世界という名の三つの宝石箱 (ひよこ饅頭)
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第0話 プロローグ

何番煎じという感じですが、ギルド・メンバーとの異世界転移長編小説です!
一応この三人での小説はあるかどうか調べたのですが、もし見落としてしまっていれば申し訳ありません…。

当小説での守護者の認識は『創造主>(越えられない壁)>アインズ(モモンガ)、ウルベルト、ペロロンチーノ>至高の41人>(越えられない壁)>ナザリックの仲間たち>(越えられない壁)>ナザリック外』となっております。


 だだっ広い空間にカツッカツッと固い音が響いては消えていく。

 縦と前に広がる純白の広大な部屋に浮かんでいるのはいくつもの縦長の影。一つとして同じものがないエンブレムが描かれた布が天井から垂れ下がり、純白と金の装飾に飾られた空間を彩っている。

 しかし荘厳な雰囲気とは対照的に人の気配というものは一切なく、単調に響く音と相俟って酷く寂しげな空気が漂っていた。

 

 ここはナザリック地下大墳墓の第十階層にある玉座の間。

 大切な仲間たちが丹精込めて創り上げたNPCたちを控えさせながら、モモンガはただ一人今までのことを懐かしむようにポツリと玉座の前で立ち尽くしていた。暫く天井にある豪奢なシャンデリアの煌めきを見つめ、徐にすぐ側に控えている女に目を向ける。

 彼女はモモンガと同じプレイヤーではなく、仲間の一人であるタブラ・スマラグディナが創り上げたNPCだ。

 名はアルベドと言い、ここ第十階層を守護するために創られたNPCである。その役目から第十階層から決して動くことのない彼女は、必然的にモモンガにとってはあまり接点のない存在だ。全体的には美しい人間の女性の姿をしているが、その頭の両脇には山羊のような二つの角が生え、腰にも漆黒の翼が生えている。

 外見は何となく覚えてはいたもののふとどんな設定だったかと興味がわいて、モモンガは徐にコンソールを操作して設定を閲覧し始めた。

 

「…って、長っ!!」

 

 瞬間、目の前に飛び込んできた細かい長文に思わずツッコミの声が零れ出る。

 一気に読む気が失せていく中、そう言えばタブラさんは設定魔だったな~と少しだけ遠い目になった。しかし設定を開いてしまった手前、そのまま読まずに閉じてしまうのもなんだか気が引ける。

 マジマジと読む気力も時間もないため、モモンガは長文に目を滑らせて流し読むことにした。

 

(ああ、そうだ確かサキュバスだったな…。階層守護者の統括で、防御を重視した盾NPC…。)

 

 流し読みでも意外と内容が理解できるものだな、と少しだけ自分に感心する。

 しかし最後に追記のように付け加えられていた一文に、モモンガは思わず驚愕にピタッと動きを止めた。

 

 

『ちなみにビッチである。』

 

 

「………え? 何これ?」

 

 あまりにひどい内容に思わず素っ頓狂な声が出る。

 確かにタブラという人物はギャップ萌をこよなく愛する男でもあったが、仮にも自分が創ったNPCにこの設定はないのではないだろうか…。

 今日はユグドラシルのサービス最終日。この世界はもう間もなく終わりを告げる。ならば最後の数分間くらいは、この酷い設定から解放してやってもいいのではないだろうか。

 ふと思い浮かんだ自分の考えに、モモンガはじっと目の前のアルベドを見やった。

 彼女は一切動くことなく、ただ淡い笑みを浮かべてじっと大人しく佇んでいる。

 少しだけ熟考した後、モモンガはタブラに対する小さな罪悪感を感じながらも、そっとコンソールを操作しようとした。

 しかし、その瞬間…。

 

 

 

―― ペロロンチーノさんがログインしました。

 

―― ウルベルト・アレイン・オードルさんがログインしました。

 

 

「…え?」

 

 

『間に合いましたかっ!?』

『間に合ったかっ!?』

「っ!!?」

 

 突然飛び込んできた通信に、モモンガは思わずアルベドから視線を外して宙へと走らせた。

 無意識に閲覧していたアルベドの設定を閉じ、そのまま空中に視線をさ迷わせる。

 

『……あれ、モモンガさんがいない…。もうログアウトしちゃったのかなぁ…』

『いや、モモンガさんなら最後までいると思うが…。モモンガさ~ん?』

『ペ、ペロロンチーノさん!? ウルベルトさん!?』

 

 聞こえてきたのは間違えようのない、懐かしい仲間の声。

 最後の最後に訪れた嬉しい再会に、モモンガは思わず勢い込んで通信に答えていた。

 

『おっ、モモンガさん、お久しぶりです! 今どこにいるんですか?』

『二人とも、お久しぶりです! 今は玉座の間にいます!』

『了解です! ウルベルトさんと速攻でそっちに向かうんで、そこを離れないで下さいねっ!』

 

 深夜のハイテンションよろしく勢いよく切られる通信に、モモンガは少しだけ呆然となった。

 通信が切れたことによって痛いほどの静寂が戻ってきて、先ほどの会話が夢か幻だったのではないかとさえ思えてくる。

 しかし数分も経たぬうちにドタドタと騒がしい音が聞こえて来て、続いてバンッと勢いよく大きな扉が開かれた。

 暗闇に染まる回廊の中から懐かしい二人の異形が姿を現し、玉座の間へと足を踏み入れてくる。

 

 

「…ペロロンチーノさん! ウルベルトさん!」

 

「お久しぶりです、モモンガさん! いや~、間に合ってよかった~!」

「おい、いい加減に放せ! あっ、お久しぶりです、モモンガさん」

 

 現れたのは一人の悪魔と一人の鳥人(バードマン)

 悪魔は純銀の毛並みの山羊頭で、その顔には仮面舞踏会などであるような片仮面を右側に付けている。頭上には禍々しくねじ曲がった大きな角が二本生え、角の間には小さな漆黒のシルクハットがちょこんっと乗せられていた。身に着けているのは深緑色のスーツと漆黒のトレンチコート。下半身は漆黒の山羊の足をしているにも関わらず、肩から伸びる腕の骨格は人間と全く同じで、漆黒のグローブに包まれた手も人間と同じ細く長い五本指を備えていた。

 一方のバードマンは全体的に純白と黄金色に輝く羽根を身に纏っていた。顔には嘴のついた奇怪な兜を被り、軽くウェーブのかかった漆黒の長い髪が緩く流れて腰の辺りにまで垂れ下がっている。背に生えている大きな翼は四枚二対でどれもが力強く、鋼の鎧が翼を避けて肩と腰を覆っている。彼も悪魔と同じように足は鳥と同じ形をしていたが、羽根に覆われた腕もガントレットを付けた手も人間と全く同じ形をしていた。

 一目見ただけで最上級の異形種だと知れる二人は、バードマンが悪魔の腕を掴んで引き摺るような形でモモンガの元まで近づいてくる。

 彼らはモモンガと同じプレイヤーであり、まさしく苦楽を共にしたギルド・メンバーの仲間たちだった。

 

「円卓の間にいなかったんで、もうログアウトしちゃったのかと思って焦っちゃいましたよ~」

「…すみません。最後は玉座の間で迎えたいと思いまして…」

 

 少し照れくさい様なむず痒い感覚に襲われて、思わず指先で頬をかく仕草をする。

 ペロロンチーノとウルベルトは分かる!と頷きながら改めて壮大な玉座の間を見回した。

 

「……本当に終わっちゃうんですね。途中で引退した俺が言う資格なんてないですけど、やっぱり寂しいですね…」

「…だな。デミウルゴスにも最後に一目会いたかったが…、流石に時間がないか…」

「ああ、俺もシャルティアに会いたかったなぁ…」

 

 無念だ!と大袈裟に嘆いて見せるバードマンの隣で、山羊頭の悪魔は皮肉気に肩をすくめてみせる。対照的な二人の姿が懐かしく、モモンガは思わず微笑みのアイコンと共に小さな笑い声を零した。

 最後の最後に揃ったメンバーがかつて“無課金同盟”を組んだ三人というのもなんだか感慨深いものを感じる。

 湧き上がってきた懐かしさと物悲しさ、再び会えた喜びを噛みしめるモモンガの前でバードマンと悪魔は未だ懐かしそうに玉座の間を見回していた。天井から垂れているギルドメンバーたちのエンブレムを見上げている悪魔の隣で、バードマンがふと階下に佇んでいる執事と六人のメイドへと目を向けた。

 

「…あれ、そう言えばセバスとプレアデスたちの待機場所ってここでしたっけ?」

「あっ、それは俺がここまで連れて来たんです。…その、彼らは最後まで動くことなく終わってしまいますから、せめて一回くらいは動かしてあげようかな、と…」

 

 まるで言い訳のようにごにょごにょと説明し始めるモモンガにペロロンチーノとウルベルトの視線が突き刺さる。二人はただ疑問にモモンガに目を向けただけだったのだが、モモンガはどうにも気まずく思えて仕方がなかった。

 先ほど口にした理由は決して嘘ではないが、それ以外にも一人で最後を迎えるのが虚しかったというのもあったのだ。しかしそんなことを言えば二人を非難しているようで口には出せなかった。折角最後の最後に駆けつけてくれたのに、彼らに不快な思いをさせたくはなかった。どうせなら楽しく終わりを迎えたいのだ。

 そんなモモンガの願いが届いたからなのかは分からないが、ペロロンチーノが自身の頭上に笑顔のアイコンを浮かべてきた。

 

「ああ、確かに俺がいた頃は第九階層まで来れた奴らはいませんでしたもんね。俺が引退した後も?」

「ええ、誰一人来ませんでしたね」

「というか、ここまで来られたら今ここにナザリックがあるわけないだろ」

「そりゃそうだ。これもモモンガさんがずっとここを守ってくれたおかげですね」

「いえ、そんな…。俺はギルド・マスターとして当然のことをしただけですから…」

「いやいや、流石モモンガさんですよ!」

「それにしても…」

 

 笑顔のアイコンを連呼しているペロロンチーノの隣で、ウルベルトが思い悩むアイコンを自身の頭上へと浮かばせる。

 どうしたのかとモモンガとペロロンチーノが首を傾げる中、ウルベルトはじっと老齢の執事を見下ろしていた。

 

「………アルベドやプレアデスたちは兎も角、まさか“あいつのNPC”と一緒に最後を迎えるとは思わなかった…」

 

 どこか複雑そうな声音で紡がれるウルベルトの言葉に、モモンガとペロロンチーノはウルベルトとセバスを見比べてほぼ同時にあぁ…と頷いた。

 確かに他のNPCたちは兎も角として、ウルベルトとセバスという組み合わせは中々に感慨深いものがあった。

 セバスを作ったのはたっち・みーというギルド・メンバー。戦士職最強のワールド・チャンピオンであった彼は魔法職最強のワールドディザスターであるウルベルト・アレイン・オードルとは犬猿の仲で有名だった。モモンガなどは喧嘩するほど仲がいいという言葉を地で行く二人だと思っているのだが、二人に言えば毎回全力で否定されたものだ。

 

「まぁ、セバスはたっちさん本人じゃないから別にいいじゃないですか」

「…いや、まぁ、そうなんだが……。あー、やっぱり一っ走りデミウルゴスのところに行ってこようかなぁ…」

「もう一分切ったんで無理ですよ」

 

 二人のやり取りを見守りながら、モモンガも自分の視界の端にあるデジタル式の時計を見やった。

 無音で時を刻む時計は既に23:59を回り、08…09…10……と刻一刻とユグドラシルの終わりをカウントダウンしていた。

 もうすぐこの世界が終わる。ここにいるペロロンチーノやウルベルトや他の大切な仲間たちと共に築き上げた全てが、あっけなく失われてしまう。

 言いようのない悲しみと寂しさに胸が締め付けられながら、モモンガはこの場にいるのが自分だけでなかったことにひどく安堵した。

 

「…ペロロンチーノさん、ウルベルトさん、最後に来て下さって本当にありがとうございました」

「そんな…、止めて下さいよ! こっちこそ、呼んでもらって嬉しかったです。ありがとうございます、モモンガさん!」

「結局ギリギリになっちまったけど、最後にモモンガさんに会えて良かったですよ」

 

 オーバーアクションで感情を伝えようとするペロロンチーノと、どこまでもクールなウルベルトに思わず笑みがこぼれる。

 彼らがユグドラシルを引退して数年経っているというのに、どこまでも変わらない二人の様子が懐かしいと同時に嬉しく思えて仕方がなかった。

 

「ユグドラシルはもう終わってしまいますけど、またいつか会いましょうね!」

「…そうだな。モモンガさん、ペロロンチーノ、またいつか」

「………はい、またいつか!」

 

 込み上げてくる感情を何とか飲み下しながら、モモンガが小さく震える声でスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握る手を軽く掲げた。

 応えるようにウルベルトとペロロンチーノもリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを填めた左手を軽く握って掲げる。

 

 

「「「ナザリック地下大墳墓…、アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!!」」」

 

 

 壮大な玉座の間に三人の声が高らかに響く。

 三人の視界の端に映る時計が刻々と時を刻み、正にユグドラシルの終了が訪れようとしていた。

 

 23:59:54…55…56…57………。

 

 三人ともが無意識に瞼を閉じ、心の中で秒を刻みながらただ静かに終わりを待つ。

 

 58…59…00…01…02…03………。

 

 

 

 

 

「………………ん………?」

 

 始めに声を上げたのは誰だったのか…。

 日付はとっくに変わっているはずなのに強制ログアウトをされる気配もなく、モモンガたちは自然と閉じていた目を開けた。

 目の前にはブラックアウトした視界でも現実世界(リアル)での自室でもなく、先ほどまで見ていた玉座の間の光景。

 互いの姿を確認し、訳が分からずモモンガたちは大なり小なり首を傾げた。

 

「………どういうことだ…?」

 

 モモンガの声が虚しく玉座の間に響いて消えた。

 

 



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第1話 戻りしナザリック

話が進まない…。
初っ端から更新が遅くなってしまい申し訳ありません…orz


 既に日付は変わり、ユグドラシルのサービスは終了しているはずだ。

 しかし目の前には変わらぬナザリックの光景。

 モモンガとウルベルトとペロロンチーノは互いの顔を見合わせて訝し気に首を傾げ合った。

 

「…サーバーダウンが延期になった?」

「いや、それならGMから何か発表があるはずだが…。何かのエラーか?」

「あっ、時間があるなら俺はちょっとシャルティアのところへ…」

「待たんか、この鳥頭」

「ぐへっ!?」

 

 サッと右手を上げて背を向ける鳥人(バードマン)に、すぐさま悪魔が手を伸ばして鎧の首部分を鷲掴む。瞬間、鎧が喉に食い込んでペロロンチーノは蛙が潰れたような醜い声と共に咳き込んだ。ゲホッゲホッと玉座の間に大きな咳の音が響き渡り、モモンガはじゃれ合うような二人の姿を視界の端で見つめながら考えられる方策を必死に実行していた。

 何故かコンソールが浮かび上がらず使えないため、コンソールを使用しなくてもできる強制アクセスやチャット機能、GMコール、強制終了などを虱潰しに試していく。しかしどれもが不発に終わり、一切の感触すらない。まるで完全にシステムから切り離されてしまったかのよう。

 何が起こっているのか分からない焦りに、モモンガは未だ何か騒いでいるウルベルトとペロロンチーノの方へと向き直った。

 もしかしたらこんな状態になっているのは自分だけかもしれないのだ。彼らの一人だけでもGMに連絡が取れれば何か分かるかもしれない。

 

「ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、コンソールが使えないんですけどお二人はどうですか?」

「えっ、マジですか!?」

「チャット機能やGMコールも使えないんですけど…、お二人は使えますか?」

「あぁ、俺も使えないみたいです!」

「…俺も駄目だな。強制終了も…無理か。一体何が起こってるんだ?」

 

 ウルベルトが長い髭を弄びながら眉を顰める。

 モモンガはウルベルトの山羊の顔に何か違和感を覚えたが、それよりも今はこの状況を把握することが先決だと思考を切り替えた。

 先ほどの短いやり取りから、ウルベルトとペロロンチーノも自分と同じ状態に陥っていることが分かる。

 GMからの連絡もなくこちらからも連絡ができない今、自分たち以外…つまり外がどうなっているのかが気になった。ナザリック地下大墳墓に何か異常がないか確認すると同時に、外の様子も見に行った方が良いだろう。

 ウルベルトとペロロンチーノに声を掛けようとして、しかしその前に聞き覚えのない涼やかな声がこちらに響いてきた。

 

「どうかなさいましたか、モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト・アレイン・オードル様?」

 

 バッとほぼ同時にモモンガとペロロンチーノとウルベルトが声のした方へと振り返る。

 そこにはアルベドが立ってこちらを見つめており、三人は思わず呆然とした表情を浮かべた。

 何だこれは…、それが三人の正直な心境だった。

 NPCとは現実世界(リアル)で言う機械人形のようなもので、設定された行動のみをとるデータの塊だ。自ら動き、それも声をかけてくるなどあり得ない。

 けれどどう考えても声をかけたのは目の前のアルベドで間違いなかった。

 

「…あー、えっと…GMコールが利かないんだけど……」

 

 完全にフリーズしてしまっているモモンガとウルベルトに代わってペロロンチーノが戸惑いながらもアルベドへと一歩歩み寄る。

 アルベドの金色の瞳がペロロンチーノへと向けられ、瞬間、悲し気に水気を帯びて揺れ動いた。

 こちらが何か反応する前にガバッと勢いよく顔を俯かせ、片膝をついて深々と頭を下げてくる。

 

「も、申し訳ございません! 無知な私ではペロロンチーノ様の問いであられるGMコールというものに関してお答えすることができません…。もしお望みとあれば、すぐさま自害させて頂きます! ですのでどうか…、どうか……!!」

「おおおおおおおお落ち着けっ! 大丈夫だからっ!!」

 

 何やら怯えている様子でついには涙をこぼし始めるアルベドに、ペロロンチーノは訳も分からず慌てふためきながらも慰め始めた。

 漸く気を取り直したモモンガとウルベルトはと言えば、アルベドの様子を見た瞬間また混乱することとなった。

 ペロロンチーノはアルベドの対応に気を取られて気が付いていないのかもしれないが、彼女の様子はDMMO-RPGであるゲーム世界では考えられないものだった。

 自分からプレイヤーに声をかけただけでなく会話をし、加えて今では涙すら流している。

 どう考えてもあり得ない状況だ。

 システム機能が全て使えない中でのNPCの異変、どこからツッコンで良いのかも、どこから対処して良いのかも分からず困惑ばかりが湧き上がってくる。

 加えてあることに気が付いて、モモンガは思わずぐぅっと小さく唸り声を上げた。

 

「この状況…、どう思います、モモンガさん?」

「全てが異常です。それに…、今気が付いたんですけどアルベドを含めて俺たちの口や表情が動いているんですよ」

「うえっ!?」

 

 コソコソと顔を突き合わせて小声で話し合う中、ウルベルトは素っ頓狂な声と共にバッとモモンガに近づけていた顔を離した。咄嗟に自分の口を手で押さえ、無意識にモモンガの口元を見やる。じっとモモンガを凝視した後、次には未だ必死に謝っているアルベドを慰めているペロロンチーノを振り返った。

 よく見れば、モモンガの言葉通り確かにアルベドもペロロンチーノも口と表情が自然に動いている。

 まるで本当の肉体で本当に会話しているかのような生々しい光景に、ウルベルトの背筋にゾクッと冷たいものが駆け上った。

 咄嗟に口から手を放して右手で左腕を掴む。今までになかったグローブの感触と、革越しに感じられる筋肉と毛皮の手触り。左腕にもしっかりと掴まれている圧迫感が感じ取れて、ウルベルトは咄嗟にギリッと歯を強く噛みしめて喚き散らしたくなる衝動を抑えた。

 言いようのない焦りと恐怖が湧き上がってきて顔が大きく歪むのを止められない。

 しかし幸いなことにここにいるのはウルベルト一人ではなく、ウルベルトは何とか大きく息をついて心を落ち着かせると傍らにいるモモンガを振り返った。

 

「………どうします、モモンガさん…?」

「……何にしても情報が足りません…。……セバス、プレアデスたち!」

「「「はっ!」」」

 

 取り敢えずアルベドのことはペロロンチーノに任せ、二人と少し離れて執事とメイドたちに声をかける。

 今まで階下に控えていたセバスとプレアデスたちはモモンガの声に反応して片膝をついて頭を下げた。

 モモンガは見定めるようにセバスたちを見下ろすと、しかしすぐさま威厳ある声音で命を発した。

 

「セバス、大墳墓を出て周辺地理を確認せよ。行動範囲は周辺一キロに限定。戦闘行為は極力避けろ」

「了解いたしました、モモンガ様。直ちに行動を開始します」

 

「…彼らはナザリックから出られるのか? 通常は出られないはずだが…」

「分かりません…。でも、彼らの言動から出られる可能性の方が高いと思いますし…、どちらにせよすぐに分かることです」

「まぁ、確かに…」

 

「…プレアデスから一人だけ連れて行け。もしお前が戦闘に入った場合は即座に撤退させ、情報を持ち帰らせろ。プレアデスたちはセバスに着いて行く一人を除き、全員九階層に上がり、八階層からの侵入者が来ないか警戒に当たれ」

「畏まりました、モモンガ様」

 

 未だコソコソとウルベルトと小声で会話しながら、その一方でモモンガは的確にセバスとプレアデスたちに指示を出していく。

 セバスとプレアデスたちは一糸乱れぬ動きで同時に礼を取ると、モモンガからの命に従うために優雅でいて迅速な動作で踵を返した。玉座の間の大きな扉が開き、一人の執事と六人のメイドたちを呑み込んでゆっくりと閉められる。

 モモンガは彼らに拒否されなかったことに思わず小さな安堵の息をつきながら、次にペロロンチーノとアルベドの方へと視線を向けた。

 まるで突き刺さるような視線に気が付いたのか、未だアルベドを慰めていたペロロンチーノが不意に顔を上げてモモンガたちを振り返ってくる。

 モモンガとペロロンチーノの視線がバチッと合わさったのが分かり、ペロロンチーノはアルベドへと片手を伸ばして少々強引に立ち上がらせると、そのまま手を引いてモモンガとウルベルトの元へと歩み寄ってきた。

 モモンガは涙に濡れているアルベドの目を確認し、ドギマギしている内心を必死に隠しながら努めて冷静に声をかけた。

 

「落ち着いたか、アルベド…?」

「…はい、お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません」

「いや、良い。それよりも、お前に命じたいことがある。各階層の守護者に玉座の間まで来るよう連絡を取れ。時間は…、今から一時間後だ」

「畏まりました」

 

 今までの悲壮感は鳴りを潜め、アルベドは顔を引き締めさせるとモモンガたちに深々と一礼した。サッと踵を返し、足早に玉座の間を後にする。

 モモンガたちは無言のままアルベドを見送った後、周りに自分たちしかいなくなったことを確認して思わず大きな息をついた。

 信用できるギルド・メンバーのみがいる空間に、やっと少しだけ余裕を持つことができる。

 

「ペロロンチーノ、アルベドと何を話してたんだ?」

「いや、それが…、自分はどんな罰でも受けるから二度と去らないでくれの一点張りで……。慰めるのに苦労しましたよ」

「NPCを慰めるねぇ…。いよいよおかしくなってきたな。それにその言いよう…、“二度と去らないでくれ”ってどういう意味だ?」

「言葉そのままに受け止めれば、このナザリックから二度と去らないでくれってことじゃないですか? …俺たち、ユグドラシルを引退してナザリックから立ち去ったようなもんですし…」

「……………………」

 

 ペロロンチーノの言葉に、ウルベルトは顔を大きく顰めさせて黙り込んだ。

 ウルベルトとてペロロンチーノの見解が間違っているとは思っていない。しかしデータの塊でしかないNPCがそんなことを言ったこと自体が問題なのだ。

 NPCが心を持った?そんな馬鹿な…。

 今まで目の前にあった光景を忘れたわけではないのだが、どうにも非常識すぎて受け入れることができない。

 ウルベルトは未だひどく混乱している自分に大きなため息をつくと、解決策を求めてモモンガへと目を向けた。

 

「…どうします、モモンガさん?」

「………何を判断するにも情報が足りません。使えるものは使って、一つ一つ確認していきましょう」

「そう、だな…」

「まずは宝物殿に行きましょう。何が起こっているにせよ対処しない訳にはいかないでしょうし、いざという時にその装備じゃ心許ないでしょう」

「………確かに…」

「…だな…」

 

 ウルベルトとペロロンチーノは自分たちの纏っている装備を見やると、苦笑を浮かべて一つ頷いた。

 彼らが纏っている装備具は決して悪いものではなかったが非常に心許ないものだった。

 ウルベルトの装備の殆どは聖遺物級(レリック)で、ペロロンチーノはと言えばそれよりも品質が下の遺産級(レガシー)でしかない。彼らの主装備はモモンガと同じ神器級(ゴッズ)であり、それらはすべてユグドラシルを引退する際にギルド・マスターであるモモンガに譲り渡していた。

 

「…でも、ちゃんと指輪は使えますかね?」

「試してみるしかないだろ。アルベドやセバスたちが戻ってくる前に行くぞ」

 

 三人は自身の指に填まっているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを確かめると、直感の赴くままに指輪の力を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬浮遊感のような感覚を覚え、目の前の景色が一変する。

 瞬きの素早さで宝物殿へと転移したモモンガたちは、指輪が無事に発動したことに取り敢えず安堵の息をついた。

 周りを見回し、玉座の間とはまた違った輝きに無意識に小さく目を細めさせる。

 高い天井に届くほどに金貨や宝石が堆く詰まれ、まるで山脈のように鎮座している財宝の山々を取り囲むようにして数多くの大きな棚が壁に備え付けられていた。財宝の山々と同じくらいの高さを持つ棚にも、全てぎっしりと財宝が詰め込まれている。

 正にナザリックの栄光を現しているかのような光景に、三人は思わず感嘆にも似た息を小さく吐き出した。

 これらのほんの1パーセントでも現実世界に持ち込めれば、一挙に自分たちは億万長者になれていただろう。

 

 

「…うっ…?」

 

 仕様もないことを考えている中、不意に聞こえてきた小さな呻き声に気が付いてモモンガとウルベルトはそちらを振り返った。

 二人の視線の先にはペロロンチーノが片手で口を覆って苦しそうに身を屈めている。

 顔を覆っている兜で表情は見えないものの、恐らく顰めさせているだろうことが分かった。

 

「………なんか、すっげぇ気分悪いんですけど…」

「…………? ………あぁっ、ブラッド・オブ・ヨルムンガンド!?」

「ペロロンチーノさん、毒無効系のアイテム装備してないんですか!?」

 

 どんどんへたり込んでいくペロロンチーノに、モモンガとウルベルトは大慌てで反射的にアイテム・ボックスを開いた。モモンガが毒無効系のリングを手渡す中、ウルベルトが状態異常を無効化するアイテムを取り出す。

 

 この部屋には“ブラッド・オブ・ヨルムンガンド”と呼ばれる猛毒の効果をもたらすアイテムが設置されており、毒無効のアイテムや能力を持たない者は一つの例外もなく毒に侵される。モモンガもウルベルトも毒無効の能力を持つアンデッドや悪魔であるため対処をせずとも大丈夫だったのだが、バードマンであるペロロンチーノはそういう訳にもいかなかった。

 ペロロンチーノはモモンガから指輪を受け取ってすぐさま指に填めると、ウルベルトに手渡されたアイテムをすぐさま使用した。両方のアイテムがすぐさま毒を無効化し、一気に毒に蝕まれていた身体が軽くなる。

 ペロロンチーノは思わず大きな息を吐き出すと、大分楽になった身体にへたり込んでいた状態から背筋を伸ばした。

 モモンガとウルベルトもペロロンチーノが回復したのを確認して安堵の息をつく。

 

「…はぁ、冗談抜きで死ぬかと思った。ブラッド・オブ・ヨルムンガンドの存在とかすっかり忘れてましたよ…」

「すみません、ペロロンチーノさん。まさか毒無効系のアイテムを装備していないとは思ってなくて…」

「いやいや、モモンガさんのせいじゃありませんよ。気にしないで下さい」

「俺たちの最後の装備具なんて覚えてなくて当然でしょう。それよりも…、これでこの身体が本物だっていう可能性が高くなってきたな…」

「ちょっ、死にそうになってた俺に対してひどくない!?」

 

 申し訳なさそうなモモンガとは対照的に、冷静に分析するウルベルトにペロロンチーノが大げさに喚いて絡み始める。ウルベルトは面倒くさそうにペロロンチーノを払い除けると、さっさと部屋の奥へと足を踏み出した。容赦なく金貨を踏みつけて進む悪魔の背に、苦笑をこぼすモモンガと頬を膨らませるペロロンチーノがその後に続く。

 三人が辿り着いたのは扉のような大きな闇の壁。

 ブラックホールやトンネルのように奥に呑まれるようなものではなく、まるで絵のような薄っぺらい闇の壁がそこに立ちはだかっていた。

 三人は無意識に横に並ぶと、ほぼ同時に闇の扉を見上げた。

 

「はぁ、何だか威圧感を感じちゃいますね…。そう言えば、パスワード覚えてます?」

「…いえ、それが全然。ここまで来るのは数年なかったので。……『アインズ・ウール・ゴウン・に…」

「…かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう」

「って、覚えてるんですか!?」

 

 モモンガの声を遮るように、ウルベルトが長々と詠唱のような言葉の羅列を口にする。

 ウルベルトの言葉が終わると同時に、驚きの声を上げるモモンガの目の前で闇の壁が大きく動き始めた。

 まるで流れる水のように頭上の一点に吸い込まれると、空中に浮かぶ闇の球体を残して闇の扉の奥が姿を現した。

 

「………わぁ、本当に合ってたよ。流石、中二病」

「よーし、こっち向け。その舌引っこ抜いてやる」

「ちょっ、ちょっ、冗談ですって!!」

「…はーい、遊んでないでさっさと行きますよ」

 

 再びじゃれ合い始めた二人に、すかさずモモンガが若干呆れながらも引率する教師のように先を促す。

 ペロロンチーノとウルベルトはすぐさま喧嘩を止めると、さっさと歩き始めたモモンガの後を慌てて追いかけ始めた。

 

 目の前に現れた通路は今いる金貨や宝石が散乱している部屋とは違い、薄暗くもひどく整然としていた。

 まるで博物館の展示室のように壁一面に多種多様の武器が綺麗に備え付けられて飾られている。

 ブロードソード、グレートソード、エストック、フランベルジュ、シミター、パタ、ショーテル、ククリ、クレイモア、ショートソード、ソードブレイカー、アックス、槍、弓、クロスボウなどなど…。中には武器と呼んでいいかも分からないものまで数多く飾られており、その全てがモモンガたちが長い年月をかけて集めた武器たちだった。

 彼らはモモンガ、ウルベルト、ペロロンチーノの順で一列に並び、部屋と言っても差し支えないほどに広い通路を歩いていった。自分たちが集め、または造り出した武器の数々を眺めながら通路の奥へ奥へと進んで行く。中には一目で魔法武器だと分かるものもあり、美しくも禍々しい武器たちを眺めながら見えてきた通路の出口へと視線を向けた。

 

 博物館の展示室のような通路から一変、そこは待合室のような質素な部屋だった。

 一つのソファーとテーブルが置いてあるだけで、壁には自分たちが通ってきた通路のものと同じ扉が複数と、奥に続く一つの入り口しかない。

 “霊廟”と名付けられたその部屋は、モモンガとウルベルトとペロロンチーノの目的の物がある場所。

 しかし三人とも一切そちらへと歩み寄ろうとはしなかった。

 彼らの視線はソファーの上に腰かけていた一つの影に釘付けとなっていた。

 影はモモンガたちに気が付いたのかゆっくりとソファーから立ち上がる。

 こちらに向き直り歩み寄ってくる影に、ウルベルトとペロロンチーノが驚愕に目を見開かせた。

 

「タ、タブラさん!?」

「お前っ、お前も来てたのか!?」

 

 驚きの声を上げる二人に、しかし影は答えない。

 蛸と人間が混ざり合った様な異形の姿を持つ影は、濁った瞳に三人の姿を映しながら不思議そうに小首を傾げていた。

 

「…いえ、あいつはタブラさんじゃありません。…『解除』」

 

 モモンガの言葉と共に“タブラ”と呼ばれた影がゆらりと揺らめく。

 蛸の足の形をした複数の触手が縮小し、ぶよぶよとしたシルエットが服を纏ったしっかりとしたものへと変わっていく。

 一分もかからず姿を現したのは、黄色い軍服を着こんだはにわ顔の男。

 ウルベルトもペロロンチーノも見覚えのあった軍服の男は、カッと踵を打ち鳴らして敬礼の姿勢を取った。

 

「ようこそおいで下さいました、私の創造主たるモモンガ様!」

「………創造主…?」

 

 軍服の男が口にした言葉にモモンガが小声で疑問の声を呟く。しかし男はそれに気が付くことなくモモンガの隣に立つバードマンと悪魔に顔を向けた。

 

「おお、ペロロンチーノ様とウルベルト・アレイン・オードル様も! お久しぶりにございます!!」

「…お、おう……」

「ひ、久しぶりだな、パンドラズ・アクター」

 

 ハイテンションな異形に圧倒されてペロロンチーノとウルベルトが数歩後退る。

 異形の名はパンドラズ・アクター。

 モモンガが創り出したNPCで、ここ宝物殿の守護を任された二重の影(ドッペルゲンガー)だった。

 当時のモモンガのカッコいいという価値観を詰め込まれたはずのNPCなのだが、まさかこんな性格になる設定にでもしていたのだろうかと二人は内心で小首を傾げる。

 しかし、それよりも………―――

 

「………やっぱり、こいつも生きてるみたいだな。アルベドやセバスたちだけじゃなかったか…」

 

 嬉々として動き回るパンドラズ・アクターを眺めながらウルベルトが小さく呟いて目を細めさせた。

 彼らの視線の先ではパンドラズ・アクターが再びモモンガに話しかけ、モモンガはと言えば何故か片手で頭を抱えている。あの様子では、自分の黒歴史に身悶えているのかもしれない。

 自分の身に当てはめて考えてみて、ウルベルトは思わず小首を傾げた。

 自分が創り出したNPCはデミウルゴスという最上位悪魔(アーチデビル)だ。ユグドラシルでの情熱を全て注ぎ込んで創り上げた最高傑作だと堂々と言えるNPCだが、彼が目の前で生き生きと動き回れば自分も恥ずかしさで死ぬ思いをするのだろうか…。

 今一上手く想像できないウルベルトの隣で、ペロロンチーノも同じようなことを考えていたようだった。

 暫くパンドラズ・アクターとモモンガの様子を眺め、次には無言のまま踵を返す。

 咄嗟に襟首を捕まえて阻止したが、この鳥頭は一体何を考えているのか…。

 

「おい、こら。どこに行くつもりだ」

「…いや、シャルティアも生き生きと動いているのかと考えると、どうにも我慢が…」

「ちょっとは我慢しろ!」

「あたっ!」

 

 この鳥はどこまで欲望に一直線なんだ!と思わず頭をはたく。しかし悲しいかな、ウルベルトは純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)なためダメージはほぼないに等しい。その証拠にペロロンチーノはワザとらしくはたかれた頭を摩りながらもピンピンしていた。それが無性に腹立たしく思えてくるのは何故なのか。

 感じなくても良い苛立ちと敗北感にウルベルトが小さな唸り声を絞り出す中、漸くパンドラズ・アクターとの話が終わったモモンガが声をかけてきた。

 

「ペロロンチーノさん、ウルベルトさん、早く行きましょう!」

「あっ、はーい!」

 

 霊廟の入り口で軽く片手を上げるモモンガに、ペロロンチーノがすぐさま元気よく駆け寄っていく。先ほどまでこっそり自身のNPCに会いに行こうとしていたのは何だったのかと小さくため息をつきながら、ウルベルトもゆっくりとそちらへと歩み寄っていった。

 三人は霊廟の前で揃って立ち止まると、填めていたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを外して反射的に近くに待機していたパンドラズ・アクターへと目をやった。視線だけで会話を交わし、一つ小さく頷いてまとめてパンドラズ・アクターへと指輪を預けることにする。

 モモンガたちは揃って霊廟の入口へと改めて向き直ると、漸く霊廟の中へと足を踏み入れていった。

 

 中は薄暗く、とても広い空間だった。

 壁にずらっと多くの空洞が均等に並び、空洞の中には姿の違う黄金のゴーレムがそれぞれ鎮座していた。騎士のようなものもあれば忍者のようなもの、虫のようなもの、スライムのようなものから魔人のようなものまで、数多くの異形の姿を模った黄金のゴーレムが煌びやかな装備具を身に纏って飾られている。

 その中にはペロロンチーノやウルベルトと同じ、バードマンや山羊頭の悪魔の姿を模ったゴーレムも空洞の中に飾られていた。

 

「…はぁ、これが」

「………すごいな」

 

 自分自身を模ったゴーレムの前に立ち、ペロロンチーノとウルベルトがそれぞれ感嘆にも似たため息を零す。隣ではモモンガが何故か委縮していたが、ペロロンチーノもウルベルトも言いようのない感情が湧き上がってきて言葉もなかった。

 ギルド・メンバーの姿を一つ一つ再現して作られたゴーレムに、彼らの主装備具が一つも欠けることなく飾られている。

 それだけでモモンガがどれだけ自分たちやナザリックを大切に思ってくれていたのかが分かり、感動すると共に申し訳ない気持ちで一杯になった。

 ペロロンチーノもウルベルトもやむを得ない事情でユグドラシルを引退したため、そのことに対して後悔するつもりはない。しかし、これらを見ても何も思わないほどユグドラシルやナザリックを愛していない訳でもないのだ。

 二人は自分自身のゴーレムへと歩み寄ると、数多くの感情を噛み締めながら主装備具へと手を伸ばした。

 今までのユグドラシルでの装備を変更する感覚とは違い、服を着替える様な感覚で装備を変えていく。

 数分後、先ほどとは一変したバードマンと悪魔がそこに立っていた。

 シルエットや大まかな形は似ていたが、感じられる存在感は雲泥の差だ。

 ペロロンチーノの鎧や兜は黄金色に輝き、腰の鎧から垂れる黄緑色の腰布や群青色の前掛けのような布が微かな風にも小さく揺らめく。

 ウルベルトのスーツも深緑色から漆黒に変わり、仮面舞踏会のような仮面は鳥の嘴のような形をした金と赤の片仮面へと変わっている。

 全てが神器級(ゴッズ)アイテムである主装備を纏った彼らは、まさにナザリックの全盛期を彷彿とさせる姿をしていた。

 

「いや~、懐かしいな~…。ありがとうございます、モモンガさん」

「こうやって全て装備できるのも、今までナザリックを維持してくれていたモモンガさんのおかげだな」

「そんな、止めて下さい! ギルド・マスターとして、当然のことをしていただけですから」

 

 未だ委縮しながらも嬉しそうにモモンガが軽く頭を横に振る。

 相変わらずのギルド・マスターの様子にペロロンチーノとウルベルトはほぼ同時に柔らかな笑みを浮かべた。

 ユグドラシルから引退して数年は経っているはずなのに、モモンガやこのナザリックが変わらずあることに嬉しさが湧き上がってくる。今の装備具も相まって、引退前に戻った様な気にさえなってくる。

 どこか当時のワクワク感も湧き上がってくる中、不意に何かが繋がってくるような感覚が襲ってきてモモンガは思わずこめかみに指を這わせた。

 

『モモンガ様。階層守護者、全員玉座の間に馳せ参じました』

「………ああ、アルベドか。分かった。今からそちらに行こう」

『畏まりました。お待ちしております』

 

 何処からともなく頭の中に流れ込んできたのはアルベドの美しい声。

 経験したことのない感覚に内心戸惑いながらも受け答えし終えたモモンガは、プツッと切れた感覚に思わずはぁっと小さな息をついた。

 先ほど経験したのは、もしかしなくても〈伝言(メッセージ)〉の魔法だろう。

 魔法も普通に使えるのか…と少し放心状態になりながらも、モモンガは不思議そうにこちらを見つめている友人たちへと目を向けた。

 

「さっきアルベドから〈伝言(メッセージ)〉が来ました。守護者たちが玉座の間に集まったそうです」

「あっ、そうなんですか? じゃあ、俺たちも戻らないとですね」

「…ていうか、普通に魔法が使えたのか。本当に何がどうなってるんだろうな…」

 

 流石は魔法職最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)と言うべきか、ウルベルトもモモンガと同じことに思い至る。目線で会話を始めるモモンガとウルベルトに、しかしペロロンチーノはどこまでも軽くあっけらかんとしていた。

 早く行こうとはしゃぐペロロンチーノに、二人は苦笑を浮かべて話を中断することにした。

 まずはアルベド以外の守護者たちNPCがどういう状態になっているのかを確かめるべく玉座の間に戻ることにする。

 三人は霊廟から出ると、パンドラズ・アクターからリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを受け取って変わらず待機を命じた。

 リングを指に填め直し、三人は頷き合って指輪の力を解放する。

 

 再び味わう一瞬の浮遊感と一変する景色。

 

 変わらぬ玉座の間の景色の中に、懐かしい複数の影が佇んでいた。

 

 




今回はアルベドへの過激なスキンシップはカット!
ほら、三人もいたらあんなセクハラ行為できませんしね…。

当小説のペロロンチーノ様はウルベルト様と同じく結構捏造設定満載なので、当小説では結構可愛らしい性格になっております。厳しいお姉さんがいないので、はしゃいじゃう子供のイメージですね。
イメージを壊してしまった方がいらっしゃったら、申し訳ありません…。


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幕間 白き悪魔の心

今回はかなり短いです…。
もう、これUPする意味あるんだろうかって感じですが、現段階でのアルベドの心境(?)をどうしても書きたかったので、許して頂ければ幸いです…(深々)


 玉座の間を退室したアルベドは、背後の扉が閉まったと同時にぺたりとその場にへたり込んだ。まるで全力疾走した直後のように荒い呼吸を繰り返し、小刻みに震える身体を両手で抱きしめる。

 傍から見れば一見怯えている様に見えるかもしれない。

 しかしその顔には抑えようのない笑みが深く浮かんでいた。

 先ほどまでの玉座の間でのことを思い出して、なおも笑みが深まっていく。

 それだけ先ほどまでの時間は彼女にとって至福の一時だった。

 

 今夜、最後までナザリックに残っていてくれた慈悲深い主が玉座の間においでになっただけでなく、長年姿を隠されていた御方が二人も戻ってきてくれた。加えて折角問うてくれた問いにも答えられなかった我が身をあろうことか慰め、声をかけて下さったのだ。

 謝って縋ることしかできなかった自分にかけられた言葉と手を握られた時に感じられた温度や力強さを思い出して、アルベドは思わずはぁっと熱い吐息を零した。

 

 

『…大丈夫、去ったりしないよ。えっと、俺もモモンガさんもウルベルトさんも、最後までここにいるつもりだから』

 

『ほら、もう泣かないでくれ。アルベドは美人だから泣き顔よりも笑顔の方がよっぽど綺麗で可愛いよ。一緒にモモンガさんのところに行こう』

 

 

 頭の中に次々とペロロンチーノにかけられた言葉が蘇ってきて、大きな幸福感が身体中に広がって溢れそうになる。言葉だけでなくかけられた声音もまるで可愛い妹か娘を宥めるように柔らかく優しい響きを持っていて、今思い出しただけでもうっとりとしてしまう。

 サキュバスとしての本能が疼くのを感じながら、アルベドはそっと深呼吸を繰り返して忠誠心でもってそれを抑え込んだ。

 忠義を尽くそう…と改めて心に刻む。

 自分の無能さを慈悲深くも許して下さったペロロンチーノ様やモモンガ様のためにも一層忠義を尽くさなくてはならない。ウルベルト様は無言で顔を顰められていたけれど、精一杯忠義を尽くし続ければ、きっとナザリックに留まって自分たちと共にいてくれるはず…。

 一抹の不安を抱えながらも、アルベドは自身にそう言い聞かせてゆっくりと立ち上がった。一時間の猶予をもらってはいるものの、早く命令を遂行しようと足を踏み出す。直接足を運ばずとも〈伝言(メッセージ)〉の魔法で伝えることは勿論可能だが、未だ浮足立っている心を落ち着かせるためにも自分の足で伝えに行くことにした。

 きっとこの胸の内さえも全てお見通しだったからこそ一時間も猶予を与えて下さったのだと、モモンガに対して更に尊敬の念を強める。

 

「…ふふっ、ペロロンチーノ様とウルベルト様のご帰還にみんな驚くでしょうね。特にシャルティアとデミウルゴスは…、一体どんな反応を見せるかしら?」

 

 自分以外の守護者たちのことを思い出し、クスッと小さな笑みを浮かべる。

 予期せぬ至高の御方々の帰還に、誰もが一様に驚きを露わにし、歓喜に震えることだろう。

 特にシャルティアとデミウルゴスの反応が楽しみで、アルベドは直前まで御方々の帰還は秘密にしておこうと悪戯気な笑みを浮かばせた。

 我儘を言えば、我が創造主であるタブラ・スマラグディナにも戻ってきてもらいたかった。恐らくシャルティアやデミウルゴス以外の守護者たちも自分の創造主を思い、少なからずアルベドと同じことを考えてしまうだろう。

 しかし悲観することは決してないのだ。

 少なくともペロロンチーノとウルベルトは戻って来てくれたのだ、他の方々とて戻ってくるかもしれない。例え戻ってきてくれないとしても、少なくとも自分たちが仕える主がモモンガ一人ではないことは喜ばしいことなのだ。

 それにシャルティアの創造主であるペロロンチーノとアウラとマーレの創造主であるぶくぶく茶釜は姉弟であるし、デミウルゴスの創造主であるウルベルトとコキュートスの創造主である武人建御雷は非常に仲の良い間柄であったはずだとアルベドは記憶している。

 全ての守護者たちがペロロンチーノとウルベルトを通して自分たちの創造主の存在を感じることができるのだ。それは彼らの何よりの慰めとなるだろう。

 

 アルベドはかつてあったナザリックの黄金期がまた帰ってくるような期待を胸に溢れさせながら更に歩を進めていく。

 彼女の足取りは軽く、楽しげな音がナザリックの広い空間に響いては消えてを繰り返していた。

 

 

 




アルベドに変に誤解されてしまうウルベルトさん…。
当小説ではアルベドはモモンガ様によって設定を弄られていないので、至高の御方々には等しく忠誠を誓っています。


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第2話 思いと方針

 玉座の間には複数の大小の影が揃っていた。

 影の数は六つ。どれもが見覚えのある懐かしい姿で一か所に佇んでいる。

 その姿は一見人間のように見える者から、一目で異形種だと分かる者まで様々で、誰もが個性的な姿をしていた。10歳ほどの双子の闇妖精(ダークエルフ)、14歳ほどの人間の美しい令嬢にしか見えない吸血姫、二足歩行の巨大な青白い昆虫、紅蓮のスーツを身に纏った最上位悪魔(アーチデビル)、そして美しい笑みを浮かべたアルベド。彼らはアルベドが統率する階層守護者であり、モモンガたちギルド・メンバーが創り上げた100レベルNPCたちだった。

 今まで何か話していたのか、輪を描くように集まっていた守護者たちの目が一斉にこちらへと向けられる。まず初めにモモンガへと向けられ、次にはペロロンチーノとウルベルトに向けられた瞬間、一様に彼らの顔に驚愕の色が浮かんだ。

 途端にモモンガたちに緊張が走る。

 一体どんな反応が返ってくるのかと身構えたその時、吸血姫の輪郭がぶれたと思った瞬間、小さな影が勢いよくモモンガとウルベルトの横を通り過ぎていった。

 

 

「うぐっ!?」

 

「「………は?」」

 

 

 何かが詰まった様な声と、何かが落ちたような鈍い音。

 間の抜けた声を零しながら音の方へと振り返ってみれば、尻餅をついたペロロンチーノに吸血姫が馬乗りのような形で抱き付いていた。泣いているのか、羽根に覆われた引き締まった胸板に顔を埋めている吸血姫から嗚咽の声が小さく聞こえてくる。

 

「シャ、シャルティア…?」

「…ぺ、ペロロンチーノさまぁ…。よ、よくお戻りに…っ!」

 

 胸板から上げられた顔は案の定、涙に濡れてグシャグシャになっている。しかし吸血姫の可憐な美貌は損なわれることはなく、逆に儚さが際立って更に魅力を引き出していた。

 思わずペロロンチーノの喉がゴクリっと大きく鳴る。

 据え膳食わぬは…という言葉が頭を過る。

 しかし奇跡的にここがどこで周りに誰がいるのかを思い出したペロロンチーノは、激しく頭を振って何とか理性を総動員させた。

 

「…ただいま、シャルティア。寂しい思いをさせちゃってごめんな」

 

 優しく声をかけ、その小さな身体を柔らかく抱きしめる。腕の中から柔らかな感触と甘い香りが伝わって来て、ペロロンチーノは思わず吸血姫の白銀の髪に頬を摺り寄せた。

 一歩間違えればセクハラにもなりかねない行動に、感動的な再会のシーンだというのにモモンガとウルベルトは思わず複雑そうな表情を浮かべる。

 そろそろ止めようか止めまいか視線だけで言葉を交わす。

 しかしそんな中、スーツ姿の最上位悪魔(アーチデビル)の姿が視界に映り込み、ウルベルトは思わず金色の瞳を瞬かせた。

 嬉しそうな笑みを浮かべながらもこちらも涙を流している様子に、思わず小さなため息が零れる。

 視線だけでモモンガに断りを入れると、ウルベルトは真っ直ぐに最上位悪魔(アーチデビル)の元へと歩み寄った。

 胸に片手を当てて礼を取ってくる悪魔の肩を掴み、半場無理やり顔を上げさせて涙に濡れる頬へと手を伸ばした。

 

「…ほら、もう泣くな、デミウルゴス。折角イケメンに創ってやったのに台無しじゃないか」

「ウ、ウルベルト様、申し訳ありません…」

「そう思うなら泣き止め。…どんどん溢れてくるじゃないか」

 

 ハンカチを持っていなかったため、仕方なく両手の親指を頬に添えて涙を拭ってやる。しかし何度往復しても涙は流れ、拭った傍から新たな涙が溢れては頬やウルベルトの指を濡らしていった。

 

「あ、あの…、ウルベルト様の御手が汚れてしまいます…」

「馬鹿、汚れる訳ないだろ。そんな事よりも涙を止めることに集中しろ」

 

 言葉はぶっきら棒ながらも、涙を拭うその手はどこまでも柔らかく優しい。

 モモンガは不器用な優しさを見せるウルベルトに小さな笑みをこぼすと、一方でだんだん怪しい動きをし始めたペロロンチーノを止めるべくその首根っこへと手を伸ばした。

 

「…はーい、何してんですか、ペロロンチーノさん」

「ぐへっ!」

 

 ペロロンチーノの口から本日二度目の蛙が潰れたような声が飛び出る。

 首根っこを引っ張られた衝撃でペロロンチーノは思わず吸血姫から腕を離すと、何とかモモンガの骨の手から逃れて少し恨めしそうに喉をさすった。

 

「…うぅ、何するんですか、モモンガさん」

「幼気な少女にセクハラまがいのことをしているペロロンチーノさんが悪いんですよ」

「違いますよ! これは俺なりのNPCとのスキンシップで!!」

「見え透いた嘘をついてるとウルベルトさんからハリセンが飛んできますよ」

 

 必死に弁解しようとするペロロンチーノだが、モモンガは取り付く島もない。

 ユグドラシル全盛期時ではペロロンチーノの姉であるぶくぶく茶釜がストッパーになってくれていたのだが、今彼女はここにはいない。自分とウルベルトがしっかりしなければ!とモモンガが意気込む中、どうやら周りのNPCたちも大分落ち着いてきたようだった。

 

「では皆、至高の御方々に忠誠の儀を」

 

 アルベドの言葉に、他の守護者たちが一斉に頷く。吸血姫や最上位悪魔(アーチデビル)も涙に濡れていた頬や目尻を完全に拭うと、モモンガたちの目の前に横一列に並びだした。アルベドだけが数歩前に立ち、残りの守護者たちがその後ろに整列する。

 何が起こるのだろうと小さく困惑の色を浮かべるモモンガたちの目の前で、まずは吸血姫が一歩前へと進み出てきた。

 

「第一、第二、第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。御身の前に」

 

 吸血姫が胸元に片手を当てて跪き、深々と頭を下げる。

 “鮮血の戦乙女”シャルティア・ブラッドフォールン…、ペロロンチーノが創造したNPCであり14歳ほどの美少女の姿をした真祖(トゥルーヴァンパイア)

 身に纏っている漆黒のボールガウンのスカートが柔らかく広がり、シャルティアの幼さの残る美貌を更に引き立てていた。蝋のような白皙の肌や白銀の長い髪が目に眩しく感じられる。

 

「第五階層守護者、コキュートス。御身ノ前ニ」

 

 軋んだような歪な声と共に前に進み出てきたのは、巨大な青白い昆虫。

 “凍河の支配者”コキュートス…、ギルド・メンバーの一人である武人建御雷が創造したNPCである蟲王(ヴァーミンロード)

 蟻とカマキリを融合したような2.5メートルはある青白い巨体。身長の倍はある太い尾や全身からはツララのような鋭いスパイクが無数に生えており、二本のハルバードやメイスやブロードソードを握る四本の腕を器用に地面へと添えて深々と臣下の礼をとっている。ダイヤモンドダストのような煌めきを持つ外骨格や時折プシューッと口から吐き出される冷気に、まるで巨大な氷山が跪いているような錯覚を覚えた。

 

「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ。御身の前に」

「お、同じく、第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ。お、御身の前に」

 

 続いて進み出てきたのは双子のダークエルフ。

 “名調教師”アウラ・ベラ・フィオーラと“大自然の使者”マーレ・ベロ・フィオーレ…、ギルド・メンバーの一人でありペロロンチーノの姉であるぶくぶく茶釜が創造したNPCであり10歳ほどの子供の姿をしたダークエルフの姉弟。

 短い金色の髪や翡翠と蒼穹のオッドアイ、中性的な綺麗な顔立ちは双子ということもありひどく似通ってはいたが、姉の活発な性格や弟の気弱な性格がそれぞれ如実に表れている様だった。

 しかし、そんな事よりも…。

 

(……どうしてぶくぶく茶釜さんはアウラには男装させて、マーレには女装をさせたんだ…。)

(まぁ、二人とも似合ってるし可愛いし、良いじゃないですか。)

(…流石、姉弟だな。)

 

 同時に胸に手を当てて跪いて頭を下げる双子に、モモンガたちは視線だけで会話を交わしていた。

 

「第七階層守護者、デミウルゴス。御身の前に」

 

 モモンガたちの無言のやり取りに気が付かず、優雅に前に進み出てくるのは紅蓮の悪魔。

 “炎獄の造物主”デミウルゴス…、ウルベルトが創造したNPCである最上位悪魔(アーチデビル)

 東洋系の顔立ちに褐色の肌、丁寧に後ろに流した漆黒の髪や丸眼鏡と三つ揃えの深紅のスーツ姿にどこぞのやり手のビジネスマンか弁護士を彷彿とさせる。しかし後ろから覗く銀の甲殻に包まれた長い尾がご機嫌にゆらゆらと揺らめいており、創造した本人であるウルベルトはどこか忠犬のようなイメージを持った。

 

「守護者統括アルベド、御身の前に。第四階層守護者ガルガンチュア及び第八階層守護者ヴィクティムを除き、各階層守護者、御身の前に平伏し奉る。…ご命令を、至高なる御方々よ。我らの忠義すべてを御身に捧げます」

 

 最後にアルベドが一歩前に進み出て跪き、頭を下げる。

 淡い笑みを浮かべながらも守護者統括らしく威厳を持った佇まいは流石と言うべきか。朗々とした声音でもって唱えられた言葉と目の前に下げられた六つの頭に、モモンガたちは無意識にゴクッと喉を鳴らしていた。

 尋常ではない張りつめた緊張感と威圧感に、無意識に後退りそうになる。

 しかし三人は何とか踏み止まると、覚悟を決めるように互いを見合わせ合って小さく頷き合った。

 一度頭を下げているNPCたちを改めて見つめ、言葉を選びながら口を開く。

 

「面を上げよ」

 

 まずはこの重苦しいまでの空気を少しでも取り除こうとモモンガが声をかける。

 跪く姿勢はそのままに顔を上げてくるNPCたちを確認し、ウルベルトとペロロンチーノもモモンガに倣って支配者然とした態度を心がけることにした。

 

「まずは突然帰って来てしまってお前たちを驚かせてしまったことを詫びよう」

「よく俺たちの言葉に従って集まってくれた。ありがとう」

「何を仰られます! 謝罪や感謝なぞおやめ下さい。ウルベルト様とペロロンチーノ様の御帰還は我らシモベ全ての悲願でございました。もう一度お仕えすることができ、望外の極みでございます」

 

 真剣な表情でもって切々と訴えてくるアルベドに、他の守護者たちも異議もなくモモンガたちを見上げる。彼女の言葉が全てだと言うかのように真っ直ぐに見つめてくる彼らに、確かに確固たる忠誠心を見たような気がした。

 未だ何が起こっているのか何も分かってはいない。

 しかし彼らの忠誠心だけは信じられるような気がした。

 

「ありがとう。お前たちは感謝は不要だと言うけど、それでも俺たちはお前たちの忠誠心を嬉しく思う」

「そして頼もしくも思う。お前たちなら私たちの期待以上の働きをしてくれることだろう」

「現在、このナザリック地下大墳墓は…いや、ユグドラシル自体が原因不明かつ不測の事態に巻き込まれている可能性がある。何が原因かは未だ不明だが、何か不審な点や異常などに気が付いた者はいるか?」

 

 モモンガの問いに、アルベドが肩越しに各守護者たちを振り返る。

 数秒視線を見交わし、すぐにアルベドが再びモモンガたちへと向き直った。

 

「いえ、申し訳ありませんが私たちに思い当たる点はございません」

「ならば各階層で何か特別な異常事態が発生した者はいるか?」

 

 続いて投げられた問いに、次は守護者各々が口を開いた。

 

「第七階層は異常はございません」

「第六階層もです」

「は、はい。お姉ちゃんの言う通り、です」

「第五階層モ同様デス」

「第一階層から第三階層まで異常はありんせんでありんした」

 

 口々に否定の言葉を口にする守護者たちにモモンガが一つ頷く。

 彼らの言葉が本当ならば、やはりナザリック地下大墳墓というよりかはユグドラシル全体がおかしくなっているのかもしれない。第四階層と第八階層は未だ不明だが、場所が場所だけに後で自分たち自らで調査した方が良いだろう。

 次に何を聞こうか考え込む中、不意に外の調査に向かっていたセバスが玉座の間に入ってくるのが視界に入ってきた。

 セバスは小走りにこちらまでやってくると、ゆっくりと片膝をついて頭を下げてくる。

 

「遅くなり誠に申し訳ありません」

「いや、構わん。それよりも周辺の状況を聞かせてくれ」

「はっ。まず周辺一キロですが草原になっており、生息していると予測される小動物以外、人型生物や大型の生物など、知性を持つ存在の確認はできませんでした」

「草原…? 沼地ではなく?」

「はい。草原です」

 

 セバスの報告にモモンガたちは思わず三人ともが黙り込んだ。

 ナザリック地下大墳墓は薄い霧が立ち込めた毒の沼地に存在していたはずだ。ツヴェークという蛙人間にも似たモンスターも生息しているはずだが、セバスの報告ではそのモンスターすらいなくなっていることになる。

 

「…つまり、ナザリック自体がどこか不明な場所に転移したということか?セバス、空には何か浮かんでいたりはしていなかったかい?」

「いえ、そのようなことはございませんでした。第六階層の夜空と同じものが広がっておりました」

「夜空!?」

「………周辺に気になるようなものは何かなかったか?」

「いえ。ナザリック地下大墳墓を除き、人工建築物は一切確認できませんでした」

「「「……………………」」」

 

 再び三人が黙り込んだ。

 これは明らかに異常事態だと改めて三人の頭が警鐘を鳴らしだす。

 突然一つの建物が勝手に違う場所に転移するなど聞いたこともない。それも唯の建物ではなく、ギルドの本拠地である建物がである。

 三人は顔を顰めさせると、改めて気を引き締めさせながら今後の行動について忙しなく思考を回転させ始めた。

 

「各守護者たちよ、まず各階層の警戒レベルを一段階上げろ。何が起こるか不明な点が多いので油断するな。侵入者がいた場合は殺さず捕らえろ。できれば怪我もさせずにというのが一番いいだろう。何も分からない状況下で厄介ごとは御免だからな」

「後は隠蔽工作も必要ですね…。今は侵入者自体ない方が良いだろうし、周りが草原ならば何とかしなければならない」

「いや、それよりもまずは警備について確かめておいた方が良いでしょう。…アルベド、各階層守護者間の警備情報のやり取りはどうなってるの?」

 

 まるで相談をし合うように話しながらもアルベドに問いかけるペロロンチーノに、アルベドは考える間もなくスラスラとそれに答えた。

 

「各階層の警備は各守護者の判断に任せておりますが、デミウルゴスを総責任者とした情報共有システムは出来上がっております」

「へぇ、それは良い。確かデミウルゴスは防衛戦の責任者だったよな。じゃあ、ナザリック防衛戦の責任者のデミウルゴスと守護者統括のアルベド。両者の責任の下で、より完璧なものを作り出してくれ」

「了解いたしました。それは九、十階層を除いたシステム作りということでよろしいでしょうか?」

 

 問いという形で確認してくるアルベドにモモンガが頷こうとして、しかしそれは直前にペロロンチーノに止められた。

 

「いや、それはマズいでしょう。八階層は俺たちでも危険な階層ですよ」

「……そうだな。では、第八階層は立ち入り禁止とする。私かウルベルトさんかペロロンチーノさんが許可した場合のみ進入を許す。七階層から直接九階層へと来れるよう封印を解除しておけ。次に九階層、十階層も含んだ警備を行う」

「よ、宜しいのですか!?」

「………至高の御方々のおわす領域にシモベ風情の進入を許可されるとは。…それほどまでに」

 

 アルベドが驚愕の声を上げ、後ろに控えているデミウルゴスも驚愕の表情と共に小声で心情を吐露している。それほどまでにモモンガたちの警戒度が意外だったのだろう。しかしモモンガたちにしてみればどんなに警戒しても十分とは言えなかった。

 何も分からない状態で自分たちの力もどの程度有効なのか分からないのだ、そんな状況で面倒事に巻き込まれるなど御免こうむりたかった。

 それにアルベドたちは九階層と十階層を聖域だと思っている節があるが、一部の例外を除きNPCや自動的に湧き出る者たち(POP)がいないのはそんな理由では決してない。

 ナザリック地下大墳墓は八階層を突破された時点で陥落されたも同然であり、ならば玉座で悪役らしく待ちかまえようという一部の意見が採用されたからに過ぎなかった。その意見を初めに主張したのが何を隠そうここにいるウルベルトであり、無言で見つめてくるモモンガとペロロンチーノの視線から顔を背けながらウルベルトはワザとらしく咳ばらいを零した。

 

「あぁ、ゴホンっ。何も問題などないよ、アルベド。非常事態でもあるし、警護を厚くしたまえ」

「畏まりました。選りすぐりの精鋭かつ品位を持つ者たちを選出致します」

 

 真剣な表情を浮かべて頷くアルベドに、ウルベルトも満足そうに頷く。

 モモンガはそんなウルベルトをジトッと見つめていたが、しかし気を取り直して次には跪いているダークエルフの双子に目を向けた。

 

「では次に隠蔽工作か…。アウラ、マーレ、展開できる幻術以外でナザリック地下大墳墓の隠蔽工作は可能か?」

「ま、魔法という手段では難しいです。地表部の様々なものまで隠すとなると…。ただ、例えば壁に土をかけて、それに植物を生やした場合とか……」

「栄光あるナザリックの壁を土で汚すと?」

 

 アルベドから地を這うような低い声音が飛び出てくる。彼女が身に纏っているのは純白の可憐なドレスだというのに、その身からどす黒いオーラが発せられているように見えるのは気のせいだろうか。

 マーレの細い肩がビクッと震え、重苦しいまでの空気が漂い始める。

 しかしその嫌な空気はワザとらしいまでに明るいペロロンチーノの声によって吹き飛ばされた。

 

「こらこら、喧嘩しないで。アルベドも今が緊急事態だってことは分かってるだろう? これは必要なことなんだ。それに、そもそも隠蔽工作が必要だって言いだしたのはウルベルトさんなんだから」

「おい、コラ。どういう意味だ鳥頭」

「マーレ、さっき言ってた壁に土をかけて隠すことは可能なのか?」

「は、はい。お、お許しを頂けるのでしたら…ですが………」

 

 睨んでくるウルベルトは無視してペロロンチーノがマーレの言葉に頷いてモモンガを見つめてくる。

 モモンガはどこかしゅんっとしているアルベドを見やると、一つ小さく息をついてマーレへと視線を移した。

 

「…良かろう。壁に土をかけての隠蔽工作を許す」

「しかし遠くから見られた場合、大地の盛り上がりが不自然に思われないかね? …セバス、この周辺に丘のような場所はあったかい?」

 

 ペロロンチーノを睨むことを止めて、ウルベルトが気を取り直してセバスに問いかける。

 セバスは考える素振りも見せず、すぐさま頭を振って否定の言葉を口にした。

 

「いえ。残念ですが、平坦な大地が続いているように思われました。ただ、夜ということもあり、もしかすると見過ごした可能性がないとは言い切れません」

「そうか…。ならば、周辺の大地にも同じように土を盛り上げてダミーを作ればどうだい?」

「そうであれば、さほど目立たなくなるかと」

「よし。マーレとアウラで協力してそれに取り掛かれ。その際に必要な物は各階層から持ち出して構わない。隠せない上空部分には後程、ナザリックに所属する者以外には効果を発揮する幻術を展開しよう」

「は、はい。か、畏まりました」

 

 ウルベルトとセバスの言を受けて、モモンガがマーレとアウラへ命を下す。

 双子が頭を下げるのを見届け、モモンガは他に何かないかとウルベルトとペロロンチーノへと目をやった。しかし二人も何もないようで小さく頭を振るのに、モモンガは内心で小さく息をついて守護者たちへと視線を戻した。

 

「…さて、今日はこれで解散だ。各員、休息に入り、それから行動を開始せよ。どの程度で一段階つくか不明である以上、決して無理はするな」

「我々は円卓の間にいるので、何かあれば連絡するように」

「また後でな~」

 

 ナザリックの支配者らしく振る舞うモモンガとウルベルトに対して、ペロロンチーノは早々に元に戻って手まで振っている。モモンガとウルベルトははぁっと大きなため息をつくと、後ろ手にペロロンチーノの腕や首根っこを掴んでさっさと退場すべく足を踏み出した。再び頭を下げる守護者たちの間を通り過ぎ、いつの間に控えていたのか、プレアデスのユリとソリュシャンが玉座の扉を開いて頭を下げてくる。

 モモンガとウルベルトは扉を潜り抜けて回廊へと出ると、背中で扉が閉まる音を聞いてからやっと足を止めた。どちらともなくペロロンチーノを解放し、壁に手をついて深いため息をつく。

 

「「………つ、疲れた…」」

「ありゃ?」

 

 一気に脱力する二人にペロロンチーノが目を瞬かせる。

 

「えっと…、ちょっと休憩します?」

「…いえ、ここだとどこに目があるか分かりませんし、円卓の間に行ってからにしましょう」

「……そうだな」

 

 ペロロンチーノの提案に、しかしモモンガが首を振り、ウルベルトも体勢を立て直す。

 三人は自然とモモンガを先頭に回廊を歩き始めた。その際、少しでも変わったところはないか目を光らせるのも忘れない。しかし幸か不幸かおかしなところは全く見つからず、三人は九階層の円卓の間まで辿り着くと自然と近くの席へと腰を下ろした。

 通常であれば決められた自分の席に腰を下ろすのだが、この場には三人しかいないため他のギルド・メンバーの席についても誰にも文句は言われないだろう。

 三人は深く椅子へと腰を下ろすと、誰ともなく大きな息を吐き出した。

 一度に多くのことがあり過ぎて感情が上手く追いついてこない。

 それは三人の中で一番はしゃいでいたペロロンチーノとて例外ではなく、彼は円卓に片肘をついてだらしなく掌に顎を乗せた。

 

「…一体何がどうなってるんでしょうね?」

「分からん。今分かっていることは、GMに連絡が取れないということ。ナザリックじゃなくてユグドラシル自体がおかしくなっている可能性が高いこと。…後はこれが夢じゃないってことくらいか」

「一つ一つ確認していかないとダメですね。今から俺の考えを言っていくので、何かあったら発言して下さい」

「おっ、流石モモンガさん!」

「了解です、ギル・マス」

 

 すかさず悪戯気な言葉と笑みを浮かべて答えてくるペロロンチーノとウルベルトにモモンガは思わず小さな苦笑を零す。しかしすぐさま気を引き締めさせると、多くの考えを頭の中で整理させながら自分なりの疑問と見解を述べていった。

 

 一つ目、今まで接触してきたNPCはプログラムか?

 モモンガの見解は否だ。

 こちらの言葉に反応して会話をしたり涙を流すといった高度な情動は、プログラミングすることは不可能だ。ペロロンチーノが感じたアルベドの手の体温などからも、彼らが生の肉体を持っているという何よりの証拠だろう。

 ではプログラムではなく人間のような存在になったと仮定して、彼らの自分たちに対する忠誠心はどこまで不変なものであるのか?

 現実世界では忠誠心などちょっとしたことで薄れてしまえるような脆いものだ。彼らにもそれが当て嵌まるのか、それともプログラムの様に一度設定されれば決して揺らがないものなのか…。

 

「う~ん…、アルベドやシャルティアの様子を見る限り大丈夫だと思いますけど」

「確かに。アルベドなんて自害してまで俺たちを引き留めようとしたんだろう?」

「それはそうですけど、やっぱり油断は禁物だと思います。大丈夫だとはっきりするまで、取り敢えず呆れられたり侮られないように気を付けましょう」

「そうだな」

「分かりました」

 

 ウルベルトとペロロンチーノが頷いたのを確認して次の話に移る。

 二つ目はこの世界が何であるのか?

 普通に考えればユグドラシルの世界だと考えるのが妥当だろう。しかし先ほどのNPCへの見解や表情が動いたり五感がある自分たちの状態から、どうしてもゲーム内だとは考えられない。あり得ない話かもしれないが、仮想現実が現実となる異世界に迷い込んでしまったのではないだろうか…。

 

「………異世界…?」

「…モモンガさん、それは流石に無理があるんじゃないか? 百歩譲って仮想世界が現実になったんだとしても、ユグドラシルの世界が現実になったと考える方がまだ自然だ」

「でも、それだとセバスの言う沼地が草原になっていたっていう言葉に説明つかないんです。ユグドラシルの世界がそのまま現実になったのなら、ナザリックは今も沼地にあるはずです」

「それはそうだが……」

 

 ウルベルトは考え込むように眉間に皺をよせて黙り込んだ。

 顎髭を弄びながら熟考し始めるウルベルトに、モモンガとペロロンチーノは思わず顔を見合わせた。ペロロンチーノは肩をすくませ、無言のまま視線だけで話を続けるようモモンガを促してくる。モモンガもこうなってしまったウルベルトは誰にも止められず、何をしても無駄だということを知っていたため、仕方なく話を続けることにした。

 

 三つ目は、もし仮にこの世界が異世界だとして、どこまで現実に反映されているのか?

 ナザリック内の設備、アイテム、装備、魔法など…どれが使えてどれが使えないのか、明確に調べる必要があった。特にアイテムと魔法の可否はこちらの生死に関わる問題だ。これはNPCに任せられるものではなく、三人で早急に調べなくてはならないだろう。

 そして最後に、これからの行動方針をどうするか?

 まずは情報収集が一番だろう。この世界が本当は何にせよ、情報が不足しているのは変わらないのだ。何をするにしても情報が集まってこそであるし、情報収集を怠ればそれは死と直結することをモモンガもウルベルトもペロロンチーノも痛いほど理解していた。

 

 しかし、その後は………?

 

 

 

「……ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、二人は元の世界に戻りたいですか?」

 

 不意のモモンガの問いに、ペロロンチーノは思わず目を瞬かせた。今までずっと自分の考えに没頭していたウルベルトも、チラッと金色の瞳をモモンガへと向ける。

 モモンガは円卓の上で組んだ自分の骨の両手を見つめながら、ポツリポツリと独り言のように言葉を零していった。

 

「俺は正直、元の世界に戻りたいとは思えないんです。家族や友人がいれば戻りたいとも思うんでしょうけど、生憎俺にはそんなものはありませんし…。俺にとって、このナザリックは本当に全てだったんです」

 

 これまでの楽しかったユグドラシルの記憶を思い出しながら、組み合わせた骨の手に力を込める。

 ずっと、あの楽しい時間が続けばいいと思っていた。こんな異常事態に巻き込まれて混乱する思考とは裏腹に、少なからず喜びも感じていたのだ。

 ナザリック地下大墳墓の消滅がなくなったどころか、全員ではないが大切な仲間も目の前にいる。

 もしかしたら、あの楽しかった日々が戻って来るのではないかと…。

 しかし、いくら自分がそう願ったとしても、二人が現実に戻りたいと思っているのであればそれを無視するわけにもいかない。

 苦渋の色を眼窩の灯りに浮かばせるモモンガに、しかし無言でいた二人の口から発せられた言葉は意外なものだった。

 

「俺も戻りたいとは思わないな。確かに俺はユグドラシルを引退したが、それはユグドラシルが嫌になったからじゃないし、現実世界(リアル)が糞なのは変わらないだろ? なら俺は、モモンガさんとここに残りたいですよ」

「……ウルベルトさん…」

「俺も…まだクリアーできてないエロゲーへの未練はちょっとありますけど、そんな事よりもモモンガさんやウルベルトさんと一緒にいたいと思ってますよ。ここにはシャルティアもいますし。それにほら、俺たちが戻っちゃったらアルベドが自害しちゃいますしね」

「……ペロロンチーノさん…」

「おい、ぶくぶく茶釜さんは良いのか?」

「ちょっと、俺をいくつだと思ってるんですか? 確かに姉貴のことは少しは気になりますけど、それとこれとは別の話ですよ」

「ふーん。…まっ、お前が良いなら別に良いがな」

 

 ニヤリとした笑みを浮かべるウルベルトと、明るく笑い声をあげるペロロンチーノ。

 どこまでも変わらぬ態度で言ってのける二人に、モモンガは呆然となりながらもじわっと温かな感情が胸に溢れてくるのを感じた。

 今はじめてアンデッドで良かったと思ってしまう。もし生身の身体を持っていたら、格好悪くも泣いてしまっていただろう。

 

「…ありがとうございます、ウルベルトさん、ペロロンチーノさん!」

 

 しかし震える声までは誤魔化せず、ウルベルトとペロロンチーノは笑い声を零す。

 二人は席から立ち上がると、モモンガの元まで歩み寄りポンッポンッと軽く肩を叩いてきた。

 

「礼を言うのはまだ早いですよ。これから忙しくなりそうだ」

「そうですよ、モモンガさん! 何が起こっているのかまだまだ分からないことばかりですし、頑張って三人で生き残りましょうね!!」

「…おい、若干死亡フラグに聞こえるからやめろ」

「ははっ、そうですね。三人で頑張りましょう!」

 

 二人の存在が本当に頼もしく感じられる。

 モモンガはこれからのことに思いを馳せながらも、三人でなら大丈夫だと力強い光を眼窩の灯りに宿らせた。

 

 




話がなかなか進みませんね…(汗)

守護者たちの名乗りでアウラとマーレの通称が一部省略されているのは仕様です…。
違和感などありましたら申し訳ありません。


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第3話 現状調査

ほんのちょっとだけアダルティーな描写があります。
ご注意ください。


 取り敢えず会議は終了して各自九階層にある自室へと引き上げたモモンガたち。

 ウルベルトも自室へ向かい、入った瞬間ビクッと足を止めた。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 無人だと思っていた部屋に一人のメイドが立っており、明るい挨拶と共に深々と頭を下げてくる。

 長い金色の髪に、細いフレームの眼鏡。名前までは覚えていないが確かに見覚えがあり、その服装からも彼女が四十一人いる一般メイドの一人で間違いなかった。

 しかし彼女は一体こんなところで何をしているのだろうか。

 いや、メイドであるのだから大体の想像はつくのだろうけれど…。

 

「ウルベルト様、何なりとお申し付け下さい。誠心誠意、お仕えさせて頂きます!」

 

 眩しいまでの笑顔と共に、嬉々として言い募ってくる。

 ウルベルトはゆっくりと室内へと入りながら、内心で大きなため息をついた。

 階層守護者やプレアデスたちが動き出したのだから同じNPCである彼女たちが動き出しても何ら不思議ではないのだが、それを失念していた自分が嫌になる。

 というか、何でこの子はこんなにも意気込んで顔を輝かせているのだろうか。今まで気にもしていなかったが、今はもう深夜だぞ…。

 深夜勤務ほど嫌なものはないと思っているウルベルトにとって、彼女の反応は全くもって理解し難いものだった。

 しかし、何にせよこのままにしておくわけにもいかない。

 ウルベルトはなるべく自然な動作でメイドの元まで歩み寄ると、にっこりとした笑みを浮かべてみせた。

 

「ありがとう、君の熱意には期待しているよ。しかし、今日はもう遅い…。後は休むだけだから、君も今日は下がって休みたまえ」

 

 ウルベルトとしては至極当然のことを言ったつもりだ。口調や声のトーンだって、なるべく相手を威圧させないように精一杯気を遣った。

 しかし、にも拘らず、言葉を発した直後、目の前のメイドは一気に顔を蒼褪めさせた。大きな瞳がみるみるうちに潤みだし、細く華奢な全身がカタカタと震えだす。

 

「ウ、ウルベルト様…、私は何かお気に障ることを…!? も、申し訳ございません! どんな処罰も受けますので、どうか、どうか…っ!!」

 

(おーい! アルベドの再来か!?)

 

 必死に涙を堪えながら言い募ってくるメイドに、ウルベルトは心の中で悲鳴のような声を上げた。一気に逃げ出したい衝動にかられるが何とかグッと堪え、柔らかな笑みを張りつかせて落ち着かせるようにそっとメイドの細い肩へと手を触れる。

 瞬間、蒼褪めていたメイドの頬がホワッと朱に染まった。

 

「ああ、勘違いしないでほしい。君は何も悪くないとも。それでは、そうだな…、少し喉が渇いたから何か飲み物を用意してくれるかね?」

「は、はいっ!」

 

 途端にメイドの表情がぱあっと明るくなる。メイドは綺麗に一礼すると、足早に退室していった。

 さてはて何を持ってくるのやら…と思案しながら、ウルベルトは被っているシルクハットへと手をかけた。

 シルクハット、片仮面、グローブ、マント…と次々と装備している物を外していく。

 一先ず全てを近くのテーブルの上へと放ると、室内にある大きなクローゼットへと歩み寄った。クローゼットの扉を全開にし、半場身を乗り出して中をあさる。『何でこんなものが?』というものから『こんなもの持ってたか?』というようなものまでぎっしりと詰め込まれていたが、その中から一つのローブを引っ張り出した。

 黒に近い紺色のそのローブは遺産級(レガシー)アイテムで装備品としては何とも頼りない。しかし部屋で寛ぐためだけなら丁度良い代物でもあり、ウルベルトはメイドが戻ってくる前に素早く着込むと、神器級(ゴッズ)アイテムを放っているテーブルへと引き返した。

 この装備品たちを一体どうしたものかと頭を悩ませる。

 ユグドラシルの時はアイテム・ボックスへと放り込んでいたのだが、果たしてこの変てこな世界でもアイテム・ボックスは使えるのだろうか。

 しかしそこまで考えて、ふとウルベルトははて?と無意識に小首を傾げた。

 よくよく思い返してみれば、そう言えば自分とモモンガは無意識に宝物殿でアイテム・ボックスを開けていなかっただろうか…。

 ウルベルトは空中へと視線をさ迷わせると、徐に宙へと手を差し伸ばした。宙に浮かんでいる箱をイメージし、その想像の中へと手を突っ込む。

 

「うおっ!?」

 

 瞬間、手が目に見えぬ空間の中へと埋まり、ウルベルトは思わず素っ頓狂な声を上げた。反射的に手を引き戻し、マジマジと宙に走った亀裂の中を覗き込む。中には見覚えのある液体が入った瓶やスクロールの束が乱雑しており、アイテム・ボックスも問題なく使えることにウルベルトは複雑な表情を浮かべた。

 アイテム・ボックスが使えることは便利で良かったが、本当にここはゲームとは違う世界なのだろうか?と疑問が浮かぶ。

 しかし今はそんな考えは端に追いやって、ウルベルトはテーブルの上の神器級(ゴッズ)アイテムを全てアイテム・ボックスの中へと放り込んだ。これでいつ何が起こったとしてもすぐに主武装に戻れる、とアイテム・ボックスの口を閉じながら安堵の息をつく。

 後はメイドが持ってきてくれるものを飲んで寝るだけだな、と今日一日のことを振り返りながら大きなため息を吐き出した。

 一度に多くのことがあり過ぎて精神的にひどく疲れたような気がする。

 しかしふと睡魔が全くないことに気が付いて、ウルベルトは反射的に部屋に備え付けられている豪奢な振り子時計へと目を向けた。

 時計の針は間違いなく深夜の三時を回っている。通常であれば寝ているどころか、もうすぐ起床する時間だ。これで一切眠くないとは一体どういうことなのか。興奮しすぎて眠れないという感じでもなく、ウルベルトは思わず時計を睨み付けながら考え込んだ。

 一番考えられる可能性は種族特性だ。

 自分のアバターである“ウルベルト・アレイン・オードル”の種族は悪魔であり、この種族の特性の一つに疲労といったバッドステータスの無効化がある。つまり、疲労をなくす睡眠という行為が不要だということだ。仮想が現実となるのなら、この肉体も本物として機能していてもおかしくはない。

 ウルベルトは自分の考えに一層顔を顰めさせると、徐に〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 相手は少し前に別れたモモンガ。

 通常であればこんな時間に連絡を入れたりはしないのだが、自分の考えが正しければアンデッドであるモモンガもまた眠ってはいないはずだ。いや、彼の場合、自分と違って眠れない可能性の方が高い。

 自分の意識の一部がどこかに飛んでいくような感覚が襲い、数秒で何かと繋がった様な感覚へと変わった。

 

「………えっと、モモンガさん? 聞こえるか?」

『…あれ、ウルベルトさん? どうしました?』

 

 頭の中に響いてくるのは間違いなくモモンガの声。

 寝起き特有の響きもない少し驚いたような声音にウルベルトは心の中でそっと安堵の息をついた。自分の考えに自信を持ってはいたけれど、これで間違っていてモモンガを起こしてしまっていたらどうしようかと実は少しだけ心配だったのだ。しかしそれが杞憂に終わったようで取り敢えずは一安心だ。

 

「突然すみません。ちょっと気になることがありまして…」

『別に構いませんよ、寝てませんでしたし…。どうしました?』

「それだよ、モモンガさん」

『はい? …どれですか?』

「寝てないんじゃなくて、寝れないんじゃないか?」

『えぇっ、どうして分かったんですか!?』

 

 頭の中にモモンガの驚愕した声が響く。

 ウルベルトはフフッと笑い声を零しながら小さく肩をすくませた。

 

「簡単に言えば、“俺も同じだから”だな。恐らく種族特性で全く眠気が来ないんだ。アンデッドのモモンガさんも同じかと思って」

『実はそうなんですよ、全然眠れなくて…。仕方ないのでアイテムが使えるかどうか試してました』

「………相変わらず真面目だな。今そっちに行きますから、手伝いますよ」

『えっ、でも………』

 

 モモンガの戸惑ったような声が聞こえてくる。恐らく罪悪感でも感じているのだろう。

 悪魔という種族はアンデッドとは違い、睡眠は不要でも眠れない訳では決してない。モモンガとしては眠れるものなら眠った方が良いと考えているのかもしれない。しかしウルベルトからすれば、それはとても優しくも甘い考えだった。

 使えるものは使えばいいのだ。対象が自分やペロロンチーノであればなおの事、いっそ辟易させるほど使えばいい。ギルド・マスターであるモモンガにはその権利があり、少々度が過ぎたとしても今更自分たちの仲がどうにかなるものでもない。

 

(…まぁ、それは相手がモモンガさんだからかもしれないが。)

 

 モモンガには伝わらないように心の中で呟きながら小さく苦笑を浮かべた。

 少なくとも、モモンガより前にリーダーを務めていたたっち・みーが相手だったら自分はこんなことすら思わなかったはずだ。さっさと〈伝言(メッセージ)〉を切って、気兼ねなく夢の世界へと旅立っただろう。

 これもモモンガさんの人徳だな…と笑みを深めながら、未だ戸惑っているであろうモモンガへと言葉をかけた。

 

「気にしないでくれ。確認しなくちゃならないことは多いし、時間も人手も足りないくらいだろう?」

『…そう、ですね……。分かりました、お願いできますか?』

「勿論だよ、モモンガさん。今からそっちに行こう」

 

 ウルベルトは一つ頷くと〈伝言(メッセージ)〉を切った。プツンッという軽い感覚と共に、繋がりが切れたのだと理解する。

 魔法を実際に体感することになろうとは不思議な経験だと思いながら、早速モモンガの部屋へと向かおうと踵を返した。

 しかし部屋を出る前にメイドが戻って来て、ウルベルトは思わず金色の瞳を瞬かせた。

 

「遅くなりまして誠に申し訳ありません。お好きなものを仰ってください」

 

 てっきり何か適当なものを選んで持ってくると思っていた。

 しかしそんなウルベルトの考えは大きく外れ、メイドが持ってきたのは大きなワゴン。ワゴンの上には色とりどりの多くのピッチャーが乗せられている。恐らくこの中から選んでくれと言いたいのだろう。

 どうしたものかと一瞬考え込み、しかしよく考えれば今から長い長い作業が待っているのだ。ワゴンごと持っていってちょっとした休憩時に飲めばいいのではないだろうか。

 すぐにそう判断すると、わざとらしいまでのすまなさそうな表情を浮かべて小首を傾げてみせた。

 

「ありがとう。だが申し訳ないが、これからモモンガさんのところに行くことになったのだよ」

「左様でございますか…」

「ああ、そうだ、君もおいで。飲み物はあっちで飲めばいいからワゴンごと運んで、君も作業を手伝っておくれ」

「は、はいっ!」

 

 メイドが幸せそうな笑みと共に元気よく一礼して頷いてくる。

 ウルベルトは満足げな笑みと共にポンッポンッとメイドの頭を軽く叩くように撫でると、扉の方へと足先を向けた。後ろではメイドが真っ赤に顔を染めていたのだが、幸か不幸かウルベルトは全く気が付いていない。

 ウルベルトはメイドとワゴンを後ろに引き連れる様な形でモモンガの部屋へと向かっていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 モモンガとウルベルトを中心に行われた確認作業は丸々三日という時間を有した。

 アイテム一つとっても収集癖のあるギルド・メンバーが揃っていたため量が尋常ではなく、ペロロンチーノはモモンガやウルベルトとは違って休息が必要不可欠だったため思うように作業が進まなかった。

 しかし一つ一つ細かく調べたおかげで判明したことも多くあった。

 一番重要なことは魔法も装備品もアイテムも使用するには問題ないということだ。未だ全てを調べきれていないため効果も全く同じなのかは未だ不明だが、使えるかどうか分かっただけでも死活問題からは解放された。

 次に装備アイテムについてだ。

 使えることは間違いないのだが、使えないことが明らかになったのだ。

 言葉だけ聞けば意味が分からないだろうが、ユグドラシルでは当たり前でも現実ではありえない事象が起こったのだ。

 例えばモモンガやウルベルトは純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため、剣や槍などの武器を装備することはできない。しかし現実で武器を装備できないなどあり得ない話だ。ひょろい魔法詠唱者(マジックキャスター)が重装鎧を装備できないというのは分かるが、どんなに適性がなくても剣を持って振り回すくらいのことはできる。子供が木の棒を振り回すのと全く同じことだ。しかしモモンガとウルベルトはそれさえできなかった。武器を持つことはできる。しかしいざ振るおうとすると、何かに弾かれたように剣が手から跳ね飛んでしまうのだ。

 これは一体どういうことなのかと眉間に皺が寄る。

 ユグドラシルの場合と同じだと分かったのは良いが、何とも疑問が残る問題である。

 後分かったことと言えば、自分たちの身体も種族設定に忠実だという点だろうか。

 例えばモモンガは身体がアンデッドになったことで睡眠や食欲といったあらゆる欲望がほぼなくなってしまっていた。知識欲などは普通にあるためあくまでも身体的な欲求のみだが、それでも今まで普通にあった欲がなくなって違和感や不満を覚えるだろうと思いきや、どうにもそんな感情も湧き起らない。まるでこれが普通なのだと、意識すらも塗り替えられたような、そんな感覚。唯の骸骨となってしまった身体にも不満はなく、自然と受け入れられていた。

 ウルベルトもまた、悪魔の特性通り睡眠や食欲というものがなくなってしまっていた。と言ってもウルベルトの場合はモモンガとは違い、眠れない訳でもないし飲食ができない訳でもない。ただ寝る行為や飲食する行為が不要になったという感覚に、小首を傾げるも不満や不愉快を感じることもなかった。モモンガと同じく、それが当たり前だと感じる感覚。

 本当に異形になってしまったのだな…と互いに苦笑を浮かばせた。

 因みにペロロンチーノは今も睡眠も食欲も普通にあるため、やはり変な異変なのではなく種族特性による変化なのだろうと三人は結論付けた。

 そんなこんなで部屋にこもりながら今日もまた作業に没頭しているモモンガとウルベルトであったのだが…。

 

 

 

「…ペロロンチーノさんはまだ起きてこないようだな」

 

 作業の手を止めてモモンガが扉へと視線を向ける。

 そろそろ起きてきても良い頃合いなのだが、一向に扉が開かれる気配がない。扉を開けてくるのは作業を手伝ってくれているセバスやメイドたち、進行状況を報告しに来たアルベドくらいだ。

 ウルベルトは小休憩にセバスが用意してくれた紅茶を傾けながら、気のない様子で肩をすくませた。

 

「ペロロンチーノさんは私たちとは違って睡眠が必要だからねぇ…。と言っても寝すぎなような気もするが」

「私たち三人の中だとウルベルトさんが一番いいポジションに思えるな」

 

 周りにセバスやアルベドがいるため、堅苦しい口調で言葉を交わす。

 欲がなくなり実行することもできなくなったモモンガや、欲もちゃんとあり実行しなければ死活問題になってしまうペロロンチーノ。

 モモンガの言う通り、欲はなくなっても実行しようと思えばできるウルベルトの種族特性はモモンガやペロロンチーノにとっては非常に魅力的なもののように思えた。

 

「睡眠欲と食欲は生物の三大欲求の内の二つだからね。モモンガさんは性欲は残っているのかね?」

「ごふっ!? …ちょっ、ウルベルトさん!?」

 

 ウルベルトからの赤裸々な質問に、何も飲んでいないというのに思わずむせそうになる。加えて報告後から部屋の隅に控えているアルベドがピクッと反応したように見えて少々気になる。しかしウルベルトはといえば全く動じることなくこちらの返答を待っているようで、モモンガはワザとらしくゴホンっと大きく咳ばらいをすると努めて冷静を装って仕方なく口を開いた。

 

「……まぁ、ひどく希薄にはなっているが」

「そうか。やはりユグドラシルでのアンデッドの種族特性通りだな…」

「ウルベルトさんはどうなんだ?」

 

 先ほどの仕返しに問いかけるも、ウルベルトは恥ずかしがることもなく紅茶を傾けるだけだった。

 

「私は多少残っているようだ。まぁ、悪魔だから当然と言えば当然なのだが…。ペロロンチーノは…、あれの行動を見る限りでは残っているようだね」

「…ペロロンチーノさんの場合は逆にひどくなったような気もするがな」

 

 この三日間のことを思い出してモモンガが小さなため息を零す。

 シャルティアやメイドたちを嬉々として愛でるペロロンチーノは今までにないほどに生き生きとしているように見えた。鳥人(バードマン)になったことで理性よりも本能が強くなってしまっているのかもしれない。

 何とも難儀なことだとため息をつく中、今まで大人しく控えていたアルベドが徐にモモンガたちの元へと進み出てきた。

 

「モモンガ様、ウルベルト様、宜しければペロロンチーノ様を起こして参りましょうか?」

 

 可憐な唇から零れ出る声音も美しい顔に浮かぶ表情も、全てが清涼感のある柔らかいもの。

 しかし美しい金色の瞳だけがギラギラとぎらついているように見えるのは気のせいだろうか…。

 思わず言いよどむモモンガを余所に、何も気が付いていないのかウルベルトがティーカップを置きながらアルベドを見やった。

 

「あぁ、それならば頼めるかい? ペロロンチーノもアルベドに起こしてもらえるなら嬉しいだろうからね」

「ちょっ、ウルベルトさ…!?」

「はいっ、では行って参ります!!」

 

 慌てて止めようとするモモンガの声を遮る勢いでアルベドが意気込んで頭を下げてくる。

 そのまま脱兎の勢いで退室する彼女の背を見送り、モモンガは思わず頭を抱えた。

 ウルベルトはひらひらと手を振ってアルベドを見送りながら、モモンガの様子に小首を傾げる。

 

「どうかしたかい、モモンガさん?」

「………いや、大丈夫かと思ってな」

「? 起こしに行くくらい大丈夫でしょう」

「……………………」

 

 尚も不思議そうに首を傾げるウルベルトに、モモンガはただ黙り込むしかなかった。

 ある一つの一文が頭に浮かび、どうにも不安に感じてしまう。

 

 

 “因みにビッチである。”

 

 

 

「………本当に大丈夫か…?」

 

 

 どうしても不安が拭えず、モモンガは独り言のように小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方心配されているアルベドはと言えば、ギリギリ不敬にならない程度の速度で回廊を駆け抜けていた。

 すれ違うメイドたちの誰もが驚愕の表情を浮かべ、慌てて道を空けていく。

 アルベドは漸く目的の扉の前まで辿り着くと、乱れた服装を整えて上品な動作で扉をノックした。

 一拍後、扉が小さく開いて隙間からメイドが顔を覗かせる。アルベドの姿を見とめて小さく目を見開かせると、戸惑うように室内とアルベドを交互に見やった。

 

「ペロロンチーノ様はいらっしゃるかしら?」

「は、はい。ですが、ペロロンチーノ様はまだお休みになっておられます」

「ああ、やはりそうなのね。モモンガ様とウルベルト様の命でペロロンチーノ様をお迎えにきたのよ。入れてくれるかしら?」

 

 声音も浮かべている笑みも優しいものだというのに、妙な威圧感を醸し出している。

 アルベドの異様な迫力に一瞬躊躇するも、モモンガとウルベルトの命だと言われて引き留めることなどできはしない。メイドは大人しく脇に避けて道を開けると、そのまま深く一礼した。

 アルベドは笑みを深めさせながらメイドの前を通り過ぎ、部屋の中へと足を踏み入れる。

 部屋の中は部屋の主が未だ休んでいるためひどく薄暗い。しかしサキュバスであるアルベドには何の問題もなく、隣室となっている寝室へと足先を向けた。

 念のため控えめにノックをして小声で声をかけた後、扉を開けて室内へとその身を滑り込ませる。

 部屋の中にはキングサイズの寝台が鎮座しており、その上に大きなふくらみが横たわっているのが見えた。ふくらみが穏やかに上下していることから、間違いなく未だ寝入っていることが分かる。

 

「…あぁ、ペロロンチーノ様」

 

 そっと寝台に横たわっている人物を覗き込み、アルベドは思わず熱い吐息と共に心臓を高鳴らせた。白皙の肌が朱に染まり、金色の瞳が熱に甘く蕩ける。

 寝台には予想通り、ペロロンチーノが横たわり寝息を立てていた。

 顔には普段ずっとつけている兜が外されており、精悍な鷲のような素顔が晒されている。布団から覗く肩や胸が羽根に覆われていてもなお分かる逞しさを伝えてきて、野性的な男らしさにアルベドは一気に熱が急上昇するのを感じた。

 

(…あぁ、駄目よ、アルベド。早く起こしてさしあげなければ。でも、でも…。)

 

 忠実なシモベとしての忠誠心と、サキュバスとしての欲望が激しくせめぎ合う。

 無意識にそっと肩に手を伸ばし顔を近づけた。

 手に感じられる羽根の柔らかさと筋肉の力強さ、視界一杯に広がる男らしい主の顔にもう辛抱たまらない状態だ。

 

(そ、そうよ、ペロロンチーノ様は欲望に忠実な御方。少し刺激的なお目覚めの方が喜んで下さるはず…。)

 

 まるで言い訳の様に自分に言い聞かせ、更に顔を近づけていく。

 もう少しで柔らかな唇が嘴に触れる、その瞬間…。

 

 

 

「…なっ、何をしているの、アルベドォ――――っ!!!?」

 

「っ!?」

「ふぁっ!?」

 

 突然背後から聞こえてきた金切り声。

 驚愕に反射的に身を起こすアルベドの下で、今まで眠っていたペロロンチーノも一気に目を覚ました。

 未だ寝ぼけている目で周りを見回し、すぐ側に立っているアルベドを見つけ、続いて扉の所で肩を怒らせているシャルティアを見つける。

 

「…えーと、何が…」

「ペロロンチーノ様から離れろや、ゴラアァッ!!」

 

 ペロロンチーノの声を遮ってシャルティアの怒声が響き渡る。それとほぼ同時に華奢な身体が鉄砲玉の様に勢いよく突進してきた。

 アルベドは咄嗟に迎え撃とうと身構えるが、その前に背後のペロロンチーノに腕を引っ張られる。

 ペロロンチーノはアルベドを寝台の上に転がすと、突っ込んできたシャルティアをその身で受け止めた。

 

「うぐっ!?」

「「ペ、ペロロンチーノ様っ!?」

 

 あまりの衝撃に思わず呻き声を上げる中、すぐさま傍らと腕の中から悲鳴のような声が聞こえてくる。

 ペロロンチーノは腕から抜け出そうとするシャルティアを咄嗟に抱きしめると、身を起こして縋ってくるアルベドに何とか笑みを浮かべてみせた。

 

「ペロロンチーノ様、ご無事ですか!?」

「…あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしたけど…」

「ペロロンチーノ様…、も、申し訳ありません!」

「シャルティア…、そんな顔しないでくれよ。俺は大丈夫だから」

 

 腕の中で泣きそうになっているシャルティアに、小さな頭を撫でてやりながら笑みを深めさせる。しかしシャルティアの表情は晴れず、ペロロンチーノは笑みを苦笑に変えると、彼女を抱きしめたまま一気に寝台から立ち上がった。ズキッと鈍痛が走り抜けるもそれを無視し、彼女を抱き上げた状態でくるくると回って見せる。

 

「ほら、大丈夫だろ、シャルティア!」

「ペ、ペロロンチーノ様…!!」

「このくらいじゃあ俺はどうもならないよ。俺を誰だと思ってる。俺は“爆撃の翼王”だぞ」

 

 胸を張って自信満々に笑いかければ、シャルティアは漸く頬を染めてはにかむような笑みと共に頷いてくる。ペロロンチーノも一つ頷いてシャルティアを地面へと下ろすと、いつの間にか寝台から抜け出していたアルベドへと目を向けた。

 

「それで、何かあったのか?」

「はい、モモンガ様とウルベルト様より申し付かり、お迎えに上がりました」

「あー、寝すぎちゃったか…。それで起こしに来てくれたんだな。ありがとう、アルベド」

 

 ペロロンチーノはにっこりと笑みを浮かべた後、背筋を伸ばすように翼を大きく広げた。バサッと一度大きく羽ばたかせると、柔らかく空気を抱きしめるように翼を折りたたむ。

 

「それで、モモンガさんとウルベルトさんは今日もモモンガさんの部屋かな?」

「はい」

「そっか、じゃあ早く行かないとな。…折角だからシャルティアもおいで」

「えっ、良いんでありんすか!?」

「朝の挨拶に来てくれたってことは、状況が落ち着いたんだろう? すぐに別れるのも寂しいし、一緒においで」

「はいっ!」

 

 シャルティアが嬉しそうな明るい笑みを浮かべて頷いてくる。ペロロンチーノも嬉しそうに笑みを浮かべると、すぐそこに置いていた鎧を慣れた手つきで身に纏った。翼を小さく動かして具合を確かめ、アルベドとシャルティアを引き連れて寝室を後にする。

 隣室ではメイドが深く一礼して控えており、ペロロンチーノはメイドにも挨拶の声を掛けながらついでに寝室のベッドメイキングを頼んだ。元気よく返事をするメイドの声を背で聞きながら、一直線にモモンガの部屋へと向かう。

 回廊を足早に歩き、目的の扉をノックもなしに開ければ見慣れた二つの背が目に飛び込んできた。二人で何かを見ているのか、こちらの存在にも気が付いていないようだ。

 ペロロンチーノは小首を傾げると、扉の近くに控えているセバスに気が付いて彼を見やった。

 

「おはよう、セバス」

「おはようございます、ペロロンチーノ様」

「悪いけど、この部屋に俺の朝食を持ってきてくれないか?」

「畏まりました、すぐにお持ち致します」

 

 セバスが綺麗に一礼し、すぐさま退室していく。

 ペロロンチーノは執事の背を見送ると、次にはずっと気になっていたモモンガとウルベルトを振り返り、彼らの元へと歩み寄っていった。

 

「どうかしたんですか?」

「…あぁ、ペロロンチーノさん、おはようございます」

「モモンガさんと遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で外の様子を見ていたんだが………」

 

 ウルベルトが困惑の表情を浮かべて途中で黙り込む。彼にしては珍しいその様子に更に首を傾げながら、ペロロンチーノは彼らの視線の先へと目を向けた。

 彼らの目の前には直径一メートルほどの大きな鏡。

 指定したポイントを映し出す情報系アイテムであるそれは、鏡面にモモンガたちの姿ではなく外の景色を映し出していた。

 しかしその景色は自然の情景などでは決してなかった。

 映し出されていたのは一つの小さな村。

 森と麦畑が広がる一見穏やかな村のように見えるが、しかし村人だと思われる多くの人々が村中を走り回っていた。

 いや、走り回っているのは村人だけではない。

 全身鎧(フルプレート)で武装した騎士風の集団が剣を片手に村人たちを追い回していた。

 舞い散る血飛沫と、無音の叫びと共に倒れ込む村人たち。

 それは間違いなく殺戮の光景。

 寝起き早々に見た血生臭い光景に、ペロロンチーノは自然と顔を顰めさせた。

 

「…なんですか、これ」

「偶然見つけましてね。どうやら南西に十キロほどの地点らしいのだけれど…」

 

 再び言葉を途切らせて金色の瞳を細めさせるウルベルトに、ペロロンチーノはモモンガとウルベルトの表情を窺った後、あぁ…と内心で納得の声を上げた。

 二人の顔に浮かんでいたのは冷淡と困惑。

 冷淡は一方的な暴力の光景に対して、そして困惑はそんなどこまでも冷めている自分の感情に対してだろう。

 何故そこまで分かるのかと言えば、ペロロンチーノ自身もそうだからだ。

 自分たちは少し前まではただの人間だったというのに、目の前の残虐非道な光景に対して何も感じることがなかった。怒りもなければ悲しみもない。まるでB級映画のワンシーンや獣同士の争いを眺めているような、そんな感覚。

 

「それで…、どうするんですか?」

「どうするも何も…。助けたいのかね?」

「いや、俺は別に…」

「…それに相手が本当に騎士だった場合、奴らは何らかの組織に所属しているということだ。面倒事に巻き込まれたくはないしな」

「そうだな」

「そうですね…」

 

 モモンガの言葉にウルベルトとペロロンチーノがほぼ同時に頷く。

 モモンガの指の動きに応えて村の至る所を映し出す鏡を改めて見やり、ペロロンチーノはハッと目を見開かせた。

 

「ちょっ、くそっ! 今すぐ助けに行きましょう!!」

「はぁ? お前、何言って…」

「モモンガさん、早く! 早く〈転移門(ゲート)〉を出して下さい!!」

 

 突然先ほどとは全く真逆のことを言いだしたペロロンチーノに、モモンガとウルベルトが怪訝そうな表情を浮かべる。

 ペロロンチーノは一向に動こうとしない二人にグシャグシャと頭をかきまわすと、鏡が映し出している光景をビシッと指さした。

 

「見て下さい! 幼気な少女を飢えた野郎が追いかけてるでしょう!!」

「飢えたって…」

「あいつら、絶対あの娘たちを襲うつもりですよ、エロ同人誌みたいに! そんなおいし…いやいや、非道なことを許せるわけがないでしょう! 全くもってうらやま…じゃなくて、けしからんっ!!」

「…おい、全然本音が隠せてねぇぞ」

 

 一人盛り上がっているペロロンチーノに、モモンガとウルベルトの冷めた視線が突き刺さる。しかしペロロンチーノはどこ吹く風、早く早くと二人を促して急き立ててくる。見知らぬ少女を気にかけているような口ぶりにシャルティアがピクッと反応したことにも気が付いていない。

 そんなどうしようもない様子に、モモンガははぁっと大きなため息を吐き出した。

 

「…少し落ち着け、ペロロンチーノ。まだ外の人間の力も分かっていないのだぞ。それに先ほども言った通り、騎士どものバックの組織に目をつけられる可能性もある」

「それに、この殺戮にも彼らなりの理由があるのかもしれない。病気、犯罪、見せしめ、戦争…我々が手を出すメリットも義理もないのではないかね?」

 

 モモンガとウルベルトの鋭すぎる指摘に、ペロロンチーノがグッと黙り込む。

 しかしここで諦めるほど物わかりの良い男でも、何も言えずに終わるような往生際の良い男でもない。

 ペロロンチーノは頭をフル回転させると、二人の言った言葉を整理して必死に反撃に出た。

 

「でも、遅かれ早かれ外界とは接触しなくちゃいけないんでしょう? 自分たちの力がこの世界でどれだけ通用するのか、この機を利用すべきです。それに騎士の方は兎も角として、少なくとも村人の方は助ければ何かしら情報を貰える確率は高い」

「「……………………」」

 

 モモンガとウルベルトは黙り込むと、無言のまま顔を見合わせた。

 自分たちの懸念は間違ってはいないだろうが、しかしペロロンチーノの言葉も一理あった。

 戦闘能力の調査は別の機会でもできるかもしれないが、情報となるとそう何度も良い機会が来るとは限らない。

 二人はほぼ同時に大きなため息をつくと、モモンガはアルベドを振り返り、ウルベルトはアイテムボックスから主装備を取り出し始めた。

 

「…アルベド、ナザリックの警戒レベルを最大限引き上げろ。それと、念のためこの村に隠密能力に長けるか、透明化の特殊能力を持つ者を複数送り込め」

「畏まりました。それでは御方々の警護は私と…」

「いや、お前たちはナザリックに残れ。この村で騎士が暴れているということは、ナザリック近郊まで別の騎士が来ている可能性もある」

「そ、そんな!!」

「ですが、至高の御身を危険に晒すなどっ!!」

 

 モモンガの言葉にアルベドとシャルティアが見るからに慌て始める。しかしモモンガは考えを変えるつもりはなく、ウルベルトとペロロンチーノも何も言わなかった。

 大体警護をつけるとなると少なくとも一人に一人ずつ付けなくてはならなくなる。そうなれば一気に大所帯となってしまい、逆に村人たちにすら警戒心を持たれる可能性があった。

 モモンガとてもし一人であればアルベドの言に従って警護を付けただろう。しかしここにはモモンガだけではなくウルベルトもペロロンチーノもいるのだ。もし敵わないと分かればすぐさま逃げるつもりだし、心強い仲間がいる現状で更に連れを増やす気はモモンガにはなかった。

 

「アルベド、シャルティア、心配は無用だ。それに、主を信じて待つのも忠義だよ」

「ウ、ウルベルト様…」

「し、しかし…」

「ナザリックを頼むぞ」

「モモンガさん、早く!!」

 

 未だ騒ぎ立てるペロロンチーノの隣で、アルベドとシャルティアを言いくるめながらモモンガが〈転移門(ゲート)〉を唱える。

 瞬時に現れる闇の入り口。

 ペロロンチーノがすぐさま闇の中に駆け込んでいく中、もう一度アルベドとシャルティアに言い含めると、モモンガとウルベルトも闇の中へと入って行った。

 

 




当小説のウルベルト様はモモンガ様ほどではないですが天然タラシです。

アルベドさんは今のところモモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様三人を平等に愛しておられます(笑)
ペロロンチーノ様との描写が多いのは単に彼が三人の中で一番欲望に忠実だからです。


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第4話 初陣

 エンリは妹のネムの手を引きながら必死に走っていた。

 後ろから騒がしい金属音や怒号や悲鳴が聞こえてくる。

 息を切らせながらチラッと後ろを振り返れば、そこには一人の騎士がエンリたちを追ってきていた。

 胸に湧き上がってくるのは大きな恐怖と混乱、焦りと悲しみ、そして小さな怒り。

 何が起こっているのか訳が分からず、ただ強く感じられた身の危険と父親の言葉に促されて咄嗟に妹の手を取って逃げ出していた。

 どうしてこんな事になっているのか、自分たちが何をしたというのだろうか。

 村が森の近くにあるため、ある意味魔物の出現や賊の襲撃は理解できる。

 しかし今自分たちを襲っているのは騎士風の男たち。

 帝国の鎧を着ているため帝国の騎士なのだろうが、そうであっても大人しく殺される謂れはない。

 どうして自分たちは無残に殺されなければならないのか。考えれば考えるほど、どんどんと怒りが恐怖を上回っていく。

 何もできない自分が悔しい。妹や両親や村の人たちを助けられない自分が悔しい。

 ずっと駆け続けている足も、忙しなく酸素を取り込む肺も、妹を引っ張る手も、全てが弱く、ただ走っているだけで痛みを訴えてくる。

 

 

「あっ!」

 

 不意に背後から聞こえてきた妹の声と、ぐんっと強く引かれる手。妹の足がもつれて転びそうになるのを何とか足を踏ん張って支える。しかしエンリもネムも体力が限界で、再び走り出そうにも足が震える。

 エンリは妹を抱き上げて再び逃げようとしたが、その前に追ってきていた騎士に追いつかれていた。

 

「無駄な抵抗はするな」

 

 兜の奥からくぐもった男の声が聞こえてくる。騎士の手には血に濡れた剣が握られており、先ほどまでの怒りが急激に萎んで再び大きな恐怖に支配された。

 しかし、自分の傍らには守らなければならない妹がいる。

 エンリは恐怖を必死に抑え込むと、ネムを後ろに庇って騎士を睨み付けた。

 妹を守るためにも、自分は死ぬわけにはいかない。何とか逃げる隙は無いかと男の様子を窺うエンリの目の前で、騎士はゆっくりと持っていた剣を持ち上げた。頭上高く掲げられた剣が勢いをもってエンリへと振り下ろされる。

 しかし…――

 

「…なめないでよねっ!!」

「ぐがっ!?」

 

 エンリは咄嗟に剣が振り下ろされる前に騎士の懐へと飛び込むと、勢いそのままに拳を兜へと打ち付けた。ガンッと鉄と骨が激しく打ち合い、激痛が拳を通して全身へと駆け巡る。

 騎士はまさか反撃されると思っていなかったのか、鈍い呻き声と共に二、三歩後ろへとよろめいた。

 エンリはその隙を見逃さず妹へと手を伸ばすと、再び逃げようと足を踏み出した。

 

「きさまぁあぁぁぁああぁぁぁっ!!!」

「っ!!?」

 

 背後から騎士の怒号が聞こえて来たかと思った瞬間、背中に衝撃が走る。衝撃はすぐさま熱と激痛に変わり、エンリは耐え切れずその場に頽れた。何とか立ち上がろうとするも、身体に少し力を込めるだけで激痛が全身を駆け抜ける。

 傍らでは妹が必死に何かを叫んでいたが、それに応える余裕すらなかった。しかし妹だけは助けなければという一心で、痛む身体を動かして何とかその小さな身体を引き寄せて懐深く抱きしめる。

 この身を盾に、少しでも妹が生きられるように…。

 死の恐怖と強い決意を胸に、再び振り下ろされるであろう剣の気配にエンリは強く目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え……?」

 

 しかしいくら経っても訪れない、死の衝撃。

 怪訝に恐る恐る瞼を開けたエンリは、目の前に立っている黄金の翼に大きく目を見開かせた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「スルー・アロー!!」

 

 〈転移門(ゲート)〉の闇を出る前に、今まさに少女に剣を振り下ろそうとしていた騎士に向けて矢を放つ。矢はペロロンチーノの手から勢いよく放たれると、騎士の心臓部分に触れた瞬間、騎士の身体がくの字に曲がって後ろへと吹き飛んだ。悲鳴を上げる間もなく一撃で命を刈り取られて仰向けに転がる。

 少女の方はと言えば、何が起こったのか分からないようで妹だと思われる更に幼い少女を胸に抱いたまま呆然とした表情を浮かべていた。

 ペロロンチーノは〈転移門(ゲート)〉の闇から完全に抜け出ると、少女たちの横を通り過ぎて倒れ込む騎士の元へと近寄って注意深く見下ろした。

 騎士は左胸に大きな風穴を空けて倒れており、完全に事切れているのかピクリとも動かない。

 ペロロンチーノはそっと安堵の息をつくと、改めて少女たちを振り返った。彼女たちに声を掛けようとして、しかしその前に〈転移門(ゲート)〉から姿を現した二つの影に咄嗟に口を閉ざした。

 

「大丈夫ですか、ペロロンチーノさん」

「おーい、無事かー?」

 

 のんびりとした声音と気のない声音で姿を現したのはモモンガとウルベルト。

 モモンガは二人の少女に眼窩の灯りを向け、ウルベルトは騎士の元まで歩み寄って冷めた瞳で見下ろしていた。

 

「…一撃か。何の矢を使った? 爆撃系か?」

「そんなの使ったら彼女たちも傷つけちゃうじゃないですか。貫通系ですよ」

「貫通系ねぇ…。にしては、大穴開いてるが…。…あぁ、まだ一匹いたようだな」

 

 ピクッと山羊の耳が小さく動き、金色の瞳が近くの家へと向けられる。ペロロンチーノもそちらを見やれば、今まで隠れていたのか、同じ全身鎧(フルプレート)を着込んだ騎士が一人、見るからに狼狽した様子で後退っていた。

 咄嗟に弓を構えようとして、しかしそれは隣に立つウルベルトに止められる。

 ウルベルトはニヤニヤした笑みを浮かべると、ゆっくりと騎士の方へと歩を進めながら指先を向けた。

 

「さて、まずは小手調べに第三位階から試してみるか。…〈電撃(ライトニング)〉」

 

 悪魔の指先から青白い雷が放たれ、一直線に騎士へと襲い掛かる。

 第三位階魔法とか弱すぎだろ、とペロロンチーノは思っていたのだが、魔法職最強のワールドディザスターであるウルベルトの魔法は普通のものに比べて火力が凄まじかった。

 雷は騎士の胴体に大きな風穴を開けただけでなく、一瞬で全身を丸焦げにした。無残にも黒い物体と化した騎士の遺骸は力なく地面へと転がる。

 思わず唖然となるペロロンチーノの横で、ウルベルトがフンッと小さく鼻を鳴らした。

 

「弱すぎる。ペロロンチーノの攻撃の様子からもしやとは思っていたが…。…で、ご感想は?」

「え?」

 

 突然問いかけられ、ペロロンチーノは小首を傾げる。

 ウルベルトはフフッと小さな笑みをこぼした。

 

「初めて人間を殺した感想を聞いてるんだよ」

「………………あれ………?」

 

 ニヤリとした笑みと共に聞かれた問いに、ペロロンチーノはそこで初めてそれに気が付いて目をぱちくりと瞬かせた。

 確かに言われてみれば、自分は先ほどあっけなく人を殺したのだ。なのに矢を放った時も倒れた騎士の死を確認した時も何も感じなかったことを思い出し、ペロロンチーノは思わず困惑の表情を浮かべた。

 思わず隣に佇むウルベルトを見やる。

 どうやら自分はよっぽど途方に暮れたような雰囲気を漂わせていたようで、ウルベルトはじっとペロロンチーノの兜に覆われた顔を見つめるとフッと軽く笑った。

 

「安心しろ…と言うのもおかしいが、そんなに深刻に考えるな。どうやら肉体だけじゃなく精神も変わったらしい」

「と言うと…?」

「お前の場合はより鳥人(バードマン)らしく、モモンガさんの場合はよりアンデッドらしく、俺の場合はより悪魔らしくなったってことさ。俺も人一人殺したってのに何も感じない。…いや、むしろ愉快にすら思えるねぇ」

 

 ニヤリと不気味な笑みを浮かべるウルベルトは、その言葉通りまさに悪魔そのものに見える。

 ならば自分も本当に身も心も異形になってしまったのか…と呆然と弓を持つ両手を見やり、ハッとモモンガや少女たちを振り返った。しかしそこにはペロロンチーノが危惧した光景などなく、モモンガがポーションを少女へ手渡そうとしていた。

 思わずホッと安堵の息をつくペロロンチーノに、ウルベルトはモモンガの方へと足先を向けながら更に笑い声を零した。

 

「だから安心しろと言ったろ。いくら精神にも影響が出てるって言っても俺たちは俺たちなんだ。そうそう全ては変わらねぇよ」

 

 先ほどまでの不気味な笑みを柔らかなものへと変え、ウルベルトはマントを靡かせながらモモンガの元へと向かう。ペロロンチーノは思わず小さな苦笑を浮かべると、ウルベルトを追うように足を踏み出した。モモンガたちの元まで歩み寄り、未だ地べたに座り込んだままポーションも受け取っていない少女たちを見下ろす。

 彼女たちは見るからに怯えており、モモンガも心底困っている様だった。どうしましょう…と言うようにモモンガが眼窩の灯りをこちらへと向けてくる。

 ペロロンチーノはクスッと笑みを浮かべると、安心させるように少女たちの目の前でしゃがみ込んで目線を合わせた。

 

「安心して、怯えなくても大丈夫だよ。これは傷を癒す薬だ。飲めば背の傷も癒えるから」

 

 モモンガからポーションを受け取り、少女へとゆっくりと差し出す。

 考えてみれば、先ほど目の前で人を殺した連中の仲間から薬を飲めと言われても怖いだけだろう。

 ペロロンチーノは徐に瓶の蓋を開けると、少しだけ中身を飲んで見せた。

 

「ほら、毒じゃないよ。そのままだと背中が痛いだろう?」

 

 優しい声を意識して話しかけながら瓶を差し出せば、少女は恐る恐る手を伸ばしてきた。震える両手で瓶を受け取り、覚悟を決めたように一気に喉の奥へと流し込む。するとみるみるうちに背中の傷が塞がっていき、少女は驚愕の表情を浮かべた。

 うそ…と小さく呟く少女に、ペロロンチーノの笑みが深まっていく。

 そんな彼の頭上ではモモンガとウルベルトが少々物騒な会話を交わしていた。

 

「それで、どうでした…?」

「マジで激弱だ。こりゃあ、俺たち三人で来なくても良かったかもな」

「彼ら二人だけが弱い可能性は?」

「そんな偶然あり得るか? それも第三位階であの有様だぞ」

「…確かに、いくらウルベルトさんの火力を考慮しても弱すぎますね。まぁ、村にはまだまだいるでしょうし、実験がてらいろいろ調べてみましょう」

「そうだな」

 

「……ちょっと、せめて少しは声を低めて下さいよ。彼女たちが怯えるじゃないですか」

 

 とうとう我慢できなくなり、ペロロンチーノがジロッとモモンガとウルベルトを睨み上げる。

 二人はペロロンチーノを見下ろすと、続いて少女たちを見やり、どうやら怯えている様子にモモンガは咳払いをしてウルベルトは肩をすくませた。

 

「ゴホンっ、すまない、気を付けよう…」

「ごめんね。二人とも全然怖い奴じゃないんだけど…」

「い、いえ! 助けて下さって、ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 

 慌てて頭を下げて礼を言う少女に、妹だと思われる幼い少女もつられて頭を下げる。

 健気な可愛らしい様子に、途端にペロロンチーノの笑みがだらしないものへと変わる。

 しかし幸いにもペロロンチーノの表情は兜によって隠れており、少女たちにバレることはなかった。

 

「…いや、気にするな」

「あ、あと、図々しいとは思います! で、でも、あなた様方しか頼れる方がいないんです! どうか、どうか! お母さんとお父さんを助けて下さい!」

「「「……………………」」」

 

 必死に頭を下げて懇願する少女に、モモンガたちは思わず黙り込んだ。

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)でこの村を発見した時、既に村人の大半は騎士の手にかかっていた。酷なことを言うようだが、恐らく彼女たちの親は既に殺されている可能性が高いだろう。彼女たちを逃がすために時間を稼ごうとしていたのなら尚更だ。

 果たして安易に引き受けていいものかと悩む中、モモンガだけは小さなため息と共に頷いていた。

 

「………分かった。生きていれば助けよう」

 

 モモンガからしてみれば、最大限譲歩した言葉だったのだろう。

 しかしそれでも彼女たちにとっては希望そのものの言葉だったようで、ハッと目を瞠ると再び頭を下げてきた。

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます! そ、それとお、お名…」

 

 勢い込み過ぎて逆に呂律が回らなくなったのか、少女は何度も言葉を言い直そうとする。

 少女は自分を落ち着かせようと一つ大きく息をつくと、大分落ち着いた大きな瞳で真っ直ぐにモモンガたちを見上げてきた。

 

「お名前はなんと仰るんですか?」

 

 少女からすれば、命の恩人の名を知りたかっただけなのかもしれない。

 しかしモモンガは名を教えることに躊躇した。

 まだ右も左も分からないこの世界で、少しでも自分たちの情報を他者に与えて良いものかと思い悩む。名前も立派な情報の一つであり、情報というものはどんなに小さく些細なものであっても価値があるのだ。

 ウルベルトとペロロンチーノもそれが分かっているから何も言わない。

 しかしこちらが無言になればなるほど気まずい雰囲気になる一方で、仕方なくペロロンチーノが“一つの情報”と引き換えに雰囲気を変えようと試みた。

 

「…えっと、俺はペロロンチーノっていうんだ。二人はなんて名前なの?」

「あっ、私はエンリと言います。そしてこっちが妹のネムです」

「そっか、よろしくね。…じゃー、俺はエンリちゃんとネムちゃんの護衛としてここに残ろうかな! 村の方は二人に任せます」

「了解。でも油断は禁物だし、ペロロンチーノ(後衛)だけだとちょっと不安だな。“盾”でも残してから行った方が良いんじゃないか?」

「そうですね…」

 

 ウルベルトの言葉に一つ頷くと、モモンガは特殊技術(スキル)を発動した。

 〈中位アンデッド作成 死の騎士(デス・ナイト)

 何処からともなく現れた黒い霧が近くに転がっていた騎士の死体を包み込み、溶け込んでいく。一体何事だ?と思う間もなく、黒い霧を吸収した死体がゆらりとひとりでに立ち上がった。

 背後で姉妹の小さな悲鳴が聞こえたが、モモンガもウルベルトもペロロンチーノもそれに構う余裕もない。三人にとっても、それは予想外の異様な光景だった。

 ゴボリと言う音と共に騎士の兜の隙間から黒い粘液が滝の様に流れ出す。流れ出した粘液は全身を包み込み、その体積を膨らませて徐々に新たな形を作ろうとしていた。体長は二メートルを超え、身体も厚みを帯びて凶悪な姿を露わにする。左手には巨大なタワーシールドを持ち、右手には巨大なフランベルジュ。フェイス部分が開いている兜から覗く顔は腐りかけた人のそれで、まさに暴威の化身と言うべき死の騎士がそこに立っていた。

 

「……うわぁぁ…」

「…初めてユグドラシルとは違う現象を発見しましたね」

 

 小声でどん引きするモモンガの隣で、ペロロンチーノが現実逃避するように半笑いを浮かべる。

 ユグドラシルでのアンデッド作成は特殊技術(スキル)発動と同時に瞬時に作成したアンデッドが空中から湧き立つように出現するのだが、何がどうなってそうなった!とツッコミたくなる。

 しかし唯一残虐性も一つの芸術とみなす悪魔だけは嬉々とした声を上げていた。

 

「かっけー! ちょっ、俺も悪魔作成してみて良いか!?」

「…えー、やめて下さいよ。これ以上キモイのは勘弁ですよ」

「何言ってるんだ、格好いいじゃないか!」

「……いや、“格好いい”より“キモイ”でしょ」

 

 ペロロンチーノの小さなツッコミの声に、ウルベルトはものすごい勢いでペロロンチーノを振り返った。

 

「失礼な! 悪魔はキモイんじゃない! 格好いいか、キモ可愛いんだ!」

「いやいや、悪魔をキモ可愛いなんて言えるのは貴方くらいですよ」

「何だと!? “ウチの子”もキモイとか言うつもりか、てめぇっ!」

「…いや、通常の姿は兎も角、本性の姿は怖いでしょう」

「あれは怖いんじゃない、格好いいんだ!」

 

 呆然となっているエンリやネムそっちのけでウルベルトとペロロンチーノが言い合いを始める。モモンガはやれやれと頭を振ると二人の間に割って入った。

 

「ほら、デス・ナイトに指示を出しておくので悪魔作成するならさっさとして下さい」

「了解です!」

 

 ため息と共に言い渡してさっさとデス・ナイトに声をかけ始めるモモンガに、ウルベルトは満面の笑みを浮かべて嬉々として特殊技術(スキル)を発動させた。

 〈中位悪魔創造 影の悪魔(シャドウデーモン)

 特殊技術(スキル)が発動したとほぼ同時に目の前の空間が揺らめき、五つの影が姿を現す。

 影のような漆黒に染まった細身の体躯。鋭利な爪と皮膜の翼を持った痩せこけた悪魔が五人、一人を先頭に残りは横一列に並んで一斉にウルベルトに向けて跪き深々と頭を下げていた。

 

「おー、すごいな! …さて、現在騎士と思われる者たちに村が襲われている。早急に村を襲っている騎士共を殺せ」

「御身の仰せのままに」

 

 いっそ冷酷なまでの声音で命を下すウルベルトに応え、代表だと思われる先頭のシャドウデーモンが一層深く頭を下げる。次の瞬間シャドウデーモンたちの姿が掻き消え、彼らが命に従って村に行ったのが感じ取れた。彼らの仰々しい口調には一瞬驚いたものの、取り敢えず上手くいきそうな予感に小さな息をつく。

 モモンガたちの方を振り返って見ればデス・ナイトとペロロンチーノがしっかりと少女たちを守るように立っており、ウルベルトはモモンガに目を向けると互いに頷き合った。

 

「それでは、行ってくる」

「何かあったら知らせろよ」

「いってらっしゃい! 気を付けて下さいね」

 

 村の方へ向かう二人の背を見送り、ペロロンチーノはこちらも気を引き締めねばと一度だけ小さく息を吐き出す。しかし少女たちのことも気になって、注意深く周りに意識を向けながらも彼女たちに声をかけた。

 

「…そう言えば、どうして襲われていたんだ? 何か心当たりは…」

「そんなの、ありません! 確かに王国と帝国は戦争をしていますけど、私たちは…襲われるようなことはしていません…!」

 

(王国と帝国…?)

 

 聞き慣れぬ単語に内心で首を傾げる。

 どっちがどっちなのだろうと更に首を傾げながら、しかし何故騎士が暴れているのかの理由は分かった気がした。

 つまりこの争いは戦争の延長戦で、相手国の士気の低下と国力を落とすのが狙いなのだろう。戦略的には頷けるものの、巻き込まれる国民からしてみればたまったものではない。

 自分たちが間に合って本当に良かったと自然と安堵の息をついた。

 

「そうだったのか…。俺たちが間に合って本当に良かったよ」

「助けて頂いて、本当にありがとうございます。…怖がってしまって、すみません」

「あぁ、それは仕方ないよ。目の前で人を殺した奴なんて怖いだろうし…」

「あっ、いえ、その…、それはそうなんですけど………」

 

 気まずそうに言いよどむエンリにペロロンチーノは今度こそ首を傾げた。

 何を気まずく思う必要があるのだろう、と疑問符を浮かべる。

 エンリは暫く何かを迷っているようだったが、意を決してペロロンチーノを見上げてきた。

 

「その、皆さんが人間ではなかったので、少し怖いと思ってしまったんです…」

「それは…」

「勿論、今は優しい方々だと思っています! このご恩は一生忘れません!」

 

 拳を強く握りしめて言うエンリに、しかしペロロンチーノはそれどころではなかった。

 ここで漸く自分たちの根本的な失態を思い知る。

 ペロロンチーノもモモンガもウルベルトも、三人ともユグドラシルでの認識が強すぎて自分たちの容姿がいかに人間にとって恐怖を煽るものかすっかり失念していたのだ。

 少女たちが怖がっていたことに納得すると共に、先ほど村に向かった二人のことが心配になってくる。

 果たして村人たちを助けたからといって、ちゃんと話ができるだろうか…。もう少ししたら彼女たちと村に行って取り成しをお願いする必要があるかもしれない。

 ペロロンチーノは自身の身体や傍らに控えるデス・ナイトを見やると、そっとバレない程度にため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃モモンガとウルベルトはと言えば、のんびりと歩きながら村の中心部へと向かっていた。

 既にシャドウデーモンたちが掃除した後なのだろう、人の影は一切見えず、騎士や村人たちの死体と血痕が道の至る所を彩っていた。シャドウデーモンたちには騎士たちのみ殺すよう命じているため、無残に転がっている村人たちは既に殺されていたのだろう。それらに少女たちの親がいないことを祈りつつ、シャドウデーモンでも十分に倒せる敵しかいないことに内心で安堵の息をついた。

 しかし、ここまで死体だけだと少し心配になってくる。

 果たして村人の生存者はいるのだろうか…?

 村の様子を見回しながら考え込むウルベルトに、不意にモモンガが声をかけてきた。

 

「………ウルベルトさん…」

「どうしました、モモンガさん?」

「その…、名前の事なんですけど……」

「名前?」

 

 ウルベルトは首を傾げると、マジマジと隣を歩くモモンガを見やった。ふと先ほどの少女たちとの会話を思い出し、あぁ…と小さく相槌を打つ。

 

「あぁ、さっきのか…。俺はさっきの判断は正しかったと思うぞ。名前も立派な情報の一つだし、隠せるもんなら隠しておくべきだろ」

「いや、そうじゃなくてですね……」

 

 ごにょごにょと言いよどむモモンガに更に首を傾げる。

 全く分かっていないウルベルトの様子に、モモンガは諦めたように大きなため息をついた。

 

「ウルベルトさんやペロロンチーノさんの名前は兎も角、“モモンガ”ってどう思います? あれですよ、あの可愛らしい小動物と同じ名前ですよ」

「…そんなこと言ったらペロロンチーノも、ある意味スパゲティーじゃないか」

「それはそうですけど…。この世界に実際にモモンガがいるのかは分かりませんけど、もしいたら似合わないにもほどがありますよ」

「まぁ…、見た目は怖いアンデッドだもんな~……」

 

 確かに実際では滑稽な感じがするかもしれない。

 最も、モモンガやペロロンチーノなど、アバターに着ける名前なんてちょっとした洒落や遊び心でつける者が殆どで決して珍しいことではない。逆にウルベルトのようなガチな名前を付けている方が珍しいだろう。

 

「……まぁ、今回は名乗らないようにしたら良いんじゃないか。名前のことは後で考えればいいし」

「そう、ですね……」

 

 今は目の前の問題に集中すべきだと一つ頷く。

 二人並んで村の中を注意深く歩く中、ふと何かが繋がるような感覚を覚えてウルベルトは咄嗟に足を止めた。隣でモモンガも足を止めたのを感じながら、無意識にこめかみに指をあてて宙に視線をさ迷わせる。

 

『ウルベルト様、騎士の掃討を完了いたしました』

「そうか。村人の生存者はいるか?」

『はっ。村の中心に集められていたようです』

「なるほど…。今そちらに向かっているから村人共を見張っていろ」

『畏まりました』

 

 シャドウデーモンからの〈伝言(メッセージ)〉が途切れ、先ほどの報告内容をモモンガへと伝える。随分と早く決着がついたものだと話しながら、二人は歩く速度を速めて村の中心部へと向かった。元々それほど大きくない村だったため、あまり時間をかけずに目的地に到着する。

 広場のように開けた場所に、地面に転がる全身鎧(フルプレート)の多くの死体。村人だと思われる人々は一か所に集まって身を寄せ合っており、彼らの近くにはゆらゆらと揺らめく細い影が五つ佇んでいた。

 シャドウデーモンたちはモモンガとウルベルトに気が付くと、一斉に跪いて頭を下げてくる。

 

「ご苦労。呼ぶまで下がっていろ」

「はっ」

 

 ウルベルトの言に従い、シャドウデーモンたちの姿が自身の影の中へと沈んでいく。未だに意識の一部がどこかに繋がっているような感覚が残っているため、恐らくシャドウデーモンたちは姿を隠しただけなのだろう。

 無言のまま頷くウルベルトに、モモンガも小さく頷いて村人たちへと向き直った。

 

「さて、君たちはもう安全だ。安心してほしい」

 

 少しでも安心してもらうために努めて優しい声音を意識して話しかける。しかし何故か村人たちの表情は一向に緩められず、大きな恐怖に引き攣った顔でじっとモモンガやウルベルトを見つめていた。

 どうにも自分たちの予想と違い過ぎる反応に、モモンガもウルベルトも内心で首を傾げる。

 普通助けが来たら満面の笑みで礼を言ってくるのではないだろうか。しかしそんな気配は一切なく、何故こんなにも頑ななのだろうと困惑の表情を隠せなくなってきた。

 そんな時…。

 

 

「…あー、やっぱりこういうことになってたか」

「村長さん! みんな!」

 

 後ろから聞き慣れた声と聞き覚えのある声が聞こえてきて、モモンガとウルベルトはほぼ同時に後ろを振り返った。案の定、少女二人とデス・ナイトを引き連れたペロロンチーノがこちらに歩み寄ってくる。

 何故ここにいるのかと問う間もなく、少女たちがペロロンチーノの傍を離れて村人たちへと駆け寄っていった。村人たちも少女たちの無事な様子に固まっていた表情を緩めて漸く動き始める。

 

「エンリ、ネム! 無事だったか!」

「この方たちに助けて頂いたんです。村長さん、みんな、この方たちは決して怖い魔物なんかじゃありません!」

 

 力強く訴えるエンリと大きく頷くネムに、村人たちが途端に困惑の表情を浮かべる。恐々とこちらに目を向ける彼らの様子に、モモンガとウルベルトもここで漸く自分たちの失態に気が付いた。

 自分たちの姿を思い出し、漸く彼らの反応に納得する。

 そりゃあ、普通に考えてアンデッドや悪魔に助けられて『安心しろ』なんて言われても安心できるわけがない。逆に恐怖すら湧いてくるだろう。

 どうするべきか…と頭を悩ます中、しかし今まで恐怖だけを浮かべてこちらを窺っていた村人の一人が恐る恐るこちらへと歩み寄ってきた。

 がっしりとした体付きの白髪の男性で、エンリから村長と呼ばれていた男だった。

 

「…先ほどは失礼いたしました。しかし、あ、あなた方は…一体……」

「いや、名乗るほどの者ではない。ただ、この村が襲われていたのが見えたのでね。助けに来たのだよ」

「はい、先ほどエンリとネムから話を聞きました。助けて頂き、ありがとうございます」

 

 未だ完全に恐怖の色を拭えずとも深々と頭を下げる男に、それだけで男の度量や人となりが伝わってくる。

 村長というのも伊達ではないなと内心で感心しながら、モモンガは安心させるように緩く頭を振った。

 

「いや、礼は不要だ。我々とて、何も完全な善意で助けたわけではないからな」

「それは…、一体どういうことでしょうか……?」

 

 村長や話を聞いていた村人たちの表情に再び恐怖の色が浮かぶ。エンリやネムの顔にも困惑の表情が浮かび、自然と隣に立つペロロンチーノからの視線が少々痛く突き刺さってくる。しかしモモンガはその視線を無視すると、努めて何でもないというような態度で一番の目的を口にした。

 

「実は我々はつい最近遠い地からこの地に辿り着いた身なのです。この地の常識は元より、人間の世界での常識にも疎い」

「なので是非ともこの地のことや人間の世界の知識を教えて頂きたいのですよ」

 

 モモンガの言葉を引き継いで、ウルベルトがにっこりとした笑みと共に言葉を続ける。

 その表情は本人の意思に反して悪魔らしい邪悪なものになっており、村長たちの顔が大きく引き攣り、モモンガとペロロンチーノははぁっとため息をつくのだった。

 

 




*今回のペロロンチーノ様捏造ポイント
・〈スルー・アロー〉;
貫通系の特殊技術。職業レベルによって貫通度が変化する。


*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈中位悪魔創造〉;
アインズの特殊技術〈中位アンデッド創造〉の悪魔版。一日12体までが限度。


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第5話 謎の集団

 村長の家に招かれたモモンガとウルベルトは、そこで今回の報酬であるこの世界の情報を受け取っていた。最初はまるで生贄となる子羊のような恐怖と懇願の表情を浮かべていた村長も、モモンガやウルベルトと話すにつれて落ち着いてきたようだった。

 因みにここにいないペロロンチーノはエンリとネムに付き添って村の作業を手伝っている。最初は村人たちに恐怖から全力で断られていたのだが、彼の人好きするような雰囲気と姉妹の口添えもあり、何だかんだで今では大分受け入れられているようだ。目の前の村長や姉妹にも言えることだが、この村の人間は随分と柔軟な精神を持つ者が多いらしい。いや、同じ人間に襲われて異形に助けられたというのもあるのかもしれないが、どちらにしろモモンガたちにとっては実に都合の良いことだった。

 モモンガはテーブルを挟んで村長の前に座り、ウルベルトは棚に飾られている物を眺めながら立ったまま村長の話に耳を傾けている。できるだけ冷静に話を聞くよう努めてはいたが、村長が話す内容は全てが聞いたことがないものばかりでモモンガたちを困惑と驚愕の海に沈ませるものだった。

 

 まず初めに聞いたのは周辺国家について。

 ここはカルネ村と言う村で、リ・エスティーゼ王国に属する辺境の村であるらしい。近くには王国に属する他の村と、エ・ランテルという城塞都市が存在する。

 隣接する国としては、山脈を挟んで東にバハルス帝国という国があり、南にスレイン法国という宗教国家がある。更に三国の周辺には多くの国があるらしいが、残念なことに村長は詳しいことは何も知らないとのことだった。

 国同士の関係としてはリ・エスティーゼ王国とスレイン法国は交流自体が少なく、逆にバハルス帝国とは仲が悪い。城塞都市の近くにある平野で年に一度は戦争をしているらしい。今回村を襲ってきた騎士たちもバハルス帝国の紋章が刻まれた鎧を身に着けていたため恐らく戦争の影響でバハルス帝国の騎士が攻めてきたのだろうと村長は言っていたが、モモンガとウルベルトは納得しかねる表情を浮かべていた。

 

『どう思いますか、ウルベルトさん?』

『確率は2:1ってところだな。戦争中ならバハルス帝国の差し金の確率の方が高いが、スレイン法国も気になる。別に仲がいいって訳じゃないみたいだしな…』

『ですよね…。自分の素性が分かる鎧をわざわざ着て襲撃してくるのも違和感がありますし、法国からの欺瞞工作とも考えられます』

『……シャドウデーモンたちに全員殺させたのはマズかったか』

 

 村長に気づかれないように〈伝言(メッセージ)〉で会話しながら、ウルベルトが小さくため息をこぼす。

 しかし過ぎたことを悔やんでいても仕方がない。今は少しでも情報を入手しようと村長の話に集中することにした。

 周辺国家の次は、使われている硬貨や周辺に生息するモンスターについて。

 端的に言ってしまえば硬貨はユグドラシルの硬貨とも現実世界(リアル)の硬貨とも違い見たことがないもので、逆にモンスターはユグドラシルに生息していたものと同じようだった。

 硬貨は銅貨、銀貨、金貨の三種類があり、どうやら紙幣はないようだ。

 モンスターは魔獣の他に子鬼(ゴブリン)豚鬼(オーク)などの亜人もおり、世界のどこかには亜人の国家も存在するらしい。しかし魔獣や亜人、異形種はこの世界でも人間にとっては敵であるようだった。人間の世界には冒険者組合と呼ばれるギルドが存在し、冒険者たちは報酬次第ではモンスターたちを狩っているのだとか。

 モモンガもウルベルトも別にモンスターたちに仲間意識や親近感を感じている訳ではなかったが、“人間の敵”という部分に少しだけ引っかかりを覚えた。

 元々モモンガたちが所属するギルド“アインズ・ウール・ゴウン”は嫌われ者の異形種をアバターに選んだことで異形種狩りにあってしまう同胞たちを守るために設立されたギルドだった。それを思うと何とも言えない感情が湧き上がってきて、モモンガは小さく頭を振り、ウルベルトは静かに瞼を閉じた。

 

「如何されましたか?」

「あぁ、いや…、何でもない。気にしないで下さい」

 

 モモンガが軽く手を振る中、まるでタイミングを見計らったかのように外からこちらに近づいてくる足音が微かに聞こえてきた。ウルベルトの細長い耳がピクッと小さく動く。動物的な動きにモモンガが興味深げにウルベルトの耳をチラッと見る中、外の足音が止まって扉がノックされた。

 こちらを窺ってくる村長に軽い手振りで出るように促す。村長は一度頭を下げると足早に歩いて扉を押し開けた。扉の前には村人の男が一人立っており、気遣わし気に村長やモモンガたちへと視線を走らせた。

 

「村長、お話し中に申し訳ありません。葬儀の準備が整いましたが…」

 

 途中で言葉を途切らせ、再度視線をこちらへと向けてくる。無言の彼が何を言いたいのか理解し、モモンガは一つ頷きながら努めて柔らかな声音を意識した。

 

「構いませんよ。我々のことを気にする必要はない」

「…ありがとうございます。ではすぐに行くとみんなに伝えてくれ」

 

 村長は少しだけ表情を緩めると、次には目の前の男に声をかけた。男も少しだけ表情を緩め、一つ頷いて踵を返す。

 もう一度礼を言って家を出て行く村長を見送り、モモンガはゆっくりと椅子から立ち上がった。

 ウルベルトはじっとモモンガを見やり、しかし何かに気が付いたように扉の方へと顔を向けた。

 どうしたのか問いかける前に、扉が外側から開かれる。

 現れたのはペロロンチーノで、何故か項垂れた様子で部屋の中へと入ってきた。

 

「どうしました、ペロロンチーノさん?」

「…エンリちゃんとネムちゃんの親御さん、助けられなかった」

 

 約束したのに…と顔を俯かせるペロロンチーノに、ウルベルトは大きなため息をつき、モモンガは小さな苦笑を零した。

 

「仕方ありませんよ。俺たちが来た時には既に殺戮は進んでいましたし、既に死んでいたのかもしれません」

「それはそうですけど…」

「諦めろ。俺たちはやれることはやった」

 

 モモンガの慰めの言葉と共にウルベルトの冷たい言葉が飛んでくる。

 しかしモモンガもペロロンチーノも何も言わなかった。

 未だこの世界について知らぬことが多くあり余裕のない自分たちには、できることなど数えるほどしかない。いくら力があって有用なアイテムがあったとしても、情報も余裕もなければそれを使うという選択肢すら浮かばない。ナザリックを含めた自分たちの未来と他人の親の命など、天秤にかけるまでもなかった。

 こんな事を考えてしまうのは自分たちが異形になってしまったからなのか、はたまたそれほどの残虐性が自分たちにあったのか…。

 どこか憂鬱とした重たい空気が漂う中、気分を変えるようにモモンガが口を開いた。

 

「…村長や村人たちは葬儀に行っちゃいましたし、折角だから村の中でも見て回りましょうか。俺もウルベルトさんものんびり見て回る時間はなかったですし」

「そうだな、そうするか」

「あっ、じゃあ俺が案内しますよ」

 

 モモンガの提案にすかさず二人が賛同する。

 すっかり消えた重たい空気の名残を完全に振り払い、三人は並ぶように村長の部屋を後にした。ペロロンチーノを先頭に、小さな村の中を散策する。

 村人たちからしてみれば、どこにでもあるような村の中を散策して何が楽しいのかと疑問に思うことだろう。しかし自然と言うものを知識やネットの中でしか知らないモモンガたちにとって、実際に自然を肌で感じられることだけでも非常に興味深く楽しいものだった。

 ユグドラシルなどのDMMO-RPGであっても、完全に自然を表現することなど不可能だ。加えて視覚は良いとしても五感全てで仮想世界を体感させるなど、技術的にも不可能である。

 と言うわけで、三人は三人らしく五感全てを使って思う存分自然と言うものを楽しんでいた。

 爽やかな風はひんやりとした温度だけでなく土や草の匂いを運んでくる。

 降り注ぐ太陽の光が優しい温度で身体を温めてくれる。

 風に揺れる麦や木々の動きと音が目と耳を楽しませてくれる。

 だんだんと朱に染まっていく空のグラデーションが視界を彩り楽しませてくれる。

 視界の端では未だ虐殺の跡が映ってはいたが、今の三人の心は自然と穏やかなものだった。

 

 

「…そう言えば、このデス・ナイトっていつまでいるんですかね?」

 

 二、三歩後ろに控えて付き従っているデス・ナイトを振り返り、ペロロンチーノが小首を傾げる。モモンガとウルベルトもデス・ナイトを振り返ると、無言で何も言わない死の騎士をじっと見つめた。

 

「そう言えば、消えてませんね」

「…俺が出したシャドウデーモンたちも消えてないみたいだ。まだ繋がりを感じる」

「この世界では一度出したら消えないんですかね?」

 

 ユグドラシルでは特別なものを除き、基本的には召喚したモンスターなどには制限時間が存在する。モモンガが創り出したデス・ナイトもウルベルトが創り出したシャドウデーモンたちも、もう制限時間をとっくに過ぎているはずだ。しかし彼らは一向に消える様子を見せず、三人は思わず複雑な表情を浮かべた。

 

 

『モモンガ様』

「ウルベルト様」

「ペロロンチーノ様」

 

「「「ん?」」」

 

 デス・ナイトをどうしようかと思い悩む中、不意に三人の目の前にシャドウデーモンと一体のモンスターが現れ、モモンガに〈伝言(メッセージ)〉が繋がった。

 シャドウデーモンと共に現れたのは人間大くらいの大きさの忍者服を着た黒い蜘蛛のようなモンスター。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)と言う名の不可視化の能力を持つモンスターで、シャドウデーモンと同じく使い勝手の良いモンスターである。

 モモンガに〈伝言(メッセージ)〉を繋げてきたのは声からしてアウラのようで、いきなりのシモベたちのコンタクトにモモンガたちは一様に驚愕の表情と共に内心で首を傾げた。

 

「どうして八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)がここに?」

「アルベド様の命により、後詰として馳せ参じましてございます」

「なるほど、指揮をしているのはアウラか。アウラ、それを伝えるために〈伝言(メッセージ)〉を繋げたのか?」

『いえ、それが…』

「それで、お前は何故姿を現したのかね?」

「はっ、実は…」

 

 一拍言葉を切った後、まるで示し合わせたように彼らの声が同時に報告の言葉を発した。

 

『正体不明の人間の集団が村に向かってきております』

「戦士風の人間どもが馬に乗ってこちらに接近中です」

「ご命令あれば、すぐさま殲滅いたします」

 

「「「……………ぉぅ……」」」

 

 思わぬ言葉の数々に三人の顔が大きく引き攣った。

 彼らの言い回しから先ほど殲滅した騎士共とはまた別の集団なのだろうが、それが敵なのか味方になり得る者なのか判断がつかない。

 まずは様子見だと判断するとモモンガは〈伝言(メッセージ)〉でアウラに待機を命じ、ウルベルトもシャドウデーモンと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に身を潜めて待機するよう命じた。その間にペロロンチーノは翼をはためかせ、上空へと空高く舞い上がる。一気に500メートルほどの高さまで飛ぶと、自身に〈透明化(インヴィジビリティ)〉を唱えてから周りを見回した。種族特性の一つである〈鷹の目(ホーク・アイ)〉を使って草木の隙間から地平線の彼方まで注意深く目を凝らす。

 

『ペロロンチーノさん、何か見えましたか?』

「んー、ちょっと待って下さい…。あっ、いた。確かにさっきの奴らとは違いますね」

 

 地上と朱色の空の境界線に土煙が見え、そちらに目を凝らす。アウラやシャドウデーモンの言葉通り、20ほどの騎馬が猛スピードでこちらに近づいてきていた。

 鎧を身に纏ってはいるものの先ほどの騎士たちとは違って統一感などなく、個人個人のアレンジが施されているのが遠い距離ながらもペロロンチーノには見てとれた。何となく雰囲気的に先ほどの騎士たちの仲間とは思えないが、それでも確信を持てず、こちらの味方になり得るともやはり思えない。

 やっぱり様子見だなと結論付けるペロロンチーノに、モモンガも同じ結論を出したようだった。

 

『ペロロンチーノさんは念のためそのまま上空で待機していて下さい。俺たちも村長に話した後、身を隠します』

「了解です!」

 

 ペロロンチーノは弓矢を大きく構えると、一気に目を鋭くさせた。いつでも討ち取れるように軍団の先頭を走る男に向けて狙いを定める。

 地上ではモモンガとウルベルトも行動を開始した。

 村長を探し出し、騎馬の一団がこちらに向かってきていることを知らせる。途端に不安そうな表情を浮かべて縋るような視線を向けてくる村長や村人たちに、いつの間に随分と馴染まれたものだと少し感慨深い気分になった。

 

「ご安心を。我々としても折角助けたのに目の前で傷つけられては気分が悪い。何かあればお助けしますよ」

「とはいえ、敵だと決まったわけではありません。相手を刺激しないためにも、我々は最初は身を隠しています」

「えっ、ですがそれでは…」

「我々は異形です。もし相手が味方だったとしても、我々がいたのでは逆に争いが起こるとも限りません」

 

 ウルベルトの指摘に村長は黙り込む。

 確かに一般的に異形は人間の脅威であり敵である。もし相手が敵でなかったとしても、モモンガたちの姿を見られれば無駄な争いが起こるかもしれない。いや、それだけならばまだいいが、下手をすれば異形に乗っ取られた村として潰されるかもしれないのだ。

 村長の立場としては、どんなに危険だろうとそんなことを許すわけにはいかなかった。

 

「…分かりました。我々はどうすれば良いでしょうか?」

「まず村長と二、三人の者が広場で待機。残りの村人たちは全員村長の家に身を隠して下さい。我々は村長たちが待機する場所に一番近い家の中で身を隠しています」

 

 モモンガの指示に村長や村人たちはすぐに行動を開始した。

 鐘を鳴らして全員を集め、モモンガはデス・ナイトを村長の家の死角になる場所に待機させる。ウルベルトも念のためシャドウデーモンを一体だけ密かに村長たちの護衛に着けると、村長に幾つか指示を与えてモモンガと共に近くの家の中へと入って行った。広場側の窓のすぐ下に直接腰を下ろし、チラッと広場の中央に立つ村長たちを覗き見る。彼らが恐怖から震えているのが遠目からでも見てとれ、少しだけ心配になってくる。

 しかし相手が何者なのか分からない以上、迂闊な行動を取るわけにもいかない。相手の力量もこの世界の強さの基準も未だ測り兼ねている状態であるため、透明化で彼らの傍に控えるという行動もなるべくならしたくなかった。

 果たしてこの行動が吉と出るか凶と出るか…。

 こちらも固唾をのんで見守る中、数分後にやっと騎馬の一団が姿を現した。

 綺麗な隊列を組み、真っ直ぐに村長たちの前まで進んでくる。

 彼らの姿はペロロンチーノが見たものと正しく統一感がなく、まるで戦士の寄せ集めのような集団だった。しかし綺麗な隊列や動きから単なる寄せ集めではなく、戦士集団あるいは傭兵集団のような印象を受ける。

 一体何者なのかと注意深く見つめる中、隊列の中から一人の屈強な男が前へと進み出てきた。

 茶色の短い髪に掘りの深い顔立ち。鋭い瞳が素早く村の様子を見回し、緊張で顔を強張らせている村長や三人の村人たちを見据える。

 

「村長だな。私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らし回っている帝国の騎士たちを討伐するために王の命令を受け、村々を回っている者である」

 

 男が発した言葉に村長たちが驚きの表情を浮かべるのが見える。

 村長の話には“王国戦士長”という言葉は出てこなかったためどんな役職なのかは分からなかったが、彼らの反応からして敵ではないようだった。

 しかし油断するわけにはいかない。

 村の敵ではなかったとしても、自分たちの敵でないとは限らない。“王国戦士長”という名前から恐らく国に属する者なのだろう、人間の脅威となる異形種を見つけて放っておくとも思えなかった。

 取り敢えずこのまま様子見を続けようと目配せしあう。

 

「…どうやらこの村にも帝国の騎士たちが来たようだな。しかし、他の村より損害は少ないようだが……」

「は、はい。実は旅人と名乗る方々が助けて下さいまして…」

「なに? その旅人は何者なのだ? その者は今どこに?」

「も、申し訳ありません…。名乗るほどの者ではないと仰られて名前も教えて頂けませんでした。彼らはわたくし共を助けて下さった後、すぐに立ち去られてしまいまして」

「彼ら…と言うことは、複数だったのか?」

「はい、三人おりました」

「…三人の旅人か………」

 

 しどろもどろになりながらもウルベルトの指示通りに受け答えする村長に、ウルベルトは小さな安堵の息を吐き出した。

 何か聞かれたら謎の旅人の仕業にしておけと言っただけだったのだが、どうやら上手くいきそうだ。

 このまま納得して早く帰ってくれないだろうかと思う中、不意にペロロンチーノから二人に向けて〈伝言(メッセージ)〉が飛んできた。

 

『あの~、モモンガさん、ウルベルトさん…』

『どうしました、ペロロンチーノさん?』

『それが…、また見知らぬ団体が村を囲むような形で接近してきてるんですけど…』

『………え……?』

『…はあぁっ…!?』

 

 困惑したペロロンチーノの声に、こちらも唖然とした声を上げる。

 モモンガとウルベルトは互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に〈転移(テレポーテーション)〉を唱えた。二人の姿が瞬時に掻き消え、一瞬の後には上空に佇むペロロンチーノの傍らに姿を現す。すぐさま〈飛行(フライ)〉を唱えて空中で静止すると、ペロロンチーノが指さす先へと視線を向けた。

 最初は分からなかったが、すぐに不自然な黒の塊を見つける。

 徐々にこちらに近づいてきている様子に自然と眉間に皺が寄った。

 

「………あれか…」

「何でしょうね…? また別の騎士団とか?」

「いや、馬には乗ってないんですよね~。それに服装からして…魔法詠唱者(マジックキャスター)?」

「えー、魔法詠唱者(マジックキャスター)オンリーの集団? そりゃあ、ユグドラシルにもそんなギルドがあったにはあったが…効率悪すぎだろ」

 

 ウルベルトが胡散臭そうに正体不明の黒い塊を見つめる。

 モモンガが真下の村を見下ろせば、どうやら王国の戦士団も謎の集団に気が付いたようだった。騒がしく村の家々に駆け込んでいる様子に眼窩の灯りを揺らめかせる。

 彼らの様子からして、どうやら謎の集団は彼らの味方ではないようだ。

 一体何者なのかと考え込むもどちらにせよ情報が足らず、考えても仕方がないと早々に考えるのを止めた。

 

「彼らが何者であるにせよ、こちらから手を出すわけにはいきません。とりあえず様子見を続けましょう」

「そうだな…。わざわざ謎の旅人の仕業にしたわけだし、あいつらの前に姿を現すわけにもいかないか」

「まぁ、俺はエンリちゃんとネムちゃんが危なくなければ何でもいいですよ。それに上手くすればこの世界での戦いも見られるかもしれませんしね」

「………お前、それでいいのか…」

 

 ウルベルトの冷たい視線がペロロンチーノに突き刺さる。

 しかしそれは幸か不幸か長くは続かなかった。

 謎の影たちから白い光が発せられ、三人の視線がそちらへと向けられる。

 こちらが話し合っている間に行動していたのか、等間隔で広がりながら大きな包囲網を築き上げた謎の集団は、その傍らに見覚えのある白い影を出現させていた。

 低空飛行する、光り輝く翼を生やした純白の天使。

 光り輝く胸当てを着け、手には紅蓮の炎を纏ったロングソードを握りしめている。

 

「あれは、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)…? この世界の人間もユグドラシルのモンスターを召喚できるのか…?」

「外見が似ているだけの別物…、と考えるのは都合が良すぎますよね……」

「と言うことは、ユグドラシルの魔法が普通に存在する世界ってことか? まぁ、ユグドラシルの魔法が使える時点で不思議ではないかもしれないが…」

 

 三人の顔に困惑の表情が色濃く浮かぶ。

 ユグドラシルでの姿でこの世界に来た自分たちがユグドラシルの魔法を使えるのは不思議ではない。しかし、この世界の住人がユグドラシルの魔法を使うというのは何とも不可思議なことだった。

 ユグドラシルはあくまでもゲームの世界であり、運営が創り上げたフィクションの世界である。この世界はユグドラシルの世界が現実になった世界ではない。ユグドラシルとは全く違う別の世界であるはずだ。それなのにユグドラシルの魔法やモンスターが当たり前のように存在するなど、こんな事があり得るのだろうか…。

 しかしどんなに不思議で納得できないことでも、今はそれを受け入れるしかない。情報を一つ一つ入手して、地道に考察していく必要があるだろう。そのためにはまず、生き残っていくことが重要だ。

 

「…全員が天使を召喚しているな。全員が信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)か?」

「信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団…。……まさか…」

 

 モモンガは小さく呟くと、骨の指を顎に沿えて考え込んだ。

 今まで集めた情報と村長から聞いた話、今の状況を全てまとめ、一つの可能性が頭に浮かび上がってくる。

 

「…ウルベルトさん、これってやっぱり法国じゃないですか?」

「さっき言ってた法国の欺瞞工作のことか?」

「はい。この村に何かあるとは思えませんし、考えられるとしたらあの王国戦士長と名乗る男が狙いじゃないでしょうか」

「ん? どういうこと?」

 

 村長の話を聞いていなかったペロロンチーノが不思議そうに首を傾げる。

 モモンガは村長から聞いた情報と共に、自分やウルベルトの考察を手短に説明した。

 王国、帝国、法国の関係性と、帝国騎士と思われていた襲撃者の違和感。突然現れた王国戦士長と名乗る男が引き連れた王国の戦士団と謎の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団。

 全てを総合して考えると、王国戦士長と名乗る男を殺すための大きな罠に思えた。

 王国戦士長という職業が王国にとってどのくらい重要なものなのかは分からないが、ただの一兵卒とはわけが違うだろう。もしかしたらナザリックで言う領域守護者や階層守護者と同じような立ち位置なのかもしれない。もしそうならば、この男一人には相当の価値があるということだ。

 男の言によるとこの村を襲っていた騎士団は近隣の村も襲撃していたらしく、その全てが囮である可能性が大きかった。

 

「なるほど、そう考えれば結構しっくりくるな」

「あの信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が帝国の軍勢である可能性は? 法国よりもむしろ帝国の罠と考えた方がしっくりきません?」

「帝国がどんな国かは知らないが、法国は宗教国家らしいぞ。天使を召喚する集団とか、まさに宗教国家らしいじゃないか」

「まぁ、否定はしませんけど…」

「相手が帝国にしろ法国にしろ、彼らの狙いが王国戦士長であるのはほぼ間違いないでしょう。そして俺たちが取るべき行動も変わりません。今は彼らの動向を見守るとしましょう」

 

 モモンガの言葉にウルベルトとペロロンチーノが静かに頷く。

 気が付けば陽は大分傾き、朱色に染まっていた空も濃紺に染まりつつあった。

 村を見下ろしてみれば戦士たちが慌ただしく動き回り、広場に集まって隊列を組もうとしている。雰囲気からして夜闇に紛れて逃げるというわけではなさそうだ。どちらかというと正面突破という姿勢で、彼らの熱気が遥か上空にいる自分たちにも届いてくるようだった。

 

「どう思う? 勝てると思うか?」

「何とも言えませんね…。村を襲った騎士団の強さがこの世界でどのくらいのレベルなのか分かりませんし、あの王国戦士長や戦士団の強さがどのくらいなのかも分かりません」

「ですね~。勝算があって正面突破するなら良いんですけど…」

 

 三人の口調も声音も非常に軽い。まるでスポーツ観戦をしているような気軽さで、完全に高みの見物を決め込んでいる。

 彼らの視線の先で戦士たちは鬨の声を上げ、勢いよく馬を走らせ始めた。

 残された村では村人たちが不安そうに右往左往している。もしかしたら自分たちを探しているのかもしれない。

 しかしもはや三人にとっての重要度は村の安全よりもこの世界での戦闘分析の方が高い。いや、ペロロンチーノだけは違うかもしれないが、それでも重要性は理解しているようだった。

 

「俺たちを探してるんですかね…」

「シャドウデーモンでも見える形で護衛させとくか。あいつらなら俺のシモベだと知ってるし、少しは安心するだろ」

「……デス・ナイトもまだいるんですけどね…」

 

 少し不服そうに小さく首を傾げるモモンガに思わず苦笑を浮かべる。

 ウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉でシャドウデーモンに命を下すと、改めて戦士たちと魔法詠唱者(マジックキャスター)たちの戦闘に目を向けた。

 二つの勢力は既にぶつかり合っており、熾烈な戦いを繰り広げていた。と言っても戦況はどう見ても戦士たちが不利。魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは天使を操り、消されてもすぐに召喚して補充するのを繰り返していた。どんなに戦士たちが剣を振るっても魔法詠唱者(マジックキャスター)たちには届かず、戦力の差が広がっていくばかり。

 これはダメかと早々に興味を失い始めたその時、不意に戦士長の動きが変わった。

 あれほど手こずっていた天使をまるでバターのように容易く切り裂き、何故か一振りで六体の天使を同時に両断する。瞬間的に動きが速くなったかと思えば天使の攻撃を避けたと同時に切り伏せる。見たことのない技の数々に自然と三人の視線が釘付けとなった。

 

「…あれはなんだ? 特殊技術(スキル)、ではないよな?」

「似たようなものは幾つかありますけど、見たことないものもありますね…。多分、特殊技術(スキル)とは別物なんじゃないかな~。この世界特有のものですかね?」

「しかし魔法の方はやっぱりユグドラシルと同じものですね。あれは〈衝撃波(ショックウェーブ)〉か…」

 

 三人は一度戦場から視線を外すと顔を見合わせ合った。無言ながらも、どうやら考えていることは三人とも同じようだ。

 

「…やっぱり根本的に情報不足ですね。どちらか捕まえましょうか」

「いっそのこと両方捕まえればいいんじゃないか?」

「それは流石にリスクが高すぎますよ。恐らくどちらも国の機関ですし、一度に二つの国を敵に回すのは危険すぎます」

「じゃあ、両方とも見逃すとか?」

「いや、それだと後手に回り過ぎる。やっぱりどっちかは捕まえるべきだろう」

 

 三人はほぼ同時に腕を組むと、う~んと唸り声を上げて考え込んだ。

 問題はどちらに手を出すかなのだが、どちらもそれぞれメリットとデメリットがあった。

 やはりここは意見を出し合っての多数決だな、と頷き合う。

 まず初めに手を上げたのはウルベルトだった。

 

「はい」

「はい、ウルベルトさん」

「やっぱり俺は王国の奴らだな。あの技が何か分からない以上、実際はどうであれ脅威と考えて行動しなくちゃならなくなる」

「なるほど…」

「はい!」

「はい、ペロロンチーノさん」

「俺は魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団の方が良いと思います! ユグドラシルの魔法や天使を使ってる以上、何かユグドラシルとの繋がりを知っているかもしれない」

「なるほど、なるほど…。俺は…ペロロンチーノさんと同じですね。ウルベルトさんの言い分も尤もですが、まずはこの世界がどういったところなのか知ることが先決だと思います。それにあの技がこの世界特有のものなのか、あの男のみが持っている力なのか分かりません。あの男しか持っていないなら関わらなければすむ話ですし、この世界特有のものなら知る機会はまた来るはずです」

 

 全員が意見を出し合い、少しだけ熟考の時間を設ける。

 数分後モモンガの号令で多数決を取れば、満場一致で魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団を標的にすることが決まった。

 となれば後は機を見て行動を開始するだけである。

 念のためモモンガは仮面とガントレットをアイテム・ボックスから取り出すと、アンデッドと分からないようにそれぞれを装備した。ウルベルトも幻術を発動し、現実世界(リアル)での人間だった頃の姿を纏わせる。

 青白い肌に痩せた身体。見るからに不健康そうな目つきの悪い男は、お世辞にも強くは見えない。

 因みにペロロンチーノは上空からの援護支援のため、姿を誤魔化す工作はしなかった。

 姿を現すのはモモンガとウルベルトの二人のみ。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは兎も角、戦士たちにはなるべく見られないようにしようと話し合い、生き残りが一人になるまで待つことにした。

 複数の天使たちに取り囲まれ、次々と倒れていく戦士たち。予想通りと言うべきか、数分も経たぬうちに戦士長の男一人を除いて残りの戦士たちは全員地面へと倒れ伏していった。男ももはや全身血まみれで立つのもやっとという感じだ。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは随分と注意深いのか、止めも複数の天使たちによってするつもりらしい。

 男を取り囲む天使たちを見据え、モモンガたちは目配せ合って静かにタイミングを計り始めた。

 

 ………。

 

 4

 

 3

 

 2

 

 1

 

 

 

「俺は王国戦士長! この国を愛し、守護する者! この国を汚す貴様らに負けるわけにいk…っ!!」

ドスっ!

ザシュッ!!

「ぅぐっ…!?」

 

 男の声が途中で止まり、変わって鈍い音と鋭い風切り音が響いて消える。

 モモンガとウルベルトは地上から約3メートルあたりの上空に転移すると、そのまま落ちながらモモンガが天使たちを始末し、ウルベルトは男の頭を蹴って踏み倒しながら意識を刈り取った。光の粒子となって消えていく天使たちに包まれながら、少し離れた場所に立つ魔法詠唱者(マジックキャスター)たちを見やる。

 彼らは自分たちの突然の登場に困惑しているのか、ピクリとも動かずにこちらを凝視していた。

 

「はじめまして、魔法詠唱者(マジックキャスター)の皆さん。突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」

 

 まずは挨拶から、とモモンガが朗らかな声音で声をかける。

 ウルベルトも男の上から下りると、ニヤリとした笑みを浮かべて小さく目を細めさせた。

 漆黒であるはずの瞳が怪しい金色に輝く。

 

「おめでとう、諸君! 諸君は情報の提供者として我々に選ばれた。…さぁ、身に余る栄誉に感涙に咽び泣きたまえ!」

 

 見た目はどちらもただの魔法詠唱者(マジックキャスター)

 しかし仮面で顔を隠したモモンガは兎も角、ウルベルトの目は捕食者としての輝きに怪しく煌めいていた。

 

 




やっとガゼフ登場!
と言ってもモモンガさんたちとは一切会話していませんが(汗)

時々高慢になるウルベルト様が愛しい…。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈現実の夢〉;
幻術魔法の中でも上位の魔法。アインズが使うものよりも上位。通常は攻撃などの目くらましに使用する。相手に触れられない限りはあまり違和感を感じないほど完成度が高い。


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第6話 始動

 スレイン法国の神官長直轄特殊工作部隊、六色聖典が一つ陽光聖典の隊長であるニグン・グリッド・ルーインは目の前の状況に困惑と苛立ちを感じていた。

 彼らの今回の任務はリ・エスティーゼ王国の戦士長ガゼフ・ストロノーフの抹殺である。

 しかしニグン率いる陽光聖典は主に亜人などの殲滅を基本任務とする部隊であり、今回のような隠密行動や追跡が重要となる任務は通常不慣れだった。四回も取り逃がし、漸く追いつめて止めをさそうとしたところだったのだ。

 しかしここにきて謎の邪魔が入り、どうしようもなく苛立ちが募った。

 邪魔をしてきたのは魔法詠唱者(マジックキャスター)と思われる二人の男。

 一人は漆黒のローブで全身を覆い奇怪な仮面を被った大柄な男で、もう一人は身に纏っている見慣れぬ衣装は質が良いものの男自体は青白い肌に痩せた身体で酷く病的だった。先ほどの傲慢な態度が滑稽に思えるほどに弱々しい。

 ニグンはフンッと小さく鼻を鳴らすと、目の前の謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)たちを睨み据えた。

 

「…貴様ら、一体何者だ」

「名を名乗るほどの者ではありません。ただの通りすがりの魔法詠唱者(マジックキャスター)ですよ」

「ほう…、ではただの通りすがりの魔法詠唱者(マジックキャスター)が何故我々の邪魔をする」

 

 見え透いた嘘はやめてさっさと吐け、と鋭く睨み付ける。

 しかし返ってきた反応は小さな笑い声と肩をすくませる気のない動作だった。

 

「邪魔をした理由ですか…。それは先ほどお伝えしたと思いますが」

「……なに…?」

「我々は最近この地に来たものでね。情報提供者を求めていたのだよ。君たちは非常に興味深い。是非とも協力してもらいたいと思ったわけだ」

 

 仮面の男の言葉を引き継いで痩せた男がニグンの疑問に答える。どこまでも上から目線と傲慢な男の態度に、ニグンは苛立ちを通り越していっそ呆れてしまった。

 タイミングからしてどうやら自分たちの戦闘を見ていたようだが、もし自分たちに勝てると踏んで出てきたのならとんだお笑い草だ。

 今まで見せていた力は自分たちの実力のほんの一部に過ぎない。傍らには未だ力を発揮していない監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)が静かに控えており、加えてスレイン法国の至宝の一つが今自分の懐の中にある。自分たちが負ける要素は何一つなく、いっそ目の前の男たちに憐れみさえ覚えた。

 彼らは自分たちの力を過信し、圧倒的な力の差に気が付く気配もない。

 どこまでも偉そうな態度を崩さず、痩せた男は皮肉な笑みさえ浮かべていた。

 

「諸君らに許された選択肢は二つ。一つ目は大人しく降伏して我々の質問に答えること。二つ目は我々に挑み、惨めに敗北してから我々の言い成りとなること。さぁ、どちらか好きな方を選びたまえ」

「…ふんっ、言ってくれるな。ならばこちらも貴様らに選択肢を与えよう」

 

 一度言葉を切り、後ろ手に部下たちに合図を送る。

 背後で部下たちが身構えるのを感じながら、ニグンは注意深く男たちを観察してタイミングを計った。

 

「大人しく死ぬか、無様に抗って惨めに死ぬかだ!!」

 

 声を発したとほぼ同時に再び部下たちに合図を送る。

 部下たちの命令により召喚した数多の天使の内の四体が勢いよく二人の男へと突撃していった。

 仮面の男に二体、痩せた男に二体。

 手に持つ炎を宿した剣を振り上げ、それぞれ突進する勢いそのままに襲い掛かった。

 

 

「よっと」

 

 軽い声と共に痩せた男が後ろの腰の辺りから覗く不気味な手の形をした布のようなものを天使へと振り上げた。鋭い鉤爪が天使の身体を捉え、あまりに容易く握り潰して光の粒子へと変えていく。

 あれは装備なのか、はたまた何かの武器なのか…。

 あまりに予想外の攻撃方法に困惑する中、それよりも信じられないのは仮面の男の方だった。

 痩せた男が天使たちを軽く握り潰す傍らで、仮面の男は諸に天使たちの攻撃をその身に受けていた。

 腹に深々と刺さって背中へと突き抜けた天使の炎の刃。普通は致命傷どころか即死の傷のはずだというのに、あろうことか仮面の男は平然と天使たちの首を握りしめて動きを阻害していた。天使たちがどんなにもがこうと、仮面の男の手は離れない。仮面の男は掛け声もなしに一度天使たちの身体を更に持ち上げると、一思いに勢いよく地面へと叩きつけた。

 舞い上がる土煙に混じって天使たちが消滅する光の粒子が舞い散っていく。

 ただの魔法詠唱者(マジックキャスター)に何故こんな力技ができているのか。

 一体一体が強力な力を持つはずの天使たちが何故こんなにも軽く消滅させられているのか。

 目の前で起こった事態が理解できず呆然となる中、不気味な男たちは軽い声音で互いに声を掛け合っていた。

 

「わざわざ攻撃を受けずとも良かったでしょうに」

「いろいろと実験もしたかったものでな。上位物理無効化…、常時発動型特殊技術(パッシブスキル)も問題なく機能するようだな」

「自分自身の身体で実験してると、あいつらから抗議がきそうですがね。ほどほどにして下さい」

「ふむ、気を付けよう…。……さて…」

 

 二人の男の視線がこちらにヒタッと向けられる。

 瞬間、大きな恐怖が悪寒となって背筋だけでなく身体中を駆け巡った。

 これまで感じたことがないほどの大きな威圧感と明確な死の予感。

 大量の冷や汗が噴き出し、滝のように流れ落ちた。

 

「攻撃してきたということは、無謀にも抗うということだな」

「では、ささやかな宴を始めるとしようか」

 

 痩せた男が楽しそうな笑みを浮かべ、仮面の男がまるで手招くように軽く両腕を上げる。

 ゾクッと悪寒が走った瞬間、ニグンは反射的に部下に叫ぶように指示を出していた。

 

「全天使で攻撃を仕掛けろ! 急げ!!」

 

 弾かれたように全ての天使が二人の男へと突撃していく。何の反応も示さない仮面の男の横で、痩せた男が気のない様子で軽く肩をすくませたのが見えた。

 

「まったく芸がないものだ…。鬱陶しい」

 

 全方向から飛び掛かる天使たちに、しかし男たちは余裕の態度を崩さない。

 剣の刃が男たちの身体を捉えると思った瞬間、痩せた男が動く方が数秒早かった。

 軽く持ち上げられた骨ばった右手がパチンっと一回指を鳴らす。瞬間、鋭い閃光の雨が空の彼方から勢いよく降り注いできた。

 数多の閃光は何故か男たちには一切傷をつけず、天使たちだけを的確に捉えていく。

 多くの風穴を空けられて光の粒子となって消えていく天使たち。

 何かの魔法かと混乱する頭で考えるも、どちらにせよたった一つの手段で全天使を消滅させられたという事実が身体を大きく震わせた。

 

「……あり、ありえない…」

 

 背後から部下の呻くような声が聞こえてくる。

 混乱し冷静さを失う部下たちに、しかしニグンもそれを諌めるだけの余裕を未だ取り戻せずにいた。

 咄嗟に懐にある至宝を握り締め、心を落ち着かせようと試みる。この至宝がある限り、どんな相手であろうと自分たちが敗北するわけがない。必死に自身に言い聞かせ、何とか冷静さを取り戻す。

 しかし漸く他人に心を向ける余裕ができたというのに、背後の部下たちが恐怖に支配される方が早かった。

 

「う、うわあぁぁあぁっ!!」

「化け物があぁっ!!」

 

 半狂乱に叫びながら我武者羅に魔法を唱え始める。部下たち全員が唱えた多種多様な魔法がまるで雨のように男たちに襲い掛かった。中には第三位階魔法も多く含まれていただろう。

 幾分冷静さを取り戻したニグンは、しかしまたすぐに混乱することになった。

 発動した多くの魔法の唯一つとして男たちに少しもダメージを与えてはいなかったのだ。

 痩せた男はシールドのようなものを張って凌いでいるようだったが、仮面の男は何もしていない。身体中に魔法を浴びながら平然としている。加えて内容までは聞き取れなかったものの軽く会話さえ交わしており、彼らの姿には余裕さえ見えていた。

 こんなあり得ない話があるか!と心の中で罵声を上げる。

 ニグンはギリッと冷や汗に濡れる拳を握りしめると、反射的に傍らに浮かぶ純白の存在を振り返った。

 

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)! 奴らを殺せ!!」

 

 ニグンの悲鳴のような声が響き、今まで微動だにしていなかった天使がゆっくりと動き出した。

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)

 ニグン自身が召喚した天使であり、部下たちが召喚していた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)よりも上位の天使である。

 白銀の全身鎧と足先まですっぽり隠す長いスカートのような直垂。片手には大きなメイスが握られており、もう片方の手には円型の盾が装備されている。

 この天使を召喚した本当の目的は監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)自身が視認した自軍構成員の防御力を若干向上させるという特殊技術(スキル)によるものだったが、この際その特殊技術(スキル)を中止させてでも動かす必要があった。いや、それ以外の解決策を思いつけなかったと言うべきか…。未だ懐にある至宝を使うには躊躇いがあり、この天使に何とか状況の打開を願わずにはいられなかった。

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は痩せた男の方に狙いを定めると、勢いよく突進してメイスを振り上げた。

 

「天使如きが俺の前に立つな、煩わしい」

 

 今までの口調からガラッと変わり、痩せた男が粗野な口調で苛立たしく吐き捨てる。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を消滅させた不可思議な布を再び操り、悪魔の手のような形をした先端で勢いよくメイスを弾き飛ばした。衝撃に小さく揺らめく天使の喉元に不気味な手が絡みつく。天使が苦しそうにジタバタともがくも、布の手はがっちりと喉もとを掴んで離さなかった。

 

「…このまま握り潰してやろうか」

 

 痩せた男の漆黒の瞳が怪しい光を宿す。天使に向けられているはずのそれに、遠目から見たこちらさえゾクッと悪寒が走った。

 布の手は片方は未だ首を捉え、もう片方は大きく広がって天使の光り輝く胴体を鷲掴んだ。バキッバキッとありえないような音が天使の身体から聞こえてくる。白銀の鎧には大小様々な皹が走り、大きく美しかった翼は歪んで無残な姿に変わっていった。

 

「消えろ」

 

 どこまでも静かな声と共にゴキュッと身の毛のよだつような音が聞こえてくる。

 一瞬の後に光の粒子となって消える監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)

 宣言通り握り潰されたような形となった天使に、ニグンを含めた全員はもはや恐怖を抑えられなくなった。

 背後で部下たちが上げる多くの悲鳴が響き渡る。いつ戦線を離脱して逃げ惑うか分からないほど彼らの精神は限界に来ている。かく言うニグン自身もギリギリであり、先ほどまでの躊躇いを振り払って咄嗟に懐の中へと手を入れた。至宝のクリスタルを鷲掴み、勢いよく懐の中から取り出す。

 

「最高位天使を召喚する! 生き残りたい者は時間を稼げ!!」

 

 クリスタルを掲げるように持ち、部下たち全員に向けて声を張り上げる。

 青白く光り輝くクリスタルに誰もが目を向け、恐怖に歪んでいた部下たちの瞳に希望の光が宿ったのがニグンには確かに見てとれた。見るからに動きが冷静なものに戻る部下たちに、こちらもつられる様に冷静さを取り戻す。

 男二人が何やらコソコソと小声で話しているのは気になるが、しかしニグンは手の中にある至宝を信じて意識を集中させることに努めた。規定の使用方法に従いクリスタルを破壊し、一気に爆発的な光が強く放たれる。

 視界が焼けるほどの強い光と、微かに感じられる清浄な芳香。

 咄嗟に閉じた目をゆっくりと開けたニグンは、目の前に浮かぶ偉大な存在に知らず歓喜の笑みを浮かべていた。

 

「…見よ! 最高位天使の尊き姿を! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!!」

 

 目の前に浮かぶ姿は純白に光り輝く翼の集合体だった。翼の中から手が生えて王が持つような笏を持ち、しかし頭や足は一切見当たらない。一見異様な姿にも思えるが、その身からは清浄な気が放たれており、眩く光り輝く様は神々しくさえあった。

 正に至高善の存在。

 ニグンだけでなく周りの部下たちからも歓声が上がる。

 これでこちらの勝ちだと誇らしげな笑みと共に男たちを見やれば、仮面の男は表情が見えないものの、痩せた男は呆然と最高位天使を見つめていた。

 

「……おいおい、マジかよ。本当にマジで言ってんのか…?」

「な…なんということだ………」

 

 痩せた男の隣で仮面の男が手で顔を覆うような素振りを見せる。

 途方に暮れたようなその様子に、ニグンは今までの不安や恐怖が一気になくなっていくのを感じた。漸く目の前の存在を消し去れるという安堵と共に、ここまでこちらを追い詰めた彼らに称賛すら覚えた。

 

「最高位天使を召喚させたお前たちには正直、敬意すら感じる。個人的にはお前たちを私たちの同胞として迎え入れたい気持ちがあるのだが…、許せ。今回受けた任務にはそれは許されていない。せめて私たちは覚えておくぞ。最高位天使を召喚させることを決意させた二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)がいたことをな」

 

 いっそ優しさすら感じられる声音で男二人へと語り掛ける。

 今から死にゆく称賛すべき者たちへのせめてもの慰めになるように。

 しかしそれに返ってきたのは、あろうことかどこまでも冷ややかな声音と歪んだ嘲笑だった。

 

「本当に…くだらん」

「まったく…、ちょっとでも緊張して損したな」

 

 仮面の男が仮面から手を放して冷徹に吐き捨て、痩せた男も嘲笑の表情はそのままに肩をすくませて緩く頭を振る。

 まるで子供を相手にする大人のような余裕さと態度に、ニグンは理解が追いつくことができなかった。

 今目の前にいるのは人間がどう足掻いても敵うことのできない存在であり、圧倒的な威圧感を彼らも感じているはずだ。だというのに何故こんなにも余裕な態度でいられるのか。

 

「てっきり熾天使級(セラフクラス)が出てくるのかと思っていたが…」

「どうやら見込み違いだったようですね。いや、それにしても、これは酷い」

 

 やれやれとため息をつく仮面の男に、口調が元に戻った痩せた男がフフッと小さな笑い声をこぼす。

 もう何もかもが信じられず、理解できず、ニグンは全てをかなぐり捨てるように最高位天使を振り仰いだ。一瞬頭に過った嫌な予感を振り払い、声高に命を下す。

 

「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉を放て!」

 

 それは人間では決して到達することができない領域である第七位階以上の魔法。

 彼の魔神すらも打ち倒した究極の魔法がたった二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)へと向けられる。

 

「…あっ、これ、こいつ死ぬパターンじゃないですか」

「……あ……」

「そこら辺に放り投げときましょうか。ほーれ」

 

 二人の男の視線が足元に倒れているガゼフに向けられ、痩せた男が徐に身を屈めてガゼフへと手を伸ばす。細い二本の指を鎧の襟首部分に引っ掻けると、次の瞬間、何とも気の抜けた掛け声と共にガゼフの巨体を勢いよく後方へと放り投げた。

 その細腕のどこにそんな力があったのか、十メートルは飛んだかもしれない。

 ニグンたちが遥か後方に放り投げられたガゼフの巨体を呆然と見送る中、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)だけが淡々と命令を遂行しようと動き始めていた。

 持っていた笏が儚く砕け散り、大小様々な破片が威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の周りをゆっくりと旋回し始める。眩い光がキラキラと舞い踊り、次の瞬間には強大な魔法が発動した。

 上空の一点がキラッと輝き、二人の男の元へと光の柱が勢いよく落ちてくる。清浄な光がゴシュウと音を立てて全てを消滅させていった。

 しかし…――

 

「ははははは! 属性が悪に傾いている存在により効果を発揮する魔法だけあって…これがダメージを負う感覚、痛みか。なるほど、なるほど! しかし痛みの中でも思考は冷静であり、行動に支障はない。…素晴らしい! また一つ実験が終わったな」

「…うわぁ、あのギルド一まともだと言われていた人が痛みに喜んでる。…私たちの頼りになるギルマスは知らぬ間にドMになってしまっていたのだね…」

「ちょっ、違いますよ!」

 

 未だ魔法は続いているというのに、光の柱の中から和気あいあいとした会話が聞こえてくる。何故か痩せた男の姿は見とめられなかったが、仮面の男は平然と佇み一切ダメージを受けている様子もなかった。

 仮面の男を消し飛ばすことも、燃やすことも、地に伏せさせることさえできず光の柱が消えていく。

 せめて痩せた男の方は消せただろうかと淡い期待を持つが、当の痩せた男自身がゆらりと揺らく空間から滲み出てくるように姿を現したのを見てニグンは思わず引き攣った笑みを浮かべた。

 もはや笑うしかない状況に思考さえも止まりそうになる。

 しかし幸か不幸か長年培ってきた特殊工作部隊の隊長としての精神がニグンを支え、決して逃避も諦めも許さなかった。何か少しでも糸口はないかと忙しなく頭を働かせ、ふと仮面の男が口走った単語を思い出した。

 〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉を受けている時に口にした“ダメージ”と“痛み”。

 少しでもダメージを受けているというのなら、それが唯一対抗し得る手段なのではないだろうか。

 ニグンは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)へと目を向けると、すぐさま再び攻撃命令を発しようとした。しかし不意に仮面の男と視線が合ったような気がしてビクッと言葉が喉の奥へと引っ込んでしまう。

 何か口に出そうとして、しかし仮面の男が言葉を発する方が早かった。

 

「さて、今度はこちらの番だな。…絶望を知れ、〈暗黒孔(ブラックホール)〉」

 

 仮面の男が言い終わるのとほぼ同時に威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の目の前に黒い小さな点が現れた。それは見る見るうちに大きくなり、巨大で空虚な闇の穴へと変化していく。強い風が穴を中心に吹き荒び、全てを呑み込まんと渦を巻いた。目前の最高位天使も例外ではなく、驚くほど呆気なく穴の中へと吸い込まれて消えていく。

 かかった時間はほんの数秒。

 先ほどまでの眩しいほどの光も圧倒的な威圧感も消え、あるのは夜の闇に染まろうとしている草原の光景のみ。

 一瞬の後にはまるで取り残されたかのように、草原に男二人とニグンたち陽光聖典だけが立ち尽くしていた。

 何が起こったのか、目の前で見ていながら全く信じられない。

 しかしそんな中でもただ一つだけ、ニグンは理解することができた。

 この仮面の男はたった一つの魔法で最高位天使を消滅させたのだ、と…。

 

「…お前は、何者なんだ……」

 

 静寂の中、ニグンの声がポツリと零れて消えていく。

 

「最高位天使を一撃で消滅させることのできる存在なんかいるはずがない…、いちゃいけないんだ…。お前たちは一体……」

「おやおや、何か勘違いをしているようだ。質問をするのは我々であって、答えるのは君たちだ。一番初めに言っただろう?」

 

 ニグンの言葉に答えたのは痩せた男の方で、彼はニンマリとした笑みを浮かべてニグンたちを見つめていた。

 唐突に全てが終わったのだと理解する。

 今までは何とか抗おうと必死に思考を巡らせてきたが、もはやその気力すら湧かない。

 部下たちも力なく座り込む中、不意にガラスが割れるような鋭い音が響き渡った。

 ハッと咄嗟に上空を見上げれば、頭上の空間に大きな皹が走り、瞬く間に消えていく。

 思わず困惑の表情を浮かべるのに、仮面の男が小さく頭を振った。

 

「やれやれ…、感謝してほしいものだな。何らかの情報系魔法を使ってお前を監視しようとした者がいたみたいだぞ。効果範囲内に私がいたお陰で対情報系魔法の攻性防壁が起動したから大して覗かれてはいないはずだが…。…さて、では遊びはこれぐらいにしようか」

 

 一人でブツブツと呟いていた仮面の男が改めてこちらを見つめてくる。

 大きな恐怖が湧き起こり、ニグンはゾクッと背筋を震わせた。

 死にたくない、と咄嗟に思う。できることなら何もかも投げ捨てて、心のままに泣き叫び、この場から逃げ出してしまいたい。

 しかし目の前の男たちがそれを許すはずもなく、ニグンは縋る思いでその場に平伏した。

 

「ど、どうかお待ちを! 待って下さい! 取引をさせて下さい! 私たち…いや、私だけで構いません! い、命を助けて下さるならば、望む額を用意いたします!」

 

 部下たちが驚愕や失望の表情を浮かべたのが見なくても分かる。しかしニグンにとってそれはどうでも良いことだった。

 今大切なことは自分が生き延びることであり、間違っても全滅することではない。

 部下の換えはあっても隊長である自分の換えはいないのだ。何が最も優先されるかなど誰でも分かることだろう。

 地面に額を擦りつけて必死に哀願するニグンに、痩せた男が優しい声音で声をかけてきた。

 

「おやおや、ここでも勘違いしているようだね。最初に言ったはずだよ、諸君らには“情報提供者”になってもらいたいとね」

 

 まるで泣いている子供を落ち着かせようとするかのように優しく語り掛けてくる男に、ニグンは恐る恐る顔を上げた。

 しかし、すぐに顔を上げたことを後悔する。

 

「殺すだなんて勿体ない! 諸君らにはこれからありとあらゆる情報をたっぷりと提供してもらおう。まずは我らが住居にご足労願おうか」

 

 男の顔に浮かんでいたのは、まぎれもない悪意と狂喜。

 仮面の男は何も言わず、それが一層ニグンの不安と恐怖を煽る。

 ここから逃げろと本能が警鐘を鳴らし、ニグンは咄嗟に伏せていた身体を立ち上がらせた。逃げようと踵を返して一歩を踏み出したその時、何故か視界が全て暗黒に染まる。

 一体何が起こったのかと混乱する中、暗闇の中で部下たちのものであろう恐怖の叫び声が聞こえてきた。

 どんどん強くなる本能的な恐怖と不快感。

 視界が使い物にならなくなったことでまともに歩くことさえできず、這ってでも逃げようとした瞬間に強い衝撃と共に意識すらも闇に呑み込まれていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 陽光聖典全員を気絶させたモモンガたちは、後詰として待機させていたアウラやマーレたちを呼び寄せて全員をナザリックへ運ぶよう指示を出した。ペロロンチーノとも合流し、仮面や幻術を解いて三人で村へと戻る。

 因みに未だ気を失っているガゼフはペロロンチーノが肩に担いで運んでいた。

 後衛の弓使いと言えども純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)よりかは力があるだろうと言いくるめられ、渋々ながらもモモンガやウルベルトと共に地面を歩く。

 周りはすっかり夜色に染まり暗くなっていたが、異形の目には何も不自由は感じられない。逆に今まで見たことのない満天の星空に感嘆の声を零しながら眩しそうに目を細めさせていた。

 三人の心境は星空の中を飛んでみたいというものだったが、今すぐそれを実行するわけにもいかない。

 村での用事が全て終わってからにしようと目配せし合うと、誰ともなく村へと向かう足を少しだけ速めたのだった。

 

 数分後、村へと着いた三人は早速村人たちに出迎えられた。

 最初の頃が嘘であったかのように、彼らの表情には一様に安堵の笑みが浮かんでいる。

 

「ああ、良かった! お姿が見当たらなかったので、どこに行ってしまわれたのかと心配しておりました」

「突然姿を消してしまい申し訳ない。ただ、王国の戦士団が全滅しそうになっていたので助けに行っていました。戦士長殿を休ませたいのだが、どちらに運べば宜しいかな?」

「戦士長様!? これは大変だ、どうぞこちらへ!」

 

 ペロロンチーノの肩に担がれているガゼフの存在に気が付き、村長が慌てて村の奥へと招き入れてくる。

 案内されたのは村長の家で、奥にある寝室のベッドの上へとガゼフを降ろして寝かせた。

 未だ何の治療もされていないため身体中が血に塗れているのだが、どうやらベッドが血に汚れても構わないらしい。

 まぁ、後で何かあったら本人に弁償させればいいだろうと内心で勝手に解決させながら、モモンガは心配そうにガゼフを見下ろす村長や治療を始めた村長の妻に改めて目を向けた。

 

「戦士長を狙った輩は我々で倒しましたが、この村の者以外の人間が我々の存在を知るのは何かと都合が悪い。ですので、戦士長が目覚めたら“彼が一人で村に戻ってきた”と言うことにしておいて下さい」

「それは…」

「つまり、みんなは戦士長を襲った連中がどうなったかは知らないし、ただ傷だらけで一人戻ってきた戦士長を迎え入れただけってことにしてほしいってことですよ」

 

 困惑した表情を浮かべて言い淀む村長に、ペロロンチーノがなるべく明るい声音で言い聞かせる。何の含みもなく、ただ本当に自分たちの存在を知られたくないだけなのだと再度説明する。

 村長と村長の妻は少しの間考えるような素振りを見せていたが、次には神妙な表情を浮かべて一つ大きく頷いてきた。

 村としてもあまり厄介ごとに巻き込まれるのは避けたいのだろう。モモンガやペロロンチーノの言い回しであれば言外に戦士長が陽光聖典を倒したのだと捉えられるだろうし、村の人々が怪しまれる可能性も低い。念のためアウラとマーレには陽光聖典が着ていた装備を幾つか血と傷で汚して放置するよう言い渡していたため、より信憑性も増すだろう。死体は獣に食われたのだとでも誤魔化しておけばいい。

 他にも何かとアドバイスを与えるモモンガやペロロンチーノを一歩下がったところから眺めながら、ウルベルトは秘密裏に〈伝言(メッセージ)〉で影の悪魔(シャドウデーモン)たちに命を下していた。

 ウルベルトの命令は二つ。ガゼフ・ストロノーフの影に潜んで彼を監視することと、この村に留まって情報が漏れないよう監視すること。

 シャドウデーモンたちは〈伝言(メッセージ)〉でそれに応えると、五体の内の二体がガゼフの影に潜み、残りの三体が家の影に潜り込んだことが気配で伝わってきた。

 これで一先ずは安心か…と内心で小さな息をつく。

 ウルベルトはモモンガたちの会話が一段落するまで待つと、頃合いのところで彼らへと声をかけた。

 

「戦士長殿はもう大丈夫でしょう。いつ目を覚ますか分かりませんし、そろそろお暇させて頂きましょう」

「…そうだな」

「迷惑でなければちょくちょく様子を見に来ますよ。何かあったら遠慮なく言って下さいね」

 

 ウルベルトの言葉に小さく頷くモモンガの隣でペロロンチーノが明るく村長に声をかける。

 一見良い人…ではなく良い鳥人(バードマン)のように思えるが、彼の狙いがどこにあるのか分かるモモンガとウルベルトは呆れたように内心でため息をついた。

 しかし村長たちは彼の下心など一切気が付くことなく、どこかホッとした笑みすら浮かべている。

 

「迷惑などと、とんでもありません! ペロロンチーノ様がいらっしゃるなら、これ以上心強いものはありません」

 

 村長の歓迎モードにペロロンチーノは笑みを浮かべたが、モモンガとウルベルトは理解できず少し警戒を強めた。

 最初はあれだけ恐怖していたというのに、どういった心境の変化なのかと注意深く彼らを見やる。

 しかしそこまで考えてモモンガとウルベルトはほぼ同時に小さく頭を振った。

 恐らくではあるが、今回の騎士襲撃事件はよっぽど彼らの心に大きな傷を残したのだろう。加えて助けに来た異形たちは――少なくとも彼らの把握する範囲内では――非常に礼儀正しく、ペロロンチーノなどは気さくで親しみやすい性格だ。彼らが自分たちに少なくない好意を向けてくれるのも不思議ではないことなのかもしれない。

 モモンガとウルベルトは内心でそう結論付けると、そのまま短い別れの言葉と共に村長の家から出て、外で待っていた村人たちにも別れの言葉をかけた。エンリとネムの姉妹に執拗に自己アピールするペロロンチーノの首根っこを捕まえて、引きずるようにして宙へと舞い上がる。

 ワイワイ騒ぐ村人たちの声を背で受け止めながら、モモンガたちは煌めく夜空へとダイブしていった。

 村の暖かな明かりからどんどん遠ざかり、星空の中を突き進んでいく。

 今まで感じたことのない大きな浮遊感と爽快感。

 まるで星空と言う名の海を泳いでいるようだとモモンガが感嘆の息を吐き出す中、大分飛ぶことに慣れたペロロンチーノが優雅な動きでモモンガの隣に並んできた。

 

「本当にこの世界は綺麗ですね。きっとブルー・プラネットさんが作りたかった夜空はこんな感じだったんだろうな~」

「そうですね、本当に素晴らしい。…キラキラと輝いて、まるで宝石箱みたいです」

「おっ、モモンガさん、詩人ですね!」

 

 弾んだ声で茶化してくるペロロンチーノに、モモンガは少し気恥ずかしくなって指で頬をかいた。

 皮膚がないため硬質な感触があるだけだったが、別段違和感などは感じない。肉体も精神も異形になってしまったが、どうやら人間だった頃の名残が時折行動に出てしまうようだった。

 自身の変化を冷静に分析する中、不意にウルベルトがペロロンチーノとは反対側の隣に並んできた。

 優雅に星空の中を泳ぎながらモモンガとペロロンチーノを見つめてくる。

 

「…そう言えば、最終的な目標は何にする?」

「最終的な目標?」

「当面はこの世界の情報収集に専念するよう決めたが、それはあくまでも現段階での行動方針だろ。その後…て言うか、最終的に何をしたいか決めておいた方が良いと思ってさ」

 

 モモンガとペロロンチーノが思わず互いを見やると、沈黙したまま考え込んだ。

 ウルベルトの言葉は当然と言えるものだったが、正直そこまで考えが及ばなかった。

 現実世界(リアル)に戻らないということは三人で決めたけれど、では一体どうするのか。自分たちはこの世界で一体何をすべき…いや、何をしたいのか…。

 

「あっ、俺はこの世界の美少女たちを集めてハーレムを作りたいですね!」

「………お前は本当に予想を裏切らないな…」

「“エロゲー イズ マイ ライフ”ですから! 手始めにエンリちゃんとネムちゃんを絶対に落とす!」

「あー、頑張れ…。それで、モモンガさんは?」

 

 一人熱く燃えるペロロンチーノは放っておいて、ウルベルトがモモンガへと声をかける。

 モモンガは少し考えた後、何かに思いを馳せるように闇に煌めく星々を見つめた。

 

「俺は…、正直まだ分かりません。でも、できるなら他のプレイヤーがこの世界に来ていないか探したいとは思っています。他のプレイヤーが来ているなら情報交換は必要でしょうし、俺たち以外のギルドメンバーが来ていない保証もありませんよね」

「…まぁ、俺たちがこの世界に来たこと自体が異常事態だからな。可能性がないとは言い切れないか…」

 

 ウルベルトも目の前の星空を眺めながら考え込むように長い顎鬚を弄んだ。考えを纏めているのか暫く黙り込み、徐にモモンガとペロロンチーノへと視線を向ける。

 金色の瞳がキラリと輝き、ニンマリとした笑みが満面に広がっていく。

 どこか悪戯っ子のようなその笑みに、モモンガたちは何とも言えない嫌な予感を感じた。

 

「じゃあさ。いっちょ世界征服でもしてみないか?」

「「………は……?」」

 

 静かな空間にモモンガとペロロンチーノの呆けた声が同時に零れ出る。

 二人はウルベルトの顔をマジマジと見つめると、自分たちの嫌な予感が的中したのだと確信した。

 同時に彼が本気で言っているのだと分かり、慌てて止めに入る。

 

「いやいやいや、何言ってるんですか、ウルベルトさん! 大体、この世界のことをまだ何も分かっていないんですよ!?」

「そうですよ! それに世界征服って言っても実際は統治やらなんやらで絶対面倒くさいですよ!」

「そうか? 俺たちの好きにできるんだから意外と面白いかもしれないぞ。それに二人にも悪い話じゃないと思ったから提案したんだが」

 

 彼の言葉の意味が分からずモモンガとペロロンチーノが首を傾げる。

 ウルベルトは意味深に笑みを深めさせると、まるで教師の様に人差し指を立ててみせた。

 

「まずは一つ目。世界征服をすればペロロンチーノの言う“美少女を集めて遊び騒ぐ”ってことも結構容易にできそうじゃないか?」

「…はっ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ペロロンチーノがまるですごいことに気が付いたというような素振りを見せる。

 本気で熟考し始めたバードマンはそのままに、ウルベルトは更に中指も立ててみせた。

 

「そして二つ目。世界征服するってことは、この世界を支配するってことだ。そうなれば必然的にプレイヤーの情報は手に入れやすくなるし、もしかしたらあっちからコンタクトを取ってくる可能性だってあるだろう」

「…確かに」

 

 予想以上の説得力にモモンガも思わず考え込んでしまった。

 確かに個人で情報を集めるには限界がある。世界規模で情報を集める場合、それなりの組織的な情報網が必要だ。それこそ世界を掌握できれば情報を入手する難易度も下がり、集まる情報の数も段違いに多くなるだろう。自分たち以外のプレイヤーがいるのかも含め、プレイヤーに関する情報も比較的に容易く集まるかもしれない。

 むむ…とモモンガが思わず小さな唸り声を上げる。

 二人の気持ちが大分こちらに傾いてきているのを感じ取ったウルベルトは、ここで本心でいて二人の琴線にも触れる言葉を口にした。

 

「それにさ、ユグドラシルでも言ってたけど、結局一つの世界も征服できなかっただろう? 折角こんな機会を得られたんだから、三人でその続きをしたいと思ったんだ」

「…ウルベルトさん」

「ユグドラシルでの夢の続き、ですか…。…そうですね。それも楽しいかもしれません」

 

 普段クールなウルベルトの意外な言葉にペロロンチーノが感動している横で、モモンガも柔らかな笑みの雰囲気を漂わせる。

 未だ明確な回答は得られていないものの、どうやら賛同してくれてはいるようだ。

 ウルベルトも柔らかな笑みを浮かべると、これからのことについて楽しく語り合おうと再び口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、十階層の玉座の間。

 そこには多種多様の異形が跪き、玉座の前に立つ三人の支配者に頭を垂れていた。

 ナザリックに属するほぼ全てのNPCが集まり、その異様さは正に百鬼夜行。

 何十という多くの異形がひしめいているというのに玉座の間は静寂が支配し、物音ひとつ響いてはいない。

 彼らの前にはアルベドと守護者たちが横一列に並び、彼らと同じように三人の支配者に向けて跪き頭を垂れていた。

 三人の支配者…モモンガ、ウルベルト、ペロロンチーノは一度無言で頷き合うと、まずはモモンガが口を開いた。

 

「…皆、よく集まってくれた。まずは改めて我が同士であるペロロンチーノとウルベルト・アレイン・オードルがナザリックに帰還したことを知らせようと思う」

 

 軽く両手を広げて両脇に佇むペロロンチーノとウルベルトを示すモモンガに、NPCたちの視線が一斉にペロロンチーノとウルベルトへと向けられる。

 その多くの視線の中にはただ一つも負の感情は宿ってはいない。あるのは大きな歓喜のみで、中には喜びのあまり涙を流す者さえいた。

 ペロロンチーノとウルベルトも慈愛に満ちた優しい笑みで彼らを見つめており、まるで彼らの主であることを誇るように堂々と胸を張って立っていた。

 

「今回、我々は異常事態により異世界に迷い込んでしまった。それを踏まえ、これよりお前たちの指標となる方針を言明する」

 

 モモンガは一度言葉を切り、眼下のNPCたちを静かに見やった。

 彼らは先ほどの表情から一変、顔を引き締めさせて真剣にモモンガの言葉に耳を傾けている。

 

「アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説とせよ」

 

 NPCたちから感じられる熱気と友人たちの存在に支えられ、モモンガは一息にその言葉を言い切った。

 ウルベルトとペロロンチーノもそれに続くようにして各々NPCたちに向けて言葉を発する。

 

「我々はこれより、この世界を掌握する」

 

 ウルベルトの言葉に、彼らの目が熱く燃え上がる。

 

「全ては“アインズ・ウール・ゴウン”のために…、ひいてはナザリックに属するみんなのために。どうか力を貸してほしい」

 

 ペロロンチーノの言葉に、彼らが歓喜と決意に顔を輝かせる。

 

「英雄が数多くいるなら全てを塗り潰せ。生きとし生きる全ての者に知らしめてやれ! より強き者がもしこの世界にいるのなら、力以外の手段で。数多くの部下を持つ魔法使いがいるなら、別の手段で。今はまだその前の準備段階に過ぎないが、将来、来るべき時のために動け。我らが“アインズ・ウール・ゴウン”こそが最も偉大な存在であるということを世界に知らしめるのだ!」

 

 モモンガの言葉に彼らの身体が小さく震え、応えるように再び頭を下げる。

 抑えようのない熱気が渦巻く中、多くのNPCたちを代表してアルベドが跪いたまま真っ直ぐモモンガたちを見上げてきた。

 

「ご命令、しかと承りました。我らの忠誠と全てをもって、必ずやこの世界を御身の元に…正統なる支配者たる至高の御方々の元に、この世界の全てを!」

 

 アルベドの凛とした力強い声に呼応して、シモベたちが一斉に声を上げる。

 これから始まる世界への戦いに鬨の声を上げ、それは徐々に三人の至高の主たちを称える声へと変わっていく。

 異形たちの歓喜の声は崇拝する主たちが玉座の間を去った後も暫く続き、再び動き始めた“アインズ・ウール・ゴウン”のイキとなってナザリック中を震わせ続けた。

 

 




モモンガ様は中身骨なのに結構大柄に見えますよね。でもそれは、あの巨大な肩の飾り(?)が原因だと思うんだ…。
今回は一部戦闘回だったのですが、取り敢えず三人とも一回ずつは攻撃して頂きました。と言っても、何故かウルベルトさんだけは魔法詠唱者なのに物理でしたが…。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“慈悲深き御手”;
後ろの腰の辺りから垂れ下がっている、両端が悪魔の手のようになっている赤黒い布(11巻キャラクター紹介のイラスト参照)。ワールドディザスター専用装備アイテム。本来は防御と、攻撃した相手のMPを奪う能力(攻撃力は皆無)だが、ウルベルトが更に手を加えたため攻撃ができるようになり、MPほどではないもののHPも吸い取れるようになった。何とも名に相応しくない、まったく慈悲深くないえげつないアイテム。


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第7話 闇へと堕ちる

今回も最初はニグンさん視点です。


 ピチャ…ピチャ…と一定の冷たい音が意識をかすめる。

 まるで微温湯に揺蕩うように微睡んでいた意識が音を拾い、不意に先ほどまでの光景が一気にフラッシュバックした。

 反射的にビクッと大きく跳ねる身体と、ガシャンっと鋭く鳴る金属音。

 閉じていた目をハッと見開いて、一体自分はどうなったのかと周りを見回そうとする。しかし頭だけでなく身体中が動かないことに気が付いて思わず目を見開かせた。

 手首、足首、腰、胸と何かに縛り付けられている感覚があり、何故か肌寒くも感じられる。

 ニグンは意識を失う前のことを思い出しながら、必死に眼球だけを動かして今の状況を少しでも把握しようとした。

 視界に入ってきたのは石でできた天井と壁。白色光を放つ謎の物体が唯一の光源なのか部屋の中はひどく薄暗い。まるで地下牢のように空気はひんやりと湿っており、チラッと視界の端に見えた光景や肌の感覚から、自分が全裸で壁に縛り付けられているのだと理解した。

 不意に対峙していた痩せた男の言葉を思い出す。

 彼は自分たちのことを“情報提供者”と呼んでいた。

 今の状況と鑑みれば、否が応にもこれから己が身に何が起こるか分かってしまった。

 

 

 

「あらん、起きたのねん?」

 

 不意に女とも男とも判断が付かない濁声が聞こえてきた。

 ヒタヒタと暗闇から湿った音が近づき、ヌゥッと姿を現したのは見たこともないおぞましい化け物だった。

 溺死体のような濁った白い肌に、人間と同じくらいの体躯。全体的なシルエットも人間と同じだったが、頭部は巨大な蛸のようで六本の太い触手が太ももの辺りまで垂れ下がっている。醜く膨れ上がった身体には黒い革製の帯が服のように巻きついており、肌に食い込んでいる様はブヨブヨとした肉質を強調している様で怖気が走った。

 化け物は瞳のない青白く濁った大きな目に自分を映すと、水かきのついた細長い四本の指をこちらへと伸ばしてきた。

 

「うふふふ。寝覚めは良好かしらん?」

 

 優しく語りかけられ、指先が頬を撫でてくる。

 見た目のイメージと変わらぬヌルリとした冷たい感触に、一気に背筋に悪寒が走る。

 無意識に腕が動き、ガチャっと金属の音が小さく響いた。

 こちらに身を寄せてきた化け物から花のような甘い香りが漂い、そのアンバランスさが更に恐怖心を煽ってくる。

 

「あら、そんなに緊張しなくてもいいのよん。…でも、それも仕方ないことかしらん」

 

 指が頬から離れ、次には自身の頬らしき部分に添えて小首を傾げる。美しい女性がやればとても似合うものだったが、しかしやっているのは生理的な嫌悪感しか抱けない化け物。可愛くもなければ美しくもなく、あるのは悪寒と恐怖だけ。

 目の前の化け物は一体何なのか。

 部下たちは一体どうなったのか。

 これからどんなことを聞かれ、どんな目に合うのか…。

 忙しなく頭を回転させながら、ニグンはひたすら早く問答が開始されることを祈った。

 ニグンを含む聖典のメンバーは、ある状況下で三つ質問されてそれに答えると命を落とす魔法をかけられている。逃げられる可能性も助けが来る可能性も皆無に等しい中、もはやニグンには死を待つことしかできなかった。

 捕まるまではあんなに死にたくないと思っていたのに、今は死が何よりの救済に思えてくる。

 さっさと息絶えて早くこの恐怖から解放されたかった。

 

「今日はとても素晴らしい日よん。私の初仕事を至高の方々の御一人であらせられる御方が見に来て下さるのん」

 

 身悶えているのか、クネクネではなくグネリグネリと巨体を揺り動かす。しかし化け物が喜ぶことなどこちらにとっては碌なことではないとニグンが思わず身を強張らせた瞬間、聞き覚えのある声が不意に鼓膜を震わせた。

 

「準備はできているかね、ニューロニスト」

 

 どこまでも軽やかで皮肉気な口調。

 間違いなく対峙した二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)の一人である痩せた男だとそちらへと目を走らせる。

 しかし視界に飛び込んできた影に、ニグンは大きく目を見開かせた。

 薄暗い闇から進み出てきたのは、人間のような異形を引き連れた山羊頭の化け物だった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 デミウルゴスを後ろに引き連れたウルベルトは意気揚々と第五階層の氷結牢獄を訪れていた。

 コツコツと蹄と革靴が石畳を蹴っては硬質な音を響かせる。

 第五階層ということもあり身を切るような冷気がこの場を支配していたが、二人の悪魔にとっては何の障害にもならず、ただ吐く息のみが白く気ぶっては視界を一瞬遮り静かに消えていった。

 既に捕虜たちが目を覚ましているのか、前方から声のような音が小さく聞こえてくる。

 ウルベルトは目的地である「真実の部屋(Pain is not to tell)」まで辿り着くと、デミウルゴスが開けてくれた扉を潜って室内へと足を踏み入れた。

 

「準備はできているかね、ニューロニスト」

 

 驚愕の表情を浮かべる壁に縛り付けられた見覚えのある男と、こちらを振り返ってくる脳喰い(ブレインイーター)ににっこりと笑みを浮かべる。脳喰いはグネリグネリと嬉しそうに身をくねらせると目の前で跪いて深々と頭を下げてきた。

 この目の前の脳喰いはナザリックの五大最悪に数えられる一人なのだが、今の悪魔となったウルベルトにとっては全く醜悪さも嫌悪感も感じられない。一心にこちらを慕う様にどことなく愛嬌すら覚えて、ウルベルトは自然と笑みを柔らかく深めさせた。

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト・アレイン・オードル様! お待ちしておりましたわん」

「あぁ、ウルベルトで構わないよ。他のシモベたちにもそうしてもらっているし、フルネームだと長ったらしいからね」

 

 手振りで立つように促しながら、ウルベルトは壁に縛り付けられている男を見やった。

 見覚えがあると思っていたが、やはり命乞いをしてきたリーダーと思われる男だ。全裸で怯えたように震えている様はひどく滑稽で、哀れにさえ思えてくる。

 ウルベルトはゆっくりと男に歩み寄ると、わざとらしいまでの満面の笑みを浮かべてみせた。

 

「あの時は名も名乗らずに失礼したね。私はウルベルト・アレイン・オードル。この子は我が最高傑作の被造物であり息子のデミウルゴス。そしてこちらは今後君が一番世話になるだろう特別情報収集官、拷問官のニューロニストだ。これから末永くよろしく頼むよ」

 

 男の顔が徐々に青白くなり、絶望の色を濃くしていく。あの時、声高に自分たちを殺すと言っていたのが嘘のようだ。

 男のあまりの変わりように満面の笑みを浮かべると、ウルベルトは小首を傾げて男の顔を覗き込んだ。

 

「…とは言え、あの時の姿とは違うからねぇ。私が誰か君は分かっているのかな?」

「あ、あなた、さまは……仮面を被っていない方の、魔法詠唱者(マジックキャスター)さま、でしょう…?」

「おや、よく分かったものだ。まずは、おめでとう」

 

 どもりながらも正解を口にする男に、ウルベルトは満足して近づけていた顔をゆっくりと離した。

 警戒しているのかこちらを注視してくる男をマジマジと見やり、続いて後ろに控えているニューロニストを振り返った。

 

「さて、これから尋問を始めるわけだが…何か隠し持っていたり魔法をかけていたりはしていなかったかい?」

「手や足は勿論のこと、口の中にも何も隠し持ってはおりませんでしたわん。ですが、魔法と言うのは一体どういう意味でしょうか?」

「勿論、彼自身に魔法がかけられていないかということだよ。例えば時限式で自爆する魔法がかけられていたり、全てに嘘を言ってしまう魔法がかけられていたり…」

「そのような魔法があるのですか!?」

 

 今まで大人しくしていたデミウルゴスが驚いたように問いかけてくる。

 正直先ほど述べた例は単なる思いつきに過ぎなかったが、しかし必ずしも可能性がゼロだとはウルベルトは思ってはいなかった。

 あのガゼフとかいう王国戦士長の男もユグドラシルでは見たことのない技を使っていたのだ、この世界独自の魔法がある可能性は十分に考えられる。それにこの男がどこかの国の組織の人間であることはほぼ間違いないのだ。現実世界(リアル)でよく見ていた映画では、尋問や拷問で情報を漏らさないように自害したり相手を巻き込む方法で死ぬシーンがよく描かれており、この男も同じことをする可能性は否定できなかった。

 

「私が先ほど述べたものは、あくまでも可能性の一つに過ぎない。しかし、何事にも慎重に取り組むことは無駄ではないだろう? …どれ、少し調べてみるとしよう」

 

 ウルベルトは指先で顔の右半分を覆っている仮面を軽く撫でると、標的を男に向けて仮面の力を発動させた。

 ペストマスクのような形をした赤と金の片仮面はウルベルトの主装備の一つ、神器級(ゴッズ)アイテムの“知られざる(まなこ)”というアイテムだ。対象のレベル、HPやMP残量、ステータス、状態異常までもを見ることのできる便利アイテムである。尤も、対象者が阻害するアイテムを装備していれば見れなくなってしまうのだが、何かと使い勝手の良いアイテムには違いない。

 ウルベルトが“知られざる眼”越しに男の全てを見つめると、多くの情報がウルベルトへと流れ込んできた。男の名前、レベル、HPやMPなどの情報が次々と流れ、ふと状態異常の部分でウルベルトは思わず顔を顰めさせた。

 

「如何なさいましたか、ウルベルト様?」

 

 ウルベルトの様子に気が付き、デミウルゴスがすぐさま声をかけてくる。しかしウルベルトはそれに答えることができなかった。無意識に豊かな顎鬚を扱きながら思考を巡らす。小さく目を細めさせて男を凝視し、不意に後ろに控えるニューロニストへと視線を移した。

 

「ニューロニスト、悪いが捕虜をもう一人ここに連れて来てくれ」

「はっ、すぐに」

 

 ニューロニストは一度跪いて頭を下げると、次には素早い動作で部屋を出て行った。あの巨大な肥満体では考えられないほどの素早さに少しだけ感心させられる。

 数分も経たぬ内に扉が再び開き、ニューロニストと二人の拷問の悪魔(トーチャー)、そして拷問の悪魔に挟まれるような形で一人の男が部屋の中へと入ってきた。

 拷問の悪魔の手によって壁に縛り付けられた男は、怯えたように身を震わせながらこちらを見つめてくる。

 ウルベルトは新たに来た男の前へと歩み寄ると、男に向けて“知られざる眼”を発動させた。

 先ほどと同じように男のあらゆる情報が頭の中へと流れ込んでくる。そして再び状態異常のところで引っかかり、ウルベルトは力の発動を止めて小さく息をついた。

 まさか冗談半分で言った自分の言葉が当たるとは思わなかった…と内心で悪態をつく。

 しかしこのままにしておく訳にもいかず、ウルベルトはさっさと行動を起こすことにした。

 

「こいつもか…。……デミウルゴス」

「はっ。『何も喋らず、動かず、大人しくしたまえ』」

 

 言葉にせずともウルベルトの意向を汲み取ったデミウルゴスがすぐさま特殊技術(スキル)を発動させた。

 耳触りの良い悪魔の声が二人の男に命を下し、その全てを縛り付ける。

 デミウルゴスの持つ常時発動型特殊技術(パッシブスキル)『支配の呪言』。

 レベル40以下の存在はデミウルゴスの言葉に逆らうことができなくなる。

 これで彼らが知らぬ間に何かしてくる心配はないだろうと判断し、ウルベルトは男たちの装備品などを調べているであろうモモンガたちに素早く〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

「モモンガさん、ペロロンチーノ。少し相談したいこと…というか、許可してほしいことがあるので氷結牢獄に来てくれないかね?」

『ウルベルトさん? それは構いませんけど…、どうかしたんですか?』

『問題発生ですか~?』

「少し気になることが出てきましてね…。意見を聞きたいので今すぐ来て下さい」

『…分かりました。すぐにそちらに行きますね』

『了解です!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉が途切れ、数十秒後に「真実の部屋」の扉が外側から開かれる。指輪で転移してきたのだろう、先ほど連絡したばかりのモモンガとペロロンチーノが室内へと入ってきた。すかさず跪くデミウルゴスやニューロニスト、拷問の悪魔たちを手振りだけで制すると、二人は真っ直ぐにウルベルトの元へと歩み寄ってきた。

 突然の高位の異形たちの登場に男たちが驚愕の表情を浮かべる。

 しかしデミウルゴスの力によって声を上げることも身じろぐことさえできない男たちを見やり、モモンガとペロロンチーノは不思議そうに男たちとウルベルトを交互に見やった。

 

「…それで、この者たちがどうかしたのか?」

「先ほど二人に“知られざる眼”を使用したのだがね…、状態異常のところでどうにも解読不明な情報が出てきたのだよ。どうやら自分自身に何かの魔法をかけている様だ」

「何かの魔法って…、何か分からないんですか?」

「全く分からない。この世界独自の魔法かもしれない」

 

 状態異常の部分を文字にするなら“?????”か“*****”だろうか。バグやエラーというよりかは、本当に解析不能な謎の状態にあるという感じだ。

 

「そこでだ、この男を使って色々と試したいと思うのだよ。捕虜を一つ無駄にするかもしれないし少々この場を散らかしてしまうかもしれないが構わないかな?」

「……仕方あるまい。だが、くれぐれも無茶はせずに慎重にな」

「お待ちを、ウルベルト様」

 

 モモンガの許可を貰い、さっそく新しく連れてきた方の男へと向き直る。

 しかしすぐに後ろに控えていたデミウルゴスから制止がかかった。

 

「そのような危険に御方々を晒すようなことなどできません。どうかここは我らに任せ、御方々は御下がりください」

「心配性だな、デミウルゴス。私なら大丈夫だ。お前たちこそ下がっていたまえ」

「ウルベルト様!」

 

 デミウルゴスの制止を無視して男へと歩を進める。

 山羊の顔に浮かぶ笑みも歩く態度も自信に満ちたものだったが、しかしそれ故にこのまま言葉に従って何もしない訳にもいかない。モモンガとペロロンチーノの身はニューロニストと拷問の悪魔たちに任せ、デミウルゴス自身はウルベルトの背後について何かあればすぐさま動けるように控えることにした。

 ウルベルトが後ろ手に合図を送ってくるのに気が付き、気が進まないながらもゆるりと口を開く。

 

「…『話すことを許可する』」

 

 特殊技術(スキル)を解いたのはウルベルトが実験に選んだ男一人のみ。

 男は恐怖に顔を引き攣らせながらキョロキョロとウルベルトや隣に縛り付けられている上司の男を交互に見やる。今から己が身に何が起こるのか理解しているのだろう、その目には死への恐怖だけではなく哀願のような色も浮かんでいた。

 しかしここに来て彼らの運命が変わるはずもない。

 ウルベルトは満面の笑みをそのままに、わざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「まずは答えやすいようにさせてもらおう。〈支配(ドミネート)〉。…さて、まずは君たち自身の状態異常について何か知っているかな?」

「…はい。恐らくそれは我らにかけられた魔法のことだと思います」

 

 〈支配(ドミネート)〉の魔法にかけられて、男が途端に虚ろな表情となって大人しく質問に答え始めた。

 

「なるほど、やはり魔法か。では、どのような魔法なのかな?」

「…ある特定の状況下で三つ質問に答えると命を落とす魔法です」

「なるほど、なるほど。それで、その魔法をかけたのはどこの誰だ?」

「スレイン、法国…の……、さいこ…し…か………ごぼっ!」

 

 三つ目の質問時、途端に言葉が途切れがちになり、全てを答えきる前に嫌な音が男の口から零れ出た。すかさずデミウルゴスがウルベルトの前に回り込み、男との距離を取らせる。瞬間、男の口から大量の鮮血が噴き出し、ビチャビチャと床を汚した。デミウルゴスのおかげで服を汚すことはなかったが、男は白目をむいて脱力しており、どこからどう見ても事切れていることが分かる。

 ウルベルトは一つ頷くと、少し離れた場所で様子を見ていたモモンガたちを振り返った。

 

「…だ、そうです」

「いや、“だ、そうです”と言われてもだな」

「でも全員が三回目で死んじゃうんだったら情報が少しも集まりませんよ」

 

 困惑するモモンガの横でペロロンチーノがマイペースに問題点を口にする。

 彼の言葉通り、今回捕まえた人間は大体40人前後で非常に少ない。未だ右も左も分からない状態で情報はいくらあっても足りないというのに、これではきちんと得られる情報は80程しかないだろう。

 しかし裏を返せば、質問に答えさえしなければ彼らにかけられた魔法は全く発動しないということだ。ならば情報収集用を少数と残りを実験用に別け、情報収集用の人間にはアイテムを使って魔法を無力化すればいい。

 情報収集用の人間はリーダーと思われる目の前の男と、後は2、3人程度で良いだろう。それくらいの人数であれば使うアイテムも少なく済むし、大した痛手にもなりはしない。どうせなら使用するアイテムも実験を兼ねたものにすればいいと結論付けると、ウルベルトはアイテム・ボックスからあるアイテムを取り出した。

 彼が握り締めているのは青紫色の液体が入った怪しい小瓶。

 唯一小瓶の正体を知っていたモモンガとペロロンチーノが慌てる中、ウルベルトは小瓶をデミウルゴスに渡して一言命を下した。

 

「飲ませて、喋れるようにしろ」

「はっ。『飲みたまえ。その後、発言を許可する』」

 

 どこまでも主に忠実な悪魔は何の迷いもなく、受け取った瓶を片手に再び特殊技術(スキル)を発動した。男の顎を鷲掴み、容赦なく男の口の中へと液体を流し込む。

 男はデミウルゴスの特殊技術(スキル)によって成す術もなく液体を含み、喉の奥へと飲み下した。液体は食道を通り、急速に身体へと吸収されていく。

 見た目は全く変化はなかったが、ウルベルトは何となく男の気配が微妙に変わったのを感じ取った。デミウルゴスも感じたのだろう、どこか不思議そうに小首を傾げ、興味深そうに男を見つめている。もしかしたら悪魔としての感覚に引っかかるものがあるのかもしれない。

 さもありなん、とアイテムの正体を知っているウルベルトは内心で納得しながら、少しだけ男へと歩み寄った。

 ウルベルトの横長の瞳孔を持った不気味な金色の瞳と、男の怯えた色を宿した漆黒の瞳が宙でかち合う。

 

「それでは始めるとしよう。〈支配(ドミネート)〉、これでよし。…まずは名前を教えろ」

「…ニグン・グリッド・ルーイン、です」

「お前たちはスレイン法国の軍人か?」

「は、い。われわれ…は……とくしゅ、こ…ぶた………ぐ、ぅっ!」

「…あれ、三回質問したっけ?」

 

 突如苦しそうな表情を浮かべて吐血する男に、ウルベルトは思わず小首を傾げた。目の前で突然人間が血を吐いて瀕死の状態になったというのに呆れるほどに落ち着いている。

 先ほどのアイテムが無事に効力を発揮すると確信しているからか、それとも悪魔としての性質故か。

 突然死にかけたことよりも何故そうなったのかという理由に思い至らず小首を傾げる。

 頭上に疑問符を多く浮かべるウルベルトに、今まで大人しく控えていたニューロニストが控えめに前に進み出てきた。

 

「ウルベルト様ん、僭越ながらウルベルト様は始めにこの男に自分が誰か分かるかと問いかけておりましたわん」

「…ああ、そう言えば。あれもカウントに入るのか…」

 

 ニューロニストの言葉に納得してウルベルトの金の瞳が男を見据える。

 もうそろそろアイテムの効果が表れる頃だろう。

 ウルベルトの予想通り、彼らの目の前で男に今までなかった変化が起こり始めていた。

 額には青紫色の魔法陣にも似た複雑な紋様が浮かび上がり、血に濡れた唇が微かに震える。虫の息だった身体が大きく痙攣し始め、まるで発作を起こしたように激しく苦しみだした。

 しかしどんなに苦しんで暴れても、その身は壁に縛り付けられているため身動き一つとれはしない。

 男の急変に驚いたのかデミウルゴスはウルベルトを守るように前に出て警戒し、ニューロニストや拷問の悪魔たちもモモンガとペロロンチーノの前に出る。何かあればすぐさま反応して男を消し炭にでもするつもりなのだろう。

 しかしウルベルトは勿論の事、モモンガとペロロンチーノも静かに男の様子を見守っている。

 彼らの目の前で男の姿はどんどん変化していった。

 ただでさえ青白かった肌は蝋の様に白くなり、バキゴキという音が男の全身から聞こえてくる。人間らしい丸みを帯びていた耳は木の葉のように鋭く伸び、こめかみ部分からは角のようなものが二本血を噴き出させながら生え始めた。苦痛から噛みしめられている歯も犬歯が鋭くなり、牙へと姿を変える。

 男はすっかり人間から異形へと姿を変えていた。

 

 

「……これは、一体…」

 

 デミウルゴスから困惑したような声が零れ出る。

 悪魔や脳喰いたちの疑問の視線に、ウルベルトは満足そうな表情を浮かべてみせた。

 

「先ほどこの男に飲ませたのは“カルマへの闇液”というアイテムで、簡単に言えばダメージを負ったら異形種へと変わるアイテムだ」

 

 ユグドラシルでは途中でアバターの種族を変える手段は幾つかあるが、その一つにアイテムによる変更がある。代表的なものだと“堕落の種子”や“昇天の羽”などが上げられるが、今回ウルベルトが使用した“カルマへの闇液”はロールプレイ色の強い少々特殊なアイテムだった。

 先ほどの“堕落の種子”や“昇天の羽”などは使用するだけで種族を変えることができ、なおかつ変えられる種族はアイテムによって決められている。しかし“カルマへの闇液”は使用しただけでは種族を変えることはできず、何かしらのダメージを受けて初めてアイテムの効果が発動するのだ。それも即死防止の効果もあるため、どんなダメージを受けても一回は即死を阻止することができるというおまけつきである。加えて変化する種族は固定ではなく、異形種ということ自体は決まっているものの、詳しい種族はランダムとなっていた。アンデッドになるのか、悪魔になるのか、獣人になるのか、半魔巨人(ネフィリム)になるのか…、何に変化するのかはその時の運次第。男の姿を見る限り、彼はどうやら小悪魔(インプ)になったようだ。数多ある異形種の中でも小悪魔を引き当てるとは、何やら因縁めいたものを感じてウルベルトは思わず興味深く男を見つめた。

 男は大分落ち着いたのか、未だ乱れた呼吸を繰り返しながらも閉じていた目を開けてウルベルトを見上げてきた。

 こちらに向けられた瞳は黒から血のような深紅に変わっており、眼球の白目部分も黒く染まっている。もはやどこからどう見ても悪魔である。

 このアイテムを人間種が使用した場合、人間種は種族レベルがないために変化した種族レベルが5レベルだけプラスされる。恐らくこの男もレベルが5レベル上がっているだろう。

 

「ふむ、無事に実験は成功のようだな。さて、気分はどうだね?」

 

 少しだけ身を屈め、視線を合わせて顔を覗き込む。

 よく見れば深紅の瞳の瞳孔は縦長に伸びており、まるで猫の目のようになっていた。

 

「………素晴らしい気分、です。まるで、新たな存在に生まれ変わった様な…」

「フフッ、まるでではなく正しく生まれ変わったのだよ。人間などよりももっと素晴らしい存在へとね。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 ウルベルトは魔法で手鏡を創り出すと、男の姿を映して見せてやった。

 この男はスレイン法国という人間種の宗教国家に属する信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。人間の神への信仰心が厚いであろうこの男が、人間の敵であるはずの異形種に変えられて一体どんな反応を見せてくれるのか大いに興味があった。

 泣き叫ぶのか、怒り狂うのか、殺してくれと哀願するのか、それとも全く別の反応を見せるのか…。

 個人的には哀願が好みだな…と内心で呟きながら、じっと男の様子を窺う。

 しかし男の反応は全く違うものだった。

 

「…は、ははっ、はははははは! これは…素晴らしい……! このようなことが可能とは…、正に神の御業っ! …あなた様方は正しく神だったのですね!」

「……ほぅ、我々が神か。…それにこの反応は、中々に興味深い」

 

 恍惚とした笑みさえ浮かべて自分たちを神と崇めだす男に、ウルベルトは強い興味を覚えた。

 自分の予想したものとは全く違った反応。悪魔となったことで感覚や性質が変わってしまったのか、それともこの男本来の性質なのか…。どちらにせよひどく興味深く、それでいて愉快に思えて仕方がなかった。

 片や神に反逆する悪魔。

 片や生を憎むアンデッド。

 片や本能に忠実な獣人。

 これほど神の敵として相応しい者はおらず、神と崇められるのに相応しくない者はいないだろう。

 しかし、それでも男は自分たちを神だと崇め、恭しく頭を垂れようとしている。

 これを愉快だと言わずして何と言うのか。

 

「フフッ、これは良い、君を気に入ってしまったよ。…君には特別に慈悲を与えてあげよう。我が忠実なシモベとなれ」

「ウルベルト様!?」

 

 デミウルゴスから驚愕の声が飛んでくる。

 声こそ上げなかったものの、背後のニューロニストや拷問の悪魔たちも驚いた様子である。

 しかしウルベルトは全く気にせずに真っ直ぐ男だけを見つめていた。

 

「これよりは私を絶対の主とし、情報は勿論の事、その身、その命、お前を形作る全てを私に捧げろ」

「はい、私の全ては貴方様のもの。この身とこの命にかけて、貴方様に忠義を尽くします」

「よろしい。…良いですよね、モモンガさん」

 

 満足な笑みと共にモモンガとペロロンチーノを振り返れば、二人はやれやれと頭を振っていた。

 

「…仕方あるまい。それに、今更反対しても聞かないだろう」

「さすがモモンガさん、私のことを良くお分かりで」

「というか、ウルベルトさん。結構最初からこの人のこと、気に入ってたでしょう」

 

 でなければこのような方法など取るはずがないと指摘するペロロンチーノに、ウルベルトはニンマリとした笑みを浮かばせた。後ろでは“お気に入り”という言葉にデミウルゴスたちNPCが少なからず反応していたのだが、幸か不幸かモモンガたち三人はそれに全く気が付いていない。

 しかしウルベルトからすればペロロンチーノの指摘は当たらずと雖も遠からずといったものだった。

 確かにこの男はウルベルトが気に入る要素を大いに含んでいたが、あくまでもその程度だ。本当に気に入ったのは先ほどの男の反応があったからこそである。

 

「否定はしないが、肯定も出来かねるな。この男が私の気に入る要素を備えていたのは事実だが、本当に気に入ったのは先ほどだよ。幾つもの偶然と流れでの結果さ」

「どうだか…。まぁ、俺も二人が良いなら別に反対はしませんけどね」

「それは僥倖」

 

 無事にペロロンチーノの許可も取り、ウルベルトは後ろ手に拷問の悪魔へと合図を送った。拷問の悪魔たちはすぐさま行動を始め、戒めを解いて男の身体を壁から解放する。

 男は一度ペタリと地面にへたり込むと、よろよろとよろめきながらもその場に跪いて頭を下げた。

 ナザリックのシモベたちと同様に一心にこちらに忠誠を誓う姿に、知らずウルベルトの笑みが深められる。

 

「ニグン・グリッド・ルーイン、栄えあるナザリックに…我らが“アインズ・ウール・ゴウン”にようこそ」

 

 男の下げられている頭が一層地面へと垂れる。

 ウルベルトは満足げに一つ頷くと、背後のニューロニストを振り返った。

 

「さて、最初から手間取ってしまったが漸く落ち着いた。残りの捕虜たちを連れて来てくれ。まずは彼らの身体を徹底的に調べるとしよう」

「はい、ウルベルト様」

 

 ウルベルトが片仮面を撫でながら笑みを浮かべる。

 ニューロニストと拷問の悪魔たちは深々と頭を下げると、すぐに立ち上がって足早に部屋を出て行った。

 恐らく残りの捕虜たちを迎えに行ったのだろう。

 彼らの背中を見送りながらニグンをデミウルゴスに任せると、ウルベルトはそのままモモンガたちの元へと歩み寄った。

 

「ありがとうございます、モモンガさん、ペロロンチーノ」

「いや、構わない。…どうやら情報収集は上手くいきそうだな」

「ええ。また進展があり次第、ご報告しますよ」

 

 自信満々に頷くウルベルトに、モモンガとペロロンチーノも表情を緩めさせる。

 幸先の良い滑り出しに気分を高揚させながら、三人は気分よく微笑み合うのだった。

 

 




遂に登場、五大最悪の一人であるニューロニスト!
悪魔をこよなく愛するウルベルトさんはニューロニストも受け入れてくれるはず…と夢見てみる……。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“知られざる眼”;
右半分を覆う鳥のくちばしのような仮面(11巻キャラクター紹介のイラスト参照)。神器級の装備アイテム。対象の名前、レベル、HPやMP残量、ステータス、状態異常などを見ることができる。しかし対象者が阻害するアイテムを装備していれば見れなくなってしまう。

*今回の捏造ポイント
・“カルマへの闇液”;
種族を変えることのできるアイテム(液体瓶)。『堕落の種子』等とは少し違い、特定の種族ではなく、異形種内でランダムに変更する。ダメージを受けて初めて効果を発揮し、即死防止の効果も備わっている。異形種に変更するアイテムであるため、異形種が使用しても全く効果がない。人間種は種族レベルがないため、人間種が使用した場合のみ種族レベルが5レベルプラスされる。
ウルベルトはガチャで何個か持っているにすぎず、勿体なくて捨てるに捨てられなかった。


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第8話 作戦会議

今回はちょっと短めです…。


 ニグンによりもたらされた情報やニューロニストたちの働きにより、モモンガたちは早急にこの世界の知識を手に入れていった。

 リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国の実状。

 スレイン法国に伝わる伝承という名の歴史。

 プレイヤーと思われる六大神と神人の存在。

 六色聖典と法国に伝わる至宝。

 他にもニグン自身も持っている“生まれながらの異能(タレント)”や、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが戦闘中使用していた謎の戦闘術―“武技”と呼ばれる、この世界特有の能力についてなど。

 カルネ村の村長から聞いたものよりも多く詳しい情報を手に入れられたことで、モモンガたちは大いに喜んだ。

 しかし彼はあくまでもスレイン法国に属していた軍人の一人にすぎず、いくら特殊工作部隊の隊長を務めていたとはいえ知っている情報にも限りがあった。スレイン法国の情報にしても全て知っている訳ではなく、リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国の情報に至っては仕方がないとはいえやはりスレイン法国の情報よりも比較的に少ない。三国以外の他の国や地域の情報に至っては未だ皆無だ。

 やはり今後も情報収集を第一方針として動く必要があるだろうと判断したモモンガたちは、第九階層の円卓の間で今後について話し合うことにした。

 円卓の間ではモモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルトの三人だけでなく、ニグンやセバスを含んだ守護者たちも揃っている。

 まずはニグンのナザリック入りと手に入れた情報を守護者たちにも伝えると、モモンガたちは漸く会議という名の話し合いを開始した。

 

 

「ニグンのおかげで情報は多く集まったが、しかし未だ分からぬことは多くある。まずはスレイン法国以外の残りの二つ…リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国についても情報を集めるべきだろう」

「一番手っ取り早いのは直接その場に行ってみることだな。百聞は一見に如かずとも言うし」

「それもあるが、いざという時の外部の繋がりも必要だろう。後は大きな情報網の確立も急を要する」

「と言うわけで、手始めに一番近いリ・エスティーゼ王国に三人で行ってきます!」

 

「「「「っ!!?」」」」

 

 ペロロンチーノの発言にNPCたち全員が驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑む。滅多に表情を動かさないセバスや表情が非常に分かり辛いコキュートスでさえ驚いていることが分かり、彼らがどれほど衝撃を受けているのかが窺い知れた。

 

「三人で…と仰いますと、まさか御方々だけで!? だ、だめです! その、そのようなことっ! どうか御考え直しください!!」

 

 動揺のあまりアルベドがどもりまくる。他のNPCたちも全員そうなのだろう、縋るような目でこちらを見つめてきた。

 彼らとて至高の主と仰ぐ主人たちの力を信じていない訳ではない。彼の御方々に敵う者など存在しないだろうと本心からそう思っている。しかしここは未だ未知の世界であり、いついかなる問題が発生するとも限らないのだ。その際、御身が少しでも危険に晒されるようであれば、彼らは決してそれを看過することはできなかった。

 

「アルベドの言う通りだ。君は連れて行けないと言っただろう。私とモモンガさんの二人で行くから、君は留守番をしていたまえ」

「いーやーでーすぅー!」

 

 シモベたちの心情も露知らず、アルベドの言葉を良いように改変してウルベルトが更に爆弾発言を言ってくる。

 ペロロンチーノは必死に抵抗したが、ウルベルトは取り付く島もなかった。

 

「君は身を偽る方法を持っていないじゃないか。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉はできても、それでは意味がないだろうし…。どうやって人間の街に紛れ込むつもりだね?」

「幻術系のアイテムがあるじゃないですか! それで人間の姿の幻を纏わせれば万事オッケーですよ!」

「駄目だ。アイテムの幻術魔法はレベルが低いし、いつ誰に見破られるかも分からない。リスクが高すぎる」

「…うぅ、そんなこと言ったらウルベルトさんだってそうじゃないですか」

 

 鋭い指摘にペロロンチーノが苦し紛れに言い返す。

 ペロロンチーノが取得している職業は弓兵を中心とした後衛が殆どであるため、全身鎧(フルプレート)を装備することができない。加えて幻術も駄目となれば鳥人(バードマン)である彼は一発で異形だとバレてしまうだろう。

 しかし、それを言うならばウルベルトとて同じはずだ。

 ウルベルトも純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため全身鎧(フルプレート)といった重装備を装備することができない。モモンガのような〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉の魔法も取得していないため、幻術も駄目ならばウルベルトとて姿を偽る手段がないはずだ。

 しかしウルベルトは不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げていた。

 

「…何言ってるんだ。俺は『人化』の魔法を取得しているから大丈夫だろ」

「「えっ!?」」

 

 何でもないことのように言われた言葉に、響く驚きの声は二つ。ペロロンチーノだけでなく、大人しく二人の口論を見守っていたモモンガも驚いたようにウルベルトを凝視していた。NPCたちも困惑の表情を浮かべてウルベルトを見つめている。

 ウルベルトは周りの反応に気が付くと、今度は反対側に首を傾げさせた。

 

「…あれ、教えてなかったか?」

「知りませんよ! いつ取得してたんですか!?」

「だいぶ前だよ、モモンガさん。…それこそ、クランに加入する前だな」

「…でも、意外ですね。『人化』なんてウルベルトさんが一番取得しそうにない魔法なのに……」

 

 呆然と呟くペロロンチーノに、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 確かに『人化』の魔法や〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉のように種族や職業を一時的に変化させたり偽ったりする魔法は万能型を目指すプレイヤーたちには人気の高い魔法だったが、魔法詠唱者(マジックキャスター)を極めようとしていたウルベルトにとってはあまり必要性のない魔法だった。少しでもウルベルトを知る者からすれば意外のなにものでもないだろう。

 しかし…。

 

「…まぁ、俺も最初は弱かったってことだな」

 

 苦笑を深めさせ、力なく肩をすくませる。

 自嘲を含んだ言葉に、モモンガとペロロンチーノは思い至るところがあり、納得して小さく頷いた。

 しかし訳が分からないのはNPCたちだ。

 一体ウルベルトの言葉の意味は何なのか、一体何があったというのか。

 困惑と疑問の色を浮かべたシモベたちの視線に気が付き、モモンガは懐かしそうに小さく眼窩の灯りを揺らめかせた。

 

「…そうか、お前たちは知らないのだったな。ユグドラシルでは一時期、“異形種狩り”というものが流行っていてな。もともと我ら“アインズ・ウール・ゴウン”は、その“異形種狩り”から異形たちを守るために結成されたギルドだったのだよ」

 

 ギルドの長であるモモンガから語られる内容に、NPCたちは一様に驚愕の表情を浮かべた。栄えある“アインズ・ウール・ゴウン”の結成理由も驚きだったが、何より“異形種狩り”があったという事実が信じられなかった。

 “異形種狩り”ということは、異形ではない存在が異形を狩っていたということだ。それはつまり、人種や亜人種といった下等生物も我ら異形の存在を狩っていたということになる。

 NPCたちが思わず怒りと屈辱に顔を歪ませる中、しかし次に飛び出てきた主たちの発言にその怒りが更に燃え上がることとなった。

 

「そう言えばモモンガさんがギルドに入ったのも、“異形種狩り”にあってたっち・みーさんに助けられたのが切っ掛けだったんですよね」

「…あぁ、そうだな。だが、ペロロンチーノさんとウルベルトさんはギルドに加入した当初から強かった記憶があるが…」

「まぁ、俺は姉ちゃんもいたから何とかなってましたけど…、それでもギリギリでしたよ。何度ロストされそうになったか…」

「それは私もだな。今でこそ“大災厄の魔”と恐れられてはいたが、始めは毎日のように殺されそうになっていたものだ。『人化』の魔法も、偏に奴らの襲撃から逃れるために仕方なく取得した魔法だったからねぇ」

「ウルベルトさんにもそんな頃があったんですね。ちょっと意外です」

「今となっては笑い話だがね。…あの頃は本当に大変だった」

「…本当に、まったくだな」

「ですね~…」

 

 しみじみと語り合うモモンガたちに、しかしシモベたちはそれどころではなかった。

 下等生物どもが“異形種狩り”などと言う身の程知らずな行動を起こしていただけでなく、その矛先が自分たちの崇拝し、敬愛する至高の御方々にも向けられていたという事実。とても容認できるものではなかった。

 円卓の間にシモベたちの激しい怒りと殺気が一気に爆発し、目に見えるのではないかと錯覚する程の濃厚さで充満していく。唯一新参者のニグンはギョッと目を見開いて冷や汗をダラダラと流し、モモンガたちも漸くNPCたちの様子に気が付いて小さく目を瞠った。

 

「ど、どうした、お前たち…?」

 

「………モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、今すぐにでもその愚か者どもを殲滅するご許可を…っ!!」

 

 アルベドがシモベたちを代表して前に進み出てくる。必死に感情を抑え込もうとしているのだろうが、その爛々と光る金色の瞳も、滲み出る怒気と殺気も全く押し殺せていない。他のシモベたちも同様で、大きすぎる威圧感にこの部屋が破壊されないことが不思議に思えてしまうほどだった。

 

「お、落ち着け、お前たち! もう終わったことだ!」

「そんなに怒ってくれなくても大丈夫だよ。“異形種狩り”に参加していた連中は粗方俺たちで返り討ちにしたり“お礼参り”したからね」

 

 慌てて落ち着かせるモモンガの隣で、ペロロンチーノも朗らかな笑みを浮かべる。

 彼の言葉通り、モモンガたちはクランを立ち上げ力を蓄えると、襲い掛かってくる“異形種狩り”を返り討ちにすると共にメンバーを苦しめた者たちに対しても“お礼参り”を行っていた。過去モモンガを標的に襲ってきた連中も、既に彼ら自身の手によって“お礼参り”済みである。

 モモンガは一度わざとらしく咳払いをすると、何とか話題を戻そうと試みた。

 

「と、とにかく、ウルベルトさんが『人化』できるのは分かった。では、やはり街に行くのは私とウルベルトさんだな」

「えーっ、モモンガさんまで!?」

 

 まさかの裏切りにあい、ペロロンチーノが悲痛な声を上げる。しかしこれ以上の反撃の言葉も思い浮かばず、もはや恨みがましく目で訴えることしかできなかった。尤もその目は被っている兜に覆われて隠れているのだが、仲間ゆえにモモンガにもウルベルトにも彼が今どんな表情を浮かべているのかが手に取るように分かった。モモンガは少し気まずそうに、ウルベルトは楽しそうな笑みを浮かべてペロロンチーノを見つめる。

 

「決まったな。そう肩を落とさずともカルネ村には行けるのだから良いじゃないか。折角だからあの姉妹を攻略でもしていたまえよ」

「…うぅ」

「えーと…、では、私とウルベルトさんで王国の街に行くということで良いな」

「ちょーっと待ったぁ!!」

「…今度はなんだ」

 

 再び声を上げるペロロンチーノにウルベルトがうんざりしたように顔を顰めさせる。一見すれば不機嫌に怒っている様にも見えただろう。しかしシモベたちは兎も角、ペロロンチーノがそれに怯むことは一切ない。椅子から立ちがるとビシィッとモモンガとウルベルトに鋭く指を突き付けた。

 

「俺が残るのは100歩譲って良いでしょう…。でも、俺が残るのに二人が仲良く一緒に冒険するのはずるいです! 我慢できません!」

 

「「……………………」」

 

 モモンガとウルベルトは思わず目――モモンガの場合は眼窩の灯りだが――を瞬かせると、互いの顔とペロロンチーノを交互に見やった。モモンガは困ったように小さく肩を落とし、ウルベルトは大きなため息をつく。

 我儘を言うなという思いもなくはないが、彼の気持ちも理解できるため強くは言い返せない。

 第一、既に彼一人を留守番させるという負い目があるため、これ以上自分たちの好きなように行動するわけにもいかなかった。

 しかし、そうなると幾つか問題が出てくる。

 

「…だが、そうなると供回りが必要となってくるだろう。いくら何でも一人で行動するのは危険だ」

「後は行動する場所もだな。複数箇所で同時に活動できるのは魅力的ではあるが…」

 

 チームを少数にまとめて行動するのと、複数に別けて行動するのとでは、当たり前ではあるがそれぞれメリットとデメリットが存在する。

 少数でまとまって行動した場合、戦力が集中するため何か不測の事態が起こったとしても対処できる確率が高くなる。しかし一度にできる行動は限られるため、得られる情報はそれ相応にしか手に入らず、外部との繋がりも一つ一つ獲得していかなくてはならない。

 逆にチームを複数に別けた場合、戦力を拡散させてしまうために、その分戦力が低下してしまう可能性は高くなる。かといって戦力を維持しようとすれば、割く人員が増えてしまい行動の手が鈍ってしまう可能性も出てくる。しかし一度に得られる情報は複数に増え、外部との繋がりも一度に複数獲得することができるだろう。

 さて、どうしたものか…と考え込む中、ずっと部屋の隅で隠れるように控えていたニグンが恐る恐るこちらに歩み寄ってきた。

 

「…あの、ウルベルト様、一つ確認させて頂いても宜しいでしょうか」

「ん? なんだね?」

「皆さまが求めていらっしゃるのはありとあらゆる情報と確立した情報網、各組織への繋がりで宜しかったでしょうか?」

「まぁ、そんなところだね…」

「…では、王国と帝国の両国へ潜入するか、一つの国へ違う身分で潜入するのはいかがでしょう?」

「ほぅ…」

 

 面白いことを聞いたとばかりにウルベルトの顔にニンマリとした笑みが浮かぶ。手振りで続けろと合図を送るのに、ニグンは未だ恐る恐るといった素振りを見せながらも再び口を開いた。

 

「身分を偽って潜入できる役柄は幾つかありますが、その中でも比較的容易かつ目的を達成しやすいのは冒険者やワーカー、商人だと思います」

「ふむ…、ワーカーというのは?」

「基本的な活動は冒険者と変わりませんが、冒険者組合(ギルド)には所属しておりません。一般的な認識は“冒険者から堕落した者たち”というものですが、ワーカーたちの活動理念や思惑は様々です。金、探求心、力への向上心、彼らなりの正義…、組合に所属していないが故に必要とされている部分も多くあります。必要悪…という奴です」

「なるほど…」

 

 ニグンの説明にモモンガたちはそれぞれ熟考の姿勢を取って考えを巡らせた。彼の進言内容は非常に興味深く、また役に立つものだった。

 冒険者にワーカーに商人…、この三つはそれぞれ違った種類の人との繋がりが重要になってくる職業であり、また名声度が高ければ高いほど得られるものは多くなる。

 例えば冒険者は人そのものとの繋がり。

 商人は同業者の商人たちと王族貴族たちとの繋がり。

 そしてワーカーは冒険者と同じく人そのものとの繋がりは勿論だが、上手くすれば闇稼業の者たちとの繋がりも作れるかもしれない。

 どれも非常に魅力的であり、活動もしやすそうだ。

 いっそのこと王国と帝国の両国にそれぞれ三チームを送り込もうかと考えるも、しかしそれには潜入できる人数が足りなさ過ぎた。

 幻術もなしに不自然なく人間の世界に潜入できるのは守護者の中ではシャルティアとアウラとマーレ。その他ではセバスと戦闘メイド(プレアデス)と一般メイド、後は角と目さえ隠せればニグンも潜入できるだろう。

 しかし戦闘メイド(プレアデス)の中でもエントマは複数の蟲で擬態しているだけなためバレるリスクは高く、シズは使う武器からして外に出すのは躊躇われた。一般メイドはレベルからして論外だ。後の者たちは完全に異形の姿をしているか、異形種特有の部分は隠せても違和感が出てしまうため連れて行けない。

 モモンガとウルベルトを含めても十一人しかいないという少なさだ。二人一チームとしたとしてもギリギリ数が足りない。

 

「…やはりある程度絞り込まなければ駄目か。冒険者と商人のチームを両国に、ワーカーのチームを王国に潜入させるか?」

「お待ちを、モモンガ様。王国は三国の中でも冒険者組合の力が一番強いため、ワーカーはそれほど多くありません。逆に帝国は冒険者の仕事をある程度国の兵がこなしてしまうため冒険者組合の影響力は低く、逆にワーカーが比較的多くいると聞きます。商人は両国とも活動はできると思われますが、帝国は現皇帝によって貴族の大半が粛清されておりますので、上流階級の繋がりを作るのは難しいかもしれません」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、王国には冒険者チームと商人チーム。帝国にワーカーチームを送ったら良いんじゃないですかね?」

「…そうだな。商人チームは初めに王国で活動し、後に帝国へ手を伸ばす形でいくとしよう」

 

 モモンガの判断にペロロンチーノとウルベルトも賛成して頷く。

 次は割く人員と潜入以外の着手項目についてだ。これはナザリックの現状と今後についても大きく関わってくるため、ナザリックの運営管理を任されているアルベドやナザリック最高峰の頭脳の持ち主であるデミウルゴスを中心に話し合いを行った。しかしそこは至高の主を崇拝し忠誠を誓うシモベたち、妙な熱情と執拗さでいかに側近くで仕えられるか白熱した舌戦を繰り広げ始めた。特にデミウルゴスとシャルティアは自身の創造主がいることもあり、他の者たちよりも一層熱が入っている。

 だがどんなに彼らが熱弁したところで最終決定するのはモモンガたちだ。シモベたちの熱量と威圧感に内心ビビりながらも、あくまでも冷静に全てを決定し、命を下していく。

 気が付けば時間は大幅に流れており、昼過ぎ頃から始まった話し合いは深夜にも及んでいた。

 

 

 

「…ふぅ、漸く決まりましたね」

「一部納得していない子たちもいるみたいですけどね」

 

 一つ軽い息をつくウルベルトに、ペロロンチーノがNPCたちを見つめながら言葉を返す。

 彼の言う通り、一部のNPCたちが恨みがましそうに部屋の隅にいるニグンを睨み付けていた。ニグンは最上位者たちの視線に冷や汗をダラダラと流し、ひたすら身を強張らせてNPCたちから目を背けている。

 何故こんな状況にあるのかと言うと、全てはウルベルトの提案と決定した人選が原因だった。

 まず王国に冒険者として潜入するのはモモンガとナーベラルの二人で、商人として潜入するのがセバス、ソリュシャン、ルプスレギナの三人。

 ペロロンチーノはカルネ村との交流と周辺の森の探索を担当し、その補佐にコキュートスとアウラとマーレが付く。

 シャルティアとエントマは商人組と連携して生まれながらの異能(タレント)や武技を持つ者の捕獲を担当し、デミウルゴスはスクロールやポーションといった消費アイテムの生産方法を探すことになった。

 アルベドとシズは留守番組としてナザリックの管理と守護を担当する。

 そして一番の問題は帝国にワーカーとして潜入するチーム。選ばれたのはウルベルトとユリ、そしてニグンだった。

 

「…ウルベルト様。恐れながら、やはりこの者の同行は承服しかねます。この者はあまりに弱く、ウルベルト様をお守りするどころか足手まといとなります」

「デミウルゴス、私は別に強さを求めている訳ではないよ。私が彼に求めているのは情報だ。それには行動を共にするのが一番手っ取り早いのだよ」

 

 情報を教えるというのは思っている以上に難しい。質問する側が明確に指示できればまた違うのだが、モモンガたちが求めるのは“この世界について”というとても抽象的なものだ。それには常識といったものも含まれており、それを教えるのは至難の業だった。

 常識ということは、教える者にとってそれは当たり前のことということだ。そんな状態で相手がどこまで知っていてどこまで知らないのか、それを判断することすら難しい。教える側も教えられる側も判断できないのであれば、行動を共にして疑問に思った時に都度質問する方が一番手っ取り早く確実だ。モモンガのチームに入れることも考えたが、ニグンには王国の冒険者の一つと一戦交えた過去があるらしく、正体がバレる可能性があるためウルベルトのチームに入ることになったのだった。

 

「とにかく、これは決定事項だ。今後はこのチームで動くことになる。何かあれば帝国については私に、王国についてはモモンガさんに、ナザリックやカルネ村、村周辺の森についてはペロロンチーノに知らせるように」

「未だ知らぬことは多い…。三日に一度はナザリックに帰還し、深夜12時より円卓の間で情報共有の場を設けることとする。もしどうしても帰還が難しい場合は、代理をたてて参加させるようにせよ」

「決行は…四日後とかの方が良いですかね。その間に必要な物は用意しておくように」

「「「「はっ!」」」」

 

 ペロロンチーノの号令にシモベたち全てが跪いて深々と頭を下げる。

 しかしデミウルゴスとアルベドはすぐさま立ち上がると、ツカツカと足早にニグンの元へと歩み寄っていった。

 

「…さて、ウルベルト様のご意思であれば仕方がありません。貴方はウルベルト様に同行するという名誉を賜ったのです。これから決行日のギリギリまでシモベとしての振る舞いや心づもりなどをきっちりと指導してさしあげましょう」

「ええ、そうね。私は留守を任されたためウルベルト様をお守りすることができない…。貴方にはきっちりと私たちの代わりを務めてもらわないとね」

「あ、あの…デミウルゴス様? ア、アルベド様…?」

 

 デミウルゴスとアルベドを見上げるニグンの顔が蝋の様な白から悲惨な青に変わる。泣きそうに深紅の瞳を潤ませて顔を引き攣らせるニグンに、しかし二人の悪魔は笑みを湛えたまま有無を言わせずガシッと彼の肩を両側から鷲掴んだ。

 一瞬宙をさ迷ったニグンの視線とウルベルトの視線が合わさり、慈悲を乞うような色を向けてくる。

 しかしウルベルトは一つ小さな息をつくと、ただ力なく手を振るだけに留めた。

 

「…あぁ、まぁ…ほどほどにな、二人とも」

「はい、勿論です、ウルベルト様」

「それでは御前を失礼いたします、モモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様」

 

 優雅な礼を取って退室していく二人の手には未だしっかりとニグンの肩が握られている。ニグンは悲鳴を上げることすら叶わず、まるで罪人か生贄の様に二人に連行されていった。

 何とも言えない微妙な雰囲気が円卓の間に漂う。

 気を取り直したNPCたちが礼と共に円卓の間を下がる中、残されたモモンガたちだけが未だ微妙な表情を浮かべていた。

 

「…大丈夫なんですか、あれ」

「………大丈夫だろ、多分」

 

 微妙な表情を浮かべたまま微妙な会話を交わす二人に、モモンガが疲れたように肩を落とす。気を取り直すように一つ息をつくと、NPCたちが誰もいなくなったことを再度確認してから改めてペロロンチーノとウルベルトを見やった。

 

「でも、何とか決まりましたね。本番はこれからですが、まずは一安心です」

「NPCたちのあの妙な威圧感は予想外でしたけどね。…あ~、でもやっぱり俺も街に行ってみたかったな~」

「今はカルネ村で我慢しろ。こっちも何か方法がないか探しておくからさ」

「うぅ、お願いします…」

 

 見るからに肩を落として落ち込んで見せるペロロンチーノに、思わず小さな苦笑が浮かぶ。しかしモモンガも内心では少し気落ちしていた。またユグドラシルの時の様に仲間たちと冒険ができると思っていたのだ、ナーベラルもいるとはいえ自分一人で行動しなくてはならないというのが残念でならない。仕方がないこととはいえ、何とかならないものかとつい考えてしまう。

 モモンガとペロロンチーノが二人で肩を落とす中、一人ウルベルトだけが楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

「じゃあさ、いっちょ勝負しないか?」

「勝負、ですか…?」

「三人で冒険はできないけど、勝負はできるだろ? 例えば、どっちが先に名声をこの世界に轟かせられるか競争といこうじゃないか。ペロロンチーノの場合は名声じゃなくて、そうだな…あの姉妹を落とせたら勝ちってのでどうだ?」

「それは…確かに楽しそうですね」

「…フッ、このエロゲー・マスターの俺に勝負を挑むとは笑止。絶対に俺が勝ーつっ!!」

「おっ、言ったな」

 

 途端に楽し気な笑い声が円卓の間に響き渡る。

 モモンガはずっと望んでいた光景が再び目の前にあることに、そっと柔らかく眼窩の灯りを揺らめかせた。

 

「まぁ、作戦決行まではまだ時間はありますし、ゆっくりじっくり準備するとしますか」

「何か要り様のものがあれば俺に言え。素材があれば作ってやるよ」

「わぁ、良いんですか! 是非よろしくお願いします!」

 

 これから訪れる未知の冒険を胸に、モモンガたちの会話は止まらない。まるで遠足に興奮して眠れぬ子供の様に、睡眠が必要であるはずのペロロンチーノも巻き込んで三人の議論は長々と続いた。

 朝の到来を告げに一般メイドが来るまで、円卓の間が普段の静けさを取り戻すことはなかった。

 

 




最初からニグンさん大活躍!
でもただいま若干ニグンさんの口調が迷子中です…。違和感などありましたら申し訳ありません…orz

次回からはモモンガさんたちは別々に行動です。
若干メンバーが原作とは変わったチームもあり、これからどうなっていくのか私も不安です…(汗)


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第9話 初日と企み

今回はウルベルトさんの回です。


 清々しい晴天と気持ちのいい陽気。

 この世界ではまだまだ珍しい石や煉瓦に覆われた道に、活気のある街並み。

 ここはバハルス帝国、鮮血帝と名高いジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝がおわす帝都・アーウィンタール。

 中央には煌びやかな皇城が悠然と佇み、放射線状に帝国魔法学院や大学院、各種行政機関が整然と広がっていた。一番人通りの多い中央道路は馬車専用の道と歩道とで別れており、防護柵や段差で整備され、街灯も設置されている。至る所に多数の騎士が警備に立ち、治安は非常に良好だ。隣国であるリ・エスティーゼ王国の王都に比べると、その設備も治安の良さも段違いであり、非常に近代的な都市である。

 立ち並ぶ多くの店もそれ相応のものが多く、その中に一件の年季の入った店が佇んでいた。

 強い風に小さく揺らめく看板には“歌う林檎亭”と書かれている。朝方から多くの客で賑わうその店は、帝国に存在する多くのワーカーチームが拠点として利用する酒場兼宿屋だった。

 一階を酒場兼食堂、二階を宿屋として運営している“歌う林檎亭”は、年季の入った外見とは裏腹に内装は意外としっかりしている。隙間風などなく、酒場でもあるのに清潔感もあって、壁も床も綺麗に磨かれゴミ一つない。値段はそれなりにするものの主人の作る料理も美味いと評判で、“歌う林檎亭”はいつも明るい賑わいに溢れて大繁盛だった。

 今日も朝から多くの人間が出入りし、注文の声と話し声、笑い声が一階の食堂に溢れている。

 明るい賑わいを見せる中、不意に宿屋となっている二階から二十代の若い男がのそのそと階段を下りてきた。

 

 

「…ふわぁ、はよ」

 

 金髪の短い髪を一部赤く染めている男は、眠そうに大欠伸を零しながら食堂の中を進む。器用に多くの人やテーブルや椅子の間をかき分け、一つのテーブルに座る三人組の若者へと片手を上げて声をかけた。

 

「漸く起きたのね。遅いわよ、ヘッケラン」

「おはようございます、ヘッケラン」

「おはよう…」

 

 声をかけられた三人組は呆れ顔、笑顔、無表情とそれぞれ浮かべて順々に挨拶を返してくる。

 ヘッケランと呼ばれた金髪の男は漸く寝ぼけていた顔を引き締めさせると、快活とした笑みと共に彼らと同じ席に着いた。

 

 彼らは“歌う林檎亭”を拠点とする四人組ワーカーチーム“フォーサイト”。比較的年齢層が若く、四人組という少人数のワーカーチームだ。

 リーダーは先ほど二階から下りてきた男で、名をヘッケラン・ターマイト。

 二振りの剣を自在に操る軽装戦士で、“フォーサイト”の唯一の前衛担当である。

 ヘッケランの右隣に座っているのは同じ年頃の一人の女性で、名をイミーナ。

 紅色の長い髪を頭の高い位置に二つに纏めており、人間とは違う長く尖った薄い耳が露わになっている。ぴっちりとした皮の鎧を纏う身体には女性らしい膨らみやまろやかさは一切なく、まるで少年のような体付きだ。腰には小さな短剣しか装備されていないが、彼女は優れた野伏(レンジャー)であり、腕の良い弓兵でもある。

 ヘッケランの左隣に座っているのはチームの最年長者である男で、名をロバーデイク・ゴルトロン。

 短い金髪の髪に、整えられた顎鬚。三十代らしい大人っぽい顔には落ち着いた笑みが浮かんでおり、神官らしい落ち着いた雰囲気が男から発せられていた。

 最後に、ヘッケランの正面に座っている少女が、名をアルシェ・イーブ・リイル・フルト。

 未だ十代の少女でありながら既に第三位階魔法まで使いこなせる天才魔法詠唱者(マジックキャスター)である。加えて彼女にはある生まれながらの異能(タレント)も宿っており、その若さにして既に十分な主戦力となっていた。

 メンバー全員が相当な実力の持ち主であり、帝国では中々に名の知れたワーカーチームである。

 

 

「みんなはもう朝飯は食ったのか?」

「当たり前でしょ。こんなに遅くに起きてくるなんて、昨日は何やってたのよ」

「えーと、そのぉ…」

「確か親交を深めるために他のワーカーチームの方々と飲み比べをしていましたね」

「ばっ、ロバー!」

「…はぁ、そんな事だろうと思った」

 

 呆れた表情を浮かべるイミーナに、ヘッケランは小さく肩を縮み込ませる。

 しかしすぐさま気を取り直すと、近くを通りかかった店員に“本日のおススメ”を頼んで改めて仲間たちに目を向けた。

 

「それで、これからどうするの? 確か新しい依頼はまだなかったわよね」

「いや、実は昨夜遅くに新しい依頼が来たんだ」

 

 店員が運んできたパンと野菜シチューを受け取り、早速スプーンを掴んで口へと運ぶ。湧き出る食欲の赴くままに勢いよくパンに齧り付き、スープを喉の奥へと流し込んだ。

 表面はパリッとしていながらも中はふわもちのパンに、野菜の旨味を引き立たせた濃厚でいてさっぱりとした後味のスープ。

 やはりここの飯が一番うまい、と内心で何度も頷きながら、ヘッケランはパンの最後の一欠けらを口の中へと放り込んだ。

 

「新しい依頼って一体どんな依頼なのよ」

「あぁ、それが…」

 

 訝しげな表情を浮かべる面々に、ヘッケランも説明しようとスプーンを掴んでいる手の動きを止める。

 しかし彼の口は言葉を紡ぐ前に中途半端に開いた状態で停止した。呆然と呆けた表情を浮かべるヘッケランに、他の仲間たちが訝し気に首を傾げる。一体何を見ているのかと彼の視線を辿り、瞬間彼女たちも一様に呆けた表情を浮かべた。

 あんなに騒がしかった店内はシーンっと静まり返り、部屋中を走り回っていた店員たちでさえ呆けた表情を浮かべてその場に立ち尽くしている。

 この場にいる全員が見つめている先は全て同じであり、それらは外の扉から店内に入ってきた三人の人影に向けられていた。

 店内に入ってきたのは二人の男と一人の女。

 男、女、男の順に一列に並び、静まり返る店内を気にした様子もなく颯爽と店の中へと足を踏み入れてくる。

 何故この場にいる全員がそんなにも彼らを注視しているのか…。それは偏に彼らの美貌とその身に纏う見慣れぬ服装や装備が原因だった。

 先頭を歩く男は二十代後半だろうか。

 褐色の肌に切れ長な金色の瞳。雪のような真っ白い髪は肩よりも少し長く、綺麗に後ろに流していながらも柔らかですべらかな髪質なのか幾束かは前に垂れ下がって微かな風にも揺らめいている。右目にはモノクルと首には黒い革製のチョーカーを着け、両手には中途半歩に短い漆黒のグローブ。手足の長いスラッとした細身の身体に纏っているのは七分丈の白いシャツにダークワイン色の袖のない上着で、不思議な色合いの漆黒のロングコートを肩にかけている。黒のボトムを履いている左足の太腿から腰に掛けてベルトを装着しており、そこには不思議な(ステッキ)が一本収まっていた。

 次に、男のすぐ後ろに付き従っているのは長身の美女。

 きめ細かな白皙の肌に、涼しげでいてぱっちりとした瞳。艶やかな長い黒髪は後頭部の高い位置に団子にしてまとめており、細いフレームの眼鏡と相俟って涼やかな清涼感を漂わせている。首には青と銀のチョーカー。華奢でいて女性らしい凹凸を持つ身体は白いシャツと焦げ茶色のケープを纏い、コルセット型の皮鎧の下からは漆黒のロングスカートと腰布が垂れ下がっている。一見どこかの貴族の令嬢にも見える彼女は、しかしその両腕にはひどく似つかわしくない仰々しいまでのガントレットが装備されていた。

 最後に彼らの最後尾を付き従うのは性別しか窺い知れぬ一人の男。

 純白のフード付きのマントを目深に被り、露わになっているはずの顔には漆黒の仮面が上半分を覆っている。唯一見える鼻から下の肌は蝋の様に白く、仮面から覗く左側の頬から顎先にまで走る一本の傷跡が妙に印象的だった。服装や装備品はマントに隠れて一切見えなかったが、体格は三人の中で一番良いように見える。

 最後尾の男は仮面を被っているため分からないものの、他の男と女は正に美男美女。

外を歩けば100人中100人が必ず振り返るだろうと確信するほどの美貌。加えて三人ともが一目で分かるほどに質の良い服と装備を身に纏っている。これで見るなという方が無理な話だろう。

 しかし彼らは自分たちに向けられている多くの視線などまるで感じていないかのように、どこまでも自然な動作で一番奥のカウンターまで歩み寄っていった。

 

 

「失礼ですが、あなたがこちらのご主人でしょうか?」

 

 カウンターの奥に立つ店の主人に声をかけたのは先頭を歩いていた男。

 薄く形の良い唇から零れ出る声音は不思議な深みがあり、丁寧な口調と相俟ってどこまでも甘く柔らかく感じられた。

 

「あ、あんたたちは…」

「申し遅れました。私はレオナール・グラン・ネーグルと申します。彼女はリーリエで、彼はレイン。こちらの宿屋は多くのワーカーチームの拠点として仲介役もしていると伺ったのですが…」

「あ、あぁ…ワーカーに依頼かい? それなら丁度…」

「いえいえ。実は我々も本日よりワーカーとして活動しようと考えておりまして、是非ともこちらを拠点として利用させて頂きたく伺った次第なのです」

「………は……?」

 

 あの厳格な店主の口から間の抜けた声が零れ出る。

 しかしそれも仕方のないことだろう。

 なんせ目の前の三人組からは一種の暴力的な雰囲気は一切感じられず、少しも戦えるようには見えないのだ。どちらかというとお忍びの貴族一向のようで、決して強そうにも見えない。

 ワーカーになってもすぐに挫折するか命を落としてしまうのではないだろうか。

 

「…あー、お前さんたち全員聞いたことのねぇ名だが、まさかまったくの初心者かい?」

「と、言いますと?」

「ワーカーってのは今までの伝手や名声で客と依頼を引き寄せる。だから大抵はじめは闘技場で戦ったり、冒険者や他のワーカーチームに加入して伝手や名声を作ってから独り立ちするんだ」

「なるほど、なるほど。確かに残念ながら我々は闘技場に参加したことも冒険者になったこともありません。しかし心配は無用です。伝手も名声も、今からでもどうとでもなる。その助言だけ、有り難く受け取らせて頂きます」

 

 聞きようによっては男の言葉は傲慢なものに思えただろう。しかし何故かこの場にいる全員とも、まったくそう感じることはなかった。それどころか底知れぬ男の態度に無意識に背筋を震わせ、畏怖にも似た感情を湧き上がらせる。

 男はこの場にいる人間全員の気を呑んだことにも頓着せず、ただ店主と二言三言会話して二階の宿の一室を借りると、店に入ってきた時と同様に一列に階段の奥へと消えていった。複数の足音が徐々に遠ざかり、二階の奥の方で小さく扉の閉まる音が微かに聞こえる。

 瞬間、今まで静寂が支配していた食堂に勢いよく喧騒が爆発した。

 誰もが興奮したように近くの者に話しかけ、湧き上がる感情そのままに捲し立てる。中には顔を真っ赤に染め上げて、うっとりと三人組が消えていった階段の奥を見つめる者さえ多くいた。

 

「おいおい、見たか! 何だよ、あれ!?」

「すげぇ美男美女だったな。それにあの装備…、一体どれほどの価値があるんだ?」

 

「…はぁ、リーリエさんかぁ。なんて美しい人なんだ。俺、本気で惚れちゃったかも…」

「確かに綺麗な人だったわね。でも、そんなことよりもレオナール様よ! あの洗練された物腰に、礼儀正しい口調。それに何よりあのかっこよさ!」

「ここを拠点にするってことは、ここに来ればまた会えるのよね!? あ~ん、通い詰めちゃおうかしら~」

 

「あのフードの男は何だったんだ? あいつだけは一切何も分からなかったな…」

「でもあの二人と同じチームなのよ? きっとあの人もイケメンだと思うわ!」

 

 まるで王族や英雄に会った子供の様に、誰もがはしゃいで声を弾ませている。

 ヘッケランたち“フォーサイト”の面々も決して例外ではなく、無意識に大きな息を吐き出しながら互いに顔を見合わせた。

 

「…なんていうか、いろんな意味で凄かったわね」

「そうですね…。見た目や雰囲気はどこかの貴族の子息のように感じましたが、何にせよある意味大物であることは間違いないでしょう」

「だな…。でも、どうにも強そうには見えないんだよなぁ。アルシェは何か感じたか?」

 

 ヘッケランの問いかけに、自然とイミーナとロバーデイクの視線も少女へと向けられる。

 少女はじっと三人組が消えた階段の奥を見つめると、視線を戻して小さく頭を振った。彼女にしては珍しく、困惑したように眉を寄せている。

 

「…分からない。少なくとも、レオナールって人とリーリエって人からは何も見えなかった。…レインって人は見えたけど、あの人は強いと思う。多分…高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)で……信じられないけど、第四位階魔法も使えると思う」

「第四位階っ!?」

 

 信じられない言葉に三人ともが思わず驚きの表情を浮かべる。

 第四位階といえば相当の熟練者のみが達せられる領域であり、魔法詠唱者(マジックキャスター)として大成した者のみである。

 

「そいつは…、すごいな。相当な実力者じゃないか」

「他の二人も同じだけの実力者なのかしら…?」

「それは流石にあり得ないだろう。そんな奴がポンポンいたらたまったもんじゃねぇ」

「…まぁ、確かにね」

「では、あのフードの方がリーダーなのでしょうか?」

「うーん、そうは見えなかったけどなぁ…」

 

 顔を顰めさせるヘッケランに、イミーナも微妙な笑みのような表情を浮かべる。ロバーデイクやアルシェも少なからず同じような表情を浮かべており、彼らは思わず全く同じタイミングでため息にも似た大きな息を吐き出した。

 これ以上あの三人組について話しても想像の域を出ず、仕方なく取り敢えずは様子見という形でこの話は終わらせる。今はそれよりも話しておかなければならないことがあり、ヘッケランは気を取り直して仲間たちに新たな任務について話すことにした。

 未だ興奮冷めやらぬとばかりに騒がしい店内。

 “フォーサイト”の面々も他の客たちも、誰一人として階段奥の影から自分たちを見つめている存在がいることに気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “歌う林檎亭”の宿の一室を借りて十数分後…――

 暫く階段奥の影で一階の食堂の様子に目を走らせ耳を聳たせていたレイン――ニグン・グリッド・ルーインは、そろそろ良いだろうと見切りをつけてそっと静かに踵を返した。階段の板の軋みも、靴音が地面を蹴る微かな音さえ立てぬように細心の注意を払いながら目的の部屋へと歩を進める。見えてきた木の扉を小さくノックすれば内側から小さく開かれ、レンズ越しの美しい瞳がこちらを覗き込んできた瞬間に扉が大きく口を開いた。身体の向きをずらして道を空けてくれるリーリエ――ユリ・アルファに一言礼を言い、部屋の中へと足を踏み入れる。

 外装からは想像がつかないほどに小奇麗な内装が視界に広がり、部屋の中心に置かれた質素な寝椅子(カウチ)に寝そべるように座る主の姿が目に飛び込んできた。

 

「…戻ってきたか。ご苦労だったね、ニグン」

「遅くなりまして申し訳ありません」

「いや、構わないよ」

 

 主の目の前まで歩み寄り、片膝をついて深々と頭を下げる。

 寝椅子(カウチ)に寝そべっていたレオナール・グラン・ネーグル――ウルベルト・アレイン・オードルはゆっくりと身を起こすと、柔らかな笑みを浮かべて未だ跪いているニグンを見下ろした。

 背もたれに深く身を預け、扉から離れてこちらに歩み寄ってくるユリをチラッと確認しながら長い足を組む。手振りでニグンに頭を上げて立つように促すと、近くのローテーブルの上に置いてあるユリが用意してくれた紅茶のカップをそっと手に取った。

 足を組んだまま優雅な所作で紅茶を飲む様は気品に溢れ、一階の食堂で客たちが噂し合っていたように貴族そのもののように見える。

 しかしウルベルトは全くそのことに気が付かず、カップを口から離すと改めてニグンへと金色の瞳を向けた。

 

「それで、彼らの様子はどうだった?」

「皆、我々の話で盛り上がっておりました。特にウルベルト様とユリ殿の容姿や我々の装備については強い関心を持ったようです」

「ふむ…、まぁ強い印象を植え付けられたのなら上々か。ふふっ、ユリが美人で助かったな」

「そんな! …ウルベルト様にそう言って頂けるとは、望外の極みにございます」

 

 ユリの白皙の頬が一気に紅色に染まり、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな笑みを浮かべて深々と頭を下げる。

 ウルベルトはフフッと軽い笑い声を零すと、組んでいる足を逆側に組みかえた。

 

「これから如何いたしますか?」

「折角、主人から助言をもらえたんだ。ここは大人しく従おうじゃないか」

「それでは、これより冒険者に?」

「いや、まずは闘技場に参加して我らを売り込むことにしよう。後は、そうだな…人助けでもしてみるか」

「人助け…ですか…?」

 

 ウルベルトの言葉の意味が分からず、ニグンが思わず小首を傾げる。

 ユリもウルベルトの真意を測り兼ねているのだろう、表情は変わらぬものの言葉を発さず、まるで観察するように真っ直ぐにウルベルトを見つめていた。

 

「そう、例えば…街の外に出た際に強いモンスターに襲われてしまうなんていう不慮の事故なぞ、この世界では別段珍しいことではないだろう? その時、もし危機一髪で誰かに助けられたら彼らはどんな印象を持つ?」

「なるほど…、そういう意味の“人助け”ですか」

「ふふっ、それに命の危機からの救済の記憶というものは誰しもが少なからず美化してしまうものだ。そうだな…襲われる者たちが今日一階の食堂で我々を見た者たちなら望ましいな。ワーカーなどの同業者であれば尚良い」

 

 今回は言葉にされずともウルベルトの言いたいことが分かり、ニグンは先ほど観察していた光景を頭に思い浮かべた。

 確かにワーカーチームだと思われる団体が三ついたはずだ。

 彼らが話していた内容も頭に蘇らせ、それらを反芻しながら口を開いた。

 

「…確かワーカーチームは三ついた筈です。彼らの話の内容から、おそらく薬草摘み、護衛、カッツェ平野でのアンデッド退治の依頼をそれぞれ受けていると思われます」

「アンデッド退治か…。それなら不慮の事故が起こっても何ら不思議ではないな」

「ですがアンデッド退治よりも護衛の方が多くの者に印象付けられるのではないでしょうか」

「…ふむ、確かにそうだな………」

 

 ニグンの意見に、ウルベルトは長い指を顎に沿えて思案するように小さく目を細めさせた。ひらりと手のひらを返し、指先で顎下を擽るように撫でる。本性の山羊頭の悪魔の姿であれば顎髭を扱いていただろう指が、今は毛皮に覆われていない肌を代わりに撫で摩っていた。少し物足りなさを感じるものの、しかし構わずニグンの言について思考を巡らせる。

 確かに彼の言う通り、名声を高めるのが目的ならば対象者が多ければ多いほど名声を得られる確率は高まるだろう。後は任務開始のタイミングが重要問題だ。

 ウルベルトは口を開きかけ、しかし一瞬動きを止めると次には大きなため息を吐き出した。

 気だるげに片手で髪を乱暴にかき上げ、チラッと頭上の天井へと金色の瞳を向ける。

 

「………影の悪魔(シャドウデーモン)…」

 

 ザワッと天井が微かに騒めく。

 ニグンが思わず驚愕の表情を浮かべて天井を見上げると、天井の影がザザッと独りでに走ってウルベルトの足元まで伸びて止まった。

 まるで床のシミの様に一瞬停止し、次にはググッと大きく広がって上へと浮き上がる。柱のようになっていた漆黒の影が四つに別れ、四体のシャドウデーモンが跪いた状態で姿を現した。

 

「っ!!」

「…お前たち、私たちがナザリックを出てからずっとつけて来ていただろう。誰の命令……いや、言わなくていい。どうせアルベドかデミウルゴスの仕業だろう」

「ご慧眼、恐れ入ります」

 

 シャドウデーモンの四体のうちの一体が一層頭を下げる。ウルベルトの言葉に対して明確に答えてはいなかったが、その言葉は肯定しているようなものだった。

 恐らくアルベドとデミウルゴスが秘密裏に護衛として彼らに命を下したのだろう。

 ニグンは知る由もなく気が付くこともできなかったが、ウルベルトは勿論の事、ユリも知っていたか気が付いていたのか少しも驚いた様子はなかった。

 ウルベルトは組んでいた足を解いて立ち上がると、シャドウデーモンたちに歩み寄って彼らを見下ろした。

 

「まぁ良い。お前たちも話は聞いていただろう? 二体ずつに別れて、それぞれ護衛任務とアンデッド退治の任務についたワーカーチームに張り付け。任務を開始したら一体は見張りに残り、もう一体は私に知らせに来い」

「……それでは、御身の護りが…」

「私の心配はしなくていい。それに…私の命令とアルベドやデミウルゴスの命令、お前たちはどちらを優先するつもりだ?」

 

 ウルベルトの声が最後、一気に低く下がる。

 気温も一気に下がったように感じて、ウルベルト以外のこの場にいる全員がゾクッと背筋を震わせて血の気を引かせた。恐怖で全身が震え、冷や汗が滝のように吹き出てくる。

 

「も、申し訳ございません。全てはウルベルト様の御意のままに…!」

「では行け」

「はっ!」

 

 シャドウデーモンたちは怯えたように身を縮み込ませると、深々と一礼してすぐさまその身を地面の底へと沈み込ませた。四つの気配が部屋から消え、痛いほどの静寂が辺りを包み込む。

 ウルベルトが小さな息をついたと同時に張りつめていた空気が緩み、ユリとニグンは無意識に止めていた息を吐き出した。脱力して頽れそうになりながらも何とか踏み止まり、小刻みに震える呼吸を何とか整えようと試みる。

 未だ恐怖を引きずっている二人に、しかしウルベルトは柔らかな微笑みを浮かべて彼らを振り返ってきた。

 

「さて。では、まずは闘技場へ行くとしよう。その後は折角だから街を見て回るとしようか」

「…はい、ウルベルト様」

「ウルベルト様の御意のままに…」

 

 ユリとニグンが深々と頭を下げる。

 ウルベルトはニンマリとした笑みを満面に浮かべると、一つ頷いて快活と足を踏み出した。勢いよく扉を開けて部屋を出て行くウルベルトに、ユリとニグンもその後に続く。この宿屋に来た時と同じように一列に並び、ウルベルトを先頭にして一階の食堂を通って街へと繰り出した。

 食堂では再び客たちが騒ぎを起こしていたが、ウルベルトたちは気にする様子もない。街の中でも多くの人々の視線を集め、すれ違う者たちは全員振り返って二度見してくるため一々気にしても仕方がなかった。

 まるで現実世界にあった神の神託を聞いた男が海の中を歩く物語の様に、多くの人々が波のように引いてウルベルトたちに道を空けていく。警備しているはずの騎士たちも目を見開いて凝視してくる中、ウルベルトたちは迷うことなく目的地である闘技場へと辿り着いた。

 ナザリック地下大墳墓の第六階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)に似た、しかしやはり少々見劣りする闘技場の中へと足を踏み入れる。

 既に試合が終わっているせいか中には人は少なく、イメージよりもガランとしていた。

 ウルベルトは受け付けはユリとニグンに任せると、一人この場を見学するように周りを見回した。

 壁にはこの闘技場に属する剣闘士や常連の参加者たちの名前、興業主(プロモーター)たちの名前が刻まれている。通常であればこの世界の文字などは読めないのだが、ウルベルトは装備しているモノクルに宿る解読の力によってそれを読み解くことができた。しかしいくら読めたとしても、当たり前ではあるが見知った名前は一切ない。

 退屈になってきて湧き出てきた欠伸を噛み殺す中、ユリとニグンが戻ってきたことに気が付いてそちらを振り返った。

 

「おかえり。無事にエントリーはできたかな?」

「はい。対人戦のトーナメントは既に埋まっておりましたが、モンスター戦でエントリーすることができました」

「いつだ?」

「二日後です」

「ふむ…」

 

 ウルベルトは少しだけ考え込むと、すぐさま笑みを浮かべて安心させるようにユリとニグンへと頷いてみせた。

 

「分かった。二人ともご苦労だったね」

「…これから如何なさいますか?」

「宿屋でも言った通り、少しだけ街中を見て回ろうと思う。確か皇城近くの広場や北市場が賑わっているんだったな…。珍しい物がないか見てみよう」

 

 ウルベルトの言葉にユリとニグンが頭を下げることでそれに応える。

 三人はウルベルトを先頭に再び街中へと足を踏み出すと、まずは広場の方向へと足先を向けた。

 帝都の中でも一際賑わう広場と北市場。

 多くの屋台や露店が並ぶ広場と、ワーカーや冒険者が冒険で見つけたアイテムや不用品などを売っている北市場を順に巡りながら、ウルベルトたちは物見遊山を楽しんで何事もなく“歌う林檎亭”へと戻っていった。

 ナザリックを出てからの初めての一日。

 その日は何事もなく終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が過ぎ、夜の闇に染まった空が白け始めた頃…――

 

 

「…ウルベルト様」

 

 寝台の上に横になっていたウルベルトは、柔らかくかけられた声に静かに閉じていた瞼を開けた。

 目だけでチラッと横を見れば、こちらを覗き込んでいるユリと目が合う。

 何も言わず目を細めさせるウルベルトに、ユリは心得たように一度礼を取った。

 

「先ほどシャドウデーモンが知らせに参りました。護衛任務を受けているワーカーチームが動いたとのことです」

 

 端的に報告してくるユリに、ウルベルトは次には笑みの形に目を細めさせた。

 フゥッと一度深く息をつくと、流れる様な動作で上体を起こす。

 前に流れ落ちてくる長い髪を鬱陶し気にかき上げると、寝台から立ち上がって改めて目の前の光景へと目をやった。

 先ほどは視界に入らなかったが、ユリの後ろには一体のシャドウデーモンが跪いており、ニグンも部屋の隅に控えるように立っている。

 ウルベルトはサッと軽く身形を整えると、ユリから上着のコートを受け取って自身の肩へと引っ掛けた。

 

「それは僥倖。早速ゲームを始めようか」

 

 ニンマリとした悪戯気な笑みを浮かべるウルベルトに、ユリとニグンとシャドウデーモンはほぼ同時に跪いて頭を下げた。

 

 




次回はペロロンチーノ様の回予定で、時間の流れを合わせて交互に書く予定です。
原作と同じ場面はなるべく書かないようにしようと思うので、少しの間モモンガさんの登場シーンは少なくなります。
申し訳ありません…。
今のニグンさんの強さは漆黒聖典と同じくらいか少し弱いくらいです。
因みにウルベルトさんたちが使っているお金はニグンや陽光聖典が持っていたお金です。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈無限の変化〉;
人種(人間)になれる魔法。アインズの〈完璧なる戦士〉と同種類の補助魔法。人間種以外の種族でのスキルや人間種ではなれない職業でのスキルが使用できなくなる。ステータスも種族変化でそれぞれ上下する。ただ人間種でないと入れない街や組織やダンジョンに入ることができるようになり、属性での弱点も変化する。世界級アイテム以外で見破ることはできない。
・“トゥルース・ミラー”;
モノクル(片眼鏡:右)の聖遺物級アイテム。文字の解読や翻訳能力があり、ダンジョンの罠やトラップなどを見つけることが出来る。

『人化』したウルベルト様、ワーカーでのユリ、小悪魔&ワーカーでのニグンのイメージイラストを描いてみました。
お目汚しかと思いますが、少しでもご参考にして頂ければと思います。
イメージを壊したくない方はスルーして下さい…。






ウルベルト様:
【挿絵表示】

ユリ:
【挿絵表示】

ニグン:
【挿絵表示】


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第10話 取引と交流

更新が遅くなってしまい、申し訳ありません…。
それなのに話が短くて本当に申し訳ありません…(汗)
今回は前回でも言っていた通り、ペロロンチーノ様回になります!


 王国へ向かうモモンガとナーベラル、帝国へ向かうウルベルトとユリとニグンをそれぞれ見送ったペロロンチーノは取り敢えずナザリックのことはアルベドに任せてコキュートス、アウラ、マーレを伴って大森林へと出かけていった。大森林の探索はコキュートスとアウラに任せ、まずはマーレを連れてカルネ村へと向かう。

 日にちは経っているものの王国戦士長と名乗っていた男がいないか用心深く確認しながらペロロンチーノは村の中へと足を踏み入れていった。エンリやネムはいないかと周りを見回し、ふと見覚えのある背を見つけてそちらへと声をかけた。

 

「…村長さん、調子はどうですか?」

 

 明るい声を意識しながら村長の元へと歩み寄る。

 村長は驚いたように一瞬ビクッと身体を震わせると、こちらを振り返って安堵の表情を浮かべた。にっこりとした笑みを浮かべ、村長もペロロンチーノの元へと歩み寄ってくる。

 

「これは…ペロロンチーノ様! 本当に来て頂けるとは思っておりませんでした」

 

 笑顔と共に歓迎され、ペロロンチーノも自然と満面の笑みを浮かべる。

 

「折角助けられたんだから仲良くしたいですし、俺も少し気になっていたので…。順調に復興が進んでいるようですね」

 

 周りを見回しながら話すペロロンチーノに、村長も村の中をぐるっと見回した。ペロロンチーノの言葉通り、村の至る所ではそれぞれ復興作業が行われている。しかし順調かと言われれば、それは小首を傾げざるを得なかった。

 荒らされた田畑や壊された家々の修復、村を囲むようにして作られていく簡素でいてみすぼらしい柵。

 作業しているのは女子供や年寄りばかりで、一番頼りになるはずの男たちは数えるほどしか見られない。

 しかしそれも仕方のないことだった。

 ペロロンチーノたちが村を助けに来た時には既に村の過半数が犠牲になっており、その殆どが抵抗の力を持つ若い男たちだった。

 死んだ者は決して生き返らず、全ては生き残った者たちだけでしていかなくてはならない。しかしそれでは、いざ命が助かって村を復興しようにも、時間がかかって仕方がない。作業する者たちの顔にも疲労の色が見え、どうにも苦しい状況のように思えた。あの姉妹たちもどこかで作業をしているのだろうか、とペロロンチーノは内心で小さく顔を翳らせる。疲労の色濃く今にも倒れそうになっている姉妹の姿が頭に浮かび、ペロロンチーノはいてもたってもいられなくなった。

 勢い込んで姉妹の居場所を問い質そうとして、しかしその前に村長がこちらに声をかけてくる方が早かった。

 

「ところで、そちらの方はどなたでしょうか?」

 

 村長の視線の先には両手に杖を持ってペロロンチーノの後ろに隠れるようにして控えている闇妖精(ダークエルフ)の子供。

 ペロロンチーノはハッと我に返ると、今回の目的を思い出して慌てて後ろを振り返った。片足を半歩後ろに下げて身体の向きを傾けると、背後に立つ小さな背をそっと押して前に促した。

 

「あぁ、そうだ! この子はマーレです。俺たちに仕えてくれてる子で、とっても優秀で良い子なんですよ!」

「マ、マーレ、です…。あ、あの、よろしくお願いします」

 

 マーレが杖を持つ手に力を込めながらおどおどと頭を下げる。

 庇護欲をくすぐられる幼気な態度に、村長は知らず穏やかな笑みを浮かべていた。

 しかしそれでいて幼い子供だからといって侮る様子は一切ない。ペロロンチーノの連れだからという理由が大きいのだろうが、村長は片膝をついてマーレに視線を合わせると、礼儀正しく小さく頭を下げた。

 

「そうでしたか。はじめまして、マーレさん。私はこの村の村長を務めております。よろしくお願いしますね」

「は、はい…」

「実は俺の代役としてマーレをここに置かせてもらおうと思って連れて来たんです。俺が毎日ここに来られれば良いんですけど、そういう訳にもいかなくて…。何か困ったことがあったらこの子に言って下さい」

「そんな! 村を助けて頂いて、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません!」

「いや、気にしないで下さい。…実を言うと人間とも交流を持ちたいとずっと思っていたんです。でも、見たとおり俺たちは異形なのでなかなかうまくいかなくて…。だから皆さんが少しでも俺たちを受け入れてくれてすっごく嬉しいんです! ぜひ仲良くさせて下さい!」

 

 拳を握りしめて力説するペロロンチーノの勢いに、村長は少し気圧されたようだった。

 しかしその顔には負の色は少しも見られない。

 村長は小さな微笑みを浮かべると、大きく頷いて頭を下げることでペロロンチーノの申し出を受け入れた。

 これが例えばモモンガやウルベルトであったなら、ここまで上手くはいかなかったかもしれない。村長が人外であるペロロンチーノやマーレを受け入れたのは、偏にペロロンチーノの明るい人柄と、モモンガとウルベルトが情報収集している短い間にも村人たちと交流を深めていた結果だった。

 

「良かった! ありがとうございます、村長さん!」

「いえいえ、こちらこそ。我々のような者を気にかけて下さって、ありがとうございます」

「よーし! じゃあ、さっそく……」

 

「あーっ! ペロロンチーノ様だぁ!」

 

 胸の羽毛を膨らませて意気込むペロロンチーノに、しかし不意に聞こえてきた幼い高い声がそれを遮った。

 咄嗟に口を閉ざして周りを見回せば、丁度満面の笑みを浮かべてこちらに駆けこんでくる少女の姿が目に飛び込んできた。

 少女は小さな足に急ブレーキをかけると、ペロロンチーノの目の前で立ち止まってキラキラとした目で見上げてくる。

 

「こんにちは、ペロロンチーノ様!」

「こんにちは、ネムちゃん。今日も元気そうで良かったよ。でも、そんなに走ったら危ないよ」

 

 頬を赤く染めて満面の笑みを浮かべる様が何とも可愛らしい。

 ペロロンチーノはだらしなく緩みそうになる表情を必死に引き締めさせながら、しかし衝動を抑えることができずにそっと少女へと手を伸ばした。ガントレットの鋭い指先で傷つけないように細心の注意を払いながら、髪を梳くようにして優しく小さな頭を撫でる。

 後ろではマーレが無機質な瞳でそれを見つめていたのだが、幸か不幸かペロロンチーノはそれに全く気が付くことはなかった。

 飽きることなくネムの頭を撫で、不意に再び聞こえてきた少女の声に漸くその手の動きを止めた。

 

「ネム、急にいなくなってどうし……ペ、ペロロンチーノ様!?」

「こんにちは、エンリちゃん。今日も一段と可愛いね」

 

 妹のネムを探しに来たのだろう、こちらの存在に驚くエンリにペロロンチーノはすかさず甘い言葉を囁いた。

 流石は“エロゲー イズ マイ ライフ”を唱えるだけの事はあると言うべきか、ほぼ条件反射でくさい台詞を堂々と口にしている。

 もしここにモモンガやウルベルトがいたなら、まるで変質者を見るような白い目でペロロンチーノを見つめたことだろう。しかしここには二人のどちらもいはしない。

 マーレは変わらぬ無機質な目で姉妹を見つめており、村長はキョトンとした表情を浮かべ、ネムはエンリにじゃれつき、エンリは赤くなった顔に戸惑ったような表情を浮かべていた。エンリが反応に困っている中、彼女にじゃれついていたネムが無邪気な笑顔を浮かべてペロロンチーノを見上げてくる。

 

「ペロロンチーノ様はいつまでいらっしゃるんですか?」

「う~ん、ちょっとだけ村長さんと話したいことがあるから、それが終わるまではいるつもりだよ。とりあえず今日一日はいるかな」

「わぁっ! やったー!」

「こら、ネム! ペロロンチーノ様はお忙しいんだから…、本当にすみません!」

「いやいや、大丈夫だよ。ネムちゃんが喜んでくれる方が嬉しいしね」

 

 ペロロンチーノは声音こそ紳士的に落ち着いた口調で話してはいたが、被っている黄金の兜の下では顔が緩みっぱなしだった。こんな顔を見られたら威厳も何もあったものではない。

 ペロロンチーノはネムからの思った以上の好感度に内心でガッツポーズを取りながら、しかし何とか態度には出さずにあくまでも優しく紳士的に彼女たちに接した。

 

「…ところで、エンリちゃんとネムちゃんは今まで何をしていたのかな?」

「畑の手入れをしていたんです。今回の件で酷く荒れてしまいましたし…、人手はいくらあっても足りませんから」

 

 顔を翳らせながらも気丈にも小さな笑みを浮かべるエンリに、ペロロンチーノは羽毛に覆われた胸の裡がキュゥッと切なく痛むのを感じた。

 できることなら力になってあげたいと思いながら、ふとこの場に来た一番の目的を思い出した。

 危ない危ない!と思わず内心で冷や汗を浮かべる。このまま忘れて帰ってしまっていたらモモンガやウルベルトからきつい御仕置きをされていたかもしれない…。

 また忘れる前にさっさと済ませてしまおうと心に決めると、ペロロンチーノは勢いよく村長を振り返った。

 

「村長さん!」

「はっ、はい!?」

「実は折り入ってご相談があったんです!」

「は、はぁ…、一体どのようなことでしょうか?」

 

 どこか不安そうな表情を浮かべる村長を尻目に、ペロロンチーノは傍らに控えるマーレへと視線を向けた。

 

「マーレ、頼めるかな?」

「は、はい。少々お待ちください」

 

 ペロロンチーノの言葉にマーレはこくんと一つ頷くと、杖を持つ両手に力を込めてそっと目を閉じた。短い詠唱と共にマーレの目の前の空間がぐにゃりと歪み、徐々に一つの影が浮かび上がってくる。

 村長と姉妹が驚愕に息を呑む音が小さく聞こえてくる中、彼らの目の前で何もなかった空間に一つの巨大な石の塊が姿を現した。

 

「これは石の動像(ストーンゴーレム)と言って、簡単に言うと石で出来た動く人形のようなものです。動きは遅いですけど力持ちなのでいろんな作業に役立つと思います。………こいつを一日銅貨5枚でレンタルしませんか?」

「れんたる…ですか……?」

 

 聞き慣れぬ言葉に村長たちが思わず不思議そうな表情を浮かべる。

 ペロロンチーノも言葉のチョイスを間違えたことに気が付き、慌てて何とか言い直そうと口を開いた。頭の中で必死に言葉を選びながら、何とかこの取引が上手くいくように願う。

 

「えっと、つまり、このストーンゴーレムを一日銅貨5枚で皆さんにお貸ししたいと思っているんです」

「これを、ですか……」

「村の復興には人手がいるでしょうし、かといって俺たちがずっとお手伝いをするわけにもいきません。こいつなら必要と思われる個数を用意できると思いますし、力仕事では特に役に立つと思います。…それに、有料の方が村長さんも何かと安心でしょう?」

 

 最後はワザとおどけたように言ってみせるペロロンチーノに、村長は小さく苦笑を浮かばせた。

 ペロロンチーノとしては無償で提供したかったのだが、それはモモンガとウルベルトから断固反対されていた。

 一つは、無料よりもいっそ取引の形をとった方が人間というものは安心しやすいということ。

 この世界にあるのかは分からないが、ペロロンチーノたちがいた現実世界では“無料ほど怖いものはない”という言葉もあったほどだ。これは決して詐欺ではないのだが、それを証明するためにも敢えてこの形をとった方が無難でいて村長側も安心するだろうとのことだった。

 次に、この世界の金はいくらあっても足りないという現状があった。

 ナザリックの宝物殿には金貨の山がいくつもあるのだが、あれはあくまでもユグドラシルでの金貨だ。この世界で使えるかも分からないし、例え使えたとしてもできるならあまり使いたくないというのがペロロンチーノたち全員の考えだった。

 しかし外の世界に活動の幅を広げたなら少なからず金銭というものは必要になってくる。冒険者となるモモンガたちやワーカーとなるウルベルトたちがどのくらい稼ぐことになるのか分からない以上、その他の手段も講じていく必要があった。

 

「それで…、どうでしょう…?」

「……ペロロンチーノ様からのご厚意を捨てるようなことなどできません。心苦しくはありますが、喜んでその申し出を受けさせて頂きます」

「あ、ありがとうございます!」

「ただ…我々はそのゴーレムというものに詳しくありません。まずは一体だけ使わせて頂いて、後ほど必要に応じて個数を決めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「それは勿論! また決まったらマーレに言って下さい」

「分かりました」

 

 真剣な表情を浮かべて頷く村長に、ペロロンチーノも一つ頷きを返す。

 一度マーレを見やると、改めて村長へと目を向けた。

 

「他の人たちにもマーレを紹介したいので、少し村を周っても構いませんか?」

「勿論です。皆もペロロンチーノ様の御姿を見れば喜ぶでしょう。私も案内を…」

「はーい! 私が案内するー!」

 

 

 村長の言葉を遮ってネムが元気よく手を上げてくる。

 ペロロンチーノと村長が思わずネムを見つめる中、ネムはにこにこと満面の笑みを浮かべ、エンリは困惑した顔をネムやペロロンチーノたちへと向けていた。

 

「あ、あの…ネムもこう言ってますし、私たちでペロロンチーノ様をご案内しても良いですか?」

 

 ネムだけでなくエンリからも思わぬ申し出をされて、ペロロンチーノは思わず歓喜に胸を高鳴らせた。まさかこんなに早く姉妹を攻略できるとは!とあまりにも早すぎる喜びに打ち震える。

 この好機を逃してなるものかとばかりに心の中で拳を握りしめると、あくまでも面は冷静の仮面を被って村長を振り返った。

 

「俺は全然構いませんよ。村長さんも忙しいと思いますし」

「ですが…、……いえ、そうですね。エンリ、ネム、頼めるかい?」

「はい!」

「はーい!」

 

 エンリとネムがそれぞれ元気な声で返事をする。

 柔らかな笑みを浮かべて頷く村長に、姉妹もそれぞれ頷きを返してペロロンチーノの元へと歩み寄ってきた。

 

「こっちですよ、ペロロンチーノ様!」

 

 ネムが可愛らしい笑みと共にペロロンチーノの右手を握ってくる。瞬間、マーレがピクッと小さく反応してほんの微かに表情を強張らせたが、この時もペロロンチーノはそのことに全く気が付かなかった。ただネムの可愛らしさに内心で身悶えながら彼女に促されるままに足を動かし始める。

 ペロロンチーノは村長と短く挨拶を交わすと、マーレやストーンゴーレムやエンリを引き連れてネムの案内のままに村の奥へと足を踏み入れていった。

 モモンガとウルベルトと三人で散策した時と同じ光景が目の前に広がる。

 多少復興は進んでいるものの、それは微々たるもので時間はまだまだかかりそうだ。

 ペロロンチーノは村の現状を注意深く観察しながら、出会う村人たち全員に挨拶とマーレやストーンゴーレムの紹介をしていった。

 村人たちは全員笑顔と共にペロロンチーノたちを迎え入れてくれ、多少の戸惑いの色を浮かべる者はいたものの、それでも十分良い傾向にあると言えるだろう。特にペロロンチーノを快く受け入れてくれたのは生き残った男たちであり、防衛のために訓練を始めた者たちだった。

 ひらけた場所に木の丸太やカカシを立て、それに向かってそれぞれが得物を振るっている。

 彼らが持つ得物は、彼らを襲った騎士たちが持っていたものが殆どで、全体的には長剣が多い。しかし中には弓矢もあり、ペロロンチーノは引き寄せられるようにそちらへと歩み寄っていった。

 手短に男たちと挨拶を交わすと、改めて弓矢の的となっているカカシを振り返る。

 カカシはペロロンチーノが立っている場所から丁度30メートルほど離れた場所に立っており、今まで放たれた矢の殆どがカカシの足元の地面に突き刺さっていた。カカシ自体に刺さっているものは二、三本と少なく、それさえもカカシの腹の部分や太腿の部分に刺さっていて殺傷力はあまりないものだった。

 

「……ちょっとそれを貸してくれませんか?」

「? …それは構いませんが…」

 

 一番近くにいた困惑の表情を浮かべている男から弓矢を受け取ると、ペロロンチーノはそのまま肩幅に足を開いて矢をつがえ、弓を構えた。ゆるく(・・・)弦を引き、狙いを定める。

 ペロロンチーノが狙っているのは一番遠くに立っているカカシ。

 彼が何をしようとしてるのか理解した姉妹や男たちが思わず固唾をのむ中、まるで弾かれたように勢いよく矢が放たれた。弾丸のように空を切り裂き、カカシの柔らかな眉間部分を捕らえる。

 少しのズレも小さな歪みもなく眉間部分に深々と突き刺さった矢に、今まで静かに見守っていた姉妹や男たちから大きな歓声が上がった。

 ペロロンチーノはと言えば、構えていた弓をゆっくりと下ろしながらホッと小さく安堵の息をついていた。しかしそれは狙いが外れなかったことへの安堵ではなく、力加減を間違えなかったことに対するものだった。

 ペロロンチーノにとって、この程度の距離などよそ見をしていても当てられる。しかし問題なのは、いつも通りに矢を放った場合、的を破壊してしまう危険性があることだった。

 超遠距離まで矢を狙い放つことのできるペロロンチーノの腕の筋力は100レベルということと異形種ということもあって凄まじいものがある。的が非常に近く、なおかつカカシといったか弱いものであればなおのこと、矢一本で破壊することなど容易なことだった。力を緩めて放って本当に良かった…と内心でもう一度安堵の息をつく。

 それでいて姉妹の反応はどうだろうと目を向けると、未だ興奮したように騒ぎ立てる男たちの中でエンリだけが一人神妙な表情を浮かべていた。暫く何事かを考え込むように目を伏せ、次には勢いよく顔を上げてペロロンチーノを見上げてきた。

 

「ペロロンチーノ様!」

「は、はい!?」

「どうか私に弓を教えて下さい!!」

「っ!!?」

 

 突然の思ってもみなかった言葉に、ペロロンチーノは兜の下で大きく目を見開いて小さく息を呑んだ。

 ペロロンチーノの顔を映すエンリの大きな瞳には強い意志と決意の色が宿っている。

 ペロロンチーノは小さな戸惑いの表情を浮かべながら、落ち着かせるように穏やかな声音を意識して声をかけた。

 

「…どうしていきなりそんなことを言いだしたんだい?」

「いきなりなんかじゃありません! 私、ずっと考えていたんです…。あの時、何もできない自分が悔しかった! お父さんを、お母さんを、皆を守れない自分がどうしようもなく嫌で…、ペロロンチーノ様たちが助けに来てくれなかったら、私もネムもあの時に死んでいました!」

「……………………」

「強くなりたいんです…! 少しでも、ちょっとでもいいから…、ネムや皆を守れる力がほしい!」

 

 話しているうちに感情が高ぶってきたのか、大きな瞳は潤みだし、声は悲鳴のように切なく歪む。

 ペロロンチーノは必死に言い募るエンリを暫く見やると、一つ小さな息をついてそっと小さく細い両肩に両手を触れさせた。腰を折って視線を低くし、まるで覗き込むようにエンリへと顔を近づける。

 

「落ち着いて、そんなに必死にならなくても大丈夫だよ。…エンリちゃんの言いたいことは分かった。でも、正直言って俺にどこまで教えられるか分からないんだ。俺はエンリちゃんたちと違って異形だからね」

「……………………」

 

 ペロロンチーノの言葉に、エンリが悲しそうに顔を歪めて黙り込む。

 しかし、先ほどの言葉は紛れもなくペロロンチーノの本心だった。

 異形で種族が違うから…と言うのは言葉の綾だが、ペロロンチーノの場合、ユグドラシルというゲームで弓兵に特化したアバターがそのまま自分の肉体になっただけなのだ。謂わばペロロンチーノの力は普通に訓練や経験から積み重ねられた熟練の技術(ワザ)ではなく、言うなれば本能的に刻み込まれたものなのである。

 基本の構えを知らなくても、身体が勝手に基本の構えを取ってくれる。

 腕をどうやって引き、どこに力を込めたら矢がどう飛ぶのか、頭ではなく本能が理解している。

 そんな状態で人に教えることなどできるのだろうか…。

 しかしそんな不安の中でも、彼女の力になりたいという思いはあるのだ。

 ペロロンチーノは落ち込んだように顔を俯かせるエンリの頭へと手を乗せると、ガントレットの爪で傷つけないように優しく撫でた。

 驚いたようにバッと顔を上げるエンリと目と目が合う。

 

「それでも、君たちの力になってあげたいと思うこの気持ちは本当だよ。…どこまでできるかは分からないし、毎日っていう訳にもいかないけど、それでも良ければ協力するよ」

「っ!! ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」

 

 瞬間、エンリの顔がぱあっと明るく輝いて弾けたような笑みを浮かばせた。

 飛び上がらんばかりに喜ぶ少女に、ペロロンチーノもにっこりとした笑みを浮かべる。

 屈めていた背を伸ばし、改めてエンリを見つめた。

 

「でも、今日はまだ駄目だからね。次に俺がこの村に来た時に改めて教えてあげるよ。とりあえずエンリちゃんはそれまでにできるだけ腕の筋肉を鍛えておくこと! 良いかい?」

「分かりました!」

 

 嫌な顔一つせずにしっかりと頷くエンリに、ペロロンチーノの笑みが更に深められる。今度この村に来るまでに彼女専用の弓をウルベルトに作ってもらおうと密かに心に決めながら、ペロロンチーノも大きく頷いて返した。

 彼らの周りでは村の男たちもペロロンチーノへ教えを請い始め、ネムは楽しそうにストーンゴーレムにじゃれついている。

 和やかな光景と村人たちの温かさを感じながら、ペロロンチーノは今この時を心から楽しんでいた。

 人間種と異形種という違いはあれど、この場には一つの陰りも存在しない。

 ペロロンチーノ主体のカルネ村との交流は、こうして先行き良く始まるのだった。

 

 




何故だ…、姉妹とのシーンでのペロロンチーノ様が変態にしか見えない…(汗)

当小説ではエンリちゃんは弓兵になるようです!


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第11話 デモンストレーション

遅くなりましたが、お気に入り件数1000件突破!
ありがとうございます! とても励みになります!!

今回はオリキャラなども出てきますので、ご注意ください。
オリキャラのタグとか付けた方が良いだろうか…。


 ウルベルトたちがバハルス帝国に潜入して二日目の朝。

 彼らは影の悪魔(シャドウデーモン)の案内で帝都を出た森の中にいた。

 何故彼らがこんなところにいるのかというと、シャドウデーモンに見張らせていたワーカーチームの一つが任務を開始し、この森の近くを通るという情報を得たからだった。

 ワーカーチームの任務内容は複数の人間の護衛。それもシャドウデーモンが聞いた情報によると、依頼主はバハルス帝国の軍部に属する重役の一人であり、護衛対象はその親族だという。

 何だか話がうますぎる、とユグドラシルでの経験を持つウルベルトからすれば若干薄気味悪く感じてしまうのだが…。

 

 

「……ですが、何故そのような身分の高い人間がワーカーなどに依頼したのでしょうか?」

 

 ウルベルトの後ろに控えるように付き従っているユリが不思議そうに疑問を口にする。彼女の疑問は尤もであり、ウルベルトとしても疑問に思う所であった。

 案内のために前を歩いているシャドウデーモンを見やれば、悪魔は心得たように小さく頭を下げてきた。

 

「ワーカーの人間たちの話によると、依頼主は最初は帝国の兵に護衛するよう手配していたようです。しかし直前になってそのことが上層部にバレ、致し方なく冒険者やワーカーに頼ったとか…。護衛任務には我らが見張っていたワーカーチームの他に冒険者チームも一組つくとのことです」

「なるほど…。その依頼主はあまり規律を気にしない類の人間なのかな?」

 

 国の兵を私事に使おうとすれば、それは怒られるだろう。たとえ直属の部下だったとしても、国の兵ならばそれは私兵ではなく、国の有事のためにある力だ。

 しかし違う面で考えてみると、その依頼主はある程度国の兵を自分の好きなように動かせる人物であり、私物化しようとしていたことが上層部にバレたとしてもクビにならないだけの人物であるということが分かる。

 一体何者なのかという疑問が浮かぶと同時に、本人ではなく親族だからといって接触しても大丈夫だろうかという迷いが少しだけ湧き上がった。

 名声を高めるのには打って付けだが、しかし依頼主や護衛対象が国の機関の関係者だと分かった以上、やり過ぎれば変に目を着けられる可能性もある。

 少々気を付けた方が良いかもしれない…と内心で判断する中、不意に前方から名を呼ばれてウルベルトはそちらへと目を向けた。

 

「ウルベルト様!」

「お待ちしておりました、ウルベルト様」

 

 森の中にポツリと立っていたのは、明るい満面の笑みを浮かべたアウラと美しい微笑を湛えたアルベド。

 彼女たちはウルベルトが目の前に到着したのを見計らうと、二人同時に深々と頭を下げて臣下の礼を取った。

 

「おはよう、二人とも。急に呼び出してしまってすまなかったね、アルベド」

「とんでもございません! ご用命とあれば、即座に馳せ参じます」

「ありがとう。お前の忠誠を嬉しく思うよ。しかし…、何故アウラもここに?」

「ご命令内容の詳細は伺っておりませんでしたが、平原で人間どもにモンスターを嗾けるのならば獣や魔獣の方がよろしいかと愚考いたしました。勝手ながらペロロンチーノ様に許可を頂き、アウラを連れて参りました」

「なるほど」

 

 ワーカーチームが任務に動いたとシャドウデーモンから報告を受けた後、ウルベルトはすぐさまアルベドに連絡を取り、嗾けるモンスターの用意を頼んでいた。こちらから詳しい指定はしていなかったのだが、どうやらアルベドが機転を利かせてくれたようだ。

 ウルベルトは納得して一つ頷くと、続いてアウラへと目を向けた。

 

「忙しいのに、突然すまなかったね。ペロロンチーノからは叱責を受けなかったかな?」

「はい! ウルベルト様の御力になってくるよう、仰せつかって参りました!」

「そうか…。二人ともよろしく頼む」

「「はっ!」」

 

 二人が再び同時に頭を下げてくる。

 ウルベルトも一つ頷いて返すと、続いてアウラやアルベドの背後の森の中へと視線を転じた。

 人間の目では見とめることができないかもしれないが、木々の影に隠れるようにして複数の存在が蠢いているのが見えた。

 

「…こいつらが嗾ける獣や魔獣どもか」

「はい! トブの大森林からかき集めてきちゃいました!」

「だが、あの森に生息しているモンスター程度だとあまりにも弱くないかね?」

「ですので、一匹だけもう少しマシな奴を召喚して混ぜておこうかと思っています!」

「なるほど、真打というわけだ」

 

 中々面白くなってきたな、と思わず笑みを深めさせる。

 何を召喚するつもりなのかは知らないが、しっかり者のアウラと聡明なアルベドの事だ、あまり心配することはないだろう。

 後はワーカーたちが来るのを待つだけだなと一息つく中、まるでこちらの様子を窺うようにアルベドが静々と歩み寄ってきた。

 

「あ、あの…、ウルベルト様……」

「ん? どうした、アルベド?」

「……差し出がましいかとは思いましたが、どうぞこちらを…」

 

 アルベドが両手で差し出してきたのは一つの布袋。

 ウルベルトは反射的にそれを受け取ると、縛られている口を開いて中を覗き込んだ。中には鮮やかな緑色の草の束がぎっしりと入っており、ウルベルトは思わず小首を傾げた。

 中身が何かは分かったものの、何故彼女がこんなものを差し出してきたのかが分からない。しかし聡明な彼女が差し出してきたものなのだから、何か意味があるのだろう。

 ウルベルトは布袋とアルベドを交互に見やると、無意識に反対側に小首を傾げた。

 

「………これは…?」

「大森林の深淵部にのみ生息する薬草です。…ウルベルト様がこの場にいる理由付けは、既に考えておられるとは承知しております。しかし、これが少しでもお役に立てないかと勝手ながら準備させて頂きました」

「理由付け……。…いや、何も考えてはいなかったが。やっぱり唯の通りすがりってのはマズかったか」

「え…? あっ、は、はい。それは少々不自然かと思われます」

 

 アルベドは一瞬呆けた表情を浮かべるも、すぐに慌てて取り繕い大きく頷いてくる。

 ウルベルトは取り敢えず布袋を後ろに控えているユリに預けると、そのままふむ…と顎に手を添えて考え込んだ。

 彼女がこれを渡してきたということは、『薬草摘みの帰り道に偶然遭遇した』という理由付けにすべきだということだろう。それならば確かにただ単に偶然通りかかったという理由よりも信憑性が増し、怪しさも軽減される。しかしウルベルトには一つ気になる点があった。

 

「…しかし、私たちは今日の早朝に宿を出た。それから薬草を採ってきて今戻ってきているのは時間的に不可能ではないかね?」

「はい。ですので、こちらも勝手ながらご用意させて頂きました」

 

 アルベドの言葉を待っていたのか、アウラが森の奥から三つの大きな影を引き連れてきた。

 見覚えのあり過ぎる三頭の獣に、ウルベルトは思わず大きく目を見開かせる。

 アウラの手によってウルベルトの目の前まで歩み寄ってきたのは、大きな闇色の馬だった。

 名を魔の闇子(ジャージーデビル)

 全体的には馬と同じ姿をしているが、背には蝙蝠のような皮膜の翼が生え、長い毛の尻尾ではなく細長い尾がゆらゆらと揺れている。体色は濃度が濃すぎる闇色で目を凝らさねばシルエットしか見定めることができず、長い鬣と蹄の毛はまるで闇の炎の様に微かな風にも揺らめいて宙へと踊っていた。瞳だけが血のような深紅で、闇色の中に二つの赤い玉だけがポツリと浮かんでいる様に見える。

 一頭はウルベルトが騎獣として使っていた100レベルのものであり、後の二頭はナザリックを攻略した後に新たに作成した60レベルのものだろう。

 ウルベルトは第七階層の全てを創り上げてデミウルゴスを創造した後、デミウルゴスに必要であろう物を考えて作るのにも余念がなかった。服や装備やマジックアイテムは勿論の事、ナザリックから出られるはずがないというのにデミウルゴス用の騎獣や馬車まで作り込んでいた。60レベルのジャージーデビルは、馬車に繋ぐために創造した四頭の内の二頭だろう。

 ジャージーデビルはたとえ100レベルであろうとも攻撃力や防御力はそれほど高くはない。しかし唯一駆ける速度は驚くほどに速く、確かにこれがいれば早朝に薬草を採りに行って戻ってくることも可能だろう。

 ウルベルトは込み上げてくる懐かしさに誘われて、そっと目の前の馬の顔へと手を伸ばした。温かな鼻先が掌に触れ、そのまま頬にかけて手を滑らせればジャージーデビルは甘えるように顔を擦り付けてくる。思わずフフッと小さな笑い声を零し、勝手なことをして叱責を受けないかと不安そうな表情を浮かべているアルベドを振り返った。

 

「いろいろと気を遣って手を回してもらってすまないね。礼を言うよ、アルベド」

「っ!! ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

 途端に頬を朱に染めて目を輝かせるアルベドに、ウルベルトは更に笑みを深めさせた。

 いつもは優秀で美しさが際立つ守護者統括ではあるが、こんなところはとても可愛く見えてくる。

 ウルベルトは何も深く考えることなくアルベドの頭に手を乗せると、よしよしと撫でてやりながらアウラへと視線を向けた。もう片方の手をアウラの小さな頭に乗せ、同じように撫でてやる。

 

「アウラもありがとう。お前たちの働きを有効活用させてもらうよ」

「は、はい! …えへへ」

 

 アウラも頭を撫でられて嬉しいのか、頬を朱に染めてはにかむような笑みを浮かべている。

 ウルベルトは暫く飽きることなく二人の頭を撫でていたが、不意にユリに名を呼ばれて漸く彼女たちの頭から手を放した。

 

「ウルベルト様、ターゲットがこちらに近づいて来ております」

「漸くか。では始めるとしよう。…アウラ」

「はい!」

 

 アウラはピンっと背筋を伸ばすと、まるで跳ねるように森の影の中へと駆け込んでいった。数分も経たぬ内に影の暗闇がザワッと騒めき、次の瞬間多くのモンスターたちが我先にと影から飛び出てきた。

 (ウルフ)魔狼(ヴァルグ)。多くの幼マンティコアを引き連れたマンティコアたち。巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)。土の中を泳ぐ森林長虫(フォレスト・ワーム)など。

 優に五十は超えるモンスターたちの大群が一直線に同じ方向に突進していくのに、ウルベルトたちもすぐに後を追うことにした。

 ウルベルトは自身が騎獣として使っていた100レベルのジャージーデビルに跨り、ユリとニグンも少し小柄の60レベルのジャージーデビルにそれぞれ跨る。

 手綱を手繰り寄せるように握り締めると、久しぶりに主を背に乗せて興奮しだすジャージーデビルを諌めながらアルベドと影から出てきたアウラを振り返った。

 

「アルベド、アウラ、早くこちらに来い!」

「ウ、ウルベルト様…?」

「一体どういう……」

「こちらの方が速い! アウラは前に、アルベドは後ろに乗れ!」

「「っ!!?」」

 

 ウルベルトの言葉に二人が驚愕に息を呑む中、ウルベルトは一切気にすることなく馬上から二人に手を伸ばした。まず始めにアルベドを引き上げるように後ろへと乗せ、次にアウラを掬い上げるように前へと乗せる。

 彼女たちが騒ぎ立てるその前に、さっさとジャージーデビルの脇腹を軽く蹴って合図を送った。

 

「アルベド、しっかり掴まっていろ!」

 

 前に座っているアウラは腕を回して支えることができるが、後ろに座っているアルベドは支えることができない。着ているドレスも相まって横向きにしか座れぬ彼女は上手くバランスもとり辛く振り落とされないとも限らないだろう。

 ウルベルトの言葉に恐る恐る腰に回されたアルベドの腕を確認すると、更に速度を速めるようにジャージーデビルに合図を送った。

 急に速度が上がったことに驚いたのか、アルベドが腰に回している腕に力を込めて背中に抱き付いてくる。可愛らしい少女のような反応にウルベルトはフフッと小さく笑みを零すと、すぐに顔を引き締めさせて鋭く前を見据えた。

 三人の異形を背に乗せながらもウルベルトのジャージーデビルはビクともせずに数多のモンスターの群れを追って森の中を駆け抜けていく。ユリとニグンもその後に続き、数分も経たぬ内に前方から戦闘の音が聞こえ始めた。

 恐らくモンスターの群れが標的の元に辿り着いたのだろう。

 前方で森の木々が途切れているのも見とめ、ウルベルトは手綱を強く引いてジャージーデビルを停止させると、そのまま身軽にその高い背から飛び降りた。アルベドたちも馬上から降りる中、ウルベルトは近くの大きな茂みへと駆け寄っていった。腰を屈めて身を隠し、そっと茂みの奥を覗き見る。

 茂みの奥に広がっていたのは見晴らしの良い大きな平原。

 至る所にウルベルトたちがいる森と同じような木々の群衆が点在しているのが見てとれる。

 そして平原のど真ん中ではまさに大きな乱闘騒ぎが繰り広げられていた。

 大きな二台の馬車と一台の荷馬車。縦一列に並んで停止しているそれらを護るように八人の男女が必死にモンスターたちと戦っている。恐らく彼らが雇われた冒険者とワーカーたちなのだろう。中々の実力者なのか良く持ち堪えているようだったが、やはり多勢に無勢ということもあって苦戦しているのが見てとれた。

 恐らく個々撃破であれば彼らの方が圧勝するだろう。しかし数の暴力という言葉がある通り、いくらレベルや実力に差があろうとも相手の数が多ければ手が間に合わず苦戦を強いられる。

 やはり個の力だけでなく数の力も重要だな…と再確認しながら、ウルベルトは静かに彼らの死闘を観察していた。

 

「おいっ、何でこんな所にこんなにモンスター共がいるんだよ!」

「まだまだ来るぞ! さっさと詠唱しろ!」

「何でマンティコアがこんなところに!? 大森林の深淵部にしかいないはずなのに!!」

 

 戦闘音に混じって怒声のような声が聞こえてくる。

 何とも元気なことだと少し感心しながら、ウルベルトは彼らに気づかれないようにゆっくりと立ち上がってジャージーデビルの元まで引き返した。手綱を握りしめ、ユリとニグンにも用意するように指示を出しながらアルベドとアウラを振り返った。

 

「それでは、少し行ってくる。お前たちはここで見物でもしているといい」

「はい、ウルベルト様!」

「いってらっしゃいませ、ウルベルト様」

 

 アウラとアルベドが同時に跪き頭を下げる。

 ウルベルトは一つ頷いて再びジャージーデビルに跨ると、ユリとニグンの準備ができたことを確認して手綱を握り直した。馬首を少しずらして脇腹を蹴る。

 ジャージーデビルは一つ小さく嘶くと、ウルベルトに忠実に従って彼の指示する方向へと足を踏み出した。不自然にならないように一度迂回し、一気に加速して森の中から平原へと飛び出す。

 馬上で詠唱を唱えながら団体の横腹に食い込むように突進する。

 しかし魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思われる少女に魔狼が襲い掛かるのを見とめ、咄嗟に詠唱を止めてジャージーデビルにそのまま突っ込ませた。闇の巨体は更に速度を増し、今まさに少女に牙を立てようとしていた魔狼を体当たりして吹き飛ばす。

 ウルベルトは手綱を引いて興奮しているジャージーデビルを停止させると、太い首を軽く叩いてやりながら先ほど助けた少女を振り返った。

 

「危ないところでしたね。怪我はありませんか?」

「…あ、あなたは……!」

 

 少女が驚愕に目を見開かせて呆然とウルベルトを見上げてくる。

 しかし何かを言う前にすぐ側から叫び声が聞こえてきて、少女はハッとそちらを振り返った。ウルベルトもそちらに目を向ければ、一人の戦士風の男がマンティコアと三体の幼マンティコアに襲われているところだった。他の冒険者やワーカーたちが助けに行こうとするも目の前のモンスターたちに邪魔されて上手くいかないようだ。

 ウルベルトは咄嗟に助けに行こうとする少女を押し留めると、その間に遅れてやってきたユリとニグンがウルベルトと同じように襲われている男の元へと騎乗したまま突っ込んで行った。ジャージーデビルの強靭な巨体と突進の勢いに負けてマンティコアたちが呆気なく吹き飛ばされ蹄に踏み潰されていく。

 ウルベルトたちの突然の登場に冒険者やワーカーたちが驚愕の表情を浮かべる中、ウルベルトは馬上から飛び降りて、こちらに駆け寄ってくるユリとニグンへと命を発した。

 

「私は彼らを護っていよう。お前たち二人で奴らを殲滅しろ」

『折角だ、…この機をニグンの経験値稼ぎに利用する。ニグンを主とし、ユリは補助に徹しろ』

「「はっ」」

 

 口からの命令と〈伝言(メッセージ)〉からの命令に、ユリとニグンも馬上から降りて頭を下げる。しかしすぐさま頭を上げると、素早く踵を返して未だ多く残っているモンスターの群れへと突っ込んでいった。ニグンが炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を召喚し、ユリがガントレットを着けている拳を勢いよく振るう。

 ウルベルトはこれ以上被害が出ないように冒険者やワーカーとモンスターたちを引き離すように三頭のジャージーデビルを突っ込んで走らせ、馬車と荷馬車を中心に全員が集まったのを見計らって防御魔法を唱えた。

 〈魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)〉。

 微光を放つ大きな半球のドームが現れ、ウルベルトや未だ走り回って牽制しているジャージーデビルを含む団体全てを包み込む。

 ウルベルトはジャージーデビル達を呼び寄せると、未だ驚愕や困惑の表情を浮かべている冒険者やワーカーたちを振り返った。

 

「無傷…と言う訳にもいきませんでしたが、ご無事で何よりです。後は私たちに任せ、あなた方は怪我人の手当てをして下さい」

「あ、あんたらは……」

「これは失礼。申し遅れました、我々はワーカーチーム“サバト・レガロ”。以後お見知りおき下さい」

 

「ウ……んぅ、レオナールさ――、ん」

 

 手短に名乗る中、不意にユリに名を呼ばれてウルベルトはそちらを振り返った。

 一度目を瞬かせ、視界に飛び込んできた光景に思わず小さく目を細めさせた。

 

「……ほう、これはこれは…」

 

 視界に飛び込んできたのは全ての獣と魔獣たちが地に伏している光景。そして、まるでラスボスの様に森から姿を現した一つの巨体の姿だった。

 太く巨大な胴体に、四つの太く短い足。胴体から頭上へと伸びる首は一つではなく、十二本もの蛇の首がゆらゆらと宙を揺らめいていた。全身を覆う鱗は鮮やかな緑色で、微かな光にも反射して光る様は美しさだけでなくその強固さをも見る者に知らしめていた。

 

「………多頭水蛇(ヒュドラ)…」

「……おいおい、何だよあれ。頭が十二本もあるぞ…!」

 

 後ろで冒険者やワーカーたちが騒ぐ声が聞こえてくる。

 彼らの言葉通り、姿を現したのは多頭水蛇(ヒュドラ)という化け物だった。

 それも唯のヒュドラではなく、アウラが召喚した特別なものだ。恐らくレベルで言えば30台、ニグンの話からするとこの世界では脅威レベルの化け物だろう。

 あれの相手は今のニグンでも少々手に余るだろうと判断すると、ウルベルトはこの場をユリに任せて軽い足取りでヒュドラと対峙しているニグンへと歩み寄っていった。

 

「倒せるか?」

「……申し訳ありません。今の私では難しいかと…」

 

 一応念のため確認を取るために声をかけるが、予想通りの答えが返ってくる。唯一露出している口元を悔しそうに歪めるニグンに、ウルベルトは一つ頷いて更に彼の前へと進み出た。

 見事な巨体と鱗に目を細めさせながら、頭上高く伸びる十二本の蛇の頭を見上げる。

 さて、何の魔法を使おうか…と頭を悩ませ、使う位階魔法を制限しなくてはならない事実を思い出して面倒臭さを感じた。

 この世界のレベルに合わせ、ナザリックの外出組は全員、使用する位階魔法を制限するようにしていた。ウルベルトは第五位階まで、その他の者たちは全員第三位階までだ。

 その中で炎系の魔法を選択し、のしのしと鈍くこちらに突進してくるヒュドラを睨み据えた。

 いくらアウラが召喚した特別性だとしても、レベル的にも装備的にもあのヒュドラの攻撃ではウルベルトにかすり傷一つ付けられない。しかし、かといって先手を許すのも気に入らず、ウルベルトはさっさと終わらせることにした。折角だから一撃で楽にしてやろう…と、まるで手招くように優雅に右手をヒュドラへ差し伸ばす。

 

「〈二重最強化(ツインマキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

 

 通常よりも二倍近い大きさの火球が二つ現れ、一直線にヒュドラへと放たれる。

 まるで雷鳴のような重く大きな音と共に二つの火球が鎧の様な輝く鱗に着弾。瞬間、火球が弾けて巨大な炎がヒュドラの全身に広がり、地面に降り注いで炎の海を作り出した。ヒュドラは十二の頭すべてで絶叫を上げて暴れるが、既に全身は炎に包まれて炭化し、ボロボロと崩れ始めている。瞬く間に動きが鈍くなり、地響きを響かせる勢いで黒く変色した地面へと倒れ伏した。

 かかった時間は僅か数分。

 しかし一瞬で息の根を止めることができなかったことに、ウルベルトは少しだけアウラに申し訳ない気持ちを湧き上がらせた。

 ただ召喚しただけの存在だと言えばそうなのだが、アウラのシモベと言っても間違いではないだろう。

 ウルベルトはフゥッと小さく息をつくと、気を取り直して踵を返した。後ろに控えていたニグンに一つ頷き、彼を引き連れてユリたちのいる馬車の元へと歩を進める。

 未だ展開されている〈生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)〉の中では、治療が終わった冒険者やワーカーたちが驚愕の表情でウルベルトたちを見つめていた。

 足早にこちらに駆け寄ってくるユリを迎え入れ、改めて彼らに視線を向ける。

 

「どうやら皆さんご無事のようですね。モンスター共の襲撃は終わったようですし、もう大丈夫でしょう」

 

 朗らかな笑みと柔らかな声音を意識して声をかける。

 彼らは驚愕から困惑へと表情を変えると、互いの顔を見合わせ合って改めてウルベルトたちへと顔を向けた。二人の男が徐に立ち上がり、こちらへと歩み寄ってくる。

 

「…まずは礼を言わせてくれ。俺は冒険者チーム“閃光の牙”のリーダーを務めているアドルフ・ロワーズ。危ないところを助けてくれて感謝する」

「俺はワーカーチーム“フォーサイト”のリーダー、ヘッケラン・ターマイトだ。俺からも礼を言うよ」

「いえいえ、薬草採りの帰り道に偶然通りかかっただけですので。どうかお気になさらず」

 

 あくまでも紳士的に対応しながら、彼らが口にしたチーム名と名前を記憶に刻み込んでいく。

 どこまで使える情報か分からないが、しかし今は些細なものでも取り込んでいく必要がある。それに顔見知り程度でも知り合いが増えるというのも現状では歓迎することなのだ。

 しかしその一方で、彼らに対してはどこまで親交を深めるべきか…と内心で考え込む中、不意に彼らの背後にある馬車の一つから一人の女が外へと出てきたのが目に入った。

 綺麗に結い上げられた金色の髪に、深い青色の大きな瞳。ユリには敵わないものの、十分に美しく整った顔立ち。こんな平原には似つかわしくない深紅のドレスを身に纏い、指輪に彩られた指でそっと裾を摘み上げながら静々とこちらへと歩み寄ってきた。

 

「…どうやら危機は脱したようですね」

「これは、シャーロット様!…お騒がせしてしまい、申し訳ありません」

「何を言うのです。モンスターの大群がこんな平原にまで来るなんて誰も予想できませんでした。あなた方が(わたくし)たちを命がけで守って下さったこと、心から感謝しています」

 

 アドルフから“シャーロット”と呼ばれた彼女が護衛対象者なのだろう。

 国の重役の親族だという話だったためどんな人間なのかと少しだけ興味はあったが、まさか女性だとは思わずウルベルトは思わず小さく目を見開かせた。

 不意にシャーロットがこちらを振り返り、瞠った金色の瞳と静かな青色の瞳がかち合う。

 

「あなた方も、助けて下さって感謝します。お名前を聞いても宜しいでしょうか?」

「……ワーカーチーム“サバト・レガロ”のリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。彼女たちは私の仲間でリーリエとレインです」

「改めて感謝します、ネーグル殿」

 

 シャーロットが胸に右手を添え、軽く頭を下げてくる。

 ウルベルトは一つ頷くだけでそれに応えると、主人の意向を察して近づいてくるジャージーデビルへと手を伸ばした。思わず怯んだように小さく後ずさるアドルフやヘッケラン達を尻目に、ウルベルトは鼻筋から頬にかけて一撫でしてやると、手綱を手繰り寄せてその背に飛び乗った。後ろでユリとニグンもジャージーデビルに跨るのを気配で感じながら、一気に下になった面々を馬上から見下ろす。

 

「それでは我々はそろそろお暇いたします。どうか道中お気をつけて」

「待って下さい」

 

 さっさとこの場を去ろうとしたのだが、その前にシャーロットに呼び止められた。

 咄嗟に手綱を引き、制止されたことに不満そうに小さな嘶きを上げるジャージーデビルを諌めてやりながらシャーロットを見下ろした。

 

「何でしょうか?」

(わたくし)に雇われて下さいませんか?」

「………どういう意味でしょう…」

「また先ほどと同じようなことが無いとは言い切れません。あなた方が護衛としていて下されば、とても心強いのです」

 

 アドルフとヘッケランだけでなく、他の冒険者やワーカーたちからも反論の声は上がらない。彼らの表情や反応を観察し、ウルベルトは気づかれない程度に小さく目を細めさせた。

 彼らの考えと内心が手に取るように分かる。

 確かにモンスターの大群だけなら自分たちだけでも何とか対処できたかもしれない。しかし先ほどのヒュドラのような化け物が出てきた場合、今のメンバーだけでは倒すことはできないだろう。逃げるにしても、それ相応の被害は覚悟しなくてはならなくなる。ウルベルトたち“サバト・レガロ”の力の一端を見て知った今、どんなに悔しくても彼らが同行してくれるのならば心強い、とでも思っているのだろう。

 しかし…――

 

「申し訳ありませんが、お断りいたします」

 

 リーダーであるウルベルトの返事はどこまでも素っ気ないものだった。

 彼らの気持ちも分からなくもない。

 しかし最初から任務に参加していたならばともかく、通常であれば一つの任務に横やりを入れたり横取りをする行為は決して褒められたことではないのだ。

 今別れれば少しの嫉妬心と、すごいものを見たという大きな高揚感で終わることができる。しかし行動を共にしてしまえば、彼らの自尊心を傷つけ、誇りを踏みにじってしまうだろう。たとえ護衛対象者からの指示であったとしても、当事者である彼らすら望んだことだとしても、それは変わることはない。

 もし自分たちがこの任務に参加したとして、先ほどのような脅威が訪れず任務が成功して終わった場合、彼らの胸の奥底に押し込められていた不満や悔しさが再び顔を覗かせてしまう可能性が高かった。

 名声を高め、多くの信用を持ちたい今、そのような不穏の種を撒くなどあり得ない。

 何より、先ほどのようなことはもう起こらないと知っているウルベルトの回答は決まりきったものだった。

 

「我々にも都合というものがあります。残念ですが、その申し出を受けることはできません」

「そう、ですか……」

「…しかし、このまま別れてしまうのも気が引けますね。…リーリエ」

「はい」

「薬草を彼らに」

「……畏まりました」

 

 ユリは一度目を閉じて小さく頭を下げると、ジャージーデビルから降りてアドルフへと歩み寄った。絶世の美女が近づいてきたことに思わずたじろぐアドルフを気にした様子もなく、ユリは腰に結わえていた布袋を外して彼に手渡した。

 中には多くの薬草がぎっしり入っており、アドルフは思わず驚愕に目を見開かせる。

 

「こ、こんな高価な薬草を!? 本当に良いんですか!?」

「はい、どうぞお納めください」

「その薬草を使うような事態が起こらぬことを祈っていますよ」

 

 ウルベルトはにっこりと笑みを浮かべると、ユリが再び騎乗したのとほぼ同時に今度こそジャージーデビルの脇腹を蹴った。ジャージーデビルは少しの助走もなく、爆発的な勢いで駆け出す。

 もはや彼らの声が聞こえる距離はすぐに去り、ウルベルトは三キロほど走らせた後に手綱を操って方向転換させた。ぐるっと大きく旋回させ、アルベドとアウラがいる森の中へと入って行く。

 少し速度を緩めさせて木々の間を駆け抜けると、アルベドとアウラの姿を見とめて彼女たちの目の前へと駆けていった。

 

「おかえりなさいませ、ウルベルト様」

「おかえりなさいませ、ウルベルト様!」

 

 アルベドとアウラが満面の笑みを浮かべて頭を下げてくる。

 ウルベルトは一つ頷くと、顔を上げる彼女たちににっこりとした笑みを浮かべてみせた。

 

「お前たちのおかげで作戦は上々だ。礼を言うよ、二人とも」

「とんでもございません! ウルベルト様の御役に立てることこそが私の喜びでございます」

「ウルベルト様、格好良かったです!」

 

 心なしかアルベドが自分の名前を強調して言ったような気がしたが、おそらくそれは気のせいだろう。そんな事よりも思っていたよりも時間がかかってしまったことにウルベルトは小さな苦笑を浮かばせた。

 これ以上ナザリックの管理を任しているアルベドと、ペロロンチーノの補佐を任せているアウラを引き留めるわけにはいかないだろう。

 ウルベルトは〈転移門(ゲート)〉を唱えると、すぐさま彼らのすぐ側の空間に闇の入り口が口を開いた。

 

「こんなに長く付き合わせてしまってすまなかったね。…ナザリックの霊廟に繋げておいた。この〈転移門(ゲート)〉で帰ると良い」

「ありがとうございます、ウルベルト様」

「ペロロンチーノにも礼を伝えておいてくれ。アウラがとても役に立ってくれたとね」

「はい!」

 

 再び頭を下げるアルベドの横で、アウラが嬉しそうな笑みを満面に浮かべる。

 自分が動くまで彼女たちも動くことがないと知っているため、ウルベルトは柔らかな笑みはそのままにジャージーデビルの手綱を手繰り寄せた。手綱を操って馬首を後ろへと巡らせる。

 彼女たちに背を向けると、ウルベルトは後ろ手に片手を上げて挨拶の代わりとし、ジャージーデビルの脇腹を蹴った。

 先ほどとは違って少し緩やかな速度で走り始めるジャージーデビルにウルベルトは思わず笑みを深めさせると、少しだけ身を屈めてポンッポンッと首筋を叩くように撫でる。瞬間、主の許可を得たと判断したのかジャージーデビルの速度が一気に上がる。

 ウルベルトはユリとニグンを引き連れると、真っ直ぐに帝都へ向けて駆け抜けていった。

 

 




遂に(?)ウルベルトさんたちのワーカーでのチーム名が登場!
“サバト・レガロ”は『サバトの贈り物』という意味です。
私のセンスのなさを暴露してしまった…(汗)

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・魔の闇子《ジャージーデビル》;
ウルベルトがユグドラシル初期の時に使っていた騎獣。馬の姿に蝙蝠のような皮膜の翼が生え、細長い尾が生えている。体色は濃度が濃すぎる闇色で目を凝らさねばシルエットしか分からず、瞳だけが血のような深紅。長い鬣と蹄の毛は闇の炎の様で、絶えず微かな風に揺らめいている。攻撃力や防御力は低く、唯一駆ける速度は驚くほどに速い。ナザリックには現在ウルベルトとデミウルゴスの騎獣用の100レベルが二頭と馬車用の60レベルが四頭存在している。


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第12話 広がるナザリックの長い腕

 最近のペロロンチーノの朝は早い。

 と言っても正確に言えば昨日からなのだが、ペロロンチーノからすれば既に一週間くらい早起きしているような感覚だった。

 まぁ、それは兎も角として…、ペロロンチーノは今日もまたナザリック地下大墳墓の第九階層にある自室の寝室にて、今日の担当である一般メイドから優しく声を掛けられていた。

 

 

「ペロロンチーノ様、ペロロンチーノ様…」

「……ぅ、ん…、……もう、起きる時間か…?」

「朝早くに申し訳ありません。アルベド様がお目通りを願っておりますが、如何いたしましょうか?」

「…アルベド、が……?」

 

 はて、彼女と何か約束でもしていただろか……。

 未だ少し寝ぼけていながらも鈍い頭で考え込むが、一向に何も思い至らない。

 しかし彼女がこんな朝早くから訪ねて来たということは、何か緊急事態が起こったのかもしれない。

 ペロロンチーノは一度大きく欠伸をして眠気を追いやると、寝台から立ち上がって改めてメイドへと目を向けた。

 

「分かった。悪いけど、ここに通してもらえるかな」

「畏まりました」

 

 メイドは一度深々と頭を下げると、踵を返して早々に寝室を後にした。

 未だ回廊にいるであろうアルベドを呼びに行ったのだろう。

 メイドが完全に寝室を出て行ったのを確認し、ペロロンチーノは近くのテーブルの上に置かれている鎧へと手を伸ばした。彼女たちが戻ってくる前に手早く身に着け、布の皺を伸ばしたり羽根の具合を確かめたりと小さな身動ぎを繰り返す。

 羽根も綺麗に収まり鎧もきちんと着れた頃、まるで見計らったかのように丁度良くメイドを引き連れたアルベドと、何故かアウラが揃って寝室へと入ってきた。

 

「失礼いたします。おはようございます、ペロロンチーノ様」

「おはようございます、ペロロンチーノ様!」

 

 早朝だというのに元気なことだと笑みを浮かべ、ペロロンチーノは一つ頷いて返した。

 

「ああ、おはよう。こんな早くに来るなんて珍しいな。何かあった?」

「早朝からお騒がせしてしまい誠に申し訳ありません。実は、先ほどウルベルト様から連絡があり、一つの命を賜ったのですが、完璧に遂行するにはアウラの力が必要不可欠と思われます。つきましてはアウラを一時借り受けることを御許可頂きたく至急お伺いさせて頂きました」

 

 深々と頭を垂れて説明するアルベドに、ペロロンチーノはなるほど…と一つ頷いた。

 恐らくウルベルトの用事は急を要する案件だったのだろう。でなければアウラ本人も引き連れて、ペロロンチーノを起こしてまでここに来るはずがない。

 一体何を頼んだのだろう…と少し気になって内心首を傾げながらも、ペロロンチーノは当たり前のように肯定の言葉を口にした。

 

「俺は構わないよ。一時ってことはそんなに時間はかからないんだろ?」

「はい。恐らく半日程度で宜しいかと」

「なら大丈夫だな。しっかりウルベルトさんの力になっておいで」

「はい、ペロロンチーノ様!」

 

 アウラへ向けて言った後半の言葉に、アウラは輝かんばかりの笑みと共に大きく頷いてくる。

 何とも微笑ましい様子に顔の筋肉が緩むのを止められない中、アルベドが未だ頭を下げたまま再び口を開いてきた。

 

「私もアウラに同行し、ウルベルト様からの命を果たしてまいります。それまでのナザリックの守護はデミウルゴスに任せようと考えておりますが、よろしいでしょうか?」

「あ、そっか、デミウルゴスはまだ出発していなかったな」

「はい。目ぼしい場所を特定するのに少々時間がかかっておりましたが、予定では明日にでも出発する予定となっております」

「デミウルゴスは防衛戦指揮官だから大丈夫だな…。それじゃあ、それでよろしく頼むよ。俺も今日は大森林の捜索をする予定だから、何かあったらすぐに知らせるようにデミウルゴスに伝えておいてくれ」

「畏まりました」

 

 アルベドとアウラが改めて深々と礼を取り、静かに退室していく。

 ペロロンチーノは彼女たちを見送った後に一つ息をつくと、すっかり眠気も醒めたために二度寝はやめて寝室を出ることにした。

 寝室を出た先はメインルームである居室。

 居室ではアルベドたちと話している間に用意してくれたのだろう、豪華な朝食がテーブルに並べられ、その横には先ほど起こしてくれたメイドが笑顔と共に静かに控えていた。

 

「ペロロンチーノ様、朝食の準備が整いました」

「…ああ、今日も美味しそうだな。早速頂くよ」

 

 朝から明るく元気なメイドの様子に、思わず小さな笑みがこぼれる。

 ペロロンチーノはだらしなく緩む顔を兜で隠しながら、今は腹ごしらえをするべくテーブルへと歩み寄っていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓やカルネ村を覆うように存在する広大な大森林。

 トブの大森林と呼ばれるこの森林は、奥に行けば行くほど陽の光を遮る枝葉によって深い闇が広がり、自然特有の濃度の高い空気によってか強い魔物が多く生息しているという。

 人の足がほとんど入らず、言うなれば完全なる獣や魔物の領域だ。

 しかし、それもここまでである。

 まるで一カ所から広がる波紋のように、ナザリックを中心に多くの異形の影が大森林の奥へと急激に広がっていった。

 指揮を執っているのは超越者のオーラを漂わせた金色の鳥人(バードマン)

 大森林に棲まう獣や魔獣たちはどれもが異形たちの影に怯え、バードマンの視線がこちらに向けられることを恐れた。

 しかし金色の兜の奥に煌めく鋭い双眸は、ある魔物へとヒタッと静かに向けられていた。

 

 

 

「今日は“森の賢王”を探そうと思います!」

「“森ノ賢王”デスカ……?」

 

 ペロロンチーノの突然の宣言に、コキュートスが不思議そうに疑問の言葉を口にする。

 隣に立つマーレは、ただ静かにペロロンチーノとコキュートスを交互に見つめていた。

 

「カルネ村の村人たちから聞いたんだけど、このトブの大森林には“森の賢王”っていう強い魔物がいるらしいんだよ」

 

 カルネ村の村人たちから聞いた情報を自分でも改めて整理しながら、ペロロンチーノは“森の賢王”について説明し始めた。

 彼らの話によると、“森の賢王”とは魔法すら使用するものすごく強い魔獣で、カルネ村周辺の大森林に生息しているという。遥か昔から生息しているらしく、一説では数百年の時を生きているというものもあるらしい。蛇の尾を持つ白銀の四足獣で、人の言葉すら解するとか解さないとか……。

 元々カルネ村にきちんとした柵がなかったのは、村周辺が全て“森の賢王”の縄張りであり、他の獣や魔物たちが怖がって近寄ってこないかららしい。

 そんなに強い魔物ならば、一度は見てみたいと思うのが男というものだろう!

 それに人語を解する魔物というのはなかなかレアであるはずだから、レアもの好きのモモンガへの良い土産にもなるかもしれなかった。

 

「というわけで、頑張って“森の賢王”を捕まえるぞ~!」

「…畏マリマシタ」

「か、畏まりました」

 

 ペロロンチーノの気の抜けるような掛け声を少しも気にした様子もなく、コキュートスとマーレは揃って頭を下げた。しかしすぐさま立ち上がると、踵を返して後ろに控えている自分たちの部下たちに指示を出すために足を踏み出す。

 至高の主の一人であるペロロンチーノがその魔獣を所望しているのであれば、シモベである自分たちは迅速にそれに応えなければならない。この場にアウラがいればもっと早く的確に探すことができるのだろうが、いないものは仕方がないと彼らは己に言い聞かせた。

 彼女がウルベルトの命により急遽別の任務についたことは既にアルベドから聞かされており、彼女がいなくてもペロロンチーノの期待に応えるためにコキュートスとマーレはそれぞれ張り切って部下たちを動かし始めた。“森の賢王”の特徴を伝え、ナザリックからカルネ村周辺を中心に捜索を開始する。マーレは全体的に指示を出すために森の中へと入って行き、コキュートスは護衛も兼ねてペロロンチーノの半歩後ろに控えるように立った。

 ペロロンチーノもただ傍観するわけではなく、コキュートスを連れて森の中へと足を踏み入れる。

 野伏の特殊技術を生かして薬草と思われる草花を採取し、その地域に生息している獣や魔獣のレベルや特徴などを調べてはコキュートスに書き留めさせる。アイテム生産などにも使えるかもしれない可能性も考えて、見つけた獣や魔獣は一つの例外もなく一種類につき二匹捕獲してはナザリックへと送った。

 流石は大森林と言うべき広大な森であるためか、生息している獣や魔獣たちはそれなりに多く、種類も多様だ。しかしレベルは本当に低いものしかいないな…と思わず内心で呟く中、不意にマーレが茂みをかき分けてこちらに歩み寄ってくるのが見えてそちらへと目を向けた。

 

「ペ、ペロロンチーノ様! み、見つけました!」

「おっ、“森の賢王”が見つかったか!」

「た、たぶん…そうだと思います………」

 

 少し自信がないのか眉を八の字にして見上げてくるのに、ペロロンチーノは安心させるように一つ頷いてポンポンと軽く頭を撫でた。

 たとえ間違えていたとしても、“森の賢王”と間違うくらいならばそれなりに強い魔獣なのだろう。ならばその存在を知っておいても決して損にはならないだろう。

 

「大丈夫だよ、マーレ。案内してくれ」

「は、はい!」

 

 マーレは力強く頷くと、踵を返して再び茂みの奥へと入って行った。ペロロンチーノとコキュートスもすぐにその後を追う。

 多くの茂みや木々の間を潜り抜け、でこぼこの地面を踏みしめ、森の奥へ奥へと進んでいく。

 だんだん暗くなってくる景色に、しかしペロロンチーノたちの目は一切不自由さを訴えてはこず、ただ黙々とマーレの案内で森の中を進んでいった。

 

 暫く歩き、見えてきたのは大きな洞窟。

 入り口の大きさは大体2.5メートルほどだろうか? コキュートスでもギリギリ頭を下げずとも入れる空間に、ペロロンチーノは足を止めてマジマジと洞窟の中の暗闇を見つめた。

 洞窟の中の奥の奥。

 確かに何か大きな塊が微かにゆっくりと上下しているのがおぼろげながらに見てとれた。緩慢な動きからして、もしかしたら寝ているのかもしれない。

 ペロロンチーノは内心でそう判断すると、思わず小さく首をひねった。

 自身の棲家であろう洞窟の入り口に不審者が三人もいるというのに、気づかずに寝こけているというのは一体どういうことなのだろう。それほど間抜けなのか、それとも自分の力に自信を持っているのか。まさか完全なハズレじゃないよな……。

 考えられる可能性を思い浮かべては、どんどん首のひねりを大きくしていく。

 ペロロンチーノはぐりんっと一気に首を元に戻すと、後ろに控えているコキュートスを振り返った。

 

「…ちょっとお邪魔して起こしてきてくれ」

「畏マリマシタ」

 

 コキュートスは臣下の礼を取ると、大きな足取りで洞窟の中へと入っていった。彼の放つ冷気が洞窟内を凍えさせ、ピキピキと凍らせていく。

 急激な温度差に気が付いたのか、大きな影がザワッと動いたのが見てとれた。もぞもぞと小刻みに動き、目と思われる二つの大きな光が姿を現す。

 

「………某の洞窟に侵入してくるお前は一体何者でござるか?」

 

 不意に魔獣から響いてきた少し高めの声。

 人語を解するという情報があっていたことに思わず内心で感嘆の声を上げながら、しかしペロロンチーノは小さく小首を傾げた。

 自分の聞き間違いだろうか、何やら古めかしい言葉を話したように聞こえたのだけれど……。

 ペロロンチーノの困惑を余所に、魔獣と対峙しているコキュートスはどこまでも平常心に魔獣を見据えていた。

 

「我ハ、ナザリック地下大墳墓ノ第五階層守護者コキュートス。オ前ガ“森ノ賢王”カ?」

「いかにも! 某が“森の賢王”でござる!!」

 

(う~ん…、確かに聞き間違いじゃなかったなぁ……。)

 

「我ラガ至高ノ御方ガオ前ヲゴ所望ダ。ソノ身ヲ捕ラエサセテモラウ」

「くくくっ、某を捕まえるなど笑止! お前が某に勝つことなど、不可能でござるよ!」

 

(でも、“某”とか“ござる”とか…昔の映像資料でしか聞いたことないんだけど。)

 

 真剣な会話を交わす二体を眺めながら、ペロロンチーノが呑気に心の声を呟く。

 ペロロンチーノとマーレが見守る中、突然洞窟内で二つの巨体が勢いよく激突した。

 頭から突っ込んできた巨体に、コキュートスが四本の太い腕を広げて抱えるように受け止める。魔獣はコキュートスを吹き飛ばそうとしたのだろうが完全に受け止められたことによってそれは敵わず、一方コキュートスはそのまま投げ飛ばそうとするのに、それを察知してか不意に長い何かが鞭のようにコキュートスに襲い掛かってきた。アイスブルーの外骨格がガキンッと大きく鋭い音を鳴らし、鞭のようなものが勢いよく弾かれる。そのまま逃げるように戻ろうとする鞭のような物体に、しかしコキュートスが大きな手でガシッと鷲掴んでそれを阻止した。千切らないように力加減を調整しながら、グイッと大きく引き上げる。

 

「ぬおっ!?」

 

 間の抜けた驚愕の声と共に魔獣の巨体が浮き上がり、引っ張られるがままに洞窟の外へと投げ飛ばされた。暗闇に染まっていた巨体が日の下に晒され、魔獣の全容が明らかになる。

 

「こ、これは………!!」

 

 あまりにも想像とかけ離れた姿に、ペロロンチーノが思わず驚きの声を上げる。

 兜の奥で忙しなく目を瞬かせ、ゴクッと一度大きく唾を呑み込んでから確かめるように“その言葉”を口にした。

 

「………こいつは…、尻尾が蛇な巨大ハムスター、か…!?」

 

 ペロロンチーノの言葉通り、それは超特大のジャンガリアン・ハムスターそのものだった。

 顔の上半分から背中にかけては茶色にも似た灰色の毛並みと一本線を描く焦げ茶色の毛並みに覆われており、顔の下半分と腹にかけては白い毛皮に覆われている。飛び出るのかと思うほどに大きな白目のない黒い瞳。口から特徴的な二本の前歯が小さく覗いており、意外と鋭い爪を持つ手足をハムスターのそれである。馬よりも大きな巨体と長い蛇の尻尾を除けば、どこからどう見てもハムスターだ。以前、ハムスターを飼っていたギルドメンバーから画像を見せてもらったことがあるため間違いない。

 

「ぬぅ!? お前たちは何者でござるか!? あ奴の仲間でござるか!?」

 

 ハムスターと思わしき魔獣がペロロンチーノたちの存在に気が付いて遅まきながら声を上げてくる。

 ペロロンチーノは洞窟から出てくるコキュートスを視界の端で確認しながら、どういった反応をすべきかと小首を傾げた。両腕を胸の前で組みながら、じっと魔獣を見つめる。

 

「……あー、お前は“森の賢王”で間違いないんだよな?」

 

 念のため、改めて間違えていないか確認してみる。

 魔獣は黒く大きな目をペロロンチーノへと向けると、ぱちくりと瞬かせてピンク色の鼻をピクピクと動かした。

 

「いかにも! 某が“森の賢王”でござる!」

「…あー、だよな……」

 

 間違っていなくて嬉しいはずなのに、何故こんなにも残念な気持ちになるのだろうか……。

 ペロロンチーノは内心で乾いた笑みを浮かべながら、気を取り直すように一度だけはぁっと大きな息をついた。

 “森の賢王”の正体が予想外過ぎて若干計画が狂った感が否めないが、それについては完全に無視をすることにした。

 今はとにかくこのハムスターもどきをさっさと捕まえよう、とペロロンチーノは改めて魔獣へと向き直った。

 最初は全てコキュートスに任せようと思っていたのだが、余りにも“森の賢王”が弱そうに見えて、コキュートスがうっかり殺してしまうイメージしか浮かばない。

 ペロロンチーノは念のためコキュートスとマーレに手振りだけで逃がさないように指示を出すと、獣人としての特殊技術(スキル)を発動させた。

 

「伏せ!」

 

 言葉と共に発動させたのは〈獣の咆哮 Ⅴ〉の内のレベルⅠ。

 相手を威圧し怯ませて動きを阻害させたり恐慌状態にさせることのできる特殊技術(スキル)だ。

 果たしてハムスターもどきに対しても効果は抜群で、魔獣は突然黒い双眸をウルウルと潤ませると力なくその場に崩れ伏した。ピンっと伸びていた髭も力なく垂れさがり、毛皮の上からでもプルプルと震えているのが見てとれる。

 

「…こ、降参でござるぅ~。降参でござるよぉ~……」

 

 まるで命乞いをするかのように弱々しく、それでいて必死に声を絞り出してくる。

 ペロロンチーノは予想以上の効果に若干どん引きしながら、取り敢えず特殊技術(スキル)をすぐに解いてハムスターもどきへと歩み寄った。へにゃりと地面に伸びている様を暫く見下ろし、どうしたものかと考え込む。

 取り敢えずナザリックに送るかとコキュートスたちを振り返ろうとして、ふと何かが頭の中で繋がるような感覚に襲われた。無意識に顔を上げ、頭上へと視線をさ迷わせる。これは〈伝言(メッセージ)〉だと思い至るとほぼ同時に、頭の中から聞き慣れた声が響いてきた。

 

『…すみません、ペロロンチーノさん。今少しだけいいですか?』

「モモンガさん? 別に大丈夫だけど…、何かあったんですか?」

『実は冒険者の依頼でカルネ村に行くことになったんです。護衛任務で俺とナーベラル以外の人間もそちらに向かっているので、一応ペロロンチーノさんに報告しておこうと思いまして…』

「えっ、そうなんですか!? あー…、それじゃあ村に貸し出してるゴーレムとかを引き上げさせた方が良いですかね?」

『……その方が無難だとは思います』

「ですよねー……」

 

 ペロロンチーノは一度ため息をつくと、これからの事を考えながら再び口を開いた。

 

「分かりました。モモンガさんたちはいつカルネ村に到着予定なんですか?」

『恐らく明日の昼頃になると思います。同行者は俺とナーベラル以外に人間が五人なので、必要であればそれも村人たちに伝えておいて下さい』

「了解です。念のため、伝えておきますね」

 

 ペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、大人しく様子を窺っていたコキュートスとマーレを振り返った。

 

「…ちょっと急用ができた。今からカルネ村に行くから、マーレは一緒に来てくれ。コキュートスはこのハムスターもどきをナザリックに連れて行った後、アウラが帰還してくるまで待機。あの子が戻って来たら改めて大森林の探索を再開してくれ」

「畏マリマシタ」

「か、畏まりました」

 

 マーレはすぐにぴょこぴょこと跳ねるようにペロロンチーノの元に駆け寄ると、コキュートスも未だ伏したままの“森の賢王”へと歩み寄っていった。むんずっと長い蛇の尾を鷲掴み、一度ペロロンチーノに頭を下げてから、ずるずると引きずって行く。

 でこぼこの地面や石や草、茂みも何のその。魔獣自身も毛皮のおかげで痛みを感じないのか、それとも騒いだら殺されると怯えているのか、うんともすんとも言わずに大人しく森の奥へと引きずられていった。

 若干大丈夫だろうかと心配になるも、まぁ大丈夫だろう…と思い直す。

 そんな事よりも今はカルネ村へ急がなければならない。モモンガたちがカルネ村に到着するのが明日の昼頃ということは、既に一日の猶予もなく、時間がない。

 ペロロンチーノは少しだけ考えると、すぐに決心してマーレへと手を伸ばした。

 

「ちょっとごめんな、マーレ」

「ふわっ!?」

 

 軽く声をかけるペロロンチーノに、驚いたマーレの声が響く。

 ペロロンチーノは片腕をマーレの膝裏に回すと、そのまま掬い上げるように抱え上げた。まるで片腕の上に腰を下ろすように抱きかかえ、二対四枚の翼を大きく広げる。力強く羽ばたくと、ペロロンチーノはマーレと共に遥か上空へと飛び上がった。

 

「ペ、ペロロンチーノさま!?」

「ごめん、こうした方が早いんだ。でも、怖がらなくても大丈夫だよ。しっかり抱きしめておくからな」

「ふえぇっ!?」

 

 途端にマーレの頬が朱色に染まり、素っ頓狂な声が飛び出てくる。しかしペロロンチーノは怖いのだと判断すると更に抱いている腕に力を込め、マーレの小さな身体を強く抱きしめた。翼を大きく羽ばたかせ、風に乗って一直線に空を駆け抜ける。

 目指すは森の端にあるカルネ村。

 障害物が何もない空路だというだけでなく、バードマンの特性も十分に活かしてペロロンチーノは瞬く間にカルネ村の上空へと辿り着いた。

 一度翼を羽ばたかせて空中に止まり、そのまま緩やかに地上へと降りていく。

 

「…あれ、ペロロンチーノ様?」

「あっ、ペロロンチーノ様だ!」

「おい、ペロロンチーノ様が来られたぞ! 村長に知らせろ!」

「こんにちは、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノの存在に気が付いた村人たちが次々と声を上げてくる。

 彼らの顔にはどれもが明るい笑みを浮かべており、随分と親交を深められたものだとペロロンチーノも思わず笑みを浮かばせた。

 ペロロンチーノは優雅に地上へと舞い降りると、マーレを地面に下ろしてから集まってきた村人たちに改めて目を向けた。

 

「突然すみません。村長さんはいますか?」

「はい、今呼びに行って……」

「これは、ペロロンチーノ様! 良くいらっしゃいました!」

 

 村人の言葉を遮って、村長が満面の笑みと共にこちらに歩み寄ってきた。

 暖かな彼らの歓迎に、ペロロンチーノも穏やかに挨拶を交わす。

 しかしすぐさま顔を引き締めさせると、ペロロンチーノは手短に今この場に来た理由を村長やこの場にいる村人たちに伝えた。その際、モモンやナーベという冒険者たちの正体は決して話さず、この情報も自分のシモベからのものだと伝える。

 村長たちは見知らぬ人間の団体が来ることに途端に不安の表情を浮かべ、ペロロンチーノは安心させるように柔らかな声音を意識して声をかけた。

 

「念のため、明日一日はゴーレムたちを回収させてもらいます。でも、姿が見えないシモベたちは何体か村の中に待機させておくので、安心してください」

「ペロロンチーノ様……。お心遣い、ありがとうございます」

「とんでもないですよ。あと、ないとは思いますけど、もし騎士たちからこの村を救った人物について聞かれたら、引き続き“謎の三人の旅人が助けた”ことと、“それ以外のことは何も知らない”ということにして下さい」

「はい、分かっております。大恩あるペロロンチーノ様方のため、決して他言は致しません」

 

 村長の言葉に、他の村人たちも全員が真剣な表情を浮かべて大きく頷いてくる。ペロロンチーノも一つ頷くと、他の村人たちにも今の話を伝えるよう声をかけた。村長を含めたこの場にいる全ての村人たちが、その言葉に従って早速村の中へと散って行く。

 彼らの背を見送りながら、ペロロンチーノは小さく息を吐き出した。

 先ほど言った“姿が見えないシモベたちを何体か村の中に待機させておく”という言葉は嘘ではあったが、モモンやナーベという冒険者の正体がモモンガとナーベラルである以上、シモベたちを待機させなくても大丈夫だろう。

 今重要なのは、如何に自分たち異形がこの村にいたという痕跡を消せるかどうかにかかっている。

 しかしそれもマーレやアウラに任せれば問題ないだろうと判断すると、ペロロンチーノはまずはマーレへと指示を出した。ゴーレムの回収だけでなく、念のためこの村の中や村周辺を含めた地面に痕跡がないかを調べ、痕跡があれば消すように命を下す。

 マーレは一度深々と頭を下げると、命令を遂行するために足早に村の奥へと駆けて行った。

 ペロロンチーノは何とはなしに上空の空を見上げると、モモンガたちのことを思いながら、ただ明日が無事に過ぎるよう空に祈ったのだった。

 

 




*今回のペロロンチーノ様捏造ポイント
・〈獣の咆哮 Ⅴ〉;
相手を威圧する、獣人の特殊技術。モモンガの〈絶望のオーラ〉と同じように五段階あり、低威力では相手を怯ませて動きを阻害し、全力では恐慌状態にさせてレベル差によっては狂死させることができる。100Lv相手には効果は無い。


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第13話 闘争遊戯

遅ればせながら、明けましておめでとうございます!
今年も当小説を宜しくお願い致します!!


 デモンストレーションでモンスターの大群から人間たちを助けたウルベルトたちは、その後少しだけ予定を変更してカッツェ平野でアンデッドどもを蹴散らしてから帝都の“歌う林檎亭”へと戻って行った。

 帝都に到着したのは深夜。

 夜の闇に溶け込むようなジャージーデビルの存在に帝都の人間たちはみな驚きの表情を浮かべて騒いでいたが、それらは完全に無視をする。

 “歌う林檎亭”の裏手にある厩の一角を借りてそこにジャージーデビル達を待機させると、ウルベルトたちは再び宿の一室も借りてその日を終わらせた。

 

 そして今日。

 ウルベルト、ユリ、ニグンの三人は一階の食堂に下りると、多くの客たちが騒めくのも無視して一つの丸テーブルへと腰を下ろした。

 ひどく緊張した様子で近づいてきた女性の店員に適当に朝食を頼むと、ウルベルトは一つ小さな息をついて深く椅子に背を預けた。

 

「……さて、今日は確か闘技場の試合に参加するんだったな」

「はい。私たちの出番は11時からとなりますので、10時には会場に出向く必要があります」

「ふむ……」

 

 淡々と説明するユリに頷きながら、ウルベルトは顎に細長い指を引っ掛けて思考を巡らせた。

 今彼の頭にあるのは昨日のモンスターの大群やアンデッドたちとの戦闘と、それによって見られたニグンの変化だった。

 ニグンが小悪魔(インプ)となった当初と、戦闘をすべて終えての一日の終わり。ウルベルトが〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉によってニグンの状態を見てみれば、本当に微妙ではあったけれどHPの最高値が上がっているのが確認できた。

 最初と今との最高値の差は、ちょうどレベル一つ分。つまり、ニグンはレベルが1レベル上がったことになる。

 確かにニグンや他の陽光聖典たちから『“れべるあっぷ”という言葉を聞いたことがある』と聞いてはいたけれど、今までは半信半疑であったこともあり、改めて確認できたことにウルベルトは喜びを感じていた。

 この世界に“経験値”や“レベルアップ”といったシステムが構築されていたという事実。

 驚きと喜びと安堵を湧き上がらせながらも、しかし、そこで一つの懸念が浮かび上がってきた。

 

 果たしてこのシステムは異世界の住人であった自分たちにも適用されるのだろうか…――

 

 この世界の住人のみが対象であった場合、それでは何の意味もない。ウルベルトやモモンガたちが欲しているのは自分たちの更なる力の習得であり、一部の魔法や蘇生のペナルティであるレベルダウンに対応する方法の獲得だった。

 ウルベルトは考え、そして決断した。

 ニグンに多くの経験を積ませてレベルアップをさせると同時に、あらゆる職業を獲得させてレア度をアップさせる。同時にユリにも経験値を積ませてレベルアップできるかどうか随時確認をしていく。

 ユリの現在の総合レベルは51。この世界では既に脅威のレベルらしいためどんなに経験値を稼いでも微々たるものかもしれないが、それでも彼女はプレアデスの中ではエントマと同じく下から二番目にレベルが低い。他の者たちよりかはレベルを上げやすい環境にあるとも言えた。

 こうなったらニグンとユリを戦わせて戦わせて経験値を稼ぎまくらせてやる。

 この際、“レオナール(自分)”の知名度を上げることは二の次だ。

 心の中でそう結論付けると、ウルベルトはちょうど運ばれてきた朝食に手を伸ばした。

 本日の献立は黒パンとビーフシチューに似たスープ。

 パンはふんわり、スープはコクがあり、肉はジューシーでいて柔らかく舌の上で溶けるようだ。この世界の水準では十分美味い分類に入るだろう。しかし、ナザリックの食事を一度は口にしたことのある三人にとっては、些か物足りなさを感じてしまう味だった。

 

「……ふむ、まぁまぁですね。宜しければ、今後は副料理長が調理したものを用意させますが…」

 

 念のため言葉は選んで極力小声で伺いを立ててくるユリに、ウルベルトは小さく首を振ることでそれに応えた。

 ユリとしては至高の御方であるウルベルトに少しでもふさわしい料理を提供しようとしてくれたのだろうが、ここで食事をとっているのは偏に周りから怪しまれないためなのだ。本来食事が不要である自分たちが敢えて食事をとる理由などそれ以外になく、ナザリックで準備したものをわざわざ人目のあるところで食べる方が色々と面倒臭かった。

 

「…それより、今日の闘技場についてだが」

 

 食事の手を一度止めて口を開く。

 ユリとニグンも食事の手を止めると、じっとウルベルトを見つめて聞く姿勢をとった。

 

「闘技場での戦闘はお前たちを中心に行ってもらう。特にレインは今回は魔法は極力使わず、貸し与えた短剣で戦うように。私も補助魔法くらいはしてやるが、それ以外は何もしないので、そのつもりでいるように」

「……宜しければ、理由を聞かせて頂いても宜しいでしょうか? この度の闘技場での件はレオナールさーー、んの力を他者に見せつけ、知名度を上げるのが一番の目的のはず。レオナールさんが戦わなければ意味がありません」

 

 困惑の表情を浮かべているのであろうニグンに、ウルベルトは小さく肩をすくめてみせた。

 

「正確には、私ではなく我々“サバト・レガロ”の力を見せつけて知名度を上げるのが目的だ。それに…、少し実験したいこともあるのでね」

「実験、ですか…」

 

 ニグンの表情は晴れなかったものの、しかしそれ以上は何も言わず口を閉ざした。

 ナザリックのシモベにとって至高の主であるウルベルトの言葉は絶対であり、それは新参者であるニグンにとっても同様である。先ほどの言葉もただ単に疑問に思ったのと、主であるウルベルトの思考を正確に把握しておきたいという思いから出たものだった。ウルベルトの考えを少しでも聞くことができた今、ユリも何も言わないため、ニグンもこれ以上言うことはない。ウルベルトが食事を再開するのを確認し、ユリとニグンも食事の手を再び動かし始めた。

 彼らは優雅でいて無言で食事を終わらせると、ウルベルトを先頭に椅子から立ち上がった。

 宿代と食事代は別であるためユリがカウンターへ金を払いに行き、戻ってきたのを見計らって三人で宿を出た。

 最初の時とは少しだけ変わり、ウルベルトを先頭に右斜め後ろにユリ、左斜め後ろにニグンという形で街中を歩く。

 帝国に来た当初から変わらず、ウルベルトたちが歩くたびに左右に割れる人の波。四方八方から突き刺さる多くの人の視線に、身体に多くの穴が空いてしまいそうだ。

 歩きやすいのはいいことだが視線が少々鬱陶しいな…と内心で呟く中、漸く見えてきた目的地に思わず小さく安堵の息をついた。

 ナザリック地下大墳墓、第六階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)よりかは見劣りするものの、それでも十分立派な闘技場。

 既に始まっている試合でもあるのだろう、出入りする人の数は多く、聞こえてくる歓声や悲鳴が空気を激しく震わせている。

 ウルベルトは感心と呆れが少々入り混じった息を小さく吐き出すと、ユリとニグンを引き連れて闘技場の中へと足を踏み入れた。

 中は多くの人でごった返してはいたが、ここでもウルベルトたちの存在に気が付いた者が驚愕の表情を浮かべ、次々と道を開けていく。自然にできる空間をひたすら歩きながら、ウルベルトたちは受付へと歩み寄って行った。

 

「おはようございます。この度、演目の一つに参加させて頂きます“サバト・レガロ”と申します。登録の際、当日はまずこちらの受付に来るよう指示を受けたのですが、ご確認願えますか?」

「あっ、は、はい…! 今確認しますので、しょ、少々お待ちください……!」

 

 ウルベルトに話しかけられた受付の女性が顔を真っ赤に染めながら慌てて立ち上がった。大量の書類を持ってきて素早く捲っては目を走らせる。ウルベルトの視線にどんどん顔の色を赤くしながら、周りの他の人間たちの視線に身体を小刻みに震わせ始め……。やっと目的の書類を見つけたのだろう一つの羊皮紙を手に女性は顔を上げると、所々言葉を詰まらせながらも必死に説明をし始めた。

 ウルベルトたちが参加する演目のスケジュールと内容確認。この闘技場を利用するのが初めてであるため、注意事項や禁止事項、留意点なども改めて一通り説明される。

 その後、他の職員に引き継がれ、ウルベルトたちは待合室へと案内された。

 中にはウルベルトたちだけではなく、同じ演目に出場するのであろう剣闘士や冒険者、ワーカーたちが既に揃って各々の好きなように過ごしていた。ウルベルトたちの登場に、部屋にいた面々が一斉にこちらを向いてくる。しかしウルベルトたちは一切気にすることなく、部屋の奥に置いてあった椅子にそれぞれ腰を下ろした。

 ウルベルトは長い足を組んで肘掛に右肘を預けると、右手の甲に軽く顎を預けながら今回自分たちが参加する演目について思考を巡らせた。

 出場の登録自体はユリやニグンに任せたため他にどういった演目があるのかは知らないが、今回ウルベルトたちが出場する演目は人種vsモンスターの勝ち抜き戦だった。ラウンドが3つまであり、次のラウンドに進むにつれて出てくるモンスターのレベルも上がり、頭数も増えていく。最後まで勝ち抜き、かつ倒したモンスターの数ごとに順位が決められ、一位から三位までが賞金を獲得できる。因みに相手の獲物を横取りしたり邪魔したりするのも禁止されてはいない。何でもありの乱闘戦かつ勝ち抜き戦である。

 それにしても……、とウルベルトは気付かれないようにそっと周りに視線を走らせた。周りで各々好きなように過ごしている参加者たちを観察し、内心で小首を傾げた。

 場合によっては死者も出るという闘技場の演目。それに出場するのだ、参加者は少なからずそれ相応の実力者だろうとウルベルトは考えていたのだが…。

 しかし周りにいる参加者たちはお世辞にも実力者にも強そうにも見えなかった。村人に毛が生えたような…、良くても一兵卒くらいの強さしか持っていないのではないだろうか。妙に落ち着きのない者も多く、他人事でありながらもつい大丈夫だろうか?と心配になってくる。

 

「……どうやら、この演目の参加者は駆け出しが多いようですね」

「ん…?」

 

 不意にニグンの小さな呟きが聞こえてきて、ウルベルトはニグンへと目を向けた。

 ニグンはウルベルトと同じように周りを見回していたが、ウルベルトの問うような視線に気が付いて姿勢を正した。

 

「闘技場には多くの演目があり、様々な者が参加しますが、今回我々が出る演目はその中でも新参者や挑戦者が参加する傾向が強いようです」

「まぁ、彼らの強さは凡そ想像がつくが……、何故初心者が参加する傾向が強いんだ?」

「…レオナールさんも、闘技場の演目によっては死者が出ることがあることはご存知ですよね?」

「ああ」

 

 言葉を選ぶように確認をとってくるニグンに、ウルベルトは足を組みかえながら一つ頷いて返した。ニグンも一つ頷くと、周りに聞こえないように声を潜めながら自身の考察とも言うべき説明をし始めた。

 彼の言葉によると、今回自分たちが参加する演目は比較的死亡率を回避することのできる演目であるらしい。一組対一組や一組対多数の演目は、敵の攻撃が自分たちに集中するため死亡率もそれだけ高くなる。しかし今回自分たちが参加する演目は多数対多数。敵の攻撃が一組だけに集中することはひどく稀であり、危なくなれば他の組に“擦り付け”をすることもできる。経験をつめて他の多数の戦い方も間近で見ることができ、なおかつ他の演目に比べて危険度が低く、上位にいければ賞金まで手に入る。多くの面で得るものがあり、戦いの初心者たちには絶好の演目と言えるだろう。

 

「……なるほど…」

 

 ニグンの言葉には説得力があり、概ね的を得ているように思われた。

 剣闘士も冒険者もワーカーも戦いを生業にしており戦いの専門家ではあるが、誰しもが最初から強くベテランであるわけがない。誰しもが最初は経験不足で弱く、自信も度胸も少ないだろう。

 そんな彼らにとって、初っ端から難易度の高い現場に行くよりかはこういった闘技場の演目に参加する方が有意義であると言えた。

 もしかしたら、この演目を最初に考えた人間もそれが狙いだったのかもしれない。

 

 

「皆さん、お待たせしました! 時間となりましたので、こちらにどうぞ!」

 

 不意に大音量で響いてきた職員の声。

 この部屋にいる全員が声の方を振り返れば、ウルベルトたちが使った扉とは別の扉の前に一人の職員が立っていた。

 恐らくあの扉が闘技場の中央広場にそのまま繋がっているのだろう。

 続々と参加者たちが扉へと歩み寄る中、ウルベルトたちも椅子から立ち上がった。参加者たちの列の最後尾に並び、扉の奥へと進んでいく。

 薄暗く長いトンネルのような通路を歩くにつれ、多くの歓声のような声が聞こえてくる。

 光り輝く出口を潜り抜ければ、そこには予想通り闘技場の中央広場が広がっていた。

 周りには多くの観客が声を上げて騒いでいる。

 モンスターたちは未だ登場しておらず、参加者たちは余裕の笑みで観客たちに手を振って笑顔を振りまいていた。

 何とも緊張感のない、呆れた光景だ。

 ウルベルトは小さく息をつくと、ちょうど自分たちが出てきた入り口とは反対側にある大きな扉へと目を向けた。

 まるでそれを見計らったかのように、場内に司会の声が響いてくる。

 

『大変長らくお待たせいたしました! それでは次の演目へと移らせて頂きます!! 果たしてこの場にいる誰が生き残り、誰が賞金を得るのでしょうか!!』

 

 自分たちが登場する前に既にルール説明をしていたのだろう、司会がさっさと進行していく。

 

『それでは試合を始めましょう!』

 

 司会の合図に鐘の音が鳴り響き、ウルベルトが見ていた扉が大きく開かれた。

 闇色の通路から続々と多くのモンスターが解き放たれ、笑顔を振りまいていた参加者たちも顔を引き締めさせて各々得物を抜き放って構える。

 彼らの顔には緊張の色が濃く現れ、空気も緊迫感に張りつめる。

 ユリがガントレットをはめた両手を構え、ニグンもウルベルトに貸し与えられた聖遺物級(レリック)の短剣を引き抜いて構える中、ウルベルトただ一人だけが何もせずに佇んでいた。

 扉から現れたのは(ウルフ)10匹と蛇10匹、ジャイアント・スネークが3匹、小鬼(ゴブリン)が15匹という中々の数。

 モンスターたちが雄叫びを上げて突進してくるのに、ウルベルトたち以外の参加者たちも全員がつられるように突撃していった。

 一気に繰り広げられる乱闘戦。

 誰もが我先にと好戦的に得物を振るう中、ユリとニグンは自分とウルベルトに襲い掛かってきたモンスターのみを的確に捌いていった。

 しかし多勢に無勢と言うべきか、レベルの差というべきか、ウルベルトたち以外の参加者たちが徐々に押され始める。

 ウルベルトは周りの様子を窺い時間を計算すると、一瞬思考を巡らせてから機を見計らって口を開いた。

 

「リーリエ、レイン、他の者たちを援護しろ」

「「はっ」」

 

 ウルベルトの命令の声は小さく、周りの喧騒にかき消されて他の者たちの耳には一切届かない。ユリとニグンだけがそれに忠実に答えると、苦戦している者を優先して順に援護に向かっていった。

 二人が援護に向かったことで、ウルベルトの前方の空間が一気に開かれる。

 既にユリとニグンが周りのモンスターたちを掃除していたとはいえ、モンスターは生き物であり“物”ではない。

 二匹の狼がウルベルトに気が付き、牙を立てようと唸り声と共に突っ込んできた。

 ウルベルトの口から大きなため息が吐き出される。

 ウルベルトは猛スピードでこちらに駆けてくる狼たちを見つめると、億劫そうに右手の人差し指を緩く突き付けて口を開いた。

 

「…〈魔法二重化(ツインマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 ポツリと小さく呟かれた言葉。

 ウルベルトの周りの空中に二十の光球がどこからともなく現れ、光の矢となってそれぞれ十つずつ二匹の狼へと襲い掛かっていった。

 成す術もなく身体の至る所に十つの風穴を開けて倒れる二匹の狼。

 ウルベルトは少しの間、遠くに横たわる狼の死体を眺めていると、次には周りへと視線を巡らせた。

 全てのモンスターが倒れていることを確認し、ユリとニグンが余裕の様子でこちらに戻ってくる姿も見とめる。

 他の参加者たちを見てみれば、全員無事ながらも既に怪我を負っている者も何人かいた。回復手段がないのか、布の切れ端を包帯代わりに傷に巻いている。

 あのレベルに対してこんな状態で本当に大丈夫だろうか…と思わず心配になる中、再び前方の扉が開いて次のモンスターの集団が勢いよく飛び出してきた。

 現れたのはゴブリン20匹に人食い大鬼(オーガ)が5匹、巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)が10匹。

 第1ラウンドとは数はあまり変わらず、しかし質は一気に向上している。ウルベルトたちにしたら雑魚の何者でもないが、他の参加者たちには既に荷が重いレベルになっていた。

 この演目も、他の演目に比べて死亡率が低いとはいえ皆無では決してないということが窺える。

 参加者たちの顔に焦りと緊張の色が浮かぶ中、モンスターたちは第1ラウンドの時と同じように勢いよくこちらに突進してきた。

 羽根を鳴らして上空から襲い掛かってくる巨大昆虫は魔法詠唱者(マジックキャスター)や弓兵に任せ、他のメンバーはゴブリンとオーガに対処する。

 ニグンもウルベルトの言いつけを守って魔法は使わず、短剣を振るってユリと共に襲い掛かってくるモンスターたちを返り討ちにしていった。

 ウルベルトはといえば、先ほどと同じように一人突っ立ってユリとニグンや周りの戦いぶりを眺めている。

 ユリとニグンはまだまだ余裕があるが、他の参加者たちは案の定なかなか厳しい状態のようだ。

 また援護してやるか…とウルベルトは今度は手振りでユリとニグンに指示を出すと、二人は無言で頷いて参加者たちの元へと駆けて行った。弾丸のようにモンスターの大群に突っ込んでいく二人の背を見送りながら、ウルベルトは小さく息をついた。

 ニグンに天使を召喚させればもっと楽に戦うことができるのだが、流石にこんな大勢の人間の前で召喚させるのは気が引けた。名声を高めるのが一番の目的ではあるのだが、未だどんな世界か把握しきれていない状態で注目を浴び過ぎるのは危険度が高くなり、厄介ごとに巻き込まれる危険性も高くなると思い直したのだ。先日のデモンストレーションで天使を召喚させたのも、今では失敗だったと反省している。

 どうにも自分は警戒心や考えが足りないな…と内心で自分自身にため息をついた。

 

『おぉっと、何と言うことでしょう! たった二人の人物にモンスターの大群が瞬く間に全滅してしまいました!』

 

 思考の渦に呑み込まれかけていたウルベルトの意識が、司会の声と大きな歓声によって引き戻される。ハッと視線を周りに走らせれば、ちょうどこちらに戻ってくるユリとニグンの姿と、周りに倒れるモンスターたちの死体が目に飛び込んできた。

 ユリとニグンは無傷。しかし他の参加者たちの状態はと言えば、こちらは最悪の一言に尽きた。

 無傷の者はおらず、全員が少なからず怪我を負っている。中には地面に座り込んで立つことさえできない者さえいた。

 

「……レオナールさん、いかがしましょう?」

 

 ウルベルトと同じように他の参加者たちを見つめていたユリが徐に伺いを立ててくる。

 詳しく言われなくてもユリの意図が分かり、ウルベルトは小首を傾げた後、モンスターが現れるであろう扉へと目を向けた。

 

「次に何のモンスターたちが出てくるのか分からないから何とも言えないが……、お前たちが怪我をしないのなら好きにして構わないよ」

「ありがとうございます」

 

 流石はカルマ値プラスと言うべきか、ユリは正しい意味での慈悲を持っているようだ。ウルベルトとしてもユリとニグンさえ無事ならそれで構わないため、彼女の好きなようにさせることにする。

 彼らがそんな話をしている間に最後の準備が整ったのか、ウルベルトが見つめている扉が再び大きく口を開いた。

 扉から吐き出された多くのモンスターたちに参加者たちは大きく顔を引き攣らせる。

 勢いよく現れたのは大型鼠(ジャイアント・ラット)10匹と狼15匹、魔狼(ヴァルグ)5匹、湿地の巨腕(スナップ・グラスプ)3匹、トブ・ベア1匹。

 数もさることながら、質が一気に上がり、種類も多い。

 間違いなく新参者である他の参加者たちには荷が重すぎる相手だ。

 この演目にウルベルトたちが参加していたことは、彼らにとって不幸中の幸いに他ならなかっただろう。

 

「これは……、彼らには荷が重いですね」

「今回この演目をセッティングした奴は、完全に殺しにかかってきているな…」

 

 ニグンの小さな呟きに頷きながら、ウルベルトも小さく顔を顰めさせる。

 ウルベルトはすぐに考えをまとめると、モンスターたちを殲滅するようユリとニグンに命を下した。

 ウルベルトは勿論の事、他の参加者たちにもその牙が届く前に二人が猛スピードで大群の中へ突っ込んでいく。

 すぐに遠ざかっていく二人の背を見送り、ウルベルトはこのラウンドをすぐ終わらせるために静かに口を開いた。

 

「〈魔法二重化(ツインマジック)鎧強化(リーインフォース・アーマー)〉、〈魔法二重化(ツインマジック)下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉、〈魔法二重化(ツインマジック)下級敏捷力増大(レッサー・デクスタリティ)〉、〈魔法二重化(ツインマジック)盾壁(シールドウォール)〉……」

 

 力の差が開きすぎないように注意しながらユリとニグンに補助魔法をかけていく。

 二人の動きが見るからに変わり、容赦なくモンスターの数を減らしていった。一匹たりとも逃がさぬように上手く立ちまわり、ユリは拳を振るい、ニグンは短剣を鮮やかにさばく。誰もが呆然となる中、彼らの目の前でモンスターたちは殴り殺され、斬り殺されていった。

 大きな広場の中央にモンスターたちの亡骸が堆く積まれ、今もなお成長している。

 数分も経たぬうちにモンスターたちは全て死に絶え、そこにはユリとニグンだけが悠然と佇んでいた。

 ウルベルトが徐に足を踏み出し、静かにユリとニグンの元へと歩み寄っていく。

 彼が動いたことで漸く我に返ったのか、静寂の中に唐突に司会の声が響いてきた。

 

『…な、なんということでしょう! 信じられません! たったの二人で、あのモンスターの大群を全滅させてしまいました!!』

 

 司会者の声に、周りの観客たちも徐々にざわつき始める。

 

『彼らはワーカーチーム“サバト・レガロ”のメンバーである、レイン氏とリーリエ氏です!』

 

 司会者に名指しされ、ユリとニグンが周りの観客たちを見上げる。

 観客たちも調子を取り戻し始めたのか、どんどんざわつきが大きくなり始める。

 

『これは賞金を獲得する者は決まったも同然ですね! 皆さま、レイン氏とリーリエ氏、そして生き残った彼らに盛大な拍手を!!』

 

 司会者の言葉に応じるようにして、一気に大きな歓声と拍手が観客席から沸き上がる。

 多くの人間たちが奏でる大音量が空気を大きく震わせ、彼らの興奮は暫く落ち着くことなく続いていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「……はぁ~、疲れた…」

 

 “歌う林檎亭”に戻ったウルベルトは、開口一番にそう言って近くにある寝椅子(カウチ)に腰を下ろした。そのまま背中からごろんっと寝転がる。

 壁に立て掛けられている時計を見れば、針は既に夜の21時を回っていた。

 ウルベルトたちが参加した演目自体は賞金獲得者の発表を含めて13時には終わっていたのだが、ついでに他の演目も全て見ていたらこんな時間になってしまったのだ。

 ウルベルト自身はちゃんと戦ってもおらず、疲労というバッドステータスも受け付けないのだが、それでも精神的に疲れたような気がする。

 因みに賞金は一位のユリ、二位のニグン、三位の剣闘士が獲得していた。

 懐も温かくなり、ウルベルトは兎も角としても“サバト・レガロ”自体の名はそれなりにアピールできたため上々と言えよう。

 これでユリとニグンのレベルが上がっていれば言うことがなかったのだが、残念なことにニグンのレベルしか上がってはいなかった。それも1レベルくらいしか上がっておらず、まだまだ先は長そうだった。

 

「……ウルベルト様、いつ戻られるご予定でしょうか?」

「うん? ……そう言えば、今日が三日目だったな…。折角だ、少々早いがもう戻るとしよう」

 

 ユリの言葉に、三日に一度行われる情報共有の会議のことを思い出す。

 会議は深夜12時から始まるため時間までまだ余裕があるのだが、早めに動く分には構わないだろう。

 ウルベルトは勢いよく寝椅子(カウチ)から立ち上がると、軽く宙へと右手を伸ばした。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 ウルベルトの声に応えて、宙に闇の入り口が現れる。

 ウルベルトは小さな笑みを浮かべて一つ頷くと、背後に控えているユリとニグンを振り返った。

 

「これで良し! …すまないが、念のため今回はユリはここに残ってくれ。何かあったらすぐに知らせてくれ」

「畏まりました」

 

 ウルベルトの言いつけに、ユリは大人しく頭を下げる。

 ウルベルトはニグンを引き連れると、ユリが見送る中、闇の扉の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開かれた視界に映る、夜の闇に染まる霊廟。

 静寂と威圧感に包まれたそこに、ウルベルトはゆっくりと足を踏み入れながら無意識に大きく息を吸い込み、そして深く吐き出した。

 深い森林特有の自然の空気が身体の中を洗ってくれるようでひどく心地よい。

 三日しか経っていないというのに懐かしい様な心持ちがして、ウルベルトは思わず小さな笑みを浮かばせた。

 

 

「ウルベルト様!」

「……?」

 

 唐突に聞こえてきた自分の名を呼ぶ声。

 そちらを振り返って見れば、喜色の笑みを浮かべたアルベドがシズを引き連れて立っていた。

 出迎えに来てくれたのだろうか…、ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべてアルベドたちの元へと歩み寄って行った。

 

「やぁ、アルベド。迎えに来てくれたのかい?」

「は、はいっ! お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

「…お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 右手を胸の上に沿えて深々と礼を取るアルベドに、シズもつられるようにして同じ言葉と共に頭を下げてくる。

 本当はウルベルトやモモンガが帰ってくるのを今か今かと待ち伏せし、シズはそれに付き合わされていただけなのだが、両者ともそんなことは微塵も窺わせない。

 ウルベルトは全く気が付くことなく、ただ笑みを浮かべたまま素直にアルベドたちの言葉を受け止めていた。

 

「ただいま。モモンガさんとペロロンチーノは戻っているのかな?」

「モモンガ様はまだ戻っておられません。ペロロンチーノ様は一度戻られたのですが、またお出かけになられました。決められた刻限までには戻られるとのことです」

「ふむ、そうか…」

 

 何かあったのだろうかと少し気にはなったものの、彼女たちに特別何も言わなかったということは大丈夫なのだろうと考え直す。

 ウルベルトは預けていた“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”をシズから受け取ると、そのまま指へと填めようとした。

 しかし、そこでふと自分の手が未だ人間の手であることを思い出す。

 もうここはナザリックの領域であり、人間の姿を続ける意味もない。

 ウルベルトはまるで何かを軽く振り払うように右手を振るった。瞬間、美しい人間の男の姿が揺らめき、次にはそこには山羊頭の悪魔が佇んでいた。

 豊かで美しい長い純銀色の毛皮を柔らかな風に遊ばせ、大きく捩じれながらも天を突くように伸びている二つの角は小さな星明りにも美しく光り輝く。

 恐ろしくも美しい、災厄と悪の具現化。

 本来の姿に戻ったウルベルトは、悪魔の手に“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”を填めた。

 横ではアルベドが頬を仄かに染めて熱い吐息を零してうっとりとウルベルトを見つめているのだが、それには全く気が付かない。ただ指に填まったリングを満足げに見やり、足を踏み出して霊廟の中へと足を踏み入れて行った。

 アルベドやシズ、ニグンもその後に続き、ナザリック地下大墳墓の中へと進んでいく。

 “リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”での転移を使わずに第九階層まで行くにはそれなりの時間を要する。しかしウルベルトはリングの力は一切使わずに、良い時間潰しとして散歩のような感覚で地道に第九階層まで歩を進めた。

 

 

「…ウルベルト様、お帰りなさいませ」

 

 第九階層の円卓の間の扉の前。

 そこに見慣れた朱色の長身を見つけ、ウルベルトは足を止めて山羊の顔に笑みを浮かばせた。

 

「ただいま、デミウルゴス。お前も、もう戻ってきていたのだね」

「はい、ちょうど先ほど戻って参りました」

 

 扉の前でウルベルトを待っていたのは、彼の最高傑作である最上位悪魔(アーチデビル)、デミウルゴス。

 デミウルゴスは抑えきれぬ喜色を顔に浮かべながらウルベルトに恭しく頭を下げていた。

 背後から覗く銀の甲殻に覆われた長い尻尾はゆらゆらとご機嫌に揺れており、ウルベルトの笑みを否が応にも誘う。

 

「そうか。元気なようで良かったよ」

 

 優しく声をかけ、ポンポンと軽く肩を叩いてやる。それでいて足を踏み出すのに、創造主からの突然の接触に歓喜を噛みしめていたデミウルゴスが慌てて扉を開けてくれた。

 視界が一気に開け、多くの椅子が並んだ大きな円卓が置かれた部屋が現れる。

 ウルベルトは近くにあった椅子を引いて腰を下ろすと、これから行われる会議に思いを馳せて含み笑いを浮かべるのだった。

 

 




今回の闘技場の演目などは完全に当小説での捏造となりますので、ご了承ください…。

すっごく短いけど、久々に悪魔親子を書けて楽しかったです(笑)


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第14話 鳥と骨の共同作業

今話は久々にモモンガ様が出てきます!


 ナーベラルと共に王国で冒険者となったモモンガは、剣士モモンと魔法詠唱者(マジックキャスター)のナーベとして、冒険者になった次の日には何故か指名を受けて初めての依頼を遂行中だった。

 依頼内容は薬草採取の護衛。

 同行者は依頼主であり薬師でもあるンフィーレア・バレアレという少年と、“漆黒の剣”という四人組の冒険者チームだった。

 何故他の冒険者チームも同行しているのかというと、説明すると長くなるのだが、モモンガの要請でこの依頼に参加してもらっていると言うのが一番正しいのかもしれない。元々は彼らとモンスター退治をしようという話になっていたのだが、そこにンフィーレアからの指名が入り、あれよあれよという間に両者と共に二つの事柄をこなすこととなったのだ。

 彼らの目的地はカルネ村付近のトブの大森林。

 まさかこんなに早くに再びあの村に行くことになるとは思わなかったが、念のためその日のうちにペロロンチーノには連絡を入れておいた。

 そして日をまたいで今日。

 荷馬車が一台あるとはいえ操縦しているンフィーレア以外は全員徒歩であるため、ほぼ一日をかけて漸くモモンガたちはカルネ村まで辿り着いた。

 ペロロンチーノや村人たちの努力の賜物なのだろう、村の付近には今までになかった頑丈な柵が打ち立てられて並べられている。何度もカルネ村に来たことがあるらしいンフィーレアは訝し気に首を傾げていたが、彼らは無事に村の中へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

「ンフィーレア!」

 

 村の中に入ってすぐ、聞き覚えのある少女の声が聞こえてくる。

 誰もが何事かと振り返る中、名を呼ばれたンフィーレアは驚愕の表情のままに勢いよく荷馬車の上から飛び降りた。

 

「エンリ!」

「久しぶりね! 元気そうで良かったわ」

 

 満面の笑みで駆けてきたのは見覚えのある少女。

 エンリとンフィーレアが笑みを浮かべて会話する様子を見つめながら、そう言えば…とモモンガは彼女を助けた時のことを思い出した。

 確か彼女は魔法を使える薬師の友人がいると言っていたはずだ。ということは、ンフィーレアがその“友人”だったのだろう。

 なるほど…と内心で頷く中、不意に右肩にかけているマントがちょいちょいと小さく引かれてモモンガはバッと勢いよくそちらを振り返った。しかしそこには何もなく、ナーベラルも不思議そうにモモンガを見つめている。モモンガは一体何事かと一気に警戒心を強めて身構えようとした、その時。

 

『やあ、モモンガさん! やっと着いたんですね!』

「っ!!」

 

 突然〈伝言(メッセージ)〉が繋がってペロロンチーノの声が頭に響いてきた。

 あまりのことにモモンガは驚きの声を上げそうになり、慌てて寸でのところで何とか呑み込む。周りに怪しまれないように注意深く平静を装いながら、モモンガは頭の中でペロロンチーノへと声を上げた。

 

『ちょっ、ペロロンチーノさん! 突然、驚くじゃないですか!』

『あはは、すみません。つい悪戯心が出ちゃいまして』

 

 頭の中で声が響く中、再びクイックイッと小さくマントを引っ張られる感覚がする。引っ張られる方向からして、恐らく右斜め後ろにペロロンチーノがいるのだろう。〈透明化(インヴィジビリティ)〉であれば透明看破の特殊技術(スキル)で認識することができるのだが、どうやら〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を使っているようで全く認識することができない。

 確か各々が出発する前の四日間の間、ペロロンチーノがウルベルトに幾つかのアイテムを作ってくれるよう頼み込んでいたのを思い出す。恐らくその中に〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の力を宿したアイテムもあったのだろう。

 

『…彼らが今回の依頼の同行者ですか』

『はい。少女と話をしているのが依頼主のンフィーレア・バレアレで、他の人間たちが“漆黒の剣”という冒険者チームのメンバーです』

『ふ~ん……。…あの男、俺のエンリちゃんに馴れ馴れしいですね』

 

 頭の中に不機嫌そうな声が響いてくる。

 見てみれば、確かに二人の様子は本当に仲が良さそうに見えた。見方によっては仲の良い友人通しは勿論の事、恋人同士にも見えてくる。

 しかしそんなことを言えばペロロンチーノの牙が少年に向きかねないため、モモンガは努めて冷静な声音を意識してペロロンチーノを落ち着かせようと試みた。

 

『いや、まぁ…、二人は友人同士らしいですし、普通なんじゃないですかね』

『むぅ~……、そうですかねぇ……』

 

 ペロロンチーノが納得しかねる声音で唸り声を上げる。

 ンフィーレアとエンリはといえば、モモンガとペロロンチーノに注視されているのも気づかずに互いの近況を報告し合っていた。

 先ほど疑問に感じた村を囲む柵の事も当然話題に出て、途端にエンリの表情が悲し気に曇る。何かを耐えるように瞼を閉じて顔を俯かせ、震える吐息を深く吐き出してから再び顔を上げた。

 そして語られたのは、帝国の騎士だと思われる集団に村を襲撃された事実。

 エンリとネムの両親を含む多くの村人たちが犠牲となり、今も復興活動が続いている。村周辺の柵も、その復興活動の一環として造られたものだった。

 

「……そうだったんだ」

「でも旅人の方々が来てくれて、村を助けてくれたの! 私とネムも危ないところを助けて頂いたのよ!」

 

 滲んだ涙を拭って輝かんばかりの笑みを浮かべるエンリ。

 奇しくもこの時、ンフィーレアとペロロンチーノは全く同じことを思っていた。

 

(( エンリ(ちゃん)はやっぱり可愛い……))

 

 しかしンフィーレアにとっては非常に面白くないことだった。好意を寄せている少女が目をキラキラさせながら自分以外の人物について話しているのだ、面白いはずがないだろう。

 ンフィーレアは悔しさと嫉妬に歪みそうになる顔を必死に抑えながら、まるで絞り出すような声音を口から発した。

 

「……そ、それで…その旅人っていうのは……」

「ンフィーレアさん、用意ができましたよ!」

 

 少女に称賛される“旅人”とはいかなる人物なのか聞き出そうとしたンフィーレアは、しかし少し離れた場所で荷馬車の点検をしていた“漆黒の剣”のメンバーから声を掛けられてしまった。

 先ほどの言葉も後半部分は遮られてしまってエンリの耳には届かず、彼女の意識も完全に“漆黒の剣”の方へと向けられてしまう。

 ンフィーレアは見るからにガックリと肩を落とすと、しかしエンリが疑問に思う前に何とか体勢を立て直してぎこちない笑みを浮かべた。

 

「じゃ、じゃあ、僕はそろそろ行くよ……」

「うん、私も復興活動に戻らなくちゃ。ンフィーレアも薬草採取、頑張ってね!」

「あ、ありがとう……」

 

 未だぎこちない笑みを浮かべたまま力ない足取りで荷馬車の元へと歩いていく背を、エンリが手を振って見送る。

 そんな二人の様子を眺めながら、モモンガは腕を組み、ペロロンチーノは透明になっている顔を大きく顰めさせた。

 

『………あの野郎、絶対に俺のエンリちゃんを狙ってますよ。……ちょっと撃ってきても良いですかね?』

『何言ってるんですか、駄目ですよ! 彼は今回の依頼主でもありますし、興味深い生まれながらの異能(タレント)の持ち主でもあるんですから!』

 

 不穏な声音を発するペロロンチーノに、モモンガが慌てて止めに入る。

 しかし低く唸り声を上げてくるのに、どうにも冷や汗が止まらない。

 モモンガは彼の気持ちを少しでも逸らすために話題を変えることにした。

 

『……あ、ああっ、そう言えば! ペロロンチーノさんは“森の賢王”について何か知っていますか?』

『“森の賢王”……? “森の賢王”がどうかしたんですか?』

『“漆黒の剣”のメンバーに“森の賢王”というすごく強い魔獣がいると聞いたので、彼らの目の前で討伐すれば名を上げることができると思ったんです。その口ぶりだと、何か知っているんですか?』

『俺は村の人たちから聞いたんですけど、ちょっと興味が湧いて昨日コキュートスたちと一緒に探して捕まえたんですよ。今はナザリックにいますけど、何なら連れて来ましょうか?』

『そうだったんですね! お願いしてもいいですか?』

 

 これは好都合だとすぐさまペロロンチーノに頼み込む。

 ペロロンチーノはそれを快く引き受けると、挨拶するようにチョイチョイと再びマントを小さく引っ張ってからその場を離れた。

 四枚二対の翼を大きく羽ばたかせ、勢いよく上空へと舞い上がる。

 巻き上げられた風だけがモモンガたちに認識される中、一直線にナザリックの元へと飛んでいく。

 モモンガもンフィーレアたちに呼ばれ、ナーベラルを引き連れて彼らの元へと歩み寄って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『用意ができましたよ、モモンガさん!』

 

 ペロロンチーノから〈伝言(メッセージ)〉が飛んできたのは、森に入って30分ほど経った頃だった。

 周りではンフィーレアと“漆黒の剣”の一人で森祭司(ドルイド)であるダイン・ウッドワンダーが薬草採取をしており、他の“漆黒の剣”のメンバーも周りに立って警戒態勢を取っていた。

 

『ありがとうございます、ペロロンチーノさん』

『いえいえ。それじゃあ、そっちに突っ込ませるんで、良いように利用しちゃってください』

『分かりました。よろしくお願いします』

 

 モモンガの言葉を最後に〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 さてはてどこから来るのか、とゆっくりと周りを見回す中、不意に“漆黒の剣”の野伏(レンジャー)であるルクルット・ボルブが何かに気が付いたように素早く屈み込んだ。四つん這いになり、地面に片耳をつけて顔を顰めさせる。

 暫くそのままの状態で動かず、次には弾かれたように顔を上げて立ち上がった。

 

「…不味いぞ、でかいものがこっちに向かって突進してきてる。下ばえを踏み締める音を考えると、間もなくこっちに来るぞ。ただし……“森の賢王”であるかどうかは分からないな」

「撤収だ。“森の賢王”かはともかく、ここに残ることは危険だ。“森の賢王”でなくとも我々がそいつのテリトリーを侵しているだろうから、追ってくる可能性もある」

 

 “漆黒の剣”のリーダーで剣士であるペテル・モークがすぐさま的確な指示を出す。

 他のメンバーも全員が真剣な表情で頷く中、ぺテルも一つ頷いて続いてモモンガへと振り返ってきた。

 

「モモンさん、殿をお願いしても宜しいですか?」

「ええ、任せて下さい。……後は私たちが対処します」

 

 力強く頷くモモンガに、ぺテルや他のメンバーたちも頷き返してそれぞれ声援を送る。

 心配そうな表情を浮かべるンフィーレアを引き連れて“漆黒の剣”が森の入口へと引き返していく。

 モモンガは暫く彼らの背を見送った後、ふと自分の力を証明する証人がいなくなってしまったことに思い至った。

 

「……しまったな。“森の賢王”ではないと判断される可能性もあったか…。何とか証拠を手に入れないと……」

 

 折角ペロロンチーノに協力してもらったというのに、これでは全く意味がない。

 どうしよう……と内心で頭を抱える中、隣に控えていたナーベラルが何かに気が付いたように森の奥を振り返った。

 何かが猛スピードで駆けてくるような地響きの音が聞こえてきて、モモンガもそちらへと視線を向ける。

 森の暗闇に蠢く大きな影。

 恐らくあれが“森の賢王”と呼ばれる魔獣なのだろう。

 白銀の毛並みと蛇のように長い尾を持つ四足獣。

 一体どんな魔獣なのかと好奇心が頭をもたげる中、蠢く影が勢いよくこちらに飛び出してきた。

 

「とぅぉおうっ!!」

 

 何やら高めの声が間抜けな言葉のような音を口にする。

 思わず身構えるモモンガとナーベラルの目の前に巨大なものが地響きをたてて着地した。

 それは……――

 

「某こそがぁ! この森の支配者である“森の賢王”でぇぇござるぅ! この森を荒らすのはお前たちでご…ざ、る……?」

 

 芝居がかった口調でオーバーアクションを取っていた獣が、徐々に言葉を濁し、最後には動きを止めて言葉を途切れさせる。濡れたような大きな黒い瞳がぱちくりと瞬き、不思議そうにモモンガやナーベラルを見つめた。大きな体躯の背後から覗く蛇のような長い尾は不安そうにあっちへふらふらこっちへふらふらと揺らめいている。

 困惑したような様子はさて置き、その姿はまさに……。

 

「………ハムスター…?」

 

 モモンガの言葉通り、その獣はまさに巨大なハムスターだった。

 ンフィーレアや“漆黒の剣”の話から鵺のようなモンスターを想像していただけに、その姿に思わず絶句してしまう。

 これが“森の賢王”?

 何かの間違いではないのか…?

 先ほどから多くの疑念が渦を巻き、間違っていてほしいという願いが湧き上がってくる。

 しかしそんなモモンガの思いも虚しく、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。

 

「…あれ、何かありました?」

 

 どこまでも軽い、こちらの気が抜けるような声。

 頭上を見上げてみれば、そこには姿を隠していないペロロンチーノがゆっくりと羽ばたきながら舞い降りてくるところだった。

 不思議そうにモモンガやナーベラル、そして魔獣を見やって小首を傾げる。

 

「ペ、ペロロンチーノ様!」

「やぁ、ナーベラル、冒険者姿も可愛いね。よく似合ってるよ」

「あ、ありがとうございます」

「それより、どうかしたんですか? 何か問題発生でもしました?」

「えー、まぁ……。証人となる者たちが先に避難してしまってな……」

「あぁ、なるほど」

 

 何とか魔王口調で話すモモンガに、ペロロンチーノが優雅に着地しながら納得したように頷いてくる。

 チラッと魔獣を見やった後、改めてモモンガへと目を向けた。

 

「なら、いっそのこと連れて行ってみます? 返り討ちにして服従させたってことで」

「……そもそも、これは本当に“森の賢王”なのか?」

 

 モモンガは思わず疑わし気に魔獣を見つめてしまう。

 魔獣がビクッと怯えたように巨体を震わせる中、ペロロンチーノもモモンガの言葉に従って魔獣を見やった。

 

「……いや~、俺も最初は間違いかと思ったんですけど、やっぱり本物みたいなんですよ。こいつ以上に強いモンスターはまだ見つかっていませんし…」

「なっ、酷いでござるよ! 某は本当に“森の賢王”でござる!!」

「というか、そもそも“森の賢王”って何だよ。もしかして自称?」

「……? 大分前に返り討ちにした人間が某をそう呼んだでござるよ。なかなか格好良い呼び名だったから、その人間は特別に見逃してやったでござるが…」

「……なるほど」

 

 魔獣の言い分に、モモンガもペロロンチーノも思わず納得の唸り声を上げた。

 この世界ではどうなのかは未だ不明だが、ここまで流暢に人間の言葉を話す魔獣というのはなかなかにレアなのではないだろうかと推測する。加えて名付けた本人である人間を逃がしたことで“森の賢王”という名前が一気に広まっていったのではないだろうか。

 ということは、残念なことにこの魔獣は間違いなく“森の賢王”ということになる。

 一気にテンションが下がっていくモモンガに、ペロロンチーノが気遣わし気な視線を向けた。モモンガと魔獣を交互に見やり、言いよどむように小さく唸ってからゆっくりと口を開いた。

 

「…えっと、何なら違う魔獣を“森の賢王”としてナザリックで用意してもらいます……?」

「………いや、それはマズいだろう。特徴もそれなりに伝わっているし、どこでボロが出るか分からないからな」

「う~ん、じゃあやっぱりこいつを使う方が良いか……」

 

 モモンガとペロロンチーノの何とも言えない複雑な色を多分に含んだ視線が魔獣へと向けられる。

 魔獣はまたビクッと巨体を震わせると、おろおろしたようにつぶらな瞳をモモンガとペロロンチーノへと向けた。そわそわと小さな身動ぎを繰り返し、まるで縋るようにペロロンチーノへと視線を固定させる。

 

「…あ、あの、殿…、この方はどのような方なのでござるか? 殿の家来の方ではないのでござるか?」

「………至高の御方のお一人であらせられるモモンガ様を我らシモベと同じように考えるなど…。モモンガ様、ペロロンチーノ様、即刻この獣を排除してもよろしいでしょうか?」

 

 今まで静かに大人しく後ろに控えていたナーベラルがドスの効いた声を絞り出して鋭く魔獣を睨み付ける。

 あまりにものすごい形相だったのだろう、魔獣はビクッと震えて巨体を縮み込ませると、プルプル震えながらペロロンチーノの背に隠れようと後退りし始めた。巨体のせいで細身のペロロンチーノでは全く隠れられてはいないのだが、怯えているのは良く伝わってくる。

 至高の主を盾にするような行動にナーベラルの殺気が大きくなる中、ペロロンチーノが落ち着かせるように軽く右手を上げた。

 

「はいはい、落ち着いて、ナーベラル。こいつにちゃんと説明してなかった俺も悪かったんだし」

「で、ですが……」

「それに、ある程度何を言われても余裕を持てる寛容さは大切だよ」

 

 まぁまぁ、というように上げた右手をパタパタと上下に振るペロロンチーノに、ナーベラルもそれ以上は何も言わずに深く頭を下げて引き下がった。

 気配で引き下がったのが分かったのだろう、魔獣がチラッとペロロンチーノの影から瞳を覗かせてくる。

 ペロロンチーノは身体をずらして魔獣の姿を露わにさせると、改めて魔獣を振り返った。

 

「この人は俺の友人のモモンガさんだよ。で、彼女は俺やモモンガさんに仕えてくれてるナーベラル」

「おおっ、殿のご友人でござるか!」

「そう。モモンガさんと俺と、あともう一人仲間がいて、今は三人でナザリックをまとめてるんだ。だからモモンガさんもお前の主人ってこと。分かった?」

「分かりましたでござる!」

 

 まるで子供に言い聞かせるように分かりやすく説明するペロロンチーノに、魔獣は素直に何度も頷く。

 何とも可愛らしい様子に、逆に格好良さは全く感じられない。

 “森の賢王”がそれで良いのか…とモモンガとしては思ってしまうのだが、悲しいかな、魔獣本人には勿論の事、ペロロンチーノにさえ気が付いてはもらえなかった。

 

「それじゃあ、そろそろこいつを紹介しに行きましょうか。あんまり遅いと不安がられそうですし」

「………そうだな」

 

 こちらを振り返って声をかけてくるペロロンチーノに、モモンガも覚悟を決める。

 正直こんな可愛らしいハムスターを引き連れて堂々と紹介するなど羞恥のなにものでもないのだが、これが本物であり、誤魔化しも効かないのであればどうしようもない。

 唖然とするンフィーレアや“漆黒の剣”たちの表情を思い浮かべながら、モモンガは力なく肩を落として踵を返した。遣る瀬無さにどうしてもトボトボとした足取りで歩いてしまう彼の背をナーベラルと魔獣がすぐさま追いかける。

 ペロロンチーノはモモンガの様子に少し心配になりながらも、アイテムボックスから一つの首飾りを取り出した。ウルベルトに作ってもらったアイテムの一つで、〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の力が宿った首飾り。そのアイテムを首にかけて魔法を発動させ、上空へと舞い上がった。背の高い多くの木々の上に出て、ひらけた視界でもって森の出入り口へと目を向ける。ペロロンチーノの感覚ではあまり離れていない地点に目的の影を見つけ、ペロロンチーノはモモンガたちの速度に合わせるようにゆっくりと翼を羽ばたかせた。

 森の中を進むモモンガも、頭上からのペロロンチーノのガイドに従って森の出口へと歩を進める。

 数分後、目の前の視界が開け、心配そうな表情を浮かべて森の中を窺っていたンフィーレアや“漆黒の剣”たちと顔を突き合わせることになった。

 

「モモンさん! 無事だったんですね!」

 

 モモンガやナーベラルの無事な様子に、ンフィーレアも“漆黒の剣”も誰もが安堵の笑みを浮かべる。

 しかし続いて茂みをかき分けて現れた巨大な影に、彼らの笑みが大きく引き攣った。

 まぁ、いきなり巨大な魔獣が現れれば誰もがこんな反応をするだろう。

 モモンガがチラッと背後を見やれば、巨大なハムスターがガサガサと葉を鳴らしながら顔を覗かせたところだった。

 

「……モ、モモンさん、これは…もしかして……」

「落ち着いて下さい。私は“森の賢王”を倒し、支配下においたのです。あなた方に危害は及びません」

 

 なるべく彼らを刺激しないように気を付けながら、穏やかな声音を意識して説明する。

 まぁ、厳密にいえばこの魔獣を服従させたのはペロロンチーノなのだが、それを彼らに説明する必要は一切ない。

 魔獣自身もモモンガがペロロンチーノと同格の存在だと認めているし、モモンガにも従順に従うだろう。従わなければ、その時には容赦なく殺して再利用するだけだ。

 モモンガが内心で恐ろしいことを考えていることなど露知らず、多くの視線を集めている魔獣が胸を張るように鼻先を上げて黒い大きな目を瞬かせた。

 

「この方の仰る通りでござる! この“森の賢王”、この方に忠誠を誓い、皆々様にもご迷惑をおかけしたりはせぬでござるよ!」

 

 魔獣の言葉に、この場にいる面々がおぉ~っと大小様々な声を上げる。

 彼らの反応があまり自分の想像と違うような気がしてモモンガが微かに首を傾げる中、不意に頭の中からペロロンチーノの声が響いてきた。

 

『やっぱり、ジャンガリアン・ハムスターが配下だと格好がつかないですね~』

『……そんなの、当たり前じゃないですか。可愛らしい小動物が配下とか……、いや、身体は巨大ですけど……』

『だから、他のもっと格好いい魔獣を用意した方が良くないかって言ったじゃないですか』

『でも、それで疑われたら元も子もないですよ…』

 

 〈伝言(メッセージ)〉でモモンガとペロロンチーノがグチグチと言い合いをする。

 しかし彼らの目の前で、彼らが思いもしなかった展開が起こった。

 

「……これが“森の賢王”! 凄い! なんて立派な魔獣なんだ!」

「これが“森の賢王”とは……その名もむべなるかなである! こうしているだけでも強大な力を感じるのである!」

「いや、こいつは参った。これだけの偉業を成し遂げるたぁ、こりゃ確かにナーベちゃんを連れ回すだけの力はあるわ」

「これほどの魔獣に会ったら、私たちでは皆殺しにされていましたね。流石はモモンさん。お見事です」

 

『………は……?』

『えっ!? 何っ!? マジっ!!?』

 

 目をキラキラさせて感心したように口々に称賛の言葉を口にする“漆黒の剣”のメンバーたちに、モモンガとペロロンチーノは思わず唖然となってしまった。

 “森の賢王”と“漆黒の剣”たちを交互に見やり、思わず頭を悩ませる。

 見た目はどこまでも巨大な可愛らしいハムスターである“森の賢王”からは、彼らの言うような強大な力も立派さも全く感じられない。

 一瞬からかわれているのだろうかとも思ったが、しかし彼らからはそんな様子も一切見られない。

 もしや自分たちの感覚がこの世界と随分ずれているのだろうか…と思い悩み、モモンガは内心で唸り声を上げた。

 

『………どう思います、ペロロンチーノさん?』

『………モモンガさん…、俺、すごいことに気がついちゃいましたよ……』

『…えっ、何に気が付いたんですか!?』

 

 まさか、やはりこの魔獣には自分には気が付けなかった何かがあるのだろうか。

 無意識にペロロンチーノがいるであろう上空を見上げるモモンガに、ペロロンチーノは一つごくりと喉を鳴らして拳を握りしめた。

 

『……俺としたことが、今まで気が付かなかったなんて! “漆黒の剣”の魔法詠唱者(マジックキャスター)の子、男装した女の子ですよ!!』

『えぇーっ!? って、違ぇぇーーっ!!』

 

 的外れながらも爆弾発言を口にするペロロンチーノに、モモンガの驚愕とツッコミの声が飛ぶ。

 モモンガが内ではペロロンチーノと、外では“漆黒の剣”たちとわちゃわちゃ騒ぐ中、ナーベラルと“森の賢王”だけは不思議そうに彼らを見つめるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “森の賢王”を支配下に置いたことで順調に薬草採取を終えたモモンガたちは一晩カルネ村で過ごした後、エ・ランテルに戻ることにした。

 宿泊はンフィーレアを含め、全員がこの村にある一番大きな家である村長の家の一室を借り受ける。

 誰もが村長の家で楽しく談笑する中、しかしモモンガは既に夜だというのにナーベラルと“森の賢王”を引き連れて村の端にある小さな丘まで来ていた。

 今日の夜風は昨夜よりも少し強く、モモンガの深紅のマントやナーベラルの漆黒のポニーテールを大きく揺らめかせている。

 本来ならばこんな時間にうろうろしない方が良いのかもしれないが、どうしても室内にいられない理由があったのだ。

 それは……――

 

「……ペロロンチーノさん、いい加減機嫌を直してくれ」

 

 ポツリと零れるモモンガの声は力がなく、後ろに控えているナーベラルの顔も心なしか蒼褪めている。“森の賢王”などは怯えきって巨体をプルプル震えさせているほどだ。

 何故彼女たちがこんなにも怯えているのかというと、それは偏に〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でモモンガの横に浮かんでいるペロロンチーノのせいだった。

 

「……あいつ絶対許さん絶対近づかせねぇというか俺がいるんだからあいつは必要ねぇんだよ俺の方が強いし大人だし強いし優しいし強いし」

 

(………強いって三回も言ったよ。)

 

 殺気を撒き散らしながらブツブツと小さく呟いているペロロンチーノに、モモンガは内心でため息をついた。

 モモンガの脳裏に、ンフィーレアや“漆黒の剣”たちに“森の賢王”を紹介した時のことが思い出される。

 誰もがモモンガの偉業に称賛の言葉を上げる中、ンフィーレアだけは“森の賢王”がいなくなることで森の均衡が崩れ、カルネ村に危険が及ぶ危険性に気が付いて顔を蒼褪めさせていた。

 そして彼が口に出したのは、モモンガの仲間の一人になって村を守れるだけの強さを身に着けたいという願いだった。

 最初はペロロンチーノも感心していたのだ。

 大切なものを守るためにただ何かに頼るのではなく、自身で努力しようとしている。自分自身の手で、何かを守ろうとしている。これほど男らしく、立派で素晴らしいことはないだろう。

 しかしンフィーレアがついうっかりカルネ村ではなく、何よりエンリという少女を守りたいと口にした瞬間、ペロロンチーノの機嫌が一気に急降下した。

 勿論ンフィーレアが直接そう言葉にしたわけではなく、そういうニュアンスを口にしただけである。

 他の者からすれば愛する少女を守るというのも立派なことだと判断したことだろう。

 しかしいずれは少女を手に入れようと画策しているペロロンチーノにとっては決して許せるものではなかった。

 ペロロンチーノにとってンフィーレアは邪魔者の何者でもない。

 

「何度も言うが、あの人間には決して手を出さないように頼むぞ」

「………分かってますよ」

「その間がとてつもなく恐ろしいんだが……」

 

 返事をするまでに長い間をあけるペロロンチーノに、モモンガは大きなため息をついた。

 本当に大丈夫だろうか…ととてつもなく心配になってくる。

 実は明日の出発にはペロロンチーノも密かに同行することになっていた。

 尤も姿は見せず、〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の状態のままモモンガたちに着いて行くだけなのだが、それでも一度はこの世界の大きな街を見てみたいと懇願されたのだ。

 モモンガもペロロンチーノの気持ちが痛いほど理解できたため、大きな不安を抱えながらも了承した。

 ウルベルトに知られれば決して良い顔をされないだろうけれど、それでもモモンガはペロロンチーノの願いを叶えてやりたかった。何よりモモンガ自身が仲間と一緒に街を歩きたかったのだ。我儘を言えばそこにウルベルトもいれば完璧だったのだが、それはいつかの楽しみにとっておこうと我慢する。

 

「……そう言えば、今夜は三日に一度の報告会の日だが、もうそろそろナザリックに戻るか?」

「いや、実は少し前に用事が出来たので俺は俺で後でナザリックに戻りますよ」

「用事?」

「ふっふっふっ、シャルティアとのデートですよ! デ・エ・ト!」

 

 今までの不機嫌はどこへやら、嬉しそうに声を弾ませてパタパタと四枚二対の翼を小さくはためかせる。

 

「もしかして、獲物が見つかったのか?」

「う~ん…、罠にはかかったみたいですけど、獲物の質はまだ分からないみたいですよ。…というわけで、今からちょっとシャルティアのところに行ってきますんで、また後でナザリックで会いましょう」

「分かった。くれぐれも気を付けるように」

「は~い」

 

 モモンガの心配をよそに、ペロロンチーノはどこまでも軽い声で答えてくる。

 まるで見計らったかのようにモモンガたちのすぐ側に突如闇の扉が開き、ペロロンチーノは首飾りを外して〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を解くとヒラヒラと小さく手を振って闇の中へと入って行った。闇はペロロンチーノを呑み込み、空間に溶けるように静かに消えていく。

 モモンガは暫く〈転移門(ゲート)〉があった場所を眺めると、こちらもこれ以上同行者に怪しまれないように踵を返した。

 

 




ナーベラルが空気だ…(汗) ナーベラルのファンの方、申し訳ありません……。

当小説ではンフィーレアはモモン=旅人の一人(アインズ)とは気づいていません。やったね、モモンガ様!(笑)

あと、一応調べてみたのですが、〈完全不可知化〉を看破できるスキルなどはモモンガさんも持っていないと思うのですが、もし間違っていれば申し訳ありません……。その際は教えて頂ければ幸いです!(深々)


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第15話 闘争の生と死

今話もペロロンチーノ様の回です。
そして、もしかしたらペロシャル回かもしれません!
ご注意(?)ください!


 カルネ村でモモンガと別れたペロロンチーノは、〈転移門(ゲート)〉の闇を潜り抜けて視界に入ってきた面々ににっこりとした笑みを浮かべた。

 

「こんばんは、シャルティア、エントマ、ソリュシャン、ルプスレギナ、セバス。みんな元気そうで何よりだよ」

「ペロロンチーノ様!」

「良くお越し下さいました!」

 

 〈転移門(ゲート)〉を出た先は広い馬車の中。

 シャルティアとエントマが並んで座っており、向かいにはセバス、ソリュシャン、ルプスレギナが並んで座っている。彼女たちはペロロンチーノの登場にすぐさま座席から立ち上がると、狭い空間を上手い具合に使ってそれぞれ跪き頭を下げた。

 ペロロンチーノはすぐに右手を軽く振るい、楽にするように指示を出す。彼女たちが再び同じように座ったのを確認してから〈転移門(ゲート)〉から完全に抜け出すと、シャルティアとエントマの間の空間へと腰を下ろした。

 向かいに座るセバス、ソリュシャン、ルプスレギナを見やり、見慣れぬ服装に思わず凝視してしまう。

 セバスはいつもの執事服を身に纏っていたが、ソリュシャンとルプスレギナはナザリックでは見たことがない姿をしていた。ルプスレギナはナザリックの一般メイドと同じようなどこにでもあるメイド服を身に纏い、ソリュシャンは胸元が大きく開いた黄色のドレスを身に纏っていた。

 どこからどう見ても美しい貴族令嬢とその御付きである。誰が見ても異形には見えない。

 

「いや~、服装だけで変わるもんだな~。二人とも良く似合ってるよ」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます、ペロロンチーノ様」

 

 ソリュシャンとルプスレギナがにっこりとした笑みを浮かべて頭を下げてくる。

 ペロロンチーノの隣に座るシャルティアは面白くなさそうに小さく顔を顰めさせると、次には何とか彼の意識をこちらに向けさせようと魅力的な笑みと共にペロロンチーノへと話しかけた。

 

「ペロロンチーノ様、此度はご足労いただき、ほんにありがとうございますでありんす。急にご連絡してしまい、ご迷惑ではなかったでありんすか?」

「何を言ってるんだ、シャルティア。迷惑だなんてあるわけがないだろう。そもそもこれは俺が言い出したことなんだしさ」

 

 ペロロンチーノはにっこりとした笑みを浮かべると、上目遣いに見上げてくるシャルティアの小さな白銀の頭に手を乗せた。

 絹のような髪を撫でながら、内心では(シャルティアの上目遣い萌…!)とガッツポーズをする。

 そもそもペロロンチーノがこの場にいるのは先ほどの言葉通り、ペロロンチーノがシャルティアに頼んだからだった。シャルティアとエントマが生まれながらの異能(タレント)や武技を持つ者の捕獲組に決まった時から、本格的に動く際は自分に知らせるようにシャルティアに伝えていたのだ。

 シャルティアは階層守護者の中でも戦闘能力だけで言えば最強と言って良い。エントマも符術師と蟲使いの職業を修めているため、サポート役にも徹することができてとても心強い。しかしペロロンチーノにはどうしても拭いきれぬ不安要素が幾つかあった。

 一つは、シャルティアを頭の弱い女の子として設定してしまったこと。

 もう一つは、何かが起こった際にエントマではシャルティアを止めたり進言するだけの立場も実力もないこと。

 そして最も懸念していることは、シャルティアの持つ“血の狂乱”だった。

 大きな力にはそれ相応のリスクも生まれるという概念を持つユグドラシルにおいて、その概念にとらわれないものはほんの一握りしか存在しない。ただのNPCであったシャルティアも例外ではなく、守護者最強と謳われるほどの力を持つ代わりに彼女は“血の狂乱”というリスクをも持つこととなったのだ。

 “血の狂乱”とはその名の通り、血によって攻撃力が上昇する代わりに我を忘れるバッドステータスだ。血を浴びれば浴びるほど発動するリスクが高まり、一度発動してしまえば一定時間血を求めるだけの存在となり制御不能となる。

 ユグドラシルの時であればいざ知らず、今この時に発動してしまうのは非常にマズかった。任務が失敗する可能性が高まるだけでなく、もし失敗した場合、今のシャルティアであれば責任を感じて自害をしかねない。

 俺がいる限りシャルティアを傷つけさせない!とペロロンチーノが内心で意気込む中、まるでそれに反応するかのように馬車が動きを止めた。

 ペロロンチーノたちの視線が自然と交差し合う。

 

「獲物が完全にかかったようでありんす」

 

 シャルティアとソリュシャンとルプスレギナがほぼ同時にニンマリとした笑みを浮かべる。普通の人間であれば美しくも不気味に感じたことだろうが、ペロロンチーノはただ楽しそうだな~と思うだけだった。

 シャルティアとエントマが徐に立ち上がると、馬車の扉の前に立ってそっと扉を開く。ペロロンチーノも外にいるであろう存在に気付かれないように注意しながら、彼女たちの影の隙間からそっと外の様子を覗き見た。

 すっかり夜の闇に染まった外には、凡そ十人ほどの図体のでかい男の影が馬車を取り囲むように立っていた。

 鳥人(バードマン)になって聴力も鋭くなったのか、男たちの下卑た笑い声がしっかりと聞こえてきて思わず顔を顰めさせる。

 可愛い嫁であるシャルティアや仲間の愛娘であるエントマが男どもの下品な視線に晒されていると思うだけで言いようのない不快感が湧き上がってきた。

 しかし向けられている本人であるシャルティアは妖艶なまでの笑みを浮かべており、エントマに至っては無感情に静かにシャルティアの背後に控えるようにただ立ち尽くしていた。

 

「皆さん、私のために集まって下さってありがとうございんす。ところでこなたの中で一番偉い方はどなたでありんしょう。交渉したいのでありんすがぬし?」

 

 怯えた様子は一切なく、落ち着いた声音で野盗たちに声をかけている。逆に野盗たちの方が戸惑っているようで、もはやこの場は完全にシャルティアが支配していた。

 流石は俺のシャルティアだと内心でムフフンッと悦に入る。

 しかし野盗の一人がシャルティアに下卑た言葉をかけた瞬間、ペロロンチーノの瞳が鋭く光った。

 セバスたちが気が付いて止める間もなく、ペロロンチーノは椅子から立ち上がるとシャルティアの元へと身を乗り出した。丁度醜い一人の男がシャルティアの胸に手を伸ばしているのを目撃し、瞬間視界がカッと真っ赤に染まる。

 

「汚い手で触りんせんで……」

「汚らわしい手で俺のシャルティアに触れるな……!」

 

 ボギィッ!!

 

 シャルティアが手を振り払おうとした瞬間、その前にペロロンチーノが彼女の声を遮って手を振るった。

 男の手が無残にひしゃげ、赤い飛沫を上げながら千切れ飛ぶ。

 男は暫く自分の身に何が起こったのか分からないようだったが、手首から先がなくなっているのを見つめて漸くどんな状態にあるのか理解したようだった。一気に顔を蒼褪めさせ、わなわなと震えながら見開かせた目で自分の右手首を凝視する。

 

「ああぁぁあぁぁっ!!? て、手が、手がぁぁあぁああ!!」

 

 左手で血を撒き散らす右手首を押さえるように掴みながら絶叫を上げる。

 耳障りな叫び声にペロロンチーノが顔を顰めさせる中、まるでそれに反応するようにソリュシャンとルプスレギナとエントマが前へと進み出てきた。ペロロンチーノやシャルティアを追い越し、軽い足取りで馬車から降りる。

 

「ペロロンチーノ様、シャルティア様、後は私たちにお任せ下さい」

「さっさと片付けるっす!」

「お肉ぅ、いっぱぁい」

「良いでありんすが、あれは残しておいてくんなましね。色々と聞くことがあるんだぇら」

 

 シャルティアがつまらなさそうな表情を浮かべながら、取り敢えずというように代表と思われる男に視線を向けて念を押す。

 ソリュシャン、ルプスレギナ、エントマはそれぞれ頷くと、次には弾かれたように勢いよく野盗たちに襲い掛かって行った。

 野盗たちは何が何やら分からないまま、ある者は悲鳴を上げて逃げ出し、ある者は得物を抜いて振り回す。

 しかし誰一人として彼女たちの刃から逃れることなどできようはずもない。

 多くの悲鳴と血飛沫が上がる中、ペロロンチーノは目の前の惨状から目を離して傍らに立つシャルティアへと目を向けた。

 

「汚い手で触られなかったか、シャルティア?」

「はい! この身は至高の御方々のもの。至高の御方々以外にこの身を許すつもりはありんせんでありんす」

 

 自身の身体を抱きしめて頬を染めるシャルティアに、ペロロンチーノは表情を緩めて小さな白銀の頭へと手を乗せた。野盗の男の手を吹き飛ばした時とは打って変わり、どこまでも優しい手つきでシャルティアの頭を撫でる。

 シャルティアの頬が更に朱に染まり、紅色の大きな瞳がとろんっと恍惚に潤む頃には、周りはすっかり静寂に包まれていた。肉塊と化した多くの死体が地面に転がり、鼻につく異臭が周りに漂う。

 ソリュシャンは不自然なまでに乱れて大きく肌蹴ているドレスを整えており、エントマは腕だと思われる細長い何かに齧り付き、ルプスレギナはニヤニヤとした笑みを浮かべてただ一人生き残った野盗の男を足蹴にしていた。

 何とも悲惨で恐ろしい光景だったが、しかしシャルティアは勿論の事、ペロロンチーノも何も感じるものはなかった。むしろソリュシャンたちのような美しい美女たちの手によって死ねたのだからご褒美だろうという思いさえある。

 ペロロンチーノはシャルティアとセバスを引き連れて一人生き残った野盗の男へと歩み寄って行った。

 ルプスレギナに足蹴にされている男は、ペロロンチーノの姿を見つけて恐怖に引き攣らせている顔を更に蒼褪めさせた。

 

「……さてと、残るはこいつだけか。今回はハズレかな?」

「ペロロンチーノ様、恐れながらそうとは限りません。この近くに彼らの根城がある可能性もあります」

「ふむ…、根城に目的の人物がいる可能性もあるか……。……シャルティア」

「はい。……私の目を見るでありんす」

 

 ペロロンチーノの言わんとすることを正確に理解して、シャルティアは男の元へと歩み寄った。

 男の目がシャルティアの宝玉のような深紅の瞳に吸い寄せられ、瞬間恐怖に染まっていた顔が友好的な笑みへと変わっていく。

 シャルティアが持つ特殊技術(スキル)の一つ、〈魅了の魔眼〉。

 すっかりシャルティアに魅了された男は、笑みを浮かべたまま素直にシャルティアの問いに答えていった。

 男の話によると、彼らは元々は“死を撒く剣団”という傭兵集団であったらしい。総員は七十人弱という中々の大所帯で、近くの森の中にある洞窟を根城にしているらしかった。そこそこに腕の立つ者も揃っており、中でもブレイン・アングラウスという男は最強の剣の達人であるとかないとか……。

 ペロロンチーノとシャルティアは顔を見合わせると、さっそく男の言う根城へと向かうことにした。

 商人組であるセバスとソリュシャンとルプスレギナとはここで別れ、ペロロンチーノとシャルティアとエントマで野盗の根城へと向かう。

 

「エントマはこの男を運ぶことはできるかい?」

「はぁい。お任せ下さいぃ」

「じゃあ、頼んだよ。シャルティアはこっちにおいで」

 

 エントマに男を任せると、ペロロンチーノはシャルティアをすぐ傍まで呼び寄せた。

 不思議そうな表情を浮かべながら近づいてくるシャルティアに、ペロロンチーノはにっこりとした笑みを浮かばせる。

 

「今から行くのは野盗共の根城だから、それなりに罠とか仕掛けられてると思うんだ。一々調べながら行くのは時間がかかるし、今夜は定例報告会もあるから、手っ取り早く空から行こう」

「空からでありんすか? ……って、ペ、ペロロンチーノ様!?」

 

 シャルティアの口から大きな驚愕の声が発せられる。

 漆黒のドレスを纏っている華奢な身体が逞しい腕に抱き上げられ、次には横抱きの状態でペロロンチーノに抱きかかえられていた。

 シャルティアの蝋のように白い頬が一瞬で真っ赤に染まる。

 しかしあらゆる欲望に忠実なシャルティアはペロロンチーノを諌めるようなことはしなかった。

 相手は至高の主というだけでなく、尤も崇拝し敬愛せし創造主たるペロロンチーノなのだ。

 むしろ自らも両手を伸ばし、ペロロンチーノの首に腕を回して恍惚の表情で羽毛と鎧に覆われた胸元へと頬を摺り寄せた。

 

「あぁん、ペロロンチーノ様ぁん」

 

(ちょっ、俺のシャルティア、マジで天使なんですけど!)

 

 今が大事な任務中でここが野外であるにも関わらず、二人の周りがピンク色のオーラに染まっていく。

 しかし幸いなことにペロロンチーノがすぐに我を取り戻すと、ゴホンッと一つ咳払いをして近くで様子を窺っているエントマを振り返った。

 

「エントマも確か空飛べたよな?」

「はいぃ。この子がいるのでぇ、大丈夫ですぅ」

 

 いつの間に現れたのか、人間よりも大きな巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)が控えるようにエントマの傍に立っていた。

 ペロロンチーノは一つ頷くと、四枚二対の翼を大きく広げてフワッと上空へと舞い上がった。

 エントマも男の頭を鷲掴んでから巨大昆虫へと合図を送り、自身の背中に張り付かせる。

 バサッという力強い羽音と重低音の振動のような羽音が空気を震わせ、二つの大きな影が空中を疾走し始めた。エントマが頭だけを鷲掴んでいるため宙ぶらりんになっている男の案内を頼りに、ペロロンチーノたちは森の奥へ奥へと進んでいく。

 数分後、徐々に木々の密度が薄くなり初め、ペロロンチーノたちはひらけた草原のような場所に出た。

 ペロロンチーノは一度草原の手前で止まると、地面に舞い降りて腕に抱いていたシャルティアも地面へと下ろした。シャルティアは少し残念そうな表情を浮かべならがも、大人しく腕の中から抜け出してペロロンチーノの横に立つ。エントマも巨大昆虫に命じて空中から降りると、ペロロンチーノたちのすぐ側に控えるように立った。

 彼らのすぐ目の前には大きな平原が広がっており、木は一切なく、代わりに多くの石が地面から突き出ている。

 少し先の地面には洞窟がぽっかりと大きな口を開けており、洞窟内部からは微かな光が漏れ出ていた。

 恐らくあの洞窟が野盗たちの根城なのだろう。洞窟の入り口には丸太で作られたバリケードが設置されており、大きな鈴を肩から吊るした二人の見張りが立っていた。

 

「……ふむ、入り口はあそこだけか?」

 

 暫く洞窟や見張りの様子を窺い、小首を傾げて疑問を口にする。

 すぐにシャルティアがエントマに引きずられている男に質問すれば、魅了の効果が切れた男は再び恐怖の表情を浮かべながら何度も小刻みに頷いた。

 しかしどうにも100%信じることができない。

 もう一度魅了すれば嘘はつかないだろうがそれをするだけの時間もなく、第一この男が野盗集団のどの地位にいるのかも分からないのだ。野盗集団の棟梁であるならばいざ知らず、そうでなければ彼が全てを知っているとも限らない。騒ぎを起こして野盗全員をこちらに誘き寄せられれば手間が省けて良いのだが、一部でも逃がせば厄介だった。

 

「………エントマ、眷属たちを使って洞窟の入り口から半径5km周辺を探索してくれ。外に逃げようとする者がいれば全て捕らえ、逆に入ろうとする者がいれば知らせてくれ」

「畏まりましたぁ。この人間はいかがいたしますかぁ?」

「もう必要ないし、エントマの好きなようにしていいぞ」

「はぁい! ありがとうございますぅ」

 

 瞬間、声を上げる間もなく男の頭がエントマの手の中でトマトのようにグシャッと勢いよく握り潰された。一度男の身体がビクッと大きく痙攣したが、すぐに脱力して大人しくなる。

 エントマは一度恭しく頭を下げると、男の身体をズルズルと引きずりながら森の中へと消えていった。

 ペロロンチーノは少しだけエントマの背を見送った後、すぐに洞窟の方へと顔を戻す。

 アイテム・ボックスから主武器であるゲイ・ボウを取り出すと、弦を引いて上空へと構えた。

 

「シャルティア、ちょっとあの二人に〈静寂(サイレンス)〉をかけてくれないか?」

「畏まりんした」

 

 シャルティアは一度頭を下げると、すぐに〈静寂(サイレンス)〉の魔法を唱えた。

 それとほぼ同時にペロロンチーノも無属性の矢を二本、頭上へと放つ。

 二本の矢は白銀の軌跡を残しながら一度空高く上がると、次には緩やかな放物線を描いて下へと落ちていった。重力に従って勢いをつけて落ちていく二本の矢は、まるで吸い込まれる様に正確に見張りの男たちの頭へと深く突き刺さる。一気に頭蓋骨に大穴を開けられた男たちは、声一つ上げることなく絶命して倒れ込んだ。シャルティアの魔法のおかげで鈴の音は勿論の事、倒れる音さえ響くことはない。

 ペロロンチーノはシャルティアに一つ頷くと、ゲイ・ボウを下ろしてゆっくりと足を踏み出した。

 途中、落とし穴があることに気が付いて、それを避けながら洞窟の入口へと近づいていく。

 ペロロンチーノたちは念のため男たちが死んでいるのを確認してから洞窟内へと足を踏み入れていった。

 

 洞窟内は所々に光源が取り付けられているため、思ったよりも暗くなく明るかった。

 そのため何の対策もしなければすぐに相手に見つかってしまうだろうが、しかしもはや何も気にする必要はなかった。

 既にエントマたちの警戒網は完成している頃合いだろう。いつ自分たちの存在がバレるとしても、もはや相手からすれば後の祭りだった。

 

 

「お、おいっ、なんだお前たちは!?」

「…おっ、早速見つかったか」

 

 洞窟の奥から男の鋭い声と騒音が聞こえてくる。どうやら早速見つかってしまったようだ。

 しかし、ここで大きく騒ぎを起こして野盗共が集まってくれた方が都合がいい。

 ちょっと派手に戦っても良いかもしれないな…とゲイ・ボウを構えようとして、しかしその前にシャルティアが前に進み出てきた。

 まるで庇うようにペロロンチーノの前に立ち、不機嫌そうな表情を浮かべて右手の指をバキッと鳴らす。

 

「ペロロンチーノ様の御前で騒ぐとは、目障り極まりないでありんす。……静かにしなんし」

 

 シャルティアは軽く地を蹴ると、次の瞬間には男たちの目の前に移動して右手を素早く振るった。

 幾人かの野盗たちの頭が一斉に斬り落とされ、鮮血が噴水のように噴き出す。

 残りの野盗たちは何が起こったのか理解できず呆然となっていたが、次には反射的に叫び声をあげて得物を抜いていた。森の中の時と同じように得物を振り回す者と洞窟の奥へと逃げる者へと別れる。

 しかしシャルティアが誰一人として逃がす訳もなく、更に地を蹴って手を振るい、次の瞬間には更に多くの頭が宙を舞った。

 傷口から噴き出し流れる大量の血液は全てが宙を舞い、シャルティアの頭上に集まって血の球体を作り出す。

 “ブラッドプール”と呼ばれるそれは、血液を貯めて高位の魔法を発動するための代償にできる代物であった。

 強力なものには違いないが、“血の狂乱”が発動しないか少々不安になってくる。

 早くブレイン・アングラウスという男が出て来てくれないものかと思う中、不意に洞窟の奥から一つの気配がこちらに近づいてきていることに気が付いた。

 慌てた様子もなくゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきているのに、一体何者なのかと思わず凝視する。

 ペロロンチーノとシャルティアの目の前で、一人の男が洞窟の奥から姿を現した。

 波打つくすんだ青色の髪に、鋭い瞳。鎖着(チェインシャツ)を纏っている肢体は筋骨隆々で、一目でそれなりの戦士であることが分かる。男の手には、ペロロンチーノの知識が正しければ“刀”が握り締められていた。

 

「おいおい、楽しそうだな」

 

 男はペロロンチーノの姿を目にした瞬間一瞬驚愕に目を見開いたようだったが、すぐさま気を取り直したように笑みを浮かべて声をかけてきた。

 何とも肝が据わった男だとペロロンチーノは内心で感心するが、シャルティアは面倒臭そうな表情を浮かべてヒラヒラと手を振っていた。

 

「あんまり楽しくないでありんすぇ。大した強さでないせいか、さらさらプールが溜まりんせん」

 

 気のない声で言葉を返すシャルティアに、男の視線が小さく動いて彼女の頭上に浮かぶ血の球体を捉える。

 

「見たこともない魔法のようだが………魔法詠唱者(マジックキャスター)か。それにそっちは………バードマンか」

 

 シャルティアに向けられていた視線がペロロンチーノへと動き、そのまま鋭く細められる。

 ペロロンチーノの手に握り締められているゲイ・ボウを見やり、次に再びシャルティアの頭上にあるブラッドプールを見やり、ほんの小さく顔を顰めさせた。

 恐らく弓兵と魔法詠唱者(マジックキャスター)という後衛二人組の組み合わせに困惑したのだろう。もしくはバードマンが弓を持っていること自体に驚いたのかもしれない。

 男は暫く何かを考え込んでいるようだったが、次には気を取り直したように真っ直ぐにこちらに目を向けてきた。

 

「ここに何しに来たかは知らないが、これ以上進むなら容赦しないぞ。この刀で切り伏せる!」

「まぁ、お一人で向かってくる気でありんすか? まこと勇敢でありんすねぇ。お友達の皆さんをお呼びなされても構いんせんよ?」

「雑魚が何人いても、お前たちには届かないだろ? なら俺だけでいいさ」

 

 自信満々に笑みを浮かべる男に、恐らくそれだけの実力者なのだろうとあたりをつける。ならば、この男が今回の最大の目的の人物なのかもしれない。

 ペロロンチーノは暫く男が持っている刀を見つめた後、一歩だけ前へと進み出た。

 

「随分自信があるんだな。もしかして、あんたがブレイン・アングラウスか?」

「……ほう、人外でも俺の名を知っている奴がいるとはな。まぁ、悪い気はしないな」

「ということは、ブレイン・アングラウスで間違いないんだな」

 

 否定の言葉が出ないことに、ペロロンチーノは目の前の男が目的の“ブレイン・アングラウス”であると判断する。

 ならばさっさと捕獲するに限る。

 ペロロンチーノがシャルティアを見やると、シャルティアも心得たように笑みと共に礼を取ると、次には1、2歩とブレインの方へと進み出た。

 ブレインも顔を引き締めさせると、一度手に持っている刀を腰の鞘へと戻す。

 その構えは、確か抜刀の構え。

 昔、武人建御雷に教えてもらったことを思い出し、ペロロンチーノは兜の下で小さく目を細めさせた。

 ピリッとした緊張感の漂う空気の中、シャルティアだけは変わらぬ笑みを浮かべたまま小さく首を傾げた。

 

「敬愛する至高の御方をお待たせするわけにはいきんせん。蹂躙を開始しんす」

 

 シャルティアはにっこりと笑みを深めさせると、どこまでも優雅な足取りでブレインへと足を踏み出した。

 歩を進める足取りはゆっくりで、とてもこれから戦闘するとは思えない。まるで楽しいお散歩をしているかのような軽やかさで、そこには一粒の警戒心も見られない。

 普通の感覚ならば、ふざけているのかと頭に血が上るのかもしれない。しかし目の前のブレインは微動だにせず、少しも感情が動いていない様子にペロロンチーノは内心で少しだけ感心の声を上げていた。

 シャルティアとブレインとの距離が徐々に縮まっていく。

 さて、いつ攻撃してくるのかとペロロンチーノが注目する中、シャルティアが次の一歩を踏み出した瞬間に一気にブレインが動いた。

 普通の者の目から見れば一瞬の速さで残像すら追えぬ動きであったことだろう。しかし悲しいかな、普通ではないペロロンチーノとシャルティアの目はむしろスローのように的確にその動きを捉えていた。

 鞘から解き放たれた白刃が、一直線にシャルティアの首へと迫る。

 まさに白皙の肌に触れようとした刹那、まるで時が止まったかのように白刃がピタッと動きを止めた。

 ブレインの双眸が驚愕に大きく見開かれる。

 シャルティアは柔らかな笑みを浮かべたまま、刀の峰側からそっと刀身を摘まんでいた。

 

「……ば、ばかな」

 

 ブレインの口から喘ぎのような声が絞り出される。

 彼が受けたであろう衝撃の大きさから、もしかしたら先ほどの攻撃が彼の決め業だったのかもしれないと思い至る。

 先手必勝の一撃必殺。

 後衛であるペロロンチーノにはあまりない概念ではあるが、前衛の戦士職には割とよくあるものだと記憶している。

 

(…あちゃ~、これもしかしてプライドをズタボロにしちゃったかなぁ)

 

 ペロロンチーノが思わず憐みの視線をブレインへと向ける。

 しかしシャルティアの方はそれを一切気にすることはなかった。

 シャルティアはつまらなさそうな表情を浮かべると、小さく肩をすくませてゆっくりと口を開いた。

 

「……〈人間種束縛(ホールドパーソン)〉」

「っ!!?」

 

 ポツリと呟かれた言葉に魔法が発動し、見えない力が容赦なくブレインの動きを束縛する。

 まるで生きた彫像にでもなってしまったかのように、驚愕に引き攣った表情はそのままに身動ぎ一つしない。

 シャルティアは無造作に刀から手を離すと、後ろにいるペロロンチーノを振り返った。

 

「ペロロンチーノ様、取り敢えず捕縛は完了しましたでありんす」

「うん、ご苦労様」

「ですが、こな脆弱な存在が本当に必要なんでありんすか?」

「まぁ、俺たちが求めているのは未知の力についての知識だからね。強さはこの際あんまり必要ないんだよ」

 

 ペロロンチーノはブレインの元へと歩み寄ると、そのまま動かぬ身体を俵のように担ぎ上げた。

 シャルティアに頼んでナザリックまでの〈転移門(ゲート)〉を開いてもらい、改めて彼女を振り返る。

 

「ちょっとこいつを届けてくるから、〈転移門(ゲート)〉はこのままにしてもらえるか? 俺が戻ってくるまで、後の連中を殲滅するか拘束するか選別しておいてくれ」

「畏まりんした」

 

 シャルティアはドレスのスカートの端を摘まむと、恭しく頭を下げる。

 ペロロンチーノも一つ頷くと、〈転移門(ゲート)〉の闇の中へと足を踏み入れた。

 洞窟内の景色が一変し、次には夜の闇に染まるナザリックの霊廟の光景が視界に広がる。

 さて、こいつをどこに預けようかと思考を巡らす中、不意に聞こえてきた呼び声にペロロンチーノはそちらを振り返った。

 

「ペロロンチーノ様、お帰りなさいませ!」

「……あぁ、アルベドか。うん、ただいま」

 

 何故か外にアルベドがおり、ペロロンチーノは内心で首を傾げながらも挨拶を返した。

 アルベドの背後にはシズもおり、もしかしたら二人でここで何かをしていたのかもしれない。

 新たなナザリックの防衛処置か何かだろうか…と考えながら、ふとアルベドとシズが肩に担いでいるものを凝視していることに気が付いた。

 

「……ペロロンチーノ様、その下等生物は一体なんでしょうか?」

「あぁ、これはシャルティアが捕まえてくれた武技を使える強者だよ」

「強者……、これがですか……?」

 

 アルベドが訝し気にブレインを見つめる。

 見つめられているブレインはと言えば、彼は未だ束縛の魔法で身動き一つとれないながらも恐怖に彩られた双眸をひどく潤ませていた。

 誰がどう見ても、先ほどのアルベドの言葉に傷ついたようにしか見えない。

 あぁ、可哀相に…と思わずブレインに同情しながら、ペロロンチーノは気を取り直すように改めてアルベドとシズを見やった。

 

「まぁ、この世界では強者みたいだし、武技も使えるみたいだから取り敢えず拘束しておいてくれ。そうだな……ニューロニストのところに連れて行ってくれ」

「畏まりました。シズ、頼めるかしら」

「……はい……」

 

 シズはアルベドに一つ頷くと、ペロロンチーノの元へと歩み寄ってブレインを両手で受け取った。

 見た目は小さな少女の姿をしているシズに大柄な男を渡すのは少し不安だったが、シズは一切揺らぐことなくペロロンチーノと同じようにブレインを肩に担ぎあげた。身長差でブレインの両足は地面についてしまっているが、シズ自身の表情は全く変わらず、どうやら運ぶのに支障はないようだ。

 シズは一度ペロロンチーノに礼を取ると、そのままブレインの両足を引きずりながら霊廟の奥へと消えていった。

 恐らくペロロンチーノの言葉通り、ニューロニストのところに向かったのだろう。

 ペロロンチーノは暫くシズとブレインを見送ると、未だすぐ側に立っているアルベドを振り返った。

 

「そうだ。一つ頼みたいことがあるんだけど」

「そんな、頼みだなどと! どうか何でもお命じ下さい!」

「あ、ありがとう……。それで、えっと、カルネ村に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウデーモン)を何体か送り込んでほしいんだ」

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)かシャドウデーモン、ですか……。もしや何かの見張りでしょうか?」

「流石アルベド! 見張ってほしいのはンフィーレア・バレアレっていう前髪の長い金髪の少年。彼に何か危険が及んだり、もしくは彼が村の女の子と仲良くしようとしたらすぐに俺に知らせてほしいんだ!」

「…畏まりました。すぐに準備し、カルネ村へ送り込みます」

「うん、頼んだよ!」

 

 ペロロンチーノは満面の笑みを浮かべると、感謝を込めてポンポンと何度か軽くアルベドの肩を叩いた。

 瞬間、アルベドの頬が一気に朱に染まる。

 アルベドは金色の瞳を熱っぽく潤ませると、パタパタと腰の両翼を小さく羽ばたかせながら上目遣いにペロロンチーノを見上げてきた。

 

「…ペロロンチーノ様、本日はもうずっとナザリックにいらっしゃるのでしょうか?」

「うん? いや、一度シャルティアのところに戻るよ」

「そ、そうでございますか……」

「あはは、そんなに心配しなくても定例報告会までには戻るよ。心配しないでくれ」

 

 しゅんっと気落ちしたように顔を俯かせるアルベドに、安心させるように今度は漆黒の頭へと手を伸ばす。こめかみから生えている二つの角には触れないように注意しながら、絹のような髪を梳くように優しい手つきで頭を撫でる。

 

『ペロロンチーノ様』

 

「……ん、エントマ?」

 

 その時、不意に頭の中で何かに繋がるような感覚がして、次にはエントマの可愛らしい声が頭の中に響いてきた。

 咄嗟にアルベドの頭から手を離し、エントマの声に集中する。

 いつもの甘く可愛らしい口調が鳴りを潜めているのに、何かあったのかと不安が湧き上がってくる。

 

『少し問題が発生いたしました。シャルティア様が“血の狂乱”を発動されてしまい、洞窟を離れて森の奥へ……』

「シャルティアが!?」

 

 エントマからの報告に、ペロロンチーノは一気に血の気を引かせた。

 これは少々の問題ではなく一大事だ。

 ペロロンチーノは踵を返すと、未だ発動中の〈転移門(ゲート)〉へと勢いよく駆け出した。

 

「ペロロンチーノ様!?」

「俺はシャルティアのところに戻る! こちらのことは心配せずに、アルベドはさっき頼んだことをやっておいてくれ!」

 

 顔だけ振り返って手短に指示を出すと、そのまま迷いなく〈転移門(ゲート)〉の中へと飛び込んだ。

 視界が一瞬闇に染まり、次には先ほどの洞窟内の光景へと変わる。

 すぐ側にはエントマが立っており、ペロロンチーノが出てくると恭しく頭を下げてきた。

 ペロロンチーノは少しの時間も惜しいほど焦っており、すぐに頭を上げさせると早速一番聞きたかったことを問い質した。

 

「シャルティアは今どこにいる!?」

「未だ森の奥を移動中です。ご案内いたします」

「頼む!」

 

 ペロロンチーノはすぐさま頷くと、エントマを抱き上げて勢いよく地を蹴った。

 四枚二対の翼を力強く羽ばたかせ、爆発的なスピードで空を駆ける。

 腕の中ではエントマが動揺したように身動ぎを繰り返していたが、こちらの方が速く移動できるため彼女には我慢してもらうことにする。

 一分もかからずに洞窟内から出ると、エントマの指示する方向の森の中へと突っ込んでいった。

 どうやらエントマの多くの眷族たちが随時エントマに報告してくれているようで、迷いのない案内にペロロンチーノも素直に従って翼を動かす。

 まるで疾風のように木々の間を駆け抜け、少しひらけた場所に出た瞬間、飛び込んできた光景にペロロンチーノは思わず大きく目を見開かせた。

 

「エントマっ!!」

 

 一気に激しい怒りと殺気が湧き上がり、視界が真っ赤に染まる。

 しかし食い潰されていく理性の中でも何とかエントマに声をかけると、エントマも心得たようにすぐさまペロロンチーノの腕の中から抜け出して地面へと飛び降りた。

 ペロロンチーノはエントマが腕の中から離れた瞬間にすぐさまアイテム・ボックスからゲイ・ボウを取り出すと、そのまま大きく弦を引いて鋭く構えた。

 彼の目の前には本性を現したシャルティアと、彼女と対峙している十二の下等生物(・・・・)

 中でもある一点に向けて第六感が警鐘を鳴らし、ペロロンチーノは迷うことなくその方向へと矢じりを向けた。

 何かを考える間もなく勢いよく解き放たれる一本の矢。

 矢は後方にいる光り輝く白いドレスのような服を着た老婆へと飛んでいくと、途中で枝分かれして何十本もの刃へと姿を変えた。いろんな方向へ曲がって放物線を描き、下以外の全方向から矢の嵐が老婆を襲う。

 

「何がっ!? 避けろっ!!」

 

 誰かが声を上げるが、もはや後の祭り。

 老婆を守るように立っていた大きな盾の男ともども、何十もの刃が老婆と男を串刺しにして幾つもの風穴を空けた。

 しかしそれだけで終わるわけがない。

 ペロロンチーノの主な攻撃方法は爆撃であり、怒りに支配されたペロロンチーノが容赦するはずもなく、多くの矢は二つの肉塊に風穴を空けるだけでは飽き足らず我先にと凄まじい熱量を爆発させた。

 他の人間たちが爆発に気を取られている内にシャルティアを回収し、再び遥か上空へと舞い上がる。

 いつの間にか少女の姿に戻り驚愕の表情を浮かべているシャルティアを自分の首にぶら下がるように掴まらせると、再びゲイ・ボウを構えて次は雷属性の矢を連続で何十本も頭上へと打ち上げた。

 特殊技術(スキル)〈鳥の籠・雷〉。

 十二の獲物を取り囲むように雷属性の矢が円を描いて地面に突き刺さり、最後の矢が突き刺さった瞬間、縁に沿うように雷が半球型に放電し、空や地面を走り抜けた。

 網膜を焼くほどの青白い光と、世界が割れるほどの雷鳴の轟音。

 円の内側に閉じ込められた者は全員が感電し、焼け焦げているだろう。

 しかしペロロンチーノは少しも油断せず、また少しも容赦しなかった。

 雷が消えるタイミングを見計らって詠唱を唱える。

 

「〈第10位階怪鳥召喚(サモン・バード・10th)〉」

 

 ペロロンチーノの頭上の空間が大きく歪み、次の瞬間にはそこには大きな漆黒の鳥が悠々と羽ばたいていた。

 体長は4メートルはあるだろうか。長く鋭い嘴に、血のような深紅の瞳。漆黒の翼はボロボロで、大きく羽ばたく度に数枚の羽根が抜けては地面に落ちていく。

 名を混沌の暴食(カオス・イーター)

 全てを喰らい尽くす恐ろしい怪鳥である。

 

「行け」

 

 召喚主であるペロロンチーノの言葉に従ってカオス・イーターが奇声を上げる。

 大きな羽ばたきと共に突っ込んでいくのは丸く黒く焼け焦げた地上。そこには十一の焼け焦げた肉塊と、一つの生き残り(・・・・)が立っていた。

 みすぼらしい槍を構えた一人の少年。

 重度の火傷を全身に負ってはいるが、他の肉塊とは違って呼吸はしているし身動ぎ一つできないわけでもない。

 少年は片目を半ば白く濁らせながらも的確にカオス・イーターを捉えると、その手に持つ大きな槍を鋭く突き刺した。

 しかし……――

 

「……残念、無駄だ」

 

 槍の穂先が深々と突き刺さった瞬間、傷を中心に亀裂が走り、次には怪鳥の身体が二つに別れて一回り小さな怪鳥が二羽、少年の目の前で飛んでいた。

 少年が驚愕に目を見開かせて動きを止める。

 しかし二羽のカオス・イーターは全く構う様子もなく、一斉に少年へと襲い掛かった。

 

「なっ! はっ、離れろ!!」

 

 襲いくる嘴や鉤爪を何とか躱し、痛む身体を叱咤して槍を振るう。

 しかし何度その身を突き刺しても、何度心の臓を貫いても、何度首を跳ね飛ばしても、その傷口から二つに分裂するだけで一羽も倒すことができない。

 気が付けば最初は一羽だけだった怪鳥が十数羽にまで増殖し、その全てが一斉に少年へと襲い掛かってきた。

 あるものは槍を持つ手に襲い掛かり、あるものは開きかけた口の中に嘴を突っ込み、あるものは鎧の中に潜り込み、あるものは少年の長い髪を引っ張って体勢を崩れさせる。

 しかし全員違う動きをするのはここまでで、後は全員が同じ。

 目の前の肉をついばみ、喰らう。

 あるものは手の火傷から中の肉をついばみ、あるものは舌を咥えて引き千切り、あるものは目の前の肉を一心につつき、あるものは他のものたちと共に新たな傷を作っては傷口に嘴を潜り込ませる。

 もはや声を上げることすら敵わず、地面に引き倒され、怪鳥の海に沈んでいく。

 ペロロンチーノはどこまでも冷ややかな目で、ただじっと少年が骨も残さず喰い尽されていくのを見下ろしていた。

 恐らく普段のペロロンチーノを知る者が今のペロロンチーノを見れば、その変わりように驚愕したことだろう。

 しかし普段温厚でフレンドリーな彼も、モモンガやウルベルトと同じように確かに異形となった影響を受けていたのだ。

 今の彼にあるのは、自身の縄張りへの本能。

 いや、“縄張り”という言葉は少し語弊があるかもしれない。

 ペロロンチーノが自分のものであると定めたもの……あるいは自分のものにしたいと願ったものに対しての執着と防衛。

 その対象は物だけには留まらず、人物や場所なども含まれる。

 それらが“害された”、もしくは“害されそうになった”、あるいは“害されたかもしれない”という曖昧なものであったとしても、それだけでペロロンチーノの刃は相手方へと向けられる。

 例えば普段ならペロロンチーノが愛したであろう幼気な美少女が相手だったとしても、それは変わらない。少しでも害そうとする素振りを匂わせた瞬間、それはペロロンチーノにとって排除する者へとなり果てる。

 今回、不運にもペロロンチーノの愛する娘であるシャルティアを害したかもしれない謎の集団は、ペロロンチーノの逆鱗に触れて無残な最期を迎えることになった。

 

「あ、あの…、ペロロンチーノ様……」

「シャルティア……、怪我はないか? どこか、痛いところはない?」

「だ、大丈夫でありんす。ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」

「迷惑だなんて思ってないよ! それよりもシャルティアが無事で、本当に良かった……」

 

 ペロロンチーノはゲイ・ボウをアイテム・ボックスへ突っ込むと、自由になった両手で首にぶら下がっているシャルティアを力強く抱きしめた。ぎゅうぅっと力いっぱい懐深く抱き込み、シャルティアの白銀の髪へと頬を摺り寄せる。

 

「ペ、ペロロンチーノ様……!」

 

 腕の中でシャルティアが真っ赤に頬を染めながら名を呼んでくるが、大きな安堵に支配されたペロロンチーノは中々シャルティアを解放することができなかった。

 もっと彼女を感じて、もっときちんと彼女が無事なのだと実感したい。

 しかしそんなペロロンチーノを止めるかのように、大量に増えたカオス・イーターたちがペロロンチーノの元へと戻ってきた。

 渋々ながらもシャルティアから顔を離して地上を見てみれば、そこにはもはや肉の一粒、骨の一欠けらすら残ってはいなかった。ただ黒く焼け焦げている地面には複数の壊れた装備品や武器だけが無造作に転がっている。

 

「……エントマ、あの転がっている武器や装備品を全て集めてナザリックに送ってくれ」

「はいぃ、畏まりましたぁ」

 

 いつからそこにいたのか、巨大昆虫に掴まって隣の空中に浮かんでいたエントマが普段の口調で答えて頭を下げてくる。

 ペロロンチーノも一つ頷くと、足下でざわざわと動き始める多くの昆虫たちを暫く見つめた後、未だ腕の中にいるシャルティアへと目を向けた。

 

「……そろそろ帰ろう、シャルティア。ナザリックへ」

「はい、ペロロンチーノ様」

 

 どこか疲れたような声音で促すペロロンチーノに、シャルティアも小さく頷いてそっと背中の羽根を握りしめた。

 

 




実はペロロンチーノ様もモモンガ様やウルベルト様に負けず劣らず相当ヤバい奴だったという件……。
ナザリックやペロロンチーノ様のお気に入りに手を出すと、ゲイ・ボウが火を噴くぜ!

*今回のペロロンチーノ様捏造ポイント
・〈散弾爆撃〉;
一本の矢が途中で何十本も分裂し、対象の全方向から攻撃する。着弾後、一つ一つが爆発し、更なるダメージを与える。
・〈鳥の籠〉;
対象を何十本もの矢で囲い、その縁に沿って半球型に属性攻撃が発動する。水・火・雷・氷の四種類がある。
・〈第10位階怪鳥召喚〉;
召喚魔法。“混沌の暴食”を召喚する。
・混沌の暴食《カオス・イーター》;
〈第10位階怪鳥召喚〉で召喚できる怪鳥。レベルは90台。体長が4メートルもある大きな鳥で、長く鋭い嘴に、血のような深紅の瞳をしている。漆黒の翼はボロボロで、少し動いただけで羽根が抜けてしまう。対象を喰らい、消滅させる。物理攻撃を受けると二つに分裂し無限に増殖するが、魔法攻撃に弱い。


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第16話 第一回定例報告会議

「…これより、第一回定例報告会議を始めさせて頂きます」

 

 深夜0時。

 アルベドの言葉により、三日に一度行われる定例報告会議の第一回目が粛々と開始された。

 場所はナザリック地下大墳墓第九階層の円卓の間。

 参加者はモモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルト、アルベド、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバス、シズ、エントマ、ニグンの十三名。部屋の隅には二名の一般メイドも控えており、この部屋には計十五名が集っていた。残りのナーベラル、ユリ、ソリュシャン、ルプスレギナは何が起こっても良いように、各チームの現場で待機している。

 この定例報告会議は主要メンバーが全員参加する必要はなく、その時動ける者が代表となって参加すればいいため、今回は良く集まった方だと言えるだろう。

 内心一人で頷いたモモンガは早速話を進めるべくアルベドへと視線を向けた。アルベドも心得たように小さく頭を下げた後、改めて周りへと視線を巡らせた。

 

「この度、私アルベドがモモンガ様より司会進行役の大役を仰せつかりました。ウルベルト様、ペロロンチーノ様、どうぞ宜しくお願い致します」

「構わないよ。その大役をしっかりと務めてくれたまえ」

「よろしくね、アルベド」

 

 少し緊張しているアルベドを気遣い、ウルベルトとペロロンチーノがそれぞれ優しい言葉をかける。

 アルベドは感動したように一層深く頭を下げると、次には至高の主の期待に応えるべく顔を引き締めさせた。

 まずはアルベドの進行順に代表となる者がそれぞれの三日間のことを報告することとなった。

 たかが三日、されど三日。短い期間でそれほど報告することはないだろうと思われていたが、予想以上に全てのチームがそれ相応の行動を行っていた。加えて全てのチームが報告漏れがないように詳細にこれまでの三日間について報告していく。一チームだけでもその情報量はそれなりにあり、とても有意義ではあるがそれ相応の時間がかかった。

 まず報告を始めたのはモモンガ。

 モモンガとナーベラルの冒険者チームは冒険者登録と今遂行中の任務について。宿でのいざこざでポーションを一本現地人に譲渡することになったこと。後はンフィーレア・バレアレという生まれながらの異能(タレント)持ちの存在を報告していった。

 ポーションを現地人に譲渡したというところではシャルティアがピクリと小さく反応したが、彼女が口を開きかける前にウルベルトが手を上げて口を開いた。

 

「……それはちょっとまずいかもしれないよ、モモンガさん」

「えっ!? ……と、ゴホンッ。な、何故まずいのだ?」

「私は初日に帝国の市場を見て回ったのだがね…。そこには赤いポーションは一つも見当たらなかったのだよ。代わりにあったのが青色のポーション。この世界には我々が使っていたポーションはないのかもしれない」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉にこの場が静まり返る。

 モモンガは内心で動揺と鎮静化を繰り返し、ペロロンチーノはあちゃ~と呆けたように口を開きっぱなしにし、ウルベルトはひょいっと肩を小さくすくませた。

 主たちの何とも言えない状態にどうしようかとシモベたちがチラッと顔を見合わせる中、シャルティアが小さく震える手をゆっくりと頭上へと上げた。

 

「モ、モモンガ様…、一つご確認させて頂いても宜しいでありんしょうか……?」

「…な、なんだ、シャルティア……?」

「ポーションを譲渡した人間は……、あ、赤い短髪の女でありんすかえ……?」

「確かにそうだが……、何故お前がそれを知っている?」

 

 宿でのことを思い出しながら尋ねるモモンガに、シャルティアが怯えたようにビクッと身体を震わせる。

 シャルティアは一度ゴクッと喉を鳴らすと、次には覚悟を決めたように強い瞳でモモンガを見つめてきた。

 

「本日の任務中に冒険者と思われる一団と遭遇したでありんすが、恐らくその中にモモンガ様がポーションを譲渡したと思われる人間もいたでありんす。私にポーションを投げつけてきたため、咄嗟に破壊したでありんすが……」

 

 チラチラとこちらを窺いながら説明するシャルティアに、しかしそもそも何故そんなことになったのかがモモンガたちには分からなかった。

 モモンガとウルベルトはペロロンチーノへと目を向け、しかしペロロンチーノも困惑したような表情を浮かべていた。恐らくペロロンチーノがブレインをナザリックに送るために一時離脱した時のことなのだろうが、ペロロンチーノも未だその時のことについてはシャルティアから詳しい話を聞いていなかったのだ。

 至高の主たちから促すような視線を向けられ、シャルティアはもう一度喉をゴクッと鳴らしてから事のあらましを全て報告するために口を開いた。

 セバス、ソリュシャン、ルプスレギナの尽力のおかげで賊に堕ちた傭兵集団を誘い出せたこと。彼らのアジトまで行き、ブレイン・アングラウスという武技持ちの男を捕らえることに成功したこと。ブレインをナザリックに連行するためにペロロンチーノが一時離脱し、その間にシャルティアは残りの残党を狩っていたこと。その際“血の狂乱”が発動してしまい、間が悪いことに近くを通りかかったと思われる冒険者の一団にも遭遇したこと。女冒険者にポーションを投げつけられて一時正気を取り戻したものの、投げつけられたポーションが主であるモモンガの物であることに気が付いたため念のため女冒険者は殺さず、野盗共の牢屋に放り込んでおいたこと。残りの冒険者は全員始末したが、一人だけ取り逃がしてしまったこと。何とか捕らえようと眷族を放った結果、眷属を滅することのできる謎の集団に遭遇し、その時に偶然戻ってきたペロロンチーノの手によって集団が全滅したこと。逃げた冒険者の一人はエントマの眷族によって捕えられたが、その代わりモモンガがポーションを与えた女の方は洞窟の牢の中に置き去りにされた事などがシャルティアの口から語られた。

 すぐに女冒険者も回収すべきだという意見がシモベたちから上がったが、それはモモンガが止めに入った。

 確かに女冒険者をそのまま放置するのはリスクがあるが、しかしもしかしたら後詰の冒険者の存在もあるかもしれない。もし女冒険者を回収しに行って更に目撃情報が増えれば、それはかえってリスクを高めることになりかねなかった。

 幸いなことに、シャルティアは女冒険者に本来の姿しか見られておらず、名も知られてはいない。そこからナザリックに辿り着くことは不可能だろう。

 確かに女冒険者の存在は不安要素ではあるが、しかし今はそんな事よりもペロロンチーノが全滅させたという謎の集団の方が気になった。

 シャルティアの眷族を滅ぼせたということは、この世界ではそれなりの実力者であった可能性が高い。

 一体どういった集団で、何故あの場所にいたのか……。

 ペロロンチーノ自身も一人だけでも生け捕りにしてくればよかったと今更ながらに思ったが、もはや後の祭りであった。

 

「あっ、でも一応装備品と武具は持って帰ってきたんですよ! 取り敢えず俺の部屋に運んであるので、持ってきてもらいましょうか」

「そう…だな……。皆の報告が終わった後に確認するとしよう」

「では、そのように手配いたします」

 

 モモンガの言葉に従ってアルベドがすぐさま部屋の隅に控えている一般メイドへと目を向ける。メイドたちはすぐさま深々と頭を下げると、物音一つたてずに速やかに部屋を退室していった。

 モモンガたちも彼女たちの背を見送った後、改めて報告の続きを再開する。

 次に報告するのはウルベルトである。

 ウルベルト、ユリ、ニグンのワーカーチームは現段階での拠点を“歌う林檎亭”に定めたこと。帝国の軍に属する者の親族を護衛していた冒険者とワーカーに対してデモンストレーションを行ったこと。その後、闘技場の演目に参加して、その結果もすべて報告した。ニグンのレベルが上がったことも含め、この世界のレベルや経験値の概念に対する自分の考えも全て説明していく。

 

「……なるほど。ではウルベルトさんは名声よりも暫くはユリとニグンのレベル上げに専念すると」

「チームとしての名声は引き続き上げていこうとは思っているが、私自身は少し控えようと思っている。まぁ、チームの名やユリやニグンの名声が上がるだけでもメリットは十分にあるし、その後に私が続いたとしてもあまりデメリットにはならないと思うのだよ」

「まぁ、そうだな……。ウルベルトさんがそれで良いのなら私は構わないぞ」

「俺も異議なしですよ」

 

 モモンガとペロロンチーノの賛同を受けて、ウルベルトもにっこりとした笑みを浮かべてそれに応えた。

 

「じゃあ、次は俺ですね!」

 

 ウルベルトの報告が終わると、次はペロロンチーノが右手を上げて弾んだ声を上げた。

 彼が報告する内容はコキュートスやアウラたちと行ったトブの大森林での探索の進行具合と状況報告。並びにマーレを主体としたカルネ村での現状についてだった。

 トブの大森林の探索は既に五分の一ほどが完了しており、その領域に生息する生物はすべて記録してある。また、“森の賢王”と呼ばれる魔獣も捕らえ、今はモモンガが扮している冒険者モモンの従獣としてデモンストレーションを行ったことも報告した。カルネ村に関してはあまり報告することはなかったが、復興の進行具合と村人からの自分たちへの親交具合なども事細かに報告していった。

 

「残念ですがエンリちゃんとネムちゃんは未だ攻略できていませんが、引き続き頑張っていきます!!」

「………あー、まぁ…、がんばれ……」

 

 最後の決意表明についてはモモンガもウルベルトも軽く流し、さっさと次に行くようにと進行役であるアルベドへと視線を向けた。アルベドも一つ無言で頷くと、次のチームの報告へと進行していく。

 ここまでで未だ報告していないのはセバス、ソリュシャン、ルプスレギナの商人チームと、デミウルゴス主体の消費アイテムの生産方法の調査チームのみ。

 しかしこの二つのチームは他のチームとは違い、報告することが未だあまりなかった。

 商人チームは今まで接触した商人たちについてと、今現在滞在している場所の報告。今後向かおうとしている場所についてのみ。

 消費アイテムの生産方法の調査チームに至っては、今後活動していくために拠点として定めた場所の報告のみだ。

 未だ少しの成果も得られていない状態に、セバスとデミウルゴスが謝罪の言葉と共に深々と頭を下げてくる。

 しかしモモンガもウルベルトもペロロンチーノも、そのことについては一切彼らを責めるつもりはなかった。逆に三日という短期間で何かしらの成果を得られていたのなら、そちらの方が驚きである。特にセバスやデミウルゴスが担当する役目は時間がかかって然るべき内容であり、余り焦ったり気負ったりしないようにと二人を労うのだった。

 

「……あ~、でもよくこの三日間という短期間でいろんなことが起きますよね。ゲームよりもゲームらしくないですか?」

「確かに……。だが何より、ペロロンチーノが滅ぼしたという謎の集団の正体が気になりますねぇ。何か手がかりになるようなことは口走らなかったのかね?」

「う~ん、そんな暇も与えずにぶっ放しちゃったからな~。奴らの装備品を調べれば何か分かるかもしれませんけど……」

 

 ポリポリと人差し指で頭をかくペロロンチーノに、ウルベルトが呆れたように大きなため息をつく。

 気まずそうに肩をすくませるペロロンチーノを見かねてモモンガがフォローしようとする中、不意に扉からノックの音が響き、十人ほどの一般メイドたちがゾロゾロと円卓の間へと入ってきた。

 彼女たちの腕の中には多くの装備品や武器の数々が抱きかかえられている。恐らくそれらが謎の集団たちの装備品や武器なのだろう。興味津々といったような表情を浮かべる守護者たちの視線を一身に受けながら、一般メイドたちはアルベドの指示に従って円卓の上へと装備品たちを並べていった。モモンガ、ウルベルト、ペロロンチーノの三人も興味津々とばかりに椅子から立ち上がると、それぞれが手近にあった装備品や武器を手に取った。

 改めてしげしげと眺めるペロロンチーノの隣で、モモンガとウルベルトがそれぞれ〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉を唱えて詳しく調べていく。

 目前にある多くの装備品はすべてが一切統一感がなく、中には信じられないことに女子高生の制服のようなものやチャイナドレスのような……お世辞にもこの世界には全くそぐわないものも含まれていた。

 

「………このデザイン、絶対プレイヤーが絡んでますよね?」

「……ほぼ間違いなく、そうだろうな…」

「うわっ、これ神器級(ゴッズ)アイテムですよ!」

「マジかよ! ……おいおい、これもう完全にプレイヤーが背後にいるんじゃないか? 絶対にマズいだろ」

 

 装備品や武器を調べれば調べるほど最悪な状況を思い浮かべてしまい、三人は冷や汗を流しながら互いの顔を見合わせ合った。

 しかしここまではほんの序の口であることを彼らは知らない。

 モモンガがチャイナドレスに酷似した装備品を手に取り〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉を唱えた瞬間、彼の動きがピタッと止まった。隣ではウルベルトがみすぼらしい槍を手に〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉を唱えており、モモンガとほぼ同時にピタッと動きを止める。

 彫像のように動かなくなってしまった二人に、ペロロンチーノとシモベたちは困惑の表情を浮かべて二人を見つめた。

 

「ふ、二人とも……? その服と槍がどうかしたんですか……?」

 

 戸惑っているシモベたちを代表してペロロンチーノが恐る恐る声をかける。

 モモンガはひどくゆっくりとした動きでペロロンチーノを振り返り、ウルベルトは顔を俯かせてプルプルと槍を持つ手を小さく震わせていた。

 

「………ルド……ムで……」

「はい?」

「……世界級(ワールド)アイテム、です…。…これ、世界級(ワールド)アイテムでした…っ!!」

「えっ、ちょっ、マジですかっ!?」

「間違いありません! 何度も確認しました!!」

「………こっちもだ…」

「「……へ……?」」

 

 興奮するモモンガの声に被さるように、ウルベルトがポツリと言葉を零す。

 モモンガとペロロンチーノがウルベルトに視線を向ければ、ウルベルトは未だフルフルと震える手で掲げ持っている槍をこちらへと差し出してきた。

 

「……こっちもだ、こっちもだった…! この槍も世界級(ワールド)アイテムだったんだよ!」

「なっ!?」

「うそっ!?」

「…それも唯の世界級(ワールド)アイテムじゃない……。使い切りの二十の世界級(ワールド)アイテムの一つ、“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”だ!!」

「「っ!!?」」

 

 ウルベルトのあまりの爆弾発言に、もはやモモンガもペロロンチーノも言葉がなかった。ただ二人ともあんぐりと呆けたように口を開け、呆然と立ち尽くしている。しかしその心境は、爆弾発言をしたウルベルト自身も全く同じだった。

 そもそも世界級(ワールド)アイテムとはユグドラシルにおいて特別な力を持ったアイテムであり、一つ一つがゲームバランスを崩壊しかねないほどの力を持っている。プレイヤーが造り出せるものでは当然なく、その総数も二百程度。一つ所有するだけでも名声が飛躍的に向上し、とてつもない影響力を周りにもたらす。中でもウルベルトが先ほど口にした“二十の世界級(ワールド)アイテム”とは数ある世界級(ワールド)アイテムの中でも特別なアイテムであり、数も二十と少なく、普通の世界級(ワールド)アイテムと違って使い切りタイプであるためか特に凶悪な力を持っていた。

 そんなアイテムを同時に二個も入手したという事実。

 如何に精神も異形化したモモンガたちであっても、受けた衝撃と驚愕の大きさは計り知れないものだった。

 今もウルベルトとペロロンチーノは完全に放心し、モモンガも内心で精神への抑制が繰り返し発動している。

 主たちの尋常ではない状態にシモベたちがオロオロする中、漸く持ち直したのは流石と言うべきかやはりと言うべきか、モモンガであった。

 

「………ふぅ…、まさか世界級(ワールド)アイテムが二つも……それも同時に手に入るとはな。……ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、気持ちは痛いほどよく分かるが、そろそろ現実に戻ってきてくれ」

「「……はっ……!!」」

 

 モモンガの声かけにウルベルトとペロロンチーノも漸く我を取り戻す。

 二人は自分を落ち着かせるように一度大きく息をつくと、改めてマジマジとモモンガとウルベルトの手の中にあるチャイナドレスと槍を見やった。

 

「……まずこちらは世界級(ワールド)アイテム“傾城傾国”。対象を精神支配することのできる、精神系アイテムだな。恐らく通常精神支配できないはずのアンデッドにも効果があると思われる」

「何それ怖っ!」

 

 〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉で読み取った情報を伝えていくモモンガに、ペロロンチーノが悲鳴にも似た声を上げる。

 ウルベルトも大きく顔を顰めさせ、次には自身の手にある槍を見下ろした。

 

「…こちらは世界級(ワールド)アイテム“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”。モモンガさんとペロロンチーノは知っているとは思うが…、お前たちにも説明した方が良さそうだな」

 

 真剣な表情を浮かべて主たちの会話を聞いているシモベたちを見やり、ウルベルトも険しい表情で手の中のアイテムについて口を開いた。

 “聖者殺しの槍(ロンギヌス)”は二十の世界級(ワールド)アイテムの一つであり、対象のデータを完全に抹消すると同時に使い手のデータをも完全に抹消してしまう諸刃の凶悪アイテムだ。それも一度抹消されてしまえば通常の蘇生方法では蘇ることはできず、一部の世界級(ワールド)アイテムでなければ復活することはできないという。ユグドラシルでは名の知れた有名な世界級(ワールド)アイテムの一つだ。

 ウルベルトが語るアイテムの力に、シモベたちの顔色はどんどん蒼褪めていった。

 目の前のアイテムに宿った想像以上の力と、その強力な力がペロロンチーノに向けられたのだという事実。

 至高の主が精神支配や滅びの危機に陥っていたことに、ある者は倒れそうになり、ある者は発狂しそうになっていた。

 しかし、中でも部屋の隅に控えていたニグンの顔は誰よりも青白く染まり、今にも倒れそうになっていた。

 

「……でもまさか、この世界に世界級(ワールド)アイテムがあるとは…。どうやら少し甘く考えていたようだね」

 

 顔を顰めさせたまま苦々し気に吐き捨てるウルベルトに、モモンガとペロロンチーノも同意して頷く。

 ニグンや陽光聖典からの情報から、少なくとも過去にプレイヤーがこの世界にいたことは分かっていたというのに、世界級(ワールド)アイテムもあるかもしれないとは思い至らなかったなんて……。

 三人ともが悔しそうな表情を浮かべる中、不意にウルベルトがニグンの様子に気が付いた。

 

「……どうした、ニグン?」

 

 ウルベルトの声に、この場にいる全員がニグンへと視線を向ける。

 超越者や絶対者たちの視線が一気に自分に向けられたことにニグンはビクッと大きく身体を震わせたが、緊張した面持ちながらも恐る恐るウルベルトたちの元へと歩み寄ってきた。

 

「……恐らく、ではありますが…、ペロロンチーノ様とシャルティア様が遭遇されたのは、法国の漆黒聖典である可能性があります」

「漆黒聖典……というと、お前たち陽光聖典と同じく六色聖典の一つのか?」

「おっしゃる通りです。そちらの装備品の幾つかは見覚えがありますし、確か漆黒聖典の隊員が身に着けていたものと記憶しております」

「…ほう……」

 

 ニグンの言葉にウルベルトが小さく目を細めさせる。モモンガも眼窩の灯りを怪しく揺らめかせ、シモベたちも誰もが大きな怒気と殺気をその身から溢れさせた。しかしペロロンチーノだけは不機嫌そうに顔を顰めさせながらも訝しげに首を傾げた。

 

「……でも、あいつらが本当に漆黒聖典だとして、なんであんなところにいたんだ? シャルティアの話を聞く限りでは、遭遇したのは偶然みたいだけど」

「それは私にも分かりかねます。しかし、漆黒聖典の任務は主に人類の脅威となり得る亜人種や異形種の抹殺です。後は、スレイン法国の暗部にも深く関わっていますので、そのいずれかの任務であるとは思われますが……」

 

 自信がなさそうな表情を浮かべて言葉を濁すニグンに、モモンガたちは思わず互いに顔を見合わせ合った。

 普通に考えれば遭遇したのが森の中ということもあり、亜人の殲滅の任務に就いていたのかもしれない。

 しかしモモンガたちにとってはそんなことはどうでもよかった。

 重要なことは主に二点。

 一点目は彼らが人間至上主義で“異形種狩り”をしているということ。

 二点目は世界級(ワールド)アイテムを持っていたという事実があり、まだ他の世界級(ワールド)アイテムも持っている可能性があるということ。

 

「う~ん、どうもスレイン法国は危険な気がしますね~……。いっそのこと、一気に攻めてみます?」

「いや、それはあまりにも危険だろう。戦闘の基本は相手についての情報量とこちら側の情報操作だ。攻めるにはまだまだ情報が足りなさすぎる」

「短気は損気だよ、ペロロンチーノ。……とはいえ、そのまま現状維持という訳にはいかないのも確かだ。何か対策や罠を考えておく必要はあるだろうね」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガとペロロンチーノもそれぞれ顎に手を当てて考え込んだ。

 シモベたちも主たちの様子を窺いながら、自分たちでも何かいい案はないかと思考を巡らす。しかし何かを思いついたとしても決して自分たちから進んで進言はしない。主たちは三人ともが至高の叡智を持っており、自分たちシモベ風情の考えなど必要ない。元より自分たちの発言で主たちの思考を遮るなどあってはならないのだ。

 シモベたちが見守る中、モモンガが徐に顎から指を離して俯かせていた顔を上げた。

 

「……とりあえず、これ以外にも世界級(ワールド)アイテムがないとは限らん。私は既に一つ所持しているから良いとして、ウルベルトさんとペロロンチーノさん、外に出る守護者たちやセバスにも世界級(ワールド)アイテムを所持させよう」

 

 世界級(ワールド)アイテムはどれもが絶大な力を持っているが、唯一同じ世界級(ワールド)アイテムを所持する者だけは、その力に抗うことができた。

 

「そうだな。…後は転移系の魔法が使えないメンバーには、転移系のアイテムも所持させよう」

「後はナザリックを襲撃された場合の事も考えて避難場所も準備しておく必要があるだろう。……ペロロンチーノさん、頼めるか?」

「了解です! 詳しい場所とかギミックについては、また後ほど改めて相談させて下さい」

 

 流石は“無課金同盟”を組んでいたメンバーというべきか、ギルド長であるモモンガを中心に次々と今後について決定していく。

 シャルティアが漆黒聖典と思われる集団と遭遇した場所が王国国内であったため、モモンガを中心に警戒網を敷くこと。ペロロンチーノは避難場所の決定と建築、ウルベルトは転移系アイテムの作成を担当することになった。

 その際、ペロロンチーノがエンリへの弓の作成もウルベルトに頼んだことでちょっとした一悶着はあったが、最終的には無事に全てが決定し、会議も終了した。

 シモベたちが順々に深い礼と共に退室していく中、ふとデミウルゴスが退室しようとしていたニグンを呼び止めた。

 

「……そう言えば君は元々はスレイン法国の出だったね。君の元同僚である漆黒聖典はペロロンチーノ様の手により殲滅され、故郷と呼ぶべきスレイン法国もいずれは至高の御方々の御手によって滅ぶことになるでしょう。君はそれで構わないのかね?」

「……………………」

 

 デミウルゴスの問いにニグンは思わず黙り込み、未だ部屋に残っていたモモンガたちも二人へと視線を向けた。

 ニグンを真っ直ぐに見つめるデミウルゴスの表情は変わらぬ笑みを浮かべていたが、しかしいつもは閉じられている瞼がうっすらと開いており、中から怪しく輝く宝石が小さく覗いている。

 まるでニグンの反応を窺い、確かめているかのよう……。

 いや、実際反応を窺い、ニグンの真意を確かめているのだろう。

 デミウルゴスにとってニグンはまだまだ本当の意味で信用するには足りない存在だった。

 至高の主であり自身の創造主でもあるウルベルトが気に入った存在だから、という嫉妬だけではない。

 先ほどの言葉通り、元々はニグンの仲間だった集団がペロロンチーノの手によって殲滅され、ニグンの所属していた国もまた近い未来滅びの道を辿るだろう。

 それについてニグンは何を思い、どう行動するつもりなのか。

 変わらずウルベルトやモモンガたちに忠誠を誓うのならばそれで良かったが、少しでもその忠誠に翳りを見せたなら容赦なく殺すつもりだった。

 デミウルゴスだけでなくこの場にいる全員が注目する中、しかしニグンは一切動揺する素振りも見せずに真っ直ぐデミウルゴスを見返した。

 

「当然、構いません。私はウルベルト・アレイン・オードル様に忠誠を誓った、至高の御方々の忠実なるシモベです。このようなことを私が口にするなど分を弁えぬことだと重々処置してはおりますが、元より至高の御方であらせられるペロロンチーノ様に弓引くこと自体が許されぬ大罪。私は至高の御方々やウルベルト様の言葉に従い、変わらぬ忠誠を誓うだけです」

 

 はっきりきっぱり断言するニグンに、モモンガとウルベルトとペロロンチーノが驚いたように小さく目を瞠る。

 しかし他のシモベたちは当然と言ったように笑みを浮かべて頷き、デミウルゴスもまた満足げに笑みを深めさせた。

 

「なるほど。まさに君の言う通りだ、納得したよ」

 

 質問した時よりも柔らかな声音でニグンに同意し、まるで気の合う仲間のようにニグンの肩を軽く叩く。

 しかし次の瞬間、デミウルゴスはそのまま叩いた肩をぐわしっと力強く鷲掴んだ。

 ニグンが思わず驚愕に目を見開かせる中、しかしデミウルゴスは肩を掴む手に力を込めながら更に笑みを深めさせた。

 

「君の至高の御方々への忠誠心は本当に素晴らしい。しかし、忠誠心だけあっても意味はない。実際に御方々の役に立たなくてはね」

「デ、デミウルゴス様の仰る通りだとは思いますが……あの……」

「というわけで、今夜も私が直々に至高の御方々に相応しいシモベとなれるようにいろいろと指導してあげよう」

 

 柔らかな声音でもって言われた言葉に、ニグンは一気に顔を蒼褪めさせた。

 ニグンがウルベルトとのチームに同行することが決まった日から帝国に出発するまでの四日間。デミウルゴスとアルベドと共に過ごした想像を絶するほどに過酷だった日々を思い出し、ニグンは冷や汗を流して小刻みに身体を震わせた。

 咄嗟に助けを求めてウルベルトを見つめるが、今回もあの時と同じようにウルベルトが口にしたのは完全な助けの言葉ではなかった。

 

「あ~…、えっと……、朝の7時には帝国に戻るから、あまり無茶はしないようにな」

「勿論心得ております! では失礼いたします、ウルベルト様、モモンガ様、ペロロンチーノ様」

 

 デミウルゴスは輝かんばかりの良い笑顔を浮かべると、悲壮感溢れる表情を浮かべているニグンを引きずるようにして円卓の間を退室していった。

 あの時と同じような何とも言えない微妙な空気が室内に漂う。

 他のシモベたちも全員退室していったことを確認し、モモンガとウルベルトとペロロンチーノは互いの顔を見合わせ合ってからほぼ同時に大きなため息を吐き出した。

 

「……はぁ、第一回目から何だか凄く濃い報告会になっちゃいましたね」

「確かに……。最初は三日に一度とかそんなに頻繁にしなくても良いんじゃないかと思ってたけど、むしろ大正解でしたね」

「だな。早い段階で世界級(ワールド)アイテムの存在を確認できたことも大きいし、それを奪えたことも上等だ。帝国の方でも世界級(ワールド)アイテムを持っている奴がいないか探ってみよう」

「お願いします。でも、くれぐれも無理はしないで下さいね」

「分かってるよ、モモンガさん」

 

 ウルベルトはにこっと笑みを浮かべると、次には椅子から立ち上がってググッと背筋を伸ばした。

 続くようにしてモモンガとペロロンチーノも椅子から立ち上がる。

 

「…それじゃあ、俺は部屋に戻るかな。転移系アイテムも作らないといけないし……、ていうか7時までに全部作れるか?」

「俺はいい加減眠たいから寝ようかな~……。あっ、エンリちゃんの弓もお願いしますね、ウルベルトさん」

「ふざけんな! そんなに作ってほしけりゃ寝てないで手伝いやがれ」

「え~、俺はウルベルトさんやモモンガさんと違って睡眠も必要なのに~!」

「知るか。一日寝なくても死にゃぁしないし、何ならアイテムでも使っとけ」

「ああ、それじゃあ俺も手伝いますよ。アイテムを作りながら、避難場所についてももう少し詳しく話し合いましょう」

「そうですね」

「それじゃあ、皆で俺の部屋に行くか」

 

 三人は取り敢えず円卓の上にある世界級(ワールド)アイテムを含む装備品や武器を手分けしてアイテム・ボックスへと突っ込むと、ウルベルトを先頭に円卓の間を後にした。

 回廊を歩く短い間も、誰に何の世界級(ワールド)アイテムを所持させるかなどの相談をし合う。

 モモンガたちはウルベルトの部屋に入ると、思い思いに椅子に座って寛ぎながらアイテム作成を開始した。

 しかし数多くのことを話し合い、相談し合いながら作成しているため、中々作業は進まない。

 案の定、全てを作り終える頃にはウルベルトの言葉通り、ナザリックを出発する時間ぎりぎりまでになってしまうのだった。

 

 




今回、漆黒聖典の隊長の武器を世界級アイテムの“聖者殺しの槍”であるとして書いています。
何卒ご了承ください。
なお、原作でもし“聖者殺しの槍”ではないと判明した場合は、すぐに書き直させて頂きます。


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幕間 シモベたちのひと時

 第一回目の定例報告会議が終了して一時間後。

 ナザリック地下大墳墓、第二階層にあるシャルティアの私室“死蝋玄室”には、部屋の主であるシャルティアだけでなくアルベド、アウラ、マーレの姿もあった。

 

「ちょっと、何であんたまでここにいるのよ?」

 

 自分の後ろにオドオド隠れるように立っているマーレを振り返り、アウラが訝し気に首を傾げる。

 今回のこの集まりは階層守護者での女子会であり、少年であるマーレは対象外である。

 じっと睨むように見つめてくるアウラにマーレがビクビクする中、アルベドが柔らかな笑みを浮かべて二人の間に入った。

 

「そんなに睨まないであげて、アウラ。マーレを呼んだのは私なのよ」

「アルベドが? なんでまた……」

「それは勿論、カルネ村でのペロロンチーノ様のことを聞くためよ! 本当はナーベラルとユリも呼びたかったのだけれど、あの子達は今回現地で待機になってしまったから……」

 

 至極残念そうな表情を浮かべるアルベドに、シャルティアとアウラは納得の表情を浮かべた。

 外での任務で至高の主と行動を共にする機会があるシャルティアやアウラたちとは違い、ナザリックの留守を任されたアルベドには中々その機会が与えられない。少しでも至高の御方々の話を聞きたいと思うのは当然であり、またシャルティアやアウラも同じ気持ちだった。

 

「……あれ、それならあのニグンって奴も参加させれば良かったんじゃない?」

 

 最近ナザリックに加わった男の存在を思い出し、アウラが不思議そうに小首を傾げる。

 しかしアルベドはフゥッと小さな息をついて緩く頭を振った。

 

「あら、それはダメよ。どうせ今回もデミウルゴスに連行されているわ」

「うわ~、かわいそう……。あの時も最後はボロボロになってたし……、一体なにしたのよ?」

「ふふっ、それは勿論指導よ、し・ど・う。私たちの代わりにウルベルト様の供をするなら当然の事でしょう?」

 

 アルベドが柔らかな笑みを浮かべて可愛らしく小首を傾げてみせる。

 アウラとシャルティアとマーレはチラッと互いの視線を交わすと、何とも言えない表情を浮かべながらも口を噤んでこれ以上つっこまないことにした。

 部屋の奥へと歩を進め、丸テーブルを囲むように用意された椅子へとそれぞれ腰を下ろす。

 すかさず部屋の隅に控えていたヴァンパイア・ブライドたちが給仕を始め、ささやかな女子会――マーレは男の娘ではあるが…――が始まった。

 

「それで、マーレ。カルネ村ではペロロンチーノ様は何をされていたのかしら?」

 

 早速とばかりにアルベドがマーレに詰め寄る。

 マーレは一瞬ビクッと肩を跳ねさせると、ヴァンパイア・ブライドに用意してもらった紅茶のカップをソーサーに戻して恐る恐る口を開いた。

 

「えっと、その、あの…村の人間たちとよくお話をされていましたけど……」

「…そういえば、先ほどの報告会議でも人間たちとの交流は良好だと報告されていたわね」

「そんな事よりも、ペロロンチーノ様が気にかけていらっしゃる女の方が問題でありんす! エンリとネムとかいう女は一体どんな輩なのよっ!!」

 

 シャルティアが般若のような表情を浮かべてキッとマーレを睨み付ける。

 マーレはあわあわと慌てふためると、椅子から立ち上がって隣に座る姉の背後へと隠れた。

 

「ちょっとシャルティア~。あんまりマーレを脅さないでよ」

「お、脅してなんかいないわよ……」

「でも、確かに気になるわよね……。ねぇ、マーレ、ぜひ教えてくれないかしら」

 

 珍しくアルベドもシャルティアに同意してマーレを見つめる。しかし普段の柔らかな優しい笑みを浮かべているというのに、その美しい金色の瞳は全く笑ってはいない。

 マーレはビクッと身体を震わせると、視線を右へ左へとふらふらさ迷わせながら身を縮み込ませた。

 

「…うぇ……っと…、その、……普通の人間のように、見えましたけど……」

「なら何で! あんな小娘に! 至高の御方であらせられるペロロンチーノ様が! 心を砕くんでありんすかっ!!」

「そ、そんなこと…僕に言われても………」

「……それも、ウルベルト様が作られる弓を贈るだなんて……っ!!」

 

 遂にはテーブルに顔を突っ伏して、力なくテーブルを叩くシャルティア。

 もしこれが彼女の創造主であるペロロンチーノでなかったら、彼女がここまでショックを受けることもなかったかもしれない。しかし残念ながら種族問わず全ての美少女を愛するのがペロロンチーノであり、それ故にシャルティアは勿論の事、アルベドも決していい顔はせずに嫉妬にかられることになった。

 マーレは彼女二人の様子を見つめ、ペロロンチーノがエンリに自ら弓を教えると約束していたことは絶対に言うまいと心に誓った。

 嘆き悲しむシャルティアと、絶対零度の気を放つアルベド。

 一気に収拾がつかなくなった状況にアウラとマーレは顔を見合わせた後、少しでも状況を回復させようとアウラが努めて明るい声を上げた。

 

「あー、そういえば! シャルティアはペロロンチーノ様と人間の野盗の根城に行ったんだよね! どうだったの?」

「……ぐすっ…。…どうだったって……、何がよ……?」

「だから~、ペロロンチーノ様のカッコいいところとか見れたんじゃないの?」

 

 アウラの問いに、途端にシャルティアの頬が朱に染まる。

 悲哀に沈んでいた表情は恍惚としたものになり、紅色の大きな瞳もトロンと潤んだものになった。

 

「うふふ~、ペロロンチーノ様がカッコいいのは当然でありんすが、戦っている時は勇ましくてとっても素敵でありんしたえ! それに、あの逞しい腕で、私を……っ!!」

「何があったっていうのっ!!?」

 

 感極まったように自身の身体を抱きしめて身をくねらせるシャルティアに、途端にアルベドが目を剥いて身を乗り出してくる。

 金色の瞳はギラギラと光り、今にも飛び掛かってきそうだ。

 しかしシャルティアは一切気にしていないのか気が付いていないだけなのか、変わらぬ蕩けきった表情のまま熱い吐息を吐き出した。

 

「私の身体を軽々横抱きに抱いて下さったり、私の危機に颯爽と駆けつけて下さった際は力強く抱きしめてくれんした。……はぁ、あの時の抱擁…、身体が蕩けて砕けてしまいそうでありんしたえ」

 

 その時のことを思い出しているのだろう、シャルティアの可憐な唇から絶えず熱い吐息が吐き出され、顔ものぼせたように真っ赤になっている。

 一人盛り上がっているシャルティアに、アウラはうわ~と半目になり、アルベドは激しい嫉妬で内心ハンカチを咥えてキーッと奇声を上げた。

 しかし、ただ言われっぱなしのアルベドではない。アルベドは一度自分を落ち着かせるために大きく息を吐き出すと、次には少し引き攣っていながらも得意げな笑みを浮かべてみせた。

 

「……ふっ、甘いわね、シャルティア。至高の御方々から寵愛を頂いているのは貴女だけだと思っているの?」

「ど、どういう意味よ……?」

「私の調査によると、マーレやエントマもペロロンチーノ様に抱き上げて頂いたことがあるそうよ」

「なっ!!?」

「それに私だって、ペロロンチーノ様のご寵愛は未だ頂けてはいないけれど、ウルベルト様にはジャージーデビルと相乗りさせて頂いたのよ!」

「……………………」

 

 次に嫉妬の表情を浮かべるのはシャルティアで、恍惚とした表情を浮かべるのはアルベドの方だった。

 シャルティアとしては、自分だけでなくマーレやエントマもペロロンチーノに抱き上げられたことがあるという事実に鬼のような形相を浮かべている。

 マーレは再び小さな悲鳴を上げてアウラの影に必死に隠れ、アウラは半目のままアルベドを呆れたように見つめた。

 実を言うとウルベルトに相乗りさせてもらったのはアウラも同じなのだが、ここは余計なことは言わないでおこうと心に誓う。

 そんなことをアウラが考えているなど露知らず、アルベドは片手で頬を押さえてうっとりと瞳を潤ませた。

 

「……あぁ、ウルベルト様…、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だから細身ではいらっしゃったけど、あの引き締まった身体! 強く抱きしめるように言われた時は天にも昇る気持ちだったわ!!」

「ウ、ウルベルト様御自らが抱き付くように仰られたのっ!!?」

 

 聞き捨てならないことを聞いたとばかりにシャルティアが目を剥く。

 正確に言えば、後ろに相乗りしたが故に落ちないようにしっかり掴まるように言われただけなのだが、アルベドは勿論の事、アウラも何も言わない。

 アルベドはその時のことを思い出して頭が一杯であり、アウラはこちらに彼女たちの矛先が向いてほしくないのだ。

 

「……でも、ペロロンチーノ様やウルベルト様のお話は聞けるでありんすが、モモンガ様のご活躍は分からないでありんすねぇ」

「そうね、それがとても残念だわ。今度はナーベラルも連れて帰って頂けるようにモモンガ様にお願いしてみましょう」

 

 何とか気分を持ち直したシャルティアの言葉に、アルベドも漸く落ち着いたようで大きく頷く。

 それから交わされ始めるのは至高の御方々がいかに魅力的であるかという“至高の御方談義”。

 先ほどと同じように一喜一憂しながらも白熱した談義を繰り広げる二人を見つめながら、アウラは内心で大きなため息を吐き出した。

 最初は至高の御方々の活躍の話を少しでも聞きたかっただけなのに、何故いつの間にこんなことになっているのか……。

 

(……メンバーからして間違ってたわね…)

 

 シャルティアとアルベドを見つめ、次は実際にため息を小さく吐き出す。

 後ろのマーレも呆然としているようで全く役に立たず、アウラは頭痛がしてくるような気がした。

 アウラの苦労は、これからも続く。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「ぐがっ!!」

 

 小さな声と共に大きな破壊音と土煙が立ち上る。

 ここはナザリック地下大墳墓、第六階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)

 円形の広大な敷地には二つの人影があり、一方は直立に立ち、もう一方は地面に横たわって何とか起き上がろうと足掻いていた。

 

 

「早く立ちなさい。こんなことでウルベルト様のお役に立てると思っているのですか?」

 

 直立不動で立っているのは、長い銀色の尻尾をゆらりゆらりと怪しく揺らめかせる最上位悪魔(アーチデビル)ことデミウルゴス。

 フラフラながらも何とか立ち上がったのは、ボロボロになっているニグン。

 二人がこんなところで何をしているのかというと、簡単に言ってしまえば鍛錬だった。

 と言っても攻撃しているのはニグンだけで、デミウルゴスはひたすら捌いては弾き返してを繰り返している。

 しかしダメージを負っているのは、むしろ攻撃をしている側のニグンの方だった。一方、攻撃を受けている側のデミウルゴスは一切ダメージを負ってはいない。

 弾き返しているだけなのに遥か後方まで吹き飛ばしてしまう所が、流石100レベルの絶対者というべきか。

 絶望的なレベル差が存在する二人ではある意味当然のことと言ってもいいのかもしれないが、しかしデミウルゴスは別に本気の力を出している訳ではなかった。魔法と特殊技術(スキル)は一切使わず、純粋な身体能力のみでニグンの相手をしている。加えて力自体も半分以上セーブしており、十分手加減していると言えた。

 

 

 

「ココニイタノカ、デミウルゴス」

 

 デミウルゴスとニグンが対峙する中、不意に軋んだ声と共に大きな影が円形劇場(アンフィテアトルム)内に入ってきた。

 

「おや、コキュートス。君がここに来るとは珍しいね。私に何か用だったかい?」

「ウム、オ前ガニグンヲ鍛エテイルト聞イテナ。少シ気ニナッテ探シテイタノダ」

「なるほど。しかし、彼はまだまだ脆弱だ。君を満足させられるとは到底思えないのだがね」

「イヤ、コノ世界特有ノ戦イ方ニ興味ガアル。オ前ガ良ケレバ見学サセテクレ」

「ふむ、君がそれで良いのなら私は構わないよ」

 

 友からの申し出に、デミウルゴスは柔らかな笑みを浮かべて快く了承する。

 ニグン自身も断る理由はなく――そもそもその権利すら持っていないのだが―― 一度コキュートスに頭を下げてから改めてデミウルゴスに向き直った。

 小さな声で詠唱を唱えながら、ウルベルトから借り受けた短剣を構える。

 淡く光る魔法陣と共に現れるのは炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)

 まずは炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を突撃させ、すかさずニグン自身もその後に続く。デミウルゴスが銀の尾で炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を一刀両断に切り裂く瞬間、その間を縫うようにして身を乗り出し短剣を振るった。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を盾に隙を突いた見事な動き。

 しかしデミウルゴスには全く通用せず、短剣がデミウルゴスに触れるその前に強い衝撃がニグンを襲った。

 鳩尾の激痛と共に後方へと吹き飛ばされる。

 再び鳴り響く破壊音と、濛々と立ち昇る土煙。

 地面に倒れ込んだまま中々起き上がることができないニグンに、デミウルゴスの容赦のない声が飛んでくる。

 

 

「……全く、少しは頭を使って戦いなさい。これ以上無様を晒すようならウルベルト様に願い出て処分しますよ」

 

「フム…、中々ニ面白イ戦闘ガ見ラレソウダナ……」

 

 

 苛々したように不満そうな表情を浮かべるデミウルゴスとは打って変わり、少し離れた場所に佇むコキュートスは面白そうな声音で小さく呟く。

 ニグンは回復魔法を自身に唱えると、何とか立ち上がって再びデミウルゴスに向かっていった。

 戦い方を変え、工夫し、何度も何度も向かっていく。

 最上位悪魔(アーチデビル)小悪魔(インプ)の鍛錬は長々と続き、翌朝になってウルベルトが迎えに来るまで終わることはなかった。

 

 




話が進まない…。
あぁ、皆さんの声が聞こえる……『こんな幕間なんか書いてるから話が進まないんだよ』という声が………。
ごめんなさい本当にすみません書いてみたかったんです許して下さい……orz
次回以降はなるべく早く更新していけるよう頑張ります…!


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第17話 動き出す手

久しぶりのウルベルト様回です!
オリキャラが出てきますので、ご注意ください。


 薄暗くじめっとした空間にコツッコツッと硬い音が響く。

 音の発生源である山羊頭の悪魔は供もつれずに一人薄闇の奥へ奥へと進んでいた。

 見えてきた目的の扉へと歩み寄り、右手を上げて軽くノックする。一拍後、内側から扉が開かれて一人の拷問の悪魔(トーチャー)が顔を覗かせた。

 途端、山羊頭の悪魔と拷問の悪魔の視線が合う。

 拷問の悪魔は驚いたように身を小さく仰け反らせると、次には扉を大きく開いて深々と頭を下げてきた。山羊頭の悪魔は小さな笑みを浮かべると、拷問の悪魔が開いてくれた扉を潜って室内へと足を踏み入れる。

 室内は先ほどの通路と同様に薄暗く、じめっとした冷気を漂わせていた。

 大きなテーブルが部屋の中心に鎮座し、その上には多種多様の拷問道具が所狭しに並んでいる。テーブルの周りには脳食い(ブレイン・イーター)や二人の拷問の悪魔が立っており、手に持つ布で忙しなく拷問道具の手入れをしていた。

 

 

「邪魔するよ、ニューロニスト」

 

 部屋の奥へと足を進めながら、ウルベルトが作業中の脳食いに声をかける。

 彼女たちはウルベルトの突然の登場に慌てて作業の手を止めると、素早くその場に跪いて深々と頭を下げた。

 

「これは、ウルベルト様ん! 御自ら足を運んで頂かなくても、お呼び頂ければ即馳せ参じましたのにん!」

「いや、大した用事ではないのでね。もうすぐナザリックを留守にするし……、気にしないでくれたまえ」

 

 申し訳なさそうに頭を垂れるニューロニストに柔らかな微笑を浮かべ、小さく頭を振って押し留める。

 ウルベルトとしては外出するついでにここに寄っただけなため、そう畏まってもらう必要は全くなかった。逆にこちらが申し訳なくなってしまうほどだ。

 余り彼女たちの邪魔をしては悪いだろうと判断すると、ウルベルトは早速用を済ませるためにアイテム・ボックスを開いた。空間にできた亀裂に手を差し入れ、中から“知られざる(まなこ)”を取り出す。ウルベルトは撫でるように仮面の表面に指を這わせると、徐にそれをニューロニストへと差し出した。

 

「ニューロニスト、これをお前に貸し与える」

「これは……、ウルベルト様の主装備の一つである神器級(ゴッズ)アイテム!? このような至高のアイテムを…、例え一時だとしても受け取れませんっ!!」

 

 ニューロニストが恐れ多いとばかりに必死に頭を振ってくる。あまりに必死なその様子に、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 しかし、これは拷問官であり特別情報収集官でもあるニューロニストには必要不可欠なアイテムだ。

 何としてでも受け取ってもらわなければ……と顔を引き締めさせると、ウルベルトはまるで言い聞かせるようにニューロニストを見下ろした。

 

「聞け、ニューロニスト。これからお前は、この世界の者たちから情報を引き出す機会が多くなっていくでしょう。その際、その者たちがニグンや陽光聖典たちと同じように自身に魔法をかけている可能性は決してゼロではない。これはお前だけではなく、このナザリックのために言っているのだよ。この“知られざる眼”を使えば、起こるかもしれない事象を未然に防ぐことができる。……もう一度言うよ、ニューロニスト。これをお前に貸し与える」

 

 決して拒否は許さない、とばかりに強い光を宿した金色の双眸で射貫くようにニューロニストを見つめる。

 彼女はプルプルと小さく身を震わせると、恐る恐るといった動きでゆっくりと両手をこちらに差し出してきた。綺麗に添えられた両掌に、ウルベルトがすかさず“知られざる眼”を乗せる。ニューロニストは水かき付きの四本の長い指をゆっくりと折り曲げると、掌に乗せられている“知られざる眼”を落とさないようにしっかりと握り締めた。次には“知られざる眼”を抱きしめるように胸元に引き寄せ、窺うようにこちらを見上げてくる。ウルベルトは安心させるように目元を緩ませると、そのまま柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「ペロロンチーノとシャルティアが捕まえてきた男にはまだ何もしていないのだろう? 早速その男で試してみると良い」

「はい! ありがとうございます、ウルベルト様ん!」

 

 感極まったように再び深々と頭を下げてくるニューロニストに、ウルベルトも笑みを深めさせて大きく頷くのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 指導をしてくれていたデミウルゴスからニグンを引き取ったウルベルトは、〈転移門(ゲート)〉を潜ってユリが待機しているバハルス帝国の“歌う林檎亭”に戻っていた。

 ユリが一糸乱れぬ動きで頭を下げてくるのに、軽く手を上げてそれに応える。

 『人化』の魔法を自身にかけながら変わった事がなかったか問いかければ、ユリは表情を変えぬまま頭を振った。

 まぁ、そうだろうな……と思いながら、ウルベルトは思わず小さく息をついた。

 ワーカーになって今日で四日目。

 知名度も何もない状態で始めたのだから当たり前の事なのかもしれないが、しかし依頼がなければ何も進まない。

 やはり今はもっと派手に動いて知名度を上げることに専念した方が良いのだろうか……と頭を悩ませながら、取り敢えず人間としての行動を取ろうと朝食をとるためにユリとニグンを引き連れて一階の食堂へと降りることにした。

 

 

 

「……おっ、やっと降りて来たか…」

 

 階段を降りてすぐ、ウルベルトたちの存在に気が付いて店主が声をかけてくる。

 普段は厳つく顰められている顔が今は心底安堵したような表情を浮かべており、ウルベルトは思わず小首を傾げた。

 もしや自分たちに用があったのだろうか、と店主のいるカウンターへと歩み寄れば、店主は一度カウンターの下へと姿を消してしまう。しかしすぐに顔を出すと、その手に持っていた大きな布袋をドサッと勢いよくカウンターの上へと乗せてきた。

 

「……ほれ、全部お前ら宛てだ」

「……?」

 

 苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべる店主に、ウルベルトは更に首を傾げながらも布袋の中を覗き込んだ。中には綺麗に折りたたまれた紙や封筒が大量に乱雑に入っており、思わず困惑の表情を浮かべる。

 試しに一つを手に取り、紙を開いて内容に目を通してみた。

 瞬間、ウルベルトの動きがピタッと止まり、ユリやニグンだけでなく食堂にいる全ての人間がウルベルトを注視した。

 ウルベルトは暫く停止した後、徐に動いたかと思えば綺麗に紙を折りたたみ、無言で布袋から新たな紙を取り出して開く。暫く目を通し、閉じる。更に新しい紙を取り出して開き、目を通し、閉じる。

 何度か同じ動作を繰り返した後、ウルベルトは一つ大きな息をついて目の前の店主を見やった。

 

「………なんですか、これは…?」

「…なんだ、分からないのか? お前たち宛ての恋文だよ」

「「――っ!!?」」

「……………………」

 

 店主からの爆弾発言に、ユリとニグンが驚愕の表情を浮かべて息を呑む。ウルベルトは端正な人間の顔を大きく顰めさせると、まるで睨むように手の中の紙の束や布袋の中身を見やった。

 店主の言葉通り、それらはウルベルトたち宛ての恋文――言うなればラブレターという奴だった。

 目測で凡そ100通前後。その全てがラブレターだという事実に思わず頭痛がしてくる。

 しかも顔を晒しているウルベルトやユリはまだしも、仮面をつけているニグンにも来ているというのが驚きだ。店主の話では「このご時世、(見た目)よりも強さに惚れる女は大勢いる」とのことだったので納得はできたが、こんな手紙よりも依頼がほしかった……と項垂れてしまうことを止められなかった。

 

「とにかく、それを早く引き取ってくれ。仕事に邪魔で仕方ねぇ……」

「……あー、迷惑を掛けましたね。ありがとうございます…」

 

 ウルベルトは小さく頭を下げると、布袋の中に手の中の紙を全て戻してから布袋自体を手に取った。ずっしりとした重みを感じるそれに辟易としながら、後ろに控えているニグンへと預ける。ニグンも大人しく受け取ると、そのままカウンターの椅子に腰を下ろしたウルベルトに従って自身も隣の椅子へと手をかけた。

 ウルベルトを中心に、右側にユリが、左側にニグンがそれぞれ腰を下ろす。

 

「………とりあえず、今日のおススメを三つ頼みます」

「……あいよ…」

 

 朝っぱらからひどく疲れたようなウルベルトに店主も同情したのか、哀れな視線をこちらに向けた後に静かにカウンターの奥へと消えていく。ユリとニグンはウルベルトを見つめると、次には軽く俯いているウルベルト越しに目だけで視線を交わし合った。

 一体どうするべきか……、何か話題はないか……。

 視線だけで会話するも、中々いい案は浮かばない。

 少しでもウルベルトの気持ちを上げることはできないかと二人が思い悩む中、不意に三人の背後からバンッという大きな音が響いてきた。

 ウルベルトたちだけでなく、食堂にいる全員が音の方角を振り返る。

 彼らの視線の先には外へと続く扉があり、今は大きく開け放たれて三つの人影を照らし出していた。

 扉の前に立っていたのは一人の女と、その女を守るようにして両脇に立つ二人の男。

 女は猫を思わせる愛嬌と美しさを併せ持った18歳くらいの少女だった。腰まで届く波打つ金色の髪に、つり目がちの大きなエメラルドの瞳。肌は陶器のように白くきめ細かく、少し厚みのある唇は真っ赤なルージュに彩られて幼さの残る面立ちに反してひどく色っぽい。どこか気の強そうな雰囲気が美しさに拍車をかけ、言いようのない迫力が少女から感じられるようだった。

 彼女の両脇に立っている二人の男はどちらとも筋骨隆々の大男。見目はそれほど整っている訳ではなく美丈夫という訳でもなかったが、この世界ではそこそこ腕が立ちそうな雰囲気は漂わせている。見るからに用心棒といった風袋だ。

 突然現れた場違いにも思える三人組は、自分たちに集まる多くの視線をものともせずに堂々と店内へと足を踏み入れてきた。

 

「ここがワーカーチーム“サバト・レガロ”の拠点だと聞いたのだけれど、彼らはいるかしら?」

 

 店内中に響き渡るように少女が声を張り上げる。

 自然と彼女たちに集まっていた多くの視線がカウンター席に座るウルベルトたちに向けられ、それに気が付いた少女たちもウルベルトたちに目を向けた。ユリ、ニグンと視線が動き、ウルベルトを視界に映した瞬間に少女の目が更につり上がる。

 一気に剣呑な表情を浮かべた少女に一体何事かとウルベルトが内心で首を傾げる中、少女は二人の男を引き連れてずんずんと店内の奥へと進んできた。

 彼女の足先は言わずもがなウルベルトたちに向けられている。

 所狭しに並べられているテーブルと多くの客たちの間を縫うように歩きながら、少女は一分もかからずにウルベルトたちの元へと辿り着いた。

 ウルベルトたちもカウンター席から立ち上がって改めて少女たちに向き合う形で立つ。

 少女の敵意剥き出しの視線に内心で更に首を傾げながら、ウルベルトはなるべく相手を刺激しないように注意しながら口を開いた。

 

「我々がワーカーチーム“サバト・レガロ”です。私はリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。……我々に何か御用でしょうか?」

「わたくしはノークラン商会のゼムノ・ノークランの長女であり、帝国の闘技場の興業主(プロモーター)の一人であるソフィア・ノークランと申します。お会いできて光栄ですわ」

 

 全く光栄に思っていないことがまる分かりの顔で少女――ソフィアが刺々しい声音で言ってくる。

 彼女の言葉が本当ならば、名の知れた商人の娘で金持ちのご令嬢といったところだろうか。

 自分の嫌いな人種だと内心で顔を顰めさせながら、しかしそれを全く面には出さずウルベルトはどこまでも穏やかな表情と声音でソフィアに対応した。

 

「こちらこそ、お会いできて光栄です。しかし、あなたのような方が何故我々を探しておられたのでしょうか?」

「決まっておりますわ! わたくしはあなたに文句を言いに来ましたの!」

「それは……、一体どういうことでしょう……?」

 

 突然売られた喧嘩に、思わずこめかみにビキッと青筋が浮かぶ。しかし引き攣りそうになる顔を何とか堪えながら、ウルベルトはあくまでも穏やかに小首を傾げた。

 ユリとニグンも表情は変わらないものの――と言ってもニグンは仮面を被っているが…――不穏な空気を漂わせ始める。

 何とも言えない緊迫した空気が店内を占めて店の客たちが固唾をのむ中、今の空気に全く気が付いていないのか、少女は変わらぬ強気な姿勢でウルベルトを真っ直ぐに見上げてきた。

 

「あなた方が闘技場で参加した演目は、わたくしが用意したものです。そちらにいらっしゃるレインさんやリーリエさんの戦いは本当に素晴らしいものでした」

 

 先ほどとはうって変わり、こちらを誉める言葉が出てきたことに少しだけ虚を突かれる。

 

「それは……、ありがとうございます」

「ありがとうございます……」

「……ですが…!」

 

 ウルベルト、ユリ、ニグンはチラッと目だけで視線を交わし合うと、次にはユリとニグンが小さく頭を下げる。

 しかし少女はユリとニグンの言葉を遮るような勢いで、まるで食ってかかるようにギッとウルベルトを睨み付けた。背筋を伸ばして胸を張り、ビシッと人差し指をウルベルトへと突きつける。

 

「あなたは何ですのっ!? 誰もが命をかけて戦っていたというのに、一人だけ何もせず突っ立って! 攻めも守りも全てこの二人に任せて、戦う気がありましたの!?」

 

 まるでマシンガンのように捲し立てる少女に、そこで漸くウルベルトたちは色々な意味で納得することができた。

 恐らく彼女は自分が手掛けた演目でのウルベルトの態度がひどく気に入らなかったのだろう。

 確かに誰もが命をかけて戦っている中で一人だけのんびりと立ち尽くしていれば嫌でも目に付くし、鼻にもつくだろう。自分の仲間に全てを任せての行動ならば尚更だ。ウルベルトとしてはユリとニグンの経験値稼ぎを含め、自分が戦闘に参加するまでもないと判断したための行動だったのだが、他の者たちからすればそんな事など知り様もないだろう。

 もう少し考えてから行動した方が良かったな…と内心で反省しながら、ウルベルトは取り敢えず謝罪するべく口を開いた。

 しかしウルベルトよりも早く少女が声を張り上げる方が早かった。

 

「わたくしはレインさんとリーリエさんのことはとても高く評価しておりますわ。けれど、あなたは別です! あなたはこのお二人と同じチームの人間でいる資格はありませんわ! 即刻、“サバト・レガロ”から脱退することを命じます!」

「……………………」

 

 少女が声高に命じた瞬間、ウルベルトの顔から表情が消えた。金色の瞳にも感情の色が消え、代わりに暗い光が宿る。

 

 突然音という音が消え……――空気が死んだ。

 

 この場にいる全ての人間が本能的な恐怖に襲われ、発作のように冷や汗が身体中から滝のように噴き出てくる。まるで急に呼吸の仕方が分からなくなったようにひどく息苦しくなり、重すぎる空気が容赦なく身体の中と外を押し潰してきた。

 激し過ぎる怒気と殺気の渦にユリとニグンも顔を蒼褪めさせて身を震わせている。

 この世界では絶対者であるユリや強者となったニグンでさえも恐怖を感じてしまうのは、偏に相手が超越者であるウルベルトだからだった。

 

「……“サバト・レガロ”は私のチームです。あなたにどうこう命じられる謂れも権利もないのですがね」

 

 絶対零度の歪な笑みを浮かべて見下ろしてくるウルベルトに、少女の華奢な身体がビクッと震える。

 しかし少女は一度ゴクッと大きく喉を鳴らすと、恐怖に引き攣る唇を何とか開いてか細く震える声を絞り出した。

 

「……そ、そこまで…おっしゃる、なら……しょ、しょうめいして…くださ、い……っ!」

 

「………ほう……」

 

 怯えと死の恐怖を色濃く瞳に浮かべ、みっともないほど大きく身体を震わせながらも必死に言葉を紡ぐ少女に、ウルベルトは思わず感心の声を小さく零していた。

 両脇の用心棒のような男たちは勿論の事、食堂に何人かいる戦闘のエキスパートであるはずのワーカーたちですら恐怖に身を硬直させて声を上げるどころか息も絶え絶えになっている。だというのに、目の前の唯の少女だけが真正面からウルベルトを見つめ、か細いながらも言葉を紡いでいるという事実。

 人の上に立つ者としての意地か、精神系の“生まれながらの異能(タレント)”でも持っているのか、それともその両方か……。

 どちらにせよ、ウルベルトにとってはひどく興味深いことだった。

 

「……証明、ですか…。あなたは私に何をお望みで?」

 

 故に、ウルベルトは先ほどまでの激し過ぎる怒気と殺気を霧のように一気に霧散させた。重苦しい空気が軽くなり、張りつめたものが切れて卒倒する者が続出する。しかしやはりと言うべきか、少女は頽れそうになりながらもその場に踏みとどまると、真っ直ぐにウルベルトを見つめ返してきた。

 

「…あす、わたくしが主催する演目が、ひらかれます……。それに参加し、あなたの力をみせてほしいのです…。もちろん、さいごまで勝ちすすめれば、賞金もおしはらいし、こんかいの件についてはしゃざいさせて、いただきます……」

 

 未だ舌足らずながらも言葉を紡ぐ少女に、ウルベルトもじっと真っ直ぐ少女を見下ろす。

 暫く見定めるように見つめた後、誰もが固唾をのんで見守る中でウルベルトは徐に口を開いた。

 

「………宜しいでしょう。詳細はまた書面にでもしてこちらに届けて下さい」

「わかりましたわ…。あす、楽しみにしておりますわ」

「ええ、こちらこそ」

 

 微かに震えている指先で長いスカートの裾を摘み、令嬢らしく小さく礼をとってくる。

 ウルベルトも胡散臭いまでの爽やかな笑みを浮かべると、胸に片手を添えて小さく礼をとった。

 傍から見れば貴族同士の優雅な挨拶のワンシーンにも見えたことだろう。

 しかしこの場にいる全員は、先ほどウルベルトが恐ろしいまでの絶望感を発していたことを忘れてはおらず、二人が挨拶を終えて少女が二人の男を引き連れて店を出て行くまで息を殺して緊張に身体を強張らせ続けた。ウルベルトたちが再びカウンター席に腰を下ろしたところで、やっと息を吐き出して緊張を緩める。

 客たちの反応を背中で感じながら、ウルベルトも小さく息をついてカウンターに頬杖をついた。

 

「……あのような言葉に従って、宜しかったのですか?」

 

 珍しくユリが伺いを立ててくる。

 しかし彼女の反応も疑問も当然のものと言えた。

 少女の言葉にはどれも、ウルベルトが口にした“サバト・レガロ”に対して少女が口を出す根拠も論破も含まれておらず、ウルベルトが彼女の申し出を受ける義理も理由もありはしなかった。いつものウルベルトであれば、『知るか』の一言で切って捨てたことだろう。

 しかしウルベルトはそうはせず、少女の申し出を引き受けた。

 何か深い考えがあるのかと見つめてくるユリに、頬杖をついた状態で小首を傾げながらウルベルトはクスッと小さな笑みを浮かべた。

 

「……なに、構わないとも。確かに最初は話を聞く気にもならなかったが……、少しだけあの少女に興味がわいた」

 

 自分の怒りや殺意といった激しい感情が周りにどれほど大きな影響力を与えるか、ウルベルトは既にある程度理解していた。自分やモモンガたちのことを至高の主と崇拝してくれているNPCたちは勿論の事、この世界の住人たちに対しても、それは強烈な威圧感や恐怖となって彼らに襲い掛かる。そんな中で唯の世間知らずの小娘だと思っていた少女が真っ直ぐに立ち向かってきたのだ。怒りを通り越して面白く感じ、彼女に興味が湧いてしまった。

 

「それに、申し出を受けてメリットはあってもデメリットはない。少々目立ちすぎてしまうかもしれないが……、折角だ、奴らを驚かせてやろうじゃないか」

 

 フフッと楽しそうな笑い声を零すウルベルトに、ユリとニグンは静かに小さく頭を下げた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「………う~む……」

「……あなたがそんなに思い悩むなど珍しいですね。どうしました?」

 

 無人の静かな回廊に、二つの声が響いては消える。

 ここはバハルス帝国の帝都・アーウィンタールの中心に佇む帝城。

 見事な中庭が見下ろせる回廊で、同じデザインの漆黒の鎧を身に纏った二人の男が並ぶように立っていた。

 中庭を眺めながら唸り声のような声を上げているのは帝国四騎士の一人である“雷光”バジウッド・ペシュメル。そしてバジウッドを不思議そうに見つめている青年は、同じく帝国四騎士の一人である“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックである。

 バジウッドは鋭い双眸でチラッとニンブルを見やると、厳めしい顔を更に顰めさせて再び唸り声を上げた。

 

「………ニンブル、俺が陛下に怒られた件を覚えてるか?」

「陛下に怒られて……、あぁ、奥方と愛人の方々の護衛を騎士団にさせようとしていた件ですか? 勿論、覚えていますよ」

 

 現皇帝である若い青年が強面のバジウッドを叱りつけている珍しい光景を思い出してニンブルが小さく頷く。バジウッドも一つ頷いた後、漸く中庭から視線を外してニンブルに真正面から向き直った。

 

「陛下に怒られたんで代わりに腕利きの冒険者とワーカーに護衛を頼んだんだがなぁ……、どうやら平原でモンスターの大群に襲われたそうなんだよ」

「平原でモンスターの大群!? それは珍しいと言いますか……、大丈夫だったのですか?」

「あぁ、あいつらは無事に用事を済ませて戻ってきたさ。どうやら、モンスター共に襲われた時に通りがかった一つのワーカーチームに救われたらしい。…ただな~……」

 

 歯切れ悪く言葉を途切らせるバジウッドに、ニンブルは更に首を傾げた。

 平原にモンスターの大群が現れるなど珍しいことではあるし、それに自分の妻や愛人たちが巻き込まれたという事実は無事だったとはいえ面白いことではないだろう。しかし彼がこんなにも言いよどむ理由が分からなかった。

 

「一体どうしたというんですか?」

「……それが、その通りがかったワーカーチームってのが話を聞く限り中々強そうではあるんだが名に全く聞き覚えがなくてな……。妙に気になるんだよな~……」

 

 煮え切らず頭をわしゃわしゃと掻き毟るバジウッドに、ニンブルもそのワーカーチームとやらに興味がわいた。一体どういった者たちなのか質問し、バジウッドは妻や愛人たち、護衛依頼をした冒険者やワーカーたちから聞いた話を詳しく話してくれた。バジウッドが語る話を聞くにつれ、ニンブルは彼が何故ここまで唸っていたのか分かったような気がした。

 ワーカーチームの名は“サバト・レガロ”。

 男二人と女一人という極少人数にも関わらず、ある者はモンスターの大群を捌き、ある者は天使を召喚し、ある者は首が十二本もある立派な多頭水蛇(ヒュドラ)を魔法一発で退治してしまったらしい。神が創り上げた最高傑作かと思うほどに整った容姿を持ち、疾風のように速い漆黒の馬に跨り、高価な薬草を何の迷いもなく与える懐の深さをも持ち合わせている。

 聞けば聞くほど信じられず、眉唾なのではないかと疑ってしまうほどだ。

 しかしバジウッドの妻や愛人、冒険者やワーカーたちも一切嘘をつく理由などなく、そう考えれば全てが本当なのだろうという結論に達してしまった。

 

「……分かりました。私も気になりますし、少し調べてみましょう」

「おっ、本当か! 頼んだぜ、ニンブル!」

 

 バジウッドの表情が一気に明るくなり、ニンブルへと笑顔を向けてくる。

 ニンブルは小さく苦笑を浮かべると、彼に応えるように小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 国の要人たちに興味を持たれたことに、ウルベルトたちは未だ気が付いていない。

 

 



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第18話 死の世界

更新が遅くなってしまい、申し訳ありません!


 ナザリックでウルベルトと別れたモモンガとペロロンチーノは、モモンガが発動した〈転移門(ゲート)〉を使ってカルネ村に戻って来ていた。

 モモンガはナーベラルと合流しなくてはならないため一度別れ、ペロロンチーノは村近くの森の端に向かった。

 誰もいないか注意深く周りを見渡した後、森側へと改めて視線を向けた。

 

「…お疲れさま。何もなかった?」

 

 誰もいないはずの空間へと声をかける。

 

「はっ、不審なことは一切ございませんでした」

 

 しかしペロロンチーノの視線の先の空間が突如歪み、跪いて頭を下げている三体の異形が姿を現した。

 人間大くらいの大きさの、忍者服を着た黒い蜘蛛のような異形。ペロロンチーノがアルベドに頼んで見張りとしてンフィーレアに付けさせていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちだ。

 

「そっか、それなら良かった。あの少年はもうすぐ村を離れるから見張りはもう大丈夫だよ、ご苦労様。……あっ、ナザリックに戻ったら、マーレとアウラとコキュートスに伝言を頼めるかい? 今日は俺はモモンガさんと一緒に行動する予定だから、各自で各々仕事に励むように伝えてくれ」

「畏まりました」

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちは一様に頭を下げると、次には空気に溶けるように姿を消した。

 ペロロンチーノも一つ頷くと、首に下げているアイテムを握りしめる。

 アイテムに宿っている〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の力を発動させると、ペロロンチーノは改めて村の方へと翼を羽ばたかせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペロロンチーノたちがカルネ村を出てエ・ランテルに到着した頃には、日はすっかり暮れて薄暗い闇が世界を染め始めていた。

 大通りには〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉式街灯がぽつりぽつりと立ち並び、大通りや街の家々、大通りを歩く人々をぼんやりと照らしている。大きな街でも夜には人通りがまばらになるものだが、しかし今は多くの人々が集まり、遠巻きにモモンガたちを見つめていた。

 ペロロンチーノの〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉が解けて存在がバレた訳では決してない。

 彼らの視線は一様にモモンガが跨っている大きな獣に向けられていた。

 

『………………羞恥プレイだ………』

『まぁまぁ、あの人たちの目には格好良く見えてるみたいだから良かったじゃないですか』

 

 小さく顔を俯かせて内心で身悶えているモモンガに、ペロロンチーノが〈伝言(メッセージ)〉で慰めの声をかける。

 ペロロンチーノの言葉通り、モモンガが跨っている巨大な獣は見た目が特大ハムスターにもかかわらず、周りの人々が囁き合っている言葉は全て驚嘆や畏敬のものばかりだった。嘲笑を浮かべる者は一切いない。モモンガとペロロンチーノの感覚からすれば大いに首を傾げるものではあったが、少なくともこの世界の者たちからすればこの巨大ハムスターは立派で恐ろしい存在であるらしかった。

 

「取り敢えずは街に着きましたし、これで依頼は完了ですね」

「はい。仰るとおり、これで依頼完了です。それで……規定の報酬は既に用意してありますが、森でお約束した追加報酬をお渡ししたいので、このままお店の方まで来て頂けますか?」

 

 モモンガとペロロンチーノが内心で悶々としている中、そんな二人の様子に一切気が付かずペテルとンフィーレアが今後について話し合っていた。

 ンフィーレアの言う追加報酬というのは彼が乗っている荷馬車の荷台に多く積み込まれている数々の薬草や木の皮などの事であり、これらは森の賢王を従えたことで得られた貴重な品物たちだった。普通の者たちからすれば唯の植物で何の価値もないのだが、しかし薬師であるンフィーレアからすれば正に目が飛び出るほどの宝の山である。これらが手に入ったのは全て森の賢王を従えたモモンガのおかげだと信じて疑わないンフィーレアは、追加報酬を全員に約束してくれていた。

 

「それではモモン氏はこれから組合の方であるな!」

「…ああ、そうでしたね。街に魔獣を連れ込む関係上、組合の方に森の賢王を登録しないといけなかったんでしたね」

 

 カルネ村からエ・ランテルに戻る道すがら教えてもらった事を思い出し、モモンガが大きく頷く。

 モモンガたちは暫く今後の行動について話し合うと、モモンガとナーベラルは初めに冒険者組合に立ち寄ってからンフィーレアの店に向かい、“漆黒の剣”は一足先にンフィーレアと共に店に向かって積み荷の運搬作業を手伝ってから組合に向かうことになった。

 ペロロンチーノはどうしようか少し迷ったが、少しでも街を見て回りたいという気持ちが勝って“漆黒の剣”たちに着いて行くことにした。

 

『……じゃあ、モモンガさん。俺は彼らに着いて行っときますね』

『あっ、はい、分かりました…。……では、俺の代わりに彼らが裏切らないように監視しておいて下さい』

『あははっ、了解です!』

 

 冗談めかしく言うモモンガに、ペロロンチーノも笑い声と共に冗談っぽく了承する。

 ペロロンチーノは翼によって巻き上がる風に気をつけながら、ンフィーレアや“漆黒の剣”に続いてモモンガと別れた。

 所々にある〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉式街灯の光に照らされている道を迷いなく進むンフィーレアたちに着いて行きながら、ペロロンチーノは興味深げに周りを見回す。人通りが少なく昼間よりも活気がなくなっているとはいえ、それでもペロロンチーノにとっては十分に興味深く感じられた。

 正にゲーム内でよく見る昔ながらのレトロな街並み。

 乱雑でいて無機質な現実世界(リアル)の街と比べたら、こちらの方が数倍温かみがあり、十分に美しくペロロンチーノの目には映った。

 彼らが歩いている通りは薬屋が多いのか、植物の青臭さや薬品特有の酸っぱい様なにおいが漂ってくる。人間からすれば気にならない程度にしか感じられないのかもしれないが、感覚が鋭い鳥人(バードマン)であるペロロンチーノには少々きつく感じられる。思わず眉間に皺を寄せる中、通りで最も大きい家の前で一度ンフィーレアたちが足を止めた。

 恐らくここがンフィーレアの店なのだろう。

 彼らは家の裏手へまわると、裏口と思われる扉の前に荷馬車を止めた。ンフィーレアが鍵を取り出して裏口を開け、“漆黒の剣”のメンバーが荷台に積み込んでいる多くの籠に手をかける。

 ペロロンチーノは暫く彼らの様子を見守っていたが、徐に視線を外すと頭上の夜空へと目を向けた。

 完全に日が暮れて暗闇に覆われた街中を見やり、再びチラッとンフィーレアたちを見やる。

 少しだけなら大丈夫かな…と自分自身に言い聞かせ、ペロロンチーノはフワッと宙へと舞い上がった。

 地上から20メートルほどの高さで停止すると、探索用の特殊技術(スキル)を発動してから首にかけていたネックレスを取って大きく息をついた。

 唯の気分の問題なのかもしれないが、自然体でいる時と〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉をしている時とでは解放感が違うように感じられる。今も自然体に戻ったことで息苦しさが取れたような気がした。トブの大森林やカルネ村とはまた少し違う風を全身で感じながら、ペロロンチーノは肺一杯に新鮮な空気を吸い込んだ。一度呼吸を止め、一気に勢いよく吐き出す。身体の中が洗われたような清々しい気分になり、思わず小さな笑みを浮かべる。

 しかし街の景色を眺めるにつれてモモンガやウルベルトが羨ましくなっていき、次にはむぅ……と小さく表情を曇らせて唸り声を上げた。ユグドラシルの時のようにモモンガやウルベルトと共に冒険が出来たらどんなに楽しいことだろう、と夢想する。

 思わず無念のため息をつく中、不意にペロロンチーノの感覚に何かが引っ掛かったのを感じ取った。

 一体なんだ?と引っ掛かった方向を見下ろす。

 ちょうど複数の怪しい人影がンフィーレアたちの家に入って行くのが見え、ペロロンチーノは小さく目を細めさせた。

 人影の動きや大きさからしてモモンガとナーベラルではないだろうし、こんな時間に客が来るとも思えない。第一、店は閉まっているはずだ。泥棒だろうか?と思うものの、冒険者である“漆黒の剣”もいるため自分は何もしなくても大丈夫だろうと判断する。

 しかし暫くして音を遮断する魔法の発動を感知して、ペロロンチーノは大きく目を見開かせた。加えて漂ってきた香りに、無意識に全身の羽毛をぶわっと膨らませる。

 バードマンとしての鋭敏な嗅覚が捉えたのは、複数の濃厚な血の香り。

 一気に最悪の予感に襲われたペロロンチーノは、咄嗟に翼を羽ばたかせてンフィーレアたちがいる裏口へと舞い降りながらアイテムボックスから短剣を取り出した。

 一度裏口の上にしがみ付くように舞い降り、そのままぶら下がるような形で家の中を覗き込む。

 多くの薬の材料が所せましに並べられた、雑多でいて狭い室内。床に倒れている見覚えのある三人の男。見覚えのない禿げ頭のアンデッドのような不気味な老人に羽交い絞めにされているンフィーレア。そして…、傷だらけになって床に座り込んでいる“漆黒の剣”のメンバーの男装の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるニニャに手をかけようとしている見覚えのない女。

 思わず怒気と殺気が溢れだす瞬間、女と老人とンフィーレアの視線がペロロンチーノとかち合った。

 三人の目が大きく見開かれ、驚愕と本能的な恐怖の色を宿らせる。

 

 

「…逃げろっ!!」

 

 誰もが石のように凍り付く中、不意に老人が弾かれたように声を上げた。

 女はそれに反応したように素早くニニャから離れると、次には勢いよくペロロンチーノとは正反対の方向へと駆け出す。老人もンフィーレアを捕えたまま女の後に続く。

 ペロロンチーノは咄嗟に追いかけようとしたが、視界にニニャの姿が映り思わず動きを止めた。

 一瞬二の足を踏み、しかし踵を返して裏口から外へと飛び出す。一気に上空へと飛び立つと、眼下の街並みへと視線を走らせた。

 夜の闇など一切障害にはならないバードマンの目は、すぐに先ほどの人影を捉える。

 ペロロンチーノは鋭く目を細めさせると特殊技術(スキル)〈誘導指標〉を発動させてンフィーレアに狙いを定めた。本来〈誘導指標〉は狙撃用特殊技術(スキル)なのだが、使い方によっては対象の追跡にも応用できる特殊技術(スキル)である。

 ンフィーレアをターゲティングすると彼との繋がりが生まれ、ペロロンチーノは一先ず安堵の息をついてからニニャの元へと戻ることにした。

 未だ床に座り込んだまま気を失っているニニャを横たわらせ、アイテムボックスからポーションを取り出す。飲ませることはできないため酷い傷を中心に振りかけてやりながら、ペロロンチーノはモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 

『…どうしました、ペロロンチーノさん?』

 

 すぐにモモンガから応答があり、ペロロンチーノは無意識に強張っていた身体から力を抜いた。

 

『……モモンガさん、先ほどンフィーレアの店が襲撃を受けました。“漆黒の剣”のメンバーはニニャちゃん以外が殺され、ンフィーレアが連れ去られました。ニニャちゃんも重症です』

『はっ!? ……いや、えっ、マジですか!?』

『マジです。一応ンフィーレアにはターゲティングしておいたので見失うことはないと思いますけど……、モモンガさんはまだ組合ですか?』

『いえ…、偶然出会ったンフィーレアの祖母と一緒にそちらに向かっていますが……』

『……分かりました。とりあえず俺はンフィーレアを追います。ニニャちゃんは置いていくので、こっちに着いたら保護してあげて下さい』

『分かりました。ンフィーレアの居場所が分かったらすぐに知らせて下さい。くれぐれも気を付けて…!』

『了解です!』

 

 ペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、空になったポーションの瓶をアイテムボックスに戻して立ち上がった。ネックレスをかけて〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を発動させると、再び裏口から外へと出る。

 一度遥か上空へと飛び上がると、ターゲティングに沿って翼を羽ばたかせた。

 念のため眼下に広がる街並みの道や建物の影を注意深く見やりながら空を駆ける。

 しかし不審な人影はまったく見つからず、最終的に到着したのはエ・ランテルの西側地区の大半を使った巨大な共同墓地だった。

 夜の闇に不気味に静まり返る様を見下ろしながら、何故こんなところに…と首を傾げる。

 しかし闇の中から微かな音を聞いたような気がして、ペロロンチーノはそちらへと目を向けた。闇がざわざわと蠢き、無意識に息を殺して凝視する。

 未だ遥か遠くの闇の中から姿を現した“それら”にペロロンチーノは思わず大きく息を呑んだ。

 ペロロンチーノの目に飛び込んできたのはアンデッドの骸骨(スケルトン)

 しかしその数が尋常ではなかった。

 100…いや、1000は超えているだろう。

 スケルトンだけではなく、動死体(ゾンビ)食屍鬼(グール)腐肉漁り(ガスト)などの姿もある。

 薄汚れた墓地の地面を全て覆い隠さんばかりに続々と現れるアンデッドの大群。

 ターゲティングはアンデッドたちが現れる先に繋がっており、どう考えても無関係とは思えなかった。

 ペロロンチーノは街へと一直線に向かっているアンデッドの大群を見下ろしながら、再びモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

『モモンガさん、居場所が分かりましたよ』

『ご苦労様です、ペロロンチーノさん。それで、どこでした?』

『墓地ですよ。それもアンデッドの大群のおまけつきです』

『アンデッド……。なるほど、なるほど…。ンフィーレアを攫った連中の仕業でしょうね』

『あれ、何かあったんですか?』

『殺された“漆黒の剣”のメンバーがゾンビになって襲ってきました。どうやらアンデッドに深い関わりのある人物なのかもしれませんね』

『えっ!? ニニャちゃんは!?』

『彼女は無事ですから安心して下さい』

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノは思わず安堵の息をついた。

 折角助けたのにゾンビになってしまったら悲し過ぎる…。

 ペロロンチーノは気を取り直すと、今後について思考を巡らせた。

 

『それで、これからどうします?』

『ンフィーレアの祖母から彼の救出依頼を受けました。俺たちもそちらに向かいます』

『了解です。じゃあ、ここで待っていますね』

 

 〈伝言(メッセージ)〉を切りながら、ペロロンチーノはモモンガの狙いに思い至って小さな笑い声を零した。

 足元の地上では既にアンデッドの大群の発生に街が騒がしくなり始めている。ここでアンデッドを撃退し人命救助に成功すれば、一気にモモンガたちの名声は高まり、評判も上がるだろう。

 流石は俺たちのギルマスだ、と胸の羽毛を誇らしげに膨らませる。

 その時、不意に大きな影に気が付いて、そちらに目を向けた。

 

「………おっと、アレはヤバくないか…?」

 

 ペロロンチーノの視線の先にあったのは無数の死体の集合体である巨人、集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)

 四メートル以上もある巨体が街と墓地の間に存在する高く分厚い壁へと襲い掛かる。

 ペロロンチーノが咄嗟にアイテムボックスからゲイ・ボウを取り出す中、しかし街の方向から突然何か長いものが勢いよく巨人へと突っ込んでいった。

 謎の長いものは深くネクロスオーム・ジャイアントの額に突き刺さると、巨人はそのまま後ろに倒れていく。

 一体何事かと目を凝らせば、見慣れた姿が墓地に入ってきたのが見えて思わず笑みを浮かばせた。

 全く派手な登場だ…と大立ち回りを始める人物の元へと飛んでいく。

 周りにアンデッド以外誰もいないことを確認して口を開いた。

 

「まさかネクロスオーム・ジャイアントにグレートソードを投擲するとは思いませんでしたよ、モモンガさん」

「……ペロロンチーノさんですか…」

 

 両手にそれぞれ持っていた二振りのグレートソードで群がってくるアンデッドたちを蹴散らしながらモモンガが宙へと視線を向ける。

 ペロロンチーノは自身の羽根を一枚抜き取ると、無造作に宙へと放り投げた。ペロロンチーノの手を離れたことで放り投げられた羽根は〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の影響から外れ、誰もの視界に映り込む。

 モモンガは柔らかな笑い声を零し、ナーベラルは何故か空を飛んでいる状態で全身を使って巨大ハムスターを抱え上げながら律儀に頭を下げてきた。

 

「ナーベラル、大変そうだな。俺が代わろうか?」

「いえ! とんでもございません! ペロロンチーノ様の御手を煩わせるわけには参りません!!」

 

 傍から見れば相当無理をしているような状態でも、ナーベラルはきっぱりと断りの言葉を口にして再び頭を下げてくる。

 ペロロンチーノは小さく苦笑を浮かべると次にはモモンガへと視線を移した。

 

「何だったら俺のネックレスを貸しましょうか?」

「いや、問題ありませんよ。ペロロンチーノさんの姿を誰かに見られるわけにはいきませんし、あの形であればアンデッドどもを誘き寄せられますしね」

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノも納得して一つ頷いた。

 アンデッドは“生命”に対する感知が鋭く、我先にと襲い掛かってくる。同じアンデッドであるモモンガには反応しなくても、森の賢王である魔獣には過敏に反応して集まってくるのだ。

 少々鬱陶しいのは否めないが、他の冒険者や衛兵たちに手柄を横取りされる心配もなくなる。

 

「しかし…これではいつまで経っても先に進めんな」

 

 多くのアンデッドたちに群がられ過ぎて、モモンガが少々うんざりしたような声を零す。

 

「では、ナザリックより軍を呼びましょう。数十もいれば瞬き程度の時間で、この墓地よりモモンガ様に逆らう全ての存在が抹消されるでしょう」

 

 すぐさま反応してそんなことを言ってくるナーベラルに、流石のペロロンチーノも少し呆れる。

 モモンガは襲い掛かってくるアンデッドを手際よく捌きながら大きなため息をついた。

 

「………馬鹿を言うな。何度も言っているだろう? この街に来た理由を」

「しかし、モモンガ様。名声を稼ぐつもりであるならば、アンデッドが門を破り、多くの人間に被害が出るまで待っていても良かったのではないでしょうか?」

「その辺りは検討済みだ。相手の狙い、この街の戦力。そういった諸々を熟知していればそういった策も打てただろう。しかし情報の乏しい現状ではこれ以上後手に回るのは避けたい。向こうの目的通り進むというのも不快だからな。それに眺めていては、横から別のチームに功績を全て奪われるという可能性もあるからな」

「なるほど……。お見事です、モモンガ様。全てにおいて考慮済みとは、流石は至高の御方。改めて感服いたしました。ところで……未だ愚かな我が身に教えて頂きたいのですが、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウデーモン)などの隠密能力に長けたシモベを送り込み、大きな変化が生じるまで高みの見物をされていた方が、最高のタイミングを掴めたのではないでしょうか?」

「……………………」

 

 モモンガが黙り込み、その動きもピタッと止まる。

 どこか気まずいような雰囲気が漂い始める中、ペロロンチーノはモモンガが内心で大いに焦っていることに気が付いた。

 恐らくナーベラルが指摘した点については考慮していなかったのだろう。

 不思議そうにモモンガを見やるナーベラルを確認し、ペロロンチーノは助け舟を出すことにした。

 

「簡単なことだよ、ナーベラル。衛兵や冒険者といった守護を担う存在は、単純な強さだけでなく、如何に早く危機を察知し迅速に動けるかも求められる。今回モモンガさんたちは誰よりも速く現場に駆け付け、衛兵たちの危機を救った。これは事件解決後に大きな評価に繋がるはずだ」

「なるほど! 納得いたしました! 愚かな我が身を恥ずかしく思うばかりです」

 

 ナーベラルがキラキラと目を輝かせながらペロロンチーノがいるであろう宙を見つめている。モモンガからも〈伝言(メッセージ)〉で礼を言われ、ペロロンチーノは少しくすぐったい様な気分にさせられた。誤魔化すように一度ゴホンっと咳払いし、気を取り直してゲイ・ボウを構える。

 前で大剣を振るって敵を蹴散らしているモモンガの後方上空でサポートに徹し、加えて遥か遠方の敵にも攻撃して数を減らしていく。二人一緒に戦うさまはまさに息がぴったりで、見事の一言に尽きた。モモンガに至っては本来とは違う戦士という前衛の役割を担っての戦闘だというのに、二人はまるで何年もそうやって戦ってきたかのように見事なチームワークで敵を殲滅していく。

 どこまでも続く広大な墓地と、途切れることのないアンデッドの波。

 しかしモモンガたちは一切ものともせず、ペロロンチーノの案内で奥へ奥へと進んでいった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの墓地にある霊廟で苦々しげに顔を顰めさせていた。

 ンフィーレアを攫った時のことが頭から離れない。

 若い魔法詠唱者(マジックキャスター)との“お楽しみ”が途中でなくなってしまって悔しいのでは決してない。確かに不完全燃焼ではあるが、そんな事ではないのだ。

 彼女の頭を占めていたのは、一つの異形の姿。

 夜の闇を覗かせる裏口からこちらを見つめていた鳥頭。

 目が合ったと思った瞬間、本能的な恐怖が湧き上がってきて支配された。カジットが声を上げてくれなければ、もしかしたら自分は今もあの場で立ち尽くしていたかもしれない。

 それが無性に腹立たしく、自分に対して殺意にも似た怒りを感じずにはいられなかった。

 

 異形種ごときに……、畜生ごときに、このクレマンティーヌ様が恐怖を感じただなんて……っ!!

 

 大きな屈辱が身体中を駆け巡り、怒りと殺意に変わって腸が煮えくり返る。

 いっそのこと今からでもあの鳥頭を探し出して滅茶苦茶に切り刻んでやろうか……と目をギラつかせる中、不意にこちらに近づいてくる気配に気が付いた。

 カジットでも、その弟子でもない。敵だと分かった瞬間、無意識にニンマリと口が三日月型に歪んでいた。

 誰かは知らないが、ちょうど良い。このどうしようもない感情の捌け口となってもらおう……。

 クレマンティーヌは爛々と目をギラつかせながら、ゆっくりと気配の元へと足を踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 墓地の最奥にある霊廟の前にいたのは、簡単に言ってしまえば怪しい集団だった。

 黒いローブと三角頭巾を目深に被った男たちと、彼らの中心に佇むスキンヘッドのアンデッドのような不気味な老人。

 ローブの男たちは兎も角、老人の方は見覚えがありペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉でそのことをモモンガへと伝えた。

 怪しい呪文を詠唱していた怪しい集団はモモンガたちに気がつき、警戒するように見つめてくる。

 ローブの一人が小声で老人のことを“カジット”と呼び、モモンガが軽い口調でカジットへと声をかけた。

 

「やぁ、良い夜だな。つまらない儀式をするには勿体なくないか?」

「ふん……儀式に適した夜か否かは儂が決めるのよ。それより、おぬしは一体何者だ。どうやってあのアンデッドの群れを突破してきた」

 

 挑発し合い、探りを入れ合いながら会話するモモンガとカジット。

 二人の会話を意識の端で聞きながら、ペロロンチーノは彼らの奥にある霊廟の入り口の闇をじっと見つめていた。

 

「――……ではないだろう? 刺突武器を持った奴もいる筈だが……伏せておくつもりということか? それとも私たちが怖くて隠れているのか?」

「ふふーん、あの死体を調べたんだー。やるねー」

 

 モモンガの言葉に反応して、ペロロンチーノが凝視している闇の奥から一人の女が姿を現す。

 紅色の垂れ目に、金色のボブヘアー。

 どこかふざけたような甘ったるい口調で話す女に、ペロロンチーノは小さく目を細めさせた。

 見間違えるはずがない、ニニャに手を出していたあの女だ。

 〈伝言(メッセージ)〉でモモンガにそのことを伝えると、どうやらモモンガは一気にやる気になったようだった。

 女の相手はモモンガが、ローブの男たちを含む老人の相手をナーベラルが務めることになる。

その間にンフィーレアを回収するように〈伝言(メッセージ)〉で頼まれたペロロンチーノは、仕方がないか…と内心でため息をつきながらも気づかれないように男たちやクレマンティーヌの横を通り抜けて霊廟の中へと足を踏み入れた。

 薄暗い空間を難なく歩き、目的の存在へと歩み寄る。

 目の前で棒立ちになっている少年を見やり、ペロロンチーノは思わず小さな声を上げた。

 

「………うわー、ないわー…」

 

 ペロロンチーノの前に立っているのは目的の人物であるンフィーレア・バレアレで間違いない。しかし今の少年の格好が問題だった。

 全裸に纏った、変に透け透けの衣服。頭には蜘蛛の巣のようなサークレットが掛けられており、瞼の上に深く刻まれた傷から涙のように血が滴っている。

 少年の異様な姿に、ペロロンチーノは正直に言ってドン引きであった。

 何が楽しくて男の透け透けヌードを拝まなくてはならないのか。それにサークレットとは本来可愛い女の子を飾るものであって、間違っても男の頭を飾るものではない。

 可愛い美少女をこよなく愛するペロロンチーノにとって、今のンフィーレアの格好は理解の範囲を超えており、意味が全く分からないものだった。

 

 もうここに放置したいな……。

 

 ペロロンチーノのやる気のパラメーターが一気に急降下していく。

 しかしペロロンチーノは一度大きくため息を零すと、気を取り直して改めてンフィーレアへと目を向けた。

 瞼の傷の具合から、恐らく眼球まで切り裂かれており失明は確実だろう。しかしそれにしては大人しく棒立ちで立っており不自然極まりない。

 どうやら精神支配を受けているようだとあたりをつけるも、しかしそれが魔法によるものなのかアイテムによるものなのかはペロロンチーノには判断することができなかった。ンフィーレアが身に着けている衣服やサークレットを調べようにも、ペロロンチーノは〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使えず、下手に手を出すわけにもいかない。

 

「……モモンガさんを待つしかないか…」

 

 ペロロンチーノはもう一度ため息をつくと、戦闘の様子を見て来ようとンフィーレアを残して踵を返した。霊廟の入り口まで戻り、そこで周りを見回す。

 どうやらモモンガもナーベラルも未だ戦っているようで、至る所で戦闘音が聞こえてくる。

 ペロロンチーノは霊廟の前で倒れているローブの男たちの元まで歩み寄ると、何か目ぼしいものはないかと身ぐるみを荒らし始めた。何か貴重なアイテムを持っていないかはもとより、こんな騒動を起こした原因が見つからないか手際よく手を動かしていく。

 考えてみればおかしな話なのだ。

 アンデッドの大群を発生させて街を襲わせるなど、一体何の得があると言うのか……。

 殺戮が大好きな変質者である可能性もなくはないのだが、それならばこんな集団となっているのは違和感に感じられた。変質者の集団だという可能性は考えたくもない。一番考えられるのは国家や世界に対して何らかの思想を持っているテロリスト集団。仮にそうだとすれば、何かしらの印を持っているはずだ。

 しかし彼らの共通するものと言えばローブと三角頭巾と木製のスタッフの先端に刻まれた不思議な紋様くらいしか見つからず、他に目ぼしいものは一切見つけられなかった。

 これはあの老人や女を捕まえた方が良いかもしれない…と小さく顔を顰めさせた、その時……――

 突如夜の闇が青白い光に塗り潰され、ペロロンチーノは驚愕の表情と共に光の方向へと振り返った。ペロロンチーノの視線の先では二つの大きな青白い稲妻が空を切り裂いており、思わず呆然とそれを見つめる。

 

「……〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉…。……えっ、ていうか第七位階魔法じゃん…!」

 

 確か外の世界に接触するナザリックのメンバーは、ウルベルト以外の全員が第三位階までの魔法しか使用してはいけないと義務付けられていた筈だ。

 自分たちの命令を絶対とするナーベラルがそれを勝手に破るはずがなく、となればモモンガが許可したということで……。

 

「……あー、これ絶対にあの二人とも死んでるじゃん…」

 

 ペロロンチーノはがっくりと肩を落とすと、大きなため息を吐き出した。自分の行動の遅さに辟易し、それと同時に“モモンガさん、実は結構頭にきてたんだな~…”と遠い目になる。

 どうしたものかと足元の死体を見下ろす中、背後から聞こえてきた足音に気が付いてそちらを振り返った。

 人間の戦士モモンではなく死の支配者(オーバーロード)の姿をしているモモンガを見やり、小さな苦笑を浮かばせながらネックレスを外してペロロンチーノも姿を現した。

 

「お疲れ様です、モモンガさん」

「いえ、なかなかに良い勉強になりましたよ。ところで、ンフィーレアは回収できましたか?」

「…えっと、それが……どうやら精神支配を受けているようなんですけど、俺には原因がよく分からなくて……。モモンガさんに見てもらおうと思って待ってたんですよ」

「精神支配、ですか……。…分かりました、少し見てみましょう。ペロロンチーノさんはナーベラルと一緒に持ち物の回収作業をお願いします」

「了解です」

 

 モモンガとペロロンチーノは互いに頷き合うと、モモンガは霊廟の中へと入って行き、ペロロンチーノはナーベラルと森の賢王と合流して回収作業に入った。

 と言ってもローブの男たちに関しては既にペロロンチーノが身ぐるみを剥いでいたため、何もすることはない。後は老人と女についてだが、この二人に関してはペロロンチーノは死体ごとナザリックに回収することにしていた。

 事件の首謀者としてはローブの男たちを差し出せば済むし、この二人に関してはペロロンチーノの姿だけでなくモモンガやナーベラルの本当の姿も目にしているのだ。この世界にも蘇生魔法が存在することは既にニグンから聞かされており、この二人の死体を無暗に手放すわけにはいかなかった。

 恐縮するナーベラルを何とか諌め、取り敢えず右腕に老人、左腕に女の死体をそれぞれ担ぎ上げる。

 

「こちらは終わりましたよ、ペロロンチーノさん。……て、その死体どうするんですか?」

 

 霊廟からンフィーレアを抱えて戻ってきたモモンガが、ペロロンチーノの腕に担がれた二つの死体を見つめて訝し気な声を上げる。

 

「蘇生魔法がこの世界にもある以上、この二つは誰かに渡すわけにはいかないでしょう? 首謀者の死体はあのローブたちで事足りますし、取り敢えず俺の方でナザリックに送っておきます」

「そう…ですね……。よろしくお願いします」

 

 モモンガは一瞬動きを止めた後、ぎこちない動きで一つ小さく頷いた。

 モモンガらしくない様子に小首を傾げながら、ペロロンチーノも取り敢えず頷きを返しておく。ネックレスを再びつけて〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を発動させると、モモンガとナーベラルと森の賢王の上空へと舞い上がった。

 

「……さ、さて、…ではンフィーレアも回収したことだし――…凱旋だ!」

 

 バサッと深紅のマントを大袈裟にはためかせてモモンガが堂々と歩きだす。

 その後にナーベラルと森の賢王も続き、まさに英雄の行進のような光景にペロロンチーノは小さな笑みを浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、そうだ! ンフィーレアにも俺の姿を見られちゃったんで、後で記憶操作をお願いします」

「はっ!?」

 

 重苦しい墓地の静寂に、モモンガの間の抜けた声が響いて消えていった。

 

 




*今回のペロロンチーノ様捏造ポイント
・〈誘導指標〉;
対象をターゲティングする狙撃用スキル。このスキルを行った後狙撃すると、対象は回避することができなくなる。狙撃だけでなく追跡としても使える。


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第19話 新たな牙

今回は予想以上に長くなってしまったので、一度ここまででUPします。


「お見事です、ウルベルト様!」

 

 ナザリック地下大墳墓の第六階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)に感嘆に満ちた高い声が響く。

 広大な場内の中心に複数の人影が立っていた。

 影の数は全部で五つ。

 一人はナザリックの守護者統括アルベド。

 一人は蛇のような長い尾と燃え上がる翼が特徴的な巨大な悪魔、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

 一人は烏頭のボンテージファッションに身を包んだ女悪魔、嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 一人は人間種の美丈夫の姿に蝙蝠の翼と二本の角を生やした悪魔、強欲の魔将(イビルロード・グリード)

 そして最後に人間種の男……の姿をしたウルベルト・アレイン・オードル。

 普段この階層にいることのない悪魔たちが何故ここにいるのかというと、それは偏にウルベルトのお願い(・・・)を聞き届けるためだった。

 

「……う~ん、私的にはまだまだだと思うのですがねぇ……、少しはマシになったのかな? これもお前たちのおかげだね」

「とんでもございません! 全てはウルベルト様の御力でございます!」

「流石はウルベルト様。純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)でいらっしゃるというのに、もうここまで腕を上げられるとは……改めて感服いたしました!」

「まさに! 流石は至高の御方と言う他ありません!」

「素敵です、ウルベルト様! 惚れ惚れしてしまいます!!」

 

 三魔将に加えてアルベドも口々に称賛の言葉をかけてくる。彼女たちが本心から言ってくれていることが分かるだけに、ウルベルトは気恥ずかしさを感じて思わず目を伏せて手に持つ短剣を眺めた。

 彼らがここで何をしているのかというと、簡単に言ってしまえばウルベルトの鍛錬だった。それも魔法の鍛錬ではなく、剣術や武術といったあまりにもウルベルトには似つかわしくない戦闘スタイルでの鍛錬である。今までのウルベルトであれば死んでも手を出さなかった分野であろう。

 では何故今こんなことになっているのかといえば、現在モモンガが扮している戦士モモンの存在とこの世界でいかに力をつけていくかという課題への答えだった。

 今現在この世界で自分たちのレベルを更に上げる方法は見つかってはいない。そんな中で自分たちが優位に立ち、生きていくためにはどうしたらいいのか……。

 モモンガ、ウルベルト、ペロロンチーノの三人はあれこれ話し合い、最終的に目を付けたのがユグドラシルで自分たちが今まで行ってきた戦法そのものだった。

 100レベルのプレイヤーが当たり前のように溢れていたユグドラシルにおいて自分たちが行ってきた戦法は、今の自分たちにとっても最も合理的であり、かつ有益に思えた。

 つまり、如何に相手よりも品質と能力のあるアイテムを所持できるか。

 如何に相手よりも多くの手札を持っているか。

 如何に相手よりも情報を収拾でき、偽りの情報を掴ませることができるか。

 他にも幾つか細かいことはあれど、大まかにいえばこの三つが大きなポイントになってくる。

 ウルベルトの今回の取り組みは、まさにこの世界を生き残るための方法の一つだった。

 ニグンの話によると、この世界でも通常純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)はあまり動くこと自体が得意ではなく、戦士のように動くことなどあり得ないらしい。ならば逆に言えば、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるにも関わらず戦士と同じだけの前衛としての能力を持つことができれば、それだけでも大きな手札に成り得るということだ。

 幸いなことにこの世界はゲームであるユグドラシルとは違い、戦士としての特殊技術(スキル)は習得できずとも知識や経験を積むことはできるため、ある程度それを反映させることもできることを既にモモンガが実証してくれている。100レベルの戦士に比べればお粗末なものになることは否めないが、それでもこの世界のレベル相手であればそれなりに通用はするだろう。

 しかし何事も油断は禁物だ。

 そう考えたからこそ、ウルベルトはこの四人に師事を頼んだのだった。

 

 

 

『ウルベルト様、そろそろお時間です』

 

 不意に〈伝言(メッセージ)〉が繋がり、頭の中でユリの涼やかな声が響いてくる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせながら短くそれに答えると、〈伝言(メッセージ)〉を切ってアルベドたちへと目を向けた。

 

「今回は突然声をかけてしまって、すまなかったね。だが、おかげで助かったぞ」

「とんでもございません! ウルベルト様のお役に立てることこそが望外の喜びでございます!」

「我らは至高の御方々の忠実なるシモベ。お気遣いいただく必要などございません!」

「どうか御用の際はいつでもお声がけ下さいませ。即座に馳せ参じます」

「いと尊き至高の御方様。我らの全ては御方々のためにあるのです」

 

 アルベドの言葉を皮切りに、三魔将も次々と言葉を紡いでは跪いて深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かばせると、手振りで彼女たちを立ち上がらせた。改めて礼と出かける旨を伝え、持っていた短剣も腰のベルトへと収める。

 三魔将は再び跪いて頭を下げ、アルベドは見送りをするつもりなのだろうウルベルトの傍に歩み寄ってきた。

 ウルベルトはフッと小さな笑みを浮かべると、三魔将に改めて一言声をかけてからアルベドへと手を伸ばした。彼女の手をそっと握り、指輪の力を発動させる。

 第六階層の景色が一変し、次にウルベルトとアルベドが立っていたのはナザリック地下大墳墓の霊廟の中だった。

 うっとりと頬を染めているアルベドには気づかずに、ウルベルトは彼女の手を離してから自分の指からリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを外す。

 

「では行ってくる。アルベド、ナザリックをよろしく頼んだよ」

「はい、このアルベドにお任せ下さい! 行ってらっしゃいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 一生懸命に答える様が可愛らしく見えて笑みを誘う。

 ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべながらリングをアルベドへと預けると、〈転移門(ゲート)〉を出現させて闇の中へと身を沈ませた。

 

 

 

 

 

 霊廟の景色が暗闇に染まり、すぐに明るい空間へと視界が開ける。

 次に視界に映ったのはバハルス帝国にある“歌う林檎亭”で借りた部屋の景色であり、部屋の中央に佇むユリの姿だった。

 ウルベルトは闇の扉から完全に抜け出すと、恭しく頭を下げてくるユリに向けて手振りで顔を上げるように促した。

 

「ご苦労だったね、ユリ。……それで、ニグンはどうした?」

「収集した情報の最終確認に向かっております。少々時間がかかっており、闘技場で合流すると先ほど知らせが入りました」

「なるほど。では我々も行くとしようか」

 

 ユリからの報告にウルベルトは一つ頷くと、彼女を伴ってさっさと部屋を後にした。

 階段を下り、食堂を通って外へと出る。

 階段を下りた瞬間から自分たちに集まる多くの視線。いつもの事だと既に諦めたとはいえ、やはり少々鬱陶しい。

 ウルベルトは極力気にしないようにしながら、黙々と道を突き進んでいった。

 人の波をかき分ける間もなく人々が道を開けてくれる。

 この世界ではまだまだ珍しい石畳を歩きながら、ウルベルトは昨日の昼頃から今日まで集めさせた情報をユリに報告させていた。

 そもそも何故こんなことをしているのかといえば、全ては昨日売られた喧嘩が原因だった。

 ウルベルトの力を見せてほしいと喧嘩を売ってきた闘技場の興業主(プロモーター)の一人であるソフィア・ノークラン嬢。彼女から詳細の資料が“歌う林檎亭”に届けられたのが昨日の昼頃。資料に目を通して内容を確認したウルベルトは、自身はナザリックに戻って鍛錬を積み、その間にユリとニグンと影の悪魔(シャドウデーモン)たちにできる限りの情報を集めてくるように命じたのだった。

 資料に書かれていたのは一つの闘技場の演目とルール。

 前回ウルベルトたちが参加した演目は多数対多数のモンスターとの戦闘だったが、今回の演目は一チーム対一チームの人間とのトーナメント戦だった。生死は問わず、唯ひたすら勝ち進んでいき、最後まで勝ち進んだ者のみが前回の優勝者と戦う権利を得る。書類にはウルベルトたち以外の参加者の名前も書いてあり、ウルベルトは自分たち以外の参加者についてできるだけ情報を集めてくるように命じたのだ。加えて、一応念のため今の自分たちの街での評判や評価、噂なども集めさせる。

 一日もない短時間の中、集まる情報は微々たるものだ。

 しかしそれでもユリの報告によると前回の優勝者を含めた参加者全員がレベル30にも満たないらしく、『人化』している今のウルベルトでも十分余裕で対処できると分かった。逆にやり過ぎて殺さないようにする方がよっぽど難しいかもしれない。

 さて、どうやって戦うか……と考え込む中、目的の場所が視界に飛び込んできてウルベルトは一時思考を脇へと追いやった。

 今日も多くの人々で賑わう闘技場の出入り口。

 しかし一か所不自然に人だかりが避けている空間があり、その中心には見慣れたモノクロの男が一人ぽつんと佇んでいた。

 思わず苦笑を浮かべるウルベルトに、まるでそれが聞こえたかのように男が仮面に覆われた顔をこちらへと向けてくる。

 男はすぐさま爪先をウルベルトへと向けると、そのまま一直線にこちらへと歩み寄ってきた。

 

「…ウル……ごほんっ、レオナールさん、お待ちしておりました」

 

 ワザとらしく咳払いした後、すぐさま言い直して頭を下げるニグンに思わず苦笑が深まる。しかしウルベルトはすぐさま表情を引き締めさせると、鷹揚に頷いて手振りで頭を上げさせた。

 

「情報の確認はとれたか?」

「はい、やはり間違いないようです。脅威となる者はおらず、注意すべきマジック・アイテムも持っていないようでした。尤も、前回の優勝者は中々の強者と名高い人物ではあるようですが……」

「だがそれも、あのリ・エスティーゼ王国の戦士長と同等と言われる程度なのだろう? 危険なマジック・アイテムも確認されていないのであれば、問題ないと思うのだがね。……とはいえ、油断しすぎては怒られてしまうか。何かあれば援護を頼むぞ」

「「はっ」」

 

 小声で声を掛ければ、ニグンだけでなくユリもほぼ同時に頭を下げる。

 ウルベルトは一つ頷いてそれに応えると、二人を引き連れて闘技場の中へと入って行った。

 前回と同じようにごった返していながらもウルベルトたちが近づけば左右に割かれる人の波。自然とできる道を歩きながら、ウルベルトたちは真っ直ぐに受付へと向かった。前回とは違う受付の女性にソフィアからの書類を手渡し、すぐに待合室へと案内される。

 到着したのは二人部屋ほどの小さな個室。

 中にはテーブルが一つと質素な椅子が六脚。テーブルの上には水差しと複数のコップが寄り添うように置かれている。

 ウルベルトは近くの椅子に腰を下ろすと、目の前に座るユリとニグンに改めて目を向けた。

 

「さて…。それで、我々についてはどうだった?」

「はい。我々について…というよりかは、今回の騒動に関する噂は予想以上に広く広まっていました。どうやらノークラン嬢の関係者が街中に振れ回っているようです」

「ほう、我らが興業主(プロモーター)殿はなかなかに良い仕事をするじゃないか。よほどこの演目に自信があるのか、……我々を晒し者にでもするつもりなのかな?」

「いえ、どうやらノークラン嬢は今回の演目に参加する前回の優勝者がお気に入りらしく、彼が出る演目は毎度盛り上げるために必ず振れを街中に出すそうです。……まぁ、自信があることには変わりないとは思われますが…」

「なるほど……」

 

 先日見たソフィア・ノークランの姿や今回の演目の詳細を再び思い出してウルベルトは小さく目を細めさせた。

 今回の演目はトーナメント戦であり、最終戦までに最高3戦する必要がある。本当に朝から晩まで続く一日中の最長演目であり、注目度の高い演目の一つだ。何より、この演目には他の演目にはないえげつない(・・・・・)特徴があった。

 それは最終戦まで上り詰めたチームが前回の優勝者チームに挑めるという部分。

 この文面だけでも分かるように、前回の優勝者チームは挑戦者を迎え撃つ形となっている。つまり、今まで連戦を重ねてきたチームが、まだ一戦もしていない万全のチームに挑まなくてはならないのだ。これだけでも、挑戦者にとってどれだけリスクとハンデがあるか分かるだろう。

 ならば何故こんな演目が定期的に行われているのかというと、挑戦者にとっても少なからずメリットがあるからに他ならない。

 一つは賞金が高額であること。

 優勝賞金の金額は普通の演目で用意される平均金額の約三倍もあり、加えて順位によって差はあれど演目の参加者たちにも全員に賞金が用意されていた。

 そしてもう一つは自分たちの力を誇示し、多くの人に宣伝できるため。

 先ほども述べた様に、今回の演目は注目度が高い演目の一つだ。トーナメント戦で順位が決められることで目に見えて分かりやすい形で自分たちの力を示すことができる。加えて前回の優勝者に堂々と挑む機会も得られ、もし勝てれば更に自分たちの宣伝と名声が高められる。

 これだけでも充分にメリットや旨味があると言えた。

 

「…お前の口ぶりからして、我々自身の知名度はまだまだ低いようだな」

「……はい。前回の闘技場の演目は注目度が低いものだったらしく、我々に対する認知度は未だ皆無に等しい状態です。今回の件で漸く認識され始めたと言って良いでしょう。申し訳ありません」

「ははっ、お前たちが謝る必要はないだろう。まだバハルス帝国に来て五日目だ。逆にこの機会を最大限利用してやろうじゃないか」

「はい……」

「感謝いたします、ウル……レオナールさ、ーーん……」

 

 寛容なウルベルトの言葉に、ニグンとユリがほぼ同時に深々と頭を下げる。

 ウルベルトが小さな笑い声を零しながら二人を諌める中、不意に扉からノック音が聞こえてきてウルベルトたちの視線全てが扉へと向けられた。

 

「失礼します。時間となりましたので、よろしくお願い致します」

 

 扉から顔を覗かせた闘技場の職員に、ウルベルトは一つ頷いて立ち上がる。

 ニグンやユリも立ち上がったことを確認して、ウルベルトは柔らかく自信に満ちた笑みを浮かばせた。

 

「それでは行くとしようか」

 

 ニグンとユリを背後に従えたウルベルトは、堂々とした足取りで回廊へと足を踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 今日の闘技場はいつにない多くの観客たちによって盛り上がり、熱気を立ち昇らせていた。観客席は全て埋まり、中には一般市民だけでなく多くの冒険者やワーカー、休暇をとった衛兵の姿すら多くある。

 チームの仲間たちと共に一般の観客席に座るヘッケランは目だけで周りを見回すと、あまりの熱に内心でため息をついた。

 通常、帝国の闘技場では一日に複数の演目が執り行われるのだが、しかし今日は一大イベントともいうべき一つの演目に占められている。運営する闘技場側も力を入れるのはさることながら、今回はこの演目を担当する興業主(プロモーター)からも大々的に宣伝されたため観客たちの注目度もいつも以上に高まっていた。

 まぁ、前回の優勝者の戦いを見たいっていう連中も多くを占めているのだろうが……。

 

 

 

「おおっ、汝らとここで会うのは初めてだな!」

 

 思わず半笑いを浮かべるヘッケランの耳に聞き覚えのある太い声が聞こえてくる。反射的にそちらを振り返れば、がたいの良いずんぐりとした男が後ろに二人の男を引き連れてこちらに歩み寄ってくるところだった。

 ヘッケランは自然と笑みを浮かべ、隣に座る仲間たちに視線だけで席を詰めてくれるように頼む。彼女たちは何も言わずに席を詰めてくれ、ヘッケランも少し横にずれて男たちが座れる空間を作ってやった。

 

「よぉ、久しぶりだな、グリンガム! まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ」

「それはこちらの台詞だ。汝がここに……それもチーム全員で来るなどそうそうあることではあるまい」

「まぁ、な……。否定はしないさ」

 

 隣に腰を下ろして不思議そうな表情を浮かべる男に、ヘッケランも思わず小さな苦笑を浮かべる。

 グリンガムの言葉通り、確かにヘッケランは普段仕事で血を見ることが多いため、仕事以外でも見たいとは思わない…と闘技場に極力近づかないようにしていた。しかし今回ヘッケランだけでなくチームメンバー全員が興味を引かれる存在がこの演目に出場することが分かったのだ。メンバー全員で観戦することが決まるのに時間はかからなかった。

 

「……少し気になる奴がいてね。改めて見ておきたいと思ったのさ」

「……? …あぁ、“天武”のことか? 確かに不敗の天才剣士と聞けば気にもなろう」

「げっ! “天武”も出るのっ!?」

 

 納得したように何度も頷くグリンガムの言葉に、しかしヘッケランの反対隣に座るイミーナが呻き声のような声を上げる。どうやら前回の優勝者については全く知らなかったらしい彼女の心底嫌そうな顔に、グリンガムは再び不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。

 

「なんだ、“天武”が目当てではないのか?」

「あー、いや……、“天武”の力も気にならないとは言わないが、それよりも気になる奴らがいてね。……“サバト・レガロ”っていう名を聞いたことないか? 昨日から結構街中で話題になっていたんだが」

「いや、聞いたことがないな……。新たにできたチームか?」

「ああ。恐らくワーカーとして活動を始めて、まだ五日くらいしか経っていないんじゃないか?」

「ほう、それはまた……。だが、汝らがそれほどまでに気にするとは、それだけ期待できるルーキーだということか?」

 

 グリンガムの言葉に、ヘッケラン達は思わず互いの顔を見合わせた。

 あれほど“ルーキー”という言葉が似合わない新人がいるだろうか…と互いに苦笑や半笑いを浮かべる。

 尚も頭上に疑問符を浮かべるグリンガムたちに、ヘッケランは小さなため息と共に肩をすくませた。

 

「……まぁ、見ていれば分かるさ。…っと、始まったみたいだな」

 

 ヘッケラン達の会話を遮るように、大音量の音楽と共に司会者の声が場内中に響き渡り始める。まず今回の演目のルールを簡単に説明した後、場内の扉が開いて八つのチームがゾロゾロと登場してきた。

 多くの拍手と歓声が上がり、参加者の多くが笑顔と共に手を振ってそれらに応えている。しかし一つだけ笑みは浮かべてはいるものの手を振っていないチームがあった。

 絶世の美男美女と仮面の男の三人組。

 目当ての人物たちを視界に捉え、ヘッケランはグリンガムたちに目を向けた。

 

「ほら、あれがさっき言ってた“サバト・レガロ”だ。あの白髪の男がリーダーのレオナール・グラン・ネーグルで、美女の方がリーリエ、仮面の男がレイン…だったかな」

「あれが……。…三人だけとはやけに少ないな」

 

 ヘッケランが指さす方向を見やり、グリンガムは思わず首を捻る。

 確かに彼の言う通りメンバーが三人しかいないというのは習得している役職も相俟ってできることが少なく狭まり、チーム全体としての能力や強さにも影響が出てくる。

 しかし彼らの実力を少なからず知っているヘッケランたちからすれば、グリンガムたちの反応には苦笑を浮かべずにはいられなかった。

 

「……あれは、どういった組み合わせなのだ?」

「さぁな~……。リーリエってのが前衛でレインってのが魔法詠唱者(マジックキャスター)だってことは掴んでるんだが、それ以外は全くの不明。あのレオナールってのに至っては名前くらいしか分かっていないんだ」

「ふむ……、確かに少々興味深くはあるが……」

 

 しかし、そこまで注目するべきチームなのだろうか……。

 グリンガムたちの思考が透けて見え、ヘッケラン達は思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 確かに見た目だけではなかなか思い至らないことだろう。ヘッケラン達でさえ、実際に彼らの力の一片を見るまでは彼らの美貌だけに目が行って本当に戦えるのかさえ首を傾げていたのだ。

 しかしグリンガムたちの疑問もヘッケラン達の思考もすぐに途切れることとなった。

 

 早速始まった第一回戦。

 まるで彼らの期待に応えるかのように、第一回戦の第一試合で戦うのは白金級(プラチナ)冒険者チーム“狼牙”とワーカーチーム“サバト・レガロ”。

 残りの六チームは場内の端に寄り、“狼牙”の男四人と“サバト・レガロ”の三人が向き合った。

 互いに短い挨拶を交わし、開始の鐘が鳴り響く。

 “狼牙”のメンバーが身構えながら様子を窺う中、何故か“サバト・レガロ”からはレオナール一人だけが前へと進み出た。

 レオナールは腰から左の太腿にかけて巻かれたベルトに挿していた(ステッキ)を抜き取ると、軽い動作で緩く構える。いつも装備している杖とは違い柄がドラゴンになっているそれを一撫ですると、ドラゴンの尾となっている支柱部分が淡く光った。

 レオナールは小さな笑みを浮かべて少しだけ前屈みになると、次の瞬間強く地を蹴って“狼牙”へと突っ込んでいった。まるで弾丸のように勢いよく迫るのに“狼牙”のメンバーも慌てて応戦しようと行動を起こす。しかしレオナールに刃が届く前に“狼牙”のメンバーが次々と倒れていき、ヘッケランやグリンガムたち含む観客の全員が驚きに息を呑んだ。“狼牙”のメンバーも誰もが信じられないような表情を浮かべて、地面に倒れながら通り過ぎていったレオナールを振り返っている。レオナールは“狼牙”全員の背後まで来たところで足を止めており、その手に持っている杖に目を向けた瞬間、誰もが驚愕の表情を深めさせた。

 彼が持っていたのはドラゴン型の杖であったはずだ。しかし今その手に握られているのは、杖というよりかは“鞭のような剣”と言った方が正しかった。

 “仕込み杖”。

 それなりに戦闘や武器の知識を持っている者たちは、一様にその言葉を頭に過らせる。

 彼らの考えは正しく、レオナールの持つ杖は正に“仕込み杖”と呼ばれる物だった。尤も、斬撃よりも打撃に重点を置いているのか、場内に散った血の量は思ったよりも少ない。

 しかし斬撃効果も少なからずはあるのだろう。

 “狼牙”の前衛の鎧は大きく凹み、足の腱は深々と裂かれ、弓兵や魔法詠唱者(マジックキャスター)の四肢や胸部の骨は折れて、既に戦闘を続行できるような状態ではなくなっていた。唯一治癒魔法を唱えられるはずの森祭司(ドルイド)は鳩尾を打たれて気を失っており、もはやどうすることもできない。

 ゆっくりと踵を返して振り返ってくるレオナールに危機感を覚えたのか、“狼牙”のリーダーが白い大きな布を取り出して宙へと放り投げた。

 闘技場での降伏の合図に、すぐさま戦闘終了の鐘が鳴る。

 かかった時間はわずか数十秒。

 誰もが呆然となる中、レオナールは杖を元の状態に戻して仲間たちの元へと戻ると、レインに何やら指示を出していた。レインはそれに従って一人“狼牙”の元へと歩み寄り、闘技場の職員と共に“狼牙”のメンバーを退場させながら治癒魔法を唱え始めた。

 

 

 

「………なんてこった…、これは……驚いたな………」

 

 場内の光景を見つめながら、グリンガムが外行用の口調も忘れて呆然と言の葉を零す。しかし気にする者は誰もおらず、ただその言葉の内容に頷くだけだった。

 一分もかからずに一つの戦闘が終わるなど、未だかつてあっただろうか。それも一人対多数での戦果に誰もが信じられないと自分の目を疑う。

 未だ気を呑まれてしまっている観客たちを尻目に、次々と進んでいく試合。

 どうにも盛り上がりに欠ける中、漸く観客たちが気を取り直し始めた頃に再び“サバト・レガロ”の出番が回ってきた。

 第二回戦の第一試合は“サバト・レガロ”とワーカーチーム“テンペスト”。

 “テンペスト”は戦士が二人、盗賊と女の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)と女の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が一人ずつの計五人のチームだ。

 第一回戦での出来事から、五人全員がレオナールの腰に未だ収まっている杖を注視している。レオナール自身もそれに気が付いているはずだが、しかし彼は少しも気にした様子もなく微かな笑みすら浮かべて悠然と佇んでいた。

 今度は一体どんな戦いになるのか……。

 観客たちが固唾をのんで見守る中、闘技場の鐘が鳴り響いて戦闘が開始された。

 鐘が鳴ったとほぼ同時に駆け出す戦士二人と詠唱を始める魔法詠唱者(マジックキャスター)たち。

 杖を抜く前にけりをつけようと肉薄し、しかし二つの刃はレオナールを捉えることなく空を斬った。レオナールは一度後ろへと飛んで戦士たちの攻撃を避けると、その間にベルトから杖を抜き取って緩く構えた。

 

「セズ、右だ!!」

「おうっ!!」

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

「〈下級敏捷力増大(レッサー・デクスタリティ)〉! 〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉!」

 

 戦士二人がそれぞれ別方向に別れて駆け出し、その間に魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔法がレオナールを襲い、信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が戦士二人に補助魔法をかけていく。

 レオナールは未だ通常の姿のままの杖を振るうと、襲いくる光弾を難なく弾き落とした。

 その間に左右から挟み撃ちの形で突っ込んできた戦士たちの刃が迫るが、しかし今回の攻撃も間一髪で一方は躱され、もう一方は杖で受け止められる。刃を受け止めている杖の支柱がギャリッと嫌な音をたて、次には淡い光と共に幾つもの関節に別れた。

 

「しまっ……!!」

 

 慌てて剣を引こうとしても後の祭り。

 レオナールが杖を勢いよく振り抜き、ギャリギャリという不快な音をたてながら戦士の剣が支柱の凹凸に刃を絡め取られていく。剣をもぎ取られまいと戦士は手に力を込めて何とか防ぐが、そのせいで体勢が大きく崩れた。

 レオナールはすかさずがら空きの腹部に足を深々とめり込ませると、次には流れるような動きで前屈みになり、もう一人の戦士の攻撃を躱した。そのまま足払いをくらわせ、その間に通常の形に戻した杖で倒れた戦士に勢いよく振り下ろす。杖は戦士の頭部を強打し、血を散らせると同時に戦士の意識をも刈り取った。

 腹を蹴られた戦士も既に気を失っており、残りは二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)と盗賊のみ。

 しかし盗賊の姿は見えず、取り敢えずといったようにレオナールが信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)に矛先を向けた……その時。

 不意に今までずっと息を潜めて隙を窺っていた盗賊がどこからともなく姿を現しレオナールを背後から急襲した。

 両手に持った短剣で両側から切り付ける。

 しかし二つの短剣を受け止めたのは柔らかな肉ではなく硬い金属。

 レオナールはいつの間に振り返っていたのか片手に持つ杖で二つの刃を受け止めると、盗賊が反射的に退く間もなく杖を持っていない手でその首をガシッと鷲掴んだ。そのまま勢いよく地面へと叩きつける。後頭部を強かに打ち付けらた盗賊は成す術もなく意識を失い地面へと転がった。

 かかった時間はわずか数秒。

 恐らく戦士二人を回復させるために少しでも時間を稼ごうとしたのだろうが、信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)はすっかり気を呑まれてしまって未だ一つの詠唱すら紡げていない。咄嗟に信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)を守るように立ち塞がる魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)に、しかしレオナールは一向に構わずゆっくりと足先を向けて歩を進め始めた。

 

「……マ、〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の(マジッ)……っ!!」

 

 恐怖を押し殺して唱えられる詠唱は、しかし最後まで紡がれることはなかった。

 彼女たちの目に映ったのは、迫りくる白銀の羅列。

 身構える暇もなく白銀の支柱がぐるぐると巻き付き、魔法詠唱者(マジックキャスター)たち二人を一つにまとめて拘束する。魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは魔法を詠唱するのも忘れて何とか抜け出そうと足掻くが、暴れれば暴れるほど幾つもの関節が身体中に食い込んで締め付けられた。

 二人が尚も暴れる中、レオナールはゆっくりとした足取りで歩み寄っていく。

 遂に二人の元まで辿り着くと、レオナールは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)の方に手を伸ばしてグイッと胸ぐらを掴み上げた。ハッとした表情を浮かべる魔法詠唱者(マジックキャスター)の眉間に杖の柄の先端が突きつけられる。

 

「………ま、……参りました…」

 

 静まり返っている静寂の中、震える声が場内に響く。

 レオナールはゆっくりと胸ぐらから手を離すと、踵を返して離れた場所に立つ仲間の元へと歩を進め始めた。

 徐々にレオナールと魔法詠唱者(マジックキャスター)たちとの距離が離れていき、それに従ってしゅるりっと彼女たちの拘束が解かれる。力を失って地に落ちるドラゴンの尾は、しかし次の瞬間には素早い動きでレオナールの手元へと戻って良き、瞬く間に通常の杖の支柱の姿へと戻って行った。

 完全に拘束がなくなったことで彼女たちが力なく地面に座り込み、まるでそれが合図であったかのように戦闘終了の鐘が大きく鳴り響く。

 すぐさま闘技場の職員が出てきて“テンペスト”のメンバーたちの元へと駆け寄る中、レオナールは仲間の元に戻ると第一回戦の第一試合の時と同じようにレインに声をかけ、レインも一つ頷いて再び職員たちを手伝い始めた。レオナールとリーリエも改めて職員たちの手伝いに入る。

 圧倒的な力を見せつけた勝利者でありながら職員に混じって動く“サバト・レガロ”の様子を見下ろしながら、グリンガムが思わず大きな息を吐き出した。

 

「何と言うか……凄まじいな……。あの見慣れぬ武器もそうだが、それをあそこまで操れる技量も大したものだ。……どうやらあの男は戦士だったようだな」

「………う~ん……」

 

 グリンガムの確信したような言葉に、しかしヘッケランは煮え切らない音を喉から絞り出した。彼の隣に座るイミーナ、ロバーデイク、アルシェも全員が浮かない表情を浮かべている。

 彼らの思わぬ反応にグリンガムたちは思わず首を傾げた。

 

「どうした、全員が浮かない顔をして……。我の推測は間違っているのか?」

「……いや…、そういう訳じゃないんだが………」

 

 緩く頭を振りながら、しかしヘッケランは戸惑ったように途中で言葉を途切らせた。

 一体どうやって説明したらいいものか……と頭を悩ませる。

 ヘッケラン自身、先ほどのグリンガムたちの推察は非常に正しいと思う。何も知らずに今回の闘技場の戦闘を見れば、自分たちもそう考えたことだろう。しかし、それよりも前に彼らの戦闘を見たことがあったからこそ違和感と疑問が拭えなかった。

 一番初めに彼らの戦闘を見た時、レオナールは第三位階魔法の〈火球(ファイヤーボール)〉を唱えて多頭水蛇(ヒュドラ)を打ち倒していた。

 だからこそ当初自分たちはレオナールを高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思っていたのだ。

 しかしそうなると、アルシェが彼から何も感じなかった意味が分からない。

 加えて今回彼が見せている戦闘方法。

 例えば本当は戦士職だとして、最初に見せた〈火球(ファイヤーボール)〉が何らかのアイテムによるものなのだとしたら、まだ説明がつく。グリンガムたちの言う“レオナールは戦士である”という言葉に納得できただろう。

 ならば何故ヘッケラン達は未だ疑問を感じているのかといえば、それはレオナールが使っている得物にあった。

 レオナールが使っているのは戦士職が良く使う剣でも槍でもなく、“仕込み杖”という武器。それも支柱が真っ直ぐな刀身になっているものではなく、鞭のようになっている特殊なもの。

 加えて見事な手腕と戦闘結果で誤魔化されてはいるが、本職の戦士であるヘッケランにはレオナールの動きがどうにもぎこちなく見えた。

 長い年月によって磨かれ精錬された熟年の動きではなく、まるで類まれなる身体能力で知識を綴ったような動き……、と言えば良いのだろうか……。

 どうにも上手い言葉が見つからず、ヘッケランは再び小さな唸り声を上げた。

 

「………まぁ、まだ試合はあるんだ。もう少し様子見だな」

 

 一つ大きな息をついて肩をすくめるヘッケランに、何かを感じ取ったのかグリンガムたちも黙り込んで場内に改めて目をやる。

 彼らの視線の先では漸く作業が終わったのか、“テンペスト”や闘技場の職員たちの姿は既になく、“サバト・レガロ”も端へと退場していた。

 次の試合を行うチームがそれぞれ場内中央へと進み出て、試合開始の鐘が鳴る。

 しかしヘッケラン達を含め、他の多くの観客たちは未だ“サバト・レガロ”を一心に見つめていた。

 彼らの関心は完全に“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルただ一人に向けられている。

 そして多くの観客たちの視線に混じって、貴賓室からレオナールに向けられている二つの視線。

 

「………こいつはすげぇ。……想像以上だな」

「……………………」

 

 カーテンが引かれて無人であるはずの貴賓室の奥からバジウッドとニンブルがカーテンの隙間から場内を見下ろしていた。

 

 




今回が前半戦、次回が後半戦になります。
なので次回もウルベルト様回予定です。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“七つの大罪”シリーズ;
ウルベルトとるし☆ふぁーとの合作武器シリーズ。4割趣味、6割おふざけで作成したため、神器級から最上級までランクはまちまちになっている。全部で七つ存在する。
・“サタンの憤怒《ラース・オブ・サタン》”;
“七つの大罪”シリーズの一つ。仕込み杖の遺産級武器。柄の部分はドラゴンになっており、尾の部分が支柱になっている。支柱はいくつもの関節に別れ、鞭のように長くなり、しなる。鞭のようになれば自動的に背の部分に刃が出てきて対象を切り裂く。しかし斬撃よりも打撃の方が強いため、あくまでも剣ではなく杖に分類される。
※『ブラッ○ボーン』に出てくる“仕込み杖”のようなものだと思って下さい。


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第20話 偽りの強者と本物の強者

お待たせいたしました、後半戦です!
予想以上に長くなってしまいました…(汗)


 無人であるはずの闘技場の貴賓室。

 バジウッドとニンブルは“四騎士”という地位を最大限に利用して秘密裏にこの部屋を確保し、閉められたカーテンの隙間からそっと場内を見下ろしていた。

 彼らの興味の対象はこの演目に出場しているワーカーチーム“サバト・レガロ”。

 先ほども“サバト・レガロ”と“テンペスト”の試合が終わり、バジウッドは張りつめていた空気を緩ませるようにどこか感嘆とした息を大きく吐き出していた。

 

「………こいつはすげぇ。……想像以上だな」

「……………………」

「だが…、こっちが調べようとしていた矢先にこんな機会が訪れるとはなぁ。なかなか運がいいと思わねぇか?」

「……………………」

 

 バジウッドの言う通り、ニンブルが調査の手助けを申し出て一日も経たぬうちに、まるで示し合わせたかのようにこの闘技場の演目の話がバジウッドたちの耳に入ってきていた。

 正に運が良い……、あるいは都合が良いともいえるのかもしれない。

 ニヤリとした笑みを浮かべたバジウッドはニンブルへと目をやり、次には訝しげな表情を浮かべた。ずっと黙り込んで顔を顰めているニンブルに思わず首を傾げる。

 

「どうしたんだ? 何か気になることでもあったか?」

「………あのレオナールという男、……戦士だと思いますか?」

「……? 思うも何も、戦士だろ」

 

 お前は一体今まで何を見ていたんだ…とばかりに訝しむバジウッドに、ニンブルは顔を顰めさせたまま場内に向けていた視線をバジウッドへと移した。

 

「良く思い出してみて下さい。そもそも貴方が奥方たちから聞いた“サバト・レガロ”の情報では、白髪の男は第三位階魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉で多頭水蛇(ヒュドラ)を倒したとありました。第三位階魔法が使える戦士など聞いたこともありません!」

「おいおい、落ち着けよ。魔法を使う戦士自体はそんなに珍しくないだろ。確かに第三位階魔法を使う戦士なんざ聞いたこともないが、何か珍しいアイテムを持っている可能性だってあるだろ」

 

 例えば一回分の魔法を封じ込められるアイテムは、希少で非常に高価ではあるものの確かに存在する。そういったアイテムを使えば戦士が高位の魔法を放ったとしても決して不思議ではない。

 しかしニンブルの表情はいっこうに晴れなかった。

 

「私だってそんなことは分かっています。ただ……少しばかり変な噂を耳にしたのです」

「変な噂……?」

 

 これ以上変なことなどあるのだろうか…と更に首を傾げる。

 ニンブルは戸惑ったように口ごもると場内に目をやり、端に下がっている“サバト・レガロ”の白髪の男を見やった。

 

「……ワーカーチーム“サバト・レガロ”が闘技場の演目に出場したのは今回で二回目だそうです。初出場の時も、あの男は〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の魔法を放ったそうなのですが……」

「……? 何かあったのか?」

「実は………、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球を二十個も出現させたらしいのです……」

「……は……?」

 

 バジウッドは思わず呆けたような声を零していた。

 魔法には発動させる術者の力量によって威力や大きさ、数などが変化するものが多くある。先ほどの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の魔法もその一つであり、術者の力量に応じて出現する光球の数が変わることはバジウッドも知っていた。しかしバジウッド自身は純粋な戦士であり魔法は殆ど使えないため、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球を二十個出現させることがどれだけすごいことなのかが今一理解できなかった。

 困惑の表情を浮かべるバジウッドにニンブルは呆れたような表情を浮かべて大きなため息をついた。

 

「……通常の魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば一つ、第三位階まで使える魔法詠唱者(マジックキャスター)でも三つが限界です。三重化したとしても九個までだ」

「おいおい、それって本当の話かぁ? …ちなみに我らが主席宮廷魔法使い殿なら幾つ出せるんだ?」

「………確か、六つ出せると前に仰られていた記憶がありますが…。三重化したとしても十八個までですね」

 

 昔の記憶を掘り起こしながら答えるニンブルに、バジウッドは一気に顔を顰めさせた。

 

「……そりゃあ、ガセじゃないのか? それか見た奴らの勘違いで、実は違う魔法を使っていたかだな」

「……………………」

 

 一切迷うことなく一刀両断に言いきるバジウッドに、ニンブルも否定はせずに黙り込んだ。バジウッドが比較対象に出した主席宮廷魔法使いは、それだけ力のある魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだ。

 名をフールーダ・パラダイン。

 200歳を超える老人で、しかし英雄の壁を超えた大陸に四人しかいない“逸脱者”の一人である。第六位階までの魔法を使いこなし、たった一人で帝国軍全軍を壊滅させられるほどの力を持つとされている。正にバハルス帝国が誇る大魔法使いなのだ。

 そんな人物よりも強力な魔法を出現させるなど、ガセか勘違いにしか思えない。

 やはりそうですかね……と小さく呟くニンブルの声を遮るように、突然大きな歓声が聞こえてきてバジウッドとニンブルは会話を止めて場内へと目をやった。

 いつの間にか試合が終わり、次の試合へと移行している。

 次の試合は第三回戦の試合。この試合で、前回の優勝者への挑戦者チームが決まる。

 戦うのはワーカーチーム“サバト・レガロ”とミスリル級冒険者“暁の武”。

 ゆっくりと向き合う両チームに観客たちが湧き上がる中、バジウッドとニンブルの鋭い視線が“サバト・レガロ”の白髪の男へと突き刺さった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “サバト・レガロ”の白髪の男――レオナール・グラン・ネーグルことウルベルト・アレイン・オードルは目の前に対峙する冒険者チームの五人を注意深く見つめていた。

 今回の相手であるミスリル級冒険者チーム“暁の武”は非常に珍しいことに前衛職中心のチームのようだった。

 戦士職が三人とモンクが一人、神官戦士が一人。戦士職三人に関しては持っている武器からして細かいところで違いはあるのだろうが、しかし現段階ではウルベルトはそこまで見極めることができず、また見極めようともしなかった。

 既にこちらの戦闘スタイルを見られているため今までよりかは手間取るかもしれないが、それはあちらも同じこと。加えてこちらにはユリやニグンも控えており、いざとなれば本来の魔法スタイルに戻すこともできる。あちらも未だに見せていない手札があるのかもしれないが、こちらほどの手札はないだろう。

 しかし魔法スタイルに戻すのはもう少し後が良いな……と内心で呟きながら、ウルベルトはベルトからドラゴン型の仕込み杖“サタンの憤怒(ラース・オブ・サタン)”を抜き放った。先の二つの試合の時と同じようにウルベルトだけが前へと進み出る。

 “暁の武”からも長剣と盾を備えた騎士風の戦士が進み出てきて、ウルベルトたちは無言で互いを注意深く見やった。

 

「俺は“暁の武”のリーダーのロイド・ジラルスだ! お前たちには悪いが、大いなる名声と賞金は俺たちが頂く!!」

「…それはそれは。私は“サバト・レガロ”のリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。同じ言葉をあなた方にそのままお返しさせて頂きますよ」

「ふんっ、言ってくれる! お前は今までたった一人で戦ってきた、その勇気と実力は認めよう。しかし! 俺たちには一切通用せん!! 俺たちに一人で挑もうなど、無謀と侮りだと知れっ!!」

「ご忠告、痛み入ります。ですが、御心配には及びません。あなた方こそ……、全員でかかってこられることをお勧めしますよ」

「っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ロイドはカッと顔を真っ赤に染めて肩を怒らせた。他の“暁の武”のメンバーも全員が顔を顰めさせて不快感をあらわにしている。

 ウルベルトとしては半分は忠告、もう半分は挑発として口にした言葉だったのだが、どうやら挑発とだけしか受け止められなかったようだ。

 ウルベルトは小さく肩をすくませると、気を取り直すようにゆっくりと(ステッキ)を構えた。

 “暁の武”のメンバーも全員が得物を引き抜いて身構える。

 彼らの得物は戦士職の三人はそれぞれ長剣と盾、グレートソード、槍。モンクは素手。神官戦士は棘付き鉄球と長い柄が鎖で繋がっているモーニングスター。

 “暁の武”のメンバー全員とウルベルトが無言で睨み合う中、漸く戦闘開始の鐘が闘技場中に響き渡った。

 

 誰よりも速く動いたのは“暁の武”のモンクの男だった。

 猪突猛進的にウルベルトの目の前まで突進してくると、拳を握った右手を勢い良く突き出してくる。ウルベルトは一切動くことなく、その細身に諸にモンクの拳を受け止めた。

 鋼鉄の硬さと弾丸のような威力を持つ拳に触れるのは硬い金属ではなく柔らかなぬくもり。

 確かな手応えにニヤリと笑みを浮かべかけ、しかしモンクの男はすぐに驚愕に目を見開かせた。

 鳩尾を狙った拳を包んでいたのは腹部の肉ではなく、中途半端に短い黒革手袋に包まれた左掌。ウルベルトは寸でのところで拳を受け止めており、その顔には柔らかな笑みすら浮かべていた。

 モンクの男は咄嗟に拳を引き戻そうとするが、しかし拳はビクとも動かない。見た目は包み込むように握られているだけだというのに、全く抜け出すことができず、逆に引き寄せられてモンクの男は体勢を崩した。咄嗟にたたらを踏んで堪えようとするも、目の前に迫りくる白銀の残像に気が付いて思わず息を詰まらせる。

 ウルベルトはそのまま腹部を強打しようとして、しかしすぐに顔を顰めさせると掴んでいたモンクの男の拳から手を離した。力を解放させた“ラース・オブ・サタン”はそのままに、強く地を蹴って後ろへと飛び退く。長く伸びた“ラース・オブ・サタン”の支柱がモンクの男の腹部を襲ったとほぼ同時に、今までウルベルトのいた空間に二つの刃が勢いよく通り過ぎていった。

 ステップを踏むように軽い足取りで体勢を立て直しながら見てみれば、二人の戦士が悔しそうに顔を顰めさせており、モンクの男は苦し気に腹部を押さえている。

 モンクの男の拳を手放してしまったがために“ラース・オブ・サタン”の威力が半減してしまったのだろうが、あのまま強行していれば二つの刃の攻撃を諸に受けてしまっていただろう。

 少し残念に思いながらも伸びた支柱を引き寄せ、次の瞬間再び後ろへと地を蹴った。

 両側から槍の穂先とモーニングスターの棘付き鉄球が勢いよく襲ってきてすぐ側を通り過ぎていく。

 槍の穂先と棘付き鉄球は先ほどまでいた地面に交差するように深々と突き刺さり、ウルベルトはそれを確認してバックステップを踏みながら柄を握っている右手首をクイッと捻らせた。瞬間、引き寄せられていた支柱がグリンっと弧を描き、未だ地面に突き刺さっている槍とモーニングスターの鎖へとグルグルと巻き付いていく。

 二つを一つに纏めて拘束するのに、ウルベルト対槍戦士と神官戦士による綱引き状態になった。

 槍戦士と神官戦士がそれぞれ武器を取り戻さんと力を合わせて引き寄せようとし、ウルベルトも二人の動きを抑え込もうと柄を引き寄せ返す。

 筋骨隆々の二人の男対細身の男一人の引き合いは、誰がどう見ても二人の男の圧勝だと思ったことだろう。しかしウルベルトはビクともせず、逆に二人の男の方が驚愕と焦りの表情を浮かべてジリッと徐々に足を滑らせていた。

 

 

「ファッジ! ノルド!!」

「応っ!」

「了解した!」

 

 二人だけでは分が悪いと判断したのか、“暁の武”のリーダーであるロイドがモンクの男とグレートソードを持つ戦士に声をかける。

 三人は同時に駆け出すと、ロイドは右、グレートソードの戦士は左、モンクは槍戦士と神官戦士の間を縫って真正面からウルベルトへと襲いかかってきた。

 前と左右から攻撃された場合、誰もが残った後ろへと逃げようとする。しかし今のウルベルトは得物同士を繋げたことにより後ろには下がれず、また同じ理由から得物を使って攻撃を受け止めることもできない。唯一できる行動としては得物を手放して離脱することだが、そうなれば次の一手が出せず窮地に陥るはずだ。

 この勝負、勝った! とロイドの顔に思わず小さな笑みが浮かぶ。

 しかしウルベルトは冷静で静かな瞳でチラッと周りを素早く見回すと、次にはあろうことか前方へと地を蹴った。

 誰もが驚きに目を見開き、綱引き状態だった槍戦士と神官戦士は急に引かれる力がなくなって大きく体勢を崩す。

 ウルベルトは目と鼻の先にまで迫ったモンクの男を見据えると、踏み込む足の重心を逸らして少しだけ上体を傾かせた。突き出されたモンクの拳の数センチ前で軌道を変え、すれすれの距離を通り過ぎていく。重心を片足一つにまとめてターンし、再び右手首をクイッと捻った。

 鞭状態になっている支柱が槍と鎖に巻き付いたまま更に宙を踊り、弧を描いて次はモンクの男と未だ体勢を崩している槍戦士と神官戦士へと襲いかかる。予想が付き辛い不規則な動きと流れるような素早さに追いつけず、モンクの男と槍戦士と神官戦士の三人は武器もろとも一つに纏めて拘束された。

 

「……リーリエ、…レイン」

 

 ウルベルトの口からポツリと小さく名が呟かれる。

 常人では聞き取れぬほどの声量に、しかし名を呼ばれたユリとニグンはすぐに行動を起こした。

 ユリは仲間を救わんとウルベルトへと向かっていく残りの“暁の武”のメンバーを牽制し、ニグンは真っ直ぐにウルベルトの元へと駆け寄った。

 

「…レオナールさん」

「新しい武器を頼む。お前はリーリエと共にこの三人を拘束していろ」

「はっ。新たな武器はどれになさいますか?」

「そうだな……。では、“レヴィアタンの嫉妬(インヴィディア・オブ・レヴィアタン)”を」

「畏まりました」

 

 ニグンは一度頭を下げると、純白のマントの中から一つの(ロッド)を取り出して恭しく差し出してきた。

 添えられた両掌に乗せられている杖を手に取り、代わりに“ラース・オブ・サタン”の柄をニグンの両掌の上に乗せる。

 こちらの会話を聞いていたのかユリがこちらに駆け寄ってくるのを見やり、交代するように再びウルベルトが前へと進み出た。

 ウルベルトの手に握られているのは一メートルほどの蒼色を帯びた銀色の(ロッド)

 名を“レヴィアタンの嫉妬(インヴィディア・オブ・レヴィアタン)”。

 先ほどまで使っていた仕込み杖である“ラース・オブ・サタン”と同じく、4割趣味、6割おふざけでウルベルトとギルドメンバーの一人であるるし☆ふぁーが二人で作成した“七つの大罪”シリーズの一つである。見た目は尾を絡み合わせた二匹の蛇が一直線に伸びており、両端の蛇の口にはそれぞれスカイブルーの宝玉が咥えられている。

 ウルベルトは注意深くこちらを窺っている“暁の武”の残りの二人を見つめると、一歩一歩足を進めながら一度クルッと杖を回した。瞬間、蛇が咥えている両端の宝玉が二つとも淡く光り始める。

 一体何事かと“暁の武”のメンバーや観客たちが注目する中、ウルベルトはまるで手遊びのようにクルクルと杖を回し続けた。

 遊んでいるのか……、ふざけているのか……。

 誰もが困惑の表情を浮かべ、ある者は顔を顰めさせる。しかし彼らの表情はすぐに驚愕へと変化することとなった。

 ウルベルトがクルクルと杖を回転させる度に、両端の光り輝く宝玉から透明な水が噴き出し始めた。しかし吹き出た水はすぐに地面に落ちることなく、まるでそこだけ重力がないかのようにふわふわと泡のように空中を漂い始める。あるものは泡のように水の球体となって漂い、あるものは水流となってウルベルトの周りを緩やかに流れる。

 まるで水の中にいるかのような幻想的な光景に、誰もが唖然とした表情を浮かべて呆然とウルベルトを見つめていた。

 

 

「………………あいつは……、奇術師か何かか……?」

 

 未だ距離のある場所に立つロイドが呆然と呟き、それを正確に聞き取ってウルベルトは思わず小さな笑みを浮かばせた。

 奇術師……、確かに何も知らない彼らからすれば今の自分はそう見えるのかもしれない。

 なんせウルベルトが今使っている“七つの大罪”シリーズは、全てが癖のある代物で、なおかつ騙し討ちを狙っているような武器ばかり。正にギルドメンバーの中で一番のトラブルメーカーであったるし☆ふぁーと中二病であるウルベルトが共に造り上げただけはあると納得させられる代物たちだった。

 

「どうしました? かかってこないのですか?」

「っ!!」

 

 挑発するように二人の男に声をかける。

 “暁の武”の二人は言葉を詰めらせながら顔を顰めさせると、しかし流石と言うべきか、激情にかられてこちらに突っ込んでくるようなことはしなかった。

 未だ注意深くこちらを見つめてくるのに、思わず肩をすくませる。

 ウルベルトは一つ息をつくと、更に回転させる杖の速度を速めた。

 

「それでは、こちらから行かせて頂きましょうか……」

 

 まるで独り言のように呟くと、次の瞬間ウルベルトは一気に地を蹴って速度を加速させた。

 弾丸のような勢いで一番近くにいたグレートソードの戦士へと突っ込むと、咄嗟に構えられたグレートソードと杖が激しくぶつかり合った。

 ガツンっと言う大きな音と衝撃。

 衝撃に反応したように杖の両端の宝玉から水が大量に溢れ、ウルベルトとグレートソードの戦士を包み込んだ。宙に漂い流れる大量の水が男の肌や装備、グレートソードに柔らかく触れて濡らしていく。

 冷たく濡れる感触に男が不快そうに顔を顰めさせたその時、不意に何かに気が付いたようにハッと大きく目を見開かせた。何かを言おうとするかのように口を大きく開き、しかし喉の奥からは声一つ出ることはない。グレートソードを握る手は勿論の事、全身から一気に力が抜けて男は力なく地面へと倒れ込んだ。

 一体何が起こったのかと観客席からどよめきが起こる。

 しかしウルベルトは一切それに構うことはなく、次の獲物を定めるようにゆっくりと一人残った戦士へと目を向けた。

 ウルベルトの金色の瞳とロイドの焦げ茶色の瞳がかち合い、ロイドは反射的にビクッと大きな身体を震わせる。反射的に後退ろうとして、しかしウルベルトの方が二倍も三倍も速かった。

 気が付けば周りを漂う大量の水。

 ふわふわと漂って全身に触れてくる水に、その冷たい感触にロイドは戦慄を覚えた。まるで振り払うように濡れた部分に触れようとして、しかしその前に視界が大きく傾く。

 全身から力が抜ける感覚と、どんどんと近づいてくる地面。

 大きな衝撃から漸く倒れたことを自覚し、ロイドはパクパクと口を動かしながら、ただ大きく見開かせた目で近くに立っているウルベルトを見上げていた。

 

「これで試合は終わりましたね。……心配せずとも、時間が経てば元に戻ります。安心してください」

 

 ロイドの目の前で屈み込み、ウルベルトがそっと声をかける。

 それでいてゆっくりとウルベルトだけが立ち上がるのに、闘技場中に試合終了の鐘が鳴り響いた。

 すぐさま駆けつけてくる職員たちと、解放される“暁の武”のメンバーたち。

 ウルベルトたちもニグンを中心に動き始め、そこで漸く観客たちも思考を取り戻し始めたようだった。

 徐々に騒めき始め、拍手が鳴り、最後には大喝采となって闘技場中を震わせる。司会も前回の優勝者への挑戦者として“サバト・レガロ”の名を高らかに叫び、更に闘技場中が湧き立った。

 残るは前回の優勝者と挑戦者との最終決戦のみ。

 一度場内を整えるために長めの休憩が入り、一時間後に再び演目の続きが再開された。

 場内は綺麗に整えられ、これまでの連戦で刻まれていた戦闘の跡は綺麗に消されている。中心には“サバト・レガロ”の三人のみが立ち、これまでの参加者たちは重傷者以外は全員が場内の端へと寄っていた。

 

『さぁ、遂に最終決戦まで参りました! 今回の挑戦者は数々の難敵を驚きの速さで討ち取っていった驚異のワーカーチーム“サバト・レガロ”! 彼らは果たして前回の優勝者に勝つことができるのでしょうか!!』

 

 司会の声が闘技場中に響き渡り、この場を大いに盛り上げていく。

 多くの歓声や拍手で空気が震える中、まるでそれに応えるかのように場内の一つの大きな扉がゆっくりと開かれた。

 

『それでは前回の優勝者の登場です! 英雄級の天才剣士が率いる無敗のチーム! “天武”!!』

 

 扉が完全に大きく開かれ、四人の人物が場内へと進み出てきた。

 姿を現したのは一人の人間種の男と三人の森妖精(エルフ)の女。

 湧き上がる喝采や女性の黄色い悲鳴に手を振って応えているのは男のみで、三人のエルフたちは全員が暗い表情でトボトボと機械的に歩を進めている。

 近くまで歩み寄ってきた四人を順に見やり、ウルベルトはほんの微かに目を細めさせた。

 チームのリーダーだと思われる男は切れ長な瞳に、涼やかで端正な顔立ち。身に纏う装備は高名なワーカーチームのメンバーに相応しく、この世界の基準ではそれなりのものを纏っている。しかし同じチームメンバーであるはずのエルフの女たちは全員が必要最低限のみすぼらしい装備しか身に纏ってはいなかった。

 加えてウルベルトの目を引いたのは彼女たちの耳。

 エルフという種族は例外なく木の葉のような平べったく長い耳を持っているのだが、目の前の彼女たちは全員が長い耳を半ば辺りからスッパリと切り落とされていた。それが何を意味しているのか、未だこの世界の常識に疎いウルベルトであっても予想がつく。

 “奴隷の証”……―――

 光を一切宿さず全てを諦めたように立っている彼女たちの姿が一瞬懐かしくも悲しい二つの人影と重なって、ウルベルトは無意識にギシッと小さく歯を軋ませた。

 

 

 

「あなた方が今回の挑戦者ですか。先ほどまでの戦いは拝見させて頂きましたよ。あなたはどうやらなかなかに腕の立つ戦士(・・・・・・)のようですね」

 

 ウルベルトの胸の裡に宿った黒い感情に気付かずに、男が涼やかな声音で声をかけてくる。

 ウルベルトは一つ小さく息をつくと、いつもの微かな笑みを浮かべて改めて男を見やった。

 

「お褒め頂きまして光栄です。我々はワーカーチーム“サバト・レガロ”。そして私がリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。以後、お見知りおき下さい」

「それはそれは。私のことは当然知っていると思いますが……、“天武”のエルヤー・ウズルスと申します。今日は少しでも楽しませてもらえることを期待していますよ」

 

 自信満々で傲慢な態度に言いようのない苛立ちが募る。戦士職が自分に対して大口を叩くこと自体がひどく気に入らなかった。

 徐々に剣呑な空気がウルベルトから漂い始め、ユリとニグンが気遣わし気にウルベルトに視線を向ける。

 しかしエルヤーは一切気が付く様子もなく、変わらぬ自信に満ち溢れた表情でウルベルトやユリたちを見つめていた。

 

「ここまではあなた一人で戦ってきたようですが、ここからはメンバー全員でかかって来なさい。そうすれば、もしかしたら一回くらいは私に攻撃が届くかもしれませんよ」

「……ご忠告、感謝します。ですが、心配はご無用です。この戦いも、私一人で相手をさせて頂きますよ」

「おやおや、どうやらあなたは自分の力を過信し過ぎているようですね。……その勘違いを、私が正して差し上げましょう」

 

 エルヤーの端正な顔がピクッと動き、その手が腰に挿している刀の柄に伸ばされる。

 ウルベルトもベルトに挿している杖に手を伸ばすと、ゆっくりと引き抜いた。手に握られている杖は今まで使っていた“ラース・オブ・サタン”でも“インヴィディア・オブ・レヴィアタン”でもなく、いつも装備している深紅の宝玉が印象的な(ステッキ)である。

 

「……では私も、一つ勘違いを正さなければなりませんね」

「勘違い……?」

「ええ。私は腕の立つ戦士ではありません。……ただの魔法詠唱者(マジックキャスター)ですよ」

「……は……?」

 

 エルヤーの整った唇から呆けた音が零れ出る。

 切れ長の瞳がマジマジとウルベルトを見やり、次には嘲るような酷薄な笑みを浮かべた。

 

「そのような言い訳をせずとも、私に負けても決して恥ではありませんよ」

「…はぁ、更に勘違いしてしまっているようですね。まぁ、良いでしょう。最後には嫌でも理解することです」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、瞬間エルヤーの目つきが変わった。こちらを見下すようなものから、怒りと殺気が入り混じったものへと豹変する。

 ウルベルトとエルヤーが互いに睨み合う中、漸く試合開始の鐘が大きく鳴り響いた。

 

「…ふっ!」

 

 最初に動いたのはエルヤーだった。

 腰の刀を抜き放ちながら、一直線にウルベルトの元へと走る。

 爆発的なスピードでは決してないものの、それでも十分に速い速度。

 あっという間に間合いにウルベルトを捉えると、ニヤリとした笑みと共に刀を振り上げて上段から振り下ろした。

 

 ガキンッ!!

 

 大きく響き渡る硬い金属音と強い衝撃。

 エルヤーの刀は持ち上げられた杖によってしっかりと受け止められており、杖の下から金色の瞳がじっとエルヤーを見つめていた。

 一撃で仕留められなかったことに思わず顔を顰めそうになり、しかしその前にエルヤーはこちらに突き付けられている長い指先に気が付いた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

「ぐっ!!?」

 

 どこまでも静かな音と共に、視界が真っ赤に埋め尽くされる。

 戦士としての勘に従って反射的に身体を逸らせば、焦げるような熱が顔の頬を舐めてそのまま通り過ぎていった。

 無理に身体を逸らしたため体勢が崩れ、そのまま地面を転がりながらもすぐさま顔を上げる。ウルベルトから少し距離をとって立ち上がると、エルヤーは熱を感じた右頬へと無意識に手を伸ばした。

 

「っ!!?」

 

 瞬間、頬に感じた熱と激痛。手に感じたぬるっとした感触。

 思わず弾かれたように手を離して目を向ければ、手のひらは真っ赤に染まり、所々に煤のような黒い小さな塊が複数付着していた。

 頬からの激痛と共に焦げ臭さも感じて、エルヤーはそこでやっと今の自分の状態を理解することができた。

 

「……よくも俺に血を流させたな…!! おい、何をしてる! さっさと治癒を寄越せ!!」

 

 憎悪を宿した瞳でウルベルトを睨み付けながら背後に控えているエルフに声を張り上げる。

 エルフの女はビクッと身体を震わせると、怯えた表情を浮かべながらも詠唱を唱えた。

 温かな光とぬくもりがエルヤーを包み込み、焼け焦げて赤黒く染まっていた右頬を綺麗な状態へと戻していく。

 

「まだだ! 強化魔法も寄越せ!!」

 

 監視するように視線をウルベルトに固定したまま、エルヤーは更に命令を口にする。

 三人のエルフたちは小刻みに身体を震わせながら、従順に次々と強化魔法を唱えていった。

 肉体能力の上昇、皮膚の硬質化、感覚鋭敏などなど……。淡い光が何度もエルヤーの身体を包み込み、強化と補助を行っていく。

 エルヤーはニヤリとした笑みを再び浮かべると、一度大きく刀を素振りした。

 ブンッという大きく重い音が空気を震わす。

 強い風圧も生み出した一振りに背後に控えるエルフたちは一様に怯えたように身を縮み込ませ、しかしウルベルトだけは何も変わることなく余裕の表情を浮かべてただ佇んでいた。

 まるでエルヤーなど気に掛ける必要もないと言いたげな態度が酷く気に障る。

 しかしエルヤーは何とか気を落ち着かせると、注意深くウルベルトの全身を見やった。まるでマジックの種を見破ろうとするかのように目を凝らす。

 一方見られている側のウルベルトはと言えば、エルヤーの視線を全身に感じながら内心で意地の悪い笑みを浮かべていた。

 エルヤーが自分の言葉に翻弄され始めているのが手に取るように分かる。

 彼は最初自分のことを腕の立つ戦士だと判断し、魔法詠唱者(マジックキャスター)であると言っても全く信じようとはしなかった。しかし第三位階魔法を唱えたことでエルヤー自身が疑問を感じ、怪我を治して肉体を強化したにもかかわらず次の一手に踏み込めずにいる。

 戦いというものは、相手が戦士(前衛)魔法詠唱者(後衛)かによって対処の仕方も戦い方も変わってくる。

 どんな相手だろうとも構わずに捻じ伏せられる者がいるとすれば、それは圧倒的であり絶対的な強者のみだ。

 

 

 

「く、〈空斬〉!」

 

 徐に歩き始めたウルベルトに反応し、エルヤーが咄嗟に武技を発動させる。

 

「〈風の刃(ウィンド・サイズ)〉」

 

 ウルベルトに向かって飛ばされた鋭い斬撃は、しかし静かな声によって生み出された風の刃によって跡形もなく霧散させられた。

 エルヤーは何度も連続して〈空斬〉を放つが、その度に風の刃に打ち消されウルベルトの足を止められない。

 どんどんと近づく距離にエルヤーの顔に焦りの色が浮かぶ中、ウルベルトは尚も足を動かしながら持っていた杖を構えた。

 

「――…ふっ!!」

 

 踏み込んだ足に力を込め、手に持った杖を一度引き、短い呼吸に合わせて一息に前へと突き出す。

 それは短い鍛錬の時間の中でアルベドに教わった渾身の突き。

 右手に持った杖による鋭い突きに、しかしエルヤーは寸でのところで身を躱した。

 エルヤーが逃げたのはウルベルトの杖を持っている右側。こちらならば二撃目を放つにも反対側よりも時間がかかり、また同じようにこちらの攻撃に対応するのも時間がかかる。

 エルヤーは何とか余裕を取り戻すと、そのままウルベルトの真横まで回り込んで急ブレーキをかけるように地を踏みしめた。

 柄を握る手に力を込め、足から腰、背骨を通って腕へと。全身の流れと力を刃に乗せて振り抜こうとする。

 

「っ!!?」

 

 しかし未だ杖を突きつけて前方に伸ばされている右腕に隠れるようにして、こちらに伸ばされている左手の人差し指に気がついた。先ほどの〈火球(ファイヤーボール)〉の事がフラッシュバックし、咄嗟に動きが止まってしまう。

 

「〈電撃(ライトニング)〉」

 

 ウルベルトの抑揚のない声と共にエルヤーに伸ばされている指の先に青白い光が灯る。

 青白い光はパチッと一瞬小さな光を散らすと、次の瞬間には一本の閃光となってエルヤーへと襲いかかった。

 

「がっ!!」

 

 未だ刀を振り抜く途中で止まっていたエルヤーの右肩に深く突き刺さり、そのまま貫通して後ろへと抜けていく。

 咄嗟に左手で右肩を庇いながら後退るのに、ウルベルトもゆっくりと突き出していた杖を元に戻しながら体勢を整えてじっとエルヤーを観察した。

 腕などが小刻みに痙攣しているのを見てとり、雷による痺れがあるのだろうと予想をつける。

 ユグドラシルにはなかった現象にウルベルトは興味深そうに小さく目を細めさせると、それでいて内心では首を傾げた。

 〈電撃(ライトニング)〉は確かに雷の魔法だが、ユグドラシルでは受けた際に麻痺状態になるなどといった効果はなかったはずだ。目の前の現象はこの世界がゲームなどではなく現実だからこそのものなのかもしれないが、しかし果たしてレベルにほとんど差がなかった場合でも同じ現象は起こるのだろうか。それともその場合はユグドラシルと同じようにレベル差の緩和によって麻痺も防げるのだろうか。

 これは少し実験する必要がありそうだな…と内心で結論付けたその時、不意に頭の中で糸が繋がったような感覚に襲われた。

 

『…ウルベルト・アレイン・オードル様』

『うん? ……影の悪魔(シャドウデーモン)か。どうした?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉を送ってきたのはこれまで多くの場所や人物などに散らしてきたシャドウデーモンたちのうちの一体。

 しかしこのシャドウデーモンはどこに送った奴だったか…と内心で考え込む中、主がそんなことを考えているなど露知らず、シャドウデーモンはどこまでも従順に報告の言葉を述べていった。

 

『監視しておりましたガゼフ・ストロノーフなる人間種の男ですが、本日王宮にて王族貴族と思われる人間たちにカルネ村でのことを報告しておりました』

『ほう……』

 

 シャドウデーモンの言葉に、カルネ村で最終的に助けるような形になった王国戦士長と名乗った男のことを思い出す。

 念のため二体のシャドウデーモンを影に潜り込ませて監視させていたのだが、漸く動き始めたようだ。

 随分と時間がかかったものだと内心で呆れながら、ウルベルトは変わらず注意深くエルヤーを見つめていた。

 未だ痺れが抜けないのか、エルヤーはこちらを睨みつけながらも突っ立って動こうとしない。背後に控えるエルフに治癒魔法を命じたのか、身体は淡い光に包まれて右肩の傷口も塞がり始めているようだった。

 

『詳しく報告を聞きたいところだが……、今は少々取り込み中だ。緊急を要するかね?』

『いえ、緊急内容は含まれておりません』

『よろしい。では、後ほど改めて詳しい報告を聞くとしよう。すまないが今夜に再度連絡してきてくれたまえ』

『畏まりました』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しでもシャドウデーモンが恭しく頭を下げているのが手に取るように分かる。

 思わず内心で苦笑を浮かべる中、〈伝言(メッセージ)〉がプツンッと切られてウルベルトは改めてエルヤーに意識を向けた。

 

「ふむ、傷は完全に癒えましたか?」

「……この程度で調子に乗らない方が良いですよ」

「一撃でも私に加えられれば慎重にもなるのですが…」

「その言葉……、すぐに後悔させてあげましょう!」

 

 漸く痺れが治まったのか、エルヤーが徐に動き出す。

 何をするのか注意深く観察する中、エルヤーは刀を構えて武技を発動させた。

 〈能力向上〉〈能力超向上〉

 強化魔法だけでなく武技によって向上した肉体能力を活かし、エルヤーが勢いよく襲いかかってくる。

 ウルベルトはわざと懐深くまでエルヤーを招き入れると、真正面から襲いくる刀を杖で受け止めた。嵐のような激しい連撃に、ウルベルトは全て杖で受け止め、弾き返していく。しかしそれは決して精錬された動きではなく、熟練の戦士が見れば分かるほど少々ぎこちない動きとなっていた。

 思っていたよりもまだまだ未熟な動きに、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。ここでもアルベドたちとの鍛錬の成果を試してみようと考えたのは自分自身だというのに、なかなか上手くいかない動きに不満が募る。

 これは今後も練習が必要だな…と内心でため息をついたその時、不意に再び頭の中で糸が繋がるような感覚に襲われた。

 

『…なんだ、今は取り込み中だと言っただろう』

『あれ、取り込み中なんですか、ウルベルトさん?』

『!? …ペロロンチーノ?』

 

 てっきり先ほどのシャドウデーモンだと思いきや、聞こえてきたのはペロロンチーノの声で少し虚を衝かれる。

 少しだけ首を傾げてエルヤーからの攻撃を躱しながら、ウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉で訝しげな声を上げた。

 

『お前が俺に連絡してくるなんて珍しいな。何かあったのか?』

『あれ、そうでしたっけ? ユグドラシルの時は良く連絡してたと思いますけど』

『だけど、こっちに来てからはそうでもないだろう? それで、何かあったのか?』

『…そうでした。えっと、それが……実はですね………』

 

 途端に歯切れが悪くなるペロロンチーノに何とも嫌な予感に襲われる。一体何が起こったのかと詳しく聞けば、どうやら前回の第一回定例報告会議であった“シャルティアに遭遇して放置された女冒険者”について大きな進展があったらしい。

 

『俺とモモンガさんとで早急に対処するつもりなんですけど、どちらにせよ対処後の報告や他に話し合いたいことも出てきてるので、一日早いですけど今夜に第二回目の定例報告会議をしようと思うんですけど……』

『なるほどな……』

 

 よくもまぁ次から次へといろんなことが起こるものだと少しだけ感心してしまう。

 しかし先ほどのシャドウデーモンから受けた報告のことを思い出して、ウルベルトは誰にも気づかれないように一度だけ小さなため息をついた。

 

『……分かった。俺も一つ二人の耳に入れておきたいことがあるし、今の用事が終わり次第ナザリックに帰還しよう』

『お願いします。あっ、今回はユリとニグンも一緒に連れて帰って下さいね』

『モモンガさんの指示か?』

『そうです。お願いしますね』

『…了解です』

 

 ウルベルトはやれやれと小さく頭を振ると、〈伝言(メッセージ)〉が切れるとほぼ同時に勢い良く刀を弾き返した。今までにない強い力に、エルヤーは対処しきれず思わず体勢を崩す。

 ウルベルトは杖をベルトへと収めると、指先をエルヤーに突き付けて無機質な音を整った唇から紡いだ。

 

「〈龍電(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 ウルベルトの魔法詠唱者(マジックキャスター)らしい細い腕に、白い(いかづち)が龍のようにバチバチと光を散らしながら巻き付いてくる。

 しかしそれは一瞬で、次にはウルベルトの腕を離れて勢いよくエルヤーへと襲いかかった。

 先ほどの〈雷撃(ライトニング)〉とは比較にならないほどの雷が空を走り、鋭い咢でエルヤーの身体に食らいつく。

 

「ぐがああぁぁあぁぁああぁあぁぁぁぁああぁっ!!!」

 

 今までにない絶叫と視界を焼くほどの光の放流。

 身体の奥まで響いて心臓を打つ爆音に、観客たちも全員が身を竦ませて縮み込んだ。

 漸く全てが止んだ後には、所々焦げて煙を上げるエルヤーが地面に倒れており、それをウルベルトがじっと静かに見下ろしていた。

 暫く動かないか様子を窺い、完全に気を失っているのを確認してからやっとその金色の瞳を呆然としている三人のエルフへと向ける。

 ゆっくりとした足取りで彼女たちの目の前まで歩み寄ると、そっと杖を引き抜いて一人のエルフの顎を杖の柄の先でクイッと持ち上げた。

 

「君たちはまだ戦いますか? それとも降参しますか?」

「……………………」

「生きているのなら意思を示しなさい。意思を示さぬ者は死んでいるも同じですよ」

 

 光を宿さぬ瞳と、無機質な金色の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 ウルベルトと目を合わせているエルフは小さく唇を震わせると、掠れすぎて声とも呼べぬ音を、それでも必死に紡ぎ零した。

 

「……こ、こうさ…ん……です………」

 

 しんっと静まり返る場内に、掠れて震えているエルフの女の声が思いの外大きく響いて消えていく。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、そっとエルフの顎から杖の柄の先を外してサッと踵を返した。

 背を向けて歩き始める後ろ姿を暫く見つめ、そこで漸く気が抜けたのかエルフたちは三人ともが我先にと頽れて地面へと座り込む。

 完全に戦意を喪失した様子に試合終了の鐘が鳴り響き、一拍後、爆発的な歓声と拍手が闘技場に湧きあがった。

 

『信じられません!! あの無敗の天才剣士が破れ、一方は完全な無傷! こんな結末を誰が予想したでしょうか!!』

 

 更に場を盛り上げるように、司会の声が場内に響き渡る。

 ウルベルトはユリやニグンの元まで戻ると、そこで漸く湧き立つ周りの観客たちへと目を向けた。興奮したように顔を紅潮させて歓声を上げる観客たちを見やり、フッと小さな笑みを浮かべる。

 

『ここに新たな伝説が生まれました!! 彼らは“サバト・レガロ”! そして、新たな孤高の英雄、レオナール・グラン・ネーグルに盛大な拍手をっ!!』

 

 司会の声に更に場内が湧き立ち、割れんばかりの拍手の音がウルベルトたちを称える。

 ウルベルトはゆっくりと杖をベルトへと収めると、改めて観客席へと目を向けてそっと手を上げた。

 今日初めて観客たちに応えたウルベルトの姿に、場内は更に盛り上がる。

 意味のない音だけの歓声はいつしかウルベルトを称える言葉に変わり、いつまでもいつまでも続いて暫く消えることはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 闘技場の演目は無事に終わり、漸く静けさを取り戻したバハルス帝国帝都。

 すっかり夜の闇に染められて人気のなくなった路地裏に、不意に複数の人影が月の光に浮かび上がった。

 

「………私に何か御用ですか…?」

 

 柔らかな白髪の髪を月光に輝かせながら、ウルベルトは道の真ん中で立ち止まる。

 目だけで後ろを振り返って声をかければ、彼の視線の先に新たな人影が姿を現した。

 男だと思われる長身に、ヨロヨロとしたぎこちない動き。

 ユリとニグンが庇うように両者の間に立つ中、ウルベルトはゆっくりと身体ごと振り返って真っ直ぐに男を見つめた。

 

「得物を抜いている状態で現れるとは穏やかではありませんね。一体何の御用です?」

 

 ウルベルトの言葉通り、男の手には抜身の刀が強く握りしめられている。

 男……エルヤー・ウズルスは刀を持つ手に更に力を込めると、憎々し気に鋭くウルベルトを睨み据えた。

 

「貴様……、一体どんな手を使いやがった……」

「……一体どういう意味でしょうか?」

「貴様のような無名の輩が、この俺に勝てるわけがない! 一体どんな手を使ったんだ!!」

「レオナールさんは特別なことは何もしておりません。ただ単にあなたがレオナールさんよりも弱かった……、ただそれだけの事です」

「なっ!!?」

「相手との力の差にも気づけぬとは……。…尤も、私が言えた義理ではないがな」

 

 抑揚のないユリの言葉に続いてニグンも自嘲的な笑みを浮かべながら仮面越しに憐みの視線をエルヤーに向ける。

 エルヤーは大きく顔を顰めさせると、一度ユリやニグンを見つめた後、改めてウルベルトを見やった。

 

「こいつが私より強い…? ……女性の後ろに隠れているような輩が私よりも強いとは思えませんね」

「やれやれ、闘技場で私一人に倒されたことをもう忘れてしまったのですか? ……それに、あなた程度であれば彼女一人でも余裕でしょうね」

「っ!!」

 

 誰が聞いても馬鹿にしているとしか思えないウルベルトの言葉に、エルヤーは顔を真っ赤に染めて切れ長の双眸を更に鋭くつり上げた。

 瞳に宿っているのは激しい怒りと鋭い殺気。

 裏通りとはいえ凡そ街中で漂わせて良いようなものではない気配に、ウルベルトはただ無感情にエルヤーを眺めていた。

 金色の瞳には一切感情は宿っておらず、表情にも立ち姿にも一切力が入っていない。一欠けらの緊張もやる気も感じられず、どれだけウルベルトが興味を持っていないかが嫌でも思い知らされるようだった。

 それはエルヤーにとっては屈辱のなにものでもない。

 エルヤーは握り潰さんばかりに強く刀の柄を握りしめると、次には全神経をウルベルトだけに集中させて強く地を蹴った。

 昼間の闘技場での試合以上のスピードが出ているのではないかと思うほどの速度。

 しかし……――

 

 

「……ユリ、…ニグン」

 

「っ!!?」

 

 

 ウルベルトの声に従ってユリとニグンがエルヤーの前方を遮った。

 応戦して刀を振るう間もなくユリの細い手指がエルヤーの首を捕え、僅か数秒後にニグンが刀を持っている手を鷲掴み抑え込む。

 

「……ぐっ…。…な…!!」

 

 ギリギリとユリの細く長い指が喉に食い込み、気道が塞がると同時に皮膚が裂けて血が流れだす。抗い振り払おうにも両腕はニグンに取り押さえられており、エルヤーは信じられないと顔を歪めながら血走った目でユリやニグン、そして二人の奥に立つウルベルトを見やった。

 彼の視界の中で、ウルベルトの金色の瞳が怪しい光を宿す。

 

「……まったく、大人しく引き下がっていればいいものを。人間というものは本当に愚かしく、救いようのない生き物だねぇ」

 

 今までの口調とはガラッと変わり、ウルベルトは不気味な笑みを浮かべながらゆっくりとエルヤーの元へと足を踏み出した。

 肩に引っ掛けたコートの裾が怪しく揺らめき、月明りに浮かび上がる影がザワリと蠢く。

 ウルベルトは歩を進めながら無詠唱で〈静寂(サイレンス)〉の魔法をかけると、〈伝言(メッセージ)〉で自分の影に潜んでいるシャドウデーモンたちに命じて周りに人の目がないか周囲を警戒させた。

 もはやこの場は常人が立ち入って良い場所ではない。

 ウルベルトはエルヤーの目の前で立ち止まると、ユリに指示を出して身体を傾けさせ、真正面からその端正な顔を見据えた。

 

「っ!!」

 

 不意に喉から出そうになった悲鳴に、しかしエルヤーは咄嗟にそれを呑み込んだ。

 身体の奥底から噴き上がってきたのは本能的な恐怖。まるで絶対に敵わない天災を相手にしているかのような底のない絶望感。

 ウルベルトは完全に凍り付いたエルヤーを見つめると、不気味な笑みを浮かべたままゆっくりと手を差し伸ばした。

 

「私は口ばかりで無能な勘違い野郎が死ぬほど嫌いでねぇ…。特に君のような身の程を弁えない救いようのない愚者は反吐が出そうだ」

 

 いっそ優しさが感じられるほどに柔らかな手つきでエルヤーの顎を捉え、そのまま持ち上げて仄暗い光を宿した金色の瞳で奥の奥まで覗き込む。

 

「……いっそのこと、我々が有効活用してあげよう。少しは人様の役に立てて、君も嬉しいだろう?」

 

 ウルベルトはわざとらしいまでの満面の笑みを浮かべると、顎から指を離してそのまま人差し指をエルヤーの額に押し当てた。

 

「〈人間種束縛(ホールドパーソン)〉」

 

 整った唇から紡がれるのは拘束魔法。

 ウルベルトは完全に動きを止めたエルヤーをニグンに担がせると、踵を返して〈転移門(ゲート)〉を唱えた。

 彼らの目の前に底の見えない真っ黒な闇の扉が口を開く。

 

「……フフッ、モモンガさんたちへの予想外のお土産ができたなぁ」

 

 夜の闇に染まった路地裏にウルベルトの不気味な笑い声が響いて消える。

 ウルベルトはシャドウデーモンたちを自分の影に戻らせると、ユリとエルヤーを担いだニグンを引き連れて闇の扉を潜って壮大な大墳墓へと足を踏み入れた。

 

 




フールーダなどの〈魔法の矢〉の本数は私の想像です。間違ってしまっていたら申し訳ありません…。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“レヴィアタンの嫉妬《インヴィディア・オブ・レヴィアタン》”;
“七つの大罪”シリーズの一つ。最上級武器の杖。二匹の蛇が尾を絡ませて一つになったような長い杖で長さは約一メートルほど。両端にある蛇の頭は二つとも宝玉を咥えている。力を発動させると両尖端の二つの宝玉から水が噴き出し、衝撃を加えたり回転させると水の勢いや量が増える。水は多くの水滴や放流となって宙を漂い、敵の攻撃阻害や毒、麻痺などの効果を持っている。
・〈風の刃〉;
第二位階魔法。かまいたちのような風の刃を放つ。


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第21話 始まりの蜘蛛の糸

遂に明日は『オーバーロード13巻』の発売日ですよ!
ということで、記念……というわけではないのですが、次話更新です!

そして、お気に入り件数が2000件突破! まさかここまで来るとは!
ありがとうございます、とても励みになります!!


 時は少々遡り、モモンガやナーベラルと共にエ・ランテルでアンデッド騒動を解決したペロロンチーノは、後のことはモモンガたちに任せて一人ナザリックへと帰還していた。

 尤も帰還したのは夜空が白け始めた早朝。

 霊廟ではシズとエントマが出迎えに出てきており、ペロロンチーノはエントマにクレマンティーヌとカジットの死体を預けてそのまま霊廟内へと進んでいった。

 エントマは取り敢えず死体を第五階層へ持って行き、ペロロンチーノは残ったシズを後ろに引き連れながら、ふわぁっと大きな欠伸を零した。

 第一回目の定例報告会議の夜は結局一睡もできずに話し合いやアイテム作りに潰され、次の夜はエ・ランテルでモモンガたちとずっと奮闘していたため合計で二日間貫徹したことになる。たかだか二日間寝ていないだけだが、流石に睡魔が限界である。

 早く自室に戻って寝台にダイブしてしまいたい……。

 

「…ペロロンチーノ様。実は現在ウルベルト様が………」

「あ~、ごめん…、シズ……。今いろいろ限界なんだ……。報告は、後でちゃんと聞くから……」

「畏まりました」

 

 シズが何事か声をかけてくるが、ペロロンチーノはそれを途中で遮って見えてきた自室の扉へと歩み寄った。先回りをして扉を開けてくれるシズに短く礼を言い、室内へと足を踏み入れて真っ直ぐに寝室へと向かう。

 室内には今日の担当であろう一般メイドが控えており、ペロロンチーノは彼女に寝室の扉を開けてもらってそのままキングサイズの寝台へとダイブした。

 嘴を擦り付けたシーツからフローラルで甘やかな香りを感じて、思わず大きく香りを吸い込む。それでいて大きく息を吐き出して全身の力を抜くと、瞼を閉じながら未だ扉の前で控えているシズと一般メイドに声をかけた。

 

「……俺は少し寝る。…三時間後に、…起こして、くれ………」

「「畏まりました。お休みなさいませ、ペロロンチーノ様」」

 

 彼女たちはそれぞれ傅き、頭を下げてくる。

 ペロロンチーノは薄れゆく意識の中で彼女たちの声を聞きながら、大人しく睡魔に身を委ねていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠りに落ちてどのくらい経ったのか……――

 耳に心地よい音と揺さぶられる身体に気が付いて、ペロロンチーノは自分の意識がゆっくりと浮上していくのを感じていた。

 未だ重たく感じられる瞼を何とか開き、目の前の景色をぼんやりと見つめる。

 大分見慣れてきたナザリックの自室の天井をぼんやりと見つめていると、不意に視界の中に一人の少女が映り込んできた。

 

「…ペロロンチーノ様、お時間でありんす。どうか起きてくんなまし」

「……んぅ…、……ん……? ……シャル、ティア…?」

「はい、わらわでありんす」

 

 愛しの創造主に気付いてもらえて、途端にシャルティアが嬉しそうな満面の笑みを浮かべる。

 ペロロンチーノは一度くわあぁっと大きな欠伸を零すと、ゆっくりと上体を起こしてググッと背筋を伸ばした。四枚二対の大きな翼もパサパサと小さくはためき、次にはゆっくりと背中へと収まる。

 地面に両足をついて立ち上がれば、シャルティアは一、二歩下がって改めて優雅に礼をとった。

 

「おはようございます、ペロロンチーノ様」

「うん、おはよう、シャルティア。起こしに来てくれてありがとう。シズたちに聞いて来てくれたのか?」

「はい! ペロロンチーノ様のお役に少しでも立ちたくて、わらわが代わりに伺ったのでありんす!」

「そっか。もう可愛いな~、シャルティアは!」

「ペ、ペロロンチーノ様…! ありがとうございます!!」

 

 蝋のように白い頬が一瞬で薔薇色に染め上がる。

 熱っぽく潤んだワイン色の瞳と相俟って非常に可愛らしい色気が漂い、ペロロンチーノは自身の表情筋が一気に緩むのを止められなかった。

 流石は俺の理想の嫁! 流石は俺のシャルティアだ!

 内心でシャルティアを褒め称えまくりながら、しかし注意することも忘れなかった。

 

「シャルティア、本当に嬉しいよ。…でも、メイドたちの仕事をとってしまうのはいけない。シャルティアにはシャルティアの、メイドたちにはメイドたちの役割がちゃんとあるんだから。シャルティアだって、自分の仕事をとられたら嫌な気持ちになるだろう?」

「…は……は、い……」

 

 ペロロンチーノに諌められ、途端にシャルティアの表情が満面の笑みから沈んだ悲しみの色に翳ってしまう。がっくりと肩を落として落ち込む吸血姫に、ペロロンチーノは胸が痛んで仕方がなかった。

 しかしここで妥協してしまっては、代わりに一般メイドたちの可愛らしい顔が悲しみに翳ってしまう。

 この世の美少女をこよなく愛するペロロンチーノにとって、それは決して起こしてはならない事柄だった。

 しかしシャルティアをこのままにしておくのも全くもって頂けない。

 ペロロンチーノはシャルティアの目の前まで歩み寄ると、彼女の細い両肩にそっと手を乗せた。

 

「ほら、そんな顔しないで。シャルティアに起こしてもらえて嬉しかったのは本当なんだから。それに、俺はシャルティアの笑顔が大好きだから笑ってほしいな」

「……ペロロンチーノ様……!」

 

 シャルティアはバッと顔を上げると、次にはぱあぁっと顔を輝かせた。

 彼女の素直な反応を非常に可愛らしく思いながら、ペロロンチーノは名残惜しそうにゆっくりとシャルティアの肩から手を離して一つ息をついた。

 

「さて、俺もお仕事をしないとな。……シャルティア、悪いんだけどメイドに頼んで朝食を用意して貰ってきてくれ。後、今日はトブの大森林の探索に出るからアウラとコキュートスに準備をしておくように伝えてくれ」

「はい、畏まりんした」

 

 シャルティアは顔を引き締めさせると、ドレスの裾を摘まんで優雅に礼をとって頭を下げてくる。

 ペロロンチーノは一つ頷くと少し考え込んだ後、さっそくメイドのところへ行こうとしていたシャルティアを再度呼び止めた。

 

「シャルティアはこれからの予定は?」

「……? 今日は特には……、ナザリックの守護に徹する予定でありんす」

「それじゃあ、時間はあるな。これから一緒に朝食をどうだ?」

 

 小首を傾げて笑みと共に朝食に誘う。

 シャルティアは驚愕に目を見開かせると、次には白い頬を薔薇色に染め上げた。

 

「は、はい! 喜んで!」

 

 少し食いつき気味に身を乗り出して大きく頷いてくる。

 ほうっと小さく甘い吐息を零してペロロンチーノを見上げて微笑むその顔は、確かに恋する乙女の表情を浮かべていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 シャルティアと共に朝食をとったペロロンチーノは、今はアウラやコキュートスたちと共にトブの大森林の探索を行っていた。

 初めにトブの大森林を探索した日から今日で五日目。しかしトブの大森林の探索は未だあまり進んではいなかった。

 トブの大森林に生息している植物や獣、魔獣など全ての生き物をサンプルとして捕獲してはナザリックに送っているため時間がかかるのは勿論だが、それに加えて何だかんだでペロロンチーノがカルネ村に行ったりモモンガに着いて行ったりしているため中々作業が進まなかったのだ。

 今までの遅れを取り戻すためにも、今日は頑張らなくてはならない。

 ペロロンチーノは気を引き締めさせると、コキュートスを後ろに引き連れて森の奥へ奥へと進んでいった。

 アウラは安全確認も兼ねて一足先に前方付近を進んでいる。

 ペロロンチーノは新たな植物や獣や魔獣を見つけては捕獲しシモベたちに預けると、方角や地理なども確かめながら歩を進めていった。

 

 

 

『ペロロンチーノ様』

『うん? 何かあったか、アウラ?』

 

 不意に繋がったアウラからの〈伝言(メッセージ)〉。

 歩みを止めて応答すれば、頭の中にアウラの可愛らしい声が響いてきた。

 

『実は、大きな湖と沼地を見つけたんです。獣や魔獣ではなく、亜人が生息しているようです』

『亜人? 何の種族か分かるか?』

『はい、恐らく蜥蜴人(リザードマン)ではないかと……』

 

「……リザードマン…」

 

 ペロロンチーノは小さく顔を俯かせると、思わず呟くように言葉を零していた。

 森の中に湖や沼地があること自体は珍しくない。ユグドラシルでも存在していたし、ギルドメンバーの一人であるブルー・プラネットにも同じような話を聞いたことがあった。

 しかし森の中に獣でも魔獣でもなく亜人がいるというのは少々意外だった。

 アウラによるとリザードマンだという話だが、果たしてそれはユグドラシルのものと同じものなのか、それとも全くの別物なのか。

 知性は? 理性は? 強さは?

 勢力はどの程度あり、大森林のどこまでを支配しているのか……。

 ペロロンチーノは少しの間だけ熟考すると、次には顔を上げて未だ繋がっている〈伝言(メッセージ)〉でアウラへと声をかけた。

 

『…分かった、今からそちらに向かう。アウラはそこで待機していてくれ。リザードマンには手を出さないように』

『畏まりました。お待ちしております』

 

 ペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、後ろに付き従っているコキュートスやシモベたちを振り返った。

 

「アウラがリザードマンの住処を見つけたみたいだ。俺たちも行ってみよう」

「ハッ」

 

 巨体を折り曲げて礼をとるコキュートスやシモベたちに、ペロロンチーノも一つ頷く。歩む速度を少々速めながら、ペロロンチーノたちは森の更に奥へと進んでいった。

 ペロロンチーノからすれば飛ぶよりも時間がかかる移動方法。

 しかしそれでも十数分後には目的地だと思われる湖の畔へと辿り着いた。

 

 

 

「ペロロンチーノ様、お待ちしておりました!」

 

 予想よりも広大な湖を見回す中、聞き慣れた幼い声に呼ばれてそちらを振り返る。

 アウラは近くに生えている大きな木の高い枝の上に立っており、小さな掛け声と共に地面へと着地した。100レベルNPCであるが故か、それとも闇妖精(ダークエルフ)であるからなのか、普通の人間であれば両足が骨折してもおかしくない高さから飛び降りたというのにアウラはピンピンとしてペロロンチーノのすぐ目の前まで駆けてくる。

 ペロロンチーノはアウラを見下ろすと、続いて目の前に広がる湖へと視線を移した。

 

「ご苦労様、アウラ。これがさっき言ってた湖か……。リザードマンたちはどこにいる?」

「はい、こちらです。沼地となっている部分に集落を作っているようです」

 

 アウラの案内で湖に沿って歩いていく。

 十分もかからぬうちに大湿地が見え始め、その中に一つの集落がペロロンチーノたちの視界に入り込んできた。

 目測でカルネ村と同じくらいか、それよりも小さな規模の集落。木の枝や藁で造られた家々の間から二足歩行の蜥蜴のような姿が多く見え隠れしている。恐らくあれらがリザードマンなのだろう。

 ペロロンチーノは茂みや木々の間から集落の様子を窺いながら、う~むと小さな唸り声を上げた。

 ちゃんとした……とは言いにくいものの、それなりの大きさのある家と、カルネ村と同じような構造をしている集落。チラチラと見えるリザードマンたちも藁や毛皮などを服のように纏っており、中には刺青のような紋様を身体に描いている者もいた。

 それなりの文化が窺える彼らの様子に、ペロロンチーノは獣や魔獣たちと同じような対応をしても良いのだろうかと迷い、頭を悩ませた。

 文化があるということは彼らにはそれなりの知性があるということだ。

 それがどの程度なのかはペロロンチーノには推し量ることができなかったが、獣や魔獣と同じように捕獲や殲滅をしても良い様なものではない気がした。

 

(……これはモモンガさんやウルベルトさんに相談した方が良いかもしれないな…。)

 

 ペロロンチーノは内心でそう判断すると、取り敢えず彼らには手を出さぬようアウラたちを振り返った。

 しかし、その時……――

 

 

『……ペロロンチーノさん、今少しだけいいですか?』

『…!! モモンガさん、どうかしたんですか?』

 

 突然モモンガから繋がった〈伝言(メッセージ)〉。

 またカルネ村で何かあったのかと内心小首を傾げる中、しかしモモンガから言われた言葉は予想していたものとは全く違うものだった。

 

『……実は、以前シャルティアを目撃して放置された女冒険者が組合(ギルド)にシャルティアのことを報告したらしくて…。今、シャルティア討伐の依頼が組合から出ているようなんです』

『えっ!!?』

 

 思っても見なかった事態に、ペロロンチーノは思わず大きな声を上げていた。

 しかしよくよく考えてみれば、こういった事態になるのも当然だったと思い至る。

 そもそも人間に害になりそうなモンスターを狩るのが冒険者の仕事であり、被害者がいくら野盗だったとはいえ、人間であることには変わらないのだ。加えてシャルティアは野盗だけではなく冒険者にも被害を出している。討伐依頼が出るのは至極尤もだと言えた。

 どうしてこんなことにも気が付かなかったんだろう……と内心で頭を抱える。正直、ナザリックの存在が知られるか否かにばかり気をとられ、そこまで考えが至らなかった。

 過去の自分を腹立たしく思いながらも、今は少しでも早く対処するべくモモンガとの会話に集中することにした。

 

『それで……、その依頼は既に誰かが受注しているんですか?』

『いえ、まだです。というよりも、相手が非常に危険な吸血鬼だということで組合から直々に名指しでミスリル級冒険者たちにお呼びがかかっているらしいんです。俺やナーベラルにも召集がかかりました』

『えっ、モモンガさんたちにも? でも、モモンガさんたちってまだ銅級(カッパー)じゃあ……』

『いえ、昨夜のアンデッド事件の解決で一気にミスリル級にまで昇級させてもらったんです。……本当に幸いでした』

 

 ため息交じりのモモンガの言葉に、ペロロンチーノも内心で大きく頷いた。

 これが例えば誰でも受注できるような依頼であったなら、モモンガたちが誰よりも早く受注して解決すればよかった。しかし今回のようにミスリル級冒険者のみと限定されてしまえば、下手をすれば一気に出せる手が限られてしまう。

 今回モモンガたちがこのタイミングでミスリル級にまでなれたのは全くの偶然であり、まさに幸運以外の何物でもなかった。

 

『…全くですね。それで……、どうするつもりですか?』

『勿論受注しますよ。これから招集に応じるつもりです。ペロロンチーノさんたちの補佐も必要になってくるかもしれないので、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を使ってナザリックから様子を見ていてもらえますか?』

『ふむ……、了解しました。招集場所は冒険者組合で良いんですよね?』

『はい。よろしくお願いします』

 

 モモンガの言葉を最後にプツンッと〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 ペロロンチーノは更に大森林の探索が遅れるな…と内心でため息をつきながら、気を取り直すようにこちらを窺っているアウラやコキュートスたちを振り返った。

 

「……ごめん、モモンガさんから連絡が入った。俺はナザリックに戻る。コキュートスは一緒に来てくれ」

「ハッ、畏マリマシタ」

「アウラと他の者たちはここに残って湖や沼地を詳しく調べてくれ。マーレをこちらに来させるから、二人で協力して地形や地理、リザードマンの様子を探ってくれ。リザードマンたちにはくれぐれもバレないようにな」

「はい! 畏まりました!」

 

 コキュートスとアウラを先頭に、全てのシモベたちが一斉に頷いて頭を下げる。

 ペロロンチーノも一つ頷くと、徐にアイテムボックスの口を開いた。乱雑になっている中に手を突っ込み、目的の物を掴んで引っ張り出す。

 ペロロンチーノの手に握られているのは一つの巻物(スクロール)で、軽く宙へ投げた瞬間、巻物(スクロール)は淡い光を放って独りでに燃え上がった。

 巻物(スクロール)に込められていたのは〈転移門(ゲート)〉の魔法。

 完全に燃え尽きたと同時に目の前の空間に黒い闇の門が口を開き、ペロロンチーノはコキュートスだけを引き連れて闇の中へと身を沈ませた。

 一瞬視界が闇に染まり、すぐに晴れて視界を照らす。

 大森林の奥地にいた筈のペロロンチーノたちは、ナザリックの霊廟前まで戻ってきていた。

 

『……アルベド、聞こえるか?』

『…ペロロンチーノ様!? 如何なさいましたか?』

 

 アルベドに向けて〈伝言(メッセージ)〉を繋げれば、すぐに驚いたような涼やかな美声が聞こえてくる。

 ペロロンチーノはコキュートスを引き連れて霊廟の中に足を踏み入れながら、これからについてアルベドに命を下していった。

 

『アルベド、これからすぐにシャルティアと一緒に俺の部屋に来てくれ。その際、遠隔視の鏡も持ってくるように』

『か、畏まりました……!』

『あと、マーレにアウラの元へ行くように伝えてくれ』

『畏まりました、すぐに連絡いたします』

 

 戸惑った声音ながらも素直に応じるアルベドに、ペロロンチーノは頼んだぞと声をかけて〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは今はアルベドに預けており一気に転移することができないため、仕方なく徒歩でナザリック内を進んでいった。

 ナザリック地下大墳墓は十階層まであり、一階層一階層がそれぞれひどく広大だ。そんな中を普通の方法で進むとなると、ただ歩くだけでもそれなりの時間がかかる。

 改めてリングのありがたみが分かって内心で何度も頷く中、不意にある考えが頭を過り、ペロロンチーノは思わずピタッと足を止めた。

 

「ペロロンチーノ様、如何ナサイマシタカ?」

 

 後ろを付き従っているコキュートスからすかさず声をかけられる。

 ペロロンチーノはコキュートスを振り返らずに頭を振ることで応えると、再び足を動かし始めながら先ほど過った考えを熟考し始めた。

 よく考えてみれば、今後も今と同じように急遽対処しなければならない事象が次々と起こるかもしれない。ナザリックの外で出来ることなら良いが、ナザリック内で動かなければならない場合、ナザリックのどこへでも転移可能なリングの存在は重要かつ必要不可欠なものではないだろうか。もし可能であるなら、自分たちギルドメンバーだけでなくNPCにも……せめて階層守護者たちだけにでもリングを渡すことはできないだろうか……。

 

(……これもモモンガさんとウルベルトさんに相談だな。)

 

 どんどん相談するべき事柄が増えてきて頭が痛くなってくる。

 ペロロンチーノは出そうになるため息を何とか呑み込むと、漸く見えてきた九階層の私室の扉へと歩み寄って行った。ペロロンチーノが扉を開ける前に、コキュートスが素早く前に進み出て扉を開けてくれる。

 脇によって頭を下げるコキュートスに短く礼を言うと、ペロロンチーノは部屋の中へと足を踏み入れた。

 

「お帰りなさいませ、ペロロンチーノ様」

「お帰りなさいまし、ペロロンチーノ様」

 

 室内ではアルベドとシャルティアが既に揃っており、こちらに跪いて頭を下げていた。

 

「ただいま、二人とも。早速だけど、ちょっとした問題発生だ。みんなの知恵を貸してほしい」

 

 ペロロンチーノはアルベドからリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを受け取ると、指に填めながら近くの椅子に深く腰掛けた。目の前に居並び跪いているアルベドとシャルティアとコキュートスを見やり、先ほどのモモンガから聞いた情報を全て話して聞かせる。

 途端にシャルティアの顔色が蒼褪める中、アルベドは思案顔を浮かべ、コキュートスはフシューと冷気を口から吐き出した。

 ペロロンチーノは椅子から立ち上がってシャルティアの頭をポンッポンッと軽く叩くように撫でると、テーブルの上に立て掛けるように置いてある遠隔視の鏡へと目を向けた。

 

「……まぁ、まずはモモンガさんたちの様子を見てみよう」

 

 シャルティアの頭から手を離し、改めて椅子へと腰掛ける。

 鋭い鉤爪を備えた手指を遠隔視の鏡へと向けると、ペロロンチーノの意思に反応して鏡が力を発動した。

 鏡面に映ったのは見覚えのある人間の街の景色。

 ペロロンチーノは右手で鏡を操作しながら、一方でアイテムボックスを開いて左手を突っ込んだ。

 冒険者組合だと思われる目的の建物を見つけると、それとほぼ同時にアイテムボックスから二つの巻物(スクロール)を取り出す。ペロロンチーノは巻物(スクロール)を二つ同時に軽く放り投げると、途端に巻物(スクロール)が淡い光と共に燃え上がり魔法を発動させた。

 二つの巻物(スクロール)に込められていたのは不可視化の感覚器官を作り出す魔法。

 通常室内までは見ることのできない遠隔視の鏡も、この魔法と連結させて使えば室内も鏡面に映し出すことができる。

 ペロロンチーノは二つの巻物(スクロール)によって作り出した目玉にも似た感覚器官と耳にも似た感覚器官をそれぞれ動かすと、多くある部屋を一つ一つ覗き込んでいった。

 二つ目までは無人の部屋で外れだったが、三つ目の部屋で見知った姿を発見する。

 この部屋が目的の部屋だったらしく、中にはモモンガが扮した漆黒の戦士と六人の男と一人の女が揃ってテーブルを囲むように座っていた。

 会談は既に始まっているらしく、今は女が必死に何かを話している。よくよく耳を傾けてみれば女は討伐対象である吸血鬼について詳しく説明しており、どうやらこの女がシャルティアに遭遇した女冒険者であるようだった。他の男たちが何者なのかは分からないが、この中の幾人かはモモンガと同じミスリル級冒険者なのだろうと当たりをつける。

 とにかく今はモモンガに連絡を取るのが先決だな…と判断すると、女冒険者が話している間にモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

『…えー、こちらペロロンチーノ、こちらペロロンチーノ。モモンガさん、応答願います』

『……ペロロンチーノさん、ナザリックに着いたんですか?』

『はい、バッチリ見てますよ。アルベドとシャルティアとコキュートスも一緒にいます』

『そうですか……。丁度、当事者から話を聞いているところですよ。どうやら今回の討伐依頼の吸血鬼はシャルティアのことで間違いないようですね』

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノはやっぱりか……と内心でため息をついた。

 ペロロンチーノも彼女の話に耳を傾け、シャルティアに間違いないと判断する。

 女冒険者は恐怖のあまり吸血鬼の服装や外見はぼんやりとしか覚えていないらしいが、“銀髪で大口”という特徴は妙に強く記憶に刻まれているらしい。

 どうしたものか…と頭を悩ませ、ペロロンチーノは取り敢えず話し合いの成り行きを暫く見守ることにした。

 女冒険者からの説明は既に終わり、今は冒険者だと思われる一人の男が妙に喧嘩腰にモモンガに食って掛かっている。

 敵愾心剥き出しの男に呆れたため息を小さくつきながら、ペロロンチーノは共に遠隔視の鏡で様子を窺っているアルベドたちに彼らの会話の内容を語って聞かせた。

 アルベドたちは冒険者の男に対して苛立ちと殺気を宿した形相で睨み付けていたが、何とか彼女たちを諌めて対処策を問いかける。

 シャルティアやコキュートスが未だ遠隔視の鏡の鏡面を睨み付ける中、アルベドは表情を思案顔に変えて少し考え込んだ後にペロロンチーノを見つめてきた。

 

「……シャルティアの姿を見た人間はあの女のみで、その女すら“銀髪で大口”という断定的かつシャルティアの本性の姿しか覚えておりません。ならば、その特徴さえ押さえておけば身代わりを作ることも可能かと愚考いたします」

「なるほど、確かに……」

 

 ペロロンチーノもアルベドの言に頷くと、遠隔視の鏡を振り返って改めて鏡面の光景を見つめた。

 鏡面の中では未だ男たちが真剣に話し合っている。

 どうやら今は吸血鬼の危険性と、討伐ではなく街での警備網に話が移っているようだった。

 自分たちが警戒している間にもっと上級のオリハルコンやアダマンタイトクラスの冒険者を呼ぶつもりらしく、ペロロンチーノは思わず小さく顔を顰めさせた。

 これは少々まずいと判断し、すぐに再びモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉で語り掛ける。

 

『……モモンガさん、これは少々まずいですよ。他の連中が依頼を引き受けたら対処が難しくなります』

『そうですね……。何とか俺が依頼を受注できるようにしないと』

『先ほどアルベドがアドバイスしてくれたんですけど……――』

 

 人間たちの話し合いを注意深く窺いながら、モモンガとペロロンチーノは今後の対策について話し合っていく。合間合間にアルベドやコキュートスやシャルティアの意見も聞きながら、モモンガとペロロンチーノは以下の対策を組んでいった。

 一つ、依頼は警備網ではなく討伐についてのものに変更させ、それをモモンガたちが受注する。

 一つ、シャルティアと特定される特徴は“銀髪で大口”という二点のみであるため、その二点を取り入れた替え玉をナザリックで用意する。

 一つ、女冒険者を同行させ、替え玉をシャルティアと認識させてからモモンガが吸血鬼を討伐するのを見届けさせる。

 正にシャルティアの問題解決とモモンガの名声アップが狙える良い対策とまたとないチャンスと言えた。

 

『替え玉はこちらで用意しておくので、討伐依頼の方はモモンガさんの方で上手くやってください』

『わ、分かりました。何とかやってみます……』

『一応会談が終わるまでは遠隔視の鏡で見守っているので、何かあったらフォローしますね』

『お願いします……。…あっ、後でウルベルトさんにも連絡をお願いします。この件が終わったらいろいろと相談したいこともありますし、良ければ一日早いですけど二回目の定例報告会議をしましょう。可能ならプレアデスたちも全員呼んで情報共有した方が良いかもしれません』

『そうですね。俺もみんなに相談したいことがありますし……、ウルベルトさんに連絡してみます』

 

 ペロロンチーノは一つ頷いて〈伝言(メッセージ)〉を切ると、遠隔視の鏡を見つめているアルベドたちを振り返った。室内にある不可視化した二つの感覚器官や遠隔視の鏡はそのままに、アルベドたちと共に詳しいところを話し合い始める。

 鏡の奥ではモモンガが必死に冒険者たちを説得しているようだった。

 どうやら討伐対象の吸血鬼をモモンガが扮している漆黒の戦士モモンの宿敵である設定とするらしい。これならモモンガが依頼を引き受けられる確率が一気に高められるだろう。

 流石はモモンガさん…と思わずニンマリと表情を緩めさせる中、唐突に耳に飛び込んできた名前に目を見開かせた。

 

「ホニョペニョコっ!!?」

 

「「「!!?」」」

 

 ペロロンチーノはアルベドたちが驚愕の表情を浮かべるのも構わずに、バッと遠隔視の鏡を振り返った。

 そうしなくともペロロンチーノ自身は室内の様子が見えているのだが、聞き捨てならない“名前”に振り返らずにはいられなかった。

 鏡面では未だモモンガが必死に冒険者たちに語っており、ペロロンチーノはまるで睨むようにその様子を凝視していた。

 

「…ペ、ペロロンチーノ様……?」

「………………アルベド……」

「は、はい!」

「…替え玉は俺が用意する。今から一時間後に現地集合だ。シャルティアも念のためアルベドと共に来てくれ。コキュートスはナザリックの警備だ」

「か、畏まりました」

「畏まりましたでありんす」

「承知イタシマシタ」

 

 ペロロンチーノは椅子から立ち上がると、傅いて頭を下げるNPCたちの前を通り過ぎて部屋を出て行った。

 回廊に出て一度閉じた扉の前で立ち止まると、そのままウルベルトに向けて〈伝言(メッセージ)〉を繋げる。

 頭に響いてきたのはウルベルトの声で間違いなかったが、どこか不機嫌そうな声音に少しだけ虚を突かれる。

 

『…なんだ、今は取り込み中だと言っただろう』

『あれ、取り込み中なんですか、ウルベルトさん?』

『!? …ペロロンチーノ?』

 

 相手が自分だと思っていなかったのか、ウルベルトの声が不機嫌そうなものから驚愕したものへと変わる。

 一体誰だと思っていたのだろうと内心で首を傾げる中、次には訝し気な声が頭に響いてきた。

 

『お前が俺に連絡してくるなんて珍しいな。何かあったのか?』

『あれ、そうでしたっけ? ユグドラシルの時は良く連絡してたと思いますけど』

『だけど、こっちに来てからはそうでもないだろう? それで、何かあったのか?』

『…そうでした。えっと、それが……実はですね………』

 

 改めて説明しようとして、しかしそこで少々歯切れが悪くなってしまう。

 起こったことは仕方がないとはいえ、今回のことが自分やシャルティアの不始末が原因であるだけに自然と口が重くなる。

 しかし何やら取り込み中であるらしいウルベルトを煩わせるわけにもいかず、ペロロンチーノは意を決する思いで今回のことを手短にウルベルトへと説明した。

 

『俺とモモンガさんとで早急に対処するつもりなんですけど、どちらにせよ対処後の報告や他に話し合いたいことも出てきてるので、一日早いですけど今夜に第二回目の定例報告会議をしようと思うんですけど……』

『なるほどな……、……分かった。俺も一つ二人の耳に入れておきたいことがあるし、今の用事が終わり次第ナザリックに帰還しよう』

『お願いします。あっ、今回はユリとニグンも一緒に連れて帰って下さいね』

『モモンガさんの指示か?』

『そうです。お願いしますね』

『…了解です』

 

 ため息が潜んでいそうなウルベルトの声音に苦笑を浮かべながら、ペロロンチーノはお願いしますねと念押しして〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 途端にこちらも思わず小さなため息が零れ出る。

 しかしここで呑気に時間を潰している暇はない。

 ペロロンチーノは気を取り直すようにもう一度息をつくと、右手の薬指に填められた指輪を見やり、徐に指輪の力を発動させた。

 瞬間視界が暗闇に覆われ、次には金色の輝きに満たされる。

 ペロロンチーノは無意識に目を忙しなく瞬かせると、目的の人物に会うために大きく足を踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 強い風と大きな振動を全身で感じながら、モモンガはヘルムの中で困惑と焦燥の色が入り混じった表情を幻の顔に浮かべていた。

 モモンガがいるのは疾走中のハムスケと名付けた森の賢王の背中の上。

 彼の横には動物の像(スタチュー・オブ・アニマル)戦闘馬(ウォーホース)に二人で跨っているナーベラル扮するナーベと女冒険者・ブリタ。前方には四頭の馬にそれぞれ騎乗した四人の男たち。

 本当は同行者は遭遇者であるブリタのみが良かったのだが、煩わしいことに最初からこちらに敵愾心剥き出しだったイグヴァルジと名乗る男も同行すると言って譲らなかった。よって同行者が一気に三人から七人に増えてしまい、モモンガは内心で重いため息をついていた。加えて先ほどの事が常に頭に引っかかっており、どうしようもなく焦燥のような感情が胸の裡で渦を巻いている。

 実は先ほどペロロンチーノに連絡しようと〈伝言(メッセージ)〉を繋げたのだが、今忙しいからとすぐに切られてしまったのだ。その直後アルベドから〈伝言(メッセージ)〉が来て、シャルティアが目撃された場所で待っていると伝えられて一気に焦りが湧き上がってきた。

 シャルティアがブリタと遭遇したのはエ・ランテルの街から歩いて三時間ほどの森の奥地。

 アルベドたちも現地に隠れて控えているとのことだったため心配はないだろうが、ペロロンチーノの態度と対応が心に引っかかってどうにも不安になってしまう。

 何か彼を怒らせるようなことをしてしまっただろうか…と考えを巡らせ、頭に過った少し前の記憶に思わず焦りの色を濃くした。

 

 

「おい、モモン。目的地点だぞ!」

 

 どうやって謝ろうか頭を悩ませる中、不意に前方を走っているイグヴァルジから鋭い声をかけられる。モモンガは一つ頷くことでそれに応えると、ハムスケに指示を出して止まらせ、地面へと飛び降りた。ナーベラルやブリタ、イグヴァルジの仲間たちもそれに続き、馬を近くの木々に繋げてから全員で森の奥へと進んでいく。

 ここからは目撃者であり唯一の生き残りであるブリタが一行を先導して案内していった。

 木々が生い茂る、鬱蒼とした森の中。

 しかし暫く歩いた後に一気に視界が開け、木々のない開けた場所へと辿り着いた。

 

「………ここが、目的地か…」

 

 モモンガの横でイグヴァルジが生唾を呑んで小さく呟く。イグヴァルジと同じチームの男三人も緊張で身体を硬直させ、全身に冷や汗を流している。ブリタなどは顔を真っ青にさせて緊張で全身を震わせている。

 何故彼らがこの場に足を踏み入れただけで極度の緊張状態に陥っているのかというと、それは広場の中心に立つ存在が全ての原因だった。

 

「………あれは…」

 

 モモンガもヘルムの中で思わず小さく呟く。

 彼らの視線の先に立っていたのは本来の姿を曝け出したシャルティア……のはずだ。

 しかし、彼女が纏っているのは黒いドレスではなく黒いローブ。品質もナザリック地下大墳墓の階層守護者にしてはみすぼらしく、恐らく聖遺物級(レリック)ではないだろうか。

 もしやドッペルゲンガーを替え玉にしたのだろうか…と内心で首を傾げる。

 ナザリックにいるドッペルゲンガーはこの世界の基準で言えばそれなりの強者と言えるのだが、100レベルであるシャルティアと比べればレベル差は激しい。

 これでちゃんと誤魔化せるのだろうかと内心で更に首を傾げる中、モモンガの不安は大きな衝撃によって吹き飛ばされた。

 

 

「こおぉぉれはこれは!! 私が取り逃がした女冒険者!! 仲間を呼んでくるとは、小癪なっ!!」

 

「ぐふぅっ!!?」

 

 大きな身振りと大仰な口ぶりで話し始めた吸血鬼に、モモンガは思わずヘルムの下で吹き出した。

 ブリタやイグヴァルジたちが呆然と立ちすくむ中、モモンガだけは小刻みに身体を震わせている。

 この震えは恐怖でも怒りでも武者震いでもない。ただ一つの大きな羞恥心だ。

 オーバーアクションの吸血鬼と不意に目が合い、モモンガは内心で情けない叫び声を上げていた。

 

「そこにいるのはっ! 英雄級の強さを誇る類まれなる戦士にして我が宿敵、モモンっ!! まさかこんなところまで追って来るなんてっ!!」

 

 吸血鬼の言葉にブリタたちの視線が一斉にモモンガへと向けられる。

 その全てに憐みのような色が宿っていると思うのはモモンガの思い過ごしなのだろうか……。

 モモンガは羞恥のあまり死にそうになりながら、しかし何とか平常心を保とうと背に負う二振りのグレートソードを勢いよく抜き放った。

 もうさっさと攻撃したいのを押し殺し、これだけはしておかなければ…と何とか己を奮い立たせる。

 

「…ひ、久しぶりだな、ホニョペニョコ! お前と決着をつける前に一つだけ確認しておきたいことがある。野盗の一派だけでなく、ここにいる彼女を含めた冒険者チームを殲滅したのは貴様か!!」

「その通ぉぉりっ!! …全員邪魔でしたので、始末させて頂きました。ですがまさかっ!! それによってあなたを引き寄せてしまうだなんてっ!!」

 

 長い銀髪を振り乱して本性の大口のヤツメウナギのような姿でオーバーアクションをする様はとてつもなくシュールに感じられる。

 モモンガは気を抜けば脱力しそうになるのを何とか堪え、最後の気力を振り絞って両手に持ったグレートソードを構えた。

 

「……分かった。ではここで、決着をつけよう! …行くぞ!!」

「そこにいる雑魚ともども、あの世に送って差し上げましょうっ!!」

 

 モモンガは強く地を蹴ると、勢いよく吸血鬼へと襲いかかっていった。吸血鬼もすぐさま身構え、高い身体能力とナイフのような鋭い爪で応戦してくる。

 激しい二人の戦闘に、ブリタたちはすっかり気が呑まれてしまって目は釘付けながらも全く動けなくなっていた。

 そして二人の戦いを見つめているのはもう一つ。

 遥か上空からペロロンチーノとアルベドとシャルティアがモモンガたちの様子を見下ろしていた。

 

「……あの、ペロロンチーノ様。あの替え玉は一体?」

「うん? パンドラズ・アクターだよ」

「……パンドラズ・アクター、ですか」

「あれ、アルベドたちは知らなかったっけ? モモンガさんが創った100レベルの領域守護者だよ。種族はドッペルゲンガーで、俺たちギルドメンバーの姿にもなれるし、俺たちの能力も八割使用できるんだ」

「……至高の御方々の能力を…、八割も……!?」

 

 シャルティアから驚愕の声が零れ出る。

 ペロロンチーノもそれに頷きながら、よく考えたら結構えぐいよな~と内心で呆れた声を零した。

 能力が八割とはいえ、自分を含めたあの(・・)ギルドメンバーたち全員の能力を使えるというのは、なかなかにチートではないだろうか……。

 特にワールド・チャンピオンのたっち・みーやワールドディザスターのウルベルト、後は問題児のるし☆ふぁーの力や能力は特にいろんな意味で末期だと言えた。

 

「……ですが、領域守護者とは……どこの領域守護者なのでありんすか?」

「宝物殿だよ。……確かに宝物殿はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンでしか行けない場所だから、みんなとはあまり深い関わりはなかったな」

 

 知らなくて当然だろうと思い直し、ペロロンチーノは改めて地上へと目を向けた。未だ呆然と立ち尽くしている一団を見やり、ほんの微かに目を細めさせる。

 アルベド経由で、既にモモンガからブリタという女冒険者以外は殺しても良いと許可が出ている。

 ブリタ以外のメンバーは組合での会談の時にモモンガに対して反抗的だった男のチームであり、生かしておいても良いことはないだろう。

 ならばモモンガの力を示すための生贄になってもらおう、とペロロンチーノはアルベドとシャルティアそれぞれに目を向けた。二人は心得た様に一つ礼を取ると、アルベドはパンドラズ・アクターに〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、シャルティアは特殊技術(スキル)を発動させた。

 シャルティアが発動させたのは〈眷属招来〉。

 ペロロンチーノたちの背後の上空から古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バッド)の群れと大群の吸血蝙蝠の群れ(ヴァンパイア・バッド・スウォーム)が姿を現す。

 パンドラズ・アクターが扮した吸血鬼が大仰に片手を振りかざしたのを合図に、シャルティアは眷属たちを一斉に地上へと解き放った。

 黒く大きな塊となった古種吸血蝙蝠と吸血蝙蝠たちが勢いよく地上へと舞い降り、呆然と立ち尽くしていた冒険者たちに襲い掛かっていく。あからさまにブリタだけを襲わせないわけにもいかないため彼女のことはナーベラルに守らせ、他の冒険者たちに対しては容赦なく蹂躙させていった。

 

「タイミング、バッチリだ! 二人とも、流石だな」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございますでありんす!」

 

 ペロロンチーノが満足げに褒めれば、途端に二人ともが頬を染めて満面に喜色を浮かべる。

 可愛らしい美女と美少女の反応に思わず顔の筋肉が緩みそうになりながら、ペロロンチーノはすっかり地獄と化した地上を見下ろしてモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

『えー、こちらペロロンチーノ、こちらペロロンチーノ。モモンガさん、応答願います』

『ペ、ペロロンチーノさんっ!? どうしてパンドラを出したんですか!!』

 

 繋げた途端に飛んできたモモンガからの悲鳴のような苦情。

 しかしペロロンチーノは一切気にすることはなかった。

 

『俺がシャルティア本人を出させるわけがないでしょう。第一、ウチのシャルティアはホニョペニョコなんて変てこな名前じゃありません』

『……うっ!!』

 

 ツンっとしたペロロンチーノの声に、モモンガから呻き声のような声が返ってくる。

 モモンガ自身も恐らく気にしてはいたのだろう、それ以上文句を言ってくることはなく、それにペロロンチーノも態度を軟化させた。

 

『パンドラズ・アクターには目くらましのアイテムを渡してあります。良いタイミングが来たらパンドラズ・アクターに合図を送ってアイテムを発動させて下さい。こちらにはシャルティアも控えているので、アイテムが発動したら〈転移門(ゲート)〉を開いてパンドラズ・アクターを回収します』

『……分かりました。精々派手にやらせてもらいます』

『ははっ、楽しみにしてますよ。俺たちは空から見守ってるんで、また何かあったら知らせて下さい』

 

 ペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、続いてブリタたちへと目を向けた。

 古種吸血蝙蝠と吸血蝙蝠たちは既に殆どおらず、しかし干乾びた四つの死体が地面に倒れ伏していた。後はナーベラルが適度に襲いかかってくる吸血蝙蝠たちを適当に捌いているのみだ。

 モモンガの戦いもナーベラルの戦いも終盤に差し掛かっており、なかなかに良いタイミングになってきているのではないだろうか。

 モモンガたちがいつ行動を起こしても良いようにシャルティアに準備をさせながら、ペロロンチーノたちは静かに彼らの戦闘を見守っていた。

 

 それから十数分後……――

 突如、モモンガと吸血鬼を中心に眩い大きな光が炸裂した。間を置かずに大きな雷も炸裂し、ペロロンチーノはすぐにシャルティアに合図を送った。

 シャルティアはすぐさま〈転移門(ゲート)〉を出現させると、次には闇の扉の中から今までモモンガと死闘を繰り広げていた吸血鬼が姿を現した。

 身に纏っている黒いローブはボロボロになっていたが、どうやら大した怪我はしていないようだ。

 〈飛行(フライ)〉を唱えて宙に浮かぶ吸血鬼に、ペロロンチーノは柔らかな笑みを浮かべて労をねぎらった。

 

「お疲れさま、パンドラズ・アクター。ご苦労だったね」

「とぉぉんでもございませんっ、ペロロンチーノ様っ!! 至高の御方々のお役に立つことができ、このパンドラズ・アクター、身に余る栄誉にございますともっ!!」

「あ、あぁ、それは良かった……。…ゴホンッ、えっと、取り敢えず、シャルティアとパンドラズ・アクターは一足先にナザリックに戻っていてくれ。俺とアルベドは念のためにモモンガさんたちがここを立ち去るまで待機しておく」

「畏まりんした」

Zu Befehl(畏まりました)

 

 シャルティアの隣でパンドラズ・アクターが大仰に礼をとってドイツ語を口にする。

 途端にアルベドとシャルティアの表情が微妙なものへと変わった。言葉にするとしたら「うわぁ~……」だろうか。

 ペロロンチーノも内心で大いに頷きながら、しかしそれを決して面には出さずにただシャルティアたちを急かしてナザリックへと帰還させるにとどめた。

 再び地上へと目を向け、一つ大きな息を吐き出す。

 

「……何とかうまくいったかな」

「はい。流石はペロロンチーノ様とモモンガ様。見事な御采配でした」

「いや、これもアルベドたちのおかげだよ。いつもありがとうな、アルベド」

「くふ――っ!! あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様っ!!」

 

 今までにない奇声を上げながら喜びを露わにするアルベドに思わず若干気圧される。

 しかしペロロンチーノはわざとらしい咳払いを零して何とか気を取り直すと、モモンガがナーベラルとブリタを連れてその場を離れるまで静かに見守り続けた。

 モモンガたちが森の中へと消えていき、そこで漸く全身から力を抜く。

 

「……よし、俺たちもナザリックに戻るか」

「あの死体は如何なさいますか?」

 

 アルベドの言葉に、地に伏している哀れな死体たちに目を向ける。

 

「う~ん…、取り敢えずそのままにしておこう。戦闘の痕跡として残しておいた方が良いかもしれないし」

「畏まりました」

「あっ、あと今夜にまた二回目の定例報告会議を行うことになったから、デミウルゴスとセバスにも知らせておいてくれ。今回は全員参加するように」

「まぁ! ではモモンガ様とウルベルト様もお戻りになられるのですね! 畏まりました、すぐに準備を始めます」

「うん、頼んだよ」

 

 ペロロンチーノは一つ頷くと、アイテムボックスから一つの巻物(スクロール)を取り出して宙に放り投げた。

 瞬間勢いよく燃え上がり、込められた魔法が解放されて〈転移門(ゲート)〉の闇の扉が目の前で口を開く。

 

「さぁ、帰ろう。ナザリックへ」

「はい、ペロロンチーノ様」

 

 ペロロンチーノとアルベドは二度と地上に目をやることもなく闇の扉へと進んでいく。

 闇の扉は二人の姿を呑み込むと、まるで空気に溶けるかのように静かに消えていった。

 

 




パンドラのドイツ語は翻訳サイトを使用したものなので、間違っていたら申し訳ありません…(汗)
その際は教えて頂ければ幸いです!


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第22話 第二回定例報告会議

「これより、定例報告会議を始めさせて頂きます」

 

 深夜0時。

 ナザリック地下大墳墓第九階層の円卓の間に涼やかな声が響く。

 円卓を囲むように並べられた椅子に座るのはモモンガとペロロンチーノとウルベルトのみ。他の者たちは全員が周りに控えるように立ち、三人の支配者へと目を向けていた。

 今回はモモンガから全員が参加するようにという厳命が発令されたため、モモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルトの三名と、ガルガンチュアとヴィクティムを除く階層守護者五名、セバスと戦闘メイド(プレアデス)たち七名、アルベドとパンドラズ・アクターとニグンと一般メイド二名の計二十名が円卓の間に集まっていた。

 前回の時と同じようにアルベドが司会進行役を務め、まずは軽くパンドラズ・アクターの紹介をしてからぞれぞれの活動報告に移っていく。

 まず報告するのは冒険者チーム代表であるモモンガ。

 彼が報告する内容は主にアンデッド騒動とシャルティア討伐騒動についてだった。

 アンデッド騒動の話ではペロロンチーノが〈完全不可知化〉を行ってモモンガに着いて行った件でウルベルトが顔を顰めさせたが、しかし取り立てて何かを言うことはなかった。

 

 

「……それで、バレアレの二名についてだが、二名ともカルネ村に連れて行こうと考えている」

 

 現在人間の手駒と言える存在はカルネ村に集中しており、モモンガの判断も尤もだと言えた。

 しかし、ここで反対の声を声高に上げる者がいた。

 

「あのバレアレ野郎をカルネ村に連れてくるなんて論外です! 絶対反対です! 許しません!!」

「バレアレ野郎って何だよ……。第一、何故そんなに反対するのかね?」

「決まってるじゃないですか! 俺のエンリちゃんに色目を使っているからですよ!!」

「……………………」

「男が女に対して好意を持っている場合、色目を使うっていうのか?」

 

 無言で頭を抱えるモモンガの隣で、ウルベルトが呑気に小首を傾げる。

 モモンガやウルベルトにとっては非常にくだらない理由に思えたが、しかしペロロンチーノは梃子でも動きそうになかった。

 

「……ふむ、よく考えてみれば、その人間たちをカルネ村に送ってしまっては少々勿体なくも思えるね」

「勿体ない……?」

「バレアレという少年は生まれながらの異能(タレント)持ちなのだろう? ならば、閉鎖的なカルネ村に押し込めてしまっては少々勿体なくはないかね?」

「しかし、バレアレの二人は有名な薬師でもある。彼らを使って、この世界でもユグドラシルでのポーションを作れるようにしようと考えていたのだが…」

「それなら、デミウルゴスに預ければいい。消費アイテムの生産方法の調査はデミウルゴスを中心に執行しているはずだ。デミウルゴスならばその人間たちも良いように使うことができるだろう」

「…ウルベルト様っ! ウルベルト様にそう仰って頂けるとは、身に余る栄誉にございます!!」

 

 ウルベルトの横に控えるように立っていたデミウルゴスが感極まったように身を震わせ、片膝をついて深々と頭を下げる。銀色の長い尾を犬のようにブンッブンッと激しく振るデミウルゴスに、ウルベルトは思わずフフッと小さな笑い声を零した。

 少し身を屈めて肩を叩いて立つように促しながら、ウルベルトは改めてモモンガやペロロンチーノに目を向けた。

 

「どうだね、モモンガさん、ペロロンチーノ?」

「俺は別にそれで構いませんよ」

「……しかし、それでは我々の正体がバレてしまうだろう。それに私は、できれば彼等とは友好的に付き合っていきたいと考えているのだが」

 

 思わず言いよどみながらも反論するモモンガに、しかしウルベルトは頭を振ってそれを否定した。

 

「聞けば、老婦人の方はモモンの正体を悪魔なのではないかと疑っていたのだろう? ならば正体がバレたところで別に構わないと思うがね。それに正体がバレた状態でも友好的に付き合える方法はいくらでもある。……デミウルゴス、その辺りもお前ならば上手くできるだろう?」

「はっ! この命に代えましても、必ずやウルベルト様のご期待に応えてみせます!」

 

 何の迷いもなく即座に答えるデミウルゴスにウルベルトは満足げに頷くと、これでどうだとばかりにモモンガを見つめてくる。モモンガも二人にここまで言われてしまっては反対するわけにもいかず、無いはずの肺で一度小さな息をつくと、許可の意味を込めて一つ大きく頷いた。途端にウルベルトがフフンッと満足げな笑みを浮かべ、デミウルゴスも嬉しそうな笑みを浮かべる。

 モモンガが内心でまるで親子だな……と呟く中、不意にペロロンチーノがモモンガを振り返ってきた。

 

「……そういえば、ニニャちゃんはどうなったんですか?」

「身体的には何も問題はない。だが精神面でのダメージは未だ残っているため、今はバレアレの元に預けて療養させている」

「そう、ですか……」

「彼……、いや、彼女だな……。彼女の今後については改めて決めていくことになるだろう。バレアレ両名についても、ニニャの容体が今少し回復するまでは今まで通りエ・ランテルに通常待機となる。デミウルゴスの元に送るのは、その後だ」

「了解です、モモンガさん」

「畏まりました、モモンガ様」

 

 それぞれ頷く悪魔親子にモモンガも頷き返すと、改めて側に控えるアルベドへと視線を向けた。アルベドも心得たように一度頭を下げ、すぐさま流れを仕切るために口を開く。

 モモンガの次に報告を始めたのはカルネ村の管理とトブの大森林の探索チームの代表であるペロロンチーノだった。

 ペロロンチーノの報告内容はカルネ村に貸し出したゴーレムの個数と復興状況、トブの大森林で発見した蜥蜴人(リザードマン)の集落について。

 カルネ村に関しては取り立てて話し合うようなことはなかったが、リザードマンの集落に関してはモモンガもウルベルトも考え込まずにはおれなかった。

 モモンガたちにとって、相手が亜人であろうと、それはさして問題ではない。相手が人間だろうが、亜人であろうが、アンデッドであろうが、魔物であろうが……すべては等しく同じであり、重要ではないのだ。

 彼らにとって重要なのは、如何に知性や強さがあるのか。どのくらいのレベルの文化を持っているのか。背後にプレイヤーの影はあるのか、ないのか。

 それによってこちらの対応も一気に変わってくる。

 ペロロンチーノが見た限りでは少なくとも最低限の文化は持っているらしいが、それだけではまだまだ情報が不十分だった。

 

「……確かアウラとマーレが調査していたのだったな。アウラ、マーレ、現段階で分かっていることだけで構わないから報告してくれるか?」

「はい!」

「は、はい……!」

 

 モモンガに声をかけられ、アウラとマーレが一歩前へと進み出てくる。

 

「現段階ではリザードマンの集落は五つ確認しております。文化レベルは全て同じくらいで、どれも人間の辺境の村と比較しても数段劣るレベルだと思われます」

「え、えっと…、集落の全てが沼地の中に築かれていました。沼地自体もとても大きくて、まだ全てを把握できていません……」

「強さはどうだ?」

「恐らく全体的にはレベル10台が殆どで、強者と思われる者でもレベル20代前後だと思われます」

「…ふむ……」

 

 アウラとマーレからの報告に、モモンガたちは一様に小さな唸り声を上げた。

 モモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルトは互いに視線を交わし合うと、一つ頷き合って代表でモモンガが口を開いた。

 

「宜しい。リザードマンに関しては我々の方で一時預かることとする」

「畏まりました」

 

 この場にいるシモベ全員を代表してアルベドが言葉を発する。他のシモベたちも誰一人異議の言葉を出すことなく頭を下げてくるのに、モモンガたちは話題を次に移すことにした。

 次に報告を開始したのはワーカーチーム代表のウルベルト。

 彼の報告内容は主に“歌う林檎亭”で売られた喧嘩と闘技場での試合について。後はナザリック帰還中にエルヤーという名のワーカーを捕えたことくらいだった。

 

「そのエルヤーって奴は、捕まえて大丈夫な奴だったんですか?」

「なに、心配はないさ。ワーカーだから姿を消そうと幾らでも誤魔化しがきくし、誰かに目撃された恐れもない。私とあいつとの接点など闘技場で一度戦ったことがあるという一点のみだ。……もし何かまずいことが起これば、すぐに皆に報告しますよ」

「う~ん……、なら大丈夫ですかね~……」

「何かあればすぐに報告するように」

「分かっていますよ、モモンガさん」

 

 念を押してくるモモンガに、ウルベルトは柔らかな笑みと共に一つ頷く。

 取り敢えずウルベルトの報告は終わりかと次に移ろうとしたその時、不意にウルベルトが何かを思い出したように軽く手を挙げた。

 

「……あっ、すまない、一つ忘れていた。実はカルネ村で助ける形になった王国戦士長に影の悪魔(シャドウデーモン)を潜ませて監視させていたんだが、今日……じゃなくて、この時間帯では既に昨日だな。昨日の昼頃に王族貴族にカルネ村について報告したらしいのだよ」

「へぇ~………って、いつの間に潜ませていたんですか!」

「君とモモンガさんが村長夫妻を説得していた時だよ」

「………いつの間に……」

 

 何でもないことのようにあっけらかんと軽く宣う山羊頭の悪魔に、骸骨と鳥人(バードマン)は唖然とした表情を浮かべた。

 本当にこの山羊は何をしでかすか分かったもんじゃない……。

 奇しくもモモンガとペロロンチーノはほぼ同時に全く同じ言葉を内心で呟いていた。

 しかしそう思う一方で、ウルベルトの行動は大体が7割方大きな利益に繋がり、3割方が失敗に終わって大騒動を引き起こしていたことを思い出す。

 今回の行動も利益に繋がってくれるように心から祈りながら、まずは詳しい話を聞こうとウルベルトに続きを促した。

 

「それで…、何か気になることでもあったのか?」

「ふむ、気になると言うよりも、どうやら王国の王族と貴族たちの力関係は中々に危ういということと、貴族共の多くがどうしようもない愚者揃いだということが分かったくらいかな」

 

 気のない感じで肩を竦めるウルベルトに、モモンガとペロロンチーノが首を傾げる。

 二人の頭上に多くの疑問符が浮かんでいるのが見え、ウルベルトはシャドウデーモンからの報告内容を思い出しながらフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 ウルベルトの口から語られる内容はまさに茶番としか言いようのない会議内容であり、モモンガとペロロンチーノはウルベルトの心情を思って思わず苦笑を浮かばせた。

 どうやら村長含むカルネ村の住人達は従順にモモンガたちの言いつけを守ったようで、ガゼフもそれを信じたのかどうかは分からないものの、住人たちから聞いた内容をそのまま王族や貴族たちに説明したらしい。王国の村々やガゼフを襲った謎の集団については法国の仕業だと述べたらしいが、貴族たちは一切耳を貸さず、帝国の仕業、あるいはガゼフよりも前にカルネ村を訪れて救ったという謎の三人の旅人たちが怪しいという身の程知らずな意見まで出る始末。

 ニグンやセバスの報告によれば王国は現在王派閥と大貴族派閥に別れて権力闘争を繰り広げているらしく、今回の会議の内容はまさに王国上層部の腐敗ぶりを如実に表しているように思われた。

 

「全くもって反吐が出そうだ。………モモンガさん、今すぐ王国を滅ぼしてしまわないかね?」

「……冗談なのは分かっているが、余りそういうことは言わないでくれ。皆が本気にしてしまうだろう」

「おや、半分は冗談だけれど、もう半分は本気だよ」

「なお悪い」

「フフフッ、いくら私がそう言っても、この子たちは王国を滅ぼすにはまだ早いということくらい理解しているだろうから大丈夫だよ。愚痴くらい言わせてもらいたいねぇ」

「まぁ、ウルベルトさんの気持ちも分からなくはないですけどね。でも、良いじゃないですか。相手が馬鹿なら、その方がこっちも動きやすいですし」

 

 前向きにそんなことを言ってくるペロロンチーノに、ウルベルトは再び肩を竦ませる。

 まるで自分を落ち着かせるかのように一度小さな息をつくと、次には少し離れた場所に立っているセバスへと目を向けた。

 

「セバス、できれば王国の王族貴族についても情報を集めてくれたまえ。情報の良し悪しに関わらず、どんな情報でもいいから手に入れたら報告するんだ」

「はい、畏まりました」

 

 ウルベルトの命にセバスだけでなくソリュシャンとルプスレギナも同時に頭を下げる。ウルベルトも一つ頷いて応えると、次には報告は以上だと手振りでアルベドを促した。

 アルベドの進行によって次に報告したのは消費アイテムの生産方法の調査チームの代表であるデミウルゴス。

 現段階ではアベリオン丘陵という場所に施設を作りながら、その地に棲んでいる多くの亜人や魔獣、それからペロロンチーノがトブの大森林でサンプルとして捕えた一部の魔物を使って実験を始めているとのことだった。残念ながら未だ良い成果は出ていないとのことだったが、モモンガもペロロンチーノもウルベルトもくれぐれも焦らないようにと忠告するだけに留めた。

 最後に報告するのは商人チーム代表のセバス。

 彼からの報告内容は主に接触した商人たちについての情報と友好度、拠点に定めた王国王都の各区画の情報だった。

 しかし大量の情報量に反して報告方法は口頭であるため、はっきり言って全く頭に入ってこない。名詞が五つ出てきた頃から頭が混乱し始め、十を超えた頃には訳が分からなくなってくる。全て暗記して報告してくるセバスや、平然と彼の報告を聞いているNPCたちが恐ろしくなってくるほどだ。

 

『ちょ、ちょっと、分かります? えっ、マルティードさんって誰でしたっけ…? 誰か覚えてます?』

『…煩い、話しかけるな、ちょっと黙ってろ! ……だーっ、また新しい名前が出てきやがったっ!!』

『ウルベルトさんも黙ってください! 折角覚えていたのが飛んじゃうじゃないですか!』

 

 表では余裕綽々の態度でセバスの報告を聞きながら、その実裏では〈伝言(メッセージ)〉でギャーギャー喚きながら四苦八苦している。セバスが全てを報告し終わる頃には、三人ともが精神的に虫の息となっていた。

 

「…う……む……。ご、ご苦労だったな…、セバス」

「勿体ないお言葉、誠にありがとうございます」

「だ、だけど、やっぱり情報量はセバスのチームが一番多いよね。この二日間だけでもこの量だし……、もし大変なら、もう少し絞って情報を集めても良いんだけど……」

「我らの身を案じて下さり、ありがとうございます。しかし御心配には及びません。ソリュシャンやルプスレギナだけでなくシャドウデーモンたちもおりますので、引き続きありとあらゆる情報を収集してまいります」

「そ、そっか~…、ありがとう……」

 

 ペロロンチーノの笑顔がひくっと小さく引き攣る。

 このままではやばいと危機感を覚えたモモンガたちは素早く視線を交わし合うと目だけで頷き合った。

 

「……セバスたちの意気込みをとても嬉しく思うよ。だが、情報は新鮮さも命だ。……例えばセバスたち商人チームのみ、報告方法を少しばかり変更してはどうだろう?」

「そ、そうだな……。では、セバスたちは一日の終わりにその日収集した情報を全て書類に纏めてナザリックに提出せよ。定例報告会議の際は、その日の情報についてと補足情報のみを報告すれば良い」

「アルベド、セバスから提出される書類を大図書館(アッシュールバニパル)の司書たちに渡して四つ分複製させて各チームに送るシステムを構築してくれるかな。セバスが書いた原本は保存版資料として大図書館(アッシュールバニパル)に保管するように」

「畏まりました。本日中にシステムを構築いたします。セバス、後で時間を貰えるかしら?」

「はい、アルベド様」

 

 何とかうまくいったような雰囲気に、モモンガたちは内心で大きな安堵の息をつく。

 思えばセバスたちには事細かく本当に些細な部分まで報告するように命じていたのだ。それこそその日食べた食べ物から、その値段、街と街との距離や移動時間まで。どういった情報が何に役立つかも分からないため、ありとあらゆることを全て報告させるしかなかった。現状況でも情報自体に妥協できる余裕などなく、せめて文字で報告させることで少しでも覚えられるようにするだけに留めた。

 

「各々、全て報告が終了いたしました、モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様」

「ご苦労。では、次に移るとしよう」

 

 唐突なモモンガの言葉に、ペロロンチーノやウルベルトを含めた全ての者たちが不思議そうな表情を浮かべる。

 モモンガは一度この場にいる全員に目を向けると、一呼吸おいて改めて口を開いた。

 

「ここまでは各チームの状況や情報を報告してもらったが、今からは今後についての意見を述べてもらいたい」

「今後について…ですか……」

「そうだ。今後どういった動きをしていくべきか……。なに、難しいことを言う必要はない。今後の活動への希望や要望でも構わない。何か意見があれば発言してほしい」

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノとウルベルトはなるほど…と頷き合う。

 NPCたちはある者は困惑の表情を浮かべ、ある者は思案顔で考え込む中、ペロロンチーノが勢い良く右手を挙げてきた。

 

「はいっ!」

「はい、どうぞ、ペロロンチーノ様」

 

 ペロロンチーノは挙げていた手を下ろすと、モモンガとウルベルトへ目を向けた。

 

「今回、シャルティア討伐の対処の件で思ったんですけど、やっぱり俺たちだけじゃなくて他の皆にもリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが必要だと思うんです。特にここにいるメンバーはこれからいろんなことに携わっていくだろうし……、せめて階層守護者にだけでも渡せないかな?」

 

 ペロロンチーノの提案に、この場がザワッと大きく騒めいた。

 見れば全てのNPCたちが驚愕の表情を浮かべており、中には小刻みに身体を震わせている者さえいた。

 

「ど、どうした、お前たち…!」

 

 あまりの反応にモモンガが慌てて声をかける。

 提案したペロロンチーノ本人も驚愕の表情を浮かべてNPCたちを見つめ、次には何かまずいことでも言ってしまったんだろうか…と顔を翳らせた。

 あわあわ慌てるモモンガと、ずーんっと落ち込み始めるペロロンチーノ。

 ウルベルトはどうしようもない二人の様子に思わず半目になりながら、次には呆れたように小さな息をついた。

 

「……あー、お前たちが何故そんなに衝撃を受けているのか教えてもらえるかい、デミウルゴス?」

「…ウ、ウルベルト様……。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは至高の御方々のみが身に着けるを許されたナザリックの至宝にございます。…それを、我らのようなシモベに渡すなど……!!」

 

 もう言葉にもならないと言わんばかりに言葉を途切らせるデミウルゴスに、しかしウルベルトは彼が言わんとしていることを理解した。

 つまり、恐れ多すぎると言いたいのだろう。

 しかしペロロンチーノの言う通り、今後の事を思えば恐れ多いと言っている場合ではなかった。

 今後、何か緊急性のある事象が起きた場合、いちいちナザリックの中を駆けずり回るなど時間の無駄も良いところだ。

 ウルベルトはモモンガに目を向けると、大分落ち着いたモモンガも同意するように頷きを返してくれた。

 

「……宜しい。両者の言い分は分かった。では、まずは役職と褒美として各々に至宝の指輪を渡すこととしよう。まずは役職として、守護者統括であるアルベド」

「は、はいっ!」

 

 モモンガに名を呼ばれ、アルベドがビクッと身体を震わせながらもその場に跪く。

 モモンガも椅子から立ち上がると、アイテムボックスから大きなリングケースを取り出した。ケースの中に並べられている多くの指輪は、全てリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンである。

 モモンガはその中から一つを取り出すと、未だ跪いているアルベドへと差し出した。

 アルベドは恭しく両手で指輪を受け取ると、うっとりとした恍惚の表情を浮かべた。

 

「あぁ、このような至高の宝を頂けるなんて……っ! 身に余る至福にございます!!」

「う、うむ…。これからも頼むぞ」

「はいっ、モモンガ様!」

 

 アルベドはまるで少女のような笑みを浮かべると、指輪を両手で握りしめて胸元に添え、深々と頭を下げた。

 

「次に褒美として……シャルティア! エントマ!」

「はっ、はいっ!」

「……へっ……!?」

 

 次にシャルティアとエントマの名が呼ばれ、シャルティアは飛び跳ねるような反応と共に深々と臣下の礼を取り、エントマも慌てふためきながら深々と頭を下げる。

 

「二人の働きにより世界級(ワールド)アイテムが二つも手に入った。この功績はとても大きく、ナザリックへの大きな利益となった。よって二人に褒美としてこの指輪を与える」

 

 ペロロンチーノとウルベルトが椅子から立ち上がり、モモンガから指輪を受け取る。そのままペロロンチーノはシャルティアの、ウルベルトはエントマの前まで歩み寄ると、恐縮している二人に優しい笑みを浮かべながら指輪を手渡した。

 

「あ、ありがとうございます! このシャルティア・ブラッドフォールン、この身の全てが朽ち果てるまで、至高の御方々に全てを捧げます!!」

「……私のようなメイドにまでこのような至宝を与えて下さり…、身に余る栄誉にございます! 更なる忠誠を御方々に捧げます!!」

 

 二人とも普段の口調を忘れて歓喜に身を震わせている。

 モモンガたちは鷹揚に一つ頷いて返すと、次には残りの面々に目を向けた。

 

「他の者たちも、更なる忠義に励め」

「「「はっ!!」」」

 

 この場にいる全てのNPCが跪き、深々と頭を下げる。

 モモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルトは改めて席に座り直すと、NPCたちを立たせてから次の話に移ることにした。

 次に意見を述べたのはモモンガだった。

 

「現在、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国を中心に情報収集を行っているが、スレイン法国に関してはニグンからの情報のみ。しかし三国の中では法国が一番警戒度が高く、何とか探りを入れたい」

「しかし、そうは言っても些か危険ではないかね? あの国は世界級(ワールド)アイテムを二つも所持していた。他にも持っている可能性だってある」

「ああ、分かっているとも。現状、こちらから動いて接触するにはデメリットの方が多すぎる」

「…? ならどうするつもりなんですか?」

 

 小首を傾げて疑問符を浮かべるペロロンチーノに、モモンガは一度気合を入れるように小さな息をついた。

 

「簡単なことだ。あちらから動くように仕向ければ良い」

「…なるほど。罠を張ると言うわけだ」

「罠…と言うよりかは囮だな。聞けば法国は人間至上主義を称え、人間の敵となる者どもを殲滅しているという。それを逆手に取る」

 

 何かを握り潰すようにゆっくりと拳を握るモモンガに、ペロロンチーノとウルベルトはニヤリと悪どい笑みを浮かべた。

 ユグドラシルの黄金期。悪名を轟かせていたモモンガたちのギルド“アインズ・ウール・ゴウン”は、敵方のギルドを殲滅させるためにありとあらゆる手を使っていた。

 真正面からの殲滅戦から、混乱を起こさせてからのゲリラ戦。偽りの情報を流して罠を張ったり、時にはありとあらゆる情報を操作して複数の敵方のギルドを一度に同士討ちさせたこともある。

 囮を使って敵方の情報を入手し、丸裸にしてから滅ぼすという方法は“アインズ・ウール・ゴウン”が良く使う戦法の内の一つだった。

 

「なかなか面白そうだな。具体的にはどうするんだ?」

「………“魔王”を作ろうと思う…」

「……“魔王”…!?」

 

 モモンガがその言葉を口に出した瞬間、ウルベルトの仮面に隠れていない金色の左目が鋭く光った。勢いよく椅子から立ち上がり、身を乗り出しながら右手を高らかに挙げる。

 

「はいっ!!」

「却下だ…」

 

 はつらつな声を上げた途端、モモンガに容赦なく拒否される。

 ウルベルトは悔しそうに小さな唸り声を上げると、挙げた手を下ろしながら大きく顔を顰めさせた。

 

「何故だ! だって魔王だろ!? 俺以外の適役がどこにいるってんだ!!」

「それでも駄目だ。もしかしたら法国への囮だけでなく、冒険者モモンやワーカーのレオナールの名声稼ぎにも使えるかもしれないのだ。……それに“魔王”はあくまでも囮。そんな危険度の高い役目をウルベルトさんにさせる訳にはいかない」

「ぬぅぅぅ………」

 

 モモンガの言葉に反論することができず、ウルベルトは苦々しげに奥歯を噛みしめた。

 いや、反論できると言えばできるのだ。

 例えば『ワーカーのレオナールなんて名声上げなくても大丈夫だし、いざとなればドッペルゲンガーも使えるじゃないか』とか『この世界に俺が危険に陥るだけの強者がいると思うのか?』とか『魔王役が俺以上に似合う奴なんている訳ないだろ!!』とか……。

 しかしそのどれもが憶測や我儘の域を出ず、モモンガを説得させられるとは思えなかった。

 ウルベルトは未だ唸り声のような声を漏らしながら、最後には力なく円卓の上へと顔を突っ伏した。大きく肩を落とす様は悲壮感たっぷりで、相手への同情心を非常に擽ってくる。

 周りでNPCたちがオロオロとする中、モモンガは心を鬼にして頑として意見を譲らなかった。

 

「駄目と言ったら駄目だ。分かってくれ、ウルベルトさん」

「……うぅ~~~………。………分かったよ、仕方ない」

 

 ウルベルトは突っ伏していた顔を上げると、力なく言葉を零した。しかし次の瞬間には勢いよくモモンガたちへと目を向けた。

 

「ただしっ!! 魔王役は俺の代わりにデミウルゴスに任せてくれ!!」

 

 これ以上は譲れないっ! とばかりに強い瞳で見つめてくる。

 モモンガとペロロンチーノは互いに顔を見合わせると、次にはどちらともが苦笑にも似た笑みを小さく浮かべた。仕方がないな…とばかりに肩を竦ませるペロロンチーノに小さく笑い、モモンガもやれやれ…と言うようにわざとらしく頭を振って見せる。

 むぅっとむくれるウルベルトを見やり、モモンガは無いはずの肺で小さな息を吐き出した。

 

「……仕方がないな。任されてくれるか、デミウルゴス?」

 

 ウルベルトの横に控える悪魔を見やり、優しく問いかける。

 デミウルゴスはモモンガとウルベルトをチラチラと交互に見やると、次にはその場に跪いて深々と頭を下げた。

 

「謹んで、お受けさせて頂きます。必ずやウルベルト様に満足して頂ける魔王を演じてみせます!!」

 

 前半はモモンガとペロロンチーノに、後半はウルベルトに向けて力強く宣言する。

 必死にウルベルトの期待に応えようと意気込むデミウルゴスに、ウルベルトは表情を緩めさせて未だ下げられている悪魔の頭にそっと片手を乗せた。後ろに撫で付けられている黒髪を乱さない程度に撫でてやりながら、フフッと笑い声を零す。

 

「お前なら私を満足させられるさ。なんせ、お前は私の理想を詰め込んだ最高傑作だからね」

「ウ、ウルベルト様……っ!!」

 

 創造主からの身に余る言葉にデミウルゴスが歓喜に身を震わせ、他のNPCたちが羨ましそうにデミウルゴスを見つめる。しかし幸か不幸かウルベルトはそれに全く気が付かず、頭を撫でていた手をゆっくりと離してモモンガたちを振り返った。

 

「ありがとうございます、モモンガさん、ペロロンチーノ」

「どういたしまして」

「礼には及ばん。ウルベルトさんに言われる前から、デミウルゴスに任せようと考えていたからな。……さて、次の話に移るとしよう。他に何か意見のある者はいるか?」

 

 周りに目をやり、意見が出ないか見渡す。しかしこれ以上の意見は出ず、モモンガは一つ頷くとアルベドへと目を向けた。

 アルベドも柔らかな笑みを浮かべて頭を下げ、続いて周りを見渡す。

 

「ではこれで、第二回目の定例報告会議を終了します。全員、解散!!」

 

 アルベドの号令に、この場にいる全てのNPCが跪いて頭を下げる。

 中々に迫力のある光景にモモンガたちは鷹揚に頷いて返すと、頭を下げて退室していくNPCたちを最後まで見送った。

 最後にアルベドが恭しく退室し、数秒後、はあぁ~っと三人分の大きなため息の音が部屋中に響き渡った。

 まるで力尽きた様に三人ともが円卓の上へと顔を突っ伏す。

 暫くぐりぐりと額を擦り付けると、もう一度大きなため息をついた後にゆっくりと顔を上げた。

 

「……前回に引き続き、今回もなかなかに濃い会議でしたね…」

「はぁ…、まったくな……。というかモモンガさんとペロロンチーノはこの二日間何やってんだ、いろいろやりすぎだろっ!」

「いや~、まさかここまで次から次へとイベント(・・・・)が起こるとは思いませんでしたよ……」

「前にも言いましたけど、ゲームよりもよっぽどゲームっぽいですよね~……」

 

 再び室内に三人分のため息の音が響いては消えていく。

 ペロロンチーノは一度四枚の翼を大きく広げて背筋を伸ばすと、次の瞬間何かを思い出したのか間の抜けた声を零した。

 

「……あっ、そう言えばナザリックの避難場所についてなんですけど」

「そういえば、良い場所は見つかったのか?」

「リザードマンたちがいた沼地とか良いんじゃないかな~って思ってるんですよね~。トブの大森林の割と奥地にありますし、何よりユグドラシルではナザリックは沼地の中にありましたし」

「ふむ……」

 

 モモンガは顎に指を添えて考え込むと、次には眼窩の灯りをペロロンチーノとウルベルトに向けた。

 

「……では、リザードマンの集落に軍を向かわせましょう」

「ほう……、個人での襲撃ではなく、軍での侵攻か……」

 

 意味深に目を細めさせるウルベルトに、モモンガは一つ大きく頷いた。

 一人理解できないとばかりに小首を傾げているペロロンチーノを見やり、モモンガは深く椅子の背もたれに背を預けた。

 

「先ほどの定例報告会議の時に何らかの意見を求めましたけど、俺とペロロンチーノさん以外、誰も意見を出しませんでした」

「まぁ、いきなりでしたしね……」

「俺はそれだけが原因ではないと感じました。NPCたちは設定通りの性格をしており、俺たちの命令によって行動しています。でも、いつまでもそれだけでは駄目だと思うんです。……今後、彼らだけで何かを判断しなくてはならない時が必ずやってきます。その時、いちいち俺たちに意見を求めている状況では駄目なんです」

「なるほど……。つまり、NPCたちに個ではなく軍を動かさせることで意識改善を図ろうってことですね」

「そういうことです。そして与える軍勢はわざと弱いレベルのものにします」

 

 わざと弱い軍勢を与えることで、NPCたちが何をどこまで考えることができ、どこまで行動できるのかを把握する。そしてできるなら、NPCたちの学びの機会となってくれれば万々歳だ。

 

「でもそれって……、何だか苛めてるみたいじゃないですか……?」

 

 一心に自分たちに忠誠を誓ってくれているNPCたちを思い浮かべ、ペロロンチーノは思わず顔を顰めさせる。

 彼の気持ちも大いに理解できたが、しかしモモンガは沈黙のみを返し、ウルベルトは静かに苦笑を浮かばせた。

 

「時には心を鬼にすることも必要だってことだな。……子供の成長には、親の過保護は枷にしかならないということだよ、ペロロンチーノ」

「むぅ……」

 

 ウルベルトに諭され、ペロロンチーノは思わず呻き声を上げる。

 しかしNPCたちを大切な子供の様に思っているのはモモンガもウルベルトも、そしてペロロンチーノも同じなのだ。

 ペロロンチーノは大きなため息をつきながら、子育てって難しいんだな~と内心で呟くのだった。

 

 



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第23話 嵐への準備

長期連休の何と素晴らしいっ!! 一週間経たずに更新できたぞー!!
今回は幕間ではありませんが、ちょっとした息抜き回です。
また、活動報告にも書かせて頂きましたが、この度ペロロンチーノとシャルティアの関係性はpixivだけでなくハーメルンでも親子色強めではなく恋愛色強めに変更しようと思います。シャルティア愛が強すぎるペロロンチーノ様に負けました……(笑)


 定例報告会議後の三人での話し合いも終わり、ペロロンチーノはひと眠りの後に早速行動を開始した。

 まずはアルベドと共に十階層の玉座の間に向かい、そこでコキュートスを呼び寄せる。

 内容は軍による蜥蜴人(リザードマン)の集落への侵攻。コキュートスにはその指揮官としての役目を命じた。その際、侵攻させる軍の編制はこちらで行うことも伝えておく。

 これはモモンガが提案してきた意識改善としてわざと弱い軍勢を向かわせるための処置だったが、ペロロンチーノはやはり内心では気が進まなかった。

 しかし今更自分一人が反対しても仕方がない。

 何の疑いもなく頭を下げてくるコキュートスに罪悪感を感じながら、取り敢えず軍の準備が整い次第進軍するように伝え、コキュートスが玉座の間を下がったとほぼ同時に大きなため息を吐き出した。

 

「それでは、これより軍の編制をして参ります。モモンガ様より、レベル10台前後のアンデッドで編制するように申しつけられておりますが……」

「…うん、全てPOPアンデッドで編制してくれて構わないよ。切り札としてモモンガさんが死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を一体用意したみたいだから、そこだけよろしくね」

「畏まりました。それでは御前を失礼いたします」

 

 アルベドが恭しく頭を下げ、玉座の間を退室していく。

 ペロロンチーノはもう一度大きなため息を吐き出すと、座っていた椅子から立ち上がって徐に背後を振り返った。

 彼の視線の先には先ほどまで自分が腰を下ろしていた玉座と、全く同じ造りをした二つの玉座が置かれている。

 元々ここには玉座は一つしかなかったのだが、いつの間にかNPCたちがペロロンチーノやウルベルトのものまで用意していたのだ。因みに座る場所は既に話し合って決めており、真ん中はギルドマスターであるモモンガ、向かって右側がウルベルト、反対の左側がペロロンチーノの玉座となっている。

 まったく偉くなったもんだ……と思わず半笑いを浮かべながら、ペロロンチーノは玉座から目を離して右手の薬指へと視線を移した。

 何処に行こうかと少し悩んだ後、すぐに思い至って指輪の力を発動させる。

 ペロロンチーノの姿は玉座の間から掻き消えると、次には第九階層の一つの部屋の扉の前に出現した。

 扉をノックし、反応がある前に扉を開く。

 室内に足を踏み入れながら視線を巡らせれば、部屋の奥に置かれているレトロでいて豪奢な椅子に腰かけている山羊頭の悪魔と目と目が合った。

 

「………おい、人の部屋に入る時はまずノックしろ」

「ノックはしましたよ。すぐに入っちゃいましたけど」

「意味ねぇじゃねぇか……」

 

 顔を顰めさせて睨んでくる悪魔に、まぁまぁ……と宥めながらゆっくりと歩み寄っていく。

 何をしているのかと見てみればウルベルトの目の前に大きな漆黒のテーブルが置かれており、その上や足元には大量の紙が散乱しているのが目に飛び込んできた。何やら書き込んでいたのか、ウルベルトの鋭い鉤爪を備えた右手にも羽ペンが握りしめられている。

 しかしどうにも紙に書かれているのは文字ではないようで、ペロロンチーノは小首を傾げながら大量の紙の一枚へと手を伸ばした。

 真っ白でいて手触りの良い上質な紙には、文字ではなく絵が描かれていた。

 

「これは……、デザイン画ですか……?」

「あぁ。……デミウルゴスに“魔王役”用の新しい衣装や装備を用意してやろうと思ってな…」

 

 ウルベルトがため息交じりに羽ペンをテーブルに置き、そのまま一枚の紙を手に取る。納得できるものが中々ないのか、紙に描かれているデザインを見つめるその顔には深い眉間の皺が刻まれていた。

 ペロロンチーノは散乱している紙を見渡し、再度自分の手にあるデザイン画を見やる。

 自分としては良く描けていると思うのだけれど…と思わず小さく首を傾げた。

 

「……俺としては良く描けてると思いますけど。……あっ、これなんかどうなんですか? 悪魔っぽいデザインですし、デミウルゴスによく似合うと思いますけど」

 

 テーブルの上に投げ捨てられている紙を拾い上げ、嬉々としてウルベルトへと見せる。

 ペロロンチーノとしてはとても良いデザインだと思ったのだが、ウルベルトは顔を顰めさせたまま大きく頭を振った。

 

「いや、駄目だ。あいつは後衛じゃなくて肉弾戦もこなす戦闘スタイルだからな。……それだと、長い裾やマントが邪魔になって動きを阻害する恐れがある」

「えー、でも俺のシャルティアはあのドレス姿でも問題なく動けてますよ? そんなに気にしなくても良いと思いますけど……」

 

 再度小首を傾げながら手に持つデザイン画を見やる。

 言われてみれば確かに目の前のデザインはヒラヒラとした長い裾や大きなマントが特徴的であり、普通に考えれば大きな動きをする際は邪魔になりそうだった。しかしそれがデミウルゴスにも当て嵌まるのかは大いに疑問ではあったけれど……。

 自分だったらどんなデザインにするだろう…、と多くのデザイン画を眺める中、不意にある一点が目に飛び込んできて思わず一瞬思考が停止した。思わずマジマジと“それ”を見やり、続いて他のデザイン画にも目を移す。自分の手にあるものを含め、全てのデザイン画に“それ”があることを確認したペロロンチーノは、思わず半目になってウルベルトへと視線を向けた。

 

「………ウルベルトさん、俺の見間違いでなければ、全部のデザイン画にウルベルトさんのエンブレムが描かれているんですけど……」

「……………………」

 

 ペロロンチーノの半目になった瞳とウルベルトの金色の瞳が合わさり、ウルベルトの方がフイッとワザとらしく逸らされる。

 無言のまま顔ごと逸らすウルベルトに、ペロロンチーノは更に目を細めさせてウルベルトの目の前まで回り込んだ。

 

「ちょっと! これ絶対わざとですよね!? 駄目ですからね、エンブレム入れちゃあっ!!」

「………………だって……」

「“だって”じゃないですよ! 俺たちに繋がるような証拠を出すわけにはいかないんですから!!」

 

 真正面から顔を覗き込んで強く言い聞かせる。

 ウルベルトも本当は分かっているのだろう、無言のままペロロンチーノの言葉にも反論しては来ない。ただ不満そうに頬をプウッと膨らませ、上目遣いにこちらを睨みつけてきた。

 正直言って全く可愛くない。

 三十路過ぎたおっさんが何をしているんだ…とひどく呆れる。第一、今のウルベルトは人間ですらなく山羊頭の悪魔なのだから、寒気しか感じられない。

 

「そんな可愛らしい仕草しても無駄ですからね。ていうか全然似合ってませんから。それが似合うのは可愛らしいロリっ()だけですから!」

「……………………」

 

 拳を握って熱く語るペロロンチーノに、ウルベルトは諦めた様に大きなため息を吐き出した。手に持っているデザイン画を見つめ、力なくテーブルの上へと放り投げる。

 紙はテーブルの上を滑り、他の多くの紙諸とも床へと落ちていった。

 

「………やっぱり駄目か……。せめてエンブレムでだけでも参加したかったんだが……」

「駄目でしょうね。モモンガさんに速攻で却下されますよ」

「……はぁ、魔王役やりたかったなぁ~……」

 

 大きなため息をつきながら肩を落とすウルベルトに、思わず苦笑が零れる。

 どうすればこの友人を元気づけることができるだろう…と思考を巡らせ、不意に思い浮かんできた名案に思わずポンッと両手を打ち合わせた。

 

「そうだ! なら、ウルベルトさんの装備かアイテムか何かをあげたら良いんじゃないですか? デミウルゴスもきっと喜びますよ!」

「……装備かアイテムか、か……」

 

 ウルベルトは少々考え込むと、徐に片手を上げてアイテムボックスを開いた。暫くガサゴソと中を引っ掻きまわし、数分後漸く手を引っこ抜く。

 ウルベルトの手には見慣れぬ物が握られており、ペロロンチーノは小首を傾げながらその手の中を覗き込んだ。

 

「……ウルベルトさん、なんですかそれ?」

 

 ウルベルトがアイテムボックスから取り出してテーブルに置いたのは、バングルのような手甲と繊細な鎖で繋がった五本指のアーマーリングだった。

 関節ごとに連なっている銀色のアーマーリングは、指先部分がまるで獣の爪のように長く鋭く尖っている。防具というよりかは武器のような様相をしていた。

 

「“ルシファーの傲慢(スペルビア・オブ・ルシファー)”。るし☆ふぁーと一緒に作った“七つの大罪”シリーズの一つだ」

「あぁ、これが噂の……。因みにランクはどれなんですか?」

「こいつは確か神器級(ゴッズ)だな」

神器級(ゴッズ)!?」

 

 思わぬ高ランクに、ペロロンチーノは目を見開いて素っ頓狂な声を上げた。

 “七つの大罪”シリーズはあの(・・)ウルベルトとるし☆ふぁーが一緒に作ったシリーズだということもありギルドメンバーの間でも何かと噂にはなってはいたのだが、まさか神器級(ゴッズ)まであるとは思ってもいなかった。

 しかしふとあることに思い至り、ペロロンチーノは思わず“スペルビア・オブ・ルシファー”を凝視した。

 ウルベルトが魔王の装備として神器級(ゴッズ)を取り出したということは……――

 

「………まさか装備一式全部神器級(ゴッズ)にしようとか考えてませんよね…?」

 

 再び半目状態になりながらウルベルトを見やる。

 どうか否定してくれ…と願いながら見つめる中、視線の先でウルベルトは小さな苦笑を浮かばせた。

 

「流石にそれは無理だろう……」

 

 ウルベルトからの返答に思わず安堵の息をつき……。

 

伝説級(レジェンド)で揃えるつもりだ」

 

 息が止まった……――

 

 

 

 

 

「いやいやいや、何言ってんですか、無理に決まってるでしょっ!!」

 

 思わず大声を上げながら、食ってかかるようにウルベルトへと身を乗り出す。

 しかし当たり前のことを言っている筈なのに、目の前の山羊頭は訝し気に顔を顰めさせていた。

 

「何で無理なんだ。魔王の装備なんだから伝説級(レジェンド)なんて当然だろ」

「当然じゃありませんよ! 第一、この世界のレベルを考えてモモンガさんたちの装備ですら聖遺物級(レリック)で揃えたんですよ!? それに素材はどうするつもりなんですか! 言っておきますけど、ナザリックにある素材は使っちゃ駄目ですからねっ!!」

 

 マシンガンのように捲し立てるペロロンチーノに、しかしウルベルトは少しも気圧された気配がない。ただ嫌そうに顔を顰めさせて、身を乗り出しているペロロンチーノを乱暴に押し返してきた。フゥッと大きなため息をつきながら肩を竦ませ、次にはある方向へと顎をしゃくってみせた。

 ため息をつきたいのはこっちだ…とか、一体何なんだ…と思いながらウルベルトが顎をしゃくった方を見れば、そこには多くのクローゼットが壁に沿って綺麗に連なって置かれていた。

 

「……一番右端のクローゼットを開けてみろ」

 

 椅子の上で優雅に足を組みながら、ウルベルトが目だけで促してくる。

 ペロロンチーノは訝し気な表情を浮かべながらも踵を返すと、ウルベルトが口にした一番右端のクローゼットへと足先を向けた。

 柔らかな光沢を持った漆黒のクローゼットはシックでいて落ち着いたデザインをしており、何よりとてつもなく大きい。渋めの黄金色をした取っ手に手をかけて勢いよく引き開ければ、途端に目に飛び込んできた光景にペロロンチーノは思わず驚愕に大きく目を見開かせた。

 クローゼットの中にあったのは衣服ではなく、ありとあらゆる大量のアイテム素材だった。

 半ば無理やり押し込んでいたのか扉を開けた途端に幾つかゴロゴロと足元に転がり落ち、その中には超希少なドロップアイテムやクリスタルも多く混ざっていた。

 正に宝の山といった状態だ。

 信じられないと言った表情を浮かべて振り返るペロロンチーノに、ウルベルトは足を組んだ状態のまま小さな苦笑を浮かばせていた。

 

「………ど、どうしたんですか…、これ……?」

「まぁ、簡単に言えば貰いもんだな。俺が武人さんの武器作りに協力していたのは知っているだろう?」

 

 ウルベルトからの問いかけに、ペロロンチーノは無言のまま頷いた。

 ウルベルトの言う武人さんというのは、かつてのギルドメンバーの一人であり、コキュートスの創造主である武人建御雷のことである。武器作りが大好きな半魔巨人(ネフィリム)だったのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。

 ウルベルトの話によると、そもそも武人建御雷が多くの武器を作り続けていたのは、同じギルドメンバーの一人であるたっち・みーを倒せる武器を作ろうとしていたからだったらしい。しかし武器を一つ作るにも多くの素材が必要となり、一人では中々ままならない部分も多くあった。そこで武人建御雷は、ギルドに加入した当初から“打倒たっち・みー”を宣言していたウルベルトに事ある事に相談や協力を持ちかけていたのだ。ウルベルトも武人建御雷の人柄には好感を持っており、“打倒たっち・みー”の同士として喜んで相談に乗っては必要な素材集めも積極的に協力していたらしい。しかし武人建御雷がたっち・みーを倒せる武器を完成させる前に、倒すべき対象がユグドラシルを引退してしまった。目標を失った武人建御雷も引退を決意し、しかしその前に武器開発のために集めた多くの素材を使って一つの武器を造り、残ったアイテム全てと合わせてウルベルトに贈ってくれたらしい。

 つまりこのクローゼットの中にある素材は全てウルベルトと武人建御雷が集めたものであり、最後に武人建御雷が贈ってくれた素材なのだ。

 

「そのクローゼットを含め、隣に置いてある二つのクローゼットにも同じだけ素材が収められている。それだけあれば伝説級(レジェンド)でも一式作ることはできるだろ」

 

 余裕の表情を浮かべて宣うウルベルトに、ペロロンチーノは呆然となる。

 まさか自分の知らないところでそんなことになっていたとは思ってもいなかった。

 しかしウルベルトと武人建御雷がとても仲が良かったのは覚えており、武人建御雷がとても義理堅い男だったことも覚えている。

 もしウルベルトの言ったことが全て本当ならば、武人建御雷の人柄も含めて大いに納得できるものだった。

 

「……確かにこれならナザリックの素材を使わなくても作れそうですね」

「だろ。……これも武人さんのおかげだな」

 

 どこか懐かしむような表情で笑みを浮かべるウルベルトに、ペロロンチーノも柔らかな笑みを浮かべた。

 仲間とかつての楽しかった日々を語り合うのは楽しいけれど、今はいないメンバーの名が出るとやはり寂しい気持ちになってしまう。しかしここにいるのが自分一人ではないからこそこうやって語り合うことができるのだと思えば、ウルベルトやモモンガがいることに安堵と共に心の底から感謝の気持ちが湧き上がってきた。

 

「……あっ、建御雷さんと言えば…。さっきコキュートスに命令を出してきましたよ」

「あぁ、リザードマンの集落の件か。……上手くいきそうか?」

「まだ何とも言えませんけど……、少なくもコキュートスは随分と張り切っている様子でしたよ」

 

 玉座の間で意気込んでいたコキュートスの姿を思い出し、途端に大きな罪悪感が湧き上がってくる。

 モモンガやウルベルトに説明されて自分も納得したものの、やはりいざとなると罪悪感と後ろめたさが拭えない。

 二人の言い分も分かるけれど、やはりこういったやり方は間違っているのではないか、と……。そんな考えがどうして頭を離れないのだ。

 恐らくそれらの感情が表に出ていたのだろう、ウルベルトが苦笑を浮かべてちょいちょいと手招きしてきた。クローゼットの扉を閉めて歩み寄れば、ここにきて漸く向かいの椅子に座るように促される。

 テーブルを挟んでウルベルトと向かい合うような形で腰を下ろしたペロロンチーノは、落ち込む感情そのままにテーブルの上へと突っ伏した。フフフッとウルベルトから小さな笑い声が聞こえ、顔だけ上げながら恨みがましい視線を向ける。

 ウルベルトは椅子の肘掛けに右肘を立てると、優雅に右手の甲に顎を乗せながら柔らかな瞳でペロロンチーノを見つめていた。

 

「随分と参ってるみたいじゃないか、ペロロンチーノ」

「……そりゃあそうですよ。第一、何で命令するのが俺なんですか。モモンガさんでもウルベルトさんでも良かったじゃないですか…」

「残念、モモンガさんは既にエ・ランテルに向かったから無理だし、俺も何かと忙しいんだ」

「忙しいって……、ただデザイン画を描いてただけじゃないですか……」

「フフッ。まぁ、冗談はさて置き……、現段階でのナザリックやトブの大森林についての決定権を一番持っているのがお前だからだよ。王国についてはモモンガさん、帝国については俺。……一番初めにそう決めただろ?」

「それはそうですけど………」

 

 納得いかない…とばかりに不貞腐れるペロロンチーノに、ウルベルトは更に苦笑を深めさせた。

 

「まぁ、お前の気持ちも分かるけどな……。だが、例え失敗したとしてもナザリックとしての損害はないんだから大丈夫だろう」

「………俺は責任を感じて自害しようとするコキュートスの姿が目に浮かぶんですけど…」

「……ま、まぁ、その時はうまくフォローすれば大丈夫だろう。最悪、自害は禁止だと命じれば思い止まらせることはできるだろうし…」

 

 少々言いよどむウルベルトに、途端に憂鬱な気分がぶり返してくる。

 しかしいつまでも欝々としている訳にもいかず、ペロロンチーノは大きなため息を吐き出して突っ伏していた上体を完全に起き上がらせた。

 

「………はぁ…、取り敢えずコキュートスたちがリザードマンたちに勝てば済むことですし、あまり心配しないことにします……」

「あぁ、そうしておけ……」

 

 どこか投げやりなペロロンチーノの言動に、どうにも苦笑を禁じえない。

 しかしウルベルトもまた、心の中ではコキュートスが上手くやってくれることを祈っていた。

 ペロロンチーノにはああ言ったけれど、ウルベルトとてコキュートスが任務を失敗することを期待している訳ではない。何かを学んでくれたらそれに越したことはないが、やはり何事もなく任務を遂行してくれることが一番良いのだ。

 しかしそう思う一方で、大丈夫だろうか…と心配な気持ちもあった。

 何せコキュートスは武人建御雷が創ったNPCなのだ。彼は豪快なところがあり、小さいことはあまり気にしない大らかさのある兄貴的な人物だった。コキュートスにそういった面を見つけることはあまりないのだが、ただ単に自分たちには見せていない可能性だって大いに有り得る。そうであった場合、今回の任務では失敗する可能性の方が高い様な気がした。

 

「………あっ、そうだ…」

 

 コキュートスのことを考えている中、不意にあることを思い出して思わず小さな声を上げた。何事だとこちらに目を向けてくるペロロンチーノに、こちらも顔を向ける。

 

「お前に頼みたいことがあったんだ。……リザードマンたちを殲滅して避難場所を建てる際、倉庫的な物も一緒に造ってくれないか?」

「それは構いませんけど……。何を入れるんですか?」

「魔力供給用に魔の壺(マジックベースデビル)を大量に作って貯蔵しておこうと思ってな。……第七階層も考えたんだが、ナザリック内よりも外に貯蔵しておいた方が何かと便利だと思って」

「別に良いですけど……、あの悪魔不気味だからあんまり好きじゃないんですよね~……」

「よく見たら愛嬌があって可愛いぞ」

 

 少し嫌そうな表情を浮かべるペロロンチーノに、こちらはわざと満面の笑みを浮かべて返してやる。それでいて作業を再開しようとテーブルに置いていた羽ペンを再び手に取った。未だ真っ白な紙も一枚手に取り、新たなデザイン画の作成に取り掛かり始める。

 しかし数分も経たぬ内に次はペロロンチーノに声をかけられ、羽ペンを持つ手はそのままに山羊の平べったい耳だけをペロロンチーノへと向けた。

 

「そういえば、ウルベルトさんはいつ帝国に向かうんですか?」

「……明日の早朝にはナザリックを出て向かうつもりだ。それまではここにいる」

「ユリやニグンはどうしたんですか?」

「確かアウラとマーレに呼ばれたらしいな。何をしているのかは知らんが……」

「へぇ、あの二人にですか……。今回はデミウルゴスやアルベドには捕まらなかったみたいですけど、大丈夫かなぁ……」

「アウラとマーレなら大丈夫だろう。今回はニグンだけじゃなくてユリも呼ばれたみたいだし」

「う~ん、なら大丈夫ですかね~。仲良くなったんなら良いけど」

 

 四人で一体何をしているんだろう…と小首を傾げながら、時折ウルベルトのデザイン画を覗いては意見やダメ出しを口にする。しかし数十分後にはペロロンチーノも羽ペンと紙を手に取り、ウルベルトと競い合うように次から次へと数多のデザイン画を作成していった。

 ペロロンチーノがこの部屋に来た以上に散乱するデザイン画の山。

 途中からデミウルゴスではなくシャルティアのデザイン画を描いていたペロロンチーノは、自分の周りに散らばっている多くの紙に目をやり、そこで漸く羽ペンを置いた。

 

「う~ん、シャルティアにはいろんな衣装を作ってあげてたけど、こう描いてみるとまだまだあるもんだな……」

 

 まだペロロンチーノがユグドラシルを引退する前、彼はシャルティアに多くの衣装を作ってあげていた。

 セーラー服やチャイナドレス、スク水にバニーガールなどなどなど……。中には“彼シャツ”なる特殊かつペロロンチーノの趣味趣向を大いに体現した物さえあった。

 しかし、こう改めてデザイン画を作成してみるとまだまだシャルティアに着せたい衣装は多くあるのだと理解する。

 俺も素材どのくらい持ってたかな…と思わず考え込む中、ウルベルトはペロロンチーノのデザイン画を見て呆れたような表情を浮かべた。

 

「……よくもまぁ、ここまでデザインが思いつくな。お前、既にシャルティアに山ほど衣装を作ってなかったか?」

「作ってましたけど、改めて描いてみるとまだまだ思いつくんですよ。でも、ウルベルトさんはデミウルゴスに衣装は作ってあげてなかったんですか?」

「俺はどっちかっていうと衣装よりもアイテムや小物や家具なんかを作ってやってたからな~」

「………そう考えると、俺はそっち系はあまり作ってあげてなかったですね。う~ん、次からは衣装よりも小物系の方が良いかな~…」

 

 煌びやかな装飾品やそれを身に着けた可愛らしいシャルティアの姿を思い浮かべ、思わずだらしない笑みを浮かべる。

 ウルベルトは呆れたようなため息を吐き出すと、羽ペンを動かしながら口を開いた。

 

「ここで油を売るのも良いが、仕事も忘れるなよ」

「仕事……、……カルネ村の件ですか?」

「違う、ナザリックの件だ。例えば捕虜にしてる人間たちのこととか……、聞けばニューロニストたちに任せっきりだそうじゃないか」

「え~、だって俺は別にああいったのが好きな訳じゃないし……。そう言うならウルベルトさんが話を聞いて来て下さいよ……」

「俺はもう行ってきた」

「……あー、そうだったんですか…」

 

 当たり前のように言う悪魔に、思わず脱力感に襲われる。

 ここは、流石はウルベルトだとでも思えばいいのだろうか……。

 反応に非常に困る中、ウルベルトも羽ペンを置いてペロロンチーノへ顔を向けてきた。

 

「あのエルヤーって人間も気になってたからな。でも、あれはもう駄目だ。早々に心が壊れやがった」

「えっ、もうですか? だって、一番の新入りでしょう? 連れてこられて、まだ一日も経ってないし、他の捕虜だってまだ壊れてない奴もいるのに……、あまりにも早すぎませんか?」

「精神があまりに弱かったんだろうな。もう情報としては役に立たないから、サンプルとしてデミウルゴスにやったよ」

 

 その時の光景や歓喜に打ち震えただろう朱色の悪魔の姿が容易に思い浮かび、ペロロンチーノは思わず微妙な表情を浮かべた。

 

「……良いんですか? エルヤー失踪の件で何か問題が発生した場合、対処しにくくなりません?」

「デミウルゴスにはくれぐれも殺さないように言ってあるから大丈夫だろ」

 

 気のない声音で何でもないことのように言うウルベルトは、正に悪魔そのものである。

 これも異形種となってしまった影響か、それともウルベルトが本来持ち合わせていた性質なのか。

 少し考え、別にどちらでも良いか……と考えるのを止めた。

 どちらであろうと別段変わることは何もなく、ペロロンチーノ自身も思うことは何もない。ならば考えるだけ無駄である。

 

「う~ん……、なら今は他の捕虜たちに頑張ってもらいましょうか……」

「こちらの方でも捕虜にできる奴がいないか探しておく。見つけたらまた知らせよう」

「あっ、ならシャルティアに知らせてあげて下さい。捕獲担当は彼女ですし、今回の指輪の褒美の件で随分と張り切ってくれてるみたいですから」

 

 指輪を受け取って嬉しそうに頬を紅潮させていたシャルティアを思い出し、ほんわかと心を和ませる。

 ペロロンチーノは今までに描いたシャルティアのデザイン画を全てかき集めると、ウルベルトに断りを入れて椅子から立ち上がった。

 

「おっ、漸く仕事に向かうのか?」

「いや、ちょっとシャルティアに会ってきます」

 

 途端に呆れた表情を浮かべるウルベルトを余所に、ペロロンチーノは満面の笑みで悪魔の部屋を後にした。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“ルシファ―の傲慢《スペルビア・オブ・ルシファー》”;
“七つの大罪”シリーズの一つ。神器級武器のアーマーリング。バングルのような手甲と五本指のアーマーリングが繊細な鎖で繋がっている。アーマーリングは関節ごとに連なっており、指先部分は獣の爪のように長く鋭く尖っている。
・〈悪魔作成〉;
アインズの特殊技術〈アンデッド作成〉の悪魔版。
・魔の壺《マジックベースデビル》;
〈悪魔作成〉の特殊技術で創造できるレベル30台の悪魔。MP30%を消費(媒体に)して作る。腹に蓄積した魔力を爆弾として自爆で対象を攻撃する。ウルベルトの場合は自爆よりも“慈悲深き御手”での魔力供給用。


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第24話 数多の客たち

 ナザリックでペロロンチーノと共にデザイン画を描いたりナザリック運営の手伝いをしていたウルベルトは、次の日の早朝にはユリとニグンを引き連れて再びバハルス帝国の帝都へと向かっていた。

 騎獣である魔の闇子(ジャージーデビル)たちの驚異的な速度のおかげで、昼前にはアーウィンタールに到着する。

 顔馴染みになりつつある権門の男と挨拶を交わすと、ジャージーデビルに乗ったままウルベルトたちは街中へと足を踏み入れた。

 既に多くの人で賑わっている街並みがウルベルトたちを中心に割れるように道を開けていく。いつまで経っても変わらぬ反応に内心辟易させられながら、しかしそれを決して面には出さずにウルベルトたちはまずは拠点にしている“歌う林檎亭”へと向かっていった。

 裏へ回って厩にジャージーデビルを預け、改めて表の入り口から店内へと入る。

 扉を開いて店内に足を踏み入れれば、先ほどまで煩いほどに賑わっていた店内が一気に静まり返った。痛いほどの静寂と一斉に向けられる多くの視線に、思わず大きなため息が出そうになる。

 いつになったら普通の反応になるのかと少し遠い目になりながら、ウルベルトはユリとニグンを引き連れて真っ直ぐにカウンターへと歩み寄って行った。

 

「店主、部屋は空いていますか?」

 

 カウンターにいる呆然とした表情を浮かべた店主の男へと声をかける。

 男はハッと我に返ったような素振りを見せると、次には食ってかかるようにこちらに身を乗り出してきた。あまりの勢いに、思わず気圧されるように少しだけ背を逸らして身を引いてしまう。

 

「……あんたら…っ! やっと戻ってきたか!!」

「ど、どうかしたのですか……?」

「どうしたもこうしたも……、あんたらに客だ……!」

「………客……?」

 

 “客”という言葉に心当たりがなく、思わず小首を傾げる。

 もしや遂に依頼が来たのだろうか…!と目を輝かせるも、店主の示した方へと目を向けた途端、一気に輝きが失せていった。口を突いて出そうになった大きなため息を辛うじて呑み込む。しかし多少なりとも表情には出ていたようで、ウルベルトたちの存在に気がついて座っていた椅子から立ち上がってこちらに歩み寄って来ていた面々が少なからず不満そうな表情を浮かべた。

 

「何ですの、その顔は……。失礼ではなくって?」

 

 顰めさせた表情そのままに苦情を宣うのは、つり目がちな大きな瞳が印象的な一人の美少女。

 今日は少女らしいピンク色のフワフワとした可愛らしいドレスを身に纏っており、彼女の後ろには秘書のような神経質そうな男が一人静かに控えている。

 更に男の後ろには見覚えのある三人の女森妖精(エルフ)が立っており、彼女たちの姿にウルベルトは否が応にも憂鬱となっていった。

 

「………次は一体何の御用ですか、ノークランさん」

 

 まずはこちらから片付けよう……とソフィアへと声をかける。

 ソフィアは不機嫌だった表情を何故か拗ねたようなものに変えると、次にはわざとらしいまでに大きな身振りで両手を腰に当ててフンッと顔を逸らした。

 

「な、何ですの? 用がなければ来てはいけませんの…?」

 

(……何を言ってるんだ、この女は。当たり前だろうが…。)

 

 口を突いて出そうになった言葉を再び咄嗟に呑み込む。

 大体用もないのに訪ねられるほど自分とこの少女は親しくないはずだ。

 意味が分からないとばかりに内心で訝りながら、ウルベルトはただ促すように視線を向けるにとどめた。

 

「……………………。……ぅぅ…、…もうっ! この間の闘技場の件で来たのですわ!」

 

 暫く睨み合うように見つめ合い、遂にはソフィアの方が音を上げて怒鳴るように声を上げてきた。

 しかし、やはり彼女の言う内容が良く理解できなかった。

 ソフィアの言う“闘技場の件”というのは彼女が自分に喧嘩を売った件であり、それは自分たちが指定された演目で優勝した時点で終わったはずだ。

 また何かいちゃもんでも付けに来たのだろうか……と僅かに目を細めさせる中、しかし続いてソフィアが声をかけたのはウルベルトではなく背後に控えている男に対してだった。

 男はソフィアの言葉に一度深々と頭を下げると、次にはウルベルトの前まで歩み寄って懐から大きな革袋を取り出して恭しく差し出してきた。

 

「………これは何ですか?」

「闘技場の件での報酬ですわ」

「……賞金なら既に受け取りましたが」

「これは賞金ではなく依頼料ですわ。あなたはわたくしの求めに応じて闘技場の演目に出場してあなた自身の力を示したのですから、報酬を渡すのは当然の事です」

 

 どうやら彼女の認識では、あれは喧嘩を売ったのではなく、あくまでも依頼だったらしい……。

 何とも複雑な心境になりながらも、ウルベルトは取り敢えず未だ差し出されている依頼料とやらを受け取ることにした。

 革袋に手を伸ばして持ち上げれば、ずっしりとした重みが手や腕に伝わってくる。

 闘技場の演目に出場するという依頼の報酬の相場が分からないため何とも言えないが、これは中々の大金なのではないだろうか。

 

「……確かに受け取りました。ありがとうございます」

 

 本当は礼など言いたくはないのだが、ここは我慢して大人の対応をすることにした。

 ついロールプレイ時の癖で片手を胸に添えて優雅に礼をすれば、途端にソフィアの顔が真っ赤に染め上がる。

 少女の様子に、少々気障ったらしかったか……と羞恥心が湧き上がってきた。

 店内の至る所から女性のものだと思われる熱いため息が複数零れていたのだが、幸か不幸かウルベルト本人は全く気が付くことはなかった。わざとらしい咳払いを零して羞恥心を誤魔化す中、ソフィアは未だ頬を赤く染めながら妙に熱っぽい視線を向けてきた。

 

「……ま、また…、気が向いたら依頼をして差し上げても宜しいですわよ。……べ、別にっ、あなたを気に入ったわけではありませんからね! ただ、あなた方の力は認めても良いと思っているだけですから! くれぐれも勘違いはしないようにお願いしますわっ!」

「……………………」

 

 顔を茹蛸のように真っ赤に染め上げて、またフンッと顔を逸らして大声で言ってくる。

 これが例えば相手がウルベルトではなくペロロンチーノであったなら『これが天然のツンデレ少女!! うわぁっ、うわぁっ!!』と嬉々として騒いだことだろう。またはもう少し女心の分かる者が相手であったなら、言葉の裏に隠されたソフィアの複雑な本心とやらを察することが出来たのかもしれない。

 しかし幸か不幸か、相手は女にさほど興味を見出さず、王族貴族という上流階級が大嫌いで、悪をこよなく愛する重度の中二病を患ったウルベルト・アレイン・オードルである。商会長の娘という上流階級の人間である時点で良い印象を持たれ辛いというのに、複雑な女心など理解できないウルベルトにとってはソフィアの態度や言葉はどこまでもマイナスに働いてしまっていた。

 唯一救いだったのは、ウルベルトの精神の悪魔化が予想以上に進んでいたことだろうか……。

 人間であったなら感情に任せて怒鳴り散らしていたのだが、精神の悪魔化が進んでいることで感情や欲の制御が人間の時よりも強く、上手くできていた。燃え立つような怒りや苛立ちは感じているものの、爆発することはない。

 悪魔としての妙に冷めた部分が冷静にソフィアという名の下等生物(人間)を観察していた。

 

「……ええ、肝に銘じておきますよ」

 

 形の良い薄い唇から妙に冷静で淡々とした声音が紡がれる。

 途端にソフィアの顔に焦りのような色が浮かぶが、しかしウルベルトの金色の瞳は既にソフィアから離れて後ろに佇んでいる三人のエルフたちへと向けられていた。オドオドとした様子で立ち竦んでいる彼女たちに思わず小さなため息をつきながら、ソフィアの横を通り過ぎてエルフたちの前へと歩み寄る。

 怯えたような視線を向けてくる彼女たちに一体何しに来たんだ…とソフィアの時と同じことを思いながら、一番手前にいる女へと目を向けた。

 

「それで……、あなた方は一体何の御用ですか…?」

 

 十中八九エルヤーの事だろうな…と思いながらも一切面には出さずに問いかける。

 エルフたちはチラチラと互いに視線を交わし合うと、次には代表として一番前にいるエルフが恐々と口を開いてきた。

 

「……エ、エルヤー・ウズルスが…どこにいるか、し、知りませんか……?」

 

 予想通りの内容に思わずため息をつきそうになる。

 しかし何とかそれを呑み込んで口を開きかける中、しかし今まで話していたソフィアが反応する方が早かった。

 

「……あら、そういえばあなた方はウズルスさんと同じチームのエルフたちでしたわね。ウズルスさんがどうかなさったの?」

 

 当たり前のように会話に入ってくる少女に小さく顔を顰めさせながら、そういえば彼女はエルヤーの事を気に入っているとニグンが言っていたことを思い出した。

 

「あ、の……一昨日に出かけてから、どこにいるのか…分からなくて……」

「まぁ、それは心配ですわね。どなたかに行先は伝えていらっしゃらなかったの?」

「………は、い…」

 

 ソフィアと話していくうちにエルフたちの表情がだんだん強張っていく。

 彼女たちの今の様子や闘技場での装備の違い。何より彼女たちの半ば切り落とされている耳からして、今まで彼女たちがどんな扱いを受けてきたのか容易に窺い知れる。恐らく碌な扱いを受けてはいなかったのだろう。主人の居場所が気になりながらも他の者から聞かれれば途端に顔色が悪くなるなど相当だ。

 今にも気を遣りそうになっている奥のエルフに気が付いて、ウルベルトは今度は意識して大きなため息を吐き出した。

 途端にソフィアやエルフたちの視線が一斉にこちらに向けられる。

 

「……ウズルスさんが行方知れずなのは分かりました。しかし、何故あなた方はここに来られたのですか?」

「あ、あの……闘技場で、あなたに負けたのを…すごく、気にして、恨んでいた…ので……。……もしかしたらって…」

 

 オドオドと言葉を詰まらせながら説明するエルフに、ウルベルトは内心で納得の声を上げた。

 つまり彼女たちの予想通り、エルヤーは逆恨みからウルベルトに再度襲いかかり返り討ちにあったというわけだ。

 しかし当然ウルベルトがそのことを口に出すことはない。ただ神妙な表情を浮かべながら一つ頷いて堂々と白を切った。

 

「そうでしたか。ですが、残念ながらウズルスさんとはあの闘技場の演目以降お会いしてはいません。恐らく全く別のところに向かわれたのではないでしょうか」

「………そう…ですか……」

「因みに、彼が私に負けたことに対してひどく気にしていたのを知っているのはあなた方以外にどなたかいらっしゃいますか?」

 

 ウルベルトの問いに、エルフたちは不思議そうな表情を浮かべながらも全員が頭を横に振った。

 ウルベルトは内心で安堵の息をつくと、ここが正念場と決めて意識して柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……では、このことは内密にしてあげて下さい。それが本当だったにしろ、そうでなかったにしろ、実力で負けたことに対して相手を逆恨みする行為は、第三者からすれば器を疑われかねないものです。彼がもし戻ってきた時、本当かどうかも分からないことで彼の評価が下がってしまっていては可哀想ですからね」

 

 ウルベルトとしては、これ以上自分とエルヤーとの接点を言い触らして欲しくないだけの言葉である。しかしソフィアやエルフたちや彼らの話に聞き耳を立てていた周りの客たちは一様に思わず感嘆の息を吐き出していた。

 自分を逆恨みしているかもしれない人物を思いやるとは何と寛大な人なのだろう、と……。

 エルフたちの他にも、客の中にはエルヤーの本性を知っている者たちもいる。そんな彼らからしてみれば、ウルベルトの寛大さはエルヤーと比較されて一層強く印象に残っていった。

 

「それに、もしかしたら一人で武者修行をしているだけかもしれません。もう少し探してみてはいかがですか?」

「………分かり、ました…。あの、お騒がせ…しました……」

 

 ウルベルトの言葉に小さく頷き、ぺこりとひどく幼い動作で頭を下げてくる。それでいて店を出ようとする中、不意に一人のエルフが足を止めてウルベルトを振り返ってきた。

 良く見れば、そのエルフは闘技場の演目の際にウルベルトが杖を突きつけて降参するか否かを問うたエルフだった。

 

「…あ、の……ま、また…来ます……」

 

 エルフはもう一度ぺこりと頭を下げると、駆けるように先に店を出て行った二人のエルフたちを追いかけていった。

 自然と静まり返る店内。

 彼女の行動の意味が分からずウルベルトが目をぱちくりと瞬かせる中、自然とこの場にいる全員からの視線がウルベルトへと突き刺さった。

 

「………あー、つまり、進展があればまた知らせに来てくれるということかな? 中々に律儀なことだ」

「いえ、恐れながら、あのエルフの娘はウルベ……ゴホンッ、レオナールさんに好意を寄せているのではないでしょうか?」

 

 ユリの言葉に、まるでそれが禁忌の言葉であったかのように一気にこの場の空気が凍り付く。

 しかしウルベルトはそんな空気には一切気が付かず、ただ訝しげな表情を浮かべてユリを見つめていた。

 

「私を好いて……? いや、そんなはずはないだろう。私と彼女の接点なぞ、闘技場で私に杖を突き付けられたぐらいだぞ。それで好意を持つ女性がどこにいるんだ」

 

 あり得ないと首を横に振るウルベルトに、しかし必ずしもその意見が通らないこともあることをこの場にいる他の面々は知っていた。

 このご時世、強い男を好む女は五万といる。特に荒事に身を置くことの多い女であれば、自分よりも強い男しか認めないと豪語する者が殆どだ。

 ウルベルトはエルフの女たちに降伏を宣言させただけでなく、エルヤーを一人で打ち負かすほどの強者である。なおかつ容姿も端麗で器も大きいとくれば、それこそ世の中の多くの女はウルベルトに好意を寄せるだろう。

 しかし少し前までは平凡な人間として現実世界(リアル)を生きていたウルベルトにとっては、そう言ったこの世界での考え方は今一理解できないものだった。

 

「……まぁ、今はウズルスさんが無事に戻ってくることを祈りましょう」

「……はい、レオナールさん」

 

 ユリとニグンが頷くような形で頭を下げる。

 

「ところで……、あなたはいつまでここにいらっしゃるのですか、ノークランさん」

「なっ、わ、わたくしがいつまでここにいようと、あなたには関係ありませんわ! それとも、わたくしの事が気になりますの?」

「いえ、別に……。では私たちは部屋に引き上げさせて頂きます。店主、部屋をお願いします」

 

 ウルベルトの返答はどこまでも素っ気ない。

 思わず唖然となっているソフィアには構わず、ウルベルトはカウンターの奥にいる店主に声をかけてさっさと空き部屋を借りた。無言でいて非難するような店主の視線は完全に無視し、さっさと部屋に逃げてしまおうと踵を返す。

 しかし、ユリとニグンを後ろに引き連れて階段に向かったその時、まるで彼を引き留めるかのように店の扉が大きな音と共に勢いよく開かれた。

 

「失礼する! ここにワーカーチームの“サバト・レガロ”はいるだろうか!」

 

 大声で名指しされ、ウルベルトの足がピタッと止まる。

 扉の方を見てみれば身なりのきちんとした見慣れぬ男が扉の前で仁王立ちしており、ゆっくりと店内を見回していた。

 目尻のつり上がった男の鋭い目がニグンに止まり、続いてユリに、そして階段の一段目に足を掛けていたウルベルトに移って目と目が合う。

 ウルベルトはゆっくりと階段の段差から足を離すと、わざとらしいまでの大きなため息を吐き出した。

 

「……今日は本当に来客が多いですね。私どもに一体何の御用でしょうか?」

「あなた方が“サバト・レガロ”でしょうか?」

「ええ、初めまして。私が“サバト・レガロ”のリーダを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します」

 

 ウルベルトの言葉に、男は大股でずんずんと店内を進んできた。

 ウルベルトたちの前まで歩み寄り、改めて軽く頭を下げてくる。

 

「私はジェクト・カーヴェイン。バハルス帝国四騎士が一人、バジウッド・ペシュメル様に仕える者です。今日は我が主の遣いで参りました」

 

 瞬間、店内に大きなどよめきが起こった。

 ある者は呆然とジェクトを見やり、ある者は隣同士で何事かを囁き合い、ある者は尊敬のような眼差してジェクトやウルベルトたちを見つめている。

 ウルベルトもまた、聞き覚えのある名前にほんの微かに目を細めさせた。

 バジウッド・ペシュメルとは以前ニグンの口から聞いたことのある名前だった。

 バハルス帝国に属する四人の強者たる騎士たちの総称が“四騎士”。バジウッド・ペシュメルという男はその“四騎士”の中でも一番の強さを持ち、“雷光”の二つ名を持つ四騎士のリーダを務める男だった。

 しかし何故そんな男から使者が来るのか、ウルベルトには全く身に覚えがなかった。

 まさかソフィアと同じように自分たちのことが気に入らないとわざわざ使者を使って喧嘩を売りに来たわけでもあるまい……。

 思わず訝しげな表情を浮かべるウルベルトに、ジェクトはどこまでも変わらぬ厳めしい顔つきではきはきと自分の主の意思を口に乗せた。

 

「先日、主の奥方様や愛人の方々がモンスターの群れに襲われた際、通りがかったあなた方に救われたと伺いました。主はあなた方にひどく感謝しており、直接感謝の言葉を伝えると共に謝礼をお渡ししたいと望んでおられます」

「……………………」

 

 店内にいる誰もがおぉ…と感心したような声を上げる。しかしウルベルトがまず思ったのは、やっぱりマズかったか……という苦々しいものだった。

 護衛任務を遂行中の同業者たちを狙って行ったデモンストレーション。あの時も直前に護衛対象が国の軍に所属する人間の親族だと知り、変に目をつけられないかと少々不安を感じてはいたのだ。

 今回の申し出が言葉通りの謝礼であればまだいいが、何かしらの狙いがあった場合は少々面倒なことになるかもしれない。

 この申し出を受けるか否かを考え、ウルベルトはすぐさま断る方向に持って行くことにした。

 

「お心遣いは感謝いたします。しかし私どもは本当に通りがかっただけで、本当に奥方様方を命をかけて護っていたのは依頼を受けていた冒険者やワーカーの方たちです。謝礼をして下さるのであれば、どうか我々にではなく、依頼を受けた者たちにお願いします」

 

 一欠けらの迷いも躊躇もなくきっぱりと言い切るウルベルトに、周りの者たちは信じられないというように目を見開かせた。

 名声によって客となる依頼主を引き寄せるワーカーにとって、名のある商人や上流階級、国家機関に属する人間と繋がりを持つことは、それだけでも大きな利益となり得る。しかし先ほどのウルベルトの行為は、せっかく舞い込んできた大きな利益をむざむざ他の同業者たちに譲るようなものだ。

 ワーカーの世界では同業者とは仲間ではなく、あくまでも互いに蹴落とすべきライバルである。

 ライバルに花を持たせるなど普通では考えられない行為であり、その断る理由からも、この場にいる全ての者たちはウルベルトの寛大さに感動すら覚えた。

 しかしウルベルトにそれが分かるはずもなく、ただどうやってこの場を切り抜けようかと素知らぬ表情のまま頭を悩ませていた。

 

「それに、助けた時に既に護衛対象者であった女性の方から謝礼の言葉を頂いています。我々はそれで充分ですので、それをあなたのご主人に伝えてください」

 

 一方的にそれだけを言うと、話は終わりとばかりに軽く頭を下げて踵を返す。

 ウルベルトとしてはここでさっさと階段を上がって部屋に逃げ込みたかったのだが、そうはさせまいとばかりにジェクトが慌てて引き止めてきた。

 

「お、お待ちを! そういう訳にはいきません! 主人は直接会って謝礼したいと仰せです。既に依頼した冒険者やワーカーたちにも謝礼はさせて頂きましたが、あなた方がいなければどうなっていたか分からないと彼らからも伺っております。どうか我が主の顔を立てると思って、受けて頂けないでしょうか」

 

 ジェクトの言葉にこの場にいる全員が再び驚愕の表情を浮かべる。

 いくら使者とはいえ、上流階級の人間がワーカーに対してここまであからさまに下手に出たことが未だ嘗てあっただろうか。

 誰もが固唾を呑んで成り行きを見守る中、ウルベルトもここまで言われてしまっては下手に断るわけにもいかなくなった。ここで断固拒否しては、逆に何か後ろめたいことがあるのだと宣言しているようなものである。

 最初から断るには不利な立場にあったことに内心で苦々しい表情を浮かべながら、ウルベルトは気づかれない程度に小さなため息をついて使者を振り返った。

 

「………分かりました。そこまで仰られるのであれば、謹んでお受けさせて頂きます」

「あ、ありがとうございます! それでは、また詳しい日程などについては後ほど改めて知らせを向かわさせて頂きます」

 

 ジェクトは一度深々と頭を下げると、次にはキビキビとした動作で踵を返し、店内を後にした。

 残されたのは憮然とした表情を浮かべたウルベルトと、未だ呆然とした表情を浮かべた客たち。しーんっと静まり返った店内。

 停滞した空気の中、精神的にどっと疲れたウルベルトは今度こそさっさと部屋に逃げ込むことにした。

 無言のまま踵を返し、足早に階段を上り始める。

 ユリやニグンがすぐさま気が付いて後を追ってくる中、ソフィアや他の客たちが気が付いた時にはウルベルトたちは既に借りた部屋へと入って扉を閉めた頃だった。

 

 

 

「……〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 ウルベルトの魔法により、豪奢でいて品のある寝椅子(カウチ)がどこからともなく現れる。

 ウルベルトは勢いよく寝椅子に座ると、深く背を預けながら深く長く大きなため息を吐き出した。身体から無駄な力を抜き、意味もなくこめかみに指を当ててぐりぐりと揉み込む。不機嫌そうに顔を顰めさせ、再び大きなため息を吐き出した。

 

「……帝国に来た途端にこの騒ぎとは、な。疲労を感じているのは“人化”しているからなのか、それとも精神的にキタのか…」

 

 苛立たしいとばかりに顔を顰めさせながら独り言ちる。

 ウルベルトは通常悪魔であるため疲労はなく、飲食も不要である。しかし“人化”している現在では疲労もするし飲食も必要になっていた。飲食の面は飲食不要の指輪を装備しているため問題はないのだが、疲労の面は何も対策をとっていないため皆無というわけにもいかなかった。

 しかし今感じているものはどう考えてもただの疲労だとは思えない。どちらかというと精神的なものに思えてならなかった。

 もっと考えて行動すれば良かった……と過去の自分を恨みながら、ウルベルトは今はそんな場合ではないと意識して頭を切り替えることにした。

 

「さて、この短時間に来客が三組も来たわけだが……。ソフィア・ノークランの件は放っておくとして、他の二組に関しては少々考えておく必要があるな」

 

 ウルベルトは長い足を組むと、目の前で跪いた状態でこちらの言葉に耳を傾けているユリやニグンを見やった。

 

「エルヤー・ウズルスのエルフたちについては問題ないとは思うが、念のため監視を付けるとしよう。バジウッド・ペシュメルの申し出についてはどういった思惑があるのか探りを入れる必要がある。……〈中位悪魔創造〉」

 

 ウルベルトの特殊技術(スキル)が発動し、すぐさま五体の影の悪魔(シャドウデーモン)が跪いた状態で姿を現す。

 

「エルヤー・ウズルスのエルフたちの影に一人ずつ潜んで動向を監視しろ。残りの二体はジェクト・カーヴェインの影に潜み、動向の監視と奴らの狙いを探れ」

「畏まりました」

 

 シャドウデーモンたちは一様に頭を下げると、すぐさま自身の影に潜り込んで消えていった。

 無言でシャドウデーモンたちを見送るウルベルトに、ユリから控えめに声が掛けられる。

 

「……もし、本当に善意での謝礼であれば如何いたしますか?」

「そうであれば別にどうもしないとも。ただ友好的な関係を築くだけだ」

 

 了解したように頭を下げるユリに、ウルベルトは小さく目を細めさせながら内心で肩を竦ませた。

 流石はカルマ値プラスというべきか、こういう所がカルマ値マイナスの者たちとは違うと半ば感心を覚える。

 しかしユリの場合は時々心のケアー的なアフターフォローも必要になってくるかもしれないな…とウルベルトはぼんやりと思考を巡らせた。

 このワーカーチームはユリ以外の全員がカルマ値マイナスである。ウルベルトはマイナス値マックスである極悪のマイナス500であるし、ニグンは人間の頃はどうだったのかは知らないが、少なくとも今は小悪魔(インプ)になった影響か、完全にカルマ値はマイナスである。

 そもそも本来の職場ともいえるナザリック自体がカルマ値マイナスの者が殆どであるためユリがこの状況にストレスを感じているのかは大いに謎ではあるが、しかしケアーをしたからと言って何もデメリットはないだろうから、して損をすることもないだろう。

 

(そういえば今まではずっと異形になった影響は考えてはいたが、カルマ値による精神的変化も起こっているのか……?)

 

 今まで考えてもみなかった可能性に思わず首を傾げる。

 しかし不意に頭の中で何かが繋がったような感覚に襲われ、ウルベルトは反射的に顔を上げて宙に視線をさ迷わせた。

 

『ウルベルト・アレイン・オードル様』

「シャドウデーモン…? どうした?」

 

 突然の思わぬコンタクトに、ウルベルトは小さく目を見開かせる。無意識に組んでいた足を解くと、背もたれに預けていた背も離して意識を集中させた。

 

『先ほど再びガゼフ・ストロノーフに動きがありました。リ・エスティーゼ王国の王女であるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと、冒険者だと思われるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと言う女にカルネ村について報告しておりました』

「……王女と冒険者の女? 何故そんな人間に……。カルネ村について何を報告していた?」

『ガゼフ・ストロノーフはどうもカルネ村で起こった一件に関して不信感を持っているらしく、それについて相談しておりました。王女とガゼフ・ストロノーフの依頼により、冒険者の女が属するチームがカルネ村に調査に向かうとのことです』

「………ペロロンチーノに知らせておく必要があるな」

 

 次から次へと起こる問題に顔を顰めさせながら、ウルベルトは勢いよく寝椅子から立ち上がった。

 訳もなく窓の方へと歩み寄り、そこから見える街並みを見つめる。

 

「……ガゼフ・ストロノーフについているのは、確かお前を含めて二体だったな」

『はっ』

「では、一体はそのままガゼフを監視し、もう一体はラキュースとかいう冒険者の女の影に潜め。すぐに新たなシャドウデーモンたちをそちらに向かわせる。協力して監視し、何か動きがあればどちらかが知らせに来い」

『はっ、畏まりました』

 

 シャドウデーモンの返事と共に〈伝言(メッセージ)〉が切られる。

 一つ息をついてそのまますぐにペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を繋ごうとしたのだが、その前に再び誰かから〈伝言(メッセージ)〉が繋がってきた。

 

「……? 次は誰……」

『ウルベルトさんっ!!』

「うおっ!? …なんだ、ペロロンチーノか。いきなり大声を出すな、驚くだろう。まぁ、丁度良かった。実は俺から連絡しようと……」

『ちょっとっ!! デミウルゴスにどんな教育してるんですかっ!!』

「……あぁん…?」

 

 何度も言葉を遮られるだけでなく喧嘩を売るような発言に、途端にウルベルトの口からドスの効いた声が飛び出てくる。

 ユリやニグンがビクッと反応するのも気が付かず、ウルベルトは宙に視線を向けて鋭く睨み据えた。

 

「……なんだ、いきなり喧嘩売ってんのか…」

『喧嘩は売ってませんけど、ちょっとウルベルトさんに物申したいので明日こっちに来てください!』

「何で明日なんだ……。今でも別にいいだろう」

『今は俺の精神がヤバいんで無理です!!』

「……………………」

 

 堂々と言われてウルベルトは思わず黙り込む。

 しかし一度大きく息をついて苛立ちを落ち着かせると、顔を顰めさせながらフンッと鼻を鳴らした。

 

「……良いだろう、明日そっちに戻る。ただ、くだらない話だったら容赦しねぇからな」

『あっ、明日はカルネ村に行く予定なので、ナザリックじゃなくてカルネ村に来てください』

 

 しれっとそんなことを宣う鳥人(バードマン)に半ば本気で殺意が湧いてくる。

 この野郎……と内心で苦々し気に吐き捨てながら、しかし何とか了承の言葉を返してウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉を切った。はあぁ……と大きなため息を吐き出し、次には後ろに控えているユリとニグンを振り返る。

 

「……明日、カルネ村に向かうぞ」

 

 きちんと説明する気力も失せ、ウルベルトはただ力なく一言吐き捨てるのだった。

 

 




ウルベルト様のモテ期到来!(笑)
今後、モモンガさんだけじゃなく、ウルベルトさんやペロロンチーノさんにもそれぞれのヒロイン的な存在を作っていく予定です!


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第25話 人間と異形

今回は少々短いです……。


 早朝、ユリとニグンを引き連れてナザリックを発ったウルベルトを見送ったペロロンチーノは、現在ウキウキ気分でカルネ村に向かって空を飛んでいた。

 今回供は誰もいない。

 カルネ村はマーレの担当でもあるため本来ならば彼と共に訪問するのだが、今マーレにはアウラと共にトブの大森林の湖以外の場所の探索を命じている。

 久しぶりの単独行動に少し新鮮さを感じながら、ペロロンチーノは見えてきた目的の場所に嬉々として舞い降りていった。

 無事に地面へと着地し、村の様子を見回す。

 復興活動は大分進み、村を囲む柵も簡易なものから頑丈で強固なものへと姿を変えていた。

 いや、もはや柵という生半可なものではない。丸太をそのまま縦に並べて作られているそれは、まるで聳え立つ壁のように鎮座し、村の中と外とを完全に両断していた。まるで何かの要塞のようで、非常に防御力が高くなっていることが窺える。相手が人間の野盗等であれば、一切手出しできずに逃げていくことだろう。

 もはや普通の村じゃなくなったな……と半ば感心しながら、ペロロンチーノは目的の人物に会うために足を進め始めた。

 

 

 

「あっ、これはペロロンチーノ様!」

「こんにちは、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノの来訪に気が付いて、村の人々が我先にと笑顔と共に声をかけてくる。

 ペロロンチーノは彼らに笑顔と共に手を振るなどして応えながら、しかしその足は一度も止まることなく真っ直ぐにある場所へと向かっていた。

 歩を進めるにつれ、前方から多くの掛け声や風切り音が聞こえてくる。

 少し足の速度を速めて歩いていけば、そこには小さな村には全く似つかわしくないほどの大きく立派な鍛錬場が広がっていた。

 鍛錬場には女子供を含めて実に村人の約半数が集まっていた。その内の三分の二が剣や槍を振るっており、残りの三分の一が弓矢を構えて遠くの的となっているカカシを狙っている。

 全員が真剣な表情を浮かべており、遊んでいる者は誰一人としていない。

 村の中には師事できるような人物は誰もいないのだが、それでも中々に様になっているようだった。

 思わず感心の息を零す中、弓矢を構えている団体の中に目的の人物を見つけてペロロンチーノは翼を羽ばたかせてフワッと空中へと舞い上がった。空高くまでは羽ばたかず、低空飛行で鍛錬場へと向かう。

 

 

「こんにちは。みんな随分と上達したいみたいですね」

 

 彼らを驚かせないように気を付けながら、できる限り明るい声音で声をかける。

 村人たちは驚いたように頭上を見上げ、ペロロンチーノに目を止めると誰もが満面の笑みを浮かばせた。構えていた得物を次々と下ろし、中には得物を持つ手とは逆の手をブンブンと振ってくる者さえいる。

 

「ペロロンチーノ様!」

「おい、ペロロンチーノ様がいらっしゃったぞ!」

「よく来てくださいました、ペロロンチーノ様!」

 

 わぁわぁ歓声を上げる村人たちを見ていると、まるで自分が有名人か何かになったような気分になってくる。

 ペロロンチーノは柔らかな笑みを浮かべると、激しい風圧が彼らを襲わないように気を付けながらゆっくりと地面へと舞い降りていった。

 途端に多くの村人たちに取り囲まれ、少々圧倒されてしまう。

 しかし押し寄せてくる村人たちをかき分けるようにして駆けてきた人物に、ペロロンチーノは圧倒されていたのも忘れて心を弾ませた。

 

「ペロロンチーノ様、いらっしゃいませ!」

「ペロロンチーノ様だー!」

 

 ペロロンチーノの前まで駆けてきたのはエモット姉妹。ペロロンチーノのお気に入りの姉妹であり、彼のハーレム計画の対象でもある少女たちであり、今回の目的の人物でもある。

 咄嗟に抱きしめようと腕を伸ばしかけ、しかしペロロンチーノはすぐさまグッと堪えた。

 ペロロンチーノとしては心のままに少女たちの可愛らしさを愛でたい気持ちは大いにあるのだが、こんな人目が多くある公の場で抱きしめたりしては、流石に二人が恥ずかしがってしまうかもしれない。ただ恥ずかしがるだけならばまだいいが、彼女たちに「ムードがない」とか「女心を分かってない」などと思われて好感度が下がってしまっては元も子もない。

 あくまでも自分は可愛らしい少女たちを愛でる紳士なのだ。

 決してヘタレなどではなく、紳士なのである!

 必死に自分に言い聞かせながら、ペロロンチーノは笑顔と共にエンリとネムの頭に手を乗せて柔らかく撫でた。

 必死に自分に言い聞かせたにも拘らず手を出してしまうあたりどうしようもないのだが、ペロロンチーノは少女たちの手触りの良い髪を撫でながら、力一杯に抱きしめられない無念さに涙を呑むのだった。

 

「ペロロンチーノ様、本日はいつまでいらっしゃるのですか?」

 

 エンリの問いかけと同時に、エモット姉妹から期待するような眼差しを向けらる。彼女たちからの好意的な強い視線に、ペロロンチーノは心が弾むのを止められなかった。

 

「何もなければ今日一日いる予定だよ。エンリちゃんには弓を教える約束をしていたしね」

 

 ペロロンチーノの言葉に、途端にエンリたちの顔が笑みに輝いた。

 早速手ほどきを受けようとペロロンチーノを的の場所へと連れて行くエンリやネムや村人たちに、ペロロンチーノも大人しくそれに従った。

 まずは改めて彼らの腕前を見るべく、弓を扱う村人たちには定位置に並んで立ってもらう。

 ペロロンチーノは剣や槍などを扱う村人たちと共に少し離れた場所に立つと、彼らの姿勢などを注意深く観察した。その際、エンリやネムを特に注視してしまうのはご愛嬌というものなのだろうか。

 何はともあれ、ペロロンチーノの号令で全員が矢をつがえ、弓を構え、弦を引き、的を狙い、最後に矢を放った。

 多くの矢が空を切り裂き、的となっているカカシへと殺到する。しかし矢の多くが途中で力を失い、的に辿り着く間もなく下降を始めて地面へと突き刺さった。的に辿り着いた矢もいくつかあったが、どれも足元部分に突き刺さってしまっている。

 見るからに落胆したり厳しい表情を浮かべる村人たちに、ペロロンチーノは彼らの動きを脳内で何度も再生させながら、どうやって教えていこうかと頭を悩ませた。

 ふと、自分はどうやって弓を構えているだろうか…と疑問が浮かび、アイテムボックスから適当な弓を取り出す。突然どこからともなく現れた弓に村人たちが驚愕の表情を浮かべる中、しかしペロロンチーノは気にした様子もなく無造作に手の中の弓を鋭く構えた。弦を指に引っ掛けて大きく引くと、魔法の矢がどこからともなく現れてペロロンチーノの指の上に沿うように乗せられる。

 ペロロンチーノはう~んと小さく唸り声を上げながら、今の自分の状態と脳内の村人たちの姿勢や動きを何度も比べて分析していった。

 

 

「……まず、みんなは腕や指に力が入り過ぎているんだと思います」

 

 暫く悩んだ後、ペロロンチーノが口にしたのはそんな言葉だった。

 全く指導を受けたことがない者が初めて弓矢を扱う場合、殆どの者が指や腕の力を使って弦を引こうとする。

 しかしそれははっきり言って大きな間違いだ。

 指や腕の力が一切必要ないとは言わないが、この二つの部分での力は、あくまでも支える(・・・)ものなのだ。

 弦を引いて的を狙うにあたり必要なのは肩や肩甲骨、胸筋や背筋、そして肘である。更に全体の体幹と腰と両足を使って矢先がぶれないようにしっかりと全身を支える。

 彼らは普段は農作業といった身体を使う仕事をしているため、正直言って必要な筋肉は既にできていると考えられる。ならば後は、どの部分の筋肉をどれだけ使い、力の配分をどうやってするかが問題だった。それさえ自然体にできれば、弓の腕もかなり上がるはずだ。

 ペロロンチーノは弓の構えを解くと、自分の考えをかみ砕いて分かり易く村人たちに説明していった。時折自分の構えを見せながら、時には相手に弓を構えさせてどこがどういけないのかを指導していく。

 正直ムサい男たちの身体に触れて指導するのは全く面白くなかったが、そこはエンリとネムと必要以上に触れあって癒しを得ていった。

 

「今は矢で的を射るよりも、弓を引く練習を重点的にした方が良いと思います。素引きを中心に自分の構えを練習して身に着けていけば、早い段階で正確に的を射ることもできるようになると思いますよ」

 

 ある程度全員に自分が基本と思うことを説明した後、そう一言付け加える。

 誰もが真剣な表情を浮かべて頷く中、ペロロンチーノは徐にアイテムボックスから一つの弓を取り出した。

 象牙のような皇かな手触りと光沢を持った純白の弓は、ペロロンチーノがエンリのためにウルベルトに懇願して一緒に造った遺産級(レガシー)の弓だった。

 弓の名は“女神の慈悲”。

 使用者の攻撃力や視覚を向上させるだけでなく、レベル差によっての度合いはあれど、矢に貫通能力を付加させる力も持っている。

 これがあれば、何か突然の有事が起こったとしてもエンリの力と助けになってくれるだろう。

 

「エンリちゃんにこれをあげる。何か非常事態が起こったとしても、これがエンリちゃんの力になってくれるはずだ」

 

 ペロロンチーノは両手で弓を持ち直すと、改めてエンリとへと差し出した。

 村人たちが驚愕の表情を浮かべる中、エンリもまた驚きと困惑の表情を浮かべてペロロンチーノと弓を交互に見やる。

 

「えっ、で、でも……こんな素晴らしい物を頂く訳にはいきません!」

「逆に貰ってくれた方が嬉しいんだけど……。それに、ほら、エンリちゃんはネムちゃんを守らないといけないし」

「で、でも……」

「これはエンリちゃんのために作った物だから、エンリちゃんが貰ってくれないんだったら捨てるしかないな~」

「えっ!!?」

 

 ペロロンチーノの本気とも冗談とも分からぬ言葉に、エンリは驚きの声を上げると同時に顔を蒼褪めさせた。こんな素晴らしい物を捨てるなんて信じられない!とその顔にはでかでかと書かれている。

 しかしそれよりも、もし本当にこの弓が捨てられてしまって良からぬ者が拾ってしまったら……という考えが頭に浮かび、エンリは思わず戦慄を覚えた。

 冷や汗の流れる手を握りしめ、ある種の使命感からゆっくりと震える手を差し出す。

 ペロロンチーノは満面の笑みを浮かべると、差し出されたエンリの両手に“女神の慈悲”をそっと乗せた。

 見た目以上の皇かでいて気持ちの良い手触りが掌全体に伝わり、重さも軽くてまるで羽のよう。落とさないように慎重に握り締めれば手に吸い付くようで、まるで昔から握っていたかのようにひどく手に馴染んだ。力が漲ってくるような感覚も感じ取り、本当にすごい物なのだと実感させられる。

 エンリは感嘆のため息を小さく吐き出すと、改めてペロロンチーノに向き直って深々と頭を下げた。

 

「ペロロンチーノ様、こんな素晴らしい物を私のような者に下さって、本当にありがとうございますっ!」

「本当にありがとうございます!」

 

 姉の様子に何を思ったのか、隣に立っているネムも深々と頭を下げてくる。

 他の村人たちも全員が頭を下げてきて、ペロロンチーノは大いに慌ててしまった。

 プレゼント効果でエンリからの好感度上昇を狙っていたのは確かだが、これはあまりにも予想外だ。

 

「ちょっ、やめて下さいよ! 俺としてはみんなと仲良くなれるのは嬉しいですし、エンリちゃんの力になりたいなって思っただけなんだから」

 

 前半部分は村人たち全員に、後半部分はエンリに向けて切実に訴える。

 最初であれば、こんな風に畏まられてしまうのも仕方がないのかもしれない。しかし、できるなら徐々にでももっと気軽い関係になっていきたかった。特にエンリとネムに関しては気軽いどころか、いずれはムフフな関係になれるように奮闘しているのだ。未だ畏まられている状態では、いつ彼女たちを落とせるかも分からない。

 少女たちの心を射止めるためにはどうすべきかと頭の片隅で思考を巡らせる中、不意に頭の中に何かが繋がったような感覚に襲われた。

 

『……ペロロンチーノ様。第七階層守護者のデミウルゴスにございます。少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?』

「えっ、デミウルゴス……?」

 

 思っても見なかった予想外の人物からの〈伝言(メッセージ)〉に、ペロロンチーノは思わず驚きの声を零す。

 村人たちが不思議そうな表情を浮かべるのが目に入り、ペロロンチーノは慌てて口を閉ざした。

 

『…えっと、ちょっとだけ待ってもらえないかな? すぐにこっちから連絡するよ』

『畏まりました。お待ちしております』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しでもデミウルゴスが恭しく頭を下げているのが伝わってくる。

 ペロロンチーノは一度〈伝言(メッセージ)〉を切ると、未だ不思議そうにこちらを見つめている姉妹や村人たちを改めて見やった。

 

「ちょーっと急用が入っちゃったので、今日はこれで失礼しますね! 明日また来るので、その時にまた今日の続きをしましょう」

 

 ペロロンチーノの言葉に、途端に村人たちがしゅんっとした表情を浮かべる。

 正直に言って男の項垂れた表情など全く萌えないのだが、エンリやネムのしゅんっとした表情は非常に可愛らしくて非常に萌える。

 美少女は尊い…と内心で連呼しながら、ペロロンチーノはそっと彼女たちへと手を伸ばした。エンリやネムを慰めるように、エンリの肩とネムの頭にそれぞれ手を乗せる。

 

「ほらほら、そんな顔しないで。明日も絶対来るから!」

「……はい。ありがとうございます、ペロロンチーノ様」

「絶対に来て下さいね、ペロロンチーノ様!」

 

 ぺこりと頭を下げるエンリの隣で、ネムが寂しそうな表情を浮かべて足に縋りついてくる。

 ペロロンチーノはネムの可愛らしい仕草に内心で血反吐を吐いて完全にノックアウトされた。もはや心の中のペロロンチーノは萌えによる瀕死状態である。

 しかしこのまま倒れ込んでデミウルゴスを待たせるわけにもいかなかった。

 いつまでも待たせていては彼を心配させて悲しませるかもしれないし、彼を悲しませてしまえば、もれなく彼の創造主(父親)である山羊悪魔を烈火の如く怒らせかねなかった。大人げないところのある彼を怒らせてはこちらの命が危ないし、正直こんなことで命の危機など御免蒙りたかった。

 ペロロンチーノはエンリの肩とネムの頭をそれぞれ優しく一撫ですると、次には手を離して一、二歩彼女たちから距離をとった。自分に近づかないように注意し、背の四枚二対の翼を大きく広げる。

 ペロロンチーノは大きく翼を羽ばたかせると、そのまま勢いよく上空へと舞い上がった。

 念のため少々空を飛んでカルネ村から遠ざかり、そこで漸く何もない上空で停止する。

 ペロロンチーノは一度大きく深呼吸すると、何となく気合を入れてデミウルゴスへと〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

「……あー、待たせて悪かったな、デミウルゴス」

『とんでもございません! お忙しい中お邪魔をしてしまっただけでなく、ペロロンチーノ様の御手を煩わせてしまうとは! このデミウルゴス、いかな処分でも受ける所存でございます』

「いやいやいや、そこまでしなくて良いから。俺もそんなに気にしてないから」

 

 意気込んで言ってくるデミウルゴスに思わず焦りと共に冷や汗が流れる。

 第一、こんな事で彼を処罰しようものなら、それこそあの親馬鹿が黙っている筈がない。

 折角回避できたであろう死亡フラグを無意識に再び立てようとする最上位悪魔(アーチデビル)に、ペロロンチーノは慌てて再び死亡フラグをへし折りにかかった。

 

「そ、それより! 〈伝言(メッセージ)〉の用件は何だったんだ?」

 

 ペロロンチーノの必殺技、“無理やり話題逸らし”が発動する。

 ユグドラシル引退前までは実の姉によって尽く看破されることの多かったこの技は、しかしどこまでも主たちに忠実な悪魔に対しては効果抜群だった。

 

『はい、実は未だ低位の魔法のみではございますが、巻物(スクロール)の作製に成功いたしました』

「おおぉっ!!」

 

 思ってもみなかった朗報に、ペロロンチーノは思わず大きな声を上げていた。

 モモンガやウルベルトがどう考えていたのかは分からないが、少なくともペロロンチーノは正直もっともっと時間がかかるか、そもそもユグドラシルレベルのアイテムの作製方法は見つからないだろうと思っていた。

 しかしデミウルゴスはそれを見事にやり遂げたのだ。これはやはり、ナザリック一の頭脳の持ち主であるが故の成果なのだろうか。

 素直に感嘆の声を上げるペロロンチーノに、〈伝言(メッセージ)〉越しの悪魔の声にも抑えようのない喜色が宿っていた。

 

『多くの獣や魔獣では中々上手くいかなかったのですが、ウルベルト様に頂いた人間を使ったところ、低位での魔法の巻物(スクロール)を作製することに成功したのです!』

 

「……えっ…」

 

 勢い込んで嬉々として話すデミウルゴスに、しかしペロロンチーノは一瞬思考が停止した。

 “ウルベルト様に頂いた人間”という言葉が頭の中をグルグルと回り渦を巻く。

 昨日ウルベルトが言っていた言葉も思い出して、ペロロンチーノは思わず顔を大きく引き攣らせた。

 

(………えっと、それって…、もしかしなくてもエルヤーって奴の事だよな……? ……えっ、人間で巻物(スクロール)って……皮でも剥がしたのか……!?)

 

 ついつい嬉々とした笑みを浮かべたデミウルゴスに皮を剥がされている顔も知らぬ人間の男の姿を想像し、一気にげんなりとしてしまう。

 男に対しては別段何も思うことはないけれど、自分たちがこれから辿る未来が明確に見えた気がしてペロロンチーノは諦めにも似た脱力感に襲われた。

 

 自分もモモンガもウルベルトも、元は唯の人間だったというのに次の瞬間には異形種となっていた。

 周りにも異形種しかおらず、それに疑問も違和感さえも感じることはなかった。

 身体だけでなく、精神までもが異形へと変化していくのを感じていた。

 それに対してどうこう言うつもりはペロロンチーノとてない。

 隣にモモンガとウルベルトがいて、周りに大切なNPCたちがいて、彼らと共にずっと笑顔でいられるならそれで良かった。

 けれど……――

 

 

『――…流石はウルベルト様、叡智高き至高の御方の御一人! ウルベルト様はこうなると予想されてあの人間を私にご下賜下さったに違いありません!!』

 

(……いや、絶対にウルベルトさんも予想外だったと思うよ…。)

 

 内心でデミウルゴスにツッコミながら、ペロロンチーノは頭の片隅で思考を巡らせた。

 恐らくこれを機に、より多くの巻物(スクロール)を手に入れるために大掛かりな人間狩りが行われることだろう。そして自分もモモンガもウルベルトも、異形種になったことでそれに対して何も感じることはないのだろう。いや、ウルベルトの場合は嬉々として協力さえしようとするかもしれない。

 そこまで分かっていながらもやはり何も感じない自分に言いようのない複雑な感情を抱きながら、どんどんと人間の敵らしい異形になってきた自分たちに対してペロロンチーノはどうにも苦笑を禁じえなかった。

 

 

『ですが、あの人間の皮だけが特別だったのか、それとも他の全ての人間でも問題なく巻物(スクロール)の作製が可能なのかは未だに分かっておりません。ですので、近くにある幾つかの人間の村から素材を集め、実験と供給を始めようと考えております』

 

(………やっぱりか……。)

 

 全くの予想通りの展開に、もはやため息も出やしない。

 しかし不意にあることに思い至り、ペロロンチーノはハッと小さく目を見開かせた。

 

「ちょっと待て。それって、女性や少女も全員か……?」

『……? はい、そのつもりでおりますが……』

 

 頭の中に、困惑したようなデミウルゴスの声が響いて消える。

 一瞬頭の中にエンリやネムの可憐な姿が蘇り、ペロロンチーノは思わず兜の中で目をギラリと光らせた。

 

「…駄目だ、却下だ、許可できない。取り敢えず、今は他の村には手を出すな。エルヤーとかいう男から死なない程度に巻物(スクロール)を作り続けろ」

『は、はい。……畏まりました』

 

 デミウルゴスの声音が心なしか沈み、プツリッと〈伝言(メッセージ)〉が途切れる。

 ペロロンチーノは沸々と昂ぶる感情を持て余しながら、どうしようもなく大きなため息を吐き出した。

 デミウルゴスが襲ったかもしれない村にいたかもしれない美女や美少女を思うと、エンリやネムの影が重なって言いようのない怒りのような感情が湧き上がってきてしまった。

 唯の想像で怒りをぶつけるなど八つ当たりも甚だしいとは自分でも思うけれど、ペロロンチーノは自分の感情を上手く制御することができなかった。

 取り敢えず、これは彼の保護者であるウルベルトにも知らせた方が良いだろう。

 ペロロンチーノは未だ兜の中で顔を顰めさせながら、こめかみに指を当てて〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 数秒後〈伝言(メッセージ)〉が繋がり、ウルベルトの声が聞こえたとほぼ同時に再び感情が爆発する。

 

『………次は誰……』

「ウルベルトさんっ!!」

『うおっ!? …なんだ、ペロロンチーノか。いきなり大声を出すな、驚くだろう』

 

 ウルベルトの声がどこか呑気に聞こえて苛立ちが募る。

 

「ちょっとっ!! デミウルゴスにどんな教育してるんですかっ!!」

『……あぁん…?』

 

 途端にウルベルトの声がドスの効いた荒っぽいものへと変わる。

 どうやら彼の地雷を踏み抜いてしまったことに気が付いて、ペロロンチーノは何とか感情を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。

 

『……なんだ、いきなり喧嘩売ってんのか…』

「喧嘩は売ってませんけど、ちょっとウルベルトさんに物申したいので明日こっちに来てください!」

『何で明日なんだ……。今でも別にいいだろう』

「今は俺の精神がヤバいんで無理です!!」

『……………………』

 

 堂々とそう言えば、呆れたのかウルベルトが無言になる。

 暫く互いに無言が続き、数十秒後に〈伝言(メッセージ)〉からウルベルトの大きなため息の音とフンッと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

 

『……良いだろう、明日そっちに戻る。ただ、くだらない話だったら容赦しねぇからな』

「あっ、明日はカルネ村に行く予定なので、ナザリックじゃなくてカルネ村に来てください」

 

 ついさっきエンリたちと交わした約束のことを思い出し、すぐさま場所指定を付け加える。

 ウルベルトは再び無言になると、暫くして苦々しい声音での了承の言葉を返してきた。

 ペロロンチーノは一言礼を言うと、〈伝言(メッセージ)〉を切った後に再び大きなため息を吐き出した。

 自分の感情を上手く制御できず、ペロロンチーノはここで漸く冷静になって酷い自己嫌悪に陥った。

 

「………あー、これはマズい…。何とかしないと本当にマズい……」

 

 何としてでも自分の感情を制御できるようにならなければ、いずれ本当にマズいことになりかねない。

 ペロロンチーノはどうしたものかと頭を抱えながら、それと同時に八つ当たりしてしまったデミウルゴスやウルベルトにどうやって謝ろうかと頭を悩ませるのだった。

 

 




弓矢に関しては聞きかじった知識と私の想像によるものです。
もし間違っていたら申し訳ありません……。
その際は教えて頂ければ幸いです!


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第26話 欲望の行く先

今回は前回より更に短いです……。キリの良いところで区切っていたらこんなことに……(汗)
話がなかなか進まず、申し訳ありません……(滝汗)


 ペロロンチーノから連絡を受けた日の翌日。

 ウルベルトは複数の影の悪魔(シャドウデーモン)たちに〈伝言(メッセージ)〉を繋いで王国王都の王女ラナーと冒険者ラキュースの影にそれぞれ潜むよう命じると、空も白み始めていない宵の刻に“歌う林檎亭”を出発した。魔の闇子(ジャージーデビル)たちに跨り、そのまま帝都内を駆け始める。

 未だ夜の闇を孕んだ薄闇の中、馬の形をした漆黒が猛スピードで駆け抜けていく様は異様な迫力を醸し出す。しかし幸いなことに彼らを見る者は誰もおらず、ウルベルトたちは人通りのない大通りを駆け抜け、権門を潜り、街道を通って不穏な空気を漂わせている平野へと突き進んでいった。

 今はまだ自分たちの時間だ…とばかりに、平野には多くのアンデッドたちが犇めいている。

 しかしそれらのどれもがウルベルトたちの妨げになりはしなかった。

 次から次へと襲い掛かってくるアンデッドたちに、ウルベルトたちを乗せたジャージーデビルたちは迷うことなく容赦なく漆黒の巨体をぶつけて突進していく。拳も棍棒も剣も全てが歯が立たず、アンデッドたちは勢いよく弾き飛ばされ、前足に踏み潰され、後ろ足で蹴り上げられる。ジャージーデビルたちが一歩足を踏み出す度に鈍い音が平野中に響き渡り、腐敗した肉片や骨の欠片が宙を舞った。

 しかし恐れというものを感じないアンデッドたちは一切動きを止めることはない。

 まるで煩わしいとばかりにブルルッと低く嘶くジャージーデビルに、ウルベルトも小さく目を細めさせた。ジャージーデビルたちには速度を落とさせぬまま駆けさせ、左手で手綱を握りしめて右手を前方へと突き出す。

 

「〈魔法最強効果範囲拡大化(マキシマイズワイデンマジック)破壊の風(デストロイ・ウィンド)〉」

 

 瞬間、ウルベルトを中心に破壊の衝撃波が前方へと放たれた。大きな扇状に展開された衝撃波は次々とアンデッドたちを吹き飛ばし、勢いよく薙ぎ払っていく。

 粉々になったアンデッドたちの成れの果ての上をジャージーデビルたちが何の迷いもなく駆け続け、蹄に踏み潰された肉片や骨が小さな音を奏でてはウルベルトたちの耳に入る前に遠ざかって消えていった。

 彼らの耳に届くのはジャージーデビルたちの蹄の音と自分たちの息遣いの音のみ。

 ウルベルトたちは一度も休むことなく、ただ一直線に平野の中を駆け抜けていった。

 しかし如何に休みを取らなくとも、如何に足の速いジャージーデビルであったとしても、リ・エスティーゼ王国の辺境にある村まで行くにはそれなりに時間がかかる。

 ウルベルトたちが漸く目的地であるカルネ村に到着したのは夜も近い夕暮れ時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルネ村に到着したウルベルトたちは、駆け足から速足へと速度を落とさせながらカルネ村へと歩み寄っていった。しかし目の前に聳え立つ多くの丸太を連ねて造られた立派過ぎる壁を見上げると、ウルベルトは思わず呆れの色を宿した大きなため息を吐き出していた。

 同じ人間の手によって大量虐殺を経験した村人たちの気持ちも分からなくはないが、この壁はどう考えても過剰防衛過ぎると言えた。

 これでは唯の村だと言い張ったとしても説得力など皆無である。むしろ怪しんでくれと言っているようなものだ。

 王女と王国戦士長の依頼により冒険者一行がこちらに向かってきている今、この立派過ぎる防壁ははっきり言って不味い代物の何物でもなかった。

 しかし、何はともあれペロロンチーノと話をしなくては何も始まらない。

 ウルベルトはどうやって入ったものかと一瞬迷ったものの、取り敢えずペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を送ってカルネ村に到着した事を伝えると、村人たちにも気づいてもらおうと声を張り上げた。

 

「すみません! どなたかいらっしゃいませんか!!」

 

 普通であればこういった大きな防壁の上には見張り台のような物があるはずなのだが、目の前の壁の上にはそういった物は一切見当たらなかった。未だ建設途中な雰囲気が漂っているため、もしかすれば今後作る予定なのかもしれない。

 しかし何とも不便だな…と村人たちに声が届いたかも分からず内心でため息をつく中、不意に大きな門が内側から動き始めてウルベルトはそちらへと目を向けた。

 地響きのような重く大きな音と共に門が開いていき、中から複数人の村の男たちが姿を現す。

 ひどく警戒しているのか、彼らは一様に顔を顰めさせ、腰の剣に手を添えていた。

 どう考えても過剰反応だと思えるような彼らの様子。

 ウルベルトは何故ここまで彼らに警戒されるのかが分からず、思わず小さく首を傾げていた。

 

「……失礼ですが、あなた方は一体どなたで、何の目的でいらっしゃったのでしょうか?」

 

 村人の一人が顔を顰めさせたまま名前と目的を問いかけてくる。

 ウルベルトは咄嗟に口を開きかけ、そこでふと動きを止めた。

 そういえば彼らには自分の名前も教えておらず、この人間の姿も見せたことがなかったことに思い至る。

 彼らが相手であれば別に人化を続ける必要もないだろうと判断すると、ウルベルトは思わず小さな笑みを浮かばせた。

 しかし彼らはウルベルトが何故いきなり笑みを浮かべたのかが分からず、訝し気な表情を浮かべてくる。

 

「………何が面白いのでしょうか?」

「……あぁ、失礼。別に君たちを笑ったわけではないから気にしないでくれたまえ。……そう、それよりも、私たちが誰で何故ここに来たのか、だったな」

 

 ウルベルトはそこで一度言葉を切ると、軽く右手を掲げてそのまま何かを振り払うような素振りを見せた。

 瞬間、〈無限の変化〉が解けて人間の姿が揺らめき、次には山羊頭の悪魔がそこに立っていた。

 村人たちの目が限界まで大きく見開かれる。

 

「あ、貴方様は……っ!!」

「改めて名乗らせてもらおう。私の名はウルベルト・アレイン・オードル。ここにいるはずのペロロンチーノに用があって来た」

 

 村人たちは慌てて剣から手を離すと、ピシッと背筋を伸ばして90度近くまで深々と頭を下げてきた。

 

「たっ、大変失礼しました! まさかあなた様だとは気が付かず……!!」

「いやいや、構わないとも。君たちは私の人間での姿は知らなかったわけだしね……。それよりも、ペロロンチーノの元に案内してもらえるかな?」

「は、はい! 勿論です!! こちらに……」

「その必要はありませんよ」

 

 村の中へと招く男たちの声を遮るようにして、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 聞こえた方向へと目を向ければ、そこには他の村人たちを背後に引き連れたペロロンチーノがこちらに歩み寄ってくるところだった。

 

「……早かったですね、ウルベルトさん」

「どうにも昨日の君の様子がおかしかったものだからね。何やら非常に気になることも言っていたし……」

 

 ウルベルトの言葉が途中でフツ……と途切れる。

 ペロロンチーノとウルベルトは互いに向かい合うように見つめ合うと、瞬間、何とも言えぬ緊迫感が両者から漂い始めた。二人はただ見つめ合っているだけだというのに、まるで剣を突き付け合っているかのようにどんどんと空気が張り詰めていく。

 一体何事かと村人たちが大きな困惑と小さな怯えを表情に浮かばせた、その時……。

 

 

「………ウルベルトさん、…本当にすみませんでしたっ!!」

 

「「「っ!!?」」」

 

 突然の大声と共にとったペロロンチーノの行動に、村人たちは勿論の事、不穏な空気を漂わせていたウルベルトさえも驚愕に大きく目を見開かせた。

 彼らの視線の先ではペロロンチーノが地面に蹲っており、両手を顔の両側の地面に付いて深々と頭を下げて額を地面に擦り付けていた。

 そう、ペロロンチーノはウルベルトへ“土下座”していたのである。

 

「えっ、ちょっ、何を……っ!!」

 

 今までの口調をかなぐり捨てて、ウルベルトが大慌てでペロロンチーノの元へと駆け寄る。

 まさか彼がこんな行動を取るとは思わず、急いで屈み込んで半ば無理矢理ペロロンチーノの上体を起こさせた。

 

「おっまえ、何やってんだ!!」

「……いや、昨日のことを謝ろうと思って…」

「だからって土下座なんかするな!!」

 

 ウルベルトは大きなため息を吐き出すと、やれやれとばかりに頭を振った。

 ペロロンチーノの腕を掴んで無理矢理地面から引きずり上げると、そのまま立ち上がらせる。

 少し抵抗したものの何とか立ち上がったペロロンチーノを確かめると、ウルベルトはもう一度、今度は内心で大きなため息を吐き出した。

 ウルベルトとて馬鹿ではない。

 〈伝言(メッセージ)〉で話していた時はついカッとなってしまったが、昨日のペロロンチーノの様子がいつもと違って少し変だったことには気が付いていた。恐らくデミウルゴスがとっても悪魔らしいことをして、免疫のないペロロンチーノは思わずテンパってしまったとか、そんな感じだろう……と勝手に推測していたのだ。

 この様子では、どうやらその推測が当たっていたようではあるが……。

 

 

「とにかく少し場所を変えるぞ。流石にここでするような話ではないだろう」

「そう…ですね……。そうしましょう」

 

 ペロロンチーノは小さく頷くと、心配して声をかけてくる村人たちを落ち着かせながらウルベルトを村の奥へと誘った。ウルベルトも一つ頷き、後ろにユリとニグンとジャージーデビルたちを引き連れてペロロンチーノの後に続く。

 彼が案内したのは村の最奥にある小さな丘のようになっている場所で、その上からは辺境の村にある物とは思えないほどに立派な鍛錬場が見下ろせた。

 ペロロンチーノとウルベルトは横に並んで立ち、二人から少し離れた場所にユリとニグンとジャージーデビルたちが控えるように立っている。

 ペロロンチーノは鍛錬場を何とはなしに見つめながら、ポツリポツリと昨日デミウルゴスから受けた報告の内容と、それを受けた時の自分の感情について説明していった。

 覇気のない声や小さく肩を落として若干猫背になっている姿に、如何に彼が申し訳なく思っているのかが伝わってくる。

 ウルベルトはペロロンチーノの話を黙って聞きながら、内心ではどうしたものか…と頭を悩ませていた。

 話を聞く限り、ペロロンチーノが反応した部分はデミウルゴスが襲おうとした人間の村に彼が愛すべき美女や美少女がいるかもしれないという一点のみだ。

 何とも欲望に忠実なペロロンチーノらしいと笑いそうになってしまうが、今後その欲望によってあらゆる行動に支障が出るようなら真剣に考えていかなければならないだろう。

 

「………ついカッとなってしまって、ウルベルトさんやデミウルゴスには悪いことをしてしまいました。本当に、申し訳ない」

「あー、まぁ、それはもう良い。恐らく精神の異形化も大いに関係しているんだろうからな。ただ、今後恐らく高い確率で巻物(スクロール)作製のために人間狩りが行われることになるだろう。もしそうなったとしても大丈夫なように、心の準備だけはしておいた方が良いぞ」

「……………………」

 

 恐らく今夜行われる定例報告会議で、デミウルゴスは巻物(スクロール)作製の成功と、人間狩りの提案を改めてすることだろう。

 悪魔となったことで人間に思い入れなど欠片もなくなった自分は勿論の事、アンデッドとなったことに加えて“アインズ・ウール・ゴウン”を第一に考えるモモンガも恐らく反対することはないだろう。ならば、例え多数決を採ったとしても2対1で確実にペロロンチーノが負けることになる。

 

 

「………はぁ、こんな事になるなら俺もアンデッドや悪魔を選択すれば良かった…」

「いや、どちらにしろ同じだったと思うぞ。確かに種族によって欲望の大きさは違うだろうが、アンデッドだろうが悪魔だろうが、お前はあまり変わらなさそうだ」

 

 それに美女や美少女に無関心なペロロンチーノなど、ペロロンチーノではないような気がしてきてしまう。

 

「……えー、それじゃあどうすれば良いんですか~」

「別にどうもしなくて良いんじゃないか? お前がテンパったのも、まだ精神の異形化にお前自身が慣れていないせいっていう可能性もあるからな。時が経てば、ある程度はお前自身で制御できるかもしれない」

「う~ん、だと良いんですけど……。そう言うウルベルトさんは平気なんですか?」

「俺はそもそも人間自体が好きじゃなかったからな。別に違和感は感じないし、悪魔になれて嬉しい限りだよ」

 

 フンッと鼻で笑って嘲りの笑みを浮かべるウルベルトに、ペロロンチーノは苦笑を浮かべて呆れたように緩く頭を振った。

 一度大きく息をつき、しかしどこか項垂れた様に考え込む。

 どうにも元気がないペロロンチーノを見やり、ウルベルトは笑みを引っ込めて小首を傾げながらその鳥頭の横顔を見やった。

 

「そういえば、シャルティアの事はどうなんだ? ぶっちゃけシャルティアとくっついちまえば多少落ち着くんじゃないか?」

 

 ウルベルトにとってのデミウルゴスがユグドラシルでの情熱とウルベルト自身の理想を全て注ぎ込んで創り上げた最高傑作の息子ならば、ペロロンチーノにとってのシャルティアとは彼のありとあらゆる理想と欲望と情熱の全てを注ぎ込んで創り上げた完璧な花嫁だ。そんな彼女であれば、ペロロンチーノの多すぎる理想や変態過ぎる欲望や深すぎる情熱を嬉々として受け入れ、彼を満足させることもできるのではないだろうか。そうなれば必然的にペロロンチーノのハーレム計画への情熱や数多の美女や美少女たちへと向ける欲望も少なからず治まっていくかもしれない。

 一縷の希望的推測を交えながら問いかけるウルベルトに、しかしペロロンチーノはまた背を猫背にしてちょんっちょんっと両手の人差し指の先をくっつけては離すという動作をし始めた。

 

「……いや、確かにシャルティアは俺の理想の嫁ですけど…。あの子にはまだ手が出せないっていうか、…その余裕がないっていうか……」

「余裕がない……?」

 

 ペロロンチーノの言っている意味が分からず、ウルベルトは更に首を傾げる。

 ペロロンチーノは暫くモゴモゴと話すことを躊躇していたが、次には大きなため息を吐き出して鬱陶しい動きを繰り返していた両手をバッと元に戻した。

 

「ああぁぁ、もうっ!! …だから、今シャルティアに手を出したら、それこそ暴走しそうで嫌なんですよ!!」

 

 やけくそ気味に大声を上げるペロロンチーノに、ウルベルトは思わず呆然とした表情を浮かべて目を瞬かせた。山羊頭であるはずなのに、何言ってんだこいつ……と書かれているのが良く分かる。

 しかしペロロンチーノにとってはとてつもなく深刻な問題だった。

 ウルベルトの言う通り、シャルティアはペロロンチーノの理想の花嫁だ。彼女が目の前にいるだけで、ペロロンチーノのありとあらゆる欲望が激しく疼く。しかしその疼きに少しでも身を任せてしまえば、ペロロンチーノは自分を抑えられる自信がなかった。

 鳥人(バードマン)になって変わったのは、何も考え方や価値観や欲望の大きさだけではない。人間種を超える超人的な身体能力は勿論の事、空を自由自在に飛べる翼、超遠距離まで見通せる視力、そして何より漲って余りある底なしの体力。

 もし一度でもシャルティアに手を出してしまえば、何日、何週間、何か月でも自分は彼女と共にいつまでも欲望のままに自堕落な時を過ごすことになる自信があった。

 

「……絶対モモンガさんやウルベルトさんに怒られると思って、ずっと我慢してるんですよっ!」

「………はあ……」

 

 必死に力説するペロロンチーノに、しかしウルベルトは呆けた返事しかできなかった。

 しかし、彼からの話を聞いて理解したことが一つあった。

 恐らくではあるが、彼が些細なことにも過剰反応してしまうのはシャルティアへの欲望を抑え込んでいるせいでもあるのかもしれない。

 バードマンとなったことで大きくなり過ぎた欲望は、いつも出口を求めて荒れ狂う。そして時として、ほんの些細なことで爆発する。

 しかし、かといって彼に安易にシャルティアを委ねる訳にもいかなかった。

 彼の言う通り、何日も何週間も何か月もナザリックの一室に立てこもって出てこないなんてあり得ない。

 これはモモンガさんと要相談だな…と内心で結論付けると、ウルベルトは取り敢えずこの話はここまでにすることにした。

 

「……そうだ、俺からもお前に話しておきたいことがあったんだった」

「うん? なんですか?」

 

 大分落ち着いたのか、ペロロンチーノは不思議そうに小首を傾げてくる。

 

「恐らく明日にでも冒険者がカルネ村を調査しに来るぞ」

「……は……?」

 

 思ってもみなかった言葉だったのだろう、ペロロンチーノの口から呆けたような声が零れ出てくる。

 意味が分からないとばかりに更に首を傾げるペロロンチーノに、ウルベルトは掻い摘んで簡単に影の悪魔(シャドウデーモン)から報告された内容を説明していった。

 ペロロンチーノは“王女”という言葉に多少反応したものの、後は険しい表情を浮かべて無言でウルベルトの話に耳を傾けていた。

 

「……う~ん、上手く誤魔化せたかと思ってたんですけどね~。あのガゼフって人、中々に鋭いな」

「それで何で王女って奴に相談するのかは謎だがな……。とにかく、あの見るからに頑丈そうな防壁はマズいぞ。疑ってくれってこちらから言ってるようなもんだ」

「ウルベルトさんの言うことも分かりますけど、あれはみんなが頑張って作ったものだしな~。俺がどうこう言えるもんじゃないですよ」

「……かといって、放っておいて万が一俺たちの存在がバレても不味い。あの防壁をそのまま残すなら、何かしら手を打つ必要があるぞ」

「そうですね……。とにかく、村のみんなには俺の方から伝えておきます。今夜は丁度定例報告会議がありますし、モモンガさんにも相談してみましょう」

「そうだな……」

 

 ウルベルトとペロロンチーノは互いに顔を見合わせると、まるで示し合わせたかの様に同時に大きなため息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………そういえば、ラキュースっていう女冒険者って可愛いんですかね?」

「………………知るか……」

 

 静寂の中、ポツリと呟かれたバードマンの言葉に、山羊頭の悪魔は再び大きなため息をつきながら片手で頭を抱えるのだった。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈破壊の風〉;
第五位階魔法。〈衝撃波〉の上位魔法。前方へ向けて扇状に破壊の衝撃波が放たれる。


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第27話 新たな方針

大変長らくお待たせしました!
待っていて下さっていた方、申し訳ございませんでした。そして待っていて下さって、ありがとうございます!
ただいま少々スランプ気味でして所々文章がおかしいところがあるかもしれませんが、その際は教えて頂ければ幸いです(深々)


「これより、定例報告会議を始めさせて頂きます」

 

 深夜0時。

 今夜もまた、慣例になりつつあるアルベドの言葉と共に定例報告会議が開始された。

 今回の参加者はモモンガとペロロンチーノとウルベルト。守護者からはアルベド、シャルティア、デミウルゴス、アウラ、マーレ。その他からはセバス、ユリ、ソリュシャン、エントマ、シズ、ニグン、一般メイドが二人。計十六名がナザリック地下大墳墓の第九階層の円卓の間に集っていた。

 コキュートスは現在蜥蜴人(リザードマン)の集落への侵攻作戦の指揮を執るため不在であり、ナーベラルとルプスレギナも有事のために各々の役目の拠点に待機していた。

 因みにパンドラズ・アクターは前回の定例報告会議には紹介の意も含めて参加したものの、役職はあくまでも領域守護者であるために今後の定例報告会議には参加する予定はなかった。

 

 

「ではまずは、各々のこれまでの活動を報告して頂きます。モモンガ様、宜しくお願い致します」

「………うむ……」

 

 一礼と共に促され、モモンガが小さく頷いて答える。しかしどうにもいつもよりも重たい雰囲気を帯びているような気がして、ペロロンチーノとウルベルトはモモンガを見つめながら内心で首を傾げていた。

 何かあったのだろうか…と少しばかり心配になる。

 ペロロンチーノとウルベルトが見守る中、やはりゆっくりとした動きでモモンガが口を開いた。

 モモンガの口から語られたのは冒険者モモンとナーベのランクがミスリルから一気にアダマンタイトまで昇級したこと。後はナザリック勢の感覚では非常に生温いレベルの数々の依頼を無事に遂行し、着実に名声を高め、多くの信頼を取得していっているという報告だった。

 聞いた限りでは一切懸念するような部分はなく、順調にいっているように聞こえる。

 しかしモモンガからの報告はそれだけではなかった。

 

「……それで、前回話したニニャのことなのだが…」

「あっ、ニニャちゃん! ニニャちゃんに何かあったんですか!?」

 

 途端に勢いよく食いつくペロロンチーノに、ウルベルトが重たいため息を吐き出す。

 しかしモモンガはウルベルトの様子に内心では首を傾げながらも、今はこちらの方が先だと判断してペロロンチーノを見やった。

 

「あー、いや……彼女は無事に回復したのだが……。私の方でそれとなく冒険者を止めてどこか田舎の村で第二の人生を歩む方が良いと勧めてみたのだが、彼女はどうしても冒険者を続けたいと主張しているのだ」

「ほう、それは中々に芯の強いことだ。前回の報告会議で話を聞く限り、引退してどこかに引き篭もっても何ら不思議ではないと思っていたのだがね」

 

 今度はウルベルトが少し興味深そうな声を上げる。

 彼の言う通り、ニニャの身に起こった今回の事件は十分トラウマ物であり、争い事から身を引いてどこか静かな場所に引き篭もっても何ら不思議ではないものだった。

 モモンガもそう考えたからこそ、彼女に冒険者を止めるよう勧めたのだ。

 しかし彼女は頑なに冒険者を続けると言い続けていた。

 よくよく話を聞けば、そもそも彼女が冒険者になったのは貴族に連れ去られた姉を探すという目的があったからだという。冒険者を止めて田舎の村に引っ込んでしまっては、大切な姉を見捨てることになる。事情を知っているが故に自分だけは逃がそうとしてくれた仲間たちのためにも、自分は冒険者を続けて姉を見つけなければならないと言って譲らなかったのだ。

 

「最初は私やナーベラルのチームに入れてくれるよう頼んできたのだが、流石にそれは難しいので断ったのだが……。今は何故か、シャルティアの件での生き残りの女冒険者といつの間にか仲良くなっているし……、どうしたものかと少々悩んでいるのだ」

 

 報告がいつの間にか相談になってしまっている。

 モモンガの様子がおかしかったのはこれが原因か…と内心で納得の声を上げながら、ペロロンチーノとウルベルトはう~んと頭を悩ませた。

 周りではシモベたちが大人しく彼らの様子を窺っている。至高の主たちの崇高なる思考を邪魔しないように、ただ黙って控えるように立っていた。

 

「その女冒険者とチームを組むってことですか? 確かその女冒険者って仲間をシャルティアに殺されてましたよね?」

「同じ境遇故の仲間意識、といったところかな? ……女二人だけの冒険者チームか…。実力があれば良いのだろうが……、彼女たちのランクはどうなのだね?」

「確か……ニニャが銀級(シルバー)で、生き残りの女冒険者……確か、ブリタだったか? 彼女は鉄級(アイアン)だったな」

「……それはまた…」

「二人だけで活動するには中々に難しいんじゃないですか……?」

 

 思わぬ低ランクにペロロンチーノとウルベルトが思わず閉口する。

 銀級(シルバー)鉄級(アイアン)も冒険者のランクで言うと下から数えた方が早いランクだ。せめてどちらかだけでも高ランクであれば二人だけのパーティーでもやっていけなくはないだろうが、これでははっきり言って自殺行為も同じである。加えて後衛で守られながら戦う魔法詠唱者(マジックキャスター)よりも、後衛を守る盾の役割を担いながら戦う前衛の方がランクが低いとなれば、チームとしてはもはや絶望的であると言えた。

 

「……せめて、もっとチームメンバーを増やせればいいんですけど…」

「一応、ブリタの方はずっとソロの冒険者でやってきていたそうだ。依頼の際は同じソロの冒険者か、同じく受理した冒険者チームと一緒に行動して依頼をこなしていたそうだが……」

「………唯の寄せ集めじゃないか。それだと、チームプレイなんてできないぞ」

 

 モモンガからの補足に、ウルベルトが小さく顔を顰めさせる。

 隣ではペロロンチーノがう~う~唸っており、暫くして漸く何かを思いついたのか、大きな声と共に反射的に四枚二対の翼を勢い良く広げた。

 

「あっ、そうだ!」

「おい、いきなり翼を広げるな」

「何か思いついたのか、ペロロンチーノさん?」

 

 ペロロンチーノの翼が肩を掠めて更に顔を顰めさせるウルベルトと、少し期待するようにペロロンチーノを見つめるモモンガ。

 ペロロンチーノは慌てて広げた翼を折り畳むと、次には自信満々に胸の羽毛を膨らませた。

 

「簡単ですよ。チームメンバーがいないなら、こちらから人材を提供してあげれば良いんです!」

「提供って……、そんな奴いないだろう」

「いやいや、いるじゃないですか! とっておきの人材が!」

「……?」

 

 嬉々として話すペロロンチーノに、ウルベルトは彼の言う人材がどうにも思いつかず大きく首を傾げる。

 しかし無言で二人のやり取りを見つめていたモモンガが、不意に小さな声を上げた。

 

「……ペ、ペロロンチーノさん、……まさか…!」

「ふっふっふっ、流石はモモンガさん……。誰か気が付きましたね」

 

 モモンガのどこか怯える様な声音に、ペロロンチーノが不気味な笑い声を響かせる。

 一人だけ尚も首を傾げているウルベルトを尻目に、ペロロンチーノは勢い良く椅子から立ち上がると、ビシッとモモンガに人差し指を突き付けた。

 

「そうっ! モモンガさんの被造物、パンドラズ・アクターですよ!!」

「ゴフッ!!」

 

 高らかなペロロンチーノの言葉に、途端にモモンガの口から血反吐を吐いたような酷い音が聞こえてくる。

 自信満々に拳を握りしめているペロロンチーノと、骸骨なのに一気にげっそりしたようなモモンガを交互に見やり、ウルベルトは軽く足を組みながら小さく息をついた。そのまま緩く頭上を仰ぐと、天井を見つめながら宝物殿で出会った卵頭の黄色の軍人を思い浮かべた。

 

「……あー、ドッペルゲンガーか…。確かにあいつなら人間に化けて行動できるな」

「ちょっ、ウルベルトさんっ!?」

 

 ウルベルトからのまさかの裏切りのような言葉に、モモンガが悲鳴のような声を上げながら勢いよく振り返ってくる。

 どうやら彼にとって自分のNPCは相当トラウマ物の黒歴史であるらしい。

 思わず同情にも似た眼差しを向ける中、しかし言い出したペロロンチーノ本人は尚も嬉々としてこちらに身を乗り出してきた。

 

「ほらほら、ウルベルトさんもそう思うでしょう! パンドラズ・アクターならどんなものにも化けれますし、レベルも100レベルなので安心ですよね!」

 

 ペロロンチーノの言葉は単純でありながら説得力があり、容赦なくモモンガの心を追い詰めていく。

 うーうー小さな唸り声を上げながら思い悩むモモンガと、にこにことした笑みを浮かべるペロロンチーノ。

 一見ペロロンチーノがモモンガを苛めているようにも見えて、ウルベルトは二人を交互に見やった後、徐に無詠唱でペロロンチーノへと〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

『おい、モモンガさんと何かあったのか?』

『……えっ、何で〈伝言(メッセージ)〉で……。いや、別に何もありませんけど?』

『じゃあ、何で苛める様な事してるんだよ』

『苛めるって……。別にそういうつもりはありませんよ』

 

 予想外の答えに思わずマジマジとペロロンチーノを見つめてしまう。

 ペロロンチーノは小さな苦笑を浮かべると、未だ唸っているモモンガをチラッと見やった。

 

『……ほら、モモンガさんってパンドラの事を苦手に思ってるじゃないですか』

『………まぁ、あいつはモモンガさんにとっては黒歴史だからなぁ……』

 

 この世界に転移してきてすぐ、宝物殿に行った時のモモンガとパンドラズ・アクターの様子を思い出してウルベルトが小さく頷く。

 

『俺、NPCたちとずっと一緒にいて思うんですけど、彼らは本当に俺たちのことを崇拝してくれているように感じるんですよ。特に自分を創ったギルメンに対しては思い入れも一入みたいで……』

『……まぁ…、確かになぁ…』

 

 ウルベルトは自分が創ったデミウルゴスやペロロンチーノが創ったシャルティアをチラッと見やると、再び小さく頷いた。

 ペロロンチーノの言う通り、確かにシャルティアは自分やモモンガよりもペロロンチーノに好意を寄せているように見えるし、デミウルゴスもペロロンチーノやモモンガよりも自分に対して忠誠を誓い、優先度を高くしている様に感じる。

 

『きっとパンドラにとっても、モモンガさんは特別だと思うんです。……モモンガさんの気持ちも分かりますけど、昔の黒歴史だからって、ずっと避けていたら可哀想じゃないですか。パンドラだってモモンガさんの役に立ちたいと思っているでしょうし、モモンガさんもパンドラが役に立てば少しはトラウマがなくなるかなって思いまして』

『……ペロロンチーノ…、お前……』

 

 予想外に色々と考えていたペロロンチーノに、ウルベルトは思わずじーんと感動を覚えた。

 その心境はさながら、不出来な弟が立派に一人立ちして感動する兄のそれに似ていたかもしれない。

 もしここに彼の実姉であるぶくぶく茶釜がいたなら、さぞや自慢に思ったことだろう……と考えて、不意に『愚弟のくせに生意気だ』とドスの効いた声と共に黄金の鳥人(バードマン)をはり倒すピンクの肉棒が脳裏に浮かんでしまった。

 思わず憐みの篭った視線を向けるウルベルトに、頭上に疑問符を浮かべるペロロンチーノ。

 ウルベルトは一つ大きな咳払いをして気を取り直すと、何はともあれペロロンチーノに賛同するべくモモンガへ向けて口を開いた。

 

「パンドラを使っても良いんじゃないかね、モモンガさん。パンドラは能力的にも優秀だし、未だこの世界の情報を集めている途中である今、100レベルのパンドラならば安心して外に出せるというものだ」

「…そ、それは……そうだが……」

「それに、パンドラならばさりげなく彼女たちからいろんな情報を引き出すことが出来るかもしれないしね。……モモンガさんだって、他のシモベたちばかり働かせて、自分が創ったパンドラだけ外に出さないのも気が引けるだろう?」

「うぐっ…!」

 

 悪戯気な笑みと共に容赦なく止めを刺すウルベルトに、言い出しっぺであるペロロンチーノは無言ながらも思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 勿論、ウルベルトがモモンガを責めている訳ではないことは、ペロロンチーノもモモンガも十分に分かっている。恐らくモモンガが密かに気にしている所を的確に捉え、確認させるように言っているだけなのだろう。

 しかし、だからこそ彼の言い分には大きな説得力があり、ペロロンチーノは内心で呆れにも似た感心を覚え、モモンガは内心で頭を抱え続けた。

 

「………………くっ……、仕方がない。……あいつを使おう…」

 

 まるで苦渋の決断をするかのように言葉を絞り出すモモンガに、途端にウルベルトとペロロンチーノが満面の笑みを浮かばせた。

 

「ありがとうございます、モモンガさん!」

 

 モモンガの気が変わらない内に…とばかりに、すぐさまペロロンチーノが礼の言葉を口にする。

 力なく手を挙げてそれに応えるモモンガに、今までの笑みを引っ込めたウルベルトが徐にペロロンチーノへと視線を移した。

 

「……だが、いくら100レベルのパンドラとはいえ、三人だけでは冒険者チームとしてはまだ些か心許なくはないかね? 少なくとも、もう一人くらいは必要だと思うがね」

「そうですね~……」

「他の人材もそうだが、あいつに誰の姿をさせるかも重要だろう」

「その辺りはパンドラ本人とも相談して決めたいなって思ってるんですけど……。モモンガさん、ニニャちゃんたちは結構急いでる感じなんですか?」

「……いや、ニニャもまだ完全に回復したわけではないからな。……私の方でも、もう少し休んでいる様に言って時間を稼いでおこう」

「ありがとうございます!」

 

 一応ニニャたちに関する大まかな対応は決定し、これでモモンガの報告という名の相談が終了する。

 

 次に報告を始めたのはペロロンチーノ。

 彼の報告内容は主にカルネ村の村人の様子や復興状況、後はコキュートスにリザードマンの集落へ侵攻するよう命じたことを一言告げた。

 報告を聞く限り、取り立てて考えていかなくてはならない案件はない。

 しかしペロロンチーノ本人の報告からではなく、彼の管轄するトブの大森林の探索チームから予想外の報告が上がってきた。

 

「「「……世界を滅ぼせる力を持った魔樹…?」」」

 

 モモンガ、ペロロンチーノ、ウルベルトの三人の声が見事に重なる。

 彼らの視線の先には報告者であるアウラが少し困ったような表情を浮かべていた。

 彼女の報告によると、ペロロンチーノの命でトブの大森林の探索を行っていた折にピニスン・ポール・ペルリアと名乗るドライアードに出会ったのだと言う。このドライアードの話によれば、トブの大森林の奥地にザイトルクワエと呼ばれる魔樹が眠りについているらしい。

 大昔、世界を滅ぼせるほどの力を持った多くの化け物たちが空を切り裂いてこの世界に降臨し、その多くが最終的には各地に封印された。

 今回のザイトルクワエもその化け物の一体であり、今も完全に目覚めるために周りの木々の命を吸い取っているという。

 

「そしてドライアードの話によると、どうやらその魔樹の完全な目覚めが近い様なんです。一度私とマーレで魔樹が眠っていると思われる奥地に行ってみたんですけど、私もマーレも何も感じ取れませんでした。……ただ、周辺の木々が全て不自然に枯れ果てていたので、ご報告した方が宜しいかと思いまして……」

「……ふむ…」

 

 少し自信がなさそうなアウラとマーレに、モモンガたちは考え込みながら互いに顔を見合わせる。

 アウラとマーレの二人に見つけられなかったのなら、本当にそこには何もいなかったか、或は相手が特殊な能力か何かを持っているかのどちらかだろう。彼女たちの報告を聞く限りではドライアードが嘘をつく理由も見つからないため、後者の可能性の方が高いと判断せざるを得なかった。

 もし本当にそうならば、早急に調査をする必要がある。

 

「……トブの大森林は俺の担当ですし、俺が調べてみましょうか」

「お前の場合、そのドライアードが気になるだけじゃないのか?」

「…まぁ、否定はしませんよ」

 

 ウルベルトの指摘に、ペロロンチーノは誤魔化すように小さく肩を竦ませる。

 わいわい言い合いを始める二人を見やり、まるで落ち着かせるようにモモンガが口を開いた。

 

「ちょっと待て。ペロロンチーノさんが調査をしに行くのは構わないが、まさか一人で行くつもりではないだろうな?」

「え、駄目ですか?」

「駄目に決まってるでしょう! ……っと、……ゴホン…、駄目に決まっているだろう。仮にも世界を滅ぼせるだけの力を持っているとまで言われているのだし、流石に一人だけで行かせる訳にはいかん」

「でも、唯の調査ですよ?」

「それでも万が一ということがある。……そうだな、案内役と調査の補助としてアウラの同行は必須だとして…、後は護衛としてシャルティアを連れて行くと良い」

 

 モモンガの提案に、今まで大人しく話を聞いていたシャルティアが勢いよく身を乗り出してきた。ペロロンチーノの元まで駆け寄り、跪いて深々と頭を下げる。

 

「ペロロンチーノ様! どうか、わたくしをご一緒させて下さいませ! この身を盾として、必ずやペロロンチーノ様をお守り致します!!」

 

 何を興奮しているのか、いつもは蝋のように白い頬を薔薇色に染め上げて、紅の大きな瞳もうるうると潤んで輝いている。

 何やら断れそうにない雰囲気に、ペロロンチーノは思わず首を縦に振りそうになった。

 しかし、ここで割り込む存在が一人いた。

 ペロロンチーノが首を縦に振るその前に、細い影がサッとシャルティアの斜め前に滑り込んできた。

 

「……ペロロンチーノ様、盾と言うならば私の方がシャルティアよりも適役かと思われます。どうか、わたくしをお連れ下さい」

 

 そう声をかけてきたのは、シャルティアの斜め前まで移動して跪いたアルベド。

 白い(かんばせ)には柔らかな微笑が浮かんでおり、穏やかでいて理知的な金色の瞳には、何故か粘り気のある熱い光が宿っている。

 アルベドの目を見た瞬間、反射的に背筋がゾクッと戦慄して、ペロロンチーノは思わず背中の翼を忙しなく震わせた。

 

「………アルベド、どういうつもりでありんすか? まさか、私がペロロンチーノ様を危険に晒すとでも?」

「……あ~ら、別にあなたの能力を疑っている訳ではないのよ? でも、盾と言うなら私の方が適役だと思わないかしら?」

「“攻撃は最大の防御”とも言わしんす。純粋な戦闘能力はおんしよりも私の方が上。それを忘れないでほしいものでありんすねぇ」

「あなたこそ忘れているのではないかしら。今回はあくまでも調査が目的なのだから、戦闘能力よりも万が一の時の退避の時間を稼ぐことのできる私のような盾役の方が重要なのよ」

 

 モモンガたちそっちのけで、女性二人で壮絶な舌戦を繰り広げ始める。

 彼女たちのここまでの言い争いは見たことがなく、モモンガたちは三人ともがどうにも反応することが出来なかった。

 シャルティアとしては、今でさえ最愛のペロロンチーノがエンリやネムに対して好意を向けているのが面白くないというのに、ここで更に見ず知らずのドライアードにまでペロロンチーノの心を奪われたくないのである。ペロロンチーノに情愛や敬愛といったあらゆる愛を向けるシャルティアにしてみれば、ある意味当然の感情であろう。

 そして彼女と言い争うアルベドとしても、至高の主たちに対して忠誠を誓うと同時に主たちからの寵愛をも望んでいたため、シャルティアだけが抜け駆けするような流れは気に入らなかったのだ。

 シャルティアだけでなく、自分も至高の主の一人であるペロロンチーノの寵愛を受けたい……――

 二人の欲望が火花を散らし、それに気づかぬモモンガたちはただただ呆然と彼女たちを見つめていた。

 

 

「……二人とも、いい加減にしたまえ。御方々の御前であることを忘れてはいないかね?」

 

「っ!? も、申し訳ありません!」

「っ!? 申し訳りません、お許しください!」

 

 彼女たちを止めたのはモモンガたちではなく、厳めしく顔を顰めさせたデミウルゴスだった。

 彼の呼びかけに漸く正気を取り戻したのか、シャルティアとアルベドはハッとした表情を浮かべて慌てて謝罪の言葉と共に頭を下げてくる。

 

「……い、いや、俺たちは別に気にしていないよ」

「少し驚いたが、お前たちの言い争いはそもそもペロロンチーノを想っての事だろう? 私は羨ましさすら感じるね」

「ウ、ウルベルト様……っ!!」

「う、羨ましいだなんて……っ!! クフゥ―――!!」

 

 少し揶揄うような笑みと共にそんなことを言うウルベルトに、途端にシャルティアが喜色を浮かべ、アルベドは頬を染めて奇声を上げる。

 また騒がしくなり始めた場の様子に、漸く気を取り直したモモンガが軽く片手を挙げて場を鎮めさせた。

 

「アルベド、お前の申し出は私としても心強く嬉しく思うが、お前にはナザリックの管理と警護を任せたい。ペロロンチーノさんには先ほど伝えた通り、アウラとシャルティアと一緒に調査に向かってもらう」

「……畏まりました、モモンガ様」

「分かりましたよ、モモンガさん」

 

 先ほどまでの騒動はどこへやら、アルベドとシャルティアは大人しく跪いて頭を下げ、ペロロンチーノも小さく肩を竦ませながらも頷いて返す。その後ろでは報告していたアウラやマーレも同じように深々と頭を下げている。

 モモンガはアウラとマーレに全て報告したか確認すると、次にはアルベドに声をかけて会議を進めるように指示を出した。

 ペロロンチーノや彼の管轄での報告は全て終了したため、次はウルベルトの番である。

 ウルベルトの報告内容は帝国の四騎士からの接触と、影の悪魔(シャドウデーモン)から聞いたガゼフの動きとカルネ村に向かって来ているであろう冒険者の存在についてだった。

 

「へぇ、国のお偉いさんから使者が来るなんて凄いじゃないですか!」

「……まぁ、普通に考えればそうなのだろうがねぇ…」

「ウルベルトさんは、何か裏があると考えているのか?」

「正直に言えば、それほど警戒しなくても良いとは思っている。しかし油断してしっぺ返しを食らうのも面白くないだろう? 一応シャドウデーモンにも探らせているし、また何かあれば相談しますよ」

 

 背もたれに深く背を預けて足を組みながら言うウルベルトに、モモンガも鷹揚に頷いて返す。

 ウルベルトにとっては帝国の四騎士からの接触よりも、カルネ村に向かって来ている冒険者への対応の方が重要だった。

 

「それよりもカルネ村に向かって来ている冒険者についての方が重要だ。私もカルネ村の様子を見てきたのだがね。村の防壁や広い鍛錬場など、普通の辺境の村で通すにはあまりにも不自然過ぎる。こちらの対応をどうするか考えないとマズいことになるだろう」

「そんなにか? 私も五日ほど前に冒険者としてカルネ村に行ったが、その時はあまり違和感を感じなかったのだが……」

「あっ、あの時よりも断然グレードアップしてますよ!」

 

 まるでウルベルトの懸念を理解していないかのように、ペロロンチーノが明るい声音でモモンガの認識を訂正してくる。無言で頭を抱えるウルベルトを見やり、どうやら相当辺境の村とはかけ離れた様相になっているのだろう、とモモンガは判断した。

 そうであるならば、ウルベルトの言う通り、何かしら対策を練る必要がある。

 カルネ村から自分たちの存在を特定することはできないとは思うが、何がどう繋がって気づかれるかも分からないのだ。警戒や対策をしてマズいことにはならないだろう。

 では、その対応をどうするか……。

 急ピッチで村の設備がグレードアップしている今、ただ単に“見知らぬ三人の旅人が助けてくれた”と言うだけでは怪しさ満載である。

 ふむ……と頭を悩ませるモモンガに、ウルベルトが顎鬚を扱きながらゆっくりと口を開いた。

 

「……一応私の方で考えてみたのだがね。冒険者モモンとナーベとマーレを謎の旅人としたらどうだろう? 村の復興の手伝いにマーレを村に残したということにして、マーレやゴーレムの存在を強調すれば、少しは怪しさを誤魔化せると思うのだが」

「確かに良い案だとは思うが……、一つだけ問題がある。先ほども言ったように、私は一度冒険者としてカルネ村に来ている。その際、村人たちは私やナーベラルに対して初対面として接していたから、そこに矛盾が生じるだろう。同行していたニニャやンフィーレアがいる以上、調べられたら一発でバレてしまう。“初対面として接してくれるように頼んだ”と言い逃れもできなくはないが、不信感を抱かれるのは間違いないだろう」

「……ふむ…、やはり少し強引過ぎたか……」

 

 モモンガの指摘に、ウルベルトが尚も顎鬚を弄びながら小さな唸り声を上げる。

 例え不信感を抱かれるのが一時的なものであったとしても、名声を高めたいと望むモモンガにしてみれば、一瞬でもそういった状況になること自体が大きなデメリットだった。

 

「因みに俺は?」

「……お前はダメに決まってるだろう。大体、シャルティアたちと一緒に魔樹を調査しに行くんだろう?」

「えー、どんな冒険者が来るか興味あるんですけど……」

 

 ペロロンチーノが不満そうに反論する。

 しかしシャドウデーモンから冒険者チームのメンバーについて知らされていたウルベルトとしては、未だ自身の欲望を上手く制御できていないペロロンチーノに冒険者たちを会わせるわけにはいかなかった。いや、会わせる以前に、その冒険者たちについての情報を知られることさえマズい。女だけの冒険者チームだと知られた日には、一直線に暴走するのが目に見えていた。

 

「何言ってるんだ。冒険者なんて筋骨隆々の野郎どもに決まってるだろ」

「えー、でも中にはニニャちゃんみたいな可愛い子も……」

「そんなのは本当に少数派だ! なぁ、モモンガさん!!」

「えっ!? ……あー、まぁ、そうだな…」

 

 全力で阻止しようとするウルベルトに同意を求められ、モモンガも戸惑いながらもそれに頷く。

 ペロロンチーノはウルベルトを少し疑わし気に見ていたが、モモンガも同意したことで納得したように一つ頷いた。

 

「う~ん、それならあんまり見たくないかな……。あっ、そうだ! 対策の話に戻りますけど、モモンガさんが駄目なら、ウルベルトさんのチームが旅人役をやったらどうですか?」

「……だが、旅人の人数は三人だろう」

「だから、ウルベルトさん、ユリ、ニグンの三人が旅人役で、マーレは村の復興の手伝いとして連れてきたことにすれば良いんですよ!」

「………なるほど…」

「……えー…」

 

 ペロロンチーノの提案にモモンガが納得の声を上げ、次はウルベルトが不満の声を上げる番だった。まさか自分に回ってくるとは思わず大きく顔を顰めさせる。

 しかしペロロンチーノは勿論の事、モモンガも彼の顰め面に怯むことはない。ペロロンチーノはニコニコと満面の笑みを浮かべ、モモンガはNPCたちには見られないように小さく両手を重ねてお願いのポーズをとった。

 ウルベルトは暫く低い唸り声を上げていたが、代案を出すことができず最終的には引き受けることになった。

 ガクッと肩を落とすウルベルトに、ペロロンチーノとモモンガがすぐさま慰めに入る。

 厄介ごとをモモンガさんに押し付けようとした罰なのか……とウルベルトが思わず遠い目をする中、彼を慰める傍ら、ペロロンチーノがアルベドを促してさっさと会議を進めさせた。

 報告をしていない残りのチームはセバスとデミウルゴス。

 セバスの方は既に書類での報告システムが構築されていたため大した情報量ではなかったが、問題はデミウルゴスの方だった。

 ウルベルトの予想通り、デミウルゴスはこの定例報告会議で巻物(スクロール)の作製が成功したことを報告した。更には原材料のことまで素直に報告してしまい、ウルベルトは思わず内心で小さな苦笑を浮かばせた。

 原材料はウルベルトがデミウルゴスに渡したエルヤーという名のワーカー……つまり、人間の皮である。

 驚愕の事実にモモンガは感情に抑制がかかりながらも呆然とし、ペロロンチーノは顔を俯かせ、ウルベルトは平然と二人の様子を見つめていた。

 

「込められる魔法は未だ低位のものしか成功しておりませんが、研究と実験を重ね、より高位の魔法の巻物(スクロール)も作製できるようにして参ります。……つきましては、巻物(スクロール)の材料と実験サンプルとして、拠点周辺の人間の村より素材を採取しようと考えているのですが…」

 

 デミウルゴスは言葉を途中で途切らせると、気遣わし気にチラッとペロロンチーノを見やった。

 ペロロンチーノもその視線に気がつき、デミウルゴスへと視線を向ける。

 恐らくペロロンチーノが断固反対したことを気にしているのだろうと気が付くと、ペロロンチーノはため息を呑み込んで小さな苦笑を浮かべるにとどめた。

 ウルベルトにも覚悟を決めておくようにと言われていたものの、やはりまだ見ぬ美女や美少女のことを思うと頷くことも肯定の言葉を口にすることもできなくなる。

 ペロロンチーノは内心で大きく落ち込み、モモンガも未だ完全に抑制が効いておらず、そんなどうしようもない二人の様子にウルベルトはやれやれと小さく頭を振って仕方なく口を開いた。

 

「低位の魔法のみとはいえ、巻物(スクロール)の作製方法が見つかったことはめでたいことだ。良くやったな、デミウルゴス」

「……勿体ない御言葉にございます、ウルベルト様」

 

 まずは労いの言葉を口にすれば、デミウルゴスも強張らせていた表情を緩めさせて嬉しそうに頭を下げてくる。

 

「高位の巻物(スクロール)も必要になってくる可能性が高い以上、実験と研究は必要不可欠と言えるだろう」

「はい、ウルベルト様の仰る通りかと」

「だがな、デミウルゴス。周辺の人間の村を襲うのは、私は少し早計に思えるのだよ」

 

 思わぬウルベルトからの助け舟に、ペロロンチーノがチラッとウルベルトへと視線を向ける。

 しかしウルベルトはそれを感じ取りながらも、視線はデミウルゴスから外さなかった。

 この忠誠心厚い息子に誤解を与えず傷つけないように、細心の注意を払って柔らかな表情と声音を意識しながらデミウルゴスを見つめ続ける。

 

「我々が持っているこの世界の情報は未だに多いとは言えない。そのような状況で、敵対者を作るような行動は起こすべきではないだろう? 幸いなことに、我々には既に幾人かの捕虜を手にしている。まずは奴らを巻物(スクロール)の材料や実験のサンプルとして使うがいい。必要ならば作業用のシモベたちも私の方で用意してやろう」

「なんと……思慮深く、慈悲深きお言葉! 流石はウルベルト様、そこまで考えの至らぬ我が身が恥ずかしいばかりでございます」

「何を言う。お前はナザリックの事を一番に考えてくれたのだろう? それに、巻物(スクロール)の作製方法自体を見つけたのはお前だ。流石は私の自慢の子だ」

「ウ、ウルベルト様……、過分な御言葉、恐悦至極にございます……!」

 

 嬉しさのあまり、デミウルゴスは頭を下げた状態で感動に打ち震え、長い銀の尾も複雑な動きで忙しなく揺らめいている。

 ウルベルトは手を伸ばしてデミウルゴスの頭を優しく撫でると、そのままの状態でモモンガとペロロンチーノへと視線を向けた。

 

「取り敢えず、そういうことで良いですかね?」

「……あ、…ああ、そうだな。取り敢えずは、そういう形で進めて行くこととしよう」

「そうですね。俺もそれで問題ないと思いますよ」

 

 ウルベルトの確認に、モモンガとペロロンチーノも了承の意味を込めて深く頷く。

 やっと気を取り直したモモンガとペロロンチーノからも改めて労いの言葉を受け、デミウルゴスは一層深く頭を下げ、周りのNPCたちは羨望の眼差しを最上位悪魔(アーチデビル)へと向けた。そんな中、ウルベルトからの計らいもあってデミウルゴスは褒美としてリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをウルベルトの手により贈られる。

 歓喜に打ち震えて言葉もない最上位悪魔(アーチデビル)と、それを面白そうに見つめる山羊頭の悪魔。

 何とも和やかな悪魔二人を眺めながら、モモンガはため息にも似た息を小さく吐き出した。

 これで漸く全員分の報告が終わったことになる。

 次に改めて今後の詳しい行動を決めるため、NPCたちも交えて話し合いや進言が行われていった。

 前回の定例報告会議でのモモンガの言葉もあり、今回はNPCたちも積極的に進言をしてきてくれる。

 NPCたちも少しずつではあるが確実に成長していることが感じ取れ、モモンガたちは親の心境で何ともくすぐったい様な嬉しさを感じていた。

 そして最終的に、各々の今後の行動方針が詳細に定められていった。

 まずモモンガは通常通り冒険者の依頼を遂行しつつ、ニニャを説得して時間を稼ぐ。そしてペロロンチーノがパンドラズ・アクターなどの準備を整え次第、それらをニニャとブリタに提案して了承させる。

 ペロロンチーノはまずはアウラとシャルティアと共にザイトルクワエなる魔樹について調査。その後、ニニャとブリタに勧める人材の選定とパンドラズ・アクターとの打ち合わせを行い、決定次第モモンガに知らせる。なお、この打ち合わせにはパンドラズ・アクターだけでなく、ナザリックの管理を任されているアルベドも参加することとなった。

 ウルベルトはカルネ村でガゼフの依頼を受けた冒険者に対応し、誤解や疑惑をもたれないように対処していく。その後、帝国に戻り、帝国の四騎士の対応を行っていく手筈となった。

 セバスは通常通り王国の情報収集。

 デミウルゴスはニューロニストと話し合いながらナザリックに捕えている捕虜たちの中から巻物(スクロール)の材料と実験サンプルとなる者を選定。選定した者たちを拠点としているアベリオン丘陵へと連行し、巻物(スクロール)の作製と更なるアイテムの作製方法を調査していく。

 なお、ペロロンチーノでは色々と刺激が強すぎるとして、デミウルゴスのチームのみ、担当責任者がペロロンチーノからウルベルトへと変更された。

 

 

「みな、疑問点や言い残したことは無いか?」

 

 改めて今後の方針についておさらいした後、モモンガが周りを見回して確認してくる。

 ペロロンチーノとウルベルトは無言で頷き、周りのNPCたちは無言で跪き頭を下げてくるのにモモンガも一つ頷くと、次には隣に控えるアルベドを見上げた。

 

「では、これにて定例報告会議を終了いたします。全員、解散!」

 

 モモンガの視線を受けてアルベドが守護者統括に相応しい凛とした声音で宣言し、NPCたちは一層モモンガたちに向けて頭を下げた。

 数秒後、いつものように続々と立ち上がって礼と共に下がっていくシモベたち。

 最後にアルベドが礼をとった状態に静々と部屋を出て行き、その瞬間、モモンガとペロロンチーノとウルベルトは大きなため息と共に円卓の上へと突っ伏した。

 この三人の行動も恒例になりつつある。

 いつまで経っても楽な報告会議にならないな……とモモンガがもう一度嘆息する中、いち早く顔を上げたペロロンチーノがウルベルトへと声をかけた。

 

「……今回は色々とありがとうございました、ウルベルトさん!」

「ん? …あぁ、デミウルゴスの事か?」

「そう、それですよ! 正直に言って、あれは俺には荷が重すぎですよ!!」

 

 オーバーアクションで声高に言い放つバードマンに、悪魔は皮肉気な笑みと共に気怠さそうに肩を竦ませた。

 

「別に礼を言われるほどじゃないだろう。人間を材料にするのは変わらないんだしな」

 

 何でもないと言うように小さく首を振るウルベルトに、ペロロンチーノだけでなくモモンガも感心させられた。

 確かにモモンガもアンデッドになったことで人間に対する感情はひどく希薄になっている。精々がそこらにいる虫や石ころ、よくても愛玩動物くらいのものだ。

 しかしそれでも、いざ人間を巻物(スクロール)の材料にすると言われれば、戸惑ってしまう自分もいるのだ。

 ナザリックの事や今後の事を考えればウルベルトやデミウルゴスの判断の方が正しいのは明白であり、ここにウルベルトがいて本当に良かった……とモモンガは心からそう思った。

 

 

(……まぁ、取り敢えずはこれで問題ないが、時が経てば材料が足りなくなるのは必至。当分はいなくなっても問題ない盗賊や罪人を中心に補充していくとして……、デミウルゴスの拠点を見つけられる訳にもいかねぇし、ある程度情報が集まって手を出しても問題ないと分かれば周辺の村を襲わせても良いかもな。)

 

 モモンガの心など露知らず、ウルベルトは一人そう判断すると、内心でニヤリと悪魔らしい笑みを浮かべた。

 

 



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幕間 定例守護者会議

これまでの至高の御方々の行動や今後の方針について、NPCたちはどう思っているのか…という質問やご意見を頂きましたので、幕間という形でUPさせて頂きました!
その分、話が進まず遅くなってしまうのですが、そこは許して頂ければ幸いです……(汗)


 今回の定例報告会議が終了し、モモンガたちが三人だけで話し合いを行っている頃……。

 円卓の間を辞したアルベドはモモンガたちの許可の元に与えられた自室へと足早に向かっていた。

 回廊を行き来するメイドや警備のシモベたちに頭を下げられるのも構わず、まるで駆け足一歩手前の速度で歩き続ける。そして漸く目的の扉が見えてきた瞬間、自室ということもありノックすることなく勢いよく扉を開いた。

 

「あっ、アルベドやっと来た! 遅いよ~」

 

 扉を開いたとほぼ同時に室内からかけられた高い声。無人であるはずの部屋には大小様々な八つの影が佇んでおり、しかしアルベドは全く驚くことなく柔らかな微笑みさえ浮かべていた。

 

「あら、ごめんなさい。これでも急いできたのだけれど……。御方々とのお話しも我慢してきたのよ」

「それは私たちも同じでしょう! 私だってモモンガ様やペロロンチーノ様やウルベルト様とお話ししたいのを我慢してここにいるんだから!」

「同意するのはちょっとだけ癪だけれど、オチビの言う通りでありんす」

「……えぇっと、えっと…ぼ、僕もお話し、したかったです……」

 

 アルベドの一言にも幾つもの返答が返ってくる。

 アルベドの部屋にはアウラ、マーレ、シャルティア、デミウルゴス、ユリ、シズ、エントマ、ニグンといった、先ほどの定例報告会議に参加した殆どの者たちが揃っていた。

 

「……まぁ、そのくらいにしても良いんじゃないですかね。ここにいる者の中にはあまり時間が無い者もいるでしょうし、アルベドも来たことですので早速始めませんか?」

 

 少なからず不満の表情を浮かべるアウラとマーレとシャルティアを嗜めるのはデミウルゴス。彼女たちは悪魔の言に渋々頷くと、部屋の主であるアルベドの勧めに従って一つのテーブルを囲むように守護者たちが席に着いた。テーブルのすぐ側にはいつの間に用意されたのか大きなホワイトボードが置かれており、まるで教師のようにユリとシズとエントマとニグンがホワイトボードのすぐ側に立った。

 

「それではこれより、守護者による定例会議を行います」

 

 全員が準備万端な様子を見やり、先ほどの定例報告会議の時と同じようにアルベドが司会進行役として会議の開始を宣言する。

 今から行われるのは通称・定例守護者会議。

 以前の定例報告会議でモモンガから今後自分たちの意見も言うようにと命じられたアルベドたちは、定期的に守護者同士で話し合う場を設けることにした。それがこの“定例守護者会議”である。

 ここではただ単に意見を出し合って検討し合うのではなく、自分たちの疑問も吐露して話し合うことによって、少しでも至高の御方々の意思や思惑を理解するという目的も含まれている。そのため、まずは疑問に思っていることや意見したいことをホワイトボードに書き並べ、その後にそれらについて一つ一つ話し合うという形式をとっていた。

 書記を務めるのはシズ。

 エントマは今回不参加であるコキュートスへ会議内容を報告するためにこの会議に参加していた。

 

「ねぇ、会議を始める前に一つ気になることがあるんだけど。シズやエントマは分かるとして、何でユリやこいつもいるの?」

 

 すぐに話し合いを始めようとするアルベドを押しとどめ、アウラがユリとニグンへ疑問の眼差しを向ける。

 反射的に守護者たちの視線がユリとニグンに向けられる中、二人が口を開きかける前に二つの声がアウラの疑問に即座に答えた。

 

「あぁ、ユリは私が呼んだのよ。後でウルベルト様のお話を聞こうと思って」

「ニグンを呼んだのは私だよ。厳密に言えば、用があるのは彼ではないのだが……、まぁ、それについては最後に説明するとしよう。今は気にする必要はないよ、アウラ」

 

 それぞれ返答したのはアルベドとデミウルゴス。

 この場では最も優れた頭脳を誇る二人の言に、この場にいる者たちは疑問の色は拭えなかったものの一先ずはこれ以上の追及はしないことにした。

 アウラが二人の言葉を了承するように一つ頷き、漸く会議が開始される雰囲気になっていく。アルベドがホワイトボードに書き連ねられている文字の羅列に目をやれば、自然と他の者たちもホワイトボードへと目を向けた。

 

「では、上から順に協議を行っていきましょう。まずは『モモンガ様とウルベルト様による、冒険者やワーカーでの活動の目的について』ね。この議題を出したのは私なのだけれど……」

「まさか、疑問として出したのではないだろうね、アルベド?」

「ええ、勿論よ、デミウルゴス。これは疑問としてではなく、みんなに誤解なく理解してもらうために出した議題なのよ」

「えっと…、ど、どういうことですか……?」

 

 どこか不安そうに問いかけるマーレに、アルベドは落ち着かせるように柔らかな微笑を浮かべてみせた。

 

「御方々が冒険者やワーカーとして外界へ行かれることを決められた時、御方々はこの世界の情報を集めるためだと仰られていたのを覚えているかしら?」

「も、勿論です……!」

「当り前でしょう!」

「至高の御方々の御言葉を忘れるなんて、あり得ないことでありんすよ」

 

 マーレとアウラとシャルティアが間髪入れずに言葉を返してくる。他の面々も無言ながらも“当然だろう”という表情を浮かべていた。

 

「ええ、そうでしょうね。勿論、私もそれについては疑ってはいないわ。……問題なのは“本当に目的はそれだけなのか”という点よ」

「……ああ、そういうことですか」

 

 アルベドの意味深な言葉に、デミウルゴスが納得したような声を零す。

 一方、先ほどすぐさま声を上げたマーレ、アウラ、シャルティアの三人は不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「一体どういう意味?」

「良いですか。御方々は外界に出る以前に、玉座の間で我々にこの世界を支配することを宣言されました。つまり、モモンガ様やウルベルト様が冒険者やワーカーとなったのも、外界の情報を集めてくるという目的の他に、世界征服への布石も含まれているということです」

 

 まるで生徒に教える教師のようにデミウルゴスが分かり易く説明していく。

 途端に驚愕の表情を浮かべるアウラたちに、アルベドは満足そうな表情を浮かべた。

 

「デミウルゴスの言う通りよ。恐らく名声を高めようとしていらっしゃるのもその理由の一つでしょうね。人間であろうと異形種であろうと、強い者に惹かれるのは必然。そして脆弱な下等生物である人間は、時として身を守るために無意識に強い者へと依存する。モモンガ様とウルベルト様は、“冒険者モモン”と“ワーカーのレオナール”という最高級の手駒を自らお造りになっていらっしゃるのよ!」

 

 話しているうちに興奮してきたのか、気が付けばアルベドは鼻息荒く目を爛々とギラつかせていた。白皙の頬は薔薇色に染まり、まるで肉食獣のような貪欲でいて濃厚な色気が全身から溢れ出している。

 

「……嗚呼、流石は叡智高く絶対者たる至高の御方々……! 一つの行動で幾つもの策や布石を敷かれる見事な手腕! 考えただけで身体中が熱くなってくるわっ!!」

 

 うっとりとした表情で熱い吐息を吐き出すアルベドに、他の面々は誰もがドン引いた表情を浮かべて遠巻きにアルベドを見やった。

 

「……あー、君の言葉には概ね同意見だがね。さっさと正気に戻ってくれるかな?」

「………私、アルベドの興奮するポイントが分からなくなってきたんだけど…」

「ふむ…、恐らく御方々と接する機会が少なくなったために色々と暴走してしまっているのだろうねぇ……」

 

 アウラやデミウルゴスにしてみれば、自分たちの素直な感想や意見を述べただけである。しかしそれらの言葉が予想以上にアルベドの琴線に触れ、瞬間、グリンっと首を大きく動かしてアルベドがアウラやデミウルゴスを振り返ってきた。

 金色の瞳には殺気や怒気といった不穏な気配は宿ってはいなかったが、アウラもデミウルゴスも思わずビクッと身体を大きく震わせた。

 

「だって…、仕方がないじゃない! 私は淫魔(サキュバス)なのよ! 愛のために生きる種族なのに、愛しい御方々の御側近くに侍るどころか接する機会すら少なくなってしまっているんですもの!! 嗚呼、愛しい至高の御方々様ぁぁっ!」

 

「………ちょっと、これって本当に大丈夫なわけ?」

「……えっと、えぇっと…」

「………サキュバスって、愛のために生きる種族だったんでありんすか?」

「……まぁ、少なくとも彼女の中ではそうなのだろうねぇ…」

 

 興奮したまま力説したかと思えば、次には恍惚とした表情を浮かべてどこかへ思考をトリップさせてしまったアルベドに、他の面々はどこまでも生温かい視線を彼女に向ける。

 このままではいつになっても話が進まないため、デミウルゴスは強引にでも会議を進めることにした。

 

「……えー、ゴホンッ。取り敢えず、先ほどの件に関して、私やアルベドの言いたいことは理解したかな?」

「はーい」

「は、はい。大丈夫です」

「理解できたでありんす」

 

 アウラ、マーレ、シャルティアもデミウルゴスの考えを読み取って大人しく頷いて返す。

 デミウルゴスも笑みを浮かべて頷き返すと、未だトリップしているアルベドはそのままに次の議題に移ることにした。

 

「では、次の議題にいきましょうか。次の議題は……『二人の女冒険者について』か。これを出したのは誰だね?」

「私でありんす」

 

 手を軽く挙げたのはシャルティア。彼女は白皙の美貌を不満そうに歪めながら、まるで睨むようにホワイトボードの文字を見つめていた。

 

「今回の定例報告会議でも出ていたけど、あのニニャとブリタとかいう人間に、何故至高の御方々があそこまで気を配られるのか私には分からないでありんす」

「あー、それは私もかな。そのニニャって子は生まれながらの異能(タレント)を持っているから気にされているのかもしれないけど、正直そのタレント自体も大した能力じゃないんでしょう? それにブリタって子は何の力も持っていないみたいだし……」

 

 シャルティアに賛同してアウラも自分の疑問を述べる。

 デミウルゴスはふむ…と顎に指をあてて少しだけ思考を巡らせると、アウラの隣に座っているマーレへと視線を移した。

 

「マーレ、君も彼女たちと同じ意見かね?」

「え、えっと、僕は……僕も、理由は良く分かりませんけど……。で、でもでも、至高の御方々は僕たちには思いもよらない凄いことを考えていらっしゃるのだと思います……!」

 

 拳を握りしめながら一生懸命に話すマーレに、デミウルゴスは一つ頷くと隣に座っているアルベドへと目を向けた。

 この議題は自分の考えだけではなく、彼女の考えも聞いておくべきものだ。そのためには、彼女には早急に正気に戻ってもらう必要がある。

 

「アルベド、いい加減に正気に戻ってください。守護者統括がそんな事では至高の御方々からお叱りを受けてしまいますよ」

「お叱りですってっ!!?」

 

 恍惚とした表情が一変、アルベドがくわっと目を見開かせて反射的にデミウルゴスを振り返る。続けて狂ったように周りを見回すと、他の面々がドン引きする中で漸くアルベドの表情から徐々に狂気の色が消えていった。

 

「……あら、どうしたの、みんな?」

 

 まるで何事もなかったかのように問いかけてくるアルベドに、誰もが疲れたような表情を浮かべたり大きなため息を吐き出す。

 尚も頭上に疑問符を浮かべて小首を傾げるアルベドに、デミウルゴスは小さく苦笑を浮かべると、まるで誤魔化すように今の議題について手短にアルベドへと説明した。アルベド自身の意見も聞きたいと述べれば、彼女は先ほどの様子とは打って変わって神妙な表情を浮かべて考え込む。

 

「……私もマーレと同じように御方々には私たちでは思いもよらない崇高なるお考えがあるのだと思っているけれど……。あなたはどう考えているのかしら、デミウルゴス?」

「そうですね……。恐らくではありますが、この件はパンドラズ・アクターが鍵を握っているのではないでしょうか?」

「パンドラズ・アクターが?」

「一体どういうことかしら?」

 

 シャルティアやアウラだけでなく、アルベドまでもが訝しげな表情を浮かべてナザリック一の頭脳を誇る悪魔を見やる。しかしデミウルゴス自身も彼にしては珍しくあまり自信がないのか、どこか考え込むような表情を浮かべていた。

 

「定例報告会議でペロロンチーノ様とウルベルト様は熱心にパンドラズ・アクターを推してモモンガ様を説得しておられました。つまり、それだけの理由や目的があるということです」

「パンドラズ・アクターでなければならない理由……、と言うことね……」

 

 デミウルゴスの言葉にアルベドや他のメンバーも全員が神妙そうな思案顔を浮かべる。

 デミウルゴスも神妙な表情で一度ゆっくりと頷くと、“あくまでも推測だが…”と前置きした上で自身の考えを彼女たちに話していった。

 デミウルゴスの話す、ペロロンチーノとウルベルトの目的。それは、ドッペルゲンガーというパンドラズ・アクターの能力と、今までウルベルトが着目していた“我々、転移者が更に強くなる方法”についてだった。

 今現在、ウルベルトはワーカーのレオナールとして行動している中で自身の名声よりもニグンやユリを使って経験値を獲得する条件や、転移者である自分たちが経験値を得てレベルを上げられる方法を模索している。しかしこの世界には単純に経験値を得てレベルを上げる以外にも強くなる手段が存在した。

 それはこの世界特有の“武技”という戦闘技術と“タレント”という不可思議な能力。

 元々この世界の住人ではない自分たちには、果たして“武技”や“タレント”を習得することが出来るのか。

 その疑問を解決するには、まずは現地の存在で実験研究を行い、そのメカニズムなどを知ることが一番の近道だと言えた。そしてもしそのメカニズムなどが解明した場合、それを一番に体現できそうなのは、対象の能力などを真似できる100レベルのドッペルゲンガーに他ならない。

 ここで登場するのが、不自然なく観察及び実験研究が出来そうなニニャとブリタという二人の存在であり、100レベルのドッペルゲンガーであるパンドラズ・アクターだった。

 デミウルゴスの推測に、この場にいる誰もが思わず納得と感嘆の声を上げた。

 そこまで考えていた至高の御方々に対して改めて崇拝の念を強め、御方々の高き思考をも問題なく推察することのできる悪魔に対して尊敬にも似た思いを抱く。

 ただ一人、アルベドだけが未だ思案顔で思考を巡らせていた。

 

「……なるほど。では、パンドラズ・アクター以外のもう一人の人材もそれを考慮して選抜した方が良さそうね。ペロロンチーノ様がアウラとシャルティアと共に魔樹とやらを調査して下さっている間に、私の方で幾人かピックアップしておくわ」

「ええ、それが良いでしょう」

 

 アルベドの言葉に、デミウルゴスも賛同して大きく頷く。

 アルベドは小さな笑みを浮かべると、しかし次には厳しい表情を浮かべてシャルティアとアウラを振り返った。

 

「……良いこと、二人とも。守護者であるあなたたちのことだから心配ないとは思うけれど、相手は世界を滅ぼせると言われるほどの存在。いくら調査とはいえ……、万が一の時にはその身に代えてでもペロロンチーノ様をお守りしなさい」

「分かってるわよ、アルベド」

「おんしに言われなくても十分に分かっているでありんす。私の愛するいと尊き御身を危険に晒すなど、それこそ許されぬ大罪。元より、そんなことになろうものなら、わたし自身が許せないでありんすえ」

 

 アウラとシャルティアの返答に、漸くアルベドが満足そうな笑みを浮かべる。

 相変わらずの我らが守護者統括の様子に、アウラとデミウルゴスはやれやれとばかりに苦笑を浮かべながら頭を振り、マーレはどこかホッとしたような表情を浮かべ、シャルティアは半目で白けたような視線を彼女に向けていた。

 何はともあれ、この議題はこれで終わらせても良いだろう。次の議題に移ろうとしたアルベドに、しかしマーレが恐る恐る手を挙げてきた。

 

「あら、何かしら、マーレ?」

「あ、あの、一つだけ質問しても…良いでしょうか……?」

「勿論よ。何かしら?」

「えっと、その……ペロロンチーノ様とウルベルト様のお考えは分かったんですけど……。なら、どうして……その…、モモンガ様はあんなに反対していたんでしょうか?」

 

 マーレだけでなく、アウラとシャルティアも二人の悪魔を見やる。

 アルベドとデミウルゴスはチラッと互いに顔を見合わせると、まずは先にデミウルゴスが口を開いた。

 

「……それは恐らく、モモンガ様が非常にお優しいからでしょうね。先ほども言った様に、この役目はパンドラズ・アクターが一番の適役です。しかし一つの冒険者チームに参加するという形である以上、こちらから投入できる人数も限られる……。いわば、何かしらの異常事態が起きた際、パンドラズ・アクターへの危険度が増すと言うことです」

「加えてパンドラズ・アクターはモモンガ様ご自身の被造物。それだけに、特にご心配されたのかも知れないわね」

 

 二人の悪魔の言に、アウラとマーレが納得したような表情を浮かべる。

 しかしシャルティアだけがどこか不満そうな表情を浮かべていた。

 

「ちょっと待ちなんし。……それじゃあ、何? ペロロンチーノ様はお優しくないとでも言いたいわけ?」

 

 瞬間、幾つかの息を呑むような音が室内に響いた。

 アルベドとデミウルゴスを睨む紅色の瞳には怒気と殺気が宿り、小さく華奢な身体からも大きく鋭い威圧感が溢れだす。

 同じ守護者のメンバーであれば耐えられるものの、同じ室内にいるシズやユリやエントマには相当きついだろう。彼女たちよりも断然レベルも耐性も低いニグンであれば尚更だ。

 守護者最強の少女から発せられる大きすぎる威圧感にシズとユリとエントマとニグンが冷や汗を流して顔を真っ青にする中、不意にデミウルゴスの声が柔らかな音を帯びて静寂を破った。

 

「勿論、違いますよ。ペロロンチーノ様も、そして我が創造主たるウルベルト様も…、お二方ともとても慈悲深くお優しい御方々です。それは私もアルベドも十分に良く分かっていますよ」

「……では一体、どういう意味でありんすか?」

「モモンガ様は四十一人の至高の御方々のまとめ役でいらっしゃっただけあり、とても慎重な御方です。そのため、誰よりも多くの危険性を考慮していらっしゃったのでしょう」

 

 デミウルゴスからの弁解はそれだけだったが、しかしこの場にいるメンバーには説得力のある言葉だった。

 確かに彼の言う通り、モモンガは彼らが崇拝する至高の四十一人の中でも特に慎重派で知られていた。ユグドラシル時代、モモンガが調子に乗ったギルドメンバーを諭していたり、時にはペロロンチーノやウルベルトといった積極的なメンバーが逆にモモンガを説得して何かをしていた場面を多くのシモベたちが目撃したことがあったのだ。

 シャルティアも何度かそういった場面を見たことがあり、その記憶から納得して漸く溢れさせていた怒気や殺気を治めさせた。

 みるみるうちに緩んでいく空気に、自然とこの場にいる誰もが安堵の息を吐き出す。

 アルベドはこの議題についてこれ以上意見が出ないことを確認すると、漸く次の議題に移ることにした。

 次の議題は『ワーカーチーム“サバト・レガロ”を招待したバジウッド・ペシュメルについて』。

 この議題はデミウルゴスが出したものであり、彼はホワイトボードの傍に控えているユリとニグンを振り返った。

 

「先ほどの定例報告会議ではウルベルト様が影の悪魔(シャドウデーモン)で監視及び調査をしていると仰られていましたが、我々の方でも詳しく奴らについて把握しておきたい。今現在分かっていることのみでも構わないので、改めて報告してもらえないかね」

「畏まりました、デミウルゴス様」

 

 ユリとニグンはデミウルゴスの要望に一度深く頭を下げると、次にはバジウッド・ペシュメルと、彼が所属する帝国の四騎士について現在知っている情報を報告していった。ユリが主にシャドウデーモンから集めさせた情報を報告し、ニグンが現地人としての知識としての情報を補足として報告していく。

 バジウッド・ペシュメル。

 バハルス帝国に生きる人間種の男。帝国四騎士の一人であり、“雷光”という二つ名を持っている。元々は唯の貧困層の平民であったが、帝国は他国よりも実力主義の傾向が強かったこともあり騎士にまで昇りつめていった。そして現在、今の帝国皇帝に実力を認められ、四騎士のリーダーという立場を手に入れた。

 強さはこの世界では強者の分類に属すが、リ・エスティーゼ王国の王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフには及ばないとされている。装備品としては、恐らくミスリルと思われる全身鎧と、“雷光”の二つ名の由来となっている恐らくアダマンタイト製だと思われる武器を所持しているらしい。

 そして彼の所属する帝国四騎士という存在。

 これはバハルス帝国に所属する最強戦力の四人の騎士の総称のことである。帝国皇帝の勅令を遂行するのが主な仕事内容であり、簡単に言ってしまえば皇帝の側近及び護衛とでも言えばいいのかもしれない。

 彼らの権限や地位は、将軍と同格。しかし四騎士は全員がその力量を皇帝本人に認められた者のみであるため、普通の軍のように順に昇りつめてなれるようなものではなかった。

 バジウッド個人ではなく四騎士全てで言うと、強さは冒険者のオリハルコン級以上。装備品はバジウッドが装備している全身鎧と同じものが支給されているとのことだった。

 

 

「我々に接触してきた目的は未だ調査中ではありますが、強さで考えれば万が一の際にも私一人で対処可能かと思われます」

 

 ユリからの報告と分析に、守護者たちは理解の表情と共に一つ頷く。

 

「君の言い分は良く分かった。しかし至高の御方が関わる以上、どんなに可能性が低くとも万全に備えておく必要がある。当日は念のため、ウルベルト様の影にシャドウデーモンを複数、護衛として潜ませなさい」

「はい、畏まりました」

 

 デミウルゴスからの一見過剰にも思える対応に、しかし反対の声は一切上がらない。ユリは了承の言葉と共に頭を下げ、シズとエントマとニグンも礼を取り、守護者たち全員は当然といった表情を浮かべている。ナザリックのシモベである彼女たちにとって、至高の御方々に対しての対応は何事にも過剰といえるものはないのだ。

 更なる協議でウルベルトの影に潜ませるシャドウデーモンの数や今後の対応も決められ、そこで漸く次の議題に移ることになった。

 次々に協議されていく議題と、次々に解決策などが書き加えられていくホワイトボード。

 全ての議題を話し終えた頃には予想以上に時間が過ぎており、ホワイトボードも黒い文字に埋め尽くされていた。

 

「……これで全てね。そろそろ解散しましょうか」

「あぁ、もう少しだけ待ってくれないかね、アルベド。あと一つだけ、皆に報告しておきたいことがあるのだよ」

 

 会議の終了と解散を宣言しようとしたアルベドに、デミウルゴスから制止の声がかけられる。

 誰もが頭上に疑問符を浮かべて不思議そうな表情でデミウルゴスを見つめる中、彼はユリの横に佇むニグンを手招いた。

 ニグンは何が何だか分からない様子で、少し不安そうな表情を浮かべながらも大人しくデミウルゴスの元へと歩み寄っていく。

 デミウルゴスは変わらぬ仄かな笑みを湛えたまま、歩み寄ってきたニグンへとゆっくりと手を伸ばした。彼の手はニグンの頭に伸ばされ、こめかみの上辺りに生えている角へと触れる。

 しかしデミウルゴスは別にニグンの頭を撫でようとしていたのでは勿論なく、悪魔の手はニグンの角の上で何かを掴んだように動くと、すぐにニグンから離れていった。

 

「これを見てくれたまえ」

 

 デミウルゴスがニグンに伸ばしていた手を全員の前へと差し出してくる。

 彼の手にはいつの間にいたのか、二つの小さな皮膜の翼を摘ままれた大きな目玉が、大人しくプラプラとぶら下がっていた。

 目玉の大きさは大体直径三センチくらいだろうか。黒い瞳の大きな目玉に黒い皮膜の翼が生えた、何とも奇妙な生き物だった。

 

「デミウルゴス、これは?」

 

 やはり調教師として気になるのか、アウラが真っ先に身を乗り出して興味津々とばかりに聞いてくる。

 デミウルゴスはもう片方の手に目玉の化け物を乗せながら、改めて彼女たちに良く見えるように差し出した。

 

「ナザリック地下大墳墓が完成してすぐにウルベルト様が第七階層に置かれたモノだよ。正式名称は私も知らないのだが、ウルベルト様は“録画くん”と呼んでいたね」

「“録画くん”……?」

「この子たちは、この目玉で見た光景を映像として記録し、いつでも第三者に見せることが出来るのだよ。加えて完全不可知化の能力も持っているため、誰にも気づかれずに映像記録をすることができるというわけだ」

「デ、デミウルゴス……! そ、それって……つまり……っ!!」

 

 何かに気が付いたのか、途端にアルベドが興奮しだす。

 デミウルゴスは淡い笑みを苦笑に変えながら、まるで何かの合図を送るようにチョイッチョイッと人差し指で軽く目玉を突いた。

 瞬間、目玉の真っ黒だった瞳が青く変化し、眩い光を放って一つの映像を作り出し始めた。

 

「……こっ、これは…っ!!」

「……っ……!!」

「これって、もしかして……っ!!」

「……ウ、ウルベルト様ぁぁあぁぁあああぁぁっっ!!!」

 

 シズ、ユリ、エントマ、ニグンは驚愕に息を呑み、守護者たちは驚愕と歓喜と興奮の悲鳴を上げる。

 彼女たちの目の前に映し出されたのは一つのホログラム。

 ホログラムの映像には第六階層の円形劇場(アンフィテアトルム)に似た場所と複数の人間たち。そして、山羊頭の悪魔の姿ではなく人間の姿ではあったけれど、間違いなくウルベルトが複数の人間たちと対峙していた。

 映像の中で不可思議な杖を見事に操りながら戦うウルベルトの姿。

 どこまでも力強く華麗で美しいその姿に、シモベたちは全員が感嘆し、興奮せずにはいられなかった。

 

「これはウルベルト様が仰られていた、帝国の闘技場で行われた戦闘時の映像だね。ニグンに付けさせていた“録画くん”に録画させたのだよ」

 

 会心の笑みと共に恍惚とした表情で映像に魅入るデミウルゴスに、他の面々も言葉なく映像に魅入る。

 しかしシャルティアとアルベドは映像に魅入りながらも、まるで食いつくように勢いよくデミウルゴスへと身を乗り出してきた。

 

「ペロロンチーノ様はっ!? ペロロンチーノ様の映像はどこにあるんでありんすかっ!!?」

「モモンガ様の映像もあるのでしょうっ!?」

 

 二人の様子は正に鬼気迫るものがある。

 しかしデミウルゴスはさりげなく“録画くん”を両手で包み込んで守りながら、少し申し訳なさそうな表情を浮かべてみせた。

 

「……二人には申し訳ないのだが、ペロロンチーノ様とモモンガ様の映像はないのだよ。ペロロンチーノ様には決まった従者がおられないし、モモンガ様の場合は従者がナーベラルだからね。流石に女性に対して録画機能を持つモノを常時身に付けさせるのも気が引けたのでね……」

「そ、そんな……っ!!」

「ナーベラルには私から言っておくからっ!!」

 

 全力でショックを受けるシャルティアとは対照的に、使命感とばかりに燃えて宣言するアルベド。

 思わず苦笑を深めさせるデミウルゴスであったが、しかし彼もモモンガの勇姿を見たいという思いがあったため、後ほど別の“録画くん”を渡すことをアルベドに約束した。

 

「それじゃあ、これからはユリにもウルベルト様の話を聞きましょう!」

「それも良いけど、私はさっきの映像をもう一度見たいな~。良いでしょう、デミウルゴス?」

「ぼ、僕も見たいです!」

「ええ、良いですよ、二人とも」

「ああっ! 私も見たいでありんす!!」

 

 わいわいと俄かに賑やかになり始める室内。

 まるで幼い子供の様に興奮して騒ぐ守護者たちに、ユリは少し戸惑いながらも乞われるがままにウルベルトの話を語って聞かせる。

 そして彼らから少し離れた場所では、気が付かぬ間に録画機能を持つモノを勝手に付けられていた事実にショックを受けているニグンをシズが静かに慰め、それをエントマが呑気に眺めているのだった。

 

 ナザリックの忠実なシモベたちの夜明けはまだ来ない。

 

 




シズとエントマの存在が空気っ!(絶望)
ごめんなさい許して下さい登場人物が多いと処理できないんですはい全部私の力不足ですね分かってます……orz
あぁ……、シズとエントマも大好きなのに……無念……。

*今回の当小説捏造ポイント
・(通称)『録画くん』;
ユグドラシルでの録画機能アイテム。今回のモノは悪魔デザインのモノであり、他にも天使デザインやペット・デザインなど、多くのデザインやバージョンが存在する。ウルベルトはナザリックの侵入者に対する第七階層での戦闘を録画するために、第七階層に五つ分用意して設置していた。


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第28話 来訪者

 和やかでいて穏やかな昼下がり。

 何処までも続いていると錯覚しそうになるほど長い街道に、穏やかな空気を引き裂くような喧騒が響き渡っていた。

 街道を全力疾走している四頭の馬。馬上にはそれぞれ人間が跨っており、その頭上にも一つの小柄な影が同じ速度で飛んでいた。

 女一人と、見た目が瓜二つの少女が二人。一見筋骨隆々の男にも見える女が一人。頭上を飛んでいる影は仮面で顔を隠して全身も紅のマントで覆ってはいたが、その小柄で華奢な身体つきから少女であろうと推測できた。

 誰が見てもただの旅人にも旅の商人にも見えない怪しい一行。

 しかし彼女たちは不審な一行では決してなく、王国では名の知れたアダマンタイト級冒険者である“蒼の薔薇”の一行だった。

 

 

「……おい、イビルアイ! まだ目的の村は見えねぇのか!?」

 

 激しく揺れているはずの馬上でありながら声を一切震わせることなく、男のような女――ガガーランが頭上を飛んでいる人物――イビルアイへと声を張り上げる。

 イビルアイは前方を凝視した後、仮面に覆われた顔をガガーランへと向けた。

 

「ああ、まだ見えないようだ……」

「でも、地図ではもうすぐのはずよ。このまま馬を駆けさせましょう!」

 

 ガガーランとイビルアイの会話に、“蒼の薔薇”のリーダーであるラキュースが参加してくる。

 二人の頭の中にも大まかな地図が入っており、ラキュースの言葉に賛同するように一つ頷く。

 しかしガガーランは頷きながらも少しだけ不満そうな表情を浮かべていた。

 

「……だがよぉ、何でこんなことを俺たちがしなくちゃならねぇんだ? いくら姫さんからの依頼だからって、辺境の村の様子を探るくらい、俺たちじゃなくても良いと思うんだが」

 

 彼女たち“蒼の薔薇”の今回の任務は、国の辺境に存在するカルネ村という村の調査。

 それだけを聞けば、確かにガガーランの言う通り、アダマンタイト級冒険者が請け負うような仕事ではないだろう。

 しかしラキュースは小さな苦笑を浮かべながらも緩く頭を振った。

 

「それは最初に説明しておいたでしょう?」

「まぁ、そうなんだが……。だが、今でも信じられねぇな……。あのガゼフのおっさんがそこまで苦戦するのもそうだが、気が付いたらその苦戦した相手が忽然と消えていたってのも」

「……ガガーランの意見に同意。獣に襲われたような痕跡があったらしいけど、余りに不自然」

「不気味。虚偽の可能性の方が高い」

 

 彼女たちのすぐ側で馬を駆けさせている忍者服のような衣装を身に纏った瓜二つの少女――ティアとティナも会話に参加してそれぞれの意見を述べてくる。

 ガガーランは真剣な表情を浮かべ、ラキュースも神妙な表情を浮かべて一つ頷いた。

 

「ストロノーフ様の話では相手はスレイン法国の聖典の一部隊だったらしいけれど……。ストロノーフ様が全員を倒したのだとして、確かに記憶が抜け落ちるほどの消耗をした状態で村まで戻るなんてあまりにも不自然ね」

「だが、調べるのはあくまでも村の連中なんだろう? 辺境の村に俺たちが対応する必要があるほどの奴がいるとは思えねぇし、あっちの任務(・・・・・・)もある以上、他の誰かに任せても良かったんじゃないか?」

「それでも可能性はゼロではないわ。それに、今回の件は極秘扱いになっているから、動ける人材は限られてしまうのよ」

 

 ガゼフがリ・エスティーゼ王国の王女であるラナーと、ラナーの友人関係にあるラキュースを訪ねてきたのは、彼が任務で九死に一生を得て何とか王都に戻り、王や貴族たちに報告した日の翌々日のことだった。

 ガゼフの任務は村を荒らし回っているという謎の集団の討伐。

 大貴族派閥の策略により万全な装備で任務に出ることが出来なかった彼は、生きて帰ってこれないかもしれないと王派閥側からは危惧されていた。

 しかし彼は大怪我を負いはしたものの、何とか任務を終えて王都へ戻って来た。

 王派閥の面々は勿論の事、彼を第一の臣下と信頼を寄せる国王は心からその帰還を喜んだ。

 しかし任務から戻って来た彼からもたらされた報告内容は、何とも不可思議なものだった。

 王国の辺境の村々は確かに何者かに襲われて村人たちはその殆どが虐殺されていた。しかしカルネ村という村だけは謎の旅人三人組に救われて事なきを得ていたという。旅人たちは既に村を出ていたため接触することは適わなかったが、その後、謎の集団によって村を取り囲まれる。謎の集団は天使を多く召喚したことからスレイン法国の聖典ではないかと推測され、ガゼフが率いる戦士隊は村を守るためにその集団と戦闘を開始した。

 途中までは善戦するも多勢に無勢で隊は全滅。ガゼフも途中で大きな衝撃を受けて気を失い、気が付けばカルネ村の村長宅で寝台に横たわっていたのだと言う。

 聖典と思われる集団は失踪。戦場となった場所に戻ってみても亡骸は無く、身に纏っていた装備や武器などが幾つか無残な状態で転がっているのみだった。村の誰に聞いても、ガゼフが一人で村に戻ってきたのだとしか答えない。

 村人たちを疑うわけではないが、これにはガゼフだけでなく、報告を聞いた王や貴族、そしてラキュースも疑問に思わずにはいられなかった。しかし調べようにも依頼内容や報告内容、ガゼフの立ち位置、王派閥と大貴族派閥の政治的なパワーバランスなどから容易に動ける者は非常に限られてしまっていた。そこで白羽の矢が立ったのが、ラナーの友人でアダマンタイト級冒険者でもあるラキュースと、彼女が率いる“蒼の薔薇”だった。

 

 

「おいっ、村が見えて来たぞ!」

 

 不意に頭上からかけられた声。

 一人だけ馬には乗らずに上空を飛んでいたイビルアイからの声に、ラキュースたちは会話を中断して前方へと目を向けた。

 上空を飛ぶイビルアイと馬上にいるラキュースたちとでは、視野の高さから見える範囲には差がある。ラキュースたちが視線を向けたところで未だ視界に捉えることはできないだろう、と考えていたのだが……。

 

「………何、あれ…」

「……おいおい、何だよ、あれ」

 

 ラキュースだけでなく、ガガーランやティアやティナも少なからず絶句している。

 彼女たちの視界に映ったのは空高くまで築かれた立派で強固な丸太の壁や物見台だった。どちらも凡そ辺境の村にはないであろう物たち。

 ラキュースたちはまず自分たちの目を疑い、続いて地図を疑った。

 しかしどんなに瞬きを繰り返しても壁も物見台も消えることはなく、どんなに地図を見返しても場所は合っている。

 未だに信じられない心境ながらも、ラキュースたちは無意識に警戒度を一段階引き上げた。

 

「……どうする、ラキュース?」

「……ここまで来て引き返す訳にもいかないでしょう。でも、くれぐれも警戒は怠らないようにしましょう」

 

 ガガーランやティアやティナだけでなく、頭上のイビルアイさえも神妙に頷いてくる。ラキュースも静かに頷き返しながら、密かに馬の手綱を握りしめている手に力を込めた。全速力で駆けている馬の速度を落とさせ、疾走から駆け足で村へと近づいていく。

 近づけば近づくほど丸太の壁は大きくなっていき、その巨大さや圧倒的な存在感からまるで村ではなく街を守る壁のように思えた。

 丸太を丸々使って並べるように立てている壁は、戦士であるラキュースの目から見ても真新しく見え、全てが最近造られたものだと分かる。基礎能力が高くはない人間の……それも辺境にある村において、ここまでの壁を作り出すためにはそれ相応の人員や年月が必要となってくる。予想と常識と目の前の光景が噛み合わず、何とも言えない不気味さが感じられた。

 しかしここで二の足を踏んでいても仕方がない。

 ラキュースは小さく仲間たちに合図を送ると、目の前にまで来た門へと声を張り上げた。

 

「すみません! 私たちはアダマンタイト級冒険者の“蒼の薔薇”と申します! お聞きしたいことがありまして、村に入れて頂けないでしょうか!」

 

 遥か頭上にまで聳える門や物見台を見上げながら名乗りを上げ、反応が返ってくるのを待つ。

 イビルアイも上空から地上へと舞い降りる中、一拍後、ゆっくりと門が内側から開き始めた。

 ギギッというどこか軋んだような音と共に、徐々に村の中の光景が目の前に広がっていく。

 門が完全に開けば、そこには物々しい壁に囲まれているとは思えないほどの平凡な村の光景が広がっていた。目の前には武器を持った五人の男たちを後ろに引き連れた老人が緊張した面持ちでこちらの様子を窺っている。

 恐らくこの老人が、この村の村長なのだろう。

 ラキュースはできるだけ警戒されないように柔らかな笑みを浮かべると、馬上から降りてゆっくりと前へと進み出た。

 

「初めまして、私たちはアダマンタイト級冒険者の“蒼の薔薇”。そして私がリーダーを務めるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。貴方がこの村の村長さんでしょうか?」

 

 目の前にいるのが――若干疑問に思える人物が一人いるものの――全員が女であること。そして何よりラキュースの柔らかな雰囲気に、武器を持っていた男たちが顔を見合わせる。

 完全に信じた訳ではないものの警戒心は薄れたようで次々と武器を下ろす男たちに、ラキュースは笑みを深めさせてもう一、二歩前へと進み出た。

 目の前の老人はラキュースが思った通りこの村の村長であったようで、軽い自己紹介の後にこの村に来た理由を簡単に説明した。

 ラキュースたちがこの村に来た理由として口にしたのは、ガゼフを保護して治療してもらったことへの感謝の品を届けること。そしてこの村や村周辺でその後何か異変は起きていないかの調査だった。

 決して嘘ではないが、全てではない言葉たち。

 しかし村長と五人の男たちはそれを信じてくれたようで、完全に警戒心を解いてラキュースたちを村の中へと招き入れてくれた。

 村の奥へと歩を進めながら、まずは当たり障りのない会話を進めていく。そこから徐々に当時の事について改めて聞き出そうと思っていたのだが、しかし目の前に現れた存在たちにラキュースたちは思わず目を見開かせて足を止めた。

 

「こ、これは……」

「……おいおい、なんでこんなのが辺境の村にいるんだよ…」

 

 ラキュースとガガーランは小さな驚愕の声を上げ、ティアとティナは驚愕に目を見開いている。イビルアイは仮面を被っているため表情は読み取れなかったが、それでも驚愕している雰囲気は感じ取れた。

 彼女たちの視線の先。

 そこには幾つもの巨大な石の塊が独りでに村中を動き回っていた。

 

「………石の動像(ストーンゴーレム)…」

 

 イビルアイが仮面の奥で呆然と小さく呟く。

 彼女の言葉通り、それはまさしく石製のゴーレムだった。

 辺境の村どころかリ・エスティーゼ王国の王都ですら、ゴーレムを使役してはいない。

 いや、できないと言うべきか……。そもそも、そういった概念すらないかもしれない。

 ここから見ただけでも三体のゴーレムが村人たちの指示に従って木材などを運んでおり、それは異様な光景としてラキュースたちの目には映った。ゴーレムを使役して建設工事を手伝わせるなど、名高い冒険者であるラキュースたちですら聞いたことがない。

 これはただ事ではない、と更に警戒度を一段階上げながら、ラキュースは必死に平静を装いながら村長へと目を移した。

 

「そ、村長さん! あ、あれは……ストーンゴーレム、ですよね? 一体何体使役して……いえ、そもそもどうやって使役しているのですか?」

 

 身を乗り出しそうになるのを必死に堪えながら、ちょうど目の前を横切ったストーンゴーレムを指さして問いかける。

 村長はそのストーンゴーレムをチラッと見やると、次には微苦笑のような表情を浮かべて小さく首を傾げた。

 

「ストーンゴーレムたちは今は六体おります。……実はこのストーンゴーレムたちは私どもが使役している訳ではないのです。ある方から定期的に貸して頂いているのですよ」

「あ、ある方……?」

「そんなふざけた話があるかっ! ストーンゴーレムを六体だぞ!? そんなモノをほいほい貸すような奴などいる訳がないだろう!!」

 

 ラキュースと村長の会話に割り込むようにイビルアイが怒鳴り声を上げてくる。

 あまりの迫力に村長はビクッと大きな身体を震わせ、ラキュースは思わずこめかみに指を当てて小さなため息をついた。

 ラキュースもイビルアイの気持ちは良く分かるが、ここで感情のままに怒鳴っても何にもならない。村長たちや村人たちからの印象が悪くなり聞ける話も聞けなくなっては元も子もないのだ。

 ラキュースはこめかみから指を離すと更に身を乗り出すイビルアイの華奢な肩を掴んでグイッと後ろに引いて身を離させた。

 

「イビルアイ、落ち着きなさい。……申し訳ありません、村長さん」

「い、いえいえ……構いませんよ。我々も非常に珍しいことであることは理解しておりますので」

 

 小さく頭を下げるラキュースに、村長は最初こそしどろもどろになったものの、すぐに苦笑を浮かべて軽く頭を振って許してくれた。

 どうやら気分を害されずに済んだようで、ラキュースは内心で安堵の息をつきながらも気を取り直して改めて真剣な表情を浮かべた。

 

「それで……、ストーンゴーレムをある方から借りていると仰られていましたが、それはどういった方なのでしょうか?」

「話せば長くなるのですが……。……ああ、丁度いらっしゃったので、ご本人に聞かれてはいかがでしょうか?」

「……え……?」

 

 村長からの思わぬ言葉に、意味が分からずラキュースは間の抜けた声を零してしまう。しかし彼の指し示す方向へと無意識に目を向けた瞬間、その目は命一杯見開かれることとなった。

 それはラキュースだけでなく、ガガーランやティアやティナも同じ。イビルアイも仮面の奥から小さく息を呑むような音が聞こえてきた。

 彼女たちが目を向けたのは右側の村の奥。大きな家々が立ち並ぶ居住区画の方角から、小さな人間の集団がこちらに歩いて来ていた。

 大小の四つの人影を囲むようにして立ち並び、何事かを笑顔で話している村人たち。何故四人組と村人たちを別けて判断できたのかというと、その身に纏う服装の違いも勿論そうだが、何よりも中心の四人組と周りの村人たちとでは身に纏う気配が圧倒的に違っていた。

 四人組は男二人と女一人と少女が一人。

 少女は闇妖精(ダークエルフ)で他の三人は恐らく人間種だろう。

 それだけでも何とも不思議な組み合わせではあったが、一人を除いて三人は見るからに美男美女美少女だった。

 片方の男は恐らく二十代後半。

 褐色の肌に、切れ長で涼し気な金色の瞳。肩よりも少し長い雪色の髪は見るからに柔らかそうで、綺麗に後ろに流しているものの幾束かは前に垂れ下がって細い輪郭を縁取っていた。右目のモノクルや首に付けられた黒い革製のチョーカーは王都でも見かけるようなデザインだったが、その他の中途半端な長さの漆黒のグローブやダークワイン色の上着や肩に引っ掛けている漆黒の上着などはラキュースたちも見たことのない民族衣装的な形をしていた。腰から左足の太腿にかけて巻かれたベルトに装備された(ステッキ)は見るからに高価な品で、圧倒的な力が宿っているように思われた。

 次にもう片方の男は性別以外全てが判断できない姿をしていた。

 純白のフード付きのマントを頭からすっぽりと被り、フードからチラッと除く顔にすら漆黒の仮面に全て覆われてしまっている。大きな体格から男であることは分かるものの、それ以外は全く推測すらできなかった。正に第二のイビルアイのようである。

 次に女の方は、恐らく二十代前半であろうか。

 眩しいほどに美しい白皙の肌と、眼鏡越しに見える涼しげでいてぱっちりとした瞳。艶やかな黒髪を夜会巻きにしており、どこか涼しげでいてキリッとした佇まいをしている。

 何より注目すべきはその美貌。

 ラキュースの友人であり王女でもあるラナーは黄金と呼ばれるほどの美貌の持ち主であるが、目の前の女はそのラナーに勝るとも劣らない美貌を持っていた。体付きも華奢でいながらも女性らしいなだらかなラインをしており、女としての色気が十分感じられる。一見貴族の令嬢にも見えるが、しかしその両腕にはひどく似つかわしくない仰々しいまでのガントレットが装備されていた。

 最後に彼らに寄り添うように立つダークエルフの少女。

 見た目は十歳ほどの幼子で、大きな翡翠と蒼穹のオッドアイが宝石のように美しく印象的だった。華奢で小さく細い身体つきやオドオドとした様子が庇護欲を湧き上がらせて来る。

 何とも珍しく、目立ちすぎる面々。

 想像もしていなかった美の集団に、ラキュースたちは呆けた表情でただ彼らを見つめることしかできなかった。

 あちらの面々もこちらの存在に気が付いたようで、ふと彼らの目がこちらへと向けられてくる。

 銀の長い睫毛に縁取られた金色の瞳と目が合い、ラキュースは思わずドキッと心臓を跳ねさせた。

 

「ウr……レオナール様、少し宜しいでしょうか?」

 

 ラキュースの隣で、村長が白髪の男へと声をかける。

 男はラキュースから村長へと目を移すと、次には周りにいた村人たちに何事かを言ってから他の三人を引き連れてこちらへと歩み寄ってきた。

 距離が縮まるにつれてひしひしと感じられる圧倒的な存在感。

 何より間近に迫る息を呑むほどの美貌に、ラキュースはまるで世間を知らぬ生娘のように一気に緊張してしまっていた。

 

「村長さん、どうしましたか? それにこちらの女性の方々は……、村の方々ではないですよね?」

「はい、こちらは王都の冒険者の方のようでして……。ストーンゴーレムについて尋ねたいらしいのです」

「ああ、なるほど」

 

 村長の説明に納得したように頷き、男が再びラキュースへと視線を向けてくる。ラキュースは思わずビクッと小さく肩を跳ねさせると、緊張に一気に全身を強張らせた。

 あまりの大きな反応に男は驚いたように目を瞠り、次には小さな苦笑を浮かばせた。

 

「……どうぞ、そんなに緊張なさらずに。私の名はレオナール・グラン・ネーグルと申します。まずはあなた方のお名前をお聞きしても宜しいですか?」

 

 綺麗に整った薄い唇から紡がれるのは、独特の深みのある抑揚が強い穏やかな声音。

 ラキュースは知らず見惚れていたところからハッと我に返り、しかし何故か思考が絡まって言葉がうまく出てこなかった。

 

「……あ、えっと、あ……あの……っ!!」

 

 意味もなくアタフタする姿は普段の彼女からは想像もできないもの。

 激しい羞恥心で顔を真っ赤にして言葉も出ないラキュースに、それを見かねてかガガーランがフォローするように一歩前へと進み出てきた。

 

「おう、悪いな。俺はガガーラン。それからこっちが俺たちのリーダーのラキュースだ。こいつらがティアとティナ。そんで、こっちの仮面のがイビルアイ」

「……私たちはリ・エスティーゼ王国を拠点にしているアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”の者だ。お前がこの村に複数のストーンゴーレムを貸し与えているという人物か?」

 

 ガガーランに引き続いてイビルアイも硬質な声音で端的に質問する。

 声を聞いただけでも十分警戒しているのが分かるイビルアイの声音に、しかし男は変わらぬ柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「これはご丁寧に、ありがとうございます。これは改めてきちんと名乗らなくてはなりませんね。先ほどもお伝えした通り、私はレオナール・グラン・ネーグルと申します。そして彼女がリーリエ。彼がレイン。そしてこの子がマーレ。我々はバハルス帝国を拠点とするワーカーチーム“サバト・レガロ”の者です。以後、お見知りおき頂ければ幸いです」

 

 白髪の男――レオナールは改めてきちんと名乗ると、右手を胸に当てて綺麗なお辞儀をして見せた。

 流れるような自然でいて美しい動作に、もしやどこかの貴族なのかと疑ってしまう。少し気取ったような大仰な動作にも感じられなくはなかったが、しかしそれが妙に様になって全く嫌らしくは感じられなかった。

 レオナールは下げていた頭を上げると、次には柔らかな笑みはそのままに斜め後ろに控えるように立っているダークエルフの少女を振り返った。小さく細い背にそっと手を添え、軽く押して前へと進み出させる。

 

「それと先ほどの質問への回答ですが、答えは半分正解で半分外れ……と言ったところでしょうか。確かに私の指示でストーンゴーレムをこの村に貸しています。しかし実際にストーンゴーレムを用意して使役しているのはこの子なのですよ」

 

 背中に添えていた手を頭に移し、そのまま髪を梳くように柔らかく撫でる。少女は嬉しそうに朱に染めた頬を緩めさせながら、それでいて恥ずかしそうにもじもじと小さな身体を揺らしていた。

 何とも可愛らしい様子にこちらまで頬が緩んできてしまいそうになる。

 しかしこちらは頬を緩めている場合ではない。ラキュースは一つ大きな咳払いを零して何とか気を引き締めさせると、表情も引き締めさせて改めてレオナールを見つめた。

 

「何故ストーンゴーレムを? そもそも、バハルス帝国を拠点とするワーカーチームが何故この村にいらっしゃるのですか?」

「それは……まぁ、この村を助けたのは我々ですので」

「……え……?」

 

 返ってきた思わぬ言葉に、目を見開かせてレオナールを凝視する。

 ガガーランとイビルアイも呆然とし、ティアとティナはまるで警戒するようにレオナールを睨み据えていた。

 

「おいおい、そりゃあどういうことだよ……」

「どういうことも何も、言葉通りですよ。それ以外に何があると?」

「ふざけるな、そんな言葉で誤魔化せるとでも思っているのか? 貴様ら、一体何者だ。何を企んでいる……」

「ふざけるなと言われましても、本当に言葉通りなのですがね……。そもそも本当に我々が何かを企んでいたとして、それをあなた方に話す必要がどこにあります? アダマンタイト級冒険者であろうと、言い換えれば唯の冒険者でしかない。何の権限もないあなた方に説明する義務など、こちらには全くないと思うのですが」

「何だとっ!!」

「落ち着きなさい、イビルアイ!」

 

 思わず身を乗り出して声を荒げるイビルアイに、ラキュースが咄嗟に彼女を押しとどめた。

 飄々としていて掴み処のない態度と声音。加えて煙に巻くような言い回しに、意外と短気なところのあるイビルアイが苛立つのも仕方がないことなのかもしれない。

 しかし一方でレオナールの言っていることも決して間違いではなかった。

 ラキュースたちは唯の冒険者でしかなく、国の兵でも権力者でもない。唯の冒険者に他者を問い詰める権限などなく、当然ながら相手も問いに素直に答える義務などないのだ。これはどう考えてもこちらの方が分が悪かった。

 

「仲間が失礼しました。……私たちはある任務によりこの村に来ました。内容を詳しく説明させて頂きますので、宜しければあなた方にもご協力いただければと思うのですが」

「ふむ、任務ですか……。その様子では唯の魔物退治や薬草採取といったものではなさそうですね。……良いでしょう。まずはあなた方の話を聞かせて頂き、こちらも協力できることであれば協力します」

「ありがとうございます」

 

 少し考えるような素振りを見せながらも快諾したレオナールに、ラキュースは内心で安堵の息をつきながらも小さく頭を下げる。

 一拍後、下げていた頭を上げれば、レオナールは自身の仲間に声をかけてそれぞれに指示を出していた。

 

「マーレとリーリエは村の復興の手伝いをしておいで。レインは私についてくるように。……村長さん、彼女たちと話し合いを行いたいのですが、どこか場所を提供して頂けませんか?」

「それでしたら、どうぞ我が家をお使いください」

 

 ラキュースたちの目の前で次々と進んでいく会話。

 レオナールは誰かに指示を出すことに慣れているのか、指示自体も淀みなく、その態度もどこまでも自然体で堂々としたものに感じられた。

 一礼して村の奥へと向かうリーリエとマーレの背を見送った後、レオナールはひどく魅力的な柔らかな笑みをラキュースへと向けた。

 

「それでは参りましょう、“蒼の薔薇”の皆さん」

 

 ラキュースたちは笑顔のレオナールに促され、村長を先頭に彼の家へと案内された。

 着いた家は村長の家ということもあり、やはり他の家よりも少しだけ大きかった。

 村長、レオナール、レイン、そして最後にラキュースたち“蒼の薔薇”が家の中へと入って行き、まるで対峙するかのように大きなテーブルを挟んで椅子に腰を下ろした。扉から向かって右側に村長とレオナールとレインが、反対側である左側にラキュースたちが場を占める。流石に全員が座るだけの椅子はなく、レオナールと村長とラキュースとイビルアイ以外は椅子には座らずにまるで控えるようにその場に立った。

 ラキュースは最初の失態を返上するために改めてきちんと名を名乗ると、そこでやっと自分たちの依頼内容について全てを説明し始めた。

 ガゼフを助けてもらったことへの礼の品を届けることと、村周辺に異変がないかの調査。それに加えて、そもそもこの村を救ったという謎の旅人についての情報収集とガゼフと戦ったという謎の集団の正体の特定。また、謎の集団が最終的にどうなったのかの調査も今回の依頼内容に含まれていた。

 村長に話した内容に続き、敢えて話さなかった内容も全て洗いざらい説明する。

 そこまでしなければ彼らの協力は得られない、とラキュースは何故か確信していた。そして、彼らの協力を得られなければ決してこれらの謎は解明されないだろう、とも……。

 レオナールもレインも黙ってラキュースの話に耳を傾け、その表情も全く変えることはない。

 しかし村長は静かに話を聞いてはいたが、その表情には見るからに驚愕の色が浮かんでいた。

 

「……なるほど、あなた方の話は分かりました」

「……驚かれないのですか?」

「ある程度は予想しておりましたので。驚きはそれほどありませんね」

 

 気になって思わず問いかければ、レオナールは変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたまま小首を傾げて答えてくる。

 しかし次には彼はその笑みを苦笑のようなものへと変えた。

 

「しかし、あなた方の依頼内容は分かりましたが、それにどう協力したものか……」

「こちらは全てを話したんだ。そちらも洗いざらい話すべきではないのか?」

「それは出来かねる話です。元より、我々は別に取引をしている訳ではないのですから、その道理は当て嵌まりません」

「……………………」

「それに、そちらにも詮索されたくないことがあるように、こちらにも詮索されたくないことはあるのですよ。例えば、身の上話とか……」

 

 レオナールの金色の瞳がチラッとイビルアイの仮面を見つめ、しかしすぐさまラキュースへと戻される。

 

「しかし、出来得る限りあなた方に協力するという言葉も本当です。……ですので、質問形式としませんか? あなた方は知りたいことを我々に質問する。我々はそれについて知っていれば嘘偽りなく答えましょう」

 

 言葉は誠実ではあるが、しかしこれはあくまでも口約束。いくら嘘はつかないと言われても、それが本当であるのかすらもこちらは分からない。

 しかし少しでも情報が欲しいこちらとしては、レオナールの提案には頷くほかなかった。

 

「分かりました。お願いします」

 

 リーダーであるラキュースが承諾したことにより、“蒼の薔薇”による質疑応答が始まった。

 まず初めに質問を投げかけたのは先ほどからどこか喧嘩腰であるイビルアイだった。

 

「ではまず初めに、お前たちがこの村を救ったとは一体どういう意味なんだ?」

 

 彼女の声音には誰もが分かるほどに警戒した音が宿っている。

 しかしレオナールは一切表情を変えることなく、どこまでも柔らかな態度を崩さなかった。

 

「言葉通りの意味ですよ。我々がこの近辺を通りがかった時、この村が多くの騎士たちに襲われているのが見えましてね。どう見ても不当な虐殺のように思えたので助太刀に入ったのですよ」

「おいおい、それじゃあこの村を救ったっていう三人の旅人ってのはあんたらの事だったのかよ!」

 

 ガガーランが小さく目を瞠りながら大声を上げる。

 

「何故旅人と嘘をついたのですか? ……そもそもバハルス帝国のワーカーであるあなた方が何故、辺境であるとはいえリ・エスティーゼ王国の村の近くを通りがかったのですか?」

「まず大前提として、我々は嘘はついていませんよ。我々がワーカーとして活動を開始したのは八日ほど前。つまり、この村を救った日の後です。我々はワーカーとして活動するためにバハルス帝国に向かっていました。この村の近くを通りがかったのは、その道中です」

「……村人の話では、旅人の人数は三人だったはずだ。だがお前たちは四人組。矛盾していると思うが?」

「この村を実際に救ったのは私とリーリエとレインの三人です。バハルス帝国には我々三人だけで向かっていました。マーレは、バハルス帝国に拠点を得た後に呼び寄せたのです」

「何故一緒に行動しなかったんだ?」

「マーレは強い力を持っているとはいえ、まだ子供ですから。長い旅路は幼い子供には酷だと思いませんか?」

「……………………」

 

 レオナールの流れるような回答には少々納得できかねる部分も含まれていたが、しかし一方で矛盾は一切見つからない。

 イビルアイやガガーランも反論できずに黙り込み、ラキュースは気を取り直すように違う質問を投げかけた。

 

「では、今は何故ストーンゴーレムを村に貸しているのでしょうか?」

「……途中で我々が助けに入ったとはいえ、その時には既に村人の約半数が犠牲となっていました。命が助かったとはいえ、これから生きていくためには男手も人手自体も圧倒的に足りない状態だったのです。一度救いの手を差し伸べた以上、途中で投げ出すわけにもいかないでしょう? とはいえ、当初我々だけでは何の力も貸すことはできませんでした。しかし森司祭(ドルイド)であるマーレを呼び寄せられたため、今はゴーレムを格安で貸して村の復興に貢献させてもらっているのです」

「格安……ってことは、金取ってんのかよ」

「村の方々がその方が良いと仰るので」

「因みにいくら?」

「ストーンゴーレム一体につき、一日銅貨五枚です」

 

 あまりの値段の安さに、ラキュースたちは全員が絶句した。

 はっきり言って安すぎる。

 辺境の……それも突然の暴力に見舞われた村にとってはそれなりの金額なのかもしれないが、街や王都での物価から考えれば信じられないほどの安さだった。

 これでは、助けると言っておきながら金を取っているのか! と非難することもできない。

 

「今はカルネ村についてはマーレに任せて、我々はバハルス帝国で任務をこなしながら定期的に様子を見に来ています。今回もそれでこちらに来ていたのですが、そこにあなた方もこの村に来たというわけです」

 

 ラキュースたちの内心を知ってか知らずか、レオナールが親切にもそう付け加えてくる。

 誰もが思わず複雑な表情を浮かべる中、唯一表情を変えていなかったティアとティナが徐に口を開いた。

 

「あなたたちがこの村を救った後、この村を訪れた王国戦士長率いる戦士隊が謎の集団からの襲撃を受けた」

「戦士長は重傷を負い、気が付けば謎の集団は失踪していた。一連の事に関して、何か知っていることはない?」

 

 簡単に状況を説明しながら問いを投げかける。

 彼らの話が全て本当ならば、当時は既に彼らは村を離れており何も知らないはずだ。

 しかし目の前のレオナールは少し困ったように小さな苦笑を浮かばせていた。

 怪訝に顔を顰めるその前に、レオナールが一つ大きなため息をつく。

 

「……協力すると言った以上、話さないわけにはいきませんね。まずこの村や戦士隊を襲った集団についてですが、我々もその正体を知りません。分かったことと言えば、そうですね……全員が信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)であったことくらいでしょうか。それと、戦士長が気を失った原因と謎の集団の行方ですが……謎の集団は全員が死に、それらをやったのは全て我々です」

「「「なっ!!?」」」

 

 思わぬ言葉に、ラキュースだけでなくガガーランとイビルアイも声を上げる。

 一体どういうことかと身を乗り出して問い詰める前に、イビルアイがする方が早かった。

 

「一体どういうことなんだっ!!」

 

 今にも掴みかからんばかりのイビルアイの勢いに、今まで微動だにしなかったレインが小さく反応する。しかし何事か行動を起こす前に、レオナールが軽く手を挙げることでそれを止めたようだった。レインが先ほどまでと同じ体勢に戻り、まるで置物か何かのように無言で佇む。

 出会って一度も一言も話さないレインに不気味さを感じながら、しかしレオナールが挙げた手を下ろしながら口を開くのに気が付いてラキュースはそちらへと意識を向けた。

 

「……王国の戦士隊がこの村に来た時、我々はまだこの村にいたのですよ。村人たちには、既に我々が立ち去ったということにしてもらったのです。そして当初、我々は戦士隊と謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団との戦闘に関わるつもりはありませんでした」

 

 レオナールは一度言葉を切ると、一つ息をついてから再び口を開いた。

 

「戦士隊が負けるとも思っていませんでしたので……。しかし、様子を窺っていれば戦士隊は全滅。戦士長も死にそうになっていたので、こちらとしても焦りました。何せ、彼が死ねばせっかく助けたこの村がまた襲われるでしょうからね」

「だから……謎の集団を殲滅したと言うのか」

「ええ、その通りです」

 

 当然のように頷くレオナールに、ラキュースたちは何と言えばいいのか分からなかった。

 彼が言うことは確かに正しい。

 あの時ガゼフが殺されていたなら、謎の集団は証拠を隠滅するためにこの村を完全に滅ぼしていただろう。

 しかし王国最強と謳われるガゼフ・ストロノーフを追い詰めるほどの力を持った集団に対して、そう簡単に殲滅しようと動くことが出来ること自体が信じられなかった。それも彼の口振りからして、何の罪もない村を救うためという熱い正義感から動いたわけではないと窺える。まるでそこら辺のゴロツキをちょっと懲らしめてやろうというような、そんな軽い感覚。

 それほどまでに彼らは強いと言うのか……と、とてもではないが信じられなかった。

 

「何故……ストロノーフ様を気絶させたのですか? 相手は王国最強と言われる彼を苦しめたほどの存在。あなたたちだけではなく、ストロノーフ様と力を合わせた方が良かったのではありませんか?」

 

 言葉を考えながらラキュースが静かに問いかける。

 注意深く反応を窺う彼女に気が付いているのかいないのか、レオナールは変わらぬ様子でただゆっくりと頭を振った。

 

「それは出来かねますね。我々は戦士長殿に我々の存在を知られたくはなかったのです。だからこそ、村の中でも隠れ、戦闘に介入した時も彼の意識を奪いました」

「何故そこまで知られることを拒むのですか?」

 

 どうにも理解できず、ラキュースは思わず身を乗り出していた。

 彼の言葉が全て本当ならば、彼らは相当の強さを持っているということになる。下手をすればアダマンタイト級冒険者である自分たちよりも強いことにもなりかねない。ならば、王国最強である戦士長で名高いガゼフ・ストロノーフと面識を持てば、それだけでも多くのメリットと成り得る筈だ。

 しかしラキュースを見つめるレオナールは柔らかながらも小さな苦笑を浮かばせた。

 

「国の国家機関と関わりが出来てしまうからですよ。軍部の重要人物である戦士長と関わりを持てば、高い確率で国の上層部は我々に接触しようとするでしょう。……今のあなた方のように」

 

 最後に付け加えられた言葉に、思わず言葉を詰まらせる。

 確かに彼の言う通り、ガゼフと面識を持てば国の……それも王派閥の者は特に彼らに接触しようとするだろう。ガゼフと同等の力を持つならば尚更だ。

 

「我々は何者にも縛られることを良しとしません。例えバレた時にどんなに不信感を持たれようと、我々は何度でも同じ選択をするでしょう」

「じゃあ、冒険者ではなくワーカーになったのも……」

「冒険者とワーカー、どちらがより自由かと言われれば、誰もがワーカーだと答えるでしょう?」

 

 にっこりとした爽やかなまでの笑みを向けられ、ラキュースたちはこれ以上何も言えなくなってしまった。

 冒険者でもあり、また貴族の娘でもあるラキュースには組織に縛られる窮屈さが痛いほど分かっていた。自由を求める気持ちも良く分かるし、ここまで徹底的に自由を求めることのできる彼らの立場が少しだけ羨ましくさえ思えた。

 

 兎にも角にも、聞きたいことと聞けることは全て聞いたように思われた。

 ラキュースは仲間たちに目をやって聞き忘れたことはないか目配せ合うと、次にはレオナールを真っ直ぐに見つめて頭を下げた。

 

「話して下さって、ありがとうございました」

「……いいえ、構いませんよ。あなた方の任務が無事に終わることを祈っています」

 

 レオナールは柔らかな笑みを浮かべたまま小さく頭を下げると、次には軽い身のこなしで素早く椅子から立ち上がった。横に座る村長に断りを入れ、そのまま背後のレインを引き連れて外へと出ていく。

 ラキュースたちはその背を見送った後、村長にも念のため裏取りの意味も込めて当時のことについて話を聞き、その後、村を見て回るために彼女たちも外へと出た。

 ラキュースとイビルアイ、ガガーランとティアとティナの二手に分かれ、それぞれ村の光景や村人の様子を見て回る。

 外側の立派な壁や物見台と打って変わり、内側の村の至る所には未だ修復途中の場所も見てとれる。

 しかし村の中で動き回り働く村人たちの表情は誰もが明るく、その姿は生き生きとして力強いものだった。

 

「良い村ね……」

 

 まるでこちらまで元気になるような光景に、自然と笑みが浮かび、無意識に言葉が零れ出る。

 イビルアイも仮面に隠れた表情は窺えなかったものの、同意するように一つ頷いた。

 

「ああ、そうだな。……どうやら、あの連中は本当に悪い奴らではなかったようだな。怪しい奴らだとは……まだ少し思うが……」

 

 遠慮がちに最後に付け加えるのに、ラキュースは小さな苦笑を浮かべた。

 

「だからって、あんな喧嘩腰な態度を取らなくても良いと思うけれど……」

「安心しろ。もう、あんな態度はとらないつもりだ」

 

 イビルアイは時折、相手の力や人間性を見極めるために敢えて反発的な態度をとることがある。

 しかし今回、イビルアイがどんなに反発的な態度をとってもレオナールもレインも全く物腰柔らかな態度を崩すことはなかった。

 まだ心の底から信じることはできない。しかし、これまでの態度や村人たちの姿を見た以上、ある程度の信用は持っても良いだろうとイビルアイは勿論の事、ラキュースも判断していた。

 彼女たちの目の前を幼い子供たちが笑い声を上げながら駆け抜け、通り過ぎていく。

 子供たちの小さな背を見送りながら、ふと移した視線の先に、こちらに歩み寄ってくるレオナールの姿が映った。

 

「村長との話は終わったようですね。カルネ村はいかがですか?」

 

 柔らかな笑みと共に声をかけてきたレオナールに、自然とこちらも柔らかな笑みを浮かべる。

 

「とても素敵な村だと思います。彼らが助かって、本当に良かった」

 

 ラキュースの声には、村人たちへの親しみと共に、彼らを最初に助けてくれたレオナールたちへの感謝の思いが宿っていた。

 レオナールもそれに気が付いたのか、笑みを深めさせて村を見回している。

 彼の穏やかな姿を目に映し、ラキュースは何故か不思議な気持ちが胸に湧き上がってくるのを感じていた。今までになかった感情に思わず小首を傾げる。

 しかしその感情について思考を巡らせる間もなく、不意にザワッと空気が大きく騒めいたような気がしてラキュースはハッとレオナールから周りの景色へと視線を動かした。

 何事かがあったのかと村中に視線を走らせる。

 しかし村は平和そのもので、ラキュースは思わず顔を小さく顰めさせた。

 その時……――

 

 

 

「ウルb……じゃなかった。レオナール様、大変です!」

 

 高い声音と共にこちらに駆けてきたダークエルフの少女に、ラキュースは感情をざわつかせた。

 

 




最近、文章は無駄に長いのにストーリーは進んでいないパターンが多い気がする……(汗)
と言う訳で、ちょっと長すぎるので一度ここで切ってUPさせて頂きます!
次回はこのままウルベルト様編を書くか、ペロロンチーノ様編を書くか検討中です。


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第29話 救いの悪魔の王子さま

今回もウルベルト様回になりました!
前半はウルベルト様視点。後半からラキュース視点になります。


「ウルb……じゃなかった。レオナール様、大変です!」

 

 少し慌てた様子でこちらに駆けてきたマーレに、ウルベルトは内心で小首を傾げた。

 彼が自分たちに直接関わりのない場面でここまで慌てるのは珍しい。マーレは普段からオドオドしてはいるものの、いつもは冷静で黙々と仕事をこなせるタイプだ。至高の主である自分たちが突然現れたり突然命令したりすれば慌てることもあるが、それ以外で慌てるところをウルベルトは今まで見たことがなかった。

 

「どうしました、マーレ。とにかく、まずは落ち着きなさい」

 

 すぐ側にラキュースとイビルアイがいることもあり、ワーカーのレオナールとしての口調で声をかける。

 マーレは素直に何度か深呼吸を繰り返して自身を落ち着かせると、次には思いの外強い眼差しでこちらを見上げてきた。

 

「えっと、その……森の様子がおかしいみたいなんです」

「森の様子が? 魔獣ですか?」

「ま、まだ分からないです……。で、でも、まずは早くお伝えした方が良いかと思いまして……」

 

 少し不安そうに眉を八の字にするマーレに、ウルベルトは安心させるように頭を撫でてやりながら、ふむ…と思考を巡らせた。

 一番最初に思い浮かぶのはペロロンチーノたちの存在。

 今は確かアウラとシャルティアと共に“世界を滅ぼすほどの力を持った魔樹”とやらを調査しているはずだ。

 まさか眠っているという魔樹が目覚めたのだろうか。将又、他の問題が発生したのか……。

 しかし魔樹が眠っているという場所は森の奥地で、この村からは大分離れている。ペロロンチーノたちの方で何かあったのだとしても、こちらにまで影響が及ぶとも思えなかった。

 ウルベルトはこれからの行動について考えをまとめながら、チラッと目だけでこちらを窺っているラキュースやイビルアイを見やった。

 ナザリックに連絡を取るかマーレに探らせれば早いのだが、しかし彼女たちがいる以上それは下手をすれば悪手にしかならない。

 彼女たちに怪しまれず、なおかつ手っ取り早く問題を解決するためにはどうすべきか……。

 考え込む中で丁度こちらに駆けてくるユリや村人たちの姿を見止めると、ウルベルトはマーレの頭から手を離して口を開いた。

 

「分かりました、一緒に森を探ってみましょう。……あなた方は念のため、村の避難所に身を隠していて下さい。リーリエ、レインに避難所に向かい彼らを守るように連絡を。その後、私の元に来なさい」

「は、はいっ!」

「畏まりました、レオナールさん」

 

 マーレ、こちらに駆け寄ってきた村人たち、ユリにそれぞれ指示を出す。マーレとユリは素直に頷き頭を下げてきたが、しかし村人たちはどこか焦ったような表情を浮かべた。

 思わず小首を傾げる中で見覚えのある一人の少女が前へと進み出てきた。

 

「あ、あの! 私たちにも何かお手伝いをさせて下さい!」

「君は……、確かエンリ・エモット」

 

 どこか縋るような瞳で言い募ってきたのはペロロンチーノが熱を上げている姉妹の内の姉の方。

 ウルベルトが名を口にすれば、彼女は見覚えのある弓を手に握り締めながら更に身を乗り出してきた。

 

「この村は私たちの村です! これ以上あなた様方にご迷惑をおかけして、私たちだけが何もしないわけにはいきません!」

「そ、そうだ! エンリちゃんの言う通りです! 弓だって、みんなでずっと練習してきたんです!」

「また何か起こっているなら、俺たちにも何かさせて下さい!!」

 

 エンリに触発されてか、周りにいた村の男たちも次々と声を上げ始める。

 ウルベルトは彼らの事をどこか眩しく感じながらも、しかし『はい、どうぞ』と首を縦に振るわけにもいかなかった。

 “一応”という言葉は付くものの、このカルネ村の管理者はウルベルトではなくペロロンチーノだ。彼に無断で村人たちを危険な目に合わせては、ペロロンチーノに対して面目が立たなかった。

 

「皆さんの気持ちはよく分かりました。しかし、今回は我々に任せて下さい」

「で、でも……!!」

 

 必至に言い募ろうとするのを軽く片手を挙げることで押しとどめる。

 

「焦らずとも、いずれその力を振るわねばならない時が必ずやってきます。それまでは、その力を温存し、更に磨きをかけることです。今この場には偶然にも我々がいるのですから、村の今後の事を考えて、今回は甘えて下さい」

 

 まるで幼い子供を諭すように柔らかな声音で言い聞かせる。誰もがしゅんっと項垂れるのに、ウルベルトは少し悪戯心が芽生えて一歩前へと進み出た。

 一番近くまで来ていたエンリの目の前まで歩み寄り、身を屈めてその耳元へと唇を寄せる。

 

「それに……君の身に何かあっては、私がペロロンチーノに恨まれてしまうからね」

 

「……え……?」

 

 耳に微かに届いた、驚いたような少女の声。

 屈めていた身を起き上がらせて少女の顔を見やり、ウルベルトはおや…と思わず目を瞬かせた。

 目の前の少女の目は驚愕に大きく見開かれており、しかしその頬や目尻、細い首筋までもが目にも鮮やかな朱色に染め上がっていた。

 ウルベルトが耳元で囁いたからでは決してない。彼の行動にではなく、口にした言葉にこそ反応したのだと理解した瞬間、ウルベルトは思わず笑いが込み上げてくるのを感じた。咄嗟に必死に笑いの衝動を堪えながら、心の中でペロロンチーノに向けて賛辞の言葉を投げかける。

 あの鳥頭は攻略対象である二人の姉妹に対して未だ攻略できていないと嘆いていたが、これは大きな比率で彼女の心はペロロンチーノに傾いているのではないだろうか。

 友の欲望まみれの野望の一つが叶いそうな予感に、ウルベルトは素直に祝福の気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。その心にはユグドラシル時代に良く感じていた『リア充爆発しろっ!』といった禍々しい妬みの感情は一切存在しない。ウルベルト自身、それに関しては大いに疑問ではあったけれど、もしかすれば悪魔となった影響なのかもしれなかった。

 何はともあれ、友の欲望が叶いそうだと判明した今、尚のこと彼女を危険な目に会わせるわけにはいかなくなった。

 ウルベルトは漸く笑いの衝動を完全に抑え込むと、元気づけるようにエンリの肩を軽く叩いてから他の村人たちにも目を向けた。

 

「さぁ、皆さんは急いで避難所へ! リーリエも行動を開始しなさい」

「はっ」

 

 ユリは一度深々と頭を下げ、すぐに村人たちを避難所へと促していく。

 ウルベルトはマーレに声をかけると、彼を引き連れて門の方へと足先を向けた。足早に歩を進めながら、念のためペロロンチーノたちへ〈伝言(メッセージ)〉を飛ばそうと思考を巡らす。

 しかし〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす前に背後から声をかけられて、ウルベルトは足を止めて声の方へと振り返った。

 

「待って下さい、ネーグルさん。私たちにも協力させて下さい」

 

 声をかけてきたのはラキュース。

 翡翠のような綺麗でいて大きな瞳には正義感のような強い光が宿っており、真っ直ぐに向けられる視線にはウルベルトたちへの疑いの色は一切見られない。

 ウルベルトは続けて語られるラキュースからの言葉を適当に聞き流しながら、内心で彼女たちを誤魔化し切れたことに安堵の息をついていた。

 頭の中にぷにっと萌えとやまいこの姿を思い浮かべ、二人に向けて感謝の言葉を贈る。

 

『隠し事をする場合、それをバレないようにするためには、その秘密自体を秘密でなくさせるのが一番だ。ある程度までわざと明るみに出し、全くの別物にすり替えてしまう。或は秘密自体をなかったものにしてしまう。そうすればバレること自体が起こり得ないだろう? これも立派な策士の技の一つだと言えるだろうね』

 

 場違いな笑顔のアイコンを出しながら、恐ろしい助言をしてくれたのはぷにっと萌えだった。

 

『女の嘘は男の嘘よりもバレない確率が高いって知ってる? 女は男と違って堂々とした態度で真っ直ぐ目を見ながら嘘をつけるから、それだけで相手を騙すことが出来るらしいよ』

『やまちゃん、こわ~い!』

 

 うねうねと踊るピンクの肉棒と共にキャラキャラと笑いながら怖い話をしていたのはやまいこだった。

 彼女たち“蒼の薔薇”を迎え撃つ(・・・・)にあたり、今回ウルベルトは二人のこの助言を元に乗り越えたと言っても過言ではなかった。この二人の言葉がなければ、ウルベルトは彼女たちを騙し切ることなどできなかったかもしれない。

 ウルベルトはもう一度だけ二人に対して心の中で礼の言葉を述べると、次には漸く未だ話し続けているラキュースへと意識を向けた。

 

「――…ですので、私たちとしても見過ごすわけにはいきません。どうかお手伝いをさせて下さい」

「……これは任務ではありません。もし本当に森で何事かが起こり、それを解決したとしても依頼料が支払われるわけではありません」

「先ほどもお伝えした通り、それでも構いません。ここで動かないようではアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”の名が廃ります」

 

 ウルベルトの黄金色の瞳と、ラキュースの翡翠色の瞳が強くかち合う。

 ウルベルトは暫くラキュースを見つめた後、彼女の後ろに控えるように立っているイビルアイからも反対の声が上がらないことを確認して漸く一つ頷いた。

 

「……良いでしょう。共同戦線と参りましょう」

 

 ウルベルトが右手を差し出せば、ラキュースも力強い笑みを浮かべて強く手を握りしめてくる。

 他の仲間たちを集めるために急いで村の中へと駆けていく二人の背を見送った後、ウルベルトはマーレと共に一足先に門の方へと再び足を踏み出した。

 彼女たちが戻ってくる前に……と改めて〈伝言(メッセージ)〉を繋げる。繋げた先はペロロンチーノ……ではなく、一番状況を把握していそうなアウラだった。

 

『……アウラ、聞こえるか?』

『ウルベルト様! どうかなさいましたか? 何か御用でしょうか?』

『マーレから森が騒がしいと報告を受けてね。……もしやそちらで何かあったのではないかと思ったのだが』

 

 途中で言葉を途切らせ、アウラの反応を窺う。

 彼女は〈伝言(メッセージ)〉越しに言い淀んでおり、ウルベルトは思わず小さく目を細めさせた。

 

『……何かあったようだね』

『えぇっと、ですね……。ペロロンチーノ様と調査していたザイトルクワエなる魔樹なのですが、調査している間に目覚めてしまいまして……』

『………やはりか…』

 

 そんな事だろうと思った……と心の中でため息を吐き出す。

 しかしそうは思ってもどうにも疑問は拭えず、ウルベルトは門を潜り抜けながら更に会話を続けた。

 

『しかし、現場からカルネ村まではかなり距離があるはずだ。こちらにまで影響が及ぶとは思えないのだが』

『それが、魔樹が眠っていた場所に予想以上に多くの獣や魔獣がおりまして……。魔樹が目覚めたことで、それらの獣や魔獣たちが一気に森の外の方角へと逃げて行ってしまったんです。ペロロンチーノ様から、何の影響もないだろうから放っておくように言われたので、私も放っておいたのですが……』

『なるほど……』

 

 アウラの言葉にウルベルトは疑問が解けて一つ頷いた。

 今回カルネ村付近の森をざわつかせているのは魔樹から逃げてきた獣や魔獣たちなのだろう。現場にいた獣や魔獣たちがこの短時間でここまで逃げて来たとも思えないため、恐らくは森の中層にいた獣や魔獣たちまでもが魔樹の気配を感じ取って本能のままにこちらに逃げてきたのかもしれない。

 ウルベルトは街道から外れて森に向かって歩を進めながら、小さなため息を吐き出した。

 全く傍迷惑なことだと頭を振り、しかしこの機会をむしろ利用すべきだとすぐさま考えを切り替えた。

 “蒼の薔薇”のメンバーは全員が少なからず未だウルベルトたちの力量を疑っている。本当に彼のガゼフ・ストロノーフを追い詰めた謎の集団を滅ぼせるほどの力を持っているのか、と……。

 このポイントを疑われている以上、いつまた何かの拍子に疑惑をもたれるか分かったものではなかった。

 できれば今回の騒動を利用して、自分たちの力を彼女たちに印象付けさせたい。この際、印象付けをし過ぎて王国の上層部に目を付けられることになったとしても構わなかった。要はカルネ村さえ彼らの興味の対象から外れればいいのだ。関心がこちらに移りさえすれば、後はいくらでもやり様はある。

 ウルベルトは瞬時に考えをまとめると、次には魔樹について思考を移した。

 

『アウラ、魔樹はどんな奴だ? 見たことはあるかね?』

『えっと、……私は見たことがありません。見た目は木のお化けみたいで、体長は凡そ100メートルほど。技のような触手が六本生えています。特殊技術(スキル)で判定したところ、レベルは80から85。体力のみが測定外でした』

『体力のみが測定外? レイドボスか……?』

 

 思わぬ言葉にウルベルトは眉を潜めて顔を顰めさせる。

 アウラからの情報や魔樹という言葉からトレントなのではないかと推測するも、それも想像の域を出なかった。

 

『……ふむ、分かった。アウラ、サンプルに欲しいから、できるなら生け捕りにしてくれとペロロンチーノに伝えておいてくれたまえ』

『はい、畏まりました!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉から元気で明るい返事が返ってくる。ウルベルトは思わず柔らかな笑みを浮かべると、気を付けるように言い置いてから〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 目の前まで来た森の入り口を見やり、マーレへと視線を向ける。

 マーレは大人しくウルベルトのすぐ横に付き従っており、不思議そうにこちらを見上げていた。ウルベルトもそのオッドアイを見つめ返しながら、小さな苦笑を浮かべて頭へと手を乗せた。見るからに動揺するマーレの様子を内心で楽しみながら、しかしそんな素振りはおくびにも出さずにアウラから聞いた情報を分かり易くマーレへと伝える。マーレは素直にふんふんと頷きながら話を聞き、最後には困惑したように首を傾げさせた。ウルベルトは苦笑を深めさせると、一度深く大きな息を吐き出した。

 

「これは駆除する対象が大勢いそうだな。……我々は兎も角、下手をすれば村にも被害が出る。マーレ、お前は村に戻って壁を守護せよ。魔法は第四位階までなら使用を許可する。その代わり、もし手が足りなくなれば石の動像(ストーンゴーレム)を使っても構わん」

「か、畏まりました…!」

 

 マーレはどもりながらも大きく返事をすると、臣下の礼を取ってから急いで村へと駆け戻っていった。

 まるで彼と入れ違うかのように、村からユリが駆け足でやってくる。彼女の後ろには全員揃った“蒼の薔薇”のメンバーがこちらに走って来ていた。

 

「レオナールさん、全て準備は整いました」

「ご苦労」

 

 到着して早々ユリが状況を報告し、ウルベルトはそれに短く労いの言葉をかけてやる。

 その間に“蒼の薔薇”のメンバーも到着し、誰もが油断なく森の奥を見据えていた。

 

「ネーグルさん、先ほど闇妖精(ダークエルフ)の……マーレさん、でしたか。彼女とすれ違ったのですが、何か分かったのですか?」

「多くの獣と魔獣が暴走しているようです。その一部がこちらに向かって来ているようですね」

「規模はどのくらいだ?」

「さぁ、そこまでは分かりかねますね。まぁ、“大勢”……とだけ言っておきましょうか」

「おいおい、すげぇ大雑把だな……」

 

 ウルベルトの返答に、ガガーランが呆れたような表情を浮かべる。

 しかしそれは長くは続かなかった。

 森の奥から漂い始めた暴力的な気配。感覚が鋭い野伏(レンジャー)でなくとも感じ取ることのできる森のざわめき。

 次々と増えてくる大小様々な気配に、この場にいるウルベルト以外の全員が得物を取り出して鋭く構えた。

 

「……レオナールさん…」

「私の心配は無用だ。君は自分の好きなように立ちまわりたまえ」

「はっ」

 

 ユリが何を言いたいのかすぐに理解し、気遣いは無用だと断りを入れる。

 大人しく引き下がるユリを視界の端で見やりながら、ウルベルトはこれから起こるだろう戦闘に思いを馳せ、静かに唇を歪ませた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ラキュースは自身の得物である大剣“魔剣キリネイラム”を構えながら、そっとすぐ側に立つレオナールとリーリエを見やった。

 リーリエはその嫋やかな見た目とは裏腹に前衛のモンクなのか、ガントレットを装備した両腕を軽く構えている。そしてレオナールはと言えば、彼は涼し気な笑みを浮かべたまま身構えることもなく優雅にその場に佇んでいた。ベルトに装備されている(ステッキ)を抜く素振りさえ見せない。もしかすれば得物を使わない魔法詠唱者(マジックキャスター)なのかもしれないが、しかしすぐ傍に立っている同じく純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイビルアイは戦闘の姿勢をとっている。

 彼は何故自然体で佇んでいるだけなのか……と疑問符を頭上に浮かべる中、不意に一気に濃厚となった気配に気が付いてラキュースは慌てて視線を森の暗闇へと戻した。

 瞬間、見つめていた暗闇が大きく蠢き、大量の獣と魔獣が森の外へと我先にと飛び出てきた。

 一分も経たぬ内に視界を埋め尽くす獣と魔獣の群れ。まるで雪崩か濁流のように次から次へと姿を現し、終わりが見えない。

 あまりの多さにラキュースは戦慄を覚えながらも、すぐに傍らに控えるメンバーへと指示を飛ばした。

 

「ガガーランは私と共にこの場を死守! ティアとティナは左側に! イビルアイは右側に展開して魔獣たちを撃破して!」

「おうよっ!」

「了解、鬼ボス」

「任された」

「ふんっ、やられるなよ」

 

 このまま全員がこの場にいれば、獣と魔獣の群れは四方に広がって散ってしまう。それだけならばまだいいが、下手をすれば全方向から包囲されて襲撃される危険性もあった。

 ラキュースは比較的素早い三名を指名すると、少しでも包囲されないように指示を出す。ティアとティナとイビルアイもラキュースの考えにすぐに思い至り、頼もしい返事と共に行動を開始した。

 ラキュースは小さな笑みを浮かべると、得物を握り直して手始めに目の前まで迫ってきた(ウルフ)を一刀両断に切り裂いた。

 しかしこの程度では他の獣や魔獣たちは一切怯むことはない。

 まるで本能に突き動かされるように襲いかかってくる多くの牙や爪を掻い潜りながら、ラキュースは無心に大剣を振るい続けた。

 

「……くそっ、これじゃあキリがねぇ! どんだけ湧いて出てきやがるんだ!」

 

 すぐ近くで巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)の“鉄砕き(フェルアイアン)”で子鬼(ゴブリン)を叩き切っていたガガーランが苛立った声を上げる。

 ラキュースは飛び掛かってきた魔狼(ヴァルグ)を切り伏せながら、血に濡れて滑る剣の柄を握り直した。

 レオナールやリーリエは無事だろうか……と素早く視線を巡らす。

 しかし二人の姿を捉える前に大きな複数の影が映り込み、ラキュースは思わず顔を歪めて小さな舌打ちを零した。

 

「……人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)

 

 森の中から地響きと共に姿を現したのは十五体のオーガと八体のトロール。

 アダマンタイト級冒険者であるラキュースたちにとって倒せない敵では決してなかったが、それでも一撃で仕留められるものでもなかった。数でこちらが大きく劣る以上、少しでも手間取れば命取りになりかねない。

 少しでも有利に事を進めようとガガーランに声をかけようとして、しかしその言葉は紡がれる前に消え失せた。

 決して見失うまいとオーガとトロールを捉えていたラキュースの視界。

 それに二つの細い影が突如飛び込んできた。

 一直線にオーガとトロールへと向かうのは先ほど安否を確認しようとしていたレオナールとリーリエ。

 魔獣の群れから現れたことから彼らがずっと群れのど真ん中で戦っていたのだと瞬時に理解し、ラキュースは思わず目を見開かせて小さく息を呑んだ。

 オーガたちの元へと突撃するリーリエと、トロールたちの目の前に立ち塞がるように立つレオナール。

 二人に向かって高らかに挙げられた太い腕を見た瞬間、咄嗟に声を上げそうになった。

 しかし……――

 

「っ!!?」

 

 リーリエのガントレットに包まれた細い腕が振り下ろされたオーガの太い腕を易々とへし折り、筋肉の塊であるはずの左胸や腹に深々と腕をめり込ませた。

 レオナールはと言えば、まるで舞うように軽い身のこなしでトロールの攻撃を避けたかと思うと、次には通常よりも二回りほども大きな火球を三つ造り出してトロールへと放っていた。加えて、あれは〈酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉の魔法だろうか。三本の槍のようなものを造り出して残りのトロールにお見舞いしている。

 槍のようなものに貫かれたトロールは再生することもなく地面に倒れ伏し、火達磨となった三体のトロールは暴れて火の海を作り出しながら最後には地面に頽れていった。

 残りのトロールは二体。

 しかしその二体もすぐさま二つの火球に包まれて瞬時に地に倒れ伏す。

 オーガはその多くがリーリエの拳に倒れ、他のモノもトロールが撒き散らした炎に巻き込まれて焼け死んだようだった。

 

「……おいおい、こりゃあすげぇな」

 

 一撃で一体どころか二、三体をまとめて葬り去っていくレオナールとリーリエ。

 彼らのあまりの強さと鮮やかすぎる戦いぶりに、ガガーランが感心を通り越して呆れたような声を零す。

 しかし悠長に構えている暇はなかった。

 

「っ!!? ……何か来る。備えて!!」

 

 足裏に感じた微かな地響き。

 戦士としての感覚が警鐘を鳴らし、ラキュースは“魔剣キリネイラム”を構えながらガガーランへと警告の声を上げた。

 

「くっ!!?」

「うおっ!!?」

 

 瞬間、足元の地面が大きく盛り上がり、太く長い何かが勢いよく飛び出てきた。

 搦め捕られる前に地面を強く蹴り、跳躍することで何とか逃れる。

 別の地面へと着地しながら視線を向ければ、そこには何本もの木の根のような触手がうねうねと地面から突き出て宙を踊っていた。

 

「何だよ、こりゃあ……」

 

 ラキュースと同じように何とか逃れることが出来たガガーランが呆然と呟く。

 ラキュースは今自分が立っている地面からいつ同じような触手が飛び出てきても良いように警戒しながら、それでいて触手の元となっている存在を探して周囲へと目を走らせた。その目に、至る所から同じような触手が地面を突き破って暴れている光景が飛び込んでくる。

 触手は手当たり次第動いているものを攻撃しているようで、狼や魔狼、ゴブリン、マンティコアなども触手に搦め捕られて絞殺されていた。

 しかし肝心の触手の元となっている存在がどこにも見当たらない。

 

「おりゃあっ!!」

 

 すぐ近くでは、ガガーランが触手に向かって“鉄砕き”を振り下ろしている。

 しかし巨大な刃は触手を切り落とすどころかかすり傷すらつけることができなかった。

 

「……駄目だ、全く歯が立たねぇ。どうすりゃ良いんだ……」

 

 こちらの刃が効かない以上、残された手段としてはラキュースの“魔剣キリネイラム”を試すか、魔法での攻撃しかない。しかし魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイビルアイはここにはおらず、もしかすれば彼女たちの元にも目の前のものと同じ触手が出現しているかもしれないのだ。彼女が異変に気が付いてすぐにこちらに来るのを期待するわけにはいかなかった。

 

「はあっ!!」

 

 意を決して掛け声と共に触手へと駆け出し、“魔剣キリネイラム”を叩きつける。

 手に感じたのは今までにない硬い感触。

 まるで硬い岩に無理やり刃を叩きつけたかのような感触に、ラキュースはすぐさま剣を引き戻して後ろへと飛び退いた。

 瞬間、ラキュースがいた場所に触手が勢いよく振るわれて通り過ぎていく。こちらにまで大きな風圧が襲ってきて、ラキュースは思わず冷や汗を流した。

 今の感触から、触手にあまりダメージを与えられていないのが窺える。であるならば、もはや残された攻撃手段は魔法しかない。しかし純粋な戦士であるガガーランは勿論の事、神官戦士であるラキュースも使える魔法は信仰系のものが殆どで、とても触手に効果があるとは思えなかった。

 一体どうすれば……と焦りばかりが湧き上がってくる。

 今までにない窮地に焦燥が募り、あろうことか、それが大きな隙となってしまった。

 

 

「……なっ…!?」

 

 今更気が付いても後の祭り。

 ラキュースの立っていた地面が大きく割れ、割れ目から複数の触手と何か大きなモノが飛び出てきた。

 触手がラキュースの身体を弾き飛ばし、大きな何かが地面に転がったラキュースの上に影を落とす。

 

「……ラキュースっ!!」

 

 焦ったようなガガーランの声が、何故かいやに遠く聞こえる。ギシギシと痛む身体を叱責して何とか上体を起こし、ラキュースは無意識に自分の上に影を落とすモノへと視線を走らせた。

 まず初めに大きく割れた地面が映り、そこからゆっくりと上へと視線を動かす。

 ゴツゴツとした茶色の肌に、ギザギザとした大きな空洞。途中で何回か太い触手が生えて枝分かれし、天辺は高すぎて容易には窺えないが、恐らく何か植物のようなものが生えているようだった。

 ラキュースの目の前にいたのは、凡そ体長五メートルほどの大樹の化け物だった。

 目だと思われる空洞に視線が引き寄せられ、その瞬間、反射的に喉が詰まって身体が強張る。まるでドラゴンに睨まれたような緊張感と恐怖に、ラキュースは思わず息を止めて身体を凍りつかせた。

 目の前で、大樹の化け物がゆっくりと太く長い触手を振り上げる。次の瞬間にはその触手が自分に叩きつけられるのだろうと分かっているのに、身体は全く動いてくれない。

 まるで放心したように呆然と化け物を見上げるラキュースに、触手が容赦なく振り下ろされた。

 瞬間……――

 

 

 

 ガキッ!!

 

 

 破裂音にも似た大きな衝撃音。

 反射的に目を閉じていたラキュースは、いつまで経っても痛みが来ないことに気が付いて恐る恐る瞼を開いた。

 

 

「……ふむ、間に合ったようですね。お怪我はありませんか?」

 

 瞼を開けたと同時にかけられた穏やかな声。

 あまりに近くに聞こえた声に、ラキュースはハッと慌てて目の前へと焦点を合わせた。

 そこには大きな大樹の化け物が立っていたはず。しかし彼女の目の前に立っていたのは大樹の化け物などではなく、遠くでリーリエと共に戦っていたはずのレオナールだった。レオナールがあまりに至近距離にいたためすぐには気が付かなかったが、よくよく見れば彼の背後には先ほどの大樹の化け物が姿を覗かせている。

 レオナールは身体ごとラキュースに向き合って、大樹の化け物に背を向ける形で佇んでいた。

 にっこりと柔らかな笑みを浮かべる様は、ここが戦場だと忘れてしまうほどに穏やかだ。

 しかし彼の右腕だけが不自然に挙げられており、そのまま後ろに回されていた。その手には腰のベルトに挿していた杖が握られており、その杖は大樹の太い触手をしっかりと受け止めていた。

 

「っ!!?」

 

 あまりのことにラキュースは思わず大きく目を見開かせて息を呑む。

 彼はあろうことか瞬時にラキュースの元まで駆け寄り、後ろ手で触手の攻撃を受け止めていたのだ。

 レオナールは少しの間ラキュースの全身に視線を走らせると、次には柔らかな笑みはそのままに小さく首を傾げてみせた。

 

「怪我は……ないようですね。では、まずはここから少し移動しましょうか。失礼しますよ」

 

 レオナールはそう言い終わると、ほぼ同時に片足を後ろへと下げて背後を振り向きざまに受け止めていた触手を弾き返した。

 動きはそれだけでは終わらず、またすぐにラキュースの方へと振り返り、素早く屈み込む。持っていた杖はベルトに戻し、両腕を伸ばしてあろうことかラキュースを横抱きに抱き上げた。

 

「きゃっ!?」

 

 思ってもみなかったレオナールの行動に、ラキュースの口から何とも女の子らしい悲鳴が小さく零れる。

 ラキュースは咄嗟に落ちないように目の前にあるレオナールの肩にしがみ付きながら、しかしその顔は首筋まで真っ赤になっていた。

 熱が頭を沸騰させて頭痛すら起きているかもしれない。心臓はバクバクと大暴れし、今にも飛び出てしまいそうだ。自分の少女のような悲鳴も勿論だが、何よりも端正な顔立ちの男性に俗にいう“お姫様抱っこ”をされて、それがとてつもなく恥ずかしかった。そんなことを感じている場合ではない、と冷静な部分が叱責してくるが、しかしラキュースはどこからともなく湧き上がってくる羞恥心やときめきにも似た身体の熱を止めることが出来なかった。

 一人内心でいろんな意味で舞い上がっているラキュースとは裏腹に、現実では大樹の化け物が再び触手を操ってレオナールとラキュースに攻撃を仕掛けてくる。

 レオナールはラキュースを横抱きに抱き上げたまま跳躍し、触手の攻撃を軽々と避けていった。

 

「ラキュースっ!!」

 

 大樹の化け物から少し離れた場所に着地したレオナールに、すぐさまガガーランが駆け寄ってくる。

 レオナールはラキュースを地面へと下ろし、ラキュースは地面に座り込みながら無意識に引き留めるように腕を伸ばしていた。すぐに自分の行動に気が付いて慌てて腕を引っ込めるが、自分の行動に恥かしさがぶり返してきてしまう。

 

(なっ、何をやっているのよ、私は! そんな場合じゃないのにっ!!)

 

 顔に集まった熱を逃がすようにぶんぶんと勢いよく頭を振る。それでいて必死に冷静になれと自分に言い聞かせるのに、しかしそれでもラキュースは胸に切なさを感じてひどく戸惑いを感じた。

 自分に触れていたレオナールのぬくもりが離れて、とても心細いと感じる自分がいる。

 一体自分はどうしてしまったのだろう……と困惑の表情を浮かべ、しかし不意に小さなため息の音が聞こえてきて反射的にそちらへと目をやった。

 視線の先にはレオナールの端正な横顔があり、その真剣な表情に場も弁えずに見惚れそうになってしまう。

 しかし彼がどこか呆れたような表情を浮かべたことに気が付いて、ラキュースは内心で思わず首を傾げた。

 

「……全く、なかなかに面倒臭いですねぇ。まぁ、あいつらの出現のおかげで獣や魔獣たちはすっかり散り散りに逃げ去ってくれましたが」

 

 レオナールの言葉にハッと慌てて周りに視線を走らせる。

 周囲には、彼の言う通りもはやあれだけ大勢いた筈の獣や魔獣たちは一匹もおらず、あるのはラキュースたちが倒した死骸だけだった。後は大樹の化け物が五体、ずりずりと地面を這うようにゆっくりと動き回っている。

 

「……おい、どうするんだ? 俺やラキュースじゃあ、あの化け物共に致命傷を与えられねぇぞ」

 

 ガガーランはラキュースを見やり、続いて呑気に周りを眺めているレオナールへと目を移す。

 ラキュースもレオナールを見つめ、しかしあることに気が付いて慌てて先ほどまで自分がいた場所へと目を向けた。

 彼女の視線の先には、彼女の愛剣である“魔剣キリネイラム”が地面に無造作に転がっていた。

 咄嗟に立ち上がろうとして、しかしすっかり腰が抜けてしまったのか立ち上がることが出来ない。

 焦りが表情に出ていたのだろう、レオナールも“魔剣キリネイラム”の存在に気が付いて、“魔剣キリネイラム”とラキュースを交互に見た後に柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「安心してください。あの魔樹をすべて倒したら、あなたの大切な剣もすぐに取り戻してお渡ししますよ」

「……って、あの化け物を倒すつもりなのかよ!」

「それはあまりにも危険です! イビルアイがこちらに向かって来ているはずなので、彼女の帰りを待って……!!」

 

 何とか止めようとガガーランと二人で必死に言い募る。

 しかしそれらはレオナールが軽く片手を挙げることで止められてしまった。

 

「ご心配には及びません。あなた方はここで休んでいて下さい。……リーリエ!」

 

 レオナールはラキュースたちに背を向けると、大樹の化け物に向かって駆け出しながらリーリエの名を呼んだ。

 指示も何もない、ただ名を呼ぶだけの声。

 しかしリーリエはレオナールの言いたいことが分かっているのか、遠くで一体の大樹の化け物と対峙していたリーリエはすぐさま行動を開始した。

 リーリエのガントレットが淡く光ったかと思うと、次には今まで対峙していた大樹の化け物の触手を鷲掴んで、あろうことか背負い投げの要領で勢いよく投げ飛ばした。

 約五メートルもある巨体が勢いよく宙を舞い、激しい土煙と共に地面に落下する。

 しかしリーリエは一切構う様子もなく、次の大樹の化け物と対峙しては同じ場所に投げ飛ばすという作業を繰り返し続けた。

 レオナールも〈衝撃波(ショックウェーブ)〉に似た魔法で容赦なく大樹の化け物を同じ場所へと吹き飛ばしている。

 レオナールとリーリエはどうやら大樹の化け物を一つの場所にまとめたいようで、数分後には五体の大樹の化け物全てが折り重なるように積み重ねられていった。

 大樹の化け物は、あるモノはうねうねと触手を意味もなく振るい、またあるモノは種のようなものでレオナールやリーリエに攻撃しようとしている。

 しかしレオナールもリーリエもそれらをひらりひらりと躱すと、次にはレオナールが大樹の化け物たちへと右手を伸ばし、リーリエは懐から何かの瓶を取り出した。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

 

 レオナールが詠唱を唱えると、強化された三つの火球が一塊となった大樹の化け物たちへと襲い掛かっていった。

 リーリエもそれに合わせるように取り出した瓶を大樹の化け物たちへと投げつける。

 投げられた瓶は宙を舞い、大樹の化け物に当たって勢い良く割れる。中に入っていた液体が飛び散った瞬間、まるで火山が噴火したかのような大爆発が大樹の化け物たちを襲った。ただでさえ大樹の化け物たちを燃やしていた三つの火球が更に勢いを増し、大きな一つの火柱となって大樹の化け物たちを覆い尽くす。

 赤々と燃える炎の柱の中から聞こえる、まるでこの世のものとも思えない複数の絶叫。

 あの大樹の化け物たちが上げている声だと思うと、怖気が走るようだった。

 しかしレオナールとリーリエは一切容赦しない。

 レオナールは再び強化した三つの火球を作り出して火柱へと飛ばし、リーリエも再び瓶を取り出して勢いよく投げつけた。

 彼らがこの行動をする度に起こる爆発音と更に勢いを増す火柱。

 レオナールとリーリエはこの行動を更に三度繰り返し、漸くその手を止めて火が消えた頃には、そこにはもはや黒い焦げ跡と微かな煤しか残ってはいなかった。

 

「……ふむ、少々やり過ぎましたか」

「ですが、正体不明のモンスターと対峙する場合、小さな油断でも命取りとなります。レオナールさ――ん、の今回の行動は、非常に理に適っていると思います」

「ありがとう、リーリエ」

 

 もはや姿形もなくなった化け物たちの慣れの果ての前で、二人が呑気に会話を交わす。

 そんな二人に、ラキュースとガガーランはただ呆然とその背を見つめることしかできなかった。

 はっきり言って、彼らの力はあまりにも圧倒的で規格外すぎる。味方であれば心強いが、しかし彼らが所属しているのはリ・エスティーゼ王国と敵対関係にあるバハルス帝国。いくら国境や国など関係ないワーカーとはいえ、彼らの存在は王国の上層部にとっては脅威となるだろう。

 

 

「何はともあれ、無事に問題は解決しましたね。他の三人のメンバーの方と合流して村に戻りましょう」

 

 “魔剣キリネイラム”を拾い上げながら、こちらを振り返って柔らかな笑みを浮かべるレオナール。

 彼の笑顔に知らず胸を熱くさせながら、しかし同時に、ラキュースは王都に戻ってからの報告に思いを馳せて胸を切なく軋ませた。

 

 




今回のウルベルト様の戦闘方法や謎の大樹の化け物の正体などは次回以降に書く予定なので、次回以降をお楽しみに(笑)
美少女のピンチに颯爽と現れて助ける主人公。そしてそんな主人公に恋心を撃ち抜かれてしまう美少女。
ありきたりではありますが、色褪せない王道でもありますよね(笑)

*今回のユリさん捏造ポイント
・“一時スーパーヒーロー伝説”;
ユリがワーカーのリーリエの時に装備しているガントレット。宝物殿に保管されていた聖遺物級アイテム。普段は武器としての攻撃力しかないが、一日に一回、装備者の物理攻撃力と物理防御力を二倍にする能力を持っている。制限時間は一時間。なお、この武器を作成したギルメンは武器名を適当につけた模様。


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第30話 恐怖の化け物

 静まり返っている森の奥深く。聞こえるのはサワサワといった多くの葉が風に揺れる音のみで、森特有の獣の鳴き声や動く音すら聞こえてこない。

 この周辺では独りしか存在しない木の妖精(ドライアード)のピニスン・ポール・ペルリアは、自身の本体である木の幹に凭れ掛かりながら、ずっと周りへと耳を澄ませていた。

 必至に周辺の音を探る彼女の胸の中には大きな怯えと小さな期待がぐるぐると忙しなく渦巻いている。

 周りの木々はまだ大丈夫だろうか? あれ(・・)に生命力を吸われて、悲鳴を上げてはいないだろうか?

 彼らは約束を守ってくれるだろうか? 今まさに、こちらに向かって来てくれてはいないだろうか?

 しかしいくら経ってもピニスンの耳には風と葉の音以外は聞こえてこない。

 彼女は小さく顔を俯かせると、思わず安堵と悲哀が入り混じったため息を小さく吐き出した。

 

(………約束して……くれたんだけどなぁ……。)

 

 未練がましく心の中で小さく呟く。

 彼女の脳裏に蘇るのは七人の人物。以前、それこそ何十回、何百回も太陽が昇った頃に出会った男たち。若い人間が三人に大きな人間が一人、年寄りの人間が一人、羽の生えたのが一人、ドワーフが一人。

 彼らは、この森に封印されている化け物が目覚めた時には必ずまたここに来て倒してくれると約束してくれていた。

 しかしいくら待っても彼らは来てくれない。今どこで何をしているのかも分からず、ピニスンは不安と恐怖にギュッと拳を強く握りしめた。

 しかしふと、昨日の出来事を思い出してピニスンは握り締めていた拳から自然と力を抜いた。

 昨日、とても久しぶりに闇妖精(ダークエルフ)の子供を見たのだ。

 彼女たちは双子なのかよく似ていて、何故か姉の方は男の格好をしていた。アウラとマーレと名乗った彼女たちに事情を説明して件の七人組を捜してくれるように頼んだのだけれど、果たして彼女たちは捜してくれているのだろうか……。

 思わず零れ出そうになった大きなため息に、しかし唐突に頭上から聞こえてきた聞き覚えのある声にピニスンは咄嗟にそれを呑み込んだ。

 

 

 

「こちらです、ペロロンチーノ様!」

 

 活発そうな高い声は、間違いなく昨日出会ったアウラと名乗ったダークエルフのもの。

 まさか本当に捜しに行ってくれていたのかと大きな期待と共に勢いよく顔を上げ、しかしその瞬間、ピニスンは大きく目を見開かせてビクッと身体を強張らせた。

 

「へぇ、彼女がアウラとマーレが言っていたドライアードか。……ふむ、なかなか悪くないな!」

「………そうでありんしょうか? 見るからにちんちくりんで、あまりに分不相応だと思いんす」

 

 ピニスンの目の前に降り立ったのは、彼女の予想通り昨日出会ったアウラというダークエルフ。しかしアウラは一人ではなく、黄金色の鳥人(バードマン)と人間のような美少女を一緒に連れていた。バードマンはピニスンを見た途端に興奮したように嬉々とした声を上げ、美少女の方は不満そうに小さく顔を顰めさせている。

 しかしピニスンは全く微動だにしなかった。いや、微動だに出来なかったと言うべきか……。

 彼女の頭の中には仲の良い木々や動物たちから最近聞いた情報がまるで警鐘のように何度も何度も繰り返し響いていた。

 今から少し前、太陽が何回か昇っては沈みを繰り返した頃。通常、特定の魔物や少しの動物しか生息していなかったはずのこの区域に、突如多くの魔物や動物たちが勢いよく雪崩れ込んできたのだ。

 ピニスンが暮らすこの区域は森の奥地に区分され、生息している魔物も力の強いモノが多い。そのため、今までは弱い魔物や動物たちは好き好んでこの区域にまで足を踏み入れることはなかった。しかし今は、そんなことを気にしている場合ではないとばかりに、次から次へと多くの魔物や動物たちが我先にと森の奥の奥まで足を踏み入れてきたのだ。

 当時のピニスンは何が起こったのか分からず、ただ呆然と彼らの様子を見つめるだけだった。そんな彼女に原因を教えてくれたのが、仲の良い木々や動物たちだった。

 彼らの話によると、突如とんでもなく強い魔物やモンスターを引きつれた黄金色のバードマンが現れ、森に棲むありとあらゆる魔物や動物たちを容赦なく狩っていっているのだと言う。一時的に彼らの魔の手から逃れられたとしても、バードマンたちは急速に縄張りを広げていっているらしく、こんな奥地にまで逃げざるを得なかったらしい。つまりは魔物や動物たちは、件のバードマンたちの方が奥地に棲む強力な魔物たちよりもずっと強くて恐ろしいと思っているようだった。

 当時のピニスンは少々不安には思ったもののどこか他人事にも思えて、大変だな~という感想しか持たなかった。

 しかし、今目の前にある光景はどういう訳だろうか。

 木々や動物たちが言っていた容姿とまるっきり同じなバードマンが自分の目の前で邪悪な笑みを浮かべている。

 

(……あぁ…、……終わった……。)

 

 ピニスンは大きな恐怖と絶望を湧き上がらせ、同時に自身の終わりを悟った。

 恐らく自分も多くの魔物や動物たちと同じ運命を辿るのだろう。容赦なく囚われ、蹂躙され、そして殺されるに違いない。

 顔を蒼白にしたまま思わず諦めの歪な笑みを浮かべるピニスンに、目の前のバードマンは不思議そうに小首を傾げてきた。

 

「ん? どうしたんだ? 何だか急に死にそうな顔になってるけど……」

「気色悪い顔でありんすねぇ……。ペロロンチーノ様にそのような顔を見せるなんて、失礼でありんす。今すぐ首から上をスッキリさせてあげんしょうか?」

「こらこら、女の子に対して気色悪いなんて言っちゃ駄目だよ」

 

 ピニスンの前で黄金のバードマンと人間のような美少女が戯れるように言葉を交わしている。しかしピニスンはあまりの恐怖に言葉の内容までは頭に入ってこなかった。もういっそのこと早く楽にしてくれないかな……という気持ちすら湧いてきてしまう。

 ある意味現実逃避しようとするピニスンの思考に、しかし目の前のバードマンはそれすら許してくれないようだった。

 人間のような美少女に向けていた金色の仮面がこちらを向き、その奥の瞳と目が合った感覚が襲ってきた。

 

「……っと、自己紹介を忘れていたね。俺はペロロンチーノ。見ての通りバードマンだ。それでこっちがシャルティア。俺の……そのぉ、大切な女の子、かな……」

「ペ、ペロロンチーノ様……っ!!」

 

 どこか恥かしそうに忙しなく二対四枚の翼をモゾモゾと動かしながら言うバードマンに、途端にシャルティアと紹介された美少女が頬を紅潮させて歓喜の笑みと共に紅の瞳を潤ませる。何やら彼らの背後が一気に薔薇色に染まったような錯覚を覚える中、まるでそれを誤魔化すようにバードマンがワザとらしいまでの咳払いを零した。

 

「……ご、ごほんっ…! ……それで、えっと…、この子は覚えてるよな? 昨日、君に会ったって聞いたけど」

 

 バードマンが指し示すのはアウラと名乗ったダークエルフの少女。

 本人がいるため誤魔化しも効かず、ピニスンは意を決して一つ大きく頷いた。

 

「……た、確かに会ったよ。……で、でも……それで、君たちは何の用でこんなところに来たんだい……?」

 

 目の前のバードマンの様子から、どうやらすぐに殺されるわけではないと判断し、勇気を振り絞って何とか言葉を紡ぐ。

 美少女が不快気に顔を顰めさせるのに思わず身体をビクつかせる中、しかしバードマンは気が付いた様子もなく朗らかな笑みすら浮かべているようだった。

 

「ああ、君がアウラとマーレに話した“世界を滅ぼせる魔樹”とやらが気になってね。良ければ俺にも詳しい話を聞かせてくれないかな?」

 

 小首を傾げながら問いかけてくるバードマンに、ピニスンは内心で納得の声を上げた。

 確かに仲の良い木々や動物たちは、例のバードマンは森の生き物たちを捕らえては何処かに連れていくと言っていた。もしかしたら、このバードマンは魔樹も捕えようと思ってここまで来たのかもしれない。

 魔樹と目の前のバードマンの危険性を頭の中で天秤にかけ、少々どころか大きな不安を抱きながらも恐る恐る口を開いた。

 

「それは、構わないけど……。でも、一体何が知りたいんだい? 私の知っていることは、もう全部彼女たちに話してしまっているんだけど……」

「まず魔樹自体についてだな。名前からして植物系のモンスターだと思うんだけど、あってるかな?」

「う、うん、確かそのはずだよ。歪んだトレント……だったかな」

「アウラとマーレが、その魔樹が眠っているっていう場所に確認しに行ったらしいんだけど、何も発見できなかったようなんだ。それについて、何か知っているかな?」

「えっ、魔樹のところに行ったのかいっ!?」

 

 反射的にアウラの方へと振り返り、思わず悲鳴のような声を上げる。なんて恐ろしく危険なことをするんだ! と冷や汗が止まらなかった。

 

「魔樹は本当に世界を滅ぼせるほどの力を持っているんだぞ! 子供二人で行くなんて危ないじゃないかっ!!」

 

 しかしアウラ本人は苦笑を浮かばせて小さく肩を竦ませるだけ。何とも危機感のない様子に、ピニスンは苛立ちが込み上げてくるのを感じた。

 しかしそれを止めたのはバードマンだった。

 

「だけど、さっきも言ったように、肝心の魔樹が見つからなかったようなんだ。本当にあそこに眠っているのかな?」

「そうだよ! いないわけないじゃないか! 現に多くの植物たちが命を吸い取られて枯れていってしまっているんだ! あの子達の悲鳴が、ここまで聞こえてくるんだよっ!!」

 

 彼らへの恐怖も忘れて怒鳴りつけるように声を張り上げる。涙を浮かべた目でキッと睨み付ければ、バードマンは慌てた様子で両手を軽く挙げて降参のポーズをとった。

 

「わぁっ、ごめんごめん! そ、それじゃあ、君が案内してくれないかな? もしかしたらアウラとマーレが探した場所が間違っていたのかもしれないし……」

「……えっ、私が……?」

 

 ピニスンは思わず驚愕に目を見開かせた。まさかそのようなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。

 しかしピニスンの心情など知らぬげに、バードマンは話を続けた。

 

「やっぱり実際に場所を知っている人がいてくれた方が間違わないだろうし、戦う時もすぐに対処できると思うんだ」

「……って、ちょっと待って! 今戦うって言った!? あの魔樹と戦うって言ったのかいっ!?」

 

 聞き捨てならない言葉に、ピニスンは再び声を上げていた。

 よくよく考えてみれば魔樹も大人しく捕まるわけがなく、魔樹を捕まえようとしている以上戦闘は避けられないのは当たり前だ。だというのに、ピニスンは本能的な恐怖から、無意識にその結論を考えないようにしていた。

 しかしここにきて突き付けられる現実。

 必死に止めるピニスンに、しかし腹立たしいことにバードマンはへらへらと呑気に笑っており、美少女やダークエルフの少女も余裕の表情を浮かべていた。

 

「いや~、君に心配してもらえるなんて嬉しいな~」

「そんなことを言っている場合じゃないだろ! 本当に分かっているのかい!? 相手は世界を滅ぼし尽すことのできる魔樹なんだよ!?」

「でも、どちらにしろ目覚めは近いんだろう? ここで俺たちが手を出しても出さなくても、あまり変わらないと思うけど」

「それは! ………そう、だけど……」

 

 バードマンからの思わぬ鋭い指摘に、ピニスンの勢いも徐々に沈んでいってしまう。最後には思い悩むように俯かせた顔を顰めさせるのに、バードマンはどこまでも気軽く提案の言葉を発してきた。

 

「どちらにしろ変わらないのなら、物は試しに俺たちに任せてみてもいいんじゃないかな?」

 

 ピニスンは俯かせていた顔を上げると、じっと目の前のバードマンを見つめた。

 考えてみれば、目の前のバードマンは多くの魔獣や獣たちに恐れられるほどの存在だ。もしかしたら魔樹を倒すことはできなくても、再び封印することはできるかもしれない。少なくとも、いつ来るかも分からない七人の男たちをただ待つよりかはマシなような気がした。

 

「……そう、だね。確かに君たちもそこそこ強そうだし……。任せてみても、良いかもね」

「よし、決まりだ! じゃあ、早速だけど案内を頼めるかな?」

「わ、分かったよ。でも、言っておくけど、私たちドライアードは自分の本体の木からは長時間離れることはできないからね!」

 

 言外に長時間付き合うことはできないと忠告するも、バードマンたちの態度は一切変わらない。

 更に苛立ちが込み上げる中、バードマンは徐にこちらへと手を差し伸ばしてきた。

 

「じゃあ、改めてよろしく」

「……こちらこそ、よろしく」

 

 黄金のガントレットに覆われたバードマンの大きな手と、ピニスンの小さな手が握手を交わす。

 

「……そういえば、ピニスンちゃんって例えば本体の木を根こそぎ移動させたら、そこに移住することになるのかな?」

「えっ、まぁ……そうなるけど……」

「じゃあ、もし魔樹がどうにもできなかったら、ピニスンちゃんの本体の木を安全な場所に移動させてあげるね」

「それは………ありがとう……」

 

 握手して早々、本当にこのバードマンに託しても大丈夫なんだろうか……と不安になってきてしまった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ピニスンの案内により到着したのは、森の奥だとは思えないほどに荒れ果てた場所だった。草は一本も生えておらず、所々に立っている木は全て枯れ果ててしまっている。

 ペロロンチーノは暫く目の前の光景を見つめると、次には感心したようなため息を零した。

 

「……荒れ果ててるとは聞いていたけど、これはすごいな」

「ほんに、ある意味見事でありんすねぇ」

「そんな悠長なことを言っている場合じゃないよ! 本当に大変なんだよ!?」

 

 すぐ横でドライアードの少女がわぁわぁ騒いでいる。しかしどうにも何の気配も捉えることが出来ず、ペロロンチーノは思わず小さく首を傾げさせた。

 ペロロンチーノは職業レベルを弓兵(アーチャー)中心に取得し配分しているが、一方でレベルは低いものの野伏(レンジャー)の職業も取得していた。そのため、他の者よりも感覚は鋭い方だと自負していたのだが……。

 仮面の奥で知らず顔を顰めさせながら、ペロロンチーノは傍らに控えるアウラを見下ろした。

 

「アウラ、何か感じるか?」

「……申し訳ありません、ペロロンチーノ様。やはり何も感じ取れません」

 

 困惑の表情を浮かべて首を横に振るアウラに、ペロロンチーノは思わず低く唸り声を上げた。

 これでは対処どころか、調べることすらままならない。

 どうしようか……と思考を巡らせ、ペロロンチーノは改めてピニスンへと目を向けた。

 

「……ピニスンちゃん。確か魔樹って、目覚めが近いんだったよな?」

「……え? そ、そうだよ。いつ目覚めるかは分からないけど、その日が近いってことは確実だよ」

 

 困惑しながらも頷くドライアードに、ペロロンチーノは暫く考え込んだ後に覚悟を決めた。アイテムボックスからゲイ・ボウを取り出しながらアウラを見やる。

 

「アウラ、ターゲティングを広範囲に使ってみてくれるかな?」

「ターゲティングを、ですか……? しかし、あれはヘイトを集めてしまいますが……」

「ああ、それで大丈夫だよ。むしろそれが狙いだから」

「……なるほど。ヘイトを集めることでワザと目覚めさせ、あちら側から姿を現させる作戦でありんすね? 流石はペロロンチーノ様でありんす!」

「ありがとう、シャルティア」

 

 嬉々とした声を上げるシャルティアに、ペロロンチーノも笑みを浮かべてそれに答える。アウラも納得の笑みを浮かべて大きく頷くと、次の瞬間には荒野を中心に広範囲でターゲティングを発動させた。

 傍らでは“ワザと目覚めさせる”という言葉に反応したドライアードの少女が騒いでいたが、ここは敢えて無視をする。

 相手が本当に世界を滅ぼせるほどの力を持っていた場合、こちらよりも格上の確率の方が圧倒的に高い。場合によってはシャルティアたちを連れてひたすら逃げることも想定し、ペロロンチーノは何かしらの反応が返ってくるのを待った。

 一秒、二秒とゆっくりと時が過ぎていく。

 そして丁度一分を数えた瞬間、それは起こった。

 突如森全体を襲う激しい地響き。揺れる地面に体勢を崩すこともなく警戒し続けるペロロンチーノたちの視線の先に、それ(・・)は突如姿を現した。

 荒れ地の中心に走る、深く大きな割れ目。まるでかき分けるように長く太い何かが地面の土塊を削り、這い出るように大きな影が頭上に向かって伸びていった。

 ペロロンチーノたちの目の前に現れたのは一本の大樹。正に化け物という言葉が相応しい木の魔物だった。

 体長は凡そ100メートル。肌はでこぼことした茶色で、目や口だと思われる大きな空洞が合計三つ空いている。300メートルは軽く超える枝のような触手が六本生えており、頭頂部分には何やら緑色の植物が生えているようだった。

 

「……あー、これは中々にすごいな」

 

 頭上に伸びる巨大な姿を見上げ、ペロロンチーノは思わず呆けた声を零す。ピニスンは怯えた様に声もなく震えており、シャルティアはすぐさまペロロンチーノの前に立って身構え、アウラはペロロンチーノの傍らで特殊技術(スキル)を発動させた。

 ペロロンチーノは注意深くゆっくりとゲイ・ボウを握る手に力を込め、しかし不意に周りの木々からザワッとした多くの気配が襲ってきて大きく目を見開かせた。慌てて背後の森を振り返れば、何やら騒がしい気配が勢いよく蠢きながら徐々に遠ざかっていく。

 

「………アウラ……?」

「……どうやら周りの森に潜んでいた獣や魔獣たちが、魔樹の出現に驚いて逃げているようです」

「獣に魔獣? そんなのいた?」

「そこら中にいたでしょうが! ちょっとシャルティア、少しは周りに気を配りなさいよ!」

 

 シャルティアが怪訝な表情を浮かべ、それにアウラが顔を顰めさせて声を荒げる。

 どこか騒がしくも微笑ましい二人の様子に気が緩みそうになりながら、しかしペロロンチーノは再び気を引き締めさせるために小さく咳払いを零した。

 

「……ゴホンッ……、まぁ、獣や魔獣たちは放っておいても大丈夫だろう。それよりもアウラ、魔樹についてはどうだ?」

「………どうやら三色違いのようです。レベルは80から85。体力のみが特化していて測定外です」

「体力だけが測定外? レイドボス?」

 

 アウラの言葉に小さく顔を顰めさせながら、改めて目の前の巨木の化け物へと視線を向ける。

 ペロロンチーノたちの目の前で、魔樹は枯れた木を巨大な触手で引っこ抜いては口だと思われる空洞へと運んでいた。バリバリという劈くような乾いた激しい音が鳴り響き、ギザギザとした空洞がまるで咀嚼しているかのように動いて枯れ木を自身の内部へと取り込んでいる。

 どうやら全くこちらに意識を向けていないようで、ペロロンチーノは完全に警戒を解かないまでも側にいるシャルティアとアウラへと声をかけた。

 

「……さて、取り敢えず魔樹は見つけた訳だが…。こうなってしまったら対処するしかないだろう。レベルは高くても85らしいし、ここにいる三人だけでもどうとでもできるだろう」

「ペロロンチーノ様、どうか私にお命じ下さいませ。あのような下等な生物、ペロロンチーノ様の御手を煩わすほどではございません。私一人で十分でありんす!」

 

 すぐさま傅いて頭を下げながらシャルティアが立候補してくる。ペロロンチーノは暫くシャルティアを見つめた後、再びチラッと魔樹へと目を向けた。

 魔樹は今もなお枯れ木を引っこ抜いては粗食を繰り返している。知性なく本能に任せたような行動に、ペロロンチーノは魔樹とシャルティアを交互に見つめながら思考を巡らせた。

 確かに普通に考えれば100レベルで階層守護者最強の戦闘力を持つシャルティアであれば、魔樹に勝つことは容易だろう。しかし、何事にも例外や想定外なことは存在する。種族や職業での相性によってはレベル差があっても敗北する可能性はあるし、取得している魔法や特殊技術(スキル)、装備やアイテムや戦術でも幾らでも戦況は変化してしまうのだ。焦る必要は決してないが、油断し過ぎるのも不味かった。

 

「………よし、前衛はシャルティアに任せよう」

「ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

「俺とアウラは後方からシャルティアを援護する。良いな、アウラ?」

「はい、ペロロンチーノ様!」

 

 シャルティアは歓喜の笑みと共に再び頭を下げ、アウラも自信満々な笑みと共に大きく頷いてくる。ペロロンチーノも頷き返すと、次には手に持つゲイ・ボウを鋭く構えた。瞬間、何もなかった空間に青白く光る矢が何処からともなく出現する。

 ペロロンチーノは矢を上空へと向けて勢いよく放ち、それが戦闘開始の合図となった。

 勢いよく地を蹴り魔樹へと突っ込んでいくシャルティアと、放たれた頭上で幾つも分裂して雨のように降り注ぐ矢。突然の矢の雨に襲われて悲鳴のような咆哮を上げる魔樹に、シャルティアは手にスポイトランスを出現させて迷いなく突撃していった。未だ降り注ぐ矢の真っただ中に突撃しているというのに、その勢いは一切落ちることなく、ほんの少しの躊躇もありはしない。ペロロンチーノの矢を受けるならば本望と思っているのか、それともペロロンチーノの矢が自身を傷つける筈がないと信じきっているのか。どちらにせよ、シャルティアは矢一本触れることなく無事に魔樹の元まで辿り着くと、スポイトランスを目の前の木肌へと勢いよく突き刺した。100メートルもある巨体が大きく揺らぎ、シャルティアの攻撃に押されて後退る。

 

「〈影縫いの矢〉!」

 

 瞬間、アウラから特殊技術(スキル)が発動。後退った勢いのままシャルティアから距離を取ろうとしていた魔樹の動きがピタッと止まる。

 シャルティアはそれを見逃さず、そのまま追撃して魔樹へと勢いよく肉薄した。

 木肌に大きな穴を開けて奥へと沈むスポイトランスと、再び上がる悲鳴のような咆哮。

 しかし流石は体力だけが測定外と言うべきか、シャルティアの攻撃を二度受けても未だ余力を残しているようである。

 ペロロンチーノとアウラも更なる攻撃を加えようと身構える中、不意にピタッとアウラの動きが止まった。どうしたのかとアウラに目をやり、こめかみに指先を当てている姿が目に入る。どうやら誰かから〈伝言(メッセージ)〉が来ているようで、ペロロンチーノは注意深く魔樹とシャルティアの戦闘を見つめながら、アウラへと耳を傾けた。

 

「ウルベルト様! どうかなさいましたか? 何か御用でしょうか?」

 

 アウラが少し慌てた様子で対応している。

 彼女の言葉から察するに、どうやら〈伝言(メッセージ)〉の相手はウルベルトのようだった。

 

「――……えぇっと、ですね……。ペロロンチーノ様と調査していたザイトルクワエなる魔樹なのですが、調査している間に目覚めてしまいまして……」

 

 アウラが少し気まずそうにチラッと魔樹を見やる。

 

「それが、魔樹が眠っていた場所に予想以上に多くの獣や魔獣がおりまして……。魔樹が目覚めたことで、それらの獣や魔獣たちが一気に森の外の方角へと逃げて行ってしまったんです。ペロロンチーノ様から、何の影響もないだろうから放っておくように言われたので、私も放っておいたのですが……。――………えっと、……私は見たことがありません。見た目は木のお化けみたいで、体長は凡そ100メートルほど。技のような触手が六本生えています。特殊技術(スキル)で判定したところ、レベルは80から85。体力のみが測定外でした。………はい、畏まりました!」

 

 暫く話し、最後には元気な返事と共に〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 こちらに駆け戻ってくるアウラに、ペロロンチーノはチラッと彼女へと視線を移した。

 

「〈伝言(メッセージ)〉はウルベルトさんから?」

「はい! 魔樹をサンプルとして欲しいから、出来たら生け捕りにしてほしいとのことでした!」

「………えー……」

 

 アウラから伝えられたウルベルトからの言葉に、ペロロンチーノは思わず呆けたような声を零した。仮面の奥の眼も半目になり、そのまま魔樹へと視線を向ける。視線の先には既にアウラの特殊技術(スキル)が解けた魔樹が何とかシャルティアに抵抗して触手を振り上げていた。長く太い枝のような触手がシャルティアを吹き飛ばそうと動き、シャルティアもそれに応戦している。

 二人の戦闘を見つめながら、ペロロンチーノは一つ大きなため息を吐き出した。

 ペロロンチーノの心の中にあるのは唯一つ。こんなでっかいのを捕まえて、ナザリックにどうやって持って帰るんだよ……、の一言に尽きた。

 魔樹はガルガンチュアよりも遥かにでかい。幾ら広大に造られているナザリックの階層とはいえ、果たして魔樹を運び込めるのかペロロンチーノは些か不安だった。かといって外で捕獲しておくにしても、レベルや巨大さも相俟って中々に労力がかかると思われる。

 う~んと小さく唸り声を上げ、ペロロンチーノは取り敢えずシャルティアを呼び戻すことにした。その際、追撃するであろう魔樹に対してアウラに牽制させることも忘れない。

 ペロロンチーノはこちらに無事に戻って来たシャルティアを迎え入れると、先ほど入ったウルベルトからの〈伝言(メッセージ)〉の内容を話して聞かせた。

 

「――……でも、流石にあの大きさの魔物を長期間捕獲しておくにはリスクが高いから、代わりにできる限りの戦闘記録をとろうと思う」

「戦闘記録……で、ありんすか?」

「そう。どういった特殊技術(スキル)を持っているのか、どういった特徴を持っているのか。そういったのを記録しておこうと思うんだ。基本的に俺が囮になるから、シャルティアは俺の補助。アウラは特殊技術(スキル)も使って情報を収集し、記録していってくれ」

「畏まりんした」

「畏まりました、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノの決定に、シャルティアもアウラも反抗することなく従順に従う。もう一人の主であるウルベルトの意に添えないことに対して不甲斐なさを感じはしたが、今は目の前の主であるペロロンチーノの命令に従うのが最優先だった。背後ではピニスンが何やら騒いでいたが、そんなことを気にすることなどない。

 この場にアウラとピニスンを残し、ペロロンチーノはシャルティアと共に魔樹へと突撃していった。

 ペロロンチーノが攻撃を回避しながら頭上から矢を放って魔樹を翻弄し、シャルティアが地上から補助に動く。

 魔樹は触手による攻撃だけでなく、どうやら種のようなものを飛ばす攻撃手段も持ち合わせているようだった。加えて周りの植物を捕食することで体力を回復することができるらしい。

 暫く翻弄と戦闘を繰り返し、魔樹のデータを取っていく。

 そして、そろそろ情報収集に見切りをつけようと思ったその時、それ(・・)は起こった。

 グワッと口の空洞が大きく開いたかと思うと、魂が震えるほどの咆哮が森中に響き渡る。

 何事かとペロロンチーノとシャルティアが警戒のために魔樹から距離を置き、その瞬間、周囲の地面から小さな亀裂が複数箇所で走った。

 一拍後、亀裂の奥から姿を現したのはミニチュアの魔樹たち。

 尤も、ミニチュアとはいっても体長は五メートルほどもあり、六本の触手も50メートルはありそうである。

 まるで子供か何かのようにうぞうぞと触手を蠢かせながら魔樹の元へと移動していくミニチュアたちに、ペロロンチーノは地上にいたシャルティアを回収してアウラの元へと一時離脱した。この世の終わりだとばかりに顔を蒼褪めさせているピニスンを尻目に、ペロロンチーノはシャルティアを地面へと下ろしながらアウラへと声をかけた。

 

「……アウラ、あのミニチュアが何か分かるか?」

「少々お待ちを……。………恐らく、先ほどまで戦っていた魔樹の分裂体だと思われます。レベルは50から55。ステータスは全て魔樹よりも低く、体力も測定内に収まっています」

「………ふむ……」

 

 ペロロンチーノはアウラの言葉に耳を傾けながら魔樹たちの様子をじっと窺った。

 分裂体たちはまるで本体である魔樹を守ろうとするかのように、魔樹の周りへと集まってうねうねと触手を蠢かせている。

 ペロロンチーノは少しの間魔樹たちを見つめると、次にはシャルティアとアウラを振り返って新たな命令を口にした。

 

「……よし、あれらをまとめて始末する。但し、分裂体は一体だけサンプルとして捕獲してナザリックに連れて帰ろう。アウラ、あそこにいる分裂体の中から一体を捕獲して、その後、他に分裂体が隠れ潜んでいないか周辺を探ってくれ。シャルティアは俺と共に魔樹と残りの分裂体を殲滅する」

「「はっ!」」

 

 シャルティアとアウラは跪いて頭を下げると、次にはほぼ同時に行動を開始した。

 二人同時に魔樹や分裂体の元へと突っ込み、まずはサンプルとして連れ帰る個体を選び取って素早く捕獲する。その後、アウラは周辺を探るためにこの場を離脱し、シャルティアは残りを殲滅しにかかった。

 ペロロンチーノもピニスンを守るように彼女の前に仁王立ちしながら、ゲイ・ボウを再び頭上へと構える。

 魔樹と分裂体が一カ所に固まっていることに内心で安堵の息をつきながら、紅蓮の光を宿す矢を何十本も勢いよく解き放った。

 特殊技術(スキル)〈鳥の籠・炎〉。

 魔樹と分裂体を取り囲むようにして紅蓮の矢が円を描いて地面へと突き刺さっていく。分裂体たちと戦闘を繰り広げていたシャルティアが矢の存在に気が付き、目の前に迫っていた分裂体を勢いよく吹き飛ばした後にすぐに踵を返した。

 シャルティアが円の外へと離脱するのと、放たれた最後の矢が地面に突き立ったのはほぼ同時。

 瞬間、円を描く何十本もの矢に沿うように紅蓮の炎が燃えたち、内側が業火渦巻く火の海と化した。円の中にいた魔樹や分裂体は紅蓮の炎に燃え、まるで悶え苦しむように大絶叫を上げる。

 そこに飛び込んでいくのは、スポイトランスを右手に持ち、清浄投擲槍を左手に持ったシャルティア。

 未だに炎が燃え立っているのも構わず、邪魔な分裂体をスポイトランスで薙ぎ払うと同時に清浄投擲槍を魔樹へと勢いよく投擲した。

 ペロロンチーノもシャルティアの攻撃に合わせて爆撃用の矢を放つ。

 シャルティアの清浄投擲槍とペロロンチーノの矢が競うように魔樹へと飛んでいき、苦痛の絶叫を上げ続けている口の空洞へと吸い込まれていった。

 瞬間、魔樹の内部から溢れ出す青白い光。

 まるで内部で青白い太陽が生まれたかのように魔樹の身体を内部から破壊し、多くの空洞から溢れ出して世界すらも埋め尽くした。

 静寂の中に広がる光の放流と衝撃波。いや、静寂と感じたのはあまりの爆音に鼓膜が麻痺したせい。それは全身に感じられるビリビリとした衝撃と、完全に音を失った世界が証明していた。

 しかし、そうなっているのはこの場ではピニスンのみ。

 ペロロンチーノもシャルティアもアウラも一切問題はなく、ペロロンチーノとシャルティアはただ見事に消し炭となった魔樹や分裂体たちの成れの果てを見つめていた。シャルティアが戻ってくるのを待ち、不意にアウラから〈伝言(メッセージ)〉が飛んできたことに気が付く。

 

『……アウラ、どうした?』

『周辺を捜索しましたが、他の分裂体はいないようです。捕獲した分裂体はいかがしましょうか?』

『そうか……。取り敢えず捕獲した分裂体はナザリックの第六階層に運んでくれ。俺とシャルティアもピニスンと話してからすぐにナザリックに帰還する』

『畏まりました!』

 

 アウラの元気な返事を聞いてから〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 丁度こちらに戻ってきたシャルティアを迎え入れ、背後のピニスンを振り返る。

 青白い顔に呆然とした表情を浮かべるピニスンを見つめ、ペロロンチーノはできるだけ柔らかな笑みを浮かべ、優しい声音で彼女へと話しかけた。

 

「無事に魔樹も倒せたことだし、これでもう安心だな」

「……………………」

「それで……、一つ提案があるんだけど」

 

 小首を傾げながら嬉々として話し出すペロロンチーノ。彼からすればあくまでも穏便に話を進めているつもりなのだが、ピニスンの心境は全く真逆なものとなっていた。

 世界を滅ぼせるほどの力を持っているはずの魔樹をたった二人で倒してしまったという事実。そして何より、植物系モンスターにはあまり効果がないはずの弓矢という武器で倒してしまったというのがピニスンに強い衝撃を与えていた。

 そんな信じられないほどの強さを持つ存在に“提案”されては、恐ろしくて拒否なんてできようはずもない。

 

「――……てもらいたいんだけど。どうかな?」

 

 どこまでも優しい声音が逆に恐怖を湧き上がらせてくる。

 ペロロンチーノの思いなど露知らず、ピニスンはペロロンチーノからの“提案”に力なく頷いた。

 

 




*今回の捏造ポイント
・ザイトルクワエの分裂体;
レベルは50から55。体長は5メートルで、見た目は魔樹のミニチュア。本体である魔樹が眠りについた後、時折暴れる触手を使って自分の周辺や森のあちこちに種を撒き、それが成長した存在。更に植物の栄養分を吸収して成長しレベルが上がれば、第二のザイトルクワエとなる……かも……。


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第31話 次なる幕開け

今回もペロロンチーノ様回です!


 魔樹ザイトルクワエを無事討伐したペロロンチーノたちは、一先ずピニスンを本体の木まで送り届けてから、ナザリックへと帰還した。サンプルとして捕獲した魔樹の分裂体は、現在ナザリック地下大墳墓の第六階層にて、アウラ主導の下に色々とデータを取っている真っ最中である。

 何はともあれ、食事や睡眠が必要不可欠であるペロロンチーノは今回もばっちりきっちりどちらも取ると、今はアルベドを引き連れて第九階層の円卓の間へと向かっていた。

 廊下では一般メイドたちが各々働いており、ペロロンチーノの存在に気が付くと恭しく頭を下げてくる。軽く手を挙げて朝から眼福だな~と内心で呟きながら、ペロロンチーノは歩を進めていった。

 

 

 

『……ペロロンチーノ、起きてるか?』

 

 不意に繋がった〈伝言(メッセージ)〉と、頭に響いてくる聞き慣れた声。

 ペロロンチーノは歩く足はそのままに、こめかみに指を添えて宙へと視線を向けた。

 

「おはようございます、ウルベルトさん。どうかしましたか?」

『ああ、おはよう。……こちらは何とか無事に終わって、冒険者共も村を出たぞ。まぁ、念のため今日は村に近づかない方が良いとは思うが……一応報告しておく』

「ああ、なるほど。お疲れ様です。こちらも何とか無事に終わりましたよ。サンプルも、本体は無理でしたけど、代わりに分裂体は捕獲できました」

『分裂体? ……って、五メートルくらいの大きさの木の化け物のことか?』

「そうですけど……、何で知ってるんですか?」

 

 思わぬ言葉に小さく怪訝な表情を浮かべながら首を傾げる。

 丁度目的の扉に到着したためアルベドに扉を開けてもらいながら、ペロロンチーノは室内へと足を踏み入れた。室内には既に先客がおり、黄色の軍服姿のドッペルゲンガーが大袈裟な動作で礼を取ってくる。

 ペロロンチーノは軽く手を挙げることで彼の動きを押し留めながら、未だ繋がっている〈伝言(メッセージ)〉に耳を傾けていた。

 

『何でも何も、カルネ村付近の森からも複数体現れたからな。タイミング的にみて何か関係があるかもしれないと思っていたが、やはりそうだったか』

 

 ウルベルトからの思わぬ言葉に、ペロロンチーノは大きく目を見開かせた。

 

「えっ、カルネ村にも出たんですか!? それで、村のみんなはっ!?」

 

 ウルベルトはこの場にいないというのに、思わず身を乗り出して声を上げる。

 数秒間沈黙が続き、焦れてペロロンチーノが再び声を上げようとした瞬間に〈伝言(メッセージ)〉越しに大きなため息の音が聞こえてきた。

 

『……俺がいたんだから何も問題なく無事に決まってるだろう。俺を誰だと思ってるんだ?』

 

 呆れたような言葉ながらも自信満々な声音に、ペロロンチーノは思わずぱちくりと目を瞬かせる。

 言われた言葉を脳内で反芻し、次には小さな笑い声を上げていた。

 

「はははっ、そうですね、そうでした。ウルベルトさんがいたんだから、大丈夫でしたよね」

『当然だ。まぁ、冒険者の奴らもいたから、こちらでサンプルの捕獲はできなかったがな……』

「それは仕方ありませんよ。でも……、それならどうやって倒したんですか? 使用魔法は第五位階まででしたよね?」

 

 いくら相手は分裂体だったとはいえ、アウラによるとレベルは50から55くらいであったはずだ。第五位階魔法までしか使えない場合、いくらウルベルトであっても中々手こずったのではないだろうか。

 しかし返ってきたのは、どこまでもあっけらかんとした声音だった。

 

『どうやって倒したって言われても……、一カ所に集めて〈火球(ファイヤーボール)〉と〈焼夷(ナパーム)〉で焼き殺しただけだ』

「ちょっ、〈焼夷(ナパーム)〉!? それって第七位階じゃないですか!!」

 

 現地の冒険者チームがいる場で何をやっているんだ! と思わず声を上げる。

 しかしウルベルトの反応は全く変わらず、どこまでも落ち着いたものだった。

 

『ああ、その辺りは大丈夫だ。〈火球(ファイヤーボール)〉と〈焼夷(ナパーム)〉は交互に発動させていたんだが、〈焼夷(ナパーム)〉を発動する際にはユリに水が入った瓶を投げかけてもらっていたからな』

「水が入った瓶? それがどうかしたんですか?」

『つまり、何かの薬品によって〈火球(ファイヤーボール)〉の火力を一気に上げたように見せかけたんだよ。冒険者の奴らも何を投げ入れたのかしつこく聞いてきたし、恐らく完全に勘違いしてくれたみたいだな』

「それは……、上手くいったのは良かったですけど、結構危なかった気がしますよ。因みに、質問にはなんて答えたんですか?」

『うん? “企業秘密”って一言だけだな』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しでも、ウルベルトが悪戯気な笑みを浮かべているのが伝わってくる。もしかしたらウィンクまでしているかもしれない。

 ペロロンチーノはやれやれとばかりに頭を振ると、椅子に腰を下ろしながら、取り敢えず改めて労いと礼の言葉を伝えて〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 思わず大きなため息を吐き出し、テーブルの上へと突っ伏しそうになる。しかしここにいるのが自分一人ではないことを思い出して、ペロロンチーノは何とか我慢して傍らのアルベドと目の前のパンドラズ・アクターを見やった。

 

「待たせちゃって悪かったな、パンドラズ・アクター」

「そんなっ! 滅相もございませんっ! 私は、ペロロンチーノ様を始めとする至高の御方々の忠実なぁぁ、シモベっ!! ペロロンチーノ様の御前に控えるだけでも光栄でございますっ!!」

「……そ、そっか~…」

 

 目の前で繰り広げられるあまりのオーバーアクションとハイテンションに、仮面の奥のペロロンチーノの表情筋が残念な形に引き攣って歪む。

 彼と対峙していつも思うのだが、どうしてあのモモンガからこのパンドラズ・アクターが生まれたのか、ペロロンチーノは不思議でならなかった。それとも自分は知らないだけで、モモンガにも実はこういった面があるのだろうか……。

 内心ではひどく悶々としながらも、しかしペロロンチーノは気を取り直してアルベドとパンドラズ・アクターそれぞれに席を勧めた。

 

「えっと、まぁ、それは置いといて……。アルベドもパンドラもまずは椅子に座れ。このままだと落ち着いて話し合いもできないからさ」

「あっ、ありがとうございますっ、ペロロンチーノ様!!」

「畏まりましたぁぁあっ!!」

「……ぉうっふ…」

 

 パンドラズ・アクターだけに留まらず、何故かアルベドまでもがハイテンションになっており、ペロロンチーノは思わず変な声を絞り出す。しかし二人はそれに全く気が付かず、アルベドは嬉々としてペロロンチーノのすぐ横の椅子へと腰を下ろし、パンドラズ・アクターはペロロンチーノと向かい合うような形で椅子に腰かけた。

 ペロロンチーノは油断すると出そうになるため息を何とか飲み下しながら、自分自身やこの場の空気を引き締めさせるために一つ咳払いを零した。

 

「ゴホンッ! えっと、それで、ここに呼んだ理由なんだけど……。あー、その前に経緯とかも軽く説明しておいた方が良いか……。アルベド、簡単にでも良いから説明してあげてくれるかな?」

「はい、畏まりました」

 

 先ほどとは打って変わり、どこまでも落ち着いた様子でアルベドが頭を下げる。アルベドは頭を上げてパンドラズ・アクターへと目を向けると、これまでの経緯やこの世界での重要事項なども含めて簡潔かつ分かり易く説明していった。ペロロンチーノも復習の意味も込めて無言でアルベドの説明に耳を傾ける。

 しかしどうにも説明の内容がだんだんと雲行きが怪しくなっているような気がして、ペロロンチーノは内心で首を傾げ始めた。

 

 

「――……と言う訳で、今現在最も優先されるのは、この世界のありとあらゆる情報の収集。そして、転移者である我々が新たな力を獲得するための方法よ。ここまで言えば、何故あなたが選ばれたのか理解できるわね?」

「………なるほど。そういうことでしたか……」

 

(………え……?)

 

 考え込むような動作で神妙な声を零す埴輪頭と、意味深な笑みを浮かべる淫魔(サキュバス)

 何故か嫌な予感を感じて羽毛の下に冷や汗を流す鳥人(バードマン)を尻目に、二人の異形は嬉々とした声を張り上げた。

 

「あなたはニニャとブリタという人間を使って、経験値やレベルアップについてだけでなく、武技や“生まれながらの異能(タレント)”について調べ、そのメカニズムについて調査しなさい! 仕組みを理解し、それをいち早く体現できるとすれば、それは至高の御方々以外では100レベルのドッペルゲンガーであるあなたしかいないわっ!!」

「わぁぁっかりましたぁっ!! このパンドラズ・アクター……、至高の御方々のため! この身を賭して必ずやご期待に応えてみせますともぉぉっ!!」

 

(……ぅええぇぇえぇぇえぇぇえっっ!? ちょっ! そんな目的、初耳なんですけどぉぉ――っ!!)

 

 目の前と真横で盛り上がっている二人に、ペロロンチーノは思わず心の中で叫び声にも似た声を上げていた。しかし実際に声を上げることは何とか阻止する。幾ら普段は楽観的で感情に素直なペロロンチーノと言えども、流石にこの場で今の心境そのままに言葉を発するのは不味いとは判断できた。

 まるで褒めて褒めて! というようにキラキラとした目を向けてくるアルベドに、ペロロンチーノは仮面の奥で顔を引き攣らせながらも何とか声を絞り出した。

 

「え、えっと……、説明をしてくれてありがとう、アルベド。……と、とても分かり易い説明だったよ。その……目的も俺の代わりに言ってくれたし……」

「ありがとうございます、ペロロンチーノ様! ですが恥ずかしながら、私もデミウルゴスから聞いていなければペロロンチーノ様や至高の御方々の真の思惑を正確に理解することはできませんでした……。これよりは、より一層精進いたします」

「い、いや……、分かってくれたなら良いんだよ。……うん、ホント……」

 

 嬉々とした笑みを萎ませ、しゅんっと顔を俯かせるアルベドに、ペロロンチーノの表情は尚も引き攣っていく。内心では先ほどからデミウルゴスに対してどういうこと――っ!? と叫んでいるのだが、何とか隠し通せている。

 ペロロンチーノはそわそわと落ち着きなく翼を動かしていたが、アルベドから視線を外してパンドラズ・アクターへと移した。

 

「…えぇっと……、やることは分かったかな……?」

「はいっ! 勿論でございますっ!! ペロロンチーノ様並びにウルベルト様や我が創造主たるモモンガ様の御為、精一杯務めさせて頂きますっ!!」

「……あー、うん…、宜しくね。ニニャちゃんとブリタちゃんのフォローも頼んだよ」

「かぁぁしこまりましたぁぁ――っ!!」

「……………………」

 

 どこまでもハイテンションな様子に、逆に心配になってくるのは何故なのだろうか。

 ペロロンチーノは出そうになったため息を何とか呑み込むと、一つ頷くに留めた。モモンガはアンデッドという種族特性から、感情がある程度まで上がると自動的に抑制されるそうだが、今初めてそれが羨ましいと思ってしまった。ペロロンチーノはマジマジとパンドラズ・アクターを眺めると、不意にあることを思い出して自然と一気に感情を落ち着かせた。

 

「……ああ、そうだ…。もう一つ、君に頼みたいことがあったんだ」

 

 定例報告会議でパンドラズ・アクターを使おうと言い出した時から、密かに胸の中にあった一つの目的。モモンガやウルベルトに内緒で実行するのはひどく気が引けるが、しかし背に腹は代えられないとばかりに覚悟を決める。アルベドやパンドラズ・アクターも一気に張りつめたペロロンチーノの様子を感じ取ったのか、いつになく真剣な様子でこちらの言葉を待っている。

 ペロロンチーノは一度小さく唾を呑み込んで急激に乾いてきた喉を湿らすと、パンドラズ・アクターを真っ直ぐに見つめてゆっくりと口を開いた。

 

「パンドラズ・アクター……、君にはレベルアップや経験値、武技、タレントの他に、スレイン法国についても探ってきてもらいたい」

「っ!!」

 

 アルベドから小さく息を呑む音が聞こえてくる。恐らく目も大きく見開かせて驚愕の表情を浮かべていることだろう。しかしペロロンチーノは真っ直ぐにパンドラズ・アクターだけを見つめていた。表情など一切ない埴輪顔を凝視し、いっそ冷酷さすら感じられる程に鋭い双眸で目の前のドッペルゲンガーを見据える。

 パンドラズ・アクターは暫く無言のままペロロンチーノを見つめた後、どこまでも静かに……考え込むように小さく顔を俯かせた。

 

「……スレイン法国とは、確かペロロンチーノ様方が接触された聖典とかいう組織が所属している国でしたね。しかし、スレイン法国に対しては現状、大きな接触はせず、囮作戦を決行して情報を収集する予定ではなかったでしょうか?」

 

 パンドラズ・アクターの言う通り、現状ペロロンチーノたちはスレイン法国に対しては大掛かりな接触は控えていた。スレイン法国が世界級(ワールド)アイテムを二つも所持していたことが分かったため、慎重派のモモンガを筆頭に彼の国をひどく警戒したためだ。現状、デミウルゴスを中心に魔王という架空の存在を造り出し、それを囮として情報収集する計画が進められている。

 しかしシャルティアがスレイン法国の漆黒聖典と思われる部隊に手を出されてからというもの、ペロロンチーノはスレイン法国に対して煮え滾るほどの憤怒と憎悪を胸の中に宿らせていた。

 叶うならば、今すぐにでも突撃して行って完膚無きまでに滅ぼしてしまいたい。

 激し過ぎる激情が、囮作戦などといったような悠長なことをしている場合ではない! と急き立て続けてくるのだ。

 

「……確かに君の言う通りだ。だけど、一つの方法だけに拘らなくても、いろんなやり方で行動した方が良いだろう?」

「……………………」

「リスクがあることは俺も分かっている。君を危険な目に合わせるかもしれないってことも分かってるよ……。でも、あいつらに対して悠長に構えていることなんて我慢できないんだ! 現状、一番適任なのは君しかいない!」

 

 ペロロンチーノは興奮のあまり声を荒げると、パンドラズ・アクターへと大きく身を乗り出した。近づいた丸い両目の空洞を鋭く見据える。

 

「君なら、八割とはいえ俺たちギルメン全ての能力が使える。いざとなれば、どんな状況でも適切に行動し、対処することもできるだろう。……本当は君を創ったモモンガさんに内緒でするようなことじゃないんだろうけど……、どうか引き受けてくれないかな?」

 

 ここにモモンガやウルベルトがいたなら、問答無用で反対されていただろう。ペロロンチーノ自身、随分と無茶なことを言っている自覚があるため、最後は力なく項垂れるように懇願してしまう。

 しかし幸か不幸か、ここにいるのはペロロンチーノを至高の主の一人と崇拝する二人のシモベのみ。知恵者であるアルベドもパンドラズ・アクターもこれがどれだけリスクが高い任務か分かってはいたが、崇拝する主の懇願に応えないわけにはいかなかった。

 アルベドとパンドラズ・アクターは無言のまま見つめ合い頷き合うと、ほぼ同時に再びペロロンチーノへと目を向けた。

 

「ペロロンチーノ様。御身のご命令、確かに承りました」

「っ!! ……パンドラズ・アクター」

「ご安心ください、ペロロンチーノ様。私どもも不測の事態が起こらぬよう、精一杯パンドラズ・アクターのバックアップを務めます」

「……アルベド…」

 

 ペロロンチーノは暫く呆然とアルベドとパンドラズ・アクターを見つめると、次には仮面の奥で泣きそうな情けない笑みを浮かばせた。

 

「ありがとう、二人とも。……うん、期待しているよ!」

「おっ任せ下さい!」

「必ずやご期待に応えてみせます!」

「何か俺にできることがあれば遠慮なく言ってくれ。無理を頼んでいるのは俺だし、どんなことでも協力するよ」

 

 二人の言葉が嬉しくて、ペロロンチーノは仮面の奥で満面の笑みを浮かべる。

 アルベドも満面の笑みを浮かべて深々と頭を下げ、パンドラズ・アクターは椅子から立ち上がってビシッと敬礼をした。

 

「ペロロンチーノ様。それでは、チームに同行させる二人目はいかがいたしましょう?」

 

 頭を上げたアルベドが、真剣な表情を浮かべて問いかけてくる。パンドラズ・アクターも敬礼していた手を下ろして再び席に着くのに、ペロロンチーノは二人を見つめた後、何かを確認するように一つ小さく頷いた。

 

「……うん、それなんだけど。あの捕虜を使おうと思ってるんだ」

「捕虜……でございますか……?」

 

 ペロロンチーノの意外な言葉に、アルベドがキョトンとした表情を浮かべる。パンドラズ・アクターも思わず小首を傾げる中、ペロロンチーノは今度は大きく頷いて返した。

 

「そう。ほら、この前シャルティアに同行した俺が連れ帰った人間種の男の捕虜がいただろう? 名前は……何だったっけ?」

「もしや……ブレイン・アングラウスとかいう戦士の捕虜の事でしょうか?」

「あっ、そうそう、そいつ!」

 

 アルベドの口から発せられた名に、ペロロンチーノがすぐさま嬉々とした声を上げる。しかし名を口にしたアルベド自身は不思議そうな表情を崩さなかった。何故ここで捕虜の存在が出てくるのか分からない、とその顔にはありありと書かれている。

 ペロロンチーノも自分の考えが正しいのか少々不安ではあったが、間違っていれば二人が進言してくれると信じて改めて口を開いた。

 

「あのブレインって人は武技も使えるみたいだし、この世界では中々の強者みたいだから、新たな力や強さの獲得について役立つと思うんだ。それにちょっとした有名人でもあるみたいだから、情報収集にも役に立つと思うし……、もしかしたら、ちょっとした隠れ蓑にも使えるかもしれない」

 

 内心では恐々しながらも説明するペロロンチーノに、アルベドとパンドラズ・アクターはそれぞれ真剣に聞いて考え込んでいる。アルベドは細い顎に指を添えて思考を巡らせた後、顎から指を離して改めてペロロンチーノへと目を向けた。

 

「……確かにペロロンチーノ様の仰る通り、役には立つと思われます。しかし、あの者が我々の言う通りに動くとも思えません」

「ああ、それについては考えがあるんだ。……これを使おうと思うんだけど」

 

 ペロロンチーノは宙にアイテムボックスを開くと、その中に手を突っ込んでガサガサと中を探り始めた。

 数十秒後、漸くアイテムボックスから抜かれた彼の手には二つの金色のリングのような物が握り締められていた。

 アルベドとパンドラズ・アクターが興味深げに見つめる中、ペロロンチーノは良く見えるように二人の目の前にそれを差し出した。

 

「これは“緊箍児双対(きんこじそうつい)”。元々は調教用のアイテムなんだけど……」

 

 ペロロンチーノが取り出してきたのは二つの金色のリングであり、しかし大きさは全く違っていた。

 ペロロンチーノは大きなリングを右手に、小さなリングを左手にそれぞれ持つと、このアイテムの使用方法を分かり易く説明していった。

 この“緊箍児双対”は二つで一つのセットアイテムであり、大きなリングがサークレット、小さなリングがブレスレットになっていた。先ほどペロロンチーノが述べた様に、本来は調教用のアイテムである。

 使い方としては、まずはブレスレットの方に一つのキーワードを記録させて装備する。そしてサークレットの方を調教したいモンスターや魔獣などに取り付ける。サークレットのリングには服従効果があり、取り付けただけでもある程度ならば対象を服従させられた。しかしユグドラシルではよくあることだが、レベル差や種族特性などによっては服従効果があまり効かない場合もある。そんな時にブレスレットに記録させたキーワードを唱えれば、サークレットの服従効果が向上し、更に服従させられる確率が高くなるというものだった。因みに、キーワードを使用して服従効果を向上させた場合、サークレットを装着させた対象にダメージも負わせてしまうため注意が必要なアイテムでもあった。

 

 

「まぁ! それではこのアイテムは、首輪とリードのような物なのですね! なんて素晴らしいのでしょう!!」

 

 説明を聞いてすぐ、アルベドが嬉々とした表情を浮かべて声を上げてくる。金色の双眸が爛々と輝き、白皙の頬が鮮やかに紅潮しているのは見間違いだろうか。

 何やらイケナイ空気をアルベドから感じるような気がして内心ドギマギしながらも、ペロロンチーノはブレスレットのリングをパンドラズ・アクターへと差し出した。

 

「こっちはパンドラ、そしてこっちはブレインに装着させればいい。そうすればブレインはパンドラに服従して言うことを聞くはずだ。……あっ、念のためにキーワードを記録させるのも忘れないようにな」

 

 一応念のため忠告しながらパンドラズ・アクターに手渡す。パンドラズ・アクターは一度椅子から立ち上がると、ペロロンチーノの傍らまで歩み寄って片膝を付き、頭を下げながら恭しく両手でリングを受け取った。少しの間マジマジと手の中のリングを見つめ、それでいて自身の腕へと丁寧に装備する。

 サークレットの方はアルベドへと差し出すと、アルベドも恭しく頭を下げながらリングを受け取った。

 

「……このような素晴らしいアイテムをご下賜頂けるとは…、とても光栄でございますっ! 必ず! ペロロンチーノ様のご期待に応えてみせますっ!!」

「うん、期待してるよ。でも、くれぐれも無理はしないようにな。何かあったらすぐに逃げるようにしろ」

Zu Befehl(畏まりました)。全ては至高の御方々の御言葉のままにっ!!」

 

 パンドラズ・アクターは素早く立ち上がると、再びビシッと敬礼をする。

 ペロロンチーノは普段の彼にしては珍しく、威厳に満ちた様子で鷹揚に頷いて返した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 その後もペロロンチーノと長い話し合いを続け、漸くまとまってペロロンチーノが円卓の間を去った後。

 アルベドとパンドラズ・アクターはペロロンチーノが去っていった扉に向けて下げていた頭をゆっくりと上げた。

 

「……我が創造主たるモモンガ様との共演に引き続き、このような大役を頂けるとは…っ! ペロロンチーノ様のご期待に、何が何でもお応えしなくてはなりませんね」

 

 自身の手首に装備されたリングを見つめながら、パンドラズ・アクターは決意を新たにするように静かに呟く。しかし任務の内容が内容だけに、ペロロンチーノの望む全てに完璧に応えるためには、それ相応の準備が必要となる。

 早速宝物殿に戻って準備をしなければ! と退室する旨を伝えるためにアルベドを見やり、そこでアルベドの金色の双眸と視線がぶつかった。

 

「……パンドラズ・アクター」

「はい、何でしょうか、アルベド様?」

「………今のペロロンチーノ様は、シャルティアの事でスレイン法国に対してとても過敏になっておられるわ」

 

 少し言いよどみながらも紡がれた言葉に、パンドラズ・アクターは先ほどのペロロンチーノの様子を思い出して小さく頷いた。

 確かに彼女の言う通り、先ほどスレイン法国への情報収集を命じられた際、今まで感じたことがない程のドロドロとしたものをペロロンチーノに感じた。シャルティアが実際に何をされたのか詳しいことは知らないが、それが相当ペロロンチーノの不興を買ったのだろう。でなければ、今ナザリックに残っている三人の至高の主の中でも一番他種族に友好的と言えるペロロンチーノがあんな感情を抱くはずがない。

 

「だからこそ、あなたには失敗は決して許されないわ。ペロロンチーノ様は危なくなれば逃げるように仰られていたけれど、スレイン法国の情報が掴めず逃げたとしても、無理をしてあなたに何かがあったとしても、きっとペロロンチーノ様はお怒りになってお許しにならないわ」

 

 まるで忠告のような言葉を口にするアルベドの表情はいつになく真剣なもの。

 パンドラズ・アクターもそれは重々承知していたため一つ大きく頷いた。

 

「勿論、分かっていますとも。決して御方々の……ペロロンチーノ様を失望させは致しませんっ!」

「ええ。私たちも協力は惜しまないからバックアップは任せて頂戴。……全ては至高の御方々の御心のままに…!」

「そうですね。全ては至高の御方々のために……っ!!」

 

 決意にも似た二人の声が、円卓の間に高らかに響き渡った。

 

 




ペロロンチーノの男に対する二人称が『君』も『お前』も違和感を感じてしまう。
どうしましょう……(汗)

*今回の捏造ポイント
・“緊箍児双対”;
金色の大小のリングで、サークレットとブレスレットの二つで一つのセットアイテム。調教用アイテム。ブレスレットにキーワードを記録して装備し、服従効果のあるサークレットを調教したい対象に取り付ける。レベル差や種族特性などによって服従効果があまり効かない場合は、ブレスレットに記録させたキーワードを唱えれば、サークレットの服従効果が向上し、更に服従させられる確率が高くなる。因みに、キーワードを使用して服従効果を向上させた場合は、サークレットを装着させた対象にダメージも負わせてしまう。


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第32話 差し伸べた手

今回はウルベルト様回です!
何やら久々なように感じられる(笑)
そして最近、一話が短くなってきている気がする……(汗)


 豪華な邸宅が立ち並ぶ、どこか長い歴史を感じさせるレトロな街並み。石畳の大きな道を一台の大きな馬車が軽快な足取りで奥へと進んでいく。ガタゴトと激しく揺れる馬車の中でウルベルトは窓から見える景色を横目に眺めながら内心で大きなため息をついていた。

 ここはバハルス帝国の帝都アーウィンタールにある高級住宅街。

 貴族という存在を毛嫌いしているウルベルトの事を考えれば、彼が最も足を踏み入れそうにない場所ではあったが、ここに住む人物に呼ばれてしまっては行かないわけにもいかなかった。今乗っているこの馬車も、ウルベルトたちを呼んだその人物が用意したものだ。

 ウルベルトたちをこの場に呼んだのは、帝国四騎士の一人であるバジウッド・ペシュメル。

 誰が考えても無視して良い人物ではなく、そのためウルベルトは仕方なく要請に応じ、カルネ村から帰って来て早々にこの場にいるのだった。

 

 

 

「……ウルベルト様、これからどういたしますか?」

「………こら、この姿の時にその名で呼ぶな」

「失礼いたしました。レオナールさーー、ん」

 

 不意に向かいに座っているユリから声を掛けられる。

 ウルベルトは窓から視線を外すと、ユリに向き直りながら組んでいた足を逆足へと組み変えた。

 

「少なくとも表面上は友好的に接するつもりだ。だが、裏や目的がないかは引き続き探る。……お前たちにも働いてもらうぞ」

 

 最後の言葉は自身の足元の影へと向けられたもの。瞬間、ウルベルトの影がほんの微かに蠢いた。

 数秒後、ウルベルトの目の前で影から一つの細長いモノが伸びて浮かび上がってくる。ウルベルトたちの目の前には一体の影の悪魔(シャドウデーモン)が跪いて深々と頭を下げていた。

 この悪魔は今回の件を心配したデミウルゴスが護衛として付けたシャドウデーモンの内の一体である。他にも何体ものシャドウデーモンがウルベルトの影の中に潜んでいた。過剰ともいえるシャドウデーモンの数に内心で苦笑を浮かべながら、しかしウルベルトは彼らを護衛として使う気は全くないため、それは別に構わなかった。

 

「お前たちは現地に到着後、屋敷の影に潜んで屋敷内に散れ。屋敷内や屋敷にいる人間について調べ、怪しい動きをしないか見張れ」

「……ウルベルト様…、しかし……それでは御身の護りが……」

「………前にも言ったが、私の護衛は不要だ。お前たちは大人しく私の言葉に従っていたまえ」

「……畏まりました」

 

 シャドウデーモンは今一度深々と頭を下げると、次にはウルベルトの影へと沈み消えていった。瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように馬車の動きがピタッと止まる。どうやら目的地に着いたようで、ウルベルトは一つ深い息を吐き出すと組んでいた長い足をゆっくりと解いた。

 真正面に座っているユリ。そして彼女の隣で無言のまま座っているニグンへと目を向ける。

 

「……さて、それじゃあ行くとしようか」

 

 気合を入れるようにもう一度だけ息をつくと、ウルベルトは外側から開かれる扉を確認してから馬車の外へと足を踏み出した。

 馬車を出た瞬間、目に飛び込んできたのは目を瞠るほどの大豪邸。全体的に落ち着いた雰囲気を漂わせてはいるものの、敷地や屋敷の大きさは勿論の事、壁や柱の装飾に至るまで全てが見事なものだった。恐らくこの高級住宅街にある屋敷の中でも一、二位を争えるのではないだろうか。

 しかし今や栄えあるナザリック地下大墳墓を本来の住居とするウルベルトたちは、あまり圧倒されることも感心することもなかった。見るからに貴族的な様相に、ウルベルトが内心でケッ! と悪態をつくのみである。

 ウルベルトは屋敷から出てきた執事と思われる老齢の男に迎えられると、そのまま屋敷内へと案内された。

 長い廊下を進んでいき、到着したのは応接室として使っているのであろう一室。

 室内には赤地に金の細かな模様が描かれた絨毯が敷かれており、短足の大きなテーブルと、それを囲むようにして幾つもの寝椅子(カウチ)や一人用のソファーが置かれていた。

 

「どうぞ、こちらに掛けてお待ちください。すぐに主人を呼んで参ります」

 

 ここまで案内してくれた男が一礼と共に部屋を出ていく。

 ウルベルトは軽く室内を見回すと、そのまま一人用のソファーへと歩み寄って腰を下ろした。背もたれに深く背を預け、長い足を組む。

 瞬間、ウルベルトの足元の影が小さく蠢き、多くの気配が飛び出したと同時に跡形もなく消えていった。

 ウルベルトは無言のまま肩を竦ませると、未だ立っているユリとニグンへと座るように促した。

 ユリとニグンは寝椅子に並んで腰を下ろし、数分後にはメイドがワゴンと共に入室してくる。

 カチャカチャという小さな陶器の音と、ふわりと漂う紅茶の香り。

 ウルベルトたちの目の前に紅茶が入れられたティーカップがそれぞれ置かれ、それから更に数分後、扉が勢いよく開いたと同時に漸く屋敷の主が姿を現した。

 

「いやぁ、待たせちまって、申し訳ない!」

 

 腹に響くほどの大声と共に現れたのは、荒々しい空気を纏った大柄な男。

 その背後には見知らぬ二人の男と一人の女。そしてこちらは見覚えのある一人の貴婦人が付き従っていた。

 

「またお会いできましたね、ネーグル殿」

「……これはこれは、まさかまたお会いできるとは思っておりませんでした。無事に屋敷に戻られたようで何よりです」

 

 声をかけてきた貴婦人に、ウルベルトはソファーから立ち上がって軽く礼を取る。彼女はデモンストレーションを行った際に助けた冒険者やワーカーたちが“シャーロット”と呼んでいた女だった。

 ユリとニグンも立ち上がって軽く礼を取る中、大柄な男を中心に全員がウルベルトたちと対峙するような位置に移動してくる。

 彼らは改めてウルベルトたちに席を勧めると、自分たちも近くの寝椅子やソファーへと腰を下ろした。

 ウルベルトの真正面に腰かけるのは、やはりと言うべきか、屋敷の主である大柄の男だった。

 

「俺はバジウッド・ペシュメル。俺の嫁さんを助け、今回の招待にも応じてくれて礼を言う。……育ちは上品じゃないもんでな、不快にさせるかもしれねぇが勘弁してもらえると助かる」

「いえ、構いません。私どもも高貴と言われるような身の上ではありませんので。……それよりも、そちらの方々は?」

 

 ウルベルトの言葉に、バジウッドの太い眉がピクッと片方だけ小さく反応する。しかしすぐさま何事もなかったような表情を浮かべると、次には少し離れた位置に腰掛けている二人の男と一人の女へとそれぞれ視線を向けた。

 

「ああ、こいつらは俺の同僚だ。今噂になってるあの“サバト・レガロ”に会うって言ったら押しかけて来やがったのさ」

「それは……、とても光栄なことですね。しかし、同僚というのは……」

「帝国四騎士のメンバーだ。知らねぇか? あっちに座っているのが“不動”のナザミ・エネック。隣に座っているのが“激風”のニンブル・アーク・デイル・アノック。そしてあっちに一人で座っているのが“重爆”のレイナース・ロックブルズ。……そして俺が“雷光”としてこいつらを纏めている」

 

 最後にニヤッとした笑みを浮かべるバジウッドに、ウルベルトはチラッと三人を見やった。

 ニンブルは真っ直ぐにこちらを見つめて観察しているようだったが、他の二人は全く微動だにせず、まるでこちらに一切の興味がない様な表情や雰囲気を醸し出している。

 しかし一方で、彼らが実はこちらを注意深く窺っているのが感じられた。警戒……とまではいかないが、正体を探るような、そんな気配。

 ウルベルトは歪んだ笑みを浮かべそうになる顔を必死に抑えながら、代わりに穏やかな笑みを浮かばせて柔らかく金色の瞳を細めさせた。

 

「そうでしたか。大変失礼いたしました。……何分、帝国に来たのはまだ最近でして、まだまだ知識不足なようです……」

「……ほう、今まではどこに? あなた方ほど強ければ、今まで名が知れ渡っていない方が不思議に思えますが」

 

 今まで黙っていたニンブルが不意に会話に参加してくる。

 少し身を乗り出すようにして問いかけてくるのに、ウルベルトはニッコリとした笑みを浮かばせた。

 

「各地を転々としていました。今までは主に魔法やアイテムなどの研究ばかりしていたので、我々の名が知られていないのも当然だと思います」

「……なるほど。それじゃあ、何で帝国でワーカーになったんだ?」

「これまでの研究の成果や自分たちの力を試したくなった……と言うのが一番の理由ですね。何故帝国なのか……は、国の上層部に組する四騎士であるあなた方ならばお分かりになるのではありませんか?」

 

 バジウッドもウルベルトも表情はそれぞれ笑みを浮かべている。しかしその瞳はどちらも一切笑ってはおらず、鋭い光を宿していた。まるで何かの駆け引きをするかのように鋭く互いを観察し、言葉を紡いで相手を探り合う。この場にモモンガやペロロンチーノがいれば、ひえ~~っと情けない悲鳴を上げていただろう。

 しかしそんな中、不意にウルベルトの頭の中に〈伝言(メッセージ)〉が繋がり、ウルベルトは金色の瞳をほんの微かに揺らめかせた。

 

『……ウルベルト様』

 

 〈伝言(メッセージ)〉の相手は、この屋敷に散っていったシャドウデーモンの内の一体。

 ウルベルトは一つ瞬きをして再度強い光を瞳に宿らせると、その一方で〈伝言(メッセージ)〉へも意識を向けた。

 

『……どうした、シャドウデーモン?』

『隣の部屋に四人の人間種の男たちが控えており、こちらの会話を盗み聞きしているようです。如何いたしましょうか?』

『……その四人はどんな奴らだ?』

『二人は全身鎧を着ているため騎士だと思われます。もう一人は老人で、こちらは恐らく魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないかと……。最後の一人は他の三人よりも仕立ての良い服を纏っているため、貴族だと思われますが……』

 

 途中で言い淀むシャドウデーモンに、ウルベルトは内心で首を傾げた。

 

『なんだ? 何か気になることでもあったのか?』

『……はっ。それが、他の三人が男のことを“陛下”と呼んでいたのです』

『……陛下……?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉から聞こえてきた報告内容に、ウルベルトは思わず小さく眉を潜めさせた。すぐにそれに気が付いて慌てて表情を引き締めさせたものの、頭の中では多くの疑問と困惑が渦巻いている。今自分たちはどういった状況にあるのかが今一正確に掴めず、苛立ちにも似た感情が胸に湧き上がってきた。

 普通、他者が“陛下”と呼ぶ存在は、国の統治者に他ならない。しかし仮に隣室にいるのが帝国の皇帝だとして、そんな人物が何故こんなところにまで来てこちらの会話を盗み聞く必要があるのかが分からなかった。もしかしたら自分たちのことを警戒しているのかもしれないが、ここには側近ともいえる四騎士全員が揃っている。ならば、彼らに情報を収集させればいい。自分で行動せずにはいられない人物であるなら、こんなところで盗み聞きするのではなく堂々と帝城の謁見の間にでも呼び出せば済むことだ。

 

(……それとも、やはり隣室にいるのは皇帝ではない違う人物なのか…?)

 

 口では必死にバジウッドと会話しながら、それでいて忙しなく思考を回転させる。

 笑顔と共に礼品を差し出してくるバジウッドにこちらも笑顔で応えて受け取りながら、頭の中では〈伝言(メッセージ)〉でシャドウデーモンへと指示を出していた。

 

『今は取り敢えずその場に待機して奴らの行動を監視しろ。何かあればすぐに報告するように』

『はっ、畏まりました』

 

 短い言葉と共に〈伝言(メッセージ)〉が切られる。ウルベルトは内心で大きな息をつくと、改めて目の前のバジウッドたちへと意識を向けた。

 どうしようかと少しの間思考を巡らせる。

 目の前のバジウッドや隣に座る貴婦人、周りの四騎士を素早く見やり、一つ探りを入れてみようと徐に口を開いた。

 

「……そう言えば、皆さんはどうやって四騎士になったのですか? 試験か……、或いは闘技大会のような物でもあるのでしょうか?」

「いえ、これといった試験や闘技大会のような物はありません」

「まぁ、今後どうなるのかは分からんがな……。……四騎士に興味でもあるのかい?」

「ええ、好奇心から来る興味ではありますが……。宜しければ伺いたいですね」

 

 ワザとらしいまでのニッコリとした笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。

 ニンブルは綺麗なまでの柔らかな微笑を浮かべ、バジウッドは何も勘付いた様子もなく、ただひょいっと肩を竦ませた。

 

「あまり面白い話でもないんだがな……。まぁ、簡単に言っちまえば、俺たちは皇帝陛下直々に仕官するよう勧誘されたのさ」

「私もそうですね。とても光栄なことです」

「……ほう、皇帝直々に…ですか……。それは、皆さんはよほどお強いということでしょうか」

「まぁ、腕っ節には自信があるがな。陛下は能力があれば生まれや身分は問わないお人だし……、有名になれば陛下から声を掛けられる可能性もあるって訳だ」

「なるほど……。では、例えば有名になれば……隣室から突然皇帝陛下が現れて勧誘される、なんてこともあるのでしょうか?」

 

 瞬間、ピシッと空気が一気に張りつめた。まるで戦場のような緊迫した空気。

 小さな呼吸音さえも煩く聞こえそうな静寂の中、不意にそれらを振り払うように小さな笑い声が空気を震わせた。

 

「……フッ、あるかもしれねぇな」

 

 バジウッドがニヤリとした笑みを浮かべ、鋭い双眸でウルベルトを見据えてくる。まるで真正面から受けて立たれたような……、突き付けた刃を受け止められたような、そんな感覚。

 ウルベルトは深い笑みを浮かべてそれに応えながら、しかし内心ではやはりこんな見え透いた鎌かけには引っ掛からないか……と舌打ちを零していた。

 シャドウデーモンを使っての監視及び情報収集の限界を感じ、思わず顔を顰めそうになる。

 対象に気付かれずに観察して動向を探ることに関しては、シャドウデーモンは文句の付け所がないほどに優秀だ。しかし当たり前ではあるが、シャドウデーモンはあくまでも潜んだ影から動向を窺うことしかできない。対象に実際に接触して探りを入れることはできないのだ。

 

(……裏から探れる者……、密偵がほしいものだな。)

 

 唐突にそんな考えが頭を過る。

 密偵……、いや、この場合は密偵というよりも内通者と言った方が正しいだろうか。

 一瞬ドッペルゲンガーを使って成り代わりからの密偵という手段が頭に浮かんだが、しかしそれはバレた時のリスクが断然大きいためすぐに思考を打ち消す。それよりかは内通者を作った方がリスクが少ないように思えた。内通者の影にシャドウデーモンを潜ませておけば、例え内通者がこちらを裏切ろうとしたとしても即対応もできる。

 手っ取り早くここにいる誰かを内通者に仕立てられないだろうか……とウルベルトはそっと目の前の人間たちへと目を走らせた。

 まずは目の前のバジウッド・ペシュメル。

 見た目は荒くれ者といった感じで、言動も荒々しさが目立つ。これまで集めさせた情報からも、彼は元々平民の……それも路地裏で暮らすような身の上だったらしい。一見国や主に忠誠心はないように思えるが、しかしそれは誤りであることをウルベルトは既に知っていた。

 では、彼の隣に座っている貴婦人はどうか。

 チラッと目を向け、しかしウルベルトはすぐさま彼女から視線を外した。

 彼女に関する情報は取り立てて集めさせてはいなかったが、それでも見るからに夫を立てる様な姿にすぐさま彼女を標的にするのは考え直す。第一、彼女の立ち位置ではウルベルトたちの求める情報を手に入れることは難しい様な気がした。

 ウルベルトは目の前の二人から不自然にならないように視線を外すと、次は少し離れたところに座っている三人の人間へと目を移した。

 まずはナザミ・エネック。

 腕を組んだ状態でドカッと椅子に腰を下ろして無言を貫く姿勢は正に“不動”。目を瞑って微動だにしない姿はどこか元の世界(リアル)でのサムライを彷彿とさせるものだった。

 故に、彼は内通者には向かないと即時に判断を下す。忠誠心があるないに拘らず、主を裏切るような行為は嫌悪しそうな気がした。

 次に目を移したのは、ナザミの隣に腰掛けているニンブル・アーク・デイル・アノック。

 席に着いた時から彼はずっと観察するようにこちらを見つめており、時折言葉を挟んでくる時もこちらの配慮が感じられる。集めた情報によると彼は貴族の生まれであるらしく、言動も非常に礼儀正しい。言うなれば“優等生タイプ”であるらしかった。

 これも内通者には向かないな……とウルベルトは思わずため息を出しそうになった。しかし何とかそれを寸でのところで呑み込むと、続いてウルベルトは次の人物へと目を移した。

 最後にウルベルトが目を向けたのはレイナース・ロックブルズ。

 一人で一番離れたソファーに腰掛けている彼女は、こちらを見るどころか顔すら背けて我関せずとばかりに紅茶を飲んでいる。一番取っ付き難く隙がなさそうな人物ではあったが、一方で彼女はある意味、四騎士の中では一番興味深い人物だった。

 集めた情報によると、彼女は元々領地を持つ貴族の娘だったらしい。しかし唯の貴族令嬢ではなく、槍を片手に領地を荒らす魔物を駆逐するような勇敢な少女だったのだという。しかし討伐した魔物から顔に呪いを受けたことにより婚約者から婚約を破棄され、今まで守ってきた親族にすら見放されて追放された。その後、四騎士となって手に入れた力によって家と婚約者への復讐を果たし、今は呪いを解く方法を必死に探しているらしい。行動理念や思考回路は全て己を中心としたものであり、主である皇帝にすら「陛下よりも自分の身を優先する」と宣言しているとか。四騎士の中では彼女が一番皇帝への忠誠心が薄いと言えるだろう。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、心の中でニタリと笑みを浮かばせた。

 

(内通者とするなら、彼女だな……。)

 

 今も尚こちらを見もせずに紅茶を飲んでいる美しい横顔を見つめながら、ウルベルトは強く確信する。

 立場も性格も忠誠心の薄さも申し分なく、加えて何より付け入る隙やこちらに引き入れるための手段さえもがウルベルトにとっては容易なものだった。

 正に優良物件。これで手を出さなければ絶対に後悔するだろう。

 後はどうやって彼女と上手く接触するかが問題だ。彼女がこちらに興味を持っていればまだやり様はあったのだが、今の様子では中々に難しそうである。

 さて、どうするか……と思考を巡らせ、ウルベルトはシャドウデーモンに新たな指示を命じることにした。

 すぐさま一体のシャドウデーモンへと〈伝言(メッセージ)〉を繋げ、手短に命令を言い渡す。

 短い返答と共に切れる〈伝言(メッセージ)〉を感じ取りながら、ウルベルトは改めて目の前のバジウッドへと意識を向けた。

 バジウッドはウルベルトの思考に気が付いているのかいないのか、変わらぬ様子で先ほどからずっと四騎士についてや皇帝の素晴らしさについて長々と語っている。

 ウルベルトはそれに適当に相槌を打ちながら、意識を切り替えて彼の言動を注意深く観察することにした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ワーカーチーム“サバト・レガロ”を屋敷に招いてから二時間強。

 もう少し粘りたかったものの尽く辞退され、バジウッドと四騎士たちは礼と共に去っていく“サバト・レガロ”を見送っていた。

 思わず一つ息をつき、それでいて屋敷へと踵を返す。後ろに妻と四騎士のメンバーを引き連れ、屋敷の中へと引き返していく。

 シャーロットとは途中で別れ、バジウッドたちは今までいた応接室の隣の部屋へと向かうと、ノックと共に扉を開いて室内へと足を踏み入れた。

 

「失礼しますよ、陛下」

「ノックと共に扉を開いては、ノックの意味がないのではないか?」

 

 室内に入って早々、皮肉気な言葉が飛んでくる。

 バジウッドは厳つい顔に小さな苦笑を浮かばせると、次にはひょいっとわざとらしく肩を竦ませた。

 

「まぁ、良いじゃないですか。ここは俺の家なんですし、大目に見て下さいよ」

 

 部屋の奥へと進んでいき、置いてあった椅子へとドカッと腰を下ろす。

 相手が誰であっても変わることのないバジウッドの様子に、陛下と呼ばれた男……現帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 

「仕方がない、大目に見てやろう。それで……“サバト・レガロ”の者たちはどうだった?」

 

 やれやれと首を振った後、次には少し身を乗り出すようにしてバジウッドたちへと問いかける。いつにないジルクニフの様子に、バジウッドは意味ありげに片眉を吊り上げてみせた。

 

「どうだったって……陛下もここで聞いてたでしょう?」

「話は聞いていたが様子は見えていないからな。実際に見て話していたお前たちの感想を聞きたい」

 

 今までの笑みを消して真剣な表情を浮かべるジルクニフに、一気にこの場の空気が引き締まる。

 バジウッドはそれぞれ椅子に腰かけるナザミ、ニンブル、レイナースを順々に見つめると、最後にジルクニフへと目を戻してお手上げのポーズをとった。

 

「いやぁ、あれは相当な曲者ですな。俺じゃあ手に負えませんよ」

「私も同意見です。少なくとも、頭は相当キレるかと……」

「ふむ……、確かに唯者ではないと思われます」

「……………………」

 

 レイナース以外の三人がそれぞれの感想を述べていく。

 ジルクニフも先ほどまで盗み聞いていた彼らのやり取りを思い出しながら一つ頷いて返した。

 何も考えずに会話だけを聞いていれば、唯の世間話にしか聞こえない。しかしだからこそ、相手が予想以上に頭がキレる人物だということが窺い知れた。

 今回ジルクニフはバジウッドとニンブルに会話から“サバト・レガロ”の人柄やチームとしての傾向、過去などを探らせ、ナザミとレイナースに彼らの反応を探らせようとしていた。

 しかし結果は何とも言えない不透明なもの。

 主に会話をしていたのは“サバト・レガロ”のリーダーであるレオナール・グラン・ネーグルだったが、彼はバジウッドやニンブルからの会話や問いかけに、不自然にならないようにのらりくらりと躱したり、上手く違う話題にすり替えたりしていた。

 単なる秘密主義で首を突っ込まれたくないのか、はたまた何か疚しいことでもあるのか……。

 どちらにせよ、唯者ではないことは確かだった。

 

 

「……強さはどうだ? 爺は何か感じたか?」

 

 すぐ後ろに控えるように立っている老齢の魔法詠唱者(マジックキャスター)を振り返って問いかける。

 彼は長年歴代の帝国皇帝に仕えているバハルス帝国が誇る大魔法詠唱者(マジックキャスター)であり、主席宮廷魔法使いでもあるフールーダ・パラダインだった。

 

「………ふむ。残念ながら、あのレオナール・グラン・ネーグルという者にも、他の面々についても、一切何も見えませんでしたなぁ」

「なっ!?」

 

 フールーダの言葉にニンブルが驚愕の声を上げる。

 ジルクニフがニンブルに視線を向ける中、ニンブルは信じられないと言うような表情を浮かべて彼にしては珍しく取り乱したようにフールーダへと大きく身を乗り出した。

 

「そんなはずはありません! 闘技場に参加している時、レオナール・グラン・ネーグルは自分の事を純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だと言っていたのです! それに、実際に闘技場での戦闘では確かに魔力系の魔法を多く使用していたのですよ!!」

「……ああ、確かに俺も見たぜ。間違いねぇ」

 

 ニンブルの言葉に、バジウッドも賛同の言葉と共に一つ頷く。

 フールーダはニンブルとバジウッドをそれぞれ見やると、腰ほどにも長い白い髭を右手でゆっくりと梳き上げた。

 

「……ふむ…、それが本当ならば、もしかすれば探知防御を施しているのやもしれません。その理由までは分かりかねますが……」

 

 純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)は使用できる位階に応じた目に見えぬオーラを身に纏っている。フールーダは“生まれながらの異能(タレント)”によって魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のオーラを見ることが出来た。魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)にも拘らずフールーダの目に何も見えなかったとすれば、それは対象が本当は魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないか、或いは先ほど彼が述べた様に対象が探知防御を行っているかのどちらかだった。

 

「ふふっ、更に興味をそそられるな。……もし仮に私が彼らに手を差し伸べた場合、彼らはこの手を取ると思うか?」

「……それはちょっと難しいんじゃないですかねぇ。少なくとも今はあまりに確率は低いと思いますよ」

 

 ジルクニフのどこかワクワクとした様子に、バジウッドが苦笑を浮かべて頭を振る。

 しかし彼は否定の言葉一つで諦める様な男では決してない。

 元より、バジウッドとニンブルから“サバト・レガロ”の存在について報告を受け、ひどく興味を抱いたから彼は今この場にいるのだ。

 彼らの言うことが全て本当であるならば、是非とも帝国の軍部に所属させたい。今回の事でその気持ちが更に大きくなったような気がした。

 ジルクニフは嬉々として“サバト・レガロ”についての考察や攻略法について語り始めると、バジウッドたちは呆れたような表情や苦笑のような表情を浮かべながらも自分たちの意見を述べていく。

 俄かに騒がしくなり始めた室内に、ただ一人レイナースだけが無言のまま何かを考え込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は過ぎて夜の闇が深くなった深夜0時。

 暗闇が一層深く漂う街外れの一角に、ウルベルトは一人ポツリと佇んでいた。

 周りにはユリの姿もニグンの姿もない。

 ただ一人で佇んで、闇空に浮かぶ細い月を何とはなしに眺めていた。

 

 

「……やはり来て頂けましたね」

 

 不意につり上がった薄い唇と、そこから零れ出る独り言のような言葉。

 ウルベルトは月へと向けていた金色の瞳を地上へと下ろすと、そのまま流れるように暗闇の一点を見据えた。

 耳に痛いほどの静寂の中、コツ…コツ…といった硬質な音が響いてゆっくりと近づいてくる。

 完全な暗闇から月明りの元へと姿を現した人物に、ウルベルトは浮かべていた笑みを更に深めさせた。

 

「待っていましたよ。正直、来て頂けるか心配していました」

「……あなたは一体何者? 私を呼び出して一体何を企んでいるの? ……いえ、それよりもどうやって…」

 

 次々と投げかけられる問いに、しかしウルベルトは軽く片手を挙げることでそれを止めさせた。

 

「私があなたを招いた方法など、今は関係のないことです。今重要なことは、あなたが私の招きに応じたという事実。……そうではありませんか?」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、相手は小さく顔を顰めさせながら黙り込む。

 まるで全てを見透かそうとするかのように鋭い瞳で見つめてくるのに、ウルベルトは更に笑みを深めさせた。

 一歩前へと進み出て、まるで招くように手を差し伸べる。

 

 

「すべて説明しましょう。まずはこちらにどうぞ……レイナース・ロックブルズ殿」

 

 まるでエスコートするかのように差し伸べられたウルベルトの手に、レイナースは警戒しながらもゆっくりと自身の手を重ねた。

 

 



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第33話 新たな幕開け

久々のモモンガ様登場!


 時は少々遡り……――

 ウルベルトが帝国でバジウッドたちと不穏な会話を交わしている頃、リ・エスティーゼ王国のエ・ランテルにある高級宿屋“黄金の輝き亭”の一室では、モモンガが冒険者モモンの格好でそわそわと落ちつきなく寝台の上に腰掛けていた。もしここにナーベラルが共にいなければ、今頃うろうろと部屋の中を徘徊していたかもしれない。

 今日は冒険者組合(ギルド)の談話スペースでニニャとブリタの二人に会うことになっていた。

 その際、彼女たちと同じチームとなる人物を紹介することになっているのだが、モモンガはそれに関して先ほどから大きな不安と猛烈な嫌な予感を感じていた。

 紹介する人物の中にパンドラズ・アクターがいること自体大きな不安になっているというのに、彼の化ける姿やもう一人の人選も全てペロロンチーノに任せてしまっているのだ。今更ながら、彼に全て任せてしまったことを心底後悔していた。

 勿論、アルベドとも相談しながら決めたのだろうから単なる杞憂に終わる可能性だってあるだろう。しかし、いくらそう自分自身に言い聞かせても不安は拭えなかった。

 モモンガは自分の中で感情が沈静化されていくのを感じながら、フゥッと一度大きなため息をついた。

 その時、不意に目の前の空間に現れる楕円形の大きな闇。

 突如現れた転移門(ゲート)に、モモンガは思わずビクッと小さく肩を跳ねさせた。すぐにナーベラルがモモンガの前に立って転移門を睨みながら身構える。しかし闇の扉から姿を現した人物に気が付くと、ナーベラルは慌てて構えを解いてその場に跪いて深々と頭を垂れた。

 

「こ、これは、ペロロンチーノ様! まさか至高の御方とは思わず……、申し訳ありませんっ!!」

「いや、気にしてないから大丈夫だよ。こんにちは、モモンガさん。お待たせしました」

 

 転移門から姿を現したペロロンチーノがナーベラルを諌めながらモモンガへと声をかけてくる。

 モモンガは小さな苦笑の雰囲気を漂わせると、寝台から立ち上がってペロロンチーノを迎えた。

 

「こんにちは、ペロロンチーノさん。……来る時は直前に連絡を入れてくれ。侵入者だと勘違いしてしまうだろう」

「……あー、すみません。以後気を付けます。ナーベラルもごめんな」

「い、いえ! 滅相もございません!」

 

 ナーベラルが慌てて頭を振って再び礼を取るのに、モモンガは更に苦笑の雰囲気を濃くさせる。

 取り敢えずナーベラルの顔を上げさせて立たせると、モモンガは改めてペロロンチーノへと視線を向けた。

 

「それで、準備はできたのか?」

 

 この場にナーベラルがいることもあり、支配者としての堅苦しい口調で問いかける。

 ペロロンチーノもそれを理解しており、不審な表情を浮かべることも小首を傾げることもなく、ただ自信満々な笑みを浮かべて大きく頷いて返してきた。

 

「もう、バッチリですよ! 自信満々です!」

「………そ、そうか……」

 

 ペロロンチーノの態度に反して、何故かどんどん不安になってくる。

 モモンガは心の中で自分を奮い立たせると、覚悟を決めて口を開いた。

 

「……それでは、早速ここに呼んでくれ。共にニニャやブリタの元へ行った方が良いだろうからな」

「了解です! お~い、二人とも、入ってきて大丈夫だぞ~」

 

 モモンガの言葉に大きく頷き、ペロロンチーノが未だ出現している転移門の奥へと声をかける。

 暫く静寂が続き、しかし数十秒後、転移門の闇が小さく揺らめいて二つの影が姿を現した。

 一人は筋骨隆々の人間種の男。健康的な身体つきに反して顔は病人のように青白く、表情も恐怖にか悲嘆にかひどく引き攣っている。身に纏っているのは軽装戦士用の皮鎧で、腰には一振りの刀が腰帯からぶら下がっていた。

 続いてもう一人は……――

 

 

「…ブッホォっ!!?」

「にっ、弐式炎雷様っ!!?」

 

 モモンガとナーベラルの悲鳴のような驚愕の声がほぼ同時に響き渡る。

 ナーベラルが驚愕の表情を浮かべて小刻みに身体を震わせる中、モモンガはすぐ傍に立っているペロロンチーノへと勢いよく身を乗り出していた。

 

「ちょっ! これはどういうことですか、ペロロンチーノさんっ!!」

「えっ、いけませんでしたか? パンドラに弐式炎雷さんに変身してもらったんですけど」

「いけないも何も……大体どうして弐式炎雷さんをチョイスしたんですか、あんた! ……ああ、ナーベラル、落ち着け! 彼はパンドラズ・アクターと言って、お前と同じ二重の影(ドッペルゲンガー)だ! 彼はお前の創造主である本物の弐式炎雷さんではない!」

「ほ、本当に……弐式炎雷様では、ないのですか……? 確かに、至高の御方々の気配は感じ取れませんが……」

「……あれ、そういえばナーベラルを創ったのって弐式炎雷さんでしたっけ……?」

「そうですよっ!!」

 

 途端にペロロンチーノがあちゃ~~……と小さく声を零す。

 “あちゃ~~”じゃねぇ――っ! とモモンガが心の中で声を上げる中、ペロロンチーノは申し訳なさそうな表情を浮かべて未だ驚愕と困惑と悲しみの入り混じったような表情を浮かべているナーベラルへと歩み寄っていった。

 

「……あー、ごめんな、ナーベラル。これは俺が考えなしだったよ。本当に申し訳ない…」

 

 本当に反省しているのだろう、ペロロンチーノは謝罪の言葉と共にナーベラルへと深々と頭を下げた。全身の羽毛も全て力なくしゅんっと垂れ下がっており、見るからに悲哀すら漂っている。

 ナーベラルはハッと我に返ったような表情を浮かべると、次には目の前で頭を下げているペロロンチーノにひどく動揺したようにオロオロし始めた。

 

「そ、そんな……!! ペロロンチーノ様、どうか頭をお上げください!! 私のようなシモベに頭を下げるなどっ!!」

 

 まるで悲鳴のような声を上げて、咄嗟にペロロンチーノへと両手を伸ばす。しかし至高の主の頭を掴んで無理矢理上げさせることなどできる筈もなく、ナーベラルの両手は途中で動きを止めて宙で停止し、そのまま再びオロオロし始めた。

 

「……シモベだろうが何だろうが関係ないよ。俺の配慮が足りなくてナーベラルを傷つけちゃったのは事実なんだし。だから……謝るのは当然だよ。本当に、申し訳ない」

 

 頭を下げたまま謝罪の言葉を繰り返すペロロンチーノに、ナーベラルの白皙の顔が見る見るうちに青白く染まっていく。

 彼女の顔に浮かんでいるのは怒りでも悲しみでもなく、大きな絶望。しかしそれは自身の創造主に関してのものではなく、目の前の至高の主であるペロロンチーノの心を痛ませてしまったという自責の念によるものだった。

 ナザリックのシモベたちにとって、至高の四十一人は等しく絶対の存在である。彼らの言動は全てが正しく絶対であり、その全てが尊い。シモベ風情がその御心を騒がせるなど、決して許されることではなかった。

 どんどんと思い詰めていくナーベラルの様子に気が付いたのは、頭を下げているペロロンチーノではなく、二人の様子を大人しく見守っていたモモンガだった。

 今にも自害しかねないような彼女の様子に内心でため息をつきながら、この場を収拾するべく二人へと歩み寄ってゆっくりと口を開いた。

 

「……もうそのくらいにしたらどうだ。このままでは逆にナーベラルに迷惑をかけてしまうぞ」

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノは漸く下げていた頭をゆっくりと上げる。ナーベラルとモモンガを交互に見やり、最後には再びモモンガへと目を向けて更に背中の四枚二対の翼を垂れ下げさせた。

 

「……でも、ナーベラルを傷つけちゃったし…」

「ナーベラルも、ペロロンチーノさんが反省しているのは分かっているだろう。……なあ、ナーベラル」

 

 同意を求めるようにナーベラルへと声を掛ければ、彼女は何度も大きく頷いてくる。

 忠実なシモベである彼女は、この頷くと言う行動でさえペロロンチーノを貶めてしまう不敬なものであると理解していた。しかしこのままではペロロンチーノが気に病み続けてしまうことも分かっていたのだ。加えてペロロンチーノと同じいと尊き至高の主であるモモンガが、ナーベラルに頷くことを願っていることも、雰囲気で何とか読み取ることが出来ていた。なればこそ、不敬であると戦慄く心を押し殺してでもモモンガに従い首を縦に振り続ける。

 まるで壊れた機械のように必死に首を振り続けるナーベラルにモモンガは内心で苦笑を浮かべながら、それでいて気を取り直すようにペロロンチーノへと再び視線を向けた。

 

「ほら、ナーベラルもこう頷いてくれている。今回の事はこれで良しとしようではないか」

「……うーん、少し納得いかないんですけど……。分かりました。これ以上モモンガさんやナーベラルに迷惑をかけちゃったら本末転倒ですしね」

 

 ペロロンチーノは一つ頷くと、モモンガの言葉に従って、気を取り直させた。ナーベラルも漸く頭の動きを止め、少し安堵したような表情を浮かべる。モモンガも一段落した雰囲気に小さく息をつくと、次には原因となった人物へと改めて視線を向けた。ペロロンチーノとナーベラルも、モモンガにつられるようにして“それ”へと視線を向ける。

 彼らの視線の先には、先ほどから大人しく直立不動で佇んでいる忍者服の男。

 モモンガやペロロンチーノと同じギルド“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドメンバーであり、ナーベラルの創造主でもある弐式炎雷に化けているパンドラズ・アクターを見やり、モモンガは思わず小首を傾げさせた。

 

「……そもそも、何故パンドラに弐式炎雷さんの姿をとらせたんだ? 他の姿もあっただろう……」

「職業的に考えて弐式炎雷さんが一番適任だと思ったんですよ。ニニャちゃんは魔法詠唱者(マジックキャスター)なので後衛ですし、ブリタって子は純粋な戦士なんですよね? こいつも純粋な戦士なので、そうなると後衛が足りないんですよ。この世界の人物の姿を借りる訳にもいかないですし、そうなるとギルメンの中から選んだ方が手っ取り早いかな~と思って……」

 

 “こいつ”という所でパンドラズ・アクターの隣に立っている男を指さしながら話すペロロンチーノに、モモンガも男へと視線を向けた。

 どうにも見覚えのない姿や怯えたような様子に捕虜として捕まえた現地の人間だろうと当たりをつけるも、しかし何故彼が選ばれたのかが分からなかった。

 

「……そもそも、こいつは誰なんだ?」

「あれ、モモンガさんは見てませんでしたっけ? ほら、俺とシャルティアで賊のアジトを襲撃したことがあったじゃないですか。その時に捕えた人間ですよ。名前は確か、ブレイン・アングラウス。この世界では中々に有名みたいですし、武技も使えるみたいなので、同行者にすれば何かと役立つかと思いまして」

 

 モモンガはジロジロと男を見やると、う~む……と小さな唸り声を上げた。

 唯の腕の立つ存在であったなら別の人物を代わりにするのも有りだったかもしれないが、確かに有名な人物が同行者であれば何かと使い勝手は良さそうに思える。となれば、ブレインを同行者から外して代わりの者を選択するよりも、やはりパンドラズ・アクターの方をどうにかするべきなのかもしれなかった。

 純粋な戦士職であるブレインを同行者にする場合、確かに職業で考えれば後衛職を選択するのは正しい。ニニャが魔法詠唱者(マジックキャスター)である以上、残りの後衛職としては野伏(レンジャー)や盗賊、或いは森祭司(ドルイド)といった探知系や癒しの力を持った職業が望ましいだろう。

 そして、この世界の人物の姿を無暗に利用するわけにはいかないというペロロンチーノの考えも、モモンガは賛同できた。

 彼らがこの世界に存在して生きていた以上、少なからず過去や知り合いというものも存在するはずだ。可能性としては低いものの、その知り合いと出会ってしまった場合、不自然なく誤魔化し切ることは中々に難しいことだと思われた。

 そうなれば、おのずと選択肢は絞られていってしまう。恐らくペロロンチーノとアルベドも、そこから更に比較的人間の世界でも違和感なく潜入できる人物を選定したのだろう。

 ここまで説明され、推測が出来れば、ペロロンチーノが弐式炎雷を選択したのも仕方がないように思えてきた。

 

「……大体は理解した。しかし、やはり他のギルメンの姿を無暗にこの世界に晒すのは危険なような気がするな。他のプレイヤーがこの世界にいるとも限らないのだからな」

 

 ナーベラルや他のシモベたちの反応以外にモモンガが懸念するのは、この世界にいるかもしれない他のユグドラシル・プレイヤーの存在だった。

 同じ“アインズ・ウール・ゴウン”のメンバーであれば心配は無用であろうが、しかし他のプレイヤーであればそうはいかない。

 元々ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”はユグドラシルでは極悪ギルドとして名高いギルドであり、そのため敵対ギルドも数多く存在した。ギルドメンバーが全員異形種であったため、それだけで嫌悪されていた面もある。そのため、他のプレイヤーに見つかれば、どんな行動を取られるか分かったものではなかった。アバターの姿や名前などの情報が知れ渡っていないギルドメンバーであればあまり警戒する必要もないのかもしれないが、しかし残念ながら今回ペロロンチーノが選択した弐式炎雷は“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドメンバーとしてそこそこ有名なプレイヤーだった。恐らく彼の名前や姿といった情報は、多くのユグドラシル・プレイヤーに知れ渡っていただろう。彼の姿でもし他のプレイヤーに見つかれば、どんな惨事が起こるか分かったものではなかった。

 

 

「……えー、それじゃあ選択肢がなくなっちゃいますよ…」

 

 心底困ったような声を上げるペロロンチーノに、モモンガも解決策はないかと考え込む。暫く弐式炎雷の姿のパンドラズ・アクターを見やり、漸く徐に口を開いた。

 

「……せめて装備一式を全て変えて、弐式炎雷さんだと分からないようにすべきだな。弐式炎雷さんは確かハーフゴーレムだったから、装備品も人間とあまり変わらないものが装備できたはずだ」

「……それしかないですかね…。分かりました。至急装備品を漁ってきます。宝物殿の物は使用してもオッケーですか?」

「ああ。品質が高すぎなければ問題ない。……〈転移門(ゲート)〉」

「了解です! 急いで準備するぞ、パンドラ!」

「かぁぁっしこまりましたぁーーっ!! それでは一時、失礼させて頂きますっ!!」

 

 今までの静けさはどこへやら。ずっと大人しかったパンドラズ・アクターは大きな声を上げると、そのまま踵を打ち付けてビシッとモモンガへと敬礼をしてきた。弐式炎雷の姿で敬礼すると言う何ともシュールな姿に、モモンガの精神は羞恥と弐式炎雷とナーベラルに対する申し訳なさで大ダメージを受ける。しかし創造主の精神に大ダメージを与えたことなど全く気が付かず、パンドラズ・アクターは踵を返すと、そのままモモンガが開いた転移門へとペロロンチーノと共に消えていった。

 モモンガはフラッと身体を揺らめかせると、ガックリと肩を落として重たく大きな息を吐き出した。

 

「………本当にすまないな、ナーベラル」

「………とんでもございません、モモンガ様」

 

 ナーベラルの声がペロロンチーノの時以上に沈んでいたような気がして、モモンガはもう一度だけ深く大きなため息を吐き出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ペロロンチーノとパンドラズ・アクターが急遽再びナザリックに一時帰還してから約二時間後。

 どうにかこうにか弐式炎雷とは分からないような装備で覆われたパンドラズ・アクターが戻ってくると、モモンガはナーベに扮したナーベラルとパンドラズ・アクターとブレインを引き連れて冒険者組合へと向かっていた。

 因みにペロロンチーノは〈完全不可知化〉のネックレスを身に着けてモモンガのすぐ横を漂っている。

 モモンガはこれからの大仕事について何度も脳内でシミュレーションを行いながら、見えてきた冒険者組合の建物に思わず無いはずの喉をゴクッと鳴らした。

 

(……隣にはペロロンチーノさんがいるし、一人じゃないから何かあっても大丈夫! よし、頑張れ、俺っ!!)

 

 必至に自分に言い聞かせ、意を決して扉に手を掛けて大きく押し開ける。

 中にいた人間たちの視線が自分たちに集中するのを感じながら、モモンガは急ぎそうになるのを堪えてゆっくりと歩を進めた。堂々とした態度を心がけ、階段上の談話スペースを目指す。

 階段を上って早々に目に入る大きなテーブルと、その周りを囲むようにして並べられた多くの椅子。

 その内の二つに腰かける一人の赤毛の女と男に扮した一人の少女を目に止めて、モモンガはそちらへと足先を向けた。二人の少女もモモンガたちの存在に気が付いたようで、ほぼ同じタイミングで椅子から立ち上がって会釈をしてくる。モモンガは軽く手を挙げてそれに応えると、足早にならない程度の足取りで二人へと歩み寄っていった。

 

「お待たせしてしまって申し訳ありません」

 

 まず初めに謝罪の言葉を口にし、身を折って軽く頭を下げる。

 格上の存在であるモモンガの行動に、ニニャは慌てたような表情を浮かべ、ブリタは苦笑を浮かべて後ろ頭をかいた。

 

「い、いえ、そんな! 頭を上げて下さい! モモンさんがとてもお忙しいのは理解していますし、そんなに謝る必要はありません!」

「実際、私たちもそんなに待っていたわけじゃないし……。あまり気にしないでくれると、こちらとしても助かるんだけどね」

 

 二人の言葉に、モモンガはゆっくりと下げていた頭を上げる。本当に気にしていないような二人の様子にモモンガは短く礼の言葉を口にすると、次にはナーベラルたちと共に近くのテーブルを挟んで向き合うような形で椅子へと腰を下ろした。

 窓側にニニャとブリタが並んで席に着き、室内側にモモンガたちが並んで席に着く。

 たった二人の少女に対してモモンガ側はガタイの良い男二人に細身の男が一人と女が一人の計四人。何とも威圧感のある人数とメンバーに、しかしニニャもブリタも気圧された様子は一切なく、ニニャなどは小さな笑みすら浮かべてモモンガへと話しかけてきた。

 

「今日は人を紹介して頂けるとか。……僕のような者にここまでして頂いて、……モモンさんとナーベさんには本当に感謝してもし切れません」

「……いや、これも何かの縁ですしね。それに私は他の“漆黒の剣”の方々を助けることが出来ませんでした。私のチームに入れることもできないと断った以上、これくらいするのは当然の事ですよ」

 

 あくまでも人格者として振る舞うモモンガに、ニニャは疑う素振りも見せずに感動したような表情を浮かべる。

 事実、いくら同じ依頼を請け負った仲だからと言って、モモンガがニニャに対してここまでする必要など一欠けらもなかった。

 その上で、こんな事は当然だと言い切る姿勢に、彼らの様子を遠巻きに見て会話に耳を傾けていた他の者たちはこぞって『あれこそ真の英雄だ!』と感動し、囃し立てていた。

 

「それで……、彼らが紹介してくれる人たちなのかい?」

 

 ニニャの隣で、ブリタが興味津々といった表情を浮かべながら問いかけてくる。

 モモンガも隣に座るパンドラズ・アクターとブレインを見やると、手振りで自己紹介をするように促した。

 

「初めまして、お嬢さん方。私はマエストロと申します。役割としては主に探索や後衛支援が得意ですが、アタッカーとしてもお役に立てると思います。とはいえ、盾の役目は不慣れではございますが……。以後、お見知りおき下さい」

 

 普段よりかは大人し目だが、それでも大袈裟な動作や口調で自己紹介するのはパンドラズ・アクター。

 化けた姿は最初の弐式炎雷から変わってはいなかったが、身に纏う装備を全て一新したため見た目は完全に様変わりしていた。

 デザインの違う仮面に、頭から肩、背中までをフードのように巻いて覆っている漆黒の布。群青色の布製の衣装を身に纏い、黒革製の鎧を右胸部分と左腰から太腿部分に装備させている。見るからに忍者だった本物の弐式炎雷とは打って変わり、こちらは完全に盗賊か暗殺者のような装いだった。

 

「………俺は、ブレイン・アングラウスだ。…よろしく」

 

 パンドラズ・アクターの横で、ブレインも引き攣ったぎこちない笑みを浮かべながら自己紹介をしてくる。

 瞬間、目の前のニニャとブリタが大きく目を見開かせて驚愕の表情を浮かばせた。

 

「……ブ、ブレイン・アングラウス…っ!!?」

「えっ、本物っ!!?」

 

 二人は上ずった声と共に、信じられないというようにマジマジとブレインを見つめた。

 どうやら、彼がそこそこ有名人であると言うのは本当であったらしい。

 二人の様子からそう判断したモモンガは、何とも不思議な感覚に陥って内心で小首を傾げた。

 しかし不意に彼女たちがこちらを振り返ってきたのに気が付いて、改めて彼女たちへと意識を向けた。

 

「……あのブレイン・アングラウスさんと知り合いだなんて……。モモンさんは一体何者なんですか……?」

「……なに、大したことではありませんよ。私の知り合いはマエストロの方で、ブレインはあくまでもマエストロの知り合いですので」

「そう、なんですか……?」

「ええ、そうですとも。……なあ、マエストロ」

「はいっ! モモン殿の仰る通りですっ!! ブレインと私はマブダチですので! ねっ!!」

 

 最後はグリンっと勢いよくブレインへと顔を向けて念を押すパンドラズ・アクター。

 そのあまりの勢いと凄みに、ブレインは無言でガクガクと何度も頭を縦に振って肯定した。彼の顔は今まで以上に蒼褪め、よくよく見ればこめかみにも冷や汗が浮かんで流れ落ちている。モモンガたちの正体を知っているブレインからしてみれば、いろんな意味で切羽詰まってしまっているのかもしれない。

 しかし幸か不幸か、ニニャとブリタはブレインの様子に全く気が付いていないようだった。ただ見つめ合うようなパンドラズ・アクターとブレインを見つめ、感心したような笑みを浮かべている。

 しかしこのままでは、いつ彼女たちが違和感に気が付くか分からない。

 モモンガは今のうちにさっさと話を進めるようと口を開いた。

 

「それで……、私としてはこの二人と組んで四人組のチームで組合に登録すべきだと思うのですが、いかがでしょう?」

「僕としては、とても有り難いお話だと思います。あのブレイン・アングラウスさんが同じチームになってくれると言うのは非常に心強いですし」

「そうね。私も問題はないと思うわ。あなたが推薦してくれる人なら私なんかよりも強いだろうし。この四人なら役割分担も上手くできると思う。マエストロさんとアングラウスさんさえ良ければ、こっちからお願いしたいわ」

 

 ニニャとブリタからの色よい返事に、思わずモモンガとペロロンチーノの顔にニヤリとした笑みが浮かぶ。

 瞬間、まるで言質は取ったとばかりに、早々に話を進ませていくモモンガ。

 改めてパンドラズ・アクターとブレインに対するニニャとブリタの自己紹介を皮切りに、四人でのチームとしての名前や冒険の目的なども詳しく話し合いを行っていく。その際、パンドラズ・アクターが殊の外未知の領域への情報収集などについて重きを置いた発言を多発するのに、モモンガは内心で首を傾げた。とはいえ、それについては反対する理由もないため、モモンガは黙認してパンドラズ・アクターの好きなようにさせる。

 もしかすればペロロンチーノから情報収集について頼まれたのかもしれないと考えながら、ふとあることを思い出してモモンガはペロロンチーノへと〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

『何とか上手く行きそうですね、ペロロンチーノさん』

『そうですね、モモンガさん』

『……これで、この街でのバレアレの二人の役目も終わりました。後でペロロンチーノさんの方から、二人の受け入れの準備をするようにデミウルゴスに伝えておいて下さい』

『ああ、そういえば二人の身柄はデミウルゴスに預けるんでしたっけ。分かりました、伝えておきます』

『バレアレの二人には俺の方から話をしておきます』

『了解です!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉からペロロンチーノの元気な返事が聞こえてくる。

 モモンガは思わずフッと小さな笑みをこぼすと、そのまま繋げていた〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 頭の中で交わしていた会話がなくなったことで、改めて目の前のことに意識を向ける。

 目の前には、久しぶりに一切の翳りのない笑みを浮かべたニニャと、楽し気な笑みを浮かべるブリタ。落ち着いた大人の態度で彼女たちの言葉に相槌を打つブレイン。そして、やはりどこか言動が煩いパンドラズ・アクター。

 メンバーは違うというのに何故か失われた三人の男たちの姿が重なって見えて、モモンガは知らず兜の奥で小さく眼窩の灯りを揺らめかせた。

 消えてなくなったものは二度と元に戻らず、何をも代わりにはなり得ない。しかし今回の件で、少しでも彼女の心が慰められれば良い。

 もはやナザリック以外のモノに対して一切心が動かぬ身になってしまったけれど、それでも彼女に対しては小動物に対する情くらいは持ち合わせているのだから。

 モモンガはニニャをじっと見つめながら、尚も眼窩の灯りを小さく揺らめかせ続けていた。

 

 




ブリタの口調が分からない~~……(死)

当小説でのパンドラズ・アクターの偽名は“マエストロ”に決定しました!
正しくは『芸術家』や『専門家』という意味らしいですが、この場合は『指揮者』として“マエストロ”と命名。
私のセンスのなさは……勘弁して下さい……orz


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第34話 晴れ舞台

今回は無駄に長い上に、大きな割合で原作のネタバレや台詞が占められております。
ご注意ください。


 広大な森の中に存在する巨大な湖。まるで瓢箪を逆にしたような形のその湖には濁った沼地が存在した。

 一部の亜人の集落が幾つか点在するそこは、通常穏やかな営みが繰り広げられている場所である。

 しかし、今現在そこには多くの異形の軍勢が亜人の群と対峙していた。

 動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)獣の動死体(アンデッドビースト)骸骨弓兵(スケルトン・アーチャー)骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)といった総勢約五千ものアンデッドの軍勢。

 対するは五つの部族全てが集まった総勢約千四百程度の蜥蜴人(リザードマン)の群。

 三倍以上もの戦力差があるにも拘らず、しかし劣勢であるはずのリザードマンたちは少しも怯んだ様子も逃げる様子もなかった。

 彼らの背後には守るべき集落があり、逃げ道など存在し得ない。

 正に背水の陣。誰の目から見てもアンデッドの軍勢の方が勝率は高く、リザードマンたちに勝機はないと思われた。

 しかし、彼らの遥か上空に浮かぶ一人の黄金の鳥人(バードマン)は、その顔を覆う仮面の奥で小さく顔を顰めさせていた。

 一定のタイミングで翼をはためかせて宙に停止しながら、軽く腕を組む。

 ペロロンチーノはアンデッドの軍勢とリザードマンの群を交互に見やると、次にはため息にも似た小さな息を吐き出した。

 

(………こりゃ、ちょっとマズいな…。)

 

 アンデッドの軍勢に対して思ったのは、そんな意外な感想だった。

 確かに数でみればアンデッドの軍勢の方が断然有利だろう。それはペロロンチーノも十分理解している。しかし何事にも例外や不測の事態などが存在することをペロロンチーノは実の姉や仲間たちから嫌になるほど教え込まれていた。実際、ユグドラシルの時にはいくらこちらの方が勝機があると判断しても予想外の出来事によって危険な目に合ったことが幾度となくあった。今回の場合はそれに加え、見るからに勝率を下げてしまうだろう要素が幾カ所にも見受けられた。

 まずはここが沼地であること。

 沼地は足がとられやすく、動きも阻害されやすい。普段は陸地で活動するアンデッドと、普段から沼地に棲んでいるリザードマンとでは、動きに明確な差が出てきてしまうことは確実だった。

 次に上げられるのは、リザードマンたちの異様な士気の高さ。

 喜びや恐怖などといった感情の起伏などないアンデッドたちに士気がないのは当たり前ではあるが、それでも相手側に高い士気があるのは不味かった。感情とは案外厄介なもので、動きだけでなく時としてその場の空気や運まで変えて引き寄せてしまう。

 この二点だけででも戦況に大きな変化を与えてしまうことだろう。

 はてさて、どうなることやら……と観察する中、漸く地上に動きがあった。

 沼の水が大きく波打ち、リザードマンたちから大気を揺るがすほどの咆哮が上がる。

 アンデッドの大軍の内、進軍を始めたのはゾンビとスケルトンの軍だった。後ろに配置されているスケルトン・アーチャーとスケルトン・ライダーとアンデッドビーストは未だ動かずその場に待機している。

 一方リザードマンたちはと言えば、一丸となってアンデッドの軍勢へと突撃していった。集落に残っているリザードマンたちもいたが、その数はひどく少数である。

 足並みを揃えて進んでいくリザードマンたちとは逆に、徐々に乱れ始めるアンデッドの軍勢。ペロロンチーノが懸念した通り、ゾンビとスケルトンたちは沼に足をとられて動きが鈍ってしまっているようだった。

 乱れた状態のまま戦闘を開始するアンデッドの軍とリザードマンの群。

 幾ら数の差があるからとは言え、整列した群と乱れた軍とでは誰もが結果は予想できる。

 加えてリザードマンたちが扱う主武器もマズかった。

 剣や槍ではなく鈍器を主とするリザードマンたちの攻撃に、スケルトンたちは成す術もなく破壊されて沼へと次々と沈んでいった。ゾンビたちはスケルトンよりも善戦しているようだったが、それでも動きが通常よりも鈍ってしまっているのは否めない。加えてリザードマンたちの誘導にまんまと嵌ってしまっているような様子も見受けられた。

 思わずやれやれ……と上空でペロロンチーノが緩く頭を振る中、しかし不意に再び動きがあることに気が付いてそちらへと視線を向けた。

 彼の視線の先で、今まで動くことがなかったスケルトン・ライダーが漸く動き始める。スケルトン・ライダーは大きく迂回するように移動しており、どうやらリザードマンたちの背後を突こうとしているようだった。

 狙いとしては悪くない。しかしリザードマンたちがそれを容認するわけもなく、リザードマンたちの集落から三体のリザードマンが出てきて突撃し、更にはスケルトン・ライダーたちは沼地に存在する罠に引っかかってその侵攻を鈍らせた。

 そして時を同じくして、ずっと動きを見せなかったスケルトン・アーチャーも漸く動き始める。スケルトンたちと戦っているリザードマンたちへ何十何百もの矢の雨を降らせ始めた。

 味方であるはずのスケルトンをも巻き込んだ攻撃ではあったが、しかしスケルトンは刺突攻撃は殆ど効かないため何のダメージも負いはしない。次々とリザードマンたちを沼へと沈めていき、しかし行動を起こすのがあまりにも遅すぎた。スケルトン・アーチャーたちが動いたのは殆どのスケルトンの軍が殲滅される寸前のタイミングであり、そのためリザードマンたちは迷うことなく狙いをスケルトン・アーチャーへと変更した。

 未だ続く矢の嵐に怯むことなく、スケルトン・アーチャーへと突撃していくリザードマンたち。

 盾役の前衛がいない状態で彼らの攻撃を防ぐ術があるはずもなく、スケルトン・アーチャーは成す術もなくリザードマンたちの手によって破壊されていった。

 最後に残されたのはアンデッドビースト。

 ウルフやスネークやボアなど……多種多様の動物のゾンビたちが隊列など関係なしにリザードマンたちへと襲い掛かっていく。これまでの戦闘からリザードマンたちは疲労を蓄積させており、アンデッドビーストは予想以上に善戦した。

 しかし、もはや数での優勢状態は逆転してしまっている。

 加えて沼地が突如盛り上がり、次には高さ凡そ百六十センチほどの円錐形の泥の塊が二体姿を現した。

 

「……!? ……あれは、湿地の精霊(スワイプ・エレメンタル)

 

 突然の精霊の登場に、上空で戦場を見下ろしていたペロロンチーノが小さく目を見開かせる。まさかリザードマンがここまでしてくるとは思わず、ペロロンチーノも些か度肝を抜かれる。

 湿地の精霊は触手を伸ばすと、まるで鞭のようにアンデッドビーストを薙ぎ払い、残り少ないスケルトンを掴み取って放り投げ、ゾンビへと巻き付いて四肢を引き裂いていった。アンデッドビーストに怯んでいたリザードマンたちも、湿地の精霊に勇気づけられるように再び力強く得物を振るい始める。

 ここまでくればもはや策も陣形もない様なもので、アンデッド軍もリザードマンたちも混戦へと突入していった。

 激しい戦闘の音や水音。怒号や咆哮や悲鳴。

 遥か上空まで響いてくる騒がしいそれらに、ペロロンチーノはゆっくりと組んでいた腕を解いてため息を出そうとした。

 しかし、その時……――

 

『――……ペロロンチーノ様』

『ん? エントマ?』

 

 不意に頭に繋がったのはエントマからの〈伝言(メッセージ)〉。

 エントマは確かコキュートスのところで彼のお目付け役をしていたはずだ。何かあったのだろうか……とペロロンチーノは思わず小さく首を傾げながら、しかしいつまでも彼女を待たせるわけにもいかず早々に〈伝言(メッセージ)〉に応答した。

 

『どうした? 何かあったのかい?』

『コキュートス様が巻物(スクロール)を使用してデミウルゴス様に〈伝言(メッセージ)〉を繋いでおります。どうやら助言を請うているようですが、如何いたしましょうか?』

『おっと、それは不味い……。分かった、俺の方から今すぐにデミウルゴスに連絡するよ。エントマは引き続きコキュートスの傍で待機していてくれ』

『畏まりました』

 

 エントマの簡潔な了承の言葉と共に〈伝言(メッセージ)〉が切られる。しかしペロロンチーノは息つく暇もなく次はデミウルゴスへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 今現在コキュートスと〈伝言(メッセージ)〉で会話をしているせいか、中々デミウルゴスに繋がらない。

 徐々に焦りが胸に湧き上がってくる中、数十秒後に漸く〈伝言(メッセージ)〉に反応があった。

 

『お待たせしてしまい大変申し訳ございません、ペロロンチーノ様!』

 

 繋がって早々、聞こえてきたのは焦ったようなデミウルゴスの声。

 ペロロンチーノは取り敢えずデミウルゴスを落ち着かせると、次にはコキュートスとの〈伝言(メッセージ)〉の内容について何を話したのかを問い質した。

 焦る気持ちを抑え込み、固唾を呑んでデミウルゴスの言葉に耳を傾ける。

 しかしペロロンチーノの心情とは裏腹に、どうやらデミウルゴスはヒントのような言葉はかけたものの、それ以上は何も話していないようだった。

 思わず内心で安堵の息を吐き出す。

 

『それで……、コキュートスは詳しくは何て言ってたんだ?』

『はっ。“ペロロンチーノ様より、用意された軍で正面から戦うように命じられた以上、小細工などしてはペロロンチーノ様の意向に背いてしまう”と。しかし“自分だけの敗北ならば受け入れるが、ナザリック地下大墳墓ひいては至高の御方々に泥を塗るような真似はできない”と言って助言を申し出て参りました』

 

(……コ、コキュートス…っ!!)

 

 デミウルゴスからの話を聞き、ペロロンチーノは思わず口を手で覆ってズキュンッと胸を締め付けさせた。

 ペロロンチーノが感じたのは、コキュートスに対する強烈な罪悪感と申し訳なさ。先ほどまで、勝手に落胆して、勝手にため息をつこうとしていた我が身が腹立たしく思えてくるほどだ。

 やっぱり賛同するんじゃなかった……と、モモンガやウルベルトの意見に賛成したことを酷く後悔する。

 今目の前の状況は確かにコキュートスにも原因があったのかもしれない。しかし、それよりも何よりも、分かっていてわざと脆弱な軍しか与えなかった自分たちこそが最も悪いと言えるのではないだろうか。

 もしかしたら、今コキュートスは自責の念を感じてしまっているのかもしれない……。

 そう考えるだけで、ペロロンチーノはコキュートスに土下座したくなった。

 

『……ペロロンチーノ様…?』

 

 不意に聞こえてきたデミウルゴスの声に、〈伝言(メッセージ)〉が未だ繋がっていたことを思い出す。

 ペロロンチーノは一つ大きく深呼吸すると、なるべく声音に感情が乗らないように気を付けながらデミウルゴスの声に応えた。

 

『……何でもない、大丈夫だ。コキュートスの件は分かった。もしかしたら、またすぐに招集がかかるかもしれないから、心に留めておいてくれ』

『畏まりました』

 

 落ち着いたデミウルゴスの声と共に〈伝言(メッセージ)〉が切られる。

 ペロロンチーノはもう一度だけ深呼吸すると、気を取り直して地上へと再び目を向けた。

 いつの間にか戦況は大きく変わっていたようで、今は混戦ではなく強者同士の戦いが繰り広げられていた。

 アンデッドの大軍は壊滅し、リザードマンたちの群は大勢の負傷者と共に集落に引き返し、湿地の精霊の姿も既に無い。四つの頭の多頭水蛇(ヒュドラ)がボロボロの状態で沼に沈むように倒れていたが、それよりも一つの存在がペロロンチーノの目を引いた。

 

(……ああ、あいつを出したのか……。)

 

 戦場の真ん中で戦闘を繰り広げている存在を見やり、ペロロンチーノは内心で小さく呟く。

 彼の視線の先には一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が三体のリザードマンと戦っていた。

 あのエルダーリッチはモモンガが死体から創り出した存在であり、今回コキュートスに与えた軍の中では一番レベルが高く、なおかつ唯一知性を持った存在である。レベルは確か22くらい。ナザリックの中では最弱の分類に入るが、しかしこの世界では中々の強者に分類される存在であった。

 あのエルダーリッチが出てきた以上、もはやこの場の勝敗は彼らに委ねられたも同然だ。

 果たしてエルダーリッチが勝つか、それともあの三体のリザードマンたちが勝つか……。

 固唾を呑んで見守るペロロンチーノの心境は、ひたすらエルダーリッチの勝利を願うもの。

 しかしそれは自分たちの顔に泥を塗られるだとか、負けるなんて許せないと言ったような意地でも何でもない。ただ、コキュートスが苦しまないようにという思い故だった。

 ペロロンチーノの視線の先で、エルダーリッチが前衛の盾として四体の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)を召喚する。

 後衛である魔法詠唱者(マジックキャスター)魔法詠唱者が盾を用意するのは正しい選択に思われたが、しかし今回ばかりはその召喚したアンデッドの選択を間違えたようだった。

 二体のスケルトン・ウォリア―は片腕が異様に大きいリザードマンに。そして残りの二体のスケルトン・ウォリアーは白い鱗のリザードマンにそれぞれ行動を阻害される。

 二体のリザードマンが作り出した空間を、最後の一体のリザードマンが勢いよく駆け抜けていった。

 ここから始まるのは一体のエルダーリッチと一体のリザードマンによる一騎打ち。

 いや、リザードマン側は時折白いリザードマンから補助魔法を受け取っているため完全な一騎打ちとは言えないだろう。

 ともあれ、接近戦での魔法詠唱者(マジックキャスター)と戦士の戦いは、幾つもの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉と幾つもの斬撃による単調な長期戦へと雪崩れ込んでいった。

 二体の周りでは白いリザードマンが湿地の巨腕(スナップ・グラスプ)を召喚し、四対三の激戦を繰り広げている。

 もはやどちらも余裕など存在しない。

 二体のスケルトン・ウォリアーとスナップ・グラスプは互いを破壊尽くし、白いリザードマンは沼に倒れ伏しながらもなお治癒魔法を唱え続け、巨腕のリザードマンは残りの二体のスケルトン・ウォリアーと戦い、エルダーリッチとリザードマンは終わりの見えない死闘を繰り広げている。

 永遠に続くようにも思える激闘。

 しかしそれらは、スケルトン・ウォリアーが全て打ち倒され、それによってエルダーリッチが新たな行動を起こしたことで突如終わりを迎えた。

 唐突に今まで戦っていたリザードマンへと背を向け、エルダーリッチは力尽きた様に沼に倒れ伏した二体のリザードマンたちへと突撃していく。

 エルダーリッチの狙いを正確に読み取り、ペロロンチーノは思わず小さく目を細めさせた。

 彼が狙っているのは生贄という名の駆け引き。賭けに勝てば勝率は一気に高まり、しかし賭けに負ければ一気に窮地に陥ってしまう。

 思わず固唾を呑んで注視する中、エルダーリッチを追いかけていた最後のリザードマンが握っていた氷のような得物を勢いよく振り抜いた。

 瞬間、勢いよく噴き出す白い冷気の渦。

 まるで濃霧のように視界を遮り、全てを包み込んで呑み込んでいく。

 恐らく中にいるエルダーリッチやリザードマンたちは視界が効かない状態に陥っているだろう。しかしペロロンチーノだけは視界の阻害に対する完全耐性と完全看破能力を有しているため、問題なく戦場の様子を把握することが出来ていた。うろうろと揺らめくエルダーリッチを見やり、リザードマンはどこにいるのかとペロロンチーノも視線を巡らせる。

 瞬間、大きな動きが視界に映り、ペロロンチーノは思わず空中で身を乗り出していた。

 

「マズいっ!!」

 

 思わず声を上げるも、その声が誰かの耳に届くはずもなく……。

 冷気の霧を利用してエルダーリッチへと近づいていたリザードマンは、そのまま握り締めた得物を勢いよくエルダーリッチの顔面へと振り下ろした。エルダーリッチも漸くリザードマンの接近に気が付いたようだったが時すでに遅く、リザードマンの刃がエルダーリッチの顔面に深く突き刺さる。エルダーリッチは最後の抵抗とばかりにリザードマンの首に手を伸ばして締め付けているようだったが、しかし軍配はリザードマンに上がったようだった。

 リザードマンが右手の拳を振り上げて得物の柄を殴りつけ、それによってエルダーリッチの顔面に突き刺さっていた得物が更に深く突き刺さって貫通する。

 エルダーリッチはボロボロと全身を崩れさせながら、最後には無念の表情を浮かべて無へと消えていった。

 最後に残ったのは沼へと倒れ伏した三体のリザードマンたちだけ。満身創痍でピクリとも動かないが、どうやら命は繋ぎとめているようだ。

 ペロロンチーノは思わず嘆きのため息を大きく吐き出すと、肩を落としながらモモンガへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 数秒後、まるで待ち構えていたかのようにすぐさま〈伝言(メッセージ)〉が繋がる。

 

『……ペロロンチーノさんですか。どうしました?』

『………リザードマンとの戦闘が終わりました。残念ながら、負けちゃいましたよ』

『そうですか……。では、至急ナザリックの玉座の間に集まりましょう。守護者たちには俺の方から連絡しておきます。ペロロンチーノさんはウルベルトさんに連絡をお願いできますか?』

『……分かりました。ウルベルトさんに連絡を取った後、俺もナザリックに帰還します』

 

 モモンガの言葉に一つ頷いて、そのまま〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 続いて次はウルベルトへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 こちらはモモンガとは違い、繋がるのに数十秒の間が空く。

 漸く繋がって聞こえてきたのは、どこか訝しげな不機嫌そうな声だった。

 

『……どうした、ペロロンチーノ。また何か厄介ごとか?』

『厄介ごと……と言えば、厄介ごとですかね。……コキュートスがリザードマンの集落への侵攻戦で負けました。今、モモンガさんが守護者たちに招集をかけているので、ウルベルトさんもナザリックに戻ってきて下さい』

『……ああ、そういえばリザードマンとの戦闘は今日だったか。……負けたのか?』

『負けました。完敗です。これからの事もありますし、ナザリックの玉座の間に来て下さい』

『そうか、負けたか……。今日は人と会う約束があったんだが、仕方ないな。……分かった、予定を変更して今すぐ戻る』

『お願いします。俺もすぐにナザリックに戻ります』

 

 ペロロンチーノは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、次には視線を転じて地上を見下ろした。

 地上の沼地では、生き残ったリザードマンたちが勝利の歓声を上げ、喜びの歌を歌っている。

 ペロロンチーノは暫く上空でリザードマンたちを睨み下ろすと、次にはフイッと視線を外して方向転換した。翼を大きくはためかせ、最速の速度で空を駆ける。

 ペロロンチーノは約一時間という驚きの速さでナザリックへと帰還すると、出迎えに来たシズとシャルティアを連れて第十階層へと一気に降りていった。

 その際、直接玉座の間に行ってしまっても大丈夫だろうか……と少しだけ思案する。しかしモモンガが“玉座の間に集合”と言った以上、その通りにした方が良いだろうとすぐさま考え直した。逆に変に勘ぐって集合が遅れてしまっては元も子もない。

 ペロロンチーノは第十階層の玉座の間の手前にあるソロモンの小さな鍵(レメゲトン)まで来ると、そこに一つの人影があることに気が付いた。シャルティアとシズもその存在に気が付き、人影に向けて深々と頭を下げる。

 こちらの気配に気が付いたのか一人佇んでいた人影……ウルベルト・アレイン・オードルは、こちらを振り返ったとほぼ同時に山羊の顔に小さな笑みを浮かばせた。

 

「早い到着だな、ペロロンチーノ」

「ウルベルトさんこそ早いじゃないですか。人と会う約束をしてるって言ってましたけど、大丈夫だったんですか?」

「ああ、相手には連絡を入れたからな。問題ないさ」

 

 気のない様子で肩を竦ませるウルベルトに、ペロロンチーノは思わず小さな苦笑を浮かばせる。

 しかし、ウルベルトがすぐに真剣な表情を浮かべたのに気が付くと、ペロロンチーノもつられるように真剣な表情を浮かばせた。

 

「それで? 〈伝言(メッセージ)〉では負けたとしか聞かなかったが、詳しくは何があったんだ?」

 

 言外に、ただ単に負けた訳じゃないんだろう? と問いかけてくるウルベルトに、ペロロンチーノは思わず後ろに控えているシャルティアとシズをチラッと見やった。未だモモンガも他の守護者たちも集まっていないこの場で、シャルティアとシズの目の前で無暗に話して良いような内容ではないと咄嗟に判断する。

 ペロロンチーノはウルベルトのすぐ傍まで歩み寄ると、長い山羊の耳へと嘴を寄せた。シャルティアやシズには聞こえないように気を付けながら、掻い摘んで自分が見てきた戦いの様子を説明していく。

 ウルベルトは暫く大人しくペロロンチーノの話に耳を傾けていたが、話を聞き終わると金色の瞳を小さく細めさせた。寄せていた顔をゆっくりと離すペロロンチーノを見やり、長い顎髭を扱きながら小首を傾げる。

 

「なるほど。……それで、お前はさっきから何をそんなに心配しているのかね?」

「……ぅっ……」

 

 ペロロンチーノの嘴の奥から小さな呻き声のような音が零れ出る。

 ペロロンチーノは落ち着かない様子でそわそわと小さく四枚二対の翼をはためかせていたが、次には観念したように深く大きなため息を吐き出した。

 

「……その…、ウルベルトさんとモモンガさんが怒って、コキュートスを罰さないか心配で……」

「……?」

 

 ペロロンチーノの予想外の言葉に、ウルベルトは思わずキョトンとした表情を浮かべる。マジマジと目の前の鳥頭を見やり、更に大きく首を傾げさせた。

 

「………何でコキュートスを怒って罰さないといけないんだ?」

「だって、コキュートスは負けちゃいましたし……」

「いくら負けたからって、それだけで怒って罰するわけないだろ。第一、コキュートスはわざと負けた訳じゃないんだろう?」

「勿論です! コキュートスはそんなことしてませんよ!」

 

 勢いよく身を乗り出して声高に言い募るペロロンチーノに、ウルベルトはフンッと鼻を鳴らしてニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「なら、怒る必要なんて何もないじゃないか。ワザとならいざ知らず、懸命にやって失敗しただけなら怒る理由自体存在しない。モモンガさんも、その辺りは分かっているさ」

 

 自信満々に言ってのけるウルベルトに、ペロロンチーノは漸く安堵の息をつく。

 どうやら心底心配していたようで、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 

「……そう、ですね。ウルベルトさんもモモンガさんも、そんな人じゃないですもんね」

「少しは安心したか?」

「はい、お陰様で」

 

 柔らかな笑みと共に一つ頷くペロロンチーノに、ウルベルトも小さな笑みを浮かばせる。

 ペロロンチーノの後ろではシャルティアとシズが不思議そうに小首を傾げており、少女たちの可愛らしい様子に二人は軽い笑い声を上げた。

 

「いや~、ちょっとだけ気が楽になりましたよ。……さっきのウルベルトさん、ちょっとだけカッコよかったですよ」

「何言ってる。俺はいつも格好いいんだよ」

 

 冗談めかした会話に、更に二人の笑い声が零れる。

 そんな中、不意にカツン……カツン……といった硬い音が聞こえてきて、この場にいる全員が反射的に後ろを振り返った。薄暗い廊下の奥から、見慣れた骸骨がゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 

「二人とも楽しそうだな。何を話していたのだ?」

 

 シャルティアとシズがいたこともあり、モモンガが堅苦しい口調で問いかけてくる。

 二人は顔を見合わせると、次にはウルベルトがニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「俺の格好良さについて話してたのさ」

「え、なんですか、それ……?」

 

 自信満々に胸を張る山羊頭の悪魔に、多くの疑問符を頭上に浮かべる骸骨。

 ペロロンチーノは目の前の光景を見つめると、再び楽し気な笑い声を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉座の間に全員が集まったのは、ペロロンチーノがモモンガに戦闘の結果を報告してから約三時間後。三つ用意された玉座には、中心にモモンガ、右隣にウルベルト、左隣にペロロンチーノと、それぞれが腰を下ろしていた。

 彼らの斜め前には司会のようにアルベドが立っており、目の前には五人の異形が一列に並んで跪き深々と頭を下げている。

 モモンガたちから見て左から順に、第一から第三の階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン、第五階層守護者コキュートス、第六階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ、第七階層守護者デミウルゴス。第四、第八階層以外の階層守護者が勢揃いする中、まず初めに口を開いたのは、この場でただ一人立っているアルベドだった。

 

「顔を上げ、至高の御方々のご威光に触れなさい」

 

 彼女の声が向けられたのは、一列に並んだ守護者たち。

 彼らは深く下げていた頭を上げると、一心に玉座に座るモモンガたちを見つめてきた。

 

「モモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様。ナザリック階層守護者、御身の前に揃いましてございます」

 

 アルベドもこちらへと振り返り、立ったままの状態で深々と頭を下げてくる。

 モモンガとウルベルトとペロロンチーノは互いに顔を見合わせると、一つ頷き合ってまずはモモンガが口を開いた。

 

「守護者たちよ、よくぞ我らの前に集まってくれた。まずは、デミウルゴス」

「はっ!」

 

 モモンガの声に、デミウルゴスが応えるように再び頭を下げる。

 

「バレアレの両名はそちらに送ったが、受け取り作業は無事に完了したか?」

「勿論でございます! 全ては順調に事が進んでおります」

 

 改めて顔を上げて嬉々とした声音で答える悪魔に、モモンガたちは鷹揚に頷く。

 次に口を開いたのはペロロンチーノだった。

 

「次に……、コキュートス」

「ハッ!」

 

 ペロロンチーノの声に応え、コキュートスがより一層頭を下げてくる。

 まるで懺悔するような……、首を差し出して断罪されるのを待っているような姿に、ペロロンチーノはひどく胸を痛ませた。出来ることならすぐさま駆け寄って、思い詰める必要などないのだと頭を上げさせてやりたい。しかしこればかりはモモンガによって禁止されていたため、ペロロンチーノはどうしても行動に移すことが出来なかった。

 そもそも、こういったことを発言するのはギルド長であるモモンガの役目だ。しかし今発言しているのはモモンガではなくペロロンチーノであり、それはペロロンチーノが懇願して、モモンガが条件付きで許可したからに他ならなかった。

 モモンガが出した条件とは、無暗矢鱈にコキュートスに甘い言動を取らないこと。あくまでもコキュートスに進軍を命じた主人としての態度を貫くこと。

 コキュートスに対して並々ならぬ罪悪感を感じているペロロンチーノにとっては非常に厳しい条件ではあったが、ペロロンチーノは内心半泣きになりながらも心を鬼にして更に言葉を続けた。

 

「……エントマから報告を受けた。リザードマンたちに負けたみたいだな」

 

 ここでは敢えてエントマから聞いたことにしておく。

 心配で様子を見に行き、上空で密かに見守っていたなど、モモンガからの条件がなくても恥ずかしくて言える訳がない。

 ペロロンチーノの心情に気が付いていないコキュートスは、ただ身を硬くして頭を下げ続けていた。

 

「ハッ! コノ度ハ私ノ失態、誠ニ申シ訳アリマセン! コノ……――」

「御方々様に対して失礼でしょ、コキュートス。謝罪をするなら面を上げなさい!」

「失礼シマシタ!」

 

 コキュートスの謝罪の言葉を遮り、アルベドが厳しい声で叱責する。

 しかしペロロンチーノは内心で悲鳴を上げていた。

 

(いや~~、アルベドやめたげて~~っ! 違うって、俺たちも悪かったんだって! だからそんなに責めないであげて! さっきの態度も、別にそんなに気にしてないから!!)

 

 罪悪感のあまり、精神的に息も絶え絶えになってしまう。

 しかし、こんなところでへこたれている場合ではない。コキュートスを助けられるのは俺しかいない! とばかりに、ペロロンチーノは血涙を流す思いで片手を軽く挙げると、アルベドを押し留めて顔を上げたコキュートスを見やった。

 

「……コキュートス、最初に一つだけ言っておく。俺もモモンガさんもウルベルトさんも、お前に対して一切怒ってはいないよ」

「「「っ!!?」」」

 

 コキュートスだけでなく、アルベドやデミウルゴス以外の全ての守護者たちも驚愕の表情を浮かべてくる。

 ペロロンチーノは一度大きく深呼吸をすると、心を何とか落ち着かせて再び口を開いた。

 

「何故なら、お前はわざと負けたわけではないからだ。故意に負けたのであれば相応の罰を受けてもらう必要があるが、そうでないのなら怒る理由も罰する必要もないだろう」

「……シ、シカシ……!!」

「重要なのは、その失敗から何を学び取るかだ。コキュートス、今回の事を振り返って、何がいけなかったのだと思う? どうしたら勝てたと思う?」

 

 一部ウルベルトの言葉を使わせてもらいながら、まるで子供を諭すように問いかける。コキュートスは何事かを考え込んでいるようで、すぐには返答をしてこなかった。

 しかしペロロンチーノもモモンガもウルベルトも、一切彼を急き立てるようなことはしない。ただじっと考えがまとまるのを待ち、コキュートスが漸く口を開く素振りを見せた瞬間に手振りだけで優しく促した。

 

「リザードマンタチヲ甘ク見テオリマシタ。侮リヲ捨テ、モット慎重ニ行動スベキデシタ」

「うん。他には?」

「ハイ、情報モ不足シテイマシタ。相手ノ実力ヤ武器、戦場ノ地形。ソウイッタモノガ不確カナ状態デハ勝算ハドウシテモ低クナルト思イ知リマシタ」

「なるほど。後は何かあるか?」

「指揮官ノ不足モ問題デシタ。低位ノアンデッドナノデスカラ、臨機応変ニ指令ヲ下セル存在ヲ付ケルベキデシタ。マタ、リザードマンノ武器ヲ考慮シ、ゾンビヲ主ニブツケテ疲労ヲ誘ウ、モシクハ個別ニ動カサズ全テヲ一度ニブツケルベキデシタ」

「ふむふむ。後は?」

「……申シ訳アリマセン。スグニ思イツクノハコノ辺リガ……」

 

 畏まったような態度を見せるコキュートスに、しかしペロロンチーノは仮面の奥で一気に破顔した。コキュートスの解答は予想以上のもので、モモンガたちの期待に十分応えられるものだった。

 勿論完璧な解答では決してない。モモンガたちからすれば、もう少し気になる点や修正すべき点は存在する。

 しかしそれでも、先ほどのゼロの状態と比較すれば十分すぎる成長だと言えた。

 

「いやいや、見事だよ、コキュートス! よくそこまで分析できた! お前は立派に役目を果たしたよ!」

 

 子供の成長を喜ぶような心境で、思わず感情のままにコキュートスへと称賛を贈る。しかしそれは一つの咳払いによってすぐさま止められることとなった。

 音の方角を振り返れば、モモンガがわざとらしく右手拳を口元に添えており、その隣ではウルベルトが面白そうな笑みを浮かべている。

 ここで漸くモモンガとした条件のことを思い出し、ペロロンチーノは慌てて口を閉ざして無意識に前屈みになっていた体勢も元に戻した。

 先ほどとは打って変わり、玉座の間が痛いほどの静寂に支配される。

 誰もが身動ぎすらしない中、先ほど咳払いを響かせたモモンガがコキュートスへと眼窩の灯りを向けてゆっくりと口を開いた。

 

「コキュートス、一つだけ聞きたい。お前は先ほど至らぬ点や改善点を述べていったが、何故最初からそうしなかったのだ?」

「……恥ズカシナガラ、考エ付キマセンデシタ。単純ニ力デ押セバ良イト思ッテオリマシタ」

「ふむ、なるほど。しかし、今回の敗北で先ほどの点に気が付いたわけだな? 宜しい! ならばお前の失敗は決して無駄ではなかったと言う訳だ」

「一つの失敗から何かを得ることはとても重要なことだ。それが出来たと言うならば、先ほどのペロロンチーノの言う通り、もはやお前に罰を与える必要もない。……リザードマンたちの情報も追加で手に入ったわけだしな」

「アリガトウゴザイマス、ペロロンチーノ様、モモンガ様、ウルベルト様!」

 

 モモンガたちの優しい言葉に、コキュートスが感極まったように深々と頭を下げてくる。

 今までの緊迫した空気が柔らかく緩められる中、しかしそれを引き留めるかのようにウルベルトがコキュートスからモモンガへと視線を移した。

 

「……とはいえ、こちらが負けてリザードマンたちが生き残ったのは事実。どうするかね?」

「う~ん、次はもう少し強力な大軍を送り込んでみます? 量も増やせば押し潰せそうですし」

「………そうだな…」

 

 ウルベルトの質問とペロロンチーノの意見に、モモンガが顎に右手を添えて考え込む。

 モモンガたちにとってリザードマンたちを殲滅することは既に決定事項である。後はその方法を検討するだけなのだが、しかしここで彼らの判断に異を唱える声が響いてきた。

 

「モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様! オ願イシタイ義ガゴザイマス!」

 

 瞬間、モモンガたちの動きがピタッと止まった。いや、三人の動きだけでなく、この場の全てが一瞬で動きを止める。

 モモンガたちは思わず顔を見合わせると、次には静かに聞こえてきた方角へと視線を向けた。

 視線の先にはコキュートスが傅いており、思わずマジマジとその巨体を見つめてしまう。

 コキュートスは一瞬怯んだような素振りを見せたが、意を決したように少しだけこちらに身を乗り出してきた。

 

「何卒! 至高ノ御方々様!」

「愚か!!」

 

 コキュートスの縋るような声に、しかし応じたのは鋭く高い声。

 声の主はモモンガたちではなく、憤怒の表情を浮かべたアルベドだった。

 

「栄えあるナザリックに敗北をもたらし、御方々様の深きお慈悲によって救われた身でありながら、更に慈悲を乞うなどと!! 己が分を弁えなさいっ!!」

 

 彼女の言葉はナザリックのモノであれば誰しもが心得ているもの。ナザリックのモノならば、誰もが彼女と同じことを思ったことだろう。

 しかし、唯一それに当て嵌まらない存在も確かに存在した。

 それはナザリック地下大墳墓の主にして至高の四十一人。

 彼らの主人であるモモンガたちは漸く気を取り直すと、取り敢えずアルベドを宥めながら改めてコキュートスを見やった。

 

「まぁまぁ、アルベド、落ち着いて」

「このタイミングで何かを願い出るとは、少し興味があるな……。コキュートス、構わない。お前の言うお願いしたい儀とやらを教えてくれないかね?」

 

 ペロロンチーノがアルベドを宥め、モモンガが黙ったままコキュートスを見つめる中、ウルベルトが面白そうな笑みと共に問いの言葉を投げかける。しかし中々続きの言葉を口にしないコキュートスに、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かばせた。

 今更口を出したことを後悔しているのか、それともアルベドに叱責されて委縮してしまったのか……。

 ウルベルトはやれやれと緩く頭を振りながらも、安心させるように柔らかな笑みを浮かべながら促すように軽く手を差し伸ばした。

 

「ほら、言ってごらん。一度口に出した以上、それは貫かなければならないよ」

 

 柔らかくかけられた言葉は、正に優しくも恐ろしい悪魔の囁き。

 尤もウルベルトとしては全くそのつもりはないのだが、その言葉はコキュートスに更なる緊張と覚悟を抱かせた。

 

「……リザードマンタチヲ皆殺シニスルノハ反対デス。何卒ゴ慈悲ヲ」

「……ほう……」

 

 コキュートスの声だけでなく、ウルベルトの相槌の声も異様に大きく響き渡る。

 彼らの目の前ではアルベドが怒りに更に顔を歪ませ、他の守護者たちは困惑と驚きの表情を浮かべていた。

 極限まで張り詰めた空気。

 誰もがあまりに予想外の事に口を閉ざす中、しかし一人だけ空気も読まずにあっけらかんとした声を零してきた。

 

「……別に良いんじゃないですか?」

「こら、簡単に了承するな。まずは、こんな事を言い出した理由を聞くのが先ではないかね?」

「ふむ、ウルベルトさんの言う通りだな。コキュートス、理由を聞かせてくれるか?」

「ハッ! 今後、彼ラノ中カラ屈強ナ戦士ガ出現スル可能性ガアリマス。故ニココデ皆殺シニシテシマウノハモッタイナイカト思ワレマス。今後ヨリ強イリザードマンガ生マレタ時ニ、ナザリックヘノ忠誠心ヲ植エ付ケ、部下トスルノガ利益ニナルカト判断シマシタ」

 

 コキュートスからの進言の内容に、モモンガたちは思わず感心の声や吐息を小さく零していた。

 モモンガとペロロンチーノは、大きく成長した姿故に。

 ウルベルトは、コキュートスの姿や考え方に、彼の創造主である武人建御雷の姿を重ねて見えたが故に。

 ペロロンチーノは嬉しそうな笑みを浮かべると、改めてモモンガへと顔を向けた。

 

「良いんじゃないですか? 元々リザードマンたちを殲滅しようと思ったのは避難所を建設するためですし。リザードマンたちを仲間にして避難所の防衛に使えれば、外部の目くらましにもなりますよ」

「ふむ……。だが防衛面で言えば、リザードマンどもを殺してアンデッドにした方がよっぽど使えるのではないか?」

「え~、それだと全く目くらましにならないじゃないですか。ユグドラシルでは、ナザリックの周りの沼にいたのはアンデッドじゃなくて蛙でしたし」

「それはそうだが……」

 

 ペロロンチーノの言に、モモンガがう~む……と小さな唸り声を上げる。

 ペロロンチーノとしてはコキュートスへの罪滅ぼしとばかりに、彼の願いを何とか聞き届けようと必死になっていた。これでは決定打が足りないと判断すると、援軍を得るために次はウルベルトへと矛先を向ける。

 

「ウルベルトさんもそう思いますよね!」

 

 拳を握りしめて勢いよく同意を求める。

 ウルベルトはモモンガ、ペロロンチーノ、コキュートスと順に視線を巡らせると、最後にはモモンガとペロロンチーノに視線を戻して皮肉気な笑みを浮かべてみせた。

 

「……まぁ、良いんじゃないか? モモンガさんの意見も一理あるが、しかし問題なのはリザードマンたちはこの世界の住人であり、モモンガさんが創り出すアンデッドはこの世界の住人じゃないって所だ。この世界に武技や“生まれながらの異能(タレント)”やレベルアップというシステムが存在する以上、それらを我々が取得する術が見つかっていない現状では、リザードマンたちの方が強さを極める可能性を秘めていると言えるだろうねぇ」

「……………………」

 

 言外に将来生まれるかもしれない強者の確保と、リザードマンたちを使っての実験を提案するウルベルトに、モモンガは思わず黙り込んで思考を巡らせた。

 確かにウルベルトの提案はとても魅力的であり、説得力もあるように思われた。加えてペロロンチーノの発言も加味すれば、更に説得力が増してくる。

 モモンガは考え得るメリットとデメリットを比較して検討すると、最後には諦めた様に大きなため息を吐き出した。

 

「……良いだろう。ではこれより、リザードマンの集団は殲滅から支配へと変更する。異論のある者は手を挙げて伝えよ」

 

 モモンガの言葉に、しかし守護者たちからは一切の言葉は発せられない。

 無言の了解の空気に、モモンガたちは一つ頷いた。

 

「宜しい。では、それで決定とする。リザードマンを支配下に置いた後はコキュートスが奴らを統治せよ。方法は恐怖によるものでも、それ以外のものでも、どちらでも良い。重要なのは我らへの忠誠心を植え付けることだ。適切だと思う方法で統治せよ」

「言い出したのはお前自身だ。責任を持って統治するようにね」

 

 まるでペットを強請る子供に責任を言い聞かせる親のように、ウルベルトがコキュートスへと言い聞かせる。

 コキュートスはその言葉に深々と頭を下げて応えた。

 

「畏マリマシタ。不安モ多イタメ、オ力添エノ程、宜シクオ願イシマス」

「勿論だよ。必要なものがあれば遠慮なく言ってくれ」

「アリガトウゴザイマス。コノコキュートス、御方々様カラ頂イタ御慈悲ニ見合ウダケノ働キヲオ約束シマス!」

 

 モモンガたちはその言葉に鷹揚に頷くと、次はこれからの具体的な動きについて話を戻すことにした。

 

「では、これからの具体的な動きだが……」

「折角だから皆で出撃しませんか? 俺たちの力はこんなもんじゃないって、リザードマンどもに見せつけてやりましょうよ!」

「ふむ……。コキュートス、我々の力を誇示した場合、統治に差し障りはでるか?」

「……イエ、問題ハナイカト思ワレマス」

 

 少し考え込んだ後、コキュートスがすぐさま返答してくる。

 モモンガとペロロンチーノが頷き合う中、不意にウルベルトの金色の瞳が怪しく光り輝いた。

 

「我ら“アインズ・ウール・ゴウン”の出撃か……。よし、私が最高の演出を組み立てるとしよう! アルベド、デミウルゴス、コキュートス、一緒に来い! 悪名高き“アインズ・ウール・ゴウン”の晴れ舞台を飾るために会議を開くぞ!」

「はい、ウルベルト様!」

「畏まりました、ウルベルト様」

「畏マリマシタ」

「えっ、ウルベルトさん!?」

「ちょっ、まっ……!!」

 

 モモンガやペロロンチーノの制止も虚しく、ウルベルトはアルベドとデミウルゴスとコキュートスを引き連れると、さっさと玉座の間を出て行ってしまう。

 残されたのはポカンとした表情を浮かべたモモンガとペロロンチーノとシャルティアとアウラとマーレ。

 モモンガは深く重いため息を吐き出すと、シャルティアとアウラとマーレそれぞれに指示を出した後、ペロロンチーノと共に急いでウルベルトを追うのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 異常を察知して正門に辿り着いたリザードマン――ザリュース・シャシャは、門の外の沼地を見やり驚愕に目を見開いていた。

 彼の視線の先……沼の向こう側の岸辺には隊列を組んでいるスケルトンの軍。五千を超えるその大軍に、ザリュースは思わず大きく顔を顰めさせた。

 あまりにも早すぎる……。

 それがザリュースの正直な感想だった。

 アンデッドの大軍と刃を交えたのはつい昨日の事。にも拘らず、まるでこちらを嘲笑うかのように見えない相手はすぐさま更なる大軍を送ってよこしてきた。加えて信じられないことに、目の前のスケルトンの軍は全員が魔法の防具を身に纏い、魔法の武器を手に携えている。

 まるで神話に出てくるような軍勢を目の当たりにしているようで、ザリュースは思わず苦々しく奥歯を噛みしめた。

 しかし、こんなものは序の口であるとすぐに思い知らされることとなった。

 

「おい! なんだ、ありゃ!?」

 

 不意に左隣に立っていた片腕が異様に太いリザードマン――ゼンベル・ググーが驚愕の声を上げる。反射的に視線を巡らせたザリュースもまた、それ(・・)に再び大きく目を見開かせた。

 彼らの視線の先にあったのは、三十メートルを超える巨大な岩の塊。だがただの岩では決してなく、二足二腕の人型をした、独りでに動く巨像だった。

 巨像は胸部から上を森の高い木々から覗かせながら、ただじっとこちらを見つめている。しかし幸か不幸かそれは長くは続かず、巨像はのっそりと動いたかと思うと、これまた巨大な何かを頭上まで担ぎ上げて勢い良くこちらへと投げつけてきた。

 巨像が立っている場所からここまではそれなりの距離がある。

 しかし巨像が投げた何かは一直線にこちらへと飛来すると、凄まじい地響きと共に沼の泥水を頭上高くへ吹き飛ばした。瞬間、まるで雨のように泥水が勢いよく降ってくる。

 ザリュースたちは咄嗟に顔を背けながら泥水を被った後、恐る恐る閉じていた瞼を開いて再び沼地や森の方角へと視線を向けた。

 一体どこに消えたのか、先ほどの巨像は既に森のどこにもおらず、影さえ見つけることが出来ない。代わりに沼地の中心には、巨像が投げた物であろう凸型の巨石が存在感を醸し出しながら横たわっていた。

 次から次へと起こる信じ難い現象に、ザリュースたちは一体何を相手にしているのかと不安と恐怖を湧き上がらせる。

 そしてそんな彼らの感情を更に煽るかのように、アンデッドの大軍が静かに動き始めた。

 中心部分に配置されていたアンデッドたちが左右の同胞を残して凸型の巨石へと歩み寄っていく。泥に邪魔されて遅い歩みではあるものの、アンデッドたちは凸型の巨石まで到着すると、次々と持っていた盾を地面に敷いてその上に四つん這いになり始めた。

 一列が出来上がれば更に一列。それが出来れば更に一列、と。アンデッドたちは既に四つん這いになった同胞の背に自身の盾を乗せてはその上に四つん這いになり、次のアンデッドもそれに続いていく。

 数分後には、そこには大量のアンデッドによって形作られた階段が出来上がっていた。

 あまりの予想外すぎる行動と光景に、ザリュースたちは思わず呆然とした表情を浮かべる。

 しかし次の瞬間、何か巨大な恐怖のようなものを感じ取って、ザリュースは咄嗟に未だ階段にならずに残っているアンデッドの軍勢へと目を戻した。

 中心部分に配置されていたアンデッドたちが移動して階段になったことで、そこには軍を左右に別けるように一つの大きな道が出来上がっている。

 ザリュースが感じた恐怖の源はその道の先の奥。知らず息を殺して凝視する中、不意に彼の視界に大きな一つの影がゆらりと浮かび上がってきた。

 それは一見、どこか荷車のようにも見える何か。しかし徐々にそれが近づいてくるにつれ、ザリュースは知らず鋭く息を呑んでいた。

 彼が荷車と間違えていたのは、四体のスケルトンが担ぎ上げた立派な輿。上には豪奢な椅子が設置されており、その椅子には一体のアンデッドが腰を下ろしていた。

 見た目は漆黒のローブを身に纏ったスケルトン。しかし感じられる力は圧倒的で、昨日何とか倒すことが出来たエルダーリッチが可愛らしく思えてくるほどだった。全身から滲み出ている禍々しいオーラも、眼窩に揺らめく深紅の灯火も、恐ろしくて堪らない。

 正に死の支配者というべき存在が、そこに存在していた。

 輿の横では頭に二本の角と腰に翼を生やした悪魔と思われる絶世の美女と、闇森妖精(ダークエルフ)の美少女が付き従っている。

 

「………あれが“偉大なる御方”、って奴か」

「恐らく、そうだろうな……」

 

 昨日打ち倒したエルダーリッチが幾度となく口にしていた言葉を思い出し、ザリュースとゼンベルが苦々しく表情を歪ませる。あんな邪悪な存在が自分たちの命を脅かしているのだと嫌悪し、しかしそれと同時に確かにあれほどの存在であれば“偉大なる御方”という呼び名に相応しいと納得もしていた。

 死の支配者は開かれた道を進んでアンデッドの階段まで到着すると、漸く椅子から立ち上がって自身の足で階段を上り始めた。その後ろに女悪魔とダークエルフの少女が付き従い、凸型の上段に死の支配者が、下段に女悪魔とダークエルフの少女がそれぞれ場を占める。

 一体何が起こるのかとザリュースたちが必死に恐怖と戦いながら注視する中、不意に死の支配者はまるで何かを手招くように両腕を前方に伸ばして軽く掲げた。

 

「……っ!? おい、あれを見ろ!!」

「な、なんだ、あれは!?」

「まさか……。おい、嘘だろっ!!」

 

 異変に気が付いたリザードマンたちが、次々と声を上げて空を指さす。

 分厚い雲に覆われた空には一つの巨大な影と、それに付き従う多くの影が無数に浮かんでいた。

 

「……おいおい、こりゃあ、本当にヤバいぞ…!!」

「そんな……! ドラゴンっ!?」

 

 ゼンベルに続いて、ザリュースの右隣に立っていた白いリザードマン――クルシュ・ルールーが悲鳴を上げる。

 彼女の言った通り、そこには立派な体躯の黄金色のドラゴンが翼を広げて宙に浮かんでいた。ドラゴンの周りには数多の鳥系のモンスターが付き従うように飛び交っている。そして何より驚くべきことは、ドラゴンの背の上に黄金色のバードマンと人間のような見た目の美少女とダークエルフの少年が佇んでいることだった。

 ドラゴンは鳥系のモンスターたちを空に残し、死の支配者たちのいる凸型の巨石へと舞い降りていく。

 バードマンが死の支配者のいる上段に。そして人間のような見た目の美少女とダークエルフの少年が下段に下りた瞬間、新たな悲鳴がリザードマンたちから響き渡った。

 

「おい、あれはなんだ!?」

「今度は何が起こるんだ!!」

「……あ、熱い! 熱い! 助けてくれ!!」

「みんな、全員沼から上がれ!!」

 

 ドラゴンが背に乗る三人を完全に下ろして凸型の巨石の傍らに腰を下ろしたその時。

 突如凸型の巨石を中心に沼地に巨大な魔法陣が出現し、次の瞬間、沼地の広範囲が沸騰した湯のように沸き立ち始めた。

 足に触れていた泥水が熱湯へと変わり、ザリュースたちは堪らず泥水から足を引き抜いて柵の上へと逃げる。酷い火傷を負った足に顔を歪めながら改めて水面を見てみれば、水面はぶくぶくと忙しなく水泡を噴出して音を立てていた。魔法陣の中の水面は更に熱を帯びているのか、激しく波打ちながら湯気を立ち昇らせている。

 そして水面が赤みを帯びて盛り上がったかと思った瞬間、突如紅蓮に燃え立つドロドロとした液体と共に炎の塊が沼の中から勢いよく這い出てきた。炎の塊は伸縮自在に形を変えながら、まとわりつく泥水を容赦なく蒸発させて燃やし尽くし、最後には灰へと変えていく。

 細い触手を伸ばして動く様子にザリュースは“スライム”という名前を思い出すが、しかし目の前の存在は今まで見たスライムとは似ても似つかないほどに巨大であり、また強大な威圧感を放っていた。

 炎の塊は一度ブルッと身体を震わせてその身に残っていた最後の灰を振り落とすと、次には中心から渦を巻いて内部を曝け出し始めた。

 巨体の中身は空洞になっていたようで、そこには二足歩行の山羊のような異形と尻尾を生やした人間のような男、そして正体が良く分からないピンク色の化け物が宙に浮かんでいた。

 空洞には無数の触手が蠢いており、山羊の異形は触手の上に器用に足を組んで腰を下ろしている。

 しかし完全に中身を露出させると、次には椅子と化していた触手が更に伸びて山羊の異形を凸型の巨石の上段へ。尻尾の生えた人間のような男を下段へとそれぞれ運んでいった。因みにピンク色の異形は自身で空を飛んで下段の方へと場を占める。

 死の支配者はバードマンと山羊の異形を迎えると、次には三つの玉座を出現させてそれぞれに腰を下ろした。

 その光景は、恐ろしいことに“偉大なる御方”なる存在が一人ではなく三人もいることを示している。

 ザリュースたちはどうしようもない絶望感に意味もなく詰めていた息を小さく吐き出すことしかできなかった。

 これから何が起こり、どうなっていくのか……。

 どちらにしろ主導権は相手側にあり、ザリュースたちは大きな恐怖と焦燥感に苛まれながらただ相手側が再び動き出すのを待つことしかできない。

 数分後、山羊の異形が何かを振り払うような素振りを見せた瞬間、突如どこからともなくリザードマンたちの集落から凸型の巨石までを繋ぐ巨大な橋が出現した。

 白亜で出来ているような純白のその橋は、細かな装飾に彩られてとても美しい。しかしその橋の続く先は正しく地獄であり、また、相手側が橋を用意したということはこちらに来いと言う意思表示に他ならなかった。

 恐らくは何らかの要求……或は、対話を求めているのかもしれない。

 ならば、それ相応の者がこの橋を渡る必要があった。

 

「――……弟よ…」

「っ!! おお、兄者!」

 

 不意に声をかけられ、咄嗟にそちらを振り返る。視線の先にはザリュースの兄であり、この同盟連合の総指揮官でもあるシャースーリュー・シャシャが厳しい表情を浮かべながら立っていた。

 恐らく彼もザリュースと同じことに思い至っているのだろう。そしてその苦々しい表情から、彼が何を望んでいるのかもザリュースは推察することが出来た。

 

「……恐らく奴らは我らに何か言いたいことがあるのだろう。弟よ、一緒に来てくれるか?」

「ああ。勿論だ、兄者」

 

 兄が感じているであろう罪悪感を吹き飛ばすように、ザリュースは殊更はっきりと頷いて応える。シャースーリューも頷きを返すと、よじ登っていた柵を降りて純白の橋の上へと飛び降りた。ザリュースも右隣のクルシュと挨拶を交わし、兄に続いて橋の上へと飛び降りる。正直に言って火傷を負った足がひどく痛むが、そんなことを言っている場合ではなく、ザリュースはシャースーリューと並び立ちながら真っ直ぐに凸型の巨石へと歩み寄っていった。

 橋の上にいるというのに、未だ沸き立つ沼からは耐えがたいほどの熱が感じられる。また、一歩足を踏み出す度に前方から威圧感が感じられ、熱いというのに冷や汗が噴き出して止まらなかった。

 しかしここで立ち止まっては確実に滅びは免れず、二人は自身を奮い立たせながら何とか凸型の巨石の前まで歩み寄った。

 頭上から見下ろされる状況に、まるで視線が重力にでもなったかのように押し潰されるような感覚に襲われる。

 

「俺は、リザードマンの代表、シャースーリュー・シャシャだ! そしてこの者こそリザードマン最強の者!」

「ザリュース・シャシャだ!」

 

 まるで弱気を吹き飛ばすように声高に名乗りを上げる。

 しかし頭上の絶対者たちは一言も言葉を口に出さず、重たい沈黙のみがそれに応えた。

 代わりに応えたのは尻尾が生えた人間のような男。

 

「……至高の御方々に拝謁しているというのに、礼儀がないにもほどがある。『平伏したまえ』」

「「っ!!?」」

 

 瞬間、まるで見えない巨大な手に全身を抑え込まれたかのように橋の上に身体が沈んだ。

 咄嗟に起き上がろうとしても身体はピクリとも動かず、只々滑らかな橋の表面に全身を押し付けるだけで終わった。

 

「御方々様、聞く姿勢が整ったようです」

「ふむ、デミウルゴス、ご苦労。頭を上げよ」

「『頭を上げることを許可する』」

 

 女悪魔が上段の主に声をかけ、主たちはそれに頷いて更なる命を下してくる。

 ザリュースたちは男の言霊によってやっと頭だけ自由を取り戻すと、反射的に頭上の存在を仰ぎ見た。

 

「初めまして、リザードマンの諸君。我々は“アインズ・ウール・ゴウン”。まずは初めに、我々の実験に協力してくれたことに感謝の意を示そう」

「そこで、提案なんだけどね。勝利を手にすることのできた君たちを祝し、我々の支配下に入ることを許そうと思うんだ」

「だが勿論、君たちはそれを断ることもできる」

 

 死の支配者、バードマンと続き、最後に山羊の異形が甘やかな言葉を口に乗せる。山羊の異形はニヤリとした笑みを浮かべると、黄金色に輝く瞳をも笑みの形に歪ませた。

 

「これから四時間後、コキュートスという名の我らの忠実なるシモベがたった一人でお前たちに戦いを挑む。その際、お前たちはそれに応じるか応じないかを選ぶことが出来る。戦闘に勝利できればお前たちは完全なる自由を手に入れる。我々はお前たちから完全に手を引くことを約束しよう。戦闘に負けても、残された者たちは我らの支配下に入り生き延びることが出来る。そして戦闘自体を拒否した場合……、お前たちは我らの手によって一人残らず死に絶えることになるだろう」

「「っ!!」」

 

 それは選択という名の脅迫。見せしめという名の生贄の儀式に他ならなかった。

 しかしザリュースたちリザードマンたちには、もはや現状を変えられるだけの力も手段も存在しない。

 これは既に決定事項であり、そうであるが故に偉大なる存在たちはまるで興味を失ったかのように玉座から立ち上がって簡単にザリュースたちから視線を外した。

 

「お前たちに伝えたかったのはこれだけだ。では、さらばだ、リザードマン。〈転移門(ゲート)〉」

 

 初めに死の支配者が別れの言葉を口にし、闇の扉を出現させて中へと立ち去っていく。

 

「四時間後を楽しみにしてるよ。頑張ってくれ、リザードマン」

「精々悔いのないように選択したまえ。それでは御機嫌よう、リザードマン」

 

 死の支配者に続いてバードマンと山羊の異形も一言と共に闇の中へと消えていく。

 

「さようなら、リザードマン」

「じゃあねー。リザードマンさん」

「さらばでありんす、リザードマン」

「あ、あの、えっと、じゃあ、元気でいて下さい」

「ではさようなら」

 

 優雅に元気に妖艶に無邪気に無機質に。異形の配下たちが各々の言葉と共に主の後に続いていく。

 最後に残った尻尾の生えた男は、酷薄な笑みを浮かべたまま静かにザリュース達を見下ろしていた。

 

「『自由にして良い』。さて、たっぷり楽しんでくれたまえ、リザードマン」

 

 ザリュースたちの戒めを完全に解き、柔らかな笑みと共に闇の中へと消えていく。

 気が付けばドラゴンや炎の巨大スライムや鳥系のモンスターたちの姿も既に無く、この場に残されたのはザリュース達とアンデッドの大軍のみであった。

 

「………ちくしょうが…」

 

 いつにないシャースーリューの苦々しい声が、虚しく響いて消えていった。

 

 




皆さん、お気づきでしょうか……、34話にして未だ原作四巻が終わっていないと言う事実に……!(白目)

今回の〈伝言〉は携帯を参考にしております。通話中、他の電話が入った時に分かる機能ですね。
この機能が〈伝言〉にもあり、デミウルゴスはペロロンチーノの〈伝言〉に気が付いて、コキュートスとの〈伝言〉を途中で切っています。
原作ではどうなのか分かりませんが、当小説の独自設定だと思って頂ければと思います。


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第35話 一つの終幕

 蜥蜴人(リザードマン)たちの元から〈転移門(ゲート)〉で転移したモモンガたちは、今はコキュートスの配下たちが用意した大きな天幕の中で一息ついていた。

 

「いや~、中々に楽しめたなぁ。我らが“アインズ・ウール・ゴウン”の晴れ舞台としては、中々上手くいったのではないかな?」

 

 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で創り出した寝椅子(カウチ)に腰かけながら、ウルベルトがピンク色の異形を抱き締めた状態で機嫌よく笑みを浮かべる。

 彼が両腕で抱き締めているのはナザリック地下大墳墓第八階層守護者ヴィクティム。体長約一メートルほどのピンクの胚子のような姿をしており、頭上には天使の輪、背には枯れ枝のような翼、臀部にはにょろっとした細長い尻尾が生えている。ギルドメンバーが創造した階層守護者NPCの中では唯一レベル100に満たない低レベルの存在ではあったが、そんな彼が何故今回の行軍に参加したのかと言えば、何か不測の事態が起こった時に備えて彼の所持している足止め特殊技術(スキル)が必要だと判断されたためだった。

 そして何故今彼がウルベルトの腕の中にいるのかというと、それはウルベルトが彼の抱き心地をいたく気に入ったためだった。

 

「はい、流石はウルベルト様! 素晴らしい演出でございました!」

「とっても素敵でありんした!」

「リザードマン共も恐れ戦いていた様子……。自分たちが挑んでいた相手が何者なのか、漸く理解したのでしょう」

「ありがとう、みんな」

 

 周りでは守護者たちが嬉々としてウルベルトの言葉に賛同してくる。

 ウルベルトも満面の笑みでそれに応えながら、しかしそこでふと、ヴィクティムを凝視している闇森妖精(ダークエルフ)の双子に気が付いた。二人の表情がどこか羨ましそうで、ウルベルトは思わずクスッと小さな笑い声を零す。

 ウルベルトは両足を開いて座り直すと、ヴィクティムを両足の間に座らせながら腰裏に装備している“慈悲深き御手”を双子へと伸ばした。悪魔の手のようになっている“慈悲深き御手”の両端が双子の小さな身体を絡め取り、そのままウルベルトの右太腿の上にアウラを、左太腿の上にマーレをそれぞれ座らせる。突然のことに身体を硬直させてされるがままになっていた双子は、ここで漸く我に返ったようで褐色の頬を真っ赤に染め上げながらワタワタし始めた。

 

「ウ、ウルベルト様っ!!?」

「あぁぁのっ、えっと、そのぉぉ……っ!!」

 

 恐れ多いと思う一方で、しかし無理に抗うことなどできる筈もなく。最後には頬を紅潮させたままビシッと石のように固まる双子に、ウルベルトはクスクスと笑い声を零した。右手をアウラの頭に、左手をマーレの頭に乗せて優しく髪を梳くように撫でてやる。

 

「フフッ、そんなに畏まることも緊張することもないのだよ。特にお前たちはまだ子供なのだからね。こういう時は大人しく甘えておきなさい」

「あ、ありがとうございます、ウルベルト様!」

「ありがとうございます! ……えへへ」

 

 双子はそれぞれ感謝の言葉を述べると、次にははにかむような可愛らしい笑顔を浮かべてくる。ウルベルトも柔らかな笑みを浮かべると、しかし不意に他の守護者――アルベドとシャルティアも羨ましそうな表情を浮かべていることに気が付いた。デミウルゴスは表情こそいつもと変わりはないものの、腰から伸びる銀の尾が心なしかしゅんっと垂れ下がっているように見える。しかし流石にこれ以上の人数はウルベルト一人では応じきることなどできず、手を貸してもらおうとモモンガとペロロンチーノに目をやり、しかしすぐにそれを諦めた。

 ウルベルトの視線の先ではモモンガとペロロンチーノがモモンガの〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で作り出した椅子にそれぞれ腰かけている。しかし二人は深く椅子に腰かけながら、モモンガは片手を額に押し当てて何やら項垂れており、片やペロロンチーノは深く顔を俯かせてフルフルと小さく小刻みに身体を震わせていた。どうやら今になって先ほどの晴れ舞台での羞恥が襲ってきたようで、落ち着くにはもう暫くかかりそうだ。

 ウルベルトは出そうになったため息を何とか呑み込んで小さく肩を竦ませると、守護者たちがモモンガたちの様子に気が付かないうちにさっさと話を進ませることにした。

 アルベド、シャルティア、デミウルゴスの三人の気分を紛らわせるために、彼女たちを中心にちょっとした命を下していく。

 まずはアルベドに“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”を用意させ、シャルティアには転移させていたガルガンチュアや紅蓮などといった多くのナザリックのシモベたちの様子を報告させる。また、天幕の端にはポットや茶器などがワゴンに乗せられて用意されていたため、デミウルゴスには紅茶の用意を頼む。

 シャルティアの甘やかな声音で語られる『何も問題はない』という報告に耳を傾けながら、ウルベルトは緩やかに漂ってくる紅茶の香りを楽しんだ。シャルティアからの短い報告が終わり、数秒後にはデミウルゴスから恭しく紅茶を差し出される。

 ここまで来ればモモンガやペロロンチーノも大分落ち着きを取り戻したようで、モモンガは一度フゥッと大きな息をつき、ペロロンチーノはデミウルゴスに差し出されたカップを慌てて受け取っていた。

 

「……さて、大丈夫だとは思うが、玉座の間でコキュートスと話したように何事にも油断は禁物だ。リザードマンたちが何か良からぬことを企んでいないか、少し様子を見てみることにしよう」

 

 一つ小さな息をつくと、サッと軽く腕を振るって“遠隔視の鏡”を起動させる。

 鏡面に映し出されたのはリザードマンの集落の景色で、リザードマンたちはそれぞれ得物の手入れをしたり一カ所に集まって何やら話し合ったりと戦準備を進めているようだった。

 

「フッ、無駄な努力を」

 

 いつでも新たな紅茶を注げるようにポットを両手で持ちながら、デミウルゴスがどこか嘲るような笑みを浮かばせる。

 ウルベルトは内心ではその言葉に同意しながらも、しかし面では緩く頭を横に振った。

 

「こらこら、油断は禁物だと言ったはずだぞ、デミウルゴス」

「はっ、失礼いたしました、ウルベルト様」

 

 軽く注意すれば、すぐさま謝罪の言葉と共に頭を下げられる。

 “遠隔視の鏡”がリザードマンたちの集落の中を転々と映し出す中、共に鏡面を見つめていたモモンガが不意に疑問の言葉を零してきた。

 

「……む? 先ほど代表として名乗り出てきた、魔法武器を持ったリザードマンがいないな」

「えっと、確かザリュース・シャシャとかいう奴でしたっけ? ……そういえば、白い鱗のリザードマンも見当たりませんね」

 

 ペロロンチーノが同意するように頷き、加えてもう一体見当たらないリザードマンの存在も口にする。

 ウルベルトは少しだけ考え込むと、アイテムボックスを開いて一枚の巻物(スクロール)を取り出した。宙に放り投げて巻物(スクロール)を起動させ、宿っていた魔法を発動させる。

 宿っていた魔法は不可視かつ非実体の感覚器官を作り出すもので、ウルベルトは目となる感覚器官を作り出して“遠隔視の鏡”と連結させた。

 近くに映っていた家から順々に中へと侵入して室内の様子を鏡面へと映し出していく。しかしなかなか目的の二体が見つからず、ウルベルトは思わず小さな呻き声のような声を零していた。

 もしや本当に良からぬ作戦でも立てて実行しているのではないだろうか……と少々警戒心を湧き上がらせる。

 ウルベルトは次の家の中へと目となる感覚器官を侵入させ、次の瞬間、驚愕に目を見開かせた。

 

「「「っ!!?」」」

 

 この場にいる全員が大なり小なり驚愕の表情を浮かべる中、ウルベルトは咄嗟に右手と“慈悲深き御手”の両端でヴィクティムとアウラとマーレの目を塞ぎ、残った左手で“遠隔視の鏡”をオフにさせた。瞬間真っ暗になった鏡面を見やり、思わず安堵にも似たため息を吐き出す。因みにモモンガは頭を抱えて深いため息を吐き出しており、ペロロンチーノは身体を硬直させてワナワナと小刻みに震わせていた。目隠しをされていないアルベドとシャルティアとデミウルゴスも微妙な表情を浮かべて互いの顔を見合わせている。

 彼らが見てしまった光景……それは、はっきり言ってしまえば探していた二体のリザードマンたちによる濃厚な交尾シーンだった。

 何か良からぬことを企んでいるのではないかと警戒していただけに、この結末は非常に脱力させられる。加えてこの場に自分一人しかいなかったのであればまだ良かったが、ここには友人やNPCたちが多くいるのだ。この微妙な空気をどうしてくれる……と言うのが、モモンガたち三人ともが思う全く同じ意見だった。

 

「……あー、何だか警戒するのも馬鹿らしくなってきたなぁ。監視はこれくらいにして、後はコキュートスに任せようか」

「……そうだな。そうした方が良さそうだ」

「………ですね」

 

 流石のペロロンチーノもこれにはドン引きしたのか、酷く項垂れた様子で賛同してくる。

 三人はほぼ同時に大きなため息を吐き出すと、次には気分を変えるためにウルベルトが徐に口を開いた。ヴィクティムたちの目を覆っていた手を離しながら、視線はモモンガとペロロンチーノへと向ける。

 

「……そういえば、モモンガさんの名前に関して、一つ提案したいことがあるのだがね」

「モモンガさんの名前について? 一体何のことですか?」

 

 ウルベルトからの唐突な話題に、ペロロンチーノが不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げる。

 守護者たちも思わず不思議そうな表情を浮かべる中、ウルベルトは小さく肩を竦ませた。

 

「以前、謎の騎士の集団に襲われていたカルネ村を助けている際、モモンガさんが自身の名をそのまま名乗ることに不安を覚えていたのだよ」

「えっ、そうだったんですか?」

「……ああ、そういえば、そうだったな」

 

 ペロロンチーノが初耳だ! とばかりに声を上げる中、モモンガは当時のことを思い出して一つ頷いた。

 言われてみれば、確かにカルネ村を救出している時にモモンガはウルベルトに対して『この“モモンガ”という名前を名乗るのが恥ずかしい』と言った記憶があった。しかし何故この時にこの場でウルベルトがその話を蒸し返してきたのかが分からない。

 思わず小首を傾げて凝視してくるモモンガに、ウルベルトはどこか悪戯気な笑みを浮かべてみせた。

 

「あの時はモモンガさんが名を名乗らなくても別段何も問題はなかったが、今後リザードマンといった部外者を支配下に取り込む際、やはり支配者たる人物が名も名乗らないようでは問題が出てきてしまうだろう。だから、これを機にモモンガさんの余所行きの名前を決めておいた方が良いと思ってね」

「余所行き……ですか……?」

「ああ。何も我々全員の本当の名前の情報をわざわざ外部に知らしめる必要もないだろう? ならば罠の意味も兼ねて、モモンガさんの名前だけ余所行きにしてはどうかと思うのだよ」

 

 流石にNPCたちの前で“モモンガという名前が小動物と同じだから恥ずかしい”などといった理由を言えるはずもなく、ウルベルトは尤もらしい理由を述べながら提案する。

 モモンガはウルベルトの心遣いに気が付いて内心で感謝の言葉を送り、しかしペロロンチーノは今一つ分からないと言うように小首を傾げさせた。

 

「罠の意味も兼ねてって……、どういう意味ですか?」

「我々の現在の最終目標は世界征服だ。ならば、いつかは世界に進出する時が必ずやってくる。そしてそうなった時、あらゆる存在が我々に接触しようとしてくるだろう。中には我々よりも優位に立つために、まるで我々の事を全て知っているかのような素振りで交渉してくる者も現れるかもしれない。その時、ギルド長であるモモンガさんの本当の名前を相手が知っているか否かで、果たして本当に我々の事を知っているかどうか、一つの判断材料として使えると思わないかね?」

 

 ウルベルトの説明に、モモンガとペロロンチーノは理解したと言うように一つ大きく頷いた。守護者たちもキラキラとした尊敬の眼差しをウルベルトに向けてくる。

 ウルベルトは湧き上がってきた照れ臭さを誤魔化すように一つ咳払いを零すと、話を続けるために再び口を開いた。

 

「理解してもらえたかな?」

「ああ、良い考えだ」

「そうですね! 俺も良いと思います。でも、何て名前にしましょうか……。どうせなら、カッコいい名前が良いですよね! なんたって、余所行きとはいえ我らがギルマスの名前なんですから!」

 

 ペロロンチーノが賛同しながら嬉々とした声を上げてくる。

 モモンガは思わず黙り込み、ウルベルトは顎髭を扱きながら小首を傾げて考え込んだ。

 

「ふむ……、スパルトイなんてどうだ? モモンガさんは見た目がスケルトンだし」

「え~、なんか変な名前じゃないですか? タナトスとかオルクスっていうのも良いと思いますけど」

「死の神か……。それも良いな」

 

 モモンガ本人そっちのけで、ウルベルトとペロロンチーノが嬉々として案を出し合う。しかしモモンガとしては、どれもが自分には分不相応な気がしてとてもではないが頷くことが出来なかった。そもそも、元々“モモンガ”という可愛らしい小動物の名前をアバター名にしていたというのに、いきなり神話に出てくるような仰々しい名前を名乗れるわけがない。

 思わず一人で悶々とする中、不意にウルベルトとペロロンチーノがこちらを振り返ってきて、モモンガは思わずビクッと小さく身体を震わせた。

 

「モモンガさんはどれが良いと思いますか? 俺なんかはアズラエルなんかもお勧めですけど」

「馬鹿を言うんじゃない。死を司るとはいえ、天使の名を名乗ってどうするんだ」

 

 ペロロンチーノが勧める名前に、すぐさまウルベルトから批判の声が飛んでくる。不満そうに頬を膨らませるペロロンチーノを尻目に、モモンガも無言のまま思考を巡らせた。

 余所行きの仮の名前とはいえ、ウルベルトやペロロンチーノと並ぶ者として相応しい名前は一体何であろうか……と。

 モモンガにとって、ウルベルトとペロロンチーノは大切で自慢なギルドメンバーというだけでなく、今やかけがえのない存在であり、胸を張って誇れる盟友である。偽りとはいえ、彼らと並んで語られる名前であれば、それ相応の名を名乗りたかった。

 モモンガは熟考に熟考を重ね、不意にポツリと言葉を零した。

 

「………アインズ……」

「……え……?」

「もし、二人が許してくれるなら……俺は“アインズ”と名乗りたいです」

 

 支配者としての口調も忘れ、ただ独り言のようにポツリと思いを口に乗せる。

 大切で、自慢で、誇りである彼らと並ぶ名前ならば、自分にとって大切でかけがえのない名前をそこに並ばせたい。“アインズ・ウール・ゴウン”は自分にとってはとても大切なものだから、許してもらえるならば、これ以上の名前は存在しない。

 静かな口調ながらも熱く語るモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノは顔を見合わせると、次にはどちらとも柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「良いんじゃないですかね。アインズって名前も、モモンガさんに似合いそうですし」

「そうだな。それにモモンガさんはギルド長だ。モモンガさん以外に、その名を名乗れる者も逆に誰もいないだろう」

 

 ウルベルトとペロロンチーノは文句も不満も一つも言わずに快くモモンガの言葉を了承してくれる。

 モモンガは二人へと小さく礼の言葉を口にすると、次にはこの場にいる守護者たちへと視線を巡らせた。

 自然と背筋を伸ばし、胸を張って堂々と宣言する。

 

「……ではこれより、私は外ではアインズと名乗ることとする! しかし、ここで勘違いしてほしくないのは、私が名乗るのは“アインズ”であって“アインズ・ウール・ゴウン”ではないということだ。ナザリックのモノたちにも全員にこのことを伝え、徹底させよ」

 

 モモンガの言葉に、ウルベルトとペロロンチーノはほぼ同時に理解の色をその顔に浮かばせた。

 モモンガが引いた線引きは、実にモモンガらしいもの。つまり“アインズ・ウール・ゴウン”そのものではなく“アインズ”と名乗ることで、あくまでも自分はウルベルトやペロロンチーノと同格であって上位者ではないと言外に宣言したのだ。

 傍から見れば、何のことはないほんの些細な違いでしかないのかもしれない。しかし、そこには彼らしい控えめでいて思慮深い配慮などが潜んでいた。

 ウルベルトとペロロンチーノはモモンガの思考を正確に理解して苦笑しながらも一つ頷き、しかし守護者たちは何やら壮大に勘違いしているようだった。

 アウラとマーレとシャルティアは不思議そうな表情を浮かべていたが、しかし知恵者であるはずのアルベドとデミウルゴスがひどく感銘を受けたような表情を浮かべて、その場に傅いて深々と頭を下げてきた。

 

「畏まりました。ナザリックのモノ全てに伝え、これよりは外の世界においてはアインズ様とお呼びいたします」

 

 守護者を代表してアルベドが凛とした声でそれに応え、シャルティアとデミウルゴスもそれに倣って一層頭を垂れる。アウラとマーレとヴィクティムは未だウルベルトの膝の上に乗っているため傅くことはできなかったが、しかし体勢はそのままに深々と頭を下げてきた。

 正直に言えば何を勘違いしているのか非常に気になるところである。

 しかし、それを知るのが何だか恐ろしくも思えて、モモンガたちはダメだと思いながらもまるで逃げるように頷くにとどめた。

 

「……さ、さて、これで決まったな。……後はコキュートスの戦いを見物させてもらうか」

 

 天幕に気を取り直すようなウルベルトの声音が響いて消える。

 ウルベルトは再び“遠隔視の鏡”を起動させると、守護者たちも下げていた頭を上げて主人たちに倣って鏡面へと視線を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端的に言ってしまえば、コキュートスとリザードマンたちの戦いは、コキュートスの圧勝で終わった。

 コキュートス一体に対して、リザードマンたちは凡そ三百ほど。しかし、いくら数の差があるとは言え、あまりにもレベル差があり過ぎた。

 向かっていったリザードマンたちの中に生き残りは一体もおらず、氷漬けにされたり一撃のもとに切り裂かれた遺体がゴロゴロと転がっている。

 唯一の救いと言えば、遺体の全てが泥にまみれることなく綺麗な状態で残っていることだろうか。

 それはコキュートスの腕が非常に良いからというだけでは決してない。彼らが戦ったのが沼の中ではなく、沼地の上に突如創られた石盤のステージであったためだった。

 このステージはコキュートスに乞われてウルベルトが魔法で創り出したもの。

 沼地は紅蓮の影響で未だ熱湯と化しており、このステージがなければリザードマンたちは戦うことすらままならなかったことだろう。

 しかしいくらリザードマンたちが戦える場が整えられたからと言って、彼らがコキュートスに勝てる確率などありはしない。

 コキュートスは何事もなく勝利を手にし、リザードマンたちは同胞を生贄として滅亡を免れた。

 そして今、モモンガたちは天幕の中で戦場から戻って来たコキュートスに労いの言葉をかけていた。

 

「見事な戦いぶりだった」

「アリガトウゴザイマス」

 

 コキュートスはモモンガたちの目の前で跪き、深々と頭を下げている。

 他の守護者たちはコキュートスの両隣。

 アウラとマーレとヴィクティムも既にウルベルトの膝の上からは退いており、ウルベルトは足を組みながら長い顎鬚を扱くように弄んでいた。

 

「これでリザードマンたちは滅亡の危機を脱したと言う訳だ……。ここからが正念場と言ったところだな」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガやペロロンチーノは頷くことはなかったものの同意の雰囲気を漂わせる。

 彼の言う通り、リザードマンたちが生き残った以上、これからがある意味正念場だと言えた。

 

「それで……コキュートス。玉座の間でも言ったように、これからお前は奴らを統治し、我らに対する忠誠心を植え付けていかねばならない。お前はどのような形で奴らを統治しようと考えている?」

 

 モモンガからの問いかけに、自然と他の守護者たちもコキュートスへと視線を向ける。

 コキュートスは数秒間無言ではあったものの、まるで慎重に言葉を選んでいるかのようにゆっくりと自身の考えを口にしていった。

 

「……恐怖ニヨルモノデハナク、至高ノ御方々ニ対スル崇拝ト畏敬ノ心ニヨル統治ヲスベキト考エテオリマス」

「ほう、なるほど。……まぁ、確かにそれが一番の近道だと言えるな。問題は、どうやってその崇拝と畏敬を奴らに与えるかだが……」

 

 ウルベルトが言葉を切り、まるで試すようにコキュートスを見据える。

 しかしコキュートスは玉座の間の時とは打って変わり、全く怯む様子もなく堂々とウルベルトの言葉に答えていった。

 

「ハイ、ココデ是非トモ御方々様ニ進言シタキ事ガゴザイマス。今回、私ト戦ッタリザードマンノ中ニ、ザリューストイウ者トシャースーリュートイウ者ガオリマシタ」

「うん? その名前って……。ああ、あの代表として出てきたリザードマンたちか」

 

 コキュートスが出した名前に、ペロロンチーノが確認の意味を込めて口に乗せる。

 その二体は代表としてモモンガたちの目の前に進み出ただけでなく、コキュートスとの戦闘でも最後まで生き残って戦っていた二体でもあった。

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスが一つ大きく頷いてくる。

 

「ハイ、彼ノ二体ノリザードマン……、コノママ死ナセタママニシテオクノハアマリニ惜シイカト思ワレマス。御方々様ハ死者ノ復活ニ関スル実験ヲ未ダサレタコトガナイハズ。彼ノ二体デ実験サレテミテハイカガデショウ?」

 

 コキュートスからの提案に、ウルベルトとペロロンチーノは思わずキョトンとした表情を浮かばせた。モモンガも骸骨であるが故に表情こそ変わらないものの、呆然とした雰囲気を漂わせている。

 三人は思わずチラッと互いの顔を見合わせると、次には再びコキュートスへと目を向けてペロロンチーノがおずおずと口を開いた。

 

「えっと……、どうしてその二体に? 何かあの二体に気になることでもあったのか?」

「アノ二体ハ確カニ弱者デシタガ、シカシ強者ニモ怯エヌ戦士ノ輝キヲ見マシタ。モシカスレバ想定以上ニ強クナル可能性ガアルト思ワレマス。マタ、アノ二体ハリザードマンノ集団ノ中心的ナ存在デアッタト思ワレマス。彼ラヲ復活サセテ利用スルコトガ出来レバ、他ノリザードマンタチニ御方々ヘノ忠誠心ヲ植エ付ケルコトモ容易クナルカト思ワレマス」

「なるほど。……しかし、その二体が我々に敵愾心を持つ可能性はないのか? もしそうなった場合、逆に統治が難しくなると思うが……」

「でも、どちらにしろ復活の実験は遅かれ早かれしないといけないですよ。適当な存在でするよりかは、コキュートスが必要だと判断した存在で実験をした方が無駄がなくていいと思いますけど」

 

 ウルベルトの意見に、ペロロンチーノが反論するように自身の意見を述べる。

 モモンガは二人の意見に耳を傾けながら、一番安全で利益のある方法は何であるか思考を巡らせた。

 

「ふむ、ウルベルトさんの意見もペロロンチーノさんの意見もどちらも正しいように思う。……コキュートス、先ほどお前はあの二体のリザードマンが集落の中心的な存在だと言っていたが、では今のリザードマンたちには自分たちをまとめる者はいないということか?」

「イエ。代表トナル者ハオリマス」

「ほう、いるのか……」

「ハイ、森祭司(ドルイド)ノ力ヲ持ッタ白イリザードマンデス」

「「「っ!!?」」」

 

 新たな代表者がいるのならザリュースとシャースーリューを生き返らせなくても良いじゃないか……と咄嗟に思ったものの、しかし続いて語られたコキュートスの言葉に、モモンガたちは一様に驚愕の表情を浮かべた。

 

「白いリザードマンって……、コキュートスと戦う前に楽しくイタしt……」

「ペロロンチーノォォっ!!」

「お前、ちょっと黙ってろっ!!」

 

 NPCたちの前で……、それも子供もいるような場で何を口走ろうとしてるんだ! とばかりに、モモンガとウルベルトから制止の言葉が飛ばされる。

 モモンガがペロロンチーノの嘴を握りしめて喋れなくする中、ウルベルトがはぁっと大きな息をついて気を取り直すように改めてコキュートスへと目を向けた。

 

「……なるほど。お前の言うことが本当ならば、少なくともザリュースというリザードマンに関しては利用価値があると言えるだろう。だがそれは、その白いリザードマンの選択次第だ。コキュートス、その白いリザードマンをここに連れてきたまえ。ザリュースを生き返らせるか否か……今の代表者である彼女に決めてもらおうじゃないか」

 

 ウルベルトの山羊の顔に、悪魔らしいニヤリとした笑みが浮かぶ。

 しかしそれを指摘する存在がこの場にいる筈もなく、モモンガは漸くペロロンチーノの嘴から手を放し、ペロロンチーノは一息つくように大きな息を吐き出し、コキュートスは深々と頭を下げてきた。

 

「オ許シヲ。ソウ仰ラレルト思イ、既ニ近クマデ呼ンデオリマス」

「えっ、そうなのか? じゃあ、早速ここに呼んできてくれ」

 

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスは再び頭を下げた後に素早く立ち上がる。大股で天幕から退出するコキュートスを見送った後、今まで無言だった守護者たちが立ち上がってモモンガたちの両隣の斜め前へと立ち位置を変えてきた。向かって右側からヴィクティム、デミウルゴス、ウルベルト、モモンガ、ペロロンチーノ、アルベド、シャルティア、アウラ、マーレの順である。

 自然とこういった行動ができる守護者たちに内心で感心しながら、数分後、入室許可の言葉が外から聞こえ、更に数秒後に白いリザードマンがコキュートスに連れられて天幕の中へと入ってきた。

 見間違えようもない、確かに“遠隔視の鏡”で見た白いリザードマンだ。

 彼女はまず玉座に座るモモンガたち三人を見つめると、何故かペロロンチーノを見た瞬間に驚愕の表情を浮かべてきた。それにペロロンチーノ自身も驚き、モモンガとウルベルトは疑問にチラッとペロロンチーノに視線を向ける。しかし彼女はすぐに気を取り直したようにモモンガたちの前まで進み出ると、そのまま地面に座り込むように傅いて深々と頭を下げてきた。そのままこちらの言葉を待つ様子に、まずはアインズが代表して口を開いた。

 

「……よく来た。まずは名を聞こう」

「はい。私はリザードマン代表のクルシュ・ルール―です」

 

 頭を下げたまま淡々と答えるクルシュに、モモンガは一つ頷く。

 彼らの予定ではここですぐに交渉に移ろうと考えていたのだが、しかしそれよりも先ほど彼女が見せた表情の方が気になって、まずはそれについて聞いてみることにした。

 

「ふむ……。では、クルシュ・ルール―。先ほど君は我が友を見てひどく驚いたようだったが、何をそんなに驚いていたのかな?」

「……っ!!」

 

 瞬間、クルシュから小さく息を呑むような音が聞こえてくる。

 クルシュは怯えたように小さく身体を震わせながら、まるで土下座でもするかのように一層頭を下げてきた。

 

「……も、申し訳ありません。ご不快にさせたのであれば、謝ります」

「ああ、いや、そこまで怯える必要はない。ただ、君が何故彼に対してだけあれほど過剰に反応したのか気になっただけなのだ」

 

 ここにいるのはペロロンチーノだけではなく、生者を憎むアンデッドであるモモンガや、悪の代名詞と言える悪魔であるウルベルトもいる。どちらかと言えば、鳥人(バードマン)であるペロロンチーノよりもモモンガやウルベルトの方がよっぽど怖がられそうなものである。

 しかし彼女が驚愕の奥に明らかに見せた怯えの対象はペロロンチーノのみ。

 それは何故なのかが分からず、純粋に興味が湧いた。

 

「君が何を言おうと君を罰することもリザードマンたちに危害を加えることもないと約束しよう。是非とも教えてくれないかね?」

 

 穏やかな声音を意識してモモンガが再び問いかける。

 クルシュはそれでも少し迷うような素振りを見せたが、しかし最後には頭は上げぬままゆっくりと口を開いた。

 

「……じ、実は……天空の王であるあなた様のお噂をここ最近耳にしていたのです。しかし、まさかご本人だとは今まで気が付かず……、大変な御無礼をいたしました」

 

 クルシュが口にした情報は、モモンガたちにとっては全く初耳のものだった。モモンガとウルベルトは驚愕の表情を浮かべ、ペロロンチーノは呆然とした表情を浮かべる。

 思わずどういうことだと二人がペロロンチーノを鋭く見やり、それにハッと我に返ってペロロンチーノは見るからに慌て始めた。

 

「いやいや、俺は何も知らないですよ! えっと、俺の噂ってどういうこと!?」

 

 威厳などかなぐり捨てて問いかけるペロロンチーノに、クルシュが初めて下げていた頭を上げて困惑したような表情を浮かべてくる。紅色の大きな瞳でじっとペロロンチーノを見つめ、それでいて未だ戸惑いながらも再び口を開いた。

 

「……最近、森に棲む魔物や亜人や獣たちの間で、恐ろしい黄金色のバードマンの噂が囁かれていたのです。そのバードマンは恐ろしい魔物たちを引き連れ、森に棲むモノたちを連れ去っているというものでした。そして一度連れ去れらたモノは、二度と戻っては来ないと……」

「………あー……」

 

 クルシュの説明に、ペロロンチーノは思わず気の抜けるような声を絞り出した。

 もしかしなくても、それは間違いなくペロロンチーノ自身の事だった。クルシュの語るバードマンの行動も身に覚えがあり過ぎる。

 しかし、まさか自分の事が森の中でそんな噂になっているとは思わず、ペロロンチーノははぁぁっと深く大きなため息を吐き出した。

 

「………それは間違いなく俺の事だな。いろいろと誤解を招くような噂ではあるけど……」

 

 ペロロンチーノはもう一度だけ大きなため息を吐き出すと、次には勢いよく顔を上げて改めてクルシュへと目を向けた。

 

「君が俺を見て驚いた理由は分かったよ。でも少なくとも、俺たちの支配下に加わった君たちをこれ以上傷つけるつもりはないから安心してほしい。……改めて名乗ろう。俺はペロロンチーノだ」

「ふむ、では私も名乗ろうか……。私は全悪魔の支配者であるウルベルト・アレイン・オードルだ」

「そして私がアインズという」

「…アインズ……。失礼ですが、アインズ・ウール・ゴウン様ではないのですか?」

「“アインズ・ウール・ゴウン”とは、我々が所属する……まぁ、組織のような名前だ。そして先ほども言ったように、私の名はアインズという」

 

 念を押すように重ねて言うアインズに何を思ったのか、クルシュはこれ以上何も言うことなく口を噤んだ。静かに瞼を閉じ、再び深々と頭を垂れる。

 

「……では、改めまして、偉大にして至高なる天空の王ペロロンチーノ様、魔の王ウルベルト・アレイン・オードル様、死の王アインズ様。私たち、リザードマンの絶対なる忠誠心をどうぞお受け取り下さい」

 

 その姿も声も気配も、全てが静かに凪いでいる。まるでこちらに対する反感など最初から存在していないかのように。

 しかしモモンガもウルベルトもペロロンチーノも、彼女の言葉通りにリザードマンたちが自分たちに心から忠誠を誓っているとは思っていなかった。

 あれだけの犠牲者を出し、戦いから逃げて全面降伏することすら許さなかったのだ。これで本当に忠誠を誓っているというのなら、逆に彼らの思考回路が心配になってくる。

 モモンガたちは互いに顔を見合わせて小さく頷き合うと、次には代表してモモンガが再び口を開いた。

 

「受け取ろう。……しかし、一つだけ懸念すべきことがある」

 

 瞬間、クルシュの身体がピクッと小さく震える。

 しかしそれ以上の反応は見せない彼女に、次はウルベルトがゆっくりと口を開いた。

 

「それは君の言う、君たちの忠誠が本当に本物であるのかどうかだ」

「……っ…! ……あなた様方に忠誠を誓っていないリザードマンなどおりません!」

「フフッ、それを鵜呑みにするほど我々はおめでたくも愚かでもない。また、それが例え本当であったとしても、それを証明する術はない。だからこそ、代表である君に二つ頼みたいことがあるのだよ」

 

 ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かべると、ゆっくりと顔を上げるクルシュに人差し指と中指を立ててみせた。

 

「一つ目は、代表者である君が率先して我々に忠誠を誓い、また誰にでも分かるような行動でそれを示すこと。そして二つ目は、我々を裏切るようなリザードマンがいないか秘密裏に監視することだ」

「そのようなリザードマンなど……!」

 

 何かを言いかけるクルシュに、しかしウルベルトが軽く手を挙げてそれを途中で押し留める。

 思わず口を噤む彼女を見つめ、いっそ無邪気なまでに小さく首を傾げさせた。

 

「残念ながら、それを証明する術はないと先ほど言ったはずだ。なに、そんなリザードマンが出なければ良いだけの話だ。それに、君の労力に対する代価も用意しよう。……この二つの役目の対価は、ザリュースの復活」

「……っ!!?」

 

 ウルベルトの言葉を聞き、クルシュが紅色の双眸を見開かせて鋭く息を呑む。

 

「そんな、ことが……」

 

 一体何を考えているのか、クルシュの紅色の瞳に宿る光が大きく揺らめいている。

 ウルベルトはまるで出番を譲るようにモモンガへと軽く手を振るい、モモンガは内心で苦笑を浮かばせながらもクルシュに向けて肯定の言葉を口に乗せた。

 

「私は死と生を操ることが出来る。死というのは私からすると状態の一種でしかないのだよ」

 

 厳密に言えば、ナザリックにあるアイテムを使えばこの場にいる誰もが蘇生魔法を使うことが出来る。

 しかしそれはこの場で言うべきものではないだろう。また、彼女に教える必要のないことでもある。

 ウルベルトはクルシュの中にモモンガの言葉が正確に浸透したところを見計らうと、次には正に悪魔の言の葉を彼女へと紡いだ。

 

「ザリュースの命はまさに君の手の中にあるということだ。彼の命を拾い上げるも捨てるも君次第……。さて、どうするかね?」

 

 ウルベルトの問いの言葉の後、痛いほどの静寂が彼らを包み込む。

 数秒とも数十分とも感じられる空白の中、不意に紡がれたクルシュの“答え”。

 モモンガたちはそれを最後までしっかりと聞き取ると、ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かばせ、モモンガはゆっくりと立ち上がり、ペロロンチーノはクルシュの後ろに立っているコキュートスへと目を向けた。

 

「これで契約は成立だ。後は頼みましたよ、アインズ」

「ああ、任せておけ。……死体が傷ついてしまっては元も子もない。早速向かうとしよう」

「コキュートス、新たな統治者としてモm……アインズさんに同行を。アウラも念のため、着いて行ってくれ」

「畏マリマシタ」

「畏まりました、ペロロンチーノ様」

 

 ペロロンチーノの命に、コキュートスとアウラがすぐさまそれに応える。

 

 

 これにより一つの争いが幕を下ろし、新たな幕がゆっくりと開かれようとしていた。

 

 




今回、漸くモモンガさんのアインズ呼びが決定しました!
そして漸く原作四巻が終了……。
原作そのままのストーリーはここで取り敢えず終了し、次回からは再びオリジナルのストーリーに戻ります!


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幕間 アインズ・ウール・ゴウン講座

今回は息抜きと一段落の意を込めての幕間です。
意外とこういった小話を書くのも好きだったりします(笑)


 穏やかな昼下がり。

 パシャパシャと跳ねる水の音や、わいわいと聞こえる複数の話し声。

 陽の光に眩しく輝く尻尾をユラユラと揺らめかせながら、クルシュは集落の中を突き進んでいた。

 蜥蜴人(リザードマン)が至高の軍勢“アインズ・ウール・ゴウン”に敗れて支配下に入り、早くも一週間の時が流れていた。最初はどんな悲惨な未来が待っているのかと恐怖に支配されていたが、しかしこちらの予想に反してこの一週間はとても平和に過ぎ去っている。集落にいるリザードマンたちの表情にも恐怖の色は薄れ、今までの日常が少しずつではあるが戻ってきているかのよう。クルシュは何とはなしにすれ違うリザードマンたちの様子を見つめながら、しかし寄り道などはすることなく真っ直ぐに目的の場所へと足を進めていた。

 やがて目的の建物に辿り着き、入り口部分に垂れ下がっている布を捲り上げて室内へと足を踏み入れる。

 瞬間、目に飛び込んできたリザードマンの存在にクルシュは自然と柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「おはよう、ザリュース。気分はどう?」

 

 ザリュースは地面に胡坐をかいて座っており、手に持つ魔法武器――“凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)”の手入れをしているところだった。忙しなく動かしていた手を止め、ザリュースの鋭いながらも穏やかな双眸がクルシュへと向けられる。

 クルシュは柔らかな笑みを深めさせると、ザリュースの元へと歩み寄ってすぐ傍らに腰を下ろした。

 

「……ああ、大分良くなった。手足も自然に動くようになったし……、そろそろ外に出ても良いだろうと思う」

「そう、それは良かったわ。でもくれぐれも無理はしないでね。あなたは……一度死んで、蘇ったのだから」

「………蘇った、か……。……ああ、そうだな」

 

 二体の間に、どこかしんみりとした重たい空気が漂う。

 一週間前のリザードマンたちの命運を決める戦いで、ザリュースは他の集落の族長たちや戦士たちと共に戦い、最終的には負けて命を落としていた。しかし“アインズ・ウール・ゴウン”の支配者の一人である死の王の奇跡の力によって、ザリュースは再び命を得た。

 代償はクルシュの忠誠と、リザードマンたちの監視。

 勿論ザリュース本人には代償については話しておらず、ただ死の王から『利用価値があるから蘇らせた』ということにしてもらっている。しかし、正直に言って頭の良い彼がどこまで勘付いているか分からなかった。もしかしたらクルシュと支配者たちが交わした契約について、ある程度予想はしているのかもしれない。

 しかし幸か不幸か、蘇って間もない頃のザリュースは上手く動くことも話すことすらまともに出来ない状態だった。

 死の王の話によると死から蘇ったことによる後遺症のようなもので、時間が経てば元に戻るものではあったらしいが……。そのため、ザリュースは今日までずっと家の中で回復とリハビリに務め、恐らく精神的にも肉体的にも何かを深く考える余裕はなかったはずである。

 クルシュがこれまでのことに思いを馳せる中、ふとザリュースが口を開いたことに気が付いて意識を彼へと戻した。

 

「……そういえば、今日は“アインズ・ウール・ゴウン”の方々が来られる日だったな。クルシュも行くのか?」

「ええ、私は代表なのだから当然でしょう。それに、主だったモノは全員集まるようにとの仰せだったし……」

「そうか……。ならば、俺も共に行こう」

 

 ザリュースの言葉に、クルシュは思わず紅色の双眸を見開かせた。咄嗟にまだ外出しない方が良いと言いかけ、しかし咄嗟に口を噤んで考え直す。

 確かにザリュースは自分たちリザードマンたちの中心的な存在の一体であり、彼の調子が戻っているのであれば今回の集まりに出席する義務がある。例えば変に隠し立てして後でバレでもすれば、それこそ厄介なことになりかねなかった。

 クルシュはザリュースに気付かれないように小さく息をつくと、次には表情を引き締めさせて一つ大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザリュースとクルシュが連れだって向かった場所は、集落の中心に存在する開けた広場のような場所だった。既に多くのリザードマンたちが集まっており、中にはザリュースと同じように死の王から蘇らされたシャースーリューやゼンベルの姿もある。広場の奥には木の板を並べて造られた大きな台が設置されており、しかし未だ“アインズ・ウール・ゴウン”のモノは来ていないようだった。

 ザリュースとクルシュは思わず安堵の息を小さく吐き出すと、台の近くに立っているシャースーリューとゼンベルの元へと歩み寄っていった。シャースーリューとゼンベルも、ザリュースとクルシュの存在に気が付いて軽く手を挙げて挨拶をしてくる。四体は横に一列に並ぶように立つと、声を低めてこれまでの状況やこれからの事について話し合い始めた。村やリザードマンたちの様子についてはシャースーリューとクルシュから、これからのことについては主にザリュースとゼンベルが報告や意見を口にしていく。

 しかし、それらは長くは続かなかった。

 不意に台の上の空間に出現する漆黒の闇。

 楕円形に揺らめく闇はザリュースとシャースーリューは見覚えがあり、思わず口を開きかけた瞬間に彼らは現れた。

 闇の中から姿を現したの三つの影。

 一つ目は山羊のような二本の角に、腰から漆黒の両翼を生やした女悪魔。

 濡羽色の髪は膝裏に届くほどに長く、全体的に細長い純白の衣服を身に纏っている。瞳は月のような金色で、肌は真珠のように白い。全体的に人間のような容姿をしており、恐らく美しい分類に入るのだろう。

 二つ目の影は、人間のような細身の男。

 浅黒い褐色の肌に木の葉のように細長い耳から一見闇森妖精(ダークエルフ)にも思えるが、しかし尾てい骨の辺りから伸びている銀色の長い尻尾がそれを否定していた。目元を覆うガラスのような装飾も、朱色の衣装も全く見たことが無いもの。しかしどちらにせよ、この男も絶対的な力を持った強者には違いなかった。

 そして最後の三つ目は、昆虫のような巨大な異形。

 蟻とカマキリを融合したような姿で、巨体は氷のように青白く光り輝いている。腕は四本で、腰から生えている太く長い尻尾。背中と尻尾からツララのようなスパイクが生えており、正に氷の化け物のような威容をしていた。

 三人ともが“アインズ・ウール・ゴウン”の支配者たちと並び立っていた存在。

 高位のモノたちの登場に、リザードマンたちは一様にその場に跪き、深々と頭を下げた。

 

「………さて、全員集まっているのかしら?」

 

 不意に女悪魔から発せられる涼やかな声音。

 まるで独り言のようなそれに、クルシュは下げていた頭を上げてそっと周りを見回した。

 彼女の目から見る限りでは、この場には殆どのリザードマンが集まっているようであった。恐らく残っているリザードマンは幼い子供と今日警備の任についている一部のリザードマンたちのみだろう。

 クルシュは一瞬迷ったものの、すぐに意を決して絶対者の三人に向けて声を張り上げた。

 

「はい、主だったリザードマンは既にこの場に集まっております」

 

 瞬間、絶対者たちの視線が全て自分に向けられて、クルシュは思わず身体を恐怖と緊張に凍り付かせた。

 隣で頭を下げているザリュースや他のリザードマンたちも思わず緊張に身体を強張らせる中、女悪魔が探るような視線でクルシュを見つめながら柔らかな笑みを浮かばせた。

 見る者全員を虜にさせるであろう、ひどく魅力的な美しい微笑。

 しかし、そこには温かな感情の色は一切宿っておらず、ただ美しいだけの微笑だった。

 

「あら、あなたは確か……。……そう、では早速始めるとしましょう。コキュートス」

「……リザードマンタチ、全員顔ヲ上ゲヨ」

 

 女悪魔の視線がクルシュから離れたことにより、クルシュと周りのリザードマンたちがほぼ同時に安堵に強張らせていた身体を緩めさせる。続いて聞こえてきた軋んだような歪んだ声に命じられ、この場にいる全員がそれに従って下げていた頭を上げた。

 クルシュたちの目の前で、向かって右側から“コキュートス”と呼ばれた青白い昆虫の異形、女悪魔、褐色の男が横一列に立ち並んでいる。

 まず初めに口を開いたのは、一歩前へと進み出た女悪魔だった。

 

「まずは初めに軽く自己紹介から始めましょう。わたくしは“アインズ・ウール・ゴウン”の至高の御方々に仕える階層守護者統括アルベド」

「そして私が同じく“アインズ・ウール・ゴウン”の至高の御方々に仕える第七階層守護者デミウルゴスだ」

「私モ同ジク“アインズ・ウール・ゴウン”ノ至高ノ御方々ニ仕エル第五階層守護者コキュートス。今後、オ前タチヲ直接統治スルコトトナッタ」

「今回わたくしたちがここに来たのは、コキュートスの要請であなたたちに“アインズ・ウール・ゴウン”について詳しく教えて教育するため。いと尊き至高の御方々の支配下に加わることが出来たのだから、最低限それに相応しい知識と精神と教養を身に着けなさい」

「特に至高の四十一人の御方々については今日中に全て覚えてもらうつもりなので、そのつもりでいたまえ」

 

 “アルベド”と名乗った女悪魔と“デミウルゴス”と名乗った褐色の男から異様な威圧感を感じて、リザードマンたちは思わず気圧されて再び緊張に身体を強張らせる。

 しかし彼らに拒否や逃げるという行動が許されるはずもなく、ここに階層守護者たちによる“アインズ・ウール・ゴウン”講座が幕を開けた。

 

 彼らが順々に語るのは“アインズ・ウール・ゴウン”の全て。

 “アインズ・ウール・ゴウン”の成り立ちに始まり、至高の四十一人と呼ばれる存在について。ナザリック地下大墳墓や階層守護者、領域守護者に至るまで延々と説明が続いていく。至高の四十一人については四十一人分一人ずつ丁寧に解説され、特に死の王、天空の王、魔の王の三人に関しては特に詳しく熱く丁寧に事細かに説明されていった。

 正直に言って、情報量が多すぎて全てを覚えることなど至難の業であり、また話についていくことさえできなくなっているリザードマンが多発してくる。しかし最初の褐色の男からの言葉もあり、少なくとも至高の四十一人に関しては全て覚えなくてはとリザードマンたちは必死に彼らの言葉に耳を傾け、頭に刻み込んでいった。

 クルシュも出来るだけ多くの情報を覚えようと、必死に三人の話に耳を傾ける。その中で“アインズ・ウール・ゴウン”のあまりのスケールの大きさや、至高の四十一人と呼ばれる神にも等しい絶対的な存在に対して内心で感嘆にも似た感情を抱いていた。

 至高の四十一人によって結成された“アインズ・ウール・ゴウン”という組織。

 地下深くにナザリックという十つもの世界を創り、数多くのシモベとなる命をも創り出した。正に神に等しい力を持った絶対者と言えるだろう存在たち。

 特に死の王であるアインズは、至高の四十一人のまとめ役を担う存在であるらしい。だからこそ、まとめ役たる御方の名前を取って“アインズ・ウール・ゴウン”としたのかもしれない……とクルシュは内心でそう思った。

 また、他の天空の王や魔の王もとても強く素晴らしい御方であるらしい。

 天空の王ペロロンチーノは正に空を支配する御方であり、どんなに遠い的であろうと撃ち抜く目と腕を持っているという。

 魔の王ウルベルト・アレイン・オードルは全悪魔の支配者にして最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるとのことだった。加えて信じられないことに、目の前の褐色の男を創造したのも彼の御方であるらしい。

 

「……こりゃあ本当に信じられねぇな」

「虚言であるとでも言うつもりか……?」

「いや、逆に納得だぜ。あの時に感じた威圧感も力も、全部本物だったってわけだな」

 

 クルシュの隣でザリュースとゼンベルが小声で言葉を交わし合っている。クルシュも二人の会話に耳を傾けながら、ゼンベルの意見に内心で大きく頷いていた。

 ゼンベルの言う“あの時”とは、三人の至高の存在が異形のシモベたちを引き連れて現れた時の事だろう。

 あの時、クルシュも確かに絶対的な威圧感と力を感じていた。

 女悪魔たちの話す内容は嘘偽りなどではなく、逆に納得させられるようなものばかりだった。

 

「ああっ、わたくしの愛しい、いと尊き至高の御方々様っ! どこまでも凛々しく、美しく、逞しい……正に生きる宝玉そのものの御方々様!!」

 

 唐突に声を張り上げたかと思えば、女悪魔が恍惚とした表情を浮かべて興奮しだす。頬は紅潮し、金色の双眸は甘く蕩け、腰の両翼もパサパサと忙しなく羽ばたいている。

 突然のことにリザードマンたちが呆然となる中、隣に立っていた褐色の男がどこか焦ったような呆れたような雰囲気を漂わせ始めた。

 

「………あー、アルベド?」

「とっても慈悲深く、叡智高く、それでいて情け深くて優しくていらっしゃる! わたくしがどんなに御方々様を愛しているかっ!!」

「アルベド、分かりましたから、とにかく一度落ち着いて下さい。こんなところで我を忘れるなど……」

「どんなにわたくしが御方々様へのご寵愛を心待ちにしているか……! 御方々様のためならこの身この命、心も全て捧げられるというのにっ!」

 

 絶対的な力を持ち、悪の代名詞とも言うべき悪魔が心からの愛の言葉を叫んでいる。

 悪魔すら心酔させられる至高の存在に、クルシュはどこか感心にも似た感情を抱いた。

 しかしそんなある意味呑気とも言える感情は、突如向けられた鋭い視線によって吹き飛ばされてしまった。

 

「……良いこと? 御方々様に邪な心で近づくなど、誰であろうと許すつもりはないので、そのつもりでいなさい!!」

 

 先ほどまでの恋する乙女のようなうっとりとした表情は一変し、次の瞬間には金色の双眸がギラリとした鋭い光を帯びる。

 彼女の視線は真っ直ぐこちらを向いており、クルシュは思わずビクッと身体を震わせてピンっと尻尾を立たせていた。

 女悪魔の金色の瞳に宿っているのは、大きな嫉妬と敵意と警戒の光。間違いなく牽制されていると知り、恐怖で息も絶え絶えとなってしまう。

 しかし、それは一つの咳払いの音によって一気に霧散された。

 咳払いの主は褐色の男。

 男はやれやれとばかりに緩く頭を振ると、女悪魔の肩に手を乗せて正気に戻らせた。

 

「アルベド、正気に戻りたまえ。君の御方々様に対する情熱は分かるが、こんなところで暴走するのだけは止めてくれ」

 

 はあぁっと再び響いた大きなため息の音に、途端に女悪魔が拗ねたような表情を浮かべる。チラッとクルシュや他の雌のリザードマンを見やった後、再び金色の双眸を男へと向けた。

 

「……でも、何事にも牽制は必要でしょう? 少しでも可能性があるのなら、木っ端微塵にそれを潰すのもわたくしたちの大切な務めではないかしら?」

「しかし、こんなところで暴走しては守護者統括としての威信を疑われかねないでしょう。……まぁ、とはいえ、君のいうことも一理ある」

 

 瞬間、男がかけているガラスの装飾の奥からギラリとした光が煌めいたような……気がした。

 位置から察するに恐らく先ほどの女悪魔と同じように目に鋭い光を宿したのかもしれないが、まさか装飾に遮られないほどの光を放つなど出来るのだろうかという疑問が湧き上げってくる。

 そんな現実逃避としか思えない思考。

 しかし、それも仕方がないとリザードマンたちは声を大にして叫びたい心境だった。

 なんせ彼らの目の前では褐色の男が先ほどまでの冷静な空気をガラリと変えて鋭すぎる殺気にも似た空気を放っているのだ。褐色の男は優雅な佇まいは変わらぬままに、ゆっくりとした動作でリザードマンたち全員を見渡した。男の視線が一瞬自分に向けられた瞬間、ゾクッと全身に怖気が走る。

 

「……良いですか? 至高の御方々は至大にして何よりも尊く、神にも等しい存在。かすり傷一つは勿論の事、その御心を騒がせることすら許されぬ大罪です。それをくれぐれも忘れぬことです。例え御方々様に許された身であるからとはいえ、少しでも御方々様を煩わせるようなことがあれば即刻排除しますよ」

 

「……落チ着ケ、デミウルゴス」

 

 褐色の男の気配がどんどん鋭く重たくなっていく。

 しかし次に男を止めたのは、青白い昆虫の異形だった。

 軋んでいながらも落ち着いた声音で宥める異形に、褐色の男は徐々に落ち着いていく。まるで何事もなかったかのように霧散する鋭い威圧に、リザードマンたちが思わず少なからず安堵にも似た息をついていた。

 同時に全員が心の中で思う。

 もしかしたら自分たちを直接統治するというこの昆虫の異形が一番まともかもしれない、と……。

 

「……ああ、私としたことが……。すまなかったね、コキュートス」

「イヤ、オ前ノ気持チモ分カルカラ構ワナイ。ダガ、アマリ彼ラヲ怖ガラセナイヨウニシテクレ」

「でも、デミウルゴスの意見は尤もだと思うわ。御方々様を煩わせないためにも、しっかり教育をしないといけないのではないかしら」

「オ前ノハ教育デハナク警告デアリ威嚇ダ。私ハ恐怖デ彼ラヲ縛ルツモリハナイ」

「甘いのね、コキュートス。私なら、少なくとも雌のリザードマンは全て処分するけれど」

「却下ダ」

「コキュートスの言う通りだよ。それでは繁殖できずに滅んでしまうじゃないか」

 

 目の前で絶対者たちが恐ろしい会話を交わしている。

 あの女悪魔が自分たちの統治者として任命されていたらどうなっていたか……と冷や汗が流れた。

 

 

「今後、コノ沼地ニハ新タナ砦ガ建設サレル。オ前タチハソノ砦ノ建設作業ヲ他ノシモベタチト共ニ行イ、砦ガ完成シタ後ハ守備ノ一端ヲ担ッテモラウコトニナルダロウ」

 

 会話が落ち着き、コキュートスがリザードマンたち全員に向けて今後について軽く説明していく。

 彼の言う砦というものが実際にどういったものであるのかは分からなかったが、しかし恐らくは唯の簡単な施設などではないだろう。そしてまた、この沼地に彼らの施設が築かれるということは、否が応にも自分たちは逃げることが出来ないということだ。

 

 唯の支配ではない。彼らの手足……何かの一部として働き、彼らのために生きていく。

 

 恐怖を感じないと言えば嘘になる。恐らく間接的にでも彼らに不利益なことが起これば、女悪魔や褐色の男が言うようにそれ相応の処分を受けることにもなるのだろう。しかしその一方で、クルシュはある意味小さな希望のようなものも感じていた。

 大きく立派な天幕の中で実際に拝謁して言葉を交わした至高の支配者たち。

 恐ろしい噂で語られていた天空の王からかけられた、意外にも柔らかでいて温かだった言葉たち。

 そして実際に自分たちの統治者としてつけられた、コキュートスという名の真っ当な思考回路を持った存在。

 上手くすれば、リザードマンという種族は彼らの力を借りることによって今までにない繁栄を迎えられるのではないか、と。

 クルシュはゴクッと一度生唾を呑み込むと、次には地面に両手をついて深々と頭を下げた。

 

「畏まりました、コキュートス様。私たちリザードマンは至高の御方々様のため、あなたの手足となって働きましょう」

 

 瞬間、周りにいたリザードマンたちが自分を注視してくるのが全身で感じ取れる。しかしクルシュは頭を上げようとはしない。無言のまま頭を下げ続けるのに、周りのリザードマンたちも彼女に倣ったようだった。

 次々と響いてくる泥水が跳ねる小さな音と、頭を垂れる多くの気配。

 改めて“アインズ・ウール・ゴウン”への支配と忠誠を受け入れるクルシュたちの様子に、コキュートスはフシューっと冷気を吐き出し、女悪魔と褐色の男は深い笑みを浮かばせた。

 

「ふふっ、素直だこと」

「これも至高の御方々様の威光に触れたが故かもしれないね」

 

 女悪魔と褐色の男それぞれの言葉が響いてくる。

 

「オ前タチノ忠誠心、確カニ受ケ取ッタ。至高ノ御方々様ハ慈悲深ク寛大デイラッシャル。オ前タチノ働キニヨッテハ更ナル繁栄ヲオ約束シテ下サルダロウ」

 

 続いてかけられたコキュートスからの言葉に、クルシュたちは更に深く頭を下げる。

 

 リザードマンは“アインズ・ウール・ゴウン”の支配下にあり、彼らのために存在する。

 

 良くも悪くも、その事実と現実がクルシュたちリザードマンたちの心の中に強く深く刻まれた瞬間だった。

 

 



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幕間 小悪魔の日常

幕間第二弾!
題名のまたの名を『ニグンの生まれ変わった日常』。
今回はニグン中心の小話になります!
久々にニグンを書いたような気がします(笑)


 薄暗い空間の中にチュンチュンという微かな音が聞こえてくる。

 明かりもつけずに本に向けていた視線を外すと、顔を上げて窓の方へと視線を移した。閉じられたカーテンの隙間から白い光が覗いており、すっかり夜が明けてしまっていることを知らせてくる。耳を聳てて周りの音や気配を探ると、どうやら何人かの人間は既に起きて活動を開始しているようだった。

 開いていた本を閉じて近くのテーブルの上に置き、代わりに傍に置いてあった仮面を手に取る。剥き出しとなっている顔に仮面をつけ、椅子から立ち上がって椅子の背もたれに掛けていたマントを身に纏う。フードに指を引っ掛けて深く被ると、窓へと歩み寄ってカーテンを開いた。

 瞬間、勢いよく室内へと入ってくる眩しい光の放流に、思わず仮面の奥で小さく目を細めさせる。暫く窓から街の様子を眺めると、ニグンは一つ小さな息をついて踵を返した。

 窓から離れ、室内を見回す。

 ここは“歌う林檎亭”の二階の一室であり、室内にはニグン以外誰一人としていなかった。主であるウルベルトも、同僚であり先達者でもあるユリもこの場にはいない。二人は現在ナザリック地下大墳墓に戻っており、ニグンはここで一人留守を任されていた。

 とはいえこの一室でただじっと留守を守っている訳でもなく、決して暇でもない。

 闘技場の演目でエルヤーに打ち勝ち、また帝国四騎士のバジウッドからの遣いが来たことにより、今やウルベルト率いる“サバト・レガロ”は注目の的となっていた。依頼も山のように来ており、少し前まで依頼一つ来ず暇だった頃が嘘のようだった。

 ニグンは一度ため息にも似た息を小さく吐き出すと、新たな一日の始まりに気を引き締めさせた。

 今まで読んでいた本を丁寧に荷袋の中へと仕舞うと、部屋を出るために扉へと向かう。扉を潜り抜けて預かった鍵でしっかり施錠すると、そのまま下へと続く階段を下りていった。

 ギシギシと木の板が軋む音を小さく鳴らしながら下りていけば、徐々に朝の喧騒が大きくなってくる。

 既に店を開けているようで、食堂である一階は多くの客で賑わっていた。

 多くの注文の声が飛び交い、店員が料理を両手に店中を走り回っている。今日も大繁盛している様子に思わず小さな笑みを浮かべる中、カウンターの奥にいた店主がこちらに気が付いて声をかけてきた。

 

「おう、起きてきたか! 今日はあんた一人かい?」

 

 店主の馬鹿でかいドラ声に、途端に店にいた全員の視線がニグンへと向けられる。彼らの期待するような熱っぽい視線に思わず微笑を苦笑へと変えながら、ニグンは無言のままカウンター席へと歩み寄っていった。多くの客たちに背を向ける形でカウンター席に腰を下ろし、そこで漸く口を開く。

 

「ああ、今日は私一人だ。レオナールさんとリーリエさんは所用で街を出ているからな」

 

 ニグンの言葉に、途端に背後から多くの嘆息や嘆きの声が小さく聞こえてくる。ニグンと向かい合うように立っている店主はチラッと店内を見回すと、次には太い眉を片方だけ小さくつり上げてみせた。続いて軽く肩を竦ませるのに、思わず笑いが込み上げてくる。しかしニグンは小さく咳払いをすることで笑いの衝動を抑えると、何食わぬ顔で店主へと朝食を頼んだ。

 すぐ出てきた本日の朝食の献立は、黒パン一つとスクランブルエッグ。卵の上には一本丸々豪快に焼いたウィンナーが横たわっており、葉野菜が皿の端に添えられて彩を足していた。

 食欲をそそられる香ばしい香りと光景に、人間だった頃の名残なのか、唾液が口内に溢れて思わず大きく呑み込む。

 ニグンは店主に軽く礼を言うと、下品に見えないように気を付けながらフォークを手に取って食事を始めた。

 途端に口内に広がるパンの麦の甘さや卵の優しい風味に、思わず笑みが浮かびそうになる。

 通常であれば小悪魔(インプ)となったニグンには食事は不要なのだが、こちらも人間であった時の名残か、ニグンはナザリック地下大墳墓にいる時でも出来得る限り毎日食事をとるようにしていた。

 まぁ、ナザリックで出される料理が異常に美味であると言うのも大きな原因ではあるのだが、他にも食事をとるとやはり心が落ち着くというのがあった。

 今までの日々の習慣というのは種族が変わってもなかなか抜けないものであるらしい。加えて誰かと食事をした時や誰かが近くにいる場で食事をした時、多くの者と交流を深められることがここ最近で特に身に染みて強く感じることだった。

 この食堂でも時折他の客たちや同業者(ワーカー)たちから声をかけられることが増えてきており、多くの方面での情報収集が順調に進んでいる。加えてナザリックでも、最初は不審な目や冷たい視線を向けてきていたメイドたちとも今や時折世間話ができるまでに親交を深めることができていた。

 やはり食事とは非常に素晴らしいものなのだな……と内心でしみじみと何度も頷く。

 しかし不意に何とも引っ掛かるような影が視界を掠めたような気がして、ニグンは食事の手を止めて軽く俯かせていた顔を上げた。まずは後ろを振り返って店内を見回し、しかし特別奇妙なものは見つからず思わず仮面の奥で顔を顰めさせる。腑に落ちない心境ながらも食事に戻ろうと体勢を戻そうとし、しかしそこで漸く不審なものの正体を視界に納めてピタッと動きを止めた。

 “それら”を凝視し、ニグンは仮面の奥で目を見開かせながら呆然とした表情を浮かべる。

 ニグンの様子に気が付いた店主が彼の視線を追っていき、その視線の先を確かめた途端に大きな苦笑を浮かばせた。

 

「……気が付いたか。いや、まぁ、気が付いて当然か……」

 

 店主が苦笑の表情を深めさせながら、やれやれとばかりに頭を振ってくる。

 しかしニグンはそれどころではなかった。

 “それら”がここにいること自体はそこまで不思議なことではない。

 では何が問題なのかと言えば、それは“それら”が“ここ”で“何を”していたかにあった。

 

 

「………何故、彼女たちがここで働いているんだ……?」

 

 いつものニグンらしくなく、小刻みに震える人差し指で“それら”を指さしながら店主へと問いかける。

 彼の指さす先には、エルヤーの奴隷だった森妖精(エルフ)の三人娘が、何故か店員用のエプロンを身に纏ってちょこまかと店内を駆け回っていた。誰がどう見てもここで働いている様子に思わず頭の中が疑問符で一杯になる。

 しかしまず初めに返ってきたのは大きなため息の音だった。

 

「……何故も何も、懇願されたからに決まってるだろうが。あいつらの主人であるウズルスはまだ見つからねぇ。引き取り手もいねぇ。主人がいなくなった奴隷を受け入れるところなんてありゃしねぇ。加えて、どうしてもここで働きてぇときたもんだ。……初対面で全く知らねぇ相手でもあるまいし、放っておくわけにもいかねぇだろうが…」

 

 苛立っているのか、はたまた照れているのか。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて店主が唸り声のような声を零す。彼の瞳に恨みがましいような責めるような色を見たような気がして、ニグンは咄嗟に顔を背けて食事の手を再開させた。

 もしかしなくても、彼女たちがここで働きたいと懇願したのはウルベルトが原因だろう。

 彼の拠点にいればエルヤー・ウズルスが現れるかもしれないと思ったのか、それともウルベルトに対する感情故か。

 どちらにせよ、厄介なことになったものだとニグンは内心で大きなため息を吐き出した。

 ウルベルトがこちらに戻ってきて彼女たちの存在を知ったらどうするだろうかと思い浮かべ、その瞬間、背筋にゾクッとした悪寒のようなものが走って思わず小さく身体を強張らせる。主の本来の姿を思い浮かべ、ブルッと小さく身体を震わせた。

 ニグンの新しい上司であり主人であるウルベルト・アレイン・オードルは、枠に決して嵌ることのない策士のような存在だった。

 情報の重要性を誰よりも理解し、加えて頭の回転が速く、非常に行動力がある。また、必要以上に縛られることを嫌い、他者の下に降ることを嫌悪し、自身の自由に対して強い拘りを持った悪魔。最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)でありながらも決して驕らず、思慮深い思考や深い叡智を併せ持つ。

 正に味方であれば心強いが、敵であれば非常に恐ろしい存在であり、ニグンにとっては非常に誇らしい主でもあった。

 しかし一つだけ、ウルベルト・アレイン・オードルという存在には非常に厄介な部分があった。

 それは、彼の思考回路や行動には必ずと言っていいほど“悪戯心”が含まれているという点だった。

 不真面目であると言う訳では決してない。ただ、何かを考えるにしろ何かをするにしろ、その中には必ず大なり小なり悪魔特有の残虐性が潜んでいるのだ。言い換えれば、“悪知恵が働く”と言っても良いかもしれない。そんな主が彼女たちの存在を認識してどんな悪巧みを企むか……、ニグンは考えるだけで血の気が引くようだった。

 

(……もし、事態が悪い方向に行ってしまったら、私が守護者の方々から責められるのだろうな……。)

 

 至高の主たちに対して絶対至上主義であるナザリックの階層守護者たちを思い浮かべ、ニグンは思わず出そうになったため息を咄嗟に呑み込んだ。

 もし実際に守護者たちがニグンを責めた場合には、意外にも常識人でもあるモモンガやペロロンチーノ、そして身内には非常に甘くなるウルベルト自身が守護者たちを諌めて落ち着かせる確率の方が高いのだが、しかしニグンは守護者たちに対して一種のトラウマを持っているため最悪の状況を信じて疑わなかった。特に至高の主たちを愛しているアルベドやウルベルトの被造物であるデミウルゴスは、ニグンが一番苦手としている存在だった。

 走馬灯のように頭の中を駆け巡る、ナザリックで経験した過酷な日々。

 やはり一番辛かったのは“教育指導”という名の扱きだろうか……と思い浮かべ、しかしニグンはすぐさま緩く頭を振った。

 確かに体力面で言えばそれが一番辛かっただろう。しかし精神面で言えば、別のものが頭に思い浮かんだ。

 それはウルベルトたちが外の世界に情報収集に出ることを守護者たちに宣言し、仮の名を決める時の事だった。

 モモンガはモモン、ナーベラルはナーベ、ウルベルトはレオナール・グラン・ネーグル、ユリはリーリエ、そしてニグンはレイン。

 これらの名前を決めるに当たり、実はちょっとした一波乱が起こっていたのだ。

 

 

 

 

 

 遡ること、ニグンがウルベルトのシモベとなって二日後のこと。

 円卓の間に集った三人の至高の主と階層守護者とセバスとニグンは、今後の動きに関してのチーム決めを終わらせた後、次は仮の名前を決めるために激論を繰り広げていた。

 

「――……モモンガだからモモンって、すっごい適当じゃないですか。もう少し捻りましょうよ」

「いやいや、それを言うならウルベルトさんだってそうだろう。レオナール・グラン・ネーグルって、見た目そのまんまじゃないか」

「俺は人化するから良いんですよ」

「それを言うなら俺だって……――」

「――……いや~、ユリはどんな名前が良いかな~。やっぱり百合に因んだ名前が良いかな~」

「おい、まずはこっちに集中しろ、ペロロンチーノ」

 

 和気あいあいと言い争う至高の主たちに、何故かそれを幸せそうに見つめている守護者たち。

 最終的には「至高の御方々の御名前は素晴らしいため、仮初の名前だとしてもそれ以上に相応しいものはない」「名は体を表すため、ウルベルト様の名の選択は非常に素晴らしい」といったような守護者たちの言葉によって、モモンガとウルベルトの仮初の名前は決まった。ナーベラルに関しては、ナーベラル自身の「ナーベが良いです」という言葉で決まり、ユリの名前に至ってはペロロンチーノの「やっぱり百合に因んで“リーリエ”にしましょうよ!」という言葉によってあっさりと決まった。

 問題はニグンの仮初の名前に関してだった。

 ああでもないこうでもないと至高の主たちが悩む中、ふとウルベルトが爆弾発言を投下してきた。

 

「ふむ……、では“レイン”というのはどうかね?」

「……“レイン”、ですか?」

「………はっ! ま、まさか……ウルベルト様、そのお名前は!!」

 

 疑問符を浮かべるニグンや他の面々に対して、デミウルゴスが何かに気が付いたように声を上げる。

 瞬間、ウルベルトの山羊の顔が悪戯気な笑みに歪んだのをニグンは確かに目にした。

 

「ふふっ、“ウルベルト・アレイン・オードル”の“アレイン”の部分から取ったのだよ。良くはないかね?」

「「「っ!!?」」」

 

 小首を傾げながら小さな笑みを浮かべるウルベルトに、瞬間、この場にいる全てのシモベたちが声にならない悲鳴を上げた。次には誰もが鋭い視線でニグンを睨み付け、ニグンは思わずビクッと身体を震わせる。彼らの目には、至高の主の尊い名の一部を借り受けるという名誉に、嫉妬という名の殺気が宿っていた。

 その後もちょっとした騒動はあったものの何とか場は治まってニグンの仮初の名前も決まったのだが、あれほど精神的に辛かった場面は他にはないだろう……と今思い出しただけでも怖気が走る。

 

 

 

 

 

「――……おい、大丈夫か? 手が止まっているようだが……」

 

 唐突に聞こえてきた気遣わしげな声。

 一人無言のまま悲惨な過去を思い返して仮面の奥で死にそうな表情を浮かべていたニグンは、そこで漸く我に返った。

 目の前には怪訝そうな表情を浮かべた店主。手元には完食されることなく残っている料理。

 ニグンは一度フゥッと大きな息をつくと、何でもないと言ってから気を取り直すようにいつの間にか止まっていた手の動きを再び再開させた。最後のパンの欠片を口内へと放り込み、ウィンナーを噛み砕いて呑み込む。

 皿の上を全て空にすると、ニグンは小さく一息ついた。

 未だ頭にチラつく過去の残像を振り払い、これからのことについて頭を切り替える。

 まずは内通者になるよう説得している帝国四騎士のレイナース・ロックブルズに連絡を取り、返事を聞くために会う約束を決め直さなくてはならない。

 実は大分前に会う約束自体はしていたのだが、その際はペロロンチーノからコキュートスの件でナザリックに帰還するように言われてしまい、そのまま延期となっていたのだ。早急に会う日取を決め直し、答えを聞かねばならない。

 さて、どの方法で連絡を取るべきか……と食後の水を飲みながら考えを巡らせる。

 しかしそれはすぐに中断されることとなった。

 突然背後で響いた大きな音。店内は静まり返り、一拍後には背中に多くの視線が突き刺さってくる。

 その覚えのある感覚と流れに、ニグンは途端に嫌な予感に襲われた。

 カツカツと近づいてくる高い足音。

 ニグンは振り向きたくない一心で無視を決め込んでいたが、しかし相手がそれを決して許してくれなかった。

 

「……あら、あなただけですの? ネーグルさんはどちらにいらして?」

 

 まるでニグンの思いなど知らぬげに、背中に掛けられる一つの高い声。

 ニグンは出そうになる大きなため息を何とか呑み込むと、覚悟を決めて背後へと振り返った。

 

「………これはこれは、ノークランさん。残念ながらレオナールは所用で出ておりましてここにはいないのですが、一体何の御用でしょうか?」

 

 仮面の奥で引き攣った笑みを浮かべながら、なるべく愛想良く問いかける。

 背後にはニグンの予想通り、以前ウルベルトに依頼という名の喧嘩を売ってきたソフィア・ノークランが立っていた。彼女の背後には以前と同じように護衛であろう二人の屈強な男が佇んでいる。

 ソフィアはまるでニグンの言葉を確かめるかのように店内を素早く見回すと、可愛らしい顔に若干の残念そうな色を浮かばせた。

 

「……そうですの。……本日はあなた方に再び闘技場の演目に出場して頂きたくて依頼しに参りましたの」

「闘技場の演目出場の依頼……ですか………」

 

 彼女の手から差し出された封筒を受け取り、マジマジとそれを見つめる。

 白い封筒には宛名と差出人の名前がこの世界の文字で書かれており、ご丁寧に赤い蝋とノークラン家の物であろう紋章で封までされている。これだけでも、差出人である彼女がウルベルトに対してどんな感情を抱いているのか分かるというものだ。

 しかし果たしてウルベルト本人がそれに気が付くかどうか……。

 変なところで鈍感なところのある主を思い浮かべ、思わず何とも言えない表情を浮かべた。

 しかしすぐさま表情を元に戻すと、ニグンは何事もなかったかのように受け取った封筒を懐へと仕舞った。

 

「……分かりました。レオナールには私の方から伝えておきます」

「ネーグルさんはいつお戻りですの? 良ければ、こちらで待たせて頂いて直接お伝えしたいのですけれど」

「あー、それは……やめておいた方が宜しいかと………」

「あら、何故ですの?」

 

 それはあなたが嫌われているからです……とは口が裂けても言えない。少なくともニグンには口に出して言うことはできなかった。

 しかしそんな言葉に彼女が納得するはずがない。

 キョトンとした表情を浮かべたかと思うと、次には不機嫌そうに小さく顔を顰めさせてきた。

 

「わたくしがネーグルさんにお会いしては不味いことでもありますの?」

「いや、えっと、そう言う訳ではないのですが……。その……今日中に戻るかも分かりかねますので」

「そう、ですの……」

 

 先ほどの勢いはどこへやら。途端にしゅんっとなる様がとても可愛らしい。普段の強気な彼女の様子を知っているだけに、そのギャップが更に彼女の魅力を引き立たせているようだった。

 しかし幸か不幸か、彼女が一番振り向いてほしいと願っている存在は今この場にはいない。店内にいる男どもから感嘆にも似た吐息が零れようが、熱っぽい視線を向けられようが、彼女にとっては何の意味もなさなかった。

 残念そうな溜息を吐き出し、しかし次にはいつも通りの凛とした表情を浮かべる。必要以上に背筋を伸ばして胸を張る様は、どこか無理をしているようにも見えた。

 

「では、お願いしますわ。依頼を受けて下さるかどうかの答えはなるべく早く頂けると助かりますので、それも伝えておいて下さい」

「分かりました。確かに伝えます」

 

 これ以上彼女の感情を波立たせないように真剣な声音を意識しながら大きく頷いて見せる。

 ニグンは護衛の男たちと共にしっかりとした足取りで去っていく彼女の背を見送りながら、そこで漸く大きなため息を吐き出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 その日の深夜。

 一人でも出来る依頼をこなし終えたニグンは、自身に与えられた魔の闇子(ジャージーデビル)を裏の厩に預けて“歌う林檎亭”の店内へと入っていった。

 深夜ということもあり、一階の食堂は既に閉まっている。裏口から店内へと入ると、そのまま借りている二階の部屋へと一直線に向かっていった。なるべく音を出さないように気を付けながら軋む木の階段を上っていく。

 目的の部屋の扉へと歩み寄り、そこで漸く扉の隙間から微かな光が漏れ出ていることに気が付いた。

 一瞬身体を硬直させ、すぐに我に返って扉へと手を掛ける。

 勢いよく扉を開けて中に入れば、そこには予想通りの存在が長椅子(カウチ)にゆったりと腰掛けていた。

 

 

「お帰り、ニグン。遅くまでご苦労だったね」

 

 寝椅子に腰かけていたのは、人の姿をしたニグンの主であるウルベルト・アレイン・オードル。

 傍らにはユリが控えるように立っており、ウルベルトの手には紅茶が半分ほど入ったカップが握られている。それだけで、彼らがこの部屋に来て時間がそれなりに経っていることが窺える。

 ニグンは扉を閉めて部屋の奥へと足を進めると、ウルベルトの前で足を止めてそのまま跪いて深々と頭を下げた。

 

「ウルベルト様、今夜お戻りになるとは思わず……。出迎えが出来ず、大変失礼をいたしました」

「ああ、構わないよ。お前は私たちの代わりに一人で依頼を片付けてくれていたのだからね。むしろ何か礼をしなくてはと思っているほどだ」

「い、いえ、礼などと……っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ニグンは慌ててより一層頭を下げる。

 ナザリックのシモベとなりウルベルトに仕えるようになってからというもの、ニグンはいくつもの驚きや感動を味わい、悲惨な目にもあってきた。しかし中でも一番ニグンが衝撃を受けたのは、もしかすれば今のような、至高の主たちが自分たちシモベに対して与えてくれる寛大な心についてかもしれなかった。

 ニグンが未だ唯の人間であり、法国に属する陽光聖典の隊長であった頃。自分にとって法国のために働くことは至極当然のことであり、与えられた任務を遂行することもひどく当たり前の事だった。褒賞を願うなどもっての外。これまで考えたことすらなかった。恐らく自分に限らず、法国の国家機関に属する人間であれば誰もが同じ考えを持っているであろう。

 法国では、上の役職になればなるほど与えられる富は減っていく。ニグンの元上司である最高神官長はその最もたる存在であり、彼らは富や名誉といった野心からではなく、国への忠誠心から今の地位を手にして職務を務めている。

 だからこそ、いくら任務を遂行しようとも、結果を残そうとも、そこには何も存在しない。褒賞どころか礼の言葉すら与えられはしない。何故ならばそれが当然の事であるからだ。

 しかしそんな考えは、ナザリックのシモベとなったことで全てが変わった。

 目の前のウルベルトも他の至高の主であるモモンガやペロロンチーノも、当然のようにシモベたちに礼を言い、褒賞を与えようとする。

 労力にはそれに見合うだけの対価を。それが当然であると口にして行動する。

 最初は驚いたものだったが、今では主たちの寛大な心に感動するばかりである。また、やはり礼を言われるだけでも嬉しいものだと改めて理解することが出来た。

 

 

「ありがとうございます、ウルベルト様。その御言葉だけで、身に余る栄誉でございます」

「まったく……。お前は元法国の人間であるというのに、ナザリックのモノたちと全く同じことを言うのだな。……まぁ、お前はそれ相応の働きをしてくれているのだ。褒美を期待しておくと良い」

 

 ウルベルトが小さな苦笑を浮かばせて、軽く肩を竦ませる。

 ニグンは頭を下げたまま、この目の前の主に心からの忠誠を誓い続けようと改めて心に刻み込むのだった。

 

 



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第36話 森の支配者

長らくお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした!(土下座)
そしてそして、お気に入り件数3000件突破、ありがとうございます!
ここまで来れるなんて信じられません!
正直夢なんじゃないかと思うほどです……(汗)
こんな趣味に走りまくりの小説ですが、今後も少しでも皆さんに楽しんで頂けるよう精進して参ります!


「――……それは本当なのか?」

 

 薄暗い室内に、緊張感を孕んだ掠れた声が零れて消える。

 死の世界から蘇り蜥蜴人(リザードマン)の連合長となったシャースーリュー・シャシャは、目の前の同胞が持ち帰ってきた情報に思わず低い唸り声を上げた。

 ここはリザードマンの集落に新たにできた“王会の館”の一室。

 “王会の館”とは、“アインズ・ウール・ゴウン”の傘下に加わった際、統治者となったコキュートスの命によって建てられた建物である。

 用途としては主に“アインズ・ウール・ゴウン”の支配者たちを迎えての謁見や、コキュートスとの会談。その他にも今回のようにリザードマンたちだけでの話し合いの場としても利用されていた。

 今回この場に集っているのはシャースーリューの他に、彼の弟でありリザードマン一の戦士でもあるザリュース・シャシャ。一時リザードマンの代表を務めていた雌のリザードマンであるクルシュ・ルールー。丁度ザリュースと共におり、半ば強引にこの場の話し合いに参加してきた元・“竜牙(ドラゴン・タスク)”の族長であるゼンベル・ググー。そして、今回の話し合いを行うに至った情報を持ってきた、二体の狩人のリザードマンたちだった。

 彼らが持ってきた情報とは『東と西の王が手を組んで“黄金の鳥人(バードマン)”を倒すために勢力を集めている』というものだった。

 

「………この“黄金のバードマン”とは、間違いなくペロロンチーノ様の事だろうな……」

「ええ、間違いないと思うわ。アインズ様とオードル様は兎も角、ペロロンチーノ様はこの森では既に恐怖の対象として噂が広がっているし、東の王と西の王が危機感を持つのは当然だと思うわ」

 

 ザリュースの独り言のような言葉に、クルシュが同意して大きく頷いてくる。シャースーリューとゼンベルも大きく頷き、狩人のリザードマンたちは不安そうな表情を浮かべて代表たちを見つめていた。

 

「それで……、どうすんだ? 東と西が手を組んだところで、あいつらが倒されるとも思えねぇが」

「……一番安全なのは、こちらから進んで報告することだろうな。東と西が“アインズ・ウール・ゴウン”に勝てる可能性など皆無に等しい。ならば、我らの取る行動は一つだ」

「そうだな……。至急、コキュートス様に謁見を申し入れよう。お前たちも共に来てくれ」

 

 シャースーリューの決断に、この場にいる全てのリザードマンが大きく頷いて同意を示す。シャースーリューも一つ頷いてそれに応えると、行動を起こすために立ち上がった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「……東の王と西の王の結託? なんだそれ?」

 

 時は少々過ぎて再びの“王会の館”。

 シャースーリューたちが使っていた部屋とはまた違う部屋で、シャースーリューたちは目の前の玉座に向けて深々と頭を下げていた。

 彼らの目の前の玉座に腰掛けているのは黄金のバードマンことペロロンチーノ。そして彼らが最初に報告しようと考えていたコキュートスは、ペロロンチーノのすぐ傍らに控えるように立っていた。

 何故この場にコキュートスだけでなくペロロンチーノもいるのかと言うと、シャースーリューたちの報告を聞いたコキュートスが彼を呼びよせたからでは決してない。コキュートスを探している最中、丁度避難所となる偽のナザリックの建設のためにコキュートスの元を訪れていたペロロンチーノと偶然出くわし、あれよあれよという間にこのような場が設けられてしまったのだった。

 突然の思わぬ状況に、シャースーリューたちの緊張はピークに達している。

 そんな中でも勇気を振り絞って報告した彼らに返されたのが、先ほどのあっけらかんとした言葉だった。

 

「……う~ん、今一よく分からないんだけど……。もっと一から詳しく説明してくれないかな?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、シャースーリューたちは下げていた頭を小さく上げながら困惑した表情を浮かべる。

 一からと言われてもどこから説明したら良いのかが分からず、思わず互いに顔を見合わせた。

 困惑と疑問と緊張に支配されて何も言葉を発せずにいるシャースーリューたちに、ペロロンチーノは小首を傾げながらもより具体的に、まずは『東の王と西の王は何者なのか』という所から質問を始めた。それにシャースーリューたちは再度顔を見合わせると、次にはこの場の代表としてシャースーリューが自分たちの知っていることを全て話し始めた。

 彼の話によると、そもそもこの広大なトブの大森林には三大と呼ばれる三つの大きな勢力があったらしい。

 南を縄張りとする“南の大魔獣”。東を支配している“東の巨人”。西を支配している“西の魔蛇”。そして北に関しては多くの種族が入り混じっているらしく、これといった支配者がいる訳ではないらしい。

 “南の大魔獣”に関しては、恐らく支配下に下して今は冒険者モモンの従獣となっている“森の賢王”の事だろう。

 そして残りの“東の巨人”と“西の魔蛇”が今、ペロロンチーノたちを倒すために手を組んで勢力を集めているとのことだった。

 

「へぇ~、そんな奴らがいたんだな~。……でも、何でそいつらは俺たちを狙っているんだ?」

 

 心底不思議そうに首を傾げるペロロンチーノに、今まで黙っていたクルシュが恐る恐る口を開いてきた。

 

「……恐れながら、ペロロンチーノ様のお噂は既に森中に轟いております。“恐ろしい魔物たちを引き連れて、森に棲むモノたちを連れ去る恐ろしい黄金のバードマンがいる”と。東の王と西の王が脅威に感じてペロロンチーノ様を狙おうとするのは仕方がないと思います」

「あ~、そういえばそうだったな……」

 

 クルシュの言葉から噂の存在を思い出して、ペロロンチーノは思わず力なく後ろ頭をかいた。

 思えば“恐ろしい黄金色のバードマン”の噂は、クルシュだけでなくピニスンからも聞いていたことを思い出す。

 こちらの存在を脅威に感じて反抗してくるのも当然のように思われた。

 ペロロンチーノは一度大きな息をつくと、徐に傍らに控えているコキュートスを振り仰いだ。

 

「どう思う、コキュートス?」

「至高ノ御方デアラセラレルペロロンチーノ様ニ刃ヲ向ケルナド、許シ難イ大罪。即刻身ノ程ヲ弁エサセルベキデアルト愚考イタシマス」

「……いや、まぁ、その気持ちは嬉しいんだけど……。う~ん、でも今まで“東の巨人”やら“西の魔蛇”の存在は知らなかったんだよなぁ。コキュートスは何か心当たりはないか?」

「申シ訳アリマセン。私ハ把握シテオリマセンデシタ」

「いや、俺もだから別に良いんだけど……。アウラなら何かしら知ってるかな……。コキュートス、悪いけどアウラを呼んできてもらえるか?」

「畏マリマシタ」

 

 コキュートスはペロロンチーノへと深々と一礼すると、次には踵を返して扉へと歩を進めた。しかし部屋の外へと出る訳ではなく、外で扉を守っているシモベへと、アウラを呼んでくるように言伝を行っている。その間に、ペロロンチーノはなるべく詳しく“東の巨人”と“西の魔蛇”について知るべくシャースーリューたちに質問を再開させた。

 しかしシャースーリューたちも彼らがどんな存在であるかまでは詳しくは知らなかった。“東の巨人”は巨大な剣を持っていることと、“西の魔蛇”は人間のような顔を持ち、魔法を使うことくらいしか分からない。

 恐縮したように身体を縮み込ませるシャースーリューたちを見つめながら、ペロロンチーノは必死に自身の知識をこねくり回した。

 “東の巨人”に関しては大きな剣を持っているということから、得物を振るえる人間のような腕を持った種族であることが予想される。“巨人”という二つ名から、それこそ巨人族である可能性も考えられたが、どうにも確信は持てなかった。

 次に“西の魔蛇”に関してだが、こちらもなかなか種族を特定することは難しい。恐らく蛇のような外見をしているのではないだろうかと予想はできても、それだけではあまりにも情報が少なすぎた。

 どうにも想像の域を出ないな……と思わず小さなため息を零す。

 後はアウラ頼みだな、と思考を巡らす中、不意に扉をノックする音が外から聞こえてきて、反射的にそちらを振り返った。視線のみで伺いを立ててくるコキュートスに、扉を開けてやるように頷いて返す。

 コキュートスは一礼して扉へと歩み寄ると、開いた扉の隙間からアウラの慌てたような表情が姿を現した。

 

「ペロロンチーノ様。第六階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラ、お呼びと伺い馳せ参じました」

「ああ、よく来たね、アウラ。急に呼び出してごめんよ。こっちにおいで」

 

 室内に入ってすぐの扉の前で片膝をついて頭を下げてくるアウラに、優しく声をかけながらこちらに来るように手招く。

 アウラは素早く立ち上がると、ペロロンチーノを待たせないための配慮か足早に玉座へと歩み寄ってきた。

 

「ペロロンチーノ様、何かご命令でしょうか? ……もしや、そこのリザードマンたちと何か関係があるのでしょうか?」

 

 チラッとシャースーリューたちを見やりながら聞いてくるアウラに、ペロロンチーノは考え込みながらも小さく頷いた。

 どこから話すべきか……と思考を巡らせ、全て話すべきだと即判断を下す。

 ペロロンチーノはすぐ傍まで来たアウラに労いの意味を込めて軽く頭を撫でてやると、次には手短にシャースーリューたちから聞いた情報をアウラに説明していった。

 

「――……と言う訳なんだけど、アウラは“東の巨人”と“西の魔蛇”について何か心当たりはないかな?」

 

 小首を傾げながら問いかけるペロロンチーノに、しかし返ってきたのは申し訳なさそうな困り顔だった。

 

「申し訳ありません、ペロロンチーノ様。“東の巨人”も“西の魔蛇”も、それらしき情報は持っておりません。強者の情報は注意深く集めているつもりだったのですが……」

「まぁ、考えてみれば“森の賢王”と同列に呼ばれてるってことは“東の巨人”と“西の魔蛇”も同じくらいのレベルなんだろうし、見逃しても仕方がないか。あまり気にしなくても良いよ、アウラ」

「あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノの気遣いともとれる言葉に、アウラは申し訳なさそうに眉を八の字に歪ませながらも顔を笑みの形に綻ばせる。ペロロンチーノもニッコリとした笑みを浮かべると、次にはアウラから視線を外してシャースーリューたちへと目を向けた。向けられた視線に気がつき、シャースーリューたちはすぐに再び深々と頭を下げてくる。

 

「“東の巨人”と“西の魔蛇”が手を組んでいると言っていたな。奴らがどこにいるか分かるか?」

 

 ペロロンチーノの問いを受け、シャースーリューやザリュースたちは自身の後ろにいる二体の狩人のリザードマンをチラッと振り返る。彼らはビクッと怯えたように一度身体を強張らせると、互いに顔を見合せた後に勇気を振り絞るようにゆっくりと口を開いてきた。

 

「か、確実な居場所は分かっておりません。た、ただ……」

「拠点としている場所なら、分かります。も、もしかしたらそこに、どちらかがいるのかも……」

「ふむ……。奴らは勢力を集めていると言っていたな。どのくらいの規模で、どういった種族がいるのか分かるか?」

「き、規模は……よく、分かりません」

「ただ、悪霊犬(バーゲスト)やバグベア……、あと、子鬼(ゴブリン)の姿も見ました。他にもいるかどうかは、分かりません……」

 

 二体のリザードマンたちの答えに、ペロロンチーノは低い唸り声を上げながら思考を巡らせた。

 正直に言って、今までの話を統合してもあまり脅威には感じられない。“東の巨人”も“西の魔蛇”もレベルで言えば30いくかいかないかくらいであろうし、集められている種族も聞く限りではそこら辺に転がっているような獣並みのものばかり。放っておいても別に損害はないのではないだろうかとさえ思えてくる。

 しかし、ここで放置していれば、モモンガやウルベルトから非難されることは明白だった。また、どんな時でも油断するのは褒められたことでは決してない。

 ペロロンチーノは座っている玉座の背もたれに深く背を預けると、更に思考を深く巡らせた。東と西の勢力をどういった形で対処するか頭を悩ませる。

 一番問題なのは、東と西の勢力がどれほどの規模で、どの程度の統率がなされているかだった。

 獣の寄せ集めであればそれほど重要視する必要はない。しかし目の前のリザードマンたちのように、一定の理性や文化を持ち、組織を構成できる知恵を持っている集団であれば、こちらの対処も変わってくるのだ。

 ペロロンチーノは暫く頭を悩ませると、漸く考えをまとめて俯かせていた顔を上げた。こちらの様子を静かに窺っていたコキュートスやアウラたちを見やり、次にリザードマンたちへと目を向ける。

 

「……まずは“東の巨人”や“西の魔蛇”がどんな奴らなのか見てみよう。君たち、案内を頼むよ。コキュートスとアウラも準備を頼む」

「ハッ、畏マリマシタ」

「畏まりました」

 

 ペロロンチーノの決断に、コキュートスとアウラがすぐさま跪いて頭を下げてくる。そしてシャースーリューたちも一瞬呆然とした表情を浮かべたものの、次には弾かれたように慌てて頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペロロンチーノの命により、すぐさま東と西の勢力に対する一軍が編制された。

 編制したのはコキュートス。

 アウラは予備軍としてリザードマンの集落の留まり、ペロロンチーノとコキュートスを中心に、エントマと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を含むコキュートスの配下である虫系のシモベたちが多数。そしてリザードマンたちも勉強という名目で何体かが同行することになった。

 情報を持ってきた二体の狩人のリザードマンを先頭に、まずは情報を入手した場所へと案内してもらう。その一方でエントマや彼女の眷族である虫たち、そして八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を中心に周辺を捜索しながら奥へと進んでいった。他のシモベたちはペロロンチーノの護衛としてペロロンチーノの周りに控えるようにして従っている。彼らの後ろで随従しているリザードマンたちは総数約二十体ほど。先頭で案内している狩人のリザードマン以外は全員が戦士であり、その中にはザリュースとゼンベルの姿もあった。

 ペロロンチーノたちは注意深く周りを見回しながら森の奥へと進んでいく。

 黙々と足を進めること数十分後、突然前方の森が途切れていることに気が付いて、ペロロンチーノたちは漸く動かしていた足を止めた。

 

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)、周辺ニ散リ包囲網ヲ張レ。エントマ、オ前ノ虫タチニモ動イテモライタイ」

「はい~、良いですよぉぉ」

「他ノモノハペロロンチーノ様ヲオ護リシロ」

 

 コキュートスがすぐさま指示を飛ばし、シモベたちも次々と行動を開始していく。ペロロンチーノも取り立てて思う所はなかったため、彼らの準備が整うのを大人しく待つことにした。

 

「オ待タセイタシマシタ、ペロロンチーノ様」

 

 数分後、包囲網が滞りなく出来上がったのか、コキュートスが跪いて頭を下げてくる。ペロロンチーノは一つ頷いてコキュートスを立ち上がらせると、案内として先頭に立たせていたリザードマンたちを後ろへと下がらせて改めて前方へと目を向けた。

 ペロロンチーノたちの視線の先にあったのは、深い森の中にぽっかりと空いた広場のような場所。しかしそれは自然にできたものでも干ばつといった災害によってできたものでもなく、見るからに人為的にできたものだった。この場に生えていたのだろう幾つもの木々が無残な姿となって地面の至る所に倒されて転がり、場所によっては溝のように地面がめくれている部分もある。何をどうしようとしてこうなったのかは皆目見当もつかなかったが、少なくともここが目的地の一つだということは判断できた。荒廃した大地の至る所に亜人や魔獣たちが犇めき合い、奇声や怒号や悲鳴を上げてけたたましく騒いでいた。

 

「……どうやらここで間違いないみたいだな。後は“東の巨人”か“西の魔蛇”がどちらかでもいたらいいんだけど……」

 

 近くの茂みにしゃがみ込んで身を隠しながら広場に視線を走らせる。

 目に飛び込んでくるのはリザードマンが言っていたバーゲストやバグベアやゴブリン。他にも人喰い大鬼(オーガ)やボガードなどもいるようだった。

 ざっと見た限りでは勢力は1000程度。しかしこれが全てである保証はなく、違う場所にも散らばっている可能性も大いにあった。

 とはいえ、ここで手を拱いていても仕方がない。探索や監視能力に長けたシモベたちを配置して監視するのも一つの手だが、第二のナザリックの建設も進めなければならない今、こんな事にあまり時間と人手を割く訳にはいかなかった。

 ならば選択できる手は一つしか残されていない。

 ペロロンチーノは仮面の奥で小さく目を細めさせると、次には傍らに控えるコキュートスを振り返った。

 

「……今からこの場を一気に制圧する。情報も欲しいから何体かは捕虜として生かしておいてくれ」

「畏マリマシタ」

「エントマ、こちらの動きが外部に漏れたら不味いから包囲網を厚くして一匹も逃がさないように配下たちに伝えてもらえるかな?」

「はいぃ、畏まりました」

 

 ペロロンチーノの指示に、コキュートスとエントマがすぐさま返事を返してくる。他のシモベたちも無言で頭を下げ、ペロロンチーノはそれを見届けた後に勢いよく立ち上がった。

 

「お前たちはここに潜んで隠れていろ。制圧戦がどういったものなのかよく見ておくと良い」

 

 一番後ろに控えているリザードマンたちを振り返ると、ペロロンチーノは短く指示を出してすぐに視線を前方へと戻した。

 アイテムボックスからゲイ・ボウを取り出し、弦に指をかけて大きく引き絞る。

 瞬間、どこからともなく現れる光の矢。

 ペロロンチーノは広場の中心辺りにいる一体のオーガへと狙いを定めると、一拍後に勢いよく矢を解き放った。

 それと同時にコキュートスとエントマ、コキュートスの配下たちも一気に広場へと躍り出る。

 突然のことに亜人や魔獣たちが驚愕の声を上げる中、コキュートスたちは容赦なく彼らに襲いかかり、蹂躙していった。

 ペロロンチーノは未だ広場には足を踏み入れず姿を見せぬまま、コキュートスたちを援護するように次々と矢を放っていく。彼らに被害が及ばぬように爆撃系の矢は控え、代わりに貫通系の矢を中心に次々と亜人や魔獣たちを串刺しに貫いていく。

 亜人や魔獣たちは応戦するモノよりも逃げようとするモノの方が多く、ペロロンチーノたちは逃走先に回り込むような形で外側から内側に向けて攻撃していった。

 

「何をしている! 戦えっ!!」

 

 不意に聞こえてきた低いドラ声。

 反射的にそちらへと視線を向ければ、地中へと繋がる洞窟の入り口から何体もの妖巨人(トロール)が地上へと這い出てきたところだった。

 中でも一際体格のいいトロールが一体おり、先ほどの声はこのトロールのものだと理解する。

 そのトロールは二メートル後半という長身に筋骨隆々の体格。顔は長い鼻と長い耳が目立ち、人間での感覚で言えば非常に醜い分類に入る。加えて身に着けている装備や武器が他のトロールたちとは少しばかり違っており、動物の皮を何枚も集めて作製したのだろう革鎧を身に纏い、ごつごつとした大きな手には巨大なグレートソードが握り締められていた。それもグレートソードはどうやら魔法武器であるようで、中心に刻まれた溝から粘着質な液体がぬらぬらと溢れて刀身を濡らしている。

 何とも不気味で気色の悪い武器。

 ペロロンチーノは嫌そうに顔を歪めながらも構えていたゲイ・ボウを下ろすと、翼を羽ばたかせて宙へと舞い上がった。一瞬この場にリザードマンたちだけを残していくことを躊躇するも、すぐに気を取り直して森の木々の頭上まで上昇する。それでいてゆっくりと広場の中心に向かって舞い降りていくのに、ここで漸くペロロンチーノの存在に気が付いた亜人や魔獣たちが驚愕の表情を浮かべた。コキュートスたちも動きを止め、目の前の獲物には目もくれずにその場に跪いて深々と頭を下げる。

 ペロロンチーノはトロールたちの目の前まで降下すると、無造作に着地して一際大きなトロールを真正面から見やった。

 

「初めまして、トロールの皆さん。俺は……――」

「黄金色のバードマン!? ならば貴様が噂の鳥野郎か!!」

「ちょっと、途中で遮るなよ。まだ話の途中だろ」

 

 大きなトロールに言葉を遮られ、ペロロンチーノは思わず仮面の奥で顔を顰めさせる。

 しかしすぐさま気を取り直すと、注意深く周りの気配を窺いながらも再び口を開いた。

 

「君の言う通り、俺が噂のバードマンだよ。“東の巨人”と“西の魔蛇”っていう奴らに会いに来たんだけど、どこにいるか知ってるかな?」

 

 失礼な態度に怒ることなく大人の態度で対応するなんて、なんて自分は寛容なのだろう……と内心で自画自賛。

 しかし目の前の大きなトロールが大きく反応したことに気が付いてペロロンチーノは思わず小首を傾げさせた。

 

「……東の王に会いたい、だと……? 貴様の目は節穴か! 俺こそが東の地を統べる王であるグだ!」

 

 グ……? とペロロンチーノは更に大きく首を傾げさせる。幾つもの驚愕と疑問が頭に湧いてきて、思わず混乱してしまいそうになった。ペロロンチーノは目の前のトロールをまじまじと見つめると、仮面の奥に隠れている大きな鳥目を何度も瞬かせた。

 目の前のトロールの口振りから、どうやら“東の巨人”とは目の前のトロール自身の事らしい。てっきり言葉通りの巨人族かと思っていたこともあり、トロールでは些か巨大不足ではないだろうか……と感じずにはいられなかった。

 また、先ほどトロールが口にした不可解な音の意味が分からない。

 先ほどの自分たちの会話の内容とトロールの言葉の内容を何度も脳裏で反映させ、そこで漸く『ひょっとしたら名前かも知れない……』という考えに思い至った。

 

「えっと……、さっきの“グ”って、もしかして君の名前だったりする?」

「そうだ! 俺に相応しい力強き名前だ!」

「へぇ~。……俺はペロロンチーノだ。よろしく」

 

 内心で変てこな名前だなと思いながら短く自己紹介するペロロンチーノに、グと名乗ったトロールは見るからに嘲りの笑みを醜い顔に浮かばせた。

 

「ふぁふぁふぁふぁふぁ! 俺とは違って臆病者の名前だ!」

「………え~……」

 

 突然名前を貶され、ペロロンチーノは思わず間延びした覇気のない声を零していた。

 『何でスパゲティーの名前なの?』とツッコまれたことは数あれど、流石に臆病者の名前だと貶されたのは初めてである。

 周りではナザリックのモノたちが怒りに殺気立っており、ペロロンチーノは軽く手を振って宥めながらも小さく首を傾げさせた。

 

「どうして俺の名前が臆病者の名前だってことになるんだ?」

「長い名は勇気が無い者の名だ! 俺のような短い名こそ、勇気ある者の名前なのだ!」

「へぇ~、トロールの文化ってやつかな……。因みに“アインズ”は?」

「貴様と同じく勇気なき者の名だ!」

「じゃあ、“ウルベルト・アレイン・オードル”は?」

「ふぁふぁふぁふぁっ! 最も勇気がなく、臆病者の名だ!!」

(……うわ~、ウルベルトさんがここにいたらブチギレてそうだなぁ…。)

 

 『本当に臆病者かどうか思い知らせてやろうか……?』と殺気立った笑みを浮かべる山羊頭の悪魔の姿が容易に頭に浮かび、ペロロンチーノは思わず仮面の奥で半笑いを浮かべる。それと同時に、この目の前のトロールだけは絶対に“アインズ・ウール・ゴウン”の傘下には組み入れまいと固く心に誓った。

 ペロロンチーノとしては他のトロールたちとは一見違う目の前のトロールは“アインズ・ウール・ゴウン”に組み入れても良いのではないかという考えもあったのだが、しかしウルベルトや、何よりナザリックのシモベたちのことを思えばそれも憚られる。ペロロンチーノも彼らの気分を害してまで手に入れたいほど目の前のトロールに魅力を感じたわけではないため、できるだけデータを取ることにしようと思考を切り替えた。

 とはいえ、あまりにレベル差があり過ぎると詳細なデータは取り難い。

 どうすべきか……と考え込む中、ふとリザードマンたちの存在を思い出してペロロンチーノは背後を振り返った。

 突如頭にひらめいた名案に、思わず仮面の奥の大きな鳥目がキラリと光り輝く。

 ペロロンチーノは自身の思いつきに満面の笑みを浮かべると、一人無言で何度も大きく頷いた。

 

「……そうだ、そうだよ。俺ってば今日頭冴えてるんじゃないか?」

「おい、貴様! 何をブツブツと呟いている!」

「いやいや、すっごく良いことを思いついたんだよ! 最近リザードマンの集落を傘下に加えたんだけどね。今、彼らを何体か引き連れてきてるんだよ。折角だから君にはリザードマンたちの経験値になってもらおうと思うんだ!」

「……? 何を言っている?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、グは訝し気な表情を浮かべて大きく首を傾げさせる。ペロロンチーノが何故そんなことを言い出したのか分からない、と言うよりかは、彼が何を言っているのかさっぱり分からないといった様子だ。しかしナザリックのシモベたちはペロロンチーノの言葉も思考も完全に理解し、あるモノは思慮深さに崇拝の念を強くし、またあるモノはあまりの慈悲深さに感動すら覚えていた。

 リザードマンたちに経験を積む機会を与え、加えて至高の存在に弓引く許し難い大罪を犯したモノにさえ経験値という役に立てる機会を与えるとは、何と慈悲深くお優しい御方であろうか……。

 ペロロンチーノ本人やモモンガやウルベルトが聞けばドン引きするようなことを思いながら、ナザリックのシモベたちはペロロンチーノの思い付きに感極まって深々と頭を下げた。

 しかし、名指しされたリザードマンたちからすれば堪ったものではない。

 突然強敵と戦わなければならなくなったことに全員が戦慄する中、まるでそれに気が付いたかのようにコキュートスがペロロンチーノの元へと歩み寄ってきた。

 

「……ペロロンチーノ様。一ツ進言サセテ頂イテモ宜シイデショウカ?」

「うん? 良いぞ。なんだ?」

「ハッ。恐レナガラ、リザードマンタチダケデトロールタチヲ相手ニスルノハ些カ荷ガ勝チスギルト思ワレマス。ドウカ私ガ援護スルコトヲオ許シイタダケナイデショウカ?」

 

 ペロロンチーノははたっと目を瞬かせると、マジマジと目の前のコキュートスを見つめた。続いて未だ茂みの奥に隠れているリザードマンたちを見やり、最後にトロールたちを見やる。

 確かに二十体のリザードマンでこのトロールの数を相手取るのは無謀なような気がしてきて、思わず『あ~……』と小さく声を零してしまう。

 ペロロンチーノは一つゴホンッと咳払いをすると、気を取り直して改めてコキュートスへと目を向けた。

 

「分かった、援護をつけるのは許可しよう。ただし、その援護役は弓兵で後衛職である俺がするよ。コキュートスは彼らの戦闘に邪魔が入らないように他の亜人や魔獣たちを制圧していってくれ」

「……畏マリマシタ。感謝イタシマス、ペロロンチーノ様」

 

 コキュートスはペロロンチーノへと深々と頭を下げると、次には彼の命に従うべく素早く頭を上げて踵を返した。まずはリザードマンたちが戦うための場所を確保するべく、得物を片手に自身の配下にも指示を出していく。コキュートスと彼の配下たちはペロロンチーノの意思を体現するべく、トロールたちやペロロンチーノの周りをまずは掃除し、次にはそこからリザードマンたちがいるところまで道を切り開いていった。

 これにかかった時間は僅か五分弱。

 これにはトロールたちも恐怖に顔を強張らせているようだった。

 

「みんな、ご苦労様。おーい、早くおいで―」

 

 コキュートスや彼の配下たちに労いの言葉をかけた後、次には茂みの奥のリザードマンたちへと声を張り上げる。ペロロンチーノの間延びした声かけに、リザードマンたちが恐る恐るといったように茂みの奥から姿を現した。ザリュースとゼンベルを先頭に、二十体のリザードマンたちが切り開かれた血濡れの道をゆっくりと進んでペロロンチーノの元へと歩み寄ってくる。

 ザリュースやゼンベルたちが傍らまで来たことを確かめると、ペロロンチーノは仮面の奥で満面の笑みを浮かばせた。

 

「はーい。では、これからみんなにはトロールたちと戦ってもらいます! まずは一つ確認するけど、トロールという種族の特徴と弱点は知ってるかな?」

 

 まるで引率する教師のように問いかけるペロロンチーノに、リザードマンたちは困惑と緊張に顔を強張らせながら互いに小さく顔を見合わせる。答えが分からないのか、ただ答えられるだけの気持ちの余裕がないのか、リザードマンたちは一切口を開こうとしない。

 ペロロンチーノは小首を傾げさせると、次にはトロールたちへと視線を向けた。

 コキュートスたちが見せた力に気圧されているのか、彼らは未だ動こうとせずに突っ立っている。

 

「……トロールという種族は、オーガ以上の攻撃力と異常な再生能力を持っている。だから、唯の斬撃や打撃はあまり効果がないんだ。攻撃するなら、再生能力が効かない炎や酸の攻撃が非常に有効だ。誰か、炎か酸の攻撃手段は持ってる?」

 

 ペロロンチーノの問いに、リザードマンたちが再び互いに顔を見合わせる。しかし誰一人名乗りを上げず、ペロロンチーノは思わず出そうになったため息を咄嗟に呑み込んだ。

 彼らの攻撃手段の少なさに落胆するものの、突然の思わぬ戦闘に準備も何もできているはずがないとすぐに考え直す。

 これは自分の援護がかなり必要になってくるだろうと予想する中、不意にザリュースの姿が目に飛び込んできた。

 思わずマジマジと見やり、湧き出てきた思考に思わず大きく首を傾げさせた。

 

(……そういえば、こいつって凍結系の武器持ってたな。ゲームの中では凍結系の攻撃はトロールにはあまり効かなかったけど、凍傷とかってありなのかな?)

 

 凍傷とは、極度の冷感によって血流に障害が生じたり、細胞を損傷させてしまう症状のことだ。重度であれば細胞が壊死してしまうこともあるらしく、流石のトロールも細胞が壊死してしまえば再生できないのではないだろうか。

 

(う~ん……。これは検証してみた方が良いかもしれないな……。)

 

 ペロロンチーノは大きな方向性を決めると、一つ頷いてリザードマンたちに指示を出すことにした。

 

「えー、炎や酸での攻撃手段はないとのことなので、その辺りは俺が援護しようと思います。その代わり、君たちは俺の指示通りに動いて下さい。攻撃はザリュース君の凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を中心に行ってください。他の皆さんはザリュース君の援護をして下さい」

「えっ!? わ、私ですか……!?」

「トロールに凍結系の攻撃が効くのかどうか実験してみたいんだ。心配しなくても俺が援護してあげるから大丈夫だよ」

 

 一気に顔を強張らせるザリュースに、ペロロンチーノは安心させるように努めて優しい声音を意識して励ましてやる。しかし彼の緊張は一向に緩む様子がなく、ペロロンチーノは肩を竦ませて早々に和ませることを諦めた。なるべく早く終わらせてあげた方が良いだろう……と、ゲイ・ボウを大きく構える。

 弓と弦に添えられたペロロンチーノの手には、赤々と光り輝く矢が四本出現していた。

 そこで漸く我に返ったように動き始めたトロールたちを見やり、ペロロンチーノはリザードマンたちだけに聞こえる声量で彼らにタイミングを伝えた。

 

「……まだ動くなよ。俺が“行け”って言ったら行動を開始しろ。………3……2……1! ……行けっ!!」

 

 ペロロンチーノは『1』と言葉にした瞬間に全ての矢を放ち、四本の矢は襲いかかってくるトロールたちに全て当たって凄まじい爆音を響かせた。

 その一拍後、ペロロンチーノの合図に従ってリザードマンたちもザリュースを先頭にトロールへと突撃していく。

 ペロロンチーノの初撃によってトロールたちは炎の渦に呑み込まれ、何とか命からがら炎から逃げ延びられたのはたったの三体。加えて生き残った三体も全員が酷い火傷を負って、全身を真っ赤に染め上げていた。

 肉が焼ける臭いと、炭化した焦げ臭さが鼻に突く。

 目の前まで来たトロールたちは受けたダメージが全て火傷であるため上手く再生させることが出来ず、醜く歪んだ傷や剥がれて垂れ下がった皮膚の慣れの果てをユラユラと揺らしながら怒号と共に襲い掛かってきた。

 ザリュースめがけて振り下ろされたグレートソードを十体ものリザードマン総出で受け止め、違うトロールの攻撃は特殊技術(スキル)によって肉体強化したゼンベルを中心に残りのリザードマンたちが防ぎきる。もう一体のトロールはペロロンチーノの炎の矢によって眼球から頭を貫かれ、内側から燃やされて呆気なく頽れていった。

 

「「「うおおぉぉおぉぉおおおぉぉおぉおぉぉおっ!!!」」」

氷結爆散(アイシー・バースト)ぉぉっ!!」

 

 リザードマンたちが何とかグレートソードを押し返したとほぼ同時に、ザリュースがフロスト・ペインの大技を発動させる。

 こちらまで襲いかかってくる冷気を涼しく感じながら、ペロロンチーノは噴き出す冷気の直撃を受けたグの様子を注意深く観察した。

 ザリュースの周りにいたリザードマンたちはあまりの冷気に後退っていたが、グは後退る様子は一切見せない。

 やはり凍結系の攻撃は効かないのか、それともレベルが足りないのか、はたまた逆に効き過ぎて凍り付いているだけなのか……。

 更なる検証が必要だろうか……と思い悩む中、ふとペロロンチーノはグの動きが少し鈍っていることに気が付いた。まるで錆びついた人形のようなぎこちない動きに、ペロロンチーノは何度か目を瞬かせる。ザリュースは更にフロスト・ペインを振るっており、攻撃を受けるたびにグの動きが鈍っているように思われた。

 どうやら凍結系の攻撃も少なからず効いているようだと判断すると、ペロロンチーノはすぐに計画を変更してコキュートスの名を呼んだ。

 

「コキュートス、捕らえろ」

「ハッ」

 

 短く命じれば、すぐさまコキュートスと彼の配下が行動を開始する。

 彼らは瞬きの間にトロールたちの目の前まで移動すると、コキュートスはグの両腕を鷲掴み、彼の配下たちはゼンベルたちが相手をしていたトロールに群がって全ての動きを阻害した。

 

 

「ペロロンチーノ様、あれらは捕らえるのですか?」

 

 無言でコキュートスたちの様子を見つめる中、不意に背後から可愛らしい少女の声が聞こえてくる。それに後ろを振り返れば、そこにはいつの間に戻って来たのかエントマが一礼した姿勢で佇んでいた。

 ペロロンチーノは頭を上げるように促してやりながら、彼女の問いに対して一つ大きく頷いてみせた。

 

「うん。配下としてではなく実験用にね。もう少し詳しい検証が必要みたいだし……。エントマの方でナザリックに運んでもらえるかな?」

「はいぃ、畏まりました」

 

 再び頭を下げるエントマを背に、ペロロンチーノはコキュートスやザリュースたちの元へとゆっくりと歩み寄る。突然のことに呆然となっているザリュースたちを見やり、ペロロンチーノはすぐに視線をグや他のトロールへと向けた。

 グも他のトロールも、今はコキュートスの配下たちの手によって地面に押し付けられるように拘束されている。

 小さな怒りと大きな恐怖に顔を歪めている二体を見下ろした後、ペロロンチーノは彼らから視線を外して再びザリュースたちへと目を向けた。

 

「みんな、ご苦労様。おかげで興味深い検証が出来たよ」

「……あ、あの……ペロロンチーノ様。これからこのトロールたちを一体どうするつもりなのでしょうか?」

「うん? もう少し色々と検証してみたいことが出てきたからね。まぁ、じっくりといろんな実験をしてみようと思ってるよ」

 

 まるで何でもないことのように呑気な声音で言ってのけるペロロンチーノに、途端にザリュースたちの顔が恐怖に引き攣る。

 しかしペロロンチーノはそれに気が付くことはなく、森からこちらに歩み寄ってくるシモベの姿に気が付いてそちらへと振り返った。

 

「ペロロンチーノ様、何体かの亜人と魔獣を捕らえました。その中に“西の魔蛇”なる存在の居場所を知っているモノがおりましたので、連れて参りました」

「おおっ、ご苦労様!」

 

 配下の言葉に嬉々として彼が連行しているモノに目を向ければ、そこには一匹のゴブリンが怯えた様子で立ち竦んでいた。まだ子供なのか、ひどく小さな身体をブルブルと大きく震わせている。

 

「ふ~ん、こいつか……。“西の魔蛇”がどこにいるのか、俺に教えてくれるかな?」

 

 これ以上怯えさせないように、ペロロンチーノは努めて優しい声音を意識して問いかける。

 しかしゴブリンやリザードマンたちにとっては、その猫なで声も恐怖の対象でしかない。

 思わず小さな悲鳴を上げるゴブリンの子供に、ペロロンチーノは訳が分からず小首を傾げるのだった。

 

 



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第37話 強者と弱者

前回に引き続き、ちょっとした不調(スランプ)が続いております……(汗)
あぁ、もう少し更新速度を早くしたい……!!


 リ・エスティーゼ王国の東の端に存在する城塞都市エ・ランテル。

 この都市を拠点として活躍しているアダマンタイト級冒険者“漆黒”のモモンことモモンガは、街中を歩きながらヘルムの奥で小さなため息をついていた。

 モモンガの存在に気が付いて笑顔と共に手を振ったり声をかけてくる人間たちに軽く応えてやりながら、しかし内心では更なるため息を吐き出している。モモンガを憂鬱とさせているのは、冒険者組合(ギルド)の組合長であるプルトン・アインザックの最近の自分に対する対応についてだった。

 ここ最近、アインザックは冒険者モモンをこの街に縛り付けようとあの手この手でアプローチをかけてくる。

 食事に女、金、名誉、果ては恩を売るという画策さえしてくる始末。

 モモンガとてアインザックの狙いや願いが理解できぬほど馬鹿でも子供でもない。ありとあらゆる欲を満たして引き入れようとする手段も決して間違ってはおらず、非常に効果的であることも分かっている。

 しかし自分の正体が人間ではなくアンデッドである以上、彼のアプローチの方法は非常に対応に困るものだった。

 食欲もなければ性欲もない。加えて食欲に関しては飲食自体が不可能なのだ。金は正直喉から手が出るほど欲しいのだが、名声を上げたいモモンガにとっては金にがめつい部分など他者に見せたくも知られたくもなかった。ついでに言えば、借りも作りたくない。

 よって、どちらにしてもアインザックの要望には全く応えることが出来ず、モモンガは毎度彼の猛攻を対処するのに非常に苦労していた。

 

(……でも、今回のは興味深い依頼だったな。対応も比較的簡単そうだし。)

 

 先ほどもアインザックに呼ばれて今まで会話をしていたのだが、今回は比較的対処が簡単なアプローチ方法で、モモンガは少しだけ気分を浮上させた。

 今回アインザックが選択したアプローチ方法は、難易度の高い依頼からの出来るだけの滞在期間延長という方法にしたようだった。

 依頼内容は『万能薬となる薬草の採取』。目的の薬草はトブの大森林の奥地に生息しているらしく、非常に危険な場所にあることから30年ほど前も同じ依頼で多大な犠牲が出たらしい。

 とはいえ、この世界のレベル水準を考えれば、モモンガ一人でも十分対処可能な案件なような気がしてきてしまう。加えてトブの大森林はペロロンチーノの管轄であるため、彼に応援を頼めば目的の薬草も早々に見つかると思われた。

 

「殿~。今日はどこに行くのでござるか?」

 

 傍らでのっしのっしと巨体を揺らしている巨大なジャンガリアンハムスターが声をかけてくる。

 この巨大なハムスターは、以前トブの大森林で“森の賢王”と言う名で恐れられ、今はナザリックの傘下に加わって冒険者モモンの従獣となっている“ハムスケ”である。因みに“ハムスケ”という名はモモンガが適当に命名したもので、その後ペロロンチーノに『こいつメスですよ?』と言われて衝撃を受けたのはまた別の話である。

 何はともあれ、つぶらな瞳でこちらを覗き込んでくるハムスケに、モモンガは片手で軽くハムスケの顔を押し返した。

 

「薬草採取のためにトブの大森林に行くことになった」

「おおっ、トブの大森林でござるか!? 懐かしいでござる~。ということは、もしや“大殿”にも会えるのでござろうか? 楽しみでござる!」

「……ちょっと、もう少し静かにしなさい」

 

 見るからにウキウキし始めたハムスケに、すかさずナーベラルから注意の声が飛ぶ。しかし、それでも弾む心は抑えられないようで、一気に落ち着かなくなったハムスケの様子にモモンガは思わず小さな苦笑を動かない顔に浮かばせた。

 ハムスケが“大殿”と呼んでいるのは、ペロロンチーノの事である。

 彼女はナザリックの傘下に加わってメンバーたちとそれぞれ顔合わせをした時から、何故かペロロンチーノのことは“大殿”、モモンガのことを“殿”、ウルベルトのことを“ご主人”と呼ぶようになっていた。どういった違いがあるのかはさっぱり分からないが、ハムスケ自身も何となくそう呼んでいるだけのようでもある。こちらとしても別段不快に思うことでもないため、モモンガたちは彼女の好きなように呼ばせていた。

 

「殿~、早く大殿に会いたいでござるよ。早く行くでござる!」

「まぁ、待て。まずは連絡を取ってからだ」

 

 余程ペロロンチーノに会いたいのか、ハムスケが忙しなく声をかけてくる。それを軽く宥めながら、モモンガはペロロンチーノへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 何事かしているのか、すぐにはペロロンチーノからの応答は返ってこない。しかし一分もかからぬ内に軽い感覚がモモンガの頭の奥で響いてきた。

 

『ペロロンチーノさん、モモンガです。今少しだけ良いですか?』

『モモンガさん? どうかしたんですか? 別に大丈夫ですよ』

 

 不思議そうな声音ながらもペロロンチーノは快く耳を傾けてくれる。

 彼の優しさに心癒されて笑みの雰囲気を醸し出しながら、モモンガは今回請け負った依頼について手短に説明していった。

 

 

 

『――……それで、何か心当たりがないかと思って連絡したんですけど……。何か思い当たることはありませんか?』

『う~ん……、それならザイトルクワエの頭頂部に生えている薬草の事じゃないですかね……』

『ザイトルクワエって……、確かペロロンチーノさんがアウラとシャルティアと一緒に調べた魔樹のことでしたよね?』

『はい。モモンガさんが言った場所って、ザイトルクワエがいた場所だと思うんですよ。で、本体はデカすぎて無理だったんですけど、分裂体が手に入ったのでナザリックに連れて帰ってアウラに調べてもらってるんですよね~。確か分裂体の頭頂部に薬草が生えているって報告があったはずです』

『ああ、なるほど。ならナザリックに戻れば手に入れられますかね?』

『そうですね、手に入れられると思いますよ。アウラは今はナザリックにはいないので、戻って案内するように伝えておきましょうか?』

 

 ペロロンチーノからの申し出に、モモンガは思わず小首を傾げさせた。

 自分の記憶が確かなら、アウラは今日はナザリックの守護の任務に就いているはずだ。それが外に出ているということは何かあったのだろうか……と思わず内心で更に首を傾げさせる。

 

『何かあったんですか?』

 

 短く問いかければ、途端にペロロンチーノからの声が途切れる。

 妙な沈黙が流れる中、しかしそれはあまり長くは続かなかった。

 どう説明すべきか悩んでいただけなのだろう、一拍後にはペロロンチーノは途切れ途切れになりながらも今の状況を説明してくれた。

 彼の話によると、現在トブの大森林では“東の巨人”と“西の魔蛇”と呼ばれる存在が、自分たちを倒すために手を組んで勢力を集めているらしい。幸い“東の巨人”の居場所はすぐに分かり捕縛することが出来たとのことだが、“西の魔蛇”の方は未だ居場所すら不明な状況であるらしかった。

 

『“西の魔蛇”の居場所を知っていそうな子鬼(ゴブリン)を見つけたので、これから向かおうとしていたんですよ。アウラは何かあった時のために蜥蜴人(リザードマン)の集落で待機させているんですけど、“西の魔蛇”も“東の巨人”と同程度であれば警戒もあまり必要なさそうですし、ナザリックに戻らせても問題ないと思います』

『“西の魔蛇”、ですか……。ハムスケみたいな未知の魔獣だったら面白いですね』

『まぁ、そうですね。でも、“東の巨人”が妖巨人(トロール)だったので、あまり期待はできなさそうですけどね……』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しにペロロンチーノの覇気のない声が聞こえてくる。

 モモンガは少し思案した後、頭に浮かんだ考えに徐に再びペロロンチーノへ“声”を飛ばした。

 

『ペロロンチーノさん、もし良ければ俺も同行させてもらっても良いですか? どちらにしろナザリックに薬草を取りにそちらに行かなくちゃいけませんし、折角ならペロロンチーノさんとちょっとした冒険もしたいですし』

『ああっ、良いですね! 俺は勿論オッケーですよ! ハムスケもいるなら何か分かるかもしれませんしね!』

 

 軽く提案してみれば、ペロロンチーノはすぐに快諾の言葉を返してくれる。

 モモンガは仲間との久しぶりのちょっとした冒険に心を躍らせながら、すぐ合流しようと歩く足を速めた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「お待たせしてしまってすみません、ペロロンチーノさん」

 

 ところ変わって、ここはトブの大森林の西側の深奥部。

 “冒険者モモン”から通常の姿に戻ったモモンガは、合流したペロロンチーノへと軽く挨拶の言葉をかけた。

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。別にそれほど待ってはいませんから」

 

 目の前に立つ黄金色の鳥人(バードマン)ことペロロンチーノは、全く気にした様子もなく気軽に頭を振ってくる。

 モモンガは心優しい友人の言葉に笑みの雰囲気を漂わせながら、ふと友人の同行者たちへと眼窩の灯りを向けた。

 ペロロンチーノの傍らでこちらに跪いているのはコキュートス。そしてその背後にはコキュートスの配下である虫系の異形が数体跪いて頭を下げており、何故か数十体のリザードマンたちの姿もそこにはあった。コキュートスの傍らには小さなゴブリンの子供が怯えたように立ち尽くしており、恐らくこのゴブリンがペロロンチーノが〈伝言(メッセージ)〉で言っていたゴブリンなのだろうと予想をつけた。

 

「……コキュートスたちが一緒にいるのは良いとして、何故リザードマンたちもここにいるのだ?」

「社会見学ですよ、モm……じゃなくて、アインズさん。何事も、見たり経験したりすることは必要でしょう?」

 

 リザードマンたちがいるためすぐさま魔王の口調となったモモンガに気が付き、ペロロンチーノも咄嗟に彼への呼び名を変更する。

 難儀なことだ……と二人ともが内心で呟くものの、しかし気を取り直して話を進めることにした。

 

「“東の巨人”と名乗っていたトロールと何体かの魔獣は生け捕りにできたので、エントマにナザリックへ運んでもらっています。“西の魔蛇”については、大体の場所は分かるみたいなんですけど、詳しい場所までは分からないみたいなんですよね~」

 

 ペロロンチーノはゴブリンの子供へと視線を向け、ゴブリンの子供はそれに気が付いて小さな悲鳴と共にブルッと身体を震わせる。

 何とも哀れな様子に、しかしモモンガは何も感じることなく一つ頷いて返した。

 

「そうなのか。……実は道中ハムスケにも聞いてみたのだが、どうやらハムスケは“西の魔蛇”の存在すら知らなかったようでな」

「え~、そうなんですか……。意外と役に立たないな」

「お、大殿~~。それはひどいでござるよぉ~~」

 

 ペロロンチーノからの暴言に、ハムスケが漆黒のつぶらな瞳を途端にうるうると潤ませる。

 しかしそれを気にするペロロンチーノやモモンガではない。

 未だに何かを訴えているハムスケをナーベラルに任せ、二人は今後の行動について詳しく話し始めた。

 

「……それで、これからどうするんだ?」

「今、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちを複数体放って周辺を探索させています。この近辺にはいる筈なので、恐らくそれらしいのは見つけられると思うんですよね~」

「ふむ……」

 

 ペロロンチーノの行動に、モモンガは骨の指を顎に添えながら思考を巡らせた。

 本当に近辺に“西の魔蛇”とやらがいるのか。仮に本当にいたとして、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちは見つけることが出来るのか。見つけられた場合と見つけられなかった場合の行動や対策はどうすべきか……。

 細かいところを上げれば考えなければならないことはいくつもある。

 自分たちにとって最良の行動は一体なんであるのか考え込む中、不意に複数の気配を感じてモモンガたちはそちらを振り返った。

 

「……お待たせしてしまい申し訳ございません、ペロロンチーノ様」

 

 気配と共に姿を現したのは三体の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たち。

 彼らはこの場にモモンガやナーベラルたちがいたことに驚いた様子も見せずに、ただその場に傅いで深々と頭を垂れていた。

 

「ご苦労様。どう? “西の魔蛇”っぽい奴は見つかった?」

「はっ。ここより更に西に10キロほど進んだ先に大きな沼地がございました。そこに“西の魔蛇”と思しき存在と多くの魔獣の存在を確認いたしました」

「おおっ、ドンピシャっぽいじゃないか! じゃあ、その沼地まで案内を頼むよ」

「畏まりました。こちらです」

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちは素早く立ち上がると、先導するように森の更に奥へと足先を向ける。

 モモンガやペロロンチーノは多くのシモベたちを引き連れて、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の後ろに続いて森の奥へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは本当に“沼”という言葉が相応しい場所だった。

 リザードマンたちが棲み処としている沼地とは大きさも環境も全く違う。

 目の前にある沼地は直径が大体300メートルほどで、沼の水は濁って辺りにはゴミクズのような落ち葉などが至る所に浮かんでいた。周辺には生き物の影は一切なく、しかし沼の中に水性の魔獣などが多く潜んでいるのか、水面が不自然に波打って蠢いている。

 不気味さすら感じられる目の前の沼地。

 しかしモモンガとペロロンチーノが思い浮かべたのは『汚い』という言葉のみだった。

 

「……どうします、アインズさん?」

「………飛んで進む他ないだろうな。この沼の中に足を踏み入れるのは極力避けたい」

「ですよね~。……もし戦闘にでもなったら、泥が跳ね飛ばないところまで上昇して攻撃した方が良さそうですね」

 

 如何に汚れずに済むか話し合い、モモンガとペロロンチーノは深く頷き合う。

 他に飛行できるモノ――ナーベラルと一部のコキュートスの配下たちはモモンガとペロロンチーノと共に上空から進み、その他のモノたちは沼地の中を進んでモモンガたちに付き従うことになった。

 因みにリザードマンたちとゴブリンの子供とハムスケは沼地に足を踏み入れずにその場に待機である。

 リザードマンたちは既に一度戦闘を経験しているため今回は見学のみとなり、ゴブリンの子供は考えるまでもなく足手まとい。ハムスケの場合は毛が汚れては後が面倒臭そうだと判断されたためだった。

 何はともあれ、進行組と待機組に別れたモモンガたちは、警戒を緩めないように気を引き締めさせながら沼地の奥へと進むことにした。

 片や淀んだ空気を、片や濁った水をかき分けながら前へと進んでいく。水面下で怪しい気泡や波紋を生み出している正体不明のモノたちはモモンガたちの進行に押される様に奥へ奥へと一か所に後退っていった。

 瞬間、ザバアァッという大きな音と共に激しく泥水が跳ね上がる。

 モモンガとペロロンチーノが思わず顔を嫌そうに顰めさせる中、泥水と共に姿を現したのはナーガを中心とした多くの水系の亜人や獣たちだった。

 

「貴様ら、何者だ!! 何をしに来た!!」

「侵入者め、八つ裂きにしてくれる!!」

 

 胸下から上が人間であり、それより下は蛇という亜人――ナーガたちが口々に吠えたてて、まるで威嚇するようにバシャバシャと水面を叩く。しかしモモンガもペロロンチーノも、彼らがただ単に感情のままに騒がしくしている訳ではないことに気が付いていた。モモンガが何もないはずの空中へと眼窩の灯りを向け、ペロロンチーノが激しく波打つ水面を凝視する。

 

「……ちょっと静かにしてくれないかな~。そんなに騒がしくしなくてもバレバレなんだから」

「残念ながら我々に“不可視化”は通用しない。無駄なことは止めることをお勧めする。そこにいるのが“西の魔蛇”と呼ばれているモノかな?」

 

 ペロロンチーノとモモンガの言葉に、途端にあれだけ騒いでいた亜人たちが一気にシーンっと静まり返る。彼らの双眸は大きく見開かれ、その顔には驚愕と恐怖の色が浮かんで、身体は硬直したかのように全ての動きを止めていた。

 喧騒から静寂へ。

 この場にいる全てのものが微動だにせず、音が死んだような静けさが漂って、まるで時が止まったかのような錯覚を覚える。

 しかしそれはあまり長くは続かなかった。

 モモンガが凝視している空間が不意にぐにゃりと歪み、一拍後には一体のナーガが警戒した表情を浮かべながら佇んでいた。

 

「……おぬしらは一体何者だ? わしの透明化を見破るなど……――」

「ああ、そういうのは良いから。それよりもこっちの質問に答えてくれないかな? 君が“西の魔蛇”と呼ばれている存在かな?」

 

 ナーガの言葉を途中で遮り、ペロロンチーノが腕を組みながら問いかける。

 上空から見下ろすような形で問い質すその様は正に森の王者に相応しい威容を誇っており、しかし幸か不幸かペロロンチーノ本人は全くそのことに気が付いてはいなかった。ただ、見るからに怯んだような素振りを見せるナーガに小首を傾げさせる。

 無言のまま凝視するペロロンチーノとモモンガの圧力に負けたのか、暫くの空白の後にナーガは漸く鈍く口を開いてきた。

 

「……おぬしらの言う通り、わしこそが“西の魔蛇”と呼ばれるモノじゃ。名を、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンという」

「長っ!!」

「なんだ、随分と礼儀正しいではないか」

 

 ペロロンチーノがナーガの……リュラリュースの名前の長さに驚きの声を上げる傍らで、モモンガが少しだけ感心したような声を零す。

 リュラリュースたちが無言でこちらを凝視してくるのに、そこで漸くモモンガたちは自分たちが未だ名乗っていないことを思い出した。

 

「……ああ、これは名乗らずに失礼した。私は“アインズ・ウール・ゴウン”の一人で、アインズという」

「そして俺が、同じく“アインズ・ウール・ゴウン”の一人であるペロロンチーノだ。君たちが倒そうとしている“黄金のバードマン”張本人だよ」

「「「っ!!」」」

 

 モモンガの言葉よりもペロロンチーノが最後に付け加えた言葉によってリュラリュースたちの身体が一層強張る。しかしその一方で、まるでこちらの思考や行動を見極めようとするかのように鋭く見つめてくるのに、モモンガは内心で感心したような声を零していた。

 

「お互いに名乗り合ったことではあるし、早速本題に入るとしよう。“西の魔蛇”よ、我々がわざわざこんな所に来た理由に思い至るかね?」

「………一体、何だと言うのだ」

「なに、ひどく簡単なことだ。……命が惜しいなら服従しろ」

「え、こいつらを傘下に加えるつもりですか?」

 

 リュラリュースたちが驚愕の表情を浮かべる中、傍らのペロロンチーノも驚きの声を上げる。余程予想外だったのか、ペロロンチーノはモモンガとリュラリュースを交互に見やると、次には不思議そうに首を傾げさせた。

 

「そんなに、この蛇が気に入ったんですか? ハムスケとは違って、俺にはどこにでもいる様なナーガにしか見えませんけど」

「……意思の疎通ができ、ある程度の判断能力や考えるだけの知能も持っている。唯の獣ではない以上、少なからず価値はあるとは思わないか?」

「まぁ、そりゃあ、“東の巨人”のトロールよりかは何倍も話は通じそうですけど……」

「何っ!? おぬしら、グに会ったのか!!?」

 

 次はリュラリュースから驚愕の声が飛んでくる。

 ペロロンチーノはモモンガからリュラリュースへと視線を移すと、次にはコトリと逆側に小さく首を傾げさせた。

 

「会ったっていうか……、実験用に捕獲したって言った方が正しいかな」

「っ!!? 実験用に……捕獲した、じゃと………?」

「傘下に加えるにはあまりにも性格や思考回路に難があったからね。でも、ちょっと興味深いことが分かったから捕獲することにしたんだよ。本当は殺そうと思ってたんだけどね~」

 

 何でもないことのように軽く言ってのけるペロロンチーノに、リュラリュースは信じられないと言ったように驚愕の表情を張り付けさせた。しかしその表情には恐怖の色も確かに色濃く浮かんでいた。見開かれた瞳には恐怖と焦りの光が宿り、無意識にかそれとも意図的にか、じりじりと後退るように徐々にモモンガたちから距離をとろうとしている。

 しかしそれを許すモモンガたちではなかった。

 

「………捕獲せよ……」

 

 ポツリと独り言のように呟かれたモモンガの声。瞬間、今まで無言のまま微動だにしていなかったコキュートスたちシモベたちが突如リュラリュースたちに襲い掛かっていった。

 弾かれたように逃げ出し始めるリュラリュースや多くの亜人や獣たち。しかしコキュートスたちは容赦なく彼らを蹂躙していく。

 とはいえ、今回命じられたのはあくまでも捕獲であり、殺しの命令は出ていない。コキュートスたちは対象を殺さぬように気を付けながら、一方で一匹も逃さないように魔法や特殊技術(スキル)を駆使してすべての亜人や獣たちを捕獲していった。

 かかった時間は凡そ五分程度であろうか。

 圧倒的な数の差がありながらも一匹も逃がさなかったのは流石と言うべきだろう。

 しかし、やはりと言うべきかそれなりに難易度は高かったようだった。亜人や獣の多くは無傷による捕縛ではなく、死なない程度の傷を負わされて動けない状態にさせられていた。

 沼のあちこちから多くの呻き声や悲鳴のような声が小さく響いている。

 しかしモモンガもペロロンチーノも一切構う様子はなく、ペロロンチーノなどはコキュートスたちの手際の良さに感嘆と称賛の声すら上げていた。

 

「わぁ、お見事! みんなご苦労様! 全員逃がさなかったのはすごかったよ、感心した!」

「アリガトウゴザイマス、ペロロンチーノ様」

 

 コキュートスを筆頭に、シモベたちが歓喜に身を震わせながら跪いて深々と頭を垂れる。

 彼らの微笑ましい様子を横目で見つめながら、モモンガは宙を進んでリュラリュースの元へと近づいていった。

 

「折角の提案に返事もせずに去ろうとするなど、とても失礼なことだと思わないかね?」

 

 目の前に倒れ伏しているリュラリュースを見下ろし、いっそ優しさすら感じられる声音で問いかける。

 リュラリュースは他の亜人や獣たちと同様に、まるで突っ伏すように沼の中に沈んでいた。蛇の胴体は大きく深く切り裂かれ、恐らくまともに動くことすら難しいだろう。傷口からはドクドクと大量の血が沼へと流れ出ており、早く治療をしなければ出血多量で死ぬかもしれない。

 モモンガは近くに控えていた一体のコキュートスの配下に命じると、リュラリュースの長い頭髪を掴ませて顔を上げさせた。

 

「……もう一度問おう、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルン。我らに服従するつもりはあるかね?」

 

 シモベの手によって上げさせた泥だらけの顔を真正面から見つめ、モモンガが高圧的に問いを投げかける。

 リュラリュースは目の前に突き付けられた不気味な髑髏に、恐怖にブルッと大きく身体を震わせた。

 

「……し、します! 我らはあなた様方に服従し、忠誠を誓いますっ!!」

 

 沼中に響き渡る、リュラリュースの悲鳴のような声。

 それに気が付いて、ペロロンチーノがコキュートスたちから離れてモモンガの元へと近寄ってきた。

 瞬間、リュラリュースの身体がビクッと大きく震えて硬直した。

 

「………ふむ、賢明な判断だな」

「なに? 本当に服従したんですか?」

 

 小さく呟いているモモンガに、ペロロンチーノがモモンガとリュラリュースを交互に見やる。

 しきりに首を傾げさせる友の姿に、モモンガは眼窩の灯りをペロロンチーノへと向けると、そのまま小さな笑い声を零した。

 

「フッ、……私がこのモノたちを傘下に加えることがそんなに不思議か?」

「まぁ、そうですね。こいつらがハムスケみたいな見たこともない魔獣だったり、不思議な力を持っていたりしたら別に不思議じゃないんですけど。でも見た感じ、こいつらはどこにでもいる普通の亜人や獣じゃないですか。傘下に加えるメリットも特になさそうですし……」

「例え今メリットがなくとも、後に使い道が出てくるかもしれない。殺してしまっては利用することもできなくなってしまうだろう?」

「つまり、貧乏性ってことですか?」

「ふむ……、少し違うような気もするが……」

 

 ペロロンチーノの“貧乏性”という言葉に、モモンガは小さく首を傾げさせる。とはいえ完全に違うとも言い切れず、モモンガは肩を竦ませるだけに留めることにした。

 

「……とはいえ、このモノたちの面倒は当面トブの大森林の担当であるペロロンチーノさんが担うことになる。ペロロンチーノさんが負担になると言うのなら、先ほどの話はなかったことにしても構わない」

 

 モモンガからすれば、リュラリュースたちの“必要になるかもしれない”という可能性よりも、大切な友人であるペロロンチーノの身の方が断然大事だ。彼が負担になると言うのならばリュラリュースたちを殺すという選択肢を取るのは当然の事であり、自分自身が行動を起こすことも吝かではなかった。

 しかし、リュラリュースたちからすれば堪ったものではない。折角繋がったはずの自分たちの首を、みすみす捨てるようなことなどできる筈がない。

 リュラリュースは激痛を訴えてくる身体に鞭を打ちながら、目の前の絶対者たちへと必死に頭を下げた。

 

「わ、我々はあなた様方に絶対の忠誠を誓います! 命じられたことは何でもします! か、必ずやお役に立ってみせますっ!!」

 

 泥水に顔を沈ませることも厭わずに何度も土下座のように頭を下げる姿はひどく憐れみを誘う。リュラリュースの人間部分が老人の姿をしているため尚更だ。

 無感情にそれを見下ろしているモモンガの傍らで、ペロロンチーノがやれやれとばかりに頭を横に振った。

 

「な~んか、ちょっとだけ可哀想になってきたな~。……分かりました、俺が責任をもってこいつらの面倒を見ますよ」

「……そうか。命拾いをしたな、リュラリュースよ」

「ははぁっ!!」

 

 モモンガの言葉に、リュラリュースたちは大げさなまでに必死に頭を下げてくる。

 モモンガは彼らから視線を外すと、次には傍らで宙に浮いているペロロンチーノへと視線を移した。

 

「それで……、取り敢えずはナザリックに送るべきだろうか?」

「いえ、取り敢えずリザードマンたちの集落に置いておこうと思います。そこでまずはナザリック第二号の建設を手伝ってもらいましょう。あそこも沼地なので、もしかしたら結構使い勝手が良いかもしれませんし」

「ふむ、なるほど……。まぁ、ペロロンチーノさんに全て任せよう。何かあったら相談してくれ」

「勿論ですよ。コキュートスも、何かと調整とかしてもらうと思うけど、宜しくな」

「ハッ、畏マリマシタ」

 

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスが頭を下げてそれに応える。

 ペロロンチーノは空中で一つ大きな伸びをすると、深く息を吐き出して改めてモモンガを見やった。

 

「これで一応一件落着ですかね……。では、そろそろ戻りましょうか。モモぉ……じゃなかった。アインズさんもナザリックに戻って薬草を入手しなくちゃいけないでしょう?」

「そうだな。……このモノたちの移動などはコキュートスたちに任せるとしよう。ナーベラルとハムスケは我々と共にナザリックに帰還するぞ」

「はっ」

「分かりましたでござる!」

 

 コキュートスやその配下たちがなおも頭を下げる中、ナーベラルからの応答と共に、ハムスケからの声も遠くの沼の淵から聞こえてくる。

 それにモモンガとペロロンチーノは思わず小さな笑みを浮かべると、しかし次には自身の身体を見下ろして少しだけ顔を顰めさせた。

 

「……ナザリックに戻ったら、まずは大浴場(スパリゾートナザリック)にでも行きましょうか」

「………ああ、そうだな」

 

 別に直接泥に濡れている訳ではないのだが、漂ってくる泥臭いにおいや湿気に、何とも気持ちが悪いような不快感を覚える。

 モモンガはこの場をコキュートスたちに任せると、すぐにでも身体を洗いたい感情そのままに素早く〈転移門(ゲート)〉を唱えて空中に闇の扉を出現させた。

 まず初めにモモンガが闇の扉へと足を踏み入れ、その次にペロロンチーノが、最後にハムスケを抱えたナーベラルがその後に続く。

 闇の奥へと消えゆく絶対者たちの背を見送った後、コキュートスたちは下げていた頭を上げて早速命じられたことを完璧に成し遂げようと素早く動き出した。

 コキュートスたちの手によって、力なく連行されていく多くの亜人や獣たち。

 絶対的な強者が弱者を征服させていくその光景に、沼の淵でそれを見守っていたザリュースたちリザードマンは諦めにも似た寂しさ漂うため息を力なく吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

「………おれ、このまま逃げてもいいかな……?」

「……念のため止めておけ。一緒に俺たちの集落に来ると良い」

 

 完全に存在を忘れられていたのだろうゴブリンの子供の呟きに、ザリュースは憐れみを覚えながらもその小さな背中を軽く叩いてやった。

 

 



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第38話 進み行く計画

今回は久しぶりの悪魔親子でございます!
内容はとてつもなく不穏なのですが、書いていてすっごく楽しかったです(笑)


 陽の光が優しく差し込むのは少し古めかしい室内。造りはしっかりしており、古めかしくも趣を感じさせる様相はそれなりの質の良さを感じさせる。

 ここはバハルス帝国帝都アーウィンタールにある“歌う林檎亭”の一室。

 自身の魔法で作り出した最上級の寝椅子(カウチ)に深く腰掛けながら、ウルベルトは手に持つ羊皮紙に目を落としていた。

 近くにおいてあるテーブルの上には、今彼が読んでいる羊皮紙が入っていた上質な封筒が無造作に放られている。

 その横にコトリとティーカップが置かれ、ウルベルトは羊皮紙に向けていた視線を外して傍らに立つユリを振り仰いだ。

 

「……あぁ、ありがとう、ユリ。ふむ、良い香りだ」

「ありがとうございます。……それは、ソフィア・ノークランからの依頼書でしょうか?」

 

 羊皮紙をテーブルの上に放り投げてティーカップを手に取るウルベルトに、ユリは頭を下げながらもチラッと羊皮紙に目を向ける。

 ウルベルトは香りを楽しみながら紅茶を一口飲み込むと、ほぅっと小さな息をついて羊皮紙へと改めて目を向けた。

 

「……ああ、ニグンが預かってきた闘技場の演目出場依頼の封書だよ。まったく、次から次へとよく依頼してくるものだ」

 

 ウルベルトはもう一口紅茶を飲みながら呆れたような表情を浮かべる。

 彼の言う通り、ソフィア・ノークランは一番初めの闘技場演目出場の依頼以降もちょくちょく同じような依頼を持ってきていた。

 今では他の興業主(プロモーター)からも演目出場の依頼が来るようになり、ウルベルトたち“サバト・レガロ”は闘技場のちょっとした常連になりつつあった。

 

「今回も依頼をお受けするのですか?」

「……いや、今回は少し迷っているのだよ」

 

 ウルベルトの意外な言葉に、ユリは思わず不思議そうな表情を小さく浮かべた。

 闘技場でエルヤー・ウズルスに勝利したことや帝国四騎士のバジウッド・ペシュメルとの繋がりが出来たことで、今や“サバト・レガロ”は人気ナンバーワンのワーカーチームになりつつある。依頼も山のように来ており、自分たちでなくとも対処可能な依頼に関しては幾つか他のワーカーチームに紹介という名の横流しをすることも多くなってきていた。しかし、闘技場の演目出場依頼だけは、ウルベルトは積極的に自分たちで引き受けていたのだ。だというのに、これは一体どうしたことだろう……と小首を傾げさせながら、ユリは寝椅子に深く身を預けて物憂げな表情で何事かを考え込んでいるウルベルトを見やる。

 そんな彼女の様子に気が付き、今までずっと他の依頼書の選別作業を行っていたニグンが作業の手を止めて小さな苦笑を浮かばせた。

 

「実は、今回の演目の相手はあの“武王”なのですよ」

「“武王”……。もしや、闘技場のあの“武王”ですか?」

「その“武王”ですな」

「……そう“武王”“武王”と連呼しないでもらえるか?」

 

 ユリとニグンの会話に、ウルベルトの気だるげな声が割り込んでくる。

 見ればウルベルトは若干不機嫌そうに顔を顰めさせており、ユリとニグンは思わずチラッと互いに視線を交差させた。

 ウルベルトがこの件に関して何故こんなにも気にかけているのかというと、それは“武王”という存在そのものにあった。

 “武王”とは、闘技場の頂点に君臨する者の称号であり、今の“武王”は八代目となる。当代の“武王”は歴代最強と言われており、その人気も絶大であるとか。

 しかしウルベルトが一番問題視しているのは、その“武王”が人間ではないという点だった。

 しかも森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)といった人間種ではなく、妖巨人(トロール)という亜人種である。

 いくら強さに惹かれる者が多いとはいえ、人間が支配する国の闘技場で人間ではないモノ……それも亜人種が絶大な人気を獲得するなど並大抵のことではない。それだけの努力や交流、或いはカリスマというようなものが、そのトロールにはあるのだろう。つまり、安っぽいアイドルや客寄せパンダのような広告塔ではないということだ。

 彼の“武王”が持つ人気は、信頼や尊敬といった類のものに等しいのではないかとウルベルトは分析していた。

 もしその分析が正しかった場合、ウルベルトたちが“武王”を倒してしまえばどうなるか……。戦い方や流れ如何によっては、これまで積み重ねてきた自分たちの評判等が一気に失墜しかねない。

 ウルベルトは一度大きなため息を吐き出すと、次には勢いよく寝椅子から立ち上がった。ユリやニグンからの視線を無視して、肩にかけているコートの裾を靡かせながら一直線に扉へと歩を進める。

 

「……少し辺りを散歩してくる。何かあれば連絡してくれたまえ」

「お供いたします」

「不要だ。お前たちはここで依頼書の選別をしていてくれ」

 

 同行を申し出てくるユリやニグンを有無を言わせずこの場に残し、ウルベルトはそのまま扉を開いて部屋を後にした。足早に階段を下り、一階の食堂へと足を踏み入れる。

 瞬間、食堂中から沸き上がる騒めきや黄色い悲鳴。

 現実世界での自分や本来の悪魔の姿であれば到底向けられないであろうそれらに内心辟易とさせられる。しかしそんな内心は一切見せることなく、ウルベルトは表面上は控えめな笑みを浮かべて応えてやりながら真っ直ぐに外へと続く扉へと歩み寄っていった。声をかけたそうにしている客やエルフの従業員たちには気づかぬフリをして、目前まで来た扉に手を掛けてそのまま外へと足を踏み出す。

 数秒間どこに行こうかと思案するために立ち止まり、次には北へと足先を向けた。迷いのない足取りで、堂々と多くの人混みをかき分けるように道を進む。

 帝都の人間たちも大分ウルベルトの容姿に慣れてきたのか、最初の頃のように人混みが真っ二つに割れることはなくなりつつある。しかし今度は、まるでその代わりだと言わんばかりに多くの人間たちが何とか話しかけようと群がろうとしてきて、ウルベルトはそれがひどく鬱陶しく感じられた。気づかれない程度にさり気なく呼びかけの声を躱し、笑顔でのみ応えてやりながらひたすら目的地へと足を動かし続ける。

 そして“歌う林檎亭”を出て十数分後。

 ウルベルトが到着したのは多くの人々が賑わう北市場だった。

 多くの露店が立ち並ぶこの場所は、マジックアイテムを中心に売り買いされる市場である。主に冒険者やワーカーたちが不要となったアイテムや道具などを売っている場所であり、そのため売り手は冒険者やワーカーたちが殆どで、また買い手も必然的に戦いを生業とする者たちが多くの割合を占めていた。そのため、ある意味帝都の中で一番治安が良い場所であるとも言える。勿論普通の商人が露店を開いている箇所もあるのだが、全体的に言えば割合はかなり少ないと言えるだろう。冒険者やワーカーたちが出している商品は中古品や不必要な魔法道具などであるため、値段はそれなりに安いものが多く、また掘り出し物もたまに混じっていたりするため、その物珍しさからウルベルトは殊の外この市場が気に入っていた。

 

 

「おっ、ネーグルさん! また来てくれたのかい?」

「ネーグルさん! こっちも見に来て下さいよ!」

「きゃー、ネーグル様よ!」

「おぉ、ネーグルさん! この間はお世話になりました!」

 

 市場に集っていた者たちがウルベルトの存在に気が付いて、途端に次々と声をかけてくる。それにウルベルトはどこまでも親身でいて丁寧に、親しみ良く全ての声に応えていった。

 

「お久しぶりです、オルコットさん」

「おや、また露店を出しているのですね。良い掘り出し物はありますか?」

「こんにちは、お嬢さん方。お会いできて光栄です」

「いえいえ。無事に依頼をこなされたようで何よりです」

 

 先ほどまでの食堂や道での対応とは雲泥の差。しかしウルベルトにとっては、これは当然の対応だった。

 彼らは冒険者でありワーカーであり、言うなればウルベルトの同業者たちである。通常ワーカーの常識では同業者はライバルであるのだが、ウルベルトはあまりそうは思ってはいなかった。

 確かに名指しの依頼が基本となるワーカーにとって、同業者という存在は依頼を奪うかもしれない油断ならない相手だろう。しかしそれと同時に、同じ道に精通している者同士でもあるのだ。強く太いパイプを持てば持つほど、利用価値は上がるとウルベルトは考えていた。

 加えて、彼らは普段から命のやり取りをしているせいか基本的に義理堅い部分がある。勿論例外となる人物も中にはいるのだが、それでも殆どの者たちは良好な関係を築いても損にはならないだろう人物たちだった。更に言えば、さり気ない噂話から信憑性の高いものまでちょっとした情報収集もできるため、彼らと仲良くする行為はあながち不必要とも言えないのだ。

 ウルベルトは次々に掛けられる声に律儀に答えながら、彼らと連れ立つように露店を見て回り始めた。

 小さな傷や汚れの着いた防具や武器。少々古ぼけていながらも補助魔法が付加された装飾品。

 それらを何とはなしに眺める中、不意に見慣れぬ箱が視界に入ってきて、ウルベルトは自然とその箱の前で足を止めた。

 

「……ああ、あなたでしたか。これに目をつけるとは、流石はお目が高いですね」

「こんにちは、ロイゼンさん。今度はどんな珍品を仕入れたのですか?」

 

 ウルベルトの存在に気が付いて、比較的立派な露天の店主がにっこりとした営業スマイルを向けてくる。

 この男の名はイーレン・ロイゼン。普通の商人でありながらよく北市場に露店を出し、何故か冒険者やワーカーたちがあまり買いそうにない生活の中で使うようなマジックアイテムを売っている変わり者の男である。

 因みにウルベルトが初めてこの男に会ったのもこの北市場であり、その時は音に反応して独りでに踊る不可思議な花の人形を売っていた。

 

「また今回も妙な物を売っていますねぇ。なんですか、これは?」

「フフフッ、これは彼の有名な“口だけの賢者”が発案したものですよ。名付けて、こちらは『冷蔵庫』! そしてこちらは『扇風機』です!」

「……ほぅ……」

 

 イーレンの言葉を聞いた瞬間、ウルベルトの箱を見る目が小さく細められる。目の前ではイーレンがペラペラと箱について長々と解説しているのだが、しかしウルベルトは全く聞いてはいなかった。

 この世界では今まで見たことも聞いたこともない代物。しかしウルベルトはこれらの存在を知っていた。いや、正確に言えば同じような機能を持った物の存在を知っており、実際に使っていたと言った方が正しいだろうか。そしてそれはこの世界でもユグドラシルでもなく、現実世界(リアル)での話だった。

 

「………ロイゼンさん、この『冷蔵庫』と『扇風機』を一つずつ買いましょう」

「おおっ、流石はネーグル様! いつもありがとうございます!」

「あと、ついでと言っては何ですが、その“口だけの賢者”についてもう少し詳しく教えて頂けませんか?」

 

 商品が売れて上機嫌となる男に、ここで一番聞いておきたいことを聞いてみる。イーレンはウルベルトから代金を受け取りながら、上機嫌のまま“口だけの賢者”について語り始めた。

 彼の話によると、“口だけの賢者”とは200年ほど前にいた牛頭人(ミノタウロス)の事であるらしい。彼は様々なアイテムを発案し、しかしそれらの理論や作り方は分からず、作る能力もなかったらしい。つまり、例えば『入れた物を冷やせる道具があったら良いだろう』というアイデアは出せるが、ではどうすればそんな物が作れるのかといった理論の構築などが出来ないといった具合だろう。しかし戦士としての腕は超一流で、斧の一振りで竜巻を引き起こし、大地に突きたてれば地割れを引き起こしたとも言われているようだった。因みに彼は、ミノタウロスの社会では唯の食糧という認識でしかなかった人間を労働奴隷階級にまで引き上げたことでも有名であるらしかった。

 ウルベルトはイーレンの話に耳を傾けながら、内心では大きく顔を顰めさせていた。

 もし彼の話がすべて本当ならば、十中八九そのミノタウロスは自分たちと同じユグドラシルのプレイヤーだろう。しかし仮に本当に自分たちと同じプレイヤーだったとして、何故200年という大きな時差が生じているのかが全く分からなかった。

 もっと他に情報はないかと口を開きかける。

 しかし声を発するその前に、一つの大きな声によって音になる前に遮られた。

 

 

「おおっ、ネーグル殿! こんなところで会うとは奇遇だなっ!」

「っ!!?」

 

 聞こえてきたのは、聞き覚えのある低いドラ声。それに何とも嫌な予感がしながらも振り返れば、そこにいた人物にウルベルトはすぐさま振り返ったことを後悔した。

 人混みをかき分けるようにこちらに歩み寄ってくるのは強面の大男。身に纏う漆黒の全身鎧(フルプレート)は有名なもので、彼が何者であるのかを周りに如実に知らしめている。

 男の突然の登場にウルベルトが思うことは『何故ここにいるんだ』という一言に尽きた。

 しかしそれをそのまま口に出せるはずもなく、ウルベルトは内心嫌々ながらも身体ごと男に向き直ると、にこやかな笑みを浮かべて軽く男に会釈した。

 

「……これはバジウッド・ペシュメル様。本当にここで会うとは奇遇ですね」

 

 ウルベルトの目の前まで来たのは帝国四騎士“雷光”のバジウッド・ペシュメル。

 突然の大物の登場に、俄かにこの場が騒めく。

 しかしバジウッドは気にした様子もなく、ただ親し気にウルベルトに話しかけてきた。

 

「おいおい、様付けなんてやめてくれって前に言っただろう! あんたと俺との仲じゃねぇか!」

 

 豪快に笑う男に、『一体どんな仲だ……』と声を大にして言ってやりたい。しかしそんなことを言えるはずもなく、ウルベルトはグッと堪えながら大人しく小さく頭を下げて短く礼の言葉を口にした。

 周りから羨望や尊敬の眼差しを向けられているのを感じる。

 しかしウルベルトにとっては苦虫を噛み潰したい思いだった。

 

「それで……、ペシュメル殿は何故こちらに?」

「ああ、唯の暇つぶしだ。城勤めってのは何かと窮屈なんでな」

「それはそれは、ご苦労様です」

 

 周りの好奇の目は一切無視して無難な会話を交わしていく。

 どこがゴールなのかも分からぬままとりとめのない会話を続ける中、不意にバジウッドの方が話題を変えてきた。

 

「――……そういえば、今度闘技場の“武王”と戦うらしいな。すごいじゃねぇか」

「……ありがとうございます。とはいえ、まだ承諾の返事はしていないのですが……、何故ペシュメル殿がそれをご存知なのでしょうか?」

「ああ、実はノークラン商会は帝城お抱えの商会の一つでな。偶然小耳に挟んだんだ」

 

 ウルベルトの質問に、バジウッドは何でもないことのように軽く答えてくる。

 彼の話によると、ノークラン商会は皇族御用達の商会の一つであるらしく、先日も帝城に登城したらしい。そこで偶然闘技場の話題が出て、その流れでウルベルトたち“サバト・レガロ”に“武王”との対戦を依頼したという話も出たらしかった。

 

「す、すごい……! すごいじゃないですか、ネーグルさん!」

「ワーカーから、あの“武王”に挑戦できる奴が現れるなんてな! もし本当に戦うなら、応援に行くぜ!」

「俺もです! 絶対に応援に行きます! 頑張ってください!」

 

 バジウッドとの会話を耳にし、周りにいた冒険者やワーカーたちが次々と声をかけてくる。本人そっちのけで盛り上がり始める周りに、ウルベルトは内心で大きなため息を吐き出した。

 ここを離れた方が良いかも知れない……と思考を巡らす。

 このままここにいては、あれよあれよという間に演目出場依頼を承諾させられかねない。未だ踏ん切りがつかない中で他人に流されるなど冗談ではなかった。本音を言えばもう少し市場を見て回りたかったのだが仕方がない。

 ウルベルトは一度小さく細く長い息を吐き出すと、ワザとらしく胸元からゆっくりと懐中時計を取り出して時間を確認する素振りを周りに見せた。

 

「……ああ、もうこんな時間でしたか! 申し訳ありません。これから少し用がありますので、私はこれで失礼させて頂きます」

「なんだ、どこか行くのか?」

「ええ、少々野暮用がありまして」

 

 見るからに残念そうな表情を浮かべるバジウッドや周りの面々に、しかしウルベルトは小さく頭を下げることでそれに応える。それでいて短い別れの言葉と共に踵を返すと、『冷蔵庫』と『扇風機』を片手ずつに抱え持って足早にこの場を立ち去った。取り敢えず人通りが少ない場所に行くべく路地裏へと足を踏み入れていく。

 昼間でも薄暗く感じられるところまで来ると、ウルベルトはやっと足を止めて大きな息をついた。持っていた『冷蔵庫』と『扇風機』を地面に下ろしながら、さて何処に行こうか……と思考を巡らす。

 未だ“歌う林檎亭”に戻る気分ではなく、とはいえ帝都をぶらぶらしても騒がしくなるだけのような気がした。

 どこかいい場所はないか、或いは何かすべきことはないかと考え込む。

 腕を組んで小さく唸り声を上げる中、不意にある考えが頭に浮かび上がってきてウルベルトはフッと閉じていた瞼を開いた。

 頭に思い浮かんだのは、アイテムの作製方法解明に奮闘しているであろうデミウルゴスの姿。

 思えばデミウルゴスへの担当をペロロンチーノから引き継いでから、今まで一度も様子を見に行ったことがなかった。今手元にある『冷蔵庫』や『扇風機』は、実は今後のアイテム作製に何か参考になるかもしれないと思い、デミウルゴスのために買ったものなのだ。これらを手土産に、少し様子を見に行っても良いかもしれない。

 ウルベルトは一人小さく頷くと、次にはデミウルゴスへと〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 

『これは、ウルベルト様! 何かご用命でしょうか?』

『ああ、忙しいところにすまないな、デミウルゴス』

『何を仰られます! 私はウルベルト様のシモベでございます。どうぞ何なりとお命じ下さい』

『あ、ありがとう……。……ゴホンッ、それで早速なんだが…。急で悪いが、ちょっと時間が出来たものでね。お前が管理しているアイテム作製及び実験研究の施設を見に行きたいと思ったのだよ。今からそちらに行きたいのだが、構わないかね?』

 

 テンション高く嬉々として応じてくるデミウルゴスに思わず少々ひきながらも、気を取り直して思い浮かんだ提案を問いかける。

 瞬間、〈伝言(メッセージ)〉越しにデミウルゴスの息を呑むような音が聞こえたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。

 その証拠に、デミウルゴスはすぐに落ち着いた声音で言葉を返してきた。

 

『………畏まりました、すぐに場を整えさせて頂きます。迎えのモノも手配させて頂きますので、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?』

『ああ、構わないよ。私はそちらに来たことも見たこともないから〈転移門(ゲート)〉を繋げられないからね。……帝都の場所は分かるな? その正門にいるから、隠密行動のできるシモベを手配してくれ』

『はっ、畏まりました』

 

 デミウルゴスからの返事を確認し、〈伝言(メッセージ)〉を切って足元に置いておいた『冷蔵庫』と『扇風機』に手を伸ばす。空間にアイテムボックスを開いてそれらを中に放り込むと、身軽になった身体で意気揚々と正門へと足先を向けた。

 デミウルゴスであればあまりこちらを待たせるようなことはしないだろうが、それでもゆっくりと正門に向かう時間くらいはあるだろう。

 ウルベルトはなるべく誰にも会わないように路地裏からは出ないまま、少々回り道になりながらも正門へと向かっていった。

 薄暗い闇の中、しかしウルベルトは臆することなく堂々とした足取りで進んでいく。

 数十分後、漸く正門に辿り着いたウルベルトだったが、しかし路地裏からは出ることなく手前で立ち止まった。

 さて、どうするか……と少し考え込む。

 このまま出ていっても良いのだが、そうなると正門にいる人々がまた騒がしくするだろう。とはいえ透明化で正門に近づいたとして、迎えに来るデミウルゴスの配下が透明化看破の能力を持っていなければすれ違いになってしまう可能性があった。

 ウルベルトは暫く人通りの多い正門を見つめた後、一つ息をついて意を決すると、透明化はせずにそのまま出ることにした。

 路地裏から出て二、三歩正門へと歩み寄れば、それだけでウルベルトの存在に気が付いた者たちが次々とざわめきを起こし始める。しかしウルベルトはそれらを完全に無視すると、既に顔見知りとなっている正門に立つ兵にだけ軽く挨拶をすると帝都の外へと足を踏み出していった。

 暫く普通に街道を歩き、しかし徐に街道脇にある茂みへと足先を向けて茂みの奥へと身を潜めるように入り込む。周りを見回して誰にも見られていないことを確認すると、そこで漸くウルベルトは一息つくように息を吐き出した。

 

 

『――……ウルベルト様』

「っ!!」

 

 突如、どこからともなく響いてきた声。

 思わずビクッと肩が跳ね、出そうになった声を慌てて喉の奥へと呑み込む。

 声の正体は十中八九デミウルゴスの配下の悪魔であり、つまりは自分の配下だろう。悪魔の支配者(オルクス)の誇りにかけて、肩をビクつかせて悲鳴を上げる様な無様な姿を晒すわけにはいかなかった。

 気付かれないように小さく細い息をついて、改めて周りの気配を探る。

 瞬間、すぐ側の木の影から覚えのある気配を感じてウルベルトはそちらへと視線を向けた。

 

「………影の悪魔(シャドウデーモン)か……」

『はっ、お迎えに上がりました』

 

 ウルベルトの声に、シャドウデーモンが木の影から姿を現して跪いて頭を下げてくる。

 ウルベルトは鷹揚に頷いて見せると、シャドウデーモンはすぐさま立ち上がって一つの巻物(スクロール)を取り出した。徐に巻物(スクロール)を宙へと放り投げ、瞬間、空間に闇の扉が出現する。

 再度跪いて頭を下げてくるシャドウデーモンに、ウルベルトは一欠けらの疑いもなく悪魔の前を通り過ぎて闇の扉の中へと足を踏み入れていった。

 視界が漆黒の闇に染まり、次には一気に光を溢れさせる。

 一拍後にウルベルトが足を踏み入れたのは、大きく開けたなだらかな草原のような丘陵だった。

 

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

 

 ウルベルトがこの地に足を踏み入れたとほぼ同時に、嬉々とした声が出迎えてくる。見ればそこには拷問の悪魔(トーチャー)やペストマスクの道化師を後ろに従えた朱色の悪魔が、長い銀色の尾を揺らめかせながら満面の笑みで跪いていた。

 彼らの背後には見慣れぬ多くの天幕が立ち並び、周りには簡易的な木の柵が張り巡らされている。

 一見、どこにでもあるような田舎の牧場のような光景が目前に広がっていた。

 

「出迎えご苦労。急に来てしまってすまなかったね、デミウルゴス」

「とんでもございません! ウルベルト様のご来訪は何よりの栄誉にございます。この地で働くシモベたちもウルベルト様のお姿を一目でも拝見できる機会を得られ、感謝に咽び泣いておりましょう」

「そ、そうか……。あー、そう…だな……、お前たちがそれほどまでに喜んでくれるのなら、私も嬉しいよ」

 

 身を乗り出して勢いよく言い募ってくる悪魔に、やはり少々ひいてしまう。しかしここでそんな態度をとってしまえば彼らが大きな勘違いをしてしまうことは明白であり、ウルベルトは内心四苦八苦しながらも何とか穏やかな態度を取り繕った。

 尚も感謝の言葉を述べようとする悪魔を何とか制し、取り敢えずはと立ち上がらせる。傍らに来るようデミウルゴスを手招くと、そのまま施設の案内と説明を頼んだ。

 

「まずはこちらが巻物(スクロール)の作業用天幕でございます。どうぞご覧ください、ウルベルト様」

 

 デミウルゴスが妙に深い笑みを浮かべながら一番手前の天幕へと促してくる。

 ウルベルトは内心では疑問に首を傾げさせながらも、しかし顔には一切出さずに鷹揚に頷いてトーチャーが捲り上げてくれた布を潜って天幕の中へと足を踏み入れた。

 瞬間、鼻に突き刺さる血生臭い香りと鼓膜を震わせる悲鳴のような音。チラッと周りに視線を走らせれば天幕の布には所々赤黒いシミがこびりついており、天幕の中の空気も心なしか重たく湿り気を帯びているような気がした。

 耳に聞こえてきた金切り声と相俟って、ウルベルトはデミウルゴスの笑みの理由を正確に理解した。

 

「ここは主にどの作業を行っている天幕だ?」

「皮剥ぎ作業から洗浄作業までを主に行っている天幕となっております。その後の鞣し作業はまた別の天幕で行っております」

「なるほど……。因みに、防音の方はどうなっている? 皮を剥ぐ際に悲鳴が外に漏れては大変だろう? それとも麻酔でもかけてやっているのか?」

 

 まさかそんなはずはあるまい、という声音で問いかければ、案の定デミウルゴスは柔らかな笑みと共に首を横に振ってきた。

 

「はい、トーチャーは〈大治癒(ヒール)〉で素材(・・)が死なぬよう管理する役目も任せておりますので、それ以外の魔力消費は必要ないと判断しております。防音の問題に関しましては、〈静寂(サイレンス)〉をこの天幕全体に施しておりますので問題ございません」

「ふむ、そうか。……では、取り敢えずは素材(・・)は足りていると考えて良いのかな?」

「それが……、中には治癒を拒む個体も多くおりまして……。質の更なる向上に向けて幾つもの実験も行っておりますので、出来れば更なる調達をご許可頂ければと……」

「なるほど……。それに素材(・・)が多ければ多いほど、生産量も増えるしな……」

「正に、仰る通りでございます」

 

 ウルベルトの独り言のような言葉に、デミウルゴスが大げさなまでに大きく頷いてくる。

 彼らの言う“素材”とは、ウルベルトやモモンガやペロロンチーノが捕らえてきた人間たちのことである。

 元・陽光聖典のメンバーやペロロンチーノとシャルティアが捕えた“死を撒く剣団”という賊に成り果てた傭兵集団の人間たち。加えて、今ではモモンガやウルベルトが冒険者やワーカーの仕事で捕えた賊やエルヤー・ウズルスなども新たに仲間入りをしていた。総数約70人弱といったところだが、今後のことを考えればまだまだ少ないと言えるだろう。

 ウルベルトは天幕の奥へと足を踏み入れながら、至る所で繰り広げられている皮剥ぎ作業を興味深げに見つめていた。

 天幕の中はいくつもの布で区切られており、小さな部屋が幾つも連なっているような造りになっている。拘束具付きの大きな台座と作業台が全ての部屋に完備されており、悪魔たちが働く職場としては非常に良い環境であると言えるだろう。その証拠に、皮剥ぎを執行している悪魔たちも心なしか活き活きとしているように見える。

 複数の悲鳴をBGMに悪魔たちの作業を眺める中、不意に皮を剥がされていた人間の男の一人と目が合った。切れ長な双眸を驚愕と恐怖に大きく見開かせ、悲鳴を上げるのも忘れて呆然とこちらを見つめている。

 男の視線と表情の意味が分からず思わず小首を傾げる中、他の人間たちもウルベルトたちの存在に気が付いたようだった。デミウルゴスたちの姿に小さく悲鳴を上げ、ウルベルトの姿に途端に哀願の表情を浮かべてくる。

 

「……あ…あぁ……、た、たすけ、て……くれ……。たすけ……」

「たの、む……、も……う、いや……だ……。……いや……」

 

「………至高の御方に哀願するとは身の程知らずが……。『今すぐ口を閉じ、額付いて動くな』」

 

 瞬間、デミウルゴスの〈支配の呪言〉が発動し、この場にいる全ての人間が自分たちが乗っている台座の上で額付いて動かなくなる。

 デミウルゴスは未だ不機嫌そうな表情を浮かべたまま、ウルベルトに向き直って深々と頭を下げてきた。

 

「家畜の躾もできておらず、大変申し訳ございません、ウルベルト様」

「いや、それは構わないのだが……。そもそも何故彼らは私に助けを求めたのだろうねぇ?」

「それは……、恐れながら今のウルベルト様のお姿を見て、人間(同種)と勘違いをしたのではないかと……」

「ああ、なるほど」

 

 デミウルゴスの言葉に、ウルベルトは納得して一つ頷いた。

 確かにウルベルトは未だ人化の魔法を解いてはおらず、見た目は人間そのものとなっている。これでは勘違いされても仕方がないことだろう。

 ウルベルトは小さく肩を竦めると、次には人化を解いて本来の山羊頭の悪魔の姿へと戻った。

 モノクルで飾られた金色の瞳を細めさせ、残虐にも慈愛にも感じられる深い笑みを浮かばせる。

 

「いらぬ勘違いをさせて、無用な希望を抱かせてしまったか……。彼らには可哀想なことをしてしまったねぇ」

「何を仰られます! このような下等な者どもにウルベルト様が慈悲をかけられる必要などございません! 元より、至高の御方々に身を捧げられる栄誉を賜りながらもそれを理解できず、あまつさえ慈悲を乞うなどと、身の程知らずも甚だしい……」

「フフッ、ありがとう、デミウルゴス。だが、折角素材として手に入った大切な資源なのだから、不敬だからと言って殺してはならないよ。最後の最後まで大切に使ってあげなくてはね」

「あぁ、何と慈悲深く、お優しいのでしょう。全てはウルベルト様の仰せのままに」

 

 デミウルゴスが感極まったような声を上げ、その場に跪いて深々と頭を下げてくる。彼の後ろではトーチャーたちも同じように傅いており、大げさな彼らの反応にウルベルトは内心で苦笑を浮かばせた。

 このままここにいては作業の邪魔になるだろうとウルベルトはデミウルゴスたちを立ち上がらせて次へと促す。

 デミウルゴスは素早く立ち上がって一つ礼をとると、天幕の出口へと移動しながら次の場所へとウルベルトを案内した。

 皮の鞣し作業を行っている天幕や、人間たちの食糧を調理している天幕。畜舎用の小振りな天幕。その他にも、更なる良質な皮への実験研究や交配実験を行っている天幕にも案内された。

 因みに少し離れた場所にも小さな天幕が一つだけ建てられているのだが、そこでは少し前にデミウルゴスの元に送られた薬師のリイジー・バレアレとンフィーレア・バレアレの両名が大人しく従順にポーション作製の研究に没頭していた。彼らの傍らには複数の男淫魔(インキュバス)女淫魔(サキュバス)たちが常在しており、付きっ切りで彼らのサポートや世話を焼いている。すっかり彼らの虜となり、言われるがままになっている様はもはや完璧な操り人形のよう。身も心も悪魔となったウルベルトですら彼らの成れの果てを目にした瞬間、無言で天幕の布を閉ざしたほどだった。

 何はともあれ、同時進行で数多くの仕事をこなしているデミウルゴスや悪魔たちの働きぶりに、ウルベルトは心の底から感心させられた。また、素材用の人間をもっとほしいと言うデミウルゴスの言葉にも大いに納得させられる。

 確かにこのような状況では、人間が何人いても足りないだろう。

 ウルベルトは長く豊かな顎鬚を片手で弄びながら、何か良い案はないだろうかと思考を巡らせた。

 今の状況と今後を考えれば、これらの問題は早期に解決した方が良いに決まっているのだ。

 さて、どうしたものか……と思考をこねくり回し、ふとある考えが頭を過ってウルベルトは顎鬚に絡ませていた指の動きを止めた。ウルベルトが何事かを考え込んでいると察して大人しく黙っていたデミウルゴスへと金色の瞳を向ける。

 

「………デミウルゴス、確かこの辺りには多くの亜人共の縄張りがあり、その奥には人間の国があると言っていたな?」

 

 以前、定例報告会議でデミウルゴスやモモンガが言っていた情報を思い出しながら、傍らに立つ悪魔へと問いかける。

 

「はい。ここを縄張りとしていた豚鬼(オーク)共の他に、恐らくは十種類以上の亜人種が生息していると思われます。また、南には広大な森が広がり、東側にはスレイン法国が、そして西側にはローブル聖王国と呼ばれる人間の国がございます」

「なるほど。この辺りの亜人たちに対しては、この地を縄張りにしていたオーク共以外にはまだ手を出していないのだったな……」

「はい」

 

 まずは情報を整理するため、デミウルゴスに質問しながらこれまでの経緯や現状を確認していく。それでいて先ほど思いついた考えも頭の中で整理すると、顎鬚を弄ぶ指の動きを再開させながら小さく目を細めさせた。

 

「………デミウルゴス。お前には魔王の存在を創り出す任務も与えていたな」

「はい」

「では……、まずは魔王として、このアベリオン丘陵に棲む亜人共を全て支配下におけ。その後、その亜人共を使って丘陵近くに住まう人間の村や通りがかった人間たちを襲わせ、貢物として献上させろ」

「なるほど……。人間側にはあくまでも亜人共の仕業だと思い込ませるのですね」

「そういうことだ。尤も、痕跡を残さないことが大前提だがね。もし捜索の手が伸びたとしても、疑われるのは亜人共のみという二重の備えだとでも思っておきたまえ。……一応、今度の定例報告会議でモモンガさんたちにも相談するつもりだが、いつ許可が出ても良いようにすぐに動けるように準備だけはしておけ」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスがうっそりと深い笑みを浮かべ、深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトはそれを横目に見つめながら、魔王用の装備を早めに完成させないとな……と呑気に考えるのだった。

 

 




*今回の捏造ポイント
・男淫魔《インキュバス》;
女淫魔《サキュバス》の男バージョン。
原作にはサキュバスしか出ておらずインキュバスは出てきていないのですが、『サキュバスがいるならインキュバスもいるだろ!』てことで、今回ちょこっとだけ出しました。


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第39話 契約

 世界が闇に染まり始めた宵の頃。

 帝都アーウィンタールの高級住宅街にて、既に人通りが殆どなくなった大きな道を一つの細い影が足早に歩いていた。

 全身を漆黒のローブで覆い、しかしローブの上でも分かる華奢な身体つきは、その人影が女であることを示している。女が放つ気配は非常に薄く、足音も微かにしか聞こえない。気配も音も全てを極力消しながら、女は住宅街の奥へ奥へと歩を進めていた。

 やがて彼女が足を止めたのは、一軒の古びた大きな屋敷。

 既に住む者も管理する者もいなくなり空き家となって久しいその屋敷へと、女は迷いのない足取りで敷地内へと足を踏み入れていった。

 向かうのは正門玄関ではなく、裏手にある使用人用の出入り口。

 女は一度注意深く周りに視線を走らせると、次には扉に手を掛けて素早く中へと滑り込んで扉を閉めた。

 中は完全な闇色に包まれ、当たり前ではあるがひどく埃っぽい。

 女は厳重に扉に鍵をかけると、見え辛い視界と呼吸し辛い空気にローブの奥で顔を大きく顰めさせた。何度か目を瞬かせ、目が暗闇に慣れるのを待つ。暫く後、漸く少しだけ見えやすくなった視界に、女は気を取り直して屋敷内へと足を踏み入れていった。

 注意深く周りを見回しながら進む中、不意に二階から小さな光が零れていることに気が付いてそちらへと目を向ける。少しの間二階を見上げ、徐に階段へと足を掛けた。

 ギシギシと軋みを上げる階段を慎重に踏み締めながら、光が漏れている部屋へと近づいていく。

 微かな光が漏れているのは階段のすぐ目の前にある部屋で、女はそちらへと歩を進めた。頑丈そうな扉の前まで辿り着き、徐に片手を挙げて控えめに扉をノックする。

 数秒後、扉が内側からゆっくりと開かれ、現れた細い隙間から仮面の男がこちらを覗き込んできた。男は女を暫く見つめ、次には隙間から姿を消して扉が大きく開かれる。

 一気に開けた視界と勢いよく溢れ出てくるオレンジ色の光に、女は少し躊躇するような素振りを見せるものの、次には意を決するように室内へと足を踏み入れた。

 女の背後で仮面の男が扉を閉める音が聞こえてくる。しかし女は背後を振り返ることなく、ただ目の前の光景に目を小さく細めさせた。

 彼女の目の前にいたのは美しい男と美しい女。

 男は室内にある二つの内一つの椅子に優雅に腰かけ、柔らかな笑みを浮かべて女をじっと見つめていた。

 蝋燭のオレンジ色の光に濡れ染まる白い髪と、モノクルに飾られた金色の瞳。浅黒い肌はオレンジ色の光によって更に色を濃くさせており、まるで男が闇の人外か何かであるかのように見せている。

 男の傍らには白皙の美貌を誇る絶世の美女が控えるように立っており、無表情のまま静かに女を見つめていた。

 

「……こんばんは、レイナース・ロックブルズ殿。このような場所にご足労いただき、ありがとうございます。さぁ、まずはお座りください」

 

 男が向かい合うような形で置かれているもう一つの椅子を示して招いてくる。

 女は……帝国四騎士“重爆”のレイナース・ロックブルズは、ゆっくりと椅子に歩み寄りながら深く被っているローブへと指をかけて勢いよく剥ぎ取った。

 長く美しい金色の髪と、長い前髪に右半分が隠された美しい(かんばせ)が姿を現す。翡翠色の左眼も露わとなり、レイナースはゆっくりと椅子に腰掛けながら睨むように鋭く男を見つめた。

 鋭い翡翠色と柔らかな金色が、宙で鋭く甘く混じり合う。

 レイナースの目前で、男は美しい顔を妖艶に微笑み歪ませた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時は少々遡り……――

 デミウルゴスと別れたウルベルトは、一度ナザリックに戻った後にすぐに帝都アーウィンタールへと再び発った。

 ユリやニグンと合流し、次にウルベルトが向かったのは帝都の高級住宅街。

 煌びやかで大きな屋敷が並ぶこの区画は、しかし今やその殆どが無人であることをウルベルトたちは知っていた。

 元々は多くの貴族たちが住んでいたらしいが、現皇帝である鮮血帝の政策により多くの無能な貴族たちが排除され、それに伴い必然的に彼らの住んでいた多くの屋敷が空き家となった。今もなかなかに人材不足であるらしく、新たな主人を得られぬ空き屋敷が多くあるらしい。

 そんな数多くある無人の屋敷の中でウルベルトが足を踏み入れたのは、住宅街の中でも一際奥まった箇所に建てられた一つの屋敷。

 ウルベルトたちは迷いなく敷地内へと足を踏み入れると、徐に〈飛行(フライ)〉の魔法を自分たちにかけて上空へと舞い上がった。屋敷の二階部分の窓へと近づき、窓を開けて室内へと入り込む。

 中は当たり前ではあるがひどく埃っぽく、足を踏み入れたと同時にユリが大きく顔を顰めさせた。

 

「……以前掃除したというのにもうこんなにも埃が…。ウルベルト様、今すぐ綺麗にいたしますので少々お待ちください」

 

 以前この屋敷を見つけた際に使用した掃除道具一式は、隣の部屋で見つからないように保管してある。一礼と共にニグンと共に掃除道具を取りに向かったユリの背中を苦笑と共に見送りながら、ウルベルトは近くに置いてあった椅子へと歩み寄っていった。手で軽く埃を払い、そのまま深く腰掛けて足を組む。

 両手で掃除道具を握りしめながら戻って来たユリとニグンが早速掃除を始めたのを横目に、ウルベルトはほどほどにするように言葉をかけるだけに留めた。

 普通であればあまり痕跡が残るような行動は起こさない方が良いのだが、しかし多くの埃が舞っては厚く地面に積もっているような空間において、何も痕跡を残さないというのもまた無理な話である。ならばいっそのこと不自然に思われようが自分たちに繋がる痕跡を綺麗に全て消し去った方がまだマシだ。そのためウルベルトたちは敢えて自分たちが使う部屋のみ徹底的に掃除をすることにしていた。

 

 

「……ですが、この屋敷の二階の窓に鍵がかかっていなかったのは不幸中の幸いでしたね」

 

 テーブルの埃を拭き取りながら、ニグンが不意に小さく呟いてくる。

 彼の言う通り、ウルベルトたちがこの屋敷を第二のアジトとして選んだ理由は二階の窓の鍵がこの屋敷のみ開いていたからという全くの偶然からくるものだった。例え鍵がどこも開いていない屋敷しかなかったとしてもどうにか侵入方法を見つけて第二のアジトとして活用していたであろうが、しかしそうであった場合、第二のアジトがこの屋敷でなかった可能性は大いに高い。そういう意味では、ニグンの言葉通り“不幸中の幸い”と言っても間違いではないのかもしれなかった。

 

「……まぁ、確かにな。尤も、こうも埃が溜まりやすいのは考えものだがね」

 

 小さな笑みを浮かべながら、半分冗談ながらも肩を竦ませる。

 どう返答したものか測り兼ねてニグンが微妙な笑みを浮かべる中、ハイスピードで掃除をこなしている手を止めてユリが生真面目な表情でこちらを振り返ってきた。

 

「では、新たな屋敷を捜索いたしましょうか?」

「いや、この屋敷で構わないよ。それに、どの屋敷も埃問題は同じだろうからね」

 

 どこまでも真面目なユリの姿勢に思わず小さな苦笑を浮かべてしまう。とはいえ、はっきり断りを入れておかなければ本気で探しに行きかねないため、それを止めることを決して忘れてはならなかった。“やはりこの屋敷は御身に相応しくない”という進言という名の苦言を柔らかく諌めながら、みるみるうちに綺麗になっていく部屋の中で待ち人を待つ。

 掃除も無事に終わってユリが蝋燭に火をつけてから数分後、漸くノックの音と共に待ち人であるレイナースが現れ、今ウルベルトは彼女と向かい合うような形で笑みを浮かべていた。

 

 

「……まずは確認ですが、ここに来る姿を誰かに見られていたりなどはしていませんか?」

「ええ、勿論。誰にも見られないように細心の注意を払いましたわ」

「それは結構。今あなたと私たちとの繋がりがバレてしまっては、誤魔化すのも面倒ですからね」

「……………………」

「それで……、私たちがあなたをお呼びした用件は既に分かっていると思います。先日の提案への返答を聞かせて頂けますか?」

 

 睨むようにこちらを見つめてくるレイナースへと、柔らかな微笑みと共に問いかける。

 レイナースは暫く無言でウルベルトを見つめていたが、数十秒後に漸くゆっくりと口を開いた。

 

「……はっきり言って、あなた方の手を取ることを今でも迷っておりますわ。私は既に皇帝陛下と契約を交わしている身。唯のワーカーと皇帝陛下、どちらの方が私の願いを叶えられる可能性が高いのか考えれば、皇帝陛下の方が確率は高いと思わざるを得ません」

「なるほど、あなたのご意見も尤もです。……それでもここに来たということは、少しの可能性でも縋りたいという気持ちがあるからですか?」

「………否定はしませんわ」

 

 ここで初めてレイナースがウルベルトから視線を外し、目を伏せてポツリと小さく呟く。

 ウルベルトは暫くそんな彼女の様子を眺めた後、誰にも気づかれないようにそっと小さく息をついた。少しでも余裕そうに見えるように椅子の肘掛にそれぞれ両肘をつき、胸の前で両手を組み合わせる。

 

「それでは、まずはあなたの悩みの種(・・・・)を詳しく見せて頂けませんか?」

「っ!!」

「その顔の呪いが我々に解けるのかどうか……、詳しく見せてもらわねば治せる術があるかどうかも判断できないでしょう?」

 

 ウルベルト側からすれば当然の申し出。しかし女であるレイナースにとっては非常に勇気のいる言葉だった。

 誰が好き好んで醜くなった自身の姿を他人に見せたいなどと思うだろう。

 しかし理性的な彼女は、ウルベルトの申し出がどこまでも正しく、これを拒むことが自分にとってどれだけ愚かなことであるのかを理解していた。

 

「………良いでしょう。お見せします」

 

 まるで親の仇にでも挑むような形相で言ってくるレイナースに、思わず苦笑を浮かべそうになってしまう。しかしウルベルトはそれをグッと堪えると、一つ頷いて椅子から立ち上がった。レイナースへと歩み寄りながら、ニューロニストから一時回収して懐に仕舞っておいた自身の主装備の一つであるペストマスクの片仮面“知られざる(まなこ)”を取り出す。ウルベルトは着けていたモノクルを外すと、“知られざる眼”を装備して未だ椅子に腰かけているレイナースを見下ろした。どこか怯えたように瞳を揺らめかせている彼女に、意識して柔らかな笑みを浮かべてみせる。

 

「……それでは、少し失礼しますよ」

 

 一言短く断りを入れると、ウルベルトはそっとレイナースの顎に指をかけ、見やすいように上へと傾けさせた。顎を掴んでいる右手に少しだけ力を込めて顔を固定させ、左手で彼女の顔右半分を覆い隠している長い前髪をかき分ける。

 瞬間、目の前に現れた“それ”にレイナースはビクッと肩を震わせ、ウルベルトは小さく目を細めさせた。

 目前に晒されたレイナースの顔右半分は、正にひどい有様だった。

 全体的に痣のように黒く変色しており、肌自体はまるで火傷をしたかのように酷く歪で爛れたように歪んでいる。肌の至る所からは黄色く濃い膿が止めどなく溢れだし、膿特有の異臭を放っていた。

 今にも流れて零れ落ちそうになっている膿を見やり、咄嗟に懐からハンカチを取り出してそれを優しく拭ってやる。

 瞬間、まるで怯えるようにビクッと震えるレイナースに気が付いて、ウルベルトは思わず小さな笑い声を零していた。

 

「ロックブルズ殿、宜しければあなたの事を教えて頂けませんか?」

「………私の事? それに、何の意味があるというのですか?」

「どのような環境で育ったのか、この呪いをあなたに与えたのはどんな魔物だったのか、見た目以外の症状はあるのか、これまでにどんな治療を試みたのか……。一見関係のない様な情報でも、思わぬ発見があるものです。何が呪いを解く鍵になるか分からない……、そうではありませんか?」

「……………………」

 

 “知られざる眼”を発動させながら、ウルベルトはまるで幼い子供を諭すように言い聞かせる。

 ウルベルトとしては少しでも彼女の情報を手に入れて手駒にする手札を増やすために提案したことであったのだが、しかしレイナースの方はウルベルトの言い訳に納得してくれたようだった。

 目をきつく閉じながらもポツリポツリと自分のことを話しだす彼女は、正に藁にも縋りたいと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

 レイナース・ロックブルズ。

 恐らく彼女は、もともと正義感の強い女性だったのだろう。領地や人々を守ることを誇りとし、恐らくは親族や婚約者、そして領地に住む人々のことを愛していたのだろう。

 だからこそ、裏切られた時の反動が大きく強かった。

 彼女の話によると、彼女の領地は緑豊かな場所で森も多くあったらしい。彼女に呪いをかけた魔物は森の奥地におり、虫のような姿形をしていたという。

 魔物の外見や生息地、呪いの効果などを詳しく聞きながら、該当する魔物がユグドラシルにいなかっただろうかと思考を巡らせる。

 それでいて、悲惨とも言える境遇ながらも憎しみと怒りと希望を持って生きている彼女の生き方に、ウルベルトは知らず純粋な感心を覚えていた。

 

 

「……私は…、あなたはとても美しいと思いますよ」

「っ!? ……なっ、何を、急に……!!?」

 

 まるで悲鳴のように驚愕の声を上げてくるレイナースに、ウルベルトは逃がさないように顎を持つ手に少しだけ力を加える。それでいて再び溢れて流れそうになっている膿に気が付き、ハンカチの先ほどとは違う面で再び優しく拭ってやった。

 

「……人間は、一度どん底に突き落とされた後にどういった行動を取るかで価値が決まると私は考えています。あなたは前に進むために、自分の力でここまで駆け抜けてきた。例え最初は憎しみと怒りだけの行動であったとしても、今はそうではないでしょう? そんなあなたを、私はとても美しく思いますよ」

 

 呪いを受けてからのレイナースの生き方は怒りと憎しみに囚われた親族や婚約者たちへの復讐。それを成し遂げた後も、呪いを解くためには手段を択ばないという自己中心的で苛烈なものだった。

 決して美しいと呼べるものではないだろう。

 しかし少なくとも悪魔となったウルベルトにとっては、とても愉快で、滑稽で、そして美しく感じられるものだった。

 

「私としてはそこまで卑下する必要はないと思いますがね。……まぁ、女性としては顔に呪いを受けているというのは許し難いものではあるのかもしれませんが」

 

 ウルベルトは徐にレイナースの顎から指を離すと、横に流していた長い前髪を引き寄せて彼女の顔右半分を隠してやる。

 それでいて踵を返すと、自身の椅子へと歩み寄って、そのまま深く腰を下ろした。

 

「……では、あなたが一番気になる話に戻りましょうか。率直に申し上げて、“それ”は厳密に言えば呪いではありません。そして……私たちであれば、“それ”を治すことは可能です」

 

 ウルベルトの言葉に、レイナースは呆然とした表情を浮かべる。しかしすぐに我に返ると、少し混乱した表情を浮かべながらもこちらに身を乗り出してきた。

 

「これが呪いではないというのはどういう……! い、いえ、それよりも……、本当に治すことが可能なのですか!?」

「ええ。準備する時間を頂ければ、すぐに治すことは可能ですよ」

 

 あまりにもあっけらかんと簡単そうに言ってのけるウルベルトに、レイナースは再び呆然とした表情を浮かべてくる。

 彼女にとって、それだけ衝撃的な言葉だったのだろう。

 ウルベルトは膿に塗れたハンカチをくるむように折り畳んで懐に納めながら、レイナースが我に返るのを呑気に待っていた。

 やがて再び我に返ったレイナースが勢いよく椅子から立ち上がってくる。

 

「なら早く、この呪いを……っ!!」

「それには条件があったはず。お忘れですか?」

 

 ウルベルトによって言葉を遮られ、レイナースは咄嗟に口を噤む。力が抜けた様に再び椅子に座り込み、しかし頭はめまぐるしく回転しているのだろう。

 大人しく返答を待つウルベルトに、暫くしてレイナースは睨むような視線と共にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………良いでしょう。あなたと手を組みます」

「では……――」

「ただし! もし先ほどの言葉が虚言であった場合は、問答無用でその命を頂きますわ」

「ええ。勿論、心得ていますよ」

 

 殺気立った目で脅してくるレイナースに、ウルベルトはどこまでも穏やかで柔らかな笑みでそれに応える。

 二人は暫く無言で見つめ合っていたが、レイナースが目を伏せて視線を断ち切ったことでそれは終わりを迎えた。

 次に決めなければならないのは詳しい契約内容。

 レイナースは呪いを解いてもらう代わりにウルベルトの内通者となって動くことは決まってはいたが、その期限や詳しい行動内容までは決まってはいなかった。

 

「……とはいえ、正直に言って私を内通者にしてもあまり意味はないと思いますわ。私は機密情報はあまり触れさせてもらえませんから」

 

 その時、不意にレイナースから呟かれた言葉。

 そのあまりにも予想外の言葉に、ウルベルトは意味が分からず思わず首を傾げさせた。

 

「……? ですが、あなたは曲がりなりにも帝国四騎士の一人なのでしょう? 機密情報に一切触れないというのはあまりにも不自然ではありませんか?」

「ええ、普通はそうでしょうね。ですが、陛下は私の性格をよく理解しておりますので。今回のように部外者と手を組む可能性の高い私に、機密情報に触れさせるような愚を犯すほど陛下は甘い人間ではありませんわ」

「………私が言うのもなんですが、国を担うはずの四騎士の一人がそれでいいのですか……?」

「まぁ、私も当然だと思っておりますし……、仕方がないことだと理解しておりますわ」

 

(それもどうなんだっ!?)

 

 思わず声を上げそうになり、しかしウルベルトは寸でのところで何とか押し留まった。レイナースを裏切らせた自分が言えるようなことではないと自分に言い聞かせ、何とか平静を装う。

 どう考えても人選ミスをしたことに頭を痛めながら、しかしウルベルトは気を取り直して違う方向へと思考を巡らせた。

 

「……では、あなたの他に機密情報にも手を出せてこちらに寝返りそうな人物はいませんか?」

「探せばいるかもしれませんが……。そもそもあなた自身がこちら側に来てはどうなのですか? もう気付いていると思いますが、陛下はあなた方を手に入れたがっています。それを利用して内部に侵入し、欲しい情報を入手した方が手っ取り早いように思えますが」

 

 レイナースからの提案に、しかしウルベルトは嫌そうに顔を大きく顰めさせた。

 

「……残念ながら、その気は全くありませんね。私は自由を好むので、誰かの下につくなど願い下げです」

 

 まるで切って捨てるように言うウルベルトに、レイナースは小さく首を傾げながらウルベルトをじっと凝視してきた。その目は、どこか観察するようにウルベルトを見つめている。

 

「……まぁ、そうであれば難しいかもしれませんわね。そもそも、私はあなたにそこまでの実力があるのかも疑問なのですけれど」

 

 こちらに喧嘩を売っている……と言うよりかは、素直な感想なのだろう。

 ウルベルト自身、今の自分の姿がお世辞にも強そうに見えないことは理解している。

 とはいえ、言われっぱなしというのも性に合わなかった。

 

「これでも腕には少々自信があるのですがね……」

「あなたは魔法詠唱者(マジックキャスター)であると聞いていますわ」

「ええ、間違いありませんよ。私は魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

「……私は戦士ですので、それもあってあなたの強さを判断しかねる部分もあるのでしょうけれど……。あなたからは何も見えなかったとも聞いておりますわ」

「何も見えなかったとは? それに、誰がそんなことを言ったのですか?」

「……フールーダ・パラダインという人物を知っていますか?」

 

 レイナースの口から出てきた名前に、ウルベルトは思わず目を細めさせる。

 それをどう判断したのか、レイナースはフールーダ・パラダインという人物についてと、先ほどの言葉をどういった場面で口にしたのかを説明し始めた。

 彼女の語るフールーダの情報は既にウルベルトたちも知っているものばかりだったが、とはいえ知らなかった情報が全くなかったわけでも決してなかった。

 彼女の話によると、ウルベルトたちが初めてバジウッドたちに呼ばれて対面した時、隣の部屋には皇帝であるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスとフールーダ・パラダインが控えて自分たちの会話を盗み聞いていたらしい。その際、フールーダは会話を盗み聞くだけでなく、ウルベルトたちが屋敷内を移動している時などに影から様子を窺っていたのだという。

 フールーダは自身の持つ“生まれながらの異能(タレント)”によって魔法詠唱者(マジックキャスター)が身に纏っている常人には見えぬオーラを見ることができ、それによりその人物が何位階までの魔法を使用できるかも見ることができるらしい。しかし、フールーダはウルベルトに対して何も見ることが出来なかった。彼が見ることが出来るオーラは魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)のもののみであったため、もしかすれば魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないのかもしれないという意見が当時出たのだが、それは先ほどのウルベルト本人の言葉によって否定された。

 後考えられることは、ウルベルトが嘘をついているか、或いは探知系の能力を妨害する何らかの手段を取っているということだけ。

 しかし、どちらにせよレイナースにとっては納得できかねるものだった。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)であるかないかなど、嘘をついてもすぐにばれる様なものである。

 また、探知系の能力に対する妨害など、レイナースにとってはする意味が分からなかった。

 力を誇示し、他者に示すことは決して無駄なことではなく、逆に大いに意味があることだ。レイナース自身も、実際に自身の力を堂々と他者に示してきたのだ。

 だからこそウルベルトの行動も真実も何も見えず、ウルベルトの力を測り兼ねていた。

 しかしウルベルトにとっては知ったことではない。逆に探知系の対策をしていないなど考えられないことだった。

 

「彼のフールーダ・パラダインが私のオーラを見ることが出来なかったのは、探知妨害のアイテムを装備しているからですね。私は正真正銘の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ですよ」

「何故そのようなことをしているのですか?」

「私からすれば、逆に探知能力に対しての対策をしていない方が考えられませんね。戦いに身を置く以上、ありとあらゆる情報が戦況を左右します。相手に情報を渡さないのは基本中の基本ですよ」

 

 まるで生徒に教える教師のように説明するウルベルトに、しかしそれでもレイナースはピンときていないようだった。訝しげな表情を浮かべる彼女の様子に、早々に説明することを諦めて緩く頭を振る。押し黙って一つ息をつくウルベルトに、レイナースも理解することを諦めたのか、気を取り直したように新たな疑問を投げかけてきた。

 

「……それでは、実際にあなたはどのくらい強いのですか?」

「強さを言葉で伝えるのは非常に難しいのですが、そうですね……。取り敢えず、第五位階魔法まで使うことはできますよ」

「っ!?」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にレイナースが驚愕に目を見開いてくる。その顔には『信じられない!』といった言葉がありありと浮かんでいた。それでいて何かを考え込むように神妙な表情を浮かべてくる。

 レイナースは暫く顔を顰めさせて黙り込んだ後、次にはこちらに目を向けて徐にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………もしそれが本当なら、フールーダ・パラダインに接触することくらいはできるかもしれませんわ」

「……ほう……」

 

 彼女の言葉に、ウルベルトは小さく目を細めさせる。

 無言のまま先を促すウルベルトに、レイナースは未だ何かを考えながら言葉を選ぶように先を話し続けた。

 

「……フールーダ・パラダインは英雄の領域を超えた逸脱者であり偉大な魔法使いであるというのが世間での認識ですけれど、私からすれば魔法にとりつかれた唯の狂人ですわ」

 

 そんな言葉から始まったレイナースによるフールーダ・パラダイン解説。

 あまりの言い様にウルベルトも最初は唖然となったものだが、話を聞くにつれてレイナースの意見にも納得させられた。

 彼女の話によると、フールーダ・パラダインという男はまさしく“魔法にとりつかれた男”という言葉に相応しい存在であるらしかった。

 三系統の魔術を組み合わせた儀式魔法などによって寿命を延ばしていることはウルベルトも知っていたが、その理由は“魔法の深淵を覗くため”というもの。魔法による探究心は大したものでありウルベルトも素直に感心できるものであったが、それに続いて語られるありとあらゆるエピソードに関してはドン引きするものが殆どだった。

 東に高名な魔法詠唱者(マジックキャスター)がいると聞けば仕事を放って話を聞きに行き、西に不可思議な魔導書があると聞けば、どんな手を使ってでも手に入れて一か月以上部屋にこもり……といった具合に、“魔法”のためならば手段を択ばない度を越した行動の数々。加えて皇帝や自身の弟子の前で本性を現した時の様子を次々に語って聞かされては、否でもレイナースの評価に頷く他ない。

 正に狂人そのものであり、こちらの本性を明かしたり、第十位階どころか超位魔法まで使えることを明かしたなら、即懐柔できそうな予感がヒシヒシと感じられた。

 

 

「――……ですから、その若さで第五位階魔法まで使えるのであれば興味は持たれると思いますわ。後は、そこから上手く交流を深められれば情報を聞き出すことも、もしかすれば可能かもしれません……」

 

 何も知らぬレイナースは、ウルベルトの様子にも気づかずに自分なりの考えを語っていく。それを頭の片隅で聞きながら、ウルベルトはフールーダに手を出すべきかどうか考え込んだ。フールーダを懐柔する方法も兼ねて、一度モモンガとペロロンチーノに相談した方が良いかもしれない。

 ウルベルトは考えをまとめると、レイナースが言葉を切るタイミングを見計らって口を開いた。

 

「なるほど。あなたの言い分は良く分かりました。フールーダ・パラダインについては少し考えさせてください。取り敢えずはあなたが知り得る限りで情報を収集して私に報告して頂ければと思います」

「……では、いつまでそれを続ければ宜しいのかしら?」

「それも、フールーダ・パラダインの件と一緒にお伝えしようと思います。そうですね……、遅くても三日後までには返答をお伝えしましょう」

「………分かりましたわ」

 

 一瞬レイナースの細い眉がピクッと反応するものの、次には静かな了承の言葉が返ってくる。

 ウルベルトはそれに一つ頷くと、“知られざる眼”を外してモノクルを着け直した。“知られざる眼”を懐へ納めた後、無言のまま勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「それでは、今夜はそろそろお暇をさせて頂きます。ロックブルズ殿も道中はどうかお気を付けください」

「……言われずとも分かっておりますわ」

 

 ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべると、次には軽く一礼して一歩足を踏み出した。歩き始めたウルベルトに、ユリやニグンもその背に付き従う。

 ウルベルトたちはレイナースの横を通り過ぎて部屋の扉から廊下へと出ると、そのまま階段を下りて使用人用の裏口へと向かっていった。

 手で鍵を開け、そのまま屋敷の外へと出る。

 ゆっくりとした足取りで敷地内を歩きながら、自身の影に潜んでいる複数の影の悪魔(シャドウデーモン)の内の一体へと〈伝言(メッセージ)〉で命を発した。

 

『レイナース・ロックブルズが屋敷を出たら、二階の窓以外の鍵を全て閉めておけ。我々の痕跡が残らないように後始末も忘れるな』

『はっ、畏まりました』

 

 返答の声と共に、一つの気配が自身の影から消えていく。

 それに小さな笑みを浮かべると、ウルベルトはそのまま敷地内から道路へと足を踏み出していった。

 カツッカツッと靴音が高く大きく鳴り響き、静かな夜の闇に溶けるように消えていく。道の両脇には等間隔で〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の街灯が立ち並び、ウルベルトたちを闇の中から浮かび上がらせては沈ませるのを繰り返していた。

 石畳が敷き詰められて綺麗に整備された道だというのに、ウルベルトたち以外の人影は一つもありはしない。

 しかし不意に複数の視線を感じて、ウルベルトは歩いていた足を止めて視線を感じた先へと振り返った。

 視線を感じたのは、ちょうど真横に位置する屋敷の二階の窓。美しい装飾に飾られた縦長の大きな窓に、小さな二人の少女が不思議そうな表情を浮かべてこちらを覗き込んでいた。

 年の頃は大体五歳くらいだろうか。短い金色の髪に、夜の闇に暗く染まりながらも星や街灯の光にキラキラと輝く大きな瞳。恐らく双子なのだろう、二人の少女の顔立ちはひどく似通っていた。

 二人の少女はウルベルトと目が合うと、小さく首を傾げさせている。

 どこまでも無垢なその様子にウルベルトはクスッと小さな笑みを零すと、人差し指だけを立ててそっと唇の上に添えてみせた。それを見て、少女たちもまるで真似をするかのように人差し指を自身の唇に当てる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、唇に添えていた指を離しながら少女たちから視線を外し、止めていた足を再び動かし始めた。大股で歩を進めながら、再び足元の自身の影へと意識を向ける。影に潜んでいる気配の数を確認し、再びそれらへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

『先ほどの屋敷について探れ。それと、先ほどの二人の少女を監視し、我々のことを口にするようなら始末しろ』

『畏まりました』

 

 ウルベルトからの命に、更に影から二つの気配が離れて消えていく。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、ユリとニグンを引き連れて夜の闇へと消えていった。

 

 




レイナースの口調が分からない……(汗)
違和感などありましたら申し訳ありません………(土下座)
あと、レイナースさんの顔右側の描写はWeb版も組み合わせた捏造になります。
そしてレイナースさんに呪いをかけた魔物に関しては当小説での完全な捏造です。


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第40話 微かな変化

今回は悪魔親子の出番やペロシャルの色が濃い目となっております。
ご注意ください!(笑)


 深夜0時でのナザリック地下大墳墓。

 現在このナザリックを支配している三人の至高の主たちとナザリックを管理する主なモノたちが第九階層の円卓の間に集っていた。

 この世界に転移して来てから幾度となく開いてきた定例報告会議。

 最初の頃に比べれば大分報告内容は落ち着いてきており、それだけ土台が出来つつあることが窺える。

 しかし、今回は久しぶりに報告内容が濃いものとなっていた。

 参加しているのは至高の主であるモモンガとペロロンチーノとウルベルト。階層守護者及び領域守護者からはアルベド、シャルティア、コキュートス、アウラとマーレ、デミウルゴス、パンドラズ・アクター。その他にもセバスと一般メイドが三人そろっている。計十四もの異形たちが一つの部屋に集まっていた。因みにプレアデスのメンバーは全員が何かしらの任務や待機を言い渡されており、今回の定例報告会議には出席してはいなかった。

 恒例によってモモンガから順にペロロンチーノ、ウルベルトと報告を行っていく。

 モモンガからは冒険者としての揺るぎない立場の確立。

 ペロロンチーノからは第二のナザリック建設の進行状況。

 ウルベルトからはワーカーでの現在の立ち位置や武王との闘技場の演目出場について。そしてレイナース及びフールーダ・パラダインについて報告していった。

 

 

「――……それで相談なんだが、フールーダ・パラダインをこちら側に引き入れる方が良いと思うか?」

 

 報告の後に投げかけられた問いかけ。

 ウルベルトからの相談に、モモンガとペロロンチーノは黙り込んでそれぞれ考え込んだ。

 フールーダ・パラダインをこちら側に引き入れた場合のメリットとデメリット。そして生じるであろうナザリックやこの世界への影響。総合的に考えればこちら側に引き入れた方がメリットは高そうだったが、ウルベルトから語られるフールーダの奇行の数々にモモンガやペロロンチーノは肯定的な言葉を口にするのを躊躇ってしまっていた。

 

「……ウルベルト様、発言をお許し頂けませんでしょうか?」

 

 どこか重苦しい沈黙の中、それを破るように不意にデミウルゴスが声をかけてくる。

 無言のまま手振りのみで先を促せば、デミウルゴスは一礼と共に改めて口を開いてきた。

 

「フールーダ・パラダインという人間は、バハルス帝国では皇帝に次ぐ影響力を持った人物。これを手中に収められれば、もはや帝国を操ることも可能だと思われます。ウルベルト様のお話を聞く限りでは、一度懐柔できれば、裏切られる可能性も低いかと思われます」

「………まぁ、そうだろうな……」

 

 淀みなく語られるデミウルゴスからの言葉に、ウルベルトは小さく頷いて返す。しかし、その顔は相変わらず物憂げに翳りを帯びていた。

 フールーダが役に立つだろうことはウルベルトたちとて分かっている。問題なのは、これまで話に出てきた奇行の数々が自分たちに向けられるであろうことであり、『それが嫌なんだ!』とは口が裂けても言えなかった。

 しかしそんなウルベルトたちの心の声が聞こえた訳ではないだろうが、司会進行役に徹していたアルベドが小さく顔を顰めさせながら口を開いてきた。

 

「……デミウルゴス、そうは言うけれど、ウルベルト様のお話を聞く限りでは、フールーダ・パラダインとかいう男はナザリックに加わるには少々品位に欠けるのではないかしら? もしモモンガ様やウルベルト様に失礼なことをされたら、思わず頭を握り潰してしまいそうなのだけれど」

 

 どこまでも淡々と、それでいて凍り付くような声音でアルベドが苦言を口にする。最後の言葉などは、人間の感覚からすれば誰もがたちの悪いブラックジョークだと思うだろう。しかし、この場にいる全てのモノたちは、それが冗談なのではなく紛れもない本心だと言うことを知っていた。ナザリックのモノたちの感覚からすれば、当然の意見ですらある。

 案の定というべきか、反論を受けたデミウルゴスですら満面の笑みを浮かべて頷いていた。

 

「当然だとも。私とて、至高の御方々に不敬を働くような真似を許すつもりはありませんよ。しかし、彼の男に利用価値があることも事実……」

 

 デミウルゴスは一度言葉を切ると、次にはアルベドからモモンガたちへと向き直った。

 

「ウルベルト様、モモンガ様、ペロロンチーノ様。フールーダ・パラダインに関し、御方々の尊き御姿を拝見する機会を与えてやっては如何でしょう」

「「「っ!!?」」」

 

 デミウルゴスからの思わぬ提案に、モモンガたちはそれぞれ驚愕の表情を浮かべたり小さく息を呑んだ。

 

「……“尊き姿”というのは、つまり……本性を見せるということか?」

 

 何とか平静を装おうと内心四苦八苦しながらも、ウルベルトは慎重に言葉を選びながら問いかける。半分『何かの冗談か?』という気持ちで問いかけたそれに、しかしデミウルゴスは満面の笑みで頷いてきた。

 

「仰る通りでございます。フールーダ・パラダインに関しての目下の問題点は、裏切りの可能性と暴走時の対処が挙げられます。であれば、裏切れないように……そして不敬を働くべき相手ではないということを徹底的に思い知らせれば良いかと愚考いたします」

「……なるほど。敢えて至高の御方々の御姿を見せることで、その威光によってひれ伏せさせるということね」

 

 デミウルゴスに続いてアルベドが補足し、この場にいるシモベたちが一様に感心や納得したような声を上げてくる。

 しかしモモンガたちにとっては全く納得できかねるものだった。

 第一、自分たちの姿など威光を感じさせられるようなものでもなければ、相手をひれ伏せさせるような力も持ってはいない。精々ナザリックのモノたちに対してか、ひれ伏せられたとしてもそれは恐怖からくるものだろう。

 しかしモモンガたちはそれらを決して口には出さなかった。口に出したところで彼らから猛反論されるのは目に見えていたし、そうなった彼らを説き伏せられる自信もなかった。ただ無言のまま顔を見合わせ、視線でのみ意見を交わす。

 デミウルゴスやアルベドの意見について各々で思案し、最初に口を開いたのはペロロンチーノだった。

 

「………まぁ、良いんじゃないですかね? そのお爺ちゃんだけに明かすなら、そんなに大きな騒ぎにはならないだろうし……」

「いや、十分大きな騒ぎになると思うが……」

「でも、要はそのお爺ちゃんが俺たちの正体を他にばらさなければいいわけでしょう? なら、例えばお爺ちゃんの影に影の悪魔(シャドウデーモン)を潜ませて、何かあったら対処してもらえばいいんじゃないですか?」

「そうは言うが、シャドウデーモンは下位の悪魔だぞ。フールーダ・パラダインは英雄の領域を超えた逸脱者だという。いくらこの世界自体のレベルが低いからといって、油断は禁物だと思うがね」

「なら、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)ならどうですか? 彼らのレベルでなら十分だと思いますけど」

「……いや、しかし八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)は何かに身を潜められる訳ではないからな。フールーダに気付かれなかったとしても、他の者に気が付かれる可能性もある」

「う~ん……。そもそも、そのお爺ちゃんって本当に役に立つんですかね? これらの情報って、唯の又聞きの情報でしょう?」

「………ふむ、直接会って見極める必要があると?」

「その方が色々と手っ取り早いと思うんですけど……」

 

 シモベたちの目の前で、あーでもないこーでもないと意見を出し合って話し合う。

 時折守護者たちからも意見を聞き、そして最終的には、まず最初にウルベルトがフールーダと会って懐柔する価値があるかどうか見極め、もし価値ありと判断すれば積極的に引き入れることとなった。最終的な判断はウルベルトに一任され、懐柔方法については、場合によってはウルベルトの正体を明かす手段も含まれている。そうなった場合、シャドウデーモンと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)での徹底的な監視をすることも決定した。

 

「……では、ウルベルトさんはそのように動いてくれ」

「ええ、了解しました」

 

 最後はギルド長であるモモンガがウルベルトに声をかけ、ウルベルトが軽く一礼してそれに応える。

 ウルベルトの報告はこれで終わり、次に報告したのはアイテム作製チームのデミウルゴスだった。

 報告内容は主に、巻物(スクロール)の作製状況と実験結果。加えて薬師のバレアレ両名が作り出した紫色のポーションについてだった。

 差し出されたポーションは正しく紫色をしており、ユグドラシルでの赤いポーションには劣るものの、この世界での青いポーションに比べれば効果は著しく上昇している。

 この短期間での目を瞠る結果に、モモンガたちは思わず感心を通り越して呆然としてしまった。

 果たしてデミウルゴスが優秀なのか、それともバレアレ両名が優秀なのか、将又どちらも優秀だからなのか……。どちらにせよ、これは間違いなく褒美を与えねばならないレベルの結果と貢献度だろう。

 モモンガとペロロンチーノは互いに顔を見合わせると、ペロロンチーノは大きなため息をつき、モモンガは改めてデミウルゴスへと眼窩の灯りを向けた。

 

「……ご苦労だったな、デミウルゴス。この短期間でこれだけの成果を出すとは思わなかったぞ」

「ありがとうございます。しかし、これは全てあの二人の人間を下賜下さったモモンガ様とウルベルト様のご判断あってのことでございます」

「あー、いや、そうだな……。……まぁ、それは置いておいてだ。ここまでの結果を出してくれたお前には褒美を与えねばと考えている」

「そんな! 褒美などと!!」

 

 モモンガの言葉に、デミウルゴスは喜びに尾を激しく振りながらも恐縮したように声を上げてくる。

 しかしそれは、ウルベルトが小さく笑いながら手を軽く振ったことによって途中で遮られた。

 

「まぁ、聞きたまえ。私としては“これ”を褒美にするのもどうかとは思うのだがね……」

 

 そこで一度言葉を切り、ウルベルトはニタリと大きく口を歪ませる。

 

「先日話した巻物(スクロール)の素材確保の方法について、正式に許可を与える。魔王として施設周辺の亜人共を支配下に置き、その後、素材の確保を行え」

 

 以前、ウルベルトがデミウルゴスのアイテム作製施設に赴いた際に提案した、素材となる人間の捕獲案。前回の定例報告会議でも提案し、今まで保留となっていたのだが、今回漸くモモンガとペロロンチーノからお許しが出たのだ。

 待ちに待った許可に、デミウルゴスの笑みも大きく深くなる。

 デミウルゴスは右手を胸元に添えると、そのまま深々と頭を下げた。

 

「畏まりました。感謝いたします」

 

 デミウルゴスの感謝の言葉に頷くことで応えると、先に進めるようにウルベルトが軽く手を振ってアルベドを促す。アルベドはそれに一礼すると、ウルベルトに従って進行を再開させた。

 デミウルゴスに続いて報告を始めたのはアウラとマーレ。

 アウラは主に捕獲したザイトルクワエの分裂体についての報告を行い、マーレは主にカルネ村の復興状況や村人たちの様子について報告していった。

 ザイトルクワエの分裂体については、頭頂部の薬草はユグドラシル基準でも中々に価値のある物であると判明し、カルネ村の様子も良好であるようだった。

 

「薬草か……。それは一度摘み取ってしまってもまた生えてくるのかね?」

 

 長い顎鬚を弄びながら、ウルベルトがアウラへと目を向ける。

 投げかけられた問いに、アウラは満面の笑みを浮かべて大きく頷いてきた。

 

「はい! 一度摘み取ってもまた生えてくることは確認済みですので大丈夫です!」

「なるほど……。ならばアイテム作製の実験用に何束かデミウルゴスに別けてもらえるかな?」

「ウ、ウルベルト様……っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にデミウルゴスが感動したように身体を小刻みに震わせる。

 また始まったウルベルトによる親馬鹿行動にモモンガやペロロンチーノは内心で苦笑しながら、伺いを立ててくるアウラに一つ頷いて許可を与えた。

 アウラは満面の笑みを浮かべると、改めてウルベルトへと向き直った。

 

「分かりました、早急に準備します! デミウルゴス、後で取りに来てくれる?」

「ああ、分かった。感謝するよ、アウラ」

 

 アウラとデミウルゴスが微笑み合う光景に、まるで年の離れた兄妹を見るようで笑みが零れる。別段似ている容姿をしている訳でもないのだが、そう感じてしまうのは親のような目線で彼らを見ているためだろうか……。

 モモンガたち三人が内心ほんわかしている中、それに気が付いていないシモベたちは止まることなく会議を進めていった。

 アウラとマーレの次はコキュートスの報告である。

 彼の報告内容は主に蜥蜴人(リザードマン)たちへの支配状況であり、どうやら今のところ良い方向に向いているとのことだった。裏切ろうと目論むモノもおらず、第二のナザリック建設でも忠実に懸命に働いてくれている。

 何よりの報告に、モモンガたちは満足に大きく頷いた。

 この調子でいけば、コキュートスにも褒美として“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”を渡す日は近いかもしれない。

 モモンガたちはコキュートスに労いの言葉をかけると共に、何かあれば即座に報告するように注意を促すことも忘れなかった。それに、コキュートスはその場に傅いて了承の言葉を口にする。

 彼の報告は問題なく終わり、次に報告を始めたのは商人チームのセバス。

 商人チームの今回の報告内容は主に王国の貴族や軍部について。特に以前詳しく調べるよう命じていた王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフについてはより詳しい報告が成されていった。

 通常セバス率いる商人チームの報告方法は他のチームとは少し違った方法で行っているため、モモンガたちも最初の頃よりかは混乱することなく報告を聞けている。しかし、どうにも彼の様子が少しばかりおかしい様な気がして、モモンガたちは内心で首を傾げさせた。

 

『……どうしたんですかね? ちょっといつもと様子が違いませんか?』

『モモンガさんもそう思いますか? どうしたんでしょうね……、お腹でも痛いのかな?』

『竜人が腹痛って聞いたことないぞ……。いつもは一緒にいるソリュシャンが今回はいないから、それで違うように感じるんじゃないか?』

『ああ、なるほど。いつもはソリュシャンも一緒にこの会議に出席していましたもんね』

 

 セバスの報告が続く中、陰では〈伝言(メッセージ)〉でそんな会話を交わし合う。ウルベルトの予想にモモンガとペロロンチーノは納得しながら、その意識をセバスの報告へと戻して集中することにした。

 彼の報告を聞く限り、王国の王都に関しては大分情報が集まったように感じられる。そろそろ違う場所に移動させても良いかもしれない。

 セバスの報告を聞き終わると、モモンガはペロロンチーノとウルベルトに目配せをしてからセバスに向けて大きく一つ頷いた。

 

「ご苦労であった、セバス。どうやら王都に関しては大分情報が集まったようだな。……そろそろ別の場所に移動しても良いかと思うのだが、どうだ?」

 

 モモンガからの問いかけに、何故かセバスは大きく目を見開かせる。見るからに驚いているその様子に、モモンガたちは思わず小さく首を傾げさせた。何故こんなにも驚いているのだろう……と疑問に思う中、こちらが問いかけるよりも先にセバスが口を開いてくる方が早かった。

 

「……モモンガ様、恐れながら王都に関しましては未だ情報を入手しきれていない区画もございます。もう少しお時間を頂くことをお許し頂けないでしょうか?」

 

 深々と頭を下げて懇願してくるのに、更に首を傾げそうになってしまう。彼らの頭の中には『まだ調べていない区画ってあったのか?』や『王都って結構広いんだな~』という言葉が浮かんでは渦を巻いている。とはいえ、この場で一番王都に詳しいであろうセバスが言うのであれば、恐らくそうであるのだろう。

 モモンガたちは小さな疑問を残しながらもセバスの申し出を了承することにした。

 

「良かろう。お前が納得するまで調べるが良い」

「……ありがとうございます」

 

 未だ深々と頭を下げながら感謝の言葉を述べるセバスに、こちらも一つ頷いてそれに応える。

 モモンガはざっと室内を見回すと、もう一度大きく一つ頷いた。

 何か忘れているような気がするが、そんなことはないだろう!

 

「よし、全員報告は終わったな。それでは此度の会議は終りょ……」

「お待ちを! 待って下さい! わたくしめの報告がまだでございますっ!!」

 

 瞬間、モモンガの声を遮って大きく響き渡った一つの声。

 通常であれば不敬であるその行動に、しかしシモベたちから苦言の声が発せられることはなかった。誰もが声の主に目をやった瞬間、一様に開きかけた口を噤む。その顔には『お前か……』という文字が全員でかでかと書かれていた。

 彼らの視線の先……、片手をビシッと垂直に挙げて声を張り上げている人物は、鬱陶しいまでにピョンピョンと小さく跳ねて自身の存在を主張していた。

 

「モモンガ様、モモンガ様! このパンドラズ・アクターの報告が終わっておりません! 終わっておりませんっ!!」

「……分かったから、まずはその動きを止めろっ!!」

 

 湧き上がってきた羞恥心に耐え切れず、モモンガは羞恥の原因であるパンドラズ・アクターへと指を突き付けて怒声を上げる。しかし次には抑制された感情に大きく項垂れるモモンガに、ペロロンチーノは仮面の奥で満面の笑みを浮かべてグッと親指だけを立てた。

 

『モモンガさん、ドンマイ☆』

『……ペロロンチィィノォォオオォォォオィオォォォ~~~っ!!!』

 

 繋げられた〈伝言(メッセージ)〉からかけられた言葉に、途端にモモンガから悲鳴にも似た声が上がる。

 しかし、いつまでも項垂れている訳にもいかない。

 モモンガは無いはずの肺で一度大きく深呼吸すると、若干ペロロンチーノに殺意を覚えながらも意を決して俯かせていた顔をゆっくりと上げた。先ほどの言葉に従ってか、今では飛び跳ねることを止めた黄色い軍服姿のドッペルゲンガーを見やり、思わずすぐに視線を逸らしたくなる。

 彼はモモンガが創ったNPCであり、ユグドラシル時代の黒歴史の化身とも言うべき存在。

 何故彼がここにいるんだ……と心の中で嘆きつつも、しかしその理由は誰に説明されずともモモンガとてよく分かっていた。

 避けられないのならば早く終わらせるべく、モモンガは心の中で自身に活を入れると、心を強く持つよう心掛けながら口を開いた。

 

「……それで、パンドラズ・アクターよ。お前は何を報告するのだ?」

「はいっ、モモンガ様! Mein Schopfer(我が創造主様)! それは勿論、彼の冒険者たちの事でございますっ!! ……それと」

 

 時折ドイツ語を交えながら、パンドラズ・アクターが大げさなまでの鬱陶しいオーバーアクションをしてくる。他のシモベたちは彼の邪魔にならないようにか、将又彼ら自身も鬱陶しく思っているのか、彼から少々距離をとっており、その様が何とも言えない気持ちにさせられる。

 そんな中、パンドラズ・アクターが言葉と共に動きを途中でピタッと止める。

 ぽっかりと空いた空洞の目でペロロンチーノを見やると、次には先ほどとは打って変わって落ち着いた様子でモモンガへと向き直ってきた。

 

「……それと、法国についてご報告させて頂ければと思います」

「「っ!!?」」

 

 パンドラズ・アクターからの思わぬ言葉に、途端にモモンガとウルベルトが驚愕の表情を浮かべる。

 法国についての報告とは一体どういうことなのか……。

 先ほどのパンドラズ・アクターの視線や驚いていないペロロンチーノの様子に気が付いて、モモンガとウルベルトはほぼ同時にペロロンチーノを振り返った。

 

「………一体どういうことですか、ペロロンチーノさん?」

 

 シモベたちの前だというのに支配者然とした口調も忘れて、モモンガがペロロンチーノへと問いかける。

 ペロロンチーノはモモンガやウルベルトへと向き直ってまるでまごつくように小さく嘴をカチカチと鳴らしていたが、暫くすると諦めたように大きなため息を吐き出して項垂れた。

 

「………実は、パンドラズ・アクターには内密に法国についても探ってもらっていたんです。……モモンガさんに内緒でこんなことをするのはいけないことだって分かってはいたんですけど、どうしても我慢できなくて……」

 

 しょんぼりとしながらポツリポツリと説明してくるペロロンチーノに、モモンガとウルベルトは思わずチラッと視線のみで互いを見交わした。

 今ではすっかり打ちひしがれたように顔を俯かせて四枚二対の翼だけでなく全身の羽毛を垂れ下げさせているペロロンチーノに、思わず憐みすら感じてしまう。

 『どうしましょう……』と目で聞いてくるモモンガに、ウルベルトは小さくため息をつきながらひょいっと肩を竦ませた。

 

「……まぁ、取り敢えず、ペロロンチーノの指示なのは分かった。まずは報告を聞いてみてはどうかね?」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガは再びペロロンチーノへと視線を向ける。

 目の前の彼の様子から、どうやら彼も今ではひどく後悔して反省しているようである。

 モモンガは一つ小さく頷くと、改めてパンドラズ・アクターへと向き直った。静かにこちらの反応を待っているドッペルゲンガーへと、手短に報告を再開するように指示を出す。パンドラズ・アクターは一度大袈裟なまでの一礼をすると、次には勢いよく姿勢を戻して落ち着いたトーンで知り得た情報を報告していった。

 彼の報告は大きく分けて“武技”と法国の二点について。

 まず“武技”に関しては、やはり戦士系のクラスが主に習得するこの世界特有の戦闘技術であり、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるニニャでは“武技”は使えないようだった。とはいえ、戦士職であれば誰でも使えるのかと言えばやはりそうではなく、それなりの素質や修練などが必要になってくるらしい。

 “武技”の種類は豊富で、身体能力の向上や攻撃に特定の属性を付加させるものなど様々だ。多くの者が習得している“武技”もあれば、個人しか習得していないオリジナルの“武技”もあるらしく、ブレイン・アングラウス自身も彼オリジナルの“武技”を開発して習得しているらしかった。もしそのメカニズムなどが分かれば、自分たちのような転移者でも習得できるオリジナルの“武技”を開発することもできるかもしれない。

 また、“武技”の使用回数については、特殊技術(スキル)のように一日の使用回数は決まっており、しかしそれは“集中力が消費される”というものであるらしかった。使用する“武技”によって集中力の消費量は変わり、使用者によっても消費する集中力の量が変わってくる。これに関しては“武技”特有のものなのか、それとも特殊技術(スキル)についても同じような考え方あるいは同じメカニズムが起こっているのかは現在調査中とのことだった。

 次に法国についてだが、こちらは残念ながら以前ニグンから入手した情報以外は真新しいものは掴めなかったらしい。

 とはいえ、代わりと言っては何だが、パンドラズ・アクターは現在法国と戦争中の森妖精(エルフ)の王国に照準を変えて違う方面から探りを入れてみたらしい。

 その結果分かったことは、現在の戦況とエルフたちの状況。

 戦況はエルフたちが押されており、現在エルフたちの王国の王都近くにある湖まで法国に占領されているらしかった。また、何故かエルフの軍では多くの女エルフたちが優先的に前線に出されており、大きな損害が出ているらしい。このままでいけば、エルフたちはこの戦争を生き延びられたとしても、女エルフの減少によって近い将来には滅びてしまうかもしれない。

 彼なりの推測も交えての報告がなされ、モモンガとペロロンチーノは無言のまま思考を巡らせ、ウルベルトは背もたれに深く身体を預けながら大きな息をついた。

 

「……なるほど、大体は分かった。しかし……、まさかお前がパンドラを使って法国に探りを入れていたとはな。何勝手に色々してんだよ」

「……えっ、モモンガさんになら兎も角、ウルベルトさんにだけは言われたくないんですけど」

「ちょっと、本当に反省してるんですか?」

「………ごめんなさい……」

 

 呆れ顔のウルベルトにペロロンチーノが軽く反論し、すぐさまモモンガに注意されて撃沈させられる。

 すっかり意気消沈してしまった鳥人(バードマン)を横目に、モモンガは眼窩の灯りを小さく柔らかく揺らめかせ、ウルベルトは小さな苦笑を浮かばせた。

 ペロロンチーノの独断行動は褒められたことではなかったが、しかしパンドラズ・アクターを選択したことは素直に感心させられるところであり、また得られた情報も十分価値のあるものだった。心から反省している様子に、これ以上チクチク言う必要もないだろうと判断する。また、ウルベルトとしては先ほどのペロロンチーノの言葉通り自分自身も独断行動を何回かしているため、あまりペロロンチーノを責められないというのもある。

 モモンガとウルベルトはこれ以上ペロロンチーノが落ち込まないようにそれぞれ声をかけると、気を取り直してパンドラズ・アクターが入手した情報についてどう活用していくかを話し合い始めた。

 

「う~ん、そのエルフたちに加勢してあげたらいいんじゃないですかね? 俺たちはあくまでも陰で支援して、彼らに法国を倒してもらうんです。そうすれば、何かあったとしてもこちらの損害は無くて済みます」

「だが、エルフたちが我らにとって味方だと判断するのは早くはないかね? “敵の敵は味方”とは言うが、本当にエルフたちが私たちの力を貸すに値する者たちなのかも分からない。せめて、何故彼らが争うことになったのか、その理由だけでも知りたいものだね」

「そうだな……。それに、女エルフたちが前線に多く出されているというのも気になるな」

 

 自分たちが考え得る注意点や疑問点などを口に出し、それらを整理してまとめていく。

 ペロロンチーノとしてはすぐにでもエルフたちに接触したい考えだったが、それはモモンガとウルベルトに全力で猛反対された。

 未だよく分かっていない組織に安易に接触するなど、どう考えても論外である。まずはエルフたちやエルフの王国についてもっと情報を集めるべきだというのがモモンガとウルベルトの考えだった。

 

「パンドラズ・アクター、今後はエルフとエルフの王国について詳しく情報を探れ」

「かっしこまりましたぁぁあっ!! 法国については如何いたしましょうか?」

「法国についても引き続き探れるようならば探りたまえ。しかし、優先順位は今までよりも低くして、エルフたちの方を優先するように」

 

 パンドラズ・アクターへとモモンガとウルベルトがそれぞれ命を下していく。

 パンドラズ・アクターは大きく大袈裟に一礼し、ペロロンチーノはガクッと大きく肩を落とした。

 意気消沈するペロロンチーノに、ウルベルトは苦笑と共に“慈悲深き御手”を伸ばして、悪魔のような巨大な手で軽く肩を叩いてやった。

 

「まぁまぁ、そう落ち込むな。もしエルフたちが手を貸す価値ありと判断されれば、お前に彼らの接触を任せてやるから」

「………うぅ~、約束ですよ……?」

「ああ、約束だ。……シャルティア、この会議が終わったらペロロンチーノを慰めてやってくれないか? こいつがこんなにも法国に固執するのは、お前のためなのだろうからね」

 

 ポンポンと未だ慰めるように“慈悲深き御手”で肩を叩いてやりながらシャルティアへと声をかける。

 それにキョトンとした表情を浮かべるシャルティアに、アルベドが呆れたように大きなため息を吐き出した。

 

「……ウルベルト様は、あなたとペロロンチーノ様が法国の漆黒聖典と思われる集団と接触した件を仰っているのよ」

 

 アルベドの簡潔な説明に、しかしシャルティアは未だにピンときていないような表情を浮かべている。それにアルベドが更に大きなため息を零す中、困惑顔からムッとした表情を浮かべるシャルティアに、次は我らが先生(デミウルゴス)が優しい声音で説明を始めた。

 

「つまりだね、シャルティア。ペロロンチーノ様は慈悲深くお優しいことに、君のために、君に手を出した漆黒聖典や法国に対して怒りを感じて下さっているのだよ。ペロロンチーノ様が法国に固執していらっしゃるのは君を想って下さってのことだと、ウルベルト様は仰っているんだ」

「っ!! ……ペ、ペロロンチーノ様ぁっ!!」

 

 感動した声と共に歓喜に身体を震えさせるのは、今度はシャルティアの番だった。

 胸の前で両手を組みように握り締め、蝋のように白い頬を興奮に紅潮させる。大きな深紅の瞳も興奮に潤み、彼女の熱情が勢いよく溢れて部屋中に広がるようだった。

 しかし、その熱が向けられているのは未だ山羊頭の悪魔に肩を叩かれているバードマンにのみ。

 ペロロンチーノは気恥ずかしさにそわそわと四枚の翼を小さくはためかせると、次には照れ隠しのように肩を竦めてみせた。

 

「……えっと、まぁ、そうはっきり言われちゃうと恥ずかしいんだけど……。……シャルティアは俺にとって大切な子だから、我慢できなかったって言うか………」

「ペロロンチーノ様! わたくしも、ペロロンチーノ様をお慕いしておりますでありんすぅっ!!」

「うん、ありがとう……」

 

 心なしかペロロンチーノとシャルティアの間がピンク色のオーラに染まっているように見える。

 仲睦まじそうなその様子にアルベドはギリィッと歯を食いしばって鬼の形相を浮かべ、デミウルゴスとアウラはやれやれとばかりに小さな苦笑を浮かべ、マーレは嬉しそうにはにかみ、コキュートスは何故か『爺はっ! 爺は……っ!』とどこかに意識をトリップさせていた。執事とドッペルゲンガーは無表情のまま微動だにせず、三人のメイドたちは感動したようにうっとりとした表情を浮かべている。

 部屋中に渦を巻く、混沌としたピンク色でいてどこか禍々しい空気。

 息苦しさすら感じられる程に濃厚な空間の中、不意にワザとらしいまでに大きな咳払いの音が響いてきた。

 誰もがハッと我に返って音の方へと振り返れば、そこには呆れたような表情を浮かべた山羊頭の悪魔と死の王の姿。

 すぐさま姿勢を正すペロロンチーノとシモベたちに、ウルベルトは苦笑を浮かべ、モモンガは小さなため息をついた。

 

「……まぁ、そんなわけだから、ペロロンチーノのことは頼んだぞ、シャルティア」

「はいっ、ウルベルト様!!」

「パンドラズ・アクターも、先ほどの言葉の通りに動け」

「はいっ、畏まりましたぁぁっ!!」

 

 念を押すように言ってくるウルベルトとモモンガに、シャルティアとパンドラズ・アクターも元気よくそれに応える。

 ウルベルトとモモンガは一つ頷くと、次にはモモンガが促すようにアルベドへと眼窩の灯りを向けた。モモンガの視線に気が付き、アルベドは鬼の形相を引っ込めて恭しく頭を下げて礼を取る。それでいてすぐさま頭を上げると、彼女は表情を引き締めさせて会議の進行を再開させた。

 アルベドの進行のもとに次に話し合われるのは、報告の中では出なかった今後の計画や新たな提案についてなど。

 未だ至高の主であるモモンガたち三人が出す案件が殆どではあったが、それでもシモベたちからも意見や提案が出てくる数は徐々に増えてきている。それらをまとめていきながら、モモンガたちはこの世界の征服への道を着実に構築していった。

 時間は長く、それでいて早く流れていく。

 全ての案件がある程度まとまった頃には、いつもよりも多くの時間が過ぎ去っていた。

 

「……ふむ、もうこんな時間か。今回の定例報告会議はこれまでとしよう」

「はい、モモンガ様。それでは、これにて定例報告会議を終了いたします。全員、解散!」

 

 モモンガの言葉に一つ頷き、アルベドが会議の終了を宣言する。

 ペロロンチーノがシャルティアへ、ウルベルトがデミウルゴスへと声をかける中、モモンガも退室の礼を取ろうとするアルベドへと声をかけて引き止める。

 怪訝と喜色の入り混じったような複雑な表情を浮かべるアルベドに、そっと差し出されるのは一つの紙。

 反射的に受け取って紙の上へと目を向ける彼女に、モモンガは一つの指示を出すのだった。

 

 



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第41話 欲望の喜劇

今回はPixiv版と少々文章が違う部分があります。
気になる方はPixiv版も見てみて頂ければと思います。


 定例報告会議が終了して約二時間後。ナザリック地下大墳墓第九階層に存在するアルベドの自室では、アルベドを含んだ各階層守護者が揃っていた。

 今から行われるのは定例守護者会議。

 一度は各々の担当する階層に戻った守護者たちだったが、定期的に行われるこの会議のために再びこの場に集っていた。

 

「それで……、今回は何を話し合うのでありんすか? 私、ペロロンチーノ様とのお約束があるから、早めに終わってほしいのでありんすが」

 

 未だ幼さの残る少女が、少々似つかわしくないまでの濃厚過ぎる妖艶な微笑を浮かばせて問いかけてくる。それは正に恋する乙女を通り越した、情欲に支配されて興奮した一人の女の顔。

 アルベドが悔しそうな表情を浮かべてアウラとマーレに宥められる中、デミウルゴスはシャルティアを見つめながら小さく首を傾げさせた。

 

「ペロロンチーノ様との約束、ですか……。それはいつからなのかね?」

「ペロロンチーノ様は今お休みになられているから、お目覚めになったらお呼び下さるそうでありんす」

「では、時間はまだまだあるのではないかね?」

「いやでありんすねぇ、デミウルゴス。無粋なことは言わないでくんなまし。女の準備に時間はつきもの。ペロロンチーノ様からお呼びがかかるまで、この身を磨くのは当然のことでありんすえ」

「なるほどねぇ……」

 

 確かに、至高の存在の御前に侍るのに身を清めて飾り立てるのは当然のことである。

 納得の言葉と共に深く頷く悪魔に満足げな笑みを浮かべると、シャルティアは改めてアルベドを見やった。

 

「それで、今回は何を話し合うのでありんすか?」

「ゴホンッ! 今回は少しいつもと違うのだけれど……、モモンガ様から一つご命令を頂いたので、皆の意見を聞きたいと思うの」

「モモンガ様からご命令!?」

「ぼ、僕たちの意見って、なんのご命令なんですか?」

 

 アルベドを宥めていた闇森妖精(ダークエルフ)の双子が一番に疑問の声を上げてくる。彼らの様子に気を取り直したのか、アルベドは柔らかな微笑を浮かばせた。

 

「二人とも落ち着いて。今、モモンガ様からの御言葉を伝えるわ。『役職に応じた給金を与える計画を立てている。その給金を使って、お前たちが買いたいものを提示せよ』とのことよ」

 

 途中、モモンガの声真似をしながらモモンガからの命令を伝えてくるアルベドに、他の守護者たちは一様に驚きにも似た声を上げた。あるモノはその慈悲深さに感銘の声を上げ、あるモノは恐縮して否定の言葉を上げる。しかしそれらはアルベドが打ち鳴らした手の音によって一斉に遮られた。

 

「はい、そこまで! 皆が全員同じ思いであることは、わたくしも確信しているわ。でも、至高の御方々の御言葉は絶対。ならば、わたくしたちがどのように考えていようと、アイデアを出すべきでしょう?」

 

 守護者統括であるアルベドの言葉は正しい。

 ナザリックにおいて至高の存在の言葉は絶対であり、例え黒であるものも至高の存在が白だと言えば、それは白になるのだ。ならば、自分たちがどう思おうともそれが至高の主の意思なのであれば、それに従うのが当然のことである。

 しかし、とはいえ欲しい物があるかと問われれば……。

 

「欲しい物……。……う~ん、別にないかな~」

「ないですねぇ……」

「ないでありんす」

「無イナ」

「な、無いと思います……」

 

 彼らの言葉は一様に『無い』の一言のみだった。

 元より、彼らナザリックのシモベたちにとって至高の存在たちに仕えることは本能に等しく、存在意義であり、またそれ自体が至福でもある。彼らがそれ以上を望むはずもなく、また別に言い換えれば、至高の存在に仕える以上のことを望むようには出来ていなかった。それを思えば、彼らの意見も納得できるものだろう。

 しかし、ここにはそれを許さないモノがいた。

 

「もう、それでは話が終わってしまうじゃない! モモンガ様は欲しい物を提示するよう命じられたのよ! 何かアイデアを出すことを務めと知りなさい!」

 

 ぴしゃりっと叱りつけるさまは、正に守護者たちのまとめ役たる守護者統括に相応しい凛とした佇まいである。

 守護者たちは顔を見合わせると、う~ん……と各々で考え込んだ。

 しかし、他者に言われたからといってすぐに良い案が出るものでは決してない。

 アウラは諦めのため息を零すと、次には助けを求めるようにアルベドを見上げた。

 

「う~ん、思いつかないな~……。アルベドは何かないの?」

「わたくし? そうね……。ならば、服とかはどうかしら?」

 

 まるで名案を思い付いたかのようにアルベドが明るい笑みを浮かべてくる。

 しかしシャルティアはゆったりと小さく首を傾げさせた。

 

「ペロロンチーノ様がご用意された服が大量にあるから、私は服はいりんせんわ。ドレスにナース、メイド、バニー、セーラー、レオタード、スクール水着、体操服、ブレザー……。他にも尻尾とか耳とかもありんすえ」

 

 シャルティアが述べていったものはどれもが非常にマニアックなもので、それだけでペロロンチーノの変態ぶりが窺える。もしこの場にモモンガやウルベルトがいたなら、非常に白い目でペロロンチーノを見たことだろう。しかしこの場にいる守護者たちが浮かべたのは呆れでも軽蔑した表情でもなく、シャルティアに対する羨みの表情だった。

 

「それは羨ましいわ。わたくしはこの白いドレスを数着持っているだけ……。下着類だけは結構あるのだけれど……」

「あたしたちも、多分そんなにはないかな~。……でも、アルベドって服そんなに持ってないの? それなら、あたしたちの服着てみる? 魔法がかかっているから誰でも着られるし!」

「き、着ぐるみ系もありますよ!」

 

 アウラとマーレの嬉々とした申し出に、しかしアルベドは曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。彼女たちの申し出は有り難いものではあったが、しかし果たして彼女たちの服がアルベドに似合うかと言えば、それは大いに疑問の残るものだった。

 コキュートスも混ざり、守護者たちが服について真剣に意見を交わし合う。

 そんな中、ただ一人デミウルゴスだけが、会話には混ざらずに彼女たちの様子を見守っていた。

 悪魔の顔に浮かんでいるのは、少し不自然に強張った真面目顔。デミウルゴスは唇を引き結びながら、ニヤけそうになっている顔を必死に引き締めさせていた。

 実は、つい先ほどの定例報告会議の終了直後、デミウルゴスはウルベルトから魔王用にと新しい服について声をかけられていた。『魔王用に作っていた服が漸く出来たから、後で取りにくるように』と、そう命を受けたのだ。ウルベルトからしてみれば必要な物を用意してくれただけなのだろうが、しかしそれでもデミウルゴスにとっては最大の喜びだった。他のシモベたちにとっても、至高の主から何かを賜ることは最大の喜びと言えるだろう。

 デミウルゴスは必死に表情を引き締めさせながら、この事は決して彼女たちには言うまいと心に誓った。

 遅かれ早かれ彼女たちにバレるとしても、今この瞬間に言うべきことではないだろう。

 

 

「――……ねぇ、デミウルゴスもそう思うよね?」

「っ!! あ、ああ…、そうだね。私もスーツくらいしか持っていないので、他の衣装も確かに欲しいところですね」

 

 唐突にアウラから声をかけられ、デミウルゴスは慌てて彼女に話しを合わせる。幸いなことにアウラたちには一切疑われることはなく、彼女たちの話は次へと流れていった。

 服は候補に上げられ、次に提示されたのは“人間”。

 シャルティアから提示されたその案に、デミウルゴスも無言で一つ頷いた。

 確かに“人間”はナザリックのモノたちにとって食用や玩具用など、用途が多数あって欲しいと思うモノも多くいた。チャックモールやニューロニストやエントマ、そしてデミウルゴスもまた、様々な用途でほしいと思っているモノの一人である。他にも、第六階層の領域守護者である餓食狐蟲王なども、近頃“巣”が足りないと嘆いていたはずだ。

 他の守護者たちもシャルティアの案に同意を示し、“人間”も当然のように候補として受理された。

 他にも転移世界特有の武器や防具。中には蜥蜴人(リザードマン)のペットであるヒュドラがほしいという案が出てちょっとした騒動になったものの、粗方案はまとまりつつあった。

 彼女が余計な案を出す、この時までは……――

 

 

「………『ペロロンチーノ様の添い寝券』」

「「「っ!!?」」」

 

 ポツリとシャルティアの口から小さく零れ出た一つの言葉。それは予想以上に守護者たちに絶大な攻撃力を発揮した。

 呟いた本人であるシャルティアは興奮したように白皙の頬を薔薇色に染め上げており、アルベドも驚愕に息を呑んだとほぼ同時に見開いた黄金色の双眸を爛々とギラつかせ始める。他の面々も彼女たち程興奮を露わにすることはなかったが、敬愛する至高の主と共に過ごせる権利という名の商品に、知らず生唾を呑み込んでいた。

 

「そ、それは! 確かに、欲しがるモノが数多くいることに間違いはないわ! ええ、そうよ! ペロロンチーノ様に限らず、モモンガ様やウルベルト様とだって!! 誰もが欲しがるわっ!!」

「正ニ……! シカシ、値段ナドツクノカ? 至高ノ御方々モ流石ニゴ自身ノ添イ寝ノ権利ニ値段ヲ付ケルノハ戸惑ワレルノデハナイカ?」

 

 コキュートスの意見にデミウルゴスも同意して一つ頷きかけ、しかしその途中で首を傾げさせた。

 確かにモモンガやウルベルトが困惑する様子は容易に想像できる。しかし、ペロロンチーノの場合は嬉々として了承する姿が頭に浮かんでくるような気がした。

 これは一度保留にした方が良いのではないかという考えが頭を過ぎる。

 しかしその一方でデミウルゴス自身もその権利が非常に魅力的に感じてしまい、中々その言葉を口に出せずにいた。

 だから、だろうか……。

 

「でもさ~。だからと言って、あたしたちが勝手に値をつけるのは至高の御方々に対して失礼じゃない?」

「……では、参考までに各位が値段を提示してゆくオークション方式で仮の金額を決定したらどうだろう?」

 

 戸惑いながらも苦言を口にするアウラに、デミウルゴスは助け舟を出すように解決策を口にしていた。

 とはいえ、一口に“オークション方式”と言っても、細部を詳しく取り決めなければ何事も成り立たないものだ。疑問や提案を各々口にしてくる守護者たちに、デミウルゴスもまた解決策などを提案しながらルールを構築していった。

 

「……ねぇ、デミウルゴス。でもこれって、あくまでも参考の値段を決定するものでしょう? なら、わざと低い値段を付けるという選択肢も出てきてしまうのではないかしら。だって、あまりに高い値段を付けてしまうと、買えなくなってしまうのでしょう?」

 

 アルベドもまた、浮かんできた疑問を口にしてデミウルゴスへと問いかける。途端に非難するような視線が周りから向けられるが、しかしアルベドにとってはそれが一番心配なことだった。

 確かにわざと低い値段を出すなど、至高の主たちに対して非常に失礼なことだ。主たちを軽視していると誤解される危険性も十分にある。しかしそれと同時に、先ほど彼らも述べた様に『主たちと共に過ごせる権利』という名の商品は、誰もが喉から手が出るほどに欲するものなのだ。その権利を今後自身が手に入れるために、わざと手が届くほどの金額に留めようと考えるモノが出てきたとしても決して不思議ではなかった。

 

「そうですね……。ならば、最高金額を提示した人物にメリットを設ければ良いのではないかな」

「……? ソレハ、ドウイウ意味ダ?」

「つまり、サンプルを御方々に提示してもらうのだよ。添い寝と一口に言っても、どこまでが範囲なのかは各々で意見が分かれるところだろう?」

「頭なでなでまでが、添い寝でありんす!」

 

 デミウルゴスの言に、すぐさまシャルティアが食って掛かってくる。

 これだけは譲れないとばかりに鼻息荒く言ってくる吸血姫に、しかしそれに異議を唱えるモノがいた。

 

「いぃ~え……。アウラやマーレが知らなくていいことまでするのが、添い寝よ……」

 

 異議を唱えたのは、粘つくほどの情欲を溢れださせた一人の淫魔(サキュバス)

 その目は爛々と輝き、その表情は妖艶でいて肉食獣のようである。

 彼女に添い寝を許せば御方が大変なことになる……と、この場にいる誰もが瞬時に確信を持った。シャルティアなどはペロロンチーノのこともあるため、アルベドに手を出させてなるものかとばかりに殺気立っている。

 しかし、デミウルゴスの提案はそれを回避させる物でもあった。

 

「……アルベドノ意見ハ、普通ニアウトダナ」

「そうですね、私もそう思います……。と、ゴホンッ! つまりですね、こういった食い違いが起こらないようにするためにも、最低ラインを決める必要があります。そのために、御方々のご意思でその商品を提供して頂こうと思うのですよ。つまり今回、最高価格を提示した人物には、その試供品を堪能してもらうと言う訳です。これなら、金額の競争も起こると思うのだよ」

 

「……し、試供品を……!」

「た、堪能……っ! くふぅぅ――――っ!!」

 

 何を想像したのか、シャルティアは息も絶え絶えになり、アルベドも変な奇声を上げる。

 瞬間、デミウルゴスはこの提案は不味かったかもしれない……とすぐさま思い至って後悔した。

 彼の頭に浮かんだのは自身の創造主の姿。

 彼女たちの相手がペロロンチーノであればまだ良い。彼の御方は非常に女性好きであるし、恐らく二人に迫られたとしても嬉々として応えるか、或いは上手い具合に躱すことだろう。相手がモモンガであったとしても、彼の御方は至高の四十一人のまとめ役を務められていたという実績があり、そう心配することはないだろうと判断できた。

 しかし自身の創造主であるウルベルト・アレイン・オードルに関してだけは、デミウルゴスも彼女たちの好きなようにさせるわけにはいかなかった。

 彼の方が望まれて積極的であるのならばまだしも、そうでない以上、彼の方を彼女たちの毒牙にかける訳にはいかない!

 妙な使命感に突き動かされながら、デミウルゴスは彼女たちの暴走を阻止すべく、慌てて再び口を開いた。

 

「あー、盛り上がっているところ申し訳ないのだけれどね……。念のため、最高金額の限度額も決めておこうと思うのだが、どうだろう?」

「最高金額の、限度額……?」

 

 デミウルゴスからの提案に、誰もがキョトンとした表情を浮かべる。アウラやマーレなどは大きく首を傾げており、デミウルゴスは更に詳しい説明をすることにした。

 

「最高金額の限度額、というと少し語弊があるかもしれないね……。つまり、各位の持ち金額を決めておこうと言う訳だよ。例えば各位の持つ金額を100万までと設定しておけば、試供品の権利欲しさに度を越した滅茶苦茶な金額を出すモノもいなくなるだろう? また、その方が参考の金額としてより説得力のある金額になると思うのだよ」

「でもそれだと、全員が100万って提示しちゃうんじゃない?」

「そうならないために、二つほど追加で提案があるのだがね……」

 

 興味津々とばかりに向けられる多くの視線に、デミウルゴスは一つ二つと順に人差し指と中指を立てながら説明をしていった。

 デミウルゴスが追加で提案したのは、商品の追加と、一つの商品に提示する金額の回数だった。

 商品の追加に関しては言葉通り、オークションに出す商品を増やすという意味だ。今オークションに出ているのは『ペロロンチーノ様の添い寝券』の一品のみ。つまり、それに加えて更に守護者たち全員が至高の主たちにお願いしたいものを二つずつ提示し、それを商品としてオークションに出すというものだった。

 次に提示する金額の回数についてだが、これは一つの商品に対して金額を提示する回数を二回に増やすというものだった。当然、二回目に提示する金額は一回目に提示した金額よりも高額を提示しなくてはならない。

 これらを導入すれば、よりオークション方式とする意味合いも深まり、アルベドやシャルティアの無茶振りも防ぐことが出来ると思われた。

 

「……あ~、なるほどね~……。うん、その方が良いかもね……。あたしはデミウルゴスの意見に賛成だよ」

「ぼ、僕も、えっと、そのぉ、それで大丈夫です」

「私モ問題ハナイ」

 

 デミウルゴスの意図に気が付いて、アウラがアルベドとシャルティアを横目に見ながら半笑いを浮かべる。マーレやコキュートスも表情や態度自体は変わらないものの、アウラと同じくデミウルゴスの意図に思い至ってすぐさま賛同してきた。アルベドとシャルティアは何かを考え込んでいるのか無言のままだったが、デミウルゴスは反論がない(イコール)賛成していると受け取って、さっさと話を進めることにした。

 

「では、それで決まりですね」

「でもさ~。それだと、私たちの持つ金額は何円で設定するの? 100万?」

「そうですね……。アルベド、モモンガ様より給金について詳しい金額などは聞いていないのですか?」

「……ええ、伺っているわ。わたくしたちに支給される年収は1500万だということよ」

 

 デミウルゴスからの問いかけにアルベドが答えるまでに、数秒間の間が空く。少し不自然にも感じられるその間に、しかしデミウルゴスは小さく反応しながらも彼女に何かを言うことはなかった。彼女が何故間を開けたのか、その理由にある程度想像がつくため、取り立てて追及しなくてもいいだろうと判断する。

 

「なるほど。では1500万でするとしようか」

「あ、あの、えっと、金額じゃないといけないですか? その、1500ポイントの方が、分かり易いと思うんですけど」

「う~ん、確かにね……。あたしもマーレに賛成かな。金額ですると、誰かさんがすっっっごい細かい数字を出してきそうだし」

 

 半笑いを浮かべたまま意味深な視線をアルベドに向けるアウラに、しかしアルベドは我関せずとばかりに無言のまま澄ました表情を浮かべている。アウラがやれやれと軽く両手を上げて頭を振るのに、デミウルゴスも小さな苦笑を浮かばせた。

 

「よし、ではポイント制にして、上限を1500ポイントとしよう。……念のため、ルールを改めて確認しようか」

 

 デミウルゴスは周りを見回すと、改めてこれまで構築していったオークション方式のルールを一つ一つ確認していった。

 一つ、各位は1500ポイントを持ち、それを使ってオークションを行う。

 一つ、一つの商品にポイントを提示する回数は二回である。

 一つ、二回目に提示する金額は、一回目に提示された最高金額よりも同等以上を提示しなくてはならない。

 一つ、万が一同額落札者がいた場合は、落札数が少ない方が優先される。

 一つ、オークションに出品される商品は、最初に出た『ペロロンチーノ様の添い寝券』を含めた全十三品である。

 

 

「皆、問題ないかな?」

「ええ、問題ないわ」

「問題ないでありんす」

「うん、あたしも大丈夫かな」

「は、はい。ぼ、僕も、大丈夫です」

「私モ問題ハナイ」

 

 デミウルゴスの確認に、守護者全員がしっかりと頷いてくる。デミウルゴスも一つ頷くと、改めて再び口を開いた。

 

「では、これでやってみようか。……ところで、折角オークション方式にしたのだからオークショニアとして公平な第三者を呼ぼうと思うのだが、どうかな?」

「別に良いと思うけど……、誰を呼ぶつもりなの?」

「プレアデスの誰かをと考えているのだが……」

 

 途中で言葉を切り、デミウルゴスは考え込むように小さく顔を俯かせた。他の守護者たちも今ナザリックにいるプレアデスのメンバーを頭に思い浮かべ、思わず微妙な表情を浮かべた。

 

「……えっとぉ、ソリュシャンとルプスレギナはセバスと一緒に王国の王都にいるんだよね」

「ナ、ナーベラルさんは、えっと、あの、エ・ランテルにいる筈です」

「ユリハ確カ帝国ニイルノダッタナ」

「とすると、残ったのはシズとエントマでありんすね。……二人とも、あまりオークショニアっぽくないでありんすねぇ……」

 

 シズとエントマを脳裏に思い浮かべ、シャルティアがこの場にいる全員の心の声を代弁する。

 しかし、何もシズとエントマではオークショニアを務められないという意味では決してない。恐らく命じられれば卒なくこなすことはできるだろう。しかし、彼女たちの普段の様子を思い浮かべると、どうにもオークショニアっぽくないというか、向いていないと思ってしまうのだ。

 

「……なら、ペストーニャならどうかしら? 彼女なら問題なく務められると思うのだけれど」

 

 誰もが思い悩む中、アルベドも思案顔を浮かべながら一つの名を口にする。

 

「ペストーニャか……、悪くないね。ただ、彼女も忙しい身だから無理強いはしない方が良いでしょう。あと、念のためシズとエントマにも声をかけよう。ペストーニャ一人では、全てを任せるには大変だろうからね」

「そうね、分かったわ。それじゃあ、後はオークション用に使うボードとペンも用意させるわね」

 

 アルベドは一つ頷くと、素早く座っていた椅子から立ち上がった。そのまま彼女たちを呼びに行くのかと思いきや、シャルティアへと視線を向ける。

 

「シャルティア、一緒について来てくれるかしら? わたくしがペストーニャたちに取引を持ち掛けたりしていないか、あなたに保証してもらいたいの」

 

 突然のアルベドからの申し出に、シャルティアはピクッと片眉を吊り上げる。胡散臭そうにアルベドを見やり、次には小さく顔を顰めさせた。

 

「……ペストーニャなら取引なんてしないと思いんすけど……。でもまぁ、良いでありんすよ」

 

 未だ不審そうな表情を浮かべながらも、シャルティアも一つ頷いて立ち上がる。

 連れだって出ていく二つの背を見送った後、扉が閉まってから一拍後にデミウルゴスは一つ小さな息をついた。

 ここからが正念場だと、心の中で気を引き締めさせる。

 デミウルゴスは扉の向こう側に気配がないことを確認すると、のんびりとアルベドたちを待っている同僚たちへと目を向けた。

 

「……三人とも。少し話したいことがあるのだが、良いかね?」

 

 デミウルゴスの声に、アウラとマーレとコキュートスがほぼ同時にデミウルゴスへと顔を向けてくる。デミウルゴスもまた彼らを真っ直ぐ見つめると、これからのことに考えを巡らせながらゆっくりと口を開いた。

 

「君たちにぜひ協力してもらいたいことがあるんだ」

「協力? デミウルゴスがあたしたちに協力を求めてくるなんて珍しいね」

「相手が相手なのでね……」

 

 アウラからの言葉に、デミウルゴスは思わず苦笑を浮かべる。しかしすぐさま顔を引き締めさせると、改めてこの場にいる全員に視線を巡らせた。

 

「協力してほしいこととはアルベドとシャルティアの事だ。恐らく今頃、アルベドはシャルティアに協力を持ちかけていることだろう。彼女たちから至高の御方々をお守りするために、君たちにも協力してもらいたい」

 

 デミウルゴスの言葉に、誰もがキョトンとした表情を浮かべる。マーレなどは大きく首を傾げており、少し考え込んだ後、おずおずと上目遣いにデミウルゴスを見つめてきた。

 

「えぇっと、つまり……、アルベドさんはペストーニャさんにじゃなくて、その、シャルティアさんに取引を持ち掛けてるってことですか?」

「その通りですよ、マーレ」

「確かにアルベドがシャルティアにわざわざ見張るように言いだしたのは違和感があったけど……。でも、至高の御方々をお守りするためって……。アルベドとシャルティアは別に敵じゃないんだから……」

「……イヤ、デミウルゴスガ正シイカモシレナイゾ。アウラ、オ前モ先ホドノ二人ノ様子ヲ見タダロウ。特ニアルベドハ……、至高ノ御方々ノ身ガ危ウクナルカモシレン」

「う~ん、まぁ、確かに……。至高の御方々に失礼を働いちゃうかもねぇ……」

「至高の御方々がそれを望まれているのであれば、私も何も言うつもりはないのですがね……。少なくともモモンガ様とウルベルト様にとっては、今のアルベドとシャルティアは危険です」

 

 デミウルゴスの言葉に、アウラたち三人は大いに納得してしまった。納得してしまえることに、何とも言えない気持ちにさせられる。

 しかし、とはいえ彼女たちからどう至高の主たちを守るべきか分からず、アウラたちは互いの顔を見合わせた。互いに良い案がないことを表情から読み取り、言い出しっぺであるデミウルゴスへと視線を向ける。

 デミウルゴスは全員が自身に視線を向けたことを確認すると、改めて口を開いた。

 

「恐らく、アルベドはシャルティアに一つの提案を持ちかけているはずです。内容は、そうですね……。互いに利のある商品を出し合い、二人で協力し合って商品を落札していく……といったところでしょうか。今回の場合、基本的に我々が各々で落札したい商品は、自身が出した商品に限られます。自分が至高の御方々にして頂きたいことを商品として提示するわけですからね。他人が提示した商品に対して高額ポイントを提示する確率は非常に低い。となれば……、商品からオークションまで全て互いに協力し合った方がより多くの旨味があることは明白です」

「えっと、つまり、……どういうことですか?」

「ツマリ、二人トモガ共通シテ御方々ニシテ頂キタイト望ムモノヲ商品トシテ提示シ、次ハソレラヲ二人デ協力シテ落札シ合ウツモリダトイウコトダナ」

「そういうことです」

「なるほど……。でも、シャルティアなら兎も角、アルベドがそんなことするかな~。だって、これってあくまでも至高の御方々への提案に過ぎないでしょう? 至高の御方々からの印象も考えると、協力までするほどの商品も提示できないだろうしさ~。ぶっちゃけ、『ペロロンチーノ様の添い寝券』も大分ギリギリラインだろうし」

「普段のアルベドであれば、そうでしょうね。しかし、今の彼女は随分と自分の欲に呑まれているように見えます。油断は禁物でしょう」

「ふ~ん……。まっ、デミウルゴスがそこまで警戒するのも、やり過ぎだとは思うけどね」

 

 アウラの言葉に、デミウルゴスは苦笑するだけに留めた。

 確かに彼女の言う通り、いくら至高の主たちの身を案じているからといって、デミウルゴスがここまで神経を尖らせる必要はない。今回の場合、商品に提示されるものはあくまでも案に過ぎないため、ここで落札できたとしても、必ずその試供品を味わえると言う訳ではないのだ。

 しかし、何事にも万が一というものが存在する。油断は禁物だと自身にもう一度言い聞かせると、デミウルゴスは改めて三人へと視線を巡らせた。

 

「それで……、皆さんは私に協力してくれますか?」

「うん、良いよ。仕方ないから協力してあげる」

「ぼ、僕も、その、えっと、協力します」

「至高ノ御方々ニゴ迷惑ヲオカケスル訳ニハイカナイカラナ。私モ協力シヨウ」

 

 デミウルゴスの問いに、三人は快くそれに応える。デミウルゴスは満面の笑みを浮かべると、アルベドたちが戻ってくるまで綿密に計画を立てていった。

 そして、アルベドたちが部屋を出ていってから約30分後。

 ホワイトボードとペンを持ったペストーニャとシズとエントマを引き連れたアルベドとシャルティアが漸く部屋に戻ってきた。

 

「待たせたわね。それでは、早速始めましょう」

 

 先ほどまで交わしていた会話のせいか、どこまでも美しく曇りのない笑顔が何とも胡散臭く感じられる。思わずアウラがじと目になり、マーレがそわそわと身体を小刻みに揺らし、コキュートスがフシューっと冷気を吐き出す中、デミウルゴスだけがいつもと変わらぬ態度で彼女たちを招き入れた。

 アルベドとシャルティアが自身の椅子に腰かける中、シズとエントマがホワイトボードとペンと白紙のカードを各々に配り、ペストーニャが一度深々と一礼する。ペストーニャはホワイトボードとペンとカードが全て行き渡ったのを確認すると、シズとエントマが傍らに戻ってくるのを待ってから漸く犬の口を開いた。

 

「……それでは皆さま、よろしいでしょうか?」

「ええ。では、お願いするわ、ペストーニャ」

「畏まりました。それでは僭越ながら、わたくしペストーニャがオークショニアを務めさせて頂きます、わん」

 

 再び一礼するペストーニャに、守護者たちは温かい拍手でもってそれに応える。

 ペストーニャは犬の顔を上げると、まずは自身が把握しているルールと守護者たちが把握しているルールに齟齬がないかを確認し始めた。一つ一つ丁寧にルールを確認していく彼女に、守護者たちも自身の把握しているルールと違いがないか確認していく。アルベドの伝え方が良かったのか、はたまたペストーニャの把握能力が優れていたのか、確認した内容は全て間違いなく、問題ないものだった。

 

「では、早速オークションを始めさせて頂きます、わん。皆さま、オークションにご希望される品名をお手元にお配りした二枚のカードに記入をお願い致します。……シズ、あなたは書記の準備を。エントマ、あなたは守護者様方が記入されたカードを回収して下さい、わん」

「……分かった……」

「はぁ~い、了解しましたぁ~」

 

 シズが彼女たちの背後にも設置した大き目のホワイトボードに向き直る中、エントマは品名が書かれたカードを次々と回収していく。因みに『ペロロンチーノ様の添い寝券』のカードはペストーニャが一枚のカードに記入し、全てのカードを回収し終えたエントマへと渡す。

 エントマは回収忘れがないか改めて枚数を確認すると、ペストーニャを見上げて一つ頷いた。

 

「全部回収できましたぁ~」

「ではシャッフルをお願いします、わん」

「はぁ~い、シャッフルぅぅ~」

 

 エントマが着ているメイド服は指先が隠れるほどに裾が長いというのに、彼女は一切それを苦にすることなく十三枚のカードを素早くシャッフルしていく。念入りに長めにシャッフルした後、漸くその手を止めてオークショニアであるペストーニャへと差し出した。

 ペストーニャは差し出されたカードの束へと手を伸ばし、一番上のカードを一枚とる。書かれている品名を確認するべく手に持ったカードをめくって目線まで持ち上げたその時、ペストーニャは全ての動きをピタッと止めた。

 まるで石にでもなってしまったかのように微動だにしないメイド長に、周りの面々が訝しげな表情を浮かべたり小首を傾げたりしている。エントマもまた小首を傾げながらペストーニャの袖の端をクイックイッと軽く引き、そこで漸くペストーニャが再び動き始めた。まずはうろうろと守護者たちへと視線をさ迷わせ、最終的には彼らのまとめ役であるアルベドへと目を向ける。

 

「……あ、あの……アルベド様……。これには至高の御方々にして頂きたいことを書くとお伺いしていたと思うのですが……」

「ええ、そうね。何も間違ってはいないわ」

 

 ペストーニャの確認の言葉に応えたのは、どこまでも透き通った柔らかな微笑み。一見無垢で穢れ一つなく見えるその笑みに、しかしペストーニャは確信した。

 今自身が手にしているカードに品名を書いたのは彼女である、と……――

 そして、それに続くように彼女はあることを思い出した。

 守護者たちは今回至高の主たちに要望する品名を二つ(・・)提示している。つまり、今この手に持っているカードの他にも、これと同じような内容のカードがもう一枚含まれている可能性が高いということだ。

 ペストーニャは素早くエントマに向き直ると、未だ彼女が差し出すように持っているカードの束を全て取り上げた。ぺらぺらと捲り、素早く中身を確認する。そしてすべて確認した後、ペスト―ニャの心に湧き上がってきたのは大きな混乱と困惑だった。

 ペストーニャの推測では、先ほどのカードと同じような内容の品名はあと一つだけ見つけられるはずである。しかし彼女が見つけたのは、その倍以上の四枚。これは非常にマズいのではないかと判断すると、ペストーニャはまるで助けを求める心持ちで再び他の守護者たちへと視線をさ迷わせた。

 その目に朱色の悪魔の姿が映り、メイド長は迷うことなく彼に縋ることにした。

 

「申し訳ありません、デミウルゴス様。幾つか不適切だと思われる品名が混ざっているようです、わん。全部で四品……。これは本当にオークションにかけても宜しいのでしょうか……わん?」

「四品、ですか……。どれ、見せてもらえるかい?」

 

 デミウルゴスが意味ありげに品数を小さく呟き、それでいて椅子から立ち上がってペストーニャへと歩み寄る。

 

「ちょっと! どうして守護者統括であるわたくしに聞かないのよ!?」

「まぁまぁ、アルベド、落ち着いてよ~」

「ちょっ、アウラ!?」

 

 傍らで騒ぐアルベドをアウラがわざとらしく宥める中、デミウルゴスはペストーニャから問題の四枚のカードを受け取って内容を見やった。

 瞬間、デミウルゴスの動きがピタッと止まる。

 デミウルゴスは数秒間四枚のカードを凝視すると、次には大きな息を吐き出した。

 ぐるっと踵を返して足先をアルベドとシャルティアへと向けると、彼女たちへ歩を進めながらズイッと問題のカードを突き付けた。

 

「……これは一体どういうことだね?」

 

 テーブルの上に置かれた四枚のカード。

 誰もが覗き込むようにカードを見やり、瞬間、一様に各々の感想を口に乗せた。

 

「……うわぁ~……」

「これはぁ、至高の御方々に対して失礼だと思いますぅ~」

「………デミウルゴスの心配が当たっちゃうとか…。ていうか、これはありえないと思うんだけど……」

「えっと、そのぉ……」

「コレハ完全ニアウトダナ」

 

 全員が全員、否定と非難の言葉を口にする。

 デミウルゴスが再び大きなため息をつく中、ナザリックの善意とも言うべきメイド長ですら犬の顔に渋い表情を浮かべて苦言を発した。

 

「至高の御方々の玉体が目当てのような商品があるというのは、御方々を卑下するも同じだと思われます……わん」

「まぁ、それは違うわ、ペストーニャ。むしろ御方々を愛しているからこそ、その寵愛を少しでも得たいと思うのは自然なことではないかしら?」

「アルベドの言う通りでありんす」

 

 こんな時にだけ仲良く反論してくるアルベドとシャルティアに、しかし他の面々からの視線は非常に冷たい。

 デミウルゴスは問題の四枚のカードを再び手に取ると、そのまま手の中に呼び出した炎で完全に焼き尽くした。

 

「ちょっ、何をするのよ!!」

「デミウルゴス、てめぇっ!!」

 

 当然怒気を露わに声を上げてくるサキュバスと吸血姫に、しかし悪魔の表情は全く崩れない。

 こちらも大きな怒気を宿した笑みを浮かべる悪魔に、更にはダークエルフの少女と氷結の武人とメイド長も加わって、アルベドとシャルティアは彼らから説明と説教のダブルパンチを受けることとなった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……『騒々しい、静かにせよ!』」

 

 所変わって、ナザリック地下大墳墓第九階層にあるモモンガの自室。

 絢爛豪華なメインルームである居室にて、現在モモンガはウルベルトから立ち居振る舞いの指導をしてもらっていた。

 

「う~ん……、もう少し大袈裟に腕を振るった方が良いですかね……。もう一度やってみて下さい」

「大袈裟すぎるのもワザとらしくなりませんか?」

「大丈夫ですよ。むしろ自分が大袈裟に感じるほどオーバーにやった方がしっくりくる場合も多いからな。はい、もう一度」

「ぬうぅ……。……『騒々しい! 静かにぃ……っ!?」

 

 ウルベルトの言う通りに今度はもう少し大袈裟な動作で先ほどの言葉を繰り返す。しかし突然背骨に走った強い寒気に、モモンガは思わず動きを止めて声を裏返らせた。

 何が起こったのか訳が分からず、ウルベルトが小さく首を傾げさせる。

 

「どうかしました?」

「いや、今すごい寒気が……。気のせいだったんですかね……」

 

 今はもう何も感じない様子に、モモンガも首を傾げさせる。

 

「……疲れてるんじゃないか? ちょっと休憩しましょうか」

 

 ウルベルトは少し考えた後、立ち居振る舞いの練習はこれまでにして休憩するように提案した。近くの椅子に腰を下ろし、モモンガも来るように片手で手招く。モモンガはなおも納得しかねる表情を動かない骨の顔に浮かべながらも、しかし何も言うことなくウルベルトの元へと歩み寄っていった。促されるがままに、テーブルを挟んで向かい合うような形で腰を下ろす。深く背もたれに身体を預けると、はあぁっと大きな息を吐き出した。

 

「随分お疲れみたいだな、モモンガさん」

「……まだやるべきことも、考えなくちゃならないことも沢山ありますからね。ウルベルトさんとペロロンチーノさんが一緒で本当に良かったです」

「まぁ、力になれているのかは分からないけどな」

 

 モモンガからの感謝の言葉に、しかしウルベルトはひょいっと肩を竦ませた。

 ウルベルトからすれば自分の思うがままに好きなように行動しているだけであるため、今一モモンガの役に立てているか大いに疑問だった。ペロロンチーノも恐らく似たようなものだろう。

 しかしモモンガは否定するように大きく頭を振ってきた。

 

「そんなことありませんよ! ウルベルトさんもペロロンチーノさんも十分すぎるほど力になってくれていますし、二人がいるだけでもとっても心強いです! それに、お金の面だって……」

 

 途中で言葉を切ると、モモンガは再び大きな息を吐き出した。項垂れるようにテーブルへと突っ伏し、そのまま深々と頭を下げてくる。

 

「……本当にありがとうございます、ウルベルトさん」

「えっ、いや、どうしたんですか、モモンガさん?」

「いや……、ぶっちゃけウルベルトさんが稼いできてくれるお金ですっごく助かってるんですよ。ウルベルトさんがいなかったらと思うと、本当にゾッとします」

「そんな大袈裟な……。というか、そんなにヤバい状況なのか?」

 

 この世界に転移してきてからというもの、資金の管理や割り振りなどは主にモモンガが担当していた。ウルベルトとペロロンチーノは毎回手に入れた資金を全てモモンガに渡しているだけで、詳しい部分は全く把握していなかったのだ。とはいえ、そんなに切羽詰まった状況だったのだろうか……と首を傾げさせる。

 

「ナザリックの維持費は勿論必要ですし、それに加えてセバスへの追加資金やコキュートス要望のリザードマンの村への復興支援や道具の調達費用なんかもいるので、結構きつきつなんですよ」

「マジか……。でも、モモンガさんだって稼いできてるじゃないか。アダマンタイト級冒険者なんだし、一回の依頼料もそれなりに高額なはずだろう?」

 

 予想以上の切羽詰まったような状況に内心冷や汗を流しながらも、しかし一方で納得できかねる部分もあり、ウルベルトは怪訝に小さく眉根を寄せる。

 モモンガとナーベラルが扮している冒険者“漆黒”はアダマンタイト級に属しており、依頼料もそれなりに高額であるはずだ。ならば自分たちよりも余程稼いでいるのではないかと問うウルベルトに、しかしモモンガは力なく頭を横に振った。

 

「……いや、まぁ、そうなんですけど……。でも、時々ウルベルトさんの方が一回の依頼料が高い場合もあるんですよ。ほら、闘技場の出場依頼とか」

「………あー……」

 

 モモンガからの指摘に、ウルベルトは少しの間を置いて納得の声を小さく零した。

 確かに闘技場の演目出場依頼を受けた時は、それなりの高額が懐に入ってくる。しかしそれにはそれなりの仕組みがあり、モモンガの一回の依頼料よりも高額になるのも仕方がないことだった。

 

「まぁ、闘技場の演目出場依頼の場合は、試合に勝てば闘技場の賞金も追加でもらえるからな。モモンガさんは冒険者組合での依頼料だけなんだし、仕方がないんじゃないか?」

「……うぅ、それはそうなんですけど……」

 

 一応は同意の言葉を口にするものの、しかしモモンガの態度が納得していない気持ちを大いに物語っている。未だテーブルに顔を突っ伏し、肩を落として申し訳なさそうな雰囲気を全身から垂れ流していた。

 悲壮感漂うモモンガの様子に、ウルベルトは肩を竦ませながら山羊の顔に小さな苦笑を浮かばせた。

 

「そんなに気にする必要はないと思いますがねぇ。ワーカーである俺とは違って、モモンガさんは冒険者なんだから。他の冒険者たちの兼ね合いや周りの目もあるし、それを考えればどうしても受ける依頼は限られてくるんですから」

 

 ウルベルトの言う通り、名声を重視するモモンガは、同業者である他の冒険者たちの兼ね合いや周りから金にがめつい印象を持たれないために非常に細心の注意を払って行動している。何も気にせず依頼を受けられればいいのだが、モモンガの立場上そう言う訳にはいかなかった。

 

「……そうはいっても、ウルベルトさんだって依頼の半分以上を他のワーカーたちに譲ってるじゃないですか」

「まぁ、ワーカーの世界でも同業者への配慮はそれなりに必要だからな。とはいえ、闘技場の演目出場依頼は俺が独占しているようなもんだし、モモンガさんが気にするほどじゃありませんよ」

「………ぬうぅ……」

 

 ウルベルトの言い分に、モモンガが呻き声のような声を上げる。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、未だ突っ伏しているモモンガの白い骨の頭をコツコツと軽く爪で叩いて顔を上げさせた。

 

「それに、モモンガさんはユグドラシルの時にずっと一人でナザリックを管理して守ってきてくれてたじゃないですか。維持費を一人で稼ぐのは大変だったでしょう? それを思えば、こんなのは安いもんですよ」

「それは……。……俺はギルマスなんですから、当然ですよ」

「なら、俺やペロロンチーノが資金を稼いでくるのも当然のことですよ。ここは俺たちの家でもあるんだから。誰がどれだけ稼いでこようが良いじゃないか。モモンガさんが俺たちやナザリックのために頑張ってくれるのが当然なら、俺やペロロンチーノがモモンガさんやナザリックのために頑張るのも当然の権利ですよ」

 

 胸を張りながら言ってのけるウルベルトに、モモンガはポカンとしたようにウルベルトを見つめる。暫く無言のままマジマジと見つめた後、次には小さな笑い声を零した。

 

「……ははっ、ずるいなぁ、ウルベルトさんは」

「フンッ、なんせ悪魔だからな」

 

 ニヤリと悪魔らしい笑みを浮かべるウルベルトに、モモンガも骨の顔に笑みを浮かべる。

 二人の間に和やかな空気が漂う中、不意にノックの音が外側から響き、こちらの返事を聞く前に扉がひとりでに開かれた。

 

「……ふわぁ~、おはようございま~す…」

 

 未だ眠そうに大きな欠伸を零しながら、のんびりとした足取りでペロロンチーノが室内へと入ってくる。後ろにはペストーニャと小さなワゴンを持った一人の一般メイドが付き従っており、モモンガとウルベルトはペロロンチーノを招き入れながらも、深々と一礼してくるペストーニャたちに小さく首を傾げた。

 

「おはようございます、ペロロンチーノさん。ペストーニャたちを引き連れて、どうしたんですか?」

「丁度廊下で会ったんですよ。モモンガさんに用事があるっていうので、一緒に来たんです」

 

 当然のように椅子に腰掛けながら説明するペロロンチーノに、一般メイドがすぐさまワゴンを寄せてくる。ワゴンの上には三種のサンドウィッチとティーセットが置いてあり、どうやら遅い朝食をここで取るつもりのようだった。

 少し羨ましそうにサンドウィッチを見つめるモモンガに、ペストーニャが静々と歩み寄ってくる。

 

「モモンガ様、アルベド様より給金の件についての書類をお持ち致しました、わん」

「ああ、あの件か。命じたのは定例報告会議の直後だというのに、もう返答を持ってきたのか」

 

 ペストーニャから恭しく差し出された数枚の書類を受け取りながら、モモンガは思わず感心した声を零す。

 ウルベルトはペストーニャの犬の顔が小さく強張ったように見えたものの、それよりもモモンガの言葉の方が気になってそちらへと意識を向けた。

 

「給金の件? 何のことだ?」

「ああ、シモベたちに給金を支払おうと考えていてな。だがナザリック内の施設は全てが無料だろう。なので、まずは彼らが何を欲しがっているのか、アルベドから守護者たちへアンケートを取るように命じていたのだ」

 

 ウルベルトだけでなく、サンドウィッチに齧り付きながらも疑問の視線を向けてくるペロロンチーノに、モモンガはこれまで一人で考えていたことを手短に説明していく。

 モモンガの話を聞くにつれ、ウルベルトとペロロンチーノが納得と呆れにも似た表情を浮かべた。

 

「……なるほど。実にモモンガさんらしい考えだ。まぁ、あいつらが給金や褒美を欲しがっているとは思えないがね……」

「でも、俺もやっぱり給金や褒美は必要だと思いますよ。彼らが何を欲しがっているのか、すっごく興味ありますし」

 

 正確にシモベたちの心情を言い当てるウルベルトと、モモンガの考えに賛同するペロロンチーノ。

 二人の意見を興味深く聞きながら、モモンガはこちらを注視してくるウルベルトとペロロンチーノにも書類の何枚かを手渡した。三人で手元の書類に目を向け、その内容に視線を走らせる。

 

「……ほう、“服”か。確かに守護者たちは大抵同じような服を着ているからな。今までとは違う服を着るのは気分転換にもなるし、尤もな意見だな」

「こっちは“武器と防具”ですね。この案を出したのはコキュートスかな」

「……おい、こっちは“人間”って書かれてるぞ。確かに人間を食べる奴もナザリックにはいるから分からなくはないが……。まずは養殖しないと無理だぞ」

「ちょっと、人間を養殖とか止めて下さいよ!」

「ふむ……。賊や、我々に敵対した人間たちを褒美として与えるのも良いかもしれないな」

 

 書かれている案に目を通しながら、それぞれ意見を交わし合う。

 これらは給金をどうするか以前に、彼らの今後の褒美について大いに参考にできるものだった。加えて、守護者たちが何を望んでいるのか明確に知ることができて、何だか楽しい気分になってくる。

 しかし不意に一つの文字が視界に入り込み、モモンガはピタッと動きを止めた。

 

「………『ペロロンチーノ様の……添い寝券』…?」

「え? なに? 俺?」

 

 いきなりの名指しに、ペロロンチーノが呆けた声を上げながらモモンガを振り返る。

 しかしモモンガはそれどころではなかった。鬼気迫る勢いで、書かれている項目に目を通していく。

 視線が動くにつれて動揺と驚愕と一種の恐怖のような感情が湧き上がってくるのは果たして気のせいなのだろうか……。

 最後まで読み終わった頃には、モモンガは呆然自失となってしまっていた。

 

「うえぇっ! ちょっ、どうしちゃったんですか、モモンガさんっ!!」

 

 突然のモモンガの急変にペロロンチーノが慌てふためく中、ウルベルトが身を乗り出してモモンガの骨の手から一枚の書類を抜き取る。ウルベルトは自身の椅子に再び腰を下ろしながら、書類に目を走らせて金色の瞳を細めさせた。

 

「なるほど……、これか……」

「一体何が書かれてたんですか!?」

 

 ウルベルトの声に反応して、ペロロンチーノが椅子から立ち上がってウルベルトの元へと駆け寄っていく。

 背後に回って書類を覗き込むと、次には仮面の奥で目を見開かせて小さく息を呑んだ。

 

「……『ペロロンチーノ様の添い寝券』に続いて、『御方と一緒に食事で“あ~ん”券』、『御方と一緒にお風呂券』、『御方と二人でお空をデート券』。他にも『椅子になって御方に座ってもらう券』なんてものもあるぞ。後は『膝枕券』に『騎獣で相乗りデート券』に……。一番マシなのは『鍛錬券』だが、この“ガチバトル希望”はちょっと無理だな。俺たちと一緒に何かをする権利が欲しいって意味なんだろうが、これはちょっと内容が濃すぎるぞ」

 

 慌てふためくことなく冷静に分析できるのは、彼が悪魔だからだろうか……。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、ペロロンチーノもモモンガと同じく現実逃避してしまいたくなった。

 本音を言えば、ペロロンチーノ個人としてはどれも別段拒否しなくて良いものだ。ものによっては逆にウェルカムなものすら幾つかある。しかしこれらを許してしまっては鳥人(バードマン)となって強くなった欲求が暴走するような気がして、それを制御できる自信がペロロンチーノには全くなかった。

 

「………はっ……!」

 

 ペロロンチーノが現実逃避する中、モモンガが漸く我に返ったように声を上げてくる。アンデッドとしての精神抑制が作用したのかとモモンガに目を向ければ、どうやら彼が正気に戻ったのは別の原因によるものであったようだった。

 モモンガはこめかみに指を添え、何もない宙へと眼窩の灯りを向けている。

 どうやら誰かから〈伝言(メッセージ)〉が来たようで、ウルベルトとペロロンチーノは無言でモモンガの様子を窺った。

 先ほどと同じようにどんどんと様子がおかしくなっていくモモンガに、非常に嫌な予感が湧き上がってくる。

 暫くして漸く〈伝言(メッセージ)〉が終わったのか、モモンガはこめかみから指を離すと、呆然とした様子でウルベルトとペロロンチーノを振り返ってきた。

 

「………今、セバスが裏切ったと……ソリュシャンから連絡が入りました……」

「えっ!?」

「……ほう……」

 

 呆然と呟くモモンガに、ペロロンチーノが驚愕の声を上げ、ウルベルトが金色の瞳を怪しく細めさせる。

 まるでこれからのことを暗示するかのように、ウルベルトの手の中で、握られていた書類がグシャッと歪に歪んだ。

 

 



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第42話 罪と罰

今回はセバスとツアレに対して厳しめな内容になっております。
セバスのファンの方、ツアレのファンの方はご注意ください。


 ソリュシャンからセバスの裏切りの報告が来てから約一時間後。

 モモンガたちはすぐさま守護者たちに招集をかけ、それと共に報告者であるソリュシャンにもナザリックへの帰還を命じた。

 彼らが集っているのはナザリック地下大墳墓第九階層にある円卓の間。

 モモンガとペロロンチーノとウルベルトはそれぞれ並んで円卓の椅子に腰かけ、その左右に守護者たちが立ち、先ほどナザリックに帰還したソリュシャンだけがモモンガたちと向き合うような位置で片膝をついて深々と頭を下げていた。

 

「………良く戻った、ソリュシャン」

「はい、モモンガ様。お呼びとあらば即座に馳せ参じます」

「……では早速だが、お前が私に報告した内容をもう一度この場で報告してもらおう。今回は一から全て、何が起こり、現在どのような状況なのかまで事細かに詳しく報告せよ」

「はっ」

 

 モモンガの命令の言葉に従い、ソリュシャンは更に深く頭を下げる。

 続けて語られる報告内容は、これまで一度として全く聞いたことのないものだった。

 

 事の始まりは一週間ほど前。

 セバスがボロボロの状態の一人の人間の少女を連れ帰ったのが全ての始まりだという。

 セバスの話によると捨てられていたところを拾ってきたらしく、ソリュシャンとルプスレギナはセバスに命じられて少女の治療を行った。その後、ソリュシャンとルプスレギナは幾度となく少女の存在を至高の主たちに報告すべきだと進言したが、セバスはいろいろな理由をつけてそれを拒否。ソリュシャンとルプスレギナも、その理由の幾つかには納得したため、今までは全てセバスの判断に任せていたのだという。

 しかし、ある人間たちの来訪によって状況は一変した。

 館を訪ねてきたのはスタッファン・ヘーウィッシュと名乗る豚のような男と、サキュロントと名乗る不気味な男。この二人の男は兵の格好をした少数の人間たちを連れて現れ、本当かどうかは分からないが、リ・エスティーゼ王国の巡回使とセバスが拾ってきた少女が働いていた店の者だと名乗ってきたらしい。

 彼らの話によると、セバスは少女を拾ってきた際に店の者と思われる男にある程度の金を渡しており、それは奴隷売買にあたるとのことだった。リ・エスティーゼ王国では王女ラナーの改革により、奴隷売買や売春行為は厳しく禁じられている。そのため今回のセバスの行為は重罪にあたり、そのため多額の金額を請求されたらしい。

 しかし、そもそも拾われてきた当初の少女の状態から、彼らこそが禁じられた売春行為を行っていたことは明白である。とはいえ店の者に金を渡したというセバスの行動や少女の傷を既に全て癒してしまったことから、それらをこちら側から追及することは難しい状況だった。金を用意するという建前で何とか数日の猶予はもぎ取ったものの、状況は最悪の一言に尽きる。

 ソリュシャンとルプスレギナは事態の収束を図るために少女を彼ら人間たちに引き渡すことを提案するも、セバスはそれすらも拒否。解決策も思い浮かばすセバスは館を出ていき、ソリュシャンたちは堪りかねてモモンガに報告してきたとのことだった。

 

 ソリュシャンが一つ一つ言葉を紡ぐたびに重苦しくなっていく室内の空気。その発生源も原因も分かっているだけに、モモンガは内心ハラハラしていた。ソリュシャンも生きた心地がしないのだろう、頭を下げているため伏せられている顔がどんどん青白くなっている。

 重苦しい空気の発生源の殆どはこの場に集った守護者たちであり、彼らがその重苦しい空気を放っている主な原因はウルベルトが不機嫌そうな雰囲気を発しているためだった。

 彼ら自身、セバスの行動が不愉快だったというのも勿論あるだろう。しかし一番は、主の一人であるウルベルトが不快に思っているという事実が彼らの感情に更なる拍車をかけていた。

 このままでは非常にマズい、とモモンガは周りの空気から咄嗟に感じ取る。

 何とかこの場を落ち着かせるべく、まずはゴホンッとワザとらしく咳払いを発した。

 

「………あー、……報告をしてくれて礼を言うぞ、ソリュシャン」

「とんでもございません! 報告が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした!」

 

 モモンガの言葉に、ソリュシャンは大袈裟なまでにガバッと大きく深く頭を下げてくる。

 モモンガはソリュシャンを嗜めると、次は恐る恐る隣に腰掛けるウルベルトを見やった。

 

「あー、それで、報告は一通り聞いたわけだが……。ウルベルトさんはどう思う?」

 

 何とも要領を得ない曖昧な問いかけ。

 ウルベルトはソリュシャンからモモンガへと視線を転じると、次には小さく首を傾げてきた。

 

「……それは一体どういう意味の問いかけかね? 『セバスが我々を裏切っていると思うか?』という問いならば、私は“その可能性は低いだろう”と答えるだろう。または『これらのセバスの行動をどう思うか?』という問いならば、私は“不愉快だ”と答えるだろうねぇ」

 

 瞬間、更にこの場の空気が一気に重苦しくなる。まるでウルベルトの言葉と感情に触発されるかのように、守護者たちの感情が一気に急降下していく。

 モモンガは内心で悲鳴を上げると、慌てて逆隣に座るペロロンチーノを勢いよく振り返った。

 

「ペ、ペロロンチーノさんはどう思う!? セバスは我々を裏切っていると思うか?」

「う~ん、そうですね~……。俺も、セバスは裏切ろうとしている訳ではないと思いますよ」

 

 今度は間違えないように内容を明確にして問いかければ、ペロロンチーノも空気を読んだのか無難な返答を返してくれる。しかしこの場の空気は一向に軽くはならず、モモンガは内心頭を抱えたくなった。ウルベルトや守護者たちの気持ちも分からなくはないが、ここはもう少し冷静になってほしいと思う。

 モモンガは一度小さなため息をつくと、座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「私も、セバスには裏切りの意思はないように思う。しかし、それはあくまでも我々の予想に過ぎない。直接セバスに聞くのが一番良いだろう」

 

 言外に、これからセバスの元へ向かう意思を示すモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノも一つ頷いて椅子から立ち上がる。

 しかしそれは守護者たちに慌てて止められた。

 

「どうかお待ちを! 裏切りの疑いのあるセバスに直接会うなど危険です!」

「アルベドの言う通りです! どうかお考え直しください!」

 

 アルベドとデミウルゴスが制止の言葉を発し、他の守護者たちも大きく何度も頷いてくる。

 モモンガたちに絶対の忠誠を誓う彼らからすれば当然の行動。しかしモモンガたちからすれば、どこまでも大袈裟なものだった。

 

「俺たち三人だけで行くわけじゃないから大丈夫だよ。守護者の中からも何人か同行してもらうつもりだし」

「それにセバスでは私たちには勝てないよ。もっと私たちの力を信じたまえ」

「ペロロンチーノさんとウルベルトさんの言う通りだ。そこまで心配する必要はない。そうだな……、シャルティア、コキュートス、デミウルゴス、お前たちに供を命じる。そこまで心配するのであれば、お前たちが我々を守護せよ」

「「「はっ!!」」」

 

 モモンガの言葉に、シャルティアとコキュートスとデミウルゴスが一斉に傅き頭を下げてくる。他の守護者たちやソリュシャンも表情を引き締めさせると、無言のまま跪いて頭を下げてきた。

 モモンガは一つ頷くと、これからのことに思いを馳せて一気に憂鬱になるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 朱金と群青が絶妙に混じり合う夕暮れ時。

 突然舞い込んできた厄介ごとに解決策を求めて街へと繰り出したセバスは、ある一つの仕事を終えて漸く館への帰路についていた。

 しかし、解決策が思いついたわけでは決してない。逆にもっと深刻な状況にあることが判明して、セバスは頭が痛くなるような思いだった。

 実はセバスは街に繰り出してすぐに複数の人間に襲われて返り討ちにしていた。その者たちに〈傀儡掌〉という特殊技術(スキル)を使って尋問したところ、彼らは八本指と呼ばれる王国に蔓延る巨大な闇組織の者であり、館に来たサキュロントという男も八本指に属する人間だということが判明した。八本指は麻薬や売春や奴隷売買といったありとあらゆる犯罪に携わっており、セバスが拾い助けた少女――ツアレは八本指が運営している娼館で働かされていたということだった。

 彼らの口から娼館の情報を掴み、時間を稼ぐという意味合いで娼館を襲撃したものの、ツアレに関する問題が全て片付いたわけでは決してない。あくまでも時間稼ぎに過ぎないだろう。

 さて、どうしたものか……と頭を悩ませながら、セバスは拠点としている館へと辿り着いた。扉の前まで歩み寄り、ふと中に気配を感じて咄嗟に動きを止める。気配を探れば、どうやらソリュシャンが扉の前に立っているようだった。一体何事かと思いながら扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた彼女の姿に、セバスは思わず驚愕に目を見開かせた。

 ソリュシャンは令嬢用のドレスではなく、ナザリック地下大墳墓のプレアデスである戦闘用メイド服をその身に纏っていた。

 

「……お帰りなさいませ、セバス様」

「ソ、ソリュシャン……、何故、その恰好を……」

「セバス様、至高の御方々がお待ちです」

「っ!!?」

 

 ソリュシャンの姿もそうだが、何より言われた言葉に驚愕の表情を浮かべる。同時に背筋に走った冷たい衝撃に、セバスは思わず冷や汗を溢れさせた。

 鋼の執事にしては珍しく驚愕と動揺を露わにするのに、しかし対峙するソリュシャンは全く変わらない。どこまでも無表情に、無感情な瞳で静かにセバスを見据えていた。

 

「セバス様、至高の御方々がお待ちです」

 

 繰り返される、全く同じ言葉。

 まるで逃げることは許されないというような彼女の声音に、セバスは力なく彼女に従う他なかった。

 いや、至高の主たちが来ている以上、逃げることなど不可能だろう。それでも気持ちは重く、セバスは鈍く感じられる足を無理やり動かしながら館の中へと足を踏み入れていった。

 ソリュシャンの案内に従い、館の奥へ奥へと進んでいく。

 辿り着いたのは応接室であり、まるでセバスの今の心を代弁するかのように目の前の扉はゆっくりゆっくりと開いていった。

 扉が開かれたことで目に飛び込んでくる室内の光景。そこには幾人もの異形がセバスを待ち構えていた。

 応接室に置かれているソファーに腰掛けているのは、漆黒の豪奢なローブを身に纏ったアンデッドと漆黒の悪魔と黄金色の鳥人(バードマン)。セバスが仕える至高の四十一人の内の三人であり、現在のナザリック地下大墳墓の主であるモモンガとウルベルト・アレイン・オードルとペロロンチーノである。

 彼らはセバスから見て左側からウルベルト、モモンガ、ペロロンチーノの順に横並びに並んで座っている。ウルベルトの横には朱色の悪魔が控えるように立っており、ペロロンチーノの横には青白い氷の武人と白皙の美少女が立っていた。

 

「遅くなりまして申し訳ございません」

 

 震えそうになる声音を必死に抑えながら深々と頭を下げる。

 誰もが無言でいる中、ただ一人モモンガだけが代表するようにセバスへと声をかけてきた。

 

「いや、構わん。連絡なしに来たのはこちらだからな。……それよりも早く中に入ってこい」

「はっ」

 

 モモンガに促され、セバスは顔を上げて室内へと足を踏み入れる。背後でソリュシャンも部屋の中に入り、扉を閉めるのが気配で感じ取れた。

 一歩一歩足を踏み出す度に強くなっていく威圧的な空気。

 殺気と敵意が綯い交ぜになっている威圧感を発しているのは、目の前に佇む守護者たちだった。

 デミウルゴスやコキュートスは一見普段と変わらないものの、シャルティアは大きく煌めく深紅の双眸をギラギラとぎらつかせている。

 セバスですら息苦しく感じられるほどに濃厚な空気に、セバスはモモンガたちからまだ少し離れた場所で足を止めた。通常であればもう少し近づいても不敬にはならないのだが、しかしこれ以上近づくことを守護者たちが許すとも思えない。彼らが発する空気が無言のままセバスに圧力をかけていた。

 

「……さて、それでは早速本題に入るとしよう。セバス、我々がここに来た理由をお前は理解しているか?」

「……はっ」

「ほう、理解しているのか……。ならば是非ともお前の口から説明してもらいたいものだねぇ」

 

 モモンガに続いて口を開いたのはウルベルト。

 外の世界に対しては悪魔としての残虐性を見せたとしてもナザリックに属するモノたちに対しては柔らかな微笑しか見せたことのないウルベルトが、今はセバスに対して皮肉気な冷たい笑みを向けている。そのことに、まるで氷の手で心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。

 ここにきて今更ながら、自分がいかに危ない橋を渡っているのかが思い知らされる。

 ソリュシャンやルプスレギナに疑問と警戒の視線を向けられた時から、自身の認識の甘さは実感していたはずだった。しかし、それすらも生温かったのだ。

 追いつめられて身動きも取れない執事に、悪魔は容赦なく更なる言葉を紡いできた。

 

「どうした、何を口を噤んでいる? それとも本当は理解していないのかな? ……ソリュシャンとルプスレギナから、お前が一人の人間の女を拾って買い取ったと報告を受けたのだが、それは事実か?」

 

 ウルベルトの言葉に、セバスは思わず開きかけた口を閉ざした。ウルベルトの話した内容は間違ってはいないが、全て正しいと言えば語弊があった。

 確かにセバスはツアレを拾って助け、ツアレを捨てた男に金を渡した。しかしその金はそもそも、このことがバレたら殺されると喚く男に対して逃走するために渡した金だったのだ。別にツアレを物のように買い取ったわけでもなければ、そういった意味合いで男に金を渡したわけでもない。

 しかし果たしてそれをウルベルトたちに言うべきなのかどうかは、セバスは判断することが出来なかった。

 

「セバス、何故黙っている? 私は事実かとお前に聞いたのだが?」

「っ!! はっ、申し訳ありません! ウルベルト様の仰る通りでございます!」

 

 ハッと我に返り、慌てて肯定の言葉を口にする。そのまま頭を下げるのに、次にかけられたのはモモンガの声だった。

 

「ふむ、なるほど……。ではもう一つ尋ねよう。何故そのことを我々に報告しなかった?」

「……それは、あの程度の事は至高の御方々にご報告するまでもないと、私が勝手に考えたためです」

 

 シーンっと静まり返る室内。守護者たちと背後のソリュシャンから敵意と殺気が溢れだし、一直線にセバスに突き刺さる。そんな言い逃れがまかり通ると思っているのか、とその視線たちは言っているようだった。

 しかしセバスには、そう言う以外の選択肢がなかった。決して裏切るつもりはないのだという証明とツアレの身の安全を確保するためには、それ以外の言葉など思いつかなかったのだ。

 永遠とも思えるほどに感じられる静寂と張り詰めていく空気。

 それらを破ったのは、不意に扉から響いてきたノック音と、それに応える悪魔の甘やかな声だった。

 

「モモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様、失礼いたします。ご命令に従い、連れて参りました」

 

 開かれた扉から姿を現したのはルプスレギナ。

 咄嗟に振り返って扉を見やったセバスは、ルプスレギナの背後に目をやって驚愕に大きく目を見開かせた。

 頭を下げて礼を取るルプスレギナの背後に佇む一つの影。困惑と恐怖の色を浮かべたツアレが、部屋の中にいる異形たちを大きな瞳で凝視していた。

 彼女の視線の先ではモモンガとペロロンチーノが『ん……?』と小さな反応を見せていたのだが、それに気が付けないほどセバスはツアレに意識が奪われていた。

 

「……なぁ、セバス。私はお前の答えに納得がいかないのだよ。この物分かりの悪い私に、どうか説明してくれないか?」

 

 不意に、まるでセバスの意識を引き戻すかのように悪魔の声がかけられる。

 咄嗟にそちらを振り返って金色の瞳と視線がかち合った瞬間、セバスはゾクッと背筋を硬直させた。

 

「お前が我々に報告しなかったのは故意か? それとも過失か?」

「………私の勝手な判断で報告をしませんでした。今後は……――」

「違う」

 

 ウルベルトはセバスの言葉を途中で遮ると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。ルプスレギナにツアレを近くに来させるよう手振りで指示を出しながら、ウルベルト自身はセバスの元へと足を踏み出す。

 

「ウルベルト様っ!!」

 

 デミウルゴスが引き留めるように名を呼び、しかしウルベルトは後ろ手に片手を軽く挙げるだけで足を止めようとはしなかった。

 しかしデミウルゴスとて完全に退く訳にはいかない。すぐさまウルベルトの背後へと駆け寄ると、いつ何が起こっても対処できるように、ピリピリとした空気を纏って鋭い殺気をセバスへと向けてきた。

 ルプスレギナの手によってセバスの背後まで連れてこられたツアレがビクッと身体を強張らせたのが気配で分かる。

 ウルベルトはデミウルゴスの様子にもツアレの様子にも気が付いているだろうにそれを気にした様子もなく、真っ直ぐにセバスの目の前まで歩み寄るとズイッと顔を近づけてきた。怪しくも不思議な光を宿す金色の瞳が、視界いっぱいに広がってセバスの中を覗き込んでくる。

 

「私が聞きたいのはそんな言葉ではない。お前も分かっているだろう? ……お前が報告しなかったのは、あの娘の存在が我々にとって害にしかならないと分かっていたからか? それとも、本当に単純に報告する必要がないと勝手に判断したのか?」

「……それは…」

「もし本当に、単純に報告する必要がないと判断したならば、私はお前の判断能力を疑わずにはおれない。我々はお前にありとあらゆる情報を……それこそ噂話から物価、地理、その日に接した人間たちとの会話の内容など、些細な情報まで全て報告するように命じていたはずだ。加えてソリュシャンやルプスレギナからも再三我々に報告するべきと進言されていながら報告しなかったとあっては……」

 

 途中で言葉を切り、ウルベルトがやれやれとばかりに頭を振ってくる。まるで心底呆れたような仕草に、セバスは一気に血の気が引くような感覚に襲われた。

 先ほどのウルベルトの言葉は、間違いなく“用無し”や“役立たず”といった意味に他ならない。

 主から向けられた言葉に、セバスは絶望の底に突き落とされたような気がした。

 確かにウルベルトの言葉通り、もしセバスが本当にソリュシャンやルプスレギナの言葉を無視し続けて単純に報告し続けなかったのだとしたら、それは完全に役立たずである。もし他の者がそうであったなら、セバス自身も役立たずだと思ったことだろう。

 主の一人であるウルベルトに実際に言われて初めて、自分がいかに馬鹿な言い訳を口にしていたのか思い知らされた。

 

「もう一度問おう、ナザリック地下大墳墓の執事(バトラー)セバス・チャン。我々に全て報告するよう命じられ、ソリュシャンやルプスレギナから再三報告するべきと進言され、実際に問題が起こってもなお我々に報告しなかったのは何故だ?」

「……………………」

 

 セバスのピンっと伸ばされた背筋に冷たい汗が流れる。ウルベルトの問いにセバスはもはや何も答えることが出来なかった。

 ツアレを助けた時も、ソリュシャンやルプスレギナに進言された時も、スタッファンやサキュロントが訪ねて来た時も……、何が起きてもモモンガたちに報告しなかったのは全てがナザリックの気質と、報告した時に訪れるであろうツアレの運命が分かっていたからだ。

 恐らく至高の存在であるモモンガたちは、既にこのような自分の愚かな思考にも気づいていることだろう。

 もはや誤魔化すことはできず、嘘をつくなど以ての外。自分に許されているのは正直に話すことのみだと分かっているのに、背後にいるツアレの事を思えばそれもできはしない。

 至高の主に尋ねられているというのに一向に答えようとしないセバスに、この場にいるセバス以外の全てのナザリックのシモベたちが一様に殺気立ち始める。

 一触即発の空気の中、ウルベルトのため息の音が大きく響き渡った。

 

「………“誰かが困っていたら、助けるのは当たり前”、か…?」

「っ!!」

 

 不意にウルベルトの口から零れ出た言葉に、セバスは勢いよく心臓を跳ねさせた。思い出される白銀の影に息を呑み、会話どころか呼吸すらままならなくなる。

 しかし目の前にあるのは眩いほどの白銀ではなく、底のない深い漆黒の闇。

 思わず救いを求めるように縋るような目で目の前の悪魔を見つめてしまっていることに、セバス自身は全く気が付かなかった。

 そしてセバスに与えられたのは、どこまでも冷たい光を宿した金色の瞳。

 

「なぁ、セバス、一つ教えてやろう。お前のそれは決して優しさでも正義でもない。ただの甘さだよ」

「……っ!!」

 

 冷たい瞳に反してかけられた声音はどこまでも柔らかく優しく甘い。しかしその言葉はどこまでも鋭くセバスの胸に突き刺さった。

 まるで自分の存在を否定されたような……、親に見捨てられた子供のような頼りなさと底のない大きな恐怖。咄嗟に違うと否定しようとして、しかし恐怖に喉を塞がれて声すらも出てこなかった。

 硬直したまま微動だにしないセバスに、まるで彼を庇うかのように、今までずっとセバスの後ろで立ち竦んでいた少女が震える足を一歩踏み出してきた。

 

「………ち……、ちがいま、す……。セバスさま、は……そんな……っ! ほ、ほんとうに…わたし……すくわ…れ、て……!」

 

 少女にとってはとてつもなく勇気を振り絞った行動であったことだろう。

 真っ青な顔と大きく震える全身。ひどく掠れた声がそれを如実に物語っている。

 しかし彼女の行動は忠誠心厚い朱色の悪魔の怒りに大きな火をつけた。

 

「人間風情が、至高の御方に反論するなどっ! 身の程を知れっ!! 『即座に口を閉じ、その場にひれ伏せ』っ!!」

「――っ!!?」

 

 激昂する悪魔の声が言霊となって少女を縛り付ける。

 少女は驚愕と恐怖に目を見開きながら、成す術もなく口を閉じてその場に跪いた。まるで強い重力に押し潰されているかのように、少女は頭を低く垂れさせて額を地面に擦り付けている。

 

「デミウルゴスっ!? なんてことを……! 早く彼女を解放してくださいっ!!」

 

 突然のことにセバスは思わず背後を振り返って屈み込み、ツアレの肩や背中に手をやりながらデミウルゴスへと怒声を上げる。

 しかしデミウルゴスがセバスの言葉を聞くはずがない。

 無言のまま怒気と殺気のこもった視線で見下ろしてくるデミウルゴスに、セバスも強く睨み返しながら勢いよく立ち上がって詰め寄ろうとした。

 その時……――

 

「……デミウルゴス、今すぐ彼女を解放してあげてくれ」

「「っ!!」」

 

 まるでセバスを助けるかのように不意にかけられた声。

 思わずそちらへと振り返れば、今までずっと黙っていたペロロンチーノが静かにデミウルゴスとセバスを見つめていた。

 

「ペロロンチーノ様!? で、ですが……」

「良いから。今すぐ彼女を解放しろ」

「か、畏まりました……」

 

 ペロロンチーノの命に従い、デミウルゴスが戸惑いながらもすぐさま〈支配の呪言〉を解除する。

 途端に硬直させていた身体から力を抜いて震える息を大きく吐き出す少女に、セバスは再び屈み込んでその細い背を撫でてやった。

 未だ恐怖に震える少女を抱きしめるセバスと、そんなセバスに縋りつくツアレ。

 二人の様子を暫く見つめた後、ペロロンチーノはソファーから立ち上がると視線をウルベルトへと向けた。

 

「……ウルベルトさん、ちょっとやり過ぎじゃないですか? デミウルゴスのことも止めないし、セバスへの言葉も言い過ぎだと思います」

「……おやおや、私はデミウルゴスの行動は決して間違ってはいないと思いますがね。それに、私も何も間違ったことは言っていないはずです。セバスの行動はどう考えても仕方のない失敗ではなく、故意の犯行だ」

「例えそうであったとしても言い過ぎです。……ウルベルトさん、セバスはたっちさんじゃないんですよ」

「「っ!!」」

 

 ペロロンチーノの言葉に、ウルベルトとセバスが鋭く息を呑む。セバスは何故ここで自身の創造主の名が出てくるのかが分からず、しかしウルベルトは苦々しげに表情を歪ませた。ペロロンチーノの言葉に何か心当たりがあるのか、ウルベルトは腹立たしげに顔を歪めてペロロンチーノを睨み付けている。

 

「………セバスがあいつじゃないからなんだってんだ…。やってることは同じだろうがっ!!」

 

 いつもの支配者然とした優雅な口調は鳴りを潜め、今まで聞いたことのない粗野な口調でウルベルトが唸るように怒声を上げる。

 セバスは勿論のこと他のシモベたちも驚愕と困惑の表情を浮かべる中、しかしウルベルトとペロロンチーノはそれに構う様子もなく鋭い気配を纏って互いに睨み合っていた。

 

「やってることは同じでも、対応が違うでしょう。例えばデミウルゴスがセバスと全く同じことをしたとして、ウルベルトさんは今と全く同じ態度を取りますか?」

「俺のデミウルゴスはこんな馬鹿なことはしないっ!!」

「それこそ馬鹿な思い込みでしょうっ!!」

 

 瞬間、ウルベルトが牙をむいて肉食獣のような咆哮を上げ、ペロロンチーノは翼や羽毛を膨らませて猛禽類のような甲高い威嚇の声を上げた。ウルベルトの山羊の顔には毛皮の上からでも何本もの血管が浮かんでいるのが見え、仮面から伸びて口元に巻かれている深紅のベルトが牙をむく動きに従ってギチギチと小さな軋みを上げている。ペロロンチーノの方も全身の羽毛が膨らんでいるため普段の細いシルエットに反して何倍も体躯が大きくなっており、四枚二対の翼も広がって更なる威圧感が放っていた。

 鋭く睨み合い威嚇しあう二人から大きな怒気が溢れだし、部屋中を圧迫してセバスたちにも容赦なく襲いかかってくる。階層守護者であるないに拘らず、シモベたち全員が身体を硬直させて顔面を蒼白にし、全身から血の気を引かせた。絶対者二人の強すぎる圧力に呼吸すらままならない。

 シモベたち全員が恐怖のあまり気をやりそうになったその時、不意に骨が打ちあう軽い音が響いて一気に圧力が霧散された。

 

「二人とも、そこまで」

 

 骨の手を打ち鳴らして声を上げたのは、今まで黙って成り行きを見守っていたモモンガだった。

 

「……二人とも、そこまでにしておけ。二人が言い争っても仕方がないだろう」

 

 淡々と、それでいて厳かに言葉を紡ぐ様は堂々としており、対峙する者に畏敬すら抱かせる威容を放っている。

 しかし同じ絶対者である存在には関係のないものなのだろうか、同じ至高の存在であるウルベルトは少しも怯むことも恐れる様子もなく堂々とモモンガへと食って掛かっていった。

 

「モモンガさん、俺は……っ!!」

「ウルベルトさん、あなたの言い分も分かります。それでも、ペロロンチーノさんの言葉も一理あるんじゃないですか?」

「……っ!!」

 

 どこまでも静かな、それでいて鋭い言葉。

 ウルベルトは更に顔を歪ませると、まるで言葉に詰まったかのように黙り込んだ。

 モモンガとウルベルトは黙ったまま見つめ合い、先ほどまでとは打って変わり耳に痛いほどの静寂が室内に漂う。

 ペロロンチーノも腕を組んで二人を見守り、暫くの後に不意にウルベルトのため息の音が響き渡った。

 

「………少し、頭を冷やしてくる。後のことは二人で決めてくれ」

 

 先ほどまでの勢いは完全に消え去り、ウルベルトは力なく項垂れて緩く頭を振る。そのまま踵を返して扉へと向かう背に、すぐさまそれに付き従うようにデミウルゴスがウルベルトの元へと歩み寄っていった。

 しかし、それはすぐに振り返ってきた金色の瞳に止められる。

 

「……デミウルゴス、お前はここに残れ。私の代わりに全てを見届けてくれ」

「ウ、ウルベルト様……、ですが……」

「良いな?」

「……畏まり、ました……」

 

 まるで言い聞かせるような声音に、デミウルゴスが項垂れるように頭を下げる。長い銀色の尻尾も力なく垂れ下がっており、如実に今の彼の心情を表しているようだった。

 しかしウルベルトは金色の瞳をほんの少し細めるだけで何も言わず、そのまま扉へと歩み寄っていく。ソリュシャンが扉を開き、ウルベルトは彼女へと片手を軽く挙げながら扉の外へと出ていった。

 未だツアレの背を撫でてやりながらセバスは漆黒の背を見送り、扉の閉まる音と共に大きなため息の音が部屋中に響き渡る。

 反射的にそちらを振り返れば、再びソファーに腰掛けたペロロンチーノが小さく頭を振っていた。

 

「……まったく、ウルベルトさんの気持ちも分かりますけど、過剰反応しすぎですよ」

「ペロロンチーノさん……、あなたもウルベルトさんのことは言えないでしょう? ペロロンチーノさんだって、セバスが助けたのが少女ではなくて少年や男だったら、ウルベルトさんを諌める言葉自体言わなかったでしょう」

「……うっ……!」

 

 モモンガからの鋭い指摘に、途端にペロロンチーノの口から呻き声にも似た声が飛び出てくる。気まずそうな表情を浮かべて視線を逸らすペロロンチーノに、モモンガは呆れたように大きなため息を吐き出した。一度緩く頭を振り、次には気を取り直すように改めて眼窩の灯りを向けてくる。真っ直ぐにこちらを見据えてくる紅の灯りに、セバスは思わず無意識に背筋をいつも以上に伸ばしていた。

 

「……話を続けよう。セバス、私もお前の言い分をこのまま真に受けるつもりはない。改めて事のあらましと現状をお前の口から説明せよ。虚言も誤魔化しも許さん」

 

 きっぱりと言い切るその様に、セバスはもはや言い逃れはできないと悟った。先ほどウルベルトによって自身の愚かさを突き付けられた今、同じ轍を踏むわけにもいかない。

 セバスは深々とモモンガとペロロンチーノに頭を下げると、改めてツアレを拾ってからのことを説明していった。何故モモンガたちに報告しなかったのかも、包み隠すことなく正直に話していく。

 周りでは、あまりの内容にナザリックのシモベたちが敵意を濃くして殺気立ち、主からの一声さえあれば瞬時にセバスに襲いかかれるように臨戦態勢に入っている。

 しかし当の主人であるモモンガとペロロンチーノは全く態度を変えることはなかった。

 苛立った様子も呆れた様子も全くない。ただ静かにセバスの言葉に耳を傾け、話が終わった後には一言『……そうか』と零しただけだった。

 

「――……ですが、誓って至高の御方々を裏切る思いは欠片もございません!」

 

 下げていた頭を上げて言い募るセバスに、しかしそれに対するのはモモンガたち至高の主ではなく忠誠心厚いナザリックのシモベたちだった。

 

「セバス、いい加減にしたまえ。そのような言い分がまかり通ると本気で思っているのかね?」

「至高の御方々に与えられた命よりも人間の命を優先する時点で、それは許し難い大罪であり裏切り行為でありんす。……あまり調子こいたことぬかすなよ、てめぇ」

「我ラニトッテ何ヨリモ優先サレルノハ至高ノ御方々ニ関スル全テ。オ前ノ今回ノ行動ハ非常ニ許シ難イ」

 

 守護者たちがそれぞれ苦言を口にし、何も言わないソリュシャンとルプスレギナも鋭い視線を向けてくる。

 しかしそれらはモモンガが軽く片手を挙げたことによって止められた。

 

「……セバス、一つ聞きたい。そのツアレに関する情報以外に、これまで報告してきた情報は全て偽りなく包み隠さず報告していると誓えるか?」

「はい、誓います」

 

 モモンガの問いに、セバスは強く真っ直ぐにモモンガへと視線を向けながらきっぱりと言い切る。

 モモンガは暫くセバスを静かに見つめた後、次には徐にゆっくりと一つ頷いてきた。

 

「……よろしい。では、今回のセバス裏切りの疑惑と報告命令の違反については、これまでの働きと功績に免じて帳消しとし、不問とする。これに関して異論のある者はいるか?」

「俺はそれで良いと思いますよ。セバスの懸念と行動も……まぁ、理解はできますしね」

「至高の御方々がお許しになった以上、異論は一切ございません」

「デミウルゴスの言う通りでありんす。至高の御方々の言葉は絶対。私も異論などないでありんす」

「私モ異論ハアリマセン」

 

 ペロロンチーノが賛同の言葉を口にしたのを皮切りに、守護者の面々も次々と同意の言葉と共に頭を下げていく。ソリュシャンとルプスレギナも大人しく跪いて頭を下げており、一先ずは危機を脱したと感じ取ってセバスは思わず内心で安堵の息をついた。

 しかし、モモンガの眼窩の灯りがツアレに向けられたことに気が付いて、すぐさま気を引き締めさせる。

 考えてみれば、まだここではセバスの疑いが晴れて、情報を偽っていた罪を許されただけである。ツアレの存在は未だ許されたわけでも容認されたわけでもなく、次にどんな言葉がかけられるのかと思わず固唾を呑んだ。

 セバスの緊迫した心情を知ってか知らずか、モモンガは変わらぬ態度で再び口を開いてきた。

 

「では、話を次に移すとしよう。……騒ぎが起こった以上、これ以上この場に留まるのは危険を伴う。幸い王都での情報収集はほぼ終了したと判断しても良いだろう。セバス、ソリュシャン、ルプスレギナ、これより屋敷を引き払い、ナザリックへの撤退準備に入れ」

「はっ、畏まりました」

「それと、その人間の処分についてだが……。処分を決定する前に幾つかその人間に聞きたいことがある」

 

 瞬間、この場にいる全員の視線が一斉にツアレへと向けられ、彼女の細い肩がビクッと震える。縋るような視線でこちらを見上げてくるのに、セバスは無言のまま促すように一つ頷いた。細い背に手を添え、軽く押して前に数歩進み出させる。ツアレはセバスの隣まで歩を進めると、緊張と恐怖の表情を浮かべながらもモモンガへと真っ直ぐに視線を向けた。

 彼女の覚悟を感じ取ったのだろう、少しだけモモンガの纏う気配が柔らかくなる。

 

「よろしい、ではまず一つ目の質問だ。お前のフルネームは何という?」

「…ツ、ツアレ……ツアレニーニャ・ベイロン、です……」

「なるほど……。では、二つ目の質問だ。お前には妹がいるか?」

「っ!! ……は、はい……」

「……なるほど…。ふむ……」

「……モモンガさん、彼女ってもしかして……」

「……ああ、恐らくそうだろうな……」

 

 ツアレの答えを聞いた途端、モモンガとペロロンチーノが小声で話し合い始める。

 主たちの常にない様子に、セバスは勿論のこと他のシモベたちも一様に不思議そうな、或いは困惑の表情を浮かべた。ツアレも不安そうな表情を浮かべてモモンガとペロロンチーノを見つめている。

 彼女からすれば、モモンガたちが知るはずのない妹の存在を言い当てられたのだ、不安に思わない方が不思議だろう。

 セバスたちが固唾を呑んで見守る中、モモンガとペロロンチーノは暫く小声で話し合った後、漸く話が落ち着いたのか徐に会話を終えてこちらへと視線を戻してきた。

 セバスを見つめ、次にツアレを見やり、そこでやっとツアレの不安そうな様子に気が付いたようだった。

 

「……ああ、申し訳ない、無用な不安を抱かせてしまったようだな。心配せずとも、別にお前の妹の身に何かあったわけではない。お前の妹と私はちょっとした知り合いなのだよ。尤も彼女は私の正体を知らないがな……」

「君の妹は今は冒険者となって性別と名前を偽って、貴族に攫われたらしいお姉さんをずっと探しているらしいんだ。君がそのお姉さんで、こんなところでこんな風に見つかるとは思わなかったよ」

「……………………」

 

 モモンガとペロロンチーノの言葉に、しかしツアレの表情からは困惑の色が消えない。まさか大切な妹が自身を探して冒険者などという危険な身の上になってしまっていたとは夢にも思っていなかったからか、はたまた貴族に連れ去られた当時を思い出してしまったのか、その顔は青白くさえある。

 セバスが思わず彼女へと声をかけそうになる中、しかしその前にモモンガが次の言葉を口にする方が早かった。

 

「そこで、だ……。ペロロンチーノさんと相談した結果、彼女から我々に関する記憶を全て消した後に、その妹に彼女の身を引き渡そうと考えている。これに関して異論のある者はいるか?」

「「「っ!!?」」」

 

 モモンガの言葉に、この場にいるペロロンチーノ以外の全員が少なからず驚愕の表情を浮かべた。

 セバスは、その予想外の温情ある内容に。そして他の守護者たちは、害となるリスクしかない人間の女を殺さないという内容に。

 しかし驚愕の理由がどうであれ、一介のシモベでしかない身で至高の主たちの言葉に異を唱えるなど論外である。

 先ほどと同じように承知の言葉と共に頭を下げる中、しかしその言葉に異議を唱える者が現れた。

 

「………あ、……ま、まって……くださ……。わ、わたし……せばす、さま…と……いっしょ、に……っ!」

「人間風情が至高の御方の御言葉に反論するとか何様だ、てめぇっ!!」

「……ひっ……!?」

 

 瞬間、激怒したシャルティアが鬼の形相を浮かべ、ツアレが引き攣った悲鳴を上げる。腰が抜けて床に座り込んでしまうツアレに、セバスは思わず屈み込んで彼女の身体を支えてやった。思わずシャルティアに物申しそうになり、しかし寸でのところで言葉を呑み込んだ。

 シャルティアは確かに激怒しているものの、それ以上ツアレを害そうとはしてこない。至高の主たちがツアレの死を望んでいないという事実が彼女のストッパーになっていることは明白であり、ここでセバスが余計な言葉を口にすれば、逆にツアレの立場が悪くなる可能性の方が高かった。

 いくら至高の主たちがセバスを許したとはいえ、この場にいるナザリックのシモベたちがセバスを許したわけでは決してないのだ。彼らのセバスに対する印象は最悪であろうし、その状態でセバスが安易にツアレを庇えば、それこそどこの誰が揚げ足を取りにくるか分からない。

 セバスと殺気立つシャルティアが睨み合う中、今回もセバスを助けるように声をかけてきたのはペロロンチーノだった。

 

「こらこら、女の子には優しくしないといけないよ、シャルティア」

「ペ、ペロロンチーノ様!? で、ですが……」

「ペロロンチーノさんの言う通りだ。少し落ち着くがいい、シャルティア」

「モモンガ様……。も、申し訳ありません……」

 

 二人の至高の主に諌められ、途端にシャルティアがしゅんっと肩を落として顔を俯かせる。

 気落ちしたシャルティアをペロロンチーノが慰める中、モモンガの方がツアレへと視線を向けてきた。

 

「……それと、先ほどのお前の申し出だが、残念ながら唯の人間であるお前をナザリックに迎え入れることはできん。我ら“アインズ・ウール・ゴウン”は異形種のみの組織であるし、もし迎え入れること自体が可能だとしても我が友がそれを許さないだろうからな」

 

 モモンガの言葉で思い出されるのは、この部屋を出ていったもう一人の至高の主であるウルベルト・アレイン・オードルの姿。確かに彼ならば、セバスの愚行の象徴ともいえるツアレを迎え入れることを決して許しはしないだろう。

 

「それに、これはセバスへのけじめでもある。記憶を消すために一時的にナザリックへ連れてはゆくが、それはあくまでも一時的なものであると知れ」

「………は……い……」

 

 ツアレにとって“ナザリック”や“アインズ・ウール・ゴウン”が一体なんであるのかは分からずとも、モモンガの言いたい内容と自分の運命は理解したのだろう。力なく頷く彼女に憐みの感情が湧き上げってくるものの、セバスは何も言うことが出来なかった。ただこれ以上彼女の心に迷いが生じないように、肩や背を支えていた手をゆっくりと離す。

 そのまま立ち上がるセバスに、モモンガとペロロンチーノもまるでつられるようにして立ち上がった。

 

「では、そろそろ我々はナザリックに帰還するとしよう。セバス、ソリュシャン、ルプスレギナは撤退作業を行った後にナザリックに帰還せよ。……デミウルゴス、お前はウルベルトさんを迎えに行ってくれるか? 我々は一足先にナザリックに戻っているから、もしウルベルトさんがまだ頭を冷やす時間が必要だと言うなら彼に付き従うが良い」

「はい、モモンガ様。感謝いたします」

 

 モモンガの心遣いに、デミウルゴスが感謝の言葉と共に頭を下げる。

 モモンガはそれに一つ頷くと、他の守護者たちに合図を送って〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 闇の扉の中へと次々に進んでナザリックに帰還していくモモンガたちを、デミウルゴスとセバスとソリュシャンとルプスレギナはそれぞれ深々と頭を下げて見送る。ツアレも慌てた様に頭を下げる中、モモンガたちを呑み込んで空気に溶けるように消えていった闇の扉に、漸くセバスたちは下げていた頭を上げた。

 後に残されたのは暫しの静寂。

 デミウルゴスは暫くセバスとツアレを睨むように見つめていたが、次には何事もなかったように視線を外してウルベルトを迎えに行くべく扉へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって館の屋根の上。

 応接室を出たウルベルトは、外の空気を吸うべく夜の闇に紛れて館の屋根の上に昇り、街の景色や夜空を眺めていた。

 本来ならば、いくら闇夜で薄暗いとはいえ、悪魔の姿で外に出る際は透明化を自身にかけるべきであることは分かっている。しかし今はどうにもそんな気になれず、一応周りに影の悪魔(シャドウデーモン)たちを見張りに展開させてはいるものの、ウルベルトは透明化も人化もすることなく悪魔の姿のままで屋根の上に佇んでいた。

 景色を眺めながら思い出されるのは先ほどの応接室での光景。

 頭を冷やそうと思って外に出てきたというのに、どうにも頭を離れず、心も穏やかにはなれなかった。

 先ほどペロロンチーノとモモンガに言われた言葉を思い出す。

 ウルベルトは渋い表情を浮かべて眉間に皺を寄せると、次には大きなため息を吐き出した。

 ペロロンチーノとモモンガの言う通り、自分がセバスにたっち・みーを重ねて見ていたのは事実である。しかしウルベルトがここまで苛立つのは、決してたっち・みーのことを思い出したからだけではなかった。

 たっち・みーを重ね合わせての苛立ちは精々六割程度。残りの四割は、一割がセバス自身のあまりの考えなしで甘すぎる偽善的な行動に対してであり、残りの三割は裏切られた信頼故だった。

 ウルベルトたちがセバスたちに情報収集の任務を命じたのは、セバスたちならばそれが出来るだろうと信頼したからだ。そしてソリュシャンやルプスレギナが疑念を感じながらも今までセバスの言葉に従ってきたのは、恐らくセバスに対する信頼があったからだろう。であるにも拘らず、セバスは自分たちの信頼を裏切ってツアレを優先した。例えセバス自身にそういった意図がなかったのだとしても、だからといって許せるものでは決してなかった。

 考えてみれば、セバスの行動にも不審な点が目立つ。

 ウルベルトやモモンガならば兎も角、一般的に種族問わず女に甘いペロロンチーノであれば、ツアレのことを相談すれば力になっていたはずだ。それが分からぬセバスでもなかっただろう。そうであるにも拘らずペロロンチーノにすら相談しなかったということは、つまりセバスは自分たちのことを信じてくれていなかったということではないのか。自分たちなどよりも、余程ツアレの方が優先順位が高いということなのではないのか……。

 そんな疑念や疑惑が湧き上がってきてしまい、ウルベルトはどうにも冷静になりきれないでいた。

 

 

「……ウルベルト様」

 

 不意に背後からかけられた耳障りの良い声音。

 顔でだけ後ろを振り返れば、そこには見慣れた朱色の悪魔が直立不動で立っており、片胸に手を添えて深々と頭を垂れていた。

 

「……話し合いは終わったのか、デミウルゴス?」

 

 彼がこの場にいる理由を思い浮かべ、そう短く問いを投げかける。

 デミウルゴスは下げていた頭を上げると、肯定の言葉と共にウルベルトが退室した後に繰り広げられた会話の内容を事細かに報告してきた。

 セバスの本当の行動とその理由に始まり、セバスの考えやツアレの意向と希望、最終的なセバスとツアレの処分についても詳しく話してくる。

 ウルベルトはそれらに静かに耳を傾けると、最後は『……そうか』と一言口にするだけだった。

 自分としては少々生ぬるい処分だと思わなくもないが、これが一番の落としどころだということも理解している。

 ウルベルトは一つ頷くと、踵を返して街へと背を向けた。そのまま屋根を降りて一度館の中に戻るウルベルトに、デミウルゴスも当然のように付き従ってくる。

 館の中ではセバスとソリュシャンとルプスレギナが撤収作業を行っており、ウルベルトの存在に気が付くと一様に作業の手を止めて頭を下げてきた。

 ウルベルトはそれらに片手を挙げて応えながら作業に戻るように短く声をかけると、徐にセバスの元へと歩み寄っていく。頭を下げたまま微動だにしない執事に、ウルベルトは白銀の旋毛を見つめながらゆっくりと口を開いた。

 

「……お前と人間の女の処分についてはデミウルゴスから既に報告を受けている。恐らく、人間の女の処分については私の影響も少なからずあるだろう。そのことについて、お前に謝罪するつもりはない」

 

 恐らくモモンガとペロロンチーノだけであれば、ツアレの希望――セバスと一緒にいたいという願い――も叶えられていた可能性は大いにあり得る。しかしそうならなかったということは、二人がウルベルトの意思を汲み取ったが故の結果という可能性が高かった。

 先ほども述べたように、そのことについてセバスやツアレに謝罪するつもりは全くない。

 しかし……――

 

「だが、ペロロンチーノの言う通り、お前にたっちさんを重ねて言い方がきつくなってしまったことは事実だ。……お前はあいつじゃないのにな。セバス、すまなかった」

「「っ!!?」」

 

 深々と頭を下げた瞬間、前と後ろから驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。

 それでも頭を下げ続けていれば、次は慌てた制止の声を飛んできた。

 

「ウルベルト様、どうかおやめ下さいっ!! 至高の御方がシモベなどに頭を下げるなどっ!!」

「デミウルゴスの言う通りです! どうか頭をお上げ下さい! 元より、ウルベルト様のお怒りは尤もなもの、ウルベルト様が謝罪されることなど一切ございません!!」

 

 今回ばかりは二人仲良くアタフタするデミウルゴスとセバスに、ウルベルトはゆっくりと頭を上げながら思わず小さな苦笑を浮かばせた。ウルベルトが頭を上げたことで落ち着きを取り戻した二人に更なる苦笑を浮かべながら、二人に気付かれないように小さな息をそっと吐き出す。

 

「お前の寛容さに感謝しよう。……だが、これだけは最後に言わせてくれ。今回の件で、お前は我々からの信頼を裏切った。お前にそんなつもりはなくても、任務を命じた我々の、そしてお前を信じて付き従っていたソリュシャンとルプスレギナの信頼をお前は裏切ってしまったんだ。それだけは、肝に銘じておいてほしい」

「っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、やはり自覚がなかったのかセバスがハッとしたような表情を浮かべてくる。

 どこまでも甘ったれた思考に少々呆れを禁じえなかったが、これ以上突っ込んでは哀れにも思えてウルベルトは開きそうになる口を閉じることにした。セバス自身も反省している様子であるため、これ以上言葉を重ねる必要もないだろう。

 そんな中、セバスに同情心でも湧いたのか、珍しくもデミウルゴスが一つの提案をしてきた。

 

「……であれば、セバスに一つ、名誉を挽回するチャンスを与えてやっては如何でしょう?」

「ほう、何か考えでもあるのか?」

「考え……というよりも、お使いというほどでしかありませんが……。実は牧場の素材について、食料が少々不足しておりまして……。今は弱った素材をミンチにして与えているのですが、中には拒否する者もおりまして……。撤退する前に麦の調達を頼めないかと思ったのです」

 

 ニンマリとした笑みを浮かべるデミウルゴスに、ウルベルトは少々反応に困ってしまった。

 それは本当にセバスのことを思っての提案なのか。はたまた『お使いくらいならできるだろう』という遠回しな嫌がらせなのか。どう解釈すべきか非常に迷い、ウルベルトは無難に“デミウルゴスも彼なりに心配しているのだろう”と半ば無理矢理納得することにした。

 

「……なるほど。確かに私やモモンガさんでは、麦を大量に買い込んでは不審がられるだろうからな。ではセバス、撤退前に小麦を大量に買い込んでからナザリックに帰還せよ。モモンガさんたちには私の方から伝えておく。今現在お前に与えている金で足りるか?」

「はっ、資金面は問題ないかと思われます。大量にということですと、一時的に倉庫を借りて溜め込もうと思いますが、そこからナザリックへの運搬はどのようにいたしましょうか?」

「いや、ナザリックにではなく直接牧場に運搬しよう。その方が手間が省けるだろうからな。運搬方法は牧場の責任者であるお前に任せるが、問題ないか?」

「はい、問題ありません。感謝いたします、ウルベルト様」

 

 最後は確認のためにデミウルゴスに問いかければ、肯定と感謝の言葉と共に頭を下げられる。ウルベルトはそれに一つ頷くと、セバスに向き直って撤収作業に戻るように指示を出した。一礼と共に作業に戻っていくセバスを見送り、次は〈無限の変化〉を唱えてワーカーのレオナールへと姿を変える。突然人化したウルベルトに、デミウルゴスが問うように声をかけてきた。

 

「ウルベルト様……?」

「……これを機会に少々王都を見て回ろうと思う。ワーカーのレオナールとして行くつもりだから供は不要だ」

「しかし、それでは御身の護りが……」

「私の影にはシャドウデーモンが何体か潜んでいるから心配は不要だ」

 

 きっぱり言い過ぎたのか、途端にデミウルゴスの長い尻尾がしゅんっと力なく垂れ下がる。しかしすぐに気を取り直したのか、先っぽが持ち上がって緩やかな弧を描いた。

 

「……それでは、私も少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「ほう、何か気になることでもあったか?」

「以前セバスから上げられた報告の中で、一つ気になったことがあったのです。これを機会に少々足を運んでみたいと思うのですが……」

「なるほど、お前がそんな風に興味を持つのも珍しいな。……構わないぞ。小麦の件も含めて、モモンガさんたちには私の方から伝えておこう」

「ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

 嬉々とした笑みを浮かべるデミウルゴスに、片手を軽く挙げることでそれに応える。

 早速とばかりに一礼と共に去っていく朱色の背を見送りながら、ウルベルトもまた踵を返して館の奥へと進んでいく。まずはワーカーのレオナールの装備に着替えるべく空き部屋へと向かいながら、ウルベルトはモモンガに連絡を取るために〈伝言(メッセージ)〉を唱えるのだった。

 

 



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第43話 動き出す数多の思惑

今回は、前回に引き続いて少々セバスに厳しめになっております!
セバスのファンの方はご注意ください!!


 レオナールとしての装備の着替えとモモンガへの報告を終えたウルベルトは、セバスたちが撤収作業を進める館で朝を待ってから街へと繰り出していった。念のため王都の門に転移して門兵と少しだけ会話をしてから改めて街の中へと足を踏み入れる。

 帝都と違ってレオナールとしてのウルベルトの容姿に慣れていない人間たちは、ウルベルトの存在に気が付いては二度見をしたり道を開けていった。

 久しぶりに思える光景に、呆れにも似た懐かしささえ感じてしまう。

 思わず出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら、ウルベルトはあてもなく街中を歩いていった。これまでのセバスからの報告内容と照らし合わせながら、街の至る所を見て周る。

 ウルベルトの今回の行動はセバスがこれまで報告してきた内容に偽りが含まれていないかの確認……というのは半分冗談で、主には、やはり直接この目で見るのと見ないのとでは何事も少なからず違いが出てくると判断したためだった。

 “百聞は一見に如かず”という言葉もある。

 普通に知識だけが目的であれば実際に見る必要もないのかもしれないが、しかしウルベルトたちが目指しているのは世界征服なのだ。いずれこの王都もウルベルトたちが支配する場所となるのなら、知識だけでなく実際にこの目で見た方が何倍も有意義になると言えるだろう。加えて手に入れたい物もある。街を見て周りながら探し物を探すのも一興だろう。

 しかし、そんなある意味和やかな時間は残念ながら長くは続かなかった。

 

 丁度正午を過ぎたころ。

 数多くある武器や防具の店の内の一つを覗いていた頃、不意に何かが繋がるような感覚を頭の中に覚えて、ウルベルトはピタッと身体の動きを止めた。ナイフに伸びていた指先をゆっくりと離し、屈めていた背筋もゆっくりと元の姿勢に戻す。店の奥からも外からも多くの視線を感じるためあまりに不自然な動きはできないものの、なるべくいつも通りを装って店の外へと足先を向けた。

 急に方向転換したことにより店の外からこちらを窺っていた幾人かの見知らぬ女たちが短い奇声を上げてきたが、そんなことに構っている暇はない。社交辞令的な笑みを小さく浮かべて道を塞いでいる人ごみに向けてやりながら、またもや小さな奇声が至る所から聞こえてくるのを無視して大通りへと足を踏み出した。足早に道を進みながら、不意に角を曲がって裏通りへと入る。

 一気に薄暗くなる視界と、希薄になる人間の気配。

 未だ足を動かしながらザッと周りに視線を走らせると、そこで漸く頭の中にある感覚へと意識を向けた。

 

『……ウルベルトだ。誰だ?』

『あー、ウルベルトさん……? ペロロンチーノですけど……、今大丈夫ですか?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉の思わぬ相手に、ウルベルトは虚を突かれて一瞬足を止めそうになった。

 ペロロンチーノとの間柄は数多くいたギルメンの中でも割と深いもので、例え言い争いをしたとしても蟠りを後に残すことはない。しかし流石にこんな短い期間での再度の接触は今までなく、ウルベルトは思わず首を傾げさせた。変わらぬ足取りで歩を進めながら頭の中の声に意識を集中させる。

 

『……ああ、大丈夫だが……なんだ? また何か問題事でも発生したのか?』

『え~と……、残念ながらその通りです……』

『……………………』

 

 ペロロンチーノからの返答に、ウルベルトは思わず半目になった。それと共に頭痛がするような気がしてくる。

 今度はどこの誰が一体どんな問題を起こしたというのか……。

 聞きたいような聞きたくないような、微妙な感情が胸の中で渦を巻く。

 しかし自身の今の立場上、聞かないという選択肢などないことは重々承知している。ウルベルトは出そうになったため息を咄嗟に呑み込むと、意を決して詳しい内容を説明するようペロロンチーノを促した。

 〈伝言(メッセージ)〉越しに、ペロロンチーノの躊躇ったような気配が伝わってくる。

 しかし少しの空白の後に始まった用件の説明に、ウルベルトは聞き始めてすぐに彼を促したことを後悔してしまった。

 

『実は……、今さっきセバスからモモンガさんへ連絡があったみたいで、ツアレちゃんが誰かに誘拐されちゃったみたいなんですよ……』

 

「………は……?」

 

 ペロロンチーノからの予想外の言葉に、思わず実際に声が零れ出る。歩を進めていた足も止まり、裏通りのど真ん中で仁王立ちになりながら顔を大きく顰めさせた。

 

『それは一体どういうことなんだ? というか“誰か”って誰だ?』

『セバスが言うには、恐らく“八本指”の仕業だろうってことらしいですけど……』

『“八本指”っていうと……、確か、あの女を助け出した娼館の運営組織で、王国王都に蔓延っている闇組織だったか』

『ですね。で、今後の対処を相談したいので、一度ナザリックに戻ってきてくれませんか?』

 

 ペロロンチーノの言葉に、ウルベルトは出そうになったため息を再び呑み込んだ。

 一難去ってまた一難とでも言うのだろうか。

 だから中途半端に手を出すべきではないんだ……と今更な愚痴さえ浮かんできてしまう。しかし、そんなことを思っても仕方がないとすぐに意識を切り替えた。

 今のセバスたちだけに任せるのは正直不安だと感じてしまっている以上、自分も動かないわけにはいかないだろう。

 ウルベルトは短い了解の言葉と共に〈伝言(メッセージ)〉を切ると、周囲を窺ってから闇の扉を開いた。

 いつもの如く視界が一度闇に染まり、次の瞬間には再び穏やかな光に包まれる。

 目だけで周囲を見やれば、そこは変わらぬ昼間の霊廟の景色で、ウルベルトは人化を解いてから霊廟の奥へと足を踏み入れていった。

 霊廟の奥ではアルベドが出迎えにきており、彼女から“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”を受け取ってから一気に第九階層の円卓の間へと転移する。

 扉の前には二人の一般メイドが控えており、ウルベルトの存在に一礼した後に扉を開いてくれた。それに片手を軽く挙げて応えてやりながら、中へと足を踏み入れる。

 室内には守護者やプレアデスなどの殆どのモノが揃っていたが、しかし全員が揃っている訳ではなかった。

 ウルベルトを待っていたのはペロロンチーノとシャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、エントマ、シズの八名。

 目前に揃っているメンバーと人数に、ウルベルトは思わず小さく眉根を寄せていた。

 ウルベルトの命により帝都に残っているユリや、現状を探っているのであろうセバスたちがこの場に揃っていないのは理解できる。しかし、その他のメンバー……特にモモンガがこの場にいないことにウルベルトは疑問符を頭上に浮かばせた。

 

「……待たせてしまったようで、すまないね。メンバーは全員揃っているのかな?」

 

 ペロロンチーノたちの元へと歩み寄り、近くの椅子に腰掛けながら念のために問いかける。

 後ろに付き従っていたアルベドも歩み寄ってくる中、扉がきちんと閉じたのを確認してからペロロンチーノがゆっくりと口を開いてきた。

 

「……そうですね、これで全員のはずです。モモンガさんは、どうしても抜け出せない依頼が入ったらしくて、今回の件は俺たちに任せたいとのことです」

「なるほど、了解だ。それで、何か情報の進展は? そもそも、どうしてこんなことになったんだ?」

「えーと、セバスたちの報告によると、最後の商人としての仕事として大量の小麦の入手と挨拶回りをしていたらしいです。その間に、一人で館でお留守番をしていたツアレちゃんが誘拐されちゃったみたいですね」

「……そもそも、どうして一人で留守番させたんだ」

「セバスもちょっと心配だったみたいですけど、ソリュシャンとルプスレギナが早く任務を完了したいって言って、セバスもそれを了承しちゃったみたいです。それから、ツアレちゃんを誘拐した犯人は“八本指”だと確定しました。一枚の羊皮紙が館に残されていたらしくて、時間と場所が書かれていたみたいなんです」

「ふむ、誘拐からの身代金の請求……。或いは、セバスが破壊した娼館への報復。いや、その両方というのも考えられるか」

「そうですね、俺もそう思います。まぁ、どちらにせよ、このまま放っておくわけにはいきません。早くツアレちゃんを助けに動かないと」

「……まぁ、仕方がないか。問題はどうやって助けるかだが……」

 

 ペロロンチーノの言葉に一つ頷くと、ウルベルトは長い足を組んで顎鬚に手を伸ばした。クルクルと指に絡めて弄びながら、状況や情報を頭の中で整理して思考を巡らせていく。

 ウルベルトの中でも、ツアレを助けないという選択肢はない。しかし、彼女をどうやって助けるかが問題だった。

 当たり前ではあるが、ナザリックが大々的に動くことはできない。世界征服を掲げている以上、遅かれ早かれ世界に“アインズ・ウール・ゴウン”の存在を知らしめる必要はあったが、少なくとも今この時は未だ早いとウルベルトは判断していた。

 ならば一体どうすべきか……と考え込む中、不意に美しいソプラノが鼓膜を打ってウルベルトは反射的にそちらへと顔を向けた。

 

「……至高の御方々のご意向に異を唱える愚かさをお許し下さい。ですが、人間などという下等生物をそこまでして助ける価値があるのでしょうか?」

 

 疑問の言葉を発したのはアルベド。他のシモベたちも、無言ながらもどこか彼女に同意しているような雰囲気を帯びているような気がする。デミウルゴスなどは、これを利用して事の発端であるツアレを処分できれば上々とすら思っていそうだ。

 しかし、それは非常に危険な考えであるとウルベルトは判断していた。

 

「それは同意しかねるな、アルベド。よく考えてみたまえ。彼の少女は我々の存在を少なからず知ってしまっているのだよ。遅かれ早かれ世界に進出するとはいえ、我々の存在をこの世界に知らせるのはまだ少し時期が早い。ツアレの早急な身柄確保は必要不可欠だ」

 

 組んでいた足を逆側に組み変えながら説明するウルベルトに、アルベドは神妙な表情を浮かべて頷いてくる。

 彼女の素直な様子に思わず小さな笑みを浮かべると、ウルベルトは改めて話を元に戻した。

 

「とはいえ、その方法が問題だな……」

「場所が分かっているのであれば、そこに隠密能力のあるシモベたちを送りこんだらどうでしょう? 要はツアレちゃんを奪還できればいいんですから、さっさと回収してナザリックに連れて来ちゃえば良いんじゃないですか?」

「いや、それも得策ではない。相手は王国王都を裏から牛耳っているような奴らだ。いくら人間だからと言って、放っておけばどこで厄介ごとに繋がるとも限らない。奴らを壊滅させるのが一番手っ取り早くて後腐れがないはずだ」

「でもそれだと大事になっちゃいますよ。俺たちのことをまだ勘ぐられちゃ駄目だって言ったのはウルベルトさんじゃないですか」

「……分かっているさ。だから悩んでいるんじゃないか」

 

 ペロロンチーノと言い合いながら、あーでもないこーでもないと話し合う。

 しかしなかなか良い案が浮かばず、ウルベルトは思わずため息をつきそうになった。

 

「……ウルベルト様、ペロロンチーノ様。一つ提案をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 頭が痛くなりそうになる中、不意に朱色の悪魔から声をかけられる。

 デミウルゴスからの申し出に、ウルベルトとペロロンチーノは大歓迎な心境になった。

 しかし仮にも彼らの主という立場上、そんな態度をあからさまに見せるわけにはいかない。ウルベルトとペロロンチーノはチラッと視線だけで互いを見やると、次にはワザとらしいまでの大袈裟な様子で鷹揚に頷いてみせた。

 片手を軽く振ることで発言の許可を与えると、デミウルゴスはどこか嬉々とした笑みを浮かべて“提案”とやらを口にしていった。

 事細かに語られる作戦に、ウルベルトとペロロンチーノも真剣に耳を傾ける。

 デミウルゴスの語る作戦内容は非常に緻密であり、ウルベルトやペロロンチーノの懸念も上手く解決し、また多くの利点を得られるものだった。とてもではないが、ウルベルトにもペロロンチーノにも、この場にいないモモンガにもこれ以上の作戦を考え付くことはできないだろう。

 流石は俺のデミウルゴスだ、と内心で鼻高々になりながら、しかしウルベルトはこの作戦には少なからず準備の時間が必要であることも気が付いていた。作戦が決まったから即開始と言う訳にはいかないだろう。

 

「……お前の言うことは分かった。私も、非常に有効であり有益な作戦だと思う」

「ありがとうございます、ウルベルト様!」

「しかしこの作戦には、少なくない準備時間が必要ではないかね?」

「それに関しましては心配はご無用でございます。情報の入手経路はわたくしの方でも(・・・・・・・・)既に掴んでおりますし、そこまで時間はかからないかと思われます」

 

 デミウルゴスの口から意味深な言葉を聞いたような気がして、ウルベルトは思わず首を傾げそうになる。しかし不用意に突っ込んで藪蛇になる可能性も有り、ウルベルトは気になりながらも問うようなことはしなかった。ただ一つ頷いて納得することにする。ペロロンチーノもウルベルトと同じことを考えたのか、ウルベルトと同じように大きく頷いていた。

 

「……なるほど、理解した。では、デミウルゴスの作戦で行こうと思うが、他の者はどうかね?」

「俺はそれで構いませんよ」

「わたくしも異論はございません」

「はい、異論ありません!」

「ぼ、僕も、その、あの、ありません……」

「ないでありんす」

「ゴザイマセン」

 

 ペロロンチーノだけでなく他の守護者たちからも賛同の言葉を得られ、ウルベルトは一つ頷いた。

 組んでいた足を解いて椅子から立ち上がると、改めてペロロンチーノやシモベたちへと目を向けた。

 

「では、デミウルゴスの作戦でいくとしよう。総指揮官はデミウルゴス、人選も任せるからペロロンチーノやアルベドなどに相談するが良い。監督はペロロンチーノに頼みます」

 

 まるで話は終わりだというような雰囲気を発するウルベルトに、ペロロンチーノは意外だという表情を浮かべて小首を傾げてきた。

 

「あれ、ウルベルトさんはどうするんですか?」

「……私はまだ用があるのでね。今回のことはお任せしますよ。観衆の一人として見物させてもらいます」

「ということは……、今回の件には参加しないってことですか?」

「そういうことです」

 

 驚愕したような声音で問いかけてくるペロロンチーノに、ウルベルトは表情を変えないまま一つ頷いて返す。思わず黙り込むペロロンチーノの様子に、彼の胸の中が手に取るように分かるようだった。

 恐らくウルベルトの言葉が意外過ぎて言葉も出てこないのだろう。いや、何か企んでいるのだろうかと疑ってさえいるかもしれない。しかし、ウルベルトは別に何も企んではいない。逆に、何もしないために今回の作戦の参加を見送ったのだ。

 今回のデミウルゴスが提案してきた作戦内容は非常にウルベルトの好みであり、本音を言えば非常に参加したいものである。しかし作戦自体に参加したとしても、ウルベルトの今回の役割はあくまでも監督あるいは監視であり、言うなれば裏方ポジションなのだ。もし作戦に参加して興が乗り過ぎてしまえば、ウルベルトは裏方ポジションをかなぐり捨てて表舞台に出てしまいかねなかった。そうなれば、作戦は台無しになってしまう。言うなれば、ウルベルトが今回の作戦に参加しないのは、作戦を失敗に終わらせないためだった。

 

「では、私は王都に戻るから、また何かあれば連絡してくれたまえ」

「分かりました。もしまた何かあったら連絡しますね」

 

 ペロロンチーノもウルベルトの考えに気が付いたのか、それ以上問いかけてくることもなく頷いてくる。

 他のシモベたちも深々と一礼してきて、ウルベルトは軽く手を挙げて応えながら扉に向けて踵を返した。後のことはペロロンチーノたちに任せ、ウルベルトはウルベルトで、単独で王国王都へと戻るべく歩を進める。

 背後では朱色の悪魔が焦燥と恐怖が入り混じったような視線を向けてきていたのだが、ウルベルト自身はそれに気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ウルベルトが円卓の間を去った後。デミウルゴスはペロロンチーノやアルベドたちと共に今回の作戦の参加人員や更なる詳細を話し合った。

 今回の作戦の参加人員はデミウルゴスとペロロンチーノ、シャルティア、マーレ、セバス、そしてユリやナーベラル以外のプレアデス全員。総指揮官はデミウルゴスであり、監督はペロロンチーノとなった。

 そして現在。

 ペロロンチーノたちは一足先に拠点となるセバスたちの館に向かい、デミウルゴスは自身の担当守護領域であるナザリック地下大墳墓第七階層にて、配下の悪魔たちに指示を出しながら作戦への準備を行っていた。

 階層中を忙しなく走り回る配下の悪魔たちを見つめながら、デミウルゴスはこれからの作戦について思考を巡らせる。その顔には、作戦の総指揮官という大役を任されたというのに歓喜の表情ではなく真逆の憤怒と苛立ちの表情を浮かべていた。朱色の細い体躯からも重苦しい空気が放たれている。自身の周りで忙しなく働く配下の悪魔たちを見つめながら、デミウルゴスは胸の中で激しく怒り狂っていた。

 怒りと殺意の矛先は、今回の騒動の全ての元凶と言えるセバス・チャン。

 あの男さえ余計な真似をしなければ、御方をご不快にさせることもなかったというのに……っ!!

 

「早く準備しなさい! 御方をお待たせするなっ!!」

 

 周りの悪魔たちに向けて厳しい声を飛ばす。

 怒りの感情を隠しもしないデミウルゴスの胸の中には、激しい怒りでも覆い隠せないほどの大きな焦燥と恐怖が揺れ動いていた。

 彼の頭の中を占めているのは自身の創造主の姿。一度は姿を隠され、しかし再び戻って来て下さった、いと尊き至高の御方。

 セバスの愚行とツアレの存在に怒りを露わにしていた御方が、更に問題を引き起こした二人を不快に思わないはずがない。

 現に今回の作戦に、ウルベルトは参加しないと言ったのだ。しかもデミウルゴス自身、今回の作戦内容はウルベルトの趣味趣向に非常に合っているものだと自信を持って言えるものだというのに。

 今回の作戦に参加されないのは、恐らくセバスとツアレの尻拭いともいえる今回の騒動に嫌悪されたからに違いない。

 それ以外にウルベルトが参加しない理由がデミウルゴスには思いつかなかった。

 

「………おのれ……」

 

 知らず唇の隙間から呪詛のような言葉が零れ出る。

 今回の件で不快感を持ったウルベルトが、ツアレ救出という騒動の収束を成しただけで心を鎮めてくれるはずがない。騒動の元凶であるセバスとツアレを始末して怒りを治めてくれればまだ良い方だ。

 けれどもし、呆れ果てて再び姿をお隠しになってしまわれたら?

 そうでなくとも、他の二人の御方々と仲違いをされてナザリックを去ってしまわれたら……?

 頭に浮かんだ最悪の考えに、デミウルゴスはピタッと動きを止めて思わず左胸を鷲掴んだ。指に力がこもり、左胸のシャツやスーツの生地に深い皺が寄る。普段であればウルベルトに与えられた服に皺を寄らせるなどデミウルゴスにとっては考えられない愚行であったが、しかし今の彼はそれに気が付かないほどに精神が追い詰められてしまっていた。

 自身が想像した考えに囚われ、身体だけでなく心臓さえ凍り付かせる。創造主のいない日々を思い出しただけで全身から血の気が引き、心が……魂が悲鳴を上げる。

 もはや創造主のいない世界など耐えられない。他の至高の主であるモモンガやペロロンチーノが残ったとしても、もはやデミウルゴスには不敬と分かってはいてもそのまま仕え続けることは不可能だった。

 だからこそ、今回の騒動を引き起こしたセバス・チャンが憎くて仕方がなかった。

 以前のコキュートスの蜥蜴人(リザードマン)への敗北を含め、自分たちに許された猶予が後幾つあるかも分からない。もしかすれば猶予などもう一つもないのかもしれない。

 だというのに、彼はそんなことは知らぬげに自身の欲望のままに行動して至高の主たちの信頼を裏切ったのだ。

 これで許せるはずがない。

 ウルベルトやペロロンチーノが再び戻ってきてくれたのは決して当然のことなどではなく、奇跡であるとデミウルゴスは考えていた。だからこそ、その奇跡を無にするようなセバスの言動に怒りと殺意が治まらなかった。

 

 もし彼の御方が再び姿を隠すというならば、自身は浅ましくもその身に縋りついて許しを請うだろう。

 もしナザリックを去るというならば、自身は与えられた役目すらも投げ捨てて御方を追って付き従うだろう。

 もし付き従うことすら許されなければ、自身はこの胸から心臓を引きずり出して、どうか御方のその手で処分してくれるよう希うだろう。

 だが、その前にまずは……――

 

「……もしウルベルト様を少しでも損なうようなことになれば、あの女ともども奴を八つ裂きにしてくれる……っ!!」

 

 それは呪詛か、願望か、それとも怒りに任せた唯の言葉か。

 黒い革手袋やスーツ越しに左胸に食い込むほどに爪を立てる中、不意に殺気纏うデミウルゴスへと一つの細い影が歩み寄ってきた。

 

「デミウルゴス様、少々よろしいでしょうか?」

 

 かけられた声に振り返れば、そこに立っていたのは一体の嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 烏の頭に人間の女の身体。黒の革でできたボンテージファッションに身を包んだ悪魔が、静かにデミウルゴスの背後に立っていた。

 レベル80台の上位悪魔であり、デミウルゴス直轄の親衛隊の一体でもある彼女が何も考えずに忙しいデミウルゴスに声をかけるとは思えない。加えて怒気と殺気を纏った彼にわざわざ声をかけてくるということは、それだけの用があるということなのだろう。

 デミウルゴスは纏っていた空気を少しだけ和らげると、改めて嫉妬の魔将へと向き直った。

 

「……どうした?」

「ウルベルト・アレイン・オードル様より、デミウルゴス様へお渡しするよう託った品がございます」

「ウルベルト様からっ!?」

 

 思わぬ言葉に、途端に心臓が跳ね上がる。反射的に嫉妬の魔将へと一歩近寄れば、彼女は片膝をついて持っていた品を恭しく両手で掲げ持つと、そのままそっとデミウルゴスへと差し出してきた。

 彼女の両掌の上にあるのは、見たことのない装備一式と一つの宝玉。

 どちらも非常に質が良く高価な物であることが一目で分かり、知らず小さく息を呑む。

 興奮と歓喜に小刻みに震える手をゆっくりと伸ばすと、デミウルゴスは慎重な手つきで嫉妬の魔将からそれらを受け取った。非常に丁寧に持ち直すと、改めて品一つ一つへと目を向ける。

 じっくりと眺めまわすデミウルゴスに、嫉妬の魔将は傅いていた状態からゆっくりと立ち上がった。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様より、“今回の作戦に使うように”という言伝も承っております」

「……そうですか。他に、何か仰られていましたか?」

「これは独り言で仰られていただけかもしれないのですが……、“物事には相応しい服装、相応しい理由が必要だろうから”とも仰られていました」

「……なるほど、そういうことですか」

 

 会話の相手が自身の部下であるため口調は少々ぞんざいであるものの、しかし装備一式と宝玉に注がれている視線や表情は歓喜の色に満ちている。発せられる気配も先ほどとは打って変わってひどく穏やかで、それだけでデミウルゴスの機嫌が急上昇したことが窺えた。

 デミウルゴスは近くに置いてある大きなテーブルへと歩み寄ると、手に持っている品々を丁寧に並べていった。

 多くの至宝が目前に並ぶさまは正に圧巻であり、デミウルゴスと嫉妬の魔将は思わず感嘆の吐息を零す。

 先ほど嫉妬の魔将が口にしていたウルベルトの言葉を思い出し、行きついた考えにデミウルゴスは心が躍るような晴れやかな気持ちになった。

 ウルベルトが口にした“相応しい服装”と“相応しい理由”。

 恐らくウルベルトは、この装備一式を身に纏い、この宝玉を騒動の原因として利用するようデミウルゴスに伝えたかったのだろう。

 デミウルゴスは改めて品一つ一つに目を向けると、じんわりと深く大きな笑みを浮かばせた。

 目の前の装備一式はデミウルゴスがこれまでウルベルトに与えられてきた装備品とはまた違ったデザインのものだったが、しかしそれでもウルベルトらしさは決して失っていないデザインでもあった。いや、どちらかというとデミウルゴスのためのデザインというよりかは、ウルベルトらしいデザインと言っても良いかもしれない。まるでウルベルト専用の装備を下賜されたような感覚に、デミウルゴスは顔が更に笑みに崩れるのを抑えることが出来なかった。

 これまでデミウルゴスが与えられてきた装備は暖色系のスーツが主だったが、目の前の装備は正装のようなデザインに加えて、どちらかというと洋装風のものだった。

 全体的な色は漆黒。

 光沢のある白いシャツに薄灰色のクラバット。クラバットの傍らには紫色の帯と金縁に血のような深紅の宝石が添えられており、恐らくクラバットを飾る装飾品であろうことが窺えた。

 シャツの上にはコートを羽織るような形になっており、コートの裾は左右と後ろに切れ込みが入り、まるで燕尾服のように後ろの裾が特に長いデザインになっていた。色は紫がかった黒地で金の刺繍が入っており、加えて光の加減で紫が鮮やかに浮かぶ何とも美しく品のある代物である。

 手と足には、黒革の手袋と漆黒のボトム。頭には漆黒に紫の帯が付いたシルクハット。

 しかも、その全てがそれだけではない。

 シルクハットは頭飾りと組み合わさっており、かぶればわざと右側に傾いて左側に頭飾りが覗くように作られていた。加えて頭飾りのデザインは、なんとウルベルトと同じような大きくねじくれた左角。非常に黒に近い焦げ茶色のその角は金色の輪で飾られているだけでなく、表面には多くの皹が走っており、まるで角の中にマグマが流れているかのように皹の隙間からは深紅や朱金の輝きが揺らめいていた。

 黒手袋には銀色のアーマーリングが添えられており、ボトムには赤銅色の脛当付きのブーツが添えられている。

 関節ごとに連なっているアーマーリングは繊細な鎖でバングルの様な手甲と繋がっており、爪先は獣のように長く鋭く尖っていて、防具というよりかは武器のような様相をしていた。また、ブーツの方はといえば、脛当の部分が頭飾りの角と同じように多くの皹が走っており、皹の隙間からマグマの様な深紅と朱金の輝きが揺れ動いている。加えて足先を覆う金属のカバーには縦に一本の線が彫られており、まるで山羊の蹄の様なデザインになっていた。

 

「……はぁ~、何て素敵な衣装なのでしょう。デミウルゴス様に良くお似合いになると思いますわ」

 

 嫉妬の魔将から感嘆の吐息と共に賛美の声がかけられる。

 しかしその一方で、彼女は少し不思議そうな表情を烏の顔に浮かべていた。

 

「……ですが、この装備だけではデミウルゴス様の顔が見えてしまい、問題が起きてしまうのではないでしょうか?」

 

 困惑した声音で小さく首を傾げるさまは、どこかあどけなく愛嬌があって可愛らしい。

 非常に挑発的な服装に反しての幼子のような仕草に、デミウルゴスは笑みを浮かべたまま小さく頭を振った。

 

「それは無用の心配だ。実は顔を隠す方法に関しては、大分前にウルベルト様へ進言していてね。既に仮面を賜っているのだよ」

 

 尤も、その時はまさかこのような素晴らしい物を頂けるとは夢にも思っていなかったが……と付け加えながら、デミウルゴスは既に用意していた仮面を懐から取り出してテーブルの上に並べた。

 その仮面は、二回目の定例報告会議の翌日にデミウルゴスの方からウルベルトに願い出て貰い受けた物。全体的に蒼色で金色の装飾がされているその仮面は、道化師のような不気味な笑みを浮かべており、目の前の装備品とも非常にマッチしているように見えた。

 正に完璧な組み合わせに、改めて創造主の見事な手腕に感動して思わず感嘆の吐息を再び零す。

 デミウルゴスは尚も笑みを深めさせながら、次は装備一式の横に置かれた宝玉へと目を向けた。

 ゆっくりと手を伸ばし、そっと人差し指の背で表面を撫ぜる。つるつるとした感触が指に心地よく、宿っている魔力を感じ取って思わずフフッと小さな笑い声を零した。

 この宝玉が唯の見せかけの代物でないことをデミウルゴスは知っていた。なんせ未だナザリックがユグドラシルにあり、どの至高の主も誰一人として隠れていなかった全盛期に、ウルベルト自身が嬉々としてデミウルゴスに見せて語って聞かせてくれた代物だったからだ。

 この宝玉の名は“ジレルスの結界石”。レベル80台の魔獣――ティンダロスの猟犬が封じ込められている宝玉である。

 どういった経緯で手に入れたのかまでは知らないが、当時のウルベルトの喜びようから大変な苦労の末に手に入れた物であろうことは窺える。このような作戦に使っていい代物ではないとデミウルゴスとしては思うのだが、しかしその一方で納得もしていた。

 この宝玉は誰しもが使えるマジックアイテムではない。100レベルの存在にのみ、このマジックアイテムは使うことが出来るのだ。この宝玉であれば、一時この世界の住人たちの手に渡ったとしても発動することはないだろう。ティンダロスの猟犬が手違いでナザリックのモノたちを襲う心配もない。

 デミウルゴスは表面を撫でていた指を離すと、次にはゆっくりと宝玉を掴んで自身の目線まで持ち上げた。

 宝玉は全体的に翳った青緑色をしており、まるで封印の印のように九芒星が銀の線で表面中心に描かれている。他の装飾などは一切なく、どこまでもシンプルな見た目をしていた。

 しかし、醸し出される魔力や不気味さは相当なもの。

 いくら中を覗いても封じられている魔獣が見えることはないが、それでもまるで魔獣の存在を知らしめるかのように宝玉は一定の間隔で鼓動して脈打っていた。それは振動でも音でもないが、言うなれば魔力のようなものが波紋のように放たれている。悪魔であるデミウルゴスにとっては心地のいい鼓動ではあったが、唯の人間からすればさぞや不気味で恐怖を湧き上がらせるものだろう。

 このような素晴らしい物を授けてくれたウルベルトにデミウルゴスは感謝と更なる忠誠を誓うと、それと同時に今回の作戦を必ず成功させると強く心に誓った。

 

「……今回の作戦、決して失敗は許されません。このような素晴らしい品々を用意して下さったウルベルト様の御為にも、必ずやお望み以上の成果を上げなくては」

 

 デミウルゴスの独り言のような言葉に、嫉妬の魔将はただ無言で頭を下げてくる。

 デミウルゴスは宝玉を持つ手に力を込めると、眼鏡の奥からほっそりと宝玉の瞳を覗かせて虚空を睨み据えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 夕暮れが過ぎた宵の刻。

 集まった面々に指示を出し終わったラキュースは、解散していく仲間たちの背を見送りながら誰にも気づかれない程度に小さな息を吐き出した。

 今宵、ラキュース率いるアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”は、王女ラナーの依頼により王国王都の闇に蔓延る“八本指”を打倒するべく、大掛かりな計画を実行しようとしていた。

 通常であれば、冒険者が国からの依頼に応えることは殆どない。冒険者組合には設立理念というものが存在し、それは外の脅威から人間を守るというものである。そのため、人間同士の争いには極力首を突っ込まないというのが決まりとなっていた。国と冒険者組合は互いの間に一線を引いており、今回の件を含め、人間同士の争いになりそうな依頼にはいくら相手が国だからと言っても冒険者たちは依頼を引き受けるようなことはしないのだ。もしこれを破れば、最悪の場合だと冒険者組合から追放処分を受けることすらある。

 そのため、この場にはラキュースたち以外の冒険者の姿は見られない。

 いるのは王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフと、王女ラナーの側付きの兵士であるクライム。王国貴族のレエブン侯が個人的に所有している元オリハルコン級冒険者チームの四名と、同じくレエブン侯の領内の民兵二十名。後は、こちらもレエブン侯と関係のある高位神官や魔術師組合員などが揃っていた。

 現役冒険者でこの場にいるのはラキュースたちのみであり、何故彼女たちが王女ラナーの依頼を引き受けたのかといえば、それはラキュースとラナーが友人関係にあるという理由のためだった。後はラキュース自身も一応貴族出身であるため、貴族としての責務として今回の件は見逃せないという個人的な思いもある。

 何はともあれ、今回の件に関してはラキュースは力を貸してくれる“蒼の薔薇”のメンバーに心から感謝していた。

 欲を言えばもう少し戦力が欲しいところではあったが、しかしこの際仕方がないと自身を納得させる。ここまで戦力が集まったことすら、ある意味奇跡に近いのだ。

 ラキュースはこれからのことに思考を巡らすと、出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら憂鬱になりそうな心を引き締めさせた。

 今回の詳しい依頼内容は“八本指”が所有する八つの拠点を同時に襲撃して一気に制圧するというもの。

 言葉にすれば簡単そうに思えるが、問題なのは拠点の数とこちらの人員の数。そして何より“六腕”という存在だった。

 “六腕”とは“八本指”に属する最強クラスの六人組を指す言葉である。

 最強という言葉も伊達ではなく、一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵する力を持っているとされているのだ。

 もしこの“六腕”のメンバーが各拠点に一人ずついた場合、事と次第によっては手こずる場合や苦戦する場合も考えられる。そのため、自分たち“蒼の薔薇”のメンバーは一人ずつに別れ、加えてガゼフ・ストロノーフやクライムも加えて複数のチームを作っていた。

 それでもチームの数は七つであり、拠点の数と比べると一チーム足りない。とはいえ、“六腕”のことを考えれば、無暗に実力のない人員を増やすわけにもいかなかった。他の王族貴族も信用できず、他の冒険者チームを雇うこともできない。自身の担当する拠点を制圧したチームから順に残りの拠点へ向かうという対策は取ったものの、果たして思い通りに進むかどうかはラキュースにも分からなかった。

 何とも心許ない状況に、不安が湧き上がってくるのを止められない。

 心から信用できて腕も確かな味方が欲しいものだとため息が出そうになり、そこで不意に脳裏に褐色の美男子の顔が勢い良く浮かんできてラキュースは思わず大きく息を呑んだ。翡翠色の瞳を大きく見開かせ、一気に頬を真っ赤に染め上げる。顔どころか頭や身体中が熱を帯び、鼓動が早鐘のように脈打った。

 

(なっ!? こ、こんな時に何を考えているのよ、私は……っ!!)

 

 ブンッブンッと激しく頭を振り、何とか熱を逃がそうと試みる。しかし次から次へとカルネ村でのことが頭に浮かんできて、熱は引くどころかどんどん上がっていくようだった。加えて横抱きに抱え上げられた時の熱や感触まで思い出してしまい、ラキュースは声にならない悲鳴を上げた。

 この場に自分だけしかいなければ、今頃思い切り身悶えていたことだろう。

 しかし人の目があるこの場でそんなことが出来る筈もなく、ラキュースはフルフルと身体を小刻みに震わせながら羞恥と胸の高鳴りを必死に堪えるしかなかった。

 心を落ち着かせようと咄嗟に腰の魔剣キリネイラムの柄を握りしめ、そこで再びカルネ村での光景が頭に蘇る。しかし次に湧き上がってきたのは更なる熱ではなく、胸が軋むほどの切なさだった。

 彼がここにいてくれたら……と思わずにはいられない。

 彼ならば信頼できるし、腕も確かであるため心強く感じたことだろう。彼はワーカーであるため、冒険者での決まりもないはずだ。

 しかし、そうつらつらと考えたところで……――

 

「……はぁ、虚しいだけよね……」

 

 ラキュースは今度こそ耐え切れず、小さなため息を零した。

 どんなに考えを巡らせたとしても、どんなに願ったとしても、彼は……レオナール・グラン・ネーグルはここにはいない。彼はバハルス帝国のワーカーであり、恐らく今も帝国のどこかにいるのだろう。

 せめて王国にいてくれたら……とは思うものの、それが唯の自分の願望であり、我儘であることはラキュースも理解していた。

 今はこんなことを考えているよりも任務に集中するべきだと自身に言い聞かせる。

 ラキュースは一つ息をつくと、意識を切り替えて任務に出撃するために一歩足を踏み出した。

 

 




今回は悪魔親子の親子愛(息子からの愛?)が濃すぎるような気がしないでもない……(汗)
だ、大丈夫ですかね?(汗々)
でも割と本気で、もし原作にウルベルトさんもいて同じような状況になったら、デミウルゴスは今回の話と同じような感じで考えたり行動したりするような気がします……。

*今回の捏造ポイント
・“ジレルスの結界石”;
『期間限定イベント・ガチャ ~クトゥルフvel~』でのみ入手可能なレア・アイテム。100レベルプレイヤーのみ使用可能。ティンダロスの猟犬という魔獣が封じ込められている。


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第44話 世界への出演

 夜の闇に世界が染まる頃。

 ペロロンチーノとデミウルゴス率いるナザリックのメンバーは王国王都での拠点である館に一度集まると、改めて作戦の説明と摺り合わせをメンバー全員で行い、その後早速役目を果たすために各自行動を開始した。

 そして今。夜の闇は深まり、空の星々も薄くかかる雲によって光を鈍らせる頃。

 まるでその闇に溶けるかのように一つの細身の漆黒が宙にポツリと浮かんでいた。

 影が身に纏っているのは漆黒のローブ。フードを目深にかぶり、風にたなびく裾や後ろ部分は途中から闇の粒子となって闇に染まった空間に溶けるかのように消えていく。フードから覗くはずの顔には銀色のペストマスク。しかしその仮面には眉間部分にある大きな単眼以外の装飾は一切なく、何とも不気味な見た目をしていた。

 その様はまるで不気味な死神のよう。

 しかし明確な正体は一切分からず、人間ではなく異形のモノだということしか分からない見た目をしていた。

 

(……はぁ~、やっぱり不可知化を解いていた方が清々しく感じるな~。………早くモモンガさんやウルベルトさんと自由に外を出歩けるようになりたいなぁ~。)

 

 不気味な死神……のような姿に様変わりしたペロロンチーノが、呑気に宙に浮かびながらのんびりと物思いにふけっている。

 現在、ペロロンチーノは普段とは全く違う装備を身に纏っており、そのためいつもとは全く違う見た目となっていた。

 普段ペロロンチーノが身に纏っている金色の主武装は弓兵としてのもの。しかし今身に纏っている装備は野伏(レンジャー)やアサシンといった探索能力や隠密能力を向上させる仕様のものだった。

 今も探索能力が向上したおかげで、至る所から聞こえてくる物音や生き物の気配に、無意識に感覚を研ぎ澄ませる。

 時折繋がってくるナザリックのシモベたちからの〈伝言(メッセージ)〉に短く答えてやりながら、ペロロンチーノは今のところ上手くいっている様子に内心で安堵の息をついていた。

 思えば、人間の世界で大々的に行動を起こすのは今回が初めてのことだった。しかも、自分たちギルドメンバーが誰一人として前面に出ないでの行動は、思い返してみれば今回が初めてなのではないだろうか。確かにコキュートスたちによる蜥蜴人(リザードマン)たちへの進軍も、最初は自分たちは前面に出はしなかったが、それでもあの時の場合は自分たちのシナリオ通りに事が進んでしまった特殊なケースでもあった。

 しかし今回はシナリオも自分たちが作ったわけでもなければ、実行もナザリックのシモベたちが中心に動いている。自分たちが一切手を加えていないという事実に、ペロロンチーノはだんだん不安になってきて柄にもなく『上手くいきますように……』と誰にともなく祈りを捧げた。

 しかし、やはり異形の願いなど聞き届けられないものなのだろうか……。

 何とはなしに街の夜景をぼんやりと眺めて物思いにふける中、不意に乱れた振動の様なものがペロロンチーノの感覚に引っかかった。

 目の前の光景から視線を外し、振動のようなものが感じ取れた方向へと視線を向ける。まるで戦闘音のような振動に、ペロロンチーノは思わず仮面の奥で顔を顰めさせた。

 計画では、デミウルゴスたちが大々的に外で暴れるタイミングはもう少し後のはずだ。ならばこの振動は別の何かか、はたまたこちらの存在が誰かに気取られたのか……。

 どうするべきかと迷う中、不意にキラッと小さな光が煌めいて、一拍後には小さな破壊音と共に土煙が夜の闇にぼんやりと浮かんできた。

 少なくとも、誰かが戦っているのは間違いないようだ。

 加えて、土煙が上がった場所が現在自分たちが襲撃している拠点の一つの場所とひどく重なっているような気がして、一気に嫌な予感が湧き上がってくる。ペロロンチーノは意を決すると、〈鷹の目(ホーク・アイ)〉を使って土煙が上がった場所に目を凝らした。

 瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず鋭く息を呑む。ペロロンチーノは武器を用意するのも忘れて、ローブに隠れている四枚二対の翼を大きく羽ばたかせた。必死に翼を動かしながら『急げ! 急げ!』と自身を急かす。

 ペロロンチーノの視線の先にはプレアデスの一人であるエントマが地に伏しており、見知らぬ三つの人影に取り囲まれている状況だった。

 どうして今まで気が付かなかったのか……と自分自身に舌打ちする。力なく地をかき、キィィ……と弱々しく鳴くエントマの声が聞こえた瞬間、一気にペロロンチーノの頭に血が上った。カッと視界が赤く染まり、凶暴なまでの激情が一気に理性を食い破って思考を支配する。

 小さい人影が短剣のような短い得物を片手にエントマに歩み寄るのを視界に捉えると、ペロロンチーノは更に飛翔速度を上げた。全身を一直線に伸ばし、まるで弾丸のように空を切り裂く。

 エントマを追い詰めていた三人組も漸くこちらの存在に気が付いたのか、不意に頭上を振り仰いできてペロロンチーノと視線がかち合った。

 瞬間、後ろに飛び退く小さな人影と、地面に激突するように着地するペロロンチーノ。

 ペロロンチーノが地面に着地した衝撃で地面が大きく抉れ、大量の土煙が上がってペロロンチーノとエントマを包み込んだ。恐らくそれが良い具合に目隠しになったのだろう、人間の三人組は様子を窺っているのか攻撃をしかけてこない。ペロロンチーノはその隙にエントマへと素早く歩み寄ると、未だ地に伏している小さな身体をそっと両手で抱き上げた。

 

「………ペロ…チー……さ、ま……」

「……何も喋らなくていい。もう大丈夫だ」

 

 抱き上げられたことでこちらの存在に気が付いたのか、エントマが腕の中で弱々しく身じろいで声を上げてくる。苦しげなその様子に、ペロロンチーノは仮面の奥で更に顔を大きく顰めさせた。憤怒と殺意が湧き上がって胸の中で荒れ狂い、大きな気迫(プレッシャー)となってペロロンチーノの全身から放出される。

 ペロロンチーノは少しでもエントマに負担がかからないように抱き直すと、そのままゆっくりと背後にいるのであろう三人組を顔だけで振り返った。

 まるでペロロンチーノの動きに合わせるかのように、朦々と立ち込めて宙を漂っていた土煙が柔らかな風に流れて消えていく。

 武器を構えたままこちらの様子を窺っている三人組に、ペロロンチーノは仮面の奥で鋭く目を細めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イビルアイは仮面の奥で荒い呼吸を繰り返していた。全身からは大量の冷や汗が流れ、極度の緊張と本能的な恐怖から小刻みに震えが走る。目の前に現れた急展開と強敵の存在に、イビルアイはかつてないほどの大きな絶望を感じていた。

 イビルアイは今まで、同じ“蒼の薔薇”の仲間であるガガーランとティアと共に蟲のメイドと死闘を繰り広げていた。蟲のメイドは強敵であり、恐らく仲間たちがいなければ苦戦を強いられていたことだろう。しかしそれでも、イビルアイたちは蟲のメイドに勝っていたのだ。蟲のメイドはもはや身じろぎ一つできないほどに弱まり、後は止めを刺して終わるはずだった。

 しかし、気が付いてみればどうだ……。

 ティアが蟲のメイドに止めを刺そうと歩み寄ったその時、突然頭上から気配を感じ、何かと目が合ったと思った瞬間に大きな衝撃がティアが立っていた場所を襲った。

 地震かと思うほどの衝撃と騒音。勢いよく立ち昇る土煙。

 こちらに戻ってきたティアと武器を構えるガガーランと共に何が起こったのかと様子を窺う中、晴れてきた土煙の中から現れた“それ”にイビルアイは仮面の奥で大きく息を呑んだ。

 そこに立っていたのは不気味な死神のような男だった。

 死の気配も大鎌も持ってはいないけれど、“それ”はそう思えわせるほどの存在感と威圧感を放っていた。

 

「……なんだ、イビルアイの親戚か?」

 

 隣からガガーランの声が聞こえてくる。しかしイビルアイは否定の言葉を紡ぐこともできなかった。際限なく湧き上がってくる絶望と恐怖に支配され、声も喉の奥で潰れて消えてしまう。このような存在を目の前にして軽口を叩けるガガーランに、イビルアイは場違いながらも感心すらしていた。

 しかし幸か不幸か、変化はこれだけでは終わらなかった。

 

 

「……御方様……」

 

「「「っ!!?」」」

 

 不意に柔らかな声が聞こえてきたかと思った瞬間、いつの間にか見知らぬ細身の男が死神のような男の傍らに跪いて頭を下げていた。

 男は青い仮面をかぶっており、その身に纏うのは漆黒の高級そうなコート。一見ただの人間の男のように見えるものの、しかし左こめかみには大きな角があり、腰部分からは銀色の長い尾が生えてゆっくりと宙に揺らめいていた。その身から溢れ出る巨大な存在感も相俟って、この男も人外であるのだと周りに知らしめている。

 男は一切こちらに意識を向ける様子もなく、ただひたすらに死神のような男に向けて頭を垂れていた。

 

「御方様、この場は私にお任せを……。どうか御方様は彼女と共にお戻りください」

 

 男の言葉に、死神のような男はじっと無言のまま男を見下ろす。それでいて徐にこちらに目を向けたかと思うと、不意に死神のような男の動きがピタッと止まった。鋭い視線が深く突き刺さり、自分を凝視しているのだと気が付いた瞬間、ゾクッと背筋に冷たい衝撃が走り抜ける。

 死神のような男は暫く無言のままイビルアイを見つめると、不意に視線を外して仮面の男に目を戻した。ちょいっちょいっと小さく手招くのに、仮面の男は傅いていた状態から立ち上がると、何の迷いもなく招かれるままに死神のような男へと歩み寄っていく。突き刺さっていた視線が外れたことでイビルアイが一気に脱力する中、死神のような男は身を寄せてくる仮面の男の耳の部分に顔を寄せていた。内緒話でもしているのか、仮面の男が時折小さく頷くような素振りを見せている。それでいて仮面の男は死神のような男から身を離すと、次には再び深々と頭を垂れた。

 

「畏まりました。全ては御方様の御意のままに」

 

 淀みなく紡がれる男の言葉に、死神のような男は一つ大きく頷いて返す。続いて未だ腕に抱き上げている蟲のメイドを大切そうに抱き直すと、一瞬後にはふわりと宙へと浮き上がった。そのまま遥か上空へと舞い上がって夜の暗闇に消えていくのに、仮面の男は暫く頭を垂れたままそれを見送る。

 イビルアイたちも飛び去っていった死神のような男と蟲のメイドを呆然と見送る中、漸く仮面の男がこちらを振り返って意識を向けてきた。

 

「……さて、お待たせしました。少々計画が狂いましたが、これも全て御方様のご意思です。……一つ取引をいたしましょう」

「っ!? ……何だと?」

 

 仮面の男の言っている意味が分からず、ガガーランが訝しげな表情を浮かべて疑問の声を上げる。イビルアイもガガーランと全く同じであり、仮面の奥で訝しげな表情を浮かべながらも油断なく仮面の男を睨むように見つめた。ティアは無言を貫いてはいたがひどく警戒しているのだろう、イビルアイと同じように鋭い瞳で仮面の男を睨み据えている。

 しかし、そんなイビルアイたちの様子など仮面の男はどこ吹く風。一切気にする様子も見せず、まるで友好的であるかのように両腕を軽く広げてみせた。

 

「我が主はそこの仮面の人間をお望みです。大人しく従えば、残りのあなた方に関しては楽に死なせてあげましょう」

「「「っ!!?」」」

 

 仮面の男からの言葉に、イビルアイたちは思わず驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑んだ。

 仮面の男の言う“我が主”とは先ほどの死神のような男のことであり、“仮面の人間”とはイビルアイ自身で、“残り”とはガガーランとティアのことだろう。

 つまり、あの死神のような男がイビルアイを望んでいる、と……。

 仮面の男の言葉を正確に理解した瞬間、イビルアイはゾクッと背筋に悪寒が走って思わず身を震わせた。

 『絶対に行きたくない!』と心の中で叫ぶ。あんな異形の元に行くなど冗談ではない。

 断固拒否しようと口を開きかけ、しかしその前にガガーランたちが口を開く方が早かった。

 

「大切な仲間を売れってぇのか……? 冗談じゃねぇ!」

「……お前を倒せば全て万事解決する」

 

 それぞれ得物を構えながらガガーランとティアが仮面の男を睨み付ける。

 頼もしい仲間たちからの言葉に、しかしイビルアイは今回ばかりは頼もしさよりも焦りを感じていた。

 イビルアイとて最後まで諦めるつもりは微塵もない。あの死神のような男の元に行くくらいなら死んだ方がましだという考えも変わってはいない。

 しかし大切な仲間たちの命がかかっている以上、軽率な行動はとれなかった。相手を挑発することもマズい。

 悔しくはあるが、今自分にできることは、出来るだけ彼女たちが逃げられる時間を稼ぐことだけだった。

 

「まったく、いと尊き至高の御方に望まれること自体、下等生物には身に余る栄誉そのものだというのに……」

 

 やれやれとばかりに緩く頭を振って嘆いて見せる仮面の男に、その素振りが癪に障って仕方がない。“下等生物”という言葉にも苛立ちが募り、イビルアイは思わず仮面の奥で顔を歪ませた。

 しかしここで感情のままに動いては相手の思う壺である。

 イビルアイはグッと感情を抑え込むと、意識して冷静さを保ちながら小声でガガーランとティアへと声をかけた。

 

「……おい、こっちを見ずに聞け。……奴は圧倒的に強い。化け物の中の化け物だ。……お前たちは後ろを振り返らずに全力で逃げろ」

「……冗談だろ、あいつはお前を狙ってるんだぜ? お前を置いて逃げられるわけねぇだろうが……!」

「むしろこの場合、相手の狙いであるイビルアイを逃がせられたらこちらの勝ちとも言える……」

「だな。……おい、イビルアイ、お前が全力で逃げろ。数秒くらいなら時間を稼いで見せるからよ!」

「!? おいっ、待てっ!!」

 

 イビルアイが咄嗟に声を上げるのと、ガガーランとティアが一斉に仮面の男に突撃したのはほぼ同時。

 ガガーランは真正面から、ティアは一拍遅れて斜め横から突撃していくのに、仮面の男は小さく首を傾げさせた。

 

「おや、そう来ましたか。……ふむ、ではまずは逃げられないように転移を阻止させて頂きましょうか。〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉」

 

 ガガーランとティアが迫ってきているというのに、仮面の男は少しも動じることなくガガーランたちではなくイビルアイの方に対処の手を伸ばしてくる。一部の超上位悪魔や天使しか使えない特殊技術(スキル)を発動させてイビルアイの転移を阻止してきた。

 この特殊技術(スキル)を使ってきたということは、恐らくこの仮面の男の正体は悪魔なのだろう。

 仮面の悪魔は特殊技術(スキル)を発動した後、そこで漸くガガーランとティアへの対処へと移った。既にガガーランが懐に飛び込んで肉薄していたが、しかし仮面の悪魔の態度はどこまでも優雅で余裕があった。

 

「これでもくら……ぐはっ……!?」

「っ!?」

 

 ガガーランが巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を大きく振り上げて仮面の悪魔に振り下ろそうとし、ティアが苦無を構えて斜め上から切りかかっていく。

 しかし彼女たちの刃が仮面の悪魔に襲いかかろうとした瞬間、長い銀色の何かが素早く動いて彼女たちの胴を襲った。ガガーランの言葉は途中で呻き声に変わり、二人の身体はくの字に曲がって後ろへと吹き飛ばされる。

 何が起こったのかと目を凝らせば、悪魔の長い銀色の尾がしゅるりと優雅に揺らめいていた。

 恐らく二人はあの長い尾によって胴体を薙ぎ払われたのだろう。

 仮面の悪魔自身は一歩もその場を動いておらず、イビルアイは思わず仮面の奥で唇を噛み締めた。口内に鉄の味が広がり、覚悟を決めるように強く拳を握りしめる。

 二人は自分に逃げろと言ったが、イビルアイはそれに従うつもりは毛頭ない。どれだけ実力差があろうと、万が一この悪魔を倒せる可能性があるとすれば、それは自分以外にいないのだ。

 イビルアイは湧き上がってくる恐怖と絶望感を意志の力で捻じ伏せると、ガガーランとティアに加勢しようと強く地を蹴った。自身に〈飛行(フライ)〉の魔法をかけ、まずは地面に倒れ込んだ二人が立ち上がれるだけの時間を稼ごうと低空飛行で突き進む。

 しかしいざ魔法を唱えようとした、その時……。

 

「〈獄炎の壁(ヘルファイヤーウォール)〉」

「っ!!?」

 

 突如目の前に出現した熱波に、イビルアイは咄嗟に急ブレーキをかけてその場に停止した。一体何が起こったのかと目の前を凝視するイビルアイの視界に、大きな黒い炎が映り込む。

 自然ではありえない黒炎が熱風を撒き散らし、まるで壁のように頭上高く燃え盛っていた。

 その炎の中にはガガーランとティアが未だおり、ピクリとも動かずに地に倒れ伏している。

 どう考えても事切れているその様子に、思わず悲鳴を上げそうになった。しかし咄嗟に悲鳴を噛み殺すと、イビルアイは湧き上がってくる激情に拳をブルブルと震わせた。突然の仲間二人の死に、怒りと憎しみが恐怖心を塗り潰していく。

 

「おや、死んでしまいましたか? ギリギリのラインで止める予定だったのですが、この程度の炎で死んでしまうとは……。想定よりも弱かったのですね」

 

 炎の奥から聞こえてくる悪魔の声に、カッと頭に血が上る。冷静になれと頭のどこかで小さな声が聞こえてくるが、もはやその声だけではイビルアイを落ち着かせることはできなかった。

 黒炎が目の前で徐々に弱まり、次には跡形もなく消えていく。

 再び視界に捉えた悪魔の姿に、イビルアイの感情が一気に爆発した。

 

「手加減するというのは想像以上に難しいですね……。何故実力差があるのにチームを組まれているのですか? それさえなければもう少し丁度いいところを探れたのですが」

「おまぇがああぁ! いうなぁああぁぁあぁぁぁああぁっっ!!!」

 

 再び自身に〈飛行(フライ)〉の魔法をかけ、勢い良く仮面の悪魔へと襲い掛かる。

 悪魔は少しの間イビルアイを観察するように見つめていたが、次にはほんの少しだけ首を傾げさせるような素振りを見せた。

 

「……ふむ……、『その場に停止し、跪け』」

 

 瞬間、今まで以上に深みのある魅惑的な声が発せられ、こちらに服従を命じてくる。

 イビルアイの背筋がゾクッと震え、しかしそれ以外の異変は起こらなかった。頭の片隅で『何か仕掛けられたのかもしれない』という警告の声が響いてくるが、しかし今のイビルアイの行動は止まらない。

 至近距離にまで近づくと、イビルアイは一つの魔法を発動させるのと同時に拳を悪魔へと突き出した。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャード・バックショット)〉!!」

 

 唱えたのはイビルアイのお気に入りの魔法。

 突き出した拳の前方に現れた水晶が、散弾のように撒き散らされて仮面の悪魔へと襲い掛かる。

 しかし先端が尖った水晶の欠片がその身体に触れようとした直後、まるで何事も起こっていないかのように我先にと水晶の欠片は空気に溶けるように消えていった。

 

(魔法の無効化能力!? それほど実力が開いているというのか!!)

 

 相手との実力差があればあるほど、魔法は無効化されやすい。

 ここで漸く少なからず冷静さを取り戻したイビルアイだったが、しかし仮面の悪魔が至近距離にいることに気が付いて思わずひくっと喉を引き攣らせた。自身の軽率な行動に内心で舌打ちを零す。

 しかしここで諦めることはせず、ダメもとで後方に強く地を蹴って退避行動をとった。どんな攻撃が来ても対処できるように警戒しながら後方へと飛び退くのに、しかし仮面の悪魔は一切攻撃してこない。ただ興味深げに見つめてくるのに、イビルアイは五メートルほどの位置まで下がりながら、仮面の奥で訝しげに顔を顰めさせた。

 

「……ほう、まさか〈支配の呪言〉が効かないとは。なるほど、御方が興味を持たれる程度の価値はあるということですか……」

 

 未だ何が何やら分からないイビルアイの目の前で、仮面の悪魔が一人納得したような言葉を呟いてくる。まるで自身の考えに満足するように一つ頷いてくるのに、再び苛立ちが湧き上がってきた。

 何が興味だ。

 何が価値だ……。

 そんな訳の分からない理屈で好き勝手にされて堪るものか……!!

 

(……いざとなれば、自らこの命を捨ててやる!!)

 

 悪魔たちの思惑通りにならぬよう、最悪の手段も覚悟する。それでいて再び抗うべく魔法を唱えようとしたその時、不意に頭上に気配を感じたと同時に何かがイビルアイと悪魔の間の地面に勢いよく落下してきた。

 大きな衝撃と、激しく立ち上る土煙。

 つい先ほど死神のような男が落下してきた時の状況と今の光景が重なり、イビルアイは思わず緊張と恐怖に身体を硬直させた。

 しかし土煙の奥から姿を現したのは、悪魔などではなく威風堂々とした漆黒の戦士。

 着地して屈み込んでいた体勢からゆっくりと立ち上がる戦士に、その威容にイビルアイは思わずゴクッと生唾を呑み込んでいた。

 

「………それで、私の敵はどちらなのかな……?」

 

 立ち上がった漆黒の戦士が、仮面の悪魔とイビルアイを交互に見やってポツリと疑問を零してくる。どうして分からないのか……と思わないでもなかったが、しかしすぐに仮面の悪魔が一見人間に見えなくもないことや自身も怪しい仮面をかぶっていることに思い至り、すぐに思考を切り替えた。目の前の戦士の姿から彼の正体を思い至り、イビルアイは迷うことなく声を張り上げた。

 

「漆黒の英雄! 私は“蒼の薔薇”のイビルアイ! 同じアダマンタイト級冒険者として要請する! 協力してくれ!!」

 

 目の前の漆黒の戦士は間違いなく、最近アダマンタイト級冒険者となった“漆黒の英雄”モモンだろう。伝え聞く噂が全て本当ならば、力強い助っ人になってくれることは間違いない。

 しかしそう思う一方で、果たしてこれで本当に良かったのかという不安と後悔が湧き上がってきた。

 同じアダマンタイト級冒険者とはいえ、イビルアイですら実力差が大きい相手に対して、この戦士がどこまで渡り合えるか分からない。自分が彼にかけなければならなかった言葉は助力の要請などではなく、むしろ警告であるべきだったのではないのか。

 思わず自責の念にかられるイビルアイに、しかしそれに応えたのは力強い男の声だった。

 

「承知した」

 

 声の主は間違いなく漆黒の戦士。

 彼は徐に歩を進めると、まるで悪魔から自分を守るかのようにこちらに背を向けるように立ってきた。目の前に広がる深紅のマントに覆われた大きな背に、途端に言いようのない安堵が湧き上がってくる。まるで絶対に崩れることのない壁に守られているかのような安心感に、イビルアイは思わず強張っていた身体から力を抜いた。

 

「……これはこれは、よくぞいらっしゃいました。まずはお名前を伺ってもよろしいでしょうか? 私はヤルダバオトと申します」

「ヤルダバオト……? ……ふむ、そうか……。私はモモン。彼女が言ったようにアダマンタイト級冒険者だ」

 

 仮面の悪魔が発する強者の気迫(プレッシャー)に怯む様子もなく、モモンは淡々と悪魔と言葉を交わしていく。

 どこまでも落ち着き払ったその様子に、イビルアイは仮面の奥で小さく感嘆の息を吐き出していた。

 確かに相手の正体や実力や能力などが不明な場合、情報戦も非常に重要になってくる。仮面の悪魔もモモンを警戒しているのか、二人は互いに探り合うように情報戦を繰り広げていた。

 

「――……それで、そちらの目的はなんだ?」

 

 不意にモモンが核心に迫った質問を繰り出す。

 瞬間、仮面の悪魔の纏う空気が変わった。

 

「……我が至高の御方が所有する至宝の一つが、この都市のどこかにあるのです。それを取り戻すために参りました」

「なるほど。……ならば、それをこちらが提供すれば、問題はそれで終わるのか?」

「いいえ、無理ですね。そもそも至宝がこの都市にあるのは、人間のコソ泥が保管場所から盗み出したためです。御方の至宝に手を出した以上、報いを受けて頂きます」

「しかし、その至宝とやらに手を出したのは、あくまでもそのコソ泥なのだろう? ならば他の者たちに罪はないはずだ」

 

 悪魔に対して説得を始めたモモンに、イビルアイは彼の背に隠れるように立ちながらも内心で疑問に首を傾げていた。

 相手は悪魔なのだから、そんな説得に応じる筈がない。

 しかしそう思う一方で、例え可能性が低くても被害を少なくするために尽力するモモンの姿に、イビルアイは心底感心させられた。

 これこそが正にアダマンタイト級冒険者たる姿なのだろう。

 無意識にキラキラとした視線を向けるイビルアイの視線の先で、モモンは尚も悪魔に言葉を尽くしていた。

 しかし悪魔は断固として首を縦に振ろうとはしなかった。

 

「残念ながら、私一人の一存でこの都市から手を引く訳には参りません」

「何故そこまで拘る必要があるんだ」

「……ふむ、そうですね。主に理由は三つあります。一つ目は、私の配下のメイドが一人、彼女たちに害されたため。二つ目は、そこの仮面の人間を御方様が望んでいらっしゃるため。そして最後の三つ目は、コソ泥を野放しにしていたこの都市に対して御方様が処罰を望まれたからです」

「………なに……?」

 

 悪魔の言葉に、モモンの声に鋭さが宿る。

 瞬間、漆黒の大きな体躯から威圧感が溢れ出し、イビルアイは思わず仮面の奥で目を大きく見開かせた。ヒシヒシと感じられる威圧感に激しい怒気が宿っているような気がして、それに疑問と困惑が胸に湧き上がってくる。

 しかしイビルアイはすぐに思い直すと、フルフルと強く頭を振った。

 彼がこんなにも激しい威圧感を出しているのは、恐らくどう言葉を尽くしても悪魔が首を縦に振ることがないと理解したからだろう。避けられない戦闘に対して闘志を燃やしているからに違いない。怒気が宿っていると感じたのは、恐らくその威圧感があまりにも圧倒的で、激しいからだろう。

 イビルアイは内心でそう納得すると、次の行動をどうするべきか思考を巡らせた。

 モモンは純粋な戦士であり、つまりは完全な前衛ポジションである。であれば、こちらはモモンの戦闘を邪魔しないように補助に回った方が良いだろう。

 ならばどう戦うか……と頭を悩ませる中、不意に目の前にあった深紅が大きく動いたことに気が付いて、イビルアイは思わずつられるようにして視線を動かした。

 瞬間、ガキンッという鋭い大きな音が響き渡る。

 気が付けば、自身のすぐ目の前にいた筈のモモンが一気に距離を詰めてヤルダバオトと刃を交わしていた。

 モモンは二振りの漆黒のグレートソードを振るい、ヤルダバオトは銀色のアーマーリングを装備した鋭い爪で応戦している。二人は何度も刃を交わし、その度に圧倒されるほどの攻撃の余波がイビルアイのところにまで響いてきた。

 あまりにも常識離れした戦闘に、イビルアイは補助をすることも忘れて完全に目を奪われる。

 正に歴史に刻まれるような……、吟遊詩人(バード)によって永久に語り継がれるような戦いが、目の前で繰り広げられている。

 しかし幸か不幸か、それは長くは続かなかった。

 モモンがグレートソードを大きく横に振り抜いた瞬間、ヤルダバオトは頭上高く跳躍してその背から大きな翼を出現させた。そのまま宙に浮かびながら、モモンやイビルアイを見下ろしてくる。

 

「残念ですが時間切れのようです。そこの仮面の人間は少々惜しいですが、仕方がありませんね。……これより王都の一部を炎で包ませて頂きます。もし侵入してくるというのであれば、煉獄の炎があなた方をあの世に送ることを約束しましょう」

 

 一方的にそう言うと、ヤルダバオトはこちらの反応も待たずに大きく翼を羽ばたかせた。

 瞬間激しい突風がイビルアイとモモンを襲い、思わず顔を背けて飛ばされないように強く地面を踏み締める。

 流れた時間はほんの数秒。

 しかし風が止んで再び顔を上げた時には、既に仮面の悪魔の姿はどこにも見つけることが出来なかった。

 どうやらヤルダバオトはこの場を去ったようで、思わず大きく息を吐き出す。

 しかしあの悪魔がこの都市を去ったわけでは決してないことを思い出し、イビルアイは思わず少し離れた場所に佇む漆黒へと走り寄った。

 

「ま、マズいぞ、モモン様! 早く奴を追って討たなければ!!」

「いや、それは無理だろうな。奴は計画を遂行させるために撤退を選んだ。追えば、奴は本気になって戦闘を始めるだろう。そうなれば……」

 

 モモンが途中で言葉を途切らせて黙り込む。しかしイビルアイはそこから続く言葉を理解していた。

 つまり、そうなればイビルアイ自身は死ぬか、或いはヤルダバオトの手に落ちると言いたいのだろう。

 死ぬのであればまだ良いが、その手に落ちてしまえばあちらの思う壺。そうなってしまえばどんな運命が待ち受けているのかは分からないが、少なくともモモンたちの足を引っ張ってしまうことは間違いないだろう。

 自分の不甲斐なさに気分が沈む中、ふと先ほどの自分自身が言った言葉を思い出してイビルアイは思考を停止させた。

 そういえば、自分は先ほど何と言った?

 いや、自分は先ほどモモンを何と呼んだ……?

 自分自身の先ほどの言葉を思い返した瞬間、イビルアイは仮面の奥で一気に顔を紅潮させた。カアァッと血が沸騰し、顔だけでなく全身が急激に熱を帯びる。

 

(わ、私はさっき何を!? モモン“様”って……、モモン“様”ってぇぇ!!?)

 

 思わず心の中で絶叫し、これまた心の中で身悶える。熱に浮かされたような自分の思考に、許されるならば頭を抱えて転げまわりたかった。しかしどんなに絶叫したところで、どんなに身悶えたところで、胸の中で高鳴っている鼓動は誤魔化しようがない。

 自分の危機に颯爽と現れて見事な戦いを繰り広げた漆黒の戦士に、イビルアイはすっかり心を奪われてしまっていた。

 

「……ところで一つお伺いしたいことがあるのですが……」

 

 イビルアイの内心を知ってか知らずか、モモンが丁寧な口調で話しかけてくる。

 いつの間に現れたのか、驚くほどに美しい美女を引き連れたモモンの姿にイビルアイは思わず口を開きかけた。しかし次の瞬間、突然視界が紅蓮色に光り輝いて咄嗟に口を閉ざす。

 反射的に視線を巡らせれば、その視界に巨大な紅蓮の炎が映り込んできた。

 

「………なんだ、あれは……?」

 

 信じられない光景に、思わず疑問の言葉が零れ出る。

 そこにあったのは巨大な炎の壁。

 高さはどの建物の屋根よりも高く、恐らく三十メートル以上はあるだろう。横の長さは推測することが出来ないほどに長く遠く続いており、数百メートルでは収まらない。街のど真ん中に突如現れて一区画を丸々包み込んだ炎の壁が、赤々と燃え盛っては街中を紅蓮の光に染め上げていた。

 正に常識では考えられない光景。

 無言のまま静かに炎の壁を見つめる漆黒の戦士と美女の横で、イビルアイは仮面の奥で大きく生唾を呑み込んだ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 王国王都リ・エスティーゼに突如現れた巨大な炎の壁。

 “八本指”が所有する複数の拠点のうち、自身の攻撃目標である拠点を無事に制圧したラキュースは、次の拠点に移動する途中で炎の壁を目撃して急きょ計画を変更して炎の壁へと向かっていた。

 足音高く街中を走りながら、何とも言えない嫌な予感に無意識に顔を顰めさせる。

 実は先ほどラキュースが制圧した拠点は既に何者かに荒らされており、“八本指”のメンバーだと思われる者たちの死体が転がって生きている者は一人もいない状態だった。そして次に起こったのが謎の炎の壁の出現。

 自分たちの知らないところで何かが起こっているのは間違いなく、何とも言えない嫌な予感と不安が胸の中で渦を巻いていた。

 ふと、仲間や協力者たちは全員無事だろうか……という思いが湧き上がってくる。

 しかしラキュースはすぐさま小さく頭を振ると、先ほどの思考を頭の中から追い出して考えないようにした。

 今はそんなことを考えている場合ではない。仲間たちは勿論のこと、協力者たちもそれなりに腕の立つ者が揃っているため、ここで自分が心配する必要もないだろう。今は目の前のことに集中することが第一だ。

 自身にそう言い聞かせ、少しでも早く状況を把握するべく更に足の速度を速める。

 街の中を全速力で駆け抜け、炎の壁が処々に近くなってきた頃に漸く徐々に足の速度を緩めていった。駆け足から歩きへと足の動きを変えていき、目の前まで近くなった炎の壁へと更に歩み寄る。一メートルほどのところで漸く止まり、頭上高く燃え上がる巨大な炎を見上げた。

 視界を埋め尽くす目の前の炎は、それだけで迫力があり圧倒させられる。

 しかしここまで近づけば通常感じる筈の熱を全く感じないことに、ラキュースは思わず訝しげな表情を浮かばせた。

 一体この炎は何で、何故出現したのか。

 熱を感じないことに恐る恐る手を伸ばそうとしたその時、不意に視界の端で動くものを捉えてラキュースは反射的にそちらへと振り返った。

 瞬間、視界に映り込んできた存在に思わず大きく目を見開かせる。自分の目が信じられず、無意識に大きく息を呑んで、そのまま呼吸を止めた。

 ラキュースの視線の先にいたのは、無表情に炎の壁を見上げている一人の男。買い物でもしていたのか、片手に紙袋を抱え持って炎の壁のすぐ目の前でポツリと一人佇んでいる。後ろにかき上げた白い髪も、浅黒い褐色の肌も、一目で高級品だと分かる少し変わったデザインの服も、全てラキュースには見覚えがあった。

 しかし彼がこんなところにいるはずがない。

 何故なら彼は……。

 

 

 

「――………アインドラさん……?」

 

「っ!!?」

 

 不意に何かに気が付いたように男の金色の瞳がこちらに向けられ、ポツリと自身の名を呟かれる。

 瞬間、これは間違いなく現実だと理解したラキュースは、未だ信じられない心境ながらもドクンッと心臓を大きく高鳴らせた。

 こちらの存在に気が付いて歩み寄ってくる姿は、少し前に“ここにいてくれたら……”と願って思い浮かべた姿と一切変わらない。

 目の前まで歩み寄ってきたその男は、バハルス帝国にいる筈のレオナール・グラン・ネーグルその人だった。

 

「こんなところで会うとは奇遇ですね。お久しぶりです、アインドラさん」

 

 柔らかな笑みを浮かべて挨拶をしてくるのに、その優雅な動作も自分が記憶しているものと全く変わらない。

 目の前にレオナールがいるという信じられない光景に途端にドギマギしながら、ラキュースは必死に強張りそうになる口を動かした。

 

「お、お久しぶりです…、ネーグルさん……! で、ですが……、何故、ネーグルさんがこちらに……?」

 

 レオナールはバハルス帝国を拠点としているワーカーであるため、王国の……それも王都にはいないはずである。だというのに何故王国の王都にいるのかと疑問符を浮かべるラキュースに、レオナールはフッと笑みを含んだ息を一つ吐き出すと、次にはラキュースにとっては非常に魅力的な柔らかな笑みを浮かべてきた。

 

「実はカルネ村に少し用があって王国に来ていたのですよ。それで、折角なので王都の方にも足を延ばしてみようかと思い至りまして。丁度欲しい物もありましたしね……。後は、もし会えたらアインドラさんや他の“蒼の薔薇”の方々にも挨拶しようかと思っていたのですが、本当にお会いできるとは思っていませんでした。お会いできて良かった」

「っ!!」

 

 ラキュースの視界で、レオナールの笑顔がキラキラッと眩しいまでに光り輝く。

 あまりの眩しさに思わず目を忙しなく瞬かせながら、ラキュースは自分の顔が熱く火照ってくるのを感じていた。

 

(……私たちに、挨拶しようと……。…そ、それはつまり……、私に会いに……っ!?)

 

 少々飛躍気味な思考で途端に頭の中に花畑を咲かせる。

 目の前ではレオナールが変わらぬ笑みを浮かべたまま小首を傾げており、それによって長めの白い髪が炎の壁の光に彩られてふわりと優雅に揺らめいた。金色の双眸にも朱色の光が差し込み、まるで瞳自体が朱金に輝いているかのようである。

 ひどく整った美貌とも相まって思わず見惚れる中、不意にレオナールの金色に瞳が自分から逸れたことでラキュースは漸くハッと我に返った。

 

「……それにしても、これは一体何事なのですか?」

 

 レオナールの視線の先にあるのは、謎の巨大な炎の壁。

 彼の視線と言葉に今が緊急事態であることを思い出すと、ラキュースは思わず勢いよくレオナールへと身を乗り出していた。

 

「そ、そうです! ネーグルさん、どうか我々に力を貸してください!!」

 

 こちらに戻ってきた金色の瞳を真正面から受け止めながら、ラキュースは必死にこれまでの事情をレオナールに説明していく。

 そのあまりの熱意が思考を鈍らせたのか、はたまた予想外の夢のような再会に無意識に興奮していたのか……。

 レオナールの金色の双眸が一瞬不穏な光に揺らめいたことに、ラキュースは気が付くことはなかった。

 

 




遂にここまで来たぞー!(笑)
前回から日が空いてしまい、申し訳ありませんでした……(土下座)
とはいえ、ここから皆さんの大好きな『デミウルゴス計画(仮)』の始まりです!
原作とどう変わっていくのか、お付き合い頂ければと思います!

そしてイメージイラスト第二弾!
今回は原作とは違い装備を一新したデミウルゴスこと“魔皇・ヤルダバオト”になります。
お目汚しかと思いますが、少しでもご参考にして頂ければと思います。
イメージを壊したくない方はスルーして下さいませ(深々)






魔皇・ヤルダバオト:
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第45話 水面下の思惑

 リ・エスティーゼ王国王都に聳え立つロ・レンテ城。

 王城の一角にある一つの部屋では、日付が変わった真夜中だというのに未だ眩いばかりの灯りが爛々と輝いていた。

 室内には多くの人間が集まっており、ある者は知り合いと小声で何事かを話し、ある者は窓から外の景色を眺め、ある者は無言のまま時が過ぎるのをひたすら待っている。しかしそんな中でも多くの者たちが部屋の両片隅にそれぞれ佇んでいる存在にチラチラと視線を向けていた。

 彼らはこのリ・エスティーゼ王国の王都内にいた冒険者たち。オリハルコンやミスリルなどの上級冒険者から、(アイアン)(カッパー)といった最下級冒険者まで、正に言葉通り王都内にいた冒険者全員がこの場に集められていた。

 うるさくはないものの、少なからずざわついている空気。

 しかし不意に扉が大きく開かれたことによって、一瞬で誰もが口を閉ざし、室内が静寂に包まれた。

 扉から姿を現したのは六人の人物。

 一人を除いて残りの全てが女というその一団は、堂々とした足取りで室内へと足を踏み入れると、そのままこの場にいる全員の目の前で立ち止まった。

 

「皆さん、まずは非常事態時に集まってくれたことに感謝をいたします」

 

 まず初めに口を開いたのは四十くらいの眼光鋭い一人の女。彼女はこの王国王都の冒険者組合(ギルド)の組合長を務めている人物であり、つまりはこの場にいる殆どの者たちのまとめ役であった。

 自分たちが所属する組織のまとめ役が口を開いたことによって、この場の空気が一層シャキッと引き締まる。

 組合長は多くの視線が自身に集中することに怯む様子もなく、変わらぬ堂々とした態度で話を続けていった。

 

「本来であれば冒険者組合は、国家の問題への介入は認めておりません。しかし、今回の件は別です。冒険者組合は王国を全面的にバックアップし、早急に問題を解決するべきだと判断しました。詳しい作戦内容については王女からお話があります。皆さん、ご清聴願います」

 

 彼女が話している背後で、白い全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年が大きな地図を彼女たちの背後の壁に貼り付けている。また、組合長の言葉が終わった後、次に一歩前に進み出て口を開いたのは黄金色の髪に輝かんばかりの美貌を持った愛らしい少女だった。少女の左右には“蒼の薔薇”のラキュースとイビルアイとティナ、そして王国戦士長のガゼフも付き従うように立っている。

 

「ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。今回の非常事態に集まって頂き、ありがとうございます」

 

 ぺこりと頭を下げる可憐な少女に、途端に部屋の至る所から感嘆の吐息の音が小さく聞こえてくる。

 誰もが“黄金”と謳われる王女の美貌に目を奪われる中、当の王女自身は背後に張り付けられた地図を使って現状をこの場にいる全員に説明し始めた。

 彼女の話によると、現在、突如現れた巨大な炎の壁によって王都の北東部分の一角が完全に包囲されたという。炎自体に害はないものの、包囲された区画の内部には多くの悪魔が蠢いており、より上位の悪魔の指示によって動いている可能性が大きいとのことだった。

 今回の騒動の首謀者と思われる存在は“ヤルダバオト”という名の悪魔と、そのヤルダバオトに“御方”と呼ばれていた存在。

 次々に情報を整理しながら話していく王女に、冒険者たちもその都度浮かんだ疑問などを次々と発言していく。

 “御方”という存在の正体やヤルダバオトという悪魔の脅威度や彼らの目的。その他にも、ヤルダバオトの口からもたらされた情報の虚偽の可能性についてなど。

 冒険者たちの疑問は尽きず、まだまだ彼らの情報共有は終わりそうにない。

 白熱している彼らの様子を意識の端でぼんやりと眺めながら、モモンガはモモンガでただいま絶賛頭の中で情報共有と意見交換の真っ最中であった。

 

『――……だから~、何度も言ってるじゃないですか。俺もつれてこられたんですって。本当は外で高みの見物を決め込むつもりだったってぇのに……』

 

 頭の中で少々癖の強い聞き慣れた声が響いてくる。

 声の主は、自分とは正反対の部屋の隅に佇んでいるレオナール・グラン・ネーグルことウルベルト・アレイン・オードル。

 モモンガは現在〈伝言(メッセージ)〉で今回の件についてウルベルトと情報共有という名の話し合いを行っていた。

 

『いやいや、そもそもどうして高みの見物を決め込むつもりだったんですか。ウルベルトさんのことだから、てっきり嬉々としてデミウルゴスと一緒に行動していると思って、あの時もウルベルトさんに〈伝言(メッセージ)〉を繋げちゃったんですよ?』

 

 モモンガの言う“あの時”とは、ヤルダバオトとなったデミウルゴスと初めて対峙した時のことである。まさかデミウルゴスが“蒼の薔薇”のメンバーと戦っているとは思わず、モモンガはどういうことかとウルベルトに〈伝言(メッセージ)〉を繋げていたのだ。

 しかし、返ってきた言葉は『詳細はペロロンチーノたちに任せているので知りません』というもの。加えてナーベラルやイビルアイと共に王城に来てみればそこでレオナールとなっているウルベルトと出会い、モモンガはアンデッド特有の感情抑制が追いつかないほど大きな混乱に見舞われることになったのだった。

 

『いや~、だって今回は参加するにしても完全に裏方ポジションだろう? でも、テンション上がったら絶対に表舞台に出ちゃいそうだったしさ~。それだと大事になると思って、俺なりに遠慮して今回は不参加にしたんだよ』

『な、なるほど……、そうだったんですか……』

 

 ウルベルトの言い分に、モモンガは思わず大いに納得してしまった。

 確かにテンションが上がって無茶を仕出かすウルベルトの姿が容易に想像でき、もしそんな事態になれば大変な騒動になることは間違いないだろう。今回ばかりはウルベルトは賢明な判断をしたとしか言いようがなく、内心で頷くモモンガに次はウルベルトの方が疑問の声を投げかけてきた。

 

『俺からすれば、モモンガさんが今ここにいることの方が疑問なんですがねぇ。冒険者での依頼があるって言ってなかったか?』

『その依頼でここに来たんですよ。依頼主はレエブンっていう王国貴族で、依頼内容は“八本指の拠点制圧の参加”。それで王都に向かっている途中に戦闘の光が見えたので、早速参加しようと思って行ってみたら……』

『デミウルゴスが“蒼の薔薇”のメンバーと戦っていた、と……』

 

 言いよどんだモモンガの言葉を、ウルベルトが引き継ぐように代わりに言ってくる。思わず黙り込むモモンガに、〈伝言(メッセージ)〉からウルベルトのため息の音が聞こえてきた。

 

『……何やってんですか、モモンガさん。セバスから、ツアレを誘拐したのは“八本指”だって聞いてたでしょうが。なら、俺たちの襲撃チームと王国側の連中がかち合う可能性だって考え付いたでしょう』

『まさかこんなことになるとは思ってなかったんですよぉぉっ!!』

 

 ウルベルトからの指摘に、モモンガは〈伝言(メッセージ)〉内で絶叫を上げる。しかし『多額の依頼料につられた』とまでは流石に口には出せなかった。

 実は今回のレエブン侯からの依頼は、依頼料がとんでもなく高かったのだ。これで少しは金銭面が楽になると喜び勇んで引き受けたものの、エ・ランテルから王都までの移動時間が予想以上に長く、本当に依頼に参加できて依頼料を貰えるのかと気が気ではなかった。つまり、今回の一連の行動は完全に焦ってのものだとしか言いようがなかった。

 しかしもしそんなことを口にすれば、ウルベルトからどんな目を向けられるか分かったものではない。

 無言のまま内心で小さく唸り声を上げるモモンガに、不意に興奮したようなイビルアイの声が高々と響いて聞こえてきた。

 

「――……知っている者もいるだろう。エ・ランテルに王国三番目のアダマンタイト級冒険者が生まれたことを。そう、彼……“漆黒”のリーダー、漆黒の英雄モモン殿だ!」

 

 瞬間、一斉にこの場にいる全員の視線がこちらに向けられる。

 至る所から呻き声のような声もちらほら聞こえてきて、モモンガは取り敢えず応えるように軽く片手を挙げてみせた。

 

「さぁ、モモン殿! 前に来てくれ!」

 

 イビルアイから嬉々として前に出てくるように言われる。

 しかし正直に言って、今は前に出て注目を浴びるよりも、ウルベルトと今後について相談し合いたかった。それに今もなお、現状で分かっていない部分も多くあるのだ。

 

「いえ、私のことはお構いなく。そんな事よりも、早急にヤルダバオトを止めるための作戦を開始した方が良いでしょう」

 

 尤もらしいことを口にして、さっさと話し合いに戻ってくれるように促す。

 こちらの言葉に頷いてこれからの作戦について話し始める王女と、どこか残念そうに小さく項垂れるイビルアイ。

 冒険者たちの視線も自分から離れて前方の王女たちへと戻る中、モモンガは気づかれない程度に小さく息を吐き出した。

 

『なんだ、随分と有名になったじゃないか。この辺りで一言気の利いたことでも言ってやれば良かったのに』

 

 〈伝言(メッセージ)〉からウルベルトのからかうような声が聞こえてくる。視線をウルベルトに向ければ彼は人化した顔にニヤニヤとした笑みを浮かべており、途端にモモンガは不貞腐れた表情を兜の中の骨の顔に浮かばせた。

 

『……今回は別に良いんですよ。そんな事よりも現状についてです。デミウルゴスと戦った時、これらの行動は全て“御方の指示”であると言っていたんですけど、これってどういうことなんですか? それに、実際に“蒼の薔薇”の……あのイビルアイとかいう子供も、“御方”と呼ばれる不気味な死神のような男を見たって言ってましたけど』

『それは俺も知らないな。俺がデミウルゴスから聞いた計画の内容には、そんな存在は一切出てきていなかったはずだ。ペロロンチーノの指示で一部変更した可能性もあるが……』

 

 考え込むように言いよどむウルベルトの声音には、明らかに不満そうな響きが宿っている。チラッとウルベルトの表情を見やれば、彼は人化した顔に実際に不機嫌そうな表情を小さく浮かべていた。

 顎に細長い指を添えて眉を潜めるその顔は、モモンガの目から見てもひどく男前で格好いい。ナーベラルが扮するナーベにも言えることだが、整った顔というのはマイナスの表情を浮かべたとしても魅力的に見えるらしい。

 一人納得して内心で頷くモモンガに、ふと〈伝言(メッセージ)〉越しにウルベルトの小さな声が聞こえてきた。

 

『………たくっ、一体どうなってんだ……。大体、“御方”ってのが表舞台に出ること自体おかしいだろ。ペロロンチーノは何を考えて……、これじゃあ魔王役のデミウルゴスよりも上位の存在がいることになるじゃねぇか。魔王ってのは悪の化身で、魔の最上位の存在なんだぞ………』

 

 一見正しいことを言っているようでいて少々ずれた言葉に、モモンガは思わずズルッと肩を滑らせる。どこまでも“悪の在り方”や“悪の美学”を優先的に考えるウルベルトに、この時ばかりは少々恨めしく感じてしまった。

 しかし、ずっとウルベルトにだけ意識を向けていることもできない。目の前では今後の作戦について説明しており、モモンガもその作戦で重要な役割を担う以上、そちらにも意識を向ける必要があった。

 王女ラナーを中心にたてられた作戦は、人を弓矢に見立てたものだった。

 まずは冒険者の団体で一つのラインを形成する。その後ろに更に衛士のライン。最後尾に神殿や魔術師組合などの支援部隊によるラインを形成する。その状態でまずは進攻し、敵の陣地内に進入。敵が迎撃に出てきた場合はまずは交戦を行い、撃退が無理であれば先頭のラインである冒険者たちが敵を引き連れた状態で後退を開始する。冒険者たちが敵を引き連れている間に次のラインとなっている衛士が出来得る限り前進してバリケードを作製。敵を引き連れた冒険者は最後尾の支援部隊に傷を癒してもらった後、再出撃して敵を食い止める。彼らが敵の守りを薄くして引き留めている間に、唯一ヤルダバオトと対等に戦えるモモンガが矢となって敵陣の中心部にいるであろうヤルダバオトの元へと突撃するというのが今回の作戦の全容だった。

 作戦中は王女ラナーはこの場で待機し、“蒼の薔薇”のラキュースとティナは冒険者たちの最前列のラインに加わり、イビルアイはモモンガと行動を共にすることになっている。

 しかし問題なのは王国最強と名高い戦士長であるガゼフがどの役割を担うか、という部分だった。

 当然この疑問は冒険者たちから問いかけられ、誰もがガゼフに視線を向ける。モモンガやウルベルトも思わずガゼフに目を向ける中、ガゼフは厳めしい顔を更に厳しくさせながらゆっくりと口を開いた。

 

「……答えよう。貴族の私兵は主人の館を守り、兵士は王城の守りに入っている。私直轄の戦士たちは王族の守りだ」

 

 瞬間、ザワッとこの場が大きく騒めいた。

 

「それはストロノーフ様も前には出ないということなのか!?」

「その通りだ。私は王城に残り、王族の方々をお守りする役目である」

 

 堂々と言ってのけるガゼフに、しかしこの場の空気はガラッと変わった。

 彼らが浮かべるのは苛立ちの表情。しかしそれはガゼフ個人に向けたものだけではなく、その背後にいる王族や貴族に対するものも多分に含んでいた。

 確かにガゼフの言っていることは正しい。兵士とは主人である王族や貴族を守るのが仕事だ。それを考えれば、ガゼフたちが前に出ずに自分たちの主である王族や貴族を守ることは当然のことであるとも言えるだろう。

 しかし、いくら頭では理解できたとしても、心まではそう簡単に納得してくれるものではない。加えて今回の場合、王族や貴族の対応によっては兵たちを前に出すこともできるという部分があるため、尚のこと冒険者たちの不満と苛立ちは募っているようだった。

 

「皆の不満は分かるわ。でも、その前にこれだけは覚えておいて。今回、皆を集めた費用は王家から出ているのではなく、ラナーの個人的資産からよ。それにモモン殿をお連れできたのは貴族であるレエブン侯のおかげ。彼が自分の兵を出さないのは、悪魔が王都内に散った場合の備えにしようという意図があってのことよ。確かに私も皆と同じ感情を貴族や王族に対して抱いている。でもそんな者ばかりではないということも知っておいてほしいの」

 

 彼らの不満や苛立ちを少しでも抑えようと、ラキュースが代表して言葉を尽くして説得し始める。彼女の言葉や王女ラナー本人がこの場にいることもあり、徐々に冒険者たちのあからさまな態度は鳴りを潜めていく。

 しかしモモンガは嫌な予感を感じてチラッとウルベルトへと視線を向けた。

 ウルベルトはその顔に不満も苛立ちも浮かべてはおらず、無表情のまま目の前の成り行きを見守っているようである。誰の目から見ても何事も問題なく見えるその様子に、しかしモモンガは気が付いてしまった。

 ウルベルトの金色の瞳に絶対零度の光が宿り、無表情の奥には蔑みや嘲りの冷笑が浮かんでいるということに……。

 一見正しいことを言っているようなラキュースの言葉も、しかしウルベルトやモモンガからすれば唯の綺麗ごとに過ぎない。

 まず王女ラナーの個人資産についてだが、いくら“個人資産”と言い換えたところで、本を正せばそれは民から取り立てた血税なのだから国民を守るために使うのはある意味当然であるとも言える。またレエブン侯の対応についても、そもそも唯の兵士に悪魔の相手が務まるのかという部分が問題に上げられた。そもそもこの場に冒険者たちを集めたのは、彼らがモンスター専門のスペシャリストであり、普通の兵士だけでは対処が難しいからだ。ならば兵士だけを分散させるよりも、スペシャリストである冒険者たちの元へ力を集結させて少しでも物量を増やした方がまだ利用価値があると言えるのではないだろうか。

 比較的上流階級の存在に対して拒絶反応を持たないモモンガであっても思いつくそれらに、ウルベルトが気が付かないはずがない。また、現実世界(リアル)での富裕層の中でも比較的善良な人格者だったたっち・みーの言葉にすら牙を剥いていたウルベルトが、そんな彼女の言葉に納得するはずもない。

 見ればウルベルトの手は逆側の腕を掴むような形で組まれており、その手は服に深い皺を寄らせるほどに強く握りしめられていた。顔も心なしか強張っているようで、こちらにまで歯を食いしばる軋んだ音が聞こえてくるようである。

 不穏な空気を纏い始めるウルベルトに内心ハラハラしながら、モモンガは改めてチラッと前方に目をやった。

 視線の先では既に話し合いは終わっており、今は各チームの代表者がラナーたちの元へと集まっている。他のメンバーはこの場に待機するように言われ、モモンガはこれ幸いにと大きく足を動かした。こちらに挨拶をするつもりだったのか、歩み寄ってきていたリーダー以外の冒険者たちには気が付いていない振りをして、ナーベラルを後ろに従えて黙々と大きく歩を進める。

 モモンガの足先にいるのは、壁に軽く背を預けるようにして立っているウルベルト・アレイン・オードルことレオナール・グラン・ネーグル。

 目の前まで来て漸くこちらの存在に気が付いたのか、金色の瞳を向けてくるウルベルトにモモンガはズイッと手を差し出した。

 

「失礼ですが、もしやあなたはワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル殿では?」

 

 モモンガの言葉に、途端にウルベルトの金色の瞳が驚愕に小さく見開かれる。しかしすぐさま元に戻すと、次にはどこか面白そうに小さく口の端を歪ませた。

 

「……ええ、仰る通りです」

「やはりそうでしたか! お会いできて光栄です。このような場であなたのような方に出会えるとは、心強い限りです!」

「いえいえ、こちらこそ。それに、漆黒の英雄モモン殿に知って頂けているとは光栄です」

 

 互いに言葉を交わし合い、強く握手を交わし合う。

 冒険者たちが不思議そうに遠目にこちらを見つめる中、モモンガは実は先ほどからずっとそわそわとしていたナーベラルを振り返ると、その背に手を添えて小さく前へと押し出した。

 

「紹介が遅くなってしまい申し訳ありません。こっちは私の仲間のナーベです。実はナーベは以前からあなたのファンでして、ずっとあなたに憧れていたのです。宜しければ仲良くしてやって頂けると嬉しいです」

 

「「「っ!?」」」

 

 モモンガの言葉に、途端に周囲から驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。

 

 あの“美姫”ナーベが……。

 漆黒の英雄モモンを崇拝し、それ以外の者に対しては例外なく絶対零度の視線しか向けてこないという、あの氷の女神が……!

 漆黒の英雄モモンに次いで絶対の強者である魔法詠唱者(マジックキャスター)の女王が……!!

 漆黒の英雄モモン以外の者に憧れているだとぉぉ……っ!!?

 

 思わず聞き間違いかと自身の耳を疑う冒険者たちに、しかしその瞬間、驚愕の光景が彼らの目に襲い掛かってきた。

 ウルベルトの目の前に押し出されたような形となったナーベラルが、次の瞬間、頬を薔薇色に上気させてキラキラとした目でウルベルトを見上げながらコクンっと可愛らしく頷いたのだ。

 

「「「っっっ!!!!?」」」」

 

 瞬間、声にならない悲鳴が部屋中に響き渡った。

 その過半数はナーベラルの美貌と可愛らしい仕草に心臓を撃ち抜かれてのものだったが、しかしそれが全てでは決してなかった。

 ワーカーチーム“サバト・レガロ”という名前も、レオナール・グラン・ネーグルという名前も、王国王都では耳にしない名前である。そんな存在に、あの(・・)“美姫”ナーベが憧れているという事実。加えて彼女の非常に素直な態度と好意的な様子に、冒険者たちは多くの疑問を浮かべながらも大きな驚愕と衝撃を受けていた。

 しかしモモンガもウルベルトもナーベラルも、彼らの様子などどこ吹く風。彼らが何を思おうと知ったことではないとばかりに、にこやかな笑みを浮かべて親しげに語り合い始めた。互いの伝え聞く武勇伝などを語っては褒め合い、当たり障りのない世間話に花を咲かせる。

 しかし暫く経つと、不意にウルベルトがチラッと遠巻きにしている冒険者たちへと金色の瞳を向けた。思わずビクッと身体を震わせる冒険者たちに、ウルベルトは顔に浮かべている笑みを微かに深めさせる。

 ウルベルトはすぐさま視線をモモンガへと戻すと、次には小首を傾げさせながら軽く手を振るって見せた。

 

「……どうやら、あちらの方々もモモン殿に挨拶をしたいようですね。私としたことが、折角のあなた方の交流の場を邪魔してしまっていたようです。申し訳ありません」

 

 ウルベルトの言葉にモモンガもチラッと見やれば、確かに冒険者たちが未だ遠巻きにこちらを見つめている。若干このままウルベルトと話して過ごそうかなぁ……と考えていたモモンガだったが、しかしこれも必要なことと思い直してウルベルトの言葉に従って他の冒険者たちの相手をすることにした。

 

「邪魔などと、とんでもない。私が先に声をかけたのですから謝る必要はありませんよ。……それと、私のことはどうかモモンと呼び捨てて下さい」

「そうですか? それでは私のこともレオナールとお呼び下さい」

「分かりました。それでは私は彼らと挨拶をしてきますので、その間宜しければナーベの話し相手になってやってください」

「ええ、喜んで」

 

 にこやかに頷いてくるウルベルトにナーベラルを任せ、モモンガは冒険者たちの挨拶にまわる。冒険者たちもウルベルトの存在を気にしながらもこちらに近寄ってきて、自然とモモンガの目の前に一つの列が形成された。ランクとチーム名と自身の名前を口にしながら、次々と握手を交わしていく。入れ代わり立ち代わり挨拶してくる冒険者たちにモモンガは必死に彼らのランクや名前や顔を記憶に刻み付けていった。

 そんなモモンガの後ろではウルベルトとナーベラルが楽しそうに会話を交わしている。今は魔法談義でもしているのか、ウルベルトがあらゆるパターンや戦場での魔法の対処法をナーベラルに語って聞かせている。

 彼らの会話を意識の端で聞きながら、モモンガはナーベラルに対して羨ましく思う気持ちを抑えられなかった。

 ユグドラシルにいた頃……、まだギルドメンバーが誰一人引退していなかったあの頃、モモンガはよくウルベルトと魔法について談笑したり意見を交わし合ったりしていた。しかし今では、折角ウルベルトやペロロンチーノが戻ってきてくれたというのに、魔法について語り合うことも一切していなかったことに思い至る。右も左も分からない世界に突然飛ばされたのだから、そういった余裕がなかったのは仕方がないと言われるかもしれないが、それでも友との語らいが出来ていなかったという事実はモモンガに少なくないショックを与えていた。

 機械的に冒険者たちの相手をしながらも内心で落ち込んでいるモモンガに、しかしウルベルトは全く気が付かない。ナーベラルとの話が盛り上がっているのか、時折笑い声さえ零している。

 しかしある三人の人物の登場によって、彼らの会話は途中で途切れることになった。

 彼らの登場に一番早く気が付いたのは、挨拶の列に並んでいた冒険者たち。

 気が付いた端から次々と道を開け、それによってモモンガたちへと続く道が作られていく。

 三人の人物――“蒼の薔薇”のラキュースとイビルアイと王国戦士長のガゼフは、冒険者たちが開けた道を歩きながら、真っ直ぐにモモンガたちの元へと歩み寄ってきた。

 モモンガが彼らを注視する中、ウルベルトとナーベラルも三人の登場に気が付いて会話を止めて三人へと視線を向ける。

 ラキュースたちはモモンガたちの目の前で立ち止まると、改めて真正面からモモンガたちを見つめてきた。

 

「お話し中に申し訳ない。私はガゼフ・ストロノーフ。彼の有名な漆黒の英雄モモン殿が協力してくれるとは心強い限りだ」

 

 厳めしい顔に男らしい笑みを浮かべながら、ガゼフがモモンガへと右手を差し出してくる。

 

「……いえ、そもそも私がこの場にいるのはレエブン侯に依頼されてのことですので。報酬を頂く以上、全力を尽くしますよ」

 

 モモンガは力強くガゼフの手を握りしめると、兜の奥でマジマジと目の前の厳つい顔を見やった。カルネ村で見た姿と、今目の前にある顔を重ね合わせ、思案するように眼窩の灯りを小さく揺らめかせる。

 しかしそんなモモンガの様子に気が付くはずもなく、ガゼフはモモンガの手から手を離すと、次にはモモンガの背後に立つウルベルトへと目を向けた。顔に浮かべていた笑みを深めさせ、ウルベルトの目の前まで歩み寄っていく。

 無言のまま観察するようにガゼフを見つめているウルベルトに気が付いているのかいないのか、ガゼフは変わらぬ様子でモモンガの時と同じように右手を差し出してきた。

 

「貴殿がレオナール・グラン・ネーグル殿か! 以前カルネ村で、村や私を助けて下さったのが貴殿だと“蒼の薔薇”の方々から聞いた。遅くなってしまったが、改めて感謝を申し上げる」

 

 ガゼフの言葉に、周りで聞き耳を立てていた冒険者たちが大きく騒めく。

 漆黒の英雄モモンだけでなく、“蒼の薔薇”やガゼフ・ストロノーフまでもが知っているという事実。加えてガゼフを救ったという言葉に、冒険者たちは何よりも衝撃を受けていた。

 王国最強と名高い彼を救ったとは、一体どういうことなのか……。

 ザワザワと騒めく冒険者たちに、しかしウルベルトは一切構うことなく、ただワザとらしいまでのにこやかな笑みを浮かべて差し伸ばされたガゼフの大きな手を握り返した。

 

「いえいえ、気にしないで下さい。私もあなたを足げフンッゲフンッ……少々手荒な真似をしてしまいましたからね」

「……? 今何か言いかけただろうか?」

「はははっ! 気のせいですよ!」

 

 不思議そうな表情を浮かべて首を傾げさせるガゼフに、しかしウルベルトは満面の笑みを浮かべて堂々と誤魔化す。一見爽やかに見えるその笑みに、しかし横で見つめるモモンガの目から見れば非常に胡散臭いものだった。先ほどの笑い方も、モモンガからすれば相手を挑発するようなワザとらしいものにしか聞こえない。文字にするなら『はははっ!』ではなく『HAHAHA☆』である。もし相手がガゼフではなく彼と犬猿の仲であったたっち・みーなら、意外と沸点の低い彼のことだ、すぐさま壮絶なPVPが勃発したことだろう。

 内心で思わず大きなため息をつく中、幸いなことにウルベルトの態度に気が付かなかったガゼフは、ウルベルトから手を離した後に改めてモモンガとナーベラルとウルベルトへと視線を向けてきた。

 

「私はこれより持ち場に行かなければならないため、ここで失礼させて頂く。王城に残る身としては心苦しい限りだが、どうかよろしく頼む」

 

 深々と頭を下げてくる様はどこまでも真摯で誠実なもの。

 その姿に何かしら感じたのはモモンガだけではなかったらしい。先ほどまでの表情とは打って変わり、ウルベルトは穏やかな笑みをその顔に浮かばせた。

 

「ご心配には及びません。なんせ、ここには漆黒の英雄モモンがいるのですからね」

 

 ウルベルトの言葉に、すぐさまイビルアイが無言のまま大きく頷いてくる。しかし言われた本人であるモモンガは、ウルベルトの声音にどこか揶揄うような音が宿っていることに気が付いて、思わず兜の奥の骨の顔に小さな苦笑を浮かばせた。それでいて、ウルベルトの投げかけに応えるように、ワザとらしく大きく頷いて胸を張って見せる。

 

「そうですね。それに、この場にはレオナールもいてくれますからね」

 

 モモンガの返しの言葉に、途端にウルベルトは面白そうな笑みを浮かべる。

 まるで悪友の様なモモンガとウルベルトの会話と姿に、彼らの背後ではナーベラルがうっとりとした恍惚の笑みを浮かべていた。

 

「こちらの打ち合わせは一通り終わりましたので、モモンさんとナーベさんもこちらに来て頂けますか? それから、ネーグルさんも一緒に来て下さい」

 

 ラキュースがチラッとナーベラルを見つめ、しかしすぐに視線を外してモモンガとウルベルトに目を向けて促してくる。モモンガはウルベルトと顔を見合わせると、次には遠巻きにこちらを見つめている冒険者たちへと目を向けた。冒険者たちの挨拶がまだ全て終わっていないことを思い出し、どうするべきかと思い悩む。

 未だ挨拶が済んでいない残りの冒険者たちは駆け出しの者が多く、普通に考えれば優先順位は彼らよりもラキュースたちの方が高いだろう。しかしあからさまにラキュースたちを優先して新人の冒険者たちを蔑ろにした場合、それを見た他の冒険者たちは一体どう思うのか……。

 ひどく迷うモモンガに、その様子に気が付いたのかウルベルトが助け舟を出すように声をかけてきた。

 

「……そういえば、まだ挨拶が出来ていない冒険者の方々がいるのでしたね。でしたらナーベに……、…いや……、もし宜しければモモンは彼らと挨拶をしに行ってきて下さい。その間、私とナーベが貴方の代わりにアインドラさんたちのお話を聞いておきましょう」

「……え……? で、ですが……」

 

 ウルベルトの提案に、ラキュースが戸惑ったような表情を浮かべる。

 しかし彼女に最後まで言わせる前に、モモンガは渡りに船とばかりに大きく頷いた。

 

「そうですね。わざわざ並んでくれていたのに挨拶もしないのでは申し訳ない。頼んでも構いませんか?」

「ええ、勿論です。同業者の方々と友好を深めることは、とても大切なことですしね」

「ありがとうございます。ではお願いします。私も彼らとの挨拶が終わり次第、すぐにそちらに向かいます」

 

 まるで示し合わせたかのように言葉を交わし、モモンガとウルベルトは頷き合う。そのままナーベラルを引き連れてラキュースたちを促すウルベルトに、一先ずあちらはウルベルトに任せてモモンガは残りの冒険者たちの対応に戻ることにした。恐る恐る再度こちらに歩み寄ってくる駆け出しの冒険者たちに、親身な態度で挨拶をしていく。

 彼らはどこか興奮した様子ながらも、出来るだけ早く終わるようにてきぱきと挨拶を済ませていってくれた。そのおかげで、あまり時間をかけることなく全員との挨拶が終わる。

 モモンガは兜の奥で小さく息をつくと、早くウルベルトたちと合流すべく、彼らが去っていった別室へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別室に去っていく大きな背を見送った後、残された冒険者たちは全員大きな息を吐き出していた。

 彼らの顔は見るからに興奮しており、ザワザワと部屋が騒がしくなり始める。

 彼らが口にするのは、当然のことながら、漆黒の英雄モモンについて。彼らは一通り彼の冒険者の寛大でいて丁寧な態度や新人冒険者を無下にしなかったおおらかな態度を褒め称えると、興奮したように称賛の声を上げた。

 

 

「――……しかし、あのレオナール・グラン・ネーグルとかいう奴は一体何者なんだろうな……」

 

 一通り冒険者モモンについて語り合った後、ふと一人の冒険者が疑問の声を零す。

 ミスリルのプレートを首に下げた男の呟きに、途端に他の冒険者たちも疑問の表情を浮かべたり首を傾げ合った。

 

「モモン殿は結構前から知っているみたいだったよな……。あの戦士長や“蒼薔薇”の方々も知っていたみたいだし。この場に呼ばれている以上、無名の冒険者とかではないとは思うが……」

「だが、俺は聞いたことがないな……。お前は?」

「俺もないな。ただ、確かモモン殿は冒険者じゃなくてワーカーって言ってただろ。もしかしたら帝国を拠点にしているワーカーなのかもしれない」

「何で帝国のワーカーがこんなところにいるんだ?」

「さあなぁ……。ただ、あの“美姫”が憧れているっていうし、戦士長も救われたって言っていただろう? もしかしたら、かなりの手練れなのかもしれないな」

 

 本人たちはそっちのけで、冒険者たちによる推測と想像は急激に膨らんで加速していく。

 ただ“レオナール・グラン・ネーグルという人物は唯者ではない”という考えだけは、彼らの共通した思いだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 

 一言の謝罪と共に室内へと足を踏み入れる。別室に訪れたモモンガは、こちらを振り返ってくる面々の視線を感じながら、自然な動作でウルベルトとナーベラルの元へと歩み寄っていった。

 この部屋にいるのはモモンガたちを含めて八人。

 王女ラナーと白い全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年。後は“蒼の薔薇”のメンバーであるラキュースとイビルアイとティナである。

 彼女たちはこの場で“矢”が担う役割の最終確認を行っていた。

 突撃するタイミングや考えられる不測の事態に対する対処法などなど。中でも彼女たちが最も危惧しているのは、ヤルダバオトの言う“御方”という存在の再来だった。

 

「もしヤルダバオトの元に“御方”と呼ばれる存在がいた場合、流石にモモン様だけでは荷が重いと考えられます。ですのでここは、ラキュースの信頼厚いネーグル様にも矢の役目を担って頂ければと思います」

「……ちょっ、ちょっとラナー……!?」

 

 “ラキュースの信頼厚い”という部分を強調して言ってくるラナーに、途端にラキュースが顔を真っ赤にして抗議するように声を上げる。そんな彼女たちの様子に、モモンガは内心おや……と首を傾げさせた。チラッとウルベルトを見やり、続いてラキュースへと視線を戻す。顔を真っ赤にしたままチラチラとウルベルトを見つめるラキュースの様子に、瞬間、モモンガはまるで全身に電流が走ったような大きな衝撃を受けた。

 ラキュースの姿は正に恋する乙女そのもの。

 そして彼女の熱視線は一直線にウルベルトへと向けられている。

 つまり……、ラキュースはウルベルトに好意を寄せているのではないだろうか……。

 

「……っ……!!」

 

 自身の頭に浮かんだ考えに、モモンガは思わず心の中で絶叫を上げていた。

 

 無課金同盟の同士に……。

 ユグドラシルの頃、バレンタインの時もクリスマスの時も共にあり、互いに手を取り合ってリア充たちに宣戦布告をしながらユグドラシル中を練り歩いていたあの同士に……。

 遂に……、遂に春が来たというのか……っ!!

 

 モモンガは感情抑制が間に合わないほどに動揺しながら、思わず心の中で嘆きの声を上げた。

 漸く春が来た友を祝福する気持ちは勿論ある。彼が望むのならば自分は心から応援するし、協力も惜しまないだろう。

 この気持ちに一切嘘はない。そう……、嘘はないはずだ……。

 だというのに、先ほどから胸に湧き上がってくるこの虚しさや寂しさは一体なんだというのか。置いて行かれた……、裏切られた……と思ってしまう自分が嫌で仕方がない。

 

(……あぁ、大切な友人に訪れた春すらも心から祝福できないなんて……。こんなひどい俺をどうか許して下さい、ウルベルトさん……!!)

 

 湧き上がってくる罪悪感に、ありもしない目から血の涙がこぼれてしまいそうである。

 勝手に衝撃を受けて勝手に打ちひしがれるモモンガに、しかし周りは彼の様子に全く気が付かない。モモンガの傍らでウルベルトが王女ラナーの提案を頷いて承知し、どんどんと作戦内容をまとめていく。

 漸くモモンガが気持ちを持ち直した頃には、既に話し合いと確認は終わりを迎えていた。

 彼女たちが思わず一息つく中、不意に扉からノック音が響いてくる。同時に扉が外側から開かれ、二人の男が室内へと足を踏み入れてきた。

 

「お兄様、それにレエブン侯」

 

 二人の男の登場に、王女が呟くように二人を呼ぶ。

 部屋に入ってきたのは王女ラナーの兄であり第二王子であるザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフと、王国貴族であるエリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵。

 王女に話があるという二人に、自然とこの場の話し合いは終了となった。

 一度王女や王子に対して頭を下げ、モモンガたちは次々と部屋を出ていく。

 悶々とした感情を胸に渦巻かせながら外へと向かうモモンガに、不意にウルベルトが自然な動作でモモンガの横に並んできた。

 

「……さっきデミウルゴスとペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。戦闘時に一度離脱して、あいつらと合流するぞ」

 

 視線は前方に向けたまま、モモンガにだけ聞こえる小さな声量でウルベルトが声をかけてくる。

 モモンガはチラッと視線だけでウルベルトを見やると、こちらも周りに気付かれないように小さく一つ頷いた。気持ちを切り替えるように努めながら、必要以上に強く前を見据える。

 

(……さっきの『ウルベルトさんの春』の件は後回しだ。今は目の前のことに集中……。ウルベルトさんには後で気持ちを聞けばいいだろう……。)

 

 必死に自分自身に言い聞かせ、冷静であるように努める。

 誰もが悪魔との死闘に覚悟を決める中、モモンガだけは違う葛藤に悪戦苦闘していた。

 

 



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第46話 悪魔の計画

今回は少し長めです!


 夜の闇に浮かび上がっている朱色の光。頭上遥か高く燃え上がる炎の壁と、炎の色に赤々と染まる街中の家々。

 現実ではあり得ないような光景の中、多くの冒険者や衛士たちが複数の列を形作って慎重に歩を進めていた。

 遥か上空から見下ろせば、お世辞にも綺麗な列とは言えない。戦場で見る陣形のような真っ直ぐな一直線でもなければ、矢のようなすべらかな弧を描いている訳でもない。建造物という名の障害物がある中で、その列は歪でいて進行速度も一定ではなくばらつきが見られた。

 しかし、そうであっても壁の役割を担えるだけの形は保たれている。冒険者や衛士たちは慎重に周りを見回しながら、ゆっくりとした足取りで歩を進めていた。

 彼らの視線の先にあるのは、無人の街並みの光景。人どころか悪魔の姿さえ見えず、家々の壁や扉には破壊された跡や傷跡が大きく深く刻み込まれている。人っ子一人いない状況に、最前列の冒険者たちは誰もが少なからず疑問に首を傾げ合った。

 一体この区画に住んでいた人々はどこに行ったのか……。

 誰もが判断に迷う中、一つの高い声が気迫に満ちて勢い良く響いてきた。

 

(アイアン)(カッパー)の冒険者は、この場に残って家屋内を捜索。監督としてミスリル級チームも一つ残ってください! 後の面々は広がりつつ前進!」

 

 声の主はアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”のリーダーであるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。彼女の言葉に異論を唱える者は誰もおらず、冒険者たちは一つ頷いてラキュースの言葉通りに行動を開始した。捜索する組と前進する組に別れ、ラキュースは前進する者たちと共に改めて足を動かし始める。

 注意深く周りを警戒しながら前進する彼女に、不意に横に並んで前進していたオリハルコン級冒険者が声をかけてきた。

 

「……そういえば、あのレオナール・グラン・ネーグルとかいう人物は一体何者なんですか?」

 

 突然男の口から零れ出たレオナールの名に、ラキュースは思わずドキッと心臓を跳ねさせる。慌てて男へと視線を向ければ、他にも多くの冒険者たちが怪訝と困惑を綯い交ぜにしたような表情を浮かべてこちらを見つめていた。彼らの言葉と反応から、そういえばレオナールのことを詳しく紹介していなかった……と思い出す。しかしどう説明するべきか判断しかねて、ラキュースは少々頭を悩ませた。

 彼らにどこまで話し、どこまで話さずにおくべきか……。

 例えば“唯のワーカーである”と答えたところで、彼が冒険者モモンと同じく“矢”の役目を担っている以上、彼らがその言葉だけで納得するとは思えなかった。とはいえ、何でもかんでも話してしまえば、下手をすればカルネ村であったことも全て話さなくてはならなくなる。

 ラキュースは少しの間思い悩んだ後、まずは当たり障りのない部分だけを話すことにした。

 

「彼は……、帝国に拠点を置いているワーカーなの。実力はアダマンタイト級冒険者にも引けを取らないから、彼の実力について心配しているのであれば、それは無用よ」

「「「っ!!?」」」

 

 “アダマンタイト級冒険者にも引けを取らない”という言葉に、途端に冒険者たちが驚愕の表情を浮かべてくる。

 しかし予想通りというべきか、彼らの顔にはまだまだ疑問の色が色濃く浮かんでいた。

 

「しかし……、何故そもそも帝国のワーカーが王国にいるんですか?」

「彼の知り合いが王国に暮らしているのよ。それで、ちょくちょく王国に来ているらしいの。私たちも、それで偶然彼と知り合ったのよ」

「そんな理由が……。それじゃあ、モモンさんたちやストロノーフ様も、それで知り合いになったのか?」

「モモンさんたちは、これまで直接会ったことはなかったみたいだったぞ。ほら、声をかける時に挨拶していただろ」

「ああ、そういえばそうだったな。それじゃあ、噂か何かで知ったのか……。帝国ではそんなに名の知れた男なのか?」

 

 先ほどラキュースから聞いた情報を元に、冒険者たちが互いに顔を見合わせながら各々の考えを口にしていく。

 彼らの話を意識の端で聞きながら、ラキュースもレオナールへと思いを馳せた。

 まるでこちらの危機を察したかのように突然目の前に現れたレオナール。

 彼の登場に、どれだけ胸が弾んだことだろう。

 本音を言えば、彼にはモモンやナーベやイビルアイとではなく、自分と行動を共にしてほしかった。彼が側にいてくれたなら、どれほど心強かったことだろう……。

 しかし現状や敵の首魁の強さなどを考えた場合、彼はモモンたちと行動を共にした方が良いことは目に見えていた。それでも納得しきれていないのは、これから自身を襲うであろう戦闘への恐れや心細さだけでは決してないことをラキュースは自覚していた。

 彼女の頭にあるのは、一人の美女の姿。

 冒険者モモンの相棒であり、絶世の美女である"美姫”ナーベ。

 あの時……ラキュースたちがレオナールたちを呼びに行ったあの時、レオナールとナーベは楽しそうに笑みを浮かべながら語り合っていた。魔法について話していたのだろう、二人はとても親し気に言葉を交わしており、ナーベなどは頬を紅潮させて恍惚とした表情すら浮かべていた。少なくとも、ラキュースの目にはそう見えた。

 楽しそうに語り合う二人の姿を思い出した瞬間、胸がきゅぅぅっと切なく軋みを上げる。

 湧き上がってくる切なさと嫉妬心に思わず顔を小さく歪ませ、しかしラキュースは頭に浮かんでいる光景を振り払おうと一度小さく頭を振った。今はこんなことを考えている場合ではないと自身に言い聞かせ、気持ちを切り替えるために小さく息を吐き出す。今やるべきことは目の前のことに集中することであり、考えるべきことは如何にこの作戦を成功させるかだ。ラキュースは愛剣の魔剣キリネイラムの柄を強く握り締めると、そのまま強く前を見据えた。

 

(……ネーグルさん……いえ、レオナールさん、どうかご無事で……。そして……、どうか私に力を……!)

 

 頭に浮かぶ美しい笑みに、思いを込めて祈りを捧げる。

 ラキュースはもう一度鋭く息を吐き出すと、前方に見えてきた怪しい影を睨み据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ラキュースに思われているレオナールことウルベルトはと言えば……――

 

「なぁぁにやってんだっ、この鳥野郎ぉぉおおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉっ!!!」

「すみませんごめんなさいこれは俺が悪かったですエントマがピンチだったんでついぃ~~~~~~~!!!」

 

 顔に何もつけず素顔となった鳥人(バードマン)の胸ぐらを掴んで激しく揺さ振っていた。

 そしてウルベルトと行動を共にしていたモモンガはと言えば……。

 

「いやぁぁ、またこのような場にお呼び頂けるとはっ!! 正に! 正に望外の極みでございますっ!!」

「………どうして、お前がここにいるんだ……」

 

 興奮したようにはっちゃけている黄色の軍服姿の二重の影(ドッペルゲンガー)に、力なく椅子に腰掛けながら頭を抱えていた。

 そしてそして、そんな彼らの傍らでは……。

 

「ウ、ウルベルト様……どうか、どうか御心をお鎮め下さい……」

「えっとぉ……あのぉ、そのぉ……」

 

 仮面を取ったデミウルゴスと杖を両手に持ったマーレが、それぞれの傍らでおろおろと狼狽えていた。

 そもそも何故こんなカオスな状況になったのか……。

 事の始まりは今から数分ほど前まで遡る。

 “矢”の役目を担った冒険者モモンに扮したモモンガとナーベに扮したナーベラル、“蒼の薔薇”のイビルアイ、レオナールに扮したウルベルトの四人は、作戦通りに街の奥へと突撃していった。街の奥ではヤルダバオトに扮したデミウルゴスと、ヤルダバオトと同じ仮面をかぶったプレアデスのメイドたちが待ち構えており、彼らはすぐに戦闘を開始。プレアデスたちの相手はナーベラルとイビルアイに任せ、モモンガとウルベルトはデミウルゴスへと突撃し、そのまま街の中へと身を隠した。戦闘している振りをしながら街中を移動し、デミウルゴスに促されるままに一つの家の中へと雪崩れ込むように入る。そのまま一つ息を吐いて奥へと進むと、奥の部屋にはペロロンチーノとマーレ、そして何故かビシッと敬礼したパンドラズ・アクターがモモンガたちを待っていたのだった。

 そして先ほどの状況に陥るのである。

 ウルベルトは未だガクガクとペロロンチーノを揺さ振っており、モモンガはパンドラズ・アクターがこの場にいたという予想だにしなかった事態に思わず頭を抱えて椅子の上で大きく項垂れている。何ともどうしようもない状況に、しかし初めに立ち直ったのは――やはり流石というべきか――多大な精神的ショックを受けていたはずのモモンガだった。

 

「………はぁ、とにかく一先ず落ち着こう。……ウルベルトさんも少し落ち着いてくれ」

 

 一つ大きなため息を吐き出し、漸く気持ちを持ち直したモモンガが支配者用の口調でウルベルトへと声をかける。

 瞬間、ウルベルトはピタッと動かしていた腕を止めたかと思うと、次にはグリンっと勢いよくモモンガを振り返ってきた。

 

「これが落ち着ける訳ないでしょう、モモンガさん!!」

「…っ! だ、だが、こうなってしまっては仕方がないだろう。ウルベルトさんの気持ちも分かるが、ペロロンチーノさんのおかげでエントマも助かったようだし、ここは許してやってはどうだ?」

「ゆ・る・し・ま・せん! 今や“御方”っていう存在の方が魔王扱いされてるんですよ!? 俺、言いましたよね? 俺が駄目ならデミウルゴスに魔王役をやらせて下さいって、俺言いましたよねっ!!?」

 

 ペロロンチーノの胸ぐらを掴んだまま勢いよく迫ってくるウルベルトに、モモンガも思わず気圧される。ウルベルトよりも自分の方が正しいことを言っている筈なのに、何故か間違ったことを言っているような気さえしてきてしまう。

 しかしモモンガはハッと我に返ると、ブンッブンッと大きく頭を振った。

 

(……駄目だ、流されるな、モモンガ。相手はあのウルベルトさんだぞ? 隙を見せたら一気に言い包められるぞ、しっかりしろ! 大丈夫、俺の方が正しいことを言っているはずなんだから……、俺ならできる! ファイトだ!)

 

 ユグドラシルの頃に幾度となくウルベルトに言い包められたことを思い出し、何とか流されまいと心の中で自身に活を入れる。

 そもそもモモンガとてウルベルトやペロロンチーノに対して言いたいことも聞きたいこともまだ多くあるのだ。ウルベルトの気持ちも分かるが、まずはこちらの疑問に応えてもらわなければならない。

 

「分かったから! 取り敢えずまずは落ち着いてくれ。そもそも俺……じゃなくて、私からも二人に言いたいことや聞きたいことがまだ沢山あるのだぞ!」

「……はぁ、仕方ありませんねぇ……。良いでしょう」

 

 モモンガの言葉に、ウルベルトも漸く渋々ながらも頷いてくれる。ウルベルトは小さく息をつくと同時にペロロンチーノの胸ぐらを離し、そのままモモンガと向かい合うような形で近くに置いてあった椅子へと深く腰掛けた。デミウルゴスもホッとした様子でウルベルトの背後へと控えるように立ち、パンドラズ・アクターはモモンガの背後に、そしてマーレはデミウルゴスの横に移動してちょこんっと立つ。因みにペロロンチーノは未だ反省しているのか、モモンガとウルベルトの間で床に直接腰を下ろして正座した。シモベたちは心配そうにチラチラとペロロンチーノを見つめていたが、しかしウルベルトはそれに構うことなくモモンガへと目を向けた。

 

「それで……、まずモモンガさんは何が聞きたいんですか? 俺がデミウルゴスから聞いた計画の内容については既に粗方説明したはずですが」

 

 ウルベルトの言葉通り、確かにモモンガは既に計画の全容は説明されていた。しかしモモンガにとってはそれだけでは全くもって不十分だった。

 

「計画の内容自体は分かっている。しかしそれ以前に、そもそも何故ツアレ救出が“八本指”の殲滅に変わっていて、しかも魔王まで出しているんだ? 魔王の役目は、そもそも法国の囮として創り出す予定だったはずだろう」

「確かに。しかし、ペロロンチーノとパンドラズ・アクターの働きで、目下魔王という囮による情報収集の必要性は低くなったと判断したのだよ」

「それにツアレちゃんを助ける以上、“八本指”には少なからず接触する必要があります。最小限に接触を控えた場合、彼らがどういった反撃行動を取って来るかも分からないので、大々的に接触してこちらにこれ以上手を出してこられないようにすることにしたんです」

 

 ウルベルトに続くようにして、ペロロンチーノも正座したまま言葉を続けてくる。

 彼らの言い分に、モモンガは一部納得しながらも再度小さく首を傾げさせた。

 

「しかし、流石に魔王を出すのはやり過ぎではないか? 下手をすればこちらの存在がこの世界にばれてしまう可能性がある」

「逆だよ、モモンガさん。これだけ大きな闇組織だ、いきなり姿を消したら誰もが怪しむだろう? だからこそ魔王という存在を出して、誰の目から見ても分かるように大々的に“八本指”を襲撃したんだ」

「……なるほど、偽の目印と言う訳か」

 

 漸く全てに納得がいってモモンガが一つ大きく頷いた。

 確かに突然“八本指”がこの世から消えた場合、王国はあらゆる意味で騒然となるだろう。一体何が起こったのかと、国も大々的に調査をするかもしれない。そう考えれば、確かに“魔王”という存在は良い目くらましになると言えた。

 内心何度も頷く中、しかしそこでふとウルベルトが苦々しげな表情を浮かべていることに気が付いて、モモンガは内心で首を傾げさせた。ウルベルトの視線の先を追い、ペロロンチーノへと目を向ける。

 

「……尤も、ペロロンチーノが表舞台に出たことで、偽の目印の効果も危うくなりましたがね。………これは少し方向性を変える必要があるかもしれないな……」

 

 一人小さく呟くウルベルトの金色の瞳が、徐々に怪しい光を帯び始める。

 何とも不穏過ぎるその様子に、モモンガとペロロンチーノは一気に嫌な予感に襲われた。

 ウルベルトの金色の瞳が舐めるようにペロロンチーノの全身を眺めまわし、ペロロンチーノは無意識にブワッと全身の羽毛を膨らませる。

 

「……幸いなことに、今ペロロンチーノが装備している物は一見バードマンとは分からないものだしな……。人間側も“死神のような存在”としか感じていなかったし、それを利用しない手はない」

 

 ブツブツと独り言を呟くウルベルトの様子に、どんどん嫌な予感が強くなっていく。長年の経験と勘が警鐘を鳴らし、必死に『今すぐ彼を止めろ!』とモモンガやペロロンチーノ自身を煩く急き立てていた。

 しかし、いざ行動を起こそうにも既に全てが遅すぎた。

 モモンガやペロロンチーノが口を開きかけるその前に、ウルベルトが真っ直ぐにペロロンチーノを見つめながら口を開いてきた。

 

「……ペロロンチーノ、その役を俺に寄越せ」

 

「「………は、はあぁぁあぁぁあぁぁぁああぁぁああぁぁあぁっっ!!!?」」

 

 モモンガとペロロンチーノが声を上げたのはほぼ同時。ウルベルトの予想外過ぎるその言葉に、二人はこの場がどこなのかも忘れて揃って大きな声を上げていた。

 しかし、それも無理からぬことだろう。

 ナザリック一の知恵者であるデミウルゴスですら理解が追いつかず呆然とした表情を浮かべてウルベルトの後ろ姿を見つめているのだ、モモンガやペロロンチーノが驚かないはずがない。

 モモンガとペロロンチーノはほぼ同時に立ち上がると、そのまま勢いよくウルベルトへと身を乗り出して詰め寄った。

 

「なっ、何言っちゃってるんですか、ウルベルトさん! ウルベルトさんは今、ワーカーのレオナールとしてここにいるんですよ!? そんなこと出来るわけないでしょう!!」

「そうですよ! この通り謝りますから、もう少し冷静になって下さい!!」

 

 口調のことも忘れてモモンガはウルベルトの両肩を掴んで激しく揺さ振り、ペロロンチーノは再びその場に跪いて深々と土下座をする。

 シモベたちも大いに狼狽えて動揺する中、しかし悪魔であるが故なのか、ウルベルトの思考は一ミクロンたりとも揺らぐことはなかった。それどころか、諭されている側であるはずのウルベルトの方が逆にモモンガたちを諭すように慈愛に満ちた優しい表情を向けてくる。

 

「大丈夫ですよ、モモンガさん。そこは俺なりに考えがあるんです。こんな事もあろうかと、パンドラをこの場に呼んだんですから」

「「っ!!?」」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガとペロロンチーノは思わず愕然とした。無意識にウルベルトとパンドラズ・アクターを交互に見やり、しかしもはや驚き過ぎて言葉も出てこない。

 

「念のためとはいえ、ペロロンチーノやデミウルゴスを呼び寄せた時に、パンドラズ・アクターにもこの場に来るように声をかけたのは正解だったな。……取り敢えず、今回は俺は引き続きレオナールを演じます。しかしペロロンチーノはパンドラズ・アクターとバトンタッチ。パンドラズ・アクターは“御方”役として再度表舞台に出て貰おう。勿論、魔王の更に最上位の存在としてな。それから……そうだな、俺と一つ戦ってもらおうか。冒険者モモンはヤルダバオトと戦うわけだし、“御方”にはレオナールの名声向上の踏み台になってもらうとしよう。そして今後、再び“御方”を表舞台に出す際は、俺がその役を引き継いで演じます」

 

 ニッコリとした爽やかな笑みを浮かべて宣言してくるウルベルトに、モモンガとペロロンチーノは思わず怖気を走らせた。

 正に用意周到。

 ペロロンチーノやデミウルゴスを〈伝言(メッセージ)〉で呼んだだけでなく、念のためとはいえ更にパンドラズ・アクターをも呼び寄せるとは……。

 そのあまりの手回しの良さにモモンガとペロロンチーノは思わず恐怖にも似た感情を抱いた。

 果たして目の前の悪魔は、こんなにも頭の回る男であっただろうか……。

 この世界に来てから悪魔らしい狡賢さに磨きがかかっているような気がして、モモンガとペロロンチーノは思わずブルッと小さく身を震わせた。

 しかし、ここでいつまでも黙っている訳にはいかない。何とか止めなければ……という使命感にも似た感情に突き動かされて、モモンガは再び椅子に腰掛けながら半ば反射的に口を開いた。

 

「いくら今回はレオナールを演じると言っても……。第一、それだとそもそもウルベルトさんを魔王役にしなかった意味がなくなっちゃうじゃないですか」

「それはペロロンチーノの働きで半分以上意味をなくしたでしょう。それは俺のせいじゃありませんよ」

「……ぬうぅ…」

 

 正に撃沈。

 確かにウルベルトが魔王役を志願した当初、モモンガは“冒険者モモンやワーカーのレオナールの名声向上に利用する可能性”と“囮という役割は危険度が高いため”という理由で何とかウルベルトを説得していた。それを考えるならば、確かにそれらの理由は現状では既に殆ど効力を持たないように思われた。加えてペロロンチーノが“御方”として表舞台に出た以上、ウルベルトは駄目だとは非常に言い辛い。

 思わず小さく唸り声を上げるモモンガの傍らで、ペロロンチーノが恐る恐る地面から立ち上がった。

 

「……あの~、そもそも魔王の上位者ってどういうことですか? 普通に考えて、魔王がウルベルトさんになって、デミウルゴスがその右腕って感じになるんじゃ……?」

「一度魔王役を命じたのに、それがなくなったらデミウルゴスが可哀想だろう! あくまでも魔王役はデミウルゴスで、その上位者として俺が出るんだ!」

「……ぇ~…」

「ウ、ウルベルト様……っ!」

 

 言い負かされてモモンガとペロロンチーノが小さく唸り声を上げる中、ウルベルトの背後ではデミウルゴスが感動したような表情を浮かべている。

 声もなく小刻みに身体を震わせている悪魔に、ウルベルトは背後を振り返ると胡散臭いほどに柔らかな表情を浮かばせた。

 

「ほらほら、そんな顔をするものではないよ、デミウルゴス。お前は私の最高傑作。正に魔王役に相応しい悪魔なのだからね」

「あ、ありがとうございます、ウルベルト様……。そのお言葉だけで、身に余る栄誉にございます……! ですがこのデミウルゴス、我が身の至らなさや身の程は重々理解しております。また、ウルベルト様の寛容さやペロロンチーノ様のご意向、そしてモモンガ様からの度重なるご配慮に、深く感謝を申し上げます」

「「「……ぇ……?」」」

 

 深々と頭を下げながら言われた言葉に、次に疑問と困惑の声を上げたのはモモンガとペロロンチーノとウルベルトの三人共だった。一体何を言っているのか意味が分からず、疑問が頭の中でグルグルと大きな渦を巻く。

 しかし幸か不幸か、デミウルゴスもマーレもパンドラズ・アクターもそれに気が付くことはなかった。また、デミウルゴスの言葉もマシンガンのように止まる様子がない。

 

「ペロロンチーノ様が表に出られたのは、エントマの身を心配して下さったお優しさだけでなく、私では魔王役は務まらないと判断されたからだとは重々承知しております。また、ウルベルト様は予てより魔王役をご希望されておりました。ウルベルト様も先ほど仰られていた通り、当初ウルベルト様が魔王役を務めることが出来なかった幾つもの要因は既に無く、だからこそペロロンチーノ様は、ウルベルト様が魔王役を務められるように敢えて表に出られたのだと、このデミウルゴス、重々理解しております!」

「………え、いや……別にそう言う訳じゃあ……」

「また、モモンガ様におかれましては、今回の計画での至らない点や修正点を我らシモベ一同に分かり易く理解させるため、叱責という形ではなく、敢えてわざとご自身が理解されていない振りをしてまで順を追って説明して下さいました。そのご配慮と大いなる慈悲深さに心からの感謝と共に、今後はこのような御方々様の手を煩わすことのないよう、身を粉にして精進していく所存にございます」

「……いやいや、待て、どうしてそういうことに……」

「そしてウルベルト様におかれましては、我らシモベ一同を思いやってのご配慮の数々。そして今もなお私に魔王役をと仰って下さったそのお優しい御心に、深い感謝を申し上げます」

「……あー、まぁ……うん………」

 

 とてつもない良い笑顔で一息に言ってのけた悪魔に、もはやモモンガたちは言葉もなかった。一体どんな思考をすればそんな考えに行きつくのか、と不思議でならない。

 しかしそう思っているのはモモンガたちだけなのだろう。マーレやパンドラズ・アクターはデミウルゴスの言葉を否定する素振りも見せず、逆に肯定するように感謝と尊敬の眼差しを向けてくる始末であった。

 以前から、彼らの自分たちに対する重く過剰すぎる忠誠心や思い込みの激しさには薄々気が付いてはいたが、しかしまさかここまでとは思わなかった……と心の中で大きく項垂れる。もはや否定する気力もうせて、モモンガたちは力なく頷くだけに留めた。

 

「……あー、ありがとう、デミウルゴス。それで、えーと……何でしたっけ……?」

「……今回の作戦と、ウルベルトさんが今後“御方”役を務める件だな」

「あー、そうでした……」

 

 すっかり逸れてしまった話に気力を大いに削がれながらも、しかし何とか気を取り直して話を元に戻そうとする。

 モモンガとペロロンチーノは互いに視線を交わすと、無言のままどうすべきかと相談し合った。しかしいくら思考をこねくり回しても、なかなか良い案は浮かんでこない。

 そもそもペロロンチーノが“御方”として表舞台に出た時点で、モモンガとペロロンチーノはウルベルトよりも不利な立ち位置になっていた。加えてモモンガやペロロンチーノにとっては不幸なことに、ウルベルトは数多くいたギルドメンバーの中でも特に仲の良かった人物である。ウルベルトは悪知恵が働くだけでなく、モモンガやペロロンチーノの弱い部分もよくよく理解していた。

 

「話を元に戻すが……、そもそも“御方”役ができたのはペロロンチーノが最初の計画を無視して表舞台に出たからだ。言うなればお前のせいとも言えるんじゃないか、ペロロンチーノ?」

「うっ……! それは、そうですけど……」

「モモンガさんも、そんなに俺の力を信じてくれていないんですか? 心配してくれるのは嬉しいですけど、信頼してもらえないのはすごく悲しいですね……」

「あっ、ち、違いますよ! ウルベルトさんの強さは分かっていますし、信頼もしています!」

 

 早速とばかりにペロロンチーノとモモンガの弱い部分を的確に突いてくるウルベルト。ペロロンチーノには威圧的に、モモンガにはしゅんっとした悲しげな表情を浮かべて精神攻撃を仕掛けてくる。

 言葉や表情を使って相手の精神を揺さぶる悪魔に、ペロロンチーノとモモンガはまんまと翻弄された。

 ぐうの音も出ずに項垂れるバードマンと、アタフタと慌てふためく死の支配者(オーバーロード)

 正に悪魔の掌の上。

 あれよあれよという間に掌の上で転がされ、最終的にはウルベルトは見事二人を言い包めて魔王の上位者である“御方”役を勝ち取った。

 無言のままガッツポーズを決めるウルベルトと、敗者として大きく項垂れるモモンガとペロロンチーノ。

 ウルベルトは掲げていた拳をゆっくりと下ろすと、次にはニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「さて……、では最後に確認とおさらいをしましょうか。まず確認ですが……、デミウルゴス、当初の計画ではこの区画……つまり倉庫区に存在する財と人間は全て手中に収める予定になっていたが、それはどうなっている?」

「はい。財につきましては既にシャルティアの〈転移門(ゲート)〉によって全てナザリック地下大墳墓に運搬済みでございます。また人間に関しましては、ウルベルト様がお命じになった通り、この区画にいた人間については幾つかの倉庫に纏めて収容し、こちらに進行中である一部の冒険者や衛士のみ捕獲してナザリック地下大墳墓に運搬しております」

「よろしい。引き続き、この区画に最初からいた人間に対しては手を出すな。今暴れている悪魔たちにも徹底させよ。後、捕獲する冒険者や衛士たちの数も怪しまれない程度に程々にしておきたまえ」

「畏まりました」

 

 深々と頭を垂れるデミウルゴスとマーレに、ウルベルトは鷹揚に一つ頷く。

 しかしモモンガとペロロンチーノにしてみれば何とも彼らしくない珍しい命令内容に、思わず疑問のままに首を傾げさせた。

 

「ウルベルトさんが見ず知らずの人間を気にかけるとは珍しいな。どういった風の吹き回しだ?」

「フフッ、ちょっとしたイメージ戦略の一環だよ。この行動がどの方向へ何処まで転がるかは分からないが、手を抜く訳にはいかないからねぇ」

「そもそも、そんな命令いつ出したんですか?」

「お前とデミウルゴスとパンドラに〈伝言(メッセージ)〉を繋げた時に、ついでに命じておいたのさ」

「いつの間に……!」

 

 大袈裟なまでに驚いて見せるペロロンチーノに、ウルベルトは小さな笑い声を零す。

 しかしすぐに笑い声を収めると、次には再びデミウルゴスへと視線を向けた。

 

「では次だ。私が作戦前に与えたアイテムはどうした?」

「はい。我々が王都を襲撃した理由として、下賜頂いたアイテムは既に“八本指”の拠点の一つの物資倉庫に紛れ込ませております」

 

 未だ深々と頭を下げたまま報告してくるデミウルゴスに、ウルベルトは再び大きく頷いた。

 人間側でも、ヤルダバオト率いる悪魔たちの目的は『人間のコソ泥によって盗まれた至宝の回収』であるという認識を既に持っている。ここで証拠品であるアイテムが見つかれば、悪魔たちの目的の信憑性も一気に増すことだろう。

 ウルベルトが思わず満足げな笑みを浮かべる中、気を取り直したモモンガが徐に座っていた椅子から立ち上がった。

 

「さて、ではそろそろ今後の動きについておさらいをして終わりにしよう。まずは私と“ヤルダバオト”役のデミウルゴスが戦闘を開始し、ウルベルトさんは“御方”役のパンドラズ・アクターと戦闘を開始する。ペロロンチーノは監督に戻り、何かあればフォローに動いてもらうこととしよう」

「……分かりました。次は表に出ないように気を付けます」

「くれぐれもそうしてくれ。……それで、戦闘方法はどうする? 共同戦線にでもするか?」

「いえ、それだと些か迫力に欠けてしまうでしょう。モモンガさんとデミウルゴスは当初の計画通り、街の奥で戦って下さい。私は、そうですね……街中を練り歩こうか、パンドラ」

「かっしこまりましたぁぁっ!! ウルベルト様の引き立て役を精一杯務めさせて頂きますっ!!」

「フフッ、期待しているよ。……だが、くれぐれもオーバーにならないようにな。その“御方”役は今後私が引き継ぐのだから、くれぐれも……くれぐれもオーバーにするな。オーバーアクションも大袈裟すぎる口調も駄目だ。あくまでも気品に優雅に私自身を演じるつもりで尽力しろ!」

 

 余程心配なのか、ウルベルトは鬼気迫る勢いで何度もパンドラズ・アクターに注意を繰り返している。

 彼の気持ちは非常によく分かるため内心で何度も頷きながら、しかし気になることもあってモモンガは少々申し訳ない気持ちになりながらもウルベルトへと声をかけた。

 

「街中を練り歩くとは……、つまりこの区画全体で戦うということか? それでは被害が拡大して逆に名声が落ちる可能性があるぞ」

「そこは加減して被害が拡大しないようにするのでご心配なく。大丈夫、上手くやりますよ」

 

 モモンガの不安も何のその、ウルベルトは自信たっぷりに胸を張って笑みを浮かべてくる。

 しかしこの男はついつい調子に乗ってしまう部分があるため、どうにも心配でならなかった。

 

『……ペロロンチーノさん、出来るだけウルベルトさんの方を重点的に監視しといてもらえますか? それで何か事が起こりそうになったらフォローしてあげて下さい』

『了解です、モモンガさん……』

 

 すぐさまペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を繋げ、ウルベルトのフォローを手厚くするように調整を行う。

 ウルベルトはと言えばそんな彼らの会話も知らぬげに、非常に楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

「それでは早速準備を始めるとしよう。デミウルゴス、モモンガさんの鎧に戦闘の傷をつけておけ。パンドラズ・アクターは私の姿に変化してからペロロンチーノの装備品を装備しろ。ペロロンチーノ、さっさとその装備を脱いでパンドラに渡せ」

 

 次々飛んでくる命令に、シモベたちは慌ただしく動き始める。モモンガの元へ行くデミウルゴスや装備を脱ぎ始めるペロロンチーノ、そして山羊の悪魔の姿に変化するパンドラズ・アクターを確認すると、ウルベルトも自身の準備に取り掛かり始めた。

 とはいえ、することはさほどない。精々自分自身にも戦闘の傷を幾つか刻むだけである。

 ウルベルトは一度“人化”を解くと、悪魔の鋭い鉤爪で身体の至る所に傷つけた。頬、首筋、手首……と爪を滑らせて肌を引き裂き、血が流れるのも構わずに再び“人化”を施す。

 ウルベルトの行動にデミウルゴスたちが顔面蒼白になるのも構わずに、ウルベルト自身はペロロンチーノの装備を身に纏ったパンドラズ・アクターへと目を向けた。

 

「後は街中を練り歩きながら傷をつけるとしようか。時折お前の攻撃にわざと当たるから、その際は動揺などしないようにな」

「………畏まりました」

 

 何か言いたげな雰囲気を漂わせながらも、パンドラズ・アクターは深々と頭を下げてくる。

 ウルベルトは満足そうに一つ頷くと、次にはニヤリとした悪魔らしい笑みを浮かばせた。

 

「それでは楽しい喜劇の第二幕を始めるとしようか」

 

 悪魔の弾んだ声に死の支配者とバードマンは深いため息をつき、異形のシモベたちは深々と頭を垂れた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 街中に多くの音が響き渡る。

 高い金属音と破壊音。怒号と悲鳴。術を唱える声と、それに被さる咆哮。

 誰の目から見ても地獄のようなその光景の中で、多くの人間と悪魔たちが激しい死闘を繰り広げていた。

 誰もが死の恐怖と傷の痛みに耐えながら武器を振るう。

 戦況は正に一進一退。一時は悪魔のあまりの物量に押され劣勢となっていたものの、戦士長ガゼフ・ストロノーフや多くの王城守護の騎士や兵士たちを引き連れた国王ランポッサ三世がこの場に現れたことで戦況は一気に優勢へ傾いた。加えて一時はヤルダバオトに殺されてラキュースの手によって復活したものの、今までは回復のため戦場を退いていた“蒼の薔薇”のガガーランとティアも合流し、人間側の士気は最高潮にまで引き上がっていた。

 しかし、それでも油断できない戦況であることは変わらない。

 悪魔たちはまだまだ多く犇めいており、加えて目の前にいる悪魔の存在に、ラキュースは背筋に冷たい汗を流していた。

 彼女たちの目の前にいるのは体長三メートルにも及ぶ巨大な悪魔。

 筋骨隆々の体躯は爬虫類のような鱗に覆われており、蛇のような長い尾がゆらりと宙を揺らめいている。背には蝙蝠のような皮膜の翼。頭部は山羊の頭蓋骨で、ぽっかりと空いた暗い眼窩には青白い炎が爛々と燃え上がっている。

 王国最強と謳われるガゼフがいても、多くの騎士や兵士がいたとしても、ガガーランやティアが合流しても、それでも決して油断ならない相手。

 ラキュースは悪魔を鋭く睨み付けると、魔剣キリネイラムの柄を強く握りしめた。

 

「……皆、行くわよ!!」

 

 仲間たちに声をかけ、覚悟を決めて強く地を蹴る。

 魔剣キリネイラムを振りかぶり、勢いよく攻撃を繰り出そうとした。

 その時……――

 

 

「――……邪魔だぁぁああぁぁあぁあぁぁぁあぁっっ!!」

 

「っ!!?」

 

 聞き覚えのある声が聞こえてきたかと思った瞬間、目の前の悪魔が勢い良く横へと吹き飛んだ。

 咄嗟に急ブレーキをかけながら驚愕に目を見開くラキュースの目の前に、一人の男が地面へと着地する。

 ひどく乱れて前に垂れ下がってくる髪を鬱陶し気にかき上げたその男は、間違いなくモモンたちと共に戦っているはずのレオナール。

 どうやら先ほどのは、こちらに飛んできたレオナールがそのままの勢いで悪魔に飛び蹴りをくらわせたものらしかった。

 しかし何故彼がここにいるのかラキュースは理解できなかった。

 よく見ればその頬にも首筋にも腕にも脇腹にも身体の至る所に傷が走っており、纏っている服にも至る所に焦げ跡や血痕が染みついている。

 一体何があったのかと愕然となり、胸に溢れてくる激しい感情のままにレオナールへと駆け出した。

 しかし、突然ゾクッと背筋に冷たいものが走り抜け、ラキュースは思わず動かしていた足を止めた。レオナールが自身の飛んできた方向を睨んでいることに気が付き、ラキュースも恐る恐るそちらへと視線を向ける。

 瞬間、目に飛び込んできた存在にラキュースは思わず鋭く息を呑んだ。彼女の背後にいたガガーランやティアやティナ、ガゼフやランポッサ三世など、この場にいる全ての人間も同じように大きく息を呑んで驚愕に目を見開かせている。

 誰もが緊張と恐怖に身体を硬直させ血の気を引かせる中、その存在はまるで宙を泳ぐようにゆっくりとこちらに飛んできた。

 大きな単眼以外の装飾が一切ないペストマスクと、フード付きの漆黒のローブ。その場にいるだけでヒシヒシと感じられる強烈な存在感。周りで犇めいていた悪魔たちが一斉に動きを止めて畏まるような素振りを見せるのに、この場にいる全員がその存在が何者であるのかを理解した。

 この目の前の存在こそ、ヤルダバオトに“御方”と呼ばれていたモノなのだ、と……。

 

 

「………アインドラさん……」

「っ!!」

 

 不意に名を呼ばれ、ラキュースは反射的にそちらを振り返る。

 彼女の視線の先ではレオナールがじっと“御方”なる存在を睨み据えていた。

 

「……アインドラさん、すぐにこの場にいる全員を連れてここを離れて下さい」

「っ!? な、なにを……、私たちも共に戦います!」

「いいえ、どうか避難を。流石にあなた方を庇いながら戦う余裕はありませんので」

「っ!!」

 

 こちらを一切見ることなく言われた言葉が、鋭く深く胸に突き刺さる。

 咄嗟に口を開きかけ、しかし状況は言葉を交わすことさえ許してはくれなかった。

 

「オオオォォオオォォオォオオォン!!」

 

 地獄の咆哮のような声と共に勢いよく姿を現す一体の悪魔。

 レオナールに蹴り飛ばされたはずの悪魔が鋭い咆哮を上げ、手に持つ大金槌(モール)を振りかぶってレオナールへと襲い掛かってきた。

 咄嗟にラキュースは応戦の構えを取り、しかしレオナールはどこまでも静かに視線のみで悪魔を振り返る。

 

「………私は邪魔だと言ったはずだぞ。〈魔法最強化(マキシマイズマジック)血の楔(ブラッド・ウェッジ)〉」

「……ガッ……!!」

 

 瞬間、突如悪魔の足元の地面が大きく盛り上がり、巨大な槍上の赤黒い楔が勢いよく姿を現した。そのまま下から悪魔に襲い掛かり、巨体を貫いて悪魔の頭蓋すらも突き破る。一直線に串刺しに貫かれた悪魔はまるで磔にされた魚のようにピクピクと身体を震わせると、次の瞬間にはまるで最初からそこにいなかったかのように闇の粒子となって消滅してしまった。

 強大な悪魔の唐突の死に、この場にいる誰もが思わず呆然と立ち尽くす。たったの一撃で悪魔を葬ってしまったレオナールに、誰もが信じられないといったような視線を向けていた。

 しかしレオナールはそんな周りの様子を気にする素振りも見せず、ただ視線を楔から離して再び“御方”へと向ける。小さく細い息を吐き出すと、次にはこの場にいる全員に向けて鋭く声を張り上げた。

 

「早くこの場から逃げろっ!! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉!!」

 

 どこからともなく青白い雷が姿を現し、のたうつ龍のようにレオナールの指先から宙へと躍り出る。落雷にも似た放電を発しながら一直線に“御方”へと食らいつこうと襲いかかる。

 しかし“御方”はひらりとそれを躱すと、次には人差し指をレオナールへと突きつけた。

 

「〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)石壁(ウォール・オブ・ストーン)〉!」

 

 “御方”の指先から幾つもの雷を束ねたような巨大な豪雷が放たれ、レオナールと彼の側にいたラキュースへと襲い掛かる。

 あまりの迫力に目を見開いて思わず身体を硬直させるラキュースに、不意にレオナールの手が彼女の肩を掴み、そのままグイッと力強く引き寄せた。ラキュースはまるで守るように懐深く抱き込まれ、それとほぼ同時にレオナールの詠唱によって巨大な石壁が地面から姿を現す。

 激しい衝撃と破壊音を響かせ、眩い閃光を放ちながら石壁へと激突する豪雷。

 それら全てを全身で感じながら、しかしラキュースは、今はそんな時ではないと分かっていても高鳴る心臓を抑えることが出来なかった。力強い腕の感触も、硬い胸板も、自分よりも広い肩幅も、全てがすぐ側にあって鼓動を更に激しくさせる。

 しかし幸か不幸か、その時間はすぐに終わりを告げた。

 不意に身体を包み込んでいた腕が離れ、両肩を掴まれて体温からも引き離される。至近距離から見つめられて思わず頬を紅潮させるものの、しかしレオナールの真剣な表情に気が付いて、ラキュースはすぐに意識して顔を引き締めさせた。

 

「良いですか、アインドラさん。今すぐこの場にいる者たちを連れてこの場を離れて下さい。悪魔たちも、あの“御方”と呼ばれる存在がいるうちは大人しくしているようです。今のうちに撤退するか他の場所に援護に向かって下さい」

「……いいえ、私も一緒に戦います! 確かに足手まといになってしまうかもしれませんが、あなたの補助をするくらいならできます! 〈重傷治癒(ヘビーリカバー)〉」

 

 役に立てることを証明するように、レオナールへと治癒魔法をかける。

 レオナールは小さく驚愕の表情を浮かべると、次にはフッと小さな笑みを浮かべてきた。

 

「その気持ちだけ受け取っておきましょう。そして治療して下さり、感謝します」

「っ!! ……レオナール様!」

 

 両肩を掴んでいた手すら離れて、こちらに背を向けるレオナールに思わず引き留めようと名を呼ぶ。しかしレオナールは一切こちらを振り返ることなく、石壁の影から前へと足を踏み出した。

 そこにいるのは、静かに宙に浮かんでこちらを見つめている“御方”なる存在。

 レオナールと“御方”が静かに対峙する様に、誰もが知らずゴクリッと固唾を呑んだ。

 

「……別れの挨拶は終わったのかな?」

「おや、待っていて下さったのですか? 尤も、あなたに負けるつもりは微塵もありませんが……」

「フフッ、大層な自信だ。私の力に屈し、彼らが苦痛を味わうのを見たら、君はどんな表情を浮かべるのだろうねぇ」

「私以外の者に手を出すことは許しませんよ」

「それは全て、君次第だ」

「……そうですね。……では、その通りにいたしましょう…!!」

 

 言い終わったとほぼ同時にレオナールの姿が掻き消える。

 一瞬後、再び姿を現したのは“御方”のすぐ目の前。

 懐深く入り込んだレオナールは、勢いよく右手を“御方”の胸元へと手を突き出した。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)破壊の風(デストロイ・ウィンド)〉!」

 

 瞬間、大きな衝撃波がレオナールの掌から放たれ“御方”が成す術もなく後方に勢いよく吹き飛ばされる。近くにあった大きな家に突っ込んで破壊音と大きな土煙が上がるのに、ラキュースだけでなくこの場にいる誰もが思わず唖然となった。突然のことに頭が付いていかず、逃げることも参戦することもできずに立ち尽くす。

 しかし、もちろん全員がずっと呆けているわけではない。

 

「………相変わらず、すげぇな……」

「っ!! ……ガガーラン、それに皆も…」

 

 不意に聞こえてきた声に振り返れば、“蒼の薔薇”の仲間たちとガゼフがこちらに駆け寄ってくるところだった。石壁に身を隠すように屈み込みながら、ラキュースと並んでレオナールと“御方”の方を窺う。

 彼らの視線の先では、既に吹き飛ばされたはずの“御方”が舞い戻っておりレオナールと激しい戦闘を繰り広げていた。

 互いにあらゆる魔法を発動し、その度に騒音と衝撃と色とりどりの光が荒れ狂う。ギリギリで攻撃を避けながら反撃する“御方”とは打って変わり、レオナールは転移魔法を連発して攻撃を躱したり距離や方向を縦横無尽に変動させながら魔法を繰り出していた。

 想像を絶する光景と、常人には決して真似できない動き。何より、あの“御方”という恐ろしい存在と渡り合えているという事実。

 レオナールの底知れない力と戦闘センスに、ラキュースたちは純粋な驚きや心強さだけでなく大きな戦慄を覚えていた。

 

「……これが…、ネーグル殿の力……」

「前の時より強くなってんじゃねぇか?」

「……いいえ。恐らく……これがレオナール様の本当の力よ……」

 

 彼女たちの目の前で、レオナールと“御方”の戦闘は更に激しさを増していく。互いの実力は拮抗しているのか、中々戦況は動く様子を見せなかった。

 ラキュースたちが手に汗握って彼らの戦闘を見守る中、不意にレオナールが“御方”から距離をとる。

 今までになかった動きに誰もがレオナールを注視する中、突然に“それ”は起こった。

 

「……行くぞ……」

 

 ポツリと一つ呟いたとほぼ同時に、真っ直ぐに背筋を伸ばして立つレオナール。

 軽く両手を広げた瞬間、レオナールを中心に様々な魔法陣が地面や宙、そしてレオナール自身と至る所に同時に浮かび上がった。

 続いて起こったのは、正に魔法の嵐。

 水が、雷が、炎が、氷が、風が、衝撃が、地面が、毒が、酸が……ありとあらゆる魔法による事象が次々と発動する。数多の無詠唱の魔法が同時に、そして矢継ぎ早に発動し、次から次へと“御方”へと襲い掛かる。

 今までに見たことのない戦闘方法と光景に、誰もが驚愕の表情を浮かべながら目を奪われた。

 同時に希望を抱く。もしかすれば“御方”なる存在は、これで死ぬではないか、と。こんな魔法の嵐を諸に受けて、死なないはずがない。

 誰もが希望とある種の興奮を胸に見守る中、レオナールの攻撃は数分まで続いた。

 そして後に残ったのは数多の魔法による煙と、耳に痛いほどの静寂。未だ空気はビリビリと震えており、ラキュースたちの肌にもピリピリとした小さな痛みを与えている。

 

「……やった、のか……?」

「分からないわ。でも、恐らく……」

 

 ガガーランの呟きにラキュースは口を開き、しかし途中で言葉を途切らせる。曖昧なことは言うべきではないが、しかしこんな攻撃を受けて生きている訳がないという思いもあった。

 取り敢えずレオナールの元へ行くべきだろうと判断し、目の前の石壁へと手を掛ける。

 しかし、いざ足を踏み出した、その時……。

 

 

「……ふむ、素晴らしい力だ。敵ながら敬服する」

 

「「「っ!!?」」」

 

 突然聞こえてきた声と、煙から徐々に浮かび上がる見覚えのあるシルエット。

 煙が徐々に風に流れて薄れていき、姿を現したのは未だ余裕綽々といった“御方”の姿だった。

 思わず誰もが息を呑み、驚愕の表情を浮かべて恐怖に身体を震わせる。あんな攻撃を受けて平気だなんて……と一気に大きな絶望感に襲われた。

 一体どうすればいいのか。

 一体何をすれば、この存在は倒せるのか……。

 誰もが目の前が真っ暗になる中、しかしまるでそれを断ち切るかのように唐突にレオナールが声を張り上げた。

 

「それは、ありがとうございます。それで……、まだやりますか? それとも降伏でもしますか?」

 

 その姿は堂々としていて、とても心強い。力強いその姿に、誰もが知らず心を奪われる。

 誰もが魅了される中、“御方”は少し考えるような素振りを見せた後、次にはゆっくりと小さく頭を振ってきた。

 

「……いや、そろそろタイムリミットだ。残念だが、ここは退散させて頂こうか」

「「「っ!!?」」」

「ほう、何故だ? 目的の『盗まれた至宝』とやらが見つかったのかな?」

「いいや、残念ながらまだ見つかってはいない。ただ先ほども言っただろう? タイムリミットだ」

 

 “御方”がひょいっと軽く肩を竦めながら言ってくるのに、誰もが困惑の表情を浮かべる。

 本気なのか、それとも罠なのか……。

 どうにも判断しかねて、周りの冒険者や騎士や兵士たちはラキュースやガゼフやランポッサ三世へと目を向ける。

 ラキュースも彼らの視線を感じながら、どうすべきかと頭を悩ませた。

 見逃すべきか、それとも追撃するべきか。しかし追撃するとして、本当にそんなことが可能なのか。

 思わず顔を顰めさせる中、まるでラキュースたちの悩みなど知らぬげにレオナールが再び口を開いた。

 

「この場を退くとして、他の悪魔たちはどうするのです? あなたの配下のヤルダバオトは……ここに残るのですか?」

「いいや、それは君たちが許さないだろう? それに、私も大切な配下をこれ以上傷つけるのは忍びないからねぇ」

 

 “御方”は再び小さく肩を竦めると、徐に右腕を軽く掲げてパチンっと一つ指を鳴らした。瞬間、今まで大人しくしていた周辺の悪魔たちが徐に動き始める。クルッと踵を返してこちらに背を向け、そのまま次々と街の奥へと消えていく悪魔たちに、誰もが呆然とした表情を浮かべてそれらを見送った。

 

「ほら、これで安心だろう? ヤルダバオトも既にここを去っているはずだ。……さて、では私も引かせて頂こうか」

 

 クツクツと不気味な笑い声を零す様が不気味でならない。

 そのままこちらに背を向ける“御方”に、しかしその存在を引き留める者がいた。

 

「ちょっと待て!」

 

 誰もが驚いて声の方を振り返れば、そこにいたのは“蒼の薔薇”のガガーラン。

 “御方”が後ろ姿を見せたまま顔だけで振り返ると、ガガーランは睨むように強い双眸で“御方”を見据えていた。

 

「あんたはウチんところのイビルアイを欲しがってたよな? それは何故だ? まだあいつを狙うつもりなのか?」

 

 瞬間、ピタッと“御方”の動きが止まる。そのまま微動だにせず、まるで石のように固まる。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、しかし“御方”は黙り込んで、また何も話そうとはしなかった。

 まるで何かを思案しているかのようなその様子に、誰もが少なからず疑問の表情を浮かべる。

 しかし質問をした本人であるガガーランは苛立ちを募らせていた。

 

「おい、何か言ったら……!!」

「いや……、少し確認したいことがあったのでね……。それでご足労願いたいと思ったのさ。……今後どうなるかは分からないが、今のところはこれ以上狙うつもりはないよ」

「それは……、信じていいんだろうな……?」

「フフッ。それは君たちが判断したまえ」

 

 ガガーランの言葉に、“御方”は小さな笑い声を零す。それでいて振り返っていた顔を元に戻すと、次にはバサッと少々大袈裟な素振りで纏っているローブの裾を振り払った。

 瞬間、突然何もない空間に楕円形の闇が現れる。

 “御方”はその闇に消えていき、一拍後にはその闇すらもスゥッと空気に溶けるように消えていった。

 後に残ったのは、戦場の跡が深く刻まれた街の景色のみ。

 誰もが暫く呆然となる中、しかし徐々に思考がついてきたのか、徐にざわつき始め、次には一人一人が歓喜の声を上げ始めた。一つの声が二つに、二つの声が三つに……と、どんどん複数に多く大きくなっていく。

 

「「「オオォォォォオオォォオオォオオォッォオォォオオォっっ!!!」」」

 

 最後には多くの大歓声が街中の大気を大きく震わせた。

 

 




今回、ウルベルトさんが使用した魔法の中に〈石壁〉が出てきたのですが、〈石壁〉は一体第何位階魔法なんですかね。ウルベルトさん扮するレオナールは第五位階までしか使用できない設定にしているのですが、果たして……。第五位階以内に入っていることを祈る……(汗)
また、ペロロンチーノがイビルアイを狙った理由が最後にぼんやりと語られましたが、更に詳しい理由は今後書く予定にはなっております。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈重奏狂歌〉;
種族:魔術の神王の特殊技術。三つまでの魔法を同時に詠唱でき、詠唱中に動き回ることも可能。ただし消費するMPは1.5~2倍になる。
・〈血の楔〉;
地面に槍上の楔を生やし、対象者を串刺しにする即死系魔法。即死に対するレベル差などの対処は可能だが、即死した者はその時まで残っていたHPとMPを詠唱者、あるいは詠唱者のギルド・メンバーに吸い取られる。


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第47話 後処理

大変お待たせしまして、申し訳ありません。
何故か筆が進まず難産でした……(汗)
今回は三回ほど視点や場所が変わるので、読み難かったら申し訳ありません……。


 王国王都を突如襲った“御方”及びヤルダバオト率いる悪魔の軍勢。国が滅びかねない超弩級の危機の中、多くの者たちの奮闘と、何よりアダマンタイト級冒険者“漆黒”のモモンと帝国のワーカーであるレオナール・グラン・ネーグルが“御方”とヤルダバオトを追い払ったことにより、王国王都は未曽有の危機を脱することに成功した。

 しかし、国の危機は防げたものの、被った被害は莫大である。悪魔が襲撃した区画が倉庫区であったこともあり、王国王都が所有する財の大部分は悪魔たちによって根こそぎ奪われてしまっていた。

 また、人的被害も非常に大きい。その多くは実際に悪魔たちと戦った冒険者や衛士、王城守護の騎士や兵士が殆どではあったが、死傷者の数は優に三桁を超えていた。不思議なことに倉庫区に初めからいた市民の被害は驚くほど少なかったが、それでも決して皆無ではない。

 悪魔に追われた際、逃げようとして怪我を負った者。悪魔から逃げようとして将棋倒しになって圧死した者。転んだ際に多くの人々に踏まれ、蹴られ、そのまま命を落とした者。

 どれもが直接悪魔を原因とした被害ではなかったものの、それでも悪魔たちが襲撃してさえ来なければ起こらなかった悲劇でもある。

 生き残った者たちは壮絶な戦いの後始末に追われながら、悪魔を呪い、自身の運命を嘆き、そして自分たちを守ってくれなかった貴族への怒りを胸の内に燻らせていた。

 冒険者“漆黒”のモモンに扮するモモンガとワーカーのレオナールに扮するウルベルトもまた、拠点としている都市やナザリックには未だ戻らず、他の人間たちと共に戦場の後処理や復興活動に参加して何かと手を貸していた。ナザリックの方でも今回の作戦での後処理があるため本音を言えば早くナザリックに帰還したいのだが、とはいえこちらを疎かにしては今後の名声などに大きく関わってくる可能性もある。幸いナザリックにはペロロンチーノや守護者たちもいるため、ナザリックについては一先ずは彼らに任せることにした。

 

 そして今。

 モモンガとウルベルトは王女ラナーとアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”に呼ばれて、ナーベに扮するナーベラルを引き連れて王国王都の魔術師組合まで足を運んでいた。

 

「アダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”のモモン様とナーベ様、ワーカーのレオナール・グラン・ネーグル様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 

 魔術師組合の建物の前に立っていた男から声をかけられ、そのまま建物の中へと促される。

 モモンガとウルベルトとナーベラルは大人しく男に従うと、どんどんと奥へと歩を進めて最奥の部屋へと案内された。

 

「モモン様、こちらだ!」

「ネーグルさん、こっちです!」

 

 室内に入ってすぐに聞こえてきた声。

 目を向ければ“蒼の薔薇”のイビルアイとラキュースが手を上げてこちらにアピールしており、モモンガたちはそちらへと足先を向けた。

 彼女たちの元へと歩み寄り、この場に集められた面々へと目を向ける。見ればこの場には錚々たるメンバーが揃っていた。

 王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと彼女の護衛兵士であるクライム、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ、王国王都の冒険者組合の組合長、そして“蒼の薔薇”の全メンバー。あと一人、見知らぬ壮年の男もこの場にいたが、王女ラナーから魔術師組合の組合長であると紹介された。

 

「それで……、何故我々をここに呼んだのですか?」

 

 この場にいる面々を順に見やりながら、小さく首を傾げてウルベルトが誰にともなく問いかける。

 彼女たちは互いに顔を見合わせると、次にはこの場を代表するように王女ラナーが口を開いてきた。

 

「……実は昨日、“八本指”が所有していたと思われる倉庫からあるアイテムが発見されました。それがこれなのですが……」

 

 途中で言葉を切り、王女ラナーが自身の目の前にある小さな台座へと目を向ける。彼女の視線の先には拳大の大きさの宝玉が鈍い光を放って台座の上に安置されていた。

 淀んだ青緑色のそれは表面に銀色の九芒星が描かれており、まるで鼓動しているかのように一定間隔で振動のようなものを発していた。

 

「……これは……っ!」

 

 宝玉を目にした瞬間、モモンガが兜の奥で小さく驚愕の声を零す。暫くマジマジと宝玉を見やり、次には隣のウルベルトへとすぐさま〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

『ちょっ、ウルベルトさん、これ“ジレルスの結界石”じゃないですか! よりにもよって、こんなアイテムを証拠品として置いていくなんて!!』

『そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、モモンガさん。大体“ジレルスの結界石”を使えるのは100レベルのプレイヤーだけじゃないですか。この世界に100レベルの存在がそうそういると思います?』

『それは! ……いないかもしれないですけど……!』

 

 ウルベルトの言い分に、モモンガは言葉を呑み込んで内心小さな唸り声を上げる。しかし、ウルベルトの言い分も一部は分かるものの、モモンガはどうにも納得しきれなかった。

 今現在これといった存在は確認されてはいないものの、それでも絶対に100レベルの存在がこの世界にいないとも限らない。仮に100レベルの存在が本当にいなかったとしても、この世界特有の方法……例えば生まれながらの異能(タレント)などで“ジレルスの結界石”を発動させてしまう可能性もないとは限らないのだ。もし“ジレルスの結界石”が発動してしまい、中に封じられているティンダロスの猟犬がナザリックのモノたちを襲うような事態になったらどうするのか。

 モモンガは無言のまま心の中で唸り声を上げると、ジトリとした視線をウルベルトへ向け続けた。

 暫くの後、モモンガの視線に耐え切れなくなったのか、はたまた少々考えを改めたのか、不意にウルベルトが〈伝言(メッセージ)〉越しに小さな息をついてきた。

 

『……はぁ、分かりましたよ。確かに少々考えなしだったかもしれませんね。何とか手元に戻せないかやってみるか……』

 

 まるで独り言のように〈伝言(メッセージ)〉越しに呟くウルベルトに、どうするのかと兜の奥で眼窩の灯りを揺らめかせる。

 モモンガが注視する中、ウルベルトは“ジレルスの結界石”から目を離すと、自然な動作でラナーたちを見やり小首を傾げさせた。

 

「もしや、このアイテムが例の……?」

「……はい、“御方”なる存在やヤルダバオトが言っていた“盗まれた至宝”にほぼ間違いないと思われます」

「……なるほど。つまりあの“御方”から至宝を盗んだコソ泥というのが“八本指”だったと言う訳ですか」

 

 ウルベルトの言葉に、しかし誰もが答えようとはしない。無言のまま“ジレルスの結界石”を睨むように見つめる彼女たちに、その態度が何よりもウルベルトの言葉を肯定しているようだった。

 ウルベルトは暫くの間彼女たちの様子を観察すると、再び徐に口を開いた。

 

「それで……、これからこれをどうするつもりなのですか?」

 

 ウルベルトの問いかけに、誰もが王女ラナーへと視線を向ける。

 この場では誰よりも高い権力を持つ彼女は、暫く瞼を閉じて何事かを考え込み、次にはゆっくりと瞼を開いて大きな瞳に強い光を宿らせた。

 

「まずは、このアイテムが一体どういった物なのか調べなくてはなりません。そして、出来得る限り外部に漏れないように、厳重な警備を行いながら隠しておこうと思っています」

「つまり……、王国王都で保管および所有すると?」

「このアイテムが“御方”なる存在の所有物であった以上、どんな危険な物であるかも分かりません。そんな物を外に出すわけにはいかないと思うのです」

「なるほど……」

 

 細長い指を顎に添えて何事かを考え込むウルベルトに、モモンガもまた無言のまま“ジレルスの結界石”を見つめる。

 何か良い方法はないかと頭を悩ませる中、不意にラキュースが控えめに声をかけてきた。

 

「それで……、あなた方をここに呼んだのは知恵をお借りしたかったからなのです。このアイテムが一体どういった物なのか、そして今後どう対処すべきなのか……。どうか知恵を貸して頂けませんか?」

 

 ラキュースの言葉に、モモンガとウルベルトは思わずチラッと互いを見やった。

 一体何をどこまで話すべきか……。

 暫く互いに思い悩み、モモンガはまずは彼女たちがどこまで把握しているのかを聞いてみることにした。

 

「……そもそも、あなた方はどこまでこのアイテムについて把握しているのでしょうか? 見れば、そちらにも優秀な魔術師の方がいるようですし、アイテムの性質についてなどもある程度は既に分かっているのでは?」

 

 チラッと魔術師組合の組合長を見やるモモンガに、他の者たちも自然と組合長の男へと視線を向ける。組合長の男は皺が刻まれた顔に尚も深い溝を刻み込みながら、まるで苦悩するかのように小さく表情を翳らせた。

 

「………残念ながら、未だ何も分かってはいないのです。強い魔力が宿っており、何かを召喚する物であることまでは分かりましたが……、それ以外のことが未だ全く分かっていないのです」

 

 苦々しげに顔を歪める男に、モモンガとウルベルトは再びチラッと互いを見やる。モモンガは兜で顔を隠しているため傍からはウルベルトがモモンガを見つめているだけにしか見えないが、しかしモモンガとウルベルト自身は互いに相手の視線がかち合ったのを感じ取っていた。互いの纏う空気を察しながら、どうすべきかと無言のまま探り合う。

 暫くの後、ウルベルトは不意に視線をモモンガから外すと、どこか考え込んでいるような素振りを見せながら、ゆるゆると口を開いた。

 

「……恐らく、ではありますが……このアイテムは召喚ではなく、何かを封じ込めているのだと思います」

「っ!! このアイテムが何か知っているのですか!?」

 

 ラキュースが驚愕の表情を浮かべて身を乗り出し、他の面々も驚愕の表情を浮かべてウルベルトを見つめてくる。

 モモンガが探るような視線を向ける中、ウルベルトは殊更にゆっくりとした動作で首を横に振った。

 

「知っている……と言うほどではありません。ただ、以前に古い書物で似たようなアイテムの記述を見た記憶があるのですよ。ですので、もしかしたら……という程度ですが」

「その書物とやらは一体どこにあるんだ? それで調べてみるのが一番手っ取り早いかもしれないな」

「残念ながら、それは無理ですね。その書物はとても古いもので、惜しいことに既にこの世にはないのですよ。ボロボロに朽ちて、私の手元からなくなってしまいました」

 

 イビルアイの提案に、しかしウルベルトは再び頭を振る。続いて口にした言葉に、一気にこの場の空気が重苦しいものへと変化した。

 誰もが八方塞がりの状態の中、ウルベルトはラキュースへと真っ直ぐに視線を向けた。

 

「アインドラさん、宜しければこのアイテムを暫くの間、私に預けてはいただけませんか?」

「…っ!? な、なにを……!!」

「実はワーカーになる以前、私は各地を転々としながら魔法や魔法のアイテムについて研究を行っていました。……もしかすれば、このアイテムの正体も解明できるかもしれません。それに、このアイテムが封印しているモノが何なのか、そして解放条件が何であるのかも分からない以上、王都に置いておくよりも秘密裏に外に持ち出した方が安心ではありませんか?」

「それは……、確かにそうですが……」

 

 ウルベルトの言葉に、ラキュースが途端に言葉を濁らせる。困ったような表情を浮かべてラナーへと視線を向ける彼女に、王女も小さな笑みを浮かべながらも少しだけ困ったように眉を八の字に傾けさせた。

 

「……ネーグル様の申し出は大変ありがたいのですが、それは非常に危険だと思います。このアイテムを悪魔たちが見つけられなかった以上、どこに彼らの監視の目があるかも分かりません。そもそも彼らが自分たちの目的を口にしたのも、私たちにアイテムを探させて横から奪い取ろうとする目論見があってのことかもしれないのです。このアイテムを悪魔たちの手に渡さないためにも、外に出すわけにはいきません」

「ですが、少なくともこの場にいるメンバーはアイテムの存在を知ってしまっています。アイテムの存在を知っている者が複数人いる以上、いつこの情報が悪魔たちの手に渡るか分からないのでは?」

「私たちが奴らに情報を漏らすとでも言いたいのかっ!!」

 

 ウルベルトの言葉に激昂したイビルアイが、途端に噛み付かんばかりに身を乗り出して声を荒げてくる。彼女の行動にナーベラルが無言のまま顔を歪ませて殺気立ち始めるのに、ウルベルトは後ろ手にチョイッチョイッと小さくナーベラルに落ちつくように合図を送りながらも、しかしそれでいて一切表情を変えることはなかった。軽く腕を組み、真っ直ぐに王女ラナーに視線を向ける。

 

「勿論、私としても皆さんが情報を漏らそうとするとは欠片も思ってはいません。しかし、相手はあの悪魔たちなのです。それこそ魅了の魔法をかけられたら? もしくは頭の中を覗かれたら? あなた方は、彼らの魔法に対抗できると断言できますか?」

 

 ラナーに向けていた視線を他の面々に移し、ウルベルトは淡々とした声音で解いを投げる。それに、この場にいる誰一人として反論の言葉を口にはしなかった。誰もが苦々し気な渋い表情を浮かべ、イビルアイなどは仮面の奥から小さな唸り声を零している。

 何の返答も返ってこないことを確認すると、ウルベルトはまるで彼女たちの背を押すかのように更なる言葉を紡ぐために口を開いた。

 

「それに……、こう言っては何ですが、私が普段拠点として活動しているのは王国ではなく帝国です。もし私の身に何かあり、このアイテムが発動してしまったとしても、被害を受けるのは王国ではなく帝国となるでしょう。……帝国との小競り合いが絶えない王国にとっては渡りに船の提案に思えますが」

「「「っ!!」」」

 

 ウルベルトの言葉に、この場にいるモモンガとナーベラル以外の全員が驚愕の表情を浮かべて息を呑んだ。王女ラナーでさえ、その愛らしい瞳を少なからず見開いてマジマジとウルベルトを見つめている。

 

「………確かに、一理ある」

「悪魔の関心も帝国に移るかも……」

 

 まるでウルベルトの提案に同意するかのように“蒼の薔薇”の双子が短く感想や考えを言葉に零す。

 双子の言葉を皮切りに、他の面々も互いに顔を見合わせながら見るからに心を動かしたように悩み始めた。

 言われてみれば、王国にとっては確かに悪くない話である。悪魔の脅威も帝国との小競り合いも、王国にとっては無視できない危機なのだ。その一つでも防ぐことができ、加えて何かあればもう片方にも大打撃を与えられるとあっては、断る方がおかしいだろう。

 誰もが少なからず納得の雰囲気を醸し出し始める中、しかしラキュースだけは不安そうにウルベルトを見つめていた。

 

「……確かに、ネーグルさんの申し出は王国にとっては有り難いものです。しかし、それでネーグルさんの身に危険が及ぶことになっては……」

「心配くださり、ありがとうございます。しかし、それは無用ですよ。仮に悪魔たちが勘付いて襲ってきたとしても、倒すことはできなくとも追い返すことくらいはできるでしょう。帝国にはリーリエやレインもいますしね」

 

 ワーカーでの仲間の名を口にしながら笑みを浮かべるウルベルトに、しかしラキュースの不安そうな表情は変わらない。逆に何故か翳りを帯びたようで、ウルベルトは内心で小さく首を傾げさせた。

 

(……おかしいな、何故だ? 王国にとっては厄介ごとが二つも取り除けるかもしれない好条件のはずなんだが……。)

 

 何とも的外れなことを考えながら、実際に首を傾げそうになる。

 もしこの場に愛の求道師たるペロロンチーノがいたならば『……馬鹿じゃないですか?』と嫉妬と呆れが入り混じった視線をウルベルトに向けたことだろう。

 しかし幸か不幸か、この場にペロロンチーノはいない。

 ウルベルトが尚も内心で首を傾げる中、まるでラキュースに助け舟を出すかのように王女が再び口を開いてきた。

 

「ネーグル様の提案は確かに素晴らしいものだと思います。しかし、やはりこのアイテムをネーグル様にお預けすることはできません」

「ふむ……、何故か伺っても?」

「このアイテムはあらゆる面でのカードとして利用できると思うのです。確かに我が国にとって大きなリスクを伴うことは分かっていますが、それと同時に大きな利益や危機回避の手段にもなり得る。恐らく悪魔たちに対抗する手段にも使えるであろう物を、王国の外に出すわけにはいきません」

「………このアイテムを使いこなすことが出来るとでも?」

「使いこなすことは難しいかもしれませんが、それでもあらゆることに利用することはできるでしょう」

「……………………」

 

 どこまでも朗らかな声音で言ってのける王女に、ウルベルトは返す言葉が見つからず思わず黙り込んだ。流石は“黄金”と名高い王女だけはある……と内心で苦々しい感情ながらも感心する。

 言い負かされたことへの屈辱と、攻略の方法を間違えたことへの後悔。

 しかしそれらの感情を表情に出すことはなく、ウルベルトは意識して表情を引き締めさせると、納得したように一つ大きく頷いてみせた。

 

「なるほど、そうですか。そこまで言われてしまっては仕方がありませんね」

 

 人間の顔に苦笑を張りつかせ、小さく肩を竦ませる。

 そのまま引き下がるウルベルトに、すぐさま再びモモンガから〈伝言(メッセージ)〉が繋げられた。

 

『……どうしますか、ウルベルトさん?』

『ああ言われたら仕方がないだろう。無理に食い下がっても怪しまれるだけだろうしな……。念のため影の悪魔(シャドウデーモン)でも複数体この部屋に忍ばせて監視させておくか……』

『そうですね……。でも、ウルベルトさんを言い負かすなんて、あの王女すごいですね』

 

 感心したような声を上げるモモンガに、途端にウルベルトはムッと不機嫌になる。

 しかしすぐさま何とか自身を落ち着かせると、目の前で繰り広げられている王女たちの会話へと耳を傾けた。

 どうやらこれといった良い案が出るわけでもなく、取り敢えずは最初の予定通りに厳重な警護を行いながらアイテムの解析を進めていくことにしたようである。

 

「――……とはいえ、いつ何が起こるか分かりません。有事の際はモモン様やナーベ様、そしてネーグル様にも再び力を貸して頂ければと思っています。どうか、よろしくお願い致します」

 

 躊躇なく丁寧に頭を下げる王女の姿に、途端に人間側から感嘆にも似たため息の音が聞こえてくる。

 しかしモモンガとナーベラルとウルベルトは表情一つ動かすことなく、ただ静かに頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ナザリック地下大墳墓の第九階層では……。

 

「………はぁぁ~…、早くモモンガさんとウルベルトさん帰ってこないかなぁ~……」

 

 自室にある執務室にて、ペロロンチーノが大きなため息を吐き出していた。

 傍らにはアルベドとデミウルゴスが控えるように立っており、ペロロンチーノの作業の補佐を行っている。周りでは多くの一般メイドたちが忙しなく動き回っており、優雅でいて素早い動作で部屋と外とを行き来していた。

 彼女たちが動く度にメイド服の裾が蝶の羽のようにひらひらと動いて宙を踊る。

 可憐なその様を視界の端で眺めながら、ペロロンチーノは再び出そうになったため息を寸でのところで呑み込んだ。

 彼の手には複数枚の書類が握られており、その傍らには幾つもの書類の束が塔のように積み重なって聳え立っている。

 この書類は全て今回の悪魔騒動での後処理などの報告書であり、先ほどから地道に処理しているというのに一向に終わる様子を見せなかった。逆にメイドたちが次から次へと新しい書類を持ってくるため、永遠に続くのではないだろうか……と錯覚すら覚える。しかし自身の今の立場上放り出すわけにも逃げ出すわけにもいかず、ペロロンチーノは遅々としながらも何とか書類に目を通してはメイドたちに指示を飛ばしていた。

 とはいえ、どんなに己を律しようとも身体や精神は正直である。例え異形種であったとしても気が乗らない作業は肉体だけでなく精神にも疲労を蓄積させていく。

 そろそろ少しだけ休憩しようかな……と小さな誘惑が頭に浮かび上がったその時、まるでペロロンチーノの思考を読んだかのように不意に扉からノックの音が響いてきた。

 

『……ペロロンチーノ様、失礼いたします』

 

 断りの言葉と共に姿を現したのは、大きなワゴンを手に持ったエントマ。

 茶器一式と目に鮮やかな茶菓子を乗せたワゴンを運んでくるのに、ペロロンチーノは湧き上がってきた喜びを隠すことなく満面の笑みを浮かばせた。

 

「エントマ、ナイスタイミングだよ! アルベド、デミウルゴス、少し休憩にしよう!」

 

 嬉々とした声を上げて書類をテーブルの上に置くペロロンチーノに、アルベドとデミウルゴスも満面の笑みを浮かべて頷くように頭を下げてくる。周りのメイドたちもペロロンチーノの言葉に反応してすぐさま周りにある書類を片付け始め、一拍後には目の前の光景が見事なティータイムの様相に早変わりしていた。

 ペロロンチーノはすぐさま椅子に腰を下ろし、アルベドとデミウルゴスにも椅子に座るよう促す。二人の悪魔は恐縮したような素振りを見せたもののどこか嬉しそうな笑みを浮かべると、一つ礼を取ってペロロンチーノと向かい合うように椅子に腰かけた。

 一つのテーブルを囲むように座るペロロンチーノたちの目の前に、メイドたちがすぐさま紅茶を淹れたカップを置いていく。

 ペロロンチーノは嘴で器用にカップから紅茶を飲むと、フゥッと一度大きな息を吐き出した。熱い液体が喉を通っていくのを感じ、身体に入っていた余計な力が抜けていくような気がする。

 心地よい適度な脱力感にもう一度小さな息をつきながら、ペロロンチーノは腰かけている椅子の背もたれへと深く背を凭れ掛からせた。

 傍から見れば少々だらしないかもしれないが、しかし今この場にはペロロンチーノを注意するモノなど誰もいない。逆にここまで寛いでいる姿を見ることが出来て幸せだとばかりに、アルベドもデミウルゴスもメイドたちも全員が満面の笑みを浮かべていた。

 彼女たちの反応に気恥ずかしい様なむず痒い様な気持ちになりながら、ペロロンチーノはこの休憩の一時を堪能することにした。

 差し出される茶菓子用のクッキーやスコーンを摘まみながら、目の前のアルベドやデミウルゴスと雑談を交わす。

 話題は主にユグドラシルでの思い出話で、ペロロンチーノが何かを話す度にアルベドたちは顔を輝かせて話の内容に聞き入っていた。頬を紅潮させて目をキラキラと輝かせる様は幼い子供のようでとても微笑ましく愛らしい。

 しかしある一人の様子が気にかかって、ペロロンチーノはチラッとそちらへと視線を向けた。

 彼の視線の先にいるのは戦闘メイド・プレアデスの一人であるエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 素顔は仮面状の蟲で隠しているため一見変わりないように見えるものの、しかしペロロンチーノはどうにもシニョン型の蟲から生えている触角がいつもより元気がないように見えてならなかった。

 一体どうしたのだろう……と内心で首を傾げ、そこでふと先日の作戦の時のことを思い出す。

 先日の悪魔騒動の作戦の際、エントマはアダマンタイト級冒険者チームの“蒼の薔薇”と交戦し、瀕死のダメージを負うはめになった。間一髪ペロロンチーノが駆けつけたため止めを刺されずにすんだものの、あの時のことを今思い出してもヒヤリと背筋に冷たいものが駆け抜ける。

 エントマを救い出した時はすぐに拠点としている館に戻って傷を癒させたのたが、もしかすれば何か不調が出てきているのかもしれない。

 ペロロンチーノは持っていたカップをソーサーに戻すと、改めてエントマヘと視線を向けた。観察する目に気が付いたのだろう、エントマもペロロンチーノへと視線を向けてくる。首を傾げる仕草を小さくしたかと思うと、次には少々慌てたようにポットを手に取った。

 

「失礼いたします、ペロロンチーノ様」

「あ、あぁ……。ありがとう、エントマ」

 

 恐らく紅茶のおかわりの要請だと思ったのだろう、エントマが一言断りを入れてから空になったペロロンチーノのカップを手に取りポットから紅茶を注いでくる。ペロロンチーノは取り敢えず礼を言うと、エントマに差し出されたカップを手に取って新しく淹れられた紅茶を一口飲み込んだ。フゥッと一つ小さな息をつき、改めてエントマへと目を向ける。しかし幾ら観察してもどうにも分からず、思わず内心で小さな唸り声を上げた。

 どんなにマジマジと観察しても、少なくとも動きに関しては別段変わった様子はないように思う。声に関しても、一時は“蒼の薔薇”のメンバーによって喉に装備していた口唇蟲を殺されたため本来の声に戻っていたものの、それも今では予備の口唇蟲を再度装備していつもの声に戻っている。ではやはり問題が起きているとすれば体調の不調か、或いは精神的なものか……。

 しかしここでいくら考えても想像の域を出ず、ペロロンチーノは早々に諦めて本人に聞いてみることにした。

 

「……あー、そういえばエントマ、身体の調子はどう?」

 

 まずは体調面を聞いてみようとエントマへと声をかける。

 エントマはペロロンチーノを振り返ると、次には手に持っていたポットを置いてその場に跪いた。

 

「はい、全ての傷は既に癒えており、体調に何ら不調はございません。助けて下さいましたペロロンチーノ様には心より感謝を申し上げます」

「あー、いや、うん……、もう万全になったなら良いんだ。それに、君たちのことを助けるなんて当たり前のことだよ」

「ああっ、何て慈悲深い御言葉!! そのように思って頂けるだけで、恐悦至極にございます!!」

「いやいや、そこまででも……、あー、うん………。……えっと、それより、少し元気がないよう見えたんだけど、俺の気のせいだったかな?」

「それは……」

 

 ペロロンチーノの言葉に、エントマは途端に言いよどむ。アルベドやデミウルゴスや一般メイドたちもエントマを見やり、この場にいる全ての視線が彼女に突き刺さった。

 エントマは何か言うのを躊躇っているのか、はたまた何かを恥ずかしがっているのか、小さく顔を俯かせてもじもじとしている。

 暫くしてエントマは身体の動きを止めると、次には意を決するように俯かせていた顔を上げてペロロンチーノを見つめてきた。

 

「……実は、あの小娘が口にした言葉が……その………」

「うん? 何か言われたの?」

 

 エントマの言う“あの小娘”とは、恐らく“蒼の薔薇”のメンバーの誰かのことだろう。

 もしや、彼女たちに何か嫌なことでも言われたのだろうか……。

 しかしペロロンチーノにはどうにも、彼女たちナザリックのシモベたちが外の人間たちの言葉に心を動かすところなど想像することができなかった。逆に鼻で笑って気にも留めない様子なら想像できるのだが、それともそれは唯の思い違いなのだろうか。

 ペロロンチーノが内心で悶々と考え込む中、エントマは再びガバッと深く頭を下げてきた。

 

「申し訳ありません! 至高の御方々の御手より創り出されたモノとして、本来ならば唯の下等生物の言葉に心を揺らすなど許されぬこと!! かくなる上は、この命を持ってお詫びを……っ!!」

「いやいやいや、そこまでしなくて良いから! 大丈夫だから! それよりも、何を言われたんだ?」

「それは、その……“お前の様な血の臭いを漂わせるモンスターを傍において喜ぶ者がいるとは思えない”、と……」

 

 ガタッ!!

 

 エントマの言葉を聞いた瞬間、ペロロンチーノは気が付けば勢いよく椅子から立ち上がっていた。驚いたように勢いよく顔を上げるエントマや驚愕の表情を浮かべるアルベドたちには構わずに、真っ直ぐにエントマの元へと歩み寄る。未だ跪いているエントマの目の前まで来ると、その場にしゃがみ込んでエントマの細い両肩を両手でガシッと掴んだ。

 

「そんなわけないじゃないかっ!! エントマが側にいてくれて、すっごく助かってるよ!!」

「っ!!」

 

 まるで怒鳴るように言い放つペロロンチーノに、エントマは驚いたようにビクッと身体を大きく跳ねさせる。

 傍から見れば怯えているようなその様子に、しかしエントマの胸に湧き上がる感情はそれとは全く真逆のものだった。

 彼女の胸を占めたのは、大きな歓喜と感動と感謝の気持ち。心は舞い上がったように浮足立ち、顔だけでなく全身が熱く痺れるほどに感情が溢れ出す。

 しかしそんなエントマの様子には気が付かず、ペロロンチーノは変わらずエントマの両肩を強く握りしめながら更にグッと覗き込むように顔を近づけた。

 

「エントマみたいな可愛い女の子に側にいてもらえて、俺はすっごく嬉しいよ! それに、そう思っているのは俺だけじゃない。モモンガさんとウルベルトさんも絶対にそう思ってるよ!」

「かわっ!? そ、そんな……っ!!」

「勿論、これはエントマだけに言えることじゃない。この場にいるアルベドやデミウルゴス、それに他のプレアデスの皆や一般のメイドたち、他のナザリックのシモベたち全員に対してだって言えることだ。君たちが俺たちの傍にいてくれるだけで、俺たちは本当に助かっているし心強く思っているんだ!!」

「「「っ!!? ……ペロロンチーノ様!!」」」

 

 次に胸を高鳴らせたのは、この場にいるナザリックのシモベたち全員だった。

 崇拝するいと尊き至高の御方にこんな事を言われて、喜ばないモノなどナザリックには存在しない。自分たちの存在を認められ、役に立っていると実感するだけで彼らは至福の喜びを感じるのだ。加えて今回の場合、ペロロンチーノ本人から感謝の言葉と役に立っているという言葉をもらったため、彼女たちの喜びは最上にまで引き上げられていた。

 普通に考えれば、それは全て良いことであると言えるだろう。

 しかし幸か不幸か、“ある人物”にとっては少々刺激が強すぎたようだった。

 

「……ペロロンチーノ様っ!!!」

「うおっ!?」

 

 歓喜の雄叫びと共にペロロンチーノを襲ったのは大きな衝撃。

 気が付けば目の前には金の双眸をギラつかせたアルベドの顔がドアップに映し出されており、彼女の背後には天井の景色が小さく覗いていた。

 のっしりと身体の前面に感じられる重さと、背中と硬い何かに押し潰されている四枚二対の翼。

 どう考えてもこれまでやってきた数多くのエロゲーでよく見たシチュエーションに、ペロロンチーノは思わず呆然と目の前のアルベドを見上げていた。

 通常であれば大いに萌えてもいいはずのシチュエーションなのだが、背筋にゾクゾクとした悪寒が走るのは何故なのだろうか。まるで肉食獣に捕らわれた雛鳥のような心境に、ペロロンチーノは無意識にブルッと小さく身体を震わせた。

 

「ペロロンチーノ様…、アルベドはもっとペロロンチーノ様や至高の御方々のお役に立ってみせますっ! ……そう、もっと……もっと……っ!!」

「えーと、アルベド!? それは嬉しいんだけど、ちょっと離れてもらえると……!!」

「そう、お望みなら今からでも、アルベドはペロロンチーノ様のお役に立ってみせます!! 今この場で……っ!!」

「キャーーっ、何やってんのぉーー!!?」

 

 未だギラギラと目をギラつかせながら白いドレスのスカート部分をたくし上げ始めるアルベドに、ペロロンチーノは思わず少女のような悲鳴を上げる。しかしアルベドに馬乗りで身体をガッチリと固定されているため、どうにも抵抗することが出来なかった。こんなところで純粋な前衛職との力の差を見せつけられるとは思わなかったと内心で冷や汗を流す。

 

(待って、待って、アルベドさん! 俺、襲われ攻めはちょっと! それにまだ心の準備が……、心の準備がぁぁ……っ!!)

 

 内心で悲鳴を上げながら、アタフタと身動ぎを繰り返す。

 無意識に助けを求めるように周りに視線を走らせる中、ここで漸く周りのシモベたちがハッと我に返ったようだった。

 

「ちょっ、アルベド! 何をしているんだ!! ペロロンチーノ様から離れたまえっ!!」

「はあぁんっ、ペロロンチーノ様……、ペロロンチーノ様ぁぁ!!」

「くっ、なんて馬鹿力だ……!! エントマ、君も力を貸してくれ!!」

「っ!! は、はいぃっ!!」

 

 デミウルゴスがアルベドを止めようと彼女の肩に手を掛け、しかし彼女はビクともせずにエントマも慌ててデミウルゴスの加勢に入る。しかしデミウルゴスとエントマの二人がかりでも、やはりアルベドはビクともしない。一般メイドたちはただアタフタと狼狽えるだけで、どう考えても助けになるとは思えなかった。

 正に絶体絶命の中、しかしペロロンチーノの運は尽きてはいなかった。

 

 

「――……なぁぁにやってんだぁぁ、アぁぁルヴぇドぉぉおぉおぉぉっ!!!」

 

「「「っ!!?」」」

 

 地獄の咆哮とも思える怒号と共に現れた一つの影。

 紅蓮の双眸をギラつかせて白銀の髪を逆立てる吸血姫の登場に、アルベドは鬼の形相を浮かべて振り返りながらチッと鋭い舌打ちを零した。

 身体に纏わりついているデミウルゴスとエントマを振り払い、こちらに勢いよく突撃してくるシャルティアを迎え撃つ。

 

「ペロロンチーノ様から離れろやぁぁっ!!!」

「邪魔させるかぁぁっ!!!」

 

 シモベとしての理性をかなぐり捨てて、欲望のままに暴れ始める吸血姫と淫魔。

 目の前で繰り広げられる激闘に、ペロロンチーノは身動き一つできずに悲鳴を上げることしかできなかった。

 

「ちょっ、二人とも落ち着いて……!! 俺のために争わないでぇぇ……っ!!」

 

 激しい戦闘音が鳴り響く中、ペロロンチーノの悲鳴が響いては消えていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深夜の闇に染まった王国王都リ・エスティーゼ。

 大通りに立てられた最上級の宿の一室にて、ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルに扮しているウルベルトは、一人寝台に腰掛けて物思いに耽っていた。

 冒険者チーム“漆黒”のモモンとナーベに扮しているモモンガとナーベラルは、別の部屋でそれぞれ休息をとっているはずだ。

 同じ宿に宿泊しているウルベルトたちは、しかし周りから怪しまれないようにワザと別々の部屋をそれぞれ取っていた。一部屋の値段が超高額であるこの宿は、普段であれば複数の部屋を取るなどモモンガが顔を蒼褪めさせようものである。しかし今回は王家がその支払いは全て負担してくれるとのことで、ウルベルトたちは何の気兼ねもなく王都に滞在中はこの宿屋を利用していた。

 

『――……ウルベルト様』

 

 一人静かに思考の渦に沈む中、不意に聞こえてきたのは独特の深みを持った聞き覚えのある声。俯かせていた顔を上げれば、目の前の床に横たわっている家具の影から一体のシャドウデーモンが姿を現した。

 片膝をついて深々と頭を下げている悪魔に、ウルベルトは金色の双眸を小さく細めさせる。

 無意識に足を組んで至高の主たる堂々とした姿勢を取る中、シャドウデーモンは頭を下げながら恐る恐るといったように口を開いてきた。

 

「ウルベルト様、監視しておりました王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフについて、また不審な動きを見せましたので報告に参りました」

「………またか……」

 

 シャドウデーモンの言葉に、ウルベルトは思わず大きなため息を一つ零す。今まで聞いてきた報告内容の数々を思い出し、ウルベルトは無意識に小さく顔を顰めさせた。

 王国王女ラナーにシャドウデーモンを潜ませたのは、戦士長ガゼフがカルネ村について王女とラキュースに相談した頃である。最初の頃は何もこれといった不自然な動きは見られなかったのだが、セバスの裏切り疑惑が浮上した頃から一気に王女に関する報告がウルベルトの元へと上がってきていた。

 化け物と思えるほどの人間離れした叡智と推理力。しかしそれに伴って報告される王女の異常と思えるような思考回路や歪んだ精神構造。自身の護衛兵である少年に向ける歪な愛情と性癖。

 これだけでも辟易させられるというのに、まだ何かあるのか……と少々うんざりさせられる。

 しかし報告を聞かないわけにもいかず、ウルベルトはできるだけ表情に出さないように努めながらシャドウデーモンに話を続けるように促した。

 

「はっ。実はセバス様が襲撃した娼館から助け出したはずの娼婦たちを秘密裏に全員殺したようです」

「全員殺した……? 娼婦となっていた女ども全員か? 何故……、何か理由を口にしていたか……?」

「いいえ。その意図すら分からず、念のため報告に参りました」

「そうか……。因みに、そのことについて誰かに何か言っていたか?」

「自身の護衛兵であるクライムという人間にだけ、娼婦たちが何者かに全員殺されたと伝えておりました」

「………ほう、……なるほど……」

 

 瞬間、ウルベルトの身に纏う空気が一気に冷たく重たいものへと変化する。

 シャドウデーモンは意図が分からないと言っていたが、しかしこれまで報告されてきたラナーの思考回路や優先順位、また娼婦たちと王女ラナーとの繋がりなどを組み立てて考えていけば、何故彼女がそんな行動を起こしたのかなど容易に想像することが出来た。

 恐らく……、しかし高い確率で、王女ラナーが娼婦たちを殺したのは嫉妬と独占欲のためだろう。

 そもそも殺された娼婦たちはどういった者たちだったのかというと、“八本指”が運営する娼館で働かされていた女たちだった。

 セバスが館でモモンガたちに洗いざらい話した報告によると、セバスはツアレの存在によるゆすりからの時間稼ぎとして、“八本指”が運営する娼館を襲撃したのだという。しかしそれはセバス一人がやったのではなく、偶然知り合ったクライムという少年と共に行ったとのことだった。クライムが王城の兵だったこともあり、助けられた娼婦たちは必然的にクライムの預かりものとして保護された。

 恐らくそれが、王女ラナーが彼女たちを殺した理由なのだろう。

 つまり、愛する少年の意識をほんの少しでも惹いた彼女たちの存在が許せなかった、と……。

 

「………ふんっ、くだらん……」

 

 胸に湧き上がってくる苦々しさに、思わず小さく吐き捨てる。

 殺された娼婦たちに対して思うことはこれと言って何もないが、しかしそれでもラナーの行動はウルベルトを十分不快にさせるものだった。

 

「……上流階級の豚どもは尽く救いようがない者ばかりだな。不愉快でならない」

「では、始末しますか?」

 

 当然のように問いかけてくる悪魔に、ウルベルトは思わず悪魔を凝視する。

 少しの間考え込み、しかしウルベルトは甘い誘惑に小さく頭を振った。

 

「いや、やめておけ。今はこれ以上の騒ぎを起こすべきではない。……今は、な……」

「はっ」

 

 ウルベルトの言葉に、シャドウデーモンは短い言葉と共に再び深く頭を下げてくる。ウルベルトは一つ頷くと、次には部屋に備え付けられている大きな窓へと目を向けた。

 窓の奥には夜の闇に染まった王城が静かに佇んでいる。

 ウルベルトは冷ややかな光を金色の瞳に宿らせながら、ただ静かに王城を見つめていた。

 壁に浮かぶウルベルトやシャドウデーモンの影が怪しくゆらりと揺らめいた。

 

 



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第48話 前準備

今回はいつもより早めに更新で来たぞー!
……と言っても、いつもより少し(?)短いのですが……(汗)

今回も前回に引き続いて、視点や場所が変わります!
読み難かったりしたら申し訳ありません……。


「……帰ってしまわれるのか?」

 

 晴天の蒼と草花の豊かな緑が広がる中、イビルアイの声が心細そうな色を帯びて切なげに響く。

 ここは王国王都の外れにある丘の上。王都の景色を一望できるこの場所に複数の人影が集まっていた。

 アダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”のモモンとナーベ。

 同じくアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”の全メンバー。

 帝国に拠点を持つワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル。

 そして王国の大貴族の一人であるレエブン侯と複数人の魔法詠唱者(マジックキャスター)たち。

 何故彼らがこんな場所に集まっているのかというと、今日はモモンとナーベとレオナールが自分たちの拠点としている場所にそれぞれ戻る日であるためだった。魔法詠唱者(マジックキャスター)たちはモモンとナーベをエ・ランテルに送り届けるためにこの場におり、他の面々は彼らの見送りである。

 誰もが少なからず笑みを浮かべている中、しかしイビルアイとラキュースだけはひどく落ち込んだように表情を翳らせていた。尤もイビルアイの場合は仮面をつけているため顔は見えないのだが、それでも身に纏っている空気はどんよりと重たく沈んでいた。

 

「今回は非常に世話になりました。陛下もあなた方に直接お礼を申し上げたかったそうですが……」

 

 レエブン侯が感謝の言葉と共に一歩前へと進み出ていく。

 和やかに言葉を交わし合う彼らの様子を眺めながら、ラキュースは先ほどのレエブン侯の言葉について思いを巡らせていた。

 王国王都を未曽有の危機から救ったモモンとレオナールの存在は、王都では既に誰もが知る英雄そのものとなっている。国王や多くの貴族たちが彼らに会いたいと思うのは当然のことであり、当初国王は礼を述べたいとして実際に玉座の間に彼らを招いていた。

 しかしモモンとレオナールはそれを拒否。

 一気に不快感をあらわに非難し始めた貴族たちに対し、彼らは『依頼を受けて、それを果たしただけであるため王直々に労ってもらう必要はない。もしそれでも労いたいと言うのであれば、今回の戦いに参加した者たち全員に対してもお願いしたい』と言い放ったのだった。

 これには貴族たちも黙るしかなく、この話を聞いた一部の冒険者や衛士たちは一層モモンたちを人格者として褒め称えたという。

 しかしラキュースはどうにもそれだけが理由ではないような気がしてならなかった。モモンがどういった意図で拒否したのかは分からないが、しかし少なくともレオナールはこれ以上国の上層部と関わりを持ちたくなかったから拒否したのではないかとラキュースは考えていた。

 カルネ村で初めて彼と出会った時、何故ワーカーになったのか、何故ガゼフに自分たちの存在を知られないようにしたのかを聞いたことがあった。

 その時、レオナールは何者からも縛られないためにワーカーの道を選んだのだと言った。そして、王国の上層部に目をつけられないために、ガゼフと接触しようとしなかったのだと口にしたのだ。

 何故彼がここまで頑なになっているのかは分からないが、それでも過去に何かがあったのかもしれないと想像することはできる。それを思えば、今このような状態になってしまったことにラキュースは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 今回の騒動を終息させるためにはレオナールの力は必要不可欠だった。恐らくモモンやナーベだけでは“御方”なる存在とヤルダバオトの両方を退散させることはできなかっただろう、とラキュースは確信している。しかしそれでも、自分が彼に助力を求めなければこのような状況にはならなかっただろうことも分かっていた。レオナールの存在はラキュースとラナーとガゼフだけが知り、国王や多くの貴族たちが知ることはなかったはずだ。王都を救うためには仕方がなかったとはいえ、それでもレオナールへの罪悪感は止まることなくラキュースの胸を締め付けさせた。

 

「――……王、及び第二王子、第三王女より連名で、モモン殿とネーグル殿に対する感謝の書状が届いております。それと王直轄領に関する通行税を一切免除するという証明板。更には王より短剣を頂いております」

 

 ラキュースが悶々と自身の感情を持て余す中、レエブン侯がモモンとレオナールに書状と証明板と短剣をそれぞれ手渡していく。中でも短剣がモモンとレオナールの手に渡された時には、ラキュースは思わず感嘆の息を小さく零していた。

 王国では、王が短剣を与えるという行為は貴族や騎士の中で目覚ましい戦果をあげた者に対する勲章的な意味合いを持っている。つまり、通常は平民……それも冒険者やワーカーといった存在であれば尚のこと与えられる物では決してなく、間違いなく感謝の書状や税免除の証明板よりも数十倍もの価値があると言えるだろう。しかし違う面から見れば、彼ら二人をどうにか手元に置けないかという王の思惑が透けて見えるようで、やはりラキュースはレオナールに対して申し訳なく思ってしまった。

 モモンとレオナールは王から短剣を与えられる意味を知らないのだろう、取り立てて心を動かした様子もなく、モモンは短剣をナーベに手渡し、レオナールは無造作に懐に収めている。

 モモンとレオナールはまるで気心の知れた友人同士のように顔を見合わせて頷き合うと、次には改めてラキュースたちに顔を向けてきた。

 

「では、そろそろ私たちは行くとしよう。レエブン侯、いろいろと感謝します」

「いえ、今後も良きお付き合いができるよう願っております」

「こちらこそよろしくお願いします。それと“蒼の薔薇”の皆さん、同じアダマンタイト級冒険者として連絡を密に取れればと思っております。また何かの時はよろしくお願いします」

「こちらこそ、モモンさん。私たちがモモンさんと同じ地位に並ぶ冒険者と称されるのは、モモンさんのお力を知った今では恥ずかしいのですが、足元に近づけるように努力していきたいと考えています。今後もよろしくお願いします」

 

 手を差し出すラキュースに、モモンも手を差し出して互いに握手を交わす。

 続いて身を翻すように踵を返すモモンと入れ替わるようにして、レオナールがラキュースの元へと歩み寄ってきた。

 

「アインドラさん、今回はいろいろとお世話になりました。また何かご縁があった時は仲良くして頂ければ嬉しいです」

「い、いえ、こちらこそ! そ、それよりも……この度は私がネーグルさんに助力を申し出てしまったがために、あなたの存在が王族や貴族の方たちに知られてしまって……、その、申し訳ありませんでした……」

 

 罪悪感に負けて頭を下げるラキュースに、レオナールは驚いたように金色の双眸を見開かせる。しかし頭を下げているラキュースにはそれが分かるはずもなく、ラキュースは嫌われてしまったかも知れないという恐怖に頭を下げ続けていた。

 焦燥が胸に湧き上がる中、不意にクスッという小さな笑い声が頭上から聞こえてくる。

 予想外の声に驚いて顔を上げれば、瞬間、目の前に飛び込んできたレオナールの柔らかな微笑にラキュースは思わず小さく息を呑んだ。

 

「まぁ、遅かれ早かれ王族や貴族の方々にも私の存在は知られてしまっていたことでしょうから、私は別に気にしてはいませんよ。それに、アインドラさんのお力になれたのなら何よりです」

 

 にっこりとした笑顔付きで言われた言葉に、一気にカァァッと熱が上ってくる。顔だけでなく全身が熱くなり、胸はドキドキと早鐘のように脈打って鼓動の音がレオナールにも聞こえてしまいそうだった。

 思わぬ状況にラキュースが内心でアタフタと慌てふためく中、不意に背後からレエブン侯が歩み寄ってきた。

 

「ネーグル殿にも改めて感謝を。ネーグル殿とも今後、良きお付き合いができることを願っております」

「ええ。こちらこそ、レエブン侯」

 

 レエブン侯にも代わらぬ笑みを浮かべ、レオナールは一つ頷いて彼と握手を交わす。

 しかし一瞬レオナールの金色の瞳に怪しい光が宿ったような気がして、ラキュースは無意識に心臓を跳ねさせた。慌てて目を凝らし、しかし改めて金色の瞳を見つめてみても既に危険な光は一切見てとれない。いつもの穏やかな瞳にしか見えず、ラキュースは見間違いだったのだろうかと思わず小さく首を傾げさせた。

 

「それでは私もそろそろお暇させてもらいましょうか。……よろしくお願いしますね」

 

 ラキュースの動揺も知らぬげに、レオナールはさっさと踵を返して後ろに控えている魔法詠唱者(マジックキャスター)たちへと声をかける。

 モモンとナーベを送り届ける役目を担っている魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは一つ頷くと、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を発動させてモモンとナーベとレオナールをそれに乗せた。

 彼らの行き先は、モモンとナーベが拠点としているエ・ランテル。

 徐々に高度を上げて浮上していくモモンたちに、ラキュースたちはただ静かに彼らを見上げて見送っていた。

 

(……次は、いつ会えるんだろう………。)

 

 不意に頭に浮かんできた言葉に、胸が切ないまでに軋みを上げる。

 ラキュースは胸に湧き上がってきた寂しさを誤魔化しながら、ただ一心に小さくなっていくレオナールの姿を見上げていた。

 彼らの姿が大分小さく遠くなった頃、不意にガガーランと言葉を交わしていたイビルアイが怒鳴り声にも似た絶叫を上げてくる。

 周りの仲間たちが楽しげな笑い声を零す中、ラキュースもまた笑みを浮かべながらもずっとレオナールが消えていく空を見つめ続けていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 一旦モモンガとナーベラルと共にエ・ランテルまで来たウルベルトは、そこでモモンガたちと別れて一度帝国に戻ることにした。

 モモンガとナーベラルの方も、周りの目を誤魔化すために一度“黄金の輝き亭”に行ってからナザリックに帰還するつもりらしい。

 一度情報と現状を整理するために全員で集まった方が良いだろうと言うモモンガの言に頷いて、ウルベルトは帝都に向かうべくわざわざ魔の闇子(ジャージーデビル)を呼び寄せてからエ・ランテルを出発したのだった。

 しかし、いくら移動速度が速いジャージーデビルと言えども、エ・ランテルから帝都まではそれなりに距離がある。

 ウルベルトが帝都に到着する頃には日付は一つ変わっており、太陽の位置も随分と傾いて空を朱金色に染め上げていた。

 徐々に闇に染まるだろう空を見上げながら、ウルベルトは一つ息をつく。

 ウルベルトはジャージーデビルに合図を送って歩かせると、何故かいつも以上に纏わりついてくる人混みを何とかかき分けながら“歌う林檎亭”へと向かった。

 

 

 

 

 

「「――……お帰りなさいませ」」

 

 “歌う林檎亭”の二階の奥の部屋。

 扉を開けた瞬間に頭を深々と下げて礼を取っているユリとニグンに出迎えられ、ウルベルトは内心で苦笑を浮かべながらも一つ大きく頷いた。

 取り敢えず頭を上げさせ、改めて室内に足を踏み入れて後ろ手に扉を閉める。

 ウルベルトは部屋の奥へと足を進めると、寝椅子(カウチ)へと歩み寄って勢いよくそれに腰掛けた。深く背を預け、一つ大きな息をついた後に改めてユリたちへと視線を向ける。

 

「留守番、ご苦労だったね。……それで、何か変わりはなかったかな?」

 

 ウルベルトがナザリックや王国王都にいる間、ユリとニグンには主に自分抜きでワーカーとしての仕事をこなしてもらっていた。彼女たちのレベルとこの世界の基準レベルを比較すれば問題など起きるはずもないだろうが、それでも念のため自分が留守にしていた間のことを報告させる。

 ユリを中心に報告される内容は案の定取り立てて問題のないものばかり。時折ソフィアの名前が出てくるものの、それもいつものことである。

 しかし最後に出てきた報告の内容に、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。

 

「………鮮血帝からの召喚要請、か……」

 

 眉間に皺を寄せ、細い顎に指をかけて思考を巡らせる。

 無言のまま思い悩むウルベルトに、ユリは静かに一つ頷いてきた。

 

「はい。王国王都での悪魔騒動について、ウルベルト様ご自身が騒動鎮圧に参加されたことも既に帝都中に知れ渡っております。その件について、是非話を聞きたいと……」

「そもそも何故帝都中に知れ渡っているんだ?」

「件の騒動に巻き込まれた人間の中に、帝都の商人も何人か混ざっていたようです。どうやら彼らが、帝都に戻った後に王都での騒動や英雄として騒がれているモモンガ様やウルベルト様のことを声高に語って聞かせているようです」

「………なるほど、な……」

 

 ユリの言葉に小さく頷きながら、ウルベルトは頭痛がするようで内心頭を抱えた。

 恐らくウルベルトがモモンガたちと共に王都で後処理作業を手伝っている間に、その商人たちが無事に帝都に戻って話を広めたのだろう。

 そういえば……と、帝都に戻ってきた際に纏わりついてきた人混みがいつも以上に多く濃かったことを思い出す。

 全く余計なことをしてくれると思わずにはいられなかった。

 

「如何いたしましょうか?」

「……面倒だが、無視するわけにもいかないだろう。日時の指定はあったか?」

「ウルベルト様が未だ王国王都から戻られていなかったため、日時の指定はございませんでした。改めてこちらから連絡するように言われております」

「……ほう……」

 

 何とも珍しい……とウルベルトは器用に片眉だけをクイッとつり上げた。

 ウルベルトの認識では、富裕層の人間は他者が自分の都合に合わせるのが当然だと考えていることが殆どだ。王族であれば尚のこと、その傾向は強いと考えて良いだろう。

 しかし鮮血帝はむしろ唯のワーカー風情であるウルベルトたちの都合に自分たちが合わせると言ってきているのだ。

 果たして鮮血帝の度量が大きいのか、はたまた何か企みがあるのか……。

 思わず考え込む中、こちらの返答を待っているユリに気が付いてウルベルトは無意識に俯かせていた顔を上げた。

 

「……恐らく早めの方が良いのだろうな…。では、三日後であれば予定は空いていると先方には伝えてくれ」

「はっ、畏まりました」

「それと、レイナースにも連絡を。フールーダ・パラダインに内密に会えるように手筈を整えるように命じろ」

「畏まりました」

 

 ウルベルトの命に、ユリとニグンが深々と頭を垂れる。続いて早速とばかりに行動を開始して部屋を出ていくユリとニグンを見送りながら、ウルベルトはフゥッと小さくため息をついた。寝椅子の背もたれに全体重を預けながら、数日前からずっと考えていたことを再び頭に浮かばせる。

 

「……う~ん、やっぱり俺だけだと限界があるよな~。本格的に組織化した方が良いのかもしれないな……」

 

 独り言のように小さく呟きながら、もう一度大きな息を吐き出す。最近ため息の数が増えたような気がして、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。

 ユグドラシルにいた頃はこんなことはなかったのに……とギルドメンバーたちのありがたみが身に染みて分かるようである。

 しかし弱音を吐く訳にもいかず、まずは自分の考えをモモンガやペロロンチーノにも話して相談しよう、とすぐさま頭を切り替えた。

 背もたれに凭れかけていた上半身を起こし、そのまま勢いよく立ち上がる。部屋に備え付けられている窓へと歩み寄ると、朱金色に染められている帝都の街並みを見つめた。

 ウルベルトの視界に広がる帝都の景色は、先日まで滞在していた王都の景色とは全く違う。隣同士の国であるのに何故こうも差が激しいのだろうか、と思わずにはいられないほどの差がそこにはあった。

 二つの都市を比較した場合、帝都は一言で言えば“近代的”であり、王都を一言で言えば“古めかしい”だった。

 街の整備一つとっても、王都は帝都に遠く及ばない。

 勿論何でもかんでも新しく綺麗にすればいいと言うわけではないが、それでも限度というものがあるだろう……と二つの都市を見てウルベルトは思わずにはいられなかった。人間というものは少なからず新しいものや綺麗なものや清潔感のあるものに惹かれる生き物だ。昔ながらのものを好む者も勿論少なからずいるだろうが、それでもどうしても新しいものへの興味や利便性を求めてしまうものである。

 少し街中を整備するだけでも、人が集まったり活気が出るのではないだろうか……と詮無いことを考えながら、ウルベルトは帝都の街並みを眺めながらユリとニグンが戻ってくるのを待つのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 太陽は完全に沈み、世界を覆う夜の闇が深まる頃……。

 バハルス帝国帝都アーウィンタールの中心に聳え立つ皇城の一室では、複数の人物が集まって顔を突き合わせていた。

 豪奢な寝椅子(カウチ)に一人寝そべっているのは鮮血帝と名高いバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 彼の両脇に控えるように立っているのは主席宮廷魔法使いのフールーダ・パラダインと秘書官であるロウネ・ヴァミリネン。

 テーブルを挟んで向かい合うようにソファに腰掛けているのは四騎士の四人組。

 国の中枢を担う面々が一堂に会していた。

 

「――……それで? “サバト・レガロ”から連絡があったんですか、陛下?」

 

 ジルクニフに問いかけたのは、ニヤリとした笑みを浮かべた四騎士の“雷光”バジウッド・ペシュメル。

 ジルクニフは少し呆れたような目をバジウッドに向けた後、ゆっくりと横たえていた身体を起こしながら一つ小さな息をついた。改めて寝椅子にゆったりと腰掛け、次には小さな苦笑にも似た笑みを浮かばせる。

 

「ああ、つい先ほどな。三日後ならば予定が空いていると連絡が来た」

「ほう、三日後ですか。割と早かったな」

「……私はむしろ、陛下を三日も待たせるとは思いませんでしたが」

 

 満足そうな笑みを浮かべて頷くバジウッドとは対照的に、ジルクニフの傍らに立つロウネが大きく顔を顰めさせて苦言を口にする。

 ジルクニフは顔だけでロウネを振り仰ぐと、苦笑の色を濃くさせて小さく頭を振った。

 

「……まぁ、彼らは別に私に仕えている訳でもなければ、帝国の民でもないからな。三日くらい大目に見てやってはどうだ?」

「いくら陛下に仕えている訳でも帝国の民でもないからとはいえ、一国の主に呼ばれたのならばすぐさま馳せ参じるのが当然だと思いますが」

「だがな~、相手はあの“サバト・レガロ”だぞ。今では超一流のワーカーとして名も売れてるし、依頼でも何でも引っ張りだこだろう。ワーカーは特に客との信頼関係が今後に影響してくるからな。そうそうスケジュールを調整するのも難しいだろうし、俺はむしろ三日でも十分早い対応だと思うがな」

「……………………」

 

 ジルクニフとバジウッドの言葉に、ロウネは不服そうな表情は崩さないものの口を噤んで黙り込む。一応は納得したのだろうと判断すると、ジルクニフは気を取り直してこの場にいる面々を改めて見やった。

 

「それで、だ……。私がお前たちをここに呼んだのは“サバト・レガロ”が皇城に来る日を知らせるためではない。そもそも彼らを呼ぶに至った原因に関してだ」

 

 真剣な表情を浮かべるジルクニフに、他の面々も居住まいを正して顔を引き締めさせる。

 誰もが次の言葉を待つ中、しかしジルクニフはバジウッドたちから視線を外すと、再びロウネへと視線を向けた。促すような視線に、ロウネも応えるように一つ礼を取る。一度深く頭を下げ、しかしすぐさま頭を上げると次には手に持っていた幾つかの書類に目を向けた。

 

「一週間ほど前、王国王都リ・エスティーゼにて大量の悪魔の軍勢による襲撃事件が起きました。王国王都に潜ませていた密偵からの報告によりますと、悪魔の軍勢の首魁は“ヤルダバオト”と名乗る悪魔と、そのヤルダバオトに“御方”と呼ばれる悪魔。王国は何とか悪魔の軍勢を退けたものの、少なくない損害が出たようです」

「……悪魔の軍勢が国を襲うだなんて今まで聞いたことがありませんが……。そもそも王国はどうやってその悪魔たちを退けたのですか? 城下では一人の冒険者と“サバト・レガロ”が関わっていたというような噂が流れていましたが……」

「王国は悪魔の軍勢を退かせるために、冒険者組合に救援の要請を出したそうです。冒険者組合はそれを受諾。王国王都に滞在していた全ての冒険者に招集をかけ、悪魔の軍勢にあたらせたとのことです」

「まぁ、普通に考えれば国の存亡の危機だしなぁ。冒険者組合も無下にはできんだろう」

「王国は帝国と違ってまともな兵士や騎士は少ないですからね……。とはいえ、規模がどの程度かは知りませんが、本当に冒険者たちだけで悪魔の軍勢を退けられたのですか?」

 

 バジウッドの言葉に頷きながらも、四騎士の一人であるニンブルが訝しげに顔を顰めさせる。どうにも納得しきれぬ表情に、ロウネも同意するように一つ頷いた。

 

「そう思われるのも尤もかと思います。実際、冒険者たちの力を持ってしても随分と苦戦を強いられたようです。しかし、二人の人物がヤルダバオトと“御方”なる存在を追い払ったことによって王国は難を逃れたようです」

「……その二人というのが……」

「一人は王国に存在するアダマンタイト級冒険者チームの一つ“漆黒”のリーダーである“漆黒の英雄”モモン。そしてもう一人が、ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルです」

「「「っ!!」」」

 

 ある程度予想はしていたのだろうが、やはり実際に言われると衝撃を受けてしまうのだろう。誰もが驚愕の表情を浮かべたり顔を厳めしく顰めさせる中、ジルクニフも更に顔を引き締めさせながら次にはロウネの逆隣に立っているフールーダへと視線を向けた。

 

「……爺、“ヤルダバオト”と“御方”という悪魔に聞き覚えや心当たりはあるか?」

「残念ながら、聞き覚えも心当たりもありませんな。文献なども漁っているのですが、これといった情報は見つかっておりません」

「そうか……」

 

 フールーダからの返答に、ジルクニフは思わず一つため息を零す。

 事は隣国で起こったことであり、こちらも警戒をしないわけにはいかない。

 しかし相手に対する情報が不足していては警戒レベルをどこまで引き上げればいいのかも分からないため、どうにも動き難い状態だった。

 

「……そもそも、何故レオナール・グラン・ネーグルは王国の王都へ? 確か他のメンバーは全員帝都にいた筈ですわよね?」

「それも含めて三日後に本人から聞くしかないだろうな。……悪魔どもの力の度合いや目的も聞ければいいのだが……」

 

 レイナースの疑問に、しかし答えられる者はこの場にはいない。加えて他に知りたいことに関しても、全てが明確になるとは限らなかった。

 悪魔たちの目的などはまだしも力の度合いとなれば本人の感覚によるところが大きい。であれば、レオナールとこちらの感覚がある程度合致していなければ情報を正確に把握することは難しかった。

 どうするべきか……と頭を悩ませながら、ジルクニフは一度気持ちを切り替えるために大きく鋭く息を吐き出した。

 

「とにかく、だ! “サバト・レガロ”との会談の際はお前たちにも出席してもらう。くれぐれもよろしく頼むぞ」

「「「はっ!!」」」

 

 ジルクニフの言葉に、この場にいる全員が深く頭を垂れる。

 ジルクニフも一つ頷くと、さらに詳細を練るために改めて口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に均等に浮かび上がる〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光。

 城の回廊に浮かぶ光と闇の羅列の中、フールーダは自室に戻るために一人足を進めていた。

 先ほどまで行われていた“サバト・レガロ”への対応についての話し合いは一時間ほどでお開きとなっていた。しかしフールーダだけはその後も皇帝の執務室に残り、悪魔や今後の王国の動きについてジルクニフと更に一時間ほど話し込んでいたのだった。

 フールーダはゆっくりと足を動かしながら、先ほどまでのジルクニフの様子や交わした言葉の内容を頭の中に蘇らせた。これまでの過去の記憶をも頭に思い浮かべ、次には小さく長い息を吐き出す。

 ジルクニフと言葉を交わす度にいつも思うことではあるのだが、彼は歴代の皇帝の中でも間違いなく一番頭が切れる人物だった。

 よくぞここまで成長したものだ、と歴代の皇帝の師を務めてきた身としては感慨深くも誇らしくも感じられる。

 しかしその一方で、日々成長できているジルクニフに対して嫉妬めいた感情もまた少なからず心の中に湧き上がってきていた。

 フールーダの願いは、魔法の深淵をこの目で見ること。魔法の境地を見つめ、感じ、そしてこの身で学ぶことである。

 しかしそのためには魔法の深淵についてフールーダに教え、また導いてくれる“師”という存在がどうしても必要不可欠だった。

 一体どこにいるのか、はたまたもはやこの世界にはそんな存在はいないのか……。

 渇望と絶望を綯い交ぜにしたような複雑な感情を抱きながら、フールーダはふと先ほど話していた内容を思い出した。

 王国王都を襲ったヤルダバオトと“御方”なる存在。そして、その二体の悪魔を退けたというモモンとレオナール。

 或いはこの四人のいずれかが自分の求める師となり得るのではないか……。

 モモンは戦士だという話であったため、考えられるとすればヤルダバオトか“御方”と呼ばれる存在かレオナールの三人のいずれかだろう。

 こんな事を実際に口走れば『レオナールは兎も角、悪魔に教えを乞うつもりか!?』と驚かれるかもしれないが、しかしフールーダにとってはそんなことは些細なことだった。

 例え相手が悪魔であろうと死神であろうと、願いが叶うのであれば構わない。何を犠牲にしてでも必ず叶えてみせるという覚悟という名の狂気が、フールーダの中でとぐろを巻いていた。

 

 

 

「――……パラダイン様……」

 

 不意に聞こえてきた自身を呼ぶ声。

 足を止めて振り返れば、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光から隠れるようにして闇の狭間に一人の女がポツリと佇んでいた。

 微かな光にも美しく輝く金色の髪と、右半分が隠れた白皙の美貌。

 見慣れた顔に、フールーダは内心では首を傾げながらも彼女に向き直った。

 

「これはロックブルズ殿。儂に何か御用ですかな?」

 

 レイナースがこんな時間にこんな場所にいることは珍しい。いや、それ以前に彼女がフールーダに声をかけてくること自体が珍しいと言えるだろう。

 一体何の用なのかと問いかけると、レイナースはチラッと視線を周りに走らせた後、再びフールーダへと鋭い視線を向けてきた。

 

「………少し、お話があります。……内密に……」

「……ほう……」

 

 意味深に声を潜めるレイナースに、こちらも小さく目を細めさせる。

 フールーダは少しの間レイナースを観察するように見つめると、徐に手を伸ばして彼女を自分の部屋へと誘いをかけた。無言のまま話を聞くという意思表示に、レイナースも無言のままフールーダの後に続く。

 静かな回廊に、二つ分の足音が微かに響く。

 コツ……コツ……と鳴る音がまるで何かのカウントダウンかのように時を刻み、二人の姿は闇の中へと呑み込まれていった。

 

 




帝国組のキャラの三人称が分からない~~……。
口調もいまいち捉えきれてないし……違和感などありましたら申し訳ありません……orz


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第49話 踏まれたステップ

………たいっへん、お待たせしましたっ!!
前回の更新から三か月くらい経ってしまうとは……(汗)
待って下さっていた方がいらっしゃたなら本当に申し訳ないです……orz


「――……それでは、定例報告会議を始めます」

 

 深夜0時のナザリック地下大墳墓第九階層の円卓の間。

 いつものように司会進行役のアルベドの声と共に始まった定例報告会議は、いつにない大人数で幕を開けた。

 ナザリック地下大墳墓の支配者にして至高の主であるモモンガとペロロンチーノとウルベルトの三人。第四階層守護者のガルガンチュアと第八階層守護者のヴィクティムを除いた全階層守護者五人と、守護者統括のアルベド。セバス率いる全プレアデスの六人。その他の枠組みとしてパンドラズ・アクターとニグン。何故かこの場にいる“五大最悪”の一人である特別情報収集官ニューロニスト・ペインキルと、同じく“五大最悪”の一人であり第二階層の領域守護者でもある恐怖公。最後に会議進行の補助として部屋の隅に控えている一般メイド五名を含めれば、総勢二十五名がこの場に集っていた。

 

「……まずは皆、先の王国王都での作戦ではご苦労だった。作戦は無事に成功したと言っていいだろう。……デミウルゴス、今回の作戦の結果をこの場にいる全員が分かるように報告しなさい。他の者も追加報告があればデミウルゴスの報告が終わった後に報告するように」

 

 モモンガの言葉に全員が一度傅いて頭を下げる。しかしすぐさま立ち上がると、まずはデミウルゴスが再び一礼した後に口を開いた。

 

「今回の作戦により、王国王都の倉庫区に収容されていた財は全て奪取。また、我々を撃退するために向かってきた人間の衛士や冒険者たちを何割か捕獲したことにより、情報源及び研究やアイテム作製の素材が確保できました。また、マーレとニューロニストと恐怖公の働きにより“六腕”以外の“八本指”を全て掌握。裏社会のトップ層の制圧が完了いたしました。今後ゆっくりと浸透させていけば、やがて王国の裏社会を完全に支配下に置けると思われます」

 

 スラスラと報告されていく内容にモモンガも冷静に頷いて返す。しかし内心ではダラダラと冷や汗を流していた。

 当たり前ではあるのだが、世界征服に向けて着々と進んでいる現状に今になって焦りにも似た不安と後悔が押し寄せてくる。最初にウルベルトに提案された時には納得して賛成したものの、本当にこれで良かったのだろうか……という疑問と不安が拭えなかった。とはいえ今更『やっぱりやめましょう』と言えるはずもなく、モモンガはデミウルゴスの言葉に耳を傾けながら、必死に湧き上がってくる不安に耐えていた。

 しかし心というものは厄介なもので、頭ほど簡単に納得などしてくれない。加えてニューロニストと恐怖公から“八本指”への拷問方法や現状況を報告され、思わずその光景を想像して気が遠くなってしまった。

 ペロロンチーノとウルベルトの反応が気になって両隣にチラッと視線を向ければ、どこか楽しそうな笑みを浮かべているウルベルトの姿が飛び込んできて思わず戦慄する。しかし一方で、自分と同じように身体を小さく強張らせて背中の翼を震わせているペロロンチーノに気が付くと、モモンガはどっと大きな安堵が胸に湧き上がってくるのを感じた。自分一人だけではなかったという事実がこんなにも安心するものだったとは……と内心遠い目になる。

 ある意味現実逃避をしているモモンガの様子に気が付いたのか、不意にアルベドがこちらを振り返ってきた。

 

「モモンガ様、ペロロンチーノ様、どうかされましたか?」

 

 不思議そうな表情を浮かべながらのアルベドの問いかけに、他のシモベたちも次々とモモンガとペロロンチーノへと目を向けてくる。

 モモンガとペロロンチーノは内心あわあわと慌てふためきながらも何とか平静を装い、互いにチラッと視線を交わしながら必死に大きくゆっくりと頭を振った。

 

「……いや、何でもない。何も気にする必要はないぞ、アルベド」

「そ、そうそう……。えっと、上手くいったようで良かったな~って思ってただけだよ。ねっ、モモンガさん……!」

「あ、ああ! ペロロンチーノさんの言う通りだ!」

 

 ペロロンチーノの言葉に頷き、必死にこの場を誤魔化そうと試みる。隣ではウルベルトが小さくふき出す中、アルベドたちは未だ不思議そうな表情を浮かべながらも何も言わずにただ静かに頭を下げてきた。何とか納得してくれたようで、思わず内心で安堵の息を吐き出す。隣で必死に笑い声を押し殺しているウルベルトを横目で睨みながら、それでいて話を続けるように手振りでアルベドたちを促した。

 シモベたちはモモンガの促しに従い、再び報告の続きを話し始める。

 捕獲した人間からの情報収集や“八本指”の現状況。ナザリックの被害や損失は皆無であったことも報告されていく。

 次々と出てくる報告内容に半ば感心する中、不意に飛び込んできた新たな報告内容にモモンガはピクッと骨の指を小さく反応させた。

 

「――……加えて、今回の件で王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフをこちら側に引き入れることにも成功しました。彼女の協力を得られれば、更に王国を手中に収められる時期を速めることができると思われます」

 

 デミウルゴスの口からもたらされた報告内容に、モモンガは王都で何度か会った王女の姿を思い浮かべた。純真無垢であどけなさすら感じられる美を誇る王女の柔らかな笑みを思い出し、思わず内心で感嘆の声を上げる。

 おっとりとしたような王女が実はデミウルゴスやアルベドに匹敵するほどの叡智を持っているなど、誰が想像できただろう。しかしこの情報は既に随分前にセバスが調べ上げて報告してきたものであり、恐らくそれもあってデミウルゴスは王女ラナーに接触したのだろう。魔術師組合の建物の一室でウルベルトを言い包めていた王女の姿を思い出し、彼女を引き入れることのできたデミウルゴスの手腕に感心させられる。

 思わず内心で何度も頷く中、不意に頭の中で回線が繋がったような感覚に襲われた。

 

『……なぁ、さっきの話をどう思う?』

『ウルベルトさん? さっきの話って……王女を引き入れたって話ですか? 俺は良いことだと思いますけど……』

『俺もそう思いますよ。ほら、セバスの話では、王女はすっごく頭が良いみたいですし、そんな子が仲間になってくれるのなら万々歳じゃないですか!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉にはペロロンチーノも繋がっているのだろう、モモンガの意見に賛同するペロロンチーノの声も頭の中に響いてくる。しかしウルベルトの反応はどうにも宜しくない。

 チラッと視線を向ければ山羊の顔の眉間部分に小さく皺が寄っており、モモンガは内心で大きく首を傾げた。

 

『どうしたんですか、ウルベルトさん? ウルベルトさんがデミウルゴスの判断に難色を示すなんて珍しいですね。俺はデミウルゴスの判断なら間違いないと思ってるんですけど……』

 

 ウルベルトは違うのだろうか……と問いを投げかける。

 ウルベルトは暫く無言のまま未だシモベたちに王女について説明しているデミウルゴスを見つめると、次には〈伝言(メッセージ)〉越しに大きなため息をついてきた。

 

『……確かにウチのデミウルゴスはすごいですよ。頭も良いし格好良いし複数の形態を持ってるし完璧だ! モモンガさんの言う通り、“デミウルゴスの判断なら間違いない”っていう言葉も、正にその通りだと思います』

『……え、あー、はい………』

『……あー…、それで……?』

 

 マシンガンのように話し始めるウルベルトにモモンガとペロロンチーノは思わず面食らう。しかし耳を傾けてみれば誰が聞いても親馬鹿丸出しの発言に、二人は少なからずガクッと肩を落とした。

 とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。

 恐らく長々と息子自慢が続くんだろうな~と思いながらも先を促すモモンガたちに、しかし彼らの予想に反してウルベルトから返ってきたのは真剣でいて意味深な言葉だった。

 

『ただな……、そんな完璧なあいつも一つだけ勘違いしていることがある……』

『っ!? えっ、あのデミウルゴスが勘違い……?』

『それって、どういう……』

 

 思わず固唾を呑んで問いかけるモモンガとペロロンチーノに、ウルベルトはチラッと金色の瞳をモモンガたちへと向けてきた。横長の瞳孔を持つ金色の瞳に不気味な光が宿ったような気がして、モモンガたちは思わず身構えるように身体を強張らせる。

 

『デミウルゴスの勘違い……、それは………俺たち三人が自分たちよりもすっごく頭が良くて万能だと信じきっているということだっ!!』

『『……………………』』

 

 声高に言い放つウルベルトに、しかしモモンガとペロロンチーノは思わず黙り込んだ。

 二人の心境としては『何を今更分かりきったことを……』である。

 しかしウルベルトはモモンガとペロロンチーノの反応など一切構わずに勢いよく話し続けた。

 

『良いか? セバスの報告によると、王女ラナーはデミウルゴスやアルベドと同等の叡智を持っているという。それはつまり、俺たちなんかよりもすっごく頭が良いってことだ』

『……それは、まぁ………』

『そうでしょうね……』

『なら何故、そんなある意味ヤバい奴をデミウルゴスは引き入れたんだと思う?』

 

 ウルベルトのいつにない低い声音に、一気に嫌な予感が湧き上がってくる。

 モモンガとペロロンチーノは互いをチラッと見交わして再びウルベルトに目を向けると、ペロロンチーノはゴクッと生唾を呑み込み、モモンガはグッと拳を握りしめた。

 

『それは……、少しでも優秀な力をナザリックに取り入れようとしたからじゃないですか?』

『そうそう、利用価値がある……とか………』

『……もちろん、それも大いにあるだろうさ。だがその大前提に、ラナーがもし何か妙な気を起こしてナザリックを裏切ろうとしたとしても、……そして例えばデミウルゴスやアルベドがそれに気が付かず見落としてしまったとしても、俺たち至高の御方がラナーの考えを見破れないはずがないから仲間に引き入れても大丈夫だろうっていう考えがあいつの中にはあるんだよ!!』

『『っ!!?』』

 

 瞬間、モモンガとペロロンチーノの背後にピシャーーンッと鋭く大きな稲妻が駆け抜けた。まるで全身が雷に撃たれたような衝撃を受ける。

 しかし大いに動揺しているモモンガとペロロンチーノに、ウルベルトは容赦なく言葉を続けてきた。

 

『……聞くが、デミウルゴスやアルベドを出し抜けるような奴を、俺たちがどうにかできると思うか?』

 

 不気味なほど静かなウルベルトの問いかけに、モモンガとペロロンチーノは再び互いに顔を見合わせた後、示し合わせたかのようにウルベルトへと目を戻した。二人から向けられる目に、ウルベルトもまた心得たように小さく頷いてくる。今の三人の心は完全に一つになっていた。

 

(((そんな事、出来るわけがないっ!!!)))

 

 確信をもって心の中で宣言するモモンガとペロロンチーノとウルベルト。

 自分たちの心を一つにしたと同時に、このままデミウルゴスたちに任せていたら大変なことになるという危機感を覚えた。

 

「モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、どうかされましたか……?」

 

 先ほどからどうにもモモンガたちの不審な様子が気になっていたアルベドがもう一度声をかけてくる。

 他のシモベたちも口を噤んでモモンガたちを見つめる中、三人は互いに視線を交わして小さく頷き合うと、まずはモモンガが口を開いた。

 

「……いや、見事だと思ってな。これで世界征服への道がまた一気に進んだと言えるだろう。良くやった、デミウルゴス」

「ありがとうございます、モモンガ様!!」

 

 モモンガの言葉に、デミウルゴスが嬉々とした笑みを浮かべて深々と頭を垂れてくる。あまりにも嬉しそうなその様子に、モモンガは思わずうっ……と声を喉に詰まらせた。この笑顔を消しかねないことをこれから言わねばならないのかと思うと一気に気が重くなる。しかし言わないわけにもいかず、モモンガは意を決して再び口を開いた。

 

「しかし、王女ラナーについては幾つか懸念すべき点がある」

 

 勇気を振り絞って言葉を口に出した瞬間、ビシッと一気にこの場の空気が大きく張り詰めた。デミウルゴスの表情が凍り付き、他のシモベたちは驚愕の表情を浮かべ、痛いほどの緊張感が部屋に立ち込める。

 一気に最悪な空気になったことにモモンガが内心で情けない悲鳴を上げる中、ペロロンチーノがフォローするようにアタフタと口を開いてきた。

 

「えぇっと! まずは一つ確認したいんだけど! デミウルゴスはラナー王女にどういう形で接触したのかな?」

「……セバス裏切りの報を受け、御方々と王都に赴いた折に接触を図りました。こちらの名は一切出しませんでしたが、王国を手中に収めるために協力するのであれば、彼女自身の願いを叶えるために我々も手を貸すと持ちかけました」

 

「……正に悪魔との契約だな……」

「願いを叶えるって……、王女様は何を願ったんだ?」

 

 デミウルゴスの説明にウルベルトがポツリと独り言を呟き、ペロロンチーノは首を傾げる。

 モモンガはセバスからの報告内容を頭の中に思い浮かべると、ふと一つの可能性に思い至った。

 

「……なるほど。王女が執心している護衛兵か……」

「はい、仰る通りでございます」

 

 モモンガが導き出した答えに、デミウルゴスは肯定の言葉と共に頭を下げた。

 セバスによって調べ上げられ報告された王女ラナーという人物は、誰からも愛されるような美貌と叡智と慈悲を併せ持った、正に“黄金”という呼び名に相応しい人物だった。また、王女は自身が拾った平民出身の少年を護衛兵として常に自身の傍に置いているのだという。

 美しく優しい王女と、その王女に拾われて彼女に仕えるようになる少年兵。

 下世話な勘繰りをする者は多くおり、“身分違いの恋”やら“分不相応な恋”等と噂する者も少なからずいるとかいないとか……。

 確かに王都で実際に見た王女と護衛兵の二人は非常に仲が良さそうで、互いの距離感も普通の主従よりも近いようにモモンガの目には見受けられた。あれでは噂されるのも仕方がないことだろう。また、もし本当に世間が噂するように王女と護衛兵が互いを想い合っているのだとすれば、王女の願いなどそれ以外には考えられないことだった。

 

「……は~、昔現実世界(リアル)で流行ったっていうラノベみたいだな~」

 

 気の抜けたようなペロロンチーノの感想に、モモンガも同意して内心で頷く。

 しかしウルベルトがクククッと低く喉を鳴らしていることに気が付いて、モモンガとペロロンチーノはほぼ同時にウルベルトへと目を向けた。

 

「どうやら、そんな生易しいものではないようだけれどねぇ……」

「それは……、一体どういうことだ……?」

 

 訝しげな声を上げるモモンガに、ウルベルトの笑みは一層不気味に歪められる。

 正に悪魔のような笑みにモモンガとペロロンチーノが内心で怯える中、ウルベルトはこれまで影の悪魔(シャドウデーモン)によって報告された王女ラナーに関する情報をモモンガたちに話して聞かせた。

 そのあまりの内容に、モモンガとペロロンチーノは思わず驚愕の色をそれぞれの顔に浮かべる。ウルベルトが話す内容はそれだけ衝撃的で、モモンガたちの常識とはかけ離れたものだった。

 王女が常に身に纏っている仮面。少年の心を繋ぎ止めるために形作られる表情や演じられる仕草。それだけであれば、まだモモンガたちも理解することはできただろう。想い人に振り向いてもらおうと必死なんだな~、と思うことができた。

 しかし少年に対する悪評や障害となるかもしれない人物に対して行われた行為やその末路は全く理解できず、また悲惨の一言に尽きた。中には少年に気があると噂があった一人のメイドがいつの間にか城から姿を消していたこともあったとなれば、もうドン引きである。加えて、今回王女が娼婦たちを皆殺しにした件についても、モモンガとペロロンチーノはもはや言葉もなかった。

 どう考えても異常者。

 絶対に分かりあえない人種だと判断せざるを得ない思考回路と行動である。

 

「………それは、また……、中々に狂気的だな」

「というか、いつの間に王女にもシャドウデーモンを潜ませていたんですか? そっちの方が俺的には驚きなんですけど」

「ああ、ガゼフ・ストロノーフが王女たちに接触した時に念のためにね。……それよりも今一番重要なのは、何が彼女を刺激してしまうのか我々では判断しかねるという点だ。我々の感覚で言えば、娼婦たちを殺す理由などまったくもって理解できない。そんな状態で彼女を懐に入れてしまえば、気が付けば彼女が敵に回っていたなどという事態にもなりかねないと思うのだよ」

 

 例えば異常者だとしても、ある程度その人物の思考回路を理解することが出来ればそれを想定して動くことは可能だろう。しかしラナーの場合はその思考回路を理解することすら難しい。

 第一他人の思考回路を理解して行動を予測するのでさえ、今までの自分の経験や聞いた情報や目にした知識などを元に推測するものだ。ただでさえ難易度が高いというのに、それが思考回路すら理解できない相手では難易度は更に一気に跳ね上がる。こちらが善意でした行動ですら裏切りの引き金になりかねないのなら、それはもういつ爆発するかも分からない爆弾を自ら抱え込むようなものである。

 

「彼女の一番の使い道は“捨て駒”だよ」

「「「……っ!!」」」

 

 ウルベルトのきっぱりとした言葉に、モモンガとペロロンチーノとデミウルゴスとアルベドは少なからず驚愕の表情を浮かべて息を呑んだ。他のシモベたちが不思議そうに四人を見るが、四人はそれに気がつく様子もなく困惑したような雰囲気を漂わせてウルベルトを見つめている。見つめられているウルベルトはと言えば、気にした様子もなく優雅に足を組んで長い顎鬚をクルクルと細長い人差し指で弄んでいた。

 

「……えっと、流石に捨て駒にするのはかわいそうじゃないですかね? 別に俺たちに何をしたわけでもないし、協力もしてくれるんだし」

「ほう、では君は彼女を完全に使いこなせるとでも? 私はそんな自信は微塵もないがねぇ」

「……うぐっ……」

「何を仰るのですか! いと尊き至高の御方々に支配できぬものなど……っ!!」

 

 ペロロンチーノが思わず小さな呻き声を上げる中、デミウルゴスが少し慌てた様子で焦りの色すら滲ませながら勢いよく言い募ってくる。しかしそれはウルベルトが軽く片手を挙げたことによって途中で切れて最後まで紡がれることはなかった。

 

「デミウルゴス、お前の気持ちは嬉しいが、私もモモンガさんもペロロンチーノもできないことは多くあるのだよ。……第一、もし我々が本当に万能ならば何故お前たちを創ったと思っているんだ? 自分たちにできないことがあるからこそ、それを少しでも助けてもらおうとお前たちを生み出したんだぞ」

「っ!! ……嗚呼、なんという……!」

「……ウルベルト様……!」

「何ト身ニ余ル御言葉……!!」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にシモベたちが歓喜の声を上げ始める。瞳を涙で潤ませ、頬を紅潮させ、蕩けたような満面の笑みを浮かべる様は、感動している……と言うよりかは恍惚としていると言った方が正しいかもしれない。とはいえ彼らがウルベルトの言葉に大いに心を動かしているのは間違いなく、彼らを傷つけるだけで終わらずに済んだことにモモンガは心の中で安堵の息を吐き出した。

 

「それに私もモモンガさんもペロロンチーノも実際に人間を傍に置いたこともなければ支配したこともない。お前たちが至高の存在だと尊んでくれている我々が、果たして下等生物である人間を完全に理解できると思うかね?」

 

 続けて発せられたウルベルトの言葉に、モモンガは傍で聞きながら思わず小さく首を傾げた。

 ウルベルトが何故そんな事を言い出したのか理解できなかった。

 恐らく何らかの思惑があるのだろうが、ウルベルトは一体何をしようとしているのか……。

 思わず頭の中に幾つもの疑問符を浮かべる中、不意にアルベドが納得したような表情を浮かべて何度も頷いてきた。

 

「……なるほど。確かに時として愚かな行動を起こすのが下等生物というもの。赤子の行動が時として予測できないのと同じように、こちらとあちらの思考や意識に差があればあるほど、逆に相手の行動に対して判断ができかねる場合もあるということですね」

「だが、相手は我々と同じほどの叡智があると思われる人間だ。至高の御方々には遠く及ばないまでも、我々くらいの頭があるのなら、普通の下等生物と同じように考えるべきではないのではないかね?」

「あら、それは違うわ、デミウルゴス。下等生物が愚かな行動を取る主な原因は、思考からではなく感情からのものが殆どよ。ならば彼女も人間である以上、どんなに頭が良かろうともその愚かさは普通の下等生物と何ら変わらない可能性の方が高いわ。逆に頭が回る分、普通の下等生物よりも厄介かもしれないわね」

 

 話についていけていないモモンガとペロロンチーノの目の前で、アルベドとデミウルゴスが何やら小難しいことを言い合っている。

 えっ、だからどういうこと……? と頭の中がグルグルと混乱する中、ただ一人思惑通りに話しを進めることに成功しているウルベルトだけが内心でニヤリとした笑みを浮かべていた。

 

「今回はアルベドの言い分の方が正しい。彼女の言う通り、王女ラナーが人間である以上、その思考を異形種である我々が完全に理解することは難しい。そして彼女を完全に御しきれる術がない以上、彼女を懐に入れる訳にはいかないのだよ」

「……………………」

「それにもう一つ、私には気がかりなことがあってねぇ……。……彼女は“黄金”と謳われるほどの美貌を持っている。そして、……これは当然のことではあるのだが、私は王女なんかよりもアルベドやシャルティアの方が好きだし、何より大切に思っている」

「「っ!!」」

「……?」

「ちょっとウルベルトさん、シャルティアに手を出す気ですか、許しませんよ」

 

 モモンガや他のシモベたちが疑問の表情を浮かべる中、アルベドとシャルティアは頬を紅潮させながら息を呑み、ペロロンチーノは大げさなまでに反応して文句を言い始める。

 しかしウルベルトはそれに一切構わずに椅子から立ち上がると、軽い足取りでアルベドとシャルティアの元まで歩み寄っていった。ちょいっちょいっと軽くアルベドとシャルティアを手招きし、近づいてきた二人の耳元へと上半身を屈めて口を寄せた。

 

「……“黄金”と名高い王女に、モモンガさんやペロロンチーノが心を寄せてしまう可能性を私は否定できない。君たちはそれでいいのかな?」

「「っ!!!」」

 

 モモンガとペロロンチーノには聞き取れないほどの小さな声。しかし耳元で囁かれたアルベドとシャルティアの耳にはバッチリと聞こえていて、二人は再び大きく息を呑んで目を見開かせた。今まで紅潮していた頬は一瞬で青白いものへと変わり、恍惚に潤んでいた瞳もギラギラとした剣呑なものへと変わっていく。

 可愛らしい乙女から夜叉般若のような形相へと一変した二人に、モモンガとペロロンチーノは訳が分からず驚愕し、ウルベルトはゆっくりと身を離して再び椅子に腰かけながら面白そうな笑い声を零した。

 

「………デミウルゴス、王女ラナーを招き入れることは却下よ」

「……えぇ、えぇ、アルベドの言う通りでありんす…」

 

 アルベドが腰の両翼をザワザワと逆立たせながら唸るように言い、シャルティアも深紅の瞳を爛々とギラつかせながらアルベドの言葉に同意する。

 いつにない二人の様子に、デミウルゴスは非常に戸惑いながらも渋い表情を浮かべた。

 

「し、しかし、彼女には十分な使い道が……!」

「勘違いしないで。私が言っているのは、彼女を我々の仲間として迎え入れることに関してよ。ウルベルト様が仰られていた“捨て駒”としては十分利用できると思うし、それに関しては私も賛成よ」

「私も、それに関しては賛成でありんす。至高の御方々のお役に立てることは、それだけで下等生物には過ぎた名誉。逆にそれ以上は、下等生物には過剰すぎて分不相応だと思いんす」

「それにこれはウルベルト様や至高の御方々のご意思。至高の御方々が“そうあるべき”と望まれている以上、それに沿うのが私たちの務めではないかしら?」

 

 小首を傾げながら淡い微笑と共に宣う様は非常に美しく、まるで女神の様な神々しさすら感じられる。尤も、同じ“シモベ”という立場であるこの場にいるモノたちには全くもって効果を発揮しないものではあるのだが、それでも妙な威圧感は十二分に感じ取れるものだった。何より“至高の御方々が望んでいる”という言葉は絶大な威力を発揮する。それまでは正直に言って“ニグン”や“ブレイン”という存在がいるため彼女たちの言にはあまり説得力がないものだったのだが、それも一気に霧散された。

 全ては至高の御方々の望む通りに……。

 それはナザリックの常識であり、何をも覆せぬ理だった。

 

 

「――……では、王女ラナーは“捨て駒”にするということで構わないね。だが彼女の立ち位置についてはこの場にいるモノ以外には伏せておこう。何がいつどういった形で彼女に伝わるかも分からないからね。他のモノたちには『王女ラナーを我々の仲間として迎え入れるつもりである』と伝えておいてくれたまえ」

「畏まりました」

 

 王女ラナーについて、とんとん拍子に話が進んでいく。

 ウルベルトとシモベたちのやり取りを呆然と見つめながら、モモンガとペロロンチーノは彼らの会話に声を挟むこともできなかった。

 心の中では『本当にそれでいいのか?』という気持ちはある。いくら制御できるか分からないからと言って、今現在何の害にもなっていない存在を、これから害になるかもしれないという不確かな可能性だけで捨て駒にして本当に良いのだろうか……。

 しかしそう思いながらも口を挟めていないのは、それが唯の綺麗ごとだとモモンガもペロロンチーノも分かっているからだ。

 いくら今は害にはなっていないからと言って、今後害になる可能性が少しでもあるものに対して何も対処しないのは馬鹿のすることだ。それも被害に遭うのは自分だけではない。大切な仲間も、そして何より自分たちの居場所であるナザリックにも関わってくるものならば尚更だ。

 デミウルゴスが彼女と接触していない段階だったならまだ良かったのだが、既に彼女と接触している以上今更そんなことを言ってもどうしようもないことだろう。

 彼女が自分たちの存在を知った以上、彼女に対して自分たちが取れる行動は四つ。

 一つ目は正式に仲間として引き入れるというもの。

 二つ目は今すぐ彼女を殺すというもの。

 三つ目は彼女の力を利用した後に自分たちに関する全ての記憶を消すというもの。

 そして最後の四つ目が、“捨て駒”として彼女を使い捨てるというもの。

 先ほどウルベルトが言ったように、彼女の異常な思考回路を理解できない以上一つ目の行動はリスクが大きすぎるため却下だ。かといって、二つ目のように何もせずに殺してしまっては、それはそれで勿体なさ過ぎる。ならば三つ目が一番無難で良いだろうとも思えたが、しかし相手が王女ラナーであることがどうにもネックになっていた。

 正直に言って、相手がラナーである以上油断などできない。彼女ならば自身の記憶と周りの状況などの微妙な差異でさえ気づきそうな気がした。また、自分が疑われたりすることも想定して、ありとあらゆる対策や罠を張り巡らせている可能性も十分に考えられる。そして非常に不甲斐ないことに、自分たちにはその対策や罠を想定するだけの頭を持ち合わせてはいなかった。

 ならばどちらがよりリスクを回避できる可能性があるかなど、誰の目から見ても明らかだろう。

 

『これは……もう、仕方ありませんね……』

『………うぅ、女の子を捨て駒にしなくちゃいけない日が来るとは思いませんでした……』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しに、ペロロンチーノの苦痛の声が聞こえてくる。

 世の全ての少女をこよなく愛する彼にとっては非常に受け入れ難いことであるようで、モモンガは内心でペロロンチーノに同情しながらそっと慰めの言葉をかけた。

 

『……まぁ、解決策が思いつかない以上、今は仕方がありませんよ。実際に彼女に手を下すまでにはまだ少し時間があるでしょうし、それまでに何か他の手段がないか考えてみましょう』

『そうですね……』

 

 〈伝言(メッセージ)〉の中で言葉を交わし、モモンガとペロロンチーノは互いに小さく頷き合う。

 それでいて話が一区切りしたことを確認すると、次の報告に移るためにモモンガはアルベドへと視線を向けた。先ほどまでおどろおどろしいオーラを醸し出していたアルベドもモモンガの視線に気が付き、すぐさま表情を元に戻して一礼してくる。

 アルベドの進行によってデミウルゴスの報告は終了し、次は法国と森妖精(エルフ)の王国について調べていたパンドラズ・アクターが前に進み出てきた。

 

「モモンガ様とウルベルト様の命に従い、今回はエルフ側を主に調査して参りました」

 

 普段と違い静かで真剣な声音と口調と共に始まった報告。

 内容は主にエルフたちを率いる“王”という存在に焦点を当てたものだった。

 パンドラズ・アクターの調べによると、そもそも法国とエルフたちが争うことになった理由は主に二つあるとのことだった。

 一つは、エルフの奴隷が法国から市場に出回っているというもの。そしてもう一つが、エルフの王が法国の重要人物だと思われる女を攫い、子を孕ませたというものだった。

 

「……えっ、それって……誘拐からの強姦ってやつ……? 駆け落ちとかじゃなくて?」

「恐らく前者の方であると思われます。また、孕まされた女は法国の手によって奪い返されたそうですが、エルフの王はその子供を取り戻したいと望んでいるようです」

「……えぇ~……」

 

 あまりの内容にペロロンチーノが思わずドン引いた声を上げる。しかしそれはモモンガも大いに頷けるものだった。

 最初の一つ目の理由だけだったなら大いに賛同できたのに……と思わずにはいられない。普通に『自分の国の民が奴隷にされているから』という理由であればこちらとしても納得できたのだ。だというのに、まさかそれに加えて痴情の縺れまで加わってくるとは誰が想像できただろう。

 王女ラナーに続いての中々ヘビーな内容に、モモンガは無いはずの胃がもたれてくる気がした。どうしてこうも癖の強すぎるろくでもない連中が王や王女をやっているんだ、と頭を抱えたくなる。

 

「……エルフの王がろくでもない男であることは分かった。しかし、何故女たちを率先して前線に出しているんだ? 女の方が男よりも強いのかな?」

 

 悶々としているモモンガの傍らで、ウルベルトがパンドラズ・アクターへと疑問を投げかけている。

 少しも動揺していないウルベルトの様子に、何故かモモンガはげんなりとさせられた。

 

「どうやらエルフの王は自身と同じかそれ以上に強い子供を作り出すことに、非常に強い執着を持っているようです。女たちを過酷な前線に送りこんでいるのは、危険度の高い戦線に置くことによって女たちの能力(レベル)を強制的に引き上げさせるため。そして、強くなった母体を使って優秀な子供を産ませようとしているようです」

「……なんだそれ……」

 

 低く地を這うような声がペロロンチーノの鋭い嘴から零れ出る。

 普段の彼からは滅多に聞くことのない声音に、モモンガは思わずペロロンチーノへと眼窩の灯りを向けた。

 隣に座るペロロンチーノは今までとは打って変わり、仮面の奥から覗く鋭い双眸で睨むようにパンドラズ・アクターを見つめている。剣呑とした雰囲気がペロロンチーノから発せられ、彼がひどく不機嫌になったことが窺えた。

 刺々しい空気を撒き散らすペロロンチーノに、モモンガは落ち着かせるように彼の羽毛に覆われている肩を軽く叩いた。

 

「ペロロンチーノさん、落ち着け。ペロロンチーノさんが不機嫌になっても仕方がないだろう」

「それは……、分かっていますけど……。そもそも、世の全ての女性は愛でられるために存在しているんですよ。強制的に危険な場所に送るどころか、子作りの道具にするとか論外です!」

 

 興奮冷めやらぬ様子で勢いよく捲し立てるペロロンチーノに、モモンガは思わず少しだけ気圧される。

 しかしすぐさま気を取り直すと、眼窩の紅蓮の灯りを真っ直ぐにペロロンチーノへと向けながら小さく頭を振った。

 

「とにかく落ち着け。今は報告を全て聞く方が先だ」

「………ぅ゛ぅ゛……」

 

 ペロロンチーノも今何を一番にしなくてはならないのかは分かっているのだろう。嘴の奥で低い唸り声を鳴らしながらも黙り込んだのを確認すると、モモンガはペロロンチーノからパンドラズ・アクターへと視線を移した。

 

「……それで、エルフの王の思惑はうまくいっているのか?」

「申しわけありません、未だそこまでは……。しかし戦況はエルフ側が苦しい様子。どちらにせよ、このままであればエルフたちが生き残るのは難しいかと思われます」

「なるほど、猶予はあまりないか……」

 

 大きく頷いて肯定するパンドラズ・アクターに、モモンガは骨の指を顎に添えてどうすべきか考え込んだ。

 これまでの情報や認識、そして今聞いた報告内容から考えれば、エルフも法国も好意的に見ることは論外だ。法国はペロロンチーノとシャルティアに手を出した時点で徹底的に潰すことが決まっており、エルフたちに関してはペロロンチーノの好感度がマイナス値にまで下がってしまっている。自分たちやナザリックを存続させるために絶対に必要なのであれば仕方がないが、そうでもない限りはどちらとも友好的な関係を築くことは不可能だった。

 しかし、エルフ側に関してはまだ関係性を築ける可能性が少しばかり残されている。

 エルフ側でペロロンチーノの不興を買っているのは、あくまでもエルフの王のみ。つまり、エルフの王さえ取り除き、他のエルフたちがまともであれば、まだ友好的な関係を築ける可能性があった。

 

「……ふむ、では我々が取れる行動としては三つかな? 一つ目はエルフたちを利用して法国を潰す方法。二つ目は法国がエルフたちに集中している隙に背後から襲撃して法国を潰す方法。三つ目は相争っている法国とエルフたちを丸々包囲してどちらも一気に潰す方法。……ニグン、三つ目の方法はうまくいくと思うかね?」

 

 まるでお茶に誘うような気軽さで質問するウルベルトに、今まで黙って会議の進行を見守っていたニグンが小さく難しそうな表情を浮かべてきた。

 

「恐れながら少々難しいかと思われます。エルフ側は苦戦を強いられていることもあり戦場に全戦力を投入している可能性が高いですが、法国は神都にある程度の戦力を残しているはず。それらを含めて全て包囲することは難しいでしょうし、リスクが高いかと思われます」

「やはりそうか……。ナザリックの全戦力を投入すれば不可能ではないだろうが、ナザリックを無防備にするなど論外だしなぁ~」

「こちらの被害が最も少なく済む方法は、やはり一つ目の方法ではないか? パンドラズ・アクター、ニグン、もしエルフ側に加担した場合、どの程度の支援であればエルフたちは法国に勝てる?」

 

 続いて投げかけられたモモンガからの問いかけに、パンドラズ・アクターとニグンは互いに顔を見合わせた。無言のまま暫く互いに見つめ合い、次にはほぼ同時にモモンガへと視線を戻してきた。

 

「……それは、私には分かりかねます。漆黒聖典や陽光聖典が消滅したとはいえ、他の聖典は未だ健在。また、法国には未だ強力な武具が存在するはずです。或いは私にも知らされていない戦力もあるかもしれません。全容が分かっていない状態では、一概にはお答えはできかねます」

「………ふむ……」

 

 ニグンからのあたりまえの返答に、モモンガは思わず小さな唸り声を零す。

 パンドラズ・アクターも無言でいるということは、彼もニグンと全く同じ考えだということだろう。

 

「……やはり、法国をもっと探らなければどうしようもないか。……パンドラズ・アクター、王以外のエルフたちはどういった者たちだ? エルフたちは自分たちの王の考えに賛同しているのか?」

「王の考えに賛同している者は殆どいないかと。ただ、反抗しようにも王と他のエルフたちとの力の差は歴然であるようで、渋々従っているようです」

「ふむ、恐怖政治といったところか……」

「う~ん、どうにもその王様が邪魔ですよね~。女性を道具扱いするのも気に入らないですし、何より接触したらこちらの女性陣によからぬ目を向けてきそうですし」

 

 怒りと不満を綯い交ぜにしたような声音でこの場にいる女性陣……アルベドとシャルティアとアウラとプレアデスたちを見やるペロロンチーノに、モモンガも同意して小さく頷いた。

 彼の言う通り、エルフの王が強い母体を望んでおり、もし種族も問わないのであれば十中八九ナザリックの女性陣をよからぬ目で見てくることだろう。大切な仲間たちが残した大切な子供たちにそんな目を向けられるというのは、想像するだけで腹立たしいものだった。

 

「――モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、それではこのような作戦は如何でしょうか?」

 

 不愉快な感情が胸の中で渦を巻いている中、不意にパンドラズ・アクターに声をかけられて反射的にそちらに意識を向ける。

 パンドラズ・アクターは三人の支配者の目の前で一度大仰に一礼すると、そのままの姿勢でエルフの国と法国攻略の作戦を朗々と語り始めた。

 真面目な態度を取り過ぎて限界だったのか、時折大袈裟な身振り手振りやポーズを挟みながら説明されていく作戦。それは鬱陶しいほどの動きに反して、とても理にかなった無駄のない作戦内容だった。これならば考えられるリスクは抑えられ、聞けば聞くほどこれ以上の作戦はないだろうと思えてくる。

 モモンガは一度ペロロンチーノとウルベルトへと視線を向けると、二人が頷いたのを確認した後に改めてパンドラズ・アクターへと視線を戻した。

 

「……良いだろう。その作戦で行くとしよう」

「はっ、ありがとうございますっ!!」

「では、総指揮は約束通りペロロンチーノさんに任せよう。パンドラズ・アクターはその補佐に回れ。ペロロンチーノさん、それで構わないか?」

「はい。ありがとうございます、モモンガさん」

Wenn es(我が神の) meines Gottes Wille(望みとあらば)

「相手はエルフと法国だ。念のため、ある程度の戦力は揃えていた方が良いだろうな……。シャルティア、アウラ、お前たちもペロロンチーノの補佐と護衛をしてあげたまえ。それと、ニグン。お前もペロロンチーノと行動を共にしろ。法国の人間であったお前がいた方がスムーズに事が進むだろう」

「畏まりんした」

「畏まりました」

「はっ、畏まりました」

 

 モモンガに続いてウルベルトもシモベたちに命を発し、瞬く間に人選が決まっていく。

 エルフの王国及び法国について、ナザリックが本格的に動くことがついに決定した。

 新たな大きな動きに、自然とこの場にいるモノたちの感情が高揚していく。

 異様なまでの熱気がこもる中、会議は次の報告や議題へと移っていった。

 次々と報告されていく新たな情報や、進言されていく議題。しかしそれらについては大きな問題もなく対策や方針が決定され、会議は滞りなく進んでいった。

 

「……これである程度はまとまったか……。他に何か報告したいモノはいるか?」

 

 この頃になると守護者たちも大分自分の考えや意見を述べるようになっており、気が付けば相当な時間が経過している。

 何もなければこれで終わろうと思っていたモモンガの横で、不意にウルベルトが小さな声を上げてきた。

 

「……あっ、じゃあ最後に一つだけ。今までは私が主導でシャドウデーモンたちをいろんなところに潜ませて情報などを探っていたのだけれど、そろそろ一人では限界になってきてねぇ……。正式に仕組みや部署を作りたいと思うのだけれど、構わないかな?」

「正式な部署というと……、つまり密偵機関とか、そういう組織を作りたいってことですか?」

「まぁ、そうだね。簡単に言えば密偵たちへの命令や管理、情報整理などを組織化してやった方が良いと思うのだよ」

「なるほど、確かにその通りだな……」

 

 ウルベルトの提案に、モモンガは納得して一つ頷いた。

 確かに言われてみれば、裏での情報収集はウルベルトに任せきりだったことに思い至る。

 例え彼が勝手にしていたことだったとはいえ、それに十分助けられていたのは確かなのだ。必要性は十分にあるだろう。

 

「私に異存はない。ペロロンチーノさんはどうだ?」

「俺もありませんよ」

 

 一応ペロロンチーノにも確認すれば、ペロロンチーノは明るい声音で賛同しながら頷いてくる。モモンガもそれに応えるように頷き返すと、改めて密偵活動の組織化について話し合い始めた。

 ウルベルトの意見を主軸にし、そこからモモンガ自身やペロロンチーノ、そしてシモベたちの意見も取り入れて肉付けをしていく。

 そして話し合いを始めて十数分後には、大体の人選や仕組みについて一つの組織が形作られた。

 総指揮はアルベド。そして彼女の下にエントマと恐怖公が補佐としてつく。主に密偵として働くのはシャドウデーモンや隠密行動に優れた蟲系のシモベたち、そして恐怖公が召喚する蟲たちである。彼らは持ち帰った情報をエントマや恐怖公に報告し、それをエントマと恐怖公が報告書にまとめてアルベドに報告するという形に決定した。

 緊急時などの最終決定権はウルベルトが持つことにはなったものの、それでもこういった組織化をしたことにより、これまでのウルベルトの負担は一気に軽減することだろう。

 

「よし、これで決まりだな。私が今配置しているシャドウデーモンたちについては後で改めて教えよう。また後で私の部屋に来てくれ」

「はい、よろしくお願い致します、ウルベルト様」

 

 ウルベルトの言葉に、アルベドが腰を折って恭しく頭を下げる。ウルベルトもそれに一つ頷くと、次にはアルベドからモモンガへと視線を移した。無言のまま先を促すように見つめられ、モモンガも一つ頷きを返す。改めてこの場にいるシモベたち全員を見回すと、誰にも気づかれないように小さく息を吐き出して、至高の主に相応しく見えるように大きく胸を張った。

 

「それでは、此度の会議は終了とする。解散!」

 

 モモンガの号令に、この場にいる全てのシモベが傅き深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れだって円卓の間を退室した守護者たちは、扉が完全に閉まったのを確認してからふぅっと一つ息を吐き出した。

 深く大きく吐き出されたそれは、疲労からくるものでは決してない。どちらかというと身体の中にこもった興奮からくる熱を吐き出すようなそれだった。

 

「……はぁ~、今回の定例報告会議もすごかったね。流石は至高の御方々! もう私、興奮しっぱなしだったよぉ~」

「確カニ。コノ世界ヲ支配スルタメノ土台ハ着々ト整ッテキテイル。コレホドマデノ道筋ヲ全テ計算シ導カレルトハ、流石ハ至高ノ御方々デアルト言ウ他アルマイ」

「ふふっ、甘いでありんすね~、コキュートス。こんな事、至高の御方々が描かれている道筋のほんの一部でしかないでありんしょう」

「そ、そうですよね。や、やっぱり、僕たちじゃあ考え付かないような、ものすごいことを考えていらっしゃるんですよね!!」

 

 円卓の間の扉の目の前で守護者たちは興奮冷めやらぬ様子でキラキラと目を輝かせながら言葉を交わす。

 しかし、いつもであればすぐにでも話の輪に入ってくる二つの声がいつまで経っても聞こえてこない。

 それに最初に気が付いたアウラが怪訝に眉を潜めながら視線を巡らせれば、どこか浮かない表情を浮かべた朱色の悪魔と、何事かを考え込んでいる純白の淫魔(サキュバス)がそれぞれ輪に加わらずに突っ立っていた。

 

「……どうしたの、デミウルゴス、アルベド?」

 

 アウラの問いかけの声に、他の守護者たちもデミウルゴスとアルベドの様子に気が付いて口の動きを止める。

 誰もが訝しげな視線で見つめる中、見つめられている側のデミウルゴスとアルベドは浮かない表情のままアウラたちへと視線を向けてきた。

 

「……いえ、何かがあったわけではないのだけれど……。実は、そろそろ大々的に動くべきではないかと至高の御方々に進言しようと考えていたの。でも、エルフと法国に対して、御方々は秘密裏に動くことを選ばれた。私は早計過ぎたのか、と少し考え込んでしまったのよ」

「……ふむ、早計過ぎる訳ではないとは思いますがね。今回のセバスが起こした騒動により、至高の御方々も秘密裏に動き過ぎる欠点には気づかれたはず。それでもなお秘密裏に動くことを重要視されたのは、恐らく法国を警戒してのことでしょう。特にモモンガ様はリスクを嫌う御方ですから」

「そう、ね……。モモンガ様は本当に慈悲深い御方。わたくしとしては、至高の御方々のためなら多少のリスクは覚悟の上なのだけれど……」

 

 独り言のように呟くアルベドは、どこか不満そうな言葉の羅列に反して少し嬉しそうな笑みを浮かべている。

 シモベとして口惜しいという気持ちはあるものの、やはり崇拝する主に大切に思われていることが嬉しいのだろう。他の守護者たちもアルベドの気持ちに賛同するようにどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら頷いている。

 

「そうだよね~。少しでも至高の御方々のお役に立てるように頑張らないと! ……そういえば、デミウルゴスも同じ事で悩んでたの?」

 

 拳を握りしめながら決意を新たにしていたアウラが、続いてデミウルゴスへと矛先を向ける。

 話を振られた悪魔はピクッと小さく銀の尾の先を反応させると、次には彼にしては珍しく力ない苦笑をその表情に浮かべた。

 

「……いや、そうではないよ。私は……自分の愚かさを痛感させられてしまったからね。反省していたのだよ」

「反省? でも、今回デミウルゴスは褒められてたじゃない」

 

 何を反省する必要があるのかと首を傾げるアウラに、デミウルゴスは顔に浮かべている苦い笑みを深めた。一度ゆるゆると首を振り、次にはため息にも似た息を小さく吐き出す。

 

「私が言っているのは王女ラナーの件だよ。彼女に初めて接触した時、私は彼女の影にシャドウデーモンが潜んでいることをすぐに感知した。……そしてそれがウルベルト様の成されたことだともね」

 

 デミウルゴスは最上位悪魔(アーチデビル)であるため、ある一定の範囲内に悪魔がいればその存在を感知することが出来る。

 王女ラナーの影にシャドウデーモンが潜んでいると感知した時、デミウルゴスが感じたのは身が震えるほどの歓喜だった。

 

「私は先ほどまでずっと、ウルベルト様が彼女の影にシャドウデーモンを潜ませていたのは彼女を引き入れるためなのだと思っていた。つまり、私はウルベルト様の叡智に少しでも近づけたのだと歓喜したんだ。……それが全く逆の意味だったのだとは気が付かずにね……」

 

 王女に接触した当初、シャドウデーモンの存在からウルベルトも彼女を引き入れるつもりなのだと思っていた。

 御方も自分と同じ考えなのだと。

 自分は御方の考えに思い至ることが出来たのだと……。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 ウルベルトはラナーを引き入れるつもりなど欠片もなく、逆に警戒と思慮からシャドウデーモンをその影に潜ませていたのだ。

 それに思い至らなかったどころか愚かな勘違いをしていた自分自身が、とてつもなく恥ずかしかった。

 

「……まだまだ御方々の足元にも及ばないと痛感したよ」

 

 苦笑と共に言葉を紡ぐ悪魔に、それを聞いていた守護者たちの反応は様々だった。

 コキュートスは何事かを考え込んでいるようで真剣な表情で黙り込み、マーレは不思議そうなキョトンした表情を浮かべ、アウラはデミウルゴスと同じような苦笑を浮かべ、シャルティアは誇らしげに胸を張ってニマニマと表情を崩している。そして守護者統括であるアルベドは、そんな守護者たちの様子を見つめながら柔らかな笑みをその美しい顔に浮かべていた。

 

「そうね、御方々は正に人智を超えた叡智と力を併せ持った至高なる存在。わたくしたちは御方々の足元に平伏し、御方々の言葉に従ってこの身も命も捧げるのが全て。そのためにも、もっとお役に立てるように努めなくてはね」

 

 アルベドの言葉に、守護者たちは全員が当然のように頷く。

 全ては至高の御方々のために……。

 忠実なシモベたちは決意を胸に、自分たちの役目を果たすためにそれぞれの方向へと靴先を向けて歩き出した。

 

 



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幕間 世界春模様

明けまして、おめでとうございます!
今年も当小説を宜しくお願い致します(深々)

今回はPixiv版と少々文章が違う部分があります。
気になる方はPixiv版も見てみて頂ければと思います。


 心地よい風と暖かな日差し。サワサワと奏でられる葉の音はひどく心を落ち着かせ、遠く聞こえてくる子供たちの笑い声は温かな感情を胸に湧き上がらせてくる。

 自身の本体である木の幹に背を預けながら、ピニスン・ポール・ペルリアは目の前の光景をのんびりと眺めていた。

 ここは人間の村の外れ。

 確かカルネ村といったか……。

 どこまでも和やかな村の景色を眺めながら、ピニスンはこの村に連れてこられた時のことを思い出していた。

 ピニスンは元々トブの大森林の奥地で生きていた木の妖精(ドライアード)である。

 しかし数か月前に世界を滅ぼすほどの力を持った魔樹が目覚め、そこで近頃森で噂になっていた黄金色の鳥人(バードマン)とその一行に出会ったのだ。バードマンたちはあろうことかあの恐ろしい魔樹をいとも容易く倒してしまい、恐れ戦くピニスンの目の前にやってきて一つの提案をもちかけてきた。

 曰く『折角だから、もっと安全で平和な場所に一緒に行かないか?』と……。

 恐怖に震えるピニスンがその“提案”を拒否できるはずもなく、ピニスンは言われるがままに頷いてこの村まで連れてこられたのだった。

 今では何故か村を見守る存在として村人たちから崇められている。本体の木の根元に供え物を置かれたり頭を下げられる度に、ピニスンは複雑な心境そのままに人間たちを見下ろしていた。

 

 

 

「――………ピニちゃーーんっ!!」

 

 これまでのことを何とはなしにつらつらと思い返している中、不意に自分の名を呼ぶ幼い声が聞こえてきた。

 思考を中断して声のした方を振り返れば、満面の笑みを浮かべながらこちらに駆けてくる少女の姿が目に飛び込んできた。

 

「ピニちゃん、おはよう!」

「……おはよう。ネムは今日も元気だね」

「うん、元気だよ!」

 

 木の根元まで駆けてきたのは人間の幼い少女ネム。

 屈託のない笑みを浮かべながら大きく頷いてくる少女に、ピニスンは何やら毒気を抜かれたような気分になって小さな苦笑を浮かべた。

 

「こら、ネム! 一人で走っていったら危ないでしょう!」

 

 ネムに再び声をかけようと口を開きかけたその時、更に聞こえてきた新たな声。

 反射的にそちらに視線を向ければ、少し離れた場所にネムの姉であるエンリが肩を怒らせて立っていた。

 エンリは怒ったような表情を浮かべながら、ズンズンとこちらに歩み寄ってくる。しかし当の怒られている側のネムはと言えば、『きゃーー!』と明るい声を上げながらピニスンの本体の木の反対側へと逃げるように駆けこんできた。ざらざらとした木肌に両手をつき、ひょこっと顔だけを覗かせてエンリを見上げる。

 

「ピニちゃんのところだから大丈夫だもん」

「それでもです! それにピニちゃんなんて軽々しく呼ばないの! ピニスンさんはペロロンチーノ様が連れてきて下さった村の守護者様なんだから」

 

 エンリは腰に両手をあててネムを叱ると、次には申し訳なさそうな表情を浮かべてピニスンを見つめてきた。

 

「申し訳ありません、ピニスンさん」

「………いや、別に構わないよ。逆にそんなに畏まられる方が居心地悪いし……。むしろネムくらい気軽な方が私としては良いんだけど……」

「そんな、滅相もないです! ピニスンさんってお呼びするだけでも精一杯なんですよ!」

 

 エンリは大きな拒否の声と共に勢い良く首を横に振ってくる。断固拒否な態度に、ピニスンは心の中で深々と大きなため息を吐き出した。

 どうしてこんなことになったのか……と頭痛がしてくる。同時に、自分をここに連れてきたペロロンチーノに対してふつふつと怒りが込み上げてきた。

 それもこれも全てペロロンチーノが悪いのだ……と内心で悪態をつく。

 この村は以前ペロロンチーノが救った村であるらしく、今も何かと手を貸したりして保護しているらしい。村人たちもペロロンチーノのことを非常に慕っており、それもあってペロロンチーノに連れてこられた自分のことを村人たちは守り神か何かのように思っているようだった。

 本当はそんな力などないというのに……。

 はぁぁっと大きなため息をつき、そこでふとそのペロロンチーノを最近見かけないことに気が付いた。ピニスンとしては大変良いことなのだが、村人たちの中でも特に目の前の少女たち二人はペロロンチーノに対して非常に好意的であったはずだ。果たして今の状況をどんな風に思っているのかと不意に気になった。

 

「……そういえば、最近見ないよね~」

「……? 何をですか?」

「何をって、ほら……。私をこの村に連れてきた御方様(・・・)だよ」

 

 少し皮肉が混ざったようなピニスンの言葉に、エンリとネムがキョトンとした表情を浮かべる。流石姉妹と言うべきか、その表情は二人ともがよく似ていた。しかし次に浮かべた表情は、それぞれ全く違うものだった。

 ネムはしゅんっと顔を俯かせて泣きそうな顔になり、エンリは気落ちしたように眉を八の字にしながらも寂しげな笑みを浮かべた。

 

「……それは……、仕方ありませんよ……。ペロロンチーノ様はお忙しい方ですから」

「………ふぇ……、ペロロンチーノさま……」

 

 エンリの言葉に、ネムが更に顔を歪ませる。しまいにはグスッと鼻を鳴らし始めるのに、エンリは苦笑を深めて身を屈めると、優しい手つきでネムの頭を撫で始めた。

 非常に仲睦まじい姉妹の様子を見つめながら、ピニスンは思わず小さく首を傾げた。

 

「……なんていうか……、本当にあいつ……じゃなくて、あの方が好きなんだね~……」

「っ!! す、好きっ!? え、いや、あの、その……すすす好きというか! なんというか!!」

「うん、ペロロンチーノ様のこと大好きだよ!!」

 

 ピニスンの言葉に顔を真っ赤にして過剰に反応するエンリと、悲しみに歪めていた顔を満面の笑みに変えて大きく頷いてくるネム。

 対照的な姉妹の反応に、ピニスンは更に首を大きく傾げさせた。

 あんな恐ろしい存在に好意を寄せるなど信じられない……、と思わず顔を顰めそうになる。それもネムの方はまだ普通の親愛による好意なのだろうが、エンリの方は恐らく恋やら愛と呼ばれるものに近いものだろう。しかし、いくら助けられた過去を持つとはいえ、エンリとペロロンチーノは種族すら違うのだ。強い雄に惹かれる雌の性は理解できるものの、本能よりも理性が強い人間であるエンリがペロロンチーノにここまで惹かれることがピニスンには今一理解できなかった。

 

「ピニちゃんはペロロンチーノ様のこと好きじゃないの?」

「好き……と言うよりも恐ろしいわね」

「おそろしい? 怖いの? ペロロンチーノ様、優しいよ?」

「確かにあなたたちにとってはそうかもね。私も、別に怖い思いをさせられたわけじゃないし、恩人であることには変わりないんだけど……。あの方はすっごく強い存在だから、本能的な恐怖があるんだよ」

「……?」

 

 ピニスンの言いたいことが理解できないのか、ネムとエンリは不思議そうな表情を浮かべて首を傾げてくる。しかしピニスンはこれ以上言葉を続けることはしなかった。ペロロンチーノがこの姉妹に恐ろしい部分を見せるとは思えないし、そうしない限りどんなに自分が説明したとしても二人が理解できるとは思えなかった。

 そのため、ピニスンはさっさと話題を戻すことにした。

 

「……まぁ、私のことは置いといて。それよりも私から一つ忠告。あまりあの方に傾倒しない方が良いわよ。特にエンリ!」

「……?」

「っ!! わ、私は別にペロロンチーノ様に傾倒なんて……!」

「もし違うっていうのなら別にいいけど。それなら、これからそうならないように気を付けなさい。番は同じ種族で作るのが一番よ」

「つ、番っ!? ピニスンさん、言い方! その言い方は止めて下さいっ!!」

 

 顔を真っ赤にして慌てふためくエンリに、ピニスンはもう手遅れかな~……と思いながらじっと少女の顔を見つめた。

 少女の表情はピニスンの目からは恋する乙女のように見えて、部外者がどんなに言っても仕方がないところまできてしまっているように思えた。

 

(………う~ん、やっぱり私には理解できないわ……。)

 

 強大な力を持った黄金色のバードマンの姿を思い出しながら、ピニスンはブルッと身体を震わせた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ところ変わって、ここはリ・エスティーゼ王国王都に存在する高級宿屋。

 限られた者たちしか利用できないその宿屋の一室にて、二人の少女がそれぞれ同じように椅子に腰かけ、目の前のテーブルへと深く顔を突っ伏していた。

 

 

「――……おーい、戻ったぜ~! ……って、なんだよ、お前ら。ま~だグダグダしてんのかよ」

 

 静寂に包まれていた室内に、扉が開く音と共に野太い声が響いてくる。

 部屋に入ってきたのは筋骨隆々の男……のような女。右手には巨大な戦鎚を持ち、反対側には大きな革袋を肩に背負っている。

 見るからに唯者ではないと分かる彼女は目の前で微動だにしない少女二人を見やると、これ見よがしに大きなため息を吐き出した。

 そこに、ひょこっと女の背後から姿を現す一人の少女。

 忍者服に身を包んだその少女もまた、女と共に部屋に足を踏み入れながら同じように大きなため息を零した。

 

「……これは駄目。鬼ボスとイビルアイ、完全に死んでる」

「おいおい、勝手に殺すんじゃねぇよ。おい、ラキュース、イビルアイ。いい加減にシャキッとしろ!」

 

 女の呼び声に、そこで漸く突っ伏していた少女たちが動き出す。二人の少女はゆっくりと顔を上げると、それぞれ部屋に入ってきた女と少女へと視線を向けた。

 

「……お帰りなさい、ガガーラン、ティア。私も、もっとシャキッとしなくちゃとは思っているんだけど……」

「うぅ、私はまだ駄目だ……。モモン様と頻繁に会える可能性を自ら潰してしまうなんてぇ……」

 

 力ない笑みを浮かべるラキュースとは対照的に、イビルアイは悲痛な声と共に再びテーブルへと顔を突っ伏してしまう。その際、顔を覆っている仮面が勢い良くテーブルを叩き、ガンッという大きな音が部屋中に響いた。

 しかしイビルアイは微動だにしない。

 見るからに打ちひしがれている様子に、ラキュースとガガーランとティアはほぼ同時に大きな息を吐き出した。

 

「……駄目だな、こりゃ。暫く放っておくしかねぇか」

「そういえば、ティナの姿が見えない」

 

 思わず苦笑を浮かべるガガーランの横で、ティアが双子の片割れがいないことに気が付いて小首を傾げる。

 ラキュースは小さな息をつきながら立ち上がると、飲み物を用意しようと棚の方へと歩み寄っていった。棚の扉へと手を掛け、中に備え付けられている茶器を取り出す。

 

「ティナは買い出しに行っているわ。部屋を出てからそれなりに経っているから、そろそろ戻ってくるとは思うけれど」

 

 ラキュースの声に重なるように、カチャカチャという陶器が擦れ合う微かな音が響いてくる。同時に花のような甘い紅茶の香りも漂ってきて、ガガーランとティアはイビルアイが突っ伏しているテーブルの周りに置かれている椅子にそれぞれ腰掛けた。ラキュースの作業音をBGMに、こちらも一息つくために荷物などを床に置いていく。

 数分後、ラキュースがカップを乗せたトレイを手にガガーランたちの元へと戻ってきた。

 ガガーラン、ティア、イビルアイ、と順に紅茶が入ったカップを置いていき、最後に自身のカップを手に椅子へと腰掛ける。

 ラキュースはカップを近づけて一度深く紅茶の香りを吸い込むと、ゆっくりとカップを傾けて一口中身を飲み込んだ後に大きな息を吐き出した。ガガーランとティアもラキュースにつられる様にして目の前に置かれたカップへと手を伸ばす。イビルアイも漸く突っ伏していた顔を起き上がらせると、ふぅっと小さな息をついて仮面に手をかけた。

 しかしその瞬間、不意に部屋の扉が外側から開かれ、ラキュースたちは反射的にそちらを振り返った。

 開けられた扉の影から見慣れた少女が姿を現し、ラキュースたちは無意識に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「お帰りなさい、ティナ。随分時間がかかったのね」

 

 部屋に入ってきたのは、同じ冒険者チームの仲間であるティナ。

 仲間が戻ってきたことに自然と誰もが笑みを浮かべる中、しかし続いてティナの後ろから姿を現した人物に、ラキュースたちは驚愕に目を見開かせた。ラキュースは咄嗟に椅子から立ち上がり、ガガーランもぽかんっと口を大きく開けて呆けている。イビルアイは仮面で表情が見えずティアは無表情を貫いているものの、それでも少なからず驚愕の雰囲気を醸し出していた。

 

「さっき外で偶然会った。私たちに用事だと言うから連れてきた」

「……突然訪ねてきてしまい、申し訳ない。少し時間を貰えないだろうか?」

「ストロノーフ様、一体どうされたのですか?」

 

 ティナの背後から姿を現したのは、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 滅多に会うことのない人物の突然の来訪に、ラキュースたちは未だ驚愕の表情を浮かべながらも慌てて部屋の中へと招き入れた。他のメンバーも椅子から立ち上がり、ガゼフへと椅子を勧める。どう見ても世間話をしに来た雰囲気ではないことも相俟って、ラキュースたちは自然と依頼主に対するような姿勢を取った。

 ガゼフと向かい合うように座るのはリーダーであるラキュースのみ。ガガーランとイビルアイとティナがそれぞれ控えるようにラキュースの斜め後ろに立ち、ティアが未だ出たままの茶器を使って飲み物の用意を始める。あまり時間はかかることなく再び紅茶の甘い香りが漂い始め、数分後にはガゼフの目の前に一つのカップが置かれた。

 ガゼフが小さく頭を下げる中、ティアもティナの隣に立ち、そこで漸くラキュースが口を開いた。

 

「……それで、ストロノーフ様。本日は一体どのようなご用件でいらしたのですか?」

「……まずは、何の連絡もなく突然来てしまったことを改めて詫びさせてもらいたい。申し訳ない」

「いいえ、それは構いません。それだけ急を要することなのでしょう」

「いや、それほど緊急のものではないのだ。しかし、あまり人の目には触れさせたくない事であるため、失礼ながら連絡なしに来させてもらった」

「人目に触れさせたくない事、ですか……。一体どのようなことでしょうか?」

 

 ガゼフの言う用件が何なのか思い至らず、ラキュースは思わず小さく首を傾げる。

 ガゼフは眉間に皺を寄せて厳めしい表情を浮かべると、どこか苦々しげにゆっくりと口を開いてきた。

 

「実は……、レオナール・グラン・ネーグル殿のことなのだが……」

「っ!? ネーグルさんがどうかしたのですか? まさか、彼の身に何か……!?」

「いや、そう言う訳ではない。そうではないのだが……」

 

 彼にしては珍しく煮え切らない様な歯切れの悪い様子に、ラキュースの胸に途端に焦りのような感情が湧き上がってくる。

 ラキュースは身を乗り出しそうになるのを必死に堪えながら、どうにか冷静になれと自身に言い聞かせて無言のままガゼフに言葉の先を促した。

 ガゼフもまた、何かを決意したような表情を浮かべて強くラキュースを見つめてきた。

 

「……実は、王族の方々がネーグル殿の存在に警戒心を持たれているようなのだ」

「警戒心……? それは、一体何故なのですか?」

 

 意味が分からず、思わず小さく顔を顰める。

 しかし、意味は分からないものの、何とも嫌な予感がラキュースの心に渦を巻いた。

 

「それは、彼の御仁の力を実際に陛下が目にされたからだ。それと、彼の立ち位置があまりにも王国にとって危険度が高いためだろう……」

「……確かに、ネーグルさんは信じられないほどの力を持っています。ですが、彼は決して悪い人ではありません! カルネ村を助け、今も何かと力を貸しているようですし、先日の悪魔騒動の時も彼は進んで力を貸してくれたのです! ストロノーフ様もそれはお分かりのはずでしょうっ!!」

「おい、ラキュース、少し落ち着けよ」

 

 思わず興奮して声を荒げるラキュースに、すかさずガガーランから声をかけられる。ラキュースもここで自分が怒っても仕方がないことは分かっていたが、それでも悔しさと怒りに大きく顔を歪めた。グッと拳を握りしめて唇を噛むのに、それを見つめているガゼフもまた苦しげに小さく顔を歪ませた。

 

「……もちろん、私とて彼の御仁がとても素晴らしい方であることは理解している。この命を救って頂いた恩もある。しかし、ネーグル殿を危険視するのは、何も彼の力を恐れてというだけではないのだ」

「………それは……」

「問題なのは、ネーグル殿が帝国のワーカーである(・・・・・・・・・・)ことなのだ」

「……っ!!」

 

 ガゼフの言葉が予想以上に鋭い刃となってラキュースの胸に突き刺さる。その言葉は、実はラキュース自身も前から気になっていたものだった。

 

「ネーグル殿は冒険者ではなくワーカーだ。つまり、国からの依頼を受けても何ら問題のない立場にある。……もし、帝国が毎年行われる王国との戦いに彼の御仁も参加するように依頼を出したなら……。そしてもし、その依頼を彼が引き受けて戦場に現れたなら……。王族の方々はそれを一番に危惧していらっしゃるのだ」

「……………………」

 

 ガゼフが淡々と言葉を紡ぐのに、それを黙って聞きながらラキュースは苦々しい表情を浮かべた。今まで目を背けてきた問題を目の前に突き付けられたような気がして、思わず小さな苛立ちと大きな不安が胸に湧き上がってくる。

 確かに、ガゼフの言葉も王族たちの懸念も正しい。レオナールの力は脅威であり、彼が帝国のワーカーである以上、その力が王国に向けられる可能性は決してゼロではないだろう。

 しかし………。

 

「………ネーグルさんを危険視しているのは、本当に王族の方々だけなのですか? 王族の方々は全員ネーグルさんを危険視しているのですか?」

 

 果たして、王族以外でレオナールを危険視している者はいるのか。

 王族も……本当に全員がレオナールを危険視しているのか……。

 それは今後の動きを決めるためにははっきりさせなければならない重要な点だった。

 ラキュースの問いに、ガゼフはここで初めて小さな苦笑を浮かべてきた。

 

「今のところは、そうだな。幸か不幸か、貴族の方々は“たかがワーカー風情だ”とネーグル殿を未だ軽視しているようだ。貴族の中で彼の御仁の力を正確に認識しているのはレエブン侯くらいだろう」

「……なるほど。確かにあの男ならば侮らないだろうな」

「王族の連中はどうなんだ?」

 

 納得したように頷くイビルアイの傍らで、ガガーランが真剣な表情を浮かべて問いかける。

 ガゼフもラキュースの後ろに立つイビルアイやガガーランに目を向けると、苦笑を浮かべていた顔を真剣なものへと引き締めさせた。

 

「王族の方々は、厳密に言えばネーグル殿を危険視しておられるのは陛下とザナック王子のお二方のみだ。バルブロ王子は貴族たちと同じで彼の御仁をワーカー風情と軽視しておられるようだ。ラナー王女はネーグル殿の力も危険性も理解しておられるようだが、彼の御仁と争うこと自体考えたくない様子だったな」

「そう、ですか……。あの子らしい……」

 

 ガゼフの口から語られるラナーの様子に、ラキュースは思わず小さな苦笑を浮かべた。しかし彼女がレオナールを危険視していないという事実は、思いの外大きくラキュースの心を慰めた。

 彼女が危険視していないのなら、逆にこちらの味方になってくれるかもしれない。

 もし何かが起こった時、力を貸してもらえるかもしれない……。

 胸に湧き上がってきた新たな希望に、ラキュースは自然と表情を柔らかなものへと変えていった。

 しかし、ここで安心する訳にはいかない。何より、今動くべきは自分たちなのだ。だからこそ、ガゼフは今自分たちの目の前にいるのだろうから……。

 ラキュースは気を引き締めると、改めて目の前に座るガゼフを真っ直ぐ見つめた。

 

「……それで……、そのことを私たちに話して、ストロノーフ様は一体何を私たちにさせたいのですか?」

「……………………」

 

 ラキュースとガゼフの強く鋭い視線が宙でガッチリとかち合う。

 ガゼフは暫く無言でいたものの、次にはため息にも似た息を一つ大きく吐き出した。

 

「………“蒼の薔薇”の方々は王国の者の中では誰よりもネーグル殿と接触している。どうにか彼の御仁を王国に引き入れられないだろうか?」

「「「っ!!?」」」

 

 切実な声音での問いかけに、ラキュースだけでなくガガーランたちも全員が一様に大きく目を見開かせた。同時に、先ほどの言葉がどれだけ切羽詰まったものであるのかが分かった。

 ただ一人の人物に対して王族や王国最強と名高い男がここまで必死になるなど普通ではありえない。それも相手は貴族でも冒険者でもなく、唯の一介のワーカーでしかないのだ。

 もしこの場に貴族たちがいたなら、『何を馬鹿なことを……』と一笑したことだろう。ラキュースたちとて、何も知らずに話だけを聞いたなら心底不可思議に思ったことだろう。それだけ、今ガゼフが口にした言葉は……少なくとも封建国家で生まれが何よりも重要視される王国においては非常に信じがたいものだった。

 だが裏を返せば、それだけ王族やガゼフ自身が危機感を持っているということだ。

 ラキュースたちは思わず神妙な表情を浮かべると、次には無言のまま互いに顔を見合わせた。

 

「……接触してるって言われてもな~…。実際、俺たちがあいつらと接触したのなんて、悪魔騒動の時のを入れても二回しかねぇぞ」

「ああ。お世辞にも親密とも相手を知っているとも言えん回数だな」

「そうよね……。私たちよりもむしろカルネ村の人たちの方がネーグルさんたちとは親しいんじゃないかしら」

 

 とはいえ、唯の村人たちにワーカーの勧誘など荷が勝ちすぎる。それも相手はあのレオナールなのだ。幾ら親しくしているからと言っても、相当な実力者であり頭もキレる彼の勧誘を村人たちに任せるのは、あまりにも酷な話だと思われた。

 

「ふむ、カルネ村か……。では、あの闇森妖精(ダークエルフ)の子供を使ったらどうだ? あいつらは今も定期的にあの子供に会うためにカルネ村に来ているんだろう? “いっそのこと王国に拠点を移せば良いんじゃないか”と持ち掛ければ良い」

「なるほど……。それは使えそうだな」

「でも、それを誰が言うの? 恐らくカルネ村の人々はあまり協力してくれないと思うわよ。かといって、あのダークエルフの子……確かマーレといったかしら。あの子も私たちに協力してくれるとは思えないし……」

 

 カルネ村を訪れた時のことを思い出しながら、ラキュースは思わず小さく顔を顰めた。

 カルネ村の人々の様子や村長たちの口振りからして、彼らは相当レオナールたちに恩義を感じているようだった。命を救われたのだから当然といえば当然なのだが、その恩義故に彼らが協力してくれるとはとても思えなかった。そしてそれは、レオナールの仲間であるマーレというダークエルフにも言えることだった。いや、あの子供の場合は村人たち以上に難しいかもしれない。恐らくあの子供にとってレオナールは親のような存在なのではないだろうか。加えて、あの子供のレオナールに対する言動からして、恐らく崇拝にも似た感情すらレオナールに抱いていると推察できる。そんな彼らが自分たちに協力してくれるとは、どう楽観視しても考えられなかった。

 

「……あの子供は止めた方が良い」

「ティアの言う通り。あの子供はどこかおかしい」

 

 誰もが頭を悩ます中、不意にひどく似通った二つの声が辛辣な言葉を発してきて、ラキュースたちは驚愕しながら思わずそちらを振り返った。視線の先にはティアとティナがこちらを見つめて立っており、そのあまりに真剣な表情に更に驚愕に目を見開かせる。

 彼女たちの珍しい言動に、ラキュースたちは驚愕の後に困惑の表情を浮かべた。

 

「……なんだよ、お前らがそこまで言うなんて珍しいな。特にティアなんかはマジで好みのタイプじゃなかったか?」

 

 訝しげな表情を浮かべながらガガーランが首を捻らせる。

 彼女の言う通り、この双子がここまで言うのは非常に珍しいことだった。特にティアは“レズビアン”で、可愛らしい少女に好感を持つ傾向にある。カルネ村で出会ったマーレというダークエルフは正にティアの好みのタイプど真ん中で、彼女がマーレに対してここまで言う理由が全く分からなかった。

 しかしティアの表情は一切変わらない。隣に立つ双子の片割れと視線を交わし合うと、すぐにラキュースたちに視線を戻して小さく眉間に皺を寄せた。

 

「……私も良く分からない。ガガーランの言う通り、あの子はすっごく好みのタイプ。でも…、何故か全くときめかなかった。だから変」

「いやいや、お前がときめなかったから変って……」

「それだけじゃない。逆に私は、少しあの子供に興味を持った。普通なら女の子なんてまったく興味ないのに……。だからおかしい」

 

 ティアの判断に呆れた声を上げるガガーランに、続いてティナが反論するように言葉を紡ぐ。それにティアとティナ以外の全員が奇妙な表情を浮かべた。

 “レズビアン”であるティアに対し、彼女の片割れであるティナは“ショタコン”である。つまり幼い少年が好みであり、確かにティナは今まで一切少女などには興味を示してこなかった。

 そんな彼女が少女であるはずのマーレに興味を持ったという事実。

 それだけで判断するのはどうかと頭の片隅では思うものの、確かにおかしい……とラキュースたちは頭を悩ませた。

 

「それは……、確かに少し気になるな。………まさかとは思うが、本当は少女ではなく少年だったんじゃないだろうな」

「ま、まさか……! どこからどう見ても女の子だったじゃない。それにスカートだってはいていたし……」

 

 イビルアイの爆弾発言にラキュースは思わず声を上げる。『どこからどう見ても女の子だった』という言葉は嘘ではないが、それ以前にヘタをすればレオナールが変態だと思われかねない事態に、ラキュースは知らぬ内に必死に弁明を繰り返していた。その一方で、ティアとティナがカルネ村でやけに大人しかったことを思い出して内心で納得の声を零す。恐らくマーレについて困惑、或いは警戒していたのだろう。

 ラキュースは一つ大きな息を吐き出すと、次には気を取り直すために改めてこの場にいる面々へと目を向けた。

 

「と、とにかく! ネーグルさんを王国に引き入れるためにはカルネ村が重要な鍵になることは間違いないわ。でもその前に、もっと彼らを知る必要があると思うの」

「まぁ、確かにな……」

 

 ラキュースの言葉に、この場にいる誰もが大きく頷く。

 しかし、ではどうやって彼らを知るべきか……という問題に首を傾げた。

 

「だが、“サバト・レガロ”は帝国にいるだろう。どうやってあいつらの情報を集めるつもりだ?」

「まずはエ・ランテルに行こうと思うの」

「エ・ランテルに?」

「何でまた……」

 

 “エ・ランテル”という言葉にイビルアイがピクッと反応し、他のメンバーは訝しげに眉を潜める。彼女たちの顔には『意味が分からない』とでかでかと書かれていた。

 

「ええ、そうよ。そこでモモンさんとナーベさんに“サバト・レガロ”について聞いてみようと思うのよ」

「“漆黒”のメンバーに? 一体どういうことだ?」

「実は悪魔騒動の時にモモンさんが、ナーベさんはネーグルさんのファンなんだって言っていたの。つまり、彼らはファンになるだけのネーグルさんの情報を持っているということよ。それにカルネ村はエ・ランテルに近いから、ネーグルさん自身もエ・ランテルに立ち寄っている可能性があるわ」

 

 拳を握りしめながら自身の考えを口にするラキュースに、ガガーランたちは互いに顔を見合わせた。

 彼女の言葉には説得力があり、的を射ているように思われた。何より、ラキュースのその考えにいち早く賛同の声を上げる者がいた。

 

「非常に良い考えだ! さっそくモモン様に会いに行こう!!」

 

 嬉々とした声を上げたのは、言わずもがなイビルアイである。他のメンバーも互いに顔を見合わせると、次には同意するようにラキュースに目を向けて一つ大きく頷いた。ラキュースもそれに大きく頷いて応えると、彼女たちの様子を見守っていたガゼフへと改めて目を向けた。

 

「ストロノーフ様、お聞きになった通り、我々はまずエ・ランテルに向かい“サバト・レガロ”の情報を集めてみようと思います。どのくらい時間がかかるのか……、上手くいくかも分かりませんが、何か情報を掴み次第ご連絡します」

「感謝する。私の方でも出来得る限り帝国での“サバト・レガロ”の情報を探ってみよう」

 

 ラキュースとガゼフはほぼ同時に椅子から立ち上がると、テーブル越しに強く互いの手を握りしめる。

 契約成立の証のように握手を交わすラキュースとガゼフに、濃く広がる影から複数の視線が彼らを静かに見つめていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……うと思いますけど、それで良いですか?」

「ああ、それで良いんじゃないか」

「俺もそれで良いと思いますよ。それじゃあ、俺の方から伝えておきますね」

 

 絢爛豪華な広い室内にて、三体の異形が言葉を交わしている。

 ここはナザリック地下大墳墓の第九階層。数多の施設や円卓の間やギルドメンバーの私室などが連なる階層であり、彼らが今いるのはギルドメンバーの一人であるペロロンチーノの私室だった。

 ロイヤルスイートをイメージした大まかなデザインや内装、部屋数などは他のギルドメンバーの私室と全く変わらない。しかし置かれている調度品や家具、地下でありながら存在する窓から覗く外の景色は部屋によって全く違い、それぞれのギルドメンバーの趣味趣向や特徴などを如実に表しているようだった。

 そしてそれは、この部屋も決して例外ではなかった。

 ペロロンチーノの部屋は主に白と金を基調とした装飾がされており、置かれている家具も柔らかな雰囲気を帯びた木製の物。カーテンやテーブルクロス、カーペットといった布製の物は緑系のものが多く、窓から覗く景色はまるで高層ビルの屋上から見るような果てしなく高い空だった。全体的に明るく柔らかな空間に、部屋を訪れた者は感嘆だけでなく大きな癒しを感じることだろう。

 しかし既にこの部屋に何度も訪れたことのあるモモンガとウルベルトにとっては既に見慣れた光景である。一切驚くことも感嘆することもなく、丸テーブルを囲むように座りながら真面目に今後のことを話し合っていた。

 いや、“真面目”と表現しては些か誤りがあるかもしれない。

 というのも……――

 

「――……というか、ウルベルトさんはさっきから何してるんですか?」

「見て分からないか? アイテムを作ってるんだよ」

 

 ペロロンチーノとモモンガの視線の先で、ウルベルトが自身の手元を見つめながら返事をする。

 ウルベルトの手に握り締められているのは幾つかの素材。また、丸テーブルの上にもユグドラシルで手に入る多くの素材やデータクリスタルが所狭しに置かれていた。

 彼の言葉通り誰がどう見ても何かを作っている様子に、ペロロンチーノとモモンガはほぼ同時に小さく首を傾げた。

 

「何を作ってるんですか?」

「いや、この前ニグンに褒美をやると約束してな。折角だから少しでも役立ちそうな物を作ってやろうかと思って……」

 

 こちらを見ないまま答えてひたすら手を動かすウルベルトに、ペロロンチーノとモモンガは思わず互いに顔を見合わせる。

 ペロロンチーノはガクッと頭を俯かせて横に振り、モモンガは丸テーブルの上に置かれている素材の数々をマジマジと見つめた。

 

「………どうしてここに素材を持ってきて作ってるんですか。自分の部屋でやって下さいよ」

「というか、ウルベルトさんよくそんなに素材持ってますね。それも結構珍しいものとか高品質な物も多くないですか?」

「ああ、そりゃあ武人さんとよく素材を取りに行ってたからな。あの人の作る武器はどれもやたらと必要な素材が多かったし。それもあって今も結構素材が余っているんだ」

「あー、確か打倒たっち・みーさん用の武器を作ろうとしていましたっけ……」

 

 ユグドラシルでのことを思い出し、モモンガは思わず遠い目になる。

 確かにギルドメンバーの一人である武人建御雷は優れた武器を作る名人だったが、武器一つ一つにかかる素材の量がやたらと多かったり、品質が異常に高いものばかり必要だったりしたことを覚えている。モモンガも幾度となく素材集めに協力した記憶はあるが、しかし誰よりも率先して彼に協力していたのはウルベルトと弐式炎雷だったはずだ。義理堅く懐の深い人物だった武人建御雷のことだ、必要なくなった素材や余った素材を礼としてウルベルトたちに渡していた可能性も十分にあり得る。

 内心で何度も頷くモモンガの横で、ペロロンチーノは小さく首を傾げさせながら微かに唸り声のような音を喉奥から響かせていた。

 

「……褒美を与えるのは良いと思いますけど、気を付けた方が良いですよ。ヘタしたらナザリックのNPCたちが羨ましがって酷いことになりますよ………ニグンが……」

 

 以前床に押し倒された自身の上で繰り広げられたアルベドとシャルティアの激闘のことを思い出し、ペロロンチーノは思わずブルッと小さく身体を震わせる。

 しかしウルベルトもモモンガも、ペロロンチーノほどの実感がないようだった。

 

「いや、大丈夫だろ。ニグンがこちら側にきて結構経つし、あいつらもいい加減ニグンを仲間だと認めているさ」

「そうですよ、ペロロンチーノさん。今までだって、誰かが褒美をもらっても彼らが暴れたことはなかったじゃないですか」

「いやいやいや、ウルベルトさんもモモンガさんも甘いですよ! 甘々ですよ! あの子たちの想いってすっごい過激なんですよ!」

 

 必死に身を乗り出して言い募るも、ウルベルトとモモンガは不思議そうな表情を浮かべて小さく首を傾げるばかり。

 思わずガクッと肩を落とすペロロンチーノに、ウルベルトは動かしていた手を止めて改めてペロロンチーノへと目を向けた。

 

「……そういえば、“想い”で思い出したんだが、一つお前に聞こうと思っていたことがあったんだ」

「……? なんですか?」

「お前、リ・エスティーゼでエントマを助けに出た時、“蒼の薔薇”の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)を攫おうとしたそうじゃないか」

「ちょっ! その言い方は語弊がありそうなんで止めて下さいよ! ……ちょっと気になることがあったので、デミウルゴスに『できたらナザリックに連れて帰りたい』って言っただけですよ……」

「気になること? 何かあったんですか?」

 

 もしや重要なことかと、モモンガもペロロンチーノを凝視する。

 しかし二人に見つめられているペロロンチーノはと言えば、どこか煮え切らないような様子で顔を俯かせて嘴を小さくカチカチと鳴らしていた。両手の指先も絡めたり離したりと、どうにもペロロンチーノ自身も何かが腑に落ちない様子である。

 モモンガとウルベルトは一度チラッと視線だけで互いを見やると、次にはほぼ同時に改めてペロロンチーノへと視線を向けた。

 

「一体どうしたんですか、ペロロンチーノさん?」

「……う~ん、実は俺にも良く分からないんですよ。良く分からないから、彼女を連れていきたかったというか……」

「どういうことだ?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、なおも疑問が深まっていく。

 一体何が言いたいのかとモモンガとウルベルトが無言のまま思考を巡らせる中、ペロロンチーノは言葉を探しながらゆっくりと嘴を開いた。

 

「その……、この身体になってから時々衝動に抗えない時があるんですけど、シャルティアに危害を加えられそうになった時が一番ひどかったんですよ」

 

 ペロロンチーノの言う“シャルティアに危害を加えられそうになった時”とは、恐らくブレイン・アングラウスを捕えた際に法国の漆黒聖典と思われる集団に襲われた時のことだろう。

 

「王国でエントマが傷つけられていると分かった時も同じ衝動に襲われたので、多分仲間が襲われたら抑えが効かなくなるんだと思います。……その衝動は凄まじくて、俺の理性が全く届かない。相手が大好きな女の子だろうが、絶対に止まれないんです」

「「……………………」」

「でもあの時、仮面の女の子を見た瞬間に何故か衝動が一気に消えて正気に戻れたんです! だから、どうしてだろうって思って……」

 

 最後には言葉が尻すぼみになり、顔も深く俯かせてしまう。モモンガとウルベルトは暫くペロロンチーノを見つめると、次には互いに顔を見合わせた。

 ペロロンチーノの言葉は、これまでの彼の言動や性格からすればとても信じがたいものだった。全世界の幼女、美少女、美女をこよなく愛する彼が、例え敵であったとしても女性に刃を向けるなど非常に考え辛い。しかしその一方で、シャルティアやエントマのために怒り狂うというのは非常に彼らしいとも言えた。ペロロンチーノという男はギルドメンバーの中でも特に仲間思いの人物であり、またシャルティアやエントマはナザリックのNPCであり彼の愛する美少女なのだ。特にシャルティアはペロロンチーノ自身の理想の嫁でもある。恐らく彼の言った言葉は全て本当のことなのだろう。しかしそうなると、問題になってくるのはペロロンチーノの衝動を消し飛ばしたという存在と原因だった。

 

「………“蒼の薔薇”のイビルアイか……。背格好からして子供であることは間違いないだろうが、口調は不釣り合いなほど大人びていたな」

「あれ、そうでしたか? 俺がヤルダバオトを追い返した時は飛び跳ねるくらい喜んでましたし、俺に抱き付いてきましたよ」

「え、何それ、羨ましい……」

「言ってる場合か。……う~ん、考えられるのはやはり何かしらの特殊技術(スキル)か装備の力だよな。……あの仮面なんか怪しいんじゃないか?」

「確かにそうですね……」

 

 ウルベルトの言葉に頷きながら、しかしその一方でモモンガは非常に重要なことを思い出していた。

 “蒼の薔薇”という言葉を聞いて思い出し、もはや確認しなければ心の平穏を保てないであろう重要問題。

 モモンガは一度不自然にならない程度に深呼吸をすると、必死にさり気なさを装いながらウルベルトへと眼窩の灯りを向けた。

 

「……そ、そういえば、ウルベルトさんは“蒼の薔薇”のリーダーのラキュースさんに慕われている様子でしたけど、何か聞いていないんですか?」

「……は……?」

「マジですか、モモンガさん!?」

 

 少しどもりながらも何とか問いかけるモモンガに、ウルベルトは金色の瞳をキョトンと瞬かせ、ペロロンチーノは驚愕の声を上げる。

 ウルベルトは小さく首を傾げてマジマジとモモンガを見つめると、未だ不思議そうな表情を浮かべながらも緩く頭を振った。

 

「いや、彼女たちと会ったのはこの間のでまだ二回目ですよ。それで慕ってるとかありえないでしょ」

「いやいやいや、でも人間姿のウルベルトさんって結構イケメンじゃないですか。一目惚れもあり得るんじゃないですか?」

「一目惚れねぇ~……。俺はあまりそういうのは信じていないんだが……」

 

 何故か力説しているペロロンチーノに、どこか懐疑的な視線を向けるウルベルト。目の前で繰り広げられる二人のやり取りを見つめながら、モモンガはウルベルトに対しては安堵を、そしてペロロンチーノに対しては意外な感覚を抱いた。

 ウルベルトの口振りからして、少なくとも彼自身にはラキュースへの好意がないことに安堵を覚える。しかし思い返してみれば、ラキュースは普段は冒険者ではあるものの貴族としての身分も未だ持っている。それを考えればウルベルトが彼女に対して好意を持っていないのも納得できることだった。

 しかし一方で、ペロロンチーノの反応はモモンガからしてみても意外なものだった。ペロロンチーノのことだ、てっきり『モテ男は滅びろ!』とばかりにウルベルトに嫉妬の刃を向けるとばかり思っていたのだ。しかしペロロンチーノが今浮かべているのは嫉妬の炎ではなく、唯の驚愕と好奇心からくる光。一瞬どういった心境の変化かと疑問符を浮かべ、しかしすぐにそうではないと気が付いた。

 ペロロンチーノの言動は、彼が友に対して寛容になったわけでも、世界中の女性たちに対する熱が冷めた訳でもない。恐らく先ほどペロロンチーノ自身が言った言葉通り、彼の中ではエントマを害した“蒼の薔薇”のメンバーは既に全員等しく敵と判断されているのだろう。

 とはいえ、本当にイビルアイがペロロンチーノの衝動を抑えられるのであれば、“蒼の薔薇”の先行きも変わってくるかもしれない。それが“蒼の薔薇”にとって……、そして何よりナザリックにとって吉となるか凶となるか……。

 

(……ふむ、“蒼の薔薇”のイビルアイ、か……。少し調べてみる必要があるかもしれないな……。)

 

 ペロロンチーノとウルベルトの会話を意識の端で聞きながら、モモンガはイビルアイについて思考を巡らせる。

 幸いなことに、モモンガは冒険者モモンとしての姿を持っている。“蒼の薔薇”とも既に面識があり、リ・エスティーゼでは共に戦った間柄でもあるため接触は容易にできるだろう。ウルベルトが扮するワーカーのレオナール・グラン・ネーグルも接触できるだろうが、帝国を拠点にしているレオナールよりかは王国を拠点にしているモモンの方が不自然ではないはずだ。

 モモンガは内心で一つ頷くと、未だ何やらグダグダと会話を続けているペロロンチーノとウルベルトへと意識を向けた。

 

「――……なんでそんなに反応薄いんですか? ユグドラシルでは一緒にリア充を駆逐してきたじゃないですか! ウルベルトさんだってモテたかったんでしょう?」

「だから違うって言ってんだろ。俺がリア充を駆逐してたのは、ただ単に勝ち組が気に入らなかっただけだ」

「それはそれで酷い……」

 

 人生のパートナーがいることに嫉妬して襲撃するのと、『人生のパートナーがいる=勝ち組』と断じて襲撃するのと、一体どちらの方が酷いのだろうか……。

 気が抜けるようなテンションで酷い会話を続けている二人に、モモンガは動かない骨の顔に苦笑を浮かべながら一つ骨の手を打ち鳴らした。室内に響いた硬質な音に、ペロロンチーノとウルベルトは口を閉ざしてこちらに顔を向けてくる。二人がこちらに意識を向けたことを確認すると、モモンガは打ち鳴らした状態で少し上げていた両手をゆっくりと下ろした。

 

「そろそろ話を元に戻しましょう。取り敢えず、ペロロンチーノさんが言ったことも気になりますし“蒼の薔薇”については俺の方でもう少し調べてみます」

「ありがとうございます。よろしくお願いします、モモンガさん」

「けど、気を付けろよ。接触するなら時期も……、リ・エスティーゼでの騒動からまだ時間も経っていないし、少し間を置いてからの方が良いかもしれない」

「そうですね。その辺りも考えながら接触してみます」

 

 ペロロンチーノとウルベルトのそれぞれの言葉に頷き、モモンガは同意を示す。

 ウルベルトも応えるように一つ頷くと、次には再び視線を手元に戻してアイテム作りを再開した。ペロロンチーノはといえば、そんなウルベルトを見やって仕方がなさそうに小さく肩を竦めている。

 いつにないペロロンチーノの様子に思わず苦笑を深める中、不意にペロロンチーノがそっと身を寄せてきた。

 

「……さっきの“蒼の薔薇”の人がウルベルトさんに好意を持っているって話ですけど、くれぐれもナザリックのみんなには知られないようにしてくださいね」

 

 小声で言い含めてくるペロロンチーノに、モモンガは思わず小さく首を傾げさせる。そこまで慎重にならなくても良いのではないだろうか……、と思わずにはいられない。しかし、この世界に転移してからというもの、この中で一番長くナザリックの中で過ごしているのはペロロンチーノなのだ。自分たちの知らないNPCたちの意外な性格などを把握しての言葉かもしれない。

 ここはペロロンチーノの言う通りにした方が良いだろうと判断すると、モモンガは無言のまま一つ大きく頷いた。

 

「……あっ、そういえば、二人に聞きたいことがあるんだが、随分前にエ・ランテルでゾンビ・パーティーしようとしていた奴らがいただろう?」

「ゾンビ・パーティー……ああ、あのクレマンティーヌとカジットって言う連中のことですか?」

「そうそう。そのカジットって奴が持ってたアイテムのことなんだが、今はどこにあるんです?」

 

 脈絡のない突然の質問に、モモンガとペロロンチーノは思わず小さく首を傾げる。どうだったか……と記憶を遡らせ、モモンガとペロロンチーノはほぼ同時に互いの顔を見やった。

 

「え~と、確か……モモンガさんに渡しましたよね?」

「……ええ、確かに受け取りました。どんなアイテムなのか簡単に調べて……ああ、そうだ、あんまり使い道がなさそうだったのでハムスケにあげたんですよ」

「えっ、それって大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないですか? 別に変った様子もないですし」

 

 心配の対象がハムスケ(ナザリック以外)であるためか、モモンガの態度は意外にシビアだ。加えてそれに対して諌めることもツッコむこともしないペロロンチーノとウルベルトもまたモモンガと似たようなものなのだろう。

 ペロロンチーノが小さく肩を竦めて嘴を閉じる中、少し考えるような素振りを見せていたウルベルトが改めて金色の瞳をモモンガへ向けてきた。

 

「それなら、少しそのアイテムを貸してもらえませんか?」

「それは良いですけど……。何に使うんですか?」

「使うかどうかはまだ分からないが……。いや、むしろ、使えるかどうか一度確認したいと思いましてね」

 

 意味深なことを言うウルベルトに、モモンガは更に首を大きく傾げる。

 しかしモモンガとしても別段断るようなことではなく、未だ不思議に思いながらも了承の意味を込めて一つ頷いた。

 

 




最初は、最後の部分でアルベドとシャルティアがモモンガさんたちの話を盗み聞いていて思わず部屋に乗り込む予定だったのですが、『忠実なシモベである彼女たちが人払いされた状態で盗み聞きするわけがない!』と思い至り、あえなくボツとなりました……。


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第50話 それぞれの軸

やっとパソコンが治ったので更新できました!
今回は意外と人気なのかもしれないソフィアちゃんの出番が多いです(笑)


「――……だから言ってるでしょ! 知らないって!」

 

 人気のない静寂の中、“歌う林檎亭”に女の怒号が響き渡る。

 レオナール・グラン・ネーグルの姿で二階から一階へと階段を下りていたウルベルトは、その突然の声に驚きと共に思わず足を止めた。無意識に後ろに付き従っているユリを振り返り、顔を見合わせる。しかしどんなにユリと見つめ合ったところで何も分かるはずがない。ウルベルトは内心首を傾げさせながらも顔を前へと戻すと、取り敢えずはと階段を下りきることにした。

 

 ナザリックで定例報告会議を終えた後、ウルベルトはユリを伴い、ワーカーとしての仕事に取り組むべく帝国の拠点である“歌う林檎亭”に来ていた。

 いつものように怪しまれないように借りていた二階の部屋に転移し、一階へと階段を下りていたのだが、一体何が起こっているのか……。

 ウルベルトは頭上に疑問符を浮かべながら階段を下りきると、目と足先を酒場兼食堂へと向けた。

 ガランとした人気のない室内。

 しかしウルベルトの視線の先には部屋のど真ん中で大小二つの人物が仁王立ちして顔を突き合わせていた。

 一人は紅色の長い髪を二つに結んだ華奢な半森妖精(ハーフエルフ)の女。もう一人は筋骨隆々の大柄な人間の男。

 二人は何かを言い争っているようで、女は怒りの形相で声高に捲し立て、男はぺこぺこと頭を下げていながらも薄ら寒いへらへらとした笑みを浮かべていた。

 二人とウルベルトたち以外、この場には誰もいない。

 “歌う林檎亭”は宿だけではなく酒場や食堂も営業しているため、通常朝と夜は多くの人で賑っている。また、この店は多くのワーカーも利用しており、帝国ではこの店がワーカーたちと依頼人との仲介の役目を担っていることも有名だった。そのためか、朝でも夜でもない昼の時刻は必然的に客足は緩やかになり、店側もそれに従って買い出しや仕込みなどを昼に行っていたのだが……。

 ウルベルトはマジマジと言い争う二人の人物を見やると、思わず小さく首を傾げさせた。

 勿論、客足が緩やかになるとはいえ、昼に来る客が全くゼロになると言う訳では決してない。いや、ゼロである日も勿論あるのだが、必ず昼は無人になるというわけではなかった。それを考えれば、もしかすれば彼らは客なのかもしれない。

 しかしそこまで考えた後、ふとウルベルトはハーフエルフの女の方にどこか見覚えがあることに気が付いた。はて、どこで見たのだったか……と未だ続いている二人の言い争いを遠目に見ながら考え込む。

 女の方は軽装ながらも皮鎧を中心とした武装をしており、その雰囲気からどうやら自分たちと同じくワーカーであるようだった。しかし男の方はと言えば、ワーカーにしては少々身に纏う雰囲気が荒々しく粗暴過ぎた。イメージとしてはワーカーや冒険者や傭兵ではなく、一昔前の現実世界(リアル)でいたという暴力団や極道のようである。つまり、裏世界のニオイがプンプン漂ってくるのだ。

 何故そんな輩と騒ぎなど起こしているのか……と思わず眉を潜めさせる。

 とはいえ、こちらが思わず悶々と考え込んでいる間に事は急展開を迎えていたようだった。

 ふと気が付けば、視線の先にいたのは二人ではなく三人に。増えたのは人間の若い男で、どうやらハーフエルフの女の仲間のようだった。

 一気に大柄な男の立場が弱くなり、若い男女に押されて少々タジタジになり始める。しかし男にも譲れないことがあるのだろう、ウルベルトからすれば感心するほどに往生際悪く食い下がっていた。

 男の話によると、どうやら男女のワーカー仲間の一人に用事があるらしい。しかしその仲間は今は不在のようで、それもあって騒動になっているようだった。

 一体どういう用事なのかと遠目に見ながら興味が湧いてくる。

 取り敢えず彼らの邪魔にならない場所に腰掛けて観察しようと決め、ウルベルトはできるだけ気配を消してそろそろと食堂内へと足を踏み入れていった。彼らの視界に入らないよう細心の注意を払いながら、手ごろな位置にあるテーブルと椅子を見定める。

 しかしいざ椅子に腰掛けようとしたその時、まるでそれを阻止するかのように不意に店の扉が外側から勢いよく開かれた。

 

 

「……あら、こんな店の真ん中で突っ立っているなんて、他の方々の邪魔になりますわよ」

 

 店内に足を踏み入れてすぐにそんな言葉を口にしたのは美しい少女。

 帝国で名の知れたノークラン商会の長の娘であり、今回はウルベルトの正式な依頼人である少女――ソフィア・ノークランである。

 突然の少女の登場とかけられた言葉に、言い争っていた三人は口を閉じて驚愕に目を見開かせた。三人ともが突然の闖入者に頭がついて来ていないようで、呆然とした表情を浮かべてソフィアを見つめている。

 しかし見つめられている本人は何のその、三人の視線には一切構う様子もなく、さっさと彼らから視線を外すとそのまま店内を見回し始めた。

 瞬間、ソフィアのつり目がちの大きな瞳とウルベルトの切れ長の瞳ががっちりとかち合う。

 途端に明るい笑みを浮かべるソフィアに、ウルベルトは傍観者でいる時間が終わったことを悟って内心で大きなため息を吐き出した。

 

「そこにおりましたのね! お久しぶりですわ、ネーグルさん」

 

 嬉々としたソフィアの言葉で漸くウルベルトの存在に気が付いたのか、未だ呆然としていた三人の男女が驚いたようにこちらを振り返ってくる。この場にいる全員の視線がこちらに向けられたことに、ウルベルトは今度こそ大きなため息を吐き出しながらゆっくりと足を踏み出した。後ろに付き従うユリを伴いながら、彼らの元へと歩み寄っていく。

 

「……お久しぶりです、ノークランさん。本日はご足労いただき感謝しますよ」

「いいえ、構いませんわ。そもそも依頼するのはわたくしの方なのですから。こちらから出向くのは当然のことですわ」

 

 どこまでが本気でどこまでが建前なのか……――恐らく完全に本気だと十分に考えられるが――とにかく一応礼として小さく頭を下げておく。しかしすぐさま頭を上げると、次にはウルベルトは無言のままこちらの様子を見つめている三人へと視線を向けた。

 

「……それで、これは一体何の騒ぎなのですか? 部外者である私が口を挟むべきではないことは分かっていますが、これ以上騒ぐようなら、こちらもそれ相応の処置を取らせて頂きますよ」

 

 さり気なく脅しを入れるウルベルトに、途端に三人の肩がビクッと跳ねる。中でも大柄の男は恐怖の色さえその顔に浮かべてウルベルトの何倍もある巨体を縮み込ませた。ソフィアの言葉から、既にウルベルトが何者であるのか正確に理解しているのだろう。『ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル』という名と存在は、帝国では今やこれほどまでの影響力を持っていた。

 ウルベルトの言う通り、本来であれば他チームのいざこざに部外者が口を挟むなど御法度ともいえる行為である。しかしレオナールの人となりは帝国では既に広く知れ渡っており、もしこの場でウルベルトが何かしらの行動を取り、それによって何かしらの問題が生じて噂になったとしても、この場にいなかった者たちの殆どはレオナールの人となりを加味して『彼のことだから、きっと理由があったのだろう』と判断することだろう。そしてそれは、この場にいる全員が考え付けるものだった。騒ぎを起こしていた張本人たちにとっては非常に恐ろしい事態である。

 

「あっ、…あー、確かに他の方々にご迷惑をおかけする訳にはいきませんね! そ、それじゃあ、私はこの辺で失礼させて頂きます! ……フルトさんに“期限は来ている”とだけ伝えておいて下さい!」

 

 大柄の男は血相を変えると、次には慌てたように捲し立ててくる。余程ウルベルトが恐ろしいのか、一切ウルベルトには目を向けずに踵を返すと、まるで逃げるように足早に店を出ていった。あまりに素早い行動と変わり身の早さに、二人の男女は呆然と大柄の男の後ろ姿を見送る。ウルベルトは一度小さく肩を竦ませると、男が出ていった扉から視線を外して改めて二人の男女を見やった。

 

「口を挟んでしまって、すみません。ですが、ここは大切な交流の場。できれば厄介ごとは無用に願いますよ」

「……あっ、い、いえ、こちらこそすみません。正直なところ、少し助かりました」

 

 ウルベルトに声をかけられ、男女は慌てた様子でこちらを振り返ってくる。見れば男の方にも見覚えがあり、やはり同じワーカーなのだろうと思い至った。名前は未だに思い出せないものの、確か最初の頃に接触したワーカーたちではなかっただろうか……。

 一部を赤く染めた男の短い金髪を見つめながら、ウルベルトは何とか思い出せないかと記憶を巡らせた。しかしどうにも思い出せず、内心焦りの表情を浮かべる。

 あちらから名乗ってくれないだろうか……と思わず内心で呟く中、まるでその願いが届いたかのように目の前の男が笑みと共に小さく頭を下げてきた。

 

「お久しぶりです、ネーグル殿。……と言っても、覚えていらっしゃらないかもしれませんが……。以前護衛依頼を遂行中にモンスターの大群に襲われ、あなた方に救って頂いた“フォーサイト”のヘッケラン・ターマイトです」

 

 ヘッケランが自身の名を口にした瞬間、芋づる式のように一気にその時の記憶や正確な名前が頭に蘇ってきた。

 

「ええ、勿論覚えていますよ。冒険者チーム“閃光の牙”と共に護衛依頼をされていましたよね。またお会いできて光栄ですよ」

 

 さり気なく『ちゃんと覚えていますよ』とアピールしながら頷けば、途端にヘッケランとハーフエルフの女が驚愕の表情を浮かべてくる。まさか覚えられているとは思っていなかったのだろう。驚愕の後には輝かんばかりの喜色をその顔に浮かべてきた。

 

「お、俺たちこそ覚えて頂いていて光栄です! “サバト・レガロ”の皆さんは今や帝国一のワーカーだと有名ですからね。正直、俺たちのことを覚えて頂けているとは思っていませんでした」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。大切な同業者ですしね。それに、帝国一のワーカーと言われるには我々はまだまだだと思っています。何かあれば互いに協力し合いましょう」

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 柔らかな笑みと共に右手を差し出すウルベルトに、ヘッケランも大きな声を上げながら勢いよくウルベルトの右手を握りしめる。

 二人が握手を交わす中、不意に扉が開き、今度は大小二つの人物が店内へと足を踏み入れてきた。

 扉から現れたのは三十代くらいの人間の男と、未だ幼い人間の少女。

 二人は店の真ん中で握手を交わしているウルベルトとヘッケランを見やると、ほぼ同時に驚愕の表情を浮かべて動きを止めた。

 

「……これは、一体……?」

「……あのレオナール・グラン・ネーグルとヘッケランが握手してる……」

 

「お帰りなさい、アルシェ、ロバー」

 

 棒立ちになりながら呆然と独り言を呟く二人に、ハーフエルフの女が声をかける。どうやら彼らもヘッケランと同じチームの仲間のようで、ウルベルトはヘッケランから手を離しながらそちらへと視線を向けた。ヘッケランもそれに気が付き、自身の仲間へと目を向ける。

 

「ネーグル殿、良ければ俺の仲間を紹介させて下さい。こっちのハーフエルフの女性が我がチームの副リーダーのイミーナです。そして彼が回復担当のロバーデイク・ゴルトロン。最後に、凄腕の天才魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアルシェ・イーブ・リイル・フルトです!」

 

 恐らく彼は仲間を大切に思っているのだろう。彼らを紹介する顔や声には誇らしさがありありと滲んでおり、ウルベルトは思わず柔らかな笑みの形に金色の双眸を緩めさせた。

 

「これはこれは、非常にバランスのいい良いチームのようですね。それでは私の方も改めて紹介させて頂きましょうか。……とはいえ、今は一人しかいないのですが……、彼女は我がチームの前衛を務めるリーリエです」

 

 ウルベルトの言葉に応えるように、ユリが一歩前へと進み出て綺麗なお辞儀をして見せる。

 洗礼された動きにヘッケランたちが思わず感嘆の息を吐き出す中、ウルベルトはユリが頭を上げて再び下がるのを確認してから改めて口を開いた。

 

「もう一人レインという者もいるのですが、今は不在にしているのですよ。とはいえ、これから何かしら協力することや同じ依頼を受けることもあるでしょう。その際はよろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 変わらぬ元気な返事に、思わず笑い声が零れ出る。

 ウルベルトはヘッケランたちに軽く会釈すると、今まで大人しく彼らのやり取りを見守っていたソフィアへと顔を向けた。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません、ノークランさん」

「いいえ、構いませんわ。同業者の方々と親交を深めるのはとても大切なことですもの。……とはいえ、時間が少々押してしまっているのは事実ですわ。先方との約束の時間もありますし、外にわたくしが乗ってきた馬車がありますから、わたくしとの打ち合わせは馬車の中でいたしましょう」

「……分かりました。では、そのようにしましょう」

 

 ソフィアからの提案に、ウルベルトは大人しく頷いて返す。自然と身体を引いて道を開ける“フォーサイト”のメンバーに軽く礼を言うと、そのままソフィアとユリと共に“歌う林檎亭”の外へと歩を進めた。扉を潜り外に出てみれば、ソフィアの言っていた通り一台の立派な馬車がすぐ傍に鎮座している。馬車のすぐ横には馭者と思われる男が控えるように立っており、ウルベルトたちの存在に気が付くと恭しく頭を下げてきた。側まで歩み寄れば、当然のように男の手によって馬車の扉が開かれ、中へと促される。まず初めにソフィアが乗り込み、続いてウルベルトが、そして最後にユリが中へと入ったところで扉がゆっくりと閉められる。

 ウルベルトとユリがソフィアの向かい側に腰掛けた後、ウルベルトはざっと素早く中に視線を走らせた。

 流石はノークラン家が所有している物だと言うべきか、中は外側から見たイメージよりも広々としており、向かい合ったソフィアと膝が触れ合うこともない。椅子のクッションも絹が分厚く敷き詰められているのか程よい柔らかさと硬さを併せ持ち、長時間座っていても尻や腰が痛くならないように作られていた。内装も全体的に落ち着いたダークワイン色で、それだけでもこの馬車の所有者に好感が持てる物だった。

 

「良いわ。出してちょうだい」

 

 ソフィアが外へと声をかけ、その数十秒後に小さな揺れと共に馬車が動き始める。

 石畳を進んでいるとは思えないほど、感じ取れる揺れや衝撃は小さく、そして少ない。

 ウルベルトは車内に巡らせていた視線を目の前のソフィアへと向けると、早速打ち合わせを始めようと口を開きかけた。

 しかし目の前の彼女は珍しくも何やら深く考え込んでいるようで、ウルベルトは咄嗟に口を閉じて思わず小さく首を傾げさせた。

 

「……如何しましたか?」

 

 彼女の様子が気になり、短く問いかけの言葉を口にする。

 ソフィアは下に向けていた目をウルベルトへと向けると、未だ考え込むような素振りを見せながらもゆっくりと口を開いてきた。

 

「……先ほどの“歌う林檎亭”でのことですけれど、もしかしたら騒いでいた男は金貸しの者だったのかもしれませんわ」

「金貸し、ですか……?」

 

 “金貸し”とは、もっと分かり易い言葉に直すならば“借金取り”のことである。

 しかし何故ここで“金貸し”が出てくるのか……。

 思わず更に首を傾げさせるのに、ソフィアは少し難しそうに小さく眉間に皺を寄せた。

 

「あの男、フルトという方に用があったのだと仰られていたでしょう? 恐らく、あのアルシェという子に会おうとしていたのだと思いますわ」

「……ああ、確かにフルトだと名乗っていましたね」

 

 先ほどの自己紹介の時のことを思い出し、同意の言葉と共に一つ頷く。

 

「ええ。それで、彼女を見て思い出したのですけれど……。そのフルト家は、実はわたくしたちの間では結構有名な家なんですのよ」

 

 “有名”という言葉のわりに、ソフィアの浮かべている表情は何とも曖昧で複雑なものである。恐らく良い意味で“有名”なのではなく、悪い意味での“有名”なのだろう。

 

「ノークランさんたちの間で……ということは、商人たちの間で有名だということでしょうか。何がそんなに有名なのですか?」

 

 悪い意味で有名なのであれば、財布の口が堅いとかクレーマーで有名なのだろうか……と考えを巡らせながら問いかける。

 ソフィアは一瞬躊躇するような素振りを見せた後、次にはどこか不安そうな表情を浮かべながらウルベルトを上目遣いに見つめてきた。

 

「……その、これから話すことはできれば内密にして頂きたいのですけれど、実は今のフルト家のご主人……あの子の父親は金遣いが荒いことで有名ですの。もともとは古くから続く名門の貴族でしたけれど、今の皇帝陛下の大改革によって没落し、今や見る影もありませんわ」

「ほう……。それなのに、金遣いが荒いのですか?」

「ええ。本来ならば普通の生活をするだけでも苦労するはずですのに……。他の商人たちの話では、金貸しから金を借りてまで贅沢な生活を今も続けているようで……。それも金貸しに返済する資金は全て娘であるあの子に任せきりにしているとか……」

「………つまり、娘にはワーカーという危ない仕事をさせて返済までさせているというのに、本人は家でのうのうと優雅な生活を送っていると?」

「そういうことになりますわね……」

「……………………」

 

 ソフィアの口からもたらされた情報に、ウルベルトは思わず小さく金色の瞳を細めさせた。

 無能な貴族というだけでも気に入らないというのに、娘に全てを押し付けているという事実に非常に胸糞悪くなる。

 ソフィアも同じことを考えているのか、こめかみに手を添えながら深くため息をつき、やれやれとばかりに小さく頭を振っていた。

 

「……はぁ、これではあまりにもあの子が不憫でなりませんわ。これ以上はフルト家に不要な物を勧めたりしないよう、ノークランの名で商人たちに言い渡した方が良いかもしれませんわね」

「おや、宜しいのですか? 言い方は悪いですが、折角の金づるだったのでしょう?」

 

 思わず意外そうな表情を浮かべた後、次には少し揶揄うような言葉を投げかける。

 どこか悪戯気な笑みを浮かべるウルベルトに、ソフィアは一瞬キョトンとした後、すぐに不満そうな……それでいて少し拗ねたような表情を浮かべてきた。

 

「まぁ、意地悪な方! 心配して頂かなくても、ノークラン商会も他の商人たちも、顧客が一人いなくなったところで立ち行かなくなるほど脆弱ではありませんわ!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませて怒る様は非常に子供っぽく、どこか可愛らしい。知らず柔らかな笑みを浮かべるウルベルトに、ソフィアは初めて見た表情に一瞬で顔を真っ赤に染めた後、次には誤魔化すようにワザとらしく咳払いを零した。

 

「そ、それに……、品物を売っても喜んで頂けないのなら、それは意味のないことですわ。買って下さった方だけでなく、そのご家族も満足させてこそ意味がありますもの」

「そうですか……」

 

 自信満々に胸を張って満面の笑みを浮かべるソフィアに、ウルベルトも柔らかな笑みを浮かべる。

 正直に言って、ウルベルトはソフィアをいい意味で見直していた。今までは上流階級のお嬢様という身分と“歌う林檎亭”で初めて会った時の印象からソフィアのことを軽視していたのだが、今回のことでソフィアに対する見方や印象が大きく変わった。

 なるほど、人を束ねるだけの器ではあるかもしれない、と……。

 非常に上から目線で偉そうな思考ではあるものの、それでもウルベルトがソフィアを多少なりとも認めたという事実は、もしこの場にモモンガやペロロンチーノがいたなら非常に驚き、意外に思うほど珍しいことだった。

 ソフィア自身も自分に対して初めて向けられた柔らかな笑みに、歓喜に目を輝かせて非常に嬉しそうに頬を染めながら笑みを浮かべる。しかしソフィアはすぐにだらしなく緩んでいる自分の顔を自覚すると、慌てたように笑みを引っ込めて未だ顔を真っ赤に染め上げながらも再び誤魔化すために何度か咳払いを零した。

 

「こ、この話はここまでにしましょう。今はこれからについて打ち合わせる方が先決ですわ」

「そうですね。……確か、これから会う方はオスクという商人の方でしたね」

「ええ、我がノークラン商会と肩を並べられるほどの大商人ですわ。わたくしと同じく闘技場の興行主(プロモーター)でもあり、武王を個人的に所有している人物ですわ。武王との試合を行いたい場合は、彼の許可を得ねばなりません」

 

 真剣な表情を浮かべながら説明するソフィアに、ウルベルトは小さく頷きながらも内心では面倒臭さを感じていた。

 本来であれば、人のモノを借りるのだから許可を求めるのは当然のことだろう。ウルベルトとてその理屈は理解しており、当然だとも思っている。しかし、今回の武王との試合自体を少々どころか半分以上面倒臭いと考えているウルベルトにとっては、この工程すらひどく面倒臭く感じられた。とはいえ、一度受けた依頼を放り出すわけにもいかない。

 ウルベルトは出そうになったため息を寸でのところで呑み込むと、気分を変えるように少しだけ話題の矛先を変えることにした。

 

「そのオスクという方はどういった方なのですか?」

「そうですわね……。非常にやり手であることは間違いありませんわ。後は“戦い”というものがとても好きな方なんですの」

「つまり、好戦的……ということでしょうか?」

「いえ、彼自身は戦う術など全く持ち合わせておりませんわ。何と言えば宜しいかしら……。彼は“戦い”というもの自体を好んでおりますのよ。戦いを制する強者を、強者を形作るその肉体を、そして使われる武器や防具を……。だからこそ闘技場の興行主(プロモーター)でもあるのです。それに彼の屋敷には、これまで集めた多くの珍しい武器や防具が飾られております。きっと驚きますわよ」

 

 ふふっと小さな笑い声を零すソフィアに、ウルベルトは少しオスクという人物に興味を抱きながら『それは楽しみですね』とだけ答えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “歌う林檎亭”を出て20分ほど。

 漸く動きを止めた馬車に気が付いて、ウルベルトとソフィアは語らっていた口を閉ざした。自然と扉へと目を向ければ、それに反応したかのように扉が外側から開かれる。

 目的地に着いたことを知らせる馭者に、まずはウルベルトとユリが馬車の外へと出た。続いてソフィアも馬車から出ようとする中、ウルベルトがサッとソフィアへと片手を差し出す。

 ソフィアは驚いたように一瞬動きを止めてウルベルトの手と顔を交互に見やると、次にはサッと頬を赤らめながらもゆっくりと差し出されているウルベルトの手に自身の手を添えるように置いた。ウルベルトの手を支えに、優雅な身のこなしで馬車から地面へと降り立つ。

 

「あ、ありがとうございます」

「いえ、構いませんよ」

 

 ウルベルトとしては“ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル”ならばするであろう行動をしただけである。言うなればロールプレイをしただけであり、ウルベルトはすぐにソフィアから目を離すと周りの景色や目の前に佇む屋敷へと目を向けた。

 ここは高級住宅街であるらしく、目の前にある屋敷は数多ある立派な屋敷の中でも特に大きく豪奢なものだった。目の前には大きな門があり、敷地内と外を強固に遮断している。

 門の前には一人の執事然とした細い男と一人のメイドが立っており、男は穏やかな表情を浮かべながらじっとウルベルトたちを見つめていた。

 

「お待ちしておりました、ソフィア・ノークラン様。そちらがレオナール・グラン・ネーグル様とリーリエ様でいらっしゃいますね?」

「ご無沙汰しておりますわ。オスクはいらっしゃるかしら?」

「はい、主人は既にお待ちでいらっしゃいます。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

 

 ソフィアの言葉に頷き、男はウルベルトたちを促すようにこちらに背を向ける。無言のメイドを引き連れて屋敷内へと歩いていくのに、ウルベルトたちもその背を追うようにして敷地内へと足を踏み入れた。

 門を潜り、扉を抜け、長い廊下をゆっくりと歩く。

 廊下の壁にはいかにも商人の屋敷らしく幾つもの絵画が飾られていたが、しかしウルベルトはそれに一切目を向けず、ただじっと目の前で背を向けて歩いているメイドを見つめていた。

 しかしその理由は決してペロロンチーノのような浮ついたものではない。

 ウルベルトが釘付けになっているのは、彼女の頭に生えている長い獣の耳だった。どう見ても兎耳。まるで第一位階魔法の〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を発動させているようである。しかし先ほど門で見たメイドの顔が、その魔法を使用している可能性を否定していた。

 彼女の顔をマジマジと見ることはできなかったものの、それでもどういった顔つきをしていたかくらいは見ることが出来ていた。今は見ることが出来ないメイドの顔は動物的な可愛らしい顔つきをしており、お世辞にも『どこからどう見ても人間』とは言えないものだった。

 恐らく彼女は人間ではなくラビット・マンという種族なのだろう。

 となれば、武王しかりこのメイドしかり、どうやらこの屋敷の主であるオスクは人間以外の種族に対してこれといった嫌悪もマイナスイメージも全く持っていないようだった。

 ウルベルトは断然オスクへの興味が強くなり、これからについて少し楽しくなってきていた。

 

「旦那様、お客様がお見えになりました」

 

 ウルベルトが内心ウキウキとしている中、目的の部屋に着いたのだろう、執事が足を止めて目の前の扉へとノックと共に声をかける。

 一拍後に扉から入るよう返答の声が返り、執事は扉を開きながら脇によると、ウルベルトたちへ中に入るよう促した。

 

「お邪魔しますわ」

「失礼します」

 

 ソフィアを先頭にウルベルトたちは案内された部屋の中へと入って行く。

 室内は多くの武器や防具が所狭しに飾られており、まるで武器や防具の博物館と化していた。しかもよく見れば、飾られている武器も防具も全てが傷やへこみを少なからず刻んでおり、使い込まれている様子に唯の飾られるためだけの物ではないことが窺える。

 ウルベルトは興味津々とばかりに室内を見回すと、不意に部屋の中心に立っていた男と目が合った。恰幅が良く頭髪が非常に薄くなっているその男は、ふくよかな顔に満面の笑みを浮かべてウルベルトたちへと軽く両手を広げてきた。

 

「ようこそおいで下さいました、ノークラン嬢。そして“サバト・レガロ”の皆さん! 歓迎いたしますよ」

 

 恐らくこの男がこの屋敷の主であるオスクなのだろう。ウルベルトたちにソファーを勧めた後、自身も飛び出した丸い腹を小さく揺らしながら向かい合うような形で一人用のソファーへと腰掛けた。ここまで案内してきた者とは別の従者が部屋に入り、紅茶の入ったカップと茶菓子を乗せた皿をテーブルに並べていく。最後に一礼と共に出ていくのに、まるでそれが合図であったかのようにオスクが笑みに歪められている口を開いてきた。

 

「“サバト・レガロ”のお二方とは初対面ですな。初めまして、しがない商人のオスクと申します」

「初めまして。私は“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルと申します。こちらは私の仲間のリーリエです。あなたが凄腕の商人であることはノークランさんから聞いております。お会いできて光栄ですよ」

 

 営業スマイルで笑いかけてくる相手に、ウルベルトも負けじと綺麗な営業スマイルで返してやる。現実世界(リアル)にいた頃は非常に苦手だったはずなのに、いやに板についてきたものだ……と内心で呟きながら、目の前のオスクの視線がソフィアへと向けられるのをじっと見つめた。

 

「それで……、本日我が家にお越し頂いたのは如何なるご用件でございましょうか?」

「あら、白々しくお惚けにならないで下さいまし。手紙で伝えていたでしょう。武王の件ですわ」

「ええ、ええ、勿論覚えておりますとも。ですが、少々信じられなかったものですから。あなたは武王があまりお好きでなかったのでは?」

「武王が嫌いなのではありませんわ。どちらかというと、あなたが好きになれないだけです」

「おや、これは手厳しい」

 

 オスクの疑問の言葉に、ソフィアは大きく顔を顰めさせる。オスクを嫌っているというのは本当なのだろう、苦虫を何十匹もまとめて噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

「ですが、わたくしはあなたの商人としての手腕も闘技場の演目に対する熱意も十分に認めておりますわ。ええ、ええ、いつもお父様を困らせるあなたであっても、きちんと認めておりますとも。だからこそ、本日はノークラン商会のソフィア・ノークランとしてではなく、あなたと同じ一人の興行主(プロモーター)として演目の依頼に伺ったのですわ」

 

 途中苦々しい嫌味のような言葉は入っていたものの、それでも胸を張って堂々と言ってのけるソフィアの姿は非常に凛々しく美しい。この場にいる全ての者に唯の甘ったれた貴族令嬢ではないということを知らしめるかのような姿に、オスクは少しだけ営業用の笑みから自然な笑みへと表情を変化させた。

 

「なるほど、ノークラン嬢の仰りたいことは分かりました。……では、武王と戦われるのはあなた方ですかな?」

 

 オスクのつぶらでいて小さな目が再びこちらに向けられる。どこか観察するようなその視線に、ウルベルトは伸ばしていた背筋を更にスゥッと真っ直ぐに伸ばした。顔の笑みは消さないまま、真剣な色を帯びた金色の瞳を真っ直ぐにオスクへと向ける。

 

「そうですね。詳しく言えば、私が(・・)お相手しようと思っております」

 

 ウルベルトの言葉に、オスクは笑みを引っ込めて小さく首を傾げさせた。可愛らしくもない動作をするオスクの顔には『意味が分かりません』とはっきりと書かれている。

 暫くマジマジとウルベルトを見つめ、次にはウルベルトの隣に座るソフィアへと目を向けた。しかしソフィアは素知らぬ様子で紅茶を飲んだり茶菓子を摘まんだりしており、オスクは諦めて再びウルベルトへと視線を戻した。

 

「……すみません。もう一度確認させて頂きたいのですが、武王と戦われるのはどなたですか?」

「私です」

「……………………」

 

 再び静寂が室内に立ち込める。

 オスクは暫くマジマジとウルベルトを見つめると、どうしても納得しかねるといった表情を浮かべて更に大きく首を傾げさせた。

 

「………何度も確認して申し訳ありませんが……、もしやあなた御一人で武王と勝負すると仰られているのですかな?」

「ええ。武王もチームではなく一人なのでしょう? であるならば、こちらも一人で一対一で勝負するのが筋だと思いませんか?」

 

 非常に当たり前のことを言っているかのような口ぶりに、オスクは小さな目をぱちくりと瞬かせた。

 何度も言うようだが、全く可愛らしくない。

 ウルベルトが思わず内心で顔を顰めさせる中、不意にオスクが勢いよく笑い始めた。あまりに突然のことに、ウルベルトもソフィアも驚愕に大きく目を見開かせる。何の前触れもなく笑い始める様に、もしや気が触れたのかと疑いそうになる。

 

「ふははははっ、正気ですか! 武王は人間ではなくモンスターであり、恐らく歴代“武王”の中でも最強の男ですぞ? それを唯の人間が一人で立ち向かって勝てるなどと……」

 

 途中で言葉は切られたものの、オスクは自信満々な様子でゆるゆると首を横に振って見せる。どうやら勝つことなど不可能だと言いたいらしい。あまりに不遜な態度にソフィアが思わず不満そうな表情を浮かべる中、しかしウルベルトは一切表情を変えることはなかった。まぁ、普通はそう思うだろうな……と内心で頷くだけである。

 しかしここで引いてチームで戦うことになっては非常にマズいことになる。

 ウルベルトは顔に浮かべている柔らかな笑みはそのままに、ワザとらしく首を傾げてみせた。

 

「ふふっ、とても自信がおありなのですね。ですが私としても、自信がなければこのようなことは言いませんよ。……オスク殿は闘技場で我が“サバト・レガロ”の試合を見たことはありますか?」

「ええ、何度も拝見しましたよ。非常に素晴らしいものだった! しかし、武王は今まであなた方が相手にしてきた者たちとは全く違うのです。正に別格の強さ! 貴方も相当な強さを持っているとお見受けしますが、御一人で武王に立ち向かうなど無謀としか言えません」

「あら、あまりにも傲慢な物言いですわね。わたくしはネーグルさんの力を非常に高く評価しておりますわ。……あなたの武王に匹敵するかもしれないと思うほどに」

「おや、そこまで仰るとは珍しいですな」

 

 すかさず舌戦に参戦してきたソフィアに、オスクは面白そうな笑みを浮かべてソフィアを見やる。小さな目でソフィアとウルベルトを何度か交互に見やると、最後には何かを納得したように一つ大きく頷いた。

 

「……なるほど、これは私とノークラン嬢との勝負でもあるようですな。……分かりました、良いでしょう。武王とネーグル殿の試合を組みましょう」

 

 大きく頷いて承諾するオスクの顔にはどこまでも楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 その笑みが本物なのか仮面であるのかはウルベルトの目には判断することが出来なかったが、それでもウルベルトは一切構うことなく、ただ一言礼を言って小さく頭を下げた。

 

 



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第51話 敷かれる盤面

お待たせしてしまいまして、大変申し訳りません!!
漸く続きを更新できました……(汗)
今回の話は、ご都合主義色が強いと思われます。
すみません、許して下さい。
生ぬるい目と心で読み流して頂ければ幸いです(土下座)


 いつもと変わりない活気のある大通りを、漆黒の甲冑姿の戦士と漆黒の美女が連れ立って歩いている。

 一見威圧的なその風貌と存在感に、しかし街行く人々は誰もが親しみと尊敬の笑みと眼差しを彼らに向けていた。人によっては実際に声をかけたり、挨拶を交わしたり、中には握手を求める者もいる。

 正に英雄を前にした言動や反応を向けてくる人々に、甲冑の戦士……“漆黒の英雄”モモンに扮するモモンガは、内心で大きなため息をついていた。

 “名声を上げる”という当初の目的が達成されたのは喜ばしいことではあるが、しかしこうも四六時中誰かに注目されるという状況は如何なものだろうか。依頼を受けてナーベラルと共に街から出ている時は問題ないのだが、街中にいると必ずと言って良いほど誰かに声をかけられる。全くもって心が休まらない……。

 

(……ウルベルトさんも、帝国にいる時は同じ感じなのかな~……。)

 

 帝国で自分と同じような立場にある仲間を思い、その立ち居振る舞いを想像してみる。

 しかしその瞬間、頭に浮かんだ光景にモモンガは思わず内心でガクッと大きく肩を落とした。

 何故か自分と同じように悪戦苦闘して疲労感を漂わせている友の姿が一向に頭に浮かんでこない。逆に、何故か嬉々として厨二病を発病させている友の姿ばかりが思い浮かんでくる。

 その姿の何と生き生きとして、輝いていることか……。

 唯の自分の妄想でしかないというのにその想像した光景は妙な説得力があり、モモンガは内心で大きなため息をつくと、これ以上考えないようにしようと思考を切り替えた。

 今はそんな事よりも集中して取り組まなければならない仕事が控えているのだ。余計なことを考えている場合ではない……と自身に言い聞かせると、モモンガは心の中で活を入れた。

 彼が向かっているのは、エ・ランテルで自身の拠点としている“黄金の輝き亭”。既に慣れた足は意識しなくとも歩を重ね、迷いなく目的の宿へと辿り着く。扉を開ければ煌びやかな内装が姿を現し、温かく柔らかな空気がモモンガたちを迎えて包み込んできた。

 エントランスには幾人かの客や従業員がおり、一様に中に入ってきたモモンガたちへと目を向ける。瞬間、驚愕や好奇や憧れのような視線が向けられるのに、しかしモモンガはそれには一切構うことなく奥にある階段へと歩を進めていった。

 部屋は既に取ってあるため、受付で手続きをする必要はない。なるべく威風堂々と見えるように意識しながら歩を進め、やがて二階奥にある大きな扉まで辿り着いた。

 当たり前のようにナーベラルがモモンガと扉の間に身を滑り込ませると、扉を開けて部屋の中を確認した後に漸く頭を下げて道を空けてくる。

 いつでもどこでも仰々し過ぎる彼女の行動に内心辟易しながらも、しかしモモンガはその感情はおくびにも出さずに鷹揚に頷いて返すだけだった。見慣れた室内へと足を踏み入れ、漸く自身に突き刺さる視線がなくなったことに思わず小さく息をつく。

 しかし、ここで気を緩めるわけにはいかない。

 その原因たる存在に目を向ければ、視線がかち合った“それ”はすぐさまその場に傅いて深々と頭を下げてきた。

 

「お帰りなさいませ、モモンガ様」

「……ご苦労。頭を上げよ」

 

 部屋に備え付けられている豪奢な椅子に腰かけながら短く命じれば、こちらに向けられている金色の旋毛がゆっくりと上げられて見えなくなる。

 代わりに現れたのは、人間種の若い男の顔。目元は長い金色の前髪で隠れており、こちらが見ることができるのは頬骨から下の部分のみ。

 しかし、その顔の人物は容易に特定することができ、その顔は紛れもなくンフィーレア・バレアレという人間種のものだった。

 とはいえ、当然のことではあるが目の前にいる男は本物のンフィーレアではない。

 彼の正体はンフィーレア・バレアレに扮した上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)。もっと正確に言うのであれば、ナザリックに属する“五大最悪”の一体であるチャックモールの直属の部下、エーリッヒ擦弦楽団に属する上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)の内の一体だった。

 では何故そんな存在がンフィーレアの姿をしてこの場にいるのか……。

 それはペロロンチーノの提案であり、『それくらいならば…』とウルベルトも許可したことで実行することに至ったある小さな計画のためだった。

 

「……それで、準備は滞りなくできているのか?」

「はい。彼の女もあちらに寝かせております」

 

 本物のンフィーレアを知っているだけに、今の仰々しくも畏まった態度の姿を見るとどうにも違和感が湧き上がってくる。

 しかし、本番でもないのに演技をしろというのも酷な話だろう。ここは自分が我慢すべきだと判断すると、モモンガはなるべく気にしないように努めながらンフィーレアが“あちら”と言った方へと顔を向けた。

 視線の先にあるのは寝室となっている隣室。

 ここからでは角度的に中を見ることはできないが、これまでの記憶が正しければ今いるこの部屋と同様の豪奢な内装の部屋になっているはずだ。

 様子を見に行こうかと腰を上げかけたその時、不意に扉からノック音が聞こえてきて、モモンガたちは扉へと顔を向けた。無言のまま伺いを立ててくるナーベラルに頷いてやれば、彼女は一礼と共に扉へと歩み寄っていく。一度小さく扉を開けて相手を確認すると、次には扉を閉めてこちらに向き直ってきた。

 

「モモンさーーん…、“クアエシトール”の方々が参られました」

「……ああ、入ってもらってくれ」

 

 “クアエシトール”とはパンドラズ・アクターたちが冒険者となっている時に使っているチームの名前だ。

 ついに来た本番にモモンガが内心で緊張する中、ナーベラルが再び開けた扉から勢い良く一人の少年が室内へと飛び込んできた。

 

「……姉さん…っ!!」

 

 いや、入ってきたのは少年ではなく、少年の格好をした一人の少女。

 焦燥の色を濃く浮かべたニニャが忙しなく部屋を見回す中、彼女を追って三人の男女がゆっくりとした足取りで室内に入ってきた。

 

「ニニャさん、急にお邪魔しては失礼になりますよ」

 

 柔らかな口調で少女に声をかけたのは一人の細身の男。

 一見盗賊か暗殺者のようにも見えるこの男は“クアエシトール”のリーダーであるマエストロに扮しているパンドラズ・アクター。そして彼に続くようにして現れたのは“クアエシトール”のメンバーであり、この世界の元々の住人であるブレイン・アングラウスとブリタという戦士の二人組だった。

 どちらも“クアエシトール”に入る前からモモンガはこの二人を知っている。

 とはいえ、それこそ一言二言言葉を交わしたことがある程度でしかなく、しかしそんな初見と言っても過言ではないモモンガの目から見ても、今の二人が“クアエシトール”に入る前に比べて随分と様変わりしていることが見てとれた。

 いや、それはブレインとブリタの二人だけに限ったことではない。注意されてマエストロに謝罪しているニニャもまた、以前会った時に比べると大きく様変わりしているようだった。

 まず、その身に纏う装備のレベルが段違いになっている。

 “クアエシトール”はパンドラズ・アクターがリーダーを務めるチームではあるが、メンバーの半数以上が現地人であるということもありナザリックが所有する装備やアイテムなどのナザリックの恩恵は殆ど受けてはいない。唯一パンドラズ・アクターの装備だけはナザリックの宝物殿から持ってきた物ではあるが、しかしそれもレベルは大体遺産級(レガシー)程度。ニニャ、ブレイン、ブリタの装備は全てこの世界の物であるため、ナザリックの物に比べるとやはり見劣りすることは否めなかった。

 しかしそれでもこの世界の基準で考えれば品質は相当に上がっている。少なくとも(ゴールド)クラスの冒険者と同程度の質の物ではないだろうか。

 加えて彼らの身に纏う雰囲気もまた、若干青臭いものが混ざっていたものから精錬された凄みが宿るものに変化しているようだった。

 特にニニャとブリタの変化は大きい。

 その首に下げられている冒険者プレート自体は未だ(シルバー)だったが、しかし醸し出される雰囲気は装備同様(ゴールド)クラスにも引けを取らない。

 恐らくパンドラズ・アクターとブレインの影響が大きいのだろう。

 もしかすれば、パンドラズ・アクターが行っている経験値とレベル上昇、武技に対する研究の副産物(効果)なのかもしれなかった。

 

「………お久しぶりです、モモンさん。……その、先ほどは挨拶もせずに失礼しました」

 

 マジマジと彼らを観察する中、唐突にニニャに声をかけられる。

 モモンガは取り敢えず観察を中断すると、小さく頭を振りながら座っていた椅子から素早く立ち上がった。

 

「いやいや、構いませんよ。家族を心配する気持ちは分かりますので」

「あの…、では、本当なんでしょうか? その……、僕の姉が見つかったというのは……。それに、何故ここにバレアレさんが? まさか、姉の身に何か……っ!?」

「落ち着いて下さい。確かにお姉さんは発見した当初はひどい状態でしたが、今は傷も癒えて健康そのものになっています。彼がこの場にいるのは違う用件です。……とはいえ、実際にその目で見て確認しなければ不安でしょう。こちらへどうぞ」

 

 未だ不安そうな表情を浮かべるニニャに頷いてやりながら、早く会わせてやろうと踵を返す。

 そのつま先が向けられたのは隣の寝室。

 迷いなく隣室へと向かうモモンガに、ニニャたちも足早にその後を追いかけた。

 寝室に足を踏み入れれば、そこは先ほどまでいたメインルームと同じく豪奢でいて煌びやかな内装。しかし置かれている家具はテーブルやソファーなどではなく、趣のある立派なスタンドランプや小さな椅子、そして何より天蓋付きのキングサイズの巨大な寝台が部屋の中心に堂々と置かれていた。

 戸惑いと確認の目を向けてくるニニャに一つ頷いてやれば、彼女はすぐさま天蓋付きの寝台へと駆け寄っていく。天蓋の薄布を振り払うようにしながら寝台の上を覗き込み、そこに寝かされている少女を見た瞬間、大きな目を更に大きく見開かせて全身を硬直させた。

 一拍後、まるで堰を切ったようにポロポロと見開かせた双眸から大粒の涙を零し始める。

 ニニャはクシャッと顔を歪めると、まるで頽れるように毛足の長い絨毯が敷かれている地面に両膝をつき、目線を寝台に横たわっている少女に合わせながら震える手を伸ばした。シーツの上に力なく置かれている白い手を取り、涙に濡れる自身の頬へとそっと押し当てる。まるでそのぬくもりを感じようとするかのような仕草に、モモンガたちは暫くその様子を静かに見守っていた。

 数分の後、漸く落ち着いたのかニニャが徐に一つ大きく息を吐き出す。頬に押し付けていた少女の手を寝台の上に戻すと、改めて泣き濡れた顔をこちらに向けながら膝立ちから立ち上がった。

 

「………僕の姉に間違いありません…。……本当に、ありがとうございました……!」

 

 ひどく揺れる涙声ながらも礼の言葉と共に深々と頭を下げてくる。

 モモンガは少しの間その姿を見つめた後、次にはゆっくりと頭を振った。

 

「……どうか頭を上げて下さい。我々がツアレニーニャさんを見つけたのは偶然ですので、そんなに気にせずとも結構ですよ」

「いいえ、例え偶然だったとしても、姉を見つけてくれたことには変わりありません。それに、……先ほど“発見した当初はひどい状態だった”と仰っていたということは、姉は酷い怪我を負っていたか病気にかかっていたということですよね? でも、ここにいる姉は健康そのものに見えます。モモンさんたちが姉を治療して下さったのなら、尚のこと感謝するのは当然のことです」

 

 頭を下げたまま話す少女の姿からは、言葉通りの感謝と真摯な感情が伝わってくる。

 正直に言えばツアレを見つけたのはセバスであるし、怪我の治療をしたのはソリュシャンとルプスレギナなのだから、自分に感謝などする必要はない。しかし、そんなことを言っても仕方がないことくらいモモンガも理解していた。第一、セバスたちのことを話したところで彼女を混乱させるだけだろう。どうにもセバスたちの手柄を横取りしたようで居心地が悪かったが、モモンガは黙ってニニャからの感謝を受け取ることにした。

 

「そう、ですね……。では、ニニャさんからの感謝の言葉は受け取っておきましょう」

 

 努めて何でもない事のように軽い口調で言えば、ニニャが下げていた頭をゆっくりと上げてくる。

 少女は真剣な表情を浮かべたまま、青色の瞳を真っ直ぐにモモンガに向けてきた。

 

「僕はこれまでモモンさんには何度も助けられてきました。……バレアレさんのお店では命を救われ、マエストロさんたちを紹介してもらい、今回は長年捜していた姉も見つけて保護してもらいました。僕は、モモンさんに少しでも恩を返したい……。僕に何か、出来ることはありませんか?」

 

 向けられる表情も紡がれる声音も真剣そのもの。

 モモンガは見た目では冷静にそれらを受け止めているように見せていたが、内心では『よっしゃーーっ!!!』とガッツポーズを決めていた。

 実を言えばここからどう話を進めていこうか非常に悩んでいたのだ。ニニャの方から申し出てくれるのは非常にありがたい。

 モモンガはワザとらしく顎に人差し指を引っ掛けるように触れさせると、考え込むような素振りを見せた。暫く黙り込んで間を作り、そこで漸く部屋の隅で様子を窺っているンフィーレアへと顔を向けた。

 

「……ふむ、そうですね……。では、私の代わりに彼の頼みを聞いてあげて頂けませんか?」

「バレアレさんの、頼み……ですか……?」

 

 モモンガの言葉が予想外だったのだろう、ニニャが大きな目を更に大きく見開かせてキョトンとした表情を浮かべてくる。

 反射的にこの場にいる全員がンフィーレアへと目を向けると、ンフィーレアはにっこりとした笑みを浮かべてこちらに数歩進み出てきた。

 

「実はモモンさんにある相談をしていたのですが難しいと言われてしまいまして……、もし引き受けて頂けるのであればとても助かります! それに、これはニニャさんにとっても良い話だと思いますよ」

「僕にとっても? それは……、一体どういうことでしょうか……?」

 

 訳が分からず問い返すニニャの表情は不安の色に少し翳りを帯びている。

 しかしンフィーレアに扮している上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)は全くもって気にしない。堂々と気が付いていない振りをして更に浮かべている笑みを深めさせた。

 

「ニニャさんはお姉さんを捜すために冒険者になったんですよね? お姉さんが見つかった今、ニニャさんはこれからどうするおつもりですか?」

「そ、それは……」

「お姉さんが見つかったことはとても良かったと思います。ですがニニャさんにはお姉さん以外の親族は既にいないと聞いています。お姉さんが見つかった今、このまま冒険者を続けるのは難しいでしょう。お姉さんのことを思えば、冒険者を辞めてどこか静かな場所で一緒にのどかに暮らすのが一番良いのかもしれません。ですが、僕の目が間違っていなければ、ニニャさんは“クアエシトール”の一員としてこのまま冒険者を続けたいと思っているのではありませんか?」

「……………………」

 

 ンフィーレアの言葉に、ニニャは顔を俯かせて黙り込んだ。握り締められた両手の拳には力がこもり、唇はきつく引き結ばれている。

 無言ながらも、ンフィーレアの言葉がニニャの本心であることは誰の目から見ても明らかだった。

 

「すみません、別に責めている訳ではないんです。むしろ、そんなニニャさんなら僕の提案もメリットがあると思うんです」

「……メリット……。それは……一体どんな提案なんですか……?」

 

 恐る恐る様子を窺うように俯かせていた顔を上げるニニャに、ンフィーレアはニッコリとした笑みを浮かべてみせた。

 

「僕の提案は、“ツアレさんにカルネ村で僕の手伝いをしてもらう”というものです」

「えっ、カルネ村……ですか……?」

 

 どうにも話が見えず、ニニャの顔に困惑の色が濃く浮かんでくる。しかしンフィーレアは全く表情を変えずに更に詳しい説明を始めた。

 ンフィーレアの提案とは、ンフィーレアの薬師としての手伝い。

 つまりカルネ村に居を構え、ンフィーレアの依頼に応じてトブの大森林で必要な素材を採取。また、ンフィーレアが発明した新しいポーションや従来のポーションを研究で忙しいンフィーレアの代わりに定期的にエ・ランテルで売ってほしいというものだった。

 

「既にカルネ村の人たちにも協力を依頼していて快諾してもらっているんですが、あの村はまだまだ人が少ないので人手が足りない状態なんです。ニニャさんもカルネ村については覚えていますよね?」

「は、はい。とても良い村だったことを覚えています」

「カルネ村は村全体が一つの家族のようなものなので、カルネ村に住むことが出来れば普段ニニャさんが側にいなくてツアレさんが一人になっても大丈夫だと思うんです。勿論ツアレさんにもいろいろと事情があると思うので無理なお仕事は頼みません。森に入っての素材集めは村の方々がしてくれますし、エ・ランテルで薬を売るのも負担だというならして頂かなくても大丈夫です。……そうですね、取り敢えず集められた素材を種類ごとに分けて整理してもらえるだけでも大助かりです!」

 

 拳を握りしめて力説するンフィーレアに、ニニャは少々圧倒されて一歩後ろに後退る。しかしその顔には困惑以外の色も浮かんでおり、どうやらンフィーレアからの提案を真剣に考えているようだった。

 ツアレをカルネ村に住まわせるこの計画は、ただ彼女のことを案じたペロロンチーノの慈悲によるものだけではない。もしそれだけならウルベルトが許すはずもなく、彼女をカルネ村に囲い込むことは多くの理由と目的を含んでいた。

 一つ目はニニャに対する人質という目的。

 ニニャはモモンガたちにとってレベル上げや経験値の取得、武技や“生まれながらの異能(タレント)”といったこの世界独自の能力に対する研究の大切なモルモットの一人だ。絶対に替えが利かないと言う訳ではないが、ニニャの持つ“生まれながらの異能(タレント)”は非常に興味深く、それだけでも研究する価値は十分にある。また、使えるものは最後まで有効に使うというのがモモンガの信条だ。ツアレという存在のためにニニャというモルモットを失うのは少々惜しいように思われた。

 二つ目に、ツアレにかけた記憶操作の魔法の検証という目的。

 通常、普通の記憶喪失というものは身体や精神によるショックや見覚えのある存在や光景によって失っていた記憶を取り戻す場合が多々存在する。ユグドラシルでの記憶操作の魔法はユグドラシル(ゲームの世界)では絶対的な効力を発揮していたが、果たしてこの世界でもそれは変わらないのかが未だ不明だった。

 果たしてユグドラシルと同様に絶対的な効力を発揮して永久に記憶が正しく戻ることはないのか。それとも通常の記憶喪失と同じように何かしらの現象によって正常に戻る可能性があるのか……。

 その検証のために、ツアレをカルネ村に住まわせて経過を観察していく。

 勿論、先ほどンフィーレアがニニャに説明した言葉も嘘ではない。

 資金を得る一つの方法として本物のンフィーレアたちが研究中に創り出した多種のポーションを販売することをウルベルトが提案し、ペロロンチーノがその販売人としてカルネ村の人々を推薦したのは事実だ。そしてカルネ村は未だ村人の数が少ないため、何をするにしても人手が足りないというのもまた事実。

 ツアレをカルネ村に住まわせるという今回の提案は多くの意味でモモンガたちにとってメリットになり得るものだった。

 

 

「……その提案は、とても魅力的なものだと思います。僕も、出来るならその提案を呑みたい。……でも、すみません、姉さんの気持ちも聞いてみないと……」

 

 小さく顔を俯かせて言いよどむニニャに、ンフィーレアは慌てることも怒ることもなく、変わらぬ笑顔のまま一つ頷いた。

 

「そうですね。では、ツアレさんが起きるまで保留にしておきましょう。……良ければ、それまでもう少し詳しいお話をしても良いですか? 詳細が分かっていた方がニニャさんも安心して……――」

 

 ンフィーレアが言葉を続ける中、まるでそれを遮るかのように不意に隣室のメインルームの奥から扉のノック音が響いてきた。

 どうやら外からノックされたようで、自然とこの場にいる全員が部屋の主であるモモンガへと目を向ける。

 モモンガは突然の予想外の出来事に内心大いに焦りながら、しかし必死にそれを抑え込んでなるべく堂々とした態度を心掛けるとナーベラルへと顔を向けた。

 

「……ナーベ、出てもらえるか?」

「畏まりました」

 

 ナーベラルは一度恭しく頭を下げると、すぐに頭を上げて足早にメインルームへと向かっていった。彼女の足音が遠ざかり、小さく扉の開く音が聞こえてくる。どうやら外にいる誰かと話しているようで、微かに聞こえる話声の後にナーベラルが足早にこちらに戻ってきた。

 

「モモンさん、アダマンタイト級冒険者の“蒼の薔薇”の方々が是非モモンさんにお会いしたいとエントランスまで来ているとのことです」

「………は………?」

 

 ナーベラルの口から飛び出た言葉の意味が分からず、思わず呆けたような声が零れ出る。

 しかしモモンガはそれに構う余裕もなかった。

 “あおのばら”、……“青のバラ”…“蒼の薔薇”……?

 それってもしかしなくても、あの王都で会った“蒼の薔薇”か?

 えっ、何でエ・ランテルにいるんだ? それも俺に会いにきたって……、一体何の用なんだ……???

 予想外のこと過ぎて頭上には幾つもの疑問符が浮かび、思考はフリーズしそうになる。

 しかしこんなところで思考停止している場合ではない。ここにはナザリック以外の者もおり、頼りになる友は傍にいないのだ。どこからも助けを得られない今、自分で何とかするしかない。

 焦りの中でどう対応すべきか思考を捏ね繰り回す中、しかし思わぬところから意外な助け舟が飛び込んできた。

 

「おおっ、“蒼の薔薇”とは、あの有名なアダマンタイト級冒険者の方々ですか!? それは早く行かれた方が良いですね! モモンさんは“蒼の薔薇”の方々に会いに行って下さい。その間に我々はニニャさんのお姉さんが目覚めるのを待ちつつ、もう少し詳しいお話をンフィーレアさんから聞いておきましょう」

 

 抑揚の強いテンションの高さでそう言ってきたのは、マエストロに扮するパンドラズ・アクター。

 モモンガは思わず驚愕のあまり一瞬無言でパンドラズ・アクターを見つめたが、すぐに我に返ってこの有り難い助け船に飛びついた。

 

「……そう、ですね。では、少し席を外させて頂きます。なるべく早く戻りますので。……行くぞ、ナーベ」

「はっ」

 

 快く頷いてくれるパンドラズ・アクターやニニャたちに甘え、モモンガはエントランスに向かうべく踵を返す。

 ナーベラルに声をかけて背後に従わせると、後ろ髪を引かれる思いながらも部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――………モモン様っ! お久しぶりです!!」

 

 階段を下りてエントランスに足を踏み入れた途端にかけられた声。

 高く、明るく、まるで弾けたようなその声に反射的に顔を向ければ、そこには見覚えのある五人組がこちらに歩み寄ってくるところだった。

 先頭には仮面をつけた少女がおり、まるで跳ねるような足取りでこちらに駆け寄ってくる。

 

「モモンさん、お久しぶりです。事前の連絡もなく突然伺ってしまい、申し訳ありません」

 

 イビルアイに続き、“蒼の薔薇”のリーダーであるラキュースが挨拶と共に謝罪してくる。

 普通であれば当然である謝罪の言葉。しかしアダマンタイト級冒険者たるもの、こんな事で怒るようでは器を疑われかねない。

 モモンガは自身に集まっている多くの視線を感じながら、殊更大きく首を横に振ってみせた。

 

「いいえ、構いませんよ。こんなに早くまたお会いすることになるとは思っていませんでしたが……、何か火急のご用件ですか?」

「実はモモンさんにお伺いしたいことがありまして……。少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「……どうやら込み入った話のようですね。ナーベ、談話室を借りられないか受付に聞いてきてくれるか?」

「はっ、畏まりました」

 

 “黄金の輝き亭”はエ・ランテル一の最高級宿屋であることもあり、寝泊まりする部屋とは別に客同士が会談に使う談話室が幾つか設備されている。宿泊客であれば無料で使うことができ、宿泊している冒険者や商人などが良く利用していることが多かった。モモンガ自身はこれまで使ったことはなかったが、今こそ有効活用する時だろう。

 ナーベラルが受付で無事に許可をもらって戻ってきた後、モモンガは“蒼の薔薇”のメンバーを引き連れて談話室へと向かった。

 エントランスを抜け、幾つもの部屋が連なる細い廊下を突き進む。

 念のため一番奥の談話室を選んで室内へと足を踏み入れると、モモンガは“蒼の薔薇”のメンバーを振り返って席に着くように促した。

 室内は落ち着いた紺色を基調としており、部屋の中心には大きなテーブルと、対面するような形でテーブルの両脇に複数の椅子が鎮座している。椅子の数は片側に5脚の合計10脚。“蒼の薔薇”のメンバーも全員椅子に座れるようになっており、モモンガとナーベラルは隣同士で席につき、“蒼の薔薇”のメンバーもモモンガとナーベラルに対面する形で全員が椅子に腰かけた。並びはモモンガから見て左からティア、ティナ、ラキュース、イビルアイ、ガガーランの順である。

 モモンガは兜の奥でザッと目の前のメンバーの顔や様子を素早く観察すると、次には意を決して口を開いた。

 

「それで……、私に聞きたいこととは何でしょうか?」

 

 遠回しに探りを入れるには情報が足りず、またニニャたちを待たせているため時間もない。単刀直入に問いかけるモモンガに、目の前のラキュースは緊張したように背筋を伸ばしたようだった。

 

「実は……、帝国のワーカーである“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルさんについて、お二人が知っていることを教えて頂きたいのです」

「………レオナールについて、ですか……?」

 

 ラキュースの口から発せられた意外過ぎる言葉に、モモンガは思わず驚愕と困惑が綯い交ぜになって言葉を途切らせた。

 ふと、王都リ・エスティーゼでラキュースがウルベルトに対して浮かべていた恋する乙女の表情を思い出す。まさか恋慕を拗らせすぎて、こんなところにまで“レオナール・グラン・ネーグル”のことを知りに来たというのだろうか……。

 しかしそう考えてはみたものの、どうにも目の前のラキュースからはそんな浮ついた――或いはドロドロとした感情は伝わってこない。

 どちらかというと切羽詰まったような緊張感が漂っており、モモンガは何とも言えない悪い予感に襲われた。ナーベラルも同じ空気を感じ取ったのか、徐々に不穏な気配を漂わせ始める。

 モモンガは兜の中で出ないはずの唾をゴクッと飲み込む仕草をすると、気づかれないように深く細く息を吐き出した。

 

「……何故、我々に……?」

「王都にいらっしゃった時、ナーベさんがネーグルさんのファンであるとモモンさんは仰っていました。つまり、あなた方はネーグルさんのファンになる程度には彼を知っているということではありませんか?」

「例えそうだったとして……、何故そんなにもレオナールのことを知りたいのですか? わざわざエ・ランテルにいる我々を訪ねてまで?」

「それは……」

 

 モモンガからの鋭い指摘に、途端にラキュースが言葉に窮したように口ごもる。まるで何かを迷うように視線をさ迷わせた後、次には覚悟を決めたかのように真っ直ぐにモモンガへと目を向けてきた。

 

「実は、リ・エスティーゼ王国の国王であるランポッサⅢ世とザナック第二王子が、ネーグルさんに対して警戒心を持っておられるという情報を得たのです」

「……警戒心…、ですか……?」

 

 意味が分からず、モモンガは思わず小さく首を傾げる。それだけ、リ・エスティーゼ王国の王族が“レオナール・グラン・ネーグル”を警戒するというのが頭の中で(イコール)として繋がらなかった。悪魔騒動の後、礼をしたいと申し出てきた行動とも矛盾しているように感じられる。

 一体どういうことだ……と思わず兜の中で骸骨の顔を顰めさせる中、まるでそれを感じ取ったかのようにラキュースが再び口を開いてきた。

 

「陛下とザナック王子がネーグルさんを危険視する一番の理由は、ネーグルさんが帝国のワーカーであるためです。……もしかすればモモンさんは知らないかもしれませんが、現在リ・エスティーゼ王国はバハルス帝国と戦争をしています。未だ全面戦争といった大規模なものではありませんが、それでも年に一度、秋の収穫時を狙って帝国は王国に軍を派遣し、王国はその度に帝国の攻撃を防いできました」

 

 最初の前置きは、恐らくエ・ランテルに来て未だ一年も経っていないモモンガに対して気を遣って説明してくれたのだろう。

 しかしモモンガは既に王国と帝国の関係性や現状や立ち位置を正確に理解している。そして、同時に王国の王族が何を危険視し、ラキュースが何を言いたいのかも理解した。

 

「……なるほど、ワーカーは冒険者と違い、国からの依頼も問題なく受けることができる。つまり、王族の方々はレオナールが帝国からの依頼を受けて王国に牙を向くのではないかと心配しているということですね」

 

 モモンガの確認するような言葉に、ラキュースは神妙な表情を浮かべて大きく頷いた。

 

「その通りです。……ですが、ここで勘違いしてほしくないのが『王族の方々はネーグルさんを危険視してはいても決して彼を害そうとしている訳ではない』ということです。まずはネーグルさんについて知り、できるなら王国に来てもらいたい。……そのためにも、まずはネーグルさんの情報を集めようと今回モモンさんに会いに来たのです」

「………なるほど……」

 

 モモンガはラキュースからの説明に神妙に頷きながら、しかし心の中では頭を抱えていた。

 まさかこんなことになろうとは……と言うのが正直な気持ちだった。

 名声を上げ、強い影響力を得るために力の一端を見せているのに、それが警戒心に繋がってしまうなど本来転倒である。とはいえ、彼女たちの要望に従って“レオナール・グラン・ネーグル”と彼率いる“サバト・レガロ”を王国に引き入れさせるわけにもいかなかった。これまであらゆる情報を収集した結果、最終的に手に入れる価値としては王国よりも帝国の方が圧倒的に旨味が強い。既に帝国での名声を高めている“サバト・レガロ”を王国に移動させることは、何のメリットもないように思われた。逆に帝国での人脈などが白紙に戻ることを考えればデメリットにしかならない。

 これはまたウルベルトとペロロンチーノに相談しなければならないな……と考えながら、モモンガは取り敢えずこの場を何とか乗り切るべく目の前の“蒼の薔薇”に集中することにした。

 

「皆さんの用件は分かりました。……ですが、残念ながら我々はレオナールについてそれほど多く知っている訳ではないのですよ」

「それは一体どういうことでしょうか?」

「……我々も、レオナールについて知っているのは噂程度だということです。これまで実際に会って話したことはありませんでしたし……」

「噂ですか……。それは一体どこで?」

「それは…、その……」

 

 ラキュースからの鋭い追及に、思わず言葉を濁らせる。

 焦りばかりが湧き上がってくる中、不意に今まで黙っていたイビルアイが小さくこちらに身を乗り出してきた。

 

「……もしや、その噂を聞いたのはモモン様がエ・ランテルに来る前のことだろうか?」

「そっ…の、通りだ……」

 

 イビルアイからの言葉に、思わず咄嗟に頷いて返してしまう。

 何が嬉しいのか、イビルアイが仮面の奥で『ふあぁぁ~~っ』という何とも言えない奇声を上げる中、今まで黙っていた他のメンバーたちも一様に口を開き始めた。

 

「噂って、どんな噂だったんだ?」

「そうですね……。『多くの魔法や魔法具を研究している凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)がいる』というのが最初に聞いた噂でしたね。……後は、『たった一つの魔法でドラゴンを倒してしまった』だとか、『強大な力を持った魔法詠唱者(マジックキャスター)と一騎打ちして勝利し、その能力を奪ってしまった』なんていう噂もありましたね」

 

「……一つの魔法でドラゴンを倒すとか、信じられない」

「嘘っぽい……」

「二人とも、言葉を慎みなさい」

 

 モモンガの言う噂の数々に、途端に忍者服の双子の少女たちが口々に否定の言葉を口にしてくる。すぐさまラキュースが諌めに入る中、そんな彼女たちの掛け合いを眺めながら、モモンガも心の中で『だろうな……』と小さく呟いていた。

 確かにこの世界の基準で考えれば、どれも信じられないことだろう。しかしモモンガが口にした言葉はどれも本当のことであり、実際にユグドラシルでウルベルトがしてきたことだった。

 『ドラゴンを一つの魔法で仕留めた』というのは言葉通りであるし、『強大な力を持った魔法詠唱者(マジックキャスター)に勝って能力を奪った』というのは、ウルベルトがワールドディザスターだった魔法詠唱者(マジックキャスター)を倒して、新たなワールドディザスターになった時のことを言葉を変えて話しただけだ。ワールドディザスターとは、既にワールドディザスターである他のプレイヤーをPKすることで初めてなることのできる職業であるため、『能力を奪った』という言葉もあながち間違った表現ではないだろう。

 内心一人で納得する中、不意に大きく息を吐き出す音が聞こえてきて意識をそちらへと向けた。

 

「だが、まぁ…、あの悪魔騒動での戦いぶりを見た後だと、その噂も全部本当に思えてくるな。……あんたらも本当だと思ったから、あいつのファンになったんだろう?」

 

 椅子の背もたれに深く背を預けながら、ガガーランがナーベラルへと問いかけてくる。

 対するナーベラルはと言えば、ガガーランの不遜な態度とウルベルトのことを“あいつ”呼ばわりしたことで顔を般若のように歪ませていた。

 

「……あの方を“あいつ”などと呼ぶなど、身の程知らずの蛆虫が……っ!」

「ナーベっ!!」

「……おっと、こりゃマジだな……」

 

 唸るような声音と共に双眸を鋭くつり上げるナーベラルに、モモンガはすぐさま鋭くその名を呼ぶことで諌め、ガガーランは顔を引き攣らせながら無意識に姿勢を正す。

 何とか殺気を治めたナーベラルに内心で大きなため息をつきながら、モモンガは改めてラキュースたちへと顔を向けた。

 

「……と言う訳で、我々はレオナールの詳しい情報は知らないのです。力になれず、申し訳ありません」

 

 一度ここで言葉を切り、座ったまま深々と頭を下げる。目の前ではラキュースやイビルアイが慌てている気配が伝わってきたが、モモンガはそれには一切構うことなく頭を下げ続けながらこれからのことについて素早く思考を巡らせていた。

 モモンガ個人としてはこのまま引いてしまいたい気持ちは山々なのだが、しかし一方で彼女たちをそのまま放置しておくのも危険なような気がしてならない。恐らく彼女たちはこれからも“レオナール・グラン・ネーグル”について探ろうとするだろう。どんなに調べたところで王国で“レオナール・グラン・ネーグル”についての情報など出てくる筈がないだろうが、それでも何がどう繋がって来るかも分からない。例え放置するにしても、もう少し探りを入れた方が良いだろう。

 モモンガはゆっくりと下げていた頭を上げると、ホッとした様子を見せるラキュースたちを真っ直ぐに見つめた。

 

「しかし、これからどうするつもりですか? 王国でレオナールの情報は集まらないと思いますが……」

 

 諦めてくれないかな~……という思いをこっそり込めながら問いかける。

 しかしモモンガの願いも虚しく、ラキュースから返ってきた言葉はモモンガが望むものとは真逆の言葉だった。

 

「そうですね……。一度、カルネ村に行ってみようかと考えています」

「カ、カルネ村……ですか………?」

「トブの大森林近くにある辺境の小さな村なんですが、実はネーグルさんと交流があるみたいなんです。モモンさんはカルネ村をご存知ですか?」

「………ええ、依頼で何度か行ったことはありますが……」

 

 言葉尻を濁しながら、モモンガは内心で『あぁあああぁぁぁぁあぁぁ……っっ!!!』と悲鳴にも似た声を上げていた。ここに来て漸く以前の定例報告会議でウルベルトがカルネ村で“蒼の薔薇”のメンバーと会ったことを報告していたことを思い出す。まさかここで繋がってくるとは……と大きな焦りが湧き上がってきた。

 カルネ村はウルベルトだけではなくペロロンチーノも深く関わっている場所だ。もはや、『では勝手に行ってきて下さい』と言えるような場所ではない。加えてカルネ村の担当であるペロロンチーノは、今はエルフの国と法国の方に着手しているため、こちらにまで手が回らない状態だった。もう一人の仲間であるウルベルトに至っては、そもそも彼について調べに行こうとしているのだから張本人に助けを求めるなど本末転倒だ。

 ここは自分が一人で何とかするしかない……。何とか…、何とかカルネ村に行かせないようにしなくては……!!

 誰にも気づかれないように拳を握りしめて決意を胸に宿したその時、不意に目の前で腰掛けていたイビルアイが立ち上がったと同時に勢いよくテーブルに両手をついて身を乗り出してきた。

 

「モモン様! では、宜しければカルネ村まで一緒に来て頂けませんか!!」

 

「「っ!!?」」

「ちょっ、何を言っているの、イビルアイ!」

 

 イビルアイの突然の言葉に、モモンガだけでなく“蒼の薔薇”のメンバーまでもが一様に驚愕の表情を浮かべる。

 しかしイビルアイの勢いは止まらない。ラキュースからの静止の声をも振り切り、興奮した様子で一層こちらに身を乗り出してきた。

 

「我々も一度カルネ村に行ったことはあるのですが、何度もカルネ村に行かれているモモン様も共に来て頂けるのならとても心強いです!!」

 

 最後には胸元まで上げた両手を握りしめて力説するイビルアイに、モモンガは思わずその勢いに圧倒されてしまった。返す言葉が見つからず、しかしそこでふと、これは良い申し出ではないだろうか……と思い至る。

 先ほどまではずっと彼女たちをカルネ村に行かせないように考えていたが、それはどう考えても難しそうだ。ならば、自分も共に行って少しでも彼女たちの関心事を逸らすことが出来れば……。

 果たして自分にどこまでできるかは分からないが、それでも彼女たちだけでカルネ村に行かせるよりかはずっと良いだろう。

 幸いと言うべきか、今モモンガにはニニャとツアレの件もある。それらを上手く利用すれば、自分が“蒼の薔薇”に同行してカルネ村を訪れるのもそれほど不自然ではないはずだ。

 

「……そう…ですね……。ちょうどカルネ村に行く用もあります。もし宜しければご一緒させて頂きましょう」

「本当ですか!? はあぁぁ~っ!! 嬉しいです、モモン様!!」

「あ、ありがとうございます、モモンさん。宜しくお願いします」

 

 イビルアイは感極まったような素振りを見せると、明るい声を上げながらピョンピョンと飛び跳ね始める。ラキュースも椅子から立ち上がり、深々と頭を下げてくる。他の“蒼の薔薇”のメンバーも、それぞれ感謝や歓迎の言葉をかけてくる。

 モモンガは目の前の少女たちは見つめながら、一人これからのことについて必死に思考を巡らせていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 夜の闇に染まった深い森の奥。

 微かな風にのみ揺れていた茂みの葉が、不意に過ぎった複数の影によって大きく騒めいた。

 森の中を駆けるのは四つの細身の影。

 森に潜む獣も魔物も寄せ付けず、四つの影は闇の奥へ奥へと駆け進んでいく。

 そして最後に辿り着いたのは、森の木々の影に隠れるようにして潜む一つの岩の洞窟。

 四つの影は一度洞窟の入り口で立ち止まると、まるで相談し合うかのように互いに顔を寄せあった。

 

「――……ここで間違いないのか?」

「はい、ここです」

「……まずは入ってみよう…」

 

 三つの影が洞窟の入り口の闇を見つめながら小さく囁き合う。しかし残りの一つの影だけは無言を貫き、そのまま一人別方向へと進んで闇へと消えていった。残った三つの影はそれを一切止めることなく、未だ真っ直ぐに洞窟の入口の奥を見つめている。しかし次には意を決すると、再び一列となって洞窟の中へと足を踏み入れていった。

 洞窟の中は肌寒さを感じるほどに涼しく、しかし湿り気は一切なく乾いている。

 無言のまま洞窟の奥へと突き進む中、不意に開けた闇に三つの影は自然と足を止めた。

 細い通路を抜けた先にあったのは、天井が抜けた広い空間。中心には一つの大きな岩が佇んでおり、まるでスポットライトのように月の光が青白くその岩を照らしている。

 そして、まるでその岩が玉座であるかのように腰かけている一つの影。

 自然とそれらを見上げる三つの影の目の前で、岩に腰かけた“それ”は仮面から覗く鋭い瞳を鋭く煌めかせた。

 

 




今回久しぶりに出てきたパンドラ一行!
ブリタについてはいろいろ皆さんのご意見はあるかと思いますが、当小説のブリタはそれなりに強くなる設定です。
とは言っても、せいぜいが金級程度。
クライムくらいをイメージしておりますので、クライム以上に強くなることはないと思われます。

*今回の捏造ポイント
・“クアエシトール”;
パンドラズ・アクターが率いる冒険者チーム。
『クアエシトール』とは、ラテン語で『探究者』という意。


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第52話 運命の分岐

久々に(ギリギリですが)一か月以内に続きをUPすることができました!
やった~~!!
今話はオリキャラが多数出ますので、ご注意ください。


 ――……時は半日ほど前まで遡る。

 

 繰り返される喧騒と動乱。宙を舞い土を濡らす赤い飛沫と、地面に倒れる幾つもの死骸。傷つけられ、命を途切らせる者は数知れず、しかし怒号も悲鳴も鳴り止む気配はない。どんなに陽が昇り、どんなに陽が翳って世界が闇に包まれようと、終わりの見えない嵐が絶えず森を包み込んでいる。誰もが疲弊し、変わることのない日々に半ば絶望しながら、しかしそれでも多くの者が仲間や家族のために刃を振るい続けていた。

 そんな殺伐とした日々の中、変化はある日突然訪れる。

 その最初の変化は一つの足音が引き連れてきた。

 足音の主は、一人のエルフの青年。名を、カータ・ファル=コートレンジ。

 エルフ軍の閃牙(せんが)第一部隊に所属している兵の一人だった。

 エルフ軍は役割によってそれぞれ部隊の名前が決められている。

 剣を手に戦う前衛部隊を赤刃(せきじん)

 弓矢で戦う後衛部隊を閃牙。

 魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のみの後衛部隊を魔光(まこう)

 信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)のみの支援部隊を聖光(せいこう)

 闇に潜み相手側の情報を盗み、時には暗殺をも熟す隠密部隊を黒風(こくふう)

 そして、動物や魔物を使役して用いる遊撃部隊を導手(どうしゅ)

 隊の数は部隊によってそれぞれ異なるものの、第一部隊が最上位の精鋭部隊であることはどこの部隊でも変わらない。

 カータ自身も第一部隊に所属している以上弓の腕は非常に秀でてはいたが、しかしここで問題なのは、彼が優秀な弓兵であることではない。数日前まで、彼は戦場に出たきり行方不明だったという事実が問題だった。

 案の定、彼を見た何人かのエルフは驚愕の表情を浮かべてこちらを注視してくる。

 しかしカータはそれらに構っている場合ではなかった。幾つも建てられている天幕の間を縫うように歩きながら、始終視線を巡らせて目的の人物を捜す。

 しかし数分も経たない内に目的の人物の方からこちらの存在に気が付いてくれたようだった。

 

「――……カータっ! 本当にカータなのか!?」

 

 大きな声で呼ばわりながらこちらに駆け寄ってきたのはカータよりも上背のある一人のエルフの男。

 灰金色の長い髪を後ろに一つに縛り、その身は革製の軽鎧で覆われている。

 男は鋭い翡翠色の双眸を心配そうに細めさせると、両手でカータの両肩をガシッと強く握りしめてきた。

 

「無事で良かった……。今までどこにいたのだ!!」

「パラディオン隊長、心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした……」

 

 未だ両肩を掴まれているため、カータは首の動きだけで深々と頭を下げる。

 しかしいつまでもこうしている訳にはいかない。

 カータはすぐに下げていた頭を上げると、強い光を宿した青色の瞳で真っ直ぐに目の前の上官を見つめた。

 

「いや、お前が無事であるならばそれで良い。ナズルも心配していたんだぞ。早速あいつに知らせて……」

「いいえ、そんな場合ではないのです! 隊長にお話しなければならないことがあります。どうかお時間を頂けないでしょうか?」

「それは構わないが……。そういえば、身体は大丈夫なのか? どこか怪我をしたりなどは……」

「いいえ、どこも怪我はしていません。それよりも、どうか話を……!!」

「……分かった分かった、少し落ち着け。それじゃあ、俺の天幕で話を聞こう。ついて来い」

 

 カータの緊迫した空気に気が付いたのだろう、男は顔を引き締めさせて真剣な表情を浮かべると、一度大きく頷いて両肩を掴んでいた手を離した。そのまま素早い動作で踵を返して歩き始める背に、カータもすぐさまその後を追いかける。幾つもある大小様々な天幕の間を縫うように歩き、数分も経たぬ内に少し開けた場所に辿り着いた。

 天幕を建てないことで造られたその空間には、しかし一つだけ一際大きな黄色の天幕が建てられていた。

 男は躊躇いなく天幕まで歩み寄ると、入り口の布をかき分けて中へと入っていく。カータもまた、男に続いて素早く天幕の中へと足を踏み入れた。

 天幕内には中心に大きなテーブルが置かれており、その他には椅子が幾つかと、衝立が天幕の端に立てられている。衝立には黄色の布が垂れ下げられており、布の中心には二つの翼がX字に交差した閃牙部隊の紋章が刺繍されていた。

 一部隊の隊長の天幕にしては非常に質素な様相。

 しかしこの天幕の主である男は気にした様子もなく、一つの椅子に腰かけるとカータにも椅子に座るように促してきた。カータが椅子に腰かけたのを合図に、男は改めて口を開く。

 

「それで…、俺に話したいこととは何なんだ?」

「私が……、行方不明になっていた時のことについてです」

 

 カータの言葉に、目の前の男の双眸が小さく細められる。途端に男から漂い始めた張り詰めた空気に、カータは思わず小さく生唾を呑み込んだ。

 目の前の男は自身の直属の上司であり、閃牙部隊の第一部隊の隊長である。

 名を、シュトラール・ファル=パラディオン。

 歴代の閃牙第一部隊隊長の中でも最強であると称されるほどの人物でもあった。

 性格は普段は温厚篤実でありながら、戦場であれば勇猛果敢。仲間や部下思いで偉ぶったところもない。多くの者から信頼されており、しかし一方でいざという時にはどこまでも冷徹になれる男でもあることをカータは知っていた。

 

「……三日前のあの日、私は法国の兵士に手傷を負わされ、何とか森の奥に逃げることはできましたが瀕死の状態でした」

「……なに……っ!?」

 

 シュトラールの目が驚愕に見開かれ、次には素早くカータの全身に向けられる。怪我を見つけようと全身を見回すその視線に、カータは軽く片手を挙げることでそれを諌めた。

 

「いえ、今はもう大丈夫です」

「いや、大丈夫だと言うが……瀕死の状態だったのだろう? 重症だったのではないのか?」

「確かに重傷でしたが、私は助けられたのです」

 

 カータはそこで一度言葉を切ると、緊張で乾く喉を無理やり動かした。しかし一切の水分もない喉は少しも潤うことはなく、ただ鈍い痛みだけをカータに訴えかけてくる。

 少し思い出しただけでも口内の水分がなくなり全身が硬直してしまうほど、カータの身に起きた出来事は恐ろしいものだった。

 しかしいくら直属の上司でありカータに目をかけていた男と言えど、流石にそこまでの機微までは気が付かない。シュトラールは困惑の色をその顔に浮かべながら、訳が分からないと言ったように首を傾げさせた。

 

「助けられたとは……、一体誰にだ?」

「……それは……」

 

 シュトラールからの問いかけに、カータは目に見えて動揺して口ごもる。

 しかしそれは一瞬のことで、次には意を決して自身の身に降りかかったことを詳しく話し始めた。

 

 カータが行方不明になったのは三日前に起こった法国との争いの最中。

 森の中を戦場とする場合、弓兵は地上ではなく、むしろ木々の枝の上から敵を射ることが圧倒的に多かった。身の軽いエルフにとって、枝から枝への移動もそれほど苦にはならない。頭上から地上にいる敵へと矢を降らせ、枝から枝へと場所を移動しては再度矢を地上へと降らせる。森の中での戦いにおいては、それはエルフたちにとって常套手段ともいえる戦法だった。

 しかし逆を言えば、常套手段であるからこそ敵に予想もされやすい。今まで同じ戦い方をずっとしてきたのだから尚更だ。

 三日前の戦場ではそれを逆手に取られ、カータたちは敵側に奇襲を仕掛けられた。

 放った矢は盾に防がれ、枝を移動して防備の薄い場所を攻撃しようとした瞬間、自分たちよりも更に上の枝に身を潜めていた敵に襲撃された。

 木の上で応戦できた者はほんの僅かで、殆どの者は攻撃に耐え切れずに枝を離れて地面に落とされていく。カータもその内の一人であり、敵の攻撃を横腹に受けたと同時に、攻撃の勢いのままに枝の上から地上へと吹き飛ばされた。受け身も取れず、背中から地面に落下して全身を叩きつけられる。痛みに一瞬意識が飛びそうになったが、しかしカータは何とかそれを堪えて意識を繋ぎ止めた。痛みに悲鳴を上げる身体を叱責しながらうつ伏せになり、地を這って何とか近くの茂みまで退避することに成功する。

 しかしもはや限界だったのだろう。

 カータはそこで気を失い、次に気が付いた時には見覚えのない洞窟の中で一人横たわっていた。

 

 

「……洞窟……?」

「はい。ここから歩いて半日ほどの距離にある洞窟でした」

 

 カータは一つ大きく頷くと、更に続きを話し始めた。

 

 目覚めた洞窟内は天井が吹き抜けになっており、そのため空からの光が降り注いでいてそこまで暗くはなかった。

 未だ満身創痍であり、少しでも動けば全身に痛みが駆け抜ける状態。

 しかしそんな状態ながらも、カータは今の状況を少しでも把握しようと何とか首だけを動かして周りを見回した。

 その目に、不意に今まで見たことのない“影”が映り込んできた。

 

 

「………私の視界に入ってきたのは、見たことのない黄色の服を身に纏った……一人の“化け物”でした……ッ」

 

 今思い出しても恐怖に背筋が凍る。生まれてこの方一度も見たことがない、悍ましいその姿。姿形は人間やエルフと変わらないものの、その顔と手が何よりも自分たちとは異なっていた。

 感情を見せぬ丸い空虚な双眸と、まるで闇の底を思わせる丸い口。黄色の袖から覗く掌は大きく、四本の指は長く伸びて、まるで細長い蟲を思わせた。

 目の前に現れたその異形は、未だ身を起こすこともできず横たわっているカータの側まで歩み寄ると、片膝をついて顔を覗き込みながら一つの提案を持ちかけてきた。

 それは『もしこちらの言う通りにするのであれば命を助けてやろう』というもの。

 勿論カータはそれに頷くつもりはなかった。

 しかし異形はまるで諭すかのように優しい声音で言葉を重ねてきた。

 

『そんなに警戒しないで下さい。私があなたに望むことはそう大したことではないのです。……神にも等しき我らが御方が、あなた方エルフと話がしたいとお望みです。ですが、勿論誰でも良いと言う訳ではありません。もしエルフ軍を束ねる代表の者をこの洞窟に連れてくることができるのなら、あなたのその傷を癒してあげましょう……――』

 

 異形の目的が何であるのか分からず、また“我らが御方”というのが誰なのかも分からない。どんなに大丈夫だと言われても、それを信じることなどできるはずもなかった。

 カータは勿論、その提案を拒否するつもりだった。例え死ぬことになろうとも、仲間を売るつもりは欠片もなかった。

 しかしそれでも最終的には提案を呑むに至ったのは、異形がカータの価値を突き付けたからだった。

 異形にとって、相手はカータでなければならないわけではない。提案を呑んでくれるのであれば、カータでなくても誰でも良いのだ。

 つまり、異形にとってカータという個人の価値は非常に低い。

 カータが駄目なら、他のエルフを代わりに使えばいい。そのエルフが駄目ならば、また他のエルフを。そのエルフも駄目であれば、また違うエルフを……。

 『数を重ねていけば、いずれは軍の代表者に行きつくかもしれませんね』と何でもない事のように言ってのけた異形に、カータは恐怖に身体を震わせながらも提案を呑むしかなかった。

 カータは異形に傷を癒してもらい、そして今、無事にこの前線基地に戻ってきたのだった。

 

 

 

「……奴が何者で、何が目的なのかは分かりません……。ですが、相当な力を持っていることは間違いありません」

「ふむ……。何か感じたか?」

「はい。そこにいるだけで鳥肌が立って治まりませんでした。……法国の聖典と対峙した時でさえ、ここまでなることはありませんでした」

 

 言外に『法国の聖典よりも、その異形の方が強い』と言ってのけるカータに、シュトラールは眉間に皺を寄せて低く唸り声のような声を零した。一般的に細身であるエルフにしては珍しく、それなりに太く鍛えられた腕を胸の前で組むと、考え込むように鋭い双眸を硬く閉じる。

 暫くそのままの状態で黙り込むと、次には長く大きな息を吐き出しながらゆっくりと瞼を開いた。

 

「………これは俺一人の手に負えるような問題ではないな。他の第一部隊の隊長方にも相談せねばならん」

「……………………」

「今ならば、殆どの隊長方がこの陣地にいるだろう。お前も、説明のために一緒に来てくれ」

「はい、勿論です」

 

 一つ頷いて勢いよく立ち上がるシュトラールに、カータも続くように椅子から立ち上がる。二人は天幕の中から外へ出ると、先ほどとは違う方向に足先を向けた。

 二人がシュトラールの天幕に向かって歩いていたのは陣地の東側。

 しかし二人がこれから向かうのは陣地の北側である。

 二人はシュトラールを先頭に一列に並ぶと、そのまま足早に歩を進めていった。

 歩き続けるにつれ、黄色だけだった天幕は徐々に色を変え始め、次には鮮やかな赤が視界を彩り始める。しかし二人はそれには見向きもせずに黙々と歩を進め続け、幾つもの天幕の間を次々と通り過ぎていった。

 そしてシュトラールの天幕から出て数分後。

 二人が辿り着いたのは男の天幕と同じくらいの大きさの赤色の天幕だった。

 入り口の左右には鎧姿のエルフが一人ずつ立っており、まるで石のように微動だにせずに前方を睨むように見据えている。

 どこか威圧感すら漂う守護の兵士に、しかしシュトラールもカータも一切怯むことなく彼らの前へと歩を進めていった。

 

「突然の訪問で申し訳ない。コートレンジ隊長は中にいらっしゃるか?」

 

 入り口の手前で一度足を止め、向かって右側のエルフに声をかける。

 守護のエルフ二人はチラッと視線だけで互いを見やると、すぐさま視線を元に戻して少しだけ眉尻を下げさせた。

 

「申し訳ありません、パラディオン隊長。コートレンジ隊長は中にいらっしゃいますが、ただいま来客の対応をしております。ここをお通しすることはできません」

「来客? 一体誰が……」

 

「――……騒がしい。……何事だ?」

 

 疑問の言葉を口にするシュトラールの声を遮るように、不意に天幕の中から低い男の声が響いてくる。

 思わずといったように全身を強張らせる守護の兵二人に、しかしシュトラールは一切変わらぬ態度で天幕内へと声を張り上げた。

 

「コートレンジ隊長、私だ、シュトラールだ。急の訪問で申し訳ないが、少し時間を貰えないだろうか?」

「………シュトラール…? 今更、何を……。……フンッ、まぁ良かろう、中に入ってくるが良い」

 

 途中低い声で何事かを呟きながらも天幕内に入ることを許可する声が響いてくる。しかしその声音には危険な音が宿っており、カータは思わず目の前の上官へと視線を向けた。一体何があったのかと視線で問いかけるも、しかしシュトラールは小さく肩を竦ませるのみ。無言のまま止めていた足を再び動かして天幕の中へ入っていく大きな背に、カータも慌ててその後に続いた。

 入り口の布を潜り抜けて入った天幕内は、基調が赤になっている以外はシュトラールの天幕内とあまり変わらない。中心には大きなテーブルが置かれており、その向かいには二つの人影が椅子にそれぞれ腰掛けていた。

 一人は薙いだ湖畔を思わせる涼やかな蒼い瞳と長い黒髪を後ろの高い位置に一つに括ったエルフの女。

 そしてもう一人は、顔の造形がカータと非常によく似たエルフの男だった。

 

「――……カータ…っ!!?」

 

 カータの目と男の目がかち合った瞬間、男は驚愕に目を大きく見開かせて勢いよく腰かけていた椅子から立ち上がった。その際、勢いが強すぎたのだろう、男が腰かけていた椅子が後ろの地面に跳ねるように倒れて大きな音を響かせる。しかし男はそれに一切構うことなく、足早にカータの元まで歩み寄ってきた。カータの両肩を両手でガシッと鷲掴むと、グッと鼻先が触れ合いそうになるほどの距離まで顔を近づけた。

 

「カータ、本当にお前なのか!? 偽者などではないだろうな!! 嗚呼、本当に良かったっ!! 怪我は……、本当に心配したのだぞ!!」

 

 こちらが反応する隙も与えず、男がマシンガンのように言葉を吐き出しながら最後には背中に両腕を回して強く抱きしめてくる。

 もしや窒息死でもさせるつもりなのかと疑いたくなるほどの強い抱擁に、カータは小さく顔を歪ませながら軽く男の背を叩いた。

 

「…私は大丈夫ですから……、少し落ち着いて下さい……」

「これが落ち着いていられるか!! お前が行方不明になったと聞いた時は呼吸すら出来なくなったのだぞ!! 絶望のあまりシュトラールに斬りかかって殺しそうになったほどだっ!!」

「ちょっ、パラディオン隊長になんてことをしているんですか!! 本気でそういうことは止めて下さい、兄さん!!」

 

 カータは深く眉間に皺を寄せると、半ば無理矢理抱き締めてくる男を自身から引き剥がした。

 男は先ほどまで浮かべていた仏頂面はどこへやら、今では眉を八の字に垂れ下げさせながら瞳をウルウルと潤ませてカータを見つめている。

 この目の前の男の名は、ナズル・ファル=コートレンジ。

 エルフ軍の赤刃第一部隊の隊長であり、先ほどカータが口走ったように、血の繋がったカータの実の兄でもあった。

 歳はそれなりに離れていたが、しかし容姿は両者ともよく似ており、誰が見ても親類であると分かるほどである。

 とはいえ、当然のことではあるが全てが同じと言う訳ではない。

 小さな違いではあるが青い瞳を持つ双眸はナズルの方は少々目尻がつり上がっており、カータの方は逆に少々垂れ下がっている。また、金色の髪はどちらも同じくらいの短髪ではあったが、カータの方はふわふわとした癖毛であるのに対し、ナズルの方は歪みの一切ないサラサラのストレートだった。

 ナズルからすれば、自分とひどく似通った容姿も、それでいて少しだけ違うカータ独自の特徴も可愛くて仕方がないのだろう。

 しかし、カータからしてみれば少々鬱陶しく感じられる。特にこの男の場合は事ある毎に度が過ぎてしまうため、その度に非常に辟易とさせられていた。

 

「……とにかく、今回の件は全て私の未熟さが原因なのですから、パラディオン隊長に迷惑をかけるのは止めて下さい」

「何を言う、部下を守るのは上官の役目だ。お前が危険な目にあったのも全てこの肉達摩のせいだ」

「お~い、流石に“肉達摩”は酷いんじゃないか~?」

「嗚呼、やはり不安でならない。カータ、まだ間に合う、今すぐにでも我が隊に異動して来るのだ!」

「出来るわけないでしょう! ……もう、いい加減少し落ち着いて下さい!! こんなことを話すためにここに来たわけではないんです!!」

 

 未だ暴走気味の兄を引っ叩きたい衝動に駆られながら、しかしそれを必死に堪えてカータは声を張り上げた。

 そこで漸くカータの思いが通じたのか、ナズルの目に冷静な光が戻ってくる。

 カータとシュトラールとナズルは取り敢えず落ち着いて互いに椅子に腰かけることにした。

 

「……そういえば、何故ここにドルケンハイト隊長が?」

 

 自分たちに混じるような形で腰掛けている女のエルフと目が合い、カータは思わず小さく首を傾げさせる。

 今この天幕にいるということは入り口の兵が言っていた来客というのは彼女のことなのだろう。しかし、何故そもそも彼女が兄を訪ねてきているのかが分からなかった。

 弟とは何でも共有したがる兄は、些細なことでも逐一自分に報告してくる。しかし彼女と懇意にしているといった情報は今まで全く聞いたことがなく、かといって仕事の用事で来ているとも思えなかった。

 

「………私がこの場にいるのがそんなに不思議か、カータ・ファル=コートレンジ?」

「ええ、不思議ですね。私は、あなたと兄が親密な関係だとは聞いたことがありませんし、かといってあなたが仕事で情報を共有するのは、兄よりもむしろパラディオン隊長の方でしょう」

「否定はしない。だが、私がこの場にいることは何ら不思議なことではない」

「……? ……それは、一体どういうことでしょうか?」

「つまりな、彼女に用があったのはナズルの方だったんだよ。お前の捜索を彼女に頼んでいたのだ」

 

 隣に座るシュトラールからの情報に、カータは驚愕に小さく目を見開かせながらも納得してしまった。

 なるほど、確かに自分が行方不明になったなら兄ならばどんな手を使ってでも捜そうとするだろう。目の前の彼女はそれができるだけの力を持っていた。

 女の名は、ノワール・ジェナ=ドルケンハイト。

 エルフ軍の黒風第一部隊の隊長である。

 偵察から暗殺までをも熟す彼女と彼女の部隊であれば、人探しも御手の物だろう。故に兄もそれに目を付けて声をかけたに違いない。

 恐らく兄は彼女に自分の捜索を依頼し、しかし彼女はそれを断り続けていたのだろう。

 彼女は仕事に私情を挟むことを極端に嫌うことで有名だ。そんな彼女のことだ、例え第一部隊の兵士とはいえ、唯の一兵士に過ぎない自分を捜すために人員を割くなど承諾するはずがない。

 とはいえ、弟のことを溺愛するナズルの方も簡単に諦めるとは思えない。

 恐らく二人は事ある毎に依頼と拒否を繰り返し、兄は彼女に非常に迷惑をかけたに違いなかった。

 

「それは……、ご迷惑をおかけしました」

「……大丈夫。すっっっごく面倒くさかったけど、気にしてない」

 

 深々と頭を下げるカータに、ノワールは一切動かぬ無表情のまま軽く片手を挙げて横に振って見せる。

 カータはゆっくりと下げていた頭を上げると、寛大な彼女の心に、胸の内で深く感謝した。

 

「……それで…、何か問題でもあったのか? お前たちの様子からして、お前が無事に戻ってきたことを報告しに来てくれただけではないのだろう?」

 

 “流石”と言うべきか、それとも“腐っても隊長”と言うべきか……、大分落ち着きを取り戻した様子のナズルが訝しげな表情を浮かべながら問いかけてくる。

 カータとシュトラールは一度互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に頷き合って再びナズルたちに視線を向けた。

 

「ああ、少し相談があってな……。お前たちの意見を聞かせてほしい」

 

 そんなシュトラールの前置きと共に、再びカータは自身の身に起こったことを詳しくナズルとノワールに話し始めた。

 三日前の戦場から始まり、法国からの奇襲や、洞窟で会った異形について。詳しく説明するカータの話に、ナズルもノワールも無言のまま静かに耳を傾けている。

 しかしノワールはまだしも、ナズルの方は話が進むにしたがって次々と表情を変化させていた。

 顔面蒼白になったかと思えば怒りにか顔を真っ赤にさせ、かと思えば次には眉を八の字に垂れ下げさせて泣きそうな表情を浮かべる。

 そして話が終わった頃には、ナズルは悪魔も裸足で逃げ出しそうなほどの恐ろしい表情を浮かべていた。

 

「………おのれ、私の可愛いカータを傷つけ脅して怖がらせるなど断じて許せん…っ!! 法国の愚か者共もその化け物も私のこの手で殺してくれる!!」

「あー、ナズル、申し訳ないがそういった個人的感想は後にしてくれるか? ……実際問題、この異形についてどう考える?」

 

 一人怒りに燃えるナズルは放っておいて、シュトラールが問いを投げたのは始終無言無表情を貫いている女エルフ。

 全黒風部隊の長である女は、小さく首を傾げながら感情を一切窺わせぬ無機質な瞳でじっとシュトラールとカータを見つめた。

 

「どう考えるかと聞かれても、情報が少なすぎる。その異形の種族が分からなければ効果的な対応もできないし、その異形が我々の情報をどこまで持っているかや目的が分からなければ、例え何らかの行動を起こしたとしても足元をすくわれかねない。もしカータ・ファル=コートレンジが感じた通りに強い力を持っているのなら、中途半端な行動は尚更危険」

「……では、あの異形の言う通りにすべきだと?」

 

 脳裏にこの軍の総大将の顔が浮かび、カータは思わず顔を大きく顰めさせた。

 彼女を異形の元に連れて行くなど考えたくもない。

 そしてそれはこの場にいる全員が同じ思いなのだろう。

 ノワールは傾けていた頭の位置をゆっくりと元に戻すと、次には小さく首を左右に振ってみせた。

 

「そうだけど違う。ここで素直に総大将を出すのは馬鹿のすること」

「だが、従わなければその異形がどんな行動を取るかも分からんぞ。もし奴がこちらの位置を知っていた場合、いつどんな攻撃を受けるかも分からん」

「……確かにその場合は非常にマズいですね。法国との戦況が切迫している今、無暗に基地の場所を変えるわけにもいかない……」

「だから、ある程度は従う。行くのは総大将ではなく我々。我々も第一部隊の隊長なのだから軍の代表と言えなくもない」

 

 まるで『きちんと指定しなかったあちらが悪い』とばかりに堂々と言ってのける女に、カータとシュトラールは思わず呆然とした表情を浮かべた。

 確かに明確な名前などを出していない以上、彼女の言葉も間違ってはいない。しかし問題なのは、このような屁理屈ともいえるような理屈を相手が受け入れてくれるかどうかだった。

 相手が異形であることを考えれば、受け入れてもらえない確率の方が断然高いだろう。

 カータとシュトラールは眉をひそめさせ、ノワールは変わらぬ淡々とした無表情。

 ただ一人ナズルだけが鬼気迫った表情を浮かべて爛々と青の双眸をギラつかせていた。

 

「……良い考えだ、ドルケンハイト隊長。この私が直々に赴いて、その異形野郎を抹殺してやろう」

 

 声高に宣言する赤刃第一部隊の隊長の言葉に、しかしこの時ばかりは心強さどころか不安しか感じられない。

 しかし、かといって他に良い方法が思いつくはずもなく、カータとシュトラールは互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に諦めのため息を大きく吐き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜……――

 夜の闇が深まり、森が静けさに包まれる中、カータ、シュトラール、ナズル、ノワールの四人は足早に森の中を一列に駆けていた。

 ここにいるのはこの四人のみ。他の者は一切共にはいない。

 四人はナズルの天幕で話し合った後、すぐに天幕を出て他の魔光、聖光の第一部隊の隊長と導手の第二部隊の隊長にも事のあらましを説明した。

 では何故この場に彼らしかいないのかというと、それは第一に隊長全員が前線基地を離れるわけにはいかないため。

 第二に、今彼らが向かっている先が決して安全ではないため。

 そして第三に、大人数で行っては異形を刺激しかねないためだった。

 相手が強大な力を持った異形である以上、生きて戻ってこられる可能性は高くない。もし万が一のことが起こった場合、残った隊長たちが今後の指揮を取る予定になっていた。

 

 

「――……ここで間違いないのか?」

 

 森の中を休みなく駆け続けて数時間。

 漸く見えた目的の場所に、四人は乱れた呼吸を繰り返しながら駆けていた足を止めた。

 目の前には多くの葉が生い茂り、幾束もの蔓が巻き付いて覆われている岩の洞窟。

 まるでこちらを手招くようにぽっかりと開いた入り口が、夜の闇よりもなお深い闇を湛えながら静かに自分たちを待ち構えていた。

 

「はい、ここです」

「……まずは入ってみよう」

 

 シュトラールからの問いかけにカータが頷けば、ナズルが顔を引き締めさせながら腰の剣をゆっくりと引き抜いて構える。

 三人が互いに囁き合い頷き合う中、ただ一人無言を貫いていたノワールだけが一言もなく徐に別方向へと駆けていった。洞窟の縁を辿るように森の闇に消えていく小さな背に、しかしカータたちは誰一人呼び止めようとはしなかった。

 彼女には彼女自身の役割がある。それを邪魔しては、逆に自分たちの立場が悪くなることをこの場にいる誰もが理解していた。

 三人は暫く無言のまま洞窟の入り口をじっと見つめていたが、次には意を決して洞窟内へと足を踏み入れていった。

 ナズル、カータ、シュトラールの順に一列になり、慎重に洞窟の奥へと進んでいく。

 洞窟の中は肌寒さを感じるほどに涼しく、しかし湿り気は一切なく乾いていた。踏み締める土も乾いて砂のようになっており、足を一歩踏み出す度にジャリ…と小さな音が鳴り響く。

 三人はなるべく息を殺して気配を消しながら、細い通路を進んでいった。

 洞窟に足を踏み入れて数分後、漸く通路が途切れて視界が一気に広がっていく。

 そこにはカータの言葉通り広い空間が広がっており、吹き抜けた天井から月の光が洞窟内を明るく照らしていた。拓けた空間の中心には一つの大きな岩が佇んでおり、月の光がまるでスポットライトのように特に明るくその岩に降り注いでいる。

 幻想的にも感じられるその光景に、カータたちは思わず目を奪われて知らず緊張していた身体から力を抜いていた。

 しかし、この静寂の時間は長くは続かなかった。

 彼らの視線の先にあるのは空間の中心に佇む大きな岩。

 そのゴツゴツとした頂上に、いつの間にか一つの怪しい影が軽く足を組んで腰かけていた。

 

「「「っ!!?」」」

 

 人間と同じ骨格を持ちながら、その顔は鳥のように鋭く、背には大きな四対の翼。

 金属の鋭い煌めきの奥に輝く鋭い双眸と目が合い、三人は驚愕に目を見開くと同時に反射的に小さく後退った。

 しかし鳥の異形は一切微動だにせず、ただ無言のままじっとこちらを見つめていた。

 

「………カータ、あれがお前が言っていた異形か…?」

「…い、いえ、違います。あんな姿はしていなかった……」

「……チッ、複数いたか……」

 

 異形が複数いたという予想外の事態に、カータとシュトラールは冷や汗を流し、ナズルは小さく舌打ちを零す。

 しかし予想外の出来事はこれだけでは終わらなかった。

 

「おおっ、漸く来ましたか! なかなか来ないので迎えに行こうかと思っていたところですよ!!」

「ほんに、至高の御方をお待たせするなんて、身の程知らずでありんすねぇ」

「ホントだよね~。ねぇ、もう少し分を弁えた奴を使った方が良かったんじゃない? パンドラズ・アクターももう少し選んだら良かったのに」

「アウラ様、残念ながらそれも仕方がないことかと。彼らは我々のことを知らないのですから、慎重になり過ぎるのもやむを得ないことかと思われます。それに、ここから彼らの前線基地まではそれなりに距離もあります。それも考慮すれば、むしろ早い到着と言えなくもありません」

「ふ~ん、そうなんだ。やっぱりこの世界の基準はまだピンとこないな~」

 

 緊迫したこの場の空気に不釣り合いな軽く明るい声が唐突に洞窟内に響き渡る。

 それと共にどこからともなく現れたのは四つの影。

 真横の左右に現れたのは黄色の見慣れぬ衣装を身に纏った異形と、深紅の鎧に身を包んだ白皙の美少女。後ろの通路の口の左右に現れたのは褐色の肌の小さな少年と、左右のこめかみから細い角を生やした蝋色の大柄な男。そして前方には変わらず岩に腰かけている一体の鳥の異形。

 いつの間にか複数の異形に取り囲まれている状態に、カータたちは咄嗟に互いの背を庇い合うような形に立ち位置を変えながら、焦りの表情を浮かべる顔に冷や汗を溢れさせた。

 相手が異形であるというだけでも大きな脅威だというのに、加えてその数が自分たちよりも多いという事実にどんどんと焦りが大きくなっていく。一気に小さくなっていく生還できる確率に、カータたちは内心で舌打ちを零した。

 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。

 一縷の望みにかけてカータは恐怖に凍り付きそうになる喉を無理やり動かした。

 

「…あ、あなた方に命を助けて頂いた者、です。約束通り…、軍の代表の者を…連れて、参りました……」

 

 恐怖に震える舌と喉を必死に動かすも、声と言葉は変に途切れてたどたどしいものになってしまう。しかし幸か不幸か、異形たちはそんなカータの様子に特別な反応を起こすことはなかった。

 美少女はただ楽しそうなにんまりとした笑みを浮かべ、少年は退屈そうに小さく肩を竦ませ、大柄な男はどこか哀れみのような視線をこちらに向けてくる。前方の鳥の異形は未だ微動だにせず、ただ黄色の衣装に身を包んだ異形だけが軽く両腕を広げてこちらに一歩進み出てきた。

 

「ええ、覚えておりますとも! 約束を果たしてくれると信じておりましたよ。我らが御方もあなた方の来訪を心待ちにしていたのです」

「……その御方というのは……」

「しーっ。…今は暫くお静かに。御方はただいまMein Gott(我が神)とお話し中です」

 

 異形は丸い口の前に細長い右手の人差し指を立てて静かにするようジェスチャーすると、次には掌を上にした状態の左手で前方の岩の上の鳥の異形を示してくる。

 その行動から、どうやら彼の言う“我らが御方”というのは目の前の鳥の異形のことであるらしい。

 では、“話し中”とは一体どういうことなのか……。

 チラッと窺うように岩の上の異形へと視線を向け、その行動を注視する。何か不自然なところはないかと視線を走らせると、不意に鋭く尖った嘴が小さく動いていることに気が付いた。

 

「――………えっ、またですか? …はい、……そうなんですか、分かりました。でも、今から………そう、そうですよ。だから……はい、お願いします。マーレに………」

 

 耳を澄ませてみれば微かに聞こえてくる独り言のような声。

 鳥の異形は確かに誰かと話しているようで、カータたちは思わずチラッと互いに顔を見合わせた。

 “我らが御方”と呼ばれる存在がこちらに意識を向けていないのなら、その間に何かできることはないだろうか。異形それぞれの四対の目には見張られているものの、彼らの上位者がこちらに注意を向けていないのならば、そこに付け入る隙があるかもしれない。少しでも今の状況が自分たちの有利なものになるために、今動くのが唯一のチャンスなのではないか……。

 カータたちは視線を交わして無言のまま必死に相談し合う。

 しかし焦りに支配された思考では良い案など浮かぶはずがなく、何も行動を起こさぬ内に目の前の鳥の異形の“会話”とやらが終わってしまったようだった。微かに聞こえていた声が止み、次には小さく息を吐き出す音が聞こえてくる。

 思わず全身に緊張を走らせる中、不意に自分たちを取り囲むように立っていた異形たちが一斉に動き始めた。

 一様に前方の鳥の異形に向き直り、片膝を地面について深々と頭を下げる。

 突然訪れたまたとないチャンスに、しかしカータたちは誰一人として微動だにしなかった。

 いや、この場合は“できなかった”と言うべきだろう。

 先ほどとは違い、こちらに向けられているのは一対の目のみで、他の異形たちは自分たちに意識を向けてはいない。だというのに全身に圧し掛かってくるこの威圧感は何だというのか。まるで全身を鎖で縛られた状態で腹を空かせた猛獣の目の前に突き出されているような絶望感と恐怖感。

 視線一つで行動も思考も縛られ、もはや呆然と立ち尽くすことしかできない。

 

「……ああ、待たせちゃって、ごめんね。急に連絡がきたものだから……と、それは君たちには関係ないことだったな。えーと、まずはここまでご足労いただき感謝する……とでも言っておこうかな」

 

 徐に開かれた嘴から聞こえてきたのは、そんな拍子抜けに明るく軽い言葉。まるで親しい友人にかけるような砕けた口調と声音に、しかしカータたちは一層警戒心を強めた。

 これだけ強大な力を持った異形が自分たちに友好的に話しかけてくるなど、何か企んでいるとしか思えない。

 一体何が目的なのかと思考をかき回す中、不意に鳥の異形の視線が自分たちから離れて周りで傅いている異形たちへと向けられた。

 

「君たちを呼んだのは他でもない、ある提案をしたいからなんだけど……、と、その前に……。お前たちもいつまで跪いてるんだよ。ほら、立って立って」

 

 鳥の異形は一つ小さな息をつくと、次には周りの異形たちへ声をかけて小さく手を振りながら立つように促している。その動きにどこか呆れのような雰囲気が漂って見えるのは気のせいだろうか。

 思わず目の前の異形の動きを注視する中、不意に仮面の奥の目と視線がかち合い、カータは思わずギクッと肩を小さく跳ねさせて身体を硬直させた。

 カータの動きに反応してか、左隣のナズルが剣の柄を握っている手に力を込める。

 すぐにでも斬りかかりそうな兄の様子に、カータは焦りのままに思わず口を開いた。

 

「……て、提案とは……一体どういうことで、しょうか…っ!!」

「うん? ……ああ、提案……そう、提案なんだけどね。……あー、でもまずはちゃんとした形で話そうか。お前たち、こちらにおいで。後、そこにいる彼女も出てきてくれないか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

「「「っ!!?」」」

 

 最後にかけられた言葉に、カータは一気に全身に鳥肌を立たせて戦慄した。

 今この場には、“彼女”と呼べる者など自分たちの側にはいない。しかしその上で“彼女”という言葉を使った以上、考えられることは一つ。

 ……完全にノワールの存在が異形たちに気付かれている…ッ!!

 瞬間、急激に湧き上がってきたのは大きな危機感と、生存本能ともいえる激しい衝動。

 咄嗟に動いたのはカータもナズルもシュトラールもほぼ同じだった。恐らく影の中でノワールが動いたのも同じタイミングだっただろう。

 カータとシュトラールは弓矢を構え、ナズルは抜身の剣を構えて強く地面を蹴り、ノワールも短剣を手に身を潜めていた闇から躍り出る。

 しかし……――

 

 

 

「――……わたしの大切な御方に刃を向けるなんて、身の程知らずも甚だしいでありんすねぇェ」

 

 聞こえてきたのは涼やかな音ながらも憎悪にドロドロに濁った声音。気が付けば地面に倒れ伏しており、カータは自分の身に何が起こったのか理解できなかった。

 先ほど、自分は確かに弓矢を構えて戦闘態勢に入っていた。しかし気が付けば目の前には地面があり、一拍後に漸く自分が地面に倒れていることを理解する。

 一体自分の身に何が起こったというのか……。

 無意識に周りを見回せばシュトラールとナズルとノワールもそれぞれ同じように地面に倒れ伏しているのを見つけて更に頭が混乱する。思わず呆然と視線をさ迷わせ、不意に血のような鮮やかな紅色が視界に入り込んできた。

 反射的にそちらへと意識を向ければ、そこに立っていたのは紅色の鎧を身に纏った一人の美しい少女。

 少女の手には何も握られておらず、しかし一人だけカータたちが倒れている場所の中心に立っていることから、ある一つの考えが頭を過ぎった。

 もしや自分たちを地に伏せさせたのはこの少女なのではないか、と……。

 自身の恐ろし過ぎる考えに、カータは思わず小さく身を震わせる。

 咄嗟に頭を振って自身の考えを否定しようとして、しかし一つの声がそれを遮ってきた。

 

「ご苦労様、シャルティア。こいつらを殺さないように手加減したのも偉かったぞ」

「あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様っ!!」

 

 聞こえてきたのは残酷な言葉と、それに嬉々として応える甘やかな声。

 思わず地に伏したまま呆然となる中、まるでこちらの状況など知ったことではないとばかりに新たな言葉が降って落とされてきた。

 

「さてと……。じゃあ時間もないし、このまま話を進めようか。君たちに我々から一つ提案がある。前向きに受けてくれると嬉しいな」

 

 目の前に立つのは自分たちを一瞬で殺すことのできる異形と、その異形を従える絶対的な支配者。

 “提案”と口では言ってはいるが、もはやそれは“脅迫”でしかないのだろう。

 立ち向かうことは意味がなく、逃げることも許されない。

 もはや何もできぬ現状に絶望しながら、カータはただ大人しく鳥の異形の言葉を待つことしかできなかった。

 

 




ここで、皆さんお気付きの方もいらっしゃるのではないでしょうか……。
……そう、今回からは原作の『ワーカーたちのナザリック訪問』編ではなく、『完全オリジナル』編となります!
設定やキャラもオリジナル(捏造)多数になりますので、遅まきながらご注意ください(土下座)
また、今回オリジナルキャラが複数出ましたので↓に簡単にまとめております。
宜しければ参考にして頂ければと思います!


*今回の捏造ポイント【オリキャラ編】
・カータ・ファル=コートレンジ:
エルフ軍の閃牙第一部隊に所属している弓兵。
ナズルの弟。
結構な苦労性なキャラになりそうな予感がヒシヒシと感じられるキャラクター。

・シュトラール・ファル=パラディオン:
エルフ軍の閃牙第一部隊の隊長。
カータの上官であり、ナズルとは子供の頃からの昔馴染み。
実はエルフ軍の第一部隊隊長の中では一番まともで常識人。

・ナズル・ファル=コートレンジ:
エルフ軍の赤刃第一部隊の隊長。
カータの兄。
最初は普通の寡黙キャラだったが、『いや、オーバーロードのキャラクターならぶっ飛んだ性格とか性癖とかがあってもいいんじゃなかろうか……』という突然の天のお告げから一気に重度のブラコンキャラと化してしまった可哀想なキャラクター。

・ノワール・ジェナ=ドルケンハイト
エルフ軍の黒風第一部隊の隊長。
いつでもどこでも無表情を貫くポーカーフェイス。
意外と(?)肝が据わっており、神経も図太く、女なのに変に男らしい一面を持っている。


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第53話 支配の領域

前回、ペロロンチーノ様回が変なところで終わってしまいましたが、時系列を合わせるために今回はウルベルト様回になります。
読み難くてすみません…(汗)
時系列としては、前回のペロロンチーノ様とエルフたちが会った夜の翌日になります。


 白を基調とした広い室内。中心には重厚で大きなテーブルが鎮座しており、その左右には向かい合うような形で豪奢な造りの一人掛けのソファーが複数置かれていた。

 細かい装飾が彫られた焦げ茶色の木の枠と、肌触りの良い布に綿を詰めたクッション。程よい硬さのクッションは座り心地が良く、帝国広しと言えどもこれほどの一級品はそうはないだろう。

 その一つに未だ年若い一人の男が優雅に腰かけていた。

 名を、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。鮮血帝とも称される、このバハルス帝国を治める皇帝である。

 また、彼の両隣には一人の老人と壮年の男がそれぞれ直立不動で立っていた。

 腰以上もある真っ白な髭が特徴的な老人は、このバハルス帝国が誇る大魔法使いであるフールーダ・パラダイン。そして漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った金髪の男の方は帝国四騎士の一人である“雷光”バジウッド・ペシュメルだった。

 勿論この場にいるのはこの三人だけではない。彼らの後ろには更に六人の人間が控えるように並んで立っていた。

 四騎士のメンバーである“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックと“重爆”レイナース・ロックブルズと“不動”ナザミ・エネックの三人。そしてロウネ・ヴァミリネンを含む、ジルクニフが信頼を寄せる三人の秘書官たち。

 国の重役たちが一堂に会しているこの場にて、しかし彼らは仕事をしている訳でも会議をしている訳でもなかった。

 彼らはこの部屋である人物の来訪を待っていた。

 普通であれば、相手が余程の人物でない限り国の重役たちが事前に部屋に待機し相手側を待つことなどありえない。相手側が部屋に到着し、その報告を受けて漸く相手側が待つ部屋に赴いて対面するのが一般的な流れだった。これが玉座の間での公の謁見の場であればまた違うのだが、今回のこの場は決してそういった仰々しいものではない。

 故に、今回のこの光景は異例中の異例だった。

 

 

「――……陛下、“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル様がいらっしゃいました」

 

 のんびりと待ち人を待つ中、不意に扉の外からメイドの声が聞こえてくる。

 ジルクニフは一度扉へと視線を向けると、次には無言のままフールーダたちに目を移して目配せを送った。彼らもそれに応えるように小さく頷き、ジルクニフもそれに小さく頷き返す。

 顔をゆっくりと元に戻すと、一度大きく息を吸って扉の向こうへと声を発した。

 

「入ってもらってくれ」

 

 威厳の音を宿らせた声が力強く響き、扉の向こうへと入室の許可を与える。一拍後、扉は外側からゆっくりと開かれ、見慣れぬ衣装を身に纏った一人の褐色の美男子が姿を現した。

 噂に聞いてはいたものの、初めて目にしたその美貌に同じ男ながらも思わず一瞬気圧される。しかしすぐに我に返ると、ジルクニフは驚愕の表情が顔に出ないように気を付けながら室内へと足を踏み入れてくる男を注意深く見つめた。

 年の頃は二十代後半から三十代前半と言ったところか……。未だ若いながらも自分よりかは年上だろうと推測する。人間種で褐色の肌というのは帝国ではあまり見慣れず、また雪のように白い髪も非常に珍しい。切れ長の金色の瞳はひどく理知的でいて神秘的でもあり、『なるほど、この目に見つめられれば女性は誰しもが恋に落ちるだろう』と内心で何度も頷いた。身長は長身というほどではないが手足はスラッと長く、動きも少々大振りのきらいはあるが全体的には流れるような優雅さがあり、右掌を左胸に添えて片膝をついて頭を下げる動きには一切のブレがなく美しい。魔法詠唱者(マジックキャスター)であるためか全体的に細身ではあったが、それでも均整のとれた身体つきは不思議な衣装の上からでもはっきりと見てとれた。

 

「“サバト・レガロ”のリーダーを務めております、レオナール・グラン・ネーグルと申します。皇帝陛下がお呼びと伺い、本日拝謁に参りました」

「レオナール・グラン・ネーグル殿…、私の声に応え、よく来てくれた。さあ、顔を上げてそちらに座ってくれ」

 

 まずは顔を上げる許可を与え、対面の席に座るように促す。ジルクニフは友好的な態度を取りながらも、注意深く目の前の男の一挙手一投足を観察するように見つめた。

 先ほど聞いた声は確かに以前バジウッドの屋敷で聞いたものと同じもので、直接何度か対面したことのあるバジウッドたちの様子からしても、目の前の人物が確かにレオナール・グラン・ネーグル本人であると再確認する。

 見つめられているレオナールはと言えば下げていた頭を上げて素早く立ち上がると、そのまま一切の躊躇もなくジルクニフの目の前にあるソファーへと腰を下ろした。

 そのあまりに堂々とした姿と様子に、ジルクニフは内心で大いに感心した。いくら許可を出されたからといって、一国の王や重臣たちを目の前にしてここまで緊張の色を一切見せない者は初めてではないだろうか。

 例え絶大な権力を持った有数の大貴族であったとしても、または他国から来た王族であったとしても、一国の皇帝を前にすれば多少なりとも瞳や身体の動きから緊張や警戒の色を滲ませてしまうものだ。これはジルクニフが特別であるというよりかは、一国の主を前にすれば誰もが多少なりとも陥ってしまう一種の反射のようなものである。

 しかし目の前の男からはそういったものが一切見られなかった。

 まるで目の前にいるのが皇帝であると気が付いていないかのようだ。

 しかし、それは男がこの場にいる時点であり得ない。

 余程自身の感情を隠すことが上手いのか……、はたまた一国の皇帝など何でもない存在であるとでも思っているのか……。

 ジルクニフは今まで以上にこの目の前の男に対して興味が湧いてきた。

 

「“サバト・レガロ”の噂は私の耳にも届いている。とても強く、優秀だそうだな」

「恐れ入ります。皇帝陛下のお耳にまで我々の話が届いているとは、恐悦至極にございます」

「はははっ、そう畏まる必要はない。君たちのような者が帝都にいてくれるだけで、こちらとしてもとても心強い。これからも帝都の者たちの力になってやってほしい」

 

 ソファーに腰かけたまま無言で頭を下げてくるレオナールに、ジルクニフも無言のまま一つ頷くだけに留めた。

 しかし欲を言えば、ここで明確な言質を取ってしまいたかった。いや、更に欲を言うなら『帝都のためだけにその力を行使します』という契約書にサインしてほしかった。それだけ強者を国に留め置くというのは重要なことなのだ。

 強者が一人いるだけで他国からの警戒は強まり、それが侵略の抑止力になる。また、その者の力の恩恵を得ようと人が動き、人が動けば物も動いて更に国は豊かになっていく。

 しかも、何かと“サバト・レガロ”の情報を集めているバジウッドの話によると、彼らはただ強いだけではないらしい。レオナール・グラン・ネーグルという目の前の男と彼が率いる“サバト・レガロ”は、既に帝都の人々から絶大な人気と信頼を得ているようだった。

 それは彼らが闘技場で幾度も活躍していることや、多くの依頼をこなして多くの者を助けているからだけではない。その容姿の美しさと、何より誰に対しても分け隔てなく平等に振る舞う寛大さと礼儀正しさが多くの者を魅了しているようだった。

 つまり“サバト・レガロ”は強さだけではなく、人望や人を惹きつけるカリスマ性をも併せ持っているということだ。

 そんな存在が自分の下に来てくれたなら、どれほどの影響力があることか……。

 レオナール・グラン・ネーグルという目の前の男と彼が率いる“サバト・レガロ”の存在は、ジルクニフにとって既に喉から手が出るほどに欲しい存在となっていた。

 しかし何事もタイミングが大切だ。焦ればことを仕損じ、取り返しのつかないことになってしまうことは多々存在する。

 ジルクニフは強く湧き上がってくる欲を必死に抑え込むと、今は最優先事項に集中するべく気を引き締めさせた。まずはテーブルの上に乗せられているハンドベルを摘まみ上げ、軽く手首を振って音を鳴らす。すると一拍後、部屋の外に控えていたメイドたちがノックの音と共に現れ、一礼と共に中に入ってきた。

 彼女たちの手にはティーセットが載せられた銀のお盆が握られており、一糸乱れぬ動きでテーブルの元まで歩み寄ってくる。

 しかしいつもであれば少しのミスも起こさぬ彼女たちが、レオナールの姿を見た瞬間、その流れるような動きを一瞬微かに狂わせた。すぐにいつもの美しい所作には戻ったものの、それ故に一つの乱れはとても目立つ。

 一体どうしたのかと内心で訝しみ、しかしすぐにその原因がレオナールの美しい容姿であることを理解した。

 確かにこんな美男子はそうそういるものではなく、例え城に勤める身と言えども滅多にお目にかかれるものではない。加えて給仕をする際、必然的に何度もレオナールに身を近づけることになるため、彼女たちからしてみれば大いに心臓に悪いことだろう。彼女たちの気持ちも大いに分かるものの、しかしそれでもミスはミス。後でキツく言って聞かせねば……と心に誓うと、給仕を終えて下がっていくメイドたちを確認してから漸く口を開いた。

 

「さあ、まずは飲んでくれ。君の口に合えばいいのだが……」

「お気遣い、感謝します。それでは頂戴いたします」

 

 先ほどのメイドたちの動揺に気が付いているのかいないのか、レオナールは変わらぬ涼しい顔で一度頭を下げると、優雅な動作でティーカップに手を触れる。摘まむように持ち上げてカップに口づける様は気品があり、その姿は育ちの良い貴族の子息のような印象を受けた。ソーサーにカップを戻す際は少し音が出たものの、このくらいであれば許容範囲内だろう。

 ジルクニフも一口紅茶を飲んで喉を潤すと、カップをソーサーに戻してから漸く再び口を開いた。

 

「それで……、君を呼んだのは他でもない。リ・エスティーゼ王国の王都が悪魔の大群に襲撃されたことはこちらも把握している。その情報によると、君もその場にいたと聞いているのだが……」

「はい、間違いありません」

「……まず、何故帝国のワーカーである君が王国の王都にいたのか聞かせてくれないか?」

 

 ジルクニフは見た目には何でもない事のように振る舞ってはいたが、しかし内心ではひどく緊張していた。

 目の前の男はワーカーだ。国に属している訳ではなく、よって他国にいたとしても何ら問題にはならない。そして問題にならない以上、いくら皇帝からの問いかけであるとはいえ、この男にはそれに答える義理はない。答えない場合、『何か答えられない理由でもあるのか?』と問い詰めることも可能だが、しかしそれをした場合、男のこちらへの心証は著しく損なわれてしまう可能性があり、最悪この帝都から出て行ってしまうリスクすらあった。

 とはいえ、一国の皇帝であり少しでもあらゆる情報が欲しい身としては聞かないわけにもいかない。

 何とか穏便に進んでほしいと内心で願う中、まるでジルクニフの不安を笑い飛ばすかのように、レオナールはにこやかな笑みを浮かべてきた。

 

「ああ。……まぁ、疑問に思われるのも当然ですね。実は私の仲間の一人が王国の村にいるのですよ。ですので定期的に会いに行っているのです」

「仲間? 何故一緒に帝都にいないんだ?」

 

 予想外の返答に、思わず小さく首を傾げてしまう。

 もう一人“サバト・レガロ”のメンバーがいたことも驚きだが、何より一人だけずっと別行動をとっていることも疑問だった。

 ワーカーによってはそれぞれ依頼を区分して複数の依頼を同時に熟すチームもいないわけではない。しかしそれは多くのワーカーを抱えた大所帯チームが主に使う方法であり、“サバト・レガロ”の場合は謎のもう一人のメンバーを入れても総勢五名。大所帯と形容するには人数が少なすぎる上に、そもそも一人で依頼を熟すなど自殺行為も甚だしいように思われた。

 これまで聞いてきた情報や噂、そして何より目の前の男自身の様子からして、レオナール・グラン・ネーグルと言う男は思慮深く、判断能力が高く、何より同じチームのメンバーは元より同業者のワーカーたちにすら一定の思いやりを持っている人物であるとジルクニフは判断していた。どう考えても、このような軽率な行動を取るようにも、同じチームメンバーを危険に晒す判断を下すようにも思えなかった。

 そう思っているのはジルクニフだけではないようで、隣に控えているバジウッドも訝しげな表情を浮かべているのが気配で感じ取れた。

 しかし彼らの疑問はすぐにレオナール自身の口によって解かれることになった。

 少し抑揚の強い落ち着いた声音で語られたのは、“サバト・レガロ”が帝都に来る前に起こった出来事。

 男の話によると、彼らは帝都に向かう途中で王国の辺境の村が襲われている現場に居合わせたのだという。村を襲っていたのは、帝国の紋章が刻まれた鎧を身に纏った謎の騎士たち。“サバト・レガロ”はすぐに助けに入るも村は既に半壊しており、全滅は免れたものの人的被害も相当なもの。助けた村をそのまま放っておくこともできず、レオナールは急遽仲間の一人を復興の手助けのために村に残したのだという。

 要点をまとめた短い説明を聞き終わり、ジルクニフは湧き上がってくる不快感そのままに大きく眉間に皺を寄せた。

 

「王国の辺境の村を襲った帝国の騎士か……。私はそんなことを命じた覚えなどないし、脱走兵が出たと言う報告も、鎧が紛失したという報告も受けてはいない……」

「実は我々も、村を襲った騎士たちが本当に帝国の者たちだったのかと疑問に思っております。騎士たちが身に着けていた鎧には確かに帝国の紋章が刻まれていましたが、それ以外に騎士たちが帝国の者であるという証拠は一切出てきませんでした。……また、騎士の襲撃の後に王国戦士長と名乗る男が村に来たのですが、男の話によると他の辺境の村も同じような騎士たちに襲われていたようなのです」

「王国戦士長……、ガゼフ・ストロノーフか」

「はい。また、彼が村に来た直後、まるで彼を追いかけてきたかのように謎の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団が現れました。これらから、恐らく村を襲った騎士たちは戦士長を誘き寄せる罠であった可能性が考えられます」

「信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団、か……。これは少し調べてみる必要がありそうだな。情報、感謝する」

 

 もしレオナールの話が本当なら、無断で帝国の名を借りた不届き者がいるということだ。これは一国の主として決して見過ごすわけにはいかない。

 ジルクニフは後ろに控えている秘書官の一人に目を向けると、目を向けられた男は心得たように頭を下げて足早に部屋を出ていった。

 扉の奥に消えていく後ろ姿を暫く見送った後、思わず小さく息をつく。

 

「……さて、話が逸れてしまったな。君が王国にいた理由は理解した。では、悪魔の襲撃にあった当時の王都について幾つか質問をさせてくれ」

「はい、畏まりました」

 

 何の躊躇いもなく頷いてくる男の様子に勇気づけられ、ジルクニフは悪魔たちによる王国王都の襲撃についてありとあらゆることを質問していった。

 

 王国王都に侵攻した悪魔たちを率いていたという“ヤルダバオト”と“御方”という悪魔は何者なのか。

 彼らが王国王都を襲った目的は何なのか。

 “ヤルダバオト”と“御方”という悪魔の強さの度合いはどのくらいか。

 王国の者たちはどうやって悪魔の大群を退けたのか。

 

 次々と放たれていく質問の数々に、レオナールはどこまでも落ち着いた様子で淀みなくそれに答えていった。

 

 “ヤルダバオト”なる悪魔についても“御方”なる悪魔についても、リ・エスティーゼ王国からは二体の悪魔についての文献や資料などが出てきたという情報は聞いていない。

 彼らが王都を襲撃した理由は、“八本指”に盗まれた自分たちの至宝を取り戻すためだったらしい。

 “ヤルダバオト”と“御方”なる悪魔の強さは未知数。“サバト・レガロ”全員で当たったとしても五分五分か、こちらが不利である可能性の方が高い。

 

 悪魔たちを退けた方法については、レオナールは王女ラナーが考えた“兵や冒険者たちの集団を弓矢に見立てた”作戦の内容を手短に、しかし出来るだけ詳しく説明してくれた。

 レオナールの口から語られる作戦内容と実際の戦場となった王都の様子を聞きながら、ジルクニフは王女ラナーの手腕と、それを支えた“漆黒の英雄”モモンと目の前の男の力、そして対峙した悪魔二体の強さに内心で舌を巻いていた。

 王女が考えた作戦はとても合理的かつ効果的なもので、敵を抑えながらもなるべく被害が出ないように考え抜かれた作戦だと分かるものだった。しかしその一方で、この作戦は実際に実行する者たちの力量によって勝率を大幅に左右するものでもあった。あの王女のことだ、恐らく冒険者や王国の兵士たち、何より“漆黒の英雄”モモンと目の前の男の力を緻密に計算した上でこの作戦を立案したのだろう。帝国の者でも、たったの数時間でここまでの作戦を立案できる者はそうはいない。

 やはり油断ならんな……と心の中で呟きながら、ジルクニフは新たに浮かんだ疑問を目の前の男に問いかけることにした。

 

「悪魔たちが言っていた至宝とは、一体どういった物なんだ?」

「見た目は拳大くらいの青緑色の宝玉です。王都の魔術師組合の組合長が言うには、どうやら何かを封じ込めている物のようですが、未だはっきりとしたことは分からないそうです。今は王都で厳重に保管されているようですが……」

 

 ここに来て初めて言葉を濁すレオナールに、ジルクニフも小さく目を細めさせた。

 レオナールの言葉が本当であれば、王国は悪魔の強力な魔法具を手に入れたことになる。封じ込められているモノが何であれ、帝国にとって……、いや、王国以外の国にとって脅威になることは間違いなかった。

 

「その封じられているモノっていうのは何なんだ?」

「……王都の誰もが見当もつかないそうです。ですが、あの悪魔たちが必死に取り戻そうとした物です。それだけ価値のあるモノが封じ込められていることは想像に難くありません」

「……爺、何かを封じている物を手に入れた場合、すぐに封じられているモノを出し入れしたり、使役したりすることはできるのか?」

 

 バジウッドが封じられているモノについて質問し、それにレオナールが小さく首を傾げる中、ジルクニフは隣に立つフールーダを見上げて問いを投げかけた。

 封じられているモノが何であるかも重要だが、今の段階ではそれよりもまずはそれを操れるかの有無の方が重要なポイントだ。

 危機感を募らせた問いかけに、問われた老人は自慢の長い髭を梳くように撫でながら小さく首を振ってきた。

 

「それは難しいでしょうな。まず第一に、封じている力の解除方法はアイテムによって違っております。また、力を解除して封じられているモノを自由にできたとしても、それでそのモノを自由自在に操れるかはまた別問題なのです。そのアイテムを持っていれば問答無用で操れる場合もあれば、アイテム自体はただの封じる力しか持たず、封じられているモノを操るためにはまた別の条件が必要な場合もあります」

「今回のアイテムがどちらであるかは……」

「分かりかねますな」

「封じている力の解除方法が分かったという情報は王国からは聞いていませんので、取り敢えず今はまだ操る以前の問題かと」

「……ふむ……」

 

 付け加えるように言われたレオナールの言葉に、ジルクニフは顎に手を添えて小さく顔を俯かせた。

 レオナールの言葉が本当ならば、確かに今はそれほど危機感を募らせる必要はないのかもしれない。

 しかしそれは難題を後回しにしているだけに過ぎないことをジルクニフは理解していた。また、難題をいつまでも後回しにしていて良いことなど何もなく、逆に状況は悪くなるばかりであることもジルクニフは分かっていた。今明確な解決策が考え付かなくとも何かしらの対策は講じていく必要がある。

 忙しなく王国について思考を巡らせる中、一方でジルクニフはそっと気づかれないように目の前のレオナールへと目を向けた。王国への対処策を考えている思考を頭の隅に寄せ、再びカップを手に取り喉を潤している男への思考を脳内に巡らせる。

 どこまでも優雅で堂々とした男の様子を見つめながら、内心で男への対応方法を間違えたかもしれないと微かに眉を顰めさせた。

 ジルクニフは常々、頭が切れて口も回り、普段から言葉を巧みに使う人間は大きく別けて二つのタイプに分類されると考えていた。

 一つは言葉での駆け引きを楽しむタイプ。

 そしてもう一つは、警戒心が非常に強いタイプである。

 ジルクニフ自身はどちらかというと前者の駆け引きを楽しむタイプだ。バジウッドの屋敷で聞いた会話の印象や噂などから、レオナールも恐らくは自分と同じタイプだろうと推測していた。

 しかし実際に顔を突き合わせて言葉を交わしていく内に、もしかしたらこの目の前の男はむしろ後者のタイプなのではないかと思い始めていた。

 レオナールの顔には常に優雅な微笑が浮かんでおり、口も絶えず柔らかな弧を描いて端がつり上がっている。しかしよくよく観察してみれば、モノクル越しの金色の瞳には冷たい光が宿っており、絶えずじっとこちらを観察しているように見えた。駆け引きを楽しむタイプも相手を観察することは多々あれど、しかしここまで一挙手一投足まで観察するように見ることはあまりない。これはむしろ、警戒心が強いタイプの典型的な視線の動きだ。であれば、彼を自分の元に引き入れるためには、今後の彼への対応方法は警戒心が強いタイプへの対応方法に変えた方が良いのかもしれない。

 しかし、実を言えばジルクニフの判断は半分当たりで半分外れだった。

 レオナールに扮するウルベルトが、駆け引きを楽しむタイプであるという最初の判断は当たりである。しかしウルベルトは敵になり得る存在や王侯貴族といった上流階級の富裕層に対してだけは警戒心を強く持つタイプでもあった。

 また、今回ウルベルトが観察するようにジルクニフの一挙手一投足を見ていたのは、何も警戒しているからだけではない。

 貧困層生まれ貧困層育ちであるウルベルトは、富裕層向けの立ち居振る舞いやマナーに関しては知識も経験も非常に乏しかった。そのため、少しでも目の前の皇帝からその所作を盗み学べないものかとジルクニフの行動を注意深く観察していたのだ。

 しかし如何に頭が切れるジルクニフと言えども、ウルベルトが観察してくる本当の理由を推し量ることはできなかった。

 果たして、ジルクニフは少し勘違いをした状態で今後のレオナールへの対応方法を見直そうと思考をこねくり回していた。

 

「いや~。しかし、そんなおっかない悪魔を追っ払っちまうとは流石だな。どうだい、あんたも“四騎士”に入らないか? あんたやあんたのお仲間なら大歓迎だぜ」

「それは光栄なことではありますが、我々のような何処の者かも分からぬ怪しげな者が国の軍部に所属しては返って迷惑になるでしょう。お気持ちだけ受け取らせて頂きます」

「別に気にすることはないんだぜ? 俺だって真っ当な生き方なんてしてこなかった人間だしな。例え周りが何か言ってこようが、俺がどうとでもしてやるさ」

「それは頼もしいですね。ですが私は、ワーカーであるからこそできることもあるのだと思っているのですよ。もし今後我々の力が必要となった時には、どうかワーカーの“サバト・レガロ”として力にならせて下さい」

 

 しつこく粘るバジウッドもさることながら、しかし相対する男も相当なもの。爽やかな笑みを浮かべ、口調も穏やかで思慮深い。しかしのらりくらりと躱す手腕は相当なもので、バジウッドでは些か力不足が否めない状態だった。

 何故かは分からないが、レオナールはどうやら組織に所属するということ自体があまり好きではないらしい。このままでは彼らを傘下に引き入れるのは非常に難しいだろう。ならば今は土台を強くすることに集中した方が得策である。

 ジルクニフは少し考え込むと、頭に浮かんだ話題を口に乗せた。

 

「……そういえば、今度闘技場の武王と試合をするらしいな。自信のほどはどうだ?」

 

 傍から見ればバジウッドと談笑しているだけにしか見えないレオナールの金色の瞳がジルクニフへと向けられる。

 レオナールは小さく首を傾げた後、淡い苦笑をその端整な顔に浮かばせた。

 

「どうでしょうか……。残念ながら私はまだ武王を直接見たことがありませんので、その質問にはお答えできかねます」

「ふむ、勝利の確信もないのに武王との試合を引き受けたのか? 君は確信を持たない限りは動かないタイプかと思っていたのだが……」

「そうですね、普通の依頼であればそうするかと思います。しかし今回の依頼は闘技場の出場依頼。“勝つ”ことよりも、どれだけの“パフォーマンス”が出来るかの方が重要ではないかと」

「ほう……。なるほど、面白い考え方だ」

 

 どこか意味深な言葉に、ジルクニフはレオナールという存在だけでなく、武王との試合についても非常に興味が湧いてきた。

 レオナールという男の強さを実際にこの目で見てみたいという欲は元々あった。しかし今はそれよりも、“パフォーマンス”を重要視すると言うレオナールの試合を見てみたいという気持ちの方が強くなっていた。

 

「よし! 当日は私も闘技場に見に行こう!」

「陛下!?」

 

 突然の言葉に、後ろからロウネの驚愕した声が聞こえてくる。しかしジルクニフは先ほどの言葉を撤回するつもりはなかった。

 情報を集めさせて報告を聞くのも大切なことだが、何事もこの目で見ることができるのであれば実際に見る方が一番だ。実際に見ることができれば、戦い方や身のこなしからその人物の人となりや思考回路、考え方を読み解くことができる。特に闘技場という場は命をかける場であるため、よりその者の本性が浮き彫りになりやすい。

 実際にその場に赴き、より正確にレオナールという男を見定める。

 レオナール及び“サバト・レガロ”を手に入れるためには、それが重要であるとジルクニフは判断していた。

 

「おっ、そりゃあ良い。俺も連れて行ってくださいよ、陛下」

「良いですね。では私もお供します」

 

 ジルクニフに追随するようにバジウッドやニンブルも賛同してくる。それにジルクニフは応えるように頷いてやりながら、チラッとレオナールへと視線を向けた。

 果たして端整な顔に浮かんでいるのは歓喜か憤怒か焦燥か、それとも何か別の感情か……。

 しかしそこにあったのは、ジルクニフの期待に反して仮面のように何一つ変わらぬ涼やかな微笑のみだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 穏やかな夜の闇に包まれた帝都・アーウィンタール。

 多くの者が寝静まり灯りも消えていく中、中心部に聳え立つ皇城だけは未だ爛々と多くの明かりを灯していた。

 その内の一つである明かりの中。フールーダは一人自室で何をするともなく椅子に深く腰掛けていた。

 その手には何も握られてはいない。

 いつもであれば各地から集めた貴重な魔導書を読んでいるところなのだが、しかし今は何もせずにただじっと静かに椅子に腰かけていた。

 ジジッ……と蝋燭の火が小さな音をたてる。

 フールーダが蝋燭に目を向けたその時、不意に何の前触れもなく小さなノック音が扉から響いてきた。

 一拍後、返事を待つことなく扉が独りでに開かれる。

 扉はすぐさま元のように閉じると、次の瞬間、どこからともなく一組の男女が扉の前に姿を現した。

 フールーダは椅子から立ち上がると、まるで歓迎するように男女に向けて軽く両腕を広げた。

 

「ようこそ、ロックブルズ殿。それから、レオナール・グラン・ネーグル殿」

 

 親しみを込めて男女の名前をそれぞれ口に乗せる。フールーダの言葉通り、扉の前に立っていたのはレイナースとレオナールの二人だった。

 レイナースはいつもと変わらぬ無表情を浮かべており、レオナールもまた昼間に会った時と同様の涼やかな笑みを浮かべている。

 しかし、何故そもそも既に皇城を去ったはずのレオナールがレイナースと共にここにいるのか。

 それは事前に仕組まれたことであり、レイナースを通じたレオナールからの要請であり、フールーダがそれを許可したためだった。

 

「さあ、まずはこちらに」

 

 フールーダは二人を部屋の奥へと招き入れ、椅子に座るように促す。それでいて自身は先ほどまで腰かけていた椅子に再び深く腰を下ろすと、二人も漸くそれにつられるようにして対面の位置に置かれた椅子にそれぞれ腰かけた。

 レイナースは普段と同じようにピシッと背筋を伸ばして浅く椅子に腰かけている。

 しかしレオナールは昼間に会った時とは打って変わり、深く椅子に腰かけて長い足を優雅に組んでいた。

 無礼にも思えるその態度に、しかしフールーダは何も言おうとはしなかった。

 フールーダの中の男に対する評価は、ジルクニフと同じく“非常に頭が良く、決して愚かではない”というものだった。その評価が正しければ、今のこの態度も恐らく何らかの意味があるのだろう。

 尊大な態度に隠された意味を見極めようと注視しながら、しかし表情はどこまでも穏やかに取り繕ってフールーダは慎重に口を開いた。

 

「……さて、それでわざわざこの私に何の用ですかな? それも内密に会いたいとは些か穏やかではないようだが……」

 

 フールーダの言葉通り、この対面はいわゆる密会というものだった。

 そのため、この場にはフールーダとレイナースとレオナールの三人しかいない。また、二人がフールーダの元を訪れることもフールーダ以外は誰も知らなかった。

 レオナールが何故秘密裏に接触を図ってきたのか、その理由はフールーダにも分からない。

 何かの勧誘か、裏切りの脅しか、後ろ暗い何かの取引か……。幾つか予想をたてることはできるものの、どれもが予想の範疇を出ない。

 とはいえ、どちらにしろフールーダにとってはあまり興味のないことだった。勧誘にしろ脅しにしろ取引にしろ、フールーダはそのどれをも請け負うつもりはなかったし、何かあったとしても自分だけで対処できると絶対的な自信を持っていた。

 ならば何故そもそもこんな密会の要請に応じたのかというと、それはこの目の前の男に興味があったからに他ならなかった。

 

「……まずは、私の要請に応じてくれたことに感謝しましょう」

「いやいや、礼には及びませんぞ。私も少々貴殿に興味があっただけなのでな。……とはいえ、少々がっかりもしているが」

「ほう、それは何故です?」

「秘密裏に会いたいと言われた時点で、ある程度貴殿の目的は推測できる。勧誘か、裏切りの要請か、はたまた何かしらの取引か……。貴殿がどこの手の者かは分からぬが、重要なのは貴殿が私にとってそれだけの価値があるかどうかだ」

 

 注意深く様子を窺いながら、強気に言葉を返す。

 レイナースがレオナールからの言葉を伝え、そして今もこの場に共にいるということは、レイナースは既にレオナールと手を組んでいるのだろう。そして手を組んでいるのならば、レオナールは彼女からフールーダについてのある程度の情報を聞いている筈だ。ならば、レオナールが取引材料として出すのは十中八九魔法に関する何かだろう。

 ふと、過去に幾度もあった他国や怪しげな勢力から持ちかけられた取引や脅しの数々を思い出す。

 彼らは珍しい魔法具や魔導書を取引材料に、フールーダにあらゆることを持ちかけてきた。しかし長い時を生きるフールーダにとって、価値を見出せるほどの希少な魔法具や魔導書は一つもありはしなかった。これまで持ちかけられた品々は数知れず、しかしそのどれもがフールーダの琴線には触れず、そしてフールーダはそれら全てを強気に対処し、退けてきた。

 この目の前の男も、フールーダを納得させるほどの価値ある提案ができるとは到底思えなかった。

 が、しかし……。

 

「……ほう、面白いことを言う」

「っ!!?」

 

 瞬間、目の前の男の空気が一気に変わった。

 

「勘違いをしているようだから一つ教えてやろう。重要なのは私の価値ではない。お前の存在が私にとって価値があるかどうかが重要なのだ」

 

 投げられた言葉と向けられた微笑に、思わず喉が生唾を呑み込む。そのあまりの変わりように、フールーダは驚愕に目を見開いていた。

 目の前の男は、姿形も何も変わってはいない。変わったのは口調と立ち居振る舞いと顔に浮かべている笑みの種類くらいだ。

 だというのに、それだけでこんなにも雰囲気や印象がカラッと変わってしまうものなのか。

 まるで別人だと思いながら、しかし一方でフールーダは『なるほど…』と内心で納得もしていた。

 なるほど、この目の前の姿こそがこの男の本当の姿だったのか、と……。

 優雅で美しく、礼儀正しく思慮深い。誰に対しても平等に対応する寛容さと潔癖さを持ち、それでいて困っている者がいれば決して見捨てぬ慈悲深さをも持っている。

 それが帝都に住む者のレオナール・グラン・ネーグルという男に対する認識だった。

 しかし今目の前にいる男はどうだ。

 その様は尊大にして驕慢。優雅さや美しさは変わらないものの、今はそれら全てに高慢な色が宿っている。

 しかし、フールーダは男の豹変に驚愕はしたものの、何故か苛立ちなどは全く感じることはなかった。

 その姿が非常にしっくりきて、とても自然に見えるからというのも理由の一つかもしれない。まるで男がこのような態度を取るのは当たり前であるかのような、そんな感覚。何より、フールーダはその高慢な態度に威厳のようなものすら感じていた。実力と経験に裏打ちされた振る舞い、とでも言うべきか……。

 知らず呆然と魅入っていたフールーダに、レオナールは更に妖しげに口の両端を吊り上げた。

 

「……だが、勘違いをしてしまうのも仕方がないことか……。このくらいは許してやらねばな。お前に知る機会を与えてやろう」

 

 何を…という言葉は声にならなかった。フールーダが言葉を発するその前に、レオナールは徐に自身の右手へと左手を伸ばし、無造作に身に着けていた黒革手袋を右手から外した。

 現れたのは細く長い褐色の手指。

 人の手の形をしたそれは、しかし長く伸ばされた爪は何故か闇色の黒に染められていた。世の若い女たちがしているような化粧の類ではない。それらは間違いなく本来の色であり、闇色の爪が実際に指から生えているようだった。

 しかし、驚くのはそれだけではない。

 現れた褐色の手には一つとして同じ物はない数多の指輪が全ての指に填められていた。その内の一つ、中指に填められている指輪をレオナールが無造作に引き抜いて外す。

 瞬間、フールーダの視界は眩い光の放流に覆われた。

 

「――……な、…あっ……!!?」

 

 フールーダは何が起こっているのか訳が分からなかった。

 まるで突然巨大な嵐の中に身を投げ出したかのような強い衝撃。閃光に意識を殴られ、一瞬意識が飛んだような気がした。実際には何かがフールーダの身を襲ったわけではなかったが、その身に宿る“生まれながらの異能(タレント)”が彼にそれだけの衝撃の感覚を与えていた。

 フールーダの持つ“生まれながらの異能(タレント)”は、“魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)の使用できる位階をオーラとして見ることができる”というもの。

 そして今感じ取っている感覚の発生源は、目の前に座るレオナール・グラン・ネーグルだった。

 彼の男を取り巻くように巨大にして強大なオーラが放出されて渦を巻き、荒々しく吹き荒んでいる。

 圧倒的な威圧感と眩耀に、フールーダは知らず冷や汗を溢れさせて全身をびっしょりと濡らしていた。

 

「……なっ、…な、なんという……っ」

 

 声が詰まって正しい言葉を発することができない。全身が震え、鼓動も不規則に脈打って酷く息苦しい。気が付けば温かい雫が両目から溢れ出し、頬を伝って零れ落ちていた。

 しかしフールーダ自身はそれに全く気が付かなかった。

 彼の意識は全て目の前の男に向けられており、他のことは全て意識の外へと追いやられていた。

 これまで二百余年生きてきて一度として感じたことのないほどの巨大なオーラ。それは自分など足元にも及ばない。

 正に神話の領域と言っても過言ではない遥か高みの光景だった。

 

「これは…、これは……第九…、いや、第十位階……。いや、それも違う! これはもっと高みの……!! おおっ、神よ……!!」

 

 フールーダは気が付けば頽れるようにして椅子の上から地面へと転げ落ちていた。地面に両膝をつき、腰を丸めて両手と額をも地面に擦りつけて平伏する。

 未だ頭では理解が追いついていない。しかし彼の心が……何より魂そのものがフールーダ自身に必死に訴えかけていた。

 今目の前にいる存在は、遥か高み……神の領域にして至高の領域に立つ絶対者であるのだと……――

 フールーダは平伏の体勢はそのままに顔だけを上げて目の前に座る男を見上げた。金色の瞳がじっとこちらを見下ろしているのに、フールーダは更に大量の涙を両目から溢れさせた。

 

「先ほどまでの愚かな私をどうかお許しください。……炯然の君、いと絶対なる御方…!」

「……………………」

「私はこれまで魔法を司ると言う小神を信仰して参りましたが、もはやその信仰心は今この時に消え去りました。あなた様こそが絶対なる神! 我が目の前に降臨なされた!!」

 

 フールーダはそこで一度言葉を切ると、再び深く頭を下げて額を地面に擦りつけた。

 

「どうか、どうか愚かだった私をお許しください! 何卒! 何卒!!」

「……良かろう。お前の全てを許そう、フールーダ・パラダイン」

「おおっ、ありがとうございます! ありがとうございます! 我が神よ、どうか、どうか伏してお願い致します! 私にあなた様の教えをお与えください! 私は魔法の深淵を覗きたいのです!!」

「フールーダ・パラダイン、お前は忘れてしまっているようだな。先ほど、私は言ったはずだぞ。“重要なのはお前が私にとって価値があるかどうか”だと。……お前は私に自身の価値を示せるか?」

 

 神に等しき男からの問いかけに、フールーダは一瞬言葉を詰まらせた。

 果たして己よりも遥か高みにいる存在にとって自分は価値があるのか……。

 それはフールーダ自身にも分からなかった。

 しかし、かといってここで諦めるわけにはいかない。二百年以上も待ち望み、漸く得られた願いが叶うかもしれないチャンスなのだ。願いを叶えるためならばどんなことをもする覚悟だった。

 

「絶対なる神であるあなた様に、私がお役に立てるかどうかは分かりません。……ですが、あなた様が望まれるのであれば私は何でもする覚悟です! 私の持つものは全て……そう、この命すらも差し出しましょう! 生贄を欲するのであれば相応しい贄を捧げましょう!」

 

 必死だった。一歩間違えれば破滅を呼ぶ事態であることは分かっていたが、それでもフールーダは立ち止まることも躊躇うことすらしなかった。

 フールーダの中に今あるのは飢餓にも似た渇望と、それを上回るほどの狂気じみた歓喜。

 恐らくこれからどれだけの時が流れようとも、フールーダは今この時の自分の行動を悔いることはないだろう。

 

「全て! そう、私の全てを御身に捧げます! 深淵の主! いと深き御方!!」

 

 額をゴリゴリと地面に擦りつけ、深く深く平伏する。

 短くも長くも感じられる静寂の中、微動だにしないフールーダの上に唐突にレオナールの涼やかな声がかけられた。

 

「……ふむ、そこまで言うのであれば良いだろう。お前に私のために働く機会を与えてやる。もし役に立ったなら、お前の願いを叶えてやろう」

「おおっ! ありがとうございます!!」

 

 フールーダは湧き上がる歓喜のままに声を上げ、湧き上がってくる激情を抑えるように地面についている手に力を込めた。

 本当ならば感謝と崇拝の念を伝えるために、その足に接吻をしたかった。

 しかし己のような者が神たる存在に触れることなど恐れ多く思え、また未だ絶えず感じられる大いなる力の放流に気圧されている部分もあった。

 レオナールはそんなフールーダの様子に気が付いているのかいないのか、変わらぬ微笑を浮かべたまま小さく首を傾げてきた。

 

「安心するが良い、私は約束は守る。だが、全てはお前の働き次第であることを忘れるな」

「ははぁっ!!」

「それから、お前の影に私の使い魔を潜ませる。今後については、この使い魔を使って知らせるから、そのつもりでいるように」

「畏まりましたぁっ!!」

 

 漸く伏していた顔を上げて上半身も起き上がらせれば、その瞬間、レオナールの影から黒い何かが地面を走り、そのままフールーダの影へと消えていく。それが何であるのかはフールーダには分からなかったが、しかしそれが先ほどレオナールが言った使い魔であることだけは理解できた。

 しかしフールーダの中には焦りも恐れもありはしない。

 むしろ目の前の神と自分とを繋ぐ確かなものを得たような気がして、フールーダは満面の笑みと共に再び深く平伏するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で起こったことが理解できなかった。

 分かったのは、フールーダが完全にレオナールに服従したことのみ。

 信じられない出来事に、しかしレイナースはその理由が理解できるような気がした。

 レオナールが指輪を外した瞬間感じられた、恐怖を感じるほどに膨れ上がった濃厚な気配。まるでドラゴンを目の前にしたような、圧倒的な存在感と威圧感。気を抜けばレイナースもまたフールーダと同じように椅子の上から崩れ落ちていたかもしれない。

 隣に座っている男はとんでもない存在だったのではないかと遅まきながら気づかされる。

 そしてフールーダが呆然と呟いたある言葉。

 

『これは……第九…、いや、第十位階……。いや、それも違う! これはもっと高みの……!!』

 

 正に神だと歓喜の声を上げるフールーダの声を意識の端で聞きながら、レイナースは思わず小さく顔を歪ませた。

 レオナールと手を組むと決めた日に言われた言葉を思い出す。

 この男は確かに自分に言ったのだ、『第五位階魔法まで使うことはできますよ』と……。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 第五位階魔法どころではない。フールーダの言葉が正しければ、それ以上の……神話でしか聞いたことのない神の領域の力すら使えるということになる。

 『騙された』という思いが強く胸に湧き上がってくる。

 しかし一方で、希望のような感情もまた同時に強く湧き上がってきていた。

 神の力を持つのであれば、本当に自分のこの呪い(・・・・)を消せるかもしれない。本当に、自分の願いを叶えてくれるかもしれない。

 この男が何者なのかは分からない。いや、これだけの力を持っているのだ、逆に人間であるとは考え難いだろう。しかしレイナースはもはや、レオナールが人間であろうがなかろうがどちらでも良かった。

 重要なのは彼が自分との約束を果たしてくれるかどうかだけ。それ以外はどうでも良いとさえ思えた。

 そこでふと、自身の顔の呪いをレオナールに見せた時のことを思い出す。

 彼は自分の醜い顔を見ても表情一つ変えず、当たり前のように溢れ出る膿を拭ってすらみせた。柔らかな微笑を浮かべ、あろうことかこんな自分を『美しい』とまで言ってきた。

 あの時はあまりのことにひどく混乱して訳が分からなくなっていたが、しかし今思えばあの時の自分は確かに感じていたのだ。

 泣き出してしまいそうなほどの大きな歓喜を。そしてこんな自分をも受け入れてもられたという大きな安堵を。まるで全てが許されたような気すら感じていた。

 レイナースは再び滲み始めた腹立たしい膿の存在を感じながら、改めて横に座るレオナールへと目を向けた。

 その横顔に浮かんでいるのは絶対者としての威厳と、他者を魅了せんと浮かべられた柔らかな微笑。

 鳥肌が立つほどの圧倒的な威圧感は未だ絶えず感じられるものの、レイナースは最初とはまた違う感情を胸に湧き上がらせていた。

 嗚呼、なんて強く、偉大で、そして美しいのか…と……。

 人間、亜人、異形など、種族問わず強大な力にどうしようもなく魅了される者がいることは、レイナースも話には聞いたことがある。今まではそんなものだろうか…と少し不思議に思ってはいたけれど、もしかしたら今の自分の状態がそうであるのかもしれないとふと思う。

 恐ろしいまでの力の波動が自分を包み込み、まるで守られているかのようで安心感すら湧き上がってくる。

 思わず震える吐息をそっと吐き出す中、不意にこちらに向けられた金色の瞳にレイナースは思わず呼吸を止めた。

 

「この度のこと、よくやってくれた。約束通り、お前の願いを叶えてやろう」

「っ!!」

「とはいえ、お前の顔の呪いを解くためにはそれ相応の準備が必要だ。どうかもう少しだけ待っていてほしい。準備が整い次第、すぐにお前に知らせよう」

「……あっ…、は、はい! ありがとうございます!」

 

 気が付けば椅子から勢いよく降り、地面に片膝をついて深く頭を下げていた。

 胸に湧き上がってくるのは大きな歓喜。そしてレイナース自身も気づかない内に芽吹いていた、男に対する思慕と敬愛の念だった。

 久しく感じることのなかった胸の高鳴りに、今まさに自覚した男への感情とも相俟って無性に恥ずかしくなってくる。

 羞恥のあまり顔を上げられないレイナースの前で、フールーダが『是非呪いを解く場には自分も同席させてほしい』とレオナールに願い出ていたが、レイナースはそのやり取りを聞きながらも頭を下げた状態で必死に自身を落ち着かせようと試みていた。レオナールに気づかれないように注意しながら何度も深呼吸を繰り返す。

 そして漸く心臓の鼓動が落ち着き始めた頃、まるでそのタイミングを見計らったかのようにレオナールに声をかけられた。

 反射的に顔を上げれば、そこには楕円の闇を背にしたレオナールの姿。

 思わず呆然となる中、レオナールはその端整な顔に深い笑みを浮かべてきた。

 

「今夜はこのくらいにしておこう。また連絡を入れる。……くれぐれも、余計な企みをして私の期待を裏切るな」

「「はっ!!」」

 

 打てば響くようなレイナースとフールーダの返事に、レオナールは満足したのか満面の笑みを浮かべたまま楕円の闇の中へと消えていく。

 レイナースは空気に溶けるように消えていく闇を見つめながら、最後に言われた言葉について思いを馳せた。

 レオナールの言った『余計な企み』というのは、自分たちの繋がりを他者に漏らすなどといった裏切り行為のことを言っているのだろう。裏切りを牽制するその言葉に、しかしそれは余計な心配であるとレイナースは思っていた。フールーダは自分の目から見てもすっかりレオナールに心酔しているようだし、自分もレオナールを裏切るつもりは欠片もない。

 願わくば、もっと自分のことを信用してほしい……と非常に自分らしくないことを思う。

 レイナースは零れ落ちそうになっている膿に気が付いて胸元から取り出したハンカチを押し当てながら、どうすれば少しでもレオナールに近づくことができるだろうかとぼんやりと思いを巡らせていた。

 

 




フールーダが感じ取ったウルベルト様のオーラは、ウルベルト様が『ワールドディザスター』であることや超位魔法以上の威力を持つ〈大災厄〉が使えることを考慮して、原作のアインズ様のオーラよりも巨大で強大であるという設定にしています。
そのため、原作のアインズ様の時よりもフールーダは気圧されてしまっている感じにしております。
そして、ヒロイン候補の一人であるレイナースさんは、ここで一気にヒロイン力(恋心)がフィィーバァァァーっ!!!
レイナースさんの心情を書くのがすっごく楽しかったです(笑)


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第54話 願いの道筋

今話はいつもより少し短めです。
当小説(当シリーズ)のモモンガさんは原作以上にメンタルが弱い気がする……(汗)


 ガタゴトと荷馬車が鈍い音を立てながら地面を歩く。

 澄み切った晴天の下、一つの大きな集団がのんびりとした足取りで街道を進んでいた。

 荷馬車に乗っているのは二人の男女。その周りを取り囲んで守るようにして二人の男と八人の女と一体の魔獣がそれぞれ歩を進めていた。

 総勢十二名と一体という大所帯。加えて、知る者が見れば全員が何事かと驚愕するほどのメンバーが勢揃いしていた。

 荷馬車に乗っている一方はどこにでもいるような普通の女だったが、その隣で馬の手綱を握っているのは最高の薬師と名高いリイジー・バレアレの孫であるンフィーレア・バレアレ。また、荷馬車を囲むように歩いているのはアダマンタイト級冒険者“漆黒”のモモンとナーベとモモンの騎獣であるハムスケ。同じくアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のラキュース、ガガーラン、イビルアイ、ティア、ティナ。そして(シルバー)級冒険者“クアエシトール”のブレイン・アングラウスとブリタとニニャ。

 豪華としか言いようがない一行に、その姿を見た者は何事か起こったのかと驚愕し不安に思うことだろう。実際、出発したエ・ランテルではちょっとした騒ぎになったほどだ。

 しかし彼らが心配するようなことは一切ない。

 彼らが向かっているのは戦場でも呪いの地でも魔王の城でもなく、平穏そのものであるカルネ村だった。

 “漆黒の英雄”モモンに扮するモモンガは、久方ぶりに訪れたのんびりとした空気を心の中で楽しみながら、そっとバレないように周りに視線を巡らせた。

 同行者の顔ぶれを一つ一つ見やり、思わず内心で大きなため息を吐き出す。モモンガにとって今この場にいるメンバーは厄介でしかなく、否が応にも自分がしなくてはならない仕事を思い出して一気に憂鬱な気分になっていた。

 この場にいるのは殆どが部外者だ。同じナザリックのモノはナーベに扮しているナーベラルと一応ナザリック入りしたハムスケ、これまた一応ナザリック入りしたブレイン、後はンフィーレアに扮している上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)もいたが、しかしもし自分が何かやらかしてしまった場合、助けてくれるような手は一切ない。因みに“クアエシトール”のリーダーであるマエストロに扮しているパンドラズ・アクターは、今はペロロンチーノの元にいるためこの場にはいない。

 優秀な部下がいないことを嘆くべきか、はたまた自身の黒歴史がいないことに喜ぶべきか……。

 どんどんと憂鬱になっていく感情に、しかしモモンガはギルド長として、何よりウルベルトとペロロンチーノの友として、自分だけ逃げるわけにはいかなかった。

 大切な友の顔を脳裏に思い浮かべ、弱気になっている自分自身に活を入れる。

 モモンガは兜の中で小さく息を吐き出すと、まずは自分がこれからやるべきことを改めて頭の中で整理することにした。

 今回、自分が達成しなくてはならないミッションは主に三つ。

 一つ目は“蒼の薔薇”のイビルアイに接触し、ゲヘナ計画の時にペロロンチーノが正気を取り戻した原因について探りを入れること。

 二つ目は、ウルベルトが扮しているワーカー“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルについて調べようとしている“蒼の薔薇”たちの目論見を阻止して誤魔化すこと。

 そして三つ目は、ツアレをカルネ村で囲い込む下準備を行うことである。

 最後の三つ目に関してはそれほど難しいことではない。ツアレやニニャの反応から、彼女たちが今回の件を好意的に受け止めてくれているのは間違いなく、このまま何事も起こらなければモモンガが何かをする必要もなくミッションは完了するだろう。

 むしろ問題なのは三つ目のミッションではなく、一つ目と二つ目のミッションの方だった。

 一つ目はそもそもどうやって探りを入れるべきかも分からないし、二つ目も自分だけでは誤魔化し切れる自信が全くない。そもそもカルネ村に行くこと自体、モモンガは不安でならなかった。

 カルネ村はペロロンチーノたちの働きによって既に普通の村であるとは言い辛い状態にある。“蒼の薔薇”は既に一度カルネ村を訪れたことがあり、その時は何とか誤魔化しきることができたらしいが、今のカルネ村はその時よりも更に様変わりしているはずだ。念のため昨夜ペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を送って対応をお願いしたが、果たしてどこまで普通の村風になっているか分からなかった。

 いざとなれば村にいる筈のマーレにも協力してもらおう……と内心で頷くと、今は一つ目のミッションに集中するべく思考を切り替えた。

 一度ザッと大きく周りを見回し、今いる地点が大体どのくらいであるか確認する。丁度道のりの3分の1ほどまで来ていることに小さく頷くと、モモンガは周りのメンバーに声をかけた。

 

「ここで一度休憩を入れましょう。ツアレさんもずっと荷馬車では疲れるでしょうし、馬も休ませなければ」

「そうだな、モモン様の言う通りだ!」

 

 モモンガの言葉に、近くを歩いていたイビルアイがすぐさま同意の声を上げてくる。他のメンバーも異論はないようで、すぐさま休憩の準備を始めた。

 馬と荷馬車を繋いでいる金具を外す者、馬に水を与える者、周りに危険がないか警戒する者、持ってきていた軽食や荷物を荷馬車から降ろす者……。

 流石というべきか、誰もが慣れた様子で手際よく準備を進めている。

 モモンガはナーベラルとハムスケに周囲の様子を探ってくるように指示を出すと、自分自身は荷馬車の方へと足先を向けた。

 荷馬車では、ガガーランが荷車に上がって荷物を下ろしており、その下ではイビルアイが次々と降ろされる荷物を受け取っている。

 モモンガはイビルアイの背後まで歩み寄ると、丁度大きな荷物を受け取ろうとしているところを見計らって素早くイビルアイよりも先に荷物を両手で受け止めた。

 

「っ!? ……モ、モモン様!?」

「このように大きな荷物は重いでしょう。私も手伝いますよ」

「はあぁっ! あ、ありがとうございますっ!!」

 

 感動したように高い声を上げてくるイビルアイに、少々その声が耳に突き刺さる。しかしモモンガはそれが態度に出ないように気を付けながら、次々と荷物を荷馬車から降ろしていった。

 荷物の中には食べ物だけでなく水や野営のためのアイテムなども入っており、見た目に比べて随分と重い。モモンガからすれば大した重さではないが、イビルアイのような小さな子供にとってはそれなりに重いだろう。

 この機会を利用して、まずはイビルアイとの距離を縮める!

 それがモモンガの最初の作戦だった。

 目論み通り、イビルアイは嬉しそうにはしゃいだ声を上げている。警戒心が薄れているような様子に、モモンガは内心で安堵の息をついた。

 

(王都でも、何回か小さな子供みたいにはしゃいだり抱きついてきたりしていたからな。冒険者なんかしているわけだし、普段は大人扱いをされていて寂しく感じたりしているのかもしれないな……。よしよし、良い滑り出しだぞ!)

 

 確かな手応えに、モモンガは心の中でガッツポーズをとる。

 モモンガは荷馬車から降ろした荷物を幾つか肩に担ぐと、同じように荷物を手に抱えたイビルアイと共に同行者たちが集まっている場所へと歩を進めた。

 

「モモンさん、ありがとうございます」

 

 周囲を警戒していたラキュースがこちらに気が付き、礼の言葉と共に荷物へと手を伸ばしてくる。モモンガも大人しく荷物をラキュースに渡すと、彼女は荷袋の中を漁って小さな液体瓶を取り出した。キュポッと小気味いい音を鳴らしながら瓶の蓋を開け、モモンガたちが立つ地点から5メートルほど離れた地点まで歩いていく。そして持っている瓶を傾けると、中に入っている緑色の液体を地面へ落とし始めた。

 まるで液体で線を描くように、地面へと滴らせながら歩を進めていく。モモンガたちが立つ地点を中心に円を描くように歩くと、ラキュースは最初に零した地面の液体を終着点に瓶の傾きを元に戻した。

 彼女が使ったのは“光の薬液(ライト・リキッド)”。

 簡単に言えば、モンスターなどを寄せ付けないようにできるアイテムである。今回のように円を描くように液体を垂らし、その中に入ってしまえばモンスターなどはこちらに手出しができなくなる。この世界の基準としては非常に高価なアイテムだと言えるだろう。

 とはいえ、ユグドラシルの基準で言えば、この“光の薬液”はクズ・アイテムに分類されていた。

 というのも、効果があるのはレベル20台までの対象のみなのだ。レベル30台以上のモンスターなどに対しては全く効果を発揮しないため、この世界であれば効果的なアイテムであっても、レベル30台以上の存在が当たり前のようにゴロゴロいたユグドラシルにおいては全く使いどころのないアイテムだった。

 しかしそんなことを知らない現世界の人間たちは、ラキュースの――ある意味太っ腹すぎる行動に驚愕と感心の表情を浮かべていた。

 

「おいおい、そんな高価なアイテムを惜しげもなく使っていいのか? それとも、これこそがアダマンタイト級冒険者ってことか?」

「……えっと、ニニャ? あの液体はそんなに高価な物なの?」

「ああ、そっか、姉さんは知らないよね。あの液体は“光の薬液”って言って、害のある魔獣やモンスターとかを寄せ付けない効果があるんだ。値段は大体……金貨20枚くらいかな」

「そんなに!?」

 

 ブレインが感心とも呆れともつかない声を上げる中、その傍らでは疑問符を浮かべるツアレにニニャが分かりやすく説明している。

 彼らの会話を聞きながら、瓶を片手に戻ってきたラキュースが小さな苦笑を顔に浮かばせた。

 

「……そうね。通常であれば私たちもここまではしないのだけれど、でも最近この辺りは物騒になっていると聞くし……モモンさんの騎獣もいるから大丈夫だとは思うけれど、一応今回は念のためよ」

「物騒? 何かあったのかい?」

「おいおい、同じ冒険者なのに知らねぇのか?」

「すまないな。俺たちはリーダーの意向でずっと法国や聖王国の方に行っていたからな。最近の王国の情報には疎いんだ」

 

 呆れた表情を浮かべてブリタを見るガガーランに、ブレインがすかさずフォローを入れる。

 彼らの会話を聞きながら、モモンガもまた頭の中で疑問符を浮かべていた。

 果たしてこの辺りが物騒になっているという噂などあっただろうか……と内心で首を傾げる。

 しかしその疑問はすぐにラキュースの言葉によって明かされた。

 

「最近、モンスターの大群の出現や滅多に見ない魔獣の目撃情報が増えているのよ。……ああ、でも確か、その多くはモモンさんたちが対応して下さったのでしたね」

「ああ、確かそうだったな。北上してきたゴブリンの集団や、カッツェ平野から流れてきたアンデッドどもの殲滅。後は、ギガント・バジリスクを単独で討伐ってのもあったか……」

「そうね。後は私たちが遭遇したもので言えば、正体不明の木の化け物かしら。……あの時、レオナールさんたちがいなかったら危なかったわ」

 

 ガガーランとラキュースの言葉に、モモンガは漸くそれらに思い至って内心で納得の声を零した。言われてみれば確かにそんなこともあったことを思い出す。そして、それらを引き起こした原因が頭を過ぎり、モモンガは内心で肩を竦ませた。

 この辺りで大きな変化が起こったのは、十中八九自分たちナザリックが原因だろう。より正確に言えば、トブの大森林を探索するペロロンチーノたちが原因だと思われた。

 ペロロンチーノ率いるナザリックの勢力によって、今やトブの大森林の勢力図は大きく変わっている。“森の賢王”と呼ばれ大森林の南側を縄張りにしていたハムスケが今や冒険者モモンの騎獣となって森からいなくなったからだけではない。何より、新しく出現した勢力が急激に縄張り範囲を拡大してきたため、他の魔獣たちが危機感を覚えたからだった。

 恐れをなして森から逃げるモノもいれば、憤怒と殺意を湧き上がらせて新勢力を打ち破ろうと闘志を漲らせるモノもいた。

 そして闘志を漲らせたモノたちの行く末は御察しの通りである。

 ペロロンチーノどころか彼を守る階層守護者一人にすら敵わぬ彼らは容赦なく殲滅され、或いは実験体としてナザリック地下大墳墓へと連れ去られていった。

 それによって大森林の魔獣たちは更に大きな恐怖を抱くに至った。ペロロンチーノたちに挑み破れていったモノたちの中には、ハムスケと同レベルであり、大森林の北と西をそれぞれ縄張りにしていた大魔獣も含まれていたのだから当然だろう。

 加えてトブの大森林の奥地で眠っていた魔樹の目覚めが状況の悪化に更に拍車をかけた。

 元々目覚めの兆しを見せてはいたようだが、それでも突然魔樹が目覚めたことに多くの魔獣たちは驚いたことだろう。そしてその魔樹が早々に倒されたことに魔獣たちは更に驚愕し、また恐怖したであろうことは想像に難くない。しかも魔樹を半ば無理矢理目覚めさせたのも、それを早々に打倒したのも新勢力とあっては、彼らの感じた恐怖はいかほどのものだったろうか……。

 以前蜥蜴人(リザードマン)の集落に侵攻した際、彼らの代表として招かれたクルシュ・ルールーが浮かべていた恐怖の表情を思い出す。

 ある一定の理性と思考力を持つ彼らとてそうなのだ、理性よりも本能の方が強い魔獣であれば、尚のこと生存本能からくる恐怖は大きかったことだろう。今までの棲み処を捨てて外に逃げるのは当然のことだ。

 しかし逃げた先で待っていたのは、実は森の新勢力の仲間であるモモンガがいる領域……。

 

(……う~ん、そう考えると流石に少しだけ可哀想に思えてくるな……。)

 

 今まで自分たちの手で討伐されてきた魔獣たちを思い、内心でそんなことを呟く。しかしその言葉に反し、モモンガの心の中には一切の同情も、それに類似する感情もありはしなかった。これもアンデッドになった影響かな……と少しだけ感情を揺れ動かすも、しかしそれもすぐに治まってしまう。

 モモンガはもう一度内心で小さく肩を竦めると、次には今自分がすべきことについてさっさと思考を切り替えた。

 今は兎にも角にも、二つの難題をどうにかするのが先決だ。

 ちょうど偵察に戻ってきたナーベラルとハムスケを背後に従わせ、モモンガは彼女たちが話す話題に鷹揚に頷いてみせた。

 

「そうですね。……尤も、ゴブリンの群れに関しては、私ではなくナーベが一人で対処したものですが……」

「いやいや、でもギガント・バジリスクはモモンさんが一人で討伐したんですよね? そちらも十分凄いですよ」

「ギガント・バジリスクは石化の魔眼もあるしな。本当に信じられないぜ。……一体どうやったんだ?」

「……企業秘密ですよ……」

 

 軽いノリで聞いてくるガガーランに、こちらも軽いノリで答えを誤魔化す。

 正解を言うならレベル差からの抵抗力によるものなのだが、それを言ったところで彼女たちは信じないだろうし、そもそもこちらの手の内を一部でも見せるべきではない。

 モモンガは残念そうな表情を浮かべるガガーランに敢えて気が付いていない振りをしながら、その視線をイビルアイへと向けた。

 

「私からすればギガント・バジリスクなどよりも先日の王都での悪魔たちの方が余程危険に感じましたが……。……そういえば、私が合流する前はあなたが一人でヤルダバオトの相手をしていましたね。それも十分凄いことだと思いますよ」

「ふえっ!? い、いや、そんなことは……モモン様が来てくれなければ、私もやられていましたし……!!」

「いえいえ、十分お強いと思いますよ。……そういえば、ヤルダバオトに“御方”と呼ばれていた悪魔ともイビルアイさんは対峙したとか。その時、“御方”とも戦ったり……何か魔法や特殊技術(スキル)を使ったりはしたのですか?」

 

 必死にさり気なさを装いながら、一つ目の難題に手を付ける。

 しかしモモンガの期待に反し、イビルアイは力なく肩を落として首を横に振ってきた。

 

「……いや、恥ずかしながら私は何もできなかった。ただ圧倒されて……気が付いたらヤルダバオトがいて“御方”とやらは既にあのメイド悪魔を連れて去っていたんです」

「ですが、“御方”とやらはあなたを手に入れようとしていたのでしょう? 何か気に入られるような心当たりがあるのでは?」

「き、気に入られたなんて!! 私からすれば大迷惑です!! そ、それに、心当たりなんてありませんし……」

 

 もう少し踏み込んで問いかけてみるも全力で否定されてしまう。ここまで否定されると友を否定されているような気がして黒い感情が湧き上がってきてしまう。

 しかしそこはグッと堪えると、怪しまれないように気を付けながら更に質問をしてみることにした。

 

「ふむ、それは問題ですね……。何故悪魔たちがあなたを欲しがったのかが分からなければ、また同じことが起こるかもしれない……」

「それは確かに問題ね。イビルアイ、本当に心当たりはないのかしら?」

「あるわけないだろっ! 私の方が聞きたいくらいなんだぞっ!!」

 

 悲鳴のように声を上げる様は必死なもので、とても嘘を吐いているようには見えない。これは本当に心当たりがないパターンだろうか……とモモンガは内心で頭を捻らせた。

 考えてみれば、本当に心当たりがありそれを隠しているのなら、そもそも同じ仲間であるラキュースがわざわざモモンガと同じようにイビルアイに質問する必要はない。

 それともイビルアイは仲間にすら何かを隠しているのか……。

 悶々と思考を巡らせながら、しかし最後にはモモンガは内心で大きなため息を吐き出した。

 ここで一人ひたすら考えたところで答えなど出てはこない。とはいえしつこく根掘り葉掘り聞いては不審がられる可能性があり、ここは一時中断だな……と判断して引き下がることにした。

 

「……そうですか。では、もしまた心当たりが思いつきましたら教えて頂けませんか? 私も微力ながら力になりましょう」

「あっ、ありがとうございますぅっ!!」

 

 一応少しでも情報が入ってくるように言葉をかければ、予想以上の大きな反応が返ってくる。こちらに大きく身を乗り出してくる少女に思わず内心でたじろぎながら、しかし実際に後退らないように何とか足を踏みしめて堪えた。少し上半身が後ろに仰け反るような形になってしまったが、これくらいはどうか許してほしい。

 誰に対してかも分からぬ懇願を頭の中で呟きながら、モモンガは周りに気付かれないようにゆっくりと徐々に体勢を元に戻していった。

 その際、微妙に立ち位置を変えてイビルアイから距離を取ることも忘れない。

 モモンガは内心で大きなため息を吐くと、取り敢えず休憩しようと自分に言い聞かせた。

 ドッと伸し掛かってくるような重圧が増したと感じるのは決して勘違いではないだろう。

 『第一のミッション失敗』という文字が頭にチラついているのを強引に無視しながら、モモンガは一度ラキュースとイビルアイから距離を取って近くの手頃な岩に歩み寄って腰かけた。後ろに付き従っているナーベラルとハムスケも、すぐにモモンガに従ってすぐ側の地面にそれぞれ腰を下ろす。

 モモンガたちの目の前では既にラキュースとイビルアイ以外の同行者たちがそれぞれ地面やら手頃な岩などに腰を下ろしており、それぞれ言葉を交わしたり武器の状態を念入りに確認したりと各々の時間を過ごしていた。

 どこかワイワイと楽しそうにしている彼らの姿に、在りし日のユグドラシルでの日々がふと頭に浮かび上がってくる。

 あの頃はよくモモンガもギルドの仲間たちと共にいろんなワールドに行っては、こうやってワイワイと騒いだものだった。時にはこれからの戦闘のシミュレーションをしたり、時には前回の戦闘で手に入れたドロップアイテムについて話したり、時には魔法について熱弁したりと、いつの時もとても楽しい時間だった。

 不意に心に湧き上がってきた哀愁に、しかしモモンガはすぐさま小さく頭を振ってその感情を振り払った。

 確かにこの世界にはギルドメンバーの多くが来てはいない。しかし、自分は決して一人でこの世界に来たわけではない。ペロロンチーノもウルベルトも一緒にこの世界に来て、そして当たり前のように自分と共にいてくれている。

 そのことに心の底から感謝しながら、ふとモモンガはある光景を夢想した。

 

(……ああ、俺とペロロンチーノさんとウルベルトさんの三人で世界中を旅したいな~。)

 

 和気あいあいと過ごす彼らの姿に、自分とペロロンチーノとウルベルトの姿が重なった。

 勿論、今はまだその光景を実現させることは難しいことは理解している。しかし分かってはいても、『早く、早く』と望まずにはいられなかった。

 NPCたちと行動を共にしたりどこかに行ったりするのは勿論楽しいが、やはり大切な仲間の存在は自分にとってとても特別なものなのだ。

 どうしたらそんな日々が早く訪れるだろうか……と思わず思考を巡らせる中、不意にこちらに近づいてくる一つの気配に気が付いて、モモンガは思考を中断して気配の方を振り返った。

 

「……あの、少し宜しいでしょうか?」

 

 そこに立っていたのは、先ほどまで話していたラキュース。しかし先ほど話していた時とは打って変わり、今の彼女は何故か少し困ったような笑みを浮かべていた。

 いつにない彼女の様子に、思わず内心で首を傾げる。しかしいくら疑問に思ったところでこのまま無視をする訳にもいかず、モモンガは取り敢えず一つ頷いて手振りで座るように促した。

 ラキュースは短く礼の言葉を口にすると、少しおずおずとした様子でモモンガたちのすぐ目の前の地面に腰を下ろす。両足を揃えて横座りすると、両膝の上に両手を置いた後に一つ息をついて口を開いた。

 

「………ネーグルさんのことについて、お聞きしたいことがあります」

「それは……、我々が知っていることは既にエ・ランテルで全てお話ししましたが」

「あっ、いえ、そうではなくて……。……その、ナーベさんに……お聞きしたいことがあって……」

「ナーベに……?」

 

 ここで何故ナーベラルが出てくるのかが分からず、思わず声音に不信感の音がこもる。

 それを敏感に感じ取ったのだろう、ラキュースは少し慌てた様子で何度も頷いてきた。

 

「は、はい! その……、王都での悪魔騒動の時にナーベさんがネーグルさんと楽しそうにお話しされているのを見かけたので、何を話されていたのか、いろいろと……お聞きしたくて………」

 

 徐々に言葉の強さが弱まっていき、上向いていた顔もどんどんと下がって俯いていく。最後にはどこか恥じらうように言葉を濁すラキュースに、そこで漸くモモンガは今の彼女の心境と目的を理解した。

 今彼女は王国の危機となるかもしれない存在について探ろうとしているのではなく、好意を寄せている存在を知りたいという欲求から自分たちに話しかけてきたのだろう。その中にはナーベとレオナールの間にあるかもしれない感情に対する疑いや不安、嫉妬も入っているのかもしれない。

 いや、間違いなく入っているのだろう。

 どこからどう見ても恋する乙女の顔をしているラキュースに、モモンガは内心で頭を抱えた。

 まさか友を渦巻く恋愛に自分が巻き込まれることになろうとは思ってもみなかった。しかも決して当事者の一人ではなく、当事者の連れであることが何とも微妙なところだ。

 どうしたものかと頭を悩ませる中、不意に今まで大人しく控えていたナーベラルがいつもの無表情と平坦な声音で淡々と言葉を返してきた。

 

「レオナールさーーん、とはただ魔法についてご教授頂いていただけです。それ以外に話したことは別段ありません」

「ほ、本当に……? 随分と楽しそうにお話しされているように見えましたけど……」

「レオナールさーーん、はとても素晴らしい御方。魔力も扱える魔法の数も私とは天と地以上の隔たりがあり、扱い方も若輩の身である私では到底思いつかないものばかりです。そのような方に声をかけて頂ける……、それだけでも身に余る幸福であると言えます」

「……………………」

 

 言い慣れていないせいか、頻繁に“様付け”しそうになっては慌てて言い直しているせいで、先ほどから間延びした喋りになっている。とはいえ、その声音には崇拝の色が十二分に宿っており、それだけでナーベラルがウルベルトに向けている感情が恋愛などではないことが分かるだろう。

 しかし、恋は盲目であると先人はよくも上手いことを言ったものだ。チラッと見たラキュースの表情には一切晴れやかさなどなく、未だ彼女が懸念を抱いているのがバッチリと見てとれた。

 はてさてどうしたものか……と頭を悩ませる。

 自慢ではないが、モモンガはこういったことを解決することが非常に苦手だった。何だかんだで言い争う仲間たちの調停などはよくやっていたし、仲間たちが抱える様々な悩み事に対しても親身になって相談に乗ってきた。しかし今回の件は全くの専門外でどう対処したらいいのかも分からなかった。ぶっちゃけ、こういったことは自称・恋の伝道師であるペロロンチーノか、当事者であるウルベルトがどうにかする問題ではなかろうか……。

 モモンガは少しの間必死に悩み考えた末、自分には手に負えないものだとキッパリ諦めることにした。

 

「……ま、まぁ、ナーベはレオナールのことを尊敬していますからね。あの時はレオナールもまるで教師のようにいろんなことをナーベに教えてくれていましたし、ナーベもそれが嬉しかったのでしょう」

「……教師のように、ですか……」

「ええ。レオナールも、ナーベは良い弟子になりそうだと冗談交じりにではありましたが言っていましたよ」

 

 本当のことを言えば、ウルベルトは全くそんなことを言ったことはない。だが、このくらいの嘘ならば何ら問題にはならないだろう。要はウルベルトにもナーベラルにも恋愛感情がないことをラキュースに納得させればいいのだ。

 “教師”という言葉を殊更強調しながら力強く言うモモンガに、ラキュースの翳っていた表情も少しだけ明るくなる。

 それに思わず内心で安堵の息をついた後、『はて、何で俺はこんなことで安堵しているんだ……』と頭の中で幾つもの疑問符を浮かべた。

 だが、この一行での行動時間はまだ暫くは続くのだ。ならばなるべく自分の居心地が良いように環境を整えていく努力は必要だろう。

 モモンガはそう自分に言い聞かせて半ば無理矢理納得させると、そっと頭上に広がる爽やかな青空を見上げた。

 

(……あぁ、全部投げ出して、ペロロンチーノさんとウルベルトさんと一緒にナザリックでバカ騒ぎしたいな~。)

 

 遠い目で青空を見つめながら、現実逃避のように願望を頭の中で呟く。

 夢見る光景は、いつかは訪れるであろう幸せな未来。

 しかしそのためにはまだまだやることが山積みで、現実に引き戻された思考にモモンガは思わず内心で大きなため息を吐きだした。

 今回自分に課せられたミッションが終了し、心に平穏が訪れるのは、まだまだ先になりそうだった。

 

 




*今回の捏造ポイント
・“光の薬液”;
モンスターを寄せ付けないようにできるアイテム。効果があるのはレベル20台までのモンスターのみ。レベル30台以上のモンスターに対しては全く効果を発揮しない。


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第55話 暗闇の決断

お待たせいたしました、漸く執筆再開です!


 目に鮮やかに広がる多くの天幕。

 その間を縫うように忙しなく歩を進めているのは鎧姿の多くの森妖精(エルフ)たち。

 一つの戦いが終わり一時の休息を手に入れた彼らは、またすぐに訪れるであろう戦いに備えて各々が準備を進めていた。

 ある者は負傷した仲間たちの治療に向かい、ある者は自身の得物を修理し、ある者は食料を運び、ある者は見回りのために陣内を走り回っている。

 彼らの顔には疲労の色が濃く、悲観や絶望の色を浮かべている者もいる。しかし誰もが決してそれらに完全に呑み込まれてはいなかった。厳しい状況ながらも未だ希望を失っていない彼らの目は、覚悟という名の闘志に燃えて輝いていた。

 しかしそんな中で、ある一つの天幕の中だけが陰鬱とした空気を漂わせていた。

 数多く建ち並ぶものに比べて一回りほど大きな赤い天幕は、赤刃(せきじん)第一部隊の隊長であるナズル・ファル=コートレンジの専用天幕である。

 中にいるのは、この天幕の主であるナズル・ファル=コートレンジ。閃牙(せんが)第一部隊の隊長であるシュトラール・ファル=パラディオン。閃牙第一部隊の隊員であり、ナズルの実の弟であるカータ・ファル=コートレンジ。そして黒風(こくふう)第一部隊の隊長であるノワール・ジェナ=ドルケンハイトの四人だった。

 ナズルとシュトラールとカータの表情はひどく暗く翳っており、いついかなる時も無表情を崩さないノワールですら剣呑な色を蒼色の瞳に宿らせて張り詰めた空気を身に纏っている。

 彼らは早朝拠点に戻ってきてすぐにこの天幕に引き篭もると、先ほどからずっと互いの意見を交わし合っていた。

 会話の内容は昨夜彼らが遭遇した出来事について。強大な力を持った異形たちと対峙し、それによってもたらされた“提案”。一見こちらにとって非常に良い話にしか思えないそれに、しかし相手が異形であることで何かしらの罠としか思えず、彼らは何時間もの間絶えず意見を交わし合っていた。

 しかしどんなに時間を有しても、良い案は何一つ出てこない。最後には悪あがきもできず、四人共が口を噤んで天幕内が重苦しい沈黙に沈んでいた。

 

「………やはり、あの方に相談した方が良い」

 

 不意にポツリと呟かれた言葉。

 ハッと誰もが俯かせていた顔を上げる中、ただ一人声を発したノワールだけが翳りのない顔に神妙な色を浮かべていた。

 

「し、しかし、あまりにも怪し過ぎる内容です。ご報告して万が一のことがあれば……!」

「だが、そう言いながら私たちは未だ何一つ代案を出せていない。もうあの方に相談するしか術はないと思う」

「……そう、だな……。タイムリミットも近づいている。どちらにせよ、このまま黙っている訳にもいくまい」

「……………………」

 

 ノワールの言葉に、シュトラールも苦々しい表情を浮かべながらも同意して頷く。ナズルは無言を貫いており、カータは成す術もなく力なく項垂れた。

 正直に言えば、この場にいる誰もがやりたくないと思っている。しかし組織である以上、どちらにせよこればかりはせねばならない事柄だった。

 まずはノワールが立ち上がり、続いてナズルが立ち上がる。最後にシュトラールとカータが共に立ち上がると、彼らは顔を見合わせて一つ頷き、重い足取りのまま天幕の外へと足を踏み出していった。

 第一部隊の隊長が複数人で行動しているからだろう、拠点内を歩けばすれ違うエルフたちが不思議そうな、或いは驚愕した表情を浮かべてこちらを振り返ってくる。

 しかし彼らはそれらを一切無視すると、ただ無言のまま拠点の奥へ奥へと進んでいった。

 数分後、彼らが辿り着いたのは目に鮮やかな緑色の布を使った一つの天幕の前。

 エルフにとって非常に意味のある特別な色に染められた天幕の前で、先頭を歩いていたノワールは出入り口の両端に立つ護衛の兵たちに目配せを送った後に天幕の中へと声を発した。

 

「殿下、黒風第一部隊隊長ノワール・ジェナ=ドルケンハイト、並びに赤刃第一部隊隊長ナズル・ファル=コートレンジ、閃牙第一部隊隊長シュトラール・ファル=パラディオン、閃牙第一部隊所属カータ・ファル=コートレンジでございます。お話ししたいことがあり参りました。どうか御目通り願えますでしょうか?」

『……ノワール? ええ、構いません。入ってきて下さい』

 

 ノワールの言葉に返ってきたのは、涼やかな年若い少女の声。

 柔らかな声音に促され天幕の中へ足を踏み入れれば、そこには18歳くらいの一人の美しいエルフがこちらを真っ直ぐに見つめる形で立っていた。

 少し日に焼けた白い肌にスッと通った鼻筋。豊かで美しい金色の髪は頭の後ろでキツく一つにまとめられている。

 何より目を引くのは大きなオッドアイの瞳。

 金色の長い睫毛に縁どられたそれは、微かな光にもキラキラと輝いて見る者を魅了する。

 新芽のような鮮やかな緑色の衣装を少年のような平べったい身体に纏い、その手には何枚もの羊皮紙が握り締められていた。

 色違いの瞳と身に纏う色がこの少女が何者であるのかを如実に周りに示している。

 ノワールたちは当たり前のように数歩前へと進み出ると、その場で跪いて頭を下げた。カータもまた同じように膝をついて頭を下げるが、内心では目の前に立つ存在に気圧されて心臓が激しく脈打っていた。

 彼らの目の前に立っているのは、クローディア・トワ=オリエネンス。

 エルフの王の娘の一人であり、この前線基地の最高指揮官の地位についている姫君だった。

 

「皆さん、まずは頭を上げて立って下さい。このままではお話が聞き辛いです」

 

 苦笑の色が滲んだ声をかけられ、反射的に顔を上げる。美しいオッドアイと目が合い鼓動を跳ねさせるカータとは打って変わり、他の面々は心得たように次々とその場で立ち上がった。周りの動きにつられるようにしてカータも慌てて立ち上がる。

 静かに椅子に腰かけて促す少女に、ここにいる者を代表してノワールが口を開いた。

 

「……実は昨夜、我々は拠点を出て、ここから三時間ほどの距離にある洞窟まで行って参りました」

 

 短い前置きの後、感情を抑えたノワールの声が朗々と言葉を紡いでいく。

 彼女の口から語られていくのは、昨夜の異形たちとの会話について。クローディアは最初こそ驚愕の表情を浮かべていたが、すぐに真剣な表情を浮かべて無言のままノワールの言葉に耳を傾けていた。

 話しが進むにつれ、少女の顔色はどんどんと悪くなっていく。

 そして説明が終わる頃には彼女の顔色は青を通り越して白くなっていた。

 

「……以上となります。報告が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした」

「………いいえ、それは良いのです。……それよりも、その異形たちは法国と何か関わりがあると思いますか?」

「それは……、異形たちが法国の罠である可能性があるということでしょうか? 恐れながら、それは考え辛いのではないでしょうか。あの法国が異形を使うとは思えません」

「ええ、私もそう思います。ごめんなさい、それでも念のため聞いておきたかっただけなの」

 

 少女は小さな苦笑を浮かべると、次には大きな息を吐き出した。

 

「……異形たちの要求は二つ。一つ目は父の……エルフ王の排除。二つ目は法国領土の掌握及び献上。その代わり、この二つを成すために必要な戦力を私たちに貸してくれるらしい、ということね」

「はい、その通りです」

 

 確かめるように内容を声に出して繰り返すクローディアに、彼女の声を聞きながらカータは思わず小さく顔を顰めた。

 あの時、あの鳥人(バードマン)は『取引がしたい』と言っていたが、実際に提示された内容はこちら側に非常に都合が良いものだった。正直に考えて、好条件過ぎて裏があるとしか思えない。

 クローディアもまた同じことを思ったのだろう、その整った顔に困惑の表情を浮かべていた。

 

「……どう考えても怪し過ぎるわね。いえ、それとも妥当と判断するべきなのかしら……」

「クローディア様……?」

 

 一体どういうことかと首を傾げるカータたちに、クローディアはその顔に苦笑を浮かべた。

 

「話しだけを聞けば、その異形たちは私たちと手を組んで法国を倒したいのだと思う。けれど、彼らは表に出ないつもりなのかもしれないわ。……あくまでも法国と戦うのは私たち。彼らは支援だけをし、自分たちの血は流すことなく法国を弱らせようとしている……」

「……なるほど。それに、奴らが言う支援とやらがどの程度のものかも重要になって参ります。異形たちの力を見誤れば、最悪の場合、我々の方が滅ぶことになる」

「ええ。だからこそ、法国の罠かとも考えたのだけれど……」

 

 途中で言葉を切って考え込む少女を見つめながら、カータはそこで漸く彼女からの最初の問いの理由を理解した。

 なるほど確かに、異形たちの支援がどの程度なのか分からない以上、それを信用しすぎるのは危険だった。もし異形たちの支援の力を見誤った場合、逆にこちらが窮地に陥る可能性も出てくる。そう考えれば異形たちが法国の差し金である可能性も否定できなかった。しかしそうは思っても、カータはやはりあの法国が異形を使うとは考えられなかった。

 

「……それに、確かに悪い話ではないのだろうけれど、そのためには一つの大きな犠牲を払うことになる。……いえ、犠牲…と言っていいのかは分からないけれど……」

「犠牲、ですか……?」

「ええ、エルフの王の死よ」

「……………………」

 

 苦笑と共に言われた言葉に、どう返していいか分からず誰もが口を噤んだ。

 確かに異形たちからの提案の中に、『エルフ王を排除する』という条件が出されていたことを思い出す。今まで自分たちがそれを問題視しなかったのは、果たして考えたくもない悍ましい条件だと思ったからか、はたまた自分たちにとってさほど重要なことではないと無意識的に思ったからか……。

 後者だろうな……とカータは心の中で独り言ちた。

 カータたちにとって、当代の王はとてもではないが忠誠を誓えるような存在ではなかった。

 何よりも力を重んじ、自身の欲望のままに国を動かす暴君。

 力ない男は捨て駒として使われ、力ない女は強制的に争いの中に放り込まれ、力ある女は犯され子を孕まされる。今自分たちが命がけで戦っているこの法国との戦争とて、元はと言えば王の暴挙が生んだものなのだ。正直に言えば、エルフたちの中で今の王を憎んでいない者など極少数しかいないだろう。いくら自分たちの王であるからと言って、排除できるならばさっさと排除してしまいたいというのが本音だった。

 

「……王は多くのエルフたちに憎まれている。それでも、よそ者の指示のままに自分たちの王を殺すとなれば、少なくとも外聞は相当悪いものになるでしょう」

「……クローディア様……」

「ありがとう、ノワール。でも、心配しなくても大丈夫よ。私だって王が憎い……。例え私の父で血が繋がっていようと、逆に考えれば私と王との繋がりなどそれしかないわ。叶うなら……私とて王を殺してしまいたい」

「……………………」

「でも、問題なのは外聞だけじゃない。私たちには王を殺すだけの力も術もないということが一番の問題だわ」

 

 眉間に皺を寄せて苦渋の表情を浮かべるクローディアに、カータも小さく眉間に皺を寄せて顔を俯かせた。

 確かに、王を排除できる方法がないというのが一番の問題だった。

 カータたちとてこれまでずっと大人しく王に従ってきたわけではない。これまで幾度か反乱を起こし、王の暴挙を止めようと動いたことがあった。しかし王自身の強さもさることながら、王は自身が認めた幾人もの猛者たちをその傍らに常に控えさせていた。この猛者たちがいる限り、王に近づくことすらままならない。

 一時、その猛者たちを説得し王を裏切らせることはできないかという案も出たことはあったが、猛者たちは全員エルフ王の強さに異常に心酔しており、とても説得が効くとは思えなかった。逆に“裏切り”の“う”の字を出した時点で殺されかねない。

 いくら勢力を集めたところで、自分たちの刃が王に届くことはなかったのだ。

 

「……幾度か起こした反乱は尽く阻止され、苛烈な報復の元多くの民が血祭りにあげられました。もはや全てのエルフたちの中に王への恐怖が深く根付いてしまっている……。これでは王を殺そうと動くことすらままならないわ」

 

 戦力が集まらないことには行動も起こせない。このまま無闇矢鱈に動いては犬死するだけだろう。

 なるほど確かに、そう考えれば異形たちからの提案は自分たちにとって決して良いものばかりではなく困難を極めるものに思われた。

 そこまで思考を巡らせたその時、ふとカータはあることを思い出して咄嗟に俯かせていた顔を上げた。

 一瞬言葉にするか迷い、しかし意を決して一歩前へ進み出た。

 

「……クローディア様、一つご報告したいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

「ええ、構いません。報告して下さい」

 

 通常であれば、いくら第一部隊所属とはいえ一介の兵が王族と直接言葉を交わすことなどあり得ない。しかし今はそんなことを考えている場合ではなく、カータは緊張で急激に乾いていく喉を半ば無理矢理動かしながら口を開いた。

 

「バードマンが連れていた幾人もの異形の中に、闇妖精(ダークエルフ)の子供がいたのですが……」

「ダークエルフ? ……トブの大森林から来た集落の者たちでしょうか」

「それは分かりませんが……。そのダークエルフの目が……私の見間違いでなければ、王族の方々と同じ色違いだったのです」

「っ!!?」

 

 カータの発言に、クローディアの色違いの双眸が驚愕に大きく見開かれる。

 暫く呆然とした表情のまま微動だにせず、次には確認するようにノワールたちへと目を向けた。

 

「……確かに、私も見ました。……私は唯の見間違いだとばかり思っていたけど……」

「俺は気づきませんでした……。あの赤い鎧の女しか見ていなかったので……」

「私も同じく。……よく見ていたな、カータ」

 

 シュトラールとナズルが言っている“赤い鎧の女”というのは、恐らく自分たちを一瞬で地に沈めた人間のような少女のことだろう。確かに彼女も強い存在感を放っていたが、しかし“オッドアイ”はエルフの中では王族の象徴であり、決して無視できるものではなかった。

 

「……まさか、ダークエルフにまで手を……? いえ、そんな話は今まで一度も……。……そのダークエルフの歳はいくつくらいに見えましたか?」

「見た目の年齢は10歳ほどでしたので、生まれて大体70年前後は経っているかと……」

「70年前後……。ということはダークエルフに手を出すためには……。いえ、やはりおかしいわ、そんな……」

 

 誰もが口を閉ざす中、クローディアの声だけが小さく響いては消えていく。

 クローディアは暫く考え込んだ後、次には意を決するように勢いよく顔を上げてカータたちを見上げた。その目には、まるで戦場に立っている時のような強い光が宿っていた。

 

「分かりました。私が直接、その異形たちと会って話しましょう」

「っ!! そんな! あまりにも危険です!!」

 

 クローディアの言葉に、カータがすぐさま反対の声を上げる。

 しかし、シュトラールとナズルとノワールはと言えば……。

 

「やっぱりこうなったか……」

「フンッ、予想していたことだろう」

「予想通りになるのが問題」

 

 反対の言葉を言うことはなく、ただ呆れや諦めの表情を浮かべるだけだった。『皆も反対してくれ!』と目を向けるも、逆に『諦めろ』とシュトラールに肩を叩かれる始末。

 しかしカータは諦めずにクローディアへと身を乗り出した。

 

「どうかお考え直しください! クローディア様をあの異形たちに会わせるなど……!! 何かあったらどうするのですか!!」

「ですが、どちらにしろ異形たちにはこちらの意思を伝えねばなりません。これは軍の総指揮官である私の役目です」

「意思を伝える役目ならば我々が務めます! あの異形たちは本当に危険なのです!」

「そうであるならば尚のこと、私が行くべきです。それに、異形たちは総大将を連れてくるように言ったのでしょう? もし部下を送り、総指揮官である私が姿を見せなければ、異形たちは侮られたと思うことでしょう。そうなった時、どんな報復を受けるか分かりません」

「っ!!」

 

 クローディアの言葉に、ついに言い返すことができずに喉が詰まる。カータは暫く必死に思考をこねくり回していたが、良い反論が思い浮かばず最後にはガクッと両肩を落とした。

 少女一人止めることができず、自身の不甲斐なさに悔しさが込み上げてくる。

 顔を俯かせて黙り込む中、不意にカータの両手に温かな何かがそっと触れてきた。

 ハッと反射的に顔を上げれば、そこには至近距離にクローディアの顔。

 クローディアは座っていた椅子から立ち上がると、カータの手を両手で包み込むように握って下から見上げるように顔を覗き込んでいた。

 

「心配してくれたこと、嬉しく思います。ですが、このくらいは力にならせて下さい」

 

 どこまでも静かで柔らかく穏やかなクローディアの声音には、深い悲しみや憂いの音が含まれている。

 その理由を知るカータは、もはや何も言うことができなかった。

 カータは自身の手を包んでいるクローディアの手を一度放させた後に改めて両手で掴むと、そのまま片膝をついて深々と頭を垂れた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深い闇夜に染まるエイヴァーシャー大森林。

 星の光さえ遮る鬱蒼とした闇の中、五つの人影が風のように駆け抜けていた。

 ナズルを先頭に、カータ、クローディア、シュトラール、ノワールが順に一列に並んで森を駆けている。

 深く生い茂る枝葉をかき分けるように進み、五人は漸く目的の場所まで辿り着いた。

 

「………ここが……」

 

 弾む呼吸を抑えながら、クローディアは目の前の暗闇を凝視する。

 彼女たちの目の前には幾束もの蔓が巻き付いて覆われた岩の洞窟が大きな口を開けていた。まるでこちらを呼んでいるかのように、低い風の音が洞窟の奥から響いてくる。

 クローディアは思わず生唾を呑み込むと、次には意を決して目の前に立つカータやナズルの横を通り過ぎて洞窟の口の前へと歩み寄っていった。

 

「……この奥に、彼の異形たちがいるのですね」

「……………………」

 

 クローディアの呟きに、カータたちは無言で返す。それが何よりの返答であり、クローディアは思わず小さく震える拳を強く握りしめた。

 この奥に見知らぬ異形たちがいるのだと考えるだけで大きな緊張と恐怖が湧き上がってくる。しかし総指揮官である自分が怖気づいている訳にはいかない。

 クローディアは一度大きく息を吸って吐き出すと、後ろに控えるように立っているカータたちを振り返った。

 

「……さぁ、行きましょう」

 

 言葉短く促せば、カータたちは心得ている様にそれぞれ頷いてくる。彼らはクローディアの四方をそれぞれ固めると、そのままゆっくりとした足取りで洞窟の中へと足を踏み入れていった。

 細い通路を慎重に通り抜け、洞窟の最奥へと歩を進める。

 やがて辿り着いたぽっかりと拓けたその場所は、天井のない空から月の青白い光が降り注ぎ、中心に立つ大きな岩の柱を照らしていた。

 

「「「っ!!」」」

 

 瞬間、目に飛び込んできた存在に思わず大きく息を呑む。

 いつの間にいたのか、拓けた空間の中心には既に複数の異形たちが姿を現し、自分たちを待ち構えて鋭い視線を向けていた。

 中心の岩柱の上に腰かけているのは黄金色のバードマン。その足元に大小様々な異形が四体横並びに佇んでいた。

 異形たちの姿はノワールたちから聞いたものと完全に一致している。十中八九、目の前の異形たちが彼女たちの話していた存在なのだろう。

 クローディアは拓けた空間に一歩踏み入れた所で立ち止まると、岩柱の前に横列に並ぶ異形たちに視線を走らせた。

 卵頭の異形と深紅の鎧を身に纏った美少女と細い角を生やした男。そして最後に小さなダークエルフの子供が目に留まり、クローディアはドキッと心臓を跳ねさせた。

 ダークエルフの瞳に目を向け、その色が左右それぞれで違うことに胸が大きく騒めく。

 ダークエルフの子供もこちらの視線に気が付いたのだろう、訝しげな表情を浮かべて小さく首を傾げてくる。

 形の良い唇が開きかけ、しかし子供が声を発する前に違う声が洞窟内に響き渡った。

 

「ようこそ、エルフの皆さん! 約束通り、また来てくれて安心したよ。えっと、そこにいる子が君たちの総大将で良いのかな?」

 

 声を発したのは岩柱に腰を下ろしたバードマン。

 黄金の仮面越しにも分かる、こちらに向けられているのであろう鋭い視線にクローディアは思わず緊張に身体を強張らせた。

 まるで舐めるように全身に注がれる視線がヒシヒシと感じられる。

 不快感と緊張と恐怖に冷や汗が溢れ出す中、クローディアはただ黙ってバードマンの嘴がゆっくりと開かれるのを見つめた。

 

「………えっ、…可愛くない……?」

「……は……?」

 

 耳に飛び込んできた音に、思わず呆けた声が零れ出る。

 予想外過ぎる言葉が聞こえてきたのは果たして自分の聞き間違いだろうか……。

 思わず困惑の表情を浮かべるクローディアに、しかし目の前のバードマンはその混乱に更なる燃料を投下してきた。

 

「えっ、この女の子が総大将? 可愛すぎでしょ、ていうか若すぎない? これ、ホントに大丈夫? 俺の予想ではごっついオッサンが出てくるんだとばかり思ってたんだけど」

「……えっ、…と………」

「実年齢は兎も角見た目は15歳くらいだよね。……うん、十分萌える範囲です。金髪なのも良いよね。俺もシャルティアの髪を金色にするか銀色にするか迷ったもんな~。それにそのスタイルもすっごく良いよね! すっごく萌える! やっぱり貧乳は正義、俺の考えに間違いなどなかったっ! それから……おおっ! これは稀に見るオッドアイ! モノホンで初めて見た。アウラとマーレと一緒だなんて珍しいな」

「っ!!」

 

 突然始まったマシンガントークに思考がついていけずに凍り付く。同時に深紅の鎧の少女から凄まじい殺気が飛んできて一気に冷や汗が噴き出した。しかしバードマンが最後に発した言葉はしっかりと思考に入り込み、クローディアは美少女から向けられている凄まじい殺気に小さく震えながらも思わず生唾を呑み込んだ。

 確かに聞いた、“オッドアイ”に対する言及と二つの名前。

 一方の名前は目の前に立つダークエルフの子供のものだとして、もう一つの名前は一体何を意味しているのか……。

 

(……まさか、目の前の子供の他にオッドアイの人物がもう一人いる……?)

 

 突然降って湧いた可能性に鼓動を速めながら、クローディアは強く両手を握りしめてスゥ…と大きく息を吸い込んだ。

 

「……わ、私はクローディア・トワ=オリエネンスと申します。まず、我が兵士を救って頂いたことに感謝します」

「あっ、いやいや、それは大丈夫だよ。彼にはメッセンジャーをやってもらってこちらも助かったからね。いや~、それにしても総大将が君みたいな若くて可愛い女の子だとは思ってもみなかったよ!」

 

 こちらの言葉に返される声音はどこまでも明るく邪気がない。目を閉じて声だけを聞いていれば、相手が恐ろしい異形であるとは誰も思わないだろう。

 しかし声音の印象に惑わされるわけにはいかない。

 クローディアは気を引き締めると、覚悟を決めて再び口を開いた。

 

「この者たちから、我々への提案について聞きました。我々と法国との戦いに、力添えをして頂けるとか……。具体的にはどのような支援をして頂けるのか、その内容をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「う~ん、取り敢えずは装備類のアイテムの貸し出しが主かな。場合によっては一部のシモベたちを貸してあげることもあるかもしれないけど」

「……幾つか、質問させて頂いても宜しいでしょうか?」

「うん、どうぞ」

 

 バードマンから発せられる声はどこまでも明るく穏やかで、そして優しい。緊張が緩んで絆されていく感情に、もしやこれが狙いなのだろうか……と一瞬思考を過らせる。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではないと無理矢理思考を引き戻すと、改めて気を引き締めるように拳を強く握りしめた。

 

「何故、我々に力を貸して下さるのでしょうか? あなた方が法国と敵対しようとしているのは何故なのですか?」

 

 クローディアの問いかけに返されたのは一時の静寂。

 バードマンはすぐに返答することなく黙り込むと、先ほどまでの明るい雰囲気を消し去って、代わりに不気味なほどの静寂を身に纏ってゆっくりと嘴を開いた。

 

「……実は法国の連中にちょっかいを出されたことがあるんだ。俺たちの場合は不慮の事故って感じだったんだけど、あっちから手を出してきたのは事実。まぁ、直接手を出してきた連中は即刻全員殺したんだけど、やっぱり下がやらかしたことは上が責任をとらないといけないだろう? だから今回、同じように法国と争っている君たちと協力できないかと思ったんだよ」

「……っ……」

 

 バードマンが身に纏う空気も、嘴から発せられる声音も、どれもが恐ろしいほどに静かなもの。しかしその声音によって紡がれた言葉の内容と、何より静寂の色に隠れるようにして潜んでいるドロドロとした何かに、クローディアは思わず全身に鳥肌を立たせた。

 どんなに覆い隠そうとも感じ取れる、あまりにも禍々しいドロドロとした激情。

 それは怒りか憎しみか、はたまた殺意か。

 正確なことは分からないものの、クローディアは確かに目の前のバードマンが抱える激情を感じ取っていた。

 やはりここに来て良かった……と心の中で小さく呟く。

 ここに来て直接異形たちと対峙しなければ、自分はもしかしたら大きな判断ミスを犯してしまうところだったかもしれない。自分たちの立ち位置、異形たちと法国との繋がり、異形たちの力、提案への信憑性。それらを全く知ることなく、滅びへと続く下り坂を転がり落ちていくところだったかもしれない。

 クローディアは一度ゴクッと唾を飲み込んで緊張に渇く喉を動かすと、恐怖に震えそうになる声を抑えながら再び口を開いた。

 

「我々に手を貸して下さる条件の一つに、我らが王の排除が含まれていると聞きました。その理由を聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 瞬間、再びバードマンの纏う気配が変わった。

 静寂から一気に邪気のないものへ。

 顔が見えていればキョトンとした表情を浮かべているのが見えたかもしれないと思えるほど、その気配は透明なものになっていた。

 

「いや、あんなんいたら害にしかならないでしょう。そもそも君たちが法国と争うことになった原因も、その王様の女癖が悪いからって聞くし。何より、こっちには強くて可愛くて綺麗な女の子たちがたくさんいるんだ。彼女たちに手を出されるわけにはいかないから、邪悪の芽は摘んでおかないとね」

 

 軽い口調で言われた言葉に、クローディアは思わず大いに納得させられた。自然とバードマンに向けていた視線が紅色の鎧を身に纏った美少女へと移る。

 この目の前の少女は確かに息を呑むほどの美しさを持ち、また感じられる威圧感も相当なもの。もしこの場に王がいれば、間違いなくこの少女を妾の一人として手に入れようとするだろう。強い子供を産むことのできる強い女であれば、相手がエルフであろうと人間であろうと亜人であろうと異形であろうと一切構わないという思考の持ち主なのだ。間違いなく手を出すに決まっている。

 

「まったく……、綺麗で可愛い女の子たちを愛でるのは大賛成だし、そうしたい気持ちにも共感するけど、無理強いなんて論外だ。レイプは犯罪だよ、犯罪。ここにたっちさんがいたら逮捕案件待ったなしだよ。それが許されるのは二次元だけなんだから! 全くなんて羨まけしからん王様なんだ! それに、あぁっ、もしシャルティアたちに欲望の目を向けられたらと思うだけで腹立たしくて仕方がない! ウチの子たちは絶対にあげないし、スケベな目で見るのも許しません! 考えただけでも苛々してくる!!」

 

 先ほどまでの穏やかさはどこへやら、話すうちに気が高ぶってきたのか、バードマンの纏っている気配がどんどんと険悪なものになっていく。全身の羽毛が膨らみ、細いシルエットが突如大きく威圧的なものになっていった。

 思わずクローディアたちが恐怖に慄く中、しかしバードマンのすぐ足元に並んでいた異形たちは全く別の反応を返していた。

 

「ああっ、ペロロンチーノ様! 何て慈悲深い御方! ペロロンチーノ様に心配して頂けるなんて、身に余る至福でありんす! この身もこの心もこの魂すらも、全てはペロロンチーノ様のもの。下等生物風情に与えるものなど一欠けらもありんせんでありんすえ」

「シャルティアの言う通りです! それに、もしペロロンチーノ様や至高の御方々が不快に思われる存在がいたら、あたしたちがすぐにでも抹殺してみせます!」

 

 弾けるような明るい笑顔を浮かべているというのに、その口から出てくる言葉は正に毒そのもの。思わず顔を引き攣らせるクローディアたちに、しかし異形たちは気が付いた様子もなく何処までも盛り上がっていた。

 しかしそれもバードマンが軽く片手を挙げたことで瞬く間に治まった。

 突然静まり返る空気に、思わず小さくたじろいでしまう。

 バードマンはゆっくりと挙げていた手を下ろすと、静かな空気を纏いながらじっとこちらを見つめてきた。

 

「まぁ、とにかく、君たちの王様を契約相手にはしたくないっていうのがこちらの正直な気持ちなんだ。君は割とまともそうだし、君がそのまま王様が死んだ後を引き継いでくれるのなら長く良い付き合いができると思うんだけど」

「……あ、ありがとうございます……」

 

 どこか期待のこもったような視線を向けられ、思わず顔が引き攣るのを感じる。粘着質に感じられるバードマンからの視線が恐ろしくて仕方がない。しかしクローディアは恐怖をグッと堪えると、一番重要なことを切り出すために再び口を開いた。

 

「……王については、我々としても返す言葉もありません。元より、王の存在はどうにかせねばならない問題でしたが、契約の妨げになるというのなら尚のこと対処せねばならない問題だと考えています」

「わぁっ、それじゃあ俺たちとの契約について前向きに考えてくれているってことで良いのかな!?」

「は、はい。……ただ、一つ問題がございます」

「問題?」

 

 何のことか全く思い至らない様子で小さく首を傾げるバードマンに、クローディアは一瞬言葉に迷う。

 今目の前のこの反応が本心からのものなのか、はたまた演技であるのかクローディアには判断がつかなかった。ただ、ヒシヒシと感じられるバードマン以外の異形たちからの殺気だけは間違いなく本物だった。恐らくこちらが口出しして水を差すような行為が不愉快なのだろう。

 しかし今から口にすることは非常に重要なことであり、決して無視するわけにはいかない。

 クローディアは凄まじい殺気に屈しそうになる心を必死に励ましながら、冷や汗に濡れる拳を強く握りしめた。

 

「私たちは、あなた方の力を知りません。また、あなた方も我々の力を知らぬはず。……互いに互いの実力を知らなければ、協力は難しい。まずはあなた方の力を我々が知る機会と、我々の力をあなた方に示す機会を与えては頂けないでしょうか……?」

 

 震えそうになる声を必死に抑えながら努めて冷静に言葉を紡ぐ。

 異形たちの殺気が一切緩まれることのない現状に、生きた心地が全くしなかった。今まさにバードマンが自分の死を口にする光景すら目に見えるような気がして、鼓動が不規則に早まっていく。

 暫くの静寂の後、バードマンは傾げていた首をゆっくりと元の位置に戻すと、次には一つ頷いてきた。

 

「……ふむ、なるほど。確かに君たちがどの程度できるのか正確に分からないと、どのくらいの支援が必要なのかも分からないか……。うん、OK! お互いを知ることも大切なことだし、理解し合う機会を設けよう!」

 

 バードマンの嘴から零れ出たのは明るい嬉々とした声音。他の異形たちからの殺気も一気に霧散し、クローディアは思わずどっと一気に身体から力が抜けて倒れそうになった。咄嗟に足に力を込めて何とか倒れ込むことは免れるも、全身が小刻みに震えているような気がする。しかしバードマンはこちらの様子に気が付いていないのか、両腕を軽く広げながら未だ嬉々とした言葉を吐き出していた。

 

「そうだな、やっぱりそれぞれの力を示し合わせる必要があるわけだから、二つのステージが必要だよな。俺たちの力を見せるステージと、君たちの力を見せてもらうステージだ。う~ん、どんな感じが良いかな~。……君たちは何か希望はあるかい?」

「っ!?」

 

 不意に声をかけられ、咄嗟に言葉を喉に詰まらせる。まさか意見を聞かれるとは思ってもみなかったため反応が遅れた。

 しかしこれは、異形たちの力が本物であれば絶好のチャンスになるかもしれない。

 クローディアは一度ゴクッと唾を飲み込むと、勇気を振り絞って再び口を開いた。

 

「……で、では、……王を排除する際に、あなた方の力を見せては頂けないでしょうか?」

「王って……エルフ王のことだよね……?」

「……はい……」

 

 バードマンからの問いに、クローディアはゆっくりと頷く。

 一拍後、再び口を開いたのはバードマンではなく、細長い角を生やした異形の男だった。

 

「エルフ王を排除するのは御方様がお前たちに与えた条件の一つ。契約を交わす前にそれについて御方様の力を借りるのは、あまりにも話が違い過ぎるのではないか?」

「確かに、仰る通りです。……しかし、お恥ずかしながら、我々の力だけでは王を殺すことはできないのです。王を殺すためには、我々以外の存在の助けが必要です!」

 

 クローディアたちの力だけでは、法国もエルフ王も倒すことはできない。しかしどちらの方がまだ難易度は低いかと問われれば、まだエルフ王の方が倒せる確率は高いと言えるだろう。逆を言えば、エルフ王すら倒せない者が法国を倒すことなど不可能であると言えた。ならばエルフ王の命を使って目の前の異形たちの力を推し量る。エルフ王すら倒せないのなら目の前の異形たちと協力関係を結んでも意味はないし、逆にエルフ王を倒せたなら法国にも勝てるかもしれないと希望を持つことができる。

 

「エルフ王の討伐には私と、私の指揮下にある軍の三分の一を割り当てます。そして残りの三分の二で、我々が前線を離れている間の法国軍の対処を行います。我々の力については、その足止めの働きを見て頂ければと思います」

「ふ~ん、なるほどね。……でも、それって本当に大丈夫? 正直に言わせてもらうけど、今の状態でも法国軍を抑え込むのに苦労しているんだよね? それが一気に三分の二まで数が減るんだ。足止めをする間もなく滅ぼされる可能性の方が高い気がするけど」

「確かに、その可能性もあります。しかし前線にいるのは、私の誇りである勇猛な兵たち。私は兵たちの力を信じています。それに……これを乗り越えられなければ、どちらにせよ私たちに勝機はありえないでしょう」

 

 バードマンの言う通り、確かに今口にした作戦は賭けのようなもの。クローディアとてそのことは十分理解している。法国軍の対処についてもそうだが、エルフ王の排除についても、異形たちでも敵わなければ反乱を起こした自分たちの命は間違いなくないだろう。しかし、ここが踏ん張り時であることもクローディアは理解していた。恐らく今この時を乗り越えられなければ、どちらにしろ自分たちは滅びることになる。

 “覚悟”という名の強い光を宿したオッドアイを真っ直ぐに向けながら言い切ったクローディアに、バードマンは暫くその姿を見つめた後、小さくため息にも似た息を吐き出した。

 

「……はぁ~、綺麗で可愛い女の子って心も強いんだな~。本当に感心しちゃうよ。……よし、分かった! 君の言う通りにするよ。エルフ王の討伐軍と前線に残る軍に俺たちもそれぞれ同行しよう」

「っ!! よ、宜しいのですか……?」

「まぁ、ニグンの言う通り少し条件は変わって来ちゃうけど、これくらいの変更は別に大丈夫でしょ。でも、一応は仮契約って形にはさせてもらうよ。それも嫌なら力は貸せないけど、どうする?」

「仮契約……。……分かりました、それで構いません」

「よし! じゃあ、誰がどちらに同行するかはまた追って連絡するよ。取り敢えず……、ここにいるメンバーに教えればいいかな?」

「はい、それで大丈夫です」

「うん、分かった。君たちはエルフ王の討伐と法国軍の足止めの準備をしておいてくれ。……あっ、一応俺たちの姿は誰にも見られないようにしておくから、その辺りは心配しなくても大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 急に向けられた心遣いに、不意打ちもあって咄嗟に反応がぎこちないものになってしまう。それでも何とか礼の言葉を口にすると、取り敢えず話は終わりだという素振りを見せる異形たちの姿に従って一度深く頭を下げた。

 本当は“仮契約”によってもたらされる影響についても聞きたかったが、ここはグッと堪えて素早く踵を返す。しつこく質問してばかりでは、いつ異形たちの気が変わって怒りに触れるかも分からない。最悪、ここまで手繰り寄せることができた状況を全てなくしてしまう可能性すらあるのだ。

 クローディアは震えそうになる足を必死に動かして歩を進めながら、これからのことを思い忙しなく思考を巡らせた。

 

「……殿下、あのダークエルフの瞳のことを聞かなくて良かったのですか?」

 

 洞窟の出口へと足早に進む中、不意に背後からそっとナズルが問いかけてくる。

 クローディアは背後に付き従う彼らを振り返ることなく、ただ大きく一つ頷いた。

 

「……ええ。私たちはまだ、あの異形たちのことをあまりにも知りません。そんな状態で聞いては藪蛇にならないとも限らない。今このタイミングでそのような危険なことはできません」

「ならば、少しの間は知らぬふりをするべきだと?」

「そうです。……少なくとも、もう少しの間は……」

 

 曖昧な答えしか返せぬ自身の未熟さを苦く思いながら、しかしクローディアは確固たる意志でもって暫くの間黙っているように背後のナズルたちに命じる。

 しかし一方で、エルフ王の討伐の折にヒントでも何でも構わないから少しでも情報を得られる機会が訪れないかと願わずにはいられなかった。

 

 



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第56話 理想の幻

 平原で何事もなく一夜を明かしたモモンガたち一行は、暫く街道を進んで漸くカルネ村に到着した。

 目の前に聳え立つ丸太の壁に、ある者は驚愕に目を見開き、ある者は苦笑を浮かべ、モモンガはヘルムの奥で小さなため息を吐いた。

 幾つもの丸太を縦に連ねて造られた立派な防壁は、とても辺境の村にあるようなものとは思えない。初めて見る者は誰しもが驚愕することだろう。

 一応事前にペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を入れはしたが、あまり意味はなかったかもしれない……と遅まきながら思い知らされた気分だった。

 しかし、何はともあれここまで来てしまえばもはや後戻りはできない。モモンガは内心で何とか気合を入れると、自身を奮い立たせながら丸太の壁へと大股で歩み寄っていった。

 

「カルネ村の皆さん、お久しぶりです。冒険者のモモンです。この村に住まわせて頂きたい者を連れてきました。まずは門を開けて頂けますか?」

 

 叫んではいないものの、モモンガの声は大きく真っ直ぐはっきりと響く。

 その場で立ったまま様子を窺う中、暫くして目の前の門がゆっくりと内側から開かれた。

 門から姿を現したのは見覚えのある面々。カルネ村の村長である壮年の男と、その左右を固めるように立っている二人の男。そして年若い少女が弓を手に村長の隣に立っていた。

 彼らは最初はどこか緊張した表情を浮かべていたが、モモンガの姿をはっきり目にすると、途端にその顔に安堵の笑みを浮かべてきた。

 村長は視線を走らせてモモンガの背後に控えている“蒼の薔薇”の面々を視界に捉えると、更に目尻を緩めて笑みを深めた。

 

「ようこそおいで下さいました、冒険者の皆さん。さぁ、中へお入りください」

 

 村人たちから快く歓迎されたことに、“蒼の薔薇”や他の面々が安堵の息を小さくついたのが振り返らなくても感じ取れる。モモンガもまた内心で安堵の息をつくと、先ほどと同じように堂々とした足取りで村の中へと足を踏み入れていった。モモンガに続いてまずはナーベラルとハムスケが村に入り、次に“蒼の薔薇”の面々が、最後にンフィーレアたちが村の中へと足を踏み入れていく。

 モモンガとナーベラルとンフィーレアに扮している二重の影(ドッペルゲンガー)は勿論のこと、“蒼の薔薇”の面々も一度この村に来たことがあるためか非常に落ち着いている。しかし他の面々は興味深げに忙しなく村の中を見回して視線を走らせていた。

 村の中と外とを隔てる立派な壁に反し、村の中はどこまでも他の村々と変わらない。大小様々な木造の建物と、至る所に広がる麦畑や野菜畑が視界一杯に広がっていた。

 どこまでも和やかな光景に、先ほどの立派過ぎる壁は幻だったのではないかとブリタやニニャやツアレなどは壁の方をもう一度振り返っている。

 しかしそこには変わらず丸太の壁が聳え立っており、彼女たちは困惑した表情を浮かべて互いに顔を見合わせていた。

 

「ンフィー、久しぶりね! 最近は全然村に来てくれないから、何かあったのかって心配していたのよ」

「……ああ、ごめんよ、エンリ。新しい薬の研究に手間取っていて、なかなか外に出ることも少なくなっていたんだ」

「そうなの。上手くいくと良いわね!」

「うん、ありがとう、エンリ」

 

 視線をブリタたちから移せば、エンリが明るい笑みを浮かべながらンフィーレアに扮しているドッペルゲンガーに話しかけている光景にぶつかる。

 仲睦まじいように見える二人の様子に、モモンガは内心でここにペロロンチーノがいなくて良かったと安堵の息を吐き出した。

 もしここにペロロンチーノがいたなら、十中八九以前の時のように嫉妬を燻らせるに違いなかった。相手が本物のンフィーレアでなくても、そんなことはペロロンチーノにとってはどうでも良いことなのだ。重要なのは、自分のお気に入りの少女が自分以外の男と仲良くしているという事実のみ。そしてドッペルゲンガーはペロロンチーノの不興を買ったと勘違いし、ちょっとした騒動が巻き起こってしまうことは必至だった。

 モモンガはもう一度内心で大きなため息を吐くと、次には近くに立っている村長へと視線を向けた。

 

「村長、突然訪問してしまい申し訳ありませんでした」

「いえいえ、何を仰います! アイ……ゴホンッ、モモン様であれば、いつでも大歓迎です」

 

 村人たちは既にペロロンチーノによって冒険者モモンの正体が村を救った異形の一体であるモモンガであることを知っている。そのため村人たちの冒険者モモンに対する言動は、他の者への言動に比べて自然と一層丁寧なものになっていた。

 深々と頭を下げる村長に思わずヘルムの中で苦笑を浮かべながら、モモンガは気を取り直すように本題を口にすることにした。

 

「実は、この村に住まわせたい者を連れてきたのです。どこか落ち着いた場所で話をすることはできるでしょうか?」

「そういえば、門の外でそのようなことを仰られていましたね。では我が家に参りましょう。村に住みたいという方も一緒に来て頂ければと思うのですが、宜しいでしょうか?」

「ええ、勿論ですとも。ニニャ、それからツアレさん。一緒に来て頂けますか?」

「あっ、はい、モモンさん!」

 

 モモンガの声に反応して、ニニャがすぐさまツアレの手を引いて目の前に駆け寄ってくる。微笑ましい姉妹の様子に村長は顔を綻ばせると、次には手振りで自身の家へとモモンガたちを促した。

 モモンガはナーベラルとハムスケに別行動をとるように声をかけると、すぐに踵を返して村長の後を追う。更にその背をニニャとツアレが追いかけ、他の面々はそれぞれ村の様子を見るために村の四方へと散っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……それで、村に住みたいと言うのはこちらの二人のお嬢さんでしょうか?」

 

 村長の家に着いたモモンガたちは、それぞれ大きなテーブルを囲むようにして向かい合って腰かけていた。

 村長の視線の先にはニニャとツアレが隣り合って座っており、二人は顔を見合わせた後に再び村長へ顔を向けた。

 

「少し違います。厳密に言えば姉をこの村に住まわせて頂きたいんです。僕は冒険者をしているので滅多に帰ってくることができませんが、姉はそうではありません。どうか、姉をこの村の一員として住まわせて頂けないでしょうか?」

「なるほど、そういうことでしたか。……ちなみに、お姉さんは何かできることはありますか? 農作業の経験は?」

「幼い頃はよく家の手伝いをしていたので農作業の経験はあります。でも、実は現在姉は心の病にかかっていまして、他の人が……とりわけ男の人が苦手になっているんです。なので、村総出での作業というのはなかなか難しいかもしれません。幸い、ンフィーレアさんからこのカルネ村での薬の販売の雑用をしてくれないかという話を頂いているので、姉の心の状態が落ち着くまではそちらでお力になれればと考えています」

 

 ニニャとしても、ツアレがカルネ村に住めるかどうかは一つの大きな分岐点になる。それだけ本気なのだろう、彼女は真剣な表情を浮かべて真摯な瞳を村長へ向けていた。

 

「村長、私からもお願いします。実は彼女は劣悪な場所でずっと働かされておりまして、そこから救い出したのが我々なのですよ。我々としても、一度救いの手を差し伸べた以上、彼女にはでき得る限り安全な場所で平穏に暮らしてほしいと考えています。彼女の人柄や身元については私が保証しますし、村にとって悪いことにはならないと思います」

「……モモンさん……」

 

 モモンガからの後押しの言葉に、ニニャが感動したように大きな瞳を潤ませる。

 村長はモモンガとニニャとツアレを順に見やると、次には柔らかな微笑を浮かべてゆっくりと一つ頷いた。

 

「モモン様がそこまでおっしゃるのなら安心ですね。初めての場所で最初はいろいろと大変でしょうが、この村にはエンリやネムといった若い娘もおります。もし何か困ったことがあれば、彼女たちが力になってくれるでしょう」

「そ、村長さん、それじゃあ……!」

「私としては、ツアレさんをこの村に受け入れても良いと考えています。勿論、ニニャさんの帰るべき場所として頂くのも大歓迎ですよ」

「っ! あ、ありがとうございます!」

 

 ニニャは興奮に頬を赤く染めると、そのまま勢いよく頭を下げた。隣に座っているツアレもまた、つられるようにして深々と頭を下げる。

 しかし村長は二人の頭を上げさせると、次にはその顔に小さな苦笑を浮かべた。

 

「問題なのは、あなた方がこの村を受け入れてくれるかどうかです」

「え? それは、どういうことでしょうか……」

「ふむ、話すよりも実際に見た方が早いでしょうな。ついてきて下さい」

 

 椅子から立ち上がって促してくる村長に、ニニャとツアレは困惑の表情を浮かべながらも椅子から立ち上がる。モモンガは村長が何をしようとしているのか何となく察すると、内心どうなることかとヒヤヒヤしながらも無言のまま椅子から立ち上がった。

 四人は連れ立って村長の家から出ると、そのまま村の奥へと進んでいく。

 やがて村の外れまで辿り着いた四人は、そこに小さな人だかりができていることに気が付いた。

 集まっているのは“蒼の薔薇”のメンバーと“クアエシトール”のメンバーの計七人。

 彼らは一つ処に集まって一心にある一か所を見つめていた。

 

「皆さん、どうかなさいましたか?」

「そ、村長さん! こ、これは、一体……!!」

 

 村長が声をかけた瞬間、集まっていた全員が一斉にこちらを振り返ってくる。

 この場を代表するようにラキュースが村長に声をかけ、人差し指で自分たちが見つめていた方向を指さした。

 彼女の指の先にいたのは、非常に容姿の整った一人の闇森妖精(ダークエルフ)の子供。

 しかしよくよく見ればラキュースの指先はダークエルフの更に奥を指さしており、そこには一本の立派な木が微かな風にも青々とした枝葉を揺らめかせながら立っていた。

 一体この木がどうしたのかとニニャとツアレが首を傾げ合う中、“それ”は突然響いてきた。

 

「……ちょっとちょっと、いきなり“これ”呼ばわりは酷いんじゃないかな?」

「「っ!?」」

 

 突然聞こえてきたのは溌剌とした少女の声。

 思わずニニャとツアレが驚愕に目を見開く中、唐突に“それ”は姿を現した。

 

「君たちの気持ちも分かるけどさ、指をさして“これ”呼ばわりは流石に酷いと思うんだけど」

「……えっ、お、女の子……?」

 

 突然何処からともなく姿を現したのは一人の少女。人間とはまた違う雰囲気を纏っている少女は、低い木の枝に腰かけて足をプラプラと揺らしながら不服そうに頬を膨らませて唇を小さく尖らせていた。

 短く跳ねている髪は瑞々しく鮮やかな新緑で、更にその上には二又の大きな黄色の帽子が乗っている。

 一見普通の少女に見える彼女は、しかしその肌はまるで木の幹のような色艶を見せていた。

 

「ああ、皆さんにご紹介しましょう。この方はピニスン・ポール・ペルリア様。この村を守護して下さっている御方です」

 

 胸を張って誇らしく紹介する村長とは打って変わり、紹介された少女はガクッと大きく肩を落としている。

 相反する二人の様子に誰もが首を傾げる中、ガガーランが訝しげに眉を顰めながらじっとピニスンを見やった。

 

「いや、村を守護してるって……。どう見ても木の妖精(ドライアード)じゃねぇか。人間の村にドライアードがいて守護してるって、一体どうなってやがるんだ?」

 

 不審気に小さく目を細めるガガーランに、しかしその反応も普通に考えれば仕方のないものだった。

 ドライアードは無害に見えてもれっきとした魔物であり、生息場所も森の奥地が主であるため通常このような村の外れにいるような存在ではない。以前彼女たちがカルネ村に来た時には未だドライアードはいなかったのだから、疑わしく思うのは当然のことだろう。

 はてさてどうしたものか……とモモンガがヘルムの中で頭を悩ます中、不意に今まで無言を貫いていたマーレが一歩前へと進み出てきた。

 

「指示を受けてこのドライアードをここに植えたのは僕です。森で危険な目にあっていたからここに移動してもらったんです。村に悪さをすることはありません。……ぼ、僕が、保証します」

 

 最初は淡々とよどみなく出ていた言葉が、最後だけ少し頼りなく揺れて途切れ途切れになる。どこか力なく庇護欲を擽られるマーレの口調と姿に、刺々しい雰囲気を漂わせていたガガーランが困ったように眉尻を下げて纏う気配を緩ませた。

 マーレの思ってもみなかった行動に、モモンガは内心でガッツポーズをとった。

 

(おおっ、素晴らしい! これは正にマーレやアウラみたいな子供の外見をした者にしかできない芸当だ! それに確かマーレはウルベルトさんが扮しているワーカーの“レオナール”の仲間だと認識されているはずだから、“レオナール”への信頼が更にマーレの言葉に説得力を持たせてくれるはずだ……。もし彼女たちがそれに気が付かないようなら、俺がそれとなくフォローすれば穏便に話しを進められそうだな!)

 

 胸の内でマーレをべた褒めしながら今後について頭を整理していく。

 そんな中、モモンガの目論見通りにラキュースが困惑の表情を浮かべながらもレオナールの名前を口にしてきた。

 

「指示を受けて……ということは、つまりネーグルさんの指示でこのドライアードを村に植えたということ? ……でも、一体何故レオナールさんはそんなことを……」

 

 困惑の表情はそのままに深く考え込み始めたラキュースに、モモンガは機を逃すことなく口を挟むことにした。

 

「何か事情があったのかもしれませんね。この村は辺境に位置していますし、すぐ近くにはトブの大森林も広がっている。野盗だけでなく魔物への脅威度も他の村より高い。そんな中で探知能力に優れたドライアードがいるというのは村にとってとても安心できる要素でしょう」

 

 勿論、ドライアードの持つ種族的な探知能力は専門職の者に比べれば低く、ナザリックのレベルで考えても高が知れている。しかしこの世界のレベルで考えればドライアードの生来の探知能力程度でもそれなりの評価を得ることができるのではないかとモモンガは考えていた。そしてそれは間違いではなかったらしく、モモンガの言葉にこの場にいる誰もが納得したように頷いてきた。

 

「……確かに、私たちが来た時もこの村は魔物の群れや正体不明の魔物に襲われていたからな。ドライアードならある程度の魔物の接近は感知することができるだろう」

「ええ、その通りね。印象的にも彼女は悪い魔物ではなさそうだし、ネーグルさんもそれを考慮してこのドライアードをここに植えたのかもしれないわ」

「……いや、でも、そうはいっても魔物でしょう? いくら村の外れだからって、魔物がいて大丈夫なの?」

「まぁ、大丈夫じゃないか? チラッと見た限りでも村の連中も大なり小なり戦う術を身に着けているようだしな」

 

 納得する“蒼の薔薇”のメンバーに“クアエシトール”のブリタが不安を口にするも、それも同じチームのメンバーであるブレインが軽く諌めて事なきを得る。

 モモンガは彼らのやり取りを眺めながら、内心ではブレインの言葉に同意して深く頷いていた。

 未だレベル的には一般人に毛が生えた程度の者が殆どではあったが、カルネ村の人々は着実に戦う術を身に着け始めている。それはこの村を訪れる度にモモンガ自身も感じ取っていることだった。特にウルベルト作の弓をペロロンチーノから贈られたエンリの強さは、アイテムの影響もあり、この世界の基準で言えば既にそれなりのものになっていた。

 

「……まぁ、確かに下手な冒険者よりかは戦う術も心積もりもありそうな人が多かったけどね。あのエンリっていう女の子が持っていた弓なんて、見るからに相当な物だったし」

「ああ、それに向上心も大したものだ。さっき、少しで良いから戦い方を教えてくれって頼まれたしな」

「なんだ、お前らもか? 本当にここの連中は逞しいな」

 

 ブレインとブリタの会話にイビルアイが加わり、それを機に“蒼の薔薇”のメンバーも会話に参加して何とも和やかな光景が広がっていく。

 そこには既に魔物であるドライアードを受け入れるような雰囲気が漂っており、モモンガは知らずヘルムの奥で小さく眼窩の灯りを揺らめかせていた。

 和やかに会話している冒険者たちの傍らには大木が佇み、その分身たる少女が少し複雑そうな表情を浮かべながらも大人しく冒険者たちを見守っている。彼らの周りでは村長が微笑ましそうな笑みを浮かべており、ニニャとツアレは興味深そうにピニスンを見つめている。二人の目には嫌悪などといった負の光は一切見られず、この目の前の光景はある意味“アインズ・ウール・ゴウン”の理想のようにモモンガの視界に映り込んだ。

 そして無意識に夢想する、彼ら彼女らの傍らに立つ異形姿の自分たちの姿を……。

 そこには種族間の争いや嫌悪や憎悪などない。只々穏やかで、正に夢のような暖かな光景。

 モモンガはないはずの瞼を閉じて視界を塞ぐと、周りに気付かれないように小さく深く長く息を吐き出した。

 自分の中にある理想を自覚して、まるでどこか浮足立つような……それでいてどこか船の揺れに酔うような、奇妙な感覚が襲いかかってくる。

 モモンガは思考を切り替えるために一度小さく頭を振ると、閉じていた視界を開いて改めて未だ団欒中の冒険者たちを見やった。ニニャとツアレの傍らに歩み寄り、少し下にある彼女たちの顔を見下ろした。

 

「ニニャ、ツアレさん、考えは決まりましたか?」

 

 声をかければ姉妹はほぼ同時にこちらを見上げてくる。

 二人は一度顔を見合わせると、次には再びこちらを見上げて大きく頷いてきた。

 

「はい、この村は本当に素晴らしい場所だと思います。魔物とも……もし本当に共存できているのなら、ある意味心強くもありますし、僕はこのまま姉をこの村に預けようと考えています」

「わ、わたし、も……こ、ここに…いたい、です……」

 

 二人の決断に、モモンガも一つ頷いてその判断を後押しする。

 ニニャとツアレはモモンガの反応に満面の笑みを浮かべると、早速自分たちの決断を伝えるべく村長の元へ駆けていった。明るい表情で村長に声をかける二人の後ろ姿を見つめながら、モモンガは一つ小さな息をつく。

 そんな中、不意に傍らに人の気配を感じてモモンガはニニャとツアレに向けていた顔を自分の横に向けた。

 

「あの二人、決めたみたいだね」

 

 見れば横に立っていたのはブリタで、彼女は小さな笑みを浮かべてニニャとツアレを見つめている。チラッと先ほどまで彼女がいた方に視線を向ければ、そこにはブレインがどこか緊張した表情でこちらの様子を窺っていた。冒険者モモンの正体を知っているブレインとしては、仲間がモモンガの横に無防備に立っていることが気が気でないのだろう。

 ブレインは数秒迷うような素振りを見せた後、まるで諦めるように彼にしては珍しい若干のろのろとした足取りでこちらに歩み寄ってきた。

 

「………ブリタ、一人で勝手にウロチョロするなよ」

「ちょっとブレイン、あんたはいつから私のお母さんになったのさ」

 

 ブレインの真意など知る由もなく、ブリタは気軽い調子で言葉を返している。

 ブレインは一度やれやれと小さく頭を振ると、次には緊張に少し強張った表情をこちらに向けてきた。

 

「……ブリタがご迷惑をおかけしたのなら、申し訳ありません」

「ちょっと、ブレイン!」

「いやいや、軽いおしゃべりをしていただけだ、迷惑などしていないさ。……それよりも、君たちは暫くの間カルネ村に滞在するのだろう?」

「……はい。リーダーも所用でチームを離れているので、帰ってくるまではこの村でちょっとした休暇を送ろうと思います」

「でも、いつ戻ってくるのかね~。用事がいつ頃終わるのかも分からないって言ってたし……」

 

 どこまでも硬い表情で受け答えするブレインに反し、ブリタはどこまでも呑気な様子でモモンガに声をかけてくる。

 二人の対照的な様子を見つめながら、モモンガは現在エルフに接触しているであろうペロロンチーノたちのことを思った。

 彼らのリーダーである“マエストロ”に扮しているパンドラズ・アクターは、現在エルフ及び法国の対処を行うペロロンチーノのアドバイザー兼補佐役としてペロロンチーノの元に常駐している。どのくらいの時間がかかるか分からないため、その間はずっと彼らはこのカルネ村にいることになるだろう。ニニャとツアレがこの村に慣れるためには彼らの存在は大きな助けとなる筈であるため、丁度良いタイミングだと言えなくもない。

 そんなことをつらつらと考える中、村長との話し合いが終わったのか、ニニャとツアレが手を繋いだ状態でこちらに戻ってきた。

 

「よう、話は終わったのか?」

「うん、この村に住んでも良いって言ってもらえた。……本当に良かった」

「そういえば、あんたは本当にこのまま“ニニャ”の名前で良いのかい? その名前はそもそもツアレさんの存在を忘れないために名乗っていたんだろう? ツアレさんは戻ってきたんだから、本当の名前に戻っても良いと思うけど……」

「ううん、“ニニャ”のままで良い。……いや、“ニニャ”のままでいたいんだ。姉さんを探してきた頃の私も本当の私だから、これからも“ニニャ”として生きていきたい」

 

 ブリタの気遣うような言葉に頭を振り、ニニャははっきりと自分の意思を口にする。強い光を宿す大きな瞳が一瞬小さく揺らめいたことに気が付き、モモンガはふと“漆黒の剣”のメンバーを思い出した。

 ニニャが以前加わっていた冒険者チームであり、今やニニャ以外の全員がクレマンティーヌの刃にかかってこの世を去っている。彼らはニニャが姉を探していることは知っていたが、ニニャが本当は女であることや本名が何であるのかまでは知らなかったらしい。それを考えれば、ニニャが姉を取り戻した今も本名に戻らないのは、彼らの存在が大きく関わっているのだろうことは容易に想像することが出来た。

 

「まぁ、あんたがそれで良いのなら私もそれで良いけどさ。くれぐれも無理はしないようにするんだよ」

「分かってるよ。ありがとう、ブリタ」

 

 どこか姉のように注意するブリタに、ニニャは苦笑を浮かべるもののはっきりと頷いて返している。

 モモンガは暫くの間彼女二人のやり取りを眺めていたが、ふとマーレに渡すべき物があったことを思い出した。

 モモンガは“クアエシトール”とは違いずっとカルネ村にいるわけにはいかないため、ブレインを制御する“緊箍児双対(きんこじそうつい)”の片割れの輪をパンドラズ・アクターに代わってマーレに渡す必要があったのだ。

 モモンガはブリタやニニャたちから視線を外すと、マーレがいるであろう方向へと目を向けた。

 瞬間、目に飛び込んできた光景にモモンガは思わず驚愕に身体の動きを止めた。

 

「マーレさん、お願い。どうか少しだけでも協力してもらえないかしら」

「……え、えっと、そのぉ~……」

「勿論、ネーグルさんに不利益になるようなことはしないと約束する。だからどうか、少しでも彼のことを教えてもらいたいの」

「そ、そう言われても……」

 

 振り返った先にいたのは、タジタジになっているマーレと、彼にジリジリとにじり寄っているラキュース。

 恐らく何とか“レオナール・グラン・ネーグル”の情報を聞き出そうとしているのだろう、その様子は若干必至過ぎて周りの“蒼の薔薇”のメンバーは少し呆れた様子で二人を眺めている。

 今のところマーレもオドオドしながらも何とか逃げてはいるが、このままではいつポロッと口が滑ってしまうかも分からない。

 仲裁に入った方が良さそうだとすぐさま判断すると、モモンガは彼女たちに歩み寄るべく一歩足を踏み出した。

 しかしその時、不意に横を通り過ぎた小柄な影にモモンガは反射的に足を止めた。

 

「これ以上は止めて下さい」

「「「っ!!」」」

 

 いつの間に来ていたのか、モモンガの横を通り過ぎラキュースの目の前に立ち塞がったのは、顔を大きく顰めさせたナーベラルだった。

 背後にマーレを庇いながらラキュースを睨む様は、まるで年の離れた姉のようにも見える。

 突然のナーベラルの登場に誰もが驚く中、ラキュースはチラッとナーベラルに庇われているマーレを見やると暫く前のめりになっていた体勢を元に戻した。

 

「……あっ、ご、ごめんなさい。……怖がらせてしまったみたいね」

 

 眉尻を大きく下げて肩を落とす様はひどく落ち込んでいるように見え、その姿は周りの者に大きな同情心を湧き上がらせる。

 しかしそんなものがナーベラルに通用するはずもなく、彼女は険しい表情のまま背後に庇っているマーレを振り返った。

 

「マーレ様、参りましょう」

「え、えっと、あの、その……」

「モモンさ――ん、少しマーレ様と村を見て周っても宜しいでしょうか」

 

 どうしたら良いのか分からずオロオロするマーレに気が付いているのかいないのか、ナーベラルは構う様子もなく次にはモモンガを振り返って許可を求めてくる。

 モモンガはマーレが様付けになっていることを突っ込みたい衝動を必死に抑えながら、不自然にならないように気を付けながら一つ大きく頷いてみせた。

 

「ああ、構わない。いろいろとマーレさんに案内してもらうと良い」

「ありがとうございます。さぁ、参りましょう」

「えぇっと、い、良いのかな……。えっと、その、じゃ、じゃあ、失礼します……」

 

 ナーベラルに促され、マーレは未だ戸惑った様子ながらもぺこりと頭を下げてくる。

 そのままナーベラルと共に去っていく小さな背を見送った後、再びラキュースに目を向ければ、彼女は再びガクッと大きく肩を落としていた。

 他の“蒼の薔薇”のメンバーがラキュースの周りに集まり、口々に何事か声をかけている。

 恐らく励ましたり諌めたりしているのであろう彼女たちの様子を暫く見守った後、モモンガはナーベラルの行動をフォローするべく徐に彼女たちへ声をかけた。

 

「突然ナーベが失礼しました。あのダークエルフの子供はレオナールの仲間の一人であるようなので、ナーベも過剰反応してしまったのでしょう」

「い、いえ、私の方こそ必死になり過ぎてしまって……。マーレさんを怖がらせてしまいました……」

「まぁ、少し落ち着いた時にまた声をかけてみたら良いさ」

「そうだな。あの様子であれば、謝罪すれば許してくれる可能性は高い」

「……そうね。また時間を空けてから声をかけてみるわ」

 

 仲間たちの助言に、ラキュースの表情も少し柔らかなものになる。

 和やかな彼女たちの様子を眺めながら、モモンガは内心で『いつマーレに“緊箍児双対”を渡そうかな~』と思考を巡らせていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深夜0時前……――

 

 定例報告会議があるため秘密裏にナザリック地下大墳墓に戻ってきたモモンガは、いつもの骸骨姿に戻って第六階層を訪れていた。

 いつもであれば時間になるまでは第九階層の自室にいることが多いのだが、今回は出迎えにきてくれたアルベドからペロロンチーノとウルベルトが第六階層にいると報告を受けたため、二人に会うために第六階層に来ていた。

 何故二人が第六階層に……? と内心で首を傾げながらも、モモンガは一人足早に第六階層の大森林の奥へと歩を進めている。

 そして歩を進め続けること数分後、漸く見えてきた見慣れた異形の背中にモモンガは眼窩の灯りを柔らかく揺らめかせた。

 

「ペロロンチーノさん、ウルベルトさん、二人とも今回は早くに帰ってきていたんですね。こんなところで何をしているんですか?」

「あっ、モモンガさん、お帰りなさい!」

「お帰り、モモンガさん」

 

 声をかけたことで二体の異形が振り返り、それぞれ挨拶を返してくれる。

 モモンガは二体の異形のすぐ傍まで歩み寄ると、彼らの更に奥へと視線を向けた。

 

「……こんなに魔獣を集めてどうしたんですか?」

「エルフたちとの交渉がうまくいきそうなので、次の段階の準備をしているんですよ。まぁ、詳しい内容はこれからの報告会議でお話ししようと思ってますので」

「そうなんですか。それにしても……、こう見るとやっぱり迫力がありますね」

「ですよね~。やっぱり数は重要だな」

「ただ、程々にはしておけよ。何事もやり過ぎは良くないぞ」

「えっ、それをウルベルトさんが言います?」

「俺は良いんだよ」

「理不尽!」

 

 転移した世界では脅威レベルである魔獣たちの群れを前に、しかしモモンガたちは大いにのんびりとした様子で言葉を交わしている。

 事実、モモンガたちにとってはこの程度の魔獣たちは敵にもなり得ないのだ。

 しかしこの世界の住人にとっては違うことをモモンガたちは既によくよく理解していた。目の前の魔獣たちは今回の計画に大いに活躍してくれることだろう。

 

「……あっ、そうだ。ウルベルトさん、これ、前に頼まれていた奴です」

「うん? ……ああ、ありがとうございます」

 

 以前ウルベルトに頼まれていたものを思い出し、アイテムボックスを呼び出して中から手のひら大の漆黒の石ころのようなものを取り出す。それは以前エ・ランテルを恐怖に陥れたカジットという男が持っていたアイテム。簡単に調べた後に“特に貴重なものではない”と断じてハムスケに投げ渡したものだった。

 『一応洗っておいたけど、ハムスケの頬袋に入っていたことは黙っておこう……』と内心考えながら、モモンガは素知らぬ振りでウルベルトにそのアイテムを手渡す。ウルベルトは礼を言いながらアイテムを受け取ると、マジマジと観察した後にふと金色の瞳をこちらに向けてきた。

 

「……そういえば、よく俺たちがここにいるって分かりましたね。誰かに聞きました?」

「ええ、アルベドが教えてくれましたよ」

「アルベドが……。……何か他に報告されました?」

「えっ? 別に何もありませんでしたけど……、何かあったんですか?」

「アルベドに任せている“ヘイムダル”の影の悪魔(シャドウデーモン)の一体からある報告があったそうなんだが……。まぁ、これからの報告会議で報告するつもりなのだろう。それについては俺にも一つ提案があるから、また会議の時に相談させて下さい」

「分かりました」

 

 “ヘイムダル”とは、ウルベルトがアルベドに命じて組織化させた密偵機関の組織名である。

 通常の総指揮官はアルベドであり、補佐役としてエントマと恐怖公がその下についている。更に彼らの下にはエントマや恐怖公の眷族である蟲たちやシャドウデーモンなどの隠密行動に長けたシモベたちがおり、彼らが主に各地に散って情報を集め、エントマや恐怖公に報告し、そしてそれをアルベドがまとめるといった形になっていた。

 とはいえ緊急時などの最終決定権はウルベルトが持っているため、それもあってアルベドはウルベルトにはいち早く報告したのだろう。

 面倒事でないと良いけど……と内心で思いながらも、口には出さずに一つ頷くだけに留める。

 暫くのんびりとペロロンチーノの作業をウルベルトと共に見守る中、不意に背後から一般メイドの一人であるシクススが静々と歩み寄り頭を下げてきた。

 

「失礼いたします。モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、階層守護者統括のアルベド様がお呼びでございます。定例報告会議の時刻となりましたので円卓の間にお越し頂きますようお願い申し上げます」

「……ああ、もうそんな時間か。分かった、すぐに向かうとアルベドに伝えよ」

「畏まりました」

 

 モモンガの指示にシクススは再び深々と頭を下げると、早速遂行するべく足早に立ち去っていく。

 モモンガは暫くの間その背を見送った後、次にはペロロンチーノとウルベルトを振り返った。

 

「それじゃあ、向かいましょうか。今回も気合を入れていきましょう!」

「そうですね。……ああっ、毎度のことながら緊張してきた!」

「まぁ、それには同感だがな。……はぁ、じゃあもうひと踏ん張り行きますか!」

 

 モモンガの言葉に従い、ペロロンチーノとウルベルトもそれぞれ頷いてくる。

 三人はそれぞれ気合の声を上げると、ある意味戦場と言える円卓の間へ行くべく足を踏み出した。

 

 



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第57話 戦乱への一歩

 日付の変わり目である深夜0時。

 ナザリック地下大墳墓の第九階層の円卓の間では今回も多くの異形が集っていた。

 慣例通り、女淫魔の言葉によって始まる定例報告会議。

 まずは役目を与えられた階層守護者たちが順々に己の役目についての進行状況や入手した情報について報告していった。

 コキュートスは主に蜥蜴人(リザードマン)への統治状況や第二のナザリックの建設が終了したことを報告し、デミウルゴスはアベリオン丘陵に棲む数多くの亜人たちの殆どを掌握したことを報告する。二体からの報告内容には一切問題は見られず、概ね順調で申し分ないと言えるだろう。因みにシャルティアとアウラとマーレについては、今回は三人ともがそれぞれの至高の主たちと行動を共にしていたため、彼女たちの報告は至高の主たちに譲られる形となった。

 

 

「――……それでは次に、ペロロンチーノ様よりお言葉を賜ります。ペロロンチーノ様、よろしくお願い致します」

 

 毎度のことながら、何とも畏まった言葉で報告を促される。モモンガは内心で苦笑を浮かべながらも自身の隣に座るペロロンチーノへ意識を向けた。

 今回、ペロロンチーノが報告するのはエルフ王国への接触の現状について。

 一つ頷いて話し始めたペロロンチーノの報告によると、どうやらエルフたちとの交渉についてはまずまず上手くいっているようだった。早々にエルフの王族に接触できたことは僥倖だと言えるだろう。それも、その相手が割かしまともそうであるというのもポイントが高かった。

 

「――……と言う訳で、これから班を二つに別けてそれぞれエルフ軍と行動を共にしようと思います。エルフ王の討伐軍に同行するのは、俺とシャルティアとパンドラズ・アクター。前線で法国軍を抑えておくエルフ軍と行動を共にするのは、アウラとニグン。……あと、前線の軍については法国軍の相手というよりかはエルフたちの力量を見定めるっていう目的の方が強いので、コキュートスにも参加してもらいたいと思っているんですけど、構いませんかね?」

「ふむ、私は適任だと思うがね。モモンガさんはいかがです?」

「私も異論はない。コキュートス、持ち場を離れても問題はないか?」

「ハッ、何モ問題ハゴザイマセン」

「よろしい。ではアウラとニグンと共にエルフ軍と行動を共にし、エルフたちの力量を見定めてくるのだ」

「ハッ! 畏マリマシタ!」

 

 モモンガが改めて命じたことにより、コキュートスは勢いよく跪いて頭を下げてくる。つられるようにしてシャルティアとアウラとパンドラズ・アクターとニグンの四人までもが跪いて頭を下げてきて、その迫力にモモンガは思わず内心で少し気圧された。しかし既のところで何とか平静を取り繕うと、一度心を落ち着かせるために拳を口元に添えて大きな咳払いを零した。

 その後、モモンガはゆっくりと口元の拳を降ろすと、次にはアルベドに眼窩の灯りを向けて視線のみで先を促す。アルベドは心得たようにモモンガの視線を真っ直ぐに受け止めると、小さな一礼と共に口を開き、次はウルベルトへと声をかけた。ウルベルトも心得たようにアルベドとモモンガに一つ頷くと、一度背もたれに深く腰掛けてからゆっくりと口を開いた。

 山羊の口から紡がれる報告の内容は、闘技場の武王との試合についてと皇帝との謁見について。そして帝国の大魔法詠唱者(マジックキャスター)と名高いフールーダ・パラダインを支配下に置いたことについてだった。

 ウルベルトの話を聞きながら、モモンガはフールーダを支配下に置いた方法について思わず小さく首を傾げていた。

 それはウルベルトが選択する方法としては少々意外に思ったからだ。

 そしてそう思ったのはペロロンチーノも同じだったようで、ペロロンチーノは大きく首を傾げてウルベルトをマジマジと凝視していた。

 

「へぇ、無事にあのお爺ちゃんを支配下に置けたんですね。でも、まさか正体を明かさずに指輪を外すだけの方法を取るとは思いませんでした。ウルベルトさんのことだから物でつるか、正体を明かして脅すくらいはするかと思ってたのに」

「お前は私を何だと思っているのかね? ……物でつる場合は最悪物だけ取られて裏切られる可能性があるだろう。それにまだフールーダ・パラダインという人物を全て理解したとは言い難い状況だ。そんな状態で正体を明かすのはリスクが高すぎる。折角あの者には“生まれながらの異能(タレント)”があるのだから、逆に指輪を外して本能的に分からせてやった方が効果的だと判断したのだよ」

 

 フールーダが“魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)の使用できる位階に応じたオーラを見ることができる”タレント持ちであることは既に把握済みである。それを有効活用しない手はなく、今回のウルベルトの方法は正にフールーダの能力を上手く利用したものだった。

 

「それで、私から二つほど許可してほしいことがある。まず一つ目はレイナース・ロックブルズの呪いを解く方法について、(スタッフ)を使おうと思っているのだが、構わないかね?」

「「……………………」」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガとペロロンチーノは思わず黙り込んで互いに顔を見合わせた。

 通常、自分が所有しているアイテムを使う場合、例え仲間であってもいちいち使用時に許可など求めることはしない。

 しかし今回ウルベルトがアイテム使用の許可を求めてきた理由は、主に二つあると考えられた。

 一つ目は、ユグドラシル産のアイテムを現地世界の住人に使用するというのがあまり歓迎されるものではないため。

 二つ目は、(スタッフ)薬液(ポーション)巻物(スクロール)短杖(ワンド)といった他のアイテムに比べてより高価なアイテムであるためだった。

 巻物(スクロール)短杖(ワンド)は『使用者がアイテムに込められている魔法を使用できる』、或いは『そのクラスで習得できる魔法リストにその魔法が載っている』という条件を満たしていなければ、そのアイテム自体も使うことができないという代物である。勿論、種類によってはどのプレイヤーでも使うことができる物も短杖(ワンド)には幾つか存在したが、その種類は少なく、また威力も(スタッフ)に比べればやはり見劣りするのは否めなかった。(スタッフ)は込められた魔法に関係なくどの系統の魔法詠唱者(マジックキャスター)であっても使用することができるため、何かと使い勝手の良いアイテムだった。

 つまり、『現地人に対してそんな高価なアイテムを使っても良いのか』という問題があるため、今回ウルベルトは許可を求めようとしたのだろう。

 

「レイナースって、あの呪いがかかってるっぽい女の人のことですよね。女の子を助けるためなら高価なアイテムを使うのも吝かではないですけど、何で(スタッフ)なんですか? 状態異常無効化の短杖(ワンド)なら誰でも使えるでしょうし、何ならペストーニャでも連れて行って治してもらえばいいじゃないですか。その方がコストも低くすむと思いますけど」

「確かに。その方法は私も考えたさ。だが第一に、彼女の呪いを解く役目を他のモノに任せるのは駄目だ。彼女の呪いを私自身が解くことに大きな意味があるのだからね。それから第二に、私は状態異常無効化の短杖(ワンド)は持っていない。これは私に任された仕事なのだから、君たちが持っているアイテムやナザリックに保管しているアイテムを使う訳にはいかないだろう?」

 

 レイナースの呪いを解くことにしたのは自分の判断なのだから、自分が所有しているアイテムを使用するのが当然だと断言するウルベルトに、モモンガは再びペロロンチーノと顔を見合わせた。同時に意外と律儀なウルベルトの考え方に、思わず苦笑を骸骨の顔に浮かべる。

 モモンガは一度やれやれと小さく頭を振ると、ペロロンチーノと合わせていた視線をウルベルトへ戻した。

 

「ウルベルトさん、その配慮は嬉しいがポイントが少しズレているぞ。重要なのは“誰が所有しているアイテムを使うか”ではなく、“何のアイテムを使うか”だ。それが必要なことなのであればナザリックのアイテムを使っても構わないし、我々が所有しているアイテムを渡すことも構わない」

「そうそう。それにそれぞれ役目は決めてますけど、こうやって話し合っている時点で最終的には全て俺たち全員が判断して決めたものですよ。今更ウルベルトさん一人に責任を押し付けるつもりはありませんし、必要なものがあるなら遠慮なく言ってくださいよ」

 

 まるでモモンガの後を引き継ぐようにペロロンチーノも自分の考えを口にする。

 ウルベルトは一度キョトンと金色の瞳を瞬かせると、次にはその山羊の顔に苦笑めいた表情を小さく浮かべてきた。

 

「……なるほど、了解した。それでは、二人の言葉に甘えてナザリックに保管している短杖(ワンド)を使わせてもらおう」

 

 納得したように一つ頷てくるウルベルトに、こちらも一つ大きく頷いてそれに応える。

 誰もが思わず一息つく中、まるで話はまだ終わっていないと言わんばかりにウルベルトが再び口を開いてきた。

 

「後もう一つ許可してほしいことがある」

「……ああ、そういえば二つあるって言ってましたっけ。二つ目は何です?」

「二つ目は明日……いや、もう今日だな。今日行われる武王との闘技場での試合にデミウルゴスを同行させたい」

「デミウルゴスを?」

 

 思ってもみなかった言葉に思わず鸚鵡返しのように聞き返してしまう。反射的にデミウルゴスに視線を向ければ、名指しされた悪魔も驚愕の表情を浮かべてウルベルトを見つめていた。

 

「えっと、別にデミウルゴスが構わないんだったら良いと思いますけど……。そもそも何でデミウルゴスを同行させたいんですか?」

 

 大きく首を傾げるペロロンチーノに、ウルベルトは山羊の顔に再び苦笑を浮かべる。

 続いて語られるウルベルトの説明に、モモンガは思わず『なるほど……』と小さな声を零していた。

 

「あ~、なるほど……。それは、まぁ、デミウルゴスがいた方が良いかもですね……」

「ウルベルトさんだけでも何だかんだで誤魔化せる気はするが、やはり手札は多い方が良いと言う訳か」

「まぁ、そう言う訳です。なのでデミウルゴスには是非同行してもらいたいのだが……、構わないかね、デミウルゴス?」

 

 悪魔に視線を向ける山羊につられて、モモンガとペロロンチーノも再び悪魔へと目を向ける。

 ほぼ同時に至高の主たちの視線を一心に向けられた悪魔は、緊張したようにピシッと背筋を伸ばすと、次には勢いよく片膝をついて深々と頭を下げてきた。

 

「はっ、勿論でございます! 元より、至高の御方のご意思に従うのがシモベの務め。何なりとお申し付けください」

「いや、そこまで畏まる必要はないんだが……。まぁ、それじゃあ遠慮なく同行してもらおうか。頼んだよ、デミウルゴス」

「畏まりました。同伴させて頂きます、ウルベルト様」

 

 嬉々とした表情を浮かべて恭しく傅く様は冷静沈着で落ち着いてはいるが、銀色の長い尾だけはまるで犬の尾のように激しく喜びに揺れ踊っている。

 ウルベルトはそれを微笑ましそうに見つめながら一つ頷くと、尾の激しい動きにツッコむこともせずにまるで自分からは以上だと言うように金色の山羊の目をアルベドに向けた。アルベドは先ほどと同じように心得たように一度頭を下げると、続いて顔をこちらに向けてくる。

 報告を促してくる女淫魔に、モモンガはデミウルゴスの尾の動きが徐々に緩やかになっていくのを眺めながら、一呼吸の後にゆっくりと口を開いた。

 こちらが今回報告するのは、主にカルネ村でのことについて。後は“蒼の薔薇”がこちらに接触してきたことについてと、その目的についてだった。

 

「どうやら“蒼の薔薇”たちはウルベルトさんが扮しているワーカーの“レオナール”をどうしても王国に引き込みたいようだ。現在はカルネ村にいるマーレにまで会いに来て“レオナール”の情報を探っている」

「ああ、そのことについてなら私もアルベドから報告を受けましたよ。アルベド、“ヘイムダル”からの情報を報告してくれるかね?」

「はい、畏まりました、ウルベルト様」

 

 モモンガの予想に反し、ウルベルトは一切驚いた様子もなくアルベドに話しを振っている。それにモモンガの方が内心驚く中、ウルベルトに促されたアルベドは一礼と共に密偵組織“ヘイムダル”からの情報を報告し始めた。

 語られたのは、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと“蒼の薔薇”のラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの影にそれぞれ潜ませた影の悪魔(シャドウデーモン)からの報告内容。それはモモンガが“黄金の輝き”亭で“蒼の薔薇”から相談された内容とほぼ同じものだった。新しい情報があるとすれば、ラナー以外の王族の三人と主だった貴族たちの現在の“レオナール”に対しての考えや警戒度についてくらいだろうか。

 

「情報の信憑性や裏付けなどの精査、また補足情報の収集などに手間取りご報告が遅くなってしまいました。どうかお許しください」

「いや、構わないよ。何事にも慎重に対処しようとすることは大切だ。ただ情報は鮮度が命とも言う。これからは信憑性が乏しくとも緊急性のあるものは直ちに報告してくれたまえ」

「畏まりました。ご寛大な御心に感謝いたします」

 

 右手を胸の前に添えて深々と頭を垂れるアルベドに、ウルベルトが誉めてやりながらも軽く注意している。『これが飴と鞭か……』と内心感心しながら、モモンガも報告の続きをするべく再び口を開いた。

 

「今のところこれといった情報は得ていないはずだが、またマーレへ接触するつもりのようだ。私の方でも引き続き注意は払っておくが、マーレも情報を与えぬよう注意しておいてくれ」

「は、はい……っ!」

「ちょっとマーレ、本当に大丈夫なの? ウルベルト様の情報を漏らしたりしたら承知しないからね!」

「わ、分かってるよぉ……」

 

 姉の剣幕に、途端にマーレは小さな身体を更に縮み込ませる。

 モモンガは二人に声をかけて軽く諌めると、話の流れを元に戻すことにした。

 

「あと、王族たちが抱いている“レオナール”に対しての懸念についてだが……」

「ああ、それなら一つ私から提案がある。先ほど第六階層で少し話そうとしていたことなんだが……――」

 

 モモンガの言葉を遮るようにウルベルトが声を上げる。

 そして始まったウルベルトからの提案についての説明に、モモンガは暫くの間呆然とし、次には思わず内心で大きな苦笑を浮かべた。

 流石というべきか、はたまたやはりと言うべきか……。ウルベルトが考える計画は実に悪魔らしいものだと感心させられるものだった。

 ペロロンチーノも同じことを思っているのだろう、仮面をつけている状態でも鳥の顔に呆れた表情を浮かべているのが何となく分かった。

 しかし守護者たちは自分たちとは全く違う心境のようで、ウルベルトの説明が終わったと同時に誰もが嬉々とした表情を浮かべながら口々に称賛の声を上げてきた。

 

「流石はウルベルト様! 素晴らしいお考えです!」

「まさに! これによりまた一つ、世界征服への大きな布石となるでしょう」

 

 シモベたちを代表するように、アルベドとデミウルゴスがウルベルトの計画をべた褒めする。

 ウルベルトも満更ではなさそうな笑みを浮かべており、モモンガとペロロンチーノは思わず半笑いを浮かべていた。

 

「……ホント、ウルベルトさんって悪知恵が働きますよね。俺には思いつかないな~」

「ははっ、お褒めに預かり光栄だ」

「いや、褒めてはないですって。……まぁ、その計画がとても有効的であることは認めますけどね。……でも、その利用される人たちが可哀想になってくるな~」

「おや、君が野郎を心配するとは珍しい」

「いやいや、俺のことを何だと思ってるんですか。……どうします、モモンガさん?」

「……私はウルベルトさんの計画を進めても良いように思うが、ペロロンチーノさんはどうだ?」

「俺も別に構いませんよ。ただ、カルネ村に被害が出ないようにしてもらえることが大前提ですけど」

「そこは心配しなくても十分配慮するとも。では、決まりだな。最初の種蒔き(・・・)は任せたよ、アルベド」

「はい、お任せください、ウルベルト様!」

 

 役目を与えられたことが嬉しいのか、アルベドはいつになく嬉々とした表情を浮かべて跪いてくる。

 何故この子たちはこんなにも働きたがるんだろう……と内心大いに疑問に思いながら、モモンガは取り敢えずアルベドに声をかけて立ち上がらせると、次に隣に座るペロロンチーノへ顔を向けた。

 

「それからペロロンチーノさんが気にしていた“蒼の薔薇”のイビルアイについてだが、現状新しく分かったことはない。もう少し探りを入れてみようとは思うが、どこまで深い情報が得られるかは分からない状況だな」

「そうですか。……う~ん、気になるところではありますけど、無茶は禁物ですしね。また何か分かった時にはよろしくお願いします」

「何なら精神支配でもすればどうかね? 勿論、こちらがしようとしているとはバレない方法で、だが」

「ふむ……、その路線でも考えてみる必要はあるか……」

 

 軽い口調で提案してくるウルベルトに、モモンガは口元に拳を添えて考え込む。

 正直、自分の話術でどうにか情報を引き出すことなど不可能ではないかと思っていたのだ。もし別の方法があるのなら、そちらの手段を取った方が何倍も良いような気がする。

 モモンガは如何に自然に情報を得ることができるか、思考をこねくり回した。

 

「でも、どうやってバレないように魔法を使うんですか? 普通に考えて無理だと思うんですけど」

「いや、割と簡単さ。要は魔法をかけたのが違う存在だと思わせればいいのだよ」

「囮ということか。……なるほど……」

 

 ペロロンチーノやウルベルトの意見をヒントに、モモンガは忙しなく自分の考えをまとめていく。

 暫く頭の中で計画を練った後、それを説明するべく作戦の内容を実際に口に出して語り、作戦の実行をアルベドへと命じた。一瞬本当にこの計画で大丈夫だろうかと不安が過ったものの、ペロロンチーノもウルベルトも守護者たちも何も言わなかったため大丈夫だろうと半ば無理矢理自身に言い聞かせる。実際に命を受けたアルベドも何も言わずいつもの柔らかな微笑と共に深々と一礼したため大丈夫なはずだ。もし上手くいかなかった時は、守護者たちへの言い訳はペロロンチーノとウルベルトにも協力してもらおうと心に誓うと、モモンガはさっさと話を進めることにした。

 

「……私からはこのくらいだな。では他に報告したいモノや意見したいモノはいるか?」

 

 大まかな報告は終わり、次に意見や提案はないかとこの場にいる全員に声をかける。

 以前モモンガから自主的に意見を発言するように言ってからというもの、定例報告会議ではちょくちょく報告以外にも意見や提案が出ることが増えてきていた。未だ発言の殆どはモモンガ、ウルベルト、ペロロンチーノの三人が多くの割合を占めてはいたが、守護者たちからも時折発言が出ることがあり、モモンガはその変化をとてもいい傾向だと捉えていた。

 今回は残念ながら何も出ないようだったが、まぁこんなこともあるだろう、と内心小さく肩を竦めるだけに留める。

 実際には一つ大きく頷いて見せると、モモンガは眼窩の灯りを司会進行役であるアルベドへと向けた。

 

「それでは、この度の定例報告会議はこれにて終了いたします。解散!」

 

 モモンガの意を汲んだアルベドがすぐさま会議終了の号令をかける。

 彼女の合図に、シモベたちは一斉にその場に傅いて頭を下げた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……それではこれより、定例守護者会議を行います」

 

 所変わって、ここは第九階層にあるアルベドの私室。

 定例報告会議が終了して数十分後、アルベドの私室にあるメインルームにはガルガンチュアとヴィクティム以外の守護者たちが揃っており、それぞれ一つのテーブルを囲むように椅子に腰かけていた。

 今から行われるのは定期的に行われる守護者同士の意見交換の場である定例守護者会議。

 いつもであればプレアデスの何人かも出席するのだが、しかし今回は守護者以外の参加者は誰一人としていなかった。

 これは現在守護者の誰もが至高の主より役目を賜っているため、今回は手短に相互理解や意見交換を行おうと参加者を最小限に抑えた結果だった。

 とはいえ、守護者たちの表情に焦りや緊張などの色はない。あるのは抑えようのない興奮の笑みのみだった。

 

「……遂に…、遂にここまで来たわ。御方々が望まれる世界征服という最終目的を思えばまだ第一歩を踏み出そうとしている段階でしかないけれど、それでもこの一歩はこの世界にとっては非常に大きなものになるでしょう」

「ええ、正にアルベドの言う通りですね。もう暫くは潜伏期間がある予定ではありますが、それももう間もなくです」

「遂に御方々がその御姿を世界にお示しになるのでありんすね。……ふふっ、この世界の奴らがどういった反応をするのか今から楽しみでありんす」

 

 ニンマリとした笑みを浮かべるのはアルベドとデミウルゴスとシャルティアの三人。

 アウラとマーレはそれを苦笑と共に見つめており、唯一いつもと変わらぬ様子のコキュートスが蒼の複眼全てをアウラに向けた。

 

「アウラ、ソウイエバマダ挨拶ガデキテイナカッタナ。今回、急ナコトデハアルガ、共ニ任務ニ就クコトニナッタ。改メテヨロシク頼モウ」

「あっ、うん、こちらこそよろしくね、コキュートス!」

 

 何とも律儀なコキュートスの言動に、アウラも慌ててコキュートスに向き直ると改めて挨拶を返す。

 互いに挨拶を交わし合う一人と一体に、この場にいる誰もが微笑ましそうに笑みを浮かべる。

 しかしそんな中、ただ一人アルベドだけが恍惚とした笑みを真剣な表情に変えて金色の双眸を鋭くアウラとコキュートスとシャルティアに向けた。

 

「アウラ、コキュートス、シャルティア。今回、あなたたちはペロロンチーノ様の補佐とはいえ重要な任を賜ったわ。くれぐれもペロロンチーノ様のお邪魔にならないよう、そして最大限の成果を出せるように尽力して頂戴」

「大丈夫、言われなくても分かってるよ。それに私とコキュートスの方はエルフ軍の力を見極めるのが主な任務だから、そんなにリスクのある案件じゃないし」

「ダガ、見極メルコトニ重点ヲ置キ過ギテエルフタチガ法国軍ニ全滅サセラレテモマズイゾ。エルフタチノ力ヲ見定メツツ、全滅セヌヨウ適度ニ補佐スルコトモ必要ニナッテクルハズダ」

「まぁ、それはそうだけど……。私はむしろ、こっちよりもシャルティアの方が心配だけどな~」

「ちょっと、それはどういう意味でありんすか……?」

 

 途端にシャルティアの気配が鋭くなり、苛立ちの表情がアウラに向けられる。しかしアウラもこのくらいは慣れたもので、余裕の表情でシャルティアに向き合った。

 

「あんた、今回もペロロンチーノ様と一緒に行動するんでしょう? パンドラズ・アクターもいるけど、くれぐれもペロロンチーノ様に粗相のないように気を付けてよね」

「いちいち言われなくても分かっているでありんす! この私がペロロンチーノ様のご意思に背くことをすると思う!?」

 

 ナザリックのシモベにとって至高の41人は絶対的な存在だ。加えてペロロンチーノはシャルティアの創造主であり、シャルティアが心の底から愛している存在でもある。アウラの指摘に対する彼女の怒りは尤もであると言えた。

 しかし一方で、シャルティアの性格や“血の狂乱”の危険性などを考えた場合、アウラの懸念もまた一概に杞憂であるとも言えなかった。

 どちらの言い分も理解できるだけに、他の守護者たちは苦笑と共に二人の言い争いを暫くの間静観していた。

 

「ほら、二人とも。喧嘩はそのくらいにして頂戴」

 

 アウラとシャルティアが言い争いを始めて数分後、一向に終わる気配がないことに業を煮やしたアルベドが制止の声を上げる。

 それでもなお口は閉じたものの睨み合いを続ける二人に、アルベドは大きなため息を吐きだした。

 

「ペロロンチーノ様のご迷惑にならないようにすることも重要だけれど、私が言っているのはエルフの王と法国軍への対処についてよ。……この世界の基準を考えれば脅威とはならない可能性の方が高いけれど、それでも絶対ではないわ。万が一にもペロロンチーノ様の身に危険が及ぶような事態に陥ったら、その身に変えてでもペロロンチーノ様をお守りしなさい」

「まぁ、それもそうね。油断しないようにするよ」

「そんなこと、言われるまでもないことでありんす。ペロロンチーノ様は私の愛しい御方。この身に変えてでもお守りするのは当然のことでありんすよ」

「私モ十分注意ヲシテオコウ」

 

 アウラとシャルティアだけでなく、彼女たちと同じ任務に就くコキュートスも大きく頷いてみせる。

 アルベドは三人の行動に満足の笑みを浮かべると、次にはその金色の瞳を朱色の悪魔に移した。

 

「それから、デミウルゴスも今回はウルベルト様と行動を共にするのだからくれぐれもよろしく頼むわね」

「ええ、分かっていますよ、アルベド。ウルベルト様からは静観を命じられてはいますが、万が一のことがあればこの身を盾にしてお守りします」

「そういえば、今回ウルベルト様が戦う武王ってそんなに強いの?」

「この世界の基準では強者の分類には入るようですよ。まぁ、ウルベルト様の敵ではないでしょうが」

「それでも油断は禁物よ。この世界にはわたくしたちがまだ把握していない能力や力があるかもしれないのだから」

 

 和やかに交わされる会話に再びアルベドの注意の言葉が飛ぶ。些か警戒しすぎるとも思えるアルベドの忠告に、しかし守護者たちは当然のことのように頷いて返した。

 

「……そういえば、君の方は大丈夫なのかね? 今回は君も複数の任務を賜っていただろう?」

 

 誰もがこれからの自分の務めに思いを馳せる中、不意にデミウルゴスがアルベドへと声をかける。

 アルベドは今回、モモンガからのイビルアイに関する任務とウルベルトからのリ・エスティーゼ王国攻略の布石となる任務の二つの命を与えられている。ナザリックの管理を命じられることが殆どである彼女にとっては、いつにない緊急事態とも言えるだろう。

 それ故に声をかけた悪魔の気遣いに、女淫魔はその美貌に艶やかな微笑を浮かべてみせた。

 

「ええ、勿論よ。モモンガ様より命じられた任務についてはこれからだけれど、ウルベルト様より命じられた任務に関しては既に準備は整っているし、後は駒を動かして細かな調整を行っていく感じかしら」

「おや、もう準備が終わっているのですか? 随分と早いですね」

「実はウルベルト様から、いつでも動けるようにと事前に声をかけて頂いていたのよ。本当にお優しい御方でいらっしゃるわ」

 

 ふふっ、と軽やかな笑みを零すアルベドに、他の面々は納得したような表情を一様に浮かべた。

 

「それでは時間も差し迫っているから、そろそろ情報の整理と確認を行いましょう。まず、ペロロンチーノ様が着手されているエルフと法国については……――」

 

 先ほどの微笑から真剣なものへと表情を引き締めたアルベドが、改めて話をまとめるために口を開く。定例報告会議で言われていた内容も含め、あの場では言及されなかった主たちからの暗黙の意思をも推し量りながら自分たちの今回の任務と役割の内容を整理確認及び具体的な行動内容の肉付けを行っていく。

 守護者たちの表情はどれもが真剣なもので、瞳には強い決意の光が宿って爛々と輝いていた。アルベドの進行に時折意見や修正が挟まれながら、着々とそれぞれの任務への内容がまとまっていく。

 そして一通り全てがまとまり終わった頃、不意にアルベドの金色の双眸がマーレへと向けられた。

 

「……マーレ、最後にあなたの今回の任務について少し追加をさせてもらいたいのだけれど良いかしら?」

「っ!! は、はい、構いません…けど……」

 

 突然のことにマーレはビクッと細い肩を跳ねさせると、次にはオッドアイの大きな瞳を不安そうに小さく揺らめかせる。細い眉も八の字に垂れ下がっており、見るからに『無理難題を言い渡されるのではないか…』とでかでかと顔に書かれていた。

 恐々とこちらを上目遣いに見つめてくるマーレにアルベドは苦笑を浮かべると、次には安心させるようにすぐに柔らかな微笑を浮かべてみせた。

 

「そんなに不安にならなくても大丈夫よ。あくまでも今回のあなたの重要任務はウルベルト様の情報を漏らさないということ。けれど、その他に一つ、できればあなたにも頑張ってほしいことがあるのよ」

「は、はい。何でしょう……?」

「モモンガ様とペロロンチーノ様は、あのイビルアイとかいう存在の情報を求めていらっしゃるわ。勿論わたくしの方でも“ヘイムダル”を使って情報を集めようとは思っているけれど、それにも限界はある。だから、あなたの方からもできるならさり気なく本人や“蒼の薔薇”のメンバーから情報を聞き出してほしいのよ」

「つ、つまり、イビルアイさんのお話を聞けばいいんですか?」

「ええ、その通りよ。けれど優先順位は低くても構わないわ。あまり大きく動き過ぎては逆にモモンガ様のお邪魔になってしまうかもしれないし、できれば……ということで心に留めておいてほしいの」

「わ、分かりました。どこまでできるか分かりませんけど、ぼ、僕も、モモンガ様のお役に立てるように頑張ります……!!」

 

 先ほどの弱々しい姿はどこへやら、胸の辺りで両手の拳を握りしめて意気込むマーレにアルベドは思わず微笑を深めた。

 

「ええ、期待しているわ。それから、この会議の後にもう少しだけ時間を貰えるかしら。後で既に開示されている“レオナール・グラン・ネーグル”としてのウルベルト様の情報を教えてあげるわ」

「は、はい! よろしくお願いします!!」

 

 顔を輝かせて大きく頷くマーレに、こちらも返事の言葉の代わりに軽く頷き返す。次にアルベドは他の守護者たちに目を向けると、改めてこの場をまとめるために深く息を吸い込んだ。

 

「今回、各々が賜った任務はどれもいつも以上に重要なもの。どれもが至高の御方々の悲願である世界征服への重要な布石となるわ。各々、くれぐれも失敗のないよう、気を引き締めて任に当たりなさい」

 

 そこで一度口を閉じて言葉を切り、目の前に座る守護者たちの表情を見据える。

 誰もがどこまでも真剣な表情を浮かべていることを確認すると、アルベドはこれから口にする言葉を思い、知らず胸を熱くさせて鼓動を高鳴らせた。

 

「全ては至高の御方々のために! 栄えある“アインズ・ウール・ゴウン”にこの世の全てを!」

「「「全ては至高の御方々、“アインズ・ウール・ゴウン”のために!」」」

 

 部屋中に激しい熱と共に守護者たちの高らかな声が響き渡った。

 

 




連続更新!
ストックしていたのはここまでなので、また次回からは通常更新速度に戻ります……。


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第58話 偽りの中の変化

今回の話は視点がコロコロ変わってしまいます。
読み難かったら申し訳ありません…(汗)
また、今回の戦闘描写の中で一部ご都合主義的な描写がございます。
私的にどうしても描きたかった描写だったので我慢できずに描いてしまいましたが、ご都合主義が嫌いな方はご注意ください(土下座)


 静寂が支配する室内に、不意に微かな声援や雄叫びの声が外から響いてくる。

 聞く者に興味と好奇心を湧き上がらせるその音に、しかし室内にいる存在たちは一向に動く気配がなく、音の先に視線を向けることさえしなかった。

 目に鮮やかな深紅の絨毯や豪奢な家具が置かれているこの部屋にいるのは二人の男と一体の異形。

 いや、二人の男のうち一方は腰から白銀の長い尾を垂れさせているため、唯の人間ではないだろう。

 朱色のスーツを着込んだ男は口角を笑みの形につり上げており、その意識は自身の傍らにある一人用のソファーに足を組んで腰かけている男にだけ向けられていた。

 しかしソファーの男はそれに気が付いているのかいないのか、これといった反応を示すことなく、手元にある黒い大きな石を指先で弄りながらチラッと金色の瞳をこの部屋唯一の扉へと向けた。

 

「……そろそろ時間か……。デミウルゴス、用意はできているか?」

「はい、勿論でございます。ウルベルト様より御下賜頂きました品々は全ていつでも使えるように準備は整えておりますし、その内の一つは既に摂取させて頂いております」

「それは何より。お前の手助けが必要になるかは分からないが、対策はしておいて損はないからな。だが、くれぐれも頼んだこと以外のことはしないように。私の身に何かあったとしても、私の許可なしに動くことはないようにしたまえ」

「………畏まりました……」

 

 念押しの言葉に、デミウルゴスは胸に片手を当てて深々と頭を垂れる。彼にしては珍しく返答するまでに時間がかかったが、命令の内容を思えばそれも仕方がないことだった。

 ウルベルトの言葉は、要約すれば『自分の身に万が一のことがあったとしても何もするな』ということ。忠誠心厚く創造主のことを第一に考えている悪魔にとっては、その命令はとてつもなく受け入れ難いものだろう。今も恐らく、未だ頭を下げている悪魔の胸の内では忠誠心と苦悩が激しく鬩ぎあい渦を巻いているはずだ。しかしウルベルトはそれが分かっていながらも先ほどの言葉を撤回することも内容を変更することもしようとはしなかった。自分のことを心配してくれるのは嬉しいが、それによって物事がうまく進まないのであれば意味がない。

 ここは心を鬼にしないとな……と自身に言い聞かせ、ウルベルトは自身の手の中にある黒い石へと再び目を戻した。

 それから数分後、扉の前で外の様子を窺っていた影の悪魔(シャドウデーモン)が不意に動き、片膝をつくと共に声をかけてきた。

 

「御方様、何者かがこちらに近づいてきております」

「そうか、ご苦労。お前は私の影に潜んでいたまえ」

「はっ、畏まりました」

「デミウルゴス」

「はい、すぐ傍で待機しております」

 

 ウルベルトの言葉に、扉を守っていたシャドウデーモンはすぐさま滑るようにウルベルトの影へと沈んでいき、デミウルゴスも自身の首元を探ってネックレスを装着する。

 瞬間、ネックレスに宿る魔法が発動してデミウルゴスの姿が気配と共に掻き消え、それとほぼ同時に扉からノックの音が響いてきた。

 

「ネーグル様、お時間になりました。会場までおいで願います」

 

 扉の外から聞こえてきた声は、この闘技場で働くスタッフのものだろう。

 ウルベルトは組んでいた足を解いてソファーから立ち上がると、手に持つ石をアイテムボックスに放り込みながら扉へ歩み寄っていった。

 ドアノブに手を伸ばし、しかし触れる前に扉が独りでにゆっくりと開かれる。

 外にいる者がやった訳ではないそれは、恐らく姿を消しているデミウルゴスの仕業だろう。

 ウルベルト以外には気付かれないように扉を開けたデミウルゴスの行動に内心苦笑を浮かべると、ウルベルトは何事もなかったかのように装いながら堂々とした足取りで扉を潜り抜けた。

 

「ネーグル様、ご案内いたしますのでついてきて下さい」

「ああ、よろしく頼む」

 

 廊下に立っていたのはやはり闘技場のスタッフの男で、デミウルゴスの存在も扉が独りでに開いたことにも気が付かずに声をかけてくる。ウルベルトは気づかれなかったことに内心で安堵の息を吐きながら、実際には澄ました表情を浮かべて一つ頷いて返した。

 既にこの闘技場では常連になりつつあるウルベルトにとって今更案内などは不要なのだが、これも男の大切な仕事の内の一つなのだろうから無碍に断っては可哀想だろう。先導するように歩き始めた男の背中を見やると、ウルベルトは内心小さく肩を竦めながらも大人しく男に従って歩を進め始めた。

 窓が一切ないせいか、試合会場に向かうための廊下は非常に薄暗く、まるでトンネルのような様相をしている。

 廊下を進むにつれ、徐々に大きくなっていく歓声の音。

 前方の光も大きくなっていき、数分後にはウルベルトは外へと足を踏み出していた。

 瞬間、自身を包み込む外の眩しい光と大歓声の嵐。ぐるっと視線を周囲に走らせれば、観客たちが腕を挙げたり手を振ったりしながら歓声や黄色い悲鳴を上げていた。

 もはや“レオナール・グラン・ネーグル”としては見慣れた光景。

 ウルベルトは軽く手を挙げることで観客たちに応えてやりながら、徐に視線を自身の周囲の地面へと移した。

 いつもは平らに整備されているはずの黄土色の土の地面が、今は至る所が削り取られて凹凸が目立ち、所々に赤黒い液体が染み込んでいる。

 闘技場では同じ日に幾つもの試合が執り行われており、それは武王が出る試合の日も例外ではなかった。以前聞いた話によれば武王の試合の前には必ず冒険者とモンスターとの戦闘試合が行われるらしく、恐らく目の前の跡もその試合によってできたものなのだろう。試合の結果がどうだったのかは分からないものの、目の前の大量の血痕を見る限りでは相当な激戦が繰り広げられたのだろうことは容易に窺い知れた。

 ウルベルトがぼんやりと血だまりを眺める中、不意に闘技場の進行役であろう男の声が闘技場中に響き渡ってきた。

 

「皆さま、大変長らくお待たせいたしました! この一番の大試合を、何とエル=ニクス皇帝陛下もご観戦されます。皆さま、上にある貴賓室をご覧ください!」

 

 声に導かれて視線を上げれば、貴賓室と思われる場所に見覚えのある若い男がいつの間にか立っていた。

 観客たちが再び歓声を上げる中、ジルクニフは柔らかな微笑を浮かべながら、その声に応えて軽く手を挙げている。

 観客たちの中から更に黄色い声が至る所で上がるのを聞きながら、ウルベルトは目の前の光景にどこか不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じていた。

 観客たちの反応から、いかに彼らが皇帝を慕っているのかが分かる。しかしそれは、ウルベルトにとっては非常に不思議なことのように思えた。

 ウルベルト自身、これまで皇帝が行ってきた改革を調べさせ、現在の行政の在り様を知り、実際に本人にも会って彼の男の人となりやものの考え方を知った今、皇帝が国民に慕われるのも当然のことだと思っている。

 ちゃんと理解しているし、納得もしている。

 しかしそれでも実際に皇帝が国民たちから尊敬され慕われている光景を視覚情報として見せられた今、やはりどうにも不思議な感覚を覚えてしまう自分を止めることができなかった。

 今までのウルベルトの感覚からすれば、皇帝や貴族といった存在は現実世界(リアル)での富裕層の連中と同じであり、下々の者から慕われるなど考えられない事だった。富裕層の連中はどこまでも身勝手で我儘で欲深で愚かで甘ちゃんで、いくらこの世界に来ていろんな王侯貴族と接し、或いは今まで彼らがやってきた行いを知ったとしても、その考えが大きく変わることは一切なかった。逆に、こういった連中はどの世界でも変わらない……と嘲笑を浮かべることの方が多かった。

 しかし、もしかしたら違うのかもしれない。

 少なくともこの国の皇帝は、身勝手でも我儘でも欲深でも愚かでも甘ちゃんでもないのかもしれない。

 情報でも知識でもなく、目の前の光景が……――何より現実世界(リアル)でいうところの貧困層に属する者であるはずの帝国国民たちの反応が、ウルベルトの中にある凝り固まった考えに大きな皹を入れ、強い衝撃を与えていた。

 

「――……ありがとうございました! さて、それでは皆さま、これより久方ぶりに武王の一戦が始まります。この度の挑戦者を紹介いたしましょう! 既に彼をご存知の方も多くいるでしょう。数か月前に闘技場に突如として現れた新星! 圧倒的な力を見せつけたワーカーチーム“サバト・レガロ”、そのリーダーを務める凄腕の魔法剣士、レオナール・グラン・ネーグルです!」

 

 ウルベルトの思考そっちのけで、司会者の声がどんどん話しを進めていき、再び観客たちがウルベルトに向けて歓声を上げる。

 ウルベルトは司会者の声が自分のことを“魔法剣士”と呼んだことで我に返ると、内心苦笑を浮かべながらも再び歓声に応えるべく軽く手を挙げた。

 ウルベルトは今までこの闘技場では魔法よりもむしろ得物を使っての戦闘を行うことの方が圧倒的に多かった。そのためか、“レオナール・グラン・ネーグル”を闘技場でしか見たことのない帝国の殆どの者たちは“レオナール”のことを純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)ではなく“魔法剣士”だと考えていた。一応エルヤー・ウズルスと試合を行った時に『自分は純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)である』と口にはしていたのだが、幸いなことにその声が聞こえた観客はほんの一部しかおらず、また“レオナール”が見せる得物を使っての戦闘スタイルの光景に塗り潰されて、いつの間にか魔法詠唱者(マジックキャスター)だと言っていた事実はないものとして帝国の者たちの記憶から消え失せていた。ウルベルトとしても持てる手札は一つでも多く持っておきたいため、敢えて彼らの記憶を掘り起こすつもりも、その勘違いを正すつもりも微塵もなかった。

 ただ観客の中には戦闘を生業にしている者もいるだろうから、怪しまれないように気を付けなければならない。

 闘技場で戦う際にはいつも思うことを今回も心の中で呟くと、再び聞こえてきた司会者の声にウルベルトは再び思考の渦から意識を引き戻した。

 

「皆さま! 北の入口より、武王の入場です!」

 

 司会者の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで重い何かがゆっくりと動く音が聞こえてくる。

 対面する北側の扉へ目を向ければ、ゆっくりと開かれる大きな扉から一体の亜人が姿を現した。

 黄金色の全身鎧(フルプレート)と角のある(ヘルム)。右手に持っているのは巨大な棍棒で、何かしらの魔法が宿っているのかどれもが独特な淡い光沢を纏っていた。全体的なフォルムは巨大でずんぐりむっくりしてはいるが、それ故に視覚的迫力はそれなりにあるように感じられる。

 亜人の登場に、観客たちは再び大きな歓声を上げた。

 しかし亜人はその歓声に応えるような素振りは一切見せず、ただ一心にこちらを真っ直ぐ見据えていた。

 そんな亜人の態度に、しかしそれでも観客たちは一向に構う様子もなく満面の笑みと共に声援を送り続けている。

 そんな彼らの様子に、なるほどやはり目の前の存在は亜人でありながらも人間の観客たちに随分と愛されているようだと判断する。

 やはり当初の計画通りに進めた方が良さそうだな……と内心で結論付ける中、まるでそれを遮るかのように不意に視線の先の亜人から低い声が聞こえてきた。

 

「俺は武王と言われているウォートロール、ゴ・ギン」

「っ!! ……これはご丁寧にありがとうございます。私は“サバト・レガロ”というワーカーチームに属しております、レオナール・グラン・ネーグルと申します」

 

 まさかあちらから声をかけてくるとは思わず、少々驚きながらもこちらも丁寧に自己紹介をする。胸に片手を添えて軽く頭を下げれば、強い視線が突き刺さってくるのを感じた。ゆっくりと顔を上げれば、ヒタッと視線がかち合ったことが感じ取れる。

 まるで観察しているかのような熱視線に、ウルベルトは湧き上がってきた気まずさに思わず小さく身動ぎしそうになった。

 

「これより響く鐘の音が試合開始の合図です! さぁ、両者とも準備は良いでしょうか?」

 

 司会者の声が問いかけのような言葉を発してくるが、別に本当に問いかけている訳ではないだろう。

 ウルベルトは司会者の言葉を無視すると、武王からの視線に耐えながらベルトに挟んでおいた短剣の柄に軽く手を置いた。武王の方は手に持つ棍棒を構えることはしなかったが、それでも身に纏う気配が濃く鋭くなったのは感じ取れた。

 

「それでは、試合スタートです!!」

 

 司会者の言葉とほぼ同時に大きな鐘の音が鳴り響く。

 観客たちが歓声を上げる中、しかし武王は未だ棍棒を構えることはせずに、ただじっとウルベルトを見つめ続けていた。ウルベルトもまた、武王に動く気配がないことを察してそのままその場で静かに佇む。通常ならば場を盛り上げるためにも相手の様子に構わず動くことが多いのだが、今回ばかりはウルベルト自身も武王の行動に興味があった。

 

「………ふむ、やはり何も感じないな……」

「……?」

 

 不意に微かに聞こえてきた声。

 まるで独り言のようなそれに、ウルベルトは思わず小さく首を傾げた。

 

「何が感じられないのですか?」

「……お前からは一切強者としての気配が感じ取れない。いや、そもそも存在自体が希薄であるように思える」

「ああ、なるほど……」

 

 武王が何を言いたいのか漸く理解して一つ頷く。

 つまり、ウルベルトの気配が思っていたよりも感じ取れず怪訝にでも思っているのだろう。もしかしたら事前にオスクからこちらの情報をある程度聞かされているのかもしれない。

 

「あなたが私の気配を感じ辛くなっているのは、そうなるように私が細工をしているからです。別にそれ以外の効果はありませんので心配は不要ですよ」

「何故そのようなことをする? 俺はお前の本当の力を知りたい。その細工とやらを解除することはできないのか?」

「勿論できますよ。しかし、理由の説明も解除をするつもりも今のところはありませんね。……もし私に勝てたなら、どちらも叶えて差し上げますよ」

「そうか……。では、勝たせてもらおう……!!」

 

 瞬間、突然目の前に迫りきた巨体。いつの間にか距離を詰められて振り上げられていた棍棒に、ウルベルトは内心で舌打ちしながらも咄嗟に片足を半歩後ろに下げて身体を横向きにした。

 大きな回避行動は間に合わないと咄嗟に判断しての行動だったが、それはどうやら正解だったようだ。

 間髪をいれずに全身に大きな風圧を感じ、それと同時に襲い来た地響きのような衝撃と共にウルベルトは今度こそ強く地面を蹴って大きな回避行動を取った。

 まるでその後を追うかのように先ほどまでいた場所を大きな土煙が覆い、空中を舞う。

 追撃の気配は何故かなく、ウルベルトはさり気なく強く地面を踏み締めながらじっと朦々と立ち込める土煙を凝視した。

 視界を遮る茶色は緩やかな風と共に徐々に霧散されていき、そこから武王の姿がゆっくりと露わになる。

 武王は未だ棍棒を振り下ろしたままの姿勢を保っており、土煙が完全になくなったのを確認してから漸く構えを解いた。

 

「……ふむ、速さは申し分ない。判断能力も高いようだな」

 

 まるでこちらを試しているかのような言葉に、ウルベルトは思わずクイッと片眉をつり上げた。

 こちらを挑発しているのか、それとも何も意図していない唯の感想か……。

 プライドが高い者であれば不快に思い怒り狂うかもしれない言葉。ウルベルト自身は不快に思うことはなかったが、思わずマジマジと観察するように武王を見つめた。

 随分と注意深いんだな……と内心で呟く。

 この世界の住人は割と情報に対する意識が低い者が多い印象があったため、武王のこちらを推し量ろうとしている言動にある種の懐かしさと新鮮さを感じた。

 同時に、無意識的に相手を侮っていた自分自身にウルベルトは心の中で猛省した。

 いくら本来のレベルに大きな差があるとはいえ、相手はこの闘技場の頂点に位置する“武王”の名を持つ存在なのだ。

 加えて今この場にいるウルベルトは完全な状態とは言い難く、幾つもの制限に縛られていた。

 魔法は第6位階以上のものは使えないし、身に着けている装備は全て聖遺物級(レリック)以下。加えてこの肉体も〈無限の変化〉の魔法で人間化しているため、悪魔という種族としてのアドバンテージも封じられている状態にある。これで油断してるとか俺は馬鹿なのか……と内心で自分自身に罵声を浴びせる。

 ウルベルトは自身に活を入れて気を引き締めると、気づかれない程度に構えを取りながら注意深く武王を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武王は棍棒を握る手に力を込めながら、今回の対戦相手である男を兜のスリットから見つめていた。

 褐色の肌と白い髪と金色の瞳という、帝国では見ることのない色素を持った人間種の男。司会者は男を“魔法剣士”と言っていたが、それにしては手足の長いスラッとした身体は武王にかかれば簡単に折れてしまいそうなほど細く薄い。“魔法剣士”ではなく純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であると言われた方が余程納得できる身体つきをしていた。

 しかしそうは思いながらも、武王はやはり内心では小さく首を傾げていた。

 確かに見た目は純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だが、『ならば“魔法剣士”というのは偽りである』と判断するには、この場に立つ前にオスクから聞かされた情報が邪魔をしていた。

 オスクから聞かされたのは、これまで目の前の男がこの闘技場で積み重ねてきた実績の数々とその内容。

 新人の剣闘士や冒険者やワーカーたちが参加することの多い対モンスターとの集団戦闘試合に始まり、チーム対チームのトーナメント制試合。そこから一気に名を上げていき、今ではありとあらゆる闘技場の試合に引っ張りだこになっているらしい。

 闘技場の試合で見られる男の戦闘方法は、魔法と得物を使っての前衛戦闘。比率としては得物を使っての戦闘の方が多くを占めているらしい。

 武王はこれまでこの男の戦いを見たことはなかったが、先ほどの回避行動の一つをとっても、それ相応の戦士としての技量があるのだろうことは窺い知れる。どちらにしろ油断できない相手だ、と武王は兜の中で口の両端を大きくつり上げた。

 そもそも亜人である武王が何故こんな人間の国にいるのかというと、それは武者修行中に偶然オスクと出会い声をかけられたからだった。

 そして何故今もなお帝国に留まり、ここで戦い続けているのかというと、それは多くの強者と戦って強くなりたいからだった。

 全ては己が強くなるために。強者と戦うために。

 武王にとってはそれだけが喜びであり、それこそが自分の生きる全てだった。

 だからこそ、今目の前に立つ男の存在がとても興味深く思えた。

 見た目は全く強そうではなく、実際に強者の気配は全く感じ取れない。しかしそうである一方で、武王の中にある戦士としての勘が『目の前の存在は決して油断ならない相手である』と絶えず囁き続けているのだ。

 これほど面白く興味深い存在には今まで一度も会ったことがなかった。

 

(……これは久しぶりに楽しめそうだな。)

 

 武王は久しぶりに感じる高揚感に身体を熱くさせながら、ゆっくりと右手に持つ棍棒を持ち上げて切っ先を目の前の男へと向けた。

 しかし男の表情は全く変わらない。怯むわけでも闘志を燃やすわけでもなく、変わらぬ微かな笑みを宿したような無表情を浮かべている。

 武王は地面を強く踏み締めると、タイミングを計って唐突に強く地面を蹴った。先ほどと同じ一直線の突進に、しかしその速度は先ほどのものよりも更に速い。

 とはいえ今度は相手も予想していたのだろう、男はまるで踊るように優雅な動きでヒラッと横に飛び退いてみせた。

 しかしその動きは武王とて予想済み。

 男が回避の動きを見せたと同時に棍棒に向けていた力を少しだけ緩め、振り下ろすと同時に横斜め上方向に力を込めた。両腕に負荷がかかり筋肉が軋んだような音を鳴らすも無視し、武王は逃げた男を追いかけて棍棒を振り下ろすと共に横薙ぎに振り払った。

 金属がぶつかり合う軋んだ衝撃音と、棍棒から伝わる強い手応え。

 棍棒を振り抜いた状態で視線を素早く男に向け、視界に飛び込んできた光景に武王は兜の中で思わず大きく目を見開いた。

 武王の攻撃は確実に男を捕らえて容赦なく吹き飛ばしていた。しかしこれはどういうことか、吹き飛ばされたはずの男は地面を転がることもなく、ただ手に持つ短剣を構えた姿勢でしっかりと地面を両足で踏み締めていた。男の両足から数メートルにかけて擦れたような跡が二本地面に刻まれている。恐らく男は短剣で棍棒を受け止め、そのまま地面を踏みしめながらも数メートルの距離をスライドしたのだろう。

 一見何の違和感もないように思える行動と光景。

 しかし武王が驚いているのは男が受けたであろうダメージのあまりの小ささだった。

 ゆっくりと構えを解いて短剣を下ろす男にはどこも怪我をした様子はなく、大したダメージも受けていないようだった。

 武王にはそれこそが異様に見えた。

 普通に考えて、これほど細身の男が武王の攻撃をまともに受けて、大きく吹き飛ぶことも地面を転がることもなく平気で突っ立っていること自体が信じられない事だった。

 向こうもそれなりに腕が立つのだろう、真正面から攻撃を受けてはいないのかもしれない。受け身だけでなく、ちょっとした受け流しもしていたのかもしれない。

 しかしもしそうであったとしても、やはりこの程度で済んでいることが武王にはどうしても信じられなかった。

 一体何をしたのかと男を凝視する中、不意に男の身体が小さく揺れ動いたかと思った瞬間、男が突然強く地面を蹴ってこちらに突進してきた。

 

「っ!!」

 

 予想外の男の動きに、思わず一瞬虚を突かれる。

 しかし武王はすぐさま意識を引き戻すと、既に目と鼻の先にまで迫っている男に再び棍棒を振り上げた。

 

(……想定以上に動きが速い。だが、捉えられないほどではない……!!)

 

 振り下ろす先にあるのは男の頭部。

 完璧なタイミングに必中を確信した瞬間、しかし武王は再び驚愕に目を見開くことになった。

 棍棒が頭部を襲う直前、突然横に捻られた男の身体。踏み出す足の位置と身体の軸を微妙にずらすことで最小限の動きで武王の攻撃をスレスレで避けた男は、そのままの勢いで武王に短剣を突き付けた。

 男が狙うのは鎧の隙間……と見せかけて、刃が目の前に迫る。

 兜のスリットを狙う男に、武王は棍棒を持っていない手を男に伸ばしてその身体を捕らえようとした。

 瞬間、チッと小さく聞こえてきた舌打ちの音。

 恐らく男が出したであろうその音に、しかし武王は構うことなく左腕全てで抱き込むように男を拘束すると、そのまま締め上げようと腕に力を込めた。

 

「っ!!?」

 

 しかしその瞬間、不意に視界が一気に青白く染め上がる。同時に感じる焼けつくような熱さに、武王は兜の中で大きく目を見開いた。

 遠くから観客の驚いたような悲鳴が聞こえてくる。

 武王は反射的に男の身体に回していた左手で男の肩を掴むと、そのまま前方――男にとっては後方――へ勢いよく投げ飛ばした。

 男は投げ飛ばされることも想定していたのか、難なく空中で体勢を立て直して地面に着地する。

 未だ感じる熱に息を荒げながら改めて男を見やれば、男の細身の身体の至る所に青白い炎が小さく揺らめいていた。

 しかし男は熱がる素振りも見せずに平然としている。数秒後、炎はまるで何事もなかったかのように跡形もなく空気に溶けるように消えていく。

 武王は自分にとって致命傷となる炎が消えたことに取り敢えず小さく息をつくと、次には男に向けていた視線を自身の身体へと移した。

 未だ痛いほどの熱を感じている自身の身体を見下ろせば、身に纏っている鎧の胸から腹にかけてが真っ黒に焼け焦げているのが視界に飛び込んでくる。魔法が宿った武具であるにも拘らず未だ感じられる熱に、武王は一度棍棒を地面に放り投げると兜と鎧を素早く脱ぎ捨てた。ガシャンっと大きな音と共に地面に落とされた鎧は、衝撃に負けたのか黒く変色した部分がベコッと大きく凹んだ。

 

「おやおや、熱かったですか? どうやらその鎧では防ぎきれなかったようですね」

 

 優雅に立ったまま男が軽い口調で声をかけてくる。

 男の言葉通り、武王の胸から腹にかけての皮膚は赤黒く変色しており、場所によっては酷く爛れてケロイド状になっている部分もあった。

 恐らく青白い炎が鎧の防御を崩してそのままダメージを与えたか、或いは熱せられた鎧によって皮膚が焼かれてしまったのだろう。

 いくらトロールの治癒能力がズバ抜けて高いとはいえ、炎や酸で傷ついたものまでは治らない。

 武王は自身の腹部に向けていた視線をゆっくりと男に戻すと、兜を取り去ったことで露わになった双眸を小さく細めた。

 

「……一体何をした? お前は本当に魔法剣士なのか?」

「残念ですが、それらの質問にはお答えしかねますね。あなたのご想像にお任せしますよ」

 

 どこまでも煙に巻くような言葉と態度に、流石の武王も些か苛立ちが湧き上がってくる。しかし武王はすぐさま深呼吸をして乱れた自身の感情を意識して落ち着かせた。

 ここで感情を乱れさせては相手の思う壺だ。感情の乱れは戦いの動きにも乱れを生じさせ、それは隙を生み、小さな隙は命取りになる。

 相手が目の前の男であれば、それは尚更だ。

 武王はもう一度深呼吸をすると、地面に投げていた棍棒を再び手に取った。四方から観客のものであろう心配そうな……或いは不安そうな視線が突き刺さってくるのを全身で感じる。しかし武王はいつものようにそれらの視線を無視すると、感じる痛みをも無視して掴んだ棍棒を構え直した。男もまた、まるでこちらに応じるように手に持つ短剣を構えてくる。

 武王と男は暫く睨み合った後、最初に動いたのは武王の方だった。

 真正面から突撃する武王に、男もまた真っ向からそれを迎え撃つ。

 頭上から振り下ろされる棍棒に応じるのは横向きに構えられた短剣の刃。二つの得物は噛み合った瞬間に鋭い音と共に火花を散らすと、次には斜めに傾けられた短剣の刃によって棍棒の方が男を避けて少しズレた地面へと振り下ろされていった。

 それは見事な受け流しであり、しかし一瞬でも打ち合ったことで男にはそれ相応の衝撃をもたらしたはずだ。受け止めた得物が短剣であったこともあり、もしかしたら短剣を持つ右手は衝撃によって痺れているかもしれない。ここは息つく暇を与えるべきではないと反射的に判断すると、武王はその勢いのままに連撃に移った。

 間をおかず繰り出す攻撃は、その分大振りすることができず一つの攻撃力は小さくなる。振り回している得物がそれなりの重量を持つ棍棒であるため、こちらの腕や手にかかる負担もそれ相応のものになっていた。しかし少しでも間を与えれば目の前の男が何をするか分からない。

 武王自身も意識をしていない中で、先ほど自身を焼いた炎が必要以上に男への警戒心を強めていた。

 武王の激しい猛攻に、男はちょこまかと動きながら短剣を駆使してその攻撃を避け、或いは受け流している。

 二人が繰り広げる激しい戦いに観客たちは大いに盛り上がり、武王や男の名をそれぞれ叫んでは拳を突き出していた。

 

『武王、これは激しい攻撃だぁっ!! ネーグルは防戦一方!! これは武王がこのまま押し勝ってしまうのかぁっ!!?』

 

 意識の端に司会者の声が不意に滑り込んでくる。武王は今もなお攻撃の手を緩めないながらも、司会者の言葉に大きな違和感を膨れ上がらせていた。

 確かに目の前の男は防戦一方に見える。必死に立ち回ってはいるが、こちらを攻撃する素振りすら見せずに防ぐので精いっぱいになっている様だった。

 しかし武王にとってはそれが違和感に思えて仕方がなかった。

 始めの時に男が見せた動きは、まるでこちらの動きを最初から把握しているかのような――最小限の動きで最大限の効力を発揮するようなものだった。

 しかし今の男の動きにはそういったものが全く感じ取れない。

 こちらの動きを先読みするわけでもなく、積極的に攻撃しようという素振りさえ見せない。かといってこちらを観察するような思惑が感じられることもなく、まるで敢えて自身を不利な状況に持っていこうとしているかのようだった。

 侮られている……。

 不意に頭に過ったその考えに、武王は急激に大きな苛立ちが込み上げてきた。

 この男は自分を侮っている。自身の力の気配を隠し、手札も隠し、今もなお本気を出すことなく偽りの戦闘を繰り広げている。

 戦いを何より重んじる武王にとって、それは何よりの侮辱であり屈辱だった。

 武王は攻撃手段を連撃の小さなものから大きなものへと変えて棍棒を振り抜くと、その攻撃を受けて小さくよろめいた男を鋭く睨み付けた。

 

「貴様っ、本気でたたか……!!」

 

『――……今すぐその口を閉じろ』

「っ!!?」

 

 怒りのままに声を上げようとした瞬間、突然すぐ耳元で聞こえてきた声に武王は驚愕に大きく目を見開いた。

 耳元で囁いてきた声は聞き覚えの無い男のもの。

 姿が見えないどころか気配も感じられない声の正体を探して、武王は反射的に周りに視線を走らせようとした。

 しかし……――

 

『妙な動きをするな。そのまま何事もなかったように戦い続けろ』

「っ!!」

 

 再び耳元から聞こえてきた声。

 瞬間、武王の視界は対峙している男のみを映し、身体は独りでに動き始めた。まるでこれまでの戦いの動きをなぞるように腕は勝手に棍棒を振るい、足も勝手に大きく地面を踏みしめて男を攻撃し続けている。

 声を上げることも視線を外すこともできず、まるで操り人形になってしまったかのような自身の状態に、武王は思わずパニックに陥りそうになった。

 しかしその時、目の前の男の顔に小さな笑みが浮かんだのが視界に飛び込んできた。

 すぐにその笑みは消え失せたが、武王は本能的な勘でこの状態が男の仕組んだことなのだと理解した。

 

(――……謀られた……っ!!)

 

 一体どうやったのかは分からない。しかし、今の自身の状態を作り出したのは間違いなく目の前の男なのだろう。

 そう確信した瞬間、武王の中で気が狂うほどの屈辱感が湧き上がってきた。

 しかしどんなに抗おうとしても身体は全くいうことを聞かない。

 武王は只々屈辱に歯を食いしばりながら、独りでに動く身体を制御することもできずにレオナールとの戦闘を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……いやぁ、壮絶ですな。本当に二人とも強い。……いや、武王は亜人だから“一人と一体”って表現した方が良いか?」

「何を呑気なことを言っているんですか。ですが……本当に凄まじい戦いですね。唯の試合とは思えません」

 

 すぐ傍らに控えているバジウッドとニンブルが観戦しながら言葉を交わしている。彼らの会話を意識の端で聞きながら、ジルクニフは一人と一体の試合を注意深く観察するように見つめていた。

 確かに目の前の戦いは凄まじいものがあり、素人目から見ても見事で目を奪われるほどの迫力があった。

 

「だが、私は戦いの専門家ではないから詳しい部分はやはり分からないな……。バジウッド、実際彼らはどのくらい強いんだ? お前たちであれば勝てそうか?」

「いやいや、勘弁して下さいよ、陛下。俺たちじゃ、どちらか一方でも相手するのは難しい。尻尾撒いて逃げるのが吉ですよ。まっ、逃げられればの話ですがね」

「そんなに差があるのか?」

 

 ジルクニフとしては、自身の部下がどちらにも太刀打ちできないというのは少し悔しく感じてしまう。

 何より、そこまでバジウッドたちと実力差があるとは驚きだった。

 

「特に武王はウォートロールですからね。あの治癒能力は侮れません」

「戦士としての腕も相当だしな。……だが、こりゃあ……」

 

 ニンブルの言葉に頷いていたバジウッドが、試合中の一人と一体を見やり小さく首を傾げる。

 厳めしいその顔には怪訝の色が小さく浮かんでおり、ジルクニフはバジウッドの様子に首を傾げた。

 

「どうした? 何か気になることでもあったか?」

「いや……、気のせいかもしれないんですがね……。最初と今とでネーグルの動きが微妙に違うように感じたんですよ」

「動きが違う?」

 

 バジウッドの意外な言葉に、ジルクニフは言葉を鸚鵡返ししながら反射的に目を試合中のレオナールに向けた。未だ武王の攻撃を防ぎ続けている男を見やり、バジウッドが言った言葉について考える。

 しかしいくら男の動きを見て考えても、バジウッドの言う“動きが違う”という言葉に賛同するような感覚は欠片もつかめなかった。

 

「……今は苦戦しているようだから、それで動きが違うように感じたのではないか?」

「う~ん、そうですかね……。いや、やっぱり少し違うような……」

 

 何ともバジウッドらしくない、歯切れの悪い口調。

 ジルクニフは再び小さく首を傾げると、改めて男と亜人へ目を向けた。

 その時……――

 

「「「っ!!?」」」

 

 ジルクニフだけでなくこの場にいる全員が大きく息を呑み、観客たちから悲鳴のような声が上がる。

 まるでジルクニフが目を向けるのを待っていたかのように、膠着状態だった試合が一気に動いて決着を見せた。

 ジルクニフや観客たちの視線の先にいるのは武王とレオナール。棍棒を片手に仁王立ちしている武王の目の前で、レオナールは小さく肩で息をしながら片膝を地面についていた。レオナールの手には刃が折れた短剣が握られており、少し離れた場所には折れた短剣の刃が深々と地面に突き刺さっている。

 武王は持っている棍棒の先をレオナールに向けており、それは正に強者であり、この場の勝者の姿だった。

 

「…っ…! ……俺こそが武王! 俺こそが最強だっ!!」

 

 レオナールに棍棒を突き付けたまま、武王が声高に自身の勝利と強さを宣言する。

 瞬間、闘技場中を包み込む静寂。まるでこの場にいる誰もが目の前の光景や武王の言葉に魅了されたように黙り込み、一拍後、まるで爆発するかのように闘技場中に観客たちの大歓声が響き渡った。

 武王の勝利を喜ぶ者、レオナールの敗北を嘆く者、一人と一体の激戦を称える者。観客の反応はそれぞれだ。しかし何より、この場にいる観客たちは今回の試合に見るからに興奮し、魅了されている様だった。

 ジルクニフは観客たちの姿を見まわし、そこでふと皇城でレオナールが言っていた言葉を思い出していた。

 彼は今回の武王との試合について確かこんな事を言っていたはずだ……。

 

「………なるほど、これこそが“パフォーマンス”ということか」

「陛下?」

 

 不意のジルクニフの呟きに、バジウッドとニンブルが不思議そうな表情を向けてくる。

 ジルクニフは座っている椅子の背もたれに深く背中を預けると、肘掛に右肘をたてて右手の甲に顎を乗せた。

 

「ネーグルが城に来て武王との試合について話していた時、『闘技場の試合は“勝つ”ことよりも、どれだけの“パフォーマンス”が出来るかが重要だ』と言っていたことを覚えているか?」

「……ああ、確かにそんなこと言ってたな」

「陛下、それはつまり……?」

「ああ、恐らくネーグルはわざと負けたのだろう。この試合を大いに盛り上げるために立ち回って最高のパフォーマンスをしたわけだ。バジウッドがネーグルの動きに違和感を覚えたのもそれが原因だろう」

 

 ジルクニフの予想に、バジウッドもニンブルも揃って驚愕の表情を浮かべる。ニンブルの方はその上に困惑の色も浮かべて小さく首を傾げた。

 

「しかし……何故わざと負ける必要が?」

「それは私にも分からない。だが、少なくともネーグルが勝っていたら、この目の前の光景はまた違ったものになっていたはずだ。……どうやら、思っていたよりもあの男は策士のようだな」

 

 皇城で会った時の男の姿を思い出しながら、ジルクニフは面白そうに笑みを深める。

 その鋭い双眸は真っ直ぐにレオナールだけに向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事に武王との試合を終えたウルベルトは、未だ〈完全不可知化〉を解いていないデミウルゴスを引き連れて試合前に使っていた控室に戻っていた。

 控室に置いていた荷物を手に取り、さっさと帰ろうと踵を返す。

 しかしその前に扉の外側からノックの音が聞こえてきて、ウルベルトは思わず歩き出そうとしていた足を止めた。一体誰だ? と訝しみながらも、持っていた荷物を下ろして扉の外へ声をかけた。

 

「……どうぞ」

 

 ウルベルトの声から一拍後、扉が外側から開かれて一人の老人が姿を現す。

 突然の意外な人物の登場に、ウルベルトは思わず小さく金色の双眸を見開いて小さく首を傾げた。

 

「……おやおや、まさかこんなところに来られるとは。一体どういった御用……」

「おおっ! 我が神よ!! やはりここにおられましたかっ!!」

「おいやめろそのテンション……!!」

 

 折角レオナールとしての丁寧な口調で話しかけようとしていたのに、こちらの言葉を遮って大声を上げ始めたフールーダに、ウルベルトは思わず素の口調で静止していた。問答無用でその腕を掴んで部屋の中に引きずり込むと、そのまま素早く扉を閉める。一度深く顔を俯かせて大きな息を吐き出すと、ウルベルトは徐に顔を上げて改めて老人を振り返った。

 

「……あんな誰の目や耳があるかも分からない場所で大声を上げるとは、一体どういうつもりだ?」

「ああっ、申し訳ありません、我が神よ! 無事にお会いできたことでついつい気が高ぶってしまいまして……!!」

「………その自分でもセーブできないテンションをどうにかしたまえ」

 

 悪びれもしないフールーダの様子に頭が痛くなってくる。ウルベルトはもう一度ため息を吐くと、よろよろと部屋の奥へと進んで一人用のソファーにどさっと倒れ込むように腰かけた。

 フールーダの予期せぬ突然の登場に今日一日の疲れが一気に身体に圧し掛かってきたような気がする。

 眉間に皺を寄せて思わずこめかみに指先を添わせるウルベルトに、フールーダは静かに歩み寄って目の前の地面に両膝をついて膝立ちのような体勢になった。

 

「我が神の雄姿を見ようと馳せ参じたのですが、まさかお負けになるとは……。何故本気を出されなかったのですか? あなた様の力を持ってすれば、あのような亜人に勝つなど造作もないことでしたでしょうに……」

「なんだ、見ていたのか。……そういえば皇帝も見に来ていたな。一緒に観戦していたのか?」

「いえ、ジルと行動を共にしては我が神とこのようにお話しする機会は持てないと思いましたので、密かに一般の観客席から観戦しておりました」

「なるほど……」

 

 胸を張って言ってくる老人の姿に、何故か大きな脱力感が湧き上がってくる。

 ウルベルトは力なく頷くと、次には先ほどの老人の言葉を思い出して小さな笑みを浮かべた。

 

「私がわざわざ負けたのがそんなに不思議かね?」

「誰が我が神の敗北を予想できましょうや。今回の試合では見事武王を倒す姿を想像しておりましたが……」

「まぁ、実際、勝とうと思えば勝てたのだがね……。だが、武王に勝ってしまえば次は私が新たな武王として祀り上げられてしまうかもしれないだろう? 私は闘技場の武王など御免なのさ。それに、武王は亜人でありながら帝国の者たちに人気がある。……武王を倒して万が一私の評判が落ちてしまっても困る。ここは微妙なラインで私が負けるのが一番無難なのさ」

「微妙なライン、ですか……。なるほど、それ故のこの度のあの短剣だったのですか」

 

 ウルベルトの説明に思い当たることがあったのだろう、フールーダは納得したように頷くと、次にはウルベルトのベルトに差されている折れた短剣に目を向けた。

 

「我が神の持ち物にしては随分と貧相な短剣をお使いになると思っておりましたが……。なるほど、確かに普通に負けるよりも“使用した得物が折れての敗北”の方が宜しいでしょうな」

「ふふっ、貧相か……。これでも王国の王都でそれなりの価格で売っていた短剣なのだがね。……まぁ、私の持つ多数ある得物の中でも一番貧相ではあるが……」

 

 フールーダの評価に小さく笑いながら、ウルベルトはベルトから折れた短剣を抜き取って目線まで掲げ持った。

 ちょうど中程で見事に刃が折れてしまっているこの短剣は、この試合のためにわざわざ王国の王都で買って用意した物だった。ナザリックやユグドラシルの基準で考えれば確かに“貧相”意外の何物でもない代物ではあったが、この世界の基準で言えば“そこそこ”或いは“それなり”の代物ではあるはずだ。それをこの世界の住人であるフールーダが“貧相”だと評価することが少し可笑しかった。

 

「……ああ、そうだ。お前に頼みたいことがあったのだった。……フールーダ、これを」

 

 そこでふと、フールーダに命じようと思っていたことを思い出し、ウルベルトは隠すことなく空中にアイテムボックスを開いて中から一枚の羊皮紙と一枚の封筒を取り出した。

 フールーダから驚愕に息を呑む音が聞こえてきたが、自分のことを神と崇める彼の前であれば、むしろこのくらいのアピールくらいはした方が良いだろう。

 ウルベルトは緊張に小刻みに震えているフールーダの手に羊皮紙と封筒を渡すと、足を組みながら柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「その羊皮紙に書かれていることを実行せよ。見事役目を果たせたなら、褒美として私の手持ちの魔導書の一つをお前に貸し与えてやろう。因みに、その羊皮紙は内容を確認した後は速やかに燃やすようにな。……あと、その封筒はロックブルズに渡しておいてくれたまえ」

「……はっ、…ははぁっ、畏まりましたぁっ!!」

 

 羊皮紙と封筒を両手で掲げ持って深々と平伏するフールーダに、ウルベルトは一つ頷いてソファーから立ち上がった。荷物を肩に担ぐように持ち、平伏している老人の横をさっさと通り過ぎて扉まで歩み寄る。

 しかし扉の前まで来たところで、ウルベルトはふと足を止めた。

 

「………フールーダ、……お前から見て、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスとはどんな人物だ?」

「……は…、ジルですか……?」

 

 一切振り返らずに唐突に発した問いかけに、背後から困惑したようなフールーダの声が聞こえてくる。

 数十秒の間重苦しい静寂が流れ、不意にフールーダの息を吸い込む音が微かに聞こえてきた。

 

「……ジルは、私にとって可愛い孫のような存在です。歴代の皇帝の中でも特に賢く良い子に育ちました。恐らくあの子以上に、今の皇帝の存在意義を明確に理解し、未来の帝国のために何が必要で何が重要なのかを見据えることができる者はいないでしょう」

「なるほど。……今後の帝国のために……いや、帝国に生きる者にとってジルクニフは必要な存在か?」

「少なくとも、帝国の多くの者がジルを慕い、忠誠を誓っております」

 

 フールーダはウルベルトが何を聞きたかったのか正確に理解して答えた訳ではないだろう。しかしウルベルトにとってはその言葉だけで十分だった。

 

「良く分かった。……今回命じたことについては、達成できたら自分の影に向かって報告しろ。そうすれば、その報告は私の耳に届く」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトは最後までフールーダを振り返ることなく言い放つと、再び足を動かして扉へと近づいた。

 瞬間、間髪をいれずに〈完全不可知化〉をしているデミウルゴスによって扉が開き、ウルベルトはそのまま扉を潜り抜ける。

 人の姿のない廊下を歩きながら、ウルベルトは今後について忙しなく思考を巡らせていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深い闇が支配する深夜。

 武王は身の内に煮え滾る熱を燻らせながら、ただひたすらに静かに“それ”を待っていた。

 今日行われた屈辱的な試合。

 これまでにないほどの怒りを湧き上がらせた武王は、しかし試合後も怒りに任せて暴れるようなことはしなかった。

 それは偏に、試合中に聞こえてきた謎の声が発した言葉が原因だった。

 

『抗うな。レオナール・グラン・ネーグルと本気の戦いをしたいのなら、夜の闇が支配する刻限まで大人しく待つことだ。もし大人しくしていなければ、二度とレオナール・グラン・ネーグルと戦う機会は得られないだろう』

 

 耳元で囁いてきた声は確かに武王にそう言ってきた。ならばどんなに激しい怒りが己の身を焼こうとも、その言葉に従うことを武王は選んだ。

 武王はオスクに与えられた自分の部屋の中で、ただひたすらに訪れるであろう何かの異変を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 それから数刻後……――

 そろそろ大人しく待っているのも限界が来そうになっていたその時、不意に視界の端が黒く塗り潰されたことに気が付いて、武王は反射的にそちらへと目を向けた。

 視線の先にあったのは何の変哲もない部屋の壁。

 しかしよくよく見れば、窓から差し込まれる月明りからの影に紛れるようにして、不自然な楕円形の闇が静かに浮かび上がっていた。

 今まで見たことのない異変の出現に、しかし武王は動揺することなく座っていた椅子から立ち上がった。すぐ側に立て掛けていた棍棒を手に取り、迷うことなく楕円形の闇へ歩み寄る。

 武王は一度闇の前で足を止めると、次には意を決して闇の中へと足を踏み入れた。

 一拍後、闇を潜り抜けた先にあった光景に武王は思わず驚愕に大きく目を見開いた。

 気が付けば、自分が立っているのは建物の中でも帝都の街中でもない。そこは深く草木が生い茂る、見覚えのない森の奥地だった。

 先ほど潜り抜けた楕円形の闇は既にどこにも見当たらず、数十メートル先には多種多様の多くの亜人たちがまるで武王を取り囲むようにして立っていた。

 あまりにも予想外の事態に、流石の武王も焦りを感じ始める。

 無意識に逃げ道を探すように周りに視線を走らせる中、不意に唯一見覚えのある存在が視界に飛び込んできた。

 

「ようこそ、ゴ・ギン。帝国が誇る歴代最強の武王」

 

 まるで武王が気が付くのを待っていたかのように、朗らかにかけられる男の声。

 武王の視線の先に立っていたのは、柔らかな満面の笑みを浮かべたレオナール・グラン・ネーグルだった。

 

 




未だにフールーダやバジウッドの口調が迷子状態です……(汗)
毎度のことながら、違和感などありましたら申し訳ありません……orz

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈蒼炎のベール〉;
第五位階の炎魔法。蒼炎を纏い、接触する対象に炎のダメージを与える。
・“だまし薬”;
摂取しておくと、何かの行動によって効果をなくすアイテムや魔法に対してその行動を取っても一回のみ誤魔化して効果を持続することができる。
今回はデミウルゴスが〈完全不可知化〉の状態で、〈支配の呪言〉を使う度に摂取していた。


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第59話 二度目の対峙

今回はレオナール(ウルベルト)vs武王の二回戦です!
戦闘回が連続で続くとかしんどい……。
私は何を考えているんだ……(汗)


「ようこそ、ゴ・ギン。帝国が誇る歴代最強の武王」

 

 柔らかな微笑を浮かべながら、朗らかな声をかけてくるレオナール・グラン・ネーグル。どこまでもいつも通りなその姿に、しかし彼の周りにいる存在たちによってそれは異様な光景と化していた。

 レオナールの傍らに立っているのは、青い仮面で顔を隠し、腰から長い銀色の尾を垂れさせている異形種だと思われる一人の男。彼らの周りには多種多様な異形たちが十数体控えるように立っており、更にその周辺にはこちらも多種多様な何十体もの亜人の集団が武王を取り囲むような形で立っていた。

 武王を含め、この場にいる完全な人間種はレオナールのみ。

 普通に考えればレオナールは絶体絶命な状況に陥っているはずだというのに、彼はまるでそんなことは微塵も感じていないかのように柔らかな笑みを浮かべ続けていた。

 

「……これは一体……、ここはどこだ? それにこの連中は一体何なんだ?」

「ここはアベリオン丘陵ですよ。彼らは……、まぁ、簡単に言えば私のシモベですかね」

「シモベ? その異形や、亜人どもがか……?」

 

 返ってきた言葉が予想外過ぎて、思わず驚愕に見開いた目でマジマジと男を凝視してしまう。しかしいくら見つめたところでレオナールの姿形が変わるわけでも何かを感じ取ることができるわけもなく、ただ更に疑問が深まるだけだった。加えて、異形たちに関しては見るからにレオナールに配慮しているような態度をとっていることが分かるのだが、一方で亜人たちはと言えばむしろレオナールのことを不審に思っているような雰囲気ばかりが感じ取れた。

 これは一体どういうことかと内心首を傾げる中、まるでこちらの疑問を読み取ったかのようにレオナールは浮かべている笑みを更に深めて小さな笑い声を零した。

 

「まぁ、疑問に思うのも無理はありません。なんせ、私もここにいる亜人たちとは初対面ですからねぇ。ここに到着するのが少々遅れてしまいまして、事前に彼らに挨拶することもできなかったのですよ」

「初対面? お前のシモベであるのにか?」

「正確に言うと、ここの亜人たちを統率しているのは私ではなく、このヤルダバオトなのですよ。そして私はこのヤルダバオトの……そうですね、主人兼親のようなものなので、必然的に彼ら亜人たちも私のシモベになると言う訳です」

 

 “ヤルダバオト”という名前と共に示されたのは、レオナールの隣に立つ仮面の男。

 その短い説明に、しかし武王はなるほど……とすぐに納得した。

 レオナールの口から“ヤルダバオト”という名が出た瞬間、周りにいる亜人たちの雰囲気がガラッと大きく変わったことに武王は気が付いていた。レオナールに対して発していた不審や怪訝や嫌悪の雰囲気から打って変わり、ヤルダバオトに対して発せられたのは畏怖や畏敬といった気配。

 恐らくヤルダバオトはこの場にいる亜人たちを恐怖或いは魅了によって巧みに支配しているのだろう。

 しかし、そんな異形を人間種のレオナールが支配していることについては未だ大きな疑問として武王の中に残っていた。加えて、シモベというだけでなく“親である”という言葉の意味が分からず、更に疑問は深まるばかりだ。

 恐らく亜人たちも武王と同じことを思っているのだろう、レオナールに向ける視線に疑問や困惑の色が宿っている。

 しかしレオナールはそれに気が付いているのかいないのか、呑気に懐から取り出した懐中時計を眺めていた。

 

「さて、時間も限られておりますので、さっさと本題に入りましょうか。あなたは私と再戦するためにここに来た、……間違いないですか?」

「……そうだ。今日の闘技場での試合を俺は認めない」

「ふふっ、勝者が言うのは珍しい台詞ではありますが、……まぁ、その変に真面目なところは嫌いではありませんよ」

 

 レオナールが笑い声と共に言った言葉に、一斉に異形たちから強い視線を向けられて思わず息を詰める。全身に突き刺さる視線が痛く感じられて仕方がない。

 居心地の悪さと大きな威圧感に全身から冷や汗が噴き出るのを感じながら、武王は内心で自身を奮い立たせて大きく胸を張った。

 

「レオナール・グラン・ネーグル、今度こそ本気の戦いをしてもらいたい!」

 

 闘技場での試合ではついぞレオナールの本気を感じ取ることはできなかった。そんな状態で得た勝利など、武王にとっては何の意味もない。レオナールの本気をこの身で感じ、ぶつかり合い、それによって勝利する事こそが意味があるのだ。

 どこか眩しそうにこちらを見るレオナールを見据える中、しかし不意に今まで無言を貫いていた仮面の男が長い尾をゆらりと怪しく揺らめかせながら間に割って入ってきた。

 

「……偽りの名であるとはいえ、御方を呼び捨てにするなど万死に値する。そも、下等生物が御方に願いを口にするなど身の程知らずも甚だしい。……『平伏せよ』」

 

 瞬間、武王は全身に抗い難い重圧を感じて成す術なく地面に倒れ伏した。何とか立ち上がろうと全身に力を込めるが、身体はピクリとも動かない。

 苦痛に顔を大きく歪めながら、武王は闘技場で聞いた声の主がこの仮面の男であったのだと気が付いた。

 恐らくこの仮面の男は、言葉で他者を操ることのできる能力を持っているのだろう。そして、どうやったのかは分からないが、姿を消してレオナールと共に闘技場を訪れ、そのままの状態で武王を操ってみせたのだ。

 

「デ……ヤルダバオト、そのくらいにしておいてあげなさい。今はそんなことをしている場合ではないのだからね」

「……はっ、申し訳ありません。………『自由にしてよい』」

 

 仮面の男の言葉によって、今まで感じていた重圧が嘘のように一瞬で消え失せる。

 武王はよろよろと立ち上がると、改めてレオナールと仮面の男へ目を見やった。

 仮面の男の方は顔が隠れているため分からないものの、レオナールは金色の双眸を真っ直ぐにこちらに向けていた。

 

「ヤルダバオトが失礼しましたね。……そういえば、あなたは試合中も私の本当の力について気にしていましたね」

「……俺は強者こそを求める。それに、偽りで得た勝利など何の価値もない」

「なるほど、潔い考えです。……よろしい。元より、『私に勝てば願いを叶えてやる』と約束していましたからね。あなたの望む通りにしてあげましょう」

 

 レオナールはにっこりと笑みを浮かべると、徐に右手のグローブをとり始めた。

 現れたのは褐色の素肌と薬指以外の全ての指に填められた指輪の数々。

 その一つ……中指に填められている指輪をレオナールは左手の指で挟むように摘まんだ。

 ゆっくりと中指から抜き取られていく指輪。

 そして完全に指輪が中指から離れた瞬間、突然全身を襲った大きな威圧感に、武王は思わず大きく息を呑んで目を見開いた。

 今まで感じ取れなかったのが信じられないほどの大きく強く鋭い存在感。あまりの強さに、武王は心の底から大きな恐怖を湧き上がらせた。

 これは“強者”などではない。

 そんな小さな枠に収まるものではなく、言うなればそれは“逸脱者”或いは“絶対者”と呼ぶに相応しいものだった。

 

「さて……、ではこちら(・・・)も解除しましょうかねぇ」

 

 レオナールが素肌を晒した左手を顔の前に持っていき、まるで『いないいないば~』をするように一度顔の前に翳してからゆっくりと横へスライドさせる。

 瞬間、レオナールの姿が大きく揺らめき、一拍後にはそこには全く違う存在が佇んでいた。

 

「……っ……!!」

 

 武王が息を呑む中、周りの亜人たちもどよめきを上げる。

 そこに立っていたのは“レオナール・グラン・ネーグル”という人間種の男ではなく、にんまりと怪しい笑みを浮かべた山羊頭の異形だった。

 

「………なるほど、人間ですらなかったか……」

 

 思ってもみなかったレオナールの正体に、しかし武王はそれに大いに納得させられた。

 これほどの強烈な気配を発する存在が唯の人間種であるはずがない。人間ではなく異形である方が余程納得ができた。

 

「その通り。先ほどまでの姿は仮のもの。私は正真正銘、異形種である悪魔だよ」

「……悪魔……。……もしや、最近王国の王都で暴れ回ったという悪魔の一人か?」

「おや、すぐにそちらへ考えが至るとは中々に賢い」

 

 最近オスクから聞いた情報を頭の引き出しから取り出して口にすれば、レオナールは金色の双眸を瞬かせて、次には小さく細めた。顔中が毛で覆われているため分かり辛いが、口の端が上がっているように見えるため恐らく感心したように微笑んでいるのだろう。ということは先ほどの言葉は正解か、或いは当たらずといえども遠からずということなのだろう。

 武王は自身の考えに心拍数を跳ね上げさせ、全身を大量の冷や汗で濡らした。先ほどの恐怖と共に大きな緊張感も湧き上がってくる。

 そんな武王の状態に気が付いているのかいないのか、レオナールは徐に小さく首を傾げてじっとこちらを見つめてきた。

 

「……さて、ここで一つ確認なのだがね。私の本当の力については今十分感じ取れているはずだ。その上で、なおも私と戦うことを望むかね?」

「……無論だ」

「今から行われるのは闘技場の試合ではない。つまり、試合などよりも余程死ぬ確率が高いということだ。勿論、君が死んでも生き返らせてやるつもりではあるが、一度でも死ぬというのは恐怖だろう? それでもなお望むのかね?」

「……俺にとっては戦いが全てだ。強敵と戦うのは俺の望みであり願いだ。ここで逃げることは俺自身が許さない」

「……なるほど。君はどこか、私の友人を思い出させるな……」

 

 レオナールの金色の双眸が小さく細まり、何かを懐かしむような柔らかな色を帯びる。

 しかしすぐさま小さく頭を振ってその柔らかな光を消し去ると、次には真っ直ぐにこちらに視線を向けてきた。

 

「君の考えは分かった。しかし正直に言うと、君の望み通りに戦ったところで私には何のメリットもないのだよ」

「……俺の望みは叶えてくれるのではなかったのか?」

「正確に言うと、『私の本当の力を知りたいという願いを叶えてやる』だ。勝ったらその願いを叶えてやると試合中に言っていたからね」

「……ならば、どうすれば俺と戦ってくれる?」

「なに、簡単なことさ。私にも戦った場合のメリットがあるようにしてくれればいい。もし私が戦って勝ったなら、君も私のシモベになってほしい」

 

 心底楽しそうな笑みを浮かべるレオナールは、どうやら自分が負けるとは欠片も思っていない様だ。確かに今もなおヒシヒシと感じ取れる威圧感の持ち主であれば、その自信は尤もであると言えるだろう。

 しかし武王とて曲がりなりにも歴戦の戦士であり、歴代の“武王”の中で最強と称えられる存在である。どんなに絶望的な力の差があろうとも、簡単に負けを認めるわけにはいかなかった。

 

「……良いだろう。ならば俺が勝ったら、お前を貰い受けたい」

「「「……っ……!!?」」」

「……は……?」

 

 武王の言葉に、この場にいる全員が言葉をなくす。レオナールはキョトンとした表情を浮かべ、周りにいる異形や亜人たちは一様に驚愕の表情を浮かべた。

 しかし次の瞬間、異形たちから殺気交じりの強い視線を向けられて武王は反射的に全身を強張らせた。特に仮面の男から煮え滾るような灼熱の殺気を向けられ、一気に呼吸すら困難になってくる。

 周りにいる亜人たちは仮面の男の怒りが恐ろしいのか、誰もが身を縮み込ませてジリジリと後退りを始めていた。

 

「……亜人風情が御身を求めるなど、分を弁えぬ愚者が……。今すぐにその舌を引き抜いて、地獄の炎で内側から焼き尽くしてあげましょうか?」

 

 仮面の奥から発せられた声は、まるで地獄から聞こえる唸り声のように低く厳かで恐ろしい。目に見えるのではないかと錯覚するほどの濃厚な殺気を身に纏う仮面の男に、周りの亜人たちだけでなく異形たちまでもが恐怖に身を縮み込ませた。

 しかしそんな中、ただ一人だけ平然としているレオナールが落ち着かせるように男の肩を軽く叩いた。

 

「いやいや、落ち着きたまえよ、デミ……ヤルダバオト。私を貰いたいというのがどういう意味なのか分からないが、願うことくらい許してやりなさい」

「し、しかし……!!」

「心配せずとも、勝てばいいのだよ勝てば。……因みに、私を求める理由を聞いても構わないかね?」

「………お前を食うためだ。俺は今まで、殺して食うに値する者に会ったことがなかった。だが、自分よりも強いであろうお前を食えば、俺はお前の力を取り込むことができる」

「……ああ、そういう……」

 

 一瞬言っても良いものかと躊躇うが、意を決して嘘偽りのない本心を口にする。瞬間、案の定更に殺気立った仮面の男とは打って変わり、レオナールはあっけらかんと納得したような素振りを見せた。

 そのレオナールの反応にこちらが驚いてしまう。

 しかしレオナールはどこまでも変わらぬ態度でもう一度仮面の男の肩を叩くと、次には改めて金色の双眸をこちらに向けてきた。

 

「よろしい! それでは、互いの所有権を賭けた一対一のPVPを始めましょう!」

 

 まるで何かのショーの司会者であるかのように、レオナールが両腕を広げて高らかに宣言する。

 それに亜人たちは見るからに困惑した表情を浮かべて互いに顔を見合わせながらもゆっくりと後退って武王との距離を広げていった。

 一方異形たちはといえば、誰もが焦ったような表情を浮かべて滑稽なほどにオロオロとしている。特に仮面の男の動揺は激しく、何とか思い留まらせようとレオナールに必死に何事かを言い募っていた。

 しかしレオナールはその度に首を横に振って、素気無く拒否している。

 その姿は正に心配性な従者と、それを軽くいなす主人のものだった。いや、或いは親を心配する子供と、それを諌める親のものだろうか。

 もしかすれば、最初にレオナールが言っていた“親”という言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。正体が悪魔である以上、その年齢も見た目通りとは限らないだろう。もしかすれば本当にレオナールはあの仮面の男の父親なのかもしれない、とふと武王はレオナールと仮面の男のやり取りを眺めながら内心でそんなことを思った。

 

「さてさて、用意は良いかな? ……武器はちゃんと持ってきているようだが……」

 

 何とか仮面の男や異形たちを後ろに追いやったレオナールが、金色の瞳を武王の右手に握られている棍棒に向けながら声をかけてくる。武王もチラッと自身の右手の棍棒を見やると、次には目をレオナールに戻して一つ大きく頷いた。

 これまでずっと自身の命も勇も預けてきた頼もしい武器だが、今はとてつもなく心許なく感じてしまう。しかしそれでも、武王はこの武器以外を使う選択肢を選ぼうとは思わなかった。

 武王の返事に、レオナールも心得たように一つ頷いて返してくる。

 彼の後ろには異形や仮面の男が少し離れた場所で立っており、じっとこちらを静かに見つめていた。亜人たちも誰一人口を開かず、じっと自分とレオナールを注視している。

 暫く続く静寂の時間。

 戦闘開始の合図は仮面の男がするらしく、不意に耳障りの良い声が言葉を発した。

 

「………それではこれより、御方と武王によるPVPを開始します。……始めっ!」

 

 仮面の男が開始の言葉を発すると同時に、武王は地面を強く蹴ってレオナールへ突進した。

 

「〈外皮強化〉〈外皮超強化〉……!!」

 

 突進しながら複数の武技を発動させ、自身の肉体を強化していく。能力を全体的に向上させるものや長時間速度を速めることができる武技を習得していないことに今更ながら後悔が押し寄せてくる。

 しかしないものを望んでいても仕方がない。

 武王の攻撃手段に遠距離のものはなく、武王は愚直に相手との距離を詰めて右手の棍棒を大きく振り上げた。

 闘技場での試合の時と全く同じ攻撃。

 しかし迎え撃つレオナールはあの時とは全く違う動きを見せた。

 棍棒の攻撃を躱されたのは変わらない。しかしレオナールは横に逸れたわけではなく、背中から後ろに倒れるように攻撃を躱してみせた。レオナールは倒れている途中で左腕を頭の方へ伸ばすと、そのまま左手を地面につけて腕一本で身体を支えて綺麗に後方転回した。加えてレオナールは身体の向きが通常の状態になったと同時に、きちんと体勢を整えながらこちらに魔法を放ってきた。

 

「〈酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉」

「……っ……!! 〈流水加速〉!!」

 

 放たれたのは治癒困難な酸の魔法。

 咄嗟に武技を発動させてギリギリで避けることに成功するも、ホッとしたのも束の間、気が付けば更なる攻撃が既にこちらに牙を向いていた。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 突如出現した白い雷がまるでのたうつようにレオナールの肩口から手へと這い動き、次には突き付けられた人差し指からこちらへと勢いよく襲いかかってきた。

 予想外の攻撃に対処が間に合わない。

 幸い攻撃の種類は酸でも炎でもないため、武王は避けるのは諦めて耐えることを選択した。

 

「……っ……!!?」

 

 瞬間、全身を襲う凄まじい衝撃と激痛。まるで木の根のように全身を駆け巡って肉を引き裂き焼き焦がす雷に、武王は声すら出せずに地面に膝をついた。

 攻撃が止んだ後も全身が痺れて身動ぎすることすら難しい。

 何より、いつもであればすぐさま発動するはずの治癒能力の動きがひどく鈍いことに武王は困惑した。

 治癒能力は働いてはいるが、その速度があまりにも遅い。いや、場所によっては治癒能力が効いていないところも幾つかある。

 一体どういうことかと武王は自身の身体に起こった事態にひどく混乱し、恐怖すら湧き上がらせた。

 

「………いった、い…これ……な、ぜ………?」

 

 無意識に疑問の言葉が口から零れ出る。

 未だ痺れている身体に立ち上がることができない中、レオナールが余裕綽々と言った様子で数歩こちらに歩み寄ってきた。

 

「ふむ、そんなに不思議なことかね?」

「……お、れ……ゴホッ……俺、は……雷であれば、治癒が効くはずだ……」

「同レベル以下の相手の攻撃であればそうだろうねぇ。しかし相手とのレベルの差が大きければ、それも違ってくるということさ」

「……どういう、いみ…だ……?」

 

 レオナールの言葉の意味が分からず、戦いの最中だというのに疑問の表情と共に無意識に聞く体勢になる。

 何が楽しいのか、レオナールは満面の笑みを浮かべながら小さく首を傾げてみせた。

 

「雷は言うなれば膨大なエネルギーが目に見える形になったものだ。そして膨大なエネルギーは熱を生み、対象を焼き焦がす。雷攻撃は感電からの肉体の痺れが強調されがちだが、そもそもは膨大なエネルギーによる熱が真っ先に来る。そして雷の魔法自体のレベルや魔法を発した者のレベルが高ければ高いほど、そのエネルギーも熱も大きなものになる」

「……………………」

「私の友人の一人が君の同類を捕まえていろいろと実験をしていてね。どうやら魔法攻撃を行う者と攻撃を受ける者とのレベル差が大きければ大きいほど、攻撃を受ける側は魔法の根本的な原理や作用も大きく影響されるらしいのだよ。つまり、氷を受ければ肉体は凍って壊死するし、雷を受ければ感電だけでなくエネルギーの熱によって肉体が焼けてしまうのも道理と言う訳さ」

「………つまり、俺とおまえと、では…それだけの能りょく差が、存在する……と……」

「そういうことだ。君にとっては不幸なことにね……」

 

 にこにこと楽し気に明るかった笑みが、武王の確認の言葉によってじんわりとした染み込むような深い微笑に変わる。

 武王はレオナールの変化した笑みを見つめながら、しかしなおもグルグルと大きな疑問を脳内に渦巻かせていた。

 レオナールの言うことは分かった。彼の言う説明は納得できるものであったし、武王とて自分とレオナールとでは抗えないほどの能力差があることは今もなおヒシヒシと全身で感じられているため反発心も湧かない。

 しかし、だ……。逆に考えれば、何故それほどの能力差があるはずの自分がレオナールの攻撃を諸に受けてこの程度にしかダメージを受けていないのか……。

 瞬間、頭に浮かんできた“答え”に武王は大きく顔を歪めてレオナールを睨み上げた。

 

「……貴様、手加減をしているな!? 本気の力を見たいと言っているだろう!!」

 

 漸く痺れが抜けてきたため、回るようになった舌で声を張り上げる。

 激しい怒りを爆発させる武王に、しかし返ってきたのはレオナールの困ったような苦笑だった。

 

「いやいや、そうは言ってもだね。私が本当に本気を出したら一瞬で消し炭になるぞ」

 

 苦笑と共に発せられた声はどこまでも平坦で穏やかなもの。虚勢の音もなければ誇る気配もない、どこまでも当然のことを言っているような声音。

 いや、事実レオナールにとっては当然のことなのだろう。

 しかし武王とて引く気はなかった。

 レオナールが本気を出すことで自分が死んだとしても構わない。例え死ぬと分かっていても、武王はどうしてもレオナールの本気をこの身で感じたかった。強さの頂点をどうしても知りたかった。

 

「今更死ぬことなど怖いものか。……頼む、俺はどうしても強さの頂点を見たいのだ!」

 

 プライドも何もかもを投げ捨てて一心に頼み込む。

 それだけ武王は本気であり、必死だった。

 レオナールは暫くの間、静かにじっと武王を見つめていたが、次には小さく細く長いため息のような息を吐き出した。

 

「……はぁ、そこまで言われてしまっては仕方がないな。ただし、私が本気を出せばお前は一撃で死ぬことになる。私の力の一端も感じ取ることができずに死ぬかもしれない。そのことについての苦情は受け付けないから、そのつもりでいるように」

「……………………」

「あと、私が使える最上級の魔法はここら一帯を吹き飛ばすほどの威力があるから今回は使わない。その代わり、生き返って私のシモベとなれば見せてやるのも吝かではないから、そこは楽しみにしていると良い」

 

 再びにっこりとした笑顔付きで言われた言葉に、武王は思わず呆けた表情を浮かべた。

 言われた言葉を脳内で何度も反復し、意味と真意を理解しようと何度も何度も噛み砕く。そして漸くその言葉の全てを理解した時、武王は内心で苦笑を浮かべた。

 レオナールの言葉に込められていたのは、真実と忍耐と希望と念押し。

 本気の魔法を使えばここら一帯が吹き飛ぶという言葉は真実なのだろう。そしてそれを餌に、シモベとなることを強要しているのだ。

 いや、強要という言葉は正しくないのかもしれない。

 つまり今から死ぬであろう自分に『シモベとなれば最強の魔法が見られるかもしれない』という希望を持たせ、蘇生を拒まないように釘を刺しているのだろう。

 そんなことをせずとも約束は守るというのに……と内心で少し呆れる。

 しかし異形たちの存在からその感情が表情に出ないように気を引き締めると、武王はこちらの返事を待っているレオナールへ強く大きく頷いてみせた。

 

「よろしい。それではかかってきたまえ。お望み通り、一撃で沈めてあげよう」

 

 にっこりとした表情に反し、突き出た山羊の口から零れ出るのは物騒な言葉。しかし武王はその言葉に怯むことはなく、一つ大きく頷いて立ち上がった。先ほどの雷の攻撃で治癒できなかった部分が引き攣れて痛みが生じ、動きも少し鈍いものになる。

 しかしそんなことに構っている場合ではない。

 武王は痛みを訴える身体を無視すると、右手に握り締めている棍棒を一度大きく素振りした。ブォンッと大きく鳴り響く空気を裂く音はとても鋭く力強い。

 武王はその音を確認すると、改めて目の前のレオナールを力強く見つめた。

 

「準備はできたかな? 私はいつでも構わないから、君のタイミングでかかってくると良い」

「……そうか……。……ならば、ゆくぞ!」

 

 武王は一つ大きく鋭く息をつくと、ほぼ同時に強く地を蹴ってレオナールへ突進した。

 呑気にこちらを眺めているレオナールは動く気配を見せない。

 武王はレオナールの目の前まで難なく迫ると、強く足を踏み締めて下に向けていた棍棒を勢い良く振り上げた。

 下から上へと襲い掛かる棍棒。

 しかしレオナールは数歩後退って難なく棍棒を躱してみせた。静かな瞳で見つめてくるレオナールに、武王は棍棒を握りしめている手に力を込めた。

 

「〈剛撃〉!!」

 

 振り上げた状態の棍棒を、武技の発動と共に次は勢いよく振り下ろす。更にひらりと躱すレオナールに、しかし武王は諦めることなく攻撃を繰り返した。振り上げ、振り下ろし、時には横薙ぎも交えながら何度も何度もレオナールへ棍棒を振るう。レオナールはその度にステップを踏むようにひらりひらりと躱していたが、徐々に立ち位置は移動していき、ある一点に足を踏み入れたのを確認した瞬間に武王は大きく棍棒を振り上げた。

 レオナールが踏み締めた場所は、地面に刻まれた大きな窪み。

 レオナールの方はその窪みの存在に気が付いていなかったのだろう、ガクッと細身の身体がバランスを崩す。

 攻撃を繰り返しながら密かにそこまで誘導していた武王は、その機を逃すことなく勝負に出た。

 

「〈神技一閃〉っ!!」

 

 棍棒に武技を乗せ、一気にレオナールへ振り下ろす。

 棍棒がレオナールに触れようとした瞬間、目の前の山羊の顔にニヤリとした笑みが浮かんだのが見えた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

「っ!!?」

 

 魔法の詠唱と共に掻き消えるレオナールの姿に、武王は思わず驚愕に目を見開く。どこに行ったのかと咄嗟に周りに視線を走らせ、視界に飛び込んできたその姿に武王は思わずギクッと身体を強張らせた。

 レオナールがいたのは武王が立っている場所から5メートルほど離れた地点。

 レオナールは足を揃えて優雅に立っており、まるでこちらを招いているかのように両腕を軽く広げていた。

 そしてその身体に纏わりつくように踊っているのは大きな青白い魔法陣。

 思わず目を奪われる武王を気にした様子もなく、レオナールは妖しい笑みを浮かべたまま詠唱の言葉を紡いだ。

 

「……出でよ、雪と氷の女神。〈女神の抱擁(スカディ・エンブレイス)〉」

 

 レオナールの言葉が響くと同時に魔法陣が強い光を放って光の粒子となって霧散する。四方に飛び散った光の粒子は少しの間空中を彷徨った後、巨大な渦を巻いてレオナールの背後に集まっていった。

 そして姿を現したのは、白い霧のような巨大な女神。

 粒子で形作られているためその姿は酷く朧げではあったが、頭のティアラやその下から垂れる長いベール、細く長い両腕に纏わりつく長い袖の形は何となく見てとれる。

 女神はじっと武王を観察するように見つめると、次には両手を広げて白い冷気を纏わりつかせながらこちらに迫ってきた。

 

「っ!!?」

 

 宙を泳ぐように飛んでくる女神は、その巨体に反して非常に速い。

 一拍後には既に目と鼻の先にまで迫っていた女神は、広げていた両腕を武王に伸ばし、まるで愛しい子供を抱きしめるように巻きつけてきた。女神の纏う長い袖やベールもふわりと武王の全身を包み込み、耐えがたい冷気が襲いかかってくる。

 武王の目の前にあるのは女神の朧げな顔と、それを形作る白い粒子のみ。

 武王は驚愕の表情を浮かべたまま、女神の腕の中で氷の彫像へと成り果てていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い冷気を撒き散らしながら消えていく女神を眺めながら、レオナール――ウルベルト・アレイン・オードルは誰にも気づかれないようにそっと小さく息をついた。ざっと素早く視線を周りに走らせれば、どの亜人も呆然とした表情を浮かべて凍ったまま死んだ武王を眺めている。

 ウルベルトも再び視線を武王に戻す中、不意に背後からデミウルゴスたちが歩み寄ってきた。

 

「流石はウルベルト様、お見事でした」

 

 嬉々とした笑みを浮かべながら声をかけてくるのはデミウルゴス。何がそんなに嬉しいのかブンッブンッと長い尾を振っている悪魔に小さく苦笑しながら、ウルベルトはデミウルゴスの更に背後にいる存在へと目を向けた。

 

「……さて、それでは早速彼を蘇生してくれるかな、ペストーニャ」

「畏まりました、わん。ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 ウルベルトに呼ばれて進み出てきたのは犬頭の一人のメイド。

 ペストーニャは一度深く頭を下げると、一糸乱れぬ動きで武王の元へ歩み寄っていった。武王に向けて軽く両手を翳し、一拍後に緑色の魔法陣が出現する。

 まずは今の状態をどうにかするべきと判断したのか、彼女は武王の凍結状態をまず解除したようだった。凍結状態であったために死してなお仁王立ちになっていた武王の肉体が力なく頽れる。しかし武王の巨体は無様に地面に転がることはなく、ペストーニャの細腕にしっかりと抱きかかえられてゆっくり丁寧に地面へと横たえられた。

 ペストーニャは武王の状態を確認すると、再び両手を巨体の前に翳して詠唱を唱え始める。

 蘇生と治癒の魔法を重ねて施している彼女の姿を見やり、ウルベルトは背後にデミウルゴスや悪魔たちを従えて彼女たちの元へと歩み寄っていった。ペストーニャのすぐ傍らで足を止め、立ったままの状態で横たわっている武王の顔を覗き込む。

 蘇生魔法は既にかけ終わっており、武王は無事に死から舞い戻っている筈だ。見る限りでは未だ意識を失っているようだが、ピクピクと閉じている瞼が時折動いていることから目覚め自体は近いのかもしれない。

 〈女神の抱擁(スカディ・エンブレイス)〉で出来たものだけでなく、〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉で出来た傷をも律儀に癒しているペストーニャの仕事ぶりを眺める中、武王の閉じていた目が漸くゆっくりと開き始めていることに気が付いてウルベルトは再び視線を武王の顔に戻した。ぼんやりとした様子ながらも困惑したように小さく視線を彷徨わせる武王に、ウルベルトは上体を屈めて更に彼の顔を覗き込む。

 ウルベルトの影が武王の顔に落ち、それに気が付いて武王がこちらに視線を向けてきた。

 武王の瞳とウルベルトの不気味な金色の瞳が真正面からかち合う。

 思わずといったように驚愕の表情を浮かべる武王に、ウルベルトはワザとらしいまでにニッコリとした笑みを浮かべてみせた。

 

「……改めて、ようこそ、ゴ・ギン。我が新たなシモベよ」

 

 呆然としている闘技場の王者に、悪魔はニヤリとした笑みを浮かべた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層にある住居エリア。

 至高の四十一人の私室が並ぶこのエリアにて、シモベの中で唯一自身の部屋を与えられたアルベドは、その部屋の中でエントマや恐怖公と共に入れ代わり立ち代わり入出してくる影の悪魔(シャドウデーモン)たちの対応に追われていた。

 今彼女たちが着手しているのは“ヘイムダル”としての仕事。

 “ヘイムダル”の主な仕事内容は、情報入手と整理だけでなく情報操作などの裏工作全般をも受け持っている。そのため、ウルベルトが正式に“ヘイムダル”を組織化した日から彼女たちは毎日忙しい日々を送っていた。

 しかし彼女たちの表情には一切不満も疲れの色も浮かんではいない。あるのは強い使命感と、至高の主たちの役に立てるという嬉々とした光のみだった。

 

「――……こちらはこれで良さそうね。モモンガ様が仰られていた“蒼の薔薇”への計画は予定通り進んでいるのかしら?」

「はいぃ~、問題なく準備は整ってますぅぅ。ご命令頂ければ、すぐにでも動かせますよぉ~」

「そう、それなら良かったわ。それでは次に、帝国と王国についてだけれど……――」

 

 エントマの報告に満足そうに頷き、次に違う案件へとすぐさま移る。アルベドはテーブルに並べられている大量の羊皮紙の中から幾つか手に取ると、中身にざっと目を通して部屋の隅に控えるように立っている幾体もの影の悪魔の内の何体かを手指で呼び寄せた。すぐさま目の前まで進み出て片膝をつく影の悪魔たちを見やり、次々と命を下していく。

 影の悪魔たちは指示を受けた順から次々と退出していき、アルベドは一通り指示を出し終えた後に小さく息をついた。

 

「これでこちらも問題ないわね。今頃フールーダ・パラダインがウルベルト様の命を受けて皇帝を動かしているはずだから、こちらも歩調を合わせる必要があるわ。エントマ、恐怖公と連携して噂を流しながら“八本指”たちにも指示を出してもらえるかしら?」

「畏まりましたぁ~」

「おや、守護者統括殿、吾輩は動かなくても良いのですかな?」

「あなたは良いわ。大体、あなたは今の彼らにとってトラウマになっているのだから、できるだけ姿を見せないようにして頂戴」

「承知しました」

 

 アルベドの手厳しい言葉も何のその、恐怖公は気にした様子もなく一つ頷くように長い触角を動かしている。

 その様に思わずゾワワッと鳥肌をたたせながら、アルベドは努めて表情にまでは出さないように表情筋に力を込めた。

 本音を言えば、恐怖公をこの部屋に招くことさえ断固拒否したいところなのだ。口調が多少厳しくなるくらいは許してもらいたかった。

 アルベドは気を取り直すように一度咳払いをすると、改めてエントマと恐怖公に目を向けた。

 

「それから、つい先ほどウルベルト様より追加の任を仰せつかったわ。と言っても実際に任が執行されるまでにはもう少し諸々の準備が必要だから、これに関しては取り敢えずは私の方で対処していきます。また話が進めばあなたたちにも伝えようと思っているから、その時はよろしく頼むわね」

「おや、守護者統括殿だけで大丈夫なのですかな? 仰っていただければいつでも何匹でも我が眷属をお貸しいたしますが?」

「……いいえ、結構よ。これは繊細な案件だから、準備にもそれ相応のモノが対応する必要があるのよ。……その気持ちだけ受け取っておくわ」

 

 心から心配してくれている言葉だと分かるだけにアルベドは丁寧に断りの言葉を口にするものの、その顔は微妙に引き攣っている。

 アルベドはもう一度大きく咳払いをすると、一つ深呼吸してから真剣な表情をその顔に浮かべた。

 

「理解していると思うけれど、これからは一層わたくしたちの役割は重要なものになってくるわ。各自気を引き締めて各々の役割にあたって頂戴」

「はい~、畏まりましたぁ~」

「承知しました。我が眷属たちにも漏れなく伝えましょうぞ!」

「……それじゃあ、私はこれからモモンガ様の元へ向かうわ。後のことはお願いね」

 

 恐怖公の言葉に一瞬彼の眷族たちの姿が脳裏に浮かびそうになり、アルベドは慌ててそれを振り払う。再び襲ってきそうだった悪寒を何とか追いやると、アルベドは半ば無理矢理愛しい至高の主たちの姿を頭の中に思い浮かべた。

 途端に身体中が熱くなり、幸せな気持ちが溢れてくる。

 アルベドは二人に軽く声をかけると、そのまま素早い動作で椅子から立ち上がった。そのままさっさと部屋を出るべく足を動かす。

 これからこの目に映すことができるだろうモモンガのことを思い浮かべ、アルベドは豪奢な廊下を歩きながら恍惚とした笑みを浮かべた。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈女神の抱擁〉;
第九位階の氷結魔法。出現させた氷の女神が冷気を撒き散らしながら襲いかかってくる。囚われれば最後、問答無用で抱擁を受けて氷漬けにされる。


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第60話 新たな展開

お気に入り件数、4000件突破!
ありがとうございます! ありがとうございます!!
まさかここまでくるとは……感無量……(感動)
これも応援して下さる皆さんのおかげです!
これからも当小説を宜しくお願いします(深々)


 ドアを開けた途端、視界に飛び込んできた光景にラキュースは出そうになったため息を咄嗟に呑み込んだ。

 “漆黒”一行と“クアエシトール”一行と共にカルネ村を訪れたラキュースたちは、カルネ村で一晩を過ごしていた。目的のレオナールに関する情報収集はうまい具合には進まず、時間は無益に過ぎて次の日の夜明けを迎えていた。ラキュースの心情としてはもう少しこの村に留まって情報収集を行いたいところだったが、ラキュースたちとて名のあるアダマンタイト級冒険者。他の仕事を放っていつまでも一つ処に留まっている訳にはいかない。

 後ろ髪を引かれる思いで一晩世話になった家の扉を開いたというのに、目に飛び込んできた霧が立ち込める景色に一層気分が一気に落ち込んでいく。暗雲が立ち込める空からはシトシトと細かな雨が降っており、宙を漂う霧を更に濃いものにしていた。

 

「……おいおい、こりゃあひでぇ天気だな」

「っ!? ……ガガーラン」

「明け方から降っていたからな。今後も降り続くようならもっとひどい霧になるかもしれん」

「霧があると見通しが悪くなる。すなわち外に出るのは危険」

「油断は禁物。いつも以上に警戒するべき」

 

 ガガーランに続いて次々と“蒼の薔薇”の面々が部屋の奥から出てくる。突然の登場に最初こそ驚いたものの、メンバー全員が出てくる頃にはラキュースも跳ねていた鼓動を落ち着かせていた。再び白くけぶる景色に目を戻すと、次には雲が立ち込める空へと視線を移した。

 

「確かに雨がやむ気配はないし、この状態が続けば霧も深くなるでしょうね……。モモンさんたちもいるとはいえ、いつも以上に注意して戻りましょう」

 

 ラキュースの言葉に、他のメンバー全員が一様に大きく頷いてくる。彼女たちは各自自分の荷物を抱えるように持つと、ラキュースを先頭に家の外へと足を踏み出していった。

 途端に水気を帯び始める装備や衣服に不快感を覚えながら、ラキュースたちは自然と足早に村の広場の方に歩を進めていく。

 広場には既に荷馬車が準備されており、その周りには“漆黒”のメンバーや“クアエシトール”のメンバー、ンフィーレア、そして村の人々も集まっていた。

 

「モモンさん、遅くなってしまって申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。我々も少し前に来たところですので」

 

 この場の代表ともいえるモモンに謝罪すれば、モモンは小さく頭を振ってやんわりとフォローしてくれる。

 恐らくこの大らかさも彼が英雄と呼ばれる大きな要因の一つなのだろう。後ろにいるイビルアイが感動したように小さく打ち震えているのが良い例である。

 ラキュースは短く礼を言うと、改めてカルネ村の人々の方へと顔を向けた。

 

「皆さん、お騒がせしました。村長さんも昨晩は泊めて下さって、ありがとうございました」

「いえいえ、とんでもない。またいつでもいらしてください」

「ありがとうございます。また近くまで来たら寄らせて頂きます」

 

 満面の笑みと共に歓迎され、こちらも自然と笑みが浮かんでくる。ラキュースはチラッとマーレを見やると、しかしすぐに視線を外した。

 本音を言えばもう少し粘ってみたいところではあったが、しかししつこくし過ぎて嫌われてしまっては元も子もない。何より、マーレの口からレオナールへ自身の行動が悪く伝わるのはどうしても避けたかった。どちらにしろマーレから情報を聞き出すためには、それなりに時間がかかるだろう。ならばここで無理に粘って印象を悪くするよりも、一時引いて時間を空けてから再度出直した方がマーレの中の印象も少しは良くなるはずだ。

 

(……そう、これはあくまでも計画的撤退であって、ネーグルさんに嫌われたくないとか、そんな浮ついた理由じゃないんだから。そう、大丈夫なはずよ。皆だって賛同してくれたし、私の判断は間違っていないはず……!)

 

 心の中で無駄に長々と言い訳を呟きながら、ラキュースは荷馬車に乗ったンフィーレアを見上げた。

 

「それでは、そろそろ出発しましょうか」

「そうですね。あまり遅くなってしまっては、エ・ランテルに着くのが遅くなってしまいますし……。出発しましょう」

「カルネ村の皆さん、お世話になりました」

「バレアレ君、それに冒険者の皆さんも、またいつでもいらしてくださいね」

「気をつけてな」

「ンフィー、元気でね!」

 

 カルネ村の者たちと、この村に残る“クアエシトール”の面々がそれぞれ声をかけてくる。

 ラキュースたちはそれに応えながら、この場所からでもよく見える大きな門へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モモンガはナーベラルとハムスケ、そしてンフィーレアや“蒼の薔薇”のメンバーたちと共に街道を歩きながら、ひたすらエ・ランテルを目指していた。

 明け方から降り続いている雨は止む気配もなく、かといって強まる気配もまたなく、ただシトシトと空気をけぶらせている。立ち込める霧はなおも濃度を増し、今や目と鼻の先の距離であろうと視界がうまく効かなくなっていた。異形種であるモモンガにとってはそれでも問題はなかったが、唯の人間である“蒼の薔薇”のメンバーにとっては相当油断ならない状況だろう。

 現に“蒼の薔薇”たちの足取りは徐々に慎重でゆっくりとしたものに変わっている。歩調が全く変わっていないのはイビルアイくらいだった。

 

「……今日の霧は本当にすげぇな。すぐ先すらまともに見えねぇ。こりゃあ気が抜けねぇぞ……」

「ええ、本当に……。みんな、油断せずに進みましょう」

 

 ガガーランの呆れたような声に、ラキュースも大きく頷いて仲間たちに声をかける。

 それに他のメンバーもそれぞれ頷く中、不意にそれらに反応するかのように霧の奥でぼんやりとした影が徐に浮かび上がってきた。

 最初に気が付いたのはモモンガで、それから一拍後にモモンガの隣を歩いていたナーベラルも影の存在に気が付く。彼女が数秒影を凝視した後にこちらを見上げてきたその時、不意にイビルアイの鋭い声が聞こえてきた。

 

「おい、前方に何かいるぞ! 注意しろ!!」

 

 イビルアイの警告の声に、途端に“蒼の薔薇”のメンバー全員が歩みを止めて戦闘態勢をとる。前方を睨み付ける彼女たちの視線の先で黒い影は徐々に濃くなり、またその数もどんどんと増えていっていた。

 

「……おいおい、こりゃあマズいぞ。相手が何にせよ、こう視界が悪いとまともに動けねぇ」

「……そうね。あちらがまだこちらの存在に気が付いていないのなら回避するのが一番いいと思うわ。みんな、ゆっくり後ろに下がって……」

「いや、それは既に遅いようだ」

「っ!? ……モモンさん?」

 

 一体どういうことかとこちらを見上げてくるラキュースに、モモンガは無言のまま顎で謎の影を示してやる。彼女たちはつられるようにして再び前方に視線を向け、しかしどうやらモモンガが言いたいことは全く分からなかったようだ。再び疑問の視線を向けてくるのに、しかしモモンガは彼女たちに視線を向けることなく前方の影を凝視する。無言のまま影の様子を観察しながら、モモンガはその正体について思考を巡らせた。

 前方の影たちは十中八九アルベドたちが用意したナザリックの手のモノたちだろう。しかしモモンガもその正体までは知らされておらず、一体何を出してきたのかと興味深く影を眺めていた。

 

「……影の正体が何であるにしろ、もし霧の影響を受けていないのならこちらの存在には既に気が付いているはずです。逆にもし霧の影響を受けているのなら、あんなによどみなく動くことはできないはず。あの影たちは真っ直ぐにこちらを目指して進んできている。であるなら、相手は霧の影響を受けておらず、且つ既にこちらの存在に気が付いていると考えた方が妥当でしょう」

「……なるほど、確かに」

 

 視線はそのままに指摘してやれば、ラキュースから納得したような声が聞こえてくる。

 ラキュースは少しの間考え込むような素振りを見せた後、次には自身の仲間たちへと視線を巡らせた。

 

「ティア、ティナ、影の正体と規模が知りたいわ。できるだけ距離を取りながら探ってきてくれる? その代わり無理はしないように、危険だと思ったらすぐに引いてきて頂戴」

「了解」

「任された」

「イビルアイは魔法の準備を。その間何が起こっても良いように私とガガーランで壁になるわ」

「……分かった。魔法の種類はこちらで判断して構わないな?」

「ええ、勿論よ。任せたわ」

 

 ラキュースの指示に従って次々と“蒼の薔薇”のメンバーが動き出す。

 モモンガは無言のままそれらを見つめながら、内心では彼女たちの迅速な行動に感心していた。

 リーダーの判断能力と決断までの速度、リーダーに対する信頼、役割への自己認識の高さ。流石はアダマンタイト級冒険者というべきか、“蒼の薔薇”には個々の強さだけではないチームとしての強みもしっかりと持ち合わせているようだった。

 

(ふむ……。やっぱりこう見ると今後は個々の強さだけでなく、チームとしての強さも高めていく必要があるのかもしれないな……。)

 

 チームというのは何も人数の多さや手数の多さだけが強みなのではない。いくら人数が多くても、互いに足を引っ張り合えば個の方が断然有利になる。

 ここでモモンガが重要視しているのは、言うなれば“チームワーク力”というものだった。

 とはいえ、モモンガとて自分とペロロンチーノとウルベルトの三人でのチームワーク力については一切心配はしていない。自分たちは互いに互いの事を十分理解し合っていると思うし、三人であればどんな強敵であってもある程度は対応することができると自負している。

 しかしここでモモンガが懸念しているのは、自分たち全員が後衛職であり、前衛職が一人もいないということだった。

 通常、全員が後衛職であるチームなどあり得ない。ロールプレイでの“遊び”としての拘りであれば話は別だが、そうでなければ後衛職オンリーのチームなど普通は組むことすらないだろう。後衛職は相手との間合いが命であり、壁となる前衛職がどうしても必要になってくるのだ。

 とはいえ、安易にそこら辺の前衛職を自分たち三人の中に組み入れるのも考えものだった。

 例えばナザリックの前衛職NPCを自分たちのチームに加えたとして、果たして通常に機能するかと問われればモモンガとしては甚だ疑問だった。

 そしてもう一つ、ナザリックのシモベたちだけのチームを作ったとして、どこまでチームワーク力を発揮できるかも問題だった。

 当然ではあるが、NPCたちはこれまでチームを組んでの戦闘の経験が全くない。それは仕方がないことではあるが、しかし今後何が起こるか分からない中でそういった経験不足は命取りになりかねないように思われた。

 自分たち三人組のチームに前衛職のNPCを加えた場合、何がどこまでできるのか。

 全員NPCだけのチームを組んだ場合、どこまでの連携が取れてどこまでの力を発揮できるのか……。

 

(う~ん、今後はチームでの戦闘訓練とかもどんどんしていく必要があるかもしれないな。今度ペロロンチーノさんとウルベルトさんにも相談してみよう。)

 

 いつまで経ってもやることが山積みだな……と内心ため息を吐く。しかしその一方で、少しワクワクしている自分もいた。

 やはり仲間たちと一緒に何かを取り組むというのはモモンガにとってはとても特別なことだった。少し想像しただけでも心が浮足立つ。

 モモンガは浮かれ始めている自身の心に内心で激しく頭を振ると、今は目の前のことに集中するべく気を引き締めた。

 悶々と考え込んでいる間にそれなりの時間が経っていたのか、気が付けばぼんやりと見えていた影は随分と近くはっきりしてきている。

 モモンガはハムスケにンフィーレアを守るように指示を出すと、自身は背中のグレートソードを手に取ってまるで霧を切り払うように勢いよく抜き払った。

 瞬間、大きな風圧に霧の一部が吹き飛ばされる。一瞬視界の一部がクリアになり、その隙間から影の一部が露わとなった。

 見えたのは黒く禍々しい布や鎧のようなものの一部。

 しかし例え一部分だったとしても一目で相手が異形であると分かるそれに、ラキュースたちが大きく息を呑んだのが分かった。

 

「――……鬼ボス、ヤバい、早く逃げた方が良いっ!」

「化け物たちが迫ってきてる! 軽く考えてもヤバいレベル!」

「ティア! ティナ! 何が迫ってきているの!?」

 

 その時、不意に霧の中から忍者の双子がこちらに突っ込んできた。いつもは飄々とした表情を浮かべている双子の顔が、今はどちらも厳しく強張っている。

 一体何を見たのかと身を乗り出すラキュースに、しかし双子が再び口を開く前に影たちが完全に霧の奥から姿を現した。

 

「「「っ!!?」」」

「………ほう……」

 

 目に飛び込んできた“それら”に“蒼の薔薇”たちは大きく息を呑み、モモンガの口からは小さな声が零れ出る。

 しかし幸いなことにその声は誰の耳にも届かなかった。いや、この場合は聞く余裕が誰にもなかったと言うべきか。しかしそれは仕方がないことだった。

 霧の中から姿を現したのは幾体ものアンデッドの行列。

 黒いベールで顔が見えない修道女のようなアンデッドに、青白い炎を纏ったアンデッドの馬に乗った黒騎士。ボロボロの黒い旗を担ぐように持った骸骨。小さな鐘を垂らして鳴らすローブ姿のアンデッドに、緑色の炎が宿るランタンを揺らめかせるアンデッド。中には枯れ果てた黒い花弁を撒き散らして奇声のような歌声を響かせる異形すら行列に加わっていた。

 正に西洋版の百鬼夜行とでもいうべきか。

 中でも彼女たちの視線を釘付けにしたのは行列の先頭を歩く一体のアンデッドだった。

 

「……あれは、一体……なに………?」

 

 ラキュースの小さく震える声が聞こえてくる。

 どうやらアンデッドの正体を知らないようで、“蒼の薔薇”のメンバーはイビルアイ以外の全員が恐怖と緊張に身体を強張らせていた。イビルアイは仮面で表情は分からないものの、しかし警戒を強めたことは気配で分かった。

 無意識の反射的な行動なのだろう、“蒼の薔薇”たちは一様に数歩後退って街道を離れると、まるで身を隠すように草原の中で身を屈めた。モモンガも無言のまま彼女たちに従い、馬車を降りたンフィーレアを伴って街道を離れる。同じように彼女たちのすぐ傍らで身を屈めれば、アンデッドたちから少し離れて隠れる姿勢が取れたためか、先ほどよりかは恐怖の薄れた声が小さく言葉を交わしていた。

 

「……イビルアイ、あの先頭のアンデッドについて、何か思い当たる存在はいない?」

「……いや、私も初めて見た。アンデッドであることしか分からないな……」

「そりゃ、そうだわな。問題は、あのアンデッドどもに俺たちがどこまで太刀打ちできるかってことだ」

「絶対無理。すぐに逃げるべき」

「特に先頭のアンデッドがヤバい」

 

 ラキュースの声を皮切りに、次々と“蒼の薔薇”のメンバーたちが意見を出し合っていく。

 しかしそれでもアンデッドの正体を特定することや対処法は見つからず、自然と彼女たちの視線が問うようにこちらに向いてきた。

 モモンガは彼女たちの視線を受け止めながら、果たして何をどこまで話すべきか……と頭を悩ませた。

 なんせこの世界ではレベル30台の存在でも脅威と位置付けられているのだ。ならば先頭を歩くアンデッドはこの世界に存在しているかすら疑わしい。それをスラスラと解説してしまっては逆にこちらの方が怪しさ満載になってしまうだろう。

 モモンガは少しの間思考を巡らせた後、意を決して口を開いた。

 

「……私も伝承でしか聞いたことがないので確かなことは分かりませんが、恐らく先頭にいるアンデッドは死の花嫁(コープスブライド)だと思われます」

「コープス、ブライド……?」

「ええ、連れ合いを求めてさ迷い歩くアンデッドの花嫁ですよ」

 

 コープスブライドはレベル60台のアンデッドだ。暗殺特化と魔法特化の2種類が存在しているが、どちらの種類も『他者を魅了して連れ合いを得ようとする』という設定があるため、〈支配〉や〈魅了〉といった精神攻撃を仕掛けてくるアンデッドとしても知られている。

 黒くボロボロなウェディングベールとウェディングドレスを身に纏っているのは、干からびて骨と皮のみとなった黒ずんだアンデッド。木の枯れ枝のような左手の薬指には指輪がはめられており、それだけが唯一美しい白銀の煌めきを保っている。両手で大切そうに持っているのは青白い小振りなブーケで、しかしその下の部分には細く長い木の柄が下へと伸びていた。もし暗殺特化のコープスブライドであれば、手に持つブーケの下に伸びているのは銀色の剣の刃であるはずだ。ならば恐らく今回のコープスブライドは暗殺特化ではなく魔法特化の方なのだろう。

 深い霧の中、多くのアンデッドを引き連れながら微かな風にもボロボロのベールやドレスをたなびかせる様は、異様な美しさと不気味さを醸し出していた。

 

「そのコープスブライドって奴には弱点はあるのか?」

「さあ、どうでしょうか。私も伝承でしか聞いたことがありませんので……」

「アンデッドであれば普通は炎系や神聖属性が効くはずだが……、炎系はともかく神聖属性は私には扱えないな」

「それなら私とイビルアイが中心になって対処した方がいいわね。ナーベさんは神聖属性は使えますか?」

「いいえ」

 

 一度距離を空けてアンデッド側もゆっくりとした動作であるとはいえ、互いの距離は着実に縮まってきている。

 手短に行動方針を決めていく“蒼の薔薇”に、モモンガはただ無言のままそれを見守っていた。しかし内心では『本当に大丈夫だろうか……』と不安を湧き上がらせていた。

 なんせ相手は――この世界の基準で言えば――どれもが強敵と言えるアンデッドたちなのだ。レベル60台のコープスブライドだけを警戒すればいいという訳ではなく、他のアンデッドたちもレベル20台や30台が多く揃っている。アルベドのことだ、恐らくゲヘナ計画の際にエントマが“蒼の薔薇”に敗北したことを考慮してあれらを選抜したのだろうが、モモンガからすれば些かやり過ぎなように思えた。

 これで“蒼の薔薇”が全滅でもしたらどうするつもりなのか。

 通常であれば彼女たちがどうなろうと正直モモンガにとってはどうでもいいことなのだが、しかし今この場で彼女たちの身に何かが起こってしまうのは非常にマズかった。

 なんせ彼女たちは今冒険者モモンと行動を共にしているのだ。そんな中で彼女たちの身に何かがあっては、今後のモモンの評判に悪影響が出かねない。それは御免蒙りたかった。

 

(……まぁ、危なくなれば俺が間に入って対処すればいいか。とにかく彼女たちがヤられないように気を配っておかなくちゃな。)

 

 内心で自身の行動方針を決めると、モモンガは目の前のことに集中するべく気を引き締めた。

 コープスブライドも漸くやる気を起こしたのか、歩む足を止めてこちらを凝視しながら背後の修道女や黒騎士たちに手振りで指示を出し始める。それに従い、こちらにゆらりと近づき始める修道女と騎士のアンデッドたち。

 自然と戦闘態勢をとって緊張を高める“蒼の薔薇”たちに、こちらもグレートソードの柄を持つ手に力を込めた。

 修道女と騎士たちとの距離が目と鼻の先にまで近づいた、その時……――

 

 

 

「「「っ!!?」」」

 

 突然真っ赤に染まった視界と、全身に感じる衝撃と熱。目の前の修道女と騎士たちは炎に呑み込まれ、一瞬の後に炭へと変わる。

 あまりにも予想外の事態に、思考が一瞬フリーズする。

 しかしモモンガはすぐさま我に返ると、何が起こっているのかと目の前の炎を凝視した。

 未だ燃えている巨大な炎の渦。

 これは間違いなく信仰系魔法の〈炎の嵐(ファイヤー・ストーム)〉だろう。しかし誰がこの魔法を発動したのかが分からなかった。“蒼の薔薇”の面々も全員が驚愕の表情を浮かべているため、彼女たちの誰かの仕業という訳ではないのだろう。

 では一体誰が……と視線を走らせ、不意に視界に見慣れぬ赤い影が入り込んだ。

 遥か上空に浮かんでいる深紅の一つの影。

 一体何かと凝視すれば、その正体にモモンガは内心で息を呑んだ。

 上空にいたのは深紅のパワードスーツ。

 三メートルもあるその巨大なスーツは、間違いなくユグドラシルに存在していたものだった。

 

「っ!? ……あ、あれは……!!」

 

 ラキュースもパワードスーツの存在に気が付いたのか、上空を見上げて驚愕の声を上げる。

 しかしモモンガは次にラキュースが浮かべた表情に違和感を覚えた。

 彼女が今浮かべている表情は、未知に対する驚愕ではない。知っているものを唐突に見たような……どちらかというと『何故これがここにあるのか?』というような驚愕の表情だった。

 

「……アインドラさん、もしやあれに見覚えが?」

「えっ!? ……あ、……そ、そうですね……。でも、どうしてここに……」

 

 ラキュースは一度モモンガを振り返って小さく頷くと、次には視線を再び前に戻して困惑の表情を浮かべる。

 彼女の視線の先には炎に焼かれて炭と化したアンデッドの成れの果てと、上空のパワードスーツを睨むコープスブライドたち。

 コープスブライドは一度チラッとこちらを見ると、次には長いブーケやドレスの裾を躍らせて素早く踵を返した。他のアンデッドたちもコープスブライドに従い、次々とこちらに背を向けてくる。

 そのまま一切こちらを振り返ることなく霧を纏って去っていくアンデッドたちに、モモンガはその背中を見送りながら思わず小さく息をついた。

 コープスブライドが下した判断に内心で安堵の息をつきながら一つ頷く。

 この世界の基準レベルやコープスブライド自身のレベルを考えれば、あのまま強硬突破を判断してもおかしくはなかった。しかし上空の出現者は予想外(イレギュラー)な存在であり、加えてその存在に関しての情報は何もない状態だ。更に20台30台レベルのアンデッドを一撃で葬ったとなれば、念のため身を引くのはむしろ称賛に値する判断だと言えるだろう。

 ナザリックに戻ったら誉めてやろう……と内心で考える中、上空にいたパワードスーツがこちらに舞い降りてくるのが見えてモモンガはそちらへと意識を向けた。

 

「よう、ラキュー! なかなか危ない状況だったな! 大丈夫か?」

「……お、叔父さん……」

「………おじさん……?」

 

 ラキュースの口から予想外の言葉が出てきて、モモンガは思わず疑問の視線を彼女に向ける。

 しかしラキュースはこちらの視線に気が付くだけの余裕がないのか、顔を大きく引き攣らせながら目の前まで舞い降りてきたパワードスーツを見上げていた。

 

「ど、どうして叔父さんがこちらに……?」

「いや、王都が未曾有の危機に陥ってるって知らせを受けて大慌てで戻ってみれば王都は無事だし、かといって兄貴たちに話を聞けばやっぱり大事はあったみたいじゃねぇか。それもいろいろ情報を集めてみたら、その大事にお前も深く関わってたときたもんだ。可愛い姪っ子の身を心配して探してみても王都じゃなくてエ・ランテルに行ってるって言うしな、心配のあまり探しに来ても何ら不思議なことじゃねぇだろ?」

「……そのためにわざわざこんなところまで来たと? その鎧まで着込んで?」

「おいおい、そんなに疑うなよ。お前のことを心配してたのは本当だぞ。これを着てきたのは用心のためさ。最近この辺りは何かと物騒になってるって噂だったからな。……と、あんたらは大丈夫か?」

 

 テンポよくラキュースと会話していたパワードスーツが、唐突に顔をこちらに向けてくる。

 ジロジロと観察していたモモンガは内心ビクッとないはずの心臓を跳ねさせると、しかしそれをおくびにも出さずにゆっくりと頭上の高い位置にある相手の顔パーツを見上げた。

 

「ええ、おかげさまで助かりました。どうやら、同じ冒険者の方とお見受けしますが……」

 

 パワードスーツの胸元で揺れている冒険者プレートにチラッと視線を向けながら問いかける。

 視線の先にあるプレートはアダマンタイト。これが偽物ではない場合、このパワードスーツの主はアダマンタイト級冒険者ということになる。

 アダマンタイトのプレートと目の前の深紅のパワードスーツから導き出される存在を頭に思い浮かべる中、相手はそんなモモンガの思考を知ってか知らずか、軽い調子で小さく肩を竦めてきた。

 

「ああ、こりゃあ、自己紹介が遅くなっちまってすまなかったな。俺は“朱の雫”のリーダーのアズス・アインドラだ」

 

 あっけらかんとした自己紹介と共に片手をこちらに差し出してくる。

 モモンガは差し出された手を握りしめて握手を交わしながら、バレない程度に視線のみで再び目の前のパワードスーツを観察した。

 

「始めまして、私はアダマンタイト級冒険者“漆黒”のモモンと申します。……アインドラということは、こちらのアインドラさんとはご親戚か何かなのでしょうか?」

「ああ、こいつは俺の姪っ子でな。俺はこいつの叔父にあたる」

「なるほど。しかしそれにしては名前が短いような気がするのですが……、と、失礼。立ち入ったことを言いましたね。申し訳ありません」

「いいや、構わねぇさ。これからは気軽に“アズスさん”とでも呼んでくれ」

「分かりました。私のことはどうぞ“モモン”と呼んでください」

 

 握り締めていた手をゆっくりと放しながら、ジロジロと観察していた視線も漸くパワードスーツから離す。アズスが再びラキュースに意識を向けるのに、モモンガも踵を返してンフィーレアの元にいるハムスケやナーベラルの元へ足を踏み出した。歩を進めながら、先ほどのアズスやラキュースについて考えを巡らせる。

 “蒼の薔薇”のリーダーと“朱の雫”のリーダーが親戚同士だという情報は、モモンガたちも既に大分前から入手済みだ。そのため、それに対する驚愕はそれほどない。せいぜい『貴族なのにそんなこともあるのか……』と思うくらいだ。

 しかし問題なのは、ラキュースもアズスも強力かもしれないアイテムを持っているということだった。

 ラキュースの魔剣“キリネイラム”しかり、アズスに関してはユグドラシルのパワードスーツである。魔剣“キリネイラム”については『一つの都市を滅ぼすことができるほどの力を持っている』という情報があったが、モモンガは勿論のことペロロンチーノやウルベルトも『それはブラフである』と判断していた。しかしラキュースの親戚であるアズスがユグドラシルのパワードスーツを所有していることが分かった以上、ラキュースの魔剣についても安易にブラフだと結論付けない方が良いかもしれない。

 パワードスーツの方も、モモンガの知識では最高のものでもレベル80台相当の力しかないはずだが、それもどこまで信憑性があるのかと問われればモモンガは些か自信が持てなかった。自分の知識が絶対だとは勿論言えないし、一点ものやアーティファクトのパワードスーツがないとも限らない。どちらにしろ警戒しておいて損はないだろう。

 

(現物を調べさせてもらえれば一番良いんだが……、流石にそれは難しいだろうな。はぁ、まったく次から次へと問題が出てくるな……。)

 

 どんどん増えていく面倒事に頭が痛くなってくるような錯覚に襲われる。まだ相談できる仲間がいるだけ救われるような気がした。

 

(ペロロンチーノさんは今は法国の件で手一杯だろうし、この件は俺とウルベルトさんの方で探りを入れていった方が良いかな。アイテムについてはパンドラが詳しいはずだが……、何はともあれまずはウルベルトさんに相談してみよう。)

 

 ナーベラル、ハムスケ、ンフィーレアにそれぞれ声をかけながら、頭の中ではこれからのことについて方針を組み立てていく。それでいてモモンガは改めてラキュースたちを振り返った。

 視線の先ではラキュースとアズスが変わらず親しそうに言葉を交わしており、“蒼の薔薇”の他の面々は遠巻きにそれを見守っている。どうやら“蒼の薔薇”の他のメンバーもアズスとは初対面のようで、彼女たちから彼の情報を仕入れるのは無理そうだった。一番手っ取り早いのはラキュースやアズス本人に直接探りを入れる方法なのだろうが、果たして自分にどこまでできるのか……。

 いきなり訪れた難題に内心頭を抱えながら、モモンガは極力その内心は隠して彼女たちに声をかけた。

 

「積もる話もあるでしょうが、それは歩きながらにしましょう。今はあのアンデッドたちが戻ってくる前にこの場を離れた方が良い」

「モモン様の言う通りだな! モモン様がいるとはいえ、できるならあのアンデッドたちとは二度と鉢合わせたくない」

「おいおい、追い払ったのは俺だぜ?」

「……叔父さん、話がややこしくなるから黙っててもらえますか?」

「なんだ、やけに冷たいじゃないか。反抗期か?」

 

 モモンガの言葉を皮切りに、やいのやいのとアズスと“蒼の薔薇”たちが言葉を交わし始める。とはいえ、モモンガの言葉に従って移動を始めたためモモンガも言うことは何もない。些か警戒心が緩んでいるような気はしないでもないが、そこはナーベラルやハムスケに任せておけばいいだろう。

 モモンガは彼女たちには聞こえないように小さな声でナーベラルに周囲を警戒しておくように指示を出すと、未だ立ち込めている霧の奥へと視線を向けた。

 視線の先にあるのは、異形の目から見ても何も異変のない真っ白な景色。

 しかしそんな中、微かに小さく細い影が一瞬こちらに一礼したように見えた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深い深い闇の中、まるで暗闇に隠れるようにして二つの影が不気味に揺らめいていた。

 ここはリ・エスティーゼ王国の王都リ・エスティーゼにある貧民街の寂れた区画。

 誰の目も耳もない無人のその地にて、二つの影は何かを探すように土に覆われている地面をウロウロと漂っていた。

 影の一つは骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)

 150cm程の小さな身体は人間と動物が融合したような歪な骨格をしており、頭蓋骨からは二本の角が生えている。サフラン色のヒマティオンから覗く足には動物の蹄が付いており、歩を進める度に土の地面に歪な跡を微かに残していた。四本の指を備えた手のひらには拳大くらいの紫色の石が握られており、まるで何かを感じ取ろうとするかのようにしきりに石を持つ手を宙に泳がせている。

 そしてその横に控えるようにして立っているのは死の支配者(オーバーロード)

 骸骨の見た目に、全身に纏わりつく闇の粒子。フード付きの長いローブとも相まって、闇そのもののように宙を漂っている。オーバーロードの手には何も握られてはいなかったが、その代わりとばかりにローブを纏った左の上腕には『アウレリウス』と記されたバンドがしっかりと巻かれていた。

 

「……司書長、あちらに」

 

 不意にオーバーロードの指先が宙を泳ぎ、徐に地面の一点を指さす。

 司書長と呼ばれたスケルトン・メイジは指さされた地面に顔を向けると、ゆらり…とそちらへと歩を進めた。

 オーバーロードが指さした地面は他の地面に比べて色が微妙に違っており、また異様に荒れて少し盛り上がっている。何かを埋めたようなその跡は、どうやら最近できたもののようだった。

 スケルトン・メイジは何かを納得したように一つ頷くと、徐に身を屈めて手に持つ紫の石を地面に近づけた。

 瞬間、石がぼんやりと輝きだす。

 スケルトン・メイジは身を屈めた体勢のまま微動だにせず、ただ静かに何事かを呟き始めた。

 暫くの間、二つの異形のみが佇む闇の空間に不気味な囁きのみが響き続ける。

 そんな中、変化は突然訪れた。

 石が放つ淡い光の中、不意に地面から立ち上り始めた闇のオーラ。まるで火から上がる煙のように闇のオーラは徐々に濃度を増していき、またその量も急激に大きく膨らんでいった。

 しかしスケルトン・メイジもオーバーロードも驚いた様子もなく、ただ静かに闇のオーラを眺めている。

 闇のオーラは暫く空中を漂いさ迷った後、まるで吸い込まれる様にスケルトン・メイジの持つ石へと引き寄せられていった。

 暫くの間続く、石を覆う大量の闇のオーラと輝き続ける石の光。

 数分後、漸く闇のオーラが全てなくなったところで石の光も徐々に消えていった。スケルトン・メイジは徐に屈めていた体勢を元に戻すと、次には感嘆のため息を小さく吐き出した。

 

「……ふむ、どうやら上手くいったようだ。流石は偉大なる至高の御方」

「それでは次に参りますか?」

「そうだな。守護者統括にも報告する必要がある。他の場所もさっさと終わらせてナザリックに帰還するとしよう」

 

 オーバーロードの言葉にスケルトン・メイジは鷹揚に頷いて返す。

 二つのアンデッドは深い闇を身に纏うと、次の瞬間にはその場には何一つ残ってはいなかった。

 

 




ナーベラルとハムスケとンフィーレアが空気っ!!
特にハムスケは久しぶりに喋らせる予定だったというのに……っ!!
う~、上手くいきませんね……(泣)

*今回の捏造ポイント
・死の花嫁《コープスブライド》;
レベル60台のアンデッド。暗殺特化と魔法特化の2種類があり、どちらも『他者を魅了して連れ合いを得ようとする』という設定があるため、〈支配〉や〈魅了〉といった精神攻撃を仕掛けてくる。干からびて骨と皮のみとなった黒ずんだ身体に、黒くボロボロなウェディングベールとウェディングドレスを纏っているが、左手の薬指の指輪のみ美しい白銀の煌めきを保っている。両手で持っている青白い小振りなブーケの下の部分は、暗殺特化は銀色の剣の刃になっており、魔法特化は細く長い木の柄になっている。


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第61話 影との対面

やった~、久々に一か月以内に次の話を更新できたぞー!!
とはいえ、今回は少し短めです……。
次回も少しでも早く更新できるように頑張ります!!


「――……一体何を考えておられるのか!?」

 

 大きな天幕の中で鋭い怒声が響き渡る。

 ここは森妖精(エルフ)軍の前線基地。

 色とりどりで大小様々な天幕が並び立つ基地内にて、ただ一つだけある榛色の天幕に七人のエルフたちが集って顔をつき合わせていた。

 天幕内にいるのは、前線を任されているエルフ軍の各最高部隊の長たち。

 前線部隊の総指揮官を務めるクローディア・トワ=オリエネンスを筆頭に、赤刃(せきじん)第一部隊隊長ナズル・ファル=コートレンジ、閃牙(せんが)第一部隊隊長シュトラール・ファル=パラディオン、黒風(こくふう)第一部隊隊長ノワール・ジェナ=ドルケンハイト。そして先日まではこの前線基地にいなかったはずの魔光(まこう)第二部隊隊長シャル・イン=オズリタース、聖光(せいこう)第二部隊隊長ルーチェ・エクト=グランツ、導手(どうしゅ)第一部隊隊長オルディン・ヴェル=ストラーダ、それぞれの姿もそこにはあった。

 先ほどから声を荒げているのは導手第一部隊隊長のオルディン・ヴェル=ストラーダ。

 唯一椅子に腰かけているクローディアに向け、オルディンは切れ長の灰緑の双眸を更に鋭くつり上げて顔も厳めしく顰めていた。

 

「……クローディア様、愚かなことはおやめ下さい。今王に刃を向けて何になりましょうか?」

「いいえ、今だからこそです。むしろ遅すぎたくらい……。そもそも、もっと前に王を何とかしていれば、今のこの争いもなかったはずです」

「しかし現実は変わりません。現在我々は法国と争っており、戦況は芳しくない。もはや王の力が最後の砦と言っても過言ではない。その王を敵に回すなど、愚かとしか思えぬ」

「ストラーダ殿、そのくらいにしては如何か。ストラーダ殿の考えも一理あるが、あまりにも言葉が過ぎよう」

 

 怒涛の勢いで畳みかけてくるオルディンに、クローディアよりも早く我慢の限界に来たらしいナズルが間に割って入ってくる。その顔は見るからに不愉快そうに顰められており、クローディアは庇われた身ではあるが苦笑を禁じえなかった。浮かんでいる表情や彼の性格からして、恐らく『何も知らないくせに知ったような説教を垂れるな』とでも思っているのだろう。

 思い返してみればオルディンとナズルは元々相性自体が悪いようで、以前から事ある毎に衝突しては言い争っていた。

 オルディンはエルフ軍の中でも古参に位置し、何かと口煩かったり頑固な部分がある。そのため若い兵たちには特に敬遠されがちであるらしく、今回のことは仕方がないこととはいえ、どちらにしろこの二人は特に衝突する確率が高かったのだろうと今更ながらに思い至った。

 未だ睨み合い言い争う二人を見つめながら、クローディアは心の中で『さて、どうしたものか……』と頭を悩ませた。

 この場は人払いをされているため、ここでさっさとペロロンチーノたちのことを話せば良いのかもしれないが、しかし本人たちがいないところで話したところで果たして信じてもらえるのかクローディアには自信がなかった。

 クローディアは王の娘の一人ではあるが、逆に言えば自分には“王の娘の一人”という立場しかない。自分以外にも王の子供は多くいるし、いくら前線の総指揮を任されているとはいえ自分は未だ隊長格の者たちから絶対の信頼を得てはいないことを自覚していた。

 しかしこのまま黙っていても話が進まないのも事実。

 クローディアは少しの間思案すると、意を決して口を開いた。

 

「ストラーダ殿、忠言には感謝します。しかし、やはり今でなければならないのです。そのための助力も既に得ました」

「……助力……?」

「それは一体……?」

 

 クローディアの言葉に、オルディンだけでなく他の魔光や聖光の第二部隊隊長たちも訝しげな表情を浮かべる。

 どういうことかと一様に疑問の視線を向けられ、クローディは一度生唾を大きく呑み込んだ後に改めて口を開いた。

 その時……。

 

『失礼します! 閃牙第一部隊所属のカータ・ファル=コートレンジです! 会議中に申し訳ありません、クローディア・トワ=オリエネンス殿下に至急お耳に入れて頂きたいことがあります!』

「……カータ……?」

「構いません、入ってきて下さい」

 

 不意に外から聞こえてきた大きな声。

 入室の許可を与えれば、一拍後にナズルによく似た青年が足早に天幕内へと入ってきた。一度入り口のところで一礼し、すぐさまこちらに近づいてくる。

 カータはクローディアの傍らで立ち止まると、『失礼します』という言葉と共に身を屈めて耳元に口を寄せてきた。

 

「……先ほど、件の方々がお見えになりました。ご命令の通りに殿下の天幕にご案内し、今はそちらでお待ち頂いております」

「そうですか……。ありがとうございます」

 

 小声で言われた言葉に、途端に大きな緊張が全身に襲いかかってくる。全身の肌は粟立ち、冷たいものが背筋を駆け抜け、喉がヒクっと小さく震えた。

 しかしクローディアはそれらの衝撃が他者の目に見えぬように咄嗟に拳を握りしめて全身に力を込めた。

 一度カータに小さく頷き、次にこちらを見つめているナズルとシュトラールとノワールに目を向ける。四人の視線は強くかち合い、数秒後に四人共が無言のままに大きく頷いた。

 

「……先ほど言った“助力”の方々が来たようです。皆にも紹介しましょう。今から私についてきて下さい」

 

 サッと椅子から立ち上がり他の面々に目を向ける。魔光と聖光の第二部隊隊長二人は困惑の表情を浮かべて互いに顔を見合わせており、導手第一部隊の隊長は無言のまま鋭い視線をこちらに向け続けている。しかし拒否の言葉はその唇からは出てこず、クローディアは承知されたのだと判断してさっさと天幕を出ることにした。

 足早に歩き始めるクローディアに、ナズルとシュトラールとノワール、そしてカータもすぐさま付き従って足を踏み出す。他の面々も一拍遅れて足を動かし始め、彼らは榛色の天幕を出るとクローディアを先頭に基地の奥へと歩み進んでいった。

 クローディアが向かっているのは自身の天幕。

 そこで待っているはずの存在を思い浮かべて緊張感を強めながら、しかし歩む足の速度は少しも緩めない。

 やがて目的の天幕の前まで辿り着くと、クローディアは『失礼します』という言葉と共に中へと足を踏み入れていった。その後を、ナズルとシュトラールとノワールとカータは当たり前のように続いていく。ただ他の隊長たちだけが『何故無人の自分の天幕に入るのに声をかけたのだろう?』という表情を浮かべて首を傾げていた。

 しかしそんな彼らも、天幕の中に入ってすぐに目に飛び込んできた存在に全身を強張らせることになった。

 

「やぁやぁ、ご機嫌麗しゅう、お姫様! 今日も相変わらず可愛いね……て、あれ?」

 

 無人であるはずの天幕の中にいたのは六体の異形。

 黄金色の鳥人(バードマン)に、人間にしか見えない絶世の美少女、幼い闇森妖精(ダークエルフ)の少年に黄色の軍服を着た異形。他にも真っ白な悪魔と青白い巨大な蟲のような異形も揃っていた。

 どこからどう見ても異様な存在であり異様な光景。

 加えて目の前の異形たちはどれもが信じられないほどの威圧感を身に纏っていた。

 唯一真っ白な悪魔だけはそれほどでもなかったが、しかしそれはあくまでも“他の異形たちに比べれば”という注釈が付く。自分たちと比較すれば、その真っ白な悪魔も相当な力を持っていることがヒシヒシと感じ取れた。

 異形たちは先ほどの自分たちと同じように、バードマンだけが豪奢な椅子に腰かけ、それ以外の異形たちは全員バードマンの周りに控えるように立っている。バードマンは黄金の仮面に覆われている顔を順に自分たちに向けると、最後に再びクローディアに顔を向けて小さく首を傾げてきた。

 

「……まさか初っ端から新顔が登場するとは思わなかった。それも三人も……。えっと、これって大丈夫な状況?」

 

 その身から発せられる絶対的な威圧感に反し、バードマンの嘴から零れ出る声と言葉はどこまでも軽い。

 誰もが思わず言葉をなくす中、クローディアは我に返って口を開きかけ、しかしその前に甲高い声が空気を切り裂いた。

 

「こっ、これは一体どういうことなんだっ!!?」

 

 叫び声にも似た声を上げたのは聖光第二部隊隊長ルーチェ・エクト=グランツ。

 各部隊の隊長たちの中で最年少である彼女はクローディアよりも更に若く、見た目の年齢は15歳ほど。未だ幼さの抜けない大きな空色の瞳を驚愕に目一杯に見開き、小刻みに震える人差し指で目の前の異形たちを指さしていた。

 

「なっ、なっ、何故異形が、こんなところに……!! それに何故あのダークエルフの子供は色違いの瞳をしている!? それは王家の証だぞっ!! もしやこれは何かの罠かっ!? クローディア様、ここは危ない!! 早くここから離れるのです!!」

「い、いえ、待って……、グランツ隊長。少し落ち着いて下さい」

「これが落ち着いていられますか! ええいっ、貴様らは何故動かん!! 異形が目の前にいるんだぞ、さっさとクローディア様を守る行動をせんかっ!!」

 

「……わぁ~、元気いっぱい」

 

 ルーチェの慌ただしい言動に、バードマンが何とものんびりとした声を零す。

 瞬間、ルーチェがキッとバードマンを鋭く睨むものだから、クローディアは恐怖で一気に血の気を引かせた。異形たちの機嫌を損ねて計画が全てなかったことになるのも困るが、何よりこの場にいる者たちが危害を加えられないかと恐怖が湧き上がってきた。

 しかし幸いなことにバードマンは気分を害したような素振りは見せない。それどころか小さくピクリと反応した何体かの異形たちを、軽く片手を挙げることで制してすらいた。

 

「う~ん、その女の子の様子からして、まだ詳しい説明は出来ていない感じかな?」

「はい、申し訳ありません。……王を倒すという行動を起こすにも、まずは“それができる”ということを彼らに理解してもらわねばなりません。しかし私の言葉だけではそれは難しく……全ては私の力不足によるものです」

「あ~、なるほど……。まぁ、君たちにとって王様はすっごく怖い存在みたいだからね。説得に手間取るのは仕方がないことだと思うよ」

「……お心遣い、感謝します」

 

 どこまでが本音なのか……、気安い様子でこちらを理解しているような言葉を言ってくるバードマンに、クローディアは深く頭を下げながらも内心では訝しんだ。異形に他の種族の考えが分かるのか……という疑問もあるが、何より異形が他種族に対して寄り添うような言動をとること自体が不気味だった。

 そこでふと、バードマンの狙いはこちらの懐柔なのかもしれない、という考えが頭を過ぎる。

 誰でも、自分を理解し優しい言葉をかけてもらえるのは嬉しいことだ。相手が同族であろうと異形であろうと……、いや、今回の場合はむしろ異形であるペロロンチーノだからこそ効果が絶大だと言えるのかもしれない。強大な力を持ち、こちらのことを何とも思っていない異形たちが多くいる中で、唯一温和で話が通じ、こちらのことを理解してくれる存在がいるという状況。しかもその異形は、他の異形たちを抑えることができるだけの立場と力を持っている。それを目の当たりにしている中でその異形から優しい言葉までかけてもらえているという状況は、その異形に心を許し、頼り、最悪依存してしまう可能性をもたらすのではないだろうか……。

 そこまで考えて、クローディアは思わず強く奥歯を噛み締めた。

 絶対に心を許さないようにしなければ……と心の中で自身に強く言い聞かせる。

 この異形をある程度頼ることは良いだろう。逆にこちらが思う通りに利用できるのであれば素晴らしいことだ。しかしこちらが心を許し、この異形に依存してしまえば、その先に待つのは悪夢よりも酷い地獄かもしれない。自分はまだしも、他のエルフ王国の者たちをそんな地獄に巻き込むわけにはいかなかった。

 クローディアは強い決意を胸に宿らせると、周りに気付かれないようにそっと大きく深呼吸した後に下げていた頭をゆっくりと上げた。

 視界には余裕のある態度でこちらを眺めている異形たち。そしてそんな彼らに、ルーチェは緊張に顔を強張らせながらも臨戦態勢を取っており、魔光第二部隊の隊長はオロオロと異形とルーチェを交互に見やり、他の隊長たちは顔を顰めながら異形たちを睨み付けていた。

 クローディアはそっと両手の拳を握りしめると、できるだけ堂々として見えるように背筋を伸ばして胸を張った。

 

「グランツ隊長、下がってください」

「っ!!? ……で、でも……!!」

「大丈夫です。お願いですから、下がってください」

「……………………」

 

 声に力を込めて再度お願いすれば、ルーチェは苦々しい表情を浮かべながらも無言のまま一歩二歩と後ろに下がっていく。それに、今までオロオロとしていた魔光第二部隊の隊長がすぐさま彼女の小さな身体に手を伸ばして抱き寄せ、自身も後退って異形たちから距離をとらせた。

 クローディアは横目に二人の様子を確認すると、改めて視線を椅子に座るバードマンへ向けた。

 

「お騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」

「いやいや、そんなに謝らなくても大丈夫だよ。うん、やっぱり大変だよね、その…いろいろと……」

 

 最後の部分が微妙に濁されたような気がして思わず小さく首を傾げる。

 しかしバードマンはクローディアから視線を外すと、その背後に立つ各隊長たちに視線を巡らせた。

 

「えっと、それで……王様を倒すつもりだって話はしたんだっけ? このまま自己紹介しても良い感じかな?」

「……あっ、……は、はい、まずはこちらから紹介させて頂ければと思います」

 

 軽い口調で確認してくるバードマンに、クローディアは慌てて二、三度頷く。それでいて二歩ほど前に進み出て異形と隊長たちとの丁度中間辺りに立つと、まずは隊長たちの方へ顔を向けた。

 

「ストラーダ隊長、グランツ隊長、オズリタース隊長、彼らが先ほど言っていた王を倒すために助力をして下さる方々です。彼らは王を倒した後も、法国を倒すために力を貸して下さいます。……異形の方々、この者たちは私たちの軍にある各部隊の隊長を務める者たちです。右から、導手第一部隊隊長オルディン・ヴェル=ストラーダ、魔光第二部隊隊長シャル・イン=オズリタース、聖光第二部隊隊長ルーチェ・エクト=グランツ。後の者たちについては既に知っていらっしゃるかと思います」

「ありがとう、クローディアちゃん。じゃあ次は俺たちが自己紹介する番だな。俺はペロロンチーノ。まぁ、見て分かる通りバードマンだよ。それから彼らは俺と俺の友人たちに忠誠を誓ってくれている子達で、右から小悪魔(インプ)のニグン、蟲王(ヴァーミンロード)のコキュートス、真祖(トゥルーヴァンパイア)のシャルティア、ダークエルフのアウラ、二重の影(ドッペルゲンガー)のパンドラズ・アクター。君たちへの対応は主にこのメンバーでやる感じだ。あとアウラの目についてだけど、アウラは君たちの王家とは全く少しも欠片も微塵も繋がりはないよ。アウラの目の色が左右で違うのは全く別の理由だ」

 

 再び呆然となる隊長たちに気が付いているのかいないのか、ペロロンチーノは変わらぬ口調と態度でそう自己紹介を締めくくる。

 クローディアはアウラについてもう少し話を聞きたいという衝動を何とか抑えると、話しを進めるために再度口を開いた。

 

「ペロロンチーノ、さま、ありがとうございます。……それで、そもそも何故こういう形になったのかという経緯なのですが……」

 

 前置きと共に隊長たちに向けて話し始めたのは、そもそもの経緯とペロロンチーノたちと交わした仮契約の内容。彼らとどうやって知り合い、何を話し、どういった結論に至ったのか。加えてペロロンチーノの方からも、何故自分たちがクローディアに協力を持ちかけたのかという理由を説明してくれ、隊長たちも途中から真剣な表情を浮かべてそれらを聞いてくれていた。

 そして説明が終わって一拍後……。

 天幕内が一気に静寂に包まれる中、初めに口を開いたのはルーチェだった。

 

「……俄かには信じ難い話だが……、やはり罠ではないのか? おい、どうなんだ。我々を騙しているのではないだろうな!」

「ちょっと、至高の御方に対して無礼過ぎない? 法国の前にあんたたちを滅ぼしても良いんだけど」

「っ!!」

「あ~、ほらほら、喧嘩しないの。まだ俺たちへの信頼はゼロなんだから仕方ないって」

「……ぅ……、ペロロンチーノ様が、そうおっしゃるなら……」

 

 バードマンが軽く諌めたことでダークエルフの子供の勢いはみるみるうちに萎んでいき、しゅんっと両肩を落として顔を伏せる。見るからに落ち込んだような様子に、バードマンは黄金色の籠手で覆われている手を子供の頭にそっと乗せた。ゆっくりと頭を撫で始めるバードマンに、途端にダークエルフの子供が顔を上げる。

 

「でも、アウラの気持ちは嬉しかったよ。ありがとね」

 

 未だ頭を撫でながら言われた言葉に、ダークエルフの子供は色違いの大きな目を更に大きく見開いた後、次にはぱあぁぁっと輝かんばかりの笑みを浮かべた。

 

「あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様! ……えへへ」

 

 褐色の肌でも分かるほど頬を紅潮させて照れたような笑みを浮かべる子供に、そのような場合ではないのにこちらまでほんわかとした気持ちになってくる。

 他の異形たちも微笑ましそうにそれを見つめる中、ただ一人銀色の美少女だけが不満そうな表情を浮かべてバードマンに縋りついた。

 

「ペ、ペロロンチーノ様! わらわも、わらわもムッとしたでありんす! ペロロンチーノ様に不敬を働く輩は一匹残らず殺してやるでありんす!」

「ぐっふっ……!! ぐうかわっ! なにこれ必死になっちゃう姿とか天使か!? ウチの子が可愛すぎて死ねる……!!」

 

 突然目の前でイチャつき始めた異形たちに、どう反応して良いのか分からず思わず困惑する。それでなくても“可愛らしい美少女と子供にイチャイチャと縋りつかれるバードマン”という構図が何とも奇妙でアンバランスなようにクローディアたちの視界には映った。しかしバードマンはそんなクローディアたちの様子に気が付いていないのか、意気揚々と自身に縋りつく二人の頭を撫でて明るい声をかけている。

 暫く沈黙の中で異形三人だけがイチャつく中、異形側もこのままでは駄目だとでも思ったのだろう、黄色の軍服を纏った異形が徐にバードマンのすぐ傍らまで歩み寄った。

 

「ペロロンチーノ様、お楽しみ中のところ大変申し訳ありませんが、今はこちらの話を進められませんと……」

「……あっと、そうだった、この子たちが可愛くってつい。待たせちゃってごめんね」

「い、いえ……。それで、あの……」

「うん、まずは誤解を解かないとね。まず大前提として、俺たちは君たちを騙すつもりは全くないよ。さっきも言ったように、俺たちも法国には苦汁を嘗めさせられたからね、放っておくつもりはないんだ。ただ、俺たちは法国のことをまだ殆ど知らない。その状態で手を出すほど俺たちは馬鹿じゃない。……感情のままに手を出して、この子たちを傷つけてしまったら本末転倒だからね」

「……………………」

「だから俺たちとしては、ずっと法国と戦ってきた君たちの存在が必要なんだよ。君たちからしてみれば俺たちに利用されているような感覚がするんだろうけど、それと同じように君たちも俺たちを利用してくれればいい。それなら君たちも俺たちも旨味があってWin-Winだろう?」

 

 軍服の異形に諌められたためか、居住まいを正したバードマンから簡潔な説明を受ける。

 その説明は非常に分かりやすく、疑いの目を向けている隊長たちの耳にもすんなりと入っているようだった。導手第一部隊隊長は流石に未だ厳しい表情を浮かべているものの、魔光と聖光の第二部隊隊長はいつの間にか大分表情を柔らかなものへと変えていた。

 

「それで、これからの行動についてだけど、そっちは王様を倒す組と、その間に前線を守る組で分かれるんだよね? 俺たちもその二つの組にそれぞれ加わるよ。王様討伐組には俺とシャルティアとパンドラズ・アクター。前線守護組にはアウラとニグンとコキュートスがそれぞれ加わる予定だ。といっても、前線守護組は基本的には君たちの力を見極める目的の方が強いから、あまりこちらには頼らずに頑張ってね」

「……………………」

 

 仮面に覆われているため表情は分からないはずなのに、バードマンがにっこりとした満面の笑みを浮かべているのが何故か分かる。

 それに反して発せられる声には有無を言わせぬような強い圧力が宿っている様に感じて、クローディアは無言のまま頷くことしかできなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深い森林の中をエルフの一軍がものすごいスピードで駆けていく。

 彼らは全員見慣れぬ獣の背中に跨り、草木が生い茂る道なき道を苦も無く突き進んでいた。

 エルフたちが乗っているのは一見豹のような獣。しかしその大きさは3メートル以上あり、黒に白斑のある長い胴体には六本もの脚が生えていた。普通の猫科の動物に比べて指や爪が長く、それらを使って土や木の枝をガッチリと掴んでどんな悪路も難なく駆け抜けていく。

 この獣の名は“魅了の森猫(チャームファルス)”。

 攻撃的な見てくれに反して性格は大人しく、どちらかというと物理攻撃よりも精神攻撃や状態異常の攻撃を得意とする妖獣だ。

 ペロロンチーノは漂うように遥か上空を飛びながら、土煙一つたてずに森の中を駆けるエルフたちを呑気に眺めていた。

 

「いや~、まさかチャームファルスが出てくるとは思わなかったな~。あいつらに乗れるのも知らなかったし……」

「ですが、あまりに弱すぎでありんせんでありんすか?」

「まぁ、ユグドラシルのレベルで言えばそうだけど、この世界の基準で考えればそこそこじゃないかな。確かチャームファルスってレベルは10台くらいだったはずだ」

「レベル10台……。本当に貧弱な世界でありんすねぇ」

 

 ペロロンチーノと同じように優雅に宙に浮かんでいるシャルティアが小さな笑みを浮かべてエルフたちを見下ろしている。その紅色の双眸には見るからに嘲りの色が宿っており、エルフたちを見下しているのが容易に分かるものだった。

 

「気持ちは分かるけど油断は禁物だよ、シャルティア。クローディアちゃんの話だと王様は勿論のこと、その側近たちも結構強いみたいだからね。大丈夫だとは思うけど、気を引き締めていこう」

「はい、畏まりんした、ペロロンチーノ様」

 

 宙に浮いた状態でシャルティアが優雅にスカートの裾を摘まんで頭を下げてくる。

 その美しくも可愛らしい姿にペロロンチーノは隠すことなく『グッジョブ』と親指を立てると、次には〈飛行(フライ)〉の魔法ですぐ側に浮かんでいるパンドラズ・アクターに視線を移した。

 

「パンドラ、ちょっと一足先にエルフ王国の王都まで行って様子を見てきてくれないかな? やり方は任せるし無理はしなくて良いからさ、できる範囲でしてきてもらえる?」

「かっしこまりましたぁぁ、ペロロンチーノ様ッ!! それでは、行って参りますっ!!」

 

 強すぎる抑揚で承知の言葉を発しながら、パンドラズ・アクターはビシッと勢いよく敬礼してくる。次にはものすごいスピードで王都の方向へ飛んでいくのに、ペロロンチーノとシャルティアは若干生温かさが宿る目でその後ろ姿を見送った。

 暫く遠ざかっていく影を見守った後、徐に視線をエルフ軍へと戻す。

 無言のまま暫く見つめると、ペロロンチーノは何かを振り切るように視線を断ち切ってシャルティアに合図を送ってから勢い良く大きく翼を羽ばたかせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって再びエルフ軍の前線基地。

 クローディアたちが率いる王討伐軍を見送ったノワールとシャルとルーチェとカータの四人は、再び榛色の天幕に戻って今後についての作戦会議を行っていた。

 しかし天幕の中はいつもと違い、今は複数の異形たちがまるで観察するかのように無言でこちらに視線を向けている。これにはいくら隊長クラスのエルフたちといえども強い居心地の悪さを感じ、どうにも口も重たくなって話がスムーズに進まなくなっていた。

 

「何でこんなに話の進みが遅いわけ? さっさと方針なり作戦なり決めて準備するべきじゃない?」

 

 なかなか進まない会議に業を煮やしたのか、ダークエルフの子供が眉を顰めて愚痴のような言葉を零し始める。

 『誰のせいだ……!』とカータたちが心の中で悪態をつく中、まるでそれを諌めるように白の悪魔がダークエルフに声をかけた。

 

「アウラ様の言葉は尤もですが、優れた統治者やまとめ役がいなければ話し合いというものはうまく進まぬものなのですよ。我らには常に御方々がいて下さいますし、御方々がいらっしゃらない場合にも統括様やデミu……ゴホンッ、第七の守護者様がいらっしゃいます。優れたまとめ役がいるのといないのとでは雲泥の差が出るということなのです」

「ふ~ん。まぁ、確かに……言われてみれば、あたしたちもこのメンバーだけで動くってなると、いろいろ意見が分かれて上手くいかなくなることもあるかもね」

 

 悪魔の言葉に納得したように頷き、ダークエルフは天幕の中にいる異形たちへと目を向ける。

 カータはチラッと天幕の隅にいる異形たちを見やると、内心で大きく首を傾げた。

 前線基地に残った異形はダークエルフの子供と白色の悪魔、そして青白い巨大な蟲のような異形の三体。見た目だけで考えれば仕切り役は白色の悪魔か蟲の異形だろうと思われたが、悪魔の口調からしてどうやら彼はダークエルフや蟲の異形よりも格下であるようだった。であれば、蟲の異形が仕切り役になるのではないだろうか……とカータは実際に小さく首を捻る。

 しかしそんなカータの予想に反し、異形たちはむしろダークエルフの子供が中心になって話をどんどんと進めていた。

 

「今回の戦場は森の中だし、目的も観察が主だからあたしが指揮しても良いよね?」

「アア、ソレデ構ワナイ。森ノ中デノ戦闘モ観測モオ前ノ得意ナ分野ダカラナ。ニグンモソレデ構ワナイナ?」

「はい、勿論です」

 

 蟲の異形からの確認の言葉に、白の悪魔も当然のように頷いている。

 スムーズ過ぎる異形たちの話し合いにカータが思わず彼らを凝視する中、いつの間にか他のエルフたちも興味深げに異形たちを見つめていた。

 しかし異形たちはその視線に気が付いているのかいないのか、こちらを気にする素振りすら見せずに更に自分たちだけで話を進めている。

 やがて話が大体まとまったと分かった頃に漸く異形たちがこちらを振り返ってきた。

 

「……あれ、何してんの? そっちの話し合いはすんだわけ?」

 

 こちらに向けられているダークエルフの子供の顔にはこちらを嘲るような色がありありと浮かんでいる。見るからにこちらを挑発しているような表情と態度に、カータは思わず顔を顰めた。

 自分の顔が苦々しい表情に歪んでいるのが鏡を見なくても分かる。

 しかしどうにも表情を普通に戻すことができず、カータは一つ大きく深呼吸することで何とか気持ちを落ち着かせようと試みた。

 そんな中、不意に外が慌ただしくなり、間髪入れずに大きな声が外から聞こえてきた。

 

『会議中に失礼します! 法国の軍が進軍してきましたっ!!』

「なにっ!!?」

 

 兵からの報告に大きく反応したのは聖光第二部隊隊長のルーチェ。

 彼女は弾かれたように勢いよく天幕を飛び出すと、それに魔光第二部隊隊長のシャルも慌ててその背を追いかけた。

 しかしノワールはこれといった反応も見せずに彼女たちを無言のまま見送っており、そのためカータもその場に踏み止まってノワールを見つめた。

 

「あなたは見に行かなくていいの?」

 

 カータと同じようにノワールを見やり、ダークエルフの子供が小さく首を傾げながら問いかけてくる。

 純粋な不思議そうな表情を浮かべている子供に、ノワールは無表情のまま首を振ってみせた。

 

「あの二人が行ったのなら、取り敢えずは大丈夫。彼らが対応している間にこちらは万全の状態に準備をしておいた方が良い」

「ふ~ん。まぁ、それでいいのならこっちも別にそれで構わないけど」

「シカシ、随分トタイミングガ良イナ……。マルデコチラノ動キガ全テ把握サレテイルヨウダ」

「恐らく本当に把握されているのでしょう。聖典の中には、そういったことを得意とする部隊もありますので」

 

 蟲の異形の言葉に、白の悪魔がすぐさま反応して大きく頷く。

 迷いのないその言動に、カータは再び小さく首を傾げた。この白い悪魔が何故こうも法国の……それも聖典に詳しいのかが疑問だった。

 聖典の存在は法国の中でも隠されている部分が多くあり、法国以外の外部からすれば噂程度にしか情報は流れてこない。実際に対峙している自分たちですら聖典についてはそれほど分かっていることはないのだ。

 それなのに白い悪魔はどうやって聖典の情報を入手したのか……。

 ノワールもカータと同じことを考えていたのだろう、感情が読み取れぬ蒼い瞳を真っ直ぐに悪魔へと向けた。

 

「そちらの方は随分と聖典について詳しいようだ。どこからその情報を得たのか聞いても構わないだろうか?」

「……………………」

 

 ノワールの質問に、悪魔は無言のままダークエルフと蟲の異形へ視線を向ける。

 恐らく話して良いものかと無言のまま確認しているのだろうが、その行動そのものが、この悪魔が法国の聖典について多くの情報を持っていると言っているようなものだった。

 しかしこちらからあまりしつこく聞いては、いつ異形たちの機嫌を損なうか分からない。

 大人しく無言のままあちらの返答を待っていれば、悪魔の視線を受けたダークエルフの子供が一つ頷いて改めてこちらに顔を向けてきた。

 

「残念だけど、そういったことを教えて良いっていう許可は貰ってないの。知りたいなら、まずはペロロンチーノ様に御許可を頂かないとね」

「そのペロロンチーノ様とやらから、この場を一任されたのだろう? ならば、あなたたちで判断するべきでは?」

「勘違いしないでほしいんだけど、あたしたちが任されたのはあくまでもあなたたちと法国との戦いについてだけ。それ以外のことについては、あたしたちだけの判断で迂闊なことはできないの。当然でしょう?」

 

 どうやらそう上手くはいかないようで、ダークエルフの子供はにべもなくノワールの言葉を跳ねのけてみせる。これでは情報一つ探るだけでも骨が折れそうだ。

 カータが内心で舌打ちする中、一切表情の変わらぬノワールは異形たちの対応を気にした様子もなく小さく頷いた。

 

「そうか、分かった。ではそろそろその戦場とやらに向かうとしよう。あの二人が根を上げる前に準備を進めないと……。ご同行は願えるのかな?」

「それも残念、無理だね。あたしたちはここで待機しながらあなたたちの力とやらを見定めさせてもらうよ」

 

 どこまでも非協力的な態度に、一気に頭に血が上る。

 思わず大きく口を開きかけ、しかし何かを口に出す前にダークエルフの子供がこちらに掌を突き出してきた。

 

「一応言っておくけど、一緒に行かないのはあなたたちのためだよ。あなたたち以外のエルフたちにあたしたちの姿を見せて混乱させるわけにはいかないし、落ち着いた状況でないとあなたたちを冷静に観察することもできないでしょう?」

「……っ……!!」

 

 ダークエルフの子供の言葉に、カータは思わず言葉に詰まって唇を噛んだ。そう言われてしまっては、こちらとしては何も反論することができない。

 思わず顔を顰める中、不意にノワールがこちらを振り返ってきた。付いてくるように軽く合図を送ったとほぼ同時に天幕の外へと足を踏み出す。

 カータはチラッと異形たちを見やった後、半ば無理矢理視線を剥がしてノワールの背中へと駆けていった。

 ノワールと共に騒がしい天幕の外へ出ると、そのまま足早に基地の南側……法国軍が来ているであろう方向へと向かう。

 

「……あの異形たちは信用ならない。あのバードマンがいない間は特に……。カータ・ファル=コートレンジ、あなたも注意しておいて」

「はい、承知しています」

 

 歩む足はそのままに、不意にノワールからかけられた言葉にカータは迷いなくはっきりと大きく頷く。

 睨むように前を見据えて歩を進めながら、カータの頭の中ではワザとらしい笑みを浮かべて手を振っているダークエルフの子供の姿が浮かび、どうにも離れずに暫くの間消えることがなかった。

 

 




*今回の捏造ポイント
・魅了の森猫《チャームファルス》;
神話や童話や逸話などにも出てこない完全オリジナル・モンスター。
レベルは10台。体長3メートル以上の豹のような姿をしているが、色は黒に白斑、脚は六本生えている。長い指や爪を駆使し、どんな悪路でも難なく駆けることができる。攻撃的な見た目に反して性格は大人しく、物理攻撃よりも精神攻撃や状態異常の攻撃を得意としている。


【オリキャラ編】
・ルーチェ・エクト=グランツ:
エルフ軍の聖光第二部隊の隊長。
各部隊の隊長たちの中でも最年少。
正義感が強く、良くも悪くも熱い性格。
自身の中の正義の基準に当てはまるのであれば、相手が人間や異形であろうと親しみを持って接する(ある意味)純粋な性格の持ち主。

・シャル・イン=オズリタース:
エルフ軍の魔光第二部隊の隊長。
いつもオドオドとしており、根暗でネガティブ思考。
過去にルーチェと関わりがあったようで、彼女に対してのみ異常な執着心を見せる。

・オルディン・ヴェル=ストラーダ:
エルフ軍の導手第一部隊の隊長。
エルフ軍の中でも古参の一人であり、厳格な性格で口煩く頑固な部分がある。
若い兵士たちには苦手意識を持たれている。


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第62話 変化の足音

今回も一か月以内に次の話を更新できたぞー!!
どうした自分……。
この勢いでエルフ王国編(法国編)を一気に終わらせたいな……。


 バハルス帝国の帝都アーウィンタール。

 多くの人々が行きかい、賑わい、活気のある街中で、今日は特に騒がしくなっている一つの店があった。

 垂れ下がっている看板に書かれているのは“歌う林檎”亭という文字。

 食堂と宿を兼ねているこの店は普段から大きな賑わいを見せてはいたが、しかし今日はいつにも増して多くの人々が訪れ、溢れ、その多くが一人の男に群がっていた。

 

「――……いやぁ、ネーグルさん、この前の武王との試合は残念だったなぁ」

「いやぁ~ん、ネーグル様が負けるところなんて見たくなかったですぅ~」

「ちょっと、ネーグル様になんてこと言うの!? それよりもお怪我はなかったですか? 武器が折れてしまって、ネーグル様にお怪我がなかったかすっごく心配していました!」

「ネーグルさん、だから言ったでしょう! あのような武器で武王に立ち向かおうと考えること自体が無謀ですわ! 仰って下されば、こちらでそれ相応の武器を用意しましたのに! ちょっと、聞いておりますの!?」

 

 多くの人間に群がられているのは、この“歌う林檎”亭を拠点としているワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル。

 彼に群がっている人々は老若男女問わず、男に女、子供から老人に至るまで幅広く集まり口々に彼に話しかけていた。しかし比率で言えばやはり若い女たちが多くの割合を占めており、中でも一人の少女が怒りの剣幕でレオナールに食って掛かっていた。

 

「残念な結果になってしまい、ノークランさんの顔に泥を塗ってしまったことはお詫びします。……やはり武王は強い。私もまだまだですね」

「ど、泥を塗ったとか、そういうことを言っているのではありませんわ! それに、そういうことは一切思っておりません! ただわたくしは、その……悔しいだけですわ! 武器が壊れたから敗北だなんて……あなたの力はあんなものではないはず! それなのに、あの試合であなたが侮られることになるのが悔しいのです!」

 

 少しどもりながらも必死に言い募っているのは、レオナールと武王との試合をセッティングした張本人の一人であるソフィア・ノークラン。

 頬を紅潮させて少し恥ずかしそうにしながらもはっきりと言い切る少女に、レオナール……ウルベルト・アレイン・オードルは思わず驚愕に小さく目を瞠った。彼女の言葉が予想外で、ついマジマジと見つめてしまう。

 恐らく顔にデカデカと『意外だ』とでも書かれていたのだろう、途端にソフィアが不服そうな表情を浮かべて上目遣いにこちらを睨んできた。

 

「……なんですの、その顔は。仰りたいことがあるのなら、はっきりと仰って」

「いえ、少し……そう、意外に思ったものですから。あの試合で誰かに侮られるようになるとは考えていませんでしたが……、そうですね、あなたの心遣いには感謝します」

「……感謝なんて不要ですわ。ですが、あなたの名誉を挽回する手助けは是非させて下さい。恐らくすぐには無理でしょうけれど、また武王と再戦できるようにして見せますわ!」

「はぁ、まぁ……気長にお待ちしておりますよ」

 

 内心では『余計なことをしないでほしい』と思ったが、流石にそのまま正直に口に出すわけにもいかず、曖昧に頷くだけにとどめる。とはいえため息までは抑えきれず、ウルベルトは周りにバレないように小さく息を吐き出した。

 一度ゆっくりと瞼を閉じ、数秒後に再び瞼を開いてザッと周りに視線を巡らせる。

 店の中には多くの人々が犇めき合っており、その多くがウルベルトを囲んでワイワイと騒いでいた。これは店にも迷惑がかかっていそうだな~……とチラッとカウンター奥の亭主に目を向け、案の定渋い表情を浮かべてこちらを見つめていた亭主とバッチリと目が合う。

 ウルベルトは一度小さな苦笑を浮かべると、これは早々にこの場を去った方がいいかもしれない……と店を出る算段を始めた。

 どのみちこのままずっと店に留まるつもりはウルベルトとてないのだ。いくら今は大人しくしておく時期とはいえ、時間は有限であるため一時も無駄にはできない。

 ウルベルトは未だ騒いでいる人々に改めて目を向けると、次にはニッコリとした営業スマイルをその顔に浮かべた。

 

「皆さんに心配して頂けて本当に嬉しいです、ありがとうございます。しかし名残惜しくはありますが、私はそろそろ行かなければなりません。少々大切な用事がありまして……、また次の機会にお話しましょう」

 

 瞬間、ウルベルトの微笑に恍惚とした表情を浮かべていた人々が途端に残念そうな表情を浮かべる。

 しかしウルベルトは小さな謝罪を繰り返しながらもさっさと座っていた椅子から立ち上がった。ギュウギュウ詰めに犇めいている人間たちの間を縫うように器用に進み、ウルベルトは素早く“歌う林檎”亭から脱出した。

 しかしここで一息つく訳にはいかない。道行く人々にこちらの存在に気付かれて声をかけられてはまた騒ぎになる可能性が高く、そうならないためにウルベルトは素早く近くの物陰へと滑り込んだ。建物と建物の間の影に潜み、アイテムボックスを開いて何の変哲もない唯のローブを取り出す。ウルベルトは素早くローブを身に纏わせると、フードを深く被って改めて影から出て街中へと足を踏み出した。

 フードを被って素顔が隠れたため、街行く人々はウルベルトの正体に全く気が付かない。逆に“レオナール・グラン・ネーグル”であれば必ず起こる“人が避けて道ができる”という現象も起こらなかったが、そこはウルベルト自身が器用に人々の波をかき分けているため問題は一切なかった。

 勝手気ままに快適に歩きながら、ウルベルトは『さて、どこに行こうか……』と思考を巡らせた。

 今ウルベルトが主に進めている計画や案件は早いものでも次の段階まで少しだけ時間の余裕がある。加えてナザリック全体としては現在法国とエルフ王国に対して本格的な接触を行い、大きな作戦に着手しているため、そちらに集中するためにも余計に動いて新たな案件を増やすわけにもいかなかった。

 何ならワーカーとしての仕事を熟してもいいのだが、現在ニグンはペロロンチーノの元へ出張中であるし、ユリも今はナザリックに戻っている。この状況で一人で仕事をしようものなら、『御身の安全がっ!!』とシモベたちにうるさく言われるのは必至だった。ウルベルトとしてもできるならお説教は受けたくない。

 はてさてどうしようか……と歩を進めながらぐるっと周りを見渡す中、ふと見覚えのある人物を視界に捉えてウルベルトは咄嗟に足を止めた。数秒凝視して人影が思い浮かべた人物で間違いないことを確認すると、徐に足先をそちらに向けて再び足を踏み出す。

 ある程度距離が縮まったところでウルベルトは笑顔を顔に張り付けると、被っていたフードを取り払いながらその人物たちへ声をかけた。

 

「おや、こんなところで会うとは奇遇ですね。本日はお休みですか?」

「っ!? ネーグル殿!」

 

 ウルベルトが足を止めたのは、どこか“歌う林檎”亭に似た佇まいの飲食店のオープンテラス。そこには突然のウルベルトの登場に驚愕の表情を浮かべているワーカーチーム“フォーサイト”のメンバーがいた。

 彼らは一つの円形のテーブルを囲むようにして椅子に腰かけている。

 しかしその円陣の中に見慣れぬ存在を見つけて、ウルベルトは小さく目を瞠った。

 

「……おや……?」

 

 驚愕のあまり、声も無意識に口から零れ出る。

 しかしそれは仕方がないことだと思われた。

 “フォーサイト”と同じ席についていたのは、未だ幼い二人の少女たち。恐らく双子なのだろう、よく似た容姿を持つその少女たちをウルベルトは一度だけ見たことがあった。

 

「……あっ……」

 

 少女たちも思い出したのだろう、最初は不思議そうな表情を浮かべてこちらを見つめていたが、徐々にその顔に驚愕の色を浮かべ始め、少女の一方は小さな声さえ上げてくる。

 しかし少女たち自身にとっては幸いなことに、彼女たちはすぐに何かを思い出したようにハッとした素振りを見せると、次には二人同時に小さな両手で自身の口を覆い隠して見せた。二人はその状態で顔を見合わせると、ほぼ同じタイミングで頷き合う。

 双子のその可愛らしい一連の動作に、訳が分からない“フォーサイト”のメンバーは一様に不思議そうな表情を浮かべた。

 

「クーデ、ウレイ、どうかしたの?」

 

 “フォーサイト”のメンバーの一人である少女――確か以前アルシェと名乗っていたはずだ――が双子の少女に声をかける。

 しかし少女たちは一度アルシェに目を向けると、次には再び顔を見合わせてクスクスと可愛らしく笑って見せた。

 

「秘密なの。クーデリカとウレイリカの秘密」

「誰にも言っちゃダメなの。しー、なんだよ」

 

 二人で『しーっ』と口の前に人差し指をたてて、次には再びクスクスと笑い声を上げる。

 何とも微笑ましく可愛らしい様子に、“フォーサイト”のメンバーたちは誰もがなおも疑問を深めながらも表情を笑みの形に綻ばせた。

 

「随分と可愛らしい客人ですね。本日は彼女たちの護衛か何かですか?」

「ははっ、そんなものです。実はこの二人はアルシェの妹なんですよ。俺たちも実際に会ったのは今日が初めてなんですが」

「なるほど、そうでしたか」

 

 冗談を交えながら問いかければ、“フォーサイト”のリーダーであるヘッケランも笑い声を零しながら応じてくれる。

 ウルベルトはそれに小さく頷くと、改めて金色の双眸を双子の少女たちへ向けた。

 彼女たちと初めて会ったのはレイナースと密会した帰り道。素振りだけで黙っているように指示を出し、念のため影の悪魔(シャドウデーモン)を放ってもし自分たちについて誰かに話すようなら始末するように命じていた。しかし先ほどの様子と今生きてこの場にいることから、どうやら彼女たちは言いつけ通りにこちらの存在について誰にも話さず、ずっと黙っていたようだ。

 そのことにウルベルトは内心で安堵の息をついていた。

 ウルベルトの本音としては、やはり幼い子供を手にかけるのはできるだけ避けたいことだった。元々子供好きということもあるが、『子供は無限の可能性そのものであり、大切な存在である』というのがウルベルトの持論だった。勿論少しでも不穏分子になり得るのであれば命を奪うことも吝かではないし、その時には迷いなく実行できると自負している。しかし、やはりそうしなくて済むのならそれに越したことはない。

 ウルベルトは顔に満面の笑みを張り付けたまま双子の元まで歩み寄ると、その場でしゃがみ込んで双子と目線を合わせた。

 

初めまして(・・・・・)、私はレオナール・グラン・ネーグルと申します。良ければ名前を教えてくれませんか?」

「クーデリカっていうの!」

「ウレイリカっていうの!」

「そうですか、宜しくお願いしますね」

 

 元気いっぱいに自己紹介をしてくる双子に、ウルベルトは軽くその頭を撫でてやる。それでいてしゃがみ込んでいた状態から立ち上がると、次にはヘッケランへと視線を戻した。

 

「……そういえば、ここにいて大丈夫なのですか? 以前はフルトさんを探していた金貸したちが騒ぎを起こしていましたが……。彼らとの問題は解決しましたか?」

「っ!! ……あー、そうですね……。少し、あちらで話しましょうか」

「さっ、クーデリカちゃんとウレイリカちゃんはお姉さんと一緒に美味しいお菓子でも食べましょう! ケーキが良いかしら?」

 

 ウルベルトの問いかけに、途端にこの場の空気が一気に張り詰める。彼らの反応から、『どうやら直球に聞いては不味い話題だったか……』とウルベルトは内心で独り言ちた。

 ウルベルトとしてはただふと思い出して口に出してみただけの話題だったのだが、ヘッケランたちはギクッと身体を強張らせた後に少し離れた席を勧め、イミーナは双子の少女たちに声をかけて意識をこちらから離させた。

 彼らのあからさまな反応と態度に内心肩を竦めながら、ウルベルトは大人しく促されるままにヘッケランに示された席へと歩み寄って腰かけた。

 ウルベルトと同じ席に着いたのはヘッケランとアルシェの二人。残りのイミーナとロバーデイクの二人は双子の少女たちの相手をして、こちらに意識を向けさせないようにしている。

 ウルベルトは大袈裟なまでに明るく振る舞っているイミーナとロバーデイクをチラッと見やると、次には改めて目の前に座るヘッケランとアルシェに目を向けた。

 

「……軽々しく口に出して良い話題ではありませんでしたね。申し訳ありません」

「いえ、ネーグル殿はあの時あの場にいましたし、気にかけて頂けて光栄です! ただ、その……あの子たちは家の事情を何も分かっていませんので……」

「なるほど、確かにこういった問題を理解するには年齢的にもまだ難しいでしょう。……ですが、その様子からして金貸したちとの問題はまだ解決できていないのですか?」

「お金は、地道に返してます。でも……返す端から両親が次々と借りてしまって……、正直、借金の額は増える一方……。流石にこれ以上面倒は見られないと、家を出てきたところです」

「家を出てきた? あの子たちを連れて、ですか?」

「……………………」

 

 無言のまま頷いてくるアルシェに、ウルベルトは思わず困惑の表情を浮かべた。

 ウルベルトの正直な思いとしては『いやいや、あまりにもいろいろと早急過ぎるし、考えが浅すぎるだろう……』というものだった。

 借金の原因である両親から逃げたいという気持ちは理解できる。自分だけでなく可愛い妹たちにまで不幸が降りかかる可能性があるのなら、その気持ちはより一層強いものとなるだろうということも十分理解できる。しかし、それで家を出たとしても、今後の生活についてはどうするつもりなのか。親以外の頼れる大人……例えば親戚などがいれば話は別だが、恐らくそれはいないのだろうと思われた。いるのならもっと早くにさっさと頼るだろうし、金貸したちがアルシェの仕事場にまで来る事態にもならなかったはずだ。

 しかし金貸したちは実際にアルシェの仕事場まで押しかけてきており、その数日後にはアルシェは幼い妹たちを連れて家を出たと言う。これは、自分たち以外で頼れる存在はいないと言っているようなものだった。

 

「しかし、家を出て……それからどうするおつもりですか? フルトさんはワーカー、家を長く空けることも多くあるでしょう。その間、幼い子供たちだけで生活するのは無理なように思えますが」

「勿論、分かってます。だから私は、ワーカーを辞めようと思ってます……」

「ただ、ワーカーを辞めても何かしら働かない事には生きてはいけない。アルシェはこの歳で第三位階まで魔法が使えるので仕事に困ることはないでしょうが、それでもクーデリカちゃんとウレイリカちゃんのことを考えると、できる仕事も限られてくる……。なので、今丁度みんなで知恵を絞っていたところなんですよ」

 

 苦笑を浮かべながら説明してくるヘッケランの目には、その表情とは裏腹に真剣な色が強く宿っている。

 恐らく生半可な覚悟でした決断ではないのだろう。

 それでも現実世界(リアル)で生きてきたウルベルトにとってはまだまだ思慮が浅く甘い考えだとは思うが、それでもその覚悟まで否定するつもりはなかった。

 

「なるほど、理解しました。因みに、フルトさんには頼れる大人はいないのですか? 例えば住み込みで働かせてもらったり、或いはフルトさんが働ている間、妹さんたちを見てくれる方などは?」

「そういった人は、誰も……」

「フルトさんはワーカーになられる前は何をしていらっしゃったのですか? 普通、年若い少女が初めから魔物との戦い方を知っていたり魔法を使えるとも思えないのですが」

「ああ、アルシェは帝国魔法学院の出身なんですよ。そこでは何と、あのフールーダ・パラダインの元で魔法を学んでいたんです!」

「……!? ……ほう、フールーダ・パラダインの……」

 

 思ってもみなかった名前の登場に、ウルベルトは無意識に小さく目を細める。長い髭を生やした老人の姿が頭に思い浮かび、マジマジと目の前の少女を見やった。

 正直に言って、ここでフールーダの名前が出てくるとは微塵も思っていなかった。

 フールーダが帝国魔法学院の創設者の一人であり今も深く関わっていることは知っていたが、それでもまさかアルシェの師であったとは驚きである。

 元々二人には親交があったのか、はたまたアルシェにそれだけの才能があったのか。

 もし才能があったとして、それは実の妹であるあの双子たちにも備わっているのか……。

 『これは一度フールーダにいろいろと聞いてみる必要がありそうだな……』とウルベルトは頭の中でメモをとった。

 ウルベルトは別に博愛主義者でもなければ、どこぞの鳥人のように幼女趣味があるわけでもない。例え『子供は大切な存在である』という持論を持っていようと、基本的には自分たちの利益にならない限りは誰に対しても手を差し伸べようとも思わなかった。

 しかし逆を言えば、彼女たちに利用価値があるのであれば多少の手助けも吝かではない。

 アルシェやあの双子は、果たして助ける価値があるのか。

 もし助けたとして、自分やナザリックにはどういったメリットがあるのか……。

 それを見極めるためには少々時間が必要そうだった。

 

「……話は分かりました。幸いなことに、私はフールーダ・パラダイン様とは面識があります。フルトさんとクーデリカさんとウレイリカさんについて、お力添えを頂けないか私の方で相談してみましょう」

「っ!!?」

「えっ、ほ、本当ですか!?」

 

 ウルベルトの申し出にアルシェは大きく目を見開き、ヘッケランは勢いよくこちらに身を乗り出してくる。

 あまりの食いつき様に、しかしウルベルトは動じる素振りすら見せずにニッコリとした笑みを張り付けた。

 

「ええ、勿論です。もしパラダイン様がご助力下されば、フルトさんもワーカーを辞めなくって済むかもしれませんしね。同業者を助けるのは当然のことですよ」

「あ、ありがとうございますっ!!」

 

 未だアルシェが呆然としている中、その隣でヘッケランが勢い良く椅子から立ち上がって深く頭を下げてくる。

 対照的な二人の様子に内心では『面白いな』と思いながら、ウルベルトは今後について話しを進めることにした。

 

「しかし、すぐすぐにパラダイン様とお会いすることは難しいでしょう。ですので少しだけ時間を頂ければ幸いです。宜しいですか?」

「……あ、で、でも……また家に戻るわけには……」

「任せて下さい! 俺たちも蓄えが全くないわけじゃない。数カ月くらいは働かずに宿に泊まっていても問題ないですよ!」

「でも、ヘッケラン、それは……!!」

「折角ネーグル殿がここまで力を貸してくれるんだ、これぐらい俺たちが出来なくてどうするよ! お前は何も心配するな。それに、俺たちは仲間だろ?」

「っ!! ……う、うん、……ありがとう」

 

 ヘッケランの言葉に、途端にアルシェの瞳が水気を帯び、うるうると潤み始める。咄嗟に顔を伏せて涙を堪える少女に、ヘッケランはまるで兄のような柔らかな笑みを浮かべて金髪の頭に片手を乗せた。

 目の前で繰り広げられる、何とも心温まる仲間愛の光景。

 悪魔となったウルベルトの胸にはこれと言って暖かい何かが込み上げてくることは全くなかったが、しかしそれでも少しだけ胸の内で何かがうずいているような気がした。

 それはもしかしたら人間だった頃の残滓のようなものなのかもしれない。

 しかしウルベルトは一度小さく息を吐き出して未だ小さくうずいているその何かを振り払うと、次には気を取り直して改めてヘッケランたちに目を向けた。

 

「またパラダイン様と会えましたら連絡します。その間に何かありましたら、お気軽にご連絡ください」

「ありがとうございます、ネーグル殿。本当に、助かります」

 

 二人同時に頭を下げてくるヘッケランたちに、ウルベルトは“レオナール・グラン・ネーグル”としての表情を浮かべながら“レオナール・グラン・ネーグル”としての言葉を紡ぐ。

 それでいて頭の中ではこれらのことを今後の動きにどう活用すべきかと思考をこねくり回していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が夜の闇に染まっていき、街に数多の小さな光が輝き始める。

 中でも多くの鮮やかな光を燈りしているのは、帝都の中心に聳え立つ皇城。

 その一室にて、フールーダは皇帝であるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと共に数多の方針や方策について言葉を交わしていた。

 

「――……それでは陛下は、今年の王国への侵攻は取りやめるおつもりですか?」

「そうだ。今の王国は悪魔の軍勢によって相当弱っているようだからな。わざわざ戦をしてこちらの兵や騎士たちを消耗させることもあるまい」

 

 帝国は王国を徐々に弱らせるために敢えて実りの季節を狙って侵攻を行い、ちょっとした小競り合いを引き起こすという作戦を繰り返している。

 王国は帝国と違い、戦いに駆り出される者は殆どが専門の兵士や騎士ではなく民兵であるため、例えちょっとした小競り合いであったとしても、受けるダメージは帝国よりも王国の方が断然大きいのだ。こちらは少ないダメージで相手には大ダメージを与えるというこの作戦は非常に効率的で賢いやり方であると言える。

 それを考えれば、今年は既に相応のダメージを受けている王国に敢えて更なるダメージを与えなくても良いだろうというジルクニフの判断は非常に的を射ており正しいと言えるだろう。通常であればフールーダもその考えに賛同していた。

 しかし今回ばかりはそれに賛同して頷く訳にはいかなかった。

 

「しかし陛下、もはやそう悠長なことを言っていられる場合ではないかもしれません」

「どういう意味だ、じい?」

「その悪魔の軍勢によってもたらされた悪魔のアイテムのことです。今はまだ王国もそのアイテムについて詳しいことは何も分かっていないようですが、いつ使用方法まで見つけて帝国に向けてくるか分かりません」

「……ふむ、確かにそれも一理あるか……」

 

 正直に言って、帝国が王国に対して恐れるものは皆無に等しい。唯一脅威になり得るのは戦士長ガゼフ・ストロノーフの存在だが、それもフールーダと四騎士がいればどうにでもなるようなものだった。

 帝国が王国を徐々に弱らせるという方法をとっているのも、脅威を避けるという理由などではなく、ただ単にこちらの被害が少なく済むようにしたいからというだけの理由なのだ。

 しかしここに来て、脅威となる存在が王国に舞い降りた。

 それは悪魔が残した不可思議なアイテム。

 どういったアイテムなのか分からないものの、悪魔たちが群れを成して取り返そうと襲ってくるほどなのだ、相当強力なアイテムであると考えるのが妥当だ。

 ならばその刃がこちらに向かう前に早々に対策を取る必要があった。

 

「……であるなら、いっそのことこちらからも大きなダメージを与えて王国の余裕をなくしてやるか」

「そうですな。……つきましては陛下、ワーカーチームの“サバト・レガロ”に助力を求めてはいかがでしょう?」

「なに? 何故そこで“サバト・レガロ”が出てくる?」

「実は王国に潜ませております密偵の話によると、どうやらの王国の王族や一部の貴族が今回の侵攻にレオナール・グラン・ネーグルが加わるのではないかと危惧しておるそうなのです」

「……まぁ、確かにワーカーであれば国の要請にも問題なく応えられるからな」

 

 納得したように頷いてくるジルクニフの様子をフールーダは静かに観察するように見つめる。

 彼が今何を思い何を考えているのかは流石のフールーダでも推し量ることは非常に難しい。

 しかし分からないとしてもフールーダには既に全てを捧げるべき神がおり、何としても神から命じられたことを遂行しなければならなかった。

 

「実際に戦ってもらわなくとも、部隊に参加してもらうだけでも王国に対しては効果的な抑止力となりましょう。加えて万が一王国が悪魔のアイテムを今回の戦に持ち込んできたとしても、ネーグル殿であれば対処できるかもしれません」

「ふむ……、一度“サバト・レガロ”に依頼してみるのも良いかもしれんな」

 

 ジルクニフの好反応に、フールーダは思わず内心で安堵の息をつく。

 これなら神に命じられたことを問題なく遂行できそうだ。

 思わず小さく胸を撫でおろすフールーダに、ジルクニフから何かを問うような声音で名を呼ばれる。

 しかしフールーダはすぐさま表情を取り繕うと、何でもないと頭を振った。

 まるで我が子のように可愛くて愛しい存在であるジルクニフ。

 しかしそんな彼にも神の存在だけは知られるわけにはいかない。少なくとも神からの許しを得るまでは、勘づかれるわけにはいかなかった。

 

「じい、大丈夫か? 何か気になることでも?」

「いいえ、陛下。少し考え事をしていただけです。お心遣いに感謝します」

 

 怪しまれないように、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを意識して浮かべる。

 安心したように顔を緩めて小さく頷いてくるジルクニフに少し胸が痛んだが、フールーダは敢えてそれを無視した。

 例え何を犠牲にしても、自分には叶えたい夢がある。

 そのためならば何でもして見せる……と改めて胸の中で決意すると、フールーダは崇拝する神のために再びジルクニフに毒かもしれない言葉を吐き出し始めた。

 それは本当に毒なのか、それとも楽園への道しるべなのか……。

 フールーダとジルクニフとの話し合いは今夜も長く続き、夜の闇を照らす光は明け方まで消えることはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、ここはナザリック地下大墳墓の第九階層のアルベドの私室。

 部屋の主であるアルベドは、一人椅子に腰かけてテーブルの上に積み重ねられている多くの書類に注意深く視線を走らせていた。

 現在アルベドはこのナザリック地下大墳墓の管理だけでなく、“ヘイムダル”としての任務も多く熟している。やるべきことは多くあり、しかしどれ一つとして決して疎かにはできないものだった。書類一つとっても、一つも問題が起きないように細かな部分まで隅々まで注意深く確認していく。

 暫く続く、紙が擦れる小さな音とペンが走る音のみが響く時間。

 いつまでも続くその時間は、しかし前触れもなく唐突に終わりを告げた。

 アルベドは紙に走らせていたペンの動きを止めると、徐に俯けていた顔を上げた。書類に向けていた金色の瞳を、壁に取り付けている時計へと向ける。

 長針と短針が告げる時間を確認すると、アルベドは持っていたペンと書類をテーブルの上に置いて素早く椅子から立ち上がった。

 壁掛けの時計は、もうすぐアルベドの大切な主の一人がナザリックに帰還する時間を示している。書類仕事は中断し、今は主を出迎える準備をしなくてはならない。

 アルベドは執務室である今の部屋から寝室の方へと移動すると、備え付けられているクローゼットに一直線に向かい大きく扉を開いた。

 今まで仕事をしていたことで汚れた服装のまま大切な主を出迎えるわけにはいかない。

 アルベドはクローゼットの中から今着ている物と全く同じデザインの白のマーメイドドレスを取り出すと、時間に遅れないようにと素早く服を着替えた。長く艶やかな黒髪にも櫛を走らせ、身支度を整える。

 最後に姿見の前で念入りな最終チェックを行うと、アルベドは柔らかな微笑を浮かべて踵を返した。

 次に向かうのは近くに置かれた棚付きのデスク。

 一番上の棚を開き、その中から美しい装飾が施された箱を取り出す。

 恭しい手つきで蓋を開ければ、中には三つの指輪が綺麗に並んで収まっていた。

 この指輪はナザリックの至宝の一つである“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”。

 『外の世界に持ち出すのは危険だから』と自身に預けられた主たちの指輪をうっとりと眺めると、アルベドは徐にその一つを手に取った。それを一度テーブルの上に置き、残りの指輪はそのままに箱の蓋を閉めて棚の中に戻す。そして改めてテーブルの上に置いた指輪を大切に手に持つと、アルベドは自身が貰い受けて常時装備している指輪の力を発動させて転移した。

 転移した先はナザリックの地上部分である霊廟。

 そこで暫く待っていれば、数分後、心待ちにしていた主の一人が空間転移で突如姿を現した。

 その姿は見慣れた骸骨のものではなく、漆黒の全身鎧(フルプレート)に覆われた戦士のもの。

 しかし主はすぐさまその姿をいつもの骸骨の姿に戻すと、ゆっくりとこちらを振り返ってきた。

 こちらに向けられた眼窩の紅色の灯りに、アルベドはすぐさま片膝を地面につけて深々と頭を垂れた。

 

「お帰りなさいませ、モモンガ様」

「……ああ、ただいま、アルベド」

 

 帰還したのは、今もナザリックに残ってくれている至高の主の一人であるモモンガ。

 こちらを振り返って声をかけてくれるモモンガに、アルベドは胸を高鳴らせながらも柔らかな微笑と共にその場で立ち上がった。徐にモモンガへと歩み寄り、預かっていた“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”をモモンガへと差し出す。

 モモンガは短い礼の言葉と共に指輪を受け取ると、自身の骨の指にそれを嵌めた。

 

「今から円卓の間へ行く。アルベド、お前も共をせよ」

「はい、畏まりました」

 

 まだ傍にいても良いという許可をもらい、途端に胸が歓喜で激しく高鳴る。アルベドは一度恭しく頭を下げると、一足先にさっさと転移してしまったモモンガを追って自身も指輪の力で第九階層へと転移した。

 薄暗い霊廟の光景が、一気に白亜の美しい廊下の光景へと変わる。

 すぐ目の前にはモモンガが立っており、アルベドが転移したのを確認してからこちらに背を向けて歩を進め始めた。

 恐らく先ほどの言葉通り円卓の間に向かうのだろう。迷いのないその足取りに、アルベドも当然のようにその背に付き従う。

 円卓の間の扉の両脇には鎧姿のシモベが立っており、モモンガとアルベドの登場に礼と共に扉を開いた。

 当然のように素早く扉を潜るモモンガに、アルベドもその後を追って円卓の間へと足を踏み入れる。

 モモンガはいつも座っている椅子まで歩を進めると、そのまま勢いよく椅子に深く腰掛けた。アルベドは椅子に腰かけることはせず、モモンガの前まで歩み寄ってそのまま控えるように立つ。

 モモンガは椅子の背もたれに深く身体を預けると、小さく顔を俯かせて深く大きな息を吐き出した。

 そのひどく疲れているような様子に、途端に大きな不安が胸に湧き上がってきた。

 何か心配事があるのか……。

 自分たちにできることはないのか……。

 不安のまま口を開きかけ、しかしその前にモモンガが軽く手を挙げてきた。

 

「ああ、すまないな。私としたことが、ナザリックに戻ってきたことで少し気を緩めてしまったようだ」

「……!! いいえ、モモンガ様が謝罪を口にされることなど何一つございません! モモンガ様にお寛ぎ頂けているのであれば、それに勝る喜びはありません!」

「ありがとう、アルベド。ナザリックは私にとって大切な帰るべき場所だ。そしてそこには、大切な仲間たちの子供であるお前たちがいる」

「ああ、モモンガ様っ! そのように思って頂けるとは、望外の極みにございます!!」

「ははっ、こちらこそ……お前たちは私の喜びそのものだ。……これで後はペロロンチーノさんとウルベルトさんもいてくれたら良かったのだが……。まぁ、あの二人も何かと忙しくしているからな……」

「モモンガ様……」

 

 最後に小さく呟かれた独り言のような言葉に、アルベドはモモンガの憂いを思って胸をひどく痛めた。

 ふとユグドラシルにいた頃の記憶が蘇る。

 当時モモンガはアルベドが控えていた第十階層の玉座の間にはあまり来てはくれなかったが、それでもアルベドはモモンガがどれほど他の至高の主たちの来訪を切望していたのかを知っていた。そのため、あの運命の日にペロロンチーノとウルベルトが現れた時はアルベドも心の底から歓喜したものだった。

 勿論『至高の主たちが戻ってきてくれた』という純粋な喜びもあった。しかしアルベドの場合はそれだけではない。

 『これでモモンガ様がお喜びになる!』と歓喜に胸を震わせたのだ。

 しかしナザリックが異世界に転移してしまい、自分たちが不甲斐ないばかりに、至高の主たちは数多の問題を解決するために別々に行動することを余儀なくされてしまった。

 自分たちの力が及ばないばかりに、モモンガの願いを妨げてしまっているという現実が口惜しくて情けなくて仕方がなかった。

 

(……いいえ、諦めては駄目よ、アルベド。力が及ばないにしても努力することはできる。少しでも尽力して早くモモンガ様がペロロンチーノ様とウルベルト様と一緒に過ごすことができるようにしなくては!!)

 

 アルベドはそっと拳を握りしめると、決意を新たに顔を引き締めた。

 

「……それで、アルベド。まずは昨日はご苦労だった。報告をしてくれるか」

「はい、モモンガ様。死の花嫁(コープスブライド)の報告によりますと、“朱の雫”が出現する前に既に“蒼の薔薇”のイビルアイに対して精神攻撃をしかけていたとのことです。しかし結果は、どうやら無力化されて上手くいかなかったようです」

「無力化? アイテムによるものか?」

「申し訳ありません、そこまでは分かりかねます。しかし、コープスブライドの話によると、アイテムやレベル差によっての強制的な無力化ではなく、まるで最初から効果がないような感覚を覚えたとのことです」

「ふむ……、であれば考えられるのは、唯の無力化能力ではなく特殊技術(スキル)や種族的なものによる無効化能力か? もしや、異形種……? いや、しかし……あり得るのか……?」

 

 モモンガは顎に長い人差し指を引っ掛けるように添えながら、考え込むように黙り込む。

 アルベドもまたモモンガの様子を注視しながらも今回のことに思考を巡らせた。

 精神攻撃に限らず、多くの攻撃手段は相手とのあらゆる条件によってその効果が左右される。それは自身とのレベル差や取得している特殊技術(スキル)や装備しているアイテムや種族など、理由はそれこそ様々だ。加えてこの転移世界では“生まれながらの異能(タレント)”や“武技”といった未だ解明でいていない未知の力も存在している。そんな中でコープスブライドの精神攻撃が無力化された原因を探るのは、あまりに情報が少なすぎて非常に困難だった。

 

「……今回の作戦はどうやら失敗だな」

「っ!! そんな、失敗などと!! 至高の御方々の策略が失敗することなどあり得ません!!」

「ははっ、ありがとう、アルベド。しかし私やペロロンチーノさんやウルベルトさんも失敗することもあれば間違えることもある。ウルベルトさんも以前同じようなことを言っていただろう?」

 

 骨の顔であるため表情は分からないものの、しかし穏やかな声音で言ってくるモモンガにアルベドは返す言葉が見つからずただ深々と頭を垂れた。しかし『やはりモモンガ様にはまだ深いお考えがあるのだ』という考えが強くアルベドの頭の中を占めていた。

 モモンガもペロロンチーノもウルベルトも……至高の主たちは自分たちなど足元にも及ばないほどの深い叡智を持っている。先ほどモモンガは『失敗だ』と口にしていたが、その口調は始終穏やかだった。恐らくモモンガにとっては今回の失敗も想定の内だったのだろう。失敗することも見越した上で今回の作戦を実行した可能性が非常に高い。『失敗した』と言って詳細を自分に教えてくれないのは、偏に自分が未だ力不足であるが故なのだろう。

 

(……もしかしたら“朱の雫”の出現もモモンガ様は想定されていたのかもしれないわね。……嗚呼、自分の無能さが口惜しい! これではまだまだ駄目ね、もっと精進して御方々のお役に立てるようにしなくては! まずは手始めに、やはり情報収集が重要になってくるわね。もっと“蒼の薔薇”のイビルアイについて情報を集めましょう。……嗚呼っ、きっとウルベルト様はこれらの流れを予想して私に“ヘイムダル”を任せて下さったに違いないわ! 本当に、恐ろしい御方々……。)

 

 至高の主たちの途方もない先見の明に、思わず小さく身を震わせる。

 しかし美しいその顔に浮かんでいるのは恍惚とした蕩けた微笑で、アルベドは一度熱い吐息を零すと改めて顔を上げてモモンガを見つめた。

 

「モモンガ様、わたくしの方でも“ヘイムダル”を使い、イビルアイについて情報を集めます」

「ああ、頼む。だが、くれぐれも相手にはバレないように気を付けるように」

「はい、畏まりました」

 

 モモンガから許可を貰い、アルベドは胸の前に右手を添えると片膝をついた深々と礼をとった。

 

「……ああ、そうだ。アルベド、一つ相談があるんだが構わないか?」

「っ!! も、勿論でございます! わたくしなどで宜しければ、是非モモンガ様のお力にならせて下さい!!」

 

 唐突なモモンガからの言葉に、思わず驚愕のあまり目を大きく見開いてしまう。それと同時に湧き上がってくるのは、言葉では言い表せないほどの強く大きな歓喜。

 思わず身を乗り出して言い募ってしまう中、モモンガは少しの間を空けてから徐に骨の口を開いてきた。

 

「……あ、ああ、お前の気持ちを嬉しく思うぞ、アルベド。それで、相談のことなのだが……今回の作戦で仲間同士の……つまりチームとしての戦闘経験を積むことも今後は非常に重要になってくると感じたのだ。ついては、今後そういった経験も徐々にでも積んでいけるようにしていきたいと考えているのだが、アルベドは何か意見や案はないか?」

「チームとしての戦闘経験……。モモンガ様、それは主にわたくしたち守護者を対象としてのお考えでしょうか?」

「勿論それもある。だがお前も知っての通り、私もペロロンチーノさんもウルベルトさんも純粋な後衛職だ。後衛職は前衛職がいてこそ十全な力を発揮することができる。つまり、私とペロロンチーノさんとウルベルトさんの三人チームだけでは、万が一のことがあった場合に対応しきれない可能性が出てきてしまうのだ」

「……………………」

 

 モモンガの言葉に咄嗟に否定の言葉を発しかけ、しかしアルベドは既のところでそれを呑み込んだ。

 頭に過ったのは、ユグドラシルにいた頃の記憶。

 アルベド自身は実際に目にしたことはなく聞いただけの情報ではあるのだが、ユグドラシルにいた頃、このナザリック地下大墳墓は一度だけ大規模な侵入を許したことがあったらしい。その時は第八階層まで侵入を許し、そこで至高の御方々が全員で対処されて事なきを得たという。

 侵入者の規模がとてつもなく大きく、約1500人と人数が多かったというのも勿論あるだろう。しかしそれでも至高の御方々全員が対処しなくてはならないほどの戦力があの侵入者たちには確かにあったのだ。

 そしてこの世界にも同じような存在が絶対にいないとは言い切れない。

 至高の御方々も、今やナザリックにいるのは三人のみ。

 それを考えれば多面的な更なる戦力の強化は必要不可欠であると思われた。

 

「畏まりました。確かに、必要な対策であると思います。つきましては、まずはわたくしの方で戦闘経験を積めるようにするための方策や場所の具体案などをお任せ頂けないでしょうか? その後、モモンガ様に改めてご相談させて頂き、それからペロロンチーノ様とウルベルト様にご提案されてはいかがでしょう?」

「ふむ……」

 

 アルベドの提案に、モモンガは再び顎に指を添えて考え込む。眼窩の中で紅色の灯りが小さく揺れ動き、アルベドはじっと黙ってそれを見つめた。

 それから暫く経ち、モモンガは徐に顎に添えていた指を離してこちらに顔を向けてきた。

 

「分かった、お前に任せよう、アルベド」

「ありがとうございます、モモンガ様!」

 

 アルベドはまた一つ主の役に立てる機会を得られたと、満面の笑みを浮かべて頭を下げる。それでいてアルベドは必死に自身を奮い立たせた。

 モモンガは自分を信頼して今回のことを任せてくれたのだ、それを決して裏切るわけにはいかない。

 モモンガの期待を裏切らないこと。

 至高の主たちの役に立つこと。

 そしてほぼ同時に頭に過った光景に、アルベドは思わず顔に浮かべている笑みを深くした。

 至高の主たちが一緒に寛ぎはしゃぐ、ユグドラシルの黄金期では当たり前のように見ることができた光景。

 その光景を再び見ることが出来たなら……!

 

(……嗚呼、とても待ち遠しいわ。早くその日が来るように死力を尽くさなくては……!)

 

 アルベドは密かな決意を胸に、下げていた頭を上げて真っ直ぐにモモンガを見つめた。

 

 




一番最初(第0話)でも書いているのですが、当小説……と言うよりかは、私が書くオーバーロードの小説では、NPCたちの優先順位は
『創造主>(越えられない壁)>アインズ(モモンガ)、ウルベルト、ペロロンチーノ>至高の41人>(越えられない壁)>ナザリックの仲間たち>(越えられない壁)>ナザリック外』
となっております。
また、他にも『自身が属している階層を創った至高の主を優先する』という設定や、『どちらもいない場合は一時唯一ナザリックに残っていたモモンガが最優先となる』という設定もあります。
ので今回のアルベドは、勿論ペロロンチーノやウルベルトにも心からの忠誠を誓ってはいますが、やはりモモンガにはより一層強い思い入れがあるような感じになっております!


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第63話 裏側

今回はエルフの前線軍のお話です。
そして今回はニグンさんが大活躍します!
どうぞお楽しみください!(笑)
また、今回は少し刺激の強い描写がありますので、苦手な方はご注意ください。


 エイヴァーシャー大森林にある森妖精(エルフ)軍前線基地。

 色鮮やかな天幕が立ち並ぶ基地内では先ほどから多くのエルフたちが忙しなく声を張り上げ駆けまわり、何とも騒がしい様相を呈していた。

 敵国である法国の軍が迫ってきている真っ最中なのだから、この騒々しさは仕方がないことであると言えるだろう。

 エルフたちは準備が出来次第次々と戦場である前線へと飛び出していっており、基地に残る負傷者たちは苦痛の表情を浮かべながらも戦場に向かう者たちの準備を手伝っていた。

 まるで蜂の巣を突いたような騒々しさの中、しかし一つの天幕の中だけは穏やかな静寂に包まれていた。

 目に鮮やかな緑色の天幕の中にいたのは、アウラとコキュートスとニグン。

 彼らは〈転移門(ゲート)〉を使って椅子やら巨大なテーブルやらナザリックの紋章が刺繍された旗やらアイテムやらを次々と持ち運んでは天幕の中を彩っていた。

 因みにそれまで天幕内にあった家具などは天幕の隅の方に全て追いやられてしまっている。

 しかしアウラたちはそれを一切気にすることなく、自分たちの思う通りに天幕内を整えて最後には満足の息を大きく吐き出した。

 

「よし! 準備オッケー! そろそろあっちも始まる頃かな? 早速お仕事に取り掛かろっか」

 

 アウラは満面の笑みを浮かべると、深く椅子に腰掛けてパンッと両手を打ち合わせる。コキュートスも自身の席に着く中、ニグンがアウラの指示に従って巨大な鏡をアウラとコキュートスの正面にあるテーブルの上に移動させた。

 テーブルの上の宙に低空浮遊しているのは“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”。

 至高の主たちから借り受けた貴重なアイテムを前に、アウラとコキュートスは自然と背筋を真っ直ぐに伸ばした。

 

「……さてと、それじゃあ様子を見てみよっか!」

 

 ニグンが控えるように自分たちの背後に移動するのを確認してから、アウラはそっと鏡へ手を伸ばす。

 瞬間、鏡面が淡い光を宿して徐々にこの場とは異なる光景を映し出し始めた。

 現れたのは深い森の中の光景。

 軽鎧を身に纏ったエルフたちが緊張の表情を浮かべてそれぞれの得物を握りしめており、彼らの視線の先には白銀に輝く異様な軍勢が対峙するように立っていた。

 彼らは鎧を着ている者もいれば裾の長いローブを身に纏っている者もいる。決して統一されている訳ではない服装は、しかしその色合いだけは全て統一されて同じだった。

 彼らが身に纏っているものは全てが純白。

 緑生い茂る森の中ではその色はあまりにも不自然で、彼らを見る者の目には異様なもののように映った。加えて彼らの異様さを更に際立たせる存在が彼らの頭上に浮かんでいた。

 長い裾をユラユラと揺らめかせながら浮かんでいるのは大量の天使の群れ。

 その多くが巨大な黄金色の盾を持ったモノや炎の剣を持ったモノで占められており、しかしよく見ればその他にも違う種類の天使が幾体か群れの至る所に浮かんでいた。

 

「……天使の軍勢……。……うへぇ~、あんなにウジャウジャいると流石に気持ち悪くなってきちゃう」

「フム……、守護ノ天使(エンジェル・ガーディアン)炎ノ上位天使(アークエンジェル・フレイム)カ……。他ニモ幾体カ違ウ天使ガ召喚サレテイルヨウダナ」

「そうみたいだね。でも、そうは言っても全体的にレベル低いし、これなら普通に勝てるんじゃない?」

「いえ、アウラ様、それは些か早計かと。あれらの天使のレベルでも、通常は脅威の分類に入ります。それもこの数を相手にするとなると、エルフたちだけでは少々荷が勝ち過ぎているやもしれません」

「まぁ、数はすごいよね。数の暴力って奴?」

 

 明るい口調で小さく首を傾げるアウラに、ニグンは無言のまま苦笑を浮かべる。

 コキュートスも無言のまま小さく頷いており、この天幕の中だけが変わらぬ和やかな空気を漂わせていた。

 

「でも私たちの今回のお仕事はエルフたちの実力を見極めることだし、ここは大人しく観戦させてもらおっか」

 

 危機的状況にあるエルフたちにとって、このアウラの判断は怒りをも湧き上がらせるものだろう。しかし幸いなことにこの場にはエルフは誰一人おらず、またコキュートスやニグンにとってはアウラの判断は当然のものだったため反論の言葉は何一つ発せられることはなかった。

 彼らの視線の先にある鏡面では、厳しい表情を浮かべたエルフたちが着々と戦闘準備を進めている。

 剣を持つエルフたちが先頭に立ち並び、その後ろに弓矢を構えた者たちが、更にその後ろにローブを身に纏った者たちが控えるように立つ。ローブを身に纏っている者たちの中にはルーチェとシャルの姿もあり、アウラたちは自然と彼らに目を向けた。

 

「……あの二人は見つけたけど、ノワール・ジェナ=ドルケンハイトって名乗ってた女の人がいないね。どこにいるんだろう?」

「恐らくどこかに潜んでいるのでしょう。確かあの女は隠密部隊の隊長だという話でしたので」

「軍ト軍トノ戦イカ……。個ト個トノ戦イモ見テミタクハアルガ、軍ト軍トノ戦イモ実ニ興味深イ……!」

「コキュートスってホントそういうのが好きだよね。あたしはあんまり興味ないけどな~」

 

 興奮にかフシューっと勢いよく冷気を吐き出すコキュートスに、アウラは少々呆れた表情を向ける。すぐに鏡面の方に目を戻したものの、しかしそのオッドアイには見るからに退屈そうな色が浮かんでいた。

 実際、アウラは退屈で仕方がなかった。

 勿論今回の任務は至高の主から賜った大切な仕事であり、アウラとて一切手を抜くつもりもなければ疎かにするつもりも欠片もない。しかしエルフや法国に対して個人的な興味があるかと問われれば全くと言っていいほどないわけで、彼らが今どういった状況で、何をしようとしていて、これからどうなっていくかなど、アウラにとってはひどくどうでもいいことだった。コキュートスのように戦闘自体に興味があればまだ少しは意識も変わったのかもしれないが、あいにくアウラはそういった面も全く興味の対象外だった。これがエルフか法国のどちらかが至高の主であればアウラとて一気にテンションが上がるのだが、ナザリック外の存在など論外だ。

 早く終わらないかな~……と内心で呟く中、漸く鏡面の中でエルフ軍と法国軍が行動を開始した。

 エルフ軍は前衛も後衛も一丸となり、法国軍に向けて攻撃を始めている。しかし対する法国軍で動いたのは上空を漂っていた天使たちのみ。他の面々は天使とエルフ軍の戦闘を高みの見物しており、時折魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思われる者のみが都度天使を召喚するだけで、それ以外は微動だにしていなかった。エルフたちも何とか本隊の方にダメージを与えようと弓矢や魔法を駆使して攻撃してはいるのだが、しかしそれらは全て天使たちに阻まれて本隊に届くことはなかった。

 見るからに分かる圧倒的な戦力差と物量の差。

 予想以上の苦戦ぶりにアウラは知らず眉間に皺を寄せていた。

 

「……はっきり言って、ちゃんとした戦いにもなってないんだけど。これで本当に大丈夫なの? 今まで持ち堪えられてたのが嘘みたい」

「恐らく法国側も戦闘を重ねるに従って本腰を入れ始めているのでしょう」

「フム、エルフタチニトッテハ非常ニ厳シイ状況ダナ。レベルガ拮抗シテイル場合、ドウシテモ物量ガモノヲ言ウヨウニナル」

「う~ん、役割をもっと分担すればいいんじゃない? 例えば天使たちの相手は前衛部隊に任せて、後衛部隊は迂回して法国軍の本隊の背後を攻める、とか」

「イヤ、ソレハムシロ悪手ダ。天使タチノ数ハエルフ軍トホボ同等。更ニ天使側ハ減ッタ傍カラ新シイ天使ガ召喚サレテイル。ココデ役割分担ヲ行ッテ天使タチヘノ“壁”ヲ減ラシタ場合、一気ニ突キ崩サレル危険性ガアル」

「一部でも突き崩されれば、エルフ軍は体勢を立て直す前に崩壊するかもしれません」

「え~、ピンチじゃん」

 

 コキュートスとニグンの言葉に、アウラはどうしようもなく眉を八の字に垂れ下げた。

 正直に言って、アウラとしてはエルフたちがどうなろうと知ったことではないしどうでも良い。しかしペロロンチーノがエルフたちにある一定の利用価値を見出した以上、このまま見殺しにする訳にはいかなかった。

 

「……う~ん、でもなぁ~」

 

 アウラは鏡面の戦いを見つめながら、可愛らしく小さく唇を尖らせて唸り声を零した。

 エルフたちを見殺しにすることはできないが、かといってすぐに助けの手を差し出すわけにもいかない。なんせ今回アウラたちがペロロンチーノに命じられたのはエルフたちの力を見極めることなのだ。彼らの力をきちんとこの目で見る前に手を貸しては、力を見極めることなどできようはずもない。

 う~ん、う~ん……と唸り続けるアウラに、まるで見かねたかのようにコキュートスが蒼穹の複眼をこちらに向けてきた。

 

「アウラ、手助ケスルベキカドウカ迷ッテイルノカ?」

「うん、正直まだあの人たちの力を見極めたとは言い難い状況でしょう? それなのに力を貸してもいいのかな~って……。勿論全滅しちゃうのは問題だけどさ、でも今手を貸すのも早すぎるような気がするし……」

「確カニ……。デハモウ少シ様子ヲ見テ、本当ニマズソウデアレバ最小限ノ手助ケヲスレバイイノデハナイカ?」

「最小限の手助けって……、例えば?」

「ソウダナ。例エバアウラノ配下ノ魔獣……ソレモデキルダケレベルノ低イモノノミヲ手助ケニ当タラセル。或イハニグンヲ手助ケスルモノノ中ニ加エルノモ良イカモシレナイナ」

「っ!!? わ、私ですか……!?」

 

 まさかここで自分の名前が出てくるとは思っていなかったのだろう、ニグンから素っ頓狂な声が飛び出てくる。

 しかしアウラはコキュートスの狙いに気が付いて大きく頷いた。

 

「それは良いかも! ニグンならあいつらとレベル的にも近いし、エルフだけじゃなく法国のレベルや戦闘能力のデータも詳しいのが取れそうだよね!」

 

 アウラたちの今回の仕事の最優先事項はエルフたちの実力を測ることだ。しかしそれに加えて法国の情報も得られれば勿論それに越したことはない。アウラやコキュートス、そして彼らのシモベたちによってはレベル差があり過ぎて正確な情報把握は難しいかもしれないが、ニグンであればその辺りも丁度良いだろう。

 コキュートスからの名案に満面の笑みを浮かべて頷く中、不意に鏡面の戦場に新たな変化が起きたことに気が付いてアウラは反射的にそちらに目を向けた。

 鏡面に映っているのは、相も変わらず天使と戦っているエルフたちの姿。

 しかし、今まで高みの見物を決め込んでいた法国軍の本隊が俄かに騒めいて大きな動きを見せていた。

 彼らの意識の先にいたのは、今まで姿をくらませていたノワールと、彼女が率いている漆黒の部隊。

 隙を伺いながら背後に回り込んでいたのであろう彼女の部隊は、法国軍が前方に気を取られているのを見計らって背後から襲いかかったようだった。

 

「おっ、奇襲だ。まぁ、これくらいはしないとね」

「……ですが、やはり些か攻撃力が足りないようです。今は法国軍も混乱しているようですが、体勢を立て直されてはまた不利な状況になるかもしれません」

 

 ニグンの指摘通り、法国軍は未だ足並みを乱れさせてはいるものの、既に体勢を立て直し始めている。後衛部隊を軍の中心に移動させ、前方と後方に前衛部隊を配置してそれぞれのエルフ軍と対峙し始めていた。加えて前線に群がっていた天使の一部が後方に移動し、ノワールたちの対処に向かってくる。

 法国軍の冷静な判断と迅速な行動は流石と言う他ないだろう。

 法国軍を挟み撃ちにした状態と、前線の天使たちを分断させることはできたものの、それでも未だ全体的に見れば法国軍の優勢は揺るぎないように思われた。

 

「う~ん、やっぱり駄目か……」

「ダガ、暫クハ持チ堪エルコトガ出来ソウダナ。モウ少シ見極メル時間ヲ得ラレソウダ」

「種族的に考えれば、人間よりもエルフの方が生まれながらの体力や持久力は高いはず。恐らくこのままの状況が長く続けばエルフたちにも光明が見えてくるかもしれませんが……」

「フム……、法国軍ガソレマデ大人シクシテイルトモ思エナイナ」

「はい、仰る通りかと」

 

 コキュートスの指摘にニグンが大きく頷く。

 アウラは彼らの会話に耳を傾けながら、じっと大きなオッドアイを鏡面に向け続けていた。

 エルフたちがいつまで耐えられるかは分からない。或いはその前に何かしらの変化が再び起こるかもしれない。しかしいずれにしても、いつかは自分たちの助けが必要になることだけは分かりきっていた。であるならば、そのタイミングをしっかりと見極める必要があった。

 膠着状態の戦況をつぶさに観察し、エルフ軍と法国軍両方の様子を注意深く窺う。

 そんな中、不意に見覚えのない影が見えたような気がしてアウラは思わずオッドアイの両目をぱちくりと瞬かせた。

 

「……ん……?」

「ドウシタ、アウラ?」

「如何いたしましたか、アウラ様?」

 

 アウラが声を零したことで、コキュートスとニグンがこちらへと意識を向けてくる。

 瞬間、ノワールが率いているエルフの部隊が端から大きく乱れた。

 驚愕の表情を浮かべているノワールと、その周辺のエルフたち。

 アウラたちも鏡面に顔を近づけて凝視する中、エルフ軍の端に更なる部隊がいつの間にか姿を現していた。

 

「あれは……、……火滅聖典……!?」

 

 アウラとコキュートスの後ろから鏡面を覗き込んでいたニグンが大きく息を呑む。

 見るからに驚愕している様子のニグンに、アウラは鏡面から視線を外してニグンを振り返った。

 

「火滅聖典? 知ってるやつら?」

 

 小さく首を傾げながら問いかければ、ニグンは驚愕から神妙なものへと表情を変えて深く大きく頷いてきた。

 

「……はい、私が人間だった頃に所属していた六色聖典という組織の内の一つです。六色聖典はその名の通り六つの部隊によって構成されている組織なのですが、あれはその内の一つで火滅聖典と呼ばれている部隊です」

「……ああ、そういえばあんたって元々は人間だったっけ。火滅聖典ってどんな奴らなわけ? あんたがいた部隊とは違うんだよね?」

「はい。私が所属していたのは陽光聖典と呼ばれる部隊で、六色聖典の中では主に亜人などの集落の殲滅などを担当しておりました。今鏡面に映っている火滅聖典は、主に暗殺やゲリラ戦などを得意とする部隊です」

「ふ~ん、暗殺やゲリラ戦……。……にしては、堂々と出て来ちゃってるけど?」

「得意分野があるからと言って、それ以外が全て不得意であるとは限りません。特に火滅と陽光と漆黒と土盾の四つの部隊は戦闘に特化した部隊です」

「なるほどね~。……確か漆黒聖典はペロロンチーノ様に殲滅されちゃったんだっけ。土盾聖典はここに来てるのかな……。残りの二つの聖典は戦闘には特化してないの?」

「土盾聖典は防御面に特化した部隊ですので、恐らく法国の神都にいるかと。また残り二つの部隊、風花と水明は諜報活動に特化した部隊ですので、恐らくこの場にはいないかと思われます」

「ふむふむ、ということは今のところエルフたちにとって最大の脅威になるのはあの火滅聖典だけってことね。まぁ、見る限りではあたしたちにとってはザコ以外の何ものでもなさそうだけど」

 

 アウラのあっけらかんとした言葉に、ニグンが苦笑を浮かべてくる。

 その間にも鏡面での戦況は着々と進んで変わっており、エルフ軍は新たな脅威の出現にすっかり混乱してしまっているようだった。

 流石は暗殺特化でゲリラ戦が得意なことはあるのだろう、火滅聖典はいつの間にかエルフたちの混乱に乗じて姿を消しており、元々の法国軍と天使たちがエルフたちへと襲いかかっていた。火滅聖典も完全にいなくなったわけでは決してなく、至る所で姿を現しては攻撃し、また姿を消し、また違うところに現れては攻撃して……というのを繰り返しているようだった。エルフ軍の方はノワールやルーチェやシャルなどが声を張り上げて何とか体勢を立て直そうとしているようだったが、混乱が大き過ぎてなかなか上手くいっていないようだ。

 完全に混乱しきっているエルフ軍の様子に、アウラは軽く肩を竦めてコキュートスとニグンを振り返った。

 

「……この辺りが限界かな。そろそろ手助けしてあげよっか」

「ソウダナ。コノママ全滅シテシマッテハ意味ガナイ」

「取り敢えず、さっきコキュートスが言ってくれた通りにウチの子たちとニグンで対処していこっか。ニグンには主に火滅聖典の相手をしてもらおうと思ってるんだけど、できる?」

「はっ、畏まりました」

「ダガ、私ガ提案ヲシテオイテナンダガ、コノママニグンヲ出スト問題ニナルノデハナイカ? 特ニ火滅聖典トハ元同僚……ツマリ顔見知リナノダロウ? ニグンガ生キテイルコトヤ、コチラ側ニイルコトガバレテシマウ可能性ガアルガ……」

「あっ、そっか……。でも、別にニグンがこっちにいることがバレても大した問題にはならないんじゃない? 『行方不明になっていた陽光聖典の隊長が敵側に寝返っていた!』なんて、逆に面白い感じになりそうだけど」

 

 悪戯気な笑みを浮かべるアウラはどこまでもあっけらかんとしている。

 しかしニグンは再び苦笑を浮かべると、次には緩く頭を振ってきた。

 

「いえ、そうはならないかと思います」

「どうして?」

「六色聖典は非合法的な……つまり表には出せないような内容の任務を主に熟す、いわば秘密工作部隊群です。『“聖典”という組織があるらしい』という情報くらいは法国を問わず他国にも流れていますが、逆にそれ以上のことを知っているのは本当に限られた者たちのみ。例え同じ法国の軍人と言えど、“聖典”の存在すら噂程度にしか知らないという者が殆どです」

「つまり普通の軍人や兵士であれば、ニグンに気が付くことはないってこと? でも、火滅聖典は気が付くでしょう?」

「いえ、それも可能性は低いかと思われます。六色聖典は基本的に他の聖典とは一切接点を持ちません。同じ聖典の者同士でも互いに素顔を知らない者が殆どです。私は隊長という立場でしたので、ある程度他の聖典についても装備や人物などを見知ってはいましたが、隊長クラスではない一般の者であれば、例え相手が隊長クラスであっても他の聖典の者であれば気が付く可能性は低いかと思われます」

「なるほど……。だから逆にあの時、あんたはペロロンチーノ様が殲滅したのが漆黒聖典だって分かったわけか……」

「はい。まぁ、漆黒聖典の場合は、私が隊長であること以外にも、彼らが特殊な部隊で人数も極端に少ないということもありましたが……」

 

 苦笑を深めながら説明するニグンに、アウラは顎に指を添えながら少しの間思考を巡らす。その後一つ頷くと、改めてコキュートスとニグンに目を向けた。

 

「分かった。じゃあ、このままニグンを出しても問題ないって判断するね。でもまぁ、どちらにしろあんただけであの火滅聖典全員を相手するのは流石にキツいかもしれないから、ウチの子たちの中から何体かつけてあげるよ。あと、火滅聖典の隊長と対峙する時は念のため顔を隠すか、情報が洩れる前に始末して」

「畏まりました。お心遣いに感謝します、アウラ様」

 

 アウラの指示に従い、ニグンが片膝をついて深々と頭を垂れる。

 それにアウラは一つ頷くと、配下の魔獣たちを呼び寄せるために椅子から勢いよく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒々しく鳴り響く草葉の擦れる音を塗り潰すかのように、大きな息遣いの音が口から何度も零れ出る。

 黒風(こくふう)第二部隊に所属しているエルフ――メリサ・ルノ=プールは大きな茂みの奥に駆け込むと、そのまま荒い呼吸を繰り返す口を両手で覆って必死に華奢な身体を縮み込ませた。膝をたてて足を縦に折り畳み、膝に顔を押し付けながらも目だけは出して前方を注意深く凝視する。

 首元で切り揃えている淡いはちみつ色の髪が前に垂れ下がってきて鬱陶しくて仕方がない。しかし髪を払いのける動作一つすら恐怖のあまりすることができず、メリサは必死に呼吸を抑えながら耳をそばだてて周囲の気配を探っていた。

 先ほどの光景がフラッシュバックのように脳裏に蘇り、全身が小刻みに震えて止まらない。込み上げてくる恐怖に嗚咽が零れそうになり、咄嗟に唇を噛み締めて無理矢理喉の奥へと抑え込んだ。

 脳裏に浮かぶのは混乱しきった戦場。

 天使の群れに苦戦する味方を囮とし、勝つために奇襲をしたのは自分たちのはずだった。

 実際奇襲は成功し、第一部隊の隊長であるノワール・ジェナ=ドルケンハイトの指示のもと、法国軍を大きく乱れさせることが出来ていたのだ。

 しかし気が付けば食いつかれていたのはこちらの方だった。

 どこからともなく突然現れた見慣れぬ軍勢。容赦なくこちらの横腹に食らいついてきて、そのまま一気に混乱の中へと突き落とされた。

 メリサは第二部隊の所属で割と中心に近い位置に配置されていたため、最初は何が起こったのか分からず焦りばかり感じていた。

 そして何が起こったのか漸く理解した時には全てが遅かった……。

 突然姿を現しては仲間たちを殺し、再びどこかに消え失せる影に、メリサは勿論のこと多くのエルフたちが大きな恐怖と混乱に襲われた。上官の指示も声も耳には届かず、メリサは気が付けば我武者羅に走って逃げていた。まるで怒号や悲鳴や戦闘音に急き立てられるように、衝動のままに戦場を駆け抜けていた。そしてこの茂みの影に飛び込み、今もまだ恐怖のあまり身を縮み込ませて必死に身を隠している。

 自身に対しての情けなさが込み上げてきて、視界が大きく潤んで歪んだ。

 しかし、それと同時に湧き上がってくる恐怖に負けてどうしても茂みの中から出ることができなかった。出ようとする度に『もしかしたらあの恐ろしい人間たちが今まさに目の前に現れるかもしれない』という考えが頭を過り、途端に身体が硬直して身動ぎすらもままならなくなってしまう。

 しかし、ずっとこのままこの場所で身を潜めているわけにもいかない。

 メリサは口を覆っていた両手をゆっくりゆっくり離して下ろすと、未だ息を潜めながら注意深く周囲に視線を何度も走らせた。必死に耳をそばだたせ、周囲に誰もいないかと気配を探る。ドッドッと大きく激しく鼓動する胸を必死に押さえながら、何度も何度も心の中で自身を励ましてメリサは漸く恐々と茂みの中からゆっくりと這い出ていった。屈み込んでいた状態からゆっくりと立ち上がり、忙しなく周囲を見渡す。

 仲間たちはどこだろうかと何度も視線を走らせる中、不意に背後から微かな音が聞こえてきてメリサはビクッと大きく肩を跳ねさせた。

 半ば反射的に勢いよく背後を振り返る。

 そして視界に飛び込んできた存在に、メリサは驚愕と恐怖に大きく目を見開かせて思考を停止させた。

 

「………あ……、……ぁあ……っ……」

 

 口からは意味のない声だけが零れ落ち、次には恐怖のあまり全身から力が抜ける。そのまま尻もちをついて地面に座り込みながら、しかしヘーゼルグリーンの目だけは音の発生源に釘付けとなって一切離れることがなかった。

 メリサの視線の先にいたのは白銀の鎧を身に纏った三人の人間たち。一見騎士にも見える彼らは、しかし鎧の上に純白のローブを纏い、その姿は自分たちを混乱と恐怖に突き落とした恐ろしい軍勢の者の姿と全く同じだった。

 遂に目の前に現れてしまった恐ろしい存在に、知らず再び目に涙が溢れてくる。恐怖のあまり全身が大きく震え、歯もガチガチと音を鳴らしてしまいそうだった。

 三人の人間は怯えているメリサの様子など一切気にする素振りも見せず、ゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 人間たちとの距離が目と鼻の先にまで近づき、思わず瞼をきつく閉じた。

 その時……――

 

 

 

 

 

「――……はぁ、漸く残りを見つけたか。確かこれで最後のはずだが……。やはり索敵能力についてはもっと鍛えていかなければならないな」

 

 不意に鼓膜を震わせてきた聞き覚えのない声。

 聞こえてきた方向も前方ではなく後方で、メリサは思わず閉じていた目をゆっくりと開いた。

 目の前には変わらず恐ろしい三人の人間たちが立っている。

 しかし彼らが自分の背後を見つめていることに気が付いて、メリサは恐る恐る後ろを振り返った。

 

「……っ……!!?」

 

 瞬間、視界に飛び込んできた存在にメリサは思わず大きく息を呑んだ。咄嗟に悲鳴を上げようと口が大きく開き、しかし恐怖のあまり喉が凍り付いて音にすらならない。三人の人間たちに対して抱いていたものよりも大きな恐怖が今メリサの全てを覆い尽くしていた。

 メリサの背後にいたのは二つの存在。

 一方は青黒いネズミのような魔獣。

 しかしその大きさは普通のネズミとは雲泥の差で、体高は大体60cmくらいだろうか。巨体を覆っているのは針のような長い毛で、しかし腕や手、足、そして平べったく巨大な尾のみが鎧のような鱗に覆われていた。大きな顔や体躯に反して小振りな口元からは二本の前歯がまるで牙のような凶暴さで姿を現しており、前足近くにまで長く伸びている。口と同じく小さな目は白目の見えない黒色で、つぶらな瞳がじっと三人の人間に向けられていた。

 そして魔獣の横に立っているのは、一見人間のようにも見える一人の白色の男。

 頬から顎にかけて大きく走る一本の傷跡と、後ろに綺麗に撫でつけられた金色の短い髪。眉間に深い皺を寄せて厳めしい表情を浮かべているその顔は人間そのものだというのに、しかし至る所に人間ではありえない色彩や物体が存在していた。

 まず一番に目が向かうのは、両こめかみ部分から生えている二本の角。まるで牙のような乳白色の光沢を宿した角は全体的に細長く、まるで頭の形に添うようにして後頭部の方へと伸びている。

 そして次に目が向かうのは、人間やエルフではありえない色彩と瞳孔を宿した鋭い双眸。縦に伸びた瞳孔を宿した瞳は血のような深紅色で、その周りを彩っている白目部分は白ではなく黒色をしていた。

 他にもエルフのように細長く伸びて尖った耳や、唇の隙間から覗く鋭い牙。

 突然魔獣と共に現れた男を呆然と眺めながら、ふと一つの存在が頭に浮かんできた。

 

(………悪魔………?)

 

 自分の頭の中に浮かんできた存在の名前に、メリサは大きく心臓を跳ねさせる。

 それはエイヴァーシャー大森林にはいないはずの存在だった。メリサ自身、人間よりも遥かに長く生きてはきたが一度も遭遇したことはない。何故ここに悪魔がいるのか分からず、頭の中で大きな混乱が激しく渦を巻いた。

 しかし悪魔もネズミのような魔獣もメリサには一切目もくれず、ただ真っ直ぐに三人の人間たちだけを見つめていた。

 

「……ふむ、しかし我がことながら、まさか一人でここまでできるようになっているとは思ってもみなかったな。これも全て至高の御方のお導きと御慈悲によるものなのだろう」

「「「……………………」」」

「さて、お前たちには悪いがここで死んでもらう。心配せずともお前たち以外の火滅聖典の者たちは既に全てこの世を去っている。安心してこの世に別れを告げると良い」

「「「……っ……!!?」」」

 

 悪魔の淡々とした言葉に、三人の人間たちが大きく息を呑む音が聞こえてくる。未だ呆然としながら悪魔と人間たちを見つめているメリサもまた、悪魔の言っていることが信じられなかった。

 悪魔の先ほどの口振りからして、恐らくこの三人の人間たちの部隊……つまりあの恐ろしい人間たちの集団が“火滅聖典”と呼ばれる部隊なのだろう。しかしその部隊が既に壊滅寸前となっているというのは一体どういうことなのか。しかも先ほどの口振りからして、この悪魔が一人で火滅聖典とやらを壊滅した様に聞こえた。悪魔という種族は非常に強力で凶悪な存在であると聞いたことはあるが、それでもあの恐ろしい集団をたった一人で壊滅することができるなどとはとても信じられなかった。

 それとも悪魔は傍らにいる魔獣の他にも多くの仲間がいるのだろうか……。

 地べたに座り込んだ状態のまま、悪魔と魔獣と三人の人間たちに何度も視線を巡らせる。

 しかしそこでふと、メリサは自分が今とんでもなく危険な場所にいることに気が付いた。

 自分が今座り込んでいるのは悪魔と魔獣と三人の人間たちに挟まれているような位置。三人の人間たちは既にメリサに構っている場合ではなく、悪魔と魔獣に至っては端から眼中になさそうだ。しかしもしずっとこのままこの場所に座り込んでいたなら、いつ始まるかも分からない彼らの争いに巻き込まれることは確実だった。そして争いに巻き込まれた場合、非常に高い確率で死ぬことは目に見えている。

 メリサは再び大きく早くなり始めた自身の鼓動を感じながら、いつでもこの場を離脱できるように両足にそっと力を込めようとした。

 しかしどんなに両足に意識を集中させても、力が入る気配する感じられない。

 恐怖のあまり腰が抜けて暫く時間が経っているというのに、未だに言うことを聞かない身体にメリサは再び泣きそうになった。兵士であるという自覚と誇りが粉々になると同時に、大きな情けなさが再び込み上げてくる。

 しかし今は何よりこの場から離れなければ命が危ない。

 メリサは何とか移動しようと、そっと両手を身体の両脇の地面に押し当てた。注意を引かないように息すら殺しながら、慎重に掌で地面を押してじりじりと地面の上を這うように移動を始める。

 少しずつではあるが確実に場所を移動しているメリサに、しかし尚も悪魔と三人の人間たちはメリサに注意を向けようとはしなかった。唯一ネズミのような魔獣のみがチラッと漆黒の瞳をメリサに向けてきたが、しかしすぐに興味を失ったのか次には再び三人の人間の方に目を戻す。

 魔獣がこちらの存在を無視したことにメリサは思わず小さく安堵の息をつきながら、引き続き同じ動作を繰り返して場所を移動していった。

 そして漸くメリサが完全に彼らの視界の外に出て大きな茂みに背中を押し付けたその時、まるでそれを見計らったかのように睨み合いを続けていた両者が突如動きを見せた。

 三人の人間たちが詠唱と共に魔法陣を展開させ、悪魔は身構え、それと同時に魔獣が三人の人間たちへと四足で突進する。

 三人の人間たちが発動したのは〈火球(ファイヤーボール)〉で、一人三つの……合計九つの大きな火球が形成されて勢いよく悪魔と魔獣に向けて放たれた。

 しかし悪魔は未だ身構えたまま動かず、魔獣も突進の足を一切止めない。

 魔獣は後ろ足で大きく地面を抉りながら跳躍すると、向かってくる九つの火球の前に躍り出た。大きな身体を宙で捻り、まるで棍棒のような尾を勢いよく火球にぶつける。

 瞬間、鋭い爆発音と共に弾ける火炎。

 魔獣の横を通り過ぎる筈だった幾つかの火球をも巻き込んで、魔獣を中心に大きな爆発が巻き起こった。

 ここまで届いてくる熱量に、メリサは必死に茂みに背中を押し付けながら冷や汗を溢れさせる。

 もし自分があそこにいたなら、間違いなく一瞬で炭と化していただろう。

 あの魔獣はどうなったのかと無意識に目を凝らす中、突然未だ燃え立っている火炎を薙ぎ払うようにして魔獣が姿を現した。まるで何事もなかったかのように地面に着地した魔獣は、次には徐に右後ろ足を挙げて呑気に首の辺りを掻き始める。

 青黒い毛で覆われている部分にも鎧のような鱗で覆われている部分にも一切傷一つなく、それどころか焦げた様子もなければ煤で汚れている部分すら見受けられない。

 呑気に毛づくろいを始めている魔獣に、三人の人間たちは見るからに絶句して呆然とした表情を浮かべていた。

 そんな中、今まで身構えるのみだった悪魔が徐に動きを見せた。

 ゆっくりとした足取りで歩を進めながら、腰のベルトに挟み込んでいた短剣を抜き放つ。美しい輝きを宿す短剣を右手で逆手に持つと、悪魔は左手を右腕に伸ばして、そこにある三つの腕輪の内の一つに触れて回転させ始めた。

 そこで漸くメリサは悪魔が不思議な腕輪をしていることに気が付いた。

 悪魔の両腕には左右三つずつの色違いの腕輪がはめられていた。

 それだけであれば特別目に留まらなくても不思議ではなかっただろう。

 しかしその腕輪は見るからに普通ではなかった。

 まず一番驚くべきことは、腕輪の全てが微妙に宙に浮かんでいることだった。

 腕輪は互いどころか、装備している悪魔の腕や手にすら触れていない。まるでスポークがない車輪のように、悪魔の腕を囲うように宙に浮かんでいた。

 腕輪はそれぞれ色が違っており、右腕の方は金とピンクゴールドと朱金、左腕の方は水色っぽい銀と漆黒と紫で、その全てが不思議な輝きを宿している。表面にはそれぞれ二つの宝玉がはめ込まれており、その左右にはメリサには良く分からない文字の羅列が彫り込まれていた。

 悪魔が触れたのは朱金色の腕輪で、回転させるとはめ込まれている菫色の宝玉が美しい輝きを放った。

 

「……さて、手早く済ませよう。できるなら苦痛なく終わらせてやりたいが、私はまだそれだけのレベルに達していないのでな、それについては先に謝っておこう」

 

 三人の人間たちに慈悲のような言葉をかける悪魔に、メリサは思わず内心で首を傾げてしまう。悪魔という存在が慈悲のような言葉を口にすること自体が不思議で不可解なように感じた。

 しかしそんなメリサの感想など悪魔が知るはずもなく、悪魔は短剣を逆手に持った右手を顔の前に構えると、身を屈めたと同時に強く地面を蹴った。一番近くにいた人間の前に肉薄すると、勢いを殺すことなくすり抜け様に一気に腹部を切りつける。

 瞬間、苦悶の声と共に腹部から勢いよく溢れ出る鮮やかな赤。

 見る見るうちに下へと流れ落ちていく赤に、しかしその量は短剣で切り付けられたにしては異常に多かった。美しい光を宿す短剣の刀身部分は20cm程しかないというのに、切り裂かれた傷は見るからにそれ以上の大きさと深さをしている。

 思わず腹部を両手で押さえて膝をつく人間に、次には今まで毛づくろいをしていたはずの魔獣が徐に近づいてきて、次には尾の重い一撃が飛んできた。膝をついたことで低くなった頭部に向けて、容赦なく振り下ろされる尾。次にはまるでトマトのようにグチャッと潰された人間の頭部に、メリサは思わず顔を大きく歪めて咄嗟に悲鳴を噛み殺した。

 悪魔が地面を蹴ってから人間の頭が潰されるまで、時間にすれば一分も経っていない。あまりにも短時間での仲間の死に、残り二人の人間たちもひどく動揺しているようだった。

 一歩二歩と小さく後退る人間たちに、悪魔は再び短剣を構える。

 しかし次に呻き声を上げたのは、二人の人間たちの方ではなく悪魔の方だった。

 突然の思わぬ声に、メリサは勿論のこと二人の人間や魔獣までもが悪魔を見つめる。この場にいる誰もが悪魔を注視する中、悪魔は小さく前屈みになって左手で額を押さえていた。瞼はきつく閉じられ眉間にも深い皺が刻まれていることから、どこか苦悩の表情を浮かべている様にも見える。

 一体どうしたのかと不安のような感情が湧き上がる中、変化は突然訪れた。

 変化の始まりの合図は、悪魔が再び漏らした小さな呻き声。それを皮切りに、悪魔の肉体が大きく変化をし始めた。

 角の根元や目元周辺の皮膚が青黒く染まり始め、黒い鱗が生え始める。曲げられている背中が起伏し、次には白銀色の細長い何かが服を突き破って姿を現した。その細長い何かは装甲が連なっているような見た目をしており、長さも悪魔の太腿辺りにまで伸びている。他にも黒く細長い何かが後ろのコートの裾部分から伸びており、それはまるで悪魔の尻尾のようだった。

 突然の悪魔の変化に、メリサだけでなくこの場にいる誰もが呆然とした様子で悪魔を見つめる。悪魔の方は漸く落ち着いたのか、一度深く息を吐き出してからゆっくりと瞼を開き、前屈みになっていた上体を起き上がらせた。額に触れていた左手も下ろし、自身に何が起こったのか確認するように身体のあちこちを見下ろしている。悪魔は一度魔獣の方にチラッと紅の瞳を向けた後、次には再び自身の身体を見下ろして最後に人間たちに視線を戻した。

 

「……ああ、驚かせてしまってすまなかった。君たちには別段重要なことではないから気にしないでくれ」

 

 淡々と言い捨てる悪魔に、しかしこちらはなおも困惑してしまう。いくら関係ないから気にしないようにと言われても、それはあまりにも無理な話しだった。メリサも、そして二人の人間たちも困惑と恐怖が入り混じった表情を浮かべ、悪魔の新たに生えた背中の触手のようなものや黒い鱗に忙しなく視線を走らせる。悪魔の方も自分が言ったことが無理な話であることは理解しているのだろう、こちらの視線を受け止めながら小さくため息にも似た息を吐き出していた。

 

「……このままでは時間ばかりが無駄に過ぎてしまうな。守護者の方々をお待たせするわけにはいかないのでな、手早く済まさせてもらおう」

「「……っ……!?」」

 

 どこまでも素っ気ない悪魔の様子に何かを言おうとしたのだろうか……。

 慌てて人間の一人が大きく口を開きかけ、しかし何かの言葉を発する前に上唇から上が勢いよく消し飛んだ。遅れて切断された断面から勢い良く血が溢れ出し、下唇から下の部分が血を撒き散らしながら力なく地面へと崩れていく。気が付けばただの肉塊と化していた死体の傍には悪魔がいつの間にか佇んでいる。右手には変わらず短剣が握り締められており、丁度その刀身から最後の血の一滴がするりと流れて地面に零れ落ちるところだった。

 悪魔の深紅の瞳がゆっくりと残り一人の人間に向けられる。

 瞬間、人間はビクッと肩を跳ねさせると、慌てたように両手を挙げながら口を開いた。

 

「ま、待てっ! 待ってくれ!! こ、降伏する! お前たちに降伏するから助けてほしい!!」

 

 まさか法国の人間が異形に対して降伏してくるとは夢にも思わず、メリサは驚愕のあまり大きく目を見開く。

 しかし悪魔は驚くこともなければ勝ち誇ることもなく、ただ無表情に人間を見つめていた。

 

「……お前の気持ちは良く分かる。私も以前はお前と同じだったからな」

「……!? ……そ、それなら……!!」

「だが、申し訳ないが、私はお前たちを助けても良いという許可は得ていない。お前たちを助けようと判断するだけの立場も権利も持ち合わせていないのだ」

「……っ……! く、くそっ、この悪魔風情がぁぁっ!!!」

 

 もはや降伏しても無駄だと判断したのだろう、人間が絶叫と共に再び魔法の詠唱を始める。

 一拍後、白い魔法陣と共に姿を現したのは一体の天使。

 光り輝く胸当てを身に纏い、背には光り輝く大きな翼。

 炎を宿したロングソードを手に持つその天使は、間違いなく戦場で大量に召喚されていたものと同じ種類の天使だった。

 

「行けっ!!」

 

 怒号と共に命じてくる召喚主に従い、炎の上位天使は悪魔へと真っ直ぐに突進していく。

 しかし悪魔は難なく天使の攻撃を躱すと、次には短剣で一刀両断に切り裂き、光の粒子となって消えていく天使に照らされながら詠唱を行った。

 

「〈第6位階堕天使召喚(サモン・フォールン・エンジェル・6th)〉」

 

 淡々とした声音と共に魔法陣から姿を現したのは、こちらも一体の天使。しかしその姿は一般的な天使と違って全身が漆黒であり、身に纏う全てがボロボロで至る所に血痕のような赤黒いものがこびりついていた。

 まるで天使という存在を冒涜するかのような存在の出現に、人間は呆然とそれを見上げた。

 

「……絶望の力堕天使(ダークデュナミス・ディスペアー)、〈断罪の刃(ブレード・オブ・コンデムネイション)〉を放て」

 

 先ほどの人間とは対照的に、悪魔の声音はどこまでも静かで抑揚がない。しかし命じる声ははっきりと澄んでおり、命じられた“天使もどき”は命じられるがままに粛々と行動を開始した。

 漆黒のボロボロの長い袖から細長い蝋色の指を覗かせると、未だ呆然となっている人間に指先を向ける。

 瞬間、赤黒い魔法陣が指先に出現し、一拍後にはまるで何かに押し潰されるかのように人間が地面へと頽れた。

 人間はうつ伏せに横たわり、何とか起き上がろうと必死にもがいている。しかし人間の手足は無駄に地面をかくだけで、一向に置き上がれる兆しはなかった。

 そんな中、不意に人間の上の空間に紫色で半透明の何かが出現する。

 地上から三メートルほど高い位置に出現したそれは横に細長く、まるで細かな粒子が寄せ集まってできているかの様に小さく揺らめいている。一見儚くも見えるそれに、しかしメリサは何故か『触れると危ない』という明確な警鐘音が頭に鳴り響くのを感じた。人間も自分と同じような感覚に襲われているのだろう、必死に首を捻って自身の上にある存在を見やると、何とか逃げようとより一層大きくもがいている。しかしやはり一ミリたりとも逃げることはできず、次には上空に浮かんでいた紫色の何かが勢いよく人間の元へと落ちていった。

 瞬間、人間が上げる甲高い悲鳴と、高く大きく舞い散る鮮血。

 紫色の何かは人間の首元に落ち、綺麗に頭と身体を切断していた。

 一拍後、まるで何もなかったかのように紫色の何かが空気に溶けるように消えていく。

 そして最後に残されたのは無残な人間の死体のみ。

 “天使もどき”もいつの間にかどこかに消え失せており、メリサは呆然と悪魔と魔獣と三つの人間の死体を見つめていた。

 

「……これで終了だな。ご助力、感謝します。守護者の方々の元へ戻りましょう」

 

 悪魔は一つ息をつくと、次にはネズミのような魔獣に声をかける。

 その口調はとても丁寧なもので、魔獣に向けるものではないように思えるほどだった。

 何故この悪魔はこの魔獣に対してこんなに丁寧に接しているのだろう……とぼんやりと心の中で呟く。

 しかし魔獣を連れて去っていこうとする背中に気が付いて、メリサはハッと我に返ると同時に無意識に声を上げていた。

 

「ま、待って下さい……っ!!」

 

 メリサの声が静寂の中で大きく響き渡る。視線の先で悪魔の背中が動きを止め、続いてこちらを振り返ってきた深紅の瞳にメリサはそこで漸く自分が何をしたのか自覚して戦慄した。

 大きな恐怖が全身を駆け抜けて鳥肌が立つ。

 しかし『呼び止めた癖に黙り込むなんて失礼にもほどがある』と自分に言い聞かせて鼓舞すると、メリサは未だ地面に座り込んだ状態ながらも少しだけ上半身を前に乗り出した。

 

「あ、あの…あの……、た、助けて下さって、あ、ありがとうございました……!!」

「……………………」

「で、でも、どうして、助けてくれて……」

「戦いはまだ終わっていない。お前も早く仲間の元へ戻るが良い」

 

 何とか思いを言葉に出そうとして、しかし言い切る前に悪魔によって遮られる。

 思わず気圧されて黙り込む中、悪魔はさっさと顔を前方に戻すと、そのまま再び足を踏み出した。

 どんどん遠ざかり、見えなくなっていく背中。

 メリサは呆然とその背中を見送ると、次には地面に打ち捨てられている三つの死体に視線を移した。

 自分を殺すはずだった、恐ろしい力を持った人間たち。

 もしあの悪魔と魔獣が来てくれなければ、この地面に横たわっていたのはこの人間たちではなく自分の方だっただろう。

 

(………あなたは誰……? どうして、私を助けてくれたの……?)

 

 言葉にできなかった問いかけを心の中でそっと呟く。

 しかし答えが返される筈もなく、メリサは暫くの間、三人の人間の死体をぼーっと見続けていた。

 

 




ニグンさん、レベルアップ! & 新たな種族を獲得!
詳しくは後々書く予定になっているので、『ニグンさんの状態が詳しく知りたい!』という方は今しばらくお待ちください(深々)
また、途中で(名前だけ)出てきました土盾聖典については、言うまでもなく捏造となっております。
これまで同様、今後原作で詳しい情報が出次第、修正する予定です。
そしてそして!
今回の話では新たなオリキャラ、メリサ・ルノ=プールちゃんが登場しました!
これまで何人かの方々に『ニグンさんにも是非ヒロインを!』『どうかニグンさんにも癒しを!』というお言葉を多く頂きましたので、ニグンさんのヒロイン候補として出してみました。
と言っても、彼女をニグンさんの正式なヒロインにするかどうかはまだ未定の状態です。
皆さんの反応を是非見させて頂き、もし好意的な反応を多くいただいた場合には、正式にニグンさんのヒロインにする予定です!
全ては皆さん次第です……! 宜しければ是非コメントなどでご意見などを頂ければと思います(深々)
因みに反対のご意見などを多く頂いた場合は、彼女は単なるニグンさんのことがちょっと気になっているだけのモブに降格する予定です(笑)

*今回の捏造ポイント
・アーヴァンク;
レベル40台前半の魔獣。青黒いビーバーの姿をしており、体高は60cm程で大きい。身体の殆どは針のような長い毛で覆われているが、腕から手、足、平べったく巨大な尾だけは鎧のような鱗に覆われている。小さくつぶらな黒い瞳と、小振りな口。その口からは、前足近くまで伸びている巨大で長い前歯が覗いている。恐ろしい怪力の持ち主で、爪や牙からの攻撃力も非常に高い。性格は全体的に気性が荒く、相手が人間であろうが魚であろうが魔獣であろうが関係なく襲いかかり食い尽くす。
・〈第6位階堕天使召喚〉;
第六位階の召喚魔法。堕天使を召喚する少し特殊な召喚魔法。
・絶望の力堕天使;
堕天使を召喚する召喚魔法でのみ出現するモンスター。普通の力天使の亜種的存在。
・〈断罪の刃〉;
第六位階魔法。対象を磔状態にし、ギロチン型の不透明の魔力の刃を振り下ろす。
・“六大悪魔の瞳”
ウルベルトがニグンに褒美として創って贈ったアイテム。左右三つずつの腕輪で大き目。力を発動していなくても宙に浮かんでいるように腕にはまっており、そのため腕から外れることはない。表面に二つの宝玉が目のようについており、その左右に悪魔の名前が彫り込まれている。一つの腕輪に二つの力が宿っている(目の宝玉の左右に一つずつ)。
・“ネビロスの瞳”;
“六大悪魔の瞳”の一つ。朱金色のバングル。宝玉の色は菫色。宿っている力は〈千里眼〉と〈傷開き〉。


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第64話 救いの忠誠

今回は皆さんお待ちかねの『レイナース救済』回になります!
完全オリジナルで捏造になりますのでご注意ください。
また、今回の内容に関しては原作で詳しい情報が出たとしても修正はしないかもしれません……(汗)
今回も少し刺激の強い描写(グロテスクな描写)がありますので、苦手な方はご注意ください。


 小刻みに揺れる車内と、窓から見える移り行く活気ある街並み。

 モモンガは窓を覗き込むようにして街の景色を眺めながら、小さく感嘆の息を吐き出していた。

 

「……はぁ~、ここが帝国か……。やはり王国とは大きく違うのだな」

「そうですね。王国は帝国よりも古めかしい感じでしたが……。個人的には私はこちらの方が好きですかねぇ」

 

 感心したような言葉を零すモモンガに、向かい側から返答の声がかけられる。

 窓に向けていた視線を前に移せば、そこには人間の姿をしたウルベルトがにっこりとした笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。

 ここはバハルス帝国の帝都アーウィンタール。

 モモンガはウルベルトからある依頼を受け、帝国に赴いてウルベルトとユリと共に豪華な馬車に乗っていた。

 因みに、この馬車はモモンガが魔法で創り出した物だ。そのため馬車の見た目はシックでありながらも気品が漂う超一級品となっており、座り心地も柔らかく、石畳の地面を走っても実際に感じる揺れは極僅かでしかなかった。

 恐らく外にいる帝都の者たちは、一体どこの大貴族の馬車かと目を釘付けにしていることだろう。加えて馬車を引いているのは三頭の魔の闇子(ジャージーデビル)たちであるため、注目度は更に高まっているかもしれない。

 変な噂にならないかな~、大丈夫かな~……と内心で思いながらも、モモンガはウルベルトからもユリからも注意を受けなかったため敢えて気にしないことにしていた。

 まるで責任転嫁しているようでちょっとした罪悪感は覚えるものの、『ウルベルトなら何か問題が起きても何とかしてくれるだろう』という甘えもあった。

 本当に、仲間がいてくれるというのは心強い。ウルベルトとペロロンチーノがいるという事実に言いようのない嬉しさと頼もしさが湧き上がってくる。もしこの世界に自分一人だけが飛ばされていたら……と少し考えただけでもゾッとする。

 ウルベルトとペロロンチーノがいてくれることへの幸運と幸福をそっと噛みしめながら、モモンガは“今”に集中するべく思考を切り替えた。

 

「それで……、ウルベルトさん、そろそろ目的の場所には着くのか?」

「そうですね。もうそろそろだと思いますよ。……遅くなりましたが、突然呼び出してしまってすみませんでした。来てくれて感謝しますよ、モモンガさん」

「いや、他ならぬウルベルトさんの頼みだからな。引き受けるのは当然のことだ」

 

 同じ空間にユリがいるため堅苦しい口調にはなってしまうが、しかし口にしている言葉は全てが本心からのもの。モモンガにとって一番重要なのは大切な仲間の存在であり、彼らの頼みであればいつでも全力で力になりたかった。ウルベルトもそんなこちらの気持ちを察してくれているのだろう、変わらぬ笑みを浮かべたまましっかりと頷いてくれた。

 

「だが、本気なのか? 彼女の記憶を消すというのは……」

「ええ、本気ですよ。そのためにモモンガさんにご足労頂いたんですから」

「いや、しかし……、折角味方に引き入れられたのだから、記憶を消して元に戻すというのは些か勿体なくはないか?」

「そうは言っても、そもそも彼女が私と協力関係を結んでいたのは、自分の顔にかけられた呪い(・・)を解くためですしねぇ。それがなくなれば、彼女が私に協力する必要性はなくなる。いつ裏切るかも分からない駒を持ち続けておくよりも、綺麗さっぱり白紙に戻した方がリスクが少ないと思うのですが……」

「まぁ、それはそうかもしれないが……」

 

 ウルベルトの言っていることは分かるものの、どうしても貧乏性なところが出てしまい思わず小さく唸り声を上げる。

 モモンガが今回ウルベルトに依頼されたのは、『レイナース・ロックブルズの中から“レオナール・グラン・ネーグル”に対しての全ての記憶を消してほしい』というものだった。

 これからウルベルトは、レイナースの元を訪れて彼女の顔の呪いを解く予定になっている。

 ウルベルトの言う通り、これが上手くいけば彼女にはこれ以上ウルベルトに協力する理由がなくなる。今後彼女がウルベルトを裏切る可能性は高くなるという彼の言い分は非常に理解できるものだった。

 しかし『自分は人心掌握がひどく苦手だ』と思っているモモンガにとって、ウルベルトの決断は非常に勿体ないと思えてならなかった。それならばいっそのこと彼女の顔の呪いを解くのを遅らせればいいのではないかと思わなくもなかったが、しかし例えそう提案したとしてもウルベルトがそれを承諾することはないだろうこともモモンガは分かっていた。

 非常に悪魔らしくないとは思うけれど、ウルベルトはこういったところではとてつもなく律儀なのだ。

 『一度約束したなら、それは必ず守らなければならない』。

 以前ユグドラシルにいた頃、たっち・みーと約束して嫌々協力していた時にウルベルトが苦々しい口調で言っていたことを思い出す。

 『約束=契約』と位置付けていることや、約束を守るという行為自体を彼の目指す“悪の美学”に含んでいるのも要因の一つなのだろう。とはいえ、根本的なところで簡単に考えれば『ウルベルトは律儀な人物である』という一言に尽きた。

 勿論モモンガはそういったウルベルトの在り方を好ましく思ってはいるが、しかしここまで律儀だと些か苦笑を禁じ得なかった。

 

「……まぁ、ウルベルトさんがそれで構わないのであれば私も問題ない。逆に、私が手を貸すのはそれだけで良いのか?」

「ええ、構いませんよ。短杖(ワンド)を使う許可ももらっていますし、後はどうとでもなりますから」

 

 ニッコリと満面の笑みを浮かべる様は男の目から見ても非常に魅力的に映る。

 これは多くの女性が好意を持つのも分かるな……と内心で頷く中、ふと自分もウルベルトに相談したいことがあったのを思い出して改めて口を開いた。

 

「……そういえば、私からも一つウルベルトさんに相談したいと思っていたことがあるのだが……」

「おや、どうしました?」

「実はイビルアイについて“蒼の薔薇”に探りを入れていた時、“朱の雫”のリーダーに遭遇したんだが……」

「“朱の雫”というと、確か王国にいるもう一つのアダマンタイト級冒険者チームでしたかね……。そのリーダーに何かありました?」

「ああ、まぁ、何かあったというかだな……、実はユグドラシル産だと思われるパワードスーツを所持していたのだ」

「……は……?」

 

 今まで優雅な微笑を浮かべるだけだったウルベルトの表情が一気に驚愕したものへと変わる。

 その大きな表情の変化に、モモンガは内心で同意するように何度も頷いた。

 

「……えっ、本当にユグドラシル産のパワードスーツです? ブームは早くに終息して持っているプレイヤーも少なかっただろうに……。ある意味レアものじゃないか」

「まぁ、あれはあくまでも後発プレイヤーのために導入された代物だからな。ウルベルトさんがレアものと言うのも、ある意味間違ってはいないが……」

 

 ウルベルトの言い様に思わず小さな苦笑が零れる。しかし懸念していることがある以上それを放っておくわけにもいかず、モモンガは気を取り直して少しだけウルベルトに向けて身を乗り出した。

 

「私の記憶が正しければ、パワードスーツは高レベルのものでも80レベル相当の力しか出せなかったはずだ。しかしそれが本当に正しいとは限らないし、一点物やアーティファクトなどがある可能性も捨てきれない。ウルベルトさんはパワードスーツについて何か知っていることはないか?」

「そうですね~……。“最高レベルが80相当”というのは私の認識でも同じですね。一点物やアーティファクトについては私も覚えはないんですが……。因みに外見はどんなものだったんですか?」

「色は全体的に深紅で、大きさは大体3メートルほどだったか……。後は〈炎の嵐(ファイヤー・ストーム)〉の魔法を使用していた」

「ふむ……、外見的には一般的なパワードスーツのように思えますが……。もう少しその時の状況などを詳しく教えて頂けますか?」

 

 本性の山羊頭の悪魔であれば長い髭を弄んでいたであろうウルベルトの右手が、今は代わりとばかりに顎下付近の肌を撫で擦っている。

 思案顔で問いかけてくるウルベルトに、モモンガは一つ頷くとアズス・アインドラが現れた時のことを詳しくウルベルトに説明し始めた。時折小さな質問が挟まれるも、モモンガはそれにも丁寧に答えていく。

 そして説明が終わった頃にはウルベルトは眉間に小さな皺を寄せて首を傾げていた。

 

「……う~ん、正直に言うと、これだけでは何とも言えませんねぇ~……」

「やはりそうか……」

死の花嫁(コープスブライド)がそのパワードスーツと一騎打ちでもしていれば、実力やレベルくらいは分かったかもしれませんが……」

「いや、あの場ではあの判断が一番正しかっただろう」

「分かっていますよ。でも、相手について知るには魔法などでそのものを詳しく調べるか、実際に戦ってみた方が確実なのも事実です」

「……ふむ……」

 

 ウルベルトの言い分に言い返すことができず、モモンガは乗り出していた上半身を元に戻しながら黙り込む。軽く顔を俯かせて考え込むのに、ウルベルトの小さな笑い声が聞こえてきた。反射的に顔を上げた瞬間、柔らかな笑みを浮かべているウルベルトと目が合う。

 

「まぁ、どちらにしろ何かしらの対処をした方が良いのは確かです。私の方でも何か良い方法がないか考えてみますよ。……それに、モモンガさんのことだからラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの持つ魔剣についても気になっているのでしょう?」

「……まぁ、そうだな……」

「パワードスーツの方はともかく、魔剣の方は私にもできることがあるかもしれませんし、このことについてはまた改めて相談しましょう」

「そうだな。よろしく頼む」

 

 ウルベルトの心強い言葉に、一気に肩の重たい荷が軽くなったような気がする。

 モモンガは一つ小さな息をつくと、不意に馬車の速度が弱まったことに気が付いて反射的に窓に目を向けた。

 窓から見える景色は、いつの間にか人々が行きかう活気あるものから静かな高級住宅区画のものへと変わっていた。

 

「丁度良い頃合いですね。そろそろ到着するようです。ではモモンガさん、そろそろ姿を消してくれますか?」

「そうだな。すぐ側にいるから、何かあれば言ってくれ」

「了解しました。よろしくお願いします」

 

 モモンガはウルベルトに向けて一つ頷くと、自身に〈完全不可知化〉をかけて姿をくらませた。その間にウルベルトはユリに声をかけており、馬車が完全に止まるとまずはユリから馬車の外へと降りていった。ウルベルトに促され、次はモモンガが椅子から立ち上がって馬車から降りようとする。

 そこでふと見てみれば扉の横でユリが控えるように立ちながら小さく頭を下げており、冒険者モモンの時のナーベと全く同じその行動に思わず苦笑を浮かべた。

 しかしここでぐずぐずしている訳にはいかない。

 不自然にならないように気を付けながら素早く降りると、続いてウルベルトが椅子から立ち上がって優雅な身のこなしでさっさと馬車から降りてきた。

 ユリに声をかけて頭を上げさせるまでの一連の動作は実にスマートで、とても格好よく見える。

 ここが自分と大きく違うところだな……と改めて強く感じさせられる。

 それと同時に、『また折を見て、ウルベルトさんに演技指導をしてもらおう!』と心に誓うと、モモンガはこちらに近づいてきた存在に気が付いてそちらを振り返った。

 

「こんなところまでご足労いただき感謝しますわ、ネーグル様」

「いえ、こちらこそお招きいただき感謝します。……それと、一介のワーカーに尊称は不要ですよ、ロックブルズ様」

 

 言外に『どこに人の目や耳があるかも分からない場所で畏まった態度をとるな』と注意するウルベルトに、レイナースが小さく顔を俯かせて瞼を伏せる。

 しかし彼女はすぐに顔を上げると、強い光を宿した瞳で真っ直ぐにウルベルトを見つめた。

 

「……ここでは何ですから、中に案内しますわ。ついてきて下さい」

 

 踵を返して屋敷に入っていくレイナースに従い、ウルベルトは堂々とした足取りで彼女の背についていく。その後をユリが続き、最後に〈完全不可知化〉状態のモモンガが続いて屋敷の中へと足を踏み入れた。

 広い玄関を通り抜け、人が二人並んでも悠々と歩けるほどの広い廊下を突き進む。

 屋敷の中は全体的に古めかしい様相をしており、白で統一された様は美しいものの、建てられてそれなりの年月が経っていることが窺い知れた。

 全体的に広い屋敷ではあるようだが、人の気配は一切ない。静まり返っている屋敷内に、どうやら彼女はここに独りで暮らしているようだった。

 未だ年頃の女性であることや“四騎士”の一人という地位を考えれば、使用人の一人もいないというのは些か違和感を覚える。

 しかしすぐに彼女の顔の呪いのことを思い出し、モモンガは一人内心で納得の声を零した。

 恐らく彼女は、自身の顔の呪いを誰にも見せないために使用人を一人も雇わなかったのだろう。顔に傷や呪いが目に見える形であるというのは、誰しもが大なり小なり気にするものだ。加えてレイナースは年頃の女性ということもある。他人にそれを見られるのは耐えがたい苦痛だろう。

 しかしそれと同時に、彼女がその顔の呪いを“レオナール・グラン・ネーグル”には見せたという事実が、モモンガには殊更強く印象深く感じられた。ウルベルトの言い分では『医者に問題の患部を見せるようなものだ』とのことだが、そうは言ってもモモンガからしてみればそれ以外にも特別な感情があるのではないかと勘繰ってしまう。

 本当に彼女の記憶を消してしまってもいいのだろうか……と考えながら、モモンガは大人しく彼女たちの後についていった。

 

 

 

 

 

 案内されたのはひどく質素で小さな部屋だった。

 テーブルが一つと幾つかの椅子、数冊の本が無造作に置かれた小さな棚以外にこれといった物は置かれていない。外の光が差し込んできている窓にも薄いレースのカーテンのみが揺れており、どこか寂れたような空気が漂っていた。

 どう考えても客人を招くような部屋には見えない。

 しかしその部屋には既に先客がおり、部屋に入ってきたウルベルトを見て嬉々として顔を輝かせた。

 

「おおっ、我が神よ! お待ちしておりました!!」

「……フールーダ・パラダイン、何故お前がここにいる」

 

 歓喜の声と共に椅子から立ち上がってこちらに駆け寄ってくる老人に、ウルベルトが途端に呆れたような表情を浮かべる。

 しかし老人の方は何のその、逆に更に目を輝かせながら勢いよくウルベルトに詰め寄ってきた。

 

「何を仰いますか! 本日はロックブルズ殿の呪いを解くのだと聞いております。それに是非立ち会わせて頂きたいと、こうして馳せ参じたのでございます!」

「……ああ、そういえばそんなことを言っていたな。ロックブルズが許可すれば立ち会っても構わないと伝えた筈だが……、きちんと許可は取ったのかね? 無理強いせずに?」

「はい、勿論でございます!!」

 

 強すぎるテンションで言われては今一信用性に欠けるものがある。

 ウルベルトも同じように感じているのか、確認するようにレイナースを見やり、彼女は肯定するように一つ頷いていた。

 

「ふむ、であれば私から言うことは何もない。ただ静かに大人しくしていたまえ、良いな?」

「はいっ、畏まりましたぁっ!!」

「………今一信用できないな。……まぁ、良い。早速始めるとしよう。ロックブルズ、君はこちらに来て座りたまえ」

 

 少し思考を巡らせたものの、ウルベルトは気にしないことに決めたようだ。老人から視線を外してレイナースに指示を出すのに、すぐさまユリが動いて近くに置いてあった椅子をウルベルトが示した場所に持ってきた。言外にこの椅子に座るように促してくるユリに、レイナースは大人しくその椅子に腰かけて目の前のウルベルトを見上げた。

 

「さて、まず呪いを解く前に、そもそもその呪いがどういったものなのか、きちんと説明するとしようか」

 

 ウルベルトの左手がレイナースに伸び、彼女の顔右半分を覆い隠している長い前髪を優しい手つきでサッと払いのける。

 瞬間、露わになったレイナースの素顔に、モモンガは思わず小さく息を呑んだ。

 ウルベルトから事前に軽く説明を受けてはいたが、実際にこの目で見るとリアルさが全く違っていた。

 全体的に広がっている痣のように黒く変色した肌と、至る所から溢れ出ている黄色く濃い膿。変色している肌はまるで火傷をしたかのように酷く爛れて歪んでおり、絶え間なく溢れて流れている膿は酷い異臭を放っていた。

 予想以上の状態に、無意識に目が釘付けになる。

 しかし一方で、レイナースの顔の状態にモモンガは大きな違和感を覚えていた。

 というのも、レイナースの顔の状態はモモンガが知っているありとあらゆる呪いの症状と一致するものが一つとしてなかったのだ。むしろ、呪いとは別のものが頭を過る。

 これは呪いというよりも……。

 

『……ウルベルトさん、これって呪いとは違うんじゃないですか? 呪いっていうよりこれは……』

 

 思わずウルベルトに〈伝言(メッセージ)〉を繋いで声をかける。

 ウルベルトはこちらを振り返ることはなかったが、レイナースやフールーダに気付かれないように小さく頷くと改めてレイナースに向けて口を開いた。

 

「君のこれは厳密に言えば“呪い”ではない」

「“呪い”ではない? ……そういえば、初めてこれをお見せした時にも同じことを仰っていましたわね。それは一体どういうことでしょうか?」

「これは“呪い”ではなく、……そう、そうだな、言うなれば“寄生”かな?」

「……“寄生”……?」

 

 ウルベルトの言葉が予想外だったのだろう、レイナースもフールーダも驚愕に目を見開いている。しかしモモンガはウルベルトの言葉に同意見だった。

 モモンガの頭に一つの異形の姿が浮かんでくる。

 ウルベルトが続いて口にした存在の名も、モモンガが頭に思い浮かべた異形のものだった。

 

「ロックブルズ、君は自身に呪いをかけた化け物について、その名やどういった存在であるかなどは知っているかね?」

「……いいえ、見たこともない化け物でしたし、詳しいことは何も知りません」

「なるほど。……君の顔をそのような状態にした化け物の名は恐らく“赤の不死鎌”。他者の肉体を使って蘇る異形種だ」

 

 “赤の不死鎌”は2メートルほどの巨体を誇る蟲系の異形種である。

 名前は非常に仰々しいが、レベルは20台くらいでナザリック勢からすれば雑魚に分類される。

 姿は全体的にカマキリのような見た目をしており、両手の鎌は非常に大きく1メートルを超える。細い上半身には鎌型の両腕も含めて二対、更に羽のある太い下半身には三対、合計十本もの手足が生えている。全身の外皮は赤い鎧のようで防御力が高く、弱点となる属性も神聖属性以外には特にない。神聖属性攻撃以外で確実なダメージを与えるためには、関節部分に攻撃を行うか、レベルの高い武器や魔法で力押しするのが手っ取り払い方法だった。

 しかしこの異形には高い防御力以外にも厄介な特徴があった。

 それは瀕死状態になった際に繰り出してくる寄生攻撃(・・・・)

 この蟲は即死無効化能力も備えているのだが、死にそうになると近くの生命体に自身の分身たる卵を植え付けて寄生するという特徴を持っていた。

 寄生した卵は肉体の奥に潜り、その後時期を見て孵化。暫くの間は幼虫の姿で体内に潜伏し続けながら宿主の生命力を吸い取って成長し、やがて宿主の肉体を食い破って成虫の姿で再び外界に姿を現すのだ。

 淡々とした声音で“赤の不死鎌”について説明するウルベルトに、フールーダは興味深そうな視線をレイナースに向け、レイナース自身は見るからに顔を蒼褪めさせていた。

 

「………そ、それでは、あいつが! あいつが今も、私の中に……っ!!?」

 

 左側の美しい顔が強い恐怖と怒りに引き攣り歪む。咄嗟に右側の顔を引っ掻こうと挙げられたレイナースの右手に、すかさずウルベルトが手を伸ばして手首を掴んで止めた。

 

「落ち着きたまえ。引っ掻いたところで蟲を取り出すことなどできない。顔に傷をつくるだけだ」

「いやっ! 離して!! 離してェッ!!」

「リーリエ、彼女を抑え込め」

 

 ウルベルトの命令を受け、ユリがすぐさま動いてレイナースの後ろに回り込むと、そのまま二の腕を両側から掴んで抑え込む。しかしレイナースはすっかり恐慌状態に陥ってしまっているようで、ユリに抑え込まれている状態ながらもブンッブンッと激しく頭を振って逃れようと暴れていた。

 そこにウルベルトの深いため息の音が響く。

 ウルベルトは腰を折ると、レイナースの手首を掴んでいた手を次は顔に伸ばし、彼女の顎を掴んで自身の顔をグッと近づけた。

 

「落ちつけと言っているだろう。そんなに不安にならなくても、君に寄生している蟲は成虫になって出てくることはない。少なくとも今のところはね」

「ッ!!? ……それは……どう、いう……?」

「君にとって幸運なのか不運なのかは分からないが、君とこの蟲はレベルが非常に拮抗しているのだよ。そのため、今は君の肉体が蟲の寄生に対抗し続けている状態だ。その溢れ続ける膿は、君の肉体が蟲と戦い続けている証のようなもの。……つまり、君の肉体が蟲に負ければ、初めて蟲に完全に寄生され、やがて内側から食い殺されるという訳さ」

 

 ウルベルトの説明に、レイナースは絶句したような表情を浮かべる。

 それを見つめながら、モモンガもまた内心で『本当に幸運なのか不運なのか分からないな……』と独り言ちた。

 “赤の不死鎌”が寄生するのは植物でも蟲でもなく、筋肉を持つ生命体だ。恐らくレイナースが“赤の不死鎌”と戦っていた時は筋肉を持つ生命体はレイナース以外にはいなかったのだろう。もし他にも動物や人間がいたなら、“赤の不死鎌”は彼女以外の存在に寄生していたかもしれない。

 また、レイナースと“赤の不死鎌”のレベルが拮抗しているというのも問題をややこしくしていた。

 もしレイナースのレベルが“赤の不死鎌”よりも低ければ、問答無用で完全に寄生されて彼女は今頃内側から食い殺されていたはずだ。また、もしレイナースのレベルが“赤の不死鎌”よりも圧倒的に高ければ、そもそも寄生されることもなく跳ねのけることが出来ていただろう。

 彼女と“赤の不死鎌”のレベルが拮抗しているがために、どっちともつかない中途半端な状態が長く続いてしまっているのだ。

 

「今から行うのは、蟲を君の中から追い出して完全に消滅させることだ。体内から蟲を追い出す際、恐らく激痛が走るだろう。心の準備は良いかね?」

 

 空中でアイテムボックスを開いて中から二本の短杖(ワンド)を取り出しながらウルベルトがニッコリとした笑みと共に尋ねる。

 その様は非常に魅力的でありながらもひどく悪魔的だ。

 しかしレイナースは藁にも縋る思いなのだろう、激痛があるだろうと言われても彼女は顔を強張らせながらも一つ大きく頷いてみせた。

 ウルベルトも一つ頷くと、その悪魔的な笑みにほんの少しだけ柔らかなものを含ませた。

 

「よろしい。それでは早速始めるとしよう。リーリエ、彼女が暴れ過ぎてもいけないから、そのまま抑え込み続けてあげなさい」

「はい、畏まりました」

 

 思いやりからのものなのか非常に判断に迷う命令に、しかしユリは当然のように大人しく頷いている。

 モモンガは考えるのを諦めると、邪魔にならないように部屋の隅に移動して改めてウルベルトたちへと目を向けた。

 ウルベルトはレイナースから手を放すと、一本の短杖(ワンド)を右手に持って軽く構えている。

 短杖(ワンド)は徐に淡い光を放ち始めると、次にはその光がレイナースの全身を優しく包み込んだ。白い光は数秒間レイナースを包み込み続け、その後は何事もなかったかのように空気に溶けるように消えていく。

 しかしレイナースの顔の右側は何も変わっていない。

 レイナースとフールーダが小さく怪訝の表情を浮かべたその時、変化は突然に訪れた。

 

「……ぐッ…!? ……あ、…ぁああっ……、・・・・・・あああぁぁあぁアアァァアァアアァアアァアァァァッッ!!!」

 

 レイナースは眉間に大きな皺を寄せると、顔を俯かせたと思うと次には勢いよく顎を上に逸らして頭上を見上げた。背中も弓なりに大きく反り、まるで何かから逃れようとするかのように身を捻って悶え始める。しかしユリに押さえつけられているため暴れることも椅子から転げ落ちることもままならない。レイナースは唯一自由な足を椅子の上にあげたり、地面に降ろして床を蹴ったり引っ掻いたりしながら苦痛の悲鳴を上げ続けた。

 彼女の顔の右側はまるで皮膚の下に何かがいるかのようにボコボコと蠢き、大量の膿がとめどなく溢れ出ている。何とか苦痛から逃れようとレイナースが暴れるものだから、ユリが抑え込んでいるとはいえ大量の膿が四方に飛び散った。

 モモンガは部屋の片隅にいるため膿が飛んでくることはなかったが、彼女の近くにいるウルベルトやユリやフールーダは堪ったものではないだろう。実際、フールーダは慌てて大きく後退っており、ユリは眉一つ動かしてはいないものの、既に大量の膿に濡れて汚れている。

 ウルベルトは無事か……と目を向け、そこにあった姿にモモンガは思わず呆気にとられた。

 いつの間に出していたのか、ウルベルトは魔法で傘を創り出して自身の前に翳し、しっかりと飛んでくる膿をガードしていた。それもウルベルトが創り出していたのは傘は傘でもビニール傘で、何とも違和感ありまくりな道具の出現に『フールーダたちにツッコまれたら一体どうするつもりなんだ』と呆れてしまう。

 しかし少なくともレイナースはビニール傘に意識を向ける余裕はなさそうだった。

 彼女は今もなお苦痛の声を上げ続け、身を激しく捻り、両目からはとめどなく涙を流しながら髪を振り乱していた。

 それから数十秒後、波打っていた顔右半分の皮膚が更にボコボコと激しく膨らみ始め、次には多くの血と膿を撒き散らしながら大量の何かが皮膚の下から飛び出てきた。

 ボタボタと血と膿と共に地面に零れ落ちるのは3、4cm程の白く細長い何か。

 まるで蟲の幼虫のようなそれらは身悶えるように床を這いまわり、次には身を寄せ合うように互いに集まり始めた。

 

「………あ、あぁ……、ぐぇっ……ごほっ、ごほっ……ふぅぅ……あ゛ぁ゛ぁ………」

 

 もはや叫ぶことすらできなくなったのか、レイナースは前屈みになってぐったりと顔を俯かせ、掠れた声を零しながら血と膿と白い塊を地面に垂れ流し続けている。

 その間にも幼虫の塊はどんどんと大きくなり、やがて白いドロドロとした巨体となってゆらりと身を起こしてきた。

 

「……オォォ、……ォォオオオオオォォオオォォオォォオオオ…!!」

 

 白い塊が形作ったのはカマキリのような異形。

 しかしその体躯はまるで脆い泥のようにドロドロとしており、既に身体の至る所が重力に負けて崩れかかっていた。ボタボタと崩れて落ちていく塊は地面を這い、再び寄り集まってはカマキリのような異形の足元に吸収されていく。

 再生と崩壊を繰り返す異形に、ウルベルトはどこまでも冷めた金色の瞳を向けていた。

 

「………ニ゛、グゥ………ニクゥゥゥッッ……!!!」

 

 新たに宿る肉体を求めてか、異形が奇声を上げながらウルベルトに襲いかかっていく。

 探知阻害の指輪をしているウルベルトには強者の気配が全くなく、異形がウルベルトを新たな寄生先に選んだのも仕方がないことなのかもしれない。

 しかしその選択は完全に誤りだ。

 モモンガが大人しく静観する中、ウルベルトは持っていたビニール傘を素早く畳むと、次にはバットのように構えて襲い来る異形に向けて勢い良く振り放った。

 

「……ギャッ……!!」

 

 短い音を発したと同時に弾け飛ぶ異形。

 幾つもの塊に四散し地面に散る白い異形に、ウルベルトはビニール傘を消して右の人差し指を無造作に突きつけた。

 

「〈炎の舞(ファイヤーダンス)〉」

 

 瞬間、突如現れた鮮やかな業火に白い蟲の塊たちは容赦なく包み込まれる。

 轟々と燃える炎の中、悲鳴を上げる間もなく数秒で塵と化したそれらに、ウルベルトはもはや一切の興味を失ったのか視線を外した。未だ舞い踊り燃えている炎には目もくれず、ぐったりと椅子に座っているレイナースへと歩み寄る。

 顎に手を添えて俯いている顔を上げさせると、血で真っ赤に染まっている顔が露わとなった。

 皮膚の至る所が破け血を流しボロボロで、その顔は先ほどよりも更に凄まじく悲惨な状態になってしまっている。皮膚の下に潜んでいた異形の幼虫たちが全て皮膚を突き破って出てきたのだ、こんな状態になってしまっても仕方がないことだろう。

 激痛のあまり意識が朦朧となっているレイナースに、ウルベルトはそっと左手に持っていたもう一本の短杖(ワンド)を近づけた。

 淡い翡翠色の光を放ち始めるその短杖(ワンド)に宿っているのは上位の治癒魔法。

 レイナースが思わず目を閉じて深く大きな安堵の息を零す中、ウルベルトは治癒魔法を発動し終えた短杖(ワンド)をアイテムボックスに戻すと、ポケットから真っ白なハンカチを取り出して丁寧にレイナースの顔を拭き始めた。顔中を覆っている血や膿を、ハンカチが汚れるのも構わずに丁寧に拭き取っていく。

 そこから姿を現したのは、傷一つない美しい肌。

 左側だけでなく右側も傷どころか痣や痕すらなく、まっさらな状態の滑らかで綺麗な顔がそこにはあった。レイナースがゆっくりと閉じていた目を開ければ、左右の翡翠色の瞳が一切の歪みなく姿を現す。

 呆けたような表情を浮かべてパチパチと目を瞬かせるレイナースに、ウルベルトはニコッと笑みを浮かべると、彼女の顔から手を放して魔法で手鏡を創り出した。ユリにレイナースを自由にしてやるように命じると、先ほど創り出した手鏡を差し出してやる。レイナースはゆっくりと手鏡を受け取ると、恐る恐る鏡面を覗き込んだ。

 瞬間、翡翠色の双眸が大きく見開かれた。

 目は釘付けになり、見る見るうちに両目に涙を溢れさせる。

 レイナースは呆然とした表情を浮かべたまま、はらはらと涙を流しながら鏡面を見続けた。

 外からの光が柔らかく差し込む室内で、一人の美しい女が鏡を見つめながら静かに涙を流す光景。

 それはまるで神の御業からなる奇跡の情景そのもののようで、モモンガはうっとりとした表情を浮かべているユリに気が付いて静かに苦笑した。『これはウルベルトさんへのNPCたちの忠誠心が一層高まりそうだな~』と心の中でウルベルトに対して合掌する。

 しかしウルベルトがそれに気が付くはずもなく、彼は汚れたハンカチや短杖(ワンド)をアイテムボックスの中に放り込むと、改めてレイナースに目を向けた。

 

「さて、これで全て終了だ。傷も綺麗に治っているはずだが、気分はいかがかな?」

 

 小さく首を傾げながら問いかければ、漸くレイナースの目が鏡面から外れてウルベルトに向けられる。レイナースは暫くの間無言のままウルベルトを見上げ続けると、次にはまるで頽れるように椅子から地面へと降りて両膝をついた。そのまま両掌も地面につき、深々と頭を下げて額を擦りつけた。

 

「……あ、りが、と、ござい…ます……。……ふっ、……ぐすっ、ありが、とう…ございます……っ!」

 

 頭を下げたまま、レイナースは何度も嗚咽の混じる声で礼の言葉を口にする。

 そんな中、今まで部屋の隅まで後退っていたフールーダがウルベルトとレイナースの元へと歩み寄ってきた。レイナースの傍らに屈み込んで両膝をつき、一度レイナースを見つめてからウルベルトを見上げる。多くの皺が刻まれた老人の顔には爛々とした狂喜の輝きが強く浮かんでいた。

 

「……素晴らしい……、……本当に素晴らしいっ! 正に神の御業! これほどの力をこの目で見ることが叶おうとは!!」

 

 フールーダはそこで一度言葉を切ると、地面についている両膝の位置を少し変えて改めてウルベルトに真正面から向き合った。

 

「レオナール・グラン・ネーグル様! 我が神よ! あなた様は本当に人間であられるのでしょうか?」

 

 フールーダの中には、人間でこれほどのことができる者はいないだろうという考えがあるらしい。しかしその声音にも表情にも、一切負の色は宿ってはいなかった。逆に『人間でなくても一向に構わない』といった狂気的な色すら濃く宿っているように見える。

 一体どう答えるつもりなのだろう……と注視する中、一瞬ウルベルトの金色の双眸がチラッとこちらに向けられたことに気が付いた。続いて、何事かを思案しているかのように見せかけて、次はがっつりとこちらに目を向けてじーっと見つめてくる。

 見るからに助言を求めているようなその姿に、モモンガは思わず内心で小さな笑い声を零しながらウルベルトに〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

『悩んでいるみたいですね、ウルベルトさん』

『そう思ってるなら助言を頂けませんかね、モモンガさん』

『そうですね……。俺の目から見たら、例えウルベルトさんの正体を明かしたとしても問題ないとは思いますけど……心配なら、この場は濁して後で改めて考えたらどうですか?』

 

 ちゃんとした助言のようでいて、しかし問題はウルベルトに丸投げするような言葉。

 ウルベルトに対してちょっとした罪悪感はあるものの、それよりもモモンガはウルベルトが彼らにどう答えてどう立ち居振る舞うかの方に非常に興味があった。『もし同じようなことがあれば、自分もウルベルトさんの真似をしよう』と手本として観察する気満々である。

 しかしそんなモモンガの内心などウルベルトは知る由もない。

 ウルベルトはフールーダやレイナースには気づかれないようにこちらにジト目を向けると、次には気を取り直したように再びフールーダたちに向き直った。

 

「……ふむ、なかなか興味深い質問だな。もし私が人間でないとしたら一体どうするつもりなのかね? 人類の敵とみなして私に挑んでみるか?」

「そんなっ! 我が神と袂を分かつなど滅相もない!! 私はただ、このようなことが本当に人の身でできるものなのかと思っただけにございます! 例えあなた様が人間でなかったとしても、私は変わらずあなた様に全てを捧げて付き従う所存でございます!!」

 

 ニヤリと悪戯気な笑みを浮かべて問いかけるウルベルトに、フールーダは慌てたように首を横に振り、次には勢い良く地面に平伏する。

 その横では、漸く泣き止んだレイナースがゆっくりと頭を上げて真っ赤に潤んだ瞳をウルベルトに向けていた。

 

「……私も、パラダイン様と同じ気持ちですわ。レオナール・グラン・ネーグル様。あなた様が何者であれ、この身を全てあなた様に捧げ、忠誠を誓います」

 

 少し掠れた声ながらもはっきりと言い切るレイナースに、ウルベルトは意外そうな表情を浮かべた。金色の双眸を小さく見開かせ、マジマジとレイナースを見つめる。

 

「おや、君は既に私との契約条件を果たしているのだよ? 君は契約通りフールーダ・パラダインを私と引き合わせ、その見返りとして私は今、君の呪いを解いてみせた。言わば君は自由の身となったわけだ。君はこれ以上私に付き従う必要はないのだよ? 私は、君の中から私に関する全ての記憶を消して自由にしてあげようと考えていたのだが……」

 

 小さく首を傾げてそう言うウルベルトに、今度はレイナースの方が大きく目を見開いた。数秒小さく唇を震わせ、次には激しく何度も頭を振った。

 

「……い、いいえ! いいえっ!! そんな、あなた様の記憶を失うなど!! そんなことは耐えられませんっ!! どうか変わらず、あなた様のお役に立たせて下さいっ!!」

「ふむ……、正直に言うと君がそれほど私に忠誠を誓っていたとは思わなかったのだが……」

「………確かに最初は、忠誠心など欠片もありませんでしたわ。でも、今は違います! あなた様は私の願いを叶えて下さった。あなた様は醜かった私の顔に触れ、『美しい』と受け入れて下さった! 私は、そんなあなた様の存在に本当に救われたのです!!」

 

 身を乗り出して必死に言い募っているその姿は、とても嘘を言っているようには見えない。

 モモンガはウルベルト、フールーダ、レイナースの順に目を向けると、最後に再びウルベルトに目を向けて〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

『どうやら俺は来なくても良かったみたいですね。二人とも、すっかりウルベルトさんに心酔しちゃってるみたいじゃないですか』

『いや、そうは言いますけど……。本当に大丈夫だと思います?』

『俺は大丈夫だと思いますよ。まぁ、もしそれでも裏切るようなら影の悪魔(シャドウデーモン)がすぐに気が付くでしょうし。ウルベルトさんのことだから、この二人の影にも潜ませているんでしょう?』

『まぁ、そうなんだが……』

 

 ウルベルトは唇を隠すように片手を添えながら考え込む。

 暫くの後、漸く考えをまとめたのか唇に当てていた手を下げて一つ頷いた。

 

「……よろしい、君たちの考えは分かった。取り敢えず、私に忠誠を誓うというのなら、ロックブルズから私の記憶を消すのは取りやめにしよう」

「あ、ありがとうございます……!!」

「それと、私の正体についてだが……今は『人間ではない』とだけ伝えておこう。時が来れば、私の真の姿を君たちに見せることもあるだろう」

 

 どうやらウルベルトはこの場で完全に自身の正体を明かすことは控えたようだ。しかし全て誤魔化さずに『人間ではない』ということは伝えたというところに、ウルベルトの律義さや二人に対する気遣いなどが見えたような気がした。

 自然とモモンガの骨の顔に柔らかな微笑が浮かぶ。

 改めて二人に目を向けてみれば、フールーダもレイナースもウルベルトの言葉に納得したようで二人揃って片膝をついて深々と頭を下げている。

 しかしレイナースが一瞬残念そうな表情を浮かべたのをモモンガは見逃さなかった。とはいえ、すぐに表情を元に戻した彼女の心情を思えば、自分が勝手にそれをウルベルトに伝えるのは野暮というものだろう。

 モモンガが静かに見守る中、ウルベルトはフールーダとレイナースに向けて一つ頷くと、次にユリの方に歩み寄っていった。全身血と膿に汚れてしまっている彼女の全身を見やり、思わずといったように苦笑を浮かべる。

 

「……ふむ、すっかり汚れてしまったな。フールーダ、君は〈清潔(クリーン)〉の魔法を使えるかね? 使えるならリーリエに使用してやってほしいのだが」

「あっ、それなら浴室にご案内いたしますわ。どうぞご自由にお使いください」

「おや、それは嬉しい申し出ではあるが、本当に良いのかね?」

「はい、構いません。むしろ、このくらいのことしかできず心苦しい限りですわ」

 

 ユリの汚れの原因が自分にあるだけに心苦しく思っているのだろう、すっかり綺麗になったレイナースの顔には強い罪悪感と配慮の色が見てとれる。

 しかしそこは流石はナザリック勢としては珍しいカルマ値プラスのユリというべきか……、彼女は何でもないと言ったような柔らかな笑みを浮かべると、レイナースに労りの眼差しを向けた。

 

「それならば、私よりもロックブルズさんの方が先に身を清めるのが宜しいでしょう。異形をその身から取り出したのです。治癒魔法をかけて傷は癒えたとはいえお疲れでしょう。どうぞ浴槽に浸かってゆっくりお休みになってください。宜しければ私の方で浴槽の準備もさせて頂きますが……」

「い、いえ! そんな! リーリエ様にそのようなことはさせられません! どうぞ私のことはお気になさらないで下さい!」

「ですが……」

 

 ユリとレイナースの間で激しい譲り合いが勃発する。

 ウルベルトは暫くの間は微笑ましそうに彼女たちの言い争いを眺めていたが、埒が明かないとでも思ったのか、漸く苦笑と共に二人の間に割って入っていった。

 

「ほらほら、そこまでにしておきたまえ。リーリエ、ここはロックブルズの厚意を受け取って君が先に身を清めたまえ」

「ですが、本当に宜しいのでしょうか……」

「はい、構いません。少しでもお寛ぎ頂ければ幸いです」

「ほら、本人がこう言っているのだし、構わず彼女の申し出に甘えなさい」

「畏まりました。……ロックブルズさんにも感謝します」

 

 漸く話がまとまったようで、ウルベルトが小さく息をつくのが見てとれる。

 そんな中、今まで大人しく事の成り行きを見守っていたフールーダが徐にウルベルトの元へ歩み寄り声をかけた。

 

「それでは我が神よ、リーリエ様が身を清めている間、宜しければ私に時間を頂けないでしょうか? お聞きしたいことや、お耳に入れたいことが幾つかございまして……」

「ほう、私は構わないよ。……そういえば、私からも幾つか君に聞きたいことがあったのだった。それも含めて今から話そう。……ロックブルズ、すまないが一つ部屋を用意してもらえるかな?」

「勿論ですわ。案内いたします」

 

 ウルベルトの言葉に、レイナースは当たり前のように頷いてそれに応える。

 血みどろの姿のまま案内を始めるレイナースに、身綺麗なウルベルトとフールーダ、そして同じく血みどろなユリが後に続いていく。

 モモンガは内心で『凄い絵面だな~』と独り言ちながら、当たり前のように彼らの後に続いて足を踏み出した。

 フールーダとウルベルトとの会話の内容が気になって仕方がない。

 しかしそれと同時に、もう少しウルベルトの言動を観察して勉強しようと心に決めながら、モモンガは少し弾んだ足取りでウルベルトの傍らまで歩み寄ると、そのまま彼の隣に並び立って白い廊下を進んでいった。

 

 




如何だったでしょうか?
今回は皆さん大好きなレイナースさんの呪いイベント話だったので、読んで下さった皆さんの反応に戦々恐々としております……(汗)
少しでも皆さんが納得できる内容になっていることを祈ります……(滝汗)

*今回の捏造ポイント
・赤の不死鎌;
レベル20台の蟲系の異形種。2メートルほどの巨体で全体的にカマキリのような見た目をしており、両手の鎌は非常に大きく1メートルを超える。細い上半身には鎌型の両腕も含めて二対、更に羽のある太い下半身には三対、合計十本もの手足が生えている。全身の外皮は赤い鎧のようで防御力が高く、神聖属性以外に弱点属性は特にない。即死無効化能力を持っており、瀕死状態になると寄生攻撃を繰り出してくる。肉体を持つ生命体に自身の分身たる卵を植え付けて寄生し、体内で孵化して宿主の生命力を吸い取って成長し、やがて宿主の肉体を食い破って成虫の姿で再び外界に姿を現す。
・〈炎の舞〉;
第六位階の炎系の攻撃魔法。舞い踊る業火が対象を包み込み燃やし尽くす。


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第65話 数多の刃

今回の話は異常に長いです……。
お暇な時にでも読んで頂ければと思います(深々)


「おおぉっ、ここがエルフ王国の王都かぁっ!!」

 

 目の前に広がる光景に、ペロロンチーノは思わず弾んだ声を上げていた。

 ここは森妖精(エルフ)王国の王都トワ=サイレーン。

 エイヴァーシャー大森林の奥地にあるこの王都は、何とも変わった様相を呈していた。

 まず初めに目に飛び込んでくるのは巨大な大樹。

 500メートルはあろうかと思えるほどに高く大きなその大樹は、正に小説などでよく出てくる“世界樹”を彷彿とさせるような出で立ちをしており、それを中心に円形状の都市が広がっていた。大樹はそれそのものが大きな建物として機能しているのか、木肌の至る所には窓のような空洞が幾つもあり、そこから明かりや人影のようなものも時折確認することができる。大樹の根元にも門らしきものが見受けられた。そしてそこから広がる都市は、まるで年輪のように家々が大樹を中心に円を描くように建ち並んでいた。

 大樹以外の建物は全て土でできているのか、どれもこじんまりとしていて、どことなく殺風景にも質素にも見える。更には大樹のものであろう大小様々な根が地面の中から飛び出ては家々の間を走り、至る所で波打っていた。

 しかし驚くべきことはこれだけではない。

 王都だと思われる範囲は大樹を中心に半径10キロほどまでの大きな円形をしているのだが、何故それが明確に分かるのかと言うと、それは王都の外側が全て深い深い崖に囲まれているからだった。外界に繋がる大地があり、その先に1キロほどの幅の深い崖が円形状に走っており、その更に先に大樹のある円形状の大地が存在している。しかもこちら側の大地よりも大樹がある側の大地の方が地盤が上にあるのも不思議だった。大地と大地の間には幾つか、木の板を鎖で繋いだような橋や大樹のものであろう太い根っこが橋のように伸びているのだが、そのどれもが緩やかなカーブを描いて坂道のようになっていた。

 

「……はぁ~、本当に不思議な地形だな。よく自然にこんな形になったもんだ……」

 

 どうしたらこんな形になるのかと思わず大きく首を傾げる。

 ペロロンチーノはシャルティアと共に遥か上空に浮かびながら、眼下の王都を見下ろしていた。

 

「ペロロンチーノ様、どうやらエルフたちも漸く到着したようでありんす」

「うん? ……あっ、本当だ」

 

 マジマジと王都を観察する中、不意にシャルティアに声をかけられてそちらに目を向ける。

 視線の先にはクローディア率いるエルフの国王討伐軍が王都のすぐ傍まで近づいてきており、ペロロンチーノは一つ頷いてシャルティアを見やった。

 

「それじゃあ、これからについてクローディアちゃんと話すことにしますか! シャルティア、俺は先に行ってるからパンドラに連絡を取ってこっちに来るように伝えておいてくれないかな。どんな状況か報告も聞きたいし」

「で、ですが、ペロロンチーノ様、お一人で行動されるなんて危険でありんす。どうか、私にもお供をさせて下さいまし」

「え~、何そのお願い可愛すぎか!? そんなに俺のこと心配?」

「勿論でありんす! ペロロンチーノ様はわたくしにとって、何にも代えがたい最愛の御方。ペロロンチーノ様に何かあったら、とても生きてはいけないでありんす!」

「もう超か~わ~い~い~~っ! 俺もシャルティアのこと愛してるよ~~!」

 

 シャルティアのあまりの可愛らしさといじらしさに、ペロロンチーノは感極まって衝動のままにシャルティアの小柄な身体を勢いよく抱き締めた。懐深く抱き込み、ぎゅーぎゅーと力を込めて銀色の髪に頬を摺り寄せれば、腕の中でシャルティアが蕩けたような甘い声を上げる。

 

「あぁぁんっ、ペロロンチーノさまぁ~! そんな、こんなところで、大胆……っ!! でも嬉しいでありんすぅ! 私も愛しておりますぅぅ~~!!」

「シャルティア、大好き~~!」

「嗚呼っ、遂に……遂にここで私の初めてを……っ!!」

 

 恍惚の表情を浮かべたシャルティアがペロロンチーノの背に腕を回し、逞しい胸板に頬を摺り寄せる。熱く甘い吐息を吐き出し、紅色の双眸を感極まったように潤ませて蕩けさせた。

 甘い雰囲気が最高潮に達したその時、しかし不意に戸惑ったような男の声が少女の背後に出現し、一気に濃密な空気が吹き飛ばされた。

 

「……ペロロンチーノ様、第一・第二・第三守護者殿、お取り込み中申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか?」

「あっ、パンドラ」

「チィィッ!!!」

 

 シャルティアの背後……ペロロンチーノの正面の上空に現れたのは、胸に片手を添えて45度に腰を曲げながらこちらにはにわ顔を向けている二重の影(ドッペルゲンガー)

 ペロロンチーノがシャルティアを抱きしめたままあっけらかんとした声を発する中、腕の中から鋭く大きな舌打ちが聞こえてきた。

 そのあまりに殺意のこもった舌打ちに、ペロロンチーノは思わずビクッと両肩を跳ねさせて反射的に腕の中の少女を見下ろす。シャルティアは未だこちらの胸板に顔をうずめているため表情を確認することはできなかったが、それでも何となく不穏なオーラがドロドロと漂っているように見えた。

 そのおどろおどろしさにペロロンチーノは思わずゴクッと生唾を呑み込む。そろそろとゆっくりとシャルティアから手と身体を離すと、極力シャルティアを見ないように心掛けながら、そそくさとパンドラズ・アクターの方へ飛んでいった。背後からドス黒い気配が漂ってくるのをビシバシと感じながら、しかし心の中でそれを必死に『気のせいだ』と言い聞かせて半ば無理矢理意識をパンドラズ・アクターに向ける。

 

「……あー、ご苦労様、パンドラ。王都の様子はどうだった? 何か情報はある?」

「はっ、そのことについて幾つかペロロンチーノ様にご報告がございますっ!」

 

 パンドラズ・アクターは折っていた腰を元に戻して一度ビシッと敬礼する。

 しかし次には今までのハイテンションを一気に鎮めると、落ち着いた声音で報告を始めた。

 

「まず初めに、どうやら此度のエルフの国王討伐軍の中に内通者がいるようです」

「えっ、マジ? いきなり超ヘビーで重要情報なんだけど……」

 

 突然の問題発言に思わず呆けた声が出てしまう。

 しかしパンドラズ・アクターは気にする様子もなく一つ頷くと、どこからともなく色鮮やかなオウムのような魔鳥を二羽取り出してきた。

 赤い羽毛で覆われている短い首を両手でそれぞれ掴んでいる様は、正に娯楽の狩りで鳥を二羽仕留めた軍人のようである。

 意外に様になっているその姿に内心で『おぉぉっ!』と声を上げながら、ペロロンチーノはパンドラズ・アクターに大人しく掴まれている魔鳥を見やった。

 パンドラズ・アクターの手に大人しくされるがままになっているのは“レコル”という名の魔鳥。レベル10台くらいの、この世界の基準で考えてもあまり強くはない魔鳥だった。しかしこの鳥はあらゆる生物の声をマネして言葉を発することができるという中々に珍しい特徴を持っている。また群れで行動する鳥でもあり、多くの言葉や鳴き声で仲間とコミュニケーションを図るという設定持ちでもあるため、一羽でも警告の鳴き声を発すれば大群で襲いかかってくるという特徴と危険性をも持ち合わせていた。

 

「うわぁ、レコルだ、珍しい。久しぶりに見たよ。どうしたんだ、これ?」

「どうやら内通者やエルフ王はこの魔鳥を使って情報伝達を行っているようでして、既に何羽ものレコルを捕らえております」

 

 パンドラズ・アクターはそこで一度言葉を切ると、右手に持っているレコルの首元をグッと強く握りしめた。

 瞬間、レコルの嘴が機械的な動きでパカッと大きく開いた。

 

「『先日のクローディア・トワ=オリエネンス謀反の件で、現在エクト=カウロンの前線部隊の三分の一と共に王都に進軍中。到着予定日時に変更なし。』」

 

 嘴の奥から硬質な男の声が聞こえてくる。しかし妙にエフェクトがかかっており、どうにも男の声であること意外は判別が出来なかった。

 続いてパンドラズ・アクターが左手側のレコルの喉を握りしめ、もう一羽のレコルが嘴をパカッと開いた。

 

「『クローディア・トワ=オリエネンス率いる前線軍の一部が反乱を起こし王都に進軍中。至急王都に戻れ』」

 

 こちらも嘴の奥から響いてきたのは男の声。しかし声にかかるエフェクトはこちらの方が強く、ところどころがひび割れ、その耳障りな音にペロロンチーノは思わず金色の仮面の奥で小さく顔を顰めた。

 

「うん、完全にバレちゃってるね、これ。増援も呼ばれちゃってるっぽいし、クローディアちゃんたち大丈夫かな?」

 

 思ってもみなかった事態に、ペロロンチーノは思わず腰に手を当ててため息にも似た息を吐き出した。

 正直、自分たちについてはあまり心配はしていない。しかし共に来るであろうクローディアたちの方は些か心配だった。

 自分たちのレベルがこの世界では規格外であることは十分承知しているし、もしヤバくなったとしても逃げられるだけの手段は幾つも既に準備をしている。何かあったとしても、ある程度のことは上手く対処することができるだろう。しかしこの世界の住人であり、エルフ王よりもレベルが低いクローディアたちはどうなるか分からない。

 これは増援が来る前にさっさと済ませちゃった方が良いかな~……と考える中、まるでそんな考えを吹き飛ばすような勢いでパンドラズ・アクターがこちらに身を乗り出してきた。

 

「ご安心ください、ペロロンチーノ様っ! 増援を呼ぶレコルは全てこのパンドラズ・アクターが捕まえておりますので、どこからも増援が来ることはありませんっ!!」

「えっ、本当? 流石はパンドラ、ナイスだよ!」

「ありがとうございますっ!!」

 

 いつものテンションに戻って胸を張るパンドラズ・アクターに思わず小さな笑みを浮かべる。

 ペロロンチーノは一度エルフたちの軍の方へ目を向けて様子を確認すると、一つ頷いてパンドラズ・アクターに目を向けた。

 

「でも内通者が軍の中にいるのは問題だな。いくら増援が来ないからって、こちらの行動が筒抜けだといろいろ面倒臭いことになるかもしれない」

「仰る通りです! また、内通者の正体もつきとめる必要があるかと。……その正体によっては、既に我々の存在も敵側に知らされている可能性がございます」

「あっ、そっか。……俺たちの存在を知っているのは、確かクローディアちゃんを含めると8人か……。逆にあっちが俺たちの存在を知っていれば対象者が絞れるな」

「こちらの存在が知られていようと大した問題にはならないのではないかえ? 何が問題なのでありんすか?」

 

 そこに、大分落ち着いたのかシャルティアがこちらにゆっくりと飛んできながらパンドラズ・アクターに問いかける。

 パンドラズ・アクターははにわ顔をシャルティアに向けると、表情が変わらない顔の代わりに困ったように首を傾げた。

 

「問題はいろいろ出てくるかと。先ほどの増援もそうですが、罠なども仕込まれる可能性があります」

「ふんっ、鬱陶しいことでありんすねぇ~。でもそれなら、罠ごと潰してしまえば良いでありんしょう? ペロロンチーノ様がお命じ下さるなら、この王都ごと一気に殲滅してご覧に入れますえ」

 

 にっこりとした可愛らしい微笑みと共にとてつもなく物騒な言葉が飛んでくる。

 『そんなところも可愛い』と内心でバカなことを思いながら、ペロロンチーノはシャルティアの頭に手を乗せて優しく撫でた。

 

「うん、シャルティアがいてくれると心強いよ。でも、王都を全部壊しちゃうのはちょっとやり過ぎかな。それは次の機会に取っておこう」

「そうでございますか? 畏まりました……」

 

 なるべく傷つけないように言葉を選びながら諌めたつもりなのだが、それでもシャルティアは気落ちしたようにしゅんっとした表情を浮かべて小さく肩を落とす。

 大変庇護欲を擽られるその姿に、ペロロンチーノは内心衝動のままに激しく身悶えた。実際に身悶えなかった自分を褒めてやりたいほどだ。

 『ウチの嫁、マジ可愛い』と内心で何度も連呼しながら、ペロロンチーノは目の前の白銀の頭を優しく撫で続けた。

 

「ほらほら、そんなに気を落とさなくても大丈夫だよ。シャルティアの気持ちは本当に嬉しかったよ」

「そう、でございますか……?」

「勿論だよ! 頼りにしてるよ、シャルティア」

「は、はい……!!」

 

 こちらの言葉に漸くシャルティアが満面の笑みを浮かべてくれる。輝かんばかりの可愛らしい笑みに、ペロロンチーノは胸に湧き上がってきた衝動を抑えるために咄嗟に仮面の奥でギュッと強く目を瞑った。

 

「………眩しッ……!」

「ペロロンチーノ様?」

「あ~、ううん、何でもないよ。それよりもそろそろクローディアちゃんたちのところに行こうか。どのみち内通者の件は彼女たちにも教えてあげないといけないし、どういった作戦を考えているのか聞く必要もあるしね」

「畏まりんした」

「くゎぁっしこまりましたぁっ!!」

 

 ペロロンチーノの言葉に、シャルティアはスカートの両端を摘まんで礼を取り、パンドラズ・アクターはビシッと勢いよく敬礼する。

 全く違う二人の行動に思わず小さな笑みを浮かべると、ペロロンチーノは首に下げているネックレスの力を発動させて自身に〈完全不可知化〉をかけた。パンドラズ・アクターも一度モモンガに変身して自身とシャルティアに〈完全不可知化〉をかけており、ペロロンチーノはそれを確認すると改めて眼下のエルフ軍へと目を向けた。

 クローディア率いる国王討伐軍は、今は王都から見えない位置の森の中で陣を張り始めている。恐らくこれから作戦会議や戦闘の準備をしていくのだろう。

 ペロロンチーノはザッと視線を走らせて目的の天幕を見つけると、〈伝言(メッセージ)〉で二人に目的の場所を指示してから大きく翼を羽ばたかせた。

 ペロロンチーノが目指しているのは目が覚めるような鮮やかな緑色の天幕。エルフ王国では王族しか許されぬ色である緑色の天幕には、間違いなくクローディアがいるはずだ。

 ペロロンチーノは一度天幕のすぐ側に舞い降りて天幕内の様子を窺うと、次にはなるべく布が揺れ動かないように気を付けながら素早く天幕内へと滑り込んだ。彼の後ろに付き従っているシャルティアとパンドラズ・アクターも、引き止めることもせずにその後に続く。

 果たして中にはクローディアだけでなく、赤刃(せきじん)閃牙(せんが)導手(どうしゅ)のそれぞれの第一部隊の隊長たちも揃っていた。大きなテーブルを囲むようにして立ちながら何事かを話し合っている彼女たち以外、ザッと見る限りでは人の影は見られない。

 自分たちの存在を未だ知らないエルフたちがこの場にいないことにペロロンチーノは思わず小さく安堵の息をついた。

 これであれば姿を現しても何も問題にはならないだろう。

 ペロロンチーノは首元のネックレスに手をかけると、〈完全不可知化〉を解きながら嘴を開いて声を発した。

 

「いやぁ~、お疲れさま。無事に着いたみたいで何よりだよ」

「「「「っ!!?」」」

 

 突然の声と異形種の登場に、クローディアたちが一様に驚愕の表情と声を上げる。慌ててこちらを振り返ってくる彼女たちの様子に、まるで悪戯が成功したような高揚感と楽しさが湧き上がってきた。意地の悪い遊びだとペロロンチーノ自身も思うけれど、顔に浮かぶ笑みを止められない。

 『癖になったらどうしよう……』と内心少し心配になりながらも、ペロロンチーノはそんなことはおくびにも出さずにクローディアたちの元へとゆっくりと歩み寄っていった。

 

「もしかして、これからのことを相談中だった? もし邪魔しちゃったのなら謝るよ、ごめんね。でも、こっちにも君たちに教えておきたい情報があって、許してくれると嬉しいな」

「い、いえ、許すだなんてそんな……! だ、大丈夫です。むしろ、お心遣いに感謝します」

「あっ、そう? なら良かった」

 

 緊張した面持ちながらも何度も首を横に振ってくるクローディアに、ペロロンチーノは再び満面の笑みを浮かべる。

 後ろではペロロンチーノと同じようにシャルティアとパンドラズ・アクターも〈完全不可知化〉を解いて姿を現しており、ペロロンチーノはパンドラズ・アクターを振り返って手振りでレコルについて話すように促した。パンドラズ・アクターは心得たように一つ頭を下げると、次には二羽のレコルをまたどこからともなく取り出して見せる。不思議そうな表情を浮かべるクローディアたちに、パンドラズ・アクターは先ほどと全く同じ説明を彼女たちにも話していった。

 話しが進むにつれ、見る見るうちに青白くなっていくエルフたちの顔。

 特にクローディアの変化は著しく、話が終わる頃にはクローディアの顔は青を通り越して白くなり、唇は血が滲むほどにきつく噛み締められていた。

 

「一つ聞きたいんだけど、レコルを情報伝達に使うのは君たち特有のやり方? それとも今回の内通者だけが使ってる方法なのかな?」

「……レコルを情報伝達に使うのは、我々にとっては一般的な方法だ。軍属の者や王侯貴族の者であれば誰しもがレコルを使っている」

 

 ペロロンチーノの問いに答えたのは、クローディアではなく導手第一部隊の隊長であるオルディン・ヴェル=ストラーダ。

 男は厳めしい顔を更に顰め、苦々しい表情を浮かべながら睨むようにパンドラズ・アクターの手に捕らわれているレコルを見つめていた。

 念のため確認するように他のエルフたちに目を向ければ、赤刃と閃牙の隊長二人も同意するように頷いてくる。クローディアも顔面を蒼白にしながらも頷いているため間違いないのだろう。〈伝言(メッセージ)〉が使える身としては『面倒臭いなぁ~』と思える方法ではあったが、誰もが〈伝言(メッセージ)〉の魔法を使えるわけではない。それを考えればレコルを使って情報伝達するのも歴とした一つの方法ではあるのだろう。今重要なのはレコルを使っての情報伝達方法自体ではなく、今回それを使った内通者の正体の方だった。

 

「君たちの中で内通者に心当たりがある人はいる? それか、内通者を調べる方法とか」

「……申し訳ありません。そのレコルだけでは何とも……」

「まぁ、そうだよね……。一応レコルは全部パンドラズ・アクターが捕まえているから増援が来ることはないはずだけど、その他にも罠とかが仕掛けられている可能性はある。君たちにとってはすごく危険で不利な状況ではあるけど、何か作戦はあるのかな?」

 

 今回の国王の討伐は主に自分たちの力を彼女たちに示すものではあったが、それでも全てを自分たちだけで片付けてしまっては意味がない。エルフたちの殆どは未だこちらの存在すら知らず、また国王を討つのは表面的にはクローディアでなくてはならないのだ。そうでなければエルフ王を排除したところで、次は王位継承権を巡って内乱が起きかねない。クローディアが争うことなく早急に王位を継ぐためには、『王を討った』という確固たる実績が必要だった。

 

「……作戦、と言うほどではありませんが、王樹“サンリネス”には王族しか知らない秘密の出入り口と通路が存在します。そこから秘密裏に潜入しようと考えていました。潜入するのは私と各第一部隊と各部隊の隊長のみ。各部隊の副隊長と残りの部隊の者たちは戦乱に王都の民たちが巻き込まれぬよう住民たちへの声かけと避難の手助けをさせようと思っています」

「なるほど……。確か今回の国王討伐軍に参加しているのは赤刃第一部隊と第五部隊、閃牙第一部隊と第四部隊、導手第一部隊、……後は魔光(まこう)第六部隊と聖光(せいこう)第四部隊だったっけ。確かにその配分の方が良さそうだな……。王樹って言うのは、あの都市の真ん中に立ってる大きな樹のことだよね?」

「はい。我々を見守りし大いなる大樹であり、王族が代々受け継いでいる家でもあります」

「つまり、やっぱりお城ってことか。……う~ん、でもその秘密の出入り口や通路を使って王樹の中に潜入できたとしても、こちらの反乱に気付かれている以上、そこにも罠が仕掛けられている可能性は高い気がするな~」

「そう、ですね……。しかし、王都にいる全ての兵たちと真正面から戦う訳にはいきません。……たとえ罠があったとしても、少しでも犠牲を最小限に抑えるために動かなくては……」

 

 ペロロンチーノの指摘にクローディアの表情が苦々しいものに変わる。

 ペロロンチーノは少しの間思案すると、改めてクローディアへ目を向けながら小さく首を傾げた。

 

「ちょっと俺に考えがあるんだけど、その前に王樹の内部について詳しく教えてもらえないかな?」

「分かりました。パラディオン隊長、王樹内部の図面をこちらに」

「……宜しいのですか……?」

「ええ、構いません」

 

 躊躇うように確認してくる閃牙の第一部隊隊長に、しかしクローディアはすぐさま頷いてそれに応える。

 シュトラールはグッと唇を引き結ぶと、次には天幕の端へと歩み寄って多くの書類の束が入っている箱の中から一つの羊皮紙を取り出した。羊皮紙にザッと目を通して中身を確認し、踵を返してこちらに戻ってくる。

 シュトラールは羊皮紙を大きく広げて持つと、クローディアたちが囲むようにしている大きなテーブルの上に置いた。

 目の前に広げられたのは、間違いなく王樹の内部構造が描かれた物。

 ペロロンチーノはテーブルに歩み寄ると、少し上体を傾かせて羊皮紙を覗き込んだ。

 素早く視線を走らせながら、ペロロンチーノはまずは事細かにあらゆる部屋や通路についてクローディアに質問していった。

 

「……ん~、随分と入り組んでるみたいだな……。これだと、玉座の間よりもその前室の方が良さそうかな……。……王様は私室じゃなくて玉座の間にいる確率の方が高いんだよね?」

「はい。王は通常、夜以外は玉座の間にいることが殆どですので」

「……あのさ、ちょっとした疑問なんだけど、ずっと玉座の間にいて何してるの? 執務とかは……普通執務室とか私室ですると思うんだけど」

「いえ、その……、王はあまり執務は行いません。執務は殆ど臣下たちに任せておりますし、どうしても王の許可が必要な場合のみ、臣下が玉座の間に赴いて伺いを立てます。王は……普段は玉座の間で好きに過ごされておりますので、特にこれをしている……というようなことは………」

「……え~……、………クズい………」

「……………………」

 

 呆れたようなペロロンチーノの声音と言い様に、しかしクローディアも反論する言葉が思いつかないのだろう。口を閉ざしたまま眉を八の字にして苦い笑みを浮かべている。

 ペロロンチーノは一つ大きな息をついて気を取り直すと、改めて目の前の図面に目を向けた。

 

「……分かった。王様の日常には思うところが大いにあるけど、今回は作戦が考えやすいから良しとしよう。王樹に潜入するのは俺たちとクローディアちゃんが最初に言っていたメンバー。後の人たちには王都で作業をしていてもらおう」

「で、ですが、罠が仕掛けられている場合、その人数だけでは些か心もとなくはないでしょうか?」

「大丈夫。要は出入り口や通路を使わなければ良いんだよ」

「……?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、クローディアだけでなくこの場にいるエルフたち全員が怪訝そうな表情を浮かべる。しかしペロロンチーノは一度彼女たちから視線を外すと、後ろに控えているシャルティアとパンドラズ・アクターを振り返ってこちらに来るように手招いた。静々と歩み寄ってくる二人を確認し、そこで改めてクローディアたちへと視線を戻す。

 

「二人は空を飛ぶことができるし、シャルティアは転移魔法が使えるし、パンドラズ・アクターは対象の姿や気配を消す魔法を使うことができる。まずは二人に玉座の間に近い窓から王樹の中に潜入してもらって玉座の間の前室まで行ってもらう。そこからシャルティアの転移魔法でここと繋げば、君たちは出入り口も通路も使わずに一気に玉座の前室まで移動できるはずだ」

「それは……、た、確かにその方法であれば一気に難易度は低くなりますが……。本当に、そのようなことが可能なのでしょうか?」

「まぁ、シャルティアとパンドラにかかる負担や危険度は増しちゃうけど……。どう、二人とも? 問題なくできそう?」

「はい! ペロロンチーノ様のご命令であれば、必ずや成功させてみせますでありんす!」

Wie du mochtest(お望みのままに)。死力を尽くしましょう!!」

「いや、死力は尽くさなくて良いから……」

 

 パンドラズ・アクターの口から突然飛び出てきたドイツ語に思わず脱力してしまう。同時に、『どうしてモモンガさんはパンドラに“時々ドイツ語で話す”なんて設定をつけたんだろう……』と疑問を浮かべて小さく首を傾げた。

 モモンガは非常に頼れるギルド長で常識人であるが、時々良く分からない部分がある。

 そんなことを内心で思いながら、ペロロンチーノはフゥッと小さな息と共に意識して思考を切り替えた。

 

「と、言う訳だから心配しなくても大丈夫だよ」

「……えっ、い、いえ……本当に、大丈夫なのでしょうか……?」

「大丈夫、大丈夫。……あっ、シャルティア、念のために潜入する時は“深紅の翼鎧(クリムゾン・ウィングアーマー)”を装備していってね。シャルティアが怪我するのは嫌だからさ」

「畏まりんした。ペロロンチーノ様のお心遣いに感謝いたしんす」

 

 ペロロンチーノの言葉に、シャルティアが途端に嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ペロロンチーノも仮面の奥でデレデレとだらしない笑みを浮かべながら、改めてクローディアたちに向き直ってこれからについて更に詳しく話し合うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦が決行されたのは、太陽が沈み始める夕方ごろ。

 国王討伐軍の陣営ではクローディアや各部隊の隊長の号令に従ってエルフたちは二つの隊に別れていた。

 一つは王樹“サンリネス”に潜入する少数精鋭部隊。そしてもう一つは、王都で民たちに避難勧告を行う部隊である。

 ペロロンチーノは〈完全不可知化〉をした状態でクローディアの傍らに密かに立っており、その目をじっと夕日で赤く染まっている王樹へと向けていた。

 シャルティアとパンドラズ・アクターは傍にはおらず、既に王樹の内部に潜入している。順調に事が運んでいれば、もうそろそろ玉座の間の前室に到着している頃だろう。

 『大丈夫かな~』……と内心少し心配に思う中、不意にクローディアが何歩か前に進み出て目の前の精鋭部隊に向けて大きく口を開いた。

 

「皆さん! これより我々は、多くのエルフたちを苦しめてきた国王に対し、進軍を開始します! ですがその前に、一つだけ皆さんに伝えておきたいことがあります!」

 

 クローディアの発言に、少し騒めいていた空気が一気に静まり返る。

 耳が痛くなるほどの静寂の中、クローディアが息を吸い込む音が大きく響いた。

 

「皆さんの中には、今回の決起に疑問を持っている人も少なからずいると思います。『立ち向かったところで勝てるのか』と不安に思っている人も多くいるでしょう。私も、それは当然のことだと思っています。今ここで皆さんの疑問や不安に明確な答えを話すことはできませんが、一つだけ……我々には今とても心強い味方がいます! 私は彼らの力を借りて、今エルフ王国に迫っている全ての脅威を取り除こうと考えています! どうか今は私を信じて……私に皆さんの力を貸してください!」

 

 クローディアの言葉には未だ上に立つ者が持つ威厳のようなものは少しもない。しかし彼女の声音には力強さと、何よりひたむきで真摯な響きがあり、それらは確かに聞いている者の心を強く打つものだった。

 現に目の前のエルフたちは未だ困惑の表情を浮かべている者もいたが、その殆どは既に覚悟を決めた力強い表情を浮かべている。

 そのまま細かな指示を出し始めているクローディアの姿に、ペロロンチーノは『すごいな~』と感心した眼差しで見つめていた。

 そんな中、不意に脳内に繋がったシャルティアからの〈伝言(メッセージ)〉。

 無事に玉座の間の前室に到着し制圧したという知らせに、ペロロンチーノは短く労りの言葉をかけた。

 それと同時に、改めてクローディアへと目を向ける。

 クローディアも、各部隊の隊長と副隊長も、そして多くのエルフたちも、今はすっかり気が高ぶっていて気合に満ちている。タイミング的にもちょうど良さそうだと判断すると、ペロロンチーノはシャルティアに〈転移門(ゲート)〉を繋げるように指示を出した。

 瞬間、ペロロンチーノから少し離れた場所の空間に楕円形の闇の扉が出現する。

 途端に驚愕の表情と共に騒めくエルフたち。

 しかし流石と言うべきか、事前に〈転移門(ゲート)〉と言う魔法の存在を知らされていたクローディアはいち早く驚愕の表情を引っ込めると、状況を把握してすぐさま未だ騒めいているエルフたちを振り返った。

 

「これこそが我々に力強い味方がいるという証です! この闇の扉は王樹の内部に通じています。ここを通れば、一つの被害もなく玉座の間まで行くことができる!」

「「「「……っ……!?」」」

「本当に大丈夫なのかと不安に思うかもしれません。ですが、ここは私を信じて下さい! ……まずは私から行きます。皆さんはその後についてきて下さい!」

 

 不安がある状態で未知の物体に近づくことは難しい。そんな中でも率先して動き導こうとするクローディアの姿は、ペロロンチーノの目から見てもとても輝いて見える。

 恐らくエルフたちの目から見ればそれはなおさらだろう。

 上に立つ者としての行動としては賛否両論あるとは思うが、少なくともペロロンチーノからすれば非常に好感が持てるものだった。

 

「………ペロロンチーノ様、……私は……あなたを信じます……」

 

 誰の耳にも届かないように小さく呟かれた言葉がペロロンチーノ本人の耳だけに届く。

 ペロロンチーノは『うん、クローディアちゃん、マジ可愛い』と内心で何度も頷きながら、〈転移門(ゲート)〉の闇に消えていくクローディアの背中を静かに見送った。他のエルフたちは未だ躊躇いの表情を浮かべながらも、各第一部隊の隊長を先頭に恐々とした足取りながらも次々とクローディアを追うように〈転移門(ゲート)〉に入っていく。そして精鋭部隊の最後の一人が楕円の闇の中に消えていったのを確認すると、ペロロンチーノは悠々とした足取りで〈転移門(ゲート)〉に足を踏み入れていった。

 視界が一瞬闇に染まり、すぐに明るい光に照らされる。

 〈転移門(ゲート)〉を潜り抜けたペロロンチーノを待っていたのは、真っ白な部屋の光景だった。

 部屋の形は円形で、大きな扉がそれぞれ一つずつ左右に対面で存在している。ペロロンチーノから見て右側の扉の両脇には背もたれがない小さな椅子が三つほどこじんまりと並べられており、それ以外の家具は一切見当たらなかった。壁も扉も椅子も真っ白で、一切他の色がない。壁や扉をよく見れば木目が確認でき、扉に関しては細かな飾り彫りが施されていた。

 

「――……漸くお出ましでありんすか? 随分と呑気でありんすねぇ~」

 

 そこに不意にねっとりとした甘い声が空気を震わせる。

 何もないはずの空間がぐにゃりと歪み、次には二体の異形が前触れなく姿を現した。

 椅子がある側の扉の前に立っていたのは、深紅の全身鎧を身に纏った美少女と黄金に輝く鳥人(バードマン)

 彼らは完全装備をしたシャルティアと、ペロロンチーノの姿に変身したパンドラズ・アクターだった。

 

「……なっ、誰だ貴様らは!!」

「バードマン!? 何故こんな所に……!!」

 

 突然のことに何も知らないエルフたちが口々に驚愕の声を上げる。中には武器を構える者もおり、それにすかさずクローディアと各第一部隊の隊長たちが動いた。まるでシャルティアとパンドラズ・アクターを背に庇うように立ち、エルフたちと対峙する。

 

「皆さん、落ち着いて下さい! 彼らは我々の敵ではありません!」

「取り敢えず誰も動くな! 武器を下ろせ!」

 

 何とかこの場を落ち着かせようと声を張り上げる。

 しかしそれだけでは騒動は収まらなかった。

 異形自体、見る機会が少なかったのだろう、エルフたちの多くはすっかり混乱してしまい恐怖すら感じているようだった。こんな状態では、騒ぎが収まるどころか疑いの感情や非難の言葉がクローディアたちに向きかねない。

 『う~ん、マズい状況だな~……』と内心で小さな唸り声を零す中、不意にバキッと言う大きな破壊音が響き渡った。突然のことに、それまで騒いでいたエルフたちが全員口を閉じて一気に場が静まり返る。

 音の発生源に目を向ければそこには赤刃第一部隊隊長のナズル・ファル=コートレンジが立っており、その手には刃を晒した剣が、そしてその足元には切り壊されたのだろう一つの椅子が無残な状態で転がっていた。こちらに背を向けた状態になっているナズルが顔だけで振り返ってギロッと鋭い双眸を向けてくる。

 

「………ここをどこだと思っている。既に敵地の中にいるのだぞ。これ以上無様に騒ぐようなら問答無用で切り捨てるぞ」

 

 ナズルの全身から鋭い殺気が立ち上っている。

 見るからに有言実行しそうなその様子に、エルフたちはすっかり怯んで口を閉ざした。

 

「……コートレンジ隊長、この場を鎮めて下さったことに関しては感謝します。ですが、仲間を切り捨ててはいけません」

「……ふんっ……」

「皆さんもどうか私の話を聞いて下さい。先ほども言いましたが、彼らは我々の敵ではありません。逆に心強い味方なのです」

 

 クローディアの言葉に、再び驚愕の騒めきが小さく起こる。

 しかし先ほどのナズルの脅しが効いているのだろう、騒めきは本当に小さなもので、すぐに再び静寂が訪れた。

 

「私は国王を倒し、法国からの脅威を退けるために彼らと手を組みました。今はその詳細を語るほどの時間的余裕はありませんが、決してエルフ王国にとって不利益になるような取引はしていません。王を倒した後には、必ず皆さんにも全てを説明することを約束します。だからどうか今は、私のことを信じて従って下さい。お願いします」

「「「……………………」」」

 

 最後に深々と頭を下げるクローディアの姿に、多くのエルフたちが怯んだような素振りを見せた。

 人間だろうとエルフだろうと異形種だろうと、上に立つ者が下の者に潔く頭を下げるなどそうそうないことだ。クローディアの行動に多くのエルフたちが気後れしてしまうのも当然のことだろう。また、それ故に心を大きく動かされる者もまた多くいるのも、ある意味必然だった。

 

「クローディア様、どうか頭をお上げ下さい……!」

「……分かりました。我々はクローディア様を信じます」

「隊長方は事前に知らされていた御様子。隊長が納得されているのであれば、何も言うことはありません」

「我々は最後までクローディア様や隊長についていきます!」

 

「皆さん……、ありがとうございます」

 

 エルフたちの言葉に、クローディアは下げていた頭を上げながら感極まったような表情を浮かべる。

 クローディアは溢れてきた涙を慌てて手の甲で拭うと、心を落ち着かせるように一つ深呼吸をして改めてシャルティアたちへと向き直った。

 

「……お待たせしてしまい、申し訳ありません。もう大丈夫です」

「あら、もう終わり? それにしても……下等な者たちをまとめるのは随分と大変なのねぇ。上位者の言動に異議を唱えるなんて、わらわたちには考えられないことでありんす」

「……あなた方は、上に立つ者の言うことには絶対服従をするのですか? それがたとえ、意に添わぬことであったとしても?」

「それが至高の御方々のお望みであるなら、それを叶えるのが私たちシモベの務めであり存在意義そのものでありんす。それに、至高の御方々はどなたも叡智高く慈悲深い方々。私たちなどが見ることもできぬ遥か高みと広い視野を持っていらっしゃる。御方々の仰ることは全てが正しいのでありんすえ」

 

(……いや、それはちょっとハードル高すぎじゃないかな、シャルティア。……その、信じてくれるのは嬉しいんだけどね。……嬉しいんだけど……、ちょっとやっぱりその認識は考え直してくれないかな~……。)

 

 胸を張って言い切るシャルティアに反し、傍で聞いているペロロンチーノは内心で何度も頭を振りながら情けない言葉を零す。

 しかしこれは流石に言葉に出して言わない方が良いことくらいはペロロンチーノも分かっていた。自分にできることはモモンガとウルベルトと協力して、少しでも彼女たちからの期待に応えられるよう努力することくらいだろう。言いようのない恐怖に小さく身を震わせながら、ペロロンチーノは脳内でモモンガとウルベルトと固い握手を交わして強く肩を抱き合った。

 そんなある意味現実逃避の妄想を繰り広げる中、今まで黙っていたパンドラズ・アクターがシャルティアやクローディアたちの方へと歩み寄った。

 

「まぁ、シモベの言動についての意見交換はそれくらいにしておこうか。今はエルフの王様への対処をするのが先だよ」

「……申し訳ありません。以後気を付けます」

 

 目の前のペロロンチーノの正体がパンドラズ・アクターだと知っているためか、答えるシャルティアの表情や声音が明らかに硬い。

 それにクローディアが不思議そうな表情を浮かべて小さく首を傾げる中、パンドラズ・アクターはまるでその疑問を遮るようにクローディアに声をかけた。

 

「一応事前にあっち側の扉とその周辺の地面や壁や天井に複数の罠を仕掛けておいたから、王様の兵たちがこちらの潜入に気が付いて向かってきたとしても結構な足止めはできると思う。ただ、それでも完全じゃないだろうから、何人かはこの場に残しておいた方がいいと思う」

「分かりました。それでは私と各隊長のみ玉座の間に進み、残りの者たちにはこの場を死守してもらいましょう」

「うん、それが良いと思うよ。……シャルティア、念のため何体か眷属を付けてあげてくれる?」

「畏まりんした」

 

 パンドラズ・アクターの指示にシャルティアは大人しく従って一つ頷く。

 瞬間、シャルティアの影から次々と漆黒の狼や蝙蝠が形作られ出現した。

 シャルティアの特殊技術(スキル)の一つである“眷属招来”によって呼び出されたそれらは“吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)”と“古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)”。

 それらはシャルティアの目の前で整列すると、まるで命じられるのを待つかのようにシャルティアを見上げた。

 

「ここにいるエルフたちと共にこの場を死守しなんし。何一つ先に進ませることのないように」

 

 シャルティアの端的な命令に、ヴァンパイア・ウルフとエルダー・ヴァンパイア・バットは大人しく向かいの扉の方へと向かっていく。

 その背を少しの間見守った後に振り返ったシャルティアに、パンドラズ・アクターは一つ頷いてクローディアたちを見やった。

 

「よし。それじゃあ、早速王様に会いに行こうか」

 

 パンドラズ・アクターに促され、クローディアたちは顔を引き締めて大きく頷く。先頭にはシャルティアが立ち、その後ろにクローディアと各部隊の隊長であるエルフたち、そして最後にパンドラズ・アクターと〈完全不可知化〉状態のペロロンチーノが並び立つ。シャルティアは扉の前に立つと、何の躊躇いもなく勢いよく扉を押し開けた。

 瞬間、姿を現したのは樹の内部だとは思えぬほどの美しく豪奢な空間。

 中は前室と同じく白を基調とした様相になっており、奥には木で出来た豪奢な椅子が置かれていた。椅子の上には年若い一人の男のエルフが腰かけており、その両脇には見た目の年齢は様々な五人のエルフたちが驚愕の表情を浮かべて立っている。一人だけ座っているエルフはキョトンとした表情を浮かべた後、次には面白いものを見たというような笑みを浮かべて色違いの双眸を細めさせた。

 

「……おや、どうやら客人が来たようだ。まさかここまで来られるとは思っていなかった……。それも我々に一切気取られずに」

 

 心底不思議そうな表情を浮かべて小さく首を傾げてくる。

 恐らくこの男がエルフの現国王なのだろう。色違いの双眸もさることながら、整った顔立ちや癖のない黄金色の髪、何より目や唇の形がクローディアと似通っていた。

 

「……クローディア、いつからそんなに強くなっていたのだ? 教えてくれれば我が種子を宿らせる役目を与えてやったものを」

「……っ……!! ……誰が、……あなたのものなど……!!」

「フンッ、そのような生意気な言動は本当にそれができるだけの強さを持ってから言うが良い。ここまで来られた本当の理由は……、そこにいる見慣れぬ者たちの力のおかげなのだろう?」

 

 小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべるエルフ王にクローディアは怒りに大きく顔を歪める。

 クローディアの左右に控える隊長たちも同様で、一様に苛立ちの表情を浮かべる彼らに、しかしエルフ王は気にした様子もなく余裕の表情でその目をシャルティアへと向けた。

 

「……ああ、だがそちらの女は非常に良い。その美しく可憐な容姿はさることながら、感じられる力も相当な物で申し分ない。まさしく私の妃に相応しい!」

 

 シャルティアを見つめるエルフ王の顔が恍惚とした笑みを浮かべ、発せられる声音にも熱が宿る。

 うっとりと見つめてくるエルフ王に、しかし返されたのはどこまでも冷めた深紅の瞳だった。

 

「……ほんに身の程知らずの下等生物でありんすねぇ。耳障りな言葉は言わないでくんなまし」

「おや、不服か? 私はこの国の王。私の妃の一人となるのは大変名誉なことだと思うが」

「口を閉じなんし。私の全ては至高の御方様のもの。ぬし如きには私は勿体ないでありんすよ」

「……ふむ、至高の御方とやらが誰なのかは知らないが、その強気な態度も悪くはないな。跪かせて懇願させたくなる」

 

 ゆっくりと玉座から立ち上がるエルフ王の表情が柔らかなものから狂気じみた笑みへと変わる。

 エルフ王は玉座のすぐ傍らに立て掛けている物に手を伸ばすと、片手で掴んで一度ブンッと大きく振り払った。

 一見杖にも燭台のような飾りにも見えるそれは、二メートルほどもある長大な槍。

 エルフ王が得物を取ったことで、左右を固めていたエルフたちもそれぞれ得物を手に取って臨戦態勢をとった。

 彼らが恐らくクローディアが言っていた、エルフ王に認められた強者たちなのだろう。

 クローディアたちも戦闘態勢を取る中、しかし不意にシャルティアが背後に向かって動いた。

 瞬間、ガキンッという固く鋭い音が響き渡る。

 シャルティアの目の前にいるのは驚愕の表情を浮かべたクローディア。呆然と目を見開いている彼女に、しかしシャルティアはクローディアではなくその先に深紅の瞳を向けていた。いつの間に取り出していたのか、シャルティアの手に握られている“スポイトランス”の穂先がクローディアの脇を通り過ぎて彼女の背後に向けられている。クローディアが硬直したままゆっくりと顔だけで自身の背後を振り返ってみれば、そこには導手第一部隊の隊長が苦々しい表情を浮かべながら右手を左手で押さえていた。チラッと視線を横に移せば、一本の短剣がすぐ近くの地面に突き刺さっているのが視界の端に映り込む。

 予想外の展開にクローディアは呆然とした表情を浮かべながら厳めしい男の顔を見上げていた。

 

「………ストラーダ……隊長……?」

「……チッ……!」

 

 クローディアの呼びかけとほぼ同時に鋭い舌打ちの音が響いて消える。

 オルディンは厳めしい顔を更に大きく歪めると、次には素早い動きで後退ってクローディアやシャルティアの槍の穂先から距離をとった。その際、地面に突き刺さっている短剣を引き抜いて改めて構える。

 オルディンが何をしようとしていたのかは誰の目から見ても明らかであり、他の隊長たちも全員が驚愕の表情を浮かべていた。

 

「なるほど。内通者は君だったか」

 

 誰もが信じたくない真実に口を噤む中、パンドラズ・アクターが空気も読まずに呑気な声音で真実を口にする。

 果たしてパンドラズ・アクター本人が空気を読んでいないのか、はたまたパンドラズ・アクターの中でペロロンチーノが空気を読まない人物として思われているのか。非常に判断に悩む事態にペロロンチーノは無言で頭を悩ませる。

 しかしペロロンチーノが呑気に考え込んでいる間にも周りの状況はどんどんと進んで行っている。

 誰もが得物を手に敵と対峙して刃を振るい始めた。

 ナズルとシュトラールはオルディンに襲いかかり、クローディアと他の隊長たちはエルフ王の側近たちと刃を交え、シャルティアは襲いかかってくるエルフ王を迎え撃つ。因みにパンドラズ・アクターは基本全体の様子を窺いながら、時折クローディアたちの手助けを適度に行っているようだった。

 ペロロンチーノとしても本音としてはクローディアの手助けをしてあげたいし、シャルティアに不埒な言動を行うエルフ王に対してはさっさと血祭りにあげてやりたい気持ちは大いにある。しかし作戦開始前にシャルティアとパンドラズ・アクターに散々心配され、『念のため姿を隠して見守っていてほしい』と頼み込まれた手前、安易にこちらの存在に気付かれるような行動はとれなかった。『う~ん、暇だな~。あのエロフ王様野郎、殺したいな~』と思いながら目の前で繰り広げられている多くの戦闘を呑気に眺める。

 中でもナズルとシュトラールとオルディンの戦闘は互いに罵詈雑言を吐き捨てながら戦っているものだから、特に目が引き寄せられていた。

 今もナズルとオルディンが刃を交え、オルディンが召喚した魔物をシュトラールが倒しながら数多くの罵詈雑言が飛び交っている。

 

「……くそっ、どうしてこんなことに! 何故裏切った!!」

「ほざけ! わしは元より陛下の臣下よ!!」

「今更そんな事はどうでもいい! さっさと地獄に堕ちろ、この老いぼれがぁぁっ!!」

「おごるでないわ、若造がっ!!」

 

 まるで子供の喧嘩のような騒々しさである。

 一方クローディアたちの方はひたすら無言のまま激しく刃を交えていた。流石は王の娘と各部隊の隊長と言うべきか、エルフ王が認めた強者たちとも何とか渡り合っている。しかしそれもいつまで持つか分からない危うい状況ではあった。

 そして最後にシャルティアとエルフ王の方はどうかというと、こちらが一番の激戦を繰り広げていた。

 一方的に猛攻撃を繰り出しているのはエルフ王の方。シャルティアはエルフ王の槍の猛攻撃をスポイトランスで全て弾き返していた。しかし一切反撃はしていない。今もなお反撃する素振りさえ見せずに、ただ攻撃を弾き返しながらじっと観察するようにエルフ王を見つめていた。

 少し見ただけで分かるほど、シャルティアとエルフ王とのレベル差は大きい。恐らくエルフ王のレベルは50前後と言ったところだろうか。シャルティアであれば一撃でエルフ王の命を刈り取ることも容易だろう。

 では何故それをしないのかというと、全てはペロロンチーノが命じたためだった。

 それは単にエルフ王の情報を入手するためと言う理由だけではない。エルフ王を倒すのはあくまでもクローディアでなければならないからだった。

 しかしそんな事情など知らないエルフ王は勝手に都合のいい勘違いをしているようだった。攻撃の手は緩めずに余裕の笑みを浮かべてくる。

 

「どうした? 防いでばかりではないか! 攻撃してこねば私には勝てぬぞ!!」

「……………………」

「最初の余裕はどこにいった!? 早く諦めて我がものとなれっ!!」

 

 エルフ王の勝ち誇ったような声が大きく響き渡る。

 まるでシャルティアが既に自分のものであるかのような物言いと態度に、ペロロンチーノの眉間に大きな皺が寄った。

 シャルティアに好意があるだけでも気に入らないというのに、自分のものにするなど言語道断だ。湧き上がってくる苛立ちや殺意によってザワザワと全身の羽根が逆立ち膨らんでいく。

 しかしエルフ王の言動に苛立ちを募らせていたのはペロロンチーノだけではなかったらしい。

 今まで大人しく防御だけに徹していたシャルティアがカッと深紅の瞳を見開かせ、次には彼女の動きが一気に変わった。突然身を屈めたと同時にエルフ王に足払いをくらわせ、次には踵を返して地面を強く蹴る。残像すら僅かしか捉えられないほどのスピードで向かうのは、クローディアたちの相手をしているエルフ王の側近たち。スポイトランスを振るって一撃で複数人を沈めるシャルティアに、唯一シャルティアの動きを的確に捉えているパンドラズ・アクターも彼女が何をしようとしているのか気が付いたようだった。すぐさま弓を構えてシャルティアの動きに合わせて矢を放っていく。

 次々と容赦なく一撃で沈められていくエルフたち。

 シャルティアは次にはすぐさまエルフ王の前まで戻ると、立ち上がろうとしているエルフ王の喉元にスポイトランスの穂先を突き付けた。

 此の間かかった時間は実に十数秒。

 エルフ王側のエルフたちはオルディン以外の全員が地面に沈んでおり、その突然すぎる事態にペロロンチーノとシャルティアとパンドラズ・アクター以外の全員が呆然とした表情を浮かべていた。何が起こったのが全く理解できないという表情を誰もが浮かべている。

 そしてそれはエルフ王も同様だった。

 呆然と自身に槍を突き付けているシャルティアを見上げている彼に、シャルティアは蔑みの表情を浮かべて冷めた双眸を向けていた。

 

「ほんに耳障りなことを言わないでくんなまし。私と渡り合っていると勘違いするのも図々しいでありんすよ」

「………な、ぜ………きさま……」

「全ては至高の御方々のご意思とご計画のためでありんす。おんしに求められているのは、そこな女に首を跳ねられることのみ」

「……女……、……クローディア、か……?」

「おんしのようなゴミ屑の命にも使い道を示されるだなんて、至高の御方々はほんにお優しいでありんす。おんしも至高の御方々の御慈悲に感謝しなんし」

「……………………」

 

 にっこりとした可愛らしい笑みと共に言われた言葉に、しかしエルフ王は思考がついて来ていないのか、無言のまま呆然とした表情でシャルティアを見つめている。

 しかしそんなエルフ王の様子などシャルティアにとってはどうでもいいことだった。

 シャルティアはチラッとパンドラズ・アクターを見やると、パンドラズ・アクターも一つ頷いてクローディアの方に顔を向けた。

 

「邪魔者は排除できたし、王様ももう抵抗できないと思うよ。後はクローディアちゃん、よろしく」

「………はい……」

 

 ペロロンチーノを真似ているパンドラズ・アクターが明るい声音でクローディアに声をかける。

 瞬間クローディアは小さく顔を強張らせたが、一拍後には一つ頷いてエルフ王とシャルティアの方に歩み寄っていった。シャルティアの傍らで立ち止まり、目の前で尻もちをついた状態でいる自分の父親を見下ろす。

 しかしエルフ王はなおもシャルティアだけを見つめており、クローディアなど意識の端にも捉えていないようだった。

 それにクローディアはどこか悔しそうで寂しそうに小さく表情を歪めて唇を噛み締めた。剣を持つ手に力を込め、ゆっくりと攻撃の体勢をとる。

 一度大きく深呼吸すると、顔を引き締めて強い瞳でエルフ王を見下ろした。

 

「王、お別れです。私はあなたを討ち、このエルフ王国を救ってみせます」

「……………………」

 

 最後の別れの言葉をかけても、エルフ王の意識は一欠けらもクローディアに向くことはない。

 クローディアはもう一度だけ深呼吸すると、次には目を鋭くして大きく剣を振りかざした。

 

「……やめろ……っ!!」

「……ッ……!!」

「……………………」

「……ふっ……!!」

 

 瞬間、動いたのは四つ。

 オルディンが制止の声を上げ、エルフ王が今までの呆然とした表情を脱ぎ捨ててクローディアに向けて右手に持っていた槍を振るおうとし、シャルティアがすかさず動いてエルフ王の右腕を切り飛ばし、クローディアがエルフ王の首元へ剣を横薙ぎに振り放つ。

 一拍後、空中を舞ったのはエルフ王の右腕と首。

 鮮やかな血を撒き散らしながら地面へと落ちるそれらに、オルディンは目を見開きながら脱力したように地面に座り込み、シャルティアは小さくフンッと鼻を鳴らし、クローディアは小さく深い息をついた。

 クローディアは剣を抜き放っている体勢からゆっくりと元の体勢に戻ると、剣を腰の鞘に戻しながらゆっくりとした足取りで遠くに飛んでいったエルフ王の首の方へ歩み寄る。両膝を地面についてしゃがみ込み、そっとエルフ王の首を持ち上げた。両手を血で真っ赤に濡らしながら、目の前まで掲げ持ったエルフ王の首にクローディアは一瞬複雑そうな……どこか泣きそうな表情を浮かべる。しかしクローディアはすぐにその表情を引っ込めると、次には何もなかったように顔を引き締めて勢いよく立ち上がった。右手だけでエルフ王の首を持ち直し、こちらを振り返って高く掲げる。

 

「エルフ王は私、クローディア・トワ=オリエネンスが討ち取った! 今後は私に従ってもらいます!!」

 

 力強く声高らかに宣言するクローディアに、各隊長が全員片膝をついて深々と頭を下げる。

 望んだ通りの展開に、しかしペロロンチーノは仁王立ちしているクローディアを静かに見つめていた。

 実の父親の首を飛ばし、その首を素手で掲げ持ち、顔を引き締めて真っ直ぐ立つエルフの王女。

 しかしその手は密かに小刻みに震えており、ペロロンチーノは気丈に振る舞うエルフの王女をただ真っ直ぐに見つめ続けていた。

 

 




パンドラのドイツ語は以前と同様、翻訳サイトで調べたものなので間違っているかもしれません……(汗)
その辺りは大目に見て頂けると嬉しいです……(滝汗)
また、ペロロンチーノが言っていた“深紅の翼鎧”はシャルティアの深紅の全身鎧のことです。
名前が原作で出ていなかったと思うので当小説では仮でこの名前としておきます。
もし原作で名前が判明しましたら、その時に改めて修正させて頂きます。

また、こちらに記載しても良いのか分からないのですが、実はこの度当小説と他小説と小説全般に関してのアンケートを実施することとなりました!
もし宜しければ、ご協力のほど、よろしくお願い致します(深々)
【アンケートURL】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc0nsJ22OH1wiYwuElqckvij8RMCBxC9Ucby430RKJkqFeI2A/viewform?usp=sf_link

*今回の捏造ポイント
・レコル;
見た目は鮮やかなオウムのような、レベル10台くらいの魔鳥。あらゆる生物の声をマネして言葉を発することができる。また群れで行動する習性があり、多くの言葉や鳴き声で仲間とコミュニケーションを図るため、一羽でも警告の鳴き声を発すれば大群で襲いかかってくる。


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第66話 渦巻く計画

 暗闇が世界を支配する刻限。

 今回も多くの異形たちが豪奢な一つの部屋に集っていた。

 ここナザリック地下大墳墓の三柱の主人は勿論のこと、各階層を守護する階層守護者と守護者統括。他にもプレアデスのメンバーやセバス、ニグンもこの場に揃っていた。

 通常であれば、墳墓の主人たちの合図に従って守護者統括が会議の開始の言葉を口にする。

 しかし今回は主人の誰もが開始の合図を送ることなく、驚いた様子でじっとニグンを凝視していた。他のシモベたちも興味深げな視線をニグンに向けている。

 凝視されている本人は気まずそうに小さく身じろいでおり、そんな中、漸く墳墓の主人の一柱である山羊頭の悪魔が小さく口を開いた。

 

「………ニグン、お前……その姿はどうしたんだ……」

 

 ニグンの姿は彼らが最後に見たものから随分と様変わりしているため、ウルベルトが呆然と問いかけたのも無理からぬことだろう。しかしニグンはどう答えていいのか分からないようで、ウロウロと深紅の瞳をさ迷わせながら最後には深々と頭を垂れた。

 

「……法国と戦っていたエルフ軍の支援をするため六色聖典の一つと戦闘を行ったのですが、その最中にこのような姿に変わりました。……恐らく“れべる・あっぷ”と呼ばれる現象ではないかと思うのですが……」

「レベル・アップ……。職業レベルの方じゃなくて種族レベルの方かな? ちょっとこっちに来たまえ」

 

 小さく首を傾げながら、ウルベルトはニグンに近くまで来るようにチョイッチョイッと手で招く。大人しく歩み寄ってくるニグンに、ウルベルトは自身の右側の顔に装着している片仮面“知られざる眼”の力を発動した。

 暫く続く沈黙の静寂。

 誰もが興味深げに見つめる中、不意にウルベルトが納得したような声を小さく零した。

 

「………あ~、そういうことか……」

「何か分かったのか、ウルベルトさん?」

「ええ。どうやら経験値を得たことで、新しい種族レベルが構築されたようですね」

「……新しい種族レベル、でしょうか……?」

 

 この世界の住人であるニグンからしてみれば、ウルベルトの言っている意味が今一理解できないのだろう。困惑した表情を浮かべているニグンに、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべてみせた。

 

「つまり君は戦闘の経験からワンランク上の悪魔に昇格したという訳だよ。今までの君の種族は“小悪魔(インプ)”だったが、今の君は“聖堕の悪魔”だ」

「へぇ~、随分とレアな種族になりましたね」

「確かにそうだな。実に興味深い」

 

 ウルベルトが口にした種族名に、ペロロンチーノとモモンガがそれぞれ声を上げる。

 それだけニグンが今回修得した種族は、ペロロンチーノの言葉通り随分とレアなものだった。

 まず、“聖堕の悪魔”は“堕天使”と似通った種族ではあるのだが、その種族設定が“堕天使”よりも特殊だった。

 “堕天使”の種族設定は『天使が堕落して悪魔になった』と言うものだが、“聖堕の悪魔”は少し違う。“聖堕の悪魔”の場合は『天使』ではなく『聖職者』。つまり“聖堕の悪魔”は『聖職者が堕落して悪魔になった』という特殊な設定を持った種族だった。

 この種族を修得するためには一度人間種で聖職者の職業を修得しておく必要があり、そこからカルマ値を下げたり特殊なアイテムを使用したりすることで漸く修得できるものだった。そのためわざわざこの種族を修得するプレイヤーは非常に少なく、必然的にレア種族として分類されるようになっていた。

 “聖堕の悪魔”は元々聖職者だったこともあり、悪魔でありながら信仰系の魔法や攻撃手段が可能であり、またある程度の信仰系に対する耐性も備えている。そのため極めればなかなかに強い種族ではあるため、ニグンが“聖堕の悪魔”となったことはナザリックにとっては僥倖であると言えた。

 

「しかし……結構、異形感が増したな。暫くはエルフ王国と法国の方に着手してもらう予定ではあるから時間はあるが……。仕方ない、お前の“レイン”としての装備を少し修正しておこう」

「……も、申し訳ありません」

「いやいや、謝る必要はないよ。お前が強くなることは我々にとっても喜ばしいことなのだからね。引き続き励むと良い」

「ありがとうございます」

 

 ウルベルトの寛大な言葉に、ニグンは一層深々と頭を垂れる。

 ウルベルトはニグンに頭を上げさせて後ろに下がるように手を振ると、次にはペロロンチーノへと顔を向けた。

 

「それにしても、エルフ王国と法国については予定通りに事が運んでいるようだね」

「まぁ、そうですね……。クローディアちゃんもまだ国王代理と言う感じにはなってますけど、エルフ王国の全権は握ったようなものですし。……アウラ、コキュートス、エルフたちや法国の強さはどうだった?」

「はい! エルフたちに関しては、彼らだけで法国の相手をするのはやはり厳しいかと思います。アイテムや装備の貸し出しだけでなく、人材の提供など、こちらからの相当な支援がなければ勝つことは難しいかと思います」

「今回エルフタチガ対峙シタ法国軍ハ、ニグンガ殲滅シタ六色聖典ノ一ツデアル火滅聖典ガ一番強力ダッタヨウデスガ、私ガ見タ限リデハ火滅聖典デモレベルトシテハ20台程度。シカシエルフ軍ニ比ベ、法国ノ場合ハソノレベルニ到達シテイル人材ガエルフタチヨリモ圧倒的ニ多イト見受ケラレマシタ」

「ふむ……、たとえ同じだけの規模の軍であったとしても、その中での高レベルの存在の割合に大きな差があるということか……」

「やり方はまだしも、高レベルの存在を増やそうとしていたエルフの王様の考え自体は間違っていなかったってことですね……」

 

 導き出された一つの事実に、ペロロンチーノが苦々しげな声を絞り出す。恐らく仮面の奥では鳥の顔を大きく顰めていることが容易に想像できる声音だ。

 全身で不満を露わにするペロロンチーノにモモンガは小さく苦笑を零すと、気を取り直すようにニグンに眼窩の灯りを向けた。

 

「六色聖典の残りは確か三つだったな。……残りの部隊について改めて詳しく教えてくれるか?」

「はっ。モモンガ様の仰る通り、六色聖典で未だ残っているのは三つの部隊のみです。その内の二つの風花聖典と水明聖典は主に情報収集や諜報活動に特化した部隊ですので、他の聖典に比べてやや戦力は劣ります。また、もう一つの土盾聖典につきましては防御に特化した部隊ですので、防衛面はそれなりに優れておりますが攻撃面での火力に関してはあまり心配されずとも良いかと」

「なるほど。……六色聖典の他に脅威と成り得る存在がいる可能性も否定はできないのだったな……」

「……はい、申し訳ありません。私も全てを知らされている訳ではなく……。最高神官長しか知らぬ最終兵器などがある可能性は否定できかねます」

「……ふむ……」

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべて再び頭を下げるニグンに、モモンガは顎に指を添えて考え込む。

 どのように動くのが最善で、こちらの被害を最小限に済ますことができるのか……。

 無言のまま頭を悩ませるモモンガに、しかし右隣に座る悪魔はあっけらかんとしていた。

 

「そんなに悩む必要はないのでは? あくまでも法国と戦うのはエルフたちなのだし、こちらにまで危険が及ぶ可能性は低い。まぁ、支援をしている以上エルフたちに被害が出ればそれ相応の損害も受けてしまうかもしれないが、逆にその辺りを調整してしまえばどうとでもなる」

「……むっ、それはちょっとひどいんじゃないですかね。エルフたちはあくまでも協力相手な訳ですし、そんな捨て駒みたいに考えるべきじゃないと思います」

「なんだ、またエルフの王女にでも好意を持ったのかね?」

「それは、まぁ、否定はしませんけど、それだけじゃないですよ。……彼女は大切な部下や国民の未来のために自分の父親をその手で殺したんです。俺は……そんな彼女の覚悟に報いてあげたいと思っています」

 

 ペロロンチーノがウルベルトの言い様に反論し、しかしその声音はいつもよりもとても弱々しい。どこか気落ちしているような様子に、モモンガは内心で苦笑を零した。

 恐らくではあるが、ペロロンチーノは自分自身でも今の自分の言葉に何か思うことがあるのかもしれない。迷い、或いは自嘲でもしているのか……そんな雰囲気がペロロンチーノから感じられるような気がした。

 確かにモモンガも先ほどのペロロンチーノの言葉は甘い考えだと思う。ナザリックのことだけを考えるなら、たとえ協力関係を結んでいたとしても、こちらにまで被害が及ぶようであるなら容赦なく切り捨てるべきだ。しかし『協力関係を結んだ以上、捨て駒として考えるのではなく仲間として手を取り合うべきだ』という考えはペロロンチーノが本来持っている優しさからくるものであり、むしろ『そう考えてこそペロロンチーノだ』とも言える。その考えは、決してなくして良いようなものではないようにモモンガは思えた。

 

「……どちらの言い分も正しいと私は思う。……そこでだ、アウラ、お前のシモベの中から失っても問題ないモノたちを選別し、エルフたちの援軍として付けてやれ。コキュートス、後ほどパンドラズ・アクターと相談し、エルフたちに貸し与えても差し支えないアイテムや装備の選別を行え。まずはこのくらいの支援に留め、様子を見ることにしようと思う。……それで構わないか、ペロロンチーノさん、ウルベルトさん?」

「はい、それで構いません。ありがとうございます、モモンガさん」

「私もそれで構いませんよ。私とて、何も積極的に彼らを切り捨てようとは思っていませんし、こちらに被害が出ないのであれば問題ありません」

「よし。それではアウラ、コキュートス、先ほど命じたように動け」

「はい、畏まりました!」

「畏マリマシタ」

 

 モモンガの命令に、アウラとコキュートスが揃って片膝をついて頭を下げる。

 そんな彼らの姿を見つめる中、不意に何事かを思い至ったかのようにペロロンチーノがこちらに顔を向けてきた。

 

「あっ、そうだ。二人にお願いなんですけど、法国の神都に侵攻する際は念のため二人も様子を見に来てくれませんか? 先ほどの話と被るんですけど、他の都市はまだしも、流石に神都にまで侵攻するとなると法国がどういった行動をとってくるか分かりませんし。……先ほども言ったように、俺はできるならエルフたちを捨て駒にはしたくない。法国への対処を長引かせたくもありませんし、こちらで出来ることはしたいんです」

「万が一の時は撤退ではなく、我々がエルフたちを助けるべきだと?」

「勿論、こちらに大きな被害が出るようなら俺も諦めます。でも、そうじゃなくて、エルフたちだと難しくても俺たちであれば対処できるようなレベルであれば、助けてあげるべきだと思うんです」

「……ふむ……」

 

 また先ほどと同じ問答に戻ってしまったことに、モモンガは思わず内心で小さな唸り声を上げた。

 モモンガ個人としてはペロロンチーノの願いは別段聞き入れても問題はないのだが、果たしてウルベルトやナザリックのシモベたちがどう思うか……。

 思わずチラッと窺うように眼窩の灯りを右隣に向ければ、悪魔はその視線に気が付いて可笑しそうにクスクスと笑い声を零してきた。

 

「そんなに心配そうに見ないで下さいよ。別に私は構いませんよ」

「ほ、本当か……?」

「ちょっと、そんなに驚かないで下さいよ。私を何だと思ってるんですか? ナザリックに被害が出ない程度という前提条件が変わらないのであれば、私とて別に反対する理由はありませんよ」

 

 ウルベルトの肯定的な返答に、モモンガとペロロンチーノは思わず小さく安堵の息をつく。

 しかしここで今まで大人しくこちらの会話に耳を傾けていた守護者たちが口々に反対の声を上げてきた。

 

「お、お待ちください! 至高の御方々だけで法国に向かわれるなど、あまりにも危険です!」

「アルベドの言う通りです! どうかお考え直しを!!」

「いやいや、別に俺たちだけで行くわけじゃないから……。他にもシャルティアもアウラもコキュートスもパンドラズ・アクターもいるんだし……」

「それでも、何が起こるか分かりません! 相手は複数の世界級(ワールド)アイテムを所持していた国……、もし御方々の身に何かがあっては!!」

「ぼ、ぼくも……至高の御方々に何かあったら、とっても嫌です……。あ、あの、ですから、その……」

「お前たち、少し落ち着け。別に無闇矢鱈に行動するわけではないぞ? 十分データを取った上でだな……」

「それでも万が一がないとは言い切れません!」

「ペロロンチーノ様におかれましても、そもそも至高の御方自らが戦場にお越しになる必要などございません! どうか現場はアウラたちに任せ、ペロロンチーノ様は安全なナザリックにて御観覧いただけないでしょうか?」

「ペロロンチーノ様、アルベドとデミウルゴスの言う通りでありんす。どうか法国についてはわたくし共にお任せくださいまし」

「私たち、至高の御方々のご期待に応えられるよう、精一杯頑張ります! ですからどうか、ペロロンチーノ様!」

「ドウカ私ドモニ、至高ノ御方々ノオ役ニ立テル機会ヲ……!」

「………ぇ~………」

 

 守護者たちのあまりの勢いと熱量に、流石のペロロンチーノも気圧されて何も反論できなくなる。まるで助けを求めるようにこちらに顔を向けられ、しかしモモンガはこの時ばかりは小さく頭を振った。

 流石にこんな状態の守護者たちを言い包められる自信など自分にはない。

 どうしたものか……と二人が頭を悩ませる中、不意に山羊頭の悪魔が口を開いた。

 

「分かった、お前たちが我々の身を案じてくれていることをとても嬉しく思うよ。そうだな……、お前たちにも実際に自分たちだけで考えたり戦ったりする経験は必要だろう。今回のエルフ王国と法国との件はお前たちに任せて、我々はナザリックで見守ることにしよう」

「ちょっ、ウルベルトさん!?」

「ただし!」

 

 突然のことにペロロンチーノが声を上げ、しかしウルベルトがすぐさまそれを遮るようにペロロンチーノに向けて片手を挙げる。

 咄嗟に黙り込む鳥人(バードマン)には一切目を向けず、悪魔は少々大袈裟に苦悩しているような素振りや表情を浮かべて見せた。

 

「ただし、我々もお前たちが傷つくところは見たくない。また、シャルティアを危険な目に合わせた法国を絶対に許すことはできないのだ。だからお前たちがエルフたちを助け、法国を滅ぼそうと動く中で我々が『危険だ』と判断したその時は、お前たちを助けるために(・・・・・・・・・・・)動くことを赦してほしい」

「そ、そんな! 赦すなどと……!!」

「至高の御方々にそこまで思って頂けることは、我らシモベにとって身に余る栄誉にございます! しかし……、それでは御方々の身に危険が及ぶ可能性はなくなりません……!」

「勿論、我々も十分警戒するとも。だが、お前たちは我々にとってナザリック地下大墳墓と同じくらい大切な存在だ。お前たちは何よりも代え難い我々の宝物なのだよ。ナザリックの宝を守るのも、主人である我々の立派な務めだ」

「嗚呼っ、ウルベルト様……!!」

「なんと……、恐れ多い……っ!!」

 

 ウルベルトの優しい声音と言葉に、途端にこの場の全てのシモベたちが感激したような表情を浮かべる。

 一連の流れを見守りながら、モモンガは内心で『流石ウルベルトさん上手い……! そして怖い……!』と唸り声を上げていた。

 ここでの一番のポイントは、助ける対象がいつの間にかエルフたちから守護者たちに代わっている点だろう。エルフたちはナザリック外の……守護者たちにとっては取るに足りない存在である。そんな彼らを助けるために自分たちの主が危険な目に遭うなど、それがあくまでも可能性だけだったとしても彼らにとっては許し難いことなのだろう。

 しかしその対象が自分たちになれば話はまた違ってくる。

 忠誠を誓っている主人が自分たちのために心を砕いてくれている……。

 それは彼らにとって非常に嬉しいことなのであろうことは、モモンガも理解することができた。

 しかし何より、そんな彼らの心情や価値観などを利用して言い包められるウルベルトが素晴らしくも恐ろしい。加えて、悪魔の口車にまんまとはまってしまっている守護者たちにある種の哀れみを覚えた。モモンガとペロロンチーノの目から見れば胡散臭いことこの上ないウルベルトの笑みも、しかし彼らには全くそう見えてはいないのか、あるモノは恍惚とした表情を浮かべ、あるモノは感極まったように涙ぐんで身を震わせている。

 その様はまさに『胡散臭い極悪宗教の教祖と、それに騙されている可哀想な信者たち』というもの。

 モモンガとペロロンチーノは目の前で繰り広げられている光景に思わずドン引きながら、悪魔の掌で転がされている彼らが何とも可哀想に思えてならなかった。ウルベルトが聞けば『おい、折角言い包めてやったのに、どっちの味方だ』と言われそうな気がするが、胡散臭すぎるウルベルトが悪い……と声を大にして言ってやりたい。

 何はともあれ、守護者たちが納得してくれた様子にモモンガは気を取り直すように一つ大きく咳払いを零した。

 

「ゴホンッ、……えー、それではそのように対処していくことにしよう。ペロロンチーノさんもそれで構わないか?」

「はーい、OKでーす」

 

 モモンガの確認の声に、ペロロンチーノが棒読みでそれに答える。ウルベルトは素知らぬ風ですまし顔をしており、モモンガは内心で苦笑を浮かべながらもう一度咳払いをした後に次の議題に移ることにした。

 次に発言を始めたのはウルベルト。

 ウルベルトの報告内容は主にレイナースの呪いの解除の件や、その後のフールーダとのやり取りが殆どの割合を占めていた。

 

「へぇ、無事に呪いが解けて良かったですね! そのレイナースって子も喜んだだろうな~」

「ああ、涙を流して喜んでいたな。それもあるのだろうが、ウルベルトさんに改めて忠誠を誓っていたし……」

「おおっ、流石ですね。……ウルベルトさん二つ名とか名乗っちゃったらどうです? “スケコマシ”とか」

「おい、貶してんじゃねぇか」

 

 ペロロンチーノの揶揄いに、ウルベルトが『心外だ!』とばかりに山羊の顔を顰めてくる。

 しかし“蒼の薔薇”のラキュースのこともあり、あながちペロロンチーノの言葉も間違いではないのではないかとモモンガは思った。

 複雑な心境そのままにウルベルトに視線を向ければ、ウルベルトがモモンガに向けて不満そうな表情を向けてくる。

 

「なんです? モモンガさんも何か言いたいことでも?」

「い、いや……ゴホンッ、何でもない。……それよりも、報告を続けてくれるか?」

「まったく……。……それで、彼女の呪いを解いた後、一応二人には私が人間でないことは伝えている。また、その後にフールーダといろいろと話す時間があったのだがね。……モモンガさんは一緒にいたから知っていると思うが、フールーダからある提案を受けたのだよ」

 

 どこか呆れたような表情を浮かべながらも報告を続けるウルベルトに、モモンガもそれに耳を傾けながら当時のことを思い出していた。

 レイナースの呪いを解いたウルベルトの力にフールーダは心底感服したようで、ウルベルトが人間ではないことを話した後も、変わらず興奮冷めやらぬ様子だった。改めてウルベルトに忠誠を誓い、ウルベルトの命令通り、帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスに働きかけて無事に任を果たしたことを嬉々とした様子で報告していた。

 その様はどこか狂信的で、またナザリックのNPCたちの姿もダブって見え、この世界の住人である彼が何故こんなにもウルベルトを崇拝するのかモモンガには今一よく理解できなかった。

 しかし内心首を傾げるモモンガの存在など知る由もない老魔法使いは、ウルベルトに真の狙いを無邪気に問いかけ、そして『世界征服だ』と何でもない事のように教えたウルベルトに対してとんでもない提案を持ちかけてきたのだ。

 それは帝国を使っての“アインズ・ウール・ゴウン”の世界進出。

 勿論フールーダには未だこちらの詳しい情報は何も教えておらず、“アインズ・ウール・ゴウン”という存在自体知らないのだが、彼が提案した内容はつまりはそういうことだ。何らかの方法で帝国に“アインズ・ウール・ゴウン”の存在を感づかせ、手を出させることで逆にこちらが喰らいつき、帝国を踏み台にして一気に世界に進出する。

 世界を征服するためにはまずその姿を表舞台に出し、土台となる国を作る必要がある。ウルベルトのためであれば帝国を利用しても構わないと言うフールーダに、モモンガは心底驚いたものだった。

 何故そこまで……と再び疑問が頭をもたげ、何かの罠なのではないかという疑念すら湧き上がってくる。ウルベルトもモモンガと同じことを思ったのか、その時はウルベルトは答えを保留にしてフールーダを下がらせていた。

 しかし今この時、ウルベルトの話を聞いたシモベたちは誰もが嬉々とした表情を浮かべて身を乗り出してきた。

 

「それは素晴らしい! 流石はウルベルト様、鮮やかな人心掌握のお手並みでございます!」

「これでまた御方々の願いである世界征服に一歩近づきますね!」

「す、すごいです、ウルベルト様!」

 

 キラッキラした表情を浮かべている彼らの様子が目に眩しく思えて仕方がない。

 思わず気圧されるモモンガたちを余所に、シモベたち……中でもデミウルゴスが嬉々とした声を上げて更に話しを盛り上げていた。

 

「まさにこれは好機であると言えます! 実際、リ・エスティーゼ王国よりもバハルス帝国の方が手に入れる価値や魅力は十分に高いと愚考いたします。ウルベルト様、モモンガ様、ペロロンチーノ様、ここはフールーダ・パラダインやレイナース・ロックブルズを使い、一気に帝国を手中に収めるべきかと」

「……そ、そうだな。……だが、フールーダの提案してきた話にはまだ穴が多すぎる。何もそう急がなくても良いのではないか? 何かと準備なども必要になることだし……」

「何を仰られます! ウルベルト様はこの流れを全て予想されていた……いえ、こうなるように動いていらっしゃったのでしょう」

 

(えーーーっ!! そんなわけないんだがっ!!?)

 

 自信満々に言ってのける悪魔に対し、応じる山羊悪魔は見るからにそんな悲鳴を内心で叫んでいるような表情を浮かべる。

 久しぶりに見た余裕の欠片もないウルベルトの様子に、しかしモモンガは面白がるよりもむしろ心配と不安と同情の視線をウルベルトに向けていた。悪魔からの崇拝と勘違いを一心に受けている様が哀れでならない。しかしそうは思うものの、こちらに矛先を向けてほしくはなく、モモンガは心の中で深々とウルベルトに合掌した。

 

「それはどういうこと、デミウルゴス?」

 

 モモンガとペロロンチーノが静かに見守る中、不意に疑問符を頭上に浮かべているアウラが不思議そうな表情を浮かべてデミウルゴスに問いかける。悪魔は彼女に顔を向けると、その顔に浮かべている笑みを更に深いものに変えた。

 

「つまりだね、今回のフールーダ・パラダインからの提案は、そもそもが全てウルベルト様のご計画通りだということだよ。フールーダ・パラダインが提案した計画を実行した場合、ナザリックの存在に感づいた帝国は、まずは探りを入れようとするだろう。だが帝国の皇帝も馬鹿ではない。ナザリックに万が一厄介な存在がいることも想定して、たとえ手を出して返り討ちにあったとしても自分たちにまでナザリックの手が届かぬように蜥蜴の尻尾を用意して使うだろう。そうだね……、たとえば不要な貴族を操ってナザリックを調べさせるように誘導する。そしてその貴族は自分の損害が少なく済むように私兵ではなく金で雇った駒……つまりワーカーを使おうとするだろう。ウルベルト様は全てこうなるようにワーカーの“レオナール・グラン・ネーグル”という存在を創り出してワーカーたちを操れる立場を確立し、フールーダ・パラダインとレイナース・ロックブルズを支配下に置いて全ての流れを掌握されていたのだよ」

「「「おぉぉっ!!!」」」

 

 デミウルゴスの説明に、他のシモベたちが全員感嘆の声を上げる。全員が尊敬と崇拝の眼差しをウルベルトに向ける中、向けられている本人は柔らかな微笑を浮かべることもせず、仮面に隠れていない左側の金色の目を死なせていた。一切光を宿していない死んだ魚のような目に、モモンガは思わず内心で『ウルベルトさーーーんっ!!!』と叫び声を上げる。

 内心大慌てでいる中、しかしウルベルトは何とか金色の目に光を戻すと、次にはぎこちない動きながらも何度も小さく頷いた。

 

「………あ、…ああ……、うん……、流石はデミウルゴスだ。よく気が付いたな、偉いぞ」

「ありがとうございますっ!!」

 

 創造主に褒められ、デミウルゴスの銀色の尾が激しくブンッブンッと横に振られる。

 その間に幾らか回復したのか、ウルベルトは一つ大きな息を吐き出してから気を取り直すように椅子に座り直した。

 

「だが、実はその計画は停止、或いは少し変更しようかと思っているのだよ。……少なくとも、ワーカーたちは巻き込まないようにしようかと考えている」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にこの場にいる全てのシモベたちが驚愕の表情を浮かべる。次には困惑の雰囲気を醸し出し始める彼らに、ウルベルトは何かを言われる前にサッと片手を軽く挙げた。

 

「理由は主に二つある。一つは、現在エルフ王国と法国に対して大々的に着手している最中であるため、他の案件にまで着手しては失敗する危険性が出てくるため。二つ目は、折角築き上げたワーカーたちとのコネクションを簡単に使い捨てるのは勿体ないため。……少なくとも、ワーカーたちにはもっと違う使い道を検討したいと考えているのだよ」

 

 人差し指と中指を順々に立てながら、ウルベルトが言い聞かせるような口調で説明していく。その声音は若干引き攣っており、どうやらシモベたちから……特にデミウルゴスやアルベドからの鋭すぎるツッコミに怯えているようだった。ペロロンチーノもそれに気が付いたのか、こちらに身を寄せてきてこっそりとモモンガのローブの左袖を両手で握り締めてくる。顔を寄せて小声で『だ、大丈夫ですかね……』と呟いてくるのに、モモンガも緊張した面持ちでペロロンチーノと一緒に固唾を呑んでウルベルトとシモベたちの会話に注視した。

 

「……ウルベルト様は、敢えて帝国を未だ放置し、エルフと法国の方に注力すべきとお考えなのですね……」

「ま、まぁ、そうだな……」

「ワーカーたちにも既に違う使い道を……? ではまさか、あの件も全て……? 黄金の姫からの話はまだ……、しかし御方々であれば既に想定して……。……モモンガ様とペロロンチーノ様の行動も……、……ではあの行動にも意味が………」

 

 アルベドが確認するような言葉をウルベルトに発する傍らで、デミウルゴスが妙な独り言を零しているのが恐ろしくて仕方がない。自分やペロロンチーノの名前も出てきたような気がして、逃げ出したい衝動にかられる。

 一体何を考えているのかと戦々恐々とする中、不意にデミウルゴスが嬉々とした笑みを浮かべたことにモモンガは心の中で『ひぃぃぃいいぃっ!!』と悲鳴を上げていた。左の裾を未だ掴んでいるペロロンチーノの手の力が強くなったことや、ウルベルトの肩が微かに跳ねるように震えたのが見てとれ、二人も自分と同じ心境なのだと確信する。

 『止めてくれ! 何も言わないでくれ!』と心の中で叫ぶ中、しかし悲しいことに悪魔は嬉々としてその願いを聞き遂げることはなかった。

 

「……嗚呼っ、何と言う……、……まさか既にここまで考えていらっしゃったとは……! 流石は至高の御方々、敬服いたしました!!」

「「「……?」」」

 

 デミウルゴスが何を言っているのか全く意味が分からず、思わず内心で幾つもの疑問符を浮かべる。

 しかし詳しく聞くのは心底恐ろしい。

 無意識に逃げ場を探して思考をこねくり回す中、まるで自分たちの心境を代弁するかのように大きく首を傾げているアウラとシャルティアとマーレが口々に悪魔に声をかけた。

 

「ちょっと、どういうこと? 私にも教えてよ!」

「そうでありんす! 私たちにも教えるでありんす!」

「ぼ、僕も知りたいです……」

 

 自分たちだけがモモンガたちの思惑に思い至れていないことに悔しさを感じているのだろう。口々に不満を口にする彼女たちに、デミウルゴスが伺いを立てるようにこちらに顔を向けてきた。

 

「……ウルベルト様、モモンガ様、ペロロンチーノ様」

「ああ、構わないよ。お前が気が付いたことを彼女たちにも教えてあげなさい」

 

 名を呼ばれた理由を察し、最後まで言われる前にウルベルトが許可を与える。

 デミウルゴスは一度深々と一礼すると、次にはアウラたちに向き直って『至高の御方々の計画』とやらを説明し始めた。

 耳触りの良い声が紡ぐのは壮大でいて複雑な計画。

 悪魔の話が進むにつれ、シモベたちの表情は明るく輝きだし、しかしモモンガたちの方はダラダラと冷や汗を流し始めた。モモンガに関しては冷や汗を出す皮膚や毛穴はないのだが、しかし心境的にはまさにそれと同じである。それだけデミウルゴスの話す計画の内容は複雑に絡み合い練り上げられているものだった。

 デミウルゴスの語る計画は、以前ウルベルトがこの場で話していた一つの計画や、今回の会議で報告しようとしていたらしい王女ラナーから提案されたという計画の内容も含まれた複雑なもの。

 しかし、だからこそ濃密な内容に、モモンガもウルベルトもペロロンチーノも圧倒されて言葉もなかった。

 

 

 

「――……という計画なのだよ。つまり、ウルベルト様がワーカーとして多くのコネクションを築かれたのも、モモンガ様がカルネ村と“レオナール・グラン・ネーグル”との繋がりを“蒼の薔薇”に伝えたのも、ペロロンチーノ様のご配慮で王国の王都を悪魔の軍勢に襲撃させ魔王とその上の“御方”を大々的に登場させたのも、……そして御方々が長いこと敢えて別々に行動されていたのも、全てはこの計画のためだったのだよ。御方々はこの世界に転移されて冒険者やワーカーや森の支配者として動かれようとしていたあの時から、既にこうなるよう全てを想定されて動かれていたんだ!」

「「「おぉぉっ!!!」」」

 

(((そんなわけないだろっ!!!)))

 

 デミウルゴスの自信満々な発言と他のシモベたちからの感嘆の声に、モモンガとウルベルトとペロロンチーノはほぼ同時に心の中で全く同じ言葉を悲鳴のように発した。

 一体その確信と自信はどこからくるのか。

 満面の笑みを浮かべてこちらを振り返ってくる悪魔に、こちらは否定の言葉も言えずにただ呆然と頷くことしかできなかった。

 

「………あ、……ああ…、……さ、流石はデミウルゴスだ……。よく気が付いたな……」

「ありがとうございますっ!!」

「……ま、まぁ、そんなわけだから……。もう少し大人しくしていようか……」

「エルフと法国の件もあるしな……。……慎重にいこうな、慎重に……」

「畏まりました」

 

 若干震える声音でそれぞれ言葉を口にし、これ以上彼らが暴走しないように弱々しく釘を刺す。正直何処まで効力があるのか甚だ不安でしかないのだが、取り敢えず釘自体は刺せたことにモモンガたちは一度力なくため息にも似た息を吐き出した。

 未だ会議はそれほど進んでいないというのに、いつも以上に疲れを感じるのは気のせいなのだろうか……。

 どこか気が遠くなるような感覚に襲われながら、しかしモモンガは気力を振り絞って態勢を立て直した。

 

「……あー、それで……、他に報告はないか、ウルベルトさん……?」

「えーっと……、……ああ、そうだ。フールーダに世界級(ワールド)アイテムについて何か心当たりがないか聞いてみたのだが、一つ有力な情報を得ることが出来たのだよ」

 

 モモンガの声かけに、少しぼーっとしていたウルベルトも何とか気を取り直して次の話題に移る。

 彼の口から出てきた情報はレイナースの呪いを解いた後に出た話の一つであり、モモンガも聞いているものだった。

 法国の漆黒聖典が世界級(ワールド)アイテムを所持していたことから、モモンガたちは世界級(ワールド)アイテムの情報を事ある毎に探していたのだが、ここに来てフールーダから思い当たるアイテムとして一つの情報を得ることが出来た。

 フールーダが口にしたアイテムは“無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”。

 世界に一つしかない秘宝であり、この世の全ての魔法が記されているらしい。元々八欲王が所有していたアイテムであるらしく、今も彼らの拠点だったエリュエンティウという都市にあるとかないとか……。

 

「今でも難攻不落の場所であるため、誰かがそのアイテムを横取りする可能性は低いだろうが、それでもいつかは攻略する必要があるとは思いますよ」

 

 ウルベルトの説明に、モモンガもペロロンチーノも無言のまま考え込む。

 確かに世界級(ワールド)アイテムだと思われる物がある以上、それをいつまでも放っておくわけにはいかないだろう。

 しかし八欲王の伝説やエリュエンティウの情報を聞いた限りでは、現状嫌な予感しかしなかった。

 

「………う~ん、……それって、もしかしなくてもアースガルズの天空城じゃないですかね……? そうなると……、八欲王って“キn」

「すまないペロロンチーノさんそれ以上は言わないでくれるか胃が痛くなる……!」

「あ、はい、すみません……」

 

 モモンガの怒涛の勢いにペロロンチーノが謝罪の言葉と共にすぐさま頭を下げる。額に片手を当てて重いため息を吐き出すモモンガに、しかし右隣の山羊頭の悪魔は軽く首を傾げながらそれを見つめていた。

 

「そんなに神経質にならなくても良いのでは? 少なくとも八欲王は既に全員死んでいるはずですし、となれば残っているのはNPCのみ。情報不足のまま突っ込むのは危険ですが、少しずつでも情報を集めて準備をしていけば攻略は十分可能だと思いますが」

「いやいやプレイヤーがいなくてもNPCだけでも十分危険ですよルベドみたいな奴がいたらどうするんですかお願いですからもう少し慎重になって下さい!!」

「……おう、いつになく凄いな……」

 

 ふざけているのか何なのか、ウルベルトの緊張感のない態度に頭痛すらしてくるような気がする。

 しかし釘はきちんと刺す必要があるため、モモンガは気力を振り絞ってウルベルトに眼窩の灯りを真っ直ぐ向けた。

 

「とにかく、現状はエリュエンティウは様子見だ。探りでも手を出さないように! 良いな、ウルベルトさん!」

「は~い。分かりましたよ、モモンガさん」

 

 強い声音で言い聞かせるモモンガに、ウルベルトはひょいっと肩を竦めながらも一つ頷いてくる。

 モモンガは小さく安堵の息をつくと、さっさと次に話を進めてしまおうと改めて口を開いた。

 

「……さて、ウルベルトさんからの報告は以上で終わりか?」

「そうですね……。取り敢えずは終わりだと思いますよ」

「宜しい。では次は私が報告するとしよう」

 

 ウルベルトの返答に一つ頷き、次はモモンガから近況報告を行う。

 とはいえ、モモンガが報告する内容はペロロンチーノやウルベルトほど濃いものではなかった。モモンガの主な報告内容は“蒼の薔薇”と“朱の雫”について。とはいえ取り立てて重要な情報も大きく進んだ案件もなく、先ほどのペロロンチーノやウルベルトと違い、報告は手短に終わりを見せた。

 

「へぇ~、“朱の雫”ってパワードスーツを持ってたんですか! 一体どこから入手したんですかね?」

「出所は不明だが、今後はその辺りも探りを入れていくべきだろうな」

「取り敢えず“蒼の薔薇”と“朱の雫”については私とモモンガさんとで探りを入れてみることにしたから、ペロロンチーノさんはエルフと法国の方に集中して下さい」

「ふ~ん。まぁ、“蒼の薔薇”はともかく“朱の雫”については別に興味ないですし、お二人にお任せしますね」

 

 ウルベルトの言葉にペロロンチーノはあっさりと承諾の言葉と共に頷いてくる。

 今回も何とか何事もなく会議が終わりそうな雰囲気に、モモンガは思わず内心で安堵の息をついた。

 これで報告すべきことは大体は終わっているはずだ。

 モモンガは一度ウルベルトとペロロンチーノの様子を窺うと、何も発言するような素振りがないことを確認してから次に守護者たちに目を向けた。

 

「これで大体は全員報告が終わったように思うが……、他に誰か報告したいモノはいるか?」

 

 この場にいる全員に対して確認の言葉をかける。しかし言葉を発するモノはおらず、モモンガは一つ頷くとすぐ側で控えるアルベドへと視線を移した。アルベドは心得たように一度深く一礼し、次には顔を上げて室内を見渡す。この場にいる全てのシモベたちが浮かべている表情を確認すると、アルベドは満足したような笑みを一瞬浮かべた後に真っ直ぐな背筋を更に伸ばした。

 

「それでは、この度の定例報告会議は終了いたします。解散!」

 

 守護者統括の涼やかでいて張りのある声に、この場にいる全てのシモベが片膝をついて深々と頭を下げた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……それで、何用だ、アルベド?」

 

 定例報告会議が終了して一刻ほど後。先触れに来たメイドが下がって数分後、私室を訪ねてきたアルベドに、モモンガは内心ひどく緊張しながらも彼女を室内へと招き入れていた。

 幾つもある部屋の内、執務を行う部屋に通し、重厚な椅子に腰かけながら目の前まで歩み寄ってきた女淫魔(サキュバス)を見やる。

 モモンガとしては何故彼女が定例報告会議の後に自分の元を訪ねてきたのか理由が分からず、まさかまた何か問題が発生したのかと気が気でなかった。

 しかしそんなこちらの心配などには気が付く様子もなく、アルベドはモモンガの目の前で片膝をつくと、胸に右手を添えて深々と頭を垂れてきた。

 

「わざわざお時間を頂きまして感謝いたします、モモンガ様」

「いや、構わん。それほど重要な話があるのだろう」

 

 言外に早く話すように促してやれば、アルベドは顔を上げて立ち上がると真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

 

「先日、モモンガ様が仰られていたチームでの戦闘経験についてなのですが……――」

 

 そんな前置きと共にアルベドが話し始めた内容は、モモンガも初耳の情報だった。

 アルベドの報告によると、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の間にあるアゼルリシア山脈にドワーフの国があるらしく、更にその奥には霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)やクアゴアという亜人たちの生息域があるらしい。フロスト・ドラゴンとフロスト・ジャイアントは互いにアゼルリシア山脈での覇権を争っており、クアゴアとドワーフの国も何かと争いが絶えない。しかしそんな中でも、最近特にクアゴアとドワーフの国との争いが活発になってきているらしい。

 

「――……現状は未だそれほど大きな影響は出ていないようですが、恐らく近いうちにドワーフたちは劣勢に陥るかと思われます」

「ふむ……、つまりそれらの状況を先日言っていたチーム戦に利用できないか、ということか……」

「流石はモモンガ様! 仰る通りでございます!!」

 

 モモンガの相槌のような言葉に、途端にアルベドが嬉々とした表情を浮かべて身を乗り出してくる。しかし正直に言って、モモンガはアルベドが何を言いたいのか全く見当もつかなかった。先ほど言った言葉など、空気を読んだだけの唯のでまかせだ。チームでの実戦経験とクアゴアとドワーフたちとの争いがどう繋がるのか訳が分からない。

 思わず内心でウルベルトとペロロンチーノに助けの声を上げる中、しかしそれに気が付かないアルベドは興奮したものから冷静な微笑へと表情を変えて前のめりになっていた体勢も元に戻した。

 

「ですが、先ほどの定例報告会議にて法国への侵略時に守護者でのチーム戦ができる可能性が出てまいりましたので、こちらはもう少しお時間を頂き、より良い舞台になるよう整えていこうかと考えております」

「そ、そうか……。まぁ、それほど急ぎの案件ではないからな。より良い舞台にできるのであれば、時間をかけても構わない」

「ありがとうございます! また都度ご報告させて頂き、ご相談させて頂ければと思います」

「……分かった……」

 

 正直に言えば、全力で遠慮したい。報告だけならまだしも、相談なんてしないでほしい。相談するにしても、その時はせめてウルベルトやペロロンチーノも傍にいてもらいたい。

 しかしそんなことが言えるはずもなく、モモンガはグッと本音を呑み込んで一つ頷くにとどめた。それでいて、内心では『どうしてウルベルトさんとペロロンチーノさんには後から報告する形にしたんだろう……』と激しい後悔に襲われる。

 モモンガは過去の自分を恨めしく思いながら、より詳しく報告しようと言葉を並べ始めたアルベドに内心で深々とため息を吐くのだった。

 

 




今回、八欲王のギルド名の最初の文字などが出てきましたが、当小説でのオリジナルの捏造設定になりますので、いつもの如く原作で出て来ましたら修正する予定です。
また、現在小説についてアンケートを実施しておりますので、是非お協力を宜しくお願い致します(深々)
【アンケートURL】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc0nsJ22OH1wiYwuElqckvij8RMCBxC9Ucby430RKJkqFeI2A/viewform?usp=sf_link

*今回の捏造ポイント
・“聖堕の悪魔”;
『聖職者が堕落して悪魔になった』種族。修得しているプレイヤーが少ないため、必然的にレア種族に分類された。悪魔でありながら信仰系の攻撃手段を持っており、ある一定の信仰系に対する耐性も備えている。


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第67話 反撃の笛

今回は視点が幾つも変わります。
その数、何と5つ……!!
読み難いかもしれませんが、申し訳ありません……(土下座)


 定例報告会議を行った日の翌日。

 再びシャルティアたちと共に森妖精(エルフ)たちの元へ出発したペロロンチーノを見送ったモモンガとウルベルトは、今はモモンガの私室で優雅に午前のティータイムに興じていた。

 とはいえ、モモンガは骸骨であるため飲食はできず、紅茶や茶菓子を楽しんでいるのはウルベルトのみ。

 ウルベルトは紅茶が入っているカップを優雅に傾けており、モモンガはそれを眺めながら香りのみを楽しんでいた。

 

「……はぁ~、それにしても昨日の会議は本当に内容が濃かったですね。無事に終わって良かったです」

「少し前までは大分落ち着いていたのにな。また忙しくなりそうでちょっと怖いんだが……」

 

 人払いをしているため周りには自分たち以外誰もおらず、それもあって普段の口調で言葉を交わす。モモンガはテーブルの上に置かれているティーポットに手をかけてウルベルトのカップに紅茶を注ぎたしてやりながら、忙しなく動いているウルベルトの指先を見やった。

 

「それにしても、さっきから何をしているんですか、ウルベルトさん?」

「ニグンの装備の修正だよ。今のままだと翼が突き出たり尻尾が上手く収まらないからな」

「あ~、確かに結構異形感が増してましたもんね……」

 

 定例報告会議で見たニグンの様変わりした姿を思い出し、納得の言葉と共に一つ頷く。

 加えて会議内でのあれそれも思い出し、モモンガはウルベルトの手指に向けていた視線を山羊の顔に移した。

 

「そういえば……、デミウルゴスが言っていた計画についてなんですけど、本当にあの通りに進めるんですか?」

「そうなるんじゃないか? 少なくとも俺には今回デミウルゴスが言ってきた計画以上のものを考えるのは無理だぞ」

「それは俺もですけど……。う~ん、でも本当に良いんですかね……」

 

 モモンガはウルベルトの意見に頷きながらも、次には背もたれに深く身体を預けて頭上を見上げた。豪奢な天井の壁紙や装飾を眺めながら、大きな不安が胸の中でグルグルと渦巻いているのを感じる。モモンガは口を開きかけ、しかしすぐに思い直してため息にも似た息を小さく吐き出すにとどめた。

 ウルベルトの言っていることは良く分かる。代替案を提示しない中での反対は唯の我儘でしかなく、それは組織の足を引っ張ることにも繋がる。

 しかしそれが分かってはいても、発案者がカルマ値-500の悪魔であることもあり、どうにも実行したら悲惨なことになりそうな予感がヒシヒシと感じられた。

 

「でも……、ラナー王女はいつ、どうやってデミウルゴスに計画を伝えたんですかね? デミウルゴスの計画の中には彼女が発案した計画も盛り込まれているって話でしたけど……」

「ああ、それならデミウルゴスが王女に〈伝言(メッセージ)〉を繋げた時だろうな。それ以外であの王女が不審な行動を起こしたとは報告を受けていないし」

「〈伝言(メッセージ)〉?」

「ほら、正式に契約相手とするっていう返事の〈伝言(メッセージ)〉ですよ」

 

 何故〈伝言(メッセージ)〉を繋げる必要があるのかと首を傾げるモモンガに、ウルベルトが作業の手を止めて小さく肩を竦める。紅茶のカップに手を伸ばして喉を潤すウルベルトを眺めながら、モモンガは内心で『なるほど』と一つ頷いた。

 確かに定例報告会議で初めて王女ラナーの名前が出た時は、未だ王女ラナーとの繋がりは正式に契約を結ぶ前の様子見という段階だった。その時に王女ラナーを捨て駒にするようウルベルトが言い出してそのまま決定になってしまったのだが、恐らくデミウルゴスは王女自身には正式な契約相手となったと伝えたのだろう。その際にラナーから計画を聞いたとなると、自分たちに計画の内容を報告するまでに若干時間がかかっているような気もしたが、しかし王女の計画が自分たちに報告するに足る内容かどうか事前にデミウルゴスが吟味していたのだと考えれば、報告が今になったのも納得できる。

 内心で何度も頷く中、不意にこちらの心を読んだかのようにウルベルトがこちらに顔を向けてきた。

 

「言っておきますけど、デミウルゴスが王女に連絡を取ったのは最近ですよ」

「えっ、そうなんですか!? というか、俺の心を読まないで下さいよ!」

「いや、だってモモンガさん分かりやす過ぎ。……俺がデミウルゴスに待ったをかけてたんですよ。相手は化け物級の頭脳の持ち主だっていうしな。こちらの裏が読まれないようにちゃんと色々準備してから接触しないと危ない」

「な、なるほど……。そういうところは意外に慎重派ですよね、ウルベルトさんって……」

「相手に思考を読まれて出し抜かれるのが一番ムカつくからな。第一、ウチのデミウルゴスと簡単に連絡できるような間柄になることをあの王女に許すわけないでしょう。ウチの子にあんな腹黒女は必要ありません。デミウルゴスに色目を使おうものなら地獄の釜に放り込んでやりますよ」

「いやいや、そんなことあるわけないでしょ。あの王女様は従者の男の子が好きだって話ですし。思考が飛躍し過ぎですよ」

 

 悪魔の用意周到さとズレている思考回路に若干表情が引き攣ったような気がする。

 皮膚がないはずなのに不思議だな……と内心で少し現実逃避をしながら、しかしモモンガは気を取り直して改めてウルベルトを見やった。

 

「……ま、まぁ、王女については分かりました。……でもあの時、ウルベルトさんがワーカーたちを気にかけるようなことを言ったのは正直驚きました。どういう心境の変化です?」

「いや、別にそう大した理由じゃないんだが……。モモンガさんは他の冒険者たちのことをどう思ってる?」

「えっ、俺ですか? そうですね……。正直、あまり思い入れはありませんね。パンドラの“クアエシトール”のメンバーに対しては小動物に向けるくらいの情はありますけど、それ以外の他の冒険者たちに対しては別にどうなっても何も思わないと思います」

 

 ウルベルトからの質問に答えながら、モモンガは自身の変化を改めてマジマジと実感していた。

 これまでも自分がアンデッドになった影響を感じることは度々あった。しかし今自分の口から自然と零れ出た言葉の数々に、モモンガは再びその実感を強く湧き上がらせていた。

 人間だった頃であれば決してなかったであろう価値観と思考。

 もしこの場に冒険者モモンを慕う冒険者たちがいたなら、先ほどのモモンガの言葉に大きなショックを受けたことだろう。

 

「ウルベルトさんは違うんですか?」

 

 ウルベルトの方はどうなのか気になって短く問いかける。

 悪魔は作業している手を止めると、モモンガをじっと見つめた後に思案するように視線を自身の頭上に向けた。

 

「……まぁ、基本的にはモモンガさんと同じですかね」

「基本的には、ですか?」

「ええ。……確かに俺はワーカーたちに対してある一定の情を持っています。でもそれは……、恐らく、言うなれば愛玩動物に向ける程度のものなんですよ。なので彼らが無意味に残酷な目に合うのは残念に思いますし、できるなら阻止してあげたいとは思います。ただ、それが必要なことなのであれば勿論許容しますし、別にそこまで気にしないって感じですかね」

「……なるほど……」

 

 分かるような、分からないような……。

 ウルベルトからの答えに内心首を傾げながら、しかし一方で、何はともあれウルベルトの中での優先順位が変わっていない様子にモモンガは小さく安堵の息をついた。もしウルベルトがナザリック以上に……もしくはナザリックと同じくらいにワーカーたちを気にかけていたなら、自分は非常に面白くないと強い不快感を持ったことだろう。

 まるで友人を取られてしまったかのような、そんなどこか幼稚な独占欲と不快感。

 それはウルベルトに対してだけでなくペロロンチーノに対しても言えることで、モモンガの中での優先順位の頂点にこの二人の友人が君臨している以上、彼らがナザリック以外の存在に目を向けることは何より不快で嫌なことだった。

 因みにペロロンチーノがナザリック外の女性に好意を向けることに関してはモモンガも許容している。どんなに多くの女性たちに熱を上げようと彼の一番がシャルティアであることには変わりないだろうし、女性に愛を捧げるのはペロロンチーノの一つの本能であるとも思えるため、それ自体はモモンガも何とも思わなかった。

 

「……モモンガさん、どうかしました?」

 

 黙り込んだのを不思議にでも思ったのか、ウルベルトが小さく首を傾げながら声をかけてくる。

 しかしモモンガは『何でもありませんよ』と小さく首を横に振ると、取り繕うように動かないはずの骨の顔に笑みを浮かべた。

 

「いえ、ウルベルトさんも俺とあんまり変わらないんだな~と思って。とはいえ、俺よりかは情は深い感じですし、それって悪魔とアンデッドの違いなのかな~とちょっと考え込んじゃいました」

「う~ん、どうなんだろうな……。基本アンデッドは生者を憎む種族だが、悪魔は他者をいたぶって楽しむような種族だからな……。そう考えると、ある意味悪魔の方が他者に情をかけやすいと考えられなくもない」

「……何だか、碌な情じゃなさそうな感じですけど」

「まぁ、人間たちからすればそうだろうな。でも、それが良くも悪くも悪魔という種族ですよ」

 

 ニヤリと笑うウルベルトは非常に楽しそうで悪魔らしい。

 モモンガもそれにつられるように小さく笑うと、次には気を取り直すように一度小さく息をついた。

 

「……それで、ウルベルトさんはこれからどうするつもりですか? 帝国にはまた行くんですよね?」

「そうだな。また皇帝から呼び出しが来ているみたいですし、皇帝の相手をしながら暫くはワーカーの仕事に専念しようかと思ってます。……モモンガさんはどうするつもりです?」

「俺も暫くは冒険者モモンとして行動しようかと思っています。エルフ王国と法国に着手している今、あまり派手に動いて更に厄介事に巻き込まれるのも困りますし……」

「確かにな。……なら、もし良ければ、また俺に付き合ってもらって良いですかね? 今度、パラダインとロックブルズに俺の本性を見せようかと考えてまして、その時にもし不測の事態が起きても大丈夫なように同行をお願いしたいんですけど」

「えっ、あの二人に本性を見せるんですか? どうしてまた……」

 

 ウルベルトの思ってもみなかった発言に度肝を抜かれる。何故あの二人にウルベルトの本性を見せる必要があるのか分からず、モモンガは頭上に幾つもの疑問符を浮かべた。

 

「あの二人を正式なシモベとして使うなら、遅かれ早かれこちらの本性を明かす日は必ず来ます。なら何事も早い方が良いでしょう? 無駄に引き延ばして、いざ何かあって慌てて教えても碌なことにならなさそうですし……。時間に余裕がある時にやっておいた方がいいかと思いまして」

「な、なるほど……。俺に同行してほしいってことは、何かあれば二人の記憶を消すことも考えているってことですか?」

「そういうことです。……まぁ、以前の二人の様子からして、そうなる可能性は低いかもしれませんが……」

 

 ウルベルトの言葉にモモンガも先日のフールーダとレイナースの様子を頭に思い浮かべる。心底ウルベルトに心酔していたような二人の様子に、確かに可能性は低そうだな……と内心で何度も頷いた。

 しかし、何事も絶対とは言い切れない。

 モモンガは冒険者モモンとしてのスケジュールを脳内に思い浮かべると、暫くの後にウルベルトにしっかりと頷いた。

 

「そうですね、多分大丈夫だと思います。前もって日取りとかを教えてもらえれば同行できると思いますよ」

「ありがとうございます。また詳しい日時が決まり次第、連絡しますね」

 

 ウルベルトも応えるように頷き、ここで堅苦しい話は終了となる。

 次に語られるのは、どこまでも和やかな世間話。

 モモンガとウルベルトは時折笑い合いながら、一時の穏やかな時間を過ごしていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、エルフ王国の王都トワ=サイレーン。

 街の中央に聳え立つ王樹“サンリネス”では、国王代理となったクローディアが多くのエルフたちに矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。クローディアと共に侵攻した軍の兵士やこちらに投降した王城の兵士を中心に、クローディアの指示のもと忙しなく王城内や街中を駆けずり回っている。

 しかしそれにも波は存在するもので、玉座の間を出入りするエルフたちの波が一時途切れたところでクローディアは思わず一つ小さな息をついた。

 覚悟していたことではあったが、予想以上の忙しさに目が回るようだ。

 クローディアは少しふらつく足取りで玉座に歩み寄ると、やや乱暴な動作で玉座に腰かけて今度は大きな息を吐き出した。想像と現実との差や自身の覚悟の強さを試されているような現状に、思わず深く全身を玉座に預けて瞼を閉じる。しかしすぐさま細く目を開けると、ぼんやりと地面の白を見つめながら小さく眉を寄せた。

 強力な敵勢力との戦争中に引き起った内乱と王の崩御。それは王国に住む全てのエルフたちに大きな衝撃を与え、また混乱を引き起こした。

 王の死自体に対しては多くのエルフたちが支持してくるだろうことはクローディアも確信している。しかし、それで全てが上手くいくほど事はそう簡単なものではなかった。エルフ王国は現在強力な敵国である法国と争っている真っ最中であり、そんな中で国の頂点がいなくなるということは――たとえその頂点がどうしようもない存在であったとしても――嵐の海で船の舵が壊れるにも等しい事態なのだ。恐らく『何故このタイミングなのか』『何故法国を何とかした後に行動できなかったのか』と多くのエルフたちが思っているだろう。

 本音を言えば、クローディアとて今このタイミングで王を討ち取ることは望んでいなかった。しかし今このタイミングでなければいけなかったのだとクローディアは強く確信していた。

 もし今行動を起こさなければ強力な力を持ったあの異形たちからの支援を得ることはできなかっただろう。いや、たとえ異形たちの存在がなかったとしても、今行動していなかったなら女たちは前線にかり出され続け、被害はもっと大きなものとなっていたはずだ。

 何の策もなく女たちは成す術もなく殺され、男たちは女たちの犠牲から絶望し、士気は低下して敵軍勢に踏み潰され、やがてエルフ王国は完全に滅ぼされてしまう。もし仮に王の力で王都まで進行してきた法国の軍を退けることが出来たとしても、その時には殆どの民が死に絶えているはずだ。

 それが容易に想像できてしまうからこそ、クローディアはあの異形たちの手を取って王を討ったのだ。

 今さら後悔するつもりもなければ、する暇も彼女にはなかった。

 

 

 

「――……あら、随分とのんびりしているのでありんすね~」

「っ!!?」

 

 不意に背後から声をかけられ、クローディアは思わずビクッと肩を跳ねさせて玉座から立ち上がった。彼女の横で補佐をしてくれていた閃牙(せんが)第一部隊の隊長シュトラール・ファル=パラディオンも驚きで大きく身体を震わせる。

 二人同時に慌てて振り返れば、そこには小さな渦を巻いている楕円形の大きな闇。白皙の美貌を誇る少女と黄金の鳥人(バードマン)が闇の中から出てきたところだった。

 

「やぁ、クローディアちゃん、元気そうで何より。混乱とかは大分治まったかな?」

 

 片手を軽く挙げながら明るく声をかけてくるのはバードマン。

 気さくに声をかけてくる様が何とも不気味で、クローディアは背筋に冷や汗を流しながらも改めて異形たちに向き直って一つ頷いてみせた。

 

「は、はい。現在国中にレコルを飛ばして事のあらましの説明と指示を行っております。まだ動揺している者や混乱している者も多くいるでしょうが、予想よりも早く態勢を立て直して整えることができるかもしれません」

「それは良かった。……ああ、そうだ。まず確認させてもらいたいんだけど、法国打倒のために俺たちと君たちとで正式に契約関係を結ぶ、ということで良いのかな?」

 

 小首を傾げる動作と共に投げかけられた問いに、クローディアは無意識に強く両手を握りしめた。

 自分たちと異形たちはまだ正式に契約を結んだわけではなく、現状は未だ仮契約状態となっている。互いの力を見定めてから改めて契約するかどうか検討する……という話だったはずだが、あちらから話を振ってきたということは、少なくともこのバードマンは自分たちと手を組んでも良いと考えてくれたのだろう。

 クローディアはチラッとバードマンの斜め後ろに立つ少女を見やった。

 可憐な微笑みを白皙の美貌に浮かべ、静かでいて優雅に控えるように立っている。今は全身黒にピンク色のフリルをあしらったドレスを身に纏っているが、王を殺した時の深紅の全身鎧(フルプレート)姿を思い出し、クローディアは思わず小さく身震いした。

 巨大な槍を振るう彼女の強さはまさに逸脱者のそれだった。何もかもが自分たちとは桁が違う。恐らく自分たちがどんなに束になってかかっていこうとも、この少女はいとも容易く自分たちを討ち滅ぼしてしまうのだろう。そしてそんな少女を付き従えているのだ、この黄金色のバードマンも同等の……或いは少女以上の力を持っているのかもしれない。

 強大な力を有する異形たちと繋がりを持つことは不安と恐怖と隣り合わせではあったが、しかし法国に立ち向かう以上、彼らの強さは心強くもある。

 クローディアは覚悟を決めると、拳に込めている力を更に強めてバードマンに向けて深々と頭を下げた。

 

「はい、是非とも正式に契約を結びたいと考えております。宜しくお願い致します」

「おっ、ホント!? 良かった、良かった! うん、OKだよ! 改めてよろしくね、クローディアちゃん」

 

 バードマンは嬉しそうな声を上げると、次にはこちらの片手を両手で包み込むように握り締めてブンッブンッと振ってくる。興奮しているようなその様子に、クローディアは顔を上げると、されるがままになりながらも何とか頷いた。

 

「あっ、そうだ。早速だけど、君たちへの支援の一つとしてアイテムや装備を幾つか用意しているんだ。後で運ばせるから、また他のエルフたちに配ってくれるかな?」

「っ! それは……とても助かります。ありがとうございます」

「うん。……ああ、でも、アイテムの方は良いんだけど、装備類はあくまでも貸出っていう形だから、法国との戦いが終わったら返してもらえるかな」

「……分かりました。後ほど、効率的かつ確実にお返しできるような仕組みを構築し、ご報告させて頂きます」

「うん、お願いします」

 

 こちらの言葉を信じて納得してくれたのか、バードマンは一つ頷いて手を包み込んでいた両手を離すと、次には後ろに立つ少女を振り返った。

 

「シャルティア、アイテムや装備の件について後でパンドラに連絡を取っておいてくれないかな」

「畏まりんした、ペロロンチーノ様」

 

 バードマンの言葉に、少女は当然のように恭しく頭を下げる。

 少女の態度は誰がどう見ても一切の曇りのない絶対的な忠誠心に溢れており、あの強大な力を持つ少女にここまで崇拝されているバードマンに対してクローディアは改めて強い恐怖心を抱いた。

 しかしそれを顔に出すわけにはいかない。

 改めてこちらに向き直ってきたバードマンに、クローディアは意識して表情を引き締めた。

 

「それで、クローディアちゃんはこれからどうするの? これからの作戦はどんな感じ?」

「はい、私は国王代理という立場になりましたので暫くは……少なくとも国内がもう少し落ち着くまではここに留まってあらゆる事態に備えようと考えております。法国に対する防衛及び侵攻計画といたしましては……」

 

 軽い口調で問いかけてくるバードマンに、クローディアはあくまでも淡々とした口調でこれからのことについて説明していく。

 何を考えているのか、バードマンはクローディアの説明中始終無言を貫き、大人しく話を聞いていた。説明が終わった後も『そっか、了解』と一つ頷くだけで何かを言う素振りすら見せない。

 相手の思惑や狙いが何も見えないことに恐怖と緊張を感じながら、クローディアは意を決して再び口を開いた。

 

「……そこで一つ、皆さまにお願いがあるのですが……」

 

 その言葉を言った瞬間、こちらに改めて向けられるバードマンの顔と視線に一気に緊張が全身を走り抜ける。

 クローディアは強張る喉を無理やり動かして生唾を呑み込むと、一呼吸の後に再び口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 法国からの侵攻を何とか防いだ日から五日。

 再びの法国からの侵攻はなく、かといってこちらから何かを仕掛ける余裕もなく、エクト=カウロンにあるエルフと法国との前線は膠着状態による一時の平穏を保っていた。

 エルフたちはこれ幸いとばかりに、今は怪我人の治療や破損した武器や装備類の修繕、足りなくなった物資について他の拠点や王都にレコルを飛ばしたりと、少しでも状況を良くしようと奮闘していた。多くのエルフたちが忙しなく陣営内を走り回り、指示を飛ばすために声を張り上げる。

 そんな中、黒風(こくふう)第二部隊所属のメリサ・ルノ=プールもまた、怪我をした仲間たちの元へと足早に歩を進めていた。

 四方八方に走り回るエルフたちや天幕の間を縫うように歩きながら、ふと五日前の戦場に思いを馳せる。自分が多くの仲間たちと違って怪我一つなく、死ぬこともなくここにいられるのは、偏にあの戦場で出会った悪魔のおかげだ。しかしあの時から既に五日という時間が経っていてなお、メリサはあの悪魔について何一つ知ることができずにいた。

 あの悪魔が何故自分を助けてくれたのかは分からない。何故あの場にいたのかも分からない。

 しかし理由はどうあれ助けられたのは事実であり、メリサはずっとあの悪魔に改めてきちんとお礼が言いたいと考えていた。

 とはいえ、悪魔の情報など早々あるわけがない。戦いが終わった後、自分と同じように悪魔に助けられた者がいないか探し、確かに何人か見つけることはできたのだが、しかしそこから得ることのできた情報は皆無に等しかった。

 あの悪魔がどこから来て、何処に去っていったのか分からない。何故自分たちを助けてくれたのか、法国の兵士と戦った理由すら分からない。自分以外にも救われたエルフが複数いたのだ、恐らく“偶然争いに遭遇して目障りだったから戦った”という訳ではないのだろう。ならば何か目的がある筈なのだ。しかしその目的がメリサに分かるはずもなく、また知る術も彼女は持っていなかった。

 『何故?』『どうして?』と疑問の言葉ばかりが頭の中で渦を巻き、思わず眉間に皺を寄せて小さな唸り声を零してしまう。

 顔を顰めながら足早に歩を進める中、不意に響いてきた笛の音にメリサはハッと顔を上げた。

 甲高く遠くまで鳴り響くこの笛の音は緊急招集の際に使用されるもの。

 周りのエルフたちも誰もがハッと顔を上げて動きを止め、次には弾かれたように陣営の中央広場へと駆け出した。天幕からも続々とエルフたちが飛び出てきて、メリサも慌てて同じ方向へと駆け始める。

 天幕内から動けるエルフたちが全て出てきたため、瞬く間に陣営内が多くのエルフたちで溢れていった。

 メリサは多くのエルフたちに若干もみくちゃにされながら、同じ部隊の仲間たちはいないかと時折周りに視線を走らせながらも不安に暴れる心臓の鼓動を胸に足を動かし続けていた。

 そして歩くこと数分後。

 漸く着いた中央広場にメリサは自然と足を止めた。

 中央広場には簡易的に作られた小さな壇上が置かれており、その上には既に幾つかの人影が立っている。

 メリサは壇上に目を向け、そこに立つ存在に思わず大きく目を見開いた。

 壇上に立っているのは五人の人物。

 黒風第一部隊隊長ノワール・ジェナ=ドルケンハイトと魔光(まこう)第二部隊隊長シャル・イン=オズリタースと聖光(せいこう)第二部隊隊長ルーチェ・エクト=グランツ。この前線軍の総指揮を任されている三人が壇上にいるのは何ら不思議なことではない。しかし問題なのは残りの二人だった。

 一方は左右色違いの瞳を持った闇森妖精(ダークエルフ)の少年。

 そしてもう一方は、何とメリサがずっと会いたいと思っていた正体不明の悪魔その人だった。

 メリサだけでなく、彼女の周りにいるエルフたちも誰もが動揺や驚愕の声を上げている。

 誰もが困惑する中、不意にルーチェが一歩前に進み出てきた。

 

「聞けぇっ、王国の勇敢な兵士たちよ! 不安や驚きがあることは理解しているが、まずは我々の話を聞いてほしい!!」

 

 少女が放つ声は大きく高く、そして透き通って遠くまで響き渡る。力強いルーチェの声に自然と騒めきは鳴りを潜め、この場にいる全てのエルフたちが口を閉じて聞く体勢になった。

 ルーチェは満足そうに一つ大きく頷くと、次にはダークエルフの少年と悪魔を振り返る。数秒彼らを見つめた後、ルーチェは再びこちらに向き直ると大きく空気を吸い込んで高らかに今回自分たちを呼んだ理由を語り始めた。

 その内容は驚きのものだった。

 今置かれている自分たちの状況や法国との戦況、エルフ王の企ての末に立ち上がったクローディア王女と討ち取られた王。そして法国に勝つためにクローディア王女が契約を結んだという異形の存在。説明の中には契約内容も含まれており、メリサはそれを聞きながらダークエルフの少年と悪魔を呆然と見つめていた。

 ルーチェが言っていることが全て正しいのであれば、それはつまり、王女が異形と契約を交わしたために今壇上にダークエルフの少年と悪魔がいるのだろう。しかしいくら目の前に異形たちがいるとはいえ、ルーチェの話は俄かには信じられないものだった。異形の存在も、契約を交わすという行動も、王が討たれたということも……全く現実味がなく、思考は混乱するばかりだ。

 周りのエルフたちも皆メリサと同じ状態なのだろう、ザワザワと騒めきが起こり、誰もが混乱や困惑の表情を浮かべていた。

 

「混乱するのも分かる、理解が難しいことも分かる! だが現状、我々にはこれらをゆっくりと噛み砕いて納得するだけの時間的余裕はない! 今もなおすぐ目と鼻の先には法国の軍があり、我らの領域を犯し、我々に牙を向かんとしているのだ!」

 

 まるで突き放すようなルーチェの言葉に、メリサは思わず失望にも似た感情を湧き上がらせる。

 しかし少女の力強い声はなおも響き続けた。

 

「だからこそ、今はこれだけを言わせてもらう! クローディア王女を信じよっ!!」

「「「……っ……!!」」」

「あの方がいつも我々を気にかけていたことは、皆もよく知っているはずだ。そのクローディア様が決断されたことなのだ! だからこそ、もしどうしても理解できないと言う者がいるのであれば、今はクローディア様を信じるのだ!! それでもなお納得できない者がいるのであれば、その時は私の元へ来るが良い。お前たちが納得するまで、時間が許す限り私が説明しよう」

 

 ルーチェの自信に満ちた力強い声が……、そして最後の優しさに満ちた声と眼差しが、メリサを含んだ多くのエルフたちの心にストンと落ちて暖かく染みわたっていく。困惑や不安が徐々に静まってくのを感じながら、メリサはクローディア王女について思考を巡らせた。

 いくら国軍に所属しているとはいえ、第二部隊の一兵士でしかないメリサは当然のことながら王女に会ったことはない。一方的に見た回数すら1、2度くらいしかなく、それも全てが遠目からのものだった。しかしそんな遠い存在である王女についての噂や話はメリサだけでなく多くのエルフたちの耳に入っていた。

 叡智高く思慮深い。たとえ王の命であったとしても、それで多くの犠牲が出る時は真っ向から異議を唱える勇気と慈悲をも併せ持つ聡明な王女。

 王が過激な人物であったこともあり、尚のこと王女の言動が際立って多くのエルフたちの耳に伝わったというのもあるだろう。しかしメリサを含む多くのエルフたちが王女の人となりを愛し、信頼しているのは確かだった。

 そして今のこの状況は、その王女が考えた末に行ったこと。

 ならば自分たちは王女を信じるべきなのではないか……。

 気が付けば周りの騒めきも徐々に鳴りを潜め、誰もが一心に壇上のルーチェを見つめている。

 メリサもまた、困惑や不安が消えた状態で真っ直ぐにルーチェを……そして何より自分を助けてくれた悪魔を一心に見つめた。

 ルーチェはまるで自分たちの心情を確認するように一度ゆっくりと大きく周りを見渡すと、次には満面の笑みと共に再び口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ふ~ん、あのエルフもなかなかやるじゃない……」

 

 力強い声音で今後の行動や方針について語っている少女の背を眺めながら、アウラが小さな声で呟く。

 どこか満足そうな声音にニグンがチラッとアウラに目を向ける中、こちらの声が聞こえたのか、少し離れた場所に立つ女エルフがこちらに顔を向けてきた。

 

「あれもあの子の特技の一つ。ルーチェ・エクト=グランツの言葉は相手の心に真っ直ぐに届く……。こういった場面ではあの子に全てを任せるのが一番良い」

「へぇ~、そうなんだ。私からしたら勢いで流してるようにも見えるけど……」

「確かにそういった面もある。だが、あの子は嘘をつかない。心根も真っ直ぐ……いや、少し真っ直ぐすぎるきらいがある。そして多くのエルフたちがそれを知っている。だからこそ、皆はあの子の言葉を信用する」

「……ルーチェちゃんは、みんなの光……。あったかくて、強くて、安心する……。だからみんな、ルーチェちゃんの話を、素直に聞くんだと……思う……」

「うん、それは流石に君だけだと思う」

 

 こちらの会話に気が付いたのだろう、一番端に立つシャルも会話に加わってくる。しかしシャルとノワールの会話はまるで緊張感がないもので、ニグンは思わず呆れた視線を二人に向けた。

 ニグンの中で、エルフという種族に対する複雑な心情がグルグルと渦を巻く。時折感じる己の変化と影響の感覚に、ニグンは出そうになるため息を既の所で呑み込んだ。

 ニグンはもともと、人間至上主義で人間以外の他種族に対しては偏見的な感情を強く持ち合わせた法国の人間だった。ウルベルトによって悪魔になってからはその感情は変化したが、しかしそれは元々の人間としての感情と複雑に絡み合い、実は今もなおニグンの中でグルグルと複雑な渦を巻いている状態だった。

 今のニグンの中にはナザリックに属するモノとそれ以外のモノとを二極化して捉える価値観が新たに構築されている。

 つまり“人間至上主義”が“ナザリック至上主義”に変わり、それ以外のモノを偏見的に感じるようになっていた。

 とはいえ、ニグンの中には生まれながらの性格や感覚も未だ残っている。そのため、ニグンは完全に“ナザリックに属する悪魔”としての性格や感覚に染まりきっている訳でもなかった。人間を至上と考えていた記憶も残っており、亜人や異形などを蔑視していた記憶も頭の奥に深くこびりついて残っている。しかし新たな悪魔としての価値観や感覚も勿論強く存在しており、それらがニグンの中で激しく鬩ぎあっている状態だった。

 時が経てばこれらの感覚や感情も徐々に馴染んで変化していくのかもしれないが、少なくとも今はまだエルフに対しても人間――それも今回は法国の人間だ――に対しても複雑な感情を抱いてしまうことを止められない。何とも中途半端な自身の状態に、ニグンは思わず内心で大きなため息を吐き出した。

 とはいえ、これも大切な仕事であり、至高の御方々のためである。

 ニグンは胸の中で未だ渦を巻いている感情を半ば無理矢理意識の端に追いやると、これから自分たちが補佐することになるエルフの軍勢を視線のみで見渡した。

 その中に自分のことを熱心に見つめている女エルフがいることをニグンは気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 未だ冷たい空気が森をけぶらせ、朝露が木の葉や草を濡らしている明け方ごろ。

 エルフの街の一つであるエクト=カウロンの外れの森に布陣している法国軍では、何人かの兵が寝ずの見張りに慎んでいた。

 その内の一人……エリット・ワン・アリーズは眠気でかすむ目を手で擦りながら、必死に欠伸を噛み殺していた。

 これも仕事の内で順番性であるとはいえ、何度経験しても深夜から明け方にかけての見張りは嫌なものだ。眠気はさることながら、服や装備は夜露に濡れることも多くあり、そうなれば寒さだけでなく服が肌に張り付く不快感も出てくる。

 今が正にその状態で、エリットは小さく顔を顰めるとブルッと全身を震わせた。

 早く交代したいものだ……と思わず遠い目になり、何とはなしにエルフの軍がいるであろう方向の森を眺める。

 その視界に今までなかった複数の影が映ったような気がして、エリットは徐々に目を見開いていった。無意識に呼吸を止め、見開いた目で森を凝視する。

 一拍後、漸く思考が追いついてきたところでエリットは大きく息を呑んだ。

 慌てて緊急用の火を燃やす組木の近くに立っている仲間の兵を振り返ると、喉が切れるのも構わずに声を張り上げる。

 

「緊急用の火を上げろっ! 敵軍が来ている!! 早く火を上げろっ!!」

 

 森の影を指さしながら必死に大声を上げる。それに同じく見張りに立っていた他の兵たちも気が付き、エリットが指さす方向に視線を向けて同じように驚愕の表情を浮かべた。

 瞬く間に緊急用の火が上がり、それが他の方向を見張っていた兵たちの目にも映って次々と他の火も上がっていく。

 同時に緊急用の笛の音も高らかに鳴り響き、途端に多くの兵たちが天幕から飛び出てきて陣営内が一気に喧騒に包まれた。

 エリットは焦った表情を浮かべながら再び森の方向へと視線を向ける。

 そして視界に映した“それら”に思わず全身を冷や汗で濡らした。

 エリットの視線の先……未だ夜の暗闇を孕んだ森の中から、見慣れぬ装備を身に纏った多くのエルフや魔獣の群れが溢れ出て、こちらに襲いかかろうとしていた。

 

 




この度、皆さんのコメントなどの反応から、メリサ・ルノ=プールちゃんがニグンの正ヒロインになることが決定しました!
おめでとう、メリサちゃん! おめでとう、ニグンさん!
これからこの二人もカップルにできるよう頑張ります!!

そしてそして、現在まだ小説についてのアンケートを引き続き実施しております!
締め切りは4月1日23時59分まで……。
是非ご協力を宜しくお願い致します(深々)
【アンケートURL】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc0nsJ22OH1wiYwuElqckvij8RMCBxC9Ucby430RKJkqFeI2A/viewform?usp=sf_link


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第68話 真なる噂

 バハルス帝国の帝都アーウィンタールに聳え立つ皇城。

 光り輝くその城の廊下で、ワーカー“サバト・レガロ”の“レオナール・グラン・ネーグル”の姿に化けたウルベルトは、ユリを背後に従えて案内する一人のメイドの後を追って歩を進めていた。

 皇城内はいつ来てみても美しく整えられており、所々にあしらわれた装飾が光り輝いて視界を彩り楽しませてくる。勿論その美しさも煌びやかさもナザリックには到底敵わないのだが、それでもウルベルトは皇城に来る度に内心で感心にも似た感情を抱いていた。

 この世界の生活水準や技術・発展水準は現実世界(リアル)は勿論のこと、仮想ゲーム世界だった“ユグドラシル”よりもなお低い。しかしそんな中でもこれだけの富を集め、美しく立派な居城を保有できているのは、それだけこの国が豊かであるという証拠だろう。それも帝国の富は、重い税で国民を使い捨てにしている上でのものではない。

 これまで見てきた帝国の街並みや交流してきた人々のことを思い返し、ウルベルトは帝国の在り方と今後について緩やかに思考を巡らせていた。

 

 

 

「――……陛下、“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル様及びリーリエ様がお見えになりました」

『通せ』

 

 思考の渦に沈む中、不意に聞こえてきた他者の声に、そこで漸くウルベルトはハッと我に返った。

 いつの間にか小さく俯いていた顔を上げて目を向ければ、そこは天井に届くほど大きな扉の前だった。

 恐らくこれが玉座の間に続く扉なのだろう。扉の左右にはそれぞれ全身鎧(フルプレート)を身に纏った見張りの兵が立っており、ここまで道案内をしてくれたメイドが静かにこちらを見つめていた。

 どこか窺うような視線に、ウルベルトは咄嗟に営業用の柔らかな微笑を浮かべてみせた。

 

「案内して頂き、ありがとうございました。おかげで助かりました」

「……あっ、……は、はい! ……あ、あの、陛下がこちらでお待ちですので……、その……」

 

 メイドが頬を赤く染め、次には何かを躊躇うように言いよどむ。何故かチラチラとこちらに視線を向けてくるメイドに内心首を傾げながら、まぁ構わなくても別に問題ないだろうと判断すると、ウルベルトは変わらぬ微笑を浮かべたまま一つ頷いて返した。

 

「ええ、ありがとうございます。早速ご挨拶をさせて頂こうと思います。帰りは迷うことはないかと思いますので、あなたはご自分のお仕事に戻って頂いても大丈夫ですよ」

「……あ、わ、分かりました……。失礼いたします」

 

 メイドは一瞬残念そうな表情を浮かべたもののすぐさまいつも通りの表情に戻ると、次には頭を下げてこちらを向いたまま後ろに下がる。ウルベルトは少しの間メイドを見送った後に扉へと目を移し、その瞬間、扉の両端に立っている兵が動いて丁寧な手つきで扉を押し開けた。

 両扉は音もなくゆっくりと開かれ、中の様相を露わにしていく。

 そこは正に玉座の間という言葉に相応しく、真っ白な壁と金色の装飾、真っ赤な絨毯が敷かれた豪奢な室内だった。

 左側の壁には大きな窓が幾つも連なっており、太陽の光が差し込んで室内のあらゆるものを眩く輝かせている。

 部屋の奥では豪奢な玉座に一人の青年が座っており、ウルベルトは一礼と共に室内へと足を踏み入れた。毛の短い絨毯を踏み締め、ユリを従えて真っ直ぐに玉座へと歩み寄る。

 やがて玉座から7歩ほど離れた場所で足を止めると、ウルベルトは片手を胸に添えた状態で片膝をついて頭を垂れた。

 

「“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル及びリーリエ。皇帝陛下のご命令に従い、拝謁に参りました」

「ああ、何度も呼び出してしまってすまないな。顔を上げてくれ」

 

 頭を上げる許可をもらい、そこで漸く下げていた頭を上げる。続いて手振りで立つように促され、ウルベルトはゆっくりとした動作でその場に立ち上がった。

 ユリも自分と同じく傅いていたのだろう、背後で彼女が立ち上がる気配を感じ取る。加えてユリから不穏な気配が漂ってこないことに気が付いて、ウルベルトは内心で安堵の息をついた。

 これがもしウルベルトと共にいたのがユリ以外の別のナザリックのシモベだったなら、至高の御方というポジションの自分に頭を下げさせる皇帝に対して殺気を発するモノがいたかもしれない。

 ユリが本心ではどう思っているのかは分からないが、それでも少なくとも『そういった感情を面に出してはいけない』とユリが判断できたことに、ウルベルトは心の中でユリに称賛を贈った。

 とはいえ、折角ユリが何でもない事のように振る舞っているのに、自分が意味深な態度をとるわけにはいかない。

 ウルベルトは誰にも気づかれないように密かに気を引き締めると、改めて目の前にいる者たちを見やった。

 玉座にはジルクニフが姿勢正しく腰掛け、その斜め前の左右にはフールーダとバジウッドがまるで護衛のように立っている。フールーダの隣には更に白のローブを身に纏った男が数名並んで立っており、バジウッドの隣にも見覚えのある文官のような男たちが数名横に連なっていた。

 しかしウルベルトが彼らに視線を送ったのは一瞬のこと。

 ウルベルトはすぐさま視線を転じると、玉座に座るジルクニフを真っ直ぐに見上げた。

 

「……それでは早速、わたくしどもを呼んだ理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、勿論だ。君たちを呼んだのは他でもない。一つ“サバト・レガロ”に依頼したいことがあったためだ」

 

 バジウッドの隣に立つ一人の男が口を開きかけ、しかしすぐさまジルクニフが片手を挙げてそれを制する。それでいて自分の口から端的に説明してくる皇帝に、ウルベルトは思わず小さく目を細めた。

 

「依頼……。依頼書からではなく直接皇城に呼んだのは、それだけ特殊な任務ということでしょうか?」

「まぁ……、そうだな……」

 

 ウルベルトの確認するような言葉に、ジルクニフが小さな苦笑を浮かべてくる。

 しかしジルクニフはすぐさまその苦笑を引っ込めると、顔を引き締めて真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

 

「我ら帝国は予てより、年に一度王国と刃を交えている。そしてそれは今年も例外ではない。しかし、今の王国は強力な悪魔の至宝を所持している。このまま無策で王国と刃を交わしては、我が兵に無用な犠牲が出るかもしれない」

「……………………」

「ワーカー“サバト・レガロ”、今回の戦に君たちも参加してもらえないだろうか?」

 

 表情を動かさず無言を貫くウルベルトに、しかしジルクニフは臆することなく依頼を口にする。力強さが宿るその声音には一切の迷いはなく、どうやらフールーダは上手く皇帝を説得できたようだな……とウルベルトは内心で笑みを浮かべた。

 しかし、そんな素振りはおくびにも出さず、ウルベルトは顔に真剣な表情を張り付けて考え込むような素振りをとった。

 

「……帝国と王国との戦争の参加、ですか……。具体的には我々に何をお望みなのでしょうか?」

「基本的には何も……。ただ、君たちの実力は王国でも高い評価を受けていると聞いている。君たちが参加しているというだけで相手への威圧になるだろう」

「……それでは、王国の兵たちと戦う必要はないと?」

「勿論だ。君たちもそれは望まないだろう? ただ、王国側が悪魔の至宝を戦場に持ち込み、それを使ってきた場合には君たちの力を貸してもらいたい」

 

 『むしろそちらの方が本命だ』と言外に口にするジルクニフに、ウルベルトは考え込むように顔を伏せて口を閉ざした。それでいて内心ではジルクニフに対して感心の声を小さく零す。

 どうやらジルクニフは予想以上に洞察力や人心掌握能力に優れているようだ……と皇帝に対する評価レベルを脳内で上昇修正した。

 ジルクニフの言動から、“レオナール・グラン・ネーグル”が人間の生死に配慮しているだろうことを予想し、その上でこちらを気遣い、威圧(プレッシャー)を与えないような言葉選びをしていることが窺える。言葉にすると一見簡単そうに思えるかもしれないが、実践するのは想像よりも遥かに難しい。

 『勉強になるな……』と内心で呟きながら、しかしウルベルトはそんな素振りは見せずにワザと時間をかけてゆっくりと顔を上げた。

 

「……なるほど。ですが、たとえば悪魔の至宝を使用していない状態で帝国軍が王国の兵に苦戦を強いられた場合、それでも我々は力を貸さなくても良いということでしょうか?」

「そうだな。これは我ら帝国と王国との争いだ。それに君たちを巻き込むつもりはない。……まぁ、君たちが助けに入ってくれるのであれば、それはそれで非常にありがたいし、その場合は追加報酬を支払うのも吝かではないがな」

 

 最後は小さな苦笑を浮かべながら付け加える皇帝に、恐らくそちらも紛れもない本心からの言葉なのだろう。

 とはいえ、ウルベルトはそこまで帝国に肩入れするつもりは微塵もない。

 当初の予定通り、皇帝と同じような苦笑を顔に浮かべて小さく首を傾げてみせた。

 

「そう、ですね……。できるなら、それはしたくありませんね。……ですが、そうですね……もし目の前で帝国の方が死にそうになったなら、それを助けるくらいは致しましょう。それで如何でしょうか?」

「ああ、勿論それで構わない。その場合も追加報酬はきちんと支払おう」

 

 鷹揚に頷いて見せる皇帝に、ウルベルトは応えるように深々と頭を垂れる。皇帝が自分たちに向ける信頼と期待が目に見えるようで、少しだけ複雑な感情が胸の奥で騒めくのを感じた。

 帝国に来て皇帝の評判や噂を耳にし、ユリやニグンに調べさせ、実際に対峙して言葉を交わし、闘技場で帝国国民の態度を目の当たりにし、フールーダからも皇帝について情報を聞いて……。数多の情報や実際に自分の目や耳や肌で感じたありとあらゆるものによって、ウルベルトの中ではジルクニフに対する複雑な思考や感情が絶えず渦巻いていた。

 果たしてこの目の前の皇帝は自分の嫌う欲望まみれの愚者なのか、それとも稀に見るまともな為政者なのか。

 どうなっても邪魔にしかならない石ころなのか、或いは生かせば得になる宝石なのか。

 死すら生温い地獄の炎がお似合いな醜い薪か、はたまた手を取り合うに値する金の卵か……。

 『上流階級の富裕層の連中など皆同じだ』と毒づくウルベルト自身の声と、これまでのジルクニフに関するありとあらゆるデータが激しくぶつかり合って鬩ぎあい火花を散らす。

 グラグラと揺れる自身の思考や感情に、ウルベルトは自分自身のことでありながら少なからず驚いていた。

 自分の中にある固定観念は根が深く、ひどく頑固であることをウルベルトは自覚している。それでもなお今こんなにも揺れているということは、自分も日々成長しているということなのか、はたまた軟弱になったということなのか……。できるなら前者の成長であると信じたい。

 ユグドラシルが終わったあの日、全てに縛られていた人間から自由な悪魔になって、心許せる大切な友人たちとこの世界に来て、少しくらいは事実や真実を素直に受け止められるだけの成長と余裕は持てるようになったはずだ。ならばもしかしたら、自分たちが本来の姿で世界に進出した後もこの皇帝とは友好的に付き合っていく未来もあるのかもしれない。

 ウルベルトは下げていた頭をゆっくりと上げると、まるで全てを見つめ見極めるように強い瞳を目の前の皇帝へと向けた。

 

「そうであるなら、我々としても何も思うことはありません。皇帝陛下より頂いた依頼、謹んでお受けいたします」

「それは良かった。君たちがいるというだけで、騎士や兵たちも心強いことだろう。詳細はまだ決まってはいないが、恐らく四騎士の誰かが君たちと行動を共にすることとなるだろう」

「四騎士の方々も参加されるのですね……。因みに、四騎士の方々は全員が戦場に出られるのでしょうか?」

「いや、その時その時によるが、どちらにせよ全員は出ない。いつも四騎士の一人或いは二人が出て、残りは皇城で待機することになっている。今回どうするかは未だ検討中だが、恐らく人数は例年通りとなるだろう」

「なるほど……」

「また詳細が分かり次第、連絡を入れよう。その際はまたここまで来てもらうことになるが、よろしく頼む」

「畏まりました」

 

 何事も詳細な打ち合わせは必要不可欠だ。ウルベルトとてそれは承知しているし必要なことであると理解もしているため、当然のように頷いて返す。

 『できるならまだ情報が少ない“不動”のナザミ・エネックか“激風”のニンブル・アーク・デイル・アノックのどっちかが良いな~』『フールーダとかレイナースを使ったらいけるかな~』と内心で思考を巡らせながら、ウルベルトはにっこりとした笑みを皇帝に向けて浮かべるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……よう、漸く来たな。さぁ、遠慮なく入れ」

 

 全体的に目に鮮やかな赤色に統一された室内に男の野太い声が響き渡る。

 予想以上の大声と目の前に広がる光景に、扉の前に立っていたラキュースは思わず大きなため息を長々と吐き出した。

 ここはリ・エスティーゼ王国王都のとある宿屋。

 どちらかというと裏路地に位置し、お世辞にも治安が良いとは言えない区画に存在するこの宿は、一部の権力者や商人、闇に潜む者たちが密かに会談するために利用する場所でもあった。

 その証拠に受付の亭主は寡黙で不愛想で口が堅く、この部屋も壁や貼り付けられている壁紙が分厚く防音設備がしっかりしているのが見てとれる。

 ある意味物騒この上ない場所に呼び出されたことにもう一度大きなため息をつくと、ラキュースは腰に手を当てて部屋の主を睨むように見つめた。

 

「ちょっと叔父さん、こんなところに呼び出すなんて一体どういうつもりですか!? それにこの数のお酒は何です!!」

「別にいいだろう。お前たちがさっさと来ないのが悪い。これでもお前たちに遠慮して女どもは呼ばないでおいてやったんだぞ」

「当り前ですっ!!」

 

 未だ部屋に入らず扉を開け放っていることもあり、男とラキュースの怒鳴り声が廊下に響き渡る。

 いつになく怒りを露わにする自分たちのリーダーに、廊下で待っていた“蒼の薔薇”のメンバーはお互いに顔を見合わせ、次にはラキュースに歩み寄って彼女と扉の隙間から室内の様子を覗き込んだ。そして視界に映った光景に、メンバー全員がリーダーの怒りに納得した。

 室内にいたのはラキュースの実の叔父であり、自分たちと同じアダマンタイト級冒険者“朱の雫”のリーダーであるアズス・アインドラ。

 しかしその姿は何故か半裸で、金色の髪も何故かボサボサ。

 男は豪奢で真っ赤な長椅子に悠々と両腕と両足を広げて座っており、その周りには数えきれないほどの酒の瓶が空の状態で転がっていた。

 その量はたった一人で飲んだとは思えないほどの多さ。しかし男の顔や言動には一切酔っている気配はなく、彼女たちは呆れるべきか感心するべきか思わず悩んでしまった。

 無言のまま変なところで悩むメンバーたちに、しかしラキュースにとっては身内の醜態でしかないのだろう。顔を恥ずかしそうに赤らめて大きなため息を吐き出すと、次には怒りを全身から立ち上らせながらズカズカと荒い足取りで室内に足を踏み入れていった。部屋の隅へ歩み寄り、そこに乱雑にまき散らかされていた幾つもの大きな紙袋を拾い上げる。恐らく酒を入れていたのだろうそれに、再びラキュースの手によって空になった瓶が乱暴に放り込まれていく。

 悠然と長椅子に座り続ける男を尻目にものすごい勢いで掃除を始めたラキュースに、“蒼の薔薇”の面々は再び顔を見合わせると、次にはゆっくりとした足取りで室内へと足を踏み入れていった。

 扉も漸く再び閉められ、宿の廊下に静寂が戻る。

 しかし扉を隔てた室内では紙袋のガサガサ音や瓶と瓶が当たる甲高い音、それらに混ざるようにラキュースの愚痴のような小言が絶え間なく響いていた。

 

「……まったく、これが客を迎える態度と状態ですか。姪である私だけならまだしも、他の皆も来るのですから、もう少しシャキッとしてもらわないと困ります。それに後からガゼフ・ストロノーフ様も来る予定なのですから猶更です!」

「ああ、そういえばあの堅物も来るんだったな! すっかり忘れてた、いつ頃になりそうなんだ? あいつも来るならやっぱり女どもを呼んでおけば良かったな!」

「必要ありませんっ!!」

 

 アズスの高らかな笑い声とラキュースの鋭い怒声が響く。

 しかし叱られている方は何のその、変わらぬニヤニヤ笑いを浮かべながら面白そうにラキュースを眺めていた。

 

「……おい、ラキュース、その辺りにしておけ。全てやろうとしていてはいくら時間があっても足りないぞ」

「でも、そうは言うけれどね、イビルアイ……」

「ストロノーフも大体のことは察してくれるだろう。先ほどの口振りからして、あいつはこいつと初めましてという訳ではないのだろう?」

「そうだぜ、ラキュース。俺たちがここに来たのも、もとはと言えば大切な話があるって呼び出されたからだしな」

 

 瓶の回収の次は違うゴミを細々と拾い始めたラキュースに、見かねたイビルアイとガガーランが止めに入る。

 ラキュースからすれば身内の恥を少しでも他人の目に触れさせたくないという感情からの行動なのだろう。しかしそれは十分理解はできるものの、全て気が済むまでやらせていれば時間がいくらあっても足りないというものだ。自分たちも決して暇ではないのだ、できるならさっさと本題に入ってしまいたい。

 説得する二人にラキュースも最初こそ渋い表情を浮かべていたが、最後には諦めのため息と共にゆっくりと身を起こした。取り敢えず今まで集めたゴミを全て部屋の隅に集めて置き、そこで漸くアズスと向かい合うような形で設置されているもう一つの長椅子に腰かける。イビルアイとティナがその両脇に座って場を占め、ガガーランとティアがそれぞれ別の一人掛けのソファーに腰を下ろした。

 誰もが真剣な表情を浮かべるラキュースたちに、そこで漸くアズスもニヤニヤ笑いから毒のない軽い笑みをその顔に浮かべる。

 アズスは右手に持っている瓶を一度煽って一口酒を飲み込むと、大きな息を吐き出してから真剣な表情を浮かべた。

 

「お前たちがカルネ村に行ったことについて改めて聞きたい。確かある人物について情報を集めにカルネ村に行ったとか言ってたか?」

 

 気さくな口調に反して浮かぶ表情も発せられる声音も真剣そのもので、ラキュースは思わず気圧されたようにグッと言葉を詰まらせる。それでいて何故叔父がこんなにも気にしているのか、どこまで説明すべきか、と無言のまま頭を悩ませた。

 冒険者“漆黒”のメンバーと共にカルネ村に向かい、帰る途中でアズスと出くわしたあの時。ラキュースはアズスに『ある人からの依頼で、ある人物の情報収集でカルネ村にいた』としか説明していなかった。

 冒険者には守秘義務が存在し、依頼主や依頼内容を第三者に話すことはできない。信頼に関する問題にも繋がるし、今後の沽券にも関わる。たとえ叔父と姪という立場で同じ冒険者であろうと、そう簡単に話せるものではない。

 アズスもその辺りの事情は理解してくれており、当時は食い下がって更に聞いてこようとはしなかった。

 しかし今再び改めて聞いてくるということは、もしかすればあの時は“漆黒”のメンバーもいたため場を弁えていただけだったのかもしれない。

 一度大人しく引き、密かに情報を集め、改めて当事者たちを呼び寄せる。

 自分たちだけでなくガゼフも呼んでいるということは、カルネ村に行った目的も既にある程度情報を得ているのかもしれない。

 どこで情報を得たのかは非常に気になるところだが、それよりも今はアズスの図太さと用意周到さに思わず舌打ちしたくなった。

 同時に、何故もっと早くにアズスが自分たちを呼んだ目的に思い至らなかったのかと、自分自身に腹が立ってくる。

 事前に『ガゼフ・ストロノーフも呼んでいる』と聞かされた時から、これがアズスが自分たちを呼ぶ理由だと気が付くべきだったのだ。そうであれば、事前にどういった受け答えをすべきか考える余裕があったものを……。

 咄嗟に誤魔化すような言葉を口に出しかけ、しかしすぐさま口を閉ざしてラキュースは諦めのため息を吐き出した。

 たとえここで自分が誤魔化すために言葉を尽くしたとしても、この場にガゼフが来るのであればそれらは全て意味をなさなくなってしまう。ガゼフは実直で礼儀正しい好漢ではあるが、どうにも腹芸は苦手なタイプだ。こちらの心情を察して口裏を合わせてはくれるかもしれないが、それでもぎこちなさは出てしまうだろうし、洞察力に優れたアズスにかかれば嘘をついていることなどすぐにバレてしまうだろう。

 最初から敗北しているような状況に、ラキュースはもはや白旗を上げるしかなかった。

 しかしそう判断はできても、やはり悔しさは抑えられない。

 ラキュースは恨みがましい眼差しで目の前の叔父を睨むと、整った口を苦々しく歪めた。

 

「……叔父さん、これは高くつきますよ」

「おいおい、そんなに心配するなって! 俺は何事も弁えている男だぜ」

 

 片手に酒の瓶を持った半裸の男が何か偉そうなことを言っている……。

 信頼できる要素ゼロな男に言われた言葉にラキュースはなおも大きなため息を吐き出すと、次には苦虫を噛み潰したような表情と共に今回のガゼフからの依頼について説明を始めた。

 尤も、肝心の調査対象については一切名を口には出さなかった。

 これは依頼人であるガゼフから許可を貰わない限り決して口に出せるものではない。これだけはラキュースとしても譲れない一線だ。

 同じ冒険者であるアズスもそこは理解してくれているのだろう、非常に渋々といった表情を浮かべてではあったが、仕方がなさそうに頷いてくれた。

 

「……つまり一人の人物の情報を得るために、その人物と深い関わりのあるカルネ村に行ったんだな? で、ほしい情報は得られたのか?」

「いいえ、正直収穫はほぼゼロです。でも、あの村は今もその人物と深い関わりを持っています。彼らと定期的に接触することで、彼に私たちの存在を意識させることはできると思います……」

「なるほど、“彼”ってことは対象者は男か。相手に自分たちの動きを知られても良いってことは、後ろ暗い目的で探ってるわけではなさそうだな」

「それは……、どうかしら……」

「……? どういうことだ?」

 

 不思議そうな表情を浮かべるアズスに、しかしラキュースは眉尻を下げて口を閉ざした。

 勿論探っていたラキュースたちにも依頼してきたガゼフにも、レオナールを害するつもりは毛頭ない。しかしラキュースやガゼフの行動がレオナールにとって良いことであるかどうかは、正直に言うとラキュースは自信が持てなかった。

 初めて会った時から、レオナールは何かに縛られることを極端に避けていた。そのためならどんなに自分の立場が不利になっても構わないとすら考えている。そんな彼からしてみれば、ラキュースやガゼフの行動はむしろ鬱陶しいものなのかもしれない。

 ラキュースは胸がズキッと痛むのを感じながらも口を開きかけ、しかしそこで外側から聞こえてきた扉のノックの音に遮られた。

 

『……遅れて申し訳ない。入っても構わないだろうか?』

 

 聞こえてきたのは聞き慣れた男の低い声。

 相手が誰なのかすぐに分かり、すぐさまティアが動いて扉へと歩み寄った。

 躊躇いなく開かれた扉から姿を現したのは、深くフードを被った大柄な人物。

 しかしティアは当然のように男を室内へと招き入れ、男は室内に足を踏み入れて扉がしっかりと閉められたのを確認してから被っていたフードをとった。

 

「よう、漸く来やがったな!」

「……突然叔父が呼び出してしまって申し訳ありません、ストロノーフ様」

 

 軽く片手を挙げて声をかけるアズスと、苦笑を浮かべて小さく頭を下げるラキュース。

 全く違う反応を返すアインドラ両名に、ガゼフは小さな苦笑を浮かべて彼女たちの元へ歩み寄っていった。

 

「いや、どうやら私の依頼のせいで面倒なことになった様子。こちらこそ申し訳ない」

「いえ、ストロノーフ様は何も悪くありません。そもそも依頼主を守るのも私たちの義務ですし、むしろこちらが謝る方です」

 

 ラキュースは空いている一人用のソファーをガゼフに勧め、改めて頭を下げて謝罪する。

 それにガゼフが慌てて止めようとする中、そもそもの元凶である男だけがあっけらかんとした態度で長椅子にふんぞり返っていた。

 

「おい、それくらいで良いんじゃないか? ガゼフもラキューに謝られても困るだろう? さっさと話を進めてすっきりしようぜ」

「………叔父さん、本当にあなたという人は……」

 

 叔父のあまりの言い様に、ラキュースがガクッと両肩を落とす。

 ガゼフはそんな彼女に同情の視線を向けたものの、すぐさま表情を引き締めてアズスに視線を移した。

 

「それで、貴殿が我々を呼んだ理由を教えてもらっても構わないだろうか? 一体何が知りたい?」

「全部だよ、全部。悪魔の大群が王都を襲撃したって話からどうにもいろんなところからきな臭さが漂って来やがる。どこぞの顔も知らねぇ貴族共がどうなろうと知ったこっちゃないが、ウチのラキューがそれに関わってるなら話は別だ」

 

 全ては可愛い姪っ子の身を案じてのことだと言外に言ってくるアズスに、ラキュースは思わず黙り込む。ガゼフも暫くの間じっとアズスを観察するように見つめると、納得したように一つ頷いてラキュースに顔を向けてきた。

 無言のまま一つ頷いてくるのに、ラキュースも応えるように小さく頷いて返す。

 ガゼフから無言のまま話す許可をもらい、ラキュースは一度深呼吸した後に今度こそ全てをアズスに説明することにした。

 まずは悪魔の軍勢が王都を襲撃してきたところから始まり、悪魔を追い返すために行った作戦、その作戦で大きな活躍をしたモモンとレオナールの存在について話す。続いて、その強さと立場から王族たちに警戒を持たれたレオナールのことや、ガゼフの依頼内容まで。

 長々と話すラキュースに、アズスも普段のふざけた態度を一切見せずに真剣な表情で聞いている。

 そして一通り説明が終わった後、アズスはまるで圧倒されたかのように大きな息を吐き出しながら深く長椅子に背中を凭れ掛からせた。

 

「……なるほどな、それでわざわざカルネ村まで情報を集めに行ったってわけか。“漆黒”もお前らと同じ依頼を受けているのか?」

「いいえ。モモンさんとナーベさんは私たちよりも早い段階でネーグルさんのことを噂で知っていたみたいで、そもそもは二人から何か情報を得られないかと会いに行ったんです。カルネ村に一緒に来てくれたのはたまたまで、あくまでも私たちに協力してくれただけです」

「ふ~ん……。……それで? お前たち自身はその男についてどう思ってるんだ?」

 

 アズスからの問いに、ラキュースは思わず“蒼の薔薇”のメンバーやガゼフと顔を見合わせた。この場にいるアズス以外の誰もが口を閉ざし、それぞれ頭を悩ませる。

 う~む……と誰かが低く唸る中、最初に口を開いたのはガガーランだった。

 

「……まぁ、相当つえぇのは間違いねぇな。冒険者だったら間違いなくアダマンタイト級だっただろうぜ」

「ああ、そうだろうな。モモン様ほどではないが、あいつも相当な実力者だ。魔法の威力は……もしかしたら私以上かもしれない」

「えっ、初耳。イビルアイより強いとか、化け物?」

「彼こそ悪魔かも。暗殺依頼が来ても速攻で断るレベル」

「ちょ、ちょっと、二人とも……」

 

 双子の忍者のあまりの言い様に、ラキュースは思わず静止の声をかける。

 しかし二人がその声に従うはずもなく、他のメンバーも巻き込んで思い思いに“レオナール・グラン・ネーグル”について言葉を交わしていた。

 

「後はそうだな……器はでかそうだよな。何だかんだ力は貸してくれるし、悪い奴ではないと思うぜ」

「そうか? 私は曲者という印象の方が強いが……。器の面で言うなら断然モモン様だろう」

「イビルアイはそればっか。逆に鬼ボスはネーグルにホの字」

「ネーグルがイケメンなのは確か。鬼ボスもメロメロ」

「ちょっ……!!」

「なにっ!!?」

 

 双子の言葉に次はラキュースだけでなくアズスも大きな声を上げる。勢いよくこちらに目を向けられ、ラキュースは思わず顔を真っ赤に染め上げた。アズスだけでなくガゼフにも驚愕の表情で凝視され、恥ずかしさのあまり死にたくなる。まさかこんな形で自身の恋心を暴露され、身内に知られることになるとは夢にも思っていなかった。いっそ穴があったら潜り込んでしまいたい……。

 羞恥のあまり現実逃避をし始めるラキュースに、しかし繊細な乙女心を微塵も理解していない男が無遠慮に声をかけてきた。

 

「おいおい、マジかよラキュー!! お前が男に恋っ!? 冗談だろ!!」

 

 大声で捲し立てられ、一層羞恥が湧き上がってくる。顔だけでなく全身が熱く感じて仕方がない。どうしてこんな状況に陥っているのかと頭が混乱して涙が滲み出てきた。

 全身を真っ赤に染めて深く俯き、全身を小刻みに震わせるラキュースに、アズスは口を力なく開けたまま呆然と彼女を見つめていた。

 その顔にはありありと『信じられない』と書かれている。

 シーン……と静まり返る室内に、気まずい咳払いの音が不意に響いた。

 

「……ゴホンッ、……ま、まぁ、アインドラ殿がネーグル殿に心を寄せるのも不思議ではない。彼はそれほど魅力的な御仁だ」

「………おいおい、本気か、ガゼフ」

「私はこういったことで嘘は言わん。ネーグル殿は礼儀正しく、非常に心優しい御仁だ。私に至っては命を助けられたこともある。彼の御仁の人柄や強さは私が保証しよう」

 

 胸を張って言い切るガゼフに、アズスは疑わしそうな視線を向ける。

 暫くジロジロと見つめた後、アズスは次には疑念を宿していたものからどこか不貞腐れたようなものへと表情を変えた。

 

「……はぁ~、イケメンで度量があって礼儀正しく優しい、ねぇ~。それにアダマンタイト級冒険者と同等で、ガゼフを助けることができるほどの強さも持っているときた……。……まるで俺みたいだな」

「ちょっとふざけないでくれます叔父さん?」

 

 最後の言葉にラキュースが驚きの速さで反応する。

 本気の声音でジト目で睨むラキュースに、アズスは少々ショックを受けたような表情を浮かべた。

 少し離れた場所ではガゼフが小さく噴き出して勢いよく顔を背けている。

 顔をこちらに向けないようにしたまま両肩を小刻みに震わせている様は誰がどう見ても笑いを堪えているようで、アズスは再び不貞腐れたような表情を浮かべてガゼフを睨み付けた。

 

「………おい、ガゼフ……」

「…う゛ぅん゛……、ゴホンッ、……あー、まぁ、それはさておき……、そもそも貴殿が感じ取ったきな臭さというのは一体どういうものなのだろうか? それと我々とに何か関係が?」

 

 あからさまに話題を変えたガゼフに、アズスはやれやれとばかりにひょいっと肩を竦める。

 しかし次には真剣な表情をその顔に浮かべた。

 

「……ああ、大ありだ。少なくともきな臭さの一部分に関してはな」

「叔父さん、それはどういうことですか?」

 

 アズスの言っている意味が分からず、ラキュースは無意識に眉間に皺を寄せる。

 アズスはため息に似た息を大きく吐き出すと、酒瓶を傾けて一口酒を飲み込んだ。

 

「……お前たちも噂ぐらい耳にするだろう。今までもピンからキリまで多くの噂が飛び交ってはいたが……、最近は特に意味深な噂が多く広がってやがる」

 

 小さく眉を顰めるアズスに、ラキュースは思わず“蒼の薔薇”のメンバーたちと顔を見合わせる。ラキュースたちも決して情報収集を怠ってはいないつもりだが、それでもアズスの言葉には今一ピンと来なかった。チラッとガゼフに目を向ければ、彼も思い当たることがないのか困惑した表情を浮かべている。

 誰もが訝し気な表情を浮かべる中、ただ一人アズスだけが信じられないとばかりに大袈裟に両腕を上げた。

 

「おいおい、嘘だろ! 誰も心当たりすらないのか!? 情報収集は基本だろう! それとも、ただ単にお前らが得ている情報を重要なものと思ってないだけか?」

 

 アズスの指摘にラキュースは肯定することも否定することもできなかった。

 確かに、同じ情報を入手していたとしても、その情報を重要だと判断するのは人それぞれだ。アズスが重要だと思ったとしても、ラキュースたちも同じく重要だと判断するとは限らない。しかし一方で、そんなに判断に差が出るものだろうか……と少し疑問もあった。

 どちらにしろ、アズスの言う情報がどういったものであるのか知らなければ判断しようがない。

 ラキュースは小さく眉尻を下げながらも真っ直ぐにアズスを見つめた。

 

「叔父さん、まずはその噂とやらの内容を教えてもらえませんか?」

「教えろって言われても、そうだな……。娼館の“蜂蜜の宵”に入った新人がえらい美人だとか、見たことのない新しいポーションが最近出回ってるとか、冒険者に憧れてギルドの門をたたく新人が急増しているとか、最近虫がよく出て多くの飲食店に苦情が来てるとか………」

「あ、あの、叔父さん? それが叔父さんの言う“きな臭い噂”なんですか……?」

「何だよ、焦るなって、きな臭い噂はこれからだ。……たとえば、王国の王子の一人がまた変なところに出入りしているらしいとか、今度の王国と帝国の争いで帝国側に強力な助っ人が参加するらしいとか、最近王国の至る所で深夜黒い影のような人影が現れてはいつの間にか消えているとか、怪しい人物が王国に残された悪魔の至宝とやらを探っているらしいとか……。ああ、そうそう、お前がカルネ村でそのネーグルとかいう男に助けられたっていう話も噂で流れていたぞ。ざっと思い返しただけでもこれだけある」

「……確かに噂の数は普段よりも多い気がするな。しかし“所詮は噂”という言葉もある。それが全て信憑性の高い情報であるとは限らないぞ」

 

 アズスがあげていった噂の数々にイビルアイが思案するような素振りを見せるものの、まるで警告するような言葉をかける。

 しかしアズスは無言のままひょいっと肩を竦めるだけ。

 ラキュースはイビルアイの意見に一部賛同するものの、今はそれよりもアズスが口にした一つの噂の方が気になった。

 

「……叔父さん、先ほど仰られていた“帝国との争いで帝国側に助っ人が参加する”という噂なのですが、その助っ人は誰のことなんですか?」

「お前らもよくよく知っている奴だと思うぞ。……さっき話してたレオナール・グラン・ネーグルって男が率いてるワーカーチームの“サバト・レガロ”だよ」

「「「っ!!?」」」

 

 返ってきた答えに、ラキュースだけでなくこの場にいるアズス以外の全員が驚愕の表情と共に息を呑んだ。

 それは誰もが望んでいない答えだった。

 『何故?』『どうして?』という言葉が頭の中でグルグルと渦を巻き、ラキュースは目の前が真っ暗になる。

 他の“蒼の薔薇”のメンバーも考え込むように顔を顰めさせ、ガゼフも苦悩するような苦々しい表情を浮かべている。

 王族たちの懸念が現実のものとなったのだ、ガゼフが頭を抱えるのも当然のことだろう。

 

「………“サバト・レガロ”が帝国軍に加わるというのは……、本当に事実なのだろうか……」

「さあな、それは俺にも分からない。だが、噂になっている時点で既に信憑性はそれなりに高いと思うがな」

「……………………」

 

 分かってはいても、実際に言葉に出されると衝撃が強い。何よりラキュースは未だに信じることができずにいた。

 悪魔襲撃の時のレオナールを思い出す。

 燃え盛る炎の壁の光に照らされながら現れた姿。

 “漆黒”のナーベと楽しそうに話していた笑顔。

 自分たちを庇いながら“御方”なる悪魔と対峙して勇ましく戦っていた心強い背中。

 別れの時、『また会いましょう』と言いながら浮かべてくれた柔らかな微笑。

 全てが鮮明に蘇り、そしてその全てがアズスの言う噂話を否定してくる。

 あの笑顔は嘘偽りのない本物だった。自分たちのために悪魔に立ち向かう姿は紛れもなく真実だった。

 王国のために命を懸けて力を貸してくれた彼が、何故今王国にその力を向けようとするのか……。

 

(……会いたい。……会って確かめたい。本当に、その噂が事実なのか……。ネーグルさんが何を考えているのか……。)

 

 激しい焦燥にかられ、強くそう願う。

 しかしいくら強くそう望んだとしても、ラキュースたちは王国のアダマンタイト級冒険者である。身軽な身分では決してなく、アダマンタイト級冒険者としての多忙さや責任、何より王国と帝国という縮めようのない距離の壁がラキュースの前に立ちはだかっていた。

 しかし噂が本当であった場合、ただ手をこまねいている場合ではないことも確かである。

 一瞬、ラキュースの脳裏に王都で別れた時のレオナールの顔が蘇る。

 レエブン侯と別れの挨拶を交わしていた時、レオナールの金色の瞳に一瞬浮かんだように見えた冷たい光。

 あの時は唯の見間違いだと思ったけれど、今になってその瞳を思い出して胸が騒めくのを感じた。

 

「………確かめましょう」

 

 まるで無理矢理絞り出したような声が唇から零れ出る。

 ラキュースの突然の言葉に誰もがこちらを振り返る中、ラキュースは決意を胸に両手を強く握りしめた。

 

「その噂が真実なのか、確かめる必要があります。噂の元を探って、信憑性を確かめて、そして……、そして仮にその噂が真実であった場合、ネーグルさんを止めなければなりません」

「いや、止めるっつったって……。どうするつもりなんだ? 相手は帝国のワーカーだぞ」

 

 困惑の表情を浮かべるガガーランや他のメンバーに、しかしラキュースの決意は変わらない。ラキュースは緑色の双眸に強い光を宿したまま、焦燥に震える心を隠して堂々と胸を張った。

 

「相手が王国のワーカーだろうが帝国のワーカーだろうが、そんなことは関係ないわ。何が何でも真実を確かめてネーグルさんを止めるのよ! ……場合によっては帝国に行く必要も出てくるかもしれない。どうか力を貸してちょうだい、みんな」

 

 力強く言い切るラキュースに“蒼の薔薇”のメンバー全員が顔を見合わせる。暫く視線のみで意見を交わし、続いて再びこちらに目を向けてくる。

 彼女たちの顔や瞳に宿るのは、ラキュースと同じ決意に満ちたもの。

 “蒼の薔薇”のメンバーは自分たちのリーダーを真っ直ぐに見つめると、同じタイミングで一つ力強く頷いた。

 

 




若干、アズスとガゼフの口調が迷子に……(汗)
もし違和感などありましたら申し訳ありません……(土下座)

そして! これまで宣伝させて頂いていた小説についてのアンケートについて、締め切り期限がもうすぐになっております!
締め切りは4月1日23時59分まで……。
『そういえばアンケートにまだ答えてあげてなかったな~』『仕方ない、答えてあげよう』という方は、是非ご協力を宜しくお願い致します(深々)
【アンケートURL】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc0nsJ22OH1wiYwuElqckvij8RMCBxC9Ucby430RKJkqFeI2A/viewform?usp=sf_link


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第69話 反撃の咆哮

ただいまちょっとしたプチ・スランプ中でございます……。
そのためか、今回は少し(?)短めでございます。
また、今回はいつも以上に文章が変で分かり辛いかも……(汗)
読みづらかったら、申し訳ありません……(土下座)


 エイヴァーシャー大森林に根を下ろす森妖精(エルフ)王国の領土は九つの地区に区分されている。王都トワ=サイレーンを含む中央地区トワを中心に、四方に八つの地区が森に広がっていた。北地区ジェナ、北東地区エクト、東地区ガラン、南東地区ルノ、南地区ニア、南西地区イン、西地区ヴェル、北西地区ファル。多少のズレや大きさの差などはあるものの、これらはまるで地上の太陽のように放射状に広がり、森林をその領土としていた。

 そして法国がその大部分を侵略している今。

 侵略地の一つである北地区ジェナにある一つの都市ジェナ=サバラでは、現在激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

「第二部隊は後退! 第五部隊は進軍して敵を迎え撃て!」

「おい、西側が崩れ始めてる! 天使たちを召喚して対処にあたらせろ!!」

「矢が底をつきそうだ!! 魔獣どもが来るぞっ!!」

 

 焦燥も露わに声を張り上げているのは、ジェナ=サバラを支配している法国軍の兵士たち。彼らは突如息を吹き返したエルフ軍の攻撃にあい、かつてないほどの苦戦を強いられていた。

 士気高く激しい勢いもさることながら、何よりエルフたちを守るように突撃してくる多くの魔獣たちが恐ろしく強力で手に負えない。弓矢や魔法といった遠距離攻撃で何とか対処してはいるものの、それが通用しなくなり突き破られるのも時間の問題だった。

 

「……くそっ、一体どうなってやがる!」

 

 ジェナ=サバラに駐留していた法国聖火軍第二部隊の隊長ヴァイス・アル・イスラードは苦々しく顔を歪めた。飛びかかってくる狼を一刀両断で切り伏せ、そのまま鋭く舌打ちする。視線を前線に戻せば第五部隊がエルフ軍の前衛部隊とぶつかり合っており、一拍後、エルフ軍の後方から大量の矢が空を黒く染めながら襲いかかってきた。

 

「盾をっ!!」

 

 短い言葉がどこからともなく響き、それに反応して第五部隊の兵たちが矢の襲撃に備えて盾を掲げ持つ。しかし盾と盾との間は大なり小なりどうしても隙間が出来てしまい、盾で防ぎきれなかった矢が降り注ぎ、またエルフの前衛部隊の剣や槍も容赦なくがら空きになった腹部めがけて襲いかかってきた。盾を掲げていない別の兵がエルフたちの刃を何とか防いで仲間を守ってはいるものの、決して全部を防げるものではない。

 一度の攻撃で幾つも上がる悲鳴や怒号に、ヴァイスは再び鋭い舌打ちを響かせた。

 

「隊長、このままでは持ちません! ここは捨ててジェナ=ドートンまで撤退しましょう!!」

 

 こちらに駆け寄ってきた副官の男が焦燥も露わに大声で進言してくる。

 撤退からの巻き返しを狙っての発言であろうそれに、しかしヴァイスは苦々しい表情を深めて再度大きな舌打ちを放って返した。

 

「馬鹿野郎っ! 既にトワ地区とエクト地区の全域がエルフ共に取り返されているんだぞ! 他の地区の都市もどんどん奪い返されてやがるし、このジェナ地区でも既に三都市が取り返されてるっ!! ここで引けば、奴らを更に勢いづかせるだろうがっ!!」

 

 副官の意見も理解できる。しかしもはやヴァイスたちにはそれをするだけの余裕がなかった。

 一番初めの変化はエクト=カウロンの陥落だった。そして一つの都市の陥落を皮切りに、王都と隣接する都市トワ=レヴィリアもが陥落。

 トワ=レヴィリアは三日月湖と呼ばれる湖を有した都市であり、エルフたちにとってはとても神聖な場所とされている。その都市を取り戻したことが更にエルフ軍の勢いに拍車をかけたのか、次にはトワ地区とエクト地区の都市が次々と陥落し始め、数日後にはトワ地区とエクト地区はエルフたちに完全に奪い返されていた。

 そのあまりの速さに、都市陥落の知らせを受けた当初はヴァイスたちは自分たちの耳を疑ったほどだ。

 しかしエルフたちの侵攻は決して偽りではなく、今もなお驚きの速さでトワ地区とエクト地区以外の複数の地区の至る所でも戦闘と陥落が相次いで勃発している。

 追いつめられていたエルフたちに何が起こったのかは分からない。既に陥落している都市から逃れることが出来た数少ない法国の兵たちに話を聞くも、彼らが口にする言葉はどれもが違っていて一貫性がなく、そして不可解なものばかりだった。

 曰く、多種多様な魔獣の群れが雪崩のように襲いかかってきて都市を呑み込んだ。

 曰く、エルフたちは全てが光り輝く魔法の武器と防具を身に纏い、神代の力を発揮した。

 曰く、白色の悪魔が現れ、見たこともない醜い天使を召喚して襲いかかってきた、などなど……。

 他にもあまりにも破天荒な情報が多く彼らの口から飛び出てきた。そのどれもがヴァイスたちには信じられないものばかりで、中には理解不能なものもあり判断に苦しむ。

 しかし魔獣の群れが目の前にいる以上、少なくとも魔獣に関する話だけは事実だったということなのだろう。

 

「……チッ、これじゃあ埒が明かねぇ……。おい、全軍に伝令しろ! 負傷兵、第二部隊の衛生部隊、後衛部隊、前衛部隊の順に大樹の館まで退避しろ! 第五部隊は時間を稼ぎながら徐々に前線を後退! 敵軍勢を中央部に誘き寄せろ、とな!」

「ろ、籠城戦を行うつもりですか!? ここはジェナ地区の中でも小さな都市で備蓄も少ない。援軍を待つにしても、それまで持ち堪えられるか分かりません! リスクが高すぎるッ!!」

「そんなこたぁ分かってんだよっ!! だが、これしかない!! ……奴らを迷路に誘い出す。その後、天使を中心とした攻撃を行い、相手側をできるだけ消耗させながら援軍が来るまでの時間を稼ぐ……」

「迷路!? で、ですがあれはまだ完成しておりません! 上手くいくかどうか……!!」

「だぁぁっ、ごちゃごちゃうるせぇっ!! 上手くいかなかったとしても少しの時間ぐらいは稼げるだろう! 時間が稼げなくても、迷路内なら広がって戦うことは難しいから一点集中攻撃もできる! それなら勝機も見えてくるかもしれん!!」

「……!!」

「分かったなら、さっさと伝令を送れっ!!」

「は、はいっ!!」

 

 ヴァイスの勢いに押される様にして副官が慌てて踵を返して走り出す。

 ヴァイスは暫く険しい表情のまま走り去っていく副官の背中を見送ると、次には踵を返して苦戦している場所に向けて駆け出した。襲いかかってくるエルフ軍や魔獣たちに刃を振るい、喉が枯れるのも構わずに周りの兵たちを激励する。

 やがてヴァイスが副官に命じた内容の指示が全軍に行き渡り、法国軍はそれに従って徐々に前線を下げていった。

 そしてヴァイスを含む法国軍が最終的に閉じこもったのは、ジェナ=サバラの中央に聳え立つ巨大な樹の切株の中。元はジェナ=サバラの都市長の住居であったそれは、巨大な切株の中をくり抜いて作られた強固な館だった。

 エルフ王国は森林内に築かれた王国であるためか、その規模は地区や都市によって多少の差はあれど、全体的に自然と同化しているような様相を呈している。

 かくいうこのジェナ=サバラも、今ヴァイスたちが立てこもっている館だけでなく、この都市にある全ての建物が切り株の中をくり抜いてそのまま住居にしたような物ばかりだった。

 人間の感覚からすれば非常に奇妙で理解に苦しむものではあったが、しかし外見はまだしも内装は切り株の中とは思えないほど機能的で整然としたものであり、ヴァイスなども最初に見た時は度肝を抜かれたものだった。

 今はそれに加えて、ヴァイスたちが立てこもる切り株型の館の周囲には煉瓦や土壁で造った巨大な迷路が築かれている。

 エルフたちの進軍を聞いてから念のため作らせていたもので、しかしエルフたちの進軍速度が速すぎて未だ規模は小さく未完成なものではある。しかしそんなものでも、ないよりかは遥かにマシだろう。

 ヴァイスは疲労の激しい兵たちに休息を命じ、まだ余力の残っている兵や神官たちには迎撃の準備の指示を出しながら、そっと窓から外の様子を覗き見た。

 エルフたちはこちらを警戒しているのか、迷路の手前で停止して迷路内に入ってくる様子は未だ見られない。

 このまま何もせずに時間が稼げるのであればそれに越したことはないが……と頭の中で呟きながら、ヴァイスは密かに送り出しておいた救援要請の伝令兵のことを思った。

 伝令兵が救援要請に向かったのは法国の神都。ここからはそれなりに距離があり、伝令兵が無事に神都に辿り着いて援軍が出されたとしても、ジェナ=サバラに到着するまでにはそれ相応の時間がかかるだろう。それまで自分たちは何としてでも時間を稼いで持ち堪えなくてはならない。

 あまりにも難し過ぎる状況に、ヴァイスは思わず深く眉間に皺を寄せた。

 しかしここで唸っていても仕方がない。

 大きなため息と共に少しでもできることをしなくては……と踵を返そうとした、その時。黒い影が視界を過ったような気がして、ヴァイスは再び窓へと視線を向けた。

 瞬間、目に飛び込んできた存在にヴァイスは大きく目を見開いた。口は力なくぽかんと開き、驚愕のあまり呼吸が止まる。目の前の光景が信じられず、頭が真っ白になって思考が停止した。

 

「………は……、…嘘だろ……」

 

 覇気のない声が力なく口から零れ出る。

 ヴァイスの異変に気が付いた副官がこちらに歩み寄り、ヴァイスの見ているものを目にして大きく息を呑んだ。

 彼らが見ているのは迷路の前で停止しているエルフ軍の上空。

 通常であれば遥か高い空しかないはずのそこには今、巨大で立派なドラゴンが大きな翼を羽ばたかせながら浮かんでいた。

 

「……フレイム、……ドラゴン……」

 

 副官の男が呆然とした様子でその存在の名を口にする。

 火炎の竜(フレイム・ドラゴン)。世界を焼くほどの炎を操る、強力な力を持つドラゴンである。

 全身を覆う血よりも濃い紅蓮の鱗と大きな角に纏わりつく朱金の炎がその証。

 自分たちが束になってかかっても決して敵うことのできない強大な存在の登場に、ヴァイスたちは一気に絶望の底に突き落とされた。

 

「……む、無理です……。あ、あんな存在を相手に……、時間稼ぎなんてできるわけがない……っ!!」

 

 恐怖が頂点に達したのか、副官の男が半狂乱に声を上げてくる。

 いつもは何があっても冷静さを失わない男の変様に、ヴァイスは思わず苦虫を何十匹も噛み潰したような表情を浮かべた。

 副官の心情も意見も大いに理解できるし同意できるものではあったが、しかし周りには多くの部下や他部隊の兵士もいるのだ、無闇矢鱈に大声で騒ぎ立てて良いようなものではない。実際、こちらの様子に気が付いた何人もの兵たちが同じように外の様子を窺い、引き攣った悲鳴を上げ始めている。

 見るからに低下していく士気と部屋中に満ちていく絶望感に、ヴァイスは思わず小さく舌打ちを零した。強く唇を噛み締めながら、何か打開策はないかと思考を必死に捏ね繰り回す。

 しかしいくら考えても良い案は出てこず、ヴァイスは“降伏”の二文字を頭に思い浮かべた。

 その時……――

 

「……っ……!?」

 

 突然視界が眩い赤と朱金に染まり、ヴァイスは反射的に光の方へと視線を走らせた。

 瞬間、視界に飛び込んできたのは口を大きく開けたドラゴンの姿。

 大きな牙が並ぶ口内で激しい炎が渦を巻き、今もなおその大きさと輝きを強めていた。

 

「…っ…!! ……クソがッ!! 全員今すぐここから出ろっ!!」

 

 ドラゴンが何をしようとしているのか瞬時に理解し、すぐさま後ろを振り返って声を張り上げる。

 しかし、そうしたところで既に全ては遅すぎた。

 放たれた巨大な焔球と、迫りくる光と熱。

 一瞬にして切り株型の館は炎に包まれ、中にこもっていたヴァイスたちは炎に焼かれるよりも早く熱によって焦がされ命を散らした。

 轟々と燃え盛る炎が大量の煙を立ち上らせ、まるで法国の未来を暗示するかのように黒々と空を焦がしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……これが現段階での状況でございます。エルフたちは今も各地区の各都市に進軍中。苦戦しているという報告は今のところ来ておりません」

 

 美しい純白と鮮やかな若葉色に彩られた室内。

 エルフ王国王都トワ=サイレーンにある王樹“サンリネス”の王の執務室にて、複数のエルフと異形たちが大きなテーブルを囲んで顔を突き合わせていた。

 明るい声音で長々と報告しているのは闇森妖精(ダークエルフ)の子供。

 テーブルの上に乗せられている大きな地図の各所を指さしながら、子供は満面の笑みを浮かべていた。

 

「うん、順調そうだね。戦いは守るよりも攻める方が難しいとはよく聞くけど、やっぱり故郷を取り戻すってなると、また違ってくるのかな」

「正ニ仰ル通リカト。マタ、ペロロンチーノ様ガ攻略スル都市ノ出身者ヲ攻略軍ニ入レルヨウオ命ジニナッタコトモ功ヲ奏シタノカト思ワレマス」

「……う、うん……。……そうだねー……」

 

 コキュートスから力強い言葉をかけられ、ペロロンチーノはそれに一つ頷いて返す。しかし誰にも見えない黄金色の仮面の奥ではダラダラと冷や汗を流していた。

 エルフ軍による反撃侵攻を開始した当初、ペロロンチーノは奪還する都市の出身者を軍の中に入れてはどうかと提案し、エルフたちはそれを採用していた。しかし、通常一人一人の出身場所や育った場所はまちまちであり、何千人何万人もいるエルフ軍全員にそれを適用させるのは不可能なはずである。ではどうやってそのようなことを可能にしたのかというと、全てはパンドラズ・アクターの巧みな頭脳とシャルティアが使用する“転移門(ゲート)”の魔法を駆使したことによってなせた業だった。

 ペロロンチーノとしては『自分の生まれ育った場所は自分の手で取り戻したいだろう』という軽い考えとノリで発しただけの言葉だったのだが、それが予想以上にエルフたちの意識を向上させ、力を発揮させることに繋がったのだった。

 

「……えーと、……あぁ、そうそう…、でもエルフの都市の規模が思ったよりも小さかったのも早期の奪還に繋がったんじゃないかな。規模が小さい方が守る側の規模も小さくなるし」

 

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスやアウラも一つ大きく頷く。しかしエルフたちは不思議そうな表情を浮かべており、誰もが大なり小なり首を傾げていた。

 エルフの王国は複数の都市が集まり、一つの地区を構成し、その全ての地区を統合して国という形をとっている。しかし都市の一つ一つの規模は実はそれほど大きくなく、むしろひどく小さなものばかりだった。ペロロンチーノやアウラたちの感覚で言えば都市というよりもむしろ村に近い。中には“都市”という言葉に相応しいほどの規模を持っているものも幾つかはあるのだが、それも一つの地区に一つあるかないか程度。そもそも国の全てが森林内にあるため都市の規模が小さくなるのは仕方がないともいえるのだが、しかしそれらを何故エルフたちは“都市”と呼称しているのかペロロンチーノたちからすれば大きな謎だった。

 

「……まぁ、苦戦していないのであれば良かった。でも法国の領地侵攻に移れば、これまでのようには上手くいかなくなると思う。自分たちの国にまで危険が及ぶようなら相手も必死になるだろうからね。これからはより一層気を引き締めていこう」

「畏まりました!」

「ハッ、畏マリマシタ」

 

 アウラとコキュートスは打てば響くような返事と共に片膝をついて深々と頭を下げてくる。

 エルフたちも傅くことはしなかったものの、無言のまま深々と頭を垂れた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、ここはナザリック地下大墳墓第九階層にある守護者統括の私室。

 今や隠密部隊“ヘイムダル”の本拠にもなっているその部屋では、本日も部屋の主であるアルベドが補佐役の恐怖公と共に報告される情報の精査や選別、シモベたちへの新たな指示などを行っていた。

 

「……守護者統括殿、人間の組織……確か“八本指”でしたかな。彼らから新たな報告が上がってきているようです。どうやらターゲットの抱き込みは順調であるとか。また、他の駒たちも順調に集まっているようです」

「それは上々ね。……でも、彼らに命じていた、幾つかの噂の流布状況はどうなっているのかしら?」

「そちらも概ね問題なく着手できているようですな。引き続きターゲットの抱き込みや駒の収集と並行してそちらも細心の注意を払いながら進めていくとのことです」

「そう。今のところ問題はなさそうね」

 

 “八本指”からの報告の内容に納得し、アルベドは眉を顰めることもなく一つ頷いて終わる。

 金色の双眸は次の報告書に向けられ、しかしそこで彼女の整った眉が不機嫌そうに潜められた。

 

「恐怖公、あなたの眷属たちが多くの人間たちの目に触れてちょっとした騒ぎになっているらしいわ。もう少し隠密行動をとるようにできないのかしら?」

「おや、そうでしたかな? 眷属たちには十分注意しながら行動するように命じていたのですが……」

「……あなたもあなたの眷族たちも、紛れて行動することには長けているけれど……その、……存在感はあるのだから……。もう少し慎重に行動するように伝えておいて頂戴」

「畏まりました。眷属たちには厳しく命じておきましょう」

 

 恐怖公は前脚の一本を胸だと思われる位置に添え、神妙な声音と共に一つ頷いてくる。その際長い触角がグリグリと円を描くように動き、アルベドは思わずゾワッと悪寒を走らせた。

 彼の性格については大いに好感を持ってはいるのだが、どうしてもその容姿に強い嫌悪感を抱いてしまう。

 思わず出て来そうになったため息を咄嗟に呑み込むと、アルベドは気を紛らわせるように新たな書類に手を伸ばした。素早く中身に目を通し、幾つかの箇所にペンを走らせた後に“追加指示”と書かれた箱の中に書類を入れる。

 次々と書類を捌いていく中、ふとある書類が目に留まってアルベドの動きが止まった。書類を睨みながら考え込む彼女に、向かい合うように座って同じように書類作業を行っていた恐怖公が目を向けてくる。疑問を表すように長い触角を小刻みに動かすと、次には首を傾げるように全身を右側に傾けた。

 

「守護者統括殿、どうされましたかな? 何か問題でも?」

 

 端的に質問を投げかけ、しかしアルベドは無言のまま反応もしない。

 とはいえ無視をしたわけでは勿論なく、彼女は暫く考え込むような素振りを見せた後、書類に向けている視線はそのままにゆっくりと口を開いた。

 

「……あなたの眷族からの報告なのだけれど、どうやら怪しい動きをしている人間が複数いるようだわ」

「ほう、それは興味深い。その怪しい動きとはどういったものなのですかな?」

「どれも情報収集の類ね。通常であれば放っておいても問題はないのでしょうけれど……、その者たちが探っている情報の中に御方々が関わっているものがある以上、看過することはできないわ」

 

 恐怖公に報告内容を手短に説明しながら、アルベドは徐々にその美しい顔を不快の色に歪めていった。

 アルベドの手にある書類に書かれていたのは、怪しい動きをしている複数の人間たちの存在について。どれも情報収集をしているようだという報告内容ではあったが、その探っている情報の中に至高の御方々が関係しているものが含まれていた。

 怪しい動きをしている人間たちのグループは二つ。

 とはいえ、その一つのグループの正体は既に予想がついていた。

 そのグループは主にゲヘナ計画で王都に残された悪魔の至宝について探っていたらしい。他にも大分前にカルネ村や多くの辺境の村を襲っていた謎の騎士たちについても情報を集めており、それらのことから恐らく彼らの正体は帝国の密偵であると思われた。

 帝国という国のレベルや探っている情報に対する脅威度はナザリックにとっては酷く小さく、彼らの存在はそれほど気にする必要はない。逆に利用することはできても、彼らの行動からこちらが不利になるような事態に陥ることはないだろう。

 問題はもう一つの謎のグループについてだった。

 グループと言っても、動いている人物はたったの二人。一方は白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った騎士であり、もう一方はローブを身に纏った魔術師だと思われる老婆。一見互いに接点がなさそうな見た目をしており、行動しているのはそれぞれ距離が離れた別の場所である。

 では何故彼らが仲間であると判断したのかというと、二人が探っている情報が完全に同じであるためだった。

 二人が探っているのは、強大な力を持ったアイテムに関する情報とアダマンタイト級冒険者“漆黒”とワーカーチーム“サバト・レガロ”についての情報。

 強力なアイテムというのが何を意味しているのかは未だ分からないが、他の二つは決して無視はできない。

 まだ“漆黒”か“サバト・レガロ”のどちらかだけであれば理解はできる。しかし両方を……それも冒険者ともワーカーとも思えない人物が探っているという事実は非常に怪しく思えた。

 

「……ふむ、確かに怪しいですな。ただ単に強者の情報を集めているだけとは思えませんし、至高の御方々が扮しておられる人物のみの情報を集めているというのは、やはり無視できない事態であると言えるでしょう」

「ええ、そうね。だけれど、これが囮で罠という可能性もあるわ。……この者たちの対処は慎重に行っていく必要がありそうね」

 

 ワザと怪しい動きを見せることでこちらが食いついてくるのを待っている可能性もある。何の策もなく無闇に手を出すべきはないだろう。

 しかし何もしないという訳には勿論いかないわけで、アルベドは暫く悩んだ後、取り敢えずは今まで通りの状態を維持することにした。

 

「彼らが何者でありどんな目的があるのか分からない以上、慎重に行動する必要があるわ。取り敢えず、今まで通りあなたの眷属たちに監視をさせなさい。今後の対処については至高の御方々にご相談してからにしましょう」

「そうですな。眷属たちにはくれぐれも慎重に監視するように伝えておきましょう」

「ええ、そうして頂戴……」

 

 力強く頷く恐怖公とは打って変わり、アルベドは苦々しい表情を浮かべている。至高の御方々に手数をかけてしまう自分の不甲斐なさが身に染みて、悔しさや口惜しさにも似た感情が込み上げていた。謎の人物二人に対して深い憎しみすら湧き上がってくる。

 無事に対処した暁には彼らをズタズタにしてやろうと心に決めると、アルベドは気を取り直すように書類を“重要”と書かれた箱に入れ、次の書類に手を伸ばした。

 他の書類の内容はどれも『順調』という文字で彩られており、アルベドのささくれ立った感情を徐々に宥めてくれる。

 アゼルリシア山脈の現状や王国王女ラナーに関する対処状況について。世界級(ワールド)アイテムと思われるアイテムの情報。カルネ村の状況やバレアレの二人が開発した新たな薬液(ポーション)の拡販状況。法国とエルフ王国との戦争に関する情報の外部流出の防止状況など。

 中には“現状維持”という形で進んでいないものも幾つかあったが、それはどれも時間がかかって当たり前の案件ばかりであったため、アルベドもそこまで不快に思うことはなかった。

 無言のまま次々と書類を捌いていき、書類の山が瞬く間に消えていく。

 しかしその手の動きが再び不意に止まった。

 アルベドの手の中にある書類は、ある人物の影に潜んでいる影の悪魔(シャドウデーモン)からもたらされた報告書。

 内容を数度読み返し、アルベドは無表情を浮かべながら絶対零度の空気を全身に纏わせた。

 

「……こ、今度はどうされたのですかな、守護者統括殿?」

 

 目の前から漂ってくる底冷えする冷気に、問いかける恐怖公の声も小刻みに震える。

 しかしアルベドの態度も雰囲気も一切変わらない。

 アルベドは暫くじっと書類を凝視すると、次には恐怖公を振り返ってズイッと持っている書類を突き出した。

 怖いほどの無表情のまま書類を突き出している様は非常に迫力があり、一種の恐怖すら覚える。

 恐怖公は小さくビクビクしながら、恐る恐る前脚を伸ばして突き出されている書類をそっと受け取った。長い触角を小刻みに震わせながら、受け取った書類の中身に目を向ける。

 暫くじっくりと目を通した後、恐怖公は納得したとばかりに小さな声を零した。

 

「……ああ、この者たちのことでしたか。なるほど……。これはなかなか面白いことになっているようですな」

「あら、何が面白いのかしら?」

 

 瞬間、アルベドの顔ににっこりとした可愛らしい笑みが浮かぶ。

 しかしその表情に反して襲ってくるのは激しいブリザードで、恐怖公は思わずビクッと全身を震わせた。

 思わず黙り込む中、アルベドは笑顔を引っ込めると恐怖公の手にある書類に鋭い視線を向けた。

 

「………確かに、これまでもそういった兆しはあったわ。あったわよ。でもやっぱりこれは由々しき事態だと思うの何より身を弁えぬ愚かな願望で願うことすら罪深いことなのよあなたもそう思うでしょうっ!!?」

「……そ、そうですな……」

 

 畳みかけるようなアルベドの言葉に、恐怖公は思わず小刻みに頷いて同意を示す。

 アルベドの豹変を招いたその報告書は、“蒼の薔薇”のラキュースと王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの影に潜んでいるシャドウデーモンたちが報告してきたもの。“蒼の薔薇”のメンバーと“朱の雫”のリーダーであるアズス・アインドラとガゼフ・ストロノーフによる秘密の会談についてだった。

 ラキュースとガゼフの影に潜んでいるシャドウデーモンたちからはこれまでも定期的に報告が上がってきており、アルベドたちは既に随分前から彼らの動きや目的など全てを把握していた。カルネ村では彼らの動きを利用してイビルアイについて逆に探ろうとまでしたのだ、彼女たちの動きも目的も今更アルベドたちの怒りに触れるものではない。

 しかし実を言えば、この二人の……特にラキュースの影に潜んでいるシャドウデーモンからの報告を受ける度に、アルベドはひどく機嫌を悪くしていた。

 その原因は何のことはない、“蒼の薔薇”のラキュースとイビルアイがそれぞれウルベルトとモモンガが扮する“ワーカーのレオナール”と“冒険者モモン”を好いているような素振りを見せているためだった。

 恐怖公としては『流石は至高の御方々。人心掌握に優れ、他種族をも魅了してしまうとは……』と感嘆するところなのだが、至高の御方々に対して燃え滾るほどの恋心を抱く女淫魔(サキュバス)にとっては由々しき事態なのだろう。

 実際、アルベドは報告を受ける度に恐怖公やエントマに苛立ちを思う存分吐き出し、その後に漸く平静な仮面をかぶって至高の御方々に情報内容を報告していた。もし苛立ちを吐き出すことが出来ていなかったなら、彼女は仮面をかぶる余裕もなく至高の御方々の目の前で苛立ちのあまり醜態をさらしていたかもしれない。

 とはいえ、これまではアルベドもここまで殺気を醸し出すことはなかった。

 恐らくこうなった原因は、ラキュースとイビルアイが“ワーカーのレオナール”と“冒険者モモン”に対して好意を持っていることが完全に明らかになったからだと思われた。

 恐怖の中で努めて冷静に分析する恐怖公の目の前で、アルベドの金色の瞳が怒りと憎しみと殺意に満ちて爛々と光り輝いている。このままにしておくと今にも“蒼の薔薇”を殲滅しに行ってしまいそうだ。

 恐怖公は本能的な恐怖に震えながら、しかしこのままではいけないと勇気を振り絞って口を開いた。

 

「……ま、まことに守護者統括殿の仰る通りかと思います。し、しかしですな……、彼らも彼女らも未だ利用価値はありましょう……。ここは穏便に……様子を見守ってはいかがですかな? それに……その……、いくら彼女たちが至高の御方々に心を寄せたところで、御方々が彼女らの思いに応えるかは分かりませんs……」

「そんなの当然でしょう」

「……あ、……はい……、そ、そうですな……」

 

 食い気味に反論され、あえなく言葉が萎んでいく。恐怖公の心情を表すかのように長い触角もシュンッと力なく垂れさがり、しかしアルベドは一切気にすることはなかった。

 

「至高の御方々があんな小娘どもの想いに応えるなどあり得ないこと。冗談も時と場合と内容を考えてから言いなさい」

「……はっ、申し訳ありません」

「確かにこの者たちにはまだ利用価値があるけれど……、……嗚呼、本当に目障りだわ。許されるなら今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい……っ!!」

 

 湧き上がってくる激しい憤りに反応してか、背に流れる漆黒の髪や腰の両翼の羽根がザワザワと小さく騒めき始める。アルベドは強く両手を握りしめると、ギリィ……と軋んだ音が鳴るほどに強く奥歯を噛み締めた。

 アルベドの中ではラキュースとイビルアイの存在は正に“至高の御方”という名の神々しい花々に群がろうとするコバエも同じだった。

 卑小の存在ではあるが、いれば鬱陶しく煩わしい……。

 加えてペロロンチーノがイビルアイに興味を抱いていることも気に入らなかった。

 しかし至高の主の一柱であるペロロンチーノ自身に不満を抱くなど不敬極まりない。

 それもあってイビルアイに対する感情は特に最悪で、アルベドは二人の名が報告書や話題に出る度に燃え滾る感情を抑え込まなければならなかった。

 

「………ああ、でも……」

 

 そこでふとある思考が沸き起こり、初めてアルベドの顔に笑みが浮かぶ。

 しかしそれは“笑み”と言うにはあまりにも禍々しく、ドロドロとした悪意に満ちた美しくも恐ろしいものだった。

 

「……小うるさいコバエどもをどう料理していくか、それを考えるのはとても心が躍るわね。……本当に……、とても楽しみだわ……」

 

 じっくりねっとりと、まるで何かをゆっくり味わうかのように呟き嗤う女淫魔の姿に、恐怖公は小さく身を震わせる。いつもであればナザリック以外の存在に対して何の感情も抱くことのない身ではあるが、流石に彼女たちに対しては少々同情してしまった。

 『至高の御方々に魅せられなければ、このようなことにはならなかったかもしれないのに』、と……。

 しかしそうは思いながらも、同時に『無理だろうな』とも恐怖公は心の中で呟いた。

 至高の御方々は存在自体が神々しく、偉大であり、どんな者でも魅せられ惹かれずにはいられない。彼女たちが至高の御方々に魅せられたのも当然のことであり、彼女たちの辿る運命もまた、恐らくは必然であるのだろう。

 恐怖公は内心で一人納得すると、これ以上この件については考えるのをやめることにした。

 どちらにせよナザリックや至高の御方々の不利益にならないのであれば何がどうなろうと問題にはならない。守護者統括である彼女もそれは十分理解して弁えているだろうし、これ以上自分が何かを言ったりする必要はないだろう。

 恐怖公は未だ不気味な笑みを浮かべているアルベドはそのままに、持っていた書類を“確認済み”と書かれた箱に入れて次の書類に手を伸ばした。

 紙が擦れる微かな音と、時折ペンが奏でる小さな音のみが部屋に響く。

 ありとあらゆる情報とそれに対する指示が無機質に機械的に進められ、誰も知らぬ中で世界のありとあらゆる運命が淡々と定められていった。

 

 




皆さん、アンケートにご協力くださって、ありがとうございました!
多くの方がご協力くださって、とっても嬉しかったです!
皆さんからいただいたアンケート結果を今後の執筆活動の参考にさせて頂こうと思います(深々)
……とはいえ、これはアンケート結果はどこかで発表した方が良いんだろうか……。
う~ん……、そもそも結果を知りたい人ってどのくらいいるんだ?

*今回の捏造ポイント
・火炎の竜《フレイム・ドラゴン》;
レベル40台のドラゴン。血よりも濃い紅蓮の鱗を持ち、頭にある大きな角には朱金の炎が纏わりついている。


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第70話 真実

「――……よくおいで下さいました、我が神よ!!」

 

 広く大きな空間に老人の高らかな声が響き渡る。

 歓迎するように両腕を大きく広げて満面の笑みを浮かべるフールーダに、レオナール・グラン・ネーグルに扮するウルベルトは呆れたように大きなため息をついた。眉間に手をやり、やれやれとばかりに力なく頭を振る。

 ウルベルトは閉じていた瞼をゆっくり開くと、眉間に当てていた手も降ろして改めて目の前の老人を見やった。

 

「………フールーダ・パラダイン……、お前のそのハイテンションはどうにかならないのかね?」

「我が神を前にして落ち着いてなどいられましょうか! ささっ、どうぞこちらにお座りください!!」

 

 全く落ち着く様子を見せないフールーダに、思わずウルベルトの口から再び大きなため息が零れ出る。嬉々とした表情を浮かべてこの部屋で一番豪奢な椅子を勧めてくるのに、ウルベルトは半ば諦めながら大人しく示された椅子へと腰を下ろした。高い背もたれに深く身体を預け、右の肘掛に肘をついて長い足を組む。目の前に来た右手の甲に軽く顎を乗せると、ウルベルトは椅子の傍らで片膝をついて頭を下げている女に目を向けた。

 

「やぁ、ロックブルズ。元気そうで何より。あれから顔などに不都合や変化はなかったかね?」

「……はい、レオナール・グラン・ネーグル様。何も変化はございません」

「それは何より。まぁ、そう畏まる必要はない。まずは顔を上げたまえよ」

「はっ」

 

 ウルベルトが促して漸く女は深く下げていた頭を上げる。

 現れたのは非常に整った白皙の美貌で、金色の長い髪がいつも通りに顔の両側と顔の右半分を覆っていた。

 しかし彼女の表情には一切苦痛の色も翳りも見られない。

 ウルベルトが手を伸ばして軽く右側の前髪を払ってやれば、左側と同じく整った美しい目と肌が髪の隙間から姿を現した。

 反射的なものか、レイナースの両目がパチパチと何度か瞬く。

 無言のままこちらを見つめ続ける女に、ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「ふむ、どうやら完全に傷は癒えているようだね。蟲が体内に残っている様子もない……。……ふふっ、仕方がないとはいえ、隠すのは些か惜しまれるな」

 

 レイナースの顔の呪いが解かれたことは、この場にいる者以外は誰一人とした未だ知らされていない。知れば何故呪いが解けたのか理由を尋ねてくる者も出てくるであろうし、その相手によっては誤魔化すことができず説明しなければならない事態にも陥りかねない。未だ帝国で大々的な動きをするつもりのないウルベルトにとって、それはあまり歓迎したくない事態だった。それを汲み取ってレイナースは未だ顔の呪いが解けていない風を装ってくれているのだが、彼女からしてみれば折角呪いが解けたのだから堂々と顔を出したい気持ちもあるだろう。

 彼女の心情を鑑みながら小さな笑みを浮かべれば、レイナースの頬がサッと赤みを帯びる。緑色の瞳がウロウロと戸惑うように彷徨い、次には再び吸い寄せられるようにウルベルトに向けられた。

 

「……ネーグル様は…、やはり、美しいものの方が好まれますか……? 私の容姿は……、その……」

 

 レイナースは何事かを問おうとし、しかし途中で言葉を濁らせて口を閉ざす。複雑そうな表情を浮かべて顔を俯かせる女に、ウルベルトは思わず小さく首を傾げた。

 彼女が何を問おうとしたのか分からず、頭上に疑問符を浮かべる。

 しかし取り敢えず分かることに関しては答えようと口を開いた。

 

「そうだねぇ……、やはり醜いものよりかは美しいものの方が好ましいと思うのは誰もがそうなのではないかな? とはいえ、私の感覚は普通の人間たちとは大きく乖離しているからねぇ……。一概に同じとは言えないかもしれないがね」

 

 ウルベルトの言葉に、レイナースがゆっくりと俯けていた顔を上げる。

 不安定に揺れている瞳を向けられ、ウルベルトは再び小さく首を傾けた。

 

「それに私が重要視する美醜は容姿に関してではなくむしろ心の有り様だ」

「……心の、美醜……ですか……?」

「そう。いくら美しい容姿を持ったところで心が醜ければ侮蔑の対象であるし、醜い容姿であっても心が美しければ敬意を払う価値がその者には十分ある。器よりも中身の方が余程重要だ。私が先ほどあのように言ったのは、単に君がそう思うのではないかと思っただけに過ぎない」

 

 つまり特別な意味は何もないのだと言う男に、レイナースは目を閉じて深く大きな息を吐き出した。心底ほっとしたようなその様子に、ウルベルトは少しおかしく感じてしまう。

 思わずフフッと小さく笑うと、ウルベルトは気を取り直してレイナースからフールーダへと目を移した。

 老人は大人しく数歩下がってこちらの会話を見守っていたようだが、ウルベルトの視線に気が付いて徐にこちらに歩み寄ってくる。無言のまま目だけで他の椅子を示せば、フールーダとレイナースは大人しくウルベルトと対面するような形で椅子にそれぞれ腰掛けた。

 

「……それではそろそろ本題に入ろうか。まず先日パラダインから提案された計画についてだが、申し訳ないが却下だ。こちらも複雑な事情を抱えていてね、全てには適切な順序とタイミングというものがある。今は私の命に従ってくれたまえ」

「……そう、でございますか……。少々残念ではありますが、全ては神のご意思あってのもの。畏まりましてございます」

「それで、私が同行することになった王国との戦争についてだが、当日に私と行動を共にする四騎士は決まったのかね?」

「はい。神のご希望であった者の一人である、ニンブル・アーク・デイル・アノック殿が同行する形で話が進んでおります」

「ほう、それは上々。因みに、その者について何か情報はあるかね?」

 

 楽しげな笑みを湛えたまま、目の前のフールーダとレイナースからあらゆる情報を聞き出す。

 帝国や王国の戦力や優秀な人材、今回争う舞台となる地の情報などなど。

 ウルベルトは穏やかな笑みを浮かべながら彼らからの情報に耳を傾け、しかしその裏では王国に対する冷ややかな感情を湧き上がらせていた。

 今回王国と帝国が争う舞台となる戦場は例年通りのカッツェ平野。

 カッツェ平野は王国と帝国の間に広がる緑少ない赤茶けた大きな平野で、毎年行われる両国の争いによってアンデッドたちが蔓延る呪われた地となっていた。出現するアンデッドとしてはスケルトンやゾンビといった“キリ”から、デス・ナイトやスケリトル・ドラゴンのような“ピン”まで様々。ウルベルトたちナザリック勢であればどれも雑魚でしかないが、しかしこの世界の住人たちからすれば“キリ”はまだしも“ピン”の存在は脅威そのものだろう。

 帝国などは丘陵地域に駐屯基地である巨大要塞を築いて不測の事態にも備えているらしいが、一方王国はと言えば何の対策もしておらず、冒険者にアンデッドの掃討を依頼している程度に留めているようだった。

 

「――……まぁ、とは言え、この駐屯基地も元々はエ・ランテルへ攻め込むための拠点という意味合いや、王国からの侵攻に対する籠城戦を考慮して造られたものなのですが。今や王国よりもむしろアンデッド用の基地に成り下がっている状況でして……」

 

 説明しながら苦笑を浮かべるフールーダに、ウルベルトは緩く頭を振ってみせた。

 

「いや、何であれ使えるものを用意するのとしないのとでは天と地ほどの差がある。本来の目的は違ったとしても、それが別のことに役立ち、且つ国や国民を守ることに繋がっているのであれば、それは最上のことであろうよ」

 

 帝国とてアンデッド掃討の一部はワーカーたちに任せている部分はある。しかし自分たちだけでなくアンデッド掃討に赴くワーカーたちに対しても駐屯基地の一画を開放しているという話であるため、それだけでもウルベルトの中での帝国に対する評価はグンッと大きく上がっていた。

 

「……戦場については分かった。それで……、今回の戦いでは互いの兵力はいかほどになりそうなんだ?」

「少なくともこちらは5万から7万ほどで調整を行っておりますわ。王国がどの程度出してくるかは未だ分かりかねますが……、例年通りであれば恐らく20万から25万程かと」

「……20万から25万……。……恐らくその多くが民兵なのだろうな……」

「はい。こちらとしても、それを考慮した上での戦略ですので」

 

 表情一つ動かさず頷いてくるレイナースに、ウルベルトはそこで漸く浮かべていた笑みを引っ込めた。

 別にレイナースの言動が不快だったわけではない。ただ単に王国の考えなさや体たらくが鼻に付いて仕方がなかった。

 国を表す一つの概念として“国力”というものがある。そしてその国力を支える大きな柱の一つに“働き手の国民人口数”が挙げられるとウルベルトは考えていた。

 農民でも商人でも冒険者でも神官でも、その国で働く国民の数が多ければ多いほど、経済は高まり国は豊かになっていく。

 その考えでいけば、“働き手の国民人口数”の数を減らすことにしか繋がらない民兵の大投入は愚の骨頂。

 予てより愚劣な貴族共を野放しにして蔓延らせている王国に対して良い感情を持ってはいなかったが、ここに来てウルベルトの中での王国に対する評価は更に最低ラインまで急降下していた。

 

「………申し訳ありません、ネーグル様。何かご不快になることを言いましたでしょうか……?」

 

 ウルベルトの表情の変化に何か勘違いをしたのか、レイナースが謝罪の言葉と共に頭を下げてくる。心なしか蒼褪めて見える顔に、ウルベルトは苦笑を浮かべて再び頭を振った。

 

「いいや、君が謝罪する必要はないよ。私が不快に思っているのは君ではなく王国に対してだ。……本当に、あそこはどうしようもない者たちの巣窟だな」

 

 王国だけでなく現実世界(リアル)のことまで思い出してしまい思わず遠い目になってしまったウルベルトに、不意に友の小さな笑い声が耳元で響いてくる。

 今回も姿を消して同行してくれている友の存在を思い出し、ウルベルトは気を取り直して次の話題に移ることにした。

 

「……この話はこのくらいで良いだろう。だが、次の話に移る前に君たちに教えておきたいことがある」

 

 ウルベルトは組んでいた足を下ろすと、少し姿勢を正して改めて真正面からフールーダとレイナースを見つめた。

 

「以前、私の正体について少しだけ話したことがあっただろう? あの時は“人間ではない”ことだけを教えたが、今日は私の本当の姿をきちんと君たちに見せておこうかと思ってね」

 

 ウルベルトの言葉にフールーダとレイナースが見るからに驚愕の表情を浮かべて目を見開かせる。二人の顔にはどちらにも『意外だ』という文字がデカデカと書かれており、ウルベルトは内心で小さな苦笑を浮かべた。

 友人やナザリックのモノたち以外に対してはいつも煙に巻くような言動をとっていることが多いため、彼らにこのような反応をされても仕方がないとは思う。しかしこうも分かりやすく反応されては苦笑を禁じ得ず、ウルベルトは一度小さな咳払いを零して気を引き締めた。

 

「……ああ、だが見せる前に一つだけ。私は言うなれば異形のモノだ。恐らく君たちは私の正体を見れば少なからず驚くだろう。しかし驚くのは構わないがくれぐれも騒がないようにはしてくれたまえ。良いな?」

 

 二人に釘を刺し、そこで一つ息をつく。

 二人が神妙な面持ちで頷いてくるのを確認すると、ウルベルトはパチンッと指を鳴らしたと同時に自身にかけていた人化の魔法を解いた。

 

「「……っ……!!?」」

 

 瞬間、大きく見開かれた双眸と、鋭く鳴る息を呑む音。驚愕の色に彩られている二人の顔を見やり、ウルベルトは本来の山羊頭の悪魔の姿で小さく首を傾げた。

 『まぁ、人間の顔がいきなり山羊の顔になったのだから驚くのも無理はない』と内心で頷き、しかし一方でやはり少し面白みを感じてしまう。

 思わずニヤニヤとした笑みを浮かべそうになり、ウルベルトは咄嗟に顔の筋肉に力を込めてそれを阻止した。

 今の姿でニヤニヤ顔を浮かべては、フールーダやレイナースからすれば何かを企んでいる様にしか見えないだろう。間違いなく悪い印象を持たれる。

 ウルベルトは意識して穏やかな笑みを山羊の顔に張り付けると、再び山羊の長い足を組んで腹の前で軽く両手を組んだ。

 

「改めまして、私はウルベルト・アレイン・オードルという。多くの悪魔たちを従える悪魔の支配者(オルクス)だ」

 

 穏やかな声音を意識して短く自己紹介をする。

 しかし二人は未だ放心状態で、何の反応も起こすことはなかった。ただ呆然とした様子でこちらを見つめている。

 完全に石像のようになっている二人に『う~ん、これはどうしたものか……』とウルベルトは思わず頭を悩ませた。

 二人の心境は大いに理解できるものの、しかしいつまでもこのままでは一向に話が進まない。かといって何か行動を起こしたとして、選択を間違えれば二人を恐慌状態に陥らせてしまう恐れもある。

 思わず低い唸り声のような声を小さく零す中、漸く我に返ったのか不意にフールーダが嬉々とした声を上げてきた。

 

「………こ、これは…素晴らしいぃっ!! おおっ、正に神のような圧倒的な御姿!! 嗚呼っ、なんと……なんと……!!」

 

 気持ちが昂り過ぎてもはや言葉も思い浮かばないのか、フールーダは両目から涙を流しながら言葉を詰まらせる。探知能力阻害の指輪を外してみせた時と同じように、彼は頽れるように椅子から降りると、地面に両膝と両手をついて深々と頭を下げてきた。

 老人が必死に地面に額を擦りつけている様は非常に滑稽で哀れみを誘う。

 ウルベルトは再び小さな苦笑を浮かべると、頭を上げさせようと口を開いた。

 

「……まったく、お前は全てがいちいち大袈裟だな。そんなことはしなくて良いから頭を上げて椅子に座りたまえ」

 

 ゆっくりと顔を上げるフールーダに、言葉で半ば強制的に椅子に座らせる。

 その頃にはレイナースも大分落ち着いたのか、見開いていた目を普通の状態に戻して、しかし未だ少し圧倒されている様子でこちらを見つめていた。

 

「これが私の本来の姿だ。どうだね? このような異形である私に尚も君たちは変わらぬ忠誠を誓えるか?」

 

 どこか試すような声音と言葉に、再びフールーダとレイナースの目が見開かれる。

 しかし今度はすぐに真剣な表情を浮かべると、次には椅子から立ち上がって地面に片膝をつき、深々と頭を下げてきた。

 

「勿論でございます、深淵なる御方。あなた様が何者であろうと、私は一向に構わないのです。どこへなりとも……、たとえ地獄であろうとも、あなた様に尽くし、従う所存でございます」

「わたくしも同様ですわ。あなた様はわたくしの願いを叶えて下さり、忠誠を誓う心も受け入れて下さった。たとえあなた様が何者であろうと、この身を捧げる所存でございます」

 

 二人からのあまりに熱烈な言葉に、次に目を見開いたのはウルベルトの方だった。

 以前の彼らの反応から忠誠を撤回するようなことは言ってこないだろうとは思っていたが、しかしまさかここまで真摯に誓いを立てられるとは思ってもみなかった。こんな短時間で自身の異形の姿を受け入れられたことも驚きである。

 

(これは……、二人を見くびっていたのかもしれないな……。)

 

 二人に対する自身の意識や考え方に、ウルベルトは心の中で少し反省した。

 何事に対しても警戒することは大切だ。しかしそれによって自身にひたむきに心を寄せてくれる相手に対してまで侮りを向けるのは流石にやり過ぎである。それはあまりにも相手に対して失礼だろう。何より、良い意味でも悪い意味でも礼を失すればそれは自身の中にある“悪の美学”にも反してくる。

 素直に彼らの感情を受け取ることに対して未だ少しの戸惑いや抵抗はあるものの、ウルベルトは今回の場合はそれを敢えて無視することにした。

 

「……そうか。どうやらお前たちに対して失礼なことを問うたようだ。すまなかった」

「「……っ……!!?」」

 

 躊躇いなく頭を下げるウルベルトに、フールーダとレイナースの方から再び息を呑む音が大きく聞こえてくる。暫くワタワタしたような騒々しい気配が伝わった後、次には彼らの切羽詰まったような声が聞こえてきた。

 

「おおっ、我が神よ! そのようなっ、そのようなことを我らなどにする必要はございませんっ!!」

「その通りですわっ!! どうかっ! どうか頭をお上げになって下さい!!」

 

 最後には悲鳴のようになっている彼らの声に、ウルベルトはそこで漸く下げていた頭を上げた。改めて目を向ければ二人の顔は蒼白になっており、悪魔である自分が思わず心配になるほどに顔色が悪くなっていた。

 

「……おやおや、そこまで深刻に思わないでほしいのだが」

「そんな! 神に頭を下げさせるなど言語道断!! 深刻に思わないはずがございません!!」

「だが、非があるならば謝罪をするのは当然のことだろう? それはどのような立場や身分であっても変わらない。私は己の非を認められないような愚か者になるつもりはないのでね。諦めて受け入れてくれたまえ」

「嗚呼……、なんと……そのような……!!」

 

 悪びれることなくそんなことを宣うウルベルトに、フールーダが思わずといった様子で嘆きの声を上げる。

 レイナースも心底困ったように眉尻を下げており、ウルベルトは思わずフフッと小さな笑い声を零してしまった。

 

「……まぁ、そうは言ってもお前たちの心情や考えも理解できる。謝罪するのはこのくらいにしておこう」

 

 柔らかな声音でそう言ってやれば、二人は見るからにホッと安堵の息をつく。

 そのあまりに大きな反応に悪戯心が湧き上がり胸の内で疼くのを感じながら、しかしウルベルトはそれをグッと堪えた。

 先ほど反省した手前、ここですぐに悪戯心に身を任せてはそれこそ目も当てられない事態に陥りそうだ。

 ウルベルトは二人に気付かれないように小さく息をつくと、一度頭を振って思考を切り替えた。

 

「それでは次の話に移るとしよう。……この前話した件だが……――」

 

 時間は有限であり、未だ幾らあっても足りないほどに余裕などありはしない。『遊ぶのはこのくらいにしないとな……』と内心で自身に言い聞かせながら、ウルベルトは次々とフールーダとレイナースに情報の提供を求めていった。

 エリュエンティウと八欲王についての更なる情報。

 以前聞いた“無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”以外に世界級(ワールド)アイテムと思われるアイテムはないか。

 王国に所属している“蒼の薔薇”と“朱の雫”それぞれのリーダーが持つ武器について何か知っていることはないか。

 法国を調べようとしている皇帝は現状どこまで情報を掴んでいるのか。

 その他にも王国や帝国や法国以外の国や地域の情報などなど。

 求める情報は数多く、また多岐にわたる。

 返される情報の書きとめは姿を消している友に任せ、ウルベルトはひたすら情報の引き出しや更なる情報収集の指示を二人に命じていった。

 

「――……ああ、そういえば、もう一つ話しておきたいことがあったのだった……。パラダイン、アルシェ・イーブ・リイル・フルトという少女に覚えはあるかね?」

 

 ウルベルトの突然の問いかけに、フールーダが途端に複雑な表情を浮かべる。老人の顔に浮かんだのは大きな驚愕と、そこに絡まる疑問や困惑といった複数の感情の色。ウルベルトの口から何故その名が出たのか分からないといった様子で、フールーダは困惑の色を強めて太く長い眉を八の字に垂れ下げた。

 

「……確かにその名には覚えがあります。しかし……何故、あなた様がその名をご存知なのでしょうか?」

「それは簡単なことだ、彼女と面識があるからだよ。彼女は今ワーカーとして生きている。……先日、偶然お前の生徒であったと聞いたものでねぇ」

「……なんと……、……ワーカーに……」

 

 恐らく彼女の現在の状況や様子などは一切知らなかったのだろう、フールーダは驚愕の表情を浮かべ、次には思案するような表情を浮かべる。

 暫く長い髭を梳くように触った後、未だ思案顔ながらも漸くこちらに目を向けてきた。

 

「………確かに彼女は元々私の生徒の一人でした。もう何年前になりましょうか……、彼女は帝国魔法学院の生徒で、私は彼女に類稀なる魔法の才能を見出し、いずれは高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)になるのではないかと期待を寄せていたのです」

 

 当時のことを思い出しているのか、老人の顔には幸せな過去を懐かしむような色が少しだけ浮かんでいる。

 しかしフールーダはすぐにその顔を悲しみに翳らすと、次には力なく顔を俯けて左右に振った。

 次に語られたのはアルシェに対する困惑と落胆。

 彼女は突如魔法学院を去り、その理由も何も口にすることなくフールーダの前から姿を消したのだという。彼女に期待していたフールーダにとってはあまりにも衝撃的なことであり、またある種の裏切りにも感じたのだとか。

 『なるほど、それ故のあの複雑すぎる表情だったのか……』と内心で納得の声を零しながら、ウルベルトは無言のままアルシェについて考えを巡らせた。

 アルシェの実年齢は知らないものの、彼女は見た目的には未だ十代半ば。その時点で第三位階魔法まで使うことができるというのだから、この世界の基準であれば十分優秀であると言えるのだろう。フールーダの言う通り、彼女には魔法に対して一種の才能があるのかもしれない。

 

「……彼女が言うには、両親の借金のせいで自分が働かなくてはならない事態に陥り、そのため学院を辞めてワーカーになったらしい」

「……………………」

「しかしワーカーになったからと言って状況が好転したわけではない。両親は借金をすることを止めず、仕舞いには金貸しどもはフルトとチームを組んでいるワーカーの拠点場所にまで押し入ってきた。そのため彼女は今やワーカーすら辞めようとしている」

 

 説明するウルベルトの声音はどこまでも淡々としており、普段の彼の口調に比べると抑揚も小さい。どこまでも静かな声音と口調が、逆にウルベルトの言葉に深刻そうな色を宿らせていた。

 一時とはいえアルシェと親交のあったフールーダからしてみれば何かしら感じずにはいられないのだろう、その顔には深く何かを思案するような表情が浮かんでいる。

 しかし唯一少女と接点も何もないレイナースだけは少しだけ不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げていた。

 

「……レオナール・グラン・ネーグル様……、いえ、失礼しました。ウルベルト・アレイン・オードル様はその少女を助けたいとお思いなのですか?」

「いや、今はまだ検討中といったところだな。彼女たちを助けて我らの利益に繋がるなら助けても良い……といったところか」

「お待ちを。彼女“たち”というのは……?」

「ああ、すまない、ちゃんと説明できていなかったな。実はその親の愚行の被害を受けているのはフルト一人だけではないのだよ」

 

 待ったをかけて問いかけてくるフールーダに、ウルベルトは落ち着かせるように軽く片手を挙げる。一度軽い謝罪の言葉を口にした後、挙げていた片手をゆっくりと降ろしながら、もう少し詳しくアルシェの現状について二人に説明することにした。

 ウルベルトが聞いているアルシェの家族構成と、アルシェが現在所属しているワーカーチーム“フォーサイト”について。彼らや自分たちも拠点としている“歌う林檎亭”に押しかけてきた金貸しについてと、ソフィアから聞いた商人たちの間で広がっているフルト家の噂について。

 今や我慢の限界をむかえて二人の妹を連れて家を飛び出している現状も伝えてやれば、フールーダは驚愕の表情を浮かべ、レイナースは少し呆れたような表情を浮かべた。

 

「………まさか……、……まさかそのようなことになっていたとは……。確かに陛下がなされた改革で多くの貴族たちは地位を剥奪され、中には悲惨な末路を辿った家も幾つかあったと聞き及んでおります。しかしまさか金貸しに頼ってまでそのようなことを続けている者がいようとは思いもよりませんでした。……しかも才ある者を貶めているとは……!!」

 

 話していく内に気が昂ってきたのか、苦々しい声音が徐々に熱を帯びてくる。

 眉間に大きな皺を寄せて顔を顰めるフールーダに、ウルベルトも一つ頷いて応えた。

 

「確かに愚かなことだ。……まぁ、愚かだったからこそあの皇帝に粛清されたのだろうし、こうなることも必然と言えばそうだったのかもしれないが……」

「……まぁ、そうですわね。貴族であった頃から愚かだったのですから、没落すれば尚も酷くなる可能性もありましたわね……」

 

 ウルベルトの淡々とした指摘に、レイナースも同意の言葉と共に頷いてくる。

 愚か者の性根や思考は簡単には変わらない。そうであるからこそある意味愚か者であるのだとも言えるのかもしれない。

 とはいえ、その者のせいで才ある者が貶められているのであれば、このままにしておくわけにはいかない。それがナザリックに利益をもたらす可能性のある存在であるならば尚更だ。

 

「先ほどお前はフルトのことを“類稀な才能の持ち主で、高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)になれる可能性がある”と言っていたな。その考えは今も変わりないか?」

「それは勿論でございます! ……しかし……」

 

 フールーダは一度言葉を濁して顔を俯かせた後、一拍後には再び顔を上げて困ったような表情を浮かべてきた。

 

「正直に申しまして、私は今の彼女を知りません。果たして今の彼女に以前ほどの才能が未だあるのかどうか……、それは分かりかねます」

「ふむ? それは一体どういうことかな? 普通、才能というのは生まれつき備えているもので、どんなに月日が経とうともなくなるようなものではないと思うのだが……」

「神であり悪魔であられる御身であればそうなのかもしれませんが……、人間は老いるものなのです。才とは確かに生まれつき備わっているものではありますが、それを操るのはあくまでも肉体です。その肉体が老いてしまえば、たとえ才能があろうとも十全にそれを発揮することは難しいでしょう」

 

 フールーダの意見は確かに一理あり、説得力がある。しかしやはりウルベルトは完全に納得しきれず、山羊の頭を大きく傾けた。

 

「………フルトは見たところ、未だ十代で若いように思うのだが……」

「確かに。ですが、才能を伸ばす……或いは十全に発揮できるよう心身ともに鍛えていかねば、才は埋もれて取り出せなくなって参ります。あの子はまだ若いので猶予は未だ十分あるとは思いますが……、彼女の精神状態も気になるところです」

「……ふむ……」

 

 神妙な表情を浮かべるフールーダに、ウルベルトもまた口を閉ざして顎に手を寄せる。長い顎髭を弄びながら以前会った時のアルシェの姿を思い浮かべた。

 確かに類稀なる才能を持っていたとしても、それを十全に発揮できる心身ややる気がなければ何の意味もないだろう。才能はどんどん埋もれていき、使いものにならないガラクタと成り果てる。

 アルシェが今どの程度自身の才能を扱える状態にあるのか、正直ウルベルトには全く分からなかった。

 何だか面倒臭くなってきて、一気にやる気が萎んでいく。『もう放っておいても良いかな……』と思いかけ、しかしここで投げ出してはモモンガに嗜められる可能性が頭を過って何とか踏みとどまった。

 ウルベルトは内心で深々とため息を零すと、何とか自身のやる気を奮い立たせて弄んでいた顎髭から手を放した。

 

「それでは再び彼女と会えば、利用できるに値するかどうかも分かるかね?」

「そうですな……。少しの間彼女をお預け頂けるのであれば見極めることも可能かと思われます」

「……なるほど……。……分かった、彼女たちにそのことを伝えてみよう。また、もし可能であれば彼女の二人の妹についても姉同様に才能があるかどうか見てもらいたい。できるか?」

「畏まりました。御身の仰せのままに」

 

 ウルベルトの言葉に、フールーダは畏まった様子で深々と頭を垂れる。

 ウルベルトは一つ頷いて今後の動きについて幾つか指示を出すと、『この話はこれまで』と言うかのようにさっさと次の話題に移っていった。

 ウルベルトが口にする話題は多く、その度にフールーダとレイナースは自身の知識をふり絞りながらそれに何とか応えていく。

 彼らの会談は長く続き、ウルベルトが満足して椅子から立ち上がる頃には外の空はすっかり闇色に染まっていた。

 

「――……すっかり長居をしてしまったようだ。すまなかったな」

「とんでもございません! 少しでも御身のお役に立てたのであれば幸いでございます」

「ふふっ、殊勝なことだな。今後もお前たちの働きに期待するとしよう。指示したことについて、頼んだぞ」

「ははぁっ、畏まりましたぁ!」

「畏まりました」

 

 フールーダとレイナースは椅子から立ち上がり、地面に片膝をついて深々と頭を下げる。

 ウルベルトは山羊の顔に満足そうな笑みを浮かべると、次には〈転移門(ゲート)〉の魔法を紡いで楕円の闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルベルトを呑み込んだ闇が空気に溶けるように消えた後、そこで漸くレイナースは下げていた頭をゆっくりと上げた。知らず入っていた力が抜け、思わず零れ出た深い息と共に全身の強張りが緩んでいく。

 隣にいる老人も自分と同じような様子を見せており、恐らく自分と同じく緊張していたことが窺い知れた。

 

「………はぁ……、まさか我が神が悪魔でいらっしゃったとは……」

 

 無意識に零れ出たようなその声はどこか呆けているようで、しかし恐れや怯えのような音は一切含まれておらず、どちらかというと一種の感嘆のような音を含んでいるように感じられた。

 そしてそれはレイナースも同じ思いだった。

 正直レイナース自身も、レオナールの正体が悪魔だとは思ってもいなかった。それも“レオナール・グラン・ネーグル”という名すら偽りであったという事実。

 何一つ本当のことを教えてもらえていなかったのだと大きな落胆が胸を占め、しかし今回多くの真実を教えてもらえたことに大きな喜びがじわじわと胸を熱くさせていた。

 

(……ウルベルト・アレイン・オードル様……。……なんて力強い響きの名前なのかしら……。それに、あのお姿も……こんな風に感じるのはおかしいことなのかもしれないけれど、でも、とても……美しかった……。)

 

 レイナースは先ほどのウルベルトの悪魔の姿を思い出し、知らず小さな吐息を零していた。

 ウルベルトの姿は“悪魔”という言葉で想像するような醜悪なものとは大きくかけ離れており、とても雄々しくも繊細で美しいものだった。

 少なくともレイナースはそう感じた。

 緩やかな曲線を描き波打つ毛並みは純銀色に光り輝き、天を穿つ大きな角は禍々しく捻じれていながらも黒曜石のような煌めきを放っていた。金色の双眸は人間の姿の時と同じく深い知性が感じられるもので、横に伸びた瞳孔は少し不気味には思えるものの、それがある種の神秘性をも孕んでいるように思えた。細身の身体は人間の時と同様にスラッとしており、その細さはむしろ人間の姿よりもなお際立っていたような気がする。しかし弱々しさは一切なく、むしろ全身からは高潔さや圧倒的な存在感、王の風格ともいえるカリスマ性が強く感じられて力強くすらあった。

 流石は悪魔と言うべきか、それとも彼の言う“多くの悪魔を統べる存在”であるが故なのか……。

 そこまで考えて、レイナースはふと思考を停止させた。

 彼女の頭の中ではウルベルトが言った言葉がグルグルと渦を巻いている。

 彼は自身のことを『多くの悪魔たちを従える悪魔の支配者(オルクス)だ』と言った。

 ということは、それは……つまり………――

 

「………パラダイン様……、……もしやウルベルト・アレイン・オードル様は、あの王国王都での悪魔騒動と関係しているのでしょうか……?」

 

 “悪魔”という存在の名を聞いて一番に思い浮かぶのは、リ・エスティーゼ王国王都で起こった悪魔騒動。

 “御方”と呼ばれる悪魔とヤルダバオトと名乗った悪魔が手下の悪魔たちを引き連れて王国王都を襲った事件。

 ウルベルトが多くの悪魔を従える存在なのであれば、同じ悪魔である“御方”と呼ばれる悪魔やヤルダバオトという悪魔のことを知っていたのではないか……。

 不意に脳内に浮上してきた一つの可能性に、ドクッと心臓が嫌な鼓動を打った。

 

「……ふむ、それは可能性としては高いでしょうな。あのお方はもとよりこの世界を手中に収めようとしておられる。たとえ王国王都の件と関係がなかったとしても、いずれは同じようなことが……次は我が神の手によって引き起こされることでしょうな」

 

 何度も小さく頷きながらフールーダは躊躇いなくそんなことを言ってくる。

 その声にも表情にも一切の動揺は見られない。嫌悪もなければ怒りも戸惑いもない。あるのはどこまでもいつも通りの表情で、まるで当たり前のことを言っているかのような様子だった。

 レイナースは狂気がチラつく老人から視線を外すと、落ち着いてきた鼓動を感じながら思考を巡らせた。

 先ほどのフールーダの言葉を思い浮かべ、先ほどやこれまでのウルベルトの言動を思い出して自分の中の考えや感情を整理していく。

 そして最終的に出た結論を胸に、レイナースはいつの間にか小さく俯かせていた顔を上げて一つ頷いた。

 

「そうですわね。あのお方がそれをお望みなのなら、それについて役に立ってみせるのがわたくしの務め」

 

 自分たちとてこれまで多くの者たちとあらゆるものをめぐって争いを引き起こしてきた。ウルベルトがこの世界を望み、そのために争いを起こすのだとしても、それは自分たちが今している王国との戦争と何ら変わるものではない。王国王都の騒動に関係していたとしても、それが何だと言うのだろう。

 それに王国王都の事件も話を聞けば、そもそも“八本指”なる裏組織の人間が悪魔の至宝に手を出したがために起こった騒動であるという。実際悪魔たちは自分たちに向かってきた人間たちだけに手を出したようで、王都にもともと住んでいた人間たちに対しては一切手を出していなかったらしい。それを考えれば下手な賊よりも悪魔たちの方が余程良心的であるように思える。

 レイナースは過去、もっと悲惨で残酷なものを多く見てきた。

 それらの経験なども相俟って、もはや悪魔だからと言って王国王都を襲撃した悪魔たちやウルベルトに対して嫌悪する感情などはレイナースの中には欠片すらもありはしなかった。

 自分の醜い顔を見つめ、嫌悪することなく膿を拭って『美しい』と言ってくれたレオナール・グラン・ネーグルの姿を思い出す。

 自分が悪かったと謝罪し、躊躇いなく頭を下げてみせたウルベルト・アレイン・オードルの姿を思い出す。

 もはや一切揺らぐことのなくなった自身の感情を確かめると、レイナースは強い意志を宿した美しい双眸を傍らに立つ老人へと向けた。

 

「……パラダイン様、早速取り掛かりましょう。あのお方のお望みを叶えるために」

「そうですな、するべきことは多い……。……まずは、やはり我が神も参加される王国との戦争に同行させてもらうべく陛下を説得しなくてはっ!!」

 

 拳を握りしめて意気揚々と歩きだすフールーダに、しかし自身の願望丸出しな言葉に思わず呆れた表情を浮かべる。

 しかしレイナースはすぐさま表情を引き締めると、自身も一歩大きく足を踏み出しながら前髪に手を伸ばしてサッと顔の右半分を覆い隠した。

 その際、ウルベルトがこの髪に触れたのだということを思い出し、咄嗟に手の動きが止まる。

 レイナースは先ほどとは打って変わった優しい手つきでウルベルトの触った長い前髪を撫でるように触れると、思わず少しだけ頬を緩めて口の端を綻ばせた。

 

(……嗚呼、いっそのこと……早くこの胸の内の感情をあのお方に伝えてしまいたい……。)

 

 ドキドキと早鐘を打ち始める鼓動を感じながら、レイナースは颯爽と歩を進める。

 緩む表情を長い髪で隠しながら、ただ一心に自分の全てとなった悪魔のことを想った。

 

 



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第71話 侵攻の一羽

 白を基調とした厳かな室内。壁には幾つもの大きな長方形の窓が列を成し、はめ込まれたステンドグラスが差し込む光に色を加えて鮮やかな彩りを室内に与えていた。

 神聖さすら漂う色鮮やかな空間にいるのは十二人もの人間の男女。

 彼ら彼女らは一つの巨大な円卓を囲むように椅子に腰かけており、真剣な表情を浮かべて手元の羊皮紙の束を睨んだり互いの顔を見やったりしていた。

 

「――……森妖精(エルフ)たちとの戦争の状況について、各々報告書には目を通したと思う……」

 

 重苦しい静寂の中、唐突に一人の男が声を発する。

 この場に集っている者の中でも最も格式高い服を身に纏ったその男は、スレイン法国の最高位者である最高神官長。

 男の声は天井の高い室内で大きく響き渡り、その力強さにこの場にいる全ての者たちは知らず真っ直ぐな背筋を更に真っ直ぐに伸ばして男を見つめていた。

 

「エルフたちの勢いが突然増し、制圧したはずの地も次々と奪い返されている。……このままでは奴らは今の勢いのまま我らの地へも侵攻してくるだろう。……レイモン、風花や水明からエルフたちの突然の奮起に関して原因などの報告はきているかね?」

 

 最高神官長の視線と声かけに、この場にいる全員が四十代半ばくらいの細身の男に目を向ける。

 全員の視線を一身に浴びることになった男は、しかし顔色一つ変えずに厳めしい顔を更に小さく顰めさせた。

 

「……いえ、最終的な原因は今のところ何も。直接的な原因としては魔獣の大量投入や異形の存在が確認されております。しかし、何故突然このようなことができるようになったのか、その原因は未だ不明です。……どうやらその辺りは上手く隠しているようです」

「……くっ、何と小賢しいことか……」

「ふむ……、それで上手く隠せていること自体が不気味でもあるが……」

 

 彼らの認識や今までの経験から、エルフたちが自分たちの目を出し抜くのは不可能であると考えていた。いくら隠したいと望み、隠そうと実行したとしても、決して自分たちから隠すことはできない。迷いなく断言できるほど自分たちの“目”は優秀であり、エルフたちとは確固とした力の差があると自負していた。

 しかし、そんな中での見通せず覆い隠されているという現状。

 恐らくそのことに関しても、急にエルフたちが勢いづいた原因が関係しているのだろう。

 一体エルフたちに何が起こったのか、言いようのない不気味さがこの場にいる全員の胸に湧き上がっていた。

 

「………陽光聖典が行方をくらませ、漆黒聖典も姿を消している。両聖典の安否も生死も不明……。……二つの聖典の消息不明とこの度のエルフたちの原因不明な奮起は関係しているのだろうか……」

「それは関係ないのでは? 陽光聖典と漆黒聖典が行方知れずとなった時期はある程度近いため関係しているとも考えられるが、あれからそれなりに時間が経っている。今回の件とは無関係である可能性の方が高いだろう」

「もしそうなら、二つの原因不明の問題に対処していかなければならないのか……。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の問題も未だあるというのに……」

 

 『頭が痛い』とばかりに額に手を当てて眉間に大きな皺を寄せるのは水の神官長であるジネディーヌ・デラン・グェルフィ。

 大きなため息を吐く彼に、隣の椅子に腰かけていた火の神官長であるベレニス・ナグア・サンティニが哀れみと労りが混ざったような視線を向け、次には土の神官長へと目を戻した。

 

「そういえば、この報告書の中に“エルフたちの軍勢の中にドラゴンの存在が確認できた”とありましたが、これは本当なのですか?」

「ええ、間違いありません。確認できたのは“火炎の竜(フレイム・ドラゴン)”だけでしたが、他にもいる可能性は否定できかねます」

「……まったく……、本当に頭の痛いことだな……」

 

 レイモンからの淀みない返答に、この場にいる誰もが更に顔を顰めさせる。

 どんよりとした重苦しい空気が立ち込める中、突然激しいノックの音と共に扉が勢いよく外側から開かれた。

 

「会議中に失礼しますっ!!」

 

 息せき切って室内に飛び込んできたのは法国の兵士。

 伝令兵用の武装を身に纏った若い男は、大量の汗が顔を濡らしているのも構わずに大きく口を開いた。

 

「報告します!! エルフの軍勢が法国領内に侵攻!! 既に辺境都市マイリエは陥落し、現在も各周辺都市に向けて進軍中とのことっ!!」

「なっ、なんだと……っ!!?」

 

 伝令兵の口から齎された報告内容に、この場にいる全ての者が衝撃を受ける。

 あまりにも急な事態に、彼らは慌ただしく今後の対策について行動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイヴァーシャー大森林を出て北方――法国の南方の辺境都市マイリエを陥落させたエルフ軍は、そこを本拠点として軍を三つに別けて法国の侵略に乗り出していた。

 マイリエを陥落して既に二週間近くの時が経つが、それでもなおエルフ軍の勢いは未だ衰えず、士気もかつてないほどに高い。

 それは度重なる勝利からくるものだけでなく、苦汁を嘗めさせられた法国に対して報復ができるという現状が彼らの心をかつてないほどに高揚させているためだった。加えて三つに別れた軍にはナザリックからの同行者もそれぞれ付けられており、彼らの支援がエルフたちの勢いに更なる拍車をかけていた。

 マイリエから北に進軍する第一軍に凍河の支配者コキュートス。北東に進軍する第二軍に名調教師アウラ・ベラ・フィオーラ。そして北西に進軍する第三軍に千変万化のパンドラズ・アクターと白の悪魔ニグン・グリッド・ルーイン。

 彼ら彼女らは己のシモベたちをも従えて、先を争うように各エルフ軍と共に法国の攻略を目指していた。

 

 

 

「――……ここまでは概ね順調か……。尤も、問題なのはここからなんだけど……。まぁ、アウラたちもついてるし、最終段階までは大丈夫かなぁ」

 

 室内に呑気な声音が響いて消える。

 ここはマイリエの都市長が暮らしていた大きな屋敷。

 数ある部屋の中でも一際大きな会議室にて、ペロロンチーノは豪奢な椅子に腰かけて呑気に紅茶を啜っていた。すぐ傍らにはシャルティアが立ち、いつでも給仕ができるように美しいティーポットを両手で大切そうに抱え持っている。室内には彼ら以外にもエルフの国王代理であるクローディア・トワ=オリエネンスや彼女の側近となる三人のエルフたちがいるのだが、彼女たちは部屋の隅に立ち、神妙な……或いは恐れが混ざった表情を浮かべて無言のまま二体の異形を見つめていた。

 緊張感のある切羽詰まった空気と、どこまでも和やかな緩い空気がそれぞれ室内に漂っている。

 そんな中、不意にシャルティアが空中を見つめるような素振りを見せた後、次には再び傍らのペロロンチーノに身体ごと向き直った。

 

「ペロロンチーノ様、今しがたコキュートスから〈伝言(メッセージ)〉が届きんした。どうやらセイロットという都市を無事に陥落できたようでありんす」

「おっ、了解! コキュートスは随分と張り切ってるみたいだな~。今のところコキュートスが二歩リードで、アウラとパンドラたちが同列か」

 

 シャルティアの言葉に応じ、ペロロンチーノが自身の目の前に鎮座しているテーブルへと手を伸ばす。テーブルの上にはこの屋敷にあった法国の地図と四色のチェスの駒が複数個置かれており、その内の青色のナイトの駒を摘まみ上げると“セイロット”と書かれている箇所の上に置いた。続いて青色のポーンを取り出し、先ほどまでナイトが置かれていた場所に代わりに置く。

 ペロロンチーノはふむ……と目の前の地図を暫く見つめると、次には傍らのシャルティアに顔を向けた。

 

「シャルティア、コキュートスから被害報告や支援要請はあった?」

「いいえ、どちらもありんせんでありんした」

「ふ~ん、なら今のところ順調ってことかな。アウラやパンドラたちも上手くやっていると良いんだけど……」

 

 シャルティアの返答に一つ頷き、ペロロンチーノはテーブルの上の地図に改めて目を向ける。

 地図上に置かれているチェスの駒はそれぞれこちら側の軍のことを示し、先ほど動かした青色のナイトはコキュートスが同行している第一軍のことを示していた。他にも緑色のクイーンはアウラが同行している第二軍を示し、赤色のルークはパンドラズ・アクターとニグンが同行している第三軍を示している。それぞれの色のポーンも複数個地図上に置かれており、これは第一・第二・第三それぞれの軍がどこを攻略したかを示していた。

 現在、青色のポーンの数は四つ、そして緑色と赤色のポーンは二つ、地図上に置かれていた。

 

「恐らくアウラもパンドラズ・アクターも、効率的かつ素早く多くの都市を攻略できるよう考えているのではありんしょうかえ。至高の御方々のお役に立てることも勿論でありんすが、それに加えて今回は一番多く都市を陥落できたモノには褒賞が用意されていんす。となれば、皆のやる気も一層上がるというものでありんすえ」

 

 楽しそうな笑みを浮かべるシャルティアに、ペロロンチーノは思わず仮面の奥で少し困った表情を浮かべる。それでいて地図の方に目を戻すと、内心で大きなため息を吐き出した。

 マイリエを陥落させた二週間ほど前、更なる侵攻を行うべく軍を三つに別けたエルフ軍を前に、ペロロンチーノはある軽い思いつきから、それを軽いノリで各軍に付き従うナザリックのシモベたちに話していた。

 曰く、『より多くの都市を陥落させ、その数が一番多かったモノには褒美を与えようと思う』と……。

 ペロロンチーノからすれば『少しはやる気になってくれると良いな~』という程度の発言だった。

 しかしその軽い思いつきと言葉は、ナザリックのシモベたちに絶大な効果を発揮したのだった。

 

「ほんに、羨ましいことでありんす。勿論、愛しの御方のお傍に侍ることこそが一番の褒美であることは理解していんすが、わたくしもペロロンチーノ様のお役に立ちたいでありんす」

「シャルティアがそう思ってくれるのは嬉しいよ。コキュートスたちが頑張ってくれて神都まで辿り着いたら、その時はシャルティアにも頑張ってもらうつもりだ。それまでは俺とこうして一緒にいてくれると嬉しいな」

「はぁぁんっ、ペロロンチーノ様ぁっ! ずぅぅっっっとお傍にいるでありんすぅぅ!!」

 

 ペロロンチーノの言葉に、シャルティアは感極まったように頬を紅潮させて歓喜の声を上げる。思わず手に力がこもったのか、抱え持っているティーポットからビシッという嫌な音が響き、シャルティアは慌てたように手の力を抜いていた。

 ペロロンチーノはそんなおっちょこちょいな様子に『可愛いなぁ~』と和やかに見つめ、部屋の端に佇むエルフたちは全員が顔を蒼くさせていた。

 

「……さてと。法国のお偉いさんもそろそろ報告を受けてこっちの動きに気が付く頃かな。状況把握とかどの都市にどのくらいの軍を送るか……、軍の編成もある程度時間がかかるだろうから、もう数日は余裕があると思うけど……。その間に少しでも多くの都市を落とさないとね」

「……ペロロンチーノ様、一つ質問しても宜しいでありんすか?」

「うん? どうした?」

「確かにエルフたちは、できるだけ伝令兵を出させないように動いておりんした。ですが実行するのがエルフたちである以上、どうしても討ち漏らしはある筈。それに、そもそも状況を伝える方法は伝令兵を出す以外にも他にも幾らでもありんす。それを考えれば、相手側がこちらの動きに気が付くのが随分と遅いように思いんすが……」

 

 エルフ軍は法国領内に侵攻を始めた当初から、伝令兵をなるべく逃さないように注意を払っていた。しかしシャルティアが言う通り、この世界には魔法もあるため、情報伝達する方法は伝令兵を出す以外にも幾らでもあるだろう。にも拘らず、法国の国家機関は未だ何も知らないようで一切動きを見せないでいる。彼女からしてみれば、何故こんなにも時間がかかるのか不思議でならないのだろう。

 

「まぁ、〈伝言(メッセージ)〉への信憑性がこの世界では低いみたいだからね。一つの報告をするにしても原始的な方法を取らざるを得ないから、それを妨害してしまえばそれ相応の時間がかかっちゃうんだよ。まぁ、こちらとしては願ったり叶ったりだから別に良いんだけどね」

 

 この世界では昔ガテンバーグという人間種の国家があったそうだが、〈伝言(メッセージ)〉に頼り過ぎた結果、三つの虚偽の情報によって滅んでしまったらしい。

 そのためこの世界では〈伝言(メッセージ)〉を信用し過ぎる者は愚か者であるという認識が常識化しているらしく、それは法国も同じであるようだった。

 情報伝達は正確さも勿論だが、それと同じくらい早さも重要である。

 〈伝言(メッセージ)〉に代わる素早い情報伝達方法があるならばいざ知らず、何もない状態で現状を放置しているこの世界の有り様はペロロンチーノたちからすれば信じられないような事態だった。

 自分たちの最終目的がこの世界の完全征服である以上、いつかはこの問題について対策を講じていく必要が出てくるだろう。ナザリックだけであれば問題にならない事でも、この世界の住人たちを支配下に置いていけば、いずれは問題が発生してくるのは目に見えていた。

 

「……法国を完全に落としたら、その辺りを早急に改善していかなくちゃならないなぁ……」

 

 はてさてどうしたものか……と内心頭を抱えながら、しかし今は目の前のことに集中しようとテーブルの上の地図に再び視線を向けた。

 

「さてと、とにかく今はここからが正念場だ。こっちもそろそろ本腰を入れるとしますか!」

 

 一つパンッと両手を打ち、自分自身に活を入れる。

 ペロロンチーノは法国の地図を睨むように見つめながら、法国が今後どう動き、こちらはどう動くべきかと思考を巡らせ始めた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……赤刃(せきじん)第五・第六は後退! 閃牙(せんが)第三、矢を放って敵を牽制しろ!!」

導手(どうしゅ)第四、魔獣を放てっ!!」

 

 法国南西部にある都市の一つハイリント。

 清々しいほどの青空が広がる中、空の穏やかさとは打って変わり地上ではハイリントの市壁周辺で多くの怒声や悲鳴が鳴り響く激しい戦闘が繰り広げられていた。

 武器を手に争っているのはハイリントを守る法国軍と、侵攻を続けるエルフの第三軍。連戦に連戦を重ねているエルフ軍は、しかしその誰もが顔に覇気を宿し、疲れなどは一切浮かべず奮起していた。未だ士気も勢いも高く、我先にと法国軍に襲いかかり、自身の刃を振るっている。

 しかしどんなに勢いがあろうと、元々の法国軍との戦力差や力量差を覆すことはどうしても難しい。

 徐々にではあるが劣勢に追い込まれ始めるエルフ軍に、先ほどまで敵軍をかく乱させるために一撃離脱戦法を繰り返していたメリサ・ルノ=プールは、自軍の隊長に名を呼ばれてそちらに駆け寄った。

 

「プール、あの異形たちの元へ支援をしてくれるよう願い出に行ってくれるか?」

「……えっ! ま、また私が…ですか……!!?」

 

 隊長の言葉に、思わず大きな声が出る。その顔には誰が見ても分かるほどの緊張と恐怖と、少しの非難の色が浮かんでいた。

 メリサはこれまでにも何度か隊長命令でこの軍について来ている異形たちの元へ赴き、支援要請を願い出ていた。最初はたまたま自分が近くにいたからだろう……と思っていた。しかしそれが二度三度と続くと、どうにもそうではないという考えが浮かんでくる。ワザと自分だけに命じているのではないかと思えてならず、何故自分なのかと隊長に対する不満が胸の内に湧き上がった。

 これまで異形たちの元へ支援要請をしに行って、邪険に扱われたこともなければ怖い思いをしたこともない。しかし正直に言ってまだまだ彼らに対しての恐怖心はあるし、何よりひどく緊張してしまうのだ。何故自分ばかり……と不満が湧き上がるのも仕方がないことだろう。

 しかし黒風(こくふう)第二部隊の隊長は、そんなメリサの心情など一切構う様子もなく、戦場を鋭く睨みながら容赦なく言葉を畳みかけてきた。

 

「もう何度も行っているから顔見知りのようなものだろう。それにお前はあの異形たちの存在が公表されるより以前からあの悪魔について気にしているようだったしな……。ほら、さっさと行ってこい」

「………分かりました……」

 

 こともなげに言い放ってくる隊長に、思わずムッとしてしまう。『ある意味顔見知りにしたのはどこの誰だ』と言ってやりたい。

 しかしそんなことを実際に言えるはずもなく、メリサは力なく項垂れながらも一つ頷いた。

 素早く踵を返し、軍の最後尾にいるであろう異形たちの元へ行くべく強く地面を蹴る。仲間の戦闘の邪魔にならないように木の上に登って枝から枝へと飛んで移動しながら、メリサはこれから対峙することになる異形たちへと思考を巡らせた。

 この軍に同行してくれているのは黄色の見慣れぬ服を身に纏ったのっぺり顔の異形と、以前メリサを助けてくれた白の悪魔。

 確かに先ほどの隊長の言葉通り、メリサは法国の兵士から助けられた時から白の悪魔のことを気にしていた。一体彼は何者なのかと気にかけ、彼がどういった存在であるのか分かった今でも彼への関心は続いている。いや、彼へ向ける感情の強さは前よりも今の方が更に強くなっているかもしれない。それを思えば隊長からの命令はむしろ悪魔と言葉を交わせる良い口実になっているとも言えた。

 しかし怖がりで緊張しやすいメリサとしては、やはり有り難くない……と思わざるを得なかった。

 今も強い緊張のせいで顔を青白くさせ、鳩尾辺りから喉元へと吐き気のような気持ち悪さが込み上げてくる。

 メリサはそれらを何とか抑え込みながら、目の前の枝を次々と飛び移っていった。

 やがて戦場の最後尾に辿り着き、勢いよく木の枝の上から飛び降りる。軽い身のこなしで地面に着地すると、ポツンと一つだけ建てられている天幕へと恐る恐る歩み寄っていった。垂れ下がっている布の前で立ち止まり、暫くの間口を開いたり閉じたりを繰り返す。

 ドクドクと忙しなく鳴る鼓動に咄嗟に胸を押さえながら、メリサは意を決して天幕の中へと声を張り上げた。

 

「こっ、黒風第二部隊の、メ、メリサ…ルノ=プール、ですっ! しょっ、少々お時間、よ、よぉろしいでぇ、…しょうか……っ!!」

 

 緊張のあまり声は震え、ところどころ裏返って情けないものになってしまう。

 湧き上がってくる羞恥に思わず顔が真っ赤になり涙目になる中、唐突に目の前の天幕の中から入室許可の声が聞こえてきた。

 それは黄色の服を身に纏った異形のもので、途端に羞恥よりも緊張が上回って全身が強張る。しかしグズグズして彼らの機嫌を損なわせるわけにはいかず、メリサは『失礼します!』と震える声を上げながら目の前の布へと手をかけた。自身の頭の辺りまで捲り上げ、現れた隙間に身体を滑り込ませる。

 視界に広がる既に何度も見た天幕内の様相に、メリサは毎度のことながら内心で感嘆の声を小さく零していた。

 メリサが足を踏み入れた天幕内は王族が使う物と同じくらいの広さがあり、また内装はそれ以上に豪華なものだった。揃えられた家具や調度品はどれもが一目で一級品だと分かるもので、地面には木の板を組み立てて作った床に加えて肌触りが良いだろう絨毯までもが敷かれている。天幕内中央には大きなテーブルが置かれており、その横に置かれた椅子に黄色の服を身に纏った異形が座り、その斜め後ろに白の悪魔が控えるように立っていた。

 

「おや。これはこれは、先日もいらした方ですね。如何しましたか?」

 

 声をかけてきたのは椅子に腰かけた黄色の服を身に纏った異形の方。

 丁寧でありながら少々抑揚の強い声が穏やかに問いかけてくるのに、思わず今が戦闘の真っ最中であることを忘れてしまいそうになってメリサは咄嗟に一度ギュッと瞼を閉じた。心の中で『しっかりしろ!』と強く自身に言い聞かせ、再び目を開けて目の前の異形たちを見やる。

 瞬間、二体の異形とバッチリと目が合って更に全身が強張るのを感じながら、メリサは勇気を振り絞って口を開いた。

 

「げ、現在、我がエルフの第三軍は法国軍と戦闘を開始しておりますっ! しかし、予想以上の抵抗にあい、徐々にではありますが劣勢に陥ってきております! つ、つきましては、被害が拡大する前に、皆様のお力添えを、お願いできないでしょうか……!!」

 

 意を決してここに来た理由を一息で言い放つ。

 二体の異形が一度無言のまま顔を見合わせ、次には再びこちらに顔を向けて黄色の服の異形の方が小さく首を傾げてきた。

 

「支援要請ですか……。具体的にはどのような支援をお望みですか?」

「ど、どのようなものでも構いません……! あなた様方のご支援があれば、それが何であれ戦況を動かすことができるでしょう!」

「ふむ……」

 

 メリサの言葉に、黄色の服の異形は少し思案するような素振りを見せる。

 数分後、辛抱強く待っていたメリサに再び顔を向けると、黄色の服の異形は一つ頷いた後に次には背後の白の悪魔を振り返った。

 

「ルーイン殿、彼女に同行を。状況をその目で確認し、あなたが適切だと思う支援を行ってあげてください。もし自分の手には負えないと判断した場合は改めて私に報告を」

「畏まりました、パンドラズ・アクター様」

 

 黄色の服の異形の指示に、白の悪魔は大人しく片手を胸に当てて頭を下げる。

 続いてこちらに顔を向けてくる悪魔に、メリサは慌てて大きく頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございます……!!」

「いいえっ! それが至高の御方っ! Kostbarer Got(尊き神)がそちらの王女と交わした契約ですのでっ!! それでは頼みましたよ、ルーイン殿」

「はっ」

 

 黄色の服の異形は何故か『至高の御方』という文言とその前後だけハイテンションで言い放つと、すぐにいつもの穏やかなトーンに戻って白の悪魔に再度指示を出す。

 白の悪魔は黄色の服の異形に再び頭を下げると、次には踵を返して天幕の外へとさっさと出て行ってしまった。

 メリサはそれに大いに慌てながら、改めて黄色の服の異形に頭を下げた後に急いで白の悪魔を追いかける。失礼にならない程度に素早く天幕の布を捲り上げると、その下を潜って外へと飛び出した。素早く視線を周囲に走らせ、思ったよりも近くにあった悪魔の背中に、メリサは足早にそちらへと駆け寄った。

 

「お、遅くなりまして、も、申し訳ありませんっ!」

「……構わん。あの方は領域守護者の御一人。私などよりも余程失礼があってはならないお方だ」

 

 こちらに顔を向けないまま言われた言葉の内容に、メリサは思わず肩を大きく跳ねさせる。

 “領域守護者”というのが何を意味しているのかメリサには分からなかったが、それでも地位が高い存在であり、決して失礼があってはならない存在であることは何となく感じ取ることができた。

 『これからは今以上に失礼がないように気を付けよう……』と心に決めると、メリサは気を取り直して悪魔が見つめている先に目を向けた。

 そこには法国軍とエルフ軍がおり、今もなお激しい戦闘を繰り広げている。メリサたちが現在立っている場所は少し坂になっており、法国軍とエルフ軍が戦っている戦場の様子が良く見てとれた。

 ここから見る限り、やはりエルフ軍の方が少々劣勢に追い込まれているようだ。

 一体どうすれば……と焦りを募らせる中、暫く無言のまま戦況を観察していた悪魔がフゥッと小さく息を吐き出した。

 

「……前回の戦いの時に比べ、動きが少々鈍くなっているか。これは能力の向上よりも直接的な支援の方が良いかもしれないな」

 

 ポツリと独り言のように呟かれた言葉に、メリサは思わず悪魔の顔を見上げる。

 しかし悪魔はメリサの方には一切目もくれず暫く戦場を睨むように見つめた後、次には徐に詠唱を始めた。

 悪魔の足元とすぐ目の前の地面に青白い魔法陣が現れ、光り輝きながらゆっくりと展開していく。

 メリサが慌てて後退って邪魔にならないように距離を取る中、魔法が発動して魔法陣から複数の影が姿を現した。

 

「……っ……!!」

 

 魔法陣より召喚されたのは四体の天使だった。

 長細いひし形の深紅のフルフェイスガードに、ヒラヒラとした純白のローブ。しかし袖は肘部分までしかなく、細長く生白い腕がむき出しの状態で伸びていた。指の長い手には巨大な弓が握り締められており、淡い純白の光を発している。背には大きな二枚の翼が生えており、ゆっくりと羽ばたく度に白銀の粒子がまるで鱗粉のように周りに散っては空気中を舞っていた。

 メリサにはこの天使がどういった存在であるのか全く分からなかったが、それでも法国軍がよく召喚する天使たちよりもよほど強そうに感じた。

 

「“神罰の能天使(エクスシア・ゴッドパニッシュメント)”たち、二メートルほどの間隔を空けて横一列に並べ」

 

 メリサが呆然と天使たちを見つめる中、隣の悪魔がハキハキとした声音で天使たちに命令を発していく。

 その声はどこまでも力強く淀みなく、どこか命令することに慣れているような印象を受けた。

 思わず悪魔に再び目を向ける中、天使たちは悪魔の命令通り、二メートルほどの間隔を空けて横一列に並ぶ。

 悪魔はメリサの視線に気が付いているのかいないのか、こちらには一切目もくれずに天使たちに次々と命令を発していった。

 

「標的は奥にいる法国軍。私の合図に従い、同時に〈閃光の翼(フラッシュ・ウィング)〉を放て」

 

 悪魔の言葉に、天使たちはこちらに背を向けて戦場に向き直る。片手に持っている巨大な弓を両手で持つと、無造作に大きく構えて弦を引き絞った。

 瞬間、どこからともなく光の矢が現れ、その矢尻が戦場の法国軍に向けられる。

 同時に天使たちの翼が大きく羽ばたき、周辺に大量の白銀の粒子が放たれて空中を舞い踊った。

 キラキラと眩くなった視界に、メリサは思わず目を細める。

 しかし次に目にした光景に、メリサは眩しさも忘れて驚愕に目を大きく見開いた。

 

「………あれは……、……羽根……?」

 

 メリサの視線の先にあったのは、彼女の言葉通り確かに羽根だった。しかし唯の羽根では勿論なく、宙を舞っていた白銀の光の粒子が寄り集まって形作られたそれは三十センチほどの長さがあり、羽柄の先が矢尻のような形になっていた。

 それが天使一体につき十本。

 弓矢を構えている天使の上空に浮かび、その羽柄の先を法国軍に向けていた。

 

「今だ! 〈閃光の翼(フラッシュ・ウィング)〉を放て!」

 

 法国軍の全軍が一気にエルフ軍に押し寄せて喰らいついたその時、悪魔が鋭く天使たちに命を下す。

 瞬間、勢いよく放たれた四本の光の矢。

 続いて上空に浮かんでいた羽根型の矢も次々と放たれ、合計四十四本もの刃が法国軍へと飛んでいった。

 数百数千もいる法国軍に対し、四十四本という本数は数で考えれば非常に心許ないと言えるのかもしれない。

 しかしメリサは何故か少しも心許ないとも不安に感じることもなかった。

 そしてその感覚は決して間違いではなかった。

 いち早く自分たちの方へ飛んでくる何かに気が付いた何人かの法国兵が動きを止めてそれを凝視する。

 ある者は隣の仲間に声をかけ、ある者は剣や盾を構え、ある者は無意識に小さく後退る。

 しかしそれらは何一つ意味をなさなかった。

 光の矢と羽根の矢が法国軍に突っ込んだ瞬間、凄まじい衝撃と共に大きな破壊音と多くの悲鳴が響き渡った。朦々とした巨大な土煙が発生し、視界が遮られたことによってエルフ軍も一時動きを止める。

 一体何が起こったのかと誰もが思わず固唾を呑む。

 ゆっくりと土煙が流れて薄くなっていくにつれて視界が晴れていき、現れた光景にエルフ軍の者たちは勿論のこと、悪魔の隣に立つメリサも驚愕に目を大きく見開いた。

 エルフ軍の真正面……今まで法国軍がいた場所に、四十四もの巨大な“道”が出来ていた。

 いや、それは“道”という言葉に例えるのは間違っているかもしれない。

 そこにあったのは巨大な惨劇の跡。まるで四十四本もの巨大な爪で引き裂かれたかのように、多くの法国の兵が折り重なるように地面に倒れ、それによって被害がなく未だ地面に立つ兵を分断して“道”のようなものを形成していた。

 地面に倒れている兵は誰もが血を流し、ある者は無残な肉片に成り果て、ある者は身体のどこかしらを欠損させながら小さな呻き声を上げている。

 天使たちが放った矢と羽根は容赦なく彼らを攻撃し、その肉を貫き、吹き飛ばし、多くの命を刈り取っていた。

 

「第二射、用意」

 

 あまりの惨状に誰もが呆然となる中、不意にメリサの横からどこまでも冷静な声が発せられる。

 メリサがハッと我に返るのと目の前の天使たちが再び弓を構えたのはほぼ同時。再び大きく羽ばたいた翼によって羽根の矢が出現し、それらは再び法国軍に向けられていた。

 法国軍は自分たちの身に何が起こったのか訳が分からず、ある者は悲鳴を上げ、ある者は仲間に駆け寄り、ある者は恐怖にかられて逃げ始めている。

 もはやすっかり戦意を喪失させている様子の彼らに、しかし隣の悪魔は更なる攻撃を畳みかけようとしていた。

 

「ま、待って下さい! も、もう充分です!!」

 

 あまりの惨状に耐え切れず、メリサは思わず隣の悪魔に縋りつく。緊張していたことなど忘れて悪魔の腕に手をかけると、悪魔の顔を見上げながら必死に声を上げた。

 

「彼らは逃げています! もう戦う気力もないでしょう! もう充分です!!」

 

 何とか止めさせようと縋りつき、必死に悪魔の顔を見上げる。

 しかし漸くこちらに向けられた悪魔の深紅の瞳は、どこまでも冷たい光を宿していた。

 

「甘いな。今は混乱もあり逃げているが、事態が落ち着けば奴らはすぐに体制を立て直して再びこちらに向かってくるだろう。そうなれば、こちらの被害も大きくなるかもしれない。できる時にできるだけ相手に損害を与え弱らせておくのが肝要だ」

 

 悪魔の口から発せられる言葉はどこまでも冷静で冷淡なもの。しかしその言葉は確かに正しく、メリサはグッと言葉を詰まらせた。

 確かに自分たちがやっていることは戦争であり、戦争とは互いの戦力の潰し合いだ。自分たちの被害をできるだけ抑え、そして勝つためには、如何に相手を消耗させ損害を与えるかが重要になってくる。今のこの状況でも、相手が隙を見せているのであればそれに乗じて少しでも損害を与えるのが正解なのかもしれない。

 しかしそれは分かっていても、やはりメリサはこれ以上攻撃すべきではないと思った。

 それは何も法国の者たちへの同情心からだけではない。

 メリサは一度自身を落ち着かせるために深呼吸すると、次には再び強い瞳で悪魔を真っ直ぐに見上げた。

 

「……確かに、あなた様の仰る通りです。でも、これ以上攻撃する必要はありません。……いえ、攻撃しない方が良いと思います」

「……………………」

「先ほどの攻撃で我が軍にも少なくない動揺が広がっているようです。このまま攻撃を続ければ士気にも関わってきます。……それに何より、我が軍の中で皆様に対する不信感が生まれるかもしれません」

 

 過ぎた攻撃は味方にも影響を与え、強すぎる力は疑念を生む。異形たちに対するマイナスなイメージや感情を持つことは、今後も彼らと関係を続けていくことになるだろうエルフたちにとっては非常に良くないものだとしか思えなかった。何より、メリサは自分の仲間たちが彼らに対して不審な目を向けるところを見たくなかった。

 

「勿論、お力添えいただけることは皆が心から感謝しています。しかし大きすぎる力は不安をも生んでしまう。……今回の支援はこれで十分です。どうか、攻撃を止めては頂けないでしょうか」

 

 悪魔の腕に縋りついていた手を放し、一歩下がって深く頭を下げる。

 腰を90度近くまで曲げて頭を下げ続けるメリサに、ふと悪魔から小さな独り言のような声が聞こえてきた。

 

「………そうか。ここはナザリックでも、法国でも……聖典でもなかったな……」

「……え……?」

 

 悪魔の発した言葉の意味が分からず、思わず下げていた頭を上げて再び悪魔を見上げる。

 視線の先に立つ悪魔は変わらず冷静沈着な表情のままこちらを見つめており、しかしすぐに視線を外して未だ弓を構えている天使の方に顔を向けた。

 

「……この戦いはあくまでもお前たちエルフの戦い。であれば、確かにお前たちの士気が低下するような行動はするべきではないだろう。……天使たち、攻撃は解除。念のため、上空を飛行して撤退中の法国軍を見張れ」

 

 悪魔の命令に、天使たちは大人しくすぐさま構えていた弓を下ろす。

 頭上に浮かんでいた羽根の矢も光の粒子となって霧散し、それにメリサは少しの間呆然とした後、すぐに我に返って再び悪魔に頭を下げた。

 

「……あ、ありがとうございます!!」

 

 自分の言葉が悪魔に届いたことが嬉しい。

 悪魔が自分の言葉に耳を傾けてくれたことが嬉しい。

 どうしようもない大きな喜びが胸に湧き上がり、メリサは頭を下げていることで隠れている顔に抑えきれない笑みを浮かべた。

 しかしいつまでもこうしている訳にはいかない。

 メリサは何とか笑みの形に崩れている表情を引き締めると、ゆっくりと下げていた頭を上げて改めて悪魔を見つめた。悪魔も再びこちらを見つめていたようで、深紅の瞳と真正面から視線がかち合う。

 思わずドキッと心臓が高鳴る中、しかし悪魔はどこまでもいつも通りだった。

 

「天使たちには上空で法国軍を見張らせる。とはいえ、油断はしないことだ。撤退中の法国軍を追い立てて都市を確保しろ。完全に都市を確保したら改めて報告しろ」

「分かりました。この度はありがとうございました」

 

 どこまでも静かな口調で事務的な言葉を発する悪魔に、メリサも冷静な声音を心掛けながら一つ頷く。再び感謝の言葉と共に頭を下げると、メリサはすぐに頭を上げて仲間たちの元へと踵を返した。

 エルフ軍も漸く気を取り直したのか、未だ混乱しながらも撤退を始めている法国軍を追うために動き始めている。この様子であれば早くて二時間後……遅くとも四時間後には完全に都市を制圧し、状況を落ち着かせることができるだろう。異形たちへの最終的な都市制圧の報告は自分のような下っ端ではなく隊長たちが行うだろうが、もし可能であれば自分も同行させてもらえないか願い出てみよう……とメリサは密かに心の中で決意した。

 戦場に戻るために地面を駆ける中、不意に頭上で複数の影が通り過ぎたことに気が付いて咄嗟に足を止めて上空を見上げる。視線の先では四体の天使が我先にと空を駆けており、メリサは思わず小さく頬を緩めた。

 最初にあの天使を見た時は法国軍の天使が頭を過って複雑な感情が湧き上がった。

 あの凄まじい攻撃を見た時は、正直大きな恐怖を感じた。

 しかし今は何故か頼もしいような嬉しいような……何とも言葉にするのが難しい感情が湧き上がっている。

 メリサは思わずフフッと小さく笑うと、気を取り直して再び強く地を蹴って走り始めた。見えてきた仲間たちの中に加わり、都市を完全に落とすために侵攻する。

 折角彼らの力を借りてここまできたのだ、ここで自分たちが下手を打つわけにはいかない。

 メリサはいつになく張り切りながら、逃げていく法国軍に向けて仲間たちと共に気炎を上げた。

 

 

 

 

 

 勢いを取り戻したエルフ軍が法国軍を追いやり、最終的には南西部都市ハイリントをその支配下に置く。

 都市で一番高い塔……法国の民たちが信じる六大神の一柱・光神を信仰する教会の上にはエルフ軍の旗が掲げられ、それはまるで法国を侵略するエルフの構造を表しているかのようだった。

 エルフの誰もがそれを誇らしげに見る中、都市制圧の報告により黄色の服の異形と共に都市内へと足を踏み入れた悪魔は、ただ静かな瞳で法国の光神の教会とたなびくエルフの旗を見上げていた。

 

 




今回はニグンさん大活躍! & メリサ・ルノ=プールちゃん再登場!
二人の距離は少しは縮まったかな……?

*今回の捏造ポイント
・神罰の能天使;
〈第五位階天使召喚〉で召喚できる天使の一つ。弓や魔法といった後衛での攻撃などが得意。
・〈閃光の翼〉;
後衛系の天使が使える特殊技術。羽根型の矢を作り、己の主武器の攻撃と共に発射して攻撃する。


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第72話 黒塗りの地図

ギリギリ6月中にUPできた!
今回もペロロンチーノ(法国側)の話になります!
とはいえ、ペロロンチーノ様は今回は殆ど出てこないのですが……。


 法国南西部都市ハイリントで法国が信仰する六大神の教会の塔に森妖精(エルフ)の旗が掲げられた……――

 その話が法国やエルフの全軍に広がった時、両者に強い激震が走った。

 法国の者たちは自分たちが崇拝するものに対する侮辱であると激怒し、エルフたちは自分たちを苦しめてきた法国を降したという……一種の下剋上的な喜びや優越感などの高揚感を湧き上がらせた。

 互いがそれぞれ激情にかられ、それ故に両者の戦いが更に激化するのは必然と言えるだろう。

 法国軍とエルフ軍は激しく刃を交え、エルフ軍は陥落させた都市にある六大神の教会の塔に次々とエルフの旗を掲げていった。

 

 そして現在、法国南東部にある貿易都市ラティナでも法国軍とエルフ軍による激しい戦闘が繰り広げられていた。

 両軍の前線は互いに咆哮を上げながらぶつかり合い、飛んでくる矢は魔法が迎え撃ち、多くの小型の魔獣たちが兵たちの隙間を縫うように駆けて容赦なく敵に襲いかかっていく。

 エルフたちと行動を共にしているアウラ・ベラ・フィオーラは、戦場が一望できる小高い丘の上で、愛獣の一体であるフェンリルを傍らに控えさせながら少し退屈そうな表情を浮かべて戦場を見下ろしていた。

 アウラが同行しているこのエルフ第二軍は、これまでできるだけ自分たちの力だけで法国の都市を攻略していた。アウラからの支援を殆ど受けることなくここまで攻略できていることは正に驚嘆に値するだろう。しかしその一方で、他の二つの軍に比べて一つの都市陥落に多くの時間がかかっており、そのあまりに遅い歩みにアウラは内心で不満を募らせていた。

 『これではペロロンチーノ様のお役に立てていないのではないか』という考えが幾度も頭を過り、アウラの機嫌はどんどん悪くなっていく。

 とはいえ、現状法国にこちらの存在を大っぴらに知られるわけにはいかず、そのためアウラがエルフたちを押しのけて法国軍を殲滅する訳にもいかない。

 『エルフたちからの要請がない限りは極力手を出さない』というルールが、アウラに大きな不満とストレスを与えていた。

 

 

 

「――……アウラ・ベラ・フィオーラ様、少し宜しいだろうか?」

 

 小高い丘の上で戦場を睨むように見つめていたその時、ふと一人のエルフが声をかけてくる。

 チラッとそちらに目を向ければ、この軍を指揮している隊長の一人……黒風(こくふう)第一部隊隊長を務めるノワール・ジェナ=ドルケンハイトがいつもの無表情で四メートルほど離れた場所に立っていた。

 大人しくこちらが応じるのを待っている様子の彼女に、アウラは一つ小さな息をつくことで胸の内に渦巻くストレスを吐き出してから気を取り直して身体ごと向き直った。

 

「なに? トラブルでもあった?」

 

 漸く自分の出番かと少し期待しながら声をかける。

 しかし返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

 

 

 

 

「………隠れ都市……?」

「はい。前回制圧した都市コルミックで捕えた法国兵への尋問を担当していた者から先ほど連絡があった。どうやら現在攻略中のラティナ周辺に地図には載せていない秘密の都市が存在しているらしい」

「……緊急時に備えて造られた都市かな……。この周辺にあるもの以外にも隠れ都市がある可能性は?」

「……実は、それについて相談が。隠れ都市は他にも複数存在しているらしいが、既に放棄されているものも幾つかあるらしい。ただ、現在も機能している都市は勿論あるし、放棄されている都市にも逃げ延びた法国兵が潜んでいる可能性がある」

「つまり、全ての隠れ都市を調べて制圧していかないと挟撃されたり奇襲をされる危険性があるってことね。全部の隠れ都市の位置は分かってるの?」

「現在も法国兵に尋問している最中だ」

「なるほど……、……つまり全ての隠れ都市の位置はまだ分かっていないってことか……」

 

 ここに来て新たに分かった複数の都市の存在に、アウラは軽く腕を組みながら思考を巡らせた。

 隠れ都市がこの南東部だけにあるとは思えず、恐らく法国の全域に複数存在しているだろう。今までコキュートスやパンドラズ・アクターからそういった情報はきておらず、恐らく二人ともが未だ隠れ都市の存在を知らない可能性が高かった。ニグンが隠れ都市の存在を知っていれば事前に報告してきただろうが、それもないということは陽光聖典の隊長だったニグンですら、その都市の存在は知らされていなかったということになる。であれば本当にその存在を知っているのは法国の一部の人間であり、今回アウラたちエルフ第二軍が捕えた法国兵の中に都市の存在を知っている者がいたことは幸運以外の何ものでもなかっただろう。

 

「……となれば多くの法国兵が隠れ都市に逃げて潜む可能性は低くなるけど……、いや、知っている人間が直前に他の兵たちに教えている可能性もあるか……」

 

 アウラは暫くブツブツと小さく言葉を零しながら考えをまとめていく。やがて一つ頷くと、懐から一枚の羊皮紙(スクロール)を取り出して軽く宙に放り投げた。

 瞬間、羊皮紙(スクロール)は青白い炎に燃え上がり、宿していた魔法が発動する。

 次に頭の中で一つの線が繋がったような感覚を覚え、アウラは無意識に背筋をピンッと真っ直ぐに伸ばした。

 

『――……あれ、アウラ? どうかした? 何かあった?』

 

 頭の中から響くように聞こえてきたのは、現在法国南部の辺境都市マイリエにいるであろうペロロンチーノの声。

 どこか驚いたような……それでいて少し心配そうな声音で問いかけてくる声に、アウラは背筋を伸ばした姿勢のまま更に表情を引き締めた。

 

「ペロロンチーノ様、一つ報告がありまして……。お時間を少し頂いてもよろしいでしょうか?」

『うん、大丈夫だよ。何かあったのかな?』

「はい、実は……――」

 

 ペロロンチーノの促すような言葉に従い、アウラは隠れ都市の存在について手短に報告をしていく。

 ペロロンチーノは驚いたような声を少し零したものの後は無言でアウラの報告に耳を傾け、アウラの報告が終わってから漸く再び声を飛ばしてきた。

 

『……なるほど、そんな都市まであったのか。……流石は人間以外の種族を敵に回しているだけのことはあるというか、何と言うか……その辺りも徹底してるなぁ……。……分かった、コキュートスとパンドラには俺の方から伝えておくよ。また、こっちにも隠れ都市の情報がないか調べてみよう』

「ありがとうございます。……至高の御方にお手数をおかけしてしまい、大変申し訳ありません……」

『そんなこと気にする必要はないよ。逆に隠れ都市の情報を手に入れるなんて、すっごくお手柄じゃないか! 助かったよ、アウラ。ありがとう』

「そ、そんな……! あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノからの思わぬ優しい言葉に、途端に言葉で言い表せないほどの大きな歓喜が胸に湧き上がってくる。

 思わず輝かんばかりの笑みを浮かべるアウラに、まるでその顔を見たかのようにペロロンチーノの笑い声が〈伝言(メッセージ)〉越しに小さく聞こえてきた。

 

『それじゃあ、隠れ都市の対処の方は任せるよ。勿論、隠れ都市の制圧も回数に含めて良いから、制圧した都度報告してくれ』

「畏まりました! 感謝いたします、ペロロンチーノ様!」

 

 思わず頭を下げるアウラの脳内で、糸がプツリと切れるような小さな感覚が響いて消える。

 アウラは勢いよく頭を上げると、次には『よしっ!』と両手を握りしめて気合を入れた。大人しくこちらの様子を見守っていた女エルフに改めて視線を向ける。

 

「という訳で、隠れ都市も全部対処することになったから。正確な場所がまだ分かっていない都市も複数あるだろうし、隠れ都市に関しては私が全部対処するからそのつもりで。ここはあなたたちに任せるけど、何かあったら前に渡しておいた羊皮紙(スクロール)を使って連絡してね」

「……承知した。宜しくお願いする」

 

 アウラの言葉に、女エルフは反論することなく承知の言葉と共に頭を下げてくる。

 しかし返答をするまでに少しの間があったことにアウラは気が付いていた。

 とはいえ、アウラもそれをわざわざ指摘するつもりはない。アウラは敢えてそれを無視すると、何も気が付いていない振りをしてにっこりとした笑みと共に踵を返した。付き従うフェンリルと共に自分のシモベたちがいる場所に向けて歩を進めながら、アウラはこの第二軍を指揮しているノワール・ジェナ=ドルケンハイトという先ほどの女エルフについて思考を巡らせた。

 彼女は今までなるべくアウラの支援を受けずに済むように、時には知恵を絞り、時には奇襲などの戦略を複雑に組み入れながらなんとかここまで第二軍を引っ張っていた。他の第一軍や第三軍のようにもっとナザリック側の力を借りていれば、もっと早く確実に、そして何より楽に侵攻ができていただろう。しかしそれでもなおできるだけアウラの力を借りようとしなかったのは、恐らく……しかし非常に高い確率で、法国との戦争後に直面するであろうナザリックからの影響力を少しでも小さくしたかったからだろうと思われた。

 どんな経緯を経て、どんな結末を迎えたとしても、エルフ王国はナザリックの影響を受けることになる。しかしその影響力は、受けた支援の大小に従って多少なりとも変動はするだろう。あの女エルフはその影響力を少しでも小さくするべく行動しており、しかしここに来て出現した隠れ都市の存在が彼女の計画を狂わせたに違いない。

 どんなに抗おうとしたところでそれは叶うはずもなく、まるで世界が至高の御方のために動いているかのような今回の事象に、アウラは誇らしいような感情を湧き上がらせ、また改めて至高の御方々に対する畏敬の念を強めた。

 

「みんな~、お仕事の時間だよ~~!!」

 

 見えてきた拓けた場所と、そこで暇を持て余し、各々のんびりと過ごしていた自分のシモベである魔獣たちの姿を見つけ、アウラは大きく声を張り上げる。

 瞬間、多くの魔獣たちが同時に素早く反応し、我先にとアウラの周りに駆け寄り集まってきた。

 

「待たせちゃって、ごめんね! 漸くみんなの出番だよ!」

 

 満面の笑みと共に明るく声をかければ、それに応えるように魔獣たちが一様に高らかに咆哮を上げてくる。あるモノは尾を千切れんばかりに激しく振り、あるモノは踊るように飛び跳ね、あるモノはアウラの周りをグルグルと駆けまわる。

 アウラは彼らの様子を満足そうに見つめると、湧き上がってくる気合と共に強く拳を握りしめた。

 

「よしっ、早速行動開始っ! 至高の御方々のために、張り切って頑張ろーっ!!」

 

 アウラの言葉は、ナザリックに属する彼らの心をこの上なく高揚させる。

 アウラはフェンリルの背に勢いよく飛び乗ると、拳を握りしめた片腕を勢いよく振り仰いだ。

 

「しゅっぱーーつっ!!」

 

 元気な掛け声と共に走り出す魔獣の群れ。アウラを先頭に、ありとあらゆる種類の魔獣の大群が地を蹴り、我先にと駆け、激しい地響きと共に進軍を開始した。

 もし上空からその様を見ることが出来たなら、誰もがこの世の終わりのように感じただろう。

 多くの魔獣たちが雪崩のように我先に駆けているのだ、言うなれば西洋風の百鬼夜行とも言えるのかもしれない。

 

 エルフ第二軍の別動隊として動き始めたアウラ率いる魔獣軍は、瞬く間に次々と多くの隠れ都市を見つけて襲い、攻略していくことになる。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 法国中心部の南寄りの位置に存在する城塞都市グラスティル。

 法国の中心である神都にほど近い場所に存在するこの都市は、言うなれば神都を守る最後の盾と言うべき要所の一つだった。

 勿論、神都を守る城塞都市はグラスティル以外にも複数存在する。

 神都を守る南東の盾である城塞都市ファルディック、南西の盾である城塞都市ダーケイン、北東の盾である城塞都市リィンセル、北西の盾である城塞都市オズロド、そして北の盾である城塞都市アスティー。南の盾であるグラスティルを含めて実に六つの城塞都市が神都を囲み守っていた。

 人間至上主義を掲げ、人間以外の全ての種族に対して敵対意志を貫いている法国にとって、このくらいの堅牢さはむしろ当然のことと言えるだろう。また、神都を守る六つの城塞都市の防衛力の高さは、他の普通の都市に比べると一段も二段も勝っていた。城壁自体も分厚く頑丈であり、常駐している兵も強者揃いで数も多い。防衛設備も他の都市の物とは質が雲泥の差で、正に『法国最後の盾』という言葉に相応しい。

 城塞都市グラスティルの城壁から3キロメートルほど離れた平原に陣を構えているエルフ第一軍は、城塞都市の堅牢な様子を見つめながら大きな天幕内で今後の作戦会議を行っていた。

 参加しているのはこの軍に配属されている各部隊の隊長と副隊長。そしてこの軍と行動を共にし、時折支援を行っている凍河の支配者コキュートスとその配下である蟲の異形たちだった。

 

「――……流石は“法国最後の盾”と言われる城塞都市の一つ……。ここは他の都市のようにはいかないだろうな……」

「だが、ここを攻略しない事には神都に手出しができない。ここはやはり夜明けを待ってからの奇襲をしてはどうか?」

「奇襲と言うが、あの城壁はどうするのだ! あんなもの、容易には破壊できぬだろうし……近づくことすらままならん。まずはあの城壁をどうにかしなくては話にならんぞ!!」

「いや、そもそもどうもしなくて良いのでは? 要は中に入れれば良いのだから、密かに侵入できる場所を見つけてそこから中に入り、門を開けて全軍を招き入れれば良い。その方が被害も少なくできるだろう」

「侵入できる場所が見つからなかったらどうするんだ。黒風部隊も、今は隠れ都市とやらの探索でこの軍を離れているんだぞ? 彼ら不在で侵入できる場所を見つけるのは至難の業であろうし、そもそもあの国の堅牢な城塞都市に、そのような隙があるとも思えん」

 

 コキュートスの目の前で多くのエルフたちが激しく意見を交わし合う。いつも以上に切迫したような彼らの様子に、コキュートスは無言のまま静かに目の前のエルフたちを観察していた。

 戦闘に関するありとあらゆるものに対して強い興味を持つコキュートスにとって、エルフたちの発言や考え方は全て非常に興味深いものだった。

 過去の蜥蜴人(リザードマン)との戦闘から、コキュートスは既に油断することへの危険性を学んでいる。それ故に相手が誰であろうと注意深く観察し、あらゆる事象に対しても深く考えることを心がけていた。そのためか、これまでも幾度も参加した作戦会議で見聞きしたエルフたちの戦略や知識などは非常に面白く、時折新鮮さすら感じることもあった。法国とエルフとの戦いに際し、支援を行う任務に自分を加えてくれたペロロンチーノに、コキュートスは毎日のように感謝し、改めて深い忠誠を誓っていた。

 

「――……コキュートス殿、貴殿はどのように思われるか?」

 

 今も心の中でペロロンチーノに感謝の念を抱いていたコキュートスは、不意に一人のエルフに声をかけられてそちらに意識を向けた。

 蒼穹の複眼に映ったのは顰め面の金髪のエルフ。

 この軍を指揮する隊長の一人である赤刃(せきじん)第一部隊隊長ナズル・ファル=コートレンジが、まるで睨むようにこちらを見つめていた。

 

「……フム、ソウダナ……」

 

 ナズルからの刺すような視線を歯牙にもかけず、コキュートスはどこまでも冷静に思考を巡らせる。エルフたちの戦い方や強さも考慮しながら思考を巡らせ、どうにも難しい状況に思わず内心で小さな呻きにも似た声を零した。

 一番の障壁となるのは、先ほどから彼らも言っていた通り、都市を囲う分厚い城壁だろう。

 正面突破はエルフたちの力では難しいと言わざるを得ず、となれば考えられる方法は上空か地下からの攻略に絞られる。しかしその両方についてもエルフたちには難しく、またコキュートスも支援が難しいものだった。

 たとえば上空から攻撃する場合、空を飛べるシモベたちを大規模投入させることは可能だ。しかしそれはあまりにも大規模過ぎて、コキュートスの認識では支援の範囲を逸脱しているように思えた。

 であれば地下からの攻撃はどうかというと、そちらはコキュートスや配下のシモベたちでも難しかった。穴を掘って侵入することは可能だが、しかしそれだと相応の時間がかかってしまう。たとえばエントマであれば地中を潜って移動できる大型の蟲を召喚して使役することが可能なのだが、コキュートスはそういった能力を持ち合わせてはいなかった。

 さて、どうしたものか……と頭を悩ませる。

 しかしどうにも良い案が浮かばず、コキュートスは一度城塞都市を再び見てみることにした。

 この場にいる全てのエルフたちが自分を注視していることも構わず、無言のままに座っていた椅子から立ち上がる。思わず身構えるエルフたちには目もくれず、コキュートスは踵を返して天幕の外へと歩いて行った。

 コキュートスの突然の行動にエルフたちは呆然となり、彼のシモベである蟲の異形たちだけが当然のようにコキュートスの後ろに付き従う。

 コキュートスは天幕の外に出て城塞都市が一望できるところまで歩を進めると、3キロメートルほど離れた目の前の城塞都市を見やった。

 50メートルほどの高さがある城壁はどっしりとした佇まいをしており、その上には法国兵だと思われる複数の小さな影が幾つも立っている。エルフたちの話では壁の厚さは大体5メートルほどであるらしく、コキュートスにとっては破壊することは容易でも、エルフたちにとってはやはり難しいものなのだろう。破壊できないのであれば忍び込むことも一つの手だが、しかし先ほどエルフたちが言っていたように唯一忍び込めそうな黒風部隊は現在突如判明した隠れ都市の探索にあたって軍を離れている。

 ウ~ム……と実際に小さく唸り声を零し、そこでふとコキュートスはある考えに思い至った。

 エルフたちが忍び込めないのであれば、それを自分たちが支援するのはどうだろうか……。

 それくらいならば過剰な支援にはならないであろうし、姿が法国兵に見られないのであれば、こちらの存在を大っぴらに知られることも防げるはずだ。

 

「………“八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)”……」

「はっ、ここに、コキュートス様」

 

 コキュートスからの突然の呼び声に、背後に従っていたシモベたちの中からすぐさま十体ものエイトエッジ・アサシンたちが進み出てくる。

 片膝をついて頭を垂れる忍者服の黒い蜘蛛型モンスターに、コキュートスは彼らを振り返ることなく問いのみを投げかけた。

 

「オ前タチナラバ、アノ壁ヲ越エテ内側カラ門ヲ開ケルコトハ可能カ?」

「造作もないことでございます」

「ソウカ。……ナラバ決マリダナ」

 

 エイトエッジ・アサシンからの返答に満足し、コキュートスは一つ頷いて踵を返した。今まで観察していた城壁都市に背を向け、いつの間にかシモベたちの更に後ろに佇んでいたエルフの隊長や副隊長たちに目を向ける。

 緊張したような面持ちでこちらを見つめている彼らに、コキュートスは力強い声音で宣言した。

 

「明朝、コノ都市ヲ攻メ落トス! 各自準備ヲシテオケ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝4時過ぎ。未だ夜は明けることなく空も暗闇に染まっている時刻。

 法国の南の盾と称される城塞都市グラスティルに常駐しているクリス・ベノット・ランフィッシュは、漸く見張りの任務を終えて遅すぎる床に就くところだった。

 身に纏っている重い鎧を脱ぎ捨て、大きな欠伸を零しながら目の前の寝台に倒れ込む。硬くてお世辞にも上等とは言えない寝台ではあるが、それでも疲れた身体には十分有り難く、クリスは思わずフウゥゥ……と大きな息を吐き出した。急激に睡魔が襲いかかり、クリスはもぞもぞと体勢を変えながら眠りやすい姿勢を探す。先ほどまで感じていた緊張感が疲労に変わり、重く全身に圧し掛かってくるのに小さな呻き声を零した。

 城壁の外に布陣しているエルフ軍の姿が瞼の裏に焼き付いており、目を閉じてもなお浮かび上がってくるその姿に思わず眉間に深い皺を寄せる。身体は疲れているのに感情だけが妙に緊張して昂っており、眠たいのに眠れない感覚にクリスは苛立ち混じりに再び寝返りを打った。

 奴らがこの城壁を突破できないことは分かっている。どんなに策を巡らそうと、どんなに躍起になろうとも、自分たちには彼らの刃は一切届くことはないだろう。

 しかし、それが分かってはいても目の前に敵の大軍がいるとどうしても緊張はしてしまう。

 なまじ優秀であるが故に楽観視することができず、それによってストレスを抜くこともできず、何日も続く緊張感に身体も精神もすっかり疲れてしまっていた。

 今日はしっかりと眠りたいものだ……と思いながら閉じた瞼に力を込めた。

 その時……――

 

 

 

「……っ……!!?」

 

 突然鋭い悲鳴が鼓膜を震わせ、クリスはパッと閉じていた瞼を見開いて勢いよく寝台から身を起こした。床に放置していた鎧を急いで身に纏い、剣の柄を掴んで部屋の外へと飛び出す。扉が開け放たれたままなのも構わず、クリスは廊下を駆け抜けてそのまま外へと飛び出した。

 

「……なっ、こ、これはどういうことだ!? 何故エルフたちが中に……っ!!」

 

 目に飛び込んできた光景に、クリスは咄嗟に足を止めながら愕然と声を上げる。

 クリスの視線の先にあったのは、多くのエルフたちから攻撃されながらも必死に応戦しようとしている仲間たちの姿。

 エルフたちは何故か城壁の中に侵入しており、我が物顔で都市内部を駆け回っては仲間たちに襲いかかっていた。

 

「クリスっ!!」

「……っ……!!」

 

 不意に名を呼ばれ、反射的にそちらを振り返る。同じ部隊に所属しているジョルト・メイサル・フラングがこちらに駆けてきており、その手に血濡れた剣が握り締められているのを認めてクリスも漸く剣を両手で構え持った。自身の横に並び立つジョルトと共に目の前のエルフたちを睨み据える。

 こちらに襲いかかってくるエルフたちの刃を躱し、受け止め、切り捨てながらクリスは声を張り上げた。

 

「ジョルト、これは一体どういうことだ!? 城壁が破られたのか!?」

「いや、城壁は無事だ! だが門が開いていて奴らが入って来やがったんだ!!」

「門が開いていた!? そんな馬鹿な!!」

 

 門を閉め忘れるような人間がこの城塞都市にいる筈がない。ただでさえ今はエルフの大軍が都市の外に布陣しているのだ、そんな状態で門を閉め忘れるなどどう考えてもあり得なかった。

 しかしジョルトが嘘を言うとも思えず、クリスは違うエルフを切り倒しながら大きく舌打ちした。

 

「……奴ら、どこからか内部に侵入してきやがったな……!」

「まさかっ!! 警備は完璧だ、誰もが油断なく目を光らせていたんだぞ! エルフ如きが俺たちの目を掻い潜ることなどできる筈がない!!」

「だが、現に奴らは中に侵入しているだろう! 門が独りでに開かない限り、そうとしか考えられない!!」

 

 クリスとて、エルフたちが自分たちの警備を掻い潜って中に侵入してくるなど信じられない。しかし考えてみれば、そもそもエルフたちがこの城塞都市にまで侵攻できていること自体が信じられない事なのだ。

 普通であれば……少なくとも少し前までは、エルフたちは法国に侵攻するどころか国ごと滅亡する寸前だった。しかし気が付いてみればエルフたちはこの短期間で多くの法国軍を退かせ、法国の最後の盾たる城塞都市にまで辿り着いている。

 エルフたちに今までにない何か大きな変化があったことは間違いないだろう。

 一体何が起こっているのか……予想外過ぎる事態に大きな焦りと苛立ちが込み上げてくる。

 しかし今は何よりも目の前のこの状況をどうにかするのが先決だ。クリスは胸に湧き上がってくる多くの感情を必死に押さえこみながら手に持つ剣を振るい続けた。目の前にいるエルフたちを次から次へと切り捨て地に沈めていく。

 何故こんな奴らに……と簡単に地に沈んでいくエルフたちの弱さと自分たちの目を掻い潜って侵入してきたという現実のちぐはぐさに苛立ちが更に募っていった。

 しかし実を言えば、クリスの中には『エルフたちが自分たちの目を掻い潜ってきた』という傷つけられたプライドに対する苛立ちよりも、エルフという存在がこの都市に足を踏み入れたこと自体に対する怒りの方が激しく燃え上がっていた。

 それは、この城塞都市という場所自体が深く関係していた。

 神都を守る最後の盾たる六つの城塞都市は、何も防衛面だけで重要視されている訳ではない。法国人が六つの城塞都市を重要視する理由がもう一つあった。

 六つの城塞都市の中心部には法国が崇拝する六大神の神の巨像がそれぞれ建てられていた。

 この南の城塞都市グラスティルには六大神の一柱である闇の神の巨像が、北の城塞都市アスティーには光の神の巨像が、北東の城塞都市リィンセルには風の神の巨像が、南東の城塞都市ファルディックには水の神の巨像が、南西の城塞都市ダーケインには土の神の巨像が、北西の城塞都市オズロドには火の神の巨像がそれぞれ中心部に建てられているのだ。

 100メートルにも及ぶ巨大な神の石像は優しい眼差しで都市を見守り、それぞれの神を信仰する法国人は崇拝と信仰の心を胸に石像を見上げて心の安寧を得る。六大神を信仰する法国人にとって、六つの城塞都市は正に心のより所であり、神聖な場所であり、六大神それぞれの神の聖地だった。

 そんな聖域にも等しいこの場所に、よりにもよってエルフなどが足を踏み入れてきた。

 特に闇の神を信仰するクリスにとって、それは耐え難いことだった。

 振るう剣に激情を乗せ、一刻も早く生きたエルフたちをこの都市の中から消そうと奮起する。

 しかしその時、突然仲間たちの悲鳴を聞いてクリスは弾かれたように勢いよくそちらを振り返った。

 視線の先にあったのは一度の攻撃で何人もの法国兵が血と共に地面に倒れ込む姿。彼らの奥には一人の金髪のエルフが立っており、手に持つ剣を振るって仲間たちの血を払い落としていた。

 一見無造作に立っているように見えて実際は隙がなく、一目で強者であることが分かる。

 しかし全く勝ち目がないかと言われればそうでもなく、自分とジョルトの二人であれば十分勝算があるとクリスは判断した。

 無言のままジョルトに短く合図を送り、ジョルトも心得たように無言のまま一つ頷いてくる。クリスは一つ頷き返すと、数歩後ろに下がってから相手に気付かれないように遠回りでエルフの背後の位置まで移動を開始した。

 

「そこのエルフッ!! よくも仲間たちを傷つけてくれたな! この俺が相手だ!!」

 

 ジョルトがエルフの意識を向けさせるために声を上げる。

 しかしどうにもワザとらしい言い方に、クリスは隠れて移動しながら思わず顔を顰めた。あれでは逆に怪しまれてこちらの存在に気付かれるのではないか……と不安が込み上げてくる。

 しかし幸いなことに金髪のエルフは真っ直ぐにジョルトに意識を向けているようで、こちらの存在には気が付いていないようだった。

 慎重に金髪のエルフの背後まで移動し、ジョルトと挟み撃ちができる位置まで辿り着く。エルフを挟んで向かい合うような形になったジョルトに目を向け、互いに視線だけで頷き合った。

 剣を持つ手に力を込め、タイミングを計りながら一気に足を踏み出す。

 フッと短く鋭く息を吐きながら剣を振りかぶり、しかしそこでふと、同じタイミングでエルフに攻撃を仕掛けていたジョルトが驚愕に目を見開くのを見た。

 一体どうしたのかと疑問が頭に浮かび、その瞬間、クリスは突然背後から強い衝撃を受けた。思ってもみなかった強すぎる衝撃に全身が硬直し、思考も真っ白になって停止する。目の前の光景がスローモーションのようにゆっくりと流れ、クリスは吸い込まれるような感覚で地面に倒れ込んだ。

 受け身も取れないまま倒れ伏す中、ジョルトの方も驚愕のあまり動きを止めた隙を突かれて金髪のエルフに切り伏せられる。

 二人一緒に地面に転がる中、未だ思考が追いついていないクリスの頭上で金髪のエルフが不機嫌そうにクリスが立っていた場所を振り返った。

 

「……一応礼は言うが、あのくらいであれば手助けは不要だ」

 

 こちらを一切気にする様子もなく何かに声をかけるエルフに、クリスは背中の激痛に顔を歪めながらもエルフの視線の先に目を向ける。

 先ほどまで自分が立っていた場所よりも更に奥に目を向け、そこに立っていた存在にクリスは思わず目を大きく見開いた。

 

「……それはお前が判断することではない。我々はお前たち隊長格の守護も命じられている。お前たちは我々の行動に対し、何かを言う立場にないことを忘れるな」

「……………………」

 

 クリスや金髪のエルフの視線の先にいたのは、巨大な漆黒の異形。手足の数は全部で八本もあり、その内の二本の先の刃が赤い血に濡れている。真新しい血と背に感じる激痛から、恐らく先ほどの衝撃の正体はこの異形からの攻撃だったのだろう。

 一体どこから現れたのか……、いや、そもそも何故こんな異形がエルフたちと共にいるのか……。

 激痛で掠れ始める意識の中で睨むように見つめるクリスに、ふと異形がこちらに目を向けてくる。異形と真正面からしっかりと視線がかち合い、その瞬間ゾクッとした大きな悪寒が全身に走り抜けた。

 異形の視線によって金髪のエルフも漸くこちらに視線と意識を向けてくる。

 

「……そういえば、そのように姿を見せて宜しいのか? 極力あなた方の姿は彼らに見せないことになっていたのでは?」

「問題ない。既に包囲網は完成したと報告を受けている。もはや我らが姿を見せたところで、実際に見た者どもは誰一人として生きてこの都市を出ることはない」

 

 異形の声と言葉がクリスの中で重く響く。同時に激しい警鐘が頭の中に響き、クリスは思わず大きく顔を歪めた。

 エルフたちの突然の異変は、どう考えてもこの異形たちの存在が原因だろう。そしてこの異形たちは、法国の精鋭であるはずのクリスの背後を突き、一撃で瀕死の重傷を負わせられるほどの強者である。

 このままでは法国は大変な事態に陥ってしまう。

 しかし自分はもはや動くどころか呼吸すら苦しい状態で、この情報を神都に伝えることは不可能だ。また、先ほどの異形の言葉が本当ならば、神都に情報を知らせることができる者はもはや誰一人としていない状況に陥ってしまっているのだろう。

 下手をすれば、神都は本当の敵の正体を何も知らないまま危機に陥るかもしれない。

 何故こんなことに……と薄れ始める意識に抗うように地面に爪を立てる中、不意に異形が宙に視線をさ迷わせて小さく首を傾げさせた。

 

「……先ほどから気になっていたのだが、あれは一体何なのだ?」

 

 異形の唐突の言葉に、金髪のエルフは異形が指さす方向に視線を向ける。そこには都市の中心部に建てられている闇の神の巨像の頭部分が多くの建物の屋根の上から姿を覗かせていた。

 この城塞都市で一番尊い存在が異形やエルフたちに見られている事実がクリスの全身に鳥肌を立たせる。

 言葉では言い表せない不快感に思わず奥歯を噛みしめるクリスの様子に気が付くことなく、エルフは無関心な視線を、異形は興味津々な視線をそれぞれ闇の神の石像に向けていた。

 

「………ああ、あれは法国が信仰している六大神の一柱の神の石像だな。この城塞都市は六大神の中でも闇の神の聖地として名高い場所であると聞く。恐らく、あれは闇の神を模った石像なのだろう」

「ほう、なるほど。……確かに崇拝すべき存在をこのように目に見える形で表すのは非常に素晴らしいことだな……! 至高の御方々がこの世界に進出なされた暁には、御方々の素晴らしい像を是非とも建てて頂きたいものだ!」

「……………………」

 

 先ほどまでのどこか冷めたような言動はどこへやら……。興奮したように言葉を捲し立て始める異形に、しかし金髪のエルフは我関せずとばかりに変わらぬ冷めた様子で巨像から視線を外して周りを見渡した。

 いつの間にか周りは大分静かになっており、どうやら戦いは終わりを迎えているようだ。

 クリスが倒れたままの状態で視線のみを動かすと、立っているのはエルフばかり。法国兵で立っている者は誰一人おらず、誰もが自分と同じように血に濡れた状態で地面に倒れ伏していた。

 法国の最後の盾が……法国で最も堅牢であると言っても過言ではないこの城塞都市がほんの数時間で陥落したという事実。

 絶望で目の前が真っ暗になりそうになる中、不意にこちらを見下ろしてきた金髪のエルフと目が合った。

 

「……どうやらこの男はまだ生きているようだが、如何するつもりか?」

「ふむ……。折角だ、捕虜の一人として捕らえておくとしよう。もし不要であれば、その時に処分すれば良いだろう」

「……承知した。それでは、こちらの方で身柄を拘束しておこう」

 

 金髪のエルフの申し出に、異形は当然のように頷いて踵を返してこの場を去っていく。残された金髪のエルフは暫くの間異形の背中を見送った後、次には小さな息を吐き出したと同時に再びこちらを見下ろしてきた。

 向けられる青色の瞳がどこか哀れみの色を浮かべているようで、クリスは本能的な恐怖を湧き上がらせる。

 これから法国は……自分は……一体どうなるのか……。

 分からないこと全てが恐ろしく、自分が恐怖しているという事実が更に恐怖心に拍車をかけていく。

 無意識に瞳に怯えの色を浮かべるクリスに、エルフは静かに歩み寄ってすぐ目の前で片膝をついた。近づいたエルフの整った顔にはやはり哀れみの色があり、鋭い双眸には諦めのような光が小さく揺らめいているように見える。

 エルフは暫く無言のままこちらを見つめた後、次には小さなため息と共に立ち上がった。腰に手を伸ばし、ベルトに差し込んでいた剣の鞘を取り外す。

 エルフは剣の刃を鞘に納めると、そのまま両腕で持ち直した。

 

「……すまんな。己の不運を呪え」

 

 かけられた言葉は、そんな予想外のもの。

 咄嗟に口を開きかけ、しかしエルフが両手で持った剣を大きく振るう方が早かった。

 勢いよく迫りくる剣の鞘の先。

 強く顔面を打ち付けられ、強制的に意識が闇に沈んでいく。

 クリスは自身や法国の今後の未来に恐怖心を抱きながら、成す術なく意識を手放すのだった。

 

 




今回はシモベたちがメインの話となりました!
アウラとコキュートスの活躍を書く機会が今まであまりなかったので、二人の活躍が書けて結構楽しかったです(笑)


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第73話 蒔かれる種

原作の新刊が出る前に『法国編』を終わらせたかったのに、書き終わらせることができなかった……。
無念……orz
『法国編』は完全オリジナルで原作とは異なる内容にしようと思っているので、法国やエルフ王国等について原作と相違があったとしても書き直す(修正する)予定はありません。
あらかじめご了承ください……(土下座)


 ヘッケランはこれまでにない程に緊張していた。

 目の前には何度となく見たことのある茶色の木の扉。表面には林檎が実った木の枝と、その上で歌っている小鳥の姿が彫られている。

 何とも和やかなその絵は、しかしヘッケランの緊張を少しも和らげてはくれなかった。

 ノックをしようと軽く挙げた拳は小刻みに震え、否が応にもひどく緊張していることを彼自身や周りに知らしめてくる。

 しかしヘッケランは――この場では特に――情けない姿を周りに見せる訳にはいかなかった。

 というのも……――

 

「ここが目的地?」

「そこが目的地?」

 

 背後から幼く可愛らしい少女の声が二つ聞こえてくる。チラッと後ろを振り返ってみればアルシェの両脇によく似た二人の少女が立っており、興味津々といった表情を浮かべてこちらを真っ直ぐに見つめていた。

 大切な仲間の大切な妹たちから向けられる、無垢で純粋な視線。

 一人の男として、“フォーサイト”のリーダーとして、この幼い少女たちの目の前で無様な姿を晒すわけにはいかない……!!

 ヘッケランは一度生唾を大きく呑み込むと、意を決して目の前の扉をノックした。緊張から思った以上に力が入り、普段よりも幾分激しい音が響いて咄嗟に肩が跳ね上がる。後ろに控えるように立っている仲間たちから呆れたようなため息や小さな苦笑の音が聞こえてきて、ヘッケランは思わず小さく首を竦めた。

 

『――……どうぞ』

 

 一拍後、扉の内側から男の声が聞こえてくる。

 入室を促す言葉にヘッケランは一度フゥゥ……と大きく息を吐き出すと、仲間たちをチラッと振り返って彼らの様子を確認してからドアノブに手をかけた。使いこまれた金属のドアノブを操作し、目の前の扉を押し開ける。

 軋む音一つたてずにすべらかに開いた扉と、目の前に広がる室内の光景。

 徐々に視界に映り込んできた室内の様相に、ヘッケランを含む“フォーサイト”のメンバーは全員驚愕に大きく目を見開いた。

 

「ようこそ、“フォーサイト”の皆さん。さぁ、中にお入りください」

 

 少々癖の強い男の声が中に入るよう招いてくる。

 ヘッケランたちはあまりの光景に思わず呆然となり、しかしアルシェの両脇に立っていた双子の少女たちだけは聞き覚えのある声に笑顔を浮かべて、楽しげな笑い声を上げながら駆けるように部屋の中へと飛び込んでいった。

 元気よく駆けまわる少女たちにつられるようにしてヘッケランたちもゆっくりとした足取りで室内に足を踏み入れていく。

 そこは正に予想を超えた信じられない場所だった。

 ここはバハルス帝国帝都にある“歌う林檎”亭というどこにでもあるような普通の庶民的な食堂兼宿屋だ。決して高級な宿屋などではなく、食堂も宿の部屋も質素で素朴でどこまでも普通である。ヘッケランたちも幾度となく利用したことがある宿屋の一室は、しかし今は見たことがない程に豪華で美しい様相に様変わりしていた。

 暗い紫色の毛足の長いカーペットと艶めかしい光沢のある複雑な彫刻がなされた黒木のテーブル。上には白を基調とした黒と銀で美しい紋様や装飾が成されたティーカップが置かれており、中からは芳しい紅茶の香りが漂っている。テーブルの周りには柔らかそうなクッションが敷き詰められた大きな寝椅子(カウチ)や一人掛けのソファーが幾つも置かれており、それぞれの傍らにはシックで気品のあるスタンドライトや小さなテーブルなどが備え付けられていた。

 正にどこかの高級宿屋の一室か貴族の屋敷の一室かと思えるほどの様相に言葉を失う。

 未だ呆然と室内を見回すヘッケランたちを尻目に、部屋中を駆け回っていた少女たちが寝椅子に腰かけている男に勢いよく駆け寄っていった。

 

「こんにちは、ネーグル様! すっごく素敵なお部屋ね!」

「こんにちは、ネーグル様! 前に住んでいたお家みたい!」

「こんにちは、クーデリカさん、ウレイリカさん。お褒め頂き光栄です。……さぁ、“フォーサイト”の皆さんもどうぞ、こちらへ。リーリエ、すまないが彼らの紅茶も用意してくれるかな?」

「はい、畏まりました」

 

 この部屋を借りている“サバト・レガロ”のリーダーであるレオナール・グラン・ネーグルが部屋の隅に控えるように立っている美女を振り返って声をかける。同じチームのメンバーであるはずのその美女は、まるで主人に仕えるメイドのように恭しく頭を下げると、すぐ近くに置いてあったワゴンに歩み寄って作業を始めた。その間にも再度レオナールから座るように促され、そこで漸くヘッケランたちは近くにあった一人掛けのソファーにそれぞれ腰を下ろした。二人の少女も男から離れて姉の元に戻ると、三人で少し大きめの寝椅子に腰を下ろす。

 用意されている寝椅子やソファーはどれも見るからに一級品で、敷き詰められているクッションは程よい柔らかさで手触りもよく、座り心地も信じられないほど良いものだった。

 しかしヘッケランは上等なソファーに感動するよりも先に自身の服の汚れや手垢などが付いてしまわないかヒヤッと背筋に冷たいものを走らせていた。仲間たちも自分と同じ心境なのだろう、恐ろしく座り心地が良いはずなのに、誰もが座り心地が悪そうに顔を引き攣らせて小さく身動ぎを繰り返している。唯一、何の物怖じもせずにはしゃぎ座っているのはクーデリカとウレイリカくらいだ。

 

「“フォーサイト”の皆さま、どうぞ」

「………あ、…ありがとうございます……」

 

 どこまでも無邪気な双子の少女たちを苦笑と共に見つめる中、不意に声をかけられたと同時に目の前のテーブルの上にティーカップが置かれる。

 ティーカップのデザインはレオナールが使っている物と同じ物。中には橘色の液体が湯気と共に小さく揺れており、先ほど鼻腔を擽ったものと同じ芳しい香りが漂ってきた。

 香りからして紅茶であろうその液体は、しかしヘッケランが今まで見てきた物に比べると明らかに色が濃い。

 内心首を傾げながら、ヘッケランは好奇心に突き動かされるように恐る恐るティーカップに手を伸ばした。慎重な手つきでカップを両手で包み込むように持ち、そのまま顔の辺りまで持ち上げる。漂ってくる芳香を一度胸いっぱいに吸い込むと、次にはゆっくりとカップを口につけて液体を口内に流し入れた。

 

「……っ……!!?」

「……うわっ、なにこれ! すっごく美味しい!」

 

 口いっぱいに広がった濃い紅茶の味に思わず目を見開く中、同じタイミングでティーカップに口をつけていたイミーナから驚愕の声が上がる。アルシェやロバーデイクも驚いた表情を浮かべており、無言のままじっと紅茶を見つめていた。

 平民である自分たちだけでなく元貴族であるはずのアルシェでさえ驚愕の表情を浮かべていることは驚きだったが、それよりもこんなに味が濃く上質な紅茶を気軽に振る舞えること自体が信じられなかった。

 自分たちは知らぬ間に王城にでも迷い込んでしまったのだろうか……とあり得ないことを思わず考え込む。

 そんな中、不意にクスクスという小さな笑い声が聞こえてきてヘッケランはハッと我に返った。慌ててそちらに顔を向ければ、レオナールが楽しげな笑みを浮かべてこちらを見つめている。

 笑みの形に柔らかく歪んでいる金色の瞳と目が合った瞬間、一気に羞恥心が湧き上がってきてヘッケランは持っていたティーカップを素早くテーブルのソーサーに戻すとピンッと背筋を伸ばした。

 

「し、失礼しましたっ!!」

「いえいえ、口に合ったのなら何よりです。リーリエ、良かったな」

 

 軽い口調で声をかけるレオナールに、リーリエは無言のまま深々と頭を垂れる。

 二人のやり取りを見つめた後、ヘッケランは一つ大きな咳払いをした後に気を取り直して顔の筋肉を引き締めた。

 

「そ、それで……今日は一体何の御用で俺たちを呼んだんでしょうか?」

「ああ、そうでしたね。何も説明しておらず、失礼しました」

 

 ヘッケランの問いに、レオナールは未だ柔らかな微笑を浮かべながらもスゥ…と背筋を伸ばして姿勢を正す。

 それだけで空気が引き締まったように感じて、ヘッケランは無意識に身体を緊張で強張らせた。

 

「……ああ、そのように緊張なさらずに。別に悪い知らせをしにお呼びしたわけではないのですよ。皆さんをお呼びしたのはフルトさんの件についてです。実は先日パラダイン様と話す機会がありまして、その際にフルトさんのことを相談したのです」

「……っ!! そ、それで……、どうなったんですか!?」

 

 思ってもいなかった言葉に緊張していたことも忘れて知らず大きく身を乗り出す。

 相対するレオナールは変わらず落ち着いた様子で、静かにヘッケランや“フォーサイト”のメンバーを順々に見つめた。

 

「パラダイン様はフルトさんの現状を知って非常に驚かれていました。以前フルトさんが学院に通われていた時に感じていた魔法の才能や可能性について話して下さり、もしそれが未だフルトさんに備わっているのであれば、力添えを行うのも吝かではないとおっしゃって下さいました」

「……えっと……、……それは、つまり……?」

「つまり、全ては今のフルトさんを見て判断するということです。それもあって、皆さんにここまでご足労頂いたのですよ」

 

 軽やかに言ってのけた後ににっこりと笑みを浮かべるレオナールに、ヘッケランだけでなくイミーナとアルシェとロバーデイクの頭上にも幾つもの疑問符が浮かぶ。

 レオナールの言葉の内容は理解できるものの、それで何故自分たちをこの場に呼んだのかが分からなかった。

 ただ単に『話したいことがあるから来てほしい』というのであれば理解できる。ヘッケランとて『いや、こっちを呼びつけるんじゃなくて、そっちが来いよ』などと言うつもりはないし、そう思うことですら“サバト・レガロ”に対してはもはや恐れ多かった。

 ヘッケランが思うのはそういうことではなく、先ほどのレオナールの口振りから、ただ『話したいから呼んだ』という訳ではなく“自分たちがここに来ること自体に意味がある”と言っているように感じたのだ。加えて、ヘッケランたちはレオナールからの手紙を受け取って今日ここに来たのだが、その手紙には『アルシェの妹二人もつれてきてほしい』という旨の文字が綴られていた。これは一体どういう意味で何の目的に繋がるのか……。

 思わず仲間たちと顔を見合わせて首を傾げる中、まるでこちらのタイミングを見計らったかのように不意に扉からノックの音が響いてきた。

 ヘッケランと仲間たちは驚愕と共に扉を振り返り、しかしレオナールは少しも驚いた様子はなくリーリエに扉を開けるように指示を出す。

 リーリエは一度恭しくレオナールに一礼すると、素早い動作で扉の前へと歩み寄っていった。丁寧な動作で扉を開け、外に立っている人物を確認してから中に招き入れる。

 リーリエに従って部屋に入ってきたのは焦げ茶色のフード付きのマントを目深に被った一人の人物。

 背が前のめりに曲がっていることやフードからはみ出している長い髭から、その人物がどうやら老人であることが窺い知れる。

 一体誰なのか……とヘッケランが思わず小さく眉を顰める中、不意にアルシェが驚愕に目を見開いて大きく息を呑んだ。勢いよく寝椅子から立ち上がり、そのまま石にでもなってしまったかのように固まる。水色の瞳は真っ直ぐに老人に向けられ、ゆっくりと開かれた唇は小さく震えていた。

 

「………パ、パラダイン…さま……っ!!」

「「「……っ……!!」」」

 

 アルシェの口から零れ出た名前に、ヘッケランは思わず驚愕の表情を浮かべてソファーから立ち上がる。イミーナやロバーデイクも同じようにソファーから立ち上がり、部屋の空気が一気に張り詰めたものに変わった。

 しかし注視されている本人は落ち着いた様子を崩さず、ゆっくりと両手を上げてフードに手をかけた。

 

「……久しぶりじゃな、アルシェ・イーブ・リイル・フルト」

 

 フードの中から現れたのは深い皺を刻んだ老人の顔。豊かな白い眉毛と髭を持ち、眉毛の下から覗く双眸はどこまでも静かで理知的なものだった。腰が曲がっていることもあって小柄に見えるものの、流石は世界中で名高い逸脱者たる大魔法使いというべきか、漂ってくる迫力は相当なものに感じられる。

 誰もがあまりの急展開に反応できずにいる中、不意にレオナールの柔らかな声が張り詰めていた空気を打ち破った。

 

「ようこそおいで下さいました、パラダイン様。お待ちしておりましたよ」

「………到着が遅くなってしまい、誠に申し訳ない。弟子たちを言い包めるのに少々苦労しましてな」

「御一人で行動するのも大変ですね。どうぞ、こちらにお座りください。リーリエ、紅茶の用意を」

 

 寝椅子から立ち上がってフールーダを迎えるレオナールと、ゆっくりとした足取りでレオナールの元に歩み寄るフールーダ。

 二人のどこか親しげな様子に、二人を見つめるヘッケランは思わず内心で小さく首を傾げた。

 一瞬、この大魔法使いの老人がレオナールに対してどこか畏まるような素振りを見せたような気がしたのだが、見間違いだろうか……。

 ヘッケランの頭の中で『確かに見た!』という声と『唯の気のせいだ』という声が激しく鬩ぎ合って渦を巻く。

 片や帝国の守護者であり逸脱者たる大魔法使いと、片や一介のワーカーでしかない男。

 普通に考えて、たとえ帝国一の人気を誇るワーカーチームのリーダーといえど、それだけでは彼のフールーダ・パラダインがレオナールに対して畏まるとは到底考えられない。

 『やはり唯の気のせいだったのだろうか……』と思いながら、しかしヘッケランはその一方でどこか誇らしいような……少し胸が熱くなるような感覚を覚えていた。

 決して自分たちを卑下するわけではないが、“ワーカー”という職業は世間一般には決して立派なものではなく、誇れるようなものでもない。誰かに尊敬されることもないし、逆にマイナスな視線を向けられることの方が圧倒的に多い。

 にも拘らず、同じワーカーであるはずのレオナールがあの大魔法使いに一定の敬意を向けられているのであれば、それは同じワーカーとしてとても誇らしいものだった。

 

「皆さんもお座りください。このままでは落ち着いて話もできないでしょう」

 

 知らず自身の思考に深く沈んでいたヘッケランは、不意に聞こえてきたレオナールの声にハッと我に返った。見てみればフールーダは既にレオナールの隣に位置する一人掛けのソファーに腰を下ろしており、ヘッケランは慌てて再びソファーに腰かけた。

 とはいえ、ここからどういった対応をするべきなのか分からず、思わず無言のまま途方に暮れる。

 アルシェが現在所属しているチームのリーダーとしてやはり挨拶するべきだろうか……と悶々と考え込む中、不意にフールーダの方が声をかけてきた。

 

「………ネーグル殿から既に事情は聞いておる。……何故学院を突然去ったのかも、何故ワーカーになっているのかも……」

 

 老人の目は真っ直ぐにアルシェだけに向けられている。

 アルシェはそれに気まずそうに顔を俯かせると、両膝に乗せている両手を力なく握りしめた。

 

「……その節は、何も言わずに学院を去ってしまい、申し訳ありませんでした……」

「いや、良い。……確かに数日前までは理由が分からず怒りも覚えていたが、理由を知った今では何も言わずに去ったお主の心情も理解できる」

「……………………」

 

 アルシェにかけられる声はどこまでも静かで優しい。向けられている視線にも一切怒りの色は宿っておらず、ヘッケランは思わず小さくホッと安堵の息をついた。

 アルシェもフールーダの様子に気が付いたのだろう、先ほどまで強い緊張で蒼褪めていた顔色は幾分血の気が戻り、俯けていた顔を恐る恐る上げてフールーダを見やった。

 

「今重要なのは過去の事よりもこれからのことだ。聞けば、両親の借金が原因で今のチームにも居づらくなっているとか……」

 

 フールーダの言葉が途中で切れ、静かな双眸がアルシェからこちらに向けられる。問うようなその視線に、ヘッケランは思わず背筋を伸ばしながら表情を引き締めた。

 フールーダほどの高位の存在と会話などしたことはなく、自然と口内が緊張でひどく乾く。

 ヘッケランは舌がもつれないように気を付けながら、慎重に言葉を選んでこれまでのことをフールーダに説明し始めた。

 アルシェが“フォーサイト”に加入したところから始まり、アルシェの活躍や、彼女が如何にチームの助けになっていたかを話す。また、突然現れた金貸しの存在やアルシェ本人から聞いた事情、フルト家の現状、妹二人の存在とアルシェ本人の決意なども順を追って説明していく。

 フールーダは始終無言のままヘッケランの言葉に耳を傾けていたが、その表情は長い眉毛や髭に大部分が隠れていてなお不機嫌そうに歪んでいるのが見てとれた。

 

「――……と言う訳で、これからについて悩んでいたところにネーグルさんが声をかけて下さり、パラダイン様のお力をお借りできないかという話になった次第なのです」

「……なるほど、どうやら大変な苦労をしてきたようだな」

 

 ヘッケランの説明を聞き終え、フールーダは一度フゥゥ……と大きく息を吐き出す。片手を皺が多く刻まれている額に押し当て、一拍後にその手を離して改めてアルシェに目を向けた。

 暫くの間、何かを探るようにじっと彼女を見つめる。

 アルシェも真っ直ぐにフールーダの目を見返す中、フールーダはもう一度大きなため息にも似た息を吐き出した。

 

「……確かに、お主は優秀な生徒の一人だった。その若さで第三位階まで使いこなせること自体が驚嘆に値する。……しかし、どうやらお主の成長は既に止まりかけているようだ。……恐らく今以上の成長はもはや見込めまい」

「「「……っ……!!」」」

 

 フールーダの言葉に、アルシェ本人だけでなくヘッケランや他の仲間たちも全員が驚愕に息を呑む。ヘッケランはフールーダの言葉が信じられず、何かの聞き間違いではないかとさえ思った。

 アルシェは間違いなく“フォーサイト”の頼もしい仲間であり、替えの効かない重要な主戦力だ。未だ十代で若いということもあり、とてもここが成長の限界であるとは思えなかった。

 勿論何事にも限界というものはあり、それは生まれながらのものであって、たとえどんなに努力したところで越えられない境界線があることも理解している。

 しかしその限界をこんなにも早く迎えることなど本当にあり得るのだろうか……。

 思わず反論するべく口を開きかけ、しかしフールーダが再び声を発する方が早かった。

 

「とはいえ、第三位階の魔法の使い手自体が少ないことは事実。そして、実戦の経験を豊富に持つ者が貴重な存在であることも変わらぬ事実であろう」

「……!」

「加えて、わしはお主の妹たちにも少し興味がある」

「……え……?」

 

 フールーダからの突然の思わぬ言葉に、アルシェは小さな驚愕の声と共に傍らに座る自分の妹たちに目を向けた。ヘッケランも驚愕の表情を浮かべ、仲間たちと共にクーデリカとウレイリカを振り返る。今まで姉の隣で大人しくしていた双子の少女たちは、突然自分たちに向けられた多くの視線に一様にキョトンとした表情を浮かべている。

 不思議そうに小さく首を傾げる双子の少女たちに、フールーダが柔らかな光を瞳に宿らせた。

 

「……未だ長年の感覚による予感でしかないが、……もしかすればその子たちはお主と同等か、或いはそれ以上の才能を持っているかもしれぬ」

「まさか……、……クーデリカとウレイリカが……!?」

「勿論、全ては学ぶ機会と能力を高められる環境があってこそではあるがな」

 

 言葉を重ねるフールーダに、しかしヘッケランは今もなお信じられなかった。アルシェも同じ思いなのだろう、どこか呆然とした様子で自分の幼い妹たちを見つめている。

 しかし、どうやらそう思っているのは自分たちだけのようで、今まで口を閉ざしていたレオナールが徐に口を開いてきた。

 

「なるほど。確かに姉が優秀であるなら、その妹たちも姉と同じ才能を持っている可能性は高いでしょうね」

「そうですな。もし姉と同じように魔法学院に入学させることが出来れば、彼女たちも才能を伸ばし素晴らしい人材となれるやもしれぬ」

「ですが、魔法学院に通わせるには少々幼過ぎるのでは?」

「左様。ですので、もし彼女たちさえ良ければ我が屋敷に受け入れたいと考えているのだが……」

「……!!」

 

 自分たちそっちのけでどんどん進んでいく会話に呆然とし、加えてフールーダの口から突然飛び出てきた言葉に更に度肝を抜かれる。

 思わず『何を言っているのか』と口を開きかけ、しかしフールーダが浮かべている真剣な表情を見てヘッケランは咄嗟に口を閉ざした。

 フールーダの目には真摯な光が宿っており、本気で彼女たちの行く末を案じ、また幼い少女たちに期待を寄せているのが見てとれる。

 大魔法使いのその様子に、ヘッケランはそこで漸く『本当に彼らの言う通りなのかもしれない』と思い至った。

 そもそも冷静に考えてみれば、才能とは生まれながらに持っているものであって、そこに年齢は全く関係ない。あのフールーダ・パラダインがここまで言ってくれているのだ、本当にクーデリカとウレイリカには姉譲りの類稀な才能があるのかもしれなかった。

 それによくよく考えてみれば、これは非常にありがたい話でもある。

 フールーダからの申し出を受ければ、クーデリカとウレイリカは安心して姉と共に住む場所を得ることができるし、アルシェも今まで通り“フォーサイト”の一員として活動することができるようになるだろう。また先ほどのフールーダの口振りから推察するに、クーデリカとウレイリカは早い段階から魔法学院と同程度の教育を受けることができるようになるかもしれない。それは彼女たちの今後のことを思えば、非常に大きなメリットになる。そして何より重要なのは、クーデリカとウレイリカがフールーダの屋敷で暮らすことになれば、彼女たちはフールーダ・パラダインの保護下に入るということを意味する。帝国に暮らす者にとって、これ以上に安全なことはない。

 ヘッケランは内心で一つ頷くと、未だ戸惑った表情を浮かべているアルシェを振り返った。

 

「良いんじゃないか? 俺はパラダイン様の申し出を受けるべきだと思うぞ」

「……ヘッケラン……。……で、でも……」

「パラダイン様の申し出を受ければ、生活できる場所は手に入るし、アルシェだって安心して家を空けることができるだろう? それにクーデリカちゃんとウレイリカちゃんの今後のことを考えれば、教育を受けられるっていうのはすごく重要なことだ」

「……そうですね、確かにヘッケランの言う通りだと思います」

「私もヘッケランと同意見だわ。何より、あのフールーダ・パラダインの御膝元にいられるんだもの。金貸し共も近づけなくなるでしょうしね」

 

 ヘッケランに加勢するように、ロバーデイクとイミーナも賛同の声をかけてくる。

 アルシェはヘッケラン、ロバーデイク、イミーナの順に顔を向けると、次にはこちらの言葉を熟考するように顔を俯かせた。

 未だ迷っているようなその様子に、ヘッケランは思わず仲間たちと顔を見合わせる。

 何故彼女がこんなにも迷うのか内心で首を傾げる中、不意にレオナールが寝椅子から立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。

 

「……大切な妹たちの生活に深く関わってくるのです、悩まれるのは当然のことでしょう。しかしフルトさん、一人で悩んでも解決しないことは多々あります。折角この場に当人たちが揃っているのですから、何か気にかかることがあるのであれば口に出してみてはいかがですか?」

 

 レオナールは地面に片膝をついて身を屈め、アルシェの顔を見上げるようにして優しく語りかけてくる。

 その様はまるで幼子に接するようなそれで、しかしそこには深い労りと思いやりに溢れている様に見えて、ヘッケランは自然と胸を熱くさせた。

 アルシェもヘッケランと同じように思ったのか、俯かせていた顔を上げてレオナールを見つめ、次にこちらに顔を向けてくる。

 どこか不安そうに揺れている水色の瞳を向けられ、ヘッケランは安心させるように笑みを浮かべて力強く頷いてみせた。

 

「………パラダイン様のことは、信頼している。すごく有り難い話だとは、私もそう思っている。でも……、本当に良いのか分からない……。パラダイン様に迷惑がかかるかもしれないし……、クーデリカとウレイリカにとって何が一番良いのか自信が持てない。……だから、悩んでいる……」

 

 まるで自身の思いや考えを分析するようにしながら、ゆっくりとアルシェが言葉を紡いでいく。

 それを聞きながら、ヘッケランは思わず小さく眉尻を下げて苦笑を浮かべた。

 全くこの少女は真面目で優し過ぎる……と思わずため息が出そうになる。一番苦しいのは自分であろうに、それでもなお妹たちやパラダインに対してまで心を砕いている様子にいじらしさすら感じた。

 しかしアルシェが思っていることや考えていることは全て不要なものだ。

 ヘッケランは一つ大きな息をつくと、ここはリーダーとしてガツンッと言ってやろうと胸を張った。

 アルシェに向かって口を開きかけ、しかしそれよりも先にイミーナが口を開く方が早かった。

 

「なぁ~に言ってんの! あんたはまだ子供なんだから、そんなことまで心配したり気を遣わなくても良いのっ!」

「……イミーナ……」

「それに、あんたには私たちもついてる! 何も遠慮することなんてないのよ」

 

 膨らみが一切ない絶壁の胸を大きく張りながら言ってのける様は、そこらの男たちよりも余程格好よく男らしい。

 『流石は我らが副リーダーだ……』と少々出鼻を挫かれて内心で半笑いを浮かべる中、アルシェはイミーナの言葉に勇気づけられたのか小さな笑みを浮かべて一つ頷いてきた。改めてフールーダに向き直り、次には深々と頭を下げる。

 

「パラダイン様、是非ともその申し出を受けたいと思います。どうか、宜しくお願いします」

 

 頭を下げたまま申し出を受ける旨を伝えるアルシェに、フールーダもまたゆっくりと大きく頷いた。

 

「こちらこそ宜しく頼もう、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。我が屋敷には使用人も弟子も何人かおる。わしが不在の時も、誰かが必ず屋敷にはいるので心配はいらぬだろう。また何かあれば遠慮なく誰かに相談しなさい。勿論、わしに直接言っても構わぬのでな」

「ありがとうございます」

 

 フールーダの優しい言葉に、アルシェは頭を上げながら小さな笑みを浮かべる。

 部屋に和やかな空気が流れる中、不意にパンッパンッとレオナールが軽く手を打ち鳴らした。

 

「話が良い形にまとまったようで何よりです。では折角ですので、このままお茶会でも致しましょうか。クーデリカさんとウレイリカさんはこれからパラダイン様の元でお世話になることですし、親交を深める良い機会となるでしょう」

「そうですな。思えばこれほど幼い教え子を持つのは初めてのこと。……何やら教え子というよりも孫のように感じてしまいそうではあるが……」

「そ、そんな、パラダイン様の孫だなんて! そ、それは流石に恐れ多すぎます!」

 

 “孫”という言葉に反応して、アルシェが恐縮したように身を縮み込ませる。

 それに部屋中に暖かい笑い声が溢れて響く中、一瞬レオナールが何かに反応するように金色の双眸を宙に彷徨わせたことに、この場にいる誰も気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、ここはリ・エスティーゼ王国にある辺境の村・カルネ村。

 大分復興が進み、活気と穏やかさが戻ってきている村の中で、一人の少女が忙しなく周りを見回しながら村中を駆け回っていた。

 

「エンリ、そんなところで何をしているんだ!?」

 

 不意に声をかけられ、少女……エンリはそちらを振り返る。

 視線の先に片手を高く挙げた男が一人立っており、エンリはそちらに足先を向けて再び駆け出した。

 

「遅くなってしまって、ごめんなさい! ネムを探しているんだけど見当たらなくて……。アインズ様はもういらっしゃってる?」

「いや、まだだ。だが、もうそろそろ来られるはずだ。ネムちゃんならもう村長の家に来ていたぞ」

「えっ!? もう、あの子ったら!」

 

 男の言葉にエンリは驚愕の表情を浮かべ、次には怒りの表情を浮かべる。

 しかしその顔には確かに安堵の色も強く浮かんでおり、エンリは一度大きな息をついて怒らせていた肩をすとんっと落とした。

 

「ほら、早く行こう。……そういえば、ツアレさんの方は大丈夫なのか?」

「ええ。まだ本調子じゃないみたいで、今は眠っているから大丈夫だと思う。“クアエシトール”の人たちには薬草摘みと狩りのお願いをしていて今出てもらっているから、まだもう暫くは戻ってこないと思うし……」

「そうか。何だか仲間外れをしているみたいで気が引けるが、かといって彼らにはまだアインズ様たちの存在を知らせるわけにはいかないからな」

「そうね。……でも、こんな風にアインズ様が突然いらっしゃるなんて初めて。……何かあったのかしら……」

 

 男と共に足早に村長の家に向かいながら、エンリは湧き上がってきた不安に小さく表情を翳らせる。無意識に拳を胸元に当て、小さく顔を俯けて目を伏せた。

 確かに彼らからの突然の接触はこれまでにも何度かあった。しかしその殆どがマーレという闇森妖精(ダークエルフ)の美少女の口から“言伝”という形で齎されていた。時折アインズたち自らがカルネ村に来ることも何度かあったが、その時はいつも仮の姿でカルネ村を訪れていたし、今回のようにわざわざ多くの村人たちを村長の家に集合させるというようなこともなかった。

 今までになかった事態に、何かマズいことでも起きたのかと不安が膨れ上がる。

 最近ペロロンチーノがカルネ村に来てくれていないことも相俟って、エンリはどんどん不安を募らせていった。

 

「……何があったのかは分からないが、きっと大丈夫だ。あの方々は、いつも俺たちのことを気にかけて下さっているだろう?」

「それは私だって分かっているけど……」

「アインズ様方を信じよう。ほら、見えてきた。まずは中に入ろう」

 

 励ましの言葉と共に促され、そこで漸く俯けていた顔を上げる。

 視線の先には目的地である村長の家がすぐそこにあり、エンリは一度大きな息をつくと、胸の内で渦を巻いている不安を誤魔化すように大きく足を踏み出した。

 一度扉の前で足を止めてノックし、自身の名前を名乗ってから扉を押し開ける。

 家の中には既に多くの村の人間が集まっており、その中に妹の姿を見つけてエンリは思わずそちらに駆け寄った。

 

「ネムっ!!」

「あっ、お姉ちゃん!」

「もう、勝手に一人で行ったらダメじゃない! 心配したのよ!?」

「ごめんなさい……。ペロロンチーノ様に会えるかと思って……」

「……………………」

 

 妹の口から零れ出た言葉に、エンリは思わず口を閉ざした。何を言って良いのか言葉が見つからず、無言のまま何度も口を開閉させ、仕舞いには眉を八の字に垂れ下げる。

 ネムがペロロンチーノにひどく懐き、いつもペロロンチーノに会いたいと思っていることをエンリは知っている。エンリ自身も同じくペロロンチーノにまた会いたいとずっと思っているのだ、妹の気持ちは痛いほどに良く分かった。『きっとペロロンチーノ様はとても忙しいのだろう』といつも自身に言い聞かせて納得したように振る舞ってはいるが、それでも心を納得させるのはとても難しい。それが分かっているだけに、自分よりも幼いネムに何を言ってやれば良いのか分からなかった。

 どこか沈んだ重たい空気が二人を包み込む中、しかし幸いなことに第三者の登場がその空気を打ち破った。

 

 

 

「――……ほう、既に集まっているようだな。皆さん、忙しい中お集まりいただき感謝します」

「「……!!」」

 

 突然聞こえてきた声に、エンリやネムだけでなくこの場にいる全ての者が驚きと共にそちらを振り返る。

 視線の先には、久しぶりに見た骸骨姿のアインズがマーレを伴っていつの間にかこの場に出現していた。

 恐ろしい見た目に反して柔らかで穏やかな声音と物腰に、反射的に強張っていた身体からフッと力が抜けていく。続いてエンリたちの顔に浮かんだのは柔らかな笑顔で、エンリたちは失礼にならない程度にアインズに歩み寄ると、それぞれ頭を下げたり声をかけたりした。

 

「アインズ様! またカルネ村に来て頂けて嬉しいです!」

「アインズ様が呼ばれていると聞けば、集まるのは当然のことです!」

「ですが、何かマズいことでもあったのでしょうか……?」

 

 口々に言葉を発する人々に、アインズは無言のままその一つ一つに耳を傾けてくれている。

 そして人々の声が収まってきた頃を見計らったかのように、アインズは一つ頷いて再び骨の顎を少し動かして声を発するような素振りを見せた。

 

「まずは皆さんが我々のことを歓迎してくれていることに感謝します。それから、急な来訪で不安を抱かせてしまったことを深く謝罪します。申し訳ありませんでした」

「い、いえ、そんな! アインズ様が謝られることなんて何もありません!!」

「どうか頭をお上げください!!」

 

 アインズが頭を下げたことで、途端に悲鳴のような声が至る所から上がってくる。

 エンリも声を上げそうになり、しかしその前にアインズが小さな笑い声と共に顔を上げた。

 

「皆さんの広い心に感謝します。それで、今回皆さんをお呼びたてした理由なのですが、どうやら王国の王都で不穏な動きがあると小耳にはさみまして……。もしかしたらこの村が面倒事に巻き込まれる可能性が出てきたため、忠告をしに来たのですよ」

「面倒事? ……それは、一体……?」

「そもそも、何故この村がそのような……?」

 

 アインズの言葉に、誰もが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。エンリもまた理解が追いつかず、思わず小さく首を傾げた。

 このカルネ村は王国の中で特に端に位置している辺境の村だ。たとえ王国王都で不穏な噂や影があったとしても、こんな辺境の村にまでその影響が及ぶとはとても思えなかった。

 しかしそんな自分たちの考えを余所に、アインズはしっかりと頭を横に振ってきた。

 

「皆さんが仰りたいことも分かりますが、事はそう簡単なことではないのです。実は王都での怪しい動きの根本的な原因は、毎年行われている帝国との争いに、帝国のワーカーである“レオナール・グラン・ネーグル”が参加するという情報が流れたためなのです」

 

 アインズのその言葉に、それだけでエンリは全てを理解した。彼女の脳裏に複数の人物の顔が浮かび上がってくる。

 この村を救ってくれた恩人の一人であり、ワーカーチーム“サバト・レガロ”の“レオナール・グラン・ネーグル”という仮の姿も持っているウルベルト・アレイン・オードル。

 村の外では“レオナール・グラン・ネーグル”の仲間という形でカルネ村にいるマーレ。

 そして“レオナール・グラン・ネーグル”について探りを入れるために最近この村に来たアダマンタイト級冒険者の“蒼の薔薇”たち。

 恐らく王国王都では、カルネ村は“レオナール・グラン・ネーグル”と深い関わりのある村だと認識されているのだろう。

 であれば、先日の“蒼の薔薇”たちのように誰かがまたこの村に来るかもしれない。

 

「――……情報を得るために王都の人間がこの村に来るだけならまだ良いでしょう。しかし場合によっては“レオナール・グラン・ネーグル”を陥れるためにこの村を利用しようと考える者も現れるかもしれません」

 

 アインズの説明に、エンリだけでなくこの場にいる全ての者たちが真剣な表情を浮かべて大きく頷く。その顔には一つとして怯えや戸惑いの色を浮かべているものはなく、ただ強い決意だけを宿らせていた。

 この村は人間に襲撃され、異形であるアインズとペロロンチーノとウルベルトに救われ、今でも何かと手助けをしてもらっている。もはやカルネ村の住人の中で、アインズたちを裏切るようなことを考える者はおらず、また彼らのために戦うことを躊躇う者も誰一人としていなかった。

 勿論、争いを望んでいる訳ではない。アインズたちに迷惑がかからず、自分たちに危害を加えないのであれば、どれだけの人間がこの村を調べに来たとしても構わない。

 しかし少しでもアインズたちに迷惑がかかり、自分たちに危害を加えるのであれば、同じ国の者で同じ人間であろうともはや容赦するつもりはなかった。

 

「アインズ様、俺たちのような者をいつも気遣って下さって、ありがとうございます」

「でも私たちは、アインズ様たちのために戦う覚悟はできています!」

「あれからずっと剣や弓も練習してきたんです! 今度こそ、アインズ様たちのお役に立たせて下さい!」

 

 一つの声を皮切りに、次々と多くの声が上がっていく。

 それらを見つめながら、エンリもまた強い意志を胸に両手を強く握りしめた。

 以前ペロロンチーノから貰い受けた素晴らしい弓のことを思い出す。“女神の慈悲”という名の純白のその弓は、今はエンリの家に大切に仕舞われているが、もしかしたら近々その弓を使う日が来るのかもしれない。

 たとえそうだとしても、決して迷ったりはしない……!

 エンリは無言のまま強く決意すると、自分も他の者たちと同じように数歩アインズの元へ歩み寄った。

 

「アインズ様、私たちは皆さんに命を助けられて、今も多くの支援を頂いています。どうか私たちに皆さんへのご恩を少しでも返させて下さい!」

 

 以前、魔物の大群や正体不明の樹の化け物が村の近辺に出現した時は断られてしまったが、今度こそアインズたちの役に立ちたい。

 その一心で強く言い募れば、アインズはフッと笑い声のような音を骨の口から零れさせた。

 

「皆さんの気持ちを嬉しく思います。では、もし不測の事態に陥った時は皆さんの奮闘に期待するとしましょう。……しかし、くれぐれも無茶だけはしないように。皆さんが死んでしまっては元も子もありませんし、何より皆さんに何かあってはペロロンチーノさんが一番悲しんでしまうでしょうからね」

 

 骨の身体でどうやっているのか、アインズは少し楽しそうに小さな笑い声を零している。

 それに思わず小さく首を傾げる中、不意に今まで大人しくしていたネムが勢いよくアインズの元に駆け寄っていった。

 

「アインズさま! ペロロンチーノさまはどうして来てくれないの……?」

 

 漆黒のローブに縋りつかんばかりに身を乗り出し、必死に頭上の髑髏を見上げながらネムが問いかける。

 少女の悲しみを帯びた大きな声に、この場にいる誰もが口を閉ざして部屋が静まり返った。アインズもまた、無言のままじっと自身を見上げるネムを見下ろしている。

 暫く続く重苦しい静寂の中、エンリが思わず口を開きかけ、しかしその前にアインズが再び動きを見せた。

 徐に腰を曲げて地面に片膝をつき、小さなネムと視線を合わせる。

 アインズは改めてじっとネムを真正面から見つめると、次には眼窩に宿る紅色の灯りを柔らかく揺らめかせた。

 

「ペロロンチーノさんは今、少し遠いところにいるのだ。以前の君たちのように困っている者たちがいて、その者たちを助けようと頑張っているのだよ」

「……じゃあ、その人たちを助け終わったら、また来てくれる?」

「ああ、必ず来るとも。私の方からも、君が会いたがっていることをペロロンチーノさんに伝えよう」

「……! うん、ありがとう!」

 

 アインズの言葉に納得したのか、ネムは満面の笑みを浮かべて大きく頷く。

 アインズは大きな骨の手をネムの小さな頭の上に乗せると、優しく撫でてから立ち上がった。

 その時、不意に何かに気が付いたかのように宙に視線をさ迷わせる。そのまま暫くの間微動だにしないアインズに、エンリは勿論のこと、この場にいる全ての者が怪訝の表情を浮かべてアインズを見つめた。

 暫く時間が止まったかのように誰もが動かず、エンリはだんだんと不安になってくる。

 何かあったのかと思わず口を開きかけ、しかし不意にアインズが何事もなかったかのように再び動き始め、次には視線をこちらに向けてきた。

 

「……突然、失礼しました。私からの用件は以上です。また何かあれば遠慮なくマーレに言ってください。我々にできることがあれば、なるべく対処しましょう」

 

 まるで先ほどまでの行動を誤魔化すかのように、アインズは早口でそこまでを言いきる。

 続いて自身の傍らに控えるように立つマーレを見下ろすと、先ほどのネムの時と同じように優しい声音で命を発した。

 

「マーレ、暫くカルネ村に留まり、来たる王国と帝国の戦争に向けての備えを整えよ」

「は、はい! 畏まりました!」

「しかし、あまりやり過ぎにはならないようにな。ヘタにカルネ村に対して警戒心を持たれても面倒だ」

「か、畏まりました。ご、ご期待に沿えるよう、が、頑張ります!」

 

 木の杖を両手で持って意気込むダークエルフの少女の姿は、その整った容姿とも相まって非常に幼気で可愛らしい。

 ふと『ペロロンチーノもこんな可愛い子が好みなんだろうか……』という考えが頭に浮かび、エンリはハッと我に返ったと同時にすぐさまブンッブンッと頭を振って慌ててその思考を振り払った。一体何を考えているのかと自分で自分が恥ずかしくなる。妙に熱く感じる頬を意識の端に追いやり、エンリは胸の内でドッドッと激しく鳴っている鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。

 

(……落ち着きなさい、エンリ・エモット。一体何を考えているの……。ペロロンチーノ様はそんなんじゃない…、……そんなんじゃないんだから……! それに今はアインズ様が忠告して下さったことについて考えていかないと……!)

 

 必死に自分自身に言い聞かせ、思考を切り替えようと試みる。

 漸く落ち着き始めた鼓動や顔の熱に思わず内心で安堵しながら、エンリは改めてアインズへと目を向けた。

 アインズは今は村長と何か話をしているようで、どうやらエンリが一人内心でアタフタしている間に色々と有事の際の判断や行動について助言をしているようだった。

 アインズもペロロンチーノもウルベルトも本当に優しい……と改めて思う。

 異形である彼らにとって、人間である自分たちは本来ならば取るに足らない存在であるはずだ。しかしアインズたちはこうやっていつも自分たちに助けの手を差し伸べてくれる。

 エンリは改めて心の中でアインズたちに感謝しながら、必ず彼らの役に立とうと心に誓った。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 薄暗い闇の中で多くの影が蠢き囁いている。

 少ない蝋燭の光はどこか神秘的で、その場の雰囲気を魅惑的なものにも変える。

 リ・エスティーゼ王国王都の地下に最近造られたこの場所は、普段隠されている人間たちの欲望を発散させる新たな隠れ場所となっていた。

 今も闇に暮らす怪しい住人や、名の知れた貴族たちが密やかにこの場所を訪れては各々の欲望を発散させ、或いは秘密の会話を囁き合っている。

 何も知らず欲望に酔い痴れて笑い合う人間たちに、一人の女が影の闇の中からじっとその様子を見つめていた。

 女の名はヒルマ・シュグネウス。

 かつてはその美貌から多くの男を虜にして手駒にし、“八本指”の長の一柱にまで上り詰めた女である。

 しかしそれは今や全てが過去のこと。

 自慢だった美貌は見る影もなくなり、壮絶な過去のトラウマのせいで食事も固形物は喉を通らずすっかり痩せ細ってしまっている。“八本指”自体も全てが“アインズ・ウール・ゴウン”という名の異形たちの組織に支配され、ヒルマもまた彼らの命令に忠実に従う人形に成り果てていた。

 この娯楽施設も全ては“アインズ・ウール・ゴウン”の駒を作るためのものでしかなく、目の前にいる者たちは自分たちの運命にも気づいていない哀れな子羊たちだった。

 数か月前までは誰に対しても一切感じることのなかった哀れみや同情といった感情が、今はこの娯楽施設に来る多くの客たちに対して感じてしまう。中でも一番隅にある最上級の席に座っている人間たちに対しては特に哀れみの感情を禁じ得なかった。

 ヒルマの視線の先に座っているのは、見るからに質の良い服を身に纏っている貴族の一団。

 中でも一人用のソファーに腰かけている恰幅の良い金髪の男は異形たちが現段階で最上級の駒として欲している存在の一人であり、彼が自分たちの釣り糸に引っかかってしまったことにヒルマは安堵すると同時に絶望にも似た感情を湧き上がらせるのだった。

 

(……はぁ、こんな事を考えていても全ては後の祭りね……。あの王子様にはせいぜい自分の不運を呪ってもらうことにしましょう。)

 

 複雑な感情が胸に渦巻いているのを感じ、それに嫌気がさして半ば無理矢理思考を切り替える。

 ヒルマは貴族の一団から視線を外すと、時間を確認してから踵を返した。

 コツ…コツ…とヒールの音を響かせながら暗闇の廊下を一人で突き進む。

 歩を進めれば進めるほど闇が深まっていくような感覚に陥り、まるで闇に呑み込まれてしまいそうな錯覚に襲われてヒルマは思わず小さく全身を震わせた。

 本音を言えばここで立ち止まってしまいたい。いや、立ち止まるのではなく今すぐにでも踵を返して来た道を戻りたかった。

 しかしそんなことが許されるはずもなく、ヒルマは湧き上がってくる恐怖と必死に戦いながら歩を進める足を動かし続けた。

 そして数分後に辿り着いたのは一つの小さな部屋。

 物置のようなみすぼらしいその小部屋は、しかし室内は何もなくガランとしていた。唯一部屋の奥には一つの石像が置かれており、暗闇の中に不気味に浮かび上がっている。

 ヒルマは部屋の中に入ると、扉をしっかり閉めてから石像の前に歩み寄った。

 大体1メートルほどの大きさのその石像は、しゃがみ込んだ醜い悪魔の姿を模っている。

 ヒルマは数秒その石像を睨むように見つめると、次には諦めのため息と共にそっと手を伸ばした。石像の頭にある三つの小さな角の内、真ん中の角を指で押し込む。

 瞬間、石像の双眸が深紅に光り、その数秒後にどこからともなく闇色の楕円形の扉が出現した。

 グルグルと小さく渦を巻いている闇に、それを見ていると無性に激しい吐き気が込み上げてくる。

 しかしヒルマはそれをグッと堪えると、意を決して闇の扉に歩み寄って中へと足を踏み入れた。

 瞬間、視界に映っていた景色が一変する。

 みすぼらしい小部屋から寂れた霊廟の中心へと移動したヒルマは、しかし今更のことに驚くこともなく、ただ迎えが来るのを待ち続けた。

 数分後、美しいメイドがヒルマの迎えに現れ、巨大なログハウスへと案内される。

 そしてログハウスの中にあったのは、こちらも巨大な闇の扉。

 思わず強い吐き気がぶり返したヒルマに、しかし美しいメイドは有無を言わさずにヒルマを強引に闇の扉の中へと押しやった。そのまま引きずられる様にして歩かされ、最終的に辿り着いたのは雄大で豪奢で煌びやかな玉座の間だった。

 高い天井と、そこから吊るされている巨大なシャンデリアと一つとして同じもののない紋章が描かれた旗。最奥にあるのはこの空間に相応しい豪奢な玉座で、しかしその数は一つではなく三つ横に並んでいた。

 

「――……漸く来たようね、ヒルマ・シュグネウス」

 

 玉座のすぐ傍に立っていた美女が淡い微笑と共に声をかけてくる。

 一見慈悲の女神のように見えるこの美女は、しかし本性は悪魔であり、“諸悪の根源”という言葉が正に相応しい存在であることをヒルマは知っている。

 そのためヒルマは一切口を開くことなく、大人しくその場に両膝をついて深々と頭を垂れた。

 

「……遅くなりまして大変申し訳ありません、アルベド様」

「私はあなたたちと違って暇ではないの。もっときっちりと行動してほしいわね」

「はい、申し訳ありません」

 

 『なら、こんなまだるっこしい方法ではなく書類での報告にさせてくれたら良いのに……』と心の中で呟きながら、しかし実際に口に出すほどヒルマは馬鹿ではない。また、アルベドがこんなことを指示する理由もヒルマには分かっていた。

 ヒルマたち“八本指”の幹部たちはアルベドから命じられている数々の指示に対する報告を定期的に行っている。報告方法の殆どは書類によるものだったが、一人だけ書類ではなくわざわざこの場に呼ばれて口頭で報告するように命じられていた。

 何故そんな指示をされているのかというと、それはヒルマたちを縛る鎖を確かなものにするために他ならない。

 ヒルマたち“八本指”の幹部たちにとって、この場所は正にトラウマの場所であり、恐怖の象徴だ。その恐怖の場所に自ら足を運ばされることによって、自分たちの立場と過去の恐怖を再認識させられるのだ。

 口頭で報告する者はローテーションで回り、今回はヒルマの番だった。

 身体の奥から湧き上がってくる恐怖心を必死に押し殺しながら、ただ報告することだけに集中して口を動かす。

 広めた噂の進捗状況とそれに対する人々の反応。

 集まっている駒とその行動と支配状況。

 娯楽施設の客たちから集めた情報の数々。

 次々と報告していく中でもアルベドは無言のまま。

 頭を下げているため表情を窺うこともできず、ヒルマは必至に恐怖心と戦いながら報告を続けていった。

 

「………そう。取り敢えずは全てが順調と言ったところかしら」

「……はい、概ねアルベド様のご意向通りに進んでいるかと……」

「わたくしの意向ではなく、全ては至高なる御方々のご意向よ」

「……はい、申し訳ありません……」

 

 アルベドからの指摘にも大人しく頷いて謝罪する。

 正直に言って“至高の御方々”なる存在に会ったことがないヒルマにとってはどちらも同じことでしかないのだが、反論したとて何も良いことなどありはしない。全てに大人しく従い、さっさとこの場を去るのが一番良いのだ。

 しかしヒルマの願いを余所に、不意に玉座の間の扉が開いて何者かの来訪をヒルマとアルベドに告げた。

 

「……っ……!?」

「……! ……これはペロロンチーノ様、ウルベルト様! ご帰還に気が付かず、申し訳ありません!」

「やぁ、アルベド。ただいま~」

「こちらも事前に連絡をしていなかったからねぇ。何も謝ることはないよ、アルベド」

 

 アルベドの慌てた声の後に聞こえてきたのは、聞いたことのない二人の男の声。

 思わず顔を上げたヒルマは、すぐさま顔を上げたことを後悔した。

 玉座の間に現れたのは黄金の鳥人(バードマン)と山羊頭の化け物。

 何故か山羊頭の化け物からは何も感じ取れないが、しかしバードマンからは窒息してしまうのではないかと思うほどの濃厚な強者の気配が感じ取れた。身に纏っている衣装や鎧も今まで見たことがないほど上質なもので、一目で上位者であることが分かる。

 恐らく彼らこそが、アルベドの言う“至高の御方々”なる存在なのだろう。

 

「エルフたちと法国の件が最終段階に入ったからね。ウルベルトさんたちに声をかけて戻ってきたんだ」

「それでは、モモn……アインズ様も、お戻りになられるということでしょうか?」

「うん? アインズ? ……あれ、そういえばこのおばさんは?」

 

 不意にバードマンから視線を向けられ、一気に全身が恐怖に支配される。アルベドや山羊頭の化け物にも注視され、ヒルマは地獄を覚悟した。

 その時……――

 

「――……ほう、既に二人とも帰ってきていたのか。待たせてしまっていたかな?」

 

 玉座の間に再度響く、扉の開く音と落ちついた男の声。

 振り返ってみればそこには豪奢なローブを身に纏った骸骨がおり、ゆったりとした足取りでこちらに歩み寄ってきていた。

 

「あっ、お帰りなさい、モモぉ―――じゃなくて、ア、アインズさん! 俺たちも今帰ってきたところですよ」

「お帰りなさい、アインズさん。お疲れ様です」

 

 骸骨の突然の登場に、しかしバードマンも山羊頭の化け物も驚いた様子もなく当たり前のように朗らかに挨拶の言葉をかけている。

 骸骨は何故か一度首を傾げ、次にこちらの存在に気が付いて眼窩の灯りを向けてきた。

 バッチリと視線が合い、その瞬間、全身が総毛立って肌が粟立つ。

 目を合わせ続けることができず、ヒルマは恐怖に従って再び深々と頭を下げて額を地面に擦りつけた。

 

「アルベド、その女は?」

「“八本指”のまとめ役の一人であるヒルマ・シュグネウスでございます。……申し訳ありません、至高の御方々の視界を穢すようなことになってしまい……」

「“八本指”? ああ、報告を聞いていたのか。ならば君が謝ることではないよ、アルベド。報告を聞くことはとても大事なことだ。決して疎かにしてはならない」

 

 謝罪を口にしようとしていたのであろうアルベドの言葉を遮り、山羊頭の化け物が朗らかに嗜めるような言葉を口にする。バードマンと骸骨も納得の声を上げ、次には労いの言葉を次々とアルベドへとかけていった。アルベドは自分たちの時とは打って変わり、どこか恐縮したような……それでいてとても嬉しそうな声音で感謝の言葉を発している。

 それは会話だけを聞けば優しい上司と謙虚な部下の心温まる光景を思い浮かべられるものだっただろう。

 しかし実際に目を向けてみれば、そこには禍々しい異形たちが不気味な笑みと共に言葉を交わしている光景が広がっている。

 もう早くこの場を去りたい一心で微動だにせずに身を縮み込ませ続けるヒルマに、異形たちは漸く話題を新しいものに移らせたようだった。

 

「――……それで、報告は全て聞き終わったのか?」

「はい、概ね全ては順調に進んでいるようです」

「そうか、それは上々。ならば彼女にはそろそろお帰り願おうか。これからエルフたちと法国に関して忙しくなりそうだからね」

「そういえば、法国への情報包囲網は上手くいってる?」

「はい、そちらも今のところ問題は一切出ておりません。法国の上層部は何とか救援を得られないかと何度か外部に使者を送ろうとしておりましたが、その全てが排除済みでございます。法国で今何が起こっているのか、全ての情報に関しても外部に漏れた形跡は一切ございません」

「それは何より。このまま最後まで外部に気づかれないようにしなくてはね」

 

 頭上で交わされる異形たちの会話に、ヒルマは地面に額を擦りつけながら大量の冷や汗を溢れさせた。

 異形たちが何を話しているのか、ヒルマには詳しいことまでは分からない。しかし法国に対して何かをしていることだけは理解できた。そして全てが誰も知らないところで成されていることも理解し、その重大さと絶望にヒルマは思わず小さく身震いした。

 自分たち“八本指”は誰も知らぬま間に滅ぼされ、そして誰も知らぬ間に全く違う組織へと作り替えられた。

 それがもし、法国という一つの国にも起こっているのだとしたら……。

 一つの巨大な国が知らぬ間に滅ぼされ、誰も知らぬ間に全く違う国として作り替えられているのだとしたら……。

 それは、どんなに恐ろしいことであろうか……――

 しかしここでどんなに危機感を募らせたところで、ヒルマにできることなど何もない。ただ恐怖と絶望に身を震わせながら、彼の異形たちに忠実な人形を演じるのみ。

 ヒルマは法国に対して哀れみの感情を抱きながら、ただ異形たちに命じられるがままに立ち上がり、この場を去るために踵を返した。

 玉座の間の外では、自分をここまで案内してきたメイドが無表情に立って待っている。

 ヒルマはメイドに促されるがままに歩を進めながら、ただ自分や自分の仲間たちに更なる絶望が降りかからないことだけを心底願っていた。

 

 




今回は敢えてナザリック側以外の人たちの視点で書いてみました!
(本人は気付いてないけど)実はペロロンチーノ様のハーレム計画は結構順調に進んでいたという……。
ペロロンチーノ様の場合、素が変態なので、グイグイ押す作戦より引く作戦の方が勝率が高いような気がします(笑)


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第74話 崩壊の歩み

前話の『前書き』(?)にも書いたのですが、念のためこちらにも……。
当小説の『法国編』は原作15巻を未読の状態で書いております。
そのため、恐らく組織名やキャラクター名が違ったり、そもそも原作にない組織が存在したり、或いは逆に原作では出てきた組織が存在しない感じになっていたり、キャラクターの容姿や性格が違ったり……などなど、いろいろと原作と相違点が出てくる可能性が高いです。
とはいえ、この『法国編』は原作15巻が出る前に書き進めていたこともあり、そういった原作の相違部分に関しましては加筆或いは修正する予定は一切ございません。
予めご了承ください。
もし原作と相違している部分がありましたら『あっ、15巻まだ読んでない状態で書いたのね。この小説独自の設定か~』と生温かい目で許して頂ければ幸いでございます。
何卒宜しくお願い致します(深々)


 スレイン法国の中央都市である神都エクスカリン。

 建ち並ぶ家々は白で統一され、過去の現実世界(リアル)でいうところのゴシック様式に非常に似通った建物が多く点在している様は非常に清廉としていて美しい。平時であれば、さぞや厳かで神々しい雰囲気を漂わせているだろうことが窺い知れる。

 しかし今は神都中が大きな喧騒に包まれ、緊迫した空気が漂っていた。

 住民たちは不安と恐怖に顔を引き攣らせながら家に引きこもって固く扉や窓を閉ざし、軍部に属する者や神官たちは神都の中心や外側の城壁に向かって忙しなく駆けまわっている。城壁に向かう者たちはそれぞれ四方に散ってはいたが、その中でも南側の城門に向かう者の数が圧倒的に多かった。

 神都を囲む城壁は六つの城塞都市の城壁と同じく50メートルもの高さがあり、厚さも5メートルと分厚く強固に造られている。

 南側の城門に向かった者たちは誰しもが頭上遥か高く聳え立つ城壁の上や窓部分から外に広がる“それ”を見やり、その顔に苦々しい表情を浮かべていた。

 彼らの視線の先……神都を守る城壁の外に広がっていたのは地面を覆い尽くすほどの人外の軍勢。城壁と対峙するように布陣しているその軍は厳密に言えば三つに別れており、南の城塞都市グラスティルと南東の城塞都市ファルディックと南西の城塞都市ダーケインに続く区画にそれぞれ陣営を構えて森妖精(エルフ)の旗をはためかせていた。中でも南の城塞都市グラスティルに布陣している軍勢の規模が圧倒的に大きく、必然的に神都の軍兵や神官たちの多くが南門に割り当てられていた。

 では南以外の方向には何もないのかというと、決してそういう訳ではない。

 実は南以外の北、東、西のそれぞれでも異常事態が発生していた。

 とはいえ、そちらの三つの異常事態に関しては対処自体が難しいものだった。

 北と東と西にある異常事態……それは簡単に言えば氷山の壁であり、茨の群れであり、マグマの滝だった。

 いつそんなものが現れたのか、神都にいる者たちは誰一人として分からない。ただ南と南東と南西にエルフの軍勢が侵攻して現れたのと同時に、凄まじい音と地響きと共にそれらも一瞬で現れたのだった。

 神都の人々が聞き感じたのは、空が割れたのかと思うほどの雷のような音と、立っていることが難しいほどの激しい地響き。そしてその一瞬後、神都の北側には突如500メートルはあるかと思うほどの巨大な氷の壁がどこからともなく出現し、東側には茨の群れがどこからともなく現れてこちらも500メートルはあるかと思うほどに高く伸び、西側では地面が突如高く盛り上がって頂上を濃い霧で隠し、そこから大量のマグマを滝のように垂れ流し始めた。

 誰も想像すらしたことのなかった事態に、神都は一気に混乱の中に突き落とされた。住民たちは恐怖のあまり叫び声を上げて恐慌状態に陥り、国家機関に属する者たちも混乱のあまり呆然となり途方に暮れた。

 突如現れた氷山の壁と茨の群れとマグマの滝とエルフの軍勢。

 複数の異常事態に都市を囲まれ、その中でも唯一対処できそうな事態に対して行動を起こすのは必然であると言えるだろう。

 とはいえ、エルフの軍勢に理解不能な事態が一切ないかと言われれば、決してそうではない。エルフたちが法国の中枢であるこの神都まで侵攻してこられたこと自体が異常事態であるし、彼らが装備している武器や防具の多くが魔法を宿していることや、軍勢の中に多くの魔獣の存在が至る所で確認できることも異常事態だ。

 しかし中でもエルフ軍の最後尾に聳え立っている見慣れぬ巨大な塔が何よりの異常事態であると言えた。

 言うまでもなく、あんな場所に塔などは存在してはいなかった。

 では何故突如あんなものが出現したのかと疑問に思っても、神都の者たちの中に分かる者は誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……やっぱりしっかりとした拠点がすぐに造れるのは便利ですよね。見た目もカッコいいし、何より機能性が天幕とかとは段違いに良いですし」

「しかし〈要塞創造(クリエイト・フォートレス)〉は発動中ずっと魔力を消費する。大丈夫なのかね、アインズ?」

「問題ない。今回表に出るのは我々ではないし、何より相手の意表と動揺と混乱を突くのは戦略的に非常に有効だ」

「確かに」

 

 巨大な塔の一室で交わされる何とも呑気な会話。

 堅牢で重厚感のある塔に相応しい機能的で整然とした大きな会議室のような部屋に複数の人影が集っていた。

 しかし先ほどから言葉を交わしているのは黄金の鳥人(バードマン)と山羊頭の異形と漆黒のローブを身に纏った骸骨の三体のみ。他の面々……部屋の隅に立つ複数人のエルフたちは一様に口を閉ざして三体の会話に耳を傾け、その一挙手一投足を注視していた。

 

「でも、意表を突くって意味なら北と東と西のそれぞれの壁だけでも十分じゃないですか? 演出はウルベルトさんに任せましたけど、あれってどうやったんです? 北と東は何となく分かりますけど、何ですかあの西側のマグマの滝……」

「ああ、簡単なことだよ。マーレに地面を盛り上げてもらって、霧で隠した頂上に紅蓮を置いただけさ」

「あー、なるほど……」

 

 山羊頭の異形の言葉に、バードマンは少し呆れたような声音で納得した声を零す。骸骨も一つ頷いており、しかしこの部屋の隅に控えるように立っているエルフの一人であるクローディアは全く何一つ理解することができなかった。

 法国との戦争も最終段階まで来ていることもあり、今までエルフ王国の王都にいたクローディアは軍勢を率いてこの前線まで出てきていた。辺境都市マイリエでペロロンチーノと合流し、共にこの神都の目の前まで侵攻してきたのだが、そこでこの塔に招かれ、二体の異形を紹介されてペロロンチーノ以外にも彼と同じ“至高の御方”なる異形が複数体いることを知ったのだ。

 当初はあまりのことに恐怖で全身を凍り付かせ、粟立つ肌も小刻みに震える身体も抑えることができなかった。今は大分落ち着いてはいるものの、しかしあの時感じた衝撃は未だ胸の内で大きな渦を巻いており、全身の肌にも恐怖の感覚が未だ強くこびり付いている。

 クローディアは粟立っている肌を撫で摩りそうになる両手をグッと抑えながら、今は先ほど骸骨が口にした言葉が妙に頭に引っかかって、思わずじっと骸骨を凝視していた。

 そこでふとこちらの視線に気が付いたのか眼窩の紅色の灯りがこちらに向けられ、視線がかち合った瞬間にゾクッと悪寒が走って慌てて視線を逸らす。ドッドッと胸の内で心臓が激しく暴れ、大量の冷や汗が溢れ出て全身を濡らす。唐突に骸骨の言葉が頭に引っかかっていた理由を思い知り、クローディアは強く大きな恐怖と畏怖で全身を震わせた。

 クローディアが頭に引っかかっていたのは、『相手の意表と動揺と混乱を突くのは戦略的に非常に有効だ』という言葉。

 普通に考えれば、この“相手”というのは法国のことであると思うだろう。しかしクローディアは、この“相手”という言葉に自分たちエルフも含まれているのではないかと本能的に感じていたのだ。そして骸骨と目があった瞬間、その直感は正しかったのだと知る。

 骸骨は法国に対してだけでなく、自分たちに対しても自らの力を見せつけて警告をしてきているのだ。

 『変な気を起こすな』『逆らうことは許さない』と……。

 ペロロンチーノと山羊頭の異形も骸骨と同じような考えを持っているのかは分からない。ただ、骸骨の異形が法国だけでなく自分たちに対しても一定の警戒心を持っていることは間違いなかった。

 クローディアとて、彼らを裏切るつもりもなければ今更彼らから逃げることなど決してできる筈がないことも重々承知している。しかしそれでも、本当に彼らの手を取って良かったのかと不安を湧き上がらせていることは事実だった。法国がここから形勢を逆転して来るとも思えず、今の内に今後のエルフ王国の在り方や異形たちとの関わり方について考えておいた方が良いのかもしれない。

 クローディアが法国との戦争後についてあれこれ考え始める中、彼女の恐怖と不安の根源である三体の異形は今もなお呑気な会話を続けていた。

 

「今回の神都攻略もエルフたちを中心に行うのだろう? 私もアインズの意見と同じで、逆にこれくらいしておいた方が良いと思うがね」

「う~ん、そうですかね~……。そういえば、エルフたちが対処できないような事態が起こった時は守護者たちが出るんでしたよね? うぅぅ…、少し心配だなぁ……」

「あの子たちでは力不足だと?」

「いや、そういう訳じゃありませんけど。でも、王国でのエントマのこともありますし……。やっぱり彼らには傷ついてほしくないって思っちゃうじゃないですか……」

「まぁ、それは理解できるがね。時には信じて任せてやるのも必要なことだ。あの子たちもいろいろな経験をするべきだしな」

 

 彼らの会話はまるで幼い子供を持つ親のよう。

 クローディアは未来への思考をいったん中断すると、改めて視線の先にいる異形たちに意識を向けた。

 思い返してみれば、これまで見た異形のシモベたちに対するペロロンチーノの態度は確かにいつも親しみのこもった柔らかなもので、時折幼い子供を相手にしているかのような気遣いさえ漂わせていることがあった。今まで見た異形たちが全てペロロンチーノの子供であるとは考え辛いが、少なくともペロロンチーノは彼らを本当に大切な我が子のように思っているのかもしれない。そして目の前にいる骸骨と山羊頭の異形もペロロンチーノと同じように思っているのだとしたら、先ほどからの会話も納得ができる。

 とはいえ、多くの従者やシモベたちに対して『自分の子供のように思う』という感覚は、どうにもクローディアには理解できかねるものだった。

 

「……あっ、“信じて任せる”といえば一つ気になっていることがあるんですけど」

「うん? どうした?」

「NPCたちのことですよ。ほら、みんな俺たちのことをいつもすっごく心配してくれるじゃないですか。そりゃあ、気にかけてくれることは嬉しいですけど、やっぱり少し過剰すぎなんじゃないかなって思うんですよね~。俺たちの力を信じてくれてないのかな~って……」

 

 ペロロンチーノは少し寂しそうな声音でそんなことを言い、仕舞いには小さく両肩を落とす。

 どこか気落ちしたようなその様子に、もしこの場に彼らのシモベたちがいたなら、全員がもれなく大慌てし、発狂するモノも続出したのではないだろうか。

 ペロロンチーノを慕ってやまないことが見るからに分かるシャルティアの姿を思い出しながら、クローディアは何となくそんなことを思う。

 しかし幸いなことにこの場にいるのは“至高の御方”なる三体の異形たちとクローディアたちエルフのみで、動揺するモノもいなければ発狂するモノもいない。ただバードマンの隣に座る骸骨が小さな苦笑を骨の口から零し、山羊頭の異形が気のない様子で小さく肩を竦ませるのみだった。

 

「……まぁ、彼らは我々に忠誠を誓い、慕ってくれているからな。信じることと不安に思ってしまうことは、それが大切な存在であればあるほど別物なのだろう。……私とて、ペロロンチーノさんやウルベルトさんの強さは知っているし信じてもいるが、やはり心配に思ってしまうことはあるからな……」

 

 言外に“ペロロンチーノとウルベルトは大切な存在だ”と言う骸骨に、言われた二体の異形の方はどこか照れたような擽ったそうな様子を見せる。

 ペロロンチーノは照れくささを誤魔化すように一つ大きな咳払いを零すと、改めて骸骨と山羊頭の異形にそれぞれ顔を向けた。

 

「モm……ゴホンッ、……アインズさんにそう言ってもらえるのは嬉しいですし、俺だって理解はしているんですけどね。……でも、もう少しくらい俺たちを信じて任せてくれても良いんじゃないかな~とはやっぱり思っちゃうな~……」

 

 どこか遠くを見るような素振りを見せるペロロンチーノに、骸骨は苦笑めいた音を小さく零す。

 山羊頭の異形はといえば、大きなため息を吐いた後に“やれやれ”といった風に頭を横に振った。

 

「……それは恐らく無理な話だと思うがね。私が思うに、彼らの中には未だ喪失の記憶や感覚が根深く残っているのだろう。我々に対する絶対的な信頼や自信は揺るぎないものだろうが、一度味わった喪失は、それで拭えるほど小さなものではないのだろうねぇ……」

「喪失? 何のことですか?」

 

 山羊頭の異形が何を言っているのか分からないようで、ペロロンチーノが不思議そうに首を傾げている。

 山羊頭の異形は心底呆れたような視線をバードマンに向けると、次には軽い調子で肩を竦めた。

 

「言葉通りの意味だ。私とお前は一度彼らの前から長いこと姿を消していただろう。……あいつらは“身を隠す”と表現していたが……、それは紛れもない別れであり、言い換えれば“喪失”と同じだ。恐らくそれがあいつらに大きな傷を与えているのだろう……」

「………大きな傷…、……ですか……」

「一度経験した喪失は簡単には拭えない。心に負った傷が癒えていない中での二度目の喪失の可能性は、……それが唯の可能性だったとしても、あいつらにとっては耐え難いことなのだろう。だからこそ必要以上に不安になる……。……まぁ、こればかりは仕方がないことだと割り切って受け入れてやるしかないだろうね」

「……………………」

 

 淡々とした口調で告げられた言葉に、バードマンだけでなく骸骨までもが黙り込む。ただ、見るからにショックを受けたような……どこか傷ついたような様子で顔を俯かせるペロロンチーノとは打って変わり、骸骨の方はどちらかというと二体のやり取りを静観しているような様子だった。

 ペロロンチーノと骸骨の反応の違いに、クローディアは思わず小さく首を傾げる。

 山羊頭の異形の言葉の意味もよく理解できず、何故二体の異形の反応がそれぞれ違うのかも良く分からなかった。ただ、彼らにも何か複雑な事情があるのかもしれない……と言うことだけは何となく感じ取れた。

 まるで人間や自分たちエルフと同じような複雑な感情を感じ取り、なんだか不思議な感覚に陥る。

 クローディアが持っている異形のイメージとは大きくかけ離れた三体に思わず戸惑う中、まるでそれらを遮るかのように不意に扉から落ち着いたノックの音が大きく響いてきた。

 

「入りたまえ」

 

 クローディアが反射的に扉に目を向けるのと、山羊頭の異形が声を発したのはほぼ同時。

 一拍後扉がゆっくりと開かれ、できた隙間から一人の老齢の男が姿を現した。

 

「失礼いたします。アインズ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト・アレイン・オードル様、お待たせしてしまい大変申し訳ございません。準備が整いましてございます」

「ご苦労。それでは移動するとしよう」

 

 深い一礼と共に声をかけてきた老齢の男は、どこからどう見ても唯の人間にしか見えない。しかし異形たちのシモベである以上、普通の人間ではないのだろう。

 異形たちは男の存在を当然のように受け入れており、男の言葉に一つ頷くと椅子から立ち上がって骸骨を先頭に動き始めた。男が開いた扉に歩み寄って潜り抜け、廊下を挟んで向かい側にある別室へと足を踏み入れる。

 クローディアも部下のエルフたちを引き連れてその後に続けば、そこは先ほどの部屋と同じくらい広く豪奢な部屋だった。

 しかし先ほどの部屋とは違い、そこには異形の三柱に忠誠を誓う多くのシモベたちが集い、深々と頭を垂れていた。この場にいるモノたちは、先ほどの老齢の男と同じく一見普通の人間にしか見えないモノたちばかり。中には黄色の軍服姿の異形や白色の悪魔の姿も見受けられたが、それ以外は全員が唯の人間にしか見えない。しかしその者たちも老齢の男と同様に唯の人間であるはずがなく、“人間にしか見えないのに人間ではありえない”という彼らの存在がとても不気味にクローディアの目に映った。

 恐らく他のエルフたちもクローディアと同じように感じているのだろう。思わずといったように小さく後退る者が多く出てくる。

 しかしそんなこちらの様子に気が付いているのかいないのか、三柱の異形は頭を下げている彼らに優しく声をかけてやりながら、それぞれ豪奢な一人掛けのソファーに腰を下ろしていった。

 彼らの前には一つの大きなテーブルが置かれており、その上には巨大な楕円形の鏡が設置されている。

 複数人の可愛らしいメイドたちが異形たちの目の前にティーカップを置き、一礼と共に下がるのを合図に骸骨が一度カツンッと骨の手を打ち鳴らした。

 

「そろそろ時間だな。……それではこれより観賞を始めるとしよう」

 

 骸骨の言葉に応じるように、目の前の巨大な鏡の鏡面が白い光を発する。

 一拍後、光が止んだと同時に鏡面に映し出されたのは、この塔の外の光景。

 今まさに動き始めようとしている戦場の様子に、クローディアは思わず鏡面に目が釘付けになりながら強く両手を握りしめた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、ここは南の城塞都市グラスティル側に布陣しているエルフ軍の最後尾。

 三柱の至高の御方々が御座す巨大な塔のすぐ近くに建てられた大きな漆黒の天幕にて、各階層守護者たちが集い顔を突き合わせていた。

 しかしその姿はどれもが普段とは違っていた。

 守護者統括アルベドは白いマーメイドドレス姿から漆黒の全身鎧(フルプレート)姿に変わっており、シャルティアは深紅の鎧を身に纏い、アウラなどは普段の姿からは一変して純白のチャイナドレスを身に纏っている。他にもマーレの腰の後ろには巨大な巻物が取り付けられ、コキュートスの青白い身体には至る所に黄金の装備具が付けられていた。唯一装備で言えば何も変わらず普段の朱色のスーツを着ているデミウルゴスもまた、その姿を半悪魔形態である蛙に似た醜い姿へと変えていた。

 

「――……そう、それなら問題なさそうね。イレギュラーなことが起きない限りはこれまで通りの支援レベルでも良いでしょう」

「法国には隠れ都市も複数あったそうだね。それは全て対処が終わったのかい、アウラ?」

「うん、みんなに頑張ってもらったからね。取りこぼしはないと思うよ!」

「城壁ノ攻略モ問題ナサソウダナ。……法国カラノ攻撃ヲ防グコトニ重キヲ置キツツ、防御力ノ低イ扉ニ攻撃ヲ集中サセテ突破スルトイウ方法ガアッタトハ……。……ウゥム、マダマダ精進セネバナラナイナ」

「壁はどこまでも強固に造れるが、扉はそうはいかないからね。しかし、君が選択した“八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を使っての侵入と、内側から扉を開ける”という戦略も非常に効果的なものだったと思いますよ」

「話を聞いていると、何だかまだるっこしく思いんすねぇ。城壁ごとぶっ壊した方が、あちらの戦力も削れて一石二鳥でありんしょうけど……」

「エルフたちにそんなことできるわけないじゃない。私たちとは違うんだからさぁ」

「えっと、その、やっぱり少しはお手伝いした方が良いのかな……」

「止めておきなさい。わたくしたちが動くのは、あくまでも必要に迫られた時のみ。それが至高の御方々のご意思であることを肝に銘じておきなさい」

 

 緊迫している天幕の外とは打って変わり、守護者たちはどこまでも優雅に世間話のような会話を続けている。

 そんな中、不意に外から入室の許可を求める一つの声が聞こえてきて、この場にいる全ての守護者が天幕の出入り口である垂れ幕を振り返った。

 この場を代表してアルベドが入室許可の声をかければ、一拍後に一体の小悪魔(インプ)が垂れ幕の隙間から姿を現して中に入ってくる。

 この悪魔は戦場の様子を観察する役目を担っているモノの内の一体であり、彼は一度守護者たちに深々と頭を下げると、そのままの状態で報告を始めた。

 

「エルフたちが動き始めました。どうやら扉を打ち破ろうとしているらしく、巨大な丸太を運んでいる使役魔獣を先頭に進軍を開始しております」

「そう、漸く動き始めたのね。法国の様子は?」

「城壁の上から魔法や弓矢の準備をしておりましたので、恐らくそれらで迎撃しようとしているのかと思われます。エルフたちも盾を複数構えておりましたので、十分持ち堪えることができるかと」

「デアレバ、コチラカラノ更ナル支援ハマダ不要トイウコトダナ」

「そうだね。……ご苦労だった、引き続き見張りをしてくれたまえ」

「はっ、畏まりました。失礼いたします」

 

 デミウルゴスの言葉に小悪魔は更に深く頭を下げると、次には踵を返して天幕の外へと飛んで出ていく。

 守護者たちはその小さな背を暫く見送ると、垂れ布が完全に閉じたのを見届けてから再び互いに顔を見合わせた。

 

「う~ん、まだ暫くは様子見って感じだね。本当に私たちが出なくちゃいけないような事態になるのかな~……」

 

 高い背もたれに深く身体を凭れ掛からせながら、両腕を頭の後ろで組んでアウラが小さく言葉を零す。

 いつもは明るく溌剌としている表情が今は少しばかり退屈そうに歪んでおり、その子供らしい態度にアルベドがこれ見よがしに大きなため息を零した。

 

「アウラ、もう少し気を引き締めなさい。最終段階に入ったとはいえ、まだ終わったわけではないのよ」

「でも、おチビの気持ちも分かりんす。あの程度の軍勢に、ほんに私たちの力が必要になるのでありんすか?」

「法国は世界級(ワールド)アイテムを複数所持していたからね。御方々は最悪の事態も想定されているのだろう。何が起こっても良いように心構えはしておいた方が良い」

「はぁ~い」

「分かったでありんすよ」

 

 アルベドとデミウルゴスに諌められ、アウラとシャルティアが同じように肩を竦ませながらも頷いてくる。

 普段は何かと言い争うことの多い二人ではあるが、こう見るとまるで仲のいい姉妹のようにも見えてくるから不思議なものだ。

 これも二人それぞれの創造主の影響だろうか……と他の守護者たちが微笑ましく考える中、天幕の外から騒がしい音が徐々に聞こえ始めた。

 先ほどの小悪魔の報告にあったように、どうやらエルフ軍と法国軍が戦闘を開始したようだ。

 守護者たちは互いに顔を見合わせて一つ頷き合うと、ほぼ同時に座っていた椅子から立ち上がった。まずはアウラが真っ先に天幕の外へと跳ねるように出ていき、他の守護者たちもそれぞれその後に続いて外へと足を踏み出す。

 天幕の外にはアウラのシモベである魔獣たちが数多く揃っており、天幕から出てきた守護者たちに対して深く首を垂れて頭を下げてきた。

 アウラは一番近くに佇んでいたフェンリルの元へ駆け寄ると、その頭に抱き付いて撫でてやりながら他の魔獣たちにも短く声をかけてやっている。

 アルベドは少しの間その様子を見つめると、次には気を引き締めるように一つ息をついてから改めてこの場にいる守護者全員に視線を巡らせた。

 

「それではこれより我々も行動を開始します。二つのチームに別れ、それぞれ法国の東側半分と西側半分を監視。東側は私、アウラ、コキュートス。西側はデミウルゴス、シャルティア、マーレ。それぞれの指揮はわたくしとデミウルゴスが務めます」

「りょ~かい!」

「わ、分かりました」

「承知シタ」

「仕方ないでありんすねぇ……。了解でありんす」

 

 今回、エルフ軍への支援や緊急時の手助けを行う役目を担う守護者たちは、二つのチームに別れて行動するようにしていた。

 戦場が一つの巨大な都市であることもあり、複数に別れてそれぞれ監視及び行動した方が効率的である。また、その他にも以前からチーム戦での経験を重要視していたモモンガの意向を考慮したアルベドにより、自分を含む守護者たちにチームでの戦闘経験を積ませようという意図も含まれていた。

 この裏の目的については他の守護者たちには一切話してはいないのだが、もしかすれば朱色の悪魔あたりは察しているのかもしれない。

 他の守護者たちとは違い無言のまま頷く朱色の悪魔を見つめ、アルベドは少し面白くないような気持ちにかられながらも意識して思考を切り替えた。

 

「今回は至高の御方々も御観賞下さっているわ。全員、くれぐれも無様な姿を見せないよう、気を引き締めて臨みなさい」

 

 アルベドが発した言葉はナザリックのモノたちにとっては絶大な効果をもたらす。

 守護者たちだけでなくこの場にいる全ての魔獣たちもが真剣な雰囲気を帯びて気を引き締めた様子になり、アルベドは漆黒のヘルムの中で満足の笑みを浮かべた。

 

「それでは、行動開始!」

 

 アルベドの言葉を合図に、この場にいる全てのモノたちが行動を開始する。

 デミウルゴスとシャルティアは自前の翼で、マーレは至高の主から借り受けた〈飛行(フライ)〉の魔法が宿ったマジックアイテムを使用して上空に舞い上がり、アウラは自身のシモベの魔獣たちに駆け寄ってそれぞれ指示を出し始める。

 アルベドは戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)を召喚すると、天幕の横に置いておいた戦車(チャリオット)を引き出して素早くウォーバイコーンロードに取り付け始めた。

 この戦車は、処女であるためウォーバイコーンロードに騎乗できないアルベドのためにウルベルトが用意してくれたものだ。

 一人乗り用の二輪のこの戦車は黒曜石で出来ているのか、深い漆黒に美しい煌めきを宿している。デザインも至る所に突起物がありながらも全体的にはなだらかな曲線を描いており、ウルベルトのセンスが前面に出ているような攻撃的でありながらも非常に優美で気品あるものだった。

 勿論、このような戦車を用意してもらわなくともアルベドは自分でも騎乗できる動物を召喚できるマジックアイテムを持っている。

 しかしそれでもなお戦車を用意してもらったのは、一つはウォーバイコーンロードの戦闘能力がずば抜けて高い点。

 そして何より、“処女でなくなれば問題なくウォーバイコーンロードに騎乗できるようになる”という点だった。

 アルベドとしては、これを理由に至高の御方々から慈悲を賜れないかと考えていた。欲望まみれの下心を隠し、至高の御方々に相談をしたのだ。

 もしその場にペロロンチーノがいたなら、また結果は変わっていたのかもしれない。

 しかし幸か不幸か、この時その場にいたのはモモンガとウルベルトの二人のみだった。

 二人はアルベドの相談を聞いて暫くポカンとした表情を浮かべた後、モモンガは途端に少し焦ったようになり、ウルベルトは少し考え込んだ後に『閃いた!』とばかりに戦車を取りつけてはどうかと提案してきたのだ。

 悪魔であるのにそういうところは変に鈍いところのあるウルベルトに、アルベドはその時のことを思い出しながら思わずヘルムの下で小さく苦笑を浮かべる。また、どこか焦ったような初々しい様子を見せていたモモンガの姿も思い出し、『本当にお可愛らしい御方々……』と心の中でうっとりとした笑みを浮かべた。

 思考がピンク一色に染まる中、しかしアルベドの手はよどみなく動き、テキパキとウォーバイコーンロードに戦車を取り付けていく。

 そして丁度全ての金具を取り付けたところでアウラがこちらを振り返ってきた。

 

「アルベド、準備できた?」

 

 全ての魔獣に指示を出し終えたのだろう、アウラがフェンリルを後ろに従えてこちらに歩み寄ってくる。

 アルベドは最後に金具がしっかり取り付けられていることを確認すると、一つ頷いてアウラとコキュートスを振り返った。

 

「ええ、大丈夫よ。そちらも準備はできたのかしら?」

「うん、いつでも出られるよ。そういえば、もう私たちの存在は法国の人間たちにバレてもOKなんだよね?」

「ええ。法国はこの神都を攻略できれば終わりでしょうし、既に包囲網は完成しているから情報が外部に漏れる心配もないわ」

「了解! はぁ~、やっと自由に動ける! やっぱりコソコソ動くのって性に合わないんだよね~」

 

 全身で伸びをしながら満面の笑みを浮かべるアウラに、アルベドは再び苦笑を浮かべた。

 アウラの性格や修得している職業を考えれば、彼女が隠密行動を苦にするとは思えない。にも拘らず彼女がこんなことを言うということは、恐らくエルフたちと行動を共にしている際に彼女にそう思わせ、フラストレーションを溜めさせるに至った何かがあったのだろう。

 一体何があったのか非常に気になるところではあるが、しかし残念なことに今はそれを聞くだけの時間はない。

 アルベドは頭の中にある『後ですることリスト』の中にアウラに対する報告指示も付け加えると、今は目の前のことに集中するべく意識を切り替えた。

 

「とはいえ、私たちがすることはあくまでもエルフたちの支援であることは変わりないことよ。大々的に動くのはもう少し我慢して頂戴」

「それは分かってるけど、やっぱり気分的に違うの!」

「そう? そういうものかしら……?」

「そうだよ! もう、すっごくまどろっこしかったんだから!」

 

 アウラが力説する理由が分からず、思わず小さく首を傾げる。

 同じ任務に就いていたコキュートスを振り返るも氷の蟲王は無言を貫いており、一人と一体の反応の違いに更に首を小さく傾げた。

 

「……まぁ、今はそれについては良いわ。それよりも私たちもそろそろ進軍しましょう。どうやら扉の方は無事に突破できたようよ」

 

 見ればエルフ軍が神都の南門に殺到しており、遠目に扉が破壊されているのが確認できる。

 次々と中へ雪崩れ込んでいくエルフ軍に、それらを振り返ったアウラとコキュートスもそれぞれ大きく頷いた。

 

「あっ、ほんとだ。じゃあ、私たちも進もっか。コキュートスは徒歩で良いの?」

「アア、構ワナイ。徒歩デアッテモ、オ前タチニ後レヲ取ルツモリハナイ」

「ムッ、フェンはすっごく足が速いんだよ。コキュートスでも追いつけないと思うけどな~」

「……今回ハエルフタチニ合ワセテ進軍スルノダロウ? オ前ノ魔獣タチガ本気デ進軍スルコトニハナラナイト思ウガ……」

「もうっ、ちっが~~う! そういうことじゃなくてっ!!」

「……?」

 

 思わずといったように大きな声を上げるアウラに、コキュートスは心底不思議そうに首を傾げている。

 まるで噛み合っていない一人と一体の会話に、アルベドは思わず大きなため息と共に眉間部分に軽く指を当てた。

 

「……二人とも、それくらいにして頂戴。さっさと進軍するわよ」

 

 いつまでもここでグダグダしている訳にはいかず、アウラとコキュートスに声をかけて踵を返す。ウォーバイコーンロードに取り付けた戦車に歩み寄ると、アルベドは戦車に乗り込んでウォーバイコーンロードへと繋がる手綱を握りしめた。

 手綱を鞭のように振るってウォーバイコーンロードを駆けさせ始めるアルベドに、アウラも普段とは違う格好であることも構わずに慌ててフェンリルの背に飛び乗って跨る。

 フェンリルに合図を送ってアルベドの後に続くアウラに、コキュートスもまた無言のまま足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……一体どうなっているのだ! 何故このようなことにっ!!」

「これからどうすれば……、何か策はあるのかっ!?」

 

 バンッという激しくテーブルを叩く音と鋭い怒声が響き渡る。

 法国の神都の中心部に存在する大聖教会の一室にて、法国の重要人物たちが顔を突き合わせて議論を繰り広げていた。

 声を荒げているのは司法機関長と行政機関長の二人。

 残りの最高神官長と各六つの宗派の最高責任者、立法機関長、魔法開発の研究機関長、軍事の機関長の十人はそれぞれ苦々しい表情や神妙な表情を浮かべながら無言を貫いていた。

 彼らとて心情としては司法機関長や行政機関長と全く同じである。しかし声を荒げたところで何も解決などせず、逆に思考を曇らせて碌なことにならないことが分かっていた。

 司法機関長と行政機関長も、本当はそのことをよくよく理解しているはずなのだ。

 しかしかつてない予想以上の異常事態が法国を囲み、二人の理性を覆い隠してしまっていた。

 

「……別にそれほど騒ぐことじゃないでしょう。何をそんなに喚いているのかしら」

 

 誰もが湧き上がってくる焦りや恐怖と戦っている中、ふと静かな少女の声が部屋に響き渡る。

 反射的に全員がそちらを振り返れば、そこには一人の少女が部屋の片隅で壁に凭れ掛かるように立っていた。

 少女は一切こちらに視線を向けることなく、ただ両手に持つ四角い何かをひたすら動かしている。

 しかし数秒後、こちらの視線に気が付いたのか、少女はふと両手の動きを止めると色違いの双眸をこちらに向けてきた。

 

「なぁに? 私、何かおかしなことでも言ったかしら?」

 

 心底不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げる少女に、咄嗟に口を開きかけていた者たちも次々と口を閉ざしていく。

 彼女の存在と言葉は、彼らにとっては確かにそれだけの意味があるものだった。

 この場にいる者たちの幾人かは元軍人であり、それ相応の実力を持っている。しかしそんな中でも、この場で誰が一番強いか聞かれたなら、彼らは一様に少女を指さすことだろう。

 恐らく彼女一人いれば、この危機的状況も一気に解決させることができる。それだけ少女の力は強大で強力だった。

 とはいえ、彼女の存在は諸刃の剣だ。その存在が世間に知られるだけで世界が大きく動かないとも限らない。

 もしかすれば今以上の危機的状況に陥るとも限らず、自国滅亡の危機にある今もなお彼らは少女を表に出すべきかどうか頭を悩ませていた。

 

 

 

「――………モハヤ迷ウ余裕モアリハセヌカ……」

「「「……っ……!!?」」」

 

 誰もが黙り込む中、不意に響いてきた低い声。

 底冷えのする風のような……氷と氷を打ち付けたような、そんな不思議な音の声。

 誰もがその声の主に思い至って驚愕の息を呑む中、光と影を併せ持った一つの人影がどこからともなく姿を現した。

 

「我ガ(しゅ)トソノトモガラニヨッテ築キ上ゲラレタ、我ガ守リシスレイン法国。シカシ今ヤソノ命運ハ風前ノ灯火ニモ等シイ。モハヤ二ノ足ヲ踏ム余裕スラナイノデハナカロウカ」

「ル、ルシフェル様……!」

 

 独特の響きと抑揚で言葉を紡ぐその存在に、最高神官長である男がしどろもどろになりながら声をかける。

 ルシフェルと呼ばれた人影は未だ光と影を揺らめかせながら、ボロボロのローブの袖から伸びる籠手に覆われた右手を徐に宙へと伸ばした。

 

「……我ガ愛シキ(しゅ)スルシャーナ様ノ御手ニヨリ創造サレタ我ガ、スルシャーナ様ガ慈シマレタコノ国ノ危機ニ立チ上ガラヌワケニハイカヌ」

 

 宙に伸ばされた右手の先に黒い空洞が出現し、そこから二メートルにも及ぶ漆黒の大鎌が姿を現す。闇色の地獄の炎を宿すその大鎌は細かな闇色の火片を舞わせながら、身を焼く熱気ではなく魂までをも凍らす冷気を周囲に撒き散らしていた。

 ルシフェルは一度大きく大鎌をブンッと振るうと、次には大鎌を持っていない左手を腰に伸ばし、緑色の炎を宿しているランタンをベルトから垂らしている鎖を手に取った。

 

「強大ナ力ヲ宿ス存在ノ気配ヲ複数感ジル……。……禁忌ノ忌ミ子ヨ、ソナタモ出ルガヨイ」

 

 ランタンの鎖を掴んでいる左手が部屋の隅に立つ少女に向けられ、その全身を緑色の光が照らす。

 無言のまま人影をじっと見つめる少女に、それまで大人しく口を閉ざしていた者たちが一様に口を開いた。

 

「お、お待ちを! どうかお待ちください!」

「ルシフェル様にお手間を取らせるわけには参りません! ルシフェル様のお力添えやこの娘を外に出さずとも、解決できるやもしれません!」

「六色聖典の内、風花、水明、土盾は未だ健在。火滅も三分の一までその勢力を削り取られましたが、完全に消滅したわけではございません!」

「そうです! それにいざとなれば我々も戦場に立ち戦いましょう! ですからどうか、ルシフェル様はこちらで……!!」

「モハヤ、ソノ時ハ過ギ去ッタノダト言ッテイル」

 

 口々に言い募る最高神官長や各機関の長たちの声を遮り、人影は朗々とその言葉たちを切り捨てる。

 感情のこもらぬ声音の中に苛立ちが宿っているように感じて、各機関の長たちは一様に口を閉ざした。それでいて自分たちの不甲斐なさに唇を噛み締め、拳を強く握り締める。

 しかし光と影の人影はそんな彼らの様子など少しも気にした様子もなく、再び壁の少女へと意識を向けた。

 

「共ニ来ヨ、禁忌ノ忌ミ子。……モシカスレバ、ソナタノ願イシ敗北ヲ知ルコトガデキルヤモ知レヌゾ」

 

 緊張感が漂う緊迫した空気の中、光と影の人影の声だけが朗々と空気を震わせる。

 そんな中、部屋の隅に立つ少女は声一つ零すことなく、その無表情な顔に初めてにんまりとした不気味な笑みを浮かべた。

 

 




遂に出てきました、スルシャーナ様の第一のシモベ!
ルシフェルさんの容姿や種族や職業などは次回で描く予定ですので、暫くお待ち頂ければと思います(深々)


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第75話 忌み子

現在プチスランプ中……。
今回は戦闘回だというのに何たることか……!
今回の戦闘回は戦闘描写や流れなどがいつも以上に生温く微妙かもしれませんが、何卒ご容赦ください……(土下座)


 響き渡る怒声と悲鳴。

 鉄と鉄がぶつかり合い、光が飛び交い、土が舞い、赤い液体が全てを濡らして白が赤黒く染まっていく。

 足元の地上で繰り広げられている喧騒に、遥か上空を飛んでいるシャルティアとデミウルゴスとマーレはただ淡々とそれらを眺め、見下ろしていた。

 

「……随分とごちゃごちゃしているでありんすねぇ。悲鳴と血は好きだけど、何だか汚らしく思いんす」

「戦場とはこういうものだよ。……尤も、もし至高の御方々が出られたなら、戦場も美しい様相を呈するだろうがね」

 

 ポツリと零れ出た言葉に、横で同じように戦場を見下ろしているデミウルゴスから言葉が返される。シャルティアはチラッと見慣れぬ悪魔のカエル顔を見やると、すぐに視線を戦場に戻して一つ小さく頷いた。

 確かにもしこの場に至高の主たちがいたなら、目の前の戦場は全く違う様相を呈していただろう。至高の主たちの手にかかれば、目の前の巨大な都市とて一瞬で灰塵に帰すことすら容易である。

 さぞや美しい焼け野原となるだろうことを想像し、シャルティアは湧き上がってくる誇らしさや崇拝の念に思わず恍惚とした笑みを浮かべた。

 

 

 

「――……おや……?」

 

 そこでふと隣から聞こえてきた悪魔の声に、意識を現実に引き戻される。

 再び悪魔に目を向ければ悪魔は珍しく興味深そうな表情を浮かべており、シャルティアは内心で首を傾げながら彼の視線を辿って同じ方向を見やった。

 悪魔の視線の先にあったのは、都市の中心部に聳え立つ大きな教会のような建物。

 恐らく国家機関の中枢だろうその建物から不意に二つの小さな人影が勢いよく飛び出し、尋常ではない速度で別の方向に突撃していた。それぞれ向かった方向は、まるで狙ったかのように一方は東側に、そしてもう一方は西側に進んでいる。どちらも大きな得物を激しく振るっており、かち合った森妖精(エルフ)たちは漏れなく全員が血祭りにあげられていた。

 

「あら、漸く真打の登場でありんすか?」

「もしかしたらあの二つの存在が法国側の切り札なのかもしれないね。……もしやレベルは我々と同程度か……?」

「ど、どうするんですか? 至高の御方々に、ご、ご報告した方が……」

「……ふむ、恐らく至高の御方々は既にあの者たちの存在をご存知だったのだろう。だからこそ、100レベルである我々にエルフたちの支援任務を命じられたのだと考えられる」

「そ、それじゃあ、ご報告しなくても良いってことですか……?」

「いや、報告はしておこう。『御方々が懸念されている100レベル相当の存在が出現したため、これより対処にあたる』旨を報告してくれるかい、マーレ?」

「わ、分かりました……!」

 

 デミウルゴスの指示にマーレは大きく頷くと、〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を取り出して宙に放り投げ、魔法を発動させる。

 数秒後、至高の存在の誰かに繋がったのだろう、マーレは途端に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 心なしか頬を赤く染めながら報告を始める闇森妖精(ダークエルフ)に、シャルティアはそれを横目に見ながらも意識は突如現れた存在たちに向けていた。

 二つの存在は東側と西側それぞれで大暴れしており、多くの悲鳴と共に大量の血飛沫を舞わせている。エルフ軍の中に太刀打ちできる者は誰一人としていないようで、急速にエルフ軍の被害が拡大していた。

 

「デミウルゴス、そろそろ手を出した方が良いのではないかえ?」

 

 シャルティアは気のない表情を浮かべながらもデミウルゴスに声をかけた。

 シャルティアからしてみれば、エルフ軍にどれだけの被害が出ようが別段興味もないし、正直どうでもいい。しかしエルフ軍の被害拡大は至高の御方々の望みではないし、至高の御方々の計画の邪魔になるのであれば、それは非常に許し難いことだった。

 

「あのまま放っておいても良いのでありんすか?」

「いや、そろそろ手を出さないとマズいだろうね。御方々はエルフたちの滅亡をお望みではない。東側はアルベドたちが対処するだろうから、西側のあの猪はこちらで引き取るとしよう」

 

 どんどん広がっていく被害に、デミウルゴスが判断を下す。

 シャルティアは一つ頷くと、スポイトランスを取り出して鋭く構えた。いつデミウルゴスから合図を出されても即動けるように、得物を構えた体勢のままじっと対象を注視する。

 自分たちが担当する神都の西側で暴れているのは、一見脅威には見えない可憐な少女。しかしその手に握られているのは血濡れの巨大な戦鎌で、目の前のエルフたちを容赦なく切り飛ばしていた。一回得物を振るうだけで複数の命が刈り取られる様は、彼らとのレベル差がそれだけ大きいことを知らしめてくる。

 シャルティアには対象のレベルやステータスを調べる能力がないため自分との力量差がどの程度あるのかは分からなかったが、それでも油断はするべきではないことは何となく判断できた。

 

「……ふむ、まずは周りを巻き込まないように戦場を整える必要がありそうだ。マーレ、頼めるかい?」

「は、はい、分かりました。やってみます……!」

 

 悪魔からの指示に、報告を終えたマーレが大きく頷く。

 大きな杖を握り締めている両手に力を込めると、マーレは目標に向かって魔法の詠唱を始めた。

 

「……〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)地竜の角(アースドラゴン・ホーン)〉!」

 

 普段とは打って変わり、少しもどもることなく唱えられた詠唱によって発動する魔法。

 ターゲットである少女を中心とした半径50メートル範囲の地面が突如地割れを起こし、そのまま遥か上空へと競り上がった。

 凡そ300メートルほどにまで突起した地面は、遠目からは突如巨大な土柱が街のど真ん中に出現したように見えたことだろう。

 シャルティアはデミウルゴスとマーレと共にそちらへと飛んでいくと、突起した地面の上に音もなく舞い降りた。

 半径50メートルほどのフィールドのようになっているそこには、一人で立つ少女と、複数のエルフたちの死体が転がっている。

 シャルティアはチラッとそれらの死体を見やると、すぐに興味をなくして視線を外し、次には一人立つ少女を見やった。

 

「……随分と手荒な真似をするのねぇ。……あなたたちはエルフの連中のお仲間?」

「お仲間ではないけど、……まぁ、協力者といったところでありんすね」

「ふぅん、そう……。……あら、そっちのダークエルフは私と同じで瞳の色が違うのね。……私のお仲間かしら?」

「……? ……ぼ、僕は、ぶくぶく茶釜様に望まれて、こう創造されただけですよ……?」

「ぶくぶく茶釜様……? 良く分からないけど、母親がそういう名前ということ?」

 

 少女の言っている意味が分からずマーレが首を傾げれば、少女もまた小さく首を傾げてくる。

 二人とも不思議そうな表情を浮かべて首を傾げ合う中、どこか緊張感の抜けた空気の中でデミウルゴスがギョロッとした赤い眼を小さく細めた。

 

「この子は我々と同じ存在であり、その出生には一切エルフ王国は絡んでいませんよ。エルフともあなたとも全く関わりはありません」

「あら、そうなの? ……残念。私と同じなら、少しは楽しめると思ったのに……」

 

 小さく首を傾げながら宣う少女の表情や声音は、しかしその言葉に反して一切残念そうではない。

 見るからに全てがどうでもよさそうな様子に、しかしシャルティアもデミウルゴスもマーレもそれを気にすることはなかった。

 彼らが関心を持つのは、目の前の相手が強いかどうか……どうやって排除するかということのみ。相手がどういった存在でどういった考えを持っているかなどは一切興味がなかった。

 

「……それで? おんしは私たちの邪魔をする気があるの、ないの? 別に邪魔をする気がないのなら、今なら見逃してあげても良いでありんすよ」

 

 こちらも心底どうでも良さそうな口調で、シャルティアは少女に声をかける。

 至高の主たちからは勿論のこと、デミウルゴスからも指示がないため、これくらいは自由に発言しても良いだろう。

 そう判断したシャルティアの考えは正しかったようで、横に立つ悪魔からは一切反論などの反応は来ない。

 それに内心で気分を良くする中、少女は小首を傾げた状態のまま、じっと色違いの双眸をこちらに向けてきた。

 

「あなたたちの邪魔をしなければ、あなたたちは何をするのかしら?」

「簡単なことでありんす。この国を滅ぼすだけでありんすよ」

「ああ、それなら駄目ね。私はこの国を守るように言われているの。それならあなたたちの邪魔をするしかないわね」

 

 少女の声音はひどく淡々としていて、自分が負けるとは微塵も思っていないことが窺い知れる。

 どこか不遜にも思える態度に、シャルティアは途端に面白くない感情が湧き上がってきて小さく顔を顰めた。自然とスポイトランスを持つ手に力がこもり、再びゆっくりと構えて戦闘態勢を取る。

 じわじわと殺気を漂わせ始めるシャルティアに、ここで初めて少女も不気味な笑みをじんわりと端整な顔に滲ませた。

 

「……嗚呼、あなたもそこそこ強いみたいね……。……どこまで私を楽しませてくれるのかしら……」

 

 少女の笑みには恍惚とした色が宿っており、どこか不気味さすら漂わせている。

 しかしシャルティアがそれに気圧されるはずもなく、逆に自分を下に見ているような言動に怒りに引き攣った笑みを白皙の美貌に浮かべた。

 

「……随分と自信があるのでありんすねぇ。それなら、その自信をへし折ってあげんしょうかえ」

 

 瞬間、それまでじわじわと滲むように漂っていた殺気が勢いよく噴き出す。シャルティアは強く地面を蹴ると、次には激しく少女と刃をぶつからせていた。

 ガキンッという鋭い音と共に大きな火花が飛び散る。

 シャルティアと少女は暫く鍔迫り合った後、シャルティアは少女の力に身を委ねる形で弾かれるように背後に飛び退った。

 しかしそれは何もシャルティアが少女に力負けしたからではない。

 シャルティアは階層守護者の中でも最強の戦闘能力を有しており、それは単純な力だけでも相当なもの。シャルティアが本気で力を込めれば、逆に少女の方が弾かれてこのフィールドから落ちてしまう可能性すらあった。もしそんなことになってしまえば、わざわざ別のフィールドを作ってまで少女を地上の戦場から隔離させた意味がなくなってしまう。

 シャルティアを含め、階層守護者の誰一人として、本気で戦えば周りに与える余波は相当なものなのだ。至高の主たちの意向に従いエルフたちを支援するためにはどうしても力をセーブする必要があり、また別の戦場を用意するなどして戦闘の余波がエルフたちに届かないように配慮する必要があった。

 とはいえ、そんなこちらの事情など少女が知り得るはずもない。

 少女は自身の力がシャルティアに勝っているとでも思ったのか、にんまりとした笑みを深めて今度は少女の方からこちらに突撃してきた。

 再び激しくぶつかり合う戦鎌とスポイトランス。

 至近距離で睨み合うシャルティアと少女に、そこで今まで大人しく様子を窺っていた悪魔が不意に“声”を挟んできた。

 

『その場に跪け』

 

 放たれたのは、対象を呪縛し支配する言霊。

 レベル40以下の者であれば強制的に支配下に置くことができるそれは、しかし少女の行動を一切縛ることなく無力化されたようだった。

 つまりそれは、少なくとも少女のレベルは40以上であることを意味する。

 勿論、悪魔は既に少女のレベルが自分たち相当であることを予想しており、無力化されるのも想定の内だっただろう。悪魔は少女を支配しようとしたのではなく、少女のレベルに対する自分たちの考えを確立させるために敢えて〈支配の呪言〉を放ったに過ぎない。

 実際シャルティアがチラッと視線を悪魔に向ければ、悪魔はシャルティアの予想通りにどこまでも落ち着いた様子でこちらを注視していた。

 まるで観察しているかのような静かな佇まいに、シャルティアは自分が“使われている”ことに少しだけ不満を持ちながらもスポイトランスを振るい続けた。

 戦うのが初見の相手である場合、まずは相手の情報をできるだけ多く収集することが何よりも重要である。であればその役目はデミウルゴスやマーレよりもシャルティアの方が一番適任であり、シャルティアであれば十二分に相手の戦法や力を引き出させることができるだろう。

 シャルティアもそれは十分理解しているし、自分であればそれが難なくできるという自負もある。

 しかしそうは言っても“使われている感”はどうしても拭えず、シャルティアは面白くないという感情を燻らせながらも注意深く目の前の少女を見やった。

 

「………戦闘中に考え事なんて、……失礼でしょぉぉおおっ!!?」

 

 少女の表情は刃を振るうにつれて狂気に染まり、色違いの双眸は爛々と危険な光を宿している。

 スポイトランスと戦鎌が打ち合う度に大きな火花が飛び散り、その鬱陶しさにシャルティアは小さく眉を顰めた。

 

「……おんしが弱いのがいけないのでありんしょう。考え事でもしていないと退屈ですぐに殺してしまいそうだから、むしろ感謝してほしいでありんすねぇ……」

「あら、それなら……――」

 

 少女は一度鋭くスポイトランスを弾くと、後ろに飛び退ってシャルティアから距離を取った。体勢を低くして戦鎌を後ろ手に持ち直すと、不意に少女の全身が赤黒い光を放ち始める。

 小さな粒子の集まりであるその光は、空中を漂いながらも少女の全身や戦鎌に纏わりついている。

 少女はまるでこちらの様子を窺うように暫くその体勢をキープすると、次にはまるで弾かれたように勢いよくこちらに突撃してきた。

 少女に蹴られた地面は大きなひび割れと共に深く抉られ、突撃してくるその速度も尋常ではない。

 大きく振るわれた戦鎌をスポイトランスで受け止めれば襲いくる衝撃は先ほどよりも数倍強く重く、少女の力やスピードが一気に飛躍的に上がったことが窺い知れた。

 何かの特殊技術(スキル)か、はたまたこの世界特有の“武技”か、それとも“生まれながらの異能(タレント)”によるものか……。

 その原因はシャルティアには見当もつかなかったが、しかしどんなに力が強くなり動きが速くなろうともシャルティアにとっては決して対応できないものではない。

 シャルティアは瞬時に自身の力を調整すると、少女と同じ速さでスポイトランスを振るい、少女と同じ強さで刃を打ち合わせた。

 

「……っ……!!」

 

 一瞬、少女の顔に驚愕と苦悶の表情が小さく浮かぶ。

 どこか虚を突かれたようなその表情に、もしかすれば少女にとって自身と同程度の力で打ち返され、また複数回打ち合うことは初めての経験だったのかもしれない。

 いくら肉体的に優れていたとしても、その肉体を十全に操れていなければ意味がない。経験がなければ力を打ち消すことも受け流すことも難しく、少女は真正面から力をぶつけることしかできないようにシャルティアは感じた。

 ならば目の前の少女は決して自分にとっては脅威になり得ない……。

 瞬時にそう判断すると、シャルティアは早々に決着をつけることにした。

 スポイトランスを勢いよく振るい、少女の戦鎌を鋭く弾き飛ばす。

 今までにない強い力での攻撃に、予想していなかった少女は耐え切れずに戦鎌を弾かれた状態で前を曝け出した。前面ががら空きになり、目の前に大きな隙が晒される。

 シャルティアはニヤリとした笑みを浮かべると、スポイトランスを握っていない左手に白銀の巨大な戦神槍……“清浄投擲槍”を出現させた。

 大きく振りかぶり、勢いよく少女の胸元へと突き出す。

 迫る戦神槍の光が少女を白銀色に染め、驚愕の色を浮かべていた少女の表情がニタリと笑みに歪む様相を照らし出した。

 

「……!! マズい、マーレ、援護を! 〈悪魔の諸相:多鞭の蛇牙〉!」

 

 デミウルゴスとシャルティアが少女の表情の変化に気が付いたのはほぼ同時。

 デミウルゴスはすぐさま二人の下へと強く地を蹴り、シャルティアは咄嗟に地面を踏み締めている足に後方に向けての力を加えた。

 少女が何かしらの反撃を繰り出してきた場合、普通に考えれば少し離れた場所で静観していたデミウルゴスも、今まさに攻撃をしようとしているシャルティアも、それに対応することは不可能だろう。

 しかしデミウルゴスもシャルティアも100レベルの存在であり、この世界の常識などは一切通用しない。100レベルの肉体は常識を軽く凌駕し、シャルティアは少女が実際に行動を起こす前に後方に大きく飛んで後退り、デミウルゴスは特殊技術(スキル)によって長く八つに増えた銀色の尾をシャルティアと少女の間に割り込ませた。通常よりも二倍以上に長くなった複数の尾が少女に襲いかかり、細い胴体を捉えて勢いよく薙ぎ払う。

 シャルティアは後退した場所で改めて構えの体勢を取ると、そのまま未だ左手にある戦神槍を投擲した。

 

「〈茨の鎖(スオン・チェイン)〉!」

 

 デミウルゴスからの指示を受けていたマーレの魔法が発動し、勢いよく薙ぎ払われて吹き飛ばされた少女の足元から何本もの茨が生えて全身を絡め取る。

 勢いよく襲いくる戦神槍と、全身の動きを阻害してくる茨の拘束。

 少女は初めてその顔に怒りにも似た表情を浮かべると、次には地面を強く踏み締めて拘束されている全身に力を込めた。

 

「……ぁぁあ、…あぁぁあぁアァァアアァあぁああアアぁアあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!」

 

 咆哮のような声と共に拘束を引き千切ろうとする細い両腕。

 茨の棘は少女の全身に食い込み、纏っている装備や衣服を切り裂いて容赦なく肌をも傷つけて肉を抉っていく。

 しかし少女は一切構わず、己の血肉に真っ赤に染まりながら力任せに何本もの茨を引き千切った。

 血肉に濡れた茨が力なく垂れ下がり、少女の全身に纏わりつく。

 しかし少女は幾本もの茨の残骸には一切構わず、そのままボロボロの状態になっている両腕で巨大な戦鎌を大きく振るった。

 瞬間、少女の戦鎌とかち合う“清浄投擲槍”。

 大きな火花と衝撃波が放たれ、その激しさに一層少女の力が上がったことを知る。

 一体この力の上昇の理由は何なのか……。

 シャルティアが思わず小さく顔を顰める中、“清浄投擲槍”を無力化させた少女は戦鎌を持つ血まみれの両腕をダラリと垂らすと、肩を大きく上下させて深呼吸を繰り返した。とめどなく血を流しているせいか、少女の顔色は先ほどよりも一層白くなっている。しかし両足は未だしっかりと地面を踏み締めており、どうやらまだ余力は残っているようだった。

 やはり油断ならない相手だ……と改めて気を引き締めた、その時……――

 

「……っ……!!?」

 

 突然、神都の東側から発せられた眩い光に、シャルティアは反射的にそちらに目を向けた。

 視線の先には緑色の大きな炎が燃え上がっており、それを巨大な氷の壁が防いで周りを白くけぶらせている。炎と氷の周辺では何かが光を反射したかのようなきらめきや小さな火花が点滅しており、激しい戦闘が繰り広げられていることが見てとれた。

 恐らくアルベドたちも戦闘を開始したのだろう、シャルティアは思わずじっとそちらを凝視する。

 瞬間、こちらに襲いかかってくる鋭く大きな気配。

 シャルティアは咄嗟に持っているスポイトランスを振るって気配を弾くと、いつの間にかこちらに突撃してきていた少女を改めて振り返った。

 

「余所見をするのは失礼だって……、言ってるでしょっっ!!」

 

 少女は狂気的な笑みを張り付けながら、なおも戦鎌を振るってこちらに攻撃を繰り出してくる。シャルティアもスポイトランスを振るうと、少女の攻撃全てを捌いていった。

 暫く続く激しい斬撃の応酬。

 普通の人間であればすぐさま切り刻まれて肉片と化すだろう攻撃の数々に、しかしシャルティアは未だ退屈な表情を浮かべながら半目で目の前の少女を見つめていた。

 

「……だから、おんしが弱いのが悪いのでありんしょう。そこそこやるかと思っていたけど、期待外れだったようでありんすねぇ~」

「……っ……!!」

 

 シャルティアの欠伸交じりの言葉に、少女の顔が大きく引き攣る。

 思わずといったように口を大きく開きかけ、しかし何かを発する前に少女の身体が勢いよく横に吹き飛んだ。

 

「……ッ……!!? ……カッ、…ハ……ッ」

「……おっと……」

 

 少女の姿の代わりにシャルティアの視界に広がったのは、黒い筋肉質の巨大な腕。

 諸に攻撃を受けて地面を転がる少女に、〈悪魔の諸相:豪魔の巨腕〉を繰り出したデミウルゴスが軽い声を零した。肥大した右腕を通常のものに戻しながら、デミウルゴスはじっと観察するようにフィールドの端ギリギリまで吹っ飛んでふらふらになりながらも立ち上がろうともがいている少女を見つめる。普段よりも表情が分かり辛いそのカエル顔には、心なしか困惑の色が浮かんでいるように見えた。

 

「ちょっとデミウルゴス、危ないでありんしょうが。ここから落ちたらどうするつもりなんでありんすか?」

「ふむ、ここまで吹き飛ばすつもりはなかったのだがね……。……どうやら私は手加減が苦手なようだ」

 

 悪魔は珍しく反省しているようで、銀色の尾を力なく垂れ下げながらカエル顔を苦笑のような形に歪めている。

 シャルティアははぁぁっと一度大きなため息を吐くと、改めて漸くふらつきながらも立ち上がった少女を見やった。

 見るからにボロボロな状態の少女に、本当に彼女が法国の切り札なのかと疑問符が浮かんでくる。

 これはもうさっさと決着をつけて処分した方が良いかもしれない……と考えると、シャルティアは再び左手に“清浄投擲槍”を出現させた。

 少女に向けて戦神槍を振りかぶり、しかしふと少女の背後に現れた存在に思わず大きく目を見開いた。デミウルゴスとマーレも驚愕の表情を浮かべており、思わずといったように一、二歩少女の方へ歩を進める。

 シャルティアは咄嗟に跪きそうになる衝動を何とか抑え込むと、次にはその存在へと声を張り上げた。

 

「ペロロンチーノ様!」

「やっほ~、シャルティア、デミウルゴス、マーレ。頑張ってる?」

 

 朗らかな声音と共に軽く片手を挙げるのは、シャルティアの愛する創造主であるペロロンチーノ。

 ペロロンチーノは少女の背後の上空に浮かんであり、ここで初めてペロロンチーノの存在に気が付いて振り返る少女に興味深そうな眼差しを向けていた。

 

「………あ、なた……は……」

「やぁっ、君が“禁忌の忌み子”と呼ばれている子? うん、すっごく可愛いね、予想以上だ! ちょっと血みどろ過ぎるところは怖いけど、戦闘中だったんだから仕方ないよね、十分許容範囲内です! その小さなお胸も可愛いし、実に素晴らしいっ!!」

 

 驚愕の表情を浮かべて見上げる少女に、ペロロンチーノは普段以上のハイテンションで言葉を捲し立てる。まるで嵐のような急展開に思考が追いついていないのか、少女は呆然とした表情を浮かべながら無言のままペロロンチーノを見つめていた。

 愛するいと尊き御方が自分以外の……それもナザリックに属さぬ下等なこの世界の存在に見つめられている……。

 目の前の光景に、シャルティアの胸に大きな苛立ちが込み上げてくる。加えて愛しい御方が自分以外の女を誉めているというのも実に気に入らない。

 シャルティアは湧き上がってくる苛立ちのままに顔を歪めると、次には強く地面を蹴ってペロロンチーノの下へ駆けていった。ペロロンチーノと少女の間に割り込み、ペロロンチーノを背に庇うような形で少女と対峙する。

 シャルティアが視界に映ったためか少女は漸く驚愕の表情を消し去ると、血みどろの顔に無表情を浮かべて小さく首を傾げた。

 

「……あなたは一体誰かしら……?」

「あっ、自己紹介がまだだったね、ごめん! 俺はペロロンチーノって言うんだけど……、“禁忌の忌み子”と呼ばれている子は君で合ってるかな?」

「……ええ、合っているわ……」

「……そう、……そっか……」

 

 小さく頷きながら肯定する少女に、ペロロンチーノは先ほどとは打って変わって落ち着いた態度で何かを考え込むような素振りを見せる。

 しかしすぐに気を取り直したように少女を見つめると、ペロロンチーノはそっと目の前に立つシャルティアの両肩に両手を添えるように触れた。

 

「改めて初めまして。俺はこの子の生みの親で、彼らに忠誠を誓ってもらっているモノの一人だよ」

「そう。……なら、あなたを殺したら、法国を救うことに繋がるかしら?」

「えっ? ……う~ん、そう単純にはいかないとは思うけど……。まぁ、その可能性は少しはある……の、かな……? まぁ、それはさて置き、そもそも俺は君にこの戦いから身を引いてもらいたくてここに来たんだけど」

「……?」

 

 “ペロロンチーノを殺す”という言葉にザワッと全身が殺気に騒めくのを感じる中、しかし続いて聞こえてきたペロロンチーノの言葉に思わず幾つもの疑問符が頭上に浮かぶ。

 思わずチラッと背後のペロロンチーノを振り返れば、ペロロンチーノはまるで落ち着かせるように赤いヘルムに覆われているシャルティアの頭に手を乗せてきた。優しい手つきで頭を撫でられ、瞬間、シャルティアの心臓がキュゥゥンッとときめいて甘く締め付けられる。

 思わず顔を赤くするシャルティアを尻目に、ペロロンチーノはシャルティアの頭を撫でながら少女に話しかけ続けていた。

 

「君の話を聞いたよ。まぁ、まだほんの一部なんだろうけど……。それでも君が法国にとってどんな存在で、法国でどんな仕打ちを受けてきたのかは大体理解できた。君はどうして法国を守ろうとするの?」

 

 小首を傾げながら問いかけるペロロンチーノの声音は心底不思議そうな響きを宿している。

 しかし問いかけられた少女もまた不思議そうな表情を浮かべながら小さく首を傾げていた。

 

「どうして? 自分の生まれ育った国を守るのがそんなに不思議なことかしら?」

「普通であれば不思議ではないだろうけど、君の場合は少し特殊だろう? 生まれたことすら疎まれて、閉じ込められて……俺なんかは、それでどうして守ろうと思えるんだろうって思うんだけど」

「それは仕方がないわ。あの人たちが私を疎むのも、私が生まれてきたことを嘆く理由も理解できるもの」

「……そんなの、何一つ君は悪くないじゃないか」

 

 少女の言葉に、ペロロンチーノが明らかに不満そうな声を上げる。シャルティアの頭を撫でていた腕の動きが止まり、そのまま手も離れていく。

 それに思わず寂しさが湧き上がってきて切なげな表情を浮かべるが、しかしペロロンチーノはそんなこちらの様子に気が付かずに血みどろの少女を見つめていた。

 

「何かを創り出すこと、何かを生み出すこと……それにもし咎が生じるなら、それを背負うのは生み出す側であって、絶対に生み出された側じゃない。俺はシャルティアを創ったけど、それに対して何も後悔はしていないし、逆に誇りに思ってる。もしシャルティアの存在が何かの災いになるのだとしても、それは俺が背負うべき責であって、絶対にシャルティアが背負うべきものじゃない」

「……………………」

「……ペロロンチーノ様」

「君は生まれただけじゃないか。この世界に生を受けただけじゃないか。それが罪になるっていうのなら、その考えこそが間違いで忌むべきものだよ!」

 

 小さく身を乗り出して熱弁するペロロンチーノに、少女はキョトンとした表情を浮かべる。恐らく今までこのようなことを言われたことがなかったのだろう、その表情には『何を言っているのか意味が分からない』とはっきりと書かれているように見えた。

 ある意味失礼極まりない少女の態度と表情に内心腹立たしく思いながら、しかし一方でシャルティアは注意深く少女の様子を見つめながらもペロロンチーノの慈悲深い御心に崇拝と敬愛の念を強めていた。

 敵にも情けをかけ、慈悲に満ちた言葉をかけられるとは、我が愛しき創造主はなんとお優しい御方であろうか……――

 思わずうっとりとする中、しかし慈悲をかけられている少女自身はなおも首を傾げながら不思議そうにペロロンチーノを見つめていた。

 

「………あなたが何を言っているのか……、……あなたが何を言いたいのか…、よく、分からないわ……」

 

 少女の表情は変わらず無表情で、一切変化はしていない。

 しかし小振りの唇から零れ出る声音は途切れ途切れで、どこか動揺しているようにも思えた。

 

「つまり、できるなら君には身を引いてもらいたいってこと。……うん、むしろ君には俺たちの味方になってもらいたいな」

「……私が、あなたたちの……味方……?」

「そう。君は言うなればハーフエルフだろう? 人間至上主義でエルフを奴隷にしている法国よりも、むしろ俺たちの下にいた方が君も居心地が良いんじゃないかな。……少なくとも、俺たちは君を閉じ込めたりはしないよ」

「……………………」

 

 朗らかな声で味方になるよう促すペロロンチーノに、少女は無表情から困惑したような表情に変えて口を閉ざした。無言のまま、ただじっとペロロンチーノを見つめる。

 暫く口を小さく開いたり閉じたりした後、少女はまるで何かを振り払うように小さく頭を振った。

 

「………意味が、分からないわ。……私を、……敵を味方にしたいだなんて……」

「そうかな? 君は…、ある意味法国とあのエルフの元王様の被害者だろう? 法国は許せないし許す気もないけど、君みたいな女の子を傷つけるのは本意じゃない」

「……………………」

「何より、可愛い女の子は幸せになるために生まれてくるんだから! むしろ可愛い女の子を幸せにするのが世界に生きる全ての者の義務なんだよ! 女の子を悲しませるとか誰が許してもこの俺が許さない! 幼女と美少女は至高!! 全力で愛でるものなのですっ!!」

 

 拳を強く握り締めて再び熱弁を始めるペロロンチーノに、少女は一つ小さな息を吐いた。一度深く目を閉じ、そして一拍後にゆっくりと瞼を開いて色違いの双眸を真っ直ぐペロロンチーノに向けた。

 

「あなたが何を言っているのかも、何を言いたいのかも、やっぱり全然分からないわ。そして私がやることは変わらない。……あなたたちを殲滅するだけよ」

「う~ん、どうしても駄目かな~……」

「駄目ね。……願わくは、あなたたちが私に敗北をもたらしてくれる存在であることを願うわ」

「………敗北……」

 

 少女の言葉に何を思ったのか、ペロロンチーノは“敗北”という言葉を鸚鵡返しして黙り込む。

 少し考え込むような素振りを見せた後、次には一つ大きく頷いた。

 

「うん、分かった。君を倒して法国から解放してあげよう!」

「………そんなこと、一度も頼んでいないわ」

「君の本心がそうであるなら、それはそれで構わないよ。取り敢えず君を倒して法国は滅ぼす。その後にまた改めて……今度は君の本心を正直に聞かせてもらえたら嬉しいな」

 

 ペロロンチーノは変わらぬ明るい声音で少女に語り掛けると、次にはアイテムボックスからゲイ・ボウを取り出した。少女に向けて弓を構えて弦を引き絞れば、それに呼応してどこからともなく光の矢が出現する。

 少女がゆっくりと戦鎌を構えるのに、シャルティアもスポイトランスを鋭く構えて戦闘態勢をとった。

 

「シャルティア、デミウルゴス、マーレ、できるならこの子は殺さずに捕らえてほしい。三人の力を俺に貸してくれ、頼んだよ」

「「「……っ……!!」」」

 

 不意にかけられたペロロンチーノの言葉に、ブワッと全身に大きな歓喜の波が駆け抜ける。

 崇拝する至高の御方からこのような言葉をかけられて、ナザリックで喜ばぬモノはいない。

 シャルティアは叫び出しそうになる己を必死に抑え込むと、湧き上がってくる歓喜をしっかりと噛み締めた。

 

「畏まりんした。全てはペロロンチーノ様の御心のままに!」

「必ずや御身のご期待に応えてみせます」

「ぼ、ぼく、頑張ります……!」

 

 シャルティアがうっとりとした声音でペロロンチーノに応えれば、悪魔とダークエルフも続くようにして言葉を紡ぐ。

 シャルティアは改めて気を引き締めると、ペロロンチーノの望みを叶えるべく注意深く少女を見やった。

 ペロロンチーノの望みが少女の殲滅ではなく捕縛である以上、難易度は一気に跳ね上がる。ここはシャルティアよりもむしろデミウルゴスやマーレの方が余程うまく立ち回ることができるだろう。とはいえ“では自分は何もしません”という考えは一切なく、シャルティアは自分のすべき役目を必死に考えた。

 一番無難で良い方法は、“自分が少女を抑え込み、それに乗じてデミウルゴスかマーレが少女を捕縛する”というものだろうか。

 

(……とはいえ、抑えるのも少し骨が折れそうでありんすねぇ……。……両手両足を跳ね飛ばすくらいは許して頂けるかしら……。)

 

 内心で非常に物騒なことを考える中、今まで睨み合いを続けていた少女が突然動きを見せた。

 

「……〈能力向上〉〈能力超向上〉〈疾風走破〉!」

 

 発せられたのは武技だと思われる能力の数々。

 補助魔法の時と同じように少女の全身が淡い光に包まれ、その一拍後に少女は勢いよくこちらに突撃してきた。

 これまで以上に速い動きで急接近する少女と戦鎌の刃。

 しかしシャルティアは冷静さを失わず、慌てることなくじっと迫りくる戦鎌の動きを注視した。少女の速度とタイミングを見計らい、スポイトランスを持つ手に力を込める。

 やがて“ここだ”というタイミングに合わせてスポイトランスを振るおうとした、その時……――

 

「〈流水加速〉!」

「……っ……!?」

 

 加えて発動された武技と更に速度が速まった戦鎌。

 瞬間的に上がった攻撃速度にシャルティアは一瞬驚愕したものの、すぐさまそれに応じてスポイトランスを振るう力を強めた。

 

「……くっ……!!」

 

 鋭い音と共にぶつかり合う戦鎌とスポイトランス。

 大きな反動に思わず少女が苦悶の表情を浮かべる中、シャルティアの背後にいたペロロンチーノとデミウルゴスとマーレも行動を開始した。

 

「〈散爆の矢〉!」

「〈悪魔の諸相:触腕の翼〉!」

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)茨の鎖(スオン・チェイン)〉……!」

 

 ゲイ・ボウから放たれた矢が幾重にも別れて少女が持つ戦鎌の大きな刃に襲いかかり、加えてデミウルゴスから放たれた翼の触手が少女の全身を襲って深く突き刺さる。腕にも無数に刺さる触手の棘と得物を襲う幾つもの強い衝撃に耐えきれず、少女は更に苦悶の表情を浮かべて戦鎌を手放した。そこにマーレが再び唱えた魔法により、次は強化された幾本もの茨が襲いかかる。

 再び全身を茨の鎖に拘束され、少女は必死に地面を踏ん張りながら苦痛と怒りに大きく顔を歪めた。

 

「………くっ……、……こ、の……っ!!」

 

 苦しげな声を小さく零しながら、少女は先ほどと同じように茨を引き千切ろうと全身に力を込める。しかし既に少女の全身はボロボロの状態で、とても二度は耐えられないように見えた。全身から新たな血が溢れ出し、肉は更に抉れ、少女を真っ赤に染め上げていく。

 少女が茨の拘束に苦戦している中、マーレの口から更なる魔法の詠唱が紡がれた。

 

「〈第10位階怪植物召喚(サモン・プラントモンスター・10th)〉」

「……っ……!?」

 

 瞬間、少女の目の前に現れたのは見上げるほどに巨大な植物の化け物。

 体長が5メートルにも及ぶその化け物は、一見野に咲く可憐な一輪の花のように見えた。

 しかし固く噤んでいる蕾は毒々しい紫色で、目に痛い蛍光色のピンク色がぐるぐると螺旋を描いている。ふっくらとした蕾の先はまるで唇のように生々しくめくれており、その隙間から牙のようなものが無数に姿を覗かせていた。ほっそりとした茎は首のようにしなやかで、しかし地面に近づくにつれてでっぷりと太く大きくなり、まるで肥えた醜い腹のような様相を呈している。茎から生えているのは葉ではなく幾つもの触手のような蔓で、その表面には無数の鋭い棘が並んでいた。

 まるで涎を垂らしているかのように魅惑的な芳香を放つ蜜を垂れ流し、幾本もの触手を騒めかせている様はシャルティアの目から見てもひどく薄気味悪く気持ち悪い。

 思わず嫌悪感に顔を小さく顰める中、その植物を見上げる少女の顔色もまたひどく青白いものになっていた。

 

「あの、えっと、捕まえて下さい」

 

 少女が全身の動きを止めて呆然と植物の化け物を見上げる中、マーレの無慈悲な命令の声が響いて消える。

 瞬間、植物の化け物は噤んでいた蕾を大きく広げると、大量の蜜が溢れ、多くの牙が並んだ“口”を露わにした。

 

「……ひっ……!」

 

 少女が思わず小さな悲鳴を上げて全身を強張らせるも、植物の化け物は一切構う様子はない。ただ“口”を開いた状態で一気に少女へと襲いかかった。

 少女を拘束している茨ごと蕾の中に含み、そのままウゴウゴと怪しい動きと共に少女を完全に呑み込んでいく。

 心なしかでっぷり太っている茎の根元が更に太くなったような気がして、シャルティアは思わず『うげぇぇ……』といった表情を浮かべた。

 

「ペ、ペロロンチーノ様! ぼ、僕が捕まえましたっ!」

 

 しかしマーレはこちらの表情に気が付いているのかいないのか、頬を歓喜に紅潮させながら満面の笑みと共にペロロンチーノに駆け寄っていく。

 まるで跳ねるように報告するマーレに、ペロロンチーノは何故か少し気圧されたような素振りを見せながらもマーレの頭に手を置いて撫でてやっていた。

 

「……あー、…うん、……よくやってくれたね、マーレ。ありがとう」

「お、お役に立てて、嬉しいです……!」

 

 ペロロンチーノに頭を撫でられ、マーレは頬を紅潮させながらふにゃりとした笑みを浮かべる。

 ペロロンチーノは数回マーレの頭を撫でた後、ゆっくりと手を離しながら少女を呑み込んだ植物の化け物を振り仰いだ。

 

「えっと、ただ彼女が溶けちゃうのは嫌だから、消化液はやめてあげてね」

「分かりました! えっと、それでは麻痺液にしておきます!」

「あー、睡眠液にしてあげようか……」

 

 植物の化け物の傍らで、ペロロンチーノとマーレが何とものんびりとした会話を繰り広げる。

 ペロロンチーノは一度ペチペチと軽く植物の化け物の太い腹を叩くと、次には一つ小さく息をついてからこちらを振り返った。

 

「よし、取り敢えずここは済んだから次に移ろうか。マーレは一度ナザリックに戻って“妖艶怪花”を第六階層に置いて来てくれるかい? 取り敢えず見張りは餓食孤蟲王に任せよう。彼にもそれを伝えておいてくれ」

「か、畏まりました……!」

「シャルティアとデミウルゴスは引き続き法国とエルフの動きを監視。何かあればまた支援をしてあげてくれ」

「畏まりんした、ペロロンチーノ様」

「畏まりました」

「俺はモモンガさんとウルベルトさんの所に戻るから、後は頼んだよ」

 

 ペロロンチーノから与えられる指示に、シャルティアたちは承知の言葉と共に深々と頭を下げる。

 ペロロンチーノの羽ばたく翼の音が聞こえ、それが聞こえなくなった頃に頭を上げれば、そこには既に御方の姿はどこにもない。

 シャルティアは一度切ない息を小さく吐き出すと、次には意識して思考を切り替えながら傍らに立つ悪魔を振り返った。

 

「……それで、これからどうするのでありんすか、デミウルゴス?」

「ペロロンチーノ様が仰られた通り、戦場の監視を再開しましょう。アルベドたちも無事にもう一つの対象を処理できたようですしね」

 

 デミウルゴスの言葉に東側に目を向ければ、確かにそこには既に戦闘の様子は見られない。アルベドたちから連絡が来ていないということは負けたという訳でもないのだろう。

 シャルティアは一つ頷くと、フィールドの端に歩み寄って眼下の戦場を見下ろした。

 地上では変わらず法国軍とエルフ軍が激しく争っており、しかしその戦況は大分エルフ軍の勝利に傾いているようだった。

 この様子であれば決着がつくのにそう時間はかからないかもしれない。

 シャルティアは一切興味のない冷めた視線を向けると、小さな欠伸を一つ零した。

 

 




番外席次ちゃんを好き勝手に捏造しております。
当小説独自設定ということで、ご容赦くださいませ……(土下座)

*今回の捏造ポイント
・〈地竜の角〉:
第八位階魔法。地面から巨大な土の角を飛び出させて攻撃する魔法。魔法効果範囲拡大化で即席のフィールドを造ることも可能。
・〈悪魔の諸相:多鞭の蛇牙〉:
デミウルゴスが持つスキル〈悪魔の諸相〉シリーズの一つ。尾が二倍以上に長くなり、八つに増える。もしこのスキルを使うアバターやNPCに尾がなかった場合は、長い八つの尾が生えて攻撃することができる。
・〈茨の鎖〉:
第十位階魔法。対象の足元に幾本もの茨を生やし、対象を拘束したり攻撃することができる。
・〈散爆の矢〉:
一本の矢を散弾のように幾つも枝分かれさせて攻撃することができるスキル。
・〈第10位階怪植物召喚〉:
第十位階の召喚魔法。“妖艶怪花”を召喚することができる。
・“妖艶怪花”:
〈第10位階怪植物召喚〉で召喚できる怪花の一体。体長が5メートルにも及ぶ一輪の花のような怪花。普段は蕾は閉じられているが、攻撃時は花びらが開いて口のようなものが露わになる。太った腹のようになっている茎の中ではあらゆる効果のある液体を生成することができ、実際に吐き出して攻撃したり、自身の中に取り込んで液体に漬けたり沈めたりする。


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第76話 創造されしモノたち

守護者たちの戦闘が難し過ぎるぅぅ……(涙)
前回同様、今回の戦闘回もいつも以上に生温く微妙かもしれませんが、何卒ご容赦ください……(土下座)


 時は少々遡り……――

 上空を行くシャルティア、デミウルゴス、マーレとは打って変わり、アルベド、アウラ、コキュートスの三体は地上をゆっくりと進んでいた。

 森妖精(エルフ)軍が進んだ後の荒涼とした街中を横並びで悠々と歩み行く。道の至る所には法国兵やエルフの死体が数多く転がっており、しかしアルベドもアウラもコキュートスも一切興味を持つことなく視線を向けることすらしなかった。

 遥か前方からは喧騒の音が聞こえてきており、恐らく法国軍とエルフ軍が激しい戦闘を繰り広げているのだろう。

 アルベドは戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)に繋いだ戦車(チャリオット)に揺られながら、右隣でフェンリルに乗っているアウラを振り返った。

 

「アウラ、法国軍とエルフ軍との戦況はどうなっているのかしら? 戦場に何か不審点などは見つかった?」

「う~ん、今のところ何も報告はきてないから大丈夫なんじゃないかな。みんなの気配も消えていないからやられたわけでもないだろうし」

 

 アルベドの問いに、アウラは明るい声音で返答する。

 アウラはシモベの魔獣たちを神都の至る所に散らしており、戦況の監視や神都に仕掛けられているかもしれない罠などの有無を確認させていた。しかし魔獣の一体からも何の報告もないということは、彼女の言う通り全てが問題なく進んでいるのだろう。

 アルベドは一つ頷くと、再び前方へと視線を向けた。

 彼女の視線の先には、変わらず死体のみが転がっている無人の道が続いている。しかし道の両側に建ち並ぶ家々の中からは息を潜めた人間の気配が複数感じ取れ、アルベドはヘルムの奥で小さく目を細めた。

 家々に潜んでいるのは恐らく軍兵ではなく唯の街の住人なのだろう。

 戦う力も……何の力も持たない脆弱な者たち……。

 アルベドはヘルムの奥で一瞬嘲笑を浮かべると、すぐに興味を失って前方に視線を戻した。

 法国も必死の抵抗をしているのか、中心部に近づくにつれて徐々にエルフ軍の進攻速度が緩やかになっていく。

 アルベド、アウラ、コキュートスもそれに合わせて都度歩む足を止めることになり、戦場の真っただ中でありながらアウラは見るからに退屈そうな表情を浮かべ、アルベドもまたヘルムの中で思わず出てきそうになった欠伸を咄嗟に噛み殺していた。

 

「………なぁ~んか退屈なんだけど……。やっぱりあたしたちが出てくる必要なんてなかったんじゃない?」

 

 今も歩みを止めているフェンリルの背の上で、アウラが頭の後ろで両手を組みながら声をかけてくる。

 アルベドとしても彼女の気持ちはよく分かり、内心では同じことを思っていた。

 しかしここが戦場で敵側の本拠地であることは変わりなく、アルベドは苦笑を浮かべながらも諌める言葉を口に乗せた。

 

「アウラ、油断は禁物よ。至高の御方々もユグドラシルにいらした頃に仰っていたでしょう。……確か、『窮鼠、猫を噛む』…だったかしら……? 下等生物(ネズミ)も窮地に陥れば何をするか分からないわ」

「それはそうだけどさぁ~……。……っ……!?」

 

 アウラがアルベドの言葉に反論しようとした、その時……。

 不意に前方から聞こえてきた大きな悲鳴の数々に、アウラは口を閉ざして素早く前方を見やった。アルベドとコキュートスもほぼ同じタイミングで前方を振り返る。今まで以上に大きく、数多く響く悲鳴に、何か不測の事態が起きたのかと一気に気を引き締める。

 停止したまま前方を凝視して耳をそばだてる中、不意に前方から一羽の魔鳥が急いだ様子でこちらに飛んできた。

 一見ただの梟にしか見えないこの魔鳥は、しかし全身が鮮やかな真紅に色づいており、その体躯も普通の梟に比べて二回りも大きい。

 クリムゾンオウルと言う名のこの魔鳥はアウラのシモベの魔獣の内の一羽だった。

 アウラが右腕を差し伸ばせば、クリムゾンオウルはその鋭い鉤爪には似つかわしくないひどく柔らかな動きで、そっとアウラの腕の上に舞い降りる。何やらひどく焦っているようで、クリムゾンオウルはしきりに『ホー! ホー!』と煩く鳴きながら落ち着きなく翼をソワソワと動かしていた。

 いつにないシモベの様子にアウラは苦笑を浮かべると、落ち着かせるように優しい手つきで翼を撫でてやりながら暫くクリムゾンオウルの鳴き声に耳を傾けた。

 

「……う~ん、エルフたちに強敵が現れたみたい。多分法国側の切り札なんじゃないかな」

「あら、漸く本腰を入れてきたのかしら。その切り札は一つ? それとも複数?」

「二つだね。一方はこっちに向かって来てて、もう一つはデミウルゴスたちの方に進行しているみたい」

「フム、興味深イナ……。アウラノ魔獣ガコレホド慌テルノダカラ、相当ノ強者ナノダロウ。至高ノ御方々ニゴ報告シタ方ガ良イカモシレン」

 

 複眼全てをクリムゾンオウルに向けているコキュートスの言に、アルベドは少しの間考え込んだ。

 普通に考えればコキュートスの言っていることは正しい。報告を怠ったがために取り返しのつかないことになっては元も子もないし、逆に至高の御方々にご迷惑をおかけしてしまう可能性すらある。

 しかしそう思う一方で、『本当にそれで良いのだろうか……』という考えも同時に脳裏に浮かんでいた。

 至高の御方々は予てより、ナザリックのために自分たちで考えて行動するよう事ある毎に仰られており、自発的な言動を自分たちに求め、自分たちの成長を望んでおられた。なればこそ、未だはっきりとしたことが分からない状態で報告するのは逆に怠惰であり、至高の御方々のご期待に反する行動なのではないだろうか……。

 アルベドは熟考の末に一つ頷くと、こちらの指示を待っているアウラとコキュートスに目を向けた。

 

「まずは事実確認を行いましょう。御方々へのご報告はその後に行っても遅くはないわ。念のため、私を先頭にコキュートス、アウラの順で進行します。クリムゾンオウル、その強敵がいる場所に案内しなさい」

「ホウッ!」

 

 アルベドの指示にアウラとコキュートスは一つ頷き、クリムゾンオウルは元気よく両翼を広げて一声鳴く。

 アウラの腕の上から飛び立ち先導する真紅の梟に、アルベドは手綱を振るってウォーバイコーンロードに合図を送った。

 先ほどまでのゆっくりとした歩みとは打って変わり、速足で神都の中心部へと進んでいく。

 やがてエルフ軍の最後尾が見え、しかし更に前へと飛んでいくクリムゾンオウルに従ってアルベドたちは進み続けた。

 突然のアルベドたちの登場にエルフたちは驚愕の表情を浮かべながらも慌てて後退って道を空けていく。

 エルフたちの軍を割って前に進んでいくアルベドたちは、やがて一つの存在に突き当たった。

 最初に目に飛び込んできたのは赤に濡れた漆黒の巨大な大鎌。

 次に目に映ったのはゆらゆらと揺らめく緑色の炎。

 アルベドたちの前に現れたのは、アンデッド系だと思われる一体の異形だった。

 漆黒のフードと、背に流れるボロボロのマント。マントの下にはこれまたボロボロのローブが揺れており、その上には薄汚れた純銀色の鎧が顔を覗かせている。鎧は至る所に棘のような突起物が飛び出ており、全体的に刺々しいデザインになっていた。腰には鎖がベルトのように幾重にも巻かれ、その先には緑色の炎が揺らめく大きなランタンが垂れ下がっている。籠手をはめている手には巨大な漆黒の大鎌が握られており、その大鎌には闇色の炎が纏わりついていた。

 

「……死霊(レイス)系……? ……どうして法国に?」

「……さぁ、どうかしら……。素顔が見えないからはっきりと死霊とは限らないけれど……」

 

 フードの奥には暗闇のみがあり、アルベドたちの目をもってしても素顔を見ることはできない。

 顔がはっきりと確認できない以上、相手の種族を死霊であると判断するのは早計というものだろう。

 しかしそうは思いながらも、アルベドもアウラもコキュートスも十中八九相手の種族は死霊系だと感じていた。

 

「………ホウ、エルフノ軍ニ異形カ……。我ガ感ジテイタ強キ力ヲ宿ス存在ハ貴様ラデアッタヨウダナ……」

 

 フードの奥から聞こえてきたのは不明瞭な響きを帯びた不可思議な声。

 どこかコキュートスと似通った軋んだような声音に、アルベドたちは一様に目を細めて注意深くその存在を見やった。

 

「貴様ラハ何者ダ? 何故、我ガ守リシスレイン法国ヲ害ソウトスルノカ?」

「………すべては至高の御方々のご意思によるもの。あなたもわたくしたちと同じなのではないかしら?」

「……ホウ、ツマリハ我ト同ジ存在カ……。ナラバソノ力モ納得ガイク……」

 

 フードの異形は何かに思い至ったのか、納得したように小さく頷いてくる。

 しかしそれはアルベドたちも同様だった。

 以前から……それこそニグンを支配下に置いてスレイン法国について情報を引き出させた時から、法国はユグドラシル・プレイヤーの恩恵を得て造られた国であると推測され、最悪の場合、今もプレイヤーやそのシモベたちが生きている可能性すら指摘されていた。しかしそれらはあくまでも可能性でしかなく、決して絶対ではない。そのため鎌をかける意味合いで敢えてあのような言葉選びをしたのだが、どうやらその判断は正しかったようだった。

 先ほどの口振りから推察するに、ローブの異形は自分たちと同じ“ユグドラシル・プレイヤーに創り出された存在”なのだろう。であるならば、そのレベルも自分たちと同程度である可能性が高かった。

 勿論、100レベルの存在と一言で言ってもピンからキリまで様々であることは理解している。自分たちとて至高の御方々と同じ100レベルの存在ではあるが、その実力は天と地以上の差が存在する。互いの相性もあるだろうし、戦闘経験や装備の優位性なども影響してくるだろう。同じ100レベルの存在とはいえ、数多の要因によって互いの力量差は大きくも小さくもなるのだ。

 しかし、アルベドたちの中にはローブの異形を格下と断ずる決定的な大前提が存在した。

 それは自分たちを創り出した存在と、ローブの異形を創り出した存在との圧倒的な差。

 この世界では“六大神”と呼ばれているそれらは、しかし自分たちを創造した至高の四十一人に比べれば足元にも及ばぬ存在であり、その実力や存在自体に雲泥の差が存在する。そして自分たちはそんないと尊き至高の御方々に創造された存在なのだ。片や二流三流のユグドラシル・プレイヤーでしかない存在に創造された目の前の異形など、下等生物にも等しいものだろう。

 とはいえ、先ほども述べたようにレベルが自分たちと同程度であろうことは紛れもない事実。

 楽観視して油断し過ぎては流石にマズいだろうとアルベドは心の中で自身に言い聞かせると、小さく息を吐きながら気を引き締めた。

 

「コキュートス、私と共に前へ。アウラ、御方々にご報告した後にこちらの援護に回って頂戴」

「承知シタ」

「りょ~かいっ!」

「エルフたちよ! この場は我らが預かる! お前たちは引き続き進行し、この神都を陥落しなさい!!」

 

 アルベドは戦車から降りながらコキュートスとアウラそれぞれに指示を出し、続けて周りにいるエルフたちにも命令を発する。コキュートスとアウラはすぐさまそれに従い、エルフたちは誰しもが困惑や警戒の表情を浮かべながらも止めていた足を再び動かし始めた。

 しかしローブの異形がそれを大人しく見逃すはずがない。

 

「……我ガソレヲ許ストデモ思ウテカ?」

 

 エルフ軍の進攻を阻止しようと闇の大鎌を振るおうとするローブの異形に、すかさずコキュートスが斬神刀皇を取り出してその攻撃を真正面から受け止める。大鎌が鋭い白刃に弾かれ、宙に漂う闇色の炎が苛立たしげに不穏に大きく揺らめいた。

 ローブの異形は一歩大きく後退ってコキュートスから距離を取ると、次には再び大鎌を大きく構えて横薙ぎに勢いよく振りはらった。

 瞬間、大鎌に纏わりついている闇色の炎が黒の斬撃となってエルフたちに襲いかかる。

 しかしそれを受け止めたのは緑色の微光を宿す巨大なバルディッシュ。

 加えて受け止められた黒の斬撃は全て打ち返され、ローブの異形は小さな舌打ちの音と共に更に後退ってそれを躱した。

 

「アルベド~、御方々への報告、終わったよ~!」

「ご苦労様。ついでにデミウルゴスたちにもこの者たちの存在を報告しておいてくれるかしら?」

「う~ん……、いや、それはしなくても大丈夫だと思うよ」

 

 クリムゾンオウルからの情報によれば、他にもこのローブの異形と同じような存在がもう一人いるはずだ。“ならば知らせておいた方が良いだろう”という判断は、しかしアウラによって否定された。

 一体どういうことかとアウラを振り返りかけ、しかしその前に大きな地響きが神都全体を襲う。

 加えて聞こえてきた大きな音にそちらを振り返れば、デミウルゴスたちがいるであろう場所……神都の西側に突如として巨大な土柱が出現した。目を凝らせば、三つの小さな人影が上空から土柱の頂上に舞い降りようとしているのが見てとれる。

 もしかしなくても、これは十中八九マーレの仕業だろう。

 何とも派手なことをするものだ……と思わずヘルムの中で苦笑を浮かべる中、フードの異形もまた土柱を振り返り凝視していた。

 

「………ナルホド、ココニイル者タチダケデハナカッタカ……」

 

 独り言のように呟かれた声音は、淡々としていながらもどこか苛立たしげな響きを宿している。

 しかしすぐさま気を取り直すように小さく頭を振ると、次にはゆらりと揺らめくような動作でこちらを振り返ってきた。

 

「……マァ、良イ。アレハ禁忌ノ忌ミ子。負ケルコトハナイデアロウ……」

 

 続けて紡がれた言葉に、アルベドはヘルムの中で思わず小さく眉を顰めた。

 気になる言い回しと、初めて聞いた“禁忌の忌み子”という呼び名。

 ローブの異形の口振りからして、その“禁忌の忌み子”と呼ばれるモノがもう一つの法国の切り札的存在なのだろう。

 しかし、それは一体どういった存在であるのか。

 ローブの異形と同じくユグドラシル・プレイヤーに創造された存在か、はたまたこの世界で強者と分類される存在か……。

 少しでも情報を得ようと口を開きかけ、しかしその前に聞き慣れた声がそれを遮った。

 

「――……ほう、それは一体どういった存在なのかな?」

「「「……っ……!!?」」」

 

 今までこの場にいなかったはずの声の登場に、この場にいる全員が勢いよく声が聞こえてきた方角を振り返る。

 瞬間、視界に映り込んできた姿に誰もが驚愕の表情を浮かべた。

 

「モモンガ様!? ……それにウルベルト様、……ペロロンチーノ様も……!」

「やっほ~、みんな大丈夫? 怪我してない?」

「アウラとマーレから報告を受けて来てみたが……、何やら興味深い話をしているようだな」

 

 視線の先にいたのは至高の三柱、自分たちが崇拝するモモンガとペロロンチーノとウルベルト・アレイン・オードルが闇の扉を背に立っていた。ペロロンチーノはこちらに片手を振っており、モモンガとウルベルトは興味津々とばかりにローブの異形を凝視している。

 思わずその場に跪きそうになり、しかしウルベルトが小さな苦笑を浮かべたことに気が付いてアルベドは咄嗟に踏みとどまった。

 

「こらこら、アルベド。その名でアインズを呼んではいけないよ」

「……!! も、申し訳ありません!!」

「まぁ、幸い聞いていたのはこのアンデッドだけだからどうとでもなるが……。……ふむ、“死神(グリムリーパー)”かな?」

「その可能性が高いな。少なくともスケルトン系ではないだろう」

 

 ウルベルトが口にした種族名に、モモンガも同意の言葉と共に一つ頷く。

 アルベドもローブの異形に視線を向けながら、『なるほど……』と心の中で頷いた。

 言われてみれば確かに、素顔の見えないその容姿や手に持つ大鎌からして、種族が“死神”であるというのは大いに頷けるものだった。

 一目で相手の種族を言い当てる至高の御方々の慧眼と叡智に感嘆を禁じ得ない。

 後はこの死神が修得している職業が何であるかが最も重要なポイントだろう。

 大鎌を使っての戦闘スタイルだけを考えれば前衛職である可能性が高いが、ブラフである可能性も否定できない。

 やはりまずは情報を引き出させるべきだと判断する中、アウラやコキュートスに怪我の有無を念入りに確認していたペロロンチーノが勢いよくこちらを振り返ってきた。

 

「その異形が何者なのかも気になりますけど、俺としては“禁忌の忌み子”って呼ばれてる存在の方をまずは知りたいんですけど? それってあっちで戦ってる存在のこと?」

 

 “あっち”という言葉と共にペロロンチーノが土柱の方を指さす。

 土柱の頂上では激しい戦闘が繰り広げられているのか、攻撃の余波が時折こちらにまで届いて来ていた。感じ取れる余波は微かなものではあるが、ここまでの距離を考えれば相当な火力のぶつかり合いであることが窺い知れる。

 やはりユグドラシル・プレイヤーによって創られた存在だろうか……と思考を巡らせる中、同じように土柱の方に顔を向けていた死神がゆっくりとその暗闇の顔をペロロンチーノに向けた。

 

「………アレハ異ナル血ニヨッテ生マレタ娘。尊キ神ノ力ヲ宿ス先祖返リデアリナガラ、穢レタ血ヲモソノ身ニ流ス禁忌ソノモノ」

「先祖返り……? つまり、君と同じNPCという訳ではないってこと?」

「アレガ我ト同ジ存在ナド、アリ得ヌコトヨ。我ハ主ノ御手ニヨッテ創リ出サレタ者。エルフノ穢レタ血ニヨッテ生マレタアレト同ジナド業腹ノ極ミヨ」

「エルフの血!?」

 

 心底腹立たしいと言わんばかりに大鎌の闇の炎を騒めかせる死神に、しかしペロロンチーノはそれを気にする素振りを一切見せなかった。逆に“聞き捨てならないことを聞いた!”とばかりに驚愕の声を上げる。

 一度土柱の方に顔を向けると、次には改めて死神に顔を向けた。

 

「……つまり、あそこで戦っているのはエルフの王様と法国の女の人との間にできた子?」

「……ホウ、エルフ王ノ愚考ヲ知ルカ。デアルナラバ何故、ソレデモナオエルフニ力ヲ貸シ、スレイン法国ニ牙ヲ向クノカ?」

 

 フードの異形は心底不可解であるといった様子で問いかけてくる。

 恐らくこの異形の中には『悪いのはエルフたちであり、自分たちは清廉潔白で正しい』という考えが根深く頭にこびり付いているのだろう。

 いや、そう信じきっていると言った方が正しいだろうか……。

 ともかく、どちらにせよそれはアルベドたちにとってはどうでもいいことだった。

 

「勘違いをしているようだが、そもそも我々はエルフたちのためにこの国を滅ぼそうとしているのではない。お前たちは我々の大切な一粒種の娘に刃を向け、我が友の怒りに触れた。エルフたちに力を貸しているのは、互いの敵が同じであるが故に協力しているだけに過ぎん」

「……ナニ……?」

「まぁ、君たちが知らないのも無理はない。なんせ直接手を出してきた不届き者どもは即刻断罪したからねぇ。だが、その者たちがいつまでも戻ってこず音信不通となって、君たちは不思議に思ったのではないかな?」

「……ッ……!! ………マサカ……」

「確か……漆黒聖典という者たちだったかな……。そうでしたよね、アインズ?」

「ああ、確かそんな名前だったはずだ。……部下の行動に上司は責任を持つべきだろう? それに我が友が法国をどうしても許せないと言うものでな。我々としても人間至上主義を掲げ、他種族を虐げるこの国は危険度が高く、できるなら排除しておきたい対象なのだ。そのため、誠に勝手ながら君たちには滅んでもらう」

 

 ウルベルトの問いかけに応じて一つ頷きながら重々しく話すモモンガの声音は、とても威厳に満ち満ちた絶対的な音を宿している。言葉を向けられているのは自分ではないというのに、ただ聞いているだけのアルベドですらゾクゾクと全身の肌が粟立ち、思わずヘルムの中でうっとりとした恍惚の笑みを浮かべた。

 そんな中、不意にペロロンチーノがまるで焦れたように一歩死神へと歩み寄って身を乗り出した。

 

「話を戻すけど、あそこで戦っているのはエルフの王様と法国の女の人との間にできた子供であってるんだね?」

 

 少しイライラした声音で問いかけるペロロンチーノに、死神は無言のままペロロンチーノを凝視する。

 そのまま数秒黙り込んだ後、徐にペロロンチーノへ真正面から向き直ると、手に持つ大鎌の闇色の炎を大きく揺らめかせた。

 

「……然リ。ソノ存在自体ガ許シ難イ、忌マワシキ娘ヨ」

「………ということは、半森妖精(ハーフエルフ)か……。……そんなに忌み嫌っているのなら、どうして生かしているんだ? お前たちなら殺していても不思議じゃないと思うんだけど……」

 

 ペロロンチーノも本当はこんなことは言いたくないのだろう。紡がれる声音にはありありと苦々しい音が含まれている。

 何とお優しい御方なのだろう……と思わずその慈悲深さに感嘆と小さな嫉妬を湧き上がらせる中、アルベドは死神の腰に垂れ下がっているランタンの緑色の炎が怪しく揺らめいたことに気が付いた。

 反射的にバルディッシュ(3F)を持つ手に力を込め、両足で強く地面を踏み締める。

 

「……タトエ穢レタ血ノ忌ミ子トテ、法国ノ血ヲモ持ッテイルコトハ変ワリナイ。マタ、アレハ我ガ神々ノ力モ宿シテイル。ナラバ法国ノタメニ所持シ使ウハ道理デアロウ」

「……所持し……使ってる、って………っ!!」

「気ニ入ラヌカ? ……ソモソモ貴様ラガコノ神都マデ侵攻シテ来ネバ、アレモ外ニ出ルコトハナカッタノダ。閉ザサレタ壁ノ中デ悠久ノ時ヲ静カニ生キラレタデアロウニ」

「閉ざされた壁の中……って、幽閉してるじゃないかっ!!」

 

 死神の言葉に、ペロロンチーノが我慢できないとばかりに勢いよく前に進み出る。

 瞬間、死神の腰に揺れるランタンの炎が一層大きく揺らめいたのが目に入り、アルベドは咄嗟に強く地面を蹴った。

 

「アレハ外ニ出テハナラヌ存在。ソレヲ表ニ引キズリ出シタ罪、今ココデ贖エ……!!」

「……っ……!!」

「ペロロンチーノ様!!」

「〈氷の障壁(アイスバーグ・バリア)〉!!」

 

 アルベドがペロロンチーノと死神との間に飛び出したのと、コキュートスが魔法を発動させたのはほぼ同時。

 アルベドはペロロンチーノを背に庇うように立ちながら、自身の前に突如として現れた氷の壁を睨み付けた。コキュートスが創り出した氷の壁越しに、大きな緑色の炎が勢い良く燃えているのが見てとれる。

 急激に氷が溶かされて周辺が白くけぶっていく中、背後に控えるように立っていたアウラは至高の御方々が死神と会話をしている間に魔獣たちを呼び寄せ、今は氷の奥を指さして号令を発していた。

 

「GO!」

 

 短い命令に従い、魔獣たちは我先にと霧の中へと駆けていく。コキュートスも続いて突進していくのに、しかしアルベドとアウラはそれに続くことなくこの場に踏みとどまった。悠然と佇む至高の御方々の前や傍らに立ち、注意深く周囲や氷の壁の奥を見やって警戒する。

 

「こら、ペロロンチーノ。不用意に前に出るんじゃない。アルベドたちに迷惑がかかっただろう」

「あてっ! わ、分かってますよ、すみません……」

 

 アルベドが守る背後でウルベルトが軽くペロロンチーノの頭を小突き、ペロロンチーノは気まずそうに小突かれた箇所をさすっている。いつもなら大きく広げている四枚二対の翼を力なく垂れ下げながら、ペロロンチーノは続いてこちらに顔を向けてきた。

 

「アルベドとアウラもごめんね。それとアルベド、庇ってくれてありがとう」

「とんでもございません! ペロロンチーノ様を御守りするのは当然のことでございます」

「アルベドの言う通りです! ペロロンチーノ様にお怪我がなくって良かったです!」

「ありがとう、二人とも。後でコキュートスにもお礼を言わなくちゃな」

 

 心なしかペロロンチーノの声音が明るくなったような気がして、思わず小さく安堵の息をつく。

 アウラも嬉しそうに満面の笑みを浮かべる中、ペロロンチーノは続いてモモンガとウルベルトに再び顔を向けた。

 

「それで、このタイミングで言うのもなんですけど、シャルティアたちの方が気になるんで、ちょっと様子を見に行っても良いですか?」

 

 土柱の方を指さしながら問うペロロンチーノに、モモンガは顎に手指を添えながら考える素振りを見せる。

 ウルベルトはモモンガの判断に任せているのか、会話には参加せずに氷の奥で繰り広げられているであろう死神とコキュートスや魔獣たちの戦闘に意識を向けていた。

 モモンガは暫く黙り込んだ後、思考をまとめたのか眼窩の灯りをペロロンチーノに向けた。

 

「……ふむ、……まぁ、良いだろう。そんなに気になるのであれば行ってくると良い」

「ホントですか!? わぁ~、ありがとうございます!」

「ただし、シャルティアたちの迷惑にはならないようにな。十分、注意するように」

「分かってますよ。じゃっ、ちょっと行ってきます!」

 

 ペロロンチーノは嬉々として何度も頷くと、次には翼を羽ばたかせて宙に舞い上がった。

 そのまま一直線に土柱の方へ飛んでいく黄金に、モモンガは苦笑めいた息をそっと吐き出した。

 

「……良かったんですか、アインズ?」

「仕方あるまい。他が気になって気もそぞろになっていては逆に危険だしな。それにこの場にはアルベドもアウラもコキュートスもいる。そしてあちらにはシャルティアもデミウルゴスもマーレもいる。問題はあるまい」

「まぁ、そうですね」

 

 モモンガの言葉に、ウルベルトは未だ氷の向こう側を見つめながら一つ頷く。

 至高の御方々から当然のように向けられる信頼に、アルベドは感動のあまり頬を紅潮させて胸を熱くさせた。アウラも同じ心境なのだろう、色違いの大きな双眸をキラキラと輝かせている。

 ナザリックのシモベにとって、至高の御方々に使って頂けること、頼りにして頂けることは何よりの栄誉だ。それに加えて、このように信頼を寄せて頂き、それを言葉にして伝えて頂けているとあっては、感動のあまり息が止まり、涙が出てきそうになっても仕方のないことだろう。

 アルベドは思わずその場に跪いて頭を下げそうになり、しかし今が戦場の真っただ中で戦闘の真っ最中であることを思い出し、何とかその衝動を堪えた。

 今も氷の向こう側ではコキュートスとアウラのシモベたちがフードの異形と戦っているのだ。戦況がどうなっているのかはここでは窺い知ることはできないが、油断はするべきではないだろう。

 モモンガとウルベルトは変わらず氷の向こう側に意識を向けており、アルベドは高揚している心を必死に落ち着かせながら意識して気を引き締めた。

 

「……ふむ、思ったよりも時間がかかっているな。コキュートスとアウラのシモベたちが相手をしているのにこれだけ時間がかかるということは、やはりそれだけ高レベルの存在ということかな?」

「どうだろうな、少なくとも100レベルでほぼ間違いないとは思うが……、種族や職業の相性もあるだろう。あちらの装備類が神器級(ゴッズ)である可能性もある」

「確かに。それで? あの異形は最終的にはどうするつもりかね?」

「“どうする”とは?」

「殺すか、それとも捕虜とするか……。私としては殺してしまった方が危険がなくて良いと思うがね。情報ならば他の者……それこそ現地人の法国の一番偉い連中を捕らえれば事足りるだろうしねぇ」

「そうだな……」

 

 モモンガが再び考え込むような素振りを見せる。

 数秒後、モモンガは一つ頷くとこちらに眼窩の灯りを向けてきた。

 

「いや、捕らえよう。幸い、ここには“傾城傾国”があるからな。確かに捕らえた後の管理には苦労するかもしれないが、短時間で尋問を行い、その後持て余すようであれば処分すれば良い。上手くいけば“傾城傾国”の効果時間など、いろいろと実験することもできるだろう」

「なるほど! 流石はアインズ様です!」

「ありがとう、アルベド。アウラ、その際は暫くお前にあれの管理を任せることになるだろう。よろしく頼むぞ」

「はい、畏まりました!」

 

 モモンガからの指示に、アルベドとアウラは揃って頭を下げる。

 確かにモモンガの言う通り、これは“傾城傾国”の良い実験になるだろう。世界級(ワールド)アイテムであるならば、その効果は永遠に続くのではないかと考えられなくもないが、しかしそれはあくまでも想像であって絶対ではない。

 

「まずは相手を弱らせて動きを止めるべきだな。アウラはいつでも“傾城傾国”を発動できるように準備をしておけ」

「はい!」

 

 アウラの元気な返事を聞きながら、アルベドは下げていた頭を上げて踵を返した。“傾城傾国”の準備と至高の御方々の守護はアウラに任せ、自身は相手を弱らせて動きを止めるべく氷の壁の真正面に歩み寄る。薄ぼんやりと映る向こう側の影を見つめてタイミングを計りながら、アルベドは手に持つバルディッシュを勢いよく振り下ろした。

 

「……どりゃああぁぁあぁあぁあっっっ!!!」

 

 気合の声と共に氷の壁に勢いよくバルディッシュを叩きつける。

 瞬間、氷の壁に幾つもの大きな亀裂が走り、数秒後にはガラガラと大きな音を立てながら崩れ始めた。あちら側の方が緑の炎に溶かされたり戦闘の衝撃を受けて脆くなっていたのだろう、氷の瓦礫の殆どがあちら側に向かって雪崩れ落ちていく。

 大量の巨大な氷の雨に地響きすら発生する中、氷と氷の隙間から死神とコキュートスの姿を捉え、アルベドは歩を進めながら特殊技術(スキル)を発動させた。

 

「〈位置交換(トランス・ポジション)〉」

 

 瞬間、視界に広がる景色が一変して死神の姿が目の前に現れる。

 ちょうど振り下ろされる直前だった大鎌を漆黒のカイトシールドで受け止めると、アルベドはそのままバルディッシュを勢いよく振るった。

 緑色の微光を宿す巨大な刃は死神の身体を捉え、……しかし装備は傷つけるもののそのまま通り過ぎていってしまう。

 本体には一切ダメージを与えていない様子に、アルベドはヘルムの奥で小さく目を細めた。

 “死神”は死霊などと同じアストラル系で、実体を持たないアンデッドだ。フードや鎧を身に纏ってはいるが、その中に肉体はなく、唯の空洞のみがある。故に通常武器での攻撃は一切効かず、それもあって恐らくコキュートスたちは苦戦を強いられていたのだろう。チラッと周りに視線を向ければ、コキュートスが放ったのであろう魔法や特殊技術(スキル)の痕跡があちらこちらに見てとれる。

 今までの戦闘スタイルからして前衛職であることはほぼ間違いないため、後はこちらの対処方法を決めれば事足りるだろう。

 やはりここは自分が防御を務め、コキュートスには攻撃に専念してもらった方が無難だろうか……。

 大鎌とカイトシールドで鍔迫り合いながら思考する中、不意に背後に巨大な気配を感じてアルベドはチラッとそちらを振り返った。

 瞬間、目に飛び込んできたのは巨大な影。

 アウラのシモベたちが大慌てで散り散りに避難する中、仁王立ちしたコキュートスの背後に半透明の巨大な不動明王が出現していた。

 厳めしい表情の巨大な存在に、大きな威圧感が襲ってくる。

 しかしこれは五大明王撃の一つであり、それから繰り出される攻撃は対象のカルマ値がマイナスでなければ威力を十分に発揮しない。いくらアンデッドであるとはいえ、法国を守護する存在のカルマ値が大きくマイナスになっているとも思えず、アルベドは思わず大きく眉を顰めた。

 その時……――

 

「――………〈相反する業(コンフリクト・カルマ)〉」

「「……っ……!?」」

 

 不意に聞こえてきた声と放たれた魔法。

 思わぬ方向からの突然の攻撃に、死神は勿論のことアルベドもまた驚愕に小さく息を呑んだ。

 声が聞こえた方向には悠然と佇むモモンガがおり、その傍らにはニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべているウルベルトもいる。

 恐らく魔法を放ったのはモモンガなのだろうことを知り、アルベドは至高の主からの助力に喜びを湧き上がらせた。それと同時に自分たちの未熟さに対する不甲斐なさも湧き上がってくるが、しかし今はそれに囚われている場合ではないだろう。至高の主の手を煩わせてしまったのだ、ならばせめて最大限の力をもってしてそれに報いなければならない。

 

「コキュートス!」

「〈倶利伽羅剣(くりからけん)〉!」

 

 モモンガの魔法によって現在の死神のカルマ値はマイナスに振れているはず。

 合図の代わりに名を呼ぶアルベドに、コキュートスも不動明王撃(アチャラナータ)の攻撃手段の一つを繰り出した。

 迫りくる不動明王の半透明の巨大な剣に、死神が避けようと身を翻す。

 しかし自分が目の前にいて、それを許すはずがない。

 アルベドはバルディッシュを振るうと、地面を這う死神のローブの裾を串刺して地面に縫い付けた。

 行動一つ取ればひどく幼稚で、すぐにでも破られる足止め。相手が100レベルの存在であれば尚のこと、唯のちょっとした嫌がらせ程度にしかならないだろう。

 しかしアルベドとコキュートスにとってはそれで十分で、一瞬動きを止めることができればそれで良い。

 死神が自身のローブの裾を大鎌で切り落として脱出を試みようとしたその時には、既に不動明王の巨大な刃はその身をしっかりと捉えていた。

 

「……っ……!!」

 

 不動明王の剣は力そのものであり、故に非実体の存在にもいかんなく効果を発揮する。

 咄嗟に防御しようとした大鎌はアルベドがバルディッシュで弾き飛ばし、瞬間、不動明王の剣が真正面から死神に襲いかかった。

 地割れを起こすほどの衝撃と火力に、死神はここで初めて苦痛の声を上げる。

 思わずたたらを踏んで揺らめく痩躯に、アルベドは容赦なくその隙を突いた。

 振るうのはバルディッシュ(3F)ではなく、創造主より与えられた世界級(ワールド)アイテム“真なる無(ギンヌンガガプ)”。

 対人では威力が劣る武器ではあるが、それでもこれであれば非実体の存在にもダメージを与えることができる。

 

「だっしゃぁあぁあぁぁぁっっ!!!」

「〈金剛夜叉明王撃(ヴァジュラヤクシャ)〉!」

 

 アルベドの攻撃と同時にコキュートスも更なる特殊技術(スキル)を発動する。

 背後に出現していた不動明王が金剛夜叉明王に変わり、雷撃を纏った金剛杵が勢いよく襲いかかった。

 

「……チッ……!! ……〈冥府の焔門〉!!」

「〈暗黒孔(ブラックホール)〉」

 

 死神は鋭い舌打ちの音と共に応戦するために緑色の炎を噴出させ、しかしそれはウルベルトが唱えた魔法によって阻まれた。

 突如どこからともなく小さな点が現れ、見る見るうちに巨大化しながら緑色の炎を呑み込んでいく。

 

「〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉」

「……っ……!!」

 

 アルベドとコキュートスの刃は炎に阻まれることなく死神に届き、加えてモモンガからも追加の魔法が飛んでくる。

 非実体に対して絶大な効果を発揮する一撃が放たれ、死神の身体を鋭く貫いた。

 

「アウラ!」

「はい! いっけぇーーっ!!」

 

 モモンガの声に反応し、アウラがその身に纏う“傾城傾国”を発動させる。

 白銀のチャイナドレスに描かれている黄金の竜が眩いばかりに光り輝き、次には布地から躍り出て宙を舞った。まるで弾丸のように突き進み、一直線に死神へと襲いかかる。黄金の竜は大きく開けた咢で死神を捉えると、そのままその身全てを死神の体内に潜り込ませていった。

 続いて訪れたのは、耳に痛いほどの静寂。

 死神は先ほどまでとは打って変わって両腕をダラリと垂れ下げさせ、呆然と佇んで戦意を喪失させていた。正に呆然自失、まるで操り人形にでもなってしまったかのように無言のまま立ち尽くしている。

 アルベドは注意深く近づくと、じっとその様子を窺った。視界の端ではアウラを引き連れたモモンガとウルベルトがこちらに歩み寄ってくるのが映り込む。

 コキュートスもこちらに歩み寄り、モモンガとウルベルトを守るように斜め前に……至高の二柱と死神との間の空間に立った。

 

「……アウラ、対象を支配している感覚はあるか?」

「はい、何か繋がりのようなものを感じます」

「ふむ……、何か幾つか命じてみてくれるかね?」

「はい! えっと、それじゃあ……、あなたの名前は何ですか?」

「……我ガ名ハルシフェルトイウ」

「あなたと“禁忌の忌み子”以外に、法国に切り札的強者はいる?」

「イヤ、モハヤ抗スベキ手段モ存在モアリハセヌ」

 

 感情のこもらぬ声音が淡々と質問されたことに答えていく。

 それきり黙り込んで微動だにしない死神の様子に、ウルベルトは一つ頷いてモモンガを見やった。

 

「うん、問題なく精神支配できているようだね。これなら……少なくとも暫くの間は問題ないのではないかな」

「そうだな。……であれば、折角だ、道案内をしてもらうとしようか」

 

 モモンガの提案に、アルベドは勿論のことウルベルト、アウラ、コキュートスの三体も当然のように頷く。

 そこに大きな羽ばたきの音が聞こえてきて、この場にいる全員が反射的にそちらを振り返った。

 

「お待たせしました! そっちも無事に終わったみたいですね!」

「ペロロンチーノ様!」

 

 振り返った先にいたのは上空から舞い降りた黄金の鳥人(バードマン)

 仮面の奥で満面の笑みを浮かべているであろうことが想像できるほどの明るい声音に、どうやらシャルティアたちの方でも無事に事が済んだことが窺い知れる。

 ペロロンチーノは一度翼を大きく羽ばたかせると、そのままフワッと優雅な身のこなしで地面に着地した。

 

「その口ぶりからして、あちらも問題なく終わったようだな」

「はい、シャルティアもデミウルゴスもマーレも怪我なく万事解決しましたよ。“禁忌の忌み子”と呼ばれていた女の子も捕らえることが出来たので、今はナザリックに運ぶようにマーレに頼んでます。……あれ、そっちも捕らえたんですか?」

「ああ、こちらには“傾城傾国”があったからな」

「あっ、そっか。アウラが着てる世界級(ワールド)アイテムって精神支配系でしたっけ」

 

 見るからに精神支配されている状態の死神とアウラが身に纏っているチャイナドレスを交互に見やり、ペロロンチーノが納得したように大きく頷いてくる。

 モモンガとウルベルトも応じるように一つ頷くと、続いて神都の中央方向へと顔を向けた。

 視線の先では未だ戦闘の音が多く聞こえてきている。しかし法国の切り札的存在は排除したのだ、もはや神都が落ちるのも時間の問題だろう。

 モモンガもアルベドと同じ判断を下したようで、一つ頷くと同時にこちらに顔を向けてきた。

 

「それではこちらもそろそろ進むとしようか。アルベドよ、パンドラズ・アクターとニグンをここへ呼びよせよ」

「折角ならエルフの代表も呼んだ方がよくないですか? エルフ王国国王代理のクローディア・トワ=オリエネンスも一緒に呼んでくれるかな」

「はっ、畏まりました」

 

 モモンガとペロロンチーノの命令に、アルベドはすぐさま深々と頭を下げてそれに応える。

 背後にモモンガが発動した〈転移門(ゲート)〉が開き、アルベドはモモンガとペロロンチーノからの命令を遂行すべく素早くそちらに歩み寄っていった。

 

 




当小説では“死神”を敢えてスケルトン系ではなくアストラル系という設定にしております。
そんな設定にしているがために、いつも以上に戦闘の流れに苦労させられました……orz

*今回の捏造ポイント
・〈氷の障壁〉:
第八位階魔法。巨大な氷の壁を造り出す。防壁として使用したり、普通に敵にぶつけて攻撃したりもできる。
・〈相反する業〉:
原作にも存在する魔法。原作では魔法内容が明確に記載されていないが、当小説では対象のカルマ値をマイナスに下げる魔法として捏造設定。
※原作で魔法の詳細が分かり、カルマ値をマイナスにする魔法でないことが判明した場合は違う魔法に修正する予定です。


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第77話 滅びの光

今回はいつもより少し(?)短めです。
未だにスランプから抜け切れていない気がする……orz


 ほの暗い廊下にコツ…コツ…と高い足音が複数響いては消えるを繰り返している。遠くから怒号や叫びなどの喧騒が聞こえてくるが、分厚い壁に阻まれてひどく遠く小さい。

 機械的に足を動かしながら、クローディア・トワ=オリエネンスは未だ状況に頭が付いていけていなかった。

 法国の神都にまで侵攻し、異形の絶対者たちの内の一体が造り出した巨大な塔に招かれ、その数時間後に絶対者たちが突然どこかへ行ってしまい、その数十分後に唐突に漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ女に呼び出され……。

 そして今は何故か神都の中央に聳え立つ教会風の巨大な建造物の中を歩いている。

 長い長い廊下は全体的に薄暗く、光源は時折ある窓から差し込む光だけで廊下の先までは見通せない。

 クローディアと共にこの場にいるのは異形の絶対者の三体と漆黒の全身鎧(フルプレート)の女と闇森妖精(ダークエルフ)の子供と白の悪魔と黄色の服の異形。更に見知らぬフードを被った異形も加わっており、白の悪魔と共に先頭を歩いて道案内をしてくれているようだった。

 一体どこに向かっているのか……、一体何をしようとしているのか……、クローディアは何も教えられておらず見当もつかない。ただ言われるがまま、指示されるがままに足を動かし、廊下の奥へ奥へと進んでいく。

 そして辿り着いたのは巨大な扉の前。

 恐らくこの建物の最奥に位置する場所であろう扉の前まで来ると、ここで漸く白の悪魔がこちらを振り返ってきた。

 

「ニグン、ここが目的の場所かね?」

「はい。恐らくここに国の最高権力者たちがいるかと」

「ふ~ん、それにしては不用心だね。扉の前に何の守りも置かないなんて……」

「通常であれば置いていたのでしょう。しかし国自体が存亡の危機にある今、扉を守るよりも国を守るために出撃させたのであろうと思われます」

 

 鳥人(バードマン)からの間延びした声に、白の悪魔はチラッとフードの異形に目を向けながら言葉を返す。

 悪魔の意味深な視線に、もしかしたら通常はこのフードの異形がこの扉を守っていたのかもしれない。

 しかし何故それを白の悪魔が知っているのか……。

 湧き上がってきた新たな疑問に思わず内心で首を傾げる中、異形たちはさっさと次の行動を開始していた。

 先頭に骸骨の異形が立ち、その両脇をまるで守護するかのように黄色の服の異形と漆黒の全身鎧(フルプレート)の女が立って場を占める。

 挙げられた骨の手は勿論扉をノックすることはせず、そのまま無造作に触れて扉を押し開けた。

 微かな音すら響かせることなく、扉は滑らかな動きで口を開いていく。

 そして目の前に広がったのは広く荘厳で無機質な室内の光景。

 中心には巨大な円形のテーブルと複数の椅子が周りを囲むように置いてあり、その椅子の全てに男女の人間が座っていた。

 何の合図もなしに開いた扉に、人間たちは一様に弾かれたようにこちらを振り返ってくる。多くの皺を刻んでいる顔に驚愕や焦燥の色を浮かべ、誰もが見開いた目でこちらを凝視していた。

 

「失礼するよ、法国の諸君」

 

 まず口を開いたのは山羊頭の異形。

 独特の深みと抑揚を持つその声が合図であったかのように、異形たちは次々と室内へと足を踏み入れていく。

 それは異形たちと行動を共にしているクローディアとて例外ではなく、彼女もまるでつられるようにしてゆっくりと室内へと歩を進めていった。

 

「ふ~ん、彼らがこの国の最高権力者たちか……。意外と若い人もそれなりにいるんだね。年取ったお爺ちゃんばっかりなのかと思ってたよ」

 

 人間たちの近くまで歩み寄りながら、バードマンが軽い調子で言葉を吐き出している。

 どこまでも呑気なその声音に、思わずここが敵地の中心であることを忘れてしまいそうになってしまう。

 思わず緩んだ緊張感に、しかしそれはどうやら相手側も同様であったようだった。

 

「――………なっ、既にここまで侵入を許していたのか!?」

「外の者たちは一体何をしている!!」

「いや、それよりもルシフェル様とあの子は……」

「無礼者!! 異形がこの部屋に足を踏み入れるなどっ!!」

 

 我に返った人間たちが次々と椅子から立ち上がり声を張り上げてくる。浮かべている表情はどれもが憤怒に色づいており、憎悪の瞳をこちらに向けていた。正に怒髪天とはこのことか、十二人いる人間のうち何人かは怒りのためかプルプルと小刻みに拳や全身を震わせている。

 しかしそんな彼らの様子を目にしても異形たちの態度は全くと言って良いほど変わらない。一切緊張した素振りすら見せず、むしろ余裕の表情すら浮かべて喚き散らす人間たちを呑気に眺めていた。

 

「おやおや、そんなに興奮するものではないよ。人間は頭に血が上り過ぎると脳に損傷が出る場合があるらしいからねぇ」

「それって本当なんですかね? すっごく昔のマンガとかには、よくそういった描写がありましたけど」

「本当なのではないか? 興奮すると頭が熱くなったりするし」

 

 人間たちの反応など何のその、異形たちは呑気に言葉を交わしている。

 正に相手を嘗めきっているとしか思えない態度に、法国の人間たちは更に怒りに顔を真っ赤に染め上げた。

 一人の男がこちらに一歩進みだし、何事かを言おうと大きく口を開く。

 しかし男は一言も発することなく、途中で怒りの表情を驚愕の色に変えて大きく目を見開いた。

 

「………ル、…ルシフェル様!? な、何故ルシフェル様が……!!?」

 

 男が呆然とした様子で一心に見つめているのはフードの異形。男が発した言葉に他の人間たちもフードの異形に視線を向け、次々と驚愕に大きく目を見開いていく。

 しかし当のフードの異形は未だ微動だにせず、声すら発することをしない。

 まるで心ここにあらずといった様子に、人間たちもその異常さに気が付いたようだった。

 

「貴様ら、彼の方に一体何をしたぁぁっ!!!」

 

 憤怒の表情を浮かべて怒声を張り上げる男に、ここで漸く呑気な会話を繰り広げていた異形たちが人間たちに目を向ける。驚愕や怒りの表情を浮かべている人間たちとフードの異形を交互に見やり、最後には小さく首を傾げたり肩を竦めたりする。

 骸骨の異形とバードマンがそれぞれ気のない反応を見せる中、山羊頭の化け物だけはニヤリとした笑みを浮かべると、次にはひらひらとクローディアの斜め後ろに向けて軽く右手を振るった。

 見るからに招いていることが分かる動作に、一拍後、クローディアの斜め後ろから小さな影が颯爽とした足取りで通り過ぎていく。

 山羊頭の化け物の傍に歩み寄ったのはダークエルフの子供で、にっこりとした可愛らしい満面の笑みを人間たちに向けた。

 

「これを見れば分かるのではないかな?」

「そ、それは……!!」

「……ケイ・セケコゥク……!?」

「うん? ……ケイセケ……?」

 

 山羊頭の化け物がダークエルフの子供の服を指し示し、それを見た人間たちが一様に驚愕の声を上げる。

 しかしその口から飛び出た言葉にバードマンが不思議そうに首を傾げた。骸骨の異形と山羊頭の化け物も不思議そうな素振りや表情を浮かべると、次には互いに顔を見合わせた。

 

「……えっと……、名前が違うような気がするんだけど……?」

「微妙に似てはいるから、訛ったのではないか? 恐らく文字などではなく口頭で伝えていたのだろう」

「それにしても酷い訛り方だと思いますがね。誰かこのアイテムを詳しく調べようとはしなかったのか?」

「いや~、それはしないでしょ~。彼らからしたら自分たちの神様からもらった代物ですし」

 

 再び始まる異形三体によるのんびりとした会話。

 朗らかな会話と時折漏れる軽い笑い声に、法国の人間たちは怒りも忘れて呆然となっていた。

 どこまでもこちらの常識を覆し、また全てを笑い飛ばすような異形たちの態度に、クローディアは思わずある種の哀れみを法国の人間たちに向けていた。他のシモベの異形たちも誰一人として三体の異形を諌めようとはせず、そのためこの場の収拾が付かなくなっているような気がする。

 一体これからどうなっていくのか……と不安になる中、不意に山羊頭の化け物が顔をそらして斜め上の上空に目を向けた。まるで何かに耳を澄ましているかのような姿に、思わず疑問符が頭上に浮かぶ。不可思議な行動に思わず怪訝の表情を小さく浮かべ、しかしすぐにバードマンも時折同じような行動をしていたことを思い出した。

 あれは確か部下の異形たちから何かしらのコンタクトを受けた時の動作だ。

 クローディアが彼らの行動への予想を導き出したその時、まるでそれを肯定するかのように山羊頭の化け物が上空に向けていた視線を骸骨の異形とバードマンに向けた。

 

「誰かから連絡がありました?」

「ああ、ウチの子から連絡が来た。どうやら完全に神都を制圧できたようだ。こちら側は全員無事。被害も替えが利く最弱モンスターたちのみらしい。現在はエルフたちの被害規模などを確認しつつ、法国の“素材”をナザリックに送る準備をしているそうだ」

「ほう、それは上々。ならばこちらも少し急がなくてはならないかな?」

 

 山羊頭の化け物の言葉を受け、骸骨の異形が一つ頷いたと共に改めて法国の人間たちに眼窩の灯りを向ける。

 瞬間、人間たちがビクッと身体を震わせたのをクローディアははっきりと見た。クローディアも“もし自分が彼らと同じ立場だったら……”と考えると、彼らの反応も納得してしまう。

 しかし彼らはやはり自分とは大きく違っていたのだろう。

 エルフの今後を思い……そして何より異形たちへの恐怖に屈した自分とは違い、彼らはどこまでも誇り高く、そして意志が強かったようだった。

 

「……スレイン法国は人間の存続の最後の砦であり、人間を守護するための重要な国! 決して異形などに膝を屈することはないっ!!」

「異形たちよ、自らの力を過信してのこのことここまで来たことを後悔するがいいっ!!」

「ケイ・セケコゥクもルシフェル様も返してもらうぞっ!!」

 

 気迫がこもった声と共に法国の人間たちが戦闘態勢を取る。

 何人かが魔法の詠唱を始めて幾つもの魔法陣が浮かび上がる中、しかし彼らの反撃を異形たちは決して許しはしなかった。

 クローディアの横を通り過ぎる幾つもの風と、鼓膜を震わせる幾つもの小さな音。視界に映り込んでいたはずなのに全てが全く認知できず、気が付いた時には四体の異形がそれぞれ得物を握って人間全てを拘束、或いは地面に伏せさせていた。

 己の影に不思議な矢を突き立てられて身動きを封じられた者。巨大なバルディッシュによって容赦なく地面に叩きつけられた者。白い両手に首を捕らえられ地面に押さえつけられている者。何をしたのか……黄色の服の異形の周りで意識を失って倒れ込んでいる者。

 一瞬にして制圧されたこの場に、クローディアは背筋に冷たい汗を流した。ドクッドクッと耳のすぐ近くで大きく心臓の鼓動が響き、大きな恐怖が全身を襲った。

 

「ホント、馬鹿だよね~。至高の御方々に歯向かおうとするのを私たちが許すわけないじゃん」

 

 ダークエルフの冷たい声音が響いてクローディアの心臓を打つ。まるで至高の異形三体に歯向かった場合の末路を見せつけられているような気がして、クローディアは知らず強く拳を握りしめた。

 強い恐怖がこの場を支配する中、不意に白の悪魔に地面に押さえつけられている人間の一人が白の悪魔を睨み上げ、次には驚愕に大きく目を見開いた。

 

「……お前は……、……まさか…ルーイン……っ!!?」

 

 怒りを忘れて驚愕に目を見開く人間に、その口から飛び出た名前にクローディアは恐怖を忘れて思わず小さく眉を顰める。

 人の名前のようなそれに疑問符を浮かべる中、男を取り押さえている白の悪魔は小さく目を細めると、次にはゆっくりと小さく口を開いた。

 

「………お久しぶりです、土の神官長様……」

「「「……っ……!!?」」」

 

 悪魔の口から零れ出た声と言葉に、未だ意識ある人間の全員が驚愕に大きく息を呑む。まるで知人のように語りかける白の悪魔に、クローディアも驚愕の表情を浮かべた。これは一体どういうことかと頭が混乱する。

 しかし異形たちだけはどこまでも通常運転だった。

 

「えっ、今更気が付いたの? 遅くない??」

「まぁ、面影はまだあるとはいえ随分と異形化が進んだからな。距離もそれなりに離れていたし、気が付かないのも無理はないのではないか?」

「え~、そうですかね……?」

「人間は何事もちゃんと見ているようで見ていないからな。記憶も自分の都合の良い様に無意識的に改ざんすることが多いというし。そこに意外性も加われば、案外分からないものさ」

「へぇ~、そうなんですか。……それで、ウルベルトさんはどうしてそんなことを知っているんですかね?」

「フフッ、現実世界(リアル)にいた頃に使えそうかと思っていろいろ調べていた時期があってね」

「………うん、何に使おうと考えていたのかは聞かないことにしますね」

 

 またもや始まった世間話のような会話に、クローディアは思わず全身に入っていた力を抜いた。この異形たちと一緒にいると、どうにも緊張してばかりの自分が情けないような気さえしてきてしまう。

 ある意味混沌としている空気の中、今まで注意深く法国の人間たちを見下ろしていた漆黒の全身鎧(フルプレート)の女が三体の異形へ声をかけた。

 

「アインズ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、この者たちはいかがいたしますか?」

「ああ、情報収集や実験に使うため、一人残らずナザリックに運ぶとしよう。場所は……取り敢えず第五階層のニューロニストの下で良いかな……?」

「そうですね。それで良いんじゃないですか?」

「ただニューロニストや拷問の悪魔(トーチャー)たちのレベルを考えると少し不安が残るな……。念のため、コキュートスの配下の内、高レベルのモノを何体か護衛としてニューロニストの下へ配属した方が良いだろう」

「そうだな。ではそのように手配せよ」

「畏まりました」

 

 骸骨の異形と山羊頭の化け物の言葉に、配下の異形たちは一様に深々と頭を下げる。

 一目で三体の異形に絶対の忠誠を誓っていることが分かる彼らの態度に、法国の人間たちは黙っていられなかったのか再度声を張り上げてきた。

 

「何故だ、ルーイン!? 法国にその身全てを捧げることを誓った六色聖典の一角たる陽光聖典の隊長であり、“グリッド”の洗礼名を戴いた身でありながら、何故貴様は異形となり、法国を滅ぼす一助に加わっているのだっ!!」

 

 必死に抗いながら声を張り上げる男の言葉に、クローディアはまたもや驚愕に大きく目を見開いた。先ほど自分が聞いた言葉が信じられなかった。

 人間が悪魔になる……、それも法国の人間が悪魔になったというのか……。

 それはクローディアにとって、とても信じられない事だった。

 いや、クローディアでなくても、この世界に生きる者であれば誰もが信じられない事だっただろう。

 法国は人間の国であり、人間を至上主義とする宗教国家であり、人間以外の種族を排除しようとする国である。

 その国の人間が……それも異形となっているという事実。

 たとえ本人が目の前にいて、そうとしか思えない会話をしているとしても、とても信じられるようなものではなかった。

 

「……うん? 洗礼名? どういうことかね?」

 

 クローディアが言葉もなく呆然としている中、山羊頭の化け物が小さく首を傾げながら問いかける。

 白の悪魔は自分が押さえ込んでいる人間の男から山羊頭の化け物へ視線を転じると、次には小さな苦笑を浮かべた。

 

「法国の人間は成人を迎えると洗礼名を戴く習わしになっておりまして……。事実、私も洗礼を受けて“グリッド”の名を戴きました」

「へぇ~、流石は宗教色の強い国ならではのしきたりって感じだね」

「……だが、私のシモベが神の洗礼名を受けているというのは些か問題だな」

 

 感心したような声音を発するバードマンとは打って変わり、山羊頭の化け物はどこか不服そうな声音を零す。山羊の顔も小さく眉間に皺を寄せているようで、白の悪魔は一気に顔を強張らせた。

 周囲の異形たちも山羊頭の化け物と同意見なのか、はたまた山羊頭の化け物の感情につられたのか、誰もが不穏な空気を発し始め、この場の空気が一気に張り詰めて強い緊張感が漂う。

 しかし山羊頭の化け物は一つ小さな息を零すと、次にはにっこりとした笑みを浮かべてきた。

 

「よし、それじゃあ、洗礼と洗礼名をやり直すことにしよう。尤も今回君に洗礼と洗礼名を贈るのは六大神の神々ではなく悪魔だがね。折角だ、君の元上司たちにも見届けてもらうとしよう」

 

 まるで『良いことを思いついた!』とばかりに山羊頭の化け物から突拍子のない言葉が飛び出し、この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべる。

 それは異形たちも同様で、しかし骸骨の異形とバードマンはすぐに呆れたような素振りや表情を浮かべた。

 

「……うわぁ~、流石はウルベルトさんって言うか何と言うか……」

「良いですよね、アインズ?」

「はぁ~、反対しても聞かないだろう……。仕方がない。しかし手短にするように」

「ええ、勿論ですよ」

 

 山羊頭の化け物からの確認の言葉に、骸骨の異形は諦めたようにため息を吐きながらも許可を与える。

 その姿はまるで何かを強請る子供と、それを呆れながらも許す親のようにも見える。

 しかし相手はどちらも恐ろしい見た目の異形で、どんなに可愛らしく和やかであろう光景も、彼らが相手では只々恐ろしい光景にしか見えなかった。

 

「さて、許可も出たことだし、早速始めるとしようか。パンドラ、すまないがニグンが押さえている人間たちを任せても構わないかね?」

「はいっ! くわぁっしこまりましたぁぁっ!!」

「あー、うん……、ありがとう……。……ゴホンッ、……それではニグン、君はこちらに来たまえ」

 

 テンション高く応じる黄色の服の異形に山羊頭の化け物は一瞬気が削がれたような素振りを見せたものの、しかしすぐさま気を取り直して次は白の悪魔に言葉をかけた。白の悪魔は地面に押さえつけていた人間たちを黄色の服の異形に任せ、山羊頭の化け物が招くに従って部屋の中央付近にまで歩み寄る。山羊頭の化け物も白の悪魔の目の前に歩み寄れば、白の悪魔は片膝をついて深々と頭を垂れた。

 神聖さ漂う厳かな室内の中心に、向かい合うように立つ山羊頭の異形と傅く悪魔。

 ある意味神秘的でありながらもひどくアンバランスな光景に、未だ意識を失っていない法国の人間たちはただ呆然とそれを見つめていた。

 

「……ニグン・グリッド・ルーイン。お前は人間から悪魔となり、このウルベルト・アレイン・オードルの忠実なシモベとなった」

「はい」

「なればこそ、その身に我が恩恵を与え、その印として新たな名を与えよう。……昔我々がいた別の世界に、神の子を裏切った元聖職者が存在した。法国の人間から悪魔へと身を変えたお前には、その名こそが相応しかろう」

 

 山羊頭の化け物はここで一度言葉を切ると、本当に加護を与えるかのように小さく身を屈めて白の悪魔の頭に優しく片手を乗せた。

 

「お前の洗礼名は“タダイ”。この名をもって、お前はこれ以降も我らに絶対の忠誠を誓うか?」

「はい、誓います」

「宜しい! これで法国の元人間であり、陽光聖典の隊長であったニグン・グリッド・ルーインは死んだ! これよりは悪魔の崇拝者たるニグン・タダイ・ルーインとして“アインズ・ウール・ゴウン”のために生きよ!」

「畏まりました! あなた様からの洗礼に心より感謝申し上げます」

 

 頭から山羊頭の化け物の手が離れ、白の悪魔は一度更に深く頭を下げた後に顔を上げる。ゆっくりと立ち上がった後に改めて山羊頭の化け物に向けられた深紅の瞳には強い光が宿っており、それだけで彼が目の前の異形に心からの忠誠を捧げていることが窺い知れた。

 山羊頭の化け物もその強い眼差しに満足したのか、満面の笑みを浮かべて小さく頷いている。

 骸骨の異形もそれを見やると、まるでこの場をまとめるように2、3度骨の両手を軽く打ち鳴らした。

 

「ウルベルトも満足したようだし、そろそろ我々も動くとしよう。アルベド、先ほど伝えた通りにこの人間どもをナザリックに送れ。アウラもアルベドに同行し、この異形も氷結牢獄に送るように」

「畏まりました」

「はい、アインズ様!」

「パンドラズ・アクターとニグンは他の守護者たちに合流し、作業を手伝うように」

「畏まりました」

Wenn es meines Gottes Wille(我が神の望みとあらば)

「クローディアちゃんは一度一緒に拠点に戻ろうか。今後について詳しく相談したいことも幾つかあるし」

「……!! ……は、はいっ!」

 

 不意にバードマンに声をかけられ、クローディアは思わずピンッと勢い良く背筋を伸ばす。

 それでいて容赦なく異形たちによって連行されていく法国の人間たちをチラッと見やると、決して自分たちはこうならないようにしよう……と心の中で硬く決意した。

 

 




これにて『法国編』は終了です!
漸く終わらせることが出来ました~~。
な、長かった……(汗)
ここからは他の小説も執筆再開していこうと思っているので、こちらの小説の執筆速度が遅くなるかと思いますが何卒ご容赦ください(土下座)

因みに、今回の法国での洗礼と洗礼名について、『法国人は成人になると洗礼を受ける』という独自設定にしております。
原作ではどうなっていたか全く覚えていないのですが……(汗)
もし記述等があれば教えて頂ければ幸いです(土下座)


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幕間 聖堕の軌跡

今回は、以前ご好評をいただき、また多くの方から要望がありましたニグン回再びです!


 スレイン法国は森妖精(エルフ)王国の手に落ち、完全に滅んだ……――

 今はエルフの国王代理であるクローディア・トワ=オリエネンスやペロロンチーノ率いるナザリック勢を中心に、法国の戦後処理を忙しなく行っている。

 当初はここで初めて世界に向けて大々的にエルフ王国が法国を滅ぼしたことを公表する予定だった。

 どんなに閉鎖的な国であろうと大なり小なり他国との繋がりはあるだろうし、商人など国を行き来する者もいる。そんな中で“国の滅亡”という大きな情報を長期間隠し通すことは、いかな強大な力を誇るナザリックといえども不可能なことだった。

 しかしこの世界にとっては不幸でありナザリックにとっては幸いなことに、それを実現可能にできる宝具がスレイン法国の宝物庫から発見された。

 それは二つの世界級(ワールド)アイテムの内の一つ。

 名を“幻世界の揺り籠”。

 法国の重役たちへの聞き取り調査とモモンガによる鑑定魔法により、それは強力な幻影を世界規模でもたらすアイテムであると判明した。

 効果期間は最長3か月。アイテムの使用者が望む事象を世界に信じ込ませ、騙すことができるアイテム。

 ペロロンチーノはすぐさまモモンガとウルベルトと話し合い、そのアイテムを使って法国滅亡の公表を遅らせることを決定した。

 アイテムの使用者はアイテムの発動時ずっと眠りにつくことになるため、必然的に飲食といった生命維持に必要な行動は取れなくなる。つまり人間種には決して使うことのできないアイテムではあったが、飲食不要である異形種であれば問題なく使うことができた。

 使用者に選ばれたのはナザリック地下大墳墓第八階層守護者である“生贄の赤子”ヴィクティム。

 ナザリックの基準で言えば低位となる力量(レベル)の持ち主ではあるものの、階層守護者の地位を戴いているだけあって知能は高く、大抵の不測の事態にも対応可能であろうとの判断から抜擢された。

 至高の主たちより命じられ、ヴィクティムが法国に渡って“幻世界の揺り籠”を発動させたのが今から三日ほど前のこと。“幻世界の揺り籠”を使用することが決まったことにより、その効果が切れる前に戦後処理を終わらせ、法国全土を完全に掌握しなければならない事態になり、ナザリックは勿論のことエルフたちも忙しなく各地を駆けずり回ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……あ゛ぁ゛~、忙し過ぎて目が回りそう……。“幻世界の揺り籠”があったおかげですぐすぐ世界に混乱を招くことは避けられましたけど、そのせいですっごく忙しくなって頭が痛いですよ……」

「当初は各国に法国滅亡の情報が流れても良い様に計画を組み立てていましたからね……。俺たちも手伝うので一緒に頑張りましょう」

「とはいえ、近々王国と帝国の戦争も控えているからな……。俺とモモンガさんはそっちの対処もしなくちゃならないし、大部分はお前に任せることになるだろうが……」

「………逃げたい……」

「そ、そんなこと言わないで頑張りましょう、ペロロンチーノさん! ほら、NPCのみんなも頑張ってくれていますし!!」

 

 テーブルに顔を突っ伏して脱力する鳥人(バードマン)に、死の支配者(オーバーロード)が慌てて励ましの声をかける。

 何ともカオスな光景に、ウルベルトは小さく肩を竦めた。

 

「まぁ、当面は外堀さえ強固にできていれば大丈夫だろう。一番怖いのは内部からの火種よりも外部からの干渉だからな。……王国と帝国の戦争の後に“幻世界の揺り籠”の効果が切れるのが一番望ましいが……、タイミングとしてはギリギリってところか……?」

「そうですね。そっちの方も考えていかないと……」

 

 考えなければならないことも取り組まなければならないことも山積みで、思わず三人の口からほぼ同時に大きなため息が吐き出される。

 しかし今更放り出すわけにもいかず、ペロロンチーノとモモンガとウルベルトはシモベたちから続々と届く書類の山を片付けようと萎える心を懸命に励ましながら、互いに意見を交わし合い、作業の手を必死に動かすのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 スレイン法国とエルフ王国の戦争の戦後処理……。

 それは現地のスレイン法国領土やエルフ王国領土だけでなく、エルフ王国に手を貸したナザリックの本拠地であるナザリック地下大墳墓にも大きな喧騒をもたらしていた。各階層守護者が中心となり、自身のシモベたちに指示を出して多くの異形たちが墳墓内や外の法国やエルフ王国内を走り回る。

 しかし手を貸しただけのナザリックが何故こうも忙しくなっているのかというと、それは戦後のエルフ王国とナザリックとの関係性や取り分などが深く関係していた。

 元々争っていたのは法国とエルフ王国であり、ナザリックはあくまでもエルフ王国に協力した体で、言うなれば横槍を入れたという立場にある。しかしエルフ王国とナザリックには圧倒的な力の差が存在し、またナザリックが手を貸さなければエルフ王国は滅んでいたという事実が全てを複雑にさせていた。

 エルフ王国とナザリックとでは実質の力関係はナザリックの方が圧倒的に上。そのため法国領土の最終所有権はナザリックが持つこととなり、エルフ王国は『ナザリックからの依頼により法国領土はエルフ王国が暫く管理する』という形で、その統治する期間も定められた。また法国が所持していた宝物やアイテムなどもナザリックがその殆どを貰い受けることとなり、国家機関や軍に属する人間も全てがナザリックの所有となり、現在第五階層に運搬及び収容されていっていた。一方、国家機関や軍部に属さない一般の平民や法国に隷属されていたエルフなどはエルフ王国が所有する運びとなった。

 となれば、法国の現地で捌くモノは多くあり、また現地で捌かれてナザリックに運搬されたモノを更に細かく捌いて処理していく必要も出てくる。

 ナザリック地下大墳墓第五階層にある氷結牢獄は超満員、送られてくる宝物やアイテムは鑑定待ちで堆く積まれ、ナザリックのシモベたちは『ああっ、私たち働いてる!』『至高の御方々のお役に立ってるっ!!』と歓喜に涙しながら浮かぶ汗と満面の笑みを輝かせて忙しなく走り回っていた。

 実に社畜の鏡というべき充実感溢れる表情と姿と光景である。

 そんな嬉々とした様子で走り回る異形たちの中で、ニグンもまた物資の運搬や捕虜たちの聞き取り調査を行う異形たちの手伝いで、墳墓の第五階層と第九階層の往復を繰り返していた。

 今もニューロニストや拷問の悪魔(トーチャー)たちからあげられた報告書の山を両手に持ち、至高の主たちがいる部屋に向けて歩を進めている。

 報告書の山は見上げるほど高く、抱え持っているニグンの視界を容赦なく占領している。

 前が完全に見えないため視線を左右に忙しなく向けて場所や位置を確認しながら、ニグンは慎重に足を動かしていた。

 

「――……あら、ルーインさん、大変そうですね。お手伝いしますよ」

 

 そんな中、不意にかけられた可愛らしい声。

 動かしていた足を止めて身体の向きを傾けて見てみれば、そこには一般メイドの一人であるフィースが柔らかな笑みを浮かべてニグンの目の前に立っていた。

 

「これはフィースさん、お心遣いに感謝します。ですが、フィースさんも何かお仕事があるのでは?」

「いえ、先ほど仰せつかった仕事を一通り終わらせてしまいまして……。ですので是非お手伝いさせて下さい!」

 

 両手で拳を握りしめて瞳をキラキラと輝かせる少女に、ニグンは思わず気圧されて小さく後退りしそうになる。

 しかし寸の所で踏みとどまると、少し躊躇いながらも最後には素直に彼女の申し出を受けることにした。

 

「……分かりました。それでは少し持って頂けますか?」

「はい!」

 

 ニグンとしてはうら若き少女に重い物を持たせるというのは非常に気が引けるのだが、彼女本人がここまで望んでいるのであれば、それを拒否するのもまた心苦しい。

 諦めて丁寧な口調で改めて頼めば、フィースは嬉々として頷いたと同時にニグンが抱えている書類の三分の一ほどを自分の腕に引き受けた。書類一枚たりとも落とさぬようにしっかりと抱え込む彼女を確認し、ニグンも改めて少なくなった書類を抱え直す。

 フィースのおかげで開けた視界に内心で感謝しながら、ニグンはフィースと共に再び歩を進め始めた。

 

「……あっ、そうだ、聞きましたよ! ウルベルト・アレイン・オードル様から至宝を賜り、御名まで頂いたそうですね!」

 

 横並びで廊下を進む中、不意にフィースが大きく声をかけてくる。非常に整った美しい顔には羨望の色が大きく浮かんでおり、ルビー色の大きな双眸には憧れや嫉妬といった多くの感情が複雑に混ざり合っていた。

 これがニグンがナザリック入りして初期の頃であったなら彼女の顔に浮かんでいたのは嫉妬の一色であっただろう。それを思えば、随分と彼女たちに受け入れられてきたものだと感慨深く感じられる。

 ナザリックに来た初めての頃を思い出しながらしみじみと思っていると、フィースが横に並んで歩いている状態ながらもズイッとこちらに身を乗り出してきた。

 

「至高の御方に何かを賜るというのは非常に名誉なことです! ルーインさんであれば既に十分承知しておられるかとは思いますが、至高の御方々から賜った温情に甘んじることなく、より一層の忠義に励む必要があるんですからね!」

「そうですね、フィースさんの言う通りです。勿論、十分わかっていますよ。……至高の御方々は皆さまとても慈悲深く寛大でいらっしゃる。一度は刃を向けた我が身にすら温情をかけて下さり、加えてこのように度重なる褒美をも下さった。私は……この身全てをかけて至高の御方々に尽くすつもりです」

「ええっ、それでこそナザリックのシモベです!」

 

 ニグンの言葉は彼女にとって100点満点だったのだろう、フィースは満足そうな満面の笑みを浮かべて胸を張り、フンスッ!と小さな鼻から満足そうな息を吐き出している。

 何とも可愛らしいフィースの様子に、ニグンは思わず小さな笑みを浮かべた。再び視線を前方に戻しながら、一心に足を動かし続ける。

 周りで忙しなく動いている異形たちの邪魔にならないように細心の注意を払いながら、しかしふと褒美をもらった当時のことを脳裏に蘇らせた。

 

 

 

 ニグンが新たな武器“六大悪魔の瞳”をウルベルトより賜ったのは、ニグンがペロロンチーノたちと共にエルフたちの元へ赴く前日……定例報告会議のすぐ後のことだった。

 他のシモベたち……ナザリックのモノたちには気づかれないように内々にウルベルトの私室に呼ばれ、『日頃の行いへの褒美だ』と“六大悪魔の瞳”を賜ったのだ。

 今でも、深々と頭を下げながら受け取った“六大悪魔の瞳”の感触と、その時に湧き上がった数多の感情を鮮明に思い出すことができる。

 ツルツルとしていながらも同時にサラサラとした滑らかな手触り。

 微かな光をも反射する輪の部分の金属の美しさに感嘆し、はめ込まれた魔力を宿す二対の宝石の輝きに魅了された。この魔力を宿す宝石一つだけでも、恐らく王国や帝国の一年間の国家予算を優に超えることだろう。

 一目で高価すぎる品だと分かり、ニグンは感謝や恐れ多さや嬉しさ以上に“信じられない”という思いを最も強く湧き上がらせた。

 いくら『日頃の働きへの褒美』だとしても、どんな国、どんな組織であろうと、ただのシモベに対してこんな高価な品を贈るものはどこにもいない。法国であれば漆黒聖典、帝国であればフールーダ・パラダイン、王国であればガゼフ・ストロノーフといった、国主の腹心に対してであれば100歩譲ってまだ理解できる。しかし自分はウルベルト・アレイン・オードルにとってそういった存在では決してない。

 勿論、ニグンはウルベルトや他の至高の御方々に対して絶対の忠誠を誓ってはいるが、しかし“腹心”という存在となると、ニグンは自分などよりも階層守護者の面々の方が真っ先に頭に思い浮かんだ。

 そんな守護者のモノたちを差し置いてこんな褒美を受け取ってしまったことに、ニグンは恐怖すら感じた。

 

「……ウ、ウルベルト様……、大変光栄なことではございますが、このような高価な物は頂けません」

「えっ、いや、折角作ったんだから逆に貰ってくれないと困るんだが……」

 

 ニグンからの言葉が余程意外だったのか、ウルベルトは驚愕の表情と共に困惑したような言葉を零してくる。

 見るからに戸惑っている主の様子に、しかしニグンもある意味必死だった。

 ナザリックのシモベたちは例外なく全てが至高の御方々に忠誠を誓い、その存在を崇拝し、狂信してさえいる。そんな彼らに、元々部外者であったニグンが至高の主であるウルベルトから直々に褒美の品――それもウルベルト自らが作った品である――を貰ったと知られればどうなるか……。

 結論:小悪魔(インプ)となり至高の御方々のシモベとなったばかりの頃に待っていた地獄の日々の再来である。

 特にウルベルトの被造物であるデミウルゴスからの反応が恐ろしく、ニグンはウルベルトからの言動を嬉しく思い感謝しながらも、その一方でウルベルトからの褒美を全力で拒否したかった。

 

「そもそも私はウルベルト様やモモンガ様に刃を向けた大罪人です。しかし、そんな大罪を犯した私をウルベルト様とモモンガ様とペロロンチーノ様はお許し下さり、この身を悪魔に変えて仕える機会すら与えて下さった。私がウルベルト様にお仕えするのは当然のこと。褒美など、大罪人である私には不要な物でございます」

 

 何とか考え直してもらえないかと、本音を織り交ぜた言葉を並べ立てる。

 しかし目の前の山羊の顔は呆気に取られているような表情を浮かべており、全く納得してくれていない様子だった。加えて、う~ん……と小さな唸り声を零し、首を大きく捻ってすらいる。

 何やら深く考え込んでいる素振りの後、ウルベルトは何かを思いついたように捻っていた首を元に戻してポンッと右手の拳を左掌で打ち鳴らした。

 

「……ああ、もしかして他のナザリックのモノたちのことを心配しているのか? 大丈夫だと思うぞ、あいつらもいい加減お前を仲間として認めているだろう。今更部外者扱いして“何で褒美をもらったんだ”っていう話にはならないさ」

 

(そういうことですけど、そういうことではないんです……!!)

 

 ウルベルトの少しズレた言葉に、ニグンは思わず心の中で叫んでいた。

 確かにナザリックのシモベたちが大いに関係しており、彼らの反応を気にはしている。しかし心配しているのは自分の存在を認めてくれているかではなく、至高の主に褒美をもらったことに対する嫉妬やら何やらの反応が恐ろしいのだ。

 ウルベルトとの認識のズレに絶望し、どう説明すべきか分からず内心で頭を抱える。

 しかしこちらの苦悩など知る由もない山羊頭の主は、柔らかな笑みすら浮かべてのほほんとした雰囲気を纏わせ、しかし口からは強力な爆弾を投下してきた。

 

「それにその品はお前が使うことを前提にお前のために作ったのだから、お前が貰ってくれないと意味がない。逆にお前が貰ってくれないのなら、そのままゴミ箱行きにするしかないな」

「……っ……!!」

 

 まるで『ちょっとこのゴミを捨ててきてくれないか』といった軽いノリで言われた言葉に、ニグンは思わず全身を戦慄かせた。

 次に彼の頭の中に浮かんだのは『至高の御方の作りし至宝をドブに捨てるような行為は万死に値する』と憤怒の表情を浮かべる階層守護者たちの姿で、ニグンはあまりの恐怖にガックリと全身を項垂れさせた。

 

「………謹んで…、……頂戴させて頂きます……」

「おお、そうか! 気に入ってくれたようで嬉しいよ」

 

 白旗を上げて“六大悪魔の瞳”を握り締めるニグンに、ウルベルトは満面の笑みを浮かべてくる。

 ウルベルトは何度も無言のまま頷くと、次にはこちらに手を差し出して一度“六大悪魔の瞳”を渡すように言ってきた。先ほどとは相反する言葉にニグンは内心首を傾げながら、しかし大人しく差し出されているウルベルトの手に“六大悪魔の瞳”を渡す。ウルベルトは“六大悪魔の瞳”を一度持ち直すと、次には六つの腕輪一つ一つについて込められている魔法や使用方法について丁寧に説明し始めた。

 “六大悪魔の瞳”はその名の通り、ウルベルトが以前いた別の世界で名の知れた悪魔に因んで作った腕輪であるらしい。

 一つの腕輪に二つの魔法石が埋め込まれたものが合計六つ。埋め込まれている二つの魔法石にはそれぞれ別の魔法の力が宿っており、つまり一つの腕輪で二つの力を発動することができるようだった。

 “六大悪魔の瞳”の性能にも勿論驚いたが、何よりもその埋め込まれた魔法石と、宿っている魔法の内容に驚愕する。

 正に至宝と言う呼び名に相応しい代物に、ニグンは改めていろんな意味での緊張で冷や汗を流していた。

 

「――……とまぁ、はめ込まれている魔法石に宿っている魔法の内容についてはこんなところだな。この話を聞いて気付いただろうが、この魔法石に宿っている力の幾つかは、今のお前では十全に使いこなすことは難しいだろう」

 

 恐怖と緊張のあまり思考を停止させていた中、不意に耳に飛び込んできたウルベルトの言葉にハッと我に返る。反射的にウルベルトを見れば、目の前の悪魔は今までになく真剣な表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 

「今のお前では十全に使いこなすことのできない物を敢えて含めたのは、今後お前がこれら全てを完璧に使いこなすことができるほどに強くなるだろうと期待しているからだ。それを肝に銘じつつ、これを受け取ってほしい」

「……!! ……はっ、必ずやそのご期待に応えられるよう精進して参ります……!!」

「フフッ、期待しているよ、ニグン」

「はっ!」

 

 ウルベルトの言葉に、ニグンは今まで感じていた緊張や恐怖を全てかなぐり捨てて深々と頭を下げた。『期待している』と言葉に出して言われると、やはり緊張はするものの、それよりも大きな喜びの感情が湧き上がってくる。

 目の前の主の期待に必ず応えなければ……と強く思う。

 ニグンは再び己の手に戻ってきた“六大悪魔の瞳”を強く握り締めると、早くこのアイテムを完璧に使いこなせられるように精進していかなければ……と心の中で誓いを立てた……――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ルーインさん?」

「…あ、ああ、いえ、少し考え込んでいたようです」

 

 不思議そうな表情を浮かべて再びこちらを覗き込んでくるフィースに、ニグンは我に返って慌てて謝罪の言葉を口にする。物思いにふけっていた自身を心の中で叱責すると、気を引き締めて改めて目の前の廊下を見やった。

 ここ第九階層の廊下は他の階層とは打って変わり――それでも行きかうモノたちは普段よりも多いものの――静かで、いつもの気品のある雰囲気が漂っている。廊下の壁には等間隔に重厚な扉が並んでおり、扉の面にはそれぞれ違うエンブレムが彫り込まれていた。

 メイドたちに以前教えてもらった話によると、そもそもこのナザリック地下大墳墓には四十一人もの至高の御方々がおり、この第九階層は至高の御方々の住居エリアであるため、それぞれの部屋の所有者である至高の御方々のエンブレムがその部屋の扉に彫り込まれているらしい。

 そして今回目指しているのはモモンガの部屋。

 髑髏のようなエンブレムが彫り込まれている扉まで歩み寄ると、少し上体を後ろに傾けて抱えている書類を身体に預けると、左手だけでそれを抱え込んで空いた右手の拳で扉をノックした。

 一拍後、扉の内側から入室許可の言葉が聞こえてくる。

 ニグンとフィースはそれぞれ自身の名前と入室する旨の言葉をかけると、ドアノブに手をかけて扉を押し開けた。ゆっくり開いていく扉に一度深く頭を下げ、室内へと足を踏み入れる。

 中には部屋の主であるモモンガだけでなく、他の至高の御方であるペロロンチーノとウルベルトも揃っていた。

 至高の三柱は一つの大きな丸テーブルを囲むように椅子に腰かけており、そのテーブルの上は勿論のこと、三柱の御方々が座っている椅子の間の地面にも多くの報告書の山が積み上げられている。至高の御方々のそれぞれの両手にも全て違う報告書が握られており、どうやら相談しながら報告書を捌いているようだった。

 

「御取込み中に失礼いたします。第五階層の氷結牢獄より、新たな報告書をお持ちしました」

「………oh……」

「……あー、ご苦労……。……とりあえず、こちらに置いてくれるか?」

「「はっ」」

 

 ペロロンチーノが何やら変な声を小さく零す中、モモンガが誤魔化すように手招きしてくる。

 ニグンとフィースは一つ頷くと、手招きされるがままに歩み寄って示された場所……モモンガとウルベルトが座っている椅子の間の地面に抱えている報告書を置いた。

 

「氷結牢獄からというとニューロニストからの報告書か……。また何か新たな情報を得られたのかな?」

「法国が所有していた情報量は予想以上だったからな。……まさにこの世界のありとあらゆる情報のデータベースだ」

「法国一つ滅ぼしただけで相当な情報を得られてますもんね~」

 

 うんうん…と三柱の至高の御方がそれぞれ何度も頷く。

 ニグンは自分の元所属していた国をある意味褒められていることに、非常に複雑な感情を胸に渦巻かせた。顔にも複雑な表情を浮かべているのだが、至高の主全員がそれに気が付かずに手にある書類にそれぞれ目を向けた。

 

「戦後処理を始めてまだ三日ほどしか経っていないのに、情報が出てくる出てくる~ですからね」

「そうだな。例えば巻物(スクロール)薬液(ポーション)の作成方法……秘匿技術とでもいうのかな?」

「その情報は早急にアイテム技術開発担当のデミウルゴスに伝えてやる必要があるな。他には神人についてや他国の情勢やこの世界の歴史も興味深い……」

「法国の統治方法も興味深いものが多い。……これはやはり早めに情報を整理して定例報告会議を開く必要があるな」

「……うへぇ~……」

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノがまた奇妙な声を上げる。

 バードマンとはこんなにも奇妙な声を上げる種族だっただろうか……とニグンが思わず内心で首を傾げる中、ウルベルトが少し困ったような笑みをペロロンチーノに向けた。

 

「……まぁ、ここが一つの頑張りどころだな。少なくともお前は王国と帝国の件に関してはそこまで動くことはないだろうから、ナザリックでまったりしていれば良い」

「いや、そんなこと言っといて絶対面倒事持ち込むでしょ」

 

 ウルベルトの言葉に、すぐさまペロロンチーノが苦言を呈する。顔は黄金の仮面に隠れているのに、彼がジトッとした目でウルベルトを睨んでいるのが何となく雰囲気で分かった。

 まぁ、こんなに報告書があるのでは読んで捌くだけでも相当な労力が必要となるだろう。元陽光聖典の隊長であったニグンも書類仕事は経験しており、ペロロンチーノの気持ちも分からなくはなかった。

 思わずニグンが小さな苦笑を浮かべる中、不意にフィースが一歩前に進み出て地面に両手と両膝をついて深々と頭を下げてきた。

 

「も、申し訳ありません! 至高の御方々にご心労とご負担をおかけてしまうなど、シモベとして言語道断! このうえはメイド一同、この身を粉にして御方々のために働かせて頂いた上で、この度の騒動が落ちつきましたら責任を取って自害を……っ!!」

「うえぇぇ~~っ!!?」

 

 フィースの言動に、ペロロンチーノが次は悲鳴のような奇声をあげる。

 ペロロンチーノはあたふたと四枚二対の翼を羽ばたかせると、次には椅子から立ち上がってフィースの下に駆け寄った。地面に片膝をつき、彼女の両肩に両手をかけて優しく上体を起き上がらせる。

 

「そ、そんなの駄目だよ! フィースも他の一般メイドたちもすっごく良くやってくれてるよ! だから君たちが責任を感じる必要なんてないんだ!」

「……ペロロンチーノ様……」

「さっきは、何というか……ちょっと愚痴っちゃっただけで……。全然負担なんかじゃないから! 勘違いさせちゃってごめんね」

「そんな! 至高の御方々が謝罪する必要など何一つございません!」

「ありがとう。……じゃあ、フィースもさっきの件はこれ以上気にしないでくれ。約束だよ」

「……ペロロンチーノ様……。……畏まりました、至高の御方の慈悲深い御心に感謝いたします」

 

 何とか落ち着いた様子のフィースに、ペロロンチーノが安堵の息を小さく吐き出す。そのまま一つ頷くと、フィースを立ち上がらせてから自身も再び椅子に腰かけた。続いて別の書類を手に持ちながら、フィースに確認済みの書類を片付けるように指示を出す。

 フィースは表情を輝かせて一つ頷くと、示された書類を抱え持って一礼と共にこの部屋から退室していった。

 ニグンも彼女と同じようにこの場を立ち去ろうと一礼しようとする。

 しかしその前にウルベルトがこちらを振り返ったことに気が付いて、ニグンは動きを止めてウルベルトを見やった。

 

「ニグン、君もご苦労だったね。まだもう少しかかりそうだが、お前も無理をしない程度に頑張ってくれたまえ」

「お心遣いに感謝します、ウルベルト様。ですが、ご心配は無用でございます」

「……あー、うん……。まぁ、よろしく頼む」

「ニグン、定例報告会議で正式に言い渡すことになるだろうが、今後お前には暫くの間エルフ王国に行ってもらい、法国領土を管理するエルフたちの補佐をしてもらうことになるだろう」

「それは……宜しいのですか?」

 

 モモンガからの突然の言葉に、ニグンは思わずウルベルトに視線を向けた。

 ニグンがエルフ王国に暫く駐在するということは、その間は“サバト・レガロ”のレインとしての行動が出来なくなるということだ。勿論ニグン一人がいなかったとしてもウルベルトとユリであれば何も問題なく十分“サバト・レガロ”の活動ができるだろう。とはいえ、同じチームメンバーが長期間いないとなると、疑問に思ったり不思議に思ったりする者も出てくるはずだ。

 念のためウルベルトに問いかけると、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて一つ頷いてきた。

 

「ああ、構わないとも。エルフ王国の補佐に注力してもらいたいとは言ったが、永遠にエルフ王国にいろという訳ではないし一時的なものだからな。それに、法国についてはお前が一番良く分かっているだろうからエルフたちに対して一番いい助言もできるだろう」

「……畏まりました」

 

 ウルベルトの言い分に納得して一つ頷く。

 確かに元法国の人間だった者として、法国領土をナザリックの代わりに統治するエルフたちに対していろいろと助言はできるだろう。加えて、いつの日が法国領土をナザリックがエルフたちから引き取った際、法国領土がナザリックにとって良い状態になっているよう手を回していかなければならない。

 責任重大な役目を担うことになる予感がして、ニグンは無意識に背筋を伸ばした。

 

「……ああ、そういえば、伝えるのを忘れていた。ペロロンチーノ、カルネ村のネムから伝言を受け取っていたのだが」

「えっ、ネムちゃんから?」

「ああ。『困っている人たちを助けたら、カルネ村にもまた絶対に来てほしい』とのことだ。お前に非常に会いたがっているようだったぞ」

「………この状態でそれを言います?」

 

 ニグンが突然の大役に緊張で気を引き締めている中、モモンガとペロロンチーノが何やら気が抜けるような会話を繰り広げている。

 仕事の量に意気消沈して大きく項垂れるペロロンチーノをチラッと見やりながら、ニグンはエルフ王国の統治に思いをはせた。

 そこでふと、神都まで侵攻する際に何かと言葉を交わすことが多かった一人の少女エルフの顔が頭に浮かんでくる。

 エルフ王国に暫くいることになるのであれば、もしかすればあの少女ともまた会うことになるかもしれないな……と何とはなしに思った。

 

 




“幻世界の揺り籠”についての詳細は恐らく次回で書くかと思います!
ので、気になる方は次回をお待ち頂ければと思います(深々)
また、今回ナザリック地下大墳墓第九階層の至高の御方々の私室の扉について捏造してみました!
部屋の扉については原作では詳しい描写がなかったと思うのですが……なかったですよね……?(汗)
もし『いや、書いてあるけど?』ってなっていた場合は優しく教えて頂ければ幸いです(土下座)


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第78話 進む裏側

 通常であれば深夜0時から始まる定例報告会議。

 しかし今回はナザリック地下大墳墓の主である至高の存在による号令の下、通常よりも早い時間から招集がかけられていた。

 第九階層の円卓の間に集ったのは、至高の三柱と五人の階層守護者と守護者統括、宝物殿の領域守護者と“五大最悪”に数えられる特別情報収集官。そしてセバスとプレアデス五人とニグン。加えて、何故か執事助手のペンギン鳥人(バードマン)と、こちらも何故か小さなドラムを肩から吊り下げている男性使用人一名までもがいる計二十名だった。

 いつものように守護者統括の言葉と共に会議が開始される。

 そしてまず口を開いたのは、至高の存在の一柱であるモモンガだった。

 

「皆、忙しい中この場に集ったこと、まずはご苦労。法国を無事に手中に収め、現在多くの捕虜から情報を収集している。恐らくその幾つかは既にそれぞれの耳に入っているだろうが、ここで一度この場で情報共有と現状の整理をしていこうと思う」

「まずは現状の整理からだな。アルベド、説明を頼む」

「畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に、アルベドが一度深く頭を下げる。続いてこの場にいる面々を見渡すと、淀みなく元法国領土の現状について説明し始めた。

 とはいえ、その殆どが戦後処理の進行状況についてのみ。

 戦後処理が終わった地域と現在処理中の地域について。その割合は未だ4:6といったところだろうか。ペースとしては少し遅い様にも思えるが、しかし今回の場合、一つの地域で得られるものが多種多様且つ非常に膨大である。そのためかかる時間はそれ相応のものとなるため、現状この速度でも十分合格であるとも判断できた。

 現在戦後処理を主導で行っているエルフたちは、今までは国王代理という立場だったクローディア・トワ=オリエネンスが正式に王位を継ぎ、彼女が中心となって精力的に働いてくれているらしい。

 次々と報告される情報の中、この場にいる誰もが注目したのは捕虜とした“ある人物たち”についてと、現在元法国神都で発動中の世界級(ワールド)アイテムについてだった。

 

「現在、第五階層の氷結牢獄に収容されている捕虜たちの中で最も注意すべき“人物”……“死神”のルシフェルと“漆黒聖典”の“番外席次”アンティリーネ・ヘラン・フーシェですが、この二名に関しても現在ニューロニストを中心に情報収集を行っております」

「確か、その死神さんにかけてる“傾城傾国”の支配能力は期間限定だったんだっけ?」

「はい。そのため、“傾城傾国”の効果が切れるまでにできるだけ情報を収集し、その後速やかに処分する予定になっております」

「うん、分かった。アンティリーネちゃんの方はどう?」

「現在は大人しくしており、情報も素直に話しているようです。情報については都度信憑性を調査しておりますが、今のところ虚偽の情報はないようです」

「そっか……。……その子については俺も少し気になることがあるから、折を見て面談してみようと思ってるんだ。それまではくれぐれも殺さないようにしてほしい。大人しくしているのであれば拷問もなるべくしないであげてくれ」

「畏まりましたん」

 

 ペロロンチーノがアンティリーネの情報収集担当であるニューロニストを振り返って命じれば、ニューロニストは片膝をついて頭を下げながら承知の言葉を告げる。

 満足そうに頷くペロロンチーノを確認し、次はモモンガが口を開いた。

 

「ここで少し、現在元法国神都でヴィクティムが発動している“幻世界の揺り籠”について、皆に説明しておこう。“幻世界の揺り籠”は法国が所有していた世界級(ワールド)アイテムの一つであり、幻を世界規模で展開できるアイテムであると判明した」

 

 世界級(ワールド)アイテムである“幻世界の揺り籠”は、最長3か月間、アイテムの使用者が望む事象を世界に信じ込ませ、騙すことができる。その間アイテムの使用者は飲食ができなくなり、また法国は飲食不要の指輪などは保有していなかったため、法国では唯一異形種だった“死神”専用のアイテムとして宝物庫に保管していたらしい。

 “幻世界の揺り籠”は使用者と同じギルドメンバーには効果を発揮せず、また通常の世界級(ワールド)アイテムと同様に他の世界級(ワールド)アイテムを所持している者にも効果を発揮しない。

 であればそれ以外に対しては全て効果を発揮するのかと言うと決してそういう訳でもないらしく、より厳密に言えば“幻世界の揺り籠”は使用者が設定した範囲(ゾーン)に対して使用者が望む幻を信じ込ませる能力を有しているらしかった。

 

「今回の場合であれば、ヴィクティムは“アインズ・ウール・ゴウン”に所属しているため、同じく“アインズ・ウール・ゴウン”に所属している我々には“幻世界の揺り籠”の効果は発揮されない。また、エルフ王国領土と元法国領土以外の全てを範囲(ゾーン)として設定してアイテムを発動しているため、エルフ王国領土内と元法国領土内にいる者たちに対しても“幻世界の揺り籠”の効果は発揮されていない」

「モモンガ様、一つお伺いしても宜しいでありんしょうか?」

「うん? どうした、シャルティア?」

「先ほどのお話でいくと、例えばエルフ王国領土内にいた者がエルフ王国領土及び元法国領土内を出たら、どうなるのでありんしょうか?」

「その場合は“幻世界の揺り籠”の効果範囲に入るため、幻に支配されるようだ。逆に範囲(ゾーン)にいた者がエルフ王国領土もしくは元法国領土内に侵入した場合は、幻の効果が切れるらしい」

「「「おおっ!」」」

 

 シャルティアからの質問の答えに、この場に小さな騒めきが起こる。

 しかしウルベルトが軽く片手を挙げると騒めきは消え、静かになった空間に次はウルベルトが口を開いた。

 

「これで暫くは法国滅亡の情報が外部に漏れる心配はないだろう。だが、先ほどモモンガさんが言っていたように、このアイテムの効果期間は3カ月だ。その間に出来得る限りエルフ王国と元法国領土を落ち着かせておく必要がある。……君たちにももう暫く負担をかけてしまうだろうが、どうかよろしく頼む」

「っ!! 何を仰られます! 我らシモベ一同、至高の御方々の手足となって働き忠義を尽くすのは当然のことでございます!!」

「デミウルゴスの言う通りです! 至高の御方々のお役に立てることこそがわたくしどもの幸せでございます! 負担など、思うはずもございませんっ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスがすぐさま反応して声を上げてくる。続けてアルベドも否定の言葉を口にし、他の面々も大きく何度も頷いたり頭を下げたりしてきた。

 押し寄せてくる激しい熱量と変わらぬ彼らからの反応と忠誠心の高さに、モモンガたちは毎度のことながら若干ひきそうになってしまう。

 しかし一心にこちらを思ってくれている彼らの前でそんな反応ができる筈もない。

 モモンガとウルベルトとペロロンチーノは無言のまま素早く互いに視線を交わすと、次には何とか至高の主の態度を纏わせてアルベドたちに向き直った。

 

「…う、うむ、お前たちの忠義に感謝するぞ」

「そ、それで、今みんなで取り組んでいる戦後処理についてなんだけど、取集できてる多くの情報についてもこの場で共有していこうと思うんだ……。こちらもアルベドから説明してもらってもいいかな?」

「はい、畏まりました、ペロロンチーノ様」

 

 モモンガからの感謝の言葉に再びシモベたちが反応しそうになり、しかしその前にペロロンチーノが次の話題を慌てて口にする。

 その行動はどうやら正しかったようで、周りのシモベたちは恐縮したような素振りを見せながらも黙って頭を下げるだけにとどまり、アルベドも一礼と共に再び口を開いて説明を始めた。

 アルベドの口から語られる情報は正に膨大且つ多種多様。

 法国が所有していた秘匿技術や神人の存在、始原の魔法(ワイルドマジック)や“100年の揺り返し”と呼ばれる現象について、などなど……――

 正に目を瞠るほどの情報の数と内容である。

 まず秘匿技術については主に魔法の巻物(スクロール)薬液(ポーション)の作り方についての情報だった。

 一般的にこの世界に出回っている技術では、スクロールは第一や第二などの低位の魔法を込めた物しかなく、現在デミウルゴス率いる悪魔たちが行っている開発でも未だ第三位階までが限界だった。またポーションについても、時間と共に劣化する青色の物が一般的であり、デミウルゴスの下にいるバレアレ二名の開発で生まれたポーションも――色は紫色で少しナザリック産のポーションには近づいたものの――まだまだ完璧とは程遠い物だった。

 しかし法国の保有していた秘匿技術であれば、スクロールは第四位階まで魔法を込めることができるようになり、ポーションに至っては“神の血”と呼ばれるユグドラシル産の赤いポーションとほぼほぼ同じ物が作れるようだった。

 とはいえ、勿論どちらも完璧であるとは言えず、全く改善点がないわけではない。スクロールは第四位階以上の上位魔法も込められるようになるよう改良及び開発し続ける必要があるし、ユグドラシル産の赤いポーションも作製技術は確立したものの、かかる出費は膨大なものでコストがかかり過ぎるというデメリットがあった。こちらも更なる改善や改良が必要だと言えるだろう。

 しかしこの技術情報の入手によってナザリックのアイテム開発技術が何十歩も進んだことは紛れもない事実であり、非常に喜ばしいことである。これだけでも法国を滅ぼしたことに十分利益があったと言えるだろう。

 次に“神人”と呼ばれる存在についてだが、これはユグドラシル・プレイヤーだと思われる“六大神”の血を引く者であり、且つその中でも神の力に目覚めた者のことであるらしい。

 また、“神人”はその強さから多大な影響を周りに及ぼすらしく、その存在の情報が下手に周辺諸国に漏れた場合には現在生き残っている“真なる竜王”なるモノたちが動き出すとかなんとか……。

 因みに法国にはこの“神人”が複数人いたとのことだが、現在生き残っているのは氷結牢獄に囚われているアンティリーネ・ヘラン・フーシェのみのようだった。

 

「――……スクロールやポーションについての秘匿技術の情報については、後ほど詳細が書かれた書類をデミウルゴスに渡す。今後のアイテム作製技術開発に役立てよ」

「はっ、畏まりました。感謝いたします、モモンガ様」

「次に“神人”についてだが、これについては幾つか留意すべき点がある」

「“プレイヤー(俺たち)も子作りができる”ことと、“真なる竜王とかいう存在”についてと、“神人”の一人であるアンティリーネちゃんについてですね!」

「二つは合っているが、最初の一つ目は違う……! ……まったく……。留意すべき点は主に三つ。一つ目と二つ目は先ほどペロロンチーノが言った通り、“真なる竜王とかいう存在”についてと、“神人”の一人であるアンティリーネ・ヘラン・フーシェについてだ。後の一つは『神の力に目覚めた』という部分だな」

 

 ウルベルトの言葉にモモンガとペロロンチーノが同時に黙り込んでじっとこちらを見つめてくる。

 一方は表情筋のない骸骨で、もう一方は黄金の仮面で顔を覆っているため、ウルベルトには今二人がどんな表情を浮かべているのか見当もつかない。しかしそれでも二人の頭上に幾つもの疑問符が浮かんでいるのははっきりと見てとれて、ウルベルトは思わず山羊の顔に小さな苦笑を浮かべた。それでいて言葉の真意を説明しようと口を開きかける。

 しかし言葉を発するその前に、控えるように立っていたデミウルゴスが一歩こちらに進み出ながら嬉々とした声を上げてきた。

 

「なるほど、そういうことでしたか! つまりウルベルト様は、この世界でのレベルや経験値などのメカニズムにも通じるものがあるとおっしゃりたいのですね!」

「……ああ、流石は私のデミウルゴスだ、その通りだよ」

 

 デミウルゴスの言葉に、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて一つゆっくりと頷いて見せる。しかし一方で、デミウルゴスがその言葉をどこまで考えて発したのかが分からず、内心ではダラダラと大量の冷や汗を流していた。

 ここで『デミウルゴスも自分と同じ考えなんだ!』と判断を早まって自信満々に言葉を発しては致命傷を負いかねない。デミウルゴスが自分と全く同じことを考えているかは未だ不明であるし、第一この知略&勘違いカンスト悪魔のことだ、とてつもなく高い確率でこちら以上のとんでもないことを考えているに違いないのだ。

 ウルベルトは満面の笑みを顔に張り付けたまま、お馴染みの正解の言葉を口に乗せた。

 

「デミウルゴス、お前が気が付いたことをこの場にいる全員に話してあげたまえ」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは恭しく頭を下げた後に周りにいる面々に視線を向ける。笑みの形に吊り上がっている口の端を更に歪めながら、悪魔は自身の考えをこの場にいる全員に語って聞かせた。

 悪魔の語る説明の内容はこの世界でのレベルや経験値の仕組みついてであり、この世界の住人と自分たちユグドラシルの存在との違い、そして“神人”が何故『神の力に目覚めた者』と認識されているかについてだった。

 この世界の住人たちはその殆どが1レベルから30レベルくらいであり、稀に40台や50台くらいのレベルの者が存在している。これを、この世界の者たちは“才能”と呼んでいるらしいが、つまりそれはこの世界の者たちは生まれながらにして上げることのできるレベルの限界値が決まっているのではないかと考えられた。言い換えれば、器である肉体のレベル限界値が生まれた時から決まっているとも言えるのかもしれない。

 一つのコップの中に注げる水の量は限られており、それ以上の水をどんなに注いだところで溢れて零れ出てしまうのと同じ……。

 “この者はどんなに経験値を摘んでも10レベルまでしか上げることができない”“この者はどんなに経験値を積んでも20レベルまでしか上げることができない”と生まれた時から決まっている。

 その考えでいけば、ユグドラシル・プレイヤーは生まれながらにして100レベルまでレベルを上げることのできる肉体を有していると言えるだろう。

 レベルの限界値があるから、この世界の者はそれ以上に強くなることはできない。

 しかしその理をユグドラシルの者の血は突破することができるのではないか。

 つまり、ユグドラシル・プレイヤーの血を引き継ぐ者は、生まれながらの肉体のレベルの限界値が非常に高いのではないか。或いは、生まれながらの肉体のレベルの限界値自体は低いものの、単なるパーセンテージ或いは何かしらの条件で、その限界値を突破することができるのかもしれない。

 故に法国は『神の力に目覚めた者』と表現したのではないか……。

 

「――……これらのことから、少なくともこの世界の者たちの殆どが我々ほどのレベル(強さ)となれる可能性は限りなく低いと思われます。低能な者からは低能な者しか生まれない、というのは正に真理ですね。そう考えれば、エルフの王が高いレベルの存在を創り出すために母体に着目したのは良い判断だったと言えるのかもしれません。……ただ、この世界には“武技”や“生まれながらの異能(タレント)”といった未だ解明できていない力もありますので、引き続き情報収集及びこの世界の監視、また高レベルの存在の発見とその行動の管理なども必要となってくるかと愚考いたします」

 

 最後の方は至高の主たちに向けて語る悪魔に、至高の主たちはそれぞれ無言のままゆっくりと頷いて返した。

 それでいてウルベルトがチラッと目だけでモモンガとペロロンチーノを見れば、二人は真剣な表情を浮かべながらも『そういうことか』と漸く思い至ったような納得の色も浮かべているのが見てとれた。

 二人の全く同じ様子にウルベルトは思わずクスッと小さな笑みをこぼす。しかしその一方で、悪魔の語る内容が自分が考えていたものと概ね同じだったことに内心では安堵の息を吐いていた。

 とんでも発言が出てこなかったことに大いに胸を撫で下ろし、ウルベルトはすぐさま笑みを引っ込めて真剣な表情を浮かべ直した。

 

「そうだな、お前の言う通りだ。強者の発見及び管理については、法国が導入していた“住民台帳”という仕組みが役に立つだろう。“アインズ・ウール・ゴウン”が世界に進出し、領土を持つに至った時にはその辺りも組み入れられるように考えていくとしよう」

 

 ウルベルトの言葉に、この場にいる首脳メンバーが深く頭を下げてくる。

 ウルベルトも一つ頷いてそれに応えると、この話題はこれくらいにして次の話題に移ることにした。

 

「次に“始原の魔法”と呼ばれるものについてだが、これは元々この世界にあった魔法であると考えられる。しかし現在は我々が扱うユグドラシルの魔法がこの世界に定着している。そのため、“始原の魔法”を扱える者は殆どいないらしい……ということだったな、アルベド?」

「はい。ウルベルト様の仰る通りです」

 

 確認するウルベルトにアルベドが柔らかな微笑と共に一つ頷く。

 “始原の魔法”は500年前に現れた八欲王がユグドラシルの魔法を広めるまでこの世界にあった魔法であり、ユグドラシルの魔法とは発動原理自体が違うのか、当時から扱える者は非常に少なかったらしい。

 “始原の魔法”を発動する際に消費するのは魔力(MP)ではなく(HP)

 故に“始原の魔法”は強力なものが多く、法国の上層部の認識と見解では、“真なる竜王”とは“始原の魔法”を使うことのできるドラゴンロードのことであり、また恐らくは“真なる竜王”には世界級(ワールド)アイテムは効かないだろうと考えられるようだった。

 

「ですが、先ほど説明させて頂いた通り、“始原の魔法”の使い手の数自体は少ないとはいえ、その力は非常に強力であると思われます。また、世界級(ワールド)アイテムも効果を発揮しないとなれば、十分注意をすべきかと愚考いたします」

「そうだな。“始原の魔法”がどういった魔法でどれほどの威力があり、防ぐ方法があるのかどうかも現状不明だ。アルベドよ、やり方はお前に任せるので“始原の魔法”についてと“真なる竜王”について調査せよ」

「畏まりました」

「ニューロニスト、お前も法国の連中からできるだけ多く且つ詳しい情報を収集するのだ」

「畏まりましたん」

 

 モモンガの指示に、アルベドとニューロニストが再び深々と頭を垂れる。

 モモンガが誰にも気づかれないように小さな息を吐く中、隣に座るバードマンが何にも憚れることなく大きなため息を吐き出した。

 

「はぁぁ……、漸く警戒すべき強者の存在が薄っすら見えてきたって感じですね。取り敢えず、“神人”の存在がチラついたら“始原の魔法”が使えるっていう“真なる竜王”が出てくるらしいので、アンティリーネちゃんの扱いは気を付けていかないといけないですね。後は……、ああ、“100年の揺り返し”についてもでしたっけ」

「……ああ、そうだな……」

 

 ペロロンチーノの言葉に、モモンガとウルベルトはほぼ同時に重々しく頷く。

 彼の言う通り漸く警戒すべき対象が見えてきたことはある意味喜ばしいことではある。しかし未だ漠然としていて警戒する方法も明確ではないし、また“100年の揺り返し”といった意味不明な言葉と現象も二人の頭を悩ませていた。

 “凡そ100年ごとに神が降臨する”という“100年の揺り返し”という現象。

 この“降臨する神”とは十中八九、ユグドラシル・プレイヤーのことだろう。

 何故そんなことが起きるのか、その理由も目的もメカニズムも未だ不明。

 また、きっちり100年ごとにユグドラシル・プレイヤーが来るわけでもないらしく、自分たちがこの世界に来た現在から遡って100年前は神の降臨は確認されていないようだった。

 本当にユグドラシル・プレイヤーが転移してきていないのか、はたまた転移はしてきたがうまく隠れていたのか、それすらも分からない……。

 非常に重要な情報であることは確かだが、この情報から自分たちがこれからどうしていくべきなのか、モモンガもウルベルトも未だ頭を整理することができずにいた。

 しかし二人の苦悩など何のその、ペロロンチーノだけはあっけらかんとした様子でこの場に集まっているナザリックのシモベたちを見回していた。

 

「取り敢えず、新たな脅威が来るまでに少なくとも100年は猶予があることが分かっただけでも御の字だ。それまでにできるだけナザリックを強化、および現段階でこの世界にいるであろう強者の存在確認を進めていかないとね。それらを一気に進めるのは難しいだろうから段階的に取り組んでいこう。みんなにも力や知恵を貸してもらうことも多いかと思うけど、その時はよろしくね」

「はい、ペロロンチーノ様!」

「勿体ないお言葉でございます、ペロロンチーノ様」

「この心この身全てが至高の御方々のものでありんす! 御身は必ずやわらわがお守りいたしんす!」

「勿論です、ペロロンチーノ様! 絶対にお役に立ってみせます!」

「ぼ、僕も頑張ります……!」

「必ズヤスベテノ障害ヲ滅シテミセマス」

「うんうん、すっごく心強いよ。ありがとね」

 

 口々に言葉を発して意気込む守護者たちに、ペロロンチーノが明るい声で言葉をかけながら何度も頷いている。

 何とも呑気でありながらも心強くも感じるその様子に、モモンガとウルベルトはチラッと顔を見合わせた後に小さな苦笑を浮かべ合った。

 

「……では次の議題に移るとしよう。確か、ペロロンチーノから皆に伝えたいことがあったのだったな」

「あっ、そうでした!」

 

 小さな咳払いと共にモモンガが次へと話しを移し、ペロロンチーノがそれに気が付いて大きく頷く。

 改めて居住まいを正すシモベたちに目を向けると、ペロロンチーノは無意識に背筋をピンッと伸ばして胸元の羽根を大きく膨らませた。

 

「えー、まずは改めて、みんな法国侵略お疲れさまでした! 法国の神都に侵攻した際、三チームに別れてより多くの都市を陥落したモノにご褒美をあげるって約束したと思うんだけど、ここでその最優秀者を発表しようと思います!」

 

 ペロロンチーノの突然の言葉に、この場にいる全てのシモベたちが一様に背筋をピンッと伸ばす。

 特に当事者であるアウラ、コキュートス、パンドラズ・アクターの三名が緊張したような素振りを見せ、ペロロンチーノはフフッと小さな笑い声を零した。

 

「それでは発表します! エクレア、ドラムを頼む!」

「畏まりました、ペロロンチーノ様! ドラムっ!!」

「イーっ!」

 

 ペロロンチーノの指示に、今までずっと部屋の隅に控えていたペンギン・バードマンのエクレアが大きく反応する。すぐさま自身の傍らに立つ男性使用人に指示を出すと、男性使用人は奇妙な声と共に肩に吊るしているドラムをダダダダッ!と打ち鳴らし始めた。

 暫く続く、ドラムの連打音。

 ペロロンチーノは溜めに溜めた後に男性使用人に手だけで合図を出し、それによってダダンッ!とドラムの音が途絶えたとほぼ同時に最優秀者の名前を高らかに告げた。

 

「アウラ!!」

「っ!!」

 

 ペロロンチーノがアウラの名前を告げたと同時に、ババーンっ!とばかりにエクレアがどこからともなく取り出したクラッカーを鳴らす。

 軽快な音と共に色とりどりのリボンや紙吹雪が飛び出し、驚愕に目を見開いているアウラまで届いて彼女を祝福した。

 

「あめでとう、アウラ。よく頑張ったね」

「……! あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノに褒められ、途端にアウラの顔が歓喜に染まる。

 満面の笑みを浮かべて頬を染めるアウラに、ペロロンチーノは腰かけていた椅子から立ち上がると、アウラの前まで歩み寄って空中にアイテムボックスを開いた。

 

「最優秀者だったアウラには二つご褒美があります! 一つ目はこの“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”。改めておめでとう、アウラ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ペロロンチーノがアイテムボックスから取り出したのは、美しく光り輝く一つの指輪。

 もう一度祝福の言葉を口にしながら指輪を差し出せば、アウラは一気に緊張した様子ながらも両手で恭しく指輪を受け取った。

 両掌の上に指輪が乗せられたことをしっかりと確認し、ゆっくりと慎重に両掌を自身に引き寄せる。

 アウラは自身の手の中にある指輪を見つめると、感極まったように色違いの双眸を潤ませ、まるで宝物のように大切に握り締めて胸元に押し当てた。

 そのまま地面に片膝をつき、至高の主たちに向けて深々と頭を下げる。

 

「このような身に余る褒美を賜り、本当に感謝の言葉もありません! 至高の御方々のため、このアウラ・ベラ・フィオーラ、これからも誠心誠意お役に立てるよう頑張っていきます!」

「あー、うん、ありがとう。よろしくね……。……そう、それと、もう一つご褒美があるんだ」

 

 アウラのいつにない畏まった様子に、ペロロンチーノは思わずドギマギしてしまい口調が少々おかしくなる。

 しかし一つ咳払いすることで何とか気を取り直すと、ペロロンチーノは改めてアウラを見つめた。

 

「前にモモンガさんの命令で、褒美として何を貰ったら嬉しいかみんなで意見を出し合って俺たちに報告してくれたことがあっただろう? 今回はその中の一つをご褒美としてあげようと思うんだ」

「ペ、ペロロンチーノ様! それは……!!」

「そう、アウラにあげるのは、この『騎獣で相乗りデート券』だ!!」

「「「っ!!」」」

 

 何かに気が付いたように焦った声を上げるアルベドに、ペロロンチーノは一つ大きく頷いて嘴を大きく開く。そして高らかに響き渡った言葉に、この場にいる全守護者たちが雷に打たれたような反応を見せ、他の面々は不思議そうな表情を浮かべた。

 しかしそれは無理からぬことだろう。

 先ほどペロロンチーノが提示した『騎獣で相乗りデート券』とは、以前モモンガがアルベドに命じて給金に代わる守護者たちの要望をまとめさせた時に出てきたものの一つだった。当然、これらの存在を知っているのは至高の存在と守護者たちと一部のメイドたちしかいない。

 ペロロンチーノは再び空中にアイテムボックスを開くと、そこから一枚のピンク色の紙切れを取り出した。

 紙の表面には『騎獣で相乗りデート券』という文字がポップな字体で書かれており、その下には少し小さな文字で『( モモンガ / ペロロンチーノ / ウルベルト・アレイン・オードル )』と記載されていた。

 

「誰とデートしたいのかはあの時の報告になかったから、取り敢えず三人の名前を書いておいたんだ。勿論全員でも良いし、もし『この人とデートがしたい!』ていうのがあれば、その人の名前に○を付けて提出してくれ」

「え、あ、あの……」

「うん? どうしたの?」

 

 てっきり喜んでくれるものとばかり思っていたのに目の前のアウラはいつになく戸惑っている様子で、ペロロンチーノは思わず首を傾げる。『騎獣で相乗りデート券』はその内容からアウラからの要望なのだろうと思って今回の褒美に選んでみたのだが、もしかして違ったのだろうか……と急に焦りが湧き上がってくる。

 『どうしよう、どうしよう』と心の中でアタフタし始める中、何故か非常に戸惑っている様子だったアウラが恐る恐るこちらを上目遣いに見上げてきた。

 

「こ、このような身に余るご褒美を……ほ、本当に頂いても良いのでしょうか……?」

「うん? 当り前じゃないか。大丈夫じゃなかったら、そもそもこの券を用意して渡したりしないよ」

 

 安心させるように明るい声音で言ってやれば、徐々にアウラの表情がぱあぁぁ…と明るく輝きだす。

 アウラは『ありがとうございます!』と大きな声で感謝の言葉を口にすると、次には跳ねるようにペロロンチーノが未だ差し出している『騎獣で相乗りデート券』を受け取った。

 

「あ、あの、ご迷惑でなければ……至高の御方々皆さまと一緒にお出かけできればと、思うのですが……。よ、よろしいでしょうか……?」

「うん、勿論それでも大丈夫だよ。あっ、でもそれだと俺たちそれぞれのスケジュールを調整する必要があるから、少し待ってもらうかもしれないけど……」

「そ、それでも大丈夫です! 至高の御方々のご迷惑にはなりたくありませんし!!」

「迷惑だなんて思ってないよ。折角のご褒美なのに待たせちゃうのがちょっと心苦しいだけだから」

「そんなっ! だ、大丈夫です! お気遣い下さり、ありがとうございます!」

「うん、それじゃあ俺とアウラとモモンガさんとウルベルトさんの四人でデートしようか。良いですよね、モモンガさん、ウルベルトさん?」

「ああ、勿論だ。なるべく早く出かけられるようスケジュールを調整するとしよう」

「私も勿論構わないよ。楽しいデートにしよう、アウラ」

「は、はいっ!」

 

 果たして四人で出かけることを“デート”と呼んでいいのか、どちらかというと“散歩”や“ピクニック”と言った方が正しいのではないか……とペロロンチーノとしては思わないでもなかったが、しかしモモンガやウルベルトからも優しい言葉をかけられたアウラは全く気にしていない様子だ。ほにゃっと頬を緩めて、とても嬉しそうな笑みを浮かべて『騎獣で相乗りデート券』を大切そうに握り締めている。

 まぁ、アウラが気にしないのなら良いか……と内心で判断すると、ペロロンチーノはそろそろこの話題は終わらせて次に移ろうと嘴を開いた。

 

「それじゃあ、モモンガさんとウルベルトさんはスケジュールを調整して、良い日を俺に教えてください。それをまとめてアウラに伝えるね」

「はい、畏まりました! ありがとうございます!」

「うん、なるべく早く伝えるから。……それじゃあ、次に移りましょうか。次は……なんでしたっけ?」

「今後の我々の動きについてだな……」

 

 思わず大きく首を傾げるペロロンチーノに、モモンガが次の議題について口にする。するとペロロンチーノは『そうだった!』と大きく頷き、モモンガとウルベルトはほぼ同時に苦笑を浮かべた。

 ペロロンチーノが再び椅子に腰かけるのを待ち、その後に改めてこの場に集うモノたちを見渡す。

 先ほどまでのどこか湧き立つような雰囲気が引き締まり誰もが真剣な表情を浮かべてこちらを見つめているのを確認するとモモンガは再び口を開いた。

 

「先ほども言ったように、次の行動としては一年に一度行われるリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国との戦がある。以前も計画について話したことがあると思うが、そこで我々“アインズ・ウール・ゴウン”の一部(・・)が世界進出をすることになっている」

「駒も全て準備でき、種蒔きも計画通り進んでいる。現段階までで何か不測の事態などは起きていないか、アルベド?」

「はい、何も問題は起きておりません。全てが順調に進んでおります」

「よろしい。であれば、取り敢えず計画通りエ・ランテルまでは手中にできそうだな」

「いやいや、油断は禁物ですよ、ウルベルトさん。全てはあの王子さん(・・・・・・)にかかってるんですから」

「大丈夫だろう。そこは“八本指”たちに上手く誘導させるさ」

「ふむ、だがペロロンチーノさんの心配も分かる……。アルベドよ、“八本指”に対して失敗がないよう徹底させよ」

「畏まりました、モモンガ様。元より至高の御方々のご計画に泥を塗るなど、決して許されぬこと。日頃より言い聞かせてはおりますが、より強く指示及び管理いたします」

 

 どこまでも真面目な表情を浮かべて一礼するアルベドに、自分が言い出したこととはいえペロロンチーノは“八本指”に対して少しだけ同情心を湧き上がらせた。

 ナザリックのモノたちはその殆どがナザリック外の存在に対して非常に冷たい。アルベドもその例外ではなく、彼女からより強く指示及び管理をされるなど“八本指”からすれば地獄以外の何ものでもないだろう。

 しかしペロロンチーノも元は美少女や幼女以外には興味のない男……『まっ、いっか』と軽く思い直すと、どんどん話を進めているモモンガやウルベルトたちに意識を戻した。

 今はエ・ランテルまでの侵攻計画や、都市を陥落させた後の“冒険者モモン”の使い道についてなどを話し合っているようだ。

 以前の定例報告会議でも言っていた、ラナー王女から提案された計画とデミウルゴスの壮大な勘違いによって構成された計画。

 ペロロンチーノからすれば、どうしてここまでこんな勘違いができるのか不思議でならない。そして、そこから繰り出された計画の内容の見事さに戦慄が走って止まらなかった。

 

(エ・ランテルを侵略した後の“冒険者モモン”の使い道なんて、デミウルゴスが言ってくるまで全っ然思いつきもしなかったもんな~。そもそも、どうしてそんな考えが思い浮かぶんだか……。)

 

 悪魔の高すぎる叡智に大きな恐怖心すら覚える。

 一人小さく身震いする中、モモンガたちの話はエ・ランテル侵略後の統治や他の国々への対応にまで進んでいた。

 

「――……そこで、少し相談なのだがね……。世界征服をする以上、いずれは全ての国を吸収或いは属国化させていくことになるだろう。……しかし、帝国については少し対応を待ってほしいのだよ」

「ほう、ウルベルトさんがそんなことを言うのは珍しいな。理由を聞かせてくれるか?」

 

 ウルベルトからの意外な言葉に、モモンガが小さく首を傾げながら問いかける。

 いつもであれば余裕綽々とばかりの態度をとることの多いウルベルトは、しかし今回はどこか迷っているような素振りを見せ、また彼にしては珍しく口調までもがどこか頼りないものだった。

 

「……これと言って理由らしい理由はないのだけれどね……。……言うなれば少し見極める時間が欲しいと思ったのだよ」

「見極める? 何をです?」

「勿論、鮮血帝と呼ばれている現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスについてだ」

 

 ペロロンチーノの問いに、ウルベルトは短く答える。

 山羊の顔にはいつにない神妙な表情が浮かんでおり、ペロロンチーノとモモンガは思わず互いに顔を見合わせた。

 ウルベルトの話によると、鮮血帝は思っていた以上に優秀な為政者であるようだった。デミウルゴスやアルベド……そしてこの世界で言えばリ・エスティーゼ王国の第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフには及ばないものの、それでも頭が非常に回り、智謀にも優れ、何より生まれや身分よりも才能を重視する考え方もできる人物。もしこちら側に引き入れることができれば大いに役立つことが予想され、非常に利用価値があると言えるだろう。

 しかしウルベルトの話を聞くモモンガとペロロンチーノは、彼が鮮血帝を気にしているのは皇帝が優秀な人物で利用価値があるという部分よりも、むしろ帝国の民から慕われているという部分にあるのではないかと何となく予想できた。

 ウルベルトは現実世界(リアル)での経験や過去から、富裕層……延いては王侯貴族に対して並々ならぬ負の感情を抱いている。

 いや、この場合ウルベルトだけでなく現実世界にいた貧民層の殆どの者がそうであっただろう。

 そんな環境の中で暮らしていたウルベルトにとって、国民(貧民)皇帝(富裕層の人間)を慕っているという状況はそれだけ大きな衝撃を彼に与えたのだと予想できた。

 『あの頑固なウルベルトさんの考えを少しでも変えるなんてすごいな~』とモモンガとペロロンチーノが内心で感心する中、そんなことを思われているとは露知らないウルベルトが、まるで言い訳を並び立てるように言葉を吐き出していた。

 

「――……幸い、皇帝はワーカーの“レオナール・グラン・ネーグル”を非常に頼りにし、信頼し始めている。もしこの関係性を上手く使うことができれば、“レオナール・グラン・ネーグル”という存在によって、より良い形で帝国を手に入れることができると思うのだよ」

 

 まるで何かを言われることを恐れているかのように少し顔を俯かせて捲し立てるウルベルトに、久しぶりに人間らしいウルベルトの姿を見たような気がして、その懐かしさに自然とモモンガとペロロンチーノは場違いにも和やかな気持ちになってしまう。

 しかし、それがマズかったのかもしれない。

 ほんわかとした心持ちで柔らかな笑みと共に無言でウルベルトを眺めていたモモンガとペロロンチーノの隙を突き、勘違いカンストの悪魔が突然ハッとしたような素振りを見せた。

 

「……っ……!! ……ま、まさか! いや、ウルベルト様ほどの御方であれば……っ!!」

「「「っ!!?」」」

 

 悪魔からの鋭い呟きに、ウルベルトとモモンガとペロロンチーノはほぼ同時にビクッと肩を跳ねさせる。

 急に湧き上がってきた嫌な予感に三人が戦慄する中、しかしそんなことは知らぬ悪魔は嬉々とした笑みを浮かべて感極まったように両腕を広げてきた。

 

「……嗚呼、ウルベルト様……! これまでの“レオナール・グラン・ネーグル”としての言動やゲヘナ計画でのあのアイテムの利用は、全て帝国掌握のため……法国の世界級(ワールド)アイテムの存在をも加味してのお考えだったのですね!!」

「………は……?」

 

 悪魔が並べ立てる言葉の意味が分からず、ウルベルトが呆けたような声を小さく零す。

 しかし幸か不幸か、その声は悪魔の耳には届いていないようだった。

 そして再び始まった、悪魔による壮大な勘違いから導き出された計画の説明。

 だからどうしてそんな勘違いをしてそんな壮大な計画になるんだ、と声を大にして言ってやりたい。

 加えて、話を聞いてみれば関係ないあれそれが綺麗なまでに一つの計画にちゃんとした意味合いを持って納まっており、その偶然と悪魔の思考が恐ろしくて仕方がなかった。

 

(うっわーい、またすっごいことになってるー……。)

(おい、そもそも何で俺が“幻世界の揺り籠”の存在を想定できてたことになってるんだよ。普通に無理だから! そんなこと考えつきもしてなかったから……!!)

(これって俺とウルベルトさんはまた演技する必要があるやつですよね……。……俺、演技苦手なんですけど……。)

(心配するところはそこですか、モモンガさん? 演技はウルベルトさんに見てもらいましょう!)

 

 あまりのことに思考が追いつかず、最後には投げやりになって現実逃避に陥る。三人ともがもはや『もう、どうにでもしてくれ……』という心境だった。

 先ほどからこの場にいるシモベたち全員から向けられるキラキラとした尊敬の眼差しが非常に痛い。

 『違うんだ、全くそんなことは考えていなかったんだ。その眼差しはむしろデミウルゴスに向けるべきものだよ』と言えたならどんなに良かっただろう。

 しかしたとえ本当に口に出して言えたとしても、決して聞き入れてはもらえなかっただろう。

 三人ができることは、彼らの口にする言葉に全肯定することのみだった。

 

「………デミウルゴスの言う通りだ……」

「「「おおっ!!」」」

「……流石だな、私の考えを全て読むとは……。……えらいぞ、デミウルゴス」

「恐れ入ります!」

「た、ただ、計画通りに動いたとしても本当に結果がその通りになるとは限らない。その際はまたお前たちの助けが必要になるだろうから、その時は頼むぞ」

「至高の御方のご計画が外れるとは到底思えませんが……、畏まりました」

 

(お~い、最初の一言が余計だぞ、デミウルゴス~……。)

 

 厚すぎる悪魔からの信頼と崇拝に思わず遠い目になりながら、至高の主たちは何とか頷いて返す。

 漸く今回の議題の大部分が終わり、ドッと精神的疲労が襲いかかってきたような気がした。

 しかしあと一つ、最後の議題が残っている。

 モモンガは『もうひと踏ん張りだ!』と何とかやる気を振り絞ると、無意識に小さく背筋を伸ばした。

 

「さ、さて、では最後に、今まで法国を中心に動いていたパンドラズ・アクターとニグンに対し、今後の動きについて命じる」

「はっっ!!」

「はい」

 

 モモンガの言葉に、パンドラズ・アクターは大袈裟なまでの素振りで礼を取り、ニグンも畏まった様子で片膝をついて頭を垂れる。

 モモンガは二重の影(ドッペルゲンガー)の行動に一気に萎えそうになるやる気を必死につなぎ止めながら、事前にウルベルトとペロロンチーノと話し合っていた内容を二人に伝えた。

 

「パンドラズ・アクターはこれより“クアエシトール”のメンバーと合流し、新たな地で情報収集を行え。場所は竜王国だ。……何故かは分かるな?」

「はっ! 一つは、周辺国で未だ情報が不確かな国が竜王国、アーグランド評議国、ローブル聖王国の三つであること。その内、聖王国は既にデミウルゴス殿が情報を収集し始めておりますし、評議国は多数の竜王が統治しているという噂があるため危険度が高いと思われます。そのため、まずは竜王国を……というご判断であると愚考いたしましたっ!!」

「その通りだ。また、評議国は亜人の国らしいからな。人間のチームである“クアエシトール”だと行動も制限される可能性がある。竜王国に潜入し、情報を集めよ!」

「はっっ! お任せくださいっ!!」

 

 テンション高いパンドラズ・アクターの反応に、モモンガは耐え切れなくなったのかガクッと大きく項垂れる。

 まるで力尽きたようなその様子に、続きはペロロンチーノが彼に代わって話すことにした。

 

「えっと、それでニグンの方は法国に留まって、戦後処理と統治に関してエルフたちの助けになってあげてくれ」

「はっ、畏まりました」

 

 恭しく頭を下げたまま承知の言葉を発するニグンに、ペロロンチーノは一つ頷く。

 取り敢えず全ての議題が終わったことにペロロンチーノもモモンガもウルベルトも小さく息を吐くと、改めてこの場にいる全員を見やり、モモンガが代表して椅子に座った状態のまま小さく身を乗り出した。

 

「それでは皆、行動を開始せよっ! 解散っ!」

「「「はっ!!」」」

 

 モモンガの言葉に従い、この場にいる全員が一斉に頭を下げる。

 すぐ近くに待ち受けている新たな段階に向け、モモンガたちは改めて気を引き締めながらナザリックのモノたちを見つめていた。

 

 




*今回の捏造ポイント
・“幻世界の揺り籠”:
幻を世界規模でもたらすことのできる世界級アイテム。アイテムの使用者は、アイテム発動時は飲食はできなくなる。幻は使用者が設定する範囲に効果をもたらす。効果期間は最長三カ月。


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第79話 闇に蠢く

今回は再び“番外席次”ことアンティリーネちゃんが登場します!
まだ原作16巻は未読状態で書いているので、アンティリーネちゃんのキャラが原作と違う恐れがあります……(汗)
キャラ崩壊になっていたら申し訳ありません……(土下座)

また、今回も例の如く視界や場面がコロコロ変わります。
読み辛かった場合は申し訳ありません……orz


 冷気漂う薄暗い空間。

 普段であれば静寂の中に響くのは時折天井から滴り落ちる水滴の音のみなのだが、現在は数多の悲鳴がこだまする大変騒々しくも賑わった状態になっていた。

 『薄暗い』『冷気が漂っている』『多くの悲鳴が響いている』の三拍子はまるでお化け屋敷を連想させる。

 何とも憂鬱になりそうな状態になっている二階建ての洋館……ナザリック地下大墳墓第五階層にある氷結牢獄では、今まで第九階層にあるモモンガの執務室で戦後処理の書類を捌いていたペロロンチーノが、精神的疲労からの息抜きとして訪れていた。

 たとえ肉体的疲労がなかったとしても、精神的疲労はどうしても溜まるし、発散しないとどうしようもない。

 永遠に続くのではないかと錯覚するほどに次から次へと届けられる書類の山に、ペロロンチーノは遂に集中力を切らせて逃げるようにこの場に来たのだった。

 因みにモモンガとウルベルトはどうしているかというと、こちらもこちらで息抜きとして違う作業を行っている。先日の定例報告会議でデミウルゴスからの勘違い計画を受け、二人はモモンガの執務室に残って演技練習と指導に励んでいるはずだ。

 頭を抱えていたモモンガの姿を思い出して心の中で合掌しながら、ペロロンチーノは真っ直ぐに洋館の奥へと突き進んでいった。

 彼が向かっているのは、この洋館で最重要場所というべき“真実の部屋”。

 彼の後ろには漆黒の全身鎧(ヘルメス・トリスメギストス)を身に纏ったアルベド、“深紅の翼鎧(クリムゾン・ウィングアーマー)”を身に纏ったシャルティア、そして黄金の手甲やネックレスなどを装備したコキュートスが付き従っている。

 何とも仰々し過ぎる面々と様相に、しかし今から会おうとしている人物を思えば、この対応も致し方ないだろう……とペロロンチーノは既に諦めていた。

 目的の部屋の扉まで辿り着き、手の甲で軽くノックする。

 一拍後、内側から開いた扉の隙間から不気味な悪魔が顔を出し、こちらの存在に気が付くと慌てた様子で扉を大きく開けて横に寄り、そのまま地面に傅き深々と頭を垂れさせた。

 

「ご苦労様」

 

 できるだけ相手を威圧しないように軽い口調で声をかけ、ペロロンチーノは扉を潜り抜けて室内へと足を踏み入れる。

 傅いた状態のまま微動だにしない拷問の悪魔(トーチャー)の前を通り過ぎると、こちらの訪問に気が付いて歩み寄ってくる脳食い(ブレイン・イーター)に声をかけた。

 

「やぁ、ニューロニスト。突然来ちゃってごめんね」

「とんでもございません! ようこそおいで下さいました、ペロロンチーノ様ん」

 

 その場に傅いて頭を下げる脳食いに、作業を邪魔してしまったような気がして申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

 ここはさっさと話を進めてしまおうと判断すると、ペロロンチーノはまずは許可を与えてニューロニストを立たせた。

 

「今日は、ここに幽閉しているアンティリーネちゃんと話しをしようと思ってきたんだけど、大丈夫かな?」

「勿論でございます! どうぞ、こちらへ」

 

 伺いをたてるペロロンチーノに、ニューロニストは勢い良く首を縦に振って少しこちらに身を乗り出してくる。しかしすぐさま落ち着きを取り戻すと、次には恭しく礼を取って奥へと招いてきた。

 ニューロニストを先頭に、ペロロンチーノは“真実の部屋”の更に奥にある通路へと進んでいく。

 先ほどの拷問道具が並ぶ部屋とは打って変わり、そこは鉄格子のはまった扉が連なる長い廊下。

 四方八方から聞こえてくる悲鳴やすすり泣きや慟哭の声に、ペロロンチーノは内心で『うるさいな~』と独り言ちた。

 この世界に来て鳥人(バードマン)となった時から、相手が人間だろうが何だろうが、ナザリック以外の存在がどんなに悲惨な目に遭っていようと心は一切揺れ動くことはなくなっていた。それが心から愛する幼女や美少女であったならまた別なのだが、それ以外はもはや論外だ。自分の変わり果てた心境に『なんだかな~』とどこか諦めたような達観したような、何とも表現し辛い感情を湧き上がらせる。

 ペロロンチーノは内心で大きなため息を吐きながら、ニューロニストの案内に従って騒々しい廊下を抜け、最奥にある一つの部屋に辿り着いた。

 扉の前には一体の拷問の悪魔が門番のように立っており、こちらの存在に気が付くと深々と頭を垂れてくる。しかしニューロニストが声をかけてここに来た理由を話すと、拷問の悪魔は下げていた頭を上げて一つ頷き、腰に垂れさせている鍵束に手をかけた。数十本はあるだろう幾つもの鍵の中から迷いなく一本を選び取ると、自身が立っている背後の扉へと向き直り鍵穴に差し込む。

 見た目は錆びついている様にしか見えない鍵穴に、しかし鍵はスムーズに動いて鍵の開く音が響いた。

 扉が滑らかに動いて開き、まずはニューロニストが部屋の中へと足を踏み入れる。そして扉のすぐ傍で立ち止まり頭を下げてくる脳食いに、ペロロンチーノはそれに促されるように室内へと足を踏み入れていった。

 室内には今まで以上に強い冷気が漂っており、家具や装飾の一切ない石の壁も天井も地面も全てが白く凍っている。部屋の壁の両側には四体の雪女郎(フロスト・ヴァージン)が向かい合うように二体ずつ並んで立っており、一糸乱れぬ動きで静々とこちらに頭を下げてきた。

 しかしペロロンチーノにしては珍しいことに、彼の目は雪女郎を通り過ぎて部屋の最奥に座り込んでいる存在に向けられていた。

 この部屋に唯一ある“物”である手枷に繋がれ地面に座り込んでいる少女が、ゆっくりと顔を上げて色違いの双眸をペロロンチーノに向けてきた。

 

「……こんにちは、アンティリーネ・ヘラン・フーシェちゃん」

 

 鎖に繋がれた状態で部屋の最奥にいたのは、スレイン法国の漆黒聖典“番外席次”であるアンティリーネ・ヘラン・フーシェ。

 少女の顔は能面のように無表情を浮かべており、しかしその華奢な身体は小刻みに震え、所々凍ったように白くなって凍傷も至る所で起きているようだった。

 

「………あなたは……、確か、神都で会ったわね……。……名前は、何だったかしら……」

「ペロロンチーノだよ。今日は君と話がしたくて来たんだ」

「……そう……」

 

 アンティリーネの反応はどこまでも淡白で抑揚がない。どちらかというと何に対しても興味がないと言ったところだろうか。

 ペロロンチーノのことも、後ろに控えている守護者や雪女郎やニューロニストたちのことも、この場がどこで何であるのかも、自分の今後の行く末に対してさえも、何も……。

 何が彼女をこんな状態にさせているのかが分からず、ペロロンチーノは小さく首を傾げながらも注意深くアンティリーネを見つめた。

 

「……えっと、まずは情報の聴取に素直に応じてくれてありがとう。いろいろ教えてもらえて、とても助かってるよ」

「……別に、気にしなくても良いわ……。………あの国が滅んだ今、私には今更何もないもの……」

「……? あの国っていうのは法国のことだよね……? すごく不思議なんだけど、君はどうしてそんなに法国が大切なの? 法国が君にしたことを思えば、むしろ恨むと思うんだけど……」

 

 どうしてもアンティリーネの考えが理解できず、ペロロンチーノは更に首を大きく傾げながら眉間に皺を寄せた。

 アンティリーネは法国の重要人物だったらしい女性とエルフの元国王の間に生まれたハーフエルフであるらしい。法国は人間至上主義の国であり、それを思えばアンティリーネの存在は法国にとっては許しがたいものだっただろう。一部の存在が彼女のことを“禁忌の忌み子”とまで呼んでいたのだ、人間以外の他種族に対する蔑視は根が深く非常に強いことが窺い知れる。

 加えて彼女はユグドラシル・プレイヤーである六大神の神の血を目覚めさせた“神人”でもあるらしく、それもあって生まれた時からその存在は外部に隠され、軟禁されていたらしい。

 いや、この場合は軟禁と言うよりも監禁と言った方が正しいだろうか……。

 これだけでもペロロンチーノにとっては顔を思い切り顰める事態なのだが、それに更に加えてペロロンチーノはアンティリーネの強さや戦い方について非常に気になることがあった。

 法国の神都でシャルティアとデミウルゴスとマーレの三人と戦っていたアンティリーネ。

 彼女たちの戦いをペロロンチーノは全部見ていたわけではなかったが、それでも彼女が守護者クラスとある程度渡り合えるほどの高レベルの存在であることは見てとれた。

 たとえ“神人”という存在だとしても、生まれた時から高レベルだったということはないだろう。今のレベルになるまでに、それなりの経験値を積んできたはずだ。また戦い方にしても、アンティリーネの動きはただの高レベルの肉体能力頼みの初心者のものではなく、それなりの戦闘経験を積んだ者の動きであることが見受けられた。

 しかしそうなると、その経験をどこで、どうやって積んだというのか……。

 “禁忌の忌み子”と忌避され、監禁されて外に出ることすら許されず、しかし法国では最上の強さを持っている少女。

 その不自然さとアンバランスさが嫌な想像を浮かばせ、大きな不快感が湧き上がってきた。

 まるで忌避している存在を利用して戦闘兵器(道具)を作ったような……。

 それは自身の子供を兵器と見なし、多くの女性を強い子供を産み落とすための唯の道具と見なしていた元エルフ王に通ずるものがあるように思えて、ペロロンチーノは思わず大きく顔を顰めた。

 しかしその表情は黄金の仮面によって隠れているため、目の前の少女はそれに気が付くことなく無機質な色違いの双眸を静かに向けるだけだった。

 

「……恨んだって、仕方がないわ。……私は……あそこでしか生きていけないんだから……」

「……………………」

 

 淡々と紡がれる声音にはどこまでも感情が宿っておらず、彼女が事実を語っていることがひしひしと伝わってくる。

 正直、ペロロンチーノには彼女の言葉が真実であるかどうかは分からない。もしかしたらそれは彼女の勘違いでしかなく、彼女の生きられる世界は無限に広がっているのかもしれない。

 ただ、彼女の言葉が真実であるにしろないにしろ、彼女がそれを事実だと信じきってしまっていること自体が無性に悲しかった。

 

「………ねぇ、じゃあさ……、俺たちと一緒に生きるのはどうかな……?」

「「「……っ……!?」」」

「ペ、ペロロンチーノ様……!?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、この場にいる全てのモノが驚愕の表情を浮かべてこちらを振り返ってくる。特に驚愕の表情を露わにしたのはシャルティアで、彼女は焦ったようにペロロンチーノを見上げてその名を呼んできた。

 しかしこれまた彼にしては珍しいことに、ペロロンチーノは自身の理想の嫁であるシャルティアにすら視線一つ向けることなく一心にアンティリーネだけを見つめていた。

 それは何もシャルティアを疎かに扱ったとか、アンティリーネに心を奪われていたとか、そういったことでは一切ない。ただペロロンチーノは急に湧き上がってきた直感に従っているだけだった。

 『彼女を理解し、彼女との何らかの繋がりを結ぶためには、絶対にここで視線を外してはならない』……。

 何故か強烈にそう確信したため、ペロロンチーノは真っ直ぐにアンティリーネだけを見つめ続けていた。

 仮面越しでもその視線には気が付いているのだろう、先ほどまで驚愕に見開いていた色違いの双眸がいつもの無機質なものに戻り、じっとペロロンチーノを見つめてくる。

 無言のまま互いを見つめ続けるペロロンチーノとアンティリーネ。

 暫く続く静寂の中、不意に初めて目の前の少女の表情が動き、のっぺりとした薄い笑みに唇の端がつり上がり、大きな双眸が不気味に細められた。

 

「……随分と、おかしなことを言うのね……。私は……実の母親にすら存在自体を否定されていた。……利用価値がなければ、存在する価値すらない。……そんな私を、側に置こうというの……? それとも、次はあなたたちの役に立てということかしら……?」

 

 ほの暗い笑みを浮かべて、まるでこちらを挑発するような言葉を投げかけてくる。

 瞬間、シャルティアとアルベドが剣呑な気配を帯びてアンティリーネを睨み付ける中、しかしペロロンチーノはどこまでも落ち着いた様子で少女を見つめていた。

 

「勿論、俺たちのために力を貸してくれるのなら嬉しいよ。でも、俺はそれ以前に役に立つ役に立たない関係なく誘ってるんだよ」

「利用価値がないのにこの私を勧誘するなんて、ありえないわね……」

 

 まるで『そんな見え透いた嘘に騙されるわけがない』と言わんばかりに嘲笑を浮かべる少女に、ペロロンチーノはどこまでも静かにその笑みを見つめる。

 暫く無言でいた後、徐にため息にも似た小さな息を吐き出してゆるゆると頭を振った。

 

「……俺たちは“アインズ・ウール・ゴウン”。これは元々、人間たちに存在を否定されて差別され、殺されかけたモノたちが集まって創設したギルドなんだ。言い方を変えれば、はぐれ者の集まりって感じかな。だから……うん、……多分、俺は君と仲良くなりたいんだ」

「……………………」

 

 今までで一番柔らかな声音で思いを語るペロロンチーノに、アンティリーネは何を思ったのか浮かべていた笑みを消して黙り込んだ。無表情ではあるものの、一番最初から浮かべていた無機質なものとは少し違う。まるで何かを考え込んでいるかのような表情に、『少しは信じてもらえたかな……』と心の中で安堵の息を吐く。

 しかし肝心なことを伝え忘れていたことに気が付いて、ペロロンチーノは慌てて再び嘴を開いた。

 

「あっ、で、でも、こんな事を言っておいてなんだけど、これは決定事項じゃないんだ。俺の他にも俺と同じ権限を持っている人が二人いて、その二人が納得してくれないと、君を仲間に迎え入れるのは難しいと思う。勿論、全力で説得するつもりではいるけど、まず俺が本気で君を勧誘していることは知っておいてほしいんだ」

 

 モモンガもウルベルトも頭ごなしに反対してくることはないだろうが、しかし快く賛同してくれるかは少し不安が残る。超慎重派のモモンガは彼女を仲間に加えることによって齎されるかもしれない危険性を懸念するだろうし、ウルベルトもペロロンチーノでは予想もできないようなことを言ってくる可能性がある。

 これは十分に対策をしていく必要があるな!と勝手にアンティリーネを“アインズ・ウール・ゴウン”に引き入れる気満々になっているペロロンチーノに、不意に少女の小さな声がポツリと聞こえてきた。

 

「………私と仲良くしたいだなんて……、後で後悔しないと良いわね……」

 

 今や少女の視線はペロロンチーノから離れ、自身の足元の地面をじっと見つめている。

 どこか寂しそうに聞こえる声音に、ペロロンチーノは仮面の奥で柔らかな笑みを浮かべた。

 

「後悔なんて絶対にしないよ。俺は他の二人を説得できるように頑張るから、君も前向きに考えてくれると嬉しいな」

「……。………考えておいて、あげる……」

「うん、ありがとう」

 

 再びポツリと呟かれた言葉にペロロンチーノは大きく頷くと、今日はここまでにして踵を返した。漸く雪女郎たちに目を向け、『後はよろしくね』と声をかけて部屋から出ていく。

 ペロロンチーノの後ろにはアルベド、シャルティア、コキュートス、ニューロニストが付き従い、全員が部屋を出た後に拷問の悪魔が扉を閉めて再び鍵をかけた。

 

「手間を取らせて、ごめんね。今日はありがとう」

「とんでもございません! ペロロンチーノ様並びに至高の御方々のために動くのは当然のことでございます!」

「あー…、うん、嬉しいよ……。えっと、取り敢えず、あの子への拷問は今後は禁止。情報収集は引き続きしてもらうけど、拷問はしないようにしてあげてくれ」

「畏まりましたん、ペロロンチーノ様ん」

「シャルティアとアルベドとコキュートスも今回は付き合ってくれてありがとう。折角だから、仕事に戻る前に一緒にお茶でもしようか」

「……! は、はい!」

「喜んで同伴させて頂きます!」

「コノヨウナ機会ヲ頂ケルトハ……! 感謝イタシマス、ペロロンチーノ様!」

「そんな大袈裟だな~。じゃあ、折角だから九階層のバーにでも行こうか」

 

 一気にテンションが上がった守護者たちに小さく笑いながら、ニューロニストたちに別れを告げて足を踏み出す。

 全てを白くけぶらせる冷気をかき分けるように歩きながら、ペロロンチーノはモモンガとウルベルトに対する説得方法について考えを巡らせるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わり、ここはリ・エスティーゼ王国の王都に聳え立つロ・レンテ城。

 城壁に取り囲まれた広大な敷地内に存在するヴァランシア宮殿にて、現在宮廷会議が執り行われていた。

 大きな一つの室内に集っているのは王族の四人と王の剣であり盾である王国戦士長。そして大貴族とそれに連なる名だたる多くの貴族たちだった。

 玉座に座るのは、白髪と白く豊かな髭、そして多く深く刻まれた皺が威厳を漂わせている現リ・エスティーゼ王国国王ランポッサ三世。

 王の傍らには王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフが不動で立ち、更に王の両側には王の子である第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ、そして第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフがそれぞれ椅子に腰を下ろして貴族たちと向かい合っていた。

 一方、王族たちと向き合う貴族たちは誰一人として座っている者はいない。

 六大貴族と称される大貴族を先頭に、彼らそれぞれの派閥に与する貴族たちがその後ろに並ぶように立っていた。

 今回彼らが話し合っているのは毎年行われる帝国との戦について。

 今年も例に漏れず帝国から宣言文が届けられ、その対応をどのようにするか話し合うべくこの場が設けられた。

 王から見て部屋の右半分の場を占める貴族派閥の貴族たちの最前列……横一列に並び立つ六大貴族の一番端に立ちながら、エリアス・ブラント・デイル・レエブンは冷めた目でこの場に集う面々を見ながら口々に語られる言葉に耳を傾けていた。

 

「――……まったく、帝国も毎年毎年飽きないものですな」

「そうですな。こちらも毎度帝国の侵攻を撃退するのはいい加減飽きてきました」

「ここは帝国の奴らを一気に撃退し、そのままの足で帝国に攻め込むのも一興ですな!」

「まさに! 帝国の愚か者共に、我らの恐ろしさを知らしめるべきですね!」

 

 朗らかな笑い声と共に繰り広げられる会話。

 まるで見栄を張る子供のようなその内容に、レエブン侯は表情は一切動かさないまでも内心では苦々しい感情のままに大きく舌打ちをしていた。

 毎度のことながら、このお決まりのように繰り広げられる会話の呑気さと馬鹿さ加減に反吐が出そうになる。加えて、王国がかなり追い詰められている現状にこの場にいる殆どの者が一切気が付いていない事実にひどく頭が痛くなった。

 帝国は毎年同じ時期に王国に戦を仕掛けてくる。その度に王国もそれ相応の対応をしてきたのだが、そもそもその対応の方法がマズかった。

 帝国は騎士という専業戦士を多く所有しているが、王国にはそんなものはない。確かに城や各都市を守る王国兵や戦士長率いる戦士団もいるにはいるのだが、その数も練度も帝国の騎士とは雲泥の差が存在した。いや、戦士団の練度は帝国騎士よりも上かもしれないが、こちらは数が圧倒的に少ない。もし王国兵と戦士団だけで帝国騎士に対峙した場合、結果は火を見るより明らかだろう。

 王国は帝国に敗れ、大きな損害を受けて一気に国力が低下する……。

 ならば王国が帝国に抗するためには圧倒的な数を揃えるしかない。王国はその数を平民に求め、多くの王国民の男たちは帝国と矛を交えることになる度に徴兵されて戦場に赴くようになっていた。

 しかし今思えば、これは全て帝国の思う壺だったのだろう。

 帝国が宣戦布告をしてくるのはいつも収穫の時期であるため、王国が多くの王国民を徴兵するのも必然的に収穫の時期になる。収穫の時期に多くの男手がいなくなることがどれだけの痛手になるかは、どんな馬鹿でも分かることだろう。加えて一か所に多くの人間を一定期間集め留めておく場合、その期間多くの食料や物資が必要となる。収穫時期に男手が少なくなることで収穫できる量が減るというのに、一方では食料の備蓄がどんどん減っていくという最悪な状況が毎年起こっているのだ。

 普通に考えれば、いつ国が破綻してもおかしくない事態だ。

 だというのに何故こうも目の前の馬鹿貴族共は呑気なのかというと、『敵対派閥を追い落とすまでの辛抱だ』と本気で思い込んでいるためだった。

 レエブン侯としては『そんなことあるかっ!!』と声を大にして言ってやりたい。同時に、何故こうも馬鹿しかいないのか……と頭を抱えたくなった。

 恐らくこの場で王国の現状をきちんと把握できているのは自分と国王と第二王子と第三王女しかいないだろう。

 貴族たちは自分以外の六大貴族を含め、尽く権力争いにのみ精を出している。六大貴族の一人であり王派閥に属しているブルムラシュー侯などは、密かに王国の情報を帝国に売り渡して私腹を肥やしている始末だ。

 次から次へと湧き上がってくる苛立ちと苦々しさに、噛み締めている顎が痛みを訴えてくるほどだ。

 未だ目の前で繰り広げられている馬鹿丸出しの会話に表情が引き攣りそうになるのを何とか堪えながら、レエブン侯はいい加減現実的な話をするべく口を開いた。

 

「……帝国に侵攻する話はこのくらいにして、まずは帝国の軍をいかに迎え撃つかを考えましょう」

 

 いい気分で話していたところに水を差され、意気揚々と声を上げていた貴族たちが一様に不満や苛立ちの視線をこちらに向けてくる。しかし水を差したのがレエブン侯だと知るや否やすぐさま表情を通常のものに戻してそそくさと視線を外す貴族たちに、レエブン侯は内心でフンッと鼻を鳴らしながらも玉座に座るランポッサに目を向けた。

 

「陛下、帝国が今年も侵攻してくるのであれば、我々も備えなくてはなりません」

「レエブン侯、陛下のみで……」

「お待ちを。もしそれで陛下の軍が敗れた場合、帝国はどこまで侵攻してくると思われますか? 私は自分の領土を守るために、全力で陛下に協力させて頂きます」

 

 何かを言いかけた貴族派閥の貴族の言葉を遮り、きっぱりとした口調で言い切る。力強くも緊張を孕んだ彼の声音に、この場にいる全員が口を閉ざして黙り込んだ。

 先ほどもあったように帝国に対抗するためには、王国側は数を揃えるしかない。もし貴族たちが協力せず国王の勢力のみが戦場に立って帝国に敗れた場合、王国は大きな損害を受けてしまうだろう。そしてもしそうなった場合、帝国が国王軍を破っただけで満足して引き返してくれるとは限らない。いい加減決着をつけてしまおうと、そのまま侵攻を続ける可能性も十分考えられるのだ。勢いづいた帝国の軍を止めるのは至難の業であり、戦火がどれほど広がるかも分からない。ならばこの場にいる全員が協力して帝国に対抗し、王国国内に帝国軍を一人たりとも踏み入れさせないようにするのが一番効率的かつ損害を少なく済ませる方法だった。

 他の貴族たちもこれくらいは考えられる頭を持っていたのだろう、次々にレエブン侯の意見に同意する言葉を発し、最後にはこの場にいる全員が協力することに同意した。

 

「よし。では帝国への返答を遅らせるので、宣戦布告が届く前に兵を……恐らくは戦場は例年の場所になるだろうから、あの地に集めよ。当然、私も出る」

 

 貴族たちからの全員の同意を受けられたことでランポッサも力強く頷き、この場にいる全員に指示を出す。

 誰もが一様に一礼する中、不意に貴族派閥に属する一人の貴族が何かを思い出したような素振りを見せた。

 

「……そういえば…、帝国との戦について最近一つの噂が流れておりましたな。確か、帝国に拠点を持っているワーカーが今回の戦に参加するとかなんとか……」

「ああ、そんな噂もありましたな」

 

 他の貴族たちも同意するように頷き、チラッと王派閥の貴族たちの方に視線を向ける。

 王派閥に属する貴族の多くもその噂については耳にしているのだろう、大なり小なり殆どの貴族たちが苦々しい表情を浮かべた。

 

「……確か、先日の悪魔騒動の折に活躍したワーカーだったかと記憶しておりますが……」

「そうじゃな。そのワーカーに間違いない……」

 

 六大貴族の一つであるペスペア侯が記憶を探るような素振りを見せながら言葉を濁し、同じく六大貴族の一つであるウロヴァーナ辺境伯が重々しく頷いて肯定して見せる。

 ペスペア侯もウロヴァーナ辺境伯も王派閥に属する六大貴族であり、ペスペア侯は六大貴族の中では一番年若く美しい青年だった。また、彼は国王の長女を娶っているということもあり、派閥関係なく多くの貴族から次期国王にと推されている人物でもあった。一方、ウロヴァーナ辺境伯は六大貴族の中でも最古参であり、誰よりも歳を積み重ねたその風貌はある種の威厳を漂わせていた。

 二人とも六大貴族の中でも特に影響力の高い者たちであり、そんな彼らの言葉は多くの貴族たちの関心を集めた。

 徐に騒めき始める貴族たちの会話や様子を観察しながら、レエブン侯もまた噂の内容や噂の人物について思考を巡らせた。

 貴族たちの言う噂とは『帝国を拠点にしている“サバト・レガロ”というワーカーチームが今年の王国との戦に参加する』というもの。

 レエブン侯自身も聞いた記憶のある噂であり、その噂を初めて耳にした時点ですぐにその信憑性を調査していた。しかしどんなに調べようと、その噂が本当なのかどうかすら分からず、時間ばかりが過ぎてしまっていたのだ。

 数か月前に起こった悪魔たちによる王都襲撃の折に言葉を交わした男の姿を思い出す。

 レエブン侯の目から見ても誰もが振り返る美男子であり、その口調は非常に丁寧で始終穏やか。物腰も柔らかで優雅さもあり、少し皮肉気な口調ながらも全体的に強い気品を感じる人物だった。

 レエブン侯が彼と言葉を交わしたのは数度しかないが、それでも彼の男が人間同士の争いに率先して参加しようとするとは思えない。

 そう思う一方で、あの悪魔たちを退けられるほどの実力を持っている人物が帝国の勢力()として立ち塞がってくるかもしれないということに恐怖が湧き上がっていた。

 

「確かそのワーカーは陛下から短剣を戴いていたのではなかったか? そうでありながら王国に弓ひくとは痴れ者がっ!!」

「そもそも冒険者だけでなく、ワーカーもこういった人間同士の争いには参加しないのが暗黙の了解だろう。組合(ギルド)に所属している訳ではないから冒険者ほど縛りが強いわけではないだろうが……やはりガセではないのか?」

 

 多くの憶測が飛び交うも、そのどれもが想像の域を出ない。

 ガセであればどんなに良いことか……と苦々しく考える中、貴族派閥の前列から太々しいドラ声が響いてきた。

 

「ふんっ、何を弱気になっている! 相手は高が魔法詠唱者(マジックキャスター)であろう! 悪魔を退けた実力は認めるが、後方から魔法を打つだけの者など恐れるに足りぬわっ!!」

 

 声を張り上げたのは、六大貴族の一つであり貴族派閥の筆頭とも言うべき存在であるボウロロープ侯。

 顔に多くの傷跡がある戦士のような風貌の男であり、威風堂々とした態度で放たれた言葉に他の貴族たちも同意するように笑みを浮かべて何度も頷き合った。

 貴族たちは実際に戦う者たち……衛兵や傭兵や冒険者などとはあまり接点がなく、魔法といった自分たちでは使うことのできない方法で戦う魔法詠唱者(マジックキャスター)に対しては特に『大したことはない』と考えがちで軽視しやすい。帝国のように大魔法詠唱者(マジックキャスター)といった存在がいない王国では特にその傾向が強いと思われた。

 確かに剣や槍……武器で戦う戦士や剣士の方が非常に分かりやすく、強さの度合いも想像がしやすい。魔法もそれぞれ位階によるレベルでの枠組みはあるものの、魔法詠唱者(マジックキャスター)の力量によって同じ魔法でも威力が上下する場合も多々あるため、非常に分かり辛い部分があった。

 また、王国の貴族たちは魔法に限らず弓矢といった遠距離から攻撃する後衛職全般に対して軽視する傾向が強い。

 つまり『遠距離後方からチマチマと攻撃するなど卑怯者のすることで、臆病者の証だ。どうせ弱いに決まっている』という考えが強く定着してしまっているのだ。

 第二王子であるザナックなどは『そういった考え方も変えていき、魔法にも力を入れていきたい』と言っていたが、レエブン侯としては――十分理解でき、且つ非常に同意見ではあるが――まだまだ時間のかかる非常に難易度の高い試みであると言えた。

 現状、ボウロロープ侯や貴族たちの反応こそが王国にいる王侯貴族の殆どの者が持つ認識だろう。

 しかし元オリハルコン級冒険者チームを配下に持ち、彼らから多くの話を聞いているレエブン侯からしてみれば、それは非常に危険な考えだと言えた。

 とはいえ、そんな考えを持つレエブン侯とて、一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)が一つの大きな戦場に対してどこまでの影響をもたらすのかはイメージがし辛く、どこまで警戒すべきなのかも判断できかねている。こんな状態では、自分がどんなに言葉を尽くして説得したとしても、誰も耳を貸すことはないだろう。

 しかしそうは思うものの、あの王都の外れで別れの挨拶を交わしたレオナール・グラン・ネーグルの姿を思い出す度に、言いようのない嫌な予感がじわじわと足元から這い上がってくるような感覚に襲われていた。

 

「……ふむ、確かにその噂の内容は気になるところだが、我々が帝国に対して行う大まかな対応は変わらぬだろう。とはいえ、このような噂が流れた以上、帝国がこれまでとは違う行動をとる可能性は十分に考えられる。各々、そのことも念頭に置きつつ準備を進めてくれ」

 

 噂が本当かどうかも分からぬ以上、ランポッサもこれ以上のことは言えないのだろう。

 “臆病者の国王”という印象を持たれないギリギリのラインで警戒を促す国王の言葉に、レエブン侯は王国のあり様に内心で大きなため息を吐きながらも、周りの貴族たちと共に大きく頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……まったく、どいつもこいつも煩わしい者たちばかりだっ!!」

 

 薄暗い闇の中で怪しくも美しい光が灯っている室内に、苛立ちに満ちた荒々しい声が響いて消える。

 王国王都の地下に最近造られた怪しくも非常に魅惑的な闇の交流場にて、一人の男が乱暴な動作で高級ワインが注がれているガラス製のグラスを大きく傾けていた。

 男が現在いるこの部屋はいわゆるVIPルームというもので、限られた選ばれた者しか立ち入りを許されていない場所だった。他の部屋に比べて非常に魅力的な最高の待遇ともてなしを受けることのできるこの部屋において、しかし男は苛立ち冷めやらぬとばかりに酒を煽っては罵声を飛ばしていた。

 鍛えられた大きな体躯に、綺麗に切り揃えられた金色の髪と髭。身に纏う衣服はどれも一級品であり、しかし男の動作は非常に荒っぽく品の欠片も見られない。

 しかし本人はそれに気が付いているのかいないのか……変わらぬ粗野な動作で酒を煽り続けていた。

 男――この国の第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフは数刻ほど前のことを思い出しては苦々しく顔を歪めて大きな舌打ちを零していた。

 数刻前……宮廷会議が終わった後に父であるランポッサや弟であるザナックと交わした会話の内容が頭から離れない。

 今回の帝国との戦に同行することを伝える自分に、ランポッサもザナックも危険だと反対してきたのだ。ザナックなどは『代わりに自分が行く』とまで言ってくる始末。バルブロからしてみれば『剣に振り回されることしかできない身で何を言っている』としか思えなかったし、そんな男が戦場に出たとて役に立つとも思えない。第一王子であり、次期国王は自分であるはずなのに、見るからに次期国王の座を狙っているザナックの言動が鬱陶しくて仕方がなかった。

 

「父上も父上だ! 魔法詠唱者(マジックキャスター)が一人帝国側に加わった程度であのように怖気づくなどっ!!」

 

 バルブロは顔を大きく顰めると、ダンッと力任せにグラスを持っている手をテーブルに打ち付けた。

 宮廷会議の時にも出てきた噂の魔法詠唱者(マジックキャスター)。その存在をやけに気にしているようだった父王の姿を思い出し、バルブロは苛立ちに任せて大きく舌打ちをした。

 ランポッサは実際にレオナールが悪魔の総大将である“御方”と戦っているところを見たため、彼が今回の戦に出てくるという噂に対して非常に警戒心を持っていた。

 そのため我が子の安全を考えて今回の戦場には来ないように言っていたのだが、バルブロの目からはたった一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)を怖がっている臆病者にしか見えなかった。

 

 

 

「――……おやおや、随分と荒れていらっしゃいますね。何か嫌なことでもございましたか、バルブロ様?」

 

 そこに不意に聞こえてきた一人の男の声。

 再び酒を煽ろうとグラスを持ち上げていた手が止まり、バルブロの目が声が聞こえてきた方に向けられた。

 

「……ああ、お前か。随分と久しぶりだな」

「ご無沙汰をしておりました、バルブロ様。少々仕事が立て込んでおりまして」

 

 室内に現れたのは幸薄そうな痩せ型の男。

 物腰柔らかでありながら非常に気弱そうなこの男は、貴族や商人などではなくこの施設の関係者の一人だった。決してこの施設で働く従業員ではないのだが、彼は時折酒やつまみを乗せた盆を手に、給仕まがいのことをしながらバルブロの下を訪れていた。

 今も男の手には一本のワインボトルとナッツ類が盛られた器を乗せた盆が握り締められており、男はバルブロの目の前のテーブルにそれらを置くと、すぐ傍らの床に片膝をついて話す姿勢をとった。

 

「何やらご心労が強いご様子。宜しければ、先日お試しいただいたモノをお持ちいたしましょうか?」

「……いや、いい。今はそんな気分ではない」

「おや、それは由々しきことでございますね」

 

 バルブロの言葉が余程意外だったのか、男はいつもはひどく垂れ下がっている瞼や目尻を大きく見開かせて驚愕の表情を浮かべてくる。

 しかし男のこの反応は当然のものであり、仕方がないことだった。

 なんせこれまで男が提供するものに対し、バルブロはその全てに頷き、そして体感後はいつも満足に満面の笑みを浮かべていたのだ。だというのにバルブロは初めて男の提供を拒否した。これは男の言葉通り“由々しき事態”であると言えた。

 

「バルブロ様がこのように思い悩んでおられるのを見るのは心が痛みます。宜しければ、このフロドゥールに理由をお聞かせ願えませんか?」

 

 男の声は別段美声という訳ではなく、深みもなく、どちらかというと浅く平坦な分類に入る。しかしその声音は不思議と甘く魅惑的にバルブロの耳に響き、まるでスルスルと心地良く入り込んで心に染み渡るようだった。

 その声音に一種の安らぎのようなものを感じながら、バルブロは一度大きなため息を吐き出した。

 

「……今年の帝国との戦に俺が参加することを、父上と愚弟が反対してきたのだ」

「バルブロ様は大切な王子殿下であらせられますし、次期国王になられる御方でございます。国王陛下と第二王子殿下が反対されるのも、バルブロ様を思ってのことでございましょう」

「いいや、違う! 少なくともあの愚弟は俺の地位を狙っているのが丸わかりだっ!! 最終的には帝国の戦に参加することを何とか認めさせたが、父上が愚弟の意見に耳を貸し、俺の意見には耳を貸して下さらないこと自体が腹立たしい!!」

「なるほど。……つまりバルブロ様は、“国王陛下が第二王子殿下に肩入れしているのが気に入らない。もしや国王陛下はバルブロ様にではなく第二王子殿下に玉座をお譲りするつもりなのではないか”……と不安に思っていらっしゃるのですね?」

「……っ……!!」

 

 フロドゥールに核心を突かれ、バルブロは思わず息を詰まらせた。

 そうだ、自分は恐ろしいのだ。

 次期国王は自分であるはずなのに、自分よりも劣っているはずの弟がその座を狙っている。

 そして自分の味方であるはずの父王までもが、弟の肩を持っているのではないかということが……。

 思わず両手の拳を握り締めて奥歯を噛みしめるバルブロに、不意にフフッ……と小さな笑い声が聞こえてきた。

 反射的にそちらを振り返れば、いつものトロンと垂れたフロドゥールの目と目が合った。

 

「恐らく国王陛下は先日の悪魔騒動の折に共に戦場に立った第二王子殿下を頼もしく思っていらっしゃるのでしょう」

「……っ……!! そのようなこと! 俺とてあいつと同じだけの……いや、あいつ以上のことができるっ!!」

「ええ、勿論ですとも。ですので何もご不安に思う必要はございません。要はバルブロ様の方が最も次期国王に相応しいということを国王陛下に見せ、分かって頂ければ宜しいのですよ」

「………その口ぶり……、何か良い案があるとでもいうのか?」

 

 余裕のある柔らかな笑みを浮かべる男に、ここで漸くバルブロの苛立ちが和らいでくる。

 この男の思考に興味が湧き、無意識に男に向けて小さく身を乗り出していた。

 

「バルブロ様は剣の才は第二王子殿下より勝っておりますが、知略の部分で言うと第二王子殿下の方が秀でている……。……そうお考えなのでしょう?」

「……っ……!! ……た、確かに、そう思わないでもない……。し、しかし私の方が戦場では役に立つはずだ!!」

「ええ。このフロドゥールもそれは確信しておりますとも。しかしバルブロ様は次期国王になられる尊い御身。野蛮な戦場で剣を振るい、前線で戦うのは下々の役目。そうではありませんか?」

「むっ、う、うむ……。お前の言う通りだ……。だが、それでは父上に俺の力を見せることが出来ぬではないか!」

「だからこそ! 別の方法を取れば宜しいのですよ! この王都には現在、非常に使える……持っているだけで役に立つ物があるではありませんか」

 

 男の口の端がにんまりと大きく上に引き上げられ、その唇がゆっくりとバルブロの耳元に寄せられる。

 続いて低めた声音で囁かれる言葉に、バルブロは驚きで目を瞠った後、次にはニヤリと口の端を笑みの形に歪ませた。

 

「……ふむ、確かに面白い話だ。それに、その方法であれば上手くいけば帝国の奴らを恐れさせ、帝国領土まで侵攻することもできるかもしれんな」

 

 バルブロの言葉に、フロドゥールはバルブロからゆっくりと身を引いた後に同意するように深く頭を下げる。

 バルブロはまるで目の前が一気に開けたような感覚に大きな笑い声をあげると、今度は機嫌よく酒を煽り、男に先ほどは断ったモノを持ってくるように命じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜を過ぎた明け方近く……――

 薄暗い廊下の角の暗闇に隠れるように立ちながら、この施設を任されているヒルマ・シュグネウスは一人の男を待っていた。

 しかし数分、数十分と待っても待ち人は一向に現れない。

 一体何をそんなに時間がかかっているのかと苛立ちが湧き上がり始める中、目の前の薄闇から漸く待ち人である男がゆらりゆらりとした足取りで姿を現した。

 

「――……レイゼン……」

 

 壁に預けていた背を離しながら男を呼べば、男は歩いていた足を止めてこちらを振り返ってくる。

 トロンと甘く垂れ下がっている目がこちらに向けられ、ヒルマの存在を認識すると唇を笑みの形に歪ませた。

 

「これはシュグネウス様。このようなところで如何しました?」

「あんたを待っていたのよ。随分と時間がかかったようね」

「ええ、予想以上にハイになってしまわれましてね。いやはや、お引き取り頂くのに苦労しました」

 

 やれやれ……とばかりに頭を振る男の手には大きな盆が握り締められており、その上には空になった大量のボトルと、薬物の吸い殻が多く乗せられた器が乗せられていた。

 どうやら随分と楽しんだ様子に、ヒルマは内心でフンッと鼻を鳴らした。

 

「……それで、上手くいったのかい?」

「ええ、恐らくは問題なくいくんじゃないですかね」

 

 フフッ……と小さな笑い声を零しながらゆらりと頷くフロドゥールに、ヒルマは小さくため息にも似た息を吐きながらも内心ではこの男の手腕に感心していた。

 この目の前の男……フロドゥール・レイゼンは元はとある娼館で働いていた男娼であり、今はヒルマの数少ない有能な部下の一人だった。

 男娼時代は別段娼館内で名を馳せていたわけでもなく二流程度でしかなかったが、しかしこの男には相手を優越感に浸らせ、ある程度なら言葉巧みに相手を意のままに操ることのできる才能を持っていた。にもかかわらずこの男が一流の男娼になれなかったのは、相手の性別問わず性的接触が苦手という男娼としては致命的な欠点があったためだ。それさえなければ、この男は男娼になってすぐに頭角を現し、一流の男娼として名を馳せていただろう。

 

「あの男はどうやら随分とあんたのことがお気に入りのようじゃないか。……特別な奉仕をしてやったわけでもないんだろう?」

「勘弁してくださいよ。俺がそういったことがすごく苦手なのは知っているでしょう? それにあれは俺の好みとは程遠いですし……」

 

 本気で嫌なのか、苦々しい表情を浮かべて盆を持っていない手で忙しなく腕を摩っている。見るからに『うげぇ~~……』という表情を浮かべる男にヒルマは小さな笑い声を零すと、次には一つ息を吐いて改めてフロドゥールを見やった。

 

「……とはいえ、念には念を入れるように上からお達しを頂いているからねぇ。念のため、当日はあんたにもエ・ランテルに行ってもらうよ」

「え~、本気ですか? 荒事は苦手なんですがね……」

「心配しなくても、あんたにしてもらうのはあの男の手綱を操ることだけさ。セッティングはこちらで整えてやるから、あんたもしっかりと自分の役目を果たしな」

「シュグネウス様には敵いませんね~。……分かりましたよ、死なない程度に頑張りますとも」

 

 にへら……と締まりのない笑みを浮かべる男に、ヒルマは思わず小さなため息を吐く。

 しかしこの男の実力を知っているため幸いなことに不安はあまりない。もし計画に何らかの問題が発生したとしても、それは恐らくこの男とは一切関係ないものが原因だろう。

 ならば気を引き締めなければならないのは男の方ではなくヒルマたちの方だ。

 万が一計画が少しでも狂いでもすれば、待っているのは“アレ”以上のものだろう……。

 忌まわしい記憶を思い出してしまい思わず身震いしたヒルマは、なんとしても成功させなくては……と心に誓うと、計画を次の段階に移すべく男を連れて闇の中へと足を踏み出していった。

 

 



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第80話 戦場への道

今回はいつもより少し(?)長めになります。
ここまで長くなる予定ではなかったんですが……。
もう少し細かい描写とか入れたい気持ちもあったんですがクドくなりすぎるかな……と思い断念しました。
未だに度合いが分からん……(汗)

今話の後半は皆さん大好き、ウルベルトさんのヒロイン候補回になります!
少しでも楽しんで頂けたら嬉しいですvv


「――……これより、定例守護者会議を始めます」

 

 豪奢な室内に凛とした声が大きく響く。

 ナザリック地下大墳墓第九階層にあるアルベドの私室にて、階層守護者たちによる定期的な守護者会議が開かれていた。

 いつもであればプレアデスの何名かやニグンなども参加することが多々あるのだが、今回はそのどれもがおらず守護者のみが集まっていた。

 

「ねぇ、会議をするのは良いんだけどさ。……これ(・・)、どうしたの?」

 

 一つの大きな円卓を囲むように守護者たちは椅子に腰かけている。

 アウラもまた椅子に深く腰掛けながら、自身の左隣に座る人物を指さして司会進行役である守護者統括に声をかけた。

 アウラの言葉に反応して、この場にいる全員がアウラが指さす方に視線を向ける。

 そこには第一から第三の階層守護者であるシャルティアが円卓の上に組んだ両腕の更に上に顔を突っ伏して微動だにしていなかった。よく聞き耳を立ててみると、突っ伏した顔と両腕の隙間からくぐもった嗚咽のような声が小さく聞こえてくる。

 見るからに悲しみに暮れている様子の吸血姫に、アルベドは大きなため息を吐き、他の面々は何かしら知っている様子の守護者統括に目を移した。

 

「……先日、ペロロンチーノ様があの法国の漆黒聖典の生き残りに会いに行かれたのよ。ペロロンチーノ様は彼女をナザリックに迎え入れるおつもりのご様子。大方それで不安にでもなっているのでしょう」

「あー、なるほど……」

 

 現在ナザリック地下大墳墓第五階層の氷結牢獄には多くの法国人が囚われている。その中の一人である漆黒聖典の生き残りの少女の顔を思い浮かべ、アウラは納得したように一つ頷いた。

 シャルティアが自身の創造主であるペロロンチーノを崇拝し、敬愛し、熱烈な恋慕を向けているのは周知の事実である。シャルティアの心情としては、自身が愛する御方が自分以外の存在に興味を持つこと自体が歯がゆく、口惜しく、嫉妬心を抑えられないのだろう。

 しかし被造物である自分たちが創造主であり至高の存在である御方々の言動に異議を唱えること自体が許されざる大罪。

 それ故に何も言えず、大きな不安を募らせての今の状況にあるのだろうことが容易に推察できた。

 

「でも、それにしてはアルベドは落ち着いているみたいだけど?」

 

 同じく至高の存在たちに並々ならぬ恋慕と情愛を募らせているはずの女淫魔(サキュバス)のひどく落ち着いた様子に、アウラは湧き上がる疑問と共に首を傾げる。

 アウラの右隣に座るマーレも不思議そうな表情を浮かべて首を傾げており、双子の可愛らしい姿にアルベドを含む守護者大人組はほぼ同時に小さな苦笑を浮かべた。

 

「わたくしもペロロンチーノ様が彼女に会っている場に同行させて頂いたのだけれど、今のところペロロンチーノ様はあの女にご興味を持ってはいても、それ以上の感情をお持ちには見えなかったわ。どちらかというと同情していらっしゃるのではないかしら」

「ペロロンチーノ様は他の至高の御方々と同じく非常に慈悲深い御方でいらっしゃいますからね。それにあの少女は非常に興味深い部分が多々ある。恐らくそれについても何かしら思われることがあるのだろう」

「勿論、ペロロンチーノ様が彼女にそれ以上の興味を持たれないようにアプローチをする必要はあるでしょうけれど、現段階ではそこまで不安に思う必要はないと思うわ。ええ、対策は必要でしょうけれどね……」

 

 実はしっかりと気にしていたのか、急にアルベドの顔に浮かんでいる笑みが暗く不気味なものへと変わる。

 一気におどろおどろしい雰囲気を帯び始めたサキュバスに、アウラは顔を引き攣らせ、マーレはオドオドし始め、デミウルゴスは苦笑を深め、コキュートスは呆れたようにフシュゥ…と冷気を力なく吐き出した。

 

「……まぁ、その辺りは君たちに任せるがね。今は会議に集中してはどうかね? シャルティア、君もいい加減シャキッとしたまえ」

 

 デミウルゴスが『フフフフフ……』と不気味な笑い声を零しているサキュバスに小さなため息を吐き、続いて未だ顔を突っ伏しているシャルティアにも声をかける。

 一拍後、のろのろとした動作でシャルティアが突っ伏していた顔を上げると、真っ赤になった目尻や悲嘆にくれている顔が露わになった。

 

「………ペ、ペロロンチーノ様は…あの女とお会いになった時……一度も私のことを見て下さらなかったわ……。……こんなこと、今まで一度もなかったのにぃぃ……っ」

 

 普段の自信に満ちた強気な態度はどこへやら。第五階層の氷結牢獄でペロロンチーノに目すら向けてもらえなかったことが余程ショックだったのか、いつもの廓言葉も忘れて次には顔を上げたままボロボロと涙を零し始める。

 ふぇぇ~~……と泣き始めるシャルティアに、隣に座るアウラがやれやれとばかりに頭を振った。

 

「ああ、もうっ! そんなに不安ならペロロンチーノ様に会いに行けばいいじゃない! 一人で行くのが嫌なら、あたしもついて行ってあげるからさ。ペロロンチーノ様はまだナザリックにいらっしゃるんでしょう?」

「ええ。ウルベルト様は昨夜帝国に出かけられたけれど、モモンガ様とペロロンチーノ様はまだナザリックにいらっしゃるわ」

「そう、なら大丈夫そうだね。ほらっ、もう泣かないの!」

 

 未だグズグズと小さな嗚咽を零しているシャルティアにアウラが泣き止ませようと声をかける。

 取り敢えずシャルティアのことはアウラに任せ、アルベドたちは会議を進めることにした。

 本日の会議の議題は、主に法国の戦後処理についてと、法国侵攻の復習と反省。

 まず戦後処理については現状の把握だけでなく現在各々が行っている処理方法を報告し合い、より効率的な方法を模索していった。

 

「報告によると氷結牢獄の収容が難しくなっているらしいけれど、この辺りは大丈夫なのかしら?」

「一ツノ人間カラ得ラレル情報ガ多イタメ、ナカナカ時間ガカカッテイルヨウダ。現在、氷結牢獄ニ入リキラナイ者ハ一時的ニ第四階層ニ留メ置イテイル。……氷結牢獄ノ外ニ留メ置イテハ死ンデシマウ可能性ガ高イカラナ」

「そう。情報を多く入手できるのは良いことだけれど、元法国領土からは今もどんどん収容者が送られてきているから、何とか情報収集のスピードを速めなくてはいけないわね」

「では、第七階層にいる拷問の悪魔(トーチャー)にも手伝わせよう。あと、最古図書館(アッシュールバニパル)の司書たちにも応援を頼んではどうかね?」

「そうね、声をかけてみましょう」

 

 デミウルゴスの提案に、アルベドが神妙な表情を浮かべながら一つ頷く。

 そこに、今まで黙っていたマーレがオドオドした様子ながらも小さく手を挙げてきた。

 

「あら、何かしら、マーレ?」

「……あ、あの…その……、情報を集め終わった人たちは……その後、ど、どうするんでしょうか……?」

「現在、あらゆる実験のモルモットや羊皮紙作成の材料に使っても良いかどうか至高の御方々にお伺いを立てているところだが……マーレも何かあったかな?」

「え、えっと、僕がってわけじゃ…ないんですけど……。その……餓食狐蟲王(がしょくこちゅうおう)さんから、巣が足りないって相談を受けているんです……」

「おや、それはいけないね。至高の御方々にそちらもご相談してみよう」

「は、はい……! よろしくお願いします……!」

 

 悪魔からの言葉に、マーレがホッとしたような笑みを浮かべる。

 その他にも意見や要望や提案など、各々が積極的に発言していき、会議は滞りなく進んでいった。

 次に話し合うべく出された議題は法国侵攻の際の各々の行動についての復習と反省。

 これは主にエルフたちと行動を共にして援助を行ったアウラとコキュートスの行動についてと、法国神都での守護者だけのチーム戦について意見を交わし合った。

 

「わたくしたち守護者だけの戦闘については、もう少しチームでの戦闘経験は必要だと思うわ。あと、チームの人選も見直した方が良いかもしれないわね」

「そう? 結構うまくいっていたと思うけど」

「我々ノ場合ハモモンガ様トウルベルト様ガ途中カラ手ヲ貸シテ下サッテイタカラナ。ソレガナケレバモウ少シ手コズッテイタダロウ」

「あー、そうだね……」

 

 コキュートスに指摘され、途端にアウラの表情が曇る。自身の力不足と至高の主たちに迷惑をかけてしまったことに口惜しさが募り、自然とアウラの表情が険しいものに変わる。

 しかしそれはアウラに限らず、この場にいる全員が同じ思いを抱いていた。

 もっともっと精進を詰み、努力を重ね、至高の御方々の役に立てるよう尽力していかなくてはならない。

 守護者たちは全員顔を見合わせて大きく頷き合うと、改善点や考えられる戦法、あらゆる場合に対してどのような行動をとるべきか、などなど……時間が許す限り数多に渡って意見を交わし合い、議論を重ねていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 明るい賑わいを見せる大通り。道行く人々の顔は明るく、飛び交う声は活気に満ち、大通りを走る馬車も多い。

 王国の王都とはまた違う光景の中、一つの6人グループが忙しなく周りに視線を走らせながら大通りを歩いていた。

 独特な衣装や装備を身に纏った彼ら彼女らの胸元には、アダマンタイト級冒険者の証であるプレートが太陽の光に輝いて揺れ動いている。道を行き交う人々の内、彼ら彼女らの独特の雰囲気やプレートの存在に気が付いた何人かが驚愕の表情と共に視線を向けてくる。

 自分たちに向けられる多くの視線を掻い潜りながら、“蒼の薔薇”のメンバーと“朱の雫”のリーダーであるアズス・アインドラは時折道を聞きながら帝国帝都を進んでいた。

 

「おい、ラキュー。本当にこっちで合ってるのか?」

「先ほど道を聞いたので合っているはずです。それよりも叔父さん、もう少し声の大きさを落としてくれませんか? あまり目立ちたくないんですから」

「別に少しくらい構わんだろう。どうせ目的地に着いたら嫌でも注目を浴びることになるだろうしな」

「それでも、です! ……なるべく彼に迷惑をかけるようなことは避けたいんですから」

「ラキュースの言う通りだ。大人しくできないのなら強制的に転移させるぞ」

 

 イビルアイからの脅しに、アズスは気のない様子でひょいっと肩を竦める。どこまでも通常運転の叔父の様子に、ラキュースは思わず重いため息を吐き出した。

 ラキュースは同じ冒険者チームの仲間である“蒼の薔薇”のメンバーと共に帝国の帝都を訪れていた。

 目的は今回の王国と帝国との戦に帝国帝都を拠点としているワーカーチーム“サバト・レガロ”が参加するという噂の真偽を確かめるため。

 ラキュースとしてはレオナールにできるだけ迷惑が掛からない形で彼を訪ねて真偽を確かめたいと考えていたのだが、何故か帝国との国境でアズスが待ち構えており、あれよあれよと言う間に何故か一緒にレオナールの下に向かうことになったのだった。

 どうしてこんなことになってしまったのか……と内心で頭を抱える。同時にアズスの目論見は分かっているため頭痛まで感じるような気がした。

 この自称姪っ子想いの叔父は、大切な姪っ子が想いを寄せているという男がどんな人物なのか見極めるために来たのだろう。

 ラキュースにとってはありがた迷惑……とてつもなく大きなお世話である。

 しかしラキュースがいくらそう思いアズス自身に言ったとしても、この叔父は決して聞き入れようとはしないだろう。むしろ抗議すればするほど勝手に動いてレオナールに迷惑をかけるに違いない。ならば行動を共にして傍で見張っていた方が何倍もマシだ。

 ラキュースは再び出そうになったため息を既の所で呑み込むと、気を取り直して再び帝都の街並みを見回した。

 

「帝国の帝都ってのは、王国の王都とはまたえらく違うんだな」

 

 隣で同じように周りを見回していたガガーランがラキュースの内心を代弁するように言葉を零してくる。周りの他のメンバーも同意するように頷いており、ラキュースは彼女たちの様子を見つめながら内心では同じように頷いていた。

 ガガーランの言う通り、自分たちが普段いる王都と今目の前に広がっている帝都とでは見るからに大きな差があるように感じた。

 連なる建物の洗練さや多くの人や馬車が行き交う整備された大通り。活気に満ちた人々の様子。街の至る所で見られる帝都の兵士の姿から窺える治安の良さ。それら全てが王国王都とは雲泥の差だ。

 王国の貴族でもあるラキュースとしては、とてつもなく複雑な感情が湧き上がってくる。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではないと半ば無理矢理思考を切り替えると、ふと目に入った男に再び道を聞こうと歩み寄った。

 

「あの、すみません。少し宜しいでしょうか?」

「む? ……っ……!?」

「道をお尋ねしたいのですが、“歌う林檎”亭はこちらの方向で合っているでしょうか?」

「………可憐だ……」

「……え……?」

 

 ラキュースが声をかけたことで振り返ってきた男が途端に呆然とした表情を浮かべて何事かを小さく呟いてくる。しかしラキュースは上手く聞き取れず、思わず疑問の声と共に小さく首を傾げた。

 頭上に幾つもの疑問符を浮かべるラキュースに、男はハッと我に返ったような素振りを見せると、次には慌てた様子で少しこちらに身を乗り出してきた。

 

「あっ、ああ、これは…失礼した! えっと、“歌う林檎”亭だっただろうか?」

「は、はい。その場所に行きたいのですが、何分帝都は初めてでして……」

「おおっ、そうでしたか! “歌う林檎”亭はこちらの方向で間違いありませんぞ」

 

 どこかドワーフを思い起こすずんぐりとした背の低い男が力強く頷いてくるのに、ラキュースは取り敢えず方向は合っていたことに小さく安堵の息を吐いた。

 その様子に男は何を思ったのか、人のよさそうな髭面を少し引き締めてきた。

 

「我はワーカーチーム“ヘビーマッシャー”のリーダーを務めております、グリンガムと申す。良ければ“歌う林檎”亭まで我が道案内しましょう!」

「えっ、ワーカーの方だったんですか!? それに道案内も……それはこちらとしては非常にありがたいことではありますが……本当に宜しいのですか? 何か用事があったのでは?」

「いやいや、気分転換に少しばかり街をぶらぶらしていただけ! むしろあなたのような素敵な方と……じゃない! えっと、とにかく、何も問題はありませんぞ!」

「……??」

 

 何やら途中様子がおかしかったような気がしたが、良い人であることは間違いないようだ。

 どうしようかと悩む中、今まで様子を窺っていたガガーランたちがまるで示し合わせたかのように次々と言葉を投げかけてきた。

 

「おっ、それは助かるな! じゃあ、案内を頼めるか?」

「ちょっ、叔父さん!?」

「まぁまぁ、落ち着けよ、ラキュース。別に頼んでも良いんじゃねぇか?」

「ガガーラン……、でも……」

「確かに土地勘がない場所では案内を頼んだ方が効率がいい。私も別に構わんと思うぞ」

「時間は大切。有効に使うべき」

「さっさと用事を済ませてゆっくりしたい」

 

 全員が男からの申し出に賛同するのに、ラキュースは何とも言えない感情を湧き上がらせてひどく戸惑った。

 別に男からの申し出を受け入れても何も問題はないのだが、何やら腑に落ちない。何故か裏の思惑があるように思える。特に意味ありげにニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見つめてくるアズスとガガーランが非常に気になった。

 しかしそんなラキュースの様子に気が付いていないのか、グリンガムと名乗った男は嬉々とした笑みを浮かべて数歩こちらに歩み寄ってきた。

 

「おおっ、それでは参りましょう! なに、心配は無用! このグリンガムが必ず“歌う林檎”亭までお連れしましょう!」

「……あ、ありがとうございます」

 

 力強く熱弁してくる男に、ラキュースは少し気圧されながらも何とか礼の言葉を口にする。

 意気揚々と歩き始める男に、それについていく仲間たち。

 ラキュースは仲間たちや叔父の様子に大きな疑問と共に眉を顰めながらも、自分も彼らに続くように足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリンガムの申し出を受けて歩き始めて十数分後……――

 目の前にある『歌う林檎亭』と書かれた看板を見上げながらラキュースは一度大きく生唾を呑み込んだ。

 一気に大きな緊張が全身を襲い、心臓が早鐘のように強く脈打ち始める。

 果たしてレオナールはいるだろうか。もし何事もなく会えたとして、きちんと話しができるだろうか。

 彼は質問に答えてくれるだろうか……。

 レオナールに会えるかもしれないという期待と、ここに来た目的に対する不安。様々な感情が湧き上がって渦を巻き、思わず握り締めている両手が小刻みに震える。隣からはここまで案内してくれた男が何やら忙しなく話しをしていたが、今のラキュースにはそれに耳を傾けられるほどの余裕がなかった。

 

「――……さて、じゃあ、行こうぜ」

 

 自分の代わりに男の話し相手になってくれていたガガーランが店内に入るよう促してくる。

 ラキュースは一度大きく深呼吸すると、意を決して“歌う林檎”亭の中へと足を踏み入れた。

 ワーカーは冒険者と違い組合(ギルド)というものが存在せず、それ故にワーカーに依頼したい者は直接ワーカーたちに接触しなければならない。

 しかしワーカーたちも拠点としている場所にいつもいるわけではなく、むしろ依頼のために外出していることの方が圧倒的に多かった。

 そのため、ワーカーたちが留守でも大丈夫なように、必然的にワーカーと客との仲介役を担う者が現れるようになっていた。

 仲介役はワーカーたちが拠点としている宿が務めていることが殆どだ。そしてこの“歌う林檎”亭もまた、多くのワーカーたちとの仲介役を担っているようだった。

 “歌う林檎”亭は食堂酒場兼宿の店であるらしく、一階が食堂酒場で二階が宿になっているらしい。今は昼時を少し過ぎた時間帯ではあったが、一階の食堂酒場は今なお客が多く、大いに賑わいを見せていた。

 ラキュースたちが店内に入ってきたことで、客の何人かがこちらを振り返ってくる。その殆どがラキュースたちの胸元で揺れているプレートの存在に気が付いて目を見開いていたが、ラキュースたちはそれに一切構うことなく店の奥へと足を踏み入れていった。

 

「――……初めて見る顔だな。ようこそ“歌う林檎”亭へ。何がご要望だ?」

 

 店の最奥に進んでいけばカウンター越しに一人の男が声をかけてくる。

 堂々としていてどこか迫力のあるこの男は、どうやらこの店の店主のようだ。自分たちについて来て店内に入ってきていたグリンガムからの『彼がこの店の主だ』という声も聞こえてきたため間違いではないだろう。

 ラキュースは一度誰にも気づかれないように細く深く息を吐き出すと、次には意を決して店主を見やった。

 

「私たちはワーカーチーム“サバト・レガロ”がここを拠点としていると聞いて来ました。“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルさんに取り次ぎをお願いすることはできますか?」

 

 瞬間、煩いまでに賑わっていた店内が一気に静まり返る。突然の予想外のことに思わず周りに目を向ければ、この店にいる全員が口を閉ざしてこちらを注視していた。中には仲間同士で小声で何かを囁き合う姿も見られ、ラキュースは思わず困惑した表情を浮かべる。

 その時、近くから呆れたようなため息の音が大きく聞こえてきてラキュースは慌ててそちらを振り返った。

 

「……あいつらに会いに直接堂々と来る奴は久しぶりに見たな。今じゃあ、あの商会のお嬢様くらいなもんだったが……」

「あ、あの……?」

「ああ、すまねぇな。残念だが、“サバト・レガロ”の連中は今全員が出かけてる。リーダーのレオナール・グラン・ネーグルは今日中に戻ってくるとは思うが、いつになるかは分からねぇな」

「そ、そうですか……」

「なら、そいつが戻ってくるまでここで待たせてもらっても構わねぇか? こっちはなるべく早く用事を済ませたいもんでな」

「叔父さん!?」

 

 突然アズスがこちらに歩み寄り、店主との会話に口を挟んでくる。

 叔父の思わぬ言葉にラキュースが驚愕の声を上げる中、店主はどこまでも落ち着いた様子でアズスを見つめていた。

 

「俺は別に構わねぇが、ここにいるなら覚悟しておくんだな。ここの連中から質問攻めにあっても俺は責任を持たねぇぞ」

「ああ、そこは安心してくれ。あんたに迷惑はかけないさ。それに、ここにいる連中は見慣れない俺たちに構うほど野暮でも暇人でもないだろ」

 

 ニッと笑うアズスの気配が、一気に濃厚で重いものに変わる。

 殺気とも怒気とも違う、しかしひどく息苦しい圧迫感にも似た気配。

 野次馬を寄せ付けない危険な気配を発するアズスに、周りの客たちはその多くが顔を引き攣らせ、店主の男はフンッと小さく鼻を鳴らした。

 

「なるほど、伊達にそのプレートを所持していないってわけか……。まぁ、ここにいる分には構わねぇさ。好きなだけいると良い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 まるで用事は済んだとばかりにさっさと他の客の対応を始める店主にラキュースは慌てて礼を口にする。これ以上この店に迷惑をかけないように取り敢えず店の端に寄ると、空いている席に全員で腰を下ろした。

 

「どうやら帝都の連中も王都の奴らと同じく好奇心が旺盛らしいな。やれやれだぜ」

「しかし、いくら探られるのが面倒だとはいえ、あんな物騒な気配を撒き散らすな。ここは私たちのテリトリーではないんだぞ」

「イビルアイの言う通りですよ。もう少し慎重に行動してください」

 

 イビルアイに続きラキュースも顔を顰めてアズスに注意する。

 しかしどこまでも意に介することなく肩を竦ませて終わるアズスに、ラキュースは大きなため息を吐き出した。

 

「汝らは“サバト・レガロ”に用があったのだな。何かワーカーに依頼したいことがあるのか?」

 

 何故か当然のようにラキュースたちと同じ席に腰かけているグリンガムが小さく首を傾げながら問いかけてくる。

 思わず『まだいたのか』と思ってしまったラキュースは一度小さく咳払いすると、改めてグリンガムに目を向けた。

 

「もしワーカーに何かを依頼したいのであれば、我ら“ヘビーマッシャー”が力になるぞ!」

「い、いえ、ワーカーに依頼をしたいわけではないんです。実はネーグルさんとはちょっとした知り合いで……少し聞きたいことがあってここまで来たんです」

「な、なるほど、そうであったか……」

 

 見るからに残念そうな表情を浮かべる男に、ラキュースは苦笑を浮かべながらも内心では大きなため息を吐いた。

 ここにレオナールがいなかったことに安堵する一方で残念に思う気持ちもあり、相反する感情が胸の内で渦を巻く。ここは気持ちを整理して決意を固める時間が稼げたと喜ぶべきなのかもしれないが、それが無意味であることはラキュース自身がよく分かっていた。どんなに時間があって何度決意を固めたとしても、すぐにその決意は脆く崩れて複雑な感情が胸の内でグルグルと大きな渦を巻く。どう足掻いても煮え切らない自分自身に辟易し、いっそさっさとレオナールに会ってどうにでもなってしまいたい……と自暴自棄に陥りそうになる。

 思わずはぁぁ……と大きなため息を吐き出す中、突然店の扉がバンッと大きな音と共に外側から勢いよく開かれた。

 何事かとラキュースたちだけでなく店にいる全員が扉を振り返る中、外の眩しい光を背に一人の少女が店内へと足を踏み入れてきた。

 勝気そうな可愛らしい顔が店内を見回し、すぐさまカウンター奥にいる店主を見つけて動きを止める。どうやら店主をロックオンしたようで、少女はツンッとすました表情を浮かべながら堂々とした足取りで店の奥へと突き進んでいった。

 少女はこの店の常連であるのか、店の客たちは扉を開けたのが少女だと知るとすぐに興味を失ってそれぞれ食事や会話に戻っている。

 一体誰なのだろう……とラキュースたちだけが注目する中、少女はカウンター奥で苦々しい表情を浮かべている店主に臆することなく話しかけた。

 

「御機嫌よう、おじ様。本日、ネーグルさんはいらっしゃるかしら?」

「……また来たのか。あいにく奴は今日も留守だ。一度はこの宿に戻ってきたんだが、すぐに次の依頼の打ち合わせがあるとかで出ていったぞ」

「まぁ、慌ただしいことですわね。仕事があるのは良いことですけれど、少し働き過ぎではなくて?」

「………それは俺にじゃなく、あいつ本人に言ってやるんだな」

 

 どこかげんなりとした店主とどこまでもマイペースな少女との会話を聞くに、どうやら少女はレオナール・グラン・ネーグルに用があるようだ。もしかしたら“サバト・レガロ”の得意先の一つなのかもしれない。

 “サバト・レガロ”の依頼人の中にはあんな可愛いらしい少女もいるのかと思うと、途端に何かが胸に競り上がり、心臓がきゅぅぅっと切なく軋んだ。

 少女は良家の娘であるのか、小振りな唇から発せられる言葉や身振りには気品があり、その身に纏うドレスは目に鮮やかな桃色で、至る所にあしらわれているレースとも相まって非常に質の良い物であることが分かる。ひらひらとした袖や裾が長い金色の髪と共にフワッと可憐に宙を舞い、コルセットによって露わになっている細いくびれや少し控えめながらも柔らかく膨らんでいる胸、膝下まであるスカートの裾から覗く細くしなやかな足が少女の若々しい色気を強調していた。どこか猫を思わせる整った美貌が自信に満ちた笑みを形作っており、正に色鮮やかで可憐な華を思わせる。ここまで鮮烈な空気と印象を纏わせた少女はなかなかいないだろう。

 ラキュースは無意識に自身の手や身体を見やり、次には思わず眉尻を切なく垂れ下げた。

 ラキュースは確かに王国貴族の令嬢ではあるが、それと同時にアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のリーダーだ。その身に纏うものはドレスよりも鎧の方が圧倒的に多く、またその手に握るのは花や宝石ではなく大振りの剣だった。普段の作法や身のこなしも、どちらかというと令嬢のようなしなやかで品のあるものではなく、冒険者らしい少し粗っぽいものであるかもしれない。

 これまで自分が冒険者であることを誇りに思うことはあっても、一欠けらの後悔も羞恥も感じたことはなかった。しかし今初めて、自分の今の姿が無性に恥ずかしく思えて仕方がなかった。

 あんな可愛らしい少女と会っていたレオナールの目に、自分は一体どんな風に映っていたのか……。

 もし少女と比較されていたら……と考えるだけで、今すぐこの場から逃げ出してしまいたいほどの羞恥に襲われた。

 

「……ラキュース……?」

 

 こちらの様子に気が付いたのか、隣に座るガガーランが気遣わし気に声をかけてくる。他の仲間たちもこちらに目を向けてくるのを感じ、ラキュースは無意識に俯いていた顔を咄嗟に上げた。こんな事で仲間たちに心配をかけさせるわけにはいかない……と笑顔を浮かべようとする。

 しかしその前に再び店の扉が勢いよく開いて、彼女たちは反射的にそちらを振り返った。

 そして目に飛び込んできた存在に、ラキュースは思わず大きく息を呑んだ。

 扉から姿を現したのは一人の男と一人の女。

 女の方に見覚えはなかったが、男の方はラキュースがとても会いたくて、そして同時にひどく会いたくなかった人物だった。

 

「――……やはり、そうした方が良さそうですね。相手が誰であれ、隙はあまり見せない方が良い」

「分かりました。ではそのように陛下にも伝えておきますわ」

 

 会話の内容に集中しているのか、男も女も店内に足を踏み入れながらも一切周りに意識を向けることはない。

 こちらに気付いてほしいような、ほしくないような……声をかけるべきかどうかも分からず、ラキュースは一心に男に視線を向けながらも口を小さく開けては閉じるを繰り返していた。

 

「ネーグルさんっ!」

 

 そこに突然大きく響き渡った高い呼び声。

 自分の名を呼ばれて漸く気が付いたのか、男――レオナール・グラン・ネーグルは傍らの女との会話を止めて声がした方に目を向けた。男の名を呼んだ少女と視線がかち合い、途端にレオナールがどこか少し呆れたような表情を浮かべる。しかしそれはすぐに柔らかな微笑に形を変えると、レオナールは迷うことなく真っ直ぐにカウンター近くに立っている少女の下まで歩み寄った。

 

「……これはこれは、御機嫌よう、ノークランさん。本日は何故こちらに?」

「先日の武王との戦いについて少し気になることがありまして、こちらに伺わせて頂きましたの。少しお時間をいただきたいのですけれど……」

 

 そこで一旦言葉を切り、少女がレオナールの後ろに付き従うように立っている女に目を向ける。瞬間、少女は驚いたように目を瞠り、そのままパチパチと長い睫毛を瞬かせた。

 

「あら、そちらは確か帝国騎士のレイナース・ロックブルズ様ではなくて?」

「おや、お二人は知り合いだったのですか?」

「我がノークラン商会は帝城にも定期的に出入りさせて頂いておりますの。そこで何度かお見かけしたことがありますわ」

「……ああ、そういえば……。ですが、言葉を交わしたことはなかったように思いますわ」

「そうですわね。また何か気になった物やご入用の物がありましたら、ノークラン商会にお声がけいただければ幸いですわ」

 

 少女は可愛らしい顔に浮かべていた驚愕の表情をすぐさまに満面の笑みに変えると、スカートの両端を摘まんで小さく礼をしてみせる。見た目は可憐な少女だというのに、にっこりとした笑みを浮かべながらさり気なく売り込んでくる姿は立派な商売人のそれだ。

 商魂たくましい少女の様子に思わずといったように苦笑を浮かべるレオナールは、不意に何とはなしに周りに視線を巡らせた。

 瞬間、レオナールの目がしっかりとラキュースの目とかち合う。

 一拍後、驚愕に大きく見開かれる金色の瞳。

 呆然とした表情を浮かべてじっとこちらを凝視してくるレオナールに、ラキュースは途端に自分の頬がジワジワと熱を持ち始めるのを感じた。話をしていた少女や女もつられるようにしてこちらに目を向けてきて、二人の視線に気まずいような感情が湧き上がってくる。

 

「……アインドラさん……? それに……“蒼の薔薇”の方々も……」

 

 驚愕から困惑へと表情を変えながら、レオナールがこちらに歩み寄ってくる。

 つられるように少女や女もレオナールに続いてこちらに歩み寄ってきて、もはやラキュースたちは店内にいる全員からの注目の的になっていた。

 

「よう、ネーグル! 久しぶりだな」

「ガガーランさん、お久しぶりです。まさか帝都でお会いするとは思ってもいませんでした。本日は何故こちらに?」

「いや、ちょいとあんたに聞きたいことがあってね。悪いが、勝手にここまで来たってわけだ」

「ふむ、なるほど……?」

 

 ガガーランの簡潔すぎる説明に、レオナールは顎に右手の人差し指をかけて思案顔を浮かべる。

 数秒間何事かを考え込んだ後、次にはツイっと金色の双眸をアズスとグリンガムそれぞれに向けた。

 

「……こちらのお二人も、その聞きたいことに関係しているのでしょうか?」

「俺はそうだな。だが、そっちの男は俺たちとは関係ねぇよ。ただ道に迷っていた俺たちをここまで案内してくれただけさ」

「う、うむ、その通りだ。我はワーカーチーム“ヘビーマッシャー”のグリンガムと申す。直接お会いするのは初めてだな、“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル殿」

「ああ、“ヘビーマッシャー”の方でしたか。なるほど……」

 

 同じワーカーでも直接の面識はなかったのだろう、レオナールとグリンガムが軽い挨拶を交わし始める。しかしラキュースは二人の会話よりも、じっとこちらを観察するように見つめてくる少女や女の視線の方が気になって仕方がなかった。

 まるで突き刺さるような二つの視線に、非常に気まずく感じながらもチラッと女の方に視線を向ける。しかしラキュースはすぐに彼女を見たことを後悔してしまった。

 改めて女を見てみれば、彼女もまた、目の前の少女と同じく非常に美しい容姿をしていた。

 長く真っ直ぐな金色の髪と、意思の強そうな緑色の瞳。白皙の美貌は非常に整っており、長い前髪が顔の右半分を覆い隠してしまっているのが非常に残念に思えるほどだ。身に纏っているのはドレスではなく自分以上に厳つい漆黒の全身鎧(フルプレート)ではあったが、しなやかな身体のラインや短いスカートから覗く長い足など、女性としての魅力はしっかりと感じられる服装をしていた。先ほど少女が言っていた“帝国騎士”というのは本当なのだろう、女が纏っている雰囲気は貴族や平民のものでも冒険者やワーカーのものでもなく、もっときっちりとしていて少し堅苦しいものに感じた。もしかすると帝国の騎士の中でもそれなりに上の立場であるのかもしれない。

 この女も少女も一体誰で、レオナールにとってどんな存在であるのか非常に気になってしまう。同時に、少女からの視線にも女からの視線にもこちらを値踏みするような気配がありありと伝わってきて、ラキュースは思わず背筋に嫌な汗を流した。先ほどまで感じていた自己嫌悪が再び湧き上がってきて、恐怖にも似た衝動が襲いかかってくる。

 思わず汗に濡れる両手を強く握り締めたその時、今まで成り行きを見守っていたアズスが口を開きかけ、しかしその前に褐色と黒の手が宙を閃く方が早かった。

 先ほどまでグリンガムと話しをしていたレオナールが一度軽く腕を振るって少女と女の意識をラキュースから自身へと向けさせると、次には金色の双眸をアズスに向けた。

 

「それで、そちらの方とは初めてですね。お名前をお伺いしても?」

「……ああ、俺は“朱の雫”っていう冒険者チームのリーダーを務めてるアズス・アインドラってもんだ。お前の話はラキューから聞いてるぜ」

「おや? “朱の雫”という名前は聞き覚えがあります。確か……リ・エスティーゼ王国にいる三つのアダマンタイト級冒険者チームの一つが同じ名前だったはず……。それに“アインドラ”ということは……御親戚か何かですか?」

 

 金色の瞳がこちらに向けられ、優しい声音で問いかけられる。

 瞬間、今まで感じていた恐怖が嘘のようになくなり、全身が一気にカッと熱くなった。全身から熱が噴き出し、ポカポカと火照って気分が高揚してくる。

 もしやこれは何かの魔法なのだろうか……と馬鹿なことを考えながら、ラキュースは慌ててレオナールに向けて何度も首を縦に振った。

 

「え、ええ、彼は私の叔父なんです……!」

「ほう、そうなのですか。姪と叔父どちらもアダマンタイト級冒険者とはすごいですね。もし機会があればお二人の戦っている姿を是非拝見させて頂きたいものです」

「あ、ありがとうございます……! ネーグルさんにそんな風に言って頂けて光栄です」

 

 にっこりとした柔らかな笑みを向けられ、途端に大きな歓喜と幸福感が湧き上がってくる。

 しかし次に問いかけられた言葉に、その歓喜や幸福感は一気に萎んでいった。

 

「それで、今回皆さんがこちらに来られた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか? 何やら私に聞きたいことがあると仰っていましたが」

「……あっ……、は、はい……。実は、……その……」

 

 レオナールの問いかけに答えようとして、しかし言葉が途中で力なく切れて消えてしまう。

 彼の反応に対する不安は勿論だが、こんな大衆の面前で果たして口に出しても良いのだろうか……という考えが頭を過った。

 店内にいる人々全員がこちらに注目しており、加えて目の前にはこの話にかかわりのない少女や女やグリンガムもいる。しかも聞きたい内容はあくまでも噂についてであって、確かな話では全くないのだ。大衆の面前でむやみに噂の内容を口に出せば、今後のレオナールや“サバト・レガロ”にどんな影響を与えるかも分からない。

 ラキュースのひどく戸惑った様子に気が付いたのだろう、レオナールは一瞬金色の双眸を小さく細めると、次には一つ頷いて柔らかな笑みを浮かべてきた。

 

「折角です、もう少し落ち着いた場所で話しをしましょう。我々“サバト・レガロ”が借りている部屋に案内します。こちらにどうぞ」

 

 まるでエスコートするようにこちらに右手を差し出され、物語に出てくる王子様のようなその姿に途端にラキュースの心臓がぎゅぅぅッと締め付けられる。レオナールの姿が目に眩しく、頭もくらくらしてくる。何より、待合室や会談室などではなく自分たちのテリトリーである部屋に招待してもらえたことがとても嬉しかった。自分が彼の特別になったような気がして胸が苦しくなる。

 『ネーグルさん、そういうところ……そういうところです……!』と内心で悲鳴を上げながら、ラキュースは全身を真っ赤に染め上げながらも差し出されている手に手を乗せて椅子から立ち上がった。

 そのまま宿になっている二階に行こうとするレオナールやラキュースたちに、少女やグリンガムが自分たちも同行したいと声を上げてくる。しかしその全てをレオナールが言葉巧みに言い包めて断っていたのは非常に見事だった。

 グリンガムは見るからに残念そうに両肩を落とし、少女は拗ねたように唇を可愛らしく尖らせてジロッとこちらを睨んでくる。しかし最後には少女も渋々ながら納得し、諦めのため息と共に『今度は絶対にお時間をくださいませ!』という言葉と共に引き下がった。

 誰がどう見ても未練たらたらな少女の様子に、レオナールへの確かな好意が窺える。

 しかしラキュースは少女の存在よりも、むしろ大人しくレオナールに別れを告げた女の方が心に引っかかっていた。

 レオナールと無言のまま視線を交わし、微かに頷き合った女……。まるで二人の通じ合っているような雰囲気や、微かに頷き合った行動の真意が気になって仕方がない。

 しかしラキュースの心情に気が付いているのかいないのか、レオナールは変わらぬ様子で二階の宿へと促してきた。

 

「それでは皆さん、参りましょう」

「おい、ネーグル。部屋で話すならこれを持っていけ。リーリエもレインもいないんだ、どうせお前だけじゃ飲み物の持て成し一つもできねぇだろ」

 

 先頭に立って案内しようとするレオナールに、カウンター奥から出てきた店主が声をかけてくる。男の手には人数分の茶器が載った大きな盆が握られており、レオナールは小さな苦笑を浮かべながら大人しく盆を受け取った。

 それでいて再び足を踏み出し始めるレオナールに、ラキュースは内心で首を傾げながらも大人しくレオナールの後に続いていった。

 軋んだ音が小さく鳴る木製の階段を上り、廊下の一番奥にある扉まで歩み寄る。

 林檎が実った木と歌う小鳥が彫り込まれている木製の扉の前まで来ると、レオナールが一度こちらを振り返ってきた。

 

「ここが我ら“サバト・レガロ”が借りている部屋です。どうぞ」

 

 レオナールの声と共に扉がゆっくりと開かれ、室内の光景が徐々に視界に広がっていく。そしてこの場にいるレオナール以外の全員が一様に目を見開いて大きく息を呑んだ。

 室内に入り手招きしてくるレオナールに、ラキュースたちは呆然となりながらもゆっくりとした足取りで室内に足を踏み入れていく。

 “サバト・レガロ”が過ごす室内は、まるで王宮の一室ではないかと思うほどに豪奢であり、また品のある装いをしていた。部屋の至る所に置かれている家具一つ一つも全てが非常に高価な物であることが一目で分かり、ラキュースたちは思わず戦慄する。唯一人アズスだけは早々にいつもの調子に戻って室内を見回しては小さな口笛を吹いていたが、ラキュースはとてもではないが未だそんな余裕は持てなかった。

 

「立ち話もなんですし、椅子も人数分ある筈なのでぜひお座りください。紅茶をどうぞ」

 

 寝椅子(カウチ)や一人用のソファーなどを勧めながら、レオナールが紅茶を注いだカップを配っていく。

 その動きは普段の優雅なものとは打って変わり、どこか少しぎこちない。あまり慣れていないその様子に、今までに感じたことのなかったどこか可愛らしいという感情が湧き上がってきた。普段はリーリエに任せきりなのかもしれないな……と、同じ“サバト・レガロ”のメンバーである美女の姿を思い浮かべる。

 そこでふと自分が彼女に対しては劣等感や嫉妬を感じていないことに気が付いた。

 何故だろう……と内心で首を傾げ、しかしすぐさま答えに思い至った。

 恐らく自分がリーリエに対して劣等感も嫉妬も感じていないのは、彼女がレオナールに対して自分と同じ感情を一切向けていないことが分かるからだろう。彼女がレオナールに向ける眼差しや口調には、恋愛感情の色や響きは一切宿っていない。彼女の言動から感じるのは強い忠誠心のみで、レオナールがリーリエに対して向ける言動も相俟って、二人は本当に主人と従者といった雰囲気を帯びていた。

 いや、それはリーリエだけではなくレインにも言えることだろう。“サバト・レガロ”は対等な仲間同士というよりかは『主人であるレオナールに尽くす従者二人』という関係性の方が強く感じ取れる。

 そう考えると、三人の関係性も非常に気になるところだった。

 

「さて。では早速ですが、皆さんがこちらに来た目的を教えて頂けますか?」

 

 レオナールからの問いかけに、ラキュースはそこで漸くハッと我に返る。思わずピンッと背筋を伸ばして小さく身じろぐと、一つ咳払いを零した後に改めてレオナールを真っ直ぐに見やった。

 

「そ、そうですね、失礼しました……! 実は、近々行われる王国と帝国との戦について、王国王都では一つの噂が流れているんです。私たちはその噂の真偽を確かめるためにここに来ました」

「ほう、噂ですか。それはどういった噂なのですか?」

「それは……、あなた方“サバト・レガロ”が帝国軍と一緒に今回の戦に参加するというものです」

「……………………」

 

 意を決して本題を口に出し、レオナールの反応を注意深く観察する。

 しかしレオナールの表情は一切変わらず、金色の瞳にも一切感情らしいものは何一つ宿ってはいなかった。ただ静かにこちらを見つめ返してくるレオナールの様子に、ラキュースの胸に再び大きな不安が湧き上がってくる。

 ドクドクと嫌な鼓動が大きくなっていく中、レオナールは一つ小さな息を吐いて紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに戻しながら改めてこちらに目を向けた。

 

「……なるほど。つまり皆さんは、我々“サバト・レガロ”が戦に参加することを危惧していらっしゃるということですね」

「厳密に言えば、危惧しているのは我々ではないがな。それで、この噂は本当なのか?」

 

 続いてラキュースの右隣に座るイビルアイがレオナールに問いかける。

 レオナールは少しの間思案顔を浮かべると、次には小さく首を傾げて苦笑を浮かべてきた。

 

「それは……難しい質問ですね。どう答えても、あなた方か……或いは他の誰かに影響を与えてしまう可能性が高い」

「いやいや、簡単だろ。ただ本当かどうか知りたいだけだ」

 

 寝椅子の背もたれにだらしなく背を預けながら笑うアズスに、しかしレオナールは神妙な表情を浮かべながら頭を振った。

 

「いいえ、これは難しい問題です。冒険者と同じように、ワーカーにも守秘義務というものがあります。確かに冒険者の方々に比べるとギルドが関わっていない分、明確なルールが定められている訳ではありませんが、逆にそうであるが故にワーカーでは今後の信用問題に大いに関わってくる。冒険者であるあなた方であれば理解して頂けると思いますが」

「……………………」

 

 いつになく真剣な表情を浮かべて言葉を重ねるレオナールに、ラキュースたちは全員が何も言えずに黙り込んだ。そしてレオナールが先ほど言った『難しい質問』という言葉の意味も理解した。

 レオナールがこんな風に言葉を重ねてくる時点で、彼は『噂は本当だ』と言っているようなものだ。たとえ明確に言葉に出して言ったわけではないにしても、レオナールの行動と状況が全てを明確にしてしまう。

 もしそれを避けたければレオナールは自分たちに対して『噂は偽りである』と嘘を吐くしかない。それをしないレオナールの言動は、人によっては悪い印象を持つ者もいるかもしれないが、しかし一方でとても誠実なものであるとも言えた。

 アズスもラキュースと同じことを思ったのだろう、今まで浮かべていた人を小ばかにするような薄ら笑いを引っ込めて、次には少し気まずそうに後ろ頭をかいた。ワザとらしいまでに大きな咳払いを一つ零すと、アズスは大きく姿勢を正して真剣な表情をレオナールに向けた。

 

「……そうだな、俺が悪かった、すまない。あんたが俺たちに精一杯誠意を見せようとしてくれているのも感謝する。だが、それなら噂が本当にならないようにする術はないのか?」

 

 言外に『王国と帝国との戦に参加するのはやめてくれないか』と頼むアズスに、ラキュースもまた思わず縋るようにレオナールを見つめていた。

 彼が何故二国間の戦に参加することになったのかは分からない。恐らく誰か――十中八九、帝国の上層部に属する者であろうが――から依頼を受けたのだろうが、何故そもそもその依頼を引き受けたのかもラキュースには分からなかった。

 しかしそれでも、彼には戦に参加してほしくない。何より、彼に王国の敵になってほしくなかった。

 何とか考え直してもらえないかとラキュースも口を開きかけ、しかしその前にレオナールが緩く頭を振ってきた。

 

「残念ながらその術はありませんね。噂の真偽を皆さんにお伝えすることもできませんし、どうやら今回の件に関しては皆さんのお力にはなれないようです。申し訳ありません」

「ネ、ネーグルさ……!」

「ただ、一つだけ……。……そう、……ヒントと…忠告をしておきましょう……」

「ヒントと忠告?」

 

 まるで突き放すような言葉にラキュースが思わずレオナールの名を呼ぼうとする。しかしそれを遮るようにレオナールがすぐさま言葉を続け、その言葉にガガーランが訝しげな声を零した。

 誰もが怪訝な表情を浮かべてレオナールを見つめるのに、彼は真剣な表情を浮かべて小さく金色の双眸を細めた。

 

「“全てにはそうなることの理由がある”。……そして“全ては王国の行動次第”」

「……それが、ヒントと忠告か?」

「ええ。これをあなた方の依頼主にお伝えするかどうかはお任せします。これ以上、私から申し上げられることは何一つありません」

 

 イビルアイの確認の言葉にレオナールは一つ頷き、そのまま口を堅く閉ざす。

 これが彼にできる精一杯の答えであることを感じ取ると、ラキュースは急激に湧き上がってくる不安に両手を強く握りしめた。悲惨なものになるかもしれない王国と帝国との戦の光景が頭を過ぎり、冷や汗が溢れて両手が小刻みに震える。

 しかしもはやどんなに言葉を尽くそうとレオナールは首を横に振るばかりで、ラキュースたちは何の成果も得られないままこの場を後にするしかできなかった。

 

「………無駄足だったな……」

 

 “歌う林檎”亭を出て大通りを歩きながら、イビルアイがポツリと独り言のように言葉を零す。

 いつになく力なく聞こえる彼女の声と言葉に、ラキュースは鋭く胸を突かれたような気がして思わず顔を歪ませた。

 

「いや、それなりの成果はあったさ」

 

 しかし続いて聞こえてきた言葉に、ラキュースはハッとそちらを勢いよく振り返った。

 視線の先にはいつもの笑みを湛えた叔父がおり、彼は悠々と足を動かしながらニヤリと唇の端を歪ませた。

 

「あの男はヒントと忠告をくれただろ。それを貰えただけでも御の字だ」

「……確か、“全てにはそうなることの理由がある”と“全ては王国の行動次第”だったか……。それで何か分かるのか?」

 

 訝しげな表情を浮かべるガガーランに、アズスは大袈裟なまでに大きく頷いてみせた。

 

「ああ。“確実に”とは言えないが、恐らくあいつらは戦に参加するのに何らかの条件を設けたんだろう。その条件が揃わないと、あいつらは戦に参加しない可能性が高い」

「何故そんなことが分かるんだ」

「“そうなることの理由”と“王国の行動次第”っていう言葉からだな。つまり“サバト・レガロ”が戦に参加するのには、それ相応の理由があるってことだ。そして“王国の行動次第”で“サバト・レガロ”の戦場での行動も変わってくるんだろう」

「……………………」

 

 アズスの言葉はあくまでも予想でしかなかったが、非常に説得力があり大いに納得できるものだった。

 であれば、その“サバト・レガロ”が動くことになる条件とやらをつきとめなければならないだろう。

 もはや時間はあまりないが、ここで諦めるわけにはいかない……!

 ラキュースは不安でいっぱいになっている心中を必死で隠しながら、まずは依頼主であるガゼフに連絡を取って相談しようと歩を進める足を速めた。

 

 



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第81話 開幕の扉

 木枯らしがだんだんと強くなり始めた時分。

 通常であれば凍てつく冬の到来を感じ始めるであろうこの時期に、しかしリ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテルだけは異様な熱気に包まれていた。

 25万もの人間が一つの都市に集まり、ある者は訓練用の棒を持って掛け声と共に振り回し、ある者はやる気なく地べたに座り込んでぼうっと空を見上げている。

 生温い熱気は澱んで沈殿し、まるで死臭のようにこの場にいる全てに不快感を与えている。

 しかしもはやこの都市にいる殆どの者は逃げることなどできず、ただ数日後に待ち受けているであろう死への恐怖に吐き気を堪えるだけだった。

 

 

 

 一方、エ・ランテルの中央にある都市長の館が建つ敷地内。

 都市長が過ごす屋敷のすぐ隣……都市長の屋敷よりもなお立派な建物である貴賓館の一室では、外の熱気とはまた違う熱気が気炎を上げて全てを熱していた。

 室内にいるのは仮の玉座に座るランポッサ三世と、その隣に立つ戦士長ガゼフ・ストロノーフ。逆隣には第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフが椅子に腰かけており、彼らの目の前には多くの貴族たちが大きな一つのテーブルを囲むように立っていた。

 テーブルの上にはエ・ランテルや戦場となるカッツェ平野が描かれた地図が置かれており、その上には更に白と黒二色の駒が並べられている。

 白は王国軍、黒は帝国軍を想定して並べられており、駒の数は白が二十五個で黒が六個と、白の方が圧倒的に多かった。

 

「――……さて、これで取り敢えずは準備が終わりました。これより帝国との戦争に向けて計画を進行させます」

 

 会議を率先して進行させていたレエブン侯が口を開いてこの場にいる全員に声をかける。この場に集う王侯貴族の全員が思わず大小様々な息を吐き、目の前のテーブルに広がる駒と地図を見やった。

 今回の戦場も例年通りのカッツェ平野。

 宣言書により例年通りの戦場を指定してきた帝国に、貴族たちも一時は『帝国もいつも通りの小競り合いで終わらせるつもりなのだろう』と考えていた。

 しかし現在カッツェ平野に集められている帝国軍の数が例年以上に多いという情報が届き、室内は一気に重苦しい緊張感を漂わせることになったのだった。

 

「今回、帝国の拠点で確認できたのは六軍団分の紋章……つまり例年よりも一.五倍多い六万の軍が揃っている可能性があります。今回の我ら王国軍の総兵力は二十五万で数的には圧倒的に優位と言えますが、先日話題に上ったワーカーチームの噂もあるため決して油断はできません。皆さん、計画通りに慎重に行動していきましょう」

「そういえば陛下、今年は法国からの書状は届いていないのですか?」

 

 誰もがレエブン侯の言葉に頷く中、不意に六大貴族の一つであるブルムラシュー侯がランポッサ三世に問いを投げかける。ランポッサ三世は自身に向けられる貴族たちの目を感じながら、ブルムラシュー侯からの問いに重々しく頷いて返した。

 ブルムラシュー侯が口にした“法国からの書状”と言うのは、毎年王国と帝国が矛を交える度に法国が送ってくる宣言書のことだ。

 内容はいつも同じで、『エ・ランテル近郊は元々はスレイン法国のものであり、現在、王国は不当な占拠を行っている。正当な持ち主に返還しなければならない。かつ不当な権利を巡って争うのは遺憾である』というものである。

 毎年この書状が届く度に『部外者が嘴を突っ込んでくるな』と誰もが顔を顰めていたのだが、何故か今年はその書状が届いていない。一体どういった風の吹き回しか……と誰もが首を傾げ合う。

 しかしどんなに疑問に思い首を傾げたところで分からないものは分からず、時間ばかりが過ぎるばかりだ。ランポッサ三世や貴族たちは未だ疑問を燻らせながらもこの問題は脇に寄せると、これからの確かなことについて集中することにした。

 

「それでは皆様、帝国からの指定通りカッツェ平野へ皆様の軍はすぐ出立できますか?」

「我が軍は問題ない」

「私の軍もすぐに出立できる」

 

 レエブン侯の確認の言葉に、多くの貴族たちが頷いて肯定する。

 そんな中、今まで大人しくしていた六大貴族の一人であるリットン伯が何かを思いついたような素振りと共にランポッサ三世を振り返った。

 

「……そういえば、例のワーカーチームと言えば、確かカルネ村なる辺境の村と関係があったとか……。その村で戦士長殿も彼のワーカーたちに助けられたという話でしたな?」

「……はい。カルネ村が襲われていたところを彼の御仁たちが助け、その後私も謎の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団からこの命を救って頂きました。確か、仲間の一人をカルネ村に留め置き、ネーグル殿自身も定期的にカルネ村を訪れては何かと助力しておられるようです」

「であれば、その村に軍を送り、その仲間の一人や村人たちから詳しい話を聞きだした方が良いかもしれませんな! もしご命令頂ければ、この私がその村に赴きましょうっ!」

 

 リットン伯の提案に、周りから『おおっ!』という声が騒めきのように沸き起こる。

 声を上げた面々を見ればあまり地位が高くない貴族たちばかりで、恐らく誰かの腰巾着であることが窺い知れる。声を上げていない他の貴族たちは誰もがどこか白けた視線をリットン伯に向けており、彼らは全員がリットン伯の裏の目的を察しているようだった。

 カルネ村に行くというリットン伯の目的……、それは自身の安全と、もしかしたら手にするかもしれない大きな手柄。カルネ村に行くことで戦場から離れて自分自身の安全と自分の兵の損害を最小限に食い止め、またカルネ村に行き“サバト・レガロ”の弱みや交渉材料でも見つけられれば思わぬ手柄を手にできる可能性もある。自身の安全と権力を手に入れるためなら何でもする彼らしい、何とも姑息な考えだ。

 しかしカルネ村で情報収集をするという考え自体は決して間違っているものではなく、最終的にはランポッサ三世も一つ頷いてそれを許可した。

 

「良いだろう。カルネ村に向かい、村人たちから話を聞いてくるがよい」

「ははぁっ!!」

 

 自分の思い通りに事が進み、リットン伯は大袈裟なまでに深々と頭を垂れて礼をとる。リットン伯の斜め前に立っていたボウロロープ侯は苦々しい表情を浮かべ、睨むようにリットン伯を見つめた。

 自分と同じ貴族派閥の貴族が王に頭を下げたことが気に入らないのか、はたまたリットン伯の提案を自分がするつもりだったのか……。

 王派閥の貴族たちが探るような視線をボウロロープ侯に向け、それに気が付いたボウロロープ侯はすぐに表情を元に戻すと、改めて目の前の仮の玉座に座るランポッサ三世に目を向けた。

 

「……陛下、それでは最後に一つ決めねばならぬことがあります。……全軍指揮は誰に任せようとお考えなのでしょうか?」

「「「……!!」」」

「私であれば問題はありませんが?」

 

 仄暗い笑みを浮かべながら言葉を続けるボウロロープ侯に、王派閥の貴族たちが次々と苛立たしげに表情を歪める。ボウロロープ侯の言葉は丁寧なもので、あくまでも伺いをたてるという形をとってはいたが、その言葉の意味合いとしては『全軍の指揮権を自分に寄越せ』というものだった。貴族派閥筆頭のボウロロープ侯が王派閥筆頭のランポッサ三世に行う無礼な振る舞いに、王派閥の貴族たちはボウロロープ侯を睨み付け、貴族派閥の貴族たちは窺うようにランポッサ三世を見やる。

 一気に重苦しくなる緊張感の中、数分の静寂の後、ランポッサ三世は一つ息を吐いた後に再び口を開いた。

 

「………レエブン侯……」

 

 誰もが王の言葉に注目する中、王の口から出た名前は自身のものでもボウロロープ侯のものでもない。

 名を呼ばれたのは、蝙蝠と呼ばれ、貴族派閥にも王派閥にも広い人脈を持っているレエブン侯だった。

 

「侯に任せる。全軍を無事、カッツェ平野まで進軍させよ。そして軍の展開、および陣地の作成を任せる」

「畏まりました、陛下」

 

 王命を受け、レエブン侯が素知らぬ顔で応えて頭を下げる。

 ボウロロープ侯は顔に浮かべていた笑みを消すと、次には無表情のまま鋭い視線をレエブン侯に向けた。

 

「……レエブン侯、私の軍も任せるぞ。何かあったら言ってくれ」

「ありがとうございます、ボウロロープ侯。その時はお願い致します」

 

 両者とも声音は静かで落ち着いたものではあったが、交わしている視線はどちらも冷ややかで鋭いもの。両者の間で見えないはずの火花が激しく散っている様に見えて、再びこの場に強い緊張感が走り抜けた。思わずこの場にいる誰もがごくりと生唾を呑み込む中、ある意味この空気を作り出した一人であるランポッサ三世が一触即発の空気を打ち消すように再び口を開いた。

 

「それでは皆、出陣の準備を始めよ。戦場までは二日はかかるだろう、明日にも出る。準備は怠らないように。では解散」

 

 王の言葉に、緊張感が解けた貴族たちが次々と一礼と共に部屋を出ていく。

 ゾロゾロと我先にと去っていく貴族たちに、今まで大人しく会議の行く末を見つめていたバルブロもまた無言のまま座っていた椅子から立ち上がった。まるで引き止めるように声をかけてくる父王に『外の空気を吸ってくる』と言い捨て、半ば無理矢理足早に部屋を出ていく。そのまま暫くズンズンと廊下を突き進むと、見えてきたテラスまで歩み寄って漸く足を止めた。

 テラスに出てみれば冬が近いことが分かる冷えた空気が強い風となって全身を撫ぜ、一階の中庭が眼下に広がる。

 ここは二階のテラスであるため中庭を上から見下ろす形になり、しかし現在は秋ということもあって見渡せる中庭の美しさは春などに比べると半減しているように思えた。

 

 

 

 

 

「――……おや、これはバルブロ様ではございませんか」

「……っ……!!」

 

 テラスから中庭を睨むように見下ろしていると、不意に背後から聞き覚えのある声に名を呼ばれて反射的に振り返る。

 そしてそこにいた人物に、バルブロは驚愕に大きく目を見開いた。

 

「お前……! フロドゥールではないか! 何故お前がここにいるのだ!」

「実は私のお得意様が現在こちらに来ておりまして。本日はその方にどうしてもと頼まれましてこちらに伺っているのですよ」

「お得意様だと? 一体誰だ」

「それはどうかご容赦を。信用問題に関わりますので」

「むっ、……そ、そうだな……。これは俺が悪かった」

「いえいえ。ただ、バルブロ様も良く知る方であるとだけお伝えしておきましょう」

 

 流石にマズいことを聞いたと思ったのだろう、彼にしては珍しく素直に謝ってくる。

 フロドゥールはいつものどこか力のないふにゃりとした笑みを浮かべると、ゆるゆると頭を横に振った。

 

「……そういえば、バルブロ様は“例の物”は無事に持ってくることができたのですか?」

「あ、ああ、……この俺を誰だと思っている。思ったよりも簡単だったぞ!」

「それはようございましたね。後は本番で存分に有効活用できれば、誰もがバルブロ様の賢明さや偉大さを知り、その膝下にひれ伏すことでしょう」

「ふんっ、当然だ!」

 

 フロドゥールの言葉に、バルブロは気を取り直したように嬉々とした笑みを浮かべて大きく胸を張る。

 その傲慢で酷く愚かな姿に、フロドゥールは柔らかな笑みを浮かべながらも内心では呆れたため息を零していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、ここはエ・ランテルにある冒険者組合(ギルド)

 いつもは多くの冒険者たちで賑わうエントランスでは、現在これまでにない来訪客によっていつもと違った騒めきが起こっていた。

 エ・ランテルを拠点としている冒険者たちは全員が部屋の隅に寄り、一心にエントランス中央に立っている“彼女たち”を見つめている。

 彼らの視線の先には、リ・エスティーゼ王国に三組しかいないアダマンタイト級冒険者チームの一つである“蒼の薔薇”のメンバーが素知らぬ顔で立っていた。

 彼女たちがこのギルドに顔を出したのは数分前。受付の女に何やら声をかけ、それから一歩たりとも動かずに何かを静かに待っている。

 いや、一度だけ仮面の少女が“漆黒の英雄”モモンの所在について受付の女に問いかけ、現在彼らがエ・ランテルを留守にしていると知ると大きく肩を落としてはいたが、それ以降は何事もなかったように微動だにしていない。

 彼女たちは一体何故こんな時期にここに来たのだろう……と誰もが首を傾げる中、ドタドタという慌ただしい大きな足音と共に、エ・ランテルの冒険者ギルドの長であるプルトン・アインザックが受付けの女を従えて姿を現した。

 

「これは“蒼の薔薇”の方々! ようこそ、エ・ランテルの冒険者ギルドへ! お待たせしてしまい申し訳ない!」

「いいえ。こちらこそ、突然押しかけてきてしまいまして申し訳ありません。少しお話ししたいことがあるのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 足早に駆け込んでくるアインザックに、“蒼の薔薇”のリーダーであるラキュースが謝罪の言葉を口にする。続いて口に出したお願いに、アインザックは微かに首を傾げたもののすぐに了承して彼女たちを二階に促した。アインザックが彼女たちの先頭に立って二階にある会議室に案内し、念のためついて来ていた受付の女に人払いをするように指示を出す。それでいて扉をしっかりと閉めると、アインザックはラキュースたちに室内にある椅子に座るように促してから自らも彼女たちと対峙するような形で大きなテーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろした。

 

「それで……、早速ですが、この度はどのような用件でこのギルドに来られたのだろうか?」

「はい、これからの行動について誤解がないようにするため、事前に説明するために参りました」

「これからの行動……というと……?」

 

 チームを代表して話し始めるラキュースに、しかし彼女の言葉の意味が分からずアインザックは怪訝に顔を顰める。

 ラキュースは言葉に迷うように一度口を閉ざすと、一つ深呼吸をした後に真っ直ぐにアインザックを見つめた。

 

「数日後、王国は例年通り、カッツェ平野で帝国軍と戦うことになっています。私たち“蒼の薔薇”も、その時にカッツェ平野に向かいたいと思っています」

「……!!?」

「ですが、それは戦に参加するためではありません。それを事前にお伝えするために、こちらまで伺った次第です」

 

 冒険者はギルドの規定により、人間同士の争いには関われないことになっている。それは国同士の争いに対しても同様であり、もしこれに冒険者が参加したとなれば、多方面で問題が起きることになるだろう。それがアダマンタイト級冒険者であれば尚更だ。

 恐らく彼女たちはそれを懸念して事前に冒険者ギルドに説明しに来たのだろう。

 しかし、そもそも何故彼女たちが戦場に行こうとしているのかがアインザックには理解できなかった。

 

「……先ほど、戦に参加するつもりはないと仰ったが……それでは何故戦場に行かれるつもりなのだろうか?」

「………ギルド長は、今回の王国と帝国との戦争について、ある一つのワーカーチームの噂が流れていることをご存知でしょうか?」

「ワーカーの噂? ……ああ、確かにそんな噂が流れているというのは私も聞いたことがあるが……」

「実は王都でも数か月前から“ある帝国のワーカーチームが今回の王国と帝国との戦争に参加する”という噂が流れているんです。そしてそのワーカーチームは、私たちが以前とてもお世話になった方たちでした」

「……………………」

「私は、どうしても彼らを……彼を止めたい……! ……いえ、止めることはできないかもしれない……。それでも……、彼が何故この戦に参加するに至ったのか、私はどうしても知りたいのです」

 

 そのために戦場に行くのだと言うラキュースの強い眼差しに、アインザックは思わず言葉を失って黙り込んだ。何を言うべきか分からず、一度は口を開くものの、すぐに何も言えずに閉じてしまう。

 ラキュースの熱意や考えの一部は分かった。しかしそれでもなお、どうにも納得はできなかった。

 彼女の言うワーカーの話が噂である以上、そのワーカーが本当に帝国軍と戦場に出るとは限らない。また、仮にそのワーカーたちが本当に戦に参加するのだとしても、彼女たちが戦場に出ることでそのワーカーたちの真意が分かるとも思えなかった。

 

「あなた方の考えは分かりました。しかし戦場に出たからといって、そのワーカーの真意は分からないのでは?」

「いいえ。実は先日一度帝国の帝都に赴いてそのワーカーの方と会ってきたのです。その時、彼は『全てにはそうなることの理由がある』こと、そして『全ては王国の行動次第』であると言っていました。つまり彼らは高い確率で戦に参加するということです。……そして、戦場での王国軍の動きとそれに対する反応を見ることができれば、彼らが何故今回の戦に参加するのか、その理由が分かると思うのです」

 

 少し身を乗り出しながら言葉を続けるラキュースに、アインザックは驚愕のあまり開いた口が塞がらなかった。

 彼女の言葉もそうだが、何より一度帝国帝都に行ったというその行動力に驚かされた。それだけでラキュースの必死さが伝わってくる。

 恐らくこれはラキュースにとって非常に大切で重要なことなのだろう。

 しかしそう思う一方で、アインザックはどう彼女たちに言ったものかと頭を悩ませた。

 彼女たちの考えは良く分かった。戦場には行くものの、戦自体に参加するつもりはないということも分かった。

 しかし、それが分かったところで『はい、分かりました。では行ってらっしゃい』と簡単に送り出せるものではなかった。

 彼女たちの真意や目的がどうあれ、戦場に赴いていることには変わりない。いくら戦に参加しなかったとしても、戦場で彼女たちの姿を見れば、誰もが“冒険者が戦に参加している”と思うだろう。そしてそれが噂などになった場合、冒険者ギルドがいくら否定したところで明確な証拠がない限り、完全に打ち消すことは難しい。冒険者ギルドと国との力関係は崩れ、“蒼の薔薇”の立場も危うくなるかもしれない。

 本音を言えば『行かないでほしい』と止めたいが、目の前のラキュースを見る限り、その意志は固そうだ。無理に止めれば、一人で無茶な行動を起こす可能性も十分に考えられる。

 一体どうしたものか……と思わず眉間に皺を寄せて小さな唸り声を零すアインザックに、今まで黙り込んでいた他の“蒼の薔薇”のメンバーたちが口々に声をかけてきた。

 

「……無茶を言っていることは承知だが、どうにもウチのリーダーは頑固でな。ここは黙って送り出してほしい」

「戦争自体には参加しないと改めて約束する」

「何なら契約書とかを用意してもらっても構わない」

「まぁ、なんだ……そんなに周りの目が心配なら、最低限の装備だけ持ってカッツェ平野に行くのでも構わねぇ。俺たちはカッツェ平野での戦場の様子が見られればそれで良いからな」

「っ!! そ、それは違う意味で許可できんぞ!」

 

 最後のガガーランの言葉に、アインザックは目をむいて思わず大きな声を上げた。

 いくら戦場には立たないと言っても、彼女たちが赴くのはあの(・・)カッツェ平野なのだ。

 彼女たちがアダマンタイト級冒険者でその実力は確かなものであっても、いつアンデッドが襲ってくるかも分からない場所に軽装備で行かせるわけにはいかなかった。

 

「……はぁ、分かりました。では、契約書をしたためる方法でいきましょう。いくら戦自体に参加しないとはいえ、軽装備でカッツェ平野に行くのはあまりにも危険です。“戦には参加しない”という契約書に署名して頂けるのなら、カッツェ平野に行くことを許可しましょう」

「ありがとうございます。無理を言ってしまって、すみません」

 

 大きなため息と共に妥協案を提示すれば、ラキュースは申し訳なさそうな表情を浮かべながら大きく頭を下げてくる。

 アインザックはそれに一つ頷くと、『早急に契約書を用意するため、また明日ここに来てもらいたい』とラキュースたちに頼んだ。それに“蒼の薔薇”の面々も大きく頷いて承知する。

 ラキュースたちは改めてアインザックに礼を言うと、会議室を出て冒険者ギルドを後にした。

 無言のまま街中を歩きながら、ふと多くの人で溢れている街並みを見回す。

 誰もが暗い表情で足早に通り過ぎていく光景に、ラキュースだけでなく“蒼の薔薇”のメンバー全員が大なり小なり顔を翳らせた。

 

「……どうにも辛気臭くていけねぇな。これだから戦争ってのは好かねぇぜ……」

「まぁ、彼らは数日後に生きているかどうかも分からない状況だからな。楽観的になれと言うのも難しいだろう」

「街に住んでいる人たちも不安そう。まるで今から葬式にでも行くみたい」

「街のすぐ傍が戦場になるんだから気持ちは分かるけど……」

 

 街の人々を見つめながらガガーランたちが次々と各々の感想を呟く。彼女たちの歯に衣着せぬ鋭い意見の数々にラキュースは苦笑を浮かべることもできずに更に表情を翳らせた。

 王国と帝国の戦は決してラキュースに責任はないのだが、かといって王国の貴族の一人としてまったく何も感じないほどラキュースは図太くも無神経でもなかった。

 王女とも親交のある自分であれば何かできることがあったのではないか……、少しでも王国の国民の犠牲が減るように行動すべきではなかったのか……。

 そんな考えが絶えず頭を過ぎり、その度に緩く頭を横に振る。

 大きくため息を吐いて何とか気持ちを切り替えようと試みる中、ふと視界に見覚えのある大きな影が過ったことに気が付いて、ラキュースは反射的にそちらに目を向けた。

 

「……! ……ストロノーフ様!」

「……!? ……これは、アインドラ殿。……それに“蒼の薔薇”の方々も……。何故こんな所に?」

 

 ラキュースの視線の先にいたのは、いつもの戦士長としての鎧を身に纏ったガゼフ・フトロノーフ。

 彼の後ろには白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年が立っており、彼もまたこちらの存在に気が付いて驚愕の表情と共に慌てて頭を下げてきた。

 

「よう、童貞も一緒だったのか! 元気そうだな」

「これはガガーラン様……じゃなくて、ガガーランさん。それに“蒼の薔薇”の皆さんも……。こんな所でお会いするとは思ってもいませんでした」

 

 全身鎧の少年……王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに仕える兵士であるクライムが驚愕と困惑が綯い交ぜになった表情を浮かべてくる。

 ガガーランが思わず苦笑と共に肩を竦めてこちらをチラッと見つめてくるのに、ラキュースもまた小さな苦笑を浮かべた。

 どう説明したものかと頭を悩ませる中、不意にイビルアイがガゼフとクライムを交互に見やった。

 

「そういえば、二人は今からどこかに行くつもりだったのか?」

「あっ、は、はい。あちらの城壁塔に少し行ってみようという話になりまして」

 

 その言葉と共に指さされたのは、この街を囲んでいる城壁に造られている、物見台の役目もある一つの塔。

 誰もいないだろうその塔は、この澱んだ空気漂う街の中では少しは呼吸のしやすい場所であろうことが窺い知れる。また、ちょっとした秘密の話をするにも適しているように思えて、ラキュースは少し申し訳なく思いながらも改めてガゼフを見やった。

 

「もし宜しければ、私たちもご一緒しても良いでしょうか? 私たちが今ここにいる理由もお話ししたいですし……」

「あ、ああ……、私は構わない。クライムも構わないか?」

「はい、自分も何も問題ありません!」

 

 念のため……といったようにクライムにも訪ねるガゼフに、クライムは当然だと言うように大きく頷いて承知してくれる。

 ラキュースは二人に礼を言うと、この場にいる全員で塔の頂上に向かうことにした。

 塔の中にある長い階段を上っていき、数分かけて吹き抜けの頂上に辿り着く。

 塔の上からはエ・ランテルの街並みだけでなく戦場となるカッツェ平野も一望でき、その絶景に誰もが無意識に感嘆にも似た息を小さく零していた。

 

「こいつはすげぇな!」

「はい、とても素晴らしい景色です! ……あちらが戦場となるカッツェ平野ですよね」

「そうだな。霧の立ち込めるアンデッド多発地点。そして数日後の戦場だ」

 

 ガガーランが零した言葉に、クライムが大きく頷きながら現在霧が立ち込めている平野を指さす。

 次に頷いたのはガゼフで、確認の意味合いの強い少年の言葉に肯定すると、続いてラキュースたちを振り返った。

 

「それで……、何故皆さんはこちらに来られたのだろうか?」

 

 言外に『この場で教えてくれるのだろう?』と問いかけてくる彼に、ラキュースは一つ頷きながらも少しの間黙り込んだ。

 言葉や話す内容、どういった順序で話すべきかを思案し、頭の中を整理しながらゆっくりと口を開いた。

 

「……まずは、改めて謝らせて下さい。ご依頼いただきましたのに、ワーカーチーム“サバト・レガロ”を王国の味方になるよう説得するどころか、止めることも、何故この戦争に参加するのか、その理由すら明らかにすることができませんでした。……本当に申し訳ありません」

「いや、そのことについてはどうか謝らないでいただきたい。彼の御仁は一筋縄ではいかない相手、この戦に参加するのかどうかだけでも分かって良かったと思っている。そのおかげで対策もすることができた」

「対策、ですか……」

 

 ガゼフの言葉に、ラキュースはチラッと都市内の民兵たちが集まっている駐屯場所に目を向けた。

 そこには一様に暗い表情を浮かべた多くの民兵たちが忙しなく動いている。

 ガゼフの言う“対策”というのは彼らそのもののことであり……つまり、例年以上の民兵を集めて物量で対処すると言うことなのだろう。

 確かに物量を増やすという対策は――多くの人間を一カ所に集める労力や物資に対する損失の問題はあるものの―― 一番手っ取り早く実行も容易い方法ではある。また、強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)に対する対策と一言で言っても、実際にどういった方法があるのか考えるのも難しいだろう。王族や貴族たちが物量に頼るのは仕方がないと言えるし、またたった一人の人物に対してここまで物量を増やすと言うのも些か過剰であるとも言えるのかもしれない。

 しかしラキュース個人としては『本当にこれで大丈夫だろうか……』という気持ちの方が強かった。

 どんなに物量を増やしたところで、レオナールが本気になれば意味をなさない。彼を阻止するどころか、被害を増やしてしまうだけに終わるだろう。

 強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイビルアイを仲間に持っているラキュースだからこそ、確信をもって断言することができた。

 恐らくガゼフもラキュースと同じ考えなのだろう、彼は口を引き結んで無言を貫いている。

 自然と重苦しくなる空気の中、クライムが何かを考え込むように小さく顔を俯かせた。

 

「ワーカーチームの“サバト・レガロ”……。確か、以前王都が悪魔の襲撃を受けた際に力を貸して下さった方でしたよね……」

「ええ、その認識で間違いないわ」

「私は遠目でしか見たことがありませんでしたが……、そんなにお強い方なのでしょうか? あっ、いえ、あの悪魔たちを追い払ったのですから、お強いのは間違いないのでしょうが……!」

 

 慌てて言葉を付け加えながらも小さく首を傾げるクライムに、ラキュースは思わず小さな苦笑を浮かべた。

 魔法を使えない兵士であるクライムには、魔法詠唱者(マジックキャスター)であるレオナール・グラン・ネーグルの強さは今一分かり辛いものなのだろう。

 ただでさえ魔法というのは同じ物でも使う術者の力量によって威力が変わってくる。また、たとえば同じ第三位階の魔法まで使える魔法詠唱者(マジックキャスター)同士であっても、その実力は人それぞれなのだ。

 違う畑である兵士であり、また冒険者と違って多くの魔法詠唱者(マジックキャスター)と接する機会の少ないクライムが今一理解できないのも仕方がないことだった。

 

「……少なくとも、私やガガーランたちよりも強いのは確かでしょうね。イビルアイとは……いい勝負ができるかもしれないけれど」

「……フンッ、どうだろうな……。あいつから感じ取れる気配は不気味なほど希薄だからな。私でもあいつの力は今一分からないでいる」

「ガ、ガガーランさんやアインドラ様よりも、ですか……!? それは……もしや、セバス様と同じくらいお強いのでしょうか……」

「セバス……? ……ああ、“六腕”討伐の際に力を貸してくれたという御仁のことか。俺はそのセバスという御仁に会ったことはないから断言はできないが、もしかしたら同じくらい強いのかもしれないな」

 

 なおも小さく首を傾げながら思案するクライムに、ガゼフも思考を巡らせながら一つ頷く。

 ラキュースは内心ではそのセバスという老人とレオナールが同程度の強さだとは思えなかったが、それでも実際に口に出すことはしなかった。

 代わりに、自分たちがここにいる理由を話すことにする。

 

「私たちは、ネーグルさんが何故今回の戦に参加するのか……その理由を確かめたいと思っています。ですので今回の戦を見届けるためにここまで来ました」

「なんと……! それは……大丈夫なのか?」

「心配して下さって、ありがとうございます。ですが、先ほど冒険者ギルドにも説明しに行って許可を頂いたので問題ありません」

「鬼ボスは頑固。ギルド長も困ってた」

「仕方なく許可をくれたのが丸わかり」

「二人とも、ちょーっと黙っていてくれるかしら?」

 

 やれやれ……とばかりに両手を軽く挙げて首を横に振る双子の忍者に、途端にラキュースの顔が大きく引き攣る。

 しかしそれに一切構うことなく次はほぼ同時に肩を竦める双子の忍者に、不意にクライムが思案していた顔を上げて“蒼の薔薇”の全員を順に見回した。

 

「……ということは、つまり……皆さんは戦場には来られるものの、戦自体には参加されないということでしょうか?」

「まぁ、そういうことだな。俺たち冒険者が堂々と人間同士の争いに手を貸すわけにはいかねぇからな」

「そう、ですか……」

 

 ガガーランの言葉に、クライムが見るからに残念そうに肩を落とす。

 戦場とはいつ何が起こるか分からない場所だ。クライムとてどんな状況になろうとも戦う覚悟は持っているだろう。しかしそれでも、ガガーランたちがいたならとても心強いと思ってくれたのかもしれない。

 何だかんだで面倒見がよく、クライムのことも気にかけているガガーランが慰めるように少し強い力でクライムの背中を叩く。

 しかしクライムにとっては些か強すぎたのか、前のめりになって咳き込んでいる姿に、ラキュースは小さな笑みを浮かべて改めてカッツェ平野を見やった。

 ここからでは見えないが、このカッツェ平野の先に帝国軍の基地があるはずだ。帝国軍は今も戦の準備を進めており、もしかすればレオナールも既にそこにいるのかもしれない。

 ラキュースは込み上げてくる不安を必死に抑え込みながら、無言のまま強く拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に染まった人気のない街道。

 エ・ランテルから北に続く一本の線に、多くの蹄の音と足音、そして数多くの影が現れて突き進んでいた。

 等間隔で掲げられている松明の光が影の姿をユラユラと浮かび上がらせている。

 街道を進んでいるのは六大貴族の一つであるリットン伯とその付き添いであるチエネイコ男爵とロリンス男爵。そして彼らの所持している兵……騎兵250人、歩兵2750人の計3000人もの軍だった。

 彼らが向かっているのは辺境の村であるカルネ村。

 普通は朝や昼の明るい頃に軍を進めるのが安全で一般的ではあるのだが、では何故彼らは夜である今軍を進めているのかというと、同じ六大貴族であり貴族派閥の筆頭であるボウロロープ侯に圧力をかけられ命じられたためだった。

 彼らの所持している軍勢は3000人。

 今回の戦の王国軍の総勢は25万人であり、それに比べれば微々たるものに思えるかもしれないが、しかし実際の戦場ではその3000の兵があるかないかだけでも大きな影響が出てくる場合も多々存在する。『戦というのはいついかなる時も万全な状態で臨むものだ。どんな指令を受けていたとしても、その万全の状態を維持しなくてはならない』というのがボウロロープ侯の言である。

 つまり『さっさとカルネ村の件を終わらせて戦場に戻ってこい』と遠巻きに言ってきたのだ。

 リットン伯からすれば自分の安全と自分の兵の損失をなくすための当初の目的を挫かれた形になり内心では苦々しくて仕方がなかったが、しかしボウロロープ侯に逆らう方がよっぽどマズかった。

 

「チエネイコ男爵とロリンス男爵、先を急ぐぞ。何事もなければ朝にはカルネ村に到着できるだろう」

「しかし、周囲の警戒が疎かになっては危険ではありませんか?」

「なに、心配されることはないですぞ、チエネイコ男爵! このように松明も幾つも燃やしておりますし、これほどの軍勢であれば魔物どもも襲っては来れますまい!」

「なるほど! 確かにロリンス男爵の仰る通りですな!」

 

 不安そうな表情を浮かべるチエネイコ男爵に、ロリンス男爵が自信満々な笑みを浮かべてそれを諌めている。

 最後にはチエネイコ男爵も納得して大きく頷く姿を横目に見ながら、リットン伯は進軍の速度を上げるように後ろの兵たちに指示を出した。

 たとえ本当に何かしらの不測の事態が起こってカルネ村から戻るのが遅れたとしても、ボウロロープ侯はそんなものはお構いなしに処罰をしてくるだろう。ならば少しでもボウロロープ侯の感情を害さぬように先を急いだ方が良い。

 夜の闇の中で進軍速度を上げる危険性に渋る兵たちを叱りつけながら、リットン伯は『何としてもカルネ村で少しでも成果をあげなければ!』と内心で大きく舌打ちするのだった。

 

 




早く話を進めたいのに、なかなか話が進まない~~……。
そして至高の御方が一人も出ないと途端に執筆速度が落ちる……(汗)
至高の御方々の存在は偉大だ……!


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第82話 従属の闘志

やったー、久々に一か月以内に更新できたぞっ!
今回は少し(?)長めとなっておりますので、よろしくお願い致します。
また、ひっさびさにエンリちゃんとペロロンチーノ様の絡みが少しあります!
どうぞお楽しみくださいvv


 多くのアンデッドや魔物が蠢く呪われた地、カッツェ平野。

 赤茶けた大地が広がり、緑は殆どなく、通常は濃い霧にいつも覆われている。しかし王国と帝国が戦う時だけは何故か濃い霧は消え去り、アンデッドや魔物たちの姿も一切なく、まるで二国の争いを歓迎しているかのように何もない大地が白日の下に晒される。

 そして今もまた、濃い霧が晴れて太陽の温かな光が荒廃した大地に降り注いでいた。

 何も遮ることのない赤茶けた大地と、呪われた地の外である緑豊かな穏やかな大地。まるで人為的に引いたかのように赤茶色と緑が大地に線を引いている。

 そして線の外側……緑豊かな大地の方に一つの大きな建物が築かれていた。

 幾つもの大きな丸太によって作られた立派な塀と、尖った木の枝が等間隔に設置された堀。高く聳え立つ塀の向こうには無数の旗が風に大きく揺らめいている。

 ここは帝国軍のカッツェ平野駐屯基地。守りやすく攻めやすいなだらかな丘陵地帯の上に築かれたそれは、正に帝国が誇る巨大で堅牢な大要塞だった。

 また内部も非常に広々としており、用途に合わせて整然と区画が設けられている。

 その中で多くの天幕が並ぶ区画……主に軍議や物資などが保管されている区画にて、一際大きな天幕の中で三人の男たちが向き合うように椅子に腰かけて顔を突き合わせていた。

 三人の男の内、一方は穏やかな風貌の白髪の壮年の男。騎士の鎧を身に纏ってはいるものの、男の容姿や雰囲気は騎士というよりもむしろ温厚な貴族を思わせる。

 一方残りの二人は漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏っており、どちらも度合いはあれど壮年の男よりかは騎士然としていた。金色の長い髪を後ろに一つに括った厳めしい表情の男と、金色の短い髪に深い蒼色の瞳を持った端整な顔立ちの美青年。帝国に名高い四騎士、“雷光”バジウッド・ペシュメルと“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックである。

 

「――……しかし、まさかバジウッドまで来るとは思わなかった。いつも陛下と皇城にいることの方が多いだろう。どういう風の吹き回しだ?」

 

 白髪の壮年の男……帝国第二軍の将軍であり、今回の戦では最高責任者でもあるナテル・イニエム・デイル・カーベインがバジウッドに心底不思議そうな表情を向けて問いかける。彼の向かいに腰を下ろしているバジウッドは一つ肩を竦めると、次にはニヤリとした笑みを浮かべてみせた。

 

「あんたも今回の戦に参加するワーカーについては陛下から聞いてるだろ? 俺はあいつが気に入っててな。もしあいつが戦うことになるなら、近くでそれを拝みたいと陛下に頼み込んだのさ」

「……バジウッド殿、もう少し言葉を改めては?」

「いや、そんなに気にしなくても良いぞ、ニンブル。君たちは別に私の部下でも、指揮下に入るわけでもないのだからな。君も気軽に接してくれて構わない」

「い、いえ、そうおっしゃいましても……」

 

 カーベインからの提案に、ニンブルは心底困って苦笑と共に黙り込む。いくら本人に『砕けた口調で話しかけてもらって構わない』と言われても、とてもではないがそれに従うことはできなかった。

 確かに帝国四騎士であるバジウッドとニンブルは、地位としては将軍と同格ではある。それを考えれば、バジウッドやニンブルがカーベインに対して気安く接することも決して咎められることではないだろう。しかしカーベインは先代の皇帝にその才を認められて今の地位にまで昇りつめ、今では堅実な指揮官として名高い将軍である。年齢や経験、貫禄、人としての格の違いを感じさせる尊敬する人物に対し、そんな気軽な態度など取れるわけがなかった。そんなことができるのは、皇帝にすら気軽に接するバジウッドくらいである。

 カーベインもそれは分かっているのだろう、二度は勧めずにニンブルと同じような苦笑を浮かべると、次には再びバジウッドへと目を向けた。

 

「それで、件のワーカーのことだったな……。確かにそのチームが此度の戦に参加することは既に聞いている。しかし、それほどまでのチームなのか?」

「それほどのチームだな。三人チームで他の二人についてはそこまで分かっていないんだが、少なくともリーダーであるレオナール・グラン・ネーグルは俺たちよりも強い」

「あの闘技場の武王と対等に渡り合えていましたからね。……それに今回、例年以上の軍勢を揃え、“サバト・レガロ”にも要請をかけたのは、王国軍が王都を襲撃した悪魔たちの残したアイテムを持ち込んでくる可能性があるためです。また、たとえ今回の戦には持ち込んでこなかったとしても、今後いつそのような事態になるか分かりません。そのため、今回の戦で王国に相応の打撃を与えることも目的にしております」

「……なるほど……。もし、王国軍が今回の戦にその悪魔のアイテムを持ち込んでいたとして、そのレオナール・グラン・ネーグルであれば対処することができるのか?」

「彼は悪魔の親玉の一体である“御方”なる悪魔を退けていますから」

「ふむ……」

 

 バジウッドとニンブルから齎される情報の数々にカーベインは何かを考え込むような素振りを見せた。恐らく『そんなに悪魔の残したアイテムとは強力な物なのだろうか?』という考えや『レオナール・グラン・ネーグルとはそれほどの人物なのだろうか?』といった思いが彼の頭を占めているのだろう。ニンブルも――悪魔のアイテムはともかく――レオナール・グラン・ネーグルの強さは実際にこの目で見ていなければ疑っていたかもしれない。

 しかしレオナール・グラン・ネーグルの力は本物だ。

 また、バジウッドにとってもニンブルにとっても、そして目の前のカーベインにとっても皇帝の言葉は絶対である。加えて三人とも、『あの方が言うのであれば間違いないのだろう』という皇帝に対する強い信頼も持っている。

 カーベインは熟考の末に一つ息を吐くと、軽く伏せていた顔を上げて改めてバジウッドたちを強く見やった。

 

「なるほど。であれば我々もより一層王国軍の動きには注意を払っておこう。……それにしても、何故そのワーカーは悪魔襲撃の際に王国の王都にいたのだ? わざわざ王国の者が帝国にいた彼らに依頼を出したわけではないのだろう?」

「王国にいる知り合いに会いに行っていたらしいぜ。それで王都の騒動に巻き込まれちまったとか……」

「それは……何とも、災難なことだな。それで解決してしまうというのも些か驚きではあるが……」

 

 カーベインが思わずといったように少し呆れたような表情を浮かべる。

 ニンブルも内心では同意して頷く中、不意に天幕の外から大きな声が響いてきた。

 

「お話し中のところ申し訳ありません! カーベイン将軍閣下! バジウッド閣下! ニンブル閣下!」

 

 人払いをしていた中で響いてきた大声。カーベインの部下のものであろう声に、恐らくそれだけ緊急の用件なのだろうことが窺い知れる。

 カーベインは目顔だけでこちらに謝罪すると、次には外に向かって声を張り上げた。

 

「入ることを許可する」

「失礼いたします! 帝国旗を掲げた馬車が門前に到着。開門を要求しております。開けてもよろしいでしょうか?」

 

 天幕に入ってきたのは、それなりに高い地位の騎士の男。彼は天幕の中に入って敬礼すると、続いてハキハキとした口調で用件を告げてきた。

 帝国旗を掲げた馬車というのは、今まさに話していた人物が乗っているものだろう。つまり噂の人物の到着の知らせに、バジウッドは面白そうな笑みを浮かべ、カーベインは表情を引き締め、ニンブルも表情を引き締めて無意識に背筋を伸ばした。

 カーベインは一度確認するようにこちらに目を向けると、次には改めて騎士を振り返って一つ大きく頷いた。

 

「分かった、すぐに通せ」

「はっ、畏まりました!」

 

 カーベインの指示に騎士は再び敬礼すると、すぐに踵を返して天幕を出ていく。

 三人は暫く騎士が出ていった出入り口の垂れ幕を見つめると、次にはバジウッドが大きなため息にも似た息を吐き出した。

 

「さぁ~て、それじゃあ俺たちもネーグルに会いに行くか!」

「そうだな。では君たちがそれほどまでに特別扱いする男を見に行くとしよう」

「勿論です、カーベイン将軍、バジウッド殿」

 

 次々と椅子から立ち上がるバジウッドとカーベインに、ニンブルも一つ頷いて素早く立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駐屯基地の外れで騎士に先導されながら一台の見事な馬車が静かに進んでくる。

 帝国旗を掲げているそれは車体が全体的に漆黒で金色の装飾が施されており、一目で超一級品であることが分かる。また、バジウッドやニンブルはそれが皇帝専用の馬車であることに気が付いた。

 まさか自分専用の馬車を貸し出すとは……と皇帝のレオナール・グラン・ネーグルに対する関心の高さを見てとり、ニンブルは驚愕や呆れや関心などが絡み合った複雑な感情を湧き上がらせる。

 しかし一つだけ、皇帝がこの馬車を使う場合と違う点が目の前の馬車にはあった。

 それは車体を引く馬。

 皇帝が馬車を使う際、その車体を引くのは八足馬(スレイプニール)という八脚の大きな魔馬である。しかし今車体を引いているのは、それとは別の魔馬だった。

 闇を凝縮したような漆黒の馬体に、背に生えている皮膜の翼。臀部からは筋肉に覆われた細長い尾が垂れ下がっており、長い鬣や蹄の毛が闇の炎のように逆立ち揺れ動いている。その佇まいも纏う空気も、そして漆黒の馬の顔に二つだけ浮かぶ深紅の瞳も静かで乱れ一つないのだが、しかしそれでもこの魔馬から受ける威圧感は相当なもの。まるで目の前に大きな何か――例えば死の世界に繋がる虚無のような――底冷えのする巨大な存在が立ちはだかっているかのような感覚に襲われ、ニンブルは鎧の下で大量の冷や汗に濡れながら無意識に震える両手を強く握りしめた。

 他の面々も大きく生唾を呑み込んで全身を強張らせている。

 誰もがたった一頭の魔馬に威圧される中、まるでその緊迫感を打ち消すように馬車の扉が内側から開かれた。

 

「――……これはこれは、これほどの方々に出迎えて頂けるとは光栄です」

「「「……っ……!?」」」

 

 馬車の中から姿を現したのは一人の男。

 その美しい容姿に、バジウッドとニンブル以外のこの場にいる全員が先ほどまでの恐怖も忘れて思わずといったように驚愕に息を呑んだ。

 何回か会ったことのあるニンブルですら未だにこの男の美貌を目の前にすると圧倒されてしまうため、彼らが驚いて呆然としてしまうのも無理はない。しかしすっかり男の容姿や存在感に呑まれてしまっている彼らの様子に、ニンブルは内心で焦りを感じ始めた。傍目から見ればただ呆然と突っ立っている様にしか見えない状態に、これではレオナールの中にある帝国の印象を悪くしてしまいかねない。

 どうにかしなければと咄嗟に咳払いをしようとしたニンブルに、しかしその前にカーベインが漸く我に返ったような素振りを見せた。見開いていた目を瞬きと共に元に戻し、次には彼自身が大きな咳払いを零す。それでいて次には落ち着いた表情を顔に貼り付けると、馬車から出てきた男……ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルに丁寧な礼をとった。

 

「ようこそおいで下さった。私は今回の帝国軍の総指揮を任されている、カーベインと申します」

「初めまして、カーベイン将軍閣下。私はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝陛下より依頼を受けて参りました、ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルと申します。このような大々的な歓迎をして下さり感謝いたします」

 

 カーベインから歓迎の言葉を受け、レオナールも答えるように柔らかな笑みと共に一礼して見せる。

 どこまでも優雅で美しいその動きは、幾度となくしてきた動作なのだろうことが窺えるほどに洗練されて乱れ一つない。

 まるで上等で高貴な身分の者ではないかと思わせる彼の所作にカーベインが再び小さな驚愕を見せる中、今まで黙っていたバジウッドがレオナールに歩み寄った。

 

「ようっ、ネーグル! 久しぶりだな!」

「……これはペシュメル様。まさかここで会うとは思っておりませんでした」

「折角お前の戦う姿が見られるかもしれないんだ。そんな機会を、この俺が逃すわけがないだろ」

 

 何故か胸を張って言いきるバジウッドに、ニンブルだけでなくレオナールも苦笑を浮かべる。

 そんな中、バジウッドは素早くレオナールが出てきた馬車を見やると、すぐにその視線をレオナールに戻した。

 

「そういえば、他の二人は来ていないのか?」

「ええ、レインは別の用事がありまして今回の依頼には参加しません。リーリエは不測の事態に備えて別の場所に待機させております」

「ほう、なるほどな。考えてるもんだ」

 

 人によっては“勝手な行動”と思われかねないレオナールの判断と行動に、しかしバジウッドは怒るどころか感心したような笑みを浮かべる。カーベインも怒るよりもむしろ観察するような目をレオナールに向けており、彼がレオナールに対して一種の警戒心のようなものを持っていることに気が付いてニンブルは緊張に身体を小さく強張らせた。何か一波乱起こるのではないかと急に胃が痛くなってきたような気がする。

 しかしそんなニンブルの不安を余所に、バジウッドはご機嫌な様子でレオナールの背に腕を回すと、そのまま駐屯基地内へと招いていった。

 

「リーリエの嬢ちゃんがいないのは他の騎士の連中にとっては残念だろうが、またの機会を期待してもらうとしよう。ほら、こっちに来いよ。基地内を案内してやる」

 

 帝国領外の駐屯基地とは言え、その内部も立派な機密情報に入ることを果たしてバジウッドは理解しているのだろうか……。

 さっさとレオナールと共に基地内へ歩いていってしまうバジウッドに、ニンブルとカーベインは慌ててその後を追いかけた。

 後ろでは御者の男が冷や汗を流しながら馬車を引いていた魔馬を何とかしようと四苦八苦していたのだが、ニンブルは敢えてそれに気が付かないようにした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時は少々遡り、どこまでも静かで穏やかな早朝。

 ひんやりとした空気が世界に満ち、全てを凍らせて冬の到来が近いことを教えてくれる。

 しかしそんなひんやりとした外の空気の中でも一切震えることなく、一人の子供が大きな木の根元に佇んでいた。

 浅黒い肌に、癖のない金色の真っ直ぐな髪。大きな瞳は左右で色が違い、その煌めきと美しさは正に最上級の宝石のようである。金色の髪の間から覗く耳は人間のものとは違い長く平べったいもので、その肌の色とも相まって、その子供が闇森妖精(ダークエルフ)であることを見る者全てに知らしめている。

 ダークエルフの子供……ナザリック地下大墳墓第六階層の守護者の一人であるマーレ・ベロ・フィオーレは、何をするでもなくカルネ村の外れにあるドライアードの木の根元に立ち、ただ静かに夜が明け白み始めている空を見つめていた。

 彼の頭上では、生き生きと広がっている木の枝の上でドライアードのピニスン・ポール・ペルリアが微動だにせずに立っているマーレを恐々と見降ろしている。

 ピニスンにはマーレの目的は知らされていないため、『何故自分の本体の木の根元にずっといるのだろう……』と不安に思っているのだが、しかしその不安は無用の長物だった。

 マーレがカルネ村にいる理由……それは王国の貴族が軍を率いてカルネ村に来るという情報を“八本指”経由で掴んだためだ。

 いや、どちらかというと“八本指”を使ってそうなるように仕向けたと言った方が正しいだろうか。

 ともかく、カルネ村は至高の主の一柱であるペロロンチーノが何かと気にかけている村である。またナザリック全体としてもカルネ村は既に重要な拠点の一つとなっているため、王国の貴族たちがこちらの思惑通りにカルネ村を害しに来るのであれば、それ相応にもてなす必要がある。

 王国の貴族の軍がカルネ村に到着するのは本日の昼頃だろうとのことだったため、カルネ村の管理を任されることの多いマーレがいち早くここで待機しているのだった。

 現在法国に行っているペロロンチーノも昼頃にはこちらに来る予定になっている。

 至高の御方のすぐ側で行動することのできる嬉しさに思わずマーレが小さく顔を綻ばせた、その時……――

 不意に聞こえてきた騒めきのような音に、マーレは反射的に長い耳をピクッと反応させた。今までになかった音に、思わず周りに視線を巡らせる。

 耳に意識を集中させて周りの音や気配を探り、そして再び聞こえてきた音とその正体にマーレは驚愕に小さく色違いの目を見開かせた。

 

「……へ……? ど、どうして……?」

 

 マーレの耳が聞き取ったのは多くの人間の足音。中には四つ足の獣の足音も多数含まれており、それが意味していることにすぐさま気が付いたマーレは急激に焦りを湧き上がらせた。

 音の正体は恐らく王国の軍だろう。しかし予想では昼頃に到着するはずの軍が、何故未だ夜も完全に明けきらぬ早朝にカルネ村のすぐ側まで迫ってきているのか……。

 予想外の展開にマーレはアタフタしながらも、急いで懐から一つの巻物(スクロール)を取り出した。『念のため、何が起きても良い様に……』と至高の御方々から貰い受けていた〈伝言(メッセージ)〉の魔法が宿ったスクロール。マーレは迷いなくスクロールを使って魔法を発動させると、法国にいるであろうペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

『――……あれ、マーレ? どうしたの?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しにペロロンチーノの不思議そうな声が聞こえてくる。

 マーレは至高の主の声に安心感を覚えながら、先ほど感じ取った足音や気配について報告を始めた。

 

「は、はいっ、ペロロンチーノ様……! あ、あの、実は……カルネ村に来る王国の軍勢が、すぐそこまで来ているみたいです……!」

『はえっ!?』

 

 瞬間、ペロロンチーノの素っ頓狂な声が聞こえてくる。

 思わぬペロロンチーノの反応に反射的にビクッと肩を跳ねさせるマーレに、しかしペロロンチーノはそれに気が付くことなく〈伝言(メッセージ)〉越しに言葉を並べ立ててきた。

 

『えっ、ホント!? もう王国軍が来てるの!? 予定よりも早くない!?』

「も、申し訳ありません……!」

『あ、いや、マーレは悪くないから謝らなくても良いんだけど……』

「あ、あの、僕も、よく分かりません……けど、近くまで来ているのは、間違いないみたいです……」

『えぇぇっ、ちょっ、俺まだ法国にいるんだけど……! 〈転移門(ゲート)〉のスクロールは……やっぱりないっ!! あー、もう、どうしたら……!!』

「えっと、その、ペ、ペロロンチーノ様……。ぼ、僕は……」

『と、とにかく急いでそっちに向かうよ! マーレは取り敢えずカルネ村に待機! 俺がカルネ村に着くまで村長さんかエンリちゃんの指示に従っててくれ!』

「………か、畏まりました……」

 

 本音を言えば、至高の主以外の存在の指示になど従いたくはない。しかし至高の主の言葉は絶対であり、また一人ではどうすれば良いのかも分からなかったマーレにはペロロンチーノの言葉に頷くほかなかった。

 マーレは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、一つ息を吐いた後に踵を返した。

 まずはペロロンチーノの指示に従って村長かエンリに会った方が良いだろう。

 村の中へと歩を進めるにつれ、村の家々や畑などが視界に広がっていく。マーレにとっては全く面白みのない光景を無機質に眺めながら、マーレは足早に村の中を進んでいった。忙しなく足を動かしながら、目的の人間はどこにいるのかとキョロキョロと周囲を何度も見回す。

 そこに漸く目的の人間の一人が視界に映り込み、マーレは無意識に小さく息を吐いてそちらに足先を向けた。通常よりも速い足取りで視線の先の人物……エンリ・エモットの下へ歩み寄っていく。

 エンリも距離が縮まるにつれ漸くこちらの存在に気が付いたのだろう、こちらを振り返ってきて不思議そうな表情を浮かべてきた。

 

「……マーレ様、どうかされましたか?」

「あ、あの、実は……」

 

 どう説明すればいいのか悩みながら、四苦八苦しながらも言葉を紡ごうとする。

 しかしマーレがきちんとした言葉を発するその前に、突然村人の男が慌てた様子でこちらに駆け込んできた。

 

「あれ、レオンさん、どうしたんですか?」

「エンリちゃん、村長がどこにいるのか知らないか!?」

「いいえ、知りませんけど……。何かあったんですか?」

「軍隊だ! 王国の国旗とどこかの貴族の旗を掲げた軍隊が村に向かってきているんだよ!」

「えっ!?」

 

 男の言葉に、エンリが驚愕の表情を浮かべる。その顔には焦燥の色が強く浮かんでおり、しかしそれでもエンリはすぐに顔を引き締めると強い光を宿した双眸で男と見つめ合った。

 

「……ということは、やっぱりアインズ様が仰られていた通りになったんですね」

「ああ、そういうことだろう。俺は村長を探して知らせてくる。エンリちゃんは村の連中に知らせてくれ!」

「分かりました!」

 

 エンリは男と頷き合うと、また走り去っていった男を見送った後にマーレを振り返ってきた。

 

「マーレ様も力を貸していただけますか?」

「は、はい、……その、ペロロンチーノ様にも、言われていますので……」

「ありがとうございます! 行きましょう!」

 

 エンリは一瞬笑みを浮かべると、すぐに真剣な顔に戻ってまずは自身の家の方へと足先を向けた。急いで自分の家に駆けこみ、家内の奥の奥に大切に隠していた弓を取り出す。

 象牙の様なすべらかな手触りと光沢をもつ、美しい純白の弓“女神の慈悲”。『緊急事態などの有事の際に使うように』とペロロンチーノから貰い受けた大切な物だ。

 エンリは一度ギュッと弓を強く握り締めると、そのまま家を飛び出して外で待っているマーレと共に次は門に向かった。駆け足で先を急ぎながら、その間にも出会う村人たち全員に王国軍が来ていることを伝えていく。

 マーレはその様子をただじっと見つめながら、無言のままエンリの背中を追いかけていた。

 そして数分後、漸くたどり着いた村の門には既に多くの村人たちが集まっていた。彼ら彼女らの手にはいろんな得物が握り締められており、顔も顰められて緊張しているのが見てとれた。

 

「みんなっ!!」

「エンリちゃん! それにマーレ様も……!」

 

 エンリとマーレの到着に気が付いた村人たちが次々とこちらを振り返ってくる。しかしすぐさま再び門の方に視線を向ける彼らに、マーレもエンリと共に門の方に目を向けた。

 既に王国の軍はすぐ目の前まで到着しているのだろう、門の向こうから多くの存在の気配が感じ取れる。伝わってくる強さから考えれば強敵はいないような気がするが、しかしそれはあくまでも“マーレに比べれば”であり、エンリやこの村の人間たちからすれば決して油断できない状況なはずだ。

 マーレが門とエンリと村の人間たちをチラチラと見る中、村の奥から村長と残りの村人たちも漸くこちらに駆けてきた。まずは既にこの場にいた村人たちから状況を聞き、彼らも改めて門を見やる。

 彼らは一体どういった行動をとるのか……とマーレが観察する中、不意に門の向こうから聞き覚えのない男の声が聞こえてきた。

 

「我らはリ・エスティーゼ王国六大貴族が一つリットン伯爵の使者としてきた者である。この門を開け、我々を入れよ!」

「……リットン伯爵? 一体誰だ?」

「ここは王族の直轄領だろう? それとも王族の方々がこいつらをこの村に寄越したのか?」

「だが物見台から見たところ、何千もの軍勢だったぞ! そんな大軍をたった一つの村に派遣するなんて……、王族は俺たちを滅ぼすつもりなのか!? それか王国軍と偽った謎の軍かもしれないぞ!」

 

 門の向こうからの声を受け、村人たちが俄かに騒ぎ始める。大きな恐怖や焦燥や疑惑など……彼らの顔にはそれらの色がありありと浮かんでいた。

 しかし門の向こうにいる男には彼らの声はきちんと聞こえていなかったのだろう、苛立たしげな声が再び聞こえてきた。

 

「おいっ、聞こえているのか! この村に定期的に来ている“サバト・レガロ”というワーカーチームが帝国に与して王国に害をなそうとしているという情報があるのだ! よってこのチームと関わりのあるこの村を調査しに来た! 速やかにこの門を開けて我らに協力せよ! そしてこの村にいるという“サバト・レガロ”の仲間をこちらに差し出せっ!! さもなくば王国に刃向かうものと見なすぞ!!」

「っ!!?」

「“サバト・レガロ”の仲間って……マーレ様を!?」

「そんな! マーレ様を差し出すなんてっ!!」

 

 マーレの存在を出され、その瞬間に村人たちの顔色が大きく変わる。誰もが顔を強張らせ、怒りに顔を歪め、得物を握り締める手に力を込めた。

 彼らの過剰とも言える反応に、マーレは感情の宿っていない瞳でじっと見つめながら、内心では少しだけ不思議に思っていた。

 確かにマーレはこの村を救った至高の御方々に仕えるシモベではあるが、見方を変えれば彼らにとってはそれでしかない。この村を実際に救ったモノでもなければ、この村の住人でもない。彼らにとっては庇護する必要のない存在であるはずのマーレを差し出すように言われ、彼らがこんなにも怒りを露わにすることがマーレにとっては意外だった。

 しかしマーレのこの考えは、ある意味ナザリックのモノ特有のものであり、カルネ村の者たちとは少々ズレていた。

 カルネ村の者たちにとってマーレは自分たちを助けてくれた恩人の仲間であると同時に、その可愛らしい子供の容姿自体も大いに影響を与えていた。マーレが自分たち以上に強いということは村にいる誰もが分かっている。しかしそれでもか弱そうな可愛らしい子供にしか見えないマーレを自分たちの村に置いてくれている……言い換えれば自分たちに預けてくれている至高の御方々の思いが、まるで自分たちに対する信頼にも思えて、それがより一層『マーレを守らなければ』という感情に繋がっていた。

 誰もが険悪な表情を浮かべる中、不意に頭上に赤い光が勢い良く横切った。

 チラッとそちらに目を向ければ、炎を纏った数本の矢が物見台に向かっているのがマーレの目にスローモーションに映る。

 しかし村人たちにとっては目にもとまらぬ突然の変化だったのだろう。物見台が火矢を受けて燃え始めて漸く攻撃を受けたのだと知り、村人たちは誰もが驚愕の表情を浮かべて小さな悲鳴を上げる者さえいた。

 

「なっ、攻撃してきたのか!?」

「そんな! あの時は助けに来てくれさえもしなかったくせに!」

「敵だ! あいつらは敵なんだ! 何が王国だっ!!」

 

 彼らの脳裏に蘇ったのは、この村が謎の騎士たちに蹂躙されたあの時……。

 王族も貴族もこの国の兵も、誰一人として助けには来てくれず、自分たちに手を差し伸べてくれたのは異形である彼の御方々だけだった。だというのに、それを裏切れと言い、あまつさえその刃を自分たちに向けるというのか……!!

 

「カルネ村の者ども、すぐに門を開けずにこちらの言葉にも答えぬお前たちは王国の民として疑わしい! さっさとこの門を開けて“サバト・レガロ”の者を引き渡せ! お前たちが王国に忠誠心を持つ王国の民であることを証明せよ!」

「攻撃しておいて忠誠心だと!? ふざけるなっ!!」

「“アインズ・ウール・ゴウン”の方々は、どの方もこのような乱暴なことは決してなさらなかった!」

「いつも丁寧で親切で……、特にペロロンチーノ様は俺たちに気さくに接してくれさえしてくれていた! あんな高圧的な態度すらしてこなかった!!」

「“アインズ・ウール・ゴウン”の方々よりも余程王国の連中の方が乱暴者で化け物じゃないか!!」

 

 王国軍からの言葉に村人たちが怒声を上げる。

 王国軍は物見台だけでなく門や塀にも火を放ったのだろう、門や塀を形作っている丸太と丸太の隙間から煙が滲み出始め、パチパチという炎に焼ける音が聞こえてくる。

 どうやら相手も本気であるらしい。

 一体どうするつもりなのか……とマーレが無言のまま村人たちの様子を見つめる中、純白の弓を両手で強く握り締めたエンリが意を決したように村長を振り返った。

 

「村長さん、ここは戦いましょう!」

「エンリ……、し、しかし……」

「私たちは“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様に多大なる恩義を受けています! 私は恩を仇で返すようなことはしたくありません! “アインズ・ウール・ゴウン”の皆様を……ペロロンチーノ様を裏切るなんてできない!!」

 

 エンリは大きな両目に涙を浮かべると、なおも弓を持つ手に力を込めながら身を乗り出した。

 

「ペロロンチーノ様のお役に立てるように、ずっと弓の腕も鍛えてきたんだもの……。お願いします、村長さん!」

「そうだ、エンリちゃんの言う通りだ! 俺も戦うぞ!」

「俺もだ! マーレ様を渡すなんてできるかよ!!」

「私も戦うわ! “アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩義をここで返しましょう!」

 

 エンリの言葉に、この場にいる村の人間たちが次々と賛同して声を上げ始める。誰もが闘志を燃やし、どうやら戦うことに反対している者はいないようだった。

 村長もそれを見てとったのだろう、数秒黙り込んだものの、すぐに顔を引き締めて大きく強く頷いた。

 

「そうだな。ここで“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩義を返そう!」

「はい!」

「「「おぉぉっ!!!」」」

「マーレ様、我々は“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩に報いるため、ここで戦うことに決めました。ただ、子供たちは戦うことができません。子供たちは私の家に集めておりますので、あの子たちを守って頂けませんか?」

「わ、分かりました……」

 

 村長からの申し出に、マーレは戸惑いながらも頷いた。

 正直に言えば、本当にそれで良いのかマーレには迷いがあった。普通に考えれば、村人たちを後ろに下がらせてマーレ一人が王国軍を相手にした方が損害は圧倒的に少なく済む。カルネ村はペロロンチーノの保護下に入っており、且つもはや“アインズ・ウール・ゴウン”の拠点の一つに等しくもあったため、マーレはむしろ村長の言葉を拒否して自ら前に出るべきなのかもしれない。

 しかしマーレがペロロンチーノに命じられたのは『村長あるいはエンリの指示に従う』こと。また今この時のマーレは“サバト・レガロ”の仲間という立ち位置になっているため、使える魔法は至高の主たちの許可がない限り第三位階までしか使用することができなかった。それらを考えれば、少々心配ではあっても大人しくペロロンチーノの指示に従って村長の言うことを聞いた方が良いのかもしれない。

 マーレは後ろ髪を引かれるような思いにかられながらも踵を返すと、子供たちが集められているという村長の家に向かった。

 その合間にもすれ違う村人たち全員が弓や剣……中には農具すら手に握り締めて門の方に向かっていく。

 一気に慌ただしくなった村の中を進みながら、マーレは到着した村長の家の扉を開けて中に入った。

 

「あっ、マーレちゃん!」

 

 室内に入って早々、見覚えのある人間の少女と目が合い名を呼ばれる。

 家の中には多くの子供たちが身を寄せ合うように一カ所に集まっており、その中にはエンリの妹であるネムや最近カルネ村に移住してきたツアレの姿もあった。

 先ほど声をかけてきたのはネムで、彼女は不安そうな表情を浮かべながらこちらに駆け寄ってきて小さな両手でマーレの手を握り締めてくる。そのまま掴んだ手を引っ張って子供たちの下へ連れて行こうとするネムに、マーレも抗うことなく大人しく子供たちの下へ歩み寄っていった。

 子供たちは勿論のこと、ツアレも不安そうな表情を浮かべてこちらを見つめてくる。しかしマーレからしてみればそんなに不安そうにこちらを見られても困る……という心情だった。

 マーレにとっては彼ら彼女らはどうなってもどうでも良い存在であり、彼ら彼女らを守るのは偏にペロロンチーノがそれを望んでいるからだ。彼の御方が気にかけなければ、マーレが今この場にいることもなかっただろう。

 困ったような表情を顔に貼り付けながら内心では無感情に彼ら彼女らを見つめているマーレに、しかしそのことに全く気が付いていないネムがゆっくりと握っていたマーレの手を放しながらこちらを振り返ってきた。

 

「……マーレちゃん、……だ、大丈夫かな……?」

「……? な、何が、ですか?」

「えっと……みんな、死んじゃったりしないよね……?」

「……………………」

 

 ネムからの問いかけに、再びマーレは内心で困り果てた。

 そんなことを問われてもマーレには答えようがないし、またマーレにとってはどうでもいいことだった。そんなに心配ならば、マーレに全てを任せて自分たちは全員後ろに下がっていれば良かったのだ。

 今からでもやはり村長の所に行って自分が出ると言ってこようか……と考える中、外から激しい破壊音が聞こえてきてマーレは咄嗟に扉の方を振り返った。すぐ側ではネムやツアレを含めた子供たちが更に身を寄せ合って怯えた悲鳴を上げている。

 マーレはネムたちに背を向けて扉に向き直ると、両手で杖を握り締めながらじっと扉を見つめた。

 外ではひっきりなしに鉄と鉄がぶつかり合うような音が聞こえてきており、中には悲鳴や怒声も聞こえてきている。音だけ聞けば、どうやら奮戦はしているようだ。善戦しているのか苦戦しているのかまでは分からないが、流石にマズくなればこちらに助けを求めに来るだろう。

 内心では暢気に構えながら扉をじっと見つめていると、数分後に唐突に外側から扉が勢いよく開かれた。

 

「マーレ様っ!!」

「……! お姉ちゃん!!」

 

 外から飛び込んできたのは血相を変えたエンリ。

 彼女は後ろ手に勢いよく扉を閉めると、鍵をかけてこちらに駆け寄ってきた。

 

「マーレ様、今すぐみんなを連れてここから逃げて下さい!」

「……え……と……?」

「みんな頑張っているけど、相手の勢いが思っていたよりも強いんです。このままだと、いつまで持ち堪えられるか分かりません! だから、この子たちだけでも連れて逃げて下さい! そしてどうか、ペロロンチーノ様の下に……っ!!」

「え、えと……でも……、それより、僕が出た方が……」

「それはできません!」

「……!!」

 

 エンリの予想以上の強い拒否の言葉にマーレは思わず虚を突かれた。何故こんなにもマーレの力を借りることを拒否するのか、マーレには全く理解できなかった。

 まさか何か企んでいることでもあるのだろうか……とエンリに対する疑念と警戒を持ち始める中、しかしそれに気が付いていない様子のエンリが強い光を宿した瞳を真っ直ぐにマーレに向けてきた。

 

「私たちは“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様に……特にペロロンチーノ様にとてもお世話になってきました。これ以上ペロロンチーノ様にご迷惑をおかけしたくなくて……お役に立ちたくて、ずっと弓の練習もしてきたんです……! この上、“アインズ・ウール・ゴウン”の一員でいらっしゃるマーレ様を私たちのせいで危険な目に合わせるわけにはいきません!」

 

 こちらに向けられているエンリの大きな目は恐怖でひどく潤んでいたが、しかし同時に強い覚悟の色も宿していた。良く見れば、弓を握り締めているエンリの手は小刻みに震えている。

 マーレは少しの間エンリを凝視すると、彼女が何か企んでいるかもしれないという考えを消し去って一つ頷いた。

 エンリもそれを受けて大きく頷く。続いて心配そうにこちらを窺っているネムに駆け寄ると、しゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「ネム、みんなと一緒に逃げて! 村を出て、トブの大森林の奥に逃げるの! 王国軍もトブの大森林の奥までは追ってこないはずだからっ!!」

「で、でも、お姉ちゃん……」

「あなたがみんなを守るの! お願い!」

「……っ……! ……わ、分かった」

 

 エンリの言葉に勇気づけられたのか、ネムも潤んでいた目を強く手の甲で擦って次には強い眼差しで大きく頷く。

 エンリも応えるように頷いて立ち上がると、再びマーレに向き直った。

 

「ここから秘密扉までを守るバリケードを作っておきました。私たちも守るので王国軍は手出しができないはずです! その扉からトブの大森林の奥に逃げて下さい!」

 

 エンリが言う“秘密扉”というのは、以前モモンガがカルネ村を訪れて王国の者がこの村にちょっかいを出しに来るかもしれないと知らせた時から念のために作っておいたものだ。正門や裏門とは別に、大人が屈んで漸く通り抜けられるほどの小さな扉をトブの大森林側の塀に密かに作っていた。扉の外側にはドライアードのピニスンの力を借りて草木を茂らせているため、塀の外にいるだろう王国軍にも気づかれずに村を脱出することができるはずだ。

 マーレもその秘密扉の存在は知っており、エンリの言葉に一つ頷くと、次には促すようにネムやツアレを含んだ子供たちを振り返った。

 ネムやツアレ、そして子供たちも全員が決心した表情を浮かべて大きく頷き、しゃがみ込んでいた状態から次々と立ち上がる。子供たちの準備が整ったことを確認すると、まずはエンリが扉を開けて素早く周りを見渡した。近くに敵がいないことを確認して中に合図を送り、それに応じてマーレとネムとツアレと子供たちが家の中から出ていく。

 マーレがチラッと周りに視線を走らせれば、確かに先ほどのエンリの言葉通り、木の板で作った巨大な盾や鍛錬用に使っていた案山子などを駆使してこの家に敵が近づけないようにバリケードが作られていた。中にはマーレが貸し与えていたゴーレムもバリケードに加わっており、エンリたちがこちらの安全をどれほど重要視しているのかが窺い知れる。

 マーレはもう一度だけ周りを確認すると、次には秘密扉に向けて先頭を駆けだした。その後ろをネムとツアレと子供たちが続き、最後にエンリが殿のように後ろについて村の中を駆けていく。

 周りでは先ほどから戦闘音や悲鳴や怒号が絶えず響いており、その度に子供たちが足を竦ませて立ち止まりそうになっていたが、エンリが声をかけて何とか先を進ませていた。

 そして何とか到着した塀の足元を覗けば、そこには目を凝らして漸く分かるほどの切れ目が走っており、手で押せば小さな扉が口を開いた。

 

「さあ、みんな早くここから村の外へ!」

 

 エンリに促され、子供たちが次々と地面に四つん這いになって秘密扉を潜っていく。最後にマーレが秘密扉を潜り、それを見送ったエンリが秘密扉を閉めた。

 残されたのはマーレとネムとツアレと幼い子供たちのみ。

 マーレたちは一度互いに顔を見合わせると、次にはマーレ以外の全員が恐怖の色をその顔に浮かべながらもトブの大森林の方に足先を向けた。

 今はとにかくエンリに言われた通り、トブの大森林の奥に逃げるしかない。

 恐らく村の外にも未だ王国の兵がいる可能性が高いため、念のため身を屈めてなるべく目立たないようにしながらトブの大森林へと駆け出した。子供たちの中には体力のまだ少ない幼子もいたため、ここからはツアレを含めた少し大きな子供たちが幼子を背負って先を急ぐ。

 しかしどんな執念なのか……、もうすぐトブの大森林に入れるというところで大きな怒声が響いてきた。

 マーレが駆けている足は止めないままチラッと後ろを振り返れば、カルネ村の塀の影から多くの王国兵がこちらに駆けてくる姿が目に入った。

 恐らく村人を誰一人として逃さないよう、裏門に周って見張っていたのだろう。だからこそ裏門ではなくこの秘密扉から脱出したのだが、どうやら予想以上に王国軍はカルネ村をグルっと囲い込んでいたようだ。

 こちらに駆けてきている王国兵の中には馬に乗っている者もおり、マーレはまだしも他の面々は間違いなく追いつかれてしまうだろう。

 王国兵の足止めをしながらこのまま逃げるか……、それともここで立ち止まって王国兵を迎え撃つか……。

 一体どの行動が正しいのか……とマーレが思い悩む中、気が付けば王国兵がすぐ側まで迫っており最後尾を走っていた幼子を背負っていた子供に肉薄していた。

 

「……!」

「だめっ!!」

 

 マーレが咄嗟に足を止めたのとネムが声を上げたのはほぼ同時。ネムは今まさに攻撃されそうになっている子供の下へ駆け寄ると、小さな両手を必死に大きく伸ばした。

 しかし未だ子供のネムの足では、どんなに急いでもその手は間に合わない。

 必死の表情を浮かべたネムのすぐ目の前で王国の兵の刃が閃いた、その時……――

 

 

 

「――……まったく…、カルネ村には迷惑をかけないようにって言ってたのに……」

「「「……!!?」」」

 

 鮮やかな閃光が空を切り裂いたと同時に今まさに攻撃しようとしていた王国兵が吹き飛ばされる。

 続いて響いてきた聞き慣れた声に、マーレはハッとそちらを勢いよく振り返った。

 

「みんな、大丈夫? 間に合ってよかったよ」

「「ペロロンチーノ様!」」

 

 マーレとネムの声が同じタイミングで同じ言葉を発する。

 マーレやネムの視線の先にいたのは、ゆっくりとゲイ・ボウを下ろしながら佇んでいるペロロンチーノ。彼の傍らにはアウラと彼女のシモベである多くの魔獣たちも立っており、アウラは心なしか少し呆れたような表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 どこか責めるような姉の視線にマーレが思わず肩を竦ませる中、ペロロンチーノが歩を進めてネムの前まで歩み寄っていった。

 

「ネムちゃんも怪我はない? 怖かったね。もう大丈夫だよ」

「ペ、ペロロンチーノさまぁ……!」

「よしよし、泣かないで、ネムちゃん」

 

 思わずといったようにふにゃりと顔を歪めて泣き始めるネムに、ペロロンチーノが柔らかな声音で声をかけながらネムの頭を撫でる。

 その姿にネムに対する嫉妬心がふつふつと胸の内に込み上げてくるのを感じながら、しかしマーレはその感情をおくびにも出さずにアウラと共にペロロンチーノのすぐ傍らに歩み寄った。

 

「あ、あの……ペロロンチーノ様……」

「マーレ、ここまでご苦労様。すまないけど、アウラと一緒に引き続きこの子たちを守ってくれないかな。俺はちょっとエンリちゃんや村の人たちを助けに行ってくるよ」

「えっ、で、でも……お一人で行くなんて、き、危険です……!」

「心配してくれてありがとう、マーレ。それじゃあ、アウラ、少しだけシモベの魔獣を借りても良いかな?」

「勿論です、ペロロンチーノ様!」

 

 マーレの心配する言葉を受けてペロロンチーノがアウラに指示を出せば、アウラは元気よくそれに応える。

 ペロロンチーノもそれに一つ頷くと、ネムやツアレや子供たちをマーレたちに任せて、アウラの魔獣たちと共にカルネ村の方に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村の中はもはや泥沼の戦場と化していた。

 秘密扉からマーレやネムたちを見送ったエンリは、すぐさま踵を返して一番激戦となっているだろう場所に向かった。王国兵が目に映れば“女神の慈悲”を構えて矢を放ち、先を急ぎながらも未だ使えそうな矢が見つかれば拾って矢筒に補充する。そして目的の場所に到着すると、幾つかある盾の裏に身を滑り込ませて再び“女神の慈悲”を構えた。

 王国兵がなるべくこちらに近づかないように矢を放ち、しかしどんなに倒しても次々と現れる王国兵の数にエンリは苦々しく顔を歪めた。

 王国軍が本格的に攻めてきた最初の時はまだ整然とした万全の態勢で迎え撃つことができていた。

 火を放たれた塀が持ち堪えられている間に盾を運び出し、他にもバリケードに使えそうな物を村中からかき集めて村の至る所に設置していった。その際、『自分たちは立てこもって全力で戦うつもりでいる。逃げるつもりは一切ない』と知らせるために敢えて裏門もきっちり閉めた。そして正門付近の塀の何本かの丸太に傷をつけて鎖を巻き付けると、最後に弓矢が使える村人たちを中心に正門に狙いを定めていたのだ。

 数分後、遂に正門が外側から破壊され、王国兵が雪崩のように村の中に侵入してくる。

 瞬間、エンリたちが放った矢が王国兵を襲い、それと同時に力自慢の村の男たちが丸太に巻き付けた鎖を力いっぱいに引いた。丸太がミシミシと軋みを上げ、遂には他の丸太も数本巻き込んで王国兵たちに向かって崩れ落ちていった。

 恐らく王国兵が放った炎に焼かれて塀自体が脆くなっていたのも大きく崩れた原因だったのだろう。エンリたちにとっては幸運なことに、それによって王国兵の多くが下敷きになった。

 しかし元々の兵力差が雲泥の差なのだ。あちらは何千人もおり、対してこちらは数十人。

 これくらいでは焼け石に水でしかなかったのだろう。数十分後にはすっかり態勢が崩れ、エンリたちは瞬く間に劣勢に追い込まれていった。

 以前からアインズやウルベルトから『君たちに何かあればペロロンチーノが傷つく』と言われていたため、誰もが死なないことを第一に考えながら行動してはいたが、それでも怪我を負うことはどうしようもない。また、判断を誤り致命傷を負って死んだ者も何人か出てきてしまっていた。

 目の前で繰り広げられている激しい戦いに、以前の……ペロロンチーノたちに始めて会った時の惨劇がエンリの脳裏に蘇る。同時に怒りや悲しみや悔しさなどの感情が湧き上がり、エンリは咄嗟に歯を食い縛りながら腰にある矢筒に手を伸ばした。

 しかし手は空を切り、ハッと矢筒に目を向ける。

 そこにはもはや矢は一本もなく矢筒は空になっており、攻撃手段がなくなったことに急激に焦りが湧き上がってきた。

 どこかに矢は落ちていないか、一時的にでも身を隠せる場所はないか、と咄嗟に周りに視線を走らせる。しかし矢は一本も落ちておらず、また周りも多くの王国兵に囲まれていて逃げられる場所は見つけられなかった。いつの間にか相当追い込まれていたことに漸く気が付き、更に焦りが加速していく。

 一体どうすれば……と思わず“女神の慈悲”を強く握り締めた、その時。

 突然空から降り注ぐ大量の矢の雨。

 王国兵の多くが矢に撃たれて地面に倒れ伏し、矢の雨が止んだとほぼ同時に見たことのない多くの魔獣たちがどこからともなく次から次へと現れて王国兵に襲いかかっていった。突然の魔獣の襲撃に王国兵が悲鳴を上げ、中には剣を振るって追い払おうとする者もいたが、何一つとして魔獣には歯が立たない。

 目の前で人が魔獣に襲われているという悲惨な光景が広がる中、しかしエンリを初めとするカルネ村の人々はあまりにも突然のことに思考がついていかず、ただ呆然とその光景を見ることしかできなかった。

 何が起こっているのかと何度も目を瞬かせていると、不意に頭上からずっと聞きたかった声が聞こえてきた。

 

「――……こらこら、張り切ってくれるのは嬉しいけど、ここで食べたりしちゃ駄目だよ」

「「「……!!」」」

 

 ハッと頭上を見上げれば、そこには会いたくて仕方がなかった黄金の翼が大きく羽ばたいている。

 上空からゆっくりと舞い降りてくるペロロンチーノの姿に、エンリは思わず感極まって両目に涙を溢れさせた。

 

「取り敢えず、王国の兵士は残らず殲滅。逃げた奴も取り逃がさないようにね。後、死体は全部持って帰るから取り敢えず村の外に一か所にまとめておいてくれ」

 

 ペロロンチーノはエンリのすぐ目の前に舞い降りると、まずは魔獣たちに指示を出す。

 魔獣たちは応えるように咆哮を上げると、未だ生きている王国兵に襲いかかったり、村の外へ駆け出していった。

 我先にと行動していく魔獣たちを見送った後、漸くペロロンチーノがこちらに顔を向けてくれる。

 久しぶりにすぐ側で見ることのできたペロロンチーノの姿に、エンリは我慢できずに涙を溢れさせた。次々と零れ落ちて頬を濡らしていく涙の雫に、そっとペロロンチーノの手が伸ばされて頬を撫でるように涙を拭ってきた。

 

「エンリちゃん、怖い思いをさせちゃってごめんね。後、助けに来るのが遅くなって、ごめん」

「ペ、ペロロンチーノ様……っ!」

「取り敢えず、ネムちゃんたちは全員無事だから安心して。それから……もう危ない目にあわせたりしないから」

 

 頬に添えられていた手が離れ、今度は頭に乗せられる。ゆっくりと頭を撫でられ、エンリは我慢できずに衝動のままに目の前のペロロンチーノに抱き付いた。純白と黄金の柔らかな羽根の感触と温かな体温に、涙と嗚咽が止まらなくなる。

 一拍後、背中に回される両腕の感触と安心させるようにポンッポンッと背中を叩く掌の感触に、エンリは全身を包み込む安心感に更に涙を溢れさせながら、暫くの間ペロロンチーノに抱き付いて離れることができなかった。

 

 




今回は主にカルネ村回でした!
また、初のマーレ視点も一部ありましたが、予想以上に書くのが難しかったです……(汗)
因みにカルネ村に王国軍の一部を向かわせたナザリックの目的については、次回以降で書いていく予定になっておりますので暫くお待ち頂ければと思います。


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第83話 惨劇の宴

今回も少し(?)長めとなっております!
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいですvv


 濃い闇の中、カツッ…カツッ…という硬く高い音が響いては消えるを繰り返している。同時に重い足音も響き、漆黒のローブを身に纏った一体の骸骨がボウ……と暗闇に浮かび上がった。手には微かな光にすら鮮やかに輝く黄金の(スタッフ)が握り締められており、漆黒のローブは微かな風や動きにもすべらかに揺らめく。

 骸骨は不意に歩いていた足を止めると、一度大きなため息を零した。

 俯いていた顔を上げて空を見上げれば目の前には多くの星々が輝いており、正に『世界の宝石箱』という言葉が相応しい見事な星空が広がっている。

 暫く無言のまま空を眺めた後、骸骨……ナザリック地下大墳墓の主の一人であるモモンガはもう一度、次は小さなため息を吐き出した。

 

「………う~ん、……本当に大丈夫かなぁ……」

 

 骨の口が不意に動き、力ない声が戸惑ったような言葉を零す。

 この場に自分しかいないからこそ零すことのできる弱音に、しかし応えてくれる者がいないことに寂しさと虚しさも同時に湧き上がってきた。思わずウロウロと歩き回りたい衝動にかられ、しかしそこはグッと堪えて足を踏ん張る。いつナザリックのNPCたちが来るかも分からないこの時に、軽率な行動はとるべきではない。

 いつもであれば『至高の主を待たせるなど言語道断!』と口を揃えて断言するNPCたちは、しかし現在モモンガから『自分には構わず準備を行うように』と命じられているため、恐縮しながらもこれからの作戦のための準備を進めて一切何も言ってはこなかった。モモンガとしても少しの間自分一人で考える時間が欲しかったため、のんびりと夜空を眺めながら思考の海に沈み込んでいた。

 いや、それは考え込んでいると言うよりかはもはや現実逃避をしていると言った方が正しいかもしれない。

 とはいえ、どんなに逃避をしたところで現実からは逃れられず、時間も止まることはない。

 決して逃げられるものではない問題と悩みに、モモンガは熟考の末に最終的には潔く諦めることにした。

 

「うん、まぁ、ウルベルトさんとペロロンチーノさんは俺に任せるって言ってくれたし、もしマズかったとしてもウルベルトさんなら何とかしてくれるだろう」

 

 最近……特にウルベルトには何でもかんでも丸投げしてしまっているような気もするが、これも仲間に対する信頼故だと思うことにする。

 

「モモンガ様、お待たせしてしまい大変申し訳ありません。全ての準備が整いました」

 

 絶えず湧き上がって来そうになる不安とウルベルトに対する申し訳なさを都度どこかにぶん投げる中、不意に声をかけられてモモンガはそちらを振り返った。

 視線の先には“ヘルメス・トリスメギストス”を身に纏ったアルベドがおり、彼女はこちらに歩み寄り恭しく礼を取る。

 モモンガは一度心の中で大きなため息を吐き出すと、次には気持ちを切り替えて一つ頷くと一歩足を大きく踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 濃い霧が晴れた赤茶けた大地。

 何もないなだらかな丘に二つの勢力が陣形を作って睨み合っていた。

 一方は王国の旗を掲げた二十五万もの軍勢。左翼七万、右翼七万、中央十一万と兵を分け、広範囲に陣形を形作っている。

 対するは帝国の旗を掲げた六万の軍勢。軽装の鎧を着ている王国兵とは打って変わり、帝国軍は全員が騎士の重装鎧を身に纏っていた。その立ち姿や陣形を作る動きには一切の無駄がなく、それだけで民兵の集まりでしかない王国兵との練度の差を思い知らされる。

 両軍は陣形を取って睨み合っており、しかしその後はどちらもそれ以上の動きをしようとはしなかった。

 いつもであれば帝国軍が王国軍の前を通り、撤退していき、それに王国軍が勝鬨を上げるのがお約束の流れだった。

 帝国にとっては収穫の時期に王国の農民を戦場に引きずり出すことで王国を徐々に疲弊させて損害を与えることが目的であるため、無理に戦闘をする必要は全くない。逆に、帝国の軍勢は全員が専業戦士であり国の治安維持も担っているため、無理に戦って兵に損害が出れば帝国としては本末転倒なのだ。だからこそ今までちょっとした小競り合い……言うなれば子供の茶番の様な戦争で終わっていたのだが、しかし何故か今回はいつも通りの流れになってはいなかった。

 どこかこちらを警戒しているような帝国軍の様子に、王国軍中央の陣の少し後ろの小高い丘に立っているガゼフは注意深く帝国軍を見つめながら小さく眉を顰めた。

 

「……動きませんね。これは一体どういうことなのでしょう?」

 

 腰に差している剣の柄を握り締めて感触を確かめながら目を凝らすガゼフに、不意に男の声がかけられる。帝国軍から視線を外してそちらに目を向ければ、レエブン侯がじっと帝国軍に目を向けながらこちらに歩み寄ってきていた。彼も帝国軍のいつにない様子を不審に思っているのだろう、警戒の色を宿した顔を大きく顰めている。

 ガゼフも再び帝国軍に目を戻すと、帝国軍の微かな動きも見逃さないように目を凝らした。

 しかしどんなに見つめたところで帝国は少しも動かず、また帝国軍の思惑も全く分からない。

 王国軍も帝国軍が動かない限り動くことはできず、いつまでこの膠着状態が続くのか……とガゼフはレエブン侯に気付かれないように小さくため息にも似た息を吐き出した。

 

「いつもであれば、開戦と同時に動いていましたが……。もしや何かを待っているのでしょうか」

「いや、何かを待っているというよりかは、何かを警戒している様に見えるが……」

「警戒? 帝国軍が我々に対して、ですか? 確かに、こちらの方が圧倒的に数は多くはありますが……」

 

 ガゼフの“警戒”という言葉に、レエブン侯が困惑したような表情を浮かべてくる。余程帝国が王国を警戒する理由が分からず、理解が追いつかないのだろう。

 言った本人であるガゼフとて、そう感じたというだけで、帝国が王国を警戒する理由など一つも思い浮かばない。どちらかというとこちら側こそが警戒すべきであって、ガゼフは無言のまま小さな苦笑を浮かべることしかできなかった。

 そこでふと、王国軍の中央の陣営が俄かに騒めき始めたことに気が付いてガゼフは反射的にそちらに目を走らせた。国王のいる天幕付近が騒がしいのを見てとり、もしや王の身に何かあったのだろうか……と不安が湧き上がってくる。

 しかし王の天幕から飛び出てきたのは国王でも国王を守っている戦士団の兵士でもなく、金色の髪に逞しい体躯の一人の男だった。

 

「……ん? どうかしましたか? ……あれは、……バルブロ王子?」

 

 ガゼフの視線に気が付いたのか、レエブン侯も国王の天幕に目を向け、そこから出てきた男を見て怪訝な表情を浮かべる。

 彼の言葉通り、国王の天幕から勢いよく出てきたのはリ・エスティーゼ王国第一王子のバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフのようだった。

 バルブロは彼を止めようとしている兵を振り払うように足早に歩いており、仕舞いには自分の馬の背に乗ってしまう。馬の脇腹を蹴り上げて前線に向かうバルブロの姿に、ガゼフだけでなくレエブン侯も焦りの表情を浮かべた。

 

「なっ、王子は何を……!?」

「分からないが……何かをしようとしていることは間違いないな。レエブン侯、私は陛下の下に戻る!」

「分かりました。私も念のため自分の本陣に戻っています」

 

 国王の天幕に足先を向けるガゼフに、レエブン侯も大きく頷いて自身の本陣がある方向に踵を返す。

 ガゼフは丘を駆け下りて先を急ぎながら、幾人かの護衛の兵を引き連れてどんどんと前線に行ってしまうバルブロの姿に苛立ちにも似た感情を湧き上がらせた。

 どう考えても彼の行動は王に命じられたものではない。十中八九、王子の勝手な単独行動だろう。

 バルブロは以前から自分の力を過信する傲慢さが目立ってはいたが、今目の前で起こしている行動はどう考えても度が過ぎていた。バルブロの行動は彼自身の安全を脅かし王を悲しませるだけでなく、帝国を刺激して王国軍全体を危険に晒す可能性すら高かった。

 何故周りの兵はもっと必死に王子を止めないのか……と苛立たしさを募らせながら、ガゼフは漸く見えてきた王の天幕に、更に駆ける足の速度を速めた。

 そのまま天幕の中に駆け込もうとしたその時、突然聞こえてきた声にガゼフは咄嗟に足を止めてバルブロがいる前線を振り返った。

 

『帝国の者共よ! 私はリ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフである。今すぐに降伏し、私の前に跪け! さすればお前たちの命は助けてやろう!』

 

 恐らく拡声の魔法が宿っているマジックアイテムを使っているのだろう、バルブロの声が高らかに戦場に響き渡る。どこまでも自信満々で帝国を下に見る言葉の数々に、ガゼフは思わず顔を歪めて大きな舌打ちを零した。

 帝国がバルブロの挑発に乗るほど愚かだとは思えないが、それでもこれからの戦闘がひどく苛烈なものになる可能性はある。

 『あのバカ王子は一体何をしているんだっ!』と内心で悪態をついたその時、自分の言葉に一切反応を見せない帝国軍に不満を持ったのかバルブロが更なる行動を起こした。

 

『帝国軍よ、もう一度言う! 今すぐに降伏して我が前に跪け! ここには我が王国の王都を地獄に陥れた悪魔の軍勢より奪った悪魔の至宝があるのだぞっ!!』

 

「……なっ……!?」

 

 バルブロが懐を探って宝玉のようなものを取り出した姿に、ガゼフは驚愕に目を大きく見開いて息を呑んだ。

 この場にいる全員に見せるように大きく掲げられた宝玉は、間違いなく王国王都の魔術師組合(ギルド)に秘密裏に保管されているはずの悪魔の至宝。遠目でも手触りが良いことが分かる青緑色の球体に、銀色の線で一つのシンボルのみが描かれている。宝玉はまるで生き物のように一定の間隔で鼓動の様な振動を周囲に発しており、それ故に決して偽物ではないことが嫌でも分かる。

 しかしこの悪魔の宝玉は王国王都の魔術師組合の地下に厳重に保管されており、その情報すら限られた人間しか知らないはずである。そしてバルブロは、その知らない者の内の一人だったはずだ。

 ならば何故バルブロはこの宝玉をこの戦場に持ち込むことができたのか。

 大きな疑問や焦燥が湧き上がり混ざり合う中、不意にガゼフは帝国軍が騒めいていることに気が付いた。注意深く見てみれば、彼らの反応は予想外の事態に焦っているようなものではなく、見るからに警戒を強めて備えようとしているもの。

 帝国軍の思わぬ反応に、そこで漸くガゼフは帝国が先ほどまで何を警戒していたのかを理解した。

 帝国は王国軍が今回の戦場に悪魔の至宝を持ってくるかもしれないと考え、警戒していたのだ。

 

(……ということは、もしかしたら“サバト・レガロ”を今回の戦に参加させたのも、悪魔の至宝を警戒してのことだったのかもしれないな。……クソ……、とにかく今はあのバカ王子を早く連れ戻さなければ………ん……?)

 

 “サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルが“蒼の薔薇”に言ったという『全てにはそうなることの理由がある』と『全ては王国の行動次第』という言葉。そのどちらも今のこの事態の事を言っていたのだと今更ながらに思い至る。自分の察しの悪さに悔しさが込み上げ、ガゼフは思わず強く奥歯を噛みしめた。

 しかし今はとにかくバルブロを一秒でも早く連れ戻さなければと無理矢理思考を切り替える。

 ガゼフは王の天幕に入ることを止めると、バルブロの下に行くべく足を大きく踏み出した。

 しかし次の瞬間、急に空の景色が大きく変化し始め、ガゼフは驚愕のあまり大きく動かした足をすぐに止めてしまった。

 今までは目が覚めるほどの晴天が広がっていたというのに、瞬く間に黒く分厚い雲が立ち込めてカッツェ平野全体を薄暗く染めていく。周りの兵たちも急な空の変化に戸惑ったように騒めき始め、誰もが空を見上げ、吹き付けてきた冷たい風に多くの者が身を震わせた。一気に不気味な雰囲気が漂い始め、それに従ってだんだんと鼓動が早くなってくる。

 誰もが緊張で荒々しい呼吸を繰り返す中、しかし変化はこれだけでは終わらなかった。

 王国軍とも帝国軍とも少し離れたカッツェ平野の南側の地面が突如青紫色の光を発し、次の瞬間にはどこからともなく巨大な要塞が姿を現した。

 遠目から見ても重厚で強固であることが分かる、黒に近い灰色の石で築き上げられた塀と建物。門の左右には骸骨を模った巨大な石像が設置されており、見覚えのない紅蓮色の生地に金色の糸で紋章が織り込まれた旗を掲げ持っている。

 不気味で禍々しい要塞の出現にガゼフだけでなく王国軍や帝国軍全ての者たちが大きく騒めく。

 誰もが緊張に身体を強張らせる中、不意に黒曜石のような輝きを放つ巨大な門がゆっくりと内側から開かれた。

 

 

 

「――………ほう、懐かしい我が友の気配を感じるな……」

 

 不意に響いてきた男の声に、ガゼフは本能的な衝動にブワッと全身が総毛立つのを感じた。同時に生存本能からくる強い恐怖も湧き上がってきて、怯みそうになる心に咄嗟に奥歯を強く噛みしめる。一体何が起こっているのか……と、ガゼフはゆっくりと開いていく謎の要塞の門を凝視した。そしてそこから出てきた存在たちに、思わず大きく息を呑んだ。

 門の内側から出てきたのは、正に死の軍勢だった。

 先頭には漆黒の美しいローブを身に纏った骸骨が立っており、その傍らには漆黒の全身鎧(フルプレート)を着た女だと思われる騎士が立っている。そして二人の周囲にはこれまた漆黒の巨大なアンデッドの騎士がずらずらと姿を現していた。

 ここから謎の大要塞までは遠く距離があるというのに、感じられる鬼気迫る威圧感は強大で相当なもの。全身に立った鳥肌は治まる気配すらなく、今も全身の肌がざわざわと粟立っているのを感じた。

 自分だけでなく王国軍全体や帝国軍すらも異形の存在の登場にすっかり気圧されてしまっているようだ。悪魔の至宝を掲げ持っていたバルブロも青白い顔に戸惑った表情を浮かべると、怯えている馬の上で呆然としていた。

 

「……ああ、そこにあったのか……! 懐かしい…我が友の魂……! 我が親愛なる友の心臓っ!!」

 

 漆黒の騎士たちを背に従えている骸骨がバルブロの持つ悪魔の至宝を見やり、高らかに声を張り上げる。どこか棒読みにも聞こえる声音は、湧き上がってくる感情を必死に抑え込んでいるためか。まるで大きな歓喜を表現するように、骸骨は身に纏っている漆黒のローブを大きく揺らめかせながら両手を大きく広げた。

 

「漸く……漸く見つけることができた! さぁ、大人しく我が友の魂を返せ!」

「………は、はぁっ!? ……な、何を言っている……! こ、これは、我が王国の……い、いや、この私の物だ! お前の様な輩に渡すはずがないだろうっ!!」

「……っ……!!」

 

 何度もどもりながらも反論して見せるバルブロに、ガゼフは勿論のこと王国軍も帝国軍も誰もが呆気にとられた。一目で唯者ではないことが分かる存在に対してなおも上から目線で傲慢な態度がとれるのは、バルブロに相当な度胸があったからなのか、はたまた唯の愚か者の馬鹿でしかないからか。普段のバルブロの姿を見ているガゼフとしては後者であるように思えてならない。また、バルブロの言動によって相手を刺激してしまい最悪な事態になるのではないかという強い緊張感と恐怖が全身を走り抜けた。

 一体どうなるのかと誰もが固唾を呑んで注視する中、骸骨は暫くの間黙り込んだ後、ゆっくりと小首を傾げるような素振りを見せた。

 

「……それはお前の様な愚かな人間が持つべき物では決してない。私の大切な友の魂が封じ込められた……いわば我が友の心臓そのもの。……もう一度言う、今すぐにそれを我が手に返せ」

 

 バルブロの言動が気に障ったに違いない、骸骨の声音が明らかに低く硬くなっている。バルブロもこれには漸く危機感を覚えたのか、唇を引き結んで黙り込み、どうするべきかと困惑の表情を浮かべていた。

 しかしもはやその行動すらも相手側にとっては気に入らないものになっていたのだろう。骸骨は再び数秒黙り込むと、次には小さく顔を俯かせて睨み上げるように眼窩の闇に揺らめく深紅の光をバルブロに向けた。

 

「………なるほど、意地でもその至宝を渡すつもりはないということか。……ならば仕方がない、力づくで取り戻すとしよう」

「……なっ……!?」

「そして、その傲慢で無礼な行いを贖ってもらう。……そう、お前たち強欲で愚かな人間どもの多くの血と命と、遥か昔に我が領土であった一つの都市をもってな」

 

 バルブロや多くの者たちが思わず驚愕に騒めく中、突然骸骨を中心に大きな魔法陣が出現した。

 大きさは直径十メートルにもなろうか。半球型で立体的な巨大なドームの形をしているそれは、半透明の文字とも記号ともいえるようなものが浮かんでは目まぐるしく形を変えている。青白く発光している様はひどく幻想的で、この場にいる誰もが先ほどまでの恐怖も忘れて目を奪われた。

 しかし勘の鋭い者は本能的に嫌な予感がしたのだろう、俄かに騒めき始め、無意識に後退りしようとする者も多数出てくる。

 ガゼフもその内の一人であり、先ほどから自身の中で大きく鳴る警鐘の音にグッと剣の柄を握る手に力を込めると、まるで恐怖を振り払うように大きく踵を返した。

 一刻も早く国王を連れてこの場から逃げなければならない。ガゼフの第一の役目は国王を守ることであり、そのため彼は自身の勘に従って迷うことなく逃げることを選択した。

 入室の言葉も惜しみ、捲り上げられている入り口の垂れ幕を潜って国王のいる天幕の中に押し入る。

 天幕の中にいた戦士団の兵士が咄嗟に剣の柄を握って身構えてきたが、しかし入ってきたのがガゼフだと知るとすぐに構えを解いて頭を下げてきた。

 

「おおっ、戦士長! 丁度良いところに! あれは一体何であるのか、そなたは分かるだろうか?」

「いいえ、陛下。申し訳ありませんが、私にもあれが何であるのか皆目見当もつきません。ですが、一刻も早くこの場から逃げなければならないことは分かります。陛下、どうか全軍に撤退をご命令ください!」

「……うむ、そうだな。私も何やら危険を感じる。……すぐに全軍に撤退命令を流すのだ」

「はっ、畏まりました!」

 

 王の命を受け、傍らに控えていた兵の一人が敬礼と共に急いで天幕を出ていく。

 ランポッサ三世は数秒走り去っていく兵の背を見送った後、次には別の兵に目を移した。

 

「あれもすぐに呼び戻す必要があるな。……すまないが、あやつを迎えに……――」

 

 未だ前線にいるであろうバルブロの身を案じ、王が王子の迎えを頼もうと声をかける。

 しかし王がその言葉を言い終わる前に再び変化が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の巨大な要塞の出現に、帝国軍でも困惑と警戒の騒めきが起こっていた。

 この軍の総指揮官であるナテル・イニエム・デイル・カーベインは勿論のこと、彼の右隣に並ぶように立っている四騎士のバジウッド・ペシュメルとニンブル・アーク・デイル・アノックも驚愕と警戒の色を浮かべた目でじっと要塞を見つめている。

 そして要塞の中から出てきた異形の軍勢と、悪魔の至宝を持ってきたという王国の王子との会話。

 骸骨と話しをしているのはあくまでも敵国の王子ではあったが、傍から見ていた帝国(こちら)側としても『余計なことを言うんじゃない!』と王子に対する苛立ちと異形の骸骨に対する恐怖が絶えず湧き上がっていた。

 そして異形の骸骨を中心に突如出現した見たことのない巨大な青白い魔法陣。

 一体何が起こり、これから何が起ころうとしているのか……と本能的に溢れる冷や汗を止めることができない。

 ニンブルは無意識に半歩後退ると、反射的に自身の右隣に立っているレオナール・グラン・ネーグルを振り返った。

 

「……ネ、ネーグル殿……、あ、あれは一体何なのですか? あなたは彼らの正体や、あの魔法陣が何であるのか……何か…何か思い当たるものはありませんか……!?」

 

 ニンブルの声に反応して、左隣にいたバジウッドやカーベインもレオナールの方に視線を向ける。

 問いかけた本人であるニンブルとて、レオナールが何かしらの答えをくれるとは本気で思ってはいない。ダメ元で問いかけてみただけであり、少しでも何かに縋りつきたいという思いが問いという形になっただけだ。

 しかし見つめた先にいたレオナールは見るからに『信じられない』といった表情を浮かべており、それは明らかに何かを知っているような表情だった。

 

「レオナール殿、何か知っているのですか……!?」

「……っ……! ……あ、い、いえ……そういう訳では、ないのですが……。ただ……」

「ただ、なんですか! 些細なことでも良いのです、何かあるのなら教えてください!」

 

 困惑したように言い淀み黙ってしまうレオナールに、ニンブルは思わず怒鳴るように問いかけてしまう。通常であれば諌められてもおかしくない態度ではあったが、しかし緊迫感が急激に高まっている今、バジウッドもカーベインもニンブルを止めることはせずに真っ直ぐに強い視線をレオナールに向けていた。

 レオナールは今まで骸骨に向けていた目をニンブルたちに向けると、困惑した表情はそのままにゆっくりと口を開いた。

 

「……あの骸骨の異形についてや、今出現している魔法陣については本当に何も分からないのです。……ただ、何故か懐かしいような感情が湧き上がってきたことが不思議で……」

「懐かしい? あのアンデッドがか?」

「ええ、私自身も不思議で仕方がないのですが……。あと分かることといえば、あの骸骨の周りに控えている巨大なアンデッドは死の騎士(デス・ナイト)と呼ばれる異形ですね」

 

 “懐かしい”という言葉にバジウッドが疑問を投げかけるも、レオナールは頭を横に振っただけで他の異形へと話しを移してしまう。

 一瞬何かを誤魔化そうとしているのではないか……という考えが頭を過ぎったが、しかしレオナールの顔には今もなお困惑の色が濃く浮かんでおり、本当にレオナール自身も分からず混乱しているのだろう……とニンブルは思い直した。

 それよりも今はこの場をどうにかする方が何よりも先決だ。何かが起こって軍に損害が出ては不味い……とニンブルは全軍撤退を願い出るべくカーベインに顔を向けた。

 その時――

 

 

 

「王子殿下を守るのだ! 突撃いぃぃっ!!」

 

 突然聞こえてきたドラ声と雄叫びに、ニンブルはハッとそちらに目を向けた。

 視線の先にいたのは王国の左翼軍で、一人の恰幅の良い戦士のような風貌の貴族に率いられて異形の軍に突撃を仕掛けていた。馬に乗った貴族や騎士は剣を掲げ、民兵たちは長い槍を構えながら恐怖に彩られた雄叫びを上げている。

 王国の左翼軍が自国の王子を守るべく異形の軍との距離を縮める中、魔法陣を展開していた骸骨が大きく骨の咢を開いた。

 

「死の入り口よ、開け。――〈冥界への黒水門(ダークスルース・オブ・ヘル)〉!!」

 

 骸骨の詠唱の言葉と共に青白い魔法陣が更に強い光を放ち、勢いよく弾ける。

 一瞬訪れた静寂の後、次には分厚く立ち込め空を覆いつくしていた黒い雲を突き破って天から巨大な青白い何かが地面へと落ちてきた。

 青白い何かは十字の形をしており、その大きさは優に30メートルを超える。

 その十字の何かは迫っていた王国の左翼軍のすぐ目の前の地面に突き刺さると、そこを中心に半径800メートルほどの黒い円を出現させた。

 円の中はまるで底なし沼のようになっているようで、円の中に侵入していた王国左翼軍の多くの兵が悲鳴を上げる間もなく黒の中に沈み呑み込まれていく。突撃の勢いも相俟って、立ち止まろうとするも間に合わずに七万もいた王国左翼軍の凡そ八割が一瞬で黒の中に呑み込まれて消滅した。

 あまりにも予想外の事態に、王国軍も帝国軍も誰もが驚愕の表情を浮かべて愕然となる。

 しかし彼らにとっては不幸なことに、骸骨が放った魔法の効果はこんなものでは終わらなかった。

 誰もが王国左翼軍の末路に恐怖を覚える中、円の水面が不意に波打ち始め、次には揺らめく黒の中から多くのアンデッドが姿を現し始めた。

 続々と姿を現すアンデッドは多種多様で、それこそ普通のゾンビやスケルトン、死霊(レイス)や見たことのない獣系のアンデッドまで様々だ。中には魔法を放った異形の骸骨の周囲に待機している巨大なアンデッドの騎士――確かデス・ナイトといったか――と同じモノも少数ながらも出てきており、また黒色の水面の中には未だ姿を現していない巨大な異形の影が複数蠢いているようだった。

 アンデッドたちは黒い液体を全身から滴らせながら、まるで這うように円の外側へと出てくる。どれもが不気味な唸り声を上げ、近くにいた生者たちに襲い掛かり、黒い雫と真っ赤な血飛沫を周囲に撒き散らした。

 アンデッドたちの身体から滴り落ちた黒の液体は地面を侵食し、どんどんと黒の沼の面積が広がっていく。

 アンデッドたちに襲われた者や逃げ遅れた生者たちは成す術もなく黒の沼の中に呑み込まれ、そこから更に多種多様なアンデッドたちが浮き上がって沼の外へと這い出てきた。

 その様はまるで死の世界がじわじわと広がり生者の世界を侵食しているようで、見る者全てを恐怖と絶望の底に突き落とす。

 そしてそれは優秀な帝国の騎士たちや、勇猛果敢な四騎士のバジウッドやニンブルも同様だった。

 

「あ、あれは一体……一体何が起こっているんだ……!!」

「……これは不味いですね……。……カーベイン将軍閣下、今すぐに全軍に撤退命令を出して下さい。殿は私が務めます」

「……っ!! わ、分かった……!」

 

 唯一人落ち着いた様子で指示を出すレオナールに、ニンブルやバジウッドを始め、話しかけられたカーベインもハッと我に返って何とか落ち着きを取り戻す。言われるがままに一つ頷くと、カーベインはすぐさま全軍に撤退命令を発した。

 彼の力強い声音と鋭い命令の言葉に、周りにいた帝国騎士たちも漸く我を取り戻す。次には慌てながらも整然とした迅速な動きで撤退準備を始める騎士たちに、レオナールは彼らに背を向けて一歩二歩とこちらにもじわじわと迫りきているアンデッドの群れに向けて歩み出ていった。

 先ほどの言葉通り、殿を務めようとしているのだろう。

 彼の冷静でいて力強い姿にニンブルはグッと怯える自身の感情を抑え込むと、何とか勇気を振り絞って腰に差している剣の柄に手をかけた。

 未だ若輩者ではあるが、これでも皇帝にこの力を認められて“四騎士”の一人となった身である。ここで恐怖に負けてレオナール一人を残して背を向けては、皇帝に顔向けができない。何より、恐怖に負けて逃げることを自分の矜持が許さない。

 ゆっくりと剣を抜き放ちながらレオナールの下に歩み寄るニンブルに、ふと隣に大きな影が並ぶように立ったことに気が付いた。

 チラッと視線だけでそちらを見れば、バジウッドもまた自分と同じように剣を抜き放って構えている。いつにない厳しい表情を浮かべてゆっくりと迫りきているアンデッドを睨んでいるバジウッドの姿に、恐らく彼も自分と同じことを考えたのだろうと思い至って少しだけ笑みを浮かべた。しかしすぐさま表情を引き締め、ニンブルもまた目の前まで来たアンデッドに意識を戻す。

 初めにゾンビを切り倒すと、返す刃でスケルトンを打ち砕く。

 両隣ではレオナールとバジウッドもそれぞれ得物を振るってアンデッドを倒していた。レオナールはいつの間にどこから取り出したのか、右手には杖を、左手には短剣を持ち、慣れた様子で振るいながらあらゆる魔法も放っている。

 しかし相手をしなければならないのは下位のアンデッドばかりではない。

 不意に頭上から黒く巨大な影が差し、思わず空を見上げたニンブルは驚愕に目を見開いた。

 

「………あ、あれは……骨の竜(スケリトル・ドラゴン)!?」

「……おいおいマジかよ……。……それも一度に三体だとっ!?」

 

 まるで嵐のような突風と共に、世界中に轟くのではないかと思うほどの咆哮が鳴り響く。次には大きな地響きが周囲を震わせ、ニンブルとバジウッドの言葉通り、三体ものスケリトル・ドラゴンが大きな羽ばたきと共に地上に舞い降りた。

 突然の強敵の登場にニンブルもバジウッドも思わず苦い表情を浮かべる。武器が剣しかないことに、思わず内心で大きく舌打ちを零した。

 スケリトル・ドラゴンは強力なアンデッドではあるが、一体であればミスリル或いはオリハルコン級冒険者でも倒すことはできる。しかしスケリトル・ドラゴンはアンデッドであるが故に刺突や斬撃といった攻撃はあまり効かず、また魔法に対する絶対耐性も有していた。厄介極まりない特性持ちであり、剣しか持っていない今のニンブルやバジウッドにとっては正に強敵だ。

 それも目の前にいるのは一体ではなく三体であり、加えて相手をしなくてはならないのはスケリトル・ドラゴンだけではない。周囲には未だ多種多様のアンデッドが犇めきこちらの距離を縮めようとしており、ニンブルは全身を冷や汗で濡らしながら思わず顔を大きく引き攣らせた。

 思わず小さく後退りしたその時、突然視界の端に銀色の光が走り、目の前まで迫ってきていたスケリトル・ドラゴンの一体の顔を勢いよく弾き飛ばした。バチィィンッという鋭い音が辺りに響き渡り、スケリトル・ドラゴンの横顔の骨が激しく弾け飛んで大穴が空く。そのまま地響きのような呻き声と共に他の二体を巻き込んで倒れ込むスケリトル・ドラゴンに、銀色の何かは宙を泳ぐようにニンブルのすぐ横まで戻ってきた。

 呆然とそちらに目を向ければ、そこにはレオナールが涼しい顔で立っている。彼の手には見覚えのある竜を模った白銀の仕込み杖が握り締められており、その杖を見た瞬間、ニンブルは先ほど何が起こったのかすぐに理解した。

 グリップ部分が竜の頭から胴体、そして支柱の部分が竜の長い尾になっているその杖は、レオナールが闘技場の試合でも使っていた特殊な仕込み杖。恐らく鞭のように支柱を伸ばして攻撃できるその杖を使い、スケリトル・ドラゴンの横顔を張り倒したのだろう。たったの杖の一振りでスケリトル・ドラゴンを弾き倒すことのできるレオナールの力の強さに内心で舌を巻く。

 一体彼はどれほどの力を有しているのか……と思わず背筋を寒くさせる中、視線の先に立つレオナールが少し不満そうな表情をその整い過ぎている顔に浮かべた。

 

「……ふむ、やはりあの程度では倒すことは難しいですか。分かっていたこととはいえ、少々面倒臭いですね……」

 

 レオナールの言っている言葉の意味が分からず、頭上に疑問符を浮かべながら彼の視線を辿ってみる。そしてゆっくりと立ち上がろうとしている三体のスケリトル・ドラゴンの姿が視界に映り込み、ニンブルもまた思わず苦々しい表情を浮かべた。

 一体どうするべきかと思考を巡らせる中、隣で大きなため息の音が響いた。

 

「……ペシュメル様、アノック様、申し訳ありませんが少々この場を失礼させて頂きます。すぐに戻りますので」

「……は……?」

 

 レオナールから予想外の言葉をかけられ、ニンブルは思わず呆けた声を零してしまう。

 しかしレオナールは気にする素振りすら見せずに、もの凄い速さで一直線にスケリトル・ドラゴンたちの下へ駆けだしていった。スケリトル・ドラゴンの足元で蠢いているアンデッドたちに対しては駆ける足はそのままに炎の魔法を放って容赦なく焼き払っていく。

 レオナールはスケリトル・ドラゴンのすぐ目の前まで駆け寄ると、そこで漸く足を止めて杖を構えるでもなくただ棒立ちになってスケリトル・ドラゴンを見上げた。仕込み杖を持つ右手はだらりと力なく垂れ、徐に左手を上に伸ばして、まるで誘うようにスケリトル・ドラゴンたちに向けた。

 

「ほら、さっさと来い。早く終わらせるぞ」

 

 言葉を紡ぐ声音には一切緊張の音は含まれておらず、手招きする左手の動きもひどく柔らかく優雅だ。

 一瞬ここが戦場であることを忘れてしまいそうになるレオナールの言動と雰囲気に、しかしそれに応えるのは感情のないスケリトル・ドラゴンたち。けたたましい咆哮と共に巨大な前脚や尾を繰り出してくるスケリトル・ドラゴンたちに、しかしレオナールは一切避ける素振りすら見せずに、ただ差し伸べていた左手を下ろしながら杖を持つ右手を勢いよく振るった。

 瞬間、白銀の杖の支柱が鞭のようになり、複雑な軌跡を描きながら襲いくる前脚や尾を容赦なく弾き飛ばしていく。白銀が閃く度に、スケリトル・ドラゴンの身体を形作っている多くの骨が無数の欠片となってボロボロと零れ落ちていった。

 しかし痛みを感じないスケリトル・ドラゴンの動きは止まらない。そして迎え撃つレオナールの動きも止まらない。

 牙が前脚が胴体が首が尻尾が……スケリトル・ドラゴンが何かしらの攻撃を繰り出そうとする度に長い白銀が鋭く宙を舞い、容赦なく弾き飛ばして骨の欠片を周囲に撒き散らしていく。遂には自身の身体を支えられなくなったスケリトル・ドラゴンたちが他のアンデッドたちを巻き込みながら地面に倒れ込み、レオナールはそれでもなお牙を剥こうとしているスケリトル・ドラゴンたちの頭部に容赦なく杖を振り下ろした。バキィッという鋭い破壊音と共に頭部が粉々になり、眼窩の灯りが消え失せて沈黙したスケリトル・ドラゴンたちに、レオナールは一切目もくれずに次には周囲に蠢いているアンデッドたちの対処に向かった。

 ここまででかかった時間は数分程度。恐らく10分も経ってはいないだろう。

 一切ダメージを負うことなく、どこまでも余裕のある素振りで短時間で三体ものスケリトル・ドラゴンを倒してしまったレオナールに、ニンブルもバジウッドも開いた口が塞がらなかった。

 しかしいつまでも呆けていられるほど、この場は安全になったわけではない。こちらに迫ってきていたアンデッドを反射的に切り倒しながら、ニンブルはすぐ傍に立つバジウッドに話しかけた。

 

「……どうやら持ち堪えられそうですね。全軍が撤退するまでにはもう少々時間はかかりそうですが……ネーグル殿がいて本当に良かったです」

「だな。あいつがいなかったらと思うとゾッとするぜ……」

 

 バジウッドもまた多くのアンデッドを切って捨てながら大きく頷く。彼の厳めしい顔にはニヤリとした笑みが浮かんでおり、どうやらレオナールの戦いを身近で見られたことが嬉しくて仕方がないようだった。まったくこんな大変な時に……とバジウッドの緊張感のない反応と考えに少しだけ呆れてしまう。しかしそう思うニンブル自身も、レオナールのおかげで随分と余裕を持てるようになっていた。彼がいれば無事にこの場を乗り切ることができる……という思いが湧き上がってくる。

 絶えず襲いかかってくるアンデッドたちを打ち倒しながら、ニンブルはチラッと王国軍の方に視線を向けた。

 レオナールやニンブル、バジウッドの働きによって無傷で撤退できそうな帝国軍とは打って変わり、王国軍の被害は相当なものになっているようだった。

 規律もなく、ただ恐怖に突き動かされてバラバラに逃げる王国軍の民兵たち。黒い沼がどんどんと拡がり地面を覆ってしまっているため、死体も殆どが呑み込まれてしまってはいるが、それでも未だ生きて逃げている王国軍の規模からみると、多くの民兵たちが黒い沼に呑み込まれたのだろうことが窺い知れる。多種多様な多くのアンデッドたちが逃げ惑う王国の兵たちに襲いかかっており、多くの悲鳴が響き渡る地獄のような惨状が広がっていた。

 

「……おいおい、マジかよ! あのアンデッドも来やがったぞ!」

 

 王国軍の悲惨な状態に思わず顔を顰めるニンブルの耳に、バジウッドの焦った声が聞こえてくる。

 慌ててそちらに目を向ければ、バジウッドの視線の先に複数の漆黒の騎士のアンデッドがこちらに向かってきているのが見てとれた。

 未だアンデッドの騎士たちとは距離があるが、それでも既に感じ取れる強い威圧感に一気に背筋が戦慄する。

 思わず顔を引き攣らせて全身を強張らせるニンブルに、まるでこちらを庇うように唐突にレオナールの背中が視界に飛び込んできた。

 

「あのデス・ナイトたちの相手は私が務めましょう。帝国軍の方々は無事に戦場を離脱できたようですし、お二人もそろそろ撤退してください」

 

 レオナールの言葉に反射的に背後を振り返れば、確かに遠くの空に“撤退完了”を知らせる狼煙が上がっているのが見てとれる。こちらも撤退して良いという合図に、ニンブルは素早くレオナールに視線を戻した。

 

「ならばネーグルさんも一緒に引きましょう! あのアンデッドはあまりにも危険です!」

 

 もの凄い速さでこちらとの距離を縮めてきている五体ものデス・ナイトに、湧き上がってくる恐怖を必死に抑え込みながらレオナールに声をかける。

 しかしレオナールはデス・ナイトを見つめたまま静かに頭を横に振った。

 

「いいえ、それではあれらに追いつかれてしまうでしょう。それでは殿を務めていた意味がなくなってしまいます。私の心配は不要ですので、どうかお二人は逃げて下さい」

「……ふんっ、お前一人残して逃げるなんて冗談じゃねぇ。本当に心配する必要がないのなら、俺もここに残らせてもらうぜ」

 

 こちらを心配させないためか淡々とした口調で言ってくるレオナールに、しかしバジウッドの皮肉交じりの言葉がそれを切って捨てる。

 『心配する必要がない』ということは、つまりレオナールはあの五体ものデス・ナイトにすら勝てるということ。ならばわざわざ自分たちが逃げる必要はないだろう……と言外に言ってのけるバジウッドに、レオナールはチラッと目だけでバジウッドを見やり、次には少し呆れたような苦笑を浮かべてきた。

 

「……まったく、強情ですね……」

「お前も相当だと思うがな。まっ、ここはお前が諦めてくれ」

「……はぁ、仕方ありませんね……。ですが、デス・ナイトを倒せるからといって、あなたたちの無事が保証されている訳ではありません。くれぐれも注意は怠らないようにしてください」

「まぁ、そうだわな。死なない程度に立ち回るさ」

 

 どこまでも冷静な声音で警告してくるレオナールに、軽口を返しながらもしっかりと頷いて返すバジウッド。

 二人のまるで友人同士のようなやり取りにニンブルは恐怖を和らげると、改めて気を引き締めて地面を強く踏みしめた。

 二人がこの場に残るというのなら、ニンブルも一人この場を逃げるわけにはいかない。この場を去る時は三人一緒に……! と決意を新たに既に目の前にまで迫ってきていたデス・ナイトを鋭く睨み据えた。剣の柄を更に強く握りしめ、腰を低くして力を溜める。

 いつでも攻撃できるようにタイミングを計る中、一人身構えることもせずに優雅に立っていたレオナールがデス・ナイトの一体に指先を伸ばした。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

「「……っ……!!」」

 

 瞬間、巨大な炎の球体が三つ出現し、勢いよくデス・ナイトに襲いかかって着弾と同時に炎が周囲に膨れ上がる。

 デス・ナイトは未だ健在ではあったが、周りにいた他のアンデッドたちは声すら上げる間もなく炎に焼かれて炭と化した。ボロボロと崩れて宙を舞う塵や炎を振り払いながら、デス・ナイトたちが恐ろしい雄叫びと共に再びこちらに迫ってくる。

 アンデッドであるため攻撃が効いているかどうかも分からないデス・ナイトの様子に思わず気圧される中、レオナールが面倒くさそうに一つ大きなため息を吐き出した。徐に懐から小さな小瓶を取り出すと、蓋を取って迷うことなく中の赤い液体を飲み干す。そして更に距離を縮めて今や目と鼻の先にまで来ていたデス・ナイトを見やると、なおも余裕の色を崩さないままに再び右手の人差し指を突き付けた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 淡々とした詠唱の言葉と共に龍のようにのたうつ巨大な雷がレオナールの肩口から指先へと走り抜け、そのまま指先を離れてデス・ナイトに襲いかかる。

 バリバリという放電の音と、網膜が焼けると思うほどの光の洪水。何より今まで感じたことのない攻撃の余波の衝撃に、ニンブルとバジウッドは思わず腕で顔を庇いながら顔自体も背けた。未だ周りにはアンデッドたちがいるであろう危険な状況で、しかし今もなお続く光の気配と衝撃音に目を開けることができない。レオナールは今もなお攻撃を続けているようで何か声のようなものは聞こえてきてはいたが、その言葉は何一つ聞き取れず、何が起こっているのかも全く分からなかった。

 暫く続く、大きな衝撃と爆発音と光の放流。

 永遠とも一瞬とも思える時間の後、漸く音が止み、目が開けられるようになったことに気が付いて、ニンブルとバジウッドは恐る恐る閉じていた目を開けながら背けていた顔を元に戻した。そして目の前に広がった光景に思わず驚愕に大きく目を見開いた。

 先ほどまでは確かにいた五体のデス・ナイトと多くのアンデッドたち。地面に沈んでいたアンデッドの死体やスケリトル・ドラゴンの成れの果て。

 しかし今目の前にはそれら全てが存在していなかった。

 あるのは何もない赤茶けた地面のみで、焼け焦げた跡のみが地面に刻み込まれている。

 一体何が起こったのかと周りを見回せば、少し離れた場所にレオナールの後ろ姿があり、更にその奥では数分前に見た光景同様に多くのアンデッドに襲われている王国軍の姿が目に飛び込んできた。

 ということはこのカッツェ平野で起きている状況自体は何も変わってはいないのだろう。いや、むしろ先ほど見た時よりも更に大きく広がっている黒の沼の惨状を見るに状況は悪化しているのかもしれない。

 自分たちがこうして無事でいるのは、偏にレオナールが何かの術で自分たちを守ってくれたためだろう。

 ニンブルとしてはレオナールが一体何をしたのか非常に気になるところではあったが、しかし今はそれを追求している余裕はない。取り敢えず自分たち周辺のデス・ナイトや他のアンデッドたちの一掃はできている様子であるため、今のうちにこの場を撤退した方が良いだろう。

 ニンブルは注意深く周囲を見渡しながらも、何故か微動だにせずに立ち尽くしているレオナールの背に声をかけた。

 

「ネーグル殿、どうやら近くにはアンデッドたちはいないようです。今のうちに我々も撤退しましょう」

「……………………」

「ネーグル殿?」

 

 しかしレオナールは声をかけてもなお微動だにせず、何の反応も返してこない。

 そんな今までになかった男の様子に、ニンブルは思わず小さく首を傾げた。バジウッドも怪訝に思ったようで互いに無言のまま顔を見合わせる。

 ニンブルとバジウッドは再びレオナールに視線を戻すと、二人でレオナールの下に向かおうと足を踏み出した。

 しかしその時、不意に大きな何かの気配がものすごい速さでこちらに接近してきていることに気が付いてニンブルは慌ててそちらに目を向けた。

 

 

 

「――……ウルベルト・アレイン・オードル様……っ!!」

「「……っ……!?」」

 

 鋭い気配に目を移した瞬間、視界に飛び込んできた漆黒の騎士の姿。腰から生えている漆黒の翼を羽ばたかせて低空飛行でこちらに向かってきているのは、間違いなくあの異形の骸骨の傍らに控えるように立っていた漆黒の女騎士だった。

 女騎士の姿形は人間と同じように見えるが、しかし兜のこめかみ部分から覗く角や腰の両翼から、彼女も恐らく何らかの異形であろうことが窺い知れる。

 異形の……それも相当な力を持っているであろう存在の登場に、ニンブルとバジウッドは咄嗟に剣を構えるものの本能的な恐怖で全身を強張らせた。

 

「〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)炎の壁(ファイヤーウォール)〉!」

「「……っ……!?」」

「……っ……!! ウルベルト・アレイン・オードル様っ!?」

 

 女騎士がすぐ目の前まで迫ってきたその時、レオナールの詠唱の声と共に視界を紅蓮の炎が覆いつくす。

 気が付けば大きな炎の壁が自分たちと女騎士の間に、まるで線引きするように出現しており、女騎士は地面に着地して突撃を止めながらもう一度聞き覚えのない名を呼んだ。

 一体何が起こっているのかと反射的にレオナールを見つめるも、彼は炎の合間から覗く女騎士をじっと見つめていた。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様、まさかあなた様ご自身にもお会いすることができるとは! ですが、何故このようなことを!」

「……何を言っているのか分かりませんが、私はウルベルト・アレイン・オードルという人物ではありません。人違いですよ」

 

 必死の声音でレオナールに語りかける女騎士に、しかしレオナールは緩く頭を振りながら女騎士の言葉を切って捨てる。それでいて自身の背に隠した右手の指先でチョイッチョイッとこちらに来るように合図してくるレオナールに、ニンブルとバジウッドはそれに気が付いてゆっくりとレオナールの下に注意深く歩み寄っていった。

 女騎士はレオナールと言葉を交わしているためか、はたまた最初からこちらには全く興味がなく眼中にないのか、ニンブルとバジウッドの動きには全く意識を向けることなく一心にレオナールだけを見つめている。

 レオナールはニンブルとバジウッドが自身のすぐ後ろまで来たことを気配だけで確認すると、顔は女騎士に向けたまま自身も一歩後ろに下がってニンブルとバジウッドとの距離を更に縮めた。

 

「あなたがどなたと勘違いしているのかは知りませんが、我々はそろそろお暇させて頂きます。〈集団転移(マス・テレポーテーション)〉」

「……っ!! お待ちを、ウルベルトさ……――」

 

 咄嗟に引き止めるようと伸ばされた女騎士の漆黒の腕。炎に焼かれるのも構わずに突き出された手に、しかしレオナールは魔法を発動させて一瞬でこの場から転移した。

 次に彼らが立っていたのはカッツェ平野から十キロほど離れた場所で、そこは帝国軍がカッツェ平野に進軍する際に途中休憩をとる中継地点のすぐ近くだった。

 カッツェ平野にある駐屯基地と比べると見劣りはするものの、それでも立派な基地が建てられており、先ほどまでの喧騒が嘘であったかのような静けさに包まれている。

 恐らく先に撤退した帝国軍は未だここまでは来ていないのだろう。周りを見回してみても軍の影すら見当たらなかった。

 

「申し訳ありません、急いで転移したものですから帝国軍の皆さんがいるであろう撤退場所とは少し離れてしまったようです」

 

 レオナールも周りを見回した後、申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ってくる。

 謝罪の言葉と共に頭を下げてくるレオナールに、ニンブルは慌てて声をかけながら頭を上げさせた。

 

「いえ、とんでもない、どうか頭を上げて下さい! むしろ頭を下げるべきはこちらの方です。ネーグル殿には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。わたくしどもを助けて下さり、ありがとうございます」

「いいえ、礼には及びません。あの悪魔の至宝からの不測の事態に対処するのが皇帝陛下から依頼いただいた内容でしたし、あんな状況で一人逃げるのはあまりにも後味が悪いですからね」

 

 こちらを気にかけてくれたのだろう、どこか軽い口調でそんなことを言ってくるレオナールに、ニンブルは苦笑を浮かべながらも心の中でもう一度感謝の言葉を繰り返した。

 とにかく今は帝国軍にこちらの位置を伝えようと基地の方に足先を向ける。

 三人並んで基地に向かう中、不意にバジウッドが厳めしい顔に真剣な表情を浮かべながらレオナールに目を向けた。

 

「そういやぁ、あの女騎士があんたのことを“ウルベルト・アレイン・オードル様”って呼んでたが、あれは一体どういうことなんだ?」

 

 ニンブルも内心ではすごく気になっていたことをバジウッドが尋ね、ニンブルも彼らに目を向ける。

 問いかけられたレオナールは少し考えるような素振りを見せた後、小さく眉を顰めて緩く頭を振った。

 

「それが、思い当たることが全くないのです。やはり人違いなのだと思うのですが。……ただ……」

「ただ……なんだ……?」

「あの異形の骸骨や女騎士に感じた懐かしいような感覚……。それに“ウルベルト・アレイン・オードル”という名前にもどこか聞き覚えがあるような気もしていて……。今は何もかもよく分かりませんが、少し調べてみようかと思います」

「……そうかい、それじゃあ、また何か分かったら教えてくれ」

「ええ、お約束しましょう」

 

 真剣な表情を浮かべてしっかりと頷いてくるレオナールに、バジウッドも満足そうな笑みを浮かべて大きく頷いて返す。

 恐らくバジウッドもレオナールの言葉に対して思うことはあるのだろう。しかしレオナールが“約束”という言葉を使ったのだ、これまでの男の言動を思えば、こちらとしてはそれを信じて待つしかない。

 ニンブルは胸に渦巻く多くの疑問や突如現れた異形たちの存在に恐怖と不安を湧き上がらせながら、皇帝への報告はどうするべきかと頭を悩ませるのだった。

 

 




今話からの『王国 vs 帝国』編の物語は、もしかしたらご都合主義になっているかもしれません。
なるべく説得力があるように私なりに結構考えて物語や流れ等を考えてはみたのですが、もしかしたら違和感などもあるかもしれません。
一応、王国と帝国の戦場(戦本番)場面の後にナザリック側の計画の全容も説明する予定ではあるので、そこまでお待ち頂き、読んで頂ければと思います。
そのうえで違和感やご都合主義的なものが感じられた場合は、大変申し訳ありません。
一度このタイミングで注意喚起の意味も込めて謝罪させて頂ければと思います(深々)

*今回の捏造ポイント
・〈異界への黒水門〉:
超位階魔法で、範囲攻撃の即死系召喚魔法。尤も召喚するのは低位~中位のアンデッド。最初の死者(生贄)のレベルや数によって召喚されるアンデッドの数やレベルが決まってくる。そこから更に広がる被害に従って何重もの波のようにアンデッドが召喚されていく。召喚の波を消すためには、
・アンデッドを全て消滅させる
・ランダムの制限時間が過ぎるのを待つ
・一番最初の攻撃の際に出現する冥界の源(柱)を壊す
のいずれかの方法がある。
・〈炎の壁〉:
第五位階魔法で、〈獄炎の壁〉の劣化版魔法。言い換えれば〈獄炎の壁〉は〈炎の壁〉の上位版魔法。詠唱者の思う場所に炎の壁を出現させる。


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第84話 支配者

またまた今回も少し(?)長めとなっております!
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいです(深々)


 帝国軍が完全撤退した後のカッツェ平野では、今もなお惨劇の宴が続いていた。

 じわじわと……しかし確実に地面を侵食して広がり続けている黒の沼。多種多様なアンデッドたちが沼から際限なく這い出ており、逃げ惑う王国の兵たちに襲いかかっては多くの悲鳴を響かせている。立ち向かおうとする者は誰一人としておらず、ただただ生存本能からくる衝動のままに死に物狂いで逃げ続けていた。

 王国軍の最高戦力と言っても過言ではない戦士長ガゼフ・ストロノーフもまたランポッサ三世をその背に負ぶってエ・ランテルに向けて必死に足を動かしていた。

 もし相手が個の強者であったなら、ガゼフは王の守りは戦士団の兵たちに任せて自分は一人この場に残って殿を務めていただろう。

 しかし今回の場合は個の強者ではなく数の暴力が相手である。これでは如何にガゼフが殿として頑張ったところで限界があり、王の安全は危うく、容易く危険に陥りかねない。

 王の身を第一に考えるならば、一緒に逃げてすぐ傍でその身を守る方が何より確実だった。

 

「王よ、大事ありませんか? 苦しくなどはなっておりませんか?」

「いや、私は大丈夫だ。こちらこそ、そなたには苦労をかけてすまぬが……」

「いえ、大したことはありません。もうすぐエ・ランテルに着きます。どうかもう暫く御辛抱ください!」

 

 人の背にずっと負ぶさっているという状態は……特にランポッサ三世は高齢なこともありかなり身体的に負担が大きいはずだ。普通に考えれば馬に乗って移動した方が速く、またランポッサ三世の身体にも負担をかけずに済ませられるだろう。しかし馬に乗って逃げようとしていた貴族の何人かが翼を持ったアンデッドに上空から襲われた光景を目の当たりにして、急遽馬での移動は断念してガゼフが王を背負うことにしたのだ。

 王を背負ったガゼフを中心に、周りを戦士団の兵たちが囲んで守りながらエ・ランテルへと急ぐ。戦場の至る所では絶えず多くの悲鳴が響いていたが、彼らは決して走る足を止めることはしなかった。

 

「――……ストロノーフ様っ!!」

「っ!! ……クライム、無事だったか!」

 

 休まず足を動かす中、不意に聞こえてきた呼び声にガゼフはそちらを振り返った。

 白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年の姿が視界に映り、思わず小さな安堵の笑みが顔に浮かぶ。こちらに駆けてくるクライムは全力で走っているためか汗だくになって疲労の色も濃く出てはいたが、ざっと見た限りでは怪我などはしていないようだ。

 クライムはガゼフと並行して走りながら、一度ガゼフの背にいるランポッサ三世を見上げて一礼し、再びガゼフに目を戻した。

 

「ストロノーフ様、これは一体何が起こっているのでしょう……。このままでは王国軍全体に大きな被害が出てしまいます。……いえ、既に相当な被害が出ているはずです!」

 

 焦燥の色を濃く浮かべながら言い募ってくるクライムに、ガゼフもまた苦い表情を浮かべながら一つ頷いた。背に負う王も苦い表情を浮かべているのが何となく気配で分かる。

 クライムの言う通り、今の状況は最悪の一言に尽きた。

 あの異形の軍勢や今起こっている事態が一体何であるのかは不明で未だ検討もつかない。しかし今も絶えず響く悲鳴や周りで逃げている兵たちの様子や数から、既に相当な被害が出ていることはいやでも分かった。もしこのまま無事に逃げ延びられたとしても、王国の力は大きく弱まり、近い未来相当な苦難が待ち受けていることだろう。帝国軍も同様の被害を受けていたならまだ事態も変わってくるのかもしれないが、あちらには“サバト・レガロ”がいるだろうから望みは薄いような気がした。

 しかし何はともあれ、今はとにかく生き延びることが何よりも先決だ。

 沈みそうになる感情を振り払ってクライムに声をかけようとしたその時、不意に聞き覚えのある高い声が聞こえてきてガゼフやクライムたちは反射的にそちらを振り返った。

 

「――……ストロノーフ様……!」

「クライム、お前も無事だったか!」

「ガガーランさん! それに“蒼の薔薇”の皆さんも……!!」

 

 振り返った先にいたのは“蒼の薔薇”の少女たち。

 その中には何故かイビルアイの姿だけがなかったが、それ以外のメンバーは全員が小さな安堵の表情を浮かべながらこちらに駆け寄ってきた。

 

「陛下、ご無事で良かったです!!」

「そなたたち……、冒険者であるそなたたちが何故ここに……」

「実は今回の戦に少し思うところがありまして……カッツェ平野を望めるあちらの丘の上で戦の様子を見ていたのです。冒険者は本来人間同士の争いには参加しないのがルールですので、こちらに伺うつもりはなかったのですが……」

「だが、見てたら謎のアンデッドが出てきてこんな状況になっちまってるだろう……。相手がアンデッドならってことで、俺たちも来たわけだ。まぁ、逃げるちょっとした手助けくらいしかできねぇだろうがな」

「いえ、決してそのようなことはありません! ガガーランさんたちがいらっしゃるだけでとても心強いです!」

 

 ラキュースの言葉に付け加えるように話すガガーランに、クライムから少しホッとしたような力強い声が飛ぶ。

 少年の純粋な反応にラキュースは少しだけ表情を緩めると、しかしすぐに表情を引き締めて再びランポッサ三世とガゼフに目を向けた。

 

「陛下、ストロノーフ様、既にイビルアイに転移でエ・ランテルに行ってもらい、現在カッツェ平野で起こっていることを都市長や冒険者組合(ギルド)に知らせてもらっています。恐らく……少なくともエ・ランテルの都市長は何らかの対処に動いてくれているでしょう。ここは何とかエ・ランテルまで無事にお逃げ下さい!」

「殿の方は私たちが務める」

「王様や戦士長たちは真っ直ぐエ・ランテルまで逃げるべき」

「……分かった、そなたたちの助力に感謝する。そなたたちも必ず無事に戻ってくるのだぞ」

 

 “蒼の薔薇”の面々に促され、ガゼフの背にいる王もまた大きく頷きながら彼女たちに声をかける。

 ラキュースたちは一瞬笑みを浮かべると、次にはすぐに顔を引き締めて大きく頷き、踵を返して後方に走り去っていった。恐らく未だ後ろの方で逃げ遅れている者たちを少しでも助けようとしているのだろう。

 彼女たちの助力に心の中で感謝しながら、ガゼフは再びエ・ランテルの方角に目を向けた。背にいる王を改めて背負い直し、更に駆ける足を速める。

 数十分後、漸くエ・ランテルに到着したガゼフたちは都市長であるパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアに迎えられ、すぐさま都市長の屋敷の隣にある貴賓館に案内された。

 戦前の会議に使われていた大広間に案内されれば、そこには既に逃げ延びていた貴族の何人かがすっかり焦燥した様子で椅子に座っている。誰もが薄暗い中で恐怖に耐えるように顔をうずめる中、部屋の片隅には戦場の最前線にいた筈のバルブロの姿もあった。

 あの場所からどうやって無事に逃げてこられたのかとガゼフは思わず驚愕の表情を浮かべる。しかし王が純粋に息子の無事を喜んでいる様子に、ガゼフは疑問に開きそうになる口を意識して閉ざした。

 バルブロの方はと言えば、大きく顰めた顔を背け、ひたすら口を閉ざして黙り込んでいる。

 果たして自責の念を感じているのか、はたまた何かまたよからぬことでも考えているのか……。

 ガゼフとしては前者であってほしいと願わずにはおれなかったが、しかしそれが難しい願いであるとも感じていた。

 一体これからどうなるのか……大きな不安が込み上げてきて自然と眉間に皺が寄る。

 誰もが憂鬱な空気を漂わせる中、不意に扉がバンッと大きな音を響かせながら外側から勢いよく開かれた。突然の大きな音に誰もが驚きと共に扉を振り返り、そこから姿を現した人物に更に全員が驚愕に目を見開いた。

 

「……はぁ、陛下……ご無事でしたか……」

「レエブン侯……、そなたも無事であったか……」

 

 開かれた扉から姿を現したのはレエブン侯。

 身に纏っている重装鎧はあちこち土や血に濡れ汚れており、いつもきっちりとセットしている金色の髪はぼさぼさに乱れ、青白い顔には強い焦燥と疲労の色が浮かんでいる。しかしそれでもこちらの無事に安堵の息を吐く男に、こちらも自然と小さな笑みを浮かべて安堵の息を吐き出した。

 緊迫して鬱々としていた空気が少しだけ軽くなり、自然とこの場にいる者たちの顔色も少しだけ明るくなる。

 しかしレエブン侯はすぐに顔を引き締めると、厳しい表情を浮かべて一歩ランポッサ三世へと歩み寄った。

 

「陛下、お疲れのところ大変申し訳ありませんが、すぐにでも今回の事態についての対処を考えなくてはなりません」

「……………………」

「あの異形たちの目的が何であるのかは未だはっきりとは分かりませんが、我々がエ・ランテルまで引けば終わり……となる可能性は限りなく低いでしょう。恐らく何らかの要求をしてくるか……最悪、このままエ・ランテルへの侵攻を開始してくる可能性とてあります」

 

 レエブン侯の指摘に、この部屋にいる貴族たちの誰もが大なり小なり焦りの表情を浮かべて騒めく。

 誰もがその可能性を考えなかったわけではないだろうが、やはり言葉に出すのと出さないとでは雲泥の差が出てくる。

 レエブン侯が言葉に出して現状を話したことで、否が応にも実感が襲いかかり、誰もが蒼白にした顔を見合わせた。

 

「あの異形の骸骨は王子が戦場に持ち込んだ悪魔の至宝について言及しておりました。少なくとも、あの至宝を渡さない限り異形たちの侵攻は続く可能性が高いと思われます。……王子」

「……っ……! な、なんだ……!?」

「悪魔の至宝はまだ持っていらっしゃいますか?」

「……あ、ああ……ここにあるが……」

 

 レエブン侯からの問いかけにバルブロは戸惑った表情を浮かべながらも、懐に手を入れて手のひら大の宝玉を取り出す。その手には青緑色の美しくも怪しい宝玉がしっかりと握り締められており、この場にいる誰もが無意識にゴクリ……と生唾を呑み込んだ。脈打つように振動を発するその宝玉はいつ見ても恐ろしく不気味に感じる。

 許されるならばすぐにでも王子の手からその宝玉を奪い取ってどこへなりとも投げ捨ててしまいたい……。

 そんな衝動が湧き上がってくるのをガゼフが必死に抑え込んでいる中、レエブン侯も嫌悪の視線を宝玉に向けながら苦々しく唇を歪めた。

 

「……逆に考えれば、この宝玉があれば異形たちと上手く交渉ができるかもしれません。……陛下、場合によってはこの宝玉を異形たちに渡すことになってもよろしいですね?」

「なっ! レエブン侯、一体何を言っているっ!!」

「……ああ、それで王国の民たちを救えるのであれば、仕方あるまい」

「父上っ!?」

 

 レエブン侯とランポッサ三世の言葉が信じられないとばかりにバルブロが目を見開いて声を荒げてくる。

 しかし二人の判断は妥当であり、ある意味それ以外の選択肢がないとも言えた。

 確かに誰がどう考えても強大な力を宿していることが分かる宝玉を強力な異形のアンデッドに渡すなど愚の骨頂だろう。下手をすれば異形たちに更なる力を与え、こちらの反撃できる可能性を更に狭めてしまいかねない。しかし現状ですら自分たち王国側にあの異形たちに対抗する術はなく、このまま手をこまねいていては多くの王国民が害されるかもしれない。今この時を乗り越えるためには、苦渋の選択も致し方ないことだった。

 誰もが納得したような態度を見せたことでバルブロも何も言えなくなったのだろう、悔しそうな苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 再び緊迫した重々しい空気が室内に漂う中、不意に再び扉からドンッドンッという激しいノックの音が響き、こちらの返答を待たずに扉が外側から勢いよく開かれた。

 何事かと誰もが扉を振り返れば、そこには都市長のパナソレイが両肩で息をしながら汗だくの状態で立っていた。

 

「パナソレイ、そのように慌てて如何した?」

「へ、陛下! 外を、外をご覧ください!!」

 

 パナソレイは普段、そのブルドッグによく似た丸く禿げた顔やふくよかな体型といった容姿を存分に活かし、間抜けな人物像を演じることが多い。

 しかし今はそんな態度を取り繕う時間も惜しいとばかりにかなぐり捨て、必死の形相で外を見るように声を張り上げてきた。

 いつにない鬼気迫るパナソレイの様子に、王だけでなくこの場にいる誰もが部屋に備え付けられている大きな窓に歩み寄って外を覗き見る。そしてそこにあった“存在たち”に誰もが驚愕に目を大きく見開いて息を呑んだ。

 

『リ・エスティーゼ王国の王族、貴族、そしてエ・ランテルの人間どもよ。我らは至高なる御方の先触れとして参った。至高なる御方の尊きお言葉を聞くがよい』

 

 彼らの視線の先にいたのは見たことのない化け物。

 エ・ランテルの上空を漂う“それら”は150センチほどの黒い靄のような姿をしており、靄の中には様々な種族の顔が浮かんでは消えるを繰り返していた。どの顔も大きな苦痛を訴えるような表情を浮かべており、その口からは啜り泣きや怨嗟の声、苦痛の悲鳴や断末魔の喘ぎ声などが発せられている。しかし一方で紡ぎ出される言葉の声は朗々として抑揚がなく、感情が一切宿っていないように聞こえるため更に不気味さを強調していた。

 上空を漂っている数は四つ。

 それらが泣き声や悲鳴などを撒き散らしながら、“至高なる御方”とやらの言葉を順々に紡いでいった。

 

『至高なる御方は対話を望まれている』

『至高なる御方の求めし宝玉を手に、直ちに門を開け』

『いらぬ時間稼ぎは至高なる御方をご不快にさせるだけと心得よ』

『至高なる御方の御慈悲を賜りたくば、疾く道を開け』

 

 淡々と……まるでこちらに言い聞かせるように声を響かせる異形の真意は果たして忠告か、それとも脅しか。

 どちらにせよこちらに選択肢などなく、困惑と恐怖を綯い交ぜにした表情を浮かべる貴族たちが振り返る先に立つランポッサ三世は覚悟の表情を浮かべて一つ頷いた。

 

「……やることは決まったな。パナソレイ、すまないが“至高なる御方”なるモノを招く部屋を一つ用意してもらえるか?」

「か、畏まりました、陛下」

「それから、こちらに歯向かう意思がないことをあちらに知らせる必要があるな。であれば……」

「陛下、その役目、どうか私にお命じ下さい」

「……戦士長……」

 

 王の言葉を遮り、ガゼフが名乗りを上げる。

 ランポッサ三世にとっては思いがけないことだったのだろう、驚いた様子で半ば呆然と見開いた目でこちらを見つめてくる。ガゼフは強い光を宿した双眸で真っ直ぐに王を見つめながら、覚悟を決めるように誰にも気づかれないように強く拳を握り締めた。

 相手にこちらの意思を伝えるというこの役目は危険度が非常に高く、見せしめに殺される可能性すらある。普通に考えれば、戦士長であるガゼフが引き受けるべきものでは決してないだろう。しかしガゼフはどうしてもこの役目を引き受けたかった。

 こちらの意思を伝えるということは、相手の異形に誰よりも早く至近距離で相見えるということだ。それは王の安全を第一に考えるガゼフにとっては非常に重要なことだった。至近距離で相手に会えれば、その力量や思惑など細かいことは分からなくとも、少なくとも相手がどんなに危険な存在であるかは確認できるはずだ。そして相手を少しでも見極めるためには、鋭い観察眼が必要となる。平時での人を見極めるという能力についてはまだまだ未熟だと自覚しているガゼフではあったが、一方で緊急時での敵になり得る存在に対する観察眼や戦士としての勘は鋭い方だとは自負している。ならばこの役目は自分でなくてはならない、とガゼフは強くそう信じていた。

 しかしガゼフのことを大切に思っている王が、それを素直に受け入れる筈もなかった。

 

「戦士長……、何を言っている。これは非常に危険な役目なのだぞ」

「であればこそ、この私が行くべきです。私であれば無事に戻って来られる可能性は高まりましょう」

 

 本音ではガゼフ自身まったくそうは思っていなかったが、王を安心させるために敢えてそう言ってみせる。

 あの異形たちが本気になれば、相手がガゼフであっても一瞬で殺されてしまうだろう。しかしそれは言い換えれば、使者が誰であったとしても異形たちが本気になれば結末は同じであるということだ。ならばやはり、少しでも相手のことを知るためにガゼフ自身がこの役目を担った方が良い。

 それにガゼフは自分自身も良く分からないが、何故かあの異形たちは使者を殺すようなことはしないだろうと確信を持っていた。

 何の根拠もない、ただの勘でしかなかったが、それでも自信をもって断言できる。だからこそ王を安心させるために笑みすら浮かべてみせた。

 

「陛下、どうかご安心ください。必ず御身の元に戻って参ります」

「戦士長……。……はぁ、そなたがそこまで言うのだ、その言葉を信じるとしよう」

「ありがとうございます!」

 

「お、お待ちを! どうかお待ちください、陛下、ガゼフ殿!」

 

 王が根負けして一つ頷き、ガゼフがそれに頭を下げる。

 しかしその時、今までこちらのやり取りを黙って見つめていたレエブン侯が焦ったように声を上げた。こちらを止めようと身を乗り出してくるレエブン侯に、ガゼフは無礼な行いだとは承知しつつも殺気交じりの強い視線をレエブン侯に向ける。瞬間、レエブン侯は狙い通りにガゼフからの強い視線に気圧されて咄嗟に口を閉ざして黙り込んだ。しかしそこは流石は六大貴族の一人というべきか、すぐに気を取り直して再び口を開こうとするレエブン侯に、ガゼフは彼が言葉を紡ぐその前に王に視線を戻して大きく頭を下げた。

 

「それでは陛下、行って参ります」

「……しっかりとこちらの意思を伝え、無事に戻って参れ」

「はっ、畏まりました!」

 

 王が正式に命じたことで、レエブン侯は反論することが出来なくなって苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 ガゼフは内心でレエブン侯に謝罪しながらもう一度王に頭を下げると、すぐさま踵を返して部屋を出て真っ直ぐに外の扉へと向かっていった。

 都市長の敷地内から街へと出てみれば、先ほどまで上空にいた異形の姿は既に無く、まっさらな青空のみが広がっている。しかし街はすっかり静寂に包まれ、人の影すらも一つも見当たらなかった。恐らく突然の異形の出現に街の人々は怯えて家の中に逃げて籠ってしまったのだろう。

 ガゼフは一つ小さく息を吐いて気を引き締めると、真っ直ぐに都市外に続く門に向かって足を踏み出した。

 門までの道中、何とか命からがら逃げてきたのだろう民兵たちの姿が徐々に視界に映り込み始める。

 その数は一見多いようにも見えたが、しかし元々いた人数を考えればひどく少ないものだった。

 ある者は地面に座り込み、ある者は建物の壁に背中を預けて項垂れている。彼らは一様に悪夢に怯える幼子のように身を縮み込ませて頭を抱えていた。

 何人もの民兵たちの間を縫うように歩き、ガゼフは無言のままカッツェ平野に出る門へと向かう。

 目的の門に歩み寄れば門の両脇にはエ・ランテルの守備隊であろう兵が立っており、彼らは近づいてくるガゼフの存在に気が付くと、不安の色を濃く浮かべた顔をこちらに向けてきた。

 しかしガゼフは彼らを安心させてやれる術を持っていない。

 自身の力不足を心苦しく思いながら、ガゼフは馬を一頭用意してくれるよう兵に頼んだ。

 声をかけられた兵は弾かれたように何度も大きく頷くと、全力疾走で馬のいる場所に駆けていく。そして数分後、兵が連れてきた馬にガゼフは素早い身のこなしで飛び乗ると、自分が戻ってくるまでしっかり門を守るように言い置いてから開かせた門の隙間から外へと出た。

 背後で門が閉まり錠がかけられる重々しい音が聞こえてくる。しかしガゼフは一切後ろを振り返ることなく、ただ目の前に広がるカッツェ平野をぐるりと大きく見渡した。

 彼の視界に広がっていたのは、数十分前に見た光景とは全く違うものだった。

 大きく広がっていた黒の沼は既に無く、青白く光り輝いていた十字の光も、黒に近い灰色の巨大な要塞の姿もどこにもない。また地面に多く転がっていただろう王国兵の死体すら一つもなく、全てが跡形もなく消え、今朝見たものと同じ霧の晴れたカッツェ平野の光景のみが広がっていた。

 先ほどまでの惨状がまるで全て夢であったかのように何一つとして残っていない。

 しかしそんな中でも一つだけ、いつものカッツェ平野にはないものが存在していた。

 それは美しい青紫色の巨大な布で作られた一つの天幕。金色の糸で細かい刺繍が施されているその布は、微かな風にすら優雅に揺らめき、太陽の光を反射してキラキラと美しく輝いている。

 どう考えても天幕などに使うなど勿体ないだろう代物。

 遠目から見ても圧倒的な存在感を醸し出している巨大な天幕に、ガゼフは一つ深呼吸して気を引き締めると、手綱を握る手に力を込めて馬の脇腹を蹴った。

 ガゼフの合図に従い、馬が速足で真っ直ぐに天幕へと歩み寄っていく。

 距離が近づくにつれ緊張が高まり鎧の下で冷や汗が流れる中、ガゼフは天幕から一つの黒い影が出てきたのを見てとった。咄嗟に馬を停止させ、その場に佇んだまま影を凝視する。

 徐々に近づいてくるその姿はどうやら漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った人型のようで、漆黒の馬に乗ってこちらに駆けてきているようだった。

 一見人間のように見えるその姿に、しかし正体は決して人間ではないのだろう。近づいてくるにつれて感じ取れる圧迫感や、何より自分たちよりも大きな体躯にガゼフはこの影もまた異形なのだと確信を持っ

 

『我は至高なる御方に仕えるモノ、死の騎兵(デス・キャバリエ)である。貴様はエ・ランテルからの使者で相違ないか?』

 

 漆黒の一角獣に騎乗する黒騎士から問われ、本能的な恐怖に襲われてブワッと全身に鳥肌が立つ。ガゼフは気圧されそうになっている自分自身に内心で活を入れると、気力を奮い立たせて何とか頷いて返した。

 デス・キャバリエと名乗った異形はガゼフの様子に気が付いているのかいないのか、ただついてくるように言うと、次には天幕に向けて馬首を返してそのまま走り去っていく。

 どんどん遠ざかっていく黒い背に、ガゼフは慌ててその後を追いかけた。

 天幕との距離が近づくにつれ、天幕の後ろにも多くの異形の騎士たちがいることに気が付いて全身から大量の冷や汗が溢れるのを感じる。また、天幕へと向かう途中、ガゼフが乗っていた馬がまるで恐怖に耐え切れなくなったように怯えて暴れ出してしまったため、ガゼフは馬の背から何とか飛び降りて徒歩で天幕まで向かうことになった。前を先導する黒騎士の背を追いかけながら、着実に天幕までの距離を縮めていく。

 やがて目の前まで来た目的の天幕は、前が大きく開け放たれて中が容易に覗けるようになっていた。

 天幕の中にあったのは漆黒の玉座。

 黒曜石のような輝きを放つ攻撃的なデザインの玉座の上には漆黒のローブを身に纏った異形の骸骨が腰かけており、その傍らには漆黒の女騎士が控えるように立っていた。

 

「よくぞ参られた、王国の使者殿。私は“アインズ・ウール・ゴウン”の一人、アインズという」

 

 不意に骸骨から声をかけられ、思わず気圧されて息が喉に詰まる。しかしガゼフは何とかそれを飲み込むと、背筋を伸ばして挑むように骸骨を強く見据えた。

 

「お初にお目にかかる、リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフと申します。この度は対話をお望みとのことで、私が案内役を仰せつかりました」

「ほう、戦士長殿ほどの者を案内人として遣わしてくれるとは恐れ入る。王国の計らいに感謝しよう」

「……感謝……? ……あっ、いえ、し、失礼しました……!!」

 

 何故案内役が自分で礼を言われるのか分からず思わず疑問の声を零す。

 しかしすぐに我に返って謝罪すると、ガゼフは気を取り直すために一つ小さな咳払いを零した。

 

「そ、それではエ・ランテルまでご足労頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないとも。アルベド、準備せよ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 骸骨の指示に、アルベドと呼ばれた漆黒の女騎士が恭しく頭を下げる。優雅でありながら一切隙のない身のこなしでこの場を去る女騎士を見送り、どうやら今のところ殺されることはないようだと内心で安堵の息を吐き出した。殺されないだろうと確信を持ってはいても、やはり少し不安だったのも事実。思わず緩みそうになる緊張感に、しかしガゼフはすぐに気を取り直すと、自分にとっての第一の目的を果たすべく改めて骸骨の異形に目を向けた。

 漆黒の玉座に腰かけている骸骨は暴力的なまでの強大な威圧感を放っていながらも、その振る舞いはどこまでも静かで威厳に満ちたものだった。

 その身に纏う漆黒のローブは滑らかで美しく、白骨の頭に乗せられている冠は黒一色でありながらも小さな光をも反射して幾つもの宝石に彩られているかのようにキラキラと美しく輝いている。左の薬指以外の全ての指に見事な指輪を填めており、その手に握られている黄金の(スタッフ)も見事の一言に尽きる逸品。まるで世界中の富をすべて集めたかのような豪華絢爛な姿は、正に全アンデッドを統べる死の王であると言わんばかりの威風を放っていた。

 

 

 

「アインズ様、全ての準備が整いました」

 

 骸骨の異形が持ち得ているであろう富や地位や力に思わず圧倒される中、不意に聞こえてきた女の涼やかな声に、ガゼフはハッと我に返った。

 どうやら知らぬうちに骸骨の放つ気迫に呑まれてしまっていたようだ……。

 自身の体たらくさに内心で大きく舌打ちをしながら、ガゼフは女の声が聞こえてきた背後を振り返った。

 そこには漆黒の女騎士が片膝を地面について深々と頭を垂れている。そして女の背後にはデス・キャバリエと名乗ったモノと同じ存在たちが綺麗な列を作って立っており、更にその中心には炎を纏った白骨化した馬が引く漆黒の馬車が鎮座していた。

 漆黒の車体は金色の装飾が至る所に施されており、一目で超高級品であることが分かる。中は濃い深紅のクッションが敷き詰められており、とても座り心地が良いだろうことが窺い知れた。しかしその車体の形は普通のものとは非常にかけ離れたものだった。アルベドが用意した馬車の車体は壁が四方を囲っている普通のものではなく、天井と床はあるものの、車体の前半分の上半分の壁が存在せずに馬車に乗っている者の姿が外から丸見えになっているものだった。

 あまり見たことのない車体の形に、ガゼフは思わず呆気にとられて馬車を見つめる。

 しかし異形の骸骨は少しも驚いたような素振りは見せず、さっさと玉座から腰を上げて馬車の下へ歩み寄っていった。

 骸骨が馬車に乗り込めば、アルベドが傅いていた状態から立ち上がり、それと同時に馭者のいない馬車が独りでに動き出す。誰に命じられるまでもなく歩き始める炎を纏った白骨の馬に、周りを囲むようにしていたデス・キャバリエたちもゆっくりと動き始めた。

 

「何をしているの、人間。案内人ならば、さっさと前を歩いて先導しなさい」

 

 驚愕のあまり再び呆然となるガゼフに、漆黒の女騎士が底冷えする声音で冷たく命じてくる。

 ガゼフはその声に漸く我に返ると、慌てて目の前の行列の先頭へと駆けていった。途中までは徒歩で彼らを先導し、途中からは暴れてガゼフを振り落とそうとした馬を再度捕まえて背に飛び乗る。未だ背後に異形の軍勢がいるため馬は怯えて逃げようとしたが、その度に何度も宥めすかして何とか言うことを聞かせる。

 やがてエ・ランテルの門の前まで辿り着くと、閉められている門を見上げてガゼフは門を開けるように声を張り上げた。

 しかし門は何の反応も示さず、ピクリとも動かない。まるでこちらを拒絶するかのような様子にガゼフは湧き上がってくる焦燥と共に再び口を開きかけ、しかし再度声を張り上げる前に門がゆっくりと内側から開かれた。

 ギギィ……という軋んだ音と共に徐々に広がっていく右扉と左扉の間の隙間から、エ・ランテルの街並みが姿を現す。あれほどいた民兵たちの姿は一つもなく、閑散とした街の様子にガゼフは一度深呼吸した後に馬の脇腹を軽く蹴った。

 ゆっくりとした足取りで街の中へと足を踏み入れるガゼフに、異形の行列もその後に続く。

 ガゼフを先頭に街の中へと進んでいく異形の列に、ガゼフはふと周囲から多くの視線が自分たちに向けられていることに気が付いた。チラッと視線だけで周りを見てみれば、家々の窓にかけられているカーテンの隙間から多くの目がこちらを覗き込んでいる。彼ら彼女らの目は驚愕と恐怖の色を宿して異形の列を見つめており、そして不安と苛立ちの色を宿した目をガゼフに向けていた。

 まるで『何故こんな異形たちを連れてきたのか』と問われているようで、そこで漸くガゼフはレエブン侯が自分と王を止めようとしていた理由と異形の骸骨が感謝してきた意味に気が付いた。

 ガゼフは今、戦士長としての鎧ではなくリ・エスティーゼ王国に伝わる四つの宝を身に纏っている。疲労を無効化する活力の小手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)と常時生命力を回復する癒しの力を持つ不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)。全身には魔法の力が宿った全身鎧(フルプレート)である守護の鎧(ガーディアン)を身に纏い、その腰には何をも両断できる剃刀の刃(レイザーエッジ)が差してある。

 戦士長ガゼフ・ストロノーフの顔を知らずとも、この姿を見れば誰もがガゼフを国の重要人物であると判断するだろう。

 そんな人物が先頭に立って多くの異形たちを街の中に入れているという光景は、見る者に“王国の王族或いは貴族は異形たちに屈服している”“異形たちを街に招き入れている”という考えを与えかねない。場合によっては王国の王侯貴族に対する不満や疑念にもつながってしまうだろう事態に今更思い至り、ガゼフは異形たちを案内しながら全身から冷や汗を溢れさせた。

 何故こんな重要なことに思い至らなかったのか……と今更ながらに後悔する。恐らくこのことに唯一気が付いていたであろうレエブン侯に対する申し訳なさが込み上げてきて、ガゼフは思わず奥歯を噛み締めた。同時に、この流れはもしや異形たちによって仕向けられたものではないかという考えすら浮かんできてしまう。

 案内役になるように申し出たのはガゼフ自身であり、それを了承したのはランポッサ三世である。しかしどうにも裏から操られているような……こうなるように全てをお膳立てされたような何とも言えない不快感と不気味さが纏わりついていた。

 とはいえ、いくら思考をこねくり回したところで今更この状況を劇的に好転させる術などありはしない。いや、もしかしたら何かしらの手立てはあるのかもしれないが、悔しいことにガゼフには何一つ思い浮かべることができなかった。ならばせめて、なるべく早くこの場を進んでできるだけエ・ランテルの者たちに自分たちの姿を見せないように心がけるしかない。

 ガゼフは怪しまれない程度に馬の速度を速めながら、王たちが待つ都市長の屋敷へと一心に歩を進めていった。何もない道をひらすら歩き、漸く都市長の敷地内の前まで辿り着く。

 ガゼフが身軽に馬の背から飛び降りれば、異形の骸骨もまた漆黒のローブを揺らしながら馬車の中から降りてきた。

 骸骨の傍らにはアルベドという漆黒の女騎士が既に控えるように立っている。

 隙を一切見せない女騎士の様子に思わず苦々しい感情が湧き上がるのを感じながら、ガゼフは何とか表情を取り繕って異形たちに顔を向けた。

 

「こちらで我が王がお待ちです。どうぞ」

 

 都市長の敷地内と外とを区切る門を開けて促せば、異形たちは無言のままこちらについてくる。どうやらデス・キャバリエたちはここで待機するようで、敷地内に入るのは骸骨と女騎士だけと知ってガゼフは思わず内心で安堵の息を吐いた。

 異形二体だけでもまるで勝てる気はしないが、それでも多数の異形たちをゾロゾロ引き連れてはバルブロや貴族たちがどんな反応を起こすか分かったものではない。彼らを刺激するのは得策ではなく、その可能性が少しでも軽減できたことにガゼフは少しだけ胸を撫で下ろした。

 しかしそんなこちらの心の内を異形たちに悟られるわけにはいかない。ガゼフはすぐさま気を引き締め直すと、王たちが待つ貴賓館の方に足先を向けた。

 館内に入り、王たちが待っている部屋に案内する。

 目的の部屋の扉の前まで来ると一度立ち止まり、ガゼフは胸を張って扉の奥へと声を張り上げた。

 

「陛下、“アインズ・ウール・ゴウン”のアインズ……っ……様と、アルベド様をお連れしました」

 

 一瞬どう呼ぶべきかと躊躇し、その瞬間女騎士から恐ろしい殺気を感じ取って慌てて敬称をつける。

 一拍後、室内から入室するよう声がかけられ、ガゼフはドアノブに手をかけてゆっくりと扉を開いた。

 室内の奥には仮の玉座に座るランポッサ三世がおり、その傍らにはバルブロが、そして玉座までの道中である部屋の左右には逃げ延びた貴族たちが綺麗に並んで立っている。ランポッサ三世の斜め前にはレエブン侯が立っており、鋭い目でこちらを見つめていた。

 

「戦士長、よくぞ戻った。……“アインズ・ウール・ゴウン”なる方々も、どうかお入りになられよ」

「それでは失礼する」

 

 王の招きに従い、まずはガゼフが室内に足を踏み入れ、次に骸骨が女騎士を従えて室内へと入ってくる。

 どこからどう見ても邪悪な異形の姿に貴族たちが思わず小さな騒めきを起こす中、しかし骸骨も女騎士もそれには全く反応せずに部屋の奥へと足を進めていった。

 そしてガゼフがバルブロとは逆隣のランポッサ三世の傍らに立ち、骸骨と女騎士が自分たちから八メートルほど離れた場所で立ち止まった時、ランポッサ三世が再び口を開きかけ、しかし声を発するその前に女騎士が口火を切った。

 

「至高なる御方であらせられるアインズ様を、あろうことか人間風情が上座から見下ろし、あまつさえ座する物すら用意していないとは………、余程死にたいのかしら?」

 

 低められた声と共に底冷えのする冷気が漆黒の全身から放たれ、ガゼフを含んだこの場にいる全員が全身を凍り付かせる。

 数刻前にカッツェ平野で感じたものと全く同じ凄まじい威圧感と死への恐怖に誰もが冷や汗を流す中、唯一穏やかな態度を崩さない骸骨が軽く骨の手を挙げた。

 

「よせ、アルベド。ここは未だ彼らの領域。このくらいは大目に見てやろうではないか」

「……アインズ様が、そうおっしゃるのであれば……」

「ふむ……。……我が部下が失礼した。私のことを思っての発言、許して頂けるとありがたい」

 

 恭しく頭を下げて引き下がるアルベドに、骸骨が一つ頷いた後に眼窩の灯りをランポッサ三世に向ける。凶悪な見た目に反して紳士的で穏やかな口調に、逆に何かを企んでいるような……こちらを良い様に操ろうとしているかのような印象を受ける。

 どういった反応や対応をするのが一番正解なのかガゼフが悩む中、ランポッサ三世はこちらも穏やかに対応することを選んだようだった。

 

「いや、忠義が厚い証拠であろう。謝られる必要はない。こちらこそ配慮が足りず失礼した」

「いやいや、それこそ謝罪には及ばない。……ただ、このまま話すというのも少し落ち着かないのも事実。もし良ければ椅子はこちらの方で準備しても構わないかね?」

「それは……もちろん、構わないが……」

「ふむ、それでは遠慮なく。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 戸惑いながらも許可するランポッサ三世に、骸骨は一つ頷いて魔法を唱える。

 次には漆黒の立派な玉座がどこからともなく出現し、この場にいる貴族たちが驚愕の表情と共に小さく騒めいた。

 しかし骸骨は少しも気にする素振りすら見せずに、悠然と出現させた玉座に腰を下ろす。アルベドは玉座に座る骸骨の傍らに立ち、そこで漸く対話する状況が整ったようだった。

 

「これで漸く話しが出来そうだな。……まず初めに、私は言葉を飾るのは好きではないし、回りくどい会話も好まない。故に単刀直入に話させてもらう」

 

 先ほどまでの口調や声音とは少々異なり、硬い口調と低められた声音に誰もが知らず緊張に生唾を飲み込む。一体何を言ってくるのかと誰もが無意識に息を殺す中、骸骨は骨の右手を軽く挙げて人差し指と中指を立ててみせた。

 

「こちらの要求は二つのみだ。我が友の魂が封じ込められている宝玉と、このエ・ランテルを我々に差し出せ」

「「「……っ……!?」」」

 

 骸骨の有無を言わせぬ強い声音と発せられた言葉に、誰もが驚愕のあまり大きく息を呑んだ。

 宝玉を要求してくることは予想できてはいたが、何故このエ・ランテルも要求してくるのか。要求してくる理由が分からず、またその権利すら異形たちにはないはずだと、貴族たちは恐怖に彩られている顔に怒りの色を宿した。バルブロも顔を真っ赤に染めており、強く握り締めている両拳をぶるぶると震わせている。ランポッサ三世とレエブン侯はあからさまな怒りの様相は見せなかったが、しかし骸骨に向ける目には厳しい光が宿っていた。

 

「……二つ、聞きたいことがある。一つ目はあの宝玉は何であるのか。そして二つ目は、何故エ・ランテルを貴殿に差し出す必要があるのだろうか?」

 

 感情を抑えた威厳ある声音でランポッサ三世が骸骨に問いかける。

 しかし骸骨はランポッサ三世の圧に少しも気圧された様子も心動かされた様子すらなく、ただ小さく首を横に傾げるのみだった。

 

「その宝玉は私の友の魂が封じ込められている物だ。何故お前たちがそれを手にしているのかは知らないが、それはお前たちのような者が所有していて良い物ではない。そしてこのエ・ランテルは元々我が領土であった場所。私はただ返還を命じているだけに過ぎない」

「なっ、何を言っている!! このエ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の領土であり、王族の直轄領! 断じて貴様のような異形のものではない!!」

 

 遂に我慢できなくなったのか、バルブロが更に顔を真っ赤に染めながら唾を飛ばす勢いで怒鳴り散らす。

 そのあまりにも品のない無礼な態度にガゼフがヒヤッと背筋を凍り付かせる中、ランポッサ三世がすぐさまバルブロを制するように片手を挙げた。

 

「やめよ、バルブロ」

「しかし父上っ!!」

「やめるのだ、息子よ」

「……くっ……!」

 

 いつにない強い口調で諌められ、バルブロは悔しそうな表情を浮かべながらも黙り込む。

 異形の方はと言えば、女騎士が少々身構えるような素振りは見せたものの、骸骨の方は一切気にした素振りを見せずに悠然と玉座に腰かけたままだった。

 まるで歯牙にもかけていないような様子に、バルブロが更に顔を大きく歪める。

 しかしもはや骸骨はバルブロに眼窩の灯りすら向けずにランポッサ三世だけを見つめていた。

 ランポッサ三世は一度小さく深く息を吸って吐き出すと、次には気を取り直したように骸骨に目を向けて少しだけ胸を張った。

 

「王子が失礼した。……しかし、王子がいったように、このエ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の領土であり、歴史的にも誰かの領土であったという過去はない」

「それは別段おかしなことではあるまい。歴史というものは、残したい者が残したいように記していくもの。貴殿の国がこの地の正統な所有者であるという証拠には何一つとしてなりはしない」

「……しかし、それではこのエ・ランテルが元々はそなたたちのものであるという証明もできないということではないかね?」

「ふむ、その通りだな。しかしカッツェ平野の時にも既に言ったと思うが、そもそも我々はカッツェ平野でその宝玉の返還を求め、しかしそれを拒否され、更には大変な無礼を受けた。その傲慢さと愚かさからの謝罪として、お前たち人間の多くの血と命と、このエ・ランテルを貰い受ける」

「「「……なっ……!?」」」

 

 骸骨からのあまりにも横暴な発言に、この場にいる誰もが色めき立つ。王派閥だけでなく貴族派閥の貴族たちも同様に顔色を変え、怒りの表情を浮かべて骸骨を睨んだ。

 当たり前だ、このような横暴を一度でも許せば、いつまた難癖をつけられて自分たちの領土を脅かしに来るかも分からない。何より、一つの都市のみだとしても、王国の領土を異形に明け渡すなど考えただけでも恐怖と嫌悪感が湧き上がってくる。

 誰もが何とかできないかと口を開いては閉じるを繰り返し頭を悩ませる中、しかし異形たちはそれすらも許してはくれなかった。

 

「……先ほどから大人しく聞いていれば煩くごちゃごちゃと……。本来であれば至高なる御方に対する非礼は万死に値する罪。国丸ごと滅ぼされても仕方がないこと……いえ、当然ですらあるというのに……。都市一つと十数万の命だけで許されるという御慈悲を賜っておきながら、これ以上何が不満だというのかしら。お望みなら、さらなる血と命と共にこの地を奪っても良いのよ?」

「「「……っ……!!」」」

 

 女騎士から放たれた厳しい言葉に、誰もが反論することもできずに顔を顰めて黙り込む。

 内心では『都市一つと十数万の命に値する罪などあるものか』『そんなものは慈悲でも何でもないではないか』と誰もが思ってはいたが、しかしそれを口に出すことはできない。一言でも口に出せば、それに対してどんな報復を受けるかも分からなかった。上手く立ち回れば、宝玉を使って穏便に事を運ぶことができるかもしれないとも考えてはいたが、しかしそれすらももはや難しい。逆に宝玉を取引の道具に使えば、異形たちの逆鱗に触れる可能性すら考えられた。

 

「我々としても、あまり事を荒立てたくはない。早速返答を頂こう、リ・エスティーゼ王国国王」

 

 女騎士を諌めるどころか、骸骨は落ち着いた声音でランポッサ三世を促してくる。貴族たちも無言のままランポッサ三世を振り返り、ガゼフは王が拳を強く握りしめたのを視界の端に映した。

 この場にいる全員が注視する中、ランポッサ三世はゆっくりと口を開く。

 そしてどこまでも落ち着いた声音によって紡がれた言葉に、骸骨の眼窩の灯りが小さく揺らめいた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 カッツェ平野で起きた惨劇から五日……――

 バハルス帝国帝都アーウィンタールにある皇城では多くの者たちが忙しなく走り回っていた。

 中でも皇帝がいる執務室は嵐のような騒がしさに満ちており、多くの者が皇帝を取り囲み、ありとあらゆる報告を行い、命じられる指示に従い部屋を出ていくという行動を繰り返していた。

 

 

 

「――……失礼します! 陛下、王国に潜入させていた者から新たな報告が届きました!」

 

 不意に激しいノック音と共に扉が勢いよく開かれ、秘書官の一人であるロウネ・ヴァミリネンが室内に駆け込んでくる。疲労の色が濃い皇帝の下まで一直線に歩み寄ると、手元の書類に目を向けながら報告内容を読み上げた。

 瞬間、彼にしては珍しく皇帝は右手で顔を覆いながら小さな呻き声を零す。周りで共に報告を聞いていた他の秘書官や騎士たちも驚愕の表情を浮かべて驚きの声を上げている。

 ジルクニフは数秒顔を俯かせて大きなため息を零すと、次には勢いよく顔を上げて周りに集っている面々に視線を走らせた。

 

「……一度状況を整理する必要があるな……。フールーダ・パラダイン、ロウネ・ヴァミリネン、ナテル・イニエム・デイル・カーベイン、そして四騎士の者たち以外は全員部屋を出よ」

 

 皇帝からの命に、この場にいる全員が一度顔を見合わせた後、次には深々とした一礼と共に部屋を出ていく。

 そして部屋に残されたのは先ほど皇帝が名指しした者たちのみ。

 皇帝は彼らに椅子に座るよう指示すると、一度疲れの滲んだ大きなため息を吐き出した。

 

「……まったく、何が起こっているのか訳が分からん……。まずはこのメンバーだけで改めて状況の整理と情報共有を行うぞ。……バジウッド、ニンブル、カッツェ平野で起こったことについて改めて報告を頼む」

「畏まりました、陛下」

 

 ジルクニフの指示に従い、ニンブルとバジウッドがそれぞれ頷く。この場にいる誰もが彼らを注視する中、カッツェ平野で起こった事態について主にニンブルが中心となって説明し始めた。

 彼らの口から語られた内容は、どこまでも悲惨で壮絶なもの。話を聞いただけでも地獄のような惨状が想像でき、実際にその真っただ中にいただろう二人は正に生きた心地がしなかっただろう。いや、もしあの場に“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルがいなければ、死にはしなかったとしても重傷は負っていたかもしれない。帝国軍自体も相応の被害を出していただろう。

 

「――……そして漆黒の全身鎧(フルプレート)の女騎士がこちらに突撃してきたため、ネーグル殿の魔法で転移し、その場を逃れました」

「まっ、転移した場所は軍がいた場所とは少し離れてたがな。……確か、軍の方には“サバト・レガロ”のリーリエの嬢ちゃんが駆けつけてくれてたんだったな?」

「ああ、撤退中にリーリエ殿が駆けつけてこられて手を貸して下さった。軍に一つの損害も出なかったのは“サバト・レガロ”のお二人のおかげだ」

 

 ニンブルの説明に補足をしながら、バジウッドがカーベインに目を向けて問いかける。

 カーベインはそれに大きく頷くと、次に皇帝に顔を向けて“サバト・レガロ”の働きについて熱心に語った。

 

「……なるほどな。一方、王国側は大きな損害を出しており、その死者数は十六万とも言われている……。とてつもない数字で俄かには信じ難いが……恐らくは事実なのだろう……」

 

 最後に付け加えられた皇帝からの言葉に、この場にいる誰もが黙り込み、重々しい空気が室内に漂う。

 一つの魔法によって齎された被害が十六万という数字はとてつもないもので、とてもではないが信じられないものだった。この場にいる帝国最強のフールーダ・パラダインでも到底成し得ることのできないものだろう。

 それを突然カッツェ平野に現れた異形の骸骨はやってのけた。

 それがどれだけの脅威になるのか、この場にいる全員がしっかりと理解していた。

 

「……爺、教えてくれ。一つの魔法で十六万もの死者を出すことが本当にできるのか? 一体どんな魔法なんだ……」

「恐れながら陛下、神話に語られる最上位の魔法であればそれも可能であるかも知れません。また、真なる竜王が扱える魂の魔法であれば、或いは……」

「……なるほど。つまりその骸骨はどちらかの魔法を使うことができる化け物だということか……」

 

 頭が痛い……とばかりに指先でこめかみを押さえながら眉間に深い皺を寄せるジルクニフに、この場にいるフールーダとレイナース以外の全員が眉尻を下げる。重々しい空気が更にどんよりと淀んだような気がして、誰もが無意識に顔を見合わせた。

 しかしどんなに互いを見つめたところで妙案が浮かんでくるはずもなく、事態が好転するわけもない。加えて今の王国は更に厳しい状況に陥っているようだった。

 

「……それで、王国はエ・ランテルを異形どもに渡したのだったか……」

「はい。王国に潜ませている者の報告によりますと、異形たちはエ・ランテルまで侵攻して王侯貴族たちと対談を行い、第一王子が戦場に持ち込んだ悪魔の至宝とエ・ランテルの譲渡を要求。王国側はそれを受け入れ、一か月後にエ・ランテルは異形どもに割譲されるとのことです」

 

 ジルクニフに促され、ロウネが王国の現状を再びこの場にいる全員に説明する。

 異形が領土を持つ……つまり国を持ったという事態に、誰もが更に顔を大きく顰めた。

 こんなことは神話やおとぎ話でも聞いたことがない。正に悪夢だと誰もが苦々しく顔を歪める。

 しかしそんな中、ロウネが不安そうな表情を浮かべながら恐る恐る再び口を開いた。

 

「……陛下、実は他にもお伝えしたいことが……」

「なんだ、まだ何か悪い知らせがあるのか……?」

「……正に仰る通りです。実は王侯貴族との対談の際、異形の骸骨が最後に“カッツェ平野で王国軍と対していた軍の国はどこなのか”と問うたそうです」

「っ!! それで、王国側はなんと!!」

「……バハルス帝国の…軍であると……」

「くっ!!」

 

 ロウネからの答えに、ジルクニフは思わずといったように大きな舌打ちを零した。

 強大な力を持つ異形たちに偽りを言うことはできないという王国側の判断は理解できるが、しかしそれでもまるで異形たちに売られたような気がして怒りが湧き上がるのを抑えることができない。

 異形たちの目がこちらに向けられる可能性が高くなり、更に頭が痛くなったような気がした。

 

「……早急に手を打っていかなくてはならんな。取り敢えず、“サバト・レガロ”の二人からも詳しい話を聞きたい。また、感謝も伝えねばならないから、彼らに皇城に来るよう遣いを出せ」

「畏まりました」

「爺は今回出現した異形についてや、異形が使った魔法について早急に調査してくれ」

「畏まりました、陛下」

 

 

 

「――……陛下、失礼いたしますっ!!」

 

 ジルクニフの命にロウネとフールーダが頭を下げたその時、突然大きなノック音と共に扉が勢いよく開かれる。

 慌てた様子で室内に入ってきたのはロウネとは別の秘書官で、焦燥の色が濃い顔に冷や汗を大量に流しながらこちらに駆け込んできた。

 

「どうした、一体何の騒ぎだ!」

「申し訳ありません、陛下! しかし先ほど連絡が届きまして、スレイン法国が……スレイン法国が滅亡していることが分かりましたっ!!」

「「「……っ……!!?」」」

「なっ、何だとっ!!?」

 

 秘書官の口から齎された情報に、この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑む。異形の出現に加えて立て続けに起こった思いがけない事態に、如何な優秀なジルクニフの頭脳であってもひどく混乱した。一方で、未だ頭の端の冷静な部分で『だから今回の戦に法国からの宣言書がこなかったのか……』と思い至る。

 ジルクニフは必死に頭を掻き毟りたい衝動を抑えながらも、大きく顔を歪めた。

 

「……くそっ、一体何がどうなっているのだ!!」

 

 騒然となっている皇城の中で、焦燥や怒りが混ざり合った悲鳴に近い皇帝の嘆きの叫びが響き渡った。

 

 



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第85話 悪魔のシナリオ

どんどん長くなる~~……。
どうしてこうも長くなってしまうのか……。
くどい感じの文章になっていないか心配だ……(汗)
もし読み辛かったりしたら申し訳ありません(土下座)
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいです。


 カッツェ平野での大惨事から一週間ほどが経った現在。今もなお帝国帝都にある皇城は慌ただしい日々を送っていた。皇帝のいる彼の執務室には多くの人間が出入りし、時には複数人の面々で今後の方針について意見を交わし合っている。

 しかし現在、皇帝の執務室はいつになく静寂に包まれていた。

 出入りする人間の数は極端に減らされ、至る所に積み重ねられていた羊皮紙の山も別室に移動されている。

 室内にいるのは部屋の主である帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、帝国の大魔法使いフールーダ・パラダイン、今回のカッツェ平野での戦の総指揮を任されていた帝国第二軍の将軍ナテル・イニエム・デイル・カーベイン、四騎士の全メンバー、そして三名の皇帝の秘書官。計十名もの人間が椅子に腰かけ、或いは皇帝の傍らや背後に控えるように立ち、無言のまま約束の刻限が来るのを待っていた。

 数分後、時間がやたらと長く感じられる中に漸く待ちに待ったノックの音が扉から聞こえてくる。

 急き立てられる感情を必死に抑え込みながら扉の外に入室の許可を与えれば、一拍後に扉が大きく開き、三人の人間が室内に足を踏み入れてきた。

 

「参上が遅くなりまして、大変申し訳ありません。ワーカーチーム“サバト・レガロ”、皇帝陛下の召喚に従い、御前に参りましてございます」

 

 堂々とした足取りで部屋に入ってきたのはワーカーチーム“サバト・レガロ”。リーダーであるレオナール・グラン・ネーグル、顔を仮面で隠した白ローブの男レイン、そしてチームの紅一点であるリーリエ。

 彼ら彼女らは椅子に座っているジルクニフの目の前まで歩み寄ると、その場に片膝をついて優雅に頭を下げた。

 

「よく来てくれた。まずは頭を上げて、そちらの椅子に座ってくれ」

 

 “サバト・レガロ”は帝国軍にとって大恩人であり、未曾有の危機が迫っている現在では手元に置いておきたい重要な存在でもある。彼らに対して最大限の敬意を払うのは勿論のこと、決して疎かにするべきではない。

 “サバト・レガロ”はジルクニフの言葉に従い下げていた頭を上げると、優雅でありながら素早い動作で立ち上がり示された椅子に歩み寄った。しかし椅子に腰かけたのはレオナールのみで、レインとリーリエは控えるようにレオナールの両隣にそれぞれ立つ。そんな彼らの様子に、ジルクニフは誰にも気づかれないように微かに眉を顰めた。

 予てより、“サバト・レガロ”は『同じチームの仲間』というよりかは、リーダーであるレオナール・グラン・ネーグルを主人とした従者二人といった言動や立ち居振る舞いをしている。それを思えば、レオナールだけが椅子に腰かけてレインとリーリエが控えるように両隣に立つという行動も決しておかしなことではないだろう。しかしその様子がいつにも増して仰々しいような……主従といった雰囲気がいつも以上に強く感じられるような気がして、ジルクニフは内心で小さく首を傾げた。

 一体彼らに何があったのか……個人的には非常に気になるところではあったが、しかし今はそれよりもするべきことが多くある。湧き上がってくる好奇心に蓋をして、ジルクニフは気を取り直して改めて“サバト・レガロ”を見やった。

 

「カッツェ平野での一件については既に報告を受けている。まずは殿を務め、我が軍を救ってくれたことに深く感謝する」

「いいえ、陛下から依頼いただいた内容は“悪魔の至宝によって起こった事象に対する対処”でした。我々はその依頼を遂行したまでに過ぎません。それに、あのまま我々だけ逃げてはあまりにも後味が悪かったですし……どうかお気になさらず」

「そう言ってもらえると少し気持ちが軽くなる。しかしそうであれば尚の事、君たちに対しての依頼料はしっかり払わせてもらおう。だがまずは、君たちの口からもカッツェ平野で一体何があったのか聞かせてくれないだろうか?」

「畏まりました」

 

 ジルクニフの言葉にレオナールは一つ頷くと、ゆっくりと口を開いてカッツェ平野で起こった全てを語り始めた。

 落ち着いた口調と声音で語られる内容は、バジウッドとニンブルが語ったものと同じもの。しかしレオナールは異形についての知識も豊富なのか、バジウッドやニンブルでは分からなかった異形の種族名や特徴も軽く交えながら語られる内容に、ジルクニフは内心で感嘆の声を上げていた。

 

「――……そこでペシュメル様とアノック様と共に転移の魔法で戦場を離れました」

「なるほど……。聞けば聞くほど俄かには信じがたい話だが、……少なくとも君たちがいてくれて本当に良かったと思う。改めて礼を言わせてくれ」

「とんでもありません。わたくしどもは依頼料を支払って頂ければ、それで構いませんので」

「フッ、そうか……。それではたっぷり色を付けて渡すとしよう」

 

 恐らく表情や口調からこちらの緊迫感が伝わったのだろう、少しでもこちらの気持ちを軽くしてくれようとしたのか、レオナールが冗談めかしく小さな笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる。ジルクニフは小さな笑い声を零してそれに応じながら、少しだけ気分が軽くなったような気がした。『流石は帝国一のチームと言われるだけのことはあるな』と内心で何度も大きく頷く。

 “サバト・レガロ”は既に帝都のみならず帝国の広範囲にまでその名を轟かせていた。数々の偉業やその穏やかで気品ある人柄や物腰から帝国民からは絶大な人気を博しており、彼らを英雄視する者さえ数多くいるという。『もしかしたら陛下よりも人気があるかもしれませんね』とバジウッドなどは冗談で言っていたが、そんな民たちの気持ちも理解できるな……とジルクニフ自身すら思っていた。

 未だ何も解決してはおらず問題は山積みではあったが、それでも彼らと言葉を交わし、彼らの存在を感じれば大きな安堵を覚える。彼ら“サバト・レガロ”がいてくれれば、先のカッツェ平野の時のように何かしら光明が見えてくるのではないか……と、そんな希望が湧き上がってくるのを感じていた。

 

「しかし、陛下の方から皇城に来るように仰っていただけて助かりました。わたくし共も、陛下にお会いしたいと思っておりましたので」

 

 彼らについてや今後についてぼんやりと思考を巡らせる中、不意に聞こえてきたレオナールの言葉に意識を現実に引き戻される。

 しかしレオナールの言っている言葉の意味が分からず、ジルクニフは思わず小さく首を傾げた。

 

「それは……君たちも依頼の報告をしてくれようとしていたからか?」

「勿論それもあります。しかしそれとは別に、一言お別れを申し上げた方が宜しいかと思っておりましたので」

「「「……!!?」」」

 

 レオナールの口から出てきた信じられない言葉に、ジルクニフは勿論のこと、この場にいる“サバト・レガロ”以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。

 レオナールが言った言葉の意味が分からない……。いや、意味は分かるが信じたくない……。

 この場にいる者全員が同じことを思ったことだろう。

 先ほどまで感じていた安堵や希望が一気に絶望に塗り替えられてしまったような気がして、ジルクニフは無意識に大きく身を乗り出していた。

 

「な、何故……!! それは、この帝国から出ていくということか……!?」

 

 否定してもらいたい一心でレオナールに問いかける。

 他の“サバト・レガロ”の二人は先ほどから落ち着いた様子のまま微動だにせず、レオナールは困ったように眉を八の字に垂れさせたままゆっくりと、しかし大きく頷いた。

 

「……そういうことです……」

「何故だ!! 理由を教えてくれ!!」

「それは……、……帝国に、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんので……」

 

 絶望に突き動かされるように焦りのままに声を荒げるも、返ってきたのはひどく戸惑った表情と意味不明な言葉。あまりにも予想外のレオナールの反応に、ジルクニフは驚愕と絶望に染まっていた感情を困惑の色に塗り替えた。無意識にマジマジと目の前のレオナールを見やり、そこで漸く冷静な思考回路が徐々に戻ってくる。未だ困ったような表情を浮かべながら、しかしどこまでも静かで冷静なレオナールの様子に、何か途方もないことが起ころうとしているのではないか……という直感のようなものが不意に脳裏に閃いた。

 これまでのレオナールの印象や実際の彼の言動を鑑みれば、レオナールがただ単に帝国を去ろうとしているとは思えない。そうする必要があると判断した何らかの重大な理由があるはずなのだ。『ここにいれば帝国に迷惑がかかる』という言葉も非常に気になる部分でもある。

 ここは彼の話をきちんと聞く必要があるとすぐさま判断すると、ジルクニフは何とか気持ちを落ち着かせながら改めて真っ直ぐにレオナールを見つめた。

 

「申し訳ないが、君の言っている意味が分からない。どうか私たちにも分かるように説明してもらえないだろうか?」

「……………………」

「どんな話であっても構わない。君たちの話を聞いたうえで、もし我々にできることがあれば最大限の援助もしよう」

「……話を聞く前から最大限の援助を約束するなど、なさらない方が宜しいのでは?」

「それだけ君たちを信用しているということだ。それに、事情を話してもらいたいと強く思っているということでもある」

 

 真摯な瞳を真っ直ぐに向けながら説明するジルクニフに、レオナールの金色の瞳も真っ直ぐにこちらに向けられる。

 何かを探るように注意深く見つめた後、フッと柔らかな色を宿してレオナール自身も小さな笑みを浮かべた。

 

「……そこまで言われてしまっては、説明しないわけにはいきませんね。しかし、私が今から話す内容は皆さんからすればとても突拍子もないものでしょう。とても信じられるものではないかもしれません」

「どんなに荒唐無稽な話であろうと信じることを約束しよう」

 

 ここは微かにでも躊躇ってはいけないと瞬時に判断すると、ジルクニフは間髪入れずに力強い声音で言いきってみせる。

 しかし少々必死さが強すぎたのかレオナールは一つ小さな苦笑を浮かべると、一度落ち着こうとするように大きく息を吐き出した。

 

「カッツェ平野で王国の王子が悪魔の宝玉を戦場に持ち出し、その後、異形たちが現れた……。異形たちの目的も、我々が帝国を去ろうとしている理由も、あの悪魔の宝玉が関係しています」

 

 まるで物語を読み聞かせるように、レオナールの説明は始まった。

 レオナールの話によると、あの悪魔の宝玉は魔法具であり、ある一体の悪魔の魂を封じ込めているのだという。悪魔はその強大な力から多くの者に恐れられ、ある一つの国によって封印された。

 

「もしや、そのある国というのは……」

「人間至上主義を掲げ、そのための様々な力を有している国……スレイン法国です」

「……っ……!!」

「しかし、彼の国の力や知識をもってしても、その悪魔を倒すどころか完全に封じ込めることすらできなかった。そのため、法国は悪魔を三つの欠片に別けてそれぞれ封印することにしたのです」

 

 その三つというのは、悪魔の“魂”“肉体”“精神”のこと。“魂”は宝玉の形をした魔法具の中に封じられ、“肉体”は地下に鎖と共に封じられ、“精神”は脆弱な力しか持たぬ器に縛られ、器ごと封じ込められた。三つの悪魔の欠片たちは封じられたまま深い眠りにつき、そのまま永遠に目覚めないはずだった。しかし悪魔の力はスレイン法国の予想を遥かに上まわり、三つの欠片たちはそれぞれ長い時間の末に封印の力を弱めて眠りから覚め、再び動き始めたのだという。

 

「それでも長い時間封じられていた影響から、悪魔の三つの欠片たちは自分自身が何者であり、どういった存在であるのか、全てを忘れていました。……しかし、悪魔を封じた法国が滅んだことで、それも変わった……」

 

 レオナールの説明に、ジルクニフの脳裏に『法国滅亡』の情報が過ぎる。現在、情報の真偽を調査中ではあるが、高い確率で事実なのだろうとジルクニフは考えていた。

 ならば彼の国の滅亡が世界にどういった影響を及ぼしていくのか……。

 未だレオナールの話は始まったばかりだというのに、ジルクニフは既に気分が悪くなり始めていた。

 

「封印の原因である法国が滅んだことで、悪魔の欠片たちは徐々に自分たちについて思い出し始めている。恐らく、欠片たちは再び元に戻ろうと行動を起こしていくでしょう」

「ちょっ、ちょっと待って下さい! もしその悪魔が元に戻った場合、一体何が起こるのですか?」

「法国が滅ぼそうとして失敗し、封印することしかできなかった強力な悪魔が完全な状態で復活するということです」

「それは……、しかし、一度は封印することができたのだ。ならば再び封印することもできるのではないか?」

「それは難しいでしょう。悪魔が封印された最もたる理由は、当時法国に彼の国で語られる六大神と呼ばれる存在がいたためです。六大神の力によって悪魔は三つの欠片に別けられ封じ込められた……。もはや六大神や、それに類する存在がいない今、悪魔を再び封印することは難しいと思われます」

 

 ニンブルやナザミからの質問にもレオナールは淡々と淀みなく答えていく。

 躊躇いの一切ない男の言動に、ジルクニフは何故こうも知っているのかと疑問に思った。他の者たちも自分と同じことを思ったのだろう、後ろに控えるように立っている秘書官の一人が警戒の表情を浮かべてレオナールを睨み据えた。

 

「……何故あなたはそんなにも詳しく知っているのですか? あなたは……あなた方は一体何者なのですか?」

「「「……………………」」」

 

 秘書官からの問いに、そこで漸くレオナールが口を閉ざして黙り込む。

 レインやリーリエも変わらず口を閉ざしているため重苦しい静寂が室内に漂い、緊迫感が高められる中でレオナールのため息の音がいやに大きく響いた。

 

「そう、ですね……皆さんが疑問に思われるのも無理はありません……。……私がこれらを知っている理由は、私がその悪魔の欠片の一つだからです」

「「「……っ……!!?」」」

 

 小さな苦笑と共にさらりと言われた言葉に、ジルクニフたちは一様に暫く何を言われたのか理解できなかった。しかし時間が経つにつれてレオナールの言葉が脳内に染み込み、徐々に両目が驚愕に見開いていく。

 そして次の瞬間にはバジウッドやニンブルやナザミ、そしてカーベインが反射的に椅子から立ち上がり、腰の得物の柄に手をかけて身構えていた。ジルクニフは未だ椅子に座った状態で彼らに守られる体勢になりながらも、ただ困惑の表情を浮かべてレオナールを見つめている。

 彼が何を言っているのか本当に訳が分からない……というのがジルクニフの正直な思いだった。

 レオナールは確かに類稀なる才能と力を有しているが、しかしその姿はどう見ても人間以外の何ものでもない。彼が悪魔の欠片の一つだなど、ただの悪い冗談にしか思えなかった。

 しかしこちらに向けられている金色の瞳はどこまでも真っ直ぐで、とてもではないが嘘を言っているようにも見えない。

 彼が悪魔の欠片の一つというのは本当なのだ……と背筋に冷たいものが走り抜けるのを感じた時、レオナールが苦笑を浮かべながら掌をこちらに向ける形で両手を軽く挙げてきた。

 

「そのように警戒する必要はありませんよ。私は皆さんを傷つけるつもりはありません」

「……あんたが本当に悪魔の欠片の一つだとして、一体どの部分なんだ? 一体いつから俺たちを騙してた」

「私は悪魔の“精神”の部分です。悪魔としての肉体と魂から引き離された後、人間としてのこの姿で封じられていました。また、先ほどもお伝えしたように、法国が滅ぶまで悪魔の欠片たちは自身の記憶など全てを失っていました。私が自分自身を悪魔の一部だと認識したのはつい最近……カッツェ平野での件よりも後のことです」

 

 言外に『騙したわけではない』と言ってくるレオナールに、バジウッドの剣の柄を握っている手が少しだけ力を緩めたのがジルクニフの視界の端に映り込んだ。どこか困惑したような……それでいてホッとしたような雰囲気を漂わせるバジウッドに、ジルクニフは『それも致し方ないことか……』と内心でため息を零した。

 バジウッドは粗野で面倒臭がりで規則を守らないきらいはあるが、しかし一方で人情味があり忠誠心や情に厚い男でもある。彼がレオナールのことをひどく気に入っていることは既に周知の事実であり、恐らくバジウッドの中でレオナールへの警戒心と困惑、そして少なくともこれまでのことについては全て真実であり偽りではなかったのだという安堵の気持ちが鬩ぎ合っているのだろう。バジウッドの本音としては、たとえ悪魔であったとしてもレオナールという男を信じたいと強く思っているのかもしれない……。

 そしてそれはジルクニフとて同じ思いだった。

 少しでも多くの味方や力が必要な今、“サバト・レガロ”を失うのは非常に痛い。また、ジルクニフとしてもこれまでのレオナールの人柄や印象から、彼を好意的に感じていたのは確かなのだ。

 一体どうするべきかと思考をこねくり回す中、今まで成り行きを見守っていたフールーダが誰よりも落ち着いた様子で一歩前へと進み出てきた。

 

「陛下、そしてこの場にいる皆の者、ここはネーグル殿からもう少し詳しい話を聞いてみてはどうか? それからどういった対応をとるかを決めても遅くはあるまい」

 

 老齢の大魔法使いからまるで幼子に言い聞かせるように言われ、厳しい表情を浮かべていた秘書官たちや、得物に手をかけていたバジウッド、ニンブル、ナザミ、カーベインがどこかバツの悪そうな表情を浮かべて居住まいを正す。

 何とか落ち着いた様子の彼らを見回した後、フールーダは次に未だ落ち着いた様子で椅子に腰かけているレオナールに目を向けた。

 

「ネーグル殿、もう一度話を聞かせてもらいたい。今度は主にそなたたちに関して」

「分かりました。未だ思い出せていない部分もありますが、できるだけご説明しましょう」

 

 フールーダの言葉に一つ頷くと、レオナールは改めてこちらをザッと見まわしてくる。そして最後に金色の双眸をジルクニフに向けると、そのまま再び口を開いた。

 レオナールが語った話は、彼が封印から目覚めた後から始まった。

 レオナールが覚えている限り、封印から目覚めたのは今から六年ほど前のこと。その時には既にレインやリーリエが傍におり、何かと自分の世話を焼いてくれていたらしい。数年間気の向くままに魔法の研究を行い、ふと外の世界に興味を持って旅に出て帝国に辿り着き、そしてワーカーとして活動を始めたのだとか。

 

「私は今まで不自然なほどに、これまでの自分について興味を持つことも不思議に思うこともありませんでした。恐らく封印されていた影響で、そういった思考もある程度制御されていたのでしょう」

「レイン殿とリーリエ殿は何者なのですか?」

「悪魔であった時から私に仕えてくれているモノたちです。封じられていた私を見つけ、何とか封印が解けないか尽力し、そして封印が解けた後もずっと付き従い私を守ってくれていました」

「じゃあ、あんたらも……つまり、人間じゃないってことか……?」

 

 レオナールの説明とバジウッドの問いかけに、この場にいる全員が自然とレインとリーリエに視線を向ける。

 一斉に突き刺さる多くの視線に、そこで漸く今まで黙っていたレインとリーリエがそれぞれ口を開いた。

 

「勿論、我々も人間ではない。私は聖堕の悪魔という種族の悪魔だ」

「私も人間ではなくアンデッドです。メイドとして至高の御方に仕えさせて頂いております」

 

 はっきりきっぱり人間ではないと言われ、しかしジルクニフたちはやはりどうにも信じることができなかった。

 素顔の見えないレインはまだしも、リーリエは完全に人間にしか見えない。これで本当に人間ではなく異形なのだというなら、人間と異形とを見極められる自信がなくなってくる。

 思わずマジマジと二人を見つめるジルクニフたちに何を思ったのか、レオナールが一つ小さな咳払いをしてきた。

 

「とにかく、レインもリーリエも私の大切な臣下です。そして彼らが今まで私に私自身の正体について話さなかったのは、未だ完全に目覚めていない状態で話せば、私の精神が混乱のあまり暴走する恐れがあったからです」

 

 金色の瞳がふとジルクニフから外れてリーリエとレインに交互に向けられる。

 その瞳は柔らかく細められ、温かな光が宿っているように見えた。

 しかしその光はすぐさま消え失せると、再び真剣な色を帯びてこちらに向けられた。

 

「しかし今回法国が滅亡したことで、私も他の悪魔の欠片たちも完全に封印から解き放たれました。……恐らく全てを思い出した欠片の一つである悪魔の肉体が、残りの欠片を取り戻そうと大きく動いてくるでしょう。そうなれば、帝国にいつ何が起こるか分かりません。ですので、ご迷惑をおかけする前に、ここを去ろうと思っています」

 

 帝国のためにここを去ると言うレオナールの言葉に、ジルクニフは更なる困惑が胸に湧き上がってくるのを感じた。

 彼の話した内容や行動は、本当に悪魔なのかと疑うほどに自分たちの知るレオナールそのままだ。

 やはり何も変わっているようには思えず、ジルクニフは内心で頭を抱えながら呻き声を上げた。

 しかしそこでふと、今までの考え方自体が間違っていたのではないかという考えが頭を過ぎった。

 レオナールは悪魔に変化したのではなく、彼の正体が悪魔だったのだ。それは似ているようでいて、しかし意味合いは全く違う。

 ジルクニフは一度目を閉じて息を吐き出すと、『レオナールは悪魔である』という考えをいったん頭から取っ払うことにした。

 正体が悪魔でも人間でも関係ない……ただのレオナールとして対話をした方が何より確実で頭の整理もできる。その後に『レオナールは悪魔である』という情報を組み入れて物事を考えた方がまだ正確に物事を判断することができるような気がした。

 ジルクニフは閉じていた瞼をゆっくり開くと、大分落ち着いた冷静な瞳で真っ直ぐにレオナールを見つめた。

 

「君の言い分は分かった。しかし、ならばカッツェ平野に現れた異形は何なんだ?」

「彼は悪魔であった頃の私の親しい友人です。封印されるまではとても仲良くしていました。恐らく私の気配を感じ取って再び外界に出てきたのでしょう」

「……ああ、だからあの時『友の魂が…』とか言ってたのか……。で、あの女騎士があんたに声をかけてきたのも……」

「ええ、私の正体に気が付いたからでしょう。尤も、異形の骸骨……我が友アインズは魂の方に気を取られていて私には気が付いていなかったようですが」

 

 まるで『仕方がない人だ』と言わんばかりに親しみのある苦笑を浮かべるレオナールに、こちらはどんな反応をしたらいいのか非常に悩んでしまう。また、たった一つの魔法で十六万もの死者を出した化け物が友人であるというレオナールの言葉に寒気が全身を走り抜けた。

 そんな自分たちの心情に気が付いたのか、レオナールは苦笑を引っ込めると次には真剣な表情を浮かべて小さくこちらに身を乗り出してきた。

 

「あんなことがあった後にこのようなことを言っても信じてもらえないことは理解していますが、アインズは決して邪悪な存在ではありません。むしろ異形の中では非常に話の分かる人物でしょう。ですので、そこまで怖がる必要はありません」

「いやいや、そりゃあ無理な話だぜ! 第一、邪悪な存在じゃないってんなら何であんな魔法をぶっ放したんだよ!」

「彼の目的は私の魂を取り戻すことです。恐らくその一心であの魔法を使ったのでしょう。王国の王子が大人しく宝玉を渡していたなら、絶対にあのようなことにはならなかったはずです」

 

 全てはあの王子が齎した結果なのだと言外に言ってのけるレオナールに、この場にいる誰もが黙り込んだ。

 確かに何かを欲し、それを拒絶された時に反撃に出るという行動は、たとえ異形でなくとも……人間であってもよくあることだ。またカッツェ平野での王国王子の言動も決して褒められたものではなく、手ひどい反撃を受けても仕方がないとも言えなくはなかった。しかしそれよって失われたのは十六万という途方もない数の命であり、『仕方がない』という言葉で片付けられる範囲を優に超えている。

 これが人間と異形との認識の差なのか……と思わず気が遠くなりそうになる中、フールーダの興味深そうな声が意識に入り込んできた。

 

「それでは、魂が封じ込められているという目的の宝玉が手に入った以上、そのアインズとやらはこれ以上動くことはないということかね?」

 

 フールーダの指摘に、この場にいる誰もが表情を明るくする。しかしジルクニフは無言のまま内心で疑問を渦巻かせた。

 確かに悪魔の魂を手に入れた以上、目的は達成したのだから骸骨がこれ以上の傍若無人な行動を起こす可能性は低いかもしれない。しかし骸骨が悪魔の魂を求めたそもそもの理由を思えば、決してこのままで終わるとは思えなかった。

 骸骨の最終的な目的は、恐らく大切な友人である悪魔を完全に蘇らせ取り戻すことだろう。ならばむしろ、残りの悪魔の肉体と精神を取り戻すために新たな動きを見せるのではないだろうか。

 確認するようにレオナールに目を向けてみれば、レオナールは困惑のような戸惑いのような複雑な表情を浮かべながら小さく首を横に振ってきた。

 

「……それは…はっきりとは分かりません。アインズは私の大切な友人です。またアインズも私のことを唯一無二の大切な友人だと思ってくれている。恐らく彼は私を取り戻して完全体にするためならば何でもするでしょう。……そして彼の臣下であるアルベド……女騎士が私の存在を知った以上、次は帝国に接触してくる可能性は十分に考えられます」

「「「……っ……!!」」」

 

 レオナールの言葉に、表情を明るくさせていた面々が顔を蒼白にして身体を強張らせる。ジルクニフ自身も顔色が悪く、何とか平静を装ってはいるものの心臓がバクバクと大きく鳴っているのをいやでも感じ取っていた。

 悪魔の“肉体”とやらだけでなく、あの恐ろしい異形の骸骨までもが、次は帝国に矛先を向けてくるかもしれない……。

 これまでにも既に何度もその可能性を検討し、そうなった場合の対策を講じてはきたが、いざその可能性が高いと言われるとやはり大きな衝撃と動揺と共に恐怖が湧き上がってくる。

 誰もが言葉なく黙り込む中、レオナールは少し考え込むような素振りを見せた後に遠慮気味にこちらに声をかけてきた。

 

「……もし、宜しければ……私がアインズとの仲介を務めましょうか?」

「……は……?」

 

 レオナールからの思わぬ申し出に、ジルクニフの口から素っ頓狂な声が零れ出る。

 しかしレオナールはそれを気にした様子もなく、ただ真剣な表情を浮かべてじっとこちらを見つめてきた。

 

「アインズの第一の目的は私でしょうし、私が赴けば帝国に対して何らかの過激な行動を起こす可能性は低くなるでしょう。むしろ私とあなた方が懇意にしていると分かればアインズとも友好的な関係を築けるかもしれません。……それに、元々私はここを去ったらアインズの下に行くつもりだったのです」

「……!! それは、何故……」

「完全体に戻りたいと願っているのは、何も“肉体”や“魂”だけではありません。私も元の完璧な状態に戻りたいと強く願っているのです。そしてアインズの下には、少なくとも私の“魂”がある。……あなた方も私と同じ立場なら、元の姿に戻りたい、元の状態に戻りたいと願うのではありませんか?」

「「「……………………」」」

「ですが私がここを離れても、もしかすれば“肉体”の方が帝国に迷惑をかけるかもしれない。私が仲介となってあなた方とアインズとを引き合わせ、これまでのことや現状について説明すれば、アインズも耳を傾けてくれるかもしれません。先ほども言ったように、アインズは決して邪悪な存在ではなく、話しの分かる男です。私が間に入れば帝国を悪いようにはしないはずですし、襲撃してくるかもしれない私の“肉体”に対しても何らかの助言や援助もしてくれるかもしれません」

 

 レオナールの言葉に、ジルクニフ以外の者たちが黙り込んだまま互いに顔を見合わせる。ジルクニフもまた、誰かに視線を向けることはしなかったが、口を引き結んで思考を素早く巡らせた。

 もし本当にレオナールの言っていることが全て本当で正しく、また彼自身の人となりや性格がこれまでと全く変わっていないのであれば、彼からの申し出は帝国にとっては非常にありがたいものだろう。逆に彼からの申し出を断ることは愚の骨頂と言えるのかもしれない。

 しかし一方で、やはりレオナールの言葉を信じきれていない自分も存在していた。

 彼が本当は邪悪な存在で、自分たちを騙しているのではないかと疑っている訳ではない。それ以前に『彼が悪魔である』ということ自体がどうしても未だに信じられないのだ。

 これまでの話は全てレオナールの言葉のみのもので、それ以外の何かしらの証拠は全く提示されていない。レオナールの姿形が変わったわけでもなければ、こちらに対する言動や態度も一切変わっていない。どこまでも、自分たちの知るレオナール・グラン・ネーグルという男そのものなのだ。これで、すぐさまレオナールが今までしてきた話全てを信じることのできる者など誰一人としていないだろう。

 ジルクニフは暫く思考を巡らせた後、考えをまとめてから改めてレオナールに目を向けた。

 

「……非常にありがたい申し出ではあるが、少し考える時間が欲しい。申し訳ないが、少し待ってもらいたい」

「……そうですか。畏まりました」

「それからもう一つ。これまで君が話してきたことを証明するものは一切ない。君の話が全て本当であるという、何か証拠のようなものを示してもらうことはできるだろうか?」

「……………………」

 

 ジルクニフの要請に、レオナールが再び口を閉ざして黙り込む。軽く瞼を伏せて小さく顔を俯かせる様は何かを考え込んでいるようにも見えて、ジルクニフは真っ直ぐにその様を見つめながら内心では疑問に首を傾げていた。

 レオナールとてこれほどの話をした以上、こちらから証拠を提示するように言われることは想定していたはずだ。どう考えても、そこに思い至らないような愚かな男では決してない。

 では何故ここまで考え込む必要があるのか……と疑問を深める中、不意に今まで俯いていた顔が上がり、金色の瞳が再びこちらに向けられた。

 

「……分かりました。私は“精神”なので本来の悪魔の姿になって見せることはできませんが、その“気配”を感じさせることはできます。あとは……レインの素顔をお見せすることもできます。ただ、どちらも皆さんにとっては少々刺激が強すぎるかと思いますので、覚悟はして頂ければと思います」

 

 真剣な表情と声音で言ってくるレオナールに、誰もが思わず大きく喉を鳴らす。再び強い緊張が襲ってくるのを感じながら、ジルクニフはこの場にいる全員を代表して大きくはっきりと頷いた。

 ジルクニフやバジウッドたちの覚悟を感じ取ったのか、レオナールは再び一度目を伏せてから次には隣に立つレインに視線を向ける。

 レインはレオナールの視線を受けて一度深く頭を垂れると、ゆっくりとこちらに向き直って被っているフードと仮面に手を伸ばした。こちらをなるべく驚かせないための配慮か、フードや仮面を取り外す動きもひどくゆっくりで、徐々に隠れていたレインの姿が露わになっていく。彼の隣ではレオナールが自身の右手の革手袋を外して指輪に手を伸ばしていたが、それよりもジルクニフたちはレインの素顔に目が釘付けになっていた。

 

「これで……少なくとも私が悪魔であることは証明されたはずだ」

 

 フードと仮面を取り去ったレインの姿は、まごうことのない異形のものだった。

 血の気の一切ない蝋のような白い肌と、深紅の瞳をもつ黒い目。両側のこめかみからは細長い角が生えて後頭部に向けて伸びており、こめかみから目元周辺までの肌のみが青白く染まって漆黒の鱗まで生えている。いつの間にか背中越しに黒く細長い何かが垂れており、まるで尻尾のようにゆらゆらと怪しく揺らめいていた。

 はっきりと悪魔だと分かる容姿に、ジルクニフたちは思わず再び大きく生唾を飲み込む。緊張のあまり口内も喉も乾き、唾を飲み込もうと動いた喉の粘膜が張り付くような感覚を覚えた。

 しかし彼らを襲ったのはそれだけではなかった。

 ジルクニフたちがレインにばかり気を取られている中、突然レインの横から凄まじい威圧感が放たれた。

 ハッとそちらに目を向ければ、そこにはいつも通りのレオナールが静かに椅子に腰かけてこちらをじっと見つめていた。

 しかしその細身から放たれる威圧感や存在感、強者の気配は相当なもので、目の前にいるというだけで全身が硬直して鳥肌が立つ。姿は何も変わっていないというのに、それでも容赦なく突き付けられる強者の風格と、それによって込み上げてくる本能的な恐怖。冷や汗が大量に溢れて全身を濡らし、身体が強張って身動きすることすらままならない。

 恐怖に屈して呑み込まれてしまいそうになる中、不意にレオナールが動き、骨張った細長い指に指輪がはめられたと同時にフッと今まで感じていた全ての気配が消失した。

 瞬間、今まで呼吸を忘れていたのか、一気に緊張が解けて口から肺へと空気が勢いよく流れ込んでくる。誰もが思わず少なからず咳き込み荒い呼吸を繰り返す中、ジルクニフは溢れ出てくる唾液を何とか飲み下しながら手の甲で頬を滑る冷や汗をグイッと拭った。未だ弾む心臓や呼吸を落ち着かせようと苦心しながら、チラッとレオナールに目を向ける。

 視線の先にいる男は右手に再び黒革手袋をはめている最中で、その顔には静けさのみが存在していた。あれだけのものを発していたとは到底思えないほどの……少しの興奮も激情もない、ただ静かで穏やかな表情。

 まるで本当にちょっとしたものを見せただけというような男の様子に、ジルクニフは一度大きく深呼吸すると、次には未だ少し引き攣る顔の筋肉をどうにか動かしてぎこちない笑みを浮かべた。

 

「……な、なるほど。よく分かった。これほどのものを見せられ、感じさせられては信じないわけにはいかないな」

 

 細心の注意を払って気を付けていたというのに、それでも声音が小さく震えてしまったことに内心で舌打ちをする。

 恐らくこちらが未だ感じている恐怖や緊張に気が付いているのだろう、レオナールが申し訳なさそうに眉尻を下げてきた。

 

「……どうやら皆さんを必要以上に威圧してしまったようですね。申し訳ありません」

「い、いや、証明してほしいと言ったのはこちらだ。君が謝る必要はない」

「それにしても……あんたのさっきの気配もそうだが、レインの姿には驚いたな。リーリエのお嬢ちゃんには異形の姿はないのか? それにあんたはレインの姿を見て何も思わなかったのか?」

「実は封印が解けてから今までで私がレインの素顔を見たのは、ついこの前が初めてなのですよ。私自身が悪魔の欠片の一つであると思い出すまで、レインは私にすらこの姿を絶対に見せようとはしませんでした。あと、リーリエはそれほど姿自体は変わりませんね。敢えて言うなら首が取れるくらいでしょうが……、それは流石に見ない方が宜しいかと思います」

「首が取れるっ!!?」

 

 呆れたような言葉を零すバジウッドに、謝罪のために下げていた頭を上げながらレオナールが小さな苦笑を浮かべてくる。続いて紡がれた言葉にニンブルが驚愕の声を上げるも気にした様子もなく、ただ苦笑を微かに深めるだけだった。

 どこまでも穏やかな男の様子を見つめ、ジルクニフは複雑な感情を胸に渦巻かせた。

 レオナールの言動だけを見れば、本当にいつもと変わらず、非常に好感も持てる。だというのに、その正体は異形であると問答無用で思い知らされ、何とも切ないような感情が湧き上がってきた。

 『できるなら彼が悪魔であることを知りたくなかった』とさえ考えてしまい、しかしジルクニフはすぐさま頭を振ってその考えを振り払った。

 

「私の要求に最大限応えてくれたことに感謝する。君からの申し出も前向きに検討するとしよう。……もう時間も遅い。良ければ部屋を用意するので、城に留まって休んでいくと良い。返事は明日伝えるとしよう」

「分かりました。それでは一晩、お世話になります」

 

 こちらからの申し出を断られなかったことに内心安堵しながら、しかしそれを面に出さないようにジルクニフは小さな笑みを浮かべて頷く。

 レオナールは一度深く頭を下げると、体重を感じさせない軽い身のこなしで椅子から立ち上がった。レオナールが立ち去る動きを見せたことで、レインもまたフードと仮面を取り付けて素顔を隠す。

 ジルクニフはテーブルに置いてある呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、レオナールたちを客室に案内するように命じた。

 レオナール率いる“サバト・レガロ”がいつものように優雅な一礼と共に部屋を出ていく。

 ゆっくりと扉が閉められ、部屋を静寂が包み込み、十秒ほど無言の時間が過ぎ去った後……この部屋に残ったほぼ全員が大なり小なり勢いよく息を吐き出して、身を大きく傾けた。まるで今まで全力で走っていたような、或いは今までずっと呼吸するのを我慢していたかのように、ぐったりとした様子で荒い呼吸を繰り返している。涼しい表情をしているのはフールーダと、意外なことにレイナースのみで、ジルクニフですら大袈裟な行動を起こしてはいないものの、フゥッと大きく息を吐き出して力なく椅子の背もたれに全体重を預けていた。

 

「何なんだよアレ……、ホント何なんだ……。一体何がどうなってやがる……!!」

 

 彼にしては珍しいことに、バジウッドが背もたれに上半身を預けて天井を見上げながら呻くように言葉を吐き出している。

 しかし彼の心情も吐き出した言葉も、その全てがこの場にいる全員と同じものだった。

 

「……陛下、“サバト・レガロ”を本当に信じても良いのでしょうか?」

「信じて良いはずがないだろう! 異形の……それも悪魔だったのだぞ!!」

 

 一人の秘書官が不安そうに問いを発し、それにもう一人の秘書官が声を荒げて否定する。

 二人の言葉どちらともがジルクニフも同意見であり、それ故に悩みが生じて頭が痛くなるようだった。

 

「……一つ一つ整理していく必要があるな。お前たちの意見も聞きたい。間違っていても構わん、何か思うところがあれば申せ」

 

 一つ息を吐いた後に声をかければ、この場にいる全員が居住まいを正して真剣な表情と共に大きく頷いてくる。

 ジルクニフもそれに大きく頷き返すと、自身も居住まいを正して小さく身を乗り出すように上半身を前に傾けた。

 

「まず、ネーグルがこの場で話してきた内容全てに関してだが……私はあれら全てが真実であると思っている。異論は?」

「ございません」

「私も真実であると思います」

「まぁ、レインの素顔も見せられたしな……。あれで全てが嘘だってんなら、俺はこの世の全てが信じられなくなりそうだぜ」

 

 この場にいる誰もが頷いてジルクニフの判断に同意を示す。加えて投げやりに紡がれたバジウッドの言葉に小さな苦笑を浮かべながら、ジルクニフは内心では全員が同意したことに取り敢えず一つ安堵の息を吐いていた。

 しかし問題はここからだ。

 

「では、異形である彼らについてだが……本当に信用できると思うか?」

「それは……やはり難しいのではないでしょうか?」

「異形を信用するなど言語道断です!」

「……異形は……特に悪魔は悪知恵が働く種族であると有名です。やはり何らかの罠なのではないでしょうか?」

 

 ジルクニフの問いに、まず口を開いたのは皇帝の秘書官である三人。彼ら全員が『信用するべきではない』という意見を発言してくる。

 一方、それに異議を唱えたのは四騎士やカーベインだった。

 

「ちょっと待て。異形だからって全部が全部悪い奴らだとは限らねぇだろ。少なくともネーグルは話の分かる奴だし、悪い奴じゃない」

「我らはカッツェ平野の折に彼らに命を救われており、彼らは私や騎士たちにとっての大恩人です。……ネーグル殿の言葉が正しければあの時の彼には悪魔の意識や記憶はなかったようですが、少なくともリーリエ殿には異形としての意識はあったはず。異形である彼女が我々を救ってくれたことには変わりありません」

「確かに、彼女の主人であるならば、ネーグルも邪悪な異形であるという可能性は低いか……」

「それに、我々を騙すことが目的であれば、もっとうまいやり方があったはず。わざわざ自分たちの正体を明かす必要はなかったはずです」

「そもそも“サバト・レガロ”はこちらに何も要求していません。何故、何のためにわたくしたちを騙そうとするのか説明がつきませんわね」

 

 次々と放たれる反論の言葉に、秘書官たちは誰もが苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 フールーダは無言のまま彼らの意見に耳を傾けており、ジルクニフもまた彼らの意見を聞きながら思考を巡らせた。

 ジルクニフとしてはどちらの意見も同意できるものであり、決して間違ったものではないと思えた。しかし、より説得力のある意見はどちらだと問われれば、それは四騎士やカーベインの意見の方だろう。

 

「双方の意見とも決して間違ったものではないだろう。しかし、バジウッドたちの意見の方が的を射ているように思う。確かに彼ら“サバト・レガロ”は我々に何かを要求しているわけでもなければ、ただ単に帝国から立ち去ろうとしていただけだ。ニンブルの言う通り、何かを企んでいるのなら他にももっと良い方法があっただろう」

 

 ジルクニフの言葉に、顔を顰めていた秘書官たちが渋々といった様子ながらも頷いて同意を示してくる。

 彼らとて自分たちの意見が悪魔という種族に対する一般的な知識や常識に当て嵌めたものに過ぎないことを十分理解していたのだろう。

 勿論そういった情報からの意見というのも非常に重要ではあるのだが、それでも今回の場合は“サバト・レガロ”やレオナール・グラン・ネーグルに対しての信用に関するものである。これは実際に彼らと接したことのある者たちの……交流のある者たちにしか分からない感覚的なものから導き出された意見の方が重要度は高かった。

 

「それでは陛下、ネーグル殿からの申し出をお受けになるのですか?」

 

 誰もが納得の雰囲気を漂わせる中、不意に今まで黙っていたフールーダが落ち着いた声音で問いかけてくる。

 一気に緊張が高まった室内の雰囲気に、ジルクニフは内心で小さなため息を吐きながらも小さく眉間に皺を寄せた。

 

「……申し出は受けた方が良いように思う。………いや、受けるほかない、というべきだろうな……」

「陛下、それは一体どういうことでしょうか?」

 

 神妙な表情を浮かべて言葉を紡ぐ皇帝に、秘書官の一人であるロウネが困惑の表情を浮かべて問いかけてくる。他の面々も無言ではあるが誰もが不思議そうな表情を浮かべており、ジルクニフは思わず大きなため息を吐き出した。

 

「考えてもみろ。もし本当に異形の骸骨や悪魔の“肉体”とやらが帝国を襲撃してきた場合、我が帝国にどれほどの防御や反撃ができるかも分からない。もしかしたら悪魔の“肉体”とやらの方であれば防御くらいはできるかもしれないが、異形の骸骨が相手だった場合は爺でも防御も反撃も難しいだろう」

「……申し訳ありません、陛下」

「いや、謝る必要はない。あの骸骨の力が異常すぎるのだ。……カッツェ平野での惨状から帝国軍を無傷で撤退させた“サバト・レガロ”がいたなら希望も持てただろうが、その彼らもまた異形であり、更には帝国を去ろうとしている。……強力な力を持つ彼らを手元に置くためには、あの異形の骸骨との仲介という役目で縛るしかないのだ」

 

 現在、帝国には異形の骸骨に抗する術は一切存在しない。有事の際に生き残るためには“サバト・レガロ”の存在は必要不可欠であり、その手を取るしか彼らを引き止めることができないのであれば、その手を取るために最善を尽くすほかない。

 ジルクニフの説明に、この場にいる誰もが顔を伏せて押し黙る。

 レイナース以外の四騎士やカーベインなどは自身の力不足を恥じているような表情すら浮かべており、彼らの様子にジルクニフは思わず小さな苦笑を浮かべた。

 

「だが、手を取らなくてはならない相手が“サバト・レガロ”で良かったと思うべきだろう。たとえ正体が悪魔や異形だったとしても、彼らの本来の性質が今のままであるならまだ希望が持てる」

「……そう、ですね……」

「……………………」

「お前たちの心配も良く分かるが、ここは“サバト・レガロ”を信用するほかない。勿論、これ以降も注意深く彼らの様子を観察し、少しでも怪しい動きがあれば対処していく必要はあるだろうが、帝国を存続させるためにはそれ相応の覚悟も必要だ」

「「「はっ」」」

 

 ジルクニフに諌められ、表情を曇らせていた秘書官たちが一様に頭を垂れる。

 彼らの話は“サバト・レガロ”を信じ、手を取る方向で進んでいき、しかしその裏でも何か自分たちにできることはないか、何か対策できることはないかとありとあらゆるトラブルを想定して引き続き意見を出し合っていく。

 彼らの話し合いは深夜まで続き、秘書官や四騎士たちが退室した後も執務室の明かりは消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、皇城にあるとある客室。

 メイドの案内によって客室に入った“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル――ウルベルト・アレイン・オードルは、誰にも気づかれないように一つ小さな息を吐いてから後ろに付き従っているレイン――ニグンとリーリエ――ユリを振り返った。

 

「取り敢えず、ここまでは順調だな。お前たちもご苦労だったね」

「恐れ入ります」

「ウルベルト様もお見事でした。皇帝や周りの者たちはウルベルト様の御手を取ることになるでしょう」

 

 ウルベルトからの労いの言葉にユリは恭しく頭を下げ、ニグンもまた頭を下げながら小さな笑みを浮かべる。

 ウルベルトはニグンの言葉に小さく首を傾げたものの、曖昧な笑みを浮かべて一つ頷いてみせた。

 

「そうであれば嬉しいがね。……まぁ、あちらにはパラダインもロックブルズもいる。何かあれば彼らが対処してくれるだろう」

 

 ウルベルトはもう一度だけ一つ小さなため息を零すと、次にはパンッと勢いよく両手を打ち鳴らした。

 

「さて、それではこの時間も有効活用するとしよう。ユリ、お前はナザリックに戻って未だ法国の戦後処理をしているペロロンチーノを手伝ってあげたまえ」

「畏まりました」

「ニグン、お前も元法国領土に戻って森妖精(エルフ)たちの指揮をとれ」

「畏まりました。……しかし、宜しいのですか?」

「構わないとも。この城には既に何体もの影の悪魔(シャドウデーモン)たちを潜伏させているし、朝方になれば再び〈転移門(ゲート)〉を使ってここに戻ってくればいい」

 

 ウルベルトの自信満々な表情と言葉に、ニグンも納得したのか再び頷いて頭を下げてくる。

 ウルベルトはナザリックに続く〈転移門(ゲート)〉を開いてユリを送ると、続いて元法国の神都に続く〈転移門(ゲート)〉を開いてニグンを送った。次に自身の影や部屋の影に潜んでいるシャドウデーモンたちに声をかけると、部屋の外で警護するように言い渡す。

 自身の影や壁や家具などの影から続々と這い出て外に出ていくシャドウデーモンたち。

 ウルベルトは暫くそれらを無言のまま見送ると、室内に悪魔の気配がなくなったことを確認してから漸く踵を返した。

 一直線に向かうのは、隣接している幾つもの別室の一つに存在する大きな寝台。天蓋付きのキングサイズの寝台は見るからに高級品で、しかしウルベルトはそれに一切目を奪われることも心を動かすこともなく、ただ力尽きたように勢いよく寝台の上にダイブして横たわった。うつ伏せの状態で寝台に横たわり、そのまま暫くの間微動だにしない。

 数分後、漸く動いたかと思えば『う~、う~…』と小さな呻き声と共にゴロゴロと寝台の上を左右に転げまわり、暫くすると再び力尽きたように動きを止めて横向きに寝台の上に寝転んだ。大きなため息を吐き出し、両手両足を力なく投げ出す。ウルベルトは暫くの間、目の前に投げ出された自身の両手を何とはなしに見つめると、次には何かに耐えかねたように首のみを捻って顔のみをシーツに伏せ、そのままゆるゆると首を振って顔をシーツに擦りつけた。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛~~……、本当に死ぬかと思った……」

 

 シーツに顔を突っ伏したまま愚痴のような言葉を零し、再びゴロンっと全身を動かして次には寝台の上に仰向けで大の字に横たわる。

 天蓋の天井を何とはなしに見つめながら、ウルベルトは先ほどの皇帝の執務室で行われていた会話をつらつらと思い返していた。

 

(……あぁ~、くそっ、こんなに堂々と嘘の演技をしまくったのなんて初めてだ……! 不自然なところがなかったら良いんだが……。)

 

 少しでも皇帝や四騎士たちに不審に思われてはいなかったか……とどうしようもなく不安が湧き上がってくる。これまで演技やロールプレイをしてきたことは数あれど、ここまで嘘で塗り固められたものは初めてだった。

 これまでウルベルトがしてきた演技はどれもが幾らか事実を織り込んだものばかりで、全てが作りものの演技をするのはこれが初めてだ。ロールプレイの方は口から出まかせの場合も多々あったものの、それは主にナザリックのモノたちに対してしてきたものであるため、その場を乗り越えられればそれでいいという軽さもあった。それらを考えれば、今回の演技は異例中の異例であり、ウルベルトにとってはとんでもない事態だ。事実が少しも織り込まれていない演技がここまで精神に負担をかけてくるものなのか……と逆に驚いてしまう。

 

「……まぁ、何かあってもパラダインやロックブルズが何とかしてくれるかな……」

 

 力なく言葉を紡ぎ、再び大きなため息を吐き出す。そんな風に考えなければ不安で仕方がなかった。こんなシナリオを考え出したデミウルゴス(息子)にすらちょっとした恨めしさを感じてしまいそうになる。

 ウルベルトはもう一度大きなため息を零すと、取り敢えず気分転換も兼ねてひと眠りすることにした。

 本当なら自分もこの空き時間を有効活用するべきなのだろうが、とてもそんな心境にはなれないし、その余裕もない。

 ウルベルトは大きく寝返りをうって横向きになると、際限なく湧き上がってくる不安を振り払うように瞼を閉じ、そのまま無理矢理意識を闇の底へと落していった。

 

 

 

 

 

 それからどのくらいの時間が流れたのか……――

 不意に浮上してきた意識を感じて、ウルベルトはゆるゆると閉じていた瞼を開いた。少しだけぼやける視界を瞬きすることでクリアにし、未だぼんやりしている意識を覚ますようにもぞもぞと身体を動かして寝台の上に上半身を起き上がらせる。人間としての名残で込み上げてくる欠伸を小さく零しながら、何とはなしに部屋を見回した。

 瞬間、不意に頭に糸が繋がったような感覚に襲われ、次には異形の声が寝ぼけている脳内に静かに響いてきた。

 

『――……ウルベルト・アレイン・オードル様、お休み中に申し訳ありません』

「……シャドウデーモンか、どうした?」

『フールーダ・パラダインとレイナース・ロックブルズが御目通りしたいと扉の前まで来ております。如何いたしましょうか?』

 

 シャドウデーモンの声が紡いだ二つの名前に、一気に纏わりついていた眠気が覚めていく。同時に心臓が小さく跳ねて、ウルベルトは思わず少しの間呼吸を止めた。

 遂にこの時が来たか……と奥歯を噛みしめ、緊張に両手を強く握りしめる。フゥ……とゆっくりと呼吸を再開させながら、ウルベルトは眉間に皺を寄せて顔を顰めた。

 恐らく二人は今回の会談について何かを報告するか何かを問うために来たのだろう。一体何を言ってくるのか想像するだけで恐ろしく、できるならこのまま会わずに済ませてしまいたい。

 しかし今後のことを考えれば勿論そんなことができる筈もなく、ウルベルトは仕方なく寝台の上から立ち上がった。少し皺が寄ってしまった服装を整えながら寝室を出てメインルームに足を踏み入れる。

 一番大きく上等な寝椅子(カウチ)に勢い良く腰を下ろすと、長い足を組みながらため息交じりに未だこちらの言葉を待っているシャドウデーモンに声を発した。

 

「分かった。部屋に通せ」

『畏まりました』

 

 ウルベルトの命を受け、〈伝言(メッセージ)〉が切れた後に外の廊下に続く扉が独りでに開いていく。

 椅子に腰かけたままそちらに目を向ければ扉の前にはフールーダとレイナースが立っており、視線がかち合った感覚と同時に二人が素早い動作で室内に足を踏み入れてきた。

 扉は二人が部屋に入ったと同時に再び独りでに閉まり、小さな施錠の音のみが響いて消える。

 ウルベルトが無言のまま彼らを見つめる中、フールーダとレイナースは真っ直ぐにこちらに歩み寄ると、そのまま床に敷かれた厚手の絨毯の上に片膝をついて深々と頭を垂れてきた。

 

「このような夜分に申し訳ありません。拝謁をお許し下さり、誠にありがとうございます」

「いや、構わない。先ほどの会談の後に行われた話し合いについて報告しに来てくれたのだろう?」

 

 顔には優雅な微笑を貼り付けて余裕ある態度を装ってはいるが、心臓は不安と緊張でバクバクと大きく脈打っている。

 一体何を言い出すのか……と内心固唾を呑んで彼らの言葉を待つ中、幸いなことにこちらの内心には全く気が付いた様子のないフールーダとレイナースが傅いた状態のまま垂れていた顔を上げてこちらを真っ直ぐに見上げてきた。

 そして二人の口から語られた内容に、ウルベルトは内心で大きな安堵の息を吐いた。

 フールーダとレイナースの話によると、ジルクニフたちはどうやらこちらの申し出を受ける形で話を進めているようだった。未だこちらを信用しきってはいないようだが、こちらの正体をある程度明かしたのだ、それでもこちらの手を取ることを選んだだけでも上々であると言えるだろう。一度こちらの手を掴んだのなら、後はいくらでもやり様はある。慎重に事を進めていく必要があることは変わりないが、取り敢えずは一つの段階を無事に乗り越えることができたことに内心で安堵の息を吐き出した。

 

「ご苦労だったね、二人とも。……しかし最終的な目的は帝国を含めたこの世界を掌握すること。手始めに帝国を支配下に置けるよう、これからもお前たちの働きに期待しているよ」

「ははぁっ、お任せくださいっ!!」

「御身の仰せのままに」

 

 大袈裟に再び頭を下げて額を絨毯に擦りつけるフールーダと、胸の上に片手を添えて深く頭を垂れるレイナース。

 ウルベルトは対照的な二人の姿を暫く眺めた後、徐に声をかけて頭を上げさせると、そのまま今後についての意見を聞くべく言葉を交わし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして明朝。

 再び皇帝の執務室に呼ばれた“サバト・レガロ”は皇帝から直々にアインズなる異形への仲介を頼まれた。

 必死にこちらを繋ぎ止めようと言葉を尽くしながらも注意深くこちらを見つめる皇帝に、悪魔は曇りのない真摯で透き通った表情を顔に貼り付けながら、その下では黄金色の異形の瞳を怪しく細めるのだった。

 

 



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第86話 変化の足音

 コツ…コツ…と冷気漂う静寂の中に一つの足音が響いては消えるを繰り返している。

 白くけぶる空気を揺らめかせるのは純白のドレスの裾と濡羽色に輝く美しい翼と長い髪。

 ここはナザリック地下大墳墓の第五階層にある氷結牢獄。その中でも奥まった廊下にて、守護者統括であるアルベドが一人静かに歩を進めていた。

 彼女の周りには誰もおらず、その様はどこかふらっと立ち寄っただけのようにも見える。しかし勿論そうであるはずがなく、アルベドは明確な目的の下にこの場に一人で訪れていた。迷いのない足取りで、ただ一直線に牢獄の最奥へと入っていく。

 暫くすると一つの扉と両脇に立つ二体の拷問の悪魔(トーチャー)の姿が視界に映り込み、アルベドは金色の双眸を小さく細めながらそちらに歩み寄っていった。拷問の悪魔たちはアルベドの存在に気が付くとほぼ同時に深く一礼し、次には右側に立つ拷問の悪魔が腰に吊るしている鍵を取り出して扉の鍵を開ける。大きな開錠の音と共に扉が大きく開かれ、道を開けるように一歩下がって再び頭を下げる拷問の悪魔たちに、アルベドはそれが当然とばかりに意識すら向けず、扉を潜って室内に足を踏み入れた。

 室内は廊下同様……いや、それ以上の冷気が漂っており、床や壁や天井だけでなく空気すらも凍らせて全てを白く染め上げていた。両側の壁には四体もの雪女郎(フロスト・ヴァージン)が並び立っており、アルベドの姿を捉えると一様に無言のまま頭を下げてくる。

 部屋の最奥には一人の少女が鎖に繋がれた状態で地面に座り込んでおり、アルベドの気配に気が付いたのかゆっくりと俯いていた顔を上げて色違いの瞳を向けてきた。

 

「………初めて見る顔ね……。……あなたは誰かしら……?」

 

 いつもと変わらず淡々とした抑揚のない声音。しかしこの場の冷気に相当参っているのか、顔や口の動きはひどくぎこちなく、声音も小刻みに震えている。

 じっとこちらを観察するように見つめてくる少女に、アルベドもまた冷たい金色の瞳で見下ろしながら、内心では小さく首を傾げていた。

 自分と少女は既に何度か会っているはずだが……と疑問に思い、しかし『そういえば、彼女と会った時はいつもヘルメス・トリスメギストスを装備していたか……』と思い至る。ならば彼女が自分に対して初対面だと考えるのも致し方ないことだろうと思い直すと、アルベドは別段そんな少女の考えを訂正することもせずにさっさとここに来た目的を果たすことにした。

 

「ペロロンチーノ様への拝謁を願い出たそうね。その理由を聞かせてもらえるかしら?」

 

 事の発端は今から二日ほど前の事……。

 法国への戦後処理に奮闘するペロロンチーノは『適度な休憩も必要だ!』と一日に一回は執務室に隣接している寝室で昼寝をすることを最近の日課としていた。その間に補佐をしているアルベドが書類整理や他の雑務を行っているのだが、そんな時にニューロニストの部下である拷問の悪魔が尋ねて来たのだ。

 緊急の要件ではない以上休まれている至高の御方を起こすことなどできようはずもなく、当然のようにアルベドがその対応を行った。そして傅きながら述べられた拷問の悪魔からの言葉に、アルベドは美しい顔を小さく顰めることになった。

 拷問の悪魔が言うには、どうやら氷結牢獄の最奥に囚えている法国の番外席次アンティリーネ・ヘラン・フーシェがペロロンチーノとの会談を望んでいるらしい。曰く『“アインズ・ウール・ゴウン”に下るかどうかの答えを伝えたいため、自分の下まで来てほしい』と……。

 氷結牢獄で見た少女の姿を頭に思い浮かべながらその言を聞いたアルベドは、まず初めに『不敬』という二文字を頭に浮かべた。

 いくら自身がその場を動くことができない身であるとはいえ、至高の御方にご足労を願うなど身の程知らずも甚だしい。第一“アインズ・ウール・ゴウン”に下るかどうか決めたのならば、さっさとその答えを拷問の悪魔に言づければ済む話だ。にも拘らずわざわざ至高の御方を呼び出そうとするとは、もしや何かを企んでいるのではないか……。

 これはまずは自分が少女に会いに行く必要があるとすぐさま判断すると、アルベドはアンティリーネの言葉は自分からペロロンチーノに伝えるとして拷問の悪魔を下がらせた。

 しかし勿論アルベドには現段階において先ほどのことをペロロンチーノに伝えるつもりは微塵もない。まずは自分のこの目で少女を見極め、それからペロロンチーノに報告しよう、とすぐさま今後のことについて思考を巡らせた。『やるべきこと』『後回しにしても良いもの』を次々と頭に思い浮かべ、順序だててスケジュールを組み立てていく。そして取り敢えず緊急性の高いものを片付けていき、数日後に漸くちょっとした余裕ができたため今ここに赴いたのだった。

 しかしそんなアルベドの思惑など知る由もなく、アンティリーネはただ不思議そうにアルベドをじっと見つめて小さく首を傾げていた。

 

「……どうして、彼を呼んだ理由をあなたに教えないといけないのかしら……?」

「わたくしはこのナザリック地下大墳墓の守護者統括という役目を頂いている身。至高の御方々のすぐ傍らに侍り、補佐することを許されているのよ。至高の御方々を煩わせないように立ち回ることもわたくしの大切な務め。本当にペロロンチーノ様にご足労頂く価値があなたにあるのか、見極めるために動くのは当然のことなのよ」

 

 まるで幼子に言い聞かせるように……しかしどこか小馬鹿にしたように言葉を連ねるアルベドに、アンティリーネは変わらず無感情な瞳でじっとアルベドを見つめてくる。何を考えているのか暫く口を閉ざして黙り込み、しかし数分後に漸くゆるゆると半ば凍り付いている小さな唇を開いた。

 

「………彼は言ったわ、……仲間にならないかって……。そのことについて、もう一度だけ……その本心を聞きたかっただけ……」

「あら、あなたを見張らせている拷問の悪魔からは、我々の支配下に入るか否かの回答を伝えるために呼んでいると聞いたのだけれど、違ったのかしら?」

「勿論、それも伝えるつもりだった……。でも、答える前に、最後にもう一度聞けたらと…思ったのよ……」

 

 問いを重ねるアルベドに、しかしアンティリーネは最後に聞きたいことがあっただけだと繰り返すのみ。彼女のじれったい行動に、アルベドは思わず小さく眉間に皺を寄せて金色の双眸を細めた。

 アルベドからすれば、下賤の身でありながら栄えある“アインズ・ウール・ゴウン”に与することを許されたこと自体がとんでもない栄誉であるというのに、何を躊躇う必要があるのか、という思いが強い。同時に彼女の躊躇いが慈悲を与えたペロロンチーノに対する不敬にも思えて、湧き上がってくる苛立ちを抑えられなかった。

 どんどんと剣呑な空気を纏い始めるアルベドに気が付いたのか、アンティリーネは未だ無感情な様子ながらも再び口を開いてきた。

 

「……私は、法国の最後の切り札として生かされてきた。法国を守る盾、法国を襲う脅威を打ち破る刃……それが私の存在意義であり、全てだった」

「……………………」

「母は……あの人は、私にそれ以外のことは、何も求めなかった。それが、私の存在意義全てであると、教えられてきた……。……他の人たちも、私を侮って小馬鹿にするか……私の力を恐れて、大袈裟に遜るばかり……。でも、大切だと思える人たちはいたし……まだ、必要とされるだけで十分だって……思っていたわ……」

 

 そこで一度言葉を切り、少女は小さく顔を俯かせた。左右で色が違う前髪が垂れ下がり、少女の表情を隠してしまう。

 アルベドがただ無言のまま少女を見つめる中、少女は顔を俯けたまま鎖で繋がれた両手をぎこちない動きでグッと握り締めた。

 

「でも、彼が……私に『仲良くなりたい』って言った……。法国が……あの人たちが、卑劣で、邪悪で、穢れた存在だと言っていた、異形の彼が……私に手を差し伸べてきた……。私の存在を…ただの、アンティリーネ・ヘラン・フーシェとして、認めようと、してくれた……」

 

 まるで一言一言噛みしめるように言葉を紡ぐ少女に、アルベドは無言のまま観察するように少女を見続けた。

 己の存在を否定され、まるで道具のように扱われ、実の母親にすら情をかけてもらえなかった少女が、初めて与えられた温かな情。差し伸べられた手の主が人間ではなく異形であったことがどれだけ少女に大きな衝撃を与えたのか、そういった経験が一切ないアルベドでも想像は難くない。恐らく自分の今までの有り様や存在意義ですら大きく揺らいだことだろう。『自分と仲良くなりたい』という異形の言葉は本心からのものなのかと疑問が生じ、何度も確認せずにはおれないのかもしれない。至高の御方々を第一に考え、彼の御方々を煩わせることを何より嫌うアルベドからしてみれば、何度も疑い確かめたがる少女の心理は鬱陶しいものでしかなかったが、それほど心が揺らいでいるのであれば逆に裏切りの心配はないような気がした。

 少女の力はこのナザリックの中ではそこそこのものでしかないが、それでもこの転移した世界では相当の脅威となる。彼女を駒として使えるのであれば、ナザリックにとって大きな利益となるだろう。

 アルベドは少しの間思考を巡らせると、冷めた視線はそのままに唇だけ微笑みの形につり上げた。

 

「至高の御方々はどなたも慈悲深い御方でいらっしゃるけれど、中でもペロロンチーノ様は下等種族にすら分け隔てなく温情をかけて下さる御方だわ。あの方も……そして他の御方々も、決して偽りを仰ることはない。あなたが御方の慈悲を賜りたいのなら、御方の言葉を信じ、その膝元に平伏するのが最善よ」

「……………………」

「確かにあなたには利用価値がある。でも、是が非でもほしいというほどの価値はない。正直に言って、あなたくらいの存在であれば、ここナザリックにはごまんといるのよ。それでもなおあなたに温情をかけられた御方の御心を考えることね」

 

 アルベドとしては言葉を尽くした。これでも首を縦に振らないのであれば、これ以上待つのは時間の無駄でしかないだろう。

 さてどう出るか……とじっと観察する中、少女は俯けていた顔をゆっくりと上げると、今までにない強い意志の宿った色違いの双眸を真っ直ぐにこちらに向けてきた。

 

「………あの方に……ペロロンチーノ様に、伝えて頂戴。……あなたの手を取ると……」

「ええ、確かに」

 

 覚悟を決めた少女の言葉に、アルベドはにんまりとした笑みを清廉な微笑で隠しながら一つ大きく頷いて見せる。

 新たに手に入った有益な駒の使い道を考えながら、アルベドはこのことをすぐさまペロロンチーノに報告するべく踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、ここはナザリック地下大墳墓第九階層にあるモモンガの私室。

 多くの部屋の中でも特に広く豪華なメインルームにおいて、三体の異形が揃って顔を突き合わせていた。

 しかしその体勢はそれぞれ異なり、異様な雰囲気が漂っている。

 山羊頭の悪魔と黄金色の鳥人(バードマン)はそれぞれ身を寄せるように立っており、二体の異形の正面には部屋の主である骸骨の異形が力なく項垂れながら地面に正座をしていた。

 

「――……ちょっと聞いてよ、ペロ子~。モモ恵ったらカッツェ平野で急にはっちゃけちゃって大変だったのよ~」

「あら、その話なら聞いたわよ、ウル美さん。モモ恵さんったら超位魔法をぶっ放したんでしょう?」

「そうなのよ~。どう対処しようかってすっごく慌てちゃったわよ!」

「大変だったわね~。流石に超位魔法はやり過ぎよね~。でも、こっちも大変だったのよ。モモ恵さんったら最初に計画していた以上の死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)を連れていっちゃうんだもの! 戦後処理もまだ終わってないのに、人手が急に少なくなっちゃって、びっくりしたわ~」

「あら、やっぱりそうだったのね。カッツェ平野で登場した時に思ったより大規模の軍勢が出てきたから私も驚いたのよ! もう、モモ恵ったら困っちゃうわよね~」

 

 目の前で繰り広げられるわざとらしいまでの会話に、しかしモモンガはぐうの音も出ない。

 自身に突き刺さる二対の鋭い視線が痛く感じられ、遂には耐え切れなくなってモモンガは未だ正座した状態ながらも目の前に立つウルベルトとペロロンチーノを力なく見上げた。

 

「……だ、だって、一発の魔法でこちらの脅威を知らしめないといけなかったですし……派手さもある超位魔法が一番いいかと思って……」

「いくら派手でも限度ってもんがあるでしょうが。十位階でも九位階でも派手な魔法はいくらでもあるじゃないですか」

「で、でも……さっきも言いましたけど、こっちの強さを宣伝しなくちゃいけなかったですし、アルベドも『そうすべきだ』って賛同してくれたんですよ!」

「いや、そうは言っても対処するのはこっちなんですから、こっちのことも考えてもらわないと。力をセーブしながら対処するの、すっごく大変だったんですよ。おまけに帝国側にモモンガさんたちが邪悪な存在じゃないってアピールするのも苦労しましたし」

「……うぅぅ……」

 

 一番苦労を被ったであろうウルベルトからの言葉に、流石に居た堪れなくなったのかモモンガがガクッと大きく肩を落とす。

 見るからに意気消沈しているモモンガの様子に、ウルベルトはやれやれとばかりに首を横に振り、ペロロンチーノは苦笑を零してモモンガに手を伸ばした。腰を曲げてモモンガの骨の右手を掴み取り、そのまま『よいしょっ!』という軽い掛け声と共に立つように引っ張り上げる。

 モモンガはペロロンチーノの動きに逆らうことなく立ち上がると、未だ眼窩の灯りを不安げに揺らめかせながら目の前の友人二人を交互に見つめた。

 

「まぁ、過ぎたことをいつまで言っても仕方がないですからね。俺たちも悪ふざけはこのくらいにして、これからのことを考えていきましょうか」

「そうだな。ただ、モモンガさんは少し反省してくださいね。フォローするの本当に大変だったんですから」

「うっ、すみません。今後はもっと気を付けます……」

 

 モモンガ自身、最近は特に『ウルベルトやペロロンチーノであれば大丈夫。上手くフォローしてくれる』と甘えていたことは自覚している。いくら友人に対する絶対的な信頼の表れだったとしても、度が過ぎてしまえばそれは単なる怠惰でしかない。湧き上がってくる反省と後悔を噛みしめながらもう一度頭を下げるモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノは一つ頷いてモモンガの頭を上げさせた。

 

「ほらほら、頭を上げて下さい、ギルマス。もう謝らなくても良いですから!」

「信頼して任せてもらえること自体は嬉しいことですしね。こっちも何かとモモンガさんにフォローしてもらっている部分はありますし、ここはお互い様ということで終わりにしましょう」

「……ありがとうございます、ペロロンチーノさん、ウルベルトさん」

 

 友人二人の優しい言葉に、流す機能もないのに思わず泣きそうになってしまう。しかしそこはグッと堪えるとモモンガは一度大きく頷いて礼の言葉を口にした。

 本当に二人がいてくれて良かった……と心の底から思う。

 しかしそんなモモンガの心情までは気が付いていない様子で、ペロロンチーノとウルベルトは穏やかな表情でモモンガからの感謝の言葉を受け取ると、次には近くにあったテーブルと椅子の方に歩み寄っていった。モモンガの私室に集った時はいつも座っている席に腰を下ろす二人に、モモンガもつられるようにして自身の椅子に腰を下ろす。互いに向かい合い顔を突き合わせるような形で腰を落ち着けた三人は、まずは現状をすり合わせるためにそれぞれ報告を始めた。

 モモンガはカッツェ平野での惨状についてと、その後行った王国の王侯貴族との会話について。

 ウルベルトはカッツェ平野の惨状への対処方法と、その後行った帝国の皇帝たちとの会話について。

 そしてペロロンチーノは法国に対する戦後処理の進捗状況と、カッツェ平野での惨状について報告された王国の被害状況の情報について。

 どれもこれも話の内容の濃度が高く、いつものことながらモモンガたちは重いため息を吐き出した。

 

「……取り敢えず、戦後処理の方は順調に進んでいます。多分……あと二週間くらいで大分落ち着くんじゃないですかね。ただ、森妖精(エルフ)たちに任せている元法国領土の統治や復興についてはまだまだ時間がかかりそうです」

「まぁ、それは仕方がないだろう。そちらはニグンを送って対処させているから、また詳しい報告はあいつからさせよう」

「そうですね。そういえば、王国のエ・ランテルの割譲の方は上手くいってます?」

「ええ、そちらも今のところは問題ないです。王国側は割譲する準備に三か月は欲しいって言ってきたんですけど、何とか一か月まで短縮させました」

「三か月も時間を与えたら、人材も物資も根こそぎ持っていかれる可能性があるからな。ナイスですよ、モモンガさん!」

 

 一仕事終えたような達成感に満ちた声で言うモモンガに、ウルベルトも大きく頷いて親指をたてる。

 しかしペロロンチーノは今一理解できていないのか、不思議そうに首を大きく傾げた。

 

「でも一か月でも人材や物資とかを運び出すには十分じゃないですか?」

「いえ、俺たちみたいに〈転移門(ゲート)〉の様な転移魔法が使えるならまだしも、彼らにはそういった手段はないみたいですし、一か月程度ならそこまで心配する必要はないと思います」

「それにもうすぐ冬になるから、寒さや雪や氷に阻まれて動きも鈍るはずだしな。街一つと言っても領土を明け渡すんだからそのための準備の時間は必要だろうし……。今回のカッツェ平野の件で相当な被害が出ているから、一か月はいろんな意味で丁度いい期間だと思うぞ」

「……あ~、確かに。モモンガさんの超位魔法で初手の一撃で約四万、そこから第二波、第三波のアンデッドの波で合計十六万くらいの被害が出ちゃってますもんね」

 

 モモンガとウルベルトの説明に、首を傾げていたペロロンチーノも『なるほど』と一つ頷く。同時に、そんなことまで考える必要があるのか……とモモンガとウルベルトに感心の目を向けた。

 モモンガはそんなペロロンチーノからの視線を面映ゆく感じながら、それを誤魔化すように眼窩の灯りをウルベルトに向けた。

 

「えっと、それで、ウルベルトさんの方も上手くいっているんですよね? 皇帝との謁見はいつ頃になりそうですか?」

「う~ん、そうですね……。あまり遅くなるとそれこそエ・ランテルの割譲の時期と被ってしまうので、早めにとは考えていますけど……。早くて七日から十日後くらいですかね……」

「そんなに必要です? さっさと連れてきちゃえばいいのに」

「あちらもモモンガさんに会うためにいろいろと情報収集とか心の準備とかが必要そうだったからな。俺も引き続き皇帝に呼ばれていろいろ聞かれる予定になっているし、このくらいが妥当だろう。一応『リーリエとレインがレオナールの代わりに“アインズ・ウール・ゴウン”に接触して、レオナールのことや皇帝が目通りを願い出ていることを伝える』っていう筋書きにしているから、ある程度の時間は必要だ」

「分かりました。また皇帝が来る時期が決まったら教えてください。……それで、この前の定例報告会議で、帝国の立場をどうするか決めるのは少し待ってほしいと言ってましたけど、その辺りは見極めはできました?」

 

 最終的な目標を世界征服としている以上、この世界にある全ての国は最終的には滅亡させるか属国化して支配下に置くことになる。

 しかし属国化と言っても、その形は様々だ。完全な奴隷の国として扱うのか、それとも友好的な同盟国に近い国として扱うのか……。

 モモンガとしては帝国に対してそれほど愛着があるわけではなく、関心もそれほどない。どんな形であっても構わないため軽い口調で尋ねれば、ウルベルトは考え込むように金色の目を伏せて長い顎髭を右手で弄んだ。

 

「……正直、今もまだ決めかねているんですよね。友好的な関係を構築しても良いとは思っているんですが……」

「何か気になることでも?」

「皇帝は種族や生まれや常識にとらわれない柔軟な考えを持つことができる人物だ。しかしその一方で、相手が自分たちの敵だと判断した場合には裏でいろいろと手を回そうとする用意周到さや気概も持っている。何より俺たちなんかよりも余程頭が回る」

「ああ……、優秀な人物だって有名らしいですね」

「まぁ、俺のデミウルゴスには負けるがな!」

「あー、はいはい……。……それで?」

「……彼らが俺たちを敵だと判断した場合にどういった行動をとるのか……そこがちょっとした懸念ではあるんですよねぇ~。こちらを味方だと判断してくれるのが一番良いんですが……」

 

 デミウルゴスに対する発言を軽く流すペロロンチーノを軽く睨みながら、ウルベルトが続けて自身の懸念を口にする。最後は言葉を濁して黙り込むウルベルトに、モモンガとペロロンチーノは一つ頷いて同意した。

 なるほど確かに、彼らが自分たちと実際に会ってどういった反応を取り、どういった考えに至るかによってこちらの対応も変わってくる。好意的な態度をとってくるならこちらもそれを利用するために友好的に接するべきであるし、もしこちらに敵意を向けるのであればそれに応じるのも吝かではない。実際に会って話してみてから判断するのが一番だろうし、その程度であれば会った後に対応を決断しても決して遅くはないだろう。

 モモンガは内心で一つ頷くと、ウルベルトの迷いを払うように動かない骨の顔に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「分かりました。俺も皇帝と実際に会ってみて、どういった対応を取るのが一番良いのか観察してみます」

「ありがとうございます、モモンガさん」

 

 長い顎髭を弄んでいた手を下ろし、ウルベルトが礼を言ってくる。

 モモンガが『いえいえ』とばかりに軽く片手を振る中、ペロロンチーノが勢いよく背もたれに背中を預けながら大きく首を傾げた。

 

「……それにしても、ウルベルトさんがそんなに帝国に肩入れするとは思っていませんでしたよ。これまで人間に対して結構えげつないことも平気でやってたので、悪魔になってそういった感情がなくなったのかとばかり思ってたんですけど」

 

 首を傾げたまま心底不思議そうな声音で考えを口にするペロロンチーノに、モモンガはふと自分がウルベルトに対して『ワーカーのことをどう思っているのか』と聞いた時のことを思い出した。

 あの時、ウルベルトはワーカーに対して『ちょっとした愛玩動物のようなものだ』と口にしていた。愛着自体はあるものの、必要であれば殺すことも何ら厭わない。その思考はアンデッドとなってナザリック以外の全てに対して関心がなくなったモモンガに比べるとまだ情がある方ではあったが、しかし一般的な人間の思考に比べると余程悪魔らしい。

 はてさてウルベルトはどう答えるのか……と視線を向ければ、ウルベルトは再び長い顎髭に手を伸ばしながら小さく眉間に皺を寄せていた。

 

「う~ん、言葉で説明するのは難しいんだが……。お前やモモンガさんと同じように、俺も基本的な思考回路や価値観は悪魔特有のものに変化している。俺の中での人間の……というよりかは悪魔や異形種以外の種族に対しての価値観は、言うなれば……そうだな……虫や草木と同じくらいまで下がっている」

「つまり悪魔や異形種以外の種族はみんな虫や草木と同レベルだと思ってるってことですか?」

「そういうことだ。意思疎通ができる分、多少は虫や草木よりも価値観は高くなる場合もあるにはあるが、それは種族というよりかは個人に対してのものだからな。今回、皇帝や帝国の者たちとはそれなりに接点を持っているし愛着もある。あいつらの存在が害になるのであれば滅ぼすことに躊躇いはないが、有益な存在になり得るのであれば、友好的に接するのも別に構わないってことさ」

「う~ん……なるほど……?」

 

 ペロロンチーノが『分かるような、分からないような……』といったように首を傾げたまま言葉を疑問形に歪める。

 しかしモモンガとしてはウルベルトの感覚は非常に理解できるものだった。

 そのため、ウルベルトからの質問にモモンガは迷いなく頷くことができた。

 

「二人は違うんですか?」

「俺もウルベルトさんと同じですね。人間であろうと他の種族だろうと何も感じませんし、どうなろうと感情は一切動きません。言葉を交わせばそれなりに情は湧きますけど、良くて愛玩動物止まりで、そこもウルベルトさんと一緒ですね。唯一ウルベルトさんと違うところがあるとすれば、俺にとって重要なのはウルベルトさんとペロロンチーノさんとナザリックだけなので、それ以外の存在は全て……たとえ同じ異形種であっても別に何も感じないことくらいですかね」

「………モモンガさんって、結構愛が重たいタイプだったんですね」

「ちょっと失礼じゃないですか、ペロロンチーノさん?」

 

 ペロロンチーノからの失礼な発言に、思わず不満の声が出る。

 しかしペロロンチーノは少しも気にした様子もなく、あっけらかんとした軽い笑い声を零しながら更に背もたれにだらしなく全身を預けた。

 

「いや~、親愛なるギルマスに愛されてすごく嬉しいですよ」

「……もう、またそういう風に……」

「でも、俺はそれほどでもないですかね~……。……いや、野郎はどうでもいいか……」

 

 非常にペロロンチーノらしい言葉に、モモンガは思わず苦笑を零し、ウルベルトは呆れたような表情を浮かべて緩く頭を振る。

 ウルベルトは顎髭から手を離すと、次には小さく身を乗り出してテーブルの上に両肘をついて手を組んだ。

 

「まぁ、それは『ペロロンチーノだから』と言えるのかもしれないな。ペロロンチーノでなければ、俺たちと同じように野郎だろうが美少女だろうが、関係なく無関心だった可能性はある。俺も上流階級の富裕層連中が嫌いなのは変わらないからな」

「等しく虫や草木くらいにしか思っていないのに?」

「それとこれとはまた別なんだろうな。もしかしたら俺個人の……人間だった頃の感情の名残からくるものなのかもしれない」

「それにしてはウルベルトさんも随分と酷いことを人間たちにやってると思いますけど……」

 

 ペロロンチーノの言葉に、一瞬ウルベルトが不思議そうな表情を浮かべる。しかし一拍後にはペロロンチーノが何のことを言っているのか思い至ったのか、小さく『ああ…』と納得したような声を零した。

 恐らくペロロンチーノが言っているのは、主にデミウルゴスを中心に行っているアイテム開発による人間の対応のことだろう。

 しかしペロロンチーノの声音には非難的な響きは一切なく、ただ本当に不思議に思っているだけのようだった。ウルベルトもそれは分かっているのだろう、小さく首を傾げてひょいっと肩を竦めるだけだった。

 

「まぁ、確かに悪魔にならずに人間のままだったら思うこともあったんだろうが……恐らく、それも悪魔になって変わった価値観が原因だろうな。大前提として、俺が人間だった時に富裕層の連中を憎んでいたのは、同じ人間……つまり同じ存在であるはずなのに、同じ人間である富裕層の連中が同じ存在である俺たちを使い捨ての駒として扱っていたからだ。『同じ人間なのに不公平だ!』って不満に思うのは当然のことだろう? だが、今の俺は悪魔で、人間とは違う。俺にとって人間はもはや同じ存在ではなく、虫や草木も同然の存在だ」

「つまり、虫や草木と同等の存在でしかない人間には何をしても良いと?」

「虫を捕まえて実験することに……、花の蕾を手折ることに罪悪感を持ったり躊躇ったりする奴がどれだけいるんだ?」

「……………………」

 

 皮肉気な笑みを浮かべて問いかけるウルベルトに、ペロロンチーノは答える言葉が思いつかないのか黙り込む。彼らの会話やウルベルトが話す内容から、如何に自分たちが歪な存在に成り果てたのか思い知らされるような気がした。

 何とも言えない空気にモモンガが思わず内心でため息を吐く中、不意に外の廊下に続く扉からノックの音が聞こえてきた。続いて人払いをしていたため外で待機していた一般メイドの声が聞こえてきて、モモンガたち全員が反射的に扉を振り返った。

 

『モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト・アレイン・オードル様、ご歓談中に失礼いたします。守護者統括のアルベド様がいらっしゃいました』

「アルベド? ……通しても良いですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「何かあったんですかね?」

 

 突然の予想外の展開に、一気に部屋に漂っていた妙な空気が吹き飛ばされる。アルベドが来る予定はなかったはずだが……と三人ともが頭上に疑問符を浮かべ、取り敢えずはと許可の言葉を扉の外へと発した。

 一拍後、扉が外側からゆっくりと開かれ、いつもの純白のマーメイドドレス姿のアルベドが一礼と共に室内へと足を踏み入れてくる。アルベドは丸テーブルを囲んで椅子に腰かけているモモンガたちの下まで歩み寄ると、その場に片膝をついて深々と頭を垂れた。

 いつも通りの落ち着いた彼女の様子に緊急の要件ではなさそうだと内心で胸を撫で下ろしながら、モモンガはこちらの言葉を持つアルベドに声をかけた。

 

「アルベド、この時間にお前が来る予定はなかったはずだが、何か緊急の要件か?」

「はい、ご歓談中に拝謁を賜る無礼をお許しください。実は現在第五階層の氷結牢獄に囚えております番外席次アンティリーネ・ヘラン・フーシェがこの度我々の支配下に下りたいと申し出てきたため、取り急ぎ報告させて頂きたく参りました」

「えっ、アンティリーネちゃんが!? それ本当!?」

「はい、先ほどわたくしの方で確認いたしました」

 

 思わず椅子から立ち上がって確認するペロロンチーノに、アルベドは傅いた状態のまま大きくはっきりと頷いてみせる。

 途端、喜色を浮かべるペロロンチーノに、モモンガは和やかにその様を眺め、ウルベルトは軽く両腕を組みながら小さく首を傾げた。

 

「それが本当なら良いことだが。こちらを騙そうとしている可能性はないのかね?」

「ちょっとウルベルトさん、何でもかんでも疑うのは悪い癖ですよ!」

「ウルベルト様のご懸念は尤もでございます。しかしわたくしが彼の者の言動を確認する限りでは、その可能性は低いかと思われます」

「ふむ……アルベドがそう言うのなら間違いはないか……」

「っ!! ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

 ウルベルトから信頼の言葉をかけられ、途端にアルベドが歓喜の笑みを浮かべて頬を染める。

 その様は大好きな親から褒められて喜ぶ子供のようにも見えて、モモンガは勿論のこと、ウルベルトやペロロンチーノも思わず穏やかな笑みを浮かべてアルベドを見つめた。

 

「ならば、アルベドの言を信じてアンティリーネ・ヘラン・フーシェを我ら“アインズ・ウール・ゴウン”に迎え入れることとしよう」

「早速氷結牢獄から出してあげないといけないですね! ……でも、どこに配属しましょうか……」

「取り敢えず法国の戦後処理に加えれば良いのではないかね? 法国の……それも漆黒聖典の番外席次だったんだ。我々が見落としていることも彼女ならば知っているかもしれない」

「そうだな。ではそのように手配せよ」

「畏まりました、モモンガ様。念のため、監視としてシャルティアをつけたいと考えておりますが、宜しいでしょうか?」

「ああ、構わない」

 

 アルベドの問いに、モモンガが一つ頷いて許可を与える。アルベドは再び深々と頭を下げると、早速行動を開始するべく退室の言葉と共に部屋を出ていった。

 扉から消えていく純白の背を暫く見つめ、扉が閉められて一拍後、モモンガたちは思わず互いに顔を見合わせる。

 三人ともが何故か大きな仕事が一つ片付いたような表情を浮かべており、そんな自分たちの様子に三人は同時に思わず苦笑を零した。

 

「……さ~て、そろそろ俺たちも仕事に戻らないといけないですね」

「そうですね。俺たちも手伝いますよ、ペロロンチーノさん」

「ありがとうございます、よろしくお願いします!」

「ニグンの方にも、アンティリーネ・ヘラン・フーシェが戦後処理の作業に加わることを一応連絡しておくか」

 

 アルベドの来訪によってすっかり元通りになった空気を感じ取り、それにモモンガたち三人も気持ちを新たに動き始める。

 早速ニグンに〈伝言(メッセージ)〉を繋げるウルベルトや、背筋を伸ばして気合を入れるペロロンチーノの姿を見つめながら、モモンガもまた一度大きな息を吐き出して気合を入れるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 元法国領土の中央都市であった神都エクスカリン。

 法国の都市の中でも最も栄え、最も清廉とされ、最も美しい街並みをしていた神都は、しかし今やそのどれもが見る影もない状態になっていた。

 ここが戦場になったのだ、しかも法国の二つの切り札とナザリックの守護者たちが戦ったのだからこのような惨状になっても致し方ないことかもしれない。

 しかしいつまでもこのままにする訳にはいかず、勝利者であるエルフやナザリックのモノたちは忙しなく復興に励んでいた。

 指揮を執るのはエルフの新王となったクローディア・トワ=オリエネンスと彼女に付き従う側近たち……ということになっている。

 しかしその背後にはナザリックの存在があり、中でも至高の主たちから直々に命じられたニグンが中心となってエルフたちに指示を出していた。

 法国はそれなりに大きな国であるため、全ての都市や街を復興するにはそれ相応の時間がかかってしまう。そのためニグンは至高の主たちとも相談し、都市毎に復興を急ぐレベルを設けた。

 国境付近にある都市と中央都市の復興レベルを最大に設定し、それ以外の都市や街の復興レベルを下げる。

 これにより中央都市でも国境付近の都市でもない中間層は現在破壊し尽くされたまま放置されているような状況だったが、一度にすべてを復興できない以上それも致し方ないことだった。

 侵略した後に統治する者が警戒するのは、内からの反乱と外からの介入だ。

 しかし今回の場合、侵略したのはエルフ……の背後にいる“アインズ・ウール・ゴウン”。彼らにとって警戒すべきは内からの反乱ではなく、外からの介入だった。

 そのため、まず国境付近の都市の復興を急ぎ、なるべく外からの介入を受けないように体制を整える。国境付近の都市の方が当然エルフたちが棲むエイヴァーシャー大森林から近く、復興作業がしやすいというメリットもあった。

 

「――……ルーイン様、ご指示されていた物資の準備が整いました」

 

 不意に背後から声をかけられ、ニグンは神都の地図を見ていた顔を上げて後ろを振り返る。

 そこには一人の男のエルフが立っており、ニグンが振り返ったことで一瞬身体を強張らせたものの、一拍後には何とか気を取り直したように背筋を伸ばして体勢を整えた。

 

「……ご苦労。では各都市に向けて出発させろ。各都市の住民の様子はどうだ?」

「今のところ、反抗があったなどの報告は来ておりません」

「よし。引き続き復興作業を行いつつ内と外の動きに警戒しておけ。何かあればすぐに報告するように再徹底させよ」

「か、畏まりました……!」

 

 ニグンの指示を受け、エルフの男は一度大きく頭を下げると、次にはまるで逃げるように去っていく。

 どう見てもこちらを恐れている様子に、ニグンは表情は変えないものの内心では大きなため息を吐いた。

 現在ニグンは素顔を隠すこともせずに悪魔の姿のまま行動している。それは偏にエルフや法国の生き残りの人間たちに少しでも異形に慣れさせるためなのだが、先ほどのエルフの男の反応を見るに慣れてもらうためにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 実際に大きなため息が出そうになり、既の所でそれを飲み込む。

 今のニグンは悪魔であり、“アインズ・ウール・ゴウン”の代表という立場となっている。少しでも隙を見せるわけにはいかない……と気を引き締めると、再び手に持つ地図に目を戻した。

 神都の全貌が描かれているこの地図には赤色のマルやバツや矢印といった記号や、所々に文字が多く書き込まれている。

 復興が進んでいる場所や探索が完了している場所、逆に探索が未だ終わっていない場所や探索も復興も手付かずの場所。生き残った神都の法国人を一か所に集めて管理している場所や、エルフたちが駐屯している本拠地や重要拠点となっている各建物などなど。

 この地図を見れば全ての現状況が把握でき、もはや重要情報資料の一つとなっていた。

 ニグンは赤色の双眸を地図全体に走らせると、近くに置いてある簡素なテーブルの上に置かれている羽根ペンをとって地図の中に更なる記号や文字を書き加えていく。

 テーブルの上には他にも多くの書類や幾つもの薬瓶や革袋なども置かれており、ニグンがいかにあらゆることに関わり管理しているかが分かるものになっていた。

 正に地獄のような忙しさ。これまで経験したことがないほどの多忙さに、しかしニグンは疲労といったバッドステータスがなく飲食や睡眠が不要である悪魔となった身体をフルで活用して対応していた。

 ナザリックのシモベであれば当然の献身。

 しかしニグンは最初からナザリックのシモベだったわけではなく、いくら忠誠を誓っているとはいえ、ここまで骨身を惜しまず働くなど疑問に思う者もいるかもしれない。

 勿論ニグンがここまで働く最大の理由はウルベルト・アレイン・オードル、モモンガ、ペロロンチーノの三柱の新たな神への忠誠ゆえだ。しかしここまで一時の休憩すら取らずに働く理由は他にもあった。

 それは人間であった頃の心の名残り。法国というかつての故郷、かつての大切だったモノに対する想い。

 もはやかつての人間至上主義を掲げるある意味閉鎖的で無機質な美しさと厳格さを取り戻させることはできないが、せめてこの手で新たな秩序をもたらし、違う安寧と慈悲をこの地に齎したいと願う。

 そのための至高の神たちからの温情と慈悲も既に賜り、許可を得ている。なればこそ後は自分が行動するのみなのだ。

 次はどこに着手すれば効率よく復興を進められるか……と思考を巡らせる中、不意に背後から再び声をかけられてニグンは地図から顔を上げて振り返った。

 視線の先にいたのは見覚えのある女のエルフで、数秒見つめた後、戦時中からよく報告や嘆願を伝えに来るエルフであることを思い出した。

 

「……お前は、確か…メリサ・ルノ=プールだったか」

「……!! は、はい! 覚えて頂けて恐縮です!」

「お前が来たということは、中央地点に関しての報告か。何か問題でも?」

「い、いえ、その、神都の中央にある塔の地下を探索していたところ、新たな隠し扉を発見いたしました。ご命令の中にこの扉の存在はなかったので、念のため報告に参りました」

「隠し扉……? ……ふむ、最高神官長クラスの者しか知らない秘匿の場所かもしれないな……。その扉の先には未だ誰も入っていないか?」

「は、はい……あの、念のため、まだ誰も入っていません……。御許可をいただいてから、中を探索しようかと……」

「その判断は正しい。扉の先に何があるか分からないからな、よくやった」

「あ、ありがとうございます……!」

「引き続き、その扉の中には入らずに他の場所を探索しておけ。その扉の中については、後ほど我々の方で探索しておく」

 

 メリサに指示を出し、地図に今回発覚した扉の存在を書き込む。

 これ以上の指示はないと判断したのだろうメリサが一礼と共に下がろうとする中、不意に頭に何かが繋がったような感覚に襲われてニグンは思わずピクッと小さく肩を跳ねさせてこめかみに指を添えた。

 突然のニグンの行動に驚いたのかメリサが動きを止めてこちらを凝視してくるが、ニグンはそれに構うことなく未だ慣れない感覚に意識を集中させた。

 

『――……ニグン、今話をしても大丈夫かね?』

「これは……ウルベルト様。はい、問題ありません。何かありましたでしょうか?」

『一応報告をと思ってね。近々そちらに漆黒聖典の番外席次だったアンティリーネ・ヘラン・フーシェが“アインズ・ウール・ゴウン”の一員として向かう。お前の下で上手く使うが良い』

「はっ!?」

 

 ウルベルトからの思わぬ言葉に、ニグンは思わず素っ頓狂な声を上げていた。

 

「お、お待ちをっ!! そのようなことを仰られましても、何かあった時に私では番外席次を抑えることができません!!」

 

 悪魔となり、またウルベルトから至高の宝たちを賜ったおかげで、ニグンは人間だった頃に比べると数段強くなっている。しかしそれでも口惜しいことではあるが、ニグンでは漆黒聖典の番外席次を抑えることはできないだろう。何かあった時に番外席次を抑えることができるのは、ナザリックでも階層守護者くらいではないだろうか。

 未だ完全に信用できない人物をこのような場所に出す危険性を至高の御方々であれば気が付かないわけがないというのに、何故このような指示が出るのか……。

 何事かとこちらを見つめているメリサに構う余裕もなく、ニグンは思わず身を乗り出して〈伝言(メッセージ)〉越しに言い募った。

 しかし返ってきたのは何とも和やかであっけらかんとした声音だった。

 

『その辺りは心配せずとも良い。アンティリーネの監視役としてシャルティアもそちらに向かう。何か少しでも不振な行動を起こせば、すぐにシャルティアが抑え込むから安心すると良い』

「し、しかし……」

『アンティリーネ・ヘラン・フーシェはその生い立ちや立場から、法国の機密情報にも精通している。情報を全て絞り出すことも重要だが、そちらの作業にも役に立つだろう。頼んだよ』

「………畏まりました」

 

 ここまで言われてしまえばこれ以上言い募ることもできず、ニグンは諦めて承知の言葉を返した。先ほどメリサから報告された謎の扉の存在もあり、確かに役に立つかもしれない……と腹をくくる。

 ニグンは〈伝言(メッセージ)〉が切れた感覚にこめかみに添えていた指をゆっくりと離すと、次には大きなため息を吐き出した。

 

「……あ、あの…大丈夫ですか? 何か問題でも……」

「……いや、何も問題はない。引き続き作業に注力しろ」

「わ、分かりました」

 

 不安そうな表情を浮かべて問いかけてくるメリサに頭を振り、作業に戻るよう指示を出す。メリサは未だ不安そうな表情を浮かべながらも一つ頷くと、深く頭を下げてから踵を返して都市の奥へと戻っていった。

 遠ざかっていく華奢な背を暫く見送り、ニグンは再び地図に視線を向ける。

 頭では番外席次という新たな問題について考え込みながら、ニグンは再び大きなため息を吐くのだった。

 

 




時折、ウルベルトさんの人間としての思考と悪魔としての思考に関してコメント(質問?)を頂くので、遅ればせながら今回当小説でのウルベルトさんの思考や価値観などについて書いてみました!
原作のモモンガさん同様、人間からの異形化で結構歪んでる感じですね(汗)


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第87話 “アインズ・ウール・ゴウン”

こちらも漸く続きを更新!
長らくお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした(土下座)

今回は『皇帝一行のナザリック訪問』になります!
漸くここまで来たって感じですね……。


 リ・エスティーゼ王国領内の草原に四台もの豪奢な馬車が疾走している。

 艶やかな光沢を発する黒塗りに金の装飾が施された車体は草原でも滑らかに走り、車体を引くのはスレイプニルという巨大な魔馬。馬車の周囲には二十を超える騎馬が並走しており、その様は遠目から見てもとても物々しい。

 一目でただの商人や貴族の一団ではないと分かるその迫力と威圧感に、野盗どころか魔物も近づこうとはしなかった。

 滑らかな動きながらも猛スピードで駆ける四台の馬車の内、先頭から二番目の馬車の中では四人の男たちが顔を突き合わせてこれからのことを話し合っていた。

 

 

 

「――………しかし、まさかこんなに早く出発することになるとは思わなかったな。エ・ランテルにいるっていう異形に接触でもしたのかい?」

 

 馬車に乗っているのは白髪の男と長い髭を持つ老人と金髪の男二人。

 その内の一人であり、いつもの漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏ったバジウッド・ペシュメルが自身の隣に座っている白髪の男――レオナール・グラン・ネーグルに問いかける。

 レオナールは金色の瞳をバジウッドに向けると、端整な顔に小さな苦笑を浮かべて首を傾げてみせた。

 

「恐らくそうでしょうね。先日お伝えしたように、先方への接触はリーリエとレインに任せています。私とアインズは友人同士ですし同朋でもあります。シモベたちも顔見知りのモノが多いですから、恐らくそれで話が早く進んだのでしょう」

 

 レオナールの説明に、この場にいる全員が納得の表情と共に一つ頷く。

 確かに知り合い同士ならば話は早く進むだろう。相手が何処の誰か調べる必要はなく、――互いの関係が良好なものであるならば特に――話す内容の信憑性を調査する必要性も薄れる。加えて悪魔だった頃のレオナールと骸骨の異形はただの友人同士という訳ではなく、同じ組織のメンバーであり同朋だという話だったため、その納得感も大きかった。

 

「確か、骸骨の異形……アインズ殿とは同じ組織のメンバーだという話だったな」

「ええ、“アインズ・ウール・ゴウン”という異形たちの組織です。アインズを長とし、多くの異形がその組織に集っていました。そして我々の下にも多くの異形たちがシモベとして付き従ってくれています」

「……そのシモベの内の二人が、リーリエ殿とレイン殿であると……」

「そうです。そして、アインズがカッツェ平野に姿を現した際に供にいたアルベドもまた、我々“アインズ・ウール・ゴウン”に仕えてくれているシモベの一人です」

 

 肯定の言葉と共に更なる情報も付け加えられ、馬車に乗っているもう一人の金髪の青年――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは分かってはいても背筋に冷たいものが走るのを止められなかった。

 強大な力を持つ異形たちが寄り集まり、一つの巨大な組織を作り上げているという事実。

 それがいかに人間にとって脅威となるのか分からぬ者など今この場には誰一人としていなかった。

 

「“アインズ・ウール・ゴウン”はもともと、人間や天使といった……あなた方からすれば善といえる存在たちによって迫害され、虐殺され、搾取され続けてきた異形たちが自衛のために寄り集まり、立ち上げた組織です。また“アインズ・ウール・ゴウン”のシモベたちは全てが組織の創立者たちを至高の御方であると崇め、敬服しています。あなた方からすれば異形は恐怖と嫌悪の対象かもしれませんが、くれぐれもナザリックの中ではそういった感情は面に出さないようにしてください」

 

 レオナールからの忠告に、この場にいる誰もが表情を緊張に強張らせながら大きく頷く。

 しかし何度聞いても、一つの魔法で十六万もの人間を殺し尽した骸骨の異形が昔は迫害され搾取される側だったとはとても信じられなかった。レオナールにしても、その実力は相当なもので、彼を虐げることができた存在がいたなど到底信じられない。

 帝国でレオナールを上回る力を持つ者がいるとすれば、それは闘技場の武王かフールーダくらいしかいないだろう。いや、闘技場での勝敗がレオナールの思惑によって齎されたものであったのなら、武王はレオナールには勝てず、もはやフールーダくらいしかレオナールに太刀打ちできないのかもしれない。

 バジウッドもジルクニフと同じことを思ったのだろう、一つ大きな息を吐き出すと、いつもの太々しい笑みを浮かべて小さく肩を竦めた。

 

「しっかし、何度聞いても、お前やあの骸骨の異形が虐げられる側だったとは信じられねぇな。あの骸骨は特に、敵う奴なんていないだろう」

「誰しもが最初から強いわけではないということです。私も、そしてアインズや他の“アインズ・ウール・ゴウン”のメンバーも、最初はとても弱い存在でした。しかし殺されないために互いに手を取り合い、助け合いながら知識や力を求め、努力を重ねて今の力を手に入れたのです。どんなに英雄と称される人物であっても、赤子の頃から強い人はいないでしょう?」

「まぁ、それはそうなんだが……。てか、骸骨や悪魔にも赤ん坊だった頃とかあるのか?」

「そう、ですね……、悪魔であれば赤子の頃があるモノもいるかもしれませんが……。私が言いたいのは、悪魔でもアンデッドでも生まれた時から強力な力を有しているモノは少ないということですよ」

 

 バジウッドの軽口からの質問にもレオナールは苦笑を浮かべながらも律儀に答えている。そんな礼儀正しさや気遣いができるレオナールの本性が悪魔であるというのもジルクニフとしては未だに信じられないものだった。

 しかし、もはやそれに関しては口にするのも憚られた。

 代わりにもう一つ疑問に思っていることを聞いてみようと、ジルクニフはレオナールに向けて少しだけ身を乗り出した。

 

「確か“アインズ・ウール・ゴウン”の創立者は三人いると言っていたな。悪魔である君と、アインズなる骸骨のアンデッド……そしてもう一体の創立者。今回、その三人目の創立者とは会えないだろうとのことだが、何か理由でもあるのだろうか? 一体どういった異形なのかも含めて教えてくれないか?」

「残り一体の創立者はペロロンチーノという鳥人(バードマン)です。彼も割と話の分かる分類には入ると思いますが……、今はどこにいるのやら……。アインズならば何か知っているとは思いますが、今まで自身のことすら忘れていた私では、彼が今どうしているかまでは分かりません」

「普通に一緒にいるんじゃねぇのか?」

「いえ、カッツェ平野の時にアインズと共に姿を現していない以上、共にいるとは考え辛い。恐らく今はどこか違う場所にいるのでしょう」

「……そうか……」

 

 レオナールの答えに納得はしたものの、やはり残念という思いが湧き上がってくる。

 何かに対峙する際、事前に対する存在の情報をいかに多く入手できているかが今後の命運に大きな影響を与えてくる。

 骸骨の異形やレオナールと肩を並べる存在なのだ、そのペロロンチーノという異形も間違いなく相当な力を持っているのだろう。であれば、こちらとしてはどういった態度で彼らと接し、どの程度の距離感をもって交流をしていくべきなのか見極めることが重要になってくる。

 人間をどう思っているのか、これから何をしようとしているのか、本当にレオナールの言う通り友好的な関係を築けるのか。何か弱みや付け入る隙はないか、少しでもこちらが優位に立てる部分はないか、帝国が……人間が生き延びるためにはどういった行動をとるのが最善なのか……などなど。何を考え何を決断するにしても、情報は必要不可欠であり、決して多すぎるということはない。レオナールからどれだけ情報を得たとしても、湧き上がってくる不安は拭えなかった。

 

「確かアインズなる骸骨の異形はカッツェ平野で強力な未知の魔法を使用したという。ネーグル殿も骸骨の異形と同じ立場の悪魔だというなら、同じような魔法は使えるのですかな?」

 

 ジルクニフが湧き上がってくる不安を必死に抑え込んでいる中、不意に彼の隣に腰かけている老人――フールーダ・パラダインがレオナールに問いを投げかける。

 あまりにもフールーダらしい、彼の欲望丸出しの問いかけにジルクニフが思わず内心でため息を吐く中、レオナールは浮かべている苦笑を深めて小さく首を傾げた。

 

「正直に申し上げて、今の私では無理ですね。ですが“魂”と“肉体”を取り戻し、完全な状態に戻れば、私も同じ魔法を使うことは可能です」

「「……っ……!!?」」

「おおっ、本当ですかな!?」

 

 レオナールの思ってもみなかった言葉に、ジルクニフとバジウッドは驚愕に息を呑み、フールーダは目を見開いて興奮した声を上げた。

 ジルクニフは思わず立ち上がりそうになり、既の所で全身に力を込めてその衝動を抑え込んだ。

 声を荒げないように気を付けながら、しかしレオナールに向ける視線はどうしても険しいものになっていた。

 

「一体どういうことだ。そんな話は聞いていないぞ」

「そう、ですね……。言いそびれていたといいますか……パラダイン様に質問されるまで、私も失念しておりました。よく考えれば、完全体となった私自身についてももっと詳しくお話しするべきでしたね。申し訳ありません」

 

 責める言葉を止められなかったジルクニフに対し、レオナールは反論もせずに素直に頭を下げて謝罪してくる。どこまでも真摯なレオナールの態度に、ジルクニフは湧き上がっていた苛立ちや焦燥が急激に鎮まっていくのを感じた。

 よくよく考えてみれば、自分が知っていること全てを他人に話すというのは思っている以上に難しい。相手が何をどこまで知っているのか、相手の考えや知識を読み取れない以上、こちらから全てを察して情報を漏れなく伝えるというのは不可能だ。ジルクニフも完全体となったレオナールの力についてはある程度質問をして答えてもらってはいたが、実際にどこまでの魔法が使えるかなどまでは聞くのを失念していた。これでレオナールに対して『何故教えてくれなかったのか』と怒るのは筋違いなように思われた。

 

「………いや、こちらこそ申し訳ない。私自身、爺が質問するまでそのことについて思いつかなかった。この件で君を責めるのは間違っていたな」

 

 一つ大きく息を吐いて最後に残った心の騒めきも落ち着かせると、未だ頭を下げているレオナールに声をかけて頭を上げさせた。

 そんな中、不意に外から声をかけられ、反射的に車内にいる全員が声が聞こえてきた方に顔を向けた。

 

『――……陛下、間もなく目的地に到着します!』

「分かった! 目的地に到着するまで……いや、到着した後も警戒を怠るなと全員に伝えておけ」

『はっ!』

 

 ジルクニフの言葉に、外にいた兵がハキハキとした声音で承知の言葉を発する。

 ジルクニフは一つ小さな息を吐くと、改めて車内にいる面々に視線を巡らせた。落ち着いた様子の三人の表情を順々に見やり、最後に正面に座っているレオナールを真っ直ぐ見つめる。

 レオナールもまた金色の瞳を真っ直ぐジルクニフに向けており、瞳の奥には内心ひどく緊張しているジルクニフを落ち着かせるような柔らかな光を宿していた。

 

「……もうすぐ目的地に到着する。上手く事が進むよう任せたぞ、ネーグル殿」

「はい、お任せください」

 

 一切躊躇いも臆した様子もなく頷いてくるレオナールに、ジルクニフはもう一度だけ小さな息を吐き出す。

 次にはグッと両手を握り締めると、背筋を伸ばして気を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に到着し、馬車から降りたジルクニフたちを待っていたのは幾つもの霊廟が立ち並ぶ閑散とした景色だった。

 しかしその場に待機し、ジルクニフたちを出迎えたモノたちは、見たことのない異形のメイドと、この寂れた景色には似つかわしくないほどの可憐な美少女たちだった。

 

「良くお戻りくださいました、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

「「「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様!」」」

「そして、よくお越しくださいましたわん、バハルス帝国の皆様」

 

 先頭に立って傅き頭を下げているのは犬の顔をした一人のメイド。彼女の背後には人間の美少女の姿をしたメイドたちが同じように傅き、恭しく頭を下げている。また、彼女たちの隣にはリーリエとレインの姿もあり、彼らも同じように傅き頭を下げていた。

 

「出迎え、ありがとう。こうして再びみんなに会えたこと、私も嬉しく思うよ。さあ、早く頭を上げて立ってくれ。私に君たちの姿をきちんと見せておくれ」

 

 レオナールに促され、メイドたちは嬉々とした様子で頬を赤く染めながら顔を上げて立ち上がる。

 全身から喜びを溢れさせながら、しかしその動作は全てが優雅で洗練としており、彼女たちがどれだけ素晴らしいメイドであるかが見てとれた。

 

「リーリエとレインもご苦労だったね」

「いいえ、とんでもございません」

「ペストーニャ、アインズは玉座の間か?」

「はい、各階層守護者の皆様や十階層のシモベたちと共に玉座の間でウルベルト様のご帰還を心待ちにしていらっしゃいますわん」

「そうか。では案内を頼めるかい? バハルス帝国の皆さんもお連れするから、彼らのレベルに合わせた安全な道で頼む」

「畏まりました、わん」

 

 レオナールの指示に、ペストーニャと呼ばれた犬頭のメイドが再び恭しく頭を下げる。

 先ほどレオナールが口にした『バハルス帝国の者たちに合わせた安全な道』という言葉がどうにも気になったが、ジルクニフはそれについては敢えて何も聞かないことにした。代わりに他のことを問うために数歩前に進み出て口を開いた。

 

「お初にお目にかかる。私はバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスという。あなた方からの歓迎と道案内に感謝する」

「それには及びませんわん。皆様をご案内することはアインズ様より命じられておりますので」

「では、その方に感謝を伝えよう。しかし、全員でぞろぞろとお邪魔しては申し訳ない。何人かはこの場に待機させたいと思うのだが、宜しいだろうか?」

 

 今回のジルクニフたち一行の人員は、ジルクニフ本人と彼の秘書官一名、四騎士の三名、フールーダ・パラダインとその弟子である魔法詠唱者(マジックキャスター)が五名。そして彼らを守るための帝国近衛が二十五騎と、今までずっと上空を不可視化の状態で飛んでいた皇室空護兵団二十騎の総勢五十六名という大所帯だった。

 馬車の周辺に視線を向ければ、馬の世話や周囲を警戒している近衛と、不可視化のベールを取り去り騎乗している鷲馬(ヒポグリフ)と共に地上に降り立つ皇室空護兵団十騎の姿が見てとれた。恐らく皇室空護兵団の残りの十騎は未だ上空を旋回しながら周囲を警戒しているのだろう。

 彼ら全員を同行させるのは流石に多すぎるし、たとえここがナザリックの敷地内だとしても……いや、ナザリックの敷地内だからこそ、馬車の警護を皆無にするわけにはいかない。

 

「畏まりました。それでは、この場に残られる方々につきましては、こちらでおもてなしさせて頂きますわん。リュミエール、シクスス」

「「はい」」

「あなたたちはこの場に残ってバハルス帝国の皆様の給仕を行いなさい」

「「畏まりました」」

 

 ペストーニャの声かけによって前に進み出てきたのは二人の可憐なメイド。

 どちらも美しい長い金色の髪を背に流しており、しかし一方はそれに加えて金色の髪に星のような不思議な光を宿していた。目元には珍しい赤縁の飾り――眼鏡――を付けており、全体的に清廉とした雰囲気を纏っている。

 とはいえもう一方のメイドが劣っているというわけでは勿論なく、シクススと呼ばれたメイドの方は非常に愛嬌のある目鼻立ちをしており、どこか見る者の庇護欲をかり立てるような魅力を纏わせていた。

 今回は帝国が誇る近衛と皇室空護兵団が相手であるため大丈夫であろうが、相手が下世話な連中であった場合、無体を強いられてしまうのではないかと非常に心配になってしまうほどの魅力的なメイドたちだ。

 しかし彼女たちはそんな皇帝の思考に気が付くことなく、優雅な一礼と共に馬車の方に踵を返していった。

 

「それでは参りましょう。ご案内いたします、わん」

 

 少しの間去っていくメイド二人の背を見送った後、再び声をかけられて犬頭のメイドに目を向ける。

 メイドたちは一際大きな霊廟まで歩み寄ると、非常に厳かな手つきで大きな両開きの扉を引き開けた。

 

「「「……っ!!?」」」

 

 瞬間、目に飛び込んできた光景に、ジルクニフを初めとする帝国の者たちは全員驚愕の表情と共に息を呑んだ。

 開かれた霊廟の扉の奥に存在したのは、巨大な渦を巻く闇。

 ただ深い暗闇が広がっているのではなく、正に物質的な闇の壁が渦を巻きながら存在していた。

 

「ここから玉座の間がある十階層に移動することができます。どうぞ」

 

 ペストーニャが催促の言葉と共に躊躇いなく闇の中へと入っていく。続いて可憐なメイドたちもその後に続き、次から次へとその姿が見えなくなっていった。

 どう考えても地獄に通じているとしか思えない闇の入り口に、無意識に大きく喉が鳴る。

 しかし“進まない”という選択肢などある筈もなく、ジルクニフは咄嗟にすぐ傍に立つレオナールに視線を向けた。

 レオナールはこちらの視線に気が付くと、静かに振り返って大きく頷いてくる。

 続いて再び闇の方に視線を戻すと、大きく足を踏み出して闇の渦に歩み寄っていった。躊躇いなく歩を進めるレオナールに、ジルクニフも覚悟を決めて一歩大きく足を踏み出す。そのまま闇の中に消えていくレオナールの背を追いかけて、ジルクニフも勢いよく闇の中に身を乗り出した。

 瞬間、闇に触れた全身は何も感じず、気が付けばジルクニフは先ほどとは一変した場所に立っていた。

 背後からはフールーダたちの気配と驚愕に息を呑む音が小さく聞こえてくる。

 振り返らなくとも分かる彼らの心情に、ジルクニフは内心で同意しながら感嘆にも似た息を小さく吐き出していた。

 ジルクニフたちの目の前に広がっているのは厳かな空気が漂う廊下。頭上高く広がる天井と、左右の壁に等間隔で並び立っている石像。壁自体には絵画などは飾られてはいないものの、それでも細かな装飾はされており、この場にいる全ての者を圧倒する。

 そして歩を進めた先に現れたのは、見上げるほどに大きな重厚感ある扉。

 犬頭のメイドと可憐な少女のメイドたちが両脇に寄ってこちらに頭を下げる中、目の前の扉が地響きのような音と共にひとりでに口を開いた。

 

「「「……っ!!」」」

 

 瞬間、複数の息を呑む音と共に身構えるような気配が微かに背後から感じ取れた。

 しかしそれも仕方がないことだろう。

 ジルクニフたちが見つめる扉の先にいたのは、溢れんばかりの多くの異形たち。しかも、その一体一体全てが強烈な存在感を放っている。もしかしなくとも、ここにいる異形たちは全て、一体だけで大きな都市一つを簡単に滅ぼすことができるほどの力を有しているのかもしれない。

 ジルクニフは無意識にゴクッと大きく生唾を飲み込むと、素早く扉の中の部屋に視線を走らせた。

 多く犇めく異形たちに遮られて見えない部分は多々あれど、この部屋がどれだけ広く豪奢であるかは見てとれる。雰囲気的に、ここが犬頭のメイドが言っていた玉座の間で間違いないのだろう。

 となれば目的の人物はこの部屋の奥におり、必然的に自分たちはこの異形たちの中を進んでいかなければならないことになる。

 勿論、現在の自分たちの立場を考えれば、異形たちが自分たちに襲い掛かってくるとは考えづらい。しかしそれでも、部屋の中に足を踏み入れることさえ非常に大きな覚悟と勇気を必要とした。

 本能的な恐怖に支配され、全身から冷や汗が噴き出して硬直する。緊張のあまり強い吐き気が込み上げてくる中、ジルクニフは強く拳を握り締めて必死にそれに耐えた。このまま突っ立っている訳にはいかず、勇気を振り絞って何とか足を動かして一歩を踏み出そうとした。

 しかしその瞬間、目の前に見慣れた背が映り込み、ジルクニフは驚愕と共に咄嗟に全身の動きを止めた。

 目の前に立ったのは、今まで傍らにいたレオナール。

 まるで背に庇うように彼が目の前に立ったことで、ジルクニフは急激に胸の内から大きな安堵が込み上げて全身に広がっていくのを感じた。緊張と恐怖に強張っていた全身が徐々に緩んでいき、冷えていた全身に温度が戻ってくる。

 レオナールが自分の前に立ってくれただけで、どうしてこんなにも心強く思い、安堵するのか……。

 冷や汗に濡れる拳の力を緩めながら、ジルクニフはレオナールの存在の大きさを強く実感した。

 そんなジルクニフの様子に気が付いているのかいないのか、こちらを一切振り向こうとしないレオナールはその金色の瞳でこの場にいる全ての異形たちをグルっと見渡す。

 瞬間、まるでその視線に応えるかのようにこの場にいる全ての異形たちが一糸乱れぬ動きでその場に傅き頭を垂れた。

 異形たちの突然の行動と迫力に、ジルクニフたちは思わず呆気にとられて目を見開いてしまう。

 しかしレオナールは少しも感情を乱した様子もなく、どこまでも優雅な動きで部屋の奥へと一歩足を踏み出した。徐々に遠ざかっていくレオナールの背に、ジルクニフもまた内心慌てて――それでも周りには悟られないように堂々とした足取りで――彼の背を追って足を踏み出す。背後からも自分に付き従うフールーダたちの気配が感じ取れて、ジルクニフは内心で再び安堵の息を吐いた。

 レオナールが前に出てくれたおかげで、自分は勿論のこと、他の者たちも全員が気を取り直すことができた。ある程度の余裕もでき、ジルクニフは視線のみで不躾にならない程度に周りを見回した。

 ジルクニフが思った通り、ここは正に異形たちの王が座する玉座の間……いや、邪悪な神が座する場所だった。

 足元には手触りが非常に良いだろう真紅の絨毯が敷かれており、頭上には巨大なシャンデリアが吊るされ微かな光にもキラキラと輝いている。天井からは一つとして同じもののない紋章が描かれた複数の布が垂れ下がっており、この部屋の異質さを強調しているようだった。

 そして前方にあるのは巨大で豪奢な三つの玉座。

 三つという数からして、恐らくレオナールの言っていた“アインズ・ウール・ゴウン”の創立者である三人の異形が座する場所なのだろう。その証拠に、中心に置かれている玉座にのみ骸骨の異形が堂々と腰かけていた。玉座の左右には側近であろうモノたちが並び立ち、じっとこちらを観察するように見つめている。

 ジルクニフたちが玉座から五メートルほどの場所で立ち止まったその時、玉座に腰かけていた骸骨の異形がバッと勢いよく立ち上がった。

 

「おおっ、ウルベルト! 本当に、目覚めていたとは!!」

 

 パカッと開かれた骨の口から響いてきたのは低く威厳のある声。不可思議にエフェクトがかかっているわけでもなければ奇怪な音が混ざっているわけでもない、人間と同じような至って普通の声。

 しかしそれが逆に不気味に思えて、ジルクニフはゾクッと背筋を震わせた。

 表情は骸骨であるため変わらないものの大きな喜色を帯びた声音に、レオナールも柔らかな微笑を浮かべて一歩玉座へ歩み寄った。

 

「久しぶりだね、アインズ。私もこんな風に再び会うことになるとは思っていなかったが、それでも、また君に会えて嬉しいよ。君には本当に心配をかけてしまったようで申し訳ない」

「何を言うのだ! お前は私の大切な友人、心配するのは当然のことだ。………それで、彼らが?」

「ああ、バハルス帝国の方々だ」

 

 骸骨から眼窩の闇に揺らめく深紅の光を向けられ、反射的に強い緊張が全身を走り抜ける。

 しかしジルクニフは引き攣りそうになる表情筋を何とか動かして柔らかな笑みを作ると、優雅な動きで一礼してみせた。

 

「初めまして、アインズ殿。私はバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスという。まずはあなた方に会えたことに対する喜びと共に、ここに招いていただいたことに感謝する」

「………初めまして、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿。貴殿が私の大切な友人を保護してくれたと聞いている。こちらこそ、感謝の意を示そう」

「いや、保護という訳では……。むしろ、恥ずかしながら我々の方があなたの友人に力を貸してもらっている状態なのだ」

「なるほど。どうやらウルベルトと親しくしているというのは本当だったらしい。ならば、我らとも友好的な付き合いができるかもしれないな」

 

 感情を抑えてでもいるのか、やけに抑揚の少ない――まるで棒読みのような――骸骨の声音に、ジルクニフは再び恐怖と緊張に襲われて全身から冷や汗を溢れさせる。

 果たして本当に大丈夫なのかと焦燥にも似た感情を湧き上がらせる中、不意に玉座の傍らに立っていた絶世の美女が一歩こちらに進み出てきた。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様。至高の御方のご帰還を心よりお喜び申し上げます」

「ああ、アルベド、ありがとう。カッツェ平野では私を見つけて声をかけてくれたのに、あのようなことを言ってしまって、すまなかったね」

 

 優雅に一礼する美女に、レオナールが朗らかに声をかける。

 レオナールの口から飛び出した言葉と名前に、ジルクニフは思わず内心で大きく息を呑んだ。

 “アルベド”という名は、カッツェ平野での戦の話の際に出てきた名前だ。であれば、この絶世の美女がカッツェ平野にいたという漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った女戦士だというのか。

 勿論、力量と容姿は全く関係ないものであることはジルクニフとて理解している。しかしそれでも、まるで聖女のような麗しい美女が漆黒の鎧を身に纏い巨大な斧を振り回すなど想像することすら難しかった。

 

「そういえばペロロンチーノはどこに? カッツェ平野の時にも見当たらなかったし……、側近たちも何人かいないようだが……」

 

 玉座の傍らに控えるように立っているモノたちを見やり、レオナールが不思議そうに小首を傾げる。

 しかしジルクニフはその言葉を聞いて思わずギョッと目を見開いた。

 側近と思われる存在は先ほどのアルベドという美女を含めて四名。その数だけでも脅威だというのに、まだ側近級の異形が何体もいるというのか……と血の気が引く。

 しかしレオナールも骸骨の異形もこちらの様子には気が付いていない様子で話しを進めていた。

 

「ああ、実はシモベの何割かはお前の“肉体”と行動を共にするために出て行ってしまったのだ。ペロロンチーノと他の側近の何名かはお前の“肉体”の行方を調べている。“魂”の方は既に我が手中にある。今は“肉体”と行動を共にしているシモベたちとも連絡が取れないためどこにいるかは分からないが、もし居場所を見つけることができれば、お前を完全体に戻すことができるだろう」

「なるほど……。アインズ、実はそのことについて君に相談があるんだ。……陛下」

 

 不意にレオナールに呼ばれ、視線のみで促される。

 ジルクニフは『ここが正念場だ……』と自身に活を入れると、覚悟を決めるように小さく胸を張って数歩前に進み出た。

 

「実はこの度こちらに赴いたのは、貴殿に一つの頼みと提案をしたかったからなのだ」

「ほう、お願いと提案か……」

「まず提案というのが、貴殿たちと国同士の同盟関係を築きたいというものだ。リ・エスティーゼのエ・ランテルとカッツェ平野が貴殿たちへ割譲されるという話は既に我々も耳にしている。貴殿のような素晴らしい人物が国を持つというのは当然のことであると思うし、我々もでき得る限りそれに協力したいと考えているんだ」

「ふむ……、そちらに利があるとは思えないが……」

「そんなことはないとも。同盟関係を結ぶということは、貴殿たちと友好的な関係を築いていくということだ。それは我が国の未来にとっても、そして私個人にとっても非常に利があることだと考えている。それに、何より貴殿は私が信頼を寄せているレオナール・グラン・ネーグル殿の友人だ。たとえ利にならずとも、できる限り力を貸したいと思うのは当然のことだと思わないかね?」

「ふむ、確かに嬉しい申し出ではあるが……。もう一つ、頼みたいことがあると言っていたな。それは何かな?」

 

 アインズに問いかけられ、一気に強い緊張が全身を走り抜ける。

 思わずひどく乾いた喉を小さく動かすと、ジルクニフは柔らかな笑みを何とか維持したまま少しだけ身を乗り出した。

 

「先ほど貴殿も口にしていた、ネーグル殿の“肉体”についてだ」

「ほう……。ウルベルト、全て彼らに話しているのか?」

「ええ。私が悪魔であることも、スレイン法国によって封印されていたことも、全て説明済みだ」

「ふむ……」

 

 レオナールの答えを受け、骸骨が探るように眼窩の灯りをジルクニフに向けてくる。

 ジルクニフは全身に何度も走る骸骨からの視線に必死に耐えながら、強張りそうになる唇を何とか動かした。

 

「悪魔の“肉体”が完全体に戻ろうと、“精神”を探して帝国を襲撃しにくる可能性があることもネーグル殿から既に聞いている。そして穏便に事が進まない可能性の方が高いことも聞かされた」

「確かに。悪魔の“肉体”はウルベルトの“精神”が宿っていないが故に、悪魔としての本能に呑まれやすい。ある程度は“精神”と同じ行動をとるだろうが、それも完全体に戻るためならば本能のままに暴れる可能性の方が高いだろう」

「その通りだ。そしてそうなった時、どれだけ被害が出るか分からない。悪魔の“肉体”から我が国を守るために、貴殿の力を貸してほしいというのが私からの頼みだ」

 

 微笑みを張り付けていた顔に真剣な表情を張り替えて、じっと真っ直ぐに骸骨を見つめる。

 骸骨も真っ直ぐに眼窩の灯りをジルクニフに向け、何事かを考え込むように骨の指先を骨の顎に添えた。

 暫く無言で黙り込む骸骨に、レオナールが小さく眉尻を下げながら助け舟を出すように口を開いた。

 

「建国するにも、建国した後も、味方の国があるのとないのとでは大きな差が出てくるだろう。それに悪魔の“肉体”もいつどこに出現するか分からない。私としては、彼らと手を結んでも良いと思うがね」

「……本当に我々と友好的な関係を築いていけると?」

「少なくとも彼らは私が悪魔であることを受け入れてくれた。帝国の闘技場には武王という亜人の戦士もいて尊敬を集めている。すぐに帝国の全員が我らを受け入れることは難しいだろうが、きちんと段取りを踏めば不可能ではないと思うよ」

 

 レオナールの言葉に、骸骨が再び考え込むような素振りを見せる。

 ジルクニフは静かにそれらを見つめながら、先ほどのレオナールの言葉が自分の心にも大きく突き刺さったのを感じた。

 確かにバハルス帝国の闘技場では亜人が武王として活躍しており、帝国の民たちも自分たちも嫌悪することなくそれを受け入れている。またジルクニフの近辺で言えば――亜人や異形ではないものの――呪いを受けて顔の右半分が醜い容姿となっているレイナース・ロックブルズが四騎士の一人として仕えている。他者からすればレイナースの容姿や存在は嫌悪の対象になるだろうが、ジルクニフも他の四騎士のメンバーも秘書官たちも気にすることなく彼女を受け入れている。

 しかし、それは何も人間以外の存在自体に寛容的だという訳ではない。

 何故亜人である武王や呪いを受けているレイナースを受け入れているのかと問われれば、一つは武王やレイナースが強力な力を有しており、廃するよりも自分たちの味方として取り込んだ方が利になるため。そしてもう一つは、もし武王やレイナースが自分たちを害そうとしたとしても、自分たちには最終的には彼ら彼女らを無害化する術を持っているためだった。

 そのため、自分たちは武王やレイナースをそこまで危険視せず、受け入れることができている。

 ならば、これがレオナールや“サバト・レガロ”、目の前にいる“アインズ・ウール・ゴウン”であればどうだろうか。

 まず、もし彼らをこちらの味方に引き込めるのであれば、これほど心強いことはないだろう。単純な力もそうだが、これだけの立派な建築物を所有しているのだ、自分たちにはない豊富な知識も有しているかもしれない。しかしそもそもの話、“彼らが自分たちにとって害になるか否か”については未だ判断が難しい。また、“彼らが自分たちに敵対行動をとった場合、抗することができるか”という部分に関しては“否”と判断せざるを得なかった。

 だからこそ、彼らに対しては未だ警戒する必要がある。彼らを心の底から受け入れることなど土台無理な話だった。

 しかしそう思う一方で、全てはレオナール・グラン・ネーグルがカギとなることをジルクニフは今ヒシヒシと感じていた。

 レオナール・グラン・ネーグルと“サバト・レガロ”と“アインズ・ウール・ゴウン”の中でジルクニフが一番信頼できるのはレオナール・グラン・ネーグルだ。“サバト・レガロ”自体も、これまでのリーリエやレインの言動を見る限りではレオナールに逆らうことは決してないだろう。そしてレオナールがこの“アインズ・ウール・ゴウン”の創立者の一人であり、この骸骨の異形と肩を並べられるほどの実力者ならば、たとえ“アインズ・ウール・ゴウン”が敵対してきたとしてもレオナールがいれば光明が見えてくるはずだ。

 異形に抗するために悪魔を味方につけなければならないという事実と、悪魔であるはずのレオナールに縋るしかないという現実。

 何より、悪魔であるレオナールを未だ信じきれていない一方で、『レオナールならば信じられるのではないか』と期待してしまっている自分の矛盾と歪さに、ジルクニフは内心で苦笑を浮かべた。

 そんな中、不意に聞こえてきた骸骨の声にジルクニフは自身の深い思考からハッと我に返った。

 

「――……良いだろう、こちらとしてもウルベルトと友好関係にある帝国が我らの同盟国となってくれるのであればとても喜ばしい」

「……っ! そ、それは良かった」

「しかし未だエ・ランテルの割譲はされておらず、建国もしていない状態だ。カッツェ平野の騒動は既に帝国にも伝わっているし、このまま即同盟を結んでは帝国の人々がひどく混乱するかもしれない。ここはまずは秘密裏に同盟を結び、親交を深め、期を見て同盟を結んでいたことを国民に知らせてはどうだろう?」

「そうだな、レオナールがそうした方が良いと言うのであればそのようにしよう。ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿はいかがか?」

「………私もそれで構わない。ネーグル殿、君の帝国国民への気遣いに感謝しよう」

 

 ジルクニフの感謝の言葉にレオナールが柔らかな微笑と共に一礼する。

 しかしすぐさま顔を上げると、レオナールは再びアインズとジルクニフを交互に見やった。

 

「それでは今後について話していきましょう。まずはアインズと陛下が許して下さるのなら、私が今後も“アインズ・ウール・ゴウン”とバハルス帝国の仲介役を務めましょう」

「それは……こちらとしては願ってもいないことだが、本当に良いのか?」

 

 ジルクニフとしても、レオナールが今後も“アインズ・ウール・ゴウン”との仲介役を担ってくれるのはとても心強く有り難い。レオナールが申し出てこなければ、こちらから依頼しようと考えていたほどだ。

 骸骨の異形も当然のように頷き、ジルクニフは内心で安堵の息を吐いた。

 

「ですが私一人だけで二国間の状況を全て把握し、取り決めや情報のすり合わせを行うのは難しい。そのため“アインズ・ウール・ゴウン”とバハルス帝国それぞれの代表として、もう一人ずつどなたかを選抜して頂きたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「なるほど、確かにバハルス側の全てをワーカーであるネーグル殿に任せるのも難しいな。それではこちらからは私の秘書官をその任に当たらせよう。ロウネ・ヴァミリネン」

「は、はいっ!」

 

 レオナールの言葉を受け、ジルクニフは今回同行していた秘書官の名を口に出す。

 ロウネはひどく緊張している様子ではあったが、しっかりとした返事と共にこちらに進み出てきた。

 一方アインズは興味深そうにロウネに眼窩の灯りを向けたまま骨の口を開いた。

 

「では、こちらはアルベドを出そう」

「畏まりました、アインズ様」

 

 骸骨の異形の言葉に従って絶世の美女が進み出たことでロウネが思わずといったように小さく息を呑む。進み出てきた絶世の美女は非常に魅力的な微笑を浮かべており、ロウネは反射的に頬を赤く染め、ジルクニフは内心で困惑の表情浮かべた。

 アインズという異形が何故この美女を指名したのか、その理由が分からなかった。

 先ほどのレオナールの言葉から考えるに、この美女は――いくらそう見えなくとも――凄腕の戦士なのだろう。カッツェ平野でアインズと共に現れ、今もアインズの傍らに控えるように立っていることから、もしかすれば護衛の役目も担っているのかもしれない。ならば、こういった国同士の取り組みやすり合わせなどは内政に携わる者を選ぶべきではないだろうか。それとも、このアルベドという美女は創立者の長の護衛であり戦士でありながら、内政も担う文官だというのだろうか。いくら異形だからと言って、果たしてそんな完璧な存在が本当にいるのだろうか。

 いや、武力や知略以前に、その美しい容姿でロウネを骨抜きにして意のままに操ろうと考えているのかもしれない。

 勿論ロウネのことは信頼しているし、色に呑まれるような軟弱者ではないということも知っている。

 しかし相手はこのアルベドである。ジルクニフ自身ですら何度も虜になりそうになる美女を前に、ジルクニフは自身の敗北と、骸骨の用意周到さに内心で苦々しい舌打ちを零した。

 とはいえ、こちらから“アインズ・ウール・ゴウン”の人選に口を挟むわけにはいかない。

 見つめ合うロウネとアルベドを前に、ジルクニフは笑みを張り付けたまま賛同するように頷くことしかできなかった。

 

「今日は良き日だ! ウルベルトの“魂”だけでなく“精神”も戻り、また未来の同盟者も生まれた! そうだ、折角だ、この良き日を祝って宴会を催そう。貴殿たちも出席しないかね?」

「……! い、いや、申し訳ないが今日はお暇させて頂こう。早く帰っていろいろと準備をしなければ」

「そうか、それは残念。ではまたの機会にするとしよう」

「そ、そうだね。……私もその日を楽しみにしているよ」

 

 本当にどこか残念そうに聞こえるアインズの声音がとてつもなく嘘臭く聞こえてしまう。

 レオナールには悪いが、まだまだこの骸骨に対しては警戒を解く訳にはいかない。

 ジルクニフは必死に柔らかな微笑を顔に貼り付けながら、早く帝国に戻れることだけを一心に願っていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……エ・ランテルとカッツェ平野とその周辺領土が全てアンデッドの国になるという話は本当なんでしょうか……」

 

 不安と焦燥に彩られた声音がガヤガヤと騒がしい空間に零れ落ちる。同じテーブルについてそれぞれ食事を口に運んでいた面々は顔を上げて声の主である少女を見やった。

 ここは竜王国のある都市にある酒場“蜜の月夜”亭。

 賑わいを見せる店内では国の危機など知らぬげに多くの人々が思い思いに朝の一時を過ごしている。

 そんな中で不意に零れ落ちたこの場に似つかわしくない少女の声音。

 同じように朝の一時を過ごしていた(シルバー)級冒険者チーム“クアエシトール”のメンバーは朝食をとる手を止めて声を発した少女ニニャを見やると、次には互いに顔を見合わせ、最後にはリーダーであるマエストロを見やった。

 一足先に朝食を終えていたマエストロはカップの紅茶を飲んでいる最中で、自身に集中するメンバーの視線に気が付いてゆっくりと口につけていたカップをそっと離してテーブルのソーサーに戻した。

 

「どうやら、その噂は本当のようです」

「……!! それじゃあ、カルネ村は!!」

 

 どこまでも静かなマエストロの声音に、途端にニニャが声を張り上げて椅子から立ち上がる。

 焦燥を露わに身を乗り出す彼女に、しかしその反応も当然のことだった。

 今回噂に出てきている地域の中には、彼女の姉が身を寄せているカルネ村も含まれている。噂が本当であるならば、姉のいるカルネ村もまたアンデッドの脅威に晒されるということなのだ。

 今にも姉の下に行かんとこの場を飛び出していきそうなニニャの様子に、しかし一切動じる様子のないマエストロがそれを止めた。

 

「ニニャさん、落ち着いて下さい。まだカルネ村が危険な状態に陥るとは限りません」

「そんな悠長なことを言っている場合じゃないです!! アンデッドが支配するんですよ!!?」

「確かに。ですが、アンデッドたちがもし恐怖と殺戮で領土を支配するつもりなら、最初から襲撃して支配していっているはず。ですが噂によれば、アンデッドたちはリ・エスティーゼ王国の王族と言葉を交わし、交渉でエ・ランテルとカッツェ平野周辺の領土を手に入れた。であれば、少なくともすぐには悲惨なことにはならないはずです」

 

 マエストロの言葉も一理ある。確かに自分たちの常識とは違う行動をとるアンデッドたちならば、悲惨な支配は行わないかもしれない。しかしそれはただの可能性でしかなく、まるで問題をはぐらかすかのようなマエストロの言葉にニニャは納得などできなかった。

 更に身を乗り出して声を上げようとした瞬間、まるでそれを遮るようにマエストロが軽く片手を上げてきた。

 

「とはいえ、これはただの私の予想に過ぎない。ツアレさんを心配に思うあなたの気持ちも分かります。ですので、この私がカルネ村の様子を見に行ってきましょう!」

「えっ!? マ、マエストロさんが…ですか……!?」

「ええ。本当にツアレさんが安全な状態なのか確認しなければニニャさんも安心できないでしょう? とはいえ、既にこの都市で幾つか任務を請け負っている以上、そちらを無視するわけにもいかない。ですので、皆さんはこのままこの地に残って任務にあたってください。その間に、私がカルネ村に行ってきます」

「いや、でも、それなら僕が……」

魔法詠唱者(マジックキャスター)の一人旅は危険ですよ。国境を超える長旅であれば尚更です。それに、この地での任務ではあなたの知識は貴重だ。あなたはここに残って二人をお願いします」

 

 マエストロの言葉に、ニニャの目が残り二人のチームメンバーに向けられる。

 今までずっと無言のままマエストロとニニャの会話を見守っていたブレインとブリタの姿に、ニニャの大きな瞳が迷うようにゆらりと揺らめいた。

 

「ご心配なく、必ずカルネ村まで行ってツアレさんの様子を確認してきます。どうせなら手紙も書いてもらってお届けしますよ」

 

 柔らかな声音はまるでこちらを労り落ち着かせるように響くも、しかし有無を言わせぬ響きも孕んでいる。

 ニニャは未だ小さな不満を胸の内に燻らせながら、しかしこれ以上彼を説得できる自信もなく渋々ながらも頷いた。

 大人しく再び椅子に腰かけるニニャを確認し、マエストロは次にブレインとブリタに顔を向けた。

 

「それでは善は急げと言いますし、私は明日の朝に出ることにします。今日は依頼のための準備をしていきましょう。この地での依頼はどれもビーストマン関連のものですし私もいないので、くれぐれも準備は怠らぬように」

「ビーストマン、かぁ……。リーダーがいなくて大丈夫かなぁ……」

 

 現在、竜王国はビーストマンの脅威に晒されている。人間をも喰らうビーストマンの国が隣にあるということもあり昔から警戒はしていたらしいが、最近になってビーストマンが大攻勢を仕掛けてきて既に三つの都市が落とされていた。今のところはアダマンタイト級冒険者を中心に何とかビーストマンを撃退してはいるが、数の差が圧倒的であるためビーストマンの侵攻自体を止めるには至っていない。そのため冒険者への依頼自体がビーストマン関連一色になっており、“クアエシトール”が請け負った任務もまたビーストマン関連のもので占められていた。

 ビーストマンは二足歩行をするライオンや虎などの姿をした亜人種で、その力は成人した人間の10倍にも匹敵する。

 今のブリタやニニャにとっては強敵であり、彼女が不安に思うのも当然のことだった。

 

「ブレインもいるので問題はないでしょう。ですが何が起こるか分からないのも事実。もし危険だと判断すれば迷わずに戦線離脱してください。大切なのは依頼遂行よりも全員が生き残ることですから」

「りょ~かい。死なない程度に頑張るよ」

 

 力なく眉を八の字に垂れ下げながらもブリタが笑みを浮かべて一つ頷く。

 彼女の向かい側ではブレインが無言のまま意味ありげな視線をマエストロに向けていたが、マエストロが『二人の事、任せましたからね』と念押しのように言うと、何故か諦めたようなため息を一つ吐いて一つ頷いた。

 そんな二人の意味不明なやり取りに、ニニャとブリタは疑問符を頭上に浮かべながら小さく首を傾げる。

 しかしマエストロはそれを無視すると、次には話しを打ち切るようにパンッと一つ手を打ち鳴らした。

 

「それでは、さっさと食べてしまいましょう。今日は忙しくなりますからね」

 

 マエストロの言葉に、ニニャたちは一つ頷いてそれぞれの目の前に置かれている朝食に再び向き合う。

 先ほどまでのゆったりとしたものから少し速度を上げて残りの朝食をかき込むと、さっさと席を立って店を後にした。

 

 



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