朱に交われば紅くなる【完結】 (9.21)
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本編
どこか似ていて


どうも、初めましての方は初めまして。
zeonneralです。
これから、どうぞよろしくお願いします。




 酷く無気力な人生だ。俺の人生を照らしてくれていた者たちを失い、俺の辞書から『やる気』だの『ひたむき』だのという言葉は消え失せた。部活などに精を出す連中を尻目に、俺は生産性のない毎日を送る。大体の人は、俺のことをだらしないと言うんだろう。

 いわば、俺の心のキャンバスは黒塗りだ。暗いトンネルの中を1人で迷い続けてる。光が届かないほどに真っ黒で、俺ですら出口を見出だせないほどに。外からどんな『色』が干渉してきても、全て掻き消してしまう。

 このキャンバスの色を塗り替えるとしたら……そうだな。1面を一瞬で塗り潰してしまうようなそんな出来事が起こるか、徐々にキャンバスの色を自分で変える事か。そう、無意識にその人の『色』で……。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 

「……ハァ」

 

 1枚、また1枚と花びらを散らす桜。生徒会室の窓からそれを見て、俺はつい溜め息をついてしまった。時期は4月の初めだから、もう間もなく桜の季節も終わるだろう。下を覗くと、式を終えたらしい1年生が体育館からゾロゾロと出てきた。

 今日はここ、沼津市立浦の星中学校の入学式。俺にとっては、もう2年前の話だ。特に感傷に浸る必要もないし、そんな気も起こらない。ただ、この入学式のせいでせっかくの休みが台無しになってる事への憤りはある。

 

「シンヤ、いきなりどうしたの? 溜め息は幸せを逃がしちゃうって、よく言うじゃない」

「お前と一緒にするな。この面倒な仕事に対して、だ」

「んもぅ、相変わらずしょっぱい対応なんだから」

 

 俺の隣で書類を纏めていた小原(おはら)鞠莉(まり)が、茶々を入れてくる。コイツのノリに合わせるのが面倒だったので、俺は適当に流しておいた。しょっぱい対応……塩対応と言いたいのだろうか。相変わらず、コイツの独特な口調には慣れない。

 俺は根っからの面倒臭がりな気質だ。積極性という言葉が何よりも嫌いで、我が道を突き進んでいる……ってのは自分で言うことじゃないか。まぁ、要するにひねくれものだ。自他共に認めている。

 

「ま、他の在校生が休みの中手伝ってくれてるんだし、感謝はしておくけどな」

「出た、シンヤのツンデレ!!」

「誰がツンデレだこら」

「イッツジョーク。それよりダイヤが帰ってきたら、お昼奢ってもらうくらいしてもらわないと!!」 

 

 俺は生徒会副会長――といっても、周りからの強い推薦の末だが。小原は生徒会とは関係ないけど、生徒会長である黒澤(くろさわ)ダイヤの友人だ。黒澤が在校生代表で式に出ていたため、俺の助っ人に小原を送ったんだろう。……コイツの様子を見る限り、かなり強引に連れてきたみたいだけど。まぁ、せっかくの休日が潰された悲しさは同感に値する。

 とはいえ、今日の仕事はもう終わりに近い。保護者へ配る資料作成が主だったし、入学式が終わったからな。多分、黒澤もすぐに戻ってくると思うし、昼前には帰れるだろう。

 

 

 

 と、そんな事を思っていると、コンコンと生徒会室のドアをノックする音が。噂をすれば影が……って奴だろうか。

 

「戻ってきたか?」

「来たわねダイヤ! マリーはもう既に激おこよぉ!!」 

 

 俺が出るより先に、小原がドアに向かった。コイツも本気では怒ってないようだけど、これは一波乱起きそうな予感。俺は早くお暇するかね。巻き込まれるのは面倒臭いし。

 

「ダイヤ!!」

「いたいっ!?」 

 

 小原が思いっきりドアを開けたせいか、ノックをした奴がドアに頭をぶつけていた。そこにいたのは、黒澤……ではない。全く関係ない他の生徒だった。

 赤というよりは紅色に近い感じの髪の毛。それをツーサイドアップ――いや、ツインテール(・・・・・・)に纏めていた。制服が新調されているところを見ると、1年生だと思う。身体は華奢で、実年齢よりもずっと幼く見えるくらい。ソイツは涙目になりながら、おでこを痛そうに擦っていた。

 その幼い見た目が、脳内でフラッシュバックする。ドアの前で泣きそうになってるその少女は、いるはずのないアイツにそっくりだった。一瞬だけ、思考が止まった。

 

「オゥ、ダイヤじゃない!? ソ、ソーリィ。怪我はない?」

「は、はい。なんとか大丈夫で……ヒッ!?」 

 

 小原は女子生徒に駆け寄る。どうやら、怪我自体はないようで安心。……なぜかソイツは、俺を見るとおぞましい物を見たかのような反応をしたけど。 

 おかしい。小原ならまだしも、俺はソイツに危害は加えてないというのに。あろうことか、奴は小原を盾にして、俺に対して身構える。……何が不満なんだよ、こらそこのガキ。

 

「あら、どうしたの?シンヤに何かされたとか?」

「初対面だわ。そいつが勝手に怯えてるだけだろ」

「あ、いえその……。男の人だからビックリしちゃって……ごめんなさい」 

 

 俺がダメなんじゃなくて、男性がダメって事か。別に知った事ではないけど。普段女子に避けられるとかは別段良いとして、コイツだと妙に腹が立つというか傷付くというか。全てはその顔つきのせいだが。

 それでも頭は冷静に。元より、相手は年下のそれも女子。ここで不機嫌になるのは、あまりにも大人げない。俺は、青筋を出さないよう必死に声のトーンを抑える。

 

「まぁいいけど。それより、何か用?」

「あ、はい。えっと、教室の場所が分からなくて……。お姉ちゃんが、困ったことがあったらここに来いって言ってたから……」

「お姉ちゃん? まさか、ダイヤのシスター!?」

「ヒッ!? は、はい。黒澤……ルビィって言います」

「わぉ♥ダイヤに似てベリーキュートね!! 抱き締めたくなっちゃう!!」

「ふぇぇぇっ!?」 

 

 なるほどね。それにしても、性格から何から何まで真逆みたいだ。黒澤はどっちかと言うと、みんなの中心になるタイプ。だけど、コイツは大人しい印象を受けた。印象というか、限りなく大人しい部類だろう。 

 それに、人見知りも激しいみたい。小原が詰め寄ったときにも、軽く怯えていたし。それでいて、どこか放っておけない雰囲気を纏っている。

 

 

 ……そんな部分まで似ている。

 

「あら、ごめんなさい。で、1年生の教室よね? シンヤ、どこか分かる?」

「えーと、確か別棟の2階のはず。ここの階段降りて、渡り廊下を通れば着く」

「あ、ありがとうございます。お仕事中にすいませんでした……」

 

 黒澤の妹は申し訳なさそうに頭を下げて、生徒会室を出ていこうとする。なるほど。キチンと礼儀を弁えている辺り、黒澤らしい。腐っても姉妹ということか。

 でも、姉と似ているのはそこだけだった。急いで出ていこうとしたコイツは、パタパタと走っていく。そして、廊下の何の障害物のないところで、ズデーンと盛大にすっ転ぶのであった。

 ハァ、と俺は今日何度目か分からない溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 

「ヒッ、染みるよぉ……」

「我慢しろ。担任の先生には言っておいたから、治療終わったらさっさと自分の教室戻れよ」 

 

 保健室。今日はここの先生がいなかったから、俺がこの1年の手当てをしている。といっても、ちょっと擦った程度だから消毒くらいのものだが。それより、おでこに出来ていたこぶの方が酷いくらい。 

 ちなみに、その犯人である小原はいない。なんでも、黒澤が来るまで待っているとか。

 ……どれだけ根に持ってるんだ。おかげで、俺がこんなクソ面倒な事に巻き込まれているというのに。

 

「は、はい。えっと……」

真哉(しんや)だ、北谷(きただに)真哉。えーと、お前の名前何だったっけ」

「る、ルビィです。ありがとうございます、真哉……さん。」

 

 少しだけ、ルビィとの距離が縮まった気がする。やはり、名前呼びというのは大きいのか。黒澤が2人いるのもややこしいし、俺も下の名前で呼ばせてもらおう。

 消毒液を付けた脱脂綿を、ルビィの膝に押し当てる。染みるんだろう。顔を歪めるけど、それは消毒出来ている証拠ってことで。俺は小さい頃にそう教わった。……あの時を思い出す。昔から俺はこうやって、アイツが怪我したときの手当てをしていたものだ。

 ……なんで距離が縮まったことに安堵しているのか。なんでこうやって昔を思い出してしまっているのか。まだ出会って数分しか経ってないというのに。

 

「その、さっきはすいませんでした。真哉さんは、何も悪いことしてないんです。本当にごめんなさい」

「もういいよ、別に。男が苦手なんだろ?」

「は、はい。お父さん以外の男の人と、こうして話したことなくて……」

「ふーん」

 

 ルビィの膝に絆創膏を貼って、パシンと叩く。こうして話している間に、手当てが終わった。最初のホームルームをしているだろうし、早めに行かせた方がいいだろう。元より、俺が早く帰りたいのが8割を占めているけど。

 それにしても、男性恐怖症ね……。多感な年頃になる中学生にとって、かなり辛いんだろうか。特に、異性に興味を持ち始めるだろうし。恋愛沙汰の話に関しては、俺は残念ながら疎いが。

 

「ありがとう、ございました。手当てまでしてもらっちゃって」

「別に。教室は分かるよな?」

「はっ、はい!! あ、あの……初めて話した男性が、真哉さんみたいに優しい人で良かったです……。その、また何かあったら、よろしくおねがいします」

 

 少し驚いたせいで、俺の脳は一瞬フリーズしていた。多分、男の俺にこうした事を言うのが、ルビィにとって大事件なんだと思う。スゴく、意を決したような表情だった。

 本当に腹立たしい。理不尽なのは分かっているが、この感情が抑えられなかった。なぜならアイツの風貌、振る舞い、性格と何から何まで

 

 

 

 

 

 ――――俺の死んだ妹に似ていたからだ。

 

 

 

 

 

 振り払おうとしても既視感が邪魔をしてしまい、どうしても一体化してしまう。思い出したくないのに、どうしようもなく辛いのに。

 今度こそルビィは保健室を出て、自分の教室へと向かった。その後ろ姿を、俺は見えなくなるまで見送る。その危なっかしい足取りがまた心配で、助けに行かねばという衝動に駆られる。それを、何とか理性で抑えた。

 桜はいつか散る。満開だった頃の賑やかさも、華やかさも残らなくなる。でも、季節を1つ終えた先にあるのは新たな舞台。そして、新たな出会い。今がその時なんだな――と、俺はふと思った。どうしようもなく、もどかしい感じがした。




のんびりと頑張ります。最後に主人公の設定だけ載せておきますね。

名前:北谷真哉
身長:162cm
年齢:14歳(中学3年)
容姿:少し立てた黒髪で、つり目

基本的に面倒臭がりで、ぶっきらぼうな性格。学業だけは真面目に取り組んでおり、生徒会副会長も勤めている。過去に、妹を亡くしている。






感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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つい気になって

遅くなったけど、ルビィちゃん誕生日おめでとう!!
ちなみに、その前日は作者の誕生日だったり。梨子ちゃんとルビィちゃんに挟まれてるぜグヘヘ(関係ない)


「……はぁ」

 

 つい漏れてしまった溜め息に対して、隣の少女はピクリとカラダを震わせた。そのおどおどとした態度に、俺はガクリと項垂れる。せっかくの昼休みで、一人心安らげる場所であるはずの屋上にコイツはやってきた。そりゃあ、気分も萎えるってもんだ。

 俺は手にしたイチゴ味のパンケーキをかじる。仄かな甘酸っぱさが口の中に広がり、少しだけ気が楽になった。広い屋上に、なぜかこじんまりと座る2人。交わされる言葉なんてものはない。ホント、何でこうなったんだっけ……。

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 あの騒がしい入学式から3日。新入生は、そろそろ中学校の1日というものに慣れてくる頃合いか。あるいは小学校以上の厳しさに、既にうんざりしている奴がいるかのどちらか。どちらにせよ、在校生には何て事のない日常だが。

 違いがあるとすれば、授業の量。3年ともなれば、始業式の翌日から普通に授業がある。1年はオリエンテーションやらで1週間くらいは潰れるというのに。今日も校舎見学とやらで廊下を歩く1年を、横目で羨んでいたのは内緒だ。

 そんな辛い授業の前半を終え、迎えるのは昼休み。俺は、チャイムと共に教室を飛び出した。この学校には、他ではあまり見られない珍しい特徴がある。そう、給食がないのだ。必然的に、昼食は購買で買うか弁当を持参するかになる。

 今日の俺は前者。つまり、購買で何か買って食べることになる。ま、パンだとか弁当だとか。だが、これが案外辛い。

 

「……ん、まだ行列にはなってねぇな」

 

 ここの購買、昼休みになるとアホみたいに混むのだ。それはもう、スーパーのタイムセールで主婦達が戦争するみたいに。昼食が懸かっているから当たり前と言えばそうだが、俺は巻き込まれるのはゴメンだ。

 だからこうして、真っ先に購買に駆けつけて必要なものをゲットする。そうして、早々に立ち去るに限るのだ。後で腹を空かせた猿共に揉まれるのは、勘弁願いたいからな。

 俺がパンを買い終えて、レジから出るとほぼ同時だった。廊下から、下の階から、上の階から生徒がどっと押し寄せてきたのだ。それはもう津波みたいに。これだから、昼間の購買は嫌なんだよ。

 俺は隅にある自動販売機で飲み物を2本ほど買いながら、その様子を流し見る。まるで、雛が店員という親鳥に餌をせがんでいるみたい。餌ってのは商品の事な。何とも見ていて滑稽だ。数分遅ければ、自分も雛の仲間入りだったが。

 

「あーあー。男も女もお構いなしかよ」

 

 誇張してもない、紛れもなく戦争状態。こいつらは並ぶって事を知らないんだろうか。レジ前はさすがに整列したみたいになってるが、商品を取るまでは奪い合いみたいになっている。

 っと、あんまりここで時間を潰しているわけにもいかない。良く良く考えれば、レジの清算を終えたら飲み物を買う奴もいるだろう。早いところ退散した方が吉だ。

 未だ混雑している購買は、あぶれた生徒が廊下にまではみ出している。俺は巻き込まれないように、廊下の裾を通るがそれでも狭い。面倒くさい。強引に切り抜けようと、俺は生徒の波を押し退けて進む。

 生徒の多さと空腹で苛立っていたのだろう。少しばかり乱暴に掻き分ける。迷惑そうな目で見られるが、俺はそれを歯牙にもかけずにずんずんと。そうしてようやく抜けられると思った矢先、何かを弾き飛ばしたような感触が手に残った。

 

「きゃっ!?」

 

 人の波からはみ出したのは、俺ともう1人。正確には、俺が突き飛ばして無理やり弾き出したんだが。紅色の髪をツインテールにした幼い見た目の少女。俺はその姿を見て、舌打ちを隠そうともしなかった。

 対してルビィは、青緑の瞳を潤ませて俺を見つめる。少なくとも、文句があるという訳では無さそうだ。そんな柄じゃないし。そのはっきりしない仕草に、俺はまた舌打ちした。いっそのこと、大きな声で罵ってくれればすぐにでもこの場を離れるのに。

 紅色の財布を固く握りしめているから、同じく昼食を買いにでも来たのだろうか。コイツの性格や体つきからして、この仁義なき争いに勝ち抜くのは無理なのは目に見えてるが。

 俺に落ち度があるから、後ろめたいのもある。助けを求めるような無垢な瞳を見るのも辛かった。そこから、俺の選び出される行動は1つ。それは、目を伏せルビィから逃げるようにして、足早にその場を去っていくことだった。

 

 

 

 ……のんびりと昼休みを過ごしたいんだ。許せ。

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 はずだったのに。何故か、またこうして屋上で再会を果たすこととなってしまった。いや、望んでない。コイツも偶然だったのだろうが、どうしてこの場所を探り当てたのか。そして俺という先客がいるのに帰ろうともせず、わざわざ俺の隣に腰かけるのは何故だ。もう頭痛い。

 俺は調達出来たパンケーキをかじりながら、横目でルビィをちらり。特に何かをするでもなく、指をいじいじしては時々俺を見るだけ。じれったいことこの上ない。つか、コイツ何も持ってないな。

 

「お前、飯は?」

「へゃっ? あ、え、えっと……その、売り切れてました」

「あっそ」

 

 結局買えなかったのね。まぁ、俺が帰ろうとした時点で列の後方だったし、予測は出来ていたが。1年生のそれも女子が、あの群れを掻き分けるのは少し酷というもの。

 俺はそれ以上聞くことをせず、ルビィも特に付け加えて話したりはしなかった。屋上は、春風のそよぐ音すら聞き取れるくらい静かだ。あとは、俺の咀嚼する音くらいか。次いで、カフェオレを喉に流し込んだ時。音がする度に隣がピクリと反応しているのは、けして勘違いではないだろうな。

 正直、食べにくい。いちいち反応されたら、そりゃあ気になる。無視したくても、どうしても視界に入ってしまうし。それに加えて隣で腹の鳴る音がされたら、もはやわざとだと疑いたくなるまである。

 コイツはどうしてこう、俺を困らせるのか。それなのに放っておけない自分に、一番困っているのだが。やっぱり、その見た目が全ての元凶だ。アイツに似ているというだけで、こうも甘くなるのか。そうでなければ、こんな1年生相手に……。

 抗えないと悟った俺は、食べかけのパンケーキをそのまま差し出した。ちょうど半分くらいは残ってる。昼飯には物足りないが、何も食べないよりはマシなはずだろ。

 

「あの、真哉さん……?」

「味に飽きたからやる。喰っていいぞ」

 

 無論、嘘だ。わざわざ購買に早く着いたのだから、充分に商品を見定める時間くらいはあった。選んだ品が俺の好きな味なのは必然。実際、このパンケーキは食べていて美味しかったし。

 当のルビィは、目を見開いて驚いていた。少し問答していたが、結果俺からパンケーキを受け取る。やはり空腹には耐えられなかったのか、もきゅもきゅと口に押し込んでいった。小さい口のくせに、そんなに慌てて食べるなよな。喉に詰めても知らねぇぞ。

 

「んぐ、くふっ!?」

「本当に予想通りのリアクションする奴がどこにいるんだよ……。ほら、飲み物」

「あ、あいがとうございまひゅ……」

「まったく、どこまでも世話の焼けるヤツだな」

 

 俺は、口を開けてない方の飲み物をルビィに渡す。本当は午後の授業の合間に飲もうと思ってたんだが、まぁ仕方ないだろう。……それにしても、驚くほど手のかかるヤツだ。あの黒澤の妹とは、とうてい思えない。

 怒られたと思ったのか、ルビィは更にカラダを小さくしてしまう。それでもパンケーキを口に運ぶのを止めないのは、流石というか呆れるべきか。カラダは正直である。

 献上したパンケーキは中々に好評だったようで、ルビィはものの数分でペロリと食べてしまった。結局俺の昼食も半分無くなった訳だが、その満足そうな顔を見ると、不思議と悪い気は起こらなかった。我ながら甘い。

 

「お前、なんでここに?」

 

 一段落着いたところで、俺は初っぱなの疑問を口にして掘り返してみる。今まで屋上は誰も寄り付かない……というか、本来立ち入り禁止なのだ。それなのに、ここに新入生が立ち寄るのは不自然というもの。

 俺自身はどうなんだ、という声が聞こえた気がする。一応説明しておくけど、ここ鍵は開いてるんだよ。立ち入り禁止の場所に、誰か見張りをつけるか? と言われれば、答えはノー。先生だってそんなに暇じゃないだろうし、バレる可能性なんて限りなく0に近い。ま、格好の隠れ家みたいなもんだ。

 

「教室に戻ると、皆のお弁当が目についちゃって。余計お腹空いちゃうから、外で気を紛らわせようかと思ったんです」

「弁当くらい、誰かに分けてもらえばいいだろ」

「で、でもお姉ちゃんには迷惑かけられないし。そのぉ、友達あんまりいないので……」

「俺が悪かった」

 

 ルビィの歯切れが悪くなったのを察知した俺は、すぐさま謝った。自分で言うのもなんだが、俺が素直に謝罪するのは珍しいことだ。デリケートな部分に触れてしまったから、仕方がないか。泣き出されても困るし。

 小学校とはガラッと雰囲気が変わるのが、中学校の特徴の1つ。早くて一週間ほどで、クラスではグループが出来始めるだろう。ルビィは人見知りも激しいようだから、その辺でも苦労しているのか。いずれにせよ、友達はいるに限る。

 

「な、なんで謝るんですか!?」

「いや、悪いことを聞いたもんだからな。つい」

「ちゃんと友達はいますよぉ!!」

 

 じゃあ、そいつのところ行けよ。と思ったのは、ここだけの話。これ以上問い詰めるといじめているみたいなので、俺は出かかった言葉を必死に飲み込む。

 少しからかいすぎただろうか。ルビィはむーっと頬を膨らませて俺をジッと見つめる。睨んでいるにしては、少々威力が足りなさすぎるな。これでは、子どもがいじけているようにしか見えない。実際、それに近いものだが。

 

「なんだよ」

「いえ、あんまり信頼されてない気がするので……」

「興味がないだけだ」

「あ、だったら紹介します!! スゴくいい子だから、真哉さんとも仲良くなれますよ」

「話聞けやコラ。さっきまで空腹でヘロヘロだったくせに」

 

 俺の言葉なんてまるで聞いてないように、ルビィは勝手に話を進め始める。誰がお前の友達と会いたいなんて言ったんだよ。興味ないって言っただろうが。ちゃんと会話のキャッチボールしてくれよ。頼むから。

 

「真哉さんがパンケーキ分けてくれたから、もう大丈夫です」

「お前の心配をしてるんじゃねーんだが」

 

 あ、スルーですかそうですか。もう、これは何を言ってもムダなんじゃないか。俺が何をどう言っても、自分の友達を紹介する気だなコイツ。やっぱり、昼飯を分けたりなんてするんじゃなかった。

 ルビィが早く早くとせがむのに対して、またもや溜め息。俺は、のそりと重たい腰を上げる。どうやら、今日の昼休みはコイツに潰されると決まっているようだ。後で黒澤に文句言ってやらないと気が済まないまである。八つ当たりだが。

 とはいえ、もうここまで来たら激しく拒絶することは出来そうにない。大人しく従うしかないだろう。観念した俺は、ルビィの後ろを渋々とついていく。それに満足したのか、ルビィ不意に振り返って俺に笑いかけた。どうやら、ご機嫌の様子。俺の本日3度目の溜め息は、アイツには届かなかった。

 

 

 

 

 

 




会話が少なすぎる()
まぁ、まだ2話だし許してください……。

感想・評価待ってます。ではでは~



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中身まで似ていて

もうすぐ2期が始まりますねぇ……(*´-`)


 ルビィの後ろをついていって数分。どこに連れて行かれたかと思えば、俺たちを待ち受けていたのはズシリとした重たい扉。てっきり1年の教室に連れていかれると思ってたんだが、どうも違うようだ。

 ルビィがドアを開くと、そこに広がるのは無数の本、本、本。言うまでもなく、俺たちがいるのは図書館だ。正直、1年時の学校施設紹介で校内を回った以来、ここに来た記憶がないが。ルビィが迷わずここに来たと言うことは、本好きな子なのだろうか。

 当然だが、図書館内の生徒は皆が皆読書に耽っており、新しく入ってきた俺たちに興味を向けることもない。ほんと、ここは息が詰まりそう。賑やかな場所も苦手だが、こういった場所も得意ではない。ものすごくワガママなのは放っておいて。

 俺たちが入り口付近で立ち止まっていると、唯一目をかけてくれたものが1人。茶髪のふわっとしたロングが特徴の、見るからにおっとりとした少女。茶色の瞳がルビィを捉えると、嬉しそうにこちらへ駆け寄ってきた。どうやら、この子で間違いないようだ。

 

 

 

花丸(はなまる)ちゃーん!!」

「あ、ルビィちゃん。さっきぶりずら。と、んん~? ルビィちゃん、その隣の人は誰ずら」

 

 ルビィに笑顔で対応してすぐに一転。花丸、と呼ばれた少女は俺を怪訝そうに見つめる。なんでコイツ急に真顔になったんだよ。こえぇよ。そんな品定めするように見らんでくれ。

 よくよく考えれば、ルビィは人見知り。特に、男性恐怖症だった。友人であろう彼女が俺を怪しむのは、ある意味至極当然――だとしても少し辛い。こんな所に連れてこられた挙げ句、どうして見ず知らずのヤツに警戒されなければいけないのか。

 まぁ、俺が何か言うのは得策ではないだろうし。ここはルビィに任せるとしよう。

 

「えっと、この人はルビィの……。あれ、なんだろ? お友達はちょっと違うし、仲良しさんは馴れ馴れしいよね……えーと」

「はっきりするずら。ズバリ、彼氏ずらね?」

「ちっ、違うよぉ!? どっちかと言うと、お兄ちゃんって感じだし……ってそうでもなくて!!」

「お兄ちゃんんんん!?」

 

 ルビィに任せた俺が愚かでした、はい。おかしい、どうしてこうも話が拗れていくのか。ルビィの嘘でさらに困惑したコイツは、俺を恋敵のような目で見てくる。それはもう、肉食獣のように鋭い目で。花丸とかいうほんわかした名前とは、まるで正反対だ。

 大声を出す1年馬鹿2人のせいで、図書館にいる生徒の視線が一斉に集中する。副会長という俺の肩書きも手伝って、非常に目立つ。これでは、帰るにも帰れない。というか、帰りたい。

 

「てことは、ルビィちゃんのお姉さんの彼氏さん!? そうすれば、ゆくゆくはルビィちゃんの義理のお兄さんになるし……間違ってないッ!!」

「話が飛躍しすぎだよぉ!? そんなんでもないってば!!」

「まさか、二股掛けてるずら!?」

「花丸ちゃん、帰って来て!!!!」

 

 考えが危ない方向にいっている友達を現実に返そうと、ルビィは必死に揺する。お前昼ドラの見すぎだわ、バカ野郎。黒澤と良からぬ噂を立てられたりしたら、どう責任取ってくれるんだよ。面倒くさいんだぞアイツ。

 ルビィがいい子だって言うから少しはマシな子かと思ったのに、ルビィとは別のベクトルで厄介な子だ。アイツの身を案じている辺り悪い子だとは思わないけれども、そんな事は今はどうだっていい。早く止めないと、色々な意味で俺がヤバい。

 この場を去ると返って目立つと思っていたが、今はどう見たって留まる方がマイナスが大きいのは明らか。これをどう弁解したものか。腹を括った俺はルビィたちの襟丈を強引に掴むと、有無を言わさずにズルズルと引きずる。周りの目とか気にしてられない。3年男子が、1年女子の襟を掴んで引きずる姿。なんとまぁ、シュールな事か。

 

「真哉さん、痛い痛いッ!! 引っ張らないでぇ~」

「ゆ、誘拐ずらぁ~!!!!」

「お前ら頼むから、もう騒ぎを起こさんでくれ……」

 

 仕方ない事かもしれないが、引きずっている最中でもこの2人は騒ぐ。廊下だから、余計に人の目についてしまった。今度の学級新聞の見出しは『副会長、1年生の女子生徒2人を誘拐!?』に決まりだろうか。ふざけんな。

 

 

 

 ……ハァ、帰りたい。

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

「何だ、ただの先輩後輩かぁ。焦って損したずら」

「なーにが損しただ。お前が勝手に勘違いしたんだろうが。あんなに大騒ぎしやがって」

「あ、あはは。……すいません、真哉さん。ほら、花丸ちゃんも」

「……ずら。ごめんなさい」

 

 

 

 場所は移り変わり、再び屋上。昨日まで俺以外の誰も知らなかった絶好の隠れ家は、今やこうして溜まり場みたいになっている。いや、まぁ連れてきたのは俺だけれども。ここなら誤解を解くのに誰も見られないだろうし。

 そして俺から真相を聞いたコイツは、拍子抜けたような顔をするだけ。何というか、ルビィとは違って随分と図太い子だ。図書館であれだけ騒いだのにも関わらず、あまり気に留めていない。単に鈍いだけかもしれないが。

 とはいえ、年下の女子2人に頭を下げられて、いつまでも気にしているわけにもいかない。悪気自体はこの子にもなかったようだし。過ぎた事は忘れよう。

 

「はぁ、もういいよ。とりあえず、ルビィの知り合いの先輩っていう認識にしておいてくれ」

「わ、わかったずら。えっと、おら国木田(くにきだ)花丸っていうずら。よろしくお願いします」

「真哉、北谷真哉だ。好きに呼べ」

 

 ルビィの友達、もとい国木田はペコリと頭を下げる。初めのインパクトが強すぎたおかげで変な子のイメージがあったが、それなりに礼儀はあるらしい。そうだとしても、今後『変わったヤツ』のレッテルは中々剥がれないだろうが。

 ルビィと国木田は幼少期からの仲で、親友とも呼べる間柄にあるらしい。ルビィが俺に国木田を紹介する、という面目で図書館に行ったという経緯を話すと、本人はすっかりご満悦の様子だった。

 

「それにしても不思議ずら。ルビィちゃんがマルに男の人を紹介するなんて……。今まで、話している場面すら見たことなかったのに」

「い、言われてみれば確かに……。でも、なんか安心するというか。その、お姉ちゃんみたいに」

 

 怪我の手当てしたり、パンを半分譲ったりしただけだわ。とキッパリ言いたくなったが、喉まで出かかった言葉をグッと抑えた。理由は分からないが、なぜか悲しませると感じたから。いつもは回らない周囲への配慮が、こういう時だけムダに発揮する。

 

「お姉ちゃん? あぁ、黒澤の事ね」

「ルビィちゃん、お姉さんっ子だから」

「うんっ!! 勉強も出来て習い事も全部やってて、生徒会長もしてて。お姉ちゃんは何でも出来るんだぁ……ホントに」

 

 話題はなぜか黒澤ダイヤについてに移る。ルビィが姉の事を好いているのは薄々感じていた。それは当たっていたというのに、彼女が表情を曇らせているのはなぜだ。黒澤の事について話すルビィからは憧れという正の感情と、それとは別の何かを不意に感じた。

 元から自信なぞは微塵にも感じられない彼女であったが、さらにか弱さを思わせる表情。これは何かを抱えている、俺は直感的にそう読み取った。

 

「ルビィちゃん、実は中学校に入る前に習い事を全部止めちゃってて……」

「あぁ、そういうこと」

 

 俺が疑問に感じたのを察してくれたのか、国木田がそっと耳打ちしてくれた。中々に気の回る子だ。そして、ルビィの表情についての謎もある程度合点がいった。

 いわゆる、コンプレックスというヤツだろうか。黒澤の家はかなり大きく、内浦では名家に値するはず。確か、旧網元の家系だったか。その長女として生まれた黒澤は、当然厳しく育てられる。勉学はもちろん、世間に高い教養を示すために多くの習い事まで。実際、生徒会長としての職もしっかりこなすし、成績だって俺よりも上くらいだ。

 そして、その妹のルビィ。黒澤ほどではないにせよ、彼女も幼い頃からそれなりに厳しく育てられてきたはずだ。だが、ルビィは黒澤ほど優秀なわけではなかった。申し訳ないが、付き合いの短い俺にでも分かるほど、コイツはおっちょこちょいでドジな面が多い。予想にすぎないが、習い事も上手くいかなかったのではないか。

 大きな家の娘として生まれたこと、多くの習い事、出来の良すぎるダイヤという姉。それらは全てルビィの重圧となり、彼女にのしかかる。一般家庭に生まれた俺なんかには、到底理解しがたいものだろう。気の利く言葉は見当たらない。

 

「もぉ、ルビィちゃん気にしすぎずら。ルビィちゃんには、ルビィちゃんの良いところがあるんだから」

「う、うん……ありがとう」

 

 国木田がルビィを気遣って声を掛けるも、あまり納得したという感じはしない。無論、国木田の言っていることは間違っていないとは思うのだが。それでも腑に落ちてないのは、自分に対する憤りが大きすぎるのが原因。

 具体性がないのが不満なのか。国木田の言葉は親切ではある。それは間違いないのだが、裏を返せば気休めとも取れてしまう。自分の良いところ、それはどこなのか。自分に自信がなくて、どうすればいいのか。そういった所だと踏んだ。

 ルビィは顔を伏せ、次に俺に視線を向けた。その目は弱々しく、あまりにも儚い。出会って数日しかない俺なんかに、一体何を求めているのか。慰めの言葉? 体の良いアドバイス? どれもしっくり来ない。

 俺はくしゃっと髪を乱暴に掴み、ルビィを見る。たぶん、そこまで真剣に考えた言葉はいらない。いま問題を知った、第三者としての意見を率直に知りたいんだと思う。俺はフゥと息を吐いた。

 

「習い事を止めたってことは、家柄に縛られなくて良いって事だろ。黒澤と同じ事をする必要がないなら、無理してアイツの背中を追う必要もない。好きな事しろよ」

「好きな事……」

 

 割りきった分適当に返したのだが、2人の反応は思ったより良かった。 特に国木田は、うむうむと頷いて賛同してくれている。こんな事で良かった……のか?

 自主的に止めたのか、止めさせられたのか、詳しいことは知らない。だが見込みなしと見捨てられたわけではないだろうし、ルビィの両親にも考えあっての事だろう。だったら、未だに黒澤を追いかける必要はない。目標にするのは勝手だが、比較対象にするのは違うという意味で。

 俺の口にした『好きな事』という単語に、ルビィが強く反応したのを俺は見逃さなかった。口の中で転がすように何度も反芻し、それを大事に包んでいるような。俺は、少し彼女に興味を持った。

 

「心当たりがあるのか? 好きな事」

「はい!! ルビィ、アイドルが大好きで大好きで。なろうとかそんなんじゃないけど、あんな風にキラキラ輝けたらなあって……」

「アイドルいいずら!! ルビィちゃん可愛いし、ピッタリ!!」

「だ、だから無理だよぉ……。見てるだけで幸せだし。あ、でも、衣装作りとかはしてみたいな……なんて」

 

 アイドル。嬉しそうに語るコイツに、俺は邂逅時以来の既視感を覚えた。今でも家にある、手作りのアイドルの衣装。所々焦げていてとても着られるものではないが、俺はそれを未だ捨てられずにいた。

 今からちょうど2年ほど前。学校単位で活動するアイドル、いわゆるスクールアイドルなるものが流行りとなった。その祭典――ラブライブは今でも毎年開催されており、スクールアイドルの甲子園と呼ばれるほど大きな催しになっている。

 当時中学1年生だった俺は、その右手をグイグイ引っ張られて秋葉原の街を練り歩いたものだ。いつもは気弱なアイツは、ことアイドルの事となれば誰よりも熱かった。本当にアイドルが好きで、将来の夢にまで見るほどに。俺も出来る限りの協力はするつもりだったし、楽しみにしていた。

 だが、アイツの夢見てた世界は永遠に見ることが出来なくなった。皮肉にも、ラブライブの決勝を見に行った数日後の出来事。凍てつくような、真冬の朝だった。残ったのは、着られる事の無くなった衣装だけ。

 

 

 

 俺の妹――愛もアイドルが大好きだった。

 

 

 

 




この小説ですが、時系列はアニメ準拠。設定はG'sよりのものにさせてもらいます。ルビィと花丸との関係が中学以前からのものであったり、習い事関連のものはそういうことです。

感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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静かな班が良かったんだけど

ラブライブのオールスターがかなり熱いことになってますねぇ。LVにすら行けてませんが……。


「では、説明いたします」 

 

 新入生は中学校というものに、在校生は新しいクラスに馴染み始める4月の中旬。俺たちの学校では、ある1つの大きなイベントが起ころうとしていた。

 来週行われる親睦遠足が、それに当たる。ちょっと違うのは、1~3年の同じ組が同じ場所に行くというもの。例えば、1年1組の生徒は、2年1組と3年1組と行動するって感じで。

 遠足が学年単位ではないのはかなり珍しい。黒澤曰く、よく言われる『縦の繋がり』を意識した学校の方針だとか何とか。よくもまぁ、そんな面倒臭い事をやるわ。遠足くらい、普通に行けばいいのに。

 

「ねぇ、シンヤ。誰と一緒の班になるとか決めた?」

「あ? まったく。適当に誰か余った奴でも探す予定だけど」

「だったら、マリーと組みましょー!!」

「俺の話聞いてんのかテメェ」

 

 黒澤が教壇で説明しているのを無視して、小原は後ろの俺に振り返る。確かに昨年と概要は変わらないし、あんまり聞く必要はないかもしれないが……。実際、マジメに聞いている人は僅か。

 この遠足の特徴として、学年問わず4人1チームを組むことが決められている。もちろん、それは自由。同じクラスの仲良しグループと組むも良し、部活の先輩後輩なんてのも良し。ここらを自由に出来るのは、学年の枠を越えた繋がりを強調したいがためだろう。実際はクラスで組む場合が多いのは、口が裂けても言えない。

 

「そこ! うるさいですわよ!!」 

 

 喧しく騒ぐ小原のせいで、俺までもが黒澤に注意を喰らってしまった。コイツの声は教室中に広まっていたもんだから、教室の生徒が皆こちらを振り返る。正直恥ずかしい。

 小原は、1度決めた事を何としても実行する奴。コイツが班員に加わった時点で、遠足は波乱が巻き起こることが確定してしまった。早々についてない。

 それよりコイツ、他の2人はどうするんだろうか。仲の良い松浦(まつうら)や黒澤は人気があるから取られた、とかさっき嘆いていたが。男1女3なんて事態だけは回避したい。

 

「ソーリィ、ダイヤ~。で、あと2人決めないとなんだけど」

「あ、続けるのね」

「もっちろん。せっかくだし、他の学年の子も誘ってみないかしら?」

「……は?」

 

 黒澤が再び説明を始めたと同時に、小原が話を進める。反省の色は全く見られない。無視してもうるさいので、俺は話半分に耳を貸す。

 正直他学年となんて考えてなかったから、小原の言葉に面食らってしまった。俺は部活に入ってないから、下級生との繋がりはせいぜい生徒会くらいのもの。

 あとはルビィや国木田くらいだが、遠足でまでアイツらに振り回されるのは御免被りたい。ルビィなんて、アウトドアな事をさせたら何をしでかすか。

 

「ルビィとか仲良いでしょぉ~? あの子が昼休みの屋上に通っているの、知ってるのよ」

「おま……!?」

「うふふ、マリーは何でもお見通しなのデース!! ほら、あの子なら班員でも問題ないでしょ?」

 

 エスパーかよてめぇ。小原はにやつきながら俺に詰め寄る。腹の立つ顔だ。俺をいじって楽しんでいる反面、従わないと黒澤にバラすぞと脅しているようにも見える。アイツに万が一バレてしまったら、俺の平穏な学校生活は終わりだ。

 俺は頭を抱えた。弱味を握られた以上、従う他ないのだろうか。なぜ小原がルビィと一緒になりたがるかは別として、これまた面倒な事になった。

 

「ルビィが何組とか知らねぇよ。遠足が同じ場所だなんて保証はどこにもないし」

「んもー、シンヤじれったいなぁ……。ま、いいわ。それは後々決めましょうって事で」

 

 はいはいとだけ返事をして、俺は黒澤の説明に耳を傾けた。あんまり話していたら、また注意されかねないし。何より、今度は何をバラされるか分かったもんじゃない。

 結局、その授業の時間は黒澤の説明で大部分を使ってしまった。周りのクラスメイトはみな、誰と一緒になるかの話題で持ちきりだったようでマトモに聞いてなかったが。生徒会長も不憫な役回りである。

 それと同時に、授業終了のチャイムが教室に鳴り響く。今は4時間目。すなわち、今から昼休みの時間だ。チャイムと同時に、俺は弁当箱を持って席を立つ。

 

「あらぁ、また会いに行くのかしらぁ~?」

 

 小原がわざとらしく俺に声をかける。その声に、俺はふと立ち止まった。アイツが来ると分かっている屋上に、なぜわざわざ向かうのか。1人が好きなら、別の場所を探せば良いのに……。

 いや、そんな場所なんてもはや存在しないし、そもそも探すのが面倒臭い。教室は人が多いから嫌だし、これしかないのだ。俺は勝手にそう結論付けて、教室を抜ける。とりあえず、煽ってきた小原に対しては、軽く拳骨を落としておいた。

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 今日は雲1つない快晴で、屋上には程よく風も流れていた。春先のこの時期の気温は、人間にとって適温ともいえるほど心地よい。俺は屋上の扉を開くと同時に、大きく伸びを1つ。カラダにたっぷりと日光を浴びせた。

 いつもならここで昼食を食べ、チャイムが鳴るまで日向ぼっこもとい昼寝でもするのが楽しみなんだが。ここ最近は、それもままならないようになってしまっている。理由は単純、一人ではなくなったから。今日は珍しく、ソイツは先約として待ち構えていた。

 

「ハッ!?」

 

 その先約は俺が入ってきたのを見ると、サッと物陰に隠れてしまう。正直、尻から下が丸見えだから意味ないが。まさに、頭隠して尻隠さず。なぜ隠れる必要があるのか。

 俺が回り込むと、その先約の全貌が明らかになる。いつもの紅いツインテールに、小さなカラダを更に小さく見せるような仕草。でも、ソイツは俺だと分かると、途端に安堵したような表情を見せた。どうやら俺に対してのみ、男性という枠を越えて苦手意識はないようだ。

 

「何やってんだお前」

「いきなりドアが開いたからビックリしちゃって……。でも、真哉さんで安心しました」

「あっそ。何でわざわざここに来るわけ?」

「えへへ、ここ気に入ったんです。今日は、花丸ちゃんも呼んだんですよ」

 

 いや、気に入るな。そして呼ぶな。勝手に溜まり場にされても困るんだが。それでも、俺個人の場所でもないから、追い出す義理がないけれども。

 弁当を持っているところを見ると、国木田と一緒に食べる約束でもしているんだろう。男子の弁当の半分ほどしかない小さな弁当箱は何ともコイツらしい。

 ルビィが弁当箱を開かずに待っているのと対照的に、俺は蓋を開ける。まぁ、コイツに合わせる理由はないし。この前こそ購買に頼っていたが、基本的に昼食は弁当。何だかんだで、自炊が1番経済的だ。とはいえ、夕食の残りが殆どなケースが多いけど。

 いざ唐揚げをつまんで口に入れようとしたその時、熱い視線が弁当箱に集まった気がした。気がした、というか集まっていた。犯人は言うまでもない。

 

「なんだよ?」

「あ、えっと、私に構わずどうぞお食事をしてください」

「いや、そうしたいけど。隣でそんな見られると、ものすごく食べにくいんだが」

「す、すいません!! そんなつもりじゃ……」 

 

 口ではそう言っているが、ルビィの視線は外れることはない。そんなにお腹が空いてるなら、待たずに食えばいいのに。……というよりは、別の理由があるように感じる。

 とはいえ、目ぼしいものは卵焼きとか唐揚げ程度。そんなに物珍しいものは入ってないはずだが。いや、そういえばデザートにスイートポテトとか入ってたな。……これなのか?

 試しに、俺はスイートポテトをつまむ。敢えて、コイツには気付いていないという体で。ポテトを口に入れると、何とも物欲しそうな表情を浮かべた。確定のようだ。あ、コレ美味い。甘さがしつこくないから、さっぱりしてるな。

 

「お前、絶対嘘つけないだろ。視線でバレバレだ」

「そ、そんな。ポテトが美味しそうなんて一言も……!!」

「……俺がいつそんな事言ったよ?」

「あ……」 

 

 誘導尋問をする間もなく、自らボロを出していくルビィ。あまりにも見事な間抜けっぷりに、俺は呆れ半分面白半分といった具合で彼女を眺める。良くも悪くもバカ正直な奴だ。

 ルビィは羞恥心で顔を赤くしたかと思いきや、次には頬を膨らませる。どうやら、笑われたことに対して拗ねているらしい。コロコロ変わる彼女を見ていると、また笑ってしまった。久々にこんなに笑った気がする。

 

「むぅ……真哉さんはちょっぴり意地悪です」

「悪かったよ。ほら、いるなら1つやるから許せ」

「なんか、良いようにされてる気がします……」 

 

 結局食うのか。『いらない』と言わない辺り、やっぱりコイツは正直だと思う。プライドよりも食い気ってか。プライドとは全く縁のないような性格しているが。

 口に出した以上、仕方ない。俺はポテトを1つとって、ルビィに差し出す。すると、さっきまでの羞恥心はどこへやら。満面の笑みを隠そうともせず、それを頬張った。

 

「ふわぁ~。甘くて、とっても美味しいです! 毎日でも食べたいくらいです……」

「勘弁してくれ。作るのが面倒だ」

「え、これ真哉さんが作ったんですか!?」

「別に、そんなに驚く必要もないだろ」

「あ、いや、毎日食べたいって言っちゃったから。その良からぬ誤解をですね……へ、変な意味はないのでッ!!」 

 

 急に焦るルビィに、俺は首を傾げる。よく意味が分からない。今さら迷惑だと思ったのか、それとも別の何かがあるというのか。迷惑なんて、もう充分すぎるほど被ってきたのだが。

 ルビィが黙ってしまったので、俺は特に気にも留めずに弁当を食べ進める。怒って、喜んで、恥ずかしがって、落ち込んで。随分と忙しい奴だな。にしても、空気が重い。どうにかしてくれないかと悩んでいると、屋上の扉がガチャリと開いた。

 随分と今日は来客が多い。しかも、女子ばっかり。とはいえ、どちらも知った顔だが。クラスメイトの小原と、ルビィの友達である国木田。国木田はルビィが呼んだらしいが、小原は何の用だろうか。心なしか、2人とも怖い。

 

「なんだお前ら。何か用でも?」

「大アリずら! 確かに、真哉先輩はルビィちゃんが心を開いた人だけど……。ルビィちゃんを大好物で餌付けしようだなんて、許せないずら!!」

「……は?」

「そうよ! こっちはあんなあっまーーーい光景見せられて、胃に穴でも空きそうってのに!! ダイヤに言っちゃうわよ!?」

 

 めんどくさ。何だか、とてつもない勘違いをされてる気がする。俺は別に、ルビィをどうこうしようって訳じゃないし……。ただ、ポテト食わせただけだし。

 小原に関しては、もはや言ってる意味が分からない。コイツに関しては、場の流れに合わせて面白がってるだけなんじゃなかろうか。あと、黒澤にチクるのだけは許してください。何でもしますから。

 隣にいるルビィも、この2人には驚いたようで。弱々しい表情を浮かべて、困惑していた。というか、小原に対しては完全に怯えてる。これまた厄介な事に。

 

「あわわわ、花丸ちゃん落ち着いて!! ルビィが欲しいって貰っただけだから!!」

「むぅ……。その内ルビィちゃんが盗られそうで、マルは心配ずら」

「盗る気なんかさらさらないから、一々騒ぐの止めろ」

 

 いらんわ。絶対にいらんわ。むしろ、お前がルビィをここから離れるように頼んで欲しいまであるわ。それを国木田に言ったら、殺されそうだけど。

 とはいえ、やはり親友の言葉には逆らえない国木田。ルビィが弁解に入ると、すぐさま大人しくしてくれた。となったら、問題はあと1人だが。

 

「とか言っちゃって~? ホントはキュートなルビィに、キュンキュンって来ちゃうんじゃないの~?」

「縫い合わせたろかその口、あぁ?」

「いばばばば!? シンヤいだい、いだい!!」

 

 この期に及んで茶化してきた小原に対して、俺は思いっきりその頬をつねる。昼から散々弄られてきたし、仕返しも込めて割りと強めに。おかげで、小原はすっかり涙目になっている。ざまぁみろ。

 端からだとただいじめているように見えるのか、若干1年2人が怯えている。あんまりやり過ぎて副会長としてのイメージを持たれるのもアレだし、この辺で勘弁してやるか。

 

「シンヤ酷い!! 乙女の肌が傷ついたらどーするの!!」

「知るか。それより、お前何しに来やがった」

「むっふっふ、とっておきの情報があるのデース。知りたい? ねぇねぇ、知りたい?」

 

 全く反省の色が見えない小原に、若干のイラつきを覚える。もう一回くらいつねっても罰は当たらないと思うんだが。というか、すり寄るな鬱陶しい。

 

「分かったから早く言え」

「ウフフ、聞いて驚かないでね。ルビィのクラスね、1年2組らしいわよ。ダイヤに聞いたから、間違いないわ!!」

「ふーん。それがどうし……まさか」 

 

 俺と小原は3年2組。さっきも説明したが、今回の遠足は学年でなく組単位で動く。つまり、俺たちとルビィたちは同じ場所に行くというわけだ。

 それに気付いた瞬間、俺はいやーな予感がした。教室での会話内容。班員が2人しかいないこと。そして、今ここに同じ組のメンバーが4人揃っていること。これだけ条件が揃えば、コイツが何を言い出すか容易に予想できた。

 

「そのまさか!! 2人とも、遠足の班決めはどうなってる?」

「いえ、まだ終わってないです。マル達、ちょうど余ってしまってて……。あと2人必要なんです」

「イッツパーフェクト!! そういう事なら、マリーと一緒に行動しましょー!! シンヤも一緒よッ」

「ホントずら!? マル達は、全然オッケーずら。ねっ、ルビィちゃん」

「は、はい。ルビィも知ってる人の方が安心できるし……」

 

 こうなると読めてたわ、うん。小原は俺の意見を聞こうともしないし、1年2人も完全に乗り気だし。やはり、コイツを班員にするのは拒否しとけば良かった。数十分前の自分を殴り飛ばしてやりたい。

 さっきまでは今日の晴天に少なからずご機嫌だったのだが、俺の心にはすっかり雲が被ってしまった。『何事も平和に済ませたい』がモットーだったのに、最近薄れてやいないだろうか。絶対平和に終わんねぇぞ、この遠足。

 とはいえ、どうせここで強く断れないのだが。小原が逃がしてくれないだろうし、他の2人も俺を交えて楽しむ気でいるし。これから迫り来るであろう困難に、かなり不安を覚える。

 やれやれ、と俺は小さく溜め息を1つ。そのささやかながらの抵抗も、すっかり遠足ムードの3人には届かず。それでも、顔も知らない奴よりかはマシか、とプラスに考える自分もどこかにあった。

 

 

 

 




主人公の鞠莉さんに対する扱いが酷いのは悪しからず。作者が嫌っているとか、そんな事は決してありませんので。にしても、彼女は動かしやすいですね。

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協力も悪くない

2期でのルビィちゃんがひたすらに可愛くなってて良き。というか、1年組が尊い。


 かくして、遠足の日はやってきた。俺たち2組がやってきたのは山。内浦周辺に住んでいる俺にとっては海の方が馴染みが深いため、場所が山だと聞いたときは少々意外だった。バスに揺られて2時間、無駄に遠いところまで来ている感は否めない。

 惜しむらくは天候か。4月の中旬にしては気温が低く、さらには雨雲もちらほら覗ける。遠足には全くと言っていいほど向かない天気なのだ。山の天気が変わりやすいのもあって、雨具は必須。早々についてない。

 

「生憎の天気ですが、せっかくの遠足です。班のメンバーと協力して、互いに親睦を深められる良いものになるようにしましょう」

 

 なんて事を思ってるだなんて、このスピーチを聞いている生徒は思いもしないだろうな。俺が生徒代表の挨拶を終えると、パチパチと拍手が起こる。一クラス30人程度だから、全体で100に満たないくらいだろうか。

 つまりは、4人1組の班が20とちょっと。遠足の内容は、この山を登って降りるという実にシンプルなものだ。それのタイムを班ごとで競う。途中にはちょっとした仕掛けがあったりするから、それらの対応も求められたり。

 中学生くらいの年頃であっても、競争事には敏感なもの。俺の班でも、小原は特に一番を狙うと息巻いていた。国木田とルビィはその手は得意じゃないのか、若干引き気味だったが。

 

「お疲れ様でした。素晴らしい内容でしたわよ」

「そりゃどーも。8割方心にもないことだけど」

「あら、随分と素直ですこと」

 

 黒澤ダイヤが、端へと引いた俺に対して労いの言葉をかける。今は先生による遠足の諸注意。プランを頭に叩き込んでいる俺たち生徒会からすれば、もはや聞く価値のない話だ。

 黒澤とは、仕事柄一緒にいる時間が長い。俺がこのようにぼやいても、聞き流してくれるくらいには。それに、最近は共通の悩みもあるわけで……。

 

「ところで……、あなたの班大変じゃありません? 鞠莉さんに加えてルビィもいるんでしょう?」

「否定はしない、というか平和には終わらないだろうな」

「心中お察ししますわ」

 

 黒澤は、やれやれという風に同情の目を向ける。共通の悩みというのは、ルビィについて。もちろん、黒澤がルビィを嫌っているとかそういう訳ではなく、ルビィの手の掛かり具合を共感できる仲間みたいなもの。

 そんなわけで、俺と黒澤が揃えば、決まって話題はルビィのものになる。殆どが黒澤の愚痴で、俺は聞き手に回るばかりだが。今日もアイツが寝坊しただの、自分のプリンを食べられただの……。俺の想像を上回る酷さだったのは覚えてる。

 ただ、その愚痴がルビィへの嫌悪に聞こえたことはない。呆れ半分ながらも、黒澤が話すときはいつも笑顔だ。世話の焼けるところが多いながらもその実妹(じつまい)を愛している、そんな表情。少し羨ましい。

 

「大丈夫かしら、あの子」

 

 ポツリと黒澤が呟く。彼女の視線は前に座っていたルビィの元へと。やっぱり心配なのか。今回の遠足は言ってみれば登山。見るからに体力の無さそうなルビィにはキツい上、怪我の可能性もある。黒澤の心配も無理ない。

 その目は、心優しい姉のものだった。いつもはお堅いだの、真面目だの言われる生徒会長のそれとは違う。特徴的なつり目による威圧感などは無く、ひたすらに妹の身を案じている。

 

「心配すんな。中継地点には先生もいるし、いざとなったら小原も俺もいる。最悪、リタイアだって出来るからな」

「真哉さん……」

 

 聞き過ごそうと思えば、聞き過ごせた。俺が何か言っても気休めにしかならないだろうから。だが、俺にはそれが出来なかった。黒澤を安心させねばという使命感に似た者を感じた。

 同じ、妹を持っていた身として。その気持ちは痛いほど分かったから。

 

「そうですわね。真哉さんがいるなら安心ですわ。妹を……ルビィを頼みますわよ」

 

 はいよ、と俺は軽く返事を返しておく。黒澤の表情が少し和らいだみたいで、俺はほっとした。先生の諸注意は、いつの間にか終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 全体での諸注意を終え、とうとう遠足は幕を開ける。どの班も遠足への参加意識はかなり高いようで、我らの班こそが1位になるのだという意気込みが各地で沸き上がっていた。

 それを裏付けるかのように。どの班もスタートと同時に駆け出して山を登っていく。それはもう昼休みの購買の如くに。豪華景品があるわけでもないのに、随分とまぁやる気な事で。

 だが、俺たちの班は他とは少し違っていた。なにせ、圧倒的にスタートダッシュが遅いのだ。ゆっくり歩いているから、という理由もあるのだが、主な原因はそれだけではない。

 

「ひぃ、はぁ。ま、待って~」

「何でいきなりこっちを選んだずらぁ……」

 

 後ろから聞こえるくたびれた声に、俺と小原はまたもその歩みを止める。スタートして20分。国木田とルビィは、俺たちのペースについて来れなくなっていた。この2人が運動が不得意というのもあるが、一番の原因はこの急な山道だろう。

 

 

 実はこの山、イージーコースとハードコースの2つに分岐している。どちらを選ぶかは自由だが、登りと下りで違うコースを選ばなければいけないというのがルール。つまり、どちらかでハードコースを歩かなければいけない。

 他の班は早く頂上に着こうと考えたのか、ほとんどがイージーコースを登っていった。対する俺たちが登りで選んだのは、ハードコースだった。

 

「登山は下りの方がキツいんだ。それに、帰りは疲れも溜まるだろうしな」

「シンヤは2人の安全と体を心配してるのデース!! んもぅ、優しいんだからぁ」

「うっせ。俺だって楽したいんだよ」

 

 3年生かつ何かとアクティブな小原は、まだ俺に軽口を叩けるくらいの余裕があるようだった。相変わらず俺をおちょくる彼女を無視し、俺は2人を待つ。

 登山は下りの方が辛いというのは、個人差もあるが概ね本当だ。さっきいったように疲れも溜まるし、自分の体重が膝へとのし掛かるためである。

 足を痛めては元も子もない。他の班に流されてペースを見失うのも危険だし、登りをハードコースにしたのは正解だった。

 

「1回休憩にするか? この問題も考えなきゃだし」

「さ、さんせいでーす……」

「オゥ、クエスチョン? あ、さっきの立て札にあった奴ね。見せて見せて」

 

 俺の提案した休憩案には、ルビィも花丸も大賛成。2人はその場に座り込み、水筒の中のお茶をゴクゴクと飲んでいた。その様子を一瞥した俺は、紙にメモした問題に視線を移す。

 この遠足は、ただ登り下りのタイムを競うだけではない。どちらのルートにも問題の書かれた立て札が設置されており、これを解かなければならないのだ。問題の正否は、勝敗を決めるポイントにもなってくる。

 小原も、俺の持つ紙を覗き込む。彼女は早々にも問題が分からなかったのか、フクロウみたく首を傾げていた。正直、俺も頭を悩ませている。

 問題は『沼津に縁のある小説家を選べ』。そして、その選択肢が『芹沢光治良、野上弥生子、小林多喜二、太宰治』の4人。ぶっちゃけ、全く分からない。というより、太宰治以外は作品すら分からないという始末。

 

「分かるか?」

「ソーリィ~。私、日本文学なんて読まないもの……」

「だよなぁ。俺もさっぱり」

 

 完全に止まってしまった。小原はこう見えて博識だから、結構頼りにしていたんだが……。まぁ、分からないものは仕方ないよな。俺も知らんし。

 俺たちが頭を捻っている姿を見て、1年2人もこれに反応した。とはいえ3年の俺らがこんな状態だから、国木田やルビィが分かるとは考えにくい。最悪、4択だから当てずっぽうでもいいけど。

 俺がそんな事をぼんやりと考えていると、国木田が何か思い出したかのように手を打つ仕草を見せた。モヤモヤしている3人とは違って、スッキリとした表情。

 

「マル、まさか分かったの?」

「はい。答えは、芹沢光治良先生ずら。沼津の出身の小説家で、おらも敬愛してるの」

「ほぉ」

「スゴい、花丸ちゃん!!」

 

 全力で褒めちぎるルビィに対して、国木田はニヘラと表情を崩した。これは思わぬ伏兵だ。そういえば国木田は図書委員だったな。彼女の見聞の広さに、俺は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 

「体力はないけど、本の事ならお任せずら!!」

「そりゃ助かる。だけど、登る方もしっかりな」

 

 自慢げに胸を張る国木田。この遠足を有利に進めるには、体力自慢だけ集めればいいわけではない。問題を解くことの出来る、見識も必要不可欠。総じて、チームワークが大きく勝敗に関わってくるのだ。

 

 

 国木田のおかげで問題を無事に解くことができ、俺たちは再び登り始めた。ハードコースと言われるだけあって、かなり難儀する。道もしっかり整備されてはないし、傾斜も急だからだ。イージーコースは階段だと聞いたから、いかに辛いかは言うまでもない。

 山の中腹に差し掛かるにつれて、疲労は自身のカラダにズシリとのし掛かる。かくいう俺も、取り分け体力がある方ではない。隣を歩く小原も辛そうだし、後ろのルビィと国木田は言うまでもない。

 だが、2人は立ち止まることをしなかった。足が棒みたいになってるくせして、必死に食らい付いている。たかだか遠足、一学校行事に過ぎないというのに……。

 

「大丈夫か?」

「はっ、はい。まだ頑張ります!!」

「フラフラのくせによく言うよ……」

「も、問題ありません!!」

 

 返事の威勢だけは未だに良かった。体力が限界に近くても、気力はまだあるということ。コイツの声からは、諦めない姿勢を感じられた。そんなルビィの姿勢に魅せられて、国木田もついてきている。

 箱入り娘にしては、大した根性の持ち主じゃないか。黒澤の話を聞く限りだと、もう少し情けないイメージがあったのだが。辛そうな表情こそ隠せないものの、ここまで弱音は何一つ吐いていない。

 どうやら、コイツに対する評価を少しだけ改めた方が良さそうだ。俺の予想以上に、ルビィは甘ったれていない。ドジで間抜けなところも多いが、決して投げない意志がある。これは、そんなに簡単な事ではない。

 とはいえ、疲労の色は隠せない。休憩をさせることも考えたが、恐らく自分達のペースが遅いのを危惧して断るだろう。たかが遠足、そんなものは気にしなくていいというに。だが、それを言ってしまえば、ルビィの根性を踏みにじる事になる。それだけはしてはいけない。

 ルビィの意志を尊重しつつ、今の状況を改善する方法。俺の頭によぎったのは、1つしかなかった。

 

「お前が無茶すると、俺が黒澤に怒られるんだよ。荷物持ってやるからよこせ」

「え、え? そういう訳には……」

「班長命令。小原、国木田の荷物持って歩けるか?」

「オフコォース!! マリーはまだまだ元気デース」

 

 さすがに2人分の荷物は無理だからな。小原の体力がまだ残っているのが幸いだった。こういう時、コイツのパワフルなところは頼りになる。

 俺は、半ば強引に奪い取る形でルビィのリュックを肩にかける。少し渋っている様子を見せていたが、無視しておいた。本当は気遣う余裕もないくせに。……とカッコつけては見たが、結構腰にくるな。

 

「ほら、もうちょっとで山頂だ。頑張れ」

「真哉さん……。ありがとうございます。絶対に一番になりましょう!!」

 

 いや、その気は別にないんだがな。と、俺は心の中でぼやく。黒澤と約束したからってのと、コイツの根性を垣間見たから……ってのが本音。ルビィはどうやら、タイムを短くする上での協力だと受け取ったらしい。

 俺の差し出した手をルビィが受け取り、小原と国木田もそれに倣った形を取る。動いた分だけ体温が上がっているのか、ルビィの華奢な手はほんのり温かかった。

 おやおやぁ? と腹の立つ視線を向ける小原を無視して、俺は歩み続ける。自分でもらしくないとは思うが、今この時はこの協力体制を好きだと感じた。行く前は面倒臭がっていたのに、随分と自分も勝手なものだ。

 自然と、4人の歩みは速くなる。俺と小原に関しては、荷物を抱えているというのに。さっきまでは遠く感じていたゴールが、身近に感じた。俺は、ふと視線を上げる。天気は曇りのはずなのに、山頂から差し込む光は眩しいくらいだった。

 

 

 




ルビィちゃんは、ああ見えてかなり芯の通ってる子。そういうところも彼女の魅力だと思うので、2期でそういう話が見たかったり。

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あの日を思い出した

アニメのルビィちゃん回はまだですか?


 俺たちが頂上に着いた時には、他の班のほとんどが昼食を食べ終えており、下山の準備をしているところだった。自分達の班に比べるとまだまだ余力があるようで、むしろここまでバテている俺たちが不思議なくらい。

 そんな状態だから、昼食を摂るのも他の班より遅い。疲れて喉に通らなかったのか全員食べるのも遅かったし、食べ終わった頃にはもう俺たち以外残っていなかった。

 とはいえ、他の奴らも今ごろはヒィヒィ言いながらハードコースを下りているはず。俺たちは残るところ緩やかな坂道を下るだけだから、少しばかり食休みが長くても一向に問題はない。……まぁ、だらけすぎても困るのだが。

 

「満腹、満腹ずらぁ。もう動けなぃ~」

「そうだねぇ~。お昼寝でもしたい気分……」

 

 生憎、大して天気は良くないけどな。疲れているのは分かるが、この1年2人は些かダラけすぎじゃなかろうか。広げたシートの上に横になる2人は、もう今にも寝息を立ててしまいそうだ。

 

「ほら、早いとこ下山するぞ。……っはぁ、聞いちゃいねえか」

「マルもルビィも、だいぶ疲れてるのね」

「しゃーない。5分だけだからな」

 

 梃子(てこ)でも動きそうにない2人を見て、先に俺の心が折れた。特段この競争に躍起になっているわけでもないし、少しくらい遅れてもいいだろう。食休みをさらに5分伸ばした。

 あのルビィが俺の指示も通らないというのは、よほどコイツが疲れている証拠。まぁ、安全に帰るのが第一だからな。黒澤との約束もあるし……ね。

 その間に、俺は山頂に立てられたボードにそれぞれの氏名を記入する。これはいわゆる登山者名簿というやつ。これに各グループが名前を残していくことで、頂上まで登ったという事の証拠になる。見る限り、俺たちが1番最後のようだが。

 

「あら。叩き起こすかと思ったのに、案外優しいのね」

「……お前、俺を鬼か何かと勘違いしてないか?」

「オゥ、違ったの!? いっつもマリーにはつれないくせに~!!」

「お前とアイツらは別だろうが」

 

 大袈裟なリアクションをとる小原。鬱陶しいと思うときは多いが、別にコイツを嫌いなわけではない。誰に対しても怖じ気づくことなく飄々としている小原と、まだ中学生になったばかりの国木田やルビィの対応が多少変わるのは当たり前。必要過多に厳しくしても、怯えるだけだと思うし。

 だから、俺が特別優しいわけではない。優しいわけではない……はずなのだ。

 

「でも、シンヤは丸くなったと思いマース」

「はぁ? 何をどう見てそう思うんだよ」

「そうね、顔が穏やかになったわ。3年になってから」

 

 反射的に自分の顔を触ってしまった。当然、そんなことで自分の変化が分かるわけはない。だが、小原の言葉で少しばかり動揺してしまった証拠。

 多少なりとも、その自覚はあるということなのだろうか。いや、ないと言えば嘘になる。顔ではないが、最近は気持ちが穏やかになっているのが自分でも分かるから。それに、1年や2年の時ほど学校に通うのが億劫ではない。

 

「俺はいつも通りだ。別に、そこの2人は関係ない」

「あらぁ? マリーはルビィもマルの事も話題には出してないけどぉ?」

「ぐ……」

 

 自ら墓穴を掘ってしまい、小原に責め立てられる。今回ばかりは逃れようがないため、押し黙るしかなかった。全く、余計に鋭いなコイツは。無駄に大人びているというか、掴み所がないというか。

 俺が本当に変わったのだとしたら、それは確かに3年に入ってから。引いてはあの2人……特にルビィに出会ってからということに繋がる。実際のところどうなのか。俺としては、認めたくない事実ではある。

 なぜなら―――ルビィの事は、死んだ妹の影に重ねているだけに過ぎないから。アイツ本人のおかげで変わったんじゃなくて、過去の亡霊が自分に纏わりついているだけ。自分は、未だに縛られているだけという事になる。

 黒澤ルビィは、北谷愛の代わりに過ぎない。本当にそうなのだろうか。俺はまだ、ルビィという人間を分かっていないから中途半端に重ねているのかもしれない。……いかん、頭が痛くなってきた。

 

「……5分経った。下山するぞ」

「ちょっと!? シンヤ、スルーが雑すぎない!?」

「さーて、何の事だか。ほら、さっさと起きろ。帰るぞ」

「ねぇって、ちょっ……。マリーを置いて行かないで!?」

 

 正直、今その話題についてこれ以上考えたくなかった。疲れるだけだし、どうせ答えなんて出やしないから。自己完結させられれば、それでいい。

 俺はルビィに視線を向ける。くぁと大きく欠伸をしているコイツを見ると、今までの自分の悩みがアホらしく感じた。当たり前ではあるが、人の気も知らないで呑気な奴。

 背後からのうるさいわめき声を無視して、俺はシートの上に寝そべっていた2人を起こしにかかる。相も変わらず、のほほんと過ごしていたが。

 先ほどの小原を否定したかったのかは分からないが、少しばかり2人に厳しく当たってしまったのは、反省しなければいけないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

「んんーっ、空気がベリークリアねー」

「登りは景色とか気にする余裕なかったけど、改めて見ると自然がいっぱいずら。晴れてたらもっと良かったのに」

 

 前からは、小原と国木田の楽しそうな声が聞こえてくる。行きとは一転して、帰りはみんなの表情が随分と楽だ。まぁ、簡単なコースを歩いているから当然だが、行きとの比較もある。相対的に見ても、帰りは何倍も楽に感じる事だろう。

 学年別に分かれた行きと違って、俺とルビィ・小原と国木田という列に分かれて歩いている。せっかくだから、行きとは変えようという小原の案だ。

 帰りは傾斜も少ない上に階段があり、かなり歩きやすい。周りが木々に覆われているのもあって、鳥なんかの鳴き声もよく聞こえる。さすがに熊なんかはいないが、野生動物も生息していそうだ。

 

「行きは大変だったけど、楽しかったですね!!」

「……そうか? ずっと歩きっぱなしだし、辛かったんじゃねぇの?」

「そ、それはそうだけど……。真哉さんや鞠莉さんが助けてくれたし、皆で登ったから辛くなんてありませんでした」

「ふーん……」

 

 エヘヘとはにかむルビィ。そこに、嘘や体裁を繕ってるなんて事は全く見られない。今時に珍しいバカがつくほど素直で純粋な性格だから、コイツの思った通りの感想なのだろう。

 これが俗にいう集団行動の良さって奴なのか。部活にも入ってない、こういう催しにも興味を示さない俺からすれば、少し新鮮な体験ではあった。もう少しでゴールだと思うと、高揚感を覚えなくもない。

 平和に終わればいいやと思っていた遠足で、何かを得られようとしている。そう思うと、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 

「靴紐ほどけてんぞ」

「あっ、ホントだ……。そのぉ、待っててもらってもいいですか?」

「はいはい、早くしろよ」

 

 前の2人には先に行ってもらうように言い、俺はルビィが靴紐を結ぶのを待った。リュックを地面に置き、んしょんしょと不器用に靴紐を弄る姿は、なんというかいじらしい。今まではイライラの要因だったそれだが、もう今は仕方ないくらいにまで容認出来ている。

 俺は休憩がてら腰を下ろして、周囲を見回す。行きは誰とも出会わなかったのだが、今こうして見るとこちらのコースは一般の登山者が多い。家族連れで登る人、お年寄りの方、カップル等々。やっぱり、登りやすいからだろうか。

 

「こんにちは。あら、遠足かしら?」

「えっと、そうです。こんにちは……っぷ!?」

「ふふ、ごめんなさい。人懐っこい子なので」

 

 俺に唐突に話しかけてきた女性もまた、一般登山者の1人だった。登山者にしては珍しく犬を連れており、短めのリードで繋がれていた。まぁ、この緩やかな道なら犬連れもあり……なのか?実際、そういう人はいるし。

 とはいえ、出会って間髪入れずに舐めてくるのは勘弁してほしいんだが。動物が嫌いって訳ではないけど、気持ち悪い。なんかヌルヌルするし。

 興味が俺から逸れたのか、犬はルビィへと視線を向ける。フンフンと匂いを探りながら、ゆっくりと近づいていく。当の本人は、靴紐を結ぶのに夢中で全く気付いていないが。

 

「よし、片方結べまし……ぬわっぷ!? な、な、なにごとで……ヒィィィィィィ!?」

「俺を盾にするな」

「だ、だってぇ……」

 

 そりゃあ、いきなり舐められたら誰だって驚くが……。ルビィは俺の背中に隠れてブルブルと震えている。コイツ犬ニガテなのか。どちらかというと、動物は好きそうなイメージがあったんだが。って、今はどうでもいいか。

 犬からしたら、逃げるルビィに興味を示したのだろうか。女性のリードから離れて、ルビィをグルグルと追い回している。俺の周りで遊ぶな。

 

「うぇぇぇぇぇん!! 真哉さん助けてー!!」

「はぁ……。分かったから、俺から少し離れろ」

 

 ルビィが俺から離れると同時に犬もその背中を追うが、俺が背後から掴んでその動きを止める。暴れだすかと思ったが、案外大人しく止まってくれた。全く、人騒がせな犬だ。

 ルビィは少し離れたところで不安そうにこちらを覗く。心配しなくても、今からリードに繋いでもらうから安心しろ。早く降りないと、小原や国木田に置いていかれるし。

 

 

 ……そう思った矢先だった。

 

「ワウッ!!」

「え、ちょっと!? ケルベロス!!」

「うわぁぁぁぁん、またこっちに来たぁ!?」

 

 ケルベロスて、犬の名前がケルベロスて。他になかったんか。よほどルビィが気に入ったのか遊び相手だと勘違いしてるのか、犬はリードを振り切って一直線。ルビィは全力で走って逃げ出す。

 ちょっと状況がマズい。あの犬は大型のゴールデンレトリバー。ルビィが追い付かれるのは時間の問題だし、もし噛まれでもしたら大変だ。早いところ捕まえねぇと。俺もすぐにルビィの後を追った。

 幸い進行方向には小原と国木田がいる。どちらかに犬を抑えてもらえば……。

 

「小原、国木田!! その犬捕まえてくれ!!」

「シンヤ、来るのが遅いデー……!? ワッツハプン!?」

「な、なんずらぁ!?」

 

 振り返ったら涙目で全速力のルビィに、それを追いかける大型犬。2人の反応は至極真っ当なものかもしれない。当然、突然現れた犬を捕まえるなんて出来ない、

 ルビィは2人をあっという間に通りすぎ、正規ルートを外れて無我夢中で逃げ回る。このまま山の中に迷い込まれたら厄介だ。俺たち3人もすぐに後を追った。

 

「シンヤ、あれは何事!?」

「説明は後だ。ルビィは!?」

「木がいっぱいで……。でもこっちの方向のはずずら!!」

 

 木が多いのと、曇っていることとの相乗効果で視界があまり良くない。もし、このまま見失ったら……。

 正規ルートではないせいか、道は全く整備されていない。歩きにくいことこの上ないし、下手をすれば足を滑らせて二次災害が起こりかねない。だが、急がないと見失ってしまう。どうしても気持ちだけが先走っていた。

 

 

 なんで、なんでこんな事に……。絶対に無事に登山を終えると、黒澤に約束しただろう。さっきまで、楽しかったとルビィが嬉しそうに話していただろう。

 だったら、楽しいまま安全に帰さないといけないんだよ。アイツを笑顔で下山させて、初めて『楽しかった思い出』になるのに。はぐれてしまったら、全てがぶち壊しじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『嫌だ……お兄ちゃん(真哉さん)助けて!!』

 

 

 

 不意に過去の記憶が思い起こされる。燃え盛る業火を目の前に、何も出来なかったあの日。実際に聞いたわけではない助けの声が、シンクロして俺の耳に響く。

 嫌だ嫌だ嫌だ。もう失いたくない。怖い。怖くて仕方がない。もしルビィが遭難でもしたら……。悪い方にしか働かない思考は、俺の歩みをいとも簡単に止めた。

 

「あぁああああああっ!!!!」

「シンヤ!?」

 

 異常を察知した小原が、俺に駆け寄る。何か俺に話しかけてくれてる気がするが、何を言っているのかさっぱり聞き取れない。何も聞こえない。

 頭が割れそうなくらいに痛い。こんなことをしている暇はないのに、カラダが動かなかった。頭痛の次に激しい吐き気。胃の中がグルグルとかき混ぜられ、苦いものが込み上げてくる。

 しまいには、ぽろぽろと頬を伝って雫がこぼれ始めた。なんで泣いているのか、自分がどうしたのか分からない。むしろ、俺が教えてほしいくらいだった。でもそれは更に溢れだして、止まりそうにない。

 その時点で、ルビィを探し出すことは不可能になった。国木田が少し後を追いかけたらしいがそれらしい影は見当たらず、下山して状況の報告を優先することになった。小原の冷静な判断だった。

 

 

 

 

 

 

 下山途中。小原の俺を気遣う声も、飼い主の女性の詫びも全く耳に届かなかった。ただただ放心状態で歩く俺は、さぞかし不気味に映ったことだろう。

 ふと空を見ると、先ほどまで覆っていた雲が分厚くなっていた。ドス黒く染まった空は異様な雰囲気を醸し出しており、まるでこの先の更なる不幸を予兆しているかのようだった。

 

 




途中から大丈夫かなこれ? と思いつつも書き上げた今話。ルビィちゃんが犬ダメなのも、G'sから引っ張ってきました(確かスクフェスの初期SSR)

感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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次は助けるから

久方ぶりの投稿ですね(白目)


 山に登り始める前から天気そのものは悪かったが、ここにきて一層雲が分厚く、積み重なるように空を覆い尽くしていた。それは、今の俺たちの気持ちに呼応しているからなのか。もしそうでなくても、人の不安感を煽るような色をしていた。

 脱け殻のように座っていた俺は、空を見るために姿勢を整える。今のバスの座席からはイマイチ確認することが出来なかったが。俺が動くのを見て、隣の小原は不安そうに覗き込む。

 

 

 あれから下山し終えた俺たちは、班員の1名が遭難した事を教員と生徒会長―――黒澤ダイヤに伝えた。黒澤の表情がみるみるうちに絶望へと染まったのを、鮮明に覚えている。だが、俺たちを責める事もなく、冷静にその時の状況の説明を俺たちに求めていた。ビンタの1発くらいは覚悟していたというのに。

 ルビィを置いて帰れるわけもなく、残った生徒はこうしてバスで待機。今現在、教員が必死の捜索を続けている。だがそれから30分、全く良い報告は聞かない。

 

「シンヤ、外が気になる?」

「別に。雲が増えたなって思っただけだ」

 

 小原に行動を見透かされていたような質問。俺の返答は苦し紛れだった。実際のところは、先生たちが早く戻ってくることを期待している。赤髪のツインテールを連れて。

 外では、黒澤ただ1人がバスの前で待機している。本当は自分だって山の中に行って、妹の名前を大きな声で呼びたいだろうに。一刻も早く見つけたいだろうに。

 その姿を見ると、どうしても居たたまれなくなった。そばにいたところで、何か出来るわけでもない。だが、フラリと体が動いた。

 

「シンヤ?」

「外の空気を吸いに行くだけだ」

「ウェイト。だったら、マリーもついていくわ」

 

 山を下りる時に取り乱したのを心配されているのか、今の小原はやたらと献身的だ。俺の一挙手一投足を気にかけている。その表情に、いつもの軽いノリは見えない。

 いつもなら鬱陶しいと感じる場面。だが、今は小原の優しさが身に染みた。それでも俺は無愛想に、『好きにしろ』とだけ返す。小原はその返事を聞くと満足したのか、俺の後ろを追っていった。

 外に出ると、まず黒澤と目が合った。エメラルドグリーンの宝石はくすんでおり、ハイライトがないように感じるまであった。無理もない。黒澤がルビィの事を溺愛しているのは、彼女の話から十二分に分かっていた。

 

「……あぁ。真哉さんに鞠莉さん。どうかなさいました?」

「バスの中だと息苦しいもんで。小原は勝手についてきただけだ」

「そうですか。ここにいても、私がいるのではあまり変わらないと思いますよ」

「そうか……。本当に、申し訳ない」

「いえ、責めているつもりはないのです。鞠莉さんの話を聞く限り、あなたに非はありません」

 

 その言葉を聞いて、いくぶんか救われた気がする。こんな状況下で、自分の事なんてどうでもいいはずなのだが。それに気付いた時には、さらに自分に嫌悪感を覚えた。

 責任感に潰されると、自分が自分でなくなってしまう。視界がグニャリとして、過去の映像が勝手に映るのだ。それから逃げたかったのもあるかもしれない。俺はまた、恐怖心に身を震わせた。

 それを機敏に感じとった小原が、俺の背中をさする。まるで幼子をあやすかのように、優しい手つきで。普段はふざけているのが常なのに、こういう時は本当に気の回る奴だ。

 

「シンヤ、あまり自分を責めないで」

「大丈夫だ。……ありがとう、小原」

 

 俺たちが外に出て待つこと、30分が経とうとしていた。未だに、ルビィは帰ってくる気配がない。それどころか、捜索に向かっていた先生達が引き返してくる有り様。

 先生全員が捜索し始めて1時間弱くらいだろうか。バスに残された生徒たちを放置しっぱなしにするわけにもいかない。雨が降りだしたら二次災害にもなりかねない。あとは、警察などの捜索隊に任せるのが当然である。

 もしそれでも見つからなかった場合は……。背筋が凍りつく。そんな事があってたまるかと言いたいが、断言出来ない状況だけに苦しい。ここで待っているだけの無力な自分が苦しい。

 

「お前ら、ずっとそこにいたのか。帰るからバスの中に戻れ」

「先生……ッ!! ルビィは、ルビィは……」

「……申し訳ないが見つからない。あとは警察に任せるしかない」

 

 担任の先生の言葉に、黒澤がフラリと倒れるようにバランスを崩す。気付いた小原が辛うじて支えるが、ショックは依然として大きいようだ。

 ルビィを見捨てたわけではないのは分かる。それは先生の残念そうな表情から一目瞭然だし、このままだとキリがないという事からの総合的な判断だったのだろう。間違った判断ではない。

 だが、身勝手な俺たちからすれば到底納得できるものではなかった。このままルビィを置いて帰るなんて……考えられない。でも、その方法は……やっぱりルビィを探しだすしか……

 

「アイツと別れた場所の見当は……つく」

 

 独りよがりな行動が身を滅ぼしかねないのは、俺だって百も承知。仮にも俺は副会長だし、先生達からもそんな突飛な行動をとる生徒には見られていなかったはず。

 だが……人間はいつしも理性だけで動くとは限らない。どんな人間にも譲れないものがある。理性よりも勝るものがある。俺にとって、今の状況がそれに当たるというだけだ。

 今助けに行かないと、絶対に後悔する。また自責の念に駆られ、背負う十字架が増える。それは自分が危険な目に遭うことより、今山に入ることよりもずっとずっと怖い。だったら、どうするのか。

 

 

 

 ――――行くしかない。説教は後で受けてやる。

 

「シンヤ!?」

「真哉さん!?」

 

 背後から聞こえる2人の驚きの声。そして、先生の引き留める声。そのどちらにも、俺は反応しなかった。ただ前だけを見て、真っ直ぐ山の中へ入っていった。

 もう同じ過ちは起こさない。すぐ近くに助けを必要としている存在があるというのに、指を咥えて見ているだけなんて事はもうしたくないから。絶対に、絶対に―――

 

 

 何がなんでも連れて帰ってやる。その思いだけを胸に抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 ルビィがこの洞穴に迷い込んでから、どれくらい経ったでしょうか。時計を持っていないから、時間が分かりません。もう1時間くらいでしょうか。それとも、実は10分しか経ってない? 感覚が麻痺しそうです。

 あのワンちゃんに追いかけられて、ずっと逃げて、偶然洞穴を見つけて。そして、今に至ります。ここは山のどこなのか、見当もつきません。逃げてる途中で靴を片方無くしちゃったし、山の中を歩こうにも歩けない状態。

 

「雨、さっきからスゴいなぁ」

 

 今日は朝から曇っていたけど、少し前からとうとう雨が降りだし始めました。ルビィは雨具なんてもってないし、屋根のあるここに避難できたのは不幸中の幸いだったかもしれません。

 こんな雨の中、みんなはルビィを見つけ出してくれるでしょうか。もしかしたら、もう諦めちゃったかな。そうなったら、ルビィはどうなるんだろう。悪い考えばかりが浮かんで、それがグルグルと渦巻いているような。

 お家には帰れないのかな。もうお姉ちゃんのプリンを食べたりしないし早起きも、宿題だってちゃんとする。だから、帰りたい。帰らせて……。1人は寂しいよ。

 

「おねえちゃん……」

 

 まず浮かんだのはお姉ちゃんだった。2つしか年が違わないのに、何でも完璧にこなすルビィの自慢のお姉ちゃん。いっつも迷惑をかけちゃうばかりだけど、結局今回も迷惑かけちゃったな。

 今回の遠足、お姉ちゃんと競い合えると思ってワクワクしてたんです。こんな些細な勝負、お姉ちゃんは気にもしてないかもしれない。でも、ルビィは気合いが入ってた。何か1つでもいいから、お姉ちゃんに勝ってみたいっていう挑戦だった。

 今となっては、もう笑い話にもならないよね。ルビィは勝負するどころか、こうして遭難しちゃってて皆に迷惑をかけて。自分が嫌になります。

 

 

「ひっぐ……。うぇぇっ、うぇぇぇぇぇん」

 

 ダメです。これ以上はルビィが耐えられませんでした。1人でいることの寂しさとか、自分のドジ具合とか、全てがルビィを押し潰していくのです。

 登りの辛いときは真哉さんに荷物を持ってもらって、頂上まで登れたのに。これでゴール出来れば、楽しかった思い出になるって思ったのに。なんで、なんでルビィはこうなんだろう。何をやっても上手くいかなくて、泣き虫で……。

 頬を伝う涙を、服の裾で拭う。ルビィは昔から泣き虫だったから、もう何度も繰り返して慣れた仕草になっている。それに自分で気付いたら、余計に悲しくなってしまいました。

 こんな時、こんな所を見られたら。真哉さんなら何て言うんでしょうか。『何やってんだ』って呆れられるのかな。それとも、『大丈夫か』って心配してくれるのかな。でも、どっちだっていいんです。

 

 

 

 

 だって、ルビィは―――――

 

 

 

 

「やっぱ泣いてたか。探したぞバカ野郎」

 

 

 

 

 本当は、真哉さんが優しいのを知ってるから。

 

 

 

 

「……ッ!! し、んやっざん……」

「ひでぇ顔しやがって。ほら、早く涙拭け」

「どうしてここが……」

「あん? 靴だよ、靴」

「靴……ですか?」

「これ、近くに落ちてたんだよ。だからこの辺だろうと思ってな」

 

 真哉さんはルビィの顔に、ハンカチを押し付けるように当てる。ちょっぴり痛いけど、それでもちゃんと涙を拭ってくれます。動作は少し乱暴でも、やっぱり優しい。

 そして、真哉さんは脱げて無くしたと思っていたルビィの靴を片方取り出しました。雨でグズグズになってしまっているから、とても履けるものではない。でも、これが真哉さんにルビィの居場所を教えてくれたみたいです。

 真哉さんはそうやって僅かな手がかりを頼りに、ずっとルビィの事を探してくれたんだ。息も乱れていて、わずかに汗ばんでいる。まだ4月なのに。

 それを思うと、せっかく止まっていた涙がまた……。

 

「ぐすっ、ふぇぇぇ……」

「なんでまた泣くんだよ」

「だって、わざわざ探してもらって、みんなにっ、迷惑かけて」

 

 泣いたらもっと迷惑をかけるのに、溢れだして止まらない。ルビィは本当に弱い子です。この期に及んで、真哉さんの優しさに甘えて自分の惨めさを責めている。そんなの、後で1人ですればいいのに。

 真哉さんが繰り返し顔を拭ってくれるけど、それはあまり意味を為さない。堪え性のないルビィに、我慢なんて出来ないもの。必死にこらえようとすると、今度はひぃひぃと過呼吸気味になる。それを苦しいと思って正そうとすると、今度は涙を止められない。

 目の前の真哉さんが顔をしかめる。怒っているのか、困っているのか。どちらにせよ、迷惑なのに間違いはありません。助けに来てもらったのに、ごめんなさい。

 

「はぁ……。今に始まった事じゃねぇだろ」

「ごべ、ごべんなさい……」

「ったく」

 真哉さんの溜め息が耳に響いて、ハンカチが顔から離される。さすがに呆れられてしまったかな。助けに来てもらったのに、いつまでも泣きじゃくっていたら、それもそうですよね。

 でも、突き放されるかと思った次の瞬間でした。ふわりと柔らかく、心地よいものに包まれた感触。ぽわぽわぁって暖かくて、ルビィはふっと落ち着きを取り戻せました。

 そうして、ルビィはようやく気付きます。たった今、真哉さんに抱き締められてるんだなぁって。不思議と恥ずかしさはありませんでした。

 

「し、真哉さん?」

「無事で良かった、本当に。生きてて良かった」

 

 少し苦しいくらいの真哉さんの抱擁。やっぱり男の人なんだなぁって思う反面、それだけ心配してくれたんだとも感じ取れました。そう思うと、ちょっぴり嬉しいです。不謹慎だけど。

 真哉さんは慣れた手つきでルビィの頭を撫でる。割れ物を扱うような本当に優しい触れ方。覚えたら癖になりそうな撫で方。今までとは打って変わって丁寧でした。

 自分が言うのもなんだけど、泣いている子をあやすのに慣れてるように思いました。もしかしたら、妹さんか弟さんがいるのかな。真哉さんは面倒見良いし、きっと素敵なお兄さんですよね……なーんて。

 

「……もう大丈夫か?」

「は、はい。ありがとうございました」

「じゃあ、早いとこ帰るぞ。黒澤も待ってる」

 

 ルビィが泣き止んだと知ると、真哉さんはパッと離れます。もっとしてほしいと思ったけど、さすがにワガママは言えません。えへへ、でも気持ち良かったなぁ……。

 真哉さんが立ち上がり、パンパンと泥を払う。外は未だにスゴい雨です。真哉さんの傘があるとはいえ、風邪でも引きそう。

 ルビィもグズグズはしてられません。すぐにでも帰ろうと、荷物を持って立ち上がりました。でも、ここで1つ問題があったのです。

 足です。片方は靴を履いていなかったせいもあって、怪我しやすい状態にあったからというのもあります。それ以上に、今までは不安感に押し潰されて気付かなかったんでしょう。

 とてつもなく――――足が痛いです。

 

「何やってんだ?」

「すいません。その、どこかで捻っちゃったみたいで」

「はぁ……しょうがねぇな、全く。ほら」

 

 真哉さんはそうぼやくと、腰を落として構えました。手を後ろに回して、早く乗れと言わんばかりに手首で促します。……これは、おんぶって奴ですよね。

 少し躊躇いました。山の中を歩くのに、荷物を背負っている状態の人を1人背負うわけですから。真哉さんにまで怪我を負わせるんじゃないかって思ってしまいます。

 でも、真哉さんはルビィが躊躇するのを予想していたようで、少し強めの語気で催促します。ルビィが歩けないのも事実。早く帰らないといけないのも事実。背に腹は変えられません。

 真哉さんの傘を手に、背中へ抱き着く。すると、真哉さんはいとも簡単にルビィを持ち上げました。そうして、洞穴の外へと歩き出します。意外と力持ちなのかな。

 

「その、重くないですか?」

 

 昔恋愛小説で読んだシチュエーションに似てるな、とのんきな事を思ったのでこんな事を聴いちゃいました。定番のセリフですよね。女の人が男の人におぶさる時、決まってこう聴くのです。

 そして、返ってくる答えも決まっています。……普通なら。

 

「人1人に荷物だぞ。重くないわけねぇだろ」

「むぅ……」

「なんで不満そうなんだよ」

 

 こんな感じで、真哉さんにはバッサリと言われちゃいました。具体的な数値まで出さなくても……。ルビィ、太ってないですからね!! ほぼ毎日プリン食べてるけど、太ってませんから!!

 まだ梅雨でもないというのに雨は強くて、傘1つ分だと2人は完全に守りきれなくて。最初はルビィ自身よりも真哉さんを濡らさないようにしたんだけど、それに気付かれてからは『お前を濡らさんために渡したんだ』って真哉さんに止められました。

 自分が濡れるのも厭わず、重い荷物を背負ったままで。それでも、文句1つ言わずに運んでくれる真哉さんには感謝せずにいられません。無事に帰れたら、お詫びに何かプレゼントしようかな。真哉さん、何なら喜ぶんだろう。

 不思議なことに申し訳なさと同時に、次第に楽しみも膨らんできて。ルビィはより一層真哉さんの背中に抱き着きました。2つ上の先輩の背中はとても暖かくて―――。とても安心できるものだったんです。

 

 

 

 




ルビィちゃんの視点って難しいですね……。
とりあえず、次回でこの小説も一区切りつけられそうです。恐らく年が明けてますが()

感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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ずっと抱えていた

アニメ終わっちゃったなぁ……


 あの遠足の日から、3日が経とうとしていた。あの後、ルビィも俺も無事に帰ることができ、何とか事なきを得たのだ。勝手な行動をとったことに関して、小原に大目玉を喰らいはしたが。

 遠足の日こそ悪天候だったものの、ここ最近は清々しいくらいの晴天が続いている。家の中から見ても、太陽の光が眩しくて目を覆うほどだった。外に出たら更にそう思うこと請け合いだろう。

 だが、正直俺の気分はそれほど晴れやかではない。どちらかといえば、遠足当日の天気に近いレベルだ。まぁ、その天候のせいで今の状態になっているといっても過言ではないのだが。

 

「37.8℃……クソったれ下がらねぇ」

 

 体温計を脇から外し、椅子の上に無造作に放り投げる。どれだけ悪態をついても熱は下がらないし、今日も大人しく寝ているしかない。……いや、もう1日中たっぷりと寝たんだが。

 遠足から3日。俺は1度も学校に行っていない。理由はお察しの通り、下がらない熱。医者曰くただの風邪らしいが、一向に熱は下がる気配を見せない。今日だって起きては寝、起きては寝を繰り返しているのだ。もう夕方だし、このままだと明日も休みかねない。

 多分、ルビィをおぶった時に雨に濡れたのが原因だったんだろうなぁ。いくら春になったとはいえ、傘もささずに歩いていたら風邪も引くか。

 

「クソ、頭重い……」

 

 対するルビィは、俺が傘を貸した事もあって雨に濡れることなく、翌日から元気に学校へ通っているらしい。黒澤が心配のメールと共にそう言っていた。アイツが元気にしているなら、この状態もまだ救われるか。

 とはいったものの、3日間も熱が下がらない状態が辛くないはずもなく。冷えピタ、氷枕、風邪薬の三銃士が、もはや役に立たない現状のせいで頭を抱えたくなる。親もまだ仕事から戻らないし、本格的に対抗策がなくなってきた。

 

「……腹減った」

 

 何か口に入れれば気も紛れるだろうか。寝過ごしたせいで昼食も摂っていないし、そうしようと決めてベッドから起き上がる。うん、少しフラつくが歩けるだろう。

 壁を支えにして1歩1歩ゆっくりと歩く。俺がリビングに出たとちょうどその時。よく通る音でインターホンが鳴った。

 ……出た方がいいんだろうか。ベッドで寝ていたら居留守でも決め込めたのに、本当にタイミングの悪い。くだらん勧誘やセールスだったら、どうしてやろうか。

 熱のせいもあってか、イライラは普段より3割ほど増し。何とか玄関まで辿り着くと、無造作にドアを開ける。だが、そこにいたのは意外な人物だった。

 

「こ、こんにちは……急にごめんなさい」

 

 紅いツインテールを揺らし、頭を下げるルビィ。下校途中なのか、制服姿のままだ。どうして、コイツが俺の家を知っているのか。

 

「何をしに来た」

「その、真哉さんがずっと休んでるって聞いて。それで、鞠莉さんからお家の場所を教えてもらって……」

「……はぁ、上がれ」

「お、お邪魔します……」

 

 相変わらずオドオドしているルビィに対して、俺は溜め息を1つ。このやり取りも、3日ぶりと思えば久しぶりに思えてくる。……すっかり習慣化してしまっているな。

 先ほど俺が感じた疑問はスッと解けた。小原が教えたのか。勝手に人の家を教えるのは感心しないが、今回はまぁ許してもいいだろうか。アイツだって、良かれと思ってルビィを送り込んだんだろうし……多分。

 俺は布団に潜り込み、ルビィを部屋の椅子に適当に座らせる。先ほど起き上がったのは空腹のせいだと気がついたのは、その後であった。ルビィは落ち着かない様子で、俺の部屋をキョロキョロしている。

 

「あんまりジロジロ見ても、面白いもんはねぇぞ」

「あ、すいません。その、男の人の部屋って初めてなので……あっ」

「どした」

「いえ、あの飾っている衣装。ルビィも知ってるものなので」

 

 ルビィはそう言うと、洋服タンスに掛けられていた衣装を指差した。白い生地に深緑のリボン、そして赤いスカート。確かに、俺の部屋にあるものでは明らかに異色だ。

 そういえば、ルビィはアイドルが好きだと聞いた記憶がある。黒澤とは似ても似つかぬ、だがルビィらしいと思える好み。だからこそ、すぐに反応したのだろう。

 もちろん、俺が着るために飾っているわけではない。いや、誰かが着るためにあるわけではない。アイツが着る『予定』ではあったが、もうその時は永遠に訪れない。

 

「真哉さんも、アイドルが好きなんですか?」

「俺じゃない。好きだったのは俺の妹だ。そこに写真があるだろ」

 

 俺は本棚の上に飾っている写真を指差す。そこに写っているのは、俺が中学1年の頃に撮った写真。秋葉原に旅行に行ったときのものだ。俺の隣で、黒髪をツインテールに縛った少女が歯を見せて笑っている。

 俺の妹、名は愛。臆病でドジで、世話のかかるやつだった。それでもアイドルには目がなく、その手の話題にだけは強く反応を見せた。将来の夢はアイドルだと胸を張っていうほど、アイドルに対して真摯だった。

 

「わー、可愛い!! 妹さん、アイドルみたいです」

「……そりゃ最高の褒め言葉だな。聞いたら喜ぶだろうよ」

「ルビィと同じくらいの年ですよね? 学校では見たことないけど……」

「死んでるからな」

 

 俺の放った何気ない一言に、ルビィの表情は凍りついた。まぁ、妥当な反応だろう。もし生きていれば今年が中学校入学の年になっているはず。そう、コイツと同い年である。

 もし同じクラスだったら、似た者同士意気投合していたに違いない。その分俺の苦労も倍増しするであろう事を思えば、手放しでは喜べないが。そんな心配も、ただの『たられば』に過ぎない。

 

「その、ごめんなさい!! ルビィ無神経で……」

「妹の話を始めたのは俺だ。お前が謝る必要はない」

「本当にごめんなさい。……あっ、ルビィりんご持ってきたんです。剥いてくるので、台所借りてもいいですか?」

「あぁ、好きにしろ。果物ナイフは引き出しの中にあっから」

 

 気を使ったのか、その場に居づらくなったのか。ルビィはトテトテと台所へ向かう。小さなアパートだから、ドアを開けばベッドにいながらでも台所の様子が伺える。正直な話、アイツが指を切らないか不安でしかない。

 とはいえ、さすがに自分が出来ないことをしようとは思わないだろう。家庭科の授業でさえ、りんごの皮剥きはやるし。さすがに過保護すぎるかと思い、俺は再び洋服タンスに目をやった。

 今となっては伝説となったアイドルが、実際にステージで使っていた衣装。これは、それをモデルに作られたコスプレ用だ。誰にも着られなくなったそれは、買った当時から色褪せる事はない。衣装としての役目を果たせないまま、ずっと飾られたままである。

 

「やっぱ、この焦げ目立つな……。ハハッ、これでも煤は落としたのに」

 

 俺はカラダを起こすと、スカートについた黒い焦げを手で触れた。赤いスカートに似つかわしくないそれは、異様な存在感を放っている。服の部分の方は見た目は何ともないが、スカートだけはどうしても目立つ。

 2年前、俺の妹は11歳という若さでこの世を去った。理由は火事。どこの誰かも分からない全く関わりのない奴に、真夜中家を燃やされたのだ。ようするに、無差別な放火に巻き込まれたということ。4人家族だったうち、残ったのは俺と母さん―――そして、あの衣装。愛が遺したものだ。

 忘れもしない、あの日の出来事。俺から何もかもを奪った、悪夢の日……。

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 俺は愛を助けられなかった。火の回りが早くて、彼女は部屋に閉じ込められたまま出てこれなかった。俺は何度も助けに行こうとした。でも―――怖くて動けなかった。自分はいち早く避難し、そのまま家族を見殺しにしたのだ。

 あれから、ずっと幻聴と頭痛に苛まれるようになった。もういるはずのない妹が、なぜ自分を助けなかったのかと恨み言を残していく。本当は違うと分かってても、それが本物に聞こえてしょうがない。

 ずっとずっと後悔して生きてきた。4人家族の、うち2人を失う事は、まだ当時中学1年の俺には早すぎたのだ。その重責と悲哀の重みに耐えられず、俺は次第に心を閉ざした。失うときはあっという間、ならばもう何も得なければいいんだと。

 だが、そんな俺の領域に容赦なく侵入してくるヤツがいた。ドジで泣き虫だが、自分の芯を持っている2つ下の後輩。その純粋で真っ直ぐな性格は、俺が霞むほどに眩しく。そして……どこか妹の面影があった。

 まだ出会って間もないというのに、俺は少しずつ――亀が歩くようにゆっくりとではあるが、何かが変わっている気がする。自分でも分からないが、確実に何かが……。もっと一緒にいれば、いつの日か分かるだろうか。そして、また昔みたいに笑えたら俺は……。

 

「……」

「あ、起きました? その、りんごの皮を剥いてたら、真哉さん寝ちゃってて。無理に起こすのもどうかなって思ったので……」

 

 とたんに夢から覚める。俺の視界に映ったのは、安堵したルビィの顔。いつからこうだったのか、机の上には切り分けられていたりんごの乗った皿があった。俺は、ゆっくりと上半身だけを起こす。

 

「それは悪かった。それより、その手は……」

 

 俺が空いてる方の指で指したのは、いつの間にか塞がっていた左手。ルビィのその小さな両手が、俺の手を包んでいた。

 俺がそれに言及するとルビィは申し訳なさそうにしたが、別に嫌な気分はしない。むしろ、悪くないくらいに思っていた。さっきまで感じていた不穏な空気が薄れ、気分が楽になるくらいに。その小さな手は、包容力に満ちていた。

 

「あ、ごめんなさい。結構うなされてたから、不安にならないようにって……。お姉ちゃんもルビィによくしてくれたので」

「そうか」

「すっ、すいません!! すぐに離しますので……」

「いや、そのままでいてくれ」

 

 俺がそう言うと、ルビィは目を丸くして驚いていた。あんまり『らしくない』事を言ったからだろうか。それは俺だって自覚はしている。普段なら無言で離すか、悪態の1つでも付くはずだ。

 それでも、ルビィは微笑みながら一層強く俺の手を握ってくれた。熱のあるカラダには、彼女のひんやりとした手が心地よい。それでいて、人の温もりを感じられた。しばらく忘れていた感覚だ。

 俺は空いた方の手で、自分の目尻をそっと触れる。僅かに残っていた水滴が指先に乗り、俺に全てを悟らせた。そうか、俺は泣いていたんだ。辛い過去から抜け出せなくて。独りを寂しく感じて……。

 

「……俺の妹は、2年前に火事で死んだ。逃げ出せなかったんだ」

「ッ!!」

「あの衣装は、その妹のだ。当時リビングにあったのを、俺が持ち出した。少し焦げてるけどな」

 

 頼まれるでもなく、俺は自分の過去をルビィに話し始める。ルビィの顔が、少し青ざめた気がした。それでも、俺の目を見て真剣に聞いている。

 なぜコイツに話そうと至ったのかは分からない。中途半端に知られたからか、一瞬の気の迷いか。どちらも違う。はっきりとは言えないが、多分聞いてほしいのだ。誰かに打ち明けて、少しでも楽になりたい。そういう気持ちが、今までもあったのかもしれない。

 

「俺は何も出来なかった。母と脱出した後は、燃えていく家を見ていくしかなかった……。助けられなかった」

 

 空いた方の手は、強く握りしめられている。悔しさと自分への怒りが沸々と沸き上がる。あの日、自分の無力さをどれだけ呪ったことか。

 母の静止を振り切って、俺が妹を助けに行けば。自分の少しの火傷と引き換えに、命だけは助けられたかもしれない。燃え盛る火を怖がらなければ。あの衣装を妹に着せられたかもしれない。

 そんな『たられば』を並べても、何か現状が変わるわけではない。頭では分かっていても、後悔とは常に付きまとうものだ。その気持ちは、この2年間何も変わっていない。

 

「弱い……よなぁ。家族を助けられない上、ずっと引きずって生きてるなんて」

「……真哉さんは弱くなんてありません」

 

 俺の話を黙って聞いているだけだったルビィが、初めて口を開いた。それは、俺の自虐を否定する発言。気休めでも何でもなく、本心で言ってくれているというのは目を見れば分かった。

 普段おどおどしているルビィだが、その意見はきっぱりと言い切っていた。それには過度なほどの遠慮も、常に何かを怖がっているような姿勢も感じられない。初めて見せた、ルビィの意外な一面。

 

「ルビィは真哉さんに助けられました。ずっと1人で怖かったところを、真哉さんは大雨の中助けに来てくれました」

「あれは……ただ必死だっただけだ」

「他にもありますよ。出会った時はケガの手当て、お昼ご飯が食べられなかったときは自分のを譲ってくれましたし。あとは……」

「分かった、分かったからもういい」

 

 身を乗り出して訴えるルビィに気押されし、俺はとうとう根負けした。まさかコイツがここまでムキになるなんて思ってなかったから、少し虚を付かれた気がする。なんでいつもより視線が力強いんだか。

 ルビィの羅列したストーリーを頭の中で反芻する。出会ってからの期間の割りに、随分と濃密な出来事があったように感じるな。まだ1つ1つを鮮明に覚えている。

 まぁ、ほとんど……というか全部ルビィが起こしたトラブルだが。よくもまぁこれほどのトラブルを呼び込めたものだ。今俺に力説した事は、ルビィからすれば自分のドジをひけらかしたようなものなのだが、本人に自覚はないだろう。

 

「ふふっ、ルビィの勝ちですね」

「何の競争だ。はぁ、もう俺の負けでいいから。りんご取ってくれ」

「はい、どうぞ」

 

 ルビィから爪楊枝を受け取り、切り分けたりんごに刺して口に運ぶ。体温の上がったカラダには、りんごのみずみずしさが染み渡った。思った以上に綺麗に剥けている。

 少しだけ気が楽になった。身も、心も。

 

「……真哉さんは本当に強いですよ」

「なんでそう思うんだ?」

「逃げないからです。昔の事で悩むってことは、それと向き合ってるってことだと思うんです。それって、すごく強いことじゃないですか」

 

 そんな考え方をしたことがなかった。確かに、1日たりとも忘れたことは事はない。ずっと悩んできた。それでも答えは出てこないし、自分の中で後悔しっぱなしだが。

 目を背けないという点では、俺はルビィのいう強さに当てはまるのかもしれない。ルビィの言い方や雰囲気も、やけに神妙だった。誰と重ね、誰と比較しているのか。もしかしなくても、ルビィ自身だと思うが。

 俺は握られていた手を放し、それをルビィの頭に当てた。いつもの無造作な撫で方ではなく、今回は少し優しく。……そう、俺がかつて妹にやっていたみたいに。

 

「ありがとう、ルビィ」

「えへへ……早く元気になってくださいね。また一緒にお弁当食べたいですから」

「……屋上は俺1人の特等席だったんだがな」

「そんなぁ!?」

 

 本気で落胆するルビィ。その反応がまたおかしくて、俺は小さく吹き出してしまった。もちろん冗談だ。どうせ断っても来るんだろうし。

 

 

 また、学校に行く楽しみが増えた。早く風邪を治さないとな、と俺は心に誓う。教室では小原が騒ぎ、黒澤にまとめて怒られ。1年組といるときはルビィがトラブルを呼び込んで、俺と国木田はそれに巻き込まれる。

 平穏な学校生活を望む俺にとっては、些か喧しすぎる連中。でも、最近はそれも悪くないと考えるようになった。その方が変に考え込む必要も、そんな暇さえも無くなるから。

 2年前から、ずっと1面黒塗りだったキャンバス。それに、ただ1つの朱の点が映った。あまりにも小さいが、それは周囲の黒に潰されることなく、キャンバスに存在し続ける。ほんの一歩、ほんの一点。だが確実に少しずつ、その朱の点はキャンバスを紅に蝕み始めた。

 

 

 




自分で書いてて、これは本当に中学生なのかと思いたくなる。一応、これで一区切り。もちろん、物語はまだまだ続きます。

感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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つい言い過ぎて

バレンタインのSSRルビィちゃんが欲しい人生だった……


 ゴールデンウィークが明けた、1年中を通しても過ごしやすい気候とされる5月の上旬。大抵の人は、一月経てば新しい環境にも適応するようになり、俺のクラスも既にいくつかの仲良しグループに分かれている。

 クラスという、1年を共にする集団がまとまるにはまだまだ結束が必要である。だが、結束というものは日常生活の中で簡単には生まれない。裏を返せば、きっかけとなる出来事があればいいのだ。つまり、学校はこの時期を狙って行事――イベントを予定してくる。

 うちの学校では、それは体育祭に位置する。その開催が、もう1週間後に迫っているのだ。生徒会はその進行も任されている。ほとんどの準備は終えているが、今の時期はそれらの最終確認でかなり忙しかった。……全く、次から次へと学校行事を企画しやがって。運営する身にもなってほしい。

 

「松浦、プログラムの確認終わったぞ」

「お疲れ様、真哉。少し休憩しよっか」

「……はー、だりぃ」

「さっきからそればっかり。もしかして五月病?」

「ちげーよ」

 

 松浦果南(かなん)は、頬杖をつきながら俺に呆れるように一言。当然、俺はそんな病気にかかっているわけではない。というか、俺が面倒臭がりなのはこの季節に始まったことではないし。365日いつだって気だるく生きている。

 そんな事はどうでも良くって。今現在、俺たちは生徒会室で体育祭に向けた準備をしている。開会式や閉会式の進行だとか、その他プログラムの確認などだ。リハーサルも間近に控えているし、それに向けてっていうのもある。なんで昼休みにやるんだか。

 俺が不満なのは、仕事が増えている事に対してではない。忙しいのはいつもの事だし。問題は、なぜコイツと2人で仕事をしているのかということである。俺は、この松浦果南という人間が苦手なのだ。

 

「ほら、天気もこんなに良いし。午後からも練習あるし。元気出していかないと」

「だから面倒くさいんだけどな」

「なんで?午後も運動出来るんだよ?」

「へいへい、応援団長様はもう黙っててくれ。頭痛い」

 

 俺がコイツを苦手としている所以である。松浦の性格は結構サバサバしており、あまり細かい事を気にしないタチ。女子の中では珍しい性格で、クラスでも男女問わずに人気が高い。

 逆に、やや神経質な俺にとってはあまり反りが合わないといえるが。ずっと書類の確認をしていた今でさえ、松浦の机の上は文房具やらプリントやらが散乱している。目につくから片付けろ……ってのはエゴではあるのだが。

 普段生徒会に属していない松浦だが、今回は別。応援団長という、この体育祭におけるリーダー的なポジションにいるのだ。基本的に男子生徒が多いのだが、彼女の高い運動能力とその性格から反対するものはいなかった。そういうわけで、彼女はこのように運営にも携わってもらっているのだ。

 

「そうは言っても、真哉も体育祭楽しみでしょ? 今年で私たち最後なんだし」

「俺は興味ねぇの。運動だって好きじゃねぇし」

「競技には真剣になってもらわなきゃ困るよ~。クラス対抗リレーに出てもらうんだから」

 

 

 その単語を聞いて、また俺の気が重くなった。クラス対抗リレーである。この競技はクラスで男女4名ずつを選抜し、リレーを行うというものだ。1、2年の時は体調が悪いとか足を痛めたとかで回避してきたが、とうとう今年は選手になってしまった。結局、無駄に出る競技が増えるだけで何一つメリットがない。

 俺の出場する競技は、このクラス対抗リレーに加えて個人種目の障害物競争、それと全校男子の競技と学年競技。計4つである。……多い。

 体育祭と文化祭。正直どちらも好きではないが、どちらかといえば体育祭の方が嫌いだ。カラダを動かさないといけないし、何より手抜きが出来ない。いっその事本番を休みたいくらいだが、それも立場上難しい。 頭の痛い話である。

 

「その競技、俺が出ないとダメか? 他にも足が速い奴はいるだろーが」

「ダメ。真哉は足速いのに、今までもサボってきたらしいじゃん。最後くらいは出とこうよ」

「余計なお世話だっての」

 

 さらっとメンバーチェンジを促してみるも、あえなく玉砕。どうせメンバーの登録がもう終わっているから、大怪我でもしない限りは交代不可なのだが。さすがに、これの欠場の為だけに怪我をするわけにはいかないし。

 はぁ、と俺は頭を抱えながら弁当箱に手を伸ばす。最近は昼休みも仕事に取られるせいで、ろくに昼食を取ることもままならない。生徒会室で仕事をしながら……ってのがお決まりになりつつある。もちろん、屋上になんて行けるわけがない。

 

「そういえば、真哉にお願いがあるんだけど……。紅団の副団長がさ、足を骨折しちゃったじゃん?」

「へー、初めて知った」

 

 松浦はおにぎりにかぶり付きながら、俺に尋ねる。紅団の副団長――すなわち、松浦のパートナーに当たる人物だ。クラスは違うし、面識もないから骨折のニュースなんて初耳だった。

 だが、俺へのお願いとそれが何の関係があるのか。俺は興味がないと遠回しに言うように、弁当を咀嚼しながら松浦の言葉に応える。

 

「だからさ、彼の代わりを真哉にしてくれないかなーって」

「んぶふっ!? は、はぁ!!?」

 

 あまりにも驚いたせいで、おかずが胃じゃなくて肺に入りそうになった。というかコイツなんて言った? 代理とはいえ、俺に副団長をやれと? 今の今まで面倒だの何だの言ってた俺に、よく頼む気になれたなお前。

 当の松浦というと、俺がむせている理由も全く分かっておらず首を傾げる始末。というか、気づけこのバカ野郎。なんで、自分が変なことを言ったかどうかに疑問を持ってないんだよ。

 言うまでもないが、副団長の代理なんて絶対にお断りだ。みんなの前で『紅団ファイトー!!』とか言えってか。意地でもしたくねぇよそんなもの。

 

「あ、でも副団長の全部の仕事をって訳じゃないんだよ。彼の代わりに旗を持ったり振ったりとか、そんなレベルだから」

「残念ながら何のフォローにもなってねぇぞ、それ」

 

 副団長の仕事を完全にバトンタッチというわけではなく、足の骨折による障害が発生する場合に限り、仕事を代行してほしいというものらしい。まぁ要するに、サポートである。

 とはいえ、それでも俺がやる理由にはならない。ソイツと大して仲が良いわけでもなし、面倒くさい事には変わりがないし。なんだって、人様のためにそこまでしないといけないのだ。俺は聖人じゃないし、生徒会は便利屋とは違う。

 

「あー。ちなみにこれ、決定事項らしいんだ」

「……は?」

「ダイヤと相談しててね。真哉なら大丈夫だろうって。時間もないし……ゴメンね!!」

「なに人の与り知らぬ所で、色々と決めてんだよてめぇら」

 

 本人にお願いする前から既に決まっているとか、どういう事だよ。こういう大事な事って、普通は事前承諾が必要だろうが。事後承諾で済ますな。承諾してないし、したくもないけど。

 一応、松浦の言い分も筋が通っているのがまた困り者。あまりにも副団長の骨折が急だったのと体育祭が本番間近にあるというのとで、副団長の代理を探している暇がなかったのだとか。だから生徒会から選ぶ――なぜか黒澤の推薦で俺になったというわけだ。事務職と副団長だと仕事の種類が違うだろうが阿呆。間違いなく俺は不適任だわ。

 ……頭が痛くなってきた。下手したら、これって全校生徒の前で応援とかしないといけないのか? 黒歴史の代表格になりかねないんだが。本人のやりたくないの一存は……もう今さら通らないよな。おかしい話なんだが。

 

「ホントにゴメンね、真哉。仕事増やしちゃって。私としても、知ってる人の方が良かったからさ……」

「どうせ今さら変更出来ないんだし、もう謝るだけ無駄だろ」

「んー……。ま、それもそっか」

「ちっとは気にしろ……」

 

 コイツにフォローなんて入れた自分がバカだと思った瞬間。そうだな、お前は細かいことは気にしない奴だったな。俺にとっては重大事項だけど。

 俺は箸を置き、髪をぐしゃりと掴んで唸った。この行き場のないイライラをどうにかしたい。松浦がもう大して気にしていないのが、それに更に拍車をかけている。俺が机に突っ伏していると、生徒会室のドアが音を立てた。

 

「空いてるよー」

 

 弁当を食べ進めていた松浦がノックに応える。ドアが開いてそこから現れたのは、ルビィの姿だった。かれこれ、最近は見ていなかった気がする。といっても、せいぜい1週間くらいのものだが。

 さっきも言ったが、ここ最近は生徒会の仕事に負われていたせいもあって、昼食はここで済ませる事が多かった。学年の違う俺とルビィの接点なんて、昼休みくらいしかない。そうなれば、自然と会う機会は減るわけで。

『お邪魔します』と小さく呟き、生徒会室へと入ってくるルビィ。もう皆まで言わなくても分かりそうだが、敢えて問いたい。何をしに来た。

 

「ルビィちゃん、いらっしゃーい」

「こ、こんにちは果南さん。それと、真哉さん」

「何の用だ」

「その、最近会ってないのでどうしたのかなーって。お姉ちゃんに聞いたら、ここだって聞いたので来ちゃいました」

 

 えへへと小さくはにかむルビィ。それを見た松浦は、ふーんと俺を肘で小突く。鬱陶しい。ったくこの年代の奴は、どいつもコイツも似たような反応しやがって。

 昼食はいつも通り屋上で、国木田と2人で摂ったらしい。国木田が図書委員の仕事で別れたため、どうも暇になったとか。それで、ふと俺のことを黒澤に聞いたそうだ。

 別にその事を悪く言う気はないが、昼食を食べ終えたらまた仕事である。正直、構っている暇はない。

 

「これからまた仕事だ。悪いが、部外者は出ていってくれ」

「え、あ、はい……。ごめんなさい、ルビィ無神経で……」

 

 それまで多少なりとも笑顔が見られたルビィの顔が、途端に曇ったように落ち込んだ。勝手に来たとはいえ、こうも突き放すような言い方をしたら無理もないか。ちょっと申し訳ないような気もする。

 俺は今までもコイツに対してそれなりに毒を吐いてきたが、ここまで落ち込まれたのは初めてな気がする。俺のなかでも、どうすれば良いか分からなくなってしまった。フォローや謝罪の言葉がイマイチ浮かんでこない。

 先程の唐突な取り決めでイライラしていたのもある。今までの仕事のストレスが溜まっていたのもある。だがそれはただの言い訳にすぎない。俺の言葉で言うなら、ルビィにとって『知ったことではない』情報だ。

 今掛けるべき言葉はそんなものではない。ルビィはそんな俺の事情を知りたいわけではないのだ。言葉探しに試行錯誤していると、松浦が横やりを入れてきた。

 

「真哉、ちょっと言い過ぎじゃない? ほら、会いたくて来たわけなんだし」

「俺はコイツの保護者じゃないんだぞ」

 

 つい、松浦の言葉に反論の声を挙げてしまった。それを利用して素直に謝ることも出来ただろうに、何をやっているんだ俺は。傷口に塩を塗り込む形になってしまったではないか。

 俺が我に帰った時はもう遅かった。そのセリフはまるで、自分に非はないと言っている傲慢な人間そのもの。俺を宥めてくれた松浦にとっても、ルビィにとっても取り返しのつかない一言になってしまった。

 それが決定的となって、ルビィは何も言わずに教室を出ていってしまった。出ていく際に急いで頭を下げたのが、また何とも辛く感じる。あの性格上、自分が邪魔をしたのだと責めているんだろうか。……いや、そう考えること自体が傲慢か。怒っていても不思議じゃない。

 

「追わなくていいの?」

「……今行っても逆効果だろ。それより、早く仕事進めるぞ」

 

 松浦の言葉に俺は一瞬躊躇った。躊躇ったが、席を立つことはなかった。行って何を話すのか分からないってのもあるが、単に行くのが怖かったのかもしれない。面と向かって嫌いだと言われることが。

 だからこそ、俺は松浦も自分自身も納得させるように行かない理由を話した。本当は、すぐにでも追った方が良いに決まっているのに。つくづく自分は弱い人間だと感じた。自分の非を表面に現せられない、弱い人間だ。

 

 

 

 

 結局大して仕事が進むことはなく、次の日また次の日と過ぎていった。俺は途端に屋上に行きづらくなってしまい、生徒会室か教室で昼食をとるようになった。その時にまた自分を訪ねてくるようだったら、開口一番に謝っておこうと決めて。

 だが、その考えそのものが甘かった。いつまで経っても、自分は受け身のままなのだ。直接教室に向かうほどの勇気が、俺にはなかった。拒絶、その2文字が邪魔をしていたから。

 リハーサルでも顔を合わせることなく、そのまま体育祭の本番を迎えることになる。幸か不幸か、俺のクラスとルビィのクラスは、同じ紅団であった。

 

 




果南のキャラが掴めたのか、分からないまんま書き終えた今回。やっぱり、学校行事は多く使わないとねって事で、次回から体育祭です。主人公は、果たして素直にごめんなさいを言えるのか。

感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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ごめんなさいって難しい

ちょっとタイトルの趣向を変えてみましたが、どうでしょうか……?


 清々しいまでに澄みきった青空には、雲ひとつ見られなかった。気温も20℃付近と、暑すぎでも寒すぎでもない。それほどまでに今日は好天。絶好の運動日和だと、ニュースのアナウンサーが言っていたのをふと思い出す。

 校庭には、全校の生徒が紅団と白団に別れて集まっている。グラウンドで競技をする者、テントの下でそれを応援する者、係の仕事に奔走する者。皆が皆、今日という日を充実して過ごしているように見えた。

 今日は体育祭。1学期間の最大のイベントであり、俺たち3年生にとっては最後の体育祭である。そういう訳もあってか、うちのクラスも大いに盛り上がっていた。

 

「紅団ファ~イツ!! ほら、シンヤも声出す!! 一応、副団長代理でしょ?」

「頑張れ~、負けるな~」

「欠片もやる気がない!?」

 

 イベント事が好きな小原はこういう時も元気いっぱいで、応援団でもないのに率先して音頭をとっていた。完全にでしゃばった形ではあるが、他の皆もそれに合わせている。こんな場では、止める方が野暮なのだろう。

 小原と共に皆の前に出ている俺だが、いつも通りといえばいつも通り。皆を引っ張る仕事を小原に任せ、ボケーっと競技が終わるのを眺めていた。今は、個人種目の綱引き。知り合いも居らず、ただただ無関心に見ているだけ。

 午前の部も終わりに近づいている今としては、早く昼休憩にならいかなという切望しか頭にない。それほどまでに退屈していた。そもそも、3年生の競技が軒並み午後にあるのが悪い。俺の出る種目の4つのうち、3つが午後にあるってどういう事だよ。

 

「副団長代理暇そうだねぇ」

「その名前で呼ぶな松浦。何しに来たんだよ」

「いやぁ、いつも暗い真哉が更に暗いように見えるからさ」

「心配してんのか? それとも、けなしてんのか?」

 

 俺の問いに、松浦は『どっちも?』とマイペースに答える。相変わらず、人の神経を逆撫でするような奴だ。小原とは別のベクトルで苦手というか何というか。

 というか、俺はいつにも増して暗いのか。確かに明るいとは正反対ではあるが、別段何か自分が変わったというような意識はない。ここ最近で、何か変わった事といえば……

 

「やっぱり、ルビィちゃんの事気にしてるんじゃないの?」

「何を根拠に。ってか、何で真っ先に思い付くのがそれなんだよ」

「何だかんだいって、それしか思い付かないし。(はた)から見ても仲良いし」

 

 確かに、最近俺の身の回りで一番変わったことではある。ルビィとは、ここ数日間話すどころか顔も合わせていない。今まではほぼ毎日会って、そこそこ会話をしていたというのに、だ。

 それが松浦の疑問の答えになるかといったら、分からないところではあるが。事実、今松浦に言われて初めて意識したくらいだ。それほどまでに、今日の俺は思考が空っぽだった。

 今まであった午前の競技で、内容を覚えているのはいくつあるだろうか。ふと考えてみる。まず、3年の団体競技であるムカデ競争。さすがに自分が出たものは覚えている。

 あとは個人種目の短距離走。淡白な競技だが、派手にスッ転んだ奴がいて印象に残っている。転んだ奴は……まぁ、言うまでもなくルビィなんだが。そして、1年の団体競技か。これもルビィが……。

 ってあれ? 自分が出たものを除けば、ルビィしか印象にない。さっきもいった通り、大して意識してなかったのに。

 

「うん……うーん」

「あれ、珍しい。すぐ否定しないんだ。へーーーー」

「なんだよその顔は」

「いいや、解決したし。それより真哉、旗持って」

 

 何が解決したんだか。1人合点を打つ松浦は、俺に紅の旗を渡してきた。俺の身の丈以上もある、非常に大きな旗。後ろを振り返ると、綱引きで紅団が勝利を収めていた。

 ……あー、これはアレの流れだな。

 

「紅団勝ったから、ウェーブやるよー!!」

「だと思ったよクソッタレ!!」

 

 悪態をつき、俺は旗を高く掲げながら走る。すると俺が前を通るのに合わせて、座っていた紅団の生徒が万歳をしながら立ち上がった。そして、俺が通り過ぎればまた座る。その様は、さながら人の波。

 短距離走なんかを除き、紅団が白団に勝ったときに行うこのウェーブ。要するに、皆で勝利を喜びさらに士気を高める儀式みたいなものだ。やるだけなら構わないが、俺もこういった風に参加しないといけないのは勘弁願いたい。立場上仕方ないのだが。

 

「真哉、あと1往復して~」

 

 松浦は、そんな俺を容赦なくこき使う。いま1年のテントにいるから、そこから2年、3年のところまで行ってまた戻ってこいってか。見た目より重いんだぞ、この旗。

 とはいえ全校生徒のいる手前サボるわけにも行かず、渋々と俺は旗を掲げて走る。テント内の生徒達は、それに合わせて再びウェーブ。何が楽しいんだと、心の中でぼやく。口には出さないけど。

 

「副団長、もっと楽しそうにするずら~」

「……なんだ国木田か」

 

 1往復し終えて、1年のテントまで戻る。3年のテントに引き返そうとすると、背後から国木田に呼び止められた。思えば、コイツの顔を見るのも久しぶりだ。ルビィとしか接点がない以上、当たり前ではあるが。

 

「お前は運動苦手な部類だろ」

「マルは皆でワイワイ出来るの楽しいから。ルビィちゃんも楽しんでるよ?」

「……そうか。そりゃ何より」

 

 国木田の口から漏れた『ルビィ』という単語に一瞬反応しかけた。勘の鋭い国木田に悟られるのも嫌なので、平静を装っておく。もう本人から事情は聞いていると思うけど。

 俺は横目で1年のテントを流し見る。相変わらず男子は苦手なままなのか、女子の集団の中にルビィはいた。国木田の言葉に偽りはなく、体育祭を楽しんでいるような晴れやかな表情をしている。

 

「ルビィちゃん、あれでも数日間すっごく落ち込んでました。『真哉さんを怒らせちゃった……』って言って」

「あれは俺が八つ当たりしたようなもんだから、気にするなって言っておいてくれ」

「自分で言ったらどうずら」

 

 国木田の正論に、俺は返す言葉もなかった。それが出来れば苦労はしない。ただ、そう言えば行動を起こさない自分を正当化しているのと変わらない。ただ、自分が臆病なだけだ。

 ルビィと同じく国木田も大人しい部類の奴だが、アイツと違って物怖じしない図太い神経の持ち主だ。そのぶっきらぼうな物言いから、多少なりとも怒っている事が見てとれた。

 彼女からすれば、ルビィは唯一無二の親友。そんなルビィに元気がないのだ。生徒会室での事情を知れば俺に非があるのは明白。俺に対して怒るのも無理はない。

 

「素直に謝れば、ルビィちゃんも許してくれるはずずら。そもそもルビィちゃんは怒ってなんかないし、真哉さんから声を掛けてくれるのを待ってるずら」

「それは、ごもっともだが……」

 

 煮え切らない俺の返答に、国木田は頭を抱える。ルビィが怒ってない事を聴いて多少安心はしたが、それでも踏み込む勇気が得られた訳ではない。会ってどう切り出せば良いかも分からない。

 まだ素直だった小学生の頃ならばいざ知らず、この年で面と向かって謝る機会がそもそもあるだろうか。トラブルは避けたい主義だからこそ、波風立てずに過ごしてきた。それ故に、こういった場面の対処に困る。

 

「仕方ないずらね……。真哉さん、お昼はどうするつもりですか?」

「昼? 適当に弁当でも」

「もぉ、そうじゃないずら。場所……とか」

「そこまで決めてねぇけど……。人がいなけりゃ屋上」

「ふむふむ。分かったずら」

 

 昼食の場所なんて聴いてどうするのだろうか。俺のところは仕事の関係で来ていないが、大体の生徒は親と食べるはずだ。場所もグラウンドの他に体育館が開放されている。まず、屋上に来ようという輩はいないだろうが。

 その意図が分からないまま顔をしかめていると、国木田は自信ありげに、しかしどこか悪戯な笑みを浮かべる。『ここはマルにお任せするずら!!』とか言いながら。ちょっと不安だが……信じてみるか。

 まったく、これではどちらが歳上だか分かりゃしない。

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 午前の部最後の種目だった全校女子の棒引きが終わり、一時間の昼食休憩となった。ずっと退屈にしていた俺からすれば、待ちわびたこの時間。騒がしい運動場から離れ、落ち着いて過ごせる時間だ。

 国木田に言った通り、俺は屋上にいる。防犯のために教室には鍵が掛かっているし、開放された部屋は生徒が多い。どのみち、ここに来るしかなかったわけだ。

 国木田が何かしらしてくれるようだが、今は特に変わったことはない。無いなら無いで、静かに休憩を取れるからそれも良いか。そんな事をぼんやりと考えながら、弁当を口に運ぶ。

 頭の中を空にしていた俺にとって、それはあまりにも不意打ちすぎた。屋上のドアが開き、こそっと姿を現したルビィ。突然のことに、俺は咀嚼も忘れて呆然と彼女を見つめる。

 

「ここ、こ、こんにちはぁ……」

 

 ドアを開けたものの、入ってこようとはしない。その場に立ち尽くしたまま、こちらの顔色を伺っているかのようだ。だが、俺は何も答えない。というか、口に物が入っていて答えられない。

 このままでは思わぬ誤解を生みかねない。俺は人差し指を下に向けて、自分の隣のコンクリートを指差した。『ここに座れ』という意図を込めて。

 それを見たルビィは、少し表情が柔らかくなった。屋上へ入って来て、俺の差したところにちょこんと腰かける。それでも、人1人分の隙間を空けるといった遠慮が見てとれるが。

 

「えっと、花丸ちゃんに屋上で食べようって言われたんだけど……。お母さんもお父さんも体育祭に来れないので」

「たぶん、アイツは来ないぞ」

「えぇっ!?」

「俺達ハメられたんだよ。アイツは全部知ってるから」

「全部……ですか?」

 

 国木田との会話の意味が、ここにきてようやく分かった。俺に昼食をとる場所を聞いたのは、ルビィも誘い出すつもりだったからか。こんな事を画策していたなんて、案外侮れない奴だ。

 普段から滅多に来客のいない屋上。邪魔物はおらず、ルビィと2人だけの空間。要するに、国木田は俺が謝るための『場』を設けてくれたわけだ。つまり、そこから先はどうにかしろというメッセージでもある。

 ルビィならば、このまま会話を続けることも出来る。曖昧にしたまま関係を保ち続けることも、決して難しくはないだろう。だが、コイツの中に遠慮はずっと残り続ける。そうなれば、完全に今まで通りとはいかない。ここまでしてくれた国木田にも申し訳ない。

 そして何より―――俺が納得いかない。

 

「こないだの生徒会室でのアレ」

「あっ……。あれはその、ルビィが悪いんです!! ごめんなさ……むぎゅ!?」

「いいから。1回しか言わないから、ゆっくり聞いてくれ」

 

 俺が生徒会室での話を切り出すと、ルビィは必死になって頭を下げようとした。やっぱり、結構気にしていたのか。人に対して謙虚なのは、コイツの良いところでもあり悪いところでもある。

 俺はルビィの頬を片手で両方から挟み、下げた頭を上に向けさせた。そのせいで、ルビィは言おうとした言葉を遮られてしまう。その言葉を先に言われてはダメだ。俺が最初に言わないと、何の意味もなくなってしまうから。

 

「あの時は、少し疲れてて機嫌が悪かったんだよ。心にもないことを言った」

「べ、べぼ……」

「黙って聞け。だからさ、その……あの時はスマン。俺が悪かったよ」

 

 精いっぱいの謝罪だった。キチンと、ルビィの目を見て言った。心の底から謝った。最後の方はもにょもにょしていて、しっかりと伝わったのか分からない。ただ謝るだけなのに、それくらい緊張した。

 ちゃんと俺の想いは伝わってくれただろうか。俺はチラリと視線を落とし、ルビィの顔を見る。

 

「うぶ……」

「えっと、なんで涙……?」

 

 未だ頬を掴まれているルビィは、物理的に歪んだ顔からポロポロと涙を溢していた。あまりにも想定外の表情で、さすがの俺も困惑。これは成功なのか失敗なのか。

 もう塞ぐ必要もないよな、と妙に冷静になっている自分に気付き、俺はルビィの頬を掴んでいた手を放す。ルビィはようやく解放されると頬を抑えた後に、涙をジャージの袖で拭い始める。……もしかして、痛くて泣いていたのか?

 

「真哉さんに嫌われてなくて良がっだぁ……。ルビィが失礼なことしたから、怒られたかと思ってて……」

「そんな事か……。さっきも言ったけど、俺が悪いんだからもう気負うな」

「あ、ありがとうございまずぅぅ……」

「泣き虫だなぁ、お前」

 

 指で涙を拭い取り、優しく頭を撫でてやる。やがて泣き止んだルビィが咲かせた笑顔は、本当に嬉しそうなものだった。ここまで気負わせてしまったなら、素直に謝って正解だったと思う。

 ルビィの笑顔を見て、胸の中にあった憑き物がふっと落ちた気がした。ここ数日、少なからず自分の生活に影響を与えていたものだ。涙は流してないが、実はルビィより俺の方が安堵していたのかもしれない。

 先ほどまで人1人分空いていた、俺とルビィの距離。ルビィは、その距離を半分ほど詰めてきた。俺はその分離れることはせず、金網に寄っ掛かるだけ。

 

「また、前みたいにお話してくれますか?」

「いいよ」

「また、一緒にお弁当食べてもいいですか?」

「好きにしろ」

「いまここで!! ご一緒してもいいですか!?」

「しつこいぞお前」

 

 段々と近づけてくるルビィの顔を抑えて、俺は鬱陶しそうに引き剥がす。それでも、どこかルビィの顔は満足そうで。嬉々としながら、弁当の紐をほどき始めた。

 何日か振りの、2人での昼食。話題は当然、いま開催されている体育祭のものになる。自分が出た競技の話をしたり、午後の種目の話をしたり。俺はほとんど聞く側ではあったが、それでも今日1で楽しいと思えた出来事だったのは言うまでもない。

 

 ……午後は頑張るかぁ。

 

 

 

 




最初は善子推しだったんですけど、この作品を書いてるうちにルビィちゃんに傾いてきました。ってのは最近のお話。


【挿絵表示】

ファンアートをいただいたので紹介させてもらいます。書いてくださった方、本当にありがとうございましたm(__)m



感想・評価お待ちしてます。ではでは~


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口では言えないけど

初めてランキングに載るわ、お気に入り3桁いくわで嬉しい限りです……


 校庭に響き渡る歓声。応援というにはやや統率がとれておらず、ただ騒いでいるだけのようにも感じる。最も、今この場に立っていてそんな事を気にしているのは、恐らく俺だけであろうが。

 

 

 体育祭午後の部の1番最初の競技である、クラス対抗リレー。1年、2年は共に白団の組が1位だったから、その熱も一層増していた。リレー選手ではない小原が先導して応援しているのが、レーンから見てもはっきりと分かる。相変わらず元気なヤツだ。

 バトンが紅団の長である松浦に渡り、その歓声はさらに大きくなる。女子の中どころか男子にもひけを取らない運動能力を買われて、アイツは女子の最終走者を任されていた。バトンを渡すのは俺―――つまり、アンカーである。

 俺は同じレーンに並ぶ他の3人の顔を確認する。サッカー部、バスケ部、陸上部の、それもレギュラーとして名を連ねているような奴らだ。マトモに走れば到底勝てない。

 まぁ、本来ならばこんなリレーの勝ち負けなどどうでも良かった。どうでも良かったのだが、俺の脳裏によぎる言葉がそれを阻害する。

 

『次のリレー出るんですか!? ルビィ、頑張って応援しますね!!』

 

 昼休憩での出来事だ。成り行きでリレーに出ることを話した途端、これである。俺はどうも、あの純真でまっすぐな瞳には弱いようだ。変に期待させるなら、言わなきゃ良かった。

 紅団テントの1年の場所に視線を向ける。ルビィと国木田は1番前まで出てきており、俺と目が合った瞬間こちらに声援を送ってきた。他の歓声に掻き消されて聴こえないけど、唇の動きからして『真哉さん、頑張ってー!!』とでも言っているのか。

 俺はそれに応えようとはせず、すぐに視線を逸らした。どうしたものか、今この状況で『負けたくない』という感情が芽生え始めている。闘争心なんて欠片もなかったのに。

 アイツの応援に応えたいのか、カッコ悪いところを見せたくないからなのか。どちらにせよ、引き金となったのは確か。自分も単純というか、現金というか。困ったものである。

 

「真哉、後任せたよ!!」

「へいへい」

 

 ぼんやりと考えている間に、松浦が俺にバトンを回した。さすが松浦というべきか、順位は1位。2位ともそこそこ離れているし、これなら逃げ切れるかもしれない。

 アンカーにバトンが渡った事で、紅団の歓声が最高潮のモノになる。小原だけでなく、あの黒澤までもが前に出てきて声援を送っていた。何言ってるか分かんねぇけど。

 

 

 俺は走りながら、不思議な高揚を感じていた。いつもよりカラダが軽い。足の回転が速い。紅団の応援が全部自分に向いている事を思うと、悪い気はしない。声援が背中を押すという表現は、いい得て妙だと感じた。

 また1つ、ルビィに教わった気がする。遠足の時は協力というものを教わり、今回は他の期待に応えることを……か。段々アイツに毒されている気がするな。

 このままでいいのかと一瞬感じたが、いつもより速く走れている事実を俺は認めざるを得ず、否定することは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

「真哉さんお疲れさまです!! スゴかったですよ、1位でゴールするなんて!!」

「そりゃどーも。松浦が差をつけてくれたから当然だが」

 

 結果は、3年2組が1位。つまり、俺はトップでゴールテープを切ることが出来たわけだ。自分で言った通り、松浦が2位との差を広げてくれたから逃げ切れたようなものだが。

 そして退場門の付近で待ち構えていたルビィに捕まり、今に至る。なぜか俺のタオルと水筒を持って。満面の笑みで駆け寄るアイツに、俺はやれやれと頭を抱えた。

 

「それでもスゴいです!!」

 

 なぜか、俺よりもルビィの方が誇らしげだ。ついでに、俺よりも嬉しそう。変なヤツ。

 ずいずいっと迫ってくるルビィの圧に押される。じゃあもう、スゴいってことでいいよ。最近、どうも俺が根負けしているような気がするけど。

 

「分かった分かった。ってか、何でお前はここにいる」

「鞠莉さんが、これを届けてあげてってルビィに頼んだんです。それに、さっきのリレーのお祝いもしたかったので……エヘヘ」

「そうか。わざわざ悪いな」

 

 なんでこんな部活のマネージャーみたいな事を、と思ったが小原の差し金か。相変わらず、変なところで気が回るというか何というか。小原の事だから、裏があるのではと勘繰るが。

 とはいえ、ルビィは親切心だけで動いているだろう。無下にするのも悪いので、素直にタオルと水筒を受け取った。

 タオルで汗を拭い、水筒をあおる。水筒のお茶が、火照ったカラダを内から冷やしてくれた。グラウンド半周とはいえ、全力で走った後だ。汗をかけば、喉も渇く。

 

「この後も競技に出るんですよね?」

「ん、あぁ。障害物競争だから、大したことないが」

 

 午前が暇だった分、そのツケは午後に回ってくる。リレーのすぐ次に、障害物競争というラインナップなのだ。そして最後に全校男子の騎馬戦だったっけか。騎馬戦は混戦必至だし、割りとハードになること請け合い。

 とはいえ、障害物競争は別段体力を使うわけではない。どちらかというと、運動が得意じゃないような奴らが多い種目だ。……まぁ、俺は楽がしたくて選んだんだが。

 

「じゃあじゃあ、また頑張って応援しますね!!」

 

 そんな俺の心情も露知らず、ルビィは眩しいくらいの笑顔を俺に向けてくる。コイツの純粋な声援を受けるのが何だか申し訳なくて、俺は頬を掻きながら視線を逸らした。『やれやれ』と、如何にも困ったように見せかけて。

 なんでこう、コイツは俺を無意識に困らせてくるんだろうか。純粋であるがゆえに困らせている自覚もないだろうし、こちらからは何も言えない。無理に引き剥がして、また生徒会室の時みたいになったら面倒だし。

 

「あ、あー……そうか」

 

 俺は、やや気押されながら返した。あの一件以来、ルビィに対して強い物言いが出来なくなった気がする。恐れているのだろうか。たった1度の過ちの再来を。また、疎遠になることを。

 さっきの昼休憩で仲直りが出来て、俺は心底安心した。面には見せなかったが、多分ルビィ以上に。だからこそもう失うのが怖い。今回がたまたま上手くいっただけで、2度目があるかは分からないから。

 失ったままでいることの辛さを、俺は1度味わっている。あの時の張り裂けそうな思いはもうゴメンだ。得たものは失いたくない。離したくない。エゴのようだが、これは人間の本心だと思っている。

 

「まぁ、程々に頑張るよ。程々に……な」

 

 俺の口から飛び出た『頑張る』という言葉。一体、誰のために何を頑張るんだか。それは、その言葉を発した俺本人が1番理解していなかった。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

『レッディース&ジェントルメェーン!! 続いての種目はー、障害物競争でーっす!!実況はこの私、マリーがお送りしまぁーす!!』

 

 喧しい実況が入ったかと思いきや、これまた喧しいロック風の音楽が校庭に鳴り響く。これが入場用の音楽なのだから、不釣り合いにも程がある。誰だよ、あのバカを実況とかに選んだやつは。

 

『今流れたのはパンクって言ってね、マリーの大好きな音楽なの!! これくらい激しいバトルを、皆には期待してるわー!!!!』

「はよ競技説明せんかアホ」

 

 隙あらば自分語りをするアホこと小原。職権乱用にも程があるレベルだ。放送席がバタバタしている気がせんでもないけど、俺は何も見てないし何も知らない。

 激しいバトルとは言ったが、この競技そのものは至って平凡。用意された網をくぐり、平均台を渡り、ハードルを飛び越える。そして、紙に書かれたお題を探して借りる……というもの。本当に平凡だ。

 平凡な競技は、特に事件も起こらず平凡に過ぎていく。唯一の不安要素といえばラストの借り物だが、まぁ所詮は体育祭の競技。そんな無茶振りはない……はずだ。

 

『さぁ~て1、2年生が終わって次は3年生!! 続いての選手は……オオーっと紅団副団長がいるわ~!!!! シンヤ、ファーイト!!』

 

 目立たせるな大バカ野郎。実況が誰か1人に焦点を向けるとか、あってはならないことだろうが。よりにもよって、それを俺に向けんな。

 小原のせいで観客がどよめき、同じレーンだった選手までもが俺を見てくる。普段は真面目な副会長で通っていると思うので、こうした場で目立つのは珍しい。周りの視線が痛い。

 

「おー、さっきのリレーではしてやられたっけなぁ」

「これでは負けねーからな」

「俺は止まんねぇぞ」

 

 うるせぇテメエら、俺を好奇の目で見るな。変な闘争心を燃やすな。……はぁ、胃がキリキリする。なんでやる前からこんなにハードルが上がってんだか。それもこれも実況席にいるアイツのせいだが。

 そんな茶番劇も束の間、ピストルの音と共に4人のランナーがスタートする。さっきも言った通り、平凡な障害物なので特に苦戦もしない。楽々とクリアしていき、俺は現在トップ。順位にこだわりはないが、早くゴールするに越したことはない。

 

『1位のシンヤは、借り物が書かれた紙にまで辿り着いたようね!! 平均台から落ちたり、網に引っ掛かったりといったキュートな場面は見られなかったのがトゥーバッドだけど』

「ちょっと実況黙ってろ」

 

 なんだあの実況は。今すぐ引き剥がせよ誰か。

 外野からの弄りに堪えながらも、俺は借り物が書かれた紙を選ぶ。3年生は借り物……というか人であり、かつどうやってゴールまで移動するかまで指定される。人なら部活動や性別、学年に委員会。移動方法は二人三脚とか縄跳びとか、まぁ色々だ。

 どうせ、そんな大したものはないだろ。そう高を括っていた俺だったが、紙を手にした瞬間凍り付いた。

 

 

 

 ―――これ、どうしよう。

 

 

 

 借り物自体は、そんなに難しくない。普通の人にとっては。だが、俺にとっては難題と言わざるを得なかった。俺はお題を前に立ち尽くしてしまい、他の3人に追い付かれてしまう。

 

『オゥ!? 1位だったシンヤは借り物を探しに行かない!? これはどんな無理難題が書かれてるのかしらぁ~?』

 

 実況のせいで、ますます俺に注目が集まる。1人おろおろとしている今の俺は、そんなの関係なしに目立つけど。

 答えが分からないから困っているのではない。むしろこのお題に該当するのは1人しかおらず、分かりきっているくらいだ。気恥ずかしさとかその他諸々の感情が入り交じって、動けないのが本当のところ。ゴールまでの移動の仕方が、それに拍車をかけている。

 あまりに動かなさすぎると、係の生徒も借り物探しに協力するというシステムになっている。競技を円滑にするためだろうが、現状厄介でしかない。

 腹を括った俺は、真っ先に紅団1年のテントに向かう。俺が出るということで、真ん前に座っていたのだろうか。返って見つけやすくて良かった。

 

「へっ?」

 

 俺は借り物――ルビィの手を掴んで、有無を言わさずに校庭に引っ張り出した。

 

「えええええっ!? るるるる、ルビィ!? 何でですか!?」

「いいから、黙って付いてこい」

 

 借り物は係の生徒に確認させる必要がある。そのため、俺はルビィを運動場の中央まで引っ張っていく。この時点で結構タイムロスしているが、もうこの際順位なんてどうでもいい。

 

「借り物オッケーでーす。では、紙に指定された方法でゴールしてください」

「はいはい……。ルビィ、許せ」

「ふぇ、何をゆる―――!?」

 

 ルビィが俺に反応するよりも早く、俺はルビィを抱きかかえて走り出した。仕方ない、これは紙に書いてあった事を実行してるだけだ。俺は悪くない、俺は悪くないんだ。

 ……このお題、男が借り物だったら地獄絵図だろうな。

 

「うええええっ!?」

「騒ぐな。こう書いてるんだから、しゃーねーだろ。早く俺の首に腕回せ。少しでも軽くしたいんだよ」

「おも、重くなんてないですぅ!! ちょっと最近食べ過ぎちゃうけど……太ってないですもん!!!!」

 

 顔を紅潮させながら、ルビィは俺の腕の中で訴える。そんなに主張しなくても、お前が小柄なのは分かってるわ。重いものは重いんだから、仕方ないだろ。

 運ぶ方法が方法だけに、やたらと黄色い声が観客席から飛び交う。中学生の年代なら、こういうシチュエーションは憧れなんだろうか。よく分からんけど。

 

『ワッツ!? シンヤは何と、1年生のプリティーガールをお姫様抱っこ!? みんな、カメラの準備は出来てるかしらぁ~!?』

「ま、鞠莉さん!?」

「あのバカ、後で覚えてろ」

 

 小原のアホな実況を流しつつ、俺はグングンと他の選手を追い抜いていく。けんけんで進んだり、ドリブルをしながらだったりと結構手間取っているようで、その差を埋めるのには苦労しなかった。

 ルビィが比較的小柄なため、運ぶのはそう難しくない。もし俺たちの移動方法がドリブルとかだったら、絶対ルビィが手間取ってて遅くなっていただろう。容易に想像できるのが悲しい。

 追い抜いたら、後はゴール目指して走るだけ。特に事故が起こるわけでもなく、俺たちはゴールテープを切ることが出来た。順位は、当然1位。

 

『コングラッチュレーショォォン!!!! 1位はシンヤねー!! その格好のまま記念写真と……』

「いかねぇよ」

 

 ゴールしてすぐにルビィを下ろし、実況席の小原を軽く睨み付ける。小原はそんな俺と目が合うと、イタズラそうに舌を覗かせるだけであった。反省の色、全くなし。小原は俺を無視して、再び騒がしく実況に戻った。

 

「し、真哉さん。なんでルビィが借り物だったんですか?」

 

 げ、コイツちゃっかりしてやがる……。ルビィの素朴な疑問に、俺は言葉を詰まらせた。いきなり競技に駆り出されたのだから、ある意味当然の疑問ではあるが。

 こういう咄嗟の状況に、俺はあまり強くない。だけど本当の事は、口が裂けても誰にも言えない。黒澤にも小原にも松浦にも国木田にも。……もちろん、当のルビィにも。

 

「えっとだな、移動方法があんなのだったからさ。他のヤツは無理があるっていうか……。そんな大した内容じゃねぇよ」

「え、あ、そうですか……? ま、まぁそれならルビィを選んでくれて嬉しかったというか……他の子じゃなくて良かったというか……」

 

 ルビィは満足とはいかずとも、顔を赤くして満更でもないといった様子だった。上手く誤魔化せたのだろうか。小柄だから選んだ、というあんまりな言い訳だが。

 ルビィはすぐに歯を見せて笑う。『一緒に1位になれました!!』なんて言いながら。もう理由に関しては気にしてないようで、ルビィは競技の結果を喜んでいた。

 それを見ると、何だか頑張ったのが報われた気がしてもどかしくなった。頑張ったのなんていつ振りだろう。誰に何を言われても動かなかったのに、今日はルビィの応援でリレーと障害物競争の両方を真面目に取り組んだ。

 アイツの純真な言葉はまるで生きているようで、俺を内から刺激してくれている。俺の心を染め上げてくれる。……コイツは何でも素直に物を言えるのに、俺は何一つ言えないな。応援してくれたことへの感謝も。借り物の内容でさえ。

 

「あとは騎馬戦ですね。真哉さん、ファイトです!!」

 

 ルビィはまた俺に笑顔でエールを送る。きっと、俺が勝てばもっと笑ってくれるのだろう。そう思えば、自然と騎馬戦にも頑張る気になれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……面と向かって、言えるわけないんだよなぁ。借り物の条件が『大切な後輩』だったなんて。

 

 

 




鞠莉さんの実況が書いてて楽しかったです、まる(そうじゃない)
一応、これで体育祭は終わりです。騎馬戦書いてもしょうがないですし()

ではでは、また会いましょう。


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頑張る姿は嫌いじゃない

少し短めです


 体育祭が終わり、いよいよ春が終わりを告げた。1学期のイベントは体育祭が最後なので、残りはただ学校生活を無難に過ごすだけ。そんな平凡な日常に、学生たちはそろそろ飽きが出始める6月の下旬。

 学生の次の楽しみといえば夏休みなのだろうが、楽あれば苦ありが世の常。そう簡単に楽しいことばかりは続かず、時には嫌で苦しいものもやってくる。

 ――――そう、期末テスト。

 国語や数学を始めとする基本5教科は当然として、技術・家庭科や保健体育、音楽に美術といった副教科も含まれる。総勢9教科もある、まさに学期の総おさらい。範囲も超膨大の一言に尽きる。

 勉強する前からやる気が失せそうだが、勉強しないわけにいかないのも事実。期末テストは成績に特に強く影響するからだ。高校受験を受けようと考える者は皆、個人差はあれど真剣に臨むはず。

 かくいう俺もその1人。普段は無気力・無関心であることが多いが、期末テストにそんな事は言ってられない。俺なりにしっかり勉強はするし、高得点はキープしておきたい。

 そういった訳で、テスト期間には近くの図書館へ足を運ぶのが日常になっている。ここは静かだし、テスト勉強を邪魔するような誘惑もないからだ。

 

「あっ」

 

 図書館の自習スペース。朝早くに来ると大体俺が一番なのだが、今日は先客がいた。ルビィは既にノートと教科書を広げており、俺に気付くと軽く会釈する。だが、それもそこそこにノートに視線を戻すと、再びシャーペンを走らせる。

 俺は、ルビィと1つ席を空けて腰かける。横目でルビィを見ると、一心にノートに向かっていた。いつもは放っておいても近寄ってくるくせに、何とも新鮮な光景だ。

 

「珍しいな、こんなところにいるなんて」

「鞠莉さんと果南さんがお家に来てるので、ルビィは邪魔しない方がいいかなって思いまして」

 

 あぁ、そういえばそんな事も言ってたな。黒澤に松浦と小原の勉強を見るから、手伝ってくれと頼まれた気がする。まぁ、やんわりと断ったけど。黒澤には申し訳ないが、あの2人―――特に松浦に勉強を教えられる気がしないし。

 特に話しかける事もなし、俺も自らの勉強道具をバッグから引っ張り出す。英語に理科、そして副教科の数々。今日のテーマは、ズバリ『あまり得意ではない教科』である。他の3つは平日にちょこちょこやってればどうにかなるし、休日である今日のうちに苦手を潰しておきたい。

 今まで、勉強だけはそれなりに真面目に取り組んでいた。おかげで県内の進学校の判定は良い方だし、今のままなら受験も大丈夫だと言われている。

 ―――だが、何か目標があるわけではない。今まで漠然と問題を解き、授業を受けてきただけだ。いま思えば、よくこんな状態で好成績をキープ出来ていたな。

 

「……んやさん、真哉さーん」

「あ? あぁ、悪い。何だ」

「よろしければ、教えて欲しいところがあって……。邪魔でなければ、いいですか?」

 

 

 少しボーッとしていた。ふと自分の真下を見ると、英語のノートはほぼ白紙に近い。……全然進んでない。

 俺はシャーペンを置き、ルビィとの間にあった席を1つ分詰めて座る。それがOKサインだと思ったのか、ルビィは自分のノートを俺の方へ寄せた。

 ……言葉が無くても、案外伝わるようになったのな。

 

「ここの問題なんです」

 

 ルビィが見せてきた教科は数学で、内容は一次方程式の応用だった。主要三科目である国語、数学、英語。その中でも、特に得意不得意が分かれがちなのがこの数学だ。

 小学校でいう算数なのだが、その実全然違う。もはや別教科だと言っていいくらいに。算数が得意だったのに、数学はさっぱりだという奴も、そう珍しくはない。

 

「ふーん……全くさっぱりなのか?」

「は、恥ずかしながら……」

 

 ルビィのノートを見るが、別段方程式が苦手なようには見えない。応用になった途端、問題が解けなくなったようだ。その証拠に、計算問題は9割方ミスがない。

 となったらもしや、と俺はルビィのノートを更にめくる。するとそこには、事細かに公式や解き方が綺麗に纏められていた。それも何度も何度も。

 ……これが原因か。

 

「ルビィ、お前ひたすら公式を暗記してきただろ」

「え? あ、はい。公式さえ覚えてしまえば、どんな問題でも対応できるかなって……」

「今まさに出来てないだろーが」

「あぅ……」

 

 俺がそう指摘すると、ルビィはしゅんと小さくなる。自分の勉強法が間違っているとなると、自信も無くなりやる気も失うのが当然。だが、ルビィのミスこそが数学で躓きやすい典型例なのも事実だ。

 むしろ、今のうちに発見できて良かったというべきだろう。ルビィは素直だし、考え方を変えていけば今のところだって理解できるようになるはずだ。

 

「いいか? ノート見りゃ分かるけど、計算は出来てるんだよ。それなのに応用が解けないのは、答えだけ出して満足してるからだ」

「そ、それだとダメなんですか?」

「通用するのは算数まで。数学は解くプロセスが大事。解法の丸暗記なんて、何の役にも立たん」

 

 俺がそう説明すると、ルビィは『ほぇ……』なんて間の抜けた声を出している。理解しているんだろうか、コイツは。

 簡単に言えば『1+1=2になるのを教えるのが算数』で、『1+1がなぜ2になるのかを考えるのが数学』という事になる。つまり、1つ1つ立ち止まって理解する必要があるという事だ。

 中学校の数学のテストになると、部分点がもらえるようになるのはそういう事だ。例え答えが違っても、プロセスが合っていれば半分正解なのだから。

 

「だからその問題は―――って、聞いてるのか?」

「す、すいません!! もう1回お願いします!! 全部メモするので!!!!」

「せんでいいわアホ」

 

 やっぱり何も分かってないじゃないか。俺はルビィのデコに軽くチョップ。ルビィは痛そうにデコを押さえるが、実際はちゃんと手加減している。大袈裟なんだよ。

 それはそうと、少し生真面目すぎな気がする。素直なのは重々知っているが、普通ここまで入れ込むか? たかが定期テスト、それも進路とは無縁の1年生1学期だぞ。

 

「ったく、何をそんな意気込んでるんだか。全部満点を取ろうってんじゃないんだろうし」

「いえ、そのつもりです」

「は?」

 

 俺は自分の耳を疑った。全部満点を取るだなんて、コイツは正気で言っているのか。ルビィの事だから、ハッタリだとは到底思えない。コイツの目は至って本気そのものだ。

 言うまでもないが、全部満点だなんて無謀もいいところ。学年トップの秀才だってどこかミスを冒すし、単純に間違えたりもする。ロボットじゃあるまいし、むしろそれが普通である。

 普通の奴なら『無理に決まってるだろ』と、一言で一蹴していたに違いない。だが、相手はルビィ。謙虚すぎるくらいに控えめなコイツがこんな事を言うなんて、事件も事件だ。

 俺は出掛かった言葉を引っ込め、自分の頭を落ち着けた。とりあえず頭ごなしに否定するより、理由を聞こうか。

 

「また何でそんな目標を?」

「お姉ちゃんは、1年生の時からずっと好成績でした。だから、ルビィもそれぐらい取らないとなぁ……って。ルビィだってやれば出来るっていうのを、お姉ちゃんに見せたいんです!!」

「……黒澤ね」

 

 その理由を聞いて、俺は頭を抱えた。ルビィの目標がとてつもなく高いことが分かったからだ。

 黒澤ダイヤは網元の名家の長女。跡を継ぐ者として、高い教養と様々な技術を身につける必要があった。それは学業においても例外ではなく、アイツの成績は常に学年トップ。俺ですら、アイツに勉強では勝てない。

 だが、ルビィまでもがそんな好成績を修める必要はないはず。家の習い事も止めて、縛られない生活が出来ているのに。家がどうだからではなく、ルビィ個人の挑戦だろうな。

 いつだったか、ルビィは黒澤に対抗意識みたいなのを抱いていると聞いた。出来る姉がいるために、その圧力が知らずのうちにルビィに向けられていると。

 だが、ルビィが偉いのはそこで腐らないところ。姉に負けないように頑張ろうと前向きに考えているところだ。目標も何もない宙ぶらりんな俺なんかより、よっぽどマシ。

 

「やっぱり、ルビィには無理でしょうか」

 

 俺が渋い顔をしたのを読み取ったのか、ルビィはシャーペンを置いて俯く。ルビィも内心分かっているのだろう。黒澤に追い付くのは無理だということに。

 それでも、諦めたら自分が自分でなくなる。それがたまらなく怖くて、ルビィは必死に手探りでもがいている。申し訳ないが、俺にはその気持ちが分からない。手助けになってやれない。

 だが、これだけは分かる。何かを大成するやつは、必ずそれなりの努力をしていると。黒澤だって、幼少の頃から習い事を続けてきた結果いまがある。それも1つの『努力』の形。だったら、姉に追い付きたいという気持ちで勉強をするのも、立派な『努力』の形だ。

 

「自分で決めたら、とことんやればいいんじゃないか。努力しないと、多分結果はいつまで経っても見えないままだ」

「そ、そうです……よね」

「だからまぁ……勉強で詰まったら俺に聞けばいい。別に、1人で全部する必要はないだろ」

 

 俺に出来ることと言えば、こんな事くらいだ。努力がどうとか、やってもない俺に無責任な事は言えない。だが、こうしてコイツの努力を応援してやる事はできる。

 ここまで真摯な姿を見せられては、全く無視するという訳にもいかない。人の面倒を見るほど余裕があるわけではないのは分かっている。分かってはいるけど。

 

「ほ、本当ですか!? じゃあじゃあ、理科とかも教えてほしいところがあるんです!!」

「……お前まさかそれ全部か?」

「エヘヘ、いっぱい聞きたいところあったので」

 

 ルビィはドサドサとバッグの中身をぶちまけて、それを山積みにする。ほぼ全教科あるじゃねーか。これ1日で全部教えろと?無邪気な顔で無茶を言う奴だ。

 ……これは、今日自分の勉強するのは無理だろうな。俺は自分のノートを閉じて、ルビィのノートに視線を移す。まだ時間帯は午前。こうなったら、ミッチリやろうか。

 

「お願いします、真哉先生」

「調子に乗るなっつーの。まずそこの問題は―――」

 

 俺が要点を説明していき、ルビィはそれをノートに小さくメモで残す。俺の言うことに赤べこの如く頷き、ペンを動かす手を止めない。それだけ真面目に取り組めば、大丈夫だろう。俺は少し嬉しくなった。

 黒澤にこの様子を伝えようかと思ったが、辞めておこう。きっと、ルビィはそれを良しとしないし。『結果』をしっかり出せないと、コイツの中では納得しないんだろうな。

 努力を大してしてこなかった俺でも分かる。今のルビィの姿こそが、『黒澤ルビィ』たる所以なのではないかと。何にでもひたむきに、愚直に向き合うというのは、簡単なようで難しいから。

 仮に今回のテストで全部満点が取れなくても、努力の爪痕が残せればいい。そしてそれを糧に、また努力を積み重ねればいつかは……。ルビィには、それが出来る。そう信じられる。

 

 

 

 

 

 だから――――頑張れ、ルビィ。

 




黒澤ルビィってこういう子だと思うんです……ってのが言いたかっただけです。


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報われない時もある

「こないだのテスト返すぞー。足立ー」

 

 生徒の断末魔が教室に響き渡る4限帯。初老の男性が1人1人名前を呼び、無造作にテストを返していく。それを受けとる生徒の表情は、まさに十人十色だった。

 予想以上の点数が取れてガッツポーズをする者もいれば、世界が終わったかのように絶望に顔を染める者まで。自分が当事者じゃなければ、さぞ面白い光景だったろうな。

 そして中には……

 

「ワォ、シンヤ見て!! 93点よ、93点!! 逆にするとサンキューね!!!!」

 

 こんな風に騒ぐ奴もいる。喚くな見せるな近寄るな。ドヤ顔で俺に答案を見せてくるのが、何とも鬱陶しい。39でサンキューとか、今時そこらの親父でも言わんぞ。

 とはいえ、小原は社会を昔から苦手としていたはず。それにも関わらず、93点という高得点を取るとは素直に感心する。黒澤達との勉強会の成果が出たんだろう。調子に乗るのが目に見えているので、思っても口に出して労うことはないが。

 

「はいはい、サンキューサンキュー。次俺だから、そこどいてくれ」

「ノンノン、シンヤ。正しくはThank youよ。舌を噛んでthって発音しないと。これだから、シンヤは……」

「テメェが最初にサンキューって言ったんだろうが。なぁ?」

「ノォー!? シンヤ、暴力反対!!」

 

 挙げ句の果てにわけの分からないことを言い出したので、俺は小原のこめかみをグーでグリグリと押さえつける。これに関しては、怒っても俺は悪くないと胸を張りたい。だって、イラッとしたし。その証拠に、クラスメイトは『またやってるよ』みたいな目を向けるだけ。

 ……よくある事なんだ。残念ながら。

 

「何やってる北谷。早く取りに来んか」

 

 先生に止められ、俺はその手を離した。そういや、出席番号で小原の次は俺だったか。自分のこめかみをさする小原を無視して、俺は答案を貰いに行く。

 そこそこ解けた気がするけど、前の小原が高得点だったからなぁ。少し不安ではある。さすがにアレより取れてる気はしないけど……お?

 

「んふふ~。シンヤどうしたの、固まっちゃってぇ~。まぁ、今回ばかりはマリーの方が……」

「残念、俺の勝ち」

「え、まさかそんな……満点!?」

 

 俺の答案には一切のピンが無く、丸で埋め尽くされている。最近では滅多に取ることのなかった、100点の文字がそこにはあった。

 勝てると思った小原は、俺の答案を凝視して固まる。少しは大人しくなったようで何よりだ。別段、これで威張り散らす気もないが。

 しかし、こればかりは自分でも驚いた。今回、特に気合いを入れて勉強したわけでもない。前より捗るなくらいには感じていたが、意図的に勉強量は増やしていない。今までは良くて90点前半とかだったのに、何があったのか。

 

「あら、真哉さん満点でしたの。これは負けましたわね」

「そういうダイヤは~……98点!? もう、2人とも嫌い!!!!」

 

 次に答案を受け取った黒澤が、そーっと俺の答案を覗く。1限帯からテストが返ってきているが、黒澤はずっと90点後半を連発。さすがというべきか、何というべきか……。これに加えて生徒会長の職をしたり、習い事をこなしているのだから化け物だ。

 俺と黒澤に負け、項垂れている小原は無視でいいだろう。何をそんなに躍起になってるんだか。

 

「別に、俺は誰かと点数を競っているつもりはないんだけど」

「そうは言いますが、今回はいつも以上に成績が良いではないですか。もっとこう……欲とか出ませんの?」

「出ないね。興味もない」

 

 周りからは想像されないだろうが、黒澤は案外負けず嫌い。些細な事でムキになり、勝負事に持ち込もうとする。とはいえ、自分が1番でないと気が済まない……という性質の悪いものではなく、これが黒澤本来の性格なのだろうが。

 だが、その勝負事に巻き込まれる気は到底ない。俺は黒澤みたいに高得点を取らないといけない理由があるわけでもないし、小原みたいに誰かに闘争心を燃やしているわけでもない。平たく言えば、必要以上に勉強をする理由がないのだ。

 理由がないから、意欲も無駄に沸くことはない。せいぜい、『将来困らないようにする』といった漠然としたものでしかない。それで現状上手くいってるから、変える必要もないと思うし。

 

「そんなだから、進路希望書を突き返されたりするんですよ? 高望みしなければ、行ける高校はいくらでもあるでしょうに」

「っ……親かお前は。大きなお世話だ」

 つい先日の出来事を話題に出され、俺は少し困った。担任の先生に、唯一俺だけが進路希望書を突き返された事を思い出す。何も考えず、最寄りの高校を選んだ結果である。

 先生には、『もっと将来を真面目に考えろ』と言われた。秋にはオープンスクールもある。そんな事を考えても、何も浮かばない。今のまま階段形式で大人になれればいいのに、なぜ受験なんてあるんだか。

 何かを変えようとするというのは、難しい事なんだと思う。目に見えるものだけでなく、自分の考え方のように見えないものですら。そんな難しい事をせず、上手くいくなら現状維持でいい……というのが本音。

 身近で、自分を変えようともがいている奴はいる。苦悩して、努力して、それでも腐らずに。理解は出来るが、感情移入は出来ない。俺とは真逆の存在だから。

 

「でもまぁ、真哉さんも努力はしているようですわね。点数が証明しています」

「別に、俺は大した事は……」

「結果を出す者は、皆努力をしているものです」

 

 黒澤が言うとどこか説得力があり、俺は納得せざるを得なかった。日々の努力を怠らず、黒澤家の長女として生きてきたからこその重み。

 だからこそ信じられない。今返された社会だけでなく、今回のテストはいつもより目に見えて成績が良い。先週末からは図書館でルビィの勉強を教えつつ、片手間に自分のをしていたというのにだ。むしろ、勉強時間は減っているはず。成績が下がっても、上がる要素はない。

 総合的に上がったということは、やっぱりテスト勉強が成功したということ。場所はいつも通り、勉強方法も特に変えてない。となったら要因は……まさかルビィの存在とでもいうのだろうか。それ以外に変わった事はないし。

 アイツに勉強を教えるため、自分の勉強時間が減るという事は危惧していた。だからいつもより集中出来た? それとも、もっと他の何かが……。

 

「まぁ、必ずしもそれが報われるとは限りませんが……」

 

 黒澤の言葉で我に返る。こうして話している間に、答案は出席番号の後半まで行き渡っているようだ。松浦が死にそうな目をして、こちらに寄ってくる。

 

「ふっ。気分はブルーだよ、ダイヤ……。まるで内浦の海みたいだね」

「言っている意味が分かりません。これはもっと勉強量を増やすべきですわね」

「ちょっ、ダイヤの鬼!! 悪魔!!」

「おだまらっしゃい!! 受験生だというのに赤点でどうするつもりですの!?」

 

 点数を盗み見して、俺は全てを察して何も言わなかった。申し訳ないが、今回ばかりは黒澤に同意だ。このままでは松浦の進学が危うい気がする。

 

 

 なんというか、テストの闇を見た気がした。努力が報われた小原や黒澤に対し、結果が出なかった松浦。社会は暗記が物を言う教科だから、付け焼き刃は通用しないというのもあるが、それを抜きにしても残酷な話だ。

 努力しても努力しても届かなかった場合、どうやって立ち直るんだろうか。ふと脳裏に、図書館で懸命にシャーペンを走らせていたアイツの姿がよぎる。俺が関心するほどに、アイツは猛勉強していた。

 姉を見返すと息巻いていたルビィは、ちゃんと成果を出せたんだろうか。自分のテストの結果よりも、そっちの方が気になって仕方がない。大丈夫だとは思いたいが、万が一結果が出なかったら。そして、それを姉に指摘されてしまったら。アイツは、また同じように頑張れるのだろうか。

 それを考えると、どうも不安になる。今の松浦の状態を笑う気になんて、とてもなれなかった。

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 結局、社会の授業はテストのやり直しだけで終わってしまった。といっても、俺は満点だったおかげでやり直しをする必要がなかったのだが。勝手に自習をこなしていたら、授業終了のチャイムが鳴っていた。

 さっきまでが4限帯だったため、今からは昼休み。俺はいつものように弁当を持ち出し、屋上へとやって来ていた。ドアを開けると、これまたいつものようにルビィと国木田の姿が。もはや日常と化している光景である。

 

「あっ、真哉さん来たずら」

「どうも……」

 

 国木田はともかく、ルビィの様子はいつも通りではなかった。端っこの方に体育座りで縮こまり、顔を沈ませている。それを、国木田が何とかして宥めているようにも見えた。

 とりあえず、ひと悶着あったと見てまず間違いないだろう。それにしてもルビィの表情は深刻で、随分と落ち込んでいる。いつも弱々しいルビィだが、今はそれに輪をかけた状態だ。

 

「……何かあったのか?」

 

 俺は恐る恐る尋ねる。嫌な予感がした。さっき懸念した事が起きているなんて、思いたくなかった。

 だが、ルビィの口から出たのは残酷な言葉。

 

「テスト……駄目だったんです。昨日もお姉ちゃんに答案を見せたら、『もっと努力なさい』って言われました。今日返ってきたのだって……」

「ルビィちゃんは頑張ってました!! 授業中も、授業の間の休憩も、お昼休みもずっとずっと勉強してたずら!! それこそ、マルも負けてられないって思うくらいに……」

 

 ルビィの表情から、何となく察してはいた。俺に対して、気まずそうにしていたからだ。さしずめ、勉強を教えてもらったのに申し訳ないといった具合だろうか。

 昨日までは、そこまで気落ちしていないように見えた。恐らく、今日で全てのテストが返し終えたのだろう。それで、その全ての答案が自分の予想以上に良くなかったと。

 

『結果を出す者は、皆努力をしているものです』

 

 黒澤の発言が過った。アイツの考えは、確かに的を射ている。努力をしたから結果を出せるのではない。結果を出したから努力が認められるのだと。

 ならば、結果を出せなかったら……。さらに努力を積み重ねるべきだと。先ほど、黒澤が松浦に対してそう言ったように。例え、それが嫌で嫌でたまらないものだとしても。

 ……果たして本当にそうだろうか。

 

「俺だって知ってる。だから、俺は別にルビィを責める気なんて最初からない」

「でも、ルビィは真哉さんの勉強の時間を奪ってまで……。花丸ちゃんのもだって……」

「俺の点数は下がってないから実害0だ。なぜか、むしろ上がった。お前は自分の心配をしろ」

 

 少し強めの口調で、俺はそう言った。最近はルビィへ対する口調に気を使っていたが、今回は敢えてやや強めた。そうでもしないと、コイツはずっと俺に対して遠慮し続けるから。いまは、そんな事が問題なのではない。

 ルビィの点数は芳しくなかった。それは、確かに単なる努力不足だったのかもしれない。あるいは、元々勉強が得意じゃないというのもある。だが、何かに向けて努力をしたという事だけは確か。今回のテストで前には進めてなくても、後ろに下がったという事だけは有り得ない。

 ……それに、コイツの努力は思わぬ『作用』があるらしい。

 

「し、真哉さん!! そんな言い方は……」

「国木田、お前だって同じじゃないのか? 点数、中間テストの時より良かっただろう?」

「ずらっ!? なんで分かったずら……」

 

 聞けば、学校がある時間帯でルビィに勉強を教えていたのは国木田だという。つまり、国木田もルビィに時間を割いたという意味では俺と共通。

 それにも関わらず、国木田も俺もむしろ点数を上げたのは何故か。理由は、国木田の発言に込められていたと俺は思う。

 ……そう、『負けてられない』という気持ち。ルビィを見て、国木田も俺もそう感じたという事だ。それは無意識のうちにやる気を働かせ、結果として点数アップになったと。

 ルビィの努力は、俺も国木田も目の当たりにした。こちらが教えたことを細かく書きとめ、凄まじい意欲で健気に頑張っている。そんな姿を見て、心が揺れ動かない人間はいない。俺が言うんだから、きっと間違いない。

 意図せず他人の心を動かせるなんて、そう簡単に出来ることじゃないじゃないか。これは天性の才能だ。

 

「ルビィは、やっぱり才能がないんでしょうか……」

 

 だが、そんな事に気付いたところで、根本的な問題は解決されない。ルビィが欲しいのは『結果』。姉に認められたいという欲望。俺の感じたことを話しても、多分コイツは満足しないだろう。

 別に、それが悪い事だとは思わない。何かをする動機なんて人それぞれだし、それに口出しするほど俺は偉くなんてない。

 だから、ちょっとだけ手助けをする。何も、勉強だけがルビィに出来る事ではない。他にも―――きっと道はあるはずだから。

 

「んなこと言ってないだろ。はぁ……ルビィ、今日の予定は?」

「え、えっと……。何もありませんが」

「じゃあ、放課後俺に付き合え。拒否権はない」

 

 今日は金曜日。すなわち、明日は学校がない。少しばかり放課後に寄り道したって、罰は当たらないだろう。

 あそこに行くのは、何年ぶりだろうか。少なくとも、アイツが死んでからは1度も行っていない。だから、2~3年くらいか。

 妹のお墨付きだった場所だ。きっと、ルビィだって気に入ってくれるはず。『好き』という気持ちを、ずっと忘れていないならば。ルビィが本当に、アイドルが好きならば。

 

「……連れてってやるよ、とっておきの場所に」

 




この辺の努力に関する論は、私の個人的な解釈が多分に含まれています。ですので、これが正しいとは限りません。ご了承下さい。


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少し立ち止まって

書き方を変えてみました


 週末間近である金曜日の夕方は、心なしか街そのものが活気づいているように見える。理由は簡単。家に帰れば、土曜日・日曜日という休日が待ち受けているから。学生や社会人を問わずして、その顔は幾分か穏やかだ。

 下校する学生や帰宅する社会人でごった返す沼津駅。俺は、そこにルビィを連れてきていた。中学校前のバス停からバスに揺られること数十分。自分達の家を通り越して、ちょっとした外出気分だ。

 

「うわぁ、人がいっぱい……」

「あんまりこっちには来ないのか?」

「は、はい。遠出はお姉ちゃんにダメって言われてるし、ルビィ1人だと迷子になっちゃうから……」

 

 内浦からここまで来るのが『遠出』扱いなのか。前から薄々感じてはいたが、結構コイツは箱入り娘な気がする。まぁコイツはまだ12歳だし、そうでなくてもこんな性格だからな。閉じ込めたくなる気持ちも分かるが。

 ルビィは周りを見てはおどおどし、些細な物音に対しても一々大袈裟に反応をして見せる。落ち着きのない奴だ。返って、こっちが目立っているまである。

 ……早く連れていった方がいいな。

 

「とりあえず、さっさと移動するぞルビ……おいルビィ?」

 

 いつの間にか、すぐそばにいたルビィがいなくなっている。

 あれ、おかしいな。ほんのさっきまで、目の前にいたのに……

 

「うぇぇぇぇぇん!! 真哉さぁぁぁぁん!!!!」

「……マジかよ」

 

 俺のいた数メートル後ろで木霊する、ルビィの叫び声。人が連なっているせいもあってか、居場所が分かりゃしない。人波にもまれすぎだろアイツ……。なんでたった数分で迷子になれるんだよ。そりゃ黒澤も過保護になるわ。

 人を掻き分けながら、俺は声のする方へ向かう。泣くな喚くな騒ぐな……と言いたいところだが、アイツは極度の人見知りであることを思い出す。早い段階で俺には慣れたせいか、失念しがちだけど。

 

「ほら、俺ならここにいる。恥ずかしいから泣くな」

「うぅっ、……っぐ。ご、ごめんなさい……」

 

 ルビィを救出し、持っているハンカチで手早く顔を拭ってやる。人目がすっごく気になるけど、そんなものは気にしたら負けだ。何か、もうこれくらいは慣れた。

 何とか落ち着かせ、さぁ今度こそ出発だ……と思いきや、ルビィがぴったりくっついて歩けない。ゴメン、さすがにこれは慣れてない。さりげなく引き剥がそうとするが、服の裾をガッチリ掴んで離そうとしない。

 ……コイツ、こんなに力強かったっけ。

 

「おい、そんなにくっつくな。歩けんだろうが」

「……やです。離れると怖いですもん」

「あのなぁ……」

 

 珍しくルビィの聞き分けが悪い。こうなってしまったら、コイツは結構頑固だ。全く、そういう無駄なところは黒澤に似やがって。

 両手で俺の制服の裾を掴んで離れないルビィ。そして、それに対して引き剥がそうとする俺。周りから見たら、何とまぁシュールな光景だろうか。駄々をこねているのが幼子ならまだしも、残念ながら2つ下の中学生。そりゃあ、嫌でも目立つ。

 このままじゃ埒が明かない。俺は、少し力任せにルビィを引き剥がす。すると案の定、ルビィはまた泣きそうな表情になる。

 一応、妥協案はあるんだからそんな顔すんな。

 

「……!? ぇ?」

 

 俺はルビィの小さな手を握ると、自分のカラダの方へと引き寄せた。ちょうど俺の背中に張り付くようにしたため、ルビィの表情は分からない。だが、手から震えは伝わらないからこれで大丈夫なはず。

 

「ったく、これでいいだろ。放すなよ」

「……はい。エヘヘ」

 

 ルビィは俺の手を強く握り返すと、少し引っ張られながらも俺についてくる。学校の外で、こうして連れ歩くのは初めての経験。嫌でも思い起こされるのは、懐かしい記憶だ。

 2年前も、こうして手を引きながら駅を歩いた。目を離すとすぐに迷子になるから、しっかりと俺がリードしないといけなかったからだ。黒髪のツインテールを揺らしながら、妹は俺の後ろをついてきていた。コイツは、いつになったら俺の元を離れられるようになるんだろうな、なんて思いながら。

 皮肉にも、その手が離れたのはあっという間だった。それも想像する限り、最も残酷な形で。だから今の状況と、どうしても影を重ねてしまう。ルビィの手を握る力が、自然と強くなってしまった。

 ルビィはそれに反応するかのように、俺の手を強く握り返す。俺が振り返ると、少し顔を赤らめながらもルビィはどこか嬉しそうで。この表情は『あの』影とは被らない。俺の、知らない表情。

 紅髪をツーサイドアップ(・・・・・・・・)に纏めた少女は、にこやかな笑みを俺に向ける。それがどうにも眩しくて、俺はふっと目を逸らした。その代わりと言わんばかりに歩調を早め、手を引く力を強めたのはきっと無意識だったんだと思う。

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 駅周辺の人混みが徐々に捌けだした一角に、その店はポツンと佇んでいた。前あったような大々的に広告は、店頭に出ていたりしていない。いや、以前来たときがおかしかったと言えばそれまでである。あの時は、今も語り継がれる『伝説』が生まれた年だったから。

 

「はわぁ……!! す、スゴい。スゴいですよ、真哉さん!!」

「だろ。東京のところと比べると小さいけどな」

 

 俺がルビィを連れてきた場所は、スクールアイドルショップ―――といえば聞こえはいいだろうか。その実情は、店主の趣味を寄せ集めたに過ぎない小さな店。妹曰く『品揃えはすっごくいい。この店主さんは分かってるよ!!』だったらしいが。

 ルビィもずいぶん興奮しているようで、カラダ全体で嬉しさを表現している。それはもう飛び跳ねたり、駆け回ったり。気に入ってもらえて良かった。

 そしてその姿を見て、俺は再認識する。ルビィはやっぱりアイドルが大好きなんだということに。今までに見せたこともないような、歓喜と感動の混ざったような表情だ。

 

「なっ、中に入ってもいいですか!?」

「はいはい。好きなだけ見ろ」

 

 ルビィは俺の許可を得ると、嬉々として店内の商品を漁る。これは珍しいものだとか、東北の有名なスクールアイドルのものだとか1人で盛り上がりながら。俺にはさっぱり分からない。

 鼻息荒く、俺と店内を行ったり来たり。そして俺に自分のお気に入りグッズを見せては、さらに新しいものを持ってこようとする。俺の反応なんて二の次で、とにかくアイドルの事を話したくてしょうがないといった様子。

 

「見てください!! これルビィが大っ好きな子のブロマイドです!! あっ、昨年ラブライブで優勝したグループのグッズまである!?」

「……アイドル、好きなんだな」

「はい!! お家ではテレビ見れないから、夜にこっそり見てたりするんです。……たまに見つかって、怒られちゃいますけど」

「そか。その気持ちは、いつまでも忘れないようにな」

 

 黒澤家は厳格な家庭だ。テレビは一部のチャンネルしか許されず、バラエティー番組やルビィの好きなアイドル番組なんてものは禁止されていると聞いた。

 それでも、ルビィのアイドルに対する気持ちは強い。たとえ周りに縛られていようが、我を貫き通している。自分の好きなものには、決して嘘をつかない。

 自ら殻に籠った自分とは、全くの正反対だった。妹を失ったショックで外からのあらゆる接触を遮断し、気付けば俺は何もかもを忘れていた。自分の好きなものも、かつて興味あったものも全て。

 そして、最近思うようになった。無気力だから好きなものがないのではない。好きなものがないから、無気力なのだと。ルビィを見ていると、そんな自分が霞んで見える。

 

「へ……? どういう事ですか?」

「……言葉通りの意味だ。俺には好きなものとか、夢中になれる事とか、目標なんてものもないからな。お前はその……俺みたいにはなってほしくないっつーか」

 

 だから、ルビィには俺みたいなつまらない(・・・・・)人間にはなってほしくなかった。たとえ成績が良かろうと、生徒会に所属していようと、中身が空では意味がない。

 それならば、ルビィのような生き方の方がいいとまで思う。好きなものがあって、姉に認めてもらえるという目標さえもあって。自分がどうありたいか、というのを明確に持っているのが羨ましい。

 

「でも、お姉ちゃんにはそんなものを見ている暇があったらって……。今回のテストも点数取れなかったし、もっと勉強をする時間を増やさないと……」

 

 だから、だからこそ。周りには流されてほしくない。素直なコイツの事だ。どこの誰かも知らないやつならいざ知らず、姉に言われたことならば実行しかねない。たとえ、それが自分の好きなものを禁止される事であっても。

 ルビィがアイドルの事が大好きなのは、目に見えて明らか。それを塞いでまで学業に専念するべきか、と言われれば俺はそう思えない。元より、ルビィは家の習い事を全部止めた身だ。それはつまり、家に縛られる必要はないという事。

 ……俺に出来るのは、ルビィを俺とは真逆の道に歩ませることだ。その手助けをすることだ。

 

「この際だから断言するが……。そんな考えだと、黒澤には絶対に勝てない。いや、その前にギブアップするんじゃねえかな」

「そ、そんな!! ルビィはまだ頑張れます!! 絶対に諦めたりなんかしません!!!!」

「じゃあお前、明日からも毎日図書館で勉強しようと思うか? 思わないだろ?」

 

 勉強するのが悪いとは言わないし、黒澤に追い付こうとする姿勢はむしろ伸ばすべき。だがその方法を違えては、ルビィにとってマイナスにしかならない。これは俺がひねくれてるとか抜きに、経験則からくる話。

 学校の成績、こと勉強というものは生真面目な人間が必ずしも高いわけではない。一番いい例が徹夜勉強、一夜漬けというもの。とにかく勉強しよう、時間いっぱいやろうという考えが生む、一番効率の悪い勉強法である。

 

「う……」

「勉強だけが黒澤に認められる事じゃない。それは、多分お前だって分かってるはずだ。何でも闇雲にすればいいわけじゃない」

 

 考えなしに努力すればいいなんて、そんなのは妄言だ。努力をしている人だって、しっかり考えた上で努力している。

 それで結果がそぐわなければ、努力の『方法』を見直す。最重要なのは量ではない。量が多いに越したことはないのは、言うまでもないが。

 だがこの辺の理屈は、まだルビィには早いだろう。

 

「じゃ、じゃあルビィはどうすればいいっていうんですか!! 闇雲に頑張るのがダメなら、どう頑張ればいいっていうんですか!!!!」

 

 ルビィは涙を溜めながらも、俺に食って掛かる。あまり見たことのない、コイツの怒りにも似た表情。ルビィの今までの行いを否定してきたから、無理もない。

 それほどまでに、ルビィは追い込まれているということ。でもその答えを知るのは、俺が伝えるのでは意味がない。

 

「それは、お前が考えろ。『何』を頑張りたいか、『どう』頑張りたいかを……な」

 

 というよりは、俺でも分からないという方が正しいか。ルビィが何をしたいか、コイツの気持ちがどうであるかなんて分かりっこない。

 だから、俺は考え方を提示するだけ。何も考えないのではなく、何かを考えさせるようにする。それだけでも、これからの過ごし方は違ってくると思うから。

 

「でもっ、そんなのんびりしていたら……」

「焦った結果が今回のテストだと思えばいいだろ。……ちょっと止まって考えるのも大事だ」

 

 

 1番怖いのは、ルビィの視野が狭まる事だった。目標が高すぎるが故に、早々に方法を決めてしまうこと。そして、ただ闇雲に時間だけを浪費するような努力をすること。それは、黒澤ルビィという人間のアイデンティティを崩しかねない。

 まだコイツは中学1年生。何か1つに集中して、他のものを犠牲にするなんて考えは早すぎる。それが、自分の好きなものならなおさら。

 自分には何もないからこそ、ルビィに同じ道を歩んでほしくない。強いていうなら、ルビィの好きなもので姉を見返してほしいとまで思う。好きこそものの上手なれって言うし……な。

 

「……分かりました。もっとこれからの事、考えてみます」

 

 ルビィは目尻に溜まっていた涙を拭うと、俺にそう言った。力強い目だ。エメラルドグリーンの瞳は強く輝いており、曇りはない。

 こうなったときのルビィは、何だか強い気がする。根拠はないが、そう思えてくる。

 

「それで良し。……悪かったな、せっかく連れてきたのに呼び止めて。俺はここにいるから、気の済むまで物色してろ」

「は、はい!! 行ってきます!!!!」

 

 言いたい事は言った。この先をどうするかは、ルビィ次第だ。どういう風に苦悩し、どういった結果を生み出すのか、僅かながら興味がある。それが良いように転ぶなら、またテスト前の時みたいに手助けをしてやってもいい。

 ルビィはまたぱぁっと笑顔を咲かせると、店内に足早で戻っていった。これはまた長くなりそうだ。だが、楽しそうに物色するルビィを見ていると、不思議と嫌な気分にはならない。

 

「……俺も、そろそろ考えないといけないのかね」

 

 そんなルビィを見て、俺は自分と比較する。あれだけの事を言えたのは、俺自身が何も出来なかったから。ルビィのように燻っている訳でもなく、現実から目を逸らしていただけ。

 でも、現実と向き合わなければいけない時は来る。それは、受験生の宿命。脳裏によぎるのは、『もっと将来を真面目に考えろ』という担任の言葉。

 立ち止まっただけの俺には、目標も夢もない。だが、それはいつしか自分の進路を決める上で必要不可欠になるものだ。だが、それをすぐに見つけるのも簡単ではない。

 ならいっそのこと、高校の3年間を立ち止まって考える時間にするのはどうだろうか。それも最高の環境、ハイレベルな場所で。今の成績では少し心もとないが、アイツを見ていると無謀だと思う気にならない。不思議なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ……本当に、不思議なものだ。

 

 

 




前話と同じですね。ルビィちゃんに言っていることは、必ずしも正しいとは限りませんので悪しからず


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俺にとって黒澤ルビィって

なんかやたらと長く……


「再提出だった、進路希望書を出しに来ました。確認お願いします」

 

 ルビィと沼津に行った週明けの月曜日。俺は担任の先生に進路希望書を提出するため、昼休みの職員室へ足を運んでいた。

 本来の期限からは、もう2週間ほど過ぎている。だが、その間で俺も多少考えを改めた。今回第一志望に書いた高校は、以前のように『近いから』なんて適当な理由で定めたんじゃない。

 だが、そんな俺の考えを知るはずもない先生は顔をしかめる。なにせ俺が書いた高校は、静岡県内でも偏差値トップの高校だったから。

 

「……本当にここにするのか? 高望みしなければ、行ける高校はいくらでもあるぞ」

 

 来るだろうな、とは思っていた言葉。無下にしているのではなく、俺の事を思っての忠告だというのは重々承知している。実際、その高校に行くまでには点数足りてないし。

 志望校を決めたのは、あの日にルビィと別れてからすぐだった。思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て。そんな言葉を意識したわけではないが、本当にすぐの行動だった。

 

「成績足りないのは分かってます。でも、もう……決めたんで」

「ふむ……」

 

 先生はメガネをクイッと持ち上げ、俺の進路希望書に再び目を落とす。俺が先生に対してこういった事を言うのは珍しいからだろうか、少し困っているようにも見えた。

 人の意見に合わせ、なるべく荒事を立てないようにしてきたから無理もない。自分の意思を通すために、人に対して反論をしたのなんていつ振りだろうな。

 ……まったく、この頑固さは誰のが伝染(うつ)ったんだか。

 

「分かった、受け取っておこう。あとは9月にあるオープンスクールで、学校の雰囲気を掴んでおきなさい」

「ありがとうございます」

 

 先生が進路希望書を受け取ってくれて、自然と安堵の息が漏れた。この辺は、日頃の行いが良かったからということにしておこう。

 職員室の時計を見ると、もう昼休み始まって10分が経過しようとしていた。あんまりのんびりしていると、後でくつろぐ時間が無くなってしまう。

 クーラーの効いた部屋を早々に去るのは名残惜しいが、俺は足早に出入り口に向かう。そして、ドアに手をかけて引いた。外から流れ込んで来たのは、夏場特有の蒸し暑い空気。

 だけでなく……

 

「ちょっ……2人とも押さないでください!!」

「うわっ!?」

「ワッツ!?」

 

 

「……そこで何してるお前ら」

 

 順番に黒澤、松浦、小原の3人が職員室に雪崩れ込んできた。状況や黒澤のセリフから察するに、ドアに張り付いていたのだろうか。何してんだコイツら。

 

「べっ、別に何もしてませんわよ!?」

 

 へー、何かしてたんだな。顔ひきつってるのと、ほくろ掻いてるので嘘バレバレだからな。

 

「そーそー!! 誰も真哉の事が気になったとかじゃないし!!」

 

 うん、細かい事まで教えてくれてありがとう。隠そうとも出来てない松浦は、黒澤以下だな。バカめ。

 

「シンヤが進路希望書を書いたと聞いて、皆で見張りに来たのデース!!」

 

 てめぇは隠す気0かよ。少しでも隠そうとしていた黒澤と松浦に謝れ。というか、なんでお前らに見張られなきゃいけないんだよ。

 

 

 とりあえず、職員室で立ちっぱなしだと目立ってしまう。俺は慌てて3人を廊下に連れ出した。黒澤と松浦はバツの悪そうな顔をしているが、小原は相変わらずニコニコとしている。反省の色は、まるっきり見られない。

 

「……で、何で俺を見張る必要が?」

「シンヤがどこの高校に行くか、気になるじゃない。そしたら、偏差値トップのところ書いたからビックリしちゃって」

 

 要するに、己の興味で動いたと。黒澤と松浦も否定しなかったところを見ると、コイツらも同罪と見ていいのか。

 確かに驚かれる事かもしれない。ついこの間まで沼津市内の最寄りの高校を選んでいた奴が、いきなり志望校を変えたのだから。ちなみに、俺の志望校は静岡市内。それも、電車使って片道2時間弱という場所にある。

 ……この辺は、さすがに無計画に選びすぎたかもしれん。こんな無鉄砲さも、誰かさんのが伝染ったのかもな。

 

「そうかもな。言っとくけど、ヤケクソになった訳じゃねぇから」

「ふぅん。じゃあ、『誰の』せいなのかしらぁ~?」

 

 そんな事は分かっていると言わんばかりに、小原は俺に尋ねる。相変わらず頬を緩ませて、ニヤニヤとした笑みを浮かべた顔で。

 例え勘づかれているとしても、自分から正解は言う気はない。さらに弄られるのは目に見えているし、黒澤もいることだし。何より、こっ恥ずかしくて話せるかっての。

 今日、進路希望書を担任に渡した。第一志望校を変えた方がいいのではと言われたが、『自分で決めたから』と意見した。最近の俺からすれば、大事件もいいとこだ。

 その背景には、いつもアイツがいた。何にでも愚直に、ひた向きに生きているアイツが。対抗心ではないが、アイツを見ていると自然と活力が出てくる。今までの自分が何だったのか、分からなくなる。

 

 

 ……ホントおかしくなるんだよ、ルビィといると。

 

 

「先生にも言ったが、自分で決めたことだ」

 

 俺はそれだけ言うと、小原の横を通りすぎる。これ以上問い詰められると、ボロが出そうだったから。卑怯かもしれないが、逃げるが勝ちって事で。

 小原に言ったことは、決して嘘ではない。高校を選んだのも、真面目に考えようとしたのも、自分の判断であることには間違いない。ルビィの言動に影響されたのは、そこまでのプロセスだけ。

 俺が引きこもっていた殻から出てくるように、アイツは意図せず促してくれた。殻を叩き壊すのではなく、俺自らを動かした。まるで、北風と太陽の話みたいだな。言うなれば、ルビィは太陽みたいなものだ。

 

「んもぅ……、意地っ張りねシンヤは」

 

 小原の呟きが耳に残った。意地……か。

 似たようなものはある。こんな活動的な自分が本当の自分なのかという戸惑いと共に、認めるべきなのかという謎の葛藤が。だが、それもまた自分で見つけるべきなんだろうな。

 答えが出たら、真っ先にアイツに話したい。俺はこういう風に変わった、こう在りたいと思えるようになった……と。そして一言、ただ一言だけ伝えるんだ。

 

 

 

 

 

 ありがとう……と。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 教室まで戻ると、少々中が騒がしいように思えた。昼休みだから多少はうるさいものだろうが、廊下まで聞こえるほど騒ぐものだろうか。

 疑問に思いながらドアを開けると、今度は俺たち4人に視線が集まった。一瞬だけ教室全体が静まり返ったが、何故かすぐに沸き立つ。また小原が何か仕組んだのかと思ったが、こればかりは関与してないようで。俺の後ろで疑問符を浮かべているのが、その証拠。

 

「帰ってきた!! 北谷くん、お迎えが来てるよぉ~」

 

 クラスの女子が、何とも腹の立つ表情で俺に話しかける。なんか、小原に通ずる表情だ。危うく、コイツの頬をつまんで捻るところだった。さすがに小原以外の女子に手を上げる訳にはいかず、その気持ちをグッと堪える。

 その女子の指差す方を見ると、教室の後方……というか俺の机に『ある意味』で見慣れた顔が。

 そこにいたのは何故か弁当を持ってきている国木田――とその後ろに隠れて完全に怯えているルビィ。同学年の中でも小さいアイツらは、中学3年生の中にいると一層小さく見える。

 

 

 ……なんで教室が騒がしかったか、分かった気がする。

 

 

「で、どっちなの? てっきり鞠莉ちゃんなのかなって予想してたんだけど、まさか年下とはねー」

 

 なんで小原の名前が出てくるんだか。確かによく話すけど、それは向こうの方が絡んでくるからだろ。それこそ、暴風雨みたいに激しく。

 

「どっちでもねぇよバカ」

 

 満面の笑みを浮かべる女子を押し退け、教室の後方へと急ぐ。周りからは『彼女?』だとか『リア充くたばれ』とか、そんな声が聞こえる。うるさいお前ら。

 ルビィは、俺が近づくと国木田の背中からひょこっと顔だけを出す。2歳年下の後輩というより、これではどちらかというとペットの子犬だ。

 

「はぁ……。進路希望書出すから、俺の事は気にするなっつったろーが」

「ご、ごめんなさい……」

 

 ルビィがしゅんとしたのを見て、俺は慌てて咳払いをする。危ない危ない、また生徒会室での失敗を繰り返すところだった。すぐに悪態をつく癖は中々抜けない。

 でも、まさか教室でずっと待ってるとは思わなかった。どこか嬉しい反面、恥ずかしさはその倍くらいある。クラスメイトの反応を見れば、今までの俺が如何に『そういう事』から疎遠だったか分かるだろう。

 

「まぁまぁ、シンヤと一緒が良かったんだからいいじゃない」

「む……」

 

 俺がどう返すか悩んでいると、小原が横から助け船を出してくれた。変な横槍を入れることが多い小原だが、周りに目を配る事には秀でている。相変わらず、よく気の利くやつだ。

 

「あんまり時間もないし、ここで食べちゃいましょ。マリー達もご一緒していいかしら?」

 

 異論を唱える者は誰一人としていない。俺たちは4人で机を6つ寄せ集めて、席を作った。机2つを互いに向き合うようにして、それを横に3つ並べる。まぁ、俗に言う『班の形』ってやつ。

 にしても、奇妙な取り合わせである。3年生の男子1人に女子3人、そして1年生の女子2人。その異色と言わざるを得ない組み合わせは、教室内でも結構目立つ。

 俺は端が好きなのでそこを取る。あとは、各々が好きなように席をとっていった。左隣にルビィが座り、正面に小原が座るといった配置だ。

 

「そうだ、聞いてください真哉さん!! 今日、クラスで文化祭の出し物について話し合いをしたんです」

「文化祭……そういえば、夏休み明けすぐだね。懐かしいなぁ」

 

 弁当を食べ始めて早々に口を開いたのはルビィ。そして、それに答えたのが松浦だった。話題は文化祭の事らしい。

 俺たちの中学では、文化祭を9月の夏休み明けすぐに行う。その準備期間として、夏休みを活用するというわけだ。ちなみに、その時期には生徒会の引き継ぎが終わっているので、俺たちは運営に一切関与しない事になっている。

 

「ルビィのクラスは確か、ステージ発表でしたわね。何をするんでしたっけ?」

 

 3年生は受験があるために除外されるが、1・2年生はクラス単位で出し物を行う。クラス展示と、ステージ発表の2種類だ。基本的に自由に選べるが、ステージ発表が多かった場合はオーディションで選考されたりする。

 公平を期すために、この選考は俺たち3年生がやったんだよな。各クラスの企画を見て、何がいいかを先生と相談して決めるという簡単なものだが。ルビィたちの1-2は確か……。

 

「創作ダンスずら」

 

 俺が思い出す前に、国木田が答えてくれた。劇が多いなかで、創作ダンスというのは目を引くものがあった。そういった新鮮さも相まって、ステージ発表として選んだのを覚えている。もちろん、私情は挟んでいない。

 

「そういやそうだったな。お前も踊るのか?」

「は、はいっ。ちょっと恥ずかしいけど……自分で決めたことなんで!!」

 

 ルビィは俺に強い眼差しを向け、そう宣言した。やっぱり、決心を固めた時のコイツは姉に通ずるものがあると思う。表の性格は全然違うが、やはり姉妹なんだな。

 創作ダンスの他に、劇という案も出たには出たらしい。創作ダンスは全員参加だったはずだが、劇は裏方という役目もある。まず人前に慣れてないルビィなら、創作ダンスなんて案が出たら困惑しそうなもんだが。

 だが意見が2つに割れた時、ルビィは創作ダンスに賛同したらしい。最終的には、多数決で決まった。そういった意味で、『自分で決めたこと』……か。

 職員室での言葉も、誰かさんのが伝染ったってわけだ。

 

「あら、どこかで聞いたセリフね」

 

 その言葉に気づいたのは、俺だけでなく小原も同じだったようで。小原は正面に座る俺を見て、何か言いたげな表情をしている。俺は慌てて目を逸らした。

 ……本当にコイツは無駄に鋭い。

 

「ふぇ? どういうことですか?」

 

 自分の話だとはいざ知らず、ルビィはきょとんとした表情。のんきというか、何というか。まぁ、知られても俺が困るから、そのままでいてくれていいんだが。

 

「何でもねぇよ。……それより、頬に飯粒ついてんぞ」

「え、本当ですか!? えーと……」

 

 意図せずして、話題が逸れてくれて良かった。にしても、頬にご飯粒とはまたドジな。中学生になってまで……と思ったが、ルビィなら別に驚かない。

 ルビィは本来ついている方とは逆の頬を触る。普通気づくはずなのだが、そこはルビィ。『あれ?』なんて言いながら、一生懸命逆の頬を弄っている。

 

「逆だ逆。ったく、どんくさいなお前」

 

 あまりにもじれったかったので、俺はルビィの頬についてた米粒を取って自分の口に運んだ。妹にもよくこんな事をしてたなぁとか、少し感傷的になりながら。

 再び自分の弁当に戻ろうとしたが、何か視線が集まっているのを不意に感じた。ルビィ以外の4人だった。さっきまで談笑していた松浦や黒澤でさえ、こちらを見ている。

 

「オゥ、シンヤ……」

「真哉さん大胆ずらぁ……」

 

 まず口を開いたのは、小原と国木田。小原にしては珍しく、何かに驚いたような表情だった。コイツらが何に驚いて、何が大胆なのかはイマイチ分からないが。

 

「は? 何が?」

 

 言葉通りの疑問を俺は口にする。小原と国木田は、それを見てやれやれといった反応を見せるが。何がダメなんだ。

 他の2人はというと松浦は苦笑いで、黒澤は……見なかった事にしよう。知らん。何か『無』の表情で黙りこくっている黒澤の顔なんて、誰も見ていない。

 

「いや、その、ほら……仲が良い分には構わないんだけどさ。そこまでやると……ね?」

 

 言いにくそうに松浦が口を開いた。そこまでやるとと言われて、俺は隣のルビィの顔を見る。

 ルビィは下を向いて、顔を赤く染めていた。時折こちらをチラッと見ては、目が合いそうになったら逸らす。間違いなく、今までとは違う反応。そして、やっぱり俺の知らない表情(・・・・・・)だった。

 それを見て、俺はようやく自分の過ちに気付く。つまり、そういう事をしてしまったのだと。

 

「……あー。わ、わりぃ」

「い、いえ大丈夫です。そ、その……ありがとうございます

 

 ルビィの声は力なく、教室の喧騒にあっという間に消えていく。元気がない、というよりは何とか声を絞り出したと言った方が適切なんだろうか。それほどまでに、ルビィの顔は羞恥で満ちている。目は口ほどにものを言うとは、よく言ったもの。

 そんなルビィを見て、俺はふと考え直した。コイツは、妹のようで妹ではないのだと。ただ似ていただけで、コイツは俺の妹と何にも関係はない。

 ルビィはドジでマヌケで、でも芯は強くてどこか頑固なところもある俺の―――大切な後輩。妹の影を重ねるのは俺の勝手だが、妹にしていた事を当たり前のようにルビィにするのは、やっぱり問題なんだろう。……毎回こうなられても困るし。

 

 

 どうしたものか、とふと視線を上げる。すると、季節柄有り得ないのに背筋に悪寒が走った。俺と目があったのは、ルビィの左隣に座っている人物。

 ―――未だに一言も発していない黒澤だった。

 

「……真哉さん、後でお話があります」

 

 ニコニコと笑顔で言い寄る黒澤に、恐怖を覚える。心が笑ってない。何を言っているのかと思われるかもしれないが、本当に心が笑っていないのだ。

 助け船を出してもらおうと正面の小原を見るが、駄目だった。黒澤と幼馴染であるはずの小原ですら驚愕の表情をしている。自分までとばっちり食らう事を察したのか、何も言ってくれない。

 そうなったら、国木田と松浦に頼んでも尚更無駄なわけで……。

 

「あの、黒澤? 別に俺は何も―――」

「い・い・で・す・わ・ね?」

「あ、はい分かりました何かごめんなさい」

 

 黒澤の気迫に押され、いつの間にか降伏していた。文句を言えば言うほど怖く、かつ面倒になるのは目に見えていたから。

 昼食を食べ終えて1年2人を帰した後、俺は教室の隅の方で黒澤に問い詰められるハメになった。人前であんな真似をするもんではないとか、ルビィに変なことを教えるなとか。あとは、俺とルビィがどういう関係にあるのか……とか。

 俺がいくら否定をしても質問を止めない黒澤は、もう何か形容したがい迫力だったのを覚えている。それはもう、モンスターペアレントが真っ青になるレベルで。

 小原と松浦が黒澤を宥めて解放されるまで、その時間10分弱。妹を溺愛しているのは知っていたが、ここまでだとは正直思っていなかった。しばらくはルビィを1人の女子として対応した方がいいなと身に染みた、とある昼休みの出来事だった。

 

 

 

 

 

 




無料110連でUR出ませんでしたorz……


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アイツとの正しい距離ってなんだろう

お久しぶりです!!
更新の目処が経ったので、随時上げていきます!!


 太陽は容赦なく地上を照りつけ、日中はセミのけたたましい鳴き声が響く。夏は、俺が最も嫌う季節だった。セミのコーラスは耳障りだし、年々外気温は上がるし、汗はダラダラだし。鬱陶しいことこの上ないからだ。

 世間は夏休みに突入し、1年を通しても特に暑い日々が続いている。この時期はエアコンの効いた部屋で過ごすのが1番なのだが、外に出ないといけない時もある。そして、それが今日だった。

 

「……あちぃ」

 

 エアコンのない生徒会室での仕事は、もはや苦行と言ってもいいレベル。そもそも仕事は下の学年に譲ったというのに、何でこうして呼ばれなきゃならないのか。

 しかも仕事の手伝いかと思いきや、生徒会室の片付けて。確かに引き継ぎが終われば、生徒会室も明け渡すのが義務。だが、わざわざこんな日にやらなくてもいいだろう。かれこれ、1時間半は作業をしている。

 

「真哉さんしつこいです。私が数えてる限り、8回目ですわ」

「いーだろ、暑いんだから」

 

 黒澤に(たしな)められ、自然と舌打ちが出た。暑さのせいで、いつもよりイラついているのかもしれない。やっぱり、この季節は嫌いだ。

 

「心頭滅却すれば火もまた……ですわよ」

 

 そういう黒澤も、さっきからタオルでしきりに汗を拭っている。いくら心頭滅却しても、暑いもんは暑い。自然の摂理だ。暑いとぼやいたところで、涼しくなるわけでもないが。

 時間にして12時を回っている。片付けは終わりに近づいていた。俺と黒澤の2人しかいなかったが、そもそも生徒会室自体が狭いのであまり問題はない。暑いから面倒臭さが倍増しているだけである。

 

「ったく。このクソ暑い中、1・2年は練習してんのか?」

「そうですわね。ルビィ達のところも、今日はステージ練習だったはずですわ」

「ふーん……」

 

 元気だなと、他人事のように黒澤の言葉を聞き流す。俺は1年の時も2年の時もクラス展示だったから、そういった経験は皆無だった。仮にステージ発表だったとしても、表だってステージに出ることはなかっただろうが。

 他のクラスにさして興味はなかったが、黒澤の発した『ルビィ』という単語に俺の手は止まった。ルビィがダンス……か。いまいち想像しにくいが、興味がないと言えば嘘になる。

 どんくさいルビィがとは思うが、ステージに出る以上はそれなりのレベルにするはず。いや、アレは『それなり』のレベルでは納得しないはず。ダメはダメなりに、影の努力で補っているに違いない。アイツは、そういう奴だ。

 

「見に行きますか?」

 

 黒澤に先手をつかれたようで、俺は口をつぐんだ。興味が沸いたのも事実。帰り際に覗こうと思ったのも事実。だが先に言われてしまうと、何故か従いたくなかった。

 それは俺の天の邪鬼(じゃく)な性格ゆえか、それとも変な意地を張っているからなのか。少し考えたが、よく分からなかった。

 

「別に……。もう終わってるんじゃねえの?」

 

 体育館は午前と午後で使用時間が分けられている。もう午前の使用時間は終わっているから、行ったところで徒労に終わる可能性の方が高い。

 

「終わってたとしても、話すだけでもいいでしょう。つべこべ言わずに行きますわよ」

「はぁ……分かった分かった。身支度するからちょっと待て」

 

 思いの外、黒澤の諦めが悪く感じた。元々俺も行きたくない訳でもないし、ここは素直に折れておこう。俺は手提げ袋に自分の荷物を詰め込むと、急いで黒澤の後を追った。

 それに、これはある意味チャンスだ。まだ練習を続けているならば、ルビィの頑張りを黒澤に知ってもらえる。コイツが妹をどう思っているか知らないが、少しでも見直す機会になってくれれば……。

 そう考えると、俺の小さな意地なんてどうでも良くなった。歩調を早めて、俺は黒澤の隣に並ぶ。額に光る汗は気に留めず、俺たちは体育館へ急いだ。

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 体育館は生徒会室以上に蒸し暑く、天然のサウナと言っても大差なかった。入った瞬間迫る熱気に、俺は思わず顔をしかめる。ここにいるだけで熱中症になりそうだ。

 中は閑散としており、ステージ発表の練習なんて到底やっているようには見えなかった。昼食時というのもあって、誰も体育館に残っていない。……ただ、1人を除いては。

 静かだからこそ、そのステップ音は響いていた。少々不規則だが、それでもリズム良く刻まれている。赤のツーサイドアップを揺らしながら、ルビィは1人ステージで踊っていた。

 

「ルビィ……?」

「随分と熱心にやってるみたいだな」

 

 黙々と自主練をするルビィは、俺たちが来たことに気付いていない。黒澤は、そんな妹の様子を見て驚いていた。必死に何かに打ち込むルビィの姿を見るのは、案外新鮮だったのだろうか。

 俺は何度も見てきた。遠足の時、テストの時、そしてそれで挫けそうになった時。アイツは前だけを見て、進むことだけを考えている。今だってきっと―――。

 それは他でもない姉に追い付き、見返すため。名家の次女という圧をはね除け、自分らしさを得るためだ。

 

「ですね。さすがは私の妹、ですわ」

 

 黒澤は微かに微笑んでいた。厳しい表情が印象的なコイツにしては、少し珍しい気がする。優しく見守るような、そんな顔つきだ。

 すると途端、ルビィの動きが止まったように見えた。それを知ってか否か、黒澤は体育館の出口へ向かって歩き出す。たったこれだけで良かったのだろうか。もっと見ないのか。俺は不思議に思い、黒澤を呼び止めた。

 

「なんだ、一声かけるんじゃなかったのか?」

「あの姿を見て安心しましたわ。あとは、本番までのお楽しみということにしておきます。真哉さん、私の分まで頼みますわ」

 

 黒澤の顔が満足げに映る。それを見て、俺はもう引き止めるのを止めた。無理に引き止める必要はないし、その方がルビィのためにもなると思ったから。

 何も知らない方が、今のルビィの決心は揺らがないだろう。本番でのアイツを黒澤は知りたがっているし、俺だって気になる。だったら、余計なことは言わない方がいい。

 ルビィはまだこちらに気付いていない。黒澤が体育館から離れていくと同時に、俺はステージへと近づいていく。練習は終えたのか、ルビィは壁に寄りかかって座っていた。

 

「よう、ルビィ」

「あれっ、真哉さん? こんにちは」

 

 俺に気づくと、ルビィは立ち上がってペコッとお辞儀をした。動いた後だからか、ルビィの顔は少し上気している。疲れているのだろう、肩で呼吸をしていた。

 せっかく休んでいるのに、これでは申し訳ない。手を縦に振って、『いいから座ってろ』というハンドサインを送る。すると、ルビィは大人しくストンと床に腰を下ろした。俺もそれに倣うように、隣に座る。

 

「皆が終わってからも自主練か?」

「はい。ルビィ運動得意じゃないから、みんなに迷惑かけちゃうかなって……。みんなより下手な分、練習するしかないんです」

 

 やっぱり自主練か。苦手の克服といえば簡単だが、それを行動に起こそうと思える奴は少ない。そして、それを実際に行動に起こせる奴はさらに少ない。

 だから、コイツは偉大なんだ。当たり前を当たり前にやることがどれほど難しいのか。中3くらいにもなると、それを自分と重ねて考えるようになる。到底、俺には出来そうもない。

 当の本人は、そんなことを思われているなんて露知らず。水筒を両手で持ち、くぴくぴと水分補給をしていた。

 

「あっ……」

「どした?」

「お水、無くなっちゃいました……」

 

 差し出された水筒を受け取ると、中身は確かに空になっていた。このクソ暑い時期に、500mlの水筒ではそりゃあ足りないだろう。ましてや、運動後なのに。

 

「お茶で良かったらあるけど」

「え、本当ですか? エヘヘ、ありがとうございます」

 

 俺は、自分のバッグの中から水筒を取り出す。今日の暑さを想定して、1リットルのを持ってきておいて良かった。それでも、中身は8割方なくなっているけど。

 ルビィは蓋を開けて飲もうとするが、何ともその飲み方は妙だった。飲み口に口をつけず、口を開けて水筒を傾ける。何してんだコイツ。

 

「おい、そんな飲み方してると……」

「ら、らいじょうぶれ……っぷ!?」

 

 ルビィにそんな器用な事が出来るはずもなく、案の定中身を溢した。俺が心配してたった数秒の出来事である。期待通りすぎて、ため息を通り越して変に安心してしまう始末。

 全く、何が大丈夫なんだか。タオル出して正解だった。

 

「うえぇ、ビショビショだぁ……」

「出来もしないことするからだ。普通に飲め、普通に」

 

 ルビィの溢したお茶は、顔はおろか体操服まで濡らしていた。俺は、持っていたタオルでルビィの顔を雑に拭う。さすがに体操服を触るのには抵抗があったので無視したが。

 ……まぁ、この暑さならすぐに乾くだろう。

 

「ふ、普通に飲んだらその……口が……」

「……問題か?」

「そんな事ないです!! ないです……けど」

 

 ルビィの声は段々と小さくなっていった。飲み物をシェアするとき、口をつけるのを嫌う奴はいるにはいる。嫌じゃなかったら、何でダメなんだろうか。ルビィの場合、俺に気を使っているだけかもしれないが。

 俺はあまりそういうのを気にしない性質だった。シェアするほどの仲にある奴なんて、小原くらいのもんだったし。アイツは間接とか気にしなかったから、俺も今まで気にしたことがなかった。

 そういうもんだと考えていたから無意識だったが、ルビィの反応が普通なんだろうか。近しい女子がフレンドリー過ぎたから、感覚が麻痺してる。アイツとの正しい距離ってなんだ。

 

「……まぁいいよ。ダンス、順調なのか?」

 

 ルビィから距離を1人分離して話題を変える。微妙な空気は、少しだけ紛れた気がした。

 

「はっ、はい。でもルビィ、体力ないから後半バテちゃって……」

 

 深刻な悩みだ。遠足の時ですらバテていたから、ルビィが体力的に劣っているのは知っている。体力はすべてのスポーツの源。それは、ダンスにもいえることだろう。

 

「致命的だな」

「だから、夏休みは毎朝走ろうと思ってるんです。でも……」

「でも?」

 

 言葉を詰まらせるルビィ。その表情は憂いていた。何か深刻な悩みでもあるのだろうか。もしかしたら、黒澤にダメだと言われた……とか。

 もしそうならば、アイツを説得してでも納得させないと。せっかくルビィがやる気になっているのだ。それにさっきのアイツを見る限り、事情を話せば分かってくれるはず―――。

 

「その、ルビィ朝に弱くて……」

 

 ギャグ漫画にありそうな効果音が聞こえそうなほどに、俺はずっこけた。なんだその理由は。黒澤全く関係ないじゃないか。

 まぁ、黒澤が原因だと考えたのは俺の勝手として。黒澤自身も以前溢していたな、ルビィは起きるのが苦手だって。

 

「んなもん、黒澤にでも起こしてもらえばいいだろが」

「そ、それはそうなんですけど。あんまりお姉ちゃんに頼りすぎるのもどうかと思って……」

 

 煮え切らないルビィの態度に、俺は頭を抱えた。口では穏やかに言っているが、要するに黒澤の手を借りたくないんだろう。その気持ちは分からなくもないが。

 とはいえ早起き出来ないものは出来ない。こっそり黒澤に事情を説明したって意味がないし、とはいえ放っておくのもどうかと思うし。……俺が何とかするしかないんじゃねぇか。

 

「ったく……。1人適任者がいるから、ソイツに声かけてみる。明日の朝5時、家の前で待ってろ」

「えっ? は、はいっ!!」

 

 ルビィの悩みを解消してくれる心当たりをたった1人だけ、俺は知っている。面倒見のいいアイツなら、快くルビィの頼みを引き受けてくれるだろう。

 ……ルビィが過労死する可能性もあるが、まぁ大丈夫だろ。多分。

 

「んじゃ、そろそろ帰るか。昼飯食いに行くけど、お前も来るか?」

「い、いいんですか? じゃあ、ご一緒させてくださいっ」

 

 それでも、ルビィならめげずに頑張れるんじゃないかな。そんな根拠のない、でも確信めいたものがどこかにあった。コイツの頑張りの先に何があるのか、俺は知りたい。見てみたい。

 あとでアイツに頼んでおくか、と予め個人チャットにメッセージを送っておく。……小原と違って、アイツ返信遅いからなぁ。大丈夫だろうか。

 その時はその時か。いったん忘れよう。とりあえず、早いところこの天然サウナから抜けたかった。俺が荷物を持って出口に向かうと、ルビィもそれに倣って歩く。

 俺たちの間隔は、人1人よりも少し近いくらいだった。手を差し出せばすぐに届きそうな距離。なるほど、それが適切な(・・・)距離か。後ろを歩くルビィの顔を、横目で捉える。

 

「真哉さん、どうかしました?」

「……っ!? い、いや……」

 

 まさか気付かれているとは思わず、すぐに顔を進行方向に戻す。少しだけ、心臓が跳ねた。

 

「なんでもねぇよ」

「あっ、真哉さん待ってぇ!!」

 

 苦し紛れの一言を残して、歩調を早める。少しだけ離れた距離は、ルビィが走り寄ったことで再び元に戻った。完全に、俺の歩調にルビィが合わせている。

 細かいことを考えるのが面倒になり、俺は歩く速さを戻す。こんなアホな事考えるのは、きっとこのバカみたいな暑さのせいだ。今日の気温に言いがかりをつけて、俺たちは体育館を出る。

 太陽は変わりなく、俺たちを手厚く出迎えてくれた。強い日射しに当てられて伸びる影が2つ。実際の俺たちは離れているのに、影2つはくっついているように見えた。それはもう、互いに寄り添っているかのように―――。

 

 

 

 

 

 

 




次は金曜日にあげますので、のんびりお待ち下さい。
ではでは~


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ずっと一緒、だと思ってた

最終章開幕、的な


 夏の夜は短い。日の出が遅く、日の入りが早いからだ。空が白くなっていく時間帯であっても、普通の人は眠っている時間なんてのはよくある話。

 

「おい」

「ん、何? どしたの?」

 

 苛立ちの混じった声も、マイペースなコイツには通じなかった。その鈍感さがイライラを加速させるが、それよりも眠気の方が勝る。言葉を続ける前に欠伸を1つ。今日起きて5回目だ。

 無理もない。今の時刻なんと―――午前5時である。

 

「何で俺まで呼ばれたの?」

「え、そういう話だったでしょ?」

「ルビィの面倒を頼むっつったんだよ。俺も一緒に付き合うだなんて、いつ言ったんだよ」

 

 俺の疑問に、松浦はきょとんとしている。やっぱり伝わらない。なんで『質問の意味が分からない』みたいな顔してるんだよテメェ。

 ルビィが自分の体力不足を解消する手段として考えたのが、朝イチのランニング。だが、アイツは朝起きられないという本末転倒な悩みを抱えていた。しかも、黒澤に起こされるのは気が進まないという事情も一緒に。

 そんなアイツのワガママを叶えるべく俺が打った手は、松浦を利用する事だった。根っからのスポーツ好きなコイツは、毎朝のランニングを習慣にしている。だから、それに混ぜてもらおうという計画だった。松浦がルビィのケータイに電話し、起こしてもらい、そして一緒に走るという具合で。幸いコイツも了承してくれたし、何も問題なかった。

 

 

 ―――なのに、何で俺は今ここにいるのか。

 

 

「えー、だって真哉とルビィはセットみたいなとこあるし。普通に来るもんだと」

「んな根拠もクソもない理由で、俺にモーニングコール掛けたのかテメェ……」

 

 相変わらず、ざっくりした考えの松浦とは意見が合わない。なんだよ、セットみたいなところがあるって。そんな感覚的な判断で、このクソ早い時間に電話掛けるか? 寝起き最悪で、気分が悪いったらない。

 

「お、おふぁようございましゅ……」

 

 今日6度目の欠伸をしたと同時に、黒澤家の引き戸が開いた。そこに現れたのは、同じく眠そうなルビィ。ジャージ姿に、珍しく髪は下ろしている。そして、目は半分閉じていた。

 

「おはようルビィちゃん……って、これは走るどころじゃないね」

「ったく、走る以前の問題じゃねぇか」

 

 さすがのこれには、松浦も苦笑いぎみ。話には聞いていたが、ここまで朝に弱いとは思わなかった。呆れるべきなのか、ここまで弱いのに起きたのを褒めるべきなのか。

 とにもかくにも、このままではランニングなんて出来ない。足元が覚束ないルビィに近寄り、俺はその頬をガシッと両手で掴んだ。

 

「おらおら、さっさと目ぇ覚ませ」

「いびゃびゃびゃびゃ!? ひ、ひんやはんいひゃい!?」

 

 頬を掴んで、それをぐにぐに~っと伸ばす。多少の力加減はしてるが、それでも割りと強めに。起こすってのもあるが、単なる悪戯心も混ざっているのは内緒だ。あと、眠いことに対するストレス解消。

 多少荒療治ではあるが、痛みも相まって何とかルビィは覚醒。涙目になりながら、頬を擦っている。

 

「わー、真哉乱暴……」

 

 そんな光景を見て、松浦は若干引いていた。こんなの、別に珍しくないだろ。ってーか、小原なんかにはクラスで平気でやってるし。

 

「ほっとけ。それより、今日のルートはどうすんだ?」

「ん~、弁天島神社くらいまで行けるかなぁ? ルビィちゃんがどれくらい走れるのか分からないけど」

「べ、弁天島神社……?」

 

 松浦の言葉を聞き、ルビィの顔からサーっと血の気が引いた。弁天島そのものは、ここからそう遠くはない。せいぜい片道1キロくらいだ。神社の往復を無視さえすれば。

 元々運動の苦手なルビィからすれば、往復2キロだけでもお腹いっぱいなはず。それに神社までの昇り降りが加われば、コイツの反応も分からなくはなかった。

 

「あ、あれ。もっと短い方がいいかな……?」

 

 ルビィの反応を見てか、松浦は心配そうな声を上げる。っていうか、そこは気にするのな。『ほら、まだまだあと30往復くらい行くよっ』くらいのこと言ってのけると思ったのに。俺の眠そうな表情には気付かなかったくせに。

 冗談はさておき、松浦の心配はきっと杞憂に終わる。やってもないのに諦めるなんて、アイツらしくないから。実際について来れるかはさておき、やる前から投げることなんてしないはず。

 曲げない、捨てない、投げない、逃げ出さない。それは、ルビィ最大の長所であり、武器でもある。だからルビィが何て言うか、だいたいの予想はついた。

 

「だっ、大丈夫です!! ルビィ、精いっぱいついていきます!!」

 

 ……ほらな。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 果南さんに精いっぱいついて行くとは言ったけど、自分が思っていた以上にルビィは体力がありませんでした。弁天島神社に行くまでは何とかついていけたけど、階段になると足が思うように進まなくって。

 ルビィはいま、1人で神社までの階段を上っています。真哉さんや果南さんは待っててくれたけど、先に行くようにルビィから断った。見た感じ、あの2人まだまだ元気だもん。多分、遅いルビィに合わせてくれたんだろうなぁ。

 これ以上迷惑かけちゃったら果南さんのトレーニングにならないし、頑張るしかないよね。そう思って、ルビィは立ち止まった自分の太腿をパンパンと叩く。大丈夫、まだ走れます。手に持ったペットボトルを開けるのは、まだまだ我慢。

 

「な、長いなぁこの階段」

 

 息を切らしながら、ルビィは階段を上る。普段階段を上るなんて、お家か学校でしかない。当然慣れてないから、ルビィの足はもう悲鳴を上げています。

 それでも、辛いのはカラダだけ。心はむしろグワーって盛り上がるものがありました。楽しいんです。すっごく辛いんだけど、楽しいんです。

 ルビィの大好きなアイドルも、体力作りのトレーニングとして階段を上っていたと聞きました。そう考えると、ルビィも彼女たちと同じ事をやってるみたいで嬉しくって。いくらでも走れそうな気分になれました。

 

「あと、ちょっと……」

 

 しばらく走っていると、階段の終わりが見えてきました。これでようやく全体の半分。まだまだ先は長いなぁって実感します。でも、これが普通に感じるようになると、体力ついたって証拠だよねって、自分を励ましながら。

 もし果南さんや真哉さんについていけるようになったら、真哉さんは褒めてくれるかな。何て言ってくれるかな。もちろん、あの人に褒められることを目的に走るんじゃない。ダンスのための体力作りが1番だってのは、自分でも分かってます。

 でも、それでも。真哉さんに褒められたら、もっともっと頑張れるかなって思うの。真哉さんと出会って結構経つけど、思い返せばまだ褒められたことはないなぁって。ルビィがいっつもドジやっちゃうからなんだけどね。

 ルビィが躓いた時、挫けそうになった時。決まってそばには真哉さんがいた。そして、いつも励ましてくれるんです。

 ステージで踊るって決心できたのも、そう。色んな事にチャレンジして、自分の可能性を探してみたい……なんてちょっぴり背伸びできた気分。

 そうすればお姉ちゃんにも……。

 

 

 

 

 

「出発って、いつだったっけ?」

「あー……、9月の確か16だったっけかな」

 

 ボンヤリと考えながら走っていると、ゴールは目の前だった。頂上から話し声が聞こえてくる。果南さんと真哉さんだ。9月の16日って……文化祭の次の日だったよね? 何のお話をしてるんだろう。

 

「うっわ、ハードスケジュール。大丈夫なの?」

「だからって文化祭休むわけにはいかねぇだろ。最後なんだし」

 

 

 

 

 

 …………最後? え、最後って……?

 

「7時の電車で静岡市でしょ? いつもの学校より早いじゃん」

「まぁな。荷物は前日にまとめておく」

 

 会話から出てくる単語の1つ1つが、酷く不吉に感じられてしまう。旅行かなとも聞こえなくはなかったけど、それだと『出発』って言葉が明らかに不自然だと思います。でも、もし旅行じゃないとしたら……。

 ルビィはぶるんぶるんと首を振る。まだ分からないです。もっと最後まで聞かなくちゃ。ルビィはこっそり木の陰に移動する。

 

「でも、寂しいなぁ。沼津市内の高校を選んでたら、また簡単に会えたのに」

「自分で決めたことだ。それに、誰も彼もずっと沼津にいるわけじゃなくなるだろ。俺はそれがちょっと早いだけのこと」

「それはそうだけど……」

 

 ゴトッとルビィの足元で音がした。気が付くと、さっき買ったばかりのペットボトルが転がっていました。落とした衝撃でペットボトルは少しひしゃげてしまい、ちょっと歪な形になる。でも、今はそんなことを気に出来なかった。

 それってつまり、引っ越しちゃう――って事だよね? 真哉さんがいなくなっちゃうなんて、今まで誰からも聞いたこともなかった。お姉ちゃんからも、もちろん真哉さん本人からも。どういう事なのか全く分からない。ルビィの頭の中はグチャグチャです。

 確かに真哉さんは、今年で中学校を卒業してしまう。でも、それまでにはまだいち、にぃ……8ヶ月くらいある。まだまだいっぱいお話出来ると思っていた。

 だから例え真哉さんが卒業しても、離ればなれになるなんて想像してませんでした。お姉ちゃんから、高校は近いところを選んだって前に聞いていたし、ルビィから会いに行く事だって出来たんです。

 

 

 

 出来た……のに。

 

 

 

「あれ、ルビィ。お前もう来てたのか。んなとこに隠れてないで、早く来れば良かったのに」

「ひゃ!? し、真哉さん……」

 

 ふと顔を上げると、真哉さんがいた。いつ気付かれたんだろうとかそんなのはどうでも良くって、ルビィは必死に真哉さんから目を逸らした。目を合わせると、泣いちゃいそうだから。

 本当は泣いてしまいたかった。離れないで下さいって言いたかった。でもそれだと、真哉さんの進路を邪魔しちゃうことになる。それだけは嫌でした。

 

「えと、少し疲れたので……木陰なら涼しいかなって」

 

 ルビィは慌ててペットボトルを拾い、一口だけお水を飲む。さも、『ここで休憩してたんです』と主張するかのように。努めて笑顔を作るけど、多分今のルビィの顔は歪んでると思います。

 

「そか。俺はもう降りっけど、焦らなくていいからな。下で待ってるから」

 

 でも、真哉さんを上手く誤魔化すのは出来たみたいです。何かほっとしたような、気にかけてもらえなくて残念なような……。ちょっと複雑です。

 ルビィのそんな気持ちは届かず、真哉さんは階段を降りていってしまいました。ルビィはその姿を眺めるだけ。真哉さんの背中は、すぐに小さくなっていきました。

 呼び止められない。「待ってください」の一言も言うことが出来ませんでした。勇気がない自分が恨めしいです。

 

「ルビィちゃん、大丈夫だった?」

 

 まだ上に残っていた果南さんが、近付いてきた。ここまで走ってきたのに、果南さんは顔色1つ変わってない。さすがに汗は掻いてるけど、スゴいなぁ。

 

「は、はい。なんとか上れました」

「うん。そっか、良かった良かった。最初はキツいかもしれないけど、頑張ろうね」

 

 多分、真哉さんが果南さんは残るように言ってくれたんだと思います。見えないところで優しいから、きっと今回もそうなんじゃないかな……って。

 それに、さっきの事を聞くには都合が良くなりました。

 

「あの、果南さん。1つ聞いてもいいですか? さっきの話なんですけど……」

「さっき……? あぁ、真哉のこと? 先生も無理しなくていいって言ったんだけどね。真哉、1回決めちゃったら頑固だから」

 

 ああ、やっぱり。先生も反対していたんだ。

 でも、どうして急に高校を変えたんだろう。ルビィの知ってる真哉さんは、ちょっぴり面倒臭がり屋さんでした。他の人のために動くことはあっても、自分の事で積極的に動く姿はあまり見かけない。

 だからこそ、不思議なんです。

 

「なんで急に静岡市の高校なんて……」

「詳しいことは私も分からないけどね。鞠莉が言うにはルビィのおかげらしいよ」

 

 ルビィの……おかげ?

 

「前なら、あんな前向きな様子はなかった。真哉を変えたのは、間違いなくルビィの直向きさに触れたからだ―――って」

 

 果南さんの言葉は衝撃的だった。ルビィが真哉さんを変えたって……? 最初は信じられなかった。なんでルビィなんかがって思っちゃったから。

 でも鞠莉さんが言うなら、妙に納得できてしまいます。真哉さんとも仲が良くて、勘も鋭いから。

 でも、もしそれが本当だとしたら。ルビィは自分で自分を恨むかもしれません。ルビィのせいで、真哉さんは遠くへ行ってしまうことになったんだから。こんな事、ルビィは望んでいないのに。

 

「そう……なんですか」

 

 ルビィは、もう果南さんに何も聞きませんでした。聞いても、悲しくなるだけだと思ったんです。原因が自分にあるなんて、予想も出来なかったから。

 どうすれば真哉さんはこっちに残ってくれるんだろう。ルビィが必死に引き止めたら? ルビィが頑張ることを止めたら? どれも間違っていると思います。そんな真哉さんをガッカリさせちゃうこと、したくないもん。

 でも、会えなくなってしまうのはもっと嫌だ。大好きな真哉さんと一緒にいたい。もっとお話したい。お出かけだってしたい。ずっとずっと……。

 偶然知ってしまった真実は、ルビィには重たすぎて。でも、それは自分ではどうすることも出来なくて。ルビィのカラダに、ズシンと重たいものがのし掛かる。頂上まで上りきれた達成感なんて、そんなものは感じることも出来ませんでした。疲れも重なって帰り道の足取りは重く、真哉さんとは一言も話さないまま、初日のトレーニングを終えたのです。

 

 




この先、結構視点入れ替わりがありますがご了承下さい。


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あと一歩、勇気を……

ずっとRED GEM WINK流しながら書いてました


 夏『休み』とは言うが、それは俺たち受験生には縁のないものだった。1日も無駄にできない俺にとって、夏休みはむしろ大事な学習期間。俺みたいに志望校の判定が危うい奴からすれば、その差を埋めるまたとないチャンスになる。

 だからこそ、俺はどこかに遊びに行くこともなく勉強漬けの毎日を送っていた。時には家で、たまに気分を変えて図書館で……と場所を変えながら。

 そして今日は、黒澤の家―――というか部屋に来ていた。どういうわけか分からないが、黒澤が唐突に誘ってきたのだ。自分よりも学力が上の奴と勉強するのはプラスになるし、俺としても断る理由はなかったのだが。

 

「んー、疲れマシター!!」

 

 どこで聞き付けたのか、小原までいるのは謎だ。どうせ、黒澤辺りがポロっと漏らしたんだろう。やってることが勉強なので、松浦は来ていない。

 

「鞠莉さん、ちゃんとやりましたの?」

「イェスイェス。ほらほら、ね?」

 

 一足先にシャーペンを置く小原に、黒澤が注意を呼び掛ける。それに対して自信満々の小原は、言葉通り今日のノルマを終わらせていた。

 相変わらず、飲み込みは良いというか何というか。黒澤の影に隠れがちだが、そういや小原も成績は良い方だったっけか。普段があんな調子だから、つい失念しがちだけど。

 

「あ、あら本当……。失礼しましたわ」

「自分の分終わったのはいいけど、こっちの邪魔すんなよ」

「ハイハイ。眺めるだけならいいでしょ?」

「好きにしろ」

 

 小原に釘を差してから、自分のノートに目を戻す。俺の当面の目標は、中学の教科書内容を一刻も早く終わらせる事だ。学校の授業で教科書を終えるのは、早くても冬休み前。そこから受験対策をしていたのでは、明らかに時間が足りなくなってしまうからだ。

 とはいえ、本来授業でやるものを独学でやるのは楽ではない。ずっと教科書と参考書を行ったり来たりで、あんまり進んでいる気はしなかった。

 

「シンヤも無茶するわよねぇ。無理して夏休みに全部やらなくてもいいのに」

「早いに越したことはないだろ。わりぃかよ」

「んーん、別に。シンヤがそういう風になって、むしろなんか嬉しいかも」

 

 妙にしんみりした様子に、俺と黒澤はきょとんとする。肘をついて手に顎を乗せ、軽く微笑む小原は大人びて見えた。普段とは違うから、何か調子が狂う。

 

「変わった……って言いたいのか?」

「ザッツライト。戻ったって言った方がいいかしら?」

 

 敢えて『戻った』と言った小原の意図に、俺はようやく気付くことが出来た。俺と小原にしか伝わらないことだ。嬉しそうなのが見てとれて、俺も少しだけ顔を綻ばせる。

 2年の生徒会で出会った黒澤、同じく2年のクラスで知り合った松浦。そいつらに比べて、更に付き合いが長かったのが小原だった。コイツは、中学校に入学した2年前の時から同じクラスにいた。

 つまり――――小原は俺の昔を唯一知っているということになる。

 

「さぁな。どれが正しいかなんか知らん」

「分からなくていいの。マリーは今のシンヤの方が好きだから」

「……あっそ」

 

 結局、勉強の弊害だ。視線をノートに移すが、結局問題はさっぱり分からない。気晴らしにクルクルとペンを弄ぶが、それすらも上手くいかなかった。シャーペンは手から零れ落ち、床に転がる。

 俺が拾うよりも先に、小原が反応した。いつも通りの、憎らしい笑みを浮かべながら。

 

「いまドキッとしたでしょー!! シンヤは照れ屋さんね!!」

「うっせぇ。さっさとペン返せ」

「ウフフっ。素直になったら返してあげなくてもいいけどぉ?」

 

 結局、いつものうるさい小原に戻った。何だったんださっきのしんみりモードは。悪い物でも食べたのかと疑ったのだが。

 小原は、俺を挑発するかのように指で挟んだシャーペンをプランプランと振る。とりあえず腹が立ったので、素早く奪い取って頬をつねっておいた。いつもの日常だ。黒澤も呆れて、注意をする素振りすら見せない。

 

「なんか言うことは?」

「ひ、ヒンヤいひゃい~!! ごめんなひゃーい!!」

 

 謝っても許さない。つねる強さを調節しながら、適当に小原の頬をいじくる。勉強のストレス解消にはちょうどいいくらい。……こんな事をしているから、勉強進まねぇんだな俺。

 ささやかな休憩は終わりだ、と小原の頬から手を離したその時。引き戸が静かに開いた。現れたのは、お盆を持ったルビィだった。

 

「えっと、お母さんがお茶を……って何してるんですか?」

「別に、コイツをいじってただけだ。サンキューな、ルビィ」

 

 お盆の上には冷たい麦茶の入ったコップが3つと、和菓子が用意されている。黒澤の母さんのありがたい配慮だった。もういいや、もう少し休憩してしまおう。

 

「あの、ところで真哉さん」

 

 一口サイズの小さな饅頭を口に入れる。甘い。疲れには糖分が良いとはよく言うが、実際間違いないと思う。

 咀嚼しながらルビィの方を見る。どうぞ話してください、とでも言わんばかりに。口にまだ入ってるから答えられないし。

 

「えと、その……あさ、あさっ…………」

 

 妙にもじもじしてるかと思いきや、視線は移ろいでいる。何か俺に伝えようとしているのは分かるのだが、その内容は全く入ってこなかった。

 饅頭を麦茶で流し込み、口のなかを空にする。ルビィは諦めたのか、すっかり押し黙ってしまった。

 

「どうした?」

「な、何でもないです……。お勉強、頑張って下さい」

 

 結局何を伝えたかったのか分からないまま、ルビィは部屋を出ていった。いつもとは違った様子に、俺は少なからず困惑を隠せない。今さら、何をしどろもどろになる必要があったのか。

 

「……何か言いたげでしたわね」

「何なんだアイツは」

 

 黒澤にも、その理由は分からないようだった。一緒になって首を傾げるが、それで原因が分かるわけない。

 

「そういえば最近のルビィ、あまり元気がないのです。何かご存知ではありませんか?」

「知らんぞ。最後に会ったのは1週間前だし」

 

 なるほど、今日唐突に誘われたのはそういう事か。麦茶を喉に流しながら、そんなことをぼんやり考える。妙に納得できた。

 だが生憎、俺は最近のルビィの変化を知るよしもない。ランニングの時は本当に普通だったと思うし、元気のない様子も見られなかった。詰まるところ、本人に聞くしかないというわけだ。

 

「ちょっと聞いてきてあげよっか?」

「鞠莉さんが?」

 

 小原もそれを分かっているようだった。こういう時、直接聞きに行こうと出来る行動力は見習うべきだと思う。時が経てば分かるだろ――とのんびり構えていた俺とは大違い。

 それに、周囲によく気を配れる小原は相談役として打ってつけだ。ルビィも心を開いているだろうし、問題ないだろう。……多分。

 

「……いいんじゃねぇの? むしろ、適任だろ」

「そ、そうですか? じゃあお願いしますわ」

「オッケー、まっかせなさーい!!」

 

 拳を作り、ドンと自分の胸を叩く小原。何がそんなに自信満々なんだか分からないが、それもコイツの明るい性格故だろう。任せて大丈夫……だと思う。多分。

 ルビィは何かで苦しんでいる……か。力になってやりたいが、もう小原1人に任せた方がいいだろう。複数でいっても困惑するだけだ。

 アイツみたいにすぐ行動に移ることが出来ない。面と向かって話を聞きに行こうとも思わなかった。行動が遅かったのだ。ここに来て、消極的な性格が出てしまった。

 部屋を出ていく小原の背中を、俺はぼんやりと眺める。ちょっとだけ、積極的な性格のアイツを羨ましいと思いながら。今この時ばかりは、自分の性格を呪った。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

「はぁ……」

 

 ルビィは自分の部屋に戻ると、ため息を1つ。結局言い出せなかったなぁ……と、自分で握っているスマホに目を落とします。開かれているページには、花火大会の日程が書かれていました。

 開催されるのは明後日。これに、真哉さんを誘おうと思っていました。いなくなっちゃうなら、せめて少しでも一緒にいれるチャンスを作りたかったから。

 さっきもそのつもりで部屋にお邪魔したのに、恥ずかしくて言い出せませんでした。何だろう、すっごく意識しちゃって。ルビィから誘ったことなんて、1回もなかったからかな。

 なんとかして声をかけなきゃ!! って思うと、むしろ焦ってしまう。でも、どうにかして一緒に行きたい。ルビィにもっと勇気があったら……。

 

 

 どうすればいいんだろう。

 

 

「あら、いいわね花火大会。マリーもダイヤや果南と行くわよ」

「へっ!? ま、鞠莉さん!?」

 

 いつの間に部屋に入ってきたんだろう。鞠莉さんは、ルビィの握るスマホを覗き込んでいました。いきなり現れたもんだから、小さくカラダが跳ねちゃった。

 

「フフっ、ルビィは誰と行きたいのかしら?」

「えっと、それは……その……」

 

 笑顔で問いかける鞠莉さんから、必死に目を逸らす。行くつもりというか、誘えてないというか。まだお姉ちゃんにも言ってないし、花丸ちゃんにも話してない。口に出して誰かに話すと、漏れちゃうのが怖かったから。

 それに、意識しすぎちゃっておかしくなりそうで……。ずっとずっと秘めてるまま。

 

「行きたがるようには見えないわよねぇ~。『彼』のこと、まだ誘えてないんでしょ?」

 

 ……だったけど、鞠莉さんには全部バレていたみたいです。狼狽えちゃったから気付かれたのか、前から知っていたのか、それとも勘なんでしょうか。

 ルビィなんかじゃ誤魔化してもムダだと思うので、無言で小さくコクンと頷く。もうバレてしまった以上、鞠莉さんにも協力してもらっちゃおうかな……。

 

「もしかして、さっきお茶持ってきた時に?」

「は、はい。誘おうと思ったけど、なんか恥ずかしくなっちゃって……」

「あら、青春ねぇ~。ちょっと詳しく聞いてもいいかしら?」

 

 そう言って、鞠莉さんはルビィの隣に腰掛ける。合わせて、ルビィも腰を降ろした。歳は2つしか違わないはずなのに、鞠莉さんの横顔は大人びて見える。

 ルビィとは違って、鞠莉さんは誰とでも仲良くなることが出来るくらいの明るい性格を持っている。鞠莉さんだったらこんな悩みないのかなって思うと、少し羨ましいです。話してもいい……かな。

 

「真哉さんがもうすぐいなくなっちゃうんです。だから、最後にと思って……」

「い、いなくなる?」

 

 鞠莉さんの顔が急に曇った。もしかして、引っ越すこと知らなかったんでしょうか。てっきり知らされてると思ってました。

 

「静岡市の高校に行くから……って」

「あ、アー。そのことね」

 

 あ、やっぱり知ってたんですね。急に思い出したかのように、鞠莉さんは相づちを打つ。

 残りで考えると、あと1ヵ月くらいかな。真哉さんは毎日お勉強で忙しいだろうし、そんなに会える時間もないはず。だから、何とかして誘いたいんです。

 

「で、誘えなくて困ってると」

「恥ずかしいのもあるんですけど、断られるのも怖くて……。ルビィと行っても、かえって迷惑かけちゃうと思うし」

 

 自分で言っておきながら、ますます自信がなくなる。鞠莉さんも言ったけど、真哉さんはお祭り好きそうには見えない。それに、ルビィが人混みに行くとどうなるかは沼津駅に行った時に見られちゃってるし……。

 1回誘いを断られちゃうと、次はない。また断られたら……なんて思うと、怖くて想像もしたくないですもん。今のまま、学校でお話しするだけでも充分楽しかった。それさえも崩れてしまいそうで。

 だから、どうしても慎重になっちゃうんです。

 

「大丈夫よ。ルビィが誘うなら、シンヤは間違いなくついて行ってくれるから」

「……え? な、なんでそう言い切れるんですか?」

 

 どういう事だろう。鞠莉さんは、ニコッと微笑む。そして、咳払いを1つ。

 

「昔々、仲の良い兄妹がいました。妹は泣き虫でちょっぴりドジだったけど、頼れるお兄さんが全部助けてくれました。お兄さんは素直じゃないけれど、妹の事を大切にしていました」

「ま、鞠莉さん?」

 

 いきなり始まった昔話に、ルビィは首を傾げる。誰の事を話しているんだろう。そんなルビィの疑問を気にすることなく、鞠莉さんは話し続ける。

 

「でも、2年前の冬―――火事で妹が亡くなりました。お兄さんはとても悲しみ、心を閉ざしてしまいました」

 

 2年前、そして火事という言葉にルビィは反応しました。今まで何の事か全く分からなかった話が、少し分かったからです。

 

「周りの人は何とか彼を励まそうとしました。特に仲の良かった女の子は、持ち前の明るさでどうにか彼の心を開こうとしました。たとえ避けられても、諦めずに」

 

 鞠莉さんの表情は悲しそうでした。少し苦しそうで、どこか暗くて。鞠莉さんのこんな顔、初めて見た気がします。

 

「しかし2年後。そんな彼の心を開いた人がいたのです。その子は2歳年下で、彼の妹によく似た子でした」

 

 ルビィはドキッとした。一瞬まさかという考えが浮かんだけど、そんなバカなと思って首をブンブンと振る。

 でも前に真哉さんの家に行った時、妹さんの写真を見せてもらったことがある。ちょっと形は違うけど髪型は2つに縛っていました。鞠莉さんの言った妹さんの特徴も、ルビィと似ているところがあるし……。

 それに、この前果南さんが似たような事を言っていた気がする。

 

「彼女はいつも彼の側にいました。とても頑張り屋で前向きなその姿は、段々と彼の考えを改めるようになったのです」

「そ、その子ってもしかして……」

「あなたの事よ、ルビィ。あなたがシンヤを変えてくれた。いや、戻してくれたって言った方がいいわね」

 

 ルビィの早とちりなんかじゃなかった。鞠莉さんの言葉に、ルビィは自分の顔がカァーって赤くなるのを感じます。だって、やっぱり嬉しいから。

 果南さんから初めて聞いた時は、悲しいばかりで何も考えられなかった。でも、真哉さんにとっては間違いなく良い事で、それをルビィが手助け出来たのならこんなに嬉しいことはないです。

 ルビィは、自分の事を頑張り屋だなんて思ったことはないです。何も出来ないからこそ、一生懸命頑張るんだもん。むしろ、これしかないんです。

 でも、そんなルビィを見て真哉さんが何かを思ってくれたなら。ちょっとでも影響を与えられたらと思うと嬉しいです。静岡市に行くのだって、仕方ないことなのかな……って。

 

「でも、このままだとハッピーエバーアフター(めでたしめでたし)にはならない。このままだと、2人は離ればなれになっちゃうのよね?」

「は、はい。でも、こればっかりはワガママ言えないし……」

 

 でも、それと寂しい気持ちを我慢できるのとは違う気がします。やっぱり離れてほしくない。本音を言えば、ずっと残ってほしいです。ただ、真哉さんを止めるような事はルビィには出来ません。

 ルビィと真哉さんは、連絡先を交換していません。学校で毎日お話しできたし、ルビィの家はスマホを使う時間を1日1時間って決められてるから。でもそれは、毎日会えるから何とも思いませんでした。

 

「後悔しないようにしなさい」

「後悔、しないように……」

 

 鞠莉さんの言った言葉を、ルビィは繰り返す。後悔しないためにやること……。ルビィは頭の中であれこれ考えます。

 

「電話なんかじゃ寂しいもの。直接会える時に、ちゃんと言っておかなくちゃね?」

 

 全て見透かされているようで、恥ずかしくなる。鞠莉さんには敵わないなぁ。

 いつからだったかは、もうあんまり覚えていない。気づけば一緒にいるのが当たり前になって、ルビィにとっては大事な大事な人になってて。

 鞠莉さんと話して、今はっきり分かりました。

 

「自分の気持ちには正直に。それに女は度胸よ、ルビィ」

 

 ―――ルビィは、やっぱり真哉さんの事が好きです。

 受け入れてもらえるかは分からない。自信もないですし、今みたいにお話出来なくなっちゃうかもしれません。でも……この気持ちは伝えたいです。面と向かって、しっかりと。

 

「は、はい!! 鞠莉さん、ありがとうございます!!!!」

「フフッ、いい笑顔ね。グッドラック、ルビィ」

 

 鞠莉さんは笑顔でそう言うと、ルビィの背中をポンと押してくれた。今から行ってこい……って事なのかな。でも、早い方がいいよね。ルビィは廊下に出た。

 どういう風に言い出そうかな、真哉さん来てくれるかな。鞠莉さんのお話を聞いたおかげで、少しだけ気分が楽です。本当に鞠莉さんに相談してよかった。

 お姉ちゃんの部屋に近付く度に、心臓はドキドキと段々音を大きくさせている。どうにか止まってって思うけど、意識しちゃえばますます緊張してきて。それを感じるたびに、さっき言えなかったのも全部気持ちが抑えられなかったからなんだなって思います。

 でも、今度こそちゃんと言うんだ。頭のなかでは、何て誘おうかをずっと考えています。自分から何も言わなかったら、始まらないって分かってますから――

 

 

 

 

 だから、あと一歩踏み出せる勇気をください。

 

 

 

 

 

 

「し、真哉さん。明後日の予定なんですけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 




Twitterでイラストを戴いたので、この場を借りて紹介させてもらいます。


【挿絵表示】


体育祭の時のですね。愛くるしい………。
イラストありがとうございました!!!!


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朱と交わって

「あっ、真哉さん。こっちの方にも行ってみませんか?」

「わたあめだ!! ちょっと買ってきます!!」

 

 あっち行ったりこっち行ったりのルビィに、俺は今日何度目かの苦笑いを浮かべる。いつもの光景とは真逆で、今日は俺がルビィに先行されていた。

 今日は、年に一度の花火大会。ここら一帯ではかなり大きい方の祭りで、沼津の夏の風物詩になっていた。

 当初は行く予定など微塵もなかったが、一昨日ルビィに誘われて今に至る。元気がない、と黒澤が心配していたがどうもそんな雰囲気はない。小原が上手く諭したのだろうか。

 ルビィの誘いに二つ返事で承諾したはいいが、これはこれで結構疲れる。出店を見つけては自分の興味に触れたものに飛び付く……と自由気ままに俺を連れ回すからだ。とても人混みがニガテな奴とは思えない。楽しそうなのは何よりだが。

 

ひんやはん、はなひってなんじかられふか(真哉さん、花火って何時からですか)?」

 

 食うか話すか、どっちかにしろ。わたあめを美味しそうに食べるルビィに、俺は心のなかで突っ込んだ。口の周りを砂糖で汚している姿を見ると、そのピンクの浴衣も形無しである。

 今日のルビィは私服ではなかった。黒澤の妹らしくしっかり浴衣を着こなしており、髪型もいつもとは違っている。2つ結びなのは変わらないが、今日はそれをツーサイドアップじゃなくて団子にしている。シニ……シヌ……なんか、そんな感じの名前の奴。忘れた。

 

「んー、7時からだからもうちょいだな。まぁ、早めに場所を取っておいても……」

「あっ、ヨーヨーだ!! 行ってきてもいいですか!?」

「……好きにしろ」

 

 期待の眼差しを向けられてはノーとは言えず、仕方なくルビィについていく事にする。間違いなく、この祭りを誰よりも満喫してやがるなコイツは。悪いとは言わんが。

 ルビィの向かったヨーヨーの店は、ラッキーなことにそれほど人だかりは出来ていなかった。これで待たされるなんてなったら堪ったもんじゃない。運が良かった。

 オーソドックスなヨーヨー釣りだ。紙を巻き付けたフックを垂らし、それをヨーヨーの指をかけるゴムに引っ掛ける。もちろんあちらは商売だから、簡単に取れないようにはしてるが。紙が水にふやけて、千切れたら終わりだ。

 

「あぅ……また失敗しちゃった」

 

 正直、こうなることは見えてた。なんてったって、不器用なルビィだし。現在3連敗である。これ以上は、さすがに財布事情的に良くない気もするが。

 

「お嬢ちゃんどうする? またやるかい?」

 

 屋台のおっさんは、そんなルビィにも容赦なく次を催促する。泣きそうなルビィの顔を見ながら、よくもまぁそんな無慈悲に言えるもんだ。大人げない。

 まだ諦め切れないのか。ルビィは財布を開いて中身を取り出そうとするが、それをすぐに閉じた。顔はますます悲壮感に満ちている。

 

「うぅ~。お金、もうないです……」

 

 まぁ、屋台回るだけ回って好きなように散財したら、そりゃあ小遣いも無くなるだろうよ。こればっかりは、俺でもどうしようもない。商売に、泣きの『もう1回』なんて通用しねぇんだ。

 ……ハァ、しゃーない。

 

「どいてろ、俺がやる。おっさん、1回分」

「おっ!! 彼氏くんの登場かい?」

 

 腹の立つ笑顔で、おっさんが茶化してくる。少しイラッと来た。意地でも取ってやる。『そんなんじゃないんで』とだけ返し、おっさんに200円を渡す。……たっけぇなあオイ。

 おっさんから渡されたフックは、いってみればオーソドックスなやつだった。別段変わっているものでもないし、普通通りにやってれば何回かで取れるはず。ルビィがいかに不器用か分かった瞬間である。

 とはいえ、俺もこんなもので無駄に金使いたくないし。それに『どいてろ』と言った手前、1回で取れないと少々格好悪い。ここは1回でバシッと決めるか。

 狙うのは……あの紅いやつでいいか。

 

「……おっけ。とれた」

 

 いざやってみると、存外簡単に取れた。ヨーヨー釣りなんて2年振りくらいだったんだが、結構コツとか覚えてるもんだな。取れて良かった。

 まぁその実、コツというかインチキみたいなもんだが。紙を捻って、さらに短く持つことで千切れにくくしていたからな。俺の名誉のためにも、このことはルビィには伏せておこう。

 

「ほらよ。これでいいか?」

「わー!! ありがとうございます!! ルビィとおんなじ色だぁ……。もらってもいいんですか?」

 

 実力であっさり取った、みたいな風になっちゃったし。嘘も方便って事で。それに心から喜んでるのに、水を差す必要はないだろうし。

 

「俺はいらねーよ。そんな年でもねーし。あとはまぁ、今日の礼も兼ねて……な」

「お礼?」

 

 屋台を離れて、花火がよく見えそうな位置を探す。隣を歩くルビィは、俺の取った水ヨーヨーで遊んでいた。こんなものでいいなら安いもんだ。

 とはいえ当のルビィは、俺の言った意図を分かってないみたいだった。誤魔化すために『別に』と言いかけるが、俺は口をつぐんだ。言葉で言わなければ、しっかりとは伝わらないよな……って。

 

「まー、なんだ。その……今日誘ってくれた礼。あ、ありがとなって言いたかっただけだ」

 

 蚊の鳴くような声で言ったのだが、ルビィはパァっと表情を明るくさせる。大袈裟な奴め。そんな心から嬉しそうな顔しなくてもいいだろうによぉ。……ったく。

 気恥ずかしくなったので、ルビィから目を逸らして少し早足になった。いつもならルビィはその後ろをついてくるだけだが、今日ばかりは少し違う。草履のくせして俺のもとまで走ってきて、俺の左手をギュッと掴んだのだ。

 俺はビクッとして一瞬手を離したが、ルビィがまた俺の手を捕まえる。今度は離しません、と言わんばかりに指まで絡めてきた。その時点で、俺はもう観念した。

 

「エヘヘ、一緒に行けてルビィも嬉しいですよ。ありがとうございます」

「……それと、この状態に何の関係があるんだ?」

「え? えと、それはその……気分です!!」

 

 何だそりゃ。あまりにも下手くそすぎる言い訳に、思わず笑みが溢れる。今度は、ルビィが俺から目を逸らした。

 ルビィの手は柔らかくて、少しひんやりしていた。沼津駅の時はあんまり意識してなかったが、こんなところを誰かに見られたらどうなるんだろうか。もしそれが小原や黒澤だったら……なんて想像もしたくねーな。

 1番簡単なのは手を離せばいい話なんだが。それも隣にある笑顔を見ると、無下にすることは出来ないよな。俺は、ルビィの手をさらに強く握った。

 まぁ悪い気はしないし、別にいい……よな。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 俺とルビィが来たのは、屋台があった場所から少し離れた高台だった。ここは静かだし、花火もよく見える隠れたスポット。去年を除き、ほぼ毎年のように来ていた。

 柵に腕をのせ、カラダの重心を前に置く。ルビィは、未だに俺の手を離そうとはしなかった。

 

「こんなところがあったんだぁ。真哉さん、よく見つけましたね」

「見つけたのは妹だ。よく来てたからな。海岸沿いは人が多いから、アイツはそれを嫌ったんだろうよ」

 

 ルビィの顔が少し曇った。俺が引きずっているわけではないから、コイツが気負う必要はないのにな。気にするな、と俺はルビィの頭を少し雑に撫でた。

 

「もう、一生来ないだろうと思ってた。何をするにも、アイツの影がチラつくからさ。だから、お前とここに来れた事に感謝してる」

「真哉さん……」

「んな悲しそうな顔すんな。これでも、割り切れるようになった方だ」

 

 少しだけ、撫でるのを優しくした。ルビィの顔が綻んだので、俺は安心して手を放す。妹にも、よくこういう事をしていた。割り切れるようになったとはいえ、面影は拭えない。

 花火は海の沖から打ち上げられる。つまり海岸沿いにいるとよく見えるのだが、やはりそういう場所には人が多い。俺も妹も人混みは嫌いだから、こういった隠れた穴場を探せた。ルビィも人混みはニガテな部類だ。こうしてここに来ると、やはり重なってしまう。

 唯一違うのは、いまでも繋がれている左手。屋台からここに来るまで、片時も離れなかった。沼津駅の時みたいに、『はぐれないように』なんて大義名分ももはや関係ないはずなのに。

 

「……じゃあ真哉さん。1つ、変なこと聞いてもいいですか?」

「あ? あぁ」

 

 今までずっと握られていた手が、スッと離れる。ルビィの顔つきは神妙で、こちらまで緊張してしまうほどだった。頭上では、花火がたくさん咲き始めた。俺たちはそれに気を取られる事なく、互いの目を捉えて離さない。

 

「もし……もしもです。ルビィが真哉さんの妹さんに似てなかったら、真哉さんはルビィとこうして一緒にいてくれたでしょうか?」

 

 ルビィの顔は至って真面目だった。それでいて、どこか不安そうな表情を覗かせている。でも、ルビィは俺から目を離さない。俺が何て答えるか、待っているのだ。

 一緒にいてくれたかどうか……か。そんなの決まっている。確かに、俺がルビィに興味を持ったのはアイツに似ていたからだ。容姿だけでなく振る舞い、性格までもが全て。だから、アイツに目をつけたというのは間違っていない。

 だが、『それ』と『これ』とでは話は別だ。

 

「バーカ。ルビィはルビィだろ。関係ねぇよ」

「……っ。本当、ですか?」

「本当だ。ルビィには、ルビィにしかない良いところがある。俺は、前向きで努力家なお前をそ―――」

 

 

 

 尊敬してる。

 口には出せなかったが、俺は黒澤ルビィという人間を尊敬している。愚直で不器用なくせに、努力家で誰よりも真っ直ぐだった。ねじ曲がっていた俺を矯正させてくれるくらい、眩しいくらいに。

 

「……そ?」

「いや、何でもない。とにかく、そんなくだらん事聴くな。これでも、こっちはその……感謝してんだ」

 

 まだ面と向かって言うのは無理そうだが。これでも、俺にしては頑張った方なんだ。変なところで臆病者(チキン)な自分が憎い。

 頬を掻きながら、俺は小さく感謝を述べた。俺と出会ってくれて、俺を変えてくれてありがとう。コイツと出会わなかったら、俺の心はきっと今も真っ黒のままだった。光の届かない、出口の見えないトンネルをさ迷い続けていただろう。

 (未来)しか見ていないルビィと、後ろ(過去)に縛られてばかりだった俺。コインの表と裏、決して相容れない関係だった。だが、ルビィは俺に前を向かせてくれた。ルビィのペースに乗せられて、真っ黒だった心もいつの間にか朱に変わっていって……。

 今の俺は、コイツ無しでは有り得なかった。きっとそれは、これからも変わらないんだろう。

 

「……った」

「うん?」

「良かったですっ。そんな風に言ってくれて、本当に嬉しいです。ありがとう……ございます」

 

 ルビィは俺の胸元に飛び込み、強く抱き着いた。花火に照らされた顔を見ると、目尻には少し涙が溜まっている。俺は引き剥がすことをせずに、優しくルビィを受け止めた。

 何がそんなにルビィを心配させたのかは分からない。でも、結果的に安心させられたなら良かった。俺と目があって微笑むルビィ。それに釣られて、俺も僅かに表情を緩める。

 

「そうか……。なんか、不安にさせてたみたいで悪かった」

「いえ、ルビィこそごめんなさい。ただ、聞いておきたかっただけなんです。真哉さんが――――」

 

 ルビィの声は、打ち上がった花火の轟音で掻き消された。抱き着いていたルビィを剥がし、2人揃って空を見上げる。これから段々と勢いを増していくんだろう。次々と豪快に打ち上がる花火は、空を鮮やかに彩っていた。

 黒い画用紙に、様々な絵の具で描き殴ったようだ。何もない無の空に、花火はきれいな『彩り』を増やしていく。それは、モノクロだった俺に色を加えてくれた誰かさんをイメージさせた。

 

「わりぃ、聞こえなかったからもう1回」

「……いえ、何でもないです」

 

 体を屈めて、文字通りルビィに耳を傾ける。が、結局何の事だか話してはくれなかった。聞いてなかったのを怒ってるのかと思いきや、どうやらそうでもないようで。

 俺がそう思えたのは、ルビィの表情だった。嬉しそう……というより幸せそうと形容した方が近いんだろうか。とにかく、負の感情を持ってない事だけは分かる。

 だが、この表情は知っていた。今まで『知らない表情』だけど、最近よく見るようになった顔。どこか違和感を覚えるが、でも嫌いになれない表情だ。

 

「あの、真哉さん」

「なんだ」

 

 ルビィが俺に向き合う。今度は聞き漏らさないように、ルビィの口元まで頭を下げた。ルビィは背伸びして俺に合わせようとする。

 

 

 

 

 "■■■、■■■■■■■■■。"

 

 

 

 

 優しく、息を吐くようにルビィは囁く。

 

 

 

 

 

 ―――今、なんて言った?

 いや、言った言葉の内容は分かる。だが、理解がついていかなかった。予想も出来ていなかった。カラダが石のように固まって動かない。

 ルビィは伏し目がちながらも、チラチラと俺を見ている。弱ったな、どうしようか。俺の経験則を検索するが、該当するものは見当たらないし。

 目のやり場にも困った俺は、音のする方―――空へと視線を移す。フィナーレなのか、派手に花火が打ち上がっていた。真っ黒の夜空に、紅の花火が打ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いつ書いてもこういうシーンは緊張しますね(-_-)


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モヤモヤが止まらない

閑話みたいな何か


 夏休みの1ヶ月半は本当にあっという間で、気づけば9月。2学期が始まろうとしていました。2学期は楽しい行事がたくさんあります。体育祭に合唱コンクール、そして何より―――文化祭。本番が近いこともあり、ルビィ達のクラスも練習の熱がさらに増しています。

 最初はダンスが難しくて苦労したけれど、何回かやるうちに皆についていけるくらいにはなりました。練習を繰り返したからってのもあるけど、1番の理由は体力がついたから……じゃないかな。夏休みから走り続けてるのが、今になって効果が表れてきたんだと思います。

 走るのは、朝早くの時間です。最初は起きるのが辛くて果南さんにモーニングコールをしてもらったけど、今ではもう必要なくなっています。やっぱり、慣れってスゴいなぁって。

 コースも、何日かしているうちに自分で好きな場所に走るようになりました。最近のお気に入りのコースは花丸ちゃんのお家でもあるお寺に行くことです。距離自体はあんまり変わらない……かな?

 

「あ、来たずら。おはよう、ルビィちゃん」

「花丸ちゃん、おはよう!! 」

 

 花丸ちゃんは、朝早くから境内のお掃除をしていた。小さい頃から、これは習慣になっているらしいです。つい最近までは、誰かに起こされないとダメだったルビィとは大違い。

 

「今日もお疲れ様。お水用意してるよ」

「わぁ!! ありがとう」

 

 花丸ちゃんはそう言うと、水筒からお水を注いでルビィに渡してくれた。今日から9月っていっても、まだまだ暑い日は続きそう。だから、さっきから汗がスゴいです。その分、お水が美味しい。

 お水を一気に飲み干して、水筒のコップを花丸ちゃんに返す。夏休みの間毎朝走っていたおかげで、そんなに疲れてないかも。お水も、一杯で充分でした。

 

「今日から2学期だね。ルビィちゃん、宿題終わった?」

「うんっ、バッチリだよ!! ちゃんと自分でやったもんっ」

 

 人差し指と親指で丸をつくって、花丸ちゃんに示す。小学校のときはお姉ちゃんに手伝ってもらっていた、夏休みの宿題。今年はなんと、全部自分の力で終わらせることができました。

 これには、お姉ちゃんもビックリ。ルビィは変わるって決めたんです。宿題くらい、自分でやらないとね。でも、それを知ったときのお姉ちゃんの驚いた顔ったら……。エヘヘ、ちょっぴり威張りたくなったのは内緒です。

 やれることは精一杯やる。その上で、お姉ちゃんに負けない何かを見つける。テストの時は焦っちゃってたけど……あの人に止めてもらいましたから。

 

「ダイヤさんだけじゃなくて、真哉さんの力も借りなかったの?」

「え? う、うん……」

 

 花丸ちゃんの言葉に、ルビィは少しドキリとした。真哉さんのことです。宿題を手伝ってもらうどころか、『あの日』以来1度も会っていません。会いにくくなっちゃった……って言った方が良いのかな。

 

「あ、あれ? マル、マズいこと言っちゃったずら?」

 

 鞠莉さんほどじゃないにしても、花丸ちゃんは鋭い。まだ花丸ちゃんには、お祭りの日のことは話していませんでした。……というより、誰にも話していないんですけど。

 でもルビィだけじゃ解決出来そうにないし、いずれは相談しようと思ってた。恥ずかしいけど大丈夫……だよね。

 

「あのね。実はルビィ、2週間くらい前に真哉さんと花火大会に行ったの」

「ふむふむ、あのお祭りだね。いい雰囲気ずら」

「そこで、花火が上がった時にこ、告白して……」

「ふむふむ告白―――ずらっ?」

 

 花丸ちゃんは、ルビィの顔を何度も見返す。や、やっぱりそういう反応になっちゃうよね。自分で言うと恥ずかしくて、顔が赤くなるのが分かっちゃいます。

 今まで男の人に慣れていなかったルビィからしたら、大事件でした。多分、そのことを知ってる花丸ちゃんにとっても。でも、真哉さんがいなくなっちゃったら想いを伝えるのが難しくなっちゃう。だから、ルビィは決心したんです。

 

「こっ、ここここ告白って!? それで、答えはどうだったずら!!?」

 

 花丸ちゃんが、くっつきそうになるほど寄ってくる。珍しく興奮しているなぁ……。っていうか、近いよぉ。

 

「う、うん。それがね、よく分からないんだ」

「えっ?」

「真哉さん、何も言わなかったから。ルビィから返事を聞くなんて出来ないし、結局そのまま無言で別れちゃって……」

 

 自分で言ってて、悲しくなってきました。『よく分からない』なんて、ルビィが良いように言ってるだけです。本当は、フラれているって思うのが自然なのに。

 真哉さんだって、いきなりあんなことを言われて困ったんだと思います。ルビィのことはそういう風には見てない、他に好きな人がいるのかもしれない。色々と可能性はあるのに。

 次会ったらどう声を掛ければいいのか分からなくなって、結局会えないまま。この時ほど、真哉さんの連絡先を知りたいと思ったことはありませんでした。もし持ってても、ルビィから連絡なんて出来ないと思うけど。

 

「ルビィちゃん……」

「は、花丸ちゃんが気にしなくても大丈夫だよ。ルビィ、これでも結構平気だから」

「でも、そんなの……」

 

 平気じゃない。平気なわけがない。でも、こう言わないと花丸ちゃんに気を使わせちゃうから。ルビィは努めて平気なそぶりを見せるけど、花丸ちゃんの顔は段々と沈んでいく。

 これからどうすればいいんだろうなんて相談、できるのかな。朝から花丸ちゃんにまで重たい雰囲気にさせてしまった。今だって、結構暗くさせちゃって……。

 

「許せないずら!!」

 

 

 

 

 ―――ふぇ?

 

「お返事何もしないなんて有り得ないずら!! 悪行ずら、大罪ずら!!!!」

 

 俯いていた顔を上げて、ルビィの肩を掴む花丸ちゃん。悲しんでいるというより、怒ってる……よね? ちょっと怖いかも……。

 

「お、落ち着いて……」

「られないよっ!! ルビィちゃんが勇気出して告白したんだよ!? 何にも返事無しなんて、薄情すぎるずら!! マルが男なら、全力で受け入れるずら」

「あ、あはは。ありがとう……」

 

 励ましてくれてる……のかな? 花丸ちゃんはゼーッハーッと息を切らしている。花丸ちゃんは、自分のことだと滅多に怒らないけど、他の人には真剣になれる。そんな、とっても優しい子です。だから、ちょっと嬉しい。

 ……でも。

 

「でも、ルビィが悪いよ。いきなりだったもん。だから、しょうがないんだよ」

「ウソついてるずら。ルビィちゃん、しょうがないなんて全然思ってないくせに。本当は今すぐにでも会ってお話したいはずずら」

 

 花丸ちゃんの言葉は、ズバリ図星でした。『うっ……』とルビィは言葉を詰まらせます。我ながら、ウソつくの下手だなぁ。

 本当は会いたいです。あの件は無しって事にしてもいいですから、せめて今までみたいに接したいです。でも、そんな事が出来ないからこうして悩んでいるわけで……。

 

「このままだと、ずーっと気まずいままずら。マルは恋愛の事は分からないけど、真哉さんを呼び出してお話させるようにすることは出来るよ?」

 

 確かに、今のままで良いわけがない。それは、ルビィにだって分かる。体育祭の時みたいに、花丸ちゃんはルビィと真哉さんの仲を元に戻そうとしてくれている。あの時は、そのおかげで真哉さんに謝る事が出来ました。

 でも、今回は少し訳が違います。ルビィは、もう真哉さんの顔を見て話せる自信がありません。顔を見るだけでドキドキしちゃって、何を言えばいいのか分からなくなっちゃう。

 それで上手く話せなくて、気まずくなるのが怖い。会わないままなのはもちろん嫌だけど、会うのもスッゴく怖いんです。今までの関係が崩れちゃいそうで。

 だから……

 

「うん。大丈夫、だよ。ちゃんと、ルビィから声かけるように頑張るから」

 

 ルビィは逃げる道を選んでしまったのです。

 もう、会える時間はそんなに残されていないのに。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

「じゃあ、今回の授業はこれで終わり。志望校の判定を見て、各自しっかりと今後の生活を考えるように」

 

 チャイムが鳴ると同時に先生が締め、4時間目の授業が終わりを迎える。ったく、始業して1日目だってのに午後まであるとは思わなかった。勉強ばかりの夏休みだったとはいえ、家にいる方が気が楽なのは間違いない。

 俺は返された判定用紙をしまい、弁当を取り出した。正直、先生が最後に何を話していたのか覚えていない。判定は悪くなかったし、ボーッと聞いていたから。最近、なんだか妙に上の空だと思う。気づけば時間が過ぎてる事が多い。

 

「シーンーヤ。どうしたの、お弁当出してボーッとしちゃって。屋上、行かないの?」

「あ? あ~、今日は行かねぇ」

「オ、オゥ……。そうなの、珍しいわね」

 

 俺が弁当も食べずにボケッとしてると、小原が顔を覗かせる。端から見ても俺の様子がおかしく映るのか、心配してくれてるようだった。だが、それでも俺の調子は戻らない。

 

「ねぇ、お昼一緒に食べてもいいかしら?」

「あ~……お好きにどうぞ」

 

 ただで引き下がらないところは、何とも小原らしいと言えた。近くの空いていた机をズリズリと引き寄せて、俺の正面にくっつける。

 本当に1人でいたかったら、断ることも出来た。それをしないということは、やっぱり本心のうちでは誰かに相談したかったんだと思う。夏休みの後半、ずっと心に引っ掛かっていた。

 とても1人では解決できない、俺が今まで体験しなかったような悩みなんだ。もう、どうすればいいのか分からないくらいに。

 

「で、ルビィと何かあったんでしょ?」

「何かあったのは確定かよ。まぁ、間違っては……ねぇけど」

「それ以外に有り得ないでしょ。ここはドーンと、マリーに話してみなさい!!」

 

 弁当を食べながらも、小原は話を進めてくる。相変わらず、ちゃっかりしている奴だ。俺は苦笑を浮かべると、この前の花火大会を思い出す。たった2週間前の出来事なのに、もう遠くにあるような感覚。

 花火を見終わってどういう風に帰ったか、正直記憶は曖昧だ。覚えてない、というより思い出したくないというのが本音なのかもしれない。無意識のうちに、脳があの日を忘れようとしている。

 一瞬、コイツに話しても良いのかと躊躇った。1人で悩んでていてもしょうがないのは分かってるが、とはいえ他に相談相手もいないのも事実。

 松浦はあの性格だから『そっち』方面はさっぱりそうだし、国木田には説教されかねない。黒澤に話すのは論外だ。俺の明日が危うい。

 ……結局頼るならコイツしかいないのか。

 

「分かった分かった、話す。茶化さず聞けよ」

「オーケーオーケー。分かってるわ」

 

 水筒のお茶で口の中をスッキリさせて、小さく息を吐く。少し、鼓動が高鳴っていた。あの一瞬が、あの一言がフラッシュバックするから。

 

「ルビィにコクられた。花火大会があった日に」

「……ワッツ?」

 

 "ルビィ、真哉さんが好きです"

 

 あの日、アイツは確かにそう言った。一瞬、俺には意味が分からなかった。どうすればいいのか、どう返せばいいのか。それが分からない俺が選んだのは何も言わないこと。要するに、自分の気持ちを探ろうともせずに逃げた。

 さすがに、小原もこんな悩みだとは思ってなかったのだろう。時が止まったように固まっていた。……うん、俺に似つかわしくない悩みなのは分かってる。

 

「えっと、それでシンヤは何て答えたの?」

「……何も」

「え、何も言わなかったの? っていうか、まだ何も言ってないの?」

 

 信じられない、といった表情で小原は俺を見る。……やっぱり問題あるよな。俺は頷くしかなかった。

 

「トゥーバッド。状況としては最悪よ、それ。シンヤ、そういうの慣れてなさそうだけど」

「っせーな……。どうすりゃいいか分かんねぇんだよ」

 

 このまま放置という訳にはいかない。そんな事は分かっている。何も言わなかったことも、悪かったと思っている。だが、それを変えようとする行動力が俺にはなかった。

 怖いのだ、関係が崩れるのが。今までも不明瞭だった俺とルビィの関係が、もはや言葉では言い表せないものになっている。俺にとって、黒澤ルビィとは何だ。友達なのか? 妹分なのか? それとも別の何かか?

 ルビィは俺にとって、大切な存在だ。それは揺るがない。それが分かってたから、今までの曖昧な関係でも構わなかった。それはアイツも同じ気持ちで、ずっと一緒にいられると思ってたから。

 だから、ルビィが恋愛感情を持っているなんて微塵も思っていなかった。俺も『そういう目』では見てなかったし、自分が困惑してるのも無理はないのかもしれない。

 

「……嫌ではないのよね? フッた訳じゃないんだし」

「は? あーうん。まぁ、言われてみれば……そうだけどよ」

 

 告白された直後も、嫌悪感は湧かなかった。とにかく驚いて、現実を受け止められなかった……というのが率直な感想だ。

 冷静になって考えても、自分の気持ちなんて分からなくなっている。嫌ではない、確かに嫌ではない。だが、好きなのかと聞かれれば、それもまた違う気がする。

 もう、何がなんだか分からねぇ。何も考えたくない。

 

「あーもー、めんどくせぇ……。頭痛くなってきた」

「大変ね。フフっ」

「何がおかしいんだよ?」

 

 人が真剣に悩んでるのに、何笑ってるんだよ。1人じゃどうしようもないから、こうして相談してるってのに。

 

「ソーリー、ソーリィ。シンヤがこうして真剣になってるの、あんまり見ないなぁって。ちょっと可愛かったから、つい」

「可愛いは余計だ。いいだろ別に」

 

 小原の言うとおり、こんなに悩む事なんてなかったけどよ。こうも笑われると腹が立つ。……ダメだ、怒る気力も沸かない。

 俺だって、楽に考えられるならそうしたい。だけど、いつもみたいにそう出来ないから苦労しているわけで。

 

「……でもね。真剣に考えてるって事は、シンヤなりに答えを出したいってことでしょ。なるべく、ルビィを傷付けないように」

「まぁ、それは……そうだけど」

「早い方がいいけど、焦ることはないと思うわ。シンヤは恋愛なんか慣れてなさそうだし、ね」

 

 小原の言ったことは全部図星で、俺は何も言い返せなかった。慎重になってしまうばかりに、こうして何も出来なくなっている。それは、ルビィを傷付けたくない一心だ。デリケートなアイツを傷付けないようにするなんて、無理難題ではあるが。

 とはいっても……

 

「でも、返事は急ぎたいでしょ? どうにかしたいでしょ?」

「テメェはさっきからエスパーか」

「ふふん、マリーはこう見えて人生経験豊富なのデース!!」

 

 鋭いなんてレベルじゃない洞察力で、小原は俺の考えをズバズバと言い当てる。ついでに、心なしか楽しそうにも見える。いや、いつもそうか。

 この様子からすると、何か妙案がありそうだ。その案に乗るのは不安だが、どうせ乗り掛かった船。せめて、これが泥舟でないことを祈るしか俺には出来ない。

 

「……俺はどうすればいいんだ?」

「うふふ、マリーにいい考えがあるわ。シンヤ、耳貸して」

「はいはい」

 

 小原に言われるがままに、俺は耳を向ける。伝えられた作戦(?)は、今の俺にとってはハードルが高く、何とも難しいもので。

 というか、血の気が引いた。俺をからかってるんじゃないのか。

 

「どうするかはシンヤ次第よ。従うなら、もちろん私も協力するけど」

「……マジで言ってる?」

「さすがのマリーも、冗談と本気は弁えてマース!! まったく、シンヤは失礼ね」

 

 面白半分で言ってるのかと思いきや、小原は大真面目だった。ってか、軽く怒られた。なんか、すまない。

 正直、その案は綱渡りじゃないかと思った。だって、俺がどうするかという答えを出さないままでいいから、とにかくアイツと2人きりになれと言うのだから。

 気まずくて、余計に溝を深めそうで怖い。だが、何か行動に移さないと、日が過ぎていくばかりなのも事実。どのみち、小原の案には乗る予定だった。だから、現にこうして相談しているのだから。

 

「で、どうする?」

 

 腹はくくった。ルビィに対する答えを、俺はルビィと2人でいる時に探す。一緒にいて感じたことを言葉にして、当日のうちに伝える。

 難しいかもしれない。俺は口下手だし、素直でもない。ついでに言うなら、ここ1番での勇気もない。そんな俺にとって、小原の作戦が辛いのは火を見るよりも明らかだった。

 だが、それでも。何もしないよりは。

 

「……やる。それに乗ってやる」

 

 俺は覚悟を決めて、小原にそう宣言した。小原は小原で、満足そうに頷く。

 俺の気持ちがどう動き、どう変化するかは分からない。ルビィの気持ちに応えられるかも分からない。でも、すべてをきっと伝える。せめて、アイツを傷つけないように。

 勝負は文化祭当日。2週間後である―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、残りも僅かになってきました。さて、真哉たちはどうなるのか


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やっぱり変な事に巻き込まれる

ちょぉっと短め


 始業式の日からの2週間は、あっという間に過ぎていった。俺たち3年生は勉強勉強でいつも通りの日々を過ごす。だが、1・2年生にとっては短い2週間だっただろう。出し物の準備に追われ、劇の練習をし、加えて学校生活を規則正しく送る。目まぐるしいほど忙しかったに違いない。すべては、今日という日のために。

 2学期が始まって間もなく行われるビックイベント、それが文化祭だった。

 3年生も、この日だけは勉強から一旦離れる。出し物も何も出来ない、見るだけではあるが、それでも最後の文化祭ということで皆盛り上がっていた。

 

「今年の吹奏楽部の演奏も良かったですわね」

「イェス!! 文化祭楽しみね!!」

「ねぇ、展示どこから回ろっか?」

 

 それは、いつもの3人組も同じだった。開会式があった体育館から一足先に戻った俺は、その様子をチラリと見る。午前は展示で、午後からステージ発表だったっけか。

 机からパンフレットを取り出し、パラパラと捲る。結構数は多いし、午前中の時間だけで全て回るのは無理だろう。出来るだけ多く回りたいなら、取捨選択が必要だ。

 1、2年生の時はこういうのあんまり見なかったけど、改めて見ると興味が惹かれそうなものもある。化学の実験とか、作成したビデオの展覧会とか。まぁ、『アイツ』は興味無さそうだな……。

 

「シーンヤっ。ずっとパンフレット見てるけど、どこ行くか計画でも立ててるの?」

「うおっ!?……って小原か」

 

 俺が見ているパンフレットから、にょきっと生えたように現れた小原。不意を突かれて、俺は大きく仰け反った。それがおかしかったのか、小原はクスクスと笑いを浮かべている。

 ……腹が立つ。

 

「別に……暇だから見てるだけ」

「素直じゃないわねぇ」

 

 俺はフンッと鼻を鳴らして、パンフレットに再び目を落とす。これでも前よりはマシになった方だ。未だに変な意地を張るところは抜けないが。

 俺は、最後の文化祭をルビィと一緒に行動することに決めた。一緒にいて何を感じ、どう思ったのかを伝えるために。だから、澄ましているようで内心落ち着かないのは内緒だ。

 小原には、ルビィをここに呼びつける仕事をしてもらった。もちろん、俺と行動するという趣旨を伝えた上で。だから、来るか来ないかはルビィに託したことになる。

 

「ま、来なかったらマリーが付き合ってあげるから」

「うっせ。さっさと黒澤たちのとこ行きやがれ」

「はいはい。んもぅ、つれないんだから」

 

  コイツなりに気を使ってくれてる……のだろうか。だが、俺はそれを無下にするように手で追い払う。態度こそ冷淡だが、別段機嫌が悪いというわけではなかった。

 ここから先は、俺個人の問題だから。あんまり気を遣わせたくなかった。ここまでお膳立てをしてくれただけでも、充分すぎるほどありがたい。

 

 

 ルビィが教室に現れたのは、小原達が去って5分ほど経ってからだった。1人でいるのがとてつもなく長く感じたのは、パンフレットを読むのに飽きていて暇だったからなのか、それとも今か今かと待っていたからなのか。教室のドアが開くと同時に、パンフレットを伏せて机に置いた。

 俺とルビィ以外は、誰もいない教室。邪魔がいないとも取れるし、救いがないとも取れる。ルビィは何も言わない。

 

「……よう」

「こ、こんにちは」

 

 こうして言葉を交わしたのは、約1ヶ月振りだった。蚊の鳴くような声しか出せないルビィは、まるで出会いたての頃と変わらないように感じる。

 たった1ヶ月。されど1ヶ月。俺たちの気まずい空間は拭えない。今まで気軽に掛けていた言葉も、中々見つからない。

 ……だが、来てくれた事に意味がある。

 

「行くか。ここでボーッとしてても、時間の無駄だし」

「は、はいっ!! よ、よろしくお願いします」

「何だそりゃ」

 

 俺が先導して教室を出る。やはり緊張している―――というか、いつも以上に控えめな様子なのが見てとれた。なんだ、よろしくお願いしますって。初対面じゃあるまいし。

 教室を出たはいいが、特に行く宛があるわけではなかった。2~3周くらいパンフレットを見たには見たが、とりわけ『ここがいい』というのが見つかったわけではなかった。過去2年間、大して参加してなかったことを今さら悔やむ。

 

「……どっか行きたいとこあるか?」

「え、ルビィですか!?」

 

 結局、ルビィに聞いてみることに。今日ぐらいリードするか、と密かに考えていた事は無かったことにしておく。慣れないことはしない方がいい。

 パンフレットを渡すと、ルビィは目を細めてパラパラと捲る。時々『うーん』と唸る声を上げながら。だいぶ真剣だな。そんなに入れ込まなくてもいいのに。

 さーっとページを追っていくルビィだったが、ふと動きを止めた。同時に足も止めて、そのページを凝視している。一体何を見てるんだ。俺も気になって、一緒に覗き込んだ。

 

「……ここ行くのか? ホラーハウスって書いてっけど」

「は、はい。あんまり得意じゃないけど、楽しそうだなーって思ったので」

 

 ホラーハウス。日本語に直すと、まんまお化け屋敷だ。文化祭の出し物の中では定番中の定番で、3クラスも被りがある。ルビィが選んだのは、その中でも2年生のクラスのものだった。

 俺は難色を示す。本人も認めているが、どう見てもルビィの得意そうなものではない。……というか、俺もどっちかといえば嫌いだ。てっきり、もっとのんびり出来るものを選ぶと思っていた。

 ……が、まぁいいか。どこ行きたいか聞いておいて拒否するのもどうかと思うし。

 

「まぁ、いいけど。怯えて泣きつくのだけは止めろよな。恥ずかしいから」

「そ、そんなことしませんよぉ!! ……多分」

「はいはい」

 

『もう慣れたからいいけどな』と心の中で付け加える。俺は黙って2-4へと進路を変え、依然としてルビィの前を歩く。

 歩いている間、特に会話は生まれなかった。周りを見回し、時に面白そうな店を見つけては自分のなかでチェックをつけるだけ。時折チラチラとルビィを見るが、やっていることは変わらなかった。それしかやることがない、と言うべきか。

 一緒に行動しているのに、会話もせずにキョロキョロしてるだけの挙動不審な俺たち。2-4に着くまでがとてつもなく長く感じたのは、きっとルビィも同じだと思う。目的地に着いたと分かった途端、喜びよりも疲れが押し寄せたくらいだ。

 やはりお化け屋敷は人気が高く、俺たちが来たときには結構な列が出来ていた。時間は有限だからどうするかと思ったが、ルビィは何の躊躇いもなく最後尾につく。是が非でも入りたいらしい。

 

「けっこう並んでますね」

「それだけ完成度高いんだろ。良いんだか悪いんだか……」

「だ、大丈夫ですっ。いざとなったら、ルビィが真哉さんを守ります」

 

 うん……うん? 何かおかしくないか? 普通逆だと思うんだが。

 まぁいいや。

 

「期待しないで待ってる」

「何でですか!?」

 

 ルビィのギャグ(?)を華麗にスルーしている間にも、列はどんどん前に進んでいく。出口から出てくる者たちは、多種多様な顔つきをしていた。

 スリルを味わったのか、満足そうな顔をしている者。ぐったりと疲れきっている者。半べそかいている者。……いや、文化祭レベルのクオリティーで泣かせるってヤバくないか?

 半ば帰りたい気持ちを押し殺して、俺たちは入り口まで辿り着く。そこには、顔に不気味なペイントを施した生徒がスタンバイしていた。

 

「いらっしゃいませー。2人ですか?」

「あー、うん」

「じゃあこれを持って、このまま奥にどうぞ。存分にお楽しみください」

 

『存分に』を強調する辺り、この子の意地悪さをひしひしと感じる。俺たちはそれぞれ小さなペンライトを受け取り、中へ入る。明かりとして使えということか。

 中に入って前方を照らす。まず目に入ったのは、日本の墓標が複数個。木製で出来た、細長いアレだ。……ホラーハウスという名前の癖に和風なのか。世界観どうなってんだ。

 どこかでラジカセでも使っているのか、絶えず不気味なBGMが流れている。おどろおどろしい音に混じって、時折聞こえる女性の悲鳴。この不気味な雰囲気を出すのに、一役買っているといえる。

 足元は思った以上に狭く、慎重に歩かないと転びそうだ。右手のペンライトで前方を照らし、左手は壁に。そろりそろりと、ゆっくり進んでいく。

 

「うえっ!?」

 

 俺の左手に、不快な感触が残った。すぐさま、左手を引っ込める。

 

「し、真哉さん……?」

「大丈夫だ。なんか、ゴムみてーなのがあったらしい」

 

 ペンライトで照らしてみるが、よく分からなかった。壁伝いに歩く人を驚かせる仕掛けだろうが、上手いこと引っ掛かってしまった。確認のために再度触る気にはなれない。

 気を取り直して、順路に従って進む。ルビィは既にペンライトを使わず、俺の服の裾を握っていた。たった数分前に俺を守るとか言っていた奴の行動ではない。まぁ、分かっていた事だが。

 突き当たりには鏡。またベタな奴だ。後ろからいきなり出てきたりするのか……と警戒しつつ進む。

 

「ひぁっ!? 冷たいっ!!?」

 

 今度は、背後でルビィの叫び声がした。その声に釣られて、俺も後ろを振り返る。

 

「どした」

「な、なんか水が後ろから……。ちょっと驚いただけ……です、けど……!!」

 

 ルビィが、ササッと俺の背後に回って盾にした。手をしっかりと掴み、俺の腕にしがみつく。ちょっと痛い。小さいくせに、どこにそんな力があるんだよ。

 水鉄砲か霧吹きか。よくある仕掛けだし、たいそう驚くほどではないと思うが。ルビィは、鏡の方を照らして指差す。口をパクパクさせているだけだから、何が言いたいか全然分からない。

 

「何かあったのか?」

「あ、あ、あったというか、いるというか……」

 

 はっきりしないルビィに業を煮やして、俺も前方をペンライトで照らす。

 ―――そこにいたのは、白装束を纏った長い黒髪の女性。鏡に映っていたということは、俺たちの背後にいるということで……

 俺たちは、恐る恐る後ろを振り返った。

 

「ウアアァァァァァ……」

 

 女の幽霊は低い呻き声をあげながら、俺たちにゆっくりゆっくりと近づいてくる。これは作り物、所詮相手は人間。そうは分かっていても、迫力は満点。背中に、じっとりと冷たい汗が滲む。

 

「ひいぃぃぃぃぃぃっ!?」

「いって!? ちょっ、てめぇ……。引っ張るなって、オイこら!!」

 

 耐えかねたルビィは、逃げるようにして出口へと駆けていく。……俺の腕を掴みながら。要するに、俺も道連れにということである。

 俺が力を踏ん張っても、ルビィの勢いは止まらない。火事場の何とやらか。いや、本当にどこからそんな力が出てくるんだよ。

 ロッカーから倒れてくる人形。箱を叩いたような物音。砂嵐状態のテレビ。様々な仕掛けを突っ切ってルビィは進んでいく。恐怖が何よりも勝っているせいで、周りが何も見えていない。俺の声も届かない。

 

「だっ……誰か助けてぇぇぇぇ!!!!」

「じゃあ止まれバカ野郎!!」

 

 お化け屋敷を抜けて、廊下に出ても変わらずルビィは俺を引っ張って走る。ルビィの悲鳴と俺の怒号が鳴り響き、全校生徒の注目を浴びたのは言うまでもない。

 そして騒ぎすぎだと先生に怒られた挙げ句、この光景を小原や黒澤に見られていたというのも、また別の話である。

 

 

 

 



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もう1人でも大丈夫、ですから

「何か言うことは?」

「すいませんでした……」

「なんで俺の腕に?」

「こ、怖かったので……」

 

 ルビィです。お化け屋敷から出た後、ルビィ達はいま屋上に来ています。他の皆はまだ展示を回ってる時間。ここには、真哉さんと2人しかいません。

 なんでここに来たかといいますと。ルビィがパニックになって騒いじゃって、先生にちょっと叱られちゃったんです。それに目立っちゃったし。だから、そのまま真哉さんはここに……。

 そしていま、軽く怒られています。せっかくルビィに付き合ってくれたのに騒いじゃったし、迷惑かけちゃうしで無理もないですよね。結局、こうなるんだなぁ。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 真哉さんの腕から離れて、ルビィは小さく縮こまる。行き場のない腕を畳んで、指をイジイジ。違う、違うの。ちゃんと目を見て言わなきゃ。

 鞠莉さんからお話を聞いたときは、飛び上がるくらいに嬉しかった。真哉さんとまた一緒にいられる、お話しできるって思ったから。花丸ちゃんが『一緒に回ったら?』って背中を押してくれたのもあって、ルビィは真哉さんの教室に行くことを決めました。

 でも、結局はこんな結果に。なんでルビィはいっつもこうなんだろう。鞠莉さんにも花丸ちゃんにも申し訳ない。何より、真哉さんに何て言えばいいのか……。

 

「はぁ、全く。会った時と何も変わんねぇな」

「へ?」

 

 真哉さんは小さく笑うと、金網によりかかって座る。『お前も座れよ』と言うので、ルビィも隣にお邪魔します。

 

「入学式以来で初めて会った時。昼飯買えなくてここに来て、おどおどしてたろ。あの時みてーだ」

「そ、そんな事……」

「あるよ、変わってねぇ。だから、お前の起こすトラブルに巻き込まれるのも、謝られるのも慣れた」

「そう、ですか」

 

 真哉さんは、手刀を作ってルビィの頭を軽く叩いた。全然痛くないし、顔も怒ってない。まるで、『気にするな』って言ってくれているみたいでした。

 ルビィは、真哉さんのこういう仕草が大好きでした。真哉さんなりの優しさと暖かさを、直接感じることができるから。すっごく嬉しくて、すっごく幸せ。

 あの日以来、もしかしたら真哉さんに避けられてたんじゃないかって思ってました。もうずっと会ってくれないまま、行ってしまうんじゃないかとも。

 ……でも、違った。真哉さんは真哉さんだ。何も変わらない。今まで通り、何事もなかったかのように接してくれました。

 

「じゃ、じゃあ変わらないついでに、1ついいですか?」

「あ? あぁ」

 

 

 

 

 

 そう、何事もなかった(・・・・・・・)かのように……。

 

 

 

 

 

「花火の時のアレ、無かったことにしてほしいなーなんて……」

 

 泣きそうになるのを必死にこらえて、ルビィはそう言った。これでいい、これでいいんです。声をかけにくいままお別れするくらいなら、今までの関係に戻すだけでも良かった。それで、今まで楽しかったんですから。

 真哉さんの顔つきが微妙に変わったのを、ルビィは見逃しませんでした。もしかして余計なことを言っちゃったかな、嫌な思いをさせてないかな。いつも以上に、ルビィは心配性になります。

 

「ほ、ほら!! ルビィも真哉さんも、気まずくなる理由なんてないじゃないですか!! 」

「……あれは俺も何も言わなかったからな。お前が悪いんじゃない」

 

 ルビィは、一生懸命笑顔を真哉さんに向ける。明るくしていれば、あんまり気にしてないんだって思わせられるから。だから真哉さん、自分を責めないでください。

 ルビィは、もう、大丈夫ですから。

 

「いえいえ。ルビィだって、いきなりあんなこと言わなかったら良かったんですよ。また今まで通りお話出来れば、ルビィは満足です」

「……そうか。なら、いい」

 

 真哉さんは折れたのか、ようやく納得してくれました。まだ何か言いたそうでしたが、ルビィには分からない。

 でも、真哉さんがいいって言ったんだから、これ以上この話を続けるつもりはありませんでした。この気まずい空気を、1秒でも早く無くしたくて。ルビィはこんな提案をした。

 

「あっ、そうだ!! 今日のダンスの最終調整したいと思ってたんです。真哉さん、見てくれませんか?」

 

 ステージ発表のダンス。今日が本番です。もちろん、ルビィも踊ります。真哉さんや―――何よりお姉ちゃんに、ルビィにも出来るんだってところを見せるチャンスです。

 

「最終調整って。確かに誰もいねぇけど……いいのか? 本番前に俺に見せて」

「真哉さんだけに、見てほしいんです」

 

 真哉さんは断ろうとしたけど、ルビィは引き下がらなかった。リハーサルっていうのもあるけど、本当に大事なのはこっちの理由。真哉さんに見てほしい……って言うのが。

 ルビィがここまでこれたのは、真哉さんのおかげです。ルビィの悩みを聴いてくれて、アドバイスもくれて。体力不足に困っていたときは、練習に付き合ってもくれました。ホントに感謝しています。

 だから、その成果を誰よりも早く見てほしい。真哉さんのおかげでここまで出来るようになりましたよ!! って伝えたい。それが、ルビィなりの感謝の仕方だと思うから。

 

「ま、時間はあるしいいだろ」

「やった!! ありがとうございます」

 

 真哉さんの許しも出て、 ルビィは早速準備に取り掛かる。今日は服装の自由が許されているから、ルビィはすでにステージ衣装を着ています。……っていっても、クラスで作ったTシャツですけどね。

 音楽は、スマホの音楽アプリに入れてるのを使います。アメリカの、テンポの良い曲です。

 真哉さんは、金網によりかかったまま動きません。じっとルビィの事を見ている。き、緊張するなぁ……。

 

「音楽流すのだけ、お願いします。ここの再生ボタン押せばいいですから」

「ん、分かった」

 

 真哉さんがボタンを押して、音楽が流れ始める。最初は静かに、だから動きもなるべく小さく。でも、見せるところはハッキリと見せるように。

 そうして、だんだん音楽のテンポが上がっていく。ここから、ダンスの振り付けも曲に合わせて激しくなる。最初は、この時点で既にみんなについていけませんでした。でも、今なら。

 難しいステップも、何とかクリア。手と足の動きは、ちゃんと連動出来ていたかな。ここはバラバラになっちゃいけないところなんだ。

 

 

 ここから、一番激しいところに入ります。いっつも間違えちゃうところだけど、大丈夫。あれだけ練習したんだもん。

 

「ふっ、ふっ……」

 

 ターンして、1回手を叩いて切り返し……そして、またステップと。うん、何とかいけました。でも、まだ気は抜けません。

 自分のカラダが、段々と重くなるのを感じます。1曲は4分とちょっとくらいだけど、カラダを動かす時間だと考えると果てしなく長い。途中でステージの端に捌けるところもあるから、動きっぱなしって訳ではないけど……。

 息も切れるし、ステップも乱れそうになる。でも、絶対に音は上げません。夏休みから毎日毎日走ってきたのは、このためなんですから。

 あとは―――笑顔を忘れずに。どれだけキツくても、これだけは止めない。見ている人を楽しませるのはもちろんだけど、自分も楽しむ事が大事だと思うんです。だから、笑顔。

 

 

 曲は終盤にさしかかる。ここからはもう激しい動きはないので、少しだけ気が楽です。音楽がスローになるにつれて、ルビィもステップを止める。そして、目を瞑ってゆっくりと中央に戻る。ここで、最後にポーズを決めて終わりです。

 踊れた。自分で分かる限りでは、ミスは1つもなかった。曲が終わると同時に、小さく笑みが出てくる。ガッツポーズだってしたい。たまらなく、嬉しかった。

 

「ハァ、ハァッ……。ど、どうでした……?」

 

 そうなったら、あとは気になるのは真哉さんの反応と評価だった。ダンス中もチラチラと見てたけど、真哉さんはあんまり表情を変えなかった。じっと、黙ってルビィを見るだけで。

 真哉さんは、頬を掻いて目を逸らす。何か言いたそうだけど、言いづらそう。ルビィは知っています。これは、真哉さんが戸惑っている証拠だって。だから、ルビィは真哉さんから目を離さない。

 すると、真哉さんはルビィの方に視線を戻す。そして両手を合わせて、パチパチパチと叩いてくれました。これってつまり、拍手……ですよね?

 

「まぁ、なんだ。良かったと思うぞ、俺的には」

「ほ、ホントですかっ!? エヘヘ、嬉しいなぁ……」

 

 褒めてくれた。あの真哉さんから、褒められた。それはもう嬉しくて嬉しくて、ルビィは思わず真哉さんにずいずいっと詰め寄った。

 真哉さんが座っている隣に、ルビィも腰を下ろす。まだ展示の時間はいっぱいある。でも、ルビィはここで2人でお話してたい。そういう意図が、真哉さんに伝わればいいなぁって小さな願いも込めて。

 

「……立派になったな」

 

 何をお話しようか迷っていたら、真哉さんが切り出した。

 

「りっぱ? ルビィが……ですか?」

「そうだ。今までは俺や黒澤なんかがいないと、全然ダメだったのにな。お前は、何かそのダンスで変わった気がする。素直にすげぇと思うよ」

 

 拍手だけでも嬉しかったのに、こんなに褒めてくれるなんて。今までは怒られる方が多かったというか、怒られてしかなかった。ちょっとは変われた……のかな?

 今まで。ルビィの今までを思い出してみる。小学生の時は、男の子にいたずらされたらお姉ちゃんに助けてもらっていた。朝もお姉ちゃんはきっちり起きていたのに、ルビィはダメだった。事あるごとに、お姉ちゃんと比べられている気がして嫌だった。習い事を止めたいって言ったら、止めさせてくれた。

 そして中学生になって、真哉さんと出会った。最初は怖かった。年上だし、言葉もちょっとキツくて、何より笑わなかったから。でもそれは誤解で、本当は優しい人でした。遠足でルビィを助けに来てくれて、テスト勉強に付き合ってくれて、悩みにも乗ってくれて。

 真哉さんに出会えて良かった。もし出会ってなかったら、今のルビィはいない。何を頑張るってことも、出来なかったと思います。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 泣きそうになるのを我慢する。悲しくて泣くんじゃない。これは、嬉しくて泣きそうなんです。4月に出会った頃とは、違うことを見せられたから。

 もう……

 

「俺が必要以上に世話を焼くこともなさそうだな」

 

 もうルビィ1人で大丈夫だって事を見せられたから。

 ルビィがダメダメなままだと、真哉さんが心配しちゃうもんね。向こうに行っても大丈夫なように、ルビィはここまで成長しましたっていうのを見せる必要があった。そして、それは見事に成功しました。

 真哉さんは、どこかホッとしたような表情でした。それでいて穏やかで。そんな顔を見ていると、もうすぐなんだ……って実感が沸いてくる。ダメ、泣かないって決めたもん。

 

「ま、本番でどうなるかは分からねぇけどな。ステージで転けたりすんなよ。カッコわりぃから」

「しっ、しませんよぉ!!」

 

 真哉さんがからかってくるもんだから、ついムキになって答えちゃいました。出かかっていた涙も引っ込んじゃった。酷いですよね、そんな事言うなんて。

 でも、こんなやり取りもよくやってたなぁって。真哉さんの心配はよく当たっちゃうけど、今度ばかりは違うってところ見せちゃいますから。転けたりなんてしないもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルビィたちは、時間を忘れてずっとお話してました。夏休みのこと、学校のこと、生活のこと。語り残しがないように、何でも話しました。

 そうそう。ルビィが夏休みの課題を自力で全部終わらせた事を話したら、真哉さんは褒めてくれました。エヘヘ、頑張ったもんね。

 そして、真哉さんは第一志望の高校の判定がBになったらしいです。詳しいことはよく分からないですけど、Aに近いほど良いらしいので、成績が上がったって事なのかな? 嬉しい反面、ちょっと複雑です。でも、真哉さんは自分のやりたいことが見つかっていて、やっぱり嬉しい。

 ほとんどルビィが話す側で、真哉さんは聞いてばかりでした。それでも目を細めて、一つ一つに相槌を打ってくれて。ずっとこの時間が続けば良いのにって思いました。でも、時間に限りはあります。

 

 

 そして――――

 

 

「ん、チャイムか」

 

 展示の時間が終わりました。これからはお昼休憩を挟んで、ステージ発表の時間。みんな体育館に集まります。

 

「じゃあ、それぞれ教室に戻るとするか」

「……そうですね」

 

 一緒に話す時間は、これで最後かもしれない。帰りの時間だって合うかは分からない。そして、明日にはもう行っちゃう。

 本当は離れたくない。このままいたいけど、そんなワガママは言えない。分かってた事です。いつかは……いつかはお別れしちゃうんだって。

 

「し、真哉さん!!」

 

 覚悟はしてました。だから、泣きません。

 

「あ、ありがとうございました!!!!」

 

 ルビィは深く、深く頭を下げた。今までの感謝を全て詰め込んで、お礼を言った。

 本当はまだ言いたいことあったけど、時間もないし。そうなったら、やっぱりこのセリフしか思い付きませんでした。

 

「……おう。ダンス頑張れよ」

 

 真哉さんは振り返ることなく、手を軽く振って行ってしまった。その背中を、ルビィはじっと見つめることしか出来ない。やっぱり、止めることは出来ませんでした。

 どちらかと言うと、後悔はあります。あのこと、無かったことにしちゃって良かったのかな……って。普通に考えれば良かったはずです。最後スッキリとお話出来たし、このまま思い残す事もないんですから。

 でも、心のどこかではダメだって声がしてる。このままじゃ後悔するぞって。それも分かってる。全然大丈夫じゃないし、満足もしてない。すっぱり割りきったはずなのに、ルビィは思った以上に女々しいみたいです。

 でも、もう終わった事だから――――。

 

 

 

 

 ふと見上げて、空を眺める。今日はとても良い天気です。気持ちがいいくらいの快晴でした。どんよりしたルビィには、似合わないくらい清々しい。そして、たまに吹く風が、これまた気持ちいいんです。

 こんな素敵な場所だけど、こうして屋上に来るのはきっと今日で最後。来週からは、もう来ることはないでしょう。ここは、真哉さんとの思い出の場所。1人でいたら、思い出してしまうもん。

 ルビィはお尻をパンパンとはたいて、出入り口のドアに手を掛ける。もう、屋上を振り返ることはない。もう、思い残しはないから。ルビィは、ドアをパタンと優しく閉めた。

 

 

 

 

 ――――さようなら、ルビィの初恋。

 

 

 

 

 

 

 




次回、最終回です。


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そして、2人は紅くなる

皆さん、今まで応援ありがとうございました!!


「ん……」

 

 誰に起こされることもなく、目が覚めました。時計を見ると、時間はまだ5時。いつものランニングの時間です。昨日で文化祭終わったから、もう走る必要はないんですけどね。習慣って恐ろしいなぁ。

 二度寝出来ないくらいに目が冴えちゃったので、今日も走ることにします。お布団を整えて、運動用の服に着替える。着替え終わったら、お母さん達を起こさないようにそーっと部屋から抜け出します。

 

「あら、どこ行きますのルビィ」

 

 朝も早いのに、キリッとした声。ルビィのカラダはピクン、とちょっとだけ跳ねます。お姉ちゃんは、冷蔵庫から飲み物を取り出していたところだったようです。

 

「早く起きちゃったから、今日も走ろうかなって」

「昨日でダンスは終わったのに?」

「エヘヘ……。なんか、走らないと気持ち悪いっていうか」

 

 お姉ちゃんの質問に、ルビィは苦笑いで答える。半分は本当だけど、半分は嘘です。今日は9月16日。文化祭の翌日。そして何より―――真哉さんが出発する日。

 気にしてないと言ったら嘘になります。寝付きも悪くて、その証拠に目覚ましも鳴らないうちに目が覚めちゃった。走りたいのは、そんなウジウジした気持ちを忘れたいからなんだと思います。

 

「……ホント、呆れるくらい見違えましたわね。前までは、どれだけ起こしても起きなかったのに」

「うっ……。そ、それはその、体力つけなきゃって必死だったし……」

 

 その事を言われると弱いなぁ。前は、本当に寝坊助さんだったから。

 ……でも。

 

「まぁ、そのおかげで昨日のパフォーマンスが出来たなら、成果アリって事ですわね。良かったですわよ、昨日のダンス」

「……エヘヘ。ありがとっ!!」

 

 お姉ちゃんに少しは認めてもらえた、のかも。……はい、昨日のダンス本番は大成功だったんです。お姉ちゃんだけじゃなくて、果南さんや、鞠莉さんにも褒められました。

 だから清々しくて、とってもいい気分。ちょっとでも自分に自信が出ると、こんなに楽しくなるなんて思わなかった。

 ……真哉さんにも、本当はこの事を報告したかった。

 

「いってきまーす!!」

 

 お姉ちゃんに手を振りながら家を出る。もうすっかり見知った道のりを、ルビィは今日も走っていきます。ただ、今日からは特になんの目的もなく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 走るルートは、すっかり花丸ちゃんのお寺に行く方で決まっていました。弁天島神社に行くのと走る距離もあまり変わらないし、上に行くための階段もあるし。

 花丸ちゃんは、今日も境内のお掃除をしていました。ルビィが顔を出すと、ちょっと驚いたような顔をする。もう本番は終わったし、今日は来ないだろうと思われてたのかもしれません。

 

「花丸ちゃん、おはようっ」

「おはようルビィちゃん」

 

 境内まで行ったから、ちょっと休憩。カラダを捻ってストレッチを繰り返します。いきなりカラダを休めちゃうと、つったりするからって果南さんに教わりました。

 花丸ちゃんはホウキで掃く手を止めて、ジっとルビィを見る。何か言いたそうだってのは、すぐに分かりました。

 

「昨日終わったのに、今日も走るずら?」

 

 今日はよくそれを聞かれる日だなぁ。もういっそのこと、ランニングをルビィの趣味にしてしまおうかな。それなら、何も聞かれないだろうし。……なんて、冗談です。

 

「うん。あんまり眠れなかったから、すぐ目が覚めちゃって」

「……ずっと考えていたから?」

 

 花丸ちゃんの言葉が、ルビィの胸にグサッと刺さりました。眠れなかった原因、早く起きちゃった原因。それは、ルビィ自身が1番分かっています。

 でも、今さらどうしようも出来ない。聞いた限りだと、出発は朝の7時。もう起きてるかもしれないけど、行ったところで何を話せばいいのか分かりません。

 

「行っちゃう事は……ルビィには止められないよ。そりゃあ残念だけど、いつまでもウジウジ出来ないもん」

 

 必死の言い訳でした。本当は行ってほしくないけど、どうしようも出来ない。だから、どうにかして忘れようとしました。でも、それすら出来なくて……。

 昨日は早めに布団に入りました。起きたままだと、色々考えちゃいそうだから。でも、結局ずっと考えちゃってよく眠れませんでした。

 今日はいつも以上に早く目が覚めました。でも、それだと早く寝ようとした意味がない。だから走って疲れちゃえば、モヤモヤと余計なことを考えなくて済むと思いました。

 

「ルビィちゃん、嘘が下手ずら。今もずっと、考えてるくせに」

 

 結局、何をしたってずっと頭の中で考えてる。

 ―――真哉さんの事を、考えてる。

 連絡先も知らない。この先、どうなるのか分からない。もう会えなくなるなんて、耐えられない。

 会って何が出来るか出来ないか、じゃないんです。どっちか選べと言われたら、会いたいに決まってます。

 

「……最後くらい、素直になって甘えてもバチは当たらないと思うよ?」

「で、でも……」

 

 花丸ちゃんの言葉は嬉しい。ウジウジしてるルビィの背中を、押してくれるから。出来ることなら、ルビィもそうしたい。でもやっぱり迷う。

 ルビィは指を合わせてうつむく。上目で花丸ちゃんを見ると、眉をひそめてちょっと膨れっ面になっていました。あ、明らかに不満そう……。

 

「あぁもう、じれったいずら。ルビィちゃんは、真哉さんとこのまま別れても後悔しないの!?」

「するしないで聞かれたら、する……と思う、けど」

「このままでいいの?」

 

 ―――後悔しないようにしなさい。

 以前鞠莉さんにも、言われた言葉です。昨日のお昼できっぱりと割り切ったつもりだったのに、その実ルビィには未練ばっかりが残ってて。

 どうやったら後悔しないのかは分かりません。でも、今行かなかったら確実に後悔するのは分かります。

 

「ル、ルビィは……」

「7時に沼津駅で電車に乗るなら、6時くらいにはバスか何かで駅に行くと思う。チャンスはそこしかないずら」

 

 花丸ちゃんが最後の一押しをしてくれました。今の時間はまだ5時半だから、何とか間に合います。バス停の場所は分からないけど、真哉さんのお家の方に行けば会えるかも。

 行ってどうするかなんて考えていない。顔を見て、向こうでも頑張って下さい!! って密かにエールを送るだけでも良いんです。

 大きく花丸ちゃんに頷くと、ルビィは階段を下り始める。もう、心は決まりました。

 

「ありがとう花丸ちゃん。ルビィ、行ってくる!!」

 

 大きく手を振って、ルビィは走り出す。花丸ちゃんも、小さく手を振っているのが分かりました。それを確認すると、お寺に背を向けて全力疾走します。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 走る走る走る。真哉さんのお家は、いつものランニングコースからちょっとだけ離れています。何とか間に合うとはいったけど、それは全力疾走での話。

 息が切れて、カラダも重くなります。体力は前よりもついた方だけど、全力疾走にはあまり慣れてません。その分、体力の消耗も激しい。

 

「あてっ!?」

 

 何かにつまづいたかと思ったら、いつの間にかコンクリートが近くにありました。膝や腕を打ったと分かって、初めて転けたことを自覚します。速く走っていたから、余計派手に転んじゃった。

 

「い、痛くないもん」

 

 痛みで溢れそうになった涙をグシグシと拭いて、すぐに立ち上がる。膝からは、ちょっとだけ血が出ていました。でも、そんなの気にしない。また走り出す。

 真哉さんに会いたい、その気持ちだけを胸に。

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 暦の上では秋になったとはいえ、まだまだ残暑の主張は強い。しかしその暑さも、明朝ではあまり気にならなかった。現在の時刻、午前5時50分。太陽は徐々に顔を出してきているのに、俺の目は冴えていない。

 今日は静岡市に行くので、朝早くに起きざるを得なかったのだ。起床5時、6時にくる始発のバスに乗って沼津駅に行き、7時発の電車で静岡駅まで。軽く乗り物酔いを起こしそうだ。

 まだバスは来そうにないので、適当にスマホを弄っておく。とはいっても、トークアプリに返信をするだけだが。昨日早く寝たから、その分そこそこの通知が溜まっていた。

 

「あ? ……動画?」

 

 適当に返事をしつつメッセージを読んでいると、1つ俺の目に留まったものがあった。黒澤から、4分ほどの動画が送られてきたのだ。

 暇潰しになればと、再生ボタンを押して動画を流す。動画の内容は、昨日のステージ発表のダンス―――ルビィが踊っている姿を撮ったものだった。

 昨日のステージは、圧巻だった。冗談混じりに『本番で転けるなよ』と言ったが、アイツはそんな俺の冗談を吹き飛ばすように踊ってみせた。30人ほどいる生徒の中でも、贔屓目なしにルビィは誰よりも輝いていると感じた。

 

「サンキュー、な」

 

 黒澤に『ありがと』とだけ返して、その動画を保存する。ルビィの成長を実感できた、完璧なステージだった。あれなら黒澤も、少しはルビィを見直すだろう。ルビィにも、確かな自信がついたはず。

 褒めてやろうと思った。ガシガシガシと頭をめちゃくちゃに撫でて、褒めちぎってやろうと思った。

 でも、昨日はそのチャンスがなかった。写真撮影やら何やらで、教室に行きにくかったのは言い訳だ。待ちきれずに、俺はまっすぐ帰ってしまった。

 それだけじゃない。俺は昨日、やるべき事を1つやらなかった。ルビィに、伝えなきゃいけない事を。中々切り出せなかった挙げ句、俺は何も伝えなかったのだ。

 

「……もう6時か」

 

 皆が起き始める時間になったからか、先程から早朝のランニングをしている人がちらほら見える。中には、こちらに向かって全力疾走をしている者まで。朝から元気な事で。

 視線を遠くに移すと、100mほど離れた信号でバスが止まっているのが見える。気付けば、もうバスが来る時間になっていた。バス停に来たときは暇をもて余していたのに、考え事をしていたせいか早く感じたな。

 後で、小原には謝っておかないといけない。せっかくセッティングまでしてくれたのに、俺自身がアイツに何も言えなかったのだから。

 文化祭で2人きりになって、俺はどう感じたか。花火の時のアレもルビィが忘れろとは言ったが、俺は何も返していない。誰もいない今なら、何て言うか考えられるだろうか。

 

 

 

 今までルビィと一緒にいて、俺は―――――。

 

 

 

「真哉さぁーん!!!!」

 

 遠くを見つめて、浮かび上がる言葉を丁寧に纏めようとする。だが、その必要はなくなった。せっかく浮かんだ言葉は、全て吹き飛んだ。

 未だに信号が変わらずに止まっているバスではない。視線は車道ではなく、もっと右の歩道。この朝早いのに、俺の名前を叫びながら、全力疾走で向かってくるヤツのことだ。

 俺は自然と、ソイツに駆け寄っていた。

 

「ルビィ!?」

「真哉さん!! 会えて良かっ……あてっ!?」

 

 俺が声を掛けると、一瞬パアッと笑顔を見せるルビィ。さらに速度を上げてこっちに走ってくるが、勢い余って転倒してしまった。ずいぶん派手な転け方だったが、大丈夫だろうか。

 ルビィは、地面に突っ伏したまま動かない。顔も起こさず、ずっとうつ伏せに倒れたまま。さすがに不安になったので、俺はルビィに駆け寄る。

 信号が青になったのが、視界の端に映った。

 

「こら、大丈夫か?」

「あ、あは……。大丈夫、で……す」

 

 のそりとカラダを起こし、歪んだ笑みを浮かべるルビィ。明らかに何かを堪えているような、無理しているような笑いだった。大丈夫と言った言葉の節から、コイツが大丈夫じゃないような気がした。

 ルビィは俺と目を合わせると、痙攣したようにブルブルとカラダを震わせる。目尻にたっぷりと涙を含ませ、ギュッと俺の服を掴んだ。

 バスは、段々とこちらに近づいてきている。

 

「ぅ……っうえっ、うわあぁぁぁぁぁん!!!! 真哉さぁぁぁん!!!!」

「うおっ!?……っと」

「やっ、やっぱり、真哉さんと一緒じゃないとやだ!! いがないでください!! ルビィをおいて行かないでください!!!!」

 

 溜め込んだ分を放出するかのように、ルビィは泣き叫んだ。着ているジャケットの背中を掴み、俺に力強く抱き着きながら。今まですすり泣くぐらいのものは数え切れないほど見てきたが、ここまで大泣きしたのは初めて見た。

 俺は何も聞かず、ただただルビィを受け入れた。少し過呼吸になっているのか、呼吸が荒い。ルビィが落ち着くのを待って、優しく背中をさすってやる。

 

 

 バスが、停留所に止まった。

 

 

「兄ちゃんどうする? 乗るのかい?」

 

 さっきまで停留所にいたからだろう。運転手が俺に声を掛けてきた。これに乗らないと、俺は沼津駅に行くことができない。

 ……だが。

 俺の腕の中で、ルビィがビクリとカラダを震わせた。視線を下ろすと、行かないでくださいと目で訴えているように見える。不安で不安で、今にも崩れてしまいそうな表情。その顔は、泣きすぎて酷く充血していた。

 

「大丈夫です、行ってください」

 

 こんな状態になっているルビィを置いてバスを乗ることなんて、俺には出来なかった。時間通りのバスに乗るより、いまここにいるコイツの方がよっぽど大事だった。

 運転手は不思議そうに首を傾げていたが、俺が動かないのを見ると戻ってバスを走らせていった。沼津行きのバスが、行ってしまった。

 ルビィのカラダを支えて立たせる。時折嗚咽を漏らしていたが、それも徐々に落ち着いてきた。だが、まだ俺の服の裾は離してくれない。

 

「っぐ……えぐ。し、真哉さん。バス……」

「あー、行っちまったなぁ。まぁ、このままお前を放置するわけにもいかんだろ」

 

 俺としては、もはやその事はどうでも良くなっていた。いや、本当は良くないけれども、それよりもルビィの方が大事だということだ。

 だが、ルビィはまた責任を感じている。さっきは勢いとはいえ行くなっつった癖に、俺が行かなければ自分を責める。まったく、俺はどう行動すれば良かったのやら。

 相変わらず面倒で―――――優しいヤツ。

 

「ま、オープンスクール(・・・・・・・・)くらい行かなくても大丈夫だろ。受験に不利になるわけじゃなし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え? へ!?」

 

 急にルビィがビックリしたような顔つきになる。服の裾でグシグシと涙を拭き、俺にズイッと顔を近づけた。

 

「お、お、オープンスクール!? お引っ越しじゃないんですか!?」

「はぁ!? なんで俺が引っ越さなきゃいけないんだよ?」

 

 今度は、俺がビックリする番だった。引っ越す予定なんて今後まったくないし、誰かに話した記憶もないからだ。

 

「だ、だって真哉さん、果南さんに弁天島で言ってたじゃないですか!! 文化祭で学校最後って言ったし、果南さんも『真哉さんがいなくなると寂しい』って言ってたし……」

「はぁ……?」

 

 俺は首を傾げはしたが、すぐにどういうことか察しがついた。なるほどね。最近……というか、夏休みからルビィの様子が変だったのはそういうことか。

 以前黒澤がぼやいていた『ルビィの元気がない』こと、夏祭りなんかで急に接近してきたこと、この明朝に俺を探して駆けつけたこと。そして―――先ほど大泣きしたこと。その全ての疑問点が、1つの線に繋がった。

 要するに、大きな大きな勘違いである。

 

「……あのな、ルビィ。松浦が言ったのは『中学校での』文化祭が最後って意味だ。アイツが寂しくなるって言ったのも、俺たちが高校生になった時の事を言ったんだろ」

「そ、それは……確かに」

 

 本来、ちょっと考えれば分かりそうなものだが。それに、高校を静岡市にしたからって、こんな中途半端な時期に引っ越すはずがない。行動が早すぎる。

 もっと言えば、受かったとしても静岡市に引っ越すつもりもないが。行き帰りの時間はあるが、電車通学する予定だ。もちろん、受かればの話だが。

 ……それに。

 

「それにな、俺がお前に何も言わずに引っ越すわけないだろ? そこまで薄情じゃねぇよ」

「し、真哉さん……!!」

 

 ルビィがキラキラとした視線を向けてくるので、なんか恥ずかしいことでも言ったのかと思う。まーた、大袈裟なリアクションしやがって。やっと笑ったからいいけども。

 でもまぁ、俺に迷惑をかけたのは間違いない。次のバスが来るのは1時間後。これに乗ったところで、オープンスクールには到底間に合わない。元より、バスに乗らなかった時点で行く気は失せていたが。

 

「……にしても、予定つぶれて暇になっちまったなぁ。どう償ってもらおうか」

「あぅ……」

 

 俺が責めたように言うと、案の定ルビィは途端に笑顔を消して小さくなった。その萎縮具合は、出会った頃とあまり変わっていないように思える。俺を散々引っ掻き回した、あの時とだ。

 昨日の屋上やステージでは、成長したと確かに感じた。感じたのだが、こうしてみるとまるで変わっていないように見える。隣に映るのは、俺のよく知っている黒澤ルビィ。ドジで泣き虫でおっちょこちょいな、俺の―――大切な人だ。

 

「よし。罰として、お前は今日1日俺に付き合え」

「……へ?」

「どうせ予定ないだろ。変に心配させちまった分、俺がお前の相手してやるって言ったんだよ。強制だからな」

 

 だが、俺としてはそんなルビィで良かった。そんなルビィ『が』良かった。コイツといると、毎日が飽きない。いい意味でも、悪い意味でも。

 心の底では分かっていた。文化祭でわざわざ確かめるまでもなく、俺はルビィと一緒にいれて楽しいと感じていると。他の誰であっても替えが効かないくらい、アイツといる時間が大切なんだと。

 きっと俺は、自分でも分かっていないくらいルビィに依存してしまっているんだと思う。離ればなれになるなんて、こっちから願い下げだ。

 

「は、はい!! 喜んで!!」

 

 俺の意図を汲み取ってくれたルビィは、嬉しそうに首を縦に振る。自然と、俺の顔も綻んだ。

 

「よし、とりあえず一旦帰るか。傷の手当てしねぇとだし、服も着替えたいだろ。送るからよ」

 

 俺が手を差し出すと、ルビィは飛び付くように握ってくれた。仄かに熱を帯びたその手は、否が応でも俺の注意を惹き付ける。もはや手を繋ぐ理由なんて、お互いに考えていなかった。

 ルビィが心配だから、オープンスクールに行くと言った手前家には帰れないから。わざわざ、ルビィの家にまで着いていく理由(言い訳)はいっぱいある。だが、今回は必要ない。

 何回も転んだのか、あちこち擦りむいている。足も痛いのか、少し歩き方が覚束ない。ここまでボロボロになってまで俺の元に来ようとしてくれたルビィに、寄り添ってやりたかった。ここまで想われていたのか、と実感できたから。

 

「真哉さん」

「どした」

「ルビィ、やっぱり無しにするっていうのを無しにします」

「なんだそりゃ」

 

 そう言うと、ルビィはいっそう強く俺の手を握る。その頬は、髪色のごとく僅かに朱に染まっていて……何かを決した表情。

 あの花火大会の日が、不意にフラッシュバックする。

 

「……ルビィは真哉さんが好きです。大好きです!! もう、無しにはしません。真哉さんが振り向いてくれるまで、諦めませんから」

 

 ある程度、予想は出来ていた一言だった。予想は出来ていたが、すぐに対応は出来なかった。表情を緩めないように、平常を保つので精一杯だったから。

 沸き立つ感情は、やはり俺の経験則では見当たらなかった。途端に、ルビィの顔を見るのが恥ずかしくなる。何て言えばいいのか、やっぱり分からない。

 

「……あー、そうかい」

 

 頬をかきながら、俺はそっぽを向く。無言ではいけないと絞り出した一言は、相変わらず斜に構えたような言葉だった。

 

「……クスッ。何ですかそれぇ」

 

 少し不満そうに、でも楽しそうにルビィは笑った。それにつられて、俺も笑う。やや自嘲気味の、小さな笑いだった。

 自分の体温が少し上昇しているのは、日が昇り切ってしまったのが原因ではないと思う。ルビィの手の温もりも、さっきより感じるようになった。顔も、まだ紅いままだ。きっと、気持ちは同じなんだろう。そんなことを意識すると、また上気していく気がした。

 ……本当に、厄介なものに絡まれてしまったよなぁ。俺は隣を歩くルビィを見て、今までの事を想起する。小さな事にもめげず、泣き虫のくせに負けず嫌いで、何よりも誰よりも努力家。

 相反していたはずの俺は、いつの間にかコイツのペースに巻き込まれ、ドップリと嵌まっていた。きっと、もう抜け出せない。だったら、俺は『そこで』ずっとお前の姿を見ていたい。

 今は心に思うだけだが、いつか言葉で伝えられたら。それが、どれだけ素敵なことかと考える。

 

「……どうかしました?」

「いや、何でも」

 

 俺は慌てて目を逸らす。やっぱり、急には無理みたいだ。だから、今は思うだけ。心の中だけで、素直になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうか、このままでいてほしい。

 

 

 

 俺のそばにずっといてほしい。

 

 

 

 ずっと、ずっと。

 

 

 

 俺にはお前が必要みたいだ。

 

 

 

 どうやら俺は

 

 

 

 ――――お前に染まってしまったようだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『朱に交われば紅くなる』これにて完結です。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。後半では感想の数もお気に入りの伸びも増えていて、作家冥利に尽きる次第です。

さて、この最終話について。感想でも「この2人どうなるの?」という声が上がっていました。本気で心配していた方には肩透かしだったかもしれませんし、15話が印象に残っている人には「やっぱりな」と思ったかもしれません。終わりまで持っていくには、どこか事を荒立てる必要があると考え、試行錯誤した結果いまの形に落ち着きました。こんなドタバタした終わり方も、ルビィちゃんだからこそ出来たんじゃないかなーって思っていたり。

この小説で、ルビィちゃんの魅力に1人でも多くの方が気付いてくれたならば、これほど嬉しいことはございません。
感想・評価を送って下さった方々、ファンアートを描いてくださった方、Twitterで応援して下さった方々、そして何より読者の方々に最大限の感謝を込めて、筆を置かせてもらいます。
またどこかで私の別の作品を読むようなことがあれば、お手柔らかにお願いします。




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後日談兼誕生祭
いつも、いつまでも


ルビィちゃん、誕生日おめでとう!!
という訳でお久しぶりです。最終回から5日後の設定です。


 

「今日が何の日かだぁ?」

 

 朝の登校中。ルビィが唐突に俺に持ちかけたのは、そんな話だった。今日は、9月21日の金曜日。特に何かがあるという訳ではない。学校があるから当然祝日ではないし、『11月11日はポッキーの日』みたいなノリの日とも違う。

 

「はいっ。さぁさぁ、考えてみてください!!」

 

 ルビィがいつも以上に顔をふにゃりと崩し、こちらに期待の眼差しを向ける。どちらかというと、小原みたいな鬱陶しいノリ。いつもは控えめなくせに珍しい。

 ……いや、コイツも心開いた人間には割りとグイグイ行くタイプだったよな。それも、アイツ張りに積極的に。

 

「って言われてもなぁ……」

「正解はなんと!! ルビィのお誕生日でしたぁ~!!」

「答えさせる気0かよてめぇ」

 

 俺に考えさせる間もなく、自分で答えを言ってしまうルビィ。非常に嬉しそう。それは別にいいのだが、隣で大声出したりピョンピョン跳ねるのは恥ずかしいから止めてほしい。もう校門入って、人目も増えてきたんだし。

 ルビィが浮かれる気持ちも、全く分からないわけではないが。1年に1回しかないし、文字通り記念日(アニバーサリー)だ。プレゼントなんかも楽しみだろう。

 

 

 ……まぁ、その事は知ってるんだけど。

 

「でねでね!! 今日はお家でパーティーをするんです!!」

「そりゃ楽しそうで何よりだけど、授業はちゃんと聞けよな?」

「分かってますよぉ~」

 

 ニヘラと表情を緩めるルビィには、全く覇気とか気合いが感じられない。本当に分かってるんだろうか。今日1日を乗り越えられるのか、こっちが不安になってくる。あとで国木田に釘でも刺しておくかな。

 

「んじゃな。いい加減、その緩みきった顔戻しとけよ」

「はぁ~い!! じゃあ、またお昼休みに」

「はいはい」

 

 1年と3年の教室は棟が違う。故に、昇降口を通ればルビィとは方向が別れることになる。……さっきも言ったが、こんな浮かれた様子だと不安である。いつもがドジなだけに。

 とはいえ過保護すぎるのもどうかとは思うので、俺はさっさと自分の教室に向かう。まぁ国木田もいるし、ルビィもそこまでは暴走しないだろう。多分きっと恐らく。

 

 

 一抹の不安が過るが、あまり考えないようにする。俺まで授業に集中出来なくなっては、本末転倒だ。フー、と1つ呼吸を整えて教室のドアを開ける。俺の机には、見知った顔が待ち構えていた。

 

「グッモーニン、シンヤ!!」

「……おはよ」

 

 朝は―――と言ってもそれだけに限った話ではないが、テンションの低い俺に対して、小原は朝から夕方までいつでも元気だ。俺が教室に入ると、大声で叫びながらブンブンと手を振る。それだけで、クラスメイトの注目が集まる。

 ずっと俺が来るのを待ち構えていたんだろう。俺が自分の席に着くと、小原は椅子の背に向かってカラダごと前傾になる。仮にも女子なんだから、そんなみっともなく股を開くもんではないのだが。言うだけ無駄なので、指摘はしないでおく。

 

「で、当日を迎えた訳だけど……」

 

 あぁ、やっぱりその事か。早々に切り出す小原に対して、俺は溜め息を一つ。その仕草が伝わったのか、小原は途端に困り顔。

 何気ない会話から、ルビィの誕生日が今日だと知ったのが二日前の話。誕生日プレゼントの事なんて頭から抜けてた俺の相談に乗ってくれたのは、例にもよって小原だった。毎度のことながら、こういった類いの相談では本当に頼りになる。

 そして、誕生日までにプレゼントをどうするか考えてくるのが、昨日までの課題だった。その課題が達成できたかどうかは、言うまでもない。

 

「何も思い付かないの?」

「……何一つ」

 

 恥ずかしい話だが生まれてこの方、家族以外にプレゼントなんてした事がない。それも最初の相手が年下の異性。何を贈ればいいのか、何が喜ばれるのか、逆にタブーは何なのか。何一つとして思い浮かばない。

 そうして三日間考え抜いた結果がこれである。まさに、下手な考え休むに似たり。無駄に悩みの種を増やしたまま当日を迎えてしまったわけである。

 

「んもぅ、あの子の好きなものくらい知ってるでしょ?」

「芋とアイドル……かな。でもさ、それらに関連するものを買って渡すのも何か違う気がするっつーか……」

 

 ルビィのプレゼントを考えるに当たって、一番困っていることが『何がアイツに相応しいプレゼントか』だった。アイツの好きなものを考え、それを買うのは簡単だ。だが、何だかそれが正解じゃない気がして気が引ける。そうして、いつまでも悩んでいる。

 ここまで相手のことを真剣に考えるような人間ではないと、我ながら思ってはいたのだが。どうやら、自分は予想以上に薄情ではなかったらしい。

 ……まぁ、何も買えなかったら本末転倒なのだが。

 

「もー、世話が焼けるわねぇ。気持ちが分からなくはないけど」

「仕方ねぇだろ。こういうの、初めてなんだし……」

 

 珍しく、俺が小原に何も言い返せない図。こういう状況には本当に弱い。俺がいままで、何度小原に相談を持ちかけたことか。俺の中で小原が、ルビィ専門のご意見番になりつつある。

 妹にプレゼントしていたような物ならどうだろうか、とふと頭に浮かんだが、それもやっぱり違う気がして。ルビィと妹は似てはいるが別人だ。片や血の繋がった妹で、片や俺を好いてくれる後輩。扱いが同じで良いはずがない。

 ならば好きな人から貰う物なら……と想像してみる。が、やっぱりこれもダメ。そもそも人を好きになった事がない俺が考えたところで、時間の無駄遣いだ。となると……うん。

 

「なぁ、小原。好きな人から貰って、嬉しい物ってなんだ?」

「い、いきなり変な事を聞くのね。どうして?」

「まぁ、何かの参考になればって。なんつーかその、ルビィは俺を好きみたい……だし」

 

 自分で言ってて恥ずかしいが、事実に変わりない。ルビィ個人の欲しいものが分からない以上、こういった関連性から考えるのが大切だと感じた。

 小原もこの質問には面食らったようだが、すぐにウーンと唸りながらも考える。色恋沙汰に興味・関心があるようには思えないし、的確な答えが返ってくるか分からないけれども。

 

「そーねぇ、何でも嬉しいんじゃないかしら。好きな人が一生懸命選んだものよ? そう考えると、何でも良いじゃない?」

「え、あー……確かに一理あるけど」

「シンヤだって、ルビィからなら何貰っても嬉しいでしょ? それとおんなじ」

「う……。まぁ、確かに」

 

 小原の極正論に、言葉に詰まってしまう。実際、何貰ってもいいやと思ってしまったからだ。そういうものなのだろうか。俺や小原の感覚が、必ずしもアイツに当てはまるとは限らない。

 それに、その答えでは結局何を買えばいいのか分からないし。何でもいいと言うのは、適当に選べばいいというわけではないから。『なんでもいい』というのは、便利なようで不便な言葉だ。

 

「といっても何選べばいいかになっちゃうしぃ……よし!! シンヤ、今日の帰りにモール行きましょ。時間、あるよね?」

「あるけど。モール……って、駅の近くの?」

「イェス!! そこなら色々売ってるからね。あとはついでに美味しいクレープも食べたりぃ……」

 

 小原は目を細めて、何とも楽しそうな顔をしている。言葉を交わさずとも、コイツが何を意図しているのか何となくだが分かった。要するに、プレゼント選びを手伝うからクレープ奢れと。(したた)かなヤツめ。

 足元見られているのは癪だが、断る理由はなかった。女子の目線から色々とアドバイスをもらえるのは嬉しい。それに比べればクレープの数百円ぐらい、安いもんである。癪ではあるが。

 まぁ小原も仮にも女子。松浦や黒澤、国木田辺りよりも流行りに敏感だろうし、大丈夫だろう。

 

「分かった。それで手を打とう」

「イェイっ。取引成立ね!! このマリーにまっかせなさーい!!」

 

 きっと大丈夫……のはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「♪~」

 

 放課後。ホームルームが終わってすぐにバスに乗った俺たちは、沼津駅付近にあるショッピングモールに来ていた。服屋や飲食店を始めとして、ここには多くの店が集まっている。インテリア、電化製品、本やゲームのような娯楽等々挙げたらキリがないほど。

 鼻歌を交えつつ隣を歩く小原は、まだ俺に行き先を教えてくれない。手には見るからに甘ったるそうな―――というか、実際一口貰って甘ったるかったクレープ。ご機嫌である。

 

「そろそろ、どこに行くのか教えてくれてもいいんじゃないか?」

「んー、デリシャス!! やっぱり疲れた時は甘いものよねー!!」

「おいコラ」

 

 完全に楽しんでやがるコイツ。クレープが食べたかったから騙した……なんて事はないとは思うが。ここまで何も言われないと、疑いたくもなる。

 

「そんな怖い顔しないの。ほら、ついたから」

 

 小原が指を差した先にあったのは、ピンキーな看板。男ならまず入ることを躊躇うような雰囲気で、今まで縁もゆかりもなかった場所。アクセサリーショップだった。

 足早に店内に向かう小原を追って、俺もショップに入る。宝石なんて高いもの買えねーぞ……と思ったが、値段はそこまで高くはなかった。本格的な宝石店とは違って、それこそ中高生をターゲットにした店のようだ。

 

「洒落てんなぁ……」

「マリーが一押しするお店デース。アクセサリーを貰って、喜ばない女の子なんていないんだから!!」

「そりゃちとオーバーだろ」

 

 自慢そうに胸を張る小原がおかしくて、俺は肩をすくめる。だが、あながち的外れな考えでもなさそうだ。その証拠に、店内は同年代の女子の学生またはカップルが大多数。

 何より、オシャレが好きなルビィのイメージともピッタリだと思った。イヤリング、ネックレス、ブレスレット……。どれをあげても良さそうだ。

 

「しっかし種類多いな」

「そうねぇ。アクセサリーっていっても、色んなところにつけるから。それに、石の種類もあるし」

「アイツに渡すんだから、それこそ紅色のヤツとかで……うん?」

 

 ここに来て、『何を買うか』問題がクローズアップされる。選ぶものが多過ぎて頭が痛くなってきた。

 無難なものでいいかと思っていた俺の興味を引いたのは、紅色……ではなく蒼色の石。その石が並ぶコーナーには、見慣れぬ三字熟語が添えられている。

 

「シンヤどしたの?」

「あ、ちょっとな。この誕生石ってなんだ?」

「んーどれどれ……あ、これね。月ごとに宝石が設定されてるのよ。自分の生まれた月の宝石をつけると、良いことがあるんだって」

 

 ほー、なるほどね。博識な小原に驚きながらも、誕生石一覧を隅から見てみる。9月はサファイアとアイオライト。だからここには蒼色の石ばかりがあったのか。

 余談だが、ダイヤモンドは4月でルビーは7月だった。本当に余談だが。

 サファイアの石言葉は『知恵』。冷静な判断力が得られるらしいが、おっちょこちょいなルビィには似つかわしくないなと一人で頬を緩める。色だって、紅色には程遠い蒼だ。

 でも……。

 

「……悪くないんじゃないか?」

 

 ただプレゼントを贈るよりも好感が持てた。占いやおまじないの類いを信じているわけではないが、特別な意味やメッセージを持っていることに。

 それにルビーとサファイアは、共に宝石のなかでも有名な2つ。某ゲームタイトルでもセットにされていたし、これも何か不思議な縁だろう。

 

 

 一度腹に決めると、行動に起こすのは早かった。さっきまであれこれ考えていたのはどこへやら、すぐに目的のものを選び会計をする。ちゃんと、誕生日プレゼント用の包装も忘れずに。

 

「あら、結局それにするのね……って、2つも買ったの?」

「あー、プレゼントはこっち。これはまた違うヤツだ」

「ふぅん」

 

 包装が2つあることに疑問を思ったようだったが、説明をするとあっさり納得したようだった。会計のところを見られてなくて良かった。2つ買った意図は、気づかれると恥ずかしいから。

 いい買い物が出来たと思う。今日はもうアイツも家に帰っただろうし、渡すのは週明けでもいい……よな。プレゼントを渡すという行為に、ガラにもなく緊張している。

 

「でも、買えて良かったわね。ルビィもきっと喜ぶわ」

「だと良いが。ありがとな、手伝ってくれて」

「どういたしまして。これでもう、プレゼントには困らないわね。日頃の感謝を込めて、マリーに贈ってもいいのよぉ?」

「今さらお前に欲しいものがあるのか?」

「シンヤから貰えるなら、何でもOKデース!!」

 

 調子のいいことを言うヤツめ。相変わらずのウザ絡みで近寄る小原を、俺は片手で引き剥がす。

 でもま、確かに感謝の気持ちを行動で表すってのは大事だよな。今まで抱いたことはあっても、行動に移した事はなかった。気持ちというのは、基本的に行動で示さなければ相手にも伝わらない。俺はそういうのが苦手だったから、今まで幾度か気持ちのすれ違いを起こしてきた。

 誕生日プレゼントもそうなのかもしれない。『おめでとう』という気持ちと、『生まれてきてありがとう』という気持ち。そんな気持ちを形にしてるんじゃないかって。

 

「……まぁ、考えといてやる」

「フフっ、マリーはしつこいわよぉ?」

 

 ずっと催促されるって事かい。相変わらずの図々しさに、やや呆れながらも安心する。来年の誕生日には、何か送りつけてやるか。

 来年かぁ……。高校生になって学校が別れても、今みたいに変わらずいてくれるだろうか。誕生日を迎え、年を重ねる度に環境は変わる。環境が変わると、人間関係も変わる。すると、今まで築いてきたものが(ないがし)ろになるんじゃないかと、少しセンチメンタルになったりもする。

 その『変化』に順応出来ないのが嫌で、人との別れが辛くて。だから、俺は人と深く接するのを自然と避けるようになった。でもルビィと出会ってからは、少しだけそんな生活が変わる。アイツがどんどんこっちの領域に入ってくるから、嫌でも近しい関係になってしまって。

 

「で、それいつ渡すの?」

「え?」

「シンヤはルビィの事になると、いっつも消極的だもの。どーせ、月曜日でいいやとか思ってるでしょー? 行動で示さないと、伝わる物も伝わらないわよぉ?」

 

 唐突な小原の質問に、俺は黙りこくってしまった。図星である。あんまり過干渉だと返って迷惑じゃないかとか、どの程度まで踏み込めばいいのかとか。俺にはよく分からない。

 なんだろう。手にした物は離したくないから、慎重になりすぎるというか。上手く言えない。

 

「だ、大体当日に渡さないといけない決まりがあるわけじゃ……」

「シャーラップ!! 記念日(アニバーサリー)は当日だからこそいいんじゃない!! そんな考えじゃダーメ」

「でもアイツ家に帰ってるし、時間も下がってるし……」

「直接行けばいいでしょ?」

 

 ダメだコイツ、全然人の話を聞いてくれない。いつも以上に強引だ。いつもは口答えの1つでもするんだけれど、恐らく今のコイツには何を言っても勝てる気がしない。

 必死の言い訳もむなしく空振りに終わり、さらに言い寄られる。もう後は強引に帰るぐらいしか方法は思い付かないのだが、思わぬところから俺の首締めは続くようで。

 

「しーんやさんっ」

「……っ!!」

 

 背後からの声に、俺は咄嗟に振り返る。少し視線を下ろすと、ルビィがニコニコした顔で立っていた。ここで買い物をしたんだろう、書店の袋を大事そうに抱えている。

 

「チャオ~、グッドタイミングね!! お買い物?」

「グッド……? えっと、今日発売の雑誌を買いに来たんです」

「あら、いいわね~」

 

 袋からアイドル雑誌を取りだし、にかっと歯を見せるルビィ。嬉しそうなのが見てとれる。一応そういった類いのものもプレゼントの候補だったが、買わなくて良かったみたいだ。

 

「真哉さんと鞠莉さんはどうしたんですか? ここ、アクセサリーショップですけど……」

「そんな不安そうな顔しないの。デートとかじゃないから」

「いえ、別にそういうわけでは……!!」

 

 ルビィの表情が歪んでいるのが、若干ではあるがすぐ分かった。嫉妬、だろうか。こうやって表情にすぐ出る辺り、まだまだ幼いなと思う。影で秘められるよりも何倍もマシだが。

 それに、こうやって気にかけられるのも悪くはない……しな。

 

「ホントにそういうのじゃねぇから」

「そうそう、すぐに分かるわよ。だから、邪魔者は帰るとするわね。ルビィ、ハッピーバースデー」

「すぐに分かるってどういう……? あぁっ、鞠莉さん!!」

 

 今日中に渡すのよ、と小原は背中で語っていた。ルビィの声には振り返らず、ブラブラと手を振って答える。俺に考えさせる間もなく、2人きりの状態を作り出しやがった。

 早めに渡した方がいいんだろうか。ここだと人目がつくし、もっと別の場所の方がいいんだろうか。

 ルビィも色々起こりすぎて困惑してしまっているし、とりあえず声を掛けてやるのが優先だよな。うん。

 

「もう帰るのか?」

「えっ、あ、はい」

「……一緒に帰るか」

 

 とはいえ、所詮これぐらいの事しか言えないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 ショッピングモールから家に帰るにはバスに乗るしかなく、俺たちは沼津駅前のバス停から帰りのバスに乗った。幸いにも駅から家の方向は同じだから、2人とも同じバスだ。

 バス内には人がほとんど乗っておらず、とても静かだった。俺たちは1番後ろを好んで座る。俺が窓際、ルビィがその隣。

 バス停に向かうまで、あまり会話は起こらなかった。話しにくい雰囲気、といえばいいのか。ルビィも遠慮しているみたいだし、そもそもどちらもこういった空気は苦手だ。

 でも、この空気ではプレゼントなんて渡せやしないし……。何か話題、何か話題……と必死に朝の会話を思い出してみる。

 

「そういえば、今日はちゃんと授業を受けられたか?」

「あ、はい。ちょっとボンヤリしてましたけど……」

「あー……そうか」

 

 はい終わり。この間数十秒。あまりにも短すぎる会話に、俺は頭を抱える。なんでコイツといるのに、こうも悩む必要があるのだろうか。来年がどうとか思うより先に、今を何とかしろよ自分。

 ふー、と息を吐いて外の景色を眺める。駿河湾は夕焼けが反射して、オレンジ色に光っている。悪くない景色だが、帰りつくまでの約20分間、ずっと海沿いの道だ。どうせすぐに飽きる。

 

「あの……」

「ん」

「あそこで何をしてたのかなって。その、しつこいかもしれないけど、気になったので」

 

 アクセサリーショップの事を言ってるんだろうか。少しだけ申し訳なさそうに、そして不安そうにルビィは尋ねる。

『他の人と遊ぶな』とか、そんな図々しい事を言うヤツではない。俺と小原が仲良いのはアイツだって百も承知だし、アイツ自身小原にもなついている。口に出すことはまずない。

 結局、不安だったのはお互い様って事か。

 

 

 ……これは、正直に話した方がいいんだろうな。というか、渡すタイミングはここしかない。

 俺は通学用カバンから、綺麗にラッピングされた袋を取り出す。えーと、こっちがプレゼント用だよな。

 

「これ」

「へ? ふ、袋?」

「これ、アイツと選んでた。俺だけじゃ分かんないから。お前今日、誕生日だろ」

 

 貰っていいのかどうか戸惑っていたので、ルビィに押し付けるように渡す。少し困っていたようだったが、袋の文字を見てルビィの顔がみるみる明るくなる。誕生日包装用であるその袋には、『HAPPY BIRTHDAY!!』と書かれていた。

 

「わぁ、プレゼントですか!? 開けていいですか!?」

「好きにしろ」

 

 キャイキャイとはしゃぐ姿を見ると、少し恥ずかしい。嬉々(きき)として袋を開けると、そこに入っていたのは青い石の装飾が施されたブレスレット。これが、俺の選んだものだった。

 

「うわぁ可愛い!! 真哉さん、ありがとうございます!!」

「まぁ、喜んでるならいいけど」

「青い石……ですよね? サファイアでしたっけ?」

「本物じゃないけどな。9月の誕生石だってよ」

「へぇ~。オシャレだぁ……」

 

 早速つけては手を上にかざしてみたり、触れてみたり。何はともあれ、喜んでいるようで安心した。朝から色々と考えて、小原に付き合ってもらった甲斐があったってもんだ。後でアイツに、チャットで『成功した』とでも報告しとくか。

 

「そっちの袋には何が入ってるんですか?」

「これか? これは俺の」

 

 プレゼントと一緒に買った、もう一つのアクセサリー。何の変哲もない袋の中に入っていたのは、同じくブレスレットだった。だがルビィに渡したサファイアとは違い、石には紅玉を使っていた。

 ルビーの石言葉は情熱、そして炎。自分で選んでおいてなんだが、俺には全く合わない言葉だと思う。むしろルビィのサファイアと俺のルビーが逆なら、まだイメージに合うのになと勝手に思っていたり。

 

「あっ、そっちも可愛い!! 真哉さんとお揃いだぁ……月曜日から着けて行ってもいいですか!?」

「良いわけないだろうが。貰って早々没収されるぞ」

「あぅ、そんなぁ……」

 

 ……やっぱり、コイツにサファイアを渡しても『知恵』の恩恵が受けられるとは思えない。成績がどうこうとかじゃなくて、単純に振る舞いが。まぁ、黒澤みたいなルビィなんて見たくもないけど。

 大体、不要物の持ち込みの話なんてのは生徒会でも問題になりやすい。仮にも元生徒会長の妹が、元副会長から貰ったものを没収されたなんて話はシャレにならない。

 

「じゃあお出かけの時、とか」

「それは好きにしろ。アクセサリーなんだから」

「そ、そぉじゃなくて!! 真哉さんとお出かけする時だけ着けようかなぁって……。ら、来年まで待ちます!! ずっと待ちますから、その……えと」

 

『だけ』という特別扱いに、内心ドキリとする。ルビィは言葉を止めながらも、こちらの反応を伺っていた。一見口ごもっているだけのようだが、俺が何か言うのを待ってるようにも見える。

 ずっと待つから。その先に続く言葉は、何となく予想がつく。きっと俺の口から、その次を言わなきゃいけないんだ。思えば今までの俺たちの関係は、ルビィから動くか他の誰か――例えば小原や国木田――のサポートが働いているかの二分だった。先週の日曜日は状況が特殊だから例外として。っていうか、あの後は結局ルビィに引っ張られたし。

 ……話を戻すと、今まで俺からアイツに対して何かをするという事がほとんど無かったのだ。もちろん0ではないのだが、逆のパターンと比べると絶対数が少ないのも事実。端から見て悪く言えば、ルビィに付き合っているだけの状態だ。

『行動で示さないと伝わらない』……か。確かに。そのせいで、今まで何回思い違いを起こしてきたか。体育祭の時もだし、花火の時。そしてオープンスクール騒動も、ルビィの勘違いとはいえ俺がアイツの異変に気付いてやれなかった・気付いたところで何もしなかったからが原因の1つだ。

 

 

 少しは俺も口や行動で示さなければ。もうくだらないトラブルは起こしたくない。何より、もう傷つけたくないから。

 フーッと息を吐いて気を落ち着ける。それを見て、ルビィはビクリと体を震わせた。……いつも俺が溜め息を吐くときは不機嫌な時だったからだろうか。こういう姿を見ると、重ね重ね申し訳なくなる。

 早く言わないと。窓の外を向いていた視線を、ルビィに合わせる。翡翠(ひすい)の瞳は、弱々しく輝いていた。

 

「受験終わったら、その……2人だけ(・・)でどこか行くか。どこがいい?」

 

 2人だけ。特別。そんな意味を強調して、俺は小さく小さく呟いた。意図が伝わったのかは分からない。俺も、買ったブレスレットはコイツと出かける時にしか着けない。それで良い。

 

「や、やったっ!! えーと動物園と遊園地!! あと映画、カラオケ……やっぱり水族館とか!!」

「……いっぺんは無理だからな?」

「何回でも行けばいいですっ!!」

 

 翡翠の輝きが増すのは早かった。ルビィは一気に顔を近づけて、行きたい場所を次々と羅列していく。多い多い多い。どんだけ行く気だコイツは。

 俺が困った顔を見せると、ルビィはそれとは対称的に悪戯そうな笑みを見せる。いつもの見慣れた光景である。なんか安心するような、何も変わってないことに少しガッカリしたような。……いや、現状維持が一番か。喜んでいるのなら、僅かな勇気でも絞り出した甲斐があった。

 今ではこうしている事が当たり前だが、それが数年、数十年後にどう思えるかは分からない。だから俺は、今この時間を大切にする。誕生日という1年に1度しかない日に、一緒にいてくれるこの時間を。

 

 

 プレゼントの意は『ずっと一緒に』。ルビーとサファイアというセットにされる事が多いこの石のように、強い繋がりをこれからもずっとという願いだ。石言葉がお互い自分に足りてない部分を強調しているのは、恐ろしい偶然である。

 そして、ほんの少しの野望。ルビーの石言葉は『情熱』の他にもう1つある。それは……恥ずかしいから今はまだ、形に示さなくてもいい。バレた時はそれまでということで。

 最大の願いは、来年もこうして同じように誕生日を祝い、生まれてくれて『ありがとう』と――次は出来るだけ言葉で直接――感謝する事。そして、それまでの365日をまた、共にいられる事。ある人にとっては何でもない日でも、ある人には大切な記念日。そう考えることで、毎日が『何でもない日』だった俺にとって、1年過ごすのが少しだけ楽しみになる。毎日を楽しく過ごすのって、こういう考えを持つ事なんだなぁって思う。きっとこれからもコイツと一緒なら、もっともっと1年を楽しめそうだ。

 

 

 誕生日おめでとう、ルビィ。

 そして、出会ってくれてありがとう。

 これからも……いつまでもずっと。




10000越えです(震え声)
生誕祭というか後日談というか。でも書きたいこと詰めすぎて、お腹いっぱい欲張りセットみたいになってしまった(結果があの文字数)。
私は短編向かないなぁと思った瞬間です()


本当に最後なんですが、イラスト紹介だけ。
完結記念にいただきました。本当にありがとうございました

【挿絵表示】





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