎちゃうところがありますからちゃんと伝えてあげた方がいいですよ』という助言を貰ったらしい。

 教室で小梅が気なる仕草を見せていたのは私と姉さんがちゃんと話す機会を持てたということを安心してのことだったに違いない。

 まさか直下や雛芥子もグルで、3人が3人示し合わせて私と姉さんのお膳立てをしてくれたのではという考えが一瞬頭を過るも、今はそれについては考えないことにした。

 3人の厚意を無駄にしないよう、今は姉さんとの話し合いに集中しないといけない。

 

 先に聞いて悪いけど、と前置きした上で私は姉さんにお昼に感じた疑問をぶつけた。

 

「教えて。姉さんが黒森峰に来たのは私が心配だったから?」

「うん、それも理由の1つ。エリちゃんのこと凄く心配だったから」

 

 一週間前だったら絶対にはぐらかされたであろう質問に姉さんは素直に答えてくれた。

 約束しておいて良かったと内心胸をなでおろしつつも、そんなに心配されるようなことした?と問いかけたところ、姉さんはあきれ顔で心配もするよとため息をついた。

 

「だって、エリちゃん副隊長になってから全然連絡してくれなかったじゃん。何度か心配して連絡したのに今忙しいからとか、子ども扱いしないでって言って切っちゃうし」

 

 私なんかじゃ力になれないくらいエリちゃん大変なのかなって凄く心配してたんだからねと悲しそうな顔する姉さんに私は申し訳なさでいっぱいだった。

 

「……ごめんなさい。それに関しては全面的に私が悪かったわ」

 

 以前は姉さんと2週間に一度くらいは電話で連絡を取っていたのに、それが去年の全国大会決勝のゴタゴタで月に1回あるかないかに変わり、私が副隊長に就任してからは多忙なこともあってさらに回数は減ってしまった。

 姉さんの指摘通り、電話をかけてきた時の対応がよろしくなかったのも覆しようがない事実だ。

 でも、決して姉さんが鬱陶しかったとか、頼りにして無かったというわけじゃない。

 

「姉さん、私が戦車道やるのをお父さんたちに反対された時、自分も一緒にやるからって説得してくれたの覚えてる?」

「忘れるわけないよ。あの時のエリちゃん、本当に辛そうだったから」

 

 懐かしそうに微笑む姉さん。

 小さい頃の私は何かあればすぐ姉さんに泣きついてばかりだったし、泣きつくまでいかなくても私が困っていれば姉さんはすぐに助けてくれた。

 その中でも戦車道を反対された時に力を貸してくれた時の姉さんは本当に頼りになって、まさに私にとってのヒーローだったと思う。

 でも、嬉しかった反面、幼いながらにこのままじゃいけないという気持ちが生まれたのもその時だった。

 

「あれで気付いたの。いつまでも姉さんに頼ってばかりじゃいけないって。少なくとも、戦車道に関することぐらいは姉さんに頼らないようにしようって決めたの」

 

 いい歳をして小さい頃みたいに姉さんに頼ってはいけない。

 自分でやりたいって言った戦車道のことなんだから自分で解決しないと意味が無い。

 電話で姉さんにぞんざいな答え方をしてしまったのも、戦車道に関する問題は自分で解決するという決意を崩したくなかったという考えが出てしまったのが一番の理由だと思う。

 でも、そんな安易な考えが結果として姉さんを傷つけ、心配させてしまったのだからこればかりは反省以外の何物でもない。

 

「遊ぶ時だってそうよ。我侭言っていつも姉さんを外に連れまわしてたし、無理させてたのかなってようやくわかったの」

「別に無理なんかしてないよ。エリちゃんと一緒に遊ぶの楽しかったし」

「そうかしら? だって姉さん、昔から外より中で遊ぶのが好きだったじゃない?」

 

 図星をつかれたであろう姉さんは私の問いに対して「それは」と言葉を濁す。

 「本音で話す約束でしょ」と念を押すと少し辛そうな顔をして「エリちゃんの言う通りだよ」と項垂れた。

 昔から姉さんは本を読んだりして家の中で過ごすことが好きだった。

 なのに私は我侭を言ってほとんど自分のやりたい遊びに連れまわし、挙句の果てにはインドアからかけ離れた戦車道にも付き合わせてしまった。

 ここまでしてもらっておいて気にしないほど小さい頃の私も鈍感じゃ無い。

 

「姉さんには自分のやりたいことを安心して出来るようになって欲しかった。だから私、戦車道以外のことも自立できるよう頑張ってきたの」

 

 今まで隠していた想いを告げる私に姉さんはただただ耳を傾けてくれていた。

 全部聞き終わると姉さんは「やっぱりエリちゃんは優しい良い子だね」と頭を撫ぜてくる。

 「だから子どもじゃないんだから」と不貞腐れると、姉さんははいはいと言いながら手をひっこめた。

 

「でもねエリちゃん、私戦車道は大好きだよ。最初はちょっと苦手だったけど、やってるうちに凄く楽しくなったの」

 

 だから今でも続けてるんだよ、と微笑む姉さんに、なら良かったわと息をつく。

 実際のところ、姉さんが別の学園艦に行ってからも戦車道を続けていると聞いた時は、姉さんも戦車道が好きになってくれて良かったと思うと同時にもしかしたら、私に話を合わすためだけに無理やり続けているんじゃないかという考えも少しはあった。

 でも、今の言葉を聞いてどうやらそれは私の杞憂だったと分かって少し安心した。

 

「なんか不思議だね、凄く短い時間なのに今まで会話の中で一番色々話した気がする」

「そうね、私も正直驚いてるわ」

 

 生まれてからこれまで、姉さんとここまで本音を隠さずに語り合ったことは無かった。

 そのせいかはわからないけど、今までに無いようほどの濃密な時を過ごしていると思う。

 事実、ふと目にした壁の時計は部屋に入った時と比較してかなりの時を刻んでいた。

 

「……じゃあ、次は私が話していいかな。私もエリちゃんにちゃんと聞いて欲しいから」

 

 姉さんの願いに私は勿論よと了承して姿勢を正す。

 本当なら姉さんが西住隊長を見ていた理由も続けて聞いておきたかったという気持ちも僅かながらあった。

 

 でも、姉さんから先に勇気を出して誘ってくれたのに私が連続で聞き出すのは悪いし、何より姉さんが今まで話してくれなかった本音を明かしてくれることが嬉しくて、後でゆっくり聞けばいいとしか思えなかった。

 

「私が黒森峰に来たのは……まあそのエリちゃんにもう伝えたことも含めて色々理由があるんだけど……」

 

 よほど言いづらいことなのか、姉さんは私から目を逸らし、体をモジモジさせながら少しずつ言葉を紡いでいく。

 

「エリちゃんともう一度戦車道をやりたかったのも、心配だったのも本当。でもね、どれもたぶん、言い訳なんだと思う」

 

 口調は重く、私が今まで見たことも無いような悲しい顔をしていた。

 

「あのね、つまり……その……うん、わかりやすく言うと……こういうことなの」

 

 なんとか言おうという意思は見えるのに最初の一言を出す決心がつかないのか、姉さんの口から出るのは不明瞭な言葉ばかりだった。

 私はそんな姉さんをまっすぐに見つめながらただ黙って言葉を待ち続けた。

 

 

――数分以上経過したかもしれないぐらい長い沈黙の後、姉さんは意を決したのか、私の目をしっかり見つめながら重い口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、ずっと寂しくて寂しくて、もう耐えられなくなっちゃった……ただそれだけなの」

 

 



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第8話:姉の秘密と妹の思い出

 想像もしていなかった告白に思わず、「向こうの学園艦で何かあったの?」と口に出してしまっていた。

 しかめっ面で性格がキツイとよく指摘される私と違って、気さくで穏やかな姉さんは人に好かれやすい。

 事実、黒森峰に編入してから小梅や直下は勿論のこと、他のチームメイトともすぐに良好な関係を築いてすっかり溶け込んでしまったぐらいだ。

 

 これだけ孤独とは無縁な姉さんが『寂しい。耐えられない』なんて言葉を発したこと自体とても信じられず、去年のあの子のように何か想像もし難い辛い事態が姉さんに起こったのではないかと嫌な想像が頭を過ってしまう。

 

「……あ、別に向こうで何かあったわけじゃないの。みんなと毎日楽しくやってるから安心して」

 

 本当に本当だからね、と姉さんは何度も念を押して私が考えていた最悪の可能性を必死に否定する。

 思い過ごしで済んで良かったとホッと胸を撫で下ろすも、そうなると姉さんが寂しい理由が思い浮かばない。

 学校生活も困っていないし、友達にも囲まれているのにどうして寂しいのだろう。

 

「楽しいんだよ。でもね、向こうだと……」

 

 私の訴えかける視線に対して姉さんは悲しそうな表情で俯いたまま――

 

「エリちゃんに会えないから寂しいの」

 

 まるで蚊の鳴くようなか細い声で答えた。

 

「冗談……じゃないのよね?」

 

 とても信じられなかった。

 小さい頃、私の我侭にも文句1つ言わず笑って付き合ってくれた時。

 悪戯で私になりすまして楽しそうにネタばらしをした時。

 姉さんはいつだって明るく飄々としていて、『妹に会えなくて寂しい』なんて弱音を吐くようなイメージとはほど遠かった。

 

「小さい頃は私たち、ずっと一緒だったよね。エリちゃんすぐ『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って頼ってきてくれたし、私も頼りにされるの凄く嬉しかった」

 

 そう、昔の私は何をやるにしても姉さんに頼り切りだった。

 すぐ姉さんに泣きついて、我侭を言ってどこで何をするにも一緒に付いて行って貰っていたのをよく覚えている。

 

「でも、エリちゃん戦車道始めてからちょっと変わってきたよね。自分のことはしっかり自分でするようになって私に頼ることも少なくなったから」

 

 懐かしそうに、どしてどこか悲しげに姉さんは語り続ける。

 

「エリちゃんが成長していくのが実感できて凄く嬉しかった。嬉しかったんだけど……私からどんどん離れていっちゃうのもわかっちゃってそれが辛かった」

 

 違う、姉さんを悲しませるつもりじゃなかった。

 口に出そうとしたところで姉さんは「わかってるよ、エリちゃんは私のことを心配して頑張ってくれたんだもんね」と優しく微笑んでくれた。

 

「だからね、どうしたらエリちゃんにかまってもらえるかなって考えてた時に昔2人で入れ替わる遊びをしたのを思い出したの。それでエリちゃんのフリをしてみたらどうかなって……」

 

 言われてみれば、確かに姉さんがよく私のフリをするようになったのは戦車道を始めてからしばらく経ってからだった。

 私が自立するようになったことで、姉さんが自由に過ごせるようになった結果悪戯好きになっただけかと思っていたのに、まさか、その本当の理由が寂しさを紛らわせるためのものだったなんて思いもよらなかった。

 

「なら、どうして黒森峰に入らなかったのよ? 姉さんなら問題なく入学出来たはずでしょ」

 

 連絡船の運航こそあるとはいえ、学園艦同士の行き来は航路の問題もあってそう気軽に出来るわけじゃない。

 悪戯までして気を引かないといけないぐらい寂しかったなら、そもそも同じ学園艦に入学すれば良いだけの話なのに、どうしてわざわざ別学園艦に通うのか理解出来なかった。

 

「私もエリちゃんみたいに変わらないといけないなって思ったの。だから無理して別のところに通うことにしたんだけど、普段会えない分余計に寂しくなっちゃって……」

 

 大失敗だったよ、と姉さんは気まずそうに肩を落とす。

 

「ずっと頑張って我慢してきたんだけど、エリちゃん忙しくてなかなか会ったり電話できなくなったでしょ? それで耐えられなくなりそうだった時に短期編入制度が始まったから……」

 

 悪戯好きで自由奔放に生きていると思っていた姉さんのイメージがこの数十分で大きく変わってしまった。

 まさか、ここまで寂しがりやだったなんて今でも少し信じられないくらいだ。

 それにしても、私が心配をかけまいとやってきた行為が尽く姉さんの寂しさを助長させているのが少し辛い。

 

「一言会いたいって言ってくれれば良かったのに。前々からわかってさえいれば時間ぐらい作るわよ」

「それは、そうなんだけど……お姉ちゃんとして妹にそこまで無理させるのはちょっと心苦しいというか……」

 

 弱弱しく答える姉さんに思わずため息が出てしまう。

 悪戯をする時はお構いなしのくせに、どうしてこういう大事なところで変な気を遣ってしまうのか。

 私も面倒な性格をしているとは思うけど、姉さんも別のベクトルで面倒な性格だと思う。

 

「何がお姉ちゃんとしてよ。ほぼ同じ時間に生まれたんだから大して変わりなんてないじゃない」

 

 指で姉さんの額を少し強めに小突く。

 姉さんは「エリちゃん痛いよ」と嘆きながら両手で額を押さえていたが気にしない。

 私は慣れない手つきで姉さんの背中に両手を回すと、そのまま優しく姉さんの体を抱きしめた。

 

「え、エリちゃん?」

 

 私の予想外の行動に驚いたのか、姉さんは戸惑いの声を上げる。

 驚いて当然だと思う。

 いきなり相手を抱きしめるなんて姉さんならまだしも普段の私なら絶対にやらない。

 恥ずかしさのあまり顔が赤くなっているのがわかるけど、幸いにも抱き合う体勢上、顔は姉さんの横側にあるので赤面した顔を覗かれる心配は無い。

 

「そんなに寂しいなら、まあ……ちょっとぐらいなら甘えてきてもいいわ。勿論2人きりの時だけよ」

 

 同じ日のほぼ同じ時間に生まれたにも関わらず、姉さんは私の面倒を見たり、心配をしてくれて、しっかり姉としての役割を果たし続けてきた。

 お腹から出てくる順番が私より先だった。言ってしまえばただそれだけのことでだ。

 その程度のあいまいな差に過ぎないのだから、偶には姉さんが私を頼りにしてくれてもいい。

 さらに言えば、姉さんが寂しさを拗らせた理由の一端は私にもあるのは間違いないのでそのお詫びの意味も少なからずあった。

 

「……本当に? 本当に甘えてもいいの?」

 

 恐る恐る聞き返してくる姉さんに「常識の範囲内なら何でもいいわよ」と耳元で囁く。

 姉さんはよほど嬉しかったのか、幸せそうな声を上げながら私の背中に手を回して思い切り抱きついてきた。

 

「あのね、どうしてもやって欲しかったことがあるの」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

 

「えへへ、まさか夢が叶うなんて思わなかった」

 

 姉さんはベッドに腰かけた私の膝に頭を預け、幸せそうな顔をしながら体を横にしている。

 所謂膝枕というやつだ。

 私にどうしてもして欲しかったことというのがこの膝枕だったらしく、了承した時の姉さんの喜びようは今まで見たこともない異様なテンションだった。

 

「エリちゃんの足、柔らかくて気持ちいいね」

 

 幸せそうに顔を綻ばせる姉さんの髪を撫でると「もっと撫でて」と懇願してきた。

 仕方ないわね、と手の動きを再開するとさらに表情が緩んでいくのがわかる。

 この顔を見ているとだけでどこか愛らしくて放ってはおけない気持ちになってしまう。

 姉さんが妹の私をこんな風に見ていたのかと思うと少し感慨深い。

 

「本当に辛いなら短期じゃなくて正式に編入してきてもいいのよ? 姉さんなら皆歓迎してくれるわ」

 

 最初に編入の話を聞いた時は邪魔にだけはならないで欲しいと思っていた。

 でも、姉さんは私の想像以上にしっかり練習もこなしていたし、うちでやっていけるだけの技量も備えている。

 このまま我慢を続けて姉さんが潰れてしまうくらいなら、いっそうちで引き取ってしまえば心配ごとも無くなるし、チームの戦力も増えるで一石二鳥だ。

 姉さんが強豪校所属だったとしたら引き抜きだのなんだので学園艦同士のトラブルに発展しかねないけど、幸いなことにその心配も無いので実現までの障害は低い。

 私の提案に姉さんはエリちゃんにここまで心配してもらえて嬉しいなあと喜んだものの、すぐに「ごめんね、それは出来ないよ」と首を横に振った。

 

「一応、学校の代表として送り出して貰った立場だからね。チームがやっと形になってきたのに、ここで放り出すようなことはやりたくないの」

 

 姉さんの言葉で「真っすぐなのはエリカの長所だが、もっと視野を広くした方が良い」と隊長にアドバイスされた時のことを思い出した。

 高校戦車道界への影響力保持のために編入制度を始めた黒森峰同様、編入してくる側の学校にも都合がある。今の私は完全に自分とその周辺だけのことばかり考えて、背後にある事情をまるで考慮に入れていなかった。

 軽率だったわ、と謝る私に姉さんは「心配して言ってくれたんだから気にしなくていいよ」と優しく慰めてくれた。

 

「ほんの短い間だったけど黒森峰に来て本当に良かった。エリちゃんとまた一緒に戦車道できたし、赤星さんみたいな凄い人たちとも友達になれて、練習方法とか戦車の運用術もたくさん教えてもらって凄く参考になったよ。あ、それに西住隊長とも会えたし……」

 

 嬉しそうに話す姉さんが西住隊長のことを口に出したところで、姉さんが西住隊長に視線を向けていた理由をまだ聞いていなかったことに気づいた。

 本来ならもっと早く聞こうと思っていたのに、姉さんの告白が衝撃的過ぎてついつい後回しになってしまった。

 

「そういえば姉さん、西住隊長のことをよく見てたけどどうして?」

「え、だってエリちゃんに、間接的には私にもだけど戦車道を始めるきっかけをくれた人だもの。私からすれば大恩人だよ」

 

 だからどうしても一度会いたかったの、と姉さんは声を弾ませている。

 

「姉さん何か勘違いしてない? 西住隊長は別に関係無いわよ」

 

 水を差すようになってしまったけれど、姉さんは何か思い違いをしているとしか思えない。

 確かに黒森峰への入学を決めたのは憧れていた西住隊長が既に在籍していたからというのが理由だったのは間違いない。

 でも、私が戦車道を始めたこととは何のかかわりも無いはずだ。

 もしかしたら、私が頻繁に西住隊長の話をしていたので話がねじ曲がってしまったのかもしれない。

 

「あれ、そうなの?」

 

 姉さんは私の膝に頭を預けつつ首を傾げ、おかしいなあとぼやき続けていたけど、ふいに「そういうことか」と呟いたかと思うと、合点がいったような顔をしてこんなことを言い出した。

 

「隊長じゃなくて妹のみほさんがきっかけだったんだね。エリちゃんよく絶対負けないって話してたし」

 

「いや、どうしてそこであの子の名前が出てくるのよ?」

 

 思わぬ名前が姉さんの口から出てきて余計に混乱してしまう。

 あの子の存在を知ったのは私が黒森峰に入学してからのことなのに、姉さんはまるで私が昔からあの子のことを知っているような口ぶりで話している。

 

「あ、あれ……まさかエリちゃん気づいて……なかった……の?」

 

 私の言葉によほど引っかかる何かがあったのか、姉さんは慌てて私の膝から起き上がる。

 先ほどまでの嬉しそうな表情とは一変した青い顔をして「あんなに執着してたから絶対知ってると思ってたのに」などど呟きながら頭を抱え始めた。

 

「ちょっと一人でブツブツ言ってないで説明しなさいよ! お互い正直に話すって約束よ!?」

「いや、それはそうなんだけど……」

 

 語気を荒げる私に姉さんは曖昧な言葉しか返してこない。

 隊長のことだけならまだ姉さんの勘違いだと思っていたけど、あの子まで出てくるとなると、姉さんは何か、私の知らない何かを知っている可能性がある。

 こんな中途半端な情報で打ち止めにされたらまたこの数日間の繰り返しになってしまう。

 教えてくれないならもう甘えさせてあげないと言い切ると、姉さんは観念したような顔をして口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だって、昔エリちゃんを戦車に乗せてくれたのって西住隊長とみほさんだよね?」

 

 その一言はまるでハンマーで殴られたかのような衝撃だった。

 

「はあ!?」

 

 想像もしていなかった言葉に時間帯も忘れて思わず大声を出してしまう。

 

「そんなわけないじゃない! あの2人が、隊長とみほだなんて……絶対有りえないわよ!」

 

 いくら姉さんに言われたからと言って、とてもじゃないが、はいそうですかと気軽に信じられるような内容じゃ無い。

 歳は同じくらいだったし、今思えば髪型もちょっと似ていたような気がしなくもないけど、姉の方はよく笑顔を見せていて、妹の方は私が振り回されるぐらい活発に遊びまわっていた。

 今の2人の印象とはかけ離れ過ぎている。

 

「私が会ったのはほんの数秒くらいだったけど、間違いなく西住隊長とみほさんだったよ。顔も今とそんなに変わらなかったし」

「見たって言っても昔のことじゃない。姉さんの記憶間違いって可能性も……」

「お爺ちゃんの家って西住流本家のすぐ近くだよ? そんなところで、しかも子供だけで戦車乗り回せるのは西住家の子ぐらいしかいないよ」

 

 一言一言が的確過ぎて反論がまったく思い浮かばない。

 姉さんがあやふやな情報だけでこれだけしっかり断言する以上は、おそらく、これは紛れもない真実なんだと思う。

 日が暮れるまで遊んだ夏の楽しい思い出。

 そして私が戦車を始めるきっかけ。

 それがまさか西住隊長とあの子だったなんて、正直言ってまったく実感が湧いてこない。

 

「……どうして教えてくれなかったのよ?」

 

 少々恨みがましくジト目で睨むと姉さんは「私だって大学選抜戦の映像を見るまで気づいてなかったよ」と反論してきた。

 私が気づいたのに一緒に遊んでたエリちゃんが気づいてなかったなんて思うわけないじゃんと頬を膨らませる。

 それを言われてしまうと私としては何も言えない、

 あれだけ私の心に深く刻まれた思い出のはずなのに一切結びつくことが無かった。

 泣いてばかりの私が変わってしまったように、2人の印象が変わってしまったことが要因なのか。

 それとも無意識のうちに、再会なんて出来るはずが無いと最初から諦めていたせいなのかもしれない。

 

「ねえ、エリちゃん。もし良かったらこのこと西住隊長に一緒に話さない?」

 

 ずっとお礼が言いたかったんだけど流石に私が先言っちゃうのはね、と姉さんは私の目をじっと見つめてくる。

 そんな訴えかける瞳を前に、私はどうしたものかと苦労していた。

 姉さんにとっては妹がお世話になったのでお土産を持っていくぐらいの感覚かもしれないが、当事者の私にとってはかなり難易度が高い。

 隊長にフリルの付いたワンピースを着て兎のぬいぐるみを持った子が私であると知られるだけでも恥ずかしいのに、そうなれば自動的にあの子にも知られてしまうこと考えるだけで顔から火が出る思いがする。

 それに隊長が知らない子を戦車に乗せたことを覚えていてくれたならまだしも、もしその事実自体を覚えていなかったとしたら少し気まずくなるのは避けられない。

 どうしたものかと考えているうちに私は2人との別れ際に言い放ったとんでもない一言を思い出してしまった。

 

『絶対あなたたちより上手に動かせるようになるんだから』

 

 幼い私の無鉄砲っぷりが恐ろしい。

 知らなかったとはいえ、西住隊長に対してここまで大それたことを言い放ったのだ。

 まだ私は隊長の足元にすら及んでいないのに、とてもじゃないが「あの時の子供は私です」なんて言えるはずがない。

 

「……嫌よ」

「え~、いいじゃん。一緒に言いに行こうよ?」

「嫌ったら嫌って言ってるでしょ!」

 

 なおもしつこく食い下がってくる姉さんに「もう遅いから部屋戻りなさいよ」と突き放し、話を止めさせる。

 帰り際、「じゃあ私だけでも言ってこようかな」と恐ろしいことを呟いていたので、「勝手に話したらもう絶対甘えさせないから」と言い放って玄関に放り出した。

 

 姉さんは少し不満そうな声をあげていたものの、

「なら、いつかエリちゃんが話せるようになった時は教えてね」

 と笑顔で部屋から出て行った。

 

 黒森峰に来てから隊長やあの子には何も言われたことが無い以上、おそらく、私が昔一緒に戦車に乗った子だとは気づかれていないはず。

 だから姉さんが約束してくれたなら、少なくとも私が話さない限りはあのことが知られることはありえない。

 ホッとしてベッドに腰を下ろすと妙に足が軽く感じて、そういえばさっきまで姉さんに膝枕をしていたことを思い出した。

 

 

 姉さんとの間に生まれていたモヤモヤが解決したのは間違いなく喜ばしいことだと思う。

 でも、その代わりに隊長とあの子に関する別の問題が発生してしまったのもまた事実だった。

 

 どうやら、姉さんの短期編入が終わっても私の悩みは解決しそうに無い。

 

 

 




本筋は次回で完結予定。

完結後はおまけみたいな感じで思いついたら追加していく感じになると思います。




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最終話:悪戯好きで負けず嫌いな姉

 互いに本音を語り合った夜からの数日間はまたたく間に時が過ぎていった。

 編入当初は姉さんが何をしでかすかわからない不安、そして中盤は姉さんが黒森峰に来た目的への疑念から、常に姉さんを観察するような状態だったせいもあって、時間の経過が異常に長く感じていた。

 でも、あの夜姉さんと腹を割って会話した結果。

 西住隊長とあの子――みほとの過去という新たな悩みが生まれる誤算こそあったものの、気楽に構えられるようになったのが良かったんだと思う。

 口にこそ出していないものの、この数日間は昔姉さんと一緒に戦車道をやっていた頃を思い出して、時が経つのを忘れるぐらい心地よい気持ちで戦車に乗れた。

 最後の2日間の練習において重戦車の扱いにおける指導のため、姉さんをティーガーⅡに乗車させた時はそのことが特に強く感じられた。

 精神的に充実していた故か、姉妹揃って戦車道の調子も上向きで、最終日に行われた模擬戦においても、小梅率いる相手中隊に付け入る隙を与えることなく完勝することが出来たぐらいだ。

 私は各車両へ的確かつ迅速な指示を与えることが出来たし、砲手として搭乗した姉さんにいたっては雛芥子のパンターを有効射程ギリギリから一撃で撃破する活躍を見せるほどだった。

 模擬戦終了後に「なかなかやるじゃない」と褒めたところ、

「エリちゃんが後ろにいてくれたおかげだよ。凄く安心して撃てたの」

 と嬉しそうに微笑んでいたのを見て私もつい「姉さんのおかげよ」と口走ってしまい、皆に微笑ましい視線を向けられたことは今でも鮮明に覚えている。

 

 たった2週間とはいえ、人当たりも良く真面目に戦車道に取り組んでいた姉さんは多くの隊員に受け入れられていて、練習後に行われた直下主催の送別会に夕方の二次会、そして一部メンバーによる三次会という名の深夜の女子会は、私を含めた参加者全員が時が経つのも忘れて大いに盛り上がった。

 なにせ気づいた時には既に日が昇っていて、全員そのまま徹夜で姉さんを見送りに行ったくらいだ。

 

「また来てくださいね」

「今度はお姉さんの学園艦にも行ってみたいな」

「時間がある時でいいんだ。数学で難しい課題が出たら頼らせてくれ……」

 

 連絡船が出航する間際、小梅や直下、雛芥子たちが別れを惜しみ、姉さんに声をかけてくれた。

 

「あり……がとう……みんな……ほんとうにありがとう……」

 

 そんな皆の温かさに感極まったのか、いつしか姉さんの声は途切れ途切れになり、涙が頬を伝っていた。

 

「もう、大げさなんだから。金輪際の別れじゃないんだから泣かないの」

 

 泣き止まない姉さんを慰めるため、私は皆の前ということも気にせず思い切り抱きしめてあげた。

 「やっぱり、エリカさんは優しいですね」とか「仲良いなあ」なんて声が周りから聞こえてきたけど全て無視した。

 

「寂しくなったらいつでも来ていいから」

 

 耳元で囁くと姉さんは「絶対だよ、約束だよ」と念を押すように抱きついてきた。

 約束するわと返すと、安心したのか顔を拭っていつもの穏やかな表情に少しずつ戻っていった。

 

「絶対また来るからその時はよろしくね」

 

 私の体から手を離した姉さんは笑顔で連絡船に乗り込み、そのまま黒森峰を後にした。

 今にして思えば、もっと早く姉さんに正直に想いを伝えていれば、姉さんと過ごす時間はもっと多かった気はする。

 でも、過ぎてしまった時が戻らないのはあの子のことで充分に理解していた。

 だから、いつかになるかはわからないけど、次回はしっかり姉さんと一緒に過ごそう。

 そう心に固く誓いながら船が見えなくなるまで艦上から姉さんを見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのはずなのに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリちゃん、おかえり。遅かったから心配したんだよ」

 

それからたった一週間後の土曜日。

寮に帰ってくると姉さんが何故か部屋の中にいた。

 

 

◇◇--------------------------------

 

 

 いつぞや目にした時と全く同じ状況が目の前に広がっていた。

 玄関で満面の笑みを浮かべ、これまた聞き覚えのある言葉を口にして私を出迎える姉さんの姿。

 そんな光景を目の当たりにして「いくらなんでも来るの早すぎるわよ」と思わず崩れ落ちそうになるのを必死に踏みとどまる。

 確かに寂しくなったらいつでも来ていいと言ったのは事実だ。

 でも、まさかあれだけ大泣きして別れた翌週に再びやって来るなんて予想できるはずがない。

 

「やだなあ、いくらなんでもそこまで節操無しじゃないよ。エリちゃん分はたっぷり補充したばっかりだし」

 

 『エリちゃん分』という言葉に若干の引っかかりは覚えたものの、朗らかに語る姉さんの様子を見るに、少なくとも心配をするような事態では無さそうなのがわかって少し安心する。

 しかし、それならわざわざ何をしに来たのだろうか。

 理由を問いかけると、姉さんは「届け物があったから持って来たの」と部屋の中央に置かれた見慣れない大きな箱を指さす。

 また勝手にこんな物持ち込んでと呆れてしまうが、姉さんはそんなこと気にも止めず、そのまま箱を開けて中から透明な小さい袋を取り出した。

 

「うちの学園艦で作ってる入浴剤セット。これはエリちゃんの分ね」

 

 渡された袋に目を向けると個別包装された入浴剤が5種類ほど入っているのがわかる。

 どうして学園艦で入浴剤を作っているのか疑問に思ったが、よく考えたら姉さんの学園艦は大分の有名な温泉街を母港の1つにしていたので、地元との強い結びつきから生まれた製品なんだろう。

 同じ九州の学園艦同士とはいえ、やはり、艦も変われば色々と事情も変わることを実感する。

 

「色々な人に本当に良くしてもらったからね、やっぱり直接お礼が渡したいなって思ったの」

 

 姉さんは「もしかしてダメだった?」と懇願するかのような目をこちらに向けてくる。

 わざわざ直接来なくても宅配便で送れば良かったじゃない、と言いかけた口を塞ぎ、「みんなきっと喜ぶわ」と言い換える。

 せっかく姉さんが感謝の意思を伝えたくて足を運んだのに水を差す必要はないし、小梅たちだって姉さんがわざわざ渡しに来てくれたと知れば嬉しいに違いない。

 

「そうそう、これは1枚だけだから代表してエリちゃんに渡しておくね」

 

 思い出したかのように別の箱から、よく金券やチケットが入っている白い封筒を取り出して手渡してくる。

 何かと思って封を開けてみると『艦内宿泊付戦車道特別観覧券』とシックなフォントで印字され、本物の金券にも引けを取らない本格的なデザインがあしらわれたチケットが入っていた。

 

「今度やる練習試合の招待券。特別席で試合を見られて、しかも当日うちに無料で宿泊できるからお得だよ」

 

 そういえば、送別会の時に近々練習試合をやるような話を聞いた気がする。

 しかし、練習試合でわざわざ特別観覧席どころか、来客の宿泊まで用意するなんて普通ではありえないことだ。

 姉さんが2週間も黒森峰に短期編入することを許可したことから薄々感じていたとはいえ、これを見ると学園艦として戦車道に相当力を入れたいのが実感として伝わってくる。

 

「黒森峰でエリちゃんや色々な人から学んだことを生かして精一杯頑張るから絶対見に来てね」

 

 姉さんは嬉しそうに微笑みながら、「人数は事前に教えてさえくれれば何人来てもらってもいいから遠慮しないでね」と付け加える。

 よほど来て欲しいのか、西住隊長を見ていた時以上に目がキラキラと輝いている。

 しょうがないわね、とチケットに表示されていた場所と日時を確認したところ、ある問題点に気づいてしまう、

 

 試合は土曜日の13時開始で会場は黒森峰の航路から少し距離がある場所だ。

 この時間までに到着するとなると昼までの練習を途中で抜けた上でヘリを飛ばさなればとても間に合いそうにない。

 

「……時間的にちょっと最初からは難しいかもしれないわ」

 

 短期編入者への指導結果を確認するため練習試合を視察すること自体については間違いなく理由も立つ。

 しかし、それが実の姉で試合を見るためにここまでしなければいけないとなると副隊長の立場にある人間としては少し難しい状況だ。

 姉さんがどのような試合をするのか興味は勿論あるけど、口うるさいOGに公私混同などと目を付けられて皆に迷惑がかかるような事態も可能な限り避けたい。

 

「大丈夫大丈夫。私のことはついでで、対戦相手の視察がメインってことにすれば大手を振って来られるよ」

 

 自信たっぷりに断言する姉さんの姿に私はどういうことなのかと頭を働かせた。

 対戦相手が理由になる、ということは少なくとも相手の学校は戦車道の強豪校ということなのだろう。

 確かに次の大会へ向けた強豪校の視察という理由も加われば姉さんの試合を見ることへの支障は無くなる。

 

「それなら行けなくはないと思うけど相手はどこなのよ? サンダース大付属あたり?」

 

 戦車道に力を入れ始めたばかりのチームから申し入れた練習試合を受けてくれるような強豪校は限られている。

 戦車道を再開したばかりの大洗は聖グロリアーナに受諾してもらえたみたいだけど、あれは向こうの隊長の方針が来るもの拒まずだった点と互いに母港が関東である点も大きかったと思う。

 それらを考慮した際に真っ先に頭に浮かんだのは、同じ九州を母港とする学園艦で隊長がスパイでもウェルカムな姿勢を掲げるサンダース大付属だった。

 あそこは黒森峰同様隊員の人数や車両の数も桁外れだし、控えメンバーへの経験を積ませることを考えれば、弱小校であっても試合を受けてくれる可能性は高い。

 

 

 

「ううん、サンダースじゃないよ。大洗女子学園」

 

 

 

 でも、そんな分析は姉さんの一言で木っ端みじんに砕かれた。

 

「……正気? 姉さん本気で頭大丈夫?」

 

 あまりの衝撃に思わず口汚い言葉が溢れ出てしまう。

 戦車道に力を入れ始めたばかりの新設校が全国大会優勝校である大洗と練習試合をする。

 とてもじゃないけど正気とは思えない行動だった。

 正直な話、足元にも及ばず蹴散らされる光景しか見えない。

 

「そう思われても仕方ないよね。私だって結構無茶してるなって思うし」

「だったらどうしてそんなこと決めたのよ?」

「話すと長くなるんだけど、うちの学園艦にも色々と事情があってね」

 

 溜息をついて姉さんはそこまでに至る事情について語り始めた。

 曰く、姉さんの学園艦は良いところが進学率と浴場施設だけで娯楽も少なくて退屈と在校生や受験生からかなり厳しい意見が多く、大洗ほどでは無いとはいえ、受験者数も実際に微減傾向にあるとのこと。

 そんな時、全国大会優勝を成し遂げ廃校を撤回させた『大洗の奇跡』で戦車道に注目が集まっていることを良いことに、戦車道チームに力を入れて学園艦の目玉にしてしまおうというのが、生徒会の決めた方針らしい。

 

「まあ、正確に言うと皆で応援するスポーツチームを作ろうみたいな感じかな。ほら、九州にもいっぱいサッカーチームが出来て地元の人が応援してるでしょ? あんな感じ」

 

 姉さんの話を聞くに、どうやら戦車道を強くすることで学校を有名にして生徒を集めるというよりも、学校に戦車道観戦という文化を定着させて娯楽不足の問題解決を主な目的にしているように思える。

 だとすれば大洗を最初の試合に選んだ理由もなんとなく理解できる。

 大洗女子学園の名前は一連の騒動を通じて全国に知れ渡っているから、もしそこの試合が見られるとなれば興味が湧いて試しに見に来る人も多い。

 おそらくそこで戦車道観戦のきっかけを作って後はそれを習慣づけるだけ、という目論見なのだろう。

 でも、それには大きな問題がある。

 

「大洗が来るその試合は間違いなく満員御礼でしょうね。でも、自分の学校が目の前でボコボコにされたら次はもう誰も見に来ないわよ」

 

 大洗はあくまで初戦の対戦相手に過ぎず、これから先も見続けるのは自分たちの学園のチームだ。

 善戦した結果の敗北ならまだしも、目の前で無残にやられていく光景を見せられたら応援する気が起きるとは思えない。

 

「確かに無謀かもしれないけど簡単に負けるつもりは無いよ? うちの戦車道チームは凄いんだよって学校の皆にちゃんとアピールして全国大会に出場できるぐらいのチームにしたいの」

 

 表情こそいつも通りの笑顔だけど私を見つける視線はとても真剣で、善戦どころか隙あらば勝利を目指しているのがありありと伝わってくる。

 

「それに私もエリちゃんと同じで相手が誰だろうと負けるの好きじゃないしね。最初から諦めるのはもっと嫌」

 

 姉さんの言う通り、例え遥か雲の上にいるような相手だからといって最初から諦めるなんて勝負以前の問題だ。

 上を見ることを止めてしまったらもうどこにも行くことなんて出来ない。

 

「覚悟しておきなさい。みほは姉さんが想像してるよりずっと強いわよ……悔しいけど今の私よりずっとね」

「うん、頑張る」

 

 ここまで覚悟が決まっているのならもはや私がアレコレ口を出す必要は無い。

 対戦相手が大洗であれば見に行く理由としてはお釣りが来るレベルだし、じっくりと観客席で試合を見させて貰う。

 大洗への対策を練るため、そして姉さんがどこまでやれるかをこの目で見守るために。

 

「それでね、エリちゃん。一つお願いがあるんだけど」

 

 先ほどまでの真剣な目はどこへ行ったのか、姉さんは訴えかけるように円らな瞳を向けてくる。

 

「あのね、連絡船の時間確認するの忘れてて……もう今日は帰れないから一晩泊めてくれない?」

「それぐらいどうして調べておかなかったのよ……」

 

 あまりに初歩的なミスについ溜息をついてしまう。

 学園艦の連絡船は現在の航路や相手先の位置によって日替わりで運行日時が変わることは入学した時からしつこく説明される基本的な問題だ。

 

「このタイミングで部屋にいたらエリちゃん驚くかなあって思ったら、いてもたってもいられなくて……つい」

 

 照れくさそうに答える姉さんにあきれ果ててしまう。

 まさかそんな理由で後先考えずここまで来るなんて思いもよらなかった。

 あの夜姉さんの話を聞いた時は姉さんの悪戯は私の気を引くための行為に過ぎないと思っていたけど、それは間違いだったかもしれない。

 

 

 たぶん姉さんは素で悪戯好きなだけだ。

 

 

「……しょうがないわね。一晩だけよ」

「ありがとう、エリちゃん! 久しぶりに一緒に寝ようね」

 

 打って変わってはしゃぐ姉さんを「図々しいわね、ただでさえ狭いんだから床で寝なさいよ」と一蹴する。

 姉さんは「寂しかったら甘えていいって言ったのに嘘つき」とふてくされていたけど、「なら試合見に行かないわよ」と睨みつけると諦めたのかいつもの姉さんに戻った。

 

 寂しがりやだったり、悪戯好きだったり、妙に子供っぽくなったりと困らされることも多い姉さんだけど、それでも私にとってはどこか憎めない大切な姉だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉さんには絶対言わないけど――

 今夜また一緒に過ごせることが内心とても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ、エリちゃん。みほさんに会ったら昔のこと話しても……」

 

「絶対にダメ!」

 

 




短いですがこれで一旦完結です。
西住姉妹との絡みとか、合間合間の話とかは
書く余裕があれば投稿するつもりです。

投稿の度に見直しているつもりなのですが誤字・脱字が多く、
ご迷惑をおかけしてばかりで本当に申し訳ありませんでした。


皆様のおかげでここまで続けることができました。
本当にありがとうございました。



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おまけ:姉妹と隊長

☆本編のおまけ
 まほと逸見姉妹の話。モブキャラも1名あり。
 時系列としては3話と1話の間。


 誤解されがちではあるが、日々厳しい練習に励んでいる我が黒森峰戦車道チームも一日の全てを戦車道につぎ込んでいるわけじゃない。

 乗員や車両の疲労度合を無視した過剰な練習は事故や怪我の大きな原因になりかねないし、いくら練習場が居住区から距離があるとはいえ、早朝深夜に戦車を稼働させれば騒音問題は避けられないので、練習時間は遅くとも20時までと厳密に定められている。

 勿論練習後に車両を使わない自主トレーニングに励む隊員は大勢いるものの、宿題や授業の予習復習、それに洗濯といった身の回りのことをする時間も必要なため、ほとんどの隊員が21時頃までには帰宅の途についてしまう。

 

 つい数時間前までは大勢の隊員が戦車を駆り、駆動音や砲撃の騒音が鳴り響いていた練習場も21時を回った現在となっては静寂と暗闇が広がる無機質な世界へと変貌を遂げ、ガレージでは闇の中にうっすらと浮かぶ武骨な戦車のシルエットが昼間の頼もしい姿とは打って変わって、不気味な様相を呈している。

 そんな異様な空間に私は姉さんを連れて足を踏み入れていた。

 

「さすが黒森峰は違うね。いっぱい戦車があって羨ましい」

 

 黒森峰の誇る戦車の一団がよほど魅力的だったのか、姉さんは目を輝かせて暗闇に隠れた戦車を遠目に見つめていた。

 私も黒森峰に進学した時はこの力強い戦車の数々に圧倒されてのを覚えているし、戦力層が薄いであろう無名校チームに所属する姉さんが羨望の眼差しを向けるのも理解できる。

 でも、姉さんには悪いけど今は戦車を見ている場合じゃない。

 

「ほら、姉さん。戦車は後で好きなだけ見せてあげるから行くわよ」

 

 無理やり手を引っ張って先へ進もうとしたところ、姉さんは少し名残惜しそうな表情を浮かべていたものの、観念したのか「約束だからね」と呟いて、私に手を引かれるまま後ろをついてくる。

 私達が目指しているのはガレージ最奥の隊長室。

 そこで姉さんを西住隊長に引き合わせるのがこんな夜遅くにわざわざガレージを訪れた目的だ。

 

 本来であれば明後日から始まる短期編入生のスケジュールは明日早朝の連絡船で黒森峰に到着。その後、午前中に編入の手続きと学園施設の見学を行い、午後の練習前に隊長及び指導担当者である私と顔合わせ。そのまま練習を見学するというスケジュールになっていた。

 これが誰とも知らない赤の他人なら何も問題が無かったのに、編入してくるのが姉さんとあっては話がまるで違ってくる。

 私と姉さんは一卵性の双子で多少の表情の違いこそあれ、基本的には瓜二つ。

 しかも、私は双子であることを周囲には知らせていない。

 寮で姉さんと遭遇した直下と雛芥子の慌てようからもわかるように大勢の前に姉さんが姿を現したとしたら間違いなく大騒ぎになる。

 第一、悪戯好きで私になりすますような姉さんを誰も存在を知らない状態で黒森峰に解き放っておくなんて想像するだけでも恐ろしい。

 

 せめて西住隊長にだけは事前に事情を説明しておく必要がある。

 そう考えた私は携帯電話で連絡して訪問の許可を取ることにした。

 さすがに「今度編入してくるのは私の姉で、実は一卵性の双子なんです」なんて衝撃的な告白を電話で口にしてしまうのは憚られたので、「短期編入生のことで大事な話があるので本人を連れて行っていいでしょうか?」と少しぼかして伝えたところ、幸いにも隊長から「まだ隊長室にいるので構わない」とお許しが得られたので、こうして2人して深夜の隊長室まで足を運んできたというわけだ。

 夜も更けた遅い時間ということで、寮からガレージに至るまで他の隊員にも出くわすこともなかったのは不幸中の幸いだった。

 もし途中で誰かに遭遇していたら、どれだけ足止めを喰らうかわかったものじゃない。

 

「いい姉さん? これから西住隊長に会ってもらうけどくれぐれも失礼の無いようにしなさいよ。私のフリをして隊長に接するようなことは絶対しないこと。いいわね?」

 

 ガレージ奥の扉から各部屋を繋ぐ廊下へ進み、隊長室まであと少しのところまで来たところで姉さんにこれでもかというくらい念を押す。

 隊長なら姉さんが私になりすましたとしてもすぐに見破ってくれるだろうとは思うけど、ただでさえ、姉さんが編入してくることによる混乱で少なからず隊長に迷惑をかけてしまうことは確定事項なのだから僅かでも迷惑の種は減らさなくてはならない。

 

「ひどいなあ、エリちゃん。言われなくてもそんなことしないってば」

「当たり前でしょ。隙あらば私になりすましてたような人を信用できるわけないじゃない」

「もう、私だって西住隊長にはずっと会ってみたかったんだからね? お姉ちゃんとしてちゃんと挨拶するに決まってるでしょ」

 

 そう言い切る姉さんの表情はいつもの緩んだものではなく、私のように少し強張った顔に変わっていた。

 綻んだ笑みの多い姉さんも真剣な時はこのような表情になるので、少なくともさっきの言葉に嘘は無いように思える。

 不安が無いわけでは無いけど、今は姉さんを信じよう。

 

「私が先に入るから呼んだら中に入ってきて」

 

 隊長室の前まで来たところで姉さんに待機の指示を出して少し後ろに下がらせる。

 説明も無く2人同時に部屋に入ると隊長を驚かせてしまうので、まずは私が先に隊長と話して双子の姉がいることとその姉が今回の短期編入生であることを伝えて、その後に姉さんと実際に会ってもらって混乱が起きるであろうことへの説明と一緒に今後の軽い打ち合わせをする。

 そういう段取りになっているので、姉さんには少し廊下で待っていてもらうことにした。

 いざ部屋に入ろうとはしたものの、何せ隊長にも秘密にしていたことを打ち明けるのだ。

 姉さんも緊張しているように私も緊張で少し手が震えてしまう。

 

 ドアの前で何度も深呼吸をして手の震えを緩和させてから、ノックをしようとドアの前に手をかけようとしたところで、隊長室の扉が当然開いた。

 

「……え?」

 

 驚きのあまり後ろに下がってしまった私の目に入ってきたのは操縦手として隊長と共にティーガーⅠを駆る3年生の先輩だった。

 

「あれ、副隊長早かったね。もう片付け終わったから中に入っても大丈夫だよ」

 

 いくつかのお皿とカップの載ったお盆を抱える先輩を見て私は事情を察する。

 世話焼き気質の先輩は隊長と親しいこともあって、隊長に夕ご飯を差し入れに来ることが多く、私も何度かご相伴に預からせてもらったこともある。

 たぶん、私が連絡した時は隊長との夕食が終わった頃ぐらいで、来客が来ると聞いて慌てて片づけを始めたのだろう。

 急がせてしまってすみませんと謝罪すると先輩は「いいのいいの。気にしないで」と落ち着いた様子で返してくれた。

 

「わざわざこんな時間に大変ね。短期編入生を連れ来るって隊長が言ってたけどその後ろの子が……え?」

 

 私の後方を驚愕の表情で見つめる先輩。

 視線の先には真剣な面持ちを崩さない姉さんがどうしたものかと待機を続けていて、先輩から見ればドアを開けたらいきなり私が2人いるようなものだから驚くのも当然だ。

 それにしても、部屋の中には隊長1人しかいないことを前提としていた計画だったので、先輩が残っていたのは完全に計算外だった。

 

「……なにこれ怪奇現象?」

 

 隊長ほどでは無いにしろ、落ち着いた性格の先輩からしてもよほど衝撃的だったのか事態を正確に把握できていないようだった。

 「私の姉です」と説明しようとしたところ、先輩は大慌てで隊長室に舞い戻ってしまい、中から「まほちゃん、大変大変! 副隊長がなんか分裂してる!」なんてとんでもない言葉が聞こえてきた。

 確かに分裂したのは間違いないけどそれは生まれる前の話だ。

 それにしても落ち着いた先輩ですらここまで取り乱すとなると他の同級生や後輩たちがどのような対応を取るのか不安が掻き立てられる。

 加えて、些細なことではあるものの、先輩が普段隊長のことちゃん付けで呼んでることに少し驚かされた。

 

「エリカ、一体何があったんだ?」

 

 先輩の様子に只ならぬモノを感じたのか、隊長も急いだ様子で隊長室から出て来てしまう。

 しかもタイミングが悪く、この騒ぎにどうしたものかと姉さんも前に出てきてしまったため、事前な説明をした上で行うはずだった対面の予定は大幅に狂い、隊長は真横に並んだ私と姉さんに鉢合わせることになってしまった。

 

 そして、私達姉妹を見た瞬間、隊長は私が今まで見たことも無いような驚愕の表情を浮かべ、まるで石のように固まってしまった。

 

 本来であれば、私がすぐにでも事情を説明して隊長の動揺を鎮めなくてはいけないはずだったにも関わらず、隊長のあまりの驚きっぷりに気が動転してしまい、動き出すことが出来なかった。

 

「あの……西住隊長大丈夫ですか?」

 

 ある意味、第三者だったのが功を奏したのだと思う。

 動転することなく、すぐに動き出すことができた姉さんが隊長を心配して声をかけてくれた。

 それで少し隊長も落ち着いたのか、「心配をかけてすまない。少し驚いてしまった」と反応を返してくれる。

 

「事情は大まかにだが把握した。確かにこれは重要な案件だ」

 

 先ほどまでがウソのように隊長がすぐ普段の落ち着いた雰囲気を取り戻してくれたことにはホッとしたものの、私としては隊長を驚かせないように説明を進める予定がまさかの事態になってしまった申し訳なさでいっぱいだった。

 

「本当にすみませんでした。まさか私もこんなことになるとは思わなくて……」

「むしろ謝るのは私の方だ。あんな風に驚くのは失礼だった、本当に申し訳ない」

 

 私の不手際から起きた事態だと言うのにこうして気を遣ってくれる隊長の優しさが身に沁みる。

 隊長は全国大会以降見せてくれるようになった満面では無いけど人を安心させてくれる柔らかい笑みを浮かべながら――

 

「ようこそ黒森峰女学園へ。短い間だが、戦車道について存分に学んで今後の糧にして欲しい」

 

 

 

 

 何故か私の方に握手をせんとごとく手をかざしてきた。

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

 かざされた手に冷静さを失った脳が悲鳴を上げる。

 明らかに隊長は私と姉さんを間違えている。

 

 本来なら私がかけるべき心配の言葉を姉さんが先に言ってしまったので、たぶん隊長は姉さんのことを私だと認識してしまったのだろう。

 普段であれば表情の違いで間違いなく判別もつくだろうけど、今の姉さんは緊張のためか、穏やかな笑みでは無く私とほぼ表情が変わらないので違いがわかりにくい。

 先ほどの私が隊長にかけた言葉も、私からすれば「姉さんのことを説明する前に隊長と会わせて驚かせてすみません」という意味合いだったのに隊長からすれば姉さんが「妹が普段お世話になっているのにこんな風に驚かせてすみません」という意味に捉えられた可能性が高い。

 

「いや、その……あのですね」

 

 手を握ることもなく、慌てふためく私に隊長は怪訝な顔をしてくる。

 どうしたものかとふと視線を姉さんに向けるとあちらも対応に困っている様子が見て取れる。

 隊長の面子を守るためにこのまま私が姉のフリをして押し通すことも一瞬頭を過ったものの、このあと長時間3人で話すことを考えれば正直なところ騙し通せる可能性は0に等しい。

 心苦しい行為に胸が張り裂けそうになったが、その場しのぎで誤魔化そうとする方が隊長に対する裏切りだ。

 

「あの隊長、大変言いにくいんですが……その……私、エリカです」

「……え?」

 

 私の意を決した告白に隊長はみほがよく見せるようなキョトンとした表情を浮かべたと思うと私と姉さんの顔を交互に見比べ、姉さんに「エリカじゃないのか?」と問いかける。

 

「……はい。いつも妹がお世話になってます」

 

 姉さんが重苦しく口を開くと隊長は間違えてしまったことがよほどショックだったのか私の方に顔向け「すまなかった」と呟くと顔を俯けてすっかり暗い面持ちに変わってしまう。

 

「き、気にすることなんてありませんよ。うちの両親だってたまに間違えるくらいなんですから、こんなの慣れっ子です」

「そ、そうですよ。間違えられるなんて双子のアイデンティティーみたいなものなので気にする必要なんてありませんから」

「気休めはいい。いつも一緒にいるエリカを見間違えるなんて、謝っても謝り切れない過ちだ……」

 

 姉さんも援護に加わり、必死にフォローしようとするも隊長の表情は重いまま変わらない。

 色々な偶然が重なったことによる間違いとはいえ、まさか隊長がここまでショックを受けるなんて思わなかった。

 

「悪いのは双子だって隠してた私です。だから、元気出してください。お願いですから」

 

 

 結局、姉妹2人で必死の呼びかけを続けたにもかかわらず、隊長の落ち込みっぷりは直ることなく、冷静になった先輩も加わった3人がかりの説得でどうにか元の隊長に戻ってくれた。

 

 

 そして姉さんが編入してから数日間の間、隊長が私に声をかける前に必ず一呼吸置くようにしていたのはまた別の話。

 

 

 



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おまけ:隊長と副隊長と思い出

エリカ姉は話題には出ますが本人は出てきません。
(たぶん次は)おまけ:みほ編で出ます。


 

 姉さんから忘れていた過去の事実を聞かされてから、どうしても隊長のことを意識してしまう。

 見ず知らずの私を戦車に乗せてくれて、楽しい思い出と戦車道を始めるきっかけを作ってくれた恩人。

 それが隊長とみほだったという事実を自覚してしまった以上、それを気にしないことは不可能に近かった。

 悟られないように心がけて行動はしていたものの、疲れている時や2人きりになった時につい気が緩んでしまって、少し前の姉さんのように隊長を見つめてしまうことが何度もあった。

 

「エリカ、そうしてじっと見つめられると読みにくいんだが……」

 

 練習終了後の隊長室。

 今回の短期編入生――要するに姉さんのことだが、その指導内容や成果、今後の課題等について纏めた最終レポートを隊長に確認してもらっている時にもつい油断して隊長を凝視してしまった。

 視線が気になったのか、隊長は報告書に手にしたまま「私の顔に何かついているのか?」と怪訝な顔を浮かべて私の方へ目を向けてくる。

 

「……すみません。客観的に書けているか心配だったのでつい」

 

 慌てて弁明すると隊長は「エリカは心配性だな」と呟いて再び報告書に視線を戻す。

 まったくの嘘であれば隊長もこんな風に納得しなかっただろうけど、幸いにも口にしたことが決して間違いではなかったことが功を奏した。

 

 姉さんが編入してきた当初、私が考えて組んだ指導内容の原案は『お姉さんに要求する水準ちょっと高過ぎですよ。エリカさんがやってたのとほぼ同じメニューじゃないですか』と直接の指導担当だった小梅から思い切り没を喰らってしまった。

 姉さんならそれぐらい出来るわよ、と主張する私に対して「エリカさんは別の意味でお姉さんに甘いんですね」とあきれ果てた小梅の顔は今でもはっきり思い出せる。

 認めがたいことに、どうも私は姉さんに対しては客観視が出来ていないらしい。

 一応、今回の報告書は小梅の意見を聞きながら作成したのでおかしなことにはなっていないはずだけど、そういった主観的な内容が一切含まれていないとは言い切れなかった。

 

「目を通した限りでは特に問題は無い。要点もわかりやすく纏められている」

 

 報告書を閉じ、「ご苦労だったな」と労ってくれる隊長の言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら私の心配は杞憂で終わったようだ。

 

「今回の短期編入が良い結果に終わったことについては家元やOG会も大変お喜びになっている。噂を聞いた他の学園艦からも編入についての問い合わせが多数来ているそうだ」

 

 短期編入生制度が実際に形になったことで、高校戦車道界における黒森峰の影響力強化という上の方々の目論見は実現しつつある。

 おそらく、今後も編入生の受け入れは定期的に続いていくのだろう。

 現場の負担が増えることに関しては正直なところ今でも納得はしていないが、これも必要なこととして割り切るしかない。

 

「編入第一号が彼女で良かった。身内ということでチームに溶け込むのも早かったし、とても熱心に学んでくれたおかげで皆にも良い刺激になった」

 

 エリカは大変だったかもしれないが、と苦笑する隊長に「最初は驚きましたし苦労しましたけど慣れました」と返す。

 編入当初は姉さんの存在に学校中が大騒ぎになってだいぶ苦労もしたけど、それも今となっては笑い話のようなものだ。

 基本的な技量をしっかり備えていたことに加えて、日々の練習にも真面目に取り組んでいたので指導責任者として困るようなことは一切無かったし、懸念していた私へのなりすましも正式編入以降は自重してくれていた。

 何のために黒森峰にやってきたのか疑心暗鬼になった時期もあったけど、結果としてお互いの想いを伝え合うことが出来たことについてはとても意味があることだったと思う。

 そして何より、決して口にはしないけど久しぶりに姉さんと一緒に戦車道をやることが出来て嬉しかった。

 そのことを思えば、大した苦労じゃ無い。

 

「姉が頑張っていたことに関しては疑う余地はありません。ですが隊長、その……313号と314号の件はさすがに少しやり過ぎなのでは……」

 

 313号車、314号車というのは黒森峰が所有していたⅢ号突撃砲F型のことだ。

 ドイツ系戦車を運用する黒森峰は生産台数の多いこの車両を多数所持しているものの、黒森峰の戦術が一糸乱れぬ進撃を重視して待ち伏せを行うことが少ないことや火力や装甲に勝る車両が何両も存在することから活用される機会は極めて限られている。

 駆逐戦車の練習用か、Ⅲ号突撃砲を運用する相手を意識した模擬戦を行う時ぐらいだ。

 使用頻度が低いのに数だけは多いものだから、大破してしまった際は最低限の処置で済まし、そのまま修理の機会が訪れるまで第二ガレージに放置されてしまう。

 いくら黒森峰が戦車道に多額の予算を割いているといっても無尽蔵に使えるわけではない。

 その予算節約によって生じることになった苦肉の策だが、その結果として長期間放置されていたのが313号と314号だ。

 

 ガレージで埃を被っていたこの2両は先日姉さんの学園艦にほぼ捨て値に近い額で譲渡された。

 圧倒的な戦力を持つうちならまだしも、戦力の大半がⅡ号戦車とⅢ号戦車で占められているらしい姉さんの戦車道チームにとってはまさに喉から手が出るほど欲しかった火力を期待できる車両。

 いくら故障中とはいえそれ相応の火力を持つ車両を2両も安易に譲渡してしまっては、外部の人間に身内びいきと良からぬことを囁かれるのではないか。

 どうしても不安になってしまう。

 

「心配する必要は無い。あの2両を譲渡することは彼女が編入する前から決まっていた話だ」

 

 私の心配を察してか、隊長は譲渡に絡む裏事情について説明してくれた。

 折角導入した短期編入制度も実際に編入してくれるものが現れなければ外聞が悪い。

 そう考えた関係者は系列校や提携校に対して制度導入前から密かに短期編入生の打診をしていたらしいが、初めての制度ということもあってなかなか色よい返事は貰えなかった。

 そんな時に戦車を何両か融通してくれるならと条件付きで手を上げたのが姉さんの学園艦だった。

 ティーガーやマウスをくれと言われていたなら渋ったであろうものの、所持車両数も多いⅢ号突撃砲、しかも故障中の車両で良いと言われた関係者はそれだけで済むなら安いものと譲渡を約束したらしい。

 

「黒森峰は編入生受け入れの実績と費用の節約を成し遂げ、向こうの学校も編入生の技量向上に戦力の充実が出来た。建前と実益が伴った取引である以上、部外者が口を挟んだところで流されるだけだ」

 

 確かに313号及び314号は破損状態も著しく、特に314号にいたっては廃車寸前に近い惨状だ。

 高い修理費用をかけて直したところで黒森峰では積極的に使用される可能性は低いし、かといって廃棄するには相当の費用が必要な上にガレージに置いておくのもスペースと資源の無駄にしかならない。

 それを考えれば安価で譲渡してしまっても予算節約の名目で言い分は立つ。

 

「一直線に進むことも時には必要だが、相応の準備と建前さえあれば多少の悪路や妨害があったとしても真っすぐ進むことが出来る。今後隊を率いて行く者としてこれだけは覚えていておいて欲しい」

「はい。肝に銘じます」

 

 何も考えず猪突猛進するのではなく進むための準備を行ってから進んだ方が良い。

 自分の性に合わないのは重々理解しているが、黒森峰の次期隊長としてそれを実践しなくては意味が無い。

 だからこそ隊長もこうして真剣にアドバイスをしてくれている。

 

 ただ、助言を受ける度に奮起するのは勿論だけど、それと同時にどうしようもない不安が過ってしまう。

 戦車道の実力でも、チームを纏めるリーダーとしても私は未だ隊長の足元にも及んでいない。

 こんな私が本当に次期隊長としてチームを纏めていけるのか心配の種は尽きない。

 先ほどのような交渉事に関しては特にそう思う。

 隊長がどんな球種も投げられて最後はストレートで決めることが出来る本格派投手なら、私は力押ししか出来なくてようやく変化球を学び始めたヘッポコ投手だ。

 姉さんの方がよほどこういうことは向いている。

 まあ、姉さんの場合、事前に直球を投げることを予告してきて、結果次第で対応を決めるような変わり種なので参考にならない気はする。

 

「話が脱線してしまったな。少し休憩にしよう」

 

 隊長はそう言って立ち上がると「良いお茶を貰ったから淹れてこよう」と水回りの方へ足を向け始めた。

 後輩として、そして副隊長として隊長にお茶を淹れさせるわけにはいかない。

 慌てて「私がやるので隊長は座っていてください」と向かおうとしたところ隊長に止められてしまった。

 

「これぐらいやらせてくれ。頑張ったエリカを少しでも労いたいんだ」

 

 私に見せてくれた穏やかな微笑みがあの夏の日に遊び回った時の笑顔と重なって少しドキリとしてしまう。

 その表情でそんな優しいことを言われたら何も言い返すことなど出来ず、私は言われるがままに座って待っていることしか出来なかった。

 

「久しぶりだから上手くできたか自信が無い。口に合わなかったら遠慮なく言ってくれ」

「……いただきます」

 

 湯呑を受け取り、ほのかに湯気が香るお茶を口に含むと普段感じる苦味とは別に甘味を感じられた。いつも飲んでいるようなお茶とは風味も味も違っていて、隊長が言っていたとおりかなりの高級品なのだろう。

 

「隊長、とても美味しいです」

「それは何よりだ。貰いものだが、お菓子もあるから遠慮なく食べてくれ」

 

 隊長はお茶に続いて机の下から高級そうな箱を取り出すと蓋を開けて私に差し出してくれる。私でも聞いたことがあるような有名ブランドのお菓子だ。

 

「あの……隊長、労っていただけるのは本当に嬉しいんですが……その……何かあったんですか?」

 

 一連の行動にどうしても違和感を感じてしまった。

 普段が優しくないわけでは無いけど、今日の隊長は異様なくらいに手厚くて優しい。

 私に言えない何かが裏で起こっているのではないかと不安が掻き立てられる。

 

「……そうだな、強いて言えばそれをこれからエリカに確かめる、というのが正しいかもしれない」

 

 私に確かめるということは何か私にも関連のあることなのだろうか。

 必死に考えては見るものの、思い当たるようなことは今のところ無い。

 

「こんなことを聞くのは失礼に当たるかもしれない。だが、私としてはどうしても確認しておきたいことなんだ」

 

 これほどまで隊長が前置きをすることとは一体どれだけ重要なことなのか。

 緊張で喉が渇き、思わず息をのむ私に隊長はゆっくりと口を開いた。

 

「昔、私やみほと戦車に乗って遊んだウサギのぬいぐるみを持っていた子はエリカで間違いないな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

「なんでそれを……」

 

 予期せぬ言葉に私の口から思わず漏れたのはその問いを肯定する一言。

 それを聞くや「そうか、今度は間違いでなくて良かった」と安堵の表情を浮かべる隊長とは対照的に私は困惑で頭がいっぱいだった。

 今まで覚えているような形跡は何も無かったのにどうして隊長がこのことを知っている。

 しかも覚えていたとしても何故今になって。

 

「……姉さんから聞いたんですか?」

 

 私の知る限り姉さんぐらいしか可能性は思いつかなかった。

 絶対隊長には言わないと約束したとはいえ、姉さんは隊長に対して感謝の言葉を伝えたい想いが強かったのはわかっていた。

 だから、話の弾みでつい口を滑らせてしまうことは充分にあり得る話だ。

 

「いや、彼女には何も聞いていない。もっとも彼女が来たからこそ、エリカがあの時の子だと気づいたわけなんだが」

 

 どうやら私の予想と違って姉さんから情報を得たわけでは無かったらしい。

 姉さんを疑ってしまったことを心の底で謝りつつ、私は隊長に「なら、どうしてなんですか?」と問いかけた。

 

「恥ずかしいことにあの日のことは朧気にしか覚えていなかった。覚えていたのは一緒に遊んだ子が銀髪でウサギのぬいぐるみを持っていたこと。そして、双子の姉妹だったことだ」

 

 どうして双子だと分かったんですかと言いかけて、あの日私が2人と別れる時にちょうど姉さんが迎えに来てくれたことを思い出す。

 姉さんが2人のことを覚えていたように、隊長も姉さんのことが印象に残っていたに違いない。

 

「あの夜ガレージで2人に会った時、堰を切ったように思い出してあの2人に間違いない、そう確信したんだ」

「なら隊長があれだけ驚いていたのは……」

「ああ、ずっと気にしていた子がまさかこんな身近にいるとは夢にも思っていなかったからな」

 

 あの時隊長が普段では想像もつかないような驚愕っぷりを見せたのは私が双子だったという事実だけではなく、昔の思い出の人物が目の前に揃っていたことに驚いていたなんて想像できるはずが無い。

 もしかしたら私と姉さんを間違えたのも、その困惑があったからなのかもしれない。

 

「でも、どうして私だと……姉さんの可能性だってあったはずじゃ……」

 

 私たちがあの時出会って双子だと気づいたのはわかる。

 でも、どうして隊長はウサギの子が私だとわかったのだろう。

 昔の私たちは今以上に見分けがつきにくかったのに、朧げな記憶だけで判断するなんて出来るはずがない。

 

「いや、あの子はエリカしかありえない。そう確信が出来ていた」

 

 自信満々に答えた隊長は――

 

「もう1つ覚えていたことがあるんだ。『絶対あなたたちより上手に動かせるようになる』」

 

 私が忘れていて欲しかったあの言葉を口にした。

 

「2週間様子を見て彼女はこんなことを言う性格じゃない、言うとしたらエリカ以外ありえない。そう判断しての結論だ」

 

 何か間違っていたか、と問いかける隊長に私はただ「何も間違っていません」と答えるのが精一杯だった。

 覚えていてくれたことへの嬉しさと過去の自分が犯した大言壮語っぷりへの恥ずかしさで顔は真っ赤に染まり、隊長の顔がまともに見れない。

 

「それにしてもエリカ、知っていたならどうして言ってくれなかったんだ? 水くさい」

「そんなこと、言えるわけないじゃないですか……」

 

 そもそも姉さんに言われるまで私だって隊長とみほがあの時遊んだ2人とは気づかなかった。

 しかも、あれだけ威勢の良いことを宣言しておいて未だ隊長は勿論みほの足元にだって及んでいない。

 そんな私がどの面を下げて「あの時一緒に遊んだ子は私です」だなんて隊長に言えというのだろうか。

 

「あの時のことを言っているなら気にする必要は無い。なにせ子どもの頃の話だ」

 

 慰めてくれる隊長の言葉に胸が熱くなる。

 感激で目も涙でうっすらと赤くなってきたが、さすがにこれは見せられないと慌てて目尻を抑える。

 隊長はそんな私を察してか隣に座ってゆっくりと背中を擦ってくれた。

 その温かさが余計に嬉しくて、涙が溢れそうになった私の耳元で隊長はとんでもないことを口にした。

 

「川に突き落とされたくらい私は気にしていない。あれをけしかけたのはみほだ、エリカは何も悪くない」

 

 

 一瞬言葉の意味が理解できなかった。

 

 私が隊長を川に落とした?

 違う。

 私は2人により上手くなってやると言ったことが恥ずかしくて言い出せなかっただけで、そんなとんでもないことを仕出かしていた記憶なんて無い。

 

「ずっと気にして言い出せなかったのはエリカらしいな。だが、そんなことはどうでもいい。それよりも私はこうして再会できたことの方が嬉しい」

 

 何かの間違いあって欲しい――

 そう心の底から願ったものの、ここまではっきりと断言する隊長が勘違いをしているとはとても思えず、私が隊長を突き落としたのは疑いようのない事実なのだろう。

 いくらみほにけしかけられたとはいえ、あろうことか隊長を川に突き落とすなんて幼い頃の私は何を考えていたのか。

 しかもそのことを忘れていたなんて許されることじゃない。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……隊長」

 

 ギリギリのところで押しとどめられていた堤は忘れていた罪を自覚したことで一気に崩壊した。

 感動と恥ずかしさと自己嫌悪で顔と目は真っ赤に染まり、瞳からは大粒の涙が溢れ出てくる。

 とてもじゃないけど隊長に合わせる顔が無い。

 

「まったく、気にすることは無いと言っているのに……。エリカはいつも気負い過ぎだ」

 

 泣き止まない子をあやすように、隊長は私の頭を優しく撫ぜながらあの時と同じ優しい笑顔で微笑んでいた。

 

「今度みほ達も連れて一緒にⅡ号であの時の場所を回ろう。きっと2人も喜ぶ」

 

 親身になって気遣ってくれる隊長を前に、私は自分が犯した大罪そのものを忘れていたことがショックで泣いているとはとても言い出せなかった。

 その申し訳なさも相まって私の涙は留まることはなく、小梅が隊長室を訪ねてくるまで隊長に体を委ねてただただ泣き続けるばかりだった。

 

 

 

 

 

 ああ本当に。

 

 穴があったら今すぐにでも入りたい。

 

 

 



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おまけ:再会

かなり間が空いてしまいましたが
エリカとエリカの姉がみほと会うお話と少しおまけ。



 久しぶりに足を運んだ熊本駅は連休中ということもあって大勢の人で賑わっていた。

これからどこかへ出かけるであろう家族連れや大きな鞄を抱えた観光客が楽しそうな声を響かせながら駅の構内を闊歩している。

 

 そんな喧噪の中、私と姉さんは通路の中央に位置する巨大マスコットの側である人物の到着を待ち続けていた。

 

「……まったく、仮にも隊長なんだから時間ぐらい守りなさいよね」

 

 約束の時間を迎えたにもかかわらず、未だに待ち合わせの相手――

 みほが現れる気配は無い。

 あの子が時間に遅れるのは黒森峰にいた時からよくあることだったとはいえ、こうして再び待たされることになるとは思っていなった。

 戦車を降りると抜けているあの子のことだ。

 大方、電車を乗り間違えるか、誤って別の場所にでも向かってしまったのだろう。

 呆れ半分怒り半分で溜息をつき、スマホのアプリに目を向けると、「間違えて別の場所に出ちゃったので少し遅れます」と予想を裏付けるメッセージが数分前に書き込まれていた。

 

「ああ、もう早く来なさいよね。いつまで待たせるつもりなのよ」

「まあまあ、エリちゃん。いいじゃない。時間はまだたっぷりあるんだから」

 

 到着を急かすメッセージを書き込む私に、姉さんは「そんなに早くみほさんに会いたいの?」と楽しそうに微笑んでいる。

 

「……別に。こんなところでずっと待たされるのが嫌なだけよ」

 

 懐かしい思い出の相手と分かったあの子と会うのはどこか複雑な気持ちではあるけど、喜ばしい気持ちの方が若干強い。

 だからといって、姉さんが言うように一刻も早く会いたいとかそういうわけじゃない。

 私としては一刻も早くみほと合流してこの場から離れたいだけなのだから。

 

『ねえねえ、あそこの2人もしかして双子じゃない? しかも凄く綺麗』

『本当だ……服も可愛いしお人形さんみたい』

『凄く気合の入った服だね。誰と会うんだろうね?』

 

 この場所に来てからというもの、構内を行き交う人々から常に視線を向けられていて落ち着かない。

 これほど注目されてしまっているのは姉さんと私の容姿が瓜二つだということもあるけど、それをさらに際立たせているのが私たち姉妹の服装。

 お揃いの白いワンピースにツバの広い帽子を合わせた装いは、様々な様相の人が集まる駅の中でも圧倒的なまでに悪目立ちしてしまっている。

 居場所を間違えたお嬢様感丸出しの私たちに通る人は誰もかれも視線を向けてくるし、丁寧にお断りしたが中には写真を撮ってもいいかとまで言ってくる人もいた。

 

「……だからこの服で来るのは嫌だったのよ」

 

 別に今着ている服が嫌いというわけではなく、私は昔からこういう系統の服装を好んでいた。

 小さい頃はよく姉さんと2人でフリルがたくさん付いたお揃いのワンピースを着ていて、両親も可愛い可愛いと褒めてくれたからそれが普通だと思っていたけど、小学校に上がった頃ぐらいから同級生たちと比較して私たちの服装は明らかに派手過ぎることに気付いてしまった。

 最初のうちは他人の視線など気にせず、着たいモノを身に着けていたものの、年齢が上がり、思春期を迎えるに連れて恥ずかしくなり私は徐々にそういった装いをしないようになった。

 ただ、好きな服装であることには変わりないので、現在も寝間着としてはその系統の服を選んでいるし、今身に着けているこのワンピースのような装いも何着かは持っている。

 勿論、見られたら間違いなくからかわれることはわかっているので黒森峰で着たことは一回も無い。

 それなのに、私がどうしてこの服を着ているかというと全てはみほと合流してから向かう先に理由がある。

 

 行き先は西住家邸宅近くの田園地帯――。

 私と隊長、それにみほが幼い頃に出会って一緒に遊んだ場所だ。

 

 

 始まりは隊長から告げられたある一言だった。

 

「今度の週末にみほが実家に帰ってくるんだが、エリカはその日空いているか?」

 

 みほが色々な人の仲介もあって家元と和解したらしいとの話は聞いていたので、あの子が帰ってくることに関してはそれほど驚かなかったし、むしろ、ようやくかという気持ちの方が強かった。

 しかし、どうして私の予定を聞くのだろうかと疑問に思いながら「特に予定はありません」と返したところ、隊長が「昔遊び回った場所を皆で一緒に回らないか?」と誘ってきたことで合点がいった。

 

 昔の思い出、そして忘れていた悪行を告げられて号泣してしまった私を慰めながら、隊長が「いつかまた皆であの場所に行こう」と言ってくれたことはよく覚えている。

 せっかくのご厚意を断る理由なぞ無く、「勿論行きます」と躊躇なく答えた。

 その時の隊長の顔は今まで見たこともないぐらい嬉しそうな笑顔で、見ているだけでとても幸せな気持ちになれるほどだったけど、私の心の中には決して小さくはない不安が過っていた。

 隊長とは以前と比べてよく話すようになったし、みほに対しても少し前の険悪だった頃とは違って昔のような気軽に雑談もできる関係に戻っている。

 でも、それはあくまで黒森峰で出会った西住姉妹としてであって幼い頃に一緒に遊んだ友達としてはまた別の話。

 いつか会いたいとはずっと思ってはいたものの、いざこうして隊長とみほがその相手だと自覚してしまうと2人に対してどのように接すれば良いのかという戸惑いと恥ずかしさを少なからず感じてしまう。

 思い出の場所に行くことに関しては何も不満は無いし、嬉しいことなのは間違いないのだけれど、どのように3人で時間を過ごしたら良いのか悩ましく思ってしまっているのもまた事実だった。

 どうしたものかと困り果てていると私の悩みを見抜いていたかのように「もし構わないなら姉妹揃って来てくれないか?」と天の助けとも思える一言が隊長の口から飛び出した。

 隊長はあの思い出の日に私を迎えに来てくれた姉さんを戦車に乗せてあげられなかったこと、そして、姉さんが短期編入している間に直接私たちのことを覚えていると伝えられなかったことを

気にしていたらしい。

 

「都合が合えばの話なんだが、エリカ頼めるか?」

 

 隊長の気遣いに感激しつつ、私はこれ幸いと姉さんも巻き込むことにした。

 姉さんがいてくれれば、恥ずかしさのあまり会話が途切れてしまっても上手いこと場を繋げてくれるだろうし、多少は気まずさが軽減されるに違いない。

 姉さんも隊長やみほにお礼を言いたがっていたから喜んで参加してくれるに違いない。

 

 そんな目論見で姉さんに電話をかけて参加を促したところ、返ってきた答えは予想に反して渋いものだった。

 

「いや、だって3人の大事な思い出だし、私がいたらお邪魔でしょ?」

 

 おそらく姉さんは私たちに気を遣ってくれたのだろうけど、正直な話、私としては姉さんにいてもらう方が気が楽になるし、隊長も姉さんに是非参加して欲しいと思っていることはよくわかっていたので、渋る姉さんを何度も説得した。

 長い時間をかけた結果、姉さんも「そこまで言うなら……」と折れてくれて、前日実家に戻ってそこから駅へ向かってみほと待ち合わせるということになったまでは良かった。

 いざ当日の朝になって姉さんが「せっかく思い出の場所に行くんだから服も昔と同じにしないとダメだよね」と笑顔でお揃いの白いワンピースを差し出してきた時、私は開いた口が塞がらなかった。

 

 そこから数十分の間、渡された服を着る着ないで押し問答が続いたものの、私がお願いして参加してもらったという流れがあった以上、姉さんの提案を受け入れざるをえず、こうして目立つ服装で人通りの多い中立ち尽くす羽目になってしまった。

 

 ちなみに当初姉さんはワンピースだけではなく、ウサギのぬいぐるみを持つことまで提案してきたけど、それだけは断固拒否した。

 白いワンピースだけでも目立つのに、さすがにこの歳になってぬいぐるみを抱えて人前に立つのはさすがに辛過ぎた。

 

 

「ふふ、ようやくみほさんにも会える。楽しみだなあ」

 

 私たちに遠慮していたからとはいえ、いざ会えるとなると姉さんも出会いが待ちきれないらしく、大勢の通行人から向けられる視線も気にすることなく嬉しそうに笑みを浮かべている。

 こういう良い意味で自分のペースを崩さずにいられるところは姉さんが羨ましい。

 そんなことを実感していた最中、ふと姉さんの言葉に違和感を感じてしまった。

 

「……ちょっと待って。姉さん、みほと会ったこと無かったの?」

 

 気付いてしまった疑問を思わず口にしてしまう。

 姉さんの学園艦は小さい頃から戦車道を嗜んでいる生徒は少ないらしく、姉さんは本人曰く「仮」らしいがチームの隊長のような役割をしているらしい。

 にもかかわらず、近々練習試合の相手である、大洗の隊長を務めるみほと会ったことが無いなんてあり得るのだろうか。

 思いついた疑問を姉さんにぶつけると「ずっと生徒会同士が主体で話し合ってきたから、実はまだ直接話したこと無いんだよね」と笑いながら教えてくれた。

 隊長抜きで練習試合の話を進めるのも正直どうなのかとも思ったが、それも各学園ごとの事情があるだろうし、そういった事情なら姉さんが未だみほと会ったことが無いのもあり得ない話じゃない。

 

 でも、そうなるとみほは姉さんのことをどこまで知っているのだろうか。

 私が昔遊んだウサギのぬいぐるみを持った女の子だということについては、隊長も電話やメールで伝えるのは気が進まないということで未だ伝えていないようで、今日全員が揃ったところで直接伝えることになっている。

 なので、昔3人で戦車に乗って遊び回っている時に私を迎えに来てくれた人だということは知らないだろうけど、練習試合の対戦相手が私の姉さんであることや、私と姉さんが一卵性の双子であることは隊長や小梅、もしくは生徒会関係者からある程度は聞いているかもしれない。

 それでも、いざ姉さんを目の当たりにしたらあの子はきっと驚くに違いない。

 小梅や直下たちだって相当驚いていたのだから、ただでさえ戦車を降りると頼りないあの子があたふたと戸惑う姿が容易に想像できてしまう。

 そこからさらに、私があの時一緒に遊んだ女の子だという事実を知ったとしたら一体どんな反応を見せるのだろうか。

 再会を喜んでくれるのか、それとも私のようにあやふやの記憶を辿ろうとするのか。

 もし何も覚えていなくて暗い顔で「ごめんなさい」と謝られてしまったら――

 ふと、あの子が黒森峰からいなくなってしまった時のことを思い出して胸が締め付けられるような気持ちがした。

 

「……それにしても遅いわね、いつまで待たせる気なのよ」

 

 暗くなった気分を変えようと再度スマホに目を通すと、さきほど送った急かすメッセージは今なお未読のまま放置されている。

 画面から目を離し、周囲を見渡してみると改札とは反対側の建物外へと続く側から慌ててこちらへ向かって来るみほらしき姿が見える。

 おそらく、こちらに向かうのに必死で画面を見る余裕が無いのだろうけど、振り回されるこっちの身にもなって欲しい。

 黒森峰にいた時から戦車道でも日常生活でも、私はあの子に振り回されてばかりだった。

 よく考えたら、私が隊長を川に突き落としてしまったのもみほがけしかけたのが要因なのだから、その時から私とみほの関係は変わっていないことになる。

 復讐、なんて言うのは大げさだけど、ちょっとしたお返しぐらいはしたって良いんじゃないだろうか。

 

 衆人環視の中で生まれた羞恥心のせいか、それとも待たされたイライラ故か。

 隣にいる姉さんの顔が視界に入った瞬間、私の頭の中に普段なら絶対に生まれないであろう感情が芽生えていた。

 

「……そうよね。たまには私があの子を驚かせても罰は当たらないわよね」

 

 たまにはあの子を私が振り回してみたい。

 普段なら姉さんが考えるような悪戯心が沸々と心に湧き上がってきた。

 

「なんかエリちゃん悪い顔してるね」

 

 どうやら表情に顔に出ていたらしい。

 怪訝な顔で「何を考えてたの?」と私の顔を見つめる姉さんに「ちょっと耳貸して」と呟いて、そのまま耳元で思いついたことを説明する。

 それを聞くや、姉さんは「いいね、それ面白そう」と楽しげに微笑んだかと思えば、表情をいつもの穏やかな笑顔から真面目な顔に一瞬で変貌させる。

 

 その直後、変わり映えのしない地味な服装を身に纏ったみほが慌てた様子で私たちの元にたどり着いた。

 

「遅くなってごめんね。出る所を間違えちゃって……」

「まったくもう、仮にも優勝校の隊長なんだからもっとしっかりしなさいよね」

 

 みほに対して、私ではなく、私になりすました姉さんが私なら言うであろう言葉を違和感無い仕草で口にする。

 相変わらず、そのなりきりっぷりは無駄に洗練されていて、ここまで精巧に真似されたら小梅たちが騙されるのもよくわかる。

 

 姉さんに提案したのは、みほが来る前に互いが入れ替わるちょっとした悪戯。

 みほが姉さんに会ったことが無い以上、私と姉さんを見分けるためには私の態度や服装でどちらが逸見エリカなのかを判断する以外に無い。

 私がする姉さんの真似はまるで似てないし小梅にも笑われてしまったぐらい不自然なものなので、姉さんのことを知っている人間には無意味なことこの上ないけれど、姉さんを知らない人間であれば、姉さんを逸見エリカと認識さえしてもらえれば、普段と変わらない態度でも自動的に私は姉さんだと認識してもらえる。

 今日は2人揃って同じ服装をしているのでそちらで判断されることも無い。

 状況から見て成功率が限りなく100に近い作戦だと思う。

 

「お姉ちゃんから聞いてはいたけど、本当にそっくりなんだね……」

 

 話として聞いていても実際目にするとやはり驚愕したのか、みほは驚きの表情を浮かべながら姉さんと私の顔を交互に見まわしている。

 様子を見るにどうやら作戦は上手くいっているように思える。

 このままなら隊長と合流する駅に到着するまで充分騙しきれるかもしれない。

 内心ほくそ笑みながら必死で笑いを堪える私に姉さんが「ほら、姉さん。会いたがってたみほが来たわよ」と挨拶を促してくる。

 一瞬「姉さん」と呼ばれたことに戸惑ったものの、すぐに自分のことだと認識し直す。

 

「はじめまして、みほさん。いつも妹がお世話になってます」

 

 不自然にならないよう程度の笑みを浮かべ、「よろしくね」とみほに手を差し出した。

 

 こうして実際に騙す側の気分を味わってみると姉さんが私になりまして悪戯をしたくなる気分も良くわかる。

 ここまで上手いこと計画が進行するのを見ていると、どこか心地良い気分になってくるし、これが後々あの子をからかうネタになると考えるとよりその気持ちが増してくる。

 

「……ええっと……その……」

 

 しかし、そんな私のご機嫌な心境とはうって変わって、みほは何故か差し出された私の手を握ることなく、どこかオドオドした様子に様変わりしていた。

 

「どうしたのよ、そんな変な顔しちゃって」

 

 姉さんがみほに声をかけるも、みほは心そこにあらずといった仕草で私の顔を見ながらどこか落ち着かない。

 人付き合いが苦手なのは昔からだけど、ここまで初対面の相手に委縮する子だっただろうか。

 

「あの、間違ってたら本当にごめんなさいだけど……その……」

 

 どうも何か言いたいことがあるらしくモゴモゴとしながら必死に口を開こうとしている。

 差し出していた手を戻し「何かしら?」と問いかける私の目を真っすぐ見据えながら、みほは私がまったく予期していなかった言葉を口にした。

 

「エリカさん……だよね? お姉さんじゃなくて」

 

 その一言に思わず姉さんと顔を見合わせてしまった。

 姉さんの演技は完璧だったし、私も何かボロを出したとは思えなかった。

 不自然なところは何も無かったはずなのに、どうして私が姉さんじゃないと気づくことが出来たのか驚愕の感情を隠し切れない。

 

「……正解よ。あなたの言う通り私がエリカで向こうが姉さん」

 

 見破られてしまった以上は誤魔化そうとしても意味が無い。

 そうであるならば、正直に白状するしか選択肢は存在しなかった。

 私の正直な告白にみほは「良かった。間違ってたらどうしようかと思っちゃった」と少し

ホッとしたような表情を見せる。

 

「残念。せっかくエリちゃんが持ちかけてくれた作戦だったのにばれちゃったね」

 

 姉さんは見破られたことを悔しがる素振りもなく、いつもと変わらない表情に戻ってみほに微笑んでいた。 

 

「どうしてわかったの? 私そんなにおかしかった?」

 

 疑問をぶつける姉さんに対してみほは「ええっと、最初はよく似てるなって思ったんですけど……」と前置きをしながら質問に答えていった。

 私のふりをしていた姉さんの細かい仕草や声の抑揚が自分の知っている私と少し違っていたこと。

 不思議に思ったところで、姉と紹介されたはずの人が私とまったく同じ仕草だったこと。

 

「だからこっちが本当のエリカさんで、お互いに入れ替わってるのかなって思ったの」

 

 見分けられたことをごく自然なことのように話すみほに私は心底震えていた。

 普段通りにしていても両親や友人から間違えることは珍しくなかったし、色々と悪条件が重なったとはいえ隊長も初見では私たちを見間違えてしまっていた。

 だというのに、2人で意図的に入れ替わっている状態でみほは私たち2人の違いを見抜いたのだ。

 しかも姉さんに対して初対面というハンデまで背負った状況で。

 

「あ、でも、エリカさんが側にいなかったらちょっとわからなかったかも。本当に凄く似てたから」

 

 作戦を見事に打ち破られたショックよりも、ただただみほの観察力に感嘆するばかりだった。

 僅かな仕草の違いだけで容貌がまったく変わらない相手が別人だと気付くなんて芸当、私にはとても真似できそうにない。

 

「……エリカさん」

 

 落ち込んでいる私の腕を突然みほが両手で掴んでくる。

 予期せぬ動きに私はまったく反応が出来ず、あれよあれよと言う間にお互いの両手を掴み合う体勢になっていた。

 一体何をと疑問を口にする間もなく、みほは再び私の目を見つめ始める。

 

「家に帰るってお姉ちゃんに伝えた時、エリカさんとエリカさんのお姉さんが駅にいるから一緒に来てって言われて不思議に思ってたんだ」

 

 その視線には少し前までの頼りないあの子の姿はなく、まるで戦車道に取り組んでいる時のような凛々しいみほに様変りしていた。

 

「でも、エリカさんの服とお姉さんを見てようやくわかったの」

 

 掴まれた両手に少し力が入り、顔を見つめるとみほの目はどことなく赤く潤んでいる。

 みほは意を決するようにごくりと息を呑み、告げた。

 

「……エリカさんが昔一緒に遊んだウサギの女の子だったんだね」

 

 その一言で、自分でも実感できるぐらい顔が真っ赤になっていくのがわかる。

 忘れられてなんていなかった。

 この子もずっとあの日のことを覚えていてくれていた。

 

 全身からこみ上げてくる嬉しさと恥ずかしさのせいか私の涙腺は既に決壊寸前で、何か一言でも声に出してしまったらそのまま耐えきれず号泣してしまうのは目に見えていた。

 隊長に続いてみほにまでそんな姿を見られることはしたくない。

 だから、私はなんとかみほに想いを伝えようと握られていた手を強く掴むことにした。

 

 そんなさり気無い仕草だったにもかかわらず、みほは私の意図に気付いてくれたのか握られた手をさらに強く握り返してくれた。

 

「戦車道やるって約束……守ってくれてたんだね、嬉しいな」

 

 その時みほが見せた嬉しそうな笑みは、どんな宝石や太陽よりも眩しくそして美し過ぎて、堪えれなくなった私は結局にみほにも泣き顔を晒す羽目になってしまった。

 

 

 

 

 

 

◇◇--------------------------------

 

 いつか見た田園風景が視界に広がっている。

 かつての夏の日に遊び回ったのと同じ道を、同じⅡ号戦車で私たちは駆け抜けていく。

 

 ただし、私たちがすっかり大きくなってしまったこと、そしてその時は乗っていなかった乗員1人が増えたことで少し車両が手狭になってしまっていることがあの時と決定的に違う。

 

「ここでエリカとみほがボコとウサギどっちが可愛いかで言い合いを始めたんだ。喧嘩までもいかないほどの可愛い主張だったのをよく覚えている」

「昔のエリちゃんはウサギのぬいぐるみ大好きでしたからね。お風呂の時以外ずっと一緒にいるぐらい」

「そうなんだ、今のエリカさんからは想像できないね」

 

 操縦を行いながら懐かしそうに当時のことを語ってくれる隊長。

 それを姉さんとみほが楽しそうに会話を広げながら私のことを色々と話している。

 そういえば、そんなこともあったような気がすると懐かしむと同時に忘れていたことや今まで秘密にしていたことが話す度に露わになっていくばかりで少し恥ずかしい。

 途中で羞恥のあまり、赤くなった顔を冷やそうとハッチから車上に抜け出そうとしたものの、私の片手はみほにしっかり握られていて今の席から離れられそうになかった。

 

「いいかげんに手を離しなさいよ。いつまで握ってるつもりなの?」

 

 熊本駅で私が昔一緒に遊んだ子だと気付いてからみほは私の手を握って離そうとしない。

 電車から降りて、Ⅱ号戦車でここまで来る間もずっとこの調子だ。

 途中、姉さんがもう片方の手を繋ごうとしてきたので、電車の中で他の乗客からの視線が凄く痛かったのは忘れられない。

 

「……だって、今離すとまた会えなくなりそうで嫌なの」

 

 まるで子どものように寂しそうな顔をしてこちらを見つめるみほの姿に恥ずかしさと同時にこの上ない嬉しさがこみ上げてくるのがわかる。

 隊長に誘われた時にどうしてあれだけ不安な気持ちを覚えていたのか今ようやく理解した。

 私はどう接すれば良いかがわからなかったのではなく、みほが覚えていてくれなかった場合のことを恐れていたのだろう。

 

「心配しなくてもいつだって会えるわよ。事実こうやってまた再会できたじゃない」

 

 不安げな表情を崩さないみほの頭に手を当てて、子どもをあやすかのようにゆっくりと語りかける。

 確かにみほとは色々なすれ違いによって疎遠になった時があったので、そのような事態が再び起こることをこの子は恐れているのかもしれない。

 

 でも、結局のところ時間はかかったものの元の関係に戻ることが出来たわけだし、つい数週間前まで過ぎ去った思い出に過ぎなかったかもしれなかった相手ともこうしてお互いに再会することができた。

 正確に言えば再会はもっと前にしていたわけだけど、お互いがそれを認識していない以上、それは適切な表現ではないわけで。

 

「今度は離さないし、絶対に忘れないわよ。あなたが勝手にどこかへ行ったりさえしなければね」

「エリカさん……ありがとう」

 

 よほど嬉しかったのか、消極的なみほが思い切り抱き着いてくる。

 私は「苦しいから離れなさい」と口では言ったものの、今だけは少しだけこのままでいて欲しい。

 心の中はそんな気持ちで溢れていた。

 

「妹たちは仲が良くて羨ましいですね。私たちも2人でイチャイチャしましょうか?」

「そうだな、二人の邪魔をしないようにそれも悪くないかもしれない」

 

 はたから見たらさぞ仲むつまじいであろう私たちの姿に隊長と姉さんは自分のことのように嬉しそうにしているのがわかる。

 そんな微笑ましいやり取りを見て私もみほもつい笑顔が零れてくる。

 こうして実際に来るまではどうなることかと思ったけど、今になってはそんなことまったく気にならないぐらい楽しい時間を過ごせている。

 

「もうすぐ昔遊んだ川に着く。そこで一度休憩しよう」

 

 隊長が発した『川』という言葉に内心ドキリとしてしまう。

 みほにけしかけられたとはいえ、幼い私が隊長を突き落とす凶行を働いた地。

 隊長からその事実を告げられた時は自分がそんなことをしでかしたなんてとても信じられなかったけど、朧気ながら川で遊んでいた記憶はあるし、よくよく思い返してみると誰かを後ろから押したような気がしなくもない。

 

 幸いにも、この決して人には知られたくない私の悪行は被害者本人たる隊長が内密にしてくれると約束してくれているので、過去の過ちはこのまま誰にも知られず私と隊長の2人だけが知る秘密になるはずだった。

 

「そういえば、エリカさんここの川にお姉ちゃんを突き落としてたよね?」

「み、みほ!?」

 

 隊長が覚えていたということは必然的に一緒に行動していたみほが覚えている可能性が高い。

 そんな単純な考えすら、隊長との約束で安心して油断しきっていた私は考慮することすらしていなかった。

 思わぬところから飛び出した暴露を止めることなど出来るはずもなく、私の凶行は決定的な周知の事実になってしまった。

 

「川に落としたって……エリちゃんそんな酷いことしてたの?」

 

 予想もしていなかった私の悪行に呆れたのか姉さんは「それじゃあ言えるわけないよね」と深く溜息をつく。

 慌てて「違うの。私のせいじゃなくてみほが悪いのよ。この子がけしかけてきたせいなの」

と必死に弁明したものの、当のみほは「え、私そんなことしてたの?」と怪訝な顔をするばかりだった。

 そんな私たちの様子が可笑しいのか、操縦席からは珍しく隊長の微かな笑い声が響いてくる。

 

 

 

 

 

 あの夏の日を思い出すような騒がしくも楽しいひと時。

 

 秘密が明かされてしまったことによる多少の恥ずかしさこそあったものの、私はそれ以上の喜びと楽しさを実感するばかりで、今この時間が何よりも大切に思えていた。

 

 叶うなら、こんな日々がいつまでも続きますように。

 私は心の中でただそれだけを願っていた。

 




これにておまけは一区切りです。
もし練習試合編を書く場合は独立して投稿することになると思います。



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