魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) (凡庸)
しおりを挟む

プロローグ1 修羅を招く夜

 暗黒の世界を光の線が引き裂いていく。 光の総数は4つあった。

 万物を焼き尽くさんばなりに眩い黄金が3。 残る一つは、生命の汚濁と息吹を思わせる深い翠色。

 

 暗黒の世界で、黄金と翠は争っていた。 三方向から迫る黄金を、翠は真っ正面から迎え撃つ。

 手近なものへと相手以上の速度で迫り、肉薄する。

 

 音の無い筈の世界に、確かな激突音と破壊音が鳴り響いた。光の闘争とは、宇宙の法則や概念を超越したものらしい。

 

ぐぉおお…

 

 とでも言うような音を、黄金が吐いた。 苦痛のためか、眩いばかりの華美の領域にさえ達した色が薄れていく。

 ほどけた光より出でたのは、無骨な鎧を纏った金色の武人。

 古代の大陸で覇をかけて、争ったものたちの姿によく似ていた。

 身に纏っていたと見えたのは、武人が放っている光だった。だが、武人から放たれているのはそれだけではなかった。

 煌々たる光を塗り潰すようにして溢れるのは、宇宙の暗黒の中であって尚、どす黒い紅の体液だった。

 

 分厚い鎧を絶ち割って胸元にめり込んだクロガネを掴みながら、憎しみで出来た眼光を武人は翠へ送る。

 金色の武人もまた、翠へと得物を放っていた。その姿に相応しい無骨な大剣が翠に突き刺さっている。

 

「ざまぁねえな」

 

 翠が口をきいた。 武人と光は、その声に震えたように見えた。

 若い男の声だった。

 

「これが神とやらの力か?笑わせんじゃねえ」

 

 神と呼んだものに対しての口調にしては、あまりにも冒涜的に過ぎた。

 そして、それはあまりにも的確な言葉であった。

 

 神の剣は、翠の陽炎から伸びたものによって易々と掴み取られていた。対して彼が放った一撃は、神に致命の一撃を与えていた。

 

 武人に突き刺さっているクロガネが胸から股間までを断った。

 下方へと流れた筈なのに、それとは真逆にも線が走り、武人の身を裂いた。

 武人が叫びを上げた。だが、それは断末魔では無かった。

 叫びを上げる口腔から、紅混じりの光が放たれる。翠が弾け、死に向かう武人の厳つい表情に嘲りの色が浮かぶ。

 それが、放った光もろとも二つとなった。断面からは夥しい血液と異形の臓物が零れる。

 生命と呼べるものを無くした途端に消える定めなのか、武人の肉体が手の先端から色を無くしていく。

 

「俺を殺りてぇんなら、もっと気合い入れやがれ!!」

 

 叫びと共に翠を破砕し生まれ出でたのは迸る鮮血よりも尚、紅の色の強い深紅の巨人。

 角ばった頭部からは、左右に向けて長く鋭い槍穂の様な角が生えていた。

 胴体を構築する腕も脚も、太古の建造物の石柱のように太い。

 戦うために構築された、ヒトガタの殺戮兵器。機械の戦鬼、そう呼べる姿だった。

 

 戦鬼が握るクロガネは、小振りな戦斧。

 神を貫き切断したにしては、あまりにも矮小な存在と言えた。

 そしてあまりにも原始的な代物だった。だがそれを、神々は恐れていた。

 

 消えていく神の左右から、2つの黄金が迫り来る。ほぼ同時に弾け、内なる姿が顕現した。

 やはり、先に逝った武人に似た姿をした神であった。

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 翠に覆われた戦鬼の口から、莫大な音量の叫びが挙がった。

 伝える空気などの無いはずの宇宙空間が、そのボイスによって打ち震えていた。

 翠色の結晶の中に、青と緑の戦衣を纏った若者がいた。

 焔のようにゆらめく、獅子のタテガミのような逆立ちと刃の鋭さを合わせたような攻撃的な黒髪の奥の、刃の切っ先のごとく鋭い眼光が敵対者へと向けられている。

 

 左右から打ち据えられた刃と槍を、戦鬼の剛腕が迎え撃つ。

 サイズで見れば、戦鬼の姿は神よりも二廻りは小さく、矮躯にすら見える。

 

 だがそれは、力の差とは成り得なかった。神速を宿して閃いた剣は太い五指に押されられ、流星のような矛の一閃は腕の側面から伸びた、波打つような刃の群れに打ち砕かれた。

 動揺が神の精神を揺らがせる。

 惑星や空間まで断ち切る必殺の一撃が、矮小なる存在に止められたことに。

 

『人間如きが…』

 

 軽蔑と悪意、そして屈辱感に満ちたその言葉が、神の最期の思考となった。

 

「『人間』か」

 

 その言葉を、凶悪な面構えに内包された口元が呟く。青年の見掛けは、齢二十といったところ。

 だが既に、幾つもの時が彼の傍らを通り過ぎていた。

 彼自身も、もうどのぐらい生きているのか分からなかった。

 幾つもの世界を巡り、夥しい破滅を目にしていった。

 彼の生き方の傍らには、或いはそのものが、地獄と呼べる物を伴侶としていた。

 

 まともな人間なら正気を失い、生まれたことを呪うのだろう。

 だが、彼はその直中で生き続けている。

 挑み、挑まれ、傷付け、傷付きながらも、最後は必ず相手を葬っていった。

 

 彼が勝利し続ける限り紡がれる戦いは、いくつもの宇宙を越えたところでなんらとして変わることは無かった。

 鼓動が続く限り、意識の有る限り。

 何もかもが磨り潰されるまで、彼は殺戮の直中に、地獄の最前線に居続ける。

 

「消えな!!小物共!!!!」

 

 宇宙を揺るがす咆哮と共に赤色の破壊光が生じた。

 それは、彼の操る殺戮の巨人の土手っ腹に穿たれた孔より撃ち出されていた。

 

 破壊光は神々の矛を裂き、盾を砕いて黄金の鎧と皮膚を蕩けさせ、宇宙空間に異界の臓物と血液をバラまいた。

 暗黒の世界が得体の知れない色に染まっていく。

 浸食するかのように、彼の乗機の深紅にまで、その色は映えていた。

 

 

 破壊が視界を埋めゆく中、彼の脳内にあったのは神の最期の姿では無かった。

 

 彼の鼓膜と乗機は確かにそれを捉えていた。宇宙に木霊する、嘲りを含んだ声を。

 その声は、明らかに笑いの声だった。

 彼と戦鬼を嘲笑う、悪意の声。

 

「うるせぇ!!!!」

 

 銀の一閃に深緑が続く。振り切ると同時に、手にした得物は砕け散った。

 戦斧を生け贄に放たれたそれは、宇宙を翠の光で引き裂いた。

 遥か彼方の暗黒が刃に宿ったものと等しい翠に染まる。

 宇宙そのものを、生命の色である翠の色が破壊していく。

 星は砕かれ、星系は塵となり、果ては銀河さえも虚無と化す。

 神々に振るわれたものとは、別の次元の一撃であった。

 一種の必殺技といってもよい。

 

 自らが巻き起こした破壊の乱舞に、青年の思考に一瞬の翳りが射した。

 主の気分を察したか、戦鬼が彼に語り掛けた。

 言葉ではなく、光という形にて。

 

 神々の支配とは、完全なる隷属に他ならない。

 神の意に従わぬ者達に与えられるのは神罰であった。

 その様子を、巨人は主の目の前にあるモニターに鮮明な映像を以て映し出していた。

 

 青年の黒い瞳に映ったのは、宇宙規模での虐殺行為の結果の記録であった。

 遥か彼方に浮かぶ惑星の至るところでは、巨大な戦船が屍を晒し、それを操る者達もまた腐敗し、枯れて砕けた死骸となって転がっていた。

 死骸の姿は、人と昆虫を混ぜ合わせたような形状をしていた。

 

 次の舞台は宇宙に移る。

 戦船の大群が、糸のようにか細い閃光に触れたとみるや、数百単位で芥子粒のように消し飛んでいった。

 ただの一度の反撃もできぬまま、無数の艦が消えていった。

 

 その他さまざまな形での凄惨無残な光景が、秒を千分割するような、刹那にも満たぬ時間の中で彼の元へと届いていた。

 

「けっ」

 

 不快感を隠そうともしないその一言は、神々の仕打ちの非道さへか。

 それとも己が従える、最強にして最悪の兵器への、無駄なお節介をとの憤りか。

 だが今、彼が怒りの矛先を向ける相手は別にいた。

 

「避けたか。それとも効いてねぇのか?なぁ、オイ」

 

 宇宙の闇が凝固し形を成していき、声もその大きさを増していく。

そして、遂に。

 

「さっさと来やがれ」

 

 その声に遠慮は無かった。

 戦闘が想定される範囲内では既に、生命の欠片も存在しないと分かった為だ。

 

 彼の声に誘われたがごとく、とぷん、と宇宙が揺れた。

 湖面の水が波打つように黒の波紋が広がり、その中心部が泡のように盛り上がる。

 悪夢としか思えない光景だった。

 

 そしてやがて、水面下から浮かぶ魚のように、それは姿を顕した。

 

「やっぱりてめぇか。逆さま人形」

 

 顕現した姿に、彼は自らの評を零した。

 黒と白の優雅なドレスを纏っているのは、巨人を遥かに上回る巨体。

 青年の目には既に宇宙の暗闇は見えず、彼が言うところの「逆さま人形」が視界の全てを占めている。

 そのサイズは、惑星に等しいと彼は見ていた。

 

 呆れるほどに巨大な物体の下方には、彼が人形と評した所以たる頭部があった。

 目鼻のない白磁の顔に、半月に近い弧を描いた口が開いている。      

 

 その口元には美しい紅の線が引かれ、細い首を吊るした胴体には、人間の基準であれば豊満なバストらしき形状さえ見受けられた。

 だがそのさらに上。

 典雅に膨らむスカートの末端から伸びるはずの脚は、巨大な黒い塊で構築されていた。

 人形の下半身は、巨大な厳つい歯車だった。

 巨大な口が僅かに開くと、そこから音が漏れ出した。哄笑であった。

 

 優雅な貴婦人のそれではあったが、巨体による威圧感も相まって、知的生命体に与える感情は恐怖以外の何物でもない。

だが何事にも、例外がある。

 

「ここ最近、うるせぇ声上げて付きまといやがって。他にするコトねぇのかよ」

 

 苛立ちと呆れを孕んだ声で、青年が告げた。声色に恐怖は微塵もなく、代わりに敵愾心と戦意に満ちていた。

 

「いい機会だ。てめぇにも地獄ってやつを見せてやる」

 

 青年の言葉に呼応し、戦鬼の両肩から鉄塊が盛り上がった。

 戦鬼の拳ほどもある黒い塊は、一瞬にして斧へと変じた。

 それを左右の太い豪腕が捉えた瞬間、新たな戦端が開かれた。

 

「ううううおおおおおおああああッ!!!!!!」

 

 巨人の背で靡く紅の翼が翻り、巨人を翠の光が包み込む。

 そして、光となって夜へと邁進していく。

 鳴り止まぬ哄笑と殺戮の雄叫びが激突し、広大な宇宙を震わせていく。

 

 深紅の光が夜へと触れ、宇宙の一角を鮮烈な翠の色で染め上げた。

 そして、宇宙に破壊が吹き荒れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ2 異界に佇む真紅の少女

「手間かけさせやがって」

 

 全てが極彩色の不気味な世界で、紅の髪の少女はそう呟いた。

 身に纏った着物と神父服を掛け合わせたような衣装もまた紅だった。存在自体が、真紅で出来ているような少女であった。

 幼い顔立ちと背丈から見るに、歳は15も越えていない。せいぜい13~14程度といったほど。

 だが、幼い顔に浮かんだ目付きが内包するのは、侮蔑と嘲り。

 そして、莫大な倦怠感であった。その手には、長大な柄の槍が携えられていた。

 

「散々逃げ回りやがって。弱いから逃げるしか出来なかったってか?」

 

 十字架に似た刃の先端には、得体の知れない物体が突き刺さっていた。

 白色の岩のようなそれには、切り取られたような跡が至るところにあった。

 元は別の姿をしていた物の破片であると言って良かった。

 それでも自身の数倍は大きなそれを、少女は細い右腕と、更に細い槍の先端で軽々と宙に支えていた。

 

「ちったぁ楽させろって。誰のお陰で、ここまででかくなれたと思ってやがんだ?」

 

 欠片の一片が裂けた。

 その奥には、不揃いな石を並べたような歯が並んでいた。

 かたかた、かたかたと白い歯が蠢き、紫色の舌がのたうつ。

 怪物、そう呼称するに足りる存在であった。

 見れば断片とおぼしき物が、至るところに転がっている。

 

 異界を思わせる不気味な彩をした断面が液体のように膨脹し、そこから何かがこぼれ落ちた。

 

 それは肩から先の無い、人間の腕だった。

 周囲にばら蒔かれた残骸が音も無く砕けて消えていく。

 その度に、内包された物が現れていく。

 血に塗れ赤黒くなった脳髄を露出させた頭部。

 苦悶に歪んだ唇。

 ぼろぼろになった乳房の間に出来た肉の裂け目から、

 爛れた胃と肺を顕にして横たわるのは、頭と腰から下の無い少女の骸だった。

 そんなものが、幾つもあった。

 転がるのは全て、年端もいかぬ少女たちの死骸であった。

 

「チッ」

 

 凄惨な光景とむせ返るような血臭を前に、少女は己の舌を打った。

 その顔には、不快さを微塵も隠さない歪みが刻まれていた。

 

「情けねぇなぁ、新米ども」

 

 遺骸の群れは、咀嚼されたにしては原型を保っていた。

 特に顔は、圧力による眼球や舌などの盛り上がりこそあれ、大まかな形としては生前の面影を残している。

 怪物はある程度の丸呑みを好む性質を持つらしかった。

 つまり、彼女のいう新米達は生きながら喰われたということになる。

 

 槍を構えた右手はそのままに、残った左手が腰元をまさぐる。

 取り出したのは、雑多で派手な色彩をした駄菓子の袋。

 無造作に幾つかの小袋が取り出され、それらが一気に封を咬み切られた。

 歯と袋が交差する一瞬。

 鋭い八重歯が、暗闇の中で煌めいていた。

 

「にしてもよくもまぁ、こんなに喰い溜めしたもんだねえ」

 

 少女の唇が開き、小さな歯が砂糖菓子を咀嚼する。粉々にし、飲み込み、次の袋へと移っていく。

 

「そんなにあたしらの肉は美味いのかい?」

 

 串刺しにされた怪物を、槍での抉りで弄びながら少女は問う。

 その間も、菓子の摂取は止まらない。

 食べる動きの中にどこか、病的なものがあった。

 そして無論、怪物は問いに応えない。

 既に、もう半ばほどが消滅に向かい始めていた。

 

「…もういい」

 

 そう吐き捨て、槍を引き抜く。

 支えを失った怪物は落下に移るが、それが始まるよりも早く、その身を衝撃が襲った。

 槍の柄の部分に殴り飛ばされた怪物の全身に、白銀の光が走る。

 縦横無尽に動き周り、線が全身を埋め尽くす。

 すると、白銀の走った箇所は亀裂となり、やがて裂け目となった。

 一気に形が砕け散り、光となって消えていく。

 降り注ぐ光の中、少女は辺りを見渡した。

 素早く周囲を確認した後、彼女は忌々しげな舌打ちを放った。

 それの後に

 

「これだけ喰っといてハズレかよ」

 

 との声が続いた。

 

 ゴトリ、と固形物が落下する音が鳴った。

 それはベチャリと音を立て、遺骸の群れの真ん中へと倒れ込んだ。

 それに視線を移した少女は、ぴくりと目尻を動かした。

 

 落下物が、動く姿を認めたためだった。

 衝撃で潰れたか、溢れだしたのか、その全身はどす黒く汚れていた。

 

 握る槍に、自然と力が入った。

 どうするかは考えてはいなかった。

 ただ正体が何にせよ、今なら仕留めるのは容易いと踏んでいた。

 口元に棒状の菓子を押し込み、がりがりと咀嚼する。

 力余って噛んだ頬の内側の肉が裂け、口内に鉄の味を溢れさせていく。

 

 そこに近付く影があった。

 それを認めると、彼女はこう思った。

 

 ちょうどいい、と。

 

「おい、そこのくたばり損ない」

 

 落下物へと、少女が語りかける。

 

「運がいいな。もしかしたら助かるかもしれないよ?」

 

 嘲りを多分に含んだ声だった。

 その言葉を発している最中も、菓子の咀嚼は止まなかった。

 

「でもその様子じゃー、無理かもね。その時は…ま、せいぜいあたしの糧になってくれ」

 

 そう言うと彼女は振り向き、音も立てずに跳躍する。

 

「じゃあな」

 

 その姿は極彩色の背景に溶け込み、見えなくなった。

 

 

 

 真紅の少女の消失からほんの少し後に、極彩の世界に甲高い声が木霊し始めた。

 泣いているような笑い声だった。

 

 それは、人間の頭部ほどの大きさの物体から放出されていた。

 少女に葬られた怪物によく似た、生き写しといっていい容貌をした小さな怪物だった。

 

 それはふわふわと宙を漂いながら、一つの遺骸に迫った。

 異様に長く伸びた舌が少女の血肉を拾い、口内に出来た瘤のような歯が咀嚼する。

 背骨に溜まった血をすすり、表面に舌を這わせ、ぼりぼりと噛み砕いていく。

 飛び出た眼球を弄び、鼻梁から唇までを一噛みにする。

 吐き気を催すような、陰惨な光景が繰り広げられていく。

 

 神経を引いて垂れ下がる眼球を、愛撫するように口中の舌で撫でつつ、そいつは死骸の中で蠢くものに気付いた。

 

 怪物は欲望に忠実な存在であった。

 引き剥がしていた顔の皮を吐き捨て、そちらに向かう。

 一瞬の停滞もなく、怪物は呻くそれに歯を向けた。

 切り裂くのではなく、噛み潰すための歯であった。

 

 がきぃ、という音が鳴った。

 歯が歯を砕く音であった。

 

 死骸の山に迫った異形の顎を、血塗れの手が握り締めていた。

 どのような力があれば可能なのか。

 細身とはいえ人間の背骨を容易に咀嚼する怪物が、添えられた手の力に完全に捕獲されている。

 じたばたと、言うなれば首だけの状態でもがく怪物の子。

 それは虚しい抵抗だった。

 指は離れず、拘束に倍加する力が加わった。

 途端に怪物は、裂け目とヒビの塊と化した。

 ある程度の原型を残したものの、生命と呼ぶべきものはその破壊に耐えきれず、光となって消滅した。

 寄しくも、【親】と似た最期だった。

 周囲の極彩が、破裂音を至るところで出しながら割れていく。

 世界の果てがひび割れ、歪み、そして消えた。

 一瞬にして、不気味な世界が消滅し暗く、薄汚れた場所へと転じた。

 左右に巨大な闇が生じていた。

 ここはビル同士の隙間だった。

 壊れたゴミ箱やガラス辺が至る所に散らばっている。

 

 ガラスやゴミの代わりにそれまで周囲に散らばっていた死骸は忽然と消えていた。

 前の前の世界に置き去られたのかのように。

 但し、異界の終焉たる場所のものを除いて。

 

 握るものを喪った五指がゆっくりと緩み、その根本たる腕も萎れるように折れ曲がった。

 鼻梁と眼、そして唇を少女と異形から溢れた液体にまみれた指が這う。

 己の形状と大きさを確認するかのようだった。

 

 閉じられていた目が、粘液の糸を引いて開かれた。

 指が同じく頬と顎に触れ、血を吸って重くなった毛髪を揉む。

 ぬかるむ頭皮を弄んでいた指が、そこに力強く突き立てられた。

 指と頭皮の隙間から、塗られたもの以外の紅が滲んだ。

 

「…何だと」

 

 血肉と体液と脂と臓物。

 少女たちの残骸にまみれて、その体が起き上がる。

 その右手は今度は、声を出したばかりの喉笛に触れていた。

 ぎりぎりと締め上げられた喉に、指の跡が刻まれた。

 生者の左手が幼い死者の右手の破片を振り落とし、己の胸元をまさぐる。

 指は胸に貼り付いた、少女の柔らかいハラワタを抜けた先の鋼のような筋肉の感触を捉えた。

 

「今まで、色んな地獄を見てきたけどよ」

 

 両手を胸と喉から離し、それらを月光に晒す。

 浮かび上がった形状が、生者の脳髄を灼いた。

 

「こいつは何の冗談だ?」

 

 呪詛の詰まった声の後に放たれた舌打ちは、虚しく月下に落ちた。

 粘液で濡れた体表は夜風に晒されていたが、体温が下がる事は無かった。

 死者の中より出でた生者の心臓は力強く脈打ち、起き上がりと同時に意識も覚醒していった。

 内なる熱が、嫌悪感を焼き払っていった。

 相貌に穿たれた二つの眼球が怒りの渦を巻き、その心にも業火が燃え盛っていた。

 屍の群れから裸体を引き剥がすと、路地の奥の更に深い闇へと消えていった。

 

 

 

 

 




ここまでです
続きも早めにいきます

一応ですが、彼女の槍の形状は漫画版を参考にしています


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ3 彷徨う紅、訪れる黒

三つ目です。
とりあえず、いろいろと頑張ります。



気分次第で自由気ままに、宛どころもなく街をさすらう。

ゲームセンターで時間を潰し、朝早くに寝て夜に起きる。

それが彼女の主なライフサイクルであったが、それすら頻繁に乱れがあった。

 

その日は午後の六時に目覚めた。

放り投げていた衣類を手繰り寄せ、指でしわを引き伸ばす。

下着も「まだ」大丈夫だと自分自身を納得させて、引き続き着用を決意した。

 

本来であれば中学生のはずだが、そんな所に行く理由は無かった。

夢も希望も、とうの昔に捨て去っている。

ならば、将来のための行為などに意味はない。

自分には「今」しか無いと、少女は心に決めていた。

 

行き際に、昨晩の場所にふらっと足を向ける。

交通を阻害しない場所のためか、未だにテープが貼られ、警官達が蠢いている。

 

「(あんだけ死んでりゃ、当然か。お仕事ご苦労さんっと)」

 

賛美ではなく、皮肉だった。

警察ごときが幾ら調べたところでどうにもならない。

 

「…ゲーセン行こ」

 

自分でも、何故そこに足が向いたのかは分からなかった。

ただいつもの通り、心は虚無感に支配されていた。

 

まだ夜になって浅いためか、行き付けのゲームセンターには多くの学生達がいた。

ネクタイやボタンの戒めを外し、思い思いに楽しんでいる。

連れ合いと人目もはばからず触れ合っている者さえいた。

 

「(ウザッてぇ)」

 

心中で吐き捨て千円札を数枚、両替機に食わせる。

吐き出された大量の百円玉を拾い、そのまま緑のパーカーのポケットに突っ込んだ。

適当にシューティングゲーム等で減らした後にでも、ダンスゲームで浪費させようと思っていた。

楽しむ気は余り無い。

時間が過ぎればそれでよかった。

 

目当ての筐体の前には、何人かの男子学生がたむろしていた。

揃いも揃って体格がよく、少女よりも身長が頭二つ近く大きい。

何が面白いのか、矢鱈と騒ぎ立てるそいつらの様子は少女の不快感を誘った。

 

少女は近くの筐体を軽く蹴飛ばした。

それだけで、「廃棄予定」の札が貼られた筐体の側面が歪み、画面に薄い罅が入った。

物騒な騒音に、大柄な男子高生たちが小動物じみた挙動で体躯を縮ませた。

そのうちの一人が音源に気付き、集団に少女の存在を知らしめた。

互いに顔を合わせ小声で数言交わすと、学生達は足早に立ち去った。

 

通路の都合上迂回が出来ず、連中は彼女の傍らを通り過ぎた。

少女の背中に幾つかの視線が突き刺さる。

それは恐怖と、侮蔑の眼差しだった。

 

「詐欺師の娘」

 

大分離れた後で連中の中の一人がそう言った。

距離が離れたことで恐怖感が薄らいだのか、明るい声が少女の鼓膜に届いた。

細かい内容までは確認しなかった。

何を言っているのか、見当はついている。

 

それに、彼女は敗者ではなかった。

すれ違い様に体表に指を這わせた事を誰も気付いていなかった。

五人分の財布が、彼女の小さな手に掴まれていた。

薄っぺらいことから、札の方を入れるための財布らしい。

 

「バァカ」

 

ほくそ笑み、財布どもをパーカーの内ポケットに仕舞う。

嘲りを言ったことで、気分が幾らか良くなった。

ポケットから取り出した板チョコを噛み砕きつつ、筐体に小銭を入れる。

一プレイ二百円という要求が腹立たしい。

派手な音楽が鳴り、ゲームが開始する。

 

未知のエネルギーが地球に降り注ぎ、人類の多くがゾンビになった。

君は弱い者を護るヒーローで世界を救う義務がある。

なのでゾンビどもを皆殺しにして世界を救おう。

 

と、いうのが大まかなストーリーだった。

 

それを見て、少女の口から苦笑が漏れる。

 

「厄介者に居場所はない、か」

 

その通りだな、と続ける少女。

無論、駆逐されるために生まれた空想の怪物に抱く慈悲の心は無い。

納得したつもりだが、苛つきを覚えた。

その鬱憤は、画面内に蠢く怪物どもに向けられる。

細かい細工が施された悪趣味な拳銃が銃口から光を放ち怪物達が砕かれていく。

画面一杯にバラまかれる電子の死骸の色が、彼女には心地よかった。

 

現実の臓物の色もこんな風だったら少しは楽なのに。

そう思いつつ、彼女は玩具の銃を振るい、怪物どもを砕いていく。

そうして、時は過ぎていった。

 

 

 

今日は大漁だった。

成果を見下ろし、少女は満足げな笑みを浮かべた。

閉店間際ということもあって油断をしていたのか、店員の監視は手薄だった。

カメラの配置も完全に把握していた。

彼女にとって、そのスーパーはカモ以外の何者でもない。

 

所詮、この世界は騙すか騙されるか。

当りかハズレかどちらかに別れる。

ならせめて、奪う方がいい。

そうに決まっている。

 

「さぁて、どれにしようかなっ~と」

 

月光の降り注ぐ中、【棲み家】にて、少女は多数の紙袋を漁る。

袋一杯に詰められていたのは、夥しい数の菓子だった。

起きてから意識が続いてる中で、一番楽しそうな表情をしていた。

 

深夜にとても広い室内で、少女が独りでお菓子を前にしてはしゃぐ。

異様な光景だった。

 

棒付きの飴からセロハンを引き剥がし、食らい付く。

 

「ん~~なかなか」

 

気だるい身体に、飴の甘味が染み渡る。

自分の腕で手に入れたという充足感もある。

思わず、天井を仰ぎ見る。

 

そして、思い出してしまった。

少女の笑顔が、歪な形を浮かべて硬直した。

 

「……」

 

宙吊りになった男の姿が、少女の脳裏に浮かぶ。

首元に深々と食い込むのは、太い縄。

唾液が滴り、顎髭を穢している。

 

「……………」

 

次にそれは喉元を赤く染めて、床に倒れる女の姿に変わった。

 

そして、その次は……。

 

「……っ!!!」

 

口内の丸い飴が、バラバラに砕け散った。

一噛みにし、刃のように尖ったそれらを強引に飲み下し、唾液にまみれた棒を投げ捨てる。

そして次々と強引に袋を破り、箱を砕き、内容物を喰らっていく。

行儀も何も無い。

獣の動きに近いことは彼女自身も自覚していた。

自分の家で何をしようが勝手だと強く思い、無理矢理納得させていた。

 

塩味も甘味も区別なく、可能な限り詰めるだけ、小さな口内に詰め混んでいく。

それでいて、一欠片も床には落としていなかった。

自分が得たものを、残らず摂取していた。

ただひたすら、喰っていた。

 

一袋目の菓子はあっという間に食い尽くされ、少女は二袋目に手をかけた。

満腹感は無かった。

内臓が圧迫される感触だけがあった。

喰っている間は忌まわしい光景が薄れる。

それだけのために、彼女は菓子を喰らっていた。

 

「……ちくしょう」

 

そう吐き捨て、取り出した菓子袋に裂け目を入れた。

その時だった。

 

鼓膜が足音を捉え、精神が気配を感じ取ったのは。

接近に気付くのが遅れたのは、摂取に心血を注いでいたためだった。

 

かつては無数の椅子が並んでいたそこは、今はもう何もない。

なので、とてもよく見えた。

彼女の領域に、侵入してきたものの姿が。

 

「なんだ、先客かよ」

 

女の声だった。

少なくとも、彼女はそう判断した。

 

「ガキが出歩く時間じゃねぇだろうに。全くよ」

 

小さな囁きだったが、彼女にはよく聴こえていた。

最初の二文字に、「かちん」ときていた。

天井付近の割れかけたステンドグラスが浴びる月光によって、

深夜にも関わらず建物の内部には光があった。

少女が立つ場所から声の主が立つ建物の入り口までを、月の光が繋いでいた。

 

互いの姿が、互いの網膜に浮かび上がる。

 

緑のパーカーと、青色のジャケット。

方や黒、方や赤のアンダーシャツ。

青味が強めのホットパンツ、くすんだ白色のカーゴパンツ。

色の違いこそあれ、構成している服の種類はよく似ていた。

 

そして気付いた。

互いに。

恐らくは、同時に。

互いの顔と、髪の色を見たときに。

 

「…てめぇ」

「テメェ…」

 

お前、ではなく「手前」ときた。

敵対心と挑発のためか。

 

互いに互いの顔と姿を、品定めのように眺めている。

この後に、恐らくは起こるそれのために。

 

「……実はな」

 

少女で無い方が口を開いた。

 

「色々と聞きてえことがある」

「…へぇ」

 

『何だ?』ではない。

拒絶の意に他ならない。

 

「悪いが協力願えねぇか?」

「嫌だね」

 

即答だった。

彼もそれは予測はしていた。

互いに、相手をまともな奴とは思っていない。

 

「それより、テメェは何者だ?」

 

今度は少女が問うた。

威圧感の溢れる声色だった。

 

「どうやって生き残ったんだ?っていうか…どこから涌いてきた?」

「そいつは俺も知りてぇんだ」

「…へぇ」

 

面倒そうだ、という思いが少女の胸中で渦巻きはじめていた。

こういう事は、稀にあるらしい。

一種の記憶障害という形で。

それを教えてくれた者を思い出し、更に不快な気分になった。

 

「ついでに、てめぇらが何者なのかもなぁ」

 

豊かな黒髪の奥で、渦巻く瞳が少女を捉えていた。

恐ろしいほどの、ギラついた光を湛えた眼光であった。

 

「…そうか」

 

一瞬だけ、その光に少女が戸惑う。

だが、それだけだ。

少女もまた、数多の修羅場を潜り抜けていた。

 

「なら丁度良い。そいつにゃ先に応えてやるよ」

 

言いつつ、距離を詰めていく。

 

「そうだねぇ…どっから話そうか…」

 

ゆったりとした足取りをしつつ、着実に。

 

「まずは…あたしは……」

 

言いかけと、紅の炸裂は同時だった。

両者の間に閃光が走る。

閃光は実体を持っていた。

 

人間の眼には光として映るそれを、彼女だけが己の得物であると認識出来ていた。

そのはずだった。

 

「…何だ?『あたしは』の続きを言いな」

 

槍が、心臓まであと数センチというところで先端を停止させられていた。

しなやかな五指が、槍を握り締めている。

 

「まさか、これで本気じゃねぇだろうな?」

 

相手が挑発をしている事は分かっている。

だが、見透かすような言葉に、少女の心に火が灯る。

 

「……うぜぇ」

 

憎悪と言う名の炎が心中で産声を上げ、拒絶の意志が渦を巻く。

戒めを強引に払い、槍を「縮めて」暴風の様に振り回す。

彼女なりの威嚇行為だった。

 

槍の長さは、刃を含めて二メートルを優に越す。

軽く握ればへし折れそうな細腕で軽々と振り回した彼女に対し、

相手は敵対心以外の感情を覚えたが、戦いの熱気がそれを打ち消した。

少女の実力は、彼の予想を越えているようだった。

 

「超うぜぇ!!この…」

 

胸中から込み上げる感情を言葉にして、少女は叫んだ。

 

「この『クソガキ』がぁ!!!」

 

 

叫びを構成する言葉が表す通りだった。

少女と対峙する黒髪の人物は、「少年」の姿をしていた。

 

破壊されて穢された、神の家たる教会の中央で。

廃墟にて、紅髪の少女は黒髪の少年へと襲い掛かった。

それは月光を浴びて輝く、紅色の美しい獣のようだった。

 

 

 

 




ここまでで。
この作品では廃墟住まいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ4 激突

少し遅れましたが、続きです。


「へぇ…」

 

叩き付けた槍から伝わる感触に、少女はそう漏らした。

 

「ただの人間がこれを止めるかい」

 

真紅眼には彼女の予想とは異なるものが映っていた。

先程の倍の力を込めた一撃は少年の頭を打ち据え、床に叩き伏せさせるはずだった。

それが、ゆらめく炎のような黒髪の手前で停止させられていた。

二本の手が槍の腹を挟み、進行を阻止していた。

 

「なら、てめぇは何だ?」

 

今度は少年が問う。

外見以上の幼さを印象付けるの声色だった。

言った本人の表情には、童顔を汚すような苦々しさが張り付いている。

 

「まるで自分は違うって言い方するじゃねえか」

 

そこで少女は少し驚いた。

少年の力が、槍を押し返し始めたのである。

 

「俺には人間のガキにしか見えねぇんだがよ」

 

眉間に小さな皺を刻みつつ、少女は少年の言葉を聞く。

人間という言葉がどこか、何故かは知らないが懐かしかった。

だがそれを押し潰し、怒りを沸き上がらせる。

生意気だ、と。

 

「…それがテメェの本気かい?」

 

力を込めつつ、少女は八重歯をちらつかせて嘲う。

同時に、睨み合う両者の顔に紅の光が這った。

それは、少女の胸に飾られた紅の宝石より出でていた。

 

少女の力に呼応するように、紅は輝きを増していく。

加算されていく力によって、押されていた槍が拮抗に戻る。

拮抗はやがて浸食に移り、少年をじりじりと追いやっていく。

両手を用いる少年に対し少女が己の槍に携えているのは、か細い右手のみであった。

 

「オラァ!!!」

 

怒号を挙げて少女が槍を横一文字に凪ぐ。

胸元に穂先を僅かに掠めさせつつ、少年は背後に跳んだ。

傍目にはどう見ても弾き飛ばされたようにしか見えなかったが、

飛ばした本人は「かわされた」と思っていた。

 

「へぇ、中々動けるじゃんか。何か習い事でもやってるのか?」

 

そう聞いたものの、まともな答えを期待してはいなかった。

どう考えても、正体は分かりきっている。

製法は知ったことではないが、自分を嫌うどこぞの連中が送り込んだ刺客だろうと。

そうでもしなければ、あの異常な腕力が成立する筈がない。

 

「ちと空手をね」

 

先程まで槍に触れていた手を二度三度と開閉させつつ、少年が返した。

折り曲げられるたびに、指の関節から岩を砕くような音が生じていた。

 

「…ふぅん、お習い事の戦いごっこか。

お気楽でいいよねえ。あたしらからすりゃ、あんなのはくだらねぇダンスさ」

 

心底バカにしたという様子で、挑発の意を込めて少女は言う。

こうすれば恐らく逆上して向かって来るか、或いはビビって動けなくなると踏んでいた。

返ってきたものは、そのどちらでも無かった。

 

「ああ」

 

予想もしない、同意の一言。

 

「俺もそう思ってた。だいぶ昔の事だけどよ」

 

空いた距離は約十メートル。

距離を挟んで見えた少年の顔には、不敵な笑みが貼り付いていた。

そこには少なくともその時には、多少の皮肉っぽさはあれど、微塵の怒りも無かった。

ただ、同意を表していただけだった。

純粋に驚き、どう反応すべきか少女は迷った。

迷った結果、最も楽な感情の発露に至らせるに決めた。

それは無論、怒りであった。

 

「……うざってぇ!!」

「あん?」

「うぜぇうぜえ!!テメェ、超うぜぇ!!!」

 

少女は一気に距離を詰め、槍の連打を少年に見舞う。

 

「どうしたクソガキ!あたしから情報吐かせてぇんだろ!?

ならもっと気合い入れやがれ!」

 

少女は真紅の暴風と化し、少年を更に後退させていく。

だが突きの際、少女は槍の先端から違和感を感じた。

切っ先が、狙いを定めた場所の僅かに隣に逸れている。

注視すれば、伸ばし切られる槍の穂に細い五指が一瞬であったが触れていた。

それに、柄からは微細な振動も伝わってくる。

信じがたいことに少年は槍の穂や柄を叩き、軌道を逸らしているのだった。

それにより生じた隙間を利用し回避行動を行うことで、彼は真紅の暴風をいなしていた。

 

少女の脳裏に不気味な感覚が霞む。

どうもこれは生半可な力を与えられたものでも、操られているものでもない。

持って生まれたもの、或いは鍛錬により身についた技量、

そうであるとしか思えなかった。

 

だが、限界はあった。

彼が人間の範疇を越えているような技量と腕力があったとしても、

少女は更にそれを上回っていた。

胸の宝玉が更に輝き、力を増した暴風が吹き荒れる。

回避や受け流しだけでは捌ききれず、掠めた個所からは鮮血が散った。

少年がちらりと向いた背後に、汚濁によって染みの出来た壁面があった。

もう背後には下がれない。

取るべき手段は横への退避か前進か。

悩む暇も気もなく、彼は後者を選択した。

ただし、

 

「…くそったれ」

 

と苦々しく呟きながら。

少女が踏み込み鋭い一撃を放った刹那、月光に映えた影は一つとなっていた。

 

重なったシルエットの内側で、少年の腕が少女の鳩尾に吸い込まれていた。

比喩ではない。

少女の柔らかい肉が、少年の右手に絡みついている。

奥に食い込む肉に巻き込まれた細い肋骨が砕ける感触がした。

 

前から後ろへと衝撃が突き抜け、少女の華奢な肉体が宙に舞う。

ポニーテールの紅の長髪が少女の動きによって、獣尾のように妖しく靡いていた。

 

掌底突きを放った少年の手には、柔肉を抉った感覚があった。

闘志以外の、嫌悪感にも似たものが少年の脳髄を焼いたが、同時に疑問も湧いた。

"引き抜き際"に、妙な感触があった。

肉に腕を追い出されるような、抉れた肉同士が即座に繋がっていくような。

 

「… んなもん……大して効かねぇよ。あたしらを…「魔法少女」を舐めんじゃねえ」

 

音もなく着地し、彼女が呟くように言う。

嘲りが七、強がりが三といった声色であった。

確かな激痛が、少女の感覚を蝕んでいた。

 

「……………魔法…………………少、女……?」

 

言葉を舌で転がすように少年は呟く。

意味を思い出そうとするような、そんな言い方だった。

彼にとって、未知の単語に過ぎていたらしい。

 

「ボサッとしてんじゃねえ!!」

 

再び、槍の暴風が少年を襲う。

頭の中に生じたノイズを打ち砕き、少年は迎撃に移る。

但し、攻めに転じるほどの隙間は存在せず、防戦一方となっていた。

 

「はっ、段々キツくなってきたかい?」

 

既に少年に与えられたダメージは回復したらしい。

対する少年には疲労が蓄積してきたか、動きが少しずつ鈍くなっている。

 

「こっちの攻撃はそれなりに受けれる。ま、そこそこ大したものだと思うよ」

 

少年の肩と脇腹に槍を掠めさせ、歪んだ笑顔で少女は続ける。

 

「でも、もういいだろ?勝てっこないって自分でも分かってるんだろ?」

 

これは彼女なりの勧告だった。

自分が疲れてきたというためもある。

先程の損傷は癒えたとは言え、あんなのをもう何発も喰らうのは御免だと。

そして、確認するように少年の眼を見据える。

そうやって睨みを利かせてやれば、二度と現れないだろうと思いつつ。

 

「……何だよ」

 

明らかな動揺を、少女は浮かべた。

 

「何だよ。その眼は」

 

新しい服のそこかしらに傷を作り、人間を越えた力を受け続けたために

幾つもの痣を両手に刻みながらも、 その眼は戦意と生命力に満ちていた。

むしろ、ぎらついた光は力を増している。

 

彼女の感覚は、そう捉えていた。

それを、少女は不気味に感じていた。

 

「あ?眼がどうしたって?」

 

対する少年に少女の意図は伝わっていなかった。

 

「テメェ、ホントに普通じゃねぇらしいな」

「てめぇもガキのくせにやるじゃねえか。少し効いたぜ」

 

無理を通して余裕を見せる姿に、腹が立つ。

脳髄が怒煮え繰り返る。

少年が持つ、何かに対して。

 

「あぁ、そうかい」

 

少女が槍の構えを解き、手を離す。

すると途端に、槍の輪郭が光に包まれた。

床に触れる前に、槍は細かな光の粒となって消滅していた。

 

「それが魔法ってやつか」

 

少しだけ驚いた、というような口調だった。

どこか、そういう現象に慣れている風があった。

先刻の、私服から戦衣への変化にもあまり驚いた様子は見られていなかった。

なら、これはどうだと、彼女は思った。

 

「あぁ。こいつもな」

 

少年の右頬を掠め、背後の空間から何かが突き出た。

赤い菱形を幾つもの繋ぎ会わせた鎖、とでも呼べそうな物体だった。

それが次々と出現し、少年の左右、上部を埋め尽くしていく。

あっという間に、少年の周囲に紅の檻が構築された。

 

「アミコミ・ケッカイ…っと」

 

コツリ、コツリと足音を立て、少女が檻に囲まれた少年に歩み寄る。

少年が肘鉄を檻に打ち込む。

彼女の言葉を借りればの「編み込まれた結界」は、

たゆみはしたものの割れはしなかった。

 

少年の逃げ場は無くなった。

だが彼は、少なくとも外見上は特に恐れた様子を見せず、たゆんだそれを眺めていた。

 

その様子もまた、彼女を苛つかせた。

何故、心が折れないのかと。

何故、ここまでやられておいて、どこか愉しげなのかと。

 

「そうか」

 

諦めたような口調だった。

自身の内で何かが急速に冷えていくのを、彼女は感じていた。

少年は、彼女の胸で輝く光の変化に気が付いた。

 

「もう、やっちまうしかねぇみてえだな」

 

呟きと同時に、少女が距離を一気に詰める。

眼前、全くその通りに、少女が少年の前にいた。

豊かな頭髪ごと、少年の頭を細い指が締め上げるようにして掴む。

何をするのかを察したのか、彼は奥歯を噛み締めた。

 

「地獄を、見やがれ!!!」

 

自らの記憶にこびりつく「地獄」の記憶を思念と化させて、

少女が少年に頭突きを見舞った。

肉体ではなく、心を壊すための一撃だった。

 

直後、肉と骨がかち合う激しい音が鳴った。

少女の僅かな膨らみを見せた胸に飾られた、

これもまた真紅の宝石には、汚泥のような濁りが産まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

破壊された壁面から入り込んだ夜風が、少女の額を撫で上げる。

肌より下の肉の色を露出させた、小さな額に冷気が宿る。

 

「…くぁ……ぁ…」

 

苦鳴をこぼしつつ、少女が細い身体をよじらせる。

その姿は普段の服装、やや薄汚れてきた私服へと戻っていた。

 

苦痛に歪む顔に一筋の光が差す。

胸に飾られていた宝石と同じ色が、握られた手の内側から溢れている。

同時に額の傷の近くで、同色の燐光が湧き上がる。

 

蛍のように宙を揺らめき、鬼火のように輝くそれが傷口に触れた途端に、傷口が閉じた。

肉の裂け目の痕跡など、毛筋ほども残っていない。

 

出血は大したものではなく、また痛みも傷の消失と同時に消えた。

些細な量だが、流れ出た血液も補充されている。

外的な傷は、一瞬で完璧に修復されていた。

確かに、外側のものは。

 

「…ぁあ……うぅ………」

 

少女の苦痛は終わらなかった。

目は血走り、口腔からは唾液が止めどなく溢れている。

 

それらを垂らすまいと、右手の細い指達が口元を押さえる。

隙間から溢れる唾液を、彼女は必死になって啜った。

 

「……テメェ……」

 

気力を振り絞り、仰向けに倒れた少年を睨みながら少女が叫ぶように呟く。

粘つくような涙によって視界は歪み、

止めどなく涌き上がる吐き気によって意識が混濁していた。

 

 

視界と意識が途切れ途切れに交差し、現実と夢想が入れ替わるような感覚さえした。

その度に生じる、生きたまま脳を切り分けられるような痛みもまた、

彼女の意識を苛んでいく。

 

だが皮肉なことに、吐き気と頭痛が彼女の正気を保っていた。

精神を繋ぎ止める役割を、無数の苦痛が果たしている。

 

「……何…………を………」

 

押さえた右手の隙間からどろっとした唾液が滲み出し、

喉に絡まり、少女が激しく咳き込む。

濃縮された酸の匂いが鼻孔を突き、少女の顔を歪ませる。

細指が喉から上がってきた半固形物の感触を捉えると、彼女はそれを必死に呑み込んだ。

腐敗に近い臭気に抗い、再び体内に押し込ませる。

 

「くぁ…………あ、あたしに…………何を…………」

 

睨みながら、少女は床を這いずる。

少年とは別の方向へと。

それは、汚染からの退避だった。

肉体ではなく魂が、無理矢理に体を動かしていた。

 

「……み、せ…」

 

視線を外そうとした彼女の両目が限界近くまで見開かれる。

紅の瞳には、仰向けになった少年が、ゆっくりと上体を起こしている様が映っていた。

だらりと上半身をうなだらせ、細い左手が頭を軽く擦る。

彼の指先で、何かが砕けた。

塵のように砕け床面に落ちたのは、乾燥した血液だった。

彼もまた、額を割られていたようだ。

 

「…痛ぇ」

 

一呼吸置いて、多少ふらつきながらも立ち上がる。

当然、少年が少女を見下ろし、そちらは逆に見上げる形となる。

その姿に、少女の背筋が凍てついた。

 

月光が、闇の中に少年の姿を浮かび上がらせる。

細い四肢も胴にも、蒼白い光が映えている。

その中で、光の中で。

顔だけが、異様に暗い。

 

僅かな光の加減か、それとも意識が乱れているためか。

塗り潰されたかのように、若しくは闇で出来ているように、

少年は顔に暗澹たる翳りを宿していた。

 

その中で眼だけが、あのぎらついた光を帯びて爛々と輝いている。

それが、床を這いずる少女を見下ろしている。

 

右手がすっと伸び、少女の襟首のやや下を荒々しく掴み取る。

やや伸びていたパーカーに、少女の身体が吊るされた。

 

間髪入れずにその手首を、少女の細指が握り返す。

 

「…さ……わる……な……」

 

最早人外の力は奮えず、弱った少女の腕力となっている。

それでも必死に力を込めた。

自らが自壊せんばかりの力が細指の全てに込められる。

だが少女の力では、何の影響も与えられなかった。

僅かに、皮膚と骨との間を詰めたのみだった。

 

気にせず、彼は少女を引き摺っていく。

三歩ほど進んだ所で、少年が動きを止めた。

暗闇を宿した顔で輝く眼が、下方に向けられていた。

 

「腹壊すぞ」

 

少年の眼には、少女の後頭部が映っていた。

髪留めを兼ねた黒いリボンは、猫の耳に良く似ていた。

そして彼女は、彼の手に絡むように身を捻っていた。

彼の視界から隠れた箇所からは、

 

がり、ごりっ、ぶちっ

 

と、おぞましい音が鳴っていた。

鳴り続けていた。

 

肉が貫かれ、擂り潰される感覚が、そこから断続的に発生している。

人間の牙に当たる犬歯は、骨にまで達していた。

当然、そこからは生者の証たる血液が溢れ出し、

胃酸と唾液で穢れた彼女の口元を更に汚していく。

その様子は、獲物に喰らい付いた鰐のようだった。

或いは、人の姿をした紅色の巨大な猫か。

 

だが少年は再び歩き出した。

その歩調は、先程よりも早い。

寧ろ運搬物が固定されたのは、彼にとって都合が良かった。

 

「おい、着いたぞ」

 

不意に投げ掛けられた言葉に、少女の顎の力が緩む。

弛緩した一瞬を見計らい、彼は少女の身体を宙に放った。

投擲により、少女の牙が傷口からずるりと抜ける。

血液と唾液の糸が僅かな間、両者を結んでいた。

 

埃を巻き上げて、少女の身体が闇中に沈む。

祭壇の中央の、傷だらけの説教台の背後に、

隠れるようにして黒い合成皮のソファが設置されていた。

 

どこからか拾われてきたらしいそれは所々が破れ、スポンジと木片を晒している。

これが少女の寝蔵なのか、よく見れば食料品のゴミが周囲に堆積していた。

 

「……ぁぁ……ぅ…………」

 

多少なりとも落ち着いたのか、少女の鼓動が和らいでいく。

 

左手で手首を押さえ、少年は天井を見上げた。

正確には祭壇の頂きを。

 

天井の背骨である柱には、何かが擦れた跡があった。

歯形状に抉れた右手首に、何処からか取り出した包帯を巻き付けながら祭壇を降りていく。

純白の帯が見るみる内に赤に染まり、どす黒い色へと変わっていく。

 

歯を軋ませ、包帯を思い切りの力で絞る。

少し細くなった手首に更に包帯を巻いていく。

巻きつつ、二度と、三度と手を開閉させる。

手は主に従う動きをしたが、当の本人には不満げな表情が浮かんでいた。

 

「弱ぇ。それに、遅ぇ」

 

痛いではなく、弱く、遅いときた。

ため息ではなく憤りの鼻息を一つ小さく出して、彼は歩を進めた。

 

祭壇を降りきって暫く経った所で彼は停まった。

踏み降ろしかけた足が、床から数センチのところで停止している。

黒曜の瞳が、そこを見つめている。

 

床の場所と、そこに広がる僅かな色の違いに彼は気が付いた。

 

その傍らにも眼を這わせる。

"ぶつけられた"ものの正体に、彼は気付いた。

 

宙吊りの男、血に塗れて倒れる二人の女。

 

内の一人は、少女にも至らない、ほんの幼子。

それらの顔付きまで、あの一撃は教えてくれた。

彼と彼女らの外見的な特徴は、彼に傷を与えた少女にも備っていた。

 

「地獄か」

 

重々しく、その言葉を飲み干すように、彼は呟いた。

幻とでも言うように、脳内で広がる景色。

それには、赤い靄がかかっていた。

血のような霧が、地獄の幻影を彩っている。

 

彼女の言うところの【地獄】に対し、

唇を僅かに震わせて半ばまで開きつつも、遂には声にせず。

言葉になるはずだった空気を飲み干す。

 

その時の彼の眼は、宙吊りの神父の幻視へと向けられていた。

鋭さを増した眼に宿る感情が何かは、彼にしか分からない。

 

眼を進路上へと戻し、再び歩く。

その足取りは、今までよりも僅かに重い。

重々しく、自身の内側で沸き上がる物を潰すように、ゆっくりと歩いていく。

手首の出血や損傷など意に介さず。

苦痛や流血など、彼が歩を止める理由にはならない。

 

「邪魔したな」

 

振り返り、捧げられた贄の如く横たわる少女に、少年はそう告げた。

彼のいる場所は既に、教会の出口のすぐ側だった。

 

「あばよ」

 

妙に律儀なところがあるのか、別れの言葉を残した。

少なくとも、皮肉によるものではなかった。

 

その一言を拾い終えると、少女は意識を失った。

少女の手中には濃い藍色に濁った、紅の宝石があった。

丸い卵型をした宝石に、檻のような装飾が這っている。

 

苦痛が未だに続いているのか、少女の身体が震えた。

時折痙攣し、彼女を横たえらせるソファもまた揺れる。

それによってか、何かがソファより転がり落ちた。

 

床に落ちて、木面へと突き刺さる。

それは、黒色の卵だった。

 

頂点と直下に一本ずつ、針の様な突起が生え、

表面には、幾何学的な模様が刻まれている。

それでいて、どこか生物的な外見を備えていた。

模様は、浮き上がった血管にも似ていた。

 

そこに、また一つ。

また、もう一つ。

そして、また。

更に、そして、そして、更に、また。

 

それぞれが微妙に異なる細部を持った、大量の黒い卵が落ちてきた。

 

それらが、風も無く震えた。

それを機に、異変が始まった。

落ちてきた物から、順番に。

 

ただ、これを異変と表すのには語弊があった。

これが卵とすれば、至極自然な現象と言えるためである。

 

黒の一辺に、亀裂が走る。

 

闇色の欠片が、次々と弾け飛ぶ。

 

その内より、闇よりも濃い何かが外側を覗いた。

 

卵の自壊とは、孵化であることに他ならない。

 

少女の宝石は、闇の卵によく似ていた。

紅を穢す色もまた、卵が宿した闇に近い。

 

 

 

 

 




余談ですが、そろそろ新作映像が観たいものです(両方の元ネタに対して)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ5 開幕

サブタイの番号とタイトルが微妙に矛盾していると思いますが、お許しください。








「……朝、か…」

 

何に依るものとなく、少女は眼を醒ました。

朝に起きるなど久しぶりのことだった。

普通なら再び寝入りに戻るが、今日はもう眠る気はしなかった。

 

眠りに堕ちる前の事を、朧気に思い出す。

真っ先に思い出したのは激突の瞬間に見た、あの不快な幻想風景。

一気に意識が覚醒した。

朧のおの字など、即座にどこかに消え去った。

そして、それをすぐに打ち砕く。

意識の外へと追い出し、それに関する思考を遮断した。

精神を統一し、大きく深呼吸を繰り返す。

辛うじて、短時間の激しい動悸と多量の発汗だけで済んだ。

二番目にきたのは、噛み裂いた肉と溢れ出した血の香り。

 

生理的な嫌悪感が浮かんだが、あの頭痛と吐き気に比べれば大分ましだった。

それのお陰で、彼女は耐えられた。

そう思いつつ、左手を開いた。

手の中央から、紅の光が生じた。

 

「…ま、夢じゃねぇか」

 

檻を纏った宝石の内に、どんよりとした濁りが生じていた。

色は紫や藍ともつかない色が紅の下で渦巻いている。

渦巻き具合によって色は変質し、彼女の髪の色に酷似した紅を穢していく。

濃度の関係か、部分的にはどす黒い色を見せていた。

少女は、背筋がうすら寒くなるのを感じた。

まるで自分の臓物を見ているような気分だった。

 

「……」

 

ゆっくりと背筋を伸ばし、右に左にと首を傾げさせ、頸をこきこきと鳴らす。

鳴らしつつ左右の襟首を見ると、やや茶色の変色が見えた。

着用を続けて四日目。

度重なる激しい発汗の影響もあり、少し垢染みていた。

下着も纏われてから三日目に入っている。

流石に皮膚が不快感を覚え始めてきていた。

 

「めんどいけど、後で洗うか」

 

着替えるという発想がないということは、つまりはそういうことである。

上着のポケットに手を突っ込み、ごそごそと内部を漁る。

指先から伝わる感触に、少女は両目を見開いた。

 

ポケットの奥を摘まんで、外側に引くと、内容物が溢れ出した。

宙に待って落ちたのは菓子の空袋、小銭、使用済みのティッシュと糸屑。

それだけだった。

 

「!」

 

今度は片方を試す。

ほぼ同じだった。

慌ててソファから降りて、床との隙間を見る。

ゴミの堆積と埃のゆらめきが、その空間を埋めていた。

 

「おい…ふざけんな!」

 

ゴミをかき分け、埃を巻き上げて少女は床を漁る。

赤い目は焦燥感に満ち、顔には脂汗が浮いていた。

腐った汁の臭いが立ち込め、埃が顔に貼り付きつつも、少女は漁り続けた。

空になった袋の中にも手を突っ込み、徹底的に探していく。

 

十分ほど経過し手の先を汚しきり、息が切れ始めたところで少女は動きを止めた。

床に尻を着かせ、肩で息をしていた。

 

「あの野郎……」

 

ぎりぎりと歯を軋ませて、呪詛を込めて呟いた。

まだ確証は無いが、それ以外に原因は考えられなかった。

顔の埃と汗を裾で拭い、手の汚れも上着で拭う。

 

汚れが増えたが、構うこともない。

今更、他人からどう思われようが知ったことではない。

そして自分の生存を阻む者は、誰であろうと絶対に許す積りは無い。

 

憎悪に燃える中、まずは力を付けることが急務と決めた。

菓子の残りを思い出す。

確か、まだ半分は残っていたはずだった。

 

「喰ったら街に行こう。野郎を探して、締め上げてやる」

 

大きく息を吐いて、それよりも多くの息を吸う。

立ち止まっている時間は少女には無かった。

弱音を吐く暇も聞かせる相手もいない。

そして、吐く気も無い。

 

「盗られたのなら、奪い返してやる」

 

そう心に決めて、両足に力を込めて立ち上がる。

至る所に出来た破損箇所より侵入した光が、直立した少女を照らす。

体表に映える温度が、湯船に浮かんだ時の様な気持ち良さを彼女に与えた。

思わず、光が自分に力を与えているような気さえした。

 

「はっ、アホか」

 

誰が祝福なぞしてくれるというのか。

祝福を与えるものの存在など、彼女はとうに信じていなかった。

今の感情は気の迷いと、自分に言い聞かせる。

 

鋭い刃の様な眼を作り、世界を睨む。

これまでそうして生きてきた。

少なくとも、この生活を始めてからは。

その睨みが、困惑により丸みを帯びた。

視界に飛び込んできたものの為に。

 

「よぉ」

 

それは、少女に語りかけてきた。

祭壇の麓に、それはいた。

 

「…何時からいた?」

 

粘ついた唾液を飲み干しながら、少女が問う。

危機感よりも、羞恥が強い。

独り言をしていたという自覚は、孤独な少女にも残っていた。

 

「ワリと」

 

追及の面倒な返答だった。

困惑の眼を鋭角に変えて、少女は睨みを利かせる。

あの、クソガキと呼んだ少年を。

 

「何しに来やがった」

「様子見だ。なんつうか、ガキに死なれるのは寝覚めが悪ぃ」

 

自嘲気味に言いつつ、少年は答えた。

戦闘力の差を考えれば、人間が猛獣の檻に入るに等しい。

我ながら馬鹿なことをしていると、少し思っている風だった。

 

「ま、元気そうだな。ちと寝過ぎだけどよ」

 

少女は怪訝な表情を浮かべて、外の風景を流し目で見る。

無論、警戒は解かずに目だけをちらりと動かして。

そして、気付いた。

 

「……夕方か」

 

外の世界からの光は、白よりもオレンジの色を帯びていた。

また、小鳥の囀ずりではなく、烏どもの叫び声に似た鳴き声が聴こえていた。

敷地内に巣があるのか、その音は極めて大きかった。

 

「寝てる間、あたしに何かしたか?」

「ガキに欲情する趣味はねぇよ」

 

鋭い眼で睨まれつつ、ため息を一つしてから彼は答えた。

年相応の童顔は嫌悪感に歪められていた。

その言葉と表情の表す通り、"ガキ"と呼ぶべきものに対して、そういう感情は持たないらしい。

 

「テメェもガキだろが」

「………まぁな」

 

嫌々、という風に少年は返した。

その様子に、少女は僅かに警戒を弱めた。

親しみが湧いたのではなく、「こいつ馬鹿だな」と見下せたからである。

 

「やっと認めたかい。ワケ分からねぇ言葉なんか使いやがって。それで大人にでもなったつもりかよ」

 

尚、ワケ分からねぇ言葉とは"欲情"という単語である。

 

「にしても昨日はやってくれたじゃねえか。あたしのハラを殴りやがって」

「悪いな。女のガキを相手にするのは、流石に慣れてねぇもんでよ」

「それで言い訳のつもり?ホントにクソガキだな」

 

顔は平静を保てていたが、内心は穏やかではなかった。

あの一撃により、少なくとも何本かの肋骨が割れた。

 

割れた骨が刃となって肉を裂いた。

肉は即座に盛り上がり、骨の割れ目も繋がったものの、紛れもない重傷だった。

普通の時なら危なかったかもしれない。

しかも、それは素手による攻撃で遂げられていた。

少年の姿をした"これ"はやはり、異常な存在であるのは間違いない。

 

「(…やっちまうか?)」

 

二十時間程前の戦闘を思い返す。

身を変えるよりは非力だが今のままでも、ちょっとした心積もりさえすれば、

大の男の十や二十は片手で軽く捻ってしまえる。

それを踏まえた上での戦力の比較は、忌々しくも危険であると出た。

 

何せ、少年は戦うための姿となった自分と、ある程度まで戦えていたのだ。

しかも力の源たる宝石は、今は不気味に変色している。

意識してしまったためか、腹部に鈍痛が生じた。

幻の痛みに、思わず小さな呻き声が零れた。

対する少年はそれを見て、

 

「大丈夫か?」

 

と、割と真面目な声色で訊いていた。

相手の真意はともかくとして、彼女は嘲笑われたものだと受け取っていた。

他人に気にされるという事は彼女にとって、余りにも久々に過ぎていた。

 

「うるせぇ。つうか、テメェは何者なんだよ」

 

改めて、少女は少年を観察した。

幼い顔つきのせいか、彼の顔は男というより女に近い。

雰囲気と服装で察しなければ、性別を誤認する可能性すらあった。

それでも同類特有の力の波形は感じられず、とりあえずは自分の同類ではないと思った。

 

「見て分からねぇのか?人間に決まってるだろ」

 

まただ。

と、彼女は思った。

人間という言葉が、妙に、無性に引っ掛かる。

そして彼の言葉には何故か、説得力と言うべきものがあった。

だがそれでも、とてもじゃないが普通の人間には思えなかったが。

 

そこについては、カラテとやらの仕業だろうと自分を納得させていた。

自分でも無茶な言い訳だと思っていたが、この際、それは利用できると。

あの力は、そうするだけに値する。

そして利用出来るものは何がなんでもしなければならない状況に

陥っていると思っていた。

 

「テメェさ、あたしらの正体が知りたいって言ってたよな?」

 

少し考え、彼女は言葉を切り出した。

心中とは真逆の、にやっとした、挑発的な表情を演じつつ。

 

「ああ」

 

彼も応えた。

口調に、苦々しい色がへばり着いている。

己に向けられた笑みから、少女の企みを察しているらしい。

 

「ついでに、何で自分がここにいるのかも分からねえんだろ?」

「あぁ。そうだ」

 

隠しもせず、少年は吐き捨てるように言った。

強がりは出来るが、感情を隠すのは余り得意では無い様だ。

彼の黒眼には、理不尽さへの怒りがあった。

 

「じゃあ、あたしの仕事を手伝いな」

「…新聞配達か?」

 

誇張なしに、思わず身体が弛緩し、崩れ落ちそうになった。

仕事という言い方が不味かったと反省しつつ、脳内に構築した、

ゲーム風なステータス表に『こいつはクソバカヤロウ』を追加した。

 

「狩りだよ」

 

その単語に、少年は眉を細ませた。

 

「狩りか」

 

ぽつり、といった具合に少年は呟いた。

怯えていると、少女は思った。

その様子に満足げなものを感じつつ、少女は続けた。

 

「ああ、魔女狩りだ。テメェも見てただろ?あいつらをブッ殺すのさ」

「マジョ?」

 

"魔女"という単語に首を傾げる。

発音がおかしいのは、その言葉の意味が知識に刻まれていないためだろう。

 

「少ししか見えなかったけど、あの妖怪か?」

「妖怪……まぁ、そんなところだ。あたしらが生きるために必要なのさ」

 

沈黙はやはり怯えであると、彼女は思った。

やっぱりガキだと思った刹那、それは変質した。

渦巻く瞳が輝いているのが見えた。

瞳を通して顕れている感情の成分は、闘志と歓喜。

そして、怒りだった。

 

それを見て、背筋が冷えた。

否、凍えるのを感じていた。

背骨を基点に、内側に氷を通されたような感覚だった。

一度似たような経験をしたので、よく覚えている。

だが、それは物理的な凍結のためだった。

これは、それとは違う。

恐怖によるものだということは、すぐに気が付いた。

 

「ちょっと危険だけどさ」

 

だがそれを更なる感情を以て、その冷気を断ち切った。

炎の様に燃え上がる、彼女の本能とでも言うべき闘志である。

それを、眼前の少年の姿を燃やし尽くすような幻像を抱いて湧きあがらせる。

 

「奴らを切り刻むのは愉しいよ」

幼い顔に凶悪な表情を作り、睨むように少年を見る。

あちらも、少女と似たような表情だった。

 

「(面倒なモン拾っちまったな。…ま、連中よりゃ少しはマシか)」

 

心の中でごちたときに、"連中"の姿が目に浮かんだ。

彼女にとって、不愉快な存在だった。

 

「(何が聖者だ。馬鹿か)」

 

奴等と共闘するのなら、満身創痍を引き摺ってでも単身で戦ってやると決めていた。

今は少々というか結構な危機だが、潰しの利きそうなのが目の前にいた。

ならばこの得体の知れない存在を、自分の為に使ってやろうと。

使い潰してでも、餌や盾にしてでも生き延びてやると。

 

「何か言ったか?」

「テメェにゃ関係ねぇよ」

 

クソ真面目な聖者どもへの愚痴が少し漏れていたらしい。

そして、疑いは全く晴れていない。

もしもこいつが盗人なら、その時は徹底的に叩き潰してやると心に誓った。

だが、それより先にすべき事があった。

 

「おいクソガキ。不便だから教えといてやる。いいか、よく聞けよ」

 

少年にも、それが何かの察しが付いた。

出し掛けた反論を飲み込み、少女の言葉を待った。

 

「あたしは杏子。佐倉杏子だ」

 

祭壇の上から少年を見下ろしながら、さながら支配者の如く、少女は言った。

 

「サクラ、キョウコか」

「そうだ。『てめぇ』じゃねえ」

「悪かったな。もっと早くに聞きゃよかった」

「別にいいさ。聞かれた処で教えてなんてやらなかったからな。特別って言ったじゃねえか」

「あぁ、そうかい。ならよ、俺のも聞きな」

 

これが回答とでも言うように、にやついた表情を作り、

杏子は右手を少年に向けて伸ばし、指の先端を軽く歪めた。

「どうぞ」との、挑発を含めた促しだった。

それを受けて、少なくとも外見的には気にした様子を見せず、そのまま、

 

「俺は」

 

と、言い始めた。

だが彼の言葉を、垂直に伸ばされた右掌が止めた。

 

「あぁーー…やっぱり、別にいい」

「…あ?」

 

当然、された方は気分を害していた。

文句の一言を告げようとしていたが、

 

「テメェどうせ、記憶喪失中なんだろ?アテにならねえから自己紹介はいいや」

 

杏子の言葉が割り込み、少年の発言を押し潰した。

ム、とでも言うような苦い顔をして、少年はそれを受け止めた。

彼自身、それを認めているところがあるらしい。

一方、不満気な顔もしている。

「それとはまた違う」と思ってはいる様だが、どう言えばいいのか少し困っている様だった。

 

「だから、呼び名はあたしが決めてやる」

「何が、だからなのかが分からねぇな。俺にもちゃんと名前はあんだよ」

「それが当てにならねぇんだよ、流れ者。黙って…」

 

聞けと繋げる前に、自身が黙っていた。

適当に思い浮かべていた、イヌネコどものような名前を押し退けて、湧いたものがあった。

最後から少し前の一言に、杏子はピンくるものがあった。

同じく、少年もその単語には僅かに反応を示していた。

それなりに凛々しげな眉が、一瞬跳ねていた。

 

「流れ者だから、『ナガレ』なんてどうよ?」

 

その名前は、杏子の口から流れるように出ていた。

何故かは分からないが、ぴったりだと思っていた。

第一、覚えやすいうえに言いやすい。

 

「…………ナガレか」

 

受け取った少年は、しばし沈黙した。

しばし黙って、口元を歪めた。

そこに、敵対や拒絶の色は無かった。

 

「ああ、いいぜ。俺の事はナガレでいい」

 

そうか、ナガレ、ナガレかと。

二度三度と、振られた名前を少年が繰り返す。

一言を言う度に、純粋な笑い声が漏れていた。

喜怒哀楽はあるらしいと、杏子は観察記録として脳裏に刻んだ。

恐らくこいつは魔女の犠牲者で何かしらの影響を受けたのだろうが、

目に見えて気が触れているわけではなさそうだと。

 

「ま、あんたがいいならそれでいいや。良かったな、名前ができて。感謝しろよ」

人間らしい表情を見せたとは言え、まだこの少年が得体の知れないものであることに変わりはない。

主導権を握るために、威圧的に接しようと決めていた。

 

「わぁったよ。『アンコ』」

 

笑いを押さえつつ発せられた返答に用いられたその呼び名に、杏子の肩がびくんと大きく震えた。

 

「………………何?」

 

ジト眼になりながらも、杏子が声を絞り出す。

 

「そうも読めるはずだよな。アンズの杏だろ?」

「…どこで見た?」

「襟首の名札だ。意外と几帳面だな」

 

ニヤっと笑って、ナガレは続ける。

 

「大人しくしてりゃ調子に乗りやがって。名前を言う前のジェスチャーのな、何が『どうぞ』だ」

「うるせぇ!動きまで真似するんじゃねえ!!」

 

ナガレの反撃が始まっていた。

一応、多少の我慢ということは出来るらしい。

それが、例え程度の低いものであっても。

 

「ほぉう。恥ずかしいって自覚はあったのかい」

「だからやめろっつってんだろ!クソガキ!」

 

恥ずかしさに、杏子の顔が紅潮していた。

少なからずそう呼ばれた事がある頃、幼稚園あたりの記憶が呼び起こされていた。

尚、どうぞの下りは彼女自身でも調子に乗っているなと思ってはいたらしい。

それをトレースされたことで、羞恥心を汲み上げられてしまったようだ。

 

「なぁにがクソガキだ!てめぇも大して変わらねぇだろが!この小坊が!」

「あぁっ!?あたしはこれでも十四だっ!テメェこそなんだ?

せいぜい十三くらいにしか見えねぇよ!!このクソガキ!!!」

「ほぉう、俺にゃてめぇがそのくらいにしか思えねぇけどな。 字も汚ったねぇしよ。解読に手間取っちまっただろが」

「テメェッ!いい加減にしねぇとブチのめすぞ!!」

「やる気か!?」

「あぁ!?」

「あ?」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………………………」

「………………………………」

 

 

沈黙が両者の間に降りる。

原因は、第一に相手の戦力の分析。

啖呵を切ったはいいが、自分も無傷では無いだろうとのことによる様子見。

第二は、どう相手を出し抜くかという謀略。

杏子は奇襲を、ナガレはカウンターを選択した。

経験豊富な故に、構えられているという事は杏子にも分かったが、

何をして逆襲してくるのかが分からず、身動きが取れなくなっていた。

ナガレの方もそれは変わらず、「マホウショウジョ」という謎の存在を脅威に感じていた。

骨の二~三本を生け贄にする覚悟を決めて、杏子の挙動を待っていた。

互いに血の気が多い奴だと呆れていた。

だが服のセンスといい煽りのレベルといい、どこかが似ている二人だった。

 

第三に、最後のそれは、ふと湧いてきた空しさと空腹感だった。

何処からともなく、胃袋が餌食を求める音が鳴った。

そっぽを向く杏子、「けっ」と吐き捨てるナガレ。

音の大きさはほぼ同じ。

かなり喧しい音だった。

互いにそれに触れないということは、発生源は二つであるということだ。

端的に言えば、腹の音だった。

 

「まぁ…」

「その、なんだ」

 

ほぼ同タイミングで、二度三度、四度五度と、「どうぞ」の応酬が交わされる。

どういう基準かは定かではないが、最終的にナガレが折れた。

ナガレは悔しげな表情をし、杏子は少し勝ち誇った様子を見せていた。

相手を出し抜いたということらしいが、これは両者にしか分からない。

 

「まぁ、よろしくな。くそ生意気なクソガキのナガレくん」

 

先制で、悪意を込めて言う。

 

「あぁ、こっちこそな。マホウショウジョのアンコさんよ」

 

思い出したのか覚えたのか、ショウジョの部分を強調しつつ、ナガレが迎撃した。

舌戦と呼ぶには余りにも幼い、というよりも幼稚な二人であった。

だが罵倒と皮肉混じりながらとは言えども、確かに両者の結託は交わされた。

 

但し、互いを相手を映した瞳を内包する目付きは刃の如く鋭さを見せ、

互いの間に流れる気配は殺気に近い。

今の(少なくとも、今は)殺気の主な原因は空腹感のためだった。

 

両者の眼が、室内の一点に向けられる。

片方は記憶を辿り、もう片方は嗅覚にてその場所を探り当てた。

昨日、杏子が貪り喰っていた菓子袋だった。

杏子の足元の近くに、祭壇の隅にそれはある。

塩と砂糖と小麦粉と油による構築物の匂いが、両者の胃袋を締め上げた。

 

「言っとくけど、これはあたしのだ」

「何も言ってねぇんだが」

「チョコの欠片も、飴玉もガムも、塩の一粒もやらねえからな」

「…アホくせぇ」

 

吐き捨てて、杏子に背を向けてナガレは歩き出した。

 

「おい!逃げる気か?」

 

逃げる、という部分を強めて杏子がナガレの背中に言葉を突き立てる。

その言葉が嫌いなのか、舌を鳴らしてナガレは首を後ろに傾けた。

あぎとを天に突き上げ、後頭部へと重心を動かした傾げ方だった。

絵としては中々様になってはいたが、頸椎に優しくなさそうな、

独特な角度と軸を用いた振り返り方だった。

 

「うるせぇな。適当に何か買ってくるだけよ。おでんとか焼き鳥とか」

「おでん…焼き鳥…」

 

年不相応なラインナップは兎も角として、それは彼女の食欲を刺激した。

次の瞬間には祭壇の頂から飛び降り、ナガレを飛び越え、彼より三メートルほど前に降り立った。

少女の、それどころか人類の範疇を越えた跳躍であった。

ナガレは僅かに驚いていたが、少女はそれを誇ることもない。

このくらいの肉体強化は、出来て当然なのである。

 

着いてこいとばかりに、杏子は顎をしゃくった。

いつの間にか左手には例の菓子袋が抱えられている。

早速、半ばまで袋を剥かれた甘しょっぱい棒状の菓子をもしゃもしゃとやっている。

ナガレが唾を飲み込む音が彼女には聴こえたが、分けられる数も与える気も無かった。

 

「あたしも行く。逃げられるなんて思うんじゃねーぞ」

 

そして警告の意を込めた一睨みをしてから歩き始めた。

振り向き方は、先程のナガレのそれだった。

 

「ギシンアンキな野郎だな。誰が逃げるか」

 

その歩みにナガレが続く。

その眼は杏子ではなく、「うんまい棒・お好み焼き味」と袋に書かれた菓子に注がれていた。

懐かしいものを見るような視線だった。

 

「どうだかね。なんせテメェはクソガキだし」

「クソガキだからって臆病者とは限らねぇぜ。教えてやろうか?杏子さんよォ」

 

因みに、呼び方は「キョウコ」に戻っていた。

面倒になったのだろう。

 

「さん付けってことは年下だって認めるんだな。やっぱりガキじゃねえか」

「こいつは皮肉で言ってんだ。国語は勉強しときな」

「なぁにがコクゴだ。生意気言ってんじゃねえ」

「どっちがだよ」

「…あ?」

「あぁ?」

 

距離をとりつつ罵りながら、一対となって歩いていった。

教会を出ても、幼稚な悪罵の交差は続いた。

 

厄介者どもが消え失せた教会は、一時の静寂を取り戻していた。

陽は落ち始め、闇が世界に注ぎつつあった。

 

その中で、蠢く影が一つあった。

祭壇の頂の、杏子のソファの皮の破けた手摺の上に、それはいた。

大きさは人間の頭ほど、微塵の埃さえ舞わせずに尾を靡かせていた。

それは遥か遠くの、二人の背中を眺めていた。

血溜まりのような不吉に満ちた赤い眼に映る少年と少女の姿は、まるでその内に囚われているかの様だった。

 

「きゅっぷい」

 

そう一声鳴いて、そいつは闇の中へと消えていった。

 

世界をさまよう者達の戦いは、こうして幕を開けた。

 

 

 

 

 




ぶっちゃける形になりますが、彼の外見は偽書の主人公と同一と思っていただいて大丈夫です。
元ネタ的な風に言えば退化しています。


偽書、再開して欲しいんですけどね…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 魔女

お待たせしました。
やっとですが、第1話です。



「…………」

 

朝の日差しを浴びつつ、流れ者少年のナガレは己を見据えていた。

左手に柄を持たれた丸形の赤い手鏡に映る自分の姿を、食い入るように見つめている。

 

右手がその童顔に恭しく触れた。

指の先端を飾る爪は細く、刻まれた皺も浅く、少ない。

それが、張りと艶で彩られた皮膚を伝う。

触れつつ時折、やや乱暴気味に肉に指を押し込んでいる。

それは、肉の内側で己を構築する骨の固さを診ているということだろうか。

 

「……ええとな。……あーーーーー」

 

少しの沈黙と多少の戸惑いの後に、ナガレは喉を震わせる。

これもまた細めの首で、喉元の隆起は気持ち程度しかない。

吐き出されたのは、女のようなだった。

発声後、数分ほどの硬直があった。

虚無的な表情が、少年の顔に顕れていた。

心なしか、血の気も薄くなったようだった。

 

雪解けか、冷血動物の冬眠の目覚めのごとくゆっくりとした覚醒の後、

手が幾度も顔を這い、眼窩や鼻梁と言った窪みや隆起を撫でていく。

燃え盛る焔や鋭い槍穂の群れの如く攻撃的な様相を呈した毛髪にも手は伸びた。

首と頬にも纏わる豊かな黒髪が、彼の指に絡み付く。

 

先端を弄び、人指し指に絡ませつつ、やや強引にひっ掴む。

そのまま手を左右に捻り、只でさえ揺らめいていたような髪型を更に変形させる。

手首を回し、黒髪に渦を巻いていく。

捻り切るのではないかと思うほど痛め付け、限界と思しき辺りで指を離した。

 

途端に、どの様な力か捻りの加減のせいかは定かでないが、

黒髪が荒波か炎の噴流の如く暴れ狂った。

 

二秒ほど暴れに暴れ、黒髪は動きを止めた。

鏡に映し出されたのは、捻られる前と寸分違わぬ形にトゲを配置した髪型であった。

 

恐ろしい頑丈さ、というよりも可逆性を持った毛髪だった。

髪の毛の一本も切れるどころか、抜け落ちてさえいない。

無節操に見えるトゲの配置も、どうやら法則と呼べるものがあるらしい。

 

次に、と言うよりも今さらと言った順番になるが、今度は顔の形を確認していた。

先程までは骨に対する肉の付き方だったが、今度は見た目の確認といったところで、

鏡に自分の顔を角度を変えて映していた。

 

こればかりは男らしいと思える太めの眉毛と鋭い眼、

年相応でありつつもしっかりとした形の鼻梁など、 美形な要素は多々に見受けられた。

だが当の本人は不満なのか納得しているのか、 その両方が入り交じった様な表情をしていた。

 

対比で言えば不満が勝るが、最終的には認めたところがあるようで、

目を閉じて静かな息を吐いていた。

再び目を開け、また二秒ほど経ち、鏡に映る自分の瞳を眺めながら

 

「やっぱ、俺だよなぁ…コレでも」

 

と、脳内に湧いた感想を呟いていた。

 

その様子を、彼の背後で眺めている、

というよりも呪い殺すような視線で睨み付けている者がいた。

 

「…………」

 

呆れによる疲労感と、ふつふつと沸き上がる、灼熱を宿した感情が彼女の心に渦巻いていた。

行き付けのコインランドリーから戻って来た佐倉杏子は、

呆れを越えた何かの表情で即席の結託者をジト眼で睨み眺めていた。

 

「……なぁ、ブン殴っていいか?」

 

そう思った回数は昨日から数えて、約XX回目に昇っている。

心配というよりは、憐れみが強い。

左手の中指に嵌められた指輪は、あの宝石と同じ色の光を放っていた。

やはりというべきかそれもまた、黒い濁りを宿していた。

 

 

 

 

「なぁ、昨日はどこまで話したっけか?」

「知るか。あたしに聞くんじゃねえ。つうか喋るな息すんな」

 

朝の支度と"運動"を終え、二人は道を歩いていた。

杏子が菓子をポリポリやりつつ先行している。

それに、後頭部の辺りで両手を組んだナガレが続く。

現在の人間関係を顕すが如く三メートルほどの距離が両者を隔てていた。

通学と通勤で多くの人間を抱える歩道も、今は随分と空いていた。

時刻は午前九時三十五分。

学生も会社員も、概ねそれぞれの場所に着いている。

社会から切り離された者達がうろつくには、都合のいい時間だった。

 

昨日はあれからコンビニに行き、教会で晩飯を喰った。

互いに罵倒しあっての道中故に、碌なことになっていなかった。

例えば双方贔屓のコンビニの相違は両者の溝を亀裂に進化させた。

結果で言えば、ナガレが折れた。

要約すれば、腕力が物を言う結果になった。

 

また、具の好みもまたその傷を大きく拡大させる要因となった。

それぞれを別に分ければいいという解答は、具を蓋と容器で分けた時に、互いに閃いていた。

スタッフのミスにより、箸も一膳しか無かったため、

縦に二本に分割し、具に突き刺して食べた。

尚、食事中は無言だった。

食物の摂取に夢中になっていたためか、両者が発するのは咀嚼と嚥下の音のみとなっていた。

不可視の何かが、張り詰めて冷えきった空気と殺気にも似た気配が、廃教会内に充満していた。

 

腹が満ちると流石に気分も落ち着くためか、張り積めていた空気が僅かに弛んだ。

余裕の出来た思考に沸き立つのは、「暇」による虚無感だった。

 

その日、彼女が起きた時間は午後六時半。

眠ろうにも睡魔は訪れず、横になる気分にもならなかった。

かといって外出するかと言えば、そこまでの気力は無く、

有り体に言えば再度の外出が面倒くさい。

 

そしてここにはテレビも無く、彼女は携帯も持っていない。

読書をする習慣も無く、書物自体が無い。

 

だが今日は、暇を埋められそうなものがいた。

面白いかどうかは別として。

 

「おいガキ。なんか話しな」

 

ソファに寝転がりつつそう言ったのはそのためだろう。

興味よりも気紛れが近い。

数年ぶりに接する異性の生き物に、そこまで気を許していないというのもある。

それに、どう扱うべきかをまだ決めかねていた。

 

なら、少しでも理解してやろうと思っていたのかもしれない。

あくまでも、自分の負担を少しでも軽くするために。

ガキ呼ばわりについては思うところがあるようだったが、ナガレもそれに頷いた。

 

こちらもまた、同じ気分だったのだろうか。

壁に背を預けていた彼は記憶を辿るためにしばしの間沈黙し、話を始めた。

 

それが、十時間ほど前の出来事だった。

 

その話を、杏子はよく覚えていなかった。

どういう訳か、思い出そうとしても上手くいかない。

聞いたという事は覚えていた。

碌でもない話だったということもなんとなく覚えていたが、詳細には霧が掛かっている。

自分の頭の中の右か左の脳やらも、

きっとそれを思い出すために使われたくないのだろうと、杏子は結論付けた。

 

「ああ思い出した。調子こいて暴走した野郎の顔面に一発かまして、それから北海道で」

「ゆーふぉーと鬼ごっこでもしてたのか?いい加減にしろよバカ」

 

適当に返したが、どうせこんな突拍子も無いことに決まっているだろう、

という見立ては出来ていた。

 

辛うじて覚えているキーワードは幾つかある。

借金、踏み倒し、ヤクザ、気違○、麻酔、鬼、粘着野郎、戦友、クソジジイ、鬼娘だ。

当然ながら、十四歳の少女の理解の範疇を越えていた。

というより、これで理解できたらそれこそが異常である。

 

「つうか、鬼って何だよ」

 

当然の疑問を、杏子は口にした。

少年の話は全く信用に値しておらず、答えられるなら答えてみろとの、

挑むような口調だった。

 

「鬼は鬼だ。頭に角生やした筋肉全裸野郎。

 たまーに鎧着てたり、羽根を生やしてたりもする」

「ワケが分からねぇよ、馬鹿」

 

あっさりと、そして詳細までもが返ってきた。

考えるどころか、記憶を掠めさせるだけで頭痛がした。

この自分と同じくらいの身長の多分年下のクソガキが、

奇声を上げる気○い暗殺者だの金棒を担いだ赤鬼や青鬼と殴り合う。

 

その鬼とかいう珍獣だかそれこそ妖怪どもは、

鳩かカラスの如く背中から生えた羽根をパタパタとさせて 空を飛ぶ事もあり、

更にあろうことか、口からは怪光線を連射するそうだ。

 

昨日聞いた話を統括すると、そんな感じになるはずだった。

空想の産物だと思うのだが鬼娘とやらは、怪物どもの雌個体だろうと妄想した。

ナガレの語る様子から、そいつは特におぞましいに怪物に違いないと、

人間の雌であり女たる自分の勘が告げていた。

 

とりあえず言いたいことは山ほどあるが、どんな頭を以てすれば、

そんな考えが出てくるのかが分からなかった。

分かりたくもない。

 

「にしても便利だな。魔法ってなぁよ」

「何がさ?」

 

服の事を言っているのかと思った。

安価な洗剤の浄化力を魔法で強化したことにより、

上着も下着も、一片の隙間もなく新品同様の清浄さを持っていた。

その事を言っているのだとしたら、思い知らせてやろうと彼女は思った。

少なくとも、顔面と腹にはキツいのをぶちこんでやろうと。

 

「未来でも占えるんだか分らんけどよ、北海道くだりのトコ。大当たりだ」

「……そうか」

 

杏子は、やはりこいつは、重症だと思った。

原因たるものは"いる"のだろうが、仕留めた処で治るようには思えなかった。

それならいっそという考えが、反射的に思い浮かぶ。

これから向かう場所であれば、コトと次第に依っては、それが容易く行える。

 

頭にうっすらとそれが浮かぶと、杏子はポケットから一本の菓子箱を取り出した。

切られた封からは、細いチョコレート棒が見えている。

rockkieと言えば、世界のどこでも通じるだろう。

 

タバコのように口に含み、先端から噛み砕く。

口内に広がる味は、ほろ苦さが強かった。

咀嚼している間と飲み込みをしている内は、この理不尽な嫌悪感から逃げられた。

乱れていた心が安定していく様を、杏子は確かに感じていた。

 

「喰う?」

 

早歩きの歩調を緩めそう聞けたのも、そのせいに違いなかった。

こんな話を平然とほざける少年に、憐憫の気持ちもあったのだろう。

箱を掴んだ右手が後ろに廻る。

ちらっと覗き見た背後に、丸みを帯びた眼をしたナガレがいた。

少し驚いているらしい。

ムカつくが、割とかわいらしい顔つきだった。

基本的には攻撃的な眼をしているが、気が緩むとこうなるらしい。

 

先程の鏡に向かっての狂気じみたやりとりから「これは使える」と、杏子は思った。

主導権を握るための弱味として。

 

「おう。ありがとよ」

 

右手の人差し指と中指で掴み一本を箱から引き抜き、口に誘う。

噛み切るというよりも、切り裂くためといった方が正しそうな、牙じみた歯がそれを捕らえた。

受け渡しを確認すると、杏子は再び距離を離した。

その挙動は、一撃離脱の様相に近かった。

 

しかしながら礼を言われたことには、杏子も悪い気はしなかった。

この気に食わない生き物に困惑を与えられたこいうことも、

それに付随し、口元を僅かに綻ばせた。

そしてこれも気紛れの一つだと、杏子は思うことにした。

 

「頼むから足手まといにはなるんじゃねえぞ。そん時ゃ、容赦なく捨てるからな」

「ああ、俺もハジはかきたくねぇ」

 

両者の足取りは早く、住宅地を抜け始めていた。

傍らを世話しなく車や人が行き交い、

彼等を囲む音と排熱による息苦しさが歩を進めるごとに増大していく。

気にする訳もなく、両者は街の中へと進んでいく。

そして紅と黒の、一対の年少者達は風見野市の喧騒へと呑まれていった。

 

 

 

 

 

街中の喧騒を抜け、忍び込むように、両者は裏道へと入った。

先程までの、鬱陶しいほどの人の流れは嘘のように止み、周囲には人影の欠片もない。

人の流れから数十メートルほど離れた、ビル同士の隙間を抜けた先の空間は静寂に満ちていた。

二人の発するものが、そこにある唯一の音だった。

 

「ひょっとして、あそこか?」

「ああ」

 

否定する理由も無いため、杏子は頷く。

「何で分かるんだ?」とは言わなかった。

どうせ、理解不能な事を言われるのだと思っていた。

 

両者の先には、建設中の建物があった。

全身を、薄汚れた白のビニールシートが覆っている。

見れば、同じ様な様相の建物が周りに幾つもある。

急な開発を進めているためか、こういう場所が多いことを杏子は知っていた。

そしてそれらの場所には、よく"いる"ことも。

 

建設中のものに混じってある完成品は、新古の区分にてはっきりと分けられていた。

新しいものは未だ無人、古いものは打ち捨てられているものだ。

その様子は、連なる巨大な墓場を連想させた。

 

その内の一つ、掛けられたビニールシートを強引に退かし、内部へと忍び込む。

鉄柱が山を成し、作業用の機械類が土が剥き出しの地面に転がっている。

湿気を纏った埃が少女と少年の鼻孔を突いたが、それを気にする者達でも無い。

簡易な鉄の階段を見つけ、両者はそれを登り始めた。

 

その間、二人の間に言葉は無かった。

特に話すこともなく、話す気分でも無かったようだ。

一歩一歩進む度に、粘着に近い重苦しさが少女と少年にまとわりついていく。

心と呼ぶべきものを冷やすような、そんな空気がこの工事現場には満ちていた。

 

そして、平日の昼間だというのに、ここには作業員の一人もいない。

原因が何故かを、彼女はよく知っていた。

考えるまでも無かった。

 

「この光、見えるかい?」

 

地上より約十メートルの高みへと辿り着いた時に、杏子はナガレに尋ねた。

 

「光っつーより、こりゃ闇だな」

 

さも当然のように、明確な回答が返ってきた。

驚きの感覚も、この頃には麻痺していた。

あったとしても、これからの行動において邪魔だった。

 

ビニールシートの隙間や天井から差し込む光とは別のかがやくものが、そこにはあった。

丸い輪郭をした、扉の様に見えるそれは、コンクリートで囲まれた、

作りかけのフロアーの中央に、忽然と浮かび上がっている。

それは脈動を打つかのように、光を明滅させていた。

輝いてはいる、光であることは間違いない。

ただし、それはとても禍々しく、どす黒い。

黒く輝く光であった。

少年が闇と称したのも無理はなかった。

 

その様子に、ナガレは唇の端を歪めた。

肉食動物による、獲物への威嚇のような笑みだった。

 

「お呼びらしいな」

 

光の、脈動じみた動きについてである。

多分これは、知能の程度が近いから分かるんだろうなと、杏子は思った。

モチベーションの低下を危惧し、口に出すのはやめておいた。

 

「怖くなったか?言っとくけど今更降りるのはナシだからな」

「ふざけんな。手懸かりになっかもしれねぇんだぞ。

 大体、ここまで来て手ぶらで帰るわけねぇだろ」

 

少なくとも、逃げられる心配は無さそうだと、ナガレの言葉と表情から読み取れた。

挑発的な眼光が、目の前の黒を睨み付けていた。

 

「なら、いいさ」

 

言い様、杏子は左手を前方に向けて突き出した。

水平に伸ばされた細腕の更に先の細指の中指から、紅光が発せられていた。

それは紅の濃度と光の強さを増し、彼女の周囲に幾筋もの光の線が飛び交い、

重なりあって渦を巻く。

 

光の内部にて、異変が生じた。

肌を覆っていたパーカー、ホットパンツ、

更には下着までの衣類が消失し、少女の姿は裸体と化した。

消失とほぼ同時に、そこに光が纏わりついた。

 

手首から肘までを黒布が覆い、肘から先、腋の手前までを白のレースが包み込む。

細い腰に展開された光は、厚みが薄く短いスカートとなった。

僅かな膨らみを見せた胸元を赤い光が這い、下半身まで一直線に延びていく。

先端が彼女の踵近くまで延びきると、光は布へと変化。

脹ら脛の辺りまでは紅であり、それから先の裾の部分を白いフリルがひらめいている。

脚部は脛までを赤いブーツが被さり、スカートのラインの手前までを黒いソックスが包み込んだ。

 

変身の完了と同時に、彼女を覆う光が弾け飛ぶ。

霧散していく光の中に、真紅の魔法少女となった佐倉杏子がいた。

 

「…済んだか?」

 

杏子が振り替えると、二歩ほど下がった場所に、左腕で両目を隠したナガレがいた。

眩しかったみてぇだな、ざまぁ。と杏子は内心で指を指して嘲笑った。

実際には光からの視覚の保護ではなかった。

光景を脳に取り込むことへの防御であった。

それに彼女が気付くのは、だいぶ後のこととなった。

 

「ああ。だからさっさとこっちに来な」

 

盾にならねぇだろ、と繋げようとしてやめた。

警戒されては、いざというときにやりづらい。

 

「…へぇ」

 

隣に並びつつ、杏子の姿を眺めつつナガレが呟く。

純粋に、感心しているような声色だった。

 

「すげぇな。一瞬でこれかよ」

 

彼の視線は、少女の胸元に向けられていた。

間髪入れずに、杏子はそこを右腕で覆った。

見方によっては異性へのアピールにも見られかねない、

前を開いた胸元には真紅の宝石が固定されていた。

何かに縛られている訳でも無いのに、落下する様子は無かった。

彼が見ていたのは、それであった。

宝石を張り付けた、薄めの脂肪層とそこから覗いた肌を見ていたのでは無い。

杏子はそれに気付いておらず、湧いた羞恥による体温の上昇を覚えていた。

後で殴ろうと、彼女は心に決めた。

もしかしたら記憶を失い、従順になるかもしれないと思った。

 

「なぁ、さっきまでの服はどこやったんだ?」

 

頭部への殴打は試す価値があると、杏子が方法を考えたころ、そんな質問が投げかけられた。

これもまた純粋な好奇心というか、頭に湧いた疑問点なのだろう。

 

「テメェは、そうやって何でも聞かなきゃ気が済まねぇのか?」

「そういう約束だっただろうが」

 

確かに昨日の会話の中で、そんな事を言った気がしていた。

自分に嘘はつけず、彼女は答えてやることにした。

 

「なら答えてやる。知るか、んなもん。

 リクツもタネもあったもんじゃねえんだよ。だから魔法だっつってんじゃねえか」

「そうかい。物理法則もあったもんじゃねえな」

 

またワケの分からねぇことを、と杏子はナガレを睨み付けた。

視線を送ってすぐに、ナガレの眼が細まった。

但し、それは杏子に向けられてはいなかった。

その視線は、杏子の背後に向けられていた。

すぐに、杏子も気が付いた。

うなじの産毛が、悪寒によって総毛立った。

 

「下がれ!!」

 

ナガレが叫んだ。

空気を断ち切るような声だった。

「分かってる」と、そう思ったときには、身体が動いていた。

弾かれた磁石のように、少年と少女が跳躍。

 

距離を離した二人の隙間で、衝撃が弾けた。

衝撃の起点となったコンクリート床が砕け、粉となった白煙が噴き上がった。

そして、それを押し退け衝撃の中央からは、対照的な黒い煙が立ち昇る。

煙は、揺らめきながら形を成していった。

 

「くそったれ!!」

 

叫びは、杏子の口から飛び出していた。

歳と外見に似合わぬ悪罵であった。

 

おぼろげな輪郭が固まっていき、影絵か、または切り絵のような姿が浮かび上がった。

 

「波長からして嫌な予感してたけどよ。よりにもよって、テメェかよ!」

 

再び、杏子が叫ぶ。

彼女の記憶にあるものと、出現した怪物の姿は一致していた。

逆関節を描いた脚、やや角ばった頭部の左右から伸び、くの字に大きく湾曲した頭角。

角の傍らで震える、黒布のような外耳。

 

怪物即ち魔女は、歪ながらも、二本足の黒牛の姿をとっていた。

 

 

 




ここまでで。
もたつくのもあれなので、続きもできるだけ早めにいきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 魔女-②

続きです。
魔女は原作の外伝、「the different story」の個体を参考にさせていただきました。








顕れた黒影を、杏子の紅の瞳が睨み上げる。

蹄から頭角の頂点までの長さは目測で170センチほど。

身長で見れば頭一つほど杏子より高いといった程度であり、手足は不自然な程に細い。

たがそれに反比例するかのように、腕と足の上部、上腕や肩。

そして小枝のような獣脚の上で膨らむ太腿は異様なまでに太かった。

細身である杏子の倍どころか、実物の牛のそれに近い肉付きをしている。

 

それも肉として養殖されたものではなく、野生で生き抜くために鍛えられたもののような、

嫌になるほどの逞しさを感じさせるものだった。

現に先に彼女らを襲った際、黒牛は顕現しかけの状態で獣脚の蹄での蹴りを見舞った。

その破壊力たるや、乾いたコンクリに直径二メートル、深さ十五センチほどのクレーターを生じさせていた。

直撃していれば、不仲な年少者二人組は嫌でも肉体を組み合わされていただろう。

 

直立する黒牛に対し杏子は長槍で武装してはいるが、

少なくとも見掛けではそれが少女の利点となるとは思えなかった。

あまりにも、体格に差がありすぎていた。

 

「あのヤロウにガキがいたのか、似てる奴なのかは分からねぇけど」

 

だが、杏子の声に怯えは無い。

 

「テメェがあたしの獲物ってことに変わりはねぇ」

 

確固たる闘志が、彼女の真紅眼に宿っていた。

血に飢えた、炎の色。

「こいつが魔女か?」

「ああ、そうだよ」

 

槍の切っ先を黒牛改め、魔女へと向けつつ杏子が答える。

声の調子からすると、怯えている様子は微塵もない。

盾に使えそうだと、杏子は考えた。

杏子の感情は露知らず、ナガレは視線の先に漂う怪異生物を一瞥した。

そして、即座に口を開いた。

 

「これの、どこが女なんだ?」

「…………」

 

言われてみれば尤もな質問だった。

だが、杏子はそれに真面目に答える気は無く、明確な解答も持ち合わせていなかった。

だがあまりにも不思議そうなツラをしているので、彼女は付き合ってやることにした。

いざという時のため、適度に油断させといた方がいいという思惑の下で。

 

「そいつはあたしが知りたいね。というか、連中は何でもありなのさ」

「そういう化け物ってことか」

 

妙に納得した様子なのが、杏子の癪に障っていた。

重症の度合いが、またレベル・アップした瞬間でもあった。

 

突如、魔女の輪郭が揺れた。

痺れを切らしたのか、怪物が床を蹴って跳んでいた。

紅と黒の四つの瞳が、自らに影を落とす巨体を見上げた。

杏子の背筋を、ぞくりとした悪寒が撫でた。

巨体の上には、見覚えのある光沢があった。

過去に斃したものの類似個体とすれば、それと肉体の激突は死を意味すると瞬時に悟った。

間髪入れずに退避に移る。

 

左手は槍を握り、もう片方の手は虚空へと延びていた。

文字通り虚しく空を切ったそれは、即席の相方の、襟首を捕獲する筈だった。

 

「おい、馬鹿!!」

 

背中にぶちあたる杏子の声を拒絶するように、少年は前へと進んだ。

直後、魔法少女の動体視力が、飛来するものの正体を脳髄にくっきりと刻み込んだ。

 

それは、巨大な斧だった。

左右に広がる両刃の幅は縦も横も一メートルを優に超す。

見様によっては、巨大な円にも見える。

刃部分を貫く柄は杏子の槍を凌駕するほどに長く、刃から突き出た先端も槍の様に鋭い。

何時の間に、そして何処から取り出したのか、魔女の手にはそれが握られていた。

 

ナガレはそこにいた。

水平に振り下ろされた刃の軌道の上に。

 

彼の眼前で、刃が輝いていた。

 

三つの刃が。

 

「おい、魔女野郎」

 

矛盾した代名詞が、挑発的な口調によって放たれた。

相変わらずの高い声だった。

だが声色は、地の底から響く地鳴りのようだった。

激しい苦痛の色が、ありありと見てとれた。

 

真新しい運動靴と、異界の床の接面には、そこを起点とした無数の罅が放射状に広がっていた。

腕が、体幹が、脚が、微細な震えを見せていた。

震えの先に、巨大な斧の黒い刃があった。

ナガレの両手の先にあるものが、その進行を食い止めていた。

その光景に、杏子は既視感を覚えた。

 

「凄ぇもん持ってるじゃねえか。俺のと交換しねぇか?」

 

彼の左右の手が握るのは、二丁の手斧だった。

柄の長さは約五十センチ程度だが刃渡りが異常に長く、湾曲した刃の内面が、

柄を握る拳の近くにまで届きそうなほどだった。

明らかに、樹木の伐採を目的とした代物ではなかった。

今尚、金属の悲鳴を上げながらも、それは魔女の得物に抗っていた。

 

すると、魔女の無貌の頭部に亀裂が生じた。

自ら、めりめりと裂けていき、遂には額から後頭部までを貫く穴が空いた。

直径は約十センチほどで、中央に、五百円硬貨程度の大きさの黒点が浮遊している。

それは明らかに、ナガレへと黒点の焦点を当てていた。

これは、異形の眼球とでもいうべきか。

二度三度と、黒点が明滅。

瞬きであるらしい。

魔女としても、この光景というか事態が信じられないとでも言うように。

 

更に異常は続いた。

若干の硬直を見せた魔女に対し、ナガレが動いた。

噛み合う斧の、張り出した部分を巨斧に引っ掛け、そこを基点として一気に下方に引いた。

直後、少年は宙に躍っていた。

そして、水平状態の斧の腹の上で体を丸めて前転し、撓めた両脚を一気に伸ばした。

魔女の剛力に耐えた脚は、破壊においても威力を発揮した。

踏みつけに近い形の前蹴りによって、生成されたばかりの異形の眼球が、黒い残滓をこぼしながら破裂。

更には頑強な石のようにがっしりとした肩に支えられた首が、黒い喉を見せて後方へと仰け反った。

 

仰け反り異界の空を見上げる異形の、砕かれた眼球に映るものがあった。

それは、自らに降り注ぐ紅だった。

 

「下がってろ!ガキ!」

 

叫びと共に、杏子が槍を下方へと突き出した。

斧を握る魔女の、丸太のように太い右腕が、まるで粘土のように切断される。

着地と同時に、杏子は更なる斬撃を放った。

今度は胴体が一薙ぎにされ、上半身と下半身がバラけて落下。

黒い胴体に、巨大な斧も沈んでいった。

 

今度は逃さず、杏子が少年を捕獲し退避。

距離を取り、相方を放った魔法少女の衣の裾を、黒い翳りが撫でた。

 

床面を流れるのは、黒い霧。

気付けばそれは、彼の踝の辺りにまで満ちていた。

一定の速度と法則に沿って流れる霧の川が、室内に溢れている。

 

乱暴な投擲から立ち直りつつ、ナガレは霧の流れの源を探していた。

一瞬、少年の顔に訝しげな色が浮かんだ。

言葉遊びに近いものを、彼は思い浮かべたらしい。

 

源はすぐに見つかった。

宙に浮かぶ巨大な扉の門が開き、黒い霧を吐き出していた。

そして、霧が触れた場所が、薬剤の化学反応のように変化していく。

瞬く間に、彼の視界に極彩色が溢れた。

 

「魔女の結界だ。溢れやがった」

 

作りかけの建築物の一フロアでしかなかった室内からは、見る見るうちに奥行きや高さといった概念が消滅していた。

魔女が浮かぶ極彩の宙の奥の果てを、彼は見つけることが出来なかった。

 

「けったくそ悪ぃな。まるで」

 

そこまで言い、そこで止めた。

直後、ナガレは後方へと跳んだ。

跳躍にて生じた隙間に、巨斧が突き立てられていた。

その上方に浮遊する黒い霧が、彼を見下ろしているように見えた。

そして、それは濃さを増していき形を成した。

巨斧の柄の尻を、蹄のある手が器用に掴み、持ち上げる。

先程葬ったはずの、牛の魔女がそこにいた。

 

「流石に、これはバカでも分かるだろ?」

「あの牛みてぇのは要は影で、大本はあのムカつく形の斧だってコトか?」

 

魔女を見据えつつ、杏子は無言で頷いた。

ムカつく形、というのが少しだけ気になった。

斧愛好家なのだろうかと、変な性癖じみたものを感じ、杏子はほんの一瞬、寒気を感じた。

 

「ところでそいつ、何処から出した?」

「決まってんだろ。ジャケットの裏側だ」

 

当然の疑問、そして不可思議な回答。

少年の風体を見れば、そこしか隠し場所がないのは分かるのだが、納得がいかなかった。

ちらりと流し目で、杏子は少年の背を見た。

体の線の隆起以外、特に目立った様子は無い。

 

「こいつも結構やられたけど大丈夫だ。まだ何本も残ってる」

 

何が大丈夫なのかが分からない。

いや、ストックがあるのは大事なのだが、杏子の疑問を履き違えていることに全くとして気付いていない。

これはもう、馬鹿というか天然だろう。

一種の才能に近い。

 

「役割分担といこうや。俺が野郎を引き付けて、お前さんが本体をブッ潰すって具合によ」

 

言うが早いか、ナガレが前に出た。

確かに、悪くない作戦だった。

 

「頼むぜ、魔法少女さんよ!」

「骨は拾ってやる。精々励みな、流れ者!」

 

呆れた視線と無意識のうちに確かな高揚感の入った声を送りつつ、杏子が後退。

内に滾る魔の力を、槍と全身に行き渡らせていく。

自らがナガレと名付けた少年は予想外の塊だが、今はそれを考えないことにした。

葬るべき敵は、少なくとも今は一体だけに限られている。

 

 

 

 

眼が眩むような斬撃の連打を、小柄な少年が紙一重で回避していく。

時には逸らし、時には激突させて、自らを吹き飛ばさせながら。

白色の火花が彼の視界を染め上げていた。

巨斧と双斧が、まるで恋人同士の愛撫か、

餌食を貪る狂犬の牙と獲物の骨のように、幾度も幾度も、熱烈に噛み合っていく。

何時頃からか、魔女の分身が斧型の本体を握る柄の部分は、斧部分のすぐ側となっていた。

 

振り回す時ほどの破壊力は無いが、恒常的に籠められる力は段違いに強い。

組み合った斧が、じりじりとナガレの方へと押されていく。

 

一撃で叩き潰すよりも、剛力で磨り潰す方を魔女は選択したようだった。

介錯では無く、なぶり殺し。

更に言えば、拷問を。

 

「舐ぁめるなぁああ!!!!!」

 

意図を察したのか、怒りに満ちた咆哮と共に、ナガレは両腕に力を注ぎ込んだ。

細くも、恐ろしく頑強な筋肉が隆起し骨を軋ませつつ、爆発的な力を生んだ。

 

次の瞬間、魔女の無貌は再び宙を見つめていた。

剛力によって力を弛まされ、強烈な蹴りによって高々と撥ね飛ばされた得物が魔女に影を落としていた。

蹴りは斧を撥ね飛ばしただけではなく、魔女の顎をも撃ち抜いていた。

 

しかし、彼の呼吸は乱れ、肩が激しく上下していた。

ぐらりとふらつき、左膝が折れる。

相方不在の斧を杖にして、ナガレは転倒を防ぐ。

そこに、影が飛来した。

蹄の形をしていた。

 

鼓膜をつんざく金属音が生じ、発生源から小柄な影が宙に跳ねた。

十数メートルは軽く飛翔したのち、異界の地面に墜落した。

肉が打ち付けられて生じる生々しい音の後に、非生物的な、無数の金属音が続いた。

それらは、砕け散った斧の破片だった。

 

「くそったれが」

 

飛び散った破片と、斬撃の応酬により、彼の顔には無数の裂傷が生じていた。

血染めの顔から生じた忌々しい呟きは、震える右手に向けられていた。

人間の範疇を越えた力と真っ向から斬り結んだ代償は、彼の全身を苛んでいた。

 

身体が揺れる度に関節が激痛という形の悲鳴を上げ、

腕や腿には無数の蟻が這い擦り回っているかの様な微細な痛みが広がっている。

魔女の振るう斧の一撃一撃が、彼の体に莫大な負荷を与えていた。

 

そこに巨大な影が降った。

猛然と、斧を振りかぶった異形だった。

 

「邪魔だ!クソガキ!!」

 

裂帛を帯びた肉声が、彼の鼓膜を叩いた。

魔女よりも更に危険と判断し、即座に彼は退避に移った。

 

彼と入れ違いに、何かが魔女へと直進していく。

それは、ナガレも見覚えがある代物だった。

数百数十もの数の、編み込まれた真紅の結界だった。

 

弾丸の速度で、まるで無数の毒蛇のように魔女の周囲を取り巻きながら、中心点たる魔女へと殺到していった。

斧が横凪ぎに振られ、斬線上のものが破砕されたが、勢いは止まらない。

一閃の届かない箇所から次々と巨斧にへばり着き、縛鎖となって拘束する。

処刑具たる巨斧が、真紅の処刑台にかけられていた。

 

直後、更なる真紅が巨斧を染め上げた。

宙に拘束された巨斧が下ろした影を喰い破り、直下から無数の円錐が、紅の槍が突き上がる。

 

斧の腹を打ち砕き、真紅の切っ先が黒塊より顔を覗かせている。

その様は、盾を貫く槍の姿に似ていた。

 

斧が、びくんと震えた。

震えは、斧の内側から生じていた。

斧自身が震えていた。

 

真紅に貫かれて震える斧の中心に光点が浮き上がる。

ぎょろりと蠢き、びたりと停まった。

迫り来るものの姿を、光が捉えた。

 

それは紅蓮の魔鳥か、紅毛の魔獣か。

確実に言えることは、それは破壊者であるということだった。

 

「くたばりやがれえええええ!!!!!!」

 

叫びと共に、杏子が槍を投擲。

自らを戒める円錐の槍を強引に引き剥がし、傷だらけの巨斧が迎撃。

真っ向から斬り結びにかかる。

だが、接触の寸前で十字は横に逸れ、巨斧は虚しく空を斬った。

 

無様を晒す巨斧を嘲笑うかのように、槍が等間隔で節を展開し、軌道が変化していく。

一瞬の停滞もなく、槍は内部から鎖という骨格を露にした

多節の棍となり、十字を頭にした蛇となった。

それが巨斧の周囲を取り巻き、渦を巻く。

超高速の機動により、十字に宿る真紅の光が蛇の全身に映え、軌道が真紅に染まっている。

 

先程、空を斬った巨斧の中央が断裂し、その破片が瞬時に数十の破片となった。

真紅の光の蛇となった十字槍が縦横無尽に暴れ周り、斧の形を削っていく。

貫き、砕き、斬り、刻んでいく。

 

「これで」

 

柄の部分の原型を僅かに残した、巨斧であったものに杏子は残忍な笑みを浮かべた。

獲物の喉を喰い破る寸前の、雌豹の表情だった。

最後の抵抗か、破片同然の斧が砕けた切っ先を向けて素手の杏子へと飛翔した。

自らを更に砕きつつ、弾丸となって杏子に迫る。

 

「終わりだよ!」

 

展開していた槍はいつの間にか消失していた。

そして杏子の手には、その十字槍が握られていた。

突き出された槍の先端で、斧の欠片が砕け散った。

一瞬、十字にその身を這わせた斧は、磔のそれとなっていた。

 

「へっ、ざまぁみろってんだ」

 

満足げに微笑み、杏子は欠片の断片を踏み砕いた。

同時に、世界も色を変えていく。

先程とは逆に、異界が朧気に歪み、元の色へと戻っていく。

 

「ん?」

 

灰色の地面に、黒が広がっていた。

それは秒を経る毎に隙間を広げていく。

 

亀裂と気付いたのは、それが足元にまで来た時だった。

それでも止まらず、壁面に移り、天井にも伝播していく。

 

「…あたしのせいか?」

 

一応といった風に、杏子は呟いた。

結論から言えば、全く以てその通りであった。

だがそれでも、彼女にはこれが危機には思えなかった。

 

落ちる床を足場に跳ぶ、或いは飛び降りる。

その程度の運動は、自分たち魔法少女にとって呼吸や歩行と何ら変わらない。

少なくとも自分は無傷でここから出られる。

そう確信していた。

 

姿が元に戻るまでは。

 

「あ」

 

間抜けにも聞こえる声に次いで、杏子の膝が崩れた。

一瞬、視界に黒が掠めた。

身を穢す汚濁の色は、黒の極みに達しかけていた。

 

「魔力……切………!」

 

忌々しげに呟きながら、今回の狩りの目的を改めて思い出した。

忘れてはいなかったはずのだが、異常事態が続いたために感覚が麻痺していた。

 

震動が発生し、落下音までが生じ始めていた。

建物の崩壊まで、正しく秒読みといったところだろう。

 

途絶えていく意識の中、杏子は全身に叩き付けられる空気の震えを感じた。

だが、自らの名を呼ぶ、女のそれに似た声には遂に気付かなかった。

 

 

 

 

 

 






ここまでで。
件の魔女は、最初に読んだ際には形状からして
光速飛行しそうだとか魔法少女吸収しそうだとか勝手に妄想した思い出があります。
斧というか、巨大なハルバードを見るとどうしても真ゲッターを連想するもので。
(形がいい具合に似ていたというのも相まって)

今回にあたって久々に「different~」を読み返しましたが、
杏子のメンタルには凄まじいものがありますね。
よく言われることですが、あの一家心中を経験して、よく魔女化しなかったなと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 魔女-③

ストックはあるので、しばらくはとんとんと行きます。
未熟極まりない技量ながらも、誤字脱字や、粗い文章には気を付けます。








初めに感じたのは、軽い頭痛と吐き気だった。

開いた眼に飛び込んできた景色が彼女の意識を覚醒させた。

見慣れた床が、そこにはあった。

同時に、不快な浮遊感。

背中から宙に吊られていることに気が付いた。

 

「ぅぅう、がぁあっ!!」

 

獣の叫び声を挙げ、更にそれに準じた挙動が発動。

全ての力が右手に集まり、肉の岩となって拘束者へと打ち放たれた。

肉が肉を鳴らす音が響いた。

砕ける音ではなかった。

 

「よぉ。よく眠れたか?」

 

杏子の拳は、彼女のそれよりも若干広い掌によって押し返された。

彼なりの配慮なのか、包み込むのではなく、展開された掌は防壁のように縦にされていた。

続いて放った左脚による回し蹴りも、彼の肘に受け止められた。

二発目の拳を放つ前に、杏子の身体は宙に浮かされていた。

受け身を取る間もなく、重力に引かれて落下する。

落ちた先は、彼女の寝床である半壊したソファーだった。

 

「凄ぇ力だな。手が真っ赤になっちまった」

 

手首を回し、血と痛みを拡散させつつナガレが言う。

やや皮肉っぽさを持った、或いは年相応の悪戯心を帯びたような笑みを、彼は浮かべていた。

激痛を紛らわすための強がりでもあった。

 

「で、寝起きなところで悪いけどよ。お前、大丈夫か?いきなり倒れやがって」

「余計なお世話だよ」

 

反発ではない、別の言葉が一瞬脳裏に思い浮かぶ。

だが胸中に渦巻く反骨の心が、それを声にするのを良しとはしなかった。

 

「テメェが運んだのか?」

 

分かってはいるが、聞かずにはいられなかった。

ああ、と返したナガレは更に言葉を続けた。

 

「人目には気を付けた。変な所にも触っちゃいねぇから安心しな」

こっそりと、尻のポケットに這わせていた指で紙幣の数を数える。

枚数に変化は無かった。

 

安堵感が彼女の顔を緩ませる。

だが数秒後、少女の身体が痙攣した。

胸中や脳髄で渦巻く、どす黒い感情から涌き出る苦痛が意識を撹拌させていく。

 

「そいつのせいか」

 

尋ねる少年の視線の先には、苦悶に震える杏子の左手があった。

彼は、杏子の中指の指輪から発せられる、禍々しいほどの黒い光を見ていた。

 

「どれぐらい持つ?」

 

無駄の無い、率直な問い掛けだった。

浮かべた表情に、気の緩みの成分は全く無い。

 

「…分からねぇ。けど、明日までってことには…ならねぇと思う」

「それで、どうすりゃそいつを黙らせられんだ?」

 

弱点を見抜かれたということでもあったが、杏子は返答せざるを得なかった。

 

「…連中、魔女どもは、ただ殺すだけじゃ駄目だ…必要なものがあるのさ。それがねぇと…駄目なんだ」

 

震える身体に鞭打ち、杏子がソファーから起き上がる。

駆け寄りかけたナガレに向けて、左手を伸ばして制止させ、眼を細ませる。

 

「(くそったれ……冗談にもなりゃしねぇ)」

 

苦痛と自嘲によって、泣き笑いのように歪んだ表情となっていた。

奥歯を噛み締め、必死に耐える。

枯渇しかけた力を使い、指輪の形を変えていく。

 

「…こういうのだ。こいつに似た宝石に、このくそったれな穢れを…」

 

震えを圧し殺した掌の上に、卵形の宝石が乗せられていた。

穢れを宿した紅を基調とした、檻か鳥籠を連想させる形だった。

 

「…ん?」

 

見せられたそれに、ナガレは不思議な表情を示した。

きょとん、という間抜けな効果音が相応しそうな面だった。

可愛げのある顔だけに、こんな状態だというのに、それは妙に似合っていた。

 

「あぁ」

 

その形を保ったまま、ナガレは至る所が破れた、

上着のポケットに右手を突っ込んだ。

二秒ほどゴソゴソと探り、

 

「これか?」

 

と言って何かを取り出した。

細い指に摘ままれているのは、これも卵に似た宝石だった。

但し、色は杏子のそれより遥かに黒い。

上下からは、中心の卵より突き出た一対の針が突き出ている。

ナガレの指は、それの上の針を摘まんでいた。

 

「どわっ!?」

 

突如として紅い風が吹き、変な叫び声を挙げつつナガレは床に尻を着いた。

風は杏子の長髪だと認識したとき、彼は指先の質量の喪失に気が付いた。

 

杏子は床に膝を落とし、ナガレから引ったくった漆黒の卵を紅の宝石へと重ねた。

途端に、杏子の宝石が黒い粒子を放つ。

粒子は宙に浮き、漆黒へと吸い込まれていく。

溜まっていた淀みが薄まり、色の支配率が闇色から紅へと移っていく。

 

「さっき拾った。お前さんが気絶してすぐによ」

 

貪るように黒を吐き出す杏子に、ナガレは声を掛けた。

話しかける前、小さく吐いた息は侮蔑や呆れのそれではなかった。

 

「何なんだよ、これ。魔女の卵か?」

「……ああ、そうだよ。それでこいつは"グリーフシード"ってのさ」

 

ナガレの妙な勘の良さを、彼女は密かに脅威と感じた。

認めつつ、バカのくせにと内心で罵る。

心に余裕が出来た証拠だった。

 

「シードってのは、確か種って意味だっけな。確かに、それなら卵みてぇなもんか」

「今度詳しく話してやる。…もう、今日は終わりだ」

 

ナガレは壁穴から空を眺めた。

太陽の位置から(計算ではなく感覚で)時間を割り出すと、午後三時半頃だと分かった。

 

「そうだな」

 

半端極まりない時間帯だったが、彼も杏子の案には賛成だった。

 

「俺も、ちょっと疲れた」

 

今度は確かに疲労と眠気による息を吐き、壁面の方へと歩き出していく。

気が緩んだのか、道中二度ほど転びかけていた。

 

「この分だと、全身にヒビでも入っちまってるか」

 

肩から肋骨までを撫でつつ、歩みを再開する。

触れられた箇所には灼熱の感触があったが、彼は無視した。

以後一切の停滞なく歩き、教会の端へと到達した。

 

「壁、借りるぜ」

 

杏子は適当な旗振りのように、ソファーに寝そべりつつ左手を振った。

了解と判断し、ナガレは壁に背を預ける。

二回目にここに来たときと、同じ場所だった。

眼を閉じると、すぐに意識が遠退いていった。

 

少年の口から、意外なほどに安らかな寝息が立つのを確認し、

更に念のため十分ほど監視をした後に、杏子も睡魔に身を任せた。

心配事が消えたわけではなかったが、今はただひたすらに疲れていた。

 

浄化を経てなお、左手の中指に嵌めた指輪の紅の底には、

黒々とした汚濁がこびりついていた。

 

 

 

 

 

街中の喧騒とは無縁とばかりに、

耳が痛くなるほどの静寂に満ちた裏道の中に、それはいた。

砕けた斧の、刃の部分だった。

それは、鼓動のように、微細な震動を繰り返していた。

突如、刃と地面の接触部から、一つの黒い紐状の動体が起き上がった。

蛇のようにぐねぐねと、自分の意志で蠢いている。

黒い蛇の、鎌首をもたげた先の頭部には湾曲した頭角が備わり、

角の間には後頭部まで抜けた穴があった。

穴の中央には黒い球体が嵌め込まれている。

球体をぐりぐりと全方位に忙しなく動かしながら、蛇は地面をのたうっていた。

 

その上に、黒い影が降りた。

避ける間も無く、蛇は無惨に踏み潰された。

凝縮された闇のような体液が、付近に散らばる、砕けたコンクリート片をその色に染めた。

 

「ご、ごめんなさいっ!痛かったですか?」

 

質の良さそうなブーツを上げ、声の主が蛇へとしゃがみこむ。

身長も百五十センチになるかならないかの、小柄な体格。

身を包むのは、フリルが多用されたブラウスとスカート。

輝くような布の質感からして、かなりの高級品であるらしい。

 

可愛らしい小動物を連想させる小さめの鼻と、庇護欲をくすぐるような丸みを帯びた眼。

花弁のような可憐な唇など、紛れもなく美少女と呼べる存在だった。

 

「バァカ。逃がすかノロマ」

 

それらが、この一言と共に変貌した。

眼は悪鬼の形相のごとく吊り上がり、可憐だった唇は歪み、悪意に満ちた笑みを浮かべた。

更には侮蔑の一言と共に、再び足が踏み下ろされていた。

 

「ん?これはこれは…」

 

足裏でもがく蛇を見る少女の眼に浮かぶのは、格下の存在に対する侮蔑の視線。

 

「うぇえ、汚ったねェ。こいつはあの腐れ雌餓鬼浮浪者の糞波長ですねぇ。どれどれ」

 

屈み込み、斧の残骸と潰れた蛇に向けて手を伸ばす。

怯えるように震える斧と蛇を、嗜虐的に歪んだ両目が愉しそうに見つめていた。

斧と蛇を、細い五指にて包み込む。

そしてすぐに、指を開いた。

そこには、何も無かった。

痕跡の一つも、黒い残滓すら残さず、斧と蛇は消えていた。

 

「さぁってと、スッゲェ嫌なんですが、近々ツラを見に行きますかぁ」

 

今の少女の顔には、更に歪んだ笑顔が張り付いていた。

 

「くたばり損ないの糞生ゴミは、この私。

 風見野市最強の魔法少女、優木沙々さんがささっと処分しちゃいますからねぇっと♪」

 

くるくると回りつつ、楽しそうに微笑む。

淫らとさえ思える微笑だった。

そして、可憐なはずの少女の顔に表れた形は、左右で趣が異なっていた。

右は美しい少女の、左は悪魔のそれだった。

 

 

 

 






最後にちらっと、という割には多いですがスピンオフからの登場です。
そういえば一応、初出の際にはラスボスでもありました。

読中に思ったことで、小学生並みの感想ですがこのヒトは、
某航空参謀みたいな性格してると思いました。
髪型、というか頭の形も若干似ている(初代の個体)気がしますし、
作中でも病気じみた態度を振るっているので、案外仲良くできるかもしれないかな、と。
後書きとはいえ全く本編と関係のない内容というか妄想、失礼しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化

やっとですが、2話目です。



「いつになっても、お勉強ってなぁ性に合わねぇが」

 

椅子に腰を深々と掛けた、ナガレが呟く。

経年劣化のためか、身長百六十センチにも満たない彼が体を動かす度に 、

細い脚と曲がりかけた背もたれが情けない音を立てて軋んでいた。

彼の四方は、黒い壁で囲まれていた。

床から百九十センチ程度の場所で壁は途切れ、天井からの微細な明かりを通していた。

 

狭い個室を更に圧迫するように、椅子の前には粗末な机が敷かれ、

その上には一台の、古びたデスクトップタイプのパソコンがあった。

パソコンの手前と左右には、画面を邪魔しない程度に大量の書物が重ねられていた。

彼のいう「勉強」とは、この事だろう。

 

「ま、これも鍛錬とでも思うかね」

 

意外にも慣れた手つきでキーボードを操作し、複数の言葉を叩き込む。

パソコンの傍らに転がるヘッドフォンのコードを解いて装着。

机の上に重ねられた書物の一つを手に取り、頁を捲る。

小さな息を一つつき、無駄なまでに巨大なヘッドフォンに耳を傾け、眼を書物に落とし始めた。

 

視覚と聴覚による認識と同時に、二つ目の息が漏れた。

それは、紛れもない溜め息であった。

 

「…何でこんな事してんだろうなぁ、俺」

 

音と言語、そして映像等を通し、脳へと入ってくる情報に対して、ナガレはごちた。

やり場のない感情を整理するためか、細くしなやかな指が攻撃的な髪型を抉るように弄んでいる。

 

そして彼は、これに至るまでの経緯を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ昼だな」

 

牛の魔女との戦闘より三日。

杏子は誰へともなく呟いた。

彼女は半壊したソファーに寝そべり、壁の破壊孔から空を眺めていた。

 

「あぁ」

 

ナガレが半ば独り言のように応えた。

 

尚、昼とはいいつつ、今の時刻は午後四時頃。

奇跡の体現者たる真紅の魔法少女と、人間である可能性が存在する少年は、

乱れた生活故の歪んだ時間認識をしていた。

 

「で、飯は?」

「さっき食った」

「テメェの事なんか知るか、空気でも喰ってろ。で、あたしのはどうした?」

 

恫喝じみた声を出し、ダルそうに体を半ば起こして少年を睨む。

いつもの場所という具合になった、壁面に背を預けつつ、ナガレは雑誌を読んでいた。

夢中になっているのか、雑誌に視線を落としたまま、それを支える右手の人指し指を微細に動かしている。

 

杏子がその軌道を辿ると、両者を結ぶ対角線の真ん中あたりに、丸々と膨らんだコンビニ袋が置かれていた。

袋の端からは彼らの主食。

油と塩分及び糖分過多な、ジャンクフードの片鱗が見えた。

ふん、と小さく鼻を鳴らし、杏子は槍を顕現させる。

軽く振るい、十字の先端に取っ手を引っ掛け、細いビニルが切断に至る前に手前へと引き寄せた。

 

「金魚すくいみてぇだな」

「やかましい」

 

自覚はしていたが、指摘されると腹が立った。

これに揶揄の響きでも入っていれば、まだ冗談と受け取れるが、余程雑誌への興味が強いだろうか。

感情の籠らない無味乾燥な発声だった。

それは却って杏子の機嫌を損ねる原因となった。

舐め腐られてると、彼女は感じたのである。

 

「…いい機会だな」

 

そう呟いた杏子は、直ちに行動に移った。

ビーフジャーキーの袋を噛み切りつつ再度、眼にも止まらぬ速さで槍を振るった。

足りない距離は鎖で伸ばし、鞭のようにして振り回す。

 

切り裂かれる風の音を察知したナガレは、速やかに頭を下げて直撃を回避。

空中に取り残された雑誌は槍に刺し貫かれ、直後に無数の紙片と化した。

 

「てめぇ、何のつもりだ?」

 

流石に、その声には怒気が含まれていた。

少年の声だったが、獣でさえも震え上がらせるような、

本能的な恐怖を誘発させる声色だった。

 

「ああ、悪かったね。でも、それはこっちの台詞だよ」

 

負けじと、杏子が返す。

魔法少女の姿となり、槍を引き戻して肩にかけ、彼へと歩む。

下に降りるべく祭壇に足を掛けたと見るや、室内に紅の疾風が生じた。

直後に、金属の悲鳴が響き渡った。

 

「ここ最近、ずっと寝込んでやがったが」

 

獰悪な獣の牙のように噛み合うのは、槍と斧。

 

「随分と元気になったじゃねえか」

 

ナガレの両手には、あの双斧が握られていた。

斧の刃が陽を浴び、漂白の光を放っている。

少年は皮肉気な表情を浮かべ、自らを破壊せんとする剛力に抗っていた。

 

「女みてぇな声しやがって。うるせぇ奴だな、テメェはよぉ」

 

揶揄の声と余裕に満ちた表情に、少年の顔に不快の皺が刻まれた。

 

「で、要件は何だ。訓練でもやろうってのか?」

「テメェが生き残れれば、そうなるだろうね」

 

言いざま、両者の間を颶風が駆けた。

鈍い音が鳴り響き、苦鳴が続いた。

それは両者の口から零れていた。

一拍の後に、互いに後退。

 

「テメェさ。その斧は何時から持ってた?」

 

言葉を投げつつ、少年の腹を蹴り上げた右足の細い膝に魔力を集中させる。

濃い赤紫色をしたストッキングの一部、肉体の部位で言えば膝小僧が割れていた。

柘榴のように開き、肉と骨の一部を外気に晒していた。

そこから絶え間なく発生する痛みを、少女は己の内面だけに留めさせていた。

眼前の存在に、これ以上の弱味を見せる訳にはいかなかった。

 

「来てすぐだ。服を見繕ってから調達した」

「最初んとき、何でそいつを使わなかった?素手であたしに、魔法少女に勝てるって思い腐ってやがったのか?」

「あん時のてめぇは俺を殺すつもりじゃなかったから、つっても納得しねぇよな。逆の立場だったら、俺でも怒る」

「なら良かったじゃねえか。今なら、思う存分使えるだろうさ」

 

徹底的な拒絶と殺意が、杏子の言葉に染みついていた。

何を考えたのか、ナガレの唇の端が僅かに緩んだ。

「違いねぇ」という同意の意志を、杏子は受けたような気がした。

どの道、これからやることは一つだけだった。

 

ゆっくりと、互いに互いの殺傷圏へと歩を進めていく。

物騒な得物を携えた年少者達の距離は、僅かに二メートルと少し。

魔法少女と人間の少年は、互いに原始の獣の威嚇の如く、薄く笑った。

杏子の膝の傷は完璧に治っていた。

ナガレの場合も、腹部に受けた蹴りによる激烈な痛みは、

この時にはほぼ消え去っていた。

 

「来な」

「来い」

 

互いの招来の言葉を起爆剤とし、槍と斧は切り結ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、凡そ八時間前の出来事だった。

 

「あー……だりぃ」

 

再び、空を見上げる杏子がいた。

彼女の視線を出迎えるように無数の星々が、夜空に映えていた。

 

「野郎、どこ行きやがった?」

 

ぼそりと呟き、頭を掻いた。

そして、六時間前の記憶を思い出していく。

 

 

 

「ちょっと出掛けてくる」

 

互いにそれなりに血と汗を。

奇跡的に手足を欠かずにコトを終えた後、ナガレはそう言った。

割れた左手の甲から湧き出た血を、桃色の舌で舐めとりながら。

 

「ああ、宇宙でも異次元にでも消え失せな。因みに、何しに?」

 

治癒を開始した杏子が返した。

頬と首筋、それと肘と脛の破損箇所が、みるみる内に塞がっていく。

 

「お前らについての勉強に」

 

頭頂から額へと垂れてきた血を拭うと、彼は教会の外へ飛び出した。

そして何処かへと走り去っていった。

杏子は、その後ろ姿を呆然と眺めた。

 

先の言葉の意味が分からなかった。

勉強という言葉の意味が、一時的に脳内から喪失していた。

二呼吸を置いても、彼女には理解不能だった。

逃走と認識した時には既に、黒髪の少年は杏子の視界から消えていた。

与えた損傷を考え、多分道中で死ぬだろうなと杏子は思った。

 

 

 

再び、現在の杏子へと戻る。

空腹と退屈により開始した考察は推理に進化し、杏子は謎を検分していた。

まずは、情報を纏めようと彼女は思った。

 

戦ってみた感触からして、本人に魔力は感じられなかった。

それは間違いないと思えたが、そうなるとあの戦闘力の説明がつかなくなった。

腕力で考えれば、あちらの本気はこちらの四割か五割。

その気になれば圧倒できる程度ではあったが、冷静に考えると背筋が冷えた。

 

それに刃の交差の精度や衝撃の受け流し方など、

技量と呼ぶべきものに異常なものを感じていた。

魔女の頑強な外殻や皮膚さえ容易く切り刻むはずの魔槍を止めていたのは、生々しい溶接痕を見せた斧だった。

 

普通に考えればそんなもの、魔槍と接触した途端に薄紙の如くに破砕するはずだ。

それが出来なかった。

必殺の一撃は受け止められ、逆に幾度か柄が切断された。

 

一方、幸い且つ奇妙な話だが、斧自体は破壊不能と云うわけではなく、

激突を重ねるたびに傷と罅が生じていき、最後には無残に破壊されていった。

だがその度に、新たな刃が魔法の槍と彼女の肌を斬り刻んだ。

 

彼が以前に話した事を信用すれば、ジャケットの内側に隠した分だという。

実際、破壊された斧を投げ捨てた直後にジャケットの裏側に滑らせた手で取りだすという、

奇術めいた光景を杏子は見ていた。

その度にまた破壊し、女に似た顔面を殴りつけ、腹に胸にと蹴りを叩きこんだが、

致命傷に至るものの悉くを防がれ今に至った。

 

何故こんな事が可能なのかは、本人曰く「鍛えたからだ」とのことらしいかった。

それは、血みどろになったナガレの口から血泡と共に告げられた言葉であった。

ちょうど、杏子が彼の顔面に回し蹴りを放った直後の事だった。

間髪で直撃を防がれ、杏子の左足の先端は彼の右頬と前歯を掠めるだけに留まった。

尚、彼の拳による反撃を兼ねたブロックの為、彼女の足首は無惨に砕けた。

 

それと今になって思い出したが、彼の手首は数日前に噛み裂いてやったはずだった。

特に問題なく動いているのは、流石にやせ我慢では説明がつかない。

本当に嫌になる奴だと、思わず頭皮を掻きむしりたくなった。

 

それを少しでも軽減するかのように、杏子は胸に募る不快感を凝縮させたような、大きなため息を一つ吐き出した。

もうかなり嫌になってきていたが、あと少しだけ考えを続けることにした。

現実逃避は、自分の趣味ではない。

 

ナガレが話す「思い出話」は、寝ると綺麗に忘れるため、推理の素材には出来ていなかった。

何より思い出そうとすると、何故か生じる激烈な頭痛から、杏子は思い出すのを意図的に避けていた。

 

再び、現状で判明している事柄で考えを纏め始める。

自分と行動を共にできるというところから、ナガレが学校に行ってる様子は無い。

試しに彼が制服を着て、教室にて勉学に励む様子を夢想する。

何故か、政府転覆を企てるテロリストの姿が思い浮かんだ。

勉強=頭がいい=ロクデナシという、若干ひねくれた認識が、彼女に異界を見せていた。

 

「…帰ってきたら、つうかくたばってなかったら、首輪でも着けるかな」

 

言いつつ今の気分から考えると、次に寝たら悪夢を見ることになるだろうと思った。

 

ならば先に済ませようと杏子は目を閉じ、睡魔に身を委ねた。

だがそれは、始まる前に終わりを迎えた。

 

「おっじゃまっしまーす♪」

 

唐突に、若い女の声がした。

悪夢への眠りを邪魔された杏子の感覚は、その声を極めて不快なノイズと認識した。

 

「うわぁ、独り寂しくモゾモゾと。ナニをしてるんですかねぇ」

 

意味不明な言葉に対し、杏子は無視を決め込んだ。

 

「弄くりまくったせいで、ここまで雌臭さが届いてますよぉ。

 ロクにお風呂にも入っていないだろうから、余計にニオイがキツいですねぇ」

 

風呂という言葉が杏子の自尊心を刺激した。

認めたくない図星ほど、人の神経を逆撫でするものはない。

 

「この教会もとい廃墟も、まるで牢獄じゃないですか。外からでも分かるほどにカビくせぇですよ。実際ゴミだらけだし」

 

可憐な唇を、蛭のように醜く歪ませ、女は言葉を続けていく。

 

「でも牢獄ってのはお似合いですねぇ…親と妹殺しには」

 

最後の一言が杏子の心の、触れてはならない場所に爪を立てた。

堪忍袋の緒が、それどころか袋自体が。

切れるどころか、微塵も残らず砕けて消えた。

溢れた感情は杏子の心身に、汚染のように広がっていった。

 

「さっきから、ベラベラとうるせぇな」

 

ソファーから身を乗り出し、声の主を杏子が睨む。

ショートボブの髪型をした少女が、祭壇の麓に立っていた。

服装は上も下も、ふわふわとした柔らかそうな服に、フリルの付いたスカートを着用している。

歳は杏子と同じか、やや上程度。

 

「タダで済むと、思っちゃいねぇよな?」

 

杏子は敵意に満ちた声で告げた。

途端に、少女の身体に痙攣のようなものが走った。

 

「な、何を言うんですかね、このメスガキは!」

「喧嘩売っときながらビビってんじゃねえ。この脳味噌お花畑女」

 

嘲り、相手の出方を見る。

 

「つうか、テメェは誰だよ?」

 

言葉とは裏腹に、杏子は問いの答えを求めていなかった。

ただ、相手との距離を見定めていた。

肉食獣の狩りのように。

 

「問われればお答えしましょう。私の名前は優木さ」

 

言い終える直前。

女の、優木の全身を猛烈な風が叩いた。

風は、紅蓮の炎を伴っていた。

炎とは紅に染まった、佐倉杏子の事であった。

 

顔、胸、腹の三ヶ所に、杏子の拳が叩き込まれる。

上記の三か所に深々とした陥没が生じ、優木の身体は宙を舞った。

 

「弱…」

 

相手に聴こえるように唱えた呟きだった。

更に落下の前に、優木の胸元に激烈な蹴りが突き刺さる。

真円を描いて廻った杏子の脚は、肉と骨で造られた処刑鎌となっていた。

 

杏子はそのまま優木の肉体を切り裂くように彼女の体表に右足の爪先を走らせた。

柔らかそうな衣装が破れ、白い肌の色を曝け出した。

杏子は脚を引き戻し、更なる追撃に移った。

滞空中の優木の頭をひっ掴み、力の限り投げ飛ばす。

 

「おごはぁっ!?」

 

台風によって吹き飛ばされていくビニール袋か何かのように、優木の身体は教会内を飛翔。

外側の広場へと躍り出た。

吹き飛ぶ優木の身体は、黄の光に包まれていた。

 

「な、何しやがる!このメスガキ!ケダモノ!」

「よく喋るヤロウだな」

 

危っかしい動きで転倒を回避した優木に、杏子は歩み寄っていく。

その優木は、魔法少女となっていた。

 

黄色を基調とした、道化師に似た衣装を纏った少女の姿が、

闇に染まりつつある世界に、輝きを伴いながら顕れていた。

迫る杏子に、優木は手に持った杖を向けた。

歪な雪の結晶のような先端に力が集中し、眼が眩むような白光が満ちていく。

 

構わず、杏子は優木に迫った。

「ひっ!」という悲鳴が上がり、ほぼ同時に、頬の近くを高熱を伴う光が過ぎた。

完全に外れたそれの効果は、杏子の肌を温めただけだった。

構えに至るまでの動き方が雑であり、簡単に軌道を読まれていた。

 

対する優木はそれに気付かず、杏子を仕留めたとばかり思っていた。

後悔の常が、言葉の通り後から来るものであることを証明するように、優木もそれに倣っていた。

 

懐に潜り込まれたことにより、無防備となった顔面に、再び杏子の拳が直撃。

瞬間的にだが、紅の魔法少女の拳の手首近くまでが優木の顔面に埋没していた。

杏子の背後、教会の入り口付近で生じた爆発と、優木の顔面崩壊のタイミングはほぼ同時だった。

 

鼻血をブチ撒けながら仰け反った頭が、急停止して引き戻された。

身長に匹敵するほどの長さをした、兎の耳を思わせる道化の帽子を、杏子の右手が握っていた。

 

「逃がすかよ」

 

声の直後に思い切り引かれ、杏子に向けて優木が倒れ込む。

 

「ぎゃ!?」

 

再び、顔面に拳が突き刺さる。

 

「ぎゃん!ぐっ!?げぇっ!?」

 

また吹き飛ばされ、引かれ、殴られ、また飛ばされて戻されて、殴られる。

それが、二十回ほど繰り返された。

 

「ごの゛ぐぞ餓鬼ぃいいいいいいいがあああああ!!!!!!!!」

 

殴られつつ、肉体の破損により凄まじい形相となった優木が、獣の声で叫んだ。

 

「てめぇ許さねぇ!!てめぇの××××××××!!~~~!!!!」

 

後半は意味不明の不快音にしか聴こえなかった。

それでもそれらが、卑猥で汚穢な単語であるという事は杏子にも分かっていた。

 

例のごとく無視し、杏子が跳躍。

紅い外套が翻り、優木の視界を紅が染め上げる。

直後、優木の頭蓋に上方からの衝撃が叩き込まれた。

 

急降下してきた上顎と下顎の激突に耐えきれず、

真珠色の歯の幾つかが砕け、もとい叩き潰され、赤と白の無惨な破片を撒き散らす。

次いで、頬、唇、鼻が地面に激突し、

暴虐のさなかに治癒されていた華奢な頬骨には、蜘蛛の巣状の罅が入った。

 

起き上がろうとした処に、更に上からの圧力が加わる。

降り下ろされた踵は優木の後頭部を押さえ付け、彼女を地面へ縫い付けていた。

 

「踵落としってやつかな。悪くねぇ」

「へめぇ…ほろひてひゃる…!」

「聴こえねぇ。もっとはっきり言いやがれ」

 

そう言いつつ更に踵に体重を預け、優木の顔の骨とコンクリートの距離を更に縮める。

足裏からは、割れたコンクリによって、皮膚が裂ける感触が伝わってきていた。

杏子自身もほんの少しやり過ぎとは思っていたが、

今までの生活から、この手の輩にはこういった手段を取った方がいいと、彼女は学んでいた。

 

更に言えば、こんな雑魚相手に魔法を使いたくはなかった。

杏子はここまで、魔力を殆ど使っていない。

攻撃魔法はもとより、軽い肉体強化のみで優木を叩きのめしていた。

普通程度の相手なら、そもそも素手では戦えない。

そうなれば、寝床など簡単に消し飛んでしまう。

その可能性を見越して屋外に飛ばしたのだが、

それは無駄な杞憂であったと、杏子は優木を踏みつつ思っていた。

 

「あたしの首を取りたけりゃ、もっと力をつけてきな」

 

そう言いつつも、これまで再戦を挑んできた同類の数は少なかった。

大抵が怯え、二度と姿を現さない。

女の命である顔に傷を与え続けたのも、自分の恐怖を植え付けるためだった。

優木の拘束を強め、気絶に至るよう力を込める。

 

「あぁ」

 

その言葉は、杏子の脳内に直接響いていた。

 

「殺してやるよ。佐倉杏子」

 

杏子は、優木の身体からおぞましい何かが沸き上がるのを感じた。

反撃を防ぐべく、拘束に用いていた左足を優木の頭に突き下ろしたが、それを何かが受け止めた。

数は三本。

色は優木の衣よりも、濃い黄色。

大きさは成人男性の腕ほどもあった。

それが半ばで折れ曲がり、少女の細足を包み込んだ。

 

「うぐっ」

 

鋭い痛みが走ると同時に杏子が槍を顕現させ、拘束物を十字の刃で凪ぎ払う。

破片と極彩の液を散らして、拘束物が切り裂かれた。

切断してもなお、ぐねぐねと動く破片に、黒い影が落ちていた。

 

顔を歪める杏子に、優木はそれと対照的な優雅な微笑で応えた。

 

「さぁ、出番ですよ」

 

優木の声と姿は杏子の上空にあった。

既に杏子から受けた傷は全て、何事も無かったかのように癒えきっていた。

 

「私の可愛いシモベども!」

 

優木の背後から闇が立ち込め、うねり、歪んで凝縮していく。

歪な四肢が膨らんだ繊維を纏い、数百のガラス片を砕いたような叫びを上げた。

形を成した闇は幾つも存在し、それぞれが闇色の霧を吐き出した。

異形の群れの顕現に伴い、世界も異界に変じていく。

 

「思ったよりは、面白い奴みてぇだな」

 

奥歯を噛みしめ、杏子が槍を構える。

その顔には肉食獣の笑みと、戦慄による少しの汗。

 

「テメェ、そいつらをシモベとか言ってたっけ?」

 

怒りを込めて、杏子が嘲りに彩られた言葉を紡ぐ。

粘つく唾液を異界の地に吐き、鋭い眼光で優木を睨む。

白い巨大な縫いぐるみのような姿をした異形の肩に座る優木は、杏子を悠然と見下ろしていた。

支配者が、隷属された者達へ向けるような、傲慢と卑しさに満ちた視線だった。

傍らには、更に複数の異形たちが聳えていた。

 

「シモベっつうより、テメェもそいつらの同類だな」

 

毒々しい皮肉を前に優木は、唇と目尻を醜く歪めて微笑んだ。

優木が従僕として召喚した異形たちは、魔法少女の宿敵たる呪いの化身。

則ち、「魔女」であった。




ここまでです。
斧といえば、おりこの小巻さんも中々にいい感じの斧をお持ちの方でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化②

続きです。
新説おりこ2巻を読み返す度、さささささが好きになって仕方ありません。








「やっちまえ!!」

 

怒号と共に、優木が杖を振りかざす。

聳える異形の群れが呼応し、眼下の杏子へと襲い掛かった。

数は三つ。

何れも、同じ形をしていない。

 

苦鳴の息を吐きつつ、杏子が槍を構える。

一足早く躍り出たのは、長さ十メートルほどの巨大な白の帯。

その頂点付近には、雛人形に似た顔が描かれていた。

柳葉のように細い目が開き、赤い唇が笑いの形をとった。

頂点から落下し、杏子の顔を目掛けて迫る。

開かれた口の奥には和の趣を持つ頭部には不似合いな乱杭歯が並んでいた。

身体は紙の厚さでありながら、それらは親指大の太さと厚みがあった。

奥行きという概念が無いというよりも、体内が別の空間となっているようだった。

 

「遅ぇよ」

 

こういったのは別に珍しくもないのか、杏子が特に驚いた様子は無かった。

侮蔑を孕んだ一言と共に杏子は魔女の牙を避け、

すれ違い様、幅一メートル程の帯の腹に、槍の先端を突き込んだ。

槍の半ばまでが深々と刺さったが、内なる空間までは突破出来ていないのか、貫通には至らなかった。

だが十字の刃に抉られた傷口からは、厚さ一ミリ程度の胴体からにも関わらず

夥しい量の液体が噴き出し、地面に滝となって降り注いだ。

魔女の口から絹を裂くような悲鳴が上がり、帯状の身体が身を捩る。

槍が抜けると同時に上昇し、杏子の射程より急速に離脱していく。

 

「相っ変わらず、魔女ってのは分からねぇな」

 

訝しげに眺める杏子の背後に、巨影が聳えた。

帯状の魔女に追撃を掛けなかったのは、背後のそれを察知したためだった。

直後に振り返り視認した杏子の顔は、嫌悪感に歪んでいた。

 

負の感情を拭い去るように、天から地へと槍が一閃。

だがそれは、標的への接触の寸前で、びたりと停止した。

二本の手が槍の刃を、左右から伸びた掌が挟み込んでいた。

白刃取りの形である。

 

「…本当にワケが分からねぇ。どうしたらこんなのが出てきやがんだ?」

 

染み一つ、体毛の一本も無い、美しい女の手。

だが、その根本である全体像は杏子の言葉が示す通り、奇怪にして不気味な形状をしていた。

 

停止した刃の奥に、巨大な一つの眼球があった。

眼球の周囲には赤黒い、淫らにも思える蠢き方をした肉の襞が広がっていた。

それは、通常の数百倍の大きさをした唇だった。

それが、人間の上半身ほどの大きさをした、常識外れなサイズの眼球を咥えていた。

 

上唇の背後からは五本の白い手が延び、先の通り、その内の二本が杏子の槍を止めている。

唇を支える、というよりも唇にぶら下がっているのは、純白のドレスを着た細身の女の身体。

そこだけを見れば、細身に反した豊満なバストと相まって、見る者を魅了したかもしれない。

それが却って、異様さを引き立てていた。

異形の花嫁の花嫁、とでも云うべきか。

唇も含めば体長は四メートルにも達する異形の花嫁の周囲には、直径五センチほどの光の珠が浮いていた。

 

「いつまでも、汚ぇ手であたしの槍を掴んでんじゃねえ!」

 

怒りの咆哮と共に、槍を握る手に力が宿る。

真紅の力の波濤が柄を伝い、魔女の両手に届いた瞬間、炸裂音が生じた。

締められていた魔女の指が痙攣し、開いた。

槍との隙間からは、白い煙と共に、ゴムを燃焼させたような悪臭が立ち昇る。

仰け反った指の腹は、無惨に焼け爛れていた。

緩んだ瞬間、杏子はその懐に飛び込み、土手っ腹に右膝蹴りを突き込んだ。

花嫁の身体が崩れると同時に、先の光の球より白光が炸裂。

白の光線が地を抉り、熱と爆風を撒き散らす。

 

後ろに倒れ込みながら爆風を浴びる花嫁の背を、先に背後に回り込んでいた杏子による、再度の蹴りが襲う。

左足の裏で蹴飛ばされ、異形の首がぐらつき、首から下の人体部分が減し曲がる。

 

追撃に移ろうとした杏子は、背後からの颶風を感じ、脚を撓めて縦に跳躍。

一気に飛翔し、地上から十メートル程の高さにて身を翻えす。

そして、逆さまとなった状態で世界を見下ろした。

 

「今度はまた、随分と不細工なヤロウだな」

 

三メートルほど下方で浮遊するその姿に、杏子は何年も前に流行った、

半液状化した大熊猫のキャラクターを思い出していた。

形状自体はシンプルであり、キャラクター同様に垂れた胴体の左右には

枕かクッションのような形をした、巨大な腕らしきものが伸びており、

先端には、腕と同じような形をした指が引っ付いている。

先程、優木への虐待に勤しんでいた杏子の足を砕いたのは、これだろう。

 

胴体の真ん中には、やる気と生気の感じられない魚のような二つの目が穿たれ、

そこの少し下には、呆けているかのように半ば開いた、口とおぼしき隙間が開いていた。

全体の形としては、「不細工な人形」という表現が相応しい。

まごうこと無き間抜けな姿である一方、大きさは洒落になっていなかった。

緩い曲線を描いているが、左右の腕を伸ばせば横の長さは軽く十メートルほどになると見え、

垂れ気味な胴体も体高でみれば先の花嫁と同程度はある。

 

その巨大な右手が、跳躍前に杏子のいた場所へと拳を叩き付けていた。

大の男でしても二抱えもあるような太さの剛腕は、異界の地面を深々と穿ち、

割れた破片を容易く粉塵へと変貌させた。

何時もながらの魔女の怪力を、杏子は要警戒だと認識した。

だが恐怖は微塵もなく、可憐な少女の顔に、八重歯を覗かせた捕食者の形相を浮かび上がらせている。

餌食に向かう牙のごとく、槍の先端を魔女に向け、杏子は魔女へと襲い掛かった。

 

迎撃として振られた剛腕に、杏子は左掌を叩き込む。

手の皮が幾らか削られていく痛みと引き換えに腕の軌道を逸らし、強引に距離を詰める。

何度かこういう経験はあったが、中々に上手くいったと思えた。

誰のお陰というか、所為というかは、今回は思考の端に追いやられていた。

重力に引かれつつ紅蓮の風となって、杏子は魔女の広い顔面へと着地。

魔女が行動に移るよりも早く、魔槍の切っ先が虚ろな左目へと突き立てられていた。

 

「どうだ痛ぇか、人形野郎!」

 

甲高い悲鳴を上げて、魔女が仰け反る。

だが無論、杏子が手を弛める訳もない。

 

「くたばれぇええええ!!」

 

狭い部屋の床一面程もある顔面を両足で踏みしだき、

両手で掴んだ槍を、奥へ奥へと押し込んでいく。

槍の先端が何かを砕く。

途端、ふっと、手に掛かる圧力が軽くなった。

槍が貫通に至った証拠だった。

 

「うぉあ!?」

 

次いで、少女の可憐な上擦り声が上がった。

 

「あ?そこにいたのか」

 

杏子からは全貌が窺えないが、魔女の輪郭の外で何か長いものが跳ねていた。

優木の、道化師然とした帽子だった。

この魔女の背中に、しがみ付いているらしい。

 

「い、今だ!やれっ!!」

 

叫びと共に優木と不細工な人形型の魔女、そして杏子に影が降る。

異界の天より注ぐ光源を遮るそれらは、先に交戦した二体の魔女だった。

そして、退避に移ろうとした杏子の脚を何かが抑えた。

そのまま影は彼女らを覆い、複数の巨大質量の落下が、異界を揺らした。

 

「ぐぇええっ!」

 

轢き潰された小動物のような悲鳴が、少女の声色で放たれた。

 

帯魔女

花嫁魔女

佐倉杏子

不細工人形魔女

優木

 

の順に層を作り、八メートル程の高さから一気に地面に激突。

先の悲鳴は、再下段から生じていた。

 

「ど、どうですかぁ?わた、私の、魔女軍団の威力は?」

 

魔女の山より優木が這い出て、床に這い蹲る杏子へと告げた。

優木の手足を、彼女の頭程度の物体達が引いているのが見えた。

魔女たちを小型化したような、ただでさえ正気を疑うような外見に、

更にデフォルメを加えたような異形たちが、優木の傍に群れていた。

魔女の眷属、使い魔達であった。

先に杏子の退避を阻害したものも、これらの内の一体だった。

 

「テメェ、どうやって魔女どもを手懐けてやがんだ?餌付けか?」

 

白い人形の手が杏子の背中を抑え、結界の床に頬を押し付けていた。

だが、挑発的な態度は崩さず、戦意も落とさずに杏子が訊ねる。

緩衝材が二つもあったことで受け身を取れたのか、杏子のダメージは思いの外、軽かった。

それでも内臓のいくつかが破裂し、肋骨が何本か折れていた。

地面と杏子の間に、皮膚を突き破った肋骨を伝い、熱い血液が滔々と流れていた。

 

既に治癒が完了しているが、常人なら即死に至る損傷を受けていた優木の目尻は憎悪に歪んでいた。

だが、無理矢理に笑顔を作り、杏子に微笑む。

そして、湧き上がる悪意を口から絞り出し始めた。

 

「あんた、バカですねぇ。私達は魔法少女なんですよ?」

 

背中からの圧力が倍加し、杏子の細い背骨が軋む。

杏子の口から漏れる嗚咽が、優木には至上の音楽に聴こえていた。

 

「魔法に決まってるだろうがっての。まぁもう終わりだしぃ、お粗末なオツムに腐れた脳味噌が、

 ちびぃっとだけこびり付いてるだけの、糞馬鹿なテメェに教えてあげますけど、私の魔法は洗脳なんですよ」

「へぇ。やっぱりな」

 

直後、杏子は苦鳴と共に、白い喉を見せた。

驚きを見せず不敵に笑う杏子の顎に、優木の右足の爪先が蹴り入れられていた。

 

「何、分かったってツラしてやがる。話を聞けっつの、この糞雑魚野良魔法少女」

 

反った細首を花嫁の手が拘束し、額を床に打ち付けさせる。

先程の嫌味なのか、両手の皮は未だに焼け爛れたままだった。

体液を溢れさせる、生焼けの掌の感触が杏子の肌を侵していく。

 

「私はですね。自分より優れた奴が大っっ嫌いなんです。

 親が金持ち、頭がいい、容姿がいい、友達が多い、恋人がいる、その他諸々」

 

帯型の魔女が、それこそ風に漂う布のように飛来し、杏子の右頬に寄り添う。

乱食歯の奥から伸びた紙状の舌で、杏子の頬を舐め上げた。

それに対し、杏子は逆に自分の歯を見せ、魔獣のように威嚇。

魔女は哀しげな顔を作り、頭部を遠ざけていった。

ちなみに、優木はこれに気付いていなかった。

鈍感というよりも、自分の世界に陥っていた。

 

「そういう奴等を洗脳して、何もかもをグッチャグチャにしてやるのが、私の願いだったんですよ」

「くだらねぇな」

 

心の底からといった風に、杏子は言った。

 

「何とでもほざいてください。でもこの能力のお陰で、私はグリーフシードには困りません。

 どんな魔女でもフクロ叩きでフルボッコですよ」

「つまり戦いは魔女に任せきりかよ。道理で、テメェ本人は弱いワケだね」

「これが私の戦い方なんです。つーか、現にそれでてめぇはヤられてるじゃねぇかってぇの」

 

くふふっと、侮蔑の意を押し出した笑い声を上げ、優木が跳躍。

既に背後に佇んでいた不細工な魔女が、ずんぐりとした手を伸ばして受け止め、

自らの額に優木を招く。

 

「つうかてめぇ、重いんですよバカ!今日はオヤツ抜きですよ!」

 

と叫び、踵を魔女に打ち付ける。

無表情ながら、しょんぼりとした下僕に対し、満足げな笑みを浮かべ、優木は更に言葉を続けた。

 

「魔女狩り以外にも便利なんですよ、この魔法。

 仲睦まじく戯れる恋人同士を、公衆の面前で醜く争わせたり、親兄弟間での虐待を誘ったり、

 家庭内暴力ごっこをさせてみたりとか。いやぁ、いいですねぇ。思い出すだけでゾクゾクします。

 幸せそうな連中がぶっ壊れていくのを見るのが楽しいですねぇ。心の底から笑えてきますよ」

 

長台詞を吐く優木の顔は、愉悦に歪んでいる。

それが、また別の意味合いを宿して歪む。

侮蔑と、憎悪に。

 

「でも、てめぇはいらねぇ。糞底辺の腐れ肉親殺しなんて、近くにいても邪魔なだけですよ」

 

杖の先端を杏子に向け、唾液を地面に吐き捨てる。

 

「ゴミらしく、木っ端微塵にしてあげます。これも、この風見野で最強の魔法少女たる私の役目ですから」

 

先端が白光を灯し、魔力が熱となって収束していく。

その光が、優木の顔を染めた。

片眼が極度に釣り上がった不気味な笑みが、異界の闇の中に浮かび上がっていた。

その時ふと、優木は使い魔どもの数が少ない事に気が付いた。

 

多過ぎても喧しいので、二十程呼び出させていた小物たちが、今では各種1~2匹程度しかいない。

見れば、魔女達に拘束された杏子の背後に、銀色の鉄扉が生じていた。

まるで巨大な焼却炉のそれのように無骨な扉は、完全に閉まっておらず、使い魔一体程度が通れそうな隙間があった。

恐らく、複数体の魔女を展開したことにより多重に生じた結界を通じ、極少数の真面目な居残りを残して、

残りは狩りにでも行っているのだろうと、優木は考えた。

 

木っ端微塵にしてやるとは言ったものの、「生焼け」にした後に貪り食わせるのも悪くないかなと思っていただけに、

頭数減少による予定変更は優木の苛立ちを招いた。

 

「あぁ、ありがとよ」

 

発射の直前、杏子はそう言った。

思わずというよりも怯えにより、優木は思わず、魔法の発動を停止させていた。

 

「あたしも、てめぇの側には居たくねぇ」

 

優木を見上げるのは、真紅の双眸。

優木はその瞳の中に、蠢く何かを見た。

戦意と怒りが、感情が流れて円環となり、杏子の瞳に宿っていた。

優木は、そう思った。

 

其処に。

 

鉄扉が開く、重々しい音が響いた。

微かに空いた隙間から、無数の音が聞こえてきた。

地を這うものたちの、歩脚が床を擦る音。

宙を漂うものたちが、空気を切って飛翔する音。

 

そして、水を含んだ何かが千切れ、引き裂けて落ちる音。

更に一拍遅れて、多種多様な音階の声が、狂騒曲とでもいうものが生じた。

それは次第に大きくなった、と思いきや、そこで絶えた。

音の発生源が、一気に消滅したかのように。

代わりに、無数の落下音が続いた。

それがまるで、舞台の幕引きであるかのように。

 

「おい、魔法少女」

 

女のそれとしか、思えない声が生じた。

優木は困惑と、それと恐怖に顔を歪めた。

同類の出現かと思ったのである。

反射的に、杏子を見た。

先程と変わり、うつ伏せになっていた。

そのため表情は分からなかったが、優木はほんの僅かな、掠れた声を拾った。

 

「嫌なヤロウだ。これからって時に」

 

声の認識とほぼ同時に巨大な扉が、地面を擦りながら、ゆっくりと開いた。

 

「俺への嫌がらせにしちゃ、こいつはちょっとやりすぎじゃねぇか?」

 

変身前の佐倉杏子の服を、そのまま男版にしたような服装の少年が、扉の隙間からこの異界へと顕れた。

扉を抜けた先の光景を見た少年は、幾つかの個所に視線を飛ばした。

秒も掛けずに一瞥させると、最後に視線が上方へと向いた。

浮遊する巨大質量の上部。

その指揮官たる優木へと、黒い瞳が向けられていた。

 

二秒ほど、少年と道化の眼が合った。

優木が相手の眼の中の感情を察する前に、少年の右手が茫洋とした翳りを見せた。

直後、優木の視界は黄に覆われた。

そして、彼女の足場を兼ねた魔女の黄色い剛腕から、何かがずるりと落下。

至る所に断面を生じさせ、体液を噴き出してびくびくと蠢くそれは、彼女の足場兼護衛の眷属。

使い魔だった。

 

「戦えるか?」

 

と、使い魔を優木へと投擲した黒髪の少年は、自身の目の前で魔女に拘束されている、真紅の魔法少女に訊いた。

 

お前の代わりに俺が戦う。

役立たずはそこで寝ながら見ているがいい、と。

杏子はそのように、彼の言葉を解釈した。

 

堪忍袋は既になく、残っていた理性とでもいうものが、この思考により溶解した。

胸の宝石が眩いばかりの光を発し、真紅の魔法少女に、更に深い紅を与えた。

炎の明るい紅ではなく、血のように暗い深紅の光を。

 

「何してんですか役立たず!さっさとそのメスガキを」

 

頬を強かに打ったものが、優木の言葉を断ち切った。

魔女の防御も間に合わなかった。

肉が弾け飛び、頬の下の歯を露出させた優木の顔にまとわりつくのは、極彩色の体液。

足元、即ち不細工魔女の額に落下したのは、白磁の美しさを持った女の腕だった。

認識と同時に、顔の一部を喪った優木が絶叫を上げた。

 

苦痛に呻く花嫁もまた、救いを求めるかのように 上空の優木へと手を伸ばした。

それらは、次々に切断されていった。

異界の色に等しい色彩の液体をブチまけ、花嫁は絶叫を上げて床へと仰向けに崩れた。

肢体が痙攣し、巨大な唇が、ヒトの拳ほどもある泡を吹いた。

更に、天を向いた背中の中央が隆起し、白の衣装が引き裂ける。

白の微塵と化した魔女の背中を突き破り、鋭角の十字架が聳え立っていた。

最初は一つ。更にもう一つ。

そして瞬く間に、花嫁の全身を、地面から突き出た無数の槍が貫いていた。

苦痛に身を捩ったと同時に、全ての槍の表面を真紅の光が包み込む。

熱と閃光が弾け飛び、可憐な絶叫と共に、花嫁は無数の肉塊と化した。

 

ぼとり、と、大きめの落下音を立て、何かが地面に落下した。

頭部、或いは本体か。

巨大な眼球は唇の破片をこびりつかせたまま、ある程度の原型を留めていた。

それを、真紅の槍が貫いた。

 

「ゴミへのご奉仕、ご苦労さん。精々、地獄で式でも挙げな」

 

残忍な弔いの言葉を受けたのが切っ掛けか、巨大な目玉は崩壊した。

残る破片たちも、同じように消えていった。

 

「相変わらず、すげぇ技だな。つうかお前、俺にも何本か向けやがったな」

「独りぼっちは寂しいだろうと思ってね。テメェなら魔女とお似合いだろうさ」

 

言葉に毒を絡めつつ、間に置けば、鉄でも切断しそうな視線の刃が、両者の間で交わされる。

絶妙に隔絶された距離を取りつつ横に並んだ少年と少女を、優木は上空から眺めていた。

 

「何ですか」

 

極寒の地にいるかのように、優木の声は震えていた。

 

「そいつは一体、何ですか!?」

 

今の技の事を聞いたのか、傍らの少年についてなのか、杏子は判別がつかなかった。

どうでもいいと思ったが、応えてやることにした。

慌てふためく優木の顔は、正に道化のそれであり、それを更に面白くしてやろうと思ったために。

 

「この女顔の黒髪野郎のコトなら、そんなもん、あたしが知るか」

 

歯に布着せぬ女扱いに、少年の太い眉が一瞬跳ね上がった。

それで済んだのは、流石に空気を読んだのと、耐性が付いてきたからだろう。

何事も、慣れとは恐ろしいものである。

 

「でも、これは応えてやる。

 あたしは杏子、佐倉杏子だ。これから、テメェに地獄を見せる魔法少女だ」

 

返答の趣旨は少しズレたが、見上げた先の優木は予想以上の反応を見せていた。

余程恐ろしいものを見たんだろうなと、そう思った杏子の口元が綻んだ。

獣の本能からくるそれではなく、逆襲への悦びに浸る、人間の邪悪な笑みだった。

 

 

 

 

 




さぁ、戦いだ!(某政宗氏風)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化③

遅くなりました。
新約2巻にて通行人に助けを求める、沙々にゃんが可愛すぎる。
ところで、あのブザーは自作なんでしょうか?







「あ~~、そうですか、そうか、そういうことですか」

 

優木は、杏子を見ていなかった。

彼女の宣戦布告というか処刑宣言も、聴かなかった事にした。

そうしなければ、確実に自我が崩壊するような気がしていた。

 

後ろ向きな思考を放棄し、優木は未来に挑むことにした。

先の発言により生じた、己を侵食する恐怖心からの退避の為に、

彼女は新たな標的を見据えていた。

対象となった少年は、奇妙な服装をした女に対し、怪訝な表情を浮かべていた。

 

「奴さん何か言い始めたぞ。呪文か?」

「さぁね。でも黙って聴いてた方が、テメェの為にもなるんじゃねぇの?

 テメェがここにいるのも、あいつが元凶かもしれねぇしさぁ」

 

まぁ確かに、と少年は返した。

因みにこれは彼を案じたためではなく、

自分だけ不快な気分を味わっているのは勿体ない、とした配慮からだった。

元凶云々も適当な返しである。

それにあの愚か者を好きにさせておけば、

先に己があの下衆に伝えた事柄が更に苛烈なものになるであろうと思っていた。

即ち、『地獄』が。

 

「そのお顔、髪型、私達と大して変わらない細身の身体。それに割と珍しい黒髪」

 

優木を額に乗せた不細工魔女が、更に上昇しつつ後退。

安全圏としたためか、優木の演説が開始された。

 

「ええ。そうですよ、そこの貴方についてです」

 

遥か彼方、最早親指程度の大きさにしか見えなくなった対象に対し、

優木は右手の人差し指をびしりと指した。

魔力を用いているのか、ただでさえ甲高く喧しい声が更に増幅され、

異界を震わすような大音声になっていた。

耳元で怒鳴られているかのような不快感に、新たな標的となったナガレは、

早速ながら気分を多大に害していた。

 

優木はと言えば何時の間にかに出現させた、

玩具じみた形状の望遠鏡でその様子を眺めていた。

因みに、丸っこい望遠鏡の尻から伸びた支え棒は、

彼女の足場である魔女の眉間に突き刺さっている。

それが不快なのか快楽なのかは定かではないが、当の魔女はしきりに奇声を挙げていた。

己が他者に与える苦痛を功績として実感しつつ、

優木は満足げに微笑みながら言葉を続けた。

 

「いやね。さっきの登場には驚きましたよ。タイミングとか、

 よく勉強してると思います。

 腐れ脳味噌女の思考を再現するのは不愉快ですが、多分こうでしょう。

 そこの赤毛の雌猿が吹き込んだか植え付けたんだかの貴方の設定は、

 異世界からやって来た何の変哲もない男子学生」

 

優木の発言、というかその考察は、ナガレの顔から怒りを拭い去った。

黒髪の少年は首を傾げ、怒りの代わりに不信感で満ちた視線を優木に送った。

対する優木は、それが図星を突かれたが故の困惑だと受け取った。

そして、相手に気取られぬよう少年の傍らの、自分の同類を流し見た。

対象の顔に浮かぶ憤怒の片鱗を見た瞬間に、優木の脳は認識を拒絶した。

 

更なる汚濁の言葉を紡ぐため、彼女の肺は大量の空気を吸い込んだ。

恐ろしいものを見た事実さえ忘却させ、優木は更に続けた。

内なる恐怖に、圧し潰されてしまわぬようにと。

 

「そこの家族殺しにナニをされたか知りませんけど、

 私の足元にも及ばないとはいえ洗脳にはそういうやり方もあるんですねぇ。

 正直な処、侮ってました。

 糞底辺のいじましいというか貧乏くさいというかな、涙ぐましいやり方には。

 何でか分らねぇですけど、アニメや小説でも

 最近流行ってますからねぇ、そういうの。

 幾ら親無し金無し能無しの社会不適合者でも古本屋行けば安く買えますしぃ、

 万引きするって手もありますか。

 あぁあと、一応は雌ですからね。如何わしい宿の前で『内容』と

 『料金』を書いた紙でも持って立ってれば大金出してでも

 テメェをアレしたいっていう野郎どもにも逢えるでしょうし、教材は簡単に揃いますねぇ。

 でもまぁそれはともかくとして。残念でしたね。

 そこの可愛い顔したお間抜け男子。

 これは異世界でも妄想でもなんでもない、

 クソみたいにくっだらねぇ現実世界のお話です。

 てめぇはそこのド底辺野良魔法少女からちょっと強い力を貰って、

 偽の記憶を仕込まれて、そこの雌猿にとって都合のいい感じの

 主人公をやらされてるだけの、ただの愚か者の人間なんですよ」

 

長台詞に疲れたのか、優木は一息ほどついた。

望遠鏡を既に消失させたこともあり、罵詈雑言のターゲット達がどんな様子なのか、

この時点では気付かなかった。

 

 

「さっきの遠投にはちょっと驚きましたけど、

 あんなの魔力を与えられりゃ出来ないもんじゃないですよ。

 ついでに話が変わりますけどあんた、女の趣味が悪いですね。

 発情期だかなんだか知りませんが、はっきり言って最悪です。

 そのガキ臭い感じが無かったら、

 二、三日くらいなら私の奴隷にしてやってもいいくらいのツラだってのに。

 まったく喰われるにしても、もっといいのがいたでしょう。

 それが寄りによってこんな色気の無ぇ、

 胸も平らなメスガキなんかの手駒にされて。これだからガキは嫌いなんですよ。

 ヒトっていうか、モノを見る目が無さ過ぎます。

 人生の先輩として、情けねぇったらありゃしねーです。

 ま、あんたがそういうのが好きなロリコンさんだってんなら話は別ですがね。

 とりあえずまぁアレですよ。

 ナニされてナニ吹き込まれたか知りたくもありませんけどぉ、お情けとして

 お隣の赤毛女もろとも骨も内臓も脳味噌もぜぇええんぶ仲良く、

 グッチャグチャにしてさしあげます。

 意識はしばらく残るようにしてあげますから、

 血肉や体液はもちろんのこと、魂が蕩けるくらいの熱~~い抱擁を愉しんでください。

 言うまでもなく快楽よりも地獄の苦痛が勝るでしょうが、

 それはそこの雌猿が、か弱い私に対して散っ々に働いた

 極悪非道行為の連帯責任だと思って諦めてくださいね。

 ああ、都合のいい夢だか妄想だか、過去の辛い経験だかの回想も糞ウゼェので、

 それもあっちに逝ってから好きなだけしやがりなさい」

 

 

長く長い、長すぎる言葉を紡ぐごとに、優木の顔には恍惚の色が広がっていった。

だが本人の意思とは無関係に、長台詞の中頃から、優木の魔法少女の本能は

眼下で生じる莫大な魔力の生成を捉えていた。

その影響か、優木の眼に映る佐倉杏子は人の形をしていなかった。

滔々と湧き上がる恐怖心が、警告として脳に対してそう認識させているのか、

脳内に広がる佐倉杏子の姿は、煉獄で生まれた悪魔のような、

人型の火柱のようになっていた。

 

揺らめく火柱の上部にて。

人で言えば眼が穿たれている部分からは、全体の赤を極限まで凝縮したような深紅の光が、

獣の牙や名刀もかくやといった鋭さの枠の中で、邪悪としか言いようのない輝きを放っていた。

 

その様子に、優木は一瞬の思考を巡らせた。

佐倉杏子が自分に見せるであろう地獄は、確かに発狂せんばかりに怖い。

表現の仕方に統一性が無く、語尾の重複が増加している辺りに混乱の片鱗が見えていた。

発言の内容も、恐怖を拭い去る為の逃避の思惑もあってか暴走気味だった。

 

それでも自分の手によって他人が傷付く事が、優木は狂おしい程に愉しかった。

自分に根付いている、ある意味性欲にも近い原始的欲求がそれとでもいうように、

彼女の精神は至上の酩酊感にあった。

 

それが彼女を、更なる狂気に奔らせた。

引き続き、火柱の傍らに立つ『女顔』に視線を向ける。

 

「つまり『役立たず』な『糞雑魚』のてめぇは、細切れにして魔女の餌にしてやるって事ですよ!

 だからさっさと泣き喚くなり、命乞いするなりしやがれってんだ!

 ここまで優しく丁寧に言ったんだから、

 いかにもクソガキって感じのツラした低能のてめぇにも分かるでしょうが!」

 

言い放った直後、異変に気付いた。

それでも、優木の頭脳に沸いた悪罵は止まらなかった。

感情が濁流のように口腔から溢れ、可憐な声が、それを言葉として解き放った。

 

「分かったらさっさと土下座して、その可愛い声とツラで泣き喚け!

 この『女顔』で『メス声』の、見るからに『童貞臭い』『ゴキブリ色の黒髪』の!

 『ロリコン』で『無力』な『猿以下』の『大馬鹿』野郎!!!!」

 

肺の中の空気を奇麗に使い切った優木の顔は、恍惚とした輝きがあった。

元々、美少女には違いない容姿の上でのそれは、妖艶な女の魅力さえ孕んでいた。

絶望に心折れ、滂沱の涙を流して跪く少年の無様な姿の幻視は、

彼女の嗜虐心を満たすに足りた。

期待と共に視線を降ろす。

気分は、天上から下界を見下ろす女神のそれとなっていた。

睥睨された下界に、変化が生じていた。

 

火柱が増えていた。

 

優木の脳内にて、少年が居た場所からは、

禍々しい輝きを放ちながら揺らめく、闇色の火柱が生えていた。

 

「おい、ピエロ女。ちょっと待ってな」

 

抑揚のない、ぽつりとした声が優木の耳に響いた。

足場の魔女が気を利かせ、音を拾って優木に届けたようだった。

 

煉獄となった杏子の眼が一瞬、隣へと向いた。

向いた途端、少女の眉が跳ねた。

直後に杏子は数歩ほど、傍らの少年から距離を取った。

まるで、忌むべきものを避けるかのように。

 

きっ、きっ、と、魔女はしきりに奇声を発していた。

まるで、奴を早く仕留めろと言わんばかりに。

優木はそれをただの不快なノイズとしか思わず、額に左脚の踵を踏み下ろした。

悲鳴と共に、奇声は止んだ。

優木はその反動を利用し、哀れな下僕の額の上で軽やかに跳ねた。

如何にも『魔法少女然』とした可憐な舞踏と共に、手にした杖を振りかざす。

 

純白の光が迸った、直後に優木の周囲に異変が生じた。

先の光とは対照的な、暗黒の靄が現出した。

水に垂らした墨汁のように拡散しつつ、濃度は刻々と増していく。

たちまち優木が乗る魔女ほどの大きさとなり、凝縮した黒が形を成していく。

 

優木から見てやや下方。

異界に生じた更なる異界より、新たに二体の魔女が召喚されていた。

彼女から見て右には、壊れたマネキンの胴体に、

節々が刻まれた黒い鍔広の三角帽子を被った個体が。

 

左には、白鳥か天使のような翼を備えた、卵型の形状をした個体が滞空していた。

共に優木の足場を兼ねた魔女に匹敵する体格を持ち、無貌の顔で獲物たちを睥睨している。

 

切り札を出した優木の精神に、安堵の波紋が広がった。

先程までの幻視が、それこそ幻のように消失。

眼下の者達は、脅威から獲物へと戻っていた。

 

尚この時、距離をとりつつも少年の傍らにいたはずの、佐倉杏子の姿が消えていた。

恐らく怯えて逃げたのだろうと、優木は思い描いた。

それは、祈りにも等しい願いでもあった。

 

「く、くぅっふふ。何ですかその可愛い声、ひょっとして」

 

先程の少年の言葉に対し、「それで恫喝のつもりなんですかぁあ?」

と、続く筈だった。

 

 

 

閃光。

 

 

破砕音。

 

 

爆裂。

 

 

暴風。

 

 

突如として。

ほぼ同時に発生したそれらが、優木の言葉と思考を破壊した。

閃光に眼は眩み、破壊の音は鼓膜を貫いていた。

爆風が少女の小柄な体格を蹂躙し、転落の危機に陥らせていた。

 

「………してやる」

 

自分に伸ばされた魔女の手を掴み落下に耐える中、優木はそんな声を聴いたような気がした。

悍ましい響きを孕んでいたが、発声には特徴的な舌足らずさがあった。

佐倉杏子の声だった。

破れた鼓膜の治癒が済んでおらず殆ど聴き取れなかったが、

 

「優木さん。全部あんたの言う通りさ。あたしが悪かった。

 罪を償いたいから、貴方の下で働かせてくれ。何でも言うことを聞くから許してやる」

 

で、無いことだけは確かだった。

 

そして這い上がった優木は、召喚したての魔女達の苦痛の呻き声を聴いた。

 

「ぴゃっ!?」

 

恐る恐るに眼をやった途端、優木の唇から、可憐で間抜けな悲鳴が迸った。

黒い鍔広帽子を被った魔女は、華奢な胴体に。

有翼の卵型魔女は、獰悪な断面を見せる口腔のすぐ上に。

直径で見て、バスケットボール大の大穴が空いていた。

上と同程度の奥行の穴の淵は黒々と焼け焦げ、立ち昇る一筋の煙と共に、

そこからはゴムが焼けるような悪臭が放たれていた。

 

原因不明の攻撃だが、被弾した場所が生物であれば生体の急所に当る場所の為に、

二体の魔女は戦闘不能状態に陥っていた。

 

「この…役立たずの愚か者!」

 

何が起こったのか分からなかったが、反射的に優木は叫んだ。

魔女が負った傷は深く、再生が開始されたものの、

破壊孔からは異臭と膿のような液体が溢れ出した。

優木は目測で、数分はこの状態が続くと見た。

心中で徹底的な罵詈雑言を浴びせ、脳内で自身が魔法の杖を振るい、

この役立たずの二体を華麗に惨殺するビジョンを思い描く。

 

しかし残念ながら優木の妄想とは裏腹に、現実は止まっていてはくれなかった。

黒髪の女顔その他諸々の言葉の刃をぶつけた相手が、優木の元へと疾走を開始していた。

 

人類の基準で言えば、風のように速く。

それでも、魔法少女のそれだとしたなら甘く見ても中の下程度。

嘲りの感情が優木の心中に湧いた。

嗜虐の欲望を満たすべく、優木は佐倉杏子の探索を一旦放置。

彼女はまず、迫り来る存在を排除することにした。

 

「やれ!下僕ども!」

 

優木の号令と共に、異界に変化が生じた。

黒色の床面に、無数の瘤状のものが湧き上がる。

泡のように弾けると同時に、瘤と同数の異形が噴出した。

 

「そいつがお前達の今日の餌です!ずったずたにしてやれ!」

 

異形の群れは、疾走する少年の前に一斉に飛び掛かり、巨壁と化して影を落とした。

形状は様々だったが、全てに共通する点があった。

ずらりと並んだ多種多様の鋭角を持つ牙を剥き出しにしながら、

雑音としか思えない咆哮を挙げ、浅ましいまでの食欲を露呈させている。

魔女の眷属、使い魔の群れだった。

 

大樹から、腐った果実のように落下していく三十体近くの異形の群れは、

一瞬にして少年の姿を覆い隠した。

優木は、直後に生じるであろう悲鳴を待った。

 

そして、それは叶った。

耳を澄ませた優木の耳に、盛大な悲鳴が届いた。

人ではなく、異形が発するそれが。

 

その直前、無数の鋭い打撃音が、使い魔と少年の間で生じていた。

 

異形の悲鳴を聴いた優木は、異様なものを見た。

 

使い魔が少年を覆いつくし、肉を貪っているであろうはずの場所から、

手首近くまでを黒いアンダーシャツに覆われた、細く長い人間の腕が生えていた。

その肘の半ばごろには、異形の肉塊がぶら下がっていた。

煩悶と震えているのは、卵型の胴体に小さな羽を生やした使い魔だった。

 

親に比べたらまだ大人しめの尖り方をした口腔に少年の手が這入りこみ、

人間でいえば後頭部か背中とでもするような場所からは、その切っ先が突き出ていた。

切っ先は、極限まで握り絞められた岩塊のような拳であった。

それが軽く振られると、使い魔の死骸が腕から抜けた。

 

同時に彼の体表を伝い、先遣隊として最初に彼に襲い掛かった

複数の使い魔達が彼の周囲に転がり落ちた。

何れも、口腔が無残に破壊されていた。

獰悪な形状の歯の群れは、根こそぎへし折られている。

残忍な破壊の痕跡であるクレーター状の陥没痕の形状は、少年の拳の形によく似ていた。

 

「流石は化け物だな。悪趣味な縫い包みみたいな外見のクセに、コンクリみてぇな肌してやがる」

 

拳を開閉させながら、少年は周囲の異形を見渡した。

可愛げのある顔には、口角を耳に向かって吊り上げさせた、半月の笑みが張り付いていた。

 

「おっと」

 

軽く言いざま、彼の左手が後方へと放たれた。

所謂裏拳の形で振られたそれは、彼の背後に迫っていた使い魔の顔面に着弾。

全ての牙が内側に向かってへし折られ、体液を撒き散らしながら彼の足元へと落下した。

歪な卵型の胴体は、前面に加わった衝撃により中間部分が蛇腹状になっていた。

 

痙攣するそれを、少年の長い脚が踏み潰す。

内側に詰まった肉と体液を口腔からひり出しながら、使い魔の命が消えていく。

だが、消えゆく前に少年の長い脚が円弧を描き、無造作に蹴り飛ばした。

血肉を撒き散らす、残忍な彗星と化して瀕死の使い魔は後続の同胞達と激突。

互いの外皮を砕きながら、今度こそ死に至った。

 

巻き込んだ個体は四体。

内の二体が破裂し、残りは手足や羽をもがれて戦闘不能。

彼が評した硬度の例とは裏腹に、まるで砂糖菓子か煎餅が咀嚼されるかのように、

使い魔達は破壊されていた。

 

瀕死の昆虫のように裏返り、蠢く使い魔達を踏み越えながら、後続の同類達が殺到。

同胞の悲鳴や苦痛さえ、湧き上がる食欲を刺激する要素でしかないようだった。

 

「中々いい根性してるじゃねぇか」

 

少年の呟きには、感嘆の色があった。

自分に対して、臆せず向かってくる存在に対しての賛美にも、

面白い玩具を見つけた子供が抱く、純粋な喜びのようにも見えた。

 

己に向かう異形の群れに対し、少年が疾走を再開。

異形の群れとの激突の寸前、大量の血肉が宙に躍った。

足元に生じた震えを察知し、少年はそれの一瞬前に背後へと退避していた。

 

彼の足の爪先に、異形の肉片が降り注ぐ。

無数の苦痛の叫びの中で、一体の使い魔が挙げた悲鳴には、

他のものらを圧する悲痛さが込められていた。

それは、巨大な牙の間から生じていた。

 

「おい。随分と似てるけどよ、そいつはてめぇのガキじゃねぇのか?」

 

嫌悪感と共に吐き捨てられた言葉を、耳障りな叫びが迎え撃つ。

咆哮の直前に、残忍な咢が組み合わされた。

悲鳴を上げる間もなく、咥えられていた使い魔が断裂。

大量の体液と共に地面に転がったのは、雛人形の顔が付いた巨大な帯だった。

 

同類と自身の子を殺戮し彼の前に出現したそれは、

苦悶と共に消滅していく使い魔を、更に数十倍に巨大化させたような姿をしていた。

純白の体表を、まるで誇るかのように見せながら空中を漂う。

先に杏子との戦闘で負った、無残な傷も癒えていた。

 

彼を馬鹿にしているのか、彼の眼前に悠然と帯の腹を見せ、帯状の魔女は飛翔する。

即座に拳が打ち放たれたが、それは虚しく宙を切った。

その巨体と見た目からは想像も出来ないような速度で旋回。

嘲るように彼の周囲で身をくねらせる。

 

彼が更に追撃、に移ろうとした際、その身体が崩れた。

彼の足首に、白い帯が巻き付いていた。

細い帯は、先に延びるに従って太くなり、魔女の胴体へと続いた。

転倒からの落下に至るより早く、その華奢そうにも見える身体に幾重もの白が絡みついた。

下半身は勿論の事、腹部に首にと、大蛇のように巻き付いていく。

 

「絶対に離すな!口からハラワタ出すまで締め上げろ!」

 

主の言葉に従うべく、異形の全身に力が籠る。

圧搾される少年の顔の前に、帯の先にある巨大な人形の頭部が迫る。

魔女としてはこのまま噛み砕きたいのだろうが、主による拘束が強いためか、

醜い歯を名残惜しそうにかち鳴らしていた。

 

「そのままゲロ吐いて死ね!この紛い物!!」

 

最後の言葉は、優木の口から咄嗟に迸ったものだった。

紛い物とは、自分たちと比較してのものだろう。

本性の邪悪さはともかくとして、

自分が魔法少女であるという事は彼女の誇りであるようだった。

 

優木の叫びの直後、破壊音が鳴り響いた。

肉が引き裂け、骨が砕けるような音が鳴った。

 

叫びの直後なだけに、見事に自分の願いが叶ったような気がしていた。

ごり、ごき、ぶぢゅりと、凄惨無残な音の一つ一つが、優木の心を多幸感で満たしていった。

この音なら、死に顔はとても愉快なものだろうと、黄色い道化は期待を覚えた。

まだ息があれば、更に面白い事になるだろうとも。

いかにも魔法少女といった可憐な動作で杖を振り、

「その生ゴミを持ってきなさい。大至急ですよ、でも落としたらお仕置きですからね!」

と、帯の魔女に思念を送る。

 

命令を受けた魔女は即座に上昇。

傲慢な主の元へと獲物を輸送、しなかった。

 

「は?」

 

優木が不機嫌な声を出した。

中身はともかくとして、紛れもない美少女の眉間に、くっきりとした青筋が浮かんでいた。

帯の魔女は、優木ご執心の不細工なずんぐりむっくりとした

巨大魔女の滞空地点を通過して更に上昇。

更には果てしなく広がる結界の空を、縦横無尽に駆け巡り始めた。

 

「何やってやがんですか。ひょっとしてあんたも発情期だったんで?」

 

ここへの出張前にたまたま観ていた自然番組で流れていた、

蛇の交尾の様子を思い出しながら優木は言った。

何を思ったのか、優木の青い目に淫らな色が覗いた。

舌で唇を舐めながら、魔法少女の視力で『現場』を仰ぎ見る。

 

見上げるのとほぼ同時に、彼女の頬に何かが触れた。

怪訝な表情で拭い、それに触れた左手を目の前に翳す。

黄色い手袋で覆われた指先に、粘ついた液体がこびり付いていた。

極彩色の体液、即ち魔女の血液だと気付いた途端、優木の背中を氷柱が刺した。

背骨自体が、氷に変容したかのような悪寒であった。

 

再び、視線を上空に戻す。

先程よりも、魔女は低所に降りてきていた。

それも手伝い、優木にはその光景がはっきりと見えた。

 

体液と同色の口腔の手前にずらりと並ぶ乱杭歯に交じり、何かが魔女の口に生えていた。

金属の輝きを放つ、鉄棒のように見えた。

握るのは、帯の隙間から突き出た右手。

それが、右側へと一閃。

軸線上の歯茎に醜い傷が刻まれた後に、歯茎と共に乱杭歯が異界の地面に向けて落下していく。

人の言語に変換不能な、悲痛な叫びが放たれる。

 

閉じられていた魔女の瞼が開き、人間に酷似した眼球が露わとなった。

巨大な球に描かれているのは、苦痛と恐怖。

 

その視線が、自らの歯に食い込む物体の根本に向いた。

巨大な瞳孔には、瞳の中に渦を宿した黒眼が映っていた。

 

途端に、魔女の巨体が痙攣。

拘束が緩んだ隙を突き、黒で覆われた細長い左腕が、戒めの白より現出する。

腕の先。

細いが、使い魔さえ殴り殺す力を備えた五指が、刃を備えた鉄棒を力強く握りしめていた。

のたうつ魔女の苦痛や振動など知ったことでは無いというように、

凶悪な武器が魔女の顔面に振り下ろされた。

乱杭歯の幾つかを叩き斬り、唇と歯茎に深々と身を埋めたのは、漂泊の刃。

黒曜石に似た光沢を宿した柄が、緩い湾曲を描いたそれを支えている。

 

世界の邪悪、生きた絶望とでも云うべき魔女に苦痛を与えているのは、二本の武骨な斧だった。

それらを握る二本の手が、残忍な凶器を一気に下方へと引ききった。

人であれば喉にあたる場所にまで、二筋の傷の渓谷が刻まれた。

 

新たに空いた隙間からも悲鳴を上げながら、帯の魔女は必死に蠢く。

上昇する力が無いのか、下方へと落下していく。

混乱する魔女の思考に、先程の主の声が反響した。

 

『急いで』『ここに』『来い』という命令が、洗脳を受けている魔女の思考を支配した。

 

 

「えええええええええええええええ!?」

 

 

自分に向けて急速落下してくる存在に、優木は恥も外聞もない悲鳴を上げた。

しかしながら、当然と言えば当然である。

 

「(何だよあれ!?何!?斧!?それ何て蛮族だよ!?

 あの女顔にどんな設定盛ったんだよあのクソ女!!!)」

 

混乱の中でも、佐倉杏子への呪詛は忘れない。

最早、勤勉さや誠実さに似たものさえ感じられる。

 

軌道から見て激突は確実と判断した優木は、

盾にするべく足場の背中へと、地を這う爬虫のように退避していく。

 

危なっかしい動きの主を、魔女の左の巨腕が背中に押し付けるようにして支える。

 

「むぎゅぁあ!?」

 

優木の悲鳴に、空気を焼け焦がすような摩擦音が続いた。

残る右手が巨大な砲弾となり、巨大な爆雷と化した同胞を迎え撃った。

優木の護衛の腕力が勝り、帯の魔女が無残に破裂。

自らが殺戮した使い魔以上に、惨たらしい状態となって落下していく。

因果応報とは、まさにこれと云ったところだろうか。

 

傍らを通り過ぎながら落下していく巨大な帯を、優木は恐怖の視線で見送った。

 

「ふぇええ…」

 

と、安堵による可愛らしい吐息を吐きつつ、優木が魔女の背を昇る。

不意に足が滑り、道化姿が宙に浮いた。

小さい悲鳴を上げつつも手を伸ばした。

間一髪で、優木の手は希望を掴んだ。

 

 

差し出された、人間の手を。

 

 

恐怖が全身に広がるより早く、身体が一気に引き上げられた。

足がもつれたが、杖を突いて転倒を防いだ。

だからどうした、という自虐が心の奥底で生じた。

 

「けったくそ悪い眺めだな」

 

すぐ近くというか背後で、自分達と似た年頃の女に、とてもよく似た声がした。

その音源と自分を隔てる距離は、一メートルもない。

 

即座に退避すべきだったが、安堵からの急激な硬直により、筋肉が強張り動かない。

そもそも、肉体が命令を拒否しているような気分だった。

第一に、逃げる場所は何処にもない。

 

「会ってまだ数分だけどよぉ、お前さんにはお似合いだ」

 

足場と護衛を兼ねる魔女の、叱咤のような奇声が、

地面に横たわった帯魔女の悲痛の声が、今の優木には果てしなく遠い遠い存在に。

それこそ、別の世界の事柄のように感じられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




なんか、随分と長くなった気がします。
書くにあたって、新説2巻を読み返すことが増えたのですが、
美緒さんの服装、というか下半身はちょっと過激すぎやしませんかね(誉め言葉)。

あと、美緒さんを煽る沙々にゃんの顔は素敵すぎます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化④

前回と前々回の間が開きすぎましたが、続きです。




怖い。

 

怖い怖い怖い。

 

怖い怖い怖い怖い怖い。

 

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

 

優木の頭脳は、その言葉で埋め尽くされていた。

後ろで息づくものの吐息が、鼓動が聴こえる度に頭に浮かぶ文字の色が濃さを増し、数と大きさも増えていく。

そんな陳腐で馬鹿げた表現が思い描かれるほど、優木の混乱は深まっていた。

 

「(なんで、なんで私がこんな目に合わなきゃいけねぇんだよ!クソが!)」

 

だが、幸い且つ皮肉なことに、恐怖の最中に生じた悪意が、

優木を狂気じみた正気に戻していった。

先の演説の際と同様に、無尽蔵に湧き上がる悪意が恐怖を押しやっていく。

明瞭になっていく意識の中で、優木沙々は思考する。

 

自らの家族を破滅に追いやって尚、のうのうと生きている害虫を駆除し、

自分が支配する空間を広げるという大義名分を成すために、自分はあの廃教会に赴いた。

 

事前の調査の際、街角で一目見た途端に義憤にも似た怒りを覚えた。

自堕落な社会不適合者、衣食住にも事欠く哀れなくたばり損ない。

そのくせ、幼い外見の中には野性味のある美しさが見てとれた。

 

それが特に、『生意気だ』という意識を優木に抱かせた。

また年下の同類への憐れみは全くなく、家族殺しへの好奇心と

刹那的な生き方への侮蔑が彼女の興味を引いた。

そして嗜虐心以外にも、佐倉杏子を狙った理由はあった。

 

自分は、また自分を気に食わないと思っている連中は大勢いるが、

そいつらは卑怯にも徒党を組んでいた。

何度か生じた激突の際、多数の魔女を従えてなお毎回のように、

優木は数の暴力を思い知らされていた。

ならばこそ、今の自分には成長が必要だと思った。

その栄えある生け贄として、孤独に生きる魔法少女である

佐倉杏子が選ばれたのであった。

 

優木にとって不運だったのは、杏子に目を付けたはいいが、

初見から見下していた上に、最近の調査を怠っていたことだった。

その結果の一つが今現在、彼女の背後にいるのである。

 

 

優木の予想では、もう今頃は帰路に着き、

甘い菓子を魔女達と分け合っているはずだった。

風見野で一番のホテルにでも泊まり、無数の星々の下、

遥か彼方で立ち昇る火災煙を眺めていたかった。

そして友人を兼ねた魔女に数時間前まで魔法少女だったモノの残骸を餌食として与え、

その憐れな生涯と、これからの自分の栄光への旅路に思いを馳せているはずだった。

 

それが、何で。

 

魔法少女ですらない、たかが人間如きにここまで接近されなければならないのか。

何故、こんな恐怖を味わわされているのか。

少しばかりの力を得ただけの、佐倉杏子の下僕なぞに。

魔法少女のマガイモノごときに。

そんな理不尽な事はあってはならない。

 

 

気に入らない奴らの頭目が、戦略的撤退をする自分の背に向けて、

声高らかに言った言葉が、優木の脳内に反響した。

 

 

『魔法少女は力ある者』

 

 

「えぇ、全くその通りですね死ね」

 

悪罵と共に、忌々しい思い出が彼女の心に去来する。

コミュ障の挙動不審地味子、そのお友達の露出狂一歩手前のデコハゲ。

頭お花畑の赤ずきんもどきに、武芸者気どりの脳筋バカ。

そしてそいつらを取り仕切る大バカ者からの有難いお言葉に、優木は心中で同意した。

 

 

『故に正しくあるべきであり』

 

 

「そうですね死ね、バケツ頭のクソ女」

 

 

その言葉の次は忘れてしまった。

大事なのは、自分で覚えている部分の意味だけだ。

 

そう、正しくあるべきなのだ。

 

世の中に蔓延る無数の不快な星屑どもは、

自分という月と太陽の下でのみ、その輝きを許される。

それはあくまで例えであるとは分かっているが、

物語とはそうあるべきだと優木は確信していた。

 

自分が得た魔法は、とてもとても素晴らしきもの。

これを使い、人生の旅路に転がる糞同然の有象無象共を

蹴散らしながら、切り開いていく栄光の未来。

 

やがて訪れる、完璧なる大団円。

この命が尽きるまで、享楽の限りを尽くし最後の最期まで、

与えられた生を愉しみ尽くしてやると。

 

それを邪魔するのは下等な紅い蛆虫と、そいつに与えられた力で粋がる紛い物。

自分という物語の、頁の中に紛れ込んだ異物。

あっては成らない『偽りの物語』。

 

『偽書』とでも云うべき、汚濁の記録は自らの力で完膚なきまでに焼き尽くしてやる。

姿勢の支えとしている杖に、魔の力が満ち満ちた。

 

そして驚くべきことに、ここまでの思考に要した時間は、なんとコンマ五秒以下。

凄まじい凝縮をされた悪意だった。

振り向きざまに、彼女は自分なりの正義の悪意を破壊の力として解き放った。

 

 

「死ね!メスガキ野郎!!」

 

 

閃光の照射と共に、優木が叫ぶ。

動作に全くの停滞は無かったが、ほんの一瞬優木は思った。

あ、洗脳でも良かったじゃんもったいねェ、と。

 

至近距離で白熱光が炸裂し、熱風が優木の肌を叩いた。

更に爆音が鼓膜を劈き、閃光が優木の眼を眩ませる。

 

足場の魔女が苦痛の叫びを挙げたが、知ったことではなかった。

優木自身も輻射熱を受け、肩や腕、それに顔など、

肌が露出した部分に幾つかの火膨れを負った。

最優先で顔に治癒魔法を発動、醜い爛れが瞬時に消失し、

ついでに肌に宿った熱も拭い去る。

余波でこれなら、中心部にいたあの女顔は跡形もなくなっているだろう。

 

それを証明するかのように、優木の立つ場所からちょうど、一メートルほど離れた

着弾点と思しき場所からは、うっすらと煙が立ち昇っていた。

 

黒い炎のような、人型をした煙が。

それは大きく揺らめいて、そして。

 

「ぐがぁ!?」

 

それが煙などでは無いと気付いたころには、もう遅かった。

優木の薄い胸元に、薄闇を宿したかのような黒い右拳が突き立っていた。

 

「てめぇ今、凄ぇツラしてやがったぞ。魔法少女がどういう生き物なのかは

 まだよく知らねぇけどよ、そうやってエネルギーの充填でもしてんのか?」

 

肺の空気が一気に抜け、絶息の苦痛が優木を襲う。

だがそれを、彼女は全くとして認識が出来なかった。

目の前の存在が、苦痛による気絶を赦してはくれなかった。

 

優木の青い瞳に映る黒い瞳、その内部で更なる黒が円環を描いている。

異界を思わせるような渦巻きが、優木の意識を捉えて離さない。

離れられない。

 

否が応にも、優木は眼前の光景をまざまざと見せられる羽目となった。

 

己の胸に突き立つ右拳は、半分程度が自分の肉に埋没していた。

へこみ具合からすると、肋骨や肺にクレーターが生じていることが分かった。

それはいい。

良くはないが、今はどうでもいい。

 

散々に女顔だの、メスガキだのと馬鹿にした少年の顔が文字通りに自分の顔の前にある。

不思議と火膨れの数は少なかったが、少年の顔には無数の傷が生じていた。

陶器に生じた罅のような裂け目が、鼻筋と頬、額に眼尻にと拡がっている。

それらは全て、断面が黒く変色していた。

瘡蓋よりも、更に黒くエグい色に。

 

「やるじゃねぇか。口だけってワケじゃなさそうで安心したぜ」

 

声と共に、少年の右腕が引かれた。

ぐぽり、という生々しい音を立て、優木の胸に生じた

肉の陥没より少年の拳が引き抜かれる。

 

それに伴い、今度は彼の左手が動いた。

まるで地の底からの風が吹き上がるように、それは彼の頭上に高々と掲げられた。

頂点には異界の光源を受けて、漂泊の光を放つ得物があった。

 

掲げられた斧の表面からは腐敗した肉が燃焼していくような、

鼻を劈く甘ったるい異臭が白煙と共に立ち昇っていた。

不意に斧の一部が剥離し、彼の足元で、優木と彼の狭間で弾けた。

 

反射的に眼で負った際に、少年の全身の様子が見えた。

膝、胸、腹と着衣の至る所に、抉り取られたかのような破損があった。

そこから覗く素肌には、顔と同様に黒く染まった傷跡が見えた。

嗜虐的な興味からか、無意識に鼻孔の感覚が強化。

彼女の嗅覚は、濃厚な鉄錆の香りを捉えていた。

 

「今まで、散々やってくれたなぁ…」

 

呪詛を聴いた優木の脳裏に、不気味な予想が浮かんだ。

 

恐らくこいつは、帯魔女の拘束から逃れる際、

先程の魔女の剛腕により肉体の広範囲に渡って深い傷を負ったのだろう。

 

そして先に放った破壊光を、斧の腹で受け止めた。

 

自分に絡みついていた魔女の肉片を巻き付けた斧で。

 

両者の間に落ちた欠片には、黒く焦げつつも、絹のような体表の面影があった。

 

そして更にこいつは、この可愛げのあるツラをした女みたいな声の少年は。

 

こちらが放った魔力の熱で全身の傷を焼き、強引に出血箇所を塞いでいた。

 

意図的か偶然かは定かではないが、あまりにも馬鹿げているとしか思えなかった。

第一、光速で飛来する破壊魔法を、幅が広いとはいえ

斧なんかで受け止められるというのが怖い。

その斧も、どうみても既製品のそれではなく、黒曜石に似た輝きを放っていて、

原始の野蛮人が振るっていた化石じみた感じがしてて怖い。

 

複数の断片を、無理矢理つなぎ合わせたような

溶接跡や接合痕が各所に見受けられ、手造り感が溢れていて怖い。

それと、魔女の皮膚で防いだとはいえ、破損していないのは何で、怖い。

そもそも斧って何、さっきまで無かったでしょ。

そんなのどっから出したの怖い。

 

顔に生じた傷を埋める黒い跡が、妙に似合ってて少し気に入ったけどやっぱり怖い。

そして揺るぎもしない闘志、というか殺意が一番怖い。

 

「今度はこっちの番だ」

 

恐怖に慄く道化を無視し、黒血で顔を染めた少年は呟いた。

今度も、こっちの番も何も今思いっきり殴ったじゃねぇかざけんなよ雌顔、

という突っ込みの思考が生じた。

同時に、優木の肉体は彼女自身も驚くほどの速さで動いた。

一種の奇跡、火事場の馬鹿力というやつだろう。

 

一降りにされた軌道上に杖を横に倒し、渾身の力で受け止める。

鈍い金属音と共に一対の得物が噛み合い、双方の動きは停止した。

時間にして、ほんの一秒ほど。

 

「あっ」

 

間抜けな声と同時に、優木の杖は下方に押しやられていた。

無論、停滞していた斧もまた下方に降りた。

かっ、と妙に小気味のいい小さな破砕音が生じた。

 

朱の液体を迸らせつつ、漂泊の刃が優木の右肩に突き刺さっていた。

皮膚と肉を裂き、細い肩甲骨を半ばまで断ち割っていた。

 

「ぎっ…ぎぃいいいやあああああああっ!!!!」

「え?」

 

超至近距離、互いの吐息が顔にかかるくらいの距離で、

激烈な音を立てて叫ぶ道化に、傷まみれの少年が怪訝な声を挙げた。

 

「てめぇっつうかお前さんよ。

 あいつと腕の太さは変わらねぇってのに、随分と力が弱すぎやしねえか?」

 

言いつつ肩から斧を引き抜き、そのまま水平に左へと走らせる。

特に何の反応もなく、乳房の上あたりに薄っすらとした傷が奔った。

 

「あぁぁぁああぁぁああっ!」

「お前、魔法少女なんだろ?今のくらい避けろよ」

 

攻撃した方が困惑するという、謎の状況が発生していた。

これは優木が戦意喪失に至っているためだったが、ナガレはこれを罠と思っていた。

その為、彼の攻撃は更に続くこととなった。

 

斧を軽く一振りして血肉を飛ばし、背中とジャケットの間に仕舞うと、

軽く構えた後に正拳を数発繰り出した。

罠を警戒しつつ、今行えるだけの全力で、最大の速度で。

何の対応もなく、全ての拳が着弾。

優木の肉との接触の際には、のれんを手で軽く押し広げるかのような

虚無的な感触が彼の両手を包み込んでいた。

その感触が正しいことを表すように、優木の顔面を含む上半身は、

一瞬ではあったが『ぐしゃぐしゃ』になっていた。

 

それでも彼は攻撃の手を緩めなかった。

一応女性という事を考慮してか単純に触れたくないのか、

『そこ』以外の全ての箇所に鉄拳の嵐が撃ち込まれた。

時折蹴りも織り交ぜながら、少年は道化に残酷な乱舞を叩き込んだ。

 

「お前…本当にあいつの同類か?」

 

全てが終わったのは最初の数発の着弾から、時間にしてほんの五秒程度の後。

しかしながら優木にとっては、数時間にも渡る拷問を受けた気分になっていた。

 

何もかもがクリーンヒットし、全身の肉が骨から

剥がされたんじゃないかとさえ、優木は思っていた。

そのぐらい、全身が隈なく痛かった。

吹き飛びかけた優木の胸倉を少年の右手が握り、吊り上げていた。

魔女から数センチほど浮いた足の先端が、ぷらぷらと宙に揺れていた。

 

「そりゃピンキリなんだろうけどよぉ、さっきの縫い包みどもの方がよっぽど強かったぜ?」

 

優木は思った。

腕力なら、こいつよりも強い同類は無数にいるだろう。

だが、こんなに痛いのは初めてだった。

腫れた皮膚には、体表で風を感じる度にミリ間隔で針を刺されるような感触が宿り、

肉は鈍い痛みと共に、支柱である骨から剥離したかのような空虚感を訴えている。

眼は虚ろになり、口からは血泡が溢れている。

 

だがその状態でも、優木は復讐の機会を伺っていた。

 

対する少年は退屈そうな、ついでにほんの僅かに

気の毒そうな感情を宿した眼差しで、その様子を眺めていた。

観察してきた結果から、こいつがロクでもないことを考えているときには

眼に見えて顔が変化すると、彼は学んでしまったのである。

 

「んじゃな。下で待ってる」

 

言いざま手首の軽いスナップだけで優木を放り投げ、自身は背後へと跳んだ。

少年の立っていた位置を、巨大質量が掠めた。

今になってやっと治癒が完了した卵型魔女の、巨大な羽による一撃だった。

 

「とりあえず、そのしぶとさは認めてやるよ」

 

不思議なことに、その声には純粋なまでの感嘆さがあった。

そんな事を気にする余裕もなく、落下の恐怖で発狂寸前にあった優木を、

配下の魔女が優しく受け止めていた。

対して少年は異界の重力に引かれ、地面に向かって落下していった。

高さは目測で約四十メートル。

少年が重傷であろうがなかろうが、人間であれば死ぬ高さであった。

 

落ちていく姿を見た途端に、優木の身体は虚脱感に包まれた。

魔女の掌の上に尻をつけ、そのまま背中を背後へ倒し、異界の空を仰ぎ見た。

 

勝った。

自滅に追いやったとはいえ、自分は遂に邪悪を打ち倒したのだと。

心地よい達成感が、優木の心で湧き躍った。

ああそうだ。

多分、殆ど死んでるだろうが、帰り際に先程の落下物は拾っておこう。

死んでなかったら魔女に命じて回復させ、

色々と遊んでしまおうと、優木は妄想を抱いた。

現実逃避の妄想だった。

 

 

「ねぇ、優木とやら」

 

 

そして、『現実』が顕れた。

 

秒と経たず、淫らな感情が砕け散った。

どこからか生じたのは、やや舌足らずな発声の女の声。

誰のものかは言うまでもない。

 

「あたし、さっきあんたに言ったよねぇ…」

 

言うな、いや、言わないで。

お願いします。

聴きたくない。

 

 

 

「 「『引き摺り下ろして、細切れに』してやる」…ってさぁ」

 

 

 

ひぃっ!と叫びかけた優木の口を何かが塞いだ。

何か確認するより早く、それは全身に絡みついた。

 

優木だけではなく、彼女の足場と、周囲の二体の魔女にまで。

口内にまで侵入してきたために、優木には形状がはっきりと分かった。

これは、これらは、一つ一つが菱形をした真紅の縛鎖だと。

 

必死に抵抗する足場の魔女の手が、赤い鎖に爪を立て、強引に引き剥がしに掛かる。

だが少し引いたところで、巨腕が粉々に砕け散った。

割れていく破片の間を縫いながら、縛鎖を従えた真紅の十字が周囲を超高速で飛び回る。

 

数十、数百と周囲を周り、拘束力が爆発に強化されていく。

それまで三体毎にされていた拘束も、巨人の手が纏めて握ったかのように

一か所に纏められていた。

優木がいる場所を基点とし、左右から挟み込む形にて。

 

「あ…あの」

 

幸か不幸か、先程の魔女が鎖を引いた場所は優木の口の近くだった。

魔女は鎖を、砕けていく腕の道連れとしたために、優木の口元の拘束が解けていた。

これを、優木は最大の好機とした。

知略を振り絞り、生き残る手段を探し出す。

 

「て、提案、提案がある、いや、あります!聞いてくださいお願いします!」

 

悲痛な、この世の全てに絶望し、全てを奪われた少女のような憐れな声で

優木は叫んだ。

 

「同盟!同盟結びましょ!役立たずな魔女を潰して、グリーフシードも提供します!

 邪魔な魔法少女どもは洗脳するなり調教して、好事家に売り飛ばしたり出来ますし、

 売却ルートの開拓だって、何だってやります!まだやった事ないけど、

 前々から興味はあったから、すぐにやり方を覚えます!

 勿論、貴方の分の分け前はちゃんとお渡しします!

 あぁあと、魔女の餌の管理とかなら大得意なんで、誘拐から餌付けまで、

 何だってやります!やらせてください!」

 

視界の遥か先に、真紅の縛鎖の流れが見えた。

空中から下界に向かい、終点には何よりも紅い深紅がいた。

 

「報酬は、生きてるだけで、あの、生かして貰うだけでいいですから!

 あと、貴女が、いや貴女様が今度あの野郎で遊ぶ時に混ぜていただければ、

 私も洗脳でサポートするので更に面白いコトが」

 

言いながら、よし、これで大丈夫だろうと優木は思った。

これだけの好条件とこの演技なら、あの業突張りの愚か者も、

流石に自分の価値を見出して納得するだろうと。

 

でなければ、自分はあの、黒髪の女顔以下ということになる。

 

そんな訳はない。

そんなことが、あっていい筈がない。

 

 

「ワケの……ねぇ……」

 

 

鎖を伝い、小さな声が優木に届いた。

優木の顔は、まるで運命の出逢いを果たしたかのような、輝きに包まれていた。

 

「あ、やっぱりOKでしたか?じゃ、早速これを解いて一緒にあの野郎を」

 

媚びた表情を浮かべた途端、拘束下にある魔女たちが一斉に嘶きを挙げた。

魔女の言語に詳しいものなら、それらが主への悪罵と気付いただろう。

 

 

 

 

ワケの分かんねぇコト言ってんじゃねぇえええええええええ!!!!

 

 

 

 

怒りという言葉が生易しく思えるような獰悪な咆哮と共に、

これまでに優木が見たことがないほどの、莫大な魔力が紅い光と共に現出。

三体合わせて十数トンはあろうかという巨大質量の塊が、

前後左右に百メートル単位で振られに振られ、

巨人の巨腕に弄ばれる餌食のように空宙で暴れ狂った。

 

暴虐を欲しいままにする、紅い魔力を宿した鎖を握る佐倉杏子の細い手が、

下方向へと振り切られた。

その挙動に類似性を覚えたのか、傍若無人な暴風の中で優木は、

先程の少年が優木に振り下ろした斧の輝きを思い出していた。

だが今のこれは、危険度と破壊力において、先とは比べ物にも成りはしない。

 

長い長い、四つの悲鳴を垂れ流しながら、

三つの災厄と一つの邪悪が地に向けて堕ちていく。

 

それは地表への、小惑星の追突の光景を連想させた。

その例えを引き継ぎ、優木を星と捉えるならば。

 

落下の最中に優木のいる場所から聴こえた悲鳴は、

夜空に流れる千億の星々が一斉に挙げた絶叫とでも云うべき代物であった。

 

そして悲鳴も苦痛も憎悪も、これまでの愚行さえも抱きながら、

巨大質量群は硬い地面へと墜落した。

 

 

 

 

 

 




ここまでです。
別編の沙々にゃんは、本当に素敵です。
キリカとの二戦目において
「魔法少女の使命を忘れたんですかぁ?」→美少女
「他はどうでもいいんですよぉ!」→下衆顔
「ドクズがっ!(と言われた後)」→ダラ汗
の顔の変化は素晴らしすぎます。


ついでに当然と言えばそうなんですが、決戦の最中にワケの分かんねぇ事を、
激昂状態にある人に言うのは危険です。
そんな事言ったために負けた人らもいました(新ゲ最終回並み感)。
まぁ、あれは相手が悪すぎたのとそれまで舐めプしてたせいもあるでしょうが。

ではまた次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化⑤






瞼が開いた。

指先は動いた。

足も伸びた。

足の指先は…感覚が無かった。

 

同時に生じた激痛と恐怖が意識を覚醒させ、全身に強力な治癒魔法が施される。

辛うじて原形を留めている道化の全身を、暖かい光が包み込んだ。

体表を伝っていた光は、『溝』や『断面』にも這入り込んだ。

それらの内側に詰められている内臓や骨といった

自分の『中身』を撫でる熱い光の感触が、妙に心地よかった。

 

ただしその快感は、全身の数十か所で生じていた。

深紅の魔法少女の言葉の通り、墜落の衝撃によって優木は細切れにされていた。

尋常ではない恐怖感が生じたが、優木は全力でそれを無視した。

 

幸いなことに覚醒より数秒ほどで、治癒が完了。

名残惜しそうに光が消失した直後に、優木は即座に杖から破壊の魔力を照射。

破壊光が拘束物を薙ぎ払う。

瀕死の魔女の悲鳴と共に、肉片と体液が噴き上がった。

開けた視界には、異界の空が映っていた。

 

魔女の肉体から異形の体液と共に起き上がる姿には、眩いばかりの神々しさがあった。

少なくとも優木はそう思っていた。

汚濁に満ちた死より、生まれ出でる女神。

絵画にでもしたら、そんなタイトルが似合うだろうと。

 

そんな妄想は兎も角として。

彼女を待っていた者たちがいた。

既に、彼女の傍らに立っていた。

 

縦に潰れ、不細工さに更なる磨きをかけた魔女の額に、一対の影が聳えていた。

間に優木を挟み、右には紅、左には黒が。

 

疲労感と恐怖を無視し、優木は杖の切っ先を左に向けた。

振った直後に、軽い破壊音が鳴った。

幾何学的な線を描いて湾曲した杖の先が、宙高く舞い上がっていた。

紡がれていた破壊光は霧散し、道化の眼前で火花と散った。

悲鳴を上げて仰け反った処を、細い五指が出迎えた。

 

その時点では、優木はどちらの『悪鬼羅刹の腐れ外道』が

自らのうなじを掴んだのかは分からなかった。

両者の手の感触は、皮肉なことによく似ていたのである。

 

「逃げるなよぉ…」

 

耳の直ぐそばで生じた蠱惑的な声が、咎人の名を告げていた。

直後、五指の全てが優木の肉へと埋没した。

 

悲鳴を挙げる間も無く、優木の全身は

完全に魔女から引き抜かれ、直後に視界が暗転。

 

本日幾度目かになるかは、彼女自身も覚えていないし思い出したくも無い事だったが、

激痛と共に眼と鼻と前歯の全てが、そして顔の肌が、

一瞬にして完膚なきまでに破壊されていた。

叩き潰れた魔女の顔面に、優木の顔が激突させられていた。

 

接面から弾けた血液が、真紅の魔法少女の手を穢す。

気にした風もなく、杏子は身を翻した。

道化の顔を魔女に接触させたまま、その巨体の上を滑り落ちる。

肉が焼け焦げる臭気が生じ、黒々とした跡が魔女の表面に残酷な線を描いた。

 

それが二メートルほど続いた後に、優木の顔は終点である地面に激突。

バウンスした際の僅かな隙に、顔面に治癒魔法が発動。

眼球が形成されていき、鼻梁や唇に美少女の面影が戻っていく。

その最中に、うなじからの激痛と浮遊感が優木を襲った。

無理矢理に立たされた優木の視界に、今日だけで無数に見たものが映り込んだ。

 

撓めた五指で形成された、ある意味最も原始的な凶器。

人間の拳であった。

 

身構える間も無く、左頬に着弾。

皮膚の上を衝撃の波が奔る。

弾性張力を越え、再生していた部分が再度に渡って破壊。

 

弾ける赤い破片を縫い、次弾が右頬に直撃。

左と同様の破壊を与え、即座に離脱。

そして直後に左拳が顔面へと突き立った。

 

それが更に、更に、更に更に更にと繰り返される。

不運なことに魔女の巨体が壁となり、優木が転倒することを許さない。

ただ例え倒れたとしても、その際は踏み付けが開始されるか、

立たされて今の状況に戻されることになるだろうが。

 

悲鳴を挙げるどころか、呼吸すら許さない程の超連打。

一撃毎に、破れた皮膚から鮮血が舞い、頬などの肉が弾ける。

 

拳と拳の合間に、無意識に治癒を行っていることが

被害者の頭部の破壊を防ぐ一方で、

加害者の残虐行為を引き延ばす事態を引き起こしていた。

杏子の拳は、一撃毎に鮮血に塗れていった。

拳の先から生じる音は、肉を殴る鈍い音ではなく、

飛沫を飛ばす水音となっていた。

 

原形を僅かに残した道化の顔が、杏子を見据えていた。

一撃毎に眼球が破壊されていくが、即座に再生。

垂れた視神経の先が膨らみ、先程と寸分違わぬ青い瞳が、

自らを打ち砕く破壊者を眺めていた。

 

瞳の中には、恐怖以外の感情が閉じ込められていた。

殴られる度に、その感情は増していったが、

優木は決してそれを表にする事は無かった。

ただ無力な道化のまま、杏子の怒りを浴びていた。

 

対して、攻撃者である杏子には変化があった。

殴る毎に少しずつ、杏子は復讐心と憎悪が薄れていくのを感じていた。

代わりに心に這入り込むのは、自らが行使している陰惨な暴力による、

陰鬱とした嫌悪感。

そしてこれは無意識に近いものであったが、

幾ら破壊しても治癒が可能という、魔法少女という存在への恐怖。

自分もそれだという事が、負の感情の増幅に拍車を掛けていた。

 

それでも杏子は殴り続けた。

嫌悪感と、時折雑音のように混じる理性を伴いつつも、

今の彼女を突き動かしているのは、優木に植え付けられた鬼火のような憎悪であった。

それが尽きるまで、佐倉杏子は力を行使し続ける。

その筈だった。

 

「その辺でやめとけ」

 

嫌悪感に、血で染まった顔を歪める。

振りかぶられた、鮮血に塗れた右手の手首を、少年の手が握っていた。

 

「なにさ。説教でもかます気かよ」

 

凄絶な顔付となった少女の顔で、杏子は怒りに満ちた言葉を吐いた。

 

「悪いが、俺はそんなに器用じゃねぇよ」

 

拘束に抗う杏子の手首をぎりぎりと締め付けながら、ナガレは返した。

 

「誰もテメェに、そこまで期待なんざしてねぇよ」

 

手を左右に振ろうとするも、血でぬかるむ手は離れない。

異常と気付きつつも、杏子は更に口を開いた。

 

「それとも、なに?テメェもこいつを殴りてぇのか?

 ひょっとしてその逆をされたいっての?なら、先にテメェをぶっ潰してやる。

 こいつはあたしの獲物だ。奪えるもんなら、奪ってみな」

 

敵愾心に満ちた紅い瞳が、黒い瞳と交差する。

少年は紅い瞳の中に、狂気の片鱗を見た。

 

「こいつにそんな価値があるか、馬鹿野郎」

 

杏子が罵倒を認識した直後、

紅い閃光が少年へと奔り、左頬へと吸い込まれた。

激突の寸前、紅の拳を煤けた掌が受け止めてた。

 

「自分の身体だろ。さっさと気付きな」

 

咄嗟に沸騰した怒りという事もあったが、彼女は彼の首を飛ばすつもりで殴っていた。

それが無力化されたことで、否が応にも原因が分かった。

 

胸の宝玉が、血が凝り固まったような醜い黒に染まっていた。

杏子自身も気付かぬうちに、穢れが心身を蝕んでいた。

本来なら遥かに格下であるはずの彼の拘束を拭えなかったのも、それが原因だった。

 

「離せ、クソガキ」

 

吐き捨てつつ手を払い、杏子はその場から距離を取った。

懐にしまっていた黒い卵を、胸の宝石に押し当てる。

途端に、大量の漆黒の煙が紅の宝玉より発生。

黒い卵がそれを吸い黒味を増し、逆に紅の色は輝きを増した。

 

一応礼を言うべきだったのかと、彼女は思った。

しかしながら、あちらは特に何も思っていないらしかった。

彼女の様子を伺いもせず、優木に向けて歩を進めている。

 

どうしても気に食わない一応の相棒の美点は、

こちらにあまり干渉して来ない処であった。

少なくとも今は、余計な気遣いをしてこない事が有難かった。

心配などされたらそれこそ、

自分への情けなさにより精神的に参ってしまいそうだった。

 

しばしの間、道化の相手は仲の悪い相棒に任せる事とした。

浄化をしたというのに、杏子の全身を虚脱感が包み込んだ。

先程は、かなり危険な状態であったらしかった。

 

 

 

 

横たわる優木を見下ろす少年の耳朶を、一つの音が震わせた。

安堵の吐息でも恐怖の悲鳴でもなかった。

優木の口から漏れたそれは、呪詛の詰まった舌打ちだった。

 

「おい、ピエロ女」

 

優木を見下ろすナガレの眼から、一切の余裕が消えていた。

 

「てめぇ、あいつを道連れにする気でいやがったな」

 

全身に傷を負った少年の顔に、不快感が刻まれた。

 

「あと、もう少しだったんですケドねぇ…」

 

対照的に、優木の顔には笑みが浮かぶ。

傷は既に跡形もない。

その異常な治癒力も、ナガレの不快感を誘っていた。

 

「流石は自称異世界転生主人公君。

 その慧眼も、あの雌猿から貰ったチカラとやらなんですかぁ?」

「勝手な妄想を押し付けるんじゃねぇ。全部てめぇの狂言だろうが」

「あれェ?そうでしたっけェ?」

 

すぐにでも殴りたかったが、今は情報が欲しかった。

それに、これ以上狂われては困る。

 

「お前、今の自分の立場が分かってんのか?」

 

その問いに、道化の青い瞳が目まぐるしく動いた。

ナガレは確信した。

こいつ、快楽に溺れやすい奴だなと。

 

「あ、あのう…助けて、くれませんか?」

 

理解したのか、表情が一変。

目は潤んで鼻声となり、今にも泣きだしそうな童女の顔となった。

優木の頭脳が活性化し、現状を打破すべく篭絡の手段を構築していく。

結論。

活路を開くには、色仕掛けの上の洗脳が最も効果的だと優木は確信した。

 

杏子に続いて、まだ名も知らぬ少年を毒牙に掛けるべく、優木は口を開いた。

 

「ひょっとして、お前なら知ってるかもな。

 しぶてぇし、ギラついた魂を持ってやがるだろうしよ」

 

優木の言葉を遮り、ナガレは優木の傍らに立った。

 

「なぁ、お前」

 

暗い影を落としつつ、彼は問うた。

 

「『…ッ…-』、或いは『…ッ…-…』って、知ってるか?」

 

聞きなれない単語に、優木は顔を顰めた。

 

「はぁ? 何ですか急に。中一程度の英語力のお披露目ですかぁ?」

 

彼女としてはそう応えた積もりだった。

だが実際には、声は出ていなかった。

単語の意味は茫洋と伝わったが、妙に掠れて聴こえていた。

言い終えた後には、空虚な感覚が胸にわだかまっていた。

 

「お前は手掛かりじゃないみてぇだな」

 

呆けた様子の優木に、ナガレは僅かに気を落としたようだった。

そして興味を失ったように、彼は彼女から離れていく。

 

「え、ちょ、待って」

 

呼び止めようとする優木の首を何かが掴み、束の間の絶息の苦痛を与えた。

細い首に絡まるのは、鎖の節を持つ長大な槍だった。

 

戻ってきた杏子の姿を、ナガレはちらりと覗った。

彼女の全身を穢していた優木の血は、既に魔力で除かれていた。

そして何より、眼に宿っていた狂気の色が消えていた。

元通りの、真紅の魔法少女がそこにいた。

 

「これ以上、テメェの戯言を聞くつもりはねぇ」

 

槍の根元が振られ、優木の身体が高々と宙を舞った。

揺れる視界の中。

自分の真下で、魔女たちを包む真紅の拘束が蠢いている事に彼女は気付いた。

 

「じゃあな。先に地獄で待っていやがれ」

 

拘束を突き破り、無数の真紅の槍が現出。

魔女の叫びと肉を破壊しながら、空中の優木へと直進してゆく。

迫りくる針山地獄に、優木は為すすべもなかった。

 

数秒後には、道化は肉片と化す筈だった。

 

 

ふと杏子は、槍を振るう自分の背後からの、微かな音を聞いた。

 

きぃんと、金属が鳴る音だった。

それは直後に、激烈な破壊音に変わった。

破壊音に遅れて、女のそれに似つつも激しい怒声が生じていた。

ナガレが挙げた叫びだった。

それに遅れて、複数の金属の落下音が続く。

 

振り返ろうとしたときに、違和感に気付いた。

上空へ、優木へと向かっていたはずの槍の動きが静止していた。

道化もまた、僅かな動きをしつつも宙に留まっているように見えた。

 

背後へ振り返った彼女を、異様な景色が出迎えた。

黒い旋風が異界を遮り、彼女の視界を埋めていた。

 

「避けろ、杏子!!」

 

少年の叫びが、杏子の耳に木霊した。

悪寒が全身を貫き、杏子は即座に魔力を開放。

強化した脚力で、全力での退避に移った。

だがそれは数瞬遅く、渦巻く黒い風は杏子の右肩に触れていた。

 

黒の末端が触れた、その途端に杏子の白い肌に

深く長い線が刻まれ、肉の裂け目からは鮮血が湧き出た。

 

破られた皮膚から跳ねた液体は珠となり、そして飛沫となって散った。

それの様子が、何故かはっきりと見えた。

歴戦の魔法少女である杏子とて今までで味わったことのない、異様な感覚だった。

 

だが彼女は、観測者でいる気は毛頭なかった。

槍を現出させ、黒風を貫くべく裂帛の突きを放った。

 

だが、意識の中では突き切った筈の槍は、実際には未だ構えの途上にあった。

一瞬遅れて力が解放され、空気を焼け焦がすような烈しい突きが放たれた。

十字を宿した槍は、吹き荒ぶ黒風の隅を貫いた。

穂先に激突していく無数の硬質な感触が、柄を通じて伝わってきた。

十字の穂は直後に破壊されたが、それでも何かを抉った感触があった。

 

その為か、黒風に変化が生じていた。

勢いが僅かに低下し、その内部が微かに見えた。

 

黒い旋風の奥に、白と黒で構築された衣装が見え、

そこからは、細く華奢な女体の線が伺えた。

身体の頂点には風と同色の黒髪が、自らの発する力によって揺れていた。

白い肌で覆われた顔の上を横断する、不自然な黒の帯があった。

そして整った鼻梁の下の鮮血色の唇は、酷薄な笑みを刻んでいた。

 

黒白の衣装を纏った少女の先には、似たような背格好をした黒髪の少年がいた。

黒い風の中、二人の黒髪の持ち主達が対峙していた。

 

少年のすぐ目の前に、渦巻く風によって不明瞭ではあったが間違いなく

不気味な形状をした鋭角があった。

その先端が彼の頬に触れ、血の珠を浮かばせている。

長い鋭角の半ばに、少年の半壊した得物が絡んで鍔迫り合い、

彼を直撃から守っていた。

 

その様子に何を思ったのか、

黒風の中の唇は血を吸ってのたうつ、蛭のような歪みを見せた。

ぞっとするような、妖艶さを湛えた笑みだった。

 

直後に、ナガレの身体が後方に向かって弾き飛ばされた。

彼の背が黒風に触れる寸前に、それは幻のように霧散した。

 

仰け反る少年の胸に向かい、少女の姿をした、黒い影が跳ねていた。

そして更に、そこを基点に上方へと舞った。

 

少年の苦鳴と骨の悲鳴を背で聞きつつ、黒影が再び風を纏った。

更に勢いを増し、黒風が宙へと移動。

その先には、宙で転がる道化がいた。

 

杏子が追撃の槍を放つも、僅かに掠めたのみで黒風は道化と合流。

黒に触れた槍は、地面に落ちるより早く数十の断片となっていた。

 

放った槍に少し遅れて、無数の断片が地面へと落下。

優木への処刑用として放った槍たちの残骸だった。

それらは、僅かに付着した血液と共に地面の上で虚しく跳ねた。

 

それら無数の敗者の断片の中を、黒い風は猛然と過ぎ去っていった。

杏子が投擲した三度目の槍も、それを見越して跳躍した黒風の傍らを通り過ぎた。

 

瞬く間に結界内を走破し、

出口である鉄扉に風が接触するや否や、扉の縦横に断裂が発生。

音もなく崩れ行くそれの中を、風は悠然と抜けていった。

 

何処へともなく消えゆく黒に、

黄色い道化の悲鳴が尾鰭を引いていたが、それもやがて消えていった。

そして、異界の破滅が始まった。

 

 

 

「くそっ…たれが…」

 

崩壊していく異界の中で、少年が苦々しい呟きを漏らした。

 

「あいつも…てめぇらの、同類か…?」

 

苦し気な表情をしたまま、彼は胸を左手で抑えていた。

残る右手は垂れ下がり、刃の殆どが砕けた斧を握っている。

傍目にも、脚のふらつきが伺えた。

流石に、茶化す気にはなれなかった。

目に見えて分かるほど、彼は深い負傷を負っていた。

それこそ、生きているのが不思議なほどの。

 

「だろうね」と声を掛けた積りだったが、上手くいかなかった。

先程の異様な感覚が、毒のように彼女を蝕んでいた。

浄化したばかりの胸の宝石にも、再び汚濁が宿っていた。

 

「あの…、眼帯、女……次は……」

 

その続きは、発せられなかった。

言葉ではなく、別のものが吐き出された。

そして口から吐き零れる熱いものと同色の色が、彼の視界を染めていった。

赤はえぐみを増していき、遂には黒く染まり切った。

 

歯を食いしばっての抵抗も空しく、

彼の意識と彼の身体は、自らが吐き出した赤黒い闇の中へと堕ちていった。

 

 













今回はここまでです。
流石に、彼女の相手はキツい模様です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化⑥

閉じられていた眼が開く。

光を求めて、渦を宿した闇色の瞳孔が収縮。

得られた景色は、ここ数日で見慣れた光景だった。

経年劣化により傷んだ天上、そこに肋骨のように走る梁。

何処からともなく舞い散る無数の埃。

 

割れかけたステンドグラスから注ぐ光を糧に眼を凝らすと、

梁の一角に生じた不自然な摩擦跡が見えた。

視認と同時に、渦の中に僅かながら感情の波紋が浮かび上がった。

 

「生きてたのか」

 

声の方向へ、少年の細い首が傾いた。

視線の先の薄闇に真紅の瞳が待っていた。

 

「お蔭さまでな」

 

祭壇上に置かれたソファに、ナガレは横たわっていた。

ジャケットは脱がされて床に敷かれ、

それにより彼の身体は、普段よりも更に細身に見えた。

下半身はそのままだったが上半身は、

手の指先から額に至るまでを白い包帯に覆われていた。

 

所々に隙間が開いた雑な巻き方だったが、

その一方で肌に、正確にはシャツの上にぴったりと張り付いていた。

僅かな痙攣を見せつつ、白と薄い朱の斑を浮かばせた右手が軽く握られると、

ぴちゃりという水音が跳ねた。

 

「感謝してんなら動くなよ。こんな事、もう二度としたくねぇ」

 

平時の姿に戻った魔法少女は、その傍らに柱のように立っていた。

一応の相棒同士ではあるが、二度ほど殺し合いを演じた、ロクでもない仲でもある。

処刑台の罪人に寄り添う執行人のようだった。

杏子自身も、自分をそんな風に思っていた。

 

「手間かけさせちまったみたいだな」

 

そのため、何か生意気な事を言われるだろうと思ってた杏子は、

尋常極まるその物言いに、肩透かしを食らった気分となった。

 

「借りを返しただけさ。いくらあたしでも、あんなクズとの心中は御免だからね」

 

棘の少ない言葉を返しつつ、無意識のうちに杏子は奥歯を軋ませた。

不愉快な道化の笑みは、今も脳裏に深く刻まれている。

力は雑魚以外のなにものでもなかったが、思い出すだけで精神が蝕まれるような思いがした。

思考を切り替えねばと、そいつよりは幾分かマシなストレッサーへと視線を落とす。

 

「貼り付いちまってたから、

 服の上から消毒液をどばどばぶっかけて、包帯巻いてやったのさ。

 あと、火傷や切り傷は兎も角として、胸の辺り…っつうか、

 肋骨が全部ぐらぐらしていやがった。悪いけど、そいつはどうにもなりゃしないね」

「あぁ、あの眼帯女に蹴られた場所だ」

 

包帯越しにも、彼の表情に浮かんだ苦々しさが見てとれた。

『眼帯女』『黒髪』という情報を基に記憶を辿り、

酔狂な装飾をした同類を思い出していく。

結論として該当者は無し。

恐らくは新米か流れ者だと推察した。

思考を終え、相手を現状の「流れ者」へと移す。

尋ねてみたい事があった。

 

「痛くねぇのか?」

「超痛ぇ」

 

即答だった。

素直であるという事も、この生き物の数少ない美点というか弱点だと彼女は思った。

素直とは、『バカ正直』とも変換できる。

 

「お前の方こそ大丈夫なのかよ。肩をずばっとやられてたろ」

「あんなもん、怪我のうちにも入らねぇさ」

 

皮肉が続かないのは、こいつなりの感謝のつもりだろうかと杏子は思った。

普段は声すらも聴きたくなく、

ただ自分の役に立っていればいいと思っているのだが、いざそうなると調子が狂う。

電子ゲームを例として言えば、

反撃を行わないようプログラミングされた、NPCを相手にしている気分だった。

普段の彼を、彼女は毒物じみた認識で捉えているために、

その様子は味気ないことこの上なかった。

 

「俺が口出す事でもねぇが、お前らも難儀なもん持ってんな」

 

そう思っていると、返答に困る言葉が返ってきた。

前思考を即座に撤回。

こいつは無味乾燥なAIなどではなく、

忌々しい程に血肉の通った生物であると再認識をさせられる。

 

「余計なお世話だよ。くたばり損ないのあんたに言われたかないね」

「違いねぇ」

 

彼は軽いせせら笑いで、杏子の皮肉を出迎えた。

やっとのことで、杏子は罵詈を言えていた。

そのせいもあり、彼への代名詞が変容している事に彼女は気付いていなかった。

 

「なんか、今日は妙に会話が成立するな」

「いつもみたいに殴り合えるほど、互いに元気じゃないからだろ」

「あぁ、なるほど」

「納得すんな、大馬鹿野郎」

 

何が楽しいのか、口元の包帯が笑いの形に歪む。

包帯に包まれたことで、デフォルメをされたような様相となっていた。

優しく言えばお化け、具体的に言えば悪霊じみた表情に見えた。

勿論と云うべきか、杏子には後者にしか見えなかった。

 

巻いた自分自身で思うのも複雑な気分ではあったが、包帯は彼の姿に妙に似合っていた。

外見で見れば、クソガキ然としてはいるが美形であることに違いないため、

包帯が洒落た装飾に見えなくもないというところもある。

 

ただこれらを、杏子はあくまで副次的なものと思っていた。

彼女が彼の姿を似合うと思っていたのは『封印された怪物』のように見えるからだった。

 

「さて、やるか」

 

そして彼女は、『怪物』という意味を見せつけられる事となった。

軽く握られていた五指が、花弁のように花開く。

 

「あんた、何を」

 

杏子の声に、ナガレが息を吐く音が重なる。

そして、開いた五指が彼の胸に触れた。

『ぐらぐら』の場所だった。

 

白く細い指先から、これもまた細い爪が伸びていた。

但し、その先端は人の八重歯か獣の牙のように鋭かった。

 

まさかと思いつつも察しがつき、静止の声を掛けるか一瞬迷った刹那。

五指が包帯の隙間を縫い、緩い陥没をした胸に突き立った。

先端が肉に食い込み、五指が無理矢理に患部を固定。

直後、手は一気に上へと引かれた。

 

めきめき、ぴちゃぴちゃと、獣が血肉を啜るような音が続いた。

それに混じる僅かな高音は、少年の口から漏れていた。

 

抜き取られた五指の先端は、例外なく血に塗れていた。

水気をたっぷりと含んだそれらを、彼は腹のあたりに横たえた。

彼なりに、寝床を汚すまいとしたらしい。

 

「テメェ、何をしやがった?」

 

荒々しい代名詞への戻りが、彼女の心境を表していた。

 

「『ぐらぐら』を引っ張って戻した。多分だけど、繋がるだろうさ」

 

流石に息を荒くさせてはいたが、彼は淀みなく返した。

彼にとってはそれでよかったのだが、受け取った方は全くの納得がいかなかった。

 

彼の肋骨は明らかに、それによって守られるべき場所にその身を埋めていた。

それを引き剥がして繋いだと。

正しいようだが、どう考えてもおかしい。

少なくとも、負傷者自身がやるようなことではない。

 

「機械の配線じゃねぇんだぞ」

 

言いながら、例えとしてどうなんだろうと彼女は思った。

 

「大丈夫だ。そんな気分でやった」

「大丈夫もクソもあるか大馬鹿野郎」

 

荒い口調が表すように、先程までの尋常な雰囲気は消し飛んでいた。

正確には、正常に戻ったとした方が正しかった。

だが両者とも、それについて特に思うところはなかった。

 

それにこれからの事を考えれば、その方がよかった。

優木と名乗った道化は、こちらの居場所を知っていた。

場所を動かすにも特にいい迎撃場所はなく、仲間もいない。

 

それに移動したからと言って、魔力を探知されるだろうし、

逃亡することに意味はない。

 

更に、あの道化から逃げる事だけはしたくなかった。

それが例え、破滅に近づく愚かな選択肢であったとしても。

 

荒治療を稼行した少年は元より瀕死の状態であるし、

杏子自身も宝石に濁りを宿していた。

今奮えるのは、全力の三割か四割程度の力。

少なくとも今から数時間以内に再度の襲撃を受ければ、

助かる見込みどころか抵抗すら覚束ない結果となるに違いなかった。

 

そう思っていると、少年の口が開くのが見えた。

直後に、そこから朱が跳ねた。

口を押えた彼の左手からは、コップ一杯分ほどの吐血が零れ堕ちた。

血は、毒々しい赤黒色を呈してた。

数度咳き込み、その都度に血が零れた。

 

その様子を、杏子は黙って見つめた。

自分にできることは、特に無いからだった。

 

小さな熱い吐息が、少女の口から漏れた。

呆れと、疲労の混じった溜息だった。

 

そして今日、自分が見たものを思い出し始めた。

 

優木の魔女二体を襲った、相棒による不気味な破壊行為。

使い魔への暴虐と、魔女からの拷問じみた責め苦。

そして結界に大穴を穿つほどの巨腕の一撃に、

弱小とはいえ魔女を狩るものである魔法少女の放った熱線。

最初のものはともかくとして、

他は全て、魔法少女ですら戦闘不能か絶命に至るほどの災禍が彼に降り掛かっていた。

 

彼女自身、辛酸を舐めさせられた彼の技量が

それらを巧みにいなし、ダメージを軽減したというのは分かっている。

だがそれでも人の身では、それらには耐えられない。

彼女の視線の先で、それが証明されている。

 

正直なところ、彼の負傷はすぐに治ると思っていた。

例えば、何らかの力が働くのではないのだろうかと。

魔法少女の常識で考えれば、与えられた宝石と同色の光が

どこかしらから舞い降りるなりして傷を包み込み、傷を癒すのではないかと思っていた。

現状を見て分かる通り、それはあくまで妄想でしかなかった。

 

彼は化け物じみた強さを持ってはいるが、それも虚しい対比に思えた。

彼が相手をしたのは、正真正銘の化け物達だった。

 

その化け物が少なくとも二体、こちらに敵対している。

不愉快極まる腐れ道化は兎も角として

あの黒い風を纏った方と、下衆道化に率いられる

魔女軍団は危険に過ぎると、杏子は思わざるを得なかった。

 

「すまねぇ、汚しちまった」

 

血泡交じりに告げた彼の口元、

包帯の隙間から見える彼の肌には青白い色が浮いていた。

 

「気にすんな、その寝床はくれてやる。どの道、そろそろ捨てる積りだったのさ」

 

その色を見て、杏子はある事を決めた。

自らの汚濁を進めることは分かりつつ、右手に魔力を集中させる。

 

「ついでに、せめてもの情けをくれてやる」

 

唸るような声と共に、埃雑じりの空気が裂けた。

彼に向かって伸ばした手から、十字の槍が伸びていた。

その切っ先は、彼の顔の数センチ手前で停止している。

 

「生きるのが嫌になったら言いな。すぐに楽にしてやる」

 

傲慢な物言いだったが、優しい口調など思い描きたくもなかった。

 

「でも出来る事なら、くだらねぇ泣き言なんざほざくんじゃねえぞ。

 あたしの槍を、こんなつまらねぇコトに使わせるんじゃねぇ」

 

槍の先にある少年の顔を見下ろしながら、真紅の魔法少女は苛烈な言葉を吐き出した。

苦痛の最中にある少年もまた歯を食い縛り、

湧き上がる黒血を己の内部に留めながら、その言葉を聞いていた。

 

「こいつの錆になりたけりゃ、せめてあたしと戦ってからそうなりやがれ」

 

その言葉に、少年は挑むような眼で返した。

いや、喰らい付くような、とでも言うべき凶悪な視線で出迎えた。

肌の青白さと口から湧き出す、毒々しい色の血液に反して、

眼の中には生命力の滾りが見えた。

杏子の言葉には言葉で返さず、彼は視線と、

血泡を纏いながらの唸り声で返した。

 

「死んで堪るか」

 

と、言っているようだった。

杏子は思う。

矢張り、こいつは気に食わないと。

 

そのツラが、眼付が、声が、思考が、何もかもが気に食わない。

テメェは戦いが好きなんだろう。

その望みは叶えてやるから、さっさと立って戦え。

何時ものように、無謀に愚直に挑んで来い。

魔法少女の恐ろしさを、たっぷりと味あわせてから蹴散らしてやる。

 

だから、あんな道化や眼帯女とやらの魔手如きで死ぬな。

残酷な未来を見せてやる。

 

それら獰悪な感情の波紋が、彼女の心に木霊した。

 

愛着が湧いたわけでも、ましてや好意がある訳でもない。

ただ、いずれ訪れる災禍のから盾に、そしてそいつらを地獄に誘う武器として

こいつはどうしても必要だと。

この紛い物に心底から怯えさせられていた優木を見て、

杏子はそんな、確信に似た考えを持っていた。

 

 

 

だが一方で、諦めの思いも多分にあった。

これまでの経験から、自分の予測や期待は、

いつもロクな結果を寄越さない。

だから今回も、きっとそうなるだろうと思っていた。

 

今回の場合は、自らの紅い眼差しの先にいる少年の死。

そして更には彼の黒い瞳に映る、自らの…。

 

そこまで思ったところで、杏子は考える事をやめた。

そこから先の言葉は、絶対に自分が認めてはならない事だった。

例え、この世の果てが来ようとも。

 

 

 

 










2話も佳境です。

勝手な自分の考えになりますが、文章を書きながら思った事で、
新ゲッターロボの挿入歌、「Deep Red(歌:きただにひろし氏)」は、
曲名と歌詞が杏子にも似合うような気がしました。
刹那的な荒々しさが似合うかも、と思ったというか。
次の話も、なるべく早めにいこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 転がる道化⑦

「本当に…本当に…ありがとうございました……!」

 

薄暗い、今にも消え入りそうな貧弱な光源の下。

幾度も幾度も頭を垂らし栗色の髪を揺らしながら、その少女は告げた。

啜り泣きを伴った声には、幾ら感謝してもしきれないとでもいうような真摯さがあった。

 

「何年か前、風見野で発生した宗教絡みの詐欺事件と、

 その大本で起こった一家心中を覚えていますか?

 私はそれを魔女の仕業と睨みまして、魔法少女の務めを果たすべく調査に乗り出したのです」

 

彼女が纏う洋服は上下を問わず、至る所が無残に引き裂けていた。

くるぶし近くまで生地を降ろしていた長めのスカートには、幾筋もの線が入れられ

そこからは少女の細く白い太腿が露出していた。

 

上半身もまた胸部を中心に強引に布を引き剥がされ、

切り傷の浮いた肌を見せた無残な姿となっていた。

如何にも廃墟らしい、錆の浮いた鉄壁を背に、

古びたコンクリート床に跪きながら、少女は更に言葉を紡ぐ。

 

「そしたら…この有様ですよ」

 

大きく開いた胸元に右手が向かう。

波間を彷徨う白魚のような動きをしながら、

恥じらいと恐怖に震える細い指が、薄い胸の頂点である朱鷺色の突起を覆い隠した。

その状態で少女はしばし嗚咽を零し、その小さな身を震わせた。

 

栗色の髪の色をした少女の姿は凌辱を、しかも複数の相手から

執拗に受けたとでも云うような外見となっていた。

恐怖の記憶に苛まれているのだろう。

その青い眼は潤み、水晶のようにきらめく涙を湛えていた。

 

「あいつら…いえ、彼女らは危険です。

 このままだと、風見野は、いえ、見滝原もあすなろも脅威に晒されます。

 それは、それだけは絶対に防がなければなりません」

 

だがそれでも、彼女は力強く語った。

決意を表すように、胸を覆い隠していた右手が、前方へと伸ばされた。

 

「ですから、共に手を取り戦いましょう。魔法少女は力あるもの。故に正しくあるべきです。

 そしてあの連中は、排除すべき者達なのです」

 

小さな指先には、無数の切り傷があった。

無力な少女の身で、それでも必死の抵抗を行った証に見えた。

 

「あの連中を…この世界の平和を奪う『簒奪者』達を、私たちの手で倒しましょう…!」

 

その行為を引き継ぐような意志の強さが、少女の手には宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、要は君」

 

それは、栗毛の少女の声ではなかった。

少年のような響きを孕んだ、別の少女の声だった。

手を伸ばす少女に、これもまた細い指が触れた。

指は、白い手袋に包まれていた。

 

「あそこにいた赤いのと黒いのにちょっかい掛けて、返り討ちにされたってコトだよね」

 

顔の部分への接触と同時に、栗毛の少女の動きが停止。

続く言葉も同じく絶えた。

 

「他はまだしもだけど、手を組むことの後の取って付けたような、

 如何にも正義の味方ですって言葉さ。あれ、唐突過ぎて怪しさ満点だったよ。

 立派すぎるし、アニメか漫画或いは道徳の時間の受け売りかい?」

 

停止した少女に向けて、その言葉は語られていた。

受け手である栗毛の少女は、黒い枠に捉われていた。

 

枠とは、横長の長方形をした黒色の薄い電子機器。

俗に云うスマートフォンを、声の主の左手の親指と人差し指が支えていた。

 

「でもその後の…君の固有魔法、確か洗脳魔法らしいけどさ。

 強力なのは分かるのだが、肝心の君の体術は悲しい程にヘボすぎる。

 新米ながらにご教授をさせてもらうと、あれじゃ初見でも楽に避けられちゃうよ」

 

聞き手に少年的な印象を与えるような、

やや低めの響きをした少女の声には、多少の失望感が宿っていた。

 

「それにしても、『さんだつしゃ』…『簒奪者』か。まぁそこは、中々に洒落た響きじゃないか」

 

先程、栗毛の少女に言われた単語が気に入ったのか、

聞き手の少女は、それを二度三度と復唱した。

声の中には僅かだが、笑いの成分が含まれていた。

 

「でもそれはそれ。恩人に対する態度じゃない」

 

声色が一変し、硬い発声による言葉と共に、黒い枠が世界を切り取るようにずれ動く。

場所は変わらず、背後には鉄の壁があった。

その下には、削れた錆や埃の浮いた古びたコンクリート床が続いている。

 

それら無機質のものたちに、赤黒い花が咲いていた。

鉄錆と水気を含んだ生臭い臭気を放ちつつ、壁に床にと悪夢の色彩が放射状に連なっていた。

あくまで形状の近似をもつという点でだが、孔雀が羽を広げた様子に近かった。

 

そして孔雀の役目は栗毛の少女―――優木が担っていた。

『だったもの』とでもした方が、正しいような姿で。

 

前に伸ばされていた右手は、残る方の左手と共に左右に広げられていた。

両手首には黒い腕輪が嵌り、そこに接続された、天井へと伸びる黒い鎖によって

万歳をさせられたような形で宙にぶら下げられていた。

尻は床に付き、脚は正座の形で畳まれている。

 

先程までは、襤褸同然になりながらも現存はしていた衣服は、

薄い胸に貼り付いた僅かな糸くずと局部を覆う小さな破片を残して、肌より消失。

 

現在は彼女の血肉と共に、周囲を彩る色彩の一部と化している。

そして残忍な絵の具の主成分である大量の血肉の出処は、彼女の裸体の至る処に

大小さまざまな深さと長さの傷口として刻まれていた。

 

傷口にわだかまる黄色い光は、治癒魔法のそれだろう。

しかしながら本日だけでも数百回近く度重なって行われた酷使によって、

さしもの魔法も根を挙げたのか、忌まわしき真紅の魔法少女と

女顔の破壊魔を相手にしていた際に行使されていた瞬時の再生とはいかず

微細な肉の蠢きが見受けられるに留まっていた。

 

そして、飛び散った血肉と体液とは真逆に壁と床から、優木へと向かうものたちがあった。

ゆっくりと体表に向けて接近していくものは、鋭い切っ先を宿した黒い影。

それら鋭角全ての形状に、優木は既視感を覚えた。

小さな叫びが、細首を伝わり口腔から弾けるように飛び出した。

 

可憐な悲鳴の序曲が見えたその瞬間、伸びたものたちが、一斉にその先端を優木の肌に添えた。

再生に向かっていた剥き出しの肉が刺激を受け、

本日だけで数十回ほど挙げられた悲鳴と共に、黄色の治癒魔法が血膿のように弾け散る。

 

「罰とは云え、私も心苦しいのだが君の魔法は危険だからね。

 ちょっと念入りにやらせてもらうよ。

 でも私が昔読んだ漫画よりは、今の君はずっとマシだ」

 

泣き叫ぶ優木を尻目に、声の主は平静そのものといった様子で告げた。

一応の懺悔を込めた言葉とは裏腹に、何かが欠けているような口調であった。

 

「テキトーに読んだだけだったからタイトルは何だったかは忘れちゃったけど、

 金目当ての強盗だか研究者だかの連中に襲われた一家の物語だったかな。

 歳は私たちと同じくらいの少年が、目の前で母親と弟を生きながら切り刻まれたり、

 自分自身もゆっくりゆっくりと少しずつ肌を切り裂かれたり焼かれたりしながら、

 延々ずーっとずぅーっと、ずぅうーーーーっと、果てしない拷問を受け続ける漫画だった。

 でも結局、その子は何も知らなくてね。母親と弟の、切り取られた目玉や耳や鼻を見せられても

 「知らない、何も知らない」って応えるしか出来なかった。

 ついでに、この時点で家族は全滅してたね。

 そこいらに粘土みたいにぐちゃぐちゃになった死体が転がってたり、

 傷だらけの腕を機械のケーブルで縛られて、

 でっかいコンピューターの画面に磔にされたりしてたよ」

 

あ、でも別に今の君の様子の元ネタという訳ではないよ。と、

声は残忍なユーモアを無感動に告げた。

 

「それでね、主人公としては実際何も知らなかった訳だから、

 知らないという真実を話していたのだけれど、

 悪者達は執拗に口を割らないんだと思ってたんだ。意見の相違って恐ろしいよね。

 だからダメ押しにって、いと憐れなことに主人公は、生きたまま五体をバラバラにされて

 あろうことか、五杯の水槽に入れられちゃったんだ。

 そして最後。悪人達が去っていくところで、水槽の中で主人公が無音の絶叫を上げるシーンが

 二枚扉をブチ抜いて描かれたところでその漫画は御仕舞さ。

 ここで終了、続編も無し。ま、これ以上描く事もないだろうしね」

 

己を苛む者の口舌に、優木は多分な嫌悪感を抱いた。

自分はこれと比較にならない長口舌を、複数回行ったことは遠の昔に忘れていた。

 

「とまぁ、前置きはこのあたりで良いだろう」

 

濡れ羽色の、美しい黒髪が見えた。

ややボサついて垂れ下がる前髪の奥に、黄水晶に似た輝きを放つ瞳が見えた。

数は、左の眼窩に嵌っているもの一つだけ。

反対側のそれは、美麗な顔を斜めに横断した、黒い布に覆われていた。

 

そしてこの時の優木の眼は、目の前の一つの瞳に感覚の受容の全てを注ぎ込んでいた。

これもまた、先程の鋭角同様に既視感があった。

あの少年の恐ろしい渦を宿した眼を見て、心奪われた時と同じだった。

 

だが今度は、その根本が決定的に違っていた。

腐れ赤毛と紛い物の黒髪には、瞳の中に感情の円環が渦巻いていた。

それが優木の心を恐怖の爪で鷲掴み、眼を逸らすことを許さなかった。

 

だが今目の前にある美しい輝きの中には、美しさ以外に何もなかった。

 

ただひたすらに美しかった。

そしてただの石である、水晶のように虚ろだった。

 

感情の起伏が、何も感じられなかった。

 

瞳の中には、色としての光を放つ虚無があった。

 

そしてこれまでに見たことも無い、あまりにも異質な輝きが放つ美しさに、

他者の心を弄ぶ魔法少女である、優木の心は囚われていたのだった。

 

「それでは、優木沙々」

 

虚無を宿した瞳の少女が、優木に向かって右手を伸ばした。

奇しくも、優木が行ったそれと同じ様相となっていた。

こちらの名前を知っているという事が、

陶酔に染まりかけていた優木の心に恐怖の針を深々と刺した。

 

「私の仲間に成り給え」

 

投げ掛けられた提案もまた、優木のものと同じであった。

声と同時に、優木を戒める影たちが霧散した。

両手の腕輪と鎖も消えたが、今の彼女の選択肢は一つを除いて皆無であった。

 

恭順の意を示して伸ばされた優木の右手を、残る左手が優しく包む。

精神の限界に達したのか、優木の裸体は数種の液体が混ぜられた水溜りへと崩れ落ちた。

 

先手から背信行為を行った愚か者を見降ろしつつ、

黒髪の魔法少女の鮮血色の唇が小さく開いた。

 

 

「此れで、いいんだよね」

 

 

それに続いて、更に小さな小さな声が漏れ、短い言葉を口遊んだ。

その小さな言霊は、この廃墟の何処かから吹き込んだ冷たい夜風に吹かれ、

幻のように消え去った。

 

それが何だったのかは、黒と白を纏った魔法少女以外にはこの世の誰も分からない。

ただ、その言葉の意味を示すように、少女の虚無の瞳には感情の波紋が広がっていた。

 

虚無とは、無限の宇宙を表す言葉でもあるという。

それはあくまで言葉遊びの一種であるものの、無限の存在にさえ喩えられる虚無を滅ぼし、

黄水晶の瞳の中に広がるそれが何であるのか。

 

それもまた、彼女にしか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

己から剥がれ落ちた血と肉と体液の海に沈み、

肉体と精神は限界に達しながらも、道化は思考を紡いでいた。

 

自らを苛む行為であると知りつつも、湧き上がる憎悪と己の心を躍らせていた。

 

 

 

やれる。

 

 

 

こいつなら、こいつとならやれる。

 

奴らに、自分の目的を、願いを打ち砕いた『簒奪者ども』に。

 

理不尽にも味合わされた屈辱を、苦痛を、哀しみを。

 

何千何万、億兆倍、いや、それこそ無限の利子を押し付けて返してやれる。

 

その為ならば、こんな痛みなどくれてやる。

 

『赤と黒の簒奪者ども』も、この唐突に降って湧いた『白黒の奇術師』も、

いずれ必ず破滅へと導いてやる。

 

そしてこの世の頂から、屑共の破滅の様を見降ろしてやる。

 

それまで自分は、愚かで無様で構わない。

 

戯曲の上で愚者どもと戯れる、転がる道化で構わない。

 

 

それに従うとでもいうのだろうか。

「きっ、きっ」と、優木の顔の左右を覆う、血染めのショートボブの髪の中より

小さな邪悪の囁きが、賛歌のように生じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




転んでも、ただでは起きない優木さん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2.5話 愚者を経て

冷え切った夜の大気を切り裂き、一つの風が吹いた。

風の先端には人影があった。

その背後には、土埃が舞っていた。

それは月光の青白い光に晒され、同色の色に輝いていた。

宙を舞う蝶が、羽を揺らしながら吹き零す鱗粉に似ていた。

 

突如、地を走る人影が停止。

人影が土を踏み締める摩擦音に続き、しゅうしゅうと、何かが風を切る音が続いた。

その音は獲物に迫る、爬虫の舌が立てる音にも近い。

そしてそれを示すかの如く、それは大気を切り裂きながら、影に迫りつつあった。

 

薄闇の中、人影の右手の先で紅い光の靄が霞んだ。

霞は瞬時に濃さを増し、明確な個体を形作った。

 

三メートルにも達する長大な槍となったそれを、

影は無造作としか思えない動きで振るった。

 

先端の十字架が、接近していた飛翔物に激突。

金属の悲鳴と火花を挙げ、飛翔物は地に堕ちた。

切っ先を地面に埋め、柄を月光に晒しているそれは、黒曜石に似た輝きを放っていた。

 

「おい、相棒モドキ」

 

己の手により墜落させた物騒な形状の得物を見据え、十字を宿した槍を構えつつ、

人影―――真紅の魔法少女、佐倉杏子は視線の先に広がる闇の中へと声を投じた。

短い一言ながら挑発を狙った卑し気な響きが、声には多分に含まれていた。

 

「あんだけやられてたってのに、随分と元気になったじゃねぇか。

 ひょっとしてテメェは人間じゃなくて、蛇やトカゲに近いんじゃねえの?」

 

揶揄そのものといった少女の声に、闇の中からの小さな笑い声が答えた。

笑いの裏には、怒りの片鱗が伺えた。

 

「別にいいじゃねぇか。それはそれで、便利な事に越したコトはねぇ」

 

揶揄を迎え撃つのは、強気を乗せたべらんめぇ口調。

声に次いで闇の中より出でた手が、地に堕ちた凶器を掴み上げた。

 

白い皮手袋に包まれた右手が握るのは、無骨な形状をした手斧であった。

斧の主は帰還させた得物の切っ先を、佐倉杏子へと向けた。

この惑星で最強の生物群である、魔法少女の一体へと。

 

杏子の紅の瞳は、己に攻撃態勢を取った不届き物の姿を克明に捉えていた。

強化された視力によって、真昼の光景であるかのように脳裏に浮かび上がったそれに、

杏子は今日だけでもう五度目となる舌打ちを吐いた。

 

舌打ちの対象が纏っているのは、青みがかった袖無しのジーンズジャケット。

肩から手首までを、黒シャツの長袖が覆っている。

右手の先には先に拾われた手斧が握られ、残る左手もまた、

細部に違いはあれど同種の代物を携えていた。

 

全体的に細長い体躯を支えているのは、

これもまた然りといった具合の、長く細い脚であった。

刃のようにすらりと伸びた脚を、白色のカーゴパンツが覆っている。

そしてその末端である足部を、スニーカータイプの白い安全靴が支えていた。

身体の頂点で靡くのは、流れる炎のような形状をした、

月光に抗うかのような漆黒色を纏った豊かな毛髪。

 

その下で杏子の真紅の瞳とかち合う、黒曜石に似た黒い瞳。

自分と同程度の身長と体格、更には同じ年頃の女に似た声と顔。

闇より出でたのは、杏子が名付け、

また本人も拒否せぬために『ナガレ』という仮名で呼称されている少年だった。

 

近隣には及ばずとも、急な開発が推進されている

風見野市の至る処にある廃工場の一つに、彼らは来ていた。

設備が撤去され、内部が大伽藍と化した巨大施設の屍は、天井や壁面に積年の風雨の浸食を受け、

至る所に虫食いのような破壊孔を生じさせていた。

 

大小さまざまなそれらから覗く月光が、

物騒な得物を携えた一対の年少者達に斑の光を落としていた。

この時奇しくも、上空で広がっていた雲に裂け目が生じた。

遮蔽物が消えたことにより力を増した斑の一辺が、杏子とナガレを青白い光で照らした。

 

方や、青白い炎を浴びて燃え立つ真紅。

方や、照らされた闇の中に茫洋と浮かび上がる黒。

 

双方、幼いながらも備わる美があったため、中々に絵になる様相であった。

だがその両者の間に流れる空気は、月光の優し気な光とは無縁の剣呑さがあった。

 

それを示すように両者の姿をよく見れば、

それぞれに纏われた衣服や肌には至る処に裂け目が見えた。

魔法少女で言えば、肘を覆う白いレースと肌の露出した肩。

人類の可能性がある少年は、手袋をした両手の甲や白い布地に覆われた脚部など。

それらに細長い肉の亀裂が生じ、

白色の衣類には肌の下から溢れ出した赤い血の痕跡が映えていた。

 

「あのクソ雑魚腐れ道化の下衆女と、

 一つ目のゴキブリ女が来てから、まだたったの三日しか経ってねぇ」

「『もう三日』、だろ。まだ寝てた方がいいってか?」

「ふざけんな、クソガキ」

 

敵愾心に満ち満ちた杏子の返答と共に、少年の腕がぶれた。

腕が消失したかのように見えるような、凄まじい速度を乗せた斬撃だった。

 

「テメェ、本気でくたばりかけてたじゃねえか。非常識って言葉、知ってるかい?」

 

號、とでも表現されるような凄まじい風と音が生じた。

それに匹敵ないしは上回る速さの一閃を、魔法少女が放っていた。

刃の煌めきの果て。

 

一瞬を刻むほどの僅かな時の間、二種の刃が触れ合った。

そして金属の悲鳴を別れの言葉とし、火花を散らして離れていった。

 

「悪いがそいつは、俺にとっちゃあ常識でね」

 

魔法少女の剛力を受けて返された己の得物を握りつつ、ナガレは皮肉気な笑みを見せた。

柄を握る手の中で暴れ狂う衝撃を、使い魔さえ握り潰す握力で強引に黙らせていく。

その様子に、杏子は呼吸の整理も兼ねた、呆れによる溜息を吐いた。

こちらもまた、手に痺れを覚えていた。

 

「ここ最近、ずーーーーーっとワケの分からねぇことばっかりだ。

 俺はこれでも、新宿で平和に暮らしてたっつうのによ」

「なら、そこに戻りゃいいだろ。隣の見滝原からなら、確か電車で行けた筈だよ」

「てめぇ、分かってて言ってんだろ。前言った通り、

 俺の家はもう無ぇし、そもそも『ここ』の『そこ』とは違ぇんだよ」

「知るかボケっ!!!」

 

再び、得物が振られた。

今度は先に、杏子の槍が動いていた。

直後には、耳を覆いたくなるような高音が鳴り響いた。

両手で握られた槍の裂帛の突きを、左右からの迎撃の手斧が挟み込んでいた。

斧側にとって無理な体勢であるはずだったが、槍もそれ以上の彼の領域への侵入は危険と見てか

その場での鍔迫り合いを演じるに留まった。

 

得物を挟んで、真紅と黒が向かい遭う。

この時、この一対の物騒な連中の脳裏には似た思考が生じていた。

こいつと話すときは、こういうシチュエーションばっかりだな、と。

 

「まだ寝惚けてるみてぇだな。寝言ほざいてんじゃねぇ」

「俺がどっから来たかは話しただろうが。何をそんなに怒ってやがる」

「いや、別に特別怒ってるってワケじゃねぇんだ。

 いつも道理だよ。これがあたしがテメェに対して思ってるコトの全てさ」

 

言い様、左手が槍より離脱。

五指同士を広く離して広げられ、ナガレに突き付けるように伸ばされていた。

こちらに腹を見せた指の表面で噴き上がる何かが、彼のうなじに寒気を与えた。

肉が隆起し、骨を締め上げるほどに両手に全力を込め、

先に突き付けられている槍の穂を強引に左舷へと逸らす。

 

直後に、背後の空間に向けて跳躍。

更に全身のバネをフル稼働させ、後方へと連続回転。

反転した視界の隅を、紅の鎖が過っていった。

 

幾度目かの回転の後、彼は四肢を四足獣のように曲げ、這うように地に伏せた。

伏せたことで生じた頭部の上の空間を、複数の鎖と槍の穂が貫いた。

普段の五倍ほどの長さに延長された十字槍の末端には、佐倉杏子の右手があった。

そして、真紅の縛鎖の群れは杏子の広げた左手の表面から生じていた。

 

地を這う少年を、真紅の瞳が見つめていた。

 

「いい様じゃん。バケモノみてぇなテメェには、よくお似合いだよ」

 

魔法少女の眼尻には嘲弄を示す緩い円弧が張り、

 

「精々無様に這いずって、のたうち廻りな。そうしたら百の肉片になるまで刻んでやるよ」

 

口元には半月の笑みが刻まれていた。

 

だが不思議な事ではあるが、彼はそれに必要以上の苛立ちを覚えなかった。

 

形で見れば、先の道化の嘲弄にも似ていた。

だが杏子のそれは道化とは違い、

相手に不快感を与える事だけが目的の、後先考えずの愚行ではなかった。

この嘲りは、相手の出方を誘い罠へと嵌める、真紅の雌豹の奸計であった。

戦う為の、技術としての挑発だった。

 

その様に、彼の中の血が滾った。

そのためだろうか。

黒渦を巻く瞳は、その濃さを更に増したかのように輝いた。

戦う事が、愉しくて楽しくて仕方がないとでもいうように。

 

理不尽な治療の果てに死の間際から回復したばかりでよくもまぁ、というレベルのモノではない。

どうなろうとも、どう成り果てようとも消えることのなく、熱を持ち続ける闘争心。

この時、彼の内なるそれは、激しく燃え盛っていた。

風の中の炎のように。

 

そして彼の感情とは裏腹に、きん、という何処か儚げな音が鳴った。

 

嘲りの仮面の下で、杏子は一つの軌跡を見た。

地に横たわらせていた斧が再び握られ、そして振られた後の線だった。

幾度とない破壊を経たためか、斧の表面に浮かぶ溶接痕は火傷に似た様相となっていた。

だが刃の部分には、漂泊された牙のような美しい光が宿っていた。

杏子が見たのは、その光の痕跡だった。

 

光の軌道上には、魔力の鎖と槍があった。

一瞬の後、空中で生じた線は太さを増した。

自らを切り裂いた光に劣らない、

美しい断面を見せながら、杏子の魔力は切断されていた。

 

「やるじゃねぇか」

 

反射的にではあったがそれは、紛れもない称賛の言葉であった。

言ったことによる後悔は、杏子自身が驚くほどに少なかった。

 

「あの道化と眼帯女には、っていうかてめぇにも結構やられたからな。

 治っときに、割といい具合に調整されちまったのかもしれねぇ。なんか調子いいや」

 

己に向けての皮肉が交じっていたが、語る様子は愉し気だった。

 

「そいつぁ良かった。やっとこっちも本気でいけるよ」

 

八重歯を見せて、真紅の魔法少女は嗤った。

胸の宝玉が輝き、紅は更に深みを増した。

 

左手の鎖を解除し、前方へと跳躍。

滞空中にも関わらず、魔法少女が放った突きは、秒間で二十発を越えていた。

少年はその半分を斬り払い、残りを斧の腹で受けた。

 

そして、今度は後退することなく、迫り来る突きの連打に得物を重ね、

無数の火花を散らせつつ真紅の襲撃者へと前進した。

 

再び両者が向かい遭い、死闘が再開された。

魔法少女は、槍の穂を斬り払う少年の瞳の中に感情の渦を見た。

少年は、斧の斬撃を撃ち落とす魔法少女の眼に宿る、紅い円環に気が付いた。

 

両者は互いに、己の顔に剣鬼の笑みを重ねていた。

 

手足の一本二本を斬り飛ばし、内臓を掻き出させる積りで、両者は得物を振っていた。

そうでなければ互いに、相手にならないと分かっていた。

 

病み上がりだとか、危機の最中にあるという思考は既に両者の頭脳から滅却されていた。

時折、不快な道化の顔が脳裏を掠め、突きと斬撃に重みを増加させる事はあったが。

 

修復されたばかりの斧が砕け、魔力の槍が十字架を切り裂かれて堕ちる。

ナガレは予備の斧を背中から取り出し振い、杏子は再度槍を召喚させて切り結ばせる。

それを、幾度となく繰り返す。

 

全てが防がれるわけではなく、肌が裂け、肉を貫いた刃が骨を掠めた。

 

だが、それでも両者の戦いは終わらなかった。

寧ろ血と肉が弾ける度、激しさを増していった。

 

寝床ではないため、戦場の破壊に関して遠慮は不要。

そして相手への負傷への配慮は、最初からしていなかった。

 

そもそも、どうすれば相手を確実に殺せるのか。

それさえも互いに確証が掴めていなかった。

 

 

本能に根付いた闘争心を満たすべく交差する真紅と黒の乱舞は、

何時果てるともなく続いていった。

 

 




色々(原因は実質一つ)ありましたが、二人は元気です。
ある種の後日談ということで、この話数となりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 魔なる者達の平凡な午後

今回は若干短めです。





その日も、彼女は空腹感により目を覚ました。

天井に空いた隙間は先日塞がせたが、ステンドグラスから差し込む光が

現在は午後の三時と告げていた。

 

欠伸をしつつ、祭壇の上に据えた真新しいソファに寝転びながら周囲を睥睨。

薄汚れた壁の前に横たわる、かつての自分の寝床を認めた。

ついでにその上で、今の自分のように寝転んでいる生命体も。

 

先日のリハビリを兼ねた、

殺意に満ちた訓練により手や膝や頬などに包帯や絆創膏を巻いてはいたが、

今の彼は思い思いに手足を伸ばし、

無音に近い寝息を立てながら快適そうに惰眠を貪っていた。

その様子に、杏子はこう思った。

 

「今なら殺れるか」

 

と。

 

息を吸って吐くように、特に意識しないままそう思っていた。

違和感は思考の後に生じていたが、その頃には既に、彼女の手は真紅の槍を握っていた。

柄は、宙に撒かれた水のように一気に伸びた。

少年の寝床の手前で槍は蛇のように鎌首をもたげ、寝息を立てる少年の顔の上へと

十字を描いた先端を向けた。

 

そして狙いを定めるや水中の餌食を狙う川蝉のように、その切っ先を奔らせた。

 

直後に音が生じた。

『ぎちん』とでも云うような音だった。

 

「用があんなら口で言え」

 

やや舌足らずな具合で、ナガレは不満に満ちた声を出した。

一文字ごとに、がちがちという音が鳴っていた。

真珠色の歯を備えた咢が、槍の先端を挟み込んでいた。

 

「こっちの方が楽でね。で、気分はどうだい?」

 

特に驚きも、そして悪びれもせず杏子は尋ねた。

それと同時に槍を消滅、させずに手元に引いた。

歯の一本でも道連れにする積りであったが、彼の口はその直前に槍を離していた。

 

「これがいい目覚めだと思うのか?最悪以外の何物でもねぇだろ」

「自己紹介御苦労さん」

「黙りやがれ、この魔法少女め」

 

両者は相変わらずの様相であった。

よく考えなくても、嫌な人間関係だった。

 

 

 

『~~工場跡地で謎の大爆発』

『敷地内の建物は全て倒壊』

『近隣に被害は無し』

 

刹那的で破滅的な遣り取り。

別名目覚めの挨拶を終え、ナガレは寝床に腰掛けながら新聞紙を広げていた。

上の三つは、今の彼が読んでいる記事の一部である。

 

「やりすぎたかな」

 

最後の一つを読み取り、安堵の溜息を零してから彼は呟いた。

頭に『魔法』が付くとはいえ少女相手に物騒な得物を振う一方、

彼にはこういう一面もあった。

 

寝床の向きの都合上、魔法少女と少年は距離を隔てつつも向き合う形となっていた。

そして彼女もまた、ある物に視線を落としていた。

真紅の瞳が眺めているのは横向きにされ、左上にホチキス留をされた三枚のA4用紙であった。

牛の魔女を撃退した次の日に、彼が用意した物だった。

それまで放置されていたが、なんとなくといった具合に杏子はそれを読んでいた。

因みに今の今まで丸められ床に転がっていたために、紙はかなり「ぐしゃぐしゃ」になっていた。

 

「で、てめぇはこのビート板みてぇなのを探してるんだっけ?」

「まぁな」

 

彼女の言葉を借りればその通り、

白色の用紙に簡素な線画で描かれていたのは、厚みのあるビート板とでもいうような物体だった。

細部はそれぞれ異なるが、先端らしき部分に向けて緩い線を描いているところが共通している。

イラストの隅には「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」との記載があった。

それが更に、意味不明さに拍車を掛けていた。

 

「大きさは?」

 

杏子は投げやりな口調で尋ねた。

 

「上から十二、十五、十二ってとこだな」

 

それらの数字は多分、センチか十センチ単位だろうと杏子は思った。

とりあえず、メートルの単位では無いだろうと。

流石にそれは非常識にも程があるし、用途不明な事この上ない。

 

杏子は少なくとも、これは乗り物では無いだろうと思っていた。

地面を走るには車輪が無く、また空を飛べるような形でもなく、

ましてや水中や地中を移動できる代物にも思えない。

 

恐らくはこれらは、爆弾か暗器の一種だろうと杏子は結論付けた。

それで終わりにしたかった。

 

「それか、こいつだな」

 

その願望を、彼の一言が打ち消した。

妙に真剣な口調だったことが、僅かながらに杏子の興味を引いた。

 

「ほれ」

 

の一声と共に、杏子の元へと一枚の紙飛行機が投じられた。

それは下方から投げられたというのに、悠然と空気を切り裂いて進み

無事に杏子の手元へと飛来した。

市販品のカスタム仕様らしい手斧といい、妙に手先が器用な奴だなと彼女は思った。

 

「何だこれ」

 

広げてすぐに、彼女は言った。

少女の顔には困惑と怪訝さがあった。

優木に長口舌で妄想を言われた際のナガレの様子に、どことなく近かった。

 

「こいつの名前は」

「いや、いい。それ以上言うんじゃねぇ」

 

脳裏に生じた不吉な予感に、杏子は彼の言葉を遮った。

彼もその先は言いたくなかったらしく、そこで口を噤んでいた。

 

「特徴を言いな」

 

『手足の生えた鉄塔』。

それが、紙に描かれた線画を見た杏子が抱いた、率直な感想だった。

 

「見ての通りだ。胸は文字通りの鉄板で、胴体もどっしりとした寸胴体型。

 手足も柱みてぇに太いな。あと頭の尖がりが角なのか耳なのかは、未だによく分からねぇ」

 

『頭』というところから少なくとも生物、恐らくは人間を模した存在であるらしい。

だが先の三枚の分厚い板どもと、この存在との関係性は全くとして見出せなかった。

 

またここで、杏子はある事に気が付いた。

というよりも疑いを持った。

彼の説明の裏に、悪意があるのではないかと。

 

彼が説明する『これ』の描写に、認めたくはないが既視感があった。

とても、この上なく身近なものに。

 

「あと全体的な色は『赤』だ」

 

これが決定的な一言となった。

ぷちぷちと、彼女の内なる何かが切れていく。

数日前に道化が成したことより程度が大分軽いとはいえ、切れたことは確かであった。

 

「書き忘れたけどそいつな、真っ赤なマントを羽織ってる」

 

謎の人型物体に真紅の外套を追加。

脳が認識、魂が受容。

理性の糸が「ぷっつん」と切断され、

胸の中には、心臓を焼け焦がすような感情の波濤が発生していた。

 

「こいつ自体も物騒なんだが、この部分が一番ヤバくてな」

 

彼もまた、同様の紙を眺めていた。

当然と言えばそうなのだが、あちらの手元にも同様の資料があるらしい。

そして彼は右手に持ったボールペンの尻で人型の胸をぺしぺしと叩いていた。

 

「人間でいう心臓なんだけどよ、こいつが毎回ワケの分からねぇ事をしでかしやがる。

 これ以上の面倒事をやらかす前に、さっさと見つけてどうにかしねぇと」

 

杏子は既に、彼の話を聞いていなかった。

今重要なのは、肉体の完全な治癒とこの謎物体の『元ネタ』についてであった。

 

「こいつは色々と危ねぇから、

 最低でもここはバラして残りは海にでも沈めちまうか。置き場所もねぇしな」

 

なんとなく猫耳に似た頭部の突起、鉄板と形容される胸、色は赤で真紅の外套を装備。

「嫌がらせってのはこういうやり方もあるんだね」と彼女は感心さえしていた。

 

「ま、動いたらの話なんだが、あの眼帯女と腐れピエロを片付けたらすぐにでも…」

 

言い掛けたところで、彼は大気の変容に気が付いた。

 

「なるほど」

 

可憐な少女の唇から紡がれる言葉が、声が、室内の大気を毒素に変えているようだった。

今日も廃教会内には、真紅の怒りが充満していた。

 

「死にてぇらしいな」

 

表面には灼熱の炎。

内部には、詩人が旅したという地獄の最下層に満ちる絶対零度が込められているかのような声だった。

 

今回は何が原因かと、ナガレは数秒ほど思考。

手元の紙と自身の記憶を辿り、更に既に戦闘態勢を取り始めている眼前の真紅を重ね合わせる。

あぁ、と心中で彼は呟いた。

本当のところ、変身した杏子を初めて見た時に一瞬ながら連想したことでもあった。

 

「いや、あんまり似てねぇだろ」

 

それは彼なりのフォローであったが、

『いや』のあとの四文字は、言わない方が良かっただろう。

 

今日の二人の戦端は(少なくとも今日で最初のものは)、彼の余計な一言が原因であった。

 

 

 

 




書いてて思いましたが、あの三機は確かに不思議な形してるな…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 魔なる者達の平凡な午後②

真紅の怒りの発露より、二十分ほどが経過した。

燃え盛る感情は、例によって言葉ではなく暴力として顕れた。

繰り出される拳と蹴り、火花を散らして噛み合わされる二種の刃。

少し前に廃工場一つを完膚なきまでに破壊した際と同様、

延々と続くかに思われたそれらの応酬は、唐突に終焉を迎えた。

 

魔法少女と少年は、荒い息を吐きつつも互いに向かい合っていた。

両者を隔てる距離は、一メートルもない。

 

「提…案が…あるん…だけど…よ」

 

途切れ途切れの言葉を発する少年の左手は、細い首の根元へと伸びていた。

襤褸と化した皮手袋に包まれた指の先端が、何かを掴んでいる。

それは、彼の首に絡みついた真紅の魔力の鎖だった。

鎖に触れる彼の手の先から伸びた爪は、指の肉から数ミリほどの隙間を作って浮き上がり、

爪と肉の間には、ぷっくりと膨れた血の珠が生じていた。

 

華奢にも見える細長い手の甲にも、血管が浮き上がっている。

鎖による圧搾は、相当なものであるらしい。

 

残る右手には、半壊した手斧が握られていた。

刃の大半を砕かれていたが、僅かに残った縁の部分の鋭角は、

魔法少女の薄い胸の上で紅く輝く宝玉に向けられていた。

宝玉と得物との距離は、三センチメートルを切っている。

 

「続けな」

 

対する魔法少女もまた、彼の鼻先に槍の切っ先を向けていた。

槍は柄の大半が損失しており、杏子が握っているのは十字を描いた穂の部分であった。

そして左手は、だらりと垂れ下がっていた。

垂れた腕の形状には、いびつな歪みが生じていた。

恐らく、蹴りか拳を防御した際に折れたのだろう。

 

だがそれでも、折れた肘の先にある手は拳の形を取っていた。

注視すれば、拳が握られる動きと少年の首にある鎖の挙動が連動していることが伺えた。

握る度に、鎖はナガレの首へと食い込んでいった。

 

互いの内で高鳴っている鼓動が聴こえるような至近距離。

僅かでも動けば、確実に互いに新たな傷を付け合う距離だった。

 

「飯に…しねぇか。昨日から…何も喰って…ねぇだろ」

 

彼が言い終えた直後、杏子は僅かに緩ませていた拳を強く握った。

鎖が呼応し、一瞬、喉笛を潰すような勢いで肉に食い込む。

一瞬で済んだのは、彼の力がそれに対抗したためだった。

 

刃の代わりに、鋭い視線が交差する。

肉と鎖の交わりをそれから三呼吸ほど続けた後、彼女は魔法を解除した。

首で弾けた紅は、彼の頬を僅かになぞり、幻のように消えていった。

 

「最後の最後まで容赦なしか。それに、中々良い感じの技の組み立て方をしやがるな」

 

左手で首を揉みつつ、彼はそう評した。

肉体のタフネスさもそうなのだが、

開口一発の発言が相手への素直な評価というのは如何なものなのだろうか。

 

「…そりゃどーも」

 

杏子はそれに、皮肉の成分も感じていた。

包帯と一緒に巻き付けたものに、彼は勘付いているらしかった。

「組み立て」とは、それを指しているのだろうなと。

 

「とりあえず買い出しも兼ねて、ちょっと街に出ねぇか?」

 

斧の破片を回収し、砕けた柄を背中に仕舞った後、

彼は肉が削れた場所に包帯と絆創膏を貼っていく。

 

「あぁ。残念だけど、その提案には乗ってやるよ」

 

倣うように、というよりも彼の両手が塞がるのを見計らって変身を解除し治癒魔法を発動。

折れた腕がぐねりと蠢いて正常位置に戻り、千切れた筋繊維が結び合う。

次についでといった具合に、肉体の各部で生じた負傷も治療。

交戦時間が短かったため、ごくごく軽い怪我で済んでいた。

あくまでも、魔法少女の基準ではといった具合であったが。

 

因みに今日の小競り合いの和睦の使者と為ったのは、杏子の胃袋が挙げた飢餓の嘶きであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

粗末な椅子に腰を掛け、背もたれを軋ませながら、佐倉杏子は眼前の物体を眺めていた。

彼女のこれまでの人生で、それほど馴染みのない物体。

やや型遅れのデスクトップタイプのパソコンが、彼女の前に置かれていた。

行儀悪く机の上に伸ばした脚の奥に鎮座し、

その行為を咎めるかのように、電源を落とされた画面には黒い光が宿っていた。

 

今から数十分ほど前。

微妙に距離を隔てつつの移動の後、杏子は彼の誘いによって、ここに連れられていた。

無論、主導権を握られるのは癪であったため抗議をしたが最終的には

 

「飯なら奢るぞ」

 

との彼の言葉に釣られた形となっていた。

最近は恐喝や窃盗、更には主収入であるATMの破壊を怠けていたこともあり、

手持ちが不足していた彼女は少しの逡巡の後にその案に乗った。

視線をパソコンから、その近くに置かれていた利用案内書に移し頁を捲る。

 

「飯だけじゃなくてシャワーも浴びれるのか。最近のネカフェってヤツは、便利なこって」

 

人類の限りない欲望に若干の感謝をしつつ、

杏子は即座に備え付けの受話器を取ると一通りの料理を注文した。

店員が内容を繰り返す前に「早くしろよ」と言って受話器を置いた。

 

とは言ったものの、簡素な調理で済むものが多いとはいえ料理が届くまでは時間がかかる。

シャワーを浴びたいところではあったが、それだと微妙にこちらが遅くなりそうな気がした。

なので、待ち時間を潰すのは漫画が手頃だろうという結論に落ち着いた。

狭い通路を通る際に、壁面に大量の本棚が置かれてたのを思い出していた。

 

目の前のパソコンは触る気にもなれなかった。

そもそも、どう動かしていいのかがよく分からない。

 

今すぐにでも頭に『元』か『故』を付けてやりたい同伴者に聞くほどのことでもなく、

また操作方法を知っているとは思えなかった。

それにせっかくの個室が提供され隔離されている以上、顔を合わせたくもない。

 

そう思いつつ、狭い室内の隙間を縫って外に出た。

貧弱な照明に照らされた通路は、まるで古代に造られた地下迷宮のようだった。

数歩進んで、杏子は止まった。

 

「邪魔だよ」

 

彼女は現代の迷宮の中、奇怪なものを目にしていた。

高々と積み上げられた書物から、人間の下半身が生えていた。

そう思えるほど、そいつは莫大な数の書物を抱えて歩いていた。

 

通路の幅は約一メートル程度。

どう見ても邪魔な存在だった。

 

「あぁ、悪い」

 

多少の自覚はあるのか、ナガレは道の端に寄りつつ、素直に返した。

すれ違いざま、杏子は右足をナガレの足の前に伸ばした。

それを予期したかのように、彼は足の分だけ高さを上げて杏子の足を回避。

何事もなかったかのように歩を進めていく。

睨む杏子を尻目に、杏子の四つ隣の部屋へと入っていった。

 

本来の目的も忘れて、杏子は茫然とその場に立ち尽くした。

先ほどの光景に対して、頭を整理したかったのである。

 

魔法少女戦線

魔法少女大戦

魔法少女戦記

魔法少女同盟

魔法少女都市

 

覚えていた限り、これらがナガレが運んでいた書物のタイトルだった。

それらが各三~五巻。

累計にして、二十冊は軽く越えている。

それに加え、最上段にはCDケースらしきものが乗せられていたような気がした。

その光景を思い出すと、杏子は頭をごくごく小さな破片が通り抜けたかのような、

微細な幻痛を覚えた。

 

「殴りすぎて、おかしくなっちまったのかな…」

 

憐れみさえ孕んだ声で、杏子は呟いた。

多量の書物を抱えて横を通り過ぎる彼の表情は、

童顔に似合わない苦渋に満ちたものだったのである。

 

勝機の無い戦へと向かう、戦士の悲痛な横顔のようにさえ見えた。

おかしな話ではあるが、このあたりに理性というか、

まともさを感じられたのが幸いだった。

彼が意気揚々としていたら、間違いなく杏子は顔面に拳を、

いや、魔槍を叩き込んでいたことだろう。

 

小さく息を吐くと、あの奇怪な行動と書物の選択の理由を考察。

数日前からの、彼の発言を思い出していく。

結論はすぐに出た。

会話が少ない為である。

 

「まさか…あれが、『勉強』か?」

 

導き出された答えは、彼女を困惑させるには十分だった。

 

「訳が分からねぇ。分からねぇけど」

 

だが、確実に自信をもって言えることがあった。

 

「あいつは、この世界にいちゃいけねぇような気がする」

 

気に食わない云々以前に、何故かそう、はっきりとそう思えた。

そして頭の中に湧いたこの感情を呆れにすべきか怒りにすべきか、

その区別は難しかった。

 

一応の結論を得られたという事もあり、彼女は歩みを再開した。

通路を通り、本棚から適当に漫画を掻っ攫う。

出歩くのも面倒だったため、彼女に攫われた漫画の巻数は三十冊を越えていた。

莫大に過ぎる巻数は、無意識の内に彼に対抗したためだろうか。

 

部屋に戻ると丁度、供物が運ばれてきたところであった。

先行して部屋に入り、給仕に料理を並ばせる。

パソコンは隅に追いやられ、これだけは無駄にデカい机の上に多量の料理がひしめいた。

即座に手を伸ばし、捕獲するように椀を掴んで麺を啜る。

ものの十数秒でラーメンが空になり、焼きそばとから揚げがそれに続いた。

胃袋が満ちていく充足感の裏腹で、杏子は確信めいた予感を感じていた。

 

多分、近いうちに来るだろうと。

忌まわしき者たちが。

 

料理の全てを平らげ、皿を山と積んだ後、杏子は手に書物を持っていた。

満腹による眠気に抗うように、細指が頁を捲っていく。

じっくりと漫画を読むのは、彼女にとって随分と久しぶりのことだった。

 

眠気も手伝っているのだろうが、このとき彼女の心には、確かな安堵感が生じていた。

苛烈な生活を送る彼女としても、幻想の世界を垣間見たかったのかもしれない。

正体不明の存在と組んでいる現状を抜きにしても、救いの無い人生からのせめてもの慰めとして。

 

杏子が選んだ漫画のジャンルも、夢と希望を振り撒く少女たちの物語であった

 








今回は割と平和です。
書いてて思った事ですが、もしかしたらまどか世界って
漫画やアニメに魔法少女物が多いんじゃないかなって気がしました。
QBの勧誘が割とスムーズにいくあたりとか見てると、この世界の人らは
魔法少女ものを娯楽として触れる機会が多いんじゃないかなぁと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 道化と虚無と簒奪者

午前四時半。

風見野市の繁華街の片隅の、

更にその地下にあるネットカフェへと潜ってから、一日半ほどが経過した。

ラーメン一杯に加えフライドチキン四本という、

比較的軽めの朝食を終えると、杏子は行動を開始した。

読み終えた漫画を片し、

軽くシャワーを浴びて身支度を整え、受付にてチェックアウトを済ませた。

料金は支払い済みだったらしく、釣銭と次回からの割引券を受け取る。

そして最後に無駄に愛想のいい店員からの爽やかな謝辞を受けつつ店を出た。

 

自動ドアを抜けた先には、細長い階段が待っていた。

杏子が眠気を噛み殺しながら昇っていくと、

早朝の青白い朝日が少女の真紅の瞳に一筋の光を射した。

 

光を浴びた眼が細まり、彼女の得物の槍に似た鋭角を形作った。

ただしそれは、眩しさによって出来たものではなかった。

心に湧いた、怒りにも似た感情によるものだった。

 

階段から少し離れた街灯の下に、その原因が立っていた。

少なくとも、愛情とは真逆の感情を彼女に抱かせているものが。

 

それは青銅色の柱に背を預けながら、

一日の始まりを象徴する若々しい蒼穹を眺めていた。

だがすぐに彼女の存在に気付いたらしく、黒い瞳を宿した視線がそちらを向いた。

 

「よぉ。おはよ」

 

彼の口から出たのは、意外にも常識的な一言だった。

冷気が揺蕩う早朝の大気の中、少女じみたその声は凛と響いた。

言うまでもなく、声の主は佐倉杏子の相棒であるナガレである。

因みに相棒という立場は「技の実験台」「肉盾」「買い出し要員」「猟犬」等を兼ねていた。

彼女自身も極稀に気になる事ではあったが、何故かこの少年の存在は気に食わなかった。

多分、今後も変わることは無いんだろうなと、彼女は思っていた。

しかしながら、返す言葉は決まっていた。

 

「あぁ、おはよう」

 

親しみからではなく、あくまで人としての常識としてそう返した。

また少年も相棒からの硬い声色の挨拶に対し特に気にした風もなく、

打合せ通りの行き先に向けて歩き出した。

 

杏子もそれに続いて歩を進めていった。

途中から少年を追い抜かし、彼の数メートル先を歩くようになっていた。

 

一対の年少者達は、風見野市の中心部からその離れへと向かっていった。

 

平凡なる人々の日常の外へ。

そして、魔なる者達の日常へと。

 

 

 

 

 

「ここなら、邪魔も入らねぇだろ」

 

四方を見渡しながら、ナガレが呟いた。

 

三十分ほど歩いただろうか。

二人は風見野市の郊外へと辿り着いていた。

周囲に広がるのは、役目を奪われた巨大な伽藍。

風見野市では珍しくもない、廃棄された工場だった。

経年劣化も著しく、空間を形作る鉄の壁や柱には赤茶色の錆が浮いていた。

 

互いに微妙に距離を取りつつ、伽藍の中央まで歩を進めていく。

不意に、両者の歩みが止んだ。

それから魔法少女と少年は視線を交わした。

鋭い視線と共に魔法少女は少年に向けて細い顎をしゃくった。

少年は頷き、大きく息を吸った。

 

そして。

 

 

「何時までもコソコソしてんじゃねぇ!!

 さっさとツラ見せやがれってんだ!この粘着女!!」

 

 

空気を糧に、伽藍を震わせるほどの莫大な声量がナガレの口から発生していた。

彼から五メートルほど離れている杏子も、思わず顔をしかめていた。

そして吹き荒れる炎のような彼の声が、やがてその残滓も残さず消え去ったのち、

それは起こった。

 

「く、くふ」

 

聴くものに不快感を与える邪悪な笑みが、伽藍のどこかで生じた。

それと共に、世界の姿が変わっていった。

風の色が変わり、世界は廻る。

無数の絵の具を混ぜ合わせたような、混沌の色があらゆる方向へ駆け抜けていく。

 

「くぅっふっふっふぅうう」

 

異界の支配者であるかのように、少女は高々とした笑いを挙げた。

一対の視線が、音源へと向いていた。

そこには、開け放たれた扉があった。

そこは、異界と現世のつなぎ目となっていた。

 

現世から異界に注ぎ込まれる光を背負いながら、そいつは笑っていた。

誰であるかは言うまでもない。

 

「朝っぱらから、まぁたこんなトコロでイチャコラしちゃって。

 あ、ひょっとしてこれからねちょねちょぐちゃっと一発かますトコだったんですかぁ?

 これだから盛りの付いた下等動物はヤになりますねぇ。嗚呼、なんて卑しい連中なんでしょ」

 

その汚猥な言葉に、ナガレは小さくため息を吐いた。

息には焼けた鉄のような熱さが含まれていた。

それはまるで、彼の心中で何かが溶け崩れたかのようだった。

例えば『良心』や、『慈悲』といった感情などが。

 

因みに杏子はといえば、隣の彼でさえ振り向くことを遠慮するような

おぞましい殺気を放っていた。

当然の結果だろう。

 

言い様、少女の左手が掲げられた。

ぴんと伸ばされた先で開いた五指の中央には、卵型の宝玉が鎮座していた。

軽いステップを踏むと同時に、ふわりとした可愛らしい衣装が消失。

非常に薄い脂肪を皮膚下に蓄えた胸と、ろくに筋肉の付いていない細い四肢が顕わとなった。

 

「タダじゃ殺しません。今度は貴女方が恐怖を味わう番ですよぉ」

 

鋭敏な反射神経と高い空間認識能力ゆえに、明確に視認される少女の裸体に不快感を覚えつつ、

『あなた』の言い回しに含まれる悪意をナガレは感じ取っていた。

 

裸体の表面に新たな衣が生成されていく中、優木は顔の左右で笑みと嘲りの表情を形成。

俗にいう顔芸をかましながら、悪意の言葉を紡いだ。

その様子に杏子は、器用な奴だと感想を抱いた。

また傍らの相棒らしき生命体が、

 

「お前はあしゅらか」

 

と、怒りを押し殺した声で謎の言葉を漏らしているのが聴こえていた。

多分、例の鉄塔やビート板よろしく、

彼の妄想を綴った設定集の中の怪物か友達か何かだろうと彼女は思った。

 

また、高速で行われる変身の最中の

異様な早口だというのに、一語一語がはっきりと唱えられていた。

意思伝達を円滑化する魔法を使用しているらしかった。

これを成すために消耗されたエネルギーは、恐らくはこの惑星に魔法少女が誕生して以来、

最も無駄な用途に用いられた力だろう。

 

「たっぷりと私の恐ろしさを味わわせてあげますよ、この簒奪…」

 

その時だった。

黄色の魔を抱いた少女が、優木が異変に気が付いたのは。

そしてそれに、優木がデジャヴを抱いたかどうかは定かではない。

 

二つの黒い洞が、自らに対して向けられていた。

洞の直径は約十五センチほどで、

僅かに見える側面の形状から、

洞を形成する物体は円柱状、つまりは筒状であることが伺えた。

黒髪の少年は、それを左右の手に一つずつ握っていた。

正確には、一丁ずつとすべきだろうか。

 

筒の下部には銃器のグリップらしきもの、というよりも完全にそれが備え付けられており、

彼の手が握っているのも、その部分であった。

更に挙句の果てには…いや、当然というべきか。

彼の人差し指は、引き金に指の腹を添えていた。

 

そして、優木は聞いた。

 

「先ずは景気づけってヤツだ」

 

弾むような声で、更には相手への意趣返しなのか、

邪悪さを湛えた笑顔で楽しそうに言う彼の声を。

 

更に見た。

 

その傍らで、その様子をジト眼で見つめる真紅の同類を。

そして真紅の視線は、相方から優木へと動いた。

 

「死ね」

 

視線の合致と共に告げられた無慈悲極まりない一言は、

果たしてどちらに向けてのものだったのだろうか。

 

ただ一つ確かな事は、杏子の呟きと共に

その言葉に相応しいものが放たれたということだった。

 

小さな爆音と共に左右の筒の洞の奥から、光を纏った二つの弾丸が撃ち出されていた。

数十メートルの距離を一瞬で詰め、色も形も砲丸投げの球にそっくりな

拳大ほどの弾丸たちは、ほぼ裸体のままで慌てふためく優木の腹部に直撃した。

 

深々と肉に埋没した、クロガネの拳。

これを言語化すれば、『ミサイルパンチ』とでも云うようなものとなるだろうか。

 

「ごぅふっ!?」

 

細い体が強制的な前屈姿勢に折曲がり、薄っぺらい腹筋が皮膚の下で千々と砕けた。

衝撃は内臓へも到達し、腹の中は混沌と化した。

だがそれらは、これからの前兆に過ぎなかった。

 

優木の腹部に減り込んだ直後、弾の表面に無数のヒビが生じた。

そして弾の内部に詰め込まれた破壊が、爆音という産声を挙げて、閃光と爆風を巻いて吹き荒れた。

 

優木の新たな悲鳴は、音を構築する空気ごと無残に粉砕されていた。

 

「て、てめ…ぇ…っ!」

 

必死の思いで呪詛を紡ぎ、更なる破壊から逃れるべく、道化は爆風の中を転んでいく。

決死の退避も虚しく、広範囲に吹き荒れる爆風が肌を裂き、炎が裸体を愛撫する。

 

灼熱地獄もかくやという中、優木は見た。

洞から硝煙を挙げる筒を投げ捨て、羽織ったジャケットの裏に手を滑らせる彼の姿を。

そして、舞い戻ってきた両手に握られた、

先程のものと殆ど変わらぬ造形をした新たな凶器を。

 

命乞いを挙げるための酸素もなく、弾丸は無慈悲に発射されていた。

微細な幸運ながら、今度は弾丸が優木に激突することは無かった。

今度の爆発は大気にわだかまる熱に弾丸が触れた事によって生じたのであった。

優木は再び、全身に爆炎の凌辱を浴びた。

 

恐らく呼吸用のために、魔法で酸素を生み出したのだろう。

それを糧にした、獣じみた絶叫が挙がった。

しかしながら、というか当然ながら、ナガレは手を止めることをしなかった。

用済みのものを再び投げ捨て、ジャケットから新たな物を取り出し、構え、発射する。

それを、次々と続けていった。

 

 

発射。引抜。投棄。

 

発射。引抜。投棄。

 

発射。引抜。投棄。

 

と、流れ作業のように繰り返していく。

次々と光が炸裂し、異界を爆炎が埋めていく。

幅にして約十メートル程の空間が、破壊を伴う炎渦の温床となっていた。

 

優木のものらしき絶叫を遠く聴きながら、杏子はその様子に既視感を覚えていた。

単発式の古めかしい銃器を操り、無数の邪悪を討ち払うものの、可憐なる雄姿を。

 

苦い思い出だと、杏子はそれを脳裏から引き剥がした。

だが同時に、目の前の残虐行為が現実として彼女の意識に這入り込む。

この世の理から外れた者である魔法少女の佐倉杏子としても、

更には今実際に異界に居つつも、目の前の光景は別次元的にしか思えなかった。

どこから矛盾を言えばいいのか、まずそれが分からなかった。

 

何で背中と上着の間に、そんな大量の物騒なブツを搭載できる?

何時の間にそんなの造ってた?

何処で造り方を覚えた?

そして其れは何時まで続く?

 

その内の最後の疑問の答えは、偶然にも直ぐに出た。

破壊を吐き出した筒を放り投げると、ナガレは筒の代わりに手斧を両手に携えた。

 

破壊と修復を繰り返したためだろう。

刃の部分が拡張されており、如何にも戦闘用とした趣が与えられていた。

その形状には最早、初期の市販品らしさなど何処にもない。

 

因みにその頃には、彼の周囲に長さ四十センチほどの円筒が十四本ほど転がっていた。

役割を終えたそれらをじっと見てみると、円柱の表面に僅かな隙間が見受けられた。

恐らく収納時は折り畳まれ、コンパクト化されているのだろうと推察出来た。

だからといって、この不条理が説明出来るとは言い難いが。

 

「早速、勉強の成果が出てるじゃねぇか」

 

眼前に広がる爆炎と火災煙を眺め、

割と心地よい温度となった熱の残滓を浴びながら杏子は言った。

早速優木に与えられた地獄の一部によってある程度の満足感は得られていたが、

大体は皮肉のつもりだった。

 

この不条理な破壊行為に突っ込まないのは、既に一度見ていたからだった。

先の道化の襲来の際、彼女の配下の魔女二体を戦闘不能に陥らせたのは、

これによく似た存在であった。

 

「あぁ。お前らも変形、じゃなくて変身ていう手間があるからな」

 

淡々とした様子で、ナガレは語った。

そして何故か、彼は目の前の破壊された空間に向けて歩き出していた。

 

「今度はあたしにも試してみたらどうだい?ちったぁ勝率が上がるかもよ?」

「バカ言え。てめぇの場合は隙が無ぇんだよ」

 

背に投げられた杏子の声に返答すると、ナガレは歩みを疾走へと変えた。

 

走りつつ渦巻く炎に向けて、ナガレは両斧を振り下ろした。

まるで固形化された物体を切断したかのように、炎は斧の軌道に沿ってずれ堕ちた。

開いた光景の先に、魔なる者が立っていた。

 

火傷や怪我など、もうどこにも負っていなかった。

それでも紛れもない美少女の顔には憎悪が浮かび…そこには幾らかの悦びも入り混じっていた。

その様子に、ナガレは軽く鼻を鳴らした。

それは、愉快そうな音色を孕んでいた。

 

「何があったか知らねぇけどよ、ちったぁマシになったみてぇじゃねえか」

 

声もまた、それと同様の響きであった。

 

「くふっ」

 

毒花のような笑みが、それに答えた。

同時に、両者の間に黒色の靄が吹き上がる。

それは瞬く間に上方に立ち昇り、半円状の障壁となった。

優木の右手には、魔力の杖が握られていた。

新たな異界への誘いだった。

 

「死ぬんじゃねぇぞ、魔法少女」

 

半透明の黒い障壁の中から、ナガレは杏子に向けて告げた。

 

「ほざいてな。そっちもせめて、相討ちくらいはしてくれよ。クソガキ」

 

返事を全て言い終える前に、道化と少年を包んだ異界は消えた。

熱も風も取り込んだのか、残された異界には静寂が満ちていた。

 

数秒ほどそのままでいた後、首を傾げて背後を一瞥。

 

杏子の背中のほんの十数メートルほど先に、濡れ羽色の髪をした一人の少女が立っていた。

 

白と黒を基調とし、奇術師を原形としたかのような、

ある意味男性的な趣のある衣装が白い肌を覆っていた。

黒髪の下の、半分ほどを黒い帯に覆われた顔もまた、

少年的な凛々しさを兼ね備えた美貌を持っていた。

 

だがそれと調和をとるかのように、短いスカートからは肉感的な太腿が覗き、

すらりと伸びた鼻梁の下では、鮮血色の唇が艶とした輝きを放っている。

またその顔の下では、細い体躯の中で特に女性を顕す部分が豊満な盛上がりを見せていた。

襟元を飾る真っ赤なネクタイに交差する一対の帯も、豊かな胸部を拘束しているようにも見えた。

 

杏子は、あの日に僅かに見た黒影の姿と印象、そして魔力の波長を脳内で照らし合わせた。

優木を救い、相棒に痛打を与えた個体であると判断し、即座に姿を変えた。

変身と同時に、両手には長大な十字槍が握られていた。

 

それを気にした風もなく、鮮血色の唇が静かに開いた。

 

「よし」

 

これもまた見た目に合致したような、見事なまでのハスキーボイスであった。

そして少女は次の言葉を紡いだ。

 

「刻もう」

 

名も訊かず、名乗りもせずに白黒の奇術師はそう告げた。

処刑執行を執り行う、というよりも、

これから解体作業を行うと云った風な謂い回しであった。

感情を読み取れない作業的な一言は無論、杏子の意識を不快にさせた。

 

だがそれよりも、杏子は別の感情を覚えていた。

この魔法少女を見て以来、心中には得体のしれない不気味な感覚があった。

 

顔を斜めに走る眼帯に覆われた右目は兎も角として、残る左目は彼女を見てすらいなかった。

少女の顔は真っすぐに杏子の方を向いてはいたが、黄水晶の瞳は彼女の傍らを見ているようで、

またその上に向けられているように思えた。

美しい瞳の中には、真紅の魔法少女の姿は描かれていなかった。

 

眼の前の同類の眼に宿るのは、黄水晶の虚無。

それ以外には、何もない。

自らの感情すらも。

 

その眼を見た杏子は、そう思えてならなかった。

 

だがそれだけなら、どうにでもなる。

魔法少女や魔女において、見掛け倒しのものはこれまで腐るほど見た。

無感情を装っているもの、サイコパス然とした奇行や意味深な口舌を放つもの。

 

眼前のこいつは、それらとは違うと断言できた。

明らかに一線を画す危険な個体であると、魔法少女の本能が告げていた。

 

本能による警戒は、背中の凍えによって顕れていた。

 

ふと、名も知らぬ奇術師が、それまでだらりと下げられていた両手を挙げた。

虚空に挑むように伸ばされた手の先で、白いレースが垂れ下がっていた。

それをふわりとはためかせつつ、白い手袋で覆われた手の甲から彼女の得物が現出した。

 

「刻もう」

 

言葉の矛先を定めぬままに、少女は再び言葉を紡いでいた。

そしてその両手には、それを可能にするであろう力が宿っていた。

それはまるで、異界の空さえも侵す魔鳥の翼のように

狂気の羽根を広げ、巨大な姿を顕していた。

 

その形状を見た途端、背の凍えは轟々とした灼熱へと変わった。

また、奇術師の髪型の形状も、更に同色とは云え趣も異なっていたが、

人である以上多少なりとも共通する類似性は、彼女に怒りを呼び起こすのに足りていた。

 

「やれるもんなら、やってみやがれぇええ!!!!」

 

杏子は奇術師とは真逆に、感情に満ちた咆哮を挙げた。

恐れを全て焼き尽くし、真紅の魔法少女は黒い魔法少女へと飛翔する。

 

奇術師もまたその軌道へと、振り上げていた魔の武装を振り下ろす。

交差する得物たちが挙げた破壊音は、異界の果てまで鳴り響いた。

 

 

 




今回は色々とどったんばったんしています。
そしてやっと、彼女を登場させるまで漕ぎつけられました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 卑しき道化、紛い物の簒奪者

先ず空気が、次いで外皮が切り裂かれた。

溢れ出る異形の体液を切り刻み、内部の肉も刃を止めるには至らなかった。

完全な切断に至った後も刃の進行は止まらず、これらを更に三回ほど繰り返した。

四つの異形の悲鳴は、殆ど同時に生じていた。

 

ただの一振りで四体の使い魔達が八つの惨殺体となり、異界の地面に転がった。

 

「雑魚ばっかり寄越しやがって」

 

彼の周囲には、朦々と立ち昇る無数の黒煙が生じていた。

それらが絶命した使い魔から生じたものだとすれば、元の数は十や二十では足りないだろう。

戦闘の余韻を示すものとして、彼の衣服には袖や膝などの

『最前線』を担当する部位には幾らかの破損が見えた。

怪我は負っていない上に得物もまだ無事なようだが、彼の吐く息は荒かった。

 

「お前は来ねぇのか?」

 

得物に付着した魔の残滓を振り払い、やや深い呼吸を二度ほど行う。

それだけで彼の呼吸は安定した。

またその間に、百回近く振られた腕や、蹴りを四十回ほど繰り出した足の痺れも取れていた。

 

「貴方、本当に面白い生き物ですねぇ」

 

くふっという笑みがそれに続いた。

 

掲げられた手斧が、そいつの顔を刃の部分に映していた。

まるで斧自身が、そいつを喰らう事を望んでいるかのように。

 

滞空する巨大質量に腰かけ、レモン色の手袋を纏った両手で頬杖をつきつつ、

優木は少年に向かって笑みを送った。

この状況でなければ、またその表情だけを見て評すれば、

まるで心底から親しい者に向けるかのような、清純さを感じさせるような笑顔であった。

それこそ、将来を誓い合った恋人にでも向けるような。

 

「奇遇だな。俺もお前さんについてそう思ってたところだ」

「…あ?」

 

一瞬の困惑、の後に赤面、の直後に悪鬼の容貌が優木の顔に浮かび上がった。

何を思ったのか定かではないが、優木が尻を置いている巨大魔女は

この時しきりに嘶きを挙げていた。

少なくとも怯えには聞こえず、ナガレは「この不細工野郎の性格も大概だな」と、

誰に告げる訳でもない感想を漏らした。

 

「なんてゆーか、なんですかあんた。

 あの赤毛猿やそこら辺の腐れ正義マンども。それに悪名高きクソレズ聖団は兎も角として、

 この魔法少女優木沙々さんを珍獣扱いとは。あーた、どんな親に育てられたんですか?」

 

烈火のごとく喋りくさった中に散りばめられた複数のワードを、彼は頭に刻むこととした。

勉強や暗記は嫌いであり苦手だが、それでも優木の早口を脳内で複数回ほど唱和する。

『ども』や『団』といった複数形。

このことから魔法少女の数は、恐らくは近隣地域だけでも二、三人どころでは無い事が伺えた。

 

また道化の最後の一言は、彼の胸中に懐かしい光景を去来させた。

幼少期に見た土佐の闘犬の牙と咆哮、そいつの頭を砕いたときに生じた呪詛の如き断末魔。

生爪が全て剥ぎ取れ、小さな手が野球のミットほどに膨れ上がろうが、

それでも延々とやらされた砂箱突き。

数週間の山籠もりの果て、崖から突き落とされた際に見た忌々しい程の蒼穹。

その背後に流れる小鳥の囀り。

遠い昔の思い出たち。

 

それらを思い描いた折、彼はふと、ある事を思った。

今の自らを構成する要因となった父親の教育方針に対して、

自分は喜ぶべきか、或いは呆れるべきなのだろうかと。

悩みには極力無縁な彼だが、これには判断に困っていた。

 

だが今は現在の事柄を前に進める必要があった。

それに何はどうあれ、過ぎ行く過去に未練などはない。

ただ、珍しく感傷に浸っていただけだった。

ほんの僅かな、数秒ほどの時間だけ。

そう思った次の瞬間には、これらの事は彼の脳裏から奇麗さっぱりと消えていた。

 

 

 

そして早速彼は、得た情報を駆使することにした。

先の襲来の際に発した長口舌の時点である程度察していたが、

優木が自分に向ける視線に含まれたものに対し、試す意味合いもあるとした。

頼むから外れてくれと、ナガレは思った。

 

「そいつぁ悪かったな、ササさんよ」

 

得た情報から、下の名前を用いて一応の謝罪を口にする。

受けた優木は不細工魔女の上で硬直していた。

 

「分かればぁ…いいんですよ」

 

残念ながら、彼の予感は的中していたようだった。

恥じらうような身の捩り方と、薄っすらと紅色に染まった道化の頬。

そして妙に色気づいた熱っぽい声がその証拠であった。

無論、演技の可能性も無くはないのだが。

 

「ええ。まぁそういうワケです。前にも言いましたが、

 貴方のお顔は割とマジでそれなりに好みの部類でしてね」

 

彼が尋ねた訳でもないのに、道化の弁明が始まった。

聴きたくはないのだが、彼は聴者となる事を選んだ。

情報を得るためなのだと、自分を納得させながら。

 

「貴方のコト、なんとかしてモノに出来ねぇかなーって暇な時間に考えてたりしたんですよ。

 おおっとご安心を。何も不埒な事なんかじゃありません。

 貴方の…まぁお仲間っつうかお友達っていうかフレンズな紅い簒奪者みたいに、

 私は御下劣じゃありませんから。あの雌猿が何をオカズにしてるかなんて知りませんが、

 実はこの前お邪魔した時に見ちゃったんです。

 あの雌猿ったら寝床の上でぐちゃぐちゃくちゅくちゅっと

 泡と音立たせながら熱心にあんあん喘いでやがりましたよ。

 ありゃ相当に欲求不満ですね。つうか猿ですよ猿。

 まー、発情赤毛の事なんざ知ったコトじゃないですが…忠告しときますけど、

 貴方、油断してたらその内襲われて喰われますよ、きっと。

 でもま、そこも動物らしいというか本能に忠実というか。

 そもそもあいつ、見た目からして野生的ですしね。

 それに私だって健康な一人の女性ですからそういう気分は分からなくもねぇです。

 ああ、でもそういう気分になった時には別のを想像して処理してますよ。

 だって今の貴方は子供すぎますから」

「何言ってやがんだ、このマセガキ」

 

長台詞を用いての道化の性癖開示に、ナガレは不快さを隠さず吐き捨てた。

また駄文中ごろの道化の発言は、この大馬鹿者が即興で考えた妄想だろうと思った。

というよりも、そう信じた。

それ以上のことは考えたく無かったために。

 

そして当の道化は彼の指摘を受けた途端、顔を紅潮させていた。

花も恥じらう乙女のように。

 

「忘れろ!今すぐに忘れろ!ってオイ!聞いてんのかそこのテクノ蛮族系男子!!」

 

割と的を得ている暴言は兎も角として、

慌てふためく仕草と抗議の言葉を構成する声は、非常識なまでの可愛らしさを持っていた。

そのテの趣味のものならば、思わず抱きしめたくなるものだっただろう。

 

ただ彼は、女に達していない女である『少女』という年頃には

全くとして性的関心を向けられなかった。

代わりに優木の姿の原型である、道化の滑稽な躍りとしてその様子を見ていた。

言葉の不快感は別にして、動きだけ見れば中々に愉快な存在だと彼は思った。

 

しかしながら、彼はその様子に油断をしていなかった。

ここは毒蜘蛛の巣の上どころか、既に彼女の支配する空間である。

そして何より、彼女の本性が邪悪以外の何物でもないことは前回の遭遇で分かっている。

 

「ぜぇ…ぜぇ…」

 

一通り滑稽さを晒した後の喘鳴ですら演技臭かったが、

呼吸の調子からして、これは本物らしいと彼は踏んだ。

魔法少女にあるまじきスタミナの無さである。

体力云々に限った事ではないが、魔法少女の恥さらしといってもいい。

 

「ま、お遊びはここまでにしときますかね」

 

喘ぎが止み、代わりに優木の顔に笑みが浮かんだ。

幾度となく見た、毒花の笑みだった。

 

同時に、いびつな感覚とでもいうものを彼は感じ取った。

それまで何気なくそこに存在していた空気が、別のものに変じたかのような。

杏子との斬り合いの中でも感じた事のある、魔なる力の発露の前兆。

 

それは、彼の背後で生じていた。

正確には彼の影の中で。

 

瞬時に身を伏せ、左側へと身体を転がす。

號と、虎の咆哮のような音を立て風が渦を巻いた。

黒銀の物体が彼の視界を掠めた、と次の瞬間には、それが視界を占めていた。

退避の最中、仰向けとなったナガレは両手に握られた斧を振った。

金属同士の烈しい激突音を立て、三つの力が激突した。

 

左右の斧に挟み込まれ、黒銀の刃は停止した。

彼の胸元の、僅か数センチほど先にて。

 

「ハァッハハハハハハッ!無様ですねぇ!可愛いですよ、くっふっふっふう!」

 

じりじりと彼に迫るのは、黒銀の巨大な両刃の斧。

ハルバードとも呼称される武器を携えるのは、戯画的な二足歩行の黒牛。

彼が最初に遭遇した魔女、牛の魔女であった。

 

「そのまま真っ二つになるがいいですよ!

 醜い内臓をブチまけてくたばれってんだこの簒奪者が!!

 私の色気に惑わされたてめぇが間抜けだったんですよ!

 このロリコンのバァーッカバーカ!!」

 

ぎゃはははと、道化は下品としか言いようのない笑い声を挙げた。

自分の計略が功を奏したという達成感もあるのだろう。

相当に愉快であるらしい。

愛憎入り混じり、謎の快楽を得ているのだろうか。

優木は一種の絶頂状態にあるようだった。

そのせいか脳が半分ほど機能していないらしく、彼への侮蔑には

自分が抱いている身体的コンプレックスを吐露するような単語が混じっていた。

 

「嗚呼、これが俗にいう『わーい、たーのしー』って気分ですかね。

 でも、少しだけ残念ですよ。もう少し貴方とは語らっていたかったというのに、

 こうなってしまっては死を待つばかり。

 死が二人を別かつまでとはよく云ったものです。

 でもま、これも中々にロマンティックでいいじゃないですか」

 

このセリフを放ってる短い間に、道化の顔は悪鬼から乙女へと変わっていった。

そして信じられない事に、道化の眼には水晶のように煌く涙が見えた。

 

「そして、貴方に僅かでもこの心を焦がされた事は忘れません。

 だからせめて、今晩寝る前には貴方を想って」

 

恐らくは淫らな宣告がそれに続くかと思われた。

だが、道化の発言はそこで強制停止させられていた。

高速で飛来した物体が、顔面にブチ当ったコトによって。

その様子に道化は果たして、デジャヴを感じたことだろうか。

 

「げべっ…」

「何か言ったか?」

 

優木による、女性が挙げてはいけないような声を聴きつつ返答。

更に「よっ」と軽い気合を入れ、ナガレは跳ねるように起き上がった。

視線の先には、牛の魔女の後頭部を顔面に埋没させた優木がいた。

足元の魔女が急いで巨腕を上に回し、魔女の分身である身体の部分を握り潰した。

本体である巨斧が巨大魔女の額に落下し、優木もまた潰れた顔の治療を開始した。

 

「この前の奴の同類だろうがよ、随分と小せぇじゃねえか。二回りは縮んでやがるぞ」

 

力もな、とナガレは続けた。

何ということか、彼は魔女を蹴り飛ばした挙句に優木に向けて送り返したのであった。

優木の親衛隊長とでもいうべき巨大魔女が防御しなかったのは、

この様子が信じられなかったからなのかもしれない。

 

「…ぼんと…なんなんでずが、あなだ……」

「おい、鼻水も垂れてんぞ。ついでに俺は人間だ。それ以上でも以下でもねぇ」

 

何とでもないように彼は返した。

誇るワケでもなく、また謙遜した様子もない。

 

「つぅかよ、もういい加減茶番にも飽きてきたからよ。さっさとてめぇで掛かってきな。

 態々俺を連れ出したのは、ゆっくり逢引かまそうってワケでもねぇんだろうが」

 

罠に飛び込んだのは自分であるという事は分かっていたが、

こう言った方が話は進むんじゃないかなと彼は思った。

この辺りは、漫画喫茶で夜を徹して行った『勉強』から得たものだった。

 

優木は顔の治療の完了と共に、それに応えた。

 

「ご明察」

 

半月を描いた口を見せつつ、優木は足場から飛び降りた。

同時に、足場たる巨大魔女が一気に縮小。

小屋一軒ほどの大きさから、ハムスター程度の小動物じみた姿へと変化し、

優木の肩を伝って彼女の髪の中へと埋もれていった。

頬に沿って流れる優木の髪の房は確かに、小動物の寝床としては適していそうではあった。

 

そして曲芸を決めた役者のように、優木は華麗に着地した。

華奢な右手には、黒く輝くものが握られてた。

人差し指と親指でそれを顔の前にぶら下げ、これ見よがしに彼に見せつけている。

ついでに何を考えているのか、柔らかそうな唇から舌を覗かせ、

更には蛇のように舌先を動かし、小さな黒い物体を愛撫していた。

 

道化の謎行動は無視し、ナガレはその物体に視線を注いだ。

当初彼は、グリーフシードと呼ばれる魔女の卵かと思った。

だが桃色の舌の先にあるそれとの外見に、若干の差異が見受けられた。

前者と違い下から突き出た針状の部分が湾曲を描いており、

まるで植物の細い根のようになっていた。

また全体的な輪郭も、若干ではあるが歪んでいるように見えた。

 

「じゃ、イキますかね」

 

舐め回しを行っていた舌が、それの根に器用に絡み、白い歯へと導いた。

歯がそれを挟んだまま、優木の口が閉じられる。

黒卵の破壊によって生じた『バリッ』という音は、

物体の例を踏襲したかのように卵が割れる音に似ていた。

 

その直後、音を尾ひれに、優木の姿が消失していた。

間髪入れず、ナガレは斧を翻し上方へと振るった。

振り切られた先で、天と地が繋がれた。

 

「へぇ、受け止めましたか」

 

彼の斧によって下方から支えられ、滞空したまま優木は笑った。

その手には、牛の魔女の本体が握られていた。

それも両手ではなく、細い右手一本のみで。

 

残る左手は、彼女の後ろに振りかぶられていた。

危険だと、ナガレの中の本能が告げた。

 

優木が左手を振った。

それは、巨斧と噛み合うナガレの得物の側面に命中した。

ぎぃぃぃっ、とでもするような生理的な嫌悪感を催す不快な音が生じた。

 

直撃の寸前、彼は力の方向へと自ら跳んでいた。

噛み合っていた巨斧が地面に突き刺さり、異界の底が砕け散る。

撒きあがる破片の中に、ナガレの得物の一部が混じっていた。

 

優木から距離を取ったナガレは再び構えを取り、そして自らの得物をちらと見た。

道化の手が掠めた手斧の側面に、三本の筋が走っていた。

 

道化が『簒奪者』と称した少年は、急に力を増した彼女の姿を、

脳に刻み込むような思いで見つめた。

これをどう葬るべきかという、狩人の眼差しだった。

そして皮肉げな苦みを宿した笑みを浮かべて、こう呟いた。

 

「お前。さっき自分を『何扱い』すんなって言ったか、覚えてるか?」

 

先程まで鮮やかなレモン色をしていた道化の手袋は、黒々と変色していた。

そして更に、その表面には何本かの太い管が走っていた。

管の中には何かが満ちているらしく、彼女の鼓動に合わせて収縮していた。

そしてその黒は彼女の手袋どころか、白い肌さえも侵していった。

見る見る間に、優木の肘は黒く染まった。

 

「さぁね。忘れましたよ、そんなコト。それより楽しい事をしましょうよ」

 

それに対し恐怖も嫌悪も無いかのように、道化は邪悪な笑みを浮かべた。

 

「ご意見がないなら、アレしましょ。貴方のお歌を聴かせてくださいな」

 

確かに道化が素で行っているこの笑顔に比べれば、腕の変化などほんの些細な事だろう。

 

「お題目は、『悲鳴合唱』なんてどうですかねェ…。

 もちろん、拒否なんてさせませんよォ……くぅふふふ」

 

何よりも真に邪悪なものは、彼女の心なのだから。

 

 

 

 






今回のさささささ、思春期なのか色々と暴走気味です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 卑しき道化、紛い物の簒奪者②

縦も横も八十センチほどの長さを備えた両刃の巨斧が、まるで小枝のように振り回されていた。

牛や馬どころか象や鯨さえも、一太刀で切り捨てられそうな凶器の乱舞。

それが巻き起こす狂風の中心からは、

 

「くぅぅっふっふっふっふふふぅうっ!」

 

絶え間なく、卑しき道化の哄笑が生じていた。

 

「あぁ、イイ…すごく…イイですよぉ……コレぇ…」

 

卑しさを隠そうともせずに恍惚の表情を浮かべたまま、道化は得物を振い続ける。

そして水平に振られた巨斧の旋回の果てに、一対の手斧が待っていた。

刃の部分にではなく、巨斧の腹へと手斧の刃は吸い込まれた。

 

金属の絶叫が生じた直後、巨斧の中央で何かが蠢く。

それは、粘液にまみれた眼球だった。

優木が振り回す斧は牛の魔女の本体であるが、自らを振り回し武器とするという

狂気そのものとしか思えない生態を持つ生物であれど、今の一撃は相応に効いたようだった。

剥き出しの眼球には苦痛の色が浮かび、縦に横にと目まぐるしく動いていた。

 

それを、一つの影が覆った。

下方に向けて逸らした斧の上をいく、少年の鋭い飛影であった。

空中で撓まれていた長い右脚が一気に伸ばされ、彼の脚は刃と化した。

そこに乗せられた力が如何に化け物じみているかは、

被襲撃者である道化が先程の顔面への一撃を以てよく知っている。

だが伸ばされた足先で生じた音は、道化の顔面が破裂する音では無かった。

ゴン、という岩同士がぶつかるような音だった。

 

「き…効くワケねぇだろ、バァーカ!」

 

音の先から、動揺を孕んだ叫びが挙がる。

そして顔面を彼の脚から庇い、『着弾点』となった道化の左手が振られた。

直後、少年の身体は宙に舞っていた。

数秒の滞空の後、異界の地面へと着地する。

彼自身による退避もその助力となったに違いは無いが、その一振りによって生じた

道化と少年との距離は二十メートルを越えていた。

 

先程の動揺がバレていないと思っているのか、にんまりとドヤ顔をかます優木に対し、

ナガレは訝し気な様子で眼を細めた。

視線の先には、己を吹き飛ばした道化の左手があった。

 

「あ」

 

それを見た優木の口が、小さな呟きを放った。

思わず、彼は首を傾げた。

 

「嗚呼……今の……その…私への…熱い視線と……表…情ぅ……くふぅっ…」

 

今の彼の一瞥は、彼女の性癖を刺激した模様であった。

道化は痙攣を生じさせつつ、熱の籠った呟きを漏らした。

逆にそれを聞いた少年の背中には、ごくごく微細なおぞ気が走った。

一滴の雨が背を伝ったような小さな感覚であるだけに、逆に彼に与える嫌悪感は大きかった。

それに優木が見せている表情が、性的な絶頂の一、二歩ほど手前の淫らなものという所為もある。

 

「けったくそ悪い笑い方しやがって。んなもんどこで覚えやがった」

 

本心を口にし、彼は現状の改善へと取り掛かる。

数秒先の命さえ分からぬ凄惨な死闘へ、さっさと戻りたいのだろう。

 

「それは兎も角、随分とやるようになったじゃねえか。褒めてやんぞ、ピエロ女」

「だぁめですよぉ、殿方が女性にそんな呼び方をするなんて。

 でもあの腐れ雌猿の悪影響を受けてちゃそうなりますよね、仕方ないです」

 

讃えにも近い感想を述べるナガレに対し、優木も杏子への憎悪を隠そうともしない。

素直か露悪的かの違いが、ここに表れていた。

 

「いいでしょぉ、このチカラ。

 私らの紛い物である貴方には、妬ましい程に羨ましいでしょうねぇ」

 

そう言うと、優木は左手を高々と虚空にかざした。

黒く染まった細腕から伸びる指は、先端に行くに連れて細さと鋭さを増していた。

腕の太さに似合わないほどに太い血管が走る皮膚の表面には、

金属光沢に似た輝きが生じていた。

その様子を、

 

「まるで黒塗りの釘だな」

 

彼はそう評した。

声の音色には皮肉が含有されている。

対して道化は、声にはせずに唇の動きで返した。

 

「ほざけ」

 

と言っていた。

 

「ちょぉっとキモくなるのはアレですが、この力の充足感は悪くないですよ。

 魔女の専門家として、連中の力はよぉく知ってますけど、

 自分がそれを持てるってのも楽しいですねぇ」

「てめぇがさっき喰ってた、あの黒い卵みてぇなのの仕業か」

「貴方、日頃からあの雌猿にナニをヤラれてるんです?さっきちゃんと見てましたか?

 ちゃと寝させて貰ってますか?頭大丈夫ですか?他に理由があるとでも?」

 

社交辞令のつもりでそう聞いただけなのだが、

この分だと長くなりそうだなと。

一瞬、異界の空に視線を送り、彼はそう思った。

 

だがその代わりとして、幾つかの情報が得られそうだった。

相手の思惑は露知らず、両手に異形を宿した優木の顔には、優越感による喜悦が浮かんでいた。

 

「いいでしょう。我ら魔法少女の憐れで卑しき紛い物たる貴方様に、

 僭越ながらこの私めがご教授をしてさしあげましょう」

 

道化の異形の左手が横に倒され水平に広げられる。

通常の倍以上の長さと幅となった掌の上に、あの黒い物体が置かれていた。

 

「これなるは世にも恐ろしき邪な種。口にするのもおぞましきその名は『イーブルナッツ』。

 魔女の力を疑似的に再現可能な、まぁ所謂強化アイテムですね。キリカさんからの贈り物です」

「それがあの眼帯女の名前か」

 

怒りを堪えるような口調で、ナガレは呟く。

道化は気付かず、更に言葉を続けた。

情報が駄々洩れとなっている事など、道化の頭には欠片も無い。

 

「えぇ。苗字は呉(くれ)って云うらしいですよ。全く気取っちゃってますねぇ。

 私の仲間の、黒く醜く淫らで強い、クソ忌々しい一つ目のメスゴキブリさんです」

「仲が良いみてぇだな」

 

この優木沙々という生物は、常に罵詈雑言を言わなければ

死ぬ病気を患っているのだろうなと、ナガレは半ば本気で思った。

 

「で、そいつもその『悪の落花生』とやらを持ってんのか?」

 

一瞬、道化が硬直。

俗っぽい言い方に、思わず気が緩んだのだろう。

 

「さぁどうでしょ。あんなイカレスクラップ女の事なんて知りませんねェ」

 

優木の罵詈に、ナガレは無意識の内に小さく頷いていた。

『イカレスクラップ女』。

眼の前のこの女を表す言葉として、かなり適していると思えていた。

 

「で、実は相談がありましてね」

「何だよ。俺を通して杏子の奴にワビでも入れてえってのか?」

 

その返しに、優木の顔に苦々しい表情が浮かぶ。

それは僅かな満足感を彼に与えたが、その一方で何となく、彼には言葉の続きが想像できた。

 

「貴方、私の仲間になりませんか?」

 

受け手の少年は沈黙で応えた。

口が半開きになっているところを見ると、皮肉を言おうと思っていたようではあった。

恐らく呆れにより、舌と声帯が痺れたのだろう。

返答をするのがあまりにも馬鹿馬鹿しいと思っての、生理的な反応だった。

 

道化はそれを、精神の揺らぎによるものと捉えた。

『押せば堕ちる』と、彼女は睨んだ。

 

「あいつったら酷いんですよ。この前助けてくれたからって、この私に

『もう君は私の奴隷だ。君の美しさは穢されてこそよく映える。

 今日の事が終わったら、目と耳と鼻を潰して何処も彼処も徹底的に犯してやる』

 とか、ハスキーボイスでぬかしやがったんですよ。

 こんなの、言ってて恥ずかしいと思いませんか?」

「あぁ、全くだ」

 

本心からの一言だった。

ただし、彼の意志の矛先は優木が望むものとは異なっていたが。

そして当然というべきか、彼はこの話を殆ど信じていなかった。

 

「貴方のとこの赤い雌猿も危険ですが…あいつはそんなんじゃないです。

 何を目的に契約したんだか知りませんが、なんていうか、超絶的にヤバいんです。

 完全にガンギマってます。あれは多分ヤバいクスリをガンガンにキメてますよ」

 

早口で捲し立てる道化の額から一筋の汗が流れ落ちるところを、彼は見た。

口では何とでも云えるようだが、植え付けられた恐怖は本物であるらしかった。

そして彼女のある一言が、彼の眼尻に皺を刻んだ。

 

「…契約?」

 

不信と不快さに染め抜かれたような問い掛けだった。

道化はその小さな呟きには気付かず、終わらない罵詈雑言を述べ続けていた。

 

「知らなきゃいけねぇコトは山積みか」

「え?ひょっとして承諾してくれるんですか?」

 

自分の呟きへの素っ頓狂な返答に、彼は異界の地面に視線を降ろした。

それからすぐに、優木特有のあの笑い声が聞こえてきた。

 

「矢張り私が見込んだ通りですね。

 いいですね、いいでしょう。お望み通り、貴方には私の配下となる栄誉を与えます」

 

流れるように道化は告げた。

仲間という言葉の意味を、彼女がどのように捉えているかがよく分かる発言だった。

 

数秒の沈黙。

優木はそれを歓喜によるものと断定していた。

 

だがそれに反して、聴こえてきたのは多量の吐息の音だった。

それは、盛大な溜息だった。

呆れと、侮蔑と、そしてここまで大人しくしていた事による、

多大なストレスからの疲労が込められていた。

 

ふと、息を吐きつつナガレは思う。

果たしてこれは何時以来の、溜息だったかなと。

自分の中の人間らしさを感じさせる部分に妙な可笑しさを覚えつつ、彼は優木に向き直った。

 

「あるのかなんざ知らねぇけどよ。

 魔法少女専門の医者でも行って、色々と診て貰いな。この粘着女!!」

 

結界を震わす叫びが道化の耳朶を震わせる。

道化の想いを、根こそぎ焼き尽くすかのような咆哮だった。

 

「…ふざ、けてんじゃ、ねぇですよぉぉ…」

 

自らが多少なりとも胸の内を打ち明けた存在の反旗に対し、道化の心にドス黒く粘る魔が満ちた。

本来ならば一瞬で殺せるところを生かしておいてやったというのに、

心を許してやったのにというのに。

可愛さ余って憎さ百倍、どころか数万倍ほどの感情が道化の胸中に渦巻いた。

 

異形化した両腕が、巨斧が悲鳴を挙げるほどの力を以てして柄を握り締める。

突撃の後に乱舞を見舞い、その四肢を微塵と砕いて遣ろうと優木は誓った。

そして残った胴体を散々に弄んでやろうと。

口元が半月の形を形成し、眼元が憎悪と嗜虐心によって歪みに歪む。

 

だが、阿修羅の形相となった優木はふと、ある事に気が付いた。

少年の両手から、先程まで握られていた筈の手斧が消えていた。

些細な事だと思った直後、それは起こった。

 

ダンッ、と烈しい音が鳴った。

まるで巨大な刃物を、力強く叩きつけたりでもしたような。

それで、まな板の上の魚の首を落としたりでもしたような。

 

音の発生源は、道化の細い両肩の上であった。

 

「い、ぎ、ぃっ!?」

 

そこから生じた激痛が、優木の意識を掻き回す。

優木の両肩に墓標のように突き立ったのは、刃の半ばほどまでを優木の肉に埋没させた斧だった。

 

「てめぇの力も加わったせいだろうな。

 随分遠くまで飛ばされちまったみてぇだが、ちゃんと戻ってきやがった」

 

その声を受け、狂ったように頭を振って悶絶していた優木は、涙雑じりの視線を前へと向けた。

楽しそうな声は優木の薄い胸元の先から、彼女の懐から生じていた。

 

「ぎ、ひっ!」

 

恐怖半分といった叫びと共に、優木の両手が動いた。

叫びの残りの成分は、憎悪と歓喜であった。

これでこいつを刻めると、獰悪な形に開いた十本の指が語っていた。

 

肩に異物を差し込まれてはいても、腕の稼働に差支えはなかった。

疑似魔女と化した腕は自らの魔力で自在に動く上に魔女特有の生命力の高さもあり、

この程度の傷では力も損なわれなどはしない。

 

彼に自分と同じ苦痛を与えるためだろう。

巨斧を乱暴に投棄すると、優木はナガレへ向かって直進した。

そして両手を大きく、広げ少年の肩を握り潰しに掛かる。

だが彼の羽織ったジャケットの生地に先端が触れる前に、

白い皮手袋で包まれた両手の五指が、異形の手首に絡みついた。

 

異形と魔法少女の腕力が合わさった剛力に対し、少年の膂力が束の間の拮抗を見せた。

優木らそれを、僅かばかりの無意味な抵抗と感じ取り、彼の顔の前でにんまりと笑った。

次の瞬間に広がるであろうはずの、彼の無惨な姿を想像してのものだった。

 

「ずったずたに砕き散らしてあげますよぉぉ、くぅっふふふぅう!」

 

対して彼もまた笑みを返した。

これから叩き潰される事となる悪の野望について想った事により生じた、極悪な笑みを。

 

「砕かれるのはてめぇの方だっ!!!!」

 

再度の咆哮。

そして、莫大な衝撃が優木を襲った。

 

「ぐぉあ!?」

 

左脚の膝蹴りが、道化の腹に炸裂。

新たな激痛により、顔面の笑みが砕け散る。

しかし、暴虐はそこで終わらなかった。

寧ろ、これが始まりであった。

 

吹き飛ぶ優木の身体に、急な制動が掛けられる。

両手首を握る、ナガレの力によるものである。

だが、それは直ぐに消えた。

再び優木の腹に減り込んだ前蹴りによって。

 

道化の全身に衝撃が迸り、両肩の斧がずるりと抜けた。

蹴りの方向は下方に向けられていたらしく、

優木は異界の地面に背中から激突し、滑るように転がっていった。

 

十数メートルほどの滑走の終点にて、違和感を覚えた道化は両手を見た。

しばしの間、彼女の魂が硬直した。

 

両手の色は、最早黒くは無かった。

鮮烈な桃色が、優木の両手に広がっていた。

桃色の表面に、何本もの細い管と筋が見えた。

何が起こったか分かった途端、道化は口から悲鳴を挙げた。

異形化の前には手袋で覆われていた部分までの皮膚が、奇麗にむき剥がされていた。

 

「案外脆いな」

 

感想を述べた者は既に、異界の地面に背を預けた道化の足元に辿り着いていた。

先程までの交戦地点には、疑似魔女と化した一対の手首が転がっていた。

ご丁寧にも、未だに微細な蠢きを繰り返すそれらの両手の甲には、彼の斧が突き刺さっていた。

その光景に恐怖が湧いたが、同時に彼女の脳には叛逆の閃きが奔った。

 

「脆いのはテメェの方ですよ、この紛い物の簒奪者ぁ!!!」

 

道化の右の頬で揺れる髪の房が一気に膨張。

「きっきっ」と耳障りな嘶きを上げつつ、髪の内部より顕現した巨大質量が

眼前の簒奪者を打ち砕く巨拳を打ち放った。

優木はその光景に、神話の一場面を夢想した。

邪悪を滅ぼす聖なる女神。

それは正しく、自分の事で…。

 

「おおおぅりゃぁあああああああああああっ!!!!!」

 

女神を騙る愚か者の妄想を叩き潰したのは、悪魔のそれとしか思えないような狂気の叫び。

何事かと見てみると。

 

「きぃっ!」

 

守護者を任されている巨大魔女が、悲鳴を挙げていた。

魔女は胴体の大きさはそのままに、腕だけを巨大化させていた。

そのため、優木は魔女の喧しい悲鳴を耳元で聴く羽目となった。

しかし今の道化には、そんな事はどうでもよかった。

 

地に仰向けになった道化の元に、極彩色の体液が降りかかった。

体液は、巨大魔女の腕から滴り落ちていた。

 

液体の根源には、縦に生じた傷口があった。

そしてその個所には、見覚えのある物体が身を埋めていた。

巨斧の形態を持つ異形のもの。

 

牛の魔女だった。

 

認識の直後、巨大魔女の拳は切断へと至り、優木へと振り下ろされた。

そして今日が始まってからの、恐らくはこの惑星全体で見ても最大級の悲鳴が挙がった。

声量、声に乗せられた感情の濃さ、そして数と調和性と音としての不愉快さ。

どれを見ても悲劇此処に極まれりとしか思えない、悲痛な悲鳴達だった。

 

巨斧と、守護者と、そして道化が。

彼女らによって、『悲鳴の合唱』が挙げられていた。

さすれば彼女らを評するならば、『悲鳴合唱団』とでも云うべき事になるであろうか。

 

「そう何度も砕かれて堪るかよ」

 

斧を突き刺したまま、ナガレが道化がいるであろう場所に言葉を落とす。

両断され、巨斧にへばりついた巨大な拳の下では、今も悲鳴の大合唱が挙がっている。

 

だが複数の悲鳴の最中にも、ナガレの高い声はよく通った。

ちなみに、巨斧の抵抗は両手に込める力と彼の全身から噴き上がる殺気が黙らせていた。

 

「このままこいつを押し込まれたくなけりゃよ。

 さっさと結界を繋いで、お仲間の所に案内しやがれ」

 

数秒ほど待ったが反応が無かったため、数センチほど巨斧を押した。

鋭い悲鳴と共に、異界に変化が生じていった。

 

ここまでの彼の負傷は、使い魔との戦闘で負った掠り傷と軽い打撲が少々。

それも既に殆どの痛みが消えていた。

疲労が無い訳でもないが、今の戦いが終わったのなら、更に次へと行くだけだった。

そこが、地獄の底だと分かっていても。

 

 

 

 

 

 

 









早めに決着が着いたのは、二戦目だからということで。
武器がアレということも大きいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞

異界の中、一対の魔が舞っていた。

一方は真紅、もう一方は黒。

それらがまるで大輪の美しい花のように、衣装という花弁を揺らしながら

可憐さと狂気を纏い、激しい交差を繰り返している。

火花の発生源である裂帛の突きと、残忍な円弧の果てで生じる音には金属の冷たさが宿っていた。

 

繰り出される交差は、秒間に数十回を越えていた。

その時ふと、一際大きな音が生じた。

無数の火花が弾ける音は、金属の軋みと互いを削り合う摩擦音に化けた。

 

「頑張ってるね」

 

感情は宿っておらず、事実を確認するだけの無感動な響きのみがあった。

奇術師を思わせる白黒の衣装を纏った少女の細い腕の先。

白手袋で覆われた手の、その甲から三本の黒い直線が伸びていた。

それは彼女の腕の長さほども続いた先で僅かな窪みを見せて更に続いた後、

本体とでも云うべき物騒な鋭角の塊と合流していた。

 

少女の手から伸びた『柄』の果てに結ばれているのは、三日月にも似た形状の巨大な刃。

鎌にも似ているが、これは間違いなくあの武具の一種であった。

元々は特に意識していなかったが、ここ数日で一気に嫌悪の象徴と化した忌まわしきもの。

 

「また、『斧』か…」

 

それに、「くそったれが」との悪罵が続いた。

杏子の口調には、苦々しさという表現を越えたような感情が内包されていた。

万物を腐敗させる毒液が、少女の声と化したかのようだった。

 

伸ばされた槍の先で、奇術師の両手から生えた計六本の大斧の群れが、

杏子を喰らい付くさんとばかりにその切っ先を彼女に向けている。

止めているのは、槍の穂の根元から左右に伸びる一対の刃。

穂全体を十の文字で例えれば、『一』となる部分が通常の倍ほどに拡張されていた。

そうしなければ、視界を埋めるような巨大な斧の群れを受ける止めることは出来なかった。

 

「速く、鋭く、そして力も中々のものだ」

 

黒い魔法少女が小さく告げた。

彼女の手の甲から伸びた魔斧は、いや、身体から直接生じていることを踏まえれば、

位置は多少ずれるものの、『魔爪』とするべきだろうか。

斧や鎌に宿る禍々しい趣を持った魔爪の先端に宿るのは、

凝固した血液にも似た、深く濃い紅であった。

佐倉杏子の槍も紅が主となっているが、あれは焼けた鉄や炎に近い。

あちらを『真紅』とするならば、こちらは『深紅』という言葉が相応しいと思われた。

 

「流石は正真正銘、風見野最強の魔法少女と云った処か。佐倉杏子」

 

声はこれまで通り、平静そのものといった風であった。

細腕の先から伸びた凶器にも、別段に力が加えられているようには見えなかった。

その様子に、杏子は奥歯をぎりりと鳴らした。

ただ槍の穂に乗せられているとしか見えない魔爪に対し、杏子は全力で抗っていた。

歯軋りは、抗う己の非力への憤りからのものだった。

 

「この状態で云うのもなんだが、私の名前は「呉キリカ」と云う。非礼を許して呉給え」

 

名乗りを上げた黒い魔法少女の、鮮血色の唇の端が吊り上がる。

初めて生じた感情の発露は、悪鬼羅刹の微笑であった。

顔の造形が美しいだけに、殊更に化け物じみた印象を杏子に与えていた。

生理的な嫌悪感以外の、決して認めたくはない感情が彼女の心を冷たく撫でた。

同時に黒い魔法少女、呉キリカは動いた。

両手を槍から離し、蜘蛛か蟷螂を思わせるような長い手の先の、巨大な凶器を振りかざした。

 

「(くそっ!!!)」

 

悪罵と共に、杏子はその感情を戦意に転化。

硬直しかけた肉体を強引に動かし、伸ばしていた槍を戻して旋回させ、魔爪の群れを迎え撃つ。

 

「遅いよ」

 

迎撃の一閃が迸った僅かに横を、白黒の影が跳んでいた。

 

「ぁっ…!」

 

紅と黒が一瞬の交差を見せ、直ぐに離れた。

悠然と背後に跳躍する呉キリカの、秀麗そのものといった鼻の先を真紅の槍が虚しく掠めた。

奇術師は数メートルほど優雅に飛翔し、猫のように軽やかに着地した。

 

「やるね」

 

それは確かな賛美であったが、杏子は不快感を覚えただけだった。

辛うじて追撃を防いだ杏子は、背中で生じる熱を感じていた。

熱はすぐに、痛みへと変わった。

右肩から左脇腹までを、三本の朱線が繋いでいた。

 

「やるじゃないか。大体の魔法少女は、今頃斜めにずばばっとズレてる頃だと云うのに。

 骨どころか肌を僅かに掠めただけとは、私もまだまだ未熟のようだ」

 

黄水晶の瞳に虚無を宿しつつ、悲し気な口調でキリカは嘆いた。

同族狩りを認めた発言であったが、杏子はそれ以外のものに嫌悪感を抱いた。

理解不能によるものだった。

 

この呉キリカという同族には、得体の知れないものを感じてた。

というよりも、それしか感じられなかった。

何を考えているのかが分からず、また喋り方にも独特の趣がある。

 

奇抜な姿がそれを連想させるのか、

まるで奇術か演劇の舞台を演じているかのように思えてならない。

そもそもこいつが優木を助け、そして襲来に加わっている理由が全く以て分からない。

その謎も手伝い、ペースを掻き乱されている事が嫌でも分かっていた。

 

背中に広がる三本の痛みが、それを証明していた。

これまでの戦闘は激戦であることは確かであったが、互いの負傷は軽すぎる。

杏子が今のところ負ったものは、背中の浅い傷のみ。

キリカに至っては、完全な無傷。

十数分も魔法少女同士が戦闘を繰り広げた結果としては、現状は異常にすぎていた。

 

原因が何かは、考えるまでもない。

こちらは今一つ攻めあぐね、相手はこちらを弄びに掛かっているのだった。

攻撃を受けている杏子の認識の中で、少なくとも二回ほど、

こちらの腕を落とせる機会があった。

やられると思った刹那、黒い魔法少女は自ら身を引いていた。

僅かにほっとしたことに、杏子は己を呪いたくなった。

 

無論、このままで済ます気は毛頭ない。

勝負に出るべきかと、杏子は思索した。

彼女自身が強力な個体であったため、

精々複雑骨折と内臓破裂程度の負傷しか負った事が無かったが、

貧弱極まりない同類の例を見るに、腕の切断くらいなら治療可能と彼女は踏んでいた。

 

それならいっそ、こちらの腕の一本を生贄に、

奇術師の顔面か胸にでも一撃を与えてやろうかと思っていた。

脳と心臓の破壊。

流石に、そこまでやれば死ぬだろうと。

自分たちの宿敵である魔女どもでさえ、それらを破壊すればくたばるのだから。

 

そのためこのあたりで、流れを変えておきたいと思っていた。

奇術師が主導権を握っている、今の戦いの流れを。

 

そう思ってから一呼吸の後、そろそろ行くかと思った折に…嫌な予感がした。

 

原因を探り、即座に思い出す。

理解の瞬間には、不快感が纏わりついていた。

斧と同様、自分にとって忌むべき呼び名となった三文字。

それを心中で唱えた事が原因であった。

 

「まぁ、それはこれからの課題として」

 

杏子を半ば無視して独白を続けるキリカの元へ、一つの光点が飛来した。

人の拳を二つばかり寄り合わせたようなサイズのそれは、

杏子の顔の直ぐ右隣を、音速もかくやというような凄まじい速度で通っていった。

 

キリカの豊かな胸元に接触した瞬間、それは生じた。

彼女の口が奏でる玲瓏たる響きのハスキーボイスを切り裂いた爆音と爆風が、

杏子の予感の的中を告げた。

 

とばっちりは御免と、爆風の圏外へと跳び下がった杏子の視界に、

キリカの立っていた位置を中心に立ち昇る、巨柱のような黒煙が映っていた。

サイズは大分異なるが、その様子には見覚えがあった。

大昔に小学校の道徳の時間で見せられた資料映像か、何かの番組がその情報源だっただろうか。

人類が創り上げた、最も愚かしい光の炸裂。

その後に生じた巨大な黒煙が、眼前のそれに酷似しているように思えてならなかった。

 

「たかがクソゲス女相手に、どんだけ手間取ってんだよバァカ」

 

誰が原因かなど、考えるまでも無い。

こんな事をやらかす奴は他に知らない、知りたくもない。

僅かな足音に続いて、背後から生じた気配の根元へと悪罵を投げる。

 

「つうかテメェ、あたしごと狙いやがったな」

「てめぇはそこまで間抜けじゃねぇだろ」

 

相手の実力を認めつつ、だが一方で意図については否定もしない。

つまりはそういう事だった。

これは恐らく、前回の道化の際の仕返しだろう。

実行に移した以上、確かな信頼感があるのだろうが、一応は男女と云うか、

そもそも人間同士の関係に必要不可欠であるはずの『友好』さが、この両者には欠けている。

 

「ほらよ」

 

声と共に、ナガレが右手を軽く捻った。

何かが投ぜられ、異界の地面から五十センチほどのあたりを浮遊。

やんわりとした軌道を描き、杏子の足元近くに墜落した。

 

長さ百二十センチほどのそれに、杏子は視線を落とした。

ゴミを見るような眼であった。

 

真紅の視線の先に、白で覆われた道化がいた。

白は包帯の事であり、それによって雁字搦めに縛られている。

両手首は薄っぺらい胸の前できつく縛られ、また両足首も似たような状態にされ、

足裏が尻に触れるような形に折り畳まれていた。

更に両目にも目隠しがされ、滂沱と流れる涙が垂れ流しにされていた。

 

挙句の果てに、口腔にはギャグボール然とした物体が突っ込まれている。

道化の唾液に塗れたオレンジ色の物体が「きっきっ」と必死に叫んでいる事について、

杏子は「ざまぁみろ」と「可哀想だな、魔女が」という感想を抱いた。

 

「おい眼帯女!」

 

唐突に、そして誰も彼もの意図を無視して、その咆哮は発せられた。

相変わらず、くそでかい声だった。

音の質が高音ということも相俟って、最早、音響兵器じみた音となっている。

順序は違っているが、黒煙に放たれる叫びに、杏子はデジャヴを感じていた。

これについては、発言者たるナガレも同じであっただろう。

 

「戻って来てやったんだから、さっさと来やがれ!んなもんでくたばるタマじゃねぇだろ!」

 

割と滅茶苦茶な言い分だが、後半に関しては同意であった。

先程の爆発は、彼が優木にかましたそれの総熱量を

凌駕していると思われたが、彼の言葉通り、あの黒髪が死に絶えたとは思えなかった。

 

「さっきと似たような構図だね。ワンパターンな奴は嫌われるよ」

「言うな」

 

杏子の皮肉への返答までには、若干の沈黙があった。

彼も自覚しているのだろう。

 

「ていうか、俺は別にお前らに」

 

彼の声は途中で途切れた。

黒い光が一閃し、立ち昇る黒煙が丸ごと破砕されたかと思いきや、

煙よりも更に黒い影が飛び出し、杏子の傍らをそれこそ風の疾さで駆け抜けていった。

 

風が去った後に背後を振り向いたが、先程まで少年がいたと思しき場所には何も無かった。

遥か彼方に視線をやったところで、ようやく一対の人型が対峙しているところが見えた。

 

状況を鑑みれば、『連れ去られた』というところだろうが、

当人は至って元気であるようだった。

異界の端より生じたのは、肉ある者の断末魔ではなく、金属の絶叫の連鎖であった。

それは遠方で発生している音だと云うのに、まるで呪詛の響きのように杏子の元へと届いていた。

どうにも気に入らない女顔の少年と、

不気味な美少女は、どうやら早くも打ち解けているようだった。

 

「ワケの分からねぇ奴ら同士、気が合うトコロでもあるのかねぇ」

 

思い返せば、あの黒い魔法少女に真っ先に狙われたのは相方の方だった。

単純に近場にいたからという理由もあるのだろうが、

あのイカれた同族なりに、何か思う事でもあったのだろうと思った。

ならばあちらに任せようと、杏子は思考を捨て去るように切り替えた。

こちらにも遣ることがある。

そしてそれは幸いにも、丁度眼の前に転がっている。

 

「そらよ」

 

声と共に軽く蹴り上げ、優木を宙にかち上げる。

くぐもった悲鳴を無視し、槍を一閃。

道化の眼元の包帯が切り離され、青い瞳が露わとなった。

 

「十二、三分ぶりってとこかね。ええ?ドクズ女ぁ」

 

瞳の中を困惑で彩っていた優木であったが、杏子が容赦をする訳が無い。

重力に引かれるより早く、杏子の右手が優木の喉を握り締めた。

 

「このまま喉をぶっ潰されたくなけりゃ、さっさとお友達どもを呼び出しやがれ」

 

優木の喉に加わる力が更に増大し、彼女の瞳に苦痛が宿る。

だがそれよりも、嘲弄の色の方が色濃く浮かび上がってた。

拘束されている口元からも、例の不快な笑みらしきものが生じ始めた。

呉キリカは底が知れたものではないが、こちらは逆に浅すぎて、見ているだけで恥ずかしくなる。

同じ性別且つ種族は人間、そして背負った宿命も同じく魔法少女。

考えても仕方がないが、同類であることがこれほどにも嫌になる存在がいるとは

夢にも思ってもいなかった。

 

軽く一息、つくと同時に優木を掴んだまま大きく跳躍。

呻き声のような悲鳴が、真紅の飛翔の尾鰭となった。

 

一瞬遅れて、先程までいた場所に複数の光が突き刺さる。

距離を取り光が去来した方向を見ると、複数の異形の姿が見えた。

例によって揃いも揃って奇怪な姿をしており、

特徴を覚えるだけでも面倒になってくるものばかりだった。

角や腕、鎌状の凶器などの、脅威になりそうなものを頭に叩き込む。

同時に数を数えたところ、出現した魔女の数は四体だった。

 

「上出来だ。ありがとよ」

 

歪んだ笑みを送る優木に、杏子も笑みを以て返した。

笑みの種類を道化が把握する前に、杏子の右手が小さな喉笛を圧搾。

激痛を置き土産とし、道化の意識を虚無へと送る。

そして用済みとばかりに、杏子は右手を細首から外すと、代わりに長大な槍に手を掛けた。

気絶した道化の剥かれた白眼には、魔へと襲い掛かる真紅の姿が焼き付いていた。

 

 










キリカさんの口調、今後も勉強していきたい次第であります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞②

絶え間なく続いていた金属の悲鳴が、唐突にぴたりと止んだ。

右頬を発生源として、口中に生じる赤い雫の塩辛さを舌先に感じつつ、

少年は異界の空を見上げた。

闇色の瞳の中に、黒を纏った美しい少女の姿があった。

彼女の細い両腕は高々と掲げられ、白手袋で覆われた手の甲からは

禍々しい湾曲を描いた刃が展開されていた。

 

漆黒の魔力で形作られたそれは、鎌にも斧にも見えた。

どちらにせよ、野蛮と狂気の極致であることには違いない。

まるでそれを誇示するかのように、抉り込むような形状をした刃の先端には

血が固まったような深紅が塗られていた。

 

落下に伴い、少女は両腕を振るった。

腕が茫と霞むとと共に、少女の手から生えた斧の群れも矛先を反転。

黒と深紅の瀑布と化し、少年の元へと降り注ぐ。

 

天から迫る死に対し、地に立つ者が握る白刃が煌いた。

一閃の後、破壊が生じた。

 

鉄と魔力で形成された双方の得物が絶叫を挙げ、それを支える肉と骨が軋み、

挙句の果てには少年の脚を支える異界の地面さえもがひび割れ、表面部分が砕け散った。

 

「ふぅん」

 

様々な破壊と悲鳴が入り混じる轟音の嵐の中で、魔法少女は小さく息を吐いた。

 

「巧いじゃないか」

「五回目ともなりゃな」

 

少女が振り下ろした斧の群れを、少年は両手の手斧で受け止めていた。

斧同士の刀身が真っ向からぶつかり合い、鍔迫り合いが展開されている。

歴然たる膂力の差を埋めているものは、彼の技巧に依るものか。

それとも、黒い魔法少女の手心か。

 

「じゃあ、続きといこう」

「あぁ」

 

短い遣り取りの後、双方の刃が引かれた。

噛み合っていた得物同士が擦れる音は、別れを惜しむ恋人同士の嗚咽のように虚しく響いた。

 

だがそれは、ほんのひと刹那の離別であった。

斧同士の激突は、直ぐ様に再開された。

向かい合う両者の間を、金属音と火花の嵐が埋め尽くす。

 

「君、胸の怪我はもういいのかい?」

 

ナガレの斬撃をいなし大振りの連撃を見舞いつつ、魔法少女が問うた。

眼が虚無的な事を除けば、声と顔には心を砕いているような響きと形が現れていた。

問いを与えた相手の命を、今まさに刈り取ろうとする者の表情ではなかった。

 

「頑丈さだけが取り柄でね」

 

吐き捨てつつ、ナガレは身を引いていた。

流石に防御不可能とみての事である。

 

「そうか、それなら良かったよ」

 

安堵の表情とは裏腹に、獲物の旋回速度は全く衰えていなかった。

仰け反った胸の上、数瞬前まで彼の顔があった場所を巨大な凶器が通過していく。

凶器の旋回によって生じた風でさえ、身を裂くような勢いを宿していた。

少年は凶風に抗うことなく、寧ろそれを力に変えて跳び退がった。

 

「落ち着きのない子だね、君は」

 

その時、追撃に移ろうとした魔法少女の元に迫るものがあった。

吹き荒れる風に抗い、二つの影が飛翔していた。

風を浴びた少年の、翼のようにはためいたジャケットの内側から、

二本の円柱が先端を覗かせていた。

キリカの視界に、黒い二つの塊が映っていた。

魔法少女は、拳大の黒塊の表面で燻る焦げ臭い匂いを嗅いだ。

 

「…ありがとう」

 

彼の心…魂とでも云うべき場所で、その声は響いた。

音の無い声だった。

それだけに、声に含まれた想いが露わとなっていた。

それが何であるか知った時、彼は第二波を放つべく手を伸ばした。

 

だが、それは果たせなかった。

彼の眼の前に、黒い魔法少女の顔があった。

互いの吐息の香りさえ、分かるほどの距離だった。

 

「血臭いね」

「誰の所為だ」

 

少年と少女の応答には、互いの得物の激突音が重なっていた。

超至近距離での激突の為か、両者は弾けるように背後に跳んだ。

飛ばされたと、した方が正しいか。

両者が着地した時、遥か彼方で二つの爆発音が虚しく生じた。

 

互いに五メートルほど後退、都合その倍の距離を隔てて、

黒髪の魔法少女と人間の少年が対峙する。

至近距離の刹那的な乱舞を舞っていた両者の間で、今は最も距離が生じたときであった。

剛力をいなし続けた痺れなど無いかのように、ナガレは手斧を構えた。

彼は直ぐにでも斬り込む積りだった。

 

魔法少女と真っ向から切り結んだ彼が支払った代償は、

体表に十数か所ほど生じた肉の裂け目と、骨格に染み渡る無数の痛み。

右頬の傷など、破壊は表面だけに留まらず口中まで抜けていた。

対する魔法少女は、少なくとも外見上は全くの無傷。

 

幾度か手首や脇腹を手斧を掠めさせ、出血を生じさせたが、

刃が肉を抜ける頃には衣装もろとも完全に修復されていた。

呆れるほどの再生能力、そして超絶的な身体能力。

両者の現状が物語るように、戦力差は圧倒的だった。

ここに至るまで彼が絶命していない事は、奇跡としか言いようがない。

 

だが、彼の眼には弱気や諦めの意思は欠片も無かった。

無茶なのは分かり切っている。

魔法少女の強さも、文字通り骨身に沁みている。

仲の悪い相方に幾度となく肉を裂かれて骨を削られ、発情気味の性悪道化には全身を焼かれた。

そしてこの黒い魔法少女には胸を陥没させられた挙句、未だに報復を果たせていない。

 

それがどうしたと、彼の眼は言っていた。

 

黒い禍が、闇色の瞳の中に渦巻いていた。

重なり合った円環は彼の闘志か、殺意か、或いはー-ーそれらを越えた狂気か。

少なくとも、攻撃的な意思である事には間違いない。

 

 

しかしふと、彼は動きを止めた。

丁度、突撃の為に軽く前傾姿勢を描きかけたときだった。

 

黒い魔法少女が、両手を万歳の形に挙げていた。

何事かと、ナガレが正気へと回帰した眼差しで見ていると、

少女の両手から生えた斧たちは、黒い光の微塵となって消え去った。

 

「懐かしいものを思い出させて貰ったよ。感謝する」

 

「何が?」と問い質す前に、魔法少女は頭を下げていた。

それまで涼やかだったハスキーボイスも震えていた。

その様子は、ただの少女であるかのようだった。

 

気が萎えたのか、彼は「もういいや」と頭を切り替えた。

闘志自体はそのままに、相手に付き合う事にした。

体力回復の、時間の足しになればいいかなと思いつつ。

 

「申し遅れたが、私の名前はご存知かな?」

「あぁ、ピエロ女から聞いてる。よろしくな、呉キリカ」

 

この時には既に、手斧は背中に回されていた。

相手に合わせたというより、単に邪魔になったようだった。

 

「矢張り、さささささは口が軽いか。我が参謀とは云え、情けない限りだ」

 

道化が強奪じみた救助をされてから約五日。

この協力者にも、早くも性情が知られているようだった。

長ったらしい愛称又は蔑称と、役不相応としか思えない役職が与えられていることに、

ナガレは言及すべきか少し悩み、そして沈黙を選んだ。

笑いを堪えたとも言う。

 

「まぁそれは兎も角、今後とも宜しく頼むよ」

 

相変わらず眼には虚無が宿ってはいたが、口調と態度は親し気なものになっていた。

右目の眼帯がどうにも剣呑な印象を与えるが、見た目で判断すれば年相応の少女のそれだ。

思わずナガレも、不覚ながら自分の気が僅かに緩むのを感じていた。

 

恐らくは新しい生活を送り始めて以来、初めて見せられた友好的な態度であるためだろう。

尚、数十秒前まで殺し合いを演じていた仲であるということを、

彼がどの程度意識しているのかは謎である。

 

「其れでは『友人』。早速だが」

 

一瞬、彼の思考が停止した。

機械で言えば動作不良を起こしたのだ。

 

「待て。ちょっと待て」

 

即座に復旧、即刻尋問へと移る。

 

「なんだ我が友、即ち友人。

 これから話す予定だったが、さささささの弱点には興味が無いのか?」

「ねぇよんなもん。奴は弱点の塊だろうが。そうじゃなくて、『ゆうじん』て何だよ」

「君の呼び名だ。今回の場合は『友人』とするコトに決めた」

「…何でだよ」

 

これまでに見せたことのない、困惑を宿した表情でナガレは訊いた。

キリカの不可思議な言い回しも、聞き流されていた。

 

「こう見えても、私の頭の容量は有限だ」

「当たり前じゃねぇか」

「そう遣って君はすぐ人を莫迦にする。これだから友達というヤツは扱いに困る」

 

僅かに頬を膨らませ、キリカは拗ねた様子を見せた。

これが先程まで悪鬼羅刹の暴虐を繰り返してきた女かと、彼は一瞬己の記憶を疑った。

 

「俺、なんか悪い事言ったのか?」

 

本人すら思ってもいない事を口にさせたのも、混乱による影響だろう。

それを見たためか、キリカは済まなそうな表情となった。

 

「悪いね。なんせ私は半引き籠り生活から足を洗ってまだ時が浅い。

 それにまだ中学三年生だ。人生経験及び対人経験値の少なさ故と思って諦めて呉」

 

許してではなく、諦めて、ときた。

ナガレは素直に従うことにした。

その方が面倒が少なそうだと思ってのことである。

また少女の私生活に言及するほど、彼も野暮では無かった。

 

「話を戻そう」

「ああ、そうしてくれ」

 

出来れば話ではなく、先程までの戦いにと彼は望んだ。

こう思うのは、今日でもう二度目になっていた。

 

「覚えやすい、そして忘れやすい。

 だから頭の容量をキープ出来る。どうだい友人、ご理解は頂けたかな?」

「ワケの分かんねぇこと言ってんじゃねぇ」

 

率直な、そしてこれ以上ない感想を彼は述べた。

そしてそれっきり、両者の間で言葉は絶えた。

頃合いだとでも言うように。

 

向かい合う両者の手に、再び物騒な得物が顕現ないしは握られた。

後は再び激突し、火花と血肉を飛ばすだけだった。

それなりに穏やかであった会話など、忘我の果てに投げ捨てた修羅となって。

 

 

 

「何、くっちゃべってやがんだ。この大バカ共」

 

 

 

心を貫くようにして届いたそれは、聴き慣れた者の声ではあった。

但し普段とは、声色が大分異なっていた。

 

例えるなら、表層には冷気が、内部には熱が詰まったような声だった。

冷気と熱はそれぞれ、『呆れ』と『怒り』に変換出来る。

真紅の魔法少女による氷炎の声の指摘は、この上なく的確なものであった。

 

 

 






斧の扱いに秀でた『友人(フレンズ)』。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞③

白い安全靴が地を蹴った。

真紅の魔法少女の声が、図らずとも戦端の切っ掛けとなっていた。

彼の両手には既に、二丁の手斧が握られている。

 

対して、呉キリカは動かない。

だらりと両手を垂れさせたまま、悠然とその場に立ち尽くす。

武具を顕現させていないのは、タイムラグなしで生じさせられる、

魔法ならではの利点のためか。

或いは、単に面倒なのか。

少年はそれを、

 

「ナメやがって」

 

と受け取った。

また、そう思ったのは彼だけではなかった。

 

黒い魔法少女へと疾走する黒髪の少年が、僅かに左に逸れた。

開いた空間の隙間から、人型の炎が去来した。

火竜の息吹の奔騰のように疾駆する影は、やがて人の形をとった。

長大な槍を携えた杏子であった。

 

会敵までのほんの一瞬前、黒と紅の視線が交差した。

予め取り決めていた緻密な連携を瞬時に確認、ではなく単純な意思を互いに交わす。

両者の意志は同じだった。

即ち、

 

「こっちの邪魔はするな」

 

と。

一応とはいえ、本当に仲間なのか疑わしい遣り取りであった。

だがこの両者なりに、何か可笑しいものを覚えたらしい。

微かながら、唇には緩みが生じていた。

それは相手に向けたものではなく、現状を皮肉ってのものだった。

 

そして直後、その形が変化した。

緩くなっていた唇の口角が、裂けたように広がった。

残ったのは雌雄の獣の、獰悪な表情だった。

そして両者の口から、悪鬼の咆哮が迸る。

十代前半、第二次成長期の甲高い声。

それでいて、地獄の底から響いてくるような声だった。

 

咆哮に光が続く。

一対の獣の牙が、真紅と一閃と漂泊の刃による二条の閃きが獲物へと向かっていく。

 

三つの光へと、黒い魔法少女が手を伸ばした。

まるで光を求めるように。

黒い魔法少女の手甲から赤黒い光が生じたのも、その時だった。

 

破壊を成すために生まれた凶器達の接触には、激烈な音が伴っていた。

それは今日だけで既に数千回と生じたものと同じであり、また異なってもいた。

得物の断末魔たる、破砕音であった。

 

「へぇ」

 

短く呟いたキリカの黄水晶の瞳に、赤黒い欠片が映っていた。

 

「先程の腑抜けぶりが嘘のようだ。やるじゃないか、佐倉杏子」

 

無数の魔力の断片が、彼女の手の甲から弾け飛んでいた。

斧の根元の血肉と共に。

 

「魔法で自分を強化して、速度低下と相殺させたか」

 

皮と肉がそぎ落とされ、生々しい筋線維と骨を剥いた手の甲を眺めつつ、

事も無さげに、キリカは己の能力を口にした。

そこには嘲弄の色も無く、また失言を悔いる様子もない。

ただこれが、相手が既に自分の能力に気付いていると自覚してのものなのか、

或いはまったくの無思慮なのかは分からない。

 

「それと友人、君は相変わらず元気だね」

 

呉キリカの視線が、自分の右手から左側へと動いた。

黄水晶と闇色の瞳が合致した時、遠くで何かが断たれる音が鳴った。

異界の地面を断ち、戦端を埋めて突き立ったのは、柄の部分を寸断されたキリカの斧だった。

残りの二本は、向かい合う両者の間で骸のように横たわっている。

そして先に堕ちたそれらの上に、数個の破片が重なった。

魔の武具を打ち砕いた鋼は、この時に限界を迎えたのだった。

 

「そして、さらば」

 

細い両手が掲げられたころには、肉体の破損個所と魔斧の再生は終わっていた。

言葉と共に腕が降ろされ、六振りの深紅の瀑布が、少年へと落下していく。

杏子は己を紅の弾丸と化して駆け抜けており、既にこの場を離脱している。

ジャケット裏からの抜刀も、間に合うとは思えない。

 

彼を待つのは、一瞬の後に肉片と化す未来しかなかった。

攻撃者であるキリカもまたそう思ったのか、別れを告げた声は切なげだった。

離別の哀しみというよりも、『その程度か』との失望の色が強い。

 

瀑布の落下は、檄音と共にその半ばで停止した。

眼前の存在に興味を失い、眠たげに細まっていた眼が開かれた。

 

「…わあぉ」

 

彼女に一呼吸を置かせたのは、眼前の光景への驚きのためか。

彼の両手に掴まれた漆黒の柱が、魔斧の群れを受け止めていた。

佐倉杏子の長大な槍ほどではないが、漆黒の柄は彼の身と同程度の長さを備えていた。

太さも杏子の槍とほぼ等しい。

左右の末端は錐のように収斂して鋭角を成し、全体的に見れば漆黒の長槍という風を呈している。

そんなものが、何の前触れもなく忽然と姿を顕していた。

 

身を軽く捻り、全身の発条を用いて彼女は跳んだ。

魔斧と触れ合う黒い槍から、何かを感じたかのように。

例えば、何か禍々しい気配を。

 

「逃がすか」

 

突撃を開始してから、初めて彼は口を開いた。

だが直ぐに口元が引き結ばれ、両手が柄を力強く握り締めた。

そして、キリカの元へと槍の先端が奔った。

 

飛翔に近い跳躍をしつつ、彼女は見た。

彼女の予想よりも速い挙動で地を蹴り、自分へと追い縋っていく友の姿を。

 

「うるぁああ!!!」

 

叫びと共に長大な得物が、真横一文字に振られたところを。

それは彼女の予想よりも、二刹那ほど速かった。

 

一閃の後、空中に紅い花が咲いた。

花は白黒の衣装と血と、少量の肉で出来ていた。

 

飛び散った肉の大部分は、破壊者である幅広の刃に付着していた。

先程まで呉キリカの豊かな乳房を構築していた肉と脂肪が、その中央にへばり付いている。

刃の上の肉片がぐちゃりと蠢いた、と見るや黒い刀身の中へと消えた。

魔法少女の肉が消えた後には、拳大の黒い球体が残った。

 

彼女の友人が携え、魔法少女の上半身を薙いだそれは、巨大な両刀の斧だった。

中央に空いた穴の中に鎮座する球体がくるりと廻り、

内部の白い塊の焦点を黒い魔法少女へと向けた。

それは、邪悪な生命体の視線であった。

 

「素晴らしいよ、友人。いい趣味をしてるじゃないか」

 

鮮血色の唇が緩い半月を描いた。

女性の象徴の一つである乳房を根こそぎ破壊された少女は、

朗らかとさえ思える表情を浮かべ、笑っていた。

痛痒など微塵もないのか、或いは、それさえも笑いの成分としているのか。

 

「あぁ、ホントにね」

 

同意の言葉は、キリカの背後で生じていた。

こちらは完全な皮肉によるものだった。

 

キリカが振り返るどころか、表情を変えるよりも早く、その顔を朱線が走った。

朱線は頭頂から顎へ、そして破壊された胸部を更に縦に割り、腹部へと至った。

朱の最先方には、真紅の槍の穂先があった。

 

少女の華奢な身体が、あと三十センチほどで完全な両断に至る、

ところで真紅の侵略は停止した。

杏子が静止させたのではなかった。

 

「この私に共感してくれるとは…例え嘘でも嬉しいよ」

 

舌と喉が両断されているにも関わらず、キリカの声の発音は明瞭だった。

そして後ろに回された左手が、槍の柄を掴んでいた。

杏子が更なる力を加える前に、彼女は身を引いた。

着地と同時にキリカが背後に向けて右腕を振い、魔斧の斬撃を見舞っていた。

 

身を引く刹那に、殊更に強力な『粘り気』を杏子は感じた。

己の首へと向かう、斧の群れへと迫る、キリカに負けじ劣らずの禍々しい気配のことも。

 

杏子の鼻先で、二種の魔斧が激突した。

無理な体勢からだったというのも、理由の一つではあるだろう。

だがそれでも、吹き飛ばされたのは黒い魔法少女の方であった。

 

槍が勢いよく抜け、飛翔する魔法少女の背から鮮血が跳ねた。

 

着地し、黒い魔法少女は背後へと向き直る。

顔を含む上半身は事実上の両断をされ、更には胸部に巨大な洞が生じ、

それらから溢れ出る血と体液は、彼女の姿を白黒から赤黒へと染め抜いていた。

だがそれでも、美少女の面影は色濃く残っていた。

血と体液に濡れそぼった姿は、不気味な妖艶さを湛えていた。

相変わらずの朗らかな笑みを刻んだ表情が、それを更に引き立てている。

無惨で無垢な、そして病的な美しさだった。

 

その黒い魔法少女の視界を、巨大な黒が覆った。

振り下ろされた巨斧だった。

暗黒の大瀑布とでもするような一撃に、異界そのものが震えたかのようだった。

 

「さっきと逆だね。妙な気分だ」

「奇遇だな、俺もそう思っちまった」

 

六本の魔斧が左右から喰らい付き、金属の歯ぎしりを生じさせつつ、

裂けた顔の数センチ手前で巨斧は停止していた。

彼女の言葉の通り、先程とは真逆の状況となっていた。

鍔迫り合いの最中、キリカの胸と顔に変化が生じていった。

豊かな乳房はおろか、肋骨やその内の内臓に至るまでを完膚なきまでに破壊され、

赤黒い洞となっていた胸部が、見る見るうちに塞がっていった。

 

肉が肉を生み、肋骨が肉の奥からせり出した。

噛み合う七つの斧を伝って、力強い鼓動さえもが聴こえてきた。

修復された胸郭の表面を白い肌が覆い、最後に衣服が修復された。

 

「どうだい友人。魔法少女とはいいものだろう?」

 

剛力を両手に注いだまま、自慢気にキリカは告げた。

その頃には既に、顔を含む上半身の損傷も癒えていた。

朱の斬線の痕跡など、毛筋ほども残っていない。

血に塗れていた衣装も、何時の間にか赤黒い汚濁と入れ替わるように

本来の色を取り戻していた。

修復が開始され、完了するまでに要した時間は、僅か二秒。

 

「不死身かよ、てめぇ」

 

無数の蛭の蠢きのように、肉の断面が蠕動しつつ癒着する光景を前に、

ナガレは吐き捨てるような口調で言った。

 

「それは嫉妬かい?」

 

微妙に噛み合わない会話に苦慮の色を浮かべたまま、少年の顔が左へと傾いた。

寸前まで彼の後頭部があった空間より、真紅の穂先が飛来した。

 

「またゴチャゴチャやってんじゃねぇ!!」

 

巻き込まれては敵わぬとみて、ナガレは斧を翻し、転がるように飛び退いた。

投擲された裂帛の一突きは、再生したばかりのキリカの胸を貫いた。

 

「痛いじゃないか」

 

美しい顔をしかめ、心臓を貫かれている女が呟く。

槍の穂は細い背中を抜け、背から五十センチほども突き出ていた。

 

「こう見えて私は、痛いのはあまり好きじゃない。そういうのはさささささの役割だ」

 

えいっと口ずさむように気合を入れると、彼女は槍に手を掛けずるりと抜いた。

心臓の破片らしきものが、穂にべったりとこびり付いていたが、

彼女は特に気にした様子もなく、無造作にそれを投げ捨てた。

面倒なのか、胸に空いた穴もそのままに、

 

「友人。それとそっちの赤いの」

 

ぞんざいな口調と共に一対の敵対者達に眼を配った。

後者に対する扱いが目に見えて悪いのは、彼女なりに気分を害したためか、

それとも適当な呼び名を思いつかなかったためか。

どちらにせよ、杏子の額にうっすらと青筋が浮かんだことだけは確かだった。

 

「別に其処まで楽しい訳でもないが、割と悪くない気分だ。もう少し遊ぼうじゃないか」

 

もう少しとは、彼女が飽きるまでだろう。

自分たちが力尽き倒れ、そして肉片と化したところまで。

再び両手の魔斧を構えたキリカを前に、杏子はそう受け取った。

無論、そうなる積りは毛頭ない。

例え相手が不死身であろうと。

 

「あいつ、俺の知ってる魔法少女とは随分違うな」

 

傍らの少年が、率直な言葉を呟いた。

「知っている」とは、ネカフェでの『勉強』で得た知識と比較してのものだろう。

そりゃそうだと、杏子は心中で同意した。

正直なところ、呉キリカは自分の同類であるとは思えないし、思いたくはない。

回復能力と言い精神構造と言い、明らかに自分が知る魔法少女の範疇を越えている。

 

ついでにという形で、杏子は自分に送られている視線に気が付いた。

隣の相棒の右手に握られた巨斧中央の異形の眼が、

白黒を交互に繰り返す不可解な視線を杏子に送っていた。

恐らくは眼の前の黒い魔法少女に怯えているのだろうと思ったが、知った事ではない。

これが今彼の手元にある事情は道化を締め上げて吐かせていたが、

実際に間近で見ると嫌になる光景だった。

唯一つ、その両者が戦力として有能であることが救いだった。

 

「夢と現実はちゃんと区別しろよ、このバカ野郎」

 

呆れた様子で言葉を返すと、彼は返答代わりに小さく笑った。

そして両者は再び地を蹴った。

眼の前の、悪夢じみた現実を滅ぼすために。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞④

異界の地面の上に、傾いた十字架が転がっていた。

真紅の縁取りの真ん中には、四肢を拘束された道化がいた。

咎人の左手と足を拘束する部分が異界の床に触れ、十字はバツ印と化していた。

あたかも、不良品の烙印を押されているようだった。

 

「な、なんだぁ…」

 

魔女で口を塞がれたまま、道化が呟く。

道化が口をもごもごとさせる度に歯で小突かれ、口中の魔女は奇声を発した。

 

「なんなんだよ、あいつら!?」

 

声にならぬ声であったが、それを正常に記すと上記となる。

既に数十回ほど繰り返した思考であった。

 

道化が転がる場所の地面は、ガラスや金属の表面を思わせる滑らかさと硬質感を湛えていた。

それが、ある地点から変容していた。

無数のヒビや断裂が、道化に差し迫るかのように、道化から見て奥の方から伸びていた。

更に奥に進めば、数十センチからメートル単位の深さの円形状の陥没が幾つも生じ、

金ヤスリやおろし金に似た粗々しい断面を晒している。

それは無数の牙の群れが、餌食を求めているかのようにも見えた。

『あいつら』はその上にいた。

 

「ハァッハハハ!」

「おらよ!」

 

影の一つが、哄笑と共に両手を振った。

もう一つの影も、似たような挙動で返した。

振られたものの種類は同じく、されどサイズと形状が異なっていた。

 

赤光の線を引いて、少女を基点に大円を描いた六振りの斧の斬撃を、

漆黒と白銀の光を煌かせて振られた、巨大な両刃の斧が迎え撃った。

 

激突の結果、赤黒い欠片となって砕け散ったのは魔法少女の魔斧であった。

しかし、少年は背後へと飛ばされていた。

二秒ほど飛翔した後、その口からは苦鳴が漏れた。

少年の背が激突したのは、嘗ては異界の地面の下であった部分であった。

何によるものか、無残な破壊により地から切り出され、巨岩のようになっていた。

見れば、周囲にはいくつも似たような塊が転がっている。

 

衝撃を契機としたか、彼の額より一筋の紅が垂れた。

それはそこだけにとどまらず、上着の裾からも溢れ出した。

先程、苦鳴を吐き出した口元も、そこから覗く白い歯を深紅に染めている。

 

それを見た黒い魔法少女の唇に、残忍な円弧が浮かぶ。

 

「寂しい思いはさせないよ、友人」

 

口調だけは親し気だが、既に両手に獰悪な凶器を携え、体は追撃に移らんと身構えている。

そのキリカの視界に、紅の影が掠めた。

その直後には、眼の前へと迫っていた。

人型の火柱が、黒い狂気の前に立ち塞がる。

呉キリカは溜息を吐いた。

 

「…年下の、先輩であり後輩でもある我が同胞よ。空気を読む事を覚え給え」

「うるせぇ!このゴキブリ女!!」

 

真紅の魔法少女が槍を振い、黒い魔法少女の魔斧が迎え撃つ。

魔法少女同士の激戦が展開され、互いの得物が掠めた周囲の塊が、

鋭利な断面を見せて次々と切断されていく。

 

「よくも友人で遊ぶのを邪魔したな。

 さささささほどではないが、流石に私も君に不快感を覚えたよ」

「なぁにが『流石に』だ。頭に蛆が湧いたようなことばっかほざきやがって」

 

呉キリカが斧を振う度、佐倉杏子が槍を見舞う度に異界が砕け、

引き裂け、ヒビが亀裂となっていく。

杏子の槍の切っ先がキリカの手の甲を抉り、斧が肉ごと落下する。

キリカより発せられる不可視の魔法、速度低下を自身の強化で強引に振り払い、

杏子は槍を振い、突きの連打を見舞う。

 

「グリーフシードはさささささから調達したのだろうが…無理をするものだ」

 

皮の下の桃色の肉に黒い燐光が映えた次の瞬間、新しい皮膚と手袋と共に、

三本の魔斧が出現した。

即座に振るい、真紅の魔法少女と切り結ぶ。

 

「其処までして、玩具をとられるのが厭なのかい?」

 

玩具とは、己が友人と呼ぶ黒髪の少年の事だろう。

さも不思議だとばかりに首を傾げての問いに、杏子の心中で炎が弾けた。

 

「いちいち…」

 

にやけ面を浮かべた同類へと、杏子が呟いた。

キリカが返事を紡ぐために口を開いた刹那、彼女の身体は逆海老反りに跳ねていた。

苛烈な一閃が、キリカが見舞った斬撃ごと、彼女を弾き飛ばしたのだった。

 

「言う事が気持ち悪いんだよ!!この…」

 

仰け反った細い体が、その逆の動きを描く前に杏子はその懐へと跳んでいた。

 

「ゲテモノ魔法少女!!」

 

怒りの咆哮と共に、真紅の槍が突き出された。

それはキリカの腹の真ん中を貫き、一瞬で背後に抜けた。

そして即座に引かれた。

だがすぐにまたその傍らが貫かれた。

それが十数回と繰り返された。

 

キリカの胸から腹にかけて、一瞬にして大量の孔が穿たれた。

背からは鮮血と肉と、背骨の欠片が放射状に飛び散った。

苛烈な衝撃により宙に浮いたその様は、異形の翼を生やした、異界の天使のようだった。

グロテスクでありながら、どこか美しい姿でもあった。

 

だが杏子の頭には、美を感じる気も余裕も無かった。

速度低下に抗う為に行使させる魔力の消耗が激しく、肉体の再生は後回しにされていた。

それ故に佐倉杏子は全身に傷を負い、それらからは鮮血が滔々と溢れ出し、

異界の地面に滴っている。

軽く身体を動かすだけで、意識が朦朧としていった。

彼女を支えているのは、強靭な精神力に他ならなかった。

倒れかける度に、脳内で道化の哄笑が聴こえた。

『死んでろ間抜け』と、地に伏せた自分を見降ろしながらドヤ顔でほざく少年の顔の幻視が見えた。

前者はまだしも、後者は彼女の創作であった。

 

兎も角として、それらは杏子が倒れることを幾度となく救った。

「こいつらを滅ぼすまで、死んで堪るか」と、杏子は思っていた。

 

「おらぁあああ!!!」

 

殊更に強い叫びを放ち、裂帛の突きが放たれた。

だがこの時には既に、槍の穂の前面に複数の鋭角が群れを成していた。

 

「謂ってくれるじゃないか…この、クソガキ」

 

斧を半分ほど砕かれつつも、キリカは杏子の槍を止めた。

黄水晶の瞳には相変わらず虚無が浮かんでいたが、その声は怒りを孕んでいた。

言葉を紡ぐ口からは、毒々しい色の血泡が零れた。

豊かな胸元の白いレースを、赤と黒が無残に穢す。

 

「逃げるなよ」

 

口から血泡を吹いたままに、キリカはゆっくりと、まるで何かを教えるかのように言った。

胸と腹の傷に黒い燐光が走り、治癒が開始されていく。

そしてそれは、一瞬で完了していた。

異常な治癒力は、衰える兆しすら見せていない。

 

白い肌によく映える鮮血、同類というか人間とは思えない狂気の思考、

更には理不尽なまでの不死性を前に、杏子は古の怪物の姿を連想した。

そしてそれは奇しくも、彼女もまた同様であった。

 

「ヴァンパイア…」

 

血塗れの口が、血に飢えた不死の種族の名を口遊む。

地の底から、冷たい土の中に埋められた棺から発せられる呻きのような声だった。

声以上に、槍から伝わる魔力に悪寒を覚え、杏子は退避を選んだ。

 

「ファング!」

 

叫びと共に、キリカの両手が漆黒の光に輝いた。

直後、光を喰い破り、赤黒い波濤が杏子の元へと殺到した。

 

「この…化け物がっ!!!」

 

悪罵と共に杏子が槍を旋回させ、二つの波濤の切っ先を弾いた。

僅かにそれたそこに、多節棍と化した槍による、紅の縛鎖が襲い掛かった。

縛鎖が捕獲したのは、連結した斧だった。

一直線に連なった斧は、正に無数の牙の列であった。

 

「緩いな」

 

キリカの声と共に、赤黒の牙ーーー「ヴァンパイアファング」に更なる魔力が宿る。

牙の太さ、長さが共に倍加し、紅の拘束を一噛みに砕いた。

拘束を振り払った牙は、貪欲に新たな贄を求めた。

真紅の魔法少女へ、佐倉杏子の元へと降り注ぐ。

槍と牙の激突する金属音が聴こえたのち、軌道を逸らされ勢い余った牙は、

異界の地面と接触するや、易々と地を穿った。

 

「そうれっと」

 

両手から長大な凶器を出したまま、キリカは軽く腕を振るった。

地を抉る牙の群れが旋回し、地面を軽々とくり抜いた。

あまりの衝撃により宙に浮いた岩塊の直径は、十メートルを軽く越えていた。

それさえも、無数の牙の旋回に巻き込まれ、一瞬にして木っ端微塵に打ち砕かれる。

周囲の破壊の原因の大半は、呉キリカが放ったこれによるものだった。

 

やがて異形の牙は蹂躙を終え、主の元へと巻き戻される。

周囲に異界の粉塵が巻き上がり、異界の靄が立ち込める。

その先に薄っすらと見える戦場の光景も一変していた。

それまでそこにいた筈の、真紅の魔法少女の姿も消えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞⑤

赤黒い波濤が、真紅の魔法少女を包み込む。

接触の寸前、幾ばくかの金属音が生じていたが、それだけだった。

波濤の蹂躙は留まるところを知らず、異界の一角を完全に破壊し尽くした。

あとには黒い魔法少女の先に広がる、荒涼とした異界の大地が残った。

 

おろし金に似た粗い断面の深さは約五メートル、

破壊の範囲は縦横でそれぞれ三十メートルほどにも及んでいた。

まるで巨大生物の足跡か、それが這い出てきた穴のようにも見える。

穴の底には、破壊の起点である六本の縦筋の名残が見えた。

そしてその穴の上空にも、また底の方にも、

真紅の魔法少女の姿どころか衣類や血肉の欠片すら残っていなかった。

 

「は…はは」

 

鎖のように連結した、血塗られた魔斧。

ヴァンパイアファングの余波によって生じた禍風を浴びながら、道化は嗤っていた。

異界の粉塵が、唾液と鼻水に塗れた唇と鼻孔を薄っすらとコーティングしていたが、

それらを不快にも思わずに優木の顔は卑しく歪み、白い喉を震わせていた。

 

「ざまぁみろ!」

 

止まない哄笑の隙間に、その言葉は放たれた。

短くも、無限大に等しい憎悪と侮蔑が籠っていた。

至福の感情が道化の心に広がり、思考が明瞭になっていく。

先ず真っ先に思い浮かんだのは、生き残りの敵対者への歪んだ思考であった。

 

佐倉杏子の死体が残らなかったのは、後々の小道具に使えない為に残念だったが、

その分の鬱憤は黒髪の少年で晴らそうと思っていた。

彼女の下腹部には、早くも熱が籠り始めていた。

彼女の場合、愛情とは蹂躙や暴虐と等しいらしい。

要は自分が楽しいかどうかが重要なのだろう。

 

「そこ」を疼かせながら思い描く、

淫らで卑しい残忍な妄想の数が百を越えたあたりで、道化はふと思った。

この戒めが解けないのは、何故だろうということに。

 

だがそれも一瞬の事で、

 

「まぁいいか。こんな事もあるでしょ」

 

と道化は再び妄想を再開した。

口中の異物が、しきりに叫んでいる事さえも気付かずに。

 

「ききぃっ!!」

 

業を煮やしたのか、猿に似た大きな声で異物が喚いた。

うるせぇなと、道化は異物であり最良の友人であり、

そして親衛隊長であるお気に入り魔女に牙を立てた。

 

がりっという音が鳴った。

道化が魔女に牙を食い込ませる前に。

 

音の発生源は、道化の背中の方からだった。

斜めに倒れた十字架の、その後ろから。

何かがずれ、何かが擦れる音が続いた。

 

「おい…この…イカレスクラップ女…」

 

幼げで、やや舌足らずな、それでいてひどくしわがれた声が続いた。

道化が悲鳴を放つ前に、その手首と足首に掛かる拘束の力が倍化。

呆気ない程に容易く、手足が内側に向けてへし折れ、道化の喉を絶叫が伝った。

だがそれが口に至る前に、叫びは喉ごと捻り潰されていた。

道化の細い喉に、ワイヤー状に伸びた真紅の縛鎖が巻き付いている。

 

「ごぁ…」

 

苦痛によって項垂れた視線の先に、道化は真紅の光を見た。

内部に禍々しい円環を描く瞳を見た途端、道化の細い脚に何か熱いものが伝っていった。

 

「助かりたけりゃ…手を貸しな」

 

恥も外聞もなく、道化は必死に顎を引いた。

直ぐ傍らの、燃え盛るような真紅の意志とは裏腹に、

道化の下半身に広がっていた熱は、すぐに冷気へと変わっていった。

 

 

 

 

「さて、と」

 

何事も無かったかのように、キリカは破壊の場から目を逸らした。

その脳裏には、先程まで立ち塞がっていた真紅の姿など、欠片も残っていないに違いない。

自らが参謀と評した道化についても同様だろう。

そして肉も服も、激戦の痕跡など一片たりとも残していない。

 

華奢な身体が無造作にくるりと回った。

 

「もういいかい?」

 

何気なくといった様子で向けられた視界の先に、黒髪の少年が立っていた。

こちらはキリカとは違い、全身が血と汗で濡れている。

 

彼が吹き飛ばされてから、まだ数十秒程度しか経過していない。

彼女の発言は、それを踏まえたものであったかどうか。

しかしながら、彼の答えは決まっていた。

杖にされていた斧が旋回し、黒い魔法少女へと槍状の切っ先が向けられる。

 

「さっさと来い」

 

荒い息と共にそう言ってから秒も置かず、何百回目かの激突が再開された。

彼の招きに、酷薄な笑みで返したキリカの六振りの魔斧が、空間を引き裂くような斬撃を見舞い、

長柄の槍斧の一閃がそれらを纏めて叩く。

余波に巻き込まれ、周囲の岩塊が砕け散る。

 

両者の苛烈な足捌きと得物の斬撃の余波、そして実物が掠めることで

地面には地割れのような亀裂が生じていく。

元は何処にあったのかも分からぬ異界の断片が無数の剣戟の間に落ち、

そこで交差する七つの光によって瞬時に塵へと変わる。

 

『友人』の操る槍斧の乱舞をいなしつつ、キリカはふと疑問を抱いた。

何故自分は、まだ彼と切り結びを演じているのかと。

今頃は二つになった友人を見下ろし、このしぶとさからして、

まだ息のあるであろう彼に、称賛か或いは失望の言葉を告げている頃だろうにと。

完全に内容は忘れたが、参謀に台本まで渡され練習もしたというのに。

 

彼女の身体から、毒花の花粉のように漂う不可視の魔法。

速度低下は無論、今この時も間断なく継続している。

眼で見れば確かに、斧の振りは前に比べてやや遅い。

それなのに、数多の同胞を切り裂いた魔斧は彼の肉ではなく、

道化から簒奪された魔なる者を打ち据える。

せいぜい掠める程度で、皮膚の表面を浅く切り裂くばかり。

 

「ふぅん…そっか」

 

何気ない口調で、かつそこに乗せられた感情も薄いままにキリカが呟く。

振った斧が少年の前髪を掠め、数本を宙に舞わせた。

先程までは、それに血潮が着いきていた。

今回は、毛髪のみだった。

魔法少女の間合いが、速度低下を加味した上で着実に読まれてきているのだった。

 

「君は慣れてるんだな。こういう事に」

 

そうとしか思えず、また疑惑も抱かなかった。

あまり興味も無いのだろう。

だがその「あまり」は、彼女の瞳に僅かばかりに色を足していた。

虚無ではなく、人間的な感情のそれを。

 

「ポンコツの操縦には自信があってね」

 

血染めの顔で、少年が応えた。

自らは遅い。

相手は速い。

速度低下がその差を更に拡大させている。

ならば、ひたすらに相手の先を読み、動く。

現在の自分を囮とし、未来の死を回避すべく身体を操る。

速度低下により生ずる肉体に生じるズレを勘案に入れ、

視界を埋め尽くす剣戟の交差を繰り返す。

 

ふとナガレは、剣戟の奥に浮かぶ朗らかな笑みを見た。

 

呉キリカのそれは、彼に対する好意からのものではなかった。

愉しいから。

ただ自分が愉しいために笑っていた。

それはある意味、何よりも純粋な笑顔であるのだろう。

 

「なぁるほど。『操縦』、『操縦』か」

 

また彼の言葉は、黒い魔法少女の関心を引いたようだった。

言葉を数度繰り返し、口調さえ真似て、弄ぶように呟いていく。

そしてその間も、激烈な遣り取りは続いている。

 

「私達と似てるな」

 

満足げに、童女のように微笑むキリカ。

対照的に、ナガレの顔には苦みが見えた。

魔法少女の返答に、何かを感じ取ったのだろうか。

だが今は、考察のための時間も余裕も彼にはない。

退路は無く、用意する気も更々ない。

物思いなど骸の傍か、自分がそう成り果ててから好きなだけすればいい。

彼はそう思っているのだろうか。

流れ出る血と、削られていく肉の量に反比例するように、戦いは激しさを増していった。

 

単純且つ、これしかないとはいえ、狂気に等しい戦法だった。

それが成立しているのは、生来の闘志と資質によるものだろう。

またこれまでに戦闘を繰り広げた相手が、黒い魔法少女曰くの

『風見野最強の魔法少女』であることも大きかった。

実質的に、彼の師であると言ってもいい。

肉体的な技量の向上は、彼女あってこそのものだった。

 

そして幸いにして、彼には思い当たるものがあった。

自らの肉体を動かすに際し、イメージの依り代となるべきものが。

 

自分の身であり、そして決して自分ではないものが。

そうなっては在らない、現身の姿が。

 

禍つ風の中、彼の唇に歪みが生じた。

眼の中の渦は色の濃さを増した。

ほんの一瞬の間だけ。

彼の内より、粘ついた感情が放射されていた。

幾千回も煮詰められたような、怒りの意志が。

 

それが原因かは定かではないが、キリカの動きがほんの一瞬だけ遅滞した。

好機を見逃す事も無く、少年が得物を真横に振った。

魔法少女の細い身体に、鋭い一閃が吸い込まれる。

彼から見て右から入り左から抜けた光に遅れ、大量の血肉と脂肪が大気に舞った。

彼女の胸は、再び破壊されていた。

本来の狙いはキリカの首元であったが、魔法少女は背を逸らすことで回避していた。

被弾したのは、そこが物理的に大きく張り出しているせいだろう。

 

「またおっぱいか…全く、君も好きだな」

 

宙に浮かぶ自らの肉片を眺めつつ、唇に嘲弄の意を乗せて口遊む。

その間にも止まぬ金属音と火花の乱舞がその音を掻き消していたが、

唇の動きを察し、何を言っているのか彼には分っていた。

 

今回もまた、キリカは痛痒の欠片も見せていなかった。

だが、変化した部分もあった。

黒い柳眉が、僅かな跳ね上がりを見せていた。

 

黄水晶の瞳が、空間の一点を見つめている。

そこには宙を舞う彼女の血肉があった。

それが何かに引かれた。

周囲に散らばる血と肉と、骨の一部も後を追う。

剣戟の上空で合流し、そこで大気が動き始めた。

 

魔法少女の血肉と大気が交わり、赤黒い渦が巻いた。

それまるで意思を持つが如くに上空を旋回し、一つの場所へとその根元を奔らせる。

そして、あるの一点へと吸い込まれていく。

絶え間ない斬風の根源の一つである、槍斧へと。

その中央に浮かぶ、異形の眼球へと。

 

魔法少女の肉を喰らった異形は、くるりと黒い眼球を廻した。

どこかはしゃいでいる様子だった。

眼は最初にキリカに焦点を当て、次いで紛い物の操者に視線を向けた。

 

もっと喰わせろ。

彼女は、少年に向けてそう言っているのだろうか。

だがなんにせよ、彼女は魔を滅するに相応しい武具である事には違いない。

 

「面妖な」

 

流石にその声には、不快感が宿っていた。

 

「全くだ」

 

思いがけない同意に、キリカは眼をしばたたかせた。

 

「気に入らないのか?」

「ああ」

 

剣戟の最中に、語り合う。

手は緩まず、ましてや手加減もしていない。

それなのに互いの責めは狡猾さを増していた。

両者にとって、これも戦いの手管の一種なのだろう。

 

「長物ってのはいいんだが…形が気に食わねぇ。分からねぇ事話して申し訳ねぇけどよ、

 俺の…知り合いか。偉そうな名前をしくさってやがる野郎の得物にそっくりだ」

「何の宿命を背負ってるのかは知らないが…君も大変だな」

 

キリカの口調には呆れがあった。

論点がややズレているし、何の話かも分からない。

幸いなことに、彼女はすぐにそれを忘れた。

この会話に限ったことでもないが。

 

会話が終わり、代わりに更に苛烈さが増した。

少年の頬が裂け、魔法少女の肩が血を噴いた。

皮膚の下から溢れ出す温かいものと、そして皮膚自体も弾け飛ぶ。

そしてそれらは異形の眼より生じた渦に誘われ、異形の糧となっていく。

剣戟と禍つ風が吹き荒れる。

 

打ち合いの最中、鍔迫り合いが生じた。

最初はキリカが圧したが、すぐに互角の様相となった。

巨斧の眼が、絶え間なく蠢いている。

柄を握る少年の手元で、黒い燐光が輝いていた。

食欲を満たさんがための、邪悪な助力であった。

 

「間女め」

 

虚無と冷気を宿した黄水晶の瞳が、蠢く眼球を睨む。

しばしの、数秒の硬直状態が続く。

そして、

 

「うおおおぉっ!!」

「はぁああッ!!」

 

埒が明かぬと、双方が得物を引き、全力の斬撃を見舞った。

六振りの魔斧が根元から砕け、巨斧の刃が破砕された。

魔法少女と少年の身体に激震が伝い、双方を背後へと引き飛ばす。

 

異形の体液を振りまくそれを後ろに投げ捨て、少年は上着の内へと手を滑らせる。

着地と同時に、両手を振った。

キリカとの間に隔てた空間を、黒銀の刃が円となって飛翔する。

 

「甘いね」

 

侮蔑と共に、投擲された一対の斧を赤黒い一閃が薙ぎ払う。

軽い音を立て、斧は明後日の方角へと消えていった。

今度は彼女の番だった。

 

「ステッピングファング!」

 

叫びと共に、伸ばされた右手の甲から三つの黒い欠片が飛んだ。

ややコンパクトに固められた魔斧が、報復の牙として彼の元へと飛来する。

背後の床面に突き刺さっていた得物を右手が回収。

傷付いた槍斧が旋回し、黒い群れを撃ち落とす。

だが。

 

「あぐ…」

 

押し殺した苦鳴が彼の口から漏れた。

弾いた筈の斧が自ら身を砕き、鋭い破片を彼の身にぶち当てていた。

魔斧の欠片は少年の両肩の根元に深々と刺さり、熱い血潮を浴びている。

 

同時に、彼の膝が崩れ落ちる。

肩の負傷もあるが、全身の肉と骨が酷使を極めていたためもある。

 

「さぁ、友人」

 

薄い笑みが鮮血色の唇に浮かぶや、黒い魔法少女が跳んだ。

一瞬で距離が詰まり、少年の眼前に美しい少女の顔が拡がった。

度重なる斬撃で傷だらけになった顔に、白い手が触れた。

傷付いた両頬を労わり、左右から包み込むように。

 

「キリカお姉さんからの、ささやかな贈り物だ。ちょっと面白い事をしてあげよう」

 

手つきは優しさに満ちたものだったが、籠められた力は万力のそれであった。

直後。

魔斧の煌きの代わりに、少年は鮮烈な赤と、美しく並ぶ白を見た。

そして血臭が籠る彼の鼻孔を、ふんわりとした甘い香りが刺した。

それは、彼の眼の前の、魔法少女の口の中から生じていた。

 

「がぁぷっ」

 

可愛げのある声と共に、キリカの口が閉じられた。

古の魔性の趣向を宿す魔法少女の牙が、少年の喉首を捉えていた。

 










遅くなりました。
欲を言えばクリスマス前、更には今年中に今の決着をつけたいところです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞⑥

ぶつんと云う音が鳴った。

ごく小さな音であるのに、それは聞くものの耳に何時までも残るような、

そんな粘着性を宿した音だった。

 

呉キリカの発達した犬歯がナガレの肌を突き破り、赤い雫を浴びていた。

上顎のものは首筋に、下顎の方は喉元に。

傷を与えたのは、その四本のみだった。

 

「邪魔だね」

 

その意志は、彼の精神に直接届いていた。

テレパシーというやつだろう。

 

「佐倉杏子の綽名は、間女2とでもしようかな」

 

顎の力を込めながら、思念にてキリカは続けた。

彼女の白い歯に、紅い菱形が触れていた。

それがナガレの首自体を締め上げつつ、キリカの歯の侵攻を妨げている。

だが菱形の隙間を縫って届いた犬歯によって、彼の喉は鮮血に染まりつつあった。

 

「まぁいいだろう。その、なんだ。些細だ」

 

彼の首を噛みながら、キリカはにぃっと唇を歪めた。

魔法少女の咬筋力が、紅の呪縛ごと彼の喉を潰しに掛かる。

犬歯に触れている紅の一部が、乾いた音を立て割れた。

彼の喉は潰れるのか、千切られるのか。

どちらにせよ、あと数秒しか持たないだろう。

 

鮮血色の唇を他者のそれで染めた黒い魔法少女は、数センチ先で渦を巻く黒を見た。

渦の中心を追うように、黄水晶の瞳がそこを凝視した。

渦を巻いているのは、少年の黒い瞳であった。

首の圧搾にほんの僅かな緩みが生じたのは、その時だった。

 

異物に貫かれた肩が上げられ、傷付いた左手が魔法少女の首へと回った。

後頭部を抱くような、それは見様によっては、慈しむような絡まり方だった。

 

並行し、残る右手が動いた。

少年の手は水平に伸ばされていた。

手刀の形であった。

直後、そこに閃光の速度が乗せられた。

ざしゅっという音が鳴った。

右手が手前に引かれた直後に生じたものだった。

 

「ほんとに…ここが好きだな…きみは」

 

口から血泡を吹きながら、明瞭な発音でキリカが告げる。

裂傷から血線を引きつつ打ち放たれた少年の手刀は、キリカの豊かな膨らみの下の鳩尾を抜け、

黒と白の布を引き裂き、その下の柔らかい皮膚を貫いていた。

絶え間なく溢れる新鮮な血潮が、少年の半身を染め上げ、両者の間に濃厚な香りとなって立ち昇る。

肉と骨を抜けた先に、脈打つ心臓が待っていた。

魔法少女の首に回されていた手に力が籠り、更に強く抱き寄せる。

 

それが最後の一押しとなった。

内臓の弾力性など意に介さず、まるで水であるかのように、

キリカの心臓はナガレの指に貫かれていた。

はぁ、というため息を被害者は加害者へと送った。

 

「甘えたい年頃なのは分かるが、私達には無意味だよ?」

 

甘ったるい香りと響きが乗せられた声に、柔らかな女体を貫く少年の唇が小さく痙攣した。

開きかけた唇の奥で、血に染まった歯が食い縛られた。

苦痛の叫びを噛み殺したのだった。

この時、女体に身を埋めた少年の右手を何かが貫いていた。

角度はほぼ全方位から無数の針が彼の手へと殺到していた。

針の形状には、キリカの手から生じる斧の面影が宿っていた。

 

肉が刻まれる感触から、ナガレもそれを感じ取った。

キリカは自らの肉を、魔力で変成させたのであった。

その状態で、彼の両手に宿る力はその強さを増していた。

 

「捕まえた」

 

少年の顔に浮かび上がり、そして口から漏れたのは、

正気のままに形成された狂気の声と表情だった。

 

 

ひゅん、ひゅん、ひゅん。

 

 

キリカの鼓膜が、そんな音を捉えた。

空気が切り裂かれる音だった。

そしてそれは、自らに迫りつつあった。

 

「きひっ」

 

黒い魔法少女が漏らした一声は、悲鳴かそれとも嗤いの一種か。

その直後に、キリカの背から縦一筋の朱線が飛んだ。

少し遅れて、彼女の身の半ばを横一文字の一閃が走った。

縦と横で交わる二つの朱線が、彼女に紅の十字架を背負わせた。

 

「かはっ…」

 

潰れた肺が絞り出した最後の一息のようなそれに、彼は苦痛の響きを感じ取った。

同時に、魔法少女の体内にある右手の痛みが熱へと変わった。

そして血染めの唇の拘束が彼の首から離れていた。

間髪入れずに、ナガレは頭突きを見舞った。

キリカの額を打ち抜き、背に十字の傷を負った魔法少女が衝撃によって後退する。

 

空いた隙間から、二つの円が彼の元へと飛来した。

両肩を穿つ魔の牙の破片も、キリカの苦鳴が生じたときに消え去っていた。

ロクに狙いも定めずに、彼は手を振った。

ぱしっという子気味のいい音と共に、冷え冷えとした輝きを宿す二丁の斧が、彼の両手に握られていた。

二つの斧には、刃と腹の部分に浅い傷が刻まれていた。

キリカはそれに見覚えがあった。

 

「芸…達者…だね」

 

少年の血で染まった歯を、寒さに震えるようにがちがちと鳴らしながらキリカが告げる。

蒸気のように、口からは苦痛が漏れていた。

 

「あぁ…散々投げたせいで…生身でも覚えちまった」

 

ナガレもまた、喉に空いた四つのうじゃじゃけた傷口から血を垂らしながら返した。

首の戒めであり守護の呪縛も消えていた。

血の流出を妨げるものは何もない。

 

そして彼の手は傷口を押さえるよりも、強敵に歯向かう武器を携えることを選んでいた。

だが刺し刻まれた右手は、骨も神経も、何もかもがずたずたになっている筈だった。

武器を握れるはずもない。

 

その表面で、黒い靄が蠢いていた。

「ずたずた」の間に這入り込み、神経と骨を繋ぎ合わせ、皮膚の代わりに表層を覆っている。

仮初の手を与えられた彼の背後に、巨大な槍斧が横たわっていた。

斧の中央に浮かぶ虚ろな眼が、少年の背を見つめている。

視線に宿る邪悪な意思が何であるかは、異形本人にしか分からない。

 

その上に影が落ちた。

そして地面に、そして少年に。

 

血みどろの少年の背後から、何かが姿を顕した。

細く華奢な印象で、されど巨大な質量を有する全身が見る間に上昇し、

異界の光を遮る巨体がキリカの視界を埋めていく。

 

「…でっかいね。それは…君の不安の現身かい…?」

 

それはとぐろを巻きつつ上昇し、地上二十メートルほどの高みにて動きを止めた。

鎌首を曲げた蛇のように、鋭利な先端の矛先は地に這うものを見つめている。

 

大型車ほどもある紅の十字架の上に、真紅の光が灯っていた。

光は人の姿をしていた。

 

「こいつで…」

 

声の主もまた全身に傷を負い、溢れ出した血が全身に黒い斑を作っている。

地を這う者たちと似た様相だった。

 

「黙らせてやる!!」

 

足元の巨槍と同じ形の槍を携えつつ、真紅の魔法少女が飛翔する。

その後を紅の槍が追った。

槍が主を追い抜かし、黒い魔法少女へと迫った。

 

黒い魔法少女と対峙する少年の横から、小柄な影が飛び出した。

 

「ひ、きゃぁあああ!!!!!」

 

槍が少年の傍らを通る寸前に、奇声と共に細い手が少年の腰に絡みつき、

彼を真横へと押し倒す。

言うまでも無く、実行者は道化であった。

異界に身を横合いに打ち付けた時に、ナガレは苦鳴を放った。

道化を避けるほど、というよりも巨槍の接近に対応できないほどに彼は憔悴していたのであった。

顔の前で歪んだ少年の顔を、道化は早くも歪んだ視線で見つめていた。

更に、しなやかな血塗れの腰に触れる手つきもいやらしい。

邪悪さと欲深さで言えば、彼女は異形に負けてはいない。

 

「ひぎっ!?」

 

その顔が苦痛によって更なる歪みを付与された。

道化の剥き出しの背中に、黒い塊が突き刺さっていた。

菱形を描いた結晶らしきものから、斧の刃が突き出ていた。

 

「そこを動くな、我が参謀」

 

冷たく言い放ったキリカの両手に、再び得物が纏われた。

人間ならともかくとして魔法少女なら軽傷の傷に、

「ひぎゃあ」「ぐぇえ」と泣き叫ぶ参謀を意に介さず、黒い魔法少女の両手が霞む。

その瞬間には、迫る槍との間を赤黒い波濤が埋めていた。

 

紅黒の刃が一閃し、受けた槍は真一文字に裂けた。

だがそれは破壊に依るものではなかった。

接触の前に、槍は自ら身を裂いていた。

 

生じた隙間が更に開いた。

口だ、とキリカは思った。

そしてその口を有するものが何かも。

魔法少女は、自らに迫る槍に幻想の怪物の姿を見た。

 

「竜…か」

 

そう評して微笑んだキリカの顔を、閃光が叩いた。

鮮烈な赤の光は、万物を焼け焦がす熱が宿っていた。

 

光に触れた長大な吸血の牙は、接触面から溶け崩れた。

黒い魔法少女の身体を巨人が愛でるが如く、光がキリカの全身を撫で回す。

服は溶け、肌が爛れる。

傷口から流れ込むものや、気道に吸い込まれる息は炎となっていた。

地獄のような灼熱の中、少女の唇が歪みを見せた。

熱による肉の収縮のものではなく、自らの意志によって。

 

閃光の一角に亀裂が生じた。

裂け目を割り、黒い魔法少女が上空へと飛翔していた。

熱に愛された全身からは、朦々と黒煙が昇っている。

通常時よりも更に黒の面積の増したその姿は、絵物語の悪魔の姿を思わせた。

だがそれでも、肌が無残に焼け爛れようが、彼女は美しかった。

自らから剥離する炭化した皮膚や衣を鱗粉として、巨大な蝶のように舞っていた。

 

飛翔した先で、キリカは異界の光源を背負った十字架を見た。

それは人の肉で出来ており、魔の法衣を纏っていた。

佐倉杏子は、手にした十字架を突き出した。

呉キリカは魔斧を振った。

 

両者の身に、無事な個所などない。

だがそれを全く感じさせぬほど、一対の魔の肉体は正常に作動していた。

刹那の後、命の火花が散った。

 

砕け散る斧と槍の穂の一部が、宙に舞った。

それらはまるで仲の良い友人同士のように、相手の身に己を絡ませていた。

破壊の落し子達の中心に、槍に胸を貫かれたキリカがいた。

その両手は肘の辺りから切断され、主に先んじて地に堕ちていた。

 

そして彼女たちもまた、地へと落下していく。

 

「魔法少女同士は、しんどいね」

「あぁ、全くだよ」

 

落ちながら、両者が短く言葉を交わす。

行為は別として、不思議と悪意のない会話であった。

その時、杏子の槍が輝き始めた。

 

「魔法少女ってのは、救いがねぇ存在さね。楽に死なせてももらえねぇ」

 

会敵の際、道化が言い掛けた言葉が杏子の脳裏に木霊する。

『簒奪』という言葉が。

気に入った訳ではないが、それがぴったりだと彼女は思った。

 

全て奪いつくしてやると。

眼の前の同類の命を、魂を。

果てしない戦いを、ここで終わらせる為に。

 

「だから、何度でもくたばってもらうまでさ」

 

疲弊感で出来たような、それでいて力強い言葉であった。

それに対し、キリカは顔を綻ばせた。

こればかりは、杏子ですら可愛いとさえ思えるほどの、朗らかな笑みだった。

穂先を黒い魔法少女の肉体に埋めたままに、紅の簒奪者の熱線が槍の先端より撃ち放たれた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅黒乱舞⑦

熱風が舞い、それに乗って火の花が宙で渦を巻く。

熱の発生源から少し離れた場所に、佐倉杏子は立っていた。

傷だらけの細指が握る槍は、穂先が消失していた。

柄の半ばまで溶解し、彼女の手に握られた部分にも高熱が宿っていた。

指と柄の接触面からは、少女の肉が焼ける甘い匂いが生じていた。

 

だがそれも、全身に隈なく行き渡っている痛みの一つとしては

大したものではないのか、杏子の表情に変化は無かった。

疲労の影に覆われた、虚無的な表情が彼女の顔にへばり付いている。

すり鉢状に穿たれた異界の孔の底に、真紅の魔法少女の紅い瞳が向けられていた。

熱はそこから生じているのだった。

 

「まだ生きてるのか」

 

声は、小さな池ほどに開いた陥没へと投げられていた。

 

「残念ながらね」

 

声が返された。

陥没の底には溶解した異界の泥が、今なお沈み込んでいく。

声は、未だ融解の生じていない場所から返されていた。

硬さを残した縁の部分に、複数の赤黒い刃が突き立っている。

その根元に、黒い魔法少女がいた。

両腕は肘の部分から欠損しており、刃はその肉の断面から伸ばされていた。

 

「本当、楽に死ぬこともできないよ」

 

彼女の豊かな胸の部分から下は、既に存在していなかった。

炭化した胴体の断面からは、内臓か肉の炭がはらはらと剥離していく様子が見えた。

杏子が放った熱線は、彼女の下半身を一瞬にして消失させ、

異界の孔へと叩き落していたのだった。

 

巧い具合に熱の安全地帯にいるためか、顔の部分の損傷は軽い。

また黒髪ゆえに、炭化による色の変化もやや少ない。

自分の尊厳を守り通したが如く、彼女の姿は未だ美しいままだった。

 

「ま、流石にもう時間の問題だね。処で、友人は生きてるかい?」

 

杏子は右側に顔を向けた。

彼女のすぐ横には、黒髪の少年が立っている。

今来たばかりなのではなく、杏子が最初にキリカに声を掛けた時から

彼も一緒にそこにいた。

率直に言えば、これは問い掛けではなく単なる嫌がらせによるものである。

 

「お前ほど元気じゃねぇけどな」

 

嫌がらせに、彼も皮肉で応えた。

その様子は、まさに友人同士の会話だった。

 

「やぁ友人。君ときたら、強いんだか弱いんだか分からないから忘れていたよ」

 

一応は瀕死のようだが、彼女の言葉には相変わらずに毒が混じっていた。

それは彼の急所を抉ったらしく、彼の顔には今日生じたあらゆる苦痛を凌駕するような

苦悩の意思が表れていた。

 

「ほっとけ。これから色々取り戻してやる」

 

今度はキリカが困惑する番だった。

不可解な言い回しに、不思議なものを感じたのだろう。

彼女は杏子へと視線を向けた。

 

「何言ってんのこの子」

 

という言葉がキリカの視線に宿っていた。

杏子はそれを無視した。

明確な答えなど知らないし、知りたくもない。

そして、知りたい事柄は他にある。

 

「くたばる前に、質問に答えな」

「なんなりと」

「テメェがあたしらに喧嘩を吹っ掛けてきた理由を教えな。こいつの為って訳でもねぇだろ」

 

杏子は槍を消し、空いた手を伸ばした。

そこにナガレが一本の白帯を手渡した。

杏子の手がそれを引き、帯がピンと張られ、物体が吊り上げられた。

四肢を包帯で雁字搦めにされた優木であった。

亀甲縛りにされた道化の口には、相も変わらずに不運な魔女が突っ込まれている。

 

恐怖感に支配された表情の道化は、瀕死の相方に視線を向けさせられていた。

キリカの顔が歪んだ。

道化に返された表情には、恨みや軽蔑の色は無かった。

ただ、相変わらずの朗らかな笑顔だった。

 

「悪いね」

 

それが崩れた。

キリカの頬が、物理的に溶け崩れた。

皮膚が蕩け、その下の桃色の肉が露出する。

熱に炙られ、桃色は直ぐに黒へと変わった。

 

「残念ながら、質問の受付時間は終了だ」

 

刃が突き立つ土台が崩れ、キリカの身体が異界の重力に引かれて堕ちていく。

熱の根源たる坩堝へと。

 

「さらばだ友人、そして真っ赤な同胞よ」

 

白と黒の衣服に炎が宿った。

服に留まらず、黒い魔法少女の全身が炎へと変わっていく。

 

「因果の果てに、また相見えようぞ」

 

何もかもが炎に塗れていても、その顔に浮かんだ表情は読み取れた。

楽しそうな、童女のような笑顔だろうと。

彼女を死に追い遣った者たちは思った。

 

そして黒い魔法少女は、泥濘と化した坩堝の底へと消えていった。

最後の最期まで、芝居掛かった口調だった。

ひどく落ち着いていた声色には、焦燥感や敗北の悔しさ、そして苦痛の欠片すらなかった。

 

粘ついた泡を噴かしてる灼熱地獄をしばし見つめ、

 

「勝った気がしねぇな」

 

と、魔法少女が言った。

いい様、右手の荷物を放り投げた。

右側の方へと。

 

「あぁ。いいように遊ばれたって感じだ」

 

軽く身を逸らして飛翔物を回避しつつ、少年が応える。

その状態で、両者はしばし硬直した。

疲労と苦痛は頂点に達している、どころか限界をとっくに越えている。

 

互いに、相手が倒れるのを待っているのだった。

その後に、自分が膝を折るために。

 

他に見るものもなく、両者は強敵を飲み込んだ灼熱の渦を眺めていた。

何を想いつつ視線を送るのかは、当然ながら彼ら彼女らにしか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

今だ。

 

今しかない。

 

拘束から解放された道化は、真っ先に口中の親友兼奴隷を吐き出した。

唾液に塗れるそれが、悲鳴をあげつつ地に転がる。

気にした風も無く薄い胸元に手を伸ばし、乳の先に当る丸形を取り出した。

一息に噛み切ると、莫大な魔力が全身に駆け巡るのを感じた。

 

力の充足と共に、道化の思考にありとあらゆる罵詈雑言と淫虐の思考が駆け巡る。

その矛先は、黒い魔法少女に向けられていた。

 

役立たず、という言葉が数千回ほど脳内を巡り、

この気狂い、との評価が数万回ほど木霊し、それらを補足する悪意が汚泥のように

それらの言葉を濡らしていく。

 

道化の腕が、先にナガレに見せた形に変化していた。

全身に満ちる魔の力を前に、そして手に宿る、

先程触れた肉の感触が道化の意識を鮮明に且つ更に邪悪にさせていく。

 

細くも逞しい腰つきは、今までに触れたどんな男のそれよりも男らしさを感じさせた。

なお、今までにというより、異性の腰に手が触れたのは、

そもそも先程が生まれて初めてだったという意識は道化の中には既にない。

これもある種の現実逃避だろう。

 

今、眼の前の連中は自分に背を向けている。

そして完全に憔悴しきり、戦える状態に無い事が見てとれた。

 

ならば、為すべきことは一つしかない。

 

妄想は後回しにしつつ、道化の足が地を蹴った。

飛翔と同時に、親衛隊長の魔女も本来の姿へと巨大化させる。

 

「死ねっ!この間抜けな簒奪者ども!!!!!!」

 

絶叫と共に、優木が異形の手を振った。

鉤爪状の手の先には、傷と血に塗れた少年の姿があった。

 

 

 

 







流石に、これが今年最後の投稿ですかな。
自分の勝手な妄想が入っていますが、沙々にゃんてむっつりスケベな感じがして
ならない気がします。
なんというか、やっぱり服装が絶妙にエロく、あとあの卑しい表情見てると
R-18な行為や事柄に興味持ってそうな気がしてしまうというか。
完全な妄想の垂れ流し、失礼しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 虚無を経て

時刻は昼の一時半。

昼の光が世を支配し、何者もがその配下にて生を謳歌している時刻であった。

ここでもまた、その無数の内の一つがあった。

 

寂れ切った廃教会の中で、その営みが行われていた。

赤髪の少女と黒髪の少年が、少々ボロめのソファに座りつつ、

互いに己の寝床を根城に、それぞれの食事を摂っている。

両者は肌が露出した部分に包帯を巻き、大きめの絆創膏を所狭しと貼り付けていた。

数時間前に行われた激戦の名残である。

 

戦闘中は魔の衣に身を包む杏子は平素の服を着用していたが、

少年は血みどろの服を脱ぎ棄て、新品に着替え直していた。

入手経路は不明だが、それなりのストックがあるらしい。

 

魔法少女と少年は、一応向かい合ってはいるものの、

少年の寝床は今にも剥がれ落ちてきそうなほどに劣化した壁に背を向け、

少女のそこは小高く積もった瓦礫のような祭壇の上に横たわっていた。

両者が隔てた距離は凡そ十メートル。

二人が座る寝床には、丁度人が二人は余裕で座れるスペースがあった。

そこに歩み寄って一緒に食事をしない理由は、そういう仲では無いためだった。

それに、独りの時間を邪魔されたくないのであった。

 

「残すなよ」

 

言うが早いか、赤髪の少女は飴色になるまで煮込まれた牛肉を箸で捕獲すると、

出汁の移った白米と共に口へと運んだ。

今日の昼飯は牛丼のようだ。

ラストスパートとばかりに汁の一滴までもを飲むと、杏子は次のものに手を伸ばした。

彼女の傍らには、こんもりと盛り上がったビニル袋が山のような形を成していた。

薄っすらと透けた袋の奥には、テイクアウト用の容器に入れられた丼ぶりが七つほど見えた。

取り出したものと入れ違いに、空き箱と化したそれを床へと放ると、先に食べ終えた空き箱の上にすとんと落ちた。

新入りも含めて、空き箱の数は既に四つに及んでいた。

 

「食い物を粗末にする気はねぇよ」

 

傍らに置いた、バケツのような紙箱に手を伸ばしつつナガレが言った。

杏子は返事を返さず、一心に牛丼をかっ喰らっている。

こちらも返事は期待していないのか、

包帯から露出した指先が箱の中身を掴み取り、開いた口が餌食を噛んだ。

口を開ける瞬間、僅かに眉が細まった。

 

彼の右頬には大きめの絆創膏が貼られていた。

そこからの痛みによるものだろう。

中央のパッドには、赤黒い染みが浮き出ている。

 

拭い去るように、一噛みにて食い千切る。

小麦色に揚げられた鶏肉が、その断面から芳醇な肉汁を溢れさせ、

彼の乾いた唇を濡らし、彼の顎に向けて数条の小さな滝を滴らせた。

何処ぞの妄想力豊かな道化なら、それに淫らなものを感じたかもしれない。

 

当然ながらそんな事は微塵も考えず、唇の汁をぺろりと舐め取り、

残りの半分を口の中に放り込む。

掌サイズのフライドチキンが、僅か二口で貪られていた。

今の彼の真横に近づき耳を澄ませば、肉を潰す音に混じり、

ガリゴリという破砕音が聞こえただろう。

彼は肉を骨ごと噛み砕いているのである。

 

「それも喰えとは言ってねぇだろ。つうかさ、食感を無視すんなよ」

「俺だってやりたかねぇけど、こうでもしねぇと血が足りねぇ」

 

同居人というより家主の指摘に、彼は自論で返した。

数度咀嚼し呑み込むと、また次の餌食に手を伸ばす。

既に空になったバレルが二つ重ねられていた。

数十秒ほど後に、そこに更にもう一つが重ねられる。

 

「もっと買っときゃよかったな」

 

自分にも当て嵌まる言葉に対し、杏子も軽く頷いた。

そこからは自分の判断ミスと、この少年と同調したことによる忌々しさが見てとれた。

彼女の方もまた、既に牛丼の残りは二杯となっていた。

完食するまで、三十秒と掛からないだろう。

 

食事を終えると、否が応にも時間が生じた。

血肉となるまでは時間がかかる。

食欲が満たされると、別の欲求が湧いてくる。

疑問という形で心に去来したそれを、彼は尋ねることにした。

 

「一つ聞いていいか?」

「手短にね」

「魔法少女ってのは、どいつもこいつもあんなに不死身なのか?」

 

予想できた問いであった。

杏子は首を小さく左右に振った。

悪夢を拭うように。

 

「それは無ぇ。あいつはどうかしてやがる」

 

声が震えないように、魔法少女は気を引き締めた。

 

「頭を真っ二つにして、心臓も串刺しにしてやった。それに内臓のほとんどをぶっ壊した」

 

その時の手応えは、今もまだ両手にはっきりと残っている。

明らかに、相手に致命傷を与えた感触だった。

 

「最後は完全に燃え尽きて、ドロドロの中に灰になって落ちてったな」

 

杏子の言葉をナガレが引き継いだ。

愉しさの響きは一切無かった。

戦いは好きだが、相手の死に同じ価値を見出すことはないのだろうかと、杏子は思った。

少しだけだが、この物騒な少年の一面を見たような気がした。

そして杏子も彼の言葉の場面を思い出した。

確かに自分達は、あの魔法少女の最期を見届けた。

 

それなのに、不安感は続いている。

今もなお、黒い魔法少女の哄笑が耳の奥で鳴っているような気さえした。

 

「今度はこっちが訊くけどさ、テメェはあいつが死んだと思うか?」

 

問い掛けつつ、杏子は自らへの憤りを感じていた。

不安感を相手に押し付けたような気がしたためだ。

それも、この感情を最も悟られたくない相手に対して。

 

「信じるかはお前さん次第だがよ、似た連中を知ってる」

 

少し待ってから、彼は口を開いた。

 

「そいつらは顔面をズタズタに引き裂いて、胴体を真っ二つにして、

 そんでもってビームで消し飛ばしても平然と蘇ってきやがった」

「…しつこい連中だね」

 

正体は何か知れたものではないが確かに似てるなと、杏子は思った。

一部、何やら物騒というか非現実的で魔法少女的な単語が聞こえたが今は放置する。

 

「で、どうしたのさ」

「くたばってもらった」

 

聞く限りのことと矛盾する回答に、杏子は首を傾げた。

 

「テメェの話だと、そいつら不死身みたいなんだけど?」

「だから、くたばるまでくたばってもらったんだよ」

 

一瞬、杏子は自分の中で緊張感が緩んだのを感じた。

「あぁ、馬鹿なんだな」と、配下のように段下に座る少年に対しそう思った。

言葉が嘘か誠かは定かではないが、不死身相手に戦うのなら、適切な無力化をするか、

或いは矛盾である事極まりないが、彼の言葉通りの手段しかないだろう。

 

それに何より、眼の前の存在ならそうするだろうと、これまでの経験で思い知らされている。

こいつはとことん諦めが悪く、そして忌々しくも便利な事に、闘志は微塵も衰えないのだからと。

彼が相手をした存在が何かは皆目見当つかないが、これだけは分かった。

そいつらは不運であったと。

少なくとも、この面倒な存在に関わるべきではなかったろうにと。

現か虚か定かではない存在に、杏子は微細ながら憐憫の意を抱いた。

 

「ま、あぁいう連中はくたばったってより、滅ぼしたって云う方がいいのかね」

「あいつもその類だってのかい」

 

その表現は妙にしっくり来た。

黒い魔法少女が高らかに叫んでいた必殺技にも表れていたが、

外見や不死性など、古の魔物の特徴を備えていたというものがあるだろう。

また吸血鬼絡みの創作ものは、今日においても多く描かれている。

昨日に読み耽った漫画の中にも、そういった題材のものがあった気がした。

 

「安心すんのは早ぇだろうな」

「ムカつくけど、同感だね」

 

結論は出なかったが、用心に越したことはない。

これ以上の会話は無駄と判断し、討論を打ち切ることにした。

それについては言葉は出さず、目配せで両者ともに察していた。

以心伝心というよりも、双方の勘が鋭いためであった。

また、疲労感もピークに達し始めていた。

自己修復能力の高低差により、それは少年の方が先だった。

 

「弱ぇなりによくやったよ。お疲れ」

「お前こそな」

 

相変わらずに仲は良好とは言えず、隔てた距離がそれを物語っている。

だがそれでも、必要な言葉を交わす程度の心が互いにあった。

 

「首のあれ、ありがとよ。無かったら多分死んでた」

 

首に巻いた結界は、本来は少年を拘束する為のものだった。

呉キリカが彼の喉を咢に捉えた際に発動したのが、偶然か操作によるものだったかは、

正直なところ自信が無かった。

 

「礼はいらねぇよ。態度で返しな」

「あぁ」

 

受け取ってから少し経ち、杏子は自らの言葉と彼の返事の意味に気が付いた。

淀みなく返された一言に秘められたものは、よく考えると恐ろしいどころかおぞましい。

自分の為に死ねと言われて、平然と返せる者が、果たしてそうそういるのだろうかと。

感慨深い言い方ならまだ分からなくもないが、少年の声は淡々としていた。

 

「見張りは先にやってやる。二時間経ったら眼ぇ覚ましな」

 

絞り出すように告げると、「悪いな」と彼は返し、ソファの上に横たわった。

荒めの呼吸音は、すぐに小さな寝息へと変わった。

 

先に眠りの世界へ堕ちた、一応の相棒から眼を外し、彼女は教会の入り口に視線をやった。

忌々しい程の陽光が、世界に光を送っている。

 

ふと、杏子は自分の尻に当たる硬い感触を覚えた。

太腿が完全に露出するほどに切り上げられたミニデムニのポケットを

手で探って取り出すと、それは折り畳まれた紙であった。

何気なく広げ、中身を見た。

 

「…こいつか」

 

唸るような声を、少女の声帯が絞り出した。

A4サイズの白紙に描かれたものは、二日前に自分の怒りの原因となった物体だった。

角ばった頭部、その左右から伸びた二等辺三角形に似た角、または耳。

石柱のように太い手足と、それらを従えるに相応しいどっしりとした重量感のある胴体。

人型をしているようだが、皆目正体が掴めない。

強いて言えば、これは鎧の一種だろうかと彼女は思った。

 

しかしながらに、その姿にはどこか禍々しいものを感じた。

全体的な形状としては、手足を有する鉄塔か、或いは直立した猫にも見えるため、

ユーモラスであるといってもいい。

だが猫か或いはデフォルメされた兎の耳に似た頭角を見ていると、

何かを呼び覚まされるような気分がした。

 

前に一度だけ、こんな気分というか気配を感じたことがあった。

それを知ったのが何時だったかは忘れてしまった。

もしくは、最初から知っていたのだろうかとさえ思った。

外見は知らず、その名前だけが忽然と脳裏に浮かび上がっている。

魔法少女の中で語り継がれる存在という事だけが、何故か記憶の中にある。

そう思う理由も分からず、先の通り、何処でその知識を覚えたのかも分からない。

 

馬鹿々々しいと、彼女は思考を振り払う。

眼を閉じ、浅い呼吸を数回繰り返す。

動機は止まらず、不安感も拭えない。

浄化を済ませた筈の宝石にも、相変わらず奥底に薄い濁りを湛えている。

それがどうしたと、彼女は心の亀裂を意思で塞いだ。

震える心臓すらも、意思と魔の力で強引に黙らせる。

 

「…けっ」

 

全ての不安定さを取り除き、小さな悪罵を吐き捨てると共に彼女は紙を握り潰した。

丸められたそれを、ソファの裏へと投げ捨てる。

交代までの二時間の間、杏子は見張りに専念することにした。

有るか無きかの不安に怯えるより、現実の脅威に警戒する事の方が

遥かに重要であるというのは、考えるまでも無い。

 

そして再び、外の世界に紅の眼光を送った。

彼女の心に宿る闇の残滓とは裏腹に、

太陽は万物を照らす残酷な光を、世界に向けて注いでいた。

 




新年初投稿となります。
それでは今年もまた、どうかよろしくお願いいたします。





最後の最後の存在につきましては…ほんの少しですが部分的にはあの伝説的な方に似てるかなと。
またあれもある意味、主の現身という点ではまどかで云う魔女やドッペルに近い存在かなと、
個人的には思っています(新ゲの場合は特に)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 凍える道化

年明け二つ目です。
今回は久々にあの方が主役です。


夜風が吹いた。

撫でられた若草が一斉に波のようにざわめいた。

陽光は既に駆逐され、天に浮かぶ月が、世界に柔らかな白光を与えている。

東洋の竜の胴体のように長く流れる川のほとりで、二つの影が揺れていた。

 

年はそれぞれ十五歳ほど。

男の方は精悍な男の原型とでもいうべき凛々しさを持ち、少女もまた大人への

階段を上りつつ、確実に幼さを残した美しさを身に宿していた。

 

整備され、空き缶や紙袋さえほとんど落ちていない清潔な河川敷には、彼ら以外に人影は無く、

それがより彼らを燃え上がらせていた。

月光の見守る中、若草の上で戯れる恋人たちは手を互いの身に絡め合い、

艶やかな唇を重ね、幼い愛を確かめ合っている。

 

頭を撫でつつ、相手に覆いかぶさった少年が少女の耳元で小さく囁く。

時が止まったかのように、恋人たちの動きが止まった。

静寂に波紋を投げ入れたのは、少女の小さな頷きと、潤んだ視線。

それが両者を更なる段階へ誘った。

 

ぼちゃん

 

巨大な泡が爆ぜたような音が、彼らの背後…川の中で生じた。

少女の服の中に滑らせていた手を引き抜き、少年は振り返った。

 

少女を背に、少年が音の根元に視線を送る。

睨んでいたといってもいい。

不安がる恋人へ少年は、力強い意志を宿した己の瞳を見せた。

少女の心は乱れていたが、それによって幾分かの落ち着きを取り戻した。

若くして少年は、男子の見本とでも云うべき気骨を備えているようだった。

 

視線の先に、波打つ水の波紋が見えた。

それはゆっくりと、川の半ばから縁に向けて近付いていった。

恋人たちの元へと。

 

ぽちゃっという音と共に、水面が盛り上がった。

びたびたという音を滴らせつつ、それは川縁から顕れた。

 

「何…見てんですか」

 

夜の帳を纏ったような黒い水の中から来訪し、言葉を発したのは、青白い柱であった。

残酷な月光が、その姿を二人の男女に明瞭に送り届けていた。

栗毛色らしき髪の毛は海藻のようにだらりと肩や頬に貼り付き、

水気を吸ったフリルは苔のような質感へと変わり、細い両手にだぶつく布の腫瘍となっていた。

 

また上半身は、胸と腹が剥き出しになっていた。

薄っぺらい胸にぽつんと浮いた二つの突起の周辺には、幾筋かの肉の亀裂が生じていた。

肌の上に浮いた色は、月光さえも忌避したかのような、死人の肌に似た青白さであった。

視認した少年と少女の意識に、狂気の手が触れた。

 

「今日は月が奇麗ですねぇ…ほんと、くっそムカつきますよぉ…」

 

水より出でた死者が、怨嗟の声を捻り出す。

少年と少女の脳裏に、近頃騒がれている、

近隣及び自分たちの街で多発する少女達の失踪事件の噂が過った。

 

明らかに凌辱を受けたような服装、死者のような青白い肌、無限の怨嗟に満ちたような声。

非現実としか思えない現象の連打は、幼い恋人たちの心に打撃を与えるに十二分に過ぎていた。

 

「あー…どうぞどうぞ、卑しく淫らにぐちゃちゃあっと続けてくださいよォ…。

 わたしが…最後まで見てて…あげますからァ…」

 

言い終えるが早いか、少年の背後で絶叫が生じた。

狂乱に陥った少女を少年が抱きかかえ、一目散に河川敷を駆け上がり、

振り返らずに一目散に駆けていく。

二度三度と転びかけ、それでも疾駆を続けたのは立派という他はない。

彼自身が怯え切っていたというのもあるが。

 

「けっ、色ボケが。ヤるなら最後までヤれってんですよ」

 

遥か彼方に去り行く恋人たちに向け、唾と共に悪罵を吐き捨てる。

これが誰であるかは言うまでもないだろう。

 

「穴があったら突っ込むってのが、男ってもんでしょうがクズが」

 

魂を弄びし道化、優木沙々である。

汚濁に満ちた罵声から数秒後、優木が大きく息を吸った。

そして。

 

 

「あぁんの気狂いゴキブリ女がぁあああ!!!!」

 

 

 

道化の咆哮が、夜の世界に木霊する。

呼応したのか、遥か遠くから犬と思しきものの複数の遠吠えが返された。

無惨極まりない姿に成り果てていたが、邪悪さには些かな衰えも無いようだった。

 

「まったくざっけんじゃねぇですよ!期待させるだけさせやがって!!」

 

衣服と傷の修復も後回しに、道化が思考を巡らせに掛かった。

題材は、今回の反省点の見直しとそれ伴う悪意の発露である。

それを文字で表すと、以下の様相となる。

 

 

 

 

 

 

あぁ、やっぱり他人なんてアテにするもんじゃないですね。

全く、使えなさ過ぎて涙が出てきそうですよ。

つうか死ね。

どいつもこいつも私をイライラさせやがって、畜生以下のクソゴミどもが。

 

特にあの腐れメスゴキブリときたら、襲撃は朝一じゃないとなんて言いやがって。

朝早すぎて、食事どころか一人遊びも出来なかったじゃないですか。

やっぱスッキリサッパリしないと、いい仕事はできませんね。

それもこれも、全部あのビッチと女顔、そしてクソ雑魚なメスゴキブリが悪いんですよ。

死ねばいいのに。

あ、もう死んでましたね、失礼失礼。

魂なんてモンは信じちゃいませんが、ちゃっちゃと地獄にでも堕ちてくださいな。

 

あーあ、それにしても今頃はあいつら、あの汚ぇ寝床に戻って

ねちゃちゃっとよろしくやってるんですかねぇ。

これだから色気違いの下等生物は。

まぁ精々、今は勝利の美酒と快楽に酔うがいいです。

たった二度の敗北程度で、最強の魔法少女の座は小動もしませんからぁ。

 

つうかあの浮浪者と簒奪者、手負いの私を二人掛かりでボコボコにした挙句、

簀巻きにして川に投げ込むなんて、前世は悪魔かなにかですか?

重りも括り付けられたせいでロクに呼吸も出来ないし、何回意識を失った事か。

川底に引っ掛かって動けなくなったのも十や二十どころじゃないですよ。

お陰で早朝から夜まで一気に時間が飛んじまったじゃねぇですか、クソが。

 

なぁにが「いっせーのーせ」ですか。

私の両手両足を手に持って、ぶんぶん振り回したかと思ったらぶん投げて。

向こう岸に激突したせいですかね、まだ背中がズキズキ痛いですよ。

あのゴキブリに斧を撃ち込まれたばっかだってのに、奴らには美しいものを

大事にするって考えがないんでしょうか。

無いでしょうねぇ、蛮族みたいなものですもん。

あぁ、だから色気に狂ってやがるんですね。

納得しましたよクソが。

 

最低限とは言え、魔女の魔法で怪我を治してやったってのに、あんな仕打ちは酷すぎますよ。

今度会った時には、あの赤毛は油を染み込ませた藁に巻いて焼いちまおうか。

或いは両手両足をぶっち切って、洗脳させたそこらの野郎どもに延々と相手させるとか。

アブノーマルってやつでしょうが、世の中の変態さん達には需要がありそうですね。

魔法少女だからしぶといから使い回しが利くでしょうしぃ、

あの雌猿がぶっ壊れるまでに一財産築けるかもしれませんね。くふふっ。

 

もう一人、雌猿の奴隷君には…油断しましたね、ハイ。

これは素直に認めますよ。

私は過去から素直に欠点を学べる女ですから。

大体、あんなイーブル某なんて胡散臭ぇもん、私は最初っから信頼なんてしてませんでしたよ。

ったく、メスゴキブリめ。

あんな変なもん押し付けやがって。

 

ていうかそもそも、あれってああいう使い方でいいんですかね。

戯言が多すぎて忘れちまいましたよ私は。

確かにパワーアップはしましたし、味も悪くないし気分も爽快でしたけどぉ。

でもそのおかげで調子にのっちゃいましたよ。

ありゃ多分、麻薬の一種ですね。

正常な判断が出来ませんでした。

言うなればガンギまったってところですよ。

 

そういえばあの斧も盗まれたまんまですね。

まぁいいです。あんな役立たずはポイです、ポイ。

 

結論としては、ほとんど全部、「くたばれキリカ」略して「呉キリカ」が悪いってトコですね。

あとのほんの少しだけ私の油断があったということで。

 

でも仕方ないじゃないですか。

あのヤロウの顔見てると、色々疼いて思考を掻き乱されるんですよ。

つうかあいつの顔と体つきったら妙にエロいんですもの。

腰をなでなでして思いましたが、細いくせにやたら筋肉質でまるで若鹿みたいでしたよ。

あ、ここちょっと文学的ですね。

 

女顔だとは思うけど男らしい感じだし、不覚ながら好みに合致してるってのもあるんでしょうね。

あーあ、佐倉杏子に唾付けられてなかったら…彼が仲間なら便利だったでしょうに。

男ってコトを利用して色々と愉しめそうです。

 

んー…仲間にしてやってもいいけど、あいつロリコンくせぇんですよね。

あの貧乳女と一緒にいるとこ考えると。

篭絡する自信は勿論ありますけど、私の大人の色気が果たしてヤロウに通じるかどうか。

ま、ファイトですね、私。

 

そしてあの強さは、どうせ赤毛猿の魔改造とか幻惑のせいでしょうね。

道理で洗脳魔法が全然効かない訳ですよ。

魔法少女相手には魔力で跳ねのけられたりしますけど、

あれどう見ても人間ですし、最初にあの猿が犬のマーキングみたいに

引っ掛けた魔法の所為で打ち消されてるんでしょうね。

そうでもなけりゃ、というかそんな筈ないですが、精神力で無効化されたってことになっちまいます。

確かにあいつはやべー奴でしたけど、流石にそこまで精神が化け物ってわけじゃないでしょ。

神や悪魔じゃあるまいし。

 

話が変な方向に逸れましたね。

愉しい方向に切り替えましょ。

 

あとエロマンガとか薄い本でも割と見ますね、ショタってんでしょ、ああいうツラ。

おねショタとか結構流行ってるじゃねぇですか。

私は好きですよああいうの。

組み敷いて好き勝手に蹂躙するさまとか、色々参考になりますしねェ。

 

あ、いいの思い付いた。

題材は淫乱ポニテに悪戯されて逆強姦される女顔。

ついでに黒い蠍みたいな怪物に内臓をグチャグチャにされる赤毛とか、

女顔と赤毛猿に殴る蹴るさられながら何処も彼処も凌辱される、黒髪の美少女なんかもいいですね。

 

あらやだ。

さっきもありましたけど、私ってばこんな才能もあったとは。

洗脳魔法を文章に乗せてネットにでも挙げれば、手下兼魔女の餌を大量確保できちゃったり?

 

ま、とりあえずこの妄想は先に自分で使いましょうかね。

今夜も眠れそうにないですねェ。

 

くぅっふっふふ。

 

 

 

 

 

長々とした妄想及び自己弁護と希望的な観測。

ここまでに要した時間は凡そ三秒。

 

全身を川の水で濡らした道化の顔は、邪悪とも喜悦とも性悦ともつかない、

或いはそれらが合体した、異形の笑顔によって歪んでいた。

 










悪罵の内容の一部は「偽書ゲッターロボダークネス」の一巻を参考にさせていただきました。
元々青年誌やエログロな作品を描いていた方(西川秀明先生)が作画を務めている事もあり、
主人公の外見(拙作ではナガレ君の外見の元)も、少年ながら妙に色気のあるものとなっております。
だからということもあってか、作中では敵の超エロいお姉さんに気に入られ…。

改めて偽書の一巻目を読み返すと、仮に映像化したらエロアニメにしても違和感なさそうな漫画だと思いました。
無論エログロだけじゃなく、クオリティの高い作画によって描かれる、
人間やロボの活躍も格好いいんですが。

最後に自分で読み返してなんですが…。
口汚い事言わせてしまって、沙々にゃん本当にごめんなさい。
そして今年もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 凍える道化と…

「ききぃ」

「煩いですねぇ。耳元で叫ばないでくださいよぅ」

 

湧きかけた道化の哄笑を断ち切るように、異形の嘶きが木霊した。

優木は水気を吸ってだぼついた右側頭部に、右手の人差し指と中指を突き立てた。

そして穴をほじくるようにぐりぐりと廻すと、勢いよく引っ張った。

 

「いい気分なんですから、邪魔すんなっつうの」

「きっ!」

 

指に絡めとられた、ハムスターサイズに縮小しているお気に入り魔女が投擲され、

悲鳴と共に地に落とされた。

日頃に主に示している忠誠心と反比例し、彼女に対する道化の扱いはぞんざいであった。

因みに彼女に対する道化の脳内での綽名は「不細工なズングリムックリ野郎」である。

但しこれは悪罵における佐倉杏子の綽名の如く頻繁に変わるため、

必ずしもこれという訳では無い。

何にせよ、唯一といっていい仲間にすらロクな想いを抱いていないのが、

この優木沙々という少女であった。

どんな人生を送って来たかは定かでないが、少なくとも人間の友達は皆無であろう。

 

「にしてもあんた、少し見ない内に太りましたか?ひょっとして卵でも孕んだんですか?」

「ききぃ!!」

 

道化が思わず竦むほどの声を挙げ、魔女が顔を左右に振った。

違うとの意思表示であるらしい。

そして彼女は、不細工な人形じみた顔に空いた小さな口を広げると、

 

「きっ!」

 

と何かを吐き出した。

それは、最初は小型化している魔女の唾程度といった大きさであったが、

秒もかからずに一気に肥大化し、本来の形と質量を取り戻した。

月光の中に投げ出されたそれは、若草の茂る地面の上に転がった。

視認した道化の眉が吊り上がった。

そこには、隠しようもない不愉快さがあった。

 

「…なんでんなもん持ってんですか…くっそ気持ち悪ぃですねぇ」

 

魔女の唾液にまみれたそれは、それらは細い腕だった。

鋭利な、艶やかといってもいい肉と骨の断面を見せて肘の辺りで断ち切られ、

繊手を緩やかに曲げた少女の右と左の腕。

衣服という覆いを外されたそれは病的なまでに白く、そして細かった。

身を炎の中に投じて消えた彼女の仲間、呉キリカの身体で唯一残った部分であった。

道化はそれを、まるで中身を飲み終えた缶かペットボトルでも掴むような、

酷くぞんざいな手つきで持ち上げた。

 

「胸やケツ、あと太腿の肉付きはいいくせに、ここは意外とガリガリですね。

 全く、クソザコゴキブリの分際で生意気ですよぉ」

 

しげしげと観察しつつ、そう呟く。

やけに手慣れた様子をみると、こういうことをするのは初めてではないらしい。

何せ、人食いの怪物を仲間とする女である。

過去に魔女たちが食い残した破片を、観察する機会でもあったのだろう。

 

「クソが」

 

一通り舐めるように見渡して、道化が忌々し気に吐き捨てる。

無惨な肉片と言っていいそれにすら、呉キリカという魔法少女の美しさが

呪縛のように残っていたのを、彼女は認めざるを得なかったようだ。

 

白い肌とあと少しで骨が浮きそうな細い指。

病的な要素を孕んだそれらに纏わりついた魔女の唾液が、月光を反射する光を与え、

一種の非現実的な美を醸し出していた。

彼女が技の中に織り込んでた、不死の魔物を表すように。

 

「そういえば隣の市には、動物の遺灰で絵を描く変態メスガキがいるって噂ですねぇ…」

 

その美しさが、敗北心に染まった道化の心に邪悪な火を灯したようだ。

 

「…確かに、これはいい素材になるかもしれませんねぇ…」

 

心の中に湧き、そして瞬く間に炎となった欲望に等しい形に美少女の顔が無惨に歪む。

 

「それに形としてはキレイだし、これをアクリルかなんかで固めれば…くふ」

 

何を想像し始めたか、声には熱が宿り、視線には淫らな光がぎらついている。

道化は川の水で濡れた唇を舌でちろりと舐めた。

舌で得物を探る蛇のようだった。

 

「…ん?」

 

高揚感に染まっていた道化が、怪訝な声を発した。

下腹部以外の場所から、むず痒さを感じていた。

背中からだった。

 

「あが!?」

 

痒さは変じた。

道化の口から生じた音に相応しいものに。

激痛へ。

 

「ががぁぁがああああぁあぁ!?」

 

道化の声は獣のそれとなっていた。

理解不能の、しかし味わった事のある痛みでもあった。

異常なほどの憎しみを抱く真紅の魔法少女から己に放たれる怒りへの恐怖と、

邪悪な執着を抱く黒髪の少年から受けた殴打による烈しい痛み。

 

細胞の一つ一つが怒りに焼かれ、拳や脚から与えられた衝撃がそれらを粉微塵に砕く。

それらがミックスされ、更に強化されたような異次元の痛みだった。

それが背中の一角から生じている。

 

余りの苦痛に、道化が細い膝を折った。

違った。

苦痛は間断なく襲い掛かり、それは道化の狂気に満ちた正気を穢すほどのものだったが、

道化が地に伏せた直接の原因はそれではなかった。

 

彼女の細い脚と体幹は、確かな重さを感じていた。

痛みの根元から。

呉キリカに、飛翔する斧を撃ち込まれた場所から。

痛み以外の何かが生じている。

質量をもった何かが。

 

「ひぎぃっ!」

 

冗談のような悲鳴を上げ、道化は倒れた。

悲鳴には、水音と何かが弾ける音が付着していた。

柔らかな草に覆われた地に顔がぶつかったことが、せめてもの救いだった。

 

苦痛に喘ぐ道化の視界に、遥か上空で浮かぶ月の威容が映っていた。

丸い月の傍らに、一つの影が寄り添っていた。

白い光を伴侶として夜の世界に浮かんでいるのは、闇色の塊だった。

 

それが月光の下で舞うように開いたとき、道化はその正体を知った。

それは巨大な黒い花であり、または不吉が形を成したかのような、黒い蝙蝠の羽のようであり。

そのどれでもなかった。

四肢という翼を広げて花開いたのは、黒い髪を夜風に揺らす極上の美少女の姿であった。

 

彼女は音も無く、道化の前に着地した。

跪いた体勢のまま、道化はゆっくりと見上げた。

 

一糸纏わぬ小柄な裸体が、彼女の前に聳えていた。

 

「さささささ。君に預けておいて正解だったよ」

 

道化が意味を探れぬ内に、声の主は無造作に手を伸ばした。

伸びた先で広げられた五本の細指の上に、何かが影を落とした。

それを、少女の指が優しく掴み取った。

道化はそれの正確な形を伺う事は出来なかったが、指の隙間から鋭角らしき形状が見えた。

 

そして更に、月光を拒むかのような闇色の光の輝きも見えた。

闇の輝きを放つものを手中に収めているのは、

先程まで道化が邪な妄想と共に握り締めていた腕であった。

 

道化は改めて、眼の前の女体を観察した。

そうでもしないと、完全に狂ってしまいそうな気がしていた。

背の痛みは嘘のように消えていたが、

今度は恐怖が心を潰さんばかりにあらゆる方向から自分に迫ってくるように感じていた。

 

手や胴体は病的な細さと白さを見せていたが、腿や胸などの女性を象徴する部分には

人並み以上に十分な肉が付いている。

それが肥満では無く、性差を問わず獣欲を掻き立てられるような艶めかしさであるというのは、

一種の奇跡と呼べるかもしれない。

 

鍛錬によるものではなく、痩せているが為に薄っすらと浮いた腹筋の真横にある腰は、

見事なまでに優美なくびれを描いていた。

恐怖の最中にある道化がごくりと唾をのみ込んだのは、不意に生じた欲情のためか。

 

その美しい裸体の上に、黒と白の光の波濤が走った。

一秒足らずで、白い肌の何割かを覆い隠した光は明確な形を成した。

白と黒を基調とした、奇術師めいた衣装が、美少女の身を覆った。

最後に白い手袋を通した細い指が、美しい顔の右半分を覆うような黒布を、

丁寧な手付きを以て顔に通した。

 

「これでよし」

 

満足げに呟くと、彼女は朗らかに微笑んだ。

童女の笑みだった。

 

 

黒い魔法少女が、呉キリカがそこにいた。

 

 

「協力に感謝するよ」

 

黒い魔法少女は、道化の傍らへ視線を動かしそう言った。

その方向から「きき」という短い呟きが返された。

猿の嘶きに似た声からは、明らかな怯えの音色が伺えた。

 

「ところで…どうしたんだい?我が参謀」

 

怪訝そうな表情で、キリカは『参謀』に問うた。

 

「随分と酷い顔になっているが、幽霊でも見たのかね?」

「…ぁ…あ…あ」

 

道化は顔から涙と鼻水と、そして涎を垂れ流していた。

だが、完全な無としか思えない状態から、それも自らの身を裂くような痛みと共に

顕れた存在を前に半乱狂となった彼女を、一体誰が笑えるだろうか。

 

道化の思考に、恐ろしい考えが過った。

眼の前の女はまるで、自分の背から新たに…。

そこまで考えたところで、優木は思考を強制的に遮断した。

そうとしか思えなかったが、それ以上は考えたくなかった。

対して、返された嗚咽にキリカは肩を竦めた。

 

「相変わらず失敬だな、君は。私は現(うつつ)の存在だ。虚無と一緒にされては困る」

 

憤然とした口調で、キリカは責めるように言った。

まるで囃し立てられた幼い子供の反抗の意思のような、

焼いた餅か風船のように頬を膨らませつつ。

やや歳不相応だが、少女らしく可愛らしいとしか言えない様相だったが、

道化には恐怖の対象でしかなかった。

 

「おいおいおいおいさささささ。

 頼むからしっかりして呉給え。繰り返すが、君は私の参謀なんだよ?」

 

狼狽する道化を前に、キリカもまた慌てていた。

当然ながら、道化は更に怯えた。

四肢をばたつかせていたが、腰が抜けたのかその場から全く動けなかった。

 

代わりに、とでも言うべきか。

冷えた夜風に、僅かな刺激臭を孕んだ匂いが漂った。

先程まで欲望の熱を疼かせていた場所の近くから溢れる液体に、道化は羞恥よりも安堵を覚えた。

少なくとも自分は黄泉路にはおらず、まだ生きていると思ったのだった。

皮肉にも、それが道化の正気を保つ切っ掛けとなっていた。

 

「よろしい、ならば説明しよう」

 

優木の意思など知らず、というよりも単なる勘違いだろうか。

聞きたくないという意思表示など出来ぬまま、キリカは続けた。

 

「愛だ」

 

ただ一言。

だが、そこから莫大な質量が感じられるほどの一言だった。

 

「これは、愛の力のほんの一つさ」

 

優木は全く意味が分からなかった。

それを無視するかのように、或いは最初から気にしていないのか。

黒い魔法少女は言葉を紡ぎ続けた。

 

「愛ある限り、私は不滅だ。

 そして愛とは永劫不滅の無限力。だが悲しきかな、同時に無限とは有限でもある」

 

高らかに、そして事実を滔々と述べるかのように奇術師姿の魔法少女は語る。

巨大なスケールを表す単語を前に、道化は茫然とするしかなかった。

だが一方で、彼女なりに幾ばくかの理解が出来た。

呉キリカの眼に宿るのは、虚無では無かった。

そうか、そういう事だったのか。

これだ。

彼女が語るこの感情が、琥珀色の瞳の中に、無限の宇宙の如くに満ちていたのだと。

 

「矛盾しているのは認めよう。無限など所詮は無限という名の檻に縛られた有限だ。

 だからその中で、私は無限と云う有限の愛に尽くすのさ。…お分かりかな?」

 

最後の語りは寂しさに彩られていた。

謎めいた言葉を前に、道化には首を縦に振る以外の選択肢は無かった。

 

「ならばよろしい」

 

道化の反応に、キリカは満足げに笑った。

 

「取り敢えず、快気祝いに甘いものでも調達しようじゃないか。

 何時もながら、こうした後は気分が悪い」

 

やれやれと、キリカはまるで芝居のように額に右手を当て、細い首を左右に振った。

 

「残ってる訳ないっていうのに、口の中には今もまだ味と匂いがこびり付いている。

 友人ときたら、全く、まるで文字通りに置き土産を喰らった気分だよ。

 それに何時になっても、血の香りと味は慣れないね」

 

道化としては、幾つか突っ込みたい部分があった。

それと心なしか、キリカは自分の知るそれよりテンションがやや高いような気がしていた。

 

「…元気ですね」

 

やっと口を開けた道化の一言には、若干の皮肉が込められていた。

 

「そりゃそうさ、私には遣ることがあるからね。常に意識は高く持たねば」

 

あっけらかんとした口調でキリカは返した。

皮肉など存在することすら知らないような、無垢な笑顔で。

 

「…それじゃぁ…とりあえず拠点に帰りましょうか…?」

 

呆れた顔を必死に隠しつつ、恐る恐ると云う具合に道化が退去を促した。

声は気力の全てを失くしたように掠れていた。

 

「そうだな。流石に今日はほとほと疲れた。

 それにしても気配りもできるとは、やはり君は有能な参謀だな。今後とも宜しく頼むよ」

 

今後とも、の一言が優木の上に石のように圧し掛かった。

逃げられないと、彼女も覚悟を決めるほか無かった。

だが今はそれより先に、しなければならない事があった。

 

「その前に…身嗜みを整えてよろしいでしょうか?」

「勿論さ。それと、風邪には気を付けなよ」

 

許可が出た瞬間、優木は川へと飛び込んだ。

寒さに凍えつつも、傷と汚れを落としに掛かる。

 

「今日は有意義な一日だったな。十分な収穫はあった。あちらの力を見せて貰った」

 

黒い魔法少女の一言と共に、闇色の菱形の表面から複数の何かが剥離した。

薄闇色の、結晶のような物体だった。

それらは若草に触れた途端に、黒い魔力の残滓となって消滅した。

 

剥がれ落ちた結晶の奥から、更に鮮烈な闇が輝いた。

先のものは一種の膜、装甲のようなものだったのだろうか。

そしてこれが、それに守られていた本体か。

 

「流石に、ノーリスクとはいかないか」

 

苦笑しつつ、黒い魔法少女は菱形を優しく掴み、それを月に見せるかのように高くかざした。

一回り程小さくなった闇の菱形の表面に、ほんの僅かな光の隙間があった。

顕微鏡か、魔法少女の視力でも無ければ明確に視認しえないものではあったが、

菱形を縦と横に、十字に刻むように表面に生じた隙間は。

 

それを正しい表現で表せば、『瑕』という事に違いなかった。

 

 

 

 

 

体表に魔力の膜を張り、川の水に魔力を通して清水と変え、道化はそれで身を拭った。

落ちていく穢れとは裏腹に、道化の心に闇が忍び寄っていた。

 

彼女の心には、怯えと恐怖と、そして歓喜が混在していた。

 

不死身。

 

無限力。

 

愛。

 

それらを心の中で唱える度に、心中の歓喜の割合が増していった。

そして無から蘇ってきた同胞を前に、優木は確信に近いものを抱いていた。

 

こいつに、この莫迦に出来る事なら自分にもできる。

劣る筈などありはしない。

仮に習得出来ずとも、自分にはこの無敵に等しい力の味方が付いている。

 

「それならもう何も…怖くありませんねぇ……くふふ」

 

道化の身は凍えながらも、心には熱が渦巻いていた。

悪意の炎は、止むことを知らずに燃え盛る。

 

真の意味で、魔女というものにこの地球上で最も近いものは、

彼女なのかもしれなかった。

 

岸辺に立つ道化の親友である魔女はただ茫然と、死んだ魚によく似た眼で

主を見つめる事しか出来なかった。

 








御早いご帰還となりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9.5話 真雷獣

物々しいタイトルですが、ある意味の別編です。
今回は割と平和です。


「…何だこりゃ」

 

唐突に、佐倉杏子は言った。

寝床付近のゴミを片付けていた最中の事だった。

 

「おい」

 

一時手を止めて立ち上がり、背後へと声を投げ掛ける。

 

「なんだよ、袋足りなくなったか?」

 

物騒な同居人からの返事に、杏子は一瞬言葉が詰まった。

清掃を蔑ろにしていたツケは、多量のゴミの堆積となって表れていた。

既に消耗した袋は二つ。

目測では、更にあと一袋は必要だと思われていた。

それも、集積を中断させた二袋分を除いて。

 

「…この紙に描かれてる、こいつは何だ?」

 

こちらはゴミ掃除では無く掃き掃除に精を出していた。

ゴミが少ないのは、定期的に片づけているためだろう。

一応、宿を借りている事への恩義或いは後ろめたさがあるらしい。

 

「あぁ、そいつは確か…」

「いや、それはいい。

 聞いててなんだけど、名前とかはいらねぇよ。…何なんだよ、こいつは」

 

矛盾は分かる。

だが、名前は聞きたくなかった。

ただ、好奇心はあった。

それを少しでいいから埋めたいが為に、佐倉杏子は問うていた。

それは、たとえ夜に眠れなくなったとしても、

怪奇映画を見たがる子供の心理によく似ていた。

 

「化け物の一体っつか一種だよ」

 

そして彼は話を始めた。

知らぬ方がよいことを。

早速、杏子はそう思い始めた。

 

「一度だけ遭った事があるんだけどよ。

 こいつに追っ掛けられた時は…ありゃ嫌な気分だったな」

 

少年の顔には苦さがあった。

ここが寝床でなければ、唾を吐き捨てていたかもしれなかった。

 

「このガタイの癖にやたら速くてよ。流石にヤバかった」

「動くのか」

「あぁ」

「しかも速ぇってのかい」

「あぁ。底の方から脚も伸びてるだろ?」

 

改めて、杏子は絵に視線を落とした。

全体的な形状は、A4用紙を一杯に使って描かれた横向きの円錐柱といった風だった。

だが彼らの態度が示すように、その姿には尋常ならざる

狂気じみた冒涜的な要素が加わっていた。

 

左に向けて先端を向けた円錐の表面には螺旋を描いた溝が走り、

この円錐の用途をそれとなく、見るものに与えていた。

 

魔を用いて邪悪を祓う魔法少女たる杏子には、

これは武器であるのだと瞬時に分かった(本人が理解したかったかどうかは別として)。

何かを穿ち、無残に破壊するものだと。

円錐の大きさは用紙の半分ほどもあり、それは槍の穂に見えなくも無かった。

得物がそれである杏子はやはり、それにいい気分はしなかった。

 

溝のある円錐が終わると、今度は柱の部分に視線が泳いだ。

巨大な円錐を支える、胴体に当たる部分を見て、杏子は「樽かこりゃ」と呟いた。

緩い線を描いているところも、そう印象付けることに力を貸していた。

それが残りの半分を占めている。

 

と、ここまではいい。

いや、良くはないが。

 

更なる問題はその円錐柱の各部であった。

それは主に、柱の上下で生じていた。

 

円錐と胴体のつなぎ目の辺りから、上部分にて謎の突起が備え付けられていた。

形としては、細長い二等辺三角形に似ていた。

やや長めの団栗に似ていなくもない。

また突起の先端部分には、左右に一つずつさらに小さな突起が付けられていた。

三角形を生物の頭としたら、耳か角にあたるような場所と形状だった。

 

頭としたのには、理由があった。

先の会話に出た、『脚』という部分についてである。

 

二等辺三角形の真下、樽型の胴体を挟んで下部に至った場所より、

二本の細長い柱が下がっていた。

角ばってはいたが、優美ともいえる曲線を描き、関節までが書き込まれている。

認めたくないが、認めるしかない。

それはどう見ても、『脚』であった。

またそれはどこか、女性的な印象を与える形状でもあった。

脚の末端部分の『足』とすべき場所は、

まるでハイヒールを履いたかのように先端を鋭く尖らせていた。

 

そして杏子は、改めてそいつの全身を見た。

当たり前だが、

 

「ワケが分からねぇ」

 

と彼女は評した。

 

「つうか…走るのか」

「その足は飾りじゃねぇからな」

「この形で?」

「気持ちは分かっけど、んな眼で見るな。俺も認めたかねぇよ」

 

最大限に想像力を働かせる。

先ずは大きさから。

 

明らかに何かを破壊するために形成された姿からして、理解したくはないが

それほど小さいものではないとかんがえた。

魔女と同サイズとすれば、道化配下の不細工な魔女の胴体と同じ…いや、更に巨大と推測。

中型車より更に上、貨物部分を含んだ状態での大型トラック相当だろうと判断した。

機械といえば、更によく見れば胴体の末端部分である縁のあたりには、

一対の翼のようなものが生えている。

鳥や虫などのそれでは無く航空機のそれといった形状の、

工学的なデザインを課されたものだった。

 

空気の噴出孔だろうかと杏子は思った。

魔女や使い魔にも、時折そういった部分を用いて飛行するものがいる。

 

「そういえば」

 

どんよりとした思考に沈む杏子の元へ、少年の声が届いた。

 

「ここいらで富士山が見える場所ってあるか?」

「いきなり話が飛ぶね」

 

テメェもどっか飛ばしてやろうかと彼女は思った。

このままいつも通り、切り結ぼうかとさえ思ったが、まだ身体の修復は満足には済んでいない。

更に今は清掃活動中であり、しばらくは汚れに繋がる行為は差し控えようと、

同居人共々そう思っていた。

現状は一種の冷戦状態に近い。

 

「風見野にはあんまりねぇな。隣町の見滝原なら、高いビルにでも登れば見れるだろうさ」

「そっか。ありがとよ」

 

気に入らない相手だが、礼を言われるのは悪い気はしなかった。

だが今は、より気になる事柄があった。

そしてそれは、今のやり取りによって増えていた。

 

「それ、何か関係あんの?」

 

何故唐突に、この問い掛けをしたのかという事だった。

無関係とは思えなかった。

 

「あー……悪い。忘れてくれると助かる」

「あぁん?」

 

逃げやがったな、と杏子は牙を剥いた。

視線の先には、眼を逸らせて斜め下方へと闇色の瞳を泳がせている少年がいた。

如何なる敵にも恐れはしないというような、生まれる時代と種族と世界を間違えたかのような

存在だが、バツの悪い事というのは感じるらしい。

これでも人間なのだと言わんばかりに。

 

対して杏子は。

表面上は威嚇しつつ、彼女の脳は思考を巡らせていた。

まず、富士山とは日本有数の観光名所であり、そしてひたすらにデカいという事が頭に浮かんだ。

「京都には寺が一杯ある」といった小学生並みの知識であるが、

これは流石に年相応なので仕方ない。

十四歳の少女の場合は。

 

「安心しな。テメェの戯言なんざ、速攻で忘れてやるさ」

「ネチネチと蒸し返すのは俺の趣味じゃねぇけどよ、聞いたのはてめぇだろうが」

「これ描いたのはテメェだろ」

「あぁ。てめぇが、『暇だからなんか絵でも描けよ』とか言いやがったからな」

「忘れたね、んなコト」

「雑魚ピエロの物忘れ魔法でも喰らったのかよ、魔法少女」

「うるせぇ、この流れ者」

 

やはりというか、死闘を経てなお両者の仲は刹那的なものだった。

恐らくは、これからもそうだろう。

 

しばし睨み合った後、両者は作業に戻った。

ナガレは嫌な思い出を忘れることにした。

杏子は早速、不要な記憶と捨て去った。

その結果として、目先の作業に専念していた。

それから数十分の後、廃教会の定期補修と清掃は終了した。

 

清掃が済むと、ナガレは買い出しへと出掛けていった。

二時間で戻ると言ったあたりに、何やら物騒なものを調達しに行ったのだろうなと杏子は思った。

 

彼女はどうかと言えば、気が付いたら、またこの絵を眺めていた。

ソファに横たわりつつ、楽な姿勢で眺めている。

ふと杏子は思った。

奇妙としか言えない形状には、何処か既視感がある事に気が付いていた。

数秒ほど凝視すると、閃くように答えが出た。

 

「…魔女か」

 

記憶の中に無数にある、忌まわしき異形たちの姿と、

眼の前の紙に描かれた存在の形はよく似ている気がしていた。

似ている個体がいたという訳では無く、奇妙さという共通点が被っている。

よくよく見ればユーモラスな気もしていた。

先の人型の鉄塔のように、明確に人に似た姿をしていないところもまた、

生理的な嫌悪感を軽減させたのだろう。

笑みにまでは至っていないが、魔法少女の唇の端には僅かな緩みがあった。

単純に、その形が面白いというのもある

 

そこで杏子の意識に闇の帳が下りた。

昨日の激戦による疲労と、清掃作業の達成感によるものだった。

彼女はそれに素直に従うことにした。

 

意識が途絶える寸前、一つの思考が杏子の脳裏を掠めた。

虚無に追い遣ったはずの思考であった。

 

富士山はデカい。

とにかくデカい。

ひたすらに。

 

それらが寝る寸前に見た絵と結びつき、

夢となって表れたのは、ある意味仕方が無い事かもしれなかった。

 

それによって生じた真紅のエネルギーは、

後日存分に振るわれることとなったが、それはまた別の話とする。

 

 

 

 




今回は筆休めも兼ねた日常風景を描かせていただきました。
気休めと為れば幸いです。

件の存在は…形で言えば真ライガーです。
色々なところを回ってるみたいなので、似た存在と遭ったこともあるのかなと。

個人としましては、最初にスパロボDで見た時には友人と一緒に数分間笑ってました。
形もそうですが、一番狂ってるのはこの外見で大きさが富士山並みかそれ以上であるという点でしょうか。
或いは、作中でヒロインが最後に乗るのがこれというあたりが…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 獣

黒い魔法少女と、その参謀らしき道化との悪戦苦闘及び

後者への虐待行為から三日ほどが経過した。

負った傷も粗方癒えた真紅の魔法少女は、今日もまた廃教会にいた。

他に行く場所も特にない。

時刻は午後の三時頃。

世界を昼の光が覆っている。

 

「くそが」

 

口汚い罵りと共に顔を歪める己の顔を、杏子は見ていた。

昼光を友として、物質に投影された姿であった。

 

彼女の前には、薄い厚みのメカニズムがあった。

彼女の顔を薄闇の中に映す画面とそれを乗せた支柱。

ハの字に広がった足。

回りくどくなったが、要はテレビである。

というよりも外見で見れば、「らしきもの」とした方が正しかった。

 

魔法少女の顔を反射している画面こそ鏡のように磨き上げられ、

ミクロ単位での歪みすら感じられないほどに滑らかであったが、

全体的にねじ曲がっているというか、絶妙にいびつな形状をしていた。

 

例えるならば、現世と異なる物理法則の世界に通常のテレビを縄で結んで放り込み、

その縄を引いて戻ってきたのがこれであった、と他者に説明しても露骨な否定を拒めるような、

それは、そんな形だった。

 

大昔に学校の図書館に置いてあった海外の怪奇小説の中に、そんな描写があった気がしていた。

確か異界の神の都市や居城だったかなと、杏子は記憶の糸を僅かに辿った。

 

異形のテレビの電源は内蔵型らしく、コードの類は見当たらない。

薄っぺらい画面の前と後ろのカバーの隙間から伸びた二本のアンテナが、

昆虫の触覚か触手を思わせる角度と長さで左右の斜め上に向けて伸びていた。

 

どう見ても出来損ないにしか見えない胡散臭い映像機器ではあったが、

杏子の記憶では昨日までは鮮やかな画面と明瞭極まりない音で以て、

彼女の数少ない娯楽となっていた。

 

『彼女の』というのは、独占したためである。

よく見れば白いカバーの端にごくごく薄い朱の色があった。

何があったのか、想像は容易い。

ひょっとしたら、彼女らにとってはそれすらも娯楽だったのかもしれない。

 

それが数時間前、少年が外出すると言い出した直後、

ぶつんという音と共に光を失ってしまったのだった。

 

「急ごしらえが祟っちまったか…」

 

と、異界を垣間見た挙句発に狂したかのような造形をした、

異形のテレビの製作者は言った。

苦々し気な口調だった。

外見についてはあまり気にしておらず、単に機能停止したことについて悔やんでいるようだった。

なおこのテレビは、彼が粗大ゴミを回収・分解・結合させて形成したものであった。

金属加工技術といい火筒の製作といい、歪に進歩したとしか思えない技術の持ち主である。

 

何処からともなく工具箱を取り出し修理に掛かったところで、彼は不意に

 

「やってみるか?」

 

と家主に尋ねた。

背中から後頭部に掛けて突き刺さる、槍のような視線を感じたためである。

恐らくは人間であると思われる存在からの問いに魔法少女は

 

「寄越しな」

 

と短く応え、差し出された工具箱を、相手の手ごと刈り取るように荒々しく受け取った。

後悔は少年の後ろ姿が消え去った瞬間、水に撒いた油のように彼女の心に広がった。

だがその場のノリで受けた自分にも責がある。

「テメェのケツはテメェが拭け」とは彼女の信条の一つであった。

 

気分を切り替え、教わった手順通りに機械の腹を開き、

工具というメスを煌かせた…ところで彼女の思考は停止した。

外見よろしく、その内部構造も複雑怪奇を極めていたのである。

少なくとも杏子はそう思った。

 

因みに実際は、外見の異様さに反比例して内部は市販品よりも幾らかシンプルであったが、

機械にまじまじと接するのは今この時が初体験であったことと、こういう分野が杏子にとって、

根本的に苦手であったことが災いし、施術者の脳髄は瞬時に沸騰した。

 

「確か、『俺でも出来るんだから、お前さんにも出来るだろうよ』…とかほざいてやがったな」

 

熱が沸き立つ頭脳で演算される思考と、脳からの熱伝導により灼熱の宿る声帯から

ぽつりと言われたその言葉は、地獄の業火で描かれていた。

震える手で、彼女は右手の荷物を床に降ろした。

 

「嗚呼、そうかい。つまり、つまりあたしは…」

 

すうと、魔法少女が息を吸った。

そして。

 

「あたしゃ、猿以下か!」

 

ロングブーツを履いた右足が、踵を尻に付けるくらいの勢いで後ろに引かれた。

直後、それは薄い紅の線を引いて暴虐の振り子となった。

つま先が工具箱に激突した次の瞬間には、憐れな犠牲者は教会の入り口を抜け、

嘗ては信者達で埋め尽くされていた空き地を飛翔していった。

 

落下の音は、また最初の激突音すらも遥か遠くから聞こえた。

ちなみに、工具箱の重さは二キログラムを軽く超えていた。

魔法少女恐るべし、としかいいようがない。

 

「やめたやめた!機械いじりなんざ、あたしの性に合うもんじゃねえ。

 つうかモノ造んなら、ちゃんとしたモン造れってんだよ。クソガキが」

 

ずかずかと歩き、軽く跳躍。

獲物に飛び込む猫のように、彼女は寝床に身体を投げ出した。

そして仰向けに寝転がると、ポケットから数個の飴玉を取り出し、

包みを離すが早いか一口に口内へと投じた。

鋭い八重歯を含む白い歯の群れが、それらに一気に襲い掛かった。

寝転ぶ紅竜のような暴君に捧げられた贄が微塵と化すまでに要した時間は、

ほんの二秒程度だった。

 

「ちっ」

 

寝転ぶと、不在者の寝床が視界に入った。

距離を隔て、互いに向かい合うような具合なので当然といえばそうだが、

やはりいい気分はしなかった。

舌打ちはそれによるものだった。

いっそ寝床を逆向きにしようかとも思ったが、

何をしでかすか分かったものじゃない気がしており、現状維持とされていた。

 

相方の寝床を、汚してやしないかと確認したが、それはすぐに杞憂だと分かった。

魔法少女ものの漫画や小説などの私物は幾つかあるが、割と丁寧に片づけられており、

何時の間にか調達されたと思しき棚に収納されていた。

しかも作者やシリーズ毎に整然と。

存在は異次元的だったが、所々でまともな常識のある少年だった。

 

こう言う処は見習った方がいいんだろうなと、杏子が自嘲した際に、

彼女の紅い眼が本棚の上に置かれた数冊の雑誌に気が付いた。

寝床の手すりの上に掛けられた新聞はまだ分かるが、

それは意味不明というか、(彼が所有しているという意味で)少々薄気味悪いのものだった。

本棚の上に重ねられていたのは、数冊の科学雑誌らしきものであった。

 

杏子にとっては無縁極まりないものであり、また同居人も科学に縁があるとは思えなかった。

そういえばと、杏子はある場面を思い出した。

これと思しき書物を読書中の彼の姿だった。

記憶が正しければ、

 

「…ワケ分からねぇ事ばっか書きやがって。読者に分かるように書きやがれってんだ」

 

と言いながら、地獄の責め苦を受けているかのような苦悩の表情を童顔に浮かべていた。

理解の範疇の外にあるものが、彼の思考を焼いているらしかった。

ざまぁみろと思う背後に、嫌な気分が寄生虫のように貼り付いていた。

ふと脳裏に「同族嫌悪」という言葉が掠めた。

そしてその愚痴がつい先ほど、今自分が言った事と似ているということが思い返された。

 

感情を無視し、右手の先に魔力を集中。

長槍を顕現させると、ぶんと振るった。

多節が発生し、槍の長さを一気に伸ばす。

 

室内を旋回する槍の穂先が動き、光となって迸る。

槍の穂は、何かを貫いていた。

 

更にもう一度、杏子は手首を軽く振った。

槍の鎌首が主へ向き、そこへと一気に舞い戻る。

残った左手が槍の切っ先に向けて振られ、捕獲されたものを受け取った。

用が済んだ槍は虚空へと放られ、紅い粒子となって消え去った。

 

紅い粒子の散らばる中に、ふわりと広げられた新聞紙があった。

両手で左右をひっ掴み、寝転びながら一瞥した。

思わず小さな溜息が出た。

 

「変わらねぇな、やっぱ」

 

皮肉気な笑みを見せ、頁を捲った。

今の言葉がもう一度、彼女の脳内に反響した。

蛾の羽のように広げられた新聞。

そのどの部分でもちらと覗けば、所狭しとロクでもない事件やら事故などが書き連ねられている。

それは外国の様子を書き連ねた部分でも同じであり、

別の新聞を読んでも主張や表現の差異はあれ、陰鬱な事実自体は変わらなかった。

 

何に対してどう変わるという事を、自分は言ったのだろかと。

破り捨てるべく力を入れたが、上下に振られるはずだった手はそこで止まっていた。

異常が満ちたロクでもない世界の、平凡な日常は続いていく。

 

ふと、開け放たれた入り口から一陣の風が吹き込んだ。

別に珍しい事では無かったが、その風は杏子に変化の訪れを感じさせた。

数日前は至る所に、主に彼女の寝床の傍に幾つかのゴミが落ちており、

風が入るたびに室内に拡散されていたものだ。

 

だが今は、先の清掃作業もあり室内にゴミが皆無であった。

風が運んできたほどよい熱と相まって、杏子は悪い気がしなかった。

 

「寝ちまうかな」

 

誰にともなく言い、ほくそ笑む。

言葉を実行に移すべく、目を閉じる。

意識を身体の赴くままに任せ、束の間の休息へと向かう。

 

 

 

「…いや」

 

一分ほど経ち、杏子は呟きを漏らした。

そして眼を開いて起き上がる。

寝床に座ったまま、杏子はソファの下に手を伸ばした。

 

「やるコトがあったな」

 

右の人差し指と親指が、小さな袋を摘まんでいた。

掌ふたつ分ほどの面積をもつ、白い布地の巾着袋だった。

但し、形状がやや奇妙であった。

 

杏子もそれを理解してるのか、「ハァ」と大きなため息を吐いていた。

それを言語化すれば、

 

「あたしの周り、変なの多過ぎ」

 

となるか。

 

件の変なもの、その袋の表面には布の切れ端が幾つも生じていた。

触手か、或いは植物の根に見えた。

袋自体も、妙にずんぐりむっくりしている。

 

袋の上部には、小動物の眼を模したビーズがはめ込まれ、

口らしき部分には黒糸で×印が縫われている。

袋の糸が結ばれた部分の直ぐ近くでは、葉のような耳が垂れていた。

 

数年前に流行った、「うさぎいも」なるゆるキャラだと、杏子の記憶にはあった。

要はうさぎとジャガイモの中間雑種とうことである。

確かそれなりに売れ、現在でもアニメが放映されているそうだが、

なぜ人はこんな物を好きになるのか、杏子には全く分からなかった。

無意識とは言え、それを買った自分という存在も含めて。

 

杏子の自嘲を他所に、袋に変化が生じていた。

純白の布の表面から、黒い光が湧き始めた。

黒光が白を喰らったかのように、布の色の支配率が置き換わっていく。

黒く染まった袋の内部が、薄っすらと透けて見えた。

 

卵よりもやや小さい、丸い形の物体の影が浮かんでいた。

その数は、五つほどあった。

 

「流石にこいつは、ゴミに出すわけにもいかねぇしなぁ…」

 

先日の清掃によって、彼女のねぐらは廃墟なりに清潔になっていた。

だが、清掃では除けない穢れもある。

憎悪や怒りと同じく、処理する相手が必要だった。

 

「来やがれ」

 

心の中で、そして実際に口でも呟き短く念じた。

返答は直後であった。

彼女の直ぐ傍から。

 

「やぁ、佐倉杏子」

 

抑揚のない、女のような声が鳴った。

大気を震わせて生じる音では無く、それは彼女の心に直接響いていた。

 

袋を手にぶら下げたまま、杏子は気怠さを隠そうともせずに、

声の発声した場所へと顔を向けた。

彼女から見て左側。

彼女がよく枕とする、ソファの手摺の部分の上にそれはいた。







やっと登場しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 獣②

佐倉杏子の紅の視線の先。

抑揚のない声の根元にいたのは、雪のような純白の毛皮を纏った獣であった。

大きさは成猫のそれとほぼ等しく、前例の生物と同じ姿勢でソファの上に座している。

 

ソファの手摺の上に、それは声以外の前触れも無く忽然と現れていた。

四足が床を踏む音も、更には身体が大気を縫って進む音すらも聞こえなかった。

だがこの辺りは承知の上なのか、杏子が特に驚いた様子は無かった。

 

代わりに、別の感情を抱いていた。

普段なら気にもせず、淡々と用を済ませただろう。

だが今回は少しばかり違っていた。

気の抜けない相手が身近にいる事と、厄介極まりない同族との激戦により、

彼女の猜疑心は研ぎ澄まされていた。

それによって、紅の眼には観察者の眼差しがあった。

 

異界から来たかのような女顔と不気味な黒い魔法少女。

この両者はそれぞれ異常にしぶとく、また何をしでかすか分かったものではないため、

僅かな変化も見逃すまいと相手を分析する癖が付いていた。

 

それ故に、杏子は改めて獣の姿をつぶさに見た。

己に力を与えた者の姿を。

 

「久しぶりだね」

「呼ばれたのは久々だからね」

 

杏子の社交辞令的な挨拶に、獣は素っ気なく返した。

不備を指摘するかのような、いらぬ反感を買いそうな言い回しだが、獣は気にした風もない。

杏子もまた同じであった。

 

「近頃もあれかい、魔法少女の世話でもしてんのか?」

「そんなところだね。近頃は君たちの数も増えているから、色々な所を廻っているよ」

 

言葉を交えつつ、獣の各部を見る。

大きさは先の通り成猫のそれであり、顔の形もやや近い。

赤い眼の中には、獣を見据える杏子の姿が映っていた。

 

「(よくよく見ると、血の珠みてぇな眼ぇしてんだな)」

 

それ故に、獣の眼に映る自分はまるで、血の池に堕ちたかのようだった。

また嫌悪感を堪えた杏子の眼に、蠢くものが映った。

それは獣の背の奥にあった。

背中で揺れるのは、体に匹敵するサイズの狐尾に似たふっさりとした尾。

白い饅頭に似た頭部に生えた猫のような外耳。

その外耳から伸びた…謎の器官。

 

形状としてはデフォルメされた人間の手か、或いは鳥類の翼に見える。

手だか翼だか分からない器官の先端、

手で言えば指先に当たる部分には淡い桃色が広がっている。

そして更に桃色が白色と交わる位置、再び手を例にすれば手首に相当するであろう個所には

眩いばかりの金色の輪が浮かんでいた。

装着されているのではなく、器官を中央に据えて滞空しているのだった。

補足するまでも無く、物理法則に反している。

 

結論。

 

「…胡散臭ぇ」

 

言った本人でも聴き取れないような、か細い声だった。

それだけに、その意思は強かった。

 

「眠いのかい?」

 

欠伸の変形と思ったのか、獣は尋ねた。

 

「まぁね。ここ最近ロクに寝れてねぇ」

「君達の私生活に干渉するつもりはないけど、体調管理は大事だよ」

 

抑揚のない声で獣は語る。

「淡々とした口調」という事例のサンプルとして使えそうな音階だった。

序に杏子は思った。

そういえばこいつ、体調についてはとやかく言う事が多いな、と。

 

「魔法少女は貴重だからね」

 

一応の礼を述べようかと開かれた杏子の口は、獣が続けたその一言で硬直した。

 

「気に掛けてくれんのはいいけど、モノみてぇに言うんじゃねぇ」

 

癪に障るが便利な兵器に近い同居人と、不気味で不死身の美しい魔法少女。

これらは佐倉杏子をして非現実的な存在にも思えたが、

一方で実際に剣戟を交わし、命を削り合った仲でもある。

 

だから否が応にも、迫りくる生命力の波濤が感じられた。

例えそれが、黒い魔法少女の虚無的なそれであったとしても。

『現実』として彼女の前に立ち塞がった生命であった。

 

だが眼の前にいる獣からは、それが感じられない。

抑揚のない声は機械のそれを思わせ、時折の瞬きは見受けられつつも、

その眼からは一切の感情の発露が伺えなかった。

血玉のような眼は、感情移入を拒絶するような意匠さえ感じられる。

 

対比の相手が生々しい存在だっただけに、獣の無機質さがより際立って感じられていた。

 

またそれでいて、精緻な縫い包みに植え付けられた美しい毛並みや

柔らかそうな体つきから、身体は肉で出来ているというのは分かる。

矛盾しているようだが、例えるなら、肉で出来た機械といったところだろうか。

正直なところ、食欲と憎悪と悪意に満ち、

斬れば悲鳴と血肉を撒き散らす魔女どもの方が生き物らしさがある。

 

それどころか…杏子が指先に引っ掛けるようにしてぶらさげた奇妙なキャラクターの方が

まだ生命感に溢れているようにすら思える。

 

「ところで、要件はそれかい?」

 

「お手」をするように、獣が左脚を持ち上げた。

ふっくらと膨らんだ指先には、闇の光を放つ袋が下げられている。

 

ああ、そうだ。さっさと済ませよう。

ただでさえ疲れてるってのに、深く考えたあたしがバカだった。

野郎が戻ってくると面倒だ、さっさと帰って貰っちまおう。

 

そう思い、杏子は袋の口に指を添えた。

「うさぎいも」の頸椎あたりにある袋の口が開かれ、闇の一角が外気に触れた。

その時だった。

 

杏子は手を止めた。

獣は顔をくるりと廻した。

血色の眼の先には、教会の入り口があった。

そこから屋内に侵入する光が、人の姿に切り取られていた。

杏子は溜息を吐いた。

 

「…毎度毎度、タイミング悪ぃんだよ。クソバカヤロウ」

 

悪罵が聴こえなかったか、或いは無視しているのか。

陽光を背に、一人の少年が薄暗がりの中に足を踏み入れた。

白い皮手袋で覆われた右手が、底部が変形した工具箱を下げていた。

土足でずかずかと、それでいて床板を傷めないように歩いていく。

 

歩みは止まらず、遂に祭壇の麓へと辿り着いた。

上体が僅かに下がり、工具箱を床に丁寧に置いた。

次の瞬間、少年の足の爪先が床を軽く蹴った。

音も無く跳躍、そして着地。

少年が降り立った場所は、獣の直ぐ傍だった。

 

「なんだこいつ」

 

若干の困惑と、隠しきれていない(尤も、隠す気があるとも思えなかった)嫌悪感を

童顔に浮かばせながら、ナガレは魔法少女に尋ねた。

当の杏子は返答はせず、尻を浮かせて身体を真横へとスライドさせた。

厄介事からの退避であった。

因みに彼が、魔女や魔法同様一般人では認識不可能な獣を視認出来た事については、

 

「(ま、そうだろな)」

 

と平然と受け止めていた。

寧ろここまできて、見えていなかったら滑稽だった。

予測の範疇にありすぎて、思わず欠伸が出そうになったほどだった。

ただ、馬鹿にできる要素を一つ失った杏子は少しだけ残念そうに見えた。

 

「やぁ」

 

獣がナガレへと声を掛けた。

彼は獣へ視線を向けた後、再び杏子の方を見た。

彼の眼は疑惑に満ちた視線を送っていた。

魔力を用いての嫌がらせかと思っているのだろう。

 

杏子は射殺すような視線で返した。

虚空にて、静かな死闘が始まり、直ぐに終わった。

浴びた殺意の凝集が、彼からの疑いを蹴散らした。

 

「てことは、つまりこいつは、魔法少女ものでいうとこの…インベーダーか」

「………」

 

意味不明の言葉に、杏子の殺意は呆れへと変換された。

違うのか?と、少年が闇色の眼で問い掛ける。

先程の視線のやり取りが繰り返され、

 

「あー…じゃあ、お前らの元締めってとこか」

 

二秒ほど考え、仕方なく杏子は頷いた。

気に食わない言い方だが、間違ってはいないし他の言い方が思い浮かばない。

妖精とも言えるが、妖精という立場というか役職が分からない。

 

それとインベーダーとは確か、主に侵略者を表す言葉だったと

ゲーセンでの経験からぼんやりと思い出した。

この物騒な少年の眼には、架空世界の魔法少女と戯れる可愛らしいマスコットが

人間世界に侵入した異界の存在と映るのだろう。

間違ってはいないだろうが、物語を楽しむものの視点とは、とてもじゃないが思えない。

 

予想はしていたが、この少年がどんな視点を以て魔法少女作品を

読み耽っていたのかがよく分かる一言だった。

こいつはあくまでも物語としてではなく、

現実の延長線として魔法少女作品を読んでいたのだろうと。

勉強という意味も合点がいった。

空想の魔法少女から、現実の魔法少女への対抗策を考えていたに違いない。

 

「君には僕が見えるんだね」

「あぁ、いい毛並みしてんな。つうか口まで利けるのか」

 

気が付くと、獣と少年の会話が開始されていた。

先の杏子と同様に、少年は獣の姿を貫くような視線で見ていた。

恐らくは肉突きや骨格も見ているんだろうなと、彼女は思った。

 

「僕の手入れをしてくれる子は多くてね」

「自慢かよ。ていうかてめぇ、その声で雄だってのか」

「それを云うなら、君の方も同じじゃないかい?」

「…あ?」

「説明不足だったようだね。口調は兎も角、君の声の音程は第二次成長期の少女のそれだ」

「喧嘩売ってんのか、このインベーダー野郎」

「僕の名前はキュゥべぇだよ」

 

少年から湧き上がる怒りの発露にも、獣の態度は変わらない。

忌々しい程に生命力あふれる少年と、虚無的な獣の対比はこの上なく分かりやすいものであった。

杏子が眺めている間にも、両者のやり取りは続いている。

何時の間にか獣は自分の名前を名乗ってすらいた。

 

この様子に杏子はデジャヴを感じた。

彼と黒い魔法少女との対話にどことなく近い。

 

 

そしてどうでもいいが、いや、よくはないが。

近い。

現象の相似性ではなく杏子と彼らの距離は、物理的に近い。

 

獣が腰かけている手摺とは逆方向の手摺へと身を寄せたが、それでも近い。

杏子の眼の前でコミュニケーションを続ける胡散臭い獣と異界から来たかのような少年は、

彼女にとって素晴らしく邪魔な存在だった。

 

さっさと用を済ませなかったことと、そしてらしくもない真面目さなど出さず、

寝入ってしまえばよかったと、杏子は自分の行動選択を呪わしく思い始めていた。









QBの口調、これでいいのかが凄く気になります。
自分語りになりますが、個人的にインキュベーターは結構好きです(得体の知れない宇宙生物としてという事で)。
流石に「自分らが干渉しなければ、君らは今でも猿のままだったよ(意訳)」とは傲慢な気がしますが。
個人的には、彼らの起源や歴史について興味が尽きないところです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 獣③

 

「全く、このタイミングで近所に湧くたぁ…間がいいんだか、悪いんだか…」

 

身に叩きつけられる猛風を浴びながら、杏子はそう呟いた。

視界の先には広大な空間が広がっていた。

彼女はそこを、走るのではなく落ちていった。

風とは、異界の重力に引かれる彼女に当たる異界の大気であった。

下方からの風により、彼女の紅の髪と衣装が炎のような靡きを見せている。

ここ最近に踏み込んでいた異界は唯の平地であったが、今回は深い竪穴状の結界だった。

 

目指すは結界の主の待つ最深部。

そこに招かれたものは、主の贄と化すことを想えば、

この竪穴は魔女の胃へと続く食道だろうと、杏子は粘ついたタールのような黒い思いを抱いた。

また同時に、毒のような笑みが彼女の口角を尖らせた。

それは贄に捧げられた乙女の悲痛な顔ではなく、

逆に結界の主を喰らわんとする魔なる女の貌だった。

 

落下していく最中、彼女は常に空間の中央にいるように己の身を保持していた。

底に行くに従い、空間は性根の悪いとしか思えないようなねじ曲がりを見せていく。

その度に杏子は身を捩り、また得物を壁面に激突させ、常に身を中央に置くようにしていた。

何があっても、中央ならば身を遮る者も無く、万象に対処しやすいと思ってのことだった。

 

また彼女がそこにいるよう心掛けている理由には、もう一つの事象があった。

結界に挑む、もう一つの存在から距離を取るためだった。

 

「きっちり掴まってな。落っこちるんじゃねぇぞ」

「無茶を言わないでおくれよ。ご覧の通り、僕の手は何かを掴むようには出来てないんだ」

 

女にしか思えない声が二つ。

彼女の後ろで、正確には上空で生じていた。

声の合間には、破壊の音が挟まっていた。

ががが、ががが、と。

間近にいれば、さぞ喧しいだろう。

 

異界の壁に金属が突き立つ音だった。

壁の表面は生物の鱗かコンクリの粗い断面のようにざらついていた。

彼はそこを蹴ったり右手に握った手斧で制動を掛けるなどして、

孔状の異界を進んでいるのだった。

 

自由落下に身を任せるよりは安心かもしれないが、

これは果てしなく高い崖を滑り落ちているようなものである。

これ以外にいい方法があるとは思えないが、正気の沙汰とは思えない。

ついでに、胡散臭い珍獣を残った片手に抱きながらの行為であった。

 

「斧を武器にする子は多いけど、斧ってそういう風に使うのかい?」

「道具ってのは使ってナンボだからな。使い方なんざ、いくらでもあるんだよ」

「なるほど、興味深いね」

 

異界の中で繰り広げられる異次元の会話に、杏子は溜息をつきたくなった。

というよりも、実際に吐いていた。

原因としてはこの会話のせいでもあるが、

魔法少女の息に含まれた感情を精査すると幾つかの事柄が挙げられただろう。

 

その内の筆頭が、この少年の生命力というかしぶとさである。

魔法少女ならこういった異界を下るのは階段を利用する程度の些事だろうが、

一応とはいえ彼は人間の筈である。

いきなり足場のない場所に出た瞬間こそ驚きの声を挙げたが、

十秒程度した後には既に順応していた。

 

また以前、地上四十メートルほどの高みに浮かぶ道化の魔女から落下し、

地面に着地した瞬間を杏子は見たが、その時も精々足が少し痺れたといった程度の様子だった。

構造からして、いや、肉や骨の材質からして常人と異なっているのだろうかと、

彼女が疑ったのも無理はない。

 

第一、魔法少女の杏子なら兎も角、数日前に黒い魔法少女に散々に痛めつけられたにも拘らず、

もう戦線復帰している事がどうかしている。

今では激戦の名残を留める場所は、彼の細首に巻かれた包帯しかない。

他の場所の包帯が取れて、そこだけがまだというところが妙に引っ掛かった。

 

疑問を宿した彼女の元へ、声は更に降ってきた。

 

「斧の多様性と万能性、そして道具の使い方についての理論は、君のそれを認めよう。

 だが君の行動は理解できないよ。新米なら兎も角、佐倉杏子はベテランだ」

「そりゃ強ぇ訳だ。っていうかてめぇ、獣の癖に研究員みてぇな口の利き方だな」

 

若干悔し気とはいえ、素直に認めるところは矢張り、この少年の長所だろう。

そこは杏子も認めざるを得なかった。

後半の一文は兎も角として。

だが杏子の悪意以外の思いには気付かずに、獣と少年のやり取りは続いた。

 

「つまり、彼女には僕のサポートは不要だよ」

「だからてめぇを連れてく必要は無ぇってか?今更ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ。

 それにてめぇがこいつらの元締めなら、監督責任ってのを果たしやがれ」

 

意外に真っ当な言い分だった。

そこに彼は、

「あの非常識なクソジジイだって、そこんとこはしてたんだぞ」、と続けた。

当然だが、獣には意味が分からなかった。

しかし、杏子は僅かながら察した。

よく覚えていなかったが、嘗ての保護者だか雇い主だかを彼はそう呼んでいた。

 

「先程と同じく、一理ある事は認めるよ。でも僕の戦闘力は皆無だ」

 

理解不能の事柄は無視し、獣が言葉を返す。

脇下に少年の左腕を通された獣は、彼に見せるように右手を差し出した。

犬の芸なら、「お手」に相当するポーズだった。

 

「あぁ?ケダモノらしく、牙や爪とかねぇのかよ?」

「君は僕に何を期待してるんだい?」

「じゃあ口から毒出したりとか…あぁ、ビームやミサイル、他には酸の大嵐でも構わねぇぞ?」

 

己を抱く少年から、異次元的な問答を受けた獣は、二度三度と血色の眼を瞬いた。

生物としての機能が行使されている筈なのに、その様子は何故か機械の動作不良を思わせた。

その様子を見て、少年は愉し気に唇を歪ませた。

杏子は背を向けていたが、「悪役みてぇなツラしてんだろうな」と思っていた。

そして実際、その通りだった。

 

「ところで、なんで獣みてぇな外見してやがる」

 

飽きたのか、取り外すように邪悪な笑みを消して少年は尋ねた。

探るような声だった。

 

「人間とのコミュニケーションには、この外見が適しているからさ」

「やっぱ得体の知れねぇ野郎だな、てめぇ」

 

距離的には二十メートルほど背後。

だが声量と壁を引っ掻く喧しい音の所為で、

すぐ隣か頭の後ろに貼り付いているような感覚だった。

悪霊に憑りつかれたらこんな気分だろうと、魔法少女は思った。

 

だがその一方で、獣への彼の返事には思わずぞっとするような嫌悪感の響きがあった。

本来の女のような声に、錆が吹いたような声だった。

 

「おい、杏子。こいつは何処まで降りりゃいいんだ?」

 

頭を切り替えたのか、魔法少女へ問い掛ける声は平時の甲高い声に戻っていた。

 

「あたしは魔女でもねえし、バスの運転手じゃねぇんだ。何時辿り着くかなんざ知った事か。

 精々ノシイカにならねぇように黙って堕ちてろ」

「また腹減ってんのか?」

「黙れバカヤロウ」

 

獣なりに両者の関係を観察しているのだろう。

 

「君らは敵対してるのかい?」

 

観測結果の足しとでもいう風に投げられた獣の問いに、

少年と魔法少女は互いに沈黙を守った。

気が合ったのではなく、彼らもいまいちこの関係が、

何に当て嵌るのかが分からないのだった。

 

「ちなみに、そろそろ結界の最深部だよ」

「気が利くな」

「事実だからね」

 

その言葉が合図となったかのように、うねっていた縦の回廊がやや真っすぐに伸びた。

そして回廊は、開いた空間へと結合した。

 

「でかいな」

 

ナガレの評に、杏子も思わず喉を鳴らした。

視線を降ろした先に見えた全体的な形状は、細長い花瓶かグラスに似ていた。

生物で例えると、「ウツボカズラ」という名の食虫植物のフォルムが近いか。

但しそのサイズは彼の言葉の通り、桁外れのものだった。

忽然と出現した結界の底部に根らしきものを張ったその体長は、

目測にて二十メートルは下らない。

六階建てのビルほどもある異形だった。

 

未だ滞空中である三者の元へ、光るものが向けられた。

花瓶なら花の挿し口、先の食虫植物ならば獲物を招く口に当たる部分には、

輝くものが敷き詰められていた。

宝石の輝きだった。

 

一片が三メートル程もある巨大な金剛石やルビー、

そして無数のカットによって、内部に複雑な深い青を湛えているサファイアなどの群れだった。

魔力で形成されているとしても、

現世の価値では価格すら付けられないような宝玉たちが山を成していた。

だが彼らに向かう光は、それらのどれよりも眩しく、そして仄暗い色を宿していた。

 

宝石の山がぐらりと揺れたかと思うと、幾つもの欠片を零しながら一気に隆起。

輝きを押し上げて盛り上がったのは、どの宝石よりも巨大な眼球であった。

中央の黒瞳に向けて四方八方から走る血管は、離れていても分かるほどに脈動し、

血走った視線を彼らに向けて飛ばしている。

 

常人なら、向けられた瞬間に気が狂いそうな『想い』が異形の眼球の視線に乗せられていた。

絶対的な悪意と敵意、そして浅ましいまでの食欲である。

 

「はっ」

 

二つの息はほぼ同時に鳴った。

魔法少女と少年による、嘲笑の吐息であった。

 

「こいつぁいい的だな!」

 

彼が叫ぶと同時に、杏子は真横へと跳んだ。

ナガレはというと回廊を蹴り、魔女の住まう空間の壁へと足を運んだ。

壁面には、先程の回廊と似た傾斜が設けられていた。

そこを滑り降りながら、ナガレはジャケットの裏へと右手を入れた。

戻ってきた手には、斧の代わりに長さ四十センチほどの円筒が握られていた。

 

「それは…何だい?」

 

言葉の隙間は、眼の前で生じた異変に対する疑問のためだろうか。

獣の想いはいざ知らず、彼はそれの底部に設けられたグリップを握り締めると、

先端を異業に向けて引き金を引いた。

 

直径十五センチほどの孔から拳大の弾丸が撃ち出され、魔女の胴体に着弾。

その瞬間に光と爆風、そして炎を撒き散らした。

口から煙を吹くそれを彼は投げ捨てず、再び引き金を引いた。

直後、魔女の身体を再度の破壊が襲った。

改良が加えられたのか以前の単発式では無く、幾らかの連射が可能となっていたようだった。

 

「成程、火筒というやつだね。でも、何処に仕舞っていたんだい?」

 

獣の声を再度無視し、彼は連射し続けた。

爆炎が魔女の体表に幾つも炸裂していく。

 

掛け降りるナガレが不意に跳躍を稼行した。

腹を強く押された獣が、

 

「きゅぷ」

 

と体内から空気をひねり出されたような声を発したが、彼が気にする様子は無かった。

気付いてすらいなかったのかもしれない。

 

三メートルほど飛翔したとき、彼は空中にて、先程まで自分が足場としていた

壁に深々と減り込む巨大質量を見降ろしていた。

根源へと眼を走らせると、それは魔女の胴体の左右に身を添えており、

更に深く見れば、地上二十メートルの高みの付近から生えていた。

 

形としては繋げられたビーズか真珠のネックレスのようだが、

本体同様、その大きさは洒落に成っていなかった。

真珠色の珠の大きさは、一つ一つが直径一メートルほどもあった。

また当然ながら破壊力も本体と作用点のサイズに準じており、

異界の壁は無残にひしゃげていた。

それまで足場としていた感触から彼は、少なくとも威力は大型車のフルスピードからの

激突に相当するだろうなと思っていた。

 

だが例によって恐怖を感じた様子は無く、

廻ってきた触手を身を屈めて回避すると、再び応射を開始した。

既に彼は最下層に辿り着き、両足は結界の底を踏んでいた。

 

秒も置かずに疾走し、異形の側面へと弾丸を撃って撃って撃ちまくる。

 

 

「おおおりゃああああ!!!!」

 

甲高い叫びが異界を震わせた。

空間に連なる黒煙を抜け、真紅の魔法少女が紅の閃光となって魔女へと向かう。

伸ばされた両手が、長大な十字槍を前面へと突き出している。

魔女が両腕を旋回させて迎撃するが、巨体ゆえか魔法少女の動きに数段劣っていた。

それでも視界を塞ぐ巨大な珠の群れを、獣からベテランと評された魔法少女は

難なく潜り抜けていく。

 

そして遂に、魔法少女が己の得物を異界の巨体へと突き立てた。

 

だが。

 

「なっ…!」

 

軽い音と共に、叩きつけた切っ先は魔女の体表から弾かれていた。

そこへ飛来した腕を足場に駆け上がりながら、杏子は再び槍を見舞った。

結果は同じであった。

陶器を思わせる魔女の体表には、掠り傷一つ付けられていない。

少し見渡せば、何処も彼処もその様子であった。

つまり、先程の爆撃も効果を挙げられていないのだった。

破壊の効果を探す魔法少女の視線が、ある者を捉えた。

 

「硬ぇな、畜生!」

 

直ぐ近くで、彼女と同年代の同性に似た声が挙がった。

何時の間にか、彼もまた魔法少女と同じ視点の場所にいた。

異界への掛け降りと逆のことをしたのだろうが、相変わらず運動能力が人間にしては高すぎる。

 

両手には戦闘用に改造された手斧が一丁ずつ握られており、彼の苦い表情と言葉からは、

それもまた弾かれたのだろうということが伺えた。

獣はというと、彼の背中に背負われていた。

常に携帯されていると思しき白い包帯によって、

雑な様子且つ精緻な雁字搦めにて少年の背に拘束されている。

それはどこか、赤子を背負う保護者の姿を連想させた。

例えるならば、保育士の体験に来させられた不良中学生といったところだろうか。

 

「似合ってるよ」

 

獣を背負う少年の真紅の魔法少女が、

魔女へと槍を振いつつ嘲笑の表情と共に揶揄の声を投げ掛けた。

 

「うるせぇ」

 

受けた少年が、さも嫌そうな顔で応じた。

こちらもまた、手近な個所へと両の斧による斬撃を見舞う。

 

「訳が分からないよ」

 

背の獣が無感情な様子で発した言葉は、自分の立場を理解していないとも、

或いは拒否しているようにも聞こえた。

 

獣が声を発したのと、魔女の巨体が打ち震えたのはほぼ同時の事だった。

己の上に這いつくばる不逞の輩達への、怒りの報復であった。

連結した珠で出来た魔女の両腕が、彼女の体表を獲物を喰らう百足のように覆ったのは、

その直後の事だった。










QBの様子が難しい…。
あとなんというか、前回からQBについて延々と考えていますが、
彼らはやはり、ゲッター線など宇宙的な存在との比較をすると結構面白いですね。
宇宙規模の事業を成し遂げようとしてて、その過程で無数の悲劇が生じるあたりとか、
作中の悲劇の原因が他でもない彼らだったりですとか(俗にいうマッチポンプとやらですな)。
他には罪状を追及しても死生観の違いなどにより話が通じなかったりとか…。

とりあえず、また両作品を読み返そうと思います(小説版まどかやゲッターロボ號など)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 獣④

六階建てのビルに匹敵する巨体が動くたび、それが例え体表を珠状の腕が

擦るといった些事であっても、耳を聾する大音声となっていた。

 

全身に巻き付けた両腕を、魔女はゆっくりと振り解く。

頂点に据えられた眼球がぎょろりと動き、周囲を見渡していく。

眼球は一つであったが周囲に並べられた宝石を介し、無数の視線が発生していた。

どのような仕組みか、魔女はそれらの視線を全て把握しているらしく、

異常は無しと判断したか長大な両腕をだらりと垂らした。

 

己を害する小さな不届き者は、これまでに大勢見てきた。

だがその誰もが、白磁の肌を傷つける事は出来なかった。

眼球が再び動いた。

地に根を下ろした己の身体の周りを、舐めるように一瞥する。

 

魔を宿した視線に呼応し、魔女と同じ白磁の地面を突き破りながら何かがぬるりと生えた。

その一本を皮切りに、魔女の周囲から幾つもの同類が生じていった。

 

今にも枯れそうな細さの節くれだった極彩色の木々が立ち並んでいる。

ねじられた枝の先には、角ばった白色の結晶がぶら下がっていた。

異界の樹木の果実とでもいうのだろうか。

生まれる前から死しているような果実であった。

 

それに混じり、一本の枝の先端からは粗末な荒縄が垂れ下がっていた。

荒縄の先には何かがぶら下がっていた。

大きさは一メートルからその倍より少し小さい程度まで。

遠目で見れば、枝から垂れ下がる巨大な蓑虫に見えたかもしれない。

 

自分の周囲に整然と並んだそれらを見渡し、魔女は身体を震わせた。

異界を震わす地鳴りが生じ、蓑虫の群れも同様に揺れた。

宝石越しに、魔女は無数の視線でそれらを眺めた。

 

幼稚園の制服を着た子供がいた。

寝間着姿の老婆もいた。

バスケットボールのユニフォームを着た、大柄な男もいた。

勤め人と思しき、老若男女も大勢いた。

その中で最も多いのは、可憐な洋服や制服を纏った中学生程度の少女達であった。

 

どれもみな、乾ききりひび割れた唇から凝り固まった血で赤黒く染まった舌を出し、

眼窩から零れ落ちる寸前まで、両の眼球を盛り上がらせていた。

 

だがそれでいて、死者達の口元は半月の形に吊り上がっていた。

誰一人として、苦悶の嘆きでは無く満足げな笑みを浮かべているのだった。

 

「dandada陀壇☆」

 

鈴が鳴るような音が鳴った。

それは宝石の山の中から発生していた。

 

「陀壇団堕男♪」

 

濁音を内包した音を、魔女は軽やかな女の声で何処とも知れぬ場所から放出している。

音を浴びせられた宝石が震え、冷ややかな美しい接触音を響かせる。

数十の死体を聴者として、異界に魔の音楽が満ちていく。

 

音に乗じて、死体の表面で何かが蠢いた。

それらは彼らが纏った衣服の隙間や、または腐りかけた肉の中から蛆虫のように湧いていた。

幼子の口を強引に広げ、腐臭と共に這い出てきたものさえもいた。

 

「薔薇婆螺婆盤蛮♯」

 

歪な四角形を基調とした体表は、古い麻布のようにゴワついていた。

ささくれだった表面の二か所に、丸い翡翠色の宝石が埋め込まれていた。

ぎょろぎょろと蠢くところを見ると、それが眼球であるらしい。

 

枕程の大きさのそれらは、主の奏でる音楽に合わせて体の側面に設けられた触手を振い、

死者の身体や地面の上で体を楽しそうに転がせた。

 

使い魔が魔女の子だとすれば、これは親と子の戯れということなのだろうか。

そして大勢の人間の死体は、異界の遊戯に招かれた客人ということか。

 

「堕段暖堕…」

 

ふと、魔女が歌を止めた。

同時に使い魔達もまた触手の動きを停止させた。

魔女の巨大な瞳孔が大きく開き、そして上へとぐるんと動いた。

二十メートルを越える魔女が眼球の焦点を合わせていたのは、

自分よりも更に十メートル程高い場所に浮かぶ虚空であった。

正確には、虚空であった場所となるか。

 

少なくとも、そこには先程までは何も無かった。

己が支配する空間に不意に湧いた違和感に向け、魔女と使い魔は眼を向けた。

 

薄闇色で空間に彩られたそれは、魔女の巨体を見下ろすように忽然と生じた紋章であった。

ある場所は毅然とした線で、また或いは水墨画のような茫洋とした線で描かれていた。

頂点と最下を小さく丸くくり抜いた円は、左右に切っ先を向けた刃に見えた。

 

左右に円弧を描いた薄闇の刃の下には、

それに向けて両手を伸ばす、抽象化された人間らしき姿があった。

また人間の胴体を支柱とし、刃を頂くように伸ばされた両手を器と見れば、

茫洋と霞む刃から滴る液体を受け止める杯にも見えた。

 

魔女はすぐに正体を察した。

己以外の、魔なる空間への入り口だと。

初めて見るものであったが、魔女の内なる記憶がそれが何かを知っていた。

 

直径五メートルほどの異空間の出口を目一杯に用いて出現した、

大型自動車にも匹敵する巨大な十字の槍穂。

続いてそれを支えるに相応しい、数本の鉄骨を束ねたような厚みを持った柄。

それらが魔女の眼に映るとほぼ同時に、それは紋章の内部から全身を抜き放っていた。

 

一種の遅れて飛来した魔女の両腕が巨大な槍の尻を掠め、勢い余って異界の壁を大きく抉る。

 

「嫌な気分てな、続くもんだな…」

 

粉塵が舞い落ちる中、巨槍は悠然と魔女の周囲を飛翔していた。

等間隔で柄を鎖へと変え、蛇が獲物を巻くように魔女の周囲を取り囲む。

槍の長さは、魔女の巨体を二回りは余裕で巻けるほどに伸びていた。

 

「魔女の結界に逃げ込む魔法少女なんざ、洒落にもなりゃしねぇ」

 

不満に満ちた少女の声は、魔女の眼球よりも上に滞空する巨大な槍穂の根元から発せられていた。

少し遅れて、魔法少女が宙に身を躍らせる。

天空を背にして舞う真紅の花を、魔女の無数の視線が射抜く。

 

吹き付ける悪意に、杏子は牙を剥いた。

獣のような笑みと共に、飛翔する杏子の傍らに付随する巨大な槍穂が、

「がきり」という音を立てた。

 

「喰らいやがれ!」

 

獲物を前にした雌豹の貌で告げた瞬間、巨槍の穂の中央に亀裂が生じた。

正しく真っ二つになるように開いた隙間には、赤色の魔力が宿っていた。

そしてそこから、破壊光が迸った。

 

真紅の竜の口と化した槍穂より赤い炎を纏った紅の熱線が吐き出され、

魔女の身体の中腹へと着弾。

そして魔女の体表より滑り落ちた熱と光が、魔女の根元へと滴り落ちる。

地表を舐め廻す灼熱の舌が憐れな犠牲者達を絡めとり、

遺骸を弄ぶ使い魔達を一瞬にして無慈悲な炎で焼き尽くす。

 

だが。

 

「ちっ!」

 

舌打ちと共に、蛇のようにうねる柄を足場に杏子は跳んだ。

そこに、炎を纏った珠の群れが襲い掛かった。

煉獄と化した異界の中央には、炎を受けても平然と聳える魔女の巨体があった。

周囲に浮かぶ槍の柄を足場に、撞球反射に似た挙動で杏子は魔女の周囲を駆け巡る。

 

「そらよっ!」

 

叫びと共に魔女へと跳躍。

空中にて、槍の連打が見舞われる。

だが高硬度の魔女の体表に弾かれ、白い火花が虚しく舞い散る。

魔女からの追撃が飛来する前に体表を蹴って離脱、

そして腕をやり過ごした後に再び接近し刃を走らせる。

 

この様子を見る者がいれば、魔女の巨体の表面を紅の光が奔っているように見えただろう。

やがて槍の穂は自壊の傷に覆われ、乾いた音と共に砕け散った。

だが魔法少女は槍を再度召喚し、雄々しき構えと共に光となって駆け巡る。

痛痒に届かぬ攻撃ではあったが、魔女の動きは硬直していた。

 

元々魔女自身の動きが鈍いという事もあるが、

それ以上に真紅の魔法少女のスピードが速すぎたのである。

これまでに吊るしてきた魔法少女達を遥かに凌駕した速度に、

魔女の思考はパニックを起こしていたのだった。

 

乱れた異界の思考にふと、一筋の光が這入り込んだ。

それは理性の光であったが、今の魔女には分からなかった。

だが、嘗て所持していた思考体系の名残が魔女の思考に変化を与えた。

 

悪意に満ちた猜疑心が、魔女の眼球を動かした。

猜疑心を、疑惑を晴らすべく、魔女は狂ったように眼球を上下左右に激しく蠢かす。

 

「こっちだウスノロ野郎」

 

視界よりも先に、紅の魔法少女とは別の声を魔女は捉えた。

その発生源へと視線が重ねられた時、魔女の思考に再び理性の残滓が灯った。

紅の魔法少女と彼女の従者たる巨槍すらも囮だったと、魔女はこの時に悟った。

上空に舞うのは、黒髪の少年の姿であった。

 

その更に上には、先程の紋章が浮かんでいた。

刃を頂く人型か酒杯を模したかのような抽象画。

宙に浮かぶ少年は、それを常世に出現させたかのような姿をしていた。

 

疾走する駿馬のたてがみのように靡く、豊かな黒髪を抱いた頭の上に掲げられた両手が、

魔法少女の槍にも匹敵する黒く細長い柄を握っている。

柄の先端には、巨大な円が待っていた。

紋章と同じく、左右に円弧を描いた巨大な両刃の斧槍であった。

 

「おおおおうりゃあああああああ!!!!」

 

高い声による雄々しき叫びと共に、少年が両腕を振り下ろす。

黒い刃が向かう先には無数の宝石の山と、それに守られた眼球があった。

形容しようのない高音が生じたのは、次の刹那であった。

 

紅い宝石が砕け散った。

翡翠が微塵と化した。

そして金剛石へと、巨大な刃が食い込んだ。

 

刃の表面で何かが蠢いた。

巨大な眼球の視線は、そこに吸い寄せられた。

斧の中央に浮かぶ黒い球体へと。

 

魔女は見た。

悪意と食欲に満ちた視線を。

自分のそれと同じく、本能的な欲望に満ち溢れた魔の眼を。

 

怯えか驚きか、金剛石に守られた巨大な眼は、瞳を縦に縮めていた。

嘲笑うように、斧の眼からは黒い靄が発生し、斧槍の柄から少年へと伝って行った。

形としては細いが、鋼線のように鍛え上げられた腕に黒い力が纏わりつく。

 

更に黒は少年の身体を地虫のように這っていく。

腕から肩へ、肩から首へ。

そこで、黒い波濤が停止した。

彼の首に巻かれた白い一線へと触れた途端に。

白い包帯には、四つの個所に赤黒い点が浮いていた。

 

一旦停止した黒は、次の瞬間そこへと導かれていた。

迸る黒により、少年の首の包帯が弾け飛ぶ。

細首には、赤黒の真下と思しき個所に四つの傷が孔となって空いていた。

うじゃじゃけた傷跡であるそこへ、魔なる者の力は吸い込まれていった。

 

「くたばりやがれぇええええええええええ!!!!!!!!!」

 

少年の口から迸った獰悪な言葉は、

魔に魅入られた魔槍の操者の狂気の叫び声となっていた。

それが魔と共鳴したのか、先程までの停滞が嘘であったかのように、

巨大な斧は金剛石を一気に切断した。

最後の防壁を突破した後に、斧は眼球に刃を立てていた。

 

少年の破壊的な叫び声が鳴り響く中。

真っ二つにされた眼球は、己の体液で染まる視界の奥に浮かぶ異形を見た。

黒髪の少年の眼の中に宿っているものを。

瞳の中に浮かぶ、黒々とした禍々しい円環。

如何なる感情によって生じるものなのか、悪意の権化たる魔女ですら分からなかった。

 

魔女から溢れ出した体液と飛び散る血肉が、発生源の最も近場にいる彼の元へと降り掛かる。

だがそれらは僅かに彼の顔と服を染めたのみだった。

そして、眼の中に渦を宿していたのは彼だけでは無かった。

彼の眼には、斧の中央へと渦を巻いて吸い込まれていく異形の血肉が映っていた。

 

「共食いかよ。てめぇもいい趣味してんなぁ」

 

吐き捨てると、彼は両手に力を籠めた。

宝石の破片もろとも魔女の血肉を啜る黒い眼が、偽りの操者に瞳を向けた。

感情の宿らぬ、鮫のような眼が何を謂わんとしているのか、

皮肉なことに彼はよく分かっていた。

何をする為かという違いはあれど、得物と操者の望みは同じであるために。

 

少年が再び叫ぶと、斧は眼球を抜けていた。

そして刀身は更に下降し、超硬度の魔女の胴体に喰い込んだ。

 

喰い込む刀の周囲を、無数の紅が迸った。

そして次の瞬間、彼の身は一気に魔女の体表を滑り落ちていた。

 

彼が通り過ぎた一閃は、魔女の体表に縦筋の傷となって刻まれていた。

その傷に向かい、魔女の全身から無数の紅が向かって行った。

杏子が魔女の身体に無数に走らせた、突きと斬撃の跡だった。

 

白磁の肌を真紅の傷が埋め尽くすと、それらは無数の裂け目と化した。

そして裂け目から生じた光が、異界を白へと塗り潰していった。

 

 










書いててなんですが、恐らくお二人はタイトルの存在の事を忘れています。
また魔女さんの歌は、一部で有名な某磁石サイボーグのテーマを拝借させていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 獣⑤

「もう帰ってもいいかな?」

 

廃教会に到着して十分ほど経過したのち、白毛の獣はそう言った。

遭遇時は処女雪のような清涼感と、一種の触れ得ざる者のような神聖さが伺えた体毛は、

烈しい戦闘の余波により、今では使い古しの縫い包みのような野暮ったさを帯びていた。

 

「好きにしな」

 

彼らから見れば配下にあたる真紅の魔法少女が下した許可は、暴君の口調によるものだった。

許しを受けた獣は、彼女の寝床から軽やかに身を翻して跳躍すると、

音も無く床面へと着地した。

清掃を施され、廃墟にしては小奇麗となった床を獣の四足が闊歩していく。

 

「ちょい待ち」

 

何時の間にか獣の隣に立っていた少年が、獣に声を掛けた。

獣が傍らを向くよりも早く、白手袋で覆われた両手が獣の首を包みこんだ。

 

「中々似合うじゃねぇか」

 

少年の手は直ぐに離れた。

彼の両手が触れていた部分、獣の首には赤い首輪が嵌められていた。

ご丁寧にも、ロープと接続するためと思しき小さな鉄の輪までが付けられている。

何時用意したのだろうか。

獣は首を左右に小さく振り、手の甲で革製の首輪に触れた。

 

「行動に支障は無さそうだね」

 

感謝でも、拒絶でもない言葉であった。

しかし少なくとも、外すつもりは無いらしい。

 

「じゃあ、気ぃ付けて帰れよ。カラスとかに突かれねぇようにな」

「その心配は無用だよ。動物たちには僕の姿は見えないからね」

 

やり取りを終えると、獣は振り返らずにとことこと歩いて行った。

そして獣は扉を通り抜け、降り注ぐ陽光の中へ溶けるように消えていった。

 

「バカだからってのは分かるけどさ…なにやってんだ、テメェは」

 

獣を見送った少年の背に、家主は言葉の槍を放った。

罵詈雑言は最早、両者の間では挨拶に等しい。

耐性があるのか強がりか、少年は小さく鼻を鳴らした。

 

「獣には首輪を着けるもんだろ」

 

寝床へと戻り、寝転びながら彼は言った。

適切か不適切か分からぬ言葉に対し、杏子は沈黙を選んだ。

獣の扱いについては、どうでもいいと思ったのだろう。

 

「にしてもテメェ…随分と魔女と息があってたじゃねぇか」

「一緒にキリカの奴とやり合ったからな」

「ああ…」

 

思わず口に出したところで、杏子は一旦口を閉じた。

『納得』と続けるつもりだった。

強引な理屈であるし理解できなくも無かったが、それは口にしたくは無かった。

嘗められるに決まってると、彼女は思ったのだった。

 

「あたしとしちゃあ、役に立つんならそれでいいけどさ。

 精々取り込まれねぇようにしなよ」

「御忠言、ありがとよ」

「ところでテメェ、今日は随分と気合入ってやがったな」

 

素直に礼を言われたためか、寝入ろうとしていた杏子は更に言葉を続けた。

今日の『勉強』のために本棚へと伸ばされていた少年の手は、虚空にてぴたりと止まった。

 

「あんなもんを見せられりゃ、そりゃな」

 

短い言葉の後に、小さな歯軋りが続いた。

 

「魔女ってのはそういうもんさ。人を結界の中に連れ込んで、弄んでから殺しやがる。

 …これからも、ああいった場面には出くわすだろうさ」

 

杏子自身も、今回のような場面は無数に目撃していた。

魔女や使い魔によって生きたまま咀嚼される子供の姿は、

何時まで経っても鮮明な記憶として魔法少女の脳裏に浮かんでいる。

 

それを思い返す事は普段は滅多に無かったが、

今回の犠牲者の年齢層にはそれらに近いものが含まれていた。

自意識を蝕む地獄絵図に、魔法少女は耐えていた。

 

「新聞でやけに行方不明や自殺が多いと思ったがよ、やっぱりそういう事かい」

 

ああ、そうだよと、魔法少女は肯定した。

今頃気付いたかという罵倒を続けようかと彼女は思ったが、結局言葉には成さなかった。

 

「ふざけやがって」

 

少年の呟きは、憤然とした怒りの炎に覆われていた。

悪に歯向かう気持ちは強いというところだろうか。

 

嫌いなのは変わらないが、悪鬼のような同類と比べれば彼の内面は比較的にまともであると、

杏子はここ最近思うようになっていた。

比較対象たちの性格や存在が、最悪に近いというせいもあるが。

 

時間はまだ五時頃であったが、魔法少女は急激な睡魔を感じていた。

先に落ちて堪るかと眼を見開くと、視線の先には既に寝入りに入った少年の姿があった。

やや息苦しそうな様子からは、魔女との同居には、

それなりの苦痛と疲労をもたらすという事が伺えた。

獣を呼び出した要件の事が頭を掠めたが、彼女を引き戻すことは出来なかった。

 

眼を閉じた杏子の瞼に、閉じる前に見た光景が一瞬だけ浮かび上がった。

少年の首に新たに巻かれた包帯には、早くもどす黒い血の点が浮き上がっていた。

 

見栄を張る相手を蝕む、毒々しい赤黒に魅入られたかのように、

魔法少女の意識は虚無の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼の立場は、風見野市の魔法少女群における最上級個体の一体、

 佐倉杏子の従僕であると推察される」

 

抑揚のない声が響いた。

声は水面に落ちた水滴による波紋のように、空間を伝っていった。

 

「これまでの人類の進化を鑑みるに、現時点での人類の肉体性能を数世代ほど超越している」

 

無明の闇の中で、二つの丸い光が灯った。

一瞬光が遮られ、直ぐにまた灯った。

瞬きである。

 

二つの丸は、眼球だった。

一組の眼球の中には、血色の光が満ちていた。

 

「出生は不明なものの、一種の突然変異個体であると仮定される」

 

それが一つ増えた。

 

「とは言え自然界からの産物と判断するのは早計であり、

 何者かに依って造り出された可能性も否定できない」

 

言葉と共に、更にもう一つ。

 

「性能は劣るものの、『箱庭』内における魔法少女の奇形、

 ないしは模造体に近しいものとも考えられる」

 

空間の中に、ぽつぽつと赤い光が連なっていった。

 

「特筆する点とすれば、魔女と共にあるという事である」

 

同じ間隔と光量で、同じ声と共に続いていく。

 

「『牛の魔女』と命名された斧状の魔女の眷属或いはその子孫と思われる個体を振り回し、

 武器として使用する事が確認されている。

 また件の個体より魔力を供給されている事を確認した」

 

何時しか、闇は駆逐されかけていた。

無数の血玉の光が、闇の中に佇む白い身体を照らしていた。

猫に似ていて、それでいて決して異なっている純白の獣が薄闇の中にひしめいていた。

 

純白の体毛の上に、血に似た赤と、絶望を思わせる闇色の黒が映えていた。

 

「恐らくは魔女による寄生を受けていると思われる。

 魔法少女たちの言葉を借りれば『犠牲者』ということになる」

 

異形の獣たちの談合は、誰が主でもあり、誰もが聴者であった。

 

「しかしながら犠牲者にしては意識が極めて明確であり、共生関係との見方もある」

 

無数の提言は、何処からともなく流れていた。

 

「この存在の名称は?」

 

書に記された事実を確認するような淡々とした言葉の交わりの中で響いた、

抑揚無き音による疑問は、鮮烈ですらあった。

 

「不測の事態が続いた為、現状では未確認。便宜上の呼称名として『竜の戦士』を進言する」

 

言葉に呼応したかのように、幾つかの赤が明滅した。

 

「これは人類における冷戦下の国家同士にも似た関係ながら、

 『仲間』という間柄を構築している佐倉杏子に由来する。

 先の戦闘において彼女が使用した巨大槍による熱線は、

 空想上の生物である『竜』の外見に類似していた。

 また、嘗て存在した魔法少女の中にも自らの魔法に『竜』を用いた個体がおり、

 部分的な類似性が伺える。そのため分類上の利便性を鑑みて、

 両者を関連付けるものとする」

 

長口舌ではあったが、解剖刀が意識を持ったかのような、冷ややかな声だった。

 

「観察に於いて件の異形は魔女の力を得ているものの、純粋な戦闘力は佐倉杏子に劣っており、

 両者の関係は必ずしも同等ではなく、先の通り佐倉杏子の方が上位であるものと考えられる。

 なお現時点での拠点は前者の廃教会であり、住居を提供していることからも、

 佐倉杏子の方が立場は上であると云ってよい。

 よってここでは両者を主従関係にあるものとし、主である佐倉杏子を『竜』とし、

 眷属をそれの『戦士』とし、『竜の戦士』するものと定義したい」

 

淡々とした弁舌はそこで終わりを告げた。

ほんの少しの間、獣たちの議論は途切れた。

そして。

 

「承認する。

 各魔法少女及び素体共々同様、引き続き件の異形、『竜の戦士』の観察を継続せよ」

 

これまでの例に漏れず、その声は何処からともなく去来していた。

だがそれに反し、無数の血色の眼は一つの方向に視線を向けていた。

 

「了解」

 

赤い首輪を架せられた獣は、至極淡々とした様子で無数の同胞へと答えた。

獣の微細な動きに沿って揺れた鉄輪が、鈴のような音を響かせていた。

無機質な音であるはずのそれは、獣たちの声よりも、遥かに肉感的なものだった。









今回は比較的短めになりました。
また首輪は、「まどかえんがわ」でのそれと見ていただいて大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10.5話 魔なる者達の平凡な休息

「こいつらガキの癖に、無茶しすぎだろ」

「うるせぇな。黙って見てろよ」

 

真昼間から寝床に座りつつ、少年と魔法少女はテレビを観ていた。

修理を兼ねて改良された映像機器は、更に異形化が進行していた。

本体から伸びた複数のケーブルが、同様の異形さを備えた薄い箱状の物体に接続されている。

時間経過と共に、そこに表示されている時間が目減りしていくところを見ると、

これはプレイヤーであるらしい。

 

その上には複数のディスクケースが積み重ねられている。

色鮮やかなジャケットの表紙と背には、可憐な少女たちの姿が描かれていた。

テレビからは常に激しい音と光が生じ、時折烈しい爆発音も鳴り響いた。

今日も今日とて、彼らが見ているのは空想上の魔法少女達の物語であった。

 

普段は杏子は祭壇の上、ナガレはその下に寝床を構えているが、

今日は隣同士に寝床を配置していた。

 

「黙らねぇと、寝床ごと叩き出すぞ」

 

家主の言葉に、ナガレは反論を飲み込んだ。

放出しかけた言葉の分だけ、表情には苦みが浮かんでいた。

物理的に縮まった距離に反して、両者の仲は相変わらずだった。

 

室内にて着実に高まりつつある非日常の雰囲気とは裏腹に、

映像は朗らかな日常風景のそれとなっていた。

戦闘を終え、変身を解いた魔法少女たちは学生の本分を全うすべく、

仲良く登校をし始めていた。

 

その様子に、ナガレの表情に怪訝の色が浮かんだ。

何かを言いたげに口を開きかけ、即座に閉じられた。

そして何かの拍子に、またそれが繰り返された。

その様子は、陸に挙げられた魚の呼吸を思わせた。

言葉を封じられた少年は、とても息苦しそうだった。

 

「…見苦しいツラしてんじゃねぇよ。もういいから好きにほざきな」

 

感情を分析すれば、百パーセントの呆れによって出来たかのような声で

魔法少女が許可を出した。

 

「こいつら、別空間で魔物を爆殺した次の瞬間に登校しやがってるな。

 脱出とか学校の用意とか、今までの過程はどうなってんだ?」

「場面転換ってヤツだろ。色々省略してるんだろうさ」

「なるほどな。そういうトコはあやかりてぇもんだ」

 

確かに移動やら回復やらは面倒くさい。

そもそもこの鑑賞会も、休憩を兼ねたものである。

場面は更に移り変わり、学校での授業の一場面となった。

窓際の席に座る主人公が、眠たげな眼付きで蒼穹へと視線を送っている。

 

本来の、また外見上での年齢を考えれば、その光景を眺めている二人も

現実でのこの場面に加わっている筈なのだが、それについては言及は無かった。

不毛な議題だと、互いに察している。

 

「お、こいつ生きてたか」

「主人公の意中のお方みたいだからねぇ。死なれたら不味いんだろさ」

「モテる野郎は得だな」

 

揶揄の先には、俗に言う美少年な男子生徒の姿があった。

画面の中にて彼を眺める魔法少女の宝石のような眼は潤み、視線には熱が込められていた。

だがそれと反するように、視聴者二名は勘弁してくれよといった表情となっている。

 

「にしてもこいつ、今んところ2~3話に一回は事件に巻き込まれてやがるな」

「話の都合とは言え、底抜けの間抜け野郎って事だろうさ」

 

魔法少女の言葉は抜身の刃であった。

言葉遣いが気に入ったらしく、ナガレは小さく嗤った。

 

「で、主人公と仲間が敵の魔物をぶっ潰して、

 本人は気絶したまま敵の基地から救出されるってのが定石か」

「どうしようもねぇクソ間抜けだな」

 

ナガレも顎を引き、杏子の意見を肯定した。

場面は更に移り行く。

下校途中、爆発と共に魔法少女たちの敵対者が出現。

気絶した美少年を小脇に抱えた毒々しい紫の衣装を纏った道化が電柱の上に立ち、

宙に生じた謎の空間の入口へと跳躍する。

 

絹を引き裂くような魔法少女達の叫びと共に光が発生。

緊迫した場面だと云うのに、五人組の魔法少女が変身する様は、

一人ひとり丁寧にはっきりと描かれていった。

全員が変身し、舌を噛みそうな長ったらしいチーム名を声高々に叫ぶ頃には、

美少年が連れ去られてから三分ほどが経過していた。

 

魔法少女たちはそれぞれのイメージカラーと同色の光となり、空間へと飛び込んでいった。

雄々しき号令と共に一枚絵が表示され、そして。

 

「て、おい!」

 

反射的と言った具合に、ナガレは叫んでいた。

 

「っざけやがって!ここで終わりかよ!?」

 

喧しい声だったが、杏子は反論をしなかった。

彼女も同じことを言い掛けていたのである。

 

「冗談じゃねぇぞ。今の話で、戦ったのはほんの数分じゃねえか」

「映画じゃねぇんだから、普通はそうだろ」

「だってこいつはアニメだろ?普通の事やってどうすんだよ」

「何ムキになってんだよ、テメェ」

 

言いつつ、理由は分かっていた。

彼女自身も同様の苛立ちを感じていた。

空想の魔法少女達の日常風景を楽しめるほど、彼女の神経のささくれは癒されていない。

 

「日常回って奴だよ。いい加減慣れな」

「ああそうするよ。よく考えりゃ、喚いてもしゃあねぇや」

 

言葉を投げ合っている間に、物語はエンディングへと差し掛かっていた。

快活なオープニング曲とは真逆の物憂げな曲に合わせ、

魔法少女とサポーターの珍獣が画面の中で跳ね廻る。

 

「ま、実のところそんなに嫌いな訳じゃねぇしな。

 気に喰わねぇトコもあるけど、群像劇ってヤツはそこまで退屈しねぇ」

「なら黙ってろよ」

「好きに喋って良いって言ったのはお前さんじゃねえか」

「気が変わった」

 

ソファに腰かけた魔法少女の左手が霞む。

真横に突き出された繊手は、長槍の柄を握っていた。

柄の先端には穂は無く、丸い断面を見せている。

打ち据えるべき相手は刹那の差で前に出ていた。

 

「あと八巻、大体三十二話ってとこか」

 

腰を屈め、プレイヤーの上に重ねたディスクケースを手に取りながらナガレは呟いた。

 

「長いね」

「全くだ」

 

狙いを外したものの、杏子の声は平然としていた。

元より、この程度の速度では当てられるとは思っていない。

回避に成功したのは切断ではなく、激しくど突く程度の加減がされていた。

最初に会ったころなら当てられただろうなと、魔法少女は思った。

今の一撃は彼を試したものだった。

 

「それにしても、空想とは言えこいつらも無茶してやがんなぁ」

 

新しいディスクを機器に挿すと、ナガレは再び席に着いた。

 

「何がさ?」

 

穂の無い槍を消滅させ、杏子は尋ねた。

 

「魔法『少女』が活躍する為ってな分かるんだけどよ、子供に責任を押し付けすぎだろ。

 別の世界から侵略されてるってのに、国や大人は何してやがんだよ」

 

突っ込みとしては禁忌だろうが、至極真っ当な言い分だった。

利己主義且つ現実主義者である杏子もまた、その言い分には同意する部分があった。

 

「単純に気付いてねぇか、或いは知ってて放置してるとかじゃねぇの?」

「だとしたらえげつねぇ連中だな。

 そういや、俺らん時も政府の方々は基本的に役立たずだったな」

「昔話かい?」

「あぁ。まぁ、政府の連中はあの一家の尻に敷かれてたみてぇだが」

 

嘘か誠か知らないが、彼の嘗ての居場所は相当に物騒なところらしかった。

一家という単語が彼女の中で引っ掛かっていた。

その組織は家族経営によるものなのだろうかと。

画面ではちょうどオープニングが終わり、タイトルコールが流れていた。

だが彼は話を続けた。

杏子もそれを止めなかった。

関心事が移った理由は、彼女にも分からなかった。

 

「流石にこいつらほどじゃねぇけど、俺もガキの頃、親父に結構な無茶をやらされてたな」

「山籠もりとか?」

「よく分かったな」

 

予想の敵中に、杏子は露骨に顔をしかめた。

やはりというか、そうならない筈はないのだが、

ロクでも無い話になるだろうなと、この時に悟った。

 

「日がな一日中、山ん中歩きまわされて、適当に開けた場所に着いたら空手の稽古だな。

 組み手以外にも、杉の木に藁を巻かされて、そいつを延々と殴る蹴るしてた」

「木に何の恨みがあるんだよ」

 

今の時点でガキなのに更にガキとは、恐らくは三、四年前くらいかなと彼女は思った。

彼の年齢は不明だが、自分と同じとしたら十一か十二くらいの時の事だろうと。

その時の自分は、という考えは思考の外に追いやっていた。

幸いながら彼の話に耳を傾けていたため、追憶の傷に触れた痛みは少なかった。

 

「で、そいつをへし折ったらまた近くのやつに同じことをやって…とまぁ、

 延々とそんな事を繰り返してたな」

「地球に優しくねぇ野郎だな」

「しかも殴りがいがある木がねぇと、別の場所に移動してたな。

 地図も持たずにやってたから、親父の気分次第で何処までもよ」

 

熊に喰われればよかったのに、と言い掛けたが、

逆に熊が喰われそうだと思い言葉を取りやめた。

昔のこいつはまだしも、こいつの親父が一緒である。

杏子の想像力では彼の父親の姿は思い浮かべなかったが、

同様に熊がそいつに勝てるビジョンも見えない。

ひょっとしたら、というよりも恐らくは実際に喰ってたんじゃないかと、杏子は思った。

 

「で、親父さんはテメェを更に山奥まで連れてって、今度は何をしたのさ?」

「崖から俺を突き落としやがった」

 

淀みなく応えられたそれに、魔法少女は沈黙した。

当然だろう。

 

「失礼な言い方するけどさ、テメェの親父、イカれてるんじゃないのかい?」

「俺もそう思う」

「少しは言い返せよ」

「とっくの昔に死に別れたけど、未だに親父についてはよく分からねぇんだよ。

 流石に一応抗議したけどな、そしたら野郎

 自分で行かなきゃ突き落とすとか言いやがったから、

 思わず破れかぶれになっちまってな。気付いたら崖から真っ逆さまよ」

「…崖の高さは?」

 

僅かに生じた沈黙は、発言の過激さと彼の家族構成の一端を知った事によるものだろうか。

 

「四十メートルってとこだな。

 ちなみに前にお前さんに見せた、赤マントの奴の高さも大体そのくらいだ」

「あの鉄塔猫野郎、んなデケぇのかよ!? つうか今言う事じゃねぇだろ!?

 あーもうワケ分からねぇ!とりあえずテメェ、その高さから落ちて何で生きてんだよ!?」

「それは」

 

異界の情報を流し込まれた魔法少女は、先に感じた虚無感を燃焼させるかのように激昂した。

だが彼が言葉を止めたのは、それに気圧されたからでは無かった。

どう言うべきか、彼なりに少し悩んでいたようだった。

そして、彼は再び口を開いた。

魔法少女が再度の槍を召喚するのと、同じタイミングだった。

変な所で、呼吸の合っている連中だった。

 

「親父に助けられたからな。俺が飛び込んで直ぐに自分も飛び降りたらしいや。

 気付いた時には、枝にぶら下がった親父に空手着の首根っこを掴まれてた」

「…そうかい」

 

返事をしつつ、杏子は光景を思い描いた。

軽く考えただけでも、常軌を逸した行為だった。

だが、それを息子に課した男は彼を死なせずに守ったのだった。

脳の一部が何かに刺されたような、そんな幻の痛みを杏子は感じた。

そこで彼の話は終わりだった。

最後に彼は、

 

「七歳のガキがする事じゃねぇな」

 

と、続ける積りだった。

取りやめた理由は、自慢ぽくてなんか嫌だと不意に思った為だった。

また彼にとっても、幼年時の記憶は弱味を晒すようでこれ以上口にすまいと思ったようだ。

 

「結構進んだな」

 

空想世界の魔法少女たちは、前回からの敵を打倒していた。

焼け焦げた道化を踏み付けながら、声高らかに勝ち名乗りを挙げている。

コミカルな様子で涙を流す道化に、両者の顔に仄暗い笑みが宿った。

何に思いを重ねているのかは、言うまでも無いだろう。

 

「巻き戻すか」

「あぁ、ちゃんと観とかないとね」

 

ナガレが巻き戻し作業に取り掛かった時、魔法少女は大きく息を吐いた。

この数分で、やけに疲労が溜まった気がしていた。

多数の情報が精神と脳に負担を掛けたんだろなと、杏子は自嘲気味の笑みを浮かべた。

 

自分の生い立ちと比べる訳でもないが、

世の中は広いという事を、現実の魔法少女はなんとなく悟った。

また、生まれて最初に所属を課せられる家族という関係は、

どうしようもなく理不尽な存在であるということを。

 

「おい、始まるぞ」

「分かってるよ」

 

だが今は、以前ネットカフェに行った時同様、この幻の世界を眺めていたかった。

何時また訪れるかも分からない戦いを前に、少しでも休んでおきたかった。

例えそれが、敵と成り得る存在の隣での、一時の安息だとしても。

 









両者にとって、若干の安息になれば幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 赤と黒の祭典

深夜零時。

分厚い黒雲が立ち込める、月の光が薄い夜だった。

 

「毎度の事、なんだけどよぉ…」

 

少女の声に音が重なる。

コンクリートが剥き出しとなった廃ビル内の一フロアを満たすのは、

無数の針を無限長の管の中へと落としたような、鳴り止まない金属音。

地上から七階にて、鐘のように音を鳴らしていく。

 

だがそれらはほんの僅かな音さえも、ガラスの無い窓の外へは漏れなかった。

ガラスの代わりに、黒い結晶のような輝きが窓枠を皮膜のように覆っていた。

 

そして室内に満ちる音よりも遥かに速く迸る光が、

異界の皮膜を介して室内に広がる夜の帳を切り裂いていく。

 

「テメェはやっぱり気に入らねぇ」

 

光の根源には、長槍を振う魔法少女の姿があった。

 

「ガキくせぇツラを見るのも、その女みてぇな声を聴くのも飽き飽きだよ。

 テメェに会ってからもうそろそろで一か月にもなるし、あたしの我慢も限界だ」

 

激しい音と光の乱舞の中でさえ、紅の少女の姿と声は、

はっきりとした輪郭を保っていた。

音と光が、彼女に怯えているかのように。

 

「ここで終わらせてやるよ」

 

静かな声と共に、大振りの一撃が見舞われる。

巨竜による、尾の一閃を思わせた。

 

激烈な音と共に、半月を描いたあたりで紅の槍が停止した。

紅の柄に、同じ太さの黒い直線が絡みついていた。

 

「黙って聞いてりゃ好き勝手ぬかしやがって」

 

得物を挟んで対峙するのは、魔法少女と同じ背丈の黒髪の少年だった。

ジャケットは青、長ズボンは白を基調としているというのに、

彼の姿は凝縮した闇を思わせた。

 

魔法少女とは逆に彼の肌に近寄るに連れて、色の濃度が増しているように見えた。

しかしそれでいて、彼女同様に彼の姿は闇の中へと溶け込まず、

くっきりとした姿を暗がりの中に顕していた。

 

人型の闇のような少年の姿の中で、格別に黒が凝縮された部分があった。

細長くしなやかな、白手袋で覆われた両手が握り締めたもの。

魔法少女の槍を受け止めている、黒柄の斧槍であった。

 

「こう見えても俺の神経は繊細なんだ」

 

鍔迫り合いの最中の言葉に、魔法少女は耳を疑った。

繊細という言葉の定義を根底から覆しかねない発言だった。

 

「あたしに分かるように説明しな」

 

殺意という名の気を取り直して問い詰める。

世界の理の外に身を置く杏子であっても、聞き捨てならない言葉であった。

 

「毎度毎度馬鹿にされて、黙ってられるほどお人好しじゃねぇ」

 

地の底よりも更に深く、冥府から湧き上がってきたかのような声だった。

魔法少女と共闘を始めて早一か月。

その間に蓄積された鬱憤は、怨念へと進化しかけているらしい。

 

「御託はいいからさっさと来な。遊んでやるよ」

「ああ」

 

牙を見せ、獰悪な竜の微笑みを浮かべた魔法少女に、

少年は魔を屠る戦士の顔で笑みを返した。

 

両者とも既に体の各部に裂傷と打撲を負い、若い肌に血潮を纏わせている。

相応の痛みが身を苛んでいる筈なのだが、両者の動きには一切の衰えが見られず、

寧ろ苛烈さが増していく。

 

切り結びの最中、互いの得物が上空へと跳ね上げられた。

槍と斧が絡み合い一瞬の停滞を見せた瞬間、両者の脚が、

相手の得物を蹴り飛ばしたのだった。

偶然か故意かは定かではないが、一対の魔なる者達はそれを勝機と受け止めた。

 

「くたばれぇぇええええ!!!!!」

「おらぁぁああああああ!!!!!」

 

熱き怒りの嵐を抱いて突き出された両者の拳が

憎い相手の顔面に激突、する直前に双方の頸が傾き緊急回避。

それでも消し飛ぶように肌が削れ、頬骨の表面を軽く砕いた。

互いの腕が細い肩の上を這い、血の滲む顔が文字通りの眼前に浮かんでいる。

吐息が顔に触れるほどの、超近距離。

 

「オラァ!」

 

咆哮と共に魔法少女が竜の剛腕の一撃を繰り出し、少年の肋骨の何本かをへし折った。

 

「てめぇっ!」

 

痛みを堪え、ナガレが蹴りの応酬を見舞う。

紅の邪竜を転倒させるべく、彼女の足元を狙った血染めの白雷が落ちる。

 

その直前に魔法少女は飛翔していた。

生来の勘と、魔法少女特有の超身体能力が発動していた。

それを誘発させたのは、背筋から尻までを貫いた激烈な悪寒だった。

 

ナガレの蹴りはコンクリの床を深々と抉っただけに留まらず、

下の階層の天井部分を貫いていた。

これまでの激戦による損傷と老朽化も手伝ったのだろうが、尋常ではない破壊力だった。

 

魔法少女は両手を振り下ろし、少年はそれらに手刀を突き出した。

耳をつんざく破裂音は、重なり合った両手同士の隙間から零れていた。

組み合わされた互いの指の間から、また手の甲に突き刺さった爪先からは

鮮血が溢れ出していた。

 

「ぅうぅぅううう…」

「あぁぁぁぁああ…」

 

魔法少女と少年の喉から生じる唸り声は、最早人類のそれではなかった。

狂犬どころか狂獣、或いは狂竜とでもするような悍ましい声が夜の大気を震わせる。

 

また物騒さを同じくする声と同様に、両者の思考は同一であった。

こいつには、こいつだけには負けたくない。

少なくともこの一時に於いては。

 

そして両者は、最後の攻撃に移った。

 

赤と黒の髪を頂いた双方の頭部が、ゆっくりと後方に引かれていく。

両手は塞がれた。

そして両足も使えない。

蹴りを放った瞬間に拮抗は破綻し、

繰り出した方が相手に押し切られると、両者は察していた。

 

となれば残る武器はただ一つ。

そして。

 

「うぅぅるぁぁ!!!!!」

「うぉああああ!!!!!」

 

咆哮と共に、全身の力が込められた頭部が真正面へと撃ち出された。

 

 

激突に際し誕生したのは、形容しがたい音であった。

 

ドワ』という衝撃音が、闇の皮膜を波打たせ、『』の音が延々と、

果てしない余韻を衝撃と共に建物内を駆け巡る。

無理矢理に言葉にすると、『ドワォ』とでもなるような、破壊的な音だった。

 

壊れてはいけないものが、無残に破壊された際に生じる音のようだった。

音と衝撃が廃ビルを蹂躙していく最中、物体が二つ、どうと倒れる音が鳴った。

 

だが今この時も鳴り響く破壊音の前では、それらはあまりにも脆弱で矮小な音と衝撃だった。

大河に生じた激流に一滴に落とされた一滴の雫のように、それは音の中へと蕩けていった。

 

 

 

 

「ほらよ」

 

場所は変わって廃教会。

時刻は朝の七時半。

夜の間に天を覆った黒雲は雨と化し、尚も続く曇天の下で黒い雫を降らせている。

元の位置へと戻った寝床に座りつつ、ナガレは紙袋を投擲した。

その手は包帯に覆われ、全身の各部も絆創膏や包帯で包まれていた。

 

似た様子の手がそれを荒々しく掴み取り、袋を開いて中身を漁る。

細指が黒い塊を摘まみ、可憐な口元へと運ぶ。

 

「苦っ」

 

顔をしかめつつ、杏子は更にもう一つを口に運んだ。

こちらもナガレと似た姿となっていた。

偶然か単に面倒なのかは定かでないが、両者の額にはバッテン状に絆創膏が貼られている。

体の所々で血を滲ませた姿の中で、そこだけはコミカルかつ間抜けな具合となっていた。

 

「そうか?俺はこのくらいがちょうどいいんだけどよ」

「テメェの好みなんざ知るか」

 

杏子が噛み砕いて嚥下したのは、チョコレートの塊だった。

挨拶同然に罵倒しつつ、新たな贄を袋から引き抜く。

 

「何だコリャ」

 

手のひらほどもあるチョコレートには、緩い丸みが生じていた。

注視すれば、表面は滑らかさの他に幾つかの隆起を伴っていることが見えた。

 

「元の形は地球儀らしいぞ」

 

それのユーラシア大陸の部分を、彼は齧っていた。

世界を喰らいながら、彼は言葉を続ける。

 

「スーパーのおばちゃん曰く、無駄にデカいから売れ残ったんだと」

 

巨大大陸は一瞬で砕かれ、次に彼は太平洋へと取り掛かった。

こちらも先と同様、牙のような歯列によって速攻で粉砕される。

 

「俺の持ってるやつは、そいつらを砕いて詰め合わせたものらしいや。

 他にも売れ残りを適当に寄せ集めて袋にブチ込んだとか言ってたな」

「ふぅん、道理で色んなのが混ざってるワケだ」

 

袋を覗く紅の瞳には、多種多様な包装と形状をしたチョコの群れが映っていた。

見ようによっては、敗者達の群れとも言える。

 

「こっちはデカゴン某とかいうアニメのだったかな」

 

野球ボールほどもある球状のチョコを真っ二つに引き裂き、一つを魔法少女へと放った。

ロクに見もせずに杏子はそれを受け取った。

しげしげと見まわした後、ほぼ一口で大半の部分を齧り取った。

 

戦闘以外は漫画とアニメに一日の大半の時間を費やしている両者であったが、

同じくアニメ原作の商品については何も言及しなかった。

どうやら、魔法少女もの以外には興味が無いらしい。

現実と関係が無いからだろう。

 

「で、なんでチョコなのさ?そんな時期でもねぇだろ」

 

自分で言いつつ、杏子は背筋に悪寒を感じていた。

程度で言えば、先程の戦闘中のものよりも酷かった。

 

「安売りしてたからな。あと色んなのがあって楽しかったから、つい買い過ぎちまった」

 

同様の感覚を覚えつつ、されど表には出さぬようにしてナガレが返す。

動揺を示さなかった代償として、彼の舌には血が滲んでいた。

 

「あっそ」

 

この短い遣り取りだけで、両者はそれなりに疲弊していた。

当たり前といえばそうだが、一縷のロマンスの欠片も無い会話であった。

 

「そろそろ食い終わるか?」

「寄越しな」

「あいよ」

 

再び袋が宙を舞い、杏子はそれを受け取った。

そして再び甘く、時にほろ苦い菓子を口に運んでいく。

先程の疲労感と、全身にわだかまる苦痛を払い落とすかのように。

 

そしてまた一つ、杏子の口中でチョコが蕩けた。

思わず、魔法少女の口元が綻ぶ。

地獄の底のような漆黒のチョコは、眩い輝きを思い浮かべさせるほどに甘かった。

 

ソファに座るナガレの傍らには、まだ大量の袋が残っていた。

もうしばらくは、甘味の祭典は続きそうだと杏子は思った。

 

 









日替わり前に間に合いました。
このタイミングで使うのもどうかとは思いましたが、
石川賢作品伝統の擬音を使わせていただきました。
個人的に、破壊を表す擬音としてのインパクトは最強レベルだと思います。
(字の連なりと、空間の裂け目のような字の描かれ方と相俟って)

前回に引き続き(半分は戦闘ですが)、日常描写を描かせていただきました。
一応、時間的には前話の後の出来事です。
駆け足と思い付きからの番外編でしたが、お楽しみいただけたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 かくて流れ者達は風見野を巡る

静謐さと穏やかな音楽が、本棚が所狭しと並べられた室内に満ちていた。

並べられた長机を前に、読書に勤しむ者達の姿がちらほらと見える。

 

ここにもまた、その一例があった。

真紅の髪の少女は蔵書された漫画本を読んでいた。

律儀にも一冊ずつ借りている。

その様子からは妙な几帳面さというか、地の真面目さが伺えた。

ギャグ漫画であるらしく、少女の顔には時折原始的な笑みの表情が浮かんだ。

 

対して、彼女から見て席を二つ飛ばして左側に座る黒髪の少年の顔には、

苦渋の表情が浮かんでいた。

多分情報処理能力が追い付かないのだろうなと杏子は思った。

 

赤い血と、黒い甘味の祭典から数日が経過した。

午後の二時十七分。

市立風見野図書館に、一対の魔が訪れていた。

 

「本って、読んでると口の中が苦くなってくるのは何故なんだろな」

 

誰かに問うというよりも、自分に言い聞かせるような口調で彼は呟いた。

ストレスだろと、杏子は心中で返した。

一応この生き物にもそういった感情がある事には、少し驚いていた。

 

「今日の教材はそいつか」

「まぁな」

 

彼が机の上に広げていたのは、縦長の分厚い本だった。

 

「世界史のお勉強か。受験でもすんのかよ」

「前にも言ったけど、知らねぇ事は山積みだからな」

 

でなきゃ俺だってこんな事、と愚痴りつつも彼は頁を捲っていく。

少し進んだ時に、読み飛ばしに近い速度の捲りが停止した。

不意に生じた変化に、杏子も気付いた。

 

「何さ、もう飽きたのかい?」

 

読み耽っていた漫画を閉じ、揶揄を含ませつつ問い掛ける。

魔法少女の言葉に、少年は一切の反応を示さなかった。

カウンターに等しい行為を受けた杏子は不快感を覚えつつ、彼の視線の先を見た。

 

頁に記載されていたのは、中世ヨーロッパの絵画であった。

無数の軍勢同士が、平野にて陣を開いている。

生の生々しさが鼻を突き、喧騒さが耳朶を震わせる。

そしてこすれ合う甲冑の音が聴こえた、ような気がした。

彼の闇色の眼は、銀の甲冑に身を包んだ勇壮な軍勢の先端に向けられていた。

 

そこにいたのは、白銀の鎧を纏う一人の少女。

更に夜のような黒衣と海に似た色の青い衣、

そして炎を思わせる赤い衣装を纏った少女らが、その背後に控えている。

彼女らの可憐な手には、白銀の剣に苦無(クナイ)に似た短剣、

ごつい槌に長柄の銃器が握られており、彼女らの身分を如実に物語っていた。

 

「お前らの先輩か」

「かもね」

 

過去の英雄たちを見る杏子の視線には、冷ややかさと熱が混在していた。

この絵は初めて見たが、先頭で剣を握る少女が誰かは知っている。

絵に描かれた事を本気で信じている訳ではないが、それでも彼女は英雄である事に違いは無い。

それが自分と同じ力を持つものである事に、無意識の内に憧憬を描いていた。

だがその温かいものを冷やすのは、絵の後の歴史であった。

彼女の記憶によれば、この少女はその後…。

 

「で、こっちは」

 

魔法少女の想いを断ち切るように、ナガレの高い声が脳裏に響いた。

本人にその気は無かったとしても、彼のそれは杏子の思考を乱していた。

楽しい思考で無かったため、杏子は何も言わなかった。

 

彼の視線を追い、絵を眺める。

構図で言えば、少女達に率いられた軍勢の左側。

先のものと同規模の軍勢が広がり、無数の槍穂が天に挑むように聳えている。

 

当時の世相を反映させたのか、白を基調とした先の軍勢に対し、

こちらは仄暗いというよりも黒が映えた禍々しい配色がされていた。

異形じみた色は悪意か、或いは事実か。

絵を眺める現代の者達は、後者であると踏んでいた。

 

その軍勢の先頭にもまた、少女達の姿があった。

動物がモチーフの仮面を被った、白と黒の衣を羽織った少女達がいた。

背丈はそれぞれ異なっていたが、仮面から覗く口元には同様の形があった。

緩い半月の笑みを、異形の軍勢を率いる少女達は浮かべていた。

悪意を宿したサディスティックなその形に、二人は見覚えがあった。

 

「誰とは言わねぇけど、発情道化の同類かもな」

「つまりこいつらも変態って事だろうさ」

「はっきり言うな、オイ」

 

抜身にすぎる杏子の言い様に、ナガレは思わず突っ込んだ。

尤も、彼の言い方はそれ以上に酷いのだが。

 

「そうにしか見えねぇよ、特にこの天狗鼻」

「ひっでぇなお前」

 

あんま気にすんなよと、彼は続けるか迷ったが言わなかった。

自分の立場なら、そんな事は絶対に言われたく無い。

情けを掛けられるなど、死んでも御免だった。

 

「ま、ここまでにしとくか」

 

そういうと、彼は本を畳んだ。

その横顔には、疲労が掠めている。

骨折を含む負傷はこの数日で完治していたが、

この数時間の読書は負傷よりも体力を擦り減らす行為であったらしい。

図書館という慣れない場所に押し込められたことも、その一因かもしれなかった。

 

「目当ての奴は載って無かったしな」

「何を探してたのさ」

 

まぁ兵器か何かだろうなと魔法少女は思った。

 

「源頼光って、知ってるか?」

「…ミナモトノライコウ?」

 

聞いたことがあるような、無いような名前だった。

 

「伝説の武将だ。ここにもいたらしいからな」

「相変わらず、面倒くせぇ言い回ししてやがんな」

「仕方ねぇだろ。っつうか理由は何度も話したじゃねぇか。俺は元々」

 

言い掛けたところで、彼は口を噤んだ。

声が大きくなりかけているとの自覚からだった。

 

「兎も角この本、半分読んだが日本の事が載ってねぇ」

 

一番大事だろうがと彼は続けた。

悪罵こそないが、幾らか憤慨した様子だった。

 

杏子の視線が右に流れた。

ゆっくりと彼は振り返った。

背後には巨大な本棚が聳え立っている。

棚の上部には「歴史」と銘打たれていた。

 

棚の最上階には「世界史」とあり、その下に「日本史」とあった。

 

「あ」

 

と、彼は口をぽかんと開けた。

彼が本を取ったのは、最上段からだった。

その際に使用した踏み台はまだ、本棚の前に置かれている。

 

「そろそろ時間だね」

 

間抜けを前にしでのにやついた響きの中には、

これ以上の滞在を由とはしない確固とした意思があった。

行く前に予め、撤収時間は取り決められていた。

その理由を杏子は言わず、彼もまた聞こうとはしなかった。

そろそろ、学生が増える時間帯となる。

彼らと同年代の者達の時間が近付いている。

 

「また今度だな」

 

本を片手に、踏み台を用いて丁寧に棚へと返却する。

大人しく冷静な切り替えしだったが、顔に滲む悔しさがそれを台無しにさせている。

また本来、本は回収棚に返す筈だった。

先程別の本をそこに返していたので、知らないという訳で無い事は分かっている。

明らかに動揺しているのだった。

 

「次はゲーセンだったよな、さっさと行こうぜ」

 

杏子を待たず、ナガレはずかずかと、されど足音を立てずに先に歩いていく。

やや不貞腐れた態度の少年の背を、呆れに満ちた視線で見つつ、彼女は一つの仮定を立てた。

殺意と憎悪しか湧かない腐れ道化と違い、今一つ彼を憎み切れないのは、

こういった天然のバカさ加減のせいだろうかと。

 






今回は若干短めですが、テンポを優先させていただきました。
私事ですが最近、資料も兼ねて偽書をよく見返しますが、
やっぱり了は可愛いすぎる…(R-18な事をされただけはあるというか)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 かくて流れ者達は風見野を巡る②

先話と同じく、テンポを優先させていただきました。




皮膚は蕩け、肉が血と共に液体のように滴り落ちる。

裂けた腹から零れる臓物は腐敗が進み、赤緑色となっていた。

だが白濁した眼球の中で、瞳が真っ赤に輝いていた。

頬が削げ落ち、剥き出しとなった歯には刃物の鋭さが宿っている。

歯の間から滴るのは、血が混じった唾液による赤銀の滝。

 

血と涎と細かい肉を飛ばしつつ、異形達…俗にいうゾンビの群れは一斉に叫びを挙げた。

 

「喧しい」

 

女に似た少年の、冷えた声と共に光が奔る。

光が触れた途端、数体の異形達が破裂した。

極彩色の破片となり、凄惨無残な様を見せつけ散っていく。

 

「一匹も通すんじゃねぇぞ。金を無駄にしたかねぇ」

「分かってらぁ」

 

少年と魔法少女は、互いに背を向けていた。

両者の両手には、一対の厳めしい銃器が握られていた。

俗にいうマグナム銃とやらの形を模した玩具の銃であったが、

それが銃口から無害な光の火を噴くたびに、

幻想の異形達は地獄を垣間見たかのような絶叫を挙げて砕け散っていく。

 

二人の眼の前にある、巨大な壁のような画面には地獄絵図が描かれ、

足場には荒れ地が広がっていた。

床面から数十センチほどの厚さの機械の上に、彼らはいた。

 

ガラス状の足場に描かれていたのは、CGで造られた異界の地面であった。

彼らの歩みに従って荒野は進む。

その過程で、地獄が量産されていく。

 

巨体の異形は、その表面積を覆い尽くす弾丸の連射によって虚空に空いた穴となり、

細身の異形は上半身と下半身を分離させられ、

挙句滞空中の両者は執拗な追撃を受けて粉微塵へと変えられた。

胸のふくらみが、嘗ては女であったと物語る個体は顔面を粉砕された。

一撃で葬った事は、彼なりの慈悲だったのかもしれない。

 

だが手間という一瞬の隙を突き、倒れ行く女の異形を踏み潰しながら四足の異形が彼へと迫る。

あと一秒で接触、即ち即死という瞬間、二つの光が異形を貫いた。

一つは闇のような黒。

彼の銃器が撃ち出す、退魔の光の色だった。

そしてもう一つは陽よりも明るい、真の紅。

 

「油断すんなって言ってんだろが」

「余計な援護ありがとよ」

 

一瞬背後へ悪罵と視線を送った後に、ふんと粗めの鼻息を吐いて両者は殺戮へと戻る。

近頃近隣の新興都市で開発されたというこのゲームの面白いところは、

相方の方へと振り返り何時でも援護射撃が可能というところだった。

背後の画面は、メインとなる画面上部に設けられた小型のディスプレイにて確認可能である。

 

援護の様子は視覚的にも効果があり、互いの一体感が感じられるという事から、

学生や兄弟、または恋人同士で人気を博しているゲームであった。

映像も派手であり、クオリティの高い映像から、ギャラリーが絶えにくいこともまた、

この遊戯の人気の礎となっていた。

 

少年と魔法少女の周囲にも既に十数人ほどが立ち並び、

少年少女による殺戮模様を観戦している。

 

だが、その誰もが一声も発していなかった。

銃器を振り回す年少者二名の動きが、同じ人類であるはずの自分たちよりも

遥かに高度に感じられることへの驚異と、二人から放射される不可視の何かが、

主に中高生で構成されたギャラリー達を彫像へと変えていた。

 

何かによって麻痺していく脳が、ある種の結論を出した。

その場にいた誰もがそれを理解した。

幻想の世界で異形相手に共闘する、この二人の仲の悪さを。

刻一刻と張り詰めていく不可視の力は、

眼の前よりも背後の存在に向けられていく敵対心からの戦意であると。

 

「おらよっ!」

 

裂帛の叫びと共に、少年が両手を神速の速さで振った。

振り切られた先の手で握られた銃は、グリップの底が短い刃状に変形していた。

直後、画面内で破壊の乱舞が見舞われた。

数体の異形の首が飛んだだけに留まらず、

背後に控えていた第二陣から四陣までの身体を真っ二つに引き裂いた。

 

銃刀の破壊力は、振られた速度に比例する。

彼の一閃は、プログラミング上での最大火力を叩き出していた。

射撃と疑似格闘を行えることも、この遊戯の醍醐味の一つだった。

 

「風の噂に聞いた、ブレストリガーってのに似てるな」

 

死の斬線を見舞いつつ、少年が愉し気に呟いた。

疑似的とはいえ破壊衝動の幾つかを満たされ、彼は上機嫌だった。

 

「こんな時にも昔話か。確か、マジン何々とかいう奴の事だっけ?」

「そこまで言ったら残りも言えよ。たった二文字だろうが。

 まぁそうだな、そいつらの一種の武器だ。にしても魔神どもは数が多過ぎて面倒くせぇ」

 

俺も人の事は言えねえけど、と彼は続けた。

また物騒な単語が出たと、杏子は心中で罵倒しつつ思い出す。

魔神というのは、あの鉄塔猫の親戚らしいと。

また、彼は偉大な勇者とやらが気に喰わないらしいという事を。

本人も何故そう思うのかは分からないそうだが、

今はというか彼女にとってはどうでもいい事柄だった。

 

「あ」

 

殺戮方法を再び射撃に切り替えてすぐ、彼が間抜けな声を挙げた。

何事かとサブ画面を見た杏子は、

 

「…バカが」

 

と罵った。

彼の前で、緑色のワンピースを着た童女が、胸に風穴を開けられていた。

小さな膝を折りゆっくりと倒れ伏した直後、彼の画面は暗転した。

そして「GAME OVER」との文字が、血に彩られた刺々しい筆記で画面に描かれていた。

 

「何やってんだ、テメェ」

「ミスった」

 

銃を所定の位置に戻し、彼は潔く認めた。

だが先の図書館の時のように顔には悔しさが滲み、

耳には若干の赤色を浮かび上がらせていた。

 

「急所だったぞ」

「…分ぁった、ああ、狙ってやったよ」

「何で?」

 

口調には嘲りと怒りが混在していた。

怒りの原因は、彼女の境遇によるものだろうか。

 

「こんな化け物まみれの荒野に子供がいる事なんざ、どう考えてもおかしいだろうが。

 だから敵の一種だと思っちまったんだよ」

「…まぁ、分からなくもねぇな」

 

真っ当な言い分を返してくることは、最近の彼らの定型文ではあったが、

それでも杏子自身も納得し、怒りは急速に引いていく。

それが作用したためか周囲の数人の呪縛が解け、ゆっくりと後ずさりしつつ撤退していく。

だがそれでも、十人近くが残っていた。

彼女の相方は不慮の事故で逝去したが、彼女はまだ殺戮の只中にいた。

彼が消えた分、敵の数は倍となっていたが、

全く怯まずに勇猛果敢に亡者達を蹴散らしていく。

 

「じゃ、飲み物買ってくるわ」

「あたしはコーラ二本な」

「たまには茶とか飲めよ」

「うるせぇ、負け犬が」

 

今もなお殺戮を続けつつ、杏子は敗者に言葉の槍を放った。

胸を貫く不快感を受け止めたまま、彼は足早に自販機を目指して歩いていった。

 









最近多忙となったため、一気に書き貫いた形になります。
作中の武器は魔神皇帝の一体から拝借させていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 かくて流れ者達は風見野を巡る③

自販機を前にして、ナガレは少し悩んでいた。

茶にすべきか、コーヒーにすべきかという事に。

魔法少女と切り結び、この世界の邪悪の権化である魔女を屠る戦士の悩みとしては、

それは酷く凡庸であった。

 

「うし」

 

本能の赴くままに、彼はボタンを押した。

ガタゴトンという音と共に排出されたのは、異国の霊峰より湧き出たという水であった。

要は喉を潤せばいいという結論からの選択だった。

 

自分の分を確保した後、彼は要求されていたブツを二つ購入した。

振ってやろうかと一瞬だけ思ったが、あまりにもしょうもない嫌がらせだと思い直した。

それに第一、無駄になる飲料水が勿体ない。

持参していた布袋にそれらを入れると、合流のために歩を進ませた。

 

風見野市でも最大級の規模を誇るゲームセンターの中は、

耳が痛くなるほどに喧騒で、様々な色の光が跳ねる混沌の坩堝だった。

機械や対戦相手への勝利による歓声と、敗北者の怒声が入り混じる。

 

惜しげもなく投入される硬貨たちが、装填された弾丸のような金属音を鳴らしていく。

こういう雰囲気を、彼は嫌いではなかった。

恐らくは、育った環境に似ているためだろう。

 

そして彼は、そこでよく生じていた音を聴いた。

 

「喧嘩か」

 

殺意の籠った怒声と悲痛な鳴き声が挙がり、何かが破壊される音が連鎖する。

闘争の音だった。

但し、構成される成分は彼の知るものとは少し異なっていた。

悲鳴を挙げているのは主に男であり、怒声の大半は女の声で出来ていた。

 

吸い寄せられるように、彼はそこへと進んでいった。

闘争の場には格闘技のリングのように人垣が生じていたが、彼は難なく最前列へと辿り着いた。

低身長と、細い身体の為である。

内心に沸き立った紛い物への怒りを黙らせながら、彼は開けた空間の中央を見た。

生じていた声からある程度は察したが、漫画のような光景が広がっていた。

 

床に倒れているのは、一見すれば普通の男子高生から大学生程度といった男達だった。

だがその顔立ちには険が立ち、眉間には亀裂のような皺が寄っている。

よく見れば歯が欠けていたり、露出した筋肉質の腕には、

刃物によるものらしき傷跡が刻まれていた。

 

揃いも揃って、暴力的な雰囲気を身に纏わせていた。

それらがみな、先に連ねたように床に倒れている。

腹や顔を抑え、傷を与えられた芋虫のように床の上で苦痛に喘いでいる。

 

人型の芋虫達の中央に、凛々しく聳える雄姿があった。

 

「どうした、もう終わりか」

 

毅然とした口調でそう告げたのは、薄紫色の髪の少女であった。

身長は百六十ぴったりほどで、歳は十四から十五程度。

倒れた者のどれよりも若く、そして小さな体躯である。

 

縦線の入った灰白色のパーカーを羽織り、黒いミニスカートを履いている。

年頃の少女らしく細い手足であったが、

スカートから覗く長い脚には健康的な筋肉の形が見えた。

肩にゆったりともたれ掛かるセミロングヘアーにはどこか、

何処ぞの道化に似た部分があった。

 

だが彼女から噴き上がる精悍な気配と鍛えられた肉体は、

何もかもが道化とはかけ離れていた。

ある意味、道化のアンチテーゼを成しているかのような少女だった。

それに追い討ちを掛けるかのように、無に等しい道化の胸とは対照的に、彼女の乳房は豊かであった。

 

「来ないのか?」

 

強い意志を感じさせる太い眉を僅かに歪めながら、不愉快さを宿した冷たい声で少女は問うた。

問いの先には、ただ一人残った長身の青年がいた。

一目でそれと分かる凶暴さが、短髪の若者からは感じられた。

それを証明するかのように、彼の手には刃物が握られていた。

だが誰も、それに反応を示していなかった。

そんなものが、何の意味も成さない事を予め知っているかのように。

 

獣のような怒声と共に、青年が少女の下へと突進した。

なんの躊躇いもなく、紫髪の少女は銀光を右手で掴んだ。

その直前、彼の身体に震えが走っていた。

 

僅かな停滞を挟み、青年の動きは完全に停止していた。

驚愕と恐怖が入り混じった狂人の顔で、青年は少女を見た。

血のような色の眼が、彼を見ていた。

 

「押すなり引くなりしたらどうだ?相手は女の細指だ。

 貴様の腕が未熟でも、刃の本分は果たせる筈だ」

 

少女は右手に力を込めた。

皮膚が裂け、熱い血が滴り落ちた。

 

「確かに私の言葉遣いも荒かった。恥ずかしながら、異性というものには慣れてなくてね。

 それに言葉の通り茶を飲み交わすくらいなら、付き合ってやってもよかった」

 

血を流しつつ、少女は諭すように静かに語る。

 

「だが人を売女と嘲り、挙句拉致しようとした事は流石に許せない」

 

血色の眼に、怒りの炎が掠めた。

余っていた左手が振られた、と見えた者は少なかった。

ただ青年が吹き飛ばされていく光景だけが、周囲の者らに見えていた。

丁度人のいない場所へと、青年は落下した。

凶暴ながら整った顔は、半分ほどが真っ赤に腫れ上がっていた。

膨れ上がった形には、少女の華奢な掌の面影があった。

 

沈黙。

 

そして歓声が挙がった。

歓喜は連鎖し、原始的な声が各所で連鎖し始めた。

中には理由もわからずに叫んでいる者もいることだろう。

 

だが勝者たる少女は、自らに注がれる歓喜に対して無関心であった。

いや、正確にはそれを装っていた。

嬉しいというよりも、恥ずかしさが込み上げていた。

 

無視するように、少女は倒したばかりの不届き者の顔を見た。

衝撃で裂けた唇の奥に、銀色のきらめきを見た。

丸く、指輪に似た形状。

缶ジュースのプルトップだった。

 

そういえばこいつが突進してきた際に、何か光ったものを見たような気がした。

そしてそれは、口のあたりで生じていたように思えた。

鳴りやまぬ歓声の中、薄紫髪の勇猛な少女は周囲を見渡した。

熱病に浮かされているかのような、少年少女の群れだけが見えた。

 

「同業者か?余計な事を」

 

彼女の悔し気なつぶやきも、湧き上がる歓声の中に飲まれていった。

 

「っと、そろそろ合流時間か」

 

腕時計を眺め、少女は苦笑した。

 

「暇だからとは言え、慣れない場所には来るものじゃないな」

 

苦痛の最中にある者達と、そして緩やかになりつつ歓声を背に、

少女は悠然とその場を後にしていった。











「鉄のララバイ」と「炎のバイオレンス」を聴きながら書きました。
後者は特に過激な歌詞で構築された歌ですが、この二曲はなんとなく、
おりこ☆マギカやかずみ☆マギカと親和性があるような気がします(自分の勝手な感想です)。

また自分の稚拙な文章からで分かりにくいと思いますが、今回の主役はあの方です。
正直なところ、スピンオフを描いてほしいくらいに好きな人です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 かくて流れ者達は風見野を巡る④

ゲームセンターを退出して十分ほどが経過した。

スーパーマーケットの一角を歩きつつ、ナガレが述べた報告に対して家主が応えた言葉は

 

「興味無ぇ」

 

という、全くのぬくもりを欠いた一言だった。

 

「これまでに会ってきた連中が特殊だってのは分かるけどよ、

 お前らも結構殺伐としてんな」

「黙れ、この鉄塔猫のお仲間野郎」

「もう少し捻った言い方しろよ」

 

魔法少女の少し後ろを歩きつつ、ナガレは言葉を投げかける。

だがこの時、彼の口は動いていなかった。

 

「にしても便利だな。念話ってやつだっけ?」

「あたしの場合は素だけどね。テメェのはあの斧魔女を媒介にしての紛い物だ」

 

心中の声が、互いの心の中で響いていた。

杏子がやや説明臭い言い回しなのは、

お前は自分たちとは違うという隔絶さを意識してのものだろう。

 

「つうか、鉄塔猫か」

「あぁ、どう見てもそうにしか見えねぇ」

「鉄塔猫、てっとうねこ…テットーネコ……テットー…」

「何繰り返してやがる。遂に本格的に狂っちまったのか?つうか、マジでうるせぇ」

「少しだけどな、元々の奴の名前と発音が似てるんだよ」

 

妙に納得したような口調というか精神の声に、杏子は「帰ったら殺そう」と思った。

この意識は常に、精神の片隅に座右の銘のように置かれているが、

その時の意思は明確な力強さを持っていた。

例えるならば常に燃え盛る太陽の中で、更なる超高温を宿して噴き上がる紅炎のように。

 

心を怒りに浸しつつ、杏子の右腕が茫と霞んだ。

菓子コーナーに差し掛かった瞬間の事だった。

 

「何時も何か喰ってんなと思ってたけど、こういう調達もしてたのか」

「こうでもしねぇと、金がいくらあっても足りねぇからな」

 

再び右腕が動く。

薄っすらと魔力を宿した、強化された身体能力が発動。

一瞬で数種類の駄菓子が、細い指に囚われる。

 

「それに、ここはもうそろそろ閉店するらしいからね」

 

窃盗の言い訳かと、彼は思った。

だがその思いに、魔法少女の軽犯罪を責める意思は存在していなかった。

 

「そういや、結構年季が入ってるな」

 

切り返しの思念と共に、彼は精神に湧いた感情を自らの惰弱と切り捨てていた。

 

「潔い撤退ってヤツだろ」

「人の名前が入ってるし、家族経営だったら後継ぎ問題かもしれねぇな」

 

成長と衰退を繰り返し、そしてやがて万物は終焉を迎える。

これもその一つだろうなと、魔法少女は思った。

 

窃盗を行いつつ、紅い瞳は経年劣化し色褪せた床面や天井を見ていた。

そして、ふと思った。

ほんの小さな疑惑でったが、それはやがて思考の檻となり、杏子の心を取り囲む。

 

魔法少女は、歳を取ったらどうなるのかと。

 

杏子は自分の年齢を鑑みた。

少女で通じる年だと思った。

少なくとも、あと三年程度は。

 

それを越えて生きていたら、自分は少女と評される年齢を越える。

何をして大人となるのかはよく分からないが、世間一般では親元を離れ、

自立した存在とも成れる歳となる。

 

少女は女へと立場を変える。

ならば、魔法少女の場合は。

 

魔を宿した女とは。

 

「おい」

 

思考を断ち切るような甲高い音が、彼女の檻を切り裂いた。

 

「使え」

 

伸ばされた少年の手に、複数の財布が乗せられていた。

動物の皮で造られたと思しき、趣味の悪い色彩の長財布であった。

 

「なんの積りさ。お情けかい?」

 

一瞬の沈黙を挟んだものの、出処を聞かないあたりが佐倉杏子らしかった。

 

「理由なんざねぇよ。強いて言えばゲーセンで貰った泡銭の処分だな。

 あと手加減したから殺しちゃいねぇよ」

「また絡まれたのか」

「この紛い物野郎、一応は俺だってのに女みてぇなツラしてやがるからな。

 そのせいかナメられる事が多いんだよ」

「…ま、前半の戯言はどうでもいいとして…だ。

 ゲーセンを出た瞬間に警察どもとすれ違ったのはそれが原因かい」

「半分はな。残りはさっき話したお前さんの同類に負けたアホ共のせいだろな」

 

年相応の子供らしい顔で屈託なく嗤いつつ、彼は「で、どうするよ?」と更に聞いた。

使わなければ、斧の購入費に充てるけどとの念がそこに続いた。

 

無言で杏子は手を伸ばし、簒奪された軍資金達を受け取った。

そして手近な買い物籠を引っ掴むと、奪い取った菓子をその中へとぶちまけた。

 

 

 

 

 

 

 

「今ならまだ間に合います」

 

極彩色の異界の中で、凛とした発音で少女は言った。

 

「これまでの愚行を悔い改め、物語の魔法少女のように真っ当に生きるのならば」

 

清楚、精錬、潔白を示すかのような、白と灰色で構築された軍人姿。

硬い質感の布が、細い身体にぴったりと纏われている様は、拘束にも似ていた。

 

「私たちは貴女を仲間として迎えます」

 

嘴のように長く伸びた日差し避けの下には、

その服装に相応しい凛々しい少女の顔があった。

山高い帽子の裾からは、白金の美しい髪が覗いていた。

 

「最近の科学技術には驚きますねぇ」

 

そこに、天上からの声が舞い降りた。

小悪魔のように可憐で、そして神のような傲慢さを宿した声。

声の発生源は、浮遊する巨大な異形の額に座っていた。

黄色い道化姿の少女だった。

 

「二足歩行で歩いて、糞みたいな戯言を吐ける人型バケツが作られていたなんて」

 

バケツという単語が、軍服少女の眉間に僅かな皺を刻み込んだ。

 

「おやおや、モチーフは中坊くらいの女ですか。

 糞の汲み取り以外にも、性欲の掃き溜めとしても使えそうですねぇ」

 

けらけらという嘲笑が、少女の下へと汚物のように降り注ぐ。

だが軍服少女は先程の動揺を押し隠し、己の顔を美しい宝石のように引き締めた。

 

「で、その後ろにいるのは腐れバケツ女に率いられた塵芥ども」

 

ひっ、という短い悲鳴が生じた。

軍服姿の魔法少女の背後からだった。

凛々しい少女の背中に、童話のヒロインに似た少女が身を隠すようにして立っていた。

 

「誰かと思ったら、頭お花畑の佐木京じゃないですか。

 キョド地味子とヤンキー崩れはどうしましたか?

 あいつら見るからにレズカップルっぽかったし、全てを捨てての愛の逃避行中ですか?

 或いは内ゲバで粛清でもやらかしました?」

 

仲間を庇うようにして聳え立つ、気高い魔法少女の奥歯が噛み締められた。

 

「言葉を変えますが、もう一度言います。---投降しなさい、優木沙々」

「寝小便みたいな寝言はゲロ吐いて死んでから言ってくださいよ。---クソ女の人見リナ」

 

隔てた距離は二十メートル。

その間を、灰と黄色の魔法少女から発せられる、不可視の感情の刃が繋いでいた。

様相を極限までに単純化して表現すれば、それは悪と善の争いであった。

 

「相変わらず口が悪いな、優木沙々」

 

異界を切り裂くように、新たな少女の声が響いた。

その声に、道化は汚物を見たかのように顔をしかめた。

 

「ゲッ、武人気取りの朱音麻衣」

「あぁそうだな。この姿は気に入っているが、少々演出過剰だ」

 

悪罵を受け流した薄紫髪の魔法少女は、

武者と騎士の鎧を掛け合わせたような意匠の、白と紫の衣を纏っていた。

 

「お前の道化姿の方がハマリ役だ」

 

血色の、見様によっては不吉さを思わせる瞳が優木を射抜いた。

優木は道化という言葉を、「間抜け」という意味に変換した。

怒りが沸騰し、道化の脳髄の中を悪意の言葉が走り抜けた。

 

「ところであんたら、異性から強姦したいって言われた事とかありません?」

 

そして、言語化された道化の悪意が始まった。

だがここに至っても、人見リナは相手の出方を伺っていた。

これすらも、相手を理解し懐柔するために必要な一種のコミュニケーションと見ていた。

だが理性は限界に近付いているらしく、

彼女の帽子の裏側では、皮膚下の血管が弾性張力を越えて膨らみつつあった。

 

「例えばそこの赤ずきんもどきは、あのキョド子みたいな小動物っぽさがありますね。

 胸も薄っぺらいし、その服装もいい感じですね。ロリコンどもの大好物って感じがしますよ。

 服をずったずたに切り裂いて弄んだら楽しいでしょうね。

 あとその髪型も、まるでお人形さんみたいですしぃ」

 

真っ先に嗜虐の対象となった魔法少女は、

自分の恐怖感が別の何かに変換されていくのを感じていた。

 

「あとリーダーさんカッコワライと侍ごっこのオトコ女は、

 無駄にデカい胸と態度が男どもの嗜虐心をくすぐるでしょうねぇ」

 

道化の言葉は、朱音麻衣の眼に刃の鋭さを与えた。

 

「顔がボッコボコになるまで殴る蹴るされて、

 ぐったりした後で縛られてから、何十人ものヤンキーどもに延々と輪姦される光景が

 直ぐにでも思い浮かんできちゃいますよ。あぁそうそう」

 

不愉快さに歪む三者とは対照的に、道化の顔は輝くような笑みによって歪んでいた。

蕩けていたといってもいい。

 

「気の強い女にはお約束の、前よりも後ろの方が感じちゃうとかでも面白そうですねぇ。

 あんたらどうせ彼氏もいないでしょうから、一人遊びとか熱心にやってそうですしー。

 そっちも自分で開発済みってぇのは、言わなくても見りゃ分かるって感じですよぉ」

 

勝手極まる発言の後、道化は決め台詞の如く

 

「くぅっふっふぅ♪」

 

と続けた。

そこでリナの限界が来た。

京と麻衣は、司令官の血管が弾ける音を聴いた。

 

「時間稼ぎはもういいだろう。

 その自信からして、また新手の魔女を捕まえたようだな」

 

何かを叫ぼうと思ったのか、口を開きかけたリナを背後の京が抱きしめ、

その間に麻衣がリナの前に出た。

自らを邪悪の盾とするように。

 

そしてリナを苛む道化への苛立ちは、麻衣の声には宿っていなかった。

 

「どんな奴でも、そして何匹でも呼び出すがいい。片っ端からぶった切ってやる」

 

彼女は既に、何があろうと道化を屠ると決めていた。

 

「…ちょっと、タンマで」

 

魂を射抜くような血色の瞳に、道化は怯えた声を出した。

だが怯えの裏には歓喜があった。

このクソ共をどうやって粉砕してやろうかという邪悪な思惑が、道化の中に渦巻いていた。

 

ここまでに沢山の苦労があった。

こいつらをおびき寄せる為に、糞丁寧な文調の手紙を何通もリナの自宅に投函した。

今日の会合を開くまでに要した期間は一週間だが、指定されたロッカーへと毎日

置かれてくるリナの正義塗れの手紙には異常なまでの精神的な苦痛を強いられた。

 

だがそれによって培われた殺意が今、満たされようとしていた。

 

今の優木には、無敵に等しい力が憑いていた。

招来のメッセージを送ってから数分が経過している。

そろそろ来てよと思った瞬間、彼女の胸元が震えた。

 

突撃姿勢を取り始めた武人に冷や汗をかきつつ、

道化は薄い乳に触れている連絡用のガラ携帯を取り出した。

手を添える時は、姫君のように恭しく丁寧に、そして引き抜く時は勇者のように雄々しく。

 

電子の輝きを放つ画面を開き、道化はメールボックスを開いた。

 

「登録名:呉キリカ」

 

の文字が道化の瞳の中に浮かんでいる。

呉キリカという名前の読みは、「くたばれキリカ」となっていた。

 

だが喜び勇んで見た瞬間に、道化の脊柱を絶対零度の冷気が刺した。

 

呼び出しのメッセージで、何故文章が?

 

心中の疑惑は猛毒と化していた。

画面をスクロールする道化の手は、投薬を受けた実験動物のように無惨に震えていた。

 

 

 

 

「ごめん、生理きついから引き籠ってる。頑張ったけど無理。

 多分友人と赤毛の所為。何の用事か知らないけど、今回は一人で頑張ってください。

 ps.お見舞いに甘いお菓子を買ってきてくれたら、それはとっても嬉しいな」

 

 

 

絶望と悪意が、道化の口から絶叫となって吹き荒れた。

 

絶望の最中、優木は視線を下に移した。

哀願を込めた潤んだ目に、三本の火柱が映っていた。

軍人風姿の白金髪の魔法少女は顔に鉄のような冷たさを宿し、

童話のヒロインに似た栗毛の魔法少女は、今にも嘔吐しかねないような青ざめた顔色となりつつ、

敵意を剥き出しにした必死の形相となっていた。

そして薄紫髪の魔法少女は、

 

「よし、刻もう」

 

処刑の言葉を静かに口遊んだ。

 

麻衣の言葉は、道化がどこかで聴いたことのある言い回しだった。

冷ややかな宣告を下しつつ、腰に差された長剣を抜き放った。

彼女の毅然とした人格が宿ったかのような、両刃の実直な剣であった。

 

嘔吐感を堪えつつ、ふらつく足取りで立つ魔法少女の赤い頭巾が膨らむ。

膨らみを抜け、童女を模した人形が飛び出した。

可愛らしい外見とは裏腹に、両手には人形の身長の倍ほどの、

長さにして二メートル近い大バサミが握られていた、というよりも生えていた。

まるで残酷な童話にて、狼の腹を裂いた凶器のようだった。

 

そして、瞳の無い顔を道化に向けて疾走を開始した。

司令塔の魔法少女が掲げたステッキの先端からは、青白い稲妻が迸る。

 

「優木ぃぃいいいいいい!!!!!!!」

 

それまでの物静かさ、別名鬱憤を晴らすかのような、人見リナの叫びだった。

青白い電撃の毒蛇たちが舞い踊る中を、

無表情な魔人形と剣士少女が悪鬼の咆哮を挙げて疾駆する。

 

 

 

刹那の後、形容しがたい破壊音と、ソプラノの悲鳴が異界に満ちた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 かくて流れ者達は風見野を巡る⑤

買い物を終えて二十分後、両者は廃教会へと戻っていた。

時刻は既に午後の六時を回っている。

 

「で、どうだったよ」

 

ソファに寝転びつつ、魔法少女が問う。

 

「風見野市民体験コースは」

 

嫌味が添付された、棘のある口調だった。

 

「普通の街だな」

 

何時もの通り気にもせずにナガレは返した。

相手よりは幾らか感情が籠った声だった。

この地で生まれたものと、来た者との差であった。

 

「だが見慣れてきたせいかな。結構気に入った」

 

漫画を読みつつ答えたナガレは、口の端を緩やかに歪めていた。

言葉の通り街自体に好意があるのと、

読み終えたそれは読後感がいい作品であったためらしい。

 

「とりあえず今日は平和だったな」

 

平和とは、一瞬だけ垣間見た強者の蹂躙も含められている。

舐めている訳では無く、平和という認識が通常人類のそれではないためだろう。

 

言いつつ漫画を片付け、代わりに新聞紙を取り出した。

肉食動物が、獲物の骨に付着した肉を舐め齧るような視線で新聞を読んでいく。

数か月前に発生した、隣街での市議会議員の自殺に関するゴシップ記事、

動物の遺灰を用いて精妙な絵を描く天才画家の展覧会の告知、

若き天才バイオリニストを襲った悲劇、そして現状についての考察と過去の栄光の記事、

そして、半裸でクッキングをするという筋肉質な男性コックの巨大な写真入りの

特集等が、情報の波となって彼の脳に叩き込まれた。

 

感情を処理するのに数秒、そして理解。

 

「やっぱ訂正。世界ってのは、どこに行ってもロクでもねぇや」

 

世界には喜劇と悲劇と歓喜と悲哀、そして変態で満ちているのだろうかと彼は思った。

何かの死や破滅に思う事は無い訳が無かったが、全く関与の無い他人である以上、

情報としての強弱は、絵面の衝撃さがそのラインを引いていた。

 

「同感」

 

家主から、無気力そうな返答が届いた。

彼女の言うロクでもないとは、彼が先に発したものとは異なっていた。

彼もそれには気付いていたが、彼女の生活に関して何かを言わないのと同じく

今回も黙るに徹していた。

指摘すれば、さぞ激しい戦いとなることは必至であったが、

それを闘争の火種とするほど、彼の心は人間性を捨てていなかった。

 

「ま、それはそれとして」

 

紅髪の家主がゆっくりと起き上がる。

そして紅の瞳で同居者を見つめる。

色としては炎の紅だが、そこに宿る温度は氷点下を下回っている。

 

「今日は死ぬほど退屈だ」

「俺はそうでもなかったかな」

「テメェの感想なんざ知ったこっちゃねぇ」

 

存在を否定する一言は、彼の神経の一角を小突いた。

主に怒りを管轄する部分を。

 

「とりあえずそろそろ飯時だ」

 

怒りの発露を感じつつ、杏子は何事もない風に告げる。

 

「目安は七時にするか?」

 

こちらもまた、相手から放射される魔の力を感じていた。

それでいて、朗らかとさえ言える口調だった。

 

「あぁ。その時間帯は悪くねぇ」

「なら、さっさとやるか」

 

魔法少女と少年が利き腕を伸ばす。

紅の魔力が放出されて槍となり、迎え撃つように黒い異形が召喚される。

斧槍状の異形から黒い波濤が迸る。

黒髪の少年を基点に、異界が形成されていく。

 

家具や家屋は現世に遺し、一対の魔が対峙する。

得物を力強く握ると、両者は刃の瞳で相手を見据えた。

本来の日常に戻る時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様」

「そっちもな」

 

錆だらけの鉄扉を背に、童話のヒロインに似た魔法少女と、

剣士姿の魔法少女が言葉を投げ合う。

短い遣り取りだったが、口調と声色には柔らかさと温もりがあった。

心から相手を労わってのものだった。

 

「優木の奴も、これで少しは懲りるだろう」

 

剣士姿の魔法少女、朱音麻衣の声の合間に、

 

「ぎゃあ!」「ひんっ!」「あひっ!」「ぎゃんっ!「あはぁあ」

 

という断続的な悲鳴が重なっていた。

更に悲鳴に混じり、生々しい音階の破裂音と何かが弾ける音が生じていた。

それらは、彼女らの背中の奥で生じていた。

何層にも渡る扉の奥から、それらは響いているのだった。

 

「一番嫌な役だろうが、リナも頑張るものだ」

 

麻衣の声には、苦笑さと哀愁が入り混じっていた。

 

「罰の基本といえばそうだが、裸の尻を百叩きとは…。

 尤も、時間からして百どころか千は軽く越えているだろうな」

「沙々ちゃん、ちょっと可哀想だね」

「京は優しいな。私には自業自得にしか思えない」

 

京と呼ばれた少女の眼には、悲哀さが宿っていた。

 

「沙々ちゃんも、私達みたいな仲間…ううん、お友達がいればよかったのに」

「…」

「そうしたら、こんな事には…」

「…そうだな」

 

ほんの僅かに隙間を開けて、麻衣は返した。

沈黙の原因は、その「もしも」を道化が巡っていたら、という想像をしたためだった。

何も変わらないだろうな、という自分の結論を麻衣は内心に押し込めつつ、

仲間の優しい言葉を肯定した。

 

「私は皆に会えて、本当によかったと思ってるよ」

「ああ」

 

本心を込めて、剣士は言った。

 

「もしリナ達に出会っていなかったら、私は今の優木と同じ立場となっていたかもしれない」

「そんな…」

「強い奴と戦いたい…それが私の願いだ。自分で云うのもなんだが、ロクなものではない」

 

どこか寂しそうな様子で、剣士は独白を続ける。

赤ずきんを被った小柄な魔法少女は、黙って話を聴く事にした。

だが本心としては、「そんなことないよ」と言いたくて堪らなかった。

 

「正直なところ、魔女相手の戦いには高揚を感じてならない。

 言うなればそれは、悪魔の感情なのだろう」

 

腰に差した剣の柄に、彼女の手は添えられていた。

心の拠り所を求めるように。

 

「私事私欲で災禍をばら撒く魔女や優木と、何処が違うのだろうな」

 

血色の眼は、彼方を見つめているように見えた。

視線の先にあるのは、乱雑に散らばった紙や横倒しになった椅子や机。

倒産した会社組織の残骸は、彼女の内心に自身の行く末を予感させていた。

願いによる闘争の果てに待つものは、破滅にしか思えなかった。

 

「…でも麻衣ちゃんのお陰で、私達は何度も助かったんだよ?」

 

麻衣は夢の亡骸から眼を逸らした。

傍らの、自身よりも十センチは低い小柄な体躯を見つめる。

 

「沙々ちゃんの魔女達に襲われた時も、隣町から来た宝石狩りの魔法少女も…。

 麻衣ちゃんがいたから、皆無事だったんだよ」

 

京の脳裏に、そう過去ではない嘗ての光景が蘇る。

欲望と悪意の権化たちに、薄紫髪の魔法少女は仲間と共に敢然と立ち向かっていった。

血の海を吐き出しつつ、それでも倒れずに邪悪の群れを討ち滅ぼし、または退けた。

鮮血の色を宿した瞳の少女は、京にとって、物語の勇者に等しい存在だった。

 

「それに、あの…」

 

次の言葉を継げようとして、京の唇は停止していた。

 

「斧爪か、群れか?」

 

麻衣からの問いに、京は答えられなかった。

自らの言葉と記憶が、童話少女の心を蝕んでいた。

 

「大丈夫だ」

 

剣士が気丈な言葉を告げた。

それ以外に、彼女が選べる言葉は無かった。

 

「黒い斧爪も強かったが、奴はもういない」

 

麻衣の長い脚が、刃のように鋭く動いた。

音もなく一瞬で距離を詰めると、彼女は長い両手で京の身を抱いた。

 

「そしてあの黒い化け物どもも、今度は斃す」

 

酷薄な宣告とは裏腹に、小柄な体を抱く両手は慈しみで満ちていた。

 

「京もリナも、みんな私が守ってやる」

 

自らに言い聞かせるように、京の耳元で麻衣は囁く。

豊かな胸に触れている少女の眼からは、熱い液体が溢れ始めた。

されど京は嗚咽を噛み殺し、泣き声を発する事を自分自身に許さなかった。

 

気弱な少女が、それでも気丈に振る舞う一方。

鉄扉の奥では、道化の悲鳴が続いていた。

 

 

 












風見野自警団…彼女らもマギレコに参戦してくれないでしょうかね…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 風見野事変

粗末なパイプ椅子に座りつつ、魔法少女は一枚の紙を眺めていた。

A4用紙に描かれていたのは、人と猫か、

山間部や平野に並ぶ鉄塔を組み合わせたかのような異様な姿。

 

太い手足を太い胴体から生やした身体の頂点にあるのは、六角形に近い形の角ばった頭部。

そして、左右の斜め上に突き出た猫耳のような角、或いは角のような耳。

細部は省略され、全体図としての線図であったが、各部を手足や頭としたように

どう見ても人型の物体にしか見えなかった。

 

湧き上がる疑問と、嘗て自分と似ていると間接的に称された事による苛立ちが、

魔法少女を苛み始めた。

 

「で、こいつは結局何なんなのさ」

 

投げやりな口調で杏子が尋ねる。

返答を期待していない声だった。

相手をどうでもいいとしているのもあるが、音量的な意味合いもあった。

彼女の声は、無数の火花の音によってほぼ完全に掻き消えていた。

 

「何か言ったか?」

 

火花の音が止み、少年の声が廃ビルの中に木霊した。

ナガレは右手に炎の燻るバーナーを持っていた。

先程まで彼の顔を覆い、現在は頭頂部へと跳ね上げられているのは、

赤い縁取りが成された金属製の鉄仮面。

 

腰を屈めた先には、加工中の金属の塊が見えた。

白銀色の中で真っ赤に焼けている部分が、今まさに炎に焙られていた場所なのだろう。

 

「さっさと爆発しろって言ったのさ」

「死なば諸共よ」

 

少年の皮肉と共に、再びバーナーが作動する。

顔面は覆っているとして、その他の部分は彼の白手袋と私服に直撃していた。

服にまで改造を施したのか、またその下の肌も頑強なのか、

火花程度では損傷に至らないらしい。

ナガレの前面には、炎の花が吹き付けていた。

炎の匂いが、全身に染みつきそうな姿だった。

 

顔面を覆う仮面も、視覚を保護か強化する為か、

眼球の前の部分が突き出ており、先端が青いレンズで覆われていた。

SF映画で砂漠の星を旅する旅人のような姿は、火花を散らすという物理的な暑苦しさと相俟って、

 

「むせる」

 

と杏子に言わしめた。

何かの歌の一節だったかなと、杏子は思い出していた。

作業を開始したのは十五分ほど前だが、見ているだけで心が乾くような姿だった。

 

不快な部分は他にもあった。

彼が握り、青白い炎を放出させているバーナーの根元からは、

長いコードが動力源に向かって伸びていた。

本来ならガスタンクにでも接続されるはずだが、その終点は床に横たえられた巨大な黒斧槍。

斧の中央に開いた穴の中へと、コードの先が消えていた。

 

更にその穴の上空には黒い塊が浮遊し、コードに手を添えていた。

湾曲した角も含めて、身長約百六十センチ。

戯画化された牛と、人間の中間のような外見の異形であった。

 

嘗て壮絶な死闘を繰り返した相手の子孫らしき存在は、紆余曲折を経て彼の武器とされていた。

まぁ、それは分かる。

分かりたくもないのは百も承知だが、元々は道化の所有物と化していたらしいので、

そいつの十数段下の不快さで、更にそいつの多少上の身体能力を素で持っている存在が

異形を操れるのは一万歩ほど譲って認めてやってもいい。

 

だが今の魔女の状況は、ガス管かコンセントと同じ扱いだった。

魔女に憐憫の意は微塵もないが、それでいいのかと思わざるを得なかった。

 

「おい、悪いけどちょっと火力を下げてくれ」

 

そう思っていると、ナガレは魔女へと指示を飛ばした。

コードを支える偽りの身体が頷くと、炎の色が赤みを増した。

 

「よし、あんがとさん」

 

操者の礼に、再び魔女の偽体が頷く。

魔女と少年の関係は、割と対等な立場らしい。

 

杏子は溜息をつきたくなった。

ついでに槍を顕現させて振いたくなった。

それをしないのは、あまりにも彼が無防備すぎて気が萎えたためと、

今製作されている物体に興味があるからだった。

ある意味人質を取られてるようなもんかと、魔法少女は想いを馳せた。

 

「ところで、さっきの質問だけどよ」

「結局聞こえてたのかよ」

 

言葉を音から思念に変え、両者は会話を始めた。

 

「そいつは俺の武器だ」

「ピンと来ねぇ、要約しな」

「じゃあ乗り物」

「意味分かんねぇよ」

 

彼としては真実を伝えた積りだったが、魔法少女はそれを自分を嘲っての冗談と受け取った。

 

「つまりアレか、鎧みてぇなもんてことでいいかい?」

「まぁ…あぁ、それでいいや。

 実際使ってる感覚だと、俺よりデカい奴をぶん殴るのに役立つって感じだしよ」

 

そういえばちょっとした山か、

それこそ鉄塔くらいの大きさらしいという事を杏子は思い出していた。

最初の時も思ったが、悪い冗談としか思えない。

だがその反面、非現実に過ぎて変な笑いが腹の底で湧いてきた。

眼の前で金属加工に勤しむ少年が、山より大きな変な連中と、似たような大きさの物体を用いて殺し合う。

意味不明にすぎて、想像力が追いつかなかった。

それが彼女の腹を笑いによる痙攣で満たしていった。

そして腹筋の痛みに呼応してか、腹部に別の感覚を感じた。

満ちていく笑いに反して、彼女の腹の中身は空になりつつあった。

 

「なぁオイ」

 

手で弄んでいた絵を、生真面目な性格故か丁寧に仕舞いつつ、

杏子は叫ぶように言った。

声に反応したナガレが、作業を止めて振り返る。

 

「そいつはイタズラされねぇようにどっかに仕舞って、ちょっくら飯行こうぜ、飯」

 

建設的な発言に、ナガレは言葉に詰まった。

別人に変じたかと思うほどの友好的(莫迦にしていることによって生じた笑いのためである)

な言葉である事が、彼に困惑を与えていた。

 

「腹減ってミスられても困るのさ」

 

原因を察したのか、異界の空想を脳の奥に仕舞い込み、普段の棘のある口調で杏子は続けた。

彼もまた理解を示し、工具を手早く片付け始めた。

コードを引き抜かれた斧は跳ね起き、宙で回転しつつ消滅した。

本体が消えると共に、牛の身体も霧となって輪郭を薄れさせていった。

何処となくもの悲し気な様子だった。

 

だがその光景に、杏子は一切の油断をしなかった。

元々隠形と幻惑に秀でた魔女であり、この様子も演出か習性に過ぎない事は分かっている。

姿は消していれど、彼が呼べば直ぐに舞い戻る場所にいるのだろう。

 

つまり見えてはいなくても、実態はすぐ近くにいるのだった。

しかし一方、その気になれば何時でも魔法少女と少年の首を刈れるのだろうが、

報復を恐れてか今のところ反旗を翻す様子は無い。

 

それが何故かは分からないが、両者は一つの推測を持っていた。

「こいつらといると、食事には困らない」、斧型の魔女は、そう思っているのではないのかと。

 

黒い魔法少女の血肉を貪り食った様子と、訓練を兼ねた喧嘩の際に吹き荒ぶ、

紅竜と戦士の血潮を、魔女はさも美味そうに吸い込んでいった。

 

気に喰わない奴と自分の血が宙で混じり、じゅるじゅると吸い込まれていく様は、

まるで地獄の孔に、自らの業が吸い込まれていくかのようだった。

何度見ても慣れず、慣れてなどはならない光景だった。

 

数年前のあの日以来、愉快な気分に浸れた回数は少ないが、

ここ最近は特に多かった。

黒髪の人間らしきものとの遭遇に始まり、

嘗ての強敵との再会と不愉快極まるド腐れ道化の襲来。

 

そして不死身の黒い魔法少女との死闘とロクな事が無い。

既に現世からして地獄だが、死んでも行き先は地獄だろうなと杏子は薄い笑みを浮かべた。

 

まぁ、それも退屈しなくていいだろうと思いつつ傍らの金目窓を開き、宙に身を躍らせた。

 

 







今回もテンポ優先で短めです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 風見野事変②

廃ビルを出た後、不仲な両者は一軒のファミリーレストランへと足を運んだ。

どこにでもある、チェーン店の一つであった。

どっかりと腰を降ろした魔法少女は、少年が広げたメニュー表を奪い取り、

接客に向かった若い女性店員へと

 

「ここから」

 

最初のぺージを開き、

 

「ここまで」

 

と、最後のページを示した。

にこやかな笑顔の、恐らくは大学生程度と思われる女性の顔に、

痙攣のようなものが奔った。

胸の名札には「研修中」のプレートが添えられている。

嫌な客に遭遇したものである。

 

困惑する女性の下へ、一対の闇色の光が届いた。

眼差しだと気付き、彼女がそちらへ視線を送ると、静かに頷く黒髪の少年が見えた。

 

「畏まりました」

 

恭しく一礼すると、女性店員はその場を立ち去った。

流れに身を任せる事にしたのだろう。

彼女が知るところではないが、それは二重の意味を孕んでいた。

 

「よく言われてっけど、飲食業界ってのは大変だな」

 

少年のそれは、皮肉と嗜めの言葉だった。

 

「じゃあどうしたらよかったのさ」

「全部って言えば楽だったんじゃね」

「あたしのと何が変わるんだよバカ野郎」

 

会話数が多い訳でもないが、この時点で両者の周囲の席には

重苦しい雰囲気が溢れ始めていた。

そもそもファミレス特有の長椅子と長机を与えられた席だというのに、配置を単純に表せば

 

壁壁壁

 机流

杏机

 

と成っているあたりに、単純ながら隔絶さが表現されていた。

特に会話も無いまま、二分が経過し始めようとしていた。

暇つぶしになればと、杏子は適当に店内を見渡した。

数秒で飽きた。

視点を手前に広げられたメニュー表に落とす過程で、

斜め左にいる相棒もどきが目に入った。

 

「何してんだテメェ」

 

問いの先にいる相棒は、真剣な表情で机の上に広げられたプレートを見ていた。

 

「間違い探し」

 

見れば、お子様向けのメニュー表の裏側には彼の言う間違い探しが記載されていた。

倣うのは癪だったが彼女もそれを一つとり、彼と同じ遊戯に講じ始めた。

更に二分が経過した。

 

「幾つ見つけた?」

「八つ」

 

先に始めていたとはいえ、杏子よりも一つ多い。

なにくそと意気込み、魔法少女は左右の絵を見比べた。

内容は最近のメニューの原料等の詳細についてであったが、

茫洋とした絵柄と相俟って間違いが何処か分かりにくいことこの上無い。

 

ルールなど元々ないが、反則覚悟で魔法を使おうかと思った瞬間、

 

「お待たせしました」

 

快活な店員の声が両者の思考へと割り込んだ。

それまでの解答の全ては、その一言で両者の頭からは吹き飛んでいった。

若干の恨みがましさを宿した眼が、そちらに視線を送る。

途端に、紅と黒の眼は別の色に輝いた。

大量のステーキにパスタ、スープやサラダ等が店員が押してきた皿台の上に乗せられていた。

両者の眼で輝いているのは、獲物を前にした捕食者の欲望の光であった。

 

それは最早、食事というより闘争だった。

ほぼ二口程度でステーキ一枚が平らげられ、

皿に盛られたパスタが飲み物のように呑み込まれていく。

フォークの一刺しが野菜の大半を一気に貫き、直後に口の中へと丸め込まれる。

 

第一陣が瞬殺され、続く第二、第三陣も同様に消耗されていった。

給仕の店員が目を丸くする中、アルコールを除くすべてのメニューが完食されていった。

 

「ごちそうさまでした」

 

両者が発した食物への感謝の声は、思いの外丁寧だった。

このあたりが、彼らを悪人に非ずと表しているのかもしれなかった。

 

魔法少女は、治癒魔法の応用で食物を完全消化していた。

ゆえに体形は変化せず、大量の食物を取り入れたというのに、腹は平坦な状態を保っている。

また対する少年も杏子と同じ様子だった。

こちらは生物として造りが違うとしか思えない。

深く考察するだけ無駄だろう。

 

「そういえばさぁ」

「うん?」

 

再び間違い探しを始めたナガレに、杏子が声を掛けてきた。

食物を摂取すると、多少なりとも性情が落ち着くらしい。

肉食動物、というか肉食恐竜のような連中だった。

 

「テメェはよく色んなもん造ってるけど、あんなのどこで覚えたのさ?」

「お前の言う鉄塔猫をいじってたら覚えた」

「またアイツか」

 

杏子が若干、苦々しい表情を見せた。

自分でも何故そう思うのか分からないといった様子だった。

ちなみに例の紙は今、彼女のホットパンツの尻ポケットの中で畳まれている。

 

「あと、昔の仲間に機械いじりを教わった事があったな」

「あー、そういや前にほざいてたな」

 

少し前に斬り合った後、暇だったからという理由で聞いた、ような気がしていた。

 

「で、屑かデブのどっちなんだい?」

 

身も蓋もない言葉に、流石にナガレも言葉に詰まった。

間違い探しを一旦保留し、杏子に向き直る。

 

「せめて気障ったらしい悪人面って言えよ」

「テメェの方がひでぇ言い方だって、気付いてる?」

 

彼としてはフォローのつもりだったようだ。

どちらが悪印象かは、聞くものの感性によるだろう。

 

「ってか屑はねぇだろ、流石によぉ」

「人間の顔面を爪で引っ掻いてくる奴が、まともだとは思えないね」

 

返答に困り、ナガレは苦笑した。

尚、彼は杏子に仲間や過去の事を話す際、一部をぼかして話していた。

後々の面倒を危惧しての事である。

彼が持ち得ていた、杏子が言う処の「鉄塔猫」とその力の根源は厄介事に過ぎていた。

 

その一つが、杏子に『屑』と吐き捨てられた仲間の詳細である。

一応、「引っ掻く」というのは間違ってはいなかった。

だが実際は反抗してきた部下の眼を潰し耳を千切り飛ばした挙句、

無力化したそいつを顔面と上半身の一部が半液状化するまで笑いながら殴り続けた、

というのが彼の知る仲間の悪行というか凶行の一つだった。

 

「あと名前が気に入らねぇ。なんか偉そう」

 

彼がロクでもない思い出を、軽く引きつつ思っていた最中、杏子がそう評した。

相棒の名前は記憶していないというのに、そいつのは覚えているらしい。

だが杏子の評価は彼の笑いのツボを刺激したらしく、ナガレは思わず吹き出していた。

 

「違ぇねえ」

 

後半の部分に同意しつつ、彼は笑いを保ったまま言った。

自分の本名にも当てはまるなとも、思いながら。

 

 

十数分後、ナガレはレジの前に並んでいた。

結局間違い探しは相棒とのやむを得ない共同作業を行ったものの、

最後の一つが見つからなかった。

次回のリベンジとし、それまでに変わらないようにと彼は願った。

 

そしてその一方、若干の苛立ちを覚えていた。

間違い探しに敗北したためではなく、会計が混んでいることに。

レジは四人ほど先にあるのだが、妙にまごついているらしい。

時折舌打ちと、ため息の声が前の方から生じていた。

彼は少しだけ身を横にずらした。

停滞の原因たる不届き物を、一目見てやろうかと。

 

白いシャツと、ピンク色のスカートを履いた、黒髪の少女の背中が見えた。

その瞬間、彼の背中に一筋の炎が奔った。

恐怖による寒気ではなく、体が闘争へと移行するための熱の発生だった。

 

「まだ並んでんのか、何やって」

 

相棒をレジに並ばせ、適当な場所に背を預けていた杏子が彼の下へと歩みを運ぶ。

そして、彼同様の反応を見せていた。

 

「あっ」

 

レジ前の少女は、財布から一枚の硬貨を落とした。

それは数人の前を通り過ぎ、ナガレの前で停まった。

手早く拾い上げ、彼は前を向いた。

 

一瞬の合間に、先程まではそこにいなかった人物が彼の前に立っていた。

そいつの黄水晶の瞳が、彼の闇色の瞳を出迎えた。

 

「あ、友人。久しぶり」

 

レジの前に長蛇の列を作っていた黒髪の少女は、限りなく朗らかに微笑んでいた。

災厄との再会だった。








久々のご登場です。
ファミレスといえば、アラサーマミさんでは商業誌以前だと
マミさんが杏子さんとゆまにファミレスで食事を奢るという話がありましたな。
…マミさんの机が二束三文(商業誌版より)に等しい金額で売られるという悲しい話でもありましたが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 風見野事変③

「友人、私たちは友達だろう?」

 

真摯さが宿った言葉を、少年は黙って聞いた。

沈黙を肯定と解釈したらしく、

或いは返答を気にしていないのか、黒髪の美少女は更に続けた。

 

「ならば私たちは忌憚なく悩み事を話し合い、

 議論し、時に対立しつつも親睦を深め合うべきだ」

「立派な考えだな」

「信じていないな、友人。この私の眼を見ろ。これが嘘を言ってる者の眼か?」

「寝っ転がって漫画読みながらほざいてんじゃねえ。

 つうかそこは俺の寝床で、てめぇの顔も見えねえ。

 あと、その眼とやらがくっ付いてるツラを覆ってんのは俺の漫画だ」

「友人は気難しい奴だな」

 

私服姿の黒い魔法少女の声は、嘆きに満ちていた。

嘆きと共に、ソファに横たわるキリカは美しい曲線の脚を交差させた。

キリカが脚を組み替えた瞬間、

傍らに立つ少年の視界に彼女が履いた水色の布切れが這入り込んだ。

光よりも早く、その情報は彼の脳より抹消された。

ただ、濃厚な不快さだけが彼の中に残った。

 

「悪いが、今の私は体調が少々悪くてね」

「病気か?」

 

全く信じていない口調だった。

全身を切り刻まれ、果ては溶解までした存在が相手では無理もない。

 

「少し前から生理中、月経又は女の子の日とも云う」

 

返答が面倒だったのか、彼は口を閉じた。

特に言える事もなく、掛ける言葉も見当たらないようだった。

当たり前といえばそうである。

 

「君はどうなんだい?元気してた?」

「快調だ」

 

彼は事実を述べた。

相手が首に付けた傷は塞がってはいないが、別に痛みや化膿がある訳でもない。

寧ろ共生状態にある牛の魔女が、そこを基点に力を送り込んでくる為、便利でさえあった。

 

「…ふぅん」

 

少し間を置き、キリカは応えた。

そういえば贈り物がどうとか言ってやがったなと、ナガレは思い出していた。

彼の中で、疑惑と苛立ちが同配分で湧き上がり始めていた。

そろそろ身体に聞いて遣ろうかと、彼は物騒な思惑を企て始めた。

 

「もういい、黙れバカ共」

 

紅い暴君の静かな声が、場の空気を断ち切った。

注視するべく対象が増え、ナガレは思考を中断した。

 

杏子は相棒の背後、三メートルほどの距離に立っていた。

ナガレを防波堤、または肉壁とした配置だった。

移動中を含め、キリカが杏子を無視していたからというのもある。

 

「ていうか、なんで生きてやがるんだよ。ええ?気狂い女」

 

歯に布着せぬ、悪意と敵意の声だった。

ここまで沈黙を保ったことで、鬱憤が相当に溜まったらしい。

また周囲の被害を鑑みて、闘争を控えていた。

 

だが災厄を本拠地へと招いたのは、確実に仕留めるためだった。

真紅の魔法少女の心には、轟々と闘志の炎が燃え盛っていた。

狂気へと踏み込む、一歩手前の精神状態だった。

 

「何ってそりゃ…愛の力に決まってるだろう?」

 

漫画を傍に置き、キリカは起き上がりつつ杏子に返した。

聞き分けの無い子供を諭すような口調である。

理解不能の言葉に、杏子の心は逆に冷静さを取り戻していた。

恐らく戦っていた肉体はダミーか何かだったのだろうと杏子は推察した。

突拍子もない考えを素直に受け入れられたのは、

自身が嘗て得意としていた魔法のためだろう。

 

「で、何でお前はあんなところにいやがったんだ?」

「いい質問だ。流石は我が友」

 

面倒な奴は面倒な奴に任せるに限る。

対決物の、特に怪獣映画と似たような理屈である。

 

「さささささを探してたのさ。

 身体もこんな調子だから少し疲れちゃってね、甘味を貪ってたのさ」

「あぁ、奥の席がやたら忙しかったのはてめぇのせいか」

 

特に悪い訳でもないが、少年は自分らの事は棚に挙げていた。

赤髪と黒髪の年少者達による店への貢献は甚大であっただろうが、

迷惑指数も格別だったことだろう。

 

「さささささ、数日前からいなくなっちゃたんだ。

 近頃は物騒だし、もう心配で心配でたまらないよ」

「確かに物騒だな」

 

皮肉含有率百パーセントの声でナガレは告げた。

彼の意思に反して、素の声は女じみているだけに、相当な厭らしさがあった。

 

「友人と佐倉杏子は、さささささを知らないかい?」

「あんな奴知るか。

 どうせそこいらの魔法少女に喧嘩でも売って、返り討ちにでもされたんじゃねえの?」

 

心底からどうでもいい、

そして自分の手によるものじゃなくて残念といった口調の杏子の声だった。

 

「冷たいな。彼女は君らの事は高く買ってたというのに」

「…詳しく話せ」

 

その杏子の声は、怒りの氷炎を纏っていた。

 

「佐倉杏子の事を話さない日は無かったな。ほら、君への想いを綴ったメールもこんなに」

 

ミニスカートのポケットから、キリカは電話を取り出した。

今時珍しい、パカパカと開閉するガラケーであった。

カチリと開き、杏子に向けて画面を見せた。

少々の距離が空いていたが、魔法少女の視力ならば問題は無かった。

 

視認の瞬間、杏子の眉間を不快さの皺が埋め尽くした。

 

「うげ」

 

と、ナガレも思わず呟いていた。

 

数日前の履歴には、その日一日だけで画面いっぱいに優木からのメールが列挙されていた。

タイトルは「佐倉杏子抹殺計画」「赤毛雌餓鬼調教計画」「佐倉杏子死ね」、等々。

だがそれらはまだマシな方で、大半は卑猥すぎて言語化がはばかられるものばかりだった。

 

「送ってきてくれるから一応読んではいるんだけれど、

 一つ一つが短編小説並みに長くて参ってる」

 

見る?との声に杏子は首を振った。

道化を生かしたことを、彼女は後悔し始めていた。

 

「で、こいつの場合はどうなのさ?」

 

不快さを自分以外にも与えるべく、杏子は言葉を促した。

ナガレが抗議を言うより早く、黒い魔法少女は口を開いた。

 

「ああ、この前親睦を深める為に私の家でパジャマパーティをしたんだけど、

 さささささったら一晩中、『友人君…友人君…』って呟いてたね。

 ついでに何か変な音もしてたよ。

 雨漏りしたときみたいな、ぴちゃぴちゃっていう水音みたいな。

 正直かなり煩かったけど、招待した手前、黙らせることも出来なかったから我慢してたんだ」

 

杏子は自らの怒りが急速に冷えていくのを感じていた。

不仲な相棒に、同情の念さえ抱き始めていた。

被害者たるナガレに至っては、絶対零度の氷のごとく、完全な無言となっていた。

彼の精神は極めて強靭だが、何物にも影響を受けない訳では無い。

 

「それでだ友人、そして我が同類よ」

 

不快指数が極限にまで高まりつつある両者を前に、キリカは恭しく右手を差し伸べた。

彼女の美しさも相俟って、悩める民に手を指し伸ばす、救いの御子に見えなくもない。

 

「さささささを探すの、手伝ってくれないか?」

「嫌だ」

「死ね」

 

キリカが言い終わる前に、少年と魔法少女は言葉を発していた。

遭遇から一月を経た両者の思考がここまで一致したのは、恐らくこの時が初めてだろう。








殊更に短いですが、矢張りテンポ優先ということで…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 風見野事変④

「…へぇ」

 

明確な拒絶を受け、黒い魔法少女はゆっくりと起き上がった。

自身の談の通り、ひどくだるそうな様子だった。

胸は大きく膨らんでいるとはいえ、全体的な姿は細く華奢な肢体である。

それが廃教会の乾いた床に、せいぜい四十数キロ程度と思われる軽い体重を乗せ、

ふらりふらりと少年へ向けて歩いてくる。

 

「酷いなぁ、友人。君もそう思うよねぇ、佐倉杏子」

 

頼りない足取りとは裏腹に、黄水晶の瞳は爛爛とした輝きを放っている。

素が美しいだけに、その恐ろしさも格別のものがあった。

幼い子供どころか、成人でも恐怖に脳髄を焼かれるだろう。

 

「だから、嫌だって言ってんじゃねぇか」

「死ぬんならここの外か、せめてこいつの寝床でくたばりな」

 

恐怖よりも迷惑指数が上回るらしく、少年と魔法少女は更に毅然と言い放った。

キリカとの距離は、少年は既に眼前に等しく、杏子もそのやや後ろであった。

直ぐにでも殺し合える距離である。

 

キリカが歩みを止めた。

そしてそのまま数秒が経過した。

 

「ならいいや。妥協案といこう」

 

本当にくたばったかと、杏子が思った瞬間、キリカが口を開いた。

『妥協案』という単語に、両者の脳裏に嫌な予感が奔った。

 

「君たち、さささささに代わって私の仲間に」

 

言い終わる寸前、金属音が言葉を掻き消した。

魔法少女姿となった杏子が、長大な槍を一閃させていた。

一瞬早く、殺意の円弧の渦中にあったナガレは、槍の半径より跳躍にて離脱。

着地と同時に、掴んでいた襟首を離した。

 

「痛いなぁ友人。お尻を打っちゃったじゃないか」

 

憤慨する呉キリカだが、杏子とナガレはその言葉を完全に無視した。

杏子が振り抜いた槍の先にあったものが、廃教会の床の上に散乱していた。

白銀の美麗な短剣の破片が、黄色い光と共に霧散していく様子が見えた。

 

「ちっ」

 

少年と魔法少女の耳に、小さな舌打ちが届いた。

決して大きな音ではなかったが、両者はそれをはっきりと捉えていた。

不愉快極まる音であるがゆえに。

 

「団長、あいつ躱しやがりましたよ」

「最初は牽制と言ったはずですよ、優木沙々」

 

軽快な足音と、静かな軍靴の音が続き、聞き慣れ過ぎた声と聞き慣れぬ声が生じた。

 

「それに私は便宜的にリーダーとなっているだけです。呼び方はリナと呼び捨てで結構」

「了解です!我らの主、人見リナ様♪」

 

廃教会の入口より、魂を弄ぶ道化が彼らの前に現れた。

そして敬礼をする彼女の前には、白と灰色で構築された軍服風の衣装を纏った少女がいた。

 

「無礼を御許しください。私は」

 

深々と頭を下げ、配下の非を詫びようとした瞬間。

軍人風の魔法少女の紫の瞳は、床に尻を置いた黒髪の少女を見た。

 

「く、呉キリカ!?」

「あ」

 

団長と呼ばれた魔法少女の驚愕の叫びに、道化の間抜けな声が重なった。

その直後に、

 

「どけ、優木!」

 

裂帛の叫びが、新たな魔法少女の口から放たれた。

武者のような姿をした薄紫の魔法少女の眼には、血のような紅い色が満ちていた。

突き飛ばされた道化を、リナと呼ばれた魔法少女が丁寧に支え転倒を防ぐ。

 

「優木、魔女結界を!」

「は、はい!」

 

道化が杖を振るった瞬間、廃教会内に異界が満ちた。

世界の変性を一顧だにせず、薄紫の少女は両刃の実直な刃を振り下ろした。

黒い魔法少女の傍らにいた黒髪と赤髪が飛び退く姿も、彼女の眼には入っていなかった。

薄紫髪の激烈な殺意と闘志は全て、呉キリカに向けられていた。

 

黒い光が迸った瞬間、白い刃を赤黒の斧が迎え撃った。

 

「ええと…誰々さんだっけ?」

 

鍔迫り合いの中、魔法少女姿となったキリカが尋ねた。

 

「朱音麻衣だ。三週間前、一方的に襲い掛かってきたお前を刻んだ女だ」

「ん…うーん……あー…、あー…あー!あぁ、思い出した」

「相変わらずふざけた奴だな。呆けた声は、真っ二つに切り裂いたせいか?」

「失敬な、ふざけているのは君だろう。なんで私を襲うんだい?」

「お前が危険な奴だからだ」

 

この上なく、分かりやすい応えである。

 

「黙って見てりゃ…おいテメェら。人ん家で何やってやがる」

 

鍔迫り合いの傍らで、杏子も真紅の魔法少女へとその身を変えた。

氷炎の声で、不届き者らに怒りを伝える。

 

「何って…見て分からないのか?」

 

杏子に向けて顔を向け、キリカは嘆くような顔で呟いた。

キリカの注意が家主の声に向いた瞬間、麻衣は左脚を軸に蹴りを放った。

長い脚の先端が、黒い魔法少女の腹部へと埋没。

宿った衝撃が華奢な身体を弾き飛ばした。

 

「なんだこいつら、知り合いか?」

「リナとか言ったな、あのバケツ頭。名前は聞いたことがあるね」

 

少年の問いに、杏子は記憶を辿った。

黒い魔法少女の不愉快な発言は、聞かなかったことにしていた。

内臓破裂で苦しむ彼女を見て少し気分が落ち着いた為と、

今はそれに構っている余裕はないと判断した為である。

 

「あと自警団みたいなのを率いてる奴だって事は知ってる。

 何か月か前、ボコった魔法少女がそう言ってた」

「手強そうだな」

 

少年の横顔には緊張感が張り付いていた。

 

「特にあいつはヤバそうだ」

 

闇色の視線の先には、剣士風の魔法少女の姿があった。

朱音麻衣と呼ばれた少女だった。

 

「お前達も、そいつの仲間か?」

 

麻衣の声は、ぞっとするほどの殺気で満ちていた。

 

「何しやがったんだ、あいつ」

 

ナガレは思念を杏子に送った。

返答はすぐにあった。

 

「あたしらにした事と、大して変わらない事だろうさ」

「…だろうな」

 

杏子の返答に、彼は頷きと共に思念を返した。

血色の眼は、射抜くような視線をなおも両者へと送っている。

言葉か刃か。

どう返答すべきか両者は答えを探っていた。

麻衣の髪が、にわかに逆立ち始めていた。

激情が爆発する寸前であった。

残された時間は、五秒ほども無いだろう。

 

「やめろ!」

 

声を発したのは、苦悶に震えていた黒い魔法少女だった。

ふらつきながら立ち上がり、杏子とナガレの前へと飛翔。

そして、庇うように立ち塞がった。

 

「友人と佐倉杏子は関係ない!だから二人に手を出すな!

 私の弱点はここだ!ここだけを狙え!」

 

叫びと共に、キリカの右手が動いた。

 

長い右手の先の細指は、人差し指が更に右方向へ、正確にはやや斜め後ろへと伸びていた。

細やかな繊手が指さす先には、黒髪の少年の顔があった。

またそれまで優木以外の侵入者達は、

彼を女だと思っていたが、この時にやっと男だと気付いた。

ちなみにそれは外見からではなく、雰囲気によってであった。

 

そんな事は露知らず、少年は指に気付き、右を向いた。

闇色の視線の先には、果てしなき異界の風景が広がっていた。

 

「…よし」

 

謎の呟きと共に、彼は背中へ手を廻した。

ジャケットの裏側に、白い手袋で覆われた手が這入り、彼は長い筒状の物体を取り出した。

底部に設けられたグリップを握り、引き金を絞った瞬間。

破壊の申し子が、筒の先端より飛び出した。

 

次の瞬間には、凄まじい爆風が発生。

異界の一部を衝撃と炎が打ち砕く。

魔法少女達の身に、熱を纏った風が叩きつけられる。

 

灼熱地獄を前に、少年は左を向いた。

今なお指差しを続ける、黒い魔法少女がそこにいた。

 

「てめぇ、嘘吐きやがったな」

 

家一軒は粉砕するであろう爆発を放った少年は、長筒を投げ捨てつつ吐き捨てた。

 

「友人。冗談と言うのを学び給え」

 

キリカの声にも呆れが含有されていた。

自らの唐突な蛮行を棚に上げ、彼は「ハメやがったなこのアマ」と思い始めていた。

当然だが、リナ達は眼の前の破壊に脅威を覚えだしていた。

 

「…呉キリカの友人、ですか」

 

絞り出すような声で、リナは呟いた。

苦痛を帯びた声だった。

 

「そうです。

 先程話した通り、彼はあの卑しき赤毛猿に洗脳を受けた憐れな奴隷君なのです」

「それは…聞き捨てなりませんね」

 

道化が悪意を添付した囁きをリナへと送る。

リナの正義感と仲間への想いは、多少の理不尽さを無視させた。

本人の挙動のせいもあるが、自警団長の中で少年の危険度が上昇していく。

 

「私がいこう」

 

魔力の警棒を力強く握るリナへと、麻衣が声を掛けた。

悪に挑む、気高き戦士の声だった。

 

「あの新手の黒髪は私がやる。リナ達はあの二人を」

 

言うが早いか、剣士は駆け出した。

標的にされたと察した少年もまた疾走を開始し、開けた場所へと身を移していく。

 

「…唐突すぎんだろ、色々とよぉ…」

 

真紅の魔法少女の嘆きの先には、不愉快に笑う道化と、毅然と構える軍人少女。

そして影が薄いのか、それまで彼女も気付かなかった、

赤ずきんのような姿の小柄な少女がいた。

 

杏子は溜息を一つつき、そこで頭を切り替えた。

理由はどうあれ、自らの安息を穢す者達を誅戮すべく槍を携え、

吹き荒ぶ風のように走り出した。

 

異界の中、魔なる者達の乱戦が始まった。

 











次回からですが、久々のバトルとなります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤

「貴女は下がっていなさい、優木」

 

迫りくる真紅の魔法少女を前に、人見リナは自ら歩を進めた。

また言われるより前に、道化は彼女の背後へと隠れていた。

だが不届き者とは逆に、リナに寄り添う小柄な姿があった。

赤ずきんの姿をした魔法少女であった。

 

「京、貴女も無理はしないでください」

 

毅然とした態度の中、同胞へ向ける声は優しげだった。

京と呼ばれた少女も、その声に頷いた。

怯えを隠したものだということに、杏子はすぐに気付いていた。

 

「お美しい友情だな」

 

疾走の最中、杏子は内心でそうごちた。

何故か、自分が悪役にされたような気分となっていた。

 

「くそう、風見野自警団め。我が参謀を人質に取るとは…」

 

背後で生じた狂人の戯言は無視し、杏子が跳躍。

瞬時に槍を下方へ向け、真紅の落雷となってリナへと迫る。

だが接触の寸前、彼女の視界に青白い光が飛び込んだ。

光は杏子の反応を許さずに、その白い肌や紅い衣装へと接触。

その途端、迸った灼熱が彼女の体表で暴れ狂った。

 

「がぁ…っ」

 

痙攣する身を無理矢理動かし、長槍を一閃させる。

青白い蛇のような雷撃の群れを、真紅の牙が刈り取った。

異界の重力に引かれて落下した瞬間、彼女の爪先は地面を蹴った。

二メートルほど上空へと跳んだ直後、杏子の足の爪先で雷撃が渦を巻いていた。

視線を光の根源へと移すと、雷撃の毒蛇の尾はリナの掲げた警棒に吸い込まれていた。

 

「調子に乗るんじゃねぇ!!」

 

滞空状態にて、杏子が槍を更に一閃。

振られた途端、槍は長大な鞭へと変わった。

内部に鎖を奔らせた多節の鞭は、紅の竜の尾となって人見リナの元へと伸びていく。

 

前掛けによって抑え込まれてはいたが、

呉キリカにも匹敵する豊かな胸元へ槍穂が迫ったその瞬間。

リナの左右から、小柄な影が飛び出した。

 

槍穂の着弾による、肉と骨を裂く音は聞こえなかった。

代わりに、金属の悲鳴が木霊した。

リナの胸の前で、杏子の槍は停められていた。

十字の槍穂に、左右から伸びた刃が絡みついていた。

長鋏によく似た形状の鋭角を握るのは、人間の半分程度の大きさの小柄な人型。

 

黒を基調としたレースとフリルを用いた、華美な服装。

ゴシック・アンド・ロリータの特徴を備えたそれを纏っているのは、

生命感の欠けた白目を剥いた、美しい少年と少女の人形だった。

 

黒い裾から生えた幾つもの関節を持った細指が、

その身体にも匹敵する巨大な黒い鋏を握っていた。

左右から掛かる圧力に、杏子の槍は悲鳴を挙げた。

 

舌打ちと共に杏子が手首を反転させ、戒めから槍を振り解く。

多節状態も解除させると、杏子は槍の先端を見た。

 

ナガレとの訓練を経て、段階的に硬度を上げていった魔槍の穂に、

左右からの切り込みが入れられていた。

獲物を取り上げられた双子と思しき人形が、口を半開きにした状態での無表情の貌で

杏子の顔を睨んでいる。

 

「(あの頭巾被りの魔法か…面倒くせぇ)」

 

雷撃のリナと人形遣いの京。

両者ともに、攻防の両方に秀でていると杏子は睨んだ。

道化の方は相変わらずリナの背後に隠れているが、気にしている場合では無かった。

 

「おい、呉キリカ」

「ん、なーに?」

 

苦々しい声で杏子は声を掛けた。

返事はすぐ隣からあった。

何時の間にか、呉キリカは杏子の傍にいた。

神出鬼没な彼女らしいと云えば、そうか。

 

「元はと言えば、テメェが撒いた種だろうが。不本意だけど手伝いやがれ」

 

断腸の想いでの一言だった。

道化は始末する予定だが、その障害の露払いはさせようと彼女は思っていた。

罵詈雑言を控え、正論をぶつけたのもキリカの機嫌を損ねない為であった。

 

「うーーーーん……」

 

長い唸り声が、キリカの細首から鳴っていた。

秀麗な顎に手を当て、美しい顔に苦悩の皺を浮かばせている。

如何にも「悩んでいる」という姿だった。

 

無防備な姿を前に、杏子の苛立ちが募っていった。

考える必要があるのかと、声を大にして叫びたかった。

杏子が苦悩していると、キリカは決心したように眼を見開いた。

 

「嫌だ」

 

豊かな胸の前で腕を組み、キリカはきっぱりと言い放った。

妙に男らしい口調で分かった。

友人と呼ぶ存在の物真似であると。

杏子がキリカに斬りかかった瞬間、リナの雷撃が両者を包み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「呉キリカの友人、ということでいいのかな」

「一応な。本人がほざいてたが、覚えやすいから『友人』だそうだ」

 

戦場の片隅で、黒髪の少年と薄紫髪の少女剣士が対峙していた。

 

「なるほど。君も大変のようだな」

「まぁな」

 

両者の口調は、何故か穏やかだった。

そこに、真紅の魔法少女の怒りの咆哮が両者の耳に届いた。

頃合いだとでもいうように。

 

「参る」

 

剣士が駆けた。

そして踏み出すと同時に、腰に差した刀を一気に引き抜いた。

銀の光が円弧を描き、少年の元へと飛来する。

瞬きを数十分割するほどの、刹那の中での一閃だった。

光の果てで、美しい音色が鳴った。

 

「…漫画やアニメでよくある、月並みな言い方だとは思うが」

「構わねぇ、言いな」

 

両刃の刀と黒い斧を合間に挟み、戦士と剣士が言葉を交わす。

 

「君は人間か?」

「他に何だってんだよ」

 

言葉の終わりと共に、両者は身を背後に引いた。

半分は自分の力で、もう半分は相手の力に押し遣られて。

 

「そうか」

 

再び距離が生じた時、麻衣の血色の眼に理解の色が宿った。

 

「あの場所に、君もいたのだな」

「ゲーセンの事か」

 

ナガレの言葉に、麻衣は頷いた。

そして美しい鍔鳴りを響かせつつ、刀を鞘へと戻した。

鞘の長さは、刀のそれより短くそして細かった。

便利だなと、彼は羨ましさを感じていた。

 

「余計なお世話だったろうな」

 

武器を格納した相手に合わせたか、彼もまた背に斧を仕舞った。

不可思議な様子に、麻衣は「これが佐倉杏子の魔法か」と思った。

当たり前だが、誤解であると彼女が気付くはずもない。

 

「あぁ、その通りだ」

「だろうな」

 

毅然とした言い回しを、彼は心地よくさえ感じた。

 

「ところで、何故助けた?」

「理由なんざいるかよ」

 

本心からだと、麻衣は思った。

声を発した少年の闇色の眼に、彼女は強い意志の光を見た。

 

「君は悪人ではないらしいな」

「どうだかな。こう見えても結構恨まれてんだ」

 

自嘲を交え、ナガレは応えた。

自らを恨む存在の数を、ぼんやりと彼は思い浮かべた。

すぐに無駄だと悟った。

 

「それなら私もだ。暴力沙汰で病院送りにした奴は二桁を下らない」

「どうせ正当防衛だろ」

「何故そう思う?」

「お前さんも、悪い奴には思えねぇ」

 

受けた麻衣の顔に、苦笑が宿る。

だが幾分か、身体の険が解れたようだった。

麻衣自身も、肩に圧し掛かっていた重圧が軽減していくのを感じていた。

 

「ありがとう。最近少し疲れていたせいかな、褒められて嬉しいよ」

「そりゃよかったけどよ、自分で言っててなんだけど、褒めた言葉って感じでもねぇだろ」

「確かにな」

 

やり取りに笑みの成分を感じたか、少年と少女剣士の顔には微笑が浮かんでいた。

傍から見たら、仲のいいクラスメイトにでも見えただろう。

両者の会話は、自然体で出来ていた。

気の合うところがあるんだろうなと、麻衣は眼の前の少年に対してそう思った。

 

「さて…そろそろ続きといこうか」

 

次の時間は教室の移動だったな。

学校生活で例えるなら、そんな自然な口調であった。

 

「あぁ」

 

軽く頷く少年もまた同様だった。

 

そして、両者は刃を抜き放った。

 

 











激突開始です。
また彼の敵の数は、原作を鑑みると最低でも80億はいそうです(虚無戦記より)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤②

「くそったれぇええええ!!!」

「落ち着き給え、佐倉杏子」

「テメェも五月蠅ぇ!やる気ねぇんならどっか行っちまえ!!」

「周りを見なよ。これじゃ何処へも行けないよ」

 

疾走する黒と真紅の魔法少女。

両者の周囲には、雷撃の毒蛇の群れが広がっていた。

それが時折、彼女らの衣装を掠め、焦げた芳香を大気へと振り撒いた。

 

悲鳴こそないが、代わりに罵詈雑言とマイペースな発言が交差していく。

リナが操る警棒から生じる雷撃の範囲は広く、

その隙間が少ない為に、両者は並走を余儀なくされていた。

 

「一発一発の威力は低いが、まるで風みたいに吹いてきやがる」

「ん?雷様と風は、ちょっと違くないかい?」

「比喩って奴だよ。一々突っ込むんじゃねぇ」

 

切ないなぁと、キリカは哀しげに嘆いた。

当然の如く無視し、ひたすらに雷撃を避けていく。

 

現状、杏子たちはリナを中心にしての周回移動をさせられる羽目となっていた。

行き先を雷撃に阻まれ、僅かな間隙を縫いつつリナの隙を伺う事しか出来ていない。

戦闘開始から既に五分ほどが経過していたが、

人見リナは魔力のコントロールに秀でた魔法少女であるらしく、

間断なく展開されている雷撃の範囲と力は、全く衰えを見せていない。

 

こちらの消耗を図っているのだろうと杏子は思った。

今の自分たちの状況は、蜘蛛の巣の上の獲物さながらであるとも。

 

「お前、甘い物が好きだとか言ってたよな」

「ああ好きだよ。愛とは比べ物にならないけどね」

 

唐突な問いだったが、キリカはすぐに返答した。

狂気めいた発言は別として、頭の回転は悪くないらしい。

杏子の問い掛けから、キリカは彼女の意図に勘付いていた。

 

「あいつらをブッ潰すのに協力してくれたら」

「了解!」

 

杏子が言い終わる前に、黒い奇術師姿が宙高く舞い上がった。

広げられた両手の先で、左右合わせて六振りとなる斧が不吉な赤黒い輝きを放っていた。

 

だが得物は展開されているが、それは完全な無防備状態でもあった。

 

「愚かな」

 

苦痛のような声で出来た一声と共に、リナは警棒を振りかざした。

人体の幅ほどもある雷撃は最早、蛇というよりも天を翔ける竜の胴体に見えた。

天を舞うキリカと地に立つリナの間を、極太の雷撃が繋いでいた。

異界の大気に、脂が焼け焦げる甘い香りが漂った。

 

「これは…ちょっと…きつい……かな?」

 

身に雷撃を浴びつつ、キリカは治癒魔法を全開発動。

炭化した肉が次々と再生され、雷撃の結界を強引に突破していく。

抗う魔法少女へと、雷撃が更に殺到。

さながら巨人の腕に捕獲された人間のように、キリカは宙へと固定されていた。

 

紫電を浴びた眼球が破裂し、一瞬にして赤雑じりの水蒸気の塊へと化けた。

体表を伝う青白い毒蛇達は、黒い魔法少女の耳や口腔、

そして孔となった眼窩や耳孔から体内へと侵入し、彼女の内臓全てを焼け爛らせた。

はらわたが焼け焦げ、心臓が沸騰した血液に孔を開けられ、肺が炭となっていく。

 

「きひっ」

 

極限の苦痛の中でキリカが発したものは、狂気の笑みであった。

発狂によるそれではなく、正気の狂気に依るものだった。

 

「ヴァン…パイア…」

 

身を焼かれ、魔の雷撃に捕獲され滞空しつつ、キリカが身体を仰け反らす。

喉を駆け上がる炎と共に出されたハスキーボイスが紡ぐ言葉が、

リナに恐怖の光景を思い出させた。

戦場となった廃工場の一角を、完膚なきまでに破壊した魔の牙を。

 

「ファング!!」

 

叫びと同時に、出力を挙げた雷の毒蛇の群れは全て、

キリカの両手から生えた魔斧によって、鎌首を飛ばされていた。

 

先の佐倉杏子の槍と似た状態だったが、あちらと違い、

こちらは斧が触れていない場所の雷撃をも破壊していた。

雷撃の群れが霧散していく様は、空間が断たれたかのようだった。

 

「リナちゃんっ!」

 

再び双子の人形が、リナの前に飛び上がる。

だが獲物を求める貪欲な牙は人形が握るハサミを砕き、そして双子の頸を落とした。

仮初の命を失った人形たちを前に、主たる京の顔は蒼白となっていた。

心も恐怖に縛られかけている。

 

迫り来る死の牙を前に、京は何も出来なかった。

一秒の後には、人形同様に彼女もまた頸を刎ねられる運命にあった。

 

だが直後、人見リナの拳が京の胸を強かに打った。

絶息の苦痛が京を苛みつつ、衝撃で後方へと弾き飛ばした。

そして掌底を放った左手に神速を宿し、警棒へと舞い戻らせる。

 

「ぐうぅぅっ!」

 

両手で握った、紫電を纏う警棒で、リナはヴァンパイアファングを迎撃していた。

若い淑女の顔は苦悶に歪み、自らを噛み砕かんとする牙の圧力に耐えていた。

軍靴の底が結界を割り、膝が地面に堕ち掛ける。

 

「あぁぁあああ!」

 

裂帛の叫びが、リナの口腔から噴き上がる。

同時に彼女の得物が眩い光で輝いた。

赤黒と相反する、純白の光であった。

 

「そう…れっ!」

 

上品さを伺わせる気合の叫びと共に、リナは警棒を大きく真横に振った。

万物を切り裂く筈の吸血の牙は、遂に獲物の首へと至ることは無く、

大きく横に逸らされていった。

 

肉の代わりということだろうか、矛先を失った牙は結界の地面に激突し、

深々と、そして長々とした傷を結界に刻み込んだ。

底部を抉られた結界は自重を支えきれずに破綻し、干ばつした大地のように砕き割られた。

破壊の傍らには、肩で息をしつつも二本の脚で大地に立つリナがいた。

一撃で風景を一変させる必殺技を、自警団長はほぼ単身で耐え切ったのであった。

 

「…なんて、馬鹿力」

 

魔の戒めを抜け、墜落しつつキリカは呟いた。

治癒と雷撃の勝負は、五分五分といった処のようだった。

彼女の全身には、生焼けと健常が等間隔で生じていた。

 

「もう雷撃はこりごりだ。後は君が遣って呉給え」

 

不死身の怪物の言葉を前に、リナが背後を振り返りつつ雷撃を放った。

警棒の先に、雷撃の白光に照らされる真紅の魔法少女の顔があった。

接触の寸前で、杏子の首が傾いた。

虚空を飛び去る雷撃の傍の杏子の眼には、嘲弄が宿っていた。

 

ただ逃げ回っていただけではなく、杏子は雷撃のパターンを頭に叩き込んでいたのだった。

風見野最強の魔法少女。

嘗てリナの先輩となった魔法少女は、佐倉杏子をそう評していた。

 

ふと生じた強者への恐怖。

そして以前から調べていた、風見野最強と称される魔法少女の過去。

自らを構築する正義の意思が、後者に対して反応を示していることを、

リナは自覚していた。

 

だが既に戦端は開かれ、槍と雷が振るわれている。

悩むという行為は、この時に於いて、限りなく贅沢なものとなっていた。

 

「行きますよ、佐倉杏子!」

 

迷いを振り切るように、リナは佐倉杏子との決戦へ臨んだ。

 

「寝言言ってんじゃねぇ、バケツ女ぁぁ!!」

 

真紅と、純白の交差が始まった。

 

 

 

 

「ひっ…」

 

治癒魔法による白煙が、キリカの全身から立ち昇る。

乾ききった髪が色艶を取り戻し、炭化した肌の下から美麗な白い肌が現れる。

赤黒い孔となった眼窩を押し広げ、黄水晶の瞳を宿した眼球が蘇っていく。

悪夢のような美しさを前に、京は悲鳴を挙げていた。

 

「其処のお嬢さん、卑しき私めと遊びませんか?」

 

朗らかに笑う呉キリカ。

一層の怯えを見せる佐木京。

主を守るべく、双子の人形が聳え立つ。

再生をしたということなのか。両者の首には縫い包みのような縫合痕が刻まれていた。

怯える主を一瞥し、両者は前方へと突撃する。

再生したばかりの黄水晶の瞳を爛と輝かせながら、キリカは両手に得物を生やした。

 

完全再生する前に相手を葬り去るべく、双子の守護者達は黒い魔法少女へと躍り掛かった。

 

 

 

 

雷撃は杏子の髪を焦がし、露出した肩を貫いていたが、リナ自身も負傷を負っていた。

直ぐに離せたものの、槍穂が右掌を貫通し、一閃が鼻先を掠め、

柄の部分による打突が脇腹に喰い込んだ。

 

最後のそれによる内臓破裂は治癒したが、他は血を流すままにさせていた。

燃費がいい魔法とは云え、治癒との併用は負担が大きすぎるのであった。

 

「麻衣、そちらは」

 

杏子の嵐のような斬撃と突きの連打を雷撃と体術で捌きながら、

リナは麻衣へと思念を送った。

救援の要請ではなく、純粋な心配からであった。

自分の近くを離れた京は既に、黒い魔法少女との戦闘に突入している様子が伺えた。

先程の雷撃が痛打となっている為か、双子の人形と魔法少女は互角の戦いを繰り広げていた。

 

「よそ見してんじゃねぇ!」

「其方こそ!」

 

麻衣からの返答が来る前に、杏子の槍が飛来した。

雷撃を放ち、紅の槍を迎え撃つ。

振り回される槍に、雷撃が蛇の群れとなって絡みつく。

槍を毒蛇達が伝うより早く、杏子は得物を手放した。

 

そして空となった両手を拳に変え、リナの顔面へと撃ち放った。

 

「ぐっ…」

 

防御に回した警棒が打ち上げられ、がら空きとなった頬を杏子の右拳が掠めた。

皮膚が裂けて鮮血が飛び、鋭い痛みが頬骨が砕けた事を訴えていた。

 

「お返しです!」

 

返礼に、リナは裏拳を放った。

杏子の放った正拳突きの衝撃を、逆に利用しての一撃だった。

 

「がっ…!」

 

自らが相手に与えた損傷と同じものを、杏子もまた受けていた。

互いに痛みを与えたまま、両者は一歩後退した。

そして再び前へと踏み込む。

その時には既に、両者の手にはそれぞれの得物が握られていた。

 

「うぉぉおおおおおおおお!!!!!!」

 

咆哮と共に、杏子が槍を振り回す。

その姿に、リナは暴れ狂う紅の竜の姿を見た。

 

「佐倉…杏子ぉぉおおおお!!!!!!」

 

暴竜の名を叫びながら、リナも雷撃を迸らせた。

紅と白光が乱舞となり、結界に衝撃が奔っていく。

物理的な破壊のみに限らず、大気もまた狂わんばかりの殺気に満ち溢れていく。

 

その発生源の一つは、先程リナが思念を送った場所であった。

其処からは、濃密な殺気と共に絶え間ない剣戟の音が生じていた。







思うところがあって、話のタイトルを変更させていただきました。
元ネタは新ゲの主人公の曲からです(どう考えても敵方の曲にしか思えない曲名ですな)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤③

その場所には、無数の鎖が垂れ下がっていた。

天高くから、或いは空間の途中から忽然と、赤錆を吹いた黒い鎖がすだれの様に降りていた。

鎖の先端には、禍々しい湾曲を描いた鉤爪が結わえ付けられている。

表面に映えた赤黒いなにかの痕跡を見るまでも無く、一目で用途が知れるものであった。

 

「あぁ、楽しいな」

 

静かだが、鈴が弾むような少女の声が鳴った。

 

「ああ、全くだ」

 

女に似た、しかし雰囲気で男と分かる少年の声が応えた。

言葉の応酬の最中、彼らの周囲にて、天より降りる災禍の鎖は悉く切断されていった。

 

両刃の直刀は、鎖の硬度など水と同然と言わんばかりにやすやすと切り裂いていく。

円弧の果てに、黒い斧が待っていた。

鉈のような刃を、大地より削り出された黒曜石のような柄が支えている。

 

一瞬の会合の後に両者が引かれ、また再び乱舞が巻き起こる。

刃が斧を打ち、その逆もまた然りと繰り返される。

その過程で両者の衣服は裂け、破れた皮膚からは血霧が舞った。

 

「で、どこまで話した?」

「あー…確か」

 

一対の剣鬼達の移動に連れて、また鎖の群れが切断される音が連鎖していく。

残忍な器具の存在など無いかのように、ナガレはしばし記憶を辿ったのちに口を開いた。

 

「とりあえず、今の成績特に数学をも少し上げて志望校に受かりたい。

 そんで高校では剣道をやりたい、今のところは進学希望で、

 大学二年くらいでそろそろ彼氏でも作って」

 

傍から見れば、狂を発したような内容の言葉が紡がれる。

言葉を発する間にも両手は止まらず、魔法少女の得物と身を斧の刃が削っていく。

 

「無事卒業したらしばらく働いて職場結婚。動物が好きだから猫を何匹か飼って、

 その内、男でも女でもいいから子供を産んで育てたい。

 後は子育てしたり働いたりで、普通に家庭を持ちたい、だっけか?」

「よく覚えているな。その通りだ」

 

ナガレが言い終えた途端、大振りの刃が彼の胸へと向かった。

直撃どころか数センチほど喰い込むだけで、彼の胴体は瓜のように切断されるに違いない。

 

「自分で言っててなんだが人生設計を他者に語られるのは、流石に少し恥ずかしいな」

「だろうな。だがしっかりしてていいじゃねぇか。

 俺なら色んな意味で、人生設計なんざ絶対に無理だ」

「そう悲観するな、友人君。人生は長いぞ」

「…まぁそうだな、人生は長えよな。ところでよ。なんでこんな込み入った事、俺に話した?」

「どうも私は男と話すのが苦手でね」

 

縦に構えた二本の斧が刃を受け止め、彼自身も後方に跳び衝撃を逃がす。

だが麻衣もまた爪先で地面を弾いて弾丸のように飛翔。

彼との間合いを崩さない。

 

「いや、別に君が男らしくないからとかではない。寧ろ男らしすぎる」

 

褒められてることは分かったが、彼は釈然としなかった。

今のところ、自らの身という事になっている紛い物への怨恨が少し増した事を、彼は感じた。

 

「だからなのかもしれないな。私にしてはお喋りだ」

「…惚れたのか?」

 

半ば冗談、残り半分は嫌な予感といった具合に彼は尋ねた。

精神性の違いは天と地獄ほどの差があるが、道化という前例がある。

 

「悪いがまだ、他人を性の対象には見れないね。あぁ、私の精神性が未熟という意味でだ」

 

赤裸々ともいえる返答に、麻衣の頬に赤みが増した。

自らによるものと、刀が少年の左肩を掠めた際の返り血で。

 

「この性別に生まれた以上、人生設計で述べた通りに私も女の幸せには興味がある。

 この身で命を育み、そして健やかに育てたい」

 

それは本心からの言葉だった。

言い終えると同時に朱音麻衣の舌が、唇に貼り付いた血糊を拭った。

自分か少年か、何方のものか分からない液体であった。

 

味蕾が得たものは、塩辛く生臭さを孕んだ鉄の味。

甘く感じるのは、脳が酷使されている為だろうと少女剣士は思った。

それが思い込みに近いものである事は、彼女自身がよく分かっていた。

 

「我が言葉ながらこんな状況では、説得力が無いか」

 

苦笑しつつ、刃を振う。

精神が揺れ動いた為か、繊手の端を斧が掠めた。

 

「それにしても戦いとは愉しいな。何故だか分からないが」

 

高速演算によって脳が焼き切れていく感触、

相手を打ち据える為の神速を宿すために酷使される身体の悲鳴。

そして、つい今しがた新たな傷を刻まれた右手を含む、全身の大小の傷。

何一つとして、快感を伴うものはない。

だが一刀を振う度に、心が何かに満たされていく。

 

ずっとこうしていたい、そう思えるほどの幸福感。

しかしながら一方で、自らの狂気を理解する聡明さを、この少女剣士は持ち合わせていた。

 

「狂人の戯言だな」

 

自らの心に湧きあがるものを、朱音麻衣は切って捨てるように言った。

同時に殊更に力の入った刃が、少年の元へと打ち下ろされる。

 

「別に。そうでもねぇ」

 

迎撃の斧と共にナガレは返した。

彼の靴底が異界を叩き割りつつ刃が止められ、幾度目かとなる鍔迫り合いとなった。

 

「その心は?」

 

剣圧の増加と、問いの投げかけは同時であった。

 

「信じるかどうかは自由だが、これまでロクでもねぇ奴を腐るほど見てきてな。

 そいつらに比べたらずーっとマシだ。お前さんの正気は俺が保証してやる」

「意味は分からないが、とりあえずありがとうと言っておこうか」

 

双方ともに、鷹のような鋭い眼をしていたが、それでも顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

だが、二人の顔を伝うのは裂けた額や頭皮から溢れた熱い鮮血。

重力によって下方に引かれ、鼻筋や頬を伝っていく。

そして当然の結果として、開かれた口の中へと流れて堕ちる。

 

「だから悩んでねぇで気合入れろよ。さっきから太刀筋が乱れてやがる」

「それは済まない。いやはや、私もまだまだ未熟だな」

「その分これから伸びるってこった。落ち込むより寧ろ喜びやがれ」

 

血みどろになりながら笑い合う。

鬼や悪魔、無数の物語の中で描かれる残虐な生態の怪物など、

これらの前では菩薩にも等しく思えるだろう。

 

悪意も無く、敵意も無く、されど殺気と純粋な親しみだけが一刀一刀毎に重なっていく。

 

落下していく鉤爪や鎖の音も、破壊される異界の地面や置物も、

両者の視界と耳には一切入ってこない。

 

ただ刃と刃が打ち鳴らされ、肉と骨が削れ、血が跳ねる音が鼓膜を叩く。

口を動かす事さえも面倒になったのか、何時の間にか、会話は念話となっていた。

魔法少女ではない存在からのそれに、麻衣はあっさりと順応した。

善悪や常識を兼ねていることは当然として、強ければある程度の事は気にしない性質であるらしい。

 

体表を汗のように覆う血潮のような狂った潤いを糧として、戦士と剣士の戦いは続いていく。

 

 

 

 

 

数分が経過した。

既に両者の周囲は平野となっていた。

戦闘の余波で破壊されるものは、全て破壊し尽くしたのである。

 

「あぁ、友人君。そういえばなんだが」

 

場合によっては、騙し討ちの言い回しにも聴こえた。

だがそれは、単なる会話の切り出しであった。

そしてこの時、彼女の薄紫色の髪は三割ほどが血の雫で彩られていた。

無惨さは別としてではあるが、その色合いは美しい夜桜を思わせた

 

「ん」

 

なに?といった表情でナガレは受けた。

授業中に話し掛けられた時のような、そんな表情だった。

だがこちらも、少女じみた童顔を彼我の血で染め上げている。

そして遣り取りの最中でも、剣戟の手は全くとして緩まない。

 

今更にも程があるだろうが、自らと剣戟を重ねる少年を、麻衣は不思議だと思い始めた。

力自体は自分よりも三割程度下、斧を振う速度も刹那二つ分ほど遅い。

致命的な差があるにも関わらず、両者が負った損傷は凡そ同程度であった。

 

徹底的に自らの肉体の性能を理解した上での、

今の自分では想像もつかない技術のためだと麻衣は思った。

格上相手の戦闘に、そして戦闘行為自体に慣れている。

少女剣士は彼をそう判断した。

 

そして彼が自分と同じ性能だったならとも思った。

同時に、心臓が高鳴りを生じた。

だがそれは怯えではなく、期待による高揚からのものだった。

 

今の段階でも既に、自らの望みは叶っている。

宝石狩りの悪鬼、狂乱の黒奇術師、そして黒い異形の少女達。

これらによる悪魔のような所業は兎も角として、その戦闘の中で麻衣は満たされていた。

戦いたいと願い、そして地獄のような修羅地獄が彼女の前に立ち塞がった。

 

その全てから、彼女は生き残ってきた。

何一つとして楽勝なものはなく、人間なら数百回は死ぬような目に遭ってきた。

破れた腹から内臓を零しつつ、血の海に沈んだ自分を抱きかかえる仲間の涙を見る度に、

血の海に映る自分の姿を見る度に、戦いの醜さを味わってきた。

 

闘争など、願い事などロクでもない。

そう思わない日は一日としてなく、

時折湧き怒る懊悩が、彼女の心を焼き尽くすかのように苛んでいた。

皮肉なことに、それを沈める唯一の特効薬こそが闘争であった。

 

互いを破壊し合う行為の中で思い悩んだ末に、麻衣は彼に告げる事とした。

ある種の、救いを求めるかのように。

 

「君はまだ、奥の手を残しているのだろう?」

 

道化から得た情報による、確信を持っての疑問と共に、凄まじい一閃が放たれた。

防御から退避に切り替えた彼の胸を、魔の刃の切っ先が走り抜けた。

心臓の手前、皮一枚ほど残して彼の胸は切り裂かれていた。

血が滝のように滴り落ち、そこを抑えた彼の右手の白手袋が、

見る見る内に深紅へと染まっていく。

それでも彼は悲鳴を挙げず、闇色の眼で麻衣を見ていた。

 

「やるじゃねぇか」

 

苦痛を堪えつつ、彼は強者を讃えた。

血に染まる彼を見る、朱音麻衣の眼は、更に赤黒さを増していた。

煮え滾る、血の池ような光を放っていた。

 







麻衣さんの活躍、というかおりこシリーズはまた続編が読んでみたいですね。
個人的には、魔獣世界での彼女らの活躍を拝めないものかなと思います。



ロクでもねぇ奴一覧
・殺人マシンの開発者
・同僚(元テロリスト)
・トチ狂った陰陽師
・声が非常に豪華な神々の方々
・殺人マシンの動力源のヤンデレ宇宙線
etc

また、原作が虚無戦記っぽい事を考えると、彼はその内ラ=グースにも遭遇しそうです。
(尤も、彼自身もラ=グースっぽいのですが)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤④

「それがお前の魔法か」

 

刃部分が砕け散り、それこそ太古の打石器のような形状と成り果てた柄を投げ捨てる。

黒曜石に似た輝きを放ちながら、異界の地に屍のように横たわる。

 

確かな苦痛を湛えつつも、彼の顔には剣鬼の笑みが貼り付いていた。

そのまま、彼は胸に力を籠めた。

薄く見えるが合金のような強靭な筋肉が収縮し、傷口を強引に塞ぐ。

既に溢れた血潮が肉の裂け目より滴る様子は、餌食を喰らった獣の口に見えた。

 

「医者いらずだな」

「冗談言うなよ、後でちゃんと包帯くれぇ巻くさ」

「どちらが冗談なんだかな。せめて消毒くらいはしておけ」

 

血染めの顔で、戦士と少女剣士は微笑んだ。

その最中、ナガレは背後へと跳んだ。

一跳びで、両者の間には七メートル程の距離が隔たれた。

 

彼が着地した瞬間、麻衣は刃を振った。

刃の軸が遠方の少年を捉えた瞬間、彼の手元から黒い破片が飛び散った。

先に破壊されたものに代わり、ジャケットの裏側から抜刀した

一対の斧が無残に破壊されていた。

 

「先程の話だが、その通りだ」

 

麻衣は振り切った刃を鞘に納めた。

鈴鳴りに似た美しい音が鳴った。

彼も同時に手を離し、破片となった鉄の棒を地に堕とす。

鍔鳴りとは対照的に、岩塊が落下したかのような重々しい音が生じた。

 

「刃の射程距離は、ある程度なら自由に扱える」

「すげぇじゃねぇか。でもよ、あまり嬉しそうじゃねぇな」

 

彼の指摘の通り、自らの魔法を告げる麻衣の顔と声は寂しげだった。

 

「戦う事にしか使えない魔法だ。人の役に立つ魔法を行使する、

 物語の魔法少女達を見習いたいものだ」

「俺が云うのもなんだけどよ、応用を利かせてみたらどうだ?」

「例えばどんな?」

「空間を削り飛ばすとか」

「随分と凄い事を言うのだな、君は。空間とは寒天や豆腐じゃないんだぞ?

 そして、それが人々の生活にどう役立つ?」

「空間同士を繋げて、好きな場所に移動するとか」

「…うーむ」

 

少年の提案に少女剣士は、紫色の胸当てを巻かれてもなお豊かな胸の前で手を組んだ。

そして数秒ほど小さく唸り、一つの結論を導き出した。

 

「何事も、物は考えようという事だな。ありがとう友人君、何か掴めそうな気がしてきたよ」

 

若干の不敵さを宿した顔で、彼女は律儀に礼を述べた。

 

「それと押し付けがましいのは承知だが…」

「…分あったよ」

 

気安い応酬、例えるなら外食先で、手持ち不足ゆえに友人の代金を肩代わりしたかのような

やり取りをしつつ、ナガレは空となった右手を虚空へと伸ばした。

開いた掌を中心に黒い靄が発生、そして左右に向かって一直線に伸びる。

伸びきると同時に、彼は掌を握った。

血塗れの五指は、硬く冷えた鉄の感触を捉えた。

右だけではなく左手でも柄を握り、彼は物騒極まりない形状の切っ先を麻衣へと向けた。

 

「槍斧…俗に云うハルバードか」

 

顕現した物体に、麻衣が絞り出すような声を出した。

その声は震えてもいた。

恐怖以外の感情で。

 

「少しデカすぎるけどよ…トマホークっても云うらしいぜ」

「巨大に過ぎる手斧だな」

 

柄の部分の長さは約二メートル。

円にも近い両刃の直径は八十センチほどもある。

中央に空いた穴の真ん中には黒い塊が滞空し、

またその周囲は優美な形状を描くくり貫きがされていた。

その形がハートマークであるというのは、

魔といえど一応は『女』であるという事の証なのだろうか。

 

感慨も程々に、両者の足が地を踏みしめた。

開いた距離など無かったかのように接近。

互いの刃を、最高の破壊力を成す間合いにて振るう。

魔を宿した刃と、魔そのものである斧。

両者の激突は、莫大な火花と轟音、そして衝撃を発生させた。

 

反動を受けた操者達の身が、一瞬発条のように反りかける。

だが魔法少女は治癒能力と耐衝撃用の防御機能で、

少年は強靭な骨格と筋肉で肉体に迸る激震を耐え切った。

 

麻衣はナガレを見た。

そしてその逆も然り。

 

「じゃあ…」

 

振りかぶりつつ、ナガレはゆっくりと言った。

相手の挙動に合わせ、呼吸を合わせているかのように。

 

「もう…」

 

こちらも同様に、肉体の痺れを取りつつゆっくりと刃を振り上げていく。

そして。

 

「「一丁!!」」

 

同じ言葉と共に、再度の激突。

得物同士の抱擁は、離れた直後に再度生じた。

 

そして四打目で、両者は衝撃に順応し始めていた。

十打を越える頃には、莫大な数の剣戟が全力のままに行われるようになっていた。

絶え間ない火花と轟音が続き、

両者の足裏より流れる力が莫大すぎて、異界の地が悲鳴を挙げていた。

 

二十五打目にて、両者の周囲の地面に亀裂が入った。

全く気にも留めずに更に打ち合う。

用いているのは共に巨大な業物だというのに、その交接点は取り回しの利くナイフどころか、

布に撃ち込まれるミシン針の連打に近かった。

 

攻めるばかりではなく、時に刃の腹が盾として防御も行っていく。

そして相手の刃を弾き返した瞬間、攻守を変える。

それが、ほんの数秒間の間に幾重も繰り返されていく。

亀裂は長さと深さを増していき、両者の周囲に巨大な円を描いた。

上空から見れば、小惑星の激突によって成るクレーターを思わせる様相となっている事だろう。

 

そして、遂に。

 

「扱い辛そうな得物なのに、随分と上手く扱うものだな」

「まぁな。ちょっと使い慣れすぎちまっててよぉ」

 

両者の念話には、破壊音と風切音が覆い被さっていた。

狂った潤いを交わす両者に、遂に大地が屈したのであった。

麻衣とナガレの足は地面の上に無く、その破片と共に宙に浮いていた。

大地にばっくりと開いた孔の中へと、少年と魔法少女が堕ちていく。

 

光源から遠ざかっていくにも関わらず、二人の周囲には光が満ちていた。

落下しながらも、戦闘は継続されていた。

停める理由など、どこにも無いとでもいうように。

 

「斧を扱い慣れる…山籠もりが好きなのか?」

「嫌いじゃねぇけど、好きって訳でもねぇな。ただ親父によく連れられてたな」

「家族の理解があったのか、羨ましい限りだ」

「理解っつうか…生活の一部だったっつうか」

 

追想をしつつ、槍斧が振られた。

半円を描いた巨大な刃が麻衣の刃に激突し、魔法少女を弾き飛ばした。

弾かれた先、異界の壁面へと麻衣が脚を撓めた状態で接する。

すぐに脚が伸ばされ、魔法少女が閃光のように飛翔。

血染めの薄紫の光となって、ナガレに迫る。

 

「矢張り、君からは色々と学べそうだ」

 

刃の笑みを携えた麻衣と少年は、空中にて再び激突。

麻衣の刃は軋み、斧型の魔女が耳障りな悲鳴を挙げた。

刀身が削られ、魔の金属が鱗粉のように宙に舞う。

火花に鮮血、そして刀身から噴き上がる粉でさえ、吹き荒れる刃の嵐によって刻まれていく。

 

何時果てるとも知れない刃の応酬を重ねたまま、若き勇者たちは

異界の底の底へ、果てしなき闇へと堕ちていく。

 










今回も命の火を燃やしています。
また次回からは、魔法少女組の話を描きたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤⑤

「やり…ますね…佐倉、杏子…」

 

途切れ途切れになりつつ、自警団長はバトンの先に佇む同類を讃えた。

リナの軍人然とした衣装は、血塗れになっていた。

それは時折『バケツ』と評される帽子も例外ではなく、至る所に血の珠が浮いていた。

 

「寝言を…ほざけるたぁ…随分と余裕じゃねぇか…えぇ?リーダーさんよぉ…」

 

雷の杖を突きつけられつつ、杏子は槍を構えながら不敵に笑った。

苦痛により痙攣する唇の端を、必死に黙らせての笑みだった。

杏子もまた無傷ではなかった。

 

肩や腿などの肌が露出した個所、雷撃に焙られた皮膚は赤黒い凝固と化していた。

白い肌の上に瘡蓋のように連なり、その表面から血と薄黄色の体液を滲ませている。

また長い髪の端は紅の残影を残した炭となり、

杏子が何もせずとも、はらはらと崩れ落ちていく。

 

人見リナは白と黒、佐倉杏子は紅と黒の斑模様を全身に散らしていた。

互いの肉体を削り、叩き、焼け焦がした回数はもう覚えていなかった。

完全回避したとみえた槍は空中で反転し、リナを執拗に追尾。

雷撃の防壁さえ打ち破り、リナの肉体へと突き刺さった。

 

またリナの雷撃もまた同様に、群れる無数の毒蛇のごとく宙に広がり、

杏子の逃げ場を断ち切り白光の牙を彼女の皮膚へと突き立てた。

文字通り、身を裂き焼く苦痛。

楽しさなど微塵もなく、されど引くことも出来ぬ戦い。

虚しさを抱く間も無く、斑の白と紅は魔を放った。

 

「当たれぇぇえええっ!!」

「当たるかボケぇええええ!!」

 

叫びと共に放たれた雷撃に、紅の長槍が絡みつく。

雷撃と槍に纏われた両者の魔力が激突し、衝撃と火花が吹き荒れる。

白と紅の光が両者の間で乱舞し、そして破裂する。

既に八メートルほど隔てていた距離を、

両者は吹き付けられる暴風に押し退けられるように更に広げた。

 

二十メートルの距離を開け、再度両者は互いの視線をぶつけ合っていた。

紅と紫の瞳の交差が、空間内に不可視の何かを満たせていく。

両者の実力は拮抗していた。

現状維持は、共倒れを生じると判断。

同時に同じ結論に達したらしく、杏子とリナの元で光が滾った。

リナは首筋、杏子は胸元。

人体の重要部位に据えられた場所で輝く光は、彼女らの命そのものだった。

 

杏子の背後から、巨大な影が顕れる。

鎖を節として巨竜のように鎌首をもたげた槍は、

相手を喰らわんとする口であるかのように、穂に切り込みを入れていた。

 

対するリナの上空にも変化があった。

極彩色の模様が果てしなく続く結界の中で、そこには黒い靄が立ち込めていた。

靄はやがて密度を増し、鉛色の曇天と化した。

曇天の内部では、凄まじい白光が胎動を始めていた。

 

 

 

 

「…うわぁ」

 

呉キリカは、若干の引きと驚きを内包した呟きを漏らした。

リナと杏子が対峙する場所より、数百メートルほど離れた地点であった。

対するは赤ずきん姿の魔法少女、佐木京である。

 

「これはまた酷い有様だなぁ」

 

ぼんやりとした口調で、キリカは己の身体を見つめた。

左右の乳房に突き立てられた巨大な鋏が、黄水晶の瞳を出迎えた。

胸を貫通し背へと抜け出た鋏の柄には、手首の辺りで切断された人形の手がぶら下がっていた。

人形の本体は、キリカの周囲に上半身と下半身を断たれた状態で散らばっている。

無表情である筈の貌には、無念の形相が浮かんでいた。

 

胸以外にも脇腹や両腕、膝に肩にと、大小さまざまな鋏が突き刺さっている。

彼女の衣装の中で、白いレースを用いられた部分は例外なく鮮血に染まり切っていた。

そして金属と肉の断面からは、千切れた筋肉や内臓が覗いていた。

 

だがキリカの視線は肉体の破損個所ではなく、自身の腹のやや下に向けられていた。

黒いミニスカートの先にある、肉付きのいい腿を見ていた。

 

「これはえぐいな、まるで経血の大河だ」

 

うぇぇと呻きながら、彼女は腹から溢れた血に染まる股の部分をそう評した。

生理的嫌悪感が増したのか、京の顔面の引きつりが更に悪化していく。

 

「まぁしかし、身を清めるのもまたレディの嗜み」

 

苦笑しながらキリカが言葉を放った途端、がぎん、という耳障りな音が生じた。

そして似たような落下音が続いた。

彼女の全身を覆うような鋏達は、皮膚の辺りで切断されていた。

鋏に肉を穿たれていた部分に開いた傷口の淵で、無数の針が肉の中より出でていた。

不運にも、京の眼はそれを捉えていた。

短い悲鳴が生じ、小柄な身体に痙攣のような震えが奔った。

 

そして黄色い脂肪層を覗かせていた、

切り刻まれた乳房や身体の表面を覆う鮮血が波のように引いていく。

深紅が去った後に残されたのは、傷一つない艶やかな皮膚と新品の奇術師衣装だった。

 

「はい、これで完全修復完了。

 血肉の損失が多い日も、魔法少女なら安全安心無病息災家内安全」

 

身体の調子を確かめるためか、口上を満足げに言い放った後、

キリカは背伸びを行った。

目を閉じ、ん~と気持ちよさそうに鼻を鳴らしながらの小運動だった。

その様子だけを見れば、何気ない行動にしか見えなかった。

だがそのためか、京の理性は崩壊を始めた。

 

「い…」

「…?なんだい、尻取りかい?」

 

京の悲鳴の発露は、黒い魔法少女の的外れな指摘によって霧散させられていた。

 

「私は強いぞ。なんてったって一人の時間が長過ぎたからね」

 

相手の意図など全く無視、というよりも認識せずにキリカは己の思考を言葉で連ねていった。

震える赤ずきん姿を見て、それは期待によるものだとキリカは思った。

これは壮大な回想が必要だなと、黒い魔法少女は同類の期待に応えるよう決意した。

 

「私はこう見えて口下手だからさぁ、あんまり人とおしゃべり出来なかったんだよね。

 相手を不快にさせちゃ悪いと思い過ぎて、

ついついだんまりが続いてそして板に着いてしまった。

 まぁこれには我ながら不甲斐ない理由があるのだが、それはまたの機会としてだ。

 学校でもぼっちだったから暇な時間は腐るほどあったね。だからその時は暇つぶしとして

 一人尻取りをやってたよ。勘違いしないで欲しいのだが、あくまで言葉遊びとしてだ。

 決して卑猥な行為なんかじゃない事を理解して呉給え。

 そういう訳で私は尻取りに関してはちょっとした百戦錬磨だ。

 さぁ、それでもいいなら掛かってくるがいい。

 君が契約の対価に得たその姿からして、物語を好むというのは分かっている。

 佐木京、君は私の尻取りの相手として、かつてない強敵となるだろう。

 おおっと皆まで言わなくてもいい。

 言葉遊びを行う前のため矛盾した言い回しとなるが、既に我らの間に言葉は無粋だ」

 

京の頭脳は、キリカの言葉を却って鮮明に受け止めていた。

単語の一つ一つ、そして話の内容を脳が一瞬にして精査していく。

 

「まぁとりあえず、先行を決める為にまずジャンケンを」

 

その瞬間彼女の思考は、奇術師姿の同類の言葉を全て、『意味不明』として認識した。

彼女の中で、何かが千切れた瞬間でもあった。

 

「いやぁぁあああああああああ!!!!!!!」

「うわぁっ!?」

 

両手で頬を抑えての、凄まじい絶叫が挙げられた。

眼と口は限界まで見開かれている。

頭巾で包まれていた長い髪が、彼女の理性のようにばさりと解けた。

左右に振られる首の動きに従い、狂ったように振り回される。

 

「えぇと…君、大丈夫かい?」

 

恐る恐る、キリカは近付きながら聞いた。

不思議な事に、彼女の言葉は本心からのものだった。

労わったというよりも、京の様子に怯えたというのが正解ではあったが。

 

「来るな…」

 

接近しつつある奇術師姿に、京は怯えに満ちた声を絞り出した。

今度は逆にキリカが怯んだ。

そしてその瞬間、防衛本能によるものか、京の恐怖心は怒りに転化された。

 

「来るな来るな来るなぁぁあああああああ!」

 

必死の咆哮と共に、キリカの背後で二体の人形が立ち上がった。

上下半身の接着も後回しに、キリカの元へと飛来する。

 

「目!」

 

主の指示に従い、童女人形は右手を、少年人形は左手を突き出した。

破壊された手は鋏状に変化し、主が指示した場所を貫いた。

キリカが声を挙げる前に、京は更に命令を発した。

 

「耳!!鼻!!!!」

 

童女がキリカの両耳を削ぎ落し、少年が秀麗な鼻梁に横殴りの一閃を浴びせた。

抉られた眼のすぐ下にある右頬、鼻筋、左頬までを朱の線が繋いだ。

鼻が吹き飛ばされなかったのは、彼女が背後に跳んだためだった。

 

「っつぅぅ……痛いじゃないか」

 

破壊が終わってから、キリカはそう呟いた。

京の必死の、嫌悪感を覚えるほどの残忍な命令の行使にも関わらず、

痛みを訴えつつもキリカは平然としていた。

 

「佐木京と云ったか。恐ろしいな君は」

 

彼女の声には感嘆の響きがあった。

そして告げている間に、破損個所は修復されていった。

 

「とても恐ろしい、人間とは思えない残忍な攻撃だ。

 まるで狂った反社会組織か、闇社会での粛清模様じゃないか。

 失礼を承知で言うが、何か悩みでもあるのかい?

 よかったら友人を貸してあげるから話すといい。

 ああ見えて彼はお人好しだから、欲望を吐き出すのにはいい相手だ」

 

キリカの勝手な提案に、京は思考を投げ出したくなっていた。

そうせず、また逃亡もしないのは仲間を想っての事だった。

自分が退けば、仲間にこの狂人の魔の手が迫る。

いつも守られている立場なだけに、彼女はそれを由とはしなかった。

 

「それにしても…目、耳、鼻か。…よし」

 

何がよしなのか、京には全く分からなかった。

 

そして。

 

目だ!耳だ!鼻!

 

万物を貫き穿つような声で、キリカが叫んだ。

京は、叫ばれた部位が熱く燃え上がるような感覚を覚えた。

目が潰され、耳がぶち切られ、鼻が顔の皮膚ごと剥ぎ取られる。

自身の顔が、そのように残虐極まりなく破壊される光景が脳裏に浮かんだ。

 

「…駄目だな、いくらなんでもグロすぎる。私の趣味には合わないな」

 

耳を疑う一言、ではあったが京はそう思わなかった。

そう認識したら心が砕ける、そう思って耐えていた。

泣きそうな顔で人形たちを呼び戻し、破損個所を魔力で修復。

不死身の怪物に抗う為に、京は戦闘継続を決意した。

 

勇敢な泣き虫からの必死の睨みつけに、キリカは朗らかに微笑んだ。

どこか羨ましさを感じているような、そんな笑みだった。

そして笑顔と同時に、彼女は得物を呼び出した。

手の甲から伸びた赤黒い斧は、血肉を求めて輝いている。

 

「…ん?」

 

そろそろ再開しようかなと思った矢先、キリカはふと何かを感じた。

足の裏、更に言えば踏みしめられる大地の中で、何かが震えたような気がした。

 

 










偶然により、悪習が受け継がれました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 狂潤⑥

暗闇の中、彼女は固定されていた。

刃と槍穂の部分を、冷たい異界に突き刺されている。

刀身というより全身に伝う他者の異界の感触も不愉快だったが、

傾いた自身に添えられている両刃の刀の感触は、更に不愉快極まりなかった。

生態の所為といえばそれまでだが、斬られたり殴られたりすれば彼女も痛いのだ。

その原因がぴったりと身を寄せていることに、彼女は不快で不快で溜まらなかった。

 

不快感を拭うように、斧の魔女は魔力を使った。

報酬を頂こう、そう思いながら。

光の差さない暗黒の中、空間を熱い液体が飛翔する。

魔女の斧部分の中央の孔へと、赤い生命の滴が吸い込まれていく。

 

ごく、ごくっと音を鳴らしながら、魔女は血を飲んでいく。

いくら飲んでも、後から後から報酬は彼女の元へと届いていった。

 

血を吸う魔斧槍は、餌食の源泉へと黒い眼差しを送った。

これまでの報酬を味わいながら、さながら娯楽のようにそれを見つめた。

 

 

荒い息遣いが、闇の中で蠢くように木霊する。

完全な闇の中にありながら、両者は相手を視認していた。

魔法少女は魔力を用いて、少年は異常な視力にて。

 

闇に深く蠢くのは、一対の飢えた獣達。

飢えの対象は食欲ではなく、ただ相手を打ち負かしたいという純粋な原初の欲求。

狂おしいほどの破壊衝動が、麻衣とナガレを突き動かしていた。

 

「がっ…」

「ぐぅ…」

 

それは悲鳴ではなく苦鳴であった。

 

麻衣の胸へと直撃したナガレの拳は、彼女の胸に完全に埋没。

肋骨を全損へと導いた。

対して彼女の手刀は彼が突き出した右腕の表面をなぞり、

手の甲から肩口までを切り裂いた。

 

「まるで…」

 

衝撃と共に後退しつつ、麻衣は血を吐きながら喋った。

陥没した胸に、血に染まった両手の指を突き立てる。

 

「全身が…鋭利な武器だな」

 

言い終えると同時に、彼女は肉と骨を指先で掴んだ、十本の指を思い切り引いた。

肺と心臓に突き刺さっていた肋骨を、強引に引き剥がす。

聴くものの耳に一生残るような、肉と骨が奏でる破壊の狂騒曲が鳴り響いた。

されど悲鳴どころか一声も挙げず、麻衣は苦痛に耐えきった。

 

それでも口からは、血が滝となって滴り落ちた。

落下の直前、それは何処かへと飛翔していったが、両者にとってはどうでもよかった。

直後に生じた液体が嚥下される音も、また同様であった。

そして先程の麻衣の様子に、少年はかつての自分の姿を見た。

その原因たる黒い魔法少女は兎も角として、麻衣の行為に悪い気分はしなかった。

 

武器を放棄しての殴り合いは、開始から五分が経過していた。

肉体を武器としての攻防は却って、両者の戦闘を激化させていた。

刃の打ち合いと違い、防御の度に確実に血肉が削られる為だろう。

 

「その言葉、そっくりお前に返してやらぁ」

 

血臭が染みついた唇を動かし、彼は魔法少女を讃えた。

力を込め、ナガレは強引に傷を塞ぎに掛かった。

麻衣の一閃は彼の頑強な筋肉を切り裂き、内部の骨に達しかけていた。

だがその成果は傷口が少し狭まり、出血が緩やかになった程度であった。

既に全身に打撲と裂傷を負っており、強引な即席治療にも限界が訪れていた。

 

「あんまり無茶するな、寿命が縮む」

「悪いが、そうでもしねぇと意識がぶっ飛びそうなんでね」

 

血染めの顔で彼は笑う。

これまで幾度も見てきた表情だったが、汗のように体表を覆う血の所為で、

凄絶さがこれまでと桁違いとなっていた。

だが、それが最も似合うのが今であると、麻衣は思った。

邪極まりない想いとはいえ、道化が彼に執着する理由が分かった気がした。

何は如何あれ、そして本人の意図に関係なく、強者には魅力が付いて廻るのだと。

 

その時、一瞬だが麻衣の意識が絶えた。

全身の疲労と精神的な消耗が、彼女から思考力を奪い取ったのであった。

そして同時に、彼の膝も地へと落ちかけた。

血を吹きながら彼の身体を支え続けた脚も、物理的な限界を迎えかけていた。

 

前へ倒れる相手の身体を、両者は互いに支えた。

それは労りからではなく、同時に倒れかけた事による偶然だった。

相手を破壊する行為の最中の、奇跡のような出来事だった。

 

身長は麻衣の方が少し上であったが、

魔法少女の方が傾斜が強く、吊り合いが取れていた。

それぞれの右頬が相手のそこと接触し、また骨と肉を間に挟み、二つの心臓が重なっている。

但し鼓動しているのは、頑丈な骨格に守られた少年の方だけだった。

豊かな脂肪に包まれた方は、ぴくりとも脈を打っていなかった。

だがそれでいて体内に血は巡り、麻衣の体温は保たれていた。

 

「便利だろう、魔法少女の特権だ」

 

ほくそ笑むように、麻衣が告げる。

 

「呉キリカを見ていてもしやと思ったが、

 私達にとって、心臓や肺は在って亡いものであるらしい」

 

彼女の顔には、喜びと困惑が等配分されていた。

 

「私の願いは『強者と戦う事』だったが、その中であっさり死なずに済んで助かっている」

 

『願い』という言葉を、ナガレは記憶に刻み付けた。

昨日の獣の姿が、彼の脳裏に浮かび上がった。

麻衣のそれとは違い、生命感の欠片も無い血玉の眼が、記憶の中で彼を見つめていた。

 

「コメントに困るな」

「ははは、だろうね」

 

内心を隠し返答したナガレに麻衣が微笑む。

傷の奔る麻衣の頬が、笑みによってふっくらと膨らんだのを彼は感じた。

 

「にしても、誤解を招く絵面だ」

「あぁ。それに私の両親は厳しいからな。

 この様子を見たら、友人君はタダじゃ済まないだろうな」

「そいつぁ、親として当然だな」

 

偶然による肉体の接触は、その後数十秒ほど続いた。

互いの体温に、相手のそれが伝播し始めていた。

ナガレが口を開いたのは、そんな時だった。

 

「やるか」

「是非もなし」

 

名残の一切も見せずに、両者は背後に引いた。

そして、互いに技を放った。

 

決着は一瞬にも満たない内に着いた。

ナガレの廻し蹴りが、麻衣の腹を横薙ぎに払っていた。

突き出された拳によって半ばまで切り裂かれつつ、蹴りの一閃は流星となって駆け抜けた。

また麻衣の拳も、ナガレの胸にぶち当たっていた。

人体を容易に破壊する、魔法少女の一撃だった。

 

そして、肉体が奏でるとは思えない轟音が生じた。

死闘の終焉を告げる音だった。

 

その様子を、魔女の黒い眼が見つめていた。

 

そして、もう一つの魔の者も。

 

「…くふっ」

 

不意に生じた、蠱惑さを帯びた少女の声は

肉体の破壊音に掻き消され、誰の元へも届かなかった。








次話もなるべく早めにいきます。

また「闇に深く~」の件は新ゲのOP、「DRAGON」の一節を参考にさせていただきましたが、
この曲は主人公について唄った曲の為かフレーズの一つ一つが格好良く、聴いてると無性に気力が湧いてきます。
まどかなら「君の銀の庭」や「コネクト」などが同じ条件として該当しますかな。
この両曲も、キャラクターの強い意志が伝わってくるいい曲だと思います。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 闇の想い

「私の負けか」

 

手足を投げ出し、仰向けに倒れた魔法少女をナガレは無言で見つめた。

紙一重ではあったものの、彼女の言葉の通りだった。

勝者が敗者に言えることなど、慰め以外の何物でもない。

 

見つめつつ、彼は口腔から血泡をこぼした。

麻衣が彼の胸に放った拳は、肋骨の全体に広がるヒビを入れていた。

 

対して幾つかの内臓破裂はあるものの、麻衣は思いの外軽傷であった。

彼女の感覚では、自身の胴体は斜めに両断され、その断面から臓物の花を散らしている。

その筈だった。

そう思えるほど、不死身の肉体は痛みに満ちていた。

 

肉体の破壊よりも、腹を基点に全身へと散らばる痛みが、

剣士少女へのトドメになっていた。

指先を動かそうとするだけで、そこに万本の針を突き刺されたような気がした。

 

「頑丈すぎるぞ、友人君」

 

唇や声帯も同様に痛む中、麻衣はにこやかに笑った。

満足しきったかのようだった。

 

「一度ぶっ壊されたからな。頑丈になったんだろうさ」

 

皮肉気に笑いながら、彼は麻衣へと手を伸ばした。

そろそろ戻った方がいいだろなと、ナガレは思っていた。

そして勝てたとはいえ、彼もまた重傷を負っていた。

 

地表を破壊した挙句に地下空洞まで侵入し、

更にはその空洞さえも切り開いていったため、

最早迷宮に迷い込んだかのような状況に陥っていた。

 

そんな場所から自分一人で脱出できるとは思えず、

また少女を置いていくような無慈悲さは、彼に備わってはいなかった。

 

閃光が迸ったのは、正にその瞬間であった。

 

「くふっ」

 

不快な声が、彼の鼓膜を震わせた。

耳朶から注がれた流血によって、そこもまた血に濡れそぼっていた。

血に塗れた、道化の声だった。

声と共に、彼は手と胸元に熱を感じた。

 

「危機一髪でしたね!麻衣さん!」

 

倒れた麻衣を抱きかかえる優木の手には、結晶状の杖が握られていた。

杖の先端には、放たれた高熱の残滓が翳り、周囲の闇を茫洋と揺らせていた。

 

「優木…沙々」

 

凝縮された怨念のような麻衣の声を無視し、道化は麻衣を後方へと放った。

傷付いた魔法少女の身体を、巨大な掌が包み込む。

麻衣が振り返ると同時に、掌は地面に叩き付けられた。

苦鳴を挙げる暇も無く、魔法少女が掌と地面の間に沈み込む。

 

「麻衣さんは下がっていてください!この不届き物は…私が命に代えても倒します!」

 

力強い言葉を掛け、道化が杖を構えつつ前へと踏み出す。

たった一人で巨悪に挑む、勇者のような横顔で。

だが、その言葉に重なり、ナガレの元へと送られた道化の意思は

 

『「テメェは黙って死んでろ!この戦闘狂のクソ女!!

  孕み願望持ちの腐れドブス!!!!!!!」』

 

麻衣の願いを真っ向から踏み躙る、道化の悪意の意思だった。

 

「逢いたかった…逢いたかったですよ……友人君」

 

次いで彼の意識に這入り込んできたのは、熱に浮かされたような、

道化の熱い想いだった。

先程とは打って変わった、紛れもない乙女の、そして邪悪な恋慕の意思が彼の脳裏に流れ込む。

 

この時、ナガレはぴくりとも動かなかった。

正確には、動く事が出来なかった。

動く意思はある、道化の言葉を不快に感じる意思もある。

だが、傷付いた身体は動かない。

道化の顔面が鼻先に迫り、殴れば頭を飛ばせるような位置に来た時も。

 

「私だって、辛いんですよ。この瞬間も、胸がずきずきと痛みます」

 

闇の中であったが、彼の視力は昼間同然に周囲を見据えていた。

暗闇の中、涙を浮かべた道化の周囲に禍々しい何かが見えた。

全開発動された、洗脳魔法だった。

 

「だから…私の仲間になってくれませんか…?」

 

甘ったるさを孕んだ道化の声。

聴覚と同時に、彼は自らの体表に這いずる感触を覚えた。

鉛のように重く、そして生暖かく柔らかい。

身を這う感触に、明確な形が与えられていた。

 

糸ほどの太さの熱線が通過した彼の胸を撫で廻し、縫い包みを愛撫するように頭を撫で、

そして蛇のように四肢に絡みつくのは、無数の女の手と腕だった。

物質としては何も無いが、彼の認識だとそれに思えてならなかった。

道化の想いが無の形を取り、彼の動きを拘束していた。

振り解こうと意思を発するが、疲弊しきった肉体は動かない。

一か所を除いては。

 

「…ざけんじゃ……ね…ぇ」

 

途切れ途切れになりつつも、ナガレは怒りに満ちた声を絞り出した。

何かが潰れる音が鳴っていた。

呪詛を述べた彼の口から、新鮮な血の滴が零れ落ちた。

舌先を噛み切り痛みを味わう事で、彼は肉体の制御を一部取り戻したのだった。

 

洗脳魔法により、やや意志の光を失った目で、

それでも業火の翳りを宿した視線でナガレは道化を睨みつけた。

その姿に道化は一瞬怒りを浮かべ、また悲哀を感じ、

そして最後に顔の部品が溶解したかのような笑顔となった。

 

「あぁ…やっぱり素敵ですよぉ……あなた」

 

もぞり、と道化は芋虫のように身を捩らせた。

同時に粘着質な水音を伴う、衣擦れの音が生じた。

道化の細い太腿を下着が滑り、膝に接する辺りで消えた。

 

道化の肉と下着の間を伝っていた粘液の糸がぷつんと千切れ、

床面に僅かな水音を鳴らして跳ねた。

 

洗脳魔法のベースである道化の意思に乗るのは、理性を狂わす性の意思。

一種のフェロモンと呼んで差し支えない代物だった。

道化が下着を脱ぎ捨てた瞬間、大気に雌の臭気が触れたと同時に魔力もまた強さを増していた。

 

「それでは、従わせると致しましょう」

 

欲情に滾った表情で、道化は杖を振りかざした。

直後に放たれた閃光が、桜色に染まった道化の顔を闇の中に浮かび上がらせた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 闇の想い②

闇の中、黄を帯びた光が迸る。

それは一瞬の明滅を経て、空間を引き裂き何処までも伸びてゆく。

光を遮っていたのは、傷付いた少年の肉体だった。

先に開けられた胸の風穴の隣に、焦げ臭い臭気を昇らせる新たな穴が開いていた。

 

僅かに震えた少年の身体に、更に数条の光が吸い込まれていった。

腕に肩に、右頬や腹に。

 

「お願い…ですからぁ……こんなこと…哀し…すぎます」

 

光の源流たる杖を振るう道化の声と表情には、本心からの悲哀が顕れていた。

青い瞳を宿す眼からは涙の滴が溢れ、道化の挙動に応じて宝石のように宙に零れた。

涙の珠が宙を舞った瞬間、道化の感情に呼応してか、杖から激しい光が生じた。

 

熱された鉄板の上に、水を落とした時のような音が鳴った。

実際のところ、現象としてはその通りだった。

一瞬にして、大量の水分が気化したのである。

更に直後、ごとりという落下音までが生じた。

 

「あ…あぁぁぁぁあああああ!!!」

 

道化の声は、絶望感すら孕んでいた。

闇の中、地面へと落下したのは少年の右腕だった。

肘の辺りで寸断され、その断面は炭化していた。

 

「そんな…そんなぁぁあああ……!!!!!!」

 

絶叫を挙げる道化。

万物を呪うかのような、悲痛極まりない声だった。

涙が滂沱と溢れ、道化の頬を濡らし尽くす。

紛れもない本心からのものであったが、

それ以外の水音が混じっていることを彼の聴覚は捉えていた。

仮初の肉体の高性能さを、彼は思わず呪っていた。

 

道化が雌の部分を大気に晒してからというもの、彼の拘束は一段と強くなっていた。

発動中の洗脳魔法は、不可視ではあったが彼にあるイメージを与えていた。

彼の全身を這う手は、絶え間なく粘液を発しているかのようにぬめぬめとした感触となり、

熱線による傷口には、熱い蛭が穿孔していくような感触が宿り始めた。

その形状が舌であり、更に大きさで考えれば、

手と同様に道化のそれが原形であるという事は、彼の嫌悪感を加速させていた。

身に与えられる感覚としては快感、更に言えば性悦ではあったが、

嫌悪感と怒りがそれらを塗り潰していた。

 

「なんて卑しい魔法少女なんだ」

 

言った彼自身も、明瞭な発音に驚いていた。

右頬を熱が焼いた際、舌の一部は焼き切れていた。

 

ぴたりと、道化の動きが止まった。

悲劇に浸る、ヒロインの動作の最中だった。

涙の川が止み、悲哀の顔が能面のそれとなった。

次の瞬間、能面は悪鬼に変わった。

 

「あなた…ほんっと分からず屋ですねぇ…」

 

唇を震わせ、わなわなとさせつつ道化が語る。

 

「佐倉杏子は喧嘩好きのくたばり損ない、

 そしてあなたは傲慢で呉キリカはバカ、っていうか低脳の蛆虫湧き」

 

前後の二つと異なり、彼の場合は嗜めのような言葉遣いとなっているのは、

曲りなりにも彼を想っているためか。

 

「私の周りには、まともな人はいないんですかねぇ…」

 

彼の右頬の傷口が、俄かに深さを増した。

苦笑によるものだった。

彼の眼の前で境遇を嘆くのは、己が言った他者への評、

その全てを兼ね備えた者だからである。

 

「ま、これで一人は増えるでしょう」

 

道化が再び杖をナガレに向けた。

先端から飛び出したのは、眩いばかりの黄の光。

但しそれに熱は無かった。

代わりに、道化の欲望が満ちていた。

相手を膝下に置き、跪かせ、そして意のままにしたいという、邪な闇の想いが。

 

想いのベースは、よく言えば恋慕、率直に言えば性欲であった。

数体の魔女を犠牲にしてグリーフシードを確保、更に数日間禁欲を行い欲望を高め、

またここ最近の鬱憤を欲望に転化しての邪法が、彼を繭のように覆い尽くした。

 

熱い欲望に合わせ、黄色い繭が光を増した。

繭を構築する、円環を描いて旋回する無数の光を眺めつつ、道化は溜息をついた。

顔だけを見れば、正に恋する乙女の表情だった。

 

道化の左手に、黒い光が吸い込まれていく。

全力魔法を支えるために行使される力の穢れが、手に握られた魔の種に吸われていく。

全ての種を使い果たし、繭が破ける瞬間を道化は待っていた。

道化の胸は、期待に震えていた。

 

自警団長の眼を盗み、試しにそこらのヤンキー上がりと思しき夫婦で試したところ、

小汚いアパートに戻った途端に盛り始めた。

二十代後半といった具合の連中だったが、

その様子はまるで猿のようだったと道化は記憶している。

 

女の嬌声は今も道化の脳裏に貼り付き、それへの興味の源泉となっていた。

命を育む個所が疼き、役割を円滑に果たそうと熱い泥濘を作り出す。

 

ほんの僅かな、一瞬の光の交差でああなるなら、彼は如何なることだろうかと。

緊張と期待が混合する中、道化は想いを描いた。

途端に彼女の顔は淫らに蕩けた。

欲望の繭が限界を迎えて弾けたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 闇の想い③

光が弾け飛び、内部の少年が再び姿を顕した。

弾けた光は、まるで粘液のようにゆっくりとした軌跡を描き、

宙に地面にと飛散した。

 

自らの想いが弾けた時、道化は腹部に軽い痛みを覚えた。

生理痛のようなそれに、優木は「あぁ…」と小さく呻いた。

熱が籠る子袋の本来の役割、即ち胎内で生命を育み産み落とすとはこういう事かと、

道化は独自の理論を組み立てた。

 

そして一瞬の母性本能は、欲情の業火へと変わった。

熱線により穴だらけにされ、更には右腕を失った血塗れの少年には、

道化の想いの全てが注ぎ込まれていた。

五個はあったグリーフシードは全て、孵化直前の黒に染まっていた。

都合、全開発動の六連発であり、妄想の重度は時間の経過に従って高まっていた。

道化の試算では、一つの市を淫虐の虜と化せるのではないかというほどの想いが、

一人の少年に注がれていた。

 

光より出でた少年は、ぴくりとも動かずにその場に立ち続けていた。

蕩けた表情を隠そうともせず、道化はその身に飛び掛かった。

細い手を広げ、獲物に飛びつく蜘蛛のように、ナガレの身体に己の身を絡ませる。

外見上は細く華奢な身体は、鋼のように硬かった。

 

血の匂いで満ちた胸板に、道化は頬を擦り付けた。

得も言われぬ思いが、道化の脊髄を貫いた。

 

「はぁぁあああ…」

 

虚脱した声と共に、道化の尻が淫らに震えた。

軽く達したようだった。

 

性悦のさなか、道化は左手の指を彼の右腕にぬるりと絡めた。

黄色の手袋に覆われた指が、右腕の断面を肉を喰らう蛆虫のように弄ぶ。

道化の細指の先で、炭化した肉が砂利のような音を立てた。

剥落した炭の下からは、生暖かい血の滴が滴り落ちる。

焦げの臭気と共に立ち昇る鮮血の香りに、道化の理性は破綻した。

 

野獣のように突進し、彼の身体を押し倒す。

発達した腹筋の上に、道化は尻を置いた。

血に染まり、赤黒さを増した黒シャツと道化の接面で、血と欲望の液の、

二種類の粘液が音を立てて交わった。

 

もう我慢が出来なかった。

道化は、過呼吸のような荒々しい息遣いを絶え間なく行っていた。

遂に、この時が来た。

幾度となく夢想して来たものが、遂に果たされる時が来たと。

その際には痛みが伴い、そして失うものがあると、道化は人並みの知識を持っていた。

だが、それに怖れは微塵も無かった。

 

既にこれまで、多くの血肉を彼に捧げている。

それこそ、通常人なら数百回は人生をやり直せるくらいに。

ならば今更、膜と評されるものやそれの損壊に伴う出血など些細な物だろう。

痛みなどもう慣れっこであるし、最近では痛みさえ悦びに変りつつある。

なんなら指でも構わないし、それに純潔など幾らでも再生出来る。

つまり雑多な人間の雌共と違い、自分は常に清い身でいられる。

 

これは使える。

優木沙々という至高の存在に尽くす名誉を与えられた、

栄えある雄共への褒美として。

欲望の大河に身を沈めつつ、その底に残った理性で道化はそう思っていた。

 

順風な人生を送るなら、資金や名声は幾らあってもいい。

例えば同年代なら、隣町の天才バイオリニストなどは篭絡すればいい資金源になるだろう。

本人は怪我で再起不能とのことだが、そんな事はどうでもいい。

要は金と幾らかの快楽があればいいのだ。

飽きたり金を使い潰した後は、別の雄に寄ればいい。

 

そして今はそんな先の事よりも、目先の快楽を貪る事が先決だった。

邪な妄想と全開発動した魔法の疲労感は、道化の欲を限界まで昂らせていた。

肉を前にした飢えた獣のように、道化の雌は淫らな涎を滔々と滴らせていた。

 

湿ったどころか、大洪水となったそこを腹筋に押し付けると、

それだけで絶頂に飛び掛けた。

戻る事は出来ないのではないか、そう道化が恐怖を覚えたほどの快感だった。

 

「犯します」

 

丁寧な口調は、歪んで蕩けた顔から発せられていた。

言葉の通りの行為に及ぶべく、道化は想い人の服を脱がせに掛かった。

 

道化の手が彼のベルトに及ぶ直前、優木は

 

「ヴぇぇっ!?」

 

という鳴き声を放った。

蕩けていた表情が、苦痛のそれに置き換わる。

溺れるように喘ぎつつ、道化は少年の顔を見た。

 

顔の至る前に、自らの細首へ伸びた左腕が見えた。

視界の端には、喉に喰い込む指の大本である、血染めの手の甲が覗いていた。

 

傷付いた逞しい腕を辿っていくと、少年の顔が見えた。

渦巻きを宿した眼が、道化を凝視していた。

闇の中でも、魔法を使用せずともそこははっきりと見えた。

闇よりも濃く、光のように輝いていた。

 

「すげぇなあ、お前」

 

讃えの声は、昏い音となっていた。

少女然とした声に、錆が纏われているかのような。

 

優木の頸を締め上げる力はそのままに、腕の角度が上がっていく。

正確には、体勢が変わっていた。

仰向けになっていた少年は、一瞬の内に直立し、道化の身体を吊るし上げていた。

 

「精神攻撃ってのには慣れてんだけどよ、

 それでも回復すんのに随分と時間を喰っちまった」

 

彼の口調には、怒りの要素は無かった。

ただ、ひたすらに淡々としていた。

怒りが無いのではない。

怒りが純粋化しているのである。

 

それを示すかのように、道化は得体の知れない不快感を味わっていた。

魔力では無かった。

道化の全存在を否定するかのような激烈な意思。

それが、道化の頸を締め上げる彼の左手から伝っていた。

 

「こんな気分は何時以来だろうな……あぁ、あいつだ」

 

渦巻く眼に、一筋の赤が加わった。

血の色だった。

 

「てめぇの性格は、方向性ってのが違うがあの腐れ陰陽師に似てやがる」

 

苦痛と恐怖に呻きながら、道化は聞き慣れないにも程がある単語に疑問を抱いた。

だが首を傾げる事は物理的に不可能であり、意味は無かった。

 

「あとこの魔法っつうか、エネルギーは…………」

 

思考、または記憶を辿っているのか。

彼の眼の渦が深みを増した。

この時彼の怒りの矛先は、道化から離れていた。

全身に叩きつけられ、そして身を満たす力に、彼はあるものとの類似性を感じ取っていた。

この身と化して約一か月、絶えていた感覚が彼の身に蘇りかけていた。

 

道化への拘束も、僅かに緩んでいた。

それは先述の通り、意識が道化から乖離しているためであったが、道化はそれを彼の油断と、

自らの魔法の効果と誤認した。

道化が再び魔を放とうとした瞬間、彼の渦が道化を捉えた。

道化とは、今の獲物ともいう。

 

その時彼の頭の中にふと、一つの言葉が思い浮かんだ。

台詞、としてもいいものが。

 

「よくも、ありがとう」

 

言葉を発した口は、半月の形となっていた。

そこから覗いた歯は全て、鋭い牙と化していた。

獲物、または供物である道化には、そう見えた。

 

彼女にとって不幸であったのは、得体の知れない存在から愛されるのは、

彼にとってこれが初めてではなく、

更には彼がその存在をこの上無く胡散臭いものだと思いつつ、

最も使い慣れた武器としている処にあった。

 

それに類似したものを注いだ結果、死に体であったナガレの身は、

欲情ではなく激情で満たされてしまった。

そして道化によって与えられた淫らな力は、破壊のエネルギーと化して道化を襲った。

 

頸の拘束が一瞬離れ、直後に胸倉が荒々しく掴まれた。

同時に、彼は道化を右向きに振るった。

それは止まらず、回転と化した。

彼は自らを中心として、道化を振り回す暴風となった。

 

激烈な遠心運動の前に、道化は必死に抗った。

手を伸ばし、声は在らんばかりの悲鳴を挙げた。

その全てが砕け散った。

 

細い腕や手足、そして指が音も無く折り畳まれた。

関節で曲がったのではなく、関節が強制的に増やされたのだった。

長さで言えば、腕ならば五センチ単位、指は五ミリ刻みで。

悲鳴や破壊音は道化の背後に流れ、再び廻ってきた道化の身体に激突して消え果てた。

 

幾ら回転を重ねた頃だろうか。

或いは、一瞬の事であったのかもしれない。

 

気が付いたとき、道化は宙に浮いていた。

欲望の粘液と、肉体の損傷を示す血液を撒き散らして、道化は飛び荒んでいく。

遥か下方に、肩を荒く上下させつつ立ち尽くす少年の姿を認めた道化は、

直後に意識を失った。

 

現在の場所は地下空洞であるため矛盾があるが、

優木は果てしない高空へと投げ飛ばされ、その果てへと身を打ち付けたのだった。

苛烈な回転により身が捩子くれていたため、そこは背であり腹であり、脇腹でもあった。

 

砕け散る意識の中、彼女の脳裏に、遠い山々の名が木霊していた。

回転投げの最中、彼がそう叫んでいた。

ような気がしていた。







優木さんが見た彼の表情は、偽書ゲッター始動編のコミックスの表紙のそれと思っていただければと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 破壊の果てに

結界の空は暗く、そして果てしなく広がっていた。

一際来い暗澹を浮かべた宙域にて、巨大な白光が迸った。

光には、同様の大きさを持つ巨大質量が絡みついていた。

閃光に照らし出されたのは、紅の柄の持つ十字槍。

全長二十メートルほどの長さのそれは、白銀の頭部を持った巨竜に見えた。

 

槍穂が雷を貫き、雷もまた槍に報復の電撃を奔らせた。

両者は呻くように宙で暴れ、そして対になって落下していった。

轟音と共に、破壊された槍が地に叩きつけられ、雷が光の粒子となって砕け散る。

 

槍と雷の落下地点。

赤と白の光が交差するその傍らで、蠢く二つの影があった。

 

「佐倉…杏…子」

「うる…せぇ…よ……」

 

弱弱しい声だったが、彼女らの身体にはまだ力が残っていた。

その力を、両者は相手を破壊するために行使し続けていた。

槍とバトンはとうの昔に投げ捨てられ、代わりに手と足、

そして頭部が闘争の為に用いられるようになっていた。

 

当然の結果として、両者の身体には無数の痣が浮き、

そして何本もの骨が折れていた。

 

「一々…名前を…呼ぶんじゃねぇ……あたしに…そっちの趣味はねぇ…」

 

吐き捨てると同時に、杏子が拳を見舞う。

回避する余力もないのか、それはリナの顎を打ち抜いた。

強制的にかち鳴らされた上顎と下顎の間にて、歯という歯の全てに亀裂が走った。

だが歯の欠片を血と共に口腔から噴き出しつつも、

仰け反りはせど倒れはせず、リナは即座に顔を戻した。

 

「そういう…意味じゃ…ありま…せん…」

 

羞恥心への報復は、左脚による回し蹴りであった。

杏子の右脇腹に炸裂し、肋骨を肺へと減り込ませた。

 

「ああ…そう…かい!」

 

苦痛を感じつつも、杏子はリナの脚を掴んだ。

指先に伝わるリナの肉の感触は、熱い粘土のようだった。

既に彼女の脚は、先に杏子が放った蹴りの連打によって骨を微塵に砕かれていた。

それを無理矢理動かせているのは、リナの根性と電磁魔法だろうなと杏子は思った

 

思いつつ、思い切り引いた。

そして、残る力の全てを振り絞って投げた。

だがリナの脚が杏子の手を離れた瞬間、杏子の手首を血塗れの繊手が捉えた。

雷光のような神速で伸ばされた、自警団長の手であった。

紫電を纏った指が杏子の手首に喰い込むと、雷撃の波濤が杏子を襲った。

 

内臓が焼け爛れ、杏子の口から焦げた臭気が吐き出された。

同時に、墜落したリナの口からは鮮血が滝のように溢れ出した。

墜落の衝撃と、杏子がリナに与えた激烈な遠心力は、彼女の肉体を破壊していた。

 

だがそれでも両者は立ち上がり、戦闘を継続させようとしていた。

意地でも、また楽しいから戦うのではなく、

ただ相手を止めなければ終わらないという、使命感に近い感情が

彼女らを突き動かしていた。

 

瀕死の魔法少女達の身に、小さな衝撃が届いた。

それに少し遅れ、今度は轟音と地鳴りが生じた。

両者の血走った眼が、数百メートル先の光景を捉えた。

 

異界の一角に、大穴が空いているのが見えた。

 

 

 

 

「どわぁぁ!?」

 

呉キリカの叫びであった。

叫びの先に、宙を高々と舞う何かがあった。

どちゃりという、生々しい落下音を立て、それは地面に激突した。

ほぼ同時に、その周囲には、ぱらぱらと何かの破片が散らばった。

落下物の少し手前には、物体の大きさとほぼ等しい穴が開いていた。

破片とは、異界の地面の一部であった。

 

異常事態に、キリカと対峙する京の心労がまた一つ増えた。

 

「あ、さささささ」

 

それは更に増えた。

キリカの言葉が正しいと知ったためと、その対象が成り果てている姿の為に。

 

唐突に湧いた落下物は、キリカの言葉の通り優木沙々であった。

だがそれは、過去形にした方が正しいのではないかと思えるほどに、形状が破壊されていた。

矛盾はするが、原型は留めてはある。

だがその姿は、螺子を思わせるように歪んでいた。

胴体も、それに纏わりついた両手も、

まるで強引に絞られたかのように歪な螺旋を描いていた。

 

その破壊に少女の柔肌は耐えられず、捩じりの節目には鮮血の線が引かれている。

また当然と云うべきだろうか、内部の骨も肉同様に破壊されていた。

柔肌を突き破り、骨が露出している個所が幾つも見えた。

 

だが道化の口からは呼吸音が生じていた。

呉キリカの不死性と同じか近いものを道化が備えていることもまた、京の精神を蝕んだ。

 

一方呉キリカは、異様な壊れ方をした道化の肉体を黙って見つめていた。

憐れんでいるのかと、心優しき魔法少女は思った。

 

「良かった、無事だったか」

 

輝く笑顔と共に、キリカは安堵の息を吐いた。

引き攣った京の眼前で、キリカの姿が光に包まれた。

更に、爆音と炎が続いた。

 

京の顔を、熱い風が叩いた。

何もかもが分からないまま、京はただ立ち尽くしていた。

爆風により、煙は直ぐに消え去っていた。

 

京の眼には、横殴りに吹き飛ばされて地に伏せたキリカと、

その反対側に倒れ伏す道化の姿が見えた。

そして両者を隔てた間に座すかのような、巨大な穴が。

 

京はキリカを見た。

未知ではなく既知の存在であるために、恐怖感では僅かにキリカの方が低い為だろう。

救いを求めるように、京は殺し合いの相手を見た。

 

だが当のキリカはぴくりとも動かず、うつ伏せに倒れ伏していた。

先の爆風に巻き込まれたためか、背中に大穴が開いていた。

腹の側から押し広げられたらしく、傷口にはひしゃげた心臓や胃袋の管が垂れ下がり、

原形をほぼ失った肋骨らしき物体が突き出ていた。

 

先程の激戦での負傷に比べれば軽傷もいいところの筈だが、

キリカが起き上がる気配は無かった。

故意か否かは分からなかったが、京は更に呉キリカという存在が嫌いになった。

 

続いて京は道化を見た。

正直なところ、こちらも大嫌いな存在だったが、

争いを好まない彼女としては、呼び捨てや蔑ろにするのは躊躇われる存在だった。

道化の性格は兎も角として、その衣装を気に入っていたという理由もある。

 

道化は爆風の近くにいたが、軽さゆえに吹き飛ばされただけで済んだためか、

損傷を受けた様子は無かった。

ただ、衣服の乱れが生じていた。

道化の短いスカートが捲り上がり、その中身を外気に晒していた。

 

捲れたスカートから見えたのは、下着ではなくそれを纏わぬ道化の秘所。

ぴたりと閉じた縦筋と、その上の薄い陰りには、鮮血による朱が映えていた。

更に血ではない別の粘液が、その色に鮮やかな光沢を足し、異常性を引き立てていた。

異常な状態に疑いを持つ前に、京の思考には新たな恐怖の成分が生じた。

 

女性として、最悪の辱めを受けたような無惨な姿を震える眼で凝視する中、

京の鼓膜は小さな水音を感じ取った。

それは、穴の淵から去来していた。

嫌だ嫌だと思いつつ、視線がそちらに向かうのを、彼女は止める事が出来なかった。

 

獣の牙を思わせる刺々しい亀裂を描いた穴の淵に、赤い物体がへばりついていた。

よく見れば、それは手袋に覆われた五本の指だった。

赤は、血に染まっている為だった。

手袋の全ての先端は欠損し、そこからは指が伸びていた。

全ての爪が剥がれており、指自体も裂傷を無数に走らせ、赤黒い色を見せていた。

 

直後、傷付いた指に力が籠る。

京が悲鳴を挙げる前に、穴の中から何かが姿を顕した。

薄紫の髪と、紫色のリボンが見えた。

一瞬の安堵、だがそれは更なる恐怖の燃料となった。

 

京が絶対の信頼を置く強者の髪とリボンは、鮮血で濡れていた。

更にトドメのように、麻衣は自らの力で穴の淵に佇んでいるのではなかった。

血で濡れた麻衣の髪の奥に、闇のような炎が見えた。

それは黒い髪だった。

麻衣と同じく、そこに多量の血を吸っていることが、毛髪の光沢から伺えた。

 

髪の下には、渦を巻いた瞳が見えた。

禍々しい瞳の下には鼻梁があり、その下には唇があった。

乾いた唇からは、鰐か鮫を思わせる鋭い歯が見えた。

それらが、麻衣の白い衣装の襟首に突き立てられていた。

血染めの少女を咥えながら、破壊と共に生じた孔の中より、

その少年は血みどろの姿を顕していた。

地獄から這い出てきた、悪鬼羅刹を思わせる姿であった。

 

だが到達と同時に、悪鬼は地獄の淵に身を横たえた。

先に、麻衣を吐き出すように淵の外より追い出してから、

自らは淵に引っ掛かるような体勢で動きを停止した。

 

京の口より、絶叫が迸った。

横たわる悪鬼の元へ、戦闘態勢を取った双子の人形が躍り掛かった。

 

「待て…京」

 

震える声の知覚と同時に、人形は動きを停止した。

声の主を運んで来た者の首には、鋏の先端が触れかけていた。

 

「戦いは…もう終わりだ。それと悪いが…肩を貸してくれないか…話をつけてくる」

 

京の理性は破綻寸前だった。

弱弱しい音量ながらも、強かな意思を宿した麻衣の言葉に、ただ頷くしかなかった。








原作でもそうでしたが、京さんは苦労なさっております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 虚ろなる無の宴

廃教会内は、甘い香りで満ちていた。

香ばしいカカオの匂いは、複数の個所から発生していた。

それぞれ微妙に香りの異なる香りの源泉は、重ねられた丸皿から階層状に滴る黒茶色の甘い滝。

滝となっているのは、液状化したチョコレートだった。

皿の階層の高さは一メートルほどもあり、滝の底を鉢植えのような銀の容器が支えていた。

容器からは微細な振動と機械音が断続的に生じ、粘性の高い液体を力強く噴出させている。

チョコレートタワー、またはツリーと呼ばれる機械である。

 

パーティや集会、または専門店で見られるような代物が、

廃教会の中に複数並べられている光景はシュールではなくホラーであろう。

 

粘土の高い水音を立てる機械の前に、複数の人影が並んでいた。

ある者はソファに座り、またある者は床にレジャーシートを敷いていた。

傍らに一口大に切った果実やイチゴなどを置き、それを長串や楊枝に刺し、

チョコの滝へと潜らせている。

光景で見れば、先の例に近いだろう。

だがそれを行う者達の姿が異常であった。

 

ソファに腰掛けた薄紫髪の少女は指の全てに包帯を巻き、

額と頬には大きめの絆創膏を貼っている。

長袖パーカーの裾からも包帯の端が覗き、ミニスカートから突き出た両脚もまた、

全体を包帯に巻かれている。

その隣に座る黒髪の少年も似たような様子だった。

 

だがこちらは殊更に疲弊した様子であり、また少女よりも包帯の量が多かった。

更には左手をギプスで固定し、首に引っ掛けた包帯によってぶら下げている。

だが傷付いた少年少女は、疲労や痛みなど無いかのように、

果実をチョコでコーティングして食んでいった。

 

時折、両者は互いに視線を交わしていた。

血色と闇色の眼が、ちらちらとかち合う。

視線には言語が乗せられていた。

 

「気まずいな」

 

との意思が、視線によって送られていた。

だが如何する事も出来ないと分かっているのか、二人は食事を継続した。

神経が図太い事の証明だった。

 

薄紫髪の少女の左側、少年から見て反対側には栗毛の小柄な少女が座っていた。

こちらは無傷であったが、小さな体躯を更に縮めるようにし、

ソファに軽く腰掛けている。

何時でも逃げられるような体勢だった。

薄紫髪の少女が串と果実を差し出すと、

栗毛の少女はおずおずと手を伸ばしてそれらを受け取った。

怯える少女を見つめる血色の眼には、相手を安堵させようとする慈愛の眼差しが宿っていた。

 

栗毛の少女は怯えつつも、可能な限りでの笑顔で迎えた。

だが笑顔の奥には、濃厚な恐怖が潜んでいた。

怖れの源泉は、血色の眼の少女の奥にいる、傷だらけの少年であった。

更に三人が座る場所の対岸へと、怯える少女の視線が向いた。

 

床に腰掛けた黒髪の美少女は、タワーから滴るチョコをカップに注ぎ、

溢れる寸前まで貯めてから一息に飲み干していた。

見ているだけで、胸が焼けるような光景だった。

口を黒茶に染め、朗らかに微笑む美しい少女。

栗毛の少女には、チョコの色が深紅に思えてならなかった。

それを笑顔と共に啜る美少女は、血を喰らう古の怪物にしか見えなかった。

 

栗毛の少女同様、全くの無傷である吸血姫の隣には、白い物体が転がっていた。

長さ百五十センチ少々のそれは、包帯で雑に覆われた人体だった。

白の頂点からは、くすんだ黄色の髪の断片が見えた。

時折芋虫のように、もぞもぞと蠢いている。

美しき吸血姫が、頭部を覆う包帯の一部を捲り、そこに熱いチョコレートを注ぎ込んだ。

人体が割れる寸前の蛹のように、包帯で包まれた人体が激しく動いた。

脚は二本一纏めに、腕も胴体に沿って固定されている為に逃げられず、

床上でびたんびたんと跳ねている。

 

それは明らかに苦痛によるものだったが、吸血姫はそれを真逆の感情からと認識した。

魔法少女特有の剛力で蛹の顔を強引に固定し、チョコを更に注ぎ込む。

動きは更に激しさを増したが、吸血姫はそれを更に誤解した。

 

甘味による地獄は、まだ終わりそうになかった。

 

 

またここまでで、室内に声というものは発生していなかった。

人数は増えたと云うのに、室内で奏でられる音の変化は些細であった。

液体が滴り、衣服が擦れる程度と云った、現象に伴う音の増加がある程度だった。

まるで葬式の様相だと、栗毛の少女は思った。

口に出してはいないが、黒髪の少年と薄紫髪の少女も似たようなものを思っている事だろう。

だが黒髪の美少女は、場の重苦しい雰囲気など何処吹く風で、

相変わらず無自覚な善意による拷問を続けつつ、楽しそうにチョコを飲み続けている。

被害者の蛹人はそれどころではなかった。

彼女の意識の全ては、熱と甘味と窒息で出来ていた。

 

そしてこの教会内で、一際静謐さに満ちた場所があった。

栗毛の少女も、そこにだけは眼を向けなかった。

恐ろしすぎたのである。

 

そこは教会の一番奥、嘗て祭壇が据えられていた場所だった。

 

 

廃教会の支配者。

真紅の髪の魔法少女、佐倉杏子は普段通りの寝床に腰かけていた。

左の肘掛けに身を寄せる彼女の反対側には、自警団長が座っていた。

よく言えばリラックス、その反対で言えば脚を組むなどして行儀悪く座る杏子とは

対照的に両脚はきちんと揃えられ、背筋もぴんと伸ばされていた。

 

だが先程の少年と少女のように、彼女らの全身もまた絆創膏と包帯に覆われていた。

今なおも苦悶によって跳ね続けている蛹人に比べればマシではあるが、

それでも肌が露出する場所の大半が白で覆われていた。

肌の部分にも、打撲による青黒い鬱血が見受けられた。

 

互いの隣に座る者が、その原因であった。

座る事を許可したのは杏子であったが、両者の間に会話は無かった。

時折手を伸ばし、チョコレートタワーに果実を潜らせ口に含んでいった。

別段に気にした様子も無く、また気負いする様子も無かった。

それから数時間が経過した頃、タワーから滴る甘味は完全に枯渇していた。

 

少年は視線で好敵手と別れを交わした。

薄紫の少女は頷きで返した。

黒髪の吸血姫は、何時の間にか姿を消していた。

蛹人を抱えた自警団長は家主へと頭を下げたが、杏子がそれを見送ることは無かった。

 

獣から竜と称された少女とその眷属扱いとされた少年、風見野の自警団と

物騒な黒髪少女とその参謀が再び出会い会話をするに至るまでは、

更に数日を要する事となった。










重苦しさが表現できていれば幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 垣間見る道化

温かい毛布と柔らかい布団が、道化を包み込んでいた。

薄闇が支配する室内は、家具も書物も、そして縫い包みまでもが整然と並べられていた。

床には塵の一つも無く、最小限に弱められた光源に照らされる室内の空気の中には、

一筋の埃さえも見えなかった。

 

道化は右を向いた。

すぐ隣に、同じくらいの年頃の少女の顔が見えた。

激戦からの疲弊か、安らかな寝息の中に時折、苦鳴のような音が混じっていた。

どうしてこうなった、と道化は幾度か繰り返した思考をまた繰り返す。

 

「沙々さん、私と一緒に暮らしましょう」

 

包帯塗れの自警団長は、仲間と別れるや否やそう言い放った。

身の危険を感じた道化は即座に退避に移ろうとし、失敗した。

彼女が闇の想いを寄せた少年の与えた破壊は、

魔法少女の治癒能力を以てしても完治せず、それどころか痛みが微塵も衰えない。

 

整形だけは済ませたものの、骨はグズグズになっているために自重を支えきれず、

仕方なく肉の強度を上げたり、魔力で浮かせるなどして人としての姿を保っていた。

道化の現状を例えるなら、蒲鉾の人体版とでも云えるだろうか。

 

崩れ落ちた優木を人見リナは優しく支え、そして自宅へと招き入れた。

茫然とする道化を他所に、リナは治癒魔法を全開にして包帯と絆創膏を取り外し、

出迎えてきた母親に丁寧な帰宅の挨拶をして、道化を自分の友達だと紹介した。

 

黒髪の美人の母親は優木を優しく招き入れ、歓迎の用意をすると台所へ向かって行った。

全くの自然な光景であったが、道化は母親の様子に微細な違和感を感じた。

精神の何処かを弄られているような、そんな気がしたのだった。

結論から言えばこれは的を得ており、彼女がそう感じたのは、

道化自身が精神を玩ぶ存在であるためだった。

 

和やかな歓迎、談笑が始まった。

道化はリナの両親に丁寧に接し、また笑顔を絶やさなかった。

その裏では、全身を掻き毟りたいほどの劣情が燃えていた。

あからさまな幸せムードにやられたというせいもあるが、

全身に刻まれた破壊に対して治癒が追い付き、それによって

ありとあらゆる部位に痒みが発生していた。

 

破壊と治癒の拮抗状態からのものであり、着実に完治に向かっている証拠であったが、

この時の道化の脳裏には「いっそ殺して」との言葉が無数に生じては消えていった。

それでも表情や態度に出さなかったのは、流石に讃えるべきかもしれない。

もしかしたら自らに対し無意識に、洗脳魔法を行使したのかもしれないが。

 

二時間ほどの歓迎を受け、時刻は寝るにはいい時間となっていた。

リナは道化に寝間着の余りを貸し、てきぱきと床の用意を済ませると、

「おやすみなさい」の言葉の後に死んだかのように眠りに落ちた。

眠る姿さえも行儀がよかった。

ただ、リナのイメージとは大分異なる半纏姿というのが気になった。

妙に似合っていることもまた、道化の興味を引いた。

 

完全な無防備を前に、道化の思考に邪悪な意志が掠めた。

反旗を翻すかどうかをしばし思索。

結果は、

 

「……まぁ、今回は許してあげますか」

 

との内心の愚痴に留まった。

良心からというより、肉体の痒みとリナへの恐怖によるものだった。

それに、今は他にやりたい事があった。

 

布団に潜り込むと、道化は眼を閉じた。

瞼に覆われたことで、薄暗がりは闇となった。

途端に、道化の身体が震えた。

主に恐怖で、そして一割ほどの悦によって。

 

道化は今日の出来事を思い返した。

悦楽と快感と絶頂と恋慕と悪意。

そしてそれらに匹敵する恐怖と苦痛が、彼女の脳髄と精神を焼いた。

 

道化は素直に、自分の敗北だと認めた。

敗北の頭には、『今回は』が付けられていた。

道化の想いは、消えるどころか弱まってすらいなかった。

このあたりのタフネスは、間違いなく称賛に値するだろう。

 

道化は敗北の原因を悟った。

余りにも一方的な想いのためだったと。

相手を知らなかったから、想いは届かなかったのだと。

 

人として当然の事ではあるが何よりも難しい事に道化が挑もうとしている事は、

彼女の精神の成長を伺わせた。

だがその根本は邪悪な欲望を満たすためであり、これを勘案すれば、

成長とは『悪化』と同義であった。

 

邪悪ではあれど、確かに身を焦がす想いと共に、道化は眠りの世界へと堕ちていった。

道化の寝顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。

 

意識が絶えた次の瞬間、道化は覚醒した。

肉体は眠りに堕ちていたが、意識は冴え渡っていた。

 

「夢の中…ってトコですかね。我ながらとはいえ、変な気分ですねぇ」

 

道化が呟いた。

何もない空間の中に木霊す音のようであり、単なる文字のようでもあった。

「変な気分」を是正すべく、道化は意識を集中した。

すると空間の中に、眩い光が生じた。

 

浮かび上がっていくのは、一糸纏わぬ少女の裸体。

虚無の空間から生じた優木沙々の白い肌からは彼女の魔力を象徴する黄の光が浮かび、

衣服の代わりに道化に神秘的な美しさを纏わせていた。

 

「…奇麗」

 

紛れもない自画自賛の声に、恥の成分は含有されていなかった。

裸体であるという事も、特に気にならないらしい。

因みにこの姿は道化の想いが投影された姿でもあった。

そのせいか顔はやや大人びており、尻と胸には幾らかの膨張が見受けられた。

素直な少女である。

 

また、賛美の対象は己の姿だけでは無かった。

道化の視線は、自らの右手の先に向けられていた。

広げられた五指の上に、大きな球体が乗せられていた。

道化の頭部と、ほぼ等しい大きさだった。

 

色は完全な黒であり、そこには道化の放つ光が一筋も映えていなかった。

黒に光が吸収されているのか、それとも拒絶しているのかは定かではない。

ただそれに、道化は並々ならぬ視線を送っていた。

脂に塗れたかのような想いは、恋慕と性愛によるものだった。

 

舐めるように黒い塊を見渡すと、道化は口を開いた。

 

「これが…友人君の……記憶……」

 

うっとりとした口調の裏には、残忍さが滲んでいた。

 

「私の切なる想いを注ぎ込んだ時……思わぬ収穫がありました」

 

道化の独白は、湧き上がるサディスティックな欲望からのものだろうか。

自分以外の、誰に聞かせる訳でもない弁は続く。

 

「あまりの魔力を籠めた所為でしょうかね。私も成長したようです」

 

くふっと、道化は可愛らしく、

 

「いや、これは『進化』と呼ぶに相応しいですね」

 

そして卑しく微笑んだ。

 

「洗脳魔法は相手の精神に干渉を掛けてのモノですが、

 彼の心に触れた時に、ちょびいっとココロの中身を読み取っちゃったみたいです」

 

使えますね、コレ。

卑しさを隠そうともせず、道化が誇らしげに呟いた。

 

「でも私自身はこれをまだ見ていません。

 違和感だけがありましたが、さっきのクソ歓迎の時に痒みと一緒に理解しました」

 

道化の手が手前に引かれる。

そして、道化はそこに顔を近付けた。

可憐な舌が唇より這い出し、黒球の表面を舐め上げる。

道化の舌は、完全に滑らかな表面を凌辱するように舐め廻した。

それは、一分ほども続いた。

離れる直前、道化は自らの唾液に濡れた其処に唇を重ねた。

 

唾液の線を引きつつ、優木は球体から顔を引いた。

名残惜しさを振り払うように、五指に力を籠めていく。

 

「さて、それでは」

 

道化は唇を濡らす唾液を啜った。

汁と肉が交差する淫らな水音が鳴り響いた。

 

そして、球体が弾けた。

その色に等しい漆黒の闇が、空間と道化を包み込んだ。











書いてて思いましたが、優木さんとリナさんて魔法の根本は似てる模様ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 垣間見る道化②

球体の闇が弾け、無色の世界に拡がっていく。

雌としての想いを滾らせる相手の記憶の発露を前に、

道化の身体は更に強い光を放った。

 

無明の闇に浮かぶ美しき女神。

うっとりと笑う道化は、自分をそう評した。

 

二十秒が経過した。

道化の手の上にある球体からの、闇の現出は続いている。

 

一分が経った。

変わらず、球体は闇を吐き出している。

 

五分が経過した時、道化は異常さに気が付いた。

球体の大きさは、全く変化していない。

だが、漆黒は際限なく湧き出ている。

 

「え、ちょ」

 

若干の混乱をしつつ、道化は上を見上げた。

右と左を、そして下方と背後に眼を向けた。

 

「……宇宙?」

 

全方位を確認した道化は、そう漏らした。

道化を中心にして拡がった空間は既に、

道化が把握出来るほどの広さに収まっていなかった。

無限に思えるような闇の中、無数の小さな光点が見えた。

視界の先では、束ねられた光点の群れが白色の広大な渦を成していた。

 

首を傾げる事も出来ず、道化は凍り付いたように眼の前の光景を眺めていた。

道化の予想では、彼の私生活の一端、家庭環境や交友関係、

または赤毛雌猿との交情が見られると思っていた。

実際に顕れた光景は、道化の理解を越えていた。

 

「友人君……壮大な夢をお持ちのようで」

 

口調には呆れと愛しさが含まれていた。

愛しさは、幼き者への侮蔑でもある。

 

光を求め、道化は闇の中を飛翔した。

思うだけで、幾らでも速度が出せた。

身を焦がす全能感を感じつつ、道化は光の渦の一つに飛び込んだ。

更に進み、渦を構成する惑星の一つへと道化が向かう。

魔法少女としては最底辺だが、飛び跳ねたり等の超身体能力は備わっている。

現在の飛翔は、その応用の一つと云えた。

 

星の周囲に廻る微細な衛星群を通過し、大気を一気に抜ける。

物理法則の一切を無視し、道化は地表へと降り立った。

着地の反動も破壊も無い、静謐な着地。

自らの行いを、道化は『降臨』としてほくそ笑んだ。

 

道化の姿は裸体であったが、寒さや暑さは一切なかった。

常に快適な温度が身を包み、呼吸さえも必要としていない。

この空間の中、現状の彼女は傍観者ではあるものの、神に等しい存在だった。

物語を読む、読者の立場に近い。

 

道化もそれを理解しているらしく、彼女は支配者の如く傲岸な視線で周囲を見渡した。

太陽と思しき光の下で広がる青い空が見え、荒涼とした大地の連なりが映し出されていた。

大地は途中で、緑へと変わっていた。

生命がいる証拠であった。

即座に、道化はそこへと跳んだ。

特に理由は無く、強いて言えば好奇心からのものだった。

記憶を覗いている筈なのに、理解不能な現象が続く事への逃避でもある。

 

一瞬の後、道化の眼に蠢くものの姿が見えた。

視認した存在を前に、呼吸を行っていないにも関わらず、道化は思わず息を潜めた。

それは巨大な生物だった。

道化の身長が元と同じく百五十センチとすれば、その十倍ほどもある。

建築物や、大型の魔女に匹敵するサイズだった。

 

巨木をねじ合わせたような太い腕に脚、そして蛇腹を見せた胴体。

赤色の鱗に覆われた体表の頂点は、鰐と蜥蜴を合わせたような貌。

ぱっくりと開いた口の中には、無数の鋭角がひしめいていた。

それらの大きさは、道化の掌ほどもあった。

恐竜という単語が道化の脳裏に閃いた。

人類以前に地球に覇を成した巨大生物の威容に、その異形は似ていた。

 

だが、その貌にある眼球は二つでは無かった。

感情を宿さない真円の眼は、左右合わせて八つもあった。

その配置は整ったものではなく、横長の顔の顎や頬、狭い額や首の付け根など、

ばらばらにも程がある場所に点在していた。

 

更に三本指の先端に爪を備えた腕は胴体に沿って八本も並び、

それらは絶え間なく、もぞもぞと蠢いている。

計十六本の腕が動く様は、巨大な百足を思わせた。

 

異形の竜は、細長い口吻を天に向かって突き出した。

牙が並ぶ口が開かれる。

牙の先には光をもたらす白い太陽。

天を喰らうかのようだった。

 

その時、竜に注がれる光に翳りが射した。

瞬時に竜は跳んだ。

道化は気付いていなかったが、

巨体にも関わらず、竜の身のこなしは魔法少女にも劣っていなかった。

直後、暗がりに光が炸裂した。

 

「え、何が」

 

傍観者である道化の疑問は、更なる疑問に塗り潰された。

光の根源に、巨大な何かが立っていた。

異形の竜が吠えた。

無数の釘が、鉄板にぶち当たったかのような声だった。

 

咆哮を受け止めるように、立ち昇る白煙の中に巨大な影が聳えていた。

海のような青色をしたそれは、人間のような姿をしていた。

だが肌の表面には甲虫の背中を思わせる光沢があり、

脂に濡れているような輝きを放っていた。

 

幾房もの強靭な肉が密集した手足に、甲殻のような腹筋が貼り付いた腹が見えた。

くびれを見せた腰から下には、黒々とした体毛が密集している。

 

その反対側である、肉体の頂点。

巌のような顔には群青色の二つの鋭い目が嵌められ、人の唇に似た造形をした口元からは、

上と下から突き出た二本の牙の交差が見えた。

そして最後に、冷たい炎の色を宿した眼の真上である額には、

天を射抜くように伸びた一本の巨大な角が生えていた。

 

「…鬼?」

 

竜が再び吠えた。

鬼もまた吠えた。

前者は無数の金属音、後者は腐れた泥濘が掻き回されるような水音。

外見も含め、明らかに通常の生物から逸脱した存在であった。

似たような存在を、道化は知っていた。

魔女である。

 

だがその一方で、異形たちと魔女との明確な違いを、道化は感じていた。

魔女も生物であり、血が通い、体内には臓物が据えられている。

とは言えその外見は大体の物が戯画的な容姿であり、

現実離れした存在として彼女らの日常に君臨している。

 

だが眼の前の異形たちは、身から発する生命感が段違いに高かった。

現実離れした存在ではあるが、紛れもない現実だと、

無言で雄弁に物語るほどの生の生々しさを、異形たちは放っていた。

 

傍観者の困惑など文字通り露ほども知らずに、異形たちが激突した。













長くなりそうなので、読みやすい程度の長さにすべく少し区切ります。
(来週中には残りも書き上げる予定です)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 垣間見る道化③

生物とは思えない咆哮と、異形同士の肉体がぶつかり合う音が鳴り響く。

竜の十六の腕が鬼の甲殻を抉り、鬼の剛力が込められた殴打が、

竜の分厚い鱗を花弁のように吹き散らす。

 

一際甲高い咆哮が、竜の口から放射された。

だがそれは悲鳴ではなく、報復の意思の発露であった。

開かれた口は閉じずに更に広がり、竜の頭部は半円と化した。

開いた口の奥には内臓疾患を連想させる不気味な青紫の舌が何十本も控え、

蚯蚓のように蠢いてる。

 

道化が硬直する中、舌の中心で光が生じた。

破壊と轟音が、後に続いた。

 

「いぃ!?」

 

上空へと退避した道化の眼に、地平線の彼方にまで至る太い線が大地に刻まれているのが見えた。

そして引き裂けた大地より、真紅が噴き出した。

真紅に引かれるように大地が盛り上がり、一瞬にして大地は真紅を噴き上げる山脈と化した。

 

「はぁぁああああ!?」

 

想像を絶する破壊。

混乱する道化の思考と叫び。

だがそれは、異形の怒号に塗り潰された。

 

怒号の源泉は、全身から白煙を上げる青鬼から発せられていた。

風景を一変させる一撃にも、異形は耐え切っていた。

第二射を放とうとした竜の喉を、鬼の五指が握り込む。

喉を圧搾する剛力に、竜の顔から全ての眼球が飛び出した。

眼球が垂れ下がる穴や口から、吐き気を催すような紫色の体液を噴き出す竜を、

鬼は灼熱の大地に叩き付けた。

 

背中から激突した竜を中心に、大地に巨大な陥没が生じた。

道化は既に高度千メートルほどの高みにいたが、

それでも視界の多くをその陥没が占めていた。

それは、大陸に等しい空間が一撃で破壊されたことを意味していた。

 

灼熱と破壊が交わり、巨大な火柱が生じた。

それは道化の傍らを通り過ぎ、宇宙空間にまで達した。

その頂点、道化よりも遥か高空にて、異形たちが争う姿が見えた。

 

竜が光を放ち、鬼が剛腕を振りかざす。

鬼の甲殻に弾かれた光が惑星全土に降り注ぎ、竜が受けた衝撃の余波が惑星を削っていく。

悲鳴を挙げて逃げ惑う道化は、異形たちよりも更に上空へと飛翔した。

破壊の凌辱により、無残な姿と成り果てた惑星が見えた。

天空からの熱線が貫いた大地からは、溶解した地面や岩石が溶岩となって宇宙空間にまで湧き上がる。

破壊によって狂わされた大気が無数の雷を呼び、絶対零度の氷を率いて寒波の嵐が乱舞する。

 

その中で、異形たちは戦い続けていた。

傷付いた甲殻や鱗は次の瞬間には再生し、そして再度の破壊によって更に破壊されていく。

眼球の破裂はおろか、頭部や胴体が欠損しようが肉は瞬時に盛り上がり、

一瞬として凄惨な戦いは途切れない。

そして再生が成されているのは、異形たちだけではなかった。

 

破壊が撒き散らされた直後、惑星にも変化が生じていた。

抉れた地面は粘土の様に蕩け、瞬く間に元の姿へと戻ったのである。

異常な天候が支配していた空間もまた、同様に平静なものへと変わっていく。

そしてまた、異形たちの破壊を受けて崩壊してゆく。

再生する世界の中で、不死の異形たちは争い続ける。

 

「まるで……地獄…じゃねぇですか」

 

道化は思わず呟いていた。

その言葉に、道化はデジャヴを感じていた。

不死身同士による地獄絵図には、彼女もまた見覚えがあった。

永劫に積み重なる憎悪と殺意のリフレインに、

邪悪な魔法少女である優木でさえも、精神の硬直を余儀なくされていた。

 

だが世界は、彼女を待ちはしなかった。

永劫の地獄の元へ、一筋の光が差した。

白鳥の羽のような、純白の光であった。

それは、地獄を浄化する天の光に見えた。

 

絶叫が鳴り響いた。

闘争による、勇壮な叫びでは無かった。

それは、紛れもない悲鳴だった。

無敵に思えた異形たちが、泣き喚く声だった。

 

降り注ぐ光の中。

異形の生物たちの肉は溶け、露出した骨や内臓が腐っていった。

先程までの再生が夢であったかのように、一切の発動が為されなかった。

代わりに強靭な生命力による、悍ましい苦痛が異形を蹂躙していた。

 

光は惑星にも降り立っていた。

地表に着弾した光は白い輪となり、ゆっくりと惑星を包んでいった。

溶岩を噴き上げる大地も、破壊された世界を修復する力も、

何もかもが輪郭を失い蕩けていった。

竜と鬼。

異形たちが断末魔の叫びを挙げた。

最後の一瞬に至るまで、極限の苦痛に満ちた悲鳴であった。

浄化の光と共に去来したのは、腐敗をもたらす汚濁に満ちた死であった。

 

異形たちは既に細胞の最後の一片に至るまでが腐り果て、

彼らを育んだ星もまた、木々に大地に海に大気にと、全てを腐らせていた。

光の差した方向へ、優木はゆっくりと顔を上げた。

視線を向け行く間に、彼女の顔には影が降りていた。

彼女自身が発する光により、道化自体には光に満ちていた。

しかし、彼女以外の全てが闇に覆われていた。

光を送っていた太陽と彼女の間を、何かが埋めていた。

 

道化の視線の先に、それはいた。

惑星一つに降り注ぐ光を、太陽を遮るほどの超巨大質量が、忽然と出現していた。

道化はそれの直ぐ傍にいた。

それゆえか、いや、物体が巨大に過ぎているために、部分的にしか見えなかった。

道化が見えたのは、濃い黄色を基調とした、巨大な円形であった。

ガラスのような光沢を放つ円の下部からは、先程の白光の残滓が見えた。

 

「ひゃぁぁああああああああああっっっ!!!!!!!!!」

 

全速力で、道化は逃げた。

自身と同じ系統の色だが、道化は一切の親近感を抱かなかった。

光の速度を見に宿す寸前、道化は物体を見た。

視認した瞬間、得も言われぬ恐怖が優木を襲った。

 

不死の怪物と惑星を滅ぼしたのは、巨大な舟だった。

何故かは分からないが、そう思えた。

宇宙を大海原と見做すなら、それを進むための舟。

極致を進む砕氷船のごとく進行方向にある万物を破壊し、突き進む。

先程の破壊はその一環なのだと、道化は思った。

 

そう思わなければ、何かの理由を付けなければ心が千切れてしまいそうだった。

光となって進む中、道化は舟の先端を、船首の形状を思い出していた。

岩のような外観の先端部分には、明らかに生物の一部を模した形状が見受けられた。

 

それは、紛れも無く顔だった。

まるで鉄仮面のように、鋭い鋭角で造られた眼が二つあり、

口にあたる部分には溝が彫られていた。

厳めしい形状は、硬く口を引き結んだ、荘厳な神々の姿を思わせた。

 

「あぁぁぁああああ!!!!もう訳わからねぇですよぉぉおおおおおお!!!!!!」

 

叫びながら道化は飛んだ。

飛んで跳んで、飛翔し続けた。

 

果てしない宇宙空間を彷徨った後、道化は止まった。

束ねられた光点が、渦を成しているところが見えた。

それは銀河系であると、道化は昔読んだ本の知識を思い出していた。

 

「くそったれ!何なんですか!やっぱ友人君は中二病じゃねぇですか!!!!」

 

道化は叫んだ。

自らの理性を取り戻すように、感情のままに叫びを連ねた。

理不尽への怒りの後には、真紅と黒の同胞への悪罵が続いた。

両者の外見や私生活、そして未確認である筈の性癖にまで妄想絡みの罵りを

迸らせたとき、道化は言葉を失った。

悪罵の内容に詰まったのではない。

悪意は幾らでも、無尽蔵に心の底から湧いてくる。

それを紡ぐための思考力と、気力が急速に萎えたのだった。

 

優木の視線の先には、巨大な銀河が渦巻いていた。

光で満ちていた筈のその一角が、黒い円形に染まっていた。

見ている間にも円形は増え、道化の視界から光が次々と消えていった。

先程の異形の舟を見た所為だろうか。

光が消えゆく様を、道化は擬人化を用いて例えた。

思考の瞬間に、激しい後悔が身を貫いた例えであった。

 

何かがいる。

光を喰らう何かが。

 

そして光とは、星々の事に他ならない。

 













『虚無戦記』は定期的に読み返しておりますが、何回読んでも強さという概念が、
自分の中で崩壊します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 彼方

「もういいです。帰って寝ます」

 

恐怖心を拭うように、道化は言った。

叫びの様に語気を強ませ、世界に対峙するように言い放つ。

だが実際のところ優木の肉体は寝入っているため、言葉には語弊が重ねられていた。

優木自身も分かっていたが、他に言葉が思い当たらなかった。

今も右手の先にある黒い珠に意識を集中し、理解不能な映像を遮断に掛かる。

それが実行に移される前に、それは起こった。

 

道化の視界が、一色の色で塗り潰された。

魔力の集中を掻き乱された道化は絶叫を上げた。

全てを焼き尽くす紅蓮の炎の色であり、道化が大嫌いな女を思い出させる色でもあった。

真紅である。

 

「ごぁぁぁあああああああああああっ!?!?」

 

道化は再び飛翔した。

光の奔流を抜け出すまで、光の速度と化してもかなりの時間を要した、

気がしていた。

疲労などない筈であり、また体調は幾らでも調節できる筈の身でありながら、

道化は莫大な疲労を感じていた。

 

「な…なんで…すか…」

 

光を纏う神々しい裸身を折り曲げ、道化は荒い息を吐き連ねた。

身を焦がす苦痛に苛まれる中、優木は見た。

 

最初は遥か彼方に存在していたそれらは、道化の硬直とは裏腹に速度を上げ、

瞬く間に道化の視界を覆い尽くした。

 

角と思しき鋭角を伸ばしたもの、騎士の面貌を思わせる細身のもの、

そして先ほど見た、巌のような厳つく太いもの。

先にちらりと見かけたものの同型と思しき舟が無数に、それこそ星の数ほど並んでいた。

星の数とは比喩ではなく、事実としての表現であった。

先のものと同型だとすれば、その大きさは数の例え同様に星にも匹敵する。

既に宇宙は黒ではなく、それらの色によって埋め尽くされていた。

一つは赤、二つ目は白か青、そして三つ目は黄色を基調としている。

俗に云う信号機カラーであり、分かりやすいと云えばそうだった。

そして理解しやすいが故に、道化の恐怖心を煽っていた。

 

「地獄だ…」

 

道化が呟く。

音の無い世界でありながら、道化は耳を塞いでいた。

音は無であり、また塞いでいるにも関わらず、道化の耳には無数の破壊音が聴こえていた。

 

「ここは地獄です…こんな……こんなものは……あっては…」

 

震える道化の言葉を否定するかのように、一際強い光が放たれた。

光は他の真紅を蹴散らし、紅の光で宇宙を染めた。

強力な光に照らされ、光の果てが垣間見えた。

銀河全土を埋め尽くす大艦隊による総攻撃は、ある一点に集中していた。

 

真紅の着弾が続く中、その一点に変化が生じていった。

着弾点が、徐々に広がっていく。

光の及ぶ範囲が、その一点を中心に減少していった。

何かに呑まれ、喰われていくかのように。

 

放射される光は、既に炸裂しておらず、そこへ向かう道筋だけが見えた。

やがて光を喰らう輪郭は、一つの形を成した。

 

音無き絶叫が、道化の口から迸った。

光を喰らうものの形を見た瞬間、道化の脳は情報を遮断した。

あれを見続けてはいけない。

魂が絶叫し、身体に制御を掛けた。

 

丸い頭部、閉じられた眼。

覚えているのはそれだけだった。

鮮明さと乱雑が入り混じり、それの姿は映っては消えてゆく。

認識の度に忘却し、そしてまた視認する。

瞼を閉じても、蘇る記憶が道化の精神を切り刻む。

眼を背けようとするが、拘束されたかのように、身体が全く動かない。

そして借りに動けたとしても、無駄な行為だっただろう。

 

形状以外の特徴もまた、道化の精神を凌辱していた。

それは、あまりに巨大に過ぎていた。

渦巻く複数の大銀河でさえ、それの瞼の半分程度の大きさしかない。

狂いに狂った縮尺が、何故違和感なく存在しているのか、それは全く分からなかった。

 

だが分かった事は三つある。

一つ目は、星々を喰らい消し去っていたのはこれの所業であると。

二つ目は、宇宙を埋め尽くす大艦隊の総攻撃はこれを滅ぼす為のものであり、

そして最後に、宇宙を破壊する光の集中砲火は、これに対して全くの無力であったと。

 

そして、道化は音を聴いた。

絶対無音の宇宙空間における、自分以外のものの声を。

 

だぁ

 

赤ん坊の声だった。

 

未成熟な声帯が奏でる、単純な音階。

寝返りを打った赤子が、思わず発したような声だった。

 

言った本人でさえ認識の外にある、呼吸や内臓の働きの一環のような、

どうでもいいとさえ言ってよい音。

それは、そんな声だった。

 

音が生じたその瞬間。

宇宙空間を満たす黒と、それを覆い尽くさんばかりに拡がっていた大艦隊が。

音の発露と共に、忽然と消滅した。

 

断続的に放射されていた光も、星々を削り出したかのような巨体も、何もかも。

後には、無色の空間だけが残った。

無色の果てには、そして天も地も何も無く、ただ虚無だけが広がっている。

虚無の中に、巨大な赤子が浮いていた。

道化の理性もまた、この瞬間に虚無と化していた。

赤子が何かをした訳ではない。

赤子を認識したために、精神がその許容範囲を大幅に超えてしまったのである。

虚ろな道化の眼は、赤子の細部を見廻した。

苦痛も恐怖も無く、ただ生理的な反応のように、優木沙々は赤子を見た。

 

ふっくらとした唇に頬や頭部、そして眠たそうに閉じられた眼は正に赤子のそれだった。

だが、赤子の丸い頭部には無数の皺が寄せられていた。

表面が歪んでいるのではなく、中身が剥き出しとなっていた。

畝を描いて絡まっているのは、赤子の脳髄であった。

 

またその赤子に、手足は無かった。

正確には、丸い顔の下は無数の襞で覆われていた。

襞とは虚無が窄まり、濃度を増した空間のようであった。

虚無の産道から、出でようとする途中に見えた。

だとすればこの赤子は、未だ生まれてすらいない存在という事となる。

何がこれを産んだのか、そして産まれたら何を為すのか。

それを示すための万物を、この赤子は消し去っていた。

自らが生まれる世界でさえも。

 

巨大と云うのもおこがましいサイズの赤子は、

宇宙を消し去った虚無をめいいっぱいに使い、虚無を子宮とし、

微動だにせずに浮いている。

 

自らが消し去った存在、即ち自分以外の全てなど、

本人自身も意識していないに違いない。

 

道化は、茫洋と赤子を見つめた。

意識を切り離された光の身体が、微細に動いた。

動いた場所は口であった。

小さく上下した唇は、短い言葉を紡いだ。

』という言葉であった。

 

 

道化が言葉を告げた瞬間、彼女の背後から何かが去来した。

一筋の光だった。

光は、緑の色を纏っていた。

生命を連想させる緑の光に誘われるように、道化は振り向いた。

道化の虚ろな眼を、光が叩いた。

虚無の一角に、緑い輝きが揺らめいていた。

緑は虚無を侵食しながら広がっていった。

先程とは真逆の様相であった。

其処は虚無ではなく、確たる何かが存在していた。

 

そしてオーロラのように輝く緑の内部より、それは顕れた。

緑の中より出でたのは、さきほど宇宙を染めた真紅の色より更に濃い紅。

血のような深紅だった。

 

血に彩られた岩塊のような荒々しい表面をしたそれは、何処までも伸びていた。

伸びきった先に、赤子の顔面があった。

 

激突の瞬間、虚無が震えた。

 

道化は見た。

『神』と評するに他ならない存在である赤子の異形の顔面に突き立つ、深紅の拳を。

握り込まれた拳の奥には、さらに太い腕が待っていた。

 

サイズでは比較しようにないが、大陸が地層ごと切り出されたような粗々しさと、

天に愛された数学者が狂気に染まり切った末、研鑽の果て描いたような緻密な幾何学模様が、

それらの形状や細部に満ち溢れていた。

腕の先には丸みを帯び、三本の刃を生やした肩が接続されていた。

そして巨大な胸郭の上に、厳つい兜のような顔が乗せられている。

 

生命の色である緑が、顔に幾つも散らばっていた。

六角形を思わせる角ばった頭部からは、巨大な五本の鋭角が生えていた。

鋭角の真下には、鋭い角を描いた五角形が見えた。

それは眼であった。

機械然とした輝きは、異形の赤子を射抜いていた。

異形を滅ぼさんとする意思が、機械の眼に満ちていた。

 

道化は思った。

そして虚ろな意識の中で確信した。

これは、『』であると。

宇宙と共に消滅した無数は全て、これの臣下であったと。

道化がそう思った瞬間、第二打が放たれた。

拡がる虚無の中に、緑の光が迸った。

それは迸ったのちも残り続けた。

まるで空間を穢したように。

 

自らの顔に等しいスケールの存在の激突に、赤子にも変化があった。

その身の半分ほど、背後に後退していた。

微風の中の蓑虫のように、その身は僅かに揺れていた。

深紅の皇の打撃によって揺れる中、『神』の一部に変化が生じた。

 

たが閉じられていただけの唇の端が、僅かに上向きに動いたのであった。

それは微笑みだった。

玩具を見つけた子供が浮かべるような、純粋な喜びの意思に依るような。

 

対峙する神と皇。

隔てた距離は短くも、または無限の隔たりがあるようにも見えた。

 

道化はそれらを眺めていた。

眼を逸らすことも無く、そして瞼を閉じる事も無く。

虚無の精神にて、事を見届けるための存在と化して。

 

道化の右手の先で浮遊する黒球が輝いたのは、正にその瞬間だった。

 

「傍迷惑な連中だな」

 

錆を孕んだ男の声が、道化の耳に届いた。

虚無の心にもまた、一筋の光が差した。

 

「俺が言えた義理じゃねぇが、どれだけ壊しゃあ気が済みやがる」

 

憤然とした口調と共に、虚無と緑に染まった空間の一角が破砕された。

ガラスのように散らばる空間の奥から、暗緑色の光が渦を巻いて飛び出した。

それが顕れた場所は、神と皇の間であった。

 

明確な意思を以って、道化はそれを視認した。

深紅に染まった人型が見えた。

角ばった頭部、左右に上向きで突き出た頭角。

太い手足に胴体に腹。

寸胴体形でありながら、異様な迫力に満ち溢れていた。

そして人型や色彩という点以上に、巨人と皇はよく似ていた。

まるで、始祖とその進化の果ての対比のように。

 

皇の深紅と、神の虚無を思わせる白で構築された身体の背後で、暗緑の光が輝いていた。

暗緑は、深紅の巨人の翼に見えた。

 

魔法少女の頭脳が、その大きさを瞬時に導き出した。

全長約四十メートル。

実際には数分前、感覚的には無限時間前に見た二体の異形の倍程度の大きさであると分かった。

人間の常識としては巨大であるが、この場では矮小とも呼べないな存在だった。

サイズ比は宇宙と微生物ほどもあるだろうか。

 

だがその微生物を、神と皇は見ていた。

岩塊のような皇の頸は傾き、閉じられていた神の瞼はほんの少しだけ開いていた。

 

「宇宙を消滅させる機械の化け物…星々を喰らう魔物だか知らねぇけどよ」

 

一対の存在に対し、男の声に怯えは無かった。

虚無を震わせるほどの敵愾心と、そして闘志に満ちていた。

 

「その喧嘩、俺も混ぜやがれ」

 

深紅の全身から、暗緑の波濤が湧き上がる。

それを纏い、深紅の巨人は皇と神に向かって突撃を開始した。

 

「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!!!!!!!」

 

虚無を破壊するような咆哮と、虚無を引き裂く一閃の光。

それを愉しむように、皇は巨人に向けて歩み出した。

巨大な足が虚無を踏みしめた瞬間、足元から無数の光が溢れ出した。

光はやがて明確な形を作り、皇と共に巨人に向けて飛翔した。

それらは、無数の人型だった。

巨人にも皇にも似た姿のもの、白銀を纏った細身のもの、

光を思わせる黄を映やしたごついもの。

そのどれもが巨人より遥かに大きく、その数は雲霞の如くであった。

 

神もまた、男に対して反応を示した。

開かれた眼からは、複数の瞳を内部に秘めた眼球が見えた。

それを無邪気な笑みの様に細ませて、子宮内の胎児の様に身を震わせた。

赤子の表面から、大量の微細な粉塵が噴き出した。

粉塵とは言えどその大きさは巨人や人型とは比べ物にならず、惑星ほどもあった。

だが神からすれば、それらは細胞のようなものだった。

神の細胞は、厳かな顔を先端に乗せた異形となり、主以外の全ての存在に向けて撃ち放たれた。

 

自らに迫る無数の敵を前に、男は小さく鼻を鳴らした。

絶望的な戦力差による諦念や、皮肉によるものではなく、喜びからのものだった。

満足そうな笑みにより、口角が吊り上がる。

開いた口からは鋭い歯の並びが見えた。

強い意志を示す太い眉毛の下には、渦を巻いた闇色の眼が輝き、

頭部の黒髪は終わりなき業火を思わせる色と靡きを持っていた。

 

自らに迫る暗緑の深紅の内部から、道化はその存在を感じ取った。

 

 

そして虚無の世界で、破壊の嵐が吹き荒れる寸前に。

光り輝く道化の姿は、吹き荒れる嵐の中の花弁のように消えていった。

身を揺らす振動と、己の名を呼ぶ大嫌いな保護者の声は、別の世界の様に聴こえていた。

脳に響く声と共に、刻まれた記憶も虚無の底へと沈んでいった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 今

風の速度を宿し、物体が飛翔する。

飛翔の果てに、白で覆われた長い脚が伸ばされた。

暗黒色の地面を、白い安全靴が踏みしめる。

身に架せられた衝撃を強引に殺し、黒髪の少年は暗黒の地の上に立っていた。

 

「どうした魔法少女、それで全力かよ?」

 

血の香りに満たされた荒い息を吐きつつ、それでもナガレは淀みなく言葉を紡いだ。

苦痛を押し殺しての強がりであった。

風見野自警団と道化との別れから、まだ三時間と経っていない。

 

全身に巻かれた包帯には赤黒い染みが無数に浮き出ており、

巻ききれない包帯の末端部分が旗のように揺れていた。

左腕は未だギプスを当てた状態であったが、残る右手は長大な斧槍の柄を握っている。

獰悪な刃と錐のように細い先端の先に、陽炎のように揺れる影があった。

それは直後、真紅の炎を宿した人の形となった。

そして一閃が奔り、衝撃と金属音が生じた。

 

「何か言ったかい?くたばり損ないの流れ者がよぉ…」

「思ったより元気じゃねぇか。最初っからそうしやがれ」

「黙れクソガキ」

「黙らせてみな、魔法少女」

 

言い合いが終わった瞬間、黒と真紅の乱舞が始まった。

普段よりも速度は遥かに遅く、そして力も弱い。

それ故に殆どの攻撃を互いに防御していたが、苛烈さは普段以上のものがあった。

通常時を高度な技量のぶつけ合いとすれば、今のこれは瀕死の狂犬同士の原初の闘争だった。

純粋な力と力の激突に負傷個所からは血が噴き出し、

微細ながらも傷口の深さと長さが増していく。

 

だが乱舞は止まらない。

身体の半分以上の部分を包帯で覆いつつも、真紅の魔法少女と少年は闘志に満ちていた。

剣戟の最中、十字架を抱いた槍穂と斧が組み合わされた。

噛み合う刃は、打ち鳴らされる牙のような音を放ちながら震えていた。

少年と魔法少女の手が、限界を迎え始めていた。

両者は同時に後退した。

 

退く中、ナガレの左腕に巻かれた包帯が閃いた。

魔法少女の脳裏に危機感の稲妻が奔った刹那、包帯の内部から光が放たれた。

その寸前に、魔法少女は身を翻した。

その動きは彼女の長い赤髪も相俟って、身をくねらせて天を征く、紅の竜を思わせた。

美しい軌跡を描いて宙を舞う紅竜の背後にて、光が炸裂した。

薄闇が支配する魔女結界の一角が、白昼の色に染まり切る。

空間の至る所に貼り付けられた、斧と杯の紋章が衝撃を浴び、

豪風に打たれる窓ガラスのように揺れ動いた。

 

「躱しやがったか」

「さっきも見たけど、気色悪いったらありゃしねぇな」

 

魔法少女が吐き捨て、少年は苦笑を浮かべた。

包帯がはだけ、熱線により切断された左腕が覗いていた。

彼の左腕は、黒い靄に覆われていた。

靄の発生源は、腕の切断面である肘部分。

 

そして腕と並行して伸びた、硝煙を吹く火筒にもそれは纏わり付いていた。

気色悪いと称されたのは、靄を通じて腕と砲が融合しているように見えた事についてだろう。

 

「さっきのバーナーといい、お前も結構やるじゃねぇか」

 

言葉の相手は、魔法少女ではなく槍斧であった。

斧部分に開いたハートマークの中心に浮く黒い眼が、

二度三度と瞬いた。

どこかチャーミングな様子は、ウインクにも見えなくもない。

砲は靄に呑まれるように、彼の腕に埋没していった。

これも魔法という事か、同化による質量の変化は外見上は感じられない。

 

「取り込まれても知らねぇぞ」

「安心しな、胡散臭ぇ能力にゃちょっと慣れてんだよ」

 

ああテメェ自体がそうだからな、との侮蔑と共に杏子が前進。

槍でナガレの顔面を突く、と見せかけ槍の矛先が水平から垂直下へと変化。

突き立てられた槍を軸に、魔法少女の身が浮いた。

宙で閃く大輪の紅花に見えた。

だがその美しさに見惚れる事も無く、ナガレは左脚を背後に引いた。

 

そして。

 

「うぉらぁあっ!!!」

「うるぁあ!!」

 

雌雄の咆哮と共に、二本の脚が宙にて交差した。

杏子の前蹴りとナガレの回し蹴りは、

紅と白の竜尾と化して相手のそれへと激突した。

肉と骨が打ち合わされたというよりも、巨獣が牙を鳴らしたような破砕音が鳴った。

 

身に与えられた衝撃のベクトルにより、

魔法少女と少年はそれぞれの背後に吹き飛ばされる。

激烈な衝撃により、杏子の脚は表面の薄皮一枚を残して内部の骨と筋肉が断裂し、

ナガレのそこは骨が破砕されていた。

このあたりは、肉体強度の差異である。

事実上の下肢欠損に、魔法少女はその部分に治癒魔法を発動した。

同様に少年も魔女に視線を送り、治癒力増加の黒靄を患部に発生させる。

 

距離を隔てる雌雄の魔獣達は、

痛みと苦痛ではなく怒りと闘志によって幼い顔を歪ませていた。

数秒が過ぎた。

風見野最強の魔法少女の脳に、打算的な思考が湧き始めていた。

このまま戦い続ける事は願っても無い事であり、

眼の前のクソガキは道化とキリカの次に抹殺したい存在だった。

 

だが殺したら手持ちの武器が減る。

面倒な連中が身近にいる以上、

不愉快で有能な戦力の損耗は、残念極まりない事に

自らにとって不利をもたらす以外の何物でもない。

頭では分かっているが、それを自分の口から言い出したくは無かった。

 

更に数秒が経過。

やはり殺すしかないかと、真紅の魔法少女が勝ち目無き戦いの渦に挑む覚悟を決めた瞬間。

 

「わぁったよ。ここらで平和的に解決しようじゃねぇか」

 

槍斧を床に立て、両手も上に上げつつナガレが言った。

更についでと言わんばかりに、左手の靄から砲を抜き取り投げ捨てた。

素手の状態でも武装中に等しい危険な相手だが、

物理的な非武装となった相手を前に、杏子も槍を近場に突き刺した。

両者のやり取りは、刃から言葉へと移り変わった。

 

「てなワケでよ、俺は二つ洗ったから残り一つはお前が洗え」

「なぁにがてなワケだ。テメェが手を付けた仕事は、最後までやり遂げやがれ」

「てめぇ、いつも食い物に厳しいくせにそういう事はしねぇのかよ。

 道化とは別方向だが、てめぇも卑しい魔法少女だな」

 

不愉快極まりない例えに、杏子の額に青筋が浮いた。

 

「死にてぇみたいだな」

「何時間か前に言ったが、もう一回言ってやる。死なば諸共よ」

 

殺気が結界内に充満、どころか爆発寸前まで膨れ上がっていた。

刃よりも苛烈な、怒りを宿した言葉の応酬であった。

 

「話を戻すけど、俺は疲れてんだよ」

「あたしもだ」

「まぁ聞けよ。溶接したこいつらを廃墟から持ってきて、

 電源くっ付けてチョコ流したのは俺なんだぞ?」

「果物を買って来たのはあたしだ。

 あとそれ造る時、『家賃はこれでいいか?』って聞いてきたじゃねぇか。

 片付けも家賃に入ってんだよ」

「協力するって考えはねぇのか?」

「無ぇ」

 

きっぱりと杏子は言い斬った。

ナガレがしばし閉口し、そして再び口を開いた。

少女然としつつも精悍な造型の顔には、澱のような疲労感と嫌悪が浮いていた。

 

「俺が手を抜いてたら…いや、洗うのをしくじってたらどうする?」

 

それは真摯な問いであった。

その結果を予想してか、杏子は奥歯を噛み締めた。

 

「半分寄越しな」

 

同様の性質の声で、杏子が応えた。

 

 

 

 

場所は変わって、現実世界。

廃教会から程近い公園に、全身に負傷を負った物騒な二人組の姿があった。

 

洗剤を塗られたスポンジが階層状に連ねられた皿に挑み、泡で皿を包み込む。

青白く輝く月の中、次々と生まれては弾ける泡には、

儚さと幻想的な美しさが宿っていた。

だがそれを手にする者達の顔には、一切の精神的な正の要素が絶えていた。

『げんなり』というのはこれというような、疲弊しきった表情だった。

 

「見た目は奇麗だな」

「あぁ、キリカの奴がチョコを一滴も残らないようにって

 散々に舐め廻しやがったからな。この妙なぬめりはその証拠だ」

 

敷地内に設けられた二か所の水道場で作業をしつつ、念話で会話を続けていた。

チョコタワーを分解しての共同作業中ではあるが、同じ場で行う気は無いらしい。

 

「…あたしは単に、あいつが気持ち悪いからだけどさ、

 テメェの場合はこういうのは逆に嬉しいんじゃねぇの?」

「冗談ほざいてんじゃねぇよ、このマセガキ」

 

比較的珍しく、ナガレが罵倒を呟いた。

普段なら報復の投げ槍が飛ぶのだろうが、杏子は彫像のように無反応だった。

両者は手を動かした。

不吉なものを祓うかのように、

妙に官能的なぬめりを持ったキリカの唾液を拭い取っていく。

成分単位で摂取するために魔力でも使われたのか、

唾液の粘着性は異常としか言いようのないしぶとさを誇っていた。

 

不毛な作業の開始から、数十分が過ぎた。

 

「なんだよ、この空気」

「知るかクソガキ」

 

百メートルほど離れた状態からの呟きだったが、

両者は互いの音を拾い、そして返していた。

二人は溜息をつきかけ、口を閉じた。

脳裏にて、黒い魔法少女の舌打ちが聴こえたような気がした。

そして溜息をついていれば、それは哄笑に代わっていた事だろう。

 

皿を洗いつつ、ナガレは泡を見た。

幾つも生まれ、そしてふとした瞬間に弾けていく。

手の先で行われる、破壊と創造の終わりなき連鎖。

何時の事か、また幾度目かの事は忘れたが、複数の存在が脳裏を掠めた。

 

 

 

星々を喰らう魔物、または時間と空間を司る神。

兵器を遣い、宇宙を消滅させる殺戮の機械人形を総べる皇帝。

 

神が支配する空間を皇帝の剛腕が貫き、皇帝の装甲を神の喃語が削り取った。

皇帝の身に満ちた進化の光が迸り、破壊の度に虚無に新たな宇宙が産まれていった。

それを神の呟きが虚無へと還す。

破壊と創造、そして虚無が織りなす地獄絵図。

 

何時か彼方で遭遇したそれらとの戦いは、彼にとっても熾烈を極めていた。

神の細胞を数千単位で焼き尽くし、皇帝の軍勢の包囲網を幾万陣もぶち抜いた。

身に纏う暗緑の光は皇帝の光や神の虚無と同調し、皇帝の前身である巨人に莫大な力を与えた。

巨人の手斧は神の鼻先の表皮を切り裂き、皇帝の顔の緑の一つを叩き割った。

神が産声を上げ、皇帝は開いた両手の間から巨大な深紅を放った。

虚無と宇宙が震え上がり、放たれた深紅は次元を歪める炸裂と為った。

巨人はそこに、暗緑の大瀑布を放った。

虚無の果てまで貫く緑の波濤は、先端に巨大な刃を戴いていた。

 

三つの、種で表せば二つ。

 

虚無と、進化の力が吹き荒れた。

 

 

 

彼が覚えているのは、そこまでだった。

気が付くと、暗黒の世界を漂う愛機の中で眠っていた。

夢だろうとは思わなかった。

自分が生きているという事は、連中も存在し続けているだろうと彼は思っていた。

 

すぐさま彼は愛機を叩き起こし、深紅の翼を広げ次の戦場へと羽ばたいた。

それは熱き怒りの炎を抱いた、竜の戦士による追撃の飛翔だった。

 

 

何時かの記憶を思い返し、ナガレはふと思った。

そいつらにとって世界とは、正にこの泡のような…。

身を突き抜ける怒りが、彼の中で渦を巻いた。

 

だがそれが力に変じる事を、彼は由としなかった。

泡を纏うスポンジを、彼はゆっくりと離した。

泡は一つも壊れず、また生まれもしなかった。

それはまるで、彼方の存在と自らは違うと、無意識に表したかのようだった。

 

視線を感じ、彼は視線を上げた。

距離を隔てた先で、杏子が怪訝な表情を浮かべていた。

終わったなら手伝えと、杏子が念話で告げた。

わあったよと彼は返した。

 

相棒に向かって歩き出した時には既に、過去の事など頭から拭い去られていた。

かつての事より、今の方が遥かに重要であるとでもいうように。

 

彼の認識の中で、神と皇帝に。

そして魔法少女に与えられた、強敵という意識の差異は無い。

 

また、目下最大の脅威は不機嫌さが頂点に達しつつある真紅の相棒であった。

にしても赤いのとは縁があるなと、ナガレは歩みながら思った。

 

 

切っ掛けは定かで無かったが、深夜の園内にて剣戟が開始されたのは

それから数分後の事だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19.5話 アンティル・ザ・ダイイングディ

廃教会の中は静寂に満ちていた。

天井付近まで伸びたステンドグラスからは、朝と昼の中間の光が

虹色を伴って室内へと降り注ぐ。

定期的な清掃のためか、光の中に舞う埃の量は多くなかった。

埃は舞い散る粉雪のような光を放ち、茫洋とした美しさを空間に彩らせていた。

 

その中に、一台のソファが横たわっていた。

祭壇の頂点に据えられた寝床の上には、横たわる一人の少女がいた。

 

ソファの上に仰向けになった杏子は、顔の上に左手を置いていた。

中指に嵌められた赤い宝石が、赤いきらめきを放っていた。

半ばほど、黒に染まった赤だった。

腕と指の隙間から這い寄る光を前に、彼女は額に皺を刻んだ。

 

「くそっ…たれ」

 

乾いた唇が震え、途切れつつも短い悪罵を漏らした。

言い終えたと同時に、杏子は激しく咳き込んだ。

埃の所為ではなく、湧き上がる不快感によるものだった。

内臓の全てが爛れ、蕩けた粘液が胃袋からせり上がる。

粘液には濃厚な酸の香りが纏わり付き、鼻孔から体外へ抜ける際に目頭に灼熱を残す。

その影響か視界は明瞭さを欠き、見慣れた室内の光景は悪夢じみた色彩と輪郭となっていた。

 

肉体的には健康な状態であったが、彼女の感覚は悪疫の罹患を訴えていた。

腕どころか、指の一本も動かせない。

 

不快な感覚に魂を苛まれる中、室内に変化が生じた。

祭壇の麓に、黒い紋様が浮かび上がった。

長さは縦に約二メートル。

両刃の大斧を湛えた、杯の抽象画であった。

それが扉のように、音も前触れも無く出現していた。

 

紋様の表面が波を打った。

そして波は左右に裂け、紋様も姿を消した。

後には、一人の黒髪の少年が残った。

 

経年劣化の激しい床を、白い安全靴は音も無く踏みしめ進んでいく。

足は祭壇へ続く段に乗り、更に上へと歩んでゆく。

僅かな停滞もなく、されど重い足取りだった。

まるで脚に枷を嵌めているような、または身が鉛と化したような。

 

「悪い、遅くなった」

 

登り切ると、ナガレは言った。

杏子の返答は無い。

僅かに動いた瞳の中、少年の姿は悪鬼のような姿となっていた。

黒を基調とした歪んだ胴体、太く細くと秒単位で変容する手足。

炎のような黒髪は、一対の角を生やした鬼の頭部と成り果てていた。

 

よく言えば迅速に、悪く言えば無遠慮に彼は右手を伸ばした。

赤黒い半纏を浮かせた包帯で覆われた細い指の先に、卵型の物体が摘ままれていた。

大きさとしても卵と等しい大きさの物体の、

銀色の縁取りと彩飾の内には凝縮された闇があった。

 

グリーフシードと呼ばれる魔女の卵を、ナガレは杏子の左手へと近付ける。

接触するかしないかの距離にて、魔法少女の手が黒霧を放った。

不吉な色を纏った霧は、同じく不吉な闇の卵へと吸い込まれていった。

黒を吸った闇は更に色を濃くし、逆に杏子の指輪は赤みを増した。

苛む苦痛が嘘のように引き、魔法少女の身には力が満ちた。

視界もまた正常な線と色を取り戻していく。

 

炎のような紅の眼が、同居人の姿を見据える。

悪鬼は消え、見慣れた少年の姿となった。

 

「随分とやられたな」

 

言葉を発するまで、数秒の間が空いた。

 

「一匹目は外れだったからな。二匹目を探すのに手間取った」

 

ナガレの顔は、打撲と切り傷で彩られていた。

傷口は乾ききり、青痣が入れ墨のように童顔に映えている。

そして彼の肌の色は、白蝋のそれとなっていた。

外見からは出血が見受けられないが、

それは恐らく既に彼の得物によって『吸われた』からだと杏子は思った。

 

「魔女って呼ばれるだけあって、どっちも手強くて仕方ねぇ。

 病み上がりの所為にはしたくねぇが、このザマだ」

 

死人のような顔色を皮肉気に歪め、少年は語る。

負傷の不甲斐なさ半分、そして残りは戦闘による充実感と云った表情だった。

またそれでいて、自らの力を驕る様子は微塵も感じられなかった。

それが却って、杏子の怒りを誘った。

 

「どっちが化け物なんだかな、テメェはよ」

 

言いながら、嫌悪感が心中で渦巻くのを彼女は自覚していた。

彼への悪罵は、消耗によって臥せっていた自身の甲斐性なさの裏返しでもあった。

 

「その様子だと調子が戻ったみてぇだな。お前らも随分としぶてぇもんだ」

 

乾き、ひび割れた唇から歯を覗かせてナガレは笑った。

 

「あぁ、全くだよ」

 

その返事は、言った杏子自身としても、思いがけないものだった。

ふんと鼻を鳴らし、横たわりを継続しようと思っていた。

時として自分の枷となる、生来の真面目さのためだと魔法少女は思った。

 

「自分で言っててなんだけど、魔法少女は脆いんだか頑丈なんだか分からねぇ」

 

気が付くと、更に言葉を紡いでいた。

顔の険が緩んでいることに、杏子は気付いていなかった。

 

「ま、だからこそ年がら年中戦ってられんだけどね」

「改めて考えると、お前らって歳の割にやってっことすげぇよな」

「皮肉かい?」

「いや、単にそう思っただけよ」

 

短いが、彼らにとっては比較的長い会話が成立していた。

疲労の為か、普段の罵詈雑言も湧いてはこない。

 

「あたしからしたら、テメェも十分凄ぇけどな」

 

皮肉ではなく、褒め言葉であった。

奇跡に近い現象だった。

 

「今更だけど、何で魔女や魔法少女と戦えやがんだ?」

 

その疑問もまた、自然と彼女の口から出ていた。

 

「斧型の魔女を振り回す…ってこの時点で可笑しいけどさ、

 普通ビビったり動きに着いてけなかったりするだろうよ。

 何でテメェにはそれがねぇんだ?」

「戦いばっかりやってたからな。お前らをバカにする訳じゃねぇが、慣れだ慣れ」

 

事も無げに彼は言ったが、杏子は返答を見失っていた。

『慣れ』るまでに至った経路は、戦いに満ちた日常を送る杏子にも興味があり、

また知りたくも無い事柄であった。

見てはいけない。

頭の中でそんな声が響き、文字が刻まれたような気がした。

五秒ほど、沈黙が振り降りた。

 

話は終わったとみて、ナガレは杏子に背を向け、祭壇を降り始めた。

彼は出来る限り御してはいたようだが、杏子の慧眼を前にして、

疲弊によるふらつきは隠せなかった。

 

「それ、何時まで続けるんだい」

 

ナガレの背に、杏子の問いが投げられた。

突き刺され、地面に縫い留められたかのように、彼の足は停止した。

それは会話の流れからすれば、噛み合うようで噛み合わない問いだった。

 

一瞬ののち、彼は頸を傾け背後を見た。

 

「死ぬ日までに決まってんだろ」

 

戦鬼の笑みで、少年は魔法少女へと告げた。

そして再び、歩みを続けた。

祭壇の麓へ降りるまで、そう時間は掛からなかった。

そして、寝床を目前としたその時。

 

「アンティル・ザ・ダイイングディ」

 

魔法少女が呟いた異国の言葉に、彼は再び背後を振り返った。

意味を察しかねているのか、彼は眼を瞬いていた。

どうやら、英語力は皆無らしい。

 

「『死ぬ日まで』って言葉の英語訳さ。昔、なんかの歌で聴いた事がある」

「中々いい響きだな」

 

戦鬼の笑顔ではなく、楽し気な顔で彼は笑った。

そして撃たれた鳥が堕ちるように、寝床へとその身を突っ伏した。

寝息が聞こえてきたのは、直ぐの事だった。

 

魔法少女は右手を伸ばした。

伸びきると同時に、手は虚空より生じた真紅の槍を握っていた。

死なれたら面倒だからと言い聞かせつつ、杏子は贄を捧げられた暴竜のように、

祭壇の上から室内を睥睨していた。

先日一応の和解を果たしたが、魔法少女同士の同盟や一時休戦など、

濡れ紙のように脆い事を杏子は知っている。

 

彼女の認識の言葉を借りれば、『クソゲス発情道化』が相手方に入れば尚更だった。

それを踏まえた上で、杏子は彼への借りを返すと決めていた。

彼が目を覚ますのが、喩え幾日掛かろうとも。

 

魔の槍は主の誇りを宿したが如く、聖なる白光を真紅の矛先に纏っていた。

 








時間的には19話から二日後あたりとなります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒と黒

柔らかな空気が、心地よい熱を伴って彼の元へと辿り着いた。

肌寒い季節ではなく、また彼の肌は寒さや暑さに対し強靭な防御力を持ってはいたが、

それでも人を幸せにするようにと造られた文明の利器がもたらした温度は快適だった。

 

だが彼の心は室内で舞い踊る温風とは裏腹に、氷河のように凍てついていた。

 

「集まったようだね」

 

それは、美しい鈴が音を鳴らしたかのような声だった。

口調は厳粛さに溢れ、まるで神儀を執り行う神官の趣があった。

美しい音階だったが、彼は「この歳ならこんなもんだろ」としか思っていなかった。

また彼にとっては嫌悪感しかない事実として、自らの声も同様のタイプであった。

 

「それでは始めようか」

 

黄水晶の瞳が、周囲を一瞥する。

先ず、何の変哲もない木製のちゃぶ台が眼に入った。

彼女の正面には兎の縫い包みが座していた。

体の部分は台に隠されて見えず、長い耳だけが見えていた。

その右側、用意された座布団ではなくちゃぶ台の上には、

兎とじゃが芋を融合させたような、奇怪な生物のアクセサリーが乗せられている。

 

そしてその反対側、少女から見て左側には彼女と同程度の身長の黒髪の少年が座していた。

普段のジャケットは壁側に引っ掛けられたハンガーによって吊り下げられ、

長袖の黒シャツを着用している。

身に纏われた衣装が一枚減った所為か、

彼が放つ暴力的な雰囲気は不機嫌さを滲ませた表情と相俟って、

普段よりも増しているように思えた。

 

「それでは『さささささ奪還作戦』及び『友人抹殺計画』、

 その第七回目の会議を開始する」

 

神託を告げる賢者のような呉キリカによる宣誓に、誰もが無反応を決め込んだ。

二名というか、二つは物理的に不可能なため。

そして残る一人は確固たる意志を以て。

 

「なるほどな」

 

開始から数分が経過してから、キリカは深く頷きつつ呟いた。

 

「友人、君も意見を出し給え」

 

彼女が沈黙を破る前に、声を発したものはいない。

だがキリカは『君も』と言っている。

そして沈黙が続く中、何やら頷いたりメモを取ったりもしていた。

ちなみに、彼女の外見に反して繊手が描く字は恐ろしいほどに汚かった。

 

責めるような眼で、私服姿のキリカはナガレを見続けている。

対するナガレは、正面の縫い包みに視線を注いでいた。

『うさぎいも』なるキャラクターの、血のような赤ビーズで作られた眼が、

彼に決断を迫っているように見えた。

 

「俺もさっきの奴と同じ意見だ。あのヤロウに人質の価値はねぇ」

 

顔面を僅かに引き攣らせつつ彼は応えた。

当然の如く、後半の議題には触れようともしていない。

 

詰る所、狂気には狂気をと云う訳である。

そして無慈悲且つ的確極まりない意見は、場に沈黙を舞い降りさせた。

数十秒後、キリカは口を開いた。

鮮血で濡れたような美麗な唇からは、溜息が漏出した。

この世に溢れる悪意や悲劇、そして理不尽さを嘆くかのような響きを纏っていた。

 

「何を言ってるんだ君は」

 

その声に嘲弄は無く、ただ嘆きだけがあった。

 

「矢張り冗談も分からないとは。或いは狂気に染まりきったか」

 

怒りがナガレの脳を沸騰させた。

更に怒りは脊椎を始めとする骨に、そして血肉に。

身を焼き尽くす業火の如く、彼の全身に波及した。

 

それは偶然か、または脳の誤作動か。

怒りの最中、彼は此処に至るまでの経緯を思い出していた。

 

 

 

 

「友人を借りたい」

 

唐突に廃教会へと来訪した私服姿の呉キリカは、

両者が槍と火砲を放つ前にそう言った。

例によって、春風のような朗らかな声と表情で。

 

「持ってけ。そして消え失せな」

 

身に纏わりつく速度低下魔法を腕力で拭いつつ、真紅の魔法少女はにべも無く言った。

彼女の眼の下には、寝不足を示す浅黒い隈が浮いていた。

 

二日間ぶりに覚醒したナガレは、目覚めて早々に厄介事を引き受ける羽目となった。

家主兼相棒の語気には拒否を赦さぬ響きが籠められており、

彼もまた反論を言うほど空気が読めない訳でも無かった。

そしてある意味、よい機会だとも頭の隅で思っていた。

現実の魔法少女の行動というか生態を観察するのも、必要ではないのかと。

 

ちなみにこのあたりは思考ではなく、半ば本能からのものだった。

人間らしい理性が働いたのは、キリカに頷いてから五秒ほど経過した後の事だった。

激しい後悔が渦巻いたのも、その時だった。

 

廃教会から風見野駅まで、両者は言葉を交わさなかった。

だが意外な事に、両者を繋ぐ空気は冷え切っている訳でもなかった。

キリカは突き抜けるような蒼穹の下、朝の陽射しを浴びるのが心地よかったのか

可憐な唇で口笛を口遊み、ナガレは災厄と連れ合っていながら妙な高揚感を感じていた。

 

「ミタキハラ、か」

 

意味深に呟いた声さえ、弾んでいるようだった。

凶悪な面構えもできるが、基本的には少女のような顔には

未知の場所への期待感が見えた。

まるで遠足に向かう児童である。

 

まぁ、彼の外見は中学生相当であり、例えとしては間違っていないのだが。

 

 

移動時間は、風見野駅から僅か数分だった。

しかしながら、風景は目まぐるしく変貌していった。

平凡な街並みは、邁進する車両の背後へと引き剥がされるように置いていかれ、

物質的にも技術的にも真新しい建物が群れとなって並んでいく。

間延びした声のアナウンスが流れ、隣町への到着を告げた。

到着するや否や、ナガレが動いた。

頑強ながら細く小さな体格と体術を生かし、彼は到着直後の人込みをするりと抜けた。

 

「おい魔法少女、ちんたらしてっと置いていくぞ」

「友人、少し落ち着き給え」

 

相手の目的を無視した念話を送る彼は、明らかに浮足立っていた。

対してキリカの返事は常人のそれとなっている。

この時だけに限って、狂気が逆転しているようだった。

 

 

 

「すげぇな」

 

見滝原駅を出た直後、彼は感嘆と言った。

闇色の視線の遥か先に、天に挑む巨大建造物たちが林立していた。

街並み同様の先鋭さが光るデザインに清潔感溢れる白の色が調和し、

見方によっては巨大な宮殿のような様相となっている。

 

その一方でビル群の更に先に聳える山や丘は、青々とした自然を内包していた。

留まるところを知らない躍進を見せる人の営みと、自然が一体化した街であった。

 

「そうだろう?」

 

地元民という意識故か、キリカは誇らしげだった。

ああと返すと、キリカは歩き始めた。

ナガレもその左隣に並び歩き出す。

そして、朝早くからでも活気が伺える街中へと進んでゆく。

 

歩きながら、ナガレは視線をちらほらと周囲に飛ばした。

朝という事もあり、私服よりも制服や仕事着が多い。

学校や個人の趣味の差異はあるが、服の色には統一性というか一定の法則が見受けられた。

だが半ば統一された衣服の色彩に反して、

衣服を纏う人体の頂点の位置には多種多様の色が溢れていた。

色の見本市であるかのように、道行く人々の髪の色は様々だった。

青や緑、そしてピンク色の髪の色さえも見えた。

 

「見てて飽きねぇな」

 

念話にも言葉にもせず、心中で呟いた。

想いには、どういった理由かは本人でも分かっていないような、

不思議な関心さが乗せられているようだった。

新たな戦場で暮らす人々の髪の色の多様性は既に風見野で知っていたが、

実質的なホームタウンとは段違いの人の多さに、改めて実感したらしい。

 

「で、狩場は何処だ?」

 

関心事もそこそこに、彼は思念で聞いた。

目的を告げられた訳では無いが、それか決闘以外に何があると、

彼は確信じみた思いを抱いていた。

 

「若き勇者よ、物騒な思考は時間と空間を選ぶのだよ」

「あー、じゃあ観光案内でもしてくれんのか?」

 

キリカの迂遠な言い回しに、彼は自分なりに応えていた。

彼なりに、この魔法少女との会話方法を模索しているようだった。

このあたりは精神の成長というより、牛の魔女との共生関係を築いた経験からのものだろう。

ある意味、職業病の罹患にも近いかもしれない。

 

「まぁ似たようなものだな。これから行くのは私の家だ」

 

見知らぬ街をうろつく中、図らずともテンションが上がっていたナガレであったが、

彼は自分の中で、急速に熱が冷えていくのを感じていた。

歩きながら、彼の表情は硬直していた。

燃え立つような黒髪を戴いているという事も相俟って、

それは冷却されて凝固した、人型の黒い溶岩のようだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒と黒②

噴き上がるマグマのような熱が、少年の全身に行き渡る。

怒りは右手に宿る閃光と化し、黒い魔法少女の頸へと放たれた。

お馴染みの金属音が耳朶を打つ。

 

巨大な斧槍の刃は、皮一枚を隔ててキリカの黒斧に止められていた。

赤黒い刃を従える魔法少女は朗らかに微笑む。

対する少年もまた左右の口角を吊り上げ、悪鬼の貌にてキリカを見据える。

 

次の瞬間。

予定された事柄のように、室内にて破壊が撒き散らされた。

一瞬の内に室内の風景が一変し、万物が破片となって宙を舞う。

無意味なプラスチック片や布切れや綿の滝の中を、一対の黒髪が得物を振い対峙する。

魔法少女の腕が吹き飛び、少年の頬が切り裂かれ鮮血が宙の破片と乱舞する。

家一軒が破壊されるまで、およそ十数秒しか掛からないだろう。

破壊の最中、争う二体の獣は理解する。

互いの全てを滅殺するまで、この乱舞は止まらないと。

 

 

 

 

 

「…ふぅ」

 

という幻視を、少年は脳内で思い描いた。

溜息は、幻視を実行に移す事を堪えた事による疲労で出来ていた。

 

「どうした友人。私に欲情したのか?」

「黙れ」

 

溜息の見本のような息を吐いたナガレに、キリカが下ネタを発する。

怒りの灯で覆われた一声と共に少年は刃の瞳で魔法少女を睨みつける。

 

「ならばそんなに見ないで呉。恐怖感と羞恥で吐き気がする」

「じゃあ漫画でも寄越せ。俺はそれ読んで時間を潰すからよ」

「人の家に遣って来といて、それは如何かと思うぞ友人」

 

キリカは首を傾げた。

ナガレもそうしたかったが、間抜けな動きだと思い取りやめた。

互いに同じ言語を使ってはいるが、意思疎通が出来ているようで出来ていなかった。

 

「あーぁ、全く友人は気難しいなぁ」

 

この世を嘆く詩人のように悲哀に満ちた声を出し、キリカはごろんと寝転んだ。

その様子に、ナガレは巨大な猫かなにかかと思った。

 

「まぁ、道行くエロ餓鬼やエロ親父よりはマシか」

「自覚あんのかよ」

「あれだけ視姦されればね。いや、あれは最早輪姦か」

 

歯に布着せぬ言い方で、されどキリカは無関心且つ眠たげな表情で呟いた。

横になった事で、睡魔が去来したらしい。

猫かよと、彼は改めて思った。

 

今のキリカは、彼の借宿こと廃教会に赴いたときと同じく私服を纏っていた。

大きめの白いワイシャツと、眩しささえ感じる明るいピンク色のミニスカート。

スカートからは肉付きの良い腿が覗き、身体のラインにぴったりと沿っている為か、

後ろから見れば尻の形もくっきりと分かる。

 

そのせいか彼女と同伴して歩く最中に、彼は周囲から突き刺さる無数の視線を感じていた。

気配の根源を見ると大方が性を意識し始めた男子と、年齢で言えばその父親くらいの男、

そしてその中の一割程度は女性だった。

視線の矛先はキリカの背中に向かっていた。

更に具体的に言えば尻や腿、そして体が揺れた時に垣間見える乳房が

さり気なく且つ、餌食を求める餓鬼のように見つめられていた。

 

こいつなりに苦労があるのかと、ナガレは思った。

別に同情したという訳では無い。

何処の世界やどの年齢層にもある、何かしらの悩みの一つだと再確認しただけだった。

 

「あぁぁあああ…ねむ」

 

キリカが目尻に涙を浮かべつつ、欠伸と共に呟いた。

彼に告げたのではない。

ただ呟いただけである。

恐らく、彼の存在など既に頭の中には無いのだろう。

 

仕方なく、彼は室内を軽く見渡した。

家具は中々良質なものが使われており、床に置かれたゲーム機は

この前読んだ新聞にも載っていた最新機種。

近くの棚には同機種に対応したゲームソフトがずらりと並んでいる。

来訪した際に見た家の大きさや外観の良さからして、親の稼ぎはそれなりに良いらしい。

一瞥した程度で、彼が抱いた感想はそれだけだった。

彼はそれ以降、視線は主に隣の人形に注ぐこととした。

女子中学生の部屋を見る行為が、変態的な嗜好ではないかと思ったからである。

 

やることが無くなり、ナガレは先程の幻視を振り返った。

怒りを爆発させ、黒い魔法少女と切り結ぶ自分について。

十数秒ほど思考し、答えが出た。

 

「いや、いくらなんでもそこまで短気でもねぇな」

 

彼の判断としては、幻視は非現実な事であったという事で纏まったらしい。

確かに先の幻視は普段より暴力傾向が増していたとはいえ、

客観的な思考とはかけ離れた結論であった。

 

また実行を阻む理由は、ここが他人様の家である事と更にもう一つあった。

再び暇を得た彼は、それを思い出し始めた。

 

 

 

 

 

見滝原駅から徒歩数分。

立ち並ぶ住宅地の一角に辿り着き、やや大きめの家の玄関扉を開けた際の事だった。

白いエプロンを掛けた、濃い目の黒髪の小柄な女性が二人を出迎えた。

ナガレが何かを言おうとしたが、

 

「よろしくお願いします」

 

それよりも早く、女は頭を下げて告げた。

ポニーテールに結われた髪もまた、恭順を示すように垂れ下がる。

たっぷり五秒は頭を下げた後、女は顔を戻した。

二重瞼のおっとりとした表情の美女だった。

やや垂れた眼の中には、黄水晶の瞳が浮かんでいる。

その顔の面影は、彼の傍らに立つ災厄によく似ている。

 

「ただいま、お母さん」

「お帰りなさい、キリカ」

 

災厄の口から、女性の正体が告げられた。

娘同様の美しさのためか、実際は三十半ば以上だろうが、

外見的には二十台の後半にも見える。

娘であるキリカに儚げな雰囲気が追加されたようなキリカの母に、

ナガレは幻を見たかのような印象を抱いた。

 

母親の傍らを通るキリカを追い、お邪魔しますと告げ、

更に頭を下げてナガレも呉家の敷居を跨いだ。

こんな人間らしいやり取りは何時ぶりだったかと彼は思った。

それこそ幼少期に友人宅に招かれた時以来だと気付き、

自らの人生と非常識さに若干の呆れを抱いた。

 

階段を上る前に、ナガレは視線を玄関へと送った。

小奇麗な廊下の中、こちらに頭を下げるキリカの母の姿があった。

 

練り掛けていた脱出のプランを、彼は脳内で握り潰した。

キリカが母親に何を吹き込み、母親が何を期待しているのか知りたくもないが、

曲がれ右して帰る気分にはなれなかった。

 

 

 

「するかい?」

 

脳内回想を終えたナガレに、キリカは寝転びつつ告げた。

気だるげな、まるで情事を終えた女のような体勢だった。

誤解を招くポーズと言葉だが、伸ばされた手の先には、

ゲーム機のコントローラーが握られていた。

 

「あいよ」

 

短く応え、それを受け取る。

触れるのは初めてらしく、どこか楽しそうな様子だった。

子供めと、キリカは思った。

思いつつ、ゲーム機の電源を入れた。

 

そして電子の世界にて、闘争が始まった。

 










原作では一コマしか出てませんでしたが、キリカさんのお母様は美人だと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒と黒③

「友人、早くしたまえ」

「無茶言ってんじゃねぇ」

 

急かす声を背に浴びつつ、ナガレはコントローラーを操作していた。

人体工学に則り、人の手が握りやすいように設計された端末に配置された

ボタンと十字のキーを、細くしなやかな指が操作していく。

それに呼応し、大きな画面の薄型テレビの中では無数の文字の上を、

白い枠が飛び交っていった。

 

「いきなり名前の入力しろだなんて、なんだこいつは。契約書でも書かされんのか?」

「友人よ、少し落ち着け。これは遊びを始めるための単なる手続きに過ぎない」

 

彼の背後、ベッドの上で寝そべりつつキリカは呆れながら告げた。

まるで介護だと、黒い魔法少女の脳裏をそんな言葉が掠めた。

 

「んな事言ったって、格ゲーや的当ては兎も角として

 この遊びはやった事ねぇから分かんねぇよ」

 

勝手違いによるためか、やや苛立たし気なナガレの声。

キリカは数秒ほど考えた。

 

「適当でいいよ」

 

無難な提案だったが、彼女が当初予定していた言葉は

 

「童貞臭い言い回しだな」

 

であった。

そう言った際の結果は、火を見るよりも明らかだとキリカは思った。

負ける気はないが、家を破壊されるのは流石に困る。

狂気の魔法少女に働いた理性が、現状の平穏さを維持させていた。

 

「まぁ最近の流行りなら、『血も涙もない冷血トカゲ野郎』とか、

 『女子中学生をリョナるの大好きショタ野郎」とかかな」

 

キリカは平然と、真面目そうな口調で告げた。

奇跡的に保たれている平穏をぶち壊す発言だった。

 

「使えねぇなお前」

 

ナガレは暴力ではなく、言葉の刃で斬り返した。

更に役立たずがと追撃し、ナガレはコントローラーを動かした。

キリカも毒を宿した言葉の応酬をと思ったが、微妙に間が空いていた。

タイミングを逃したと思い、キリカは黙る事とした。

友人の定義から大分外れた『友人』の行動に、興味が移ったという事もある。

ナガレの指がキーを動かし、ボタンを押し、押し、押し…そして止まった。

 

キリカは画面を見た。

黄水晶の瞳に映った文字は、

 

『ナガレリ』

 

と読めた。

ちなみにキリカは彼の呼び名が『ナガレ』である事については、

廃教会を出る前の彼と杏子のやり取りにて初めて知った。

(尚それは、『裏切んじゃねぇぞクソガキナガレ』という杏子の一言からだった)

他者にとことん無関心な彼女であったが、呼び名が短い為か奇跡的に一度で覚えていた。

なので、最後の『リ』についてが意味不明であった。

 

「理不尽なコトだが、名前の文字数制限は四文字だ」

 

だが疑問は瞬時に無関心へと変貌し、システムの制約を彼に告げた。

話が進まないと思ったのだろう。

 

「クソ生意気な機械だな」

「まぁとりあえず、友人の事は今度から『れりちゅ』とでも呼ぼう。

 種族は妖魔か悪魔が最適か。宜しくな、友人」

「下らねぇ事ほざいてねぇで、説明書を寄越しやがれ」

 

如何でもいいとしか思えないやり取りを交わしつつ、

ナガレはゲームソフトの説明文を読みだした。

操作方法やシステムを一瞥した後、物語の内容を読み耽る。

 

その傍らに、キリカがベッドより滑り降りて来た。

身をくねらせて動く様は妙に妖艶であり、黒い蛇を思わせた。

彼が放置したコントローラーを奪うと名前入力を決定させ、物語を開始した。

 

荘厳な音楽に乗せて、最新機種の性能をフルに生かした実写張りの映像が展開される。

美男美女達が言葉を交わし、戦乱の歓喜と悲劇を物語る。

愛を囁く男女のやり取りに、彼は画面を見つつ、

 

「これ、飛ばせねぇのか?」

 

と言った。

にじみ出る鬱陶しさを、気持ち程度しか隠さない口調だった。

物語の内容はともかく、ロマンスには興味がないらしい。

 

「残念だが初回は無理だ。大人しくしていたまえ」

 

仕方なく、彼は不条理に従う事とした。

胡坐を組み掛け、正座へと組み替える。

変な真面目さだなとキリカは思い、自らは胡坐をかいた。

スカートの中身は黒いスパッツだったが、同年代の男子の隣で

行うには些か刺激的な姿である。

下着の線が浮いた肉感的な尻や鼠径部を目にし、欲情を抑えられるものは少ないだろう。

 

だが無論、彼がそれについて性的な意思を持つことは無かった。

室内に満ちていく女子中学生とは思えない色気を、色の付いた放射線のように感じ、

やや居心地が悪い思いを抱いただけだった。

 

「はぁ…ぁ」

 

キリカは嗚咽のような欠伸をした。

開始から一分が経過したが、ムービーが終わる気配はない。

彼としても導入部分は説明書のあらすじで確認済みの為、見る意味は半分ほど失っている。

 

始まった時の事を思い、脳内で話を整理することにした。

諸般の事情は雑音と切り捨て、要約すると

『魔王が復活したからブチ殺せ』であると彼は認識した。

 

端的極まりなく、間違いなくそれで合っているのだが、壮大なストーリーからの

キャラクターの苦悩や複雑な世界観についてはほぼ無視していた。

こういった遊びは初めてのたえか、理解を越えていたのかもしれない。

または、本当にどうでもよいのかも。

 

「軍隊が出張りゃいいだろが。支配者って奴の義務だろうが」

 

ストーリーについて、ナガレが突っ込む。

尤もといえば尤もな意見だった。

 

「そしたらゲームの意味が無い。それにこの手のゲームで、国家や軍隊は役立たずだ」

「そこんとこはリアルだな」

「何を言ってるんだ?」

「昔色々あってな、そん時も役立たずだった。

 あ、いや。歴史の重みってヤツのせいか、京都の連中は強かったな」

「……狂ったか」

 

自らの理解度を越えた言葉に対しキリカが淡々と罵倒した瞬間、物語が始まった。

実写もかくやという美麗な映像に反して、操作画面はシンプルだった。

キャラクターや背景はドット絵であり、ステータス画面も古風の趣があった。

これについては購入した際、キリカは「騙された」と思っていた。

友人たるナガレに勧めたのもこれが原因だったが、

RPGゲーム初体験のナガレはこれが基本なのだと思っていた。

 

「さて、やるか」

 

誰ともなく、彼は告げた。

やっとかと、キリカは思った。

このゲームをプレイした際、自分でも思った事だった。

開始までが長すぎる。

 

彼は説明書を読みつつ自らの分身、『ナガレリ』を操作していく。

街の住民にはとりあえず話しかけ、破壊出来るものは破壊し日銭や物品を確保する。

人の家のタンスや壺を漁り、徹底的に資源を奪い取っていく。

それを咎めるものも無く、分身が反省することも無い。

寧ろ取説では、それを推奨してすらいる。

 

「賊だな、まるで」

「友人は悪い奴だなぁ。ゲームの中では何をしても構わないが、

 現実の私に欲情する事だけは御遠慮願うよ」

 

分身の行いを苦々しく語る本体に、黒い災厄が毒の成分を添加して告げる。

やり取りにも慣れてきた、別名耐性が付いてきた彼は反撃することなく

分身を操作し、街中を行く。

 

「こいつの優男な外見は変えられねぇのか?」

「君は神にでも成った積りか?」

「じゃあ名前だ。どうにも中途半端だからよ」

「後者が意味不明だが、それなら物語の半ばまで掛かるな」

「時間にしてどんくらいだよ?」

「質問大好きだな君は。聞いて驚け、ざっと四十時間だ」

 

半月を描いた笑みで述べられた数字に、彼は沈黙した。

そして。

 

「自分で言っててなんだが、罰当たりな野郎だな」

 

今度はキリカが黙った。

意味を脳内で演算しているのだった。

一分ほどの思考の末、彼の発言は

『親であるプレイヤーに付けられた名前を二日程度で変える不埒者』

であるとした意味であるらしい、とした。

どうやらこの少年は、時間の感覚というか現実と虚構の線引きが曖昧であるらしい。

 

傍らから飛来する、憐憫に近い視線を浴びつつ、彼は電子の世界の分身を操っていく。

キリカの助言に従い装備を整え、人の街の外へ出た。

数歩歩くと画面が暗転。

 

勇壮な音楽と共に画面が切り替わり、上部分にキャラクター名と体力が表示される。

そして奥には、爬虫類を原形としたらしき直立歩行の魔物が四体も並んでいた。

ドット絵で描かれていながら、その眼には闘志と憎悪が刻まれている。

 

「ああ怖い怖い。あのトカゲどもの貌ときたら、まるで友人みたいだよ」

 

美しい声と顔に嘲弄を薄っすらと宿し、キリカが言った。

序盤の最難関の一つである、魔物の強者達とのエンカウントを引き当てた

彼の不幸を嘲笑っているのであった。

最初期の段階では逃げるが常套であり、失敗すれば開始数分にして

高確率で死亡の憂き目となる事を彼女は実体験として知っていた。

 

だが微笑むキリカの顔に、一筋の痙攣が奔った。

黄水晶の眼が捉えた光景が、その原因であった。

 

「この俺がトカゲなんざに怯むかよ」

 

そういった彼の表情は、幾度も見た形状を形作っていた。

獰悪という言葉が相応しい、魔獣の笑みだった。

『逃げる』という選択肢は当然の如く無視され、戦闘命令が分身へと下される。

痙攣が解けたキリカは思った。

ああもうこの子、面倒くさいと。

 

そして、殺戮が始まった。









単なる偶然ですが、「れりちゅ」には元ネタがあります。
まどか系のスピンオフからですが、お分かりの方はいらっしゃいましたでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒と黒④

「友人」

 

呉キリカが口を開いた。

美しい声で紡がれた言葉は、十割の呆れで出来ていた。

 

「何時まで続ける気だ?」

「ん?」

 

呟きと共に、ナガレが画面停止のボタンを押した。

 

「もう一度言う。…何時まで続けるんだい?」

 

キリカの口より、再び呆れの声が出た。

 

「そりゃ、湧いてくる敵どもを全滅させるまでだろ?」

 

ナガレが疑問の声を出した。

キリカは溜息を吐いた。

 

「そいつらは雑魚だから、無限湧きだよ」

「早く言えよ」

「友人、直ぐに気付け」

「悪かったな、こちとら初心者でよ。で、そういや今何時?」

 

キリカは溜息を吐いた。

鮮血色の唇から零れた、闇色の結晶のような吐息であった。

 

「ちょうど五時だよ」

 

ナガレは操作を停止した。

更に彼は耳を澄ませた。

柔らかな音程の音楽が遠く聴こえた。

なんか強そうな名前の作曲家によって書かれた曲、という知識が彼の脳裏を掠めた。

因みに、聴こえた曲はドボルザークによる『家路』である。

 

「非常識なのは知っていたが、ここまでとはな」

 

自らのそれまでの行いを棚に上げての、しかし真っ当なキリカの主張であった。

 

「我が家に来たのが凡そ八時半。会議を挟んで遊び始めたのが九時頃と云った処か。

 まさかそれから、延々と雑魚狩りをし続けるとは」

「悪かったな。さっきも言ったが、この遊びは初めてなんでな」

 

それでも程度があるだろうと、キリカは思った。

自らの非常識さを多少なりとも自覚した内心の動揺も収まったか、

ナガレは再び操作を開始した。

 

「まぁ…成果はあったか」

 

災厄の黄水晶の瞳もまた、画面を見つめていた。

ちょうど、ステータス画面が開かれていた。

通常時のドット絵と違い、リアルな等身のキャラクターが、

美麗なグラフィックによって画面上に描かれている。

 

画面に映し出されているのは、深紅に染まった偉丈夫の姿。

深紅とは、逞しい四肢を覆う鎧であった。

腕の側面からは、歯車のようにギザギザと波打つ刃が伸び、

肩や踵からは槍穂を思わせる鋭角が突き出ていた。

防御というよりも、触れるもの全てを傷つけるために創られたかのような鎧だった。

 

頭部も尋常ではなく、顔を完全に覆う悪鬼のような恐ろしい面貌の兜からは

三本の角が天に向けて真っすぐに生えていた。

悪鬼の貌の頬部分からも、まるで角に匹敵する巨大な鋭角が一本ずつ上向きに伸びていた。

身を焼き尽くす怒りと憎悪によって、牙が異常肥大したかのようだった。

『怒髪天を突く』という言葉が、キリカの脳裏に浮かんだ。

 

そして深紅の剣士の背中には、巨大な二本の大剣が背負われていた。

それはまるで、剣士の翼のようだった。

 

「武器の調整でもするか」

 

ナガレがボタンを操作すると、異貌の剣士は剣を構えた。

幅広く、そして分厚い大剣だった。

斬るというよりも、『ぶっ潰す』や『ぶちのめす』という野蛮な表現が似合いそうな武器だった。

 

それが今の、彼の分身たる『ナガレリ』の姿だった。

『禍々しい』。

ある程度の知能を持った人類の大半が、そう評するに違いない姿であった。

 

「にしても昔っから思ってたけど、遊んでると時間が早く感じるな」

 

何言ってんだこいつと、キリカは思った。

真っ当な意見である。

 

「おめでとう友人。また一つ賢くなったな。それは永遠の未熟児の特権だ」

「言ってろ、魔法『少女』」

 

互いに罵り口調を交わし、ナガレは画面を通常へと戻す。

ドット絵で描かれた世界を数歩歩いた瞬間、再び戦闘が始まった。

 

血で塗り固められたような深紅の鎧を纏い、仮想世界の彼は魔物達を殺戮し続けていた。

画面内にて魔物のイラスト上に音と共に斬線が走り、点滅の後にダメージ数が表示される。

魔物の耐久力を三桁は上回る一撃であった。

それを受け、一匹、また一匹と滅ぼされていくのは、彼と最初に対峙した爬虫類型の魔物達。

 

「もう腐るほど見たけど、民族浄化ご苦労さん」

「胸糞悪い例えを出すんじゃねぇ」

 

怒気を籠めてナガレは反論した。

割と善人なのかと、キリカは脳内の友人メモに記入した。

 

「まぁやってしまった事は仕方ないな。

 だかその姿を見たまえ。それは竜の怒りのためだ」

「竜だと?」

 

ピクリと眉を動かし、ナガレが反応した。

キリカはそれを、中二病特有の感性かと認識した。

 

「君が殺戮し続けているのは魔王龍の一体、ヒ=ルルガの眷属。

 蜥蜴人類のタ・レルク族だ」

「初耳だな」

「クソ長いOPで映っていたぞ。まぁ私も今説明書読んでて知ったんだが。

 まぁ説明してやろう。

 眷属を殺され続けた魔王龍の怒りの呪いで君の姿は悪鬼羅刹と化している」

「へぇ、粋な事するじゃねぇか」

 

関心したような呟きだった。

 

「喜んでいる場合じゃないぞ。それは呪いで、君にはデメリットが押し付けられている」

「何だよ、特に不自由してねぇぞ?」

「このゲームでは無数のキャラクターを仲間に出来るが、

 その鎧を纏っている限り、君は孤独な戦いを強いられる事となる」

「なんじゃそりゃ。人を見掛けで判断するってのか?」

「まぁそういう事になるな。別に石持て追われる訳じゃないが」

「じゃあ、店とかは普通に使えるのか」

「ああ。単に仲間にする行為が出来ないだけだ」

 

キリカの説明に、ナガレはううむと唸った。

疑念からのものだった。

 

「どうした友人。発情期か?」

「仲間を増やせねぇってのは不便なのは分かるんだけどよ、今結構強いぞ?」

 

下ネタを無視しナガレは応える。

それに気にした風も無く、キリカは口を開いた。

 

「まぁね。仲間使用不能と云うデメリットを補うために、通常時の十倍程に上がっている」

「随分と突飛に上がってんな」

「一説には、開発者が適当に設定したんじゃないかと言われている」

「この前アニメだか漫画だかで見たけど、バランスブレイカーってやつか。

 なら俺みてぇに、っていうか自分から進んでやる奴がいるんじゃねえのか?」

「いや、そうでもない。というか皆無だ。

 なぜならこのゲームは冒険よりも寧ろ仲間との交流がメインで、

 美少女や美少年、美男美女とイチャコラ出来る事が売りだ」

「それが何だよ」

 

自らも頭に美を置いて差し支えない少年の顔には、理解不能の色が浮かんでいた。

逆にキリカは納得の表情となった。

まぁこいつならそう云うだろうなと、再確認した表情だった。

 

「ああ。まぁ気にしなくていいよ。君には無縁の事柄のようだ」

 

災厄の言葉にナガレは首を傾げたが、

直ぐにどうでもよくなったのかゲームを再開した。

尚、無縁の事柄とは、このゲームの魔性についてであった。

 

実はこのゲーム、世界観やキャラクターの作り込みの深さ、

そして極めて高い自由度によって依存者が大量発生しており、

一時は社会問題になりかけた代物であった。

今ではある程度収まったが、それでも四六時中をゲームに費やす虜囚が

数千人はいるとの事である。

 

彼もまたそのうちの一人になるのではないかと、キリカは好奇心を抱いていたが、

それは無為な事だった。

彼はある種の超が付くほどの現実主義者であり、架空の事柄、

特にその中での愛や友情にはとんと興味が無いのであった。

 

キリカの内心など露知らず、遭遇する魔物達を抹殺しつつ彼は荒野を目指した。

街中で得た情報によれば、魔物達の巣窟があるとの事だった。

 

無数の屍を築きながら単身で荒野を走破すると、それらしき物体が画面上に浮かび上がってきた。

形状からして、和風の城であるらしい。

だが邪悪な趣がされた城塞の一歩手前で、彼は操作を停止した。

 

「んじゃ、そろそろ」

 

彼はちらりと室内を見た。

壁に掛けられた時計は、六時と半を指していた。

 

「帰るか」

 

そう続ける予定だった。

だが。

 

「あぁ、そうそう」

 

キリカの声がそれを遮った。

彼の背に、裂傷のような感覚が奔った。

嫌な予感を感知したのである。

 

「友人、今日は泊っていけ」

 

脳天から足の爪先までを突きとおす悪寒を感じつつ、彼は振り返った。

ベッドの上で寝そべる呉キリカの姿が見えた。

 

黒き災厄の美しい顔は、今にも泣きそうなものとなっていた。

思い返せば、声も涙ぐんでいたような気がした。

それは道化宜しくの歓喜や性欲によるものではなく、

身を焦がす嫌悪感からのものだと、彼はキリカから放出される雰囲気から察した。

 

泣きたいのはこっちだとナガレは思った。

なんでこんな事を言われるのか、訳が分からなかった。

彼の内心を表したように、彼の分身は画面上で停止し続けていた。








魔王の名前と眷属の名前はそれぞれ、某家具姉弟を参考にさせていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 暗黒乱舞

鈍色の装甲が、降り注ぐ陽光を照り返す。

それが、蛇のようにしなやかで大木のように太い胴体を覆っている。

身体の先端には三日月のような上顎と大剣に似た下顎が組み合わされた頭部があった。

上下の顎に挟まれつつ並ぶのは、短剣のような牙の連なり。

長い首を経て、手足の無い胴体を抜けた先に、無数の刃を連ねた尾が見えた。

 

口から放射されるのは炎ではなく、万物を滅する超重力の波濤。

滴る唾液は鋼でさえも水のように溶かす強酸。

全身を覆う装甲はあらゆる魔力に強い耐性を持ち、如何なる刃も一撃では貫けない。

ただ動くだけで人体や他の魔物を虐殺し、ただの一体で大軍を逃げ惑う童へと変える生ける天災。

巨大な頭部で輝くのは、通常の生物にはあり得ない十字の線を描いた金色の瞳。

深い強欲と、己と信徒以外の全てを敵視する悪鬼の感情が溢れていた。

 

天に浮かぶのは万年を生き、無数の英雄と勇者、数多の善男善女を屠り喰らってきた魔龍。

世界の一角を総べる魔王龍、ヒ=ルルガの威容であった。

 

その吠え猛る龍の王の背に、深紅を纏った影が乗っていた。

座り心地の良さそうな椅子の上に、禍々しい鎧を身に着けた異形の剣士が座っている。

椅子は、魔王龍の胴体に巻かれた鎖によって固定されていた。

 

鈍の龍の背に乗って、剣士は指を動かし、方角を指し示す。

すると魔王が天地を揺るがす咆哮を放ち、その方角へと飛翔する。

峩々たる山々と広大な平地が、一気に遥か背後へと過ぎていく。

天を統べる魔王に相応しい飛翔能力だった。

 

「歩くよりだいぶ楽だな。金も掛からねぇし便利なこった」

 

声は剣士のものでなく、現実世界から生じていた。

魔王を従える異形の剣士の本体が漏らしたのは、率直以外の何物でもない感想だった。

言うまでも無く、ナガレの台詞である。

言い終えるとほぼ同時に、部屋の扉が開いた。

 

「やぁやぁ友人、まだ生きてるかい?」

 

開け放たれた扉から、部屋の主が入室した。

裸足が床をぺたぺたと踏む音に、幾らかの水音が付いていた。

ナガレはその方向を見はしなかった。

だがゲームを映すテレビ画面に、薄っすらと背後のキリカの姿が映っていた。

 

ベッドの上にどかりと胡坐を組んで座るキリカは、

上半身に白シャツ、下は茶の短パンと極めて軽装だった。

室内の僅かな湿度の上昇と、タオルで頭を覆う姿から表されるように、

風呂上がりの状態だった。

同年代の異性と同じ空間にいるにしては、刺激的極まりない姿だった。

 

だがそれを、キリカはまるで気にしていなかった。

若干の水気を帯びたシャツが双球の輪郭を顕わにし、一部は肌の色を覗かせていても、

また太腿の付け根近くまで切り込まれた短パンを着用して尚且つ胡坐を組んでいても、である。

率直に言えば、誘っているとしか思えない姿だった。

だが彼女の中に、友人と呼ぶ存在に対して性の意識は全く無く、

ただ普段の姿をしているだけだった。

彼女の認識の中で、彼は観葉植物かそこらに置いてある家具や縫い包みに等しいらしい。

要するに、どうでもいいのである。

 

対するナガレもまた、中学生女子の肉体には全く興味が無い。

異性に興味が無い訳ではないが、

如何に豊満で美しかろうが子供は子供であるとの考えからだった。

それに彼にとっては嫌なものでしかないが、少女の裸体など見慣れ切っている。

何故か不明だが、魔法少女は変身の瞬間に裸体を晒す。

ほんの一瞬な上に眩い閃光がそれを覆い隠すが、

彼の認識能力と視力はその認知を可能としていた。

 

世の男性の何割かが羨むだろうが、彼にとっては戦闘時は

兎も角として邪魔な副産物以外の何物でもなかった。

しかも魔法少女相手に一瞬の隙は余りに長すぎる故、顔を背ける事も出来ない。

そして文句を言う訳にもいかず、

彼は魔法少女が変身する度に若干のフラストレーションを溜め込んでいた。

 

「あぁ、お前がいない間にお使いを一つ済ませたぞ」

「魔王を従えといてやる事が地味だな、友人」

 

髪の水気を適当に取ると、キリカは両肩にタオルを掛けた。

出るところが出ているとはいえ、細身の締まった体格故に、

その姿は駆け出しのアスリートを思わせた。

 

「そんなんだから、私のお母さんも心配するのだよ」

「悪かったな」

 

適当に分身を操作しつつ、ナガレは二時間程前の事象を思い出していた。

午後六時と半を廻った処、彼は夕食を勧められた。

断る訳にもいかず、彼は御相伴に預かる事と為った。

白飯と焼き魚、煮物にサラダといった献立だった。

どこの家庭でも見られるような、普通の料理である。

その家庭の娘が、ガムシロップとジャムを大量に入れた紅茶を水同然に飲んでいることを除けば。

 

友人に無関心なキリカとは逆に、それを生み出した母親は彼に興味を示していた。

大人しく控えめな口調であったが、彼はキリカ母による質問攻め、

またの名を尋問を受ける羽目となった。

 

学校はどちらへ?

ご趣味は?

その他諸々etcである。

 

単身赴任中というキリカ父の食器をお借りして食事を頂きつつ、

彼は災厄の母からの質問に答えていった。

学校はという質問には、何処のとは言わずに話を逸らしつつ記憶を辿って事象を語った。

思い返せば中学までは通った記憶があるが、それ以降は空手に打ち込んでいたため

記憶の思い出しが厄介であった。

 

一度思い出しをしくじり、噂に聞く『校しゃ』の話をし掛けてしまった。

「校舎を占拠」と言い掛けたあたりで、占拠を選挙と言い換えた。

話題を変えた彼の脳裏には、破壊された校しゃで

大臣暗殺を目論む学生集団の様子が浮かんでいた。

 

危険な話題を回避した安堵感と、物騒とは言え絵面の狂気度合いによる

妙な笑いを覚え、彼の腹筋には痙攣の痛みが走っていた。

 

粗方質問を終え、そして空となった食卓を前にキリカの母は、

 

「ではごゆっくり」

 

と娘に似た朗らかさで微笑みつつ告げた。

その時のキリカの母の眼に宿っていたのは、警戒感と緊張感、そして期待感であった。

ちなみにこれらは、右へ行くほど大きくなっていく。

割合としては1:2:7である。

 

どうやらこの母親は、引きこもりがちな自分の娘に対し、

少しでも良い刺激があればと思い異性の宿泊を認めたらしい。

 

どういうやり取りがあり、また何故そんな理屈に辿り着いたのだと、彼は思った。

当然だが、どうにもならなかった。

 

「で、今の君は何をしてるんだ?」

「空飛んでる」

「目的は?」

「特にねぇ」

 

彼の言葉通り、目的は無かった。

ただ彼の分身は、自らの配下に置いた魔王龍を移動手段とし、広い世界の空を駆け巡っていた。

魔物と遭遇すれば龍の強酸や重力波、そして剣技で殲滅し、ただひたすらに天を往く。

キリカの眼の前で、それは五分ほど続いた。

 

「…それ、愉しいのかい」

 

問いでは無かった。

呆れであった。

 

「まぁな。やっぱ空はいい」

 

満足げにナガレは応えた。

キリカにとって、謎過ぎる言葉であった。

故に彼女は、「やっぱ子供だなこいつ」と思った。

彼の精神年齢を考えると、あながち間違いでもない。

 

「ところで、気付いてるかい?」

「近所だな。一分くらい前からか」

 

ナガレはゲームの記録を済ませると、コントローラーを床へと置いた。

 

ほぼ同時に室内で黒い光が弾け、そして黒風が宙に舞った。

風は窓のある壁面を目指していた。

一瞬の停滞も無く窓ガラスが開き、そこから黒い影が屋外へと飛び出した。

最初のものに続いて、もう一つも後を追った。

室内では、画面からの電子音が日常の名残のように鳴り続けていた。

 







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 暗黒乱舞②

大型トラックほどもあるミシン台があった。

丸められた糸の大きさは軽自動車にも匹敵していた。

遥か彼方に見える空は暗く、そして膨らんでいた。

まるで絵本かなにかのように、もこもことした綿が、

無数の継ぎ接ぎによって空に縫い留められていた。

 

異常なのは天だけではなく地にも及び、地面の全ては柔らかそうな布生地の外見となっていた。

森の中の樹木のように並ぶ、大小さまざまな裁縫道具の合間を縫って、

一対の影が走っていた。

布で作られた世界を切り刻むような、力強い疾走だった。

 

影が帯びた色は、闇のような黒だった。

二人はそれぞれ、燃え盛る炎のようなものと、翼を畳んだ禍鳥のような黒髪をしていた。

 

疾走の最中、両者の左右から複数の物体が飛び上がった。

大きさは人間でいえば幼稚園児ほどで、

全体的に陶器を思わせる非生物的な白を基調とした肌をしていた。

形状としては、所謂『棒人間」とでもするようなデフォルメされた手足を持つ人型だった。

棒を思わせる手足と、それに反してずんぐりとした胴体の頂点には、

綿のような膨らみが乗せられていた。

 

頭部に違いないその部分には、無数の待ち針が突き刺さっている。

ユーモラスと残忍さを併せ持つデザインの存在の正体は、言うまでも無く使い魔である。

幼児程度の大きさでありながら、ものにも依るが使い魔の力は人類を凌ぎ、

大型の肉食動物にも匹敵する。

 

それが目算で約三十体。

一対の疾走を食い止めるべく、壁のように宙に舞い上がっていた。

 

奇術師のような姿をした少女は口元に酷薄な笑みを浮かべて背後に跳んだ。

飛翔体の軌道から離れ、共に進んでいた者へと黄水晶の瞳を向ける。

試すような、または虫をいたぶる子供のような目であった。

 

接触の寸前、銀光を伴う斬線が宙に刻まれた。

線に従い、軸線上の物体群の輪郭がずれ、紫色の飛沫を上げて布状の地面へと落下した。

その間にも銀光の迸りと疾走は止まらなかった。

黒髪の少年が振るう二丁の手斧が閃くたびに、死と破壊が振り撒かれていく。

死神と化して駆ける少年の背に、無数の死骸が転がっていった。

 

辛うじて生き残っていたものの一つに影が降りた。

次の瞬間、それは黒い丸靴によって踏み潰された。

 

「やるねぇ、さっすが主人公」

 

黄水晶の瞳の先で、使い魔達がナガレによって次々と殲滅されている。

破壊と修復を繰り返し、その度に禍々しさを増す手製の斧によって

切り裂かれる使い魔の悲鳴が絶え間なく続いている。

 

使い魔の悲痛な叫びを、爆風と炸裂音が塗り潰した。

増援として遠方から新たに迫っていた使い魔の一団が、

ナガレが取り出した火筒によって根絶やしにされたのだった。

体の芯まで焼き焦がされた使い魔の、損壊した死骸が爆風によって宙高く舞い上がる。

 

辛うじて生き残っていたものたちは決死の抵抗を試み、刃や徒手の前に肉塊となって潰えていく。

戦場から遠く離れた場所で佇むキリカの元へも、使い魔の破片の幾つかが降り注いだ。

だがそれらは白と黒を纏った美しい少女の身に触れることなく、

彼女が振るった一閃によって微塵と消えた。

白手袋で覆われた繊手の甲から生えた、赤黒のこれもまた禍々しい斧によって。

 

「その調子で、命の火を燃やし尽くして戦うといい」

 

ゆるりと唇を笑みの形にしながら、呉キリカは破壊を振り撒く少年を見た。

黄水晶の瞳には、怜悧な知性の光が宿っていた。

解剖刀が擬人化されたかのような、冷たい光だった。

 

解剖の光を宿す瞳は、視線の先の存在の動きに沿ってつぶさに動いた。

使い魔を切り裂く一太刀を繰り出す動作、破壊の光を撃ち放す際の狙いの定め方。

コンクリや鉄板に等しい硬度の表皮を突き破る徒手空拳による技。

 

肉体の性能では魔法少女に劣り、されど総合的には匹敵する人類らしき存在を、

黒い魔法少女なりに研究しているようだった。

研究とは、対処法や倒し方としても構わないだろう。

 

破壊を見つめ、そしてその片手間に襲い来る使い魔を

降り掛かる埃を祓うように蹴散らしつつ、キリカの唇は言葉を紡いだ。

 

「さすれば君の周囲は羨望を向ける美少女たちで満ち溢れ、

 君の欲望も満たされるだろう」

 

鮮血色の唇が紡いだのは、完全な皮肉の言葉だった。

キリカの脳で理性を司る部分はナガレの動きから打倒法を模索し、

その他の部分では自らが友人と呼ぶ存在を馬鹿にした思考を構築していた。

 

キリカの参謀たる道化の影響か定かではないが、

彼女の中で彼は色狂いの側面を持っているらしい。

結論から言えば外れているのだが、彼の生活拠点と異性の家主を考えれば

変な噂を持たれても仕方ないだろう。

またはこれが『友人』とする存在に対しての

気安い考えであると、キリカは判断しているのかもしれなかった。

 

分析を進めつつ、キリカは更なる言葉を思い描いた。

演算能力の大半を前者に注いでいるために、言葉の素材は浅い記憶の部分から取り出された。

 

「吠えろ竜の戦士よ、悪の野望を叩き潰せ」

 

詩人が呟くような、滑らかな発音が奏でられた。

言葉の対象である少年は、無数に襲い来る使い魔を相手に破壊の連鎖を続けている。

双斧は竜の爪となって使い魔達を虐殺し、

火筒は灼熱の息吹と化して天災のような破壊を災厄の落とし子達に与えていく。

 

「怒れ若き勇者。闇祓う光を以て、刻の迷路を奔り抜け」

 

使い魔達は包囲を一気に縮め、決戦に挑んだ。

頭に突き刺さった針が更に埋没したかとみるや、使い魔の全身から無数の針が飛び出した。

人型の針地獄化して、使い魔の群れはナガレに迫る。

 

偶然ではあったが、キリカの言葉の通り、この時彼の周囲には彼の肉を切り刻むために、

使い魔達が自らの身で構築した迷路が構築されていた。

全身を覆う長い針はリーチの短い手斧に対して、反撃の刃を兼ねた分厚い装甲となり、

火筒の炎や衝撃に対しても破壊を和らげる盾となる。

 

彼の姿が刻の迷路で覆われた次の瞬間。

耳を塞ぐような金属音が鳴り、そして悲鳴が迸った。

 

使い魔の群れが、一撃で十数体もばらばらに解体されていた。

原形を留めぬ破壊から、それは爆砕といってもよかった。

残酷な破壊を与えたのは、長さ三メートルほどの長大な槍。

そしてその先端で獰悪な光を放つ、巨大な両刃の斧だった。

 

破壊された使い魔の血肉は血に注ぐ前に渦となり、斧の中央へと吸い込まれていった。

斧槍にとっては同類の眷属の筈だが、自らの飢えを満たせればいいらしい。

破壊の手応えに満足したか、少年は凶器のような笑みを浮かべ、

自らの侵攻を阻害する者達へと残酷な未来を与えるべく躍り掛かった。

 

鋼鉄に相当する強度の針が、まるでガラスのように破壊され、胴体や手足が宙に舞う。

得物の巨大化、または強大化によって破壊力が増しているらしく、

使い魔の身体は、肉と装甲が混ぜ合わされた泥濘と化していた。

それらは先程と同じように渦となり、彼と共に虐殺を行う魔斧へと吸い込まれていく。

禍々しい渦の中で彼が斧を振う光景は、異界の中にあってなお、更なる異界のようであった。

まるでナガレを中心として、地獄が開いたかのようだった。

地獄へと変じた異界の一角を見つめながら、キリカは溜息を吐いた。

 

「全く、口下手な私が話し掛けてやっているのにノーリアクションとは。友人は照れ屋さんだな」

 

怯えも動揺も、一切抱いていない声だった。

ただ彼女の視点で思った事が、マイペースで口にされているだけだった。

 

「いや、これがコミュ障というやつなのか」

 

声には嘆きが含まれていた。

同情の想いであった。

それが正か誤かの考えは、黒い魔法少女には存在していなかった。

 

キリカの感想を他所に、殊更に大振りな一撃が見舞われた。

それは大量の使い魔を惨殺し、魔女の餌へと変えた。

雲霞もかくやと思えた使い魔は既に、十数体ほどに減っていた。

 

「…飽きた」

 

再びキリカが呟いた。

友人観察についてだろう。

とりあえず参戦するかと彼女は思った。

どちらの陣営に着くかは、戦場のど真ん中にヴァンパイアファングを

叩き込んでから、一しきり暴れてから考えようとも思っていた。

跳躍に移ろうとした刹那、黒い魔法少女の脳裏を粘つくような不快感が過った。

使い魔とは比べ物にならない邪悪な気配の接近を、キリカは感じていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 暗黒乱舞③

「これの、どこが女なんだ?」

 

嘗て、初めて魔女に遭遇したナガレが呟いた言葉であった。

その魔女の同類か落とし子を今の彼が得物としているのは、

全く以て運命のいたずらか必然の事柄であろうか。

 

それはそうとして、魔女は名前こそ『女』の一文字が入っていたが、

彼の遭遇した存在は、総じて命名体形に不備があるのではないかと思わせるほどの

異形で満ちていた。

その中で、使い魔との戦闘の最中に顕れたその個体は女の部分が如実に見受けられた。

黒いタイツに覆われた下半身は、細くしなやかな女の身体の線を浮かび上がらせ、

尻や腿から雄を狂わせる雌の色化を振り撒いていた。

 

しかし逆に言えば、健常な部分はそこまでだった。

妖艶な下半身は、末端である足が毛皮に覆われ、

握り拳大の丸い爪が腫瘍のように連なっていた。

上半身は裏返しにされた内臓のような赤色の粘膜が女の腹や胸部を構築し、

その上には猫を思わせる顔が乗せられていた。

 

シャム双生児のように、二体の猫が連ねられた頭部であった。

半月を描き、巨大な広がりを見せた口には猫の牙ではなく

丸く太い、人間の歯が並んでいる。

全長は約三メートルほどであり、魔女としては小さめか普通のサイズだった。

だがそれだけに、異様な現実としての存在感を持ち、

滾々と湧き上がる嫌悪感の源泉となっていた。

 

それがけたけたと、少女にしか思えない声で笑いながら、

使い魔とその虐殺者の上空から躍り掛かって来たのであった。

 

使い魔を纏めて十体ほど刻んだ時に、彼はその存在に気が付いた。

キリカが云う処の、竜の戦士の闇色の眼が異形を一瞥。

戦闘中に最大活性化される頭脳がその姿を情報として脳に取り込む。

そして。

 

「出やがったかぁぁああああっ!!!!」

 

嫌悪感と困惑を、闘志の炎が一瞬にして滅却する。

咆哮と共に宙に向けて破壊線が一閃し、異形を横一文字に切り裂きに掛かる。

無数の使い魔を文字通りに餌食としてきた魔斧が、異形の胸へと吸い込まれていく。

 

刹那の後、ナガレは刃に重なる異様な手ごたえを感じた。

魔法少女の刃や魔女の甲殻で弾かれた時の振動ではなく、

ねっとりと絡みつくような粘着感だった。

 

黒い刃と槍の柄の上に、六本の白い物体が付着していた。

毛皮か生地のようでありながら、伸びきった筋肉にも見える質感の物体だった。

先端には、子供の腕の長さや頭くらいの大きさの爪が生えていた。

それらは魔女の背中から伸び、幼虫のようにぐねぐねと蠢きながら彼の得物にしがみ付いている。

それぞれの長さと太さは、本体の魔女にも匹敵する。

魔女の背から生えた、六本の腕だった。

 

甲高く、女にも聴こえる少年の、悪鬼のような怒号が轟く。

それは言語化する事さえ不可能な、まるで吠え猛る竜の咆哮のような声だった。

自らの倍は開いた対格差の相手に、

人の姿をした竜は微塵も怯えるどころか動揺の様子も見せず、迫る異形へと自ら迫った。

宙に固定された斧を基点に、鉄棒の要領で身を翻す。

動作の果てに、激烈な蹴りが待っていた。

魔女の胸元が抉られたように陥没する。

 

ぐちゅぐちゅという音が幾つも連鎖した。

魔女の頑強な肉体を以てしても打撃となる蹴りは、一撃ではなく連打であった。

人体に近い形状をした魔女の胸元を、瞬く間に肉の陥没が埋め尽くした。

だがにんまりと笑った頭部は変わらず、苦痛の欠片も見せてはいなかった。

逆に彼を喰らうべく、半月の笑みを浮かべたままに魔女は口を開いた。

揃った歯の奥に、どす黒い闇が浮かんでいた。

 

その闇に、破壊の閃光がぶち当たった。

光に続いて炸裂音が鳴り、最後に破壊の風が吹き荒れる。

 

異界の宙に、巨大な斧槍を携えた少年が舞っていた。

爆風をいなしながらの着地と共に、使用済みの火筒を投げ捨てる。

投擲された火筒は魔女の腹に激突し、道連れと言わんばかりに爆裂した。

だが噴き上がる炎と黒煙の中、魔女は微塵も変わらぬ不気味な笑みを浮かべていた。

 

「苦戦してるね」

「見りゃ分かんだろうが」

 

斧槍を構えたナガレの背後から、黒い災厄が声を掛けた。

眼帯の拘束を逃れた左目の視線と、鈴が鳴るような美しい声には

嘲弄の色と響きが乗せられていた。

 

「先程までの無双は何処へやら。もしかして、あれは君の演出だったのかい?」

 

これに限った事ではないが、ナガレには災厄の言葉が意味不明だった。

無視しとこうと決め、得物を構えつつ前方へと進む。

強敵へと挑む戦士の背に、キリカは声を紡いだ。

言うまでもなく、それが声援である筈がない。

 

「そうか、そういう事か」

 

キリカの声には理性があった。

厳密に思考し、吟味を重ねた理論に基づく言葉…のように思われた。

 

「そこまでして、私の身体が欲しいのか」

 

淡々と事実を述べるような声だった。

そこには軽蔑も侮蔑も無く、ただ無関心さが重ねられていた。

 

「無双の後に苦戦を演じ、私と共闘を重ねる」

 

無視。

それがナガレの選択だったが、早くもそれが薄れ始めた。

逆に殺意が湧き始めていた。

その対象は、視線の先の異形ではなく背後の災厄である。

 

「血を吐き、骨を折り、内臓を抉る死闘の果てに君は勝利を掴み取る」

 

単純な言葉の羅列だが、声の美しさによってまるで詩の一節のようだった。

 

「君は私を庇い、瀕死の重傷と成る。同じく瀕死の私は君を放置し、結界から退く」

「ひでぇ奴だな」

 

キリカの脚本にナガレは意を唱えた。

一方、納得したような声だった。

相手に勝てるなら前者はやってもよく、後者もまた実行されそうな事柄であるためだった。

 

「友人、話は最期まで聴くといい」

 

彼は最後が最『期』にしか聞こえなかった。

この時点で、彼の意識から魔女の存在は消えていた。

視覚で捉えてはいたが、いわゆる蚊帳の外状態となっていた。

 

「続けよう。されど私は踵を返し、嘗て結界があった廃墟に倒れる君の元へと舞い戻る。

 床一面に広がった血を踏みしめ、自らも血を滴らせながらね」

「妙に具体的だな。てかお前、何時もそんな事考えてんのか?」

 

ナガレの声には、呆れしかなかった。

気にせずキリカは続ける。

 

「私は君に幾つかの言葉を送り、瀕死ながらに君は皮肉を返す。

 そして共に笑い合い、私は君の手を掴み家へと戻る。

 しぶとい君は割とすぐに回復し、また二人でゲームでもやるんだろうね。

 その後は、まぁ、欲情した君が疲れきった私に手を伸ばすのだろうさ。

 そして直後に君の首が飛び、私の部屋が大惨事となる。

 それが友人の死因で、後はプレイアデスや腐れマギウスとの決戦前にでも、

 私の回想に亡霊のように顕れるのが君の仕事だ」

 

ゆっくりとした口調での、長い言葉だった。

幾つかの新しい単語を、怒りの炎と共に脳と魂に刻みつつ、

 

「そろそろやるか」

 

と、ナガレは思った。

長大な斧槍によって首を刎ねられる位置に、呉キリカは立っている。

 

彼がそう思った時に、炎が揺れた。

そして、両者の上空から巨大な影が降り注ぐ。

恐らくは、魔女も業を煮やしたのだろう。

六本の腕が振り下ろされ、異界の地面が落下した皿のように砕け散った。

 

「漸く本格的な戦闘開始か。ちょっと導入が長過ぎやしないかね?」

「誰の所為だと思ってやがる」

 

吹き飛ぶ破片の嵐から退避しつつ、一対の黒髪達は言葉と思考を交わした。

キリカは両手から斧を顕現させ、ナガレもまた殺意の矛先を魔法少女から魔女へと変えた。

同属の得物を携えた者達の、暗い乱舞が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 暗黒乱舞④

打撃音が鳴り響く。

それは刃が肉を断つ音であり、肉が肉を打ち据える音でもあった。

音の源泉には、三つの影があった。

人と猫を合わせたような異形が、布地に酷似した大地を縦横無尽に跳ね回る。

それを、黒髪の少年少女が追撃する。

 

奇術師姿の美しい少女は、身に宿した魔の力による超身体能力で、

少女にも似た、されど精悍な面構えの少年は手にした斧槍から力を得て。

高速移動する魔女を狩る猟犬と化し、手にした得物を牙として振るっていった。

異界の地には既に無数の傷口が開いていた。

魔なる者達の戦闘の余波によって生じたものであった。

 

そしてまた、新たな陥没が発生した。

魔女が跳躍に移る瞬間、その足元を閃光が貫いた。

巻き上がる爆炎と爆風の最中、異形は宙へと飛翔した。

背から生えた六本の腕は、まるで鳥の翼か脚を広げた蜘蛛かのようだった。

噴き上がる熱風の中、黒い魔鳥が異形へと舞い降りた。

 

「くふっ」

 

鮮血色の唇が歪んだ瞬間、美しい少女は両手を振った。

赤黒い斬線の線上には、魔女の醜悪な腕があった。

既に刻まれていた傷に、新たな斬線が合流。

腕だったものが肉塊として地に向かって落下を始めた。

それは、黒い魔法少女の口から鮮血が迸るのと同じタイミングであった。

 

「がはっ…」

 

キリカの胸と腹に、残る五本の腕が突き刺さっていた。

豊かな左右の乳房を貫き、鳩尾を貫通。

右脇腹と臍のやや下を抉り抜き、少女の体内で腐肉の中の蛆虫のように暴れ狂う。

小柄な少女の身体に対して、あまりにも凶悪で巨大な凶器による蹂躙が行われていた。

先端に拳大の爪を携えた腕が、少女を内部から掻き回す。

肋骨が心臓や肺を巻き込み、麺のように絡み取られ、

腸や肝臓がペースト状になるまで掻き混ぜられる。

 

「てめぇっ!!!!」

 

四つの眼が怒号の方に視線を向けた。

瞬間、そのうちの二つが破裂した。

異形の頭部に、巨大な斧が叩き込まれていた。

 

上方からの強大な力の激突により、異形は地へと墜落した。

仰向けになって倒れた異形の顔を蹴り、その反動で少年は飛翔した。

右手に長大な得物を、そして残る左腕で魔法少女を抱えていた。

異形の拘束から強引に引き剥がされたキリカは、鮮血を曳きつつ宙で身を捩った。

破壊された身から内臓と肉の欠片を鮮血と共に零しつつ、

二本の脚で地へと立つ。

 

同様に、彼も血染めの手を離して着地する。

血の成分は殆どがキリカのものであったが、腕と肘を伝い彼のものもそこへ合流した。

少年の左頬には、口内につながるほどの負傷が刻まれてた。

服も何か所かが小さく破れ、朱線の浮いた肌を晒していた。

 

「今のは避けられただろうが」

「何事も経験は必要だと思ってね」

「遊び過ぎだ」

 

得物を携えつつ、ナガレはキリカに向けて呟いた。

責めるような声だった。

 

「あぁ、少し反省してるよ」

 

言葉通り自覚があるのか、キリカの声にふざけの成分は無かった。

 

「心臓が破壊されるのは兎も角として、

 子宮や卵巣がハラワタと掻き混ぜられるのは、想像以上に嫌な気分だ」

 

キリカの身体には、先程までの損傷は微塵も残っていなかった。

ただ、美しい顔には色濃い嫌悪感が残っていた。

 

「戦えるか?」

 

少年は即座に聞き返した。

異常な再生力を備えているとはいえ、女の部分を喪失した少女に告げる

言葉としては、あまりにも無遠慮な言い方である。

問われたキリカは息を吐いた。

それは溜息では無かった。

 

「当たり前だろう」

 

鮮血色の唇は血に飢えた獣のような半月を描いていた。

それでいて、朗らかな笑みが浮かんでいた。

 

「へっ」

 

ナガレが小気味良さそうに鼻を鳴らした。

冗談を受けて笑ったかのような、そして安堵が入り混じったような音だった。

異形を見据える闇色の眼の中で渦が巻き、童顔にはキリカとは対照的に凶悪な表情が顕れていく。

 

傷を負おうが、魔女がどれだけ強かろうが、やる事は一つである。

眼の前の邪悪を滅する事だけだった。

 

増幅する闘志と殺意に感応したか、魔女の足は地を蹴った。

飛び上がるのではなく、地面すれすれを弾丸のような速度を帯びて魔なる者達へと迫る。

 

「オラァ!!」

「ひゅいっと!」

 

刹那を刻む時の猶予の中、七本の魔斧が振り下ろされた。

金属音ではなく、鈍い摩擦音が鳴った。

黒の斧槍と赤黒い斧爪を、魔女は左右の腕で受けていた。

切断した腕や破壊された眼球などは、既に再生されている。

だが腕には再び傷が刻まれ、丸い眼球の中の瞳孔は収縮していた。

 

これまで餌食としてきた天敵達は、この一撃で戦闘不能に追い込んだ。

突進の後に振り返ると、身構える間もなく吹き飛ばされ、

手足を失い、破裂した臓物を腹や胸から零した天敵達の姿が見えた。

 

それは最早、天敵ではなく餌食であった。

身悶える魔法少女達の脳天に爪を突き刺しゆっくりと引き千切り、

まとめて数体を生きたまま咀嚼することが、この魔女が好む食事方法だった。

口中で鳴り響く言葉の意味は忘れたが、大体は心地よい音色だった。

魔女がそう感じる言葉とは、末期の最中にての罵り合いの事だった。

 

逆に互いを慰め合う言葉の応酬は、極僅かな例外と言えど不愉快極まりなかった。

今の魔女は、その時と似た感情を抱いていた。

自分の半分程度の大きさの天敵達は餌食にならず、未だに身の前で姿を保っている。

 

その上、予想では更に数十メートルほど進むはずの侵攻が喰い止められていた。

丸靴と安全靴の下で、異界の地面が爆ぜ割れ蜘蛛の巣上の亀裂を走らせている。

異形たる己と等しい膂力を示した魔物達へ、魔女は四つの視線を向けた。

苦痛の色が浮かぶ少年と少女の顔に、それ以外のものが浮かび上がっていくのが見えた。

 

「捕まえた」

 

完全に同一のタイミングで、その言葉は発せられていた。

直後、魔女の身体は宙にあった。

半分以上の歯が砕け、欠けた歯の隙間からは体液が滝のように噴出した。

 

「凄ぇ蹴りだな」

 

感心した響きを宿し、ナガレは言った。

その言葉の通り、魔女を宙にかち上げたのはキリカの長い脚による一撃だった。

魔法少女の剛力で魔女の腕ごと斧を地面に叩き付け、

その勢いを乗せて苛烈な蹴りを放っていたのであった。

 

「お褒め頂きありがとう。今度は是非とも我が身で味わって呉」

「あぁ、その内な」

「友人にそんな趣味があったとは」

「返り討ちにしてやるって事だよ」

 

念話で言いつつ、失言だと彼には分っていた。

改めて自分の口下手さを思い知る。

そしてその時の彼は、魔女の左の足首を右手で掴んでいた。

人類の範疇を越えた膂力が、少年の腕に宿っていた。

黒い靄を体表に薄っすらと這わせた手が魔女の足首を握り潰し、

そして、下方へと勢いよく叩き付けた。

 

魔女の巨体が背から地面に激突し、小規模な地震が発生した。

倒れ込んだ巨体へと、一対の黒髪達が襲い掛かった。

魔女もまた即座に迎撃。

六本の腕が刃や鞭のように伸ばされ、斧の群れと切り結ぶ。

 

 

幾つもの凶器の応酬が交わされ、鮮血と体液が大気の中で攪拌された。

禍々しい斧槍がそれらを吸い込み、操者へと力を与えた。

全身に傷を負いつつ、ナガレは魔女の胴体へと斧槍を埋没させた。

魔女が彼の首を刎ねるべく振り下ろした腕は、彼の顔の前で停まっていた。

 

牙のように鋭い彼の歯と、それを支える強靭な咢による噛みつきが

魔女の腕を文字通り喰い止めていた。

 

「友人、今回は君に譲ってあげよう」

 

言い終えると、キリカは口から血の塊を吐き出した。

黒い魔法少女の脇腹からは、千切れた小腸が垂れ下がっていた。

そしてキリカの斧爪は、魔女の頭部へと深々と喰い込んでいた。

 

ぶずんという音が鳴った。

それはナガレの牙が、魔女の腕を食い千切った音だった。

 

「うおおおおおおおりゃあああああああああ!!!!!!」

 

口から異形の血を垂らしつつ、少年は叫んだ。

痙攣し、眼球を全ての方角に蠢かす魔女の頭部を蹴り、魔法少女が飛翔する。

キリカが宙へと舞った時、魔女の胴体から頭部までが斧槍によって一直線に薙がれていた。

煮え滾る炎のような咆哮を聞きながら、魔女の意識は虚無へと消えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21.5話 戦い終えて

「んん…」

 

呉キリカは嗚咽のような吐息と共に、悩まし気に柳眉を額に寄せていた。

黄水晶の瞳にも難題に挑む学徒のような知性の色が映えている。

 

「さて、どうすべきだろうなぁ」

 

溜息を吐いた口からは、次に桃色の舌がちらりと出た。

軟体動物のようににゅるりと蠢いた先で、赤と白と、黄の色が出迎えた。

赤は血肉であり、白はそれらを支える骨であり、

そして肉の間に魚卵のように詰められた黄色は脂肪であった。

 

真ん中あたりで切断された自分の右腕の断面を、呉キリカは舐めていた。

舐め終えると、今度は反対側に顔を向けた。

そちらにも、同じ状態となった左腕があった。

 

両腕は共に既に出血が止まり、体液によって濡れた断面となっていた。

そこにキリカの唾液が追加され、傷口が粘塊のような光沢を帯びる。

グロテスクだが、官能的な肉の美しさがそこにはあった。

 

「しょっぱ!」

 

一通りぺろりとすると、キリカは顔をしかめて言った。

まるで、煙草の匂いを嗅いだ猫のようだった。

其処だけ見れば、美しくもあどけない少女の日常場面だが、

行っている行動は異常以外の何物でもない。

 

更に言えば、彼女の姿勢と現状自体も異常であった。

そもそもとして、キリカは二本の足で地面に立っていなかった。

肉付きの良い腿を何かに引っ掛け、巨大な蝙蝠のようにぶら下がっているのである。

 

「全く、君はどうしてこうも物騒なのかな…友人」

 

ぶら下がりの体勢のまま、キリカは上を見上げた。

揺らめく炎か突き出た無数の刃のように鋭角的な髪型が、彼女の両腿によって挟まれていた。

黒いスカートからは局部を覆うスパッツが見え、妖艶な肉の盛り上がりを見せている。

雄の欲情を掻き立てるであろう少女の尻は、

腿と共にナガレの後頭部を固定する万力と化していた。

 

「うる…せぇ…」

 

絶息に近い状態ながら、ナガレは応えた。

地の底から響く、怨嗟のような音階の声で。

声に乗じて、めりめりと肉を引き裂き、ぴちゃぴちゃと血が溢れる音が鳴った。

それは、自らの首に絡みついた、キリカの脚の上で生じていた。

ナガレの左右の手の、計十本の指が魔法少女の腿に根元近くまで喰い込んでいた。

だが皮膚と肉を突き破り骨にまで達する重傷に、当のキリカはというと、

 

「ははは。友人は健気で元気だなぁ」

 

痛痒の欠片も見せず、彼の抵抗を朗らかに嘲笑っていた。

そして笑いながら、彼の拘束を更に強める。

少女の柔らかい肉を介して、破壊の力が彼を苛む。

 

少女の尻が後頭部に当り、太腿が首を圧迫する。

更には腰に胸が押し付けられた挙句、背中には局部が接触しかけている。

この状況を望む男子は決して少なくはないだろうが、彼にとって現状は地獄に等しかった。

 

またこれは精神的なものだけでなく、物理的にも刻々と近付いていた。

魔法少女の脚の拘束が開始されて、既に二十秒が経過している。

場合によっては魔女さえも両断する剛力に、人の身で耐えている彼もまた異常であった。

だがそれも、何時まで持つかは分からない。

 

「さて、落ち着いたところで今後の事を考えようか。

 我が参謀たるさささささは現在自警団の手中にあり、私と君らとて容易に手出しは出来ない」

 

呉キリカが分析を語る。

彼女の中で、杏子とナガレは自分の仲間という事になっているらしい。

 

「それにしても、さささささを人質にするとはなんて悪辣な奴らだろう」

 

また参謀と称する存在の能力への疑問や、自分自身の行動についての疑問は無いようだ。

 

「ま、いっか。先の事を考えても仕方がない」

 

そして名残を残すことなく、今の思考を打ち切った。

飽きたのだろう。

 

「って友人、唐突にいなくなったと思えばそこにいたのか」

 

本気で忘れていたような口調であった。

というよりも、そうなのだろう。

 

「…私の股の間に入って、君は一体全体何をしているんだ?」

 

異常事態に対し、その原因の魔法少女は疑問を投げ掛けた。

だが気道が潰れかけているナガレは応えない。

念話という手もあるが、その為に気を向けた瞬間に喉が潰れるだろうと彼は踏んでいた。

 

「そうか」

 

応えの無い少年に対し、キリカは怜悧に物事を見極めた。

勿論、それまでの経緯を完全に忘却した上での独自の理論にて。

 

「ここは廃ビルらしいが、そうかそういう事か。

 要はつまり私を強姦しようとして、無様にも返り討ちにされたのだな。情けない」

 

やれやれとキリカはおどけた様子で首を左右に振った。

半ばで断ち切られた腕も、お手上げと言わんばかりに掲げられている。

 

「そこまでして童貞を捨てたいの」

 

『か?』と続ける前に、キリカの視界が反転した。

廃ビルの寂れた天井が映り、そして轟音と衝撃が少女の身を襲った。

背中から叩き付けられたとの認識と、コンクリに生じたクレーターに横たわる自分を

見据える禍々しい視線に気が付いたのはほぼ同時の事だった。

 

「やばっ」

 

割れた後頭部から血を曳きながら、身を発条にしてキリカは後方に跳ねた。

跳ねて生じた隙間を切り裂き、ナガレが拳を叩き込む光景が見えた。

それは数瞬前までキリカがいた場所に着弾し、人型のクレーターに更なるヒビを奔らせた。

そして破壊を追加された床面は耐久力を削ぎ落され、破片と化して下層へと落下していった。

後には大穴と、その淵に立つ少年が残された。

 

「すっごいな。君は空手が得意な友人だったのか」

 

飛翔しつつキリカが告げる。

外壁以外の壁の類が取り払われ、フロア全体が伽藍となっていた。

床と壁を蹴り、黒い魔法少女が跳ね続ける。

 

「そこまでして女にモテ」

 

たいのか?の声は旋風の中で生じた。

跳躍するキリカの肉体が空中で静止した次の瞬間、彼女の身は後方に向かっていた。

彼女が方向を転換させたのではない。

背後からの力によって引き戻されたのであった。

キリカの腰のあたりから左右に伸びた黒いベルトを掴んだ、ナガレの腕力によって。

 

黒い魔法少女が旋風となって廻る。

拘束を振り解くべく腕を振おうとしたその瞬間、黄水晶の眼は自らに迫る壁を見た。

速度低下も間に合わず、魔法少女の顔面がそこに激突する。

キリカの顔がぶち当たったのは、室内に樹木のように突き立つコンクリ柱の一つであった。

どれほどの力が加わっているのか、コンクリがキリカの顔の形に抉り抜かれていた。

 

「怪獣か君は」

 

口が、というか顔が破壊されたため、キリカは呆れを宿した念話をナガレの元へ届けた。

だがそれを気にせず、血を吹く顔面を先端としたキリカの身体を

ナガレは再び別の柱に叩き付けた。

旋回は速度を上げ、同様の所作を繰り返す。

 

その果てに、彼は手を離した。

正確に言えば、血のぬめりによって滑ったのだった。

魔法少女の首から上は、赤黒い肉の塊となりかけていた。

だがそれでも、口元の緩い歪みは残っていた。

血と肉と、白黒の衣装の破片を散らせて飛ぶキリカの身体が宙で反転する。

 

膝をついて着地したキリカは、己を投擲したものを見た。

俯きから面を上げた魔法少女の顔には、歯を見せて笑うはにかみの形状があった。

その表情のまま、キリカは地面を蹴った。

投擲とは比較にならない超高速が少女の身に宿る。

更にそこに向け、二つの飛翔体が迫る。

そして。

 

「そういえば、切り結ぶのは久々だな」

「ついさっき散々やっただろうが」

 

苛烈な金属音、眼を焼くような火花の嵐。

その果てに鍔迫り合いが待っていた。

切断された両腕を戻して接合し、振り下ろされたキリカの六振りの斧を、

ナガレは双斧で受け止めていた。

魔刃同士が喰らい合う音はやはり、獣の牙鳴り音によく似ていた。

 

「うわー、散々やったとか云う言い方やらしー、すけべー、えっちー」

「棒読みでほざいてんじゃねぇ、気色悪ぃ」

 

鍔迫る中、ナガレは蹴りを放った。

キリカの顔面を狙ったそれは、彼女の首振りによって回避された。

だが直撃はせずとも、彼の足先はキリカの左頬を深々と抉っていた。

 

「いいね友人。今のは少しぞっとした」

 

修復したばかりのキリカの顔には、頬と唇が繋がるほどの傷が刻まれていた。

それを笑みの形にし、キリカは微笑んでいた。

 

「それじゃ、ばいばい」

 

先の蹴りによって仰け反った体勢が、弾かれたように反転。

直後にキリカの脚が伸びる。

砲弾に等しい勢いの蹴りを、ナガレは双斧を盾にし受け止める。

キリカはその様子に、僅かに瞳の瞳孔を細めた。

防御が間に合うことは彼女も予想していたが、耐えるのは無理だろうと思っていたためである。

キリカの予想では、今頃は彼の上半身は砕けた得物もろとも宙に舞っている筈だった。

だが幾度も破壊と修復を繰り返した斧は、魔法少女の力を耐え切っていた。

 

「全く、君という奴は参考になるな。色々と」

「で、『ばいばい』が何だって?」

 

ほぼ噛み合わない会話を短く交わした直後、暗黒の風が両者を繋いだ。

それは二人が携えた同属の得物の交差であった。

一対の黒髪達は風の源となり、また自らも禍々しい嵐となって相手を喰らうべく

脚と拳を交差していく。

 

時刻は夜の十時半。

繁栄に取り残された残骸の中で、暗黒の乱舞は何時果てるともなく続いていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 夜は更けゆく

小さな音を立てつつ、部屋の窓が開かれた。

時刻は午前零時半。

夜の帳が世界の半分ほどを覆っている時間帯だった。

 

「おじゃましまーす」

 

呟いた後、音も無く屋根を蹴り、ナガレは開いた窓から室内へと侵入した。

 

「いらっしゃ-い」

 

彼に続いて、背後からもう一人が声と共に這入り込む。

この部屋の主である呉キリカであった。

来訪者たるナガレは靴を屋根の上に置いていたが、キリカは土足で部屋を歩いていた。

 

「うぅぅぇぇええ…だっるぅう…」

 

靴跡を床面に着けつつ、ある程度歩いてから変身を解除した魔法少女は、

寝台隣の勉強机に置かれた小棚を漁り始めた。

 

「まるで生理二日目の状態で、メチルアルコールをがぶ飲みした気分だよ」

 

キリカの発言を極力無視し、ナガレはこれからどうしようかなと考え始めていた。

魔女退治の直後、『暇だから』という理由で切り結んだ結果として

彼は再び傷だらけの状態となっていた。

魔女の治癒魔法によって浅い傷は大体塞がりかけていたが、

多少なりとも疲労感が蓄積していた。

ただそれは戦闘由来ではなく、ゲームに熱中したが故のものであった。

 

「あー、えぇっと、何っ処だーい、グリーフシードくんやーい」

 

ご丁寧にも探索物名を言いながら、キリカは手を休めずに漁っていく。

小奇麗な部屋に反して、棚の中は混沌であったらしく、

何かの破片やメモの切れ端が零れ落ちていった。

 

手持無沙汰となったナガレは、魔法少女を無視して床に座った。

そしてテレビの電源を入れ、先程のゲームを再開させた。

袖が露出したシャツを纏い、極めて丈の短い短パンを着用し、

挙句の果てに机の上に上半身を置いたキリカの姿には目もくれていない。

 

意図してはいないのだろうが、キリカはナガレに向けて尻を突き出していた。

傍から見れば誘っているようにしか見えない体勢だが、

それを無視し、ナガレはリモコンを操作した。

ご近所と災厄の家族に配慮したのか、彼の指先は消音のボタンを押した。

 

準備が整い、彼はこれからどうするかと思い悩んだ。

だが悩んでいる時間は勿体ないとし、とりあえず最後に頼まれたお使いをすることにした。

無音の世界で魔王龍が吠え、蒼穹の世界を疾駆する。

美麗なグラフィックを眺めていた少年の視界の端で、揺れ動く物体があった。

何かは予想が付きつつも、ナガレはそちらを見た。

今同じ部屋にいるのは、一瞬の油断をすれば自らを簡単に殺害出来る、

美少女の姿をした悪鬼である。

少しの見落としがあるだけで、死へと直結しかねない。

 

「無いなー、ちょっとヤバいのになァ…」

 

言葉や手の動きと共に揺れるのは、キリカの尻であった。

ホットパンツは短いだけでなく、サイズとしても内の肉を包むにしては小ぶりだった。

結果として、キリカの尻の肉感が強調されていた。

序に華奢な背を通して、左右に微細に揺れる胸が見えた。

こちらは逆に白シャツが大きすぎであり、巨大質量を支えるに足りていなかった。

更に言えば、ブラすら付けられていなかった。

布の生地が厚めで、白の色が濃いために胸の突起を示すに至っていないのが、

彼にとっては救いだった。

 

とりあえず無害と判断し、ゲームを再開する。

移動を終えた魔王龍を地面に降ろし、街の外へと待機させる。

街が大混乱に陥っていることに若干の罪悪感を湛えた笑いを覚えつつ、

彼の禍々しき分身は目的の家屋を目指した。

ちなみにお使いの要件は、孫から祖父母への、日ごろの感謝の花束の運搬だった。

マップを見ると街外れなので、多分平和なままだろうと彼は読んでいた。

というよりも、そうでなければ困る。

 

戦禍の如く混乱の中、騒動の原因たる禍々しき紅甲冑の魔剣士は花束を抱えて足早に進む。

どう見ても、異常な光景以外の何物でもなかった。

操作している本人はもう慣れたのか、或いはそれが異常だと分からない為か平然としていた。

お使いには別に時間制限は無いのだが、要件が祝い事であるせいか、

魔剣士の移動速度は速さを増していく。

妙な所で、人間の善の部分が出る少年であった。

 

画面の端に魔王龍に近隣の勇者たちが戦闘を挑んだとの情報が表示され、即座に消えた。

それが再び表示され、またすぐに消える。

そしてまた表示され、また…と繰り返される。

魔剣士の手元を離れた魔王龍ヒ・ルルガは、どうやら勇者や英雄、

冒険者相手の虐殺を行っているらしかった。

画面端には「助けて」「いっそ殺して」「誰か、誰か俺の肝臓を拾ってくれぇえ!」

「やめ、やめろ!足を、足を喰わな」等の文字が次々と表示されていく。

 

状況的に考えれば凄惨無残極まりないが、見方を変えれば正当防衛である。

支配下に置いた際、魔王の主は無為な殺戮を龍に認めていなかった。

功名心に走った連中の悲鳴に何も感じない訳でも無かったが、

彼にはお使いという使命があった。

 

そして目的地に着く寸前、それは起こった。

電子の世界ではなく、現実での事だった。

床に座り、コントローラーを操作する少年は後頭部に迫る何かの気配を感じた。

本能に従い首を傾げる。

開いた隙間を縫って小さな物体が彼の頬の脇を通り、眼前に落下した。

 

闇色の瞳がその物体を認識、そして脳が理解する。

丸められていたが、彼にはその正体が分かった。

 

ナガレは溜息を吐いた。

もうそれなりの時を生きてはいるが、

使用前とは言え生理用品を投げつけられたのは初めての経験だった。

先刻の発言と言い、このネタをまだ引っ張るのかと、彼の脳裏に一瞬そんな言葉が過り、

 

「おい」

 

小さいが、怒気で満ちた声を放った。

逆鱗に触れたらしい。

禍々しい渦を宿した闇色の眼が部屋の主を睨む。

目に入ったのは、キリカの後ろ姿だった。

 

だが、姿勢がやや変わっていた。

机に対して前傾姿勢だったところが、完全に突っ伏していた。

上半身が机に引っ掛かり、下半身がぶら下がるようになっている為に、

先程よりも更に尻を突き出す姿勢となっている。

 

それには異性の理性を破綻させる官能の破壊力があったが、彼は異常を感じた。

行動や狂気の度合いとしてではなく、危機感からのものだった。

 

立ち上がり、不意の蹴りを避ける為に迂回しつつキリカに接近する。

美しい蝋人形のように、キリカの表情は硬直していた。

顔は朗らかな表情のままで、指先は未だ魔女の遺物を求めていた時の形で固まっている。

生命が唐突に終焉し、そして肉体が凝り固まったかのようだった。

多分演技だろうなとナガレは思った。

 

しかしながら、黄水晶の瞳の中には渦巻くような黒い波濤が見えた。

苦悶の揺らぎであると、彼には分かった。

剣戟の際、思い切り深く刻んだ際にキリカの眼の中にあったものと、

それは同種のものだったためである。

 

上着のポケットに右手を突っ込み、彼はすぐに手を引いた。

人差し指と親指で挟んだ黒い卵状の宝石を、ナガレはキリカの手先に近付ける。

ある程度の距離となった瞬間、黒い霧が噴き出した。

それは、キリカの左手の中指から生じていた。

正確には、そこに嵌められた指輪から。

 

吸い取られていく黒霧に相反して、指輪は光沢を増していった。

霧と同様のどす黒い色から、青白い月光を孕んだ、夜のような青紫へと。

黄水晶の瞳の中に浮かんでいた苦痛も、跡形も無く消えていた。

 

「流石のお前さんも、完璧に不死身ってワケじゃねぇみてえだな」

 

からかいに近い口調は、彼なりの配慮だろう。

湿っぽい事を言う趣味は無く、上から目線の労いの言葉を掛ける気も無い。

 

その声が聴こえたのかどうか、キリカはゆっくりと立ち上がった。

そして、両手でその身を撫でていった。

胸に腰、そして尻とその反対側を軽く撫でる。

何を確認しているのかを即座に理解したナガレは、先程の皮肉の裏の安堵感を完全に忘却した。

そして、この上なく不機嫌な顔となっていた。

文句を言いたいようだったが、単なる燃料にしかならないと見え、彼は無言を貫いた。

 

「異常なし…か。友人、君は案外マトモなようだな」

 

これは一応、彼女なりの賛美だった。

だがそれは、彼の神経を刺激しただけだった。

 

「だから」

 

夜という事を配慮して、彼の声は小さかった。

だがその声に込められた感情は、音に反比例して莫大だった。

感情の種類は言うまでも無く、『怒り』である。

 

「俺は、ガキに、欲情、しねぇっつってんだろ」

 

眼は渦を巻き、童顔は怒りの形相に歪んでいた。

怒りの為せる業か、わなわなと震える唇から覗く歯は、全てが牙に置換されたように見えた。

先の戦闘中にキリカが言った、『怪獣』という表現がぴたりと当て嵌まる様な狂相が

ナガレの顔に浮かんでいた。

 

「ガキだって?」

 

キリカにもまた、異変が生じていた。

言葉の先の二語が、キリカの触れてはいけない領域に抵触したらしい。

眼がかっと開かれ、瞳が爬虫類を思わせる縦長へと収縮する。

それは捕食者の眼であった。

 

「友人…お前、もう赦されないよ?」

 

発達した八重歯は更に鋭さを増して見え、美しい顔の表面には亀裂のようなものが走っていた。

互いの息が顔に接触するほどの、超至近距離。

一対の黒髪達は相手の怒りなど露知らずであるかのように、

自らの怒りを発露させていた。

 

室内にて、深夜だと云うのに殺気が充満し始めていた。

魔女を屠り、そして互いに斬り合ったばかりだというのに、

両者の闘志は微塵も減衰していない。

 

魔法少女と、竜の戦士。

この両者には深い眠りや安らぎなど、訪れる筈もないのだろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 夜は更けゆく②

室内には静寂が満ちていた。

テレビや電子の遊具はおろか、灯りまでが落とされている。

窓に掛けられたカーテンの隙間から覗く青白い月明かりが、唯一の光源となっていた。

 

薄闇と静寂に包まれた室内には、二人の少年少女が寝転んでいた。

少女は自らの寝床である寝台の上に、少年は部屋の隅に敷かれた布団の中にいた。

共に一言も発さず、夜の役割である眠りの時間を貪ってーーーいなかった。

 

「うぅ…ぐず……ぅぁあ……」

 

横になった少年の意識に、すすり泣く少女の意思が流れ込む。

それは既に、三十分も続いていた。

その間、少年は無視を決め込んでいた。

だが遂に、限界が到来した。

 

「うるせぇ」

 

少女の哀切を微塵も理解していないかのような、

怒りで満ちた意思をナガレはキリカへと送った。

 

「うぁぁああああああっ!!!!」

 

感情の伝達の瞬間、キリカから返ってきたのは絶叫の意思であった。

脳内、というよりも魂の中で鳴り響く美しい音階の轟音は、

少年の顔に怒りと苦みを与えた。

 

「もう終わりだ!明日からの私の食生活は破綻した!

 嗚呼我を胎内で育み世に産み落とした母よ!私に甘味を好む性を与えておいて、

 それを禁ずるとは何事だ!?何時から貴女は冥府魔道に堕ちたのだ!?」

 

絶望。

そう評するに足りる言葉の波濤が、ナガレの元へ押し寄せる。

言葉や表現を変え、キリカの嘆きの意思の津波が少年を覆う。

常人なら狂を発するに足りる狂気の意思を浴びたナガレは、

 

「ウゼぇぇぇええええ」

 

と思った。

その意思に指向性は宿っておらず、狂気の波濤の中で少年は内心にて思った。

そう思っている間にも、キリカの狂乱は収まる気配を見せずに荒れ狂う。

苛立ちを覚えたナガレは、顎に僅かに力を籠めた。

ぎりりという音が短く鳴った。

 

魔女の腕を食い千切り、キリカの斧爪を咥えて振り回した負荷により、

牙のような歯は、僅かにグラついていた。

その揺れは、強靭な力で噛み締められた事で強引に接着されて治癒された。

まるで、あいつもこうしてやろうかと思っているかのようだった。

 

「お前の所為だろうが」

 

湧き上がる暴力的な欲望を抑えながら、ナガレは意思で言葉を告げる事にした。

それが苦手な行為であることは、彼自身もよく分かっている。

 

「お前が「死ぬより後悔しながら死ね!!」とか大声で叫びやがったから、

 叩き起こされてすっ飛んできたお袋さんが滅茶苦茶に怒ったんだろ」

 

自分でも長台詞である事も彼は自覚している。

説教するより、殴った方が早いだろうなとも思っている。

ナガレの意思を注ぐ間も、キリカの狂気は吹き荒れている。

彼女が母親に何を言われたのかは彼の知るところでは無かったが、

扉の奥からは刺々しい雰囲気と気配が滲み出ていた。

しかも時間で言えば、四十分以上に及んでいた。

 

因みにその間の彼はと言えば、若干の息苦しさを感じつつもゲームに勤しんでいた。

お使いを済ませた彼は、紆余曲折の後に人喰い鬼と昆虫型人類の連合軍を相手に

魔王龍と共に大軍の只中へと突撃し、大陸の一角を完膚なきまでに破壊した挙句に

軍団を一兵卒に至るまで粉砕した。

 

なんとなく嫌なデジャヴを感じたが、所詮は架空の事例と無視し、

魔王龍の眷属を率いて大陸の再建に乗り出した。

尚、当の魔王龍は敵の総攻撃と主からの酷使によって休暇願を提出。

ゲーム内時間にて二週間ほどは居城で傷を癒すとの事だった。

 

仕方ないかという許容と、移動手段を失くしたことの面倒くささを

認識したあたりで扉が開いた。

顔を向けると、右腕で眼を覆ったキリカの姿が見えた。

顔と腕の間からは、涙が滂沱と流れ落ちていた。

残る左腕には、丸められた敷布団が抱えられている。

半開きになった扉からは、枕と掛布団が覗いていた。

どうやら災厄の母親は、本気で娘の異性の友人を同室に泊まらせる気であるらしい。

 

なんともいえない気まずさを覚えた彼は、セーブをしてから本体の電源を落とした。

休養が必要だと、彼も流石に思ったのである。

時刻は既に一時半を回っている。

無尽蔵としか思えない体力の持ち主である少年であり、精神も極めて頑強ではあったが、

それでも休養は必要だった。

もういい、面倒くせぇから寝ちまおう。

それが彼の結論だった。

 

その休養が、今まさに脅かされていた。

横になった瞬間から今に至るまで、

少女の啜り泣きがナガレの精神に濁流となって流れ込んでいた。

 

「何時までもグジグジメソメソ泣いてんじゃねぇ!!

 今度一緒に謝ってやっからいい加減に黙って寝ろ!!」

 

どう考えても、慰めとは思えない口調と怒気で満ちた意思がキリカの元へと送られた。

彼にとって安息を邪魔するものは敵も同然であり、

キリカは様々な面でそれに該当する存在であった。

それでも、自身でも身に合わないと自覚する約束を彼は口にしていた。

それは、罪悪感に起因するのだろう。

 

魔女戦後の戦闘に於いて、彼は呉キリカという存在の肉体の大半を破壊した。

両腕を飛ばし、両脚を宙に舞わせ、肺と心臓を一薙ぎにし、

内臓をずたずたに切り刻んだ挙句に美しい顔面を火砲や拳で爆砕した。

 

血飛沫と肉片を散らした次の瞬間には、キリカの肉体は例によって完全再生していた。

そして朗らかな表情の悪鬼となり、羅刹の如く残虐な乱舞を舞い踊る。

その隙間を縫って接近して切り結び、再び悪鬼羅刹を人体の破片と変え、

それが再び…というのを繰り返した。

 

だが戦闘中の事とは言えど、少女を惨殺する行為は後々になって

彼の精神に不快感となってへばり付いた。

戦闘中は灼熱のような闘志によって焼き尽くされていた懊悩が、

今になって蘇っていたのである。

 

「甘い物ならこないだのチョコがまだ余ってるから、欲しけりゃくれてやるよ!!

 だからさっさと寝やがれ!!魔法少女だろお前は!!!」

 

最後の一言は完全に意味不明であった。

彼なりに色々と考えている事の反動だろう。

脳がオーバーヒートしているのである。

 

災厄と再び会う事への約束によって面倒事が更に一つ増えた。

そしてまず間違いなく譲渡を拒むであろう紅い相棒の説得により更に一つ追加で、

さしもの彼も一瞬の頭痛を覚えた。

もう何も考えたくなく、彼はさっさと眠りたかった。

戦闘中の身を焦がす高揚と緊張感が、堪らなく懐かしかった。

 

夜も更け行く中、竜の戦士の苦悩が続く。

 

 










内容とほぼ無関係ですが、某レコードの補填では杏子さんを選びました。
既に所持していたキリカさんを強化するかと悩みましたが、
持っていないのは寂しかったもので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 夜は更けゆく③

「つまりだ、友人。

 私の学園生活は中々に退屈で且つ興味深くクソ如何でもいいのだよ」

 

思念によるキリカの話を、ナガレは半ば聞いていなかった。

彼の頭の中を占めていたのは、もうそろそろ寝たいなという睡眠欲と、

あいつ何処行ったんだろという腐れ縁の殺戮兵器への思いであった。

因みに、前者が思考の九割を占めていた。

欲求に素直といえばそうだが、あんまりでもある。

 

この辺りは自らが駆る最強の兵器が、一方で最悪の敵でもあるという事が

多少なりとも起因しているのだろう。

彼とて悩みの一つや二つはあるのであった。

例えそれが常人の感覚に換算すれば、

「いつも使う自販機で、好きな銘柄の珈琲が無かったらどうしようか?」

程度のものだったとしても。

 

放置するのは危険な代物だとは思っているが、現状では発見しても邪魔なだけである。

三分割したら余計に幅が伸び、通常時でも教会内には入らない。

仮に入ったとする光景を彼は思い浮かべた。

シンプルだが凶悪な外見と相俟って、邪神の偶像にしか思えなかった。

(実際のところ、邪神は比喩表現ではなく紛れもない事実である)

 

そもそもこの状況が、彼のこれまでの戦記からしても異常に過ぎていた。

紛い物としか思えない肉体に精神を押し込められ、

魔法少女なる存在と延々と戦わされている。

 

後者はまだしもとして、軟弱にも思える外見が気に喰わない。

紛い物に違いないとは思いつつも、紛れもない自分であるという確信もまた、

彼の苛立ちを促進させた。

そのせいか、感覚がマヒしているのかもしれなかった。

鈍感とも云うのだが。

 

「意外と楽しんでるみてぇだな」

 

聞き流しも飽きたのか、ナガレが返事をした。

その頃には既に頭が切り替わり、それまでの苛立ちや物騒な存在の事など

忘却の彼方に消えていた。

 

「話を聞いていないようだな友人。私はさっちんの恋愛脳に悩まされる日々を送っている」

「初耳だな。誰だよそいつ」

「なんだ友人。今度はさっちんに欲情したのか?」

「だから、誰だよ」

「さっちんはさっちんだ。綽名の由来は恋愛脳だから。どうだ友人、満足か?」

「いいから黙れよ。さっさと寝ろ」

「その手には乗らないぞ友人。私を朱音麻衣と同じと思わない事だ」

「俺に分かるように言いやがれ」

「質問は許可していない。私に対する全ての要求を完全に拒否する」

「何かの台詞か?」

「いや、私のオリジナルだ。著作権料は君の命×無量大数」

「流石にそんなにはいねぇな…多分」

「何を言っているんだ?」

「こっちの話だ」

 

微妙に噛み合わない会話が、無音のままに延々と続いていく。

キリカが泣き止むのには、相当の時間が要された。

彼の感覚では二時間は説得していたような気がしていた。

何が決め手と為ったのかは不明だが、ある時を境にキリカは泣き止んでいた。

そして代わりに、彼女主導による世間話が開催された。

ナガレは後悔した。

隙を突いて頭部を殴打し、黒い災厄を気絶させるという選択肢を持たなかったことを。

 

「分かってはいたが、君の云う事は意味不明だな」

「そいつはそっくり返してやらぁ」

「全く、君と話していると疲れる。折角浄化したソウルジェムも濁ってしまう」

「…『ソウルジェム』?」

 

初耳の単語だった。

美しい響きであるが、同時に彼はその言葉の並びに禍々しい気配を感じた。

 

「君は莫迦か?さっき自分で浄化していただろう。

 伏線回収もロクに出来ないのか?それで本当に主人公のつもりか?」

 

発言者のキリカは呆れた声を出した。

極力無視し、ナガレは言葉の意味を脳内で検索に掛ける。

 

「『ソウル』ってな…『命』って意味だっけか?」

「『魂』だよ、このおバカ。

 ついでに『ジェム』は『宝石』だよ。よかったな友人、また一つ賢くなったね」

 

彼としては大真面目だったが、それだけにキリカは呆れ切っていた。

 

「大丈夫なのか、それ」

「大丈夫という言い方がなんか童貞臭いな。まぁ面倒事も無くは無いが、結構便利だ」

 

闇の中でむくりと起き上がり、キリカは左腕を伸ばした。

ナガレの視力は闇の中でも鮮明に魔法少女の姿を捉えていたが、

彼の視線が注視するのは細い左腕の先端であった。

中指の中央で、闇よりも深い紫色の光が灯る。

キリカの手が反転し、掌の上に光が移る。

 

光が得た輪郭は、装飾をされた卵型の丸い宝石。

だがその装飾は、檻のような枷にも見えた。

まるで、何かを閉じ込めているような。

杏子のものを見た時もそうだったが、彼にはそう思えてならなかった。

 

「私が既に実践しているが、これが輝く限り魔法少女の力は尽きない。

 ある種の無敵という奴だ」

「例外はいるみてぇだけどな」

 

ナガレの口調は憎々し気であった。

自分を熱線で穴だらけにし、腹筋に淫らな液を擦り付けた道化の事を思い出しているのだろう。

 

「治癒にしてもそうだ。魔力があれば幾らでも回復できる。

 ある意味魔法少女とは『肉の檻から切り離された存在』とも云う」

 

魔法少女の不死性についての解に、彼の驚きは少なかった。

この辺りは異形と戦い慣れている為だろう。

『肉の檻から切り離された』。

その表現が、妙にしっくりときていたせいもあった。

洒落た事言うなとばかりに、思わず関心したほどだった。

 

「てこたぁ、そいつがお前らの弱点か」

 

彼は率直に聞いた。

別に威嚇しようとした訳ではない。

前々から思ってはいたが、いい機会だから聞いておこうと思ったのである。

 

「友人、もう少し考えて発言し給え」

「悪ぃな、口が悪いのは生まれつきでよ」

「何を言っている?私は『そんな事聞かなくても分かるだろ?』と続ける積もりだったのだが」

 

そのでっかい口は放射能を喰う為だけにあるのか?と、

キリカはよく分からない罵倒を繋げた。

反論しようとしたが、あながち間違っていない気がしたために彼は口を閉じた。

が、直ぐに開いた。

今度は自らが問う為に。

 

「何で俺にそいつを教えた」

 

問い掛けではあったが、糾弾のような口調だった。

自ら命を曝け出すに等しい行為に、舐められていると感じたのだろう。

闇色の眼に乗せられた殺気に等しい視線に、キリカは首を傾げた。

 

「話が尽きたからに決まってるだろう。私はボキャ損なんだ」

「あぁ、だと思った」

 

言いつつ、ナガレは改めて呉キリカという存在がよく分からなくなった。

だが理解したら不味い存在というのには比較的慣れていたので、

まぁいいかと無理矢理に納得させた。

思考を整理していく中で、キリカが言った『ソウルジェム』なる存在を思い返す。

キリカの言葉が真実であるなら、これが魔法少女の弱点であり力の源であるらしいと。

 

「炉心みてぇだな」

 

と、ナガレは思った。

そしてこちらも大概だが、『魂』の『宝石』という存在もまた、嫌な予感がしてならないとも。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 夜は更けゆく④

「信じられない。全く以て完全に信じられない」

「あぁ、俺もだ」

「こんな難解で厄介で、そして物騒な奴がこの宇宙にいるなんて」

「同感だ。そこだけは気が合うな」

 

 暗い室内では、会話が続いていた。

 淡々としたキリカの口調に対し、ナガレのそれは刺々しさで覆われた思念となっていた。

 

「それでだ友人、さっちんによると中学生女子の経験率はだな」

「さっき聞いた。あと聞きたくねぇって言っただろうが」

 

 そして何時の間にか、話の内容は魔法少女の宝石から年相応な話題へと移り変わっていた。

 魔法少女の謎について興味が無い訳でもないが、ナガレの問いはキリカの主導によるトークの渦に飲まれて消えた。

 

 キリカの話に適当な相槌と、無駄と分かってはいても一応は行う抗議を打ちつつナガレは新しい情報を脳味噌に刻み込んだ。

 プレイアデス、マギウス、そしてソウルジェム。

 前二つはキリカから見ての敵対組織の模様であり、後者は魔法少女の力の源泉。

 どう考えてもこれら全ては、今後の厄介事の原因になる気がしてならない。

 だがそれに漠然とした嫌な予感は抱いてはいても、彼は微塵も恐れていなかった。

 この先に何が待っていようがこれまで通りに真っ向から向かうだけだと、言葉ではなく本能でそう理解していた。

 

「大体の場合、長期休暇の際にコトに及ぶらしい。まぁさっちんの事だから恋愛脳からの妄想だろうがね。

 あぁ、因みに私は清く正しい中学三年生なのでそういった事は一切ない。よかったな友人、また私を題材にした邪な妄想が捗るぞ」

 

 だが呉キリカは彼の意志など露知らず、相変わらずに彼の気を害する話題を振り撒いていた。

 因みに話題がループしており、この話を彼が聞くのはこれで三度目となっていた。

 

「だから興味ねぇっつってんだろ」

「それは私も同じだ。ひょっとして気があるとでも思っているのか?

 これは重症のようだな。噂に聞く調整屋とやらへの通院をお勧めする」

「何だよそれ」

 

 新たな単語にナガレは怪訝な様子を示した。

 黒い魔法少女との会話は一刻も早く切り上げたいが、こういう事がある為に油断ならないのであった。

 

「偉そうな名前の隣町にあるらしい施設というかお店らしいよ。さっき見せたソウルジェムを弄ってもらえるらしい」

「てこたぁ、鍛冶屋みてぇなもんてことか?」

 

 ナガレの脳内には、ソウルジェムが職人によって装飾を手入れされたり、火箸で摘ままれて高温で熱され、槌で叩かれまくる光景が浮かんでいた。

 槌が激突し炎が舞い踊るたびに宝石は輝き、魔法少女の力も増していく。

 ただでさえ強力な存在である魔法少女が更に強化されるという想像図に、ナガレは軽く畏敬を覚えていた。

 但しそれは身に迫る危機感からではなく、随分とアナログで実直な強化方法だなという勝手な感想からのものだった。

 『調整』という言葉からの発想としては間違っていないのかもしれないが、無知とは恐ろしいものである。

 

「で、それと俺に何の関係が?」

「さささささではないが、君の正体は恐らく魔法少女の出来損ないだ」

「てめぇもそれを信じてんのか?」

 

 二人称の変容が表すように、キリカの発言は彼の怒りに火を着けた。

 

「いや全然。興味ないからね」

「話は終わりってこったな。さっさと寝て脳味噌を冷やしやがれ」

「まぁ話は聞こうよ、友人。それが大人への第一歩だ」

「魔法『少女』がぬかしやがる」

 

 口調の刺々しさが増しているのは、言うまでも無く怒りの所為である。

 

「正直言って、さっきはノリで言ったから何も考えていないんだよね」

「俺が言うのもなんだけどよ、てめぇは考えるってコトをしてんのか?」

「ま、百聞は一見に如かずというだろう。詳細は実際に行って確かめ給え。なぁに、これは俗に云う伏線というやつだよ」

 

 ベッドの上でえへんと豊かな胸を張り、キリカは自信ありげに応えた。

 上手いことを言った積もりらしい。

 つきかけた溜息を喉奥に押し込めつつ、ナガレは返事を送った。

 

「お前、ホントに脳味噌あるのか?」

「友人、それはさっき見ただろう?」

 

 うぐ、とナガレは言葉を詰まらせた。

 割れた頭蓋から破裂した脳をちらりと見せながら、血塗れの顔で朗らかに笑う魔法少女の姿を思い出したのだった。

 

「じゃあもう少し考えて物言えよ。妙にシモの話題を振りやがって。恥ずかしいとか思わねぇのか?」

「はぁ?何で私が君に話し掛ける事程度の些事如きで長考しなければならないんだ?

 君は狂ったドクサイシャにでもなった積りか?世界は君を中心に回っているとでも?」

「嫌な例えをすんじゃねぇよ、バカ野郎。縁起でもねぇ」

「野郎だと?おいおい友人、遂に性別の見境さえ無くなったのか?まぁ、そういった事は私は口を挟む気はないが」

「お前と話してるとアレだな、なんか自分の人間性ってやつが再確認できてくる」

「そういえば話が変わるが、友人の入ってる布団はこの前さささささが入っていたやつだね」

「…洗ったんだろうな?」

「相変わらずスケベだな君は。ちゃんとお洗濯したに決まってるだろう」

 

 憤然と告げるキリカ。

 その発言に、ナガレは無意識に嗅覚を働かせた。

 これは一種の危機反応からによるものであり、彼の生存能力を高めている原因の一つであったが、鼻孔から空気を吸った瞬間に彼の脳裏に淫らに笑う道化の姿が浮かび上がった。

 少年の顔が一瞬苦々しく歪み、そして戻った。

 弱味を見せまいとしたのだったが、その一瞬はキリカによって補足されていた。

 

「友人、我慢は身体に悪いぞ。『欲望なんて解き放て』と、懐かしい歌も云っている」

「お前、どういう意味で言ってるのか分かってんのか?」

「清らかな乙女にそれを云わせる積りか。君は中々の策略家だな」

「中身はどうあれ俺を友達扱いしてくれてるから言ってやるが、野郎相手にそういう事ばっか言ってるとロクでもねぇ事になんぞ」

「加減が分からないんだよ。初めて言葉を交わした際に言っただろう?『人生経験及び対人経験値の少なさ故と思って諦めて呉』と」

「つまり俺は実験台か」

「まぁそういう事だな。今後ともよろしくね、友人」

「あぁ。長い付き合いになりそうだな」

 

 噛み合う事の少ない両者の会話だが、この時は奇跡的に会話が成り立っていた。

 それが例え前者はどうでもいいような口調であり、後者は皮肉っぽい言い方であったとしても。

 

 思念を交わし終えると、彼は頃合いだと思った。

 キリカからの追撃トークも無く、寝るならばこれが最後のチャンスに思えた。

 魔法少女との会話は彼の精神に多少の疲労を与えたが、彼はそれを含めて悪くない気分だった。

 新しい事柄の幾つかを断片的にだが知ることが出来、またキリカとの会話を一種の戦闘と捉えていたためだろう。

 だがとはいえ疲労は溜まるものであり、生物である以上多少の休息は必要だった。

 先程魔法少女が消耗を回復したように、自分もまた休むべきだろうと思っていた。

 眼を閉じようとした刹那、闇色の瞳に白い光が差した。

 そして彼は気付いた。

 カーテンの隙間から入り込む光が、その強さを増していることに。

 

「朝だな」

 

 彼は思念ではなく声でそう言った。

 少女に似た声は、苦々しさと疲労で出来ているかのようだった。

 

「光あれ。そして邪な友人に滅びを」

 

 仰向けになったまま、広げた両手を天井へと伸ばしキリカが言った。

 敬虔な修道女が発した、祈りの言葉のような美しい声で。

 

「ほざきやがれ。この吸血魔法少女が」

 

 対するナガレの声は、キリカが評した『邪』というものが似合うような、飢えた獣の唸り声のような音であった。









会話が多い回となりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 夜が明けて

 朝の六時半。

 小鳥の囀りが鳴り、遠くからは朝の喧騒が聴こえてくる。

 餌か縄張りを争って吠える猫たちの声や、会社や学校に向かう者達の足音や車のエンジン音などである。

 後者は自分にとっては無関係だが、前者には自らの生活感と似たような感慨を抱いた。

 この生活を始めて数年が経過しているが、社会的な生活からは切り離され、野生動物さながらの血腥い世界に身を置いている。

 同族同士の諍いが話し合いで解決した試しは殆どなく、血みどろの闘争が幾度も繰り返された。

 つい最近も死闘を繰り返したばかりであり、一応の和解となったが、それも時間の問題にしか思えなかった。

 

 それについて彼女は、シンプルで大いに結構と思った。

 ここ最近は迎撃してばかりだが、いざとなれば相手の狩場を奪う事も厭いはしない。

 面倒事も大いにあるが、暇な平穏よりも緊張感で波風が立っているのは悪くない。

 

 妙に感傷的だなと、祭壇の上のソファに横たわる佐倉杏子は思った。

 何故だろうと思い内心を探ると、気持ちに余裕がある為であると分かった。

 厄介な同居人兼便利な兵器を黒い災厄に貸与してから、既に丸一日が経過している。

 先程の思考と矛盾するが、ストレッサーが身近にいないために幾分か緊張が解れているのだろうと思った。

 性能自体は魔法少女よりも数段劣る癖に、異常な技術と生命力で魔法少女や魔女に喰らい付く黒髪の少年は、傍にいるだけで精神から安息を駆逐する。

 

 気が置けないのは他の…大体の魔法少女相手でそうではあったが、彼の場合は魔法少女ですらなく『人間』ときている。

 それについて杏子は半信半疑、というよりも思考を放置していた。本人がそう言ってんだからそうなんだろうと思っていた。

 その思考の裏には『可哀想な子だな』と『まぁそのくらいは信じてやるか』という憐れみと許容の思考があった。

 このあたりは杏子自身、彼よりも自分は年上であるとの思いのためだった。女みたいなツラと背丈からは、どう見ても自分より一つ程度下の歳くらいにしか思えなかった。

 そんな奴が一人でいる事についても、杏子は微かに思考を巡らせた。それはほぼ無意識からのものだったが、その思いは彼女の胸に疼痛となって木霊した。

 彼も自分と同じく親を亡くしているという事が、彼女の持つ人間の善の部分を刺激したらしい。

 

「ふん」

 

 思考の最中、彼女は軽く鼻を鳴らした。

 同時に、自ら感傷的と評した思考を虚無へと投じる。

 先程からだが、杏子の感覚は無数の針が先端を身に喰い込ませていくような痛覚じみた気配を感じ取っていた。

 足音もなく、されど着実に近付きつつあるそれに対し彼女は右手に魔力を籠めた。

 

「よぉ」

 

 その声が投げられたのは、真紅の力が長大な槍へと変ずる寸前だった。出鼻を挫かれた杏子は、刹那の中で思考した。

 内容は、攻撃を実行するか否かである。

 

『この遣り取りも飽きてきたな』

 

 その想いと共に、破壊の力と成る筈だった真紅は無害な霧状の光となった。

 血霧のように宙を舞う光の奥に、教会の入り口に立つ少年の姿が見えた。

 これまで幾度となく見てきたが、何度見ても慣れない光景だった。

 役目を終えた、最早霊廟に近い存在の教会に自分以外の生者が侵入する光景は。

 

「元気そうだね」

 

 杏子が告げた。挨拶ではなく、皮肉であった。

 兵器兼相棒から僅かに香る血臭と頬に薄く刻まれた傷から、穏やかではないやり取りがあったと彼女は察した。

 まぁ元より、何かやらかすだろうとは思っていたのだが。

 

「あぁ、見滝原は中々面白い場所だった」

 

 杏子の皮肉に対し、ナガレは薄く笑った。返事をしつつ、彼は歩を進めていく。

 そして自らの寝床へと着くと、墜落するように倒れ込んだ。

 スプリングが悲鳴を挙げ、骨組みが軋む音が聴こえた。

 うつ伏せとなったナガレはぴくりとも動かない。

 無駄に、というよりも無尽蔵の生命力があるとしか思えない存在の今の姿に、杏子は少なからずの憐れみを感じた。

 もしも自分が逆の立場だったらと、思わず想像してしまったのだった。

 呉キリカとは時間的に考えれば一日程度以下の時間を共に過ごしたが、何から何まで意味不明だった。

 思考、目的、行動原理の全てが杏子の理解を悪い意味で越えていた。

 そんな奴の元へ、嫌いだとはいえ一応の仲間を二つ返事で貸し出した事に彼女の善性は罪の意識を訴えていた。

 

「まぁ…なんていうか…お疲れ」

 

 自らに去来した憐憫の気持ちに困惑しつつ、口ごもりながら杏子は言った。

 うつ伏せとなりつつ、ナガレは右手を掲げた。礼であるらしい。

 数秒ほど掲げられたのち、枯草の様にしおれ落ちた。

 僅かな動作の中からでも、隠しようもない疲労が伺えた。

 そして獣のようなうつ伏せの姿勢で、ナガレは寝息を立て始めた。

 通常、無意識でも警戒感を解かない為なのか彼の寝息は無音であったが、今回は微細な呼吸音が生じていた。

 彼が味わったのは、肉体の制御に異変が生じるほどの疲労であったらしい。

 その様子を見て、杏子の心に安堵感が去来した。

 こいつも一応、多分恐らく、また可能性ということではあるが人間だろうということに。

 

「…腹減ったな」

 

 誰ともなく呟くと、杏子は身を跳ね上げた。ふわりと宙を舞い、音も立てずに祭壇下の床面へと着地する。

 そして先の彼とは逆に、教会の外へ向かって歩き出す。

 パーカーのポケットの中には十数枚の紙幣が重ねられ、多量の硬貨が詰められていた。

 彼が不在中に訪れたゲーセンで、絡んできた不届き者達から徴収したものだった。

 最近はこういうのが増えてるなと、失神した連中の尻を靴底で蹴り、路地裏でゴミ箱や袋に詰め込みながら杏子は思った。

 近隣の新興都市から流れてきてるのだろうかと思慮し、傍迷惑なと結論付け、建物同士の隙間へと纏めて蹴り飛ばした。

 兎も角として、今の杏子の財布事情は潤っていた。

 いつぞやの、災厄を焼き払った日の食事が再現できそうだなと彼女は思った。

 僅かに険が緩んだ顔に亀裂のような皺が入ったのは、建物を抜けて光を浴びた瞬間だった。

 

「お世話になります」

「帰りな」

 

 光を背に、呉キリカという名の災厄が立っていた。

 相棒が衰弱している為に警戒心が緩み、感知が出来ていなかったようだ。 

 

『ちょっと待ってろ、今そっちに』

 

 ナガレからの思念が届いた。普段と比べ、明らかに気だるげな具合であった。

 

『黙って寝てな』

『そうもいくかよ』

『いいから寝てろ!』

 

 思念のやり取りを叫びの意志で打ち切り、杏子が右手を背後へと振るう。

 金属音に近い音が生じ、少年の肉体がドサリと崩れ落ちた。魔法少女の剛力を乗せられ、飛翔した硬貨を額に受けたためである。

 

「何しに来やがった」

 

 ガンを飛ばし、キリカへと接近しつつ杏子が問う。

 

「話すことがあんなら言いやがれ。聞いてやるよ」 

 

 三メートルほどの距離を隔て、杏子は災厄との意思交流を図る。

 既に彼女の脳は不快さと怒りで沸騰しかけていた。

 それを押し留めていたのは、『あいつでもこいつと話せるんだからあたしが出来ない道理はねぇ』という反発めいた自負であった。

 

「まず友人が私のお母さんと」

「要点だけを話しやがれ」

 

 だが当然のように、理解不能且つ誤解を招く言葉が返ってきた。何時でも殴れるように両手を拳にしつつ杏子は言葉を促した。

 

「激しい戦いがあった。私の腕は飛ばされ、内臓はグチャグチャに掻き回された」

「相変わらずグロい奴だな」

「あれはまさに凌辱だった。あぁ、幸いながら純潔は守れたけどね」

 

 『何と戦った』と言わない辺りに、杏子はキリカの無自覚な悪意を感じた。

 誤解を招く言い回しを、魔女戦と暇つぶしの闘争が入り混じったものだと杏子は推理した。

 そうであった方がマシと思いたいが故の思考でもあった。 

 

「その後は色々あった。夜が明けるまで語らう中の事だった。友人は涙で枕を濡らした私に、お菓子をくれると約束してくれた」

 

 事実であるのだが、彼を貶めかねない発言である。後で一応問い質そうと思いつつ、杏子は続けた。

 

「その為に態々来やがったってのか?」

「私にとって甘いお菓子は特別な意味を持つ。この世界に生きる理由の一つでもある」

「バカかテメェは」

 

 言いつつ、多少の同意は抱いていた。美味い飯を食う事は、空虚な心を麻薬の様に癒す数少ない手段の一つであった。

 

「そういえば君からも報酬のお菓子を貰ってないな。うん、いい機会だからそれも貰おうか」

「…やろうってのか?」

 

 キリカの言葉を挑発と解した杏子が放ったのは、ドスの利いた声だった。

 幼子どころか、暴力慣れした成人でさえも背筋を凍らす響きがあった。

 

「ええと…今回は別に君らを抹殺しに来たわけではないのだが」

 

 『今回は』。キリカとしては何気ない一言であったが、それが決定打となった。

 杏子の声帯が震えた。口からは、乾いた笑いが吐き出された。

 

「ホンっと…ロクな理由もねぇってのに波風だけは立ちまくりやがる。退屈しねぇよなぁ…魔法少女ってヤツぁよぉ」

 

 真紅の魔力が少女の全身を覆い、その身を戦闘装束で包み込む。

 そして変身が完了した瞬間、真紅を纏った銀光が奔った。

 光の真上を、白と黒を纏った少女が魔鳥のように身を翻していた。

 

「何が君をそうさせたのかは分からないが…ま、いっか。友人を貸し出してくれたお礼に、君の流儀に付き合ってあげるよ」

 

 くふりと朗らかに笑いつつ、重力に引かれて落ち行く中でキリカは両手から禍々しい凶器を生やした。

 天から降る魔斧を、真紅の槍が迎え撃つ。激突の寸前、両者を漆黒の靄が包み込んだ。

 靄は斧の紋章となり、一対の魔を異界へと誘った。現世に残された、うつ伏せに倒れた少年の傍には巨大な斧槍が浮遊していた。

 自らの本拠地に厄介者らを放逐したのを確認すると、斧槍は主の寝床へ寄り掛かった。

 同時に、斧の中心で明滅していた黒点がその動きを停止した。眠りに落ちたようだった。

 異界では真紅と黒の魔法少女が終わらない剣戟を続け、現世では黒髪の少年が深い眠りに落ちていた。

 時折呻き声をあげているのは、悪夢を見ている為だろう。

 そして皮肉なことに今は早朝であり、物騒な連中の悪夢めいた日常はまだ始まったばかりなのであった。

 

 









目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 夜が明けて②

 荒廃の浸食は否めないが、それでも清潔さが保たれた廃教会の中。

 広い空間の中央で黒い靄が生じた。靄は斧の意匠を施された紋章となり、その表面を波打たせ、紅の少女が姿を顕した。

 燃え立つような真紅の髪と衣装に加え、全身に鮮血による深紅が映えていた。

 神父服を思わせる上着も大半が破壊され、白い肌を染める紅の色を晒している。

 長槍を杖にし肩を上下させて喘ぎつつ、杏子は自らの寝床へと向かった。

 その途中、自身に向けられた黒い瞳の視線に気が付いた。

 

「なんつうか…お疲れさん」

「…あいよ」

 

 廃教会の中で、自分のソファに座る少年と少女の声が交わされる。

 双方ともに疲弊をたっぷりと纏わりつかせた声だった。

 

「ま、それ喰って休みな」

「言われるまでもねぇ」

 

 寝床に辿り着き、腰を降ろした杏子は変身を解除する。弾けた魔力が身に降り注ぎ、全身の傷を癒しに掛かる。

 治癒のさなか、赤い魔力の燐光を纏う腕が傍らへと伸ばされる。傷が埋まりつつある五指が巨大な袋の中に沈み、何かを掴む。

 引かれた手の先には、芳醇な香辛料の香りを漂わせるフライドチキンが握られていた。杏子は口を開き、手の平サイズのチキンを一息に噛み千切った。

 内部の骨など全く気にせず、残り半分も同様に口に放り込んで噛み砕く。以前ナガレに対して揶揄を行った食事方法であるが、杏子は全く気にしていなかった。

 肉体と精神を汚染する黒い災厄との死闘は、彼女を徹底的に蝕んでいた。

 

「勝ったみてぇだな」

「…ふん」

 

 食事を中断することを良しとせず、彼女は鼻を鳴らして答えた。不機嫌そうな返しだが、負の感情は宿っていなかった。

 バレル一つ分のチキンを胃袋に収めた時に、杏子は改めて口を開いた。

 

「どうだかね。ボッコボコにはしてやったけど、どうも遊ばれてるようにしか思えねえ」

 

 言い終えると「ホラよ」と二バレル目のチキンを一つ彼へと放った。それは時速百五十キロほどの速度で飛翔し、終点である彼の顔の前にて消失した。

 

「はあ、ほへな」

 

 喃語を訳すと「ああ、それな」となる。

 この時ナガレは、杏子から投ぜられた餌食を口中で貪っていた。手を伸ばすのが面倒で、そのまま口で捕獲したのだろう。

 化け物じみた喰い方である。

 

「あいつは無駄に攻撃を受けくさるからな。それであの再生力ときてやがる。相手からしたら堪ったもんじゃねえだろうよ」

「あぁ、ムカつく女だよ」

 

 珍しく意見が一致したその時、室内の中央の紋章が再び揺れた。そして波打つ波紋を切り裂いて、赤黒い鋭角がその切っ先を見せた。

 直後、紋章は黒い欠片となって砕け散った。飛散する魔力の中央には、両手を広げた呉キリカがいた。

 両手を翼のように広げた姿は、今にも飛び立たんとする魔鳥の姿に見えた。

 

「あー、痛かった。容赦ないねぇ、佐倉杏子」

「する理由があるかよ、バーカ」

 

 杏子の罵詈に、キリカはくすりと微笑んだ。姿形は芸術品のような美少女であるだけに、誰もが心を奪われそうな微笑みだった。

 対する杏子は先程とは違い、不機嫌そうに鼻を鳴らした。顕現から数秒足らずで、杏子とキリカの間には不穏な雰囲気が満ちていた。

 それを鑑みたうえで、ナガレは次の言葉を言った。

 

「打ち解けたみてぇだな」

 

 杏子は即座に、幾つかの言葉を脳裏に過らせた。

 其の一、「狂ったか」。

 其の二、「まだ寝惚けてやがるのか」。

 其の三、「新手の嫌がらせかこのクソガキャア」。

 その内のどれかを言い放つか悩んだ刹那に、キリカが先に口を開いた。

 

「流石だな主人公。ご都合主義張りの洞察力には恐れ入るよ」

「その虫唾が走る言い方やめろっつってんだろ」

「先程の件だが、君の悪口で盛り上がった。私としてはフォローしてやりたかったが口下手でね。聞き手に回る事にしていたよ」

 

 キリカ本人は無自覚なのだろうが、さりげなく杏子対ナガレを誘発させかねない内容の言葉であった。

 無自覚な言葉の毒花を咲かしつつ、キリカはナガレの寝床の手摺に腰を降ろした。既に変身は解かれ、学生服然とした私服姿となっている。

 丈が短いスカートにも関わらず、キリカは平然と脚を組んでいた。

 艶めかしい脚には雄を惹きつける重力めいた威力を放出していたが、ナガレはキリカの顔だけを睨んでいた。

 

「ああそうかい。それはようござんした」

「拗ねるな友人。これは主人公に付き物の鬱イベントというやつだ」

「てめぇの発言はマジで意味が分からねぇ。はっきり言うけどよ、こんな難しい奴ぁ俺も初めてだ」

「気が合うな友人。私も君みたいな奴は見たことがない。失礼を承知で言うが、君は物語か何かから抜け出してきたんじゃないのかい?」

「んなワケねぇだろ」

 

 憤然とした様子でナガレは告げた。幸いにも会話から切り離された杏子は、残りの食糧を喰らいながらキリカの指摘についてを想った。

 そういえば別の場所から来たとか言ってたなと、杏子は思い出した。確かに色々と人間離れした存在であるし、魔法との関係も今のところは見受けられない。

 考えれば考えるほど苛立つ上に理不尽な存在だにしか思えない為、どこかから来た存在と考えた方が気分的に楽だった。

 流石にキリカの言葉通り、フィクションの世界である物語の中からや、別の世界だとか宇宙だとかの突飛も無い場所から来たとは思えないが。

 

「その実績を見込んで言うのだが、君は無限という存在に興味はないか?」

「何を言ってやがんだ、てめぇ」

 

 唐突に飛んだ話に対し、ナガレはあからさまに不快感を示した。無限という単語が出た瞬間、彼の眉間に皺が刻まれるのを杏子は見た。

 

「いやね。どっかに落っこちてないかなあと思ってさ」

「んなもんがホイホイあって堪るか。面倒くせぇだけだぞ」

「そんな愚かなる君に、私の信条を伝えてあげよう」

「いらねえよ」

「『愛は無限に有限』だ。崇高なこの言葉を、君の呪われし魂に刻むが良い」

「てめぇにしちゃ良い事言うな。無限なんぞに怯んで堪るか」

「その通りだ友人。無限なんてものは、愛の前では単位に過ぎない」

 

 黒髪同士の遣り取りを見る杏子は小さくため息を吐いた。小さいが、十割どころか百割の疲労と苛立ちで構成されたかのような息だった。

 この怪物、いや、けだものじみていることを鑑みて『怪獣共が』と杏子は罵った。

 

「まぁいい、これでも」

 

 『食え』とでもつなげる積りだったのだろうが、ナガレが寝床の下から取り出した数枚のチョコ板はキリカによって一瞬で奪い取られていた。

 指先を包装紙に這わせると、銀紙や台紙がぺろりと剥けた。どうやら、指先に極小の刃を現出させたらしい。

 そして小顔の中の口が思い切り開き、奪ったチョコに一気に喰らい付いた。リスの様に頬を膨らませながら、ゆっくりと咀嚼していく。

 もぐもぐと口と頬を動かしながら、キリカは杏子を見た。

 黄水晶の瞳はこう言っていた。『君の相方は約束を果たしたぞ』と。杏子はそれを、『君はこいつ以下なのか?』と解釈した。

 

「ついでにこいつも食らいな」

「ん!」

 

 怒りと共に投擲された手提げ袋サイズの紙製菓子袋を、キリカはロクに見もせずに受け取った。チョコを飲み込むと同時に中身をゴソゴソと漁り、次々と口に含んでいく。

 袋の中に満たされたドーナツの群れがひょいと摘ままれ、ぱくぱくとキリカによって貪られていく。

 美味そうに喰う奴だなと、杏子及びナガレは思った。一瞬だが、殺意と悪意が途切れた。これも一種の才能みたいなものかと両者は思った。

 

「そうか」

 

 袋に入っていた十個ほどのドーナツを完食すると、キリカは動きを止めて呟いた。黄水晶の瞳には理知的な光が宿っていた。

 

「これが仲間入りの和解イベントというやつか」

 

 この時、黒髪の人間らしき存在と風見野市最強の赤髪魔法少女を同じ感情と思いを抱いていた。

 呉キリカを初見で抹殺しなかったことへの、悔やみきれないほどの後悔である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 禍つ者

 それは朝日が昇り行く頃だった。

 風見野市のある家の一室で、一人の少女が叫び声を上げていた。

 心底からの心配を伴いながら、嘗ての宿敵の肩を揺さぶり、その者の名を叫び続ける。

 

「優木!しっかりしなさい!優木沙々!!」

 

 人見リナの必死の叫びも虚しく、寝間着を纏った優木は虚無を宿した青い瞳で虚空を見つめていた。瞬きもせず、ぴくりとも動かずに。

 だがこの時、優木の内では激しい変動が生じていた。

 

「あ…ア…アァ……」

 

 優木の嗚咽は、音ではなく思いとなって彼女の脳内に響いた。だがそれもすぐに、脳を掻き乱す別のものによって吹き飛ばされた。

 優木の全身の、ありとあらゆる部位で感覚の嵐が吹き荒れていた。

 肉体には全くの影響は無く、精神の…魂の中での事だった。

 

 肉の檻から離された魂の中、優木は一糸纏わぬ裸体で宙に浮かんでいた。その顔には、悍ましい程の苦痛の色が映えていた。

 肌の上では凍てつく冷気が這い廻り、肉の内側では骨を基点として業火の如く灼熱が滲む。

 轟音が肺の中で鳴り響き、喉の奥からは激烈な嘔吐感が押し寄せる。

 嗅覚は吐き気を催す汚物の香りを蓄えたかと思いきや、痛覚さえ覚えるほどの甘い臭気が鼻孔の中に満ち溢れる。

 人間が受容出来る限りの全ての感覚が鋭敏となり、そこを刺激という刺激が暴力的に撫で廻す。

 

 優木の思考、というよりも精神は感覚を受ける度に千切れ、また別の感覚が突き刺さると同時に蘇った。

 全ての刺激が未知のものであり、復活の瞬間にまた精神が破綻した。それが延々と、終わりの気配を微塵も見せずに続いている。

 だが精神が破壊されゆく中、優木は正気を保っていた。優木沙々という存在の連続性は維持されていた。

 それは、彼女の想いによって成されていた。

 

 

 無数の触手によって、全身を貫かれた真紅の長髪の少女がいた。穴という穴を蹂躙する赤黒い触手が蠢くたびに、淫らな嬌声が鳴った。

 だが不意に、嬌声は悲鳴へと変わった。身悶える少女の腹が引き裂け、傷口からは内臓が零れ落ちた。

 新鮮な桃色をしたはらわたに、身を抉っていた触手が絡みついていた。

 先端が割れた触手の断面には針のような牙がずらりと並び、それが少女の内臓に喰らい付き、体内から引きずり出していた。

 

 機械的な寝台の上に、皮ベルトで全身を固定された黒髪の少女がいた。

 少女の周囲には白衣を纏った無数の人影が立ち並んでいた。硝子のような虚無の瞳が、少女の裸体に注がれている。

 美しい少女の胸から下腹部にかけてを、鮮烈な赤が染め上げていた。皮膚が裂かれ、その下の筋肉や内臓が剥き出しとなっている。

 切り裂かれた皮膚や、手槌によって割り砕かれた肋骨が傷を塞ぐべく蠕動するも、肉の断面に埋め込まれた多数の金属板が肉体の再生を阻害する。

 少女の眼球は右側には存在せず、そこは赤黒い穴となっていた。残る左側にも銀色の匙が入り込み、黄水晶の瞳の宿る眼球を果実の様に抉り抜く。

 苦痛により開いた口の中には舌は無く、更には全ての歯が引き抜かれていた。

 白い喉には乱雑な縫合の跡があり、声なき絶叫からは声帯が既に除去されていることが伺えた。

 

 その他に、金髪や薄紫髪、栗毛の少女達が十字架に掛けられていた。

 指の関節や手首、肘や膝、挙句には足首から足の指などには長さ二十センチほどの巨大な釘が何本も突き刺さっている。 

 釘は手と腕だけに留まらず、胸に腹に下腹部にと無数に突き刺さり、それらは背から抜けて十字架へと深々と埋没していた。

 磔刑に処され、血みどろとなった彼女らの細首には首周りよりも一回りは小さい首輪が嵌められ、首の肉を無慈悲に圧迫している。

 

 感覚の奔流に揉まれる中、優木はこれらを思い描いていた。意識が弾ける度に妄想下での拷問や凌辱方法、そして配役が変わっていった。

 嗜虐的な欲望が苦痛に抗い、精神が完全に崩壊する事を防いでいた。

 千切れる思考の中で思い描いたこれらの情景が浮かぶ度、果て無き闇のような苦痛の奔流の中に一筋の光が灯った。

 それは、弾けるような快楽の火花であった。現実世界の肉体は肉体を維持するための最低限の代謝しか行われていなかったが、精神世界の優木の雌の部分は疼き、欲望の液によって滑っていた。

 次の瞬間には苦痛と不快感に置き換わる快楽ではあったが、それは紛れも無く、彼女という存在を維持するための楔であった。

 

 だがそれが続いたとき、彼女を新たな苦痛が苛み始めた。身を焦がす快楽が、夢のように消失した。

 脳内に煮え滾る液体を注がれたかのような熱さの中、優木は氷のような冷気を感じた。恐怖によるものだった。

 拷問と凌辱の嵐に晒される少女達が、優木を見つめていた。少女達の姿…髪型と服装、体形は彼女が憎む者達のそれだった。

 その中でただ一つ、顔だけが変異していた。彼女たちの顔は、それを夢想する優木自身の顔となっていた。

 優木が悪意の最中に浮かべる表情を、彼女たちもまた浮かべていた。顔の半分が天使の笑み、残りは悪意に歪める悪鬼の貌。

 思考さえも硬直した優木に向かい、彼女たちは一斉に笑い始めた。その音は、姿の原型となった者達と同じ声だった。

 苦しみもがく相手に対し、心の底からの愉悦を讃えた笑い声を彼女たちは挙げていく。

 

…せぇ

 

 心の中、優木は呟いた。そして。

 

うるせぇっつってんだろ!このドクズども!

 

 優木の精神世界の中で、主の咆哮が炸裂した。

 

ワケ分かんねぇですよぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!

 

 哄笑は尚も続き、苦痛の円環も緩んではいない。優木の顔をした被虐者達の哄笑は尚も激しさを増している。

 四面楚歌の中で優木が精神の主導権を取り戻した切っ掛けは、自らに向けられた蔑みによる怒りであった。

 ちなみにそれは優木自身が他者に振り撒くものと同一であるという意識は、彼女の中には存在しない。

 

「なんで、なんで私がこんな目に!?」

 

 心底からの問いだった。彼女としては、最適の手段を打っていった筈だった。

 嫌いな相手とも同調し、大嫌いなうえに怖い赤毛女とも再び対峙し、そして初めて見た時から抱いていた想いをぶつけた。

 奸智を張り巡らせた、この上ない程の完璧な布陣の筈だった。

 だがその結果は散々だった。自警団長は赤毛と相討ちには至らず、欲情で満ちた恋慕の想いは虚しく跳ね除けられた。

 思い返す優木は、そこで疑問を抱いた。自分は、何に想いを抱いていたのかと。

 哄笑を上げ続ける者達を優木は見廻した。そこには、彼女の想いの対象はいなかった。

 

「がぁっ!?」

 

 疑問が渦巻いたその瞬間、優木は頭部に灼熱感を覚えた。生きながら脳が溶解していく苦痛が彼女を襲う。

 

「がが…ぁぁああああああっ!」

 

 考えるな。意識をするな。

 見てはならない。

 思い出してはいけない。

 そう、魂が訴えていた。

 

 魂という存在など、迷信としか思わない優木がそう思えたのは、その感覚に既視感があった為だった。

 怒りの臨界点を越えた佐倉杏子の拳の連打によって、顔面を破壊し続けられた時。

 お仕置きと称し、人見リナによって雷撃を纏った杖による一万回の尻叩きを執行された時。

 限界を越えた痛みの最中に感じた激痛と同じ感触だった。

 その痛みとの幾度かの遭遇によって、彼女はその原因を悟った。

 与えられる痛みではなく、恐ろしき相手との対峙による恐怖によって心が砕けるのを防ぐために、心が気を逸らすべく用意した苦痛であると。

 

 優木は理解した。この痛みと感覚の暴走は全て、『それ』を理解させないために自身の理性が仕掛けた歯止めであるという事に。

 

 理解の瞬間、欲望が果てしなき大火のように渦を巻いた。理性を焼き尽くす、欲望の業火であった。

 優木は漠然と、そして少しづつ思い出していった。自分が何を行い、何を見たのかを。

 黒髪の少年の、記憶の中で見たものを。

 

「あがぁ…」

 

 喉が焼け、全身の血が氷結していくような寒気が奔る。その中で道化は思い返していた。

 白い獣と出会い、願いによって得た力で行ってきたことを。苦痛に歪む優木地獄の苦痛を、至上の悦楽で打ち消していく。

 

「く…ふっ…!」

 

 苦痛と悦楽の輪廻が果てしなく続いたと思えた頃、道化の毒々しい笑みがこぼれた。

 幾億回にも昇る精神の崩壊と再生の果てに、道化は理解した。

 

 この世界…この宇宙には、絶対的な何かが存在する。自分はその一端に触れたのだと。

 理解の瞬間、彼女の中の理性は最後の警告を放った。

 今までに受けてきた全ての苦痛が一切の減衰をせず、彼女の精神へと突き刺さった。

 

…寄越せ

 

 絶対的な苦痛の中、優木は呻くように言った。その一言は、笑みを堪えるような響きであった。

 

そいつを…そいつらの力を寄越せ!

 

 優木の顔は、悪鬼と天使が同時に顕れた異形の形相となっていた。他者を苛む際に彼女が浮かべるものと同じ形だった。

 

何もかもを!全てを好き勝手に蹂躙して!私より優れた奴なんていない世界を創る力!!

 

 欲望に満ちた叫びが、道化の魂を輝かせた。魂の中で優木がそう叫んだ瞬間、現実の優木の指輪もまた光を放っていた。

 

「なっ…」

 

 顔を照らし上げる光と共に生じた莫大な魔力を前に、リナは絶句した。だが危険だと思いつつ、彼女は優木の肩から手を放さなかった。

 

全てを奪う力を、私に寄越せ!!

 

 魂の中で咆哮が挙がったその瞬間、優木の指輪の光は一瞬にして底の見えない闇へと変わった。

 リナが反応するよりも遥かに早く、欲望の闇は室内に満ちていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 時獄変

「これは…」

 

 眼の前に広がる光景に、人見リナは言葉を失っていた。

 直前まで彼女の眼が捉えていたのは、見慣れた自室と新しき仲間の顔だった。

 今の彼女の周囲には巨大なビル群や建物が立ち並び、木々や道路が連なっていた。闇に包まれた次の瞬間に彼女を出迎えたのは、何処とも知れぬ街の一角であった。

 異常事態を前に、自警団を率いる強力な魔法少女は即座に動いた。

 平凡な寝間着姿から軍人を思わせる魔法少女姿へと変じ、地面に転がる優木を優しく抱くと手近なビルへ向かって飛翔した

 壁面や窓枠などを蹴り、弾む撞球のように上へ上へと跳んでいく。瞬く間に、高さ五十メートルはあるビルの屋上へ昇りつめた。

 そこを足場に、更に跳躍を続けた。ビルの谷間を軽々と飛翔し、更に上へ上へと進む。

 最初のビルからの飛翔より十数秒後、三棟ほど続けた後に、彼女の足は周囲で最も高い塔の天辺を踏みしめていた。

 

「あぁ…」

 

 普段の精悍さからはかけ離れた、虚脱した声が絞り出された。高所から世界を見渡す人見リナの視線の先、彼方先には広大な山々が広がっている。

 よく言えば自然と調和、別の言い方をすれば自然を侵食しつつある街の構造は、風見野を含むこの辺りの市ではよく見る光景だった。

 何処かは分からなかったが、何処となく見滝原に似た雰囲気を感じた。

 跳躍の最中からも感じていた激しい違和感がリナの心に襲い来る。それは眼の前に開いた世界の『色』に依るものだった。

 ビルも地面も、街路も木々も、そして街の先に広がる自然の景色の全てに、虚無を思わせる灰の色が降りていた。

 

 リナは自らの手を見た。再び、彼女の口から呻き声が漏れた。

 色の浸食は魔法少女にも及んでいた。無機質な灰色は、彼女の指や腕にも纏わされていた。

 自分の身体を含め、世界は死者の肌や無機質な化石を思わせる色に染められていた。そもそもこれは果たして色なのかと、リナは思った。

 胸の内の動悸を感じつつ、リナは視線を上へと向けた。天を見つめる彼女の紫の瞳の中に映るのはやはり、一面に広がる灰白色の空だった。

 空に雲や太陽は無く、ただ世界を染める色と同様の、遺灰をぶちまけたような白い灰色が空と呼ぶべき場所に広がっていた。 

 

 終焉、終わり、結末。リナは思わずそんな言葉を思い浮かべていた。途端に、身体が重く感じた。

 立膝を突くことを思いとどまらせたのは、腕に抱えられた自分以外の命の鼓動であった。

 腕の中にある他者の命が、リナに気力を振り絞らせた。

 

「まぁ空の色が如何あれ、私の色は大して変わりませんね」

 

 自らの願いに対する自嘲を孕んではいたが、現状への抗いの意思を籠めた一言だった。

 そんな、毅然さを取り戻した彼女を見つめる者がいた。

 

「(…何、ポエムみてぇなのほざいちゃってんですかねぇこのクソ女…)」

 

 その様子を見続けていた道化の、率直な感想がこれであった。0.1ミリほど眼を開き、外界の様子を伺いつつ道化は思考を巡らせた。

 

「(ふむふむ、なぁるほど)」

 

 薄く開いた眼で無色の空を見渡し、異様な世界の空気を肌で感じた道化は一つの結論を導き出した。

 

「(これは俗に云う、強化イベントに違いありませんね)」

 

 心中から湧き上がる優越感による口元の緩みを堪えながら、優木は現状の整理を開始した。

 

「(確かにちょっと異質ですが、これは魔女結界には違いないです。つまり私の手駒の住処)」

 

 道化が算段を巡らせているとは露知らず、リナは周囲を見渡していた。同時にこの空間の主である異形からの不意打ちを防ぐべく、身体の周囲に電磁の結界を張り巡らせる。

 これまで遭遇してきた魔女や魔法少女、その何れもの一撃に耐えられる強度を施した強靭な結界だった。

 道化からしたら突如として生じたそれに、彼女は悲鳴を挙げかけた。電磁を纏った棒で尻を殴打され続けた事は、流石に彼女の精神を以てしてもトラウマとなっていた。

 白い毒蛇の群れが自らに降り注が無い事を察し、防御用であると理解した優木は

 

「(驚かすんじゃねぇですよ、この臆病バケツ女)」

 

 と心中で罵倒した。言うまでも無く自らの事は棚に上げている、というよりも理解の範疇に無い。

 そのまま数通りの罵詈雑言を叩き付け、十数通りの辱めの妄想をしてから優木は再び奸智を働かせた。この結界の主をどうやっておびき寄せ、支配下に置こうかという考えだった。

 

「(まぁ幸い、餌は用意できてますし…くふっ、ついでに身の安全も保障されてて無駄がないですねぇ)」

 

 道化の機嫌は上々であった。結界に潜む魔女の姿や能力は全くとして不明だが、強力な結界と、それを操る嫌になるほど強い魔法少女が一緒であるために安心しきっていた。

 更にそいつを囮兼餌と出来る機会が近づいていると思うと、ぞくぞくと喜悦が滲み出してきた。

 それに、お姫様抱っこをされるのは嫌な気分ではなかった。相手が大嫌いな正義崇拝女であることを除けば、置かれたシチュエーションは悪くない。

 魔女を支配下に置いた暁には、世界の主人公である自分を守るクソ女に対し立派な最期をくれてやろうと、道化は固く心に誓った。

 

「(さて、じゃあちゃっちゃとやりますかね)」

 

 優木は密かに魔力を貯め始めた。まずはリナを洗脳魔法で支配下に置き、この異界の主を探そうと思ったのである。

 リナの意志は強固であり、それを突破する為には骨が折れるがこれも試練の一つと思い、優木は熱心に洗脳魔法を練り始めた。

 そして邪な欲望をこれでもかとふんだんに使った、特製の一撃をお見舞いしてやろうとした、その時だった。

 眼を開いた優木は、

 

「喰らえ!このバケツ頭!!」

 

 と叫ぼうとした。だがそれより前に、彼女の眼はリナの顔を見た。薄紫色のリナの瞳は、空の一点に向けられていた。

 リナの眼は愕然と見開かれ、口は茫然さを示す半開きとなっていた。リナの変貌を前に、優木は連られて空を見た。

 リナの視線の先を見た瞬間、道化の口と眼が引き裂けんばかりに開かれた。開かれた口の中からは、恐怖に染まった絶叫が溢れ出した。







お久しぶりです。
暑さも収まってきたためか、なんとか一定量を書けました(それでも短いですが)。
遅れたペースは取り戻していこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 時獄変②

 高層ビルの屋上にて、一対の魔法少女達が宙を見上げていた。

 それは何時からそこにあったのだろうか。片時たりとも警戒を緩めず、周囲を見渡していたはずのリナの眼に、巨大な姿が映っていた。

 五十メートルを優に超すビルから更に上空、地上二百メートルほどにそれは存在していた。

 

 それは黒い花だと、リナは思った。虚無の空に咲いた、黒い蓮の花。柔らかな美しい曲線を描いた膨らみから、彼女はそう連想した。

 それと同時に、強烈な虚脱感がリナの身に纏わりついた。不味いと、歴戦の魔法少女は思った。思いつつも、彼女の片膝は折れた。

 沸き立ち始めた焦燥感すら、虚脱感と倦怠感が圧し潰していく。

 抜けていく体の力を必死に振り絞りながら、発狂寸前の表情となった優木を抱えつつ、リナは虚空に浮かぶ存在を見た。

 

 そして彼女は理解した。

 花弁と見えていたのは、海の底の様に深い青を纏ったドレスであり、黒い花の輪郭を形作っていた物は、黒く鈍い光沢を放つ歯車であったと。

 そして花の茎と思えたのは、細く華奢な胴体であった。スカートと同色の豪奢な衣装を纏った女性然とした身体が、黒い歯車の下にぶら下がっていた。

 逆さまの胴体の最下部には生命感を欠いた人形然とした白い顔が備わっていた。頭部には道化を思わせる、優木のそれにも多少ほど似た左右一対の帽子を被っていた。

 これまで葬ってきた幾多の異形の中で、最も『魔女』と評するに近い外見であると思った瞬間、リナは心臓の高鳴りを感じた。

 

 そして同時に身体の内を流れる血液が、音を立てて氷結していくような感覚を覚えた。

 虚脱感に包まれた思考の中であったが、それが恐怖によるものである事は分かった。

 魔法少女となり幾多もの魔を打ち払う中で、何時しか記憶に刻まれていった名前が、リナの心の中に浮かび上がった。

 

「----」

 

 虚ろな思考と、それでいて色濃い恐怖の中で、リナはその名を唱えようと口を開いた。名を口にすれば、楽になれる。諦められる。

 誘惑に近い思いがリナの頭の中に過った。その瞬間、彼女は決断した。

 

ごりっ

 

 彼女の思考を塗り潰すように、粘着質な生々しい音が彼女の口中で鳴った。リナが自身の舌の一部を、噛み切った音だった。

 

「たとえ…」

 

 唇から血を垂らしながら、リナは言葉を紡ぐ。一語一語を放つたびに痛みが走り、それが彼女に正気と活力を与えていく。

 

「例え最悪の災厄が、伝説の魔女が相手だろうが…」

 

 優木はリナの眼を見た。そして確信した。この女はイカれていると。

 

「私は、魔法少女の務めを果たします」

 

 リナの薄紫色の眼には闘志の炎が渦巻いていた。

 優木が抗議の声を挙げる間もなく、彼女と優木の周囲を覆う電磁の結界が天空に向けて青白い閃光を放った。巨大な瀑布の様な一閃だった。

 虚無の世界の一角を染め上げる閃光は、天に浮かぶ災厄の胴体へと吸い込まれ、接触の瞬間に炸裂を放った。

 光と爆風が吹き荒れる中、道化を抱えたリナはビルの間を跳躍し続けた。伝説の魔女のサイズは歯車の先端から頭頂まで、目測にて約百メートル。

 彼女の攻撃方法は不明だが、これまで遭遇してきた如何なる魔女を遥かに上回る巨体から、被弾は死を招くに違いないとリナは思った。

 

 跳躍の最中、リナは再び閃光を見舞った。それは今なお初段の光が渦巻く胴体に再度激突し、巨大な魔女の腹部から胸元までを雷撃の毒蛇が埋め尽くした。

 攻撃を終えたリナの手が首筋へと向かい、襟首の装飾と化したソウルジェムへと触れた。途端に黒い靄が吹き上がり、彼女の手中へと消えていった。

 手の中には複数のグリーフシードが握られていた。出し惜しみはしないと、戦いを挑んだ瞬間に彼女は決めていた。

 浄化が済んだ瞬間、彼女は第三打を放った。今度は人形然とした頭部へと直撃した。

 

 通常の魔女なら初弾で殲滅可能なほどの魔力が込められていたがだが伝説の魔女は小動もせず、宙に身を浮かばせ続けている。

 構わず、リナは魔法の連打を稼行した。自分が接近戦を挑むには無謀に過ぎるサイズ差であり、また他にやるべきことも無い。

 回数を増すごとにグリーフシードの消費も増え、それに比例しリナの魔法の威力は増大していった。

 そして最後の浄化を済ませた直後、彼女の今までの魔法少女経験の中で最大最高の威力の雷撃が放たれた。

 巨大建造物に匹敵する巨体の全身を、リナの雷撃が包み込む。

莫大に過ぎる魔力によって杖の先端が融解し、それを握る右手からは肉が焦げる匂いが立ち昇っていた。

 

「はぁ…はぁ…」

 

 右手は尚も杖を握って構えつつ、残った左手で優木を抱えながらリナは立膝を突いた。息は荒く、肩の上下も止まらない。

 因みに優木はと言えば、口から泡を吹き白目となった気絶寸前の状態となっていた。

 その眼がぐるりと動いた。青い瞳は空へと向けられている。

 

「ぎゃん!」

 

 獣の悲鳴のような声を道化が発した。同じ頃、リナは奥歯を噛み締めていた。

 巨体を覆っていた雷撃の乱舞が収束していき、光が放つ青白さが消えていく。

 顕れた白と黒の巨体には、損傷どころか変化の欠片も見当たらなかった。

 

 

アハ…

 

 二人の魔法少女の耳朶を、その音は強かに震わせた。

 道化に関しては言うまでもないが、それはリナをしてさえも極大の悪寒を身に纏わせた。

 音源は、天に浮かぶ巨体の頭部から発せられていた。白磁の肌の上に、鮮やかな紅の一筋が映えていた。

 それは筋から隙間へと拡大していき、遂には紅い半月と化した。

 そして開いたそこからは、

 

 

アーッハッハッハッハッハッハッハ!!

 

 虚無の世界を震わす、嘲弄に満ちた哄笑が放たれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 時獄変③

「うぐっ…」

 

 血臭に満ちた苦鳴と共に、人見リナは眼を開いた。

 二度三度と、リナは瞬きを行った。ただそれだけで、全力で頭を殴打されたかのような痛みが襲った。

 また痛みは頭部だけでなく、全身の各所で生じていた。血肉が全て煮立ったような灼熱感が、彼女の身体を包んでいた。

 現状確認をすべく、リナは電磁魔法を発動させた。微細な紫電が放たれ、自身の周囲の状況と身体の状態を主へと伝える。

 与えられた情報は、彼女の精神に苦痛の棘となって突き刺さった。

 

 硬質な何かに背を預け、地面に相当する部分に尻を置いた自分の体の中で、無事な部分は皆無に等しい事が分かった。

 肘や膝、脛に肩などには巨大な裂傷が幾つも生じていた。薄皮や僅かな肉を残し、苦痛に呻く亡者の口の様にぱっくりと傷口を開いていた。

 実質的に、四肢切断の状態にあるといってよかった。両手の指は全てが捩子くれ、無事な爪は一本として残っていない。

 胴体にも破壊は及び、軍服然とした衣装の前掛けを突き破り、折れた肋骨が飛び出していた。赤黒く染まった胸元の下には、膨らんだ腹が見えた。

 破れた衣装の隙間からは、粘液に濡れた桃色の肉が見えた。彼女の内部に収まっていた内臓が、裂けた皮から零れかけているのであった。

 全身に打撲と裂傷、そして火傷を負っていた。リナの顔の右半分は、無残に焼け爛れていた。眼球は破裂し、眼窩には赤黒い炭がこびり付いていた。

 歯も殆どが割れ、口中にはその破片が幾つも転がっていた。破片が乗る舌も傷に覆われていた。賽の目状の傷が縦横に走り、裂け目の奥からは血が滲んでいた。

 口中の出血が少ないのは、既に大量に溢れ出していたためだった。彼女の周囲には、一円に広がった血だまりが出来ていた。

 

「…そん……な……」

 

 掠れた声がリナの口から零れた。彼女以外には声と分からない程に、発音の不明瞭な声だった。

 絶望感の滲んだ声は、自身の負傷を確認したことからのものではなかった。

 自身の周囲の状況と、片方だけ残った眼が捉えた光景からのものだった。

 

 開かれた視界の奥に、巨大な魔女の姿があった。

 本来ならば太陽が座する場所であろう高空にて、初見の際と変わらない逆さまの姿勢で浮かんでいる。

 だがそこには変化があった。その巨体の周囲に、無数の物体が散らばっていた。

 サイズは魔女の頭部大から半分程度、または同程度までと万別であり、その数もまた千に等しい数であった。

 それらの多くは、角砂糖の様に角ばった形状をしていた。正体は直ぐに分かった。

 風船のように宙に浮かぶそれらは、数千トンの質量を誇る筈のビル群だった。

 

 質量など無いかのように根元から地面ごと引き離され、或いは半ばから寸断されて宙に浮かび、衛星の様に魔女の周囲を漂わされている。

 そして当然の結果として、その光景の遥か下には嘗てビルがあったであろう場所に無数の穴が開いていた。

 穴の淵である大地でさえも、巨大な亀裂が縦横に、果てしない長さと深さで刻まれていた。

 規格外という言葉すら生ぬるいほどの大破壊。その状況を知れば知るほど、精神が狂気に染まっていく。

 これまでの人生で見てきた光景が、喜怒哀楽や不快感に快楽に苦悩に懊悩が、感情の全てがリナの精神の中を突き抜けていく。

 

 その中には、この状態に至るまでの記憶も含まれていた。巡る記憶のヴィジョンの中に、それは光となって閃いた。

 魔女が口を開き、哄笑を放った。次の瞬間に、世界は砕けた。

 足場としていた堅牢なコンクリートが紙吹雪の様に千々と千切れて宙に舞った。破壊はリナ達が立つビルだけではなく、あらゆる場所で発生していた。

 根元から重力の方向性が真逆と化したかのように、万物が宙へと堕ちていく。

 全てが降り注いでいく先に、魔女の巨体が待っていた。全てを玩ぶように、魔女は嘲りの哄笑を上げ続けていた。

 

 迫る哄笑を浴びながら、全方位から迫りくるリナは雷撃を纏った杖を振るった。決死の叫び声さえも、魔女の哄笑と砕け散る物質の破壊音が掻き消した。

 それが彼女が覚えている最後の記憶だった。眼を覚ました頃には全身に無数の傷を負い、ここに背を預けていた。

 ここもまた、魔女の力によって浮遊させられている無数のビルの中の一つであった。

 

「は…」

 

 ひび割れ、血に染まった唇が小さく震えた。

 

「はは…は…」

 

 笑いとも、嗚咽ともとれる声だった。そしてそれっきり、彼女は口を閉じた。

 音には破壊音と哄笑が覆い被さっていた。声を発しているリナ以外には聞こえもしない音だった。

 視界の先では、魔女が浮遊を続けていた。その周囲を衛星か従僕の様に、無数の建造物が浮かんでいる。

 それは魔法に依るものに違いないが、魔女はただ笑っているだけだった。

 

 ただ存在しているだけで、天変地異が発生していた。何をする訳でもなく、目的さえも分からない。

 魔女にとって絶対的な敵である魔法少女への敵意すら、全く感じられなかった。

 外敵という認識はおろか、そこにいるという事すら認知していないのだろうとリナは思った。

 例えるなら人が無意識に行った寝返りか歩行によって、蟻が潰されたようなものだろうと。

 絶対的な無力感が、物理的な重さを伴ってリナの身体を圧し潰し掛けていた。

 襟首に添えられた宝石もまた、どす黒い変色を見せていた。

 

「(もう…疲れました)」

 

 誰ともなく、リナは独白した。その途端、猛烈な眠気が湧き上がった。

 同時に一つの予感が彼女の中で生じた。眼を閉じれば、もう二度と開くことは無いだろうという想いであった。

 その想いを抱きながら、彼女の瞼は閉じかけていった。瞼の僅かな震えは、終焉に向かう事への最期の抗いだった。

 だが虚無感で満ちた異界を映す視界は閉じかけ、急速に闇へと向かって行く。闇に堕ちる寸前、彼女の脳裏に仲間たちの姿が映った。

 その一人一人に、彼女は別れの言葉を述べた。届くことは無い言葉であるとは、彼女も分かり切っていた。

 仲間への言葉を終えると、最後に一人の女と少年の姿が映った。リナと似た風貌の二人だった。

 言葉を紡ごうとした刹那、彼女の視界は閉ざされた。瞼が閉じた事で訪れた闇に依るものではなかった。

 

 導かれるように、リナは眼を見開いた。開かれた眼を貫くように、一筋の光が出迎えた。

 魔女が浮かぶ場所よりも更に上空から、灰色で覆われていた天空から、それは虚無の世界に向けて注がれていた。

 翠玉を思わせる、緑色の光が。

 










殊更に短いですが、長らくお待たせいたしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 時獄変④

「殺してやる」

 

 殺意と喜悦が滲んだ声で、優木沙々は言った。声には僅かな水音が続いていた。

 魔法少女姿となった優木の手には、結晶型の先端を失い、粗い断面切っ先としたいびつな槍となった杖が握られていた。

 

「ぶっ殺してやりますよぉぉお…人見リナァァ…」

 

 歪んだ笑顔の中に嵌めこまれた青い瞳は瀕死の魔法少女を映し、槍の切っ先もリナの方に向けられていた。

 三十メートルほど離れた距離を、優木はゆっくりと歩いていく。

 壊れかけた人形のような、ぎこちない動きだった。震える唇から漏れる息もまた荒い。

 

 まるで重傷者のような挙動だが、実際のところ優木の負傷は軽い打撲や擦り傷が数か所とついでに恐怖による失禁程度であった。

 深く長い裂傷や内臓破裂に眼球の破損、多数の解放骨折を負ったリナに比べれば無傷に等しい状態である。

 当然、苦痛も相応のはずなのだが、その比較は優木にとって何ら意味を持っていなかった。

 要は自分が苦しいかどうかであり、他人が如何なっていようが知った事ではないのであった。

 

「テメェが役立たずなせいで…私が…こんな目にぃい…」

 

 声は涙声となっていた。性格は兎も角として見た目は美少女のため、その様子は悲劇のヒロインそのものだった。

 そして先ほどからの行動が表すように、優木は現状の全責任の所在を人見リナにあると見做していた。

 ある意味からすれば間違っていないのだが、この決断に対して優木は一切の疑問を持っていなかった。恐るべき図々しさである。

 規格外という比較すら当てはまらない大災厄に、正面切って立ち向かった勇者へに対する賛美や労いなどは毛頭無かった。

 あるのは敵の打倒に失敗した敗者への侮蔑と、この世の至宝たる自分の身を傷つけた事への怒りだった。

 

 歩くたびに、優木は役立たずへ与える罰のイメージを思い浮かべた。

 外れかけた四肢を引き千切り、残った眼球を抉り、抉れた腹から槍を突っ込んで中の袋を掻き出してやる。

 特に先程から疼く自分のそこと同じ部分は、念入りに破壊してやると優木は悪鬼の思考を紡いだ。

 妄想内で数百回ほどリナを惨殺体に仕立て上げた後は、今後の身の振り方を模索した。嗜虐のパターンとは対照的に、それは一つだけ思い浮かんだ。

 

「まぁ…手土産程度にはなりますかねェ…」

 

 あの魔女にリナの骸を差し出し、取り入ろうという考えだった。これに限ったことではないが、魔法少女にあるまじき思考だった。

 更に洗脳魔法については端から頭の中に無かった。効く筈が無いに決まっていると、魔女の巨体を見た瞬間にそう思っていた。まぁこれについては、間違いではない。

 

「私が生き延びるための生贄となる事を、光栄に思うがいいですよぉ」

 

 泣き笑いの表情で優木はリナへと迫る。リナまでの距離は十メートルを切っていた。

 この時には既に、優木の心は魔女の恐怖よりも怨敵を抹殺することの悦びに傾いていた。

 猟奇的というより、凄まじい図々しさだった。自分が戦力外どころか足手まといとなっていた事など全く考えてはいない。

 

 そもそも優木が軽傷なのは、我が身を優木の前に晒し無数の瓦礫の餌食となったリナのお陰なのだが、その行為も当然としか思っていない。

 これは最早図々しさという言葉では足りず、本能で動く野生動物に匹敵か凌駕するほどの生存本能と言っていいだろう。

 動物と違うのは、そこに憎悪が付与されている点にある。

 今の彼女を突き動かしているのは、自らの自己顕示欲と生への渇望だった。

 災厄の絶望を前にしてもなお、その勢いを止めず寧ろ増している事は彼女の少ないながらも強烈で邪悪な長所といえた。

 そして遂に、優木はリナの前へと立った。半ば虚脱状態にあるリナは優木に気付かず、災厄による破壊の光景を眺めている。

 

「腑抜けてますねェ。流石はクソ集団の頭目ですよ」

 

 侮蔑の言葉を優木は再び唱えた。またこれに限ったものではないが、これまでの発言は全て心中の声だった。

 接近を気取られまいとする戦略であると優木は思っていたが、単に逆襲が怖いだけだった。

 それを想像したのか優木の背筋に冷気が走り、小水に濡れた尻に鋭い幻痛が走った。一万回と数百回に及ぶ尻叩きを思い出したのだ。

 恐怖を希釈するべく、優木は妄想に逃げた。嗜虐については先程行っていたため刺激が薄く、別のものを彼女は求めた。

 下腹部の熱い疼きが妄想の方向を決めさせた。優木の口から、熱い吐息が漏れた。

 

「きっと今頃は…あの性欲を持て余した雌猿とよろしくしてるんでしょうね…」

 

 切なさを宿し、優木は呟いた。

 妄想の中では、裸体となった赤髪の少女が浅ましい欲望の言葉を叫びながら、淫らな痴態を晒していた。

 本人に見せたら、間違いなく優木は寸刻みで切り刻まれるだろう。

 

「でもそろそろ、私の魅力に気付いている筈…」

 

 確信に満ちた一言が続いた。

 

「その為にも、私は生きなければなりません。あの赤毛に正義の力を見せてやります」

 

 その一言には義憤が宿っていた。自身の根拠が何処から来るのかは優木以外にはこの世の誰も分からない。

 だが少なくとも、言葉を唱えた直後の彼女には活力が漲っていた。そして力強く槍を握り締め、リナの元へと進んでいった。

 あと数歩で槍の射程圏内に入るというところで、優木は足を止めた。

 

「…なにやってんですか、あんた」

 

 優木から見て右側に、数十メートルほど先に巨大質量が転がっていた。丸い胴体に左右から伸びた長く巨大な両腕が絡みついている。

 彼女の親衛隊長且つ実質的な唯一の友人である、不細工顔の魔女だった。魔女の身体は、小刻みに震えていた。

 

 下等生物のすることは分からねェなと、優木は思った。呆れの溜息を吐くと、優木はリナの方へ顔を向けた。美しいはずの彼女の顔には悪鬼の表情が刻まれていた。

 優木はリナの下腹部に向け、槍を振り下ろそうと構えた。その時再び、異変に気付いた。リナの視線が、伝説の魔女から逸れていた。

 千切れかけた首を傾け、鮮血の滴る断面を晒しつつ、リナの眼は上空に向けられていた。

 

 この時、優木の精神の中では絶叫が鳴り響いていた。

 見るな、見るなと優木の中の理性が狂わんばかりに叫んでいた。だがそれも虚しく、誘われるように優木の視線を上へと向けた。

 

 そして彼女の青い眼を射抜くように、天空より深緑の光が降り注いだ。

 

 

 










遅れた分、ペースを取り戻していきたいところです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅

 万物に当て嵌まる事ではあるが、それもまた極微の変化から始まった。

 虚無の空に一つの点が生じた。針の先端程度の大きさだった。微小な点は、針穴のような円形ではなく角を有した形をしていた。

 そしてそれは瞬く間に増えていった。虚無の空を喰らいながら、同じ形状のものを次々と増殖させていく。

 

 その様子を、二人の魔法少女が見つめていた。彼女らの視線を辿るように、天からも一筋の光が射していた。

 片眼を失った血みどろの少女は光を求めるように。

 もう片方は恐怖に浸りながらも、光に吸い寄せられる誘蛾のような視線であった。

 

 彼女らの顔に、身体に、身を預ける瓦礫に。浮遊するビル群や、穴だらけとなった大地に光が纏う色が映えていく。

 それは、億年を閲した大樹や、翠玉を思わせる深緑の色だった。発生から十秒ほどで、緑の増殖が停止した。

 地方都市の上空に、光を発する巨大な図形が浮かんでいた。

 

 六つの頂点を、六本の線が結んでいる。巨大な深緑の六角形が、一つの都市に相当する空間の上空に顕現していた。

 巨大に過ぎるサイズであり、視覚では完全に見据えられないというのに、魔法少女達は空に浮かぶ図形の形状を認識していた。

 彼女らの魔法の為では無かった。緑の色を見ていると、そう自然と理解できたのだった。

 

 降り注ぐ光が異常なものであることは、リナも重々に理解していた。優木も崩壊寸前の精神の中で、必死に眼を背けようとした。

 だが逃げ場は何処にもなく、光は全てに向けて注がれていた。

 

「アーッハッハッハッハッハ!!ハァーッハッハッハッハッハ!!」

 

 光の中、哄笑が鳴り響いた。発生源が何であるかは言うまでもない。

 先程までとは数段上の大音声が、巨大な魔女の唇から発せられていた。

 

 光を浴びてもなお、魔女は本来の漆黒と白磁の色を纏っていた。笑い声は、天空へと向けられているように思えた。

 肺腑を震わせる莫大な音量に、魔法少女達は違和感を覚えた。先程までとは音の様子が異なっていた。

 魔女の顔を見た際に、リナと優木は理解した。この声は嘲笑のそれでは無い事を。

 

 魔女が挙げているものは、歓喜の叫び声である事を。魔女の口角は目に見えて吊り上がり、人形然とした顔に深い笑みを形作っていた。

 人間に近い感情の起伏を垣間見たとき、二人の魔法少女の身体は前に向けて崩れ落ちた。

 体内の胃袋が、激しい蠕動を行っていた。大量の胃液が分泌され、蠢く胃壁によって解けた肉と共に攪拌される。

 外見的には美しいものであったが、魔女の笑みと声から滲む感情の発露が魔法少女達には猛毒の様に作用していた。

 

 優木は吐しゃ物を撒き散らしながらのたうち廻り、リナは胃袋が破れたために大量の血が混じった胃液を口から溢れさせていた。

 脱水と苦痛により視界は紅く染まっていたが、リナは邪悪の根源へと再び視線を戻した。血走った目で、挑むような視線を崩さず空を見上げた。

 光が出迎えるように彼女の顔を緑に染めた。空を見たリナの眼は、大きく見開かれていた。

 彼女は見た。光の六角形の中心から外角へ向けて、樹木の根のような亀裂が走る様を。

 次の瞬間、空に緑光が満ちた。

 

 空が割れ、砕け散った緑の光が炎のように舞い踊る。

 それらは重力に引かれるかのように、虚無の世界へと降り注いだ。

 そして吹き荒ぶ緑の乱舞の奥に、光とは別の色があった。

 

「ひぃぃっ!?」

 

 胃液と吐しゃ物に塗れた顔で、優木が叫んだ。

 今日だけで幾度ともなく浮かべた表情の中で、最も色濃い恐怖を湛えた顔となっていた。

 鮮血の紅が映えた視界であったが、その色が何であるかはよく分かった。

 

 色を認識した途端、爆音がリナの耳を叩いた。

 魔女が口から奏でる狂気の叫びさえも、掻き消すほどの音だった。

 そしてリナの視界の中、巨大な物体が天空から大地へと高速で落下していった。

 再び爆音が鳴った。衝撃の波と音は高空にも届き、傷付いたリナの身体を苛んだ。腹這いとなった姿勢で身を預けた瓦礫が震え、振動が骨と内臓を揺らした。

 

「うっ…」

 

 だが呻き声と共に、リナは前へと手を伸ばした。ねじくれた指が伸ばされ、爪を失った指先が地面を掴む。

 肉を削りながら、彼女は前へと進んだ。瀕死の爬虫のような、無様ともいえる姿だった。

 道化が普段の状態であれば、人目もはばからず指を指して笑い転げていただろう。

 しかし今の道化は自身が苦痛で転げまわっており、彼女の姿を笑うものは何処にも無かった。

 

 そして仮に道化の悪罵を受けようとも、彼女は止まることは無かっただろう。

 リナの全身には苦痛が満ちていた。だが精神は明瞭さを取り戻していた。使命感にも似た何かが、彼女の心の中にあった。

 確かめなければと、リナは思った。思いながら地面を引っ掻き、前に進んだ。そして遂に、浮遊する瓦礫の淵に辿り着いた。

 ただでさえ傷付いていた指先は、見るも無残に擦り切れ、赤黒の棒と化していた。だが苦痛を振り払い、彼女は下界を見た。

 

 

 浮遊する瓦礫の一角から大地を見降ろしたリナの眼に映ったのは、荒涼とした灰色の世界だった。

 その中のある一点から、大蛇のような黒煙が立ち昇っていた。

 

 リナの瞳孔が大きく開いた。揺らめく煙の隙間から、黒と異なる色が覗いた。

 それは、彼女が緑の奥に見たものと同じ色を纏っていた。

 彼女の全身を染めた血よりも濃い、毒々しいほどの、深い紅の色だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅②

 立ち昇る黒煙の中から、煙を厭うようにして巨大な姿が抜け出した。

 黒い歯車を頂点として、逆さまとなった貴婦人の人形。

 

 自らが抜け出た黒煙を前に、深い青を宿したドレスを揺らしながら、地上二百メートルほどの高さに浮かぶ。

 その様子に、上空で地上に視線を落としたリナは違和感を覚えた。

 煙を抜ける際、その圧倒的な巨体がぐらついたように不自然に揺れる様子が見えた。

 改めて魔女の姿を見たリナの眼は、大きく見開かれていた。

 

 魔女が纏ったドレスの白いレースで覆われたウエスト部分に、優美さを損ねる荒い隙間が見えた。

 隙間からは黒々とした光が零れ、白の部分を侵食していた。それが負傷であると瞬時に理解する事は、彼女には出来なかった。

 災厄たちの王の腹に開いた無残な抉れはまるで、横合いから思い切り殴打されたかのようだった。

 

「アーッハッハッハッハッハ!!!キャハハハハッ!」

 

 その状態でも、魔女は高らかに笑っていた。

 腹から零れた闇は豊かな胸元を通り、白い喉を黒く染めながら秀麗な顎に闇の滴を成していた。それが不意に、宙へと散った。

 魔女が背後へと急速飛翔したのだった。天を圧するような巨体に音を越えた速度が宿り、一瞬で五百メートルの距離を進んでいた。

 

 黒煙が切り裂かれたのは、魔女の飛翔と同時だった。千切れ飛ぶ黒煙の残滓を背に、魔女へと向かうものの姿が見えた。

 破壊された大地を更に粉砕しながら、それは異界の支配者へと突撃していく。巨塔の様に長く太い足が、大地を蹴って飛翔する。

 先に飛翔していた魔女との距離が一気に縮み、伝説の魔女の眼前に巨大質量が迫っていた。

 それは魔女の上半身の人形部分に匹敵する体躯の、赤を纏った巨大な人型だった。

 

 異界の大気が號と震えた。震える大気を切り裂き、魔女は更に後方へと飛翔していた。

 しかしその飛翔は先と異なり、荒く優美さを欠いた軌道となっていた。それは自らの意思によるものではなく、他者によって強制された投擲だった。

 

 軽く一キロは飛んだ後、魔女は地面へと激突した。莫大な粉塵が昇る中、更に魔女は地を削りながら飛んでいく。

 数百メートルに及ぶ轍を刻みつつも上昇し、再び宙へと浮かぶ。

 その豊満なふくらみを見せていた胸には、巨大な陥没が生じていた。白磁の肌は割れ、先の腹と同様に液状の闇を噴いていた。

 

「ハァーッハッハッハ!アーッハッハッハ!!」

 

 それでも魔女は笑い続けていた。否応なしに、リナは黒い災厄を思い出していた。

 嫌悪感とそして恐怖を拭うように、彼女は魔女に破壊を与えたものへと視線を走らせた。

 

 苦痛により湧き出た涙によって、視線が捉えた姿は鮮明ではなかった。

 そして赤と白銀の色を身に纏ったその姿をおぼろげながらも認めたリナの脳裏に、遠い日の記憶が蘇った。

 今より更に子供の頃、テレビ画面の前に亡き兄と共に並びながら日が暮れるまで観ていたものに、それは似ているように思えた。

 巨大な異形や邪悪な侵略者たちから人々を守る為に、遥か彼方の銀河からやって来た赤と銀の光の戦士。

 架空の事柄とは言え、彼らが示していった正義の心は、リナの中に今でも息づいていた。そのために、彼女の心には期待に近い感情が湧き上がっていた。

 

 だが涙をぬぐい、魔女と対峙する巨体を完全に視認したその瞬間、過去の記憶から呼び出されたその想いは打ち砕かれた。

 そこにいたのは、紅と金属の輝きを宿した白を纏った巨人であった。

 腕や脚は巨塔の様に太く、それらを束ねる胴体もまた逞しい。

 

 そしてその巨体の最上部には、長く鋭い二本の角を頂いた頭部があった。

 それは魔女との対比からすると彼女の胴体部分とほぼ同サイズ、およそ五十メートルほどの大きさがあった。魔女と同様、巨大建造物に匹敵している。

 

 それだけなら、彼女の思い出の中の存在と似ていなくもなかった。

 異なっているのは巨人の深紅に染まった全身から立ち昇る、異様な雰囲気だった。 

 紅の色は、幾重にも塗り重ねられた鮮血を思わせる色合いであり、まるで自他の血で染まり切っているかのようなおぞましい色だった。

 その為か肘や膝を構築する白の部分は、渇いた白骨の様にも見えた。

 

 鎧のような重厚感のある上半身や、鋭い突起で覆われた膝、そして六角形を基盤とした顔面には深緑色の光が灯っていた。

 天空から降り注いだ光と同じ、生命の息吹を思わせる色だった。

 

 緑が散りばめられた深紅の顔の一部が、リナの眼を引き付けて離さなかった。リナの瞳には、二つの黄色い鋭角が映っていた。

 生誕の時から終焉の時まで、一瞬の隙間も無く永劫の憎悪を抱き続けるかのような形をした眼であった。

 形状としては単純な鋭角だというのに、リナにはそう思えて仕方なかった。

 

 剛腕から生えた三本の刃、肘から伸びた牙のような鋭角、剣の切っ先を思わせる長く鋭い角。

 深紅の巨人の姿は、数多くの魔女や魔法少女を見てきたリナであっても、凶悪としか言いようのない外見だった。

 

 巨人の右腕の先、硬く握り締められた紅の拳からは、魔女の傷から零れるものと同じ闇が滴り落ちていた。

 強烈な寒気がリナを襲った。そして一つの言葉が、彼女の思考を掠めた。

 得体の知れない存在がもたらす恐怖によって、魔法少女の唇は震えていた。

 

「鬼……」

 

 渇いた喉と舌で、リナはそう呟いた。

 それが合図となったかのように、悪鬼の背から、紅の布が迸った。それはまるで、鮮血の瀑布のようだった。

 悪鬼の身を地に縛る重力は、血染めの纐纈布が翻った瞬間に切り裂かれていた。深紅の閃光となり、悪鬼は魔女へと飛翔する。

 魔女は身を微動だにせず宙に浮かび、哄笑を挙げ続けていた。自らの負傷や脅威さえ、万物が愉しくて仕方がないといった笑い声だった。

 

 伝説の魔女と、深紅の悪鬼の姿が重なったと見えたその瞬間、更なる破壊が世界を覆った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅③

 異界の空に、異変が生じていた。虚無を思わせる灰白色という事に変わりはないが、空には無数の物体が浮かんでいた。

 嘗ては何かを構成していたと思しき大小さまざまな灰白色の物体が連なり、雲のような幅と分厚さをもって空の一面を覆っていた。

 その広がりは遥か地平線の果てまで続き、終わりがないように思えた。

 それらの全てが、時折微細に振動していた。空の彼方から届く衝撃によって。

 

 当然だが、発生源に近付くたびに空を覆う物体が受ける振動は強くなっていった。

 個々が震える程度だったものが、やがては互いにぶつかるようになり、やがて喰らい合うように激しく接触し砕けていった。

 その破壊の連鎖は、ある距離にてぴたりと止んでいた。正確には、縦横無尽に荒れ狂う衝撃に耐えるものが無くなっていたのだった。

 

 ぽっかりと空に開いた巨大な球型の空間。

 破壊の乱流が舞い踊る中心には、一対の巨影が存在していた。

 深青と深紅の色を纏ったそれらは、終わりなき闘争を繰り広げていた。

 

「キャーッハッハッハ!ハハッハッハッハ!!」

 

 深青の豪奢なドレスを纏った人形と、無骨な歯車を半身とした貴婦人が逆さまの体勢のままに右腕を振った。

 優雅に揃えられた五指と典雅な動作はまるで、臣下に命を下した支配者を思わせた。

 全長百メートルに達する巨体と等しい長さのそれは、史上最大最長の鞭だった。

 凄まじい衝撃を放ちながら、巨大さに似合わぬ超速度にて魔女の腕は振り切られた。

 腕の軌道の彼方では、直近でも一キロは離れていたというのに、その動きに沿って物体が破砕されていた。

 破壊の連鎖は止まらず、物体が粉微塵に砕け、吹き散らされていく。

 魔女の一撃によって、空には広大な半円の空白が生じていた。

  

 そして長大な腕が巨大な半月を描いた終点には、魔女に匹敵する巨体があった。その深紅の巨体の接触の瞬間、空に激震と轟音が奔った。 

 先程空に迸った衝撃が今度は全方位に撒き散らされ、空白は更に領土を得た。

 

 だが莫大な衝撃の発生源である深紅の巨体は、その深紅の鬼は掲げた太い左腕一本で、己の頭部を狙った魔女の攻撃を完全に防いでいた。

 次の瞬間、鬼の鋭い菱形の眼が輝いた。爛々とした光を放ったその眼は、報復の機を喜ぶ悪鬼の眼だった。

 防御に使われていた左腕が前に伸ばされ、その先端で五指が開いた。更に次の瞬間には、深紅の五指は魔女の細首を握り締めていた。

 魔女の一撃を防いだ剛力は攻守を変え、魔女の肉体を破壊しに掛かっていた。

 

 完全に握り締められた状態でなおも魔女は哄笑を挙げ続けていたが、そこに巨大な拳が激突した。

 鼻から上が無い魔女の顔の、半月を描いた口の辺りに深紅の拳が減り込んでいた。その瞬間、魔女の腕の一閃同様、空に衝撃が迸った。

 衝撃波は魔女の後頭部と空白地を抜け、遠方の物体群を貫いた。真上から見れば、空が縦に割られる光景が見えたことだろう。

 

 割れた空からは、地上の様子が伺えた。異国の古い町並み、峩々たる山脈、広々とした森林地帯、太古の遺跡に最新のビル群。

 それらに相当するものが、まるでスプーンで掻き出された氷菓子のように無残に根元から抉り取られていた。

 それは地表の数か所といった程度ではなく、至る所で生じていた。

 一対の巨影同士の闘争は異界を破壊しながら、遂には完全な空中戦へと雪崩れ込んでいた。

 

「うわぁ…」

 

 破壊と轟音が鳴りやまぬ中、一対の巨影が争う場所の遥か上空にてその呟きは発せられた。

 

「顔面にモロ入ってますねぇ。うわっ、しかも連続」

 

 明瞭な発音で告げた優木の青い瞳の中では、伝説の魔女が悪鬼によって顔面を殴打されていた。

 通常サイズの数体の魔女を纏めて捕獲できるであろう巨大な手で構築された鉄拳が、魔女の顔を打ち据える度に異界が震えた。

 着弾の度に魔女の哄笑は途切れていった。

 

「ありゃあ、もうキマっちゃいますかねぇ。どう思います?リナさん」

 

 くふふっという独特の笑みが語尾となって続いていた。

 伝説の魔女と魔女と正体不明の悪鬼が対峙する戦場の上空に浮かぶ島状の瓦礫の中で、優木はリナに問うていた。

 瓦礫の淵に立ち、姿同様の道化のような愉快な挙動で、巨影達の様子を眺めている。

 それだけなら普段の相手を煽る様子と変わらなかったが、その瞳孔はぐりぐりと絶え間なく動き、一瞬として一点に留まっていなかった。

 唇の端は痙攣を起こし、形で見れば間違いなく美少女に当る顔の造形は、右側が苦痛に、左側が愉悦の形に歪んでいた。

 

「あー、魔法少女ってやっぱ面白いですねぇ。やっててホント退屈しませんよぉ」

 

 再びくふっと笑い、手にした杖と共に優木はその場でターンとステップを踏んだ。

 それは一度では終わらず、何度も何度も続いた。その間、優木は魔女の様に笑い続けていた。

 身を穢す狂気により、優木の精神は発狂と正気の境目を揺蕩っていた。

 リナは後悔していた。気合を入れるために、顔面を十数発殴った事を。

 

 対してリナは生きた魔女の貯金箱である優木からグリーフシードを借りたため、全身の負傷は治癒されていた。

 完治した両眼の視線を半狂人から逸らした。ここまできたらもうどこにも、逃げ場所は無い。

 ならば自分に出来る事をしなければと、誇り高き魔法少女は思った。

 リナは瓦礫の淵に立ち、衝撃渦巻く世界を見降ろした。その時だった。

 

「くぅふふぅうってひゃあああああ!?」

 

 道化が悲鳴を挙げた。同時にリナもまた「ひっ」と小さな声を発していた。

 見降ろしたその瞬間、巨大質量が鼻先を掠め更に上空へと吸い込まれていった。

 衝撃に突き飛ばされ、道化は木の葉のように吹き飛ばされた。瓦礫の一角へと激突する寸前、大きな腕が道化の下半身へと差し出された。

 腕の根元には不細工なぬいぐるみとでもしたような姿があった。彼女の親衛隊長でもある、不細工な巨大魔女だった。

 

「痛ってーェ!もっと優しくしろ!バカっ!」

 

 咄嗟の救助に対し、道化は絶叫と罵詈を挙げながら魔女の頭を杖で叩いた。慣れているのか、魔女は特にリアクションを示さなかった。

 魔女の丸型の眼は主の姿ではなく、上空に向けられていた。リナも同じくそこを見ていた。

 一面の大銀河のように拡がった破片の大海の前、リナとの距離で言えば二百メートルほど先に、深紅の巨体が聳えていた。

 リナは改めて深紅の悪鬼の姿を見た。そして幾つかの事に気が付いた。

 最初に見た時は精神の同様の為に気付かなかったが、全身を彩る深紅と白には、金属の光沢が見えた。

 また巨体の各部にある緑色の部分からは、僅かに内側の様子が透けて見えていた。

 うっすらと見えたのは、絶え間なく稼働する血肉ではない何かの蠢きと、その上を走る紫電の光だった。

 

「機械…機械の巨人…」

 

 リナはある種の確信を籠めてそう呟いた。

 激しい違和感がリナを襲った。物体としての正体を察したはいいが、更に疑問が吹き荒れる。

 こんな機械は見たことも無ければ聞いたことも無い。ロボットとして見ても、精々街中で不気味に立ち尽くす人工知能搭載の白い人型を偶に見かける程度だった。

 だが今目の前にいるものは、二足歩行どころか背から鮮血の大瀑布のような外套を靡かせて飛行している。

 

 何をどう考えても、この世の理を外し掛けている魔法少女からしても意味不明としか思えない。

 機械で稼働しているというからには何かの原理があって飛行を可能としているのだろうが、全くとして分からない。

 これではどちらが魔法だか分からないとさえ、リナは思った。

 

 深紅の巨体の頭部が少し傾いていた。

 見られている事に気付いたとき、リナは己の身にこれまで感じた事のない悪寒が走った。

 魔女相手には感じなかった、未知のものに対する恐怖を感じていた。

 

 そのためかリナは、無意識の内に魔女の方へと眼をやっていた。彼女は気付かなかったが、それは助けを求める視線にも似ていた。

 遥か下方に滞空する魔女もまた、逆さまの体勢で、上空の悪鬼を見降ろしていた。

 貴婦人の唇は僅かに先端を尖らせていた。

 優しく微笑むような形であると思った時、リナは吐き気と、そして極大の危機感を覚えた。

 その時だった。

 深紅の巨体が高速で動き、手を伸ばしていた。彼女らを乗せた瓦礫の一部に広い手が軽く触れられたその瞬間、瓦礫は弾き飛ばされていた。

 

「ぎゃああああああああああっ!?」

 

 道化は絶叫を挙げたが、それに反して彼女らが受ける衝撃は皆無だった。

 瞬く間にキロ単位の距離を進んだが、僅かな風が吹き付ける程度に収まっていた。

 この時には機械の悪鬼の視線は、下方の魔女へと向けられていた。

 

 尖った唇の先端で、大気がゆらめく光景が見えた。陽炎の様に揺れたと見えた次の瞬間、揺れた大気は螺旋と化した。

 美麗な唇の先から生じた螺旋は、魔女から離れるに従って幅が爆発的に増加した。

 魔女の口から発せられたのは、幅が魔女の体長の数倍はあろうかという巨大な竜巻だった。

 竜巻は更に途中で複数に別れ、そして元以上の太さとなって激しい渦を巻いた。

 

 それらはまるで光のような速度で、上空の悪鬼へと伸びていった。

 その巨体をして視界の全てを埋め尽くすであろう大気の竜の群れを前にして、悪鬼は飛翔した。背後でも上空でも、その逆でもなく、前へ向けて。

 渦という名の口を開けた竜の群れへと飛び込む寸前、悪鬼の背から流れた深紅の外套が巨体の全てを包み込んでいた。

 

「馬鹿っ!!」

 

 リナは叫び、そして驚いていた。自分の叫びは、まるで仲間に向けたもののようだった。

 声を挙げた時、リナは胸に痛切な感覚を感じていた。

 遠く離れていても、竜巻が引き起こす暴風を感じていた。優木は巨大魔女に必死にしがみつき、魔女も地面に爪を深々と立てていた。

 リナもまた杖を地面に突き刺し、膝を落として耐えていた。その時一つの風がリナの頬を掠めた。

 その瞬間、彼女の頬はざっくりと開いた。叫びながら、リナは電磁障壁を発動させた。

 瓦礫の全域を、電撃の毒蛇が這い廻る障壁が包み込む。魔女の暴威を遮断したリナは、頬に手を当てた。

 そこに触れた指先に、鋭い痛みが走った。

 

 即座に引き剥がしてみると、どろどろとした赤い塊の付着が見えた。それは溶解した頬の肉だった。

 悲鳴に似た声と共に治癒魔法を全開させ、頬の溶解を強引に治療する。

 治療が功を奏し、新たな肉の盛り上がりによって酸を帯びた頬肉が彼女の顔から剥がれ落ちた。

 地面に落下した後も、肉の淵から滴る溶液はアスファルトに触れた途端に白煙を上げた。

 流石に残滓であり、弱い溶解であったが、生理的な嫌悪感を感じずにはいられない光景だった。

 

 まだ若く赤い皮膚のままで、リナは再び前を見た。

 その先では今も酸を纏った竜巻が轟々と吹き荒れている。その光景に、リナは生きた心地がしなかった。

 あと一瞬、この瓦礫帯があの場所に留まっていれば、自分たちは今頃欠片も残らず消し飛んでいたに違いない。

 

 恐怖に身体が震えるが、彼女は前を見続け眼を動かした。

 酸を数滴浴びたのか、背後で叫びのたうつ道化の声もリナの耳には入らなかった。

 そしてリナは、渦巻く竜の体内で光る紅を見た。

 長さ数キロにも及ぶ長大な渦の根元付近で、その光は生じていた。即ち、伝説の魔女の直ぐ近くで。

 

 哄笑と共に放たれ続ける竜巻の上部が一気に膨らんだ。

 次の瞬間、爆音の悲鳴を挙げて爆ぜ割れた渦巻く竜の胴体から、深紅の巨体が姿を顕した。

 

 全身を覆っていた深紅の纐纈布を振り払い、金属の身体が宙を舞う。

 強酸と暴風の影響か、羽織られていた外套は至る所が破れ、無残な襤褸となっていた。

 隙間から入り込んだ酸の毒牙によって、深紅の装甲の表面には無数の細かい傷が浮いていた。

 顔面や胸部、そして脚部にある緑色の半透明部分にもひびが入り、特に顔面では幾つかが剥落し内部のメカニズムを晒していた。

 

 その報復を果たすべく、悪鬼は魔女の巨体へと向かって行った。

 掲げられた両腕の根元、全面に迫り出した胸の装甲板の肩部分から、二つの塊が飛び出した。

 それが高々と掲げられた両手によって受け止められ、直後に振り下ろされた。

 

 ざくんっという音が鳴った。轟音の渦巻く世界でありながら、その音はリナの元へも届いた。

 魔女の口からは竜巻が断絶していた。膨らんだ大気は、魔女の口の前で不自然に消失していた。

 

 霧散する大気を浴び、巨大な物体が吹き飛んでいた。深海の様な深青の生地で覆われた、異常なまでに長大な物体。魔女の右腕だった。

 腕の断面から夥しい闇を噴き上げる魔女の胴体から少し離れた場所に、振り切られた右の巨腕があった。

 その先端の深紅の巨拳は、物騒な刃を握っていた。強化した視力で形状を視認したリナの顔に、苦笑のような表情が浮かんだ。

 

「また、斧ですか」

 

 悪鬼の左右の巨拳には、無骨な手斧が握られていた。

 呉キリカのそれや麻衣から聞いた斧型の魔女とは異なる、蛮人を思わせる無骨な手斧だった。

 そしてリナの声に合わせたように、第二刃が放たれた。

 左腕による水平の一閃は魔女の欠損した右腕の断面を抉り、豊かな胸の膨らみを無惨な亀裂に変え、そして抜け出ていた。

 破壊の軸線上の最後にあった左腕は、先の右腕同様に切断されていた。

 多大なる損傷を受けた魔女の上半身は、闇の火口と化していた。

 噴き上がる溶岩の様に、魔女の内部からは黒々とした闇が飛沫を上げて噴き出していた。

 

 だが傷付いた状態でありながら、魔女は笑い続けていた。その声を挙げる顔面に、深紅の五指が巨樹の根のように這った。

 次の瞬間、手は拳となり魔女の顔を圧搾した。

 莫大な力が強度の限界を超え、貴婦人然とした顔には陶器のようなヒビが入った。

 悪鬼は魔女の顔を右手で拘束したまま、手斧を握る左手を高く掲げた。

 

 そして魔女の腹部へとその切っ先を突き刺すと、そのまま勢いよく下方に向けて引き切った。

 縦に裂かれた荒い断面からは、更なる闇がばら撒かれた。闇は滝となり深紅の巨体へも降り注ぎ、その身を紅と黒の斑へと変えた。

 残酷な光景に、リナは思わず嗚咽を漏らした。道化に至っては、魔女の上で手足を投げ出し口端から泡を吹いていた。

 

 しかしリナは、少しの安堵を覚えていた。悪鬼が魔女を捌いた瞬間、魔女の声は絶えていた。

 戦闘の終焉だと、彼女は思っていた。少なくとも一つの脅威が滅されたのだと。

 リナは改めて悪鬼を見た。機械の鬼は、今も魔女から降り注ぐ闇を浴びていた。

 やはり悪鬼としか思えない、おぞましい光景でありその正体は分からないがリナには不思議と、この存在が敵には思えなかった。

 少なくとも呉キリカという名の災厄よりは、味方側にいるように思えた。

 

 それになにより、先程瓦礫を押した行為は自分たちを竜巻から守ったとしか思えなかった。

 リナは息を軽く吸い、そして吐いた。その間に、次にやるべきこと決めていた。

 まずなによりも、やらなければいけない事があった。それを成すために、彼女は口を開いた。

 

「ありが」

 

 一秒に満たない時間で、それは言い終える筈だった。

 だがそれを、

 

キャァァァッハッハッハッハッハッハッハ!!!ハァァッハッハハッハッハッハッハ!!!!

 

 狂気を孕んだ哄笑が消し飛ばした。

 全身から体液と思しき闇を滔々と溢れさせながら、伝説の魔女はまだ生きていた。

 そしてその巨体から流れる闇にも変化があった。

 噴き上がる中の大気中で、魔女の体表で、そして深紅の装甲の上で。

 闇は、不気味な蠢きを見せていた。無数の昆虫が、一斉に脚を蠢かせたかのような動きだった。

 

 

 

 













久々に少々長めです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅④

 『ドゴォ』とでもするような音が鳴り響いた。逆さまの貴婦人が奏でる哄笑の嵐を掻き消す、重質量の音だった。

 深紅の巨体が繰り出した右拳が魔女の顔面に激突していた。今までに幾度かあった事だが、今回は殊更に威力が増していた。

 着弾の瞬間、逆さまの巨体が幻の様に霞み、その直後には木の葉のように吹き飛ばされていた。

 吹き飛ばされる最中、魔女の顔がぐるりと動いた。上半分の無い顔は、無いはずの視線を深紅の鬼へと向けていた。

 鬼との距離は、十メートルも無かった。魔女を殴り飛ばした直後、深紅の巨体もまた追撃を行っていたのである。

 

 追い縋る巨体に微笑むように、優雅な唇が再び僅かな尖りを見せた。

 唇の先に魔法少女とは比較不可能な莫大な魔力が集中し、一瞬にして大気の組成が変容する。

 気体の成分は万物を腐食させる強酸へと変わり、空気は風を纏い始めた。

 

 次の瞬間には強酸の大嵐が再び吹き荒れ、眼前の深紅へと注がれるはずだった。

 だが唇の先で渦巻いた嵐の脇から伸びた紅の一閃が酸の嵐を貫いた。

 そしてそれは更に伸び、魔女の唇どころか顔面全体を覆い隠した。

 

 紅は深紅の巨体の右腕から伸びていた。太い五指が握るのは、その身と同じ色をした布であった。

 魔女が魔力を貯めると同時に深紅の鬼もまた動いていた。背面で靡く外套の一部を引き裂き、魔女へ向かって投擲したのである。

 それは布の靡きを以て広がり、そして毒蛇の狡猾さで魔女の顔面へ向けて伸びた。

 そして鎖の強靭さで魔女の顔を雁字搦めにしたのだった。

 

 魔女の顔を覆う紅の布が大きく膨らむ。内部で嵐が暴発したのだろう。

 巨大な顔を覆う布の隙間からは白煙が吹き上がっていた。

 

 右手で魔女の動きを拘束したまま、深紅の鬼は自らの胸元へと手を伸ばした。そこには、魔女から降り注いだ闇が一塊となって蟠っていた。

 太い指を備えた手が広げられ、闇の一角を握り締めると一気に引いた。

 闇を引き剥がす際に生じた音は、金属が割れるような破砕音、そして肉が引き裂かれるような粘着質な音だった。

 

 横長に広がった胸を基点に、巨体に浴びせられた闇は全身から引き剥がされていった。

 深紅の左腕の先にぶら下がる一塊からは、巨体の各部に張り巡らせられていた細い闇が繋がり、触手の様になっていた。

 深紅の巨体が、巨大な黒いクラゲを掲げたような姿はほんの一瞬だった。

 

 全身から闇が引き剥がされたその瞬間、闇を握る拳が完全に握り締められた。

 力が指に込められた瞬間、その表面から深緑の光が迸ったのを認めたのは機械鬼以外には誰もいなかった。

 握られた闇は弾けず、そのまま垂直に落ちていく。根の様になっていた形も液状化し崩れていった。

 落ちていく中、溶け崩れる形の中に人体に似た形状があった事もまた、鬼以外に見たものはなかった。

 

 豪風を巻き上げながら巨体が動いた。

 深紅の色を纏った機械の鬼の姿が陽炎の様に揺れたとみるや、破砕音と共に両腕を喪った逆さまの貴婦人は遥か上空へと弾き飛ばされていた。

 数百メートルほど上昇したところで、魔女の巨体に影が降りた。そして衝撃が轟いた。

 魔女は弾丸の速度を帯びて、今度は地へと向けて落下していった。

 隕石群のように並ぶ無数の破片の層を突き破り、遥か下方へと落下していく。

 

 終ぞ勢いは止まらずに、深青の巨体は灰色の地表へと吸い込まれていった。魔女の巨体が点に見えるほど離れた距離となっていた。

 そしてその巨体は地へと堕ちた。莫大な衝撃を受け、遺灰を思わせる色の地表は臓物の蠢きの様に波打った。

 巨大な歯車と人形姿が横たわるそこに、再度の衝撃が走った。歯車と人体の境目に、巨大な膝が喰い込んでいた。

 刃の様に戦端を尖らせた膝の一撃を見舞った巨体には、音速を遥かに超えた速度が乗せられていた。

 二重の振動は激震となり、世界を襲った。大地を支える地盤が崩壊し、着弾地点には巨大な真円の陥没が生じていた。

 破壊の円の大きさは、円を勉強机と例えれば二体の巨影が消しゴム程度にしか思えないほどとなっていた。

 

 その光景に、リナは生唾を飲み込んだ。力の源泉である魔女と連動し、彼女らのいる場所も地表近くに降りていた。

 下方に向けて引かれる力にリナは強引に耐えたが、道化の姿は消えていた。

 気配を探ると、落下の最中に放り出されたらしくまだ上空にいることが分かった。

 心配ではあったが、親衛隊長の魔女も一緒らしいので大丈夫だろうと強引に納得した。つくづく真面目な少女であった。

 道化への思いを馳せた後に、リナは再び喉を鳴らした。額には汗が浮き、滴となって頬を濡らした。

 

「凄い…」

 

 感嘆の宿った声だった。

 常軌を逸した破壊の光景や、魔女と機械鬼の禍々しさのせいでもあるが、彼女の心が最も反応を示していたのは機械鬼の動きであった。

 全長約五十メートル。魔法少女の身長を百五十センチ程度とすれば、単純な対比で三十数倍にも達する巨体でありながら、遠方の事象とは言え魔法少女であるリナの感覚でも先程の動きは鮮明で無かった。

 それでも一連の動作を精査すると、蹴りを組み合わせた宙返り、俗に云うサマーソルトで魔女をかち上げて追撃。

 太い指が並ぶ両手を組み合わせての鉄拳の振り下ろしで魔女を叩き落した。恐らくはそういう事になるのだろうとリナは思った。

 思いつつもやはり、実際の現象とは思えなかった。どう考えても機械の動きとは思えない。人体どころか、獣を彷彿させるしなやかで柔軟な動きだった。

 どこか猫科動物のような形状をした角を冠した頭部と相俟って、機械の獣、機械獣とでもいうような言葉が頭を過った。

 麻衣がいたら眼を輝かせたのだろうかと、リナの脳裏を仲間の横顔が掠めた。それは、丁度そんな時だった。

 

 音が響いた。それは災厄達の女王の哄笑でも、彼女の衣服や肉体が破壊された時の音では無かった。

 バキン、という金属が砕け散る際の、甲高く乾いた音だった。

 音は深紅の機械鬼の胸元から生じていた。

 そして音の発生と時を同じくして、深紅の巨体は背後へと下がっていた。僅かだが、その巨体は何かによって仰け反ったように見えた。

 

「何が」

 

 そこで言葉は途絶した。魔力で強化したリナの視力は、鬼の胸から一筋の赤が迸るのを見た。

 眼が眩むような深紅の流れ。それは正しく、噴き上げた鮮血のように見えた。

 深紅の奔流は前面へと迫り出した胸部装甲に生じた小さな隙間から噴き上がっていた。

 正面から見て左から右下までを縦断する斜めの線が装甲の上に開いていた。

 

 紅の線は鬼の頭部よりも更に上空へと昇っていたが、それは直ぐに停止した。

 開いた装甲の内側に籠る闇の中では、人知の及ばぬメカニズムが緑の色を帯びて蠢いていた。

 紅の残滓が空中に散らばっていく中、リナの眼はある一点に吸い込まれた。鬼もまた、鋭角の眼でそこを見ていた。

 

 深紅の鬼の正面には、今も体の各部から闇を滴らせながら大地に倒れた伝説の魔女の姿があった。

 引き裂けた胸の手前。闇が滝となって大地に流れる場所のすぐ近くに、孤影が浮かんでいた。

 無尽蔵とも思えるほどに魔女から溢れる闇と同じ色が、赤い輝きで人影として切り取られていた。

 

 その大きさは深紅の巨影の三十数分の一程度、精々百五十センチメートルといった程度だった。

 奇しくもそれは、リナが先程思い浮かべた対比と等しかった。

 赤で縁取られた闇が備えた四肢は、魔女よりも比較的人間に近い容姿をした鬼よりも細く、華奢な輪郭を備えていた。

 そしてその孤影は、華奢な身体の上に闇の衣を纏っていた。

 

 太腿に裾が掛かるかどうかの短いスカートに、なだらかな体表にしっとりと這う質感の上着が見えた。

 長い脚の背後には、上着の背部から伸びたと思しき外套状の裾が幕を下ろしていた。

 細い肩からは更に華奢な腕が伸び、垂れた左腕の先には長大な物体が握られていた。

 その長さは人影の倍近くもあった。長く続いた柄の果てには十字を描いた刃が据えられていた。

 そして当然の様に、その長大な槍の切っ先は深紅の鬼へと向けられていた。

 長い柄には、上部から垂れた長い流線が触れていた。流れる闇を辿り人体の上部へと向かって行くと、身体同様に赤で縁取られた顔の輪郭が見えた。

 

 流線は、頭頂付近で結ばれたリボンによって束ねられていた。リボンの形は、猫の耳にも見えた。

 そしてリナは、この姿に以前交戦した相手との類似性を見出していた。

  

 爆発音のような音が、リナの心臓から生じた。

 姿と形状を認めた時、この世界に招かれてから幾度となく感じた悪寒がリナを襲った。

 幾ら経験しようとも、決して慣れることが無い冷気が彼女の内より溢れ出していた。

 

「さく…」

 

 言い掛けた声に、巨大な音が重ねられた。つい先ほどにも似た事が起きていたが、音の質が異なっていた。

 魔女が奏でる、一種の妖艶さを湛えたものではなく、それらは子供のあどけなさと、覚えかけの大人の色気を漂わせた声だった。

 それは赤く縁取りをされた闇の槍手から発せられていた。

 闇が漂う顔の一角、口にあたる部分が半月に裂け、滔々とした笑い声を挙げていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 黒と黒と、そして赤と白

「さぁて…そろそろ遣ろうか」

 

 美しい声が、極彩色に彩られた異界の中に木霊する。少女の音程を持ちながら、少年の凛々しさを宿した声だった。

 声を発したのは、その音に相応しい容貌をした美しい少女だった。

 全身に黒と白を基調とした奇術師風の服を纏い、顔の右半分を黒い布で覆った黒髪の美少女、呉キリカであった。

 黄水晶の瞳の先には、同じく黒髪の少年が立っていた。

 

「さっきも言っただろうが。さっさと来やがれ」

 

 キリカに比べてやや低いが、女に似た音程の声だった。

 だが声に秘められた迫力は紛れもなく男のものであり、そこにはとびきりの戦意が漲っていた。

 複数の尖りを突き出した黒髪の下には、渦を巻く黒い瞳が輝いている。

 言うまでも無く、こちらはナガレである。服装は普段通りの薄青のジャケットに黒シャツ、そしてジーンズという出で立ちだった。

 声同様に、やや女寄りの中性具合を見せる顔付でありながら、その野性的な服装は彼によく似合っていた。

 そして長い腕の先に携えられた一対の斧が、彼の野性味に更なる蛮性と暴力性を付与していた。

 

「まぁ待て友人、話を聞け」

 

 そう言い様、キリカは両手を振り上げた。

 袖口に結われた白布が重力に引かれて垂れ下がると、布の隙間から白手袋で覆われた華奢な手が顕れる。

 天を求めるように爪先は上空に向けられていた。そしてその細い指の向きに沿って、手の甲から凶悪な鋭角が出現した。

 鉤爪の様な弧を描いた三本の凶器は黒い斧だった。出現の後に腕が下がり、両手合わせて六振りの斧がキリカの豊かな胸の前で組み合わされた。

 獰悪な形状の凶器が放つ赤黒い輝きは、力を振う機会を今か遅しと待つ魔獣の唾液にも見えた。

 

「こう見えても私は、この齢十五の歳まで純潔を守り通している乙女だ。大和撫子と云っていいだろう」

「だからどうした。別に珍しくもねぇ」

「そんな私の身に降り掛かった災禍を君も見ただろう?」

「知らねぇよ」

 

 隠そうともせずに不快さに満ちた表情と声をナガレは放った。気にも留めずに、というよりも全く聞こえてないとでも云う風にキリカは更に続ける。

 

「あれは今朝の事だった。君と一緒に買い出しに行ったとき、町行く男どもの視線は私を辱めていた」

 

 美しい声で、キリカは嗚呼と嘆いた。夜の苦悩を嘆く賢者のようだったが、話の内容はロクでもなさそうだった。

 

「あれから約半日。月は沈んで星影も無しの夜空の下で、連中は昼間見た私に対し邪な欲望を煮え滾らせている事だろう。

 嗚呼もう、想像するだけで吐き気がする。友人、私はこの問題にどう向き合えばいいと思う?ここはやはり君を殺すしかないのか?」

「最初に会ってからそんな経ってねぇけどよ、お前随分と狂ってきたな」

 

 率直過ぎる皮肉を言いつつ、少年の眼には嫌悪感と同情があった。彼女が言う通り、周囲から向けられた視線は欲望に満ちていたことを彼もまた感じ取っていた。

 同年代なら兎も角、年少者に性的興奮を持つ感覚が彼には理解できず、そこに嫌悪感を持っているのだろう。

 また欲望の妄想の対象にされるという事に対して、否が応にも不愉快極まりない発情道化の姿を思い出していた。

 

「てなワケでだ、我が友よ。今日と云う今日は敗北を思い知らせ、私達への絶対服従を誓わせて遣ろう」

「面白い事言うじゃねぇか」

 

 この上なく邪悪な宣誓を前に、ナガレの瞳の中でまた一段と色の深みが増した。キリカの言い回しが妙な事に、彼は気付いているのかどうか。

 底なしの暗黒を思わせる瞳の中には、戦意と殺意が渦巻いていた。

 

「くふっ」

 

 それを見てとったキリカは小さな笑みを漏らした。笑い方には何かの影響が見てとれた。

 これは嫌がらせの一種か、或いは何も考えていないが故の偶然だったか。

 だがそれを切っ掛けに、両者を結ぶ均衡の線は弾けて散った。

 魔法少女と少年の足は音も無く地を蹴り、前へと進んだ。引き絞られた弓弩の様な速度で、己の得物を携えて走る。

 両者の距離がある位置に達した時、金属音が鳴り響いた。最初の一つが鳴り止まない内に次いで十数発が、そして数十発の音が鳴った。

 床自体が発光し、何処とも知らぬ世界の果てからも光が注がれているとはいえ、異界は薄暗さに支配されていた。

 

 唯一の例外は、キリカとナガレの周囲であった。間髪置かずに放たれる、両者合わせて八本の斧の乱舞が彼らの周囲に無数の火花を散らしていた。

 時折、光の合間を縫うように朱の液体が迸った。

 だがそれは少しの飛翔の直ぐ後に、交わされる無数の斬線によって切り刻まれ、または弾ける熱量に触れ焼け焦げた匂いとなって消えていった。

 

「やるね、友人」

 

 凶悪な得物を先端から生やした腕を振るいながらキリカが告げる。言葉が表すように、僅かながら感嘆の響きがあった。

 

「てめぇもな」

 

 自身の数段上をいく腕力が乗せられた刃の強風をいなしながら、ナガレも返した。

 両者の腕や肩には既に多数の傷が刻まれ、肌に朱線を引いていた。それながら両者の顔に苦痛の色は無かった。

 痛みを感じていないのではなく、この程度は負傷の内に入らないのだろう。

 刃の応酬の最中、黒い影が飛翔した。羽の代わりに血液や衣服の破片を散らしつつ、呉キリカの姿が魔鳥の様に宙に舞っていた。

 

「と、ここで唐突にイベント発生」

 

 退屈そうな口調で呟きつつ、下方へと向けた両手からは黒い刃が放たれた。

 

「さらば友人、ステッピングファング発ってうわぁ」

 

 本来ならば『射』と続いたのだろう。それを邪魔する投げやりな声をキリカに出させたものは、刃と入れ違うようにして彼女に向かって進む二つの弾頭だった。

 キリカが視認した直後、それは自らを内側から切り裂く炎と爆炎の贄となり、紅蓮の炎は黒い魔法少女へと襲い掛かった。

 上空で爆裂が生じたと同時に、地上ではガキンという音が鳴っていた。

 

 彼女が言う処の『友人』の首を胴体から切り離すべく投ぜられた凶器が、その者の刃によって切断された音だった。

 更にその音が鳴り止むのと同時に、一つの炎塊が地上へと落下した。

 物体が地に打ち付けられる音ではなく、靴底が地面を踏む音が伴われていた。

 

「また私を焼くか…君の性癖が読めてきたぞ、友人」

 

 人の姿をした炎となりながら、キリカは平然と喋っていた。

 流石にカバーしたのか顔の負傷は頬に浮いた軽い火傷程度であったが、胸から下は無惨としか言いようのない状態となっていた。

 衣服は燃え続け、その下の肉は焼け爛れどころか炭化が進行していた。

 特に豊かな肉と脂肪が付いていた胸は全損し、折れた枝を思わせる並びの肋骨に弾頭や骨の破片が突き刺さった心臓や肺が露出していた。

 

「この前は私の顔面を殴り続け、四肢を圧し折って首に膝蹴りをかましてくれたっけ」

 

 肉と脂肪が焼かれる、吐き気を催す甘い香りを漂わせながらキリカは遠くを見つめていた。

 長くなりそうだなと、ナガレは思った。

 

「よそ見してんじゃねぇ」

 

 埒が明かないと判断したのだろう、ナガレは手に掲げた火筒を再びキリカに向けるや否や躊躇なく引き金を引いた。

 戦闘中であり、尚且つ少しの油断が死に直結する相手とは言え、非情というか邪悪とも思える判断であった。

 再び放たれた破壊の申し子は、燃え続けるキリカの直前で二つに割れた。自らによる破壊ではなく、赤黒い刃の一閃によって切り裂かれていた。

 首から下を松明と化した魔法少女の背後で、二別れの瀑布のような爆風が轟いた。

 吹き付ける猛風を浴び、キリカの身体を燃やす炎は更に激しさを増した。その中で、他人事とでもいうようにキリカは平然と口を開いた。

 

「ううん…この状況にも飽きてきたな」

「急に随分まともなコト言うじゃねえか」

 

 ナガレは感心したように言った。何に感心したのだろうか。

 そして人類という枠組みの中、彼が定義する「まとも」とはその枠に入り切るものなのだろうか。

 

「じゃあやめたっと。真の力が解放されそうにもないしね」

「なんだそりゃ。お前変身でもすんのか?第二形態とかなんかに」

「友人、頼むから夢と現実の区別ははっきりつけて呉」

 

 言いながら、キリカは腕を振るった。肉よりも炭が多く骨に着いた腕だった。

 その途端、燃え盛る炎は嘘のように消え失せた。後には、生ける焼死体と化したキリカが残った。

 彼女は夢という言葉を使ったが、自身が悪夢のような存在という事に気が付いているのだろうか。

 

「あー…苦しくねぇのか」

 

 流石に不憫というか心配したのか、ナガレが訊いた。問い掛けの口調では無かったが。

 

「苦しくない訳が無いだろう。人を狂人扱いするな」

 

 頬を膨らませつつキリカが返した。漫画なら「ぷんすか」という擬音が宙に浮いていそうな顔つきだった。

 その状態で、キリカの身体を黒い光が包み込んだ。

 鱗粉のような光が炭化した皮膚に触れた瞬間、炭は剥離し、その内側から美しい白い肌が覗いた。

 焼失により細くなっていた輪郭が膨らみ、彼女の全身から鱗粉の様に炭が剥がれていく。

 美麗な女体が異界に顕れ、そしてその身を白と黒の奇術師姿が包み込んだ。

 光の発生から完全再生に至るまで、ほんの一秒も掛からない。悪夢めいた奇跡の体現が成されていた。

 

「相変わらずすげぇな。医者いらずじゃねぇか」

「そうでもないよ。長い間仮病するときには診断書を書いて貰っている。お医者様を馬鹿にするんじゃないよ」

「お前そうやってサボってんのか。親御さんが泣くぞ」

「友人の守備範囲は広いな。我が母君にまで欲情したか」

 

 噛み合っているのかどうか分からない会話が、異界の中で繰り返される。異界以上に虚構じみたやりとりだった。

 既に幾度か使用された表現となるが、悪夢のような遣り取りというか連中だった。

 

「ふあぁぁあ…」

 

 話し続ける物騒な魔法少女と人間らしき少年から少し離れた場所で、大きめの欠伸が木霊した。

 眠気による涙を浮かべた眼が開かれると、炎のような赤が覗いた。

 真紅の瞳に真紅の髪、そしてまた紅の衣装に身を包んだ魔法少女、佐倉杏子がそこにいた。

 異界の床面を切り裂いてくり抜いたと思しき岩塊を即席の椅子として腰掛け、異形たちのやりとりを眺めていた。

 真紅の眼には、呆れと退屈感が宿っていた。

 

「暇みたいだね」

 

 その杏子の傍らで声が鳴った。女のような声であったが、同時に機械的な無機質な音程の声だった。

 

「見りゃ分かんだろ」

 

 返答も面倒なのか、声は素っ気なかった。声を受けた存在は、杏子の傍らに腰を降ろした。

 子犬か猫程度の大きさの白い獣であった。そして猫や犬と異なり、耳から垂れた巨大な器官と人語を解する異常性を持っていた。

 そして獣の首には赤い首輪が巻かれていた。誰かの所有物であることを示すように。

 

「その首輪、まだしてんのかい」

「行動を阻害するものではないからね。それに僕の手ではこれは外せない」

「言葉を喋れるってのに、やっぱあんたは動物ってことかい」

 

 動物と云えばと、杏子は赤眼の白獣から視線を外し再び前を見た。眼を離した隙に、キリカとナガレの戦闘が再開されていた。

 動物で例えれば、これは一種の発情期みたいなものだろうと杏子は思っていた。

 先程よりも刃の乱舞は激しさを増していた。ナガレの手には手斧ではなく長大な斧槍が握られ、キリカの斧は左右で合わせて十本に増えていた。

 得物が大型化したにも関わらずに取り回しの速度は落ちておらず、またキリカも魔力の消耗などないかのように縦横無尽に動き回っている。

 破壊力と射程が増したことにより、剣先は異界の地面にも届いていた。床が削られ、時には無造作に置かれた岩状の隆起が粘土の様に切断されていく。

 

「止めないのかい?」

「無駄な事はしたくねぇのさ」

 

 獣の問いに応えながら、杏子は上着のポケットから菓子を取り出し、先端を口に含んだ。

 細い棒状のクッキーがチョコレートでコーティングされた菓子だった。

 

「うん、美味い」

 

 激しさを増す剣戟を絵画の様に眺めつつ、杏子は本心からそう呟いた。

 杏子の隣では、獣が物騒な黒髪達の攻防を見つめていた。

 獣の赤い眼の中では、ナガレの両肩を抑え胸板に強烈な膝蹴りを叩き込むキリカの姿が映っていた。

 そしてそれは直後に、その膝を掴み棒切れのように振り回す彼の姿となった。

 五回ほど回転の後に放り投げられ、上空へ浮いたキリカは即座に体勢を整えると、彼の真上からステッピングファングの雨を降らせた。

 口から血を吐きつつ、ナガレは傍らに突き刺していた斧槍を再び握り締め、降り注ぐ狂気を大斧の旋回で打ち払っていく。

 

 その上から両手に斧を纏ったキリカが急襲し、大瀑布のように両手を激しく振り下ろす。

 横に掲げた長い柄でそれを受け止めたナガレであったが、注がれた莫大な衝撃は彼の踵を地面に数センチほど埋めさせていた。

 得物を介して接触した二体の魔獣は、互いの息が掛かる距離で互いに笑みを浮かべていた。『悪鬼』と評する他ない、凶悪な笑みを。

 

「友人、いい加減に負けを認めなよ。そして私に八つ裂きにされるがいい」

「そいつはこの前見たアニメの台詞だな。次は血祭とでもほざく予定か?」

 

 言い終えるが早いか、両者は頭部をやや背後に逸らした。そして次の瞬間、黒髪達の額は打ち合わされていた。

 金属の激突よりも激しい音が鳴り響いた。額を合わせた状態で、キリカとナガレは数秒ほど硬直した。

 

「死んだのかな」

 

 率直に過ぎる言動は、獣のものだった。その言葉に、杏子は若干の意外さを感じた。

 物言いの仕方が、獣らしくないと思ったのだった。

 

「だと楽なんだけどね」

 

 そう返すのとほぼ同時に、魔獣達は活動を再開した。

 魔獣という表現に相応しい怒号というか叫びを挙げつつ、互いの肉体を破壊する行為に熱中している。

 杏子は再び欠伸を放った。見慣れた光景というのもあるが、やはり自分が蚊帳の外なので暇なのだった。

 

「平和だねぇ」

 

 欠伸の残滓を纏った声で杏子は呟いた。平和とは自身が置かれた今の状況を指しての事だろう。

 再び菓子を食みつつ、杏子はまたも欠伸をした。

 長めの欠伸を奏でる杏子の傍らでは、獣が魔獣達の闘争をじっと眺めていた。

 最初に見た時よりも、獣が一定時間の内に行う瞬きの数は増えていた。

 きっとこいつも困惑しているんだろうなと思いつつ、杏子は菓子をぽりぽりと齧った。

 口の中で広がるほろ苦さが、なんとも言えない心地よさを杏子に与えていた。












もう数か月もこの人らを描いていなかったので、ある種の生存報告と筆休めの為に書かせていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅⑤

「キャハハハハッ!ハハハハハッ!」

 

 妖艶ささえ漂う魔女のそれとは異なる、少女の面影を残した哄笑を挙げながら、赤く縁どられた闇の人影が飛翔する。

 身の丈の倍ほどもある長槍を携え、自身の数十倍にも達する巨影へと向かう。宙で槍が手前に引かれ、そして十字を頂く刃が突き出された。

 だが、突きの長さは十センチ以内に留まった。伸びきる前に、槍は動きを止めていた。

 

 少女の姿があった場所は、深紅の機械鬼の顔の手前だった。そしてそこには今、巨大な紅の拳が浮かんでいた。

 一本一本がドラム缶を遥かに上回る太さの指が束ねられた拳の下方からは、赤黒い闇の滴が滴っていた。

 人影の動きは決して遅くは無かった。それどころか、神速といってもいい素早さだった。

 だがそれよりも速くこの巨大な腕が動き、そして五指を開いて握り潰していた。

 人影からしたら、世界そのものに包まれた気分であっただろう。

 

 人影を握り潰した右腕を掲げた巨体が、不意に斜めに動いた。太い首が傾き、長く伸びた左角の先端で紅い欠片が飛び散った。

 刃のような角の先端が、ほんの数センチではあるが切断されていた。断面からは紫電が漏れ、先程の様に鮮血に似た液体が噴き出していた。

 角の直ぐ近くには孤影が浮かんでいた。その姿は、今握り潰された筈の赤と闇の人型だった。

 

「キャハハハハ」

 

 歯も見えず、ただ半月の形をもった口からは哄笑が出続けていた。それしか口の使い方を知らないように、嘲笑う声を挙げている。

 となればこの存在がにとって、この笑いとは呼吸に等しいものだろう。

 体表から闇の滴を滲ませ、そして右腕を肘の辺りから欠損していてもそれは変わることが無かった。

 間髪の差で悪鬼の魔手から離れた際に、超質量が掠めたのだろう。

 しかし苦痛など無いかのように、人影は再び槍を握り締め悪鬼へと向かった。

 傷付いた孤影にの真横からは、銀の光が迫っていた。残忍な光を湛えて空を切り裂いて進むのは、深紅の拳が握る巨大な手斧であった。

 

 その刃が傷付いた人影を上下半身の分離体へと変える寸前、それは起こった。

 斧を握る真紅の拳の甲で、金属音と火花が生じた。衝撃が拳を僅かに震わせた途端、拳を支える腕の動きは僅かに減じた。

 生じた隙を見逃さず、人影は槍を振った。十字の刃を戴いた長槍は旋回に合わせて形を変え、間に鎖を通した多節棍へと化けた。

 数倍の長さに延長され、鞭のようにしなった得物の先端は巨大な斧の側面へと激突した。

 十字刃が砕け、衝撃が根元へと伝播する。それを糧とし、人影は地面に向けて急速落下していった。

 

 傷付いた身が空中で可憐に翻り、人影は散らされた花弁のように着地する。長い丈の靴と地面の接地の際に、黒い飛沫が跳ねていた。

 地面は魔女から溢れた黒い闇が広がっていた。天地が逆転し、大地が夜へと変わったように。

 

 着地の際に膝をついた人影の傍らには、もう一つの影が立っていた。

 闇色の身体を、黄の色で包んだ人影だった。短いスカートから伸びた、美しい脚線が見えた。

 優美なラインを描いた胴体には豊満な乳房が乗せられ、腹部を締めるコルセットによってそれは更に強調されていた。

 小さな帽子を乗せた頭部からは、螺旋を描いた一対の髪が下げられていた。

 

 そして伸ばされた右腕には、長さ一メートルほどの細長い筒が握られていた。旧式の銃器、いわゆるマスケット銃という武器だった。

 闇と黄で作られた存在が何を模しているのか、上空のリナには思い当たりがあった。

 隣町で猛威を振るう魔女や私利私欲に染まった魔法少女達と真っ向から対立する、その地の最強の魔法少女。

 誰ともなく名前を告げようとしたその瞬間、紅の拳が地に向けて撃ち放たれていた。

 

 巨拳が闇に染まった地を砕く寸前、一対の影は左右に向けて飛翔していた。

 黄の影も紅の影と同じく、半月に開いた口から哄笑を挙げていた。

 二つの哄笑に合わせるように、地に伏せていた魔女もまたより一層の声を挙げた。

 機械鬼が追撃に移る前に魔女は巨体を翻し、再び宙に浮遊した。

 両腕は欠損し、上半身に十字の傷を付けられながらも、魔女の力は衰えていないようだった。

 

 巨拳が打ち付けられたことにより黒い大地が爆ぜ割れ、同色の破片が波の様に撒き上がる。

 闇の飛沫は巨大な拳を支える剛腕と、球状の肩の高さを越えるまでに高く昇った。昇り詰めた果てで、不定形であった闇は一斉に形を変えた。

 フードで頭部を覆った僧服姿、長方形の巨大な刃を構えた軽装、学生服にゴシック、更には肌面積が殊更に多いものもいた。

 身体の内に闇を蠢かせ、人の輪郭をそれぞれの色で覆った無数の少女達の影姿が宙に舞っていた。

 それらの手には刃に槍、斧や弓矢はもちろんながら四角形の立体物に扇など、武器とは思えない物体を所持したものも多かった。

 先程出現した存在を鑑みれば、それらの正体というか『原形』は考えるまでも無い。

 

「魔法…少女…」

 

 リナの呟きが聴こえたように、彼女たちの顔に口が開いた。耳まで裂けた半月からは、夥しい哄笑が飛び出した。

 無数の声の唱和を受け、世界は霞んだようにも見えた。飛翔する少女達は一斉に得物を構え、深紅の巨体へと躍り掛かった。

 人型の蠢く波は、紅の鬼を包み込んだかに見えた。だが少女達と巨体が接したと見えたとき、闇に光が射しこんでいた。

 巨体の全面に広がっていた闇は、散りばめられた砂の様に宙に広がった。闇が開けた中には、刃を振り切った機械鬼の姿が見えた。

 

 異界の重力に引かれ幾つもの手や足が、そして上下半身や首が闇を吐き出しながら堕ちていく。

 切り裂かれる少女達の連鎖は、刃の範囲を越えて続いていった。刃から放たれた衝撃波は不可視の破壊閃となり、贄を求めて空間を疾駆していく。

 数百の少女達を切り裂き、数千の人体の欠片が空中にばら撒かれていた。残酷な景色が描かれた果てに、巨大な黒が聳えていた。

 

「ハァーッハッハッハ!ハッハッハッハッハッハ!!」

 

 少女達の惨殺体が降り注ぐ光景を前にし、伝説の魔女の哄笑は更に深みを増しているように思えた。

 終わらぬ哄笑に対し、深紅の巨体が再び両腕を振った。

 振り切られた先にある両手からは、握られていた得物が消えていた。一対の斧は銀光を発する円盤となって、切り裂かれた少女達の間を飛翔していた。

 運悪く旋回に接触した個体は、例え接触の場所が指先であっても全身を微塵と砕かれていた。

 刃事態に衝撃波が呪いの様に塗り込められ、破壊力が増大しているようだ。

 

 殺戮の円弧が突き進む先には、魔女の巨体が待っていた。その顔面に斧が激突したと見えた瞬間、刃と魔女との間で異変が生じた。

 顔面に突き立つ筈の刃が、獲物を前にしたほんの数センチ手前で前進を止められていた。

 それでいて回転は止まらず、魔女の顔の前では夥しい火花が散っていた。

 五秒間ほど激しい回転が続いた後に、巨大な斧は無骨な外見に反する澄んだ音を立てて虚空へと舞っていた。

 弾き返された得物には一瞥も与えず、機械鬼は鋭い眼差しを魔女へと向けていた。機械の眼は、魔女の巨体を覆う薄紫の障壁を捉えていた。

 更に、それを生じさせているものも。

 

 障壁の周囲、魔女の巨体表面の十数か所には様々な色の輪郭を持った少女の影が貼り付いていた。

 限界まで伸ばされた手や足は、十字架の形となっていた。その手首や足首に相当する部分を、太い円錐が貫いている。

 魔女の深青の衣服に縫い止められた少女達もまた哄笑を挙げていたが、歓喜か恐怖か、苦痛に依るものかは分からなかった。

 その内の一体が、笑いを続けながらその身を砕いた卵の様に弾けさせた。それが契機となったのか、魔女の表面で少女達は次々と破裂していった。

 破壊を防いだ代償を、彼女らは魔女に代わって支払っているのだろう。

 

 やがて弾けるものがなくなったが魔女が笑い声を止める事は無く、寧ろ更に音量と嘲弄の響きは増していた。

 魔女を守るように周囲に浮遊する少女達も、その声に身を震わせているように見えた。

 

 笑い続ける魔女の表面、正確には引き裂けた胸元から零れる闇が蠢いた。泡のように膨らんだとみるや、丸みを突き破り長く細い腕が伸びた。

 それは一本だけではなく、数十、数百本もあった。次いで頭が、胸が、腹に脚がと湧き出ていった。

 先に出たものを押し退け、また先のものは後続を足蹴にし、我先にと魔女の内より這い出ていく。まるで母たる魔女から逃げるように。

 

 その様子を、機械鬼はじっと見ていた。空中のリナはそれに不可解な想いを抱いた。一度弾かれたとはいえ強引に突破できなくもないと思えるのに。

 約十秒ほどが経過した。魔女という巨大な点を中心として、空を覆い尽くさんばかりの闇が広がっていた。

 闇は全て、細部の形は違えど魔なる少女達の姿をしていた。

 無数の雲霞を思わせる規模となった少女達は再び、深紅の巨体へと闇の津波となって襲い掛かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅⑥

 

 「あぁぁああああああああああっ!!」

 

 欲望に生きる魔法少女、優木沙々は宙を舞っていた。正確には、彼女が彼女を頭に乗せた巨大な魔女が宙を舞っていた。

 

 「ききっ」

 

 鋭い音程の鳴き声からは、主への叱咤が伺えた。散々にこき使われている筈だが、この魔女なりに主の事は好いているらしい。

 

 「なんで、なんで私がこんなぁああ!」

 

 幾十幾百と放った理不尽への嘆きをまた口にしつつ、優木は荒れ狂う風に翻弄されていた。

 宙に浮いた瓦礫から投げ出されてから、この状態は続いていた。地上約五百メートルほどの位置に、優木と魔女は浮かび続けていた。

 叫びながら、優木は地上を見た。遥か彼方の光景であったが、彼女はすぐに眼を逸らした。そして理不尽に対しての罵りを放った。

 悪罵の内容は『くたばれ赤毛発情雌猿』や『キ印淫乱メスゴキブリ』、『孕み願望持ちの淫売血眼』など、明らかに現状へ向けたとは思えないものが混じっていた。

 

 「ひいっ!」

 

 そして道化は、乱流に揉まれ始めてからちょうど千回目の悲鳴を挙げた。青い瞳は、地上に向けられていた。地上とは、地獄の事でもあった。

 

 

 宙を横切る銀の一閃が、一面に広がった極彩色の闇へと吸い込まれる。闇はそれぞれが異なる色の輪郭を持った人影で出来ていた。

 影のようなシルエットでありながら優美さと可憐さを兼ね備えた少女達の姿に、残酷な運命が訪れていた。

 華奢な首が飛び、細い胴体が二つに裂かれていく。致命的な破壊と同時に少女の形は崩壊し、漆黒の液体と化して宙に迸った。

 その数は数百体を下らず、またその破片は数千を数えた。

 

 砕けた四肢や頭部は美しい形状の名残を遺した彗星となり、後続の少女達を貫いていった。

 武器の先端に破壊光を灯していた少女の頭部を、手首が引っ掛けられたままの長剣が貫き、刃を抜き放ちかけた少女の胴体に前衛の少女の頭部が減り込んだ。

 百の犠牲者は千の断片となり、同数以上の同胞を闇の肉片へと変えた。

 

 破壊の連鎖が続き、祓われた闇の中に少女達の身長の三十倍以上はある巨体が浮かび上がった。闇と反する深紅の光を放つ、鬼を模したような巨体であった。

 深紅の機械鬼はその中へと足を踏み入れ、腕を振るった。少女達の断片が飛び交う地獄絵図の中を、斧が再び駆け抜ける。

 指先や足の先にそれが触れただけで、少女達は原形を留めぬ闇の塊として無惨な姿を宙に躍らせた。

 

 少女達を破滅させたのは、刃ではなくその背面に据えられた鈍器であった。瘤が隆起した形状には拷問具を連想させる凶悪さがあった。

 その数に相応しい量の飛沫が弾け、地面に向けて落ちていった。落ちた先もまた、闇で彩られていた。

 

 機械鬼と少女達の戦線を中心とし、滔々と海のように広がっていた。その面積は恐らく、最初にリナ達がいた都市の広さに相当するだろう。

 その広さが、犠牲者たちの数の莫大さを物語っていた。

 犠牲者たちの残骸がその上に落ちる度に表面に波紋が浮いた。

 

 波打つ闇の水面の上に一体の少女が落ちた。可憐な衣装の至る所が引き裂け左腕は欠損し、元は剣か杖であったであろう武具も半ばから折れていた。

 だが哄笑をあげながら、少女はゆっくりと立ち上がった。邪悪さを湛えた半月の笑みと哄笑さえなければその姿はまさに魔を滅ぼす聖なる少女の威容であった。

 その上に巨大な黒影が落ち、そして更に巨大質量が架せられたのは次の瞬間だった。地面に湛えられた闇は巨大な波紋を波打たせ、少女もまたその一部となった。

 

 巨塔のような太い足を闇の大海の上に落とし機械鬼は立っていた。足が置かれた闇の上に、無数の塊が大雨の様に降り注いだ。

 びちゃびちゃという音を立て、美しい肉体の断片たちが落ちていく。その隙間を縫いながら、夥しい数の影が飛翔する。

 斧の乱舞によって切り裂かれた空白が、瞬く間に影達で埋め尽くされた。

 

 振るわれる斧に身を裂かれながら、または魔の障壁や同胞を盾にしながら少女達は哄笑を挙げて機械鬼へと殺到していく。

 悪夢のような光景を前に機械鬼は嵐の様な乱舞を少女の群れへと叩き込んだ。斬線が縦横無尽に奔り、軸線上の全てを斧の刃が切り裂いていく。

だが四方八方から飛来する少女達の影は、無限とも思える物量でもって次々と迫り、やがてその巨体を完全に覆い尽くしていた。

 

 重なり合った哄笑は激しさを増し、声の合間には金属音が混じり始めていた。がりがり、がきりと、歯が硬質な何かを齧る様な音にも聴こえた。

 刃に剣に斧に槍に手甲に槌にと、考え得る限りの近接武器が紅の装甲に突き立っていた。頑強な装甲によって闇の刃の先端が欠け、槌にひびが生じた。

 構わずに少女達は刃を振い、槍を突き立て拳を叩き込んだ。ばきっという音が何処かで鳴った。その近くで、殊更に高らかな哄笑が挙がった。

 声を放ったのは真紅の輪郭を持った、長槍を携えた個体であった。

 

 十字を描いた槍の先端が僅かに装甲に喰い込み、傷を作り出していた。そしてそれは、次々に至る所で生じていった。

 白銀の少女が突き立てた短剣が、傍らに立つ黄金色の少女の両腕の巨大な槌が、銀色の少女の拳が装甲の表面を削り取っていく。

 遂に装甲の一角が砕けた。緑の光が装甲の内より漏れ出し、次いで鮮血の様な液体が滴り落ちた。

 開いた傷を更に拡大すべく、少女達は腐肉に群がる蛆の牙の様に己の獲物を振い続けた。

 その時だった。

 

 ザクッ、という音が大気を震わせた。音と同時に無数の影がその身を裂かれ、闇色の鏡面のような断面を見せて落ちていった。

 残酷な破壊をもたらしたものは、機械鬼の両肩から伸びた二本の柱であった。鈍い銀色をした柱を巨大な腕が掴み、振りかざす。

 巨大な影が少女達の上に落ちたその瞬間、影の下にいた者達は悉く弾けて散った。美しい雲霞の群れを蹴散らし、巨体が闇の中に再び浮かび上がる。

 少女達の武具によって体表の至る処を刻まれた巨体の両手には、長い柄が握られていた。

 

 遥か先まで伸びたそれの長さは、機械鬼の巨体の倍ほどもあった。その先端は、凶悪という他ない形状をしていた。

 円に近い形状の巨大な刃が、両刃の大斧が据え付けられていた。

 少女達によって至る所が抉られ、内部の冷たい鉄の色を晒されていた。

 更に少女が弾けた後に降り落ちる闇と己の深紅の液体に濡れ、深紅の機械の鬼は、黒と赤の斑の姿となっていた。

 だがその姿は痛々しさよりも、禍々しさが際立つ姿だった。

 

 顔の辺りの結晶部分の一部が砕け、罅を走らせていた。上下に鋭い罅割れを成し中間部分が砕け落ちたその様子はまるで、悪鬼の笑みの様だった。

 その姿に相応しい破壊を撒き散らすべく、深紅の悪鬼は両手を無数の少女達へと振り下ろした。その途端、空を覆う闇は二つに裂けた。

 得物が巨大化したことで、破壊の範囲は段違いに拡大されていた。それどころか、刃の切っ先が届く筈のない空の彼方にまで破壊の一閃は届いていた。

 鈍い銀色の長大な斧の表面には、薄っすらと緑の光が纏われていた。それは斧が振るわれる度に空間を迸り、破壊の光となって少女達を切り刻んでいった。

 笑い声を挙げながらも、少女達は撤退を余儀なくされていた。そして背を見せた少女達にも、非情の刃は降り注いでいった。

 盾となるべく前進した者達を贄として破壊の大嵐から離れると、少女達は一斉に振り返った。手にした各々の得物には、主と同じ色の光が宿っていた。

 

 両斧を左右に振り切りながら、機械鬼はその方向を見ていた。鬼の周囲には一人の少女の姿も無かった。

 先程の二撃によって機械鬼の周囲、直径にして約一キロメートル間の少女達は全滅に追い込まれていた。

 鬼の足元に蟠る闇の褥は少女達の血肉を吸って、最初の頃の倍ほどの厚みを湛えていた。

 その闇が大きく震えた。空高く闇が巻き上げられたかと思いきや、闇の瀑布を喰い破り巨大な姿が顕れていた。

 

「ハァーッハッハッハッハッハ!!!ハァッハッハッハ!!!」

 

 頂点に巨大な歯車、下部に貴婦人の姿が組み合わされた異形が哄笑と共に闇の中から出でていた。機械鬼が反応するよりも早く、その巨体に深青の物体が巻き付いた。

 優雅な衣装に袖を通した、伝説の魔女の腕だった。

 その瞬間、影の少女達は一斉に光を放った。機械鬼と伝説の魔女を取り巻く全方位から、光の束が押し寄せる。

 そして遍く必殺が、世界を極彩色に染め上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 悪鬼どもの平凡な余暇

「嗚呼、暇だ」

 

 鮮血色の美麗な唇が開き、八重歯が覗く口から短い言葉が漏れた。

 言い終えたキリカは「んん~」と喉を鳴らしながら両手を上向きに伸ばした。魔法少女服の下からは、肘関節が鳴る音が聴こえた。

 

「暇だ。おい友人、一丁爆発四散でもして呉ないか」

 

 やや古びたソファに座りながら、キリカは言った。適当そのものといった口調だった。

 キリカから見て斜め右のあたり、距離にして約三メートルほど離れた床の上に声の矛先となった存在がいた。

 

「暇なら寝てろ。つうか何時まで居座ってやがる」

 

 憮然とした口調でナガレは返した。木製の床の上に引かれたブルーシートの上で、彼は胡坐をかきつつ膝の上に巨大な斧を乗せていた。

 魔法少女の天敵兼獲物である、牛の魔女の本体だった。常時は三メートル近くある柄は縮小され、ほぼ斧部分だけとなっていた。

 傍らに置いた工具箱に手を伸ばしながら、彼は口を開いた。その時彼の右手には、一本の金槌が握られていた。

 

「平日だってのに学校も行かねぇで、しかも俺の寝床を奪いやがって。何考えてやがんだてめぇはよぉ」

 

 苛ついた声を出しつつ、ナガレは金槌で大斧の刃面を叩いた。女の様な声質だが悪鬼の様な荒々しさのある声に反して、無骨な金槌が斧を叩く音は鈴の様に澄んでいた。

 音が鳴るたびに、斧の中央にある黒点が瞼の瞬きのように蠢いた。それ以外は動きもせずにじっとしているところを見ると、悪い気分ではないらしい。

 

「なんだ友人。爆発はまだしないのか?その立派なブルーシートが泣くぞ」

 

 『ブルーシートが泣く』。恐らくは地球上で初めて使われ、そして二度と使われることが無さそうな言葉であった。

 その言い回しが癇に障ったのか、ナガレの苛つきは更に増した。一廻し毎に螺子が奥へと喰い込むように、怒りが彼の脳内に満ちていく。

 だが反論を言うことは無く、彼は作業を続けた。刃を反転させ、反対側を同様に叩いていく。

 

「嗚呼、暇だ。暇だから思い出話でもしようかふぁぁ…」

 

 欠伸を放ちつつキリカは言った。脱力するような語尾だった。

 

「右腕二百九十回、左腕二百八十二回、右足百七十回、左足百八十五回」

 

 何処からか取り出したメモ帳を見ながら、キリカは述べていく。

 

「顔面三百二十一回、頸二百十二回、胸百九十三回、腹部二百五回」

 

 どう考えても禄でもない数字と単語の羅列だった。ナガレはそれを無視しながら、斧の表面を布で磨き始めていた。

 

「ここ三日間だけでこれか。ううむ…我ながらよく生きてるな。これは凄い、国民栄誉賞ものだ」

 

 そう言うとキリカは魔力でペンを生成し、右手で握ってノートに『国民栄よ賞』と書き込んだ。字が分からなかったらしい。

 因みに彼女の文字は一文字ごとに大きさが変容していた。字の形も機械の精緻さを持ったものもあれば、尺取り虫の奇形のような曲がりくねった字もあった。

 見ているだけで精神が削られるような、異界じみた筆跡だった。

 

「ところで友人、お母さんは何か言ってたかい?」

「知らねぇよ」

「何だと?私はてっきり影で連絡を取り合ってるのかと思っていたが…意外と奥手なんだね」

「意味が分からねぇよ」

「まぁ良かった。我が母の身は君に穢されずに済みそうだ。妹か弟をみることもないだろう」

「ああそうか、てめぇ死にてえんだな」

「ふざけるな。私が黒っぽい格好してるからって安易に死のイメージを持つのはやめたまえよ」

 

 呉キリカという存在と遭遇し既に百回以上は思った事だが、改めて彼は確信した。この宇宙はやはり、訳の分からない存在で満ちているのだと。

 そう思っていること自体、というよりも彼自身がそう言った存在であるという事を果たして彼は理解しているのだろうか。

 

「まぁ話を戻すけど、君自身もここに居座る不届き者じゃないか。説教を言われる云われは微塵もないね」

 

 先程の狂を発した発言とは裏腹に、それは正論に違いなかった。痛い処だと思ったのか、ナガレは黙った。

 

「そもそも佐倉杏子には、既に滞在許可を貰っている」

 

 ほくそ笑みつつキリカは胸を張った。ただでさえ巨大質量を押し込められている胸元は、今にも弾けそうだった。

 

「今買い物行ってっけど、あいつは何つってた?」

「妙に説明台詞臭いぞ友人。あと君はプライベートという言葉を知らないのか?」

 

 問いと問いが交差する。だが互いに答えを求める気は無いのか、やる気のない声を用いての応酬だった。

 言い終えるとナガレは作業にも戻り、キリカはソファにごろりと寝転がった。

 

「まぁいいや。そして矢張り君は、世界の安定には不要な存在のようだな」

「おいキリカ。てめぇ鏡って知ってっか?」

「いきなり話を意味不明な方向にシフトするんじゃないよ。驚くじゃないか」

 

 会話にならない会話を繰り返しつつナガレは作業を進め、キリカは傍らに置いた紙袋から飴玉を取り出した。

 一度に一個ではなく四個の色とりどりの丸飴を、「あぁむ」と言いながら口に含んだ。舌の上で転がされた雨から糖分が滲み、キリカの顔を綻ばせた。

 天使が羨むような笑顔となり、悶絶したようにソファの上で身をよじる。紅潮した顔は、性的な色香さえも醸し出していた。

 これらは無意識によるものだろうが、異性を誘惑するには事欠かない才能を持っているようだった。

 

「あぁ、幸せな気分のせいかな。ちょっと回想シーン的なものをさせてもらおうか」

 

 魔女の手入れをしながらナガレは訊き耳を立てた。作業に飽きてきたのだろう。

 

「また神浜市に行きたいなぁ。あそこは美味しいものが沢山あるし、今と違って何処に行っても退屈しない」

「喧嘩相手には困らねえって事か」

 

 返したナガレの口は自然と口角が吊り上がっていた。面白そうだとでも思っているのだろう。

 

「まぁね。黒パン一丁のくノ一姿とかTバック履いた女子プロ被れの太眉中一、裸同然の上にタイツを纏ったトンファー女に変態腐れ外道アーティスト」

 

羅列される言葉にナガレの眉は跳ね上がっていた。理解不能さからのものだろう。

 

「私の片目隠しをパクった桃色の糞餓鬼にその保護者ども、美味しいオムライス屋さんにクソデカハンマーを振り回す狂犬、あと右目から毛を生やした特撮女幹部とかのならず者たちがウジャウジャいるね」

「地獄じゃねえか。てめぇにお似合いだな」

「そうやってまた友人は私を物騒な奴扱いする。私を言葉の通じない怪物とでも思ってるのか?」

「ああ、言いたいコト言ってくれてありがとよ」

 

 言いつつ、ナガレは手を止めて過去に思いを馳せた。何を言ってるのか分からない連中には覚えがある。

 御大層な、神々しいとさえいえる四体の偉そうな連中には常に上から目線で説教じみた事を言われた思い出があった。

 傀儡だのなんだのと難しい単語を羅列された事や態度が気に喰わず、最期は逆上して滅殺した相手だった。

 あれから随分経つが、今にして思えば揃いも揃って荘厳な声だったなと、彼は方向性が間違ったとしか思えない考えを抱き始めた。

 特に金色の奴の声はテレビでよく聴く気がするなどと思い、勝手に感心しはじめていた。彼も大概である。

 

「私はコミュ力には自信があるつもりだ。その証拠に現にこうして、人間性が大絶滅している友人とも会話が出来ているじゃないか」

 

 何処からくる自身なのかは定かではないが、キリカは自信満々に言った。

 

「ま、会話にも飽きてきたし、取り敢えず今目標を決めた。クリスマスあたりまでには、君を完膚なきまでに叩き潰して遣ろう。

 そして甘くて美味しいケーキを頬張りながら、晴れやかな気持ちで新年を迎えるとしようじゃないか」

「やれるもんならやってみやがれ」

 

 朗らかな表情で告げたキリカに、ナガレは餓狼の貌で返した。そのまま数秒時が流れた。

 その間に、両者の間の空気は張り詰め切っていた。無数の氷の張りが空間を埋め尽くしているような、そんな気配が廃教会の中に充満する。

 音も無く、黒い魔法少女の姿が空中に跳ねた。掲げられた両手の先には、既に赤黒い刃が展開されている。

 呼応し、ナガレは斧の取っ手を握り締めた。途端に柄が伸び、長大な槍斧と化した。斧の中央の黒点が光り、現世に異界が顕現する。

 

 黒い靄に包まれつつ、ナガレは笑みを浮かべた。先程のそれよりも深い、悪鬼羅刹の貌となる。

 手入れをした魔女の切れ味も試したいと思っていたので、この流れは彼にとっては都合がよかった。

 呉キリカが廃教会に滞在し始めてから一週間が経過しているが、その間彼女は二時間に一回は彼を殺しに掛かっていた。

 そのため彼も、もうそろそろかなと思っていた。さながら、果実の収穫か即席麺が出来上がる時間を図っているかのような気楽さだった。

 その一方、彼の顔と心には緊張感も漲っていた。気軽に会話が出来ても、一瞬でも手を抜けば死に直結する相手に変わりはないからだろう。

 

 異界が広がり行く前に、六本の斧が美しい魔法少女と共に彼の元へと降り注いだ。

 巨大な斧がそれらを纏めて迎え撃ち、金属音を鳴り響かせる。

 呉キリカが言った年中行事の鈴の音のように、冷気が満ちた異界の中で剣戟の音は終わることなく鳴り響き続けていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 夜紅⑦

 人型の闇から無数の光が発せられる。それらは深青と深紅の巨体へと殺到し、至る所へ突き刺さった。

 着弾の瞬間、眩い色が迸った。光に包まれた二つの巨体は、極彩色の鳳仙花に見えた。

 光の中では紅の装甲の表面が砕け、また貴婦人のドレスも無残な破片と化して飛び散っていた。

 装甲やドレスの破片は爆風で引き千切られたものや熱で溶解したものもあれば氷を纏ったり、刃物の様に切り裂かれていたものもあった、

 そして挙句には植物らしきものの根が湧いていたものまであった。無数の魔の力の奔流は、巨大な両者に対して確実に損傷を与えていた。

 

 キャハハハハ!ハァッハッハッハ!」

 

 自らが破壊されながらも、伝説の魔女は笑い続けていた。両腕で深紅の鬼を呪いの様に拘束しつつ、闇の少女達の攻撃に晒され続ける。

 その顔が、巨大な手によって掴まれた。一気に圧搾された直後に思い切り下方に引き倒され、巨体が闇に染まった大地へと叩き付けられる。

 巨大なヒビが大地を引き裂き、その内側に地を覆う闇が逃げ場を求めるように落ちていく。

 

 起き上がろうとした魔女の巨体の中腹に、機械鬼は右足を叩き込んだ。魔女を力づくでねじ伏せ、地へ縫い留めるように拘束する。

 その間も少女達の攻撃は止まらず、豪雨の様に深紅の巨体に降り注いでいった。

 そして魔女を相手にしていた、その僅かな時間に鬼の周囲に少女達が群れを成して浮いていた。

 その様子はまるで深紅の光に呼び寄せられた、美しい誘蛾のようだった。

 

 巨体の両肩から手斧が飛び出すよりも早く、その左肩を長さ十メートルほどの巨大な三又槍が、そして右肩を眩い赤の閃光が抉っていた。

 剥離した装甲が鱗粉の様に舞うその彼方には、水色の少女の影があり、閃光の元には桃色の少女の姿があった。

 

 桃色の少女の前面には、機械的な可動がされた大きな鏡が掲げられていた。闇で造られながらも磨き上げられた鏡面には、赤い光の残滓が燻っていた。

 一瞬遅れ、装甲が剥離した肩から射出した斧を握ると、鬼は報復の一閃を見舞った。『すぐ』という表現に至らないほどの時の後、音が鳴り響いた。

 刹那を数十に分割するほどの速さで飛来する死の一閃の正面に夥しい数の闇が纏わりつき、刃と己の得物を突き立てていた。

 何の前振りもなしに忽然と顕れたのは、頭から足の裾までをローブで覆った少女達だった。

 

 手に携えられた鎖鎌や身体の正面に浮遊させた三本の剣で、巨大な斧に抗う。だが次の瞬間、抵抗の刃は主諸共両断されていた。

 横薙ぎに斬り払われ、少女達は大気を染め上げる闇の飛沫と化した。その飛沫が、刃の前へと吸い込まれていった。

 正確には、刃の前に浮遊する一体の人影の元へと。凝縮する闇の中、人影の輪郭を成す紫の色が蠢いていた。

 人影は手に長い刃を携えていた。日本刀に近い形状の刃であった。それが、巨大な斧を止めていた。

 リナはその光景が信じられなかった。巨大に過ぎる機械鬼の武器を喰い止めたということもあるが、それ以上にそれを成した者の姿に愕然としていた。

 

「ま…麻衣…?」

 

 全身から闇を立ち昇らせ異形ともいえる気配を身に纏った紫色の少女の姿は正に、リナが口にした者の姿をしていた。

 斧と噛み合う刃が振られたその途端、少女が立つその背後から無数の光が飛来し斧の側面に叩き込まれていた。そのタイミングで少女は刃を振った。

 数十倍の大きさの斧が背後に大きく後退し、巨体も僅かに仰け反っていた。その好機を、少女達は逃さなかった。

 

 反った胸を蹴って、鬼の顔の前に紅の影が身を躍らせた。竜の尾の様に長い髪を振り回した細いシルエットは、三メートルにも達する長い槍を携えていた。

 そしてその背後には、更に二つの影が浮かんでいた。

 魔女という言葉が相応しい尖った帽子を被り、腕に大鎌を携えた薄紫色の少女と、憲兵の様な帽子と服を纏った長髪の緑色の少女であった。

 赤い少女が先行し、鬼の顔面に槍を見舞った。突き立てるのではなく、思い切り振りかぶってからの一薙ぎだった。

 

 既に無数の光に晒され装甲が弱体化していたのだろう。赤い槍の先端に頂かれた十字は鬼の左角の根元から口元までに一筋の傷を与えていた。

 更にその反対側からは、一瞬遅れて大鎌が見舞われていた。先程の一撃を反対側から行ったように、鬼の顔に斜めの傷が走った。

 そして装甲の内側から噴き出す深紅の液体を突き破り、無数の緑色の光が鬼の顔面に突き刺さった。

 

 光は憲兵姿の緑の少女が突き出した、両手の中の四角い立方体から発せられていた。

 他の少女達よりも大きく裂けた口から、殊更に狂気を孕んだ笑い声を振り撒きつつ、緑の少女は背後へと下がった。

 それと入れ替わるように、更に複数の影が飛来した。青、赤、紫に緑の影だった。

 青は陽炎を纏わせた大斧が据え付けられた槍を、赤は揺らめく闇の炎を纏った扇を。

 紫は紫電が渦巻く巨大な槌を、そして緑は全身を覆い隠すほどの大きさの大盾を携えていた。

 

 赤い少女の演舞と共に扇から莫大な闇の炎が噴き上がり、鬼の上半身を包み込んだ。一瞬の後、巨大な二つの腕が炎を吹き散らした。

 開いた闇の左右から、斧槍と大槌が鬼の胸元へと叩き込まれた。斧槍は青い影が手に持ったものを中心に、虚空から生じた同型のものが無数に追随し、大槌は先程の十倍ほどに巨大化していた。

 多重攻撃を前に、装甲だけではなく胸部のガラス体が轟音と共に砕け散った。そして露出した異形のメカニズムへと、無数の物体が突き刺さった。

 餌に喰らい付く魚群の様に来訪したそれらは、一つ一つが人間並みの大きさの鉄鋏であった。装甲を刃が削り、機械を抉っていく。

 

 次々と放出されていくそれらは、緑の少女が掲げた大盾に開いた孔から生じていた。機械鬼が両手を広げ、胸元に五指を立てた。

 ばりばりという音を立て、半壊した胸の装甲が群がる鋏共々に一気に引き剥がされた。装甲の内側に詰められた機械の配列は、人間の肋骨や臓物に似ていた。

 血の様な液体に濡れそぼったそれに吐き気を覚えつつ、リナは肋骨の中央にある角ばった物体を見た。

 上方に複数の管を伸ばし暗緑色の光を帯びて輝くそれは、臓器で言えば心臓に見えた。動力源に違いないと彼女は思った。

 

「いけない!」

 

 気が付いたときに彼女は叫んでいた。その叫びを合図としたかのように、光の様な速度で飛来した、巨大な物体が鉄の心臓に突き刺さった。

 切っ先を心臓へと埋めたそれは、巨大な十字の刃。竜の胴体を思わせる長い柄が刃の下方に流れていた。長大に過ぎる槍に、リナは見覚えがあった。

 長さにして凡そ二十メートルは下らないそれを機械鬼が引き抜こうと手を伸ばした時、巨大な掌を同型の槍が刺し貫いた。

 それは両手に肩に、膝にと続いた。既に与えられていた損傷部分を正確に射抜き、長い槍が巨体を貫通する。

 鮮血色の液体が破損個所から噴き上がり、闇に紅の色を足していく。

 

 唯一貫通を免れた部分、胸に突き刺さった槍の十字部分の上に、真紅の人影が立っていた。巨大な槍と同じ形状の槍を携えた長髪の少女の紛い物がそこにいた。

 口だけが、半月の口だけが開いた笑顔を見せつつ、真紅の影は足場である槍穂を蹴って飛翔した。

 その背後から、無数の光が機械鬼に向けて降り注いだ。その中を真紅の少女は悠然と跳び、光の傍らを抜けていった。

 

 緑色の光が深紅の装甲に触れた時、ヒビが無数に入った装甲は音も無く溶解した。青い光は装甲を氷結させた。

 赤の光には灼熱が宿り、露出した機械を焼け焦がした。そして眩い白光と夜の様な黒光には、純粋な破壊の力が籠められていた。

 鬼の脇腹と尖った右角を、黒と白の光が抉り、そして吹き飛ばした。更に生じた損傷に向けて、光は容赦なく撃ち放たれた。

 遠距離からの砲撃だけではなく、多くの少女達が前線に向かって飛翔していった。光の合間を縫って飛翔し、自身の獲物を巨体に向けて振り下ろす。

 

 刃に槌に槍にと、考え得る限りの近接武器が叩き込まれていった。中には、両手に握られた二丁拳銃の連射や扇から発せられる闇の炎の乱舞もあった。

 鬼の全身で魔の力による破壊が爆発となって連鎖していく。吹き荒れる破壊の嵐を掻い潜り、黄金の輝きを纏った少女が鬼の顔の前へと躍り出た。

 優雅な素振りで伸ばした両手の前に、少女の両手の裾から生じた布のような線が絡まっていく。瞬く間にそれは、巨大な大砲の形となった。

 巨砲が形成させるが早いか、その先端から黄金の光が撃ち放たれた。眩い閃光が鬼の顔面を包み混む。遠く離れた場所のリナですら、目を背けるほどの光だった。

 光の中、薄っすらと人影が見えた。優雅に茶杯を傾けているように見えた。

 

 仰け反った巨体に向け、更に少女達の攻撃が続いた。その中で、天と地を繋ぐ闇色の稲妻が見えた。

 見た時に、リナは畏怖による嗚咽を漏らした。稲光が吸い込まれたのは警棒のような杖であり、それを携えたものは軍人に似た姿をしていた。

 見間違えようはずもなく、自分自身に酷似した姿の個体がそこにいた。杖に纏われた雷撃が無数の毒蛇となり、深紅の巨体に牙を立てていく。

 

 二体の人型を従えた、童話のヒロインに似た姿の少女が従者に攻撃を命じていた。

 サッカー選手の様に身軽な服装をした少女が、無数の棘を生やした靴底を装甲に叩き込む姿が見えた。

 カッターナイフに似た巨大な剣を振う少女がいた。鎧を纏う少女が手にした剣が突撃槍に変異し、その先端からは周囲の光を束ねたよりも更に巨大な光が撃ち放たれた。

 右肩に着弾したそれは、鬼の装甲を易々と貫き胴体から肩を捥ぎ離した。落下した右腕が闇の飛沫を上げ、その中に沈み込んでいった。

 少女達の哄笑は終わりを知らないかのように続き、破壊を纏った光の乱舞も続いていく。

 

 機械鬼の装甲は全身からほぼ剥がれ落ち、内部の機械も無残な破壊を受けていた。両目は既に欠損し、暗い洞となっていた。

 先程の黄金の光によって、顔の緑のガラス部分も殆どが剥落していた。口の部分はほぼ空洞と化している。

 リナは気付かなかったが、空洞の中には人が一人入れる程度の空間があった。だがそこも既に、入り込む光によって破砕されかけていた。

 原形を辛うじて留めているといった風に、機械の鬼は破壊されていた。雲霞を思わせる大量の魔法少女の幻影を前に、何処まで保っていられるのか。

 リナにはそれが、もう極僅かしか時が残されていないとしか思えなかった。

 

 凄惨な光景を前に、リナは改めて覚悟を決めた。機械鬼が倒れた後は、恐らく攻撃に晒されるのは自分の番だろうと。

 既にソウルジェムは濁り、そうでなくとも圧倒的物量の前では戦えるはずもない。

 だが無抵抗のまま散っていくことを、彼女は良しとしなかった。最後まで足掻いて遣ろうと心に決め、結末が訪れる時を待つこととした。

 異変が生じたのは、その時だった。破壊されゆく機械鬼の前に、何かが落下していった。

 巨体と比べれば数十分の一の矮小な存在だった。それはまるで奇跡の様に、吹き荒ぶ破壊の光の合間を縫って落ちていた。

 

 それが鬼の顔の前に来た時に、ぞっとするような現象が生じた。

 機械鬼の顔面から、何かが伸びていた。細いワイヤーを思わせる、無数の線の束だった。

 それは落下物を掴み取るや、顔の内側へと巻き込んだ。

 そしてリナは聞いた。落下物が挙げた叫びを。一万回は耳にした、恐怖に満ちた悲鳴であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 黒く抉く、漆黒に

 道化は叫んでいた。引き裂けんばかりに開いた口からは、喉が張り裂けそうな痛みを伴った絶叫が迸っていた。

 獣じみた可憐な音階の音はしかし、全くと言っていい程、外界には漏れ出さなかった。道化の周囲には無数の銀色の糸が飛び交い、その身を繭のように包んでいた。

 

「あぐぁっ!?」

 

 恐怖の叫びは可憐さとは無縁な悲鳴によって終わりを告げた。

 0.5ミリほどの太さの銀色の鋼の糸が、一斉に道化の身へと切っ先を埋めたのだった。衣服を貫き肌に先端を触れた糸の群れは、蠕動しながら道化の内へと侵入していった。

 指先や足指からも爪と肉の合間にびっしりと張り付き、肉の内へと進んでいく。無数の寄生虫に全身を食い荒らされるかのようなその反面、出血は皆無であった。

 糸は肉を切り裂いていくのではなく、肉に触れた途端に肉そのものと化して道化の体内深くへと潜り込んでいく。

 

「おご…あぁあ!!」

 

 苦痛に満ち満ちた声を発したその口にも、銀の糸は押し寄せていた。体型の割には大きな口に、拳大ほどに束ねられた糸が突き込まれていた。

 舌の抵抗など暖簾のように押し退け、道化の食道から胃までが一気に貫き通される。

 そして最早悲鳴を挙げることさえ許されず、ただ苦悶に震える道化の視界にも異変が生じていた。身を包む銀の糸が乱舞する光景が、徐々に狭まっていった。

 それに連れて、眼球には冷気が満ちていった。氷結を思わせる冷たさの原因を知った時、道化は声にならぬ唸り声を挙げて暴れ狂った。

 手足は自由に動いたが、体表を隙間なく覆った銀糸はびくともしなかった。その代わり、全身を灼熱の痛みが貫いた。

 

 それでも、彼女が感じた恐怖を和らげることは出来なかった。口内から侵入した銀糸は上顎を抜けて鼻筋を通り、眼球にまで達していたのだった。

 眼窩の全方位から青い瞳に向けて糸が走り、やがて瞳の中に銀の渦が巻いていた。云い様のない不快感を味わいつつ道化は叫んだ。

 

 それは、苦痛でも恐怖によるものでもなかった。

 

「な…ん……でぇ…」

 

 声には出来ない感情を、道化は脳内で紡いでいく。

 

「なんで私がこんな目にぃぃい!!!」

 

 蠕動する銀糸に塗れながら、道化は怒りに満ちた叫びを脳内で響かせた。苦痛を押し退け、現状の理不尽に対して怒りを募らせていく。

 やがて怒りは現状のそれから彼女を取り囲む環境へと矛先が向けられた。

 佐倉杏子への的外れな嫉妬、黒髪の少年への邪な恋慕、呉キリカへの悪罵、人見リナ一行に対する鬱陶しさが果てしなく募っていく。

 

 脳内では邪悪な思考が渦巻き、子を宿す機能を備えた血肉の袋には溶鉄の様な性欲が煮え滾っていた。

 それが優木に一つの叫びを放たせた。声ではなく、魂から迸る魔なる力の咆哮として。

 

「死んで…死んで、堪るかぁぁぁああああ!!!」

 

 生への渇望に満ちた、脂ぎった欲望によってギラついた想いの叫びが、無数の銀糸を震わせた。

そして彼女の全身に突き刺さり、肌の下はおろか脳髄や消化器官、そして生を繋ぐ器官にも同化した銀の糸はやがて、彼女の身の近くから順に色を変じていった。

 眼が眩むような銀の色から、道化の想い描く欲望に満ちた感情に相応しいドス黒い色へ。

 

 道化の外側でも変化が生じていた。

 無数の魔法少女の幻影から撃ち放たれる閃光によって照らされる深紅が、その色彩をより色濃いものへと変えていく。

 魔の閃光で抉られた傷跡から噴き出す鮮血色の液体が装甲の上で跳ね、そして傷口に吸い込まれていく。

 それを繰り返し、紅はエグみを増していった。異変に気付いたのか、少女達の攻撃は一層の激しさを増していった。

 夥しい数の魔力の奔流が溢れ、そして巨体に激突し爆ぜていく。地形どころか、世界を破壊するかのような光の乱舞が拡がっていた。

 

 だが眩いばかりの光の渦の一角が、その光沢を突如として失った。光が消え失せた後には漆黒の色が、闇と呼ぶべき色が残った。

 そしてそれは人体を蝕む病魔のように、世界を侵食していった。

 弾けた闇は空を覆い、少女達の遺骸や魔女の体液から成る闇色の地面の濃さを更に強めた。

 

 天と地の間に広がる空間にも、闇の波濤は伸びていった。

 昼が夜に変じたような異常に対し、闇色の少女達も動きを止めていた。広がり行く闇は、闇で出来た少女達よりも色濃い黒を纏っていた。

 そして溢れ出した闇の奥に、更に色濃い闇が蠢く姿を見た。リナもまたそこを覗いた。見ない方がいいものを。

 

「ひっ…」

 

 高貴な魂を持つ少女が、恐怖の呻きを漏らしていた。

 世界に満ちた暗闇の中に、漆黒の巨影が浮かび上がっていた。

 この世界で最も色濃い闇が人型を成していた。周りの闇を上回る濃さを持つがゆえに、その輪郭ははっきりと浮かび上がっていた。

 逞しい四肢を備え、太い胴体に束ねられた人型のシルエットに変りは無かった。

 食肉目の耳に似た配置をされた角を頂いた頭部も同様だった。だがその頭部に、異様な変化が生じていた。

 

 無数の破壊光によって破砕された、かつてはガラス体で覆われていた場所の奥に、無数の鋭角が並んでいるのが見えた。

 それは無機質な機械の並びに依って成るものではなく、明らかに生物然とした、有機体の特徴を備えた質感を持っていた。

 

 無数の少女達の口からは哄笑が絶え、その場で身を硬直させた。しかしその同数の少女達は前へと向かって飛翔した。

 口から放たれる哄笑はそのままに、携えた得物が一斉に振るわれた。当然それらの先端からは、破壊の光が放たれていた。

 

 巨体の全面の至る所に、極彩の光が突き刺さった。

 だが光は漆黒の体表に着弾するや、爆発はせずにその内へと飲まれ、光を失い漆黒の中へ溶けていった。

 水面へ投ぜられた石が、深い水底へ落ちていくかのように。

 更に無数の光が次から次へと突き刺さるものの、その全てが先と同様に闇の中へと消えていく。

 束の間の間とはいえ、無数の光を宿した巨大な闇の姿に、リナはある光景を思い浮かべた。夜の空を見上げた時に視界に広がる、無数の星々を従えた宇宙の姿を。

 

「何だ」

 

 やっとの思いでリナが問い掛けを絞り出した時も、光は次々と放たれてた。そしてその全てを、漆黒色となった巨体は飲み込んでいった。

 光が身の内を照らす時間も、ほんの一瞬程度に縮められていた。闇が光を喰らうかのように。

 

「お前は、貴様は一体何者だ!?」

 

 必死の叫びは、魔法少女の幻影たちの哄笑の中ではあまりに微細な音であり、発したリナ本人にも鮮明には聞こえなかった。

 だがそれは確かに届いたらしかった。漆黒の色を纏った巨影の頭部に変化が生じた。

 漆黒の色に覆われた顔の奥に生えた『牙』。それらがゆっくりと、上下に向けて開いていった。

 牙と牙の間には、糸を引く粘液らしきものが見えた。そして牙の奥の開かれた暗黒の孔から、世界を聾する音が放たれた。叫びであった。

 

 

グゥゥゥウウウウォォォオオオオオオ

 

 

 それは数千数万の、そして億を越えてもまだ及ばぬ数の獣が一斉に吠え猛ったかのような咆哮だった。

 比喩ではなく事実として、世界が震えた瞬間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 黒く抉く、漆黒に②

 それらが動く度、空は嵐の中の海原のように荒れ狂った。

 破壊が吹き荒れた後には、その隙間を覆うように漆黒の色が映えていった。それはまるで、世界を闇の膜で覆っていくかのようだった。

 全長百メートルを越える逆さまの貴婦人の顔面を、漆黒の腕が撃ち抜いた。巨体はまるで小石のように軽々と吹き飛び、その軸線上のもの全てを破壊しながら飛翔した。

 尤も、既に個体として存在するものは皆無であり、破壊されるものは主に少女の姿をした闇の人影のみであった。

 

 それらも既に原形が崩れ、頭部や腕の断片と言った程度となっていた。飛翔する巨体の上空から、黒々とした巨大な影が降り注いだ。

 形状としては深紅の鬼を踏襲していながら、全身から闇色の光とも液ともつかないなにかを滲ませた異形と化した存在だった。

 人で例えれば口に相当する場所は大きく裂け、開いた場所にはびっしりと鋭い柱が連ねられていた。

 

 機械の硬さと生物の肉が混ざり合ったかのような醜い牙の何本かは、闇色の人体を貫いていた。それらを震わしながら、開いた口の奥から咆哮が放たれた。

 吹き荒れる暴風を貫く叫びと共に、漆黒の剛腕が突き落とされる。腕の先端の拳が貴婦人の胴体を貫き、そのまま暗黒の彗星と化して地表に向けて落ちていった。

 高度数千メートルを一瞬にして縮め、二つの巨大質量は地表へと突き刺さった。二つの巨体は地面を液体のように貫き、そしてどこまでも落ちていった。

 抉られていく大地の上方からは、無限に等しい質量が次々と穴の底へ向けて落下していく。

 しかしそれらはある距離に触れた途端に粉塵へと姿を変えていった。上方からのものだけではなく、それはあらゆる方向に向けて生じていた。

 岩石を淡雪のように崩す衝撃の奔流は、漆黒の拳が深青の貴婦人を殴打するたびに生じていった。

 無限の質量を打ち崩す打撃を雨の様に受けながらも、貴婦人の笑い声は続いていた。そこに混じり、もう一つの声が鳴っていた。

 

「くぅっふふふっふふふふぅぅぅ!!!!」

 

 豪風や暴風、轟音に破砕音を貫いて響くのは、淫らな音に濡れた女の笑い声だった。発生点は、漆黒の巨体の頭頂部にあった。

 闇の波紋が波打つ角ばった頭部から、黄金色に輝く女体が生えていた。腰から下を闇の鬼の頭に埋めたその姿は、言うまでも無く優木沙々のものだった。

 実体の上に己の魔力を纏ったその身体は、本物よりも女らしさの増した姿となっていた。

 膨らみを増したその姿は妖艶と可憐さが同居した女神の姿となっていた。これが道化の理想の姿なのかもしれない。

 女神の姿を纏ったまま、道化は腕を振るった。同時に悪鬼の巨体が動き、貴婦人の顔面に拳の連打が暗黒の流星となって降り注ぐ。

 

 貴婦人の頭部を介して破壊の力が周囲に広がり、更に破壊が拡大していく。岩塊の崩落は既に遥か彼方の事象となっていた。

 貴婦人と悪鬼の周囲には最早物質は皆無となり、広大な闇が広がるのみとなっていた。ただ一つの光点は、道化から放たれる黄金色の光であった。

 伝説の魔女の頭部と腹を悪鬼の両手が掴むと、その間である胸に向けて無数の牙が突き立てられた。

 衣装と体表を突き破り、傷口からは重油のような闇が溢れた。闇は悪鬼の口腔へと吸い込まれ、その身を覆う闇に取り込まれていった。

 魔女を蹂躙する悪鬼を操る、光を纏う道化の心には至極の快楽が渦巻いていた。

 悪鬼の口を介して己の口に広がる闇の味はこの上なく甘露であり、振う暴力の嵐に彼女の雌の部分が疼き性欲と支配欲が煮え滾った。

 

「死ねぇぇぇぇぇえええええ糞木偶人形ォォォオオオオオオ!!!!!!」

 

 欲望のままに道化は叫んだ。牙が更に押し込まれ、悪鬼の牙は根元まで魔女の肉に喰い込んだ。牙の根元には機械にあるまじき赤黒い歯茎が形成されていた。

 

「死ね死ね死ね!!!!死んじまえ!!!」

 

 死の言葉を叫ぶ度に道化の脳裏に無残な死体のビジョンが思い浮かべられた。

 それらは内臓を獣に食い荒らされたものであり、尻から口までを茨の棘を巻かれた鉄棒で貫かれたり、関節という関節を引き千切られた少女の姿であった。

 それらの死体の頭部には、炎を思わせる真紅の髪が流れていた。恐怖と絶望の表情で固まった佐倉杏子の顔を、道化の足が何度も何度も踏みしだいていた。

 鼻が潰れ、歯が砕け、眼球が破裂し血雑じりの体液を眼窩から汚液となって滴り落ちる。

 更に無惨さを増した肉の塊を前に、道化は高らかに笑った。心の底から楽しくて仕方ないといった笑い声だった。

 

 輝く道化もまた喉を仰け反らせて笑っていた。そこに向け、複数の物体が飛翔していった。闇色のそれらは、悪鬼の牙と貴婦人の皮膚の隙間から飛来していた。

 手に手に銃火器や刃に槍を携えた、闇色の少女の群れだった。

 

「邪魔だドクズどもぉお!!」

 

 道化の眼前にまで迫っていた少女達の武具は、主諸共に微塵に砕け散っていた。

 貴婦人の拘束を解きつつ、五十メートルを優に超える巨体は少女達よりも俊敏に動いていた。巨大な右腕の一閃が少女達を砕いていた。

 だがその一瞬の隙に、少女達は悪鬼の前面に無数に浮かんでいた。貴婦人から滔々と溢れる闇からは、次から次へと少女達が生まれていった。

 

「邪魔だって、言ってんだろがぁぁあああああああああ!!!!!!!」

 

 道化の思考に怒りの炎が渦巻いた。嗜虐の妄想を中断させられた怒りであった。その怒りが、漆黒の巨体を動かした。

 轟音を立てながら、黒い両拳が打ち合わされる。その動きは、道化が思い描いたものではなかった。

 

「は?何やってんですかこのガラクタ木偶人ぎょ」

 

 後一文字で成立する筈だった言葉は、そこで中断させられていた。止まった後には、道化の絶叫が鳴り響いた。












長らくお待たせしました。
短いのですが、そろそろ投稿すべきと思いまして。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 黒く抉く、漆黒に③

 漆黒の巨岩を思わせる両の拳が、同色の胸元の前にて打ち合わされる。耳を劈くような轟音が生じると共に、変化が起こった。

 悪鬼の腹部の中央が渦巻き、円形の窪みが生じた。窪みの奥には漆黒で覆われた悪鬼の全身の中で最も色濃い黒が溜まっていた。

 底の見えない、まるで地獄に繋がるかのような暗黒色の孔だった。

 そしてそこから、同色の一閃が迸った。仁王立ちの姿勢の悪鬼の腹部から解き放たれた輝く闇とでもいうべきものが、伝説の魔女へと激突する。

 接触の寸前、魔女は前面に魔力を展開。周囲の少女達も主に倣い、防御結界の発現させる。

 その上を魔法少女とは比較にならない分厚さの、優雅極まりないステンドグラスを思わせる結界が覆う。

 輝く闇と魔なる光の結界が衝突、したその瞬間、闇は光を貫いていた。僅かな拮抗状態も生じさせず、圧倒的な力で上から叩き潰していた。

 

 闇は貴婦人の胴体も貫き、彼女の腹を消失させた。周囲の魔法少女の幻影達に至っては、結界の破裂と同時に消え去っていた。

 笑い声を挙げながら歯車諸共に落下していく貴婦人に向け、悪鬼は輝く闇の矛先を向ける。

 腹部から放たれる闇がその太さを増して撃ち出され、貴婦人の全身がその中へと呑み込まれた。闇の中では歯車に亀裂が走り、貴婦人の首が千切れ顔が二つに裂けていった。

 だが闇に奔流の中で消えゆく貴婦人の中で、何かが蠢いていた。二つに裂けていく歯車の淵に何かが触れた。

それは、軽く触れるだけで折れそうなほどに華奢な少女の指だった。

 そして次の瞬間、裂け目からは指だけではなく全身が飛び出していた。

崩れていく魔女を背後に一気に跳躍した影は闇の奔流を突き破り、その姿を暗闇の中に映し出していた。

 

「アハッ…」

 

 消えゆく魔女は最後にそう遺した。残された者達をあざ笑うかのような声だった。闇の奔流を止め、悪鬼は上を向いていた。

 獰悪な面構えの先に、小さな孤影の姿があった。身長百五十センチ程度の、桃色に輝く少女であった。

 短めのツインテールと柔らかい膨らみを帯びたスカート、右手には煌く弓が握られていた。

伝説の魔女の内部に封じられていた少女の姿は、優しくも力強い光を纏った、『魔法少女』という幻想世界の存在を現す言葉に相応しい容姿であった。

 姿を認めたと同時に、悪鬼が再び闇を放った。伝説の魔女を消し去ったものよりも、二回りは太く色濃い闇だった。

 それが左右に開いたのは、次の瞬間と呼ぶにも満たない時の後だった。割れた大河のように拡がる闇の奥に、弓を構えた桃色の少女の姿があった。

 対する少女の正面には、闇を切り裂き進む光の矢が映っていた。それが完全に闇を引き裂いた後、矢は虚空を貫いた。

 

 小柄な少女を、巨岩に等しい拳が握り締めていた。親指と人差し指の間からは、僅かに少女の首が見えていた。

 全方位から迫る巨大質量の圧搾は、少女から数十センチ離れたところで停止していた。少女の身体を構成する桃色の光と同色の結界が悪鬼の力を押し留めていた。

 僅かな空間の中で少女は身を横たえ、上方に向けて弓を構えた。少女の意図に悪鬼が気付いたほんの僅かな時間の前に、輝く矢が放たれていた。

 

「ぎぃっ!?」

 

 悪鬼の額、更に言えば黄金に輝く道化の傍らを抜けた矢は遥か上空にて、世界の端ともいえる場所で着弾しその身を弾けさせた。

 光は瞬く間に天に広がり、闇を光へと変えた。照らし出された闇の中で、殊更に光の強い部分があった。

 それは矢の着弾地点から奔った、空を縦横に刻む巨大な幾何学模様であった。無数の円と線が連なる模様は空を埋め尽くしていた。

 道化が悲鳴を挙げたと同時に、悪鬼は飛翔した。一瞬にして数キロも離れたその場所を、天からの無数の光が貫いた。埋め尽くしたといってもいい。

 光は天空の模様の至る所から発せられていた。悪鬼が移動した場所にも光は容赦なく降り注いだ。

 

「ああぁぁぁああああああ!?!?!?」

 

 道化が叫び続ける中、悪鬼は飛翔を続けていたが光速且つ霧に等しい密度で降り注ぐ光の大豪雨を前にしては避け切れるものではなかった。

 漆黒の装甲の上で光は虚しく弾けていくが、それでもほんの僅かに黒を抉り取っていた。剥離した黒の一つが巨大な拳に降り注いだ。

 内に挟まれた桃色の少女の上に落ちる寸前、彼女の結界がそれを掻き消した。他の少女達と異なり口も鼻も無い平面の、完全な無貌の少女の顔は上に向けられていた。

 眼の無い緯線の先には凶悪極まりない面構え聳えている。無数の牙を生やした口の造形が桃色の少女には、悪鬼が嗤っているように見えた。

 

グゥゥォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ

 

 悪鬼が牙を震わせ、機械にあるまじき生々しさを孕んだ叫びを挙げた。移動を停止し光を浴びながら、左腕を天へと掲げる。動きの最中、左腕が蠢いた。

 振り上げられた腕は、別物の存在と化していた。肘から先の輪郭は異常なまでに太さを増し、更に数倍の長さに伸ばされていた。

 それもただ伸長したのではなく、形状も一変していた。五指は捩じれながら天に向かって伸び、鋭い先端を形成していた。全体的な形状は、巨大な三角錐に近い。

 長く太い円錐は巨大な槍にも見えた。それが、形成と同時に高速で回転。降り注ぐ光を傘に当る雨露のように弾いていく。

 だがそれだけに留まらなかった。回転速度は際限なく上昇し、槍の表面を黒い渦巻きが覆っていった。

 

 そしてそれは槍を覆い尽くしたその途端、天に向かって漆黒の竜巻が放たれた。天空の幾何学模様に竜巻が喰らい付き、整然と並ぶ模様が渦の内側へと捩じられていった。

 獰猛な大渦に空自体が捕食されていくかのようだった。十分と見たか、悪鬼は腕を降ろした。ほんの僅かな動作の合間に、腕は激しく蠢き元の形へと回帰していた。

 そして五指を取り戻した巨大な手で以て、少女を捉えた右腕を上から握り締めた。倍加した超握力が遂に闇の拳の内の結界にヒビを走らせた。

 一度亀裂の入った結界は元に戻らず、遂に僅かな隙間は完全に閉じてしまった。







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 虚無

 一片の隙間もなく、完全に閉じられた巨大な掌の内でそれは生じた。無と評して違えないそこから迸ったのは眩く輝く光であった。

 完全な白色、光そのものと云えるその閃光にたじろいだのか、闇の巨手が広がりを見せた。闇色の花弁のように開いたそこから、形を成した光が姿を顕した。

 

 それは少女の姿をした光であった。その姿には闇に囚われた少女の面影があった。

 だが可憐な双対の髪型は無限長の銀河のように長く伸び、纏った衣装も光の波紋が揺らめくドレスへと変わっていた。

 神々しさに溢れたその姿は最早、魔法少女のものではなかった。それは正に、「神」と呼ぶにふさわしい威厳に満ちていた。

 光の女神の輪郭からは際限なく光が溢れ出し、それは少女を中心として世界へと瞬く間に拡がっていった。

 

 世界に満ちた闇は光へと変わった。ただ一つの巨体を除いて。

 

 グゥゥオオオ

 

 光に照らされる闇色の牙の隙間から漏れた音には、絶息の様な響きがあった。断末魔といってもよかった。

 ただ眼前に立つ女神を前に闇の巨体は動きを忘れたかのように硬直し、女神の光に照らされていった。

 白に染まり行く悪鬼の前に、女神は右手を差し出した。可憐な指の先は悪鬼の頭部に向けられていた。そこには憐れな道化の姿があった。

 自身と悪鬼から流れ込む狂気に蝕まれた道化の思考に、理性の光が射しこむ。優し気に伸ばされた美しい光の手を見た時に、それは安らぎへと変わった。

 

「   」

 

 声にならない何かを呟き、道化もまた手を伸ばした。光に照らされたその表情に、嘗ての邪悪さは微塵も残っていなかった。

 だが手と手が触れ合う寸前で、道化の指先は下へと流れた。正確には、道化の身体そのものが。

 崩れ落ちる道化の下半身は、悪鬼の額の一部に覆われていた。抱きかかえようとした女神の元へ横殴りの巨塊が飛んだ。

 舞うように跳ねた女神は、黒と虚の斑となった巨大な手を見た。腕だけではなく、悪鬼の全身が斑模様と変わっていた。

 女神から発せられる光は悪鬼の闇を照らし、その姿を曖昧に追い遣っているかのようだった。

 悪しき力の源としていた道化を切り離してもそれは止まらず、暗黒の巨体は清水の大河に落とされた僅かな汚濁のように姿が希薄となっていった。

 刺々しい牙の並ぶ口元も逞しい体躯を支える巨塔の様な脚も、それらを構築する闇が女神の光に晒され消えていく。

 虚へと変じる巨体から離れ地へと堕ち行く道化の身体を、横薙ぐように飛翔体が捉えた。

 

「優木!気をしっかり持ちなさい!」

 

 華奢な二本の腕で抱きかかえ、リナは優木を庇いながら着地した。落下の際の衝撃は電磁魔法の障壁が防いでいた。

 抱えられた優木が上空を見た時が、悪鬼の姿が正に消えゆく瞬間であった。雲散霧消する悪鬼の傍らには、より輝きを増した女神の姿があった。

 悪鬼を消し去った女神の顔は虚空の先に向けられていた。その先をリナと優木は追った。

 女神から発せられる光でさえも未だ薄い天空の果てに光の線が描かれていた。

 それは光であったが、女神の放つ柔らかな白色とは異なる深緑の色を纏っていた。

 天空を切り刻むように、光の線は広がってゆく。視界の隅から隅へと、その果てを追うのが不可能な程に、広く広く拡がっていく。

 

「もう何があっても驚きませんよ」

 

 毅然とした口調ではあったが、虚勢であることはリナ自身が分かり切っていた。だが言わなければ心が死滅してしまうと彼女は思っていた。

 

「くふぃっ…」

 

 対して優木は怯えと笑いが入り混じった声を出していた。彼女には、空に広がる光の線に見覚えがあった。

 それが何を構築していくのか、そして今見えているものは、一部分というにも足りないほんのひと欠片にも満たない部分であることを。

 異なる両者の思いを他所に、輝く女神は天空の緑へ向かって飛翔した。

 背から生えた柔らかな線の光の翼がはためくと、女神の身体は遥か彼方へと吸い込まれていった。

 

 移動の軌跡に光の粒子を残して飛翔する最中、女神の左手には長い弓が握られていた。そして弓と同様に輝く矢が番えられ、優美な動作で矢が引かれた。

 輝く鏃の先では未だ、緑の光が増殖を続けていた。無限に広がる宇宙を成しているかのような緑であった。

 そこへ向かって光の矢が放たれた。それに呼応するかのように、矢の先に緑が迫った。

 比較対象にもならない巨大な存在として立ち塞がり、矢と女神を包み込むように拡がっていく。

 全貌はまるで分かりはしないはずなのに、リナにはそれが巨大な手に思えてならなかった。優木は確信と共にそう思った。

 深緑の手と輝く矢が接した時、世界は全ての色と輪郭を喪った。













大分時間が空いてしまいました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 世の果ての宴

 眼を開き、室内に満たされた薄闇に迎えられてから数秒間、人見リナは身体を動かすことをしなかった。

 数分が経過し、ようやく彼女は仰向けの体勢から身を起こした。そこから直立し天井から垂れる電燈の紐を引くまでに更に十分を要した。

 薄っすらとした闇が駆逐された後には、普段と変わらぬ自室の風景が広がっていた。異なっているのは、寝台の傍らに別の布団が敷かれそこに優木がいることだった。

 仰向けになった優木の眼は見開かれ、唇も横一文字に引き結ばれていた。その様子にリナは違和感と恐怖を覚えた。

 

 彼女がこの部屋で最後に覚えているのは、優木の肩を揺さぶっているところであった。それが全くの痕跡も無く寝入った時の状態に戻っていた。

 それ自体が記憶違いと思えば済む事であり、そうであったと彼女自身も思い始めた。だがそれが彼女に却って恐怖を与えていた。

 変化の違和感を覚えれば覚えるほど、それ自体が間違いであったと思考が上書きされ、そして安堵する感覚が心中を侵食するのが分かった。

 

 そして安堵と不安が入り混じる心中に反して、身体的には全くの平静状態だった。心音は穏やかなままであり、一滴の汗も生じていなかった。

 未だ嘗てない感覚を持ちつつ、リナは机の上の置時計を見た。時刻は午前の五時三十七分。違和感の原因である行動を起こしていた時刻に近かった。

 秒針が刻々と進んでいくのを、リナはただじっと見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乳白色の景色がどこまでも続いていた。時折流れる大気が、乳白の色に厚薄の揺らめきを与えていた。

 その中を、巨大な物体が空間を貫くように動いていた。無骨且つ精緻な造形の歯車から伸びた細い棒が、豪奢な衣装を纏った貴婦人の上半身とを結んでいる。

 眼と鼻の無い貴婦人の貌には人形然とした笑みが象られ、色濃く朱を塗られた唇は優雅ながらも明らかな哄笑の形を成していた。

 人を比較対象とすれば逆さまとなった状態で、伝説の魔女は何処とも知れぬ場所に浮遊していた。巨体を浮かばせつつ、長大な右手が伸ばされた。

 対象に手の袖が触れるまでもなく、魔女は魔力にてそれを浮かばせ顔の前へと引き寄せた。それは、魔女の歯車にも等しい大きさの巨大に過ぎる一台の蓄音機であった。

 茶色が濃い木目の本体と、くすんだ金色に輝くスピーカーが見事な融和を見せた、逸品に違いない代物だった。

 魔女は更に思念を行使し、蓄音機の針が据えられた円盤を回転させた。金属の管が震え、無音の世界に音の嵐を流す。

 

 それは壮麗な交響曲でもあり、耳障りな大音声でもあった。音によって震える大気に変化が生じていった。

 空間の至る所が霞み、乳白とは別の色が生まれていく。それらは円形状の切れ目となり、内部に異なる空間を開いていった。

 ある所は、樹木が溢れる森林であり、または峩々たる大山脈の連なりに、そして近未来的な大都市が広がっていた。

 無数の個所で空間が開き、千差万別の光景が内部に広がっていく。それらが展開され切ったと見た時に、伝説の魔女は両手を優雅に動かした。さながら、熟練の楽団指揮者のような動きであった。

 腕が振り切られた時、全ての空間の中で闇が弾けた。迸った闇に触れた木々は千切れ、山脈は断裂しで撒き上がり、あらゆる建築物が硝子のように爆裂した。

 そしてその破壊の中心には歯車を半身とした貴婦人の姿が、伝説の魔女の姿があった。世界の中心に浮かぶ魔女の口が大きく開き、哄笑が放たれた。

 それを合図とし、全ての世界の全ての魔女が哄笑を放った。そして哄笑と破壊が溢れる世界の中、更なる破壊が吹き荒れた。

 それは主に、深紅の熱線が魔女を貫いた際に生じていた。眩い光の根源には、紅の装甲を纏った機械の鬼と呼ぶべき存在があった。

 機械の鬼は更に熱線を放射し、世界と魔女に破壊を与えた。或いは手に斧を握って魔女を切り裂き、或いは剛腕で人形然とした顔を殴打し続けた。

 自らと同様の姿を持つものが傷付けられながらも、また魔女たちは傷付きながらも哄笑を止める事は無かった。

 

 対する魔女も腕を振るって相手の装甲や腕をもぎ取り、魔力で山脈や巨大建造物を砲弾として投擲し、また口から発する炎を放った。

 全ての世界の中には、地獄と呼ぶに相応しい光景が広がっていった。それらの中央に浮かぶ魔女は、それらが愉しくて仕方ないといった様子で笑い続けていた。

 笑いながら、魔女は蓄音機へと両手を伸ばした。どこか、慈しむような様子に見えた。

 

 巨大な両手の中央に置かれた、更に巨大な蓄音機の木目に縦横に光が奔った。深緑色の光であった。

 光は強さを増し、その線は太くなっていった。やがて蓄音機は内側から木目を離し、その内部を顕した。

 円盤の回転を継続させながら、幾何学模様を描いて弾けた本体の中にあったのは、深緑の光を放つ六角柱に近い金属の物体だった。

 物体の上下からは複数の管が伸びていた。それはさながら機械の臓器、特に『心臓』を思わせる形をした物体だった。

 

 物体からは、まるで解き放たれたかのように暗緑色の光が迸った。それは乳白色の世界に広がり、果てしなくその色を伸ばしていった。

 無数の世界の中ではやはり、無数の地獄が広がっていく。そしてその数は刻一刻と時が重なるにつれて増えていった。

 少女達の幻影が悪鬼に襲い掛かり、そして虐殺されゆく様子が流れた。破壊された悪鬼の内から深緑が溢れ、世界が丸ごと弾けていった。

 女神の様な少女が悪鬼を打ち破る様が見えた。その女神が、巨大な何かに覆い尽くされ消えゆく姿があった。

 

 それら全ての様子に伝説の魔女は世界を震わす哄笑を挙げ、機械の心臓は地獄の世界を紡いでいった。

 両者の目的、そもそも思考や意思があるのかさえも分からぬまま、異形達の宴はこの世と時の果てまで続くように思えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河

 白い靴が地面を踏み進む音が木霊する。

 分厚い鉄板を靴底に敷き、布地の裏にも鉄板と細かい鎖を通し、更には布自体も防刃繊維が使われた改造というか手製の靴だった。

 大型の猛獣の歯や牙も通さず、ガスバーナーの蒼炎にも耐える。

 また日本刀どころか唸りを挙げる回転鋸でも破壊にかなりの時間を要するほどの異常な頑強さを与えられた靴というか物体だった。

 それが至る所に切り傷を受け、靴の先端と踵の隅は薄い白煙を帯びつつ炭化していた。

 

 靴先から剥離するごく僅かな破片を黒い瞳が見ていた。黒い渦の様な瞳であった。

 

「もうちっと真面目に裁縫しとくんだったなぁ」

 

 言い終わると同時に彼は舌打ちを放った。聞く限りでは明らかに的外れな後悔だが、作った本人が言うのであればそうなのだろう。

 その本人とは言うまでも無くナガレである。ジャケットに黒シャツにカーゴパンツと普段の服装だった。

 右手にはこれも普段通りとでもいうように長大な斧槍が握られている。

 ついでに言えば服の至る所に細かい傷が付き、頬や首筋に朱線が浮いているのも普段通りだろう。

 また彼が歩を進める場所もまた常世ではなく、魔女の結界の中だった。

 

 闇に彩られた世界でありながら、視界に不自由はなかった。まるで黒い背景の前に描かれた絵画のように、あらゆる物体は闇の中にその色と形を示していた。

 世界の果ては狭いようで、果てしなく続いているようだった。至る所に大小且つ形状と趣の異なる無数の鏡や鏡台が並び堆積し、そして散乱していた。

 ギリシャの神殿の様な建築物や街路樹の様に並ぶ木々を構成するものも、よく見れば無数の鏡であった。更に言えば彼が立つ床面もまた鏡面となっていた。

 それだけでも異常だが、万物を構成する鏡は全て乱雑な傷やヒビが入れられていた。床面もまた同様であり、木の根のように走るヒビが果てしなく続いていた。

 そんな異常な空間を、彼は平然と進んでいった。割れた鏡面に映る自分の姿へと、時折視線が向けられた。

 破砕された自分の姿を踏む様子となるくせに、彼は悪い気分では無さそうだった。これは被虐趣味があるのではなく、自分の姿が気に入らないせいだろう。

 

 物怖じとは無縁の、ずかずかとした歩みは不意に跳躍へと変わった。垂直に跳んだ下方に吸い込まれたのは緑の光であった。

 それが無害なもので無い事は、接触の瞬間に破壊されて宙に舞う床面の破片が示していた。

 その最中、彼は床に斧槍を突き立て更に跳んだ。後方ではなく前方に。斧状の魔女の力と彼の剛力が合わさり跳躍は飛翔となっていた。

 それは攻撃者にとって予想外であったのか、追撃は一手遅かった。緑の光が再び放たれた時、巨大な暴力の塊は既に振り下ろされていた。

 頭頂から股間までを残忍な線で繋がれたのは、巨大な葉の様なマントを背にした少女だった。真っ二つになる身体の傍らには既に、魔力を帯びた長弓が落ちていた。

 異界の中であっても鮮やかな血が流れ、その反面としてグロテスクな臓物と骨の断面を晒して少女の身は仰向けに倒れた。

 残忍な光景を前に、彼の視線は自らが破壊した人体の一部に、小動物然とした髪型をした少女の顔に注がれていた。

 

「やっぱっつうかこいつもか。徹底してやがるな」

 

 嫌悪感に満ちた一言を発した少年の黒瞳の中には、二つになり肉と舌と歯の断面を晒した鏡の顔が映っていた。

 顔の表面が鏡と接着し、平坦となった異形の貌だった。それ以外は血や体液が発する悪臭も含めて人体と変わらないだけに殊更に不気味な様相を成していた。

 鏡の顔をした少女の左右から迫る気配を彼は感じた。ほぼ同時に、下げていた斧槍を水平に構えた。

 長い柄の表面に、紐のように細い鞭が巻き付き、更に長剣が刃を立て火花と金属音が生じた。

 刃を携えるのは、膝裏に届きそうなほどに長い赤髪を左右に垂らした少女であった。着物然とした上半身に反し、下半身は黒いビキニと極めて軽装の姿だった。

 その背後には紐状の鞭の柄を握るもう一人の少女がいた。

 後者を洒落た格好、前者を奇天烈極まりない姿から魔法少女であるとは彼も分かったが、両者もまた顔面を鏡で構築していた。

 

「親が泣くぞ」

 

 二つの剛力に剛力で対抗しつつ彼は返した。鏡面の貌よりも赤髪少女の姿に対し思う事があったらしい。当然ながら情欲ではなく呆れからのものを。

 彼からの言葉に当の少女は全くの無反応で返した。彼もまた元より、言葉の返事は期待していなかった。

 そしてこの場合、最も必要かつ効果のある交流方法は暴力だった。それは右足の直蹴りとなって赤髪少女の腹を貫いた。

 衝撃で開いた隙間を逃さず彼は斧槍を水平に振るった。巨大な刃は少女の左肩に吸い込まれ一瞬の停滞も無く右へと抜けた。

 断裂する人体に目もくれず、彼は前に向けて更に進んだ。鞭の使い手は既に斧の柄から鞭の先端を離し、鞭を振り切っていた。

 超高速で飛来した魔の鞭の先端は少年の顔面へと落ちるように吸い込まれていった。

 

 接触の際に生じた音は、劈くような破裂音ではなく鈍い殴打の音だった。鞭の先端は少年の顔の肉ではなく、歯の間に挟まれていた。

 歯で鞭を噛んだままナガレは首を振った。肉食獣が獲物を食い千切るかのように。

 手を離すのも間に合わず、鞭を持った青服の魔法少女は魔獣の様な少年の前へと引き出されていた。

 前につんのめった姿勢を戻すのも間に合わぬまま、その鏡面の貌に少年の拳が叩き込まれていた。

 白い手袋に覆われた彼の拳は、鏡とその奥の肉どころか後頭部までを鋭利な刃のように貫き、桃色の脳髄を木っ端微塵の物体として空中に撒き散らした。

 

 引き抜きざまに手を振り、彼は泡の浮いた血肉と脳味噌の破片を払った。後に備えるためである。

 

「コソコソしてねぇでさっさと来いよ。じゃねえとまたこっちから行くぜ」

 

 完全停止した三つの魔法少女の遺骸の真ん中で彼は言った。声の矛先は、個体ではなく世界そのものに向けられていた。

 そして彼は「また」と言っていた。

 そのせいか、彼の言葉への応えは早かった。彼が立つ場所の前方とそして左右と背後に、次々と人影の群れが現出した。

 衣装や装備は様々ながら、それらの身体的特徴が示す性別と顔の異形は共通していた。

 鏡面の貌の魔法少女達の包囲網を前に彼が浮かべたのは、己を害する万物への敵対心と原始の闘争心に燃えた魔獣の貌だった。

 そして酷く甲高く、それでいて地獄の底から響くような咆哮を挙げつつ、彼は異形の魔法少女達へと向けて駆け出した。

 少女達の武具の先端が彼に向けられ、それらからは一斉に破壊の魔力が放たれた。

 閃光と爆炎が異界の一角を埋め尽くし、そしてその中で複数の手足に首に胴にと複数の人体が肉塊となって散らばっていく。

 破壊音の中、巨大な斧槍と黒髪の少年の魔獣の様な咆哮が木霊していた。

 

 破壊が吹き荒ぶ場所から離れた場所には、肩から上を斬り飛ばされた少女の顔が転がっていた。共に戦った二人とは違い、彼女の鏡は無傷であった。

 その表面には、遥か先の光景が映っていた。そこには焼け爛れた地面に倒壊した建築物、そして無数として差し支えないほどの多量の人体の破片が転がっていた。

 そのうちの一つは更に後方の景色を映していた。そこにもまた、酸鼻な光景が広がっていた。そしてその後ろにも、その後ろにも。

 この鏡の世界の果てが知れないように、異界の侵略者が成した地獄の光景もまた、果てしなく積み上げられていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河②

 ヒビだらけの鏡面で埋め尽くされた異界を佐倉杏子は歩いていた。右肩に長大な真紅の十字槍を担ぎ、ひたすらに前に向かって進んでいく。

 自由な左手には棒状菓子の箱が握られ、時折それを器用に揺らしては口元に向けて菓子を射出していた。

 牙の様な歯がそれを捕獲し、足音に混じってカリカリという音を鳴らしていた。そしてこの時、足音は彼女の他にもう一つあった。

 

「『食うかい?』とは言って呉ないのかい?」

 

 投げ掛けられた言葉に、杏子は露骨に不快さを表した。元々不機嫌そうな表情だったところに、怒りの要素がプラスされていた。

 

「テメェにやる菓子なんざねぇよ」

 

 後ろも振り返りもせず、杏子はキリカに返した。言葉を交わしたくなどないのだが、そうしないと延々と喧しい為の断腸の思いでの返答だった。

 

「まぁいいよ、別に。ちょっと味が気になっただけだからね」

 

 そういうキリカの声には、ガサゴソという微細な音がこびりついていた。ビニール袋が擦れる音だった。

 槍の柄の光沢を鏡に見立てて確認すると、両手に大きな袋を手首に掛けたキリカの姿が見えた。中身には色も様々な菓子の袋が詰め込まれている。

 

「欲しいかい?」

「…いらねぇよ」

 

 返事までの間は飢えと理性の葛藤の時間であった。それきり会話は絶え、両者は更に進んだ。

 五分ほど進んだところで、異界に異常が生じた。無臭であった空間に突如、むせ返る様な悪臭が満ちた。

 

「うわぁ、こりゃ酷いね。病気になりそうだよ」

 

 キリカの朗らかな、だが嫌悪感の混じった言葉は何も間違った事ではなかった。返事こそしなかったが、杏子も似たような思いだった。

 海辺の様な塩辛く、それでいて汚泥の様な生臭さと嘔吐のような酸の香りが混じり合った匂いの源泉は、鏡面の床に横たわる破壊された人体から発せられていた。

 

「派手にやったみたいだねぇ」

 

 床と言ったが、そこは平面では無かった。

 縦横に走るヒビではなく、地割れの様な隆起と鏡で出来た構築物の倒壊により、彼女らの進む先は大災害に見舞われたかのような荒涼たる光景となっていた。

 悪臭の源泉はそこの至る所に散乱していた。地割れのような隙間には割れた鏡が癒着した頭部が幾つも挟まり、隆起した地面にはまるで生贄であるかのうように、腹部が破裂した人間の胴体が置かれていた。

 

 縦や横に真っ二つにされたものはまだ綺麗なもので、多くは頭部が鏡の破片が混じる挽肉になっていたり、元の部分が判別不可能なほどに破壊されたもので占められていた。

 分断された人体の部品というよりも肉の量を見る限りでもニ、三十人分はあった。

 折り重なっていたり、瓦礫の下に隠れているものも考えれば数は更に増えるだろう。

 

「なぁ佐倉杏子、ちょっとしたゲームをしないかい。なぁにルールは簡単明白さ。友人の死体を見つけた方が勝ちだよ」

「気持ち悪いことほざくんじゃねぇよ。つうか」

 

 物理的にも最悪な雰囲気の中で言葉を交わす両者の上に、一つの影が降り注いだ。ほぼ同時に、宙に無数の斬線が描かれた。

 その結果は無数の肉の賽子と血飛沫となって表れた。一切の原形を留めない襲撃者の遺骸は、真紅と黒の魔法少女の傍らに落下した。

 

「つうか、何だい?」

「うるせぇ。忘れな」

 

 切り裂いた肉の感触が残る槍を握りながら、杏子は再び歩き始めた。その後ろにキリカも続いた。

 歩きながら杏子は言葉の続きを思い返していた。嫌いな存在に関する事なので思たくは無かったが、背後からは大嫌いな同類が意味不明な狂気の言葉を紡ぎ始めていた。

 なので妥協する形の気分の紛らわしで思考を紡いだ。

 

「(そこまで弱くねぇよ、か。…くそったれ)」

 

 破壊された地面を跳躍し、少女達の遺骸を飛び越えながら彼女はそう思った。しばらく進むと、また似たような場所に出た。

 荒涼さは更に増し、そして亡骸の数も更に増えていた。異界の地面の至る所は溶解し、鋭利な断面を見せて切断され、そして巨大な孔が幾つも空いていた。

 孔の淵にはまたも鏡面の貌の魔法少女達の死骸が転がっていた。奇しくもその顔の遥か先から、爆音が鳴り響き閃光が迸る光景が見えた。

 その光の余波を受け、戦場の手前の光景が垣間見えた。

 火山地帯もかくやというほどの地形の破壊と、点々と並ぶ肉の断片が見えた。

 

「相変わらず元気だなぁ、友人は」

 

 呆れ切った口調でキリカは言った。吐きかけた溜息を呑み込みながら杏子はそこに向けて歩き始めた。

 

「急いだ方が良いだろう。友人の事だ、私達の複製を強姦ないし死姦しても不思議じゃない」

 

 正義の執行者の様な荘厳な口調でキリカは言った。

 

「その前に奴を仕留めよう。複製とは言え孕まされては敵わない」

 

 杏子の歩みは背後への跳躍へと変わっていた。先ずはこの最悪の更に上を行く最悪な発言を延々と繰り返す狂人を誅すべきだと、本能が叫んでいた。

 その獰悪な本能のままに、彼女は咆哮と共にキリカへ襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 










久々の杏キリ組です
今回は短いですが、その分次回は長くいきたいと思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河③

「おい杏子、ポストに手紙来てたぞ」

「は?」

 

 午前六時二十八分四十五秒。その日の会話はこの遣り取りから始まった。

 佐倉杏子の苛立ちが混じった一言を完全に無視して、ナガレは封筒を彼女に投じた。奪うみたいに受け取って、寝床に寝そべる佐倉杏子は封を切って中身を見た。

 

「『ショウタイジョウ』…なんだこりゃ」

 

 怪訝な声を上げた佐倉杏子へとナガレが歩み寄る。左後ろあたりに来たところで、佐倉杏子は彼の顔目掛けて裏拳を放った。

 直撃すれば顔面が砕け散るだろうその一撃を、彼は首を背後に傾けて避けた。

 

「下の方が本文みてぇだな」

 

 貸しなと彼が告げると、佐倉杏子は素直に手渡した。先程の遣り取りが無かったかのような態度は意味不明だ。

 

「なになに、『楽しい催しをご用意しております。奮ってご参加くださいませ』だとさ。ご丁寧に地図まで書いてやがる」

 

 遅滞なくすらすらと述べたナガレに、佐倉杏子はこの上なく不信感を乗せた視線を送っていた。

 彼が読んだ場所に用いられていた言語は魔女文字だった。

 

「丁度暇だしな…行ってきていいか?」

「…あたしに聞くんじゃねぇ」

 

 眼を輝かせて聞くナガレに、佐倉杏子は疲弊しきったような声で応えた。彼はそれを了承と捉えたようだった。

 

「おう、んじゃ行ってくるわ」

 

 明らかに危険地帯であるはずの場所に向かうと決めた彼の声は弾んでいた。

 そして彼の腕が伸ばされ、佐倉杏子の寝床の手摺に座っていた僕の頭を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃と爆音が絶え間なく続き、思考が無数の雑音に切り刻まれる。それを正常に戻したのは、悪鬼の様な声だった。

 

「てめぇ、よくも俺の白丸に手ェ出しやがったな」

 

 怒りの滲んだ声と共に、少年の腕が伸ばされる。その先で開いた五指は鏡面の貌にその爪先を立てていた。

 鏡にヒビが入り数個の破片が生じたと思ったその瞬間、顔どころか頭部が肉と鏡の微塵に変えられていた。

 強靭な握力が、頑丈である筈の頭蓋骨を寒天のように砕いていた。頭部を喪い崩れ落ちる少女の右手には、白毛の獣の尾が握られていた。

 弛緩した手が放したそれを、ナガレは巨大な斧槍の側面で受け止めた。斧の中央には、眼球の様な渦が巻いていた。

 

「おい白丸、お前はこん中に隠れてろ」

 

 この中とは、魔女の眼を指していた。魔女の眼には、周囲から赤黒い液体と固体が巻き上げられて吸い込まれていた。

 

「大丈夫だ。こいつもお前の事は喰いたくねぇとよ」

「何故最初からそうしてくれなかったんだい?」

 

 異形と意思疎通を可能としてることに、獣は特にコメントを残さなかったが、それは生命維持を優先させたためだろう。

 彼の返事を待たず、赤い首輪を付けた白い獣は迅速にそこに向けて飛び込んだ。命あっての物種ということらしい。

 また彼も獣への解答をする暇は無かった。飛来した剣の一閃がそのための時間を切断していた。

 赤い着物を纏った赤髪の長髪は佐倉杏子とどこか似ていなくもなかったが、その魔法少女が手にしていたのは日本刀と脇差であった。

 桜色の花弁に似た光を周囲に纏わせながら、少女は両手の得物をナガレに向けて振い続けた。

 三つの斬撃を回避し、四撃目を彼は斧で受けた。受けた場所は斧の刃の部分であり、それは少女の得物毎彼女の胴体をも一閃していた。

 

 溢れ出す血潮と臓物が滝となって宙に広がる。それを、青を帯びた銀の光が貫いた。

 光の側面に掌底を合わせ、切っ先をずらした時にはその本体が彼の眼の前に立っていた。

 青銀の光と見えたのは人間の拳であり、それは白の軽装を纏った短い銀髪の少女の物だった。

 先の斬撃に匹敵する連打が猛然と繰り出され、彼はそれを背後に跳躍して避けた。開いた隙に、彼は得物を振りかざした。直後、柄を握る右手が激しくぶれた。

 そう見えた頃には、銀髪少女の背後で血潮と肉が飛沫となって噴き上がっていた。

 巨大な斧が複数の少女の肉体を破壊し、槍の穂先が鏡の地面に突き刺さり、その間にも少女を一人貫いていた。

 

 巨大な凶器に囚われた緑髪の少女は、自身の胴体を貫く槍を引き抜かんと手を伸ばした。繊細な手先が触れる前に、その身体が激しく痙攣した。

 胸と腹の間に埋め込まれた凶器が頭部に向けて一閃され、短冊を束ねたような髪型を冠した頭部を真二つに切り裂いていた。

 零れる脳漿の傍らに、血染めの花飾りが虚しく宙を舞っていた。残忍な凶器は、黒い靄の様な塊に握られていた。

 

 塊はいびつな人間の手に見え、そして太い腕と肩に繋がっていた。斧型の魔女である牛の魔女の、牛人のような義体であった。

 縦に振られた斧はすぐさま横に振られ、更に数体の魔法少女を肉片へと変えた。溢れ出した血肉は斧の中央の孔に吸い込まれ、喜悦さを表しているものか、それらを喰らう度に斧は刃の光を滲ませていた。

 

 異形が斧を振う奥では二種の拳が振るわれていた。片方は魔を帯びたもの、もう片方は魔法とはまた別の魔を帯びた人間の拳であった。

 銀髪の少女が振るう嵐の様な連撃が掠め、ナガレの頬には鋭い傷が奔っていた。だが痛みよりも彼が覚えたのは懐かしさの記憶だった。

 同じ系統の戦闘技術を使うものと、彼は久しく会えていなかった。だが懐古の心は彼の心を曇らせるには至らなかった。

 

 振り切られた少女の蹴りに、彼は側面から手刀を放った。それは正しく刃の切れ味を宿し、少女の左脚を膝の部分で断ち切っていた。

 崩れ落ちる少女はしかし、攻撃の手を緩めなかった。倒れつつも右の拳を突き出していた。

 

 同時に、彼は頭頂に冷気を感じた。上よりも下に目を向けると、頭上に直径四メートルに達する物体の発生が見えた。

 形状と感覚からして、巨岩の様な氷塊であると彼は悟った。退避するには間に合わないと脳が思考するより早く、彼の身体は動いていた。

 突き出された拳を薄氷の差で避け、その腕を右肩に担ぐようにして補足。

 そのまま体を少女に向けて背を預けるようにし反転、そして両腕で少女の手を掴むと氷塊に向けて砲弾のように放ったのである。

 どのような力が加わったものか、少女の魔力で生み出された氷塊は少女の背中との激突で二つに砕け、少女の身体は胴体と手足が断裂した五つの肉塊と化した。

 

 悪夢のような落下物が地に立つナガレの周囲に降り注ぐ。氷塊が落下の衝撃で砕け、複数の破片と化して鏡面の上に転がった。

 血に染まった青い氷の塊に少女の肉片が添えられている様は、見る者の心を永久に穢すような吐き気を催す光景だった。

 

 それを踏み越え、四方から魔法少女の群れが彼の周囲に殺到していく。自らが生み出した残忍なオブジェに不快感を感じる間もなく、次の戦線が続いていく。

 繰り出されたのは銀の鉤爪、縫い針を模した柄のレイピアに赤く巨大な拳を模した杖、そして通常の十倍近い大きさの剪定鋏であった。

 服装も様々な魔法少女達が繰り出す必殺の武器はしかし、一片の肉も抉ることは無かった。

 

 最も早かったレイピアの少女の胴体にナガレは右拳を突き込み、体勢が崩れた身体を巨大剪定鋏に前に投げ出していた。

 躊躇なく同胞を二つにする間に、栗毛色の髪の少女は悪鬼の接近を許していた。左手が少女の首筋に喰い込み、その華奢な身を吊り上げる。

 掲げられた先には巨大な赤拳と鉤爪が待っていた。破裂する人体を盾と目くらましとし、彼は地を蹴っていた。

 

 二人の少女が鏡の貌で見上げた時、二つの貌はほぼ同時に弾けていた。倒れる二つの人体の間に、宙で蹴りを放ったナガレは身を屈めつつ着地した。

 屈めて縮んだ頭上を、複数の刃が貫いていた。必殺の刺突を躱されたことに対する驚愕か、一瞬の停滞が生じた時が、彼女らの最期の時間となった。

 

 下方から斬り上げられた刃が、槍の柄毎三人の少女達の胴体を切り裂いていた。零れ落ちる小腸や肝臓の流れの奥には、両手で刃を振り切ったナガレの姿があった。

 左右の手に握られていたのは中央の翡翠状の螺子を強引に外され、二振りの刃となった鋏だった。

 主を喪い、自らもその後を追うように黒煙を上げて消滅しつつあるそれを、間髪入れずにナガレは放った。

 薄闇の中を飛翔し、それはそれぞれ一人ずつの魔法少女達の顔面を貫いた。

 だがそれは迫りくる魔法少女達のほんの一部でしかなかった。

 戦闘の余波で、更にヒビが深くなった結界の地面が震えていた。薄闇の奥からは、闇に反して眼にも鮮やかな美しい死神たちが迫る無数の姿が見えた。

 

「まだ来やがるか。こいつぁまるで京都だな」

 

 語るまでも無く、彼の貌には恐怖は一片も浮かんでいなかった。

 本人以外には意味不明以外の何物でもない、ある意味殺戮以上の狂気に捉えられなくもない発言を呟くが早いか、彼は新たな戦線へと足を急いだ。








長めと言いつつ中くらいですみません
それと何度書いても戦闘描写は苦手です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河④

 爆風が身を震わせ、炸裂した熱の余波が肌に熱を齎し、絶え間ない轟音が鼓膜を聾する。

 破壊の力を備えた熱線が空間を切り裂き、赤紫の毒液の滴る槍穂と刃が縦横無尽に振るわれる。

 熱線を躱し刃の斬線の合間を掻い潜りながら、少年は拳と蹴りを鏡面の魔法少女達に叩き込み、その肉体を破壊していった。

 彼の徒手を受け、少女達の筋肉が断裂し内臓が破裂する。頑丈な背骨が砂糖菓子のように崩され肉体の可動域を越えた不自然な体勢で降り曲がる。

 機能停止に陥った同胞を踏み越えながら、少女達は一時の停滞も無く四方から少年の姿をした悪鬼へと無言の進撃を続けていった。

 

「ちょっと多過ぎんな」

 

 誰へともなく彼は呟いた。その時は丁度、徒手に切り替えてから二百体目の魔法少女の頭部を左の裏拳で破裂させた時だった。

 吹き飛ぶ血肉と脳漿を避けて屈んだ上空を数条の熱線が過ぎ、それらは軸線上にいた不運な数体の魔法少女の上半身を瞬時に蒸発させた。

 閃光によって開いた隙間に向かい、彼は地を蹴って疾駆した。左右から囲むように連打される刃が身に届く前に、振られた手刀が少女達の手首を砕き、或いは斬り落としていく。

 

「犬の頸よりゃ楽だろな」

 

 彼はまたも呟いた。経験則からではなく、彼の同類から聞いた話からの推測だった。呟きが終わる頃、疾駆の果てに彼は前方に拳を突き出した。

 それは黒い物体を撃ち抜き、肘まで埋まった。そして抜け出た拳が何かを掴んだ。

 

「お前はちょっと休んでな。餌なら浴びるほどくれてやらぁ」

 

 黒い物体から引き抜かれた手には、長大な斧槍が握られていた。黒い物体とは、本体である斧が生み出した直立する牛を模した義体であった。

 数体の魔法少女に群がられ、全身に刃を突き立てられていたところに彼は拳を突き込み、強引に本体を取り戻したのだった。

 引抜き際に旋回した残忍な円弧が、巨体に集っていた少女達を肉塊へと変えていた。そのまま再度再再度と巨大な得物をまるで細い棒切れのように軽々と振い、その度に犠牲者を量産していく。

 先程の発言に矛盾があるのではないかという思考は、彼の嫌味とかそういった次元の話ではなく俗に云えば天然な思考からのものだった。率直に言えば彼は馬鹿だった。

 

 武器に徹する魔女もまたそれを察しているらしく、彼を見つめる異形の眼はどこか奇異な存在に向けた視線となっていた。

 対する彼はと言えば、破壊の旋風を撒き散らしつつ自身を包囲する魔法少女達を次々と刈り取っていった。

 腕力で言えば彼のそれは魔女と比べて数段劣るが、斧の扱いは魔女のそれを大きく上回っていた。

 

 大振りである筈の斧の一閃は、ほぼ密着に近い位置からの斬撃にさえ対応し、そのひと振りが終点に至るまでに十本以上の刃を迎撃していた。

 砕かれた刃の群れに一瞬遅れ、それらの主である少女達の背から鮮血が吹き上がりその身はずるりとずれ落ちた。

 人の垣根が絶えて生じた隙間の奥で、魔法少女達の刃がそれぞれの身に纏った衣装や髪の色に準じた光を宿した。

 一瞬を更に刻んだ時の後、刃の先端からは熱線が迸った。それの中心に立つ彼の身はほんの一瞬、無数の色が混じった極彩の光に染まった。

 光が弾けた後にも、彼はその場で立っていた。斧を振り切った姿勢であった。彼の服の数か所が焼け焦げて剥離し、肌の上には幾つもの火膨れが出来ていた。

 そして彼の周囲を囲む魔法少女達の腰から上が消失していた。肉体の断面は炭化し、炭で覆われた肉体の真ん中からは粘着質となった血が滲んでいた。

 

「危ねぇな」

 

 その一言には苦痛と緊張感があった。破壊を終えた斧の眼は瞬きを繰り返していた。見たものと成したことが信じられないというように。

 彼が振るった一閃は、飛来する熱線をその切っ先で逸らし、挙句に周囲に弾いて拡散させていた。

 光速に肉体が対応出来るはずもないためこれは、切っ先から着弾点を予測し放たれる寸前に振り切ったから、そして相手が近距離であったために可能と為った絶技だった。

 二射が来る前にと、彼は魔法少女達へと飛び込み、暗黒の大斧を再び振り下ろした。

 

 線上に立つ魔法少女の全面を完全に覆う大盾に薄氷の鋭利さを持つ刃が激突したとき、盾の表面を六角形の魔力の膜が覆った。

 これまでも幾度も見た、防御に優れた魔法少女が魔力の障壁であった。障壁に刃が喰い込み、軽減された威力を大盾がビタリと受け止める。

 だが鉄壁を誇る防御からの反撃を成そうとした時、盾の裏側にいた緑髪の少女の頭蓋は陥没させられていた。痙攣して崩れる少女の背後には拳を血で濡らしたナガレが立っていた。

 

 刃が障壁に喰い込んだ時、彼は咄嗟に固定された斧の柄を掴み、盾の上を滑るよう前転していたのだった。回り込み様に拳を振り下ろしそして今に至っていた。

 主の手から離れた大盾を奪うと、彼はそれを真横へ振るった。鉄壁の盾は巨大な面の範囲攻撃となり、迫っていた数体の魔法少女達を圧殺した。

 肉の内側で砕けた骨が肌を突き破って外に出た様は、内部で爆薬が炸裂したかのようだった。激突の衝撃で外れた斧を掴むと彼は盾を構えた。

 そこに向けて視界を埋め尽くす数の遠距離攻撃が殺到していく。超高温や魔力で生成された弾薬が盾の上で弾け、無数の火花を散らし爆風の渦が巻く。

 

 朦々と上がる熱風と粉塵を突き抜け、孤影が上空へ躍り出た。全ての刃の切っ先がそちらに向き、破壊の光を撃ち放つ。

 照らし出された孤影は、頭部を潰された緑髪の魔法少女だった。上空で人体が弾け微細な破片となって降り注ぐ中、愚策を悟った魔法少女達は再び前方に得物を向けた。

 その間に彼の準備は終わっていた。粉塵を切り裂き、無数の飛翔体が魔法少女達へと向かって行った。

 それは魔法少女の刃を砕き、衣服と肉と、存在の全てを粉々に砕く小さな破壊の落とし子だった。

 内側から自らを切り裂くそれらによって、白い粉塵の濃度は薄まり熱風によって開いていく。乳白色の闇から顕れたのは、鈍い輝きを放つ黒銅色の鉄の筒だった。

 けたたましい回転音を挙げて運動するその先端から、無数の弾丸が撃ち出されていた。

 

「好き勝手散々撃ちやがって。こっちも遠距離戦でやってやらぁ!」

 

 叫ぶナガレが携えたのは全長一メートルほどの長さの銃器、分かりやすく言えばガトリングガンであった。

 四本の鉄棒を円柱に加工した鉄で包んだそれは、なんともいえない手造り感に溢れていた。右手で重心を支え、左手は引き金付近に添えられた手車を回している。

 連なる弾薬は斧の中央の眼の奥から次々と補充されていた。弾薬もまた一つ一つ微妙にサイズが異なっており、彼の謹製である事が伺えた。

 魔女を介した弾丸である為か、弾が接触した魔法少女側の熱線の威力は減衰し彼の元へ届く時には熱の殆どが消えていた。

 

 相手の攻撃と相手自身を破壊しつつ、異界の技術が施された手造り兵器が魔法少女達を際限なく打ち砕いていく。

 そして質の悪い事に、毎分数千発は撃ち出される弾丸は狙撃の精度を誇っていた。

 後衛魔法少女を盾として進撃を図った近接主体と見える魔法少女達は、肉体の盾越しに頭や胸を貫かれていた。

 無数の屍が泥濘となって広がった時、漸く彼は歯車を回すことをやめた。

 

「弾切れか。もっと用意しときゃよかったな」

 

 愚痴った相手は魔女に対してのものだろうか。十分近く撃ち続けたというのに、この男は何を言っているのだろう。

 唯の重しとなった、酷使により戦端を真紅に染めたそれを、彼は惜しげもなく投げ捨てた。

 一抱えもある鉄の塊は飛燕の速度で飛翔し、その先にいた不運な魔法少女の頭部へと激突。その頭を粘土のように圧し潰した。

 だがその背後からは、更にわらわらと後続が進軍を続ける様子が見えた。迫りくる魔法少女達の姿には、同一個体と思しきものが幾つも見えた。

 

「ネタが尽きてきたのか?」

 

 彼は率直に感想を呟いた。現実と虚構の違いは彼も理解してはいるのだが、このメタフィクションな発言は呉キリカの影響があるものと思われた。

 彼女が知れば、いい迷惑と思うに違いない。

 










マギレコで言えば彼もブラスト偏重なのかもしれません
次辺りで今の話を一区切りさせるべく頑張ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河⑤

 白い肌が、しなやかな皮が破け、その内側から鮮血と肉が弾け飛ぶ。脈打つ血管が這う内臓が外気に晒され、発狂せんばかりの苦痛が脳髄を焼く。

 叫ぼうとした口に、血と内臓を溢れさせる傷口に、無数の手と指が伸ばされた。挙がり掛けた絶叫と血肉の飛沫を、暴虐の手が飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 旋回する漆黒の斧槍が、血風を撒きつつ少女達の肉体を雑多な破片に変えて宙にばら撒いていく。

 殺戮の最中、同胞の肉体を貫いてまで放たれた魔光を、彼は首の傾きだけで回避した。なんとなくと、そうむず痒い危機感がふと浮かんだためだった。

 次いで彼の周囲に光が灯った。一か所だけではなく、彼を中心とした円を描いての前周からの攻撃だった。

 彼の身を染めた光とは、周囲で刃を振っていた少女達が蒸発した際に灯った光でもあった。一秒を数十分割し、破壊の力が身に届く前に、彼は縦に跳んでいた。

 飛翔した彼の周囲に追い縋るように、複数体の魔法少女が宙で刃に槍を振った。

 

 最も速度が速かった、短剣を持つ白銀の衣装と髪をもった少女の手首を彼は掴み、他の者の斬撃に割り込むようにしその身を振った。人体を一つの刃と見立てたように。

 共通の敵よりも、新たな獲物の肉を切り刻むことに夢中になったその瞬間に、残忍な刃の旋回は終わっていた。

 振り切られた幅広の刃を携えた長大な斧槍の柄は、長い手の先の人差し指と中指の二指に挟まれていた。明らかに、現人類を越えた身体能力であった。

 

 残りの左手には何時の間に取り出したのか、数十分前に破壊を欲しいままにした手製の銃器が握られていた。その引き金が絞られたことによる破壊もまた先程の再現となった。

 着地した時には動くものは殆どなく、無数の銃痕が並ぶ傍らに焼け焦げた肉片がばら撒かれていた。辛うじて原形を留めているものは、彼の左足の下で踏まれた一体のみだった。

 半分ほど吹き飛ばされた顔の上に、彼の安全靴が乗せられていた。踏もうと思ったのではなく、混乱の中運悪く直下に残ってしまったようだった。

 寿命が来たのか砲身が吹き飛んだ銃器を投げ捨て、彼は足の下の者を見た。

 

「…うげ」

 

 心底嫌そうな一言は、少女の肉体の無残な損壊をまじまじと見た為と、その肉体が有した特徴がどこぞの道化に似た為というかそのままであったためだった。

 嫌悪感のままに足に掛かる負担を重力に引かれるに任せて多少の力を加えると、半分が吹き飛んでいたとはいえ人間の肉体が果実のように潰れた。

 魔法少女の、個体ごとの性能差はあれど互角から概ね数歩手前程度の身体能力を有する代償か、外見は筋肉質である事を除けば同年代の少年少女と大差がないながらその体重は三倍近くの開きがあった。

 背負った装備品も含めれば、大型単車に匹敵する自重となっていた。

 

 普段無意識に行っている靴擦れの音さえ立てない歩行や中古のソファで寝転ぶ時の自重の拡散などで日常生活に一切の不都合は無いが、一度それを開放すれば自重自体が質量兵器と化すのであった。

 この特異体質というか存在である原因は、骨格や筋肉が金属に置換されているような怪物的な変異が作用しているように思われた。

 逆に言えばそうでもしなければ、魔法少女や魔女に対抗する事など出来ないのだろう。

 

 因みに彼がこの特徴に気が付いたのは、よく行く銭湯でなんとなくという気持ちで体重計に乗った時だった。廃教会で暮らし始めてから一月が経過したあたりの時だった。

 その時ぽつりと彼は「変な野郎だな」と言っていた。老朽化も著しい体重計を破壊したことに関しては、新しいものが三台は買える代金を支払って補っていた。

 払うものを払わないと面倒になるという当たり前の事を、彼は漸く学んだようだった。例を挙げれば電気やガスとか、ラーメン代などだろう。

 尚学習の元には闇金融からの借り入れは含まれていなかった。あれはどちらかといえば、頂点捕食者が小鳥や魚を取る為に撒き餌をばら撒くようなものである。

 

 ふとした一瞬の回想と共に、彼の瞳は周囲を見渡していた。動くものは既にいなかった。彼は死屍累々と並ぶ死山血河の中に立つ、血みどろの孤影となっていた。

 そこへ向け、血肉を踏む水音を立てつつ近付く黒い影があった。不吉な影の正体を認めた彼の眉が、絶妙な不快感を湛えて少しの歪みを見せた。

 

「かくして友人は今日も主人公らしく大勝利したのでした。それではまた来週、次回『友人死す。死因は私』決闘スタンバイ」

「ワケの分からねぇ事ほざくんじゃねぇ」

「また始まったよ、主人公様特有のマウント取りが。理解不能なものをただそれだけで切り捨てる」

「黙れ呉キリカ」

 

 流れるように名を告げると同時に、彼の右手が閃いていた。指先には何時の間にか魔法少女達から奪った短剣や刃の破片が挟まれていた。

 三本の銀光は声の根源へと着弾し、その身を背後へと仰け反らせた。

 

「おお怖い。友人ときたら相変わらず魔法少女への民族浄化主義者のようだ」

 

 感慨の欠片も無い声は、仰け反った人体の背後から聞こえていた。その理由が分かった時、彼の心中に不愉快さの渦が巻いた。

 

「てめぇもよくそんな事が出来るもんだな。感心すら覚えらぁ」

「偉いぞ友人。他者を認め讃えるとは。主人公とは時にはそうあるべきだ」

 

 成り立たない会話を交わすキリカの姿は二つあった。一つは顔面に刃を突き立てられたものと、その背後で口を動かしているものの二つが。

 但し前者は胴体を除くほぼ全ての個所が欠損した、断面から砕けた骨と伸びた神経を見せる達磨状になっていた。

 その胴体の、恐らくは背骨辺りを強引に掴み、残忍な腹話術人形としていたのだった。ここで自らの複製の役割は終わったとしたのか、キリカはその身を適当としか思えない様子で放り投げた。

 地面に打ち付けられてバウンスした肉体の中、顔の部分がずるりと動いた。動いた下には、鏡面の貌が覗いていた。

 

「態々手前の顔の皮剥がす意味あったのか?」

 

 ぞっとするような一言を、彼は面倒くさそうな口調で告げた。呆れているのである。

 

「言っておくがこれはキャラ付の一環だ。私には断じてアブノーマルな性癖は無い」

 

 義憤さえ湛えた様子でキリカは返した。会話の矛先を変えるべきだなと彼は思った。

 

「そういや遠く歩いてるとこ見えたけどよ、杏子の奴はどうした?」

「何だかんだで君は仲間想いだな。その気持ちに応えてあげよう」

 

 キリカは左手を振った。一瞬の後、彼はキリカの前にいた。そして長大な斧槍が振り切られていた。

 劈く金属音に少し遅れ、ぼとりという生々しい音が鳴った。

 

「やはりな友人、面倒なやり取りは抜きでいこう」

「ああ」

 

 普段通りの口調であったが、声色は怒気を含んでいた。各々の魔斧を交えた傍には、白い太腿を覗かせた人間の脚が転がっていた。

 強引に捩じ切られた断面からは、今も新鮮な血液が滴っていた。その肉塊の足先を覆う靴は、杏子のものだった。

 

「一応説明するとだね」

 

 その言葉の続きは喘鳴となって放たれた。両手で斧を握ったままに放たれたナガレの右の直蹴りがキリカの腹部を貫いていた。

 内臓破壊の吐血を吹き仰け反るキリカの胸倉を、蛇のように伸びたナガレの腕が掴んだ。

 そしてそのまま力任せに手前に引くと、キリカを背負い投げを放った。地面に激突する寸前で彼は手を離した。

 投げの直前で宙に投げていた斧を掴むと、その幅広の腹を前に掲げた。盾の要領で掲げた斧へと、無数の刃が去来した。

 黒い刃の連弾は、キリカの両手の甲から放たれていた。

 

「人の話を聞かない奴には疾く急く死を与えよう」

 

 口の端から鮮血の筋を垂らしつつ、キリカは朗らかに微笑んだ。まるで花を愛でる姫君の様な表情だった。

 その朗らかな笑顔に、一閃の光が迸った。額から顎までを一の字で結んだ光だった。

 負傷しつつも魔弾を薙ぎ払い必殺の一閃を放ったナガレの顔には違和感が浮かんでいた。斧を握る両腕には痺れがあった。

 そして、斧の刃には滑らかに続く円弧の中に小さな歪みが生じていた。

 

「何時も何時でも巧く往くなんて、そんな保証は何処にもないのさ」

 

 謡うように告げながら、キリカは優しく微笑んでいた。真横からの薙ぎ払いが飛来し、少女の胴体を薙いだ。

 激しい金属音に小さな破砕音が重なっていた。今度は眼に見える形で斧の一部が砕けていた。

 

「てめぇ、面白い事やるじゃねぇか」

「まぁね、折角の魔法なのだから使わなければ損だからさ」

 

 告げたキリカの胴体と、そして顔を縦に薙いだ痕の皮膚の奥に、無機質な白色が見えていた。骨か、牙の様な色だった。

 切り裂いた皮膚の間からは僅かな出血が滲んではいるが、皮膚の下にある白磁は傷の一つも無かった。

 

「実は私はアタックタイプに見えて、カッチカチのディフェンスタイプだったらしい。という訳で友人よ。世界の平和の為にこの鏡の世界で潔く死んでおくがいい」

 

 言い終わるのと、裂けた皮膚と衣服の再生は同時であった。天使の様な笑顔のままに、彼女の両手からは悪夢のような大斧が現出。

 長い脚が地を蹴ると、その身は魔鳥のように宙を舞った。ナガレは傷付いた斧を携え、美しき魔鳥を迎え撃った。













今年はペースを速めていきたいところです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 鏡映すは屍山に血河⑥

 その光景を遠望してみる者がいたのなら、それは蛇行する巨大な蛇に見えたかもしれない。

 黒く禍々しい得物を交えつつ一瞬の間断も無く、一対の災禍は破壊の連鎖を続けていった。

 

 破壊の連鎖は平野を疾駆し、異形の建造物が林立する地区に至った。その真横を、ちょうど人間の首がある程度の高さにて赤黒い一閃が迸った。

 それは家に例えれば十数軒程度の範囲を駆け抜けていた。一瞬の後、水平の線は厚みを増し、鏡面で彩られた建造物たちは傾斜を始めた。

 それを更に縦に横に斜めにと禍々しい赤黒の光が巡り、やがて無数の斬線となって埋め尽くした。

 

 すべての方角に向けて倒壊する建物の中心では、二体の悪鬼が剣戟を交えていた。

 無数の瓦礫は悉く切り刻まれ、粉塵は剣風によって吹き散らされていく。

 大災害に匹敵する環境の中にありながら、両者はそれらに一切の関心を向けていなかった。

 

「友人、いい加減にくたばって呉。直訳すれば死ね、っていうかいい加減に死ねッ死んで呉ッ!!」

「死ぬかボケェェエエエエエ!!!!!!」

 

 怒号と共に刃が振られ、交わり弾かれ再び交差を繰り返す。剣戟を交えながら、疾走に等しい速度で異界の全てを破壊するかのように両者は何処ともなく進んでいく。

 破壊の余波で斬り崩れていく建造物へと黒い魔法少女は飛翔し、黒髪の少年もまた獲物を追って跳躍する。

 

 宙に浮いた二つの影の周囲に、不意に複数の花を散らしたように複数の色が咲いた。多種多様な衣服と得物を携えた、鏡面の少女達であった。

 魔の光を湛えた武具は二体の黒髪の者どもへと向けられ、かけたところでその表面には無数の斬線が引かれていた。

 それは彼女らの体表も同様であり、行動に移る前に少女達は数十の肉の賽子と化して赤黒い色を宙にばら撒いた。その赤黒を、更に色濃い黒を纏った巨大質量が引き裂いた。

 残酷且つ美しい液と固体は、己を刳り刻んだ物の一つである巨大な斧槍へと吸い込まれていった。

 

 少女達の血肉の糸を引きつつ振り切られた斧は、その巨大な刃を黒い魔法少女の細い胴体へと水平に叩き込んでいた。

 凄まじい金属音が鳴った。斧の刃の表面で、黒い少女の体表で。

 魔女の鎧や頑丈な皮膚、そしてそれらを破壊可能な魔法少女の武具さえ粉砕する必殺の一撃はキリカの肌を薄く切り裂くに留まった。

 そして彼女の体表を舐めるように這い、そのボディラインに沿って流れていった。

 

「なんか官能的」

 

 謎の感想を告げつつ、身から離れつつある斧をキリカは振り払った。

 

「だから友人言っただろう?ダメージカット状態発動中だ」

「また訳の分からねぇ事ほざきやがって」

「友人は物分かりが悪いな。カードゲームアニメの主人公みたいな外見の癖に」

 

 言葉の意味は分からなかったが、罵倒に違いないと見做したナガレの貌には不快感が流れた。一瞬覗いた凶相は気の弱い男なら気死させかねない迫力があった。

 

「ひゅー♪」

 

 対するキリカは口笛じみた吐息を漏らした。その可憐に尖らせた唇に複数の鋭角が飛来した。白銀の輝きを放つのは、魔法少女達の剣の切っ先や短剣であった。

 宙にばら撒かれた少女達の遺品を回収していたナガレが放ったものだった。

 軽く触れるだけで柔らかく指に圧されそうな鮮血色の唇は、魔の武具の切っ先を衣が拭われるかのように受け流した。

 その一瞬の間にナガレはキリカへと肉薄していた。双方からの巨大な凶器達が激突し、異界の一角を衝撃が聾した。

 

 軋みを挙げて組み合う得物ごしに、二体の怪物達が対峙する。嘲弄の色を湛えた狂人の貌と、闘争に猛る魔獣の貌が向き合っていた。

 ふと、魔獣の方に変化が生じた。キリカの姿に違和感を覚えたようだった。

 

「お前、身長縮んだか」

 

 疑問ではなく確信のそれの口調であった。その指摘にキリカの表情に影が掠めた。この世の災いを憂う賢者の様な顔だった。

 

「実はカミングアウトするが、私の身長は少し盛っていたんだ。魔力の応用でね」

「正しい使い方じゃねぇか」

 

 彼は賛同していたが、実際よく分かっていないに違いない。

 

「今まで佐倉杏子や君に対抗して155くらいにしていたが、実際は驚くなかれな148センチだ。本来の私は一部の小学生くらいのドチビ豆粒でロリコンが喜びそうな感じの身長なのさ」

「気の毒だな」

 

 この一言に悪意は無かった。が、キリカは壮絶な目つきで彼を睨んだ。涙目なのは、コンプレックスのせいだろう。

 

「泣くなよ」

 

 と言ったが、何の解決にもならなかった。その一方で彼は魔法を解除した理由は彼女の言ったダメージカット云々だろうと思っていた。

 普通ならそれに魔力を回したと考えるのが妥当だろうが、今の彼は「ダメージって何だっけ」と言葉の意味を思い出す事に脳味噌を働かせていた。

 英語に関しては簡単な数字とビームとかくらいしか身近になかった男である。

 考えても思い出せなかったので、彼は現実に向き合う事にした。

 

「おい魔法少女、そろそろ決着といこうぜ」

「うん」

 

 キリカは涙声で言った。それが合図だった。

零れた涙を宙に置き去りにして、キリカは背後に跳んだ。弾丸の速度を与えられた、黒い魔鳥の羽ばたきに見えた。

 美しき魔鳥の両腕が掲げられ、莫大な魔力がキリカの掌に集約される。次の瞬間には、赤黒の禍々しい斧の連なりが放たれていた。

 ナガレの視界を埋め尽くす斧の波濤は、キリカの必殺技の「バンパイアファング」であった。

 超身体能力と再生能力を有する魔法少女ですら絶望に沈ませる破壊の光景を前に、ナガレの表情には驚きの色があった。

 

「そっから出てたのか」

 

 破壊の波濤の奥に霞むキリカの両手首に、彼の視線が吸い込まれていた。

 

「このマジカルブレスレットが発生源さ。今まで手の甲だと思ってたようだね、勘違い乙だよ」

 

 その説明臭い嘲弄に、激しい金属音と少年の咆哮が重なった。

 

 暗黒の波濤を前に、ナガレはそれと真っ向から切り結んでいく。斧と斧の連結部分を巨斧が砕き、強引に切り裂いていく。

 多少の負傷は気にも留めずに切って斬って斬りまくる。ナガレの周囲を赤黒い斧の破片が包んだ。禍々しい繭に覆われた蛹のようだった。

 破壊と斧の再構築のバランスは前者によって均衡を破壊され、彼はついに最後の波濤を切り裂いた。

 開いた隙間から、十本の斬撃が飛来したのもその瞬間であった。

 

 血みどろの手が握る巨斧が十本の斧と再び組み合う。

 幾度となく繰り返され、ナガレ側の無茶により強引に互角まで引き上げられていた均衡はキリカの方に傾いていた。

 

「さらば」

 

 キリカの言葉は短かった。黒い魔法少女の黄水晶の瞳は巨斧の主を見た。それだけで十分だった。

 普段ならそれにすら反応し強引に振り払われる速度低下が作用し、少年は決定的なタイムロスを生じさせた。

 時間にしてコンマ一秒のそれは、キリカの魔爪が処刑台の斧と化すには十分に過ぎる時間であった。

 キリカより十センチほど高い身長の身体の各所に無数の斬線が入った。線は一気に太くなり、内側から黒血を溢れさせた。異形の、腐り切った血を。

 

「あっ」

 

 消しゴムを忘れた。日常生活なら、そんな言葉が続きそうな表情だった。

 切り刻まれる少年の形をした肉体の奥から、キリカの魔法のそれよりもさらに黒い闇とでもいうものが溢れた。

 それは一瞬、斧と杯の紋章の形を顕した後、闇の内から白銀の光を産み出した。光は黒い魔法少女に重なるようにして駆け抜けた。

 風の様な疾走の終点には、闇を切り取ったような黒い髪と無限の憎悪を秘めたような渦巻く瞳を持つ少年が立っていた。

 彼の両手には、巨斧とは異なる二振りの手斧が握られていた。刃は薄氷のように研ぎ澄まされていた。その表面では、黒い魔力の欠片がこびりついていた。

 それが燻るように掠めたとき、キリカの身体に朱線が浮いた。腕に、太腿に、肩に胸に、そして腹に。ずるりと輪郭がずれるや、キリカは複数の肉塊となって地面に落ちた。

 

「君は化け物か、友人」

 

 自らの吐き出した血の海に肉体の破片諸共に沈みながら、僅かな肩の肉と頭部だけが付いた状態でキリカは言った。

 

「鏡見ろよ、魔法少女」

 

 疲弊に満ちた声でナガレは告げた。この空間においてそれは、この上ない皮肉であった。

 応えるように、彼が晦ましとして用いた偽の肉体の手から巨斧が滑り落ちた。

 魔女自身も疲弊しているのか、地面に横たわったまま動かない。

 硬質の物体を斬り続けた事で、刃の表面には無数の欠けとへこみが生じていた。

 無惨になった自身の様子に、魔女も疲れ切っているようだった。中央に浮いた眼部分も力なく浮かんでいる。

 だが不意に、その眼がびくりと震えた。黒い孔のようなそれは、遥か彼方の光景を見つめていた。

 地獄のように紅く燃え盛る炎の色が、闇の瞳に映っていた。

 

 










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 煉獄の決闘者

「あー、もう。友人てば空気を読まないから困る。普通魔法少女が未知なる力を発揮したのだから君は爆発四散して然るべきだ」

 

 呉キリカは苦々しく語った。自らがその状態で。

 彼女の肉体は鎖骨の真ん中あたりで胴体と切り離された頭部、太ももの付け根から切断された脚に、肘で切断された腕にと惨殺体の様を呈していた。

 断面からは言うまでも無く滔々と血潮が溢れ、酸鼻な香りを異界に振り撒いている。

 その様子に善や憐憫の心の部分を刺激されない訳でもないが、その破壊を成した本人のナガレの顔に動揺はなかった。慣れたのだろう。

 

「てめぇらほんと不死身だな。つうか硬くて速ぇとか反則もいい加減にしやがれ」

「『魔法』少女だからね、多少のチートは赦せ」

 

 キリカの応対にナガレがふんと鼻を鳴らした。横文字の意味はよく分からないが、多分ズルとかそういうのだろうと野生の勘が告げていた。

 その反則持ちの戦闘生物を斬り伏せた事に関する自負心が皆無であるのは、キリカが生きているからだろう。

 

「硬くて強いと云えば、君の腐れ思い出話にそんなのがいたね。なんだっけか、たしかマジン」

 

 残り数文字で足りる言葉はそこで一瞬途切れた。何事にも無関心を通すキリカの、その血みどろの背にほんの少し、薄ら寒いものが這ったのである。

 

「ああ、お前さんはちょっとあの化け物に似てやがる。人の話聞かねぇとことかワケ分からねぇところとか」

「『終焉にして原初の魔神』だっけかね。御大層なお名前だことさ。ついでにたしか未来予知からの即死技も使えるんだっけかね。

 たしかに生意気な奴だ、著作権法違反で死刑を望む」

「いつか纏めてぶっ潰してやるさ」

 

 ナガレの返しでその話題での会話は終わった。

 キリカは彼の話を妄言としか思っておらず、ナガレ自身も愚痴を聞いて貰いたいとも思わず有言実行あるのみだと思っていた。

 

「にしてもなんだい、その斧は。神浜の調整屋に新作かい?それとも腐れマギウス製?」

「手製だ。変な言葉並べるんじゃねぇ」

「変な奴にそう言われるとは連中も不運だね」

「どうやって作ったとか、聞かねぇのか?」

 

 妙な返しにキリカは怪訝な表情をしたが、乗ってあげる事にした。聞いてほしそうな顔つきだったからである。

 一秒悩んでキリカは決めた。彼女にしては長考であった。

 

「さて、第二ラウンドといきたいところだけれど」

 

 選んだのは無視だった。ナガレの顔に、露骨な残念感が浮かんだ。こいつほんとにガキだなと、キリカは思った。

 言葉を紡ぐのに並行し、キリカの肉の断面に黒い靄が這った。

 見る見る間にとも足りぬ時間の間に、断裂していた肉と骨が接合し衣服も水同士が溶け合うように癒着する。

 二秒と経たずに惨殺死体から傷一つない健康体としてキリカは再生した。生物の範疇を越えた超回復はまさに魔法の賜物だった。

 

「友人如きに構ってるヒマはないな」

 

 並び立つ黒髪の怪物二体の顔を、熱を孕んだ風が叩いた。途端に両者の顔面に無数の汗の珠が浮いた。

 飛来した熱は灼熱であった。そして四つの黒い瞳の中には、真紅に染まった世界が見えた。

 歪な鏡面は視界の限りの果てまで、波のようにのたうっていた。蛇のように打ち上がり、空中で気体へと果てていく。

 建造物が蕩け、根元から崩れていく。地面もまたある一点に向けて流れて溶け落ち、その一点は灼熱の坩堝となっていた。

 底知れぬ巨大な坩堝の中心に、それはいた。

 

「お前、なにやらかした」

 

 怒気を隠そうともせずにナガレは聞いた。彼はキリカの方を向かず、正面を見ていた。

 灼熱の坩堝の上に立つものに。そこにいたのは、燃え立つ炎を纏った人体であった。紅いワンピースを纏った身体は、女体の形がよく見えた。

 身長はやや高くなり、真紅の体が備えた肉体的特徴は数年の加味を経ていたが、その長髪といい体つきと言い、正体は容易に察せられた。

 だがその正体を見出すのに最も役立ったのは、そこから発せられる殺気と怒りであった。

 そしてそれは、これまでにない程に増大していた。

 

「友人はリョナラーのようだな」

「さっさと言え」

「熾烈な爭いの果てに背骨を踏み砕いて動けなくしてから手足をぶちぶち千切って、あの顔面鏡連中の群れに放り込んだってとこかな。

 それ以降、佐倉杏子が連中に何をされたかまでは責任は負えないね」

「悪魔かてめぇ」

「悪魔はむしろアレだろう。ホラあれだよ、前に君と観た映画であったね。『炎の悪魔』って呼ばれてた怪獣ラド」

 

 言い終える前、彼の全身を熱波が叩いた。寸前、彼の右手が伸びて何かを掴んだ。

 吹き飛ばされるも同然で飛翔し着地した彼の眼には、人型の炎と、それに吊り上げられたキリカが見えた。

 真紅の細くしなやかな手がキリカの喉を掴んでいた。接触面からは白煙が上がり、すぐに熱波に散らされていく。

 

「やぁ佐倉杏子。一足先に大人になったようだね、おめでとう」

 

 焼け爛れるを通り越して蒸発した喉を、超再生で無理矢理戻しながらキリカは告げた。それが彼女の遺言と為った。

 吊り上げから叩き付けへと彼女の位置は動き、蕩けた地面に接する直前で急停止した。

 彼女の上顎と下顎を、炎の指が捉え縦に開いていた。何かしらの声が挙がる前に、開いたそこへと真紅が一閃した。

 復讐の悪魔又は女神と化した佐倉杏子の口から発せられた熱線であった。

 

 天から注ぐ裁きの光のように、それは黒い魔法少女の身体を一瞬にして一片残らず焼き尽くしていた。

 熱線は地面を貫き、一体は灼熱地獄と化した。地獄の坩堝の中、炎の女の貌が動いた。眼鼻の形はうっすらと残っていた。

 その全てが虚無を宿したような無表情を宿していた。怒りと憎しみの純化によるものだろう。

 純粋な負の感情に支配された少女の、炎色の虚無の眼は、新たな獲物を見つめていた。そしてその獲物は今、その瞳の中で彼女に刃を翳していた。








また随分と空いてしまい、申し訳ありませんでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 煉獄の決闘者②

 炎を纏った女の身体を、上から下に漂泊の刃が抜けた。

 頭蓋を断ち割り肉を削って柔らかな内臓を切り裂く感覚も確かにあったが、それだけだった。

 水の表面を指が優しく触れたように、炎は僅かな波紋を浮かべたが、それ以上の変化は無かった。強いて言えば、薄っすらと斬線が残ったのみだった。そしてそれも消えつつあった。

 断ち割られた右の眼球が、身を切り裂いたものの姿を捉えた。手斧を持った黒髪の少年だった。

 次の瞬間、世界は真紅に彩られた。女の形を成した炎が、その全身から噴き上がったのだった。

 地面は津波のように荒れ狂い、大気には高温が充満した。しかし地球上の凡その生命体を死滅させる灼熱地獄の中、

 

「熱っ…」

 

 環境を呪うような声が響いた。それは両手に手斧を持つ少年だった。ただその姿は、紅の色に染まっていた。炎ではなく、血の様な赤黒い色に。

 それは拳大の大きさの六角形を成して、彼の体表を覆っていた。

 

「ダメージなんたらとか言ってやがったか。意味分かんねぇけどよ、バリアみてぇなもんだろ」

 

 炎の女から寄せ在られる炎は、少年が纏った深紅の障壁の上で渦巻くに留まっていた。ある程度の熱は透過するらしく、彼の顔は汗に塗れていた。

 炎の間近を通った手を覆う皮手袋には焦げ目がつき、手首には軽い火傷が浮いていた。

 

「いくぜ魔法少女ぉ」

 

 言うが早いか、彼は炎を纏った女、佐倉杏子へと突撃した。

 極限環境だとか、相手への恐怖だとか。

 またそもそも今斬りかかっている相手は、少し前まで自身が救出に向かう為に戦っていた者である事は彼の脳裏からは焼却されていた。

 このあたりはやはり、魔法少女を不死身の怪物と捉えていることが大きく、また彼自身闘争本能の塊のような存在の為だろう。

 

 疾駆からの斬撃が炎の女体の上で交差する。一瞬にして数十の斬線が真紅の上に浮いた。

 一瞬の交差をし、彼は杏子から離れた。装甲のように纏った障壁の数か所が、紙のように破れていた。障壁の内で彼が吐いた息は血雑じりだった。

 

「少しは効いたか?ええ?」

 

 常人なら即死の筈の高熱に晒されながらも、彼は挑発を宿した言葉を吐いた。

 数千度の超高熱を切り刻んだ斧は、それでいながら冷え冷えとした輝きを保っていた。

 そして彼の言葉は単なる挑発に留まらなかった。切り刻まれた女体は、バランスを崩したようにぐらついたのだった。

 最初の一撃が示したように、炎の身体は物理攻撃に高い耐性を持っていた。炎がそうであるように、空いた隙間は直ぐに塞がる。

 今回は異なっていた。胴体に密集した斬線はいびつながら孔の形となり、そこから炎が拭き零れた。

 それは彼女の血液か、エネルギーの本質に見えた。

 

 灼熱の鮮血に、少年の顔に獰悪そのものの表情が浮かぶ。万人が、それを悪鬼羅刹と信じて違わない顔で彼は嗤っていた。

 そこに向け、噴き上がる血飛沫の奥から炎の女体が飛び出した。獲物を求める猛獣の如く、その両の五指は限界まで開かれていた。

 それが少年の頭部に触れる寸前、その頭部が大きくぶれた。首から下の肉体もそれに倣いって宙を舞う。

 

 女の頭部を捉えたのは刃では無かった。刃の斬撃をも上回る速度で放たれたのは、ナガレの拳であった。

 表面を覆う障壁の色は濃く、赤黒となっていた。六角形は溶け崩れて輪郭を失くし、彼の腕に溶岩のように纏われていた。

 

「気分の変え方で結構効くもんだな。あとやっぱ、正気に戻してやるなら殴った方が良さそうだ。前例もあることだしよ」

 

 言うが速いか、彼は飛んだ。そして滞空中の杏子に追いつくと見えた瞬間、空中にて強烈な蹴りを放った。

 殴るといいつつこれである。恐らくは彼にとって殴打とは、徒手空拳の全般を指すのだろう。間違ってはいなそうだ。

 

 腹部のど真ん中を貫かれ、杏子の身体は垂直に落ちた。腕同様の岩塊に近い形に成りながらも動きに制約は無いのか、追撃の膝蹴りが彼女の胸に減り込んだ。

 がはっと吐かれた灼熱を薙ぎ払い、そのまま跨る形で顔面に拳を叩き込む。生きた灼熱地獄の密着した状態ゆえに、彼もまた一つの炎塊と化していた。

 斧型の魔女が必死に障壁を張るも、地獄の業火は障壁の中に侵食していく。常人ならとうに炭化している筈の状態で、彼は叫んだ。

 

「いい加減に眼ぇ覚ましやがれ!!魔法少女!!」

 

 一際強い一撃が杏子の顔面を捉えたと見た刹那、その拳を炎の掌が覆った。横にずらされた拳の先には、炎で出来た唇と歯と、その奥で輝く真紅が見えた。

 避ける間もなく真紅は放たれ、彼の胸を貫いた。背中から抜けた後には、拳大の空洞が残った。胸と背の間にあった心臓は、この世の何処からも消え果てていた。

 

 その上に、彼女は見た。

 理性を失くし、殺戮と破壊衝動に支配された佐倉杏子の炎の瞳は、赤黒い炎のような溶け崩れた障壁の奥にある少年の顔を見た。

 そこには、断末魔の苦しみと死に向かう虚無の表情は無かった。

 忌まわしいまでの不敵さと、生存本能に満ちた毒々しさを覚えるような生気を発する少年の顔があった。

 開いた口から覗く牙の様な歯の列が、黒い卵型の物体を咥えていた。次の瞬間、牙はそれを噛み砕いた。

 黒い破片が歯の隙間から零れ、落下していく中で杏子の体温に触れて蒸発していく。黒い煤が僅かに広がり、そして消えた。

 その煤は、彼の空洞と化した胸からも生じていた。ただし、比較にならないほどの莫大な量が。

 

 数秒前まで心臓が鼓動を続けていた位置に、黒い蟠りが生じていた。そこから傷口へと、黒が滔々と溢れていった。

 黒はそれだけでは無かった。灼熱の行き渡った天から、溶け崩れかけた地面から、ありとあらゆる方向からそこに向けて黒い筋が向かっていった。

 それはやがて大河となり、波濤のように押し寄せる。

 傷口から染み込む黒は、少年の脳裏に無数の光景を映し出した。不幸か欲望か、願いを叶えた末に訪れる末路の歴史。

 この地球が誕生し、脈々と紡がれてきた悲劇と憎悪のリフレイン。希望から絶望への相転移が、鏡面の世界に貯められた感情の坩堝となって少年の心に押し寄せる。

 億に達する絶望の悪夢が一瞬で、脳髄と精神に刻まれる。それが過った瞬間、黒い卵を、魔女の遺した災厄の種を噛み砕いた歯が動き、一つの言葉を吐き出した。

 

「しゃらくせぇ」

 

 そこに秘められた感情は多々あったに違いないが、最も顕著なのは鬱陶しさに違いなかった。

 言い終えた途端、黒は少年の身を呑み込んだ。無数の蟲の様に黒は蠢き、そして形を成していった。

 細いが筋肉質な体格は、さらに太さと逞しさを増し、炎の様に突き出た髪は刃の鋭さを宿す。

 そしての可愛げは見る影もなく消え失せ、全体的な凶悪さは禍々しい程に増大していた。

 逞しい首からは、これもまた炎の様な靡きが見えた。肉体の一部ではなく、それは首に巻かれた衣のようだった。

 

 それは少年ではなく、蠢く黒で構築された青年の姿となっていた。顔の表面も黒に覆われていながら、瞳は元の少年のものと似ていた。

 但し更に深くエグく、万物を破滅に導くような。底知れぬどころか、底の果てすらない地獄の輪廻を顕現させたような渦巻く瞳が浮かんでいた。

 黒い青年の右腕が大きく掲げられ、その先には巨石を思わせる拳が握られていた。

 対する杏子は、人体の可動範囲を越えて耳まで裂けたかのように口を開いた。その中には、太陽を思わせる眩い光球が浮かんでいた。

 拳が振り下ろされるのと、光球の炸裂は同時であった。

 

 それは、一つの世界が破滅を迎えた瞬間でもあった。

 

 

 














また随分と空いてしまい、申し訳ありませぬ…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 安らぎを、君に

「やるじゃねえか、魔法少女!」

「さっさとくたばれ!クソガキ!」

 

鉄と鉄が打ち鳴らさる音が間断なく響き、それに被るように怒号が交わされていた。

交わされる言葉に特に意味も無く、今日も今日とて互いを破壊する不毛の作業に両者は没頭していた。

無数に交差する斬撃は陽動と牽制が幾つかあれど、それも含めて全てが必殺の威力が籠められていた。

現に今、その犠牲者が生じた。

 

「おっと」

 

口では軽く言いつつも、その実コンマ二秒の差で首を狙った杏子の一閃をナガレが回避した時、その軌道上の物体は易々と切断されていた。

鏡面の地面に落下するよりも早く、それは腹に詰まった臓物を宙にぶちまけ自らの吐き出した体液と肉の海へと落ちていった。

二本の手斧を両手に携えた、異国童話にでも出てきそうなファッションはしかし、貌は鏡面を伴った異形の魔法少女であった。

 

「ちっ」

 

舌打つが早いか、杏子の右足が霞んだ。

生々しい音と共に蹴り上げられたのは、鏡貌の魔法少女の上半身だった。

内臓の断面から得体の知れない液体を振り撒きつつ宙に躍ったそれは、更に四つに裂けた。

続いて飛来した下半身も似たような末路を迎えたが、こちらは更に悲惨だった。

猛然と交わされる剣戟の嵐に巻き込まれ、二秒と持たずに血霧と化した。

朧げに霞む赤の向かい側には、悪鬼でも眼を背けかねない狂相と化した年少者達の姿があった。

 

柄から先端までが三メートルもある、冗談みたいなサイズの大斧槍は完全に制御され一切自重によって流れておらず、

真紅の十字を頂いた長槍は多節の鞭と化して空間を駆け巡った。

血の霧は両者が振るう得物の交接点だけでなく、その周囲でも生じていた。

四方八方から迫る異形の魔法少女達は、悪鬼共の振う凶器の贄となり床面を彩る残酷な絵の具と化していった。

言うまでもなくこれは互いを助けている訳では無く、自衛と相手側の不運が重なった事象であった。

刃の交接は両者の足捌きに連れて動いていった。その過程にある鏡面世界の置物が次々と切断され、惨殺死体の数も増えていく。

 

「ラチが明かねぇな」

 

額から垂れ、上唇に触れた一筋の血をナガレは舐めた。

返事はせずに、右耳たぶから唇の端にまで走った傷の裏側に杏子は舌を這わせた。

舌は内頬を抜け、舌の先端が外気に触れた。その瞬間、彼女はキレた。

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

雄叫びと共に、一際力が込められた一閃が振るわれた。背筋に走った危機感から自身の得物との接触の寸前に彼は手を離した。

一対の巨大な凶器達は持ち主たちとは真逆の様に仲良く宙を舞った。どこまでも飛翔していく得物を尻目に鈍い音が鳴った。

肉と骨がぶつかる音だった。

 

「がっ」

 

似たような喘鳴が両者の口から漏れた。杏子とナガレは、五メートルほど離れた場所に仰向けに倒れていた。

跳ね上がるように起き上がったのはほぼ同時だった。両者ともに、左頬が腫れ上がっていた。

腕力では杏子が勝るが、殴打の傷跡は杏子の方が無残であった。

ナガレは腫れと頬骨の骨折で済んではいたが杏子は肉が骨から外れかけ、頬骨は粉砕されていた。

盆の窪にも、得体の知れない感覚が渦巻いているのを彼女は感じた。その場所の骨が砕けているに違いなかった。

 

痛みの熱さは怒りに代わり、佐倉杏子は人型の魔獣と化した。先程とは比べ物にならないおぞましい咆哮が、魔法少女の肺腑の奥底から絞り出された。

裂けた右と割れた左頬の傷が一気に広がり、傷は唇の端から耳まで裂けた。

ほぼ全ての歯が剥き出しになり、比喩でもなく魔獣そのものの容貌と化していた。

怒りが前進を沸き立たせ、ただでさえ高い身体能力が魔力によって更に増強されていく。

真紅の魔法少女の体表からは、炎の様な朧が滲んでいた。

炎の魔獣とでも云うべき姿で、彼女はナガレへと襲い掛かった。

 

人間らしい思考が途切れる寸前、彼女は標的の顔を見た。

束の間、そいつは不思議そうな顔つきをしていたが、それも直ぐに変化した。

彼女同様、地獄の魔獣と化したのだった。

 

 

 

 

「またかよ君ら。あれから三日しか経ってないぞ、ていうかこれで何度目だよこの展開」

 

呆れ切った口調で呉キリカは告げた。普段のやや制服じみた私服姿で見降ろす先には、座席に腰かけた杏子とナガレがいた。

座席は傾斜に沿って多数並び、薄暗い照明に照らされていた。魔法少女二名と人間か疑わしくなってきた少年は映画館にいるのであった。

急な場面転換にも程がある。

 

「それにしても頑丈だな。映画館にいるとは思えない異様な姿だが、頑強って言葉は君たちの為にあると思われる」

 

顔面は眼以外、それも杏子は右、ナガレは左だけを残して完全に包帯で覆われていた。

両腕と両脚に至っては肘と膝を石膏らしきもので固めている。よく見れば上着の内側の肌に接した部分も上に同じであった。

松葉杖が無いのは申し訳程度で無意味な痩せ我慢と言えた。

 

「忌憚のない意見を言わせてもらうと、ほんと君らは度し難い。友達でなかったらあのまま放置出来たのに」

 

友達という表現に、両者の深紅と黒の瞳に疑問が湧いていた。

反論が無いのは一応の恩義があるためと、反論したら面倒になるからである。

こんな局面で反論ないし口ごたえし、大泣きされた経験があるのだ。

 

「気に入らない眼付だね。文句があるんなら後で何時でも何処でも喧嘩上等だよ。まぁ今は」

 

いい様踵を返し歩いていく。

途中で首を後ろに傾けて、

 

「精々楽しみな。たまには安らぎを享受すべきだよ、狂犬ども」

 

と告げて出ていった。

笑顔だが、黄水晶の眼は嘲りと蔑みの視線を放っていた。

直ぐに視界から消え失せると、静かな音が鳴った。扉を閉めたのだろう。

広い劇場の中は、席を二つ隔てて座る怪物二匹だけとなった。

平日の朝二時なので仕方ない。

 

「今日の理由はなんだっけ?」

 

包帯の口元をモゴモゴさせながら杏子が尋ねた。ホラーな光景である。

そして殺し合いは日常なので、喧嘩のとは付けない点が両者の破滅した人間関係を伺わせた。

 

「どこ飯食いに行くかとか、漫画本の発売日何時だっけとかじゃね」

 

少し考えてからナガレは応えた。脳の使い方の方向性が明らかに間違っている。

面白くない応答だったので、杏子も考える事をやめた。数分後、近日公開の映画予告が始まった。

 

「何であたしを誘った」

 

更に数分経って、杏子は口を開いた。予告に期待が持てなかったのが原因である。

 

「語れる相手が欲しかったんだよ」

 

やはりというか、杏子は応えない。

反応に困っていた。

しかし予告はまだ終わりそうになく、退屈そうな映像が垂れ流されている。

 

「キリカのバカがオススメだとか言ってたロボットものだっけ?テメェの知り合いかよ」

 

返事は無かった。自分が無視されるのは癪なので様子を見ると考え込んでいる様子だった。

 

「もういいよ、見てて不安になるからやめな」

 

更に数分経って、漸く予告が終わり劇場に闇が満ち始めた。

そしてこの辺りは年相応なのか、物語の開始の際には両者の眼には期待の色が映えていた。

 

巨大な画面に映ったタイトルの一部は『まごころを』と読めた。

 

 

 

















間が空きましたが再開です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32.5話 the innocent madness

薄闇の支配する劇場の中、ナガレは眼を閉じていた。

生来の喧しさで出来ている彼の人生の中でも、静穏な時はあるものだった。

そしてそれは長く続かないのも常であった。眼は開かれ、薄闇を喰らうような黒い瞳が外気に触れた。

 

「おっ待たせ~~」

 

僅かな親しみと無関心さが1:9で配合された挨拶を放ち、二席開けて彼の隣に座ったのは呉キリカであった。

彼女が座席に座るや、キリカは売店で販売される食糧の乗せられたプラスチックのプレートを座席に接続し、

乗せられたものを貪り始めた。そこからは甘い臭気が立ち込めていた。これでもかと蜂蜜の掛けられた大盛のポップコーンであった。

 

「別に待ってねぇよ」

「テンプレ通りのツンデレ発言ご苦労さん」

「てめぇとはほんと話通じねぇな」

「理解させられない君が悪い」

「クソガキが。後で覚えてろよ」

「それは君の方だ。相当恨みを買ってるからな、覚悟しとくといい」

 

親しみの死滅した会話はいったんそこで切れ、少ししてから再開した。口火を切ったのは並ぶ黒髪の中の、男の方だった。

 

「俺が何かやったか」

「今時そんな台詞、転生ものの主役でも云わないぞ」

「いいから言いやがれ。アイスくらいなら買ってやる」

「君、この映画観るの今回で何回目だい?」

「さぁな。5回くらいじゃねえのか」

「これで28回目だよ、くそぼけ」

 

末尾の罵詈に湧いた怒りはしかし、述べられた数字の前に一旦は引いた。

 

「マジか?いくら俺でもそこまでバカじゃ」

「バカだからこうなってるんだよ、友人。頼むから私の話を聞いておくれよ」

「手短にな。そろそろ始まっちまう」

 

年少者特有の素晴らしい身勝手を携えながら、彼はキリカの話を聞くことにした。

 

「映画を観るのはいい。歌も文化の極みだとか、タブリスも言っている」

「誰だよ、そいつ。なんとなくブサイクそうな名前だな」

「友人、君は今ある世界を敵に回したぞ。それで敵と言えばだね、君はこの映画を見るに当たって身近な奴に声を掛けて回っただろ」

「ああ。自警団の連中とも観たな」

「その結果は?」

「……あ」

「気付いたか、自らの罪の重さに」

「あいつら学生だったな。だから今日誘っても来なかったのか」

「違うっつのおバカ」

 

キリカは溜息を吐いた。深い深い溜息だった。

 

「この映画は人の心を融かす劇物だ。エログロと狂気で満ちた一種の呪物だ」

「お前が薦めてきたんだろ」

「呪物というのはあながち間違いじゃない。映画会社の言葉を信じれば、これはある時ネットを通じて世界にばら撒かれた映像作品群だ。

 作者は不明でキャラクターの声優も不明、作品として流れ出た事以外は何も分かっちゃいないんだ」

「唐突にアホみてぇな事言い始めたな。てめぇ頭大丈夫か」

「ここは魔女のいる世界で、君も話を信じるならここじゃない何処かから来たんだろうが。何だって起こるのさ」

「なるほど、お前さん思ったより頭いいな」

「褒められても全く嬉しくないのが君らしくていいね。で、最初に26話の連なる物語が流れた。

 謎に満ちた作風と麗しい美少女・耽美なガチ〇モ描写は多くの暇人を沼に引き込んだ」

「俺、それ見てねぇんだけど」

「黙れ情報弱者。全部円盤にしてあるから今度くれてやるから一緒に観ようよ。それが数年前の事で、この映画が来たのは今月の頭の事だった。

 凡そ理解不能な結末を迎えたこの作品は、完結編と銘打たれた状態で掲示板やらSNSを通じて世に生まれ出でた」

「あーーーー…やっと分かった」

「聡明な友人よ、答えを述べよ」

「タダで観れるから、みんな映画館来ねぇんだな。今もガラガラだ」

「だからそうじゃねえって言ってるだろ。私のキャラを壊すな、腐れ異世界人め」

 

キリカの黄水晶の眼は天を仰いだ。救いを求める御子のように。

 

「あの内容だぞ。殺戮のオンパレード、エログロのラッシュ、更に難解な結末とあと最低な冒頭場面」

「ああ、あれは俺もどうかと思った。そういうのは隠れてやるもんだ」

「女子にそれを云うな。カルト的な人気があるからこうして劇場でやってるが、あれを初見ならともかく以降に人を誘う奴はどうかしてる」

「それがこの報いか。悪いことしちまったな」

 

声には彼には珍しい悲痛さが含まれていた。

ここ最近の激戦と殺戮で薄れていたが、魔法少女は紛れもなく人間の子供なのであった。

 

「一緒に感想言ったりする相手が欲しいのは分かるけどね。今回はモノがモノだからな、万死に値する。

 今何気なくほざいたその台詞通り、君は魔女かドッペルにでも喰われちまった方が良い」

「あいつらにロボット物は合わないってこったな。今度は魔法少女が出てくる映画にしといてやら」

「前言撤回だ、同情の余地は無い」

 

凡その事例に虚無を纏ったキリカの感情の中で、この一言は明確な意思を持って放たれていた。

そして続けてこう言った。

 

「というか君、この映画に出てくる何よりも無惨に死ぬぞ。君は私も含め、全ての同伴者から莫大な殺意を買っている」

 

言い終え、冷ややかな視線をナガレに送ったキリカの眼に映ったのは、唇の前で人差し指を立てたナガレの顔だった。

気付けば、上映開始まで数秒前となっていた。

前回、五日程度前に来館した時の彼は包帯ぐるぐる巻きの木乃伊だったが既に完治したらしく五体満足の状態だった。

キリカが記憶を辿ると、最初の来館の翌日にはこの状態になっていた。

大問題作であるこの作品中の羽付き白ウナギじみた生命力と、妙に常識人じみた様子はキリカの癪に障った。

心中で『殺してやる』と唱え続けながら、キリカは映画に視線を向けた。

序盤から視聴者を振いに掛ける試練の後に、映像化された地獄が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 












書いといてなんですが、イノセントで済まされる事では無いと思います
あとカヲル君は超絶美形です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 日常への回帰

その日はとても穏やかで、平和な一日だった。

行きつけのゲーセンで彼の容姿に対し、「お嬢さん」と五回陰口を叩いたチーマー連中は三人纏めて大便器に顔を押し込まれ、

運悪く彼の眼の前で老婆の鞄を引っ手繰った輩は、両腕の複雑骨折で済んだ。

 

早朝の用事を済ませるとナガレはそのまま映画館へ直行した。老婆からの謝礼でホットスナックと飲み物を買い、いつもの座席に座る。

観客は当初十数人はいたが、映画の進行に従って脱落者が増えていった。

出口に辿り着く前、扉の付近では嗚咽と嘔吐特融の酸の臭気が漂っていた。

画面では白鰻に喰い荒らされて生じた、リアル極まりない惨殺死体が晒されていた。主人公の少年の絶叫が劇場を貫く。

 

「戦えよ」

 

ホットドッグを食いながらナガレは言った。無茶ではあるが、正論だった。

自分ならどうすっかなと考えながら、彼はストローでコーラを啜った。

異形の女神が翼を開いたあたりで、ナガレは考えを打ち切った。

負ける要素が特に思い浮かばなかったのと、ここから先は画面に注力した方がいいと思ったからだった。

 

無言且つ足取り重く劇場を後にする観客に混じって、ナガレは外へ出た。

足取りに変化は無く、他の連中を追い抜かしての退出だった。

形としては細いが、皮膚も筋肉も鋼の如く頑丈な首筋を月明かりが映している。

早朝だった世界は夜となっていた。多少の休憩、つまりは近くで発生した魔女の殲滅や小用を挟みつつずっと映画を見ていたのだった。

 

「30回位観たけど、やっぱよく分かんねえアニメだな」

 

困惑と苛立ちが含まれた声だった。

 

「しゃあねぇ、また明日も観るか」

 

そう決意したナガレの隣を、意気消沈とした様子で歩く家族や恋人達が通り過ぎていった。

葬式でもかくやといった雰囲気だった。

因みに彼の干渉回数は、既に50回を超えている。

映画館よりも医者に言った方が良さそうな回数だった。

沼の底のように沈んだ雰囲気の中を彼は悠然と歩いて進み、やがて町の喧騒の中に消えていった。

 

 

 

熱い鮮血が宙を薙ぎ、零れ落ちた臓物が重々しい水音を鳴らした。

普段通りの聞き慣れた殺戮の音だった。まだ蠢く頭部を、安全靴の底が無慈悲に踏み潰す。

映画鑑賞を済ませ、行きつけのラーメン屋で腹を満たして家路に赴いたナガレの寄り道であった。

薄暗い世界を、至る所に点在する鏡面の光が照らしていた。

その薄闇の奥から、多種多様な姿の、同一の鏡面を貌とした魔法少女達が次から次へと湧いてくる。

刃や杖と交差するのは、ナガレの鉄拳に刃の様な蹴りだった。

噴水のように上がる血飛沫を掻い潜り、ナガレは次の獲物を求めて縦横無尽に掛けていく。

 

「やっぱ便利だな、動き易いや」

 

言いつつ右手を開いては閉じてを繰り返す。拳にしたところで右に振った。

並走していた魔法少女の顔面に裏拳が炸裂し、空中に骨と脳漿が散った。

残忍な飛沫の中に立つナガレの姿は、普段の服装とは異なっていた。

どこから調達したか、上と下は長袖の緑のジャージだった。

緑色で占められたその姿は妙に似合っていた。

本人も気に入っているらしく、殺戮にも身が入っていた。

 

左右から迫っていた二体の魔法少女の頭部を、彼の両手ががしっと掴んだ。

間髪入れずに力が入り、鏡面の貌と頭蓋骨を豆腐のように握り潰した。指の間からは肉と脳と骨と、鏡面の混合物が溢れた。

痙攣して脱力する二つの肉体を、彼はそのまま前に掲げた。その二つの肉塊の背面で、光が炸裂した。

肉と衣服が、まるで風船のように弾け飛ぶ。紙吹雪さながらに散る人体の残骸を右腕の一払いで退け、ナガレが駆ける。

光の根源を、渦巻く瞳が捉えた。

 

「お前、面白いもん持ってるな」

 

少年の口の端が歪む。素直な、そして残忍な笑顔が浮かぶ。

彼の言葉など届くわけもなく、標的は右手の得物を掲げた。幾つもの彫刻が刻まれたそれは刃でも槍でもなく、古めかしい形をした銃器であった。

引き金が絞られると同時に筒は光を放った。ほぼ同時に筒自体が投げ捨てられ、左手が上がった。

水平に掲げられると同時に魔力が発生、マスケット銃が生成され、左手が引き金を引いた。

一連の流れは動作の手間を感じさせないほどに迅速だった。二発の弾丸はほぼ同時に放たれていた。

それらは同時に弾けた。少年が振るった手斧の刃の上で。

 

破片が頬を掠め、それは瞳の上をも滑った。ナガレの動きは止まらなかった。

黄で統一された、姫騎士とでも呼べそうな煌びやかな姿の魔法少女の紛い物が再び構えた時、その銃身は半ばから圧し折れていた。

銃身には彼の左手が絡みついていた。尋常ではない握力で、枯れ木のように握り潰されたのだった。

 

「うおらっ!」

 

叫びと同時に、ナガレは頭突きを放った。姫騎士の鏡面が破砕され、鏡の両端に垂れた巻髪が激しく揺れ、小さな帽子がずれ落ちる。

背後に傾斜する身体のほぼ全身を拳の猛打が襲った。落下までの短い間に放たれた鉄拳の数は半ダースに上った。

 

「じゃあな」

 

短い離別の言葉は、彼なりに相手を評価してのものだった。

黄と赤の斑となった肉体の首に踏み下ろされた右足が、首と胴体を寸断させる。

確実に仕留めたのを確認すると、彼は顔の上に手を這わせた。姫騎士の弾丸の破片を払い、鏡面世界の更に奥へと歩を進めた。

 

『モウカエレ』

 

数歩歩いた先で、そう書かれたA4サイズの紙が落ちていた。

無視して進み、戦闘と殺戮を続けた。

 

『カエッテ』

 

次の手紙は気付かなかった。闘争に移った獲物を追いかけていた為に。

 

『タノム』

 

次は気付いた。何を頼まれているのか分からなかったのでこれも無視した。

 

『ユウ、ウイン』

 

カタカナだったが、この男はビームとかトマホークとか、ドリル程度の単語しか頭に無いので通じなかった。

 

『オメデトウ』『オメデトウ』『ヲメデトウ』

 

ナガレは漸く動きを止めた。最初の手紙を見た場所から、距離にして二十キロは離れた場所だった。

丘のように傾斜した地の周囲には、頭を割られたり、胴体を二つにされた魔法少女の残骸が大量に転がっていた。

流石に加害者本人も大きく傷付き、右肩が割られ首筋にも刃傷が刻まれていた。

それに気付いたのは、殲滅を終えたからと手紙の上に置かれた物体に目を引かれた為だった。

 

「なんだこりゃ……えーっと、地球儀ってのか?」

 

恐らくは人生で初めて使ったであろう単語の通り、その物体はよく似ていた。

手の平サイズの地球儀型の物体は、球に当たる部分が虹色に輝いていた。

こんなもんどうしろっつうんだと、ナガレが苛立ちを覚えたのと腹が鳴るのは同時だった。

頃合いだと、彼の肉体はそう言っているのだった。付き合いきれないともいう。

しゃあねえなと彼は思った。そしてこう言った。

 

「どこにいるか知らねえけどよ。もし人間様を喰いやがったら、絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやっからな」

 

覚悟しやがれと続けて、彼は家路に戻ることにした。

人間視点で見ると確実に善に当る言葉であったが、魔女にとっては迷惑以外の何物でもない。

死骸の山を器用に避けつつ、彼はある場所に向かった。

魔法少女の手足や首が多数転がる中央に、それはあった。

仰向けに倒れた黒い身体は、半人半獣の趣を持っていた。

 

「お前、今日は結構持ったじゃねえか」

 

胴体に魔法少女達の短剣や槍を無数に刺した牛の魔女に、ナガレは声を掛けていた。労いらしい。

牛の魔女の本体たる大斧は仮初の肉体の傍らに横倒しになっていた。その大斧の中央に開いた穴の中の黒点が、瞬いたように蠢いた。

 

「ああ。そのあたりはなんとかしてやっから、お前も協力しな」

 

その動きは何らかの意思であったらしい。

何を言っているのかは分からないが、何を言わんとしている事は分かる。

という訳でもなく、ただ雰囲気で応えているだけだった。

実際のところ、それは概ね当たっていた。偶然の一致とは恐ろしいものである。

形状を保つのが限界なのか消えてゆく黒い義体から本体を掴み、ついでに突き刺さっていた武具を一通り回収すると彼は牛の魔女に「帰るぞ」と命じた。

鏡の結界の中で、更なる異界が開かれる。召喚された門の中に足を踏み入れ、ようやくこの厄介者は鏡の世界から消え失せたのだった。

 

帰還すると、すっかり夜は更けていた。

廃教会の中を大斧と共に練り歩く様子は、ちょっとしたホラーでもあり、意味不明な光景だった。

いつもの寝床に着くと、彼は闇の中で光る二つの光点に気付いた。真紅の、禍々しい光であった。

 

憎悪以外の感情が伺えない、感情移入さえも拒絶した眼光だった。

流石に彼を以てしても、息苦しさを感じ得ずにはいられなかった。常人なら気が触れかねない憎悪に晒されながら、彼は眼を閉じた。

その二分後には寝息を立てていた。

眼をつぶった瞬間には眠れる彼にしては、恐ろしく遅い寝入りであった。

 

その日はそれ以外は、取り立てて特筆することも無い平凡な一日だった。

 

 

 







今回は単独の日常回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 呪詛の名

鏡面の世界はその日も鮮血に濡れていた。

白と黒のフードを被った無個性な魔法少女の残骸が、まるで工事現場の破砕されたコンクリか積まれた土砂の様に至る所にばら撒かれていた。

 

死骸の群れの中、孤影が立っていた。

純白の布は鮮血に塗れ、優し気な色合いのピンクが施されたフードの淵は潰された脳味噌により毒々しい黄色を呈していた。

痙攣する肉体の、薄い盛り上がりを見せた胸元を容赦なく踏み潰し、その奥の心臓を完全破壊する。

 

それは踏み潰しでもあり、跳躍のための一撃でもあった。軽々と五メートルは飛翔した身体と地面の間を大量の銀光が埋めた。

優美な形状をした、青と銀の斧槍であった。発射地点を探ると、遥か彼方で光が生じた。

 

それは直後に眼前に迫り、鋭利な切っ先が視界を埋めた。先端が触れるかどうかの間にそれは静止し、その切っ先を彼方に向けた。

長大な斧槍の半ばを血染めの皮手袋を嵌めた手が握っていた。着地と同時に、手に渾身の力が籠められそして槍が放たれた。

 

ほぼ同時に彼方からも複数の槍が飛来する。槍を横薙ぎの銀光が迎え撃ち、切っ先をあらぬ方向へと変える。

飛翔する斧槍がその持ち主の胴体を貫くのと、先端を落とされた複数の槍が落下するのは同時だった。

 

槍に胴体を串刺しにされ、青地に朱を滲ませながらもがく長身長髪の青を基調とした魔法少女の細首が、血染めの皮手袋に握られる。

さして力が加わったとも思えないのに、細首はいとも簡単に折れた。

異様な方向に垂れた首には目もくれず、軽い痙攣の後に永久に動きを止めた肉体から生えた槍に手が伸び、肉と骨を割る嫌な音と共にそれが引き抜かれた。

血と脂に塗れながらも、その槍は冷え冷えとした美しい光を放っていた。

 

光がその強さを増し、視界の輪郭が解けていく。

戯画を現実と化した異界の風景が続く。光が炸裂し、熱と痛みが迸る。

殺意と憎悪が膨れ上がり、それに立ち向かって来た者全てを暴虐の嵐が迎え撃つ。

斧で切り裂き、槍で肉を貫き通し、拳が頭蓋をブチ抜きその内容物を宙にブチ撒ける。

美しい姿を煌びやかな衣装で覆った魔法少女の紛い物は、凡そ想像しうる限りの無残な死骸へと変わり自らが吐き出した血の海へと崩れていった。

 

滔々と流れる血の海へ、還る様に世界が融けていく。

 

 

 

それは牙であり、爪であり、そして研ぎ澄まされた刃であった。

悪鬼を蹴散らし、邪悪を滅ぼし、遂には神を標榜する者どもさえも滅ぼした。

仲間に一言別れを告げて、振り返りもせず地獄の真っただ中へと突き進む。

 

殺意に憎悪に狂気に絶え間なく、伴侶のように寄り添いながら、殺戮の世界を狂気の光と機械の悪魔と共に進んでいく。

一時も心休まる時など無く、それでも疲れる事は無く、それでいて惰眠と怠惰を貪っている。

激流と暴風が交差する地獄のような感情の渦に揺蕩うように、記憶と感情の主が横たわる。

そこに、不意に光が射した。

前触れもなく、前々からそこに存在していたかのように白光が全てを照らしていく。

それは万物を覆うような、掌にも似た形をした光であった。広げられた翼のようにも見えた。

激情さえも呑み込むように光が全てを包み込む。

唯一つの例外を除いて。

 

光の中で、闇が渦巻いた。地獄の坩堝があるのなら、恐らくこの眼の形になるだろう。

聖なる光の中ですら、その色は変化していなかった。

渦巻く瞳は光翼を掲げた者の姿を映していた。

光の翼を宿した聖なる者へと放たれたのは、安堵の吐息でも安息でもなく、敵対者への憎悪を籠めた魔獣の咆哮だった。

酷く甲高く、地獄の底から響くような声だった。咆哮と共に跳ね上がり、両腕が前へと伸ばされる。

 

光の中央に立つ者へ。

悪魔の翼のように開いた両手が、光を纏う細い首へと絡みつく。

掌と細首が触れる瞬間、その世界は弾けて消えた。

 

 

 

 

 

「何してんだ、お前」

 

くぐもった声でナガレが告げた。それは問い掛けではなく、拒絶の言葉だった。

夢の世界から戻って最初に見たのは、にやにやとしながらこちらを見降ろす呉キリカの顔だった、

 

「あかいうみでの、きもちわるいごっこ」

 

更にくぐもった声で魔法少女姿のキリカが返した。

椅子の上に仰向けになったナガレの首を、腹の上に両足を置いたキリカの両手が締め付け、被害者もまた加害者の首を両手で締め上げていた。

 

「目を覚まさなけりゃ、今頃圧し折れてるってのにね。ざーんねん」

 

圧搾される喉の奥で、凶暴な唸りが鳴った。ごぎんという音も同時に鳴った。

黒髪の魔法少女の首はあらぬ方向に曲がっていた。

緩んだ拘束を好機とし、首からキリカの指をもぎ離す。

猛獣の咬筋力に匹敵する圧搾により、首には青筋が浮いていた。二度三度揉みほぐし、痛みを分散させる。

首を圧し折られたキリカの胸と腹に二発鉄拳を叩き込み、彼はその身体を自身と入れ替わるようにして寝床に置いた。

心臓と内臓が爆裂している筈だが、この程度の傷ならキリカの場合は二分も経てば目を覚ます。

 

廃教会内をすたすたと歩き目的地を目指す。散らかされた菓子袋が海の様に広がる中に、少し新しめのソファが横たわっていた。

その上に寝転ぶ者へ、ナガレは声を掛けた。

 

「まだ調子戻らねえのか」

「誰の所為だと思ってやがる。クソ気持ち悪い映画を何度も見せやがって」

 

気だるさの極みと言った口調で杏子が返した。尤もな言い分だった。

 

「ああ、冒頭から最低な野郎だったな」

「そこじゃねえよクソバカ野郎」

 

義憤にも似た口調で言った彼の言葉を杏子が切って捨てる。

だが弱音に近い言葉を口にするあたり、相当に弱っているらしい。

 

「先に鏡の中行ってくら。ちょっといい事思い付いたからよ」

 

数日前までは無言で睨んで来るだけだったが、内容は険悪とはいえ言葉を交わせることを回復と受け取ったか、

ナガレは杏子の返答も待たずに背後に異界の門を開いた。

意味の分からない発言に困惑している間に、彼は背後へ跳んでこの世界から消え失せた。

門は消えずにそのまま残り、杏子の前で異界の入り口が悪夢の様に揺れていた。

 

「何が、先にだ」

 

勝手な言い分を残して消えた、相棒と宿敵が0.1対99.9で配分された弾避けと武器としては優秀な存在に対し杏子は苛立ちを募らせていた。

怒りが憎悪の毒々しい感情と、奇怪な映画によって与えられた精神的苦痛を一時的に漂泊して焼き尽くす。

やることが決まった瞬間だった。真紅の光が杏子の身体を覆い、魔法少女の衣が彼女の身体を包む。

 

「よっぽど、ぶちのめされてぇみてぇだな」

 

凶暴で陰惨な笑みを浮かべながら、美しい真紅の魔獣は殺意の言葉を口にした。

長大な柄の十字槍を握り、異界の門の前に立つ。

異界から発せられる独特の不快さが、肌の上に針で刺されるような刺激を与える。何時もの事だった。

一歩踏み出すと、異界の中に身が放られる。現世と異界の狭間でふと、一つの言葉が浮かんだ。

言葉としては聞いていたが、どうにも頭に入らない言葉だった。それが何故か、頭の中に浮かんでいた。

思い出したかのような、不思議な感覚だった。そして、不愉快な気分にさせる言葉だった。

 

「殺してやる。ナガレ」

 

拭い去るように、杏子はそれを口にした。先程よりも殺意と再び湧き上がってきた憎悪を籠めて。

 

リョウマ

 

それまで忘却の彼方にあった呪われた名を口にすると同時に、彼女の身体は鏡の異界へと消えていた。

 

 

 







マギレコで例えると、彼はブラスト三枚くらい持ってそうだと思います(無属性


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 マイナス?話 魔神≠戦鬼 ZERO≒infinity 前編

無名の闇が何処までも広がっている。

無限に、そして果てしなく膨張を続ける宇宙には万物の存在を許さぬ無で満ちていた。

虚無とは何も無いから虚無なのだ。

無の揺り篭に揺蕩う眠りのような空間にふと、小さな点が生じた。

例えるなら窓辺に付着した一滴か埃のように、擦るだけで消えそうな微弱な光であった。

一瞬の後、光はあらゆる方向へと広がった。

 

虚無の闇は光を留めておく事は敵わず、花開くように光は奔った。

宇宙を埋め尽くす勢いで広がった光の中央には、無限の宇宙と比べれば余りにも矮小な、だが巨大な物体が蠢いていた。

光はそれらから発せられていた。光は二色あった。

鬱蒼とした、生々しい生命の息吹を思わせる暗緑色と、燦燦と輝き万物を焼き尽くすような太陽の如く金色の光があった。

暗緑と金色の光を纏うのは、ヒトの姿に酷似した二体の巨人。

 

血で染め抜いたような深紅の色を基調とした、二本の角を六角形の顔から生やした機械の戦鬼。

黒と白の装甲で覆われた、武者の兜を彷彿とさせる厳めしい面貌を持った機械の魔神。

 

戦鬼の深紅の拳と魔神の漆黒の拳が激突し、双方の纏った光が大海原の如くに荒れ狂う。

戦鬼と魔神だけではなく、双方の光もまた戦いを繰り広げてるようだった。

戦鬼のズダボロの外套がはためき、魔神が背負う真紅の翼に光が映える。

吹き荒れる光の中で互いの拳を突き合わせたまま、二つの巨人が対峙する。

 

「あんたみてぇな有名人に喧嘩吹っ掛けられるたぁ、俺もサマになってきたじゃねえか」

 

深紅の戦鬼の中で、精悍と戦意に満ちた若い男の声がした。

無音の筈の宇宙空間の中でありながら、それは確実に響いていた。

 

「行くぜぇっ!!」

 

煮え滾るマグマのような戦意が、咆哮と共に放たれる。

突き出し合わせた右拳とは逆の左手が上がり、肩から展開された手斧を掴み一気に振り下ろす。

銀の一閃が、魔神の胸部放熱板に吸い込まれるように奔り直撃する。

深紅の戦鬼の剛力に機体に悪霊の様に纏わる暗緑の光が力を与え、物理法則を捻じ曲げた力が加わる。

一振りで惑星さえも両断する一撃はしかし、真紅の装甲板の上で刃が微塵と砕け散った。

その砕け散る無数の銀光が赤の光を孕んだ。

 

ゲッタァァァビィィィムッ!!!

 

宇宙を震わす怒号と共に戦鬼の腹部の一部が開き、深紅の熱線が解き放たれる。

戦鬼の体高をも上回る太さとなり、熱線が魔神の姿を覆い尽くす。

深紅の射線は果てしなく続き、その一撃は無限の空間を貫き宇宙の一角を深紅の光で染め上げた。

 

その光が縦二つに裂けた。その内側から顕れた魔神の装甲は冷え冷えとした輝きを保っていた。

一つの銀河を丸ごと消し去る破壊の奔流を真っ向から受けるなど、物理法則を超越した頑強さであった。

掲げられた逞しい両腕から伸びた巨柱に等しい五指を、深紅の戦鬼もまた引けを取らぬ太さの五指で迎え撃つ。

両手の間で凄まじい力同士の応酬が開始され、黒と深紅の装甲がめきめきと軋む。

先に変化が生じたのは深紅であった。装甲の表面に僅かな歪みが生じ、そこを基点に装甲が内側へと凹んでいく。

頑強さと力においても、魔神が戦鬼を上回っていたのである。

 

「鉄の城は伊達じゃねえな」

 

数多の悪鬼羅刹に神仏を葬り去ってきた一撃が無力となり、力の差も思い知らされた時、深紅の戦鬼を操る青年の貌に獰悪な笑顔が浮かんだ。

怖れを知らぬ虫の勇気ではなく、恐怖を知りつつそれを上回る闘志が湧き上がる、正気ながらに狂気を孕んだ人間の笑顔であった。

底知れぬ強敵と戦う事が心底楽しくて仕方ないらしい。

 

「そうこなくっちゃな。楽しもうぜ、マジンガーZ!

 

叫ぶ青年の声は、友に語り掛けるような口調があった。

だが言い終えた途端、彼の表情に変化があった。楽し気な様子が消え去り、代わりに怒りが表出していた。

 

「そうか、てめぇが」

 

青年の眼の前で、魔神の姿に変化があった。

面貌の口に当る部分を覆う装甲に亀裂が入り、その言葉のまま横一列に髑髏を思わせる口が顕れた。

胸の放熱板や四肢の末端部分が牙の様に尖り、逞しい腕からは左右から獰悪な形状の刃が飛び出した。

背中の紅の翼は異常な形に捩じれ、蕩けた。巨大な背中を蕩けた真紅が廻り、そして形を成した。

それは数字の0(ゼロ)、または∞(インフィニティ)、そしてZを思わせる異形の翼が魔神の背中に広がっていた。

 

「野郎!」

 

青年が吠え、深紅の戦鬼の頭部が前へと進む。

魔神の頭部、水晶のような光を放つ部分へと戦鬼の額が激突する。

渾身の一撃。しかし体幹は小動もせずに、一回り以上に巨大化した魔神は佇んでいた。

一方の深紅の戦鬼は背後に後退し、二体の間に距離が生じた。

戦鬼の紅い手からは、同色の液体が滴っていた。

 

離れたのではなく、魔神の方が離したのであった。

力負けをするのは何時振りかと、青年は考えた。覚えている限りで二例ある。

星々を喰らう魔物と、兵器を使い宇宙を消滅させる機械の皇帝の二つであった。

だがその両方も、多少なりとの傷は与えられていた。

眼の前の存在はそれすら皆無と来ている。

 

「風の噂って奴に聞いたが、てめぇがそうか。終焉の魔神とかぬかしてやがる奴か」

 

青年の頬を一筋の汗が伝う。

奥歯がわなわなと嘶くように震える。

それを噛み殺すように食い縛る。

そして出来上がった表情は、先程と変わらぬ戦鬼の笑みであった。

この男はきっと今までもそうであり、そして仮にあるとしたのなら、死のその時までこうだろう。

 

「俺ぁこれでもZと兜は尊敬してんだがよ。てめぇと、それと何故かグレートとプロ勇者は好きじゃねぇんだ」

 

勝手な物言いをする頃には震えは消え、汗も絶えていた。

傷付いた両手の表面を内部から生えた無数の触手が覆い、装甲と機能が完全修復される。

両肩からせり上がった戦斧を深紅の手が掴み取る。

 

 

行くぜ!マジンガーZERO!!

 

 

炎と化して、深紅の悪鬼が終焉の魔神へと迫る。

吹き荒ぶ暗緑のエネルギーと、戦鬼を操る青年の意思を受けながらも魔神は悠然と聳えていた。

魔神の周囲に光が集約し、そして形を作っていく。それは光の文字となって、青年の前に輝いた。

 

 

来ルガイイ 竜ノ戦士ヨ

 

 

激突の瞬間。

闇は光に駆逐され、世界を白光が埋め尽くした。

 

 

 








描く必要があったので番外編です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 マイナス?話 魔神≠戦鬼 ZERO≒infinity 中編

虚無が切り裂かれ、光が闇を駆逐していく。

汚濁と生命を思わせる暗緑の光と、万物を照らし焼き尽くす金色の光が交差し互いを切り刻んでいく。

それらは光でありながら、決して同一にはならぬ光であった。

破壊の奔流は、ある一点から生じていた。

宇宙は既に黒くなく、二色の光に染まっていた。無限に等しいその果てまでも。

 

 

ルストハリケーン

 

 

光の文字が紡がれ、ZEROと呼ばれた魔神の口が大きく開く。

装甲が亀裂の様に開き、禍々しい形の牙の列となる。その奥で光が迸ったと見るや、巨大な光の渦が放たれた。

横の幅は果てしなく広く、そして光の速度を持った酸の嵐が宇宙を呑み込まんとして荒れ狂う。

遥か彼方、緑の光を纏う戦鬼は、己に迫る大嵐に向けて左手を突き出した。

 

「ドリルッ!」

 

青年の叫びに呼応し、剛腕を形作る深紅と白の装甲が変異を遂げていく。

五指は溶けあい、その切っ先が螺旋を描きつつ一気に伸びる。

肘から先が巨大なドリルへと変貌し、紫電を撒きつつ回転を開始する。

 

「ストォォォムッ!!」

 

咆哮と共にドリルが纏う紫電が解き放たれた。

自身より遥かに巨大な大渦に激突し、死の渦の進行に喰らい付く。

 

「行くぜぇぇっ!!」

 

互いを削り合う螺旋の中央に向けて、深紅の戦鬼が飛翔した。

自身が放った螺旋を唸りを上げるドリルでぶち抜き、その破壊力を受け継ぎ進む。

 

肩に足先にと、巨体の端が強酸に触れて腐食し黒茶色の錆を噴いて朽ちていく。

だが、深紅の戦鬼は止まらない。

宇宙を覆わんばかりの大渦を切り裂き進む戦鬼の前に、再び光の文字が並んだ。

 

 

アイアンカッター

 

 

大渦を突き破り、刃渡りが戦鬼の体長の十倍はある巨大な刃が戦鬼の眼前に切っ先を広げた。

寸前で戦鬼が身を翻し、刃の直撃を掻い潜る。

既に遥か彼方へ飛翔した刃が慣性の法則を完全に無視した挙動で反転、戦鬼の元へと舞い戻る。

 

「トマホークッブーメランッ!!」

 

戦鬼の肩から四つの鉄塊が射出され、それらは主の右手が伸びると同時に同数の手斧と化した。

柄を指の間に挟み、一振りの元で全てを投げる。

先の刃で切り裂かれていた渦を更に切り裂き、巨大な鋼の刃へと斧の群れが挑む。

超高速で回転しながら飛翔する斧が刃に接触、無音の空間に金属の絶叫が鳴り響く。

接触の瞬間に三本の斧が黒と銀の塵と化した。

 

金属音を鳴らしつつ、斧と刃が拮抗し刃が戦鬼の寸前で動きを止めた。戦鬼の放った斧もまた、尋常な存在ではなかった。

だがその拮抗もほんの一瞬。残る一本もまた金切りの断末魔を上げつつ破砕される。

そして、その一瞬で十分だった。

 

「ドリル・アタックッ!!」

 

動き出した刃に向けて、水平に構えられたドリルが腕から撃ち出される。

放たれた瞬間、爆発的に肥大化し、刃にも相当する巨大化を果たした。

ブーメラン状の刃と真っ向から激突し、ドリルと刃が互いの身を削りながら喰らい合う。

ぴったり一秒が立った時に刃はぐねりと捩じれ、真っ二つに砕かれた。

 

「こいつはなんでか知らねえけど当りにくいからな。隼人の呪いか」

 

巨大な破片が機体の左右に流れていく中、青年が何故か得意げな口調で呟いた。

余程信頼のおけない武装であったらしい。

言っている間に腕の断面からは無数のコードと金属柱が伸びて内部を形成し、八角形の微細な金属片が表皮となり装甲と化して覆い尽くす。

腕を再生させた戦鬼を金色の光が照らした。

それはあらゆる包囲から降り注いでいた。

 

 

サザンクロスナイフ

 

 

浮かび上がった文字が示す名の通り、十字の光の刃が戦鬼の周囲の全方位で輝いていた。光の奥には、異形の翼を背負い、太い右手を掲げた魔神の姿があった。

手の人差し指が伸び、戦鬼の存在する方向を指していた。

指揮者に従い奏でられる演奏の様に、一糸乱れずに編隊を組み光の十字架が戦鬼に迫る。

光に照らされる戦鬼の背後で、深紅の衣が大きく靡いた。魔鳥の翼の如く翻り。深紅の戦鬼の全身を頭部を除いて包み込む。

 

「ゲッタァァアアビィィィムッ!!」

 

青年の咆哮と共に、戦鬼の全身がより一層の深紅に染まる。

血で染め抜いたような衣の表面に無数の紅の点が発生し、そこから閃光の束が放たれた。

迫る金色に向けて、深紅の熱線が向かって行く。

それは無数であるというのに、正確無比に光の十字架へと着弾していった。

深紅と金色の力は拮抗し、双方の光が砕け散る光が乱舞する。

その光を貫き、深紅と漆黒の巨体が激突した。

 

「ゲッタァァトマホォォックッ!!」

 

裂帛の叫びと共に振り下ろされた二本の戦斧を、魔神の剛腕から生えた刃が受け止め弾く。

弾かれた斧は歪み、無数のヒビが入っていた。

 

「二度もさせねえってか」

 

先に放たれた刃を破壊した事ついてである。

先程のは様子見で、こちらが本来の強度だろう。

深紅の戦鬼に対して、耐久面では魔神が桁違いに圧倒しているのだった。

 

だがそれを全く気にせず、再び斧が振るわれる。

斧が砕ければ拳と蹴りを叩き込む。

魔神もまた剛腕を振い、深紅の装甲が歪みつつも受け流し、攻防が続いていく。

 

激突。更に激突。轟音に次ぐ轟音が、無音の空間に響き渡る。

深紅と漆黒の拳が激突する度に、空間自体が歪み、そして破れていた。

空間の破壊は光を越えた速度で広がっていた。

陽炎のように揺れる、歪んだ空間が無数の火花の様に広がる破壊の中央で、二体の機械の怪物達が対峙していた。

進化の力を纏った深紅の戦鬼と、終焉にして原初の魔神が。

 

それぞれが突き出した右の拳が激突する。

その時既に、数が意味を為さぬほどに激突は積み重ねられていた。

深紅の戦鬼の胸部の緑のパネルは砕け、左腕は半壊していた。細かい損傷を挙げればキリがなく、全身が損傷し火花を噴いていた。

対する魔神は全くの無傷。ミリ単位の傷すら付かず、恐らくは分子単位で微動だにしていない。

 

拳の激突から一瞬の後、砕けたのは深紅であった。

逞しい五指のみならず肘辺りまでの装甲が弾け飛び、波及した衝撃によって右胸も半壊する。

破壊は留まらず、戦鬼の背中の装甲も大きく割れた。

激戦の末、深紅の敗北にて勝負は決したかに見えた。

 

戦鬼の頭部、この機械の怪物を操る青年が息を吐いた。

諦めでも絶望でも、まして迎える死を前にした自己満足のそれでは無かった。

研ぎ澄ました牙を見せて嗤う、魔獣の吐息であった。

 

「舐めるなよマジンガーZERO!!」

 

軽い音が拳の接触面で生じた。それは黒の装甲の上で鳴った。

音は続いた。深紅の戦鬼のそれよりも一回りは巨大な拳の表面を細い線が奔っていく。

次の瞬間、漆黒の拳の甲は弾けた。装甲が破裂し、内部に敷き詰められた異形のメカニズムが露出する。

それらを砕きながら、戦鬼の拳が前へと進んだ。

 

僅かなコードが纏わりついた、剥き出しのフレームで形作られた拳が魔神の腕を砕いていく。

肘までを一気に破壊し、殊更に分厚い装甲で覆われた胸部へと激突する。

破壊不能の物体を掘削した代償に更に損傷し、全損寸前となった拳が魔神の装甲を砕き突き刺さる。そして振り切られた拳は終焉の魔神の巨体を揺るがせ、その身を大きく弾き飛ばした。

 

ホウ

 

光の言葉の通り、それは終焉の魔神の感嘆の感情を示していた。

 

ヨウヤク 私ノ領域ニ ゲッター…否、貴様ノ進化ガ追イ付イタカ

 

「はっ負け惜しみほざいてんじゃねぇ」

 

懐カシイ コウイッタ不意ノ一撃ハ 魔神皇帝ヲ名乗ルマガイモノヲ思イ出ス

 

青年の挑発を完全に無視し、魔神は述べた。

 

「そうかい。俺からしたらてめぇはマジンガーZのパチモンなんだけどよ」

 

Zハ私デ 私ハZダ 勝手ナ事ヲ言ウナ

 

終焉の魔神は平然とした様子で、光の文字を述べた。

青年が釈然としない表情となる。当然の事だった。

 

フム 再生ガ鈍イ

 

「ざまぁ見ろ。しばらくそのザマでいやがれ」

 

破損の断面から無数のコードが伸びるも、不器用な編み物の様に解れて外れ、瞬時に終わる筈の再生が成されない。

絡みかけたコードや装甲の断面には、暗緑の光が不吉な鬼火のように灯っていた。

 

ヤハリコノ光ハ ドノ世界デモ私ニ従ワヌ

 

ソノ癖ニ、マジンカイザーヲ造リ出シタリト 身勝手極マリナイ

 

「てめぇも苦労してるらしいな」

 

 

叛逆ノ邪竜、貴様ニ言ワレタクハナイ

 

 

己が最強にして唯一無二の存在とするために、無限回ほど宇宙を滅ぼしてきた魔神。

そして無数の宇宙を虚無へと変えてきた悪夢の光を纏う戦鬼が、正確にはそれを支配下に置いた青年が会話を続けている。

宇宙レベルで大迷惑な存在同士、気が合うのだろうか。

 

ソレニシテモ素晴ラシイ 可能性ノ光ハ見テイテ飽キヌ

 

「あん?」

 

ソノ眼ハ節穴カ 想像力ヲ働カセ ヨク見ルガイイ

 

終焉の魔神が残った左腕を掲げ、人差し指を伸ばした。機体毎振り返り、その方向を青年が視認する。

完全に背を向けているが、大して気にしていないようだった。

使い古された古典的な罠を張られていたら、奇襲が成功するかは別として引っ掛かるタイプの人種らしい。

闇が駆逐され、光で覆われた宇宙の奥で無数の蠢く光子の輝きが見えた。

それらは大小様々の、多少の相似はあれど異なった姿を持っていた。

 

「光の木偶人形にしか見えねぇ。なんだこいつら」

 

青年が戦鬼の操縦席で、魔神の云う『可能性の光』を指差し尋ねる。

妙にフランクな口調は、既に魔神を敵という事を忘れている為だろうか。

或いは何も考えていないのか。

 

私ハ終焉ニシテ原初ノ魔神 ソノ私カラ生マレタ熱キ鋼ノ魂ドモダ

 

「答えになってねえよ」

 

気ヲ抜クト死ヌゾ 私モ イチドダケダガ不覚ヲトッタ

 

「はっ間抜けが」

 

細カイ事ハ気ニスルナ

 

青年の罵詈も、過去の敗北も気にした様子もなく魔神は達観していた。

終焉と原初を冠した魔神の、時間と空間を超越した視点故のものだろうか。

 

「ああそうかい。じゃあさっさと掛かってきな。こいつら諸共ブチのめしてやる」

 

断ル 今シバシコノ光景ヲ眺メテイタイ

 

「じゃあそこで待ってろ。こいつら蹴散らしてから相手してやらあ」

 

魔神に言われるまでも無く、青年はこちらに迫る無数の光が敵意を示していることを察していた。

可能性の光達の手には曖昧模糊とした形状ではあるがそれぞれの得物が見てとれた。

そして何より、常人なら数億回は発狂に陥るであろう殺意が青年にひりひりとした緊張感を与えていた。まぁ、それは何時もの事であるのだが。

そして自身が勝つという事も、微塵として疑ってはいない。

 

 

アア ツイデニ今ノ内ニ因果ヲ紡ガセテモラウ

 

 

そう光が告げると、魔神は異形の翼を伴い戦鬼から見て遥か上空へと飛翔していった。

意味深な言葉に対し、青年は怪訝な表情を作っていた。

 

「なんだあの野郎。インガとかなんとか言ってる事ワケ分からねぇな、日本語喋れってんだ。あれがチュウニビョウってやつか」

 

呆れながらそう言ったが、チュウニビョウなる存在について彼も全く理解していなかった。

とはいえ彼にとってやることは変わらない。

無駄話が終わる頃には、機体の修復は少なくとも外見だけは完了していた。

戦闘続行は危険かつ無謀であると、戦闘における操縦代行以外は優秀なシステムが具体的且つ分かりやすく説明をするが、残念ながら青年にその献身が届くことも無い。

説明を理解していないのか逃げるのが厭なのか、恐らくは同じなのだろう。

負傷してるからと言って、気負いなど微塵もなく深紅の戦鬼は外套を翻し、紅の彗星と化して可能性の光の中へと真っ向から突き進んでいった。

 

群がる光も敵である事に変わりなく、相手の言葉を信ずるならば、この無数の光もまた全てがZEROである為だ。

 

 

 












真マジンガーZEROの作中でたまに生じる独特の雰囲気を再現できていたら幸いです(首質となったブロッケン伯爵、ミネルバXの並行世界の映像をポップコーンとコーラ片手に鑑賞する光子力研究所の面々など)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 マイナス?話 魔神≠戦鬼 ZERO≒infinity 後編

血で染め抜いたような深紅の巨体の周囲に、無数の光の姿が浮かぶ。

光は地面に相当する足場となり、そこに夥しい光が蠢いていた。

着地の瞬間に生じた衝撃と、機体を覆う暗緑の光が大津波の様に波濤となって光の群れに押し寄せる。

光達に激突し、有象無象が蹴散らされていく。

 

しかし破壊の波濤を突き破り、形状とサイズが様々な光の群れが真紅の戦鬼目掛けて身を躍らせた。

その数もまた無数であった。

 

「そうこなくちゃな」

 

獰悪な笑みを浮かべつつ、青年は最も手近な光に向けて飛翔し戦鬼に斧を振り下ろさせた。

サイズは戦鬼よりも遥かに巨大であり、凡そ四十mほどの戦鬼に対し三倍のサイズさがあった。

おぼろげながらも、鍬形か武者の兜に似た頭部へ振り下ろした斧はその直前で掲げられた幅広の光の刃に受け止められた。

この巨体でありながら、運動性能では全く引けを取らないらしい。

 

両手で振り下ろした斧は巨体の腕一本で掲げられた刃の前に微動だにせず、サイズに等しいパワーを有していることが伺えた。

斧の先にある兜型の頭部が殊更に強く発光し、日輪を思わせる光を放った。

白光に染められる中、戦鬼は身を翻して飛んだ。日輪の光は背後から迫る光の群れに激突し、爆発した白光が数百体の光を消し飛ばした。

 

「おお、すっげ」

 

率直な感想を述べつつ、戦鬼の頭部に光が灯る。奇しくもそれは、日輪を放った巨大武者と同じく額であった。

 

「ゲッタァァァビィィィムッ!!」

 

赤色の破壊光が放たれ武者の頭部へと着弾、したかに見えた。

 

「何ぃっ!」

 

接触の寸前、頭部が巨大な壁に覆われた。朧げだが、それは広げられた扇子に見えた。

 

「なろォっ!」

 

防がれつつも光を放ち続けたまま、戦鬼はぐるりを身を捩った。

破壊光もまた機体に続き、まるで鞭のように光の群れに叩き込まれる。

一回転で直近の連中が消え、更に回転軸を変えて放った光が更に多くを消し飛ばす。

武者から振り下ろされた巨大な刃を避け、飛翔した戦鬼の前に一体の光が迫った。

 

今度は逆に戦鬼よりもかなり小さく、七、八メートル程度のかなり小柄な光だった。

曖昧な形ながらどこか生き物に似た姿をし、頭部からは甲虫に似た角と背面には昆虫然とした光の羽が生えていた。

戦鬼が反応するよりも早く手に持った諸刃の剣が振られ、紅の破壊光を切り裂いた。

サイズ差など無いかのように、昆虫型の光の戦士はビームを切り裂きながら戦鬼へと迫った。

 

「命知らずもいるもんだな」

 

青年が熱線の照射を停止し、近接戦闘へと切り替える。

戦鬼が振るう斬撃を戦士は真っ向から受け止めたとみるや、逆に弾き返した。

 

「踏み込みが足らなかったか」

 

驚きつつ青年はそう評した。空中戦ではあるが、なんとなく言った方がいい気がしたのだった。

再び振り下ろそうとした時、上空で一際強い光が輝いた。他を睥睨するような、威圧感を湛えた輝きだった。

昆虫型の戦士も手を止め、他の光達もそちらを見上げていた。

 

「もう来やがったか」

 

ZEROという名の厄介者についてだろう。だが彼が見たものは異なっていた。

体高は戦鬼よりも二回り大きい程度であったが、両肩から長く伸びた突起や頭部から伸びた一本角など、刺々しく横に縦に伸びた光の装甲が巨体を更に大きく見せていた。

 

「なんだありゃ」

 

無論答えなど無い。だが禄でもないものだけは間違いなかった。

泰然と構えた状態から、光の巨体は両手を水平に構えた。太い腕の先端、手の甲にあたるらしい部分には球状の光が輝いていた。

二つの光の中央には、巨体の胸で輝く同様の光球が嵌っていた。

三つの光の間で輝きが増し、巨体の全身が燦燦とした光を発する。

 

「やべっ!」

 

青年が叫びつつ、戦鬼が背面の衣を全身に羽織る。

深紅の衣が戦鬼の貌を覆う直前、青年は上空で輝く光の間に生じた光の形を見た。それは漢字の『』の字に見えた。

 

破壊の奔流、そうとしか思えない光が万物に向けて降り注ぐ。

光に触れた戦士たちがその輪郭を失くし、降り注ぐ光の中に溶けていく。

その様子を、光を放つ巨体は睥睨していた。己以外の存在を許さず、暴虐のままに全てを貪る冥府の王に見えた。

 

「調子こいてんじゃねええええええッこの野郎ォォッ!!!!!」

 

咆哮と共に、深紅の姿が冥王が発する光の中を突き進む。

遂には光を抜き出た五指が胸部で輝く光球を掴み、力のままに握り潰した。

 

「くたばれぇえっ!!」

 

怒りの咆哮と共に残った右手が戦斧を振った。両腕を斬り落とし、その巨体の頭頂から股間までを戦斧が一閃する。

倒したというよりも、自分から消え去るように冥王は霧散し、薄くなっていく光に照らされる戦鬼は全身に黒が纏わりついていた。

巨体を覆っていた外套と光を浴びた装甲は焼け焦げ、紅は黒に変じていた。

先の激戦で性能が低下していたとはいえ、通常では考えられない痛打であった。

 

「ったく世界は広いな。あんな野郎がいるたぁな」

 

さっさと直せと命じると、システムは少し待てとやんわりとした口調で返した。

幸いにして手足は動き、周囲の光も殆どが形を喪っていた。

システムが演算を終え、再生には二分掛かるとの返答が来た。

 

「ちょっと待ってろ、時間を稼いでやる」

 

そう言うと青年は操縦室を抜け出し、戦鬼の外へと抜け出した。

ちなみに右肩の戦斧を射出する部分がハッチとなり、外に通じている。理にかなっているのかよく分からない仕掛けだった。

呼吸器どころか宇宙服すら付けず、緑の戦衣に緑のスカーフという出で立ちのまま青年は深紅の戦鬼の頭部に立った。

放射線とか呼吸とかを無視した、というか考えてすらいない無謀極まりない行為だった。

 

何も問題が起きていないところをみると何かしらの対策を講じたようだが、この青年の場合は素で宇宙の法則が効かないのか、その判別がつかない。

考えるだけ無駄だろう。

 

時間を稼ぐとの彼の言葉に話を戻す。

光で染められた宇宙、正確は戦鬼の背中に五つの物体が接地していた。

大きさは縦に三メートル強で、形としては鶏卵によく似ている。横幅も似た具合の比率だった。

蜘蛛の足に似た形の光の柱に支えられ、それは佇んでいた。

少なくとも先程冥王の光を防いだ時にはいなかった。となるとそれを素で生き残った存在という事になる。

そんなものを前に、彼は生身で何をする気なのだろうか。

 

「来いよ。操縦すんのも飽きてきたから俺様が直々に相手してやる」

 

ロボット作品の主人公にあるまじき発言を平然と述べると、それに応えたか光の卵が動いた。

卵の正面に縦と水平に線が入り、その内部を晒した。

 

「…なんだこれ」

 

茫然とした声だった。例によって曖昧模糊としていたが、それは光により構築された光の人体だった。

角ばった手足に剥き出しの装甲を思わせる細いコードのような輪郭。

そして古めかしいカメラみたいな一眼とトースターのような角ばった頭部を持った、どこかレトロ感のある姿だった。

それが人間そのままの、座席に座った状態から立ち上がり、本体の卵と臍の斧ように繋がった光のバッテリー・コードを外しながら外界への第一歩を踏み出した。

その瞬間、白銀の一閃がその胴体へと吸い込まれた。

 

「前置きが長ぇ」

 

吐き捨てた青年の両手には、これもまた戦鬼と似た形の手斧が握られていた。

上下半身で寸断され崩れていく機械の人体の背後から、同様にバッテリー・コードを外し飛翔する同型達の姿が見えた。

空中にいながら、それらは手を振った。

するとレトロ感を思わせる手は三倍に伸び、青年の傍らを掠めた。

 

「早ぇな」

 

思いの外、堂に入ったフォームのパンチへの称賛だった。反応が少し遅れれば、顔面に喰らっていたかもしれなかった。

傍らを掠める鋼の拳には空気をぼっと切り裂く唸りが伴っていた。

着地した連中が振るった脚もまた腕と同様に大きく伸びた。迫る機械の脚に、青年は斧を振った。

軽い音と共に脚を切り裂き、崩れ落ちた身体の胴に頸にと斬撃を放つ。

一瞬の攻防を終えると、青年は少し重い息を吐いた。

 

行動としては単純だったが、外見に似合わぬ機敏な動きに対し彼の反応もギリギリだったのだ。

ふと気配を感じ振り返ると、倒れていた光達が蠢いていた。

断裂した胴体や腕の中から光の線が伸び、新たな下半身や手足を形成しつつあった。

 

不器用ながら自己修復をし立ち上がったそいつらの上に、巨大な物体が落ちてきた。

漆黒色に焼け焦げた、巨大な手であった。

さしもの再生も出来ないほどに砕かれたらしく、手の下でそれらは動きを止めた。

 

「なんだったんだ、こいつら」

 

愛機に尋ねるが、そんな事を聞かれても困るだろう。

更に自分の態度を全く鑑みていないのは、いかにもこの青年らしい。

 

そこに光の影とでも呼ぶべきものが降りた。

見上げると、九つの物体が飛翔する様子が見えた。戦鬼を中心として、その上空を円状に旋回している。

かなりの遠距離だが、青年には概ねの形が見えた。鳩に似た巨大な翼に人間に酷似した四肢が備わった光であった。

大きさは戦鬼とほぼ等しい、四十メートルほどだった。

それが一斉に、戦鬼目掛けて降り注ぐように垂直に落下を始めたのだった。

機能回復までには、まだ一分の時間が掛かる。青年は決断した。

 

「おい、俺を投げろ」

 

耳と正気を疑う発言に、愛機は即座に従った。

この青年のやることに一々意見の具申をしていては、時間がいくらあっても足りないのである。

腕は素早く動き、翼を広げた光達に向けて操縦者を投擲した。投擲と相手方の接近の速さから、会敵は直後であった。

 

「キモい奴らだ」

 

間近でそれらを見た青年の感想はそれだった。

光の輪郭だけも分かるのっぺりとした凹凸の無い頭部、鳥のくちばしと人間の歯を合わせたような口元など、妙に生物じみた異形のフォルムだった。

それが彼の眼前で、その口を大きく開いた。自らに乗せられた速度のままに、彼はその中へ飛び込んだ。

人に酷似した形の歯が噛み合わさり、あろうことかその間からは光で覆われた舌らしきものが覗いた。

 

心なしか嗤っているように見える口元が大きく歪んだ。のっぺらぼうを思わせる頭頂が盛り上がり、直後に破裂。

次いで首筋が弾け、翼を広げた背中が脱皮の様に引き裂ける。

光の飛沫を噴水の様に上げ、肉片の如く光が散る。その中心には、天に切っ先を向けた刃が掲げられていた。

独特の鍔の形をしてはいたが、それは紛れもなく日本刀であった。

 

鍛え上げられた刃の表面に、禍々しい暗緑の光が纏わり付き、呪いじみた輝きを放っていた。

それを握る者が誰なのかは、言うまでもないだろう。

 

「うおおうりゃあああっ!!」

 

裂帛の叫びと共に、緑色に輝く刃が振り下ろされる。

刀身から迸った緑の光が背中から腹まで抜け、巨大なヒトガタを縦に真っ二つに切り裂いた。。

降り終えた直後に彼は跳躍した。接近していた別の異形の頭部へと昇り、更に別のものへと飛び移る。

三体ほどそれを行うと、彼は下を見て軽く呻いた。

 

「気味悪い連中だな、共食いしてやがる」

 

二つに裂けた個体の傷口や胴体へと別の異形が頭部を突っ込み、その輝く肉体を貪っているのだった。

曖昧なビジョンであっても、それだけに想像力を掻き立てて吐き気を催す光景を作っていた。

 

「こいつらあれだな。コモドドラゴンて奴だろ」

 

確かに似てなくも無かった。どちらかといえば直立歩行のウナギに見えるが。

 

「まぁいいや。纏めてくたばりなッ!!」

 

身を翻し、彼は蠢く巨体たちへと落下していった。傍らを過る度に刃を振い、暗緑の斬線を刻んでいく。

彼の接近に気付いた一体が腕を伸ばすも、その指や腕ごと胴体が緑の光によって寸断された。

長い首がなで肩諸共切り裂かれ、揃った歯も顎ごと切断される。最後の一体を頭頂から股間まで切り開き、彼は異形の群れを抜けた。

光の臓物が零れ、内部の骨らしきものが露出する。生物としか思えない連中だった。

 

その崩壊に異変が生じた。切断された光の肉が蠢いて繋がり、輝く臓物も逆再生の如く胴体に戻っていく。

異常の続く光景だが、青年の顔は不快感よりも納得の表情を浮かべていた。

 

「やっぱトカゲじゃねえか、しぶてぇな。ああそうか、こいつらメカザウルスの一種か」

 

全く以て勝手な勘違いをする男である。

それに苛立ったのだろうか。

緑の光の影響か再生後の輪郭は溶け崩れかけていたが、再生を成せた四体の異形達は動き出し手に持った巨大な刃を青年に向けて振り下ろした。

迎え撃つべく刃を振りかぶった直後、横合いから巨大な黒い腕が伸び逞しい五指が諸刃の大剣を掴み取った。時間稼ぎが終わった瞬間だった。

 

「ここからだってのに」

 

残念そう言いながら乗り込み、青年は戦鬼を駆った。

鉄拳が振るわれ、異形を二体纏めて貫いた。胸元を貫かれ、異形の口が引き裂けんばかりに拡がる。

異形の苦痛なんぞ気にもせず、戦鬼が諸刃の剣を奪い取る。試しに振って一体の首を飛ばし、ついでに突いて異形を串刺しにする。

大きさは戦鬼と変わらないどころか更に大きいのだが、まるで小枝でも振り回す気軽さで操っていた。

 

「あんま使い勝手良くねぇな。剣もこいつには似合わねぇ」

 

使用者の意見は辛辣だった。

背後から迫っていた残りの異形に向けて剣を裏拳の要領で後ろに振り、既に一体を串刺しにしたまま同じように貫いた。

最後に腕に貫かれながらもうねうねと身を捩っていた異形二体を二本の剛腕で頭部と脚部で纏めて引っ掴み、そのまま雑巾絞りの如く捩じった。

残虐極まりない方法には流石に再生も不可能なのか、それらは光の粉となって消え失せた。

 

残る連中は未だに再生の途中であった。駆除しておくかと思った時、彼はその奥に立つ巨体に気が付いた。

離していた大剣を再び掴み、それに向けて投げ飛ばす。

飛翔の中で大剣が変形、二又の槍と化して飛んだ。

再生中の異形達を串刺しにし更に進んだ光の槍は、剛腕の一振りで突き刺された異形達ごと霧散した。

 

「ようやくお出ましか。待ちくたびれたぜ」

 

彼の言葉とは違い光の群れに飛び込んでから、これまでの間で五分と経っていなかった。

恐ろしく堪え性の無い性格をしているのだろう。子供っぽいともいう。

再び顕れた終焉の魔神は光の文字を紡いだ。

 

 

ソノ槍ハ一度受ケタ 二度ハ通ジヌ

 

「どうだかな。で、さっき変な言葉ほざいてたけどよ、それはどうなった?」

 

貴様ノ行動ハ無軌道カツ無鉄砲デ無謀 次ガ読メナイ為ニ高次予測及ビ因果律兵器ガ役ニ立タヌ

 

「何言ってんだお前。だから日本語喋れってんだろ」

 

因果律兵器ニハ頼ラズ 力デ叩キ潰ストシヨウ

 

「前置きが長ぇんだよ。最初からそうしな」

 

噛み合ってはいないが成立はしていた。互いに相手に無関心なところがあるせいだろう。

何はともあれ、さっさと相手を破壊したいのだった。

二つの巨体は同時に動いた。

 

双方から剛腕が伸び、逞しい五指が魔獣の牙の様に噛み合う。

単純だがそれだけに互いに最大の力が注がれる。

双方の装甲が軋むが、互いに壊れもせずにその状態が保たれる。

戦鬼の全身からは暗緑の光が立ち昇っていた。

 

厄介ナ光ダ 可能性ノ光ノ幾ツカヲ取リ込ンダカ 基本性能ガ増シテイル

 

「ああ。クソ迷惑な奴だがそこだけは便利だ。てめぇもこのまま握り潰してブチのめしてやる」

 

マア…ソレハソレデ、別ニ構ワヌ

 

「何だと?」

 

私ガ勝テバソレデヨシ マタ貴様ガ勝ッテモ別ニ構ワヌ

 

貴様モ又 原初タル私カラ生ジタモノ故ニ ヨッテ私ノ勝利ニ変ワリハナイ

 

「てめぇ…好き勝手な事抜かしてんじゃねぇ!!」

 

事実ダ コノ機体ハ確カニ私カラ生マレタ可能性ノヒトツダ

 

「俺ぁんなこた知らねえな。そうだとしても知ったこっちゃねえ」

 

自身の存在を全否定するような発言にも、青年は純粋な怒りで吠えた。

その様子に魔神が一つの答えを出した。

 

ソウカ

 

貴様ハ違ウノカ

 

コノ機体ハ ゲッターロボハ私ダガ 

 

貴様ハ 私カラ生マレタノデハ無イノダナ

 

「ああ、俺はちゃんと親父とお袋から生まれた人間様だ。化け物扱いするんじゃねえ」

 

そういう意味では無いのだが、魔神は無視することにした。

自身から生まれたが、この男のルーツは自分とは異なっている事を言ったのだった。

 

ナラバ貴様ヲ 生カシテオク理由ハ消エタ

 

「まどろっこしい野郎だ。いいから掛かってこいって言ってんだろが」

 

ソウシヨウ

 

魔神の胸部の禍々しい紅の装甲が赤熱していく。

また戦鬼の胴体の中央が開き、深紅の光が渦を巻く。

 

 

ブレストファイヤー

 

 

「ゲッタァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアビィィィイイイイイムッ!!!」

 

 

超至近距離からの必殺技の激突に、硬く握り締められた互いの拘束が緩み両者は大きく弾き飛ばされた。

だが間髪入れずに互いに応酬が交わされる。

 

 

ロケットパンチ

 

「ミサイルマシンガンッ!!」

 

 

超高速で飛翔する二つの鉄拳を、戦鬼の剛腕からせり出した二つの銃火器の連打が迎え撃つ。

一切の速度を落とさずに飛来した腕を戦鬼の手が受け止めた、と同時にZEROが肉薄。

腕と連結し逆に戦鬼の腕を掴み、縦横無尽に飛翔する。

その最中で、再生を終えたヒトガタの異形に両者が掠め、再生も許さぬほど木っ端微塵に粉砕というか消滅させた。

その様子に青年は、何故か人生の悲哀さを感じていた。悲哀という事で、彼は一つの事を思い出した。

嘗て自分が放った言葉で、少々の罪悪感を覚えていた言葉を思い出したのだった。

 

「大雪山!」

 

叫ぶながら、彼は戦鬼を操作し今度は逆に魔神の腕を掴み取った。

そして機体に加えられている無限にも等しい力を逆に利用し、機体に捻りを加えて叫んだ。

 

「おろしいいいッ!!!」

 

駒のように回転し、魔神を戦鬼から見て上空に放り投げる。単純な行為であったが、魔神は錐もみ状態のまま上昇を続けた。

漸く収まった頃には、互いが微細な点に見えるに等しい距離が開いていた。

 

コレハ…キク

 

「やったな弁慶。ただ投げるだけじゃねぇんだな」

 

青年は純粋に関心の言葉を告げた。

かなりの無茶をした為に戦鬼の全身にヒビが入ったが、魔神の装甲も歪んでいた。

しかしそれが戦闘を取りやめる理由にはならない。

砕け散り、最期のひとかけらになるまで戦い続けるまでは。

 

或いは、止める必要が顕れなければ。

再び接敵しようとした際に、それは何の前触れもなく生じた。

最後の頁を捲れば、物語の終わりが来るように。

 

「くそったれ。これからだってのに今日は厄日だな」

 

青年が吐き捨てる。

魔神は宇宙を見渡した。果ての果てまで見通す神の眼が、宇宙の深淵を見つめていた。

 

宇宙ガ閉塞シテイル

 

事も無げに、無感動に、ただ現象を観測した機械そのもののように告げた。

そして更に

 

時天空

 

と繋げた。

 

「で、どうする?俺ぁやる事決めたぜ」

 

青年が魔神に問うた。怯えは無いが、覚悟を決めた表情と腹を括った言葉であった。

このあたりが魔神と人間の差なのだろう。

 

光子力トゲッター線ヲ 直接ヤツニ叩キ込ム

 

いい様、魔神が自らの胴体に向けて拳を突き入れた。装甲は割れず、ただ太い指が泥にでも漬けたように沈み込む。

内部で何かを掴み、躊躇もせずに引きずり出す。

眩い光を放つそれは、機械の脈動を続ける鉄の心臓部、光子力エンジンの威容であった。

複数のコード諸共引きずり出し、高々と掲げる。

 

そのまま魔神は下方を見た。同じ姿となった戦鬼の姿が見えた。

暗緑の光を鬼火の様に撒き散らす、地獄さながらの光景の中央で自らを睨み上げる青年の顔が見えた。

 

「おいZEROさんよ、終わったら続きだ。逃げんじゃねえぞ」

 

その言葉に魔神は言葉を送らなかった。苦笑したとも、理解していたともどちらとも言えた。

そして二体は同時に己の心臓を握り潰した。閉塞してゆく宇宙を、炸裂した二色の光が何処までも切り裂いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに逃げるなって言ったけどよ。てめぇ何時までいる気だ」

 

宇宙を進む真紅の戦鬼の中、座席に踏ん反り返った青年が憤慨した様子で言った。

その彼の前に光の文字が浮かぶ。

 

私ノ勝手ダ イイ加減ニ慣レロ

 

「ここは俺の家みてぇなもんなんだけどよ。さっさと元の身体作って出ていきやがれ」

 

ビッグバンカラ貴様ヲ再構成シタノハアノ光ト 主ニ貴様自身ノ生命力ト魂ダガ 機体ハ私ガ造リ直シタ

 

出テイクトイウナラ 貴様ノ方ダ

 

「え?そうだったのか」

 

青年の返しに魔神は沈黙した。あれから地球時間で例えて一週間は経過していたがその間何も疑問に思っていなかったのかと。

莫迦の相手は出来ないと、深紅の戦鬼に巣食う魔神は話を変える事にした。

 

ソノ謝礼トシテ 今シバラク貴様ヲ観測サセテモラウ

 

「何でだよ」

 

疑問を投げつつ断らないのは、ここは大人の対応が必要だと思ったせいである。勝手にも程がある態度だ。

 

貴様ト云ウヨリモ 貴様ラハ多方面ニ敵ヲ作リスギテイル

 

最初ハ恐竜 コノ時点デオカシイガ 次モ鬼ダ

 

普通ハ悪ノ天才科学者トカ 宇宙人ガ妥当ナノニ最初カラ飛バシテイル

 

ソノ他ニハ植物ニ昆虫 アトランティス人ヤ古代生物トモ戦ッテイル 

 

神ヤ仏 当然ノヨウニ同族同士デモ殺シアウ

 

コレ程ニ アリトアラユル敵ト戦ッテイル奴ハ珍シイ

 

「何が言いたい」

 

貴様ヲ見張ッテイレバ 新シイ可能性モ見レルダロウ

 

率直ニ言エバ 退屈シナイ

 

「てめぇ、神だから退屈とか寂しいとかも無いって聞いたぞ」

 

細カイ事ハ気ニスルナ

 

「まぁいいや。精々俺もてめぇを利用させてもらおうじゃねえか。てめぇも恨みを買ってそうだからな、こっちも退屈しなそうだ」

 

トハ言エ コレラヨリモ変ワッタ相手ハ早々イナイダロウ

 

マア 貴様ナラ例エ相手ガ小中学生程度ノ子供、シカモ女子ダロウト 生身デ情ケ容赦ナクブチノメシソウダ

 

「てめぇ…俺を馬鹿にしてんのか」

 

冗談ダ 流石ニソコマデハ イクラ貴様デモ ソコマデハヤラナイダロウ

 

「ああ、物には限度があるからな。相手はガキで、しかも女相手に血みどろの殺し合いなんざやる訳ねぇだろ」

 

当然の、一般常識を告げるように彼は言った。

魔神としてもそうとしか思えないので、それ以上の言及を止めた。

 

竜ノ戦士、流竜馬 次ハ何処ヘ行ク?

 

終焉の魔神の問いに、彼は操縦桿を思い切り倒して応えた。

それが応えであった。

何処までも、宇宙や次元の果てまでもと、深紅の戦鬼は光を超越した速度で宇宙を切り裂き進んでいった。

何処をどう進んでも無限の時間と空間と、そして未来永劫に尽きぬ修羅地獄が待っている。

 

 

 








一先ずの、終劇
ダイターン3、ダンバイン、ゼオライマー、トダー、エヴァンゲリオン量産機に永久の栄光あれ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34.5話 少女達は虚構と世界に思いを馳せる

「あれ、友人は?」

 

勝手知ったる我が家の如く廃教会内を歩き、キリカはその主へと訊いた。

歩く最中には鼻歌が伴っていた。「窓辺からやがて」の辺りまでが奏でられていた。

対する杏子はソファに寝そべり、横に倒したスマホを両手で操作していた。

ゲームで遊んでいるらしい。

 

「出てった」

 

「目下家出中か」

 

「ここはあたしの家だ」

 

「青春してるね。引きこもりの私には羨ましい限りだよ」

 

素っ気なく応える杏子と、声色だけは感慨深そうに返すキリカ。

仲が良さそうに見えるが、杏子は暗に出てけと態度や視線で示していた。

キリカはと言うと何を考えているのか分からない。

適当に廃教会内を見渡しているかと思ったら、腕を組んだり首を左右に傾けたりを繰り返している。

壊れかけかバッテリー切れ寸前の玩具、或いは糸が切れたマネキンの様だった。

見た目が美しいだけにどこか非現実的で、見る者の正気度を削るような動きだった。

 

数分が過ぎ、十分が経過しようとした時キリカが口を開いた。

いい加減鬱陶しくなってきていた杏子が槍を召喚する寸前だった。

 

「なぁ知ってるかい、佐倉杏子。あのくそぼけ、ここじゃない何処かから来たんだってさ」

 

「知りたくねぇ。あの大馬鹿野郎の気持ち悪い妄想だろ」

 

「うん、私もそうであって欲しいと願ってるし、すんごく気持ち悪いと思う」

 

「…適当に座りな」

 

「御厚意感謝する」

 

共通の認識が生んだ共感が滞在を許容した理由だろう。

床に散乱したゴミを蹴飛ばしてスペースを作ると、キリカは胡坐をかいて座った。

いつもの白シャツとピンクのミニスカという出で立ちだが、スカートの中身が見えるとかは特に気にしていないらしい。

ついでに杏子も上は黒シャツで下は素っ気ない白の下着姿だった。

普段の上着とホットパンツはソファのひじ掛けに適当に引っ掛けられていた。

やや蒸し暑い夜とはいえ、かなりの無防備さだった。

異性としての意識は全くないが、厄介者兼破壊兵器の不在が原因とみて間違いない。

 

「えー、どこまで話したっけかな。ああそうだった、この前遂にヤッたんだっけ?おめでとさん、赤飯炊かなきゃね」

 

「気が変わった。死にたく無かったら今すぐ帰れ」

 

「早合点は良くない。遂に友人をブチ殺したのかって聞いてるんだ」

 

「家出したっつってんだろ」

 

「肉体は魂の器で詰りは家だ。そこからの解放をしたのかと思ってね」

 

「てめぇもあの映画にイカれてんな。あのクソバカも四十回は観たとか言ってたけどよ」

 

「その情報は古いな、少なくとももう八十回は観てるよ」

 

「死んだ方がいいな」

 

「この宇宙の為にもね」

 

キリカは当然のように言い放った。杏子には疑問が残った。

 

「そこから来たんだっけか。正確には別のとこから」

 

全く信じていないしこんな非常識な事を口にしたくないしが、ほんのごく僅かに納得という思いも含まれていた。

魔女や魔法を視認し、挙句血みどろでズタボロになりつつも生身で渡り合う存在など、まるで物語の登場人物のように非常識に過ぎた。

 

 

「でも日本人らしいよ。名前もそれっぽいしね」

 

「はっ、それも本当だかな。無駄に洒落た名前しやがって」

 

「主人公みたいな名前だよね。ぶっちゃけ嫉妬でムカつくよ」

 

キリカが憤然と言った。言葉にはしなかったが、杏子はこいつの名前も大概だろうと思った。

 

「日本人って話だけど、あいつはこれを見た事無いっつってたな」

 

杏子は遊んでいたゲームをオート仕様にし、スマホを掲げた。

ちなみに契約は今現在家出中で中学生女子らに好き勝手に云われてる者が道化を介して済ませた。

実物は彼が武器調達も兼ねて押し入った暴力団からの押収品である。

正気の沙汰の所業ではないが、今のところ特に問題を起こしていない。

声を出すものが根こそぎ消えてしまったのか、或いは手を出したくも無いのかは調達者にしか分からないが杏子にとってはどうでもよかった。

面倒事が起きれば道化を差し出せば済む。

 

「それは私も聞いたよ。スマホじゃなくて二昔前のパカパカするのが当時の主流だったんだってさ」

 

「当時って、何だよ?」

 

「さぁね。発売時期じゃないのかい?」

 

的を得てるのか得てないのかよく分からない評だった。キリカの発言は何時もこうなので杏子は気にしないことにした。

まともに相手をしていては胃に穴が開く。

 

「ただ日本人…ていうか地球人って時点での信憑性がどうもね。信じられるかい?この日本で街中を練り歩く人らの髪が、染めたりでもしなきゃほぼ黒一色なんてさ」

 

「なんだそりゃ。あいつのいたとこってのは変な病気でも流行ってんのかね」

 

「友人からしたら赤とか黄色、青にピンク色の髪が珍しくて仕方ないらしい。これじゃ水と空気が無いとか月と太陽が無くて天地が逆さまって言われた方がまだ自然だよ」

 

杏子はその信じてもいない世界の光景を夢想した。

すぐに気分が悪くなった。悪夢というかディストピアというか、単純な違いだがこの世の光景とは思えなかった。

 

「ああそうそう、ついでにこんな面白い話がある」

 

「何さ」

 

「前以ていうけど怒らないでくれよ。友人はあのナリだけど童貞じゃないんだってさ」

 

「死ね」

 

「ちょっと前にバトってた時、やーいやーい童貞やーいって連呼したら十五回目くらいで物凄く怒られたよ。首捩じ切られかけちゃった。まぁこっちも右手左足を砕いてやったけどさ」

 

「もういい、聞きたくねぇ」

 

「嫉妬は良くないぞ」

 

いらりと怒りが杏子の額に青筋を浮かばせた。

堪えたのは大嫌いな相棒兼大量破壊兵器、更に人間か更に怪しくなってきた存在も自制する事が出来ると示されたためだ。

キリカもこれを見越して好き勝手言っているのかもしれない。

ちなみに実際我慢したのは五回目だった。更には首を捩じ切ったというか噛み砕いたのだった。

キリカに手足を破壊されていた為に。

 

「中二くらいの時には彼女いたって言ってたね。結構モテたとかで、修行の合間にやる事はやったんだって。何をマウント取りたいんだろうね」

 

「それであたしにどんなリアクションさせてえんだよ、え?」

 

「君もさ、男でも女でもいいから恋人作って青春をエンジョイしてだね」

 

「そういうてめぇはどうなのさ。人に意見言わせたかったら自分の見解述べやがれ」

 

「うん、全く興味ない。年齢からの生理的な肉の欲くらいは四六時中いじってるさささささほどじゃないけど自分でなんとかするさ」

 

不愉快な単語と予想はしていたが赤裸々にも程がある答えに杏子は閉口したが、納得もした。

軽く鼻を鳴らし、こちらも概ね同じだが一緒にするなと拒絶の意味も込めてキリカに示した。

人間的な幸せとか社会的な地位とか、先の事は分からないし考えたくも無い。

今を積み重ねていって、生きてる限り絶対的な破滅の時が必ず来る。

その時までに今を積み重ね続けるしかないと思っていたし、そうとしか思えない。

 

キリカとの話にも飽きてきたので、そろそろ追い出そうかと思っていた。

時刻は既に深夜の三時で、そろそろ眠る時間だった。

声を掛けようとした時、二人の魔法少女は迫りくるものの存在に気付いた。

幾度となくぎたぎたにブチのめし、逆に半殺しどころか九割殺しくらいに追い込まれた厄介者の気配を感じたのだった。

独特の、魔女空間とも魔法少女とも違う気配だった。

蒸し暑い夜の熱が、その周りだけぽっかりと消えたような、虚無感とでもいうような気配であった。

 

「ただいま」

 

廃教会内に足を踏み入れ、彼は言った。

自身に突き刺さる嫌な視線に、何となくと言った程度の気まずさとこれは常識的な社交辞令を混ぜた挨拶だった。

 

「元いたとこに帰れよ、ナガレリョウマ

 

憤然とした口調で、杏子は平然と呪われた名前を口にした。

しかし口調とは裏腹に、内心では不吉さを感じつつあった。

名前の響きが自分のそれとやや似ていて、文字数が同じだからだろうと思う事にした。

 

 














目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 虚構 対 現実-魔法少女-

ここ数日、帰りが遅いどころか行方不明になる頻度が多いのは知っていた。

気持ち悪い映画を周回し、時々生じた魔女を駆除しネットカフェに滞在しているなどの情報は頼んでもいないのにキリカが運んで来た。

時々見かけ、その度に廃教会内に用いた鏡の結界に鉄くずや捨てられた自販機、挙句の果てには廃車を担いで運んでいたのも見ていた。

精々筋トレでもしているのだろうと、現実逃避に似た感情で思う事にしていた。

廃車を運ぶ様子が、磔刑に処された聖人が十字架を運ぶ様に似ていたせいかもしれない。尤もこちらは聖人どころか悪鬼羅刹の類だが。

 

そんな生活が二週間続き、次第に見る機会も減ってきており心の平穏が得られた反面グリーフシードの枯渇が近付いていた。

獲物の数は普段通りだが戦利品を落とすものが少なく、ジリ貧に陥っていた。

そろそろ、久しぶりに使い魔を放置し成長を促すかと思い始めていた。

同居人の殺戮兵器は眼に映るもの全てが敵に見えるらしく、いずれ魔女になる使い魔すら一匹残らず駆逐するのが常だった。

そのくせ、一般人の救出には労力を惜しまないとの二面性があった。

杏子としてはそういった事は面倒なので放置していたが、ある時気まぐれで何でそんな事するのかと問うた時に彼が言った、

 

「くだらねぇ事言ってねえで手伝え、魔法少女」

 

顔半分を自分の血で染めながら平然と返したその様子が、杏子の癪に障った。

怒ってもいなければ軽蔑した様子も無いが、魔女の振るった腕が掠めて皮が吹き飛ばされ、剥き出しになった黒い瞳を宿す眼がこちらの心を見透かしているように見えた。

あの無神経と非現実さで出来ている存在にそんな知恵や気配りはないと思ってはいるものの、どうにも思い出すと気分が悪くなる。

それは自分自身が他人を見殺しにしてきた事への後ろめたさだと、認めれば楽になるのは分かっているがそれも厭だった。

自分のこれまでの行為に後悔なんてしたくはないし、したところで何も変わらないし変わる訳がない。

過去を悔いるのは、ただ一つの事だけで十分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「最悪。あんな事言うんじゃなかった」

「同情するよ、佐倉杏子。これからは軽はずみな発言は控えるんだね」

「うるせぇ。踏まれてくたばれ」

 

座席に座り項垂れる杏子に、キリカが念話を飛ばしている。

車の操縦スペースよりもやや広い空間に杏子はいた。その右隣では、

 

「えーっと、メアド登録とログインパスワードに?ユーザー名を入れろってか。意味分かんねえな」

 

現代の情報化社会で生き残れそうにない言葉をつぶやきながら、ナガレが何やら操作していた。

重機操作用のレバーやボタン、ついでにカーナビみたいな画面にキーボードまで付けられている。

分からないと言いつつ、恐らくは適当なのだろうが順調に入力し準備を進めている。

なんでこうなったのか、杏子は考え直すことにした。

何かしらを考えていないと、胸の濁りが治まりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

この厄介者が廃教会に戻ったのは深夜の三時。

戦闘を行ってきたのか、顔の半分が血染めの包帯に覆われていた。

朱の発生点が右目の真上なところを見ると、それなりの激闘だったらしい。

 

帰れと言われ「ああ、ちょうど今からその準備しに行くもんでよ」と返された。

呆気に取られていると自分の寝床まで歩き、押収した銃器や鏡面内で手に入れた得体の知れない遺物を入れた風呂敷を背負い、寝床に置いておいた魔女に命じて異界へ消えた。

帰って早々出ていくという矛盾した行為の前に、異界の門から手が伸びた。その先には中身を膨らませたコンビニの袋が握られていた。

 

「土産置いとくぜ。使い終わったのはいつも通りくれよ」

 

丁寧に置かれた際、複数の硬い音が鳴った。薄っすらと見える卵型のシルエットからしても正体は分かっている。

 

「新しい下着かな。丁度いいじゃん。見た限り履いて三日目で丁度汚れてるからきっと高く」

 

赤い風が廃教会内を這うように駆けた。突き出された左拳と、振られた右脚の先端は音速を越えていた。

それぞれがキリカの顎を正確に打ち抜き、その脳を揺らした。弛緩した肉体を同居人の寝床に横たえて自身は跳躍、折り曲げた両膝をキリカの細首目掛けて叩き込む。

肉と骨の潰れる音が鳴り、潰れた首は倍くらいに伸びていた。

普段の斬撃での負傷よりも生々しく過剰な暴力だったが、罪悪感は僅かだった。

治るまでの間を時間稼ぎとし、杏子は異界へ飛び込む事にした。

 

「帰れ」という言葉を鵜吞みにして、自殺でもしやしないかと心配になっていた。

キリカとあの存在について語っていると、どうにも非現実感を感じてそういった妄執に取り付かれているのではと思えてならなかった。

魔女を駆逐できる腕力等は、どこぞの魔法少女に変な魔法でも掛けられたに違いない。

性欲に溺れた不愉快な道化の例もあるし、きっとそうだろう。多分。

餌食を持って来てくれたという負い目もあった。何だかんだで善人な杏子としては行かざるを得なかった。

結界に入ってすぐに思い返した。

あいつはそもそも自殺するような繊細な神経をしていないし、洗脳される程高等な精神をしているとは思えない。

 

「アホらし。帰ろ」

 

そう思って振り向いたところで、異界の門の入り口、杏子から見ての出口は消えた。

出口に降り注いでいた月明かり由来の光源が断たれ、異界の通路の暗さが増した。やる事は一つしか無くなった。

再び振り返り、歩きながら変身。濁っていたソウルジェムを浄化すると、グリーフシードは一発で再度の使用不能なまでに濁り切った。

厳めしい顔で、ドロリとした輝きを放つに至ったグリーフシードを杏子は眺める。

認めたくはないのだが、間一髪の更に一歩手前だった。

鼻を一息鳴らしつつも、杏子は律儀にグリーフシードをポケットに仕舞った。約束は守るようだ。

 

数歩歩くと地面が消えた。闇に包まれたのも束の間、数秒後に広大な空間へと出た。

何処からか注ぐ光源に照らされた薄い光が、無限に等しい空間を闇と光のまだら模様に照らしている。

 

おもちゃ箱をひっくり返したような乱雑な物品が、狂った縮尺と植物の群生めいた様子で並んでいる。

それら全ては鏡の輝きを放ち、地面に果ても知れぬ天井もまた鏡であった。

魔女の根城たる結界の中でも異様な空間だが、既に何度も訪れ、最近では第二の拠点と化しているので杏子は特に感慨を覚えなかった。

 

落下していく中、杏子の真紅の眼が着地点を捉えた。

高所からの落下に対し、それが攻撃でも無ければ魔法少女は自動で衝撃を緩和する。

よって恐怖など微塵も無く、特に感慨も無く落下していく。その感情に波紋が生じたのは着地点の更に奥に黒髪の少年の姿を認めた為だった。

 

やっぱいやがると、杏子は思った。当然ながら首を括る準備もしていないし、喉を掻き切る様子も無い。

代わりに何やら指を指したり片手で図面を広げたりとの謎の行為をしていた。

その前には複数体の黒い物体が浮遊している。何やってんだあいつと思っていると、地面は直ぐ傍に迫っていた。

音も無く、特に問題も無く着地する。

着地の瞬間、

 

「んだよ、お前何しに来たんだ?」

 

とナガレが訊いてきたことを除いては。

尤も彼としては特に招いた訳でも無いので間違ってはいないが、もう少しかける言葉を学んだ方が良いだろう。

 

「そいつはこっちが聞きたいよ」

 

憮然とした態度で杏子は状況を確認した。

ナガレの服装は、ここ最近気に入ったのか緑色のジャージ姿で正直ダサい。

その姿で何やら図面のようなものを持ち、その傍らには三体の黒い一つ目ウナギが浮いている。

それらは彼が武器として酷使する牛の魔女の使い魔だが、何故か頭には工事現場で用いられるような黄色いヘルメットを被っている。

 

色は違うが、ウナギという事で杏子は気分が悪くなった。

そういえばあの映画を観てから、生理不順と不快感に悩まされている。

最近睡眠時間が削られているのも、悪夢を見る頻度が増えたからだった。

特に生きたまま内臓を引きずり出されるイメージは、実際に鏡の空間内で紛い物の魔法少女らにされた行為である為よりリアルであった。

ソウルジェムが濁る原因にも、一役買ってるに違い無さそうだった。

 

「今作業中だ。アレ造ってる」

 

待機中の使い魔に向けて顎をしゃくると、使い魔達が一斉に飛んだ。

床面に乱雑に置かれた工具類-これでは安全を重視しているのか分からない-を飛び越え、奇怪な機械類に身を寄せた。

まるでメキシコサラマンダーの鰓みたいに伸びた手で操作盤を操っている。

 

かなり小さな手だが、明らかに人間に酷似した形状をしているのが実に気持ち悪かった。よく見れば人に似た爪まで生えていた。

使い魔の操作により何処からかに設けられた電燈が灯り、光が闇を照らしていく。

電源盤らしきものから伸びたコードはナガレの背後へと伸び、光が次々と灯る。

 

光は地面から上に伸び、杏子の視線もそちらを追った。

予想していなかった展開に困惑を伴っていたが、表に出さぬように装った。

闇を駆逐し照らし出された存在を視認し、真紅の魔法少女は小さな喘鳴を吐いた。

濃い胃液は喉元まで組み上がっていた。

視認した直後に感じたのは、嫌悪感と烈しい吐き気であった。

 

 

 













可愛い杏子さんが描きたい…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 虚構 対 現実-魔法少女-②

「心配するな…と言うのは傲慢だが、もう少し我慢してくれ。京」

「う、うん。心配かけてごめんね、麻衣ちゃん」

「気にするな」

 

異界の中を二人の少女が歩いていく。

一人は薄紫色の髪をした、武者風の衣装に身を包んだ少女。

もう一人は栗色の髪を赤い帽子で覆った、童話風の衣装を纏った少女。

風見野の魔法少女自警団に所属する、朱音麻衣と佐木京であった。

靴に踏みしめられ、表面に亀裂の入った鏡面がきしきしと音を立てた。それだけで、常人なら狂を発しそうな不快な音階だった。

それらが一斉に鳴った。歩みの際に生じるものよりも、かなり大きいものが複数。

乾いた骨を、強引に数本まとめて圧し折ったかのような。

 

歩き続ける魔法少女達に複数の影が降り注ぐ。京がひっと漏らした悲鳴よりも早く、麻衣の右手が動いていた。

腰に下げた日本刀が抜刀され、旋回し再び鞘へと戻る。ほんの一瞬の出来事だった。

光の線が空中を迸り、その軌道上には複数の魔法少女の紛い物たちがいた。

京の悲鳴が鳴り止んだ時、それらの腹が一斉に裂け、その内側から血と臓物と悪臭がブチ撒けられた。

襲撃と破滅は同時期であったため、京の悲鳴は一声で済んだ。

 

「こいつらもしつこいな。もう五度目だ」

 

発生した六体の死体を軽く見渡し、麻衣は平然と述べた。

武者姿に違わず、彼女の戦意と技量は魔法少女の中でもかなりの水準を誇っていた。

血の噴出も計算したのか、地面から跳ねた飛沫は最小限だった。自らが先陣を切りつつも、京の衣装を穢さないようにとの配慮だろう。

 

「そろそろ着いてもいい頃なんだがな。友人よ、お前の地図はアバウト過ぎる」

 

死体を跨いで気にせず歩き、ポケットから地図を広げて更に歩を進める。

盗み見をする訳では無かったが、京からも地図が見えた。

デカい矢印が地図の端に描かれていた。その地図の内容は、小学生でももう少しマトモに描くだろうといった迷画伯ぶりが発揮されていた。

地図としての役割が果たせているのか、甚だ疑問であった。

 

「だがこの世界の特徴がよく捉えられてるな。流石は我が友ナガレ、何時か未開の地を共に旅したいものだ」

 

弾んだ口調で告げる麻衣の顔は、随分と楽しそうだった。

まるで朗らかな花道を行く遠足の最中、恋の話に夢中になる童女のようだった。

異界とは言え、更に異界化させた地図を麻衣も平然と読める人種らしい。

両者の仲が良い原因は、知能というか認識能力のレベルが近いからかもしれない。

 

「あの…麻衣ちゃん?」

「ん?」

「あれ…じゃなくて、あの人の事、好きなの?」

「ああ、好きだ」

 

即答で応えた。再び京が小さく悲鳴を挙げた。

『あれ』と物扱いしてるあたり、ナガレが京に与えている印象の程度が知れた。

 

「大丈夫だ。愛とか性愛とかの話とは少し違う」

 

麻衣はそこで言葉を続けるか悩んだ。結局、話すことにした。

京の不安を少しでも拭えればいいという配慮と、自分は正直に生きたいという願望の為に。

 

「殺すのが惜しいくらいに、あいつを殺したい」

 

京は沈黙した。麻衣の表情は変わらず、言葉には彼女の明確な意思が込められていた。

 

「嗚呼勿論、しっかりとした対峙と宿命、そして正々堂々とした戦いの果てに待つ死闘にてだ。

 きっと凄く楽しいに違いない。魔法少女になってよかったと、ここ最近常々思う」

 

ふつふつと湧き上がる闘志のままに麻衣は続ける。

魔女を倒しても満たされない、魔法少女で自分と張り合う者がいない。

マンネリ化してきた中で見つけた恰好の相手に、麻衣は高揚感を覚えていた。

 

「おっと済まない。私としたことが」

 

話過ぎたと、麻衣は自身の態度を恥じた。方向を変えるべく、京に問い掛けを放つことにした。

 

「多分佐倉杏子も同じ場所にいるが、なんだかんだで奴の事はリナも認めている」

 

安心させるべく告げたが、内心では杏子に対する負の感情が渦巻いていた。

風見野最強の魔法少女であるという畏怖と畏敬に入り混じり、自分の最高の好敵手と同居している事により何時でも存分に殺し合える立場が羨ましいとの嫉妬があった。

それは麻衣自身も認識しており、それが良きことで無い事も理解していた。

方向性は破滅的だが、恋する乙女の感情だった。

それを杏子が知ったら麻衣の事は超弩級の大狂人と思うに違いなく、そして喜んで厄介者を押し付けるに違いない。

それもある意味のハッピーエンドである。

 

「でもあの子、私は苦手だな」

「大丈夫だ。いざという時はあの生意気な顔面にあいつ自身の槍を突き刺し、内臓を抉り出してバラバラにしてやる」

 

京の傍に寄り、彼女の両肩に自身の手を優しく置き、麻衣は極めて暴力的な言葉を口にした。

それは例によって京を安心させるためでもあったが、明らかに加減を間違えていた。

麻衣の脳裏には大スクリーンの中で繰り広げられる真紅と白との獅子奮迅の熱戦が、京のそれにはあと数年は拭いきれそうにないトラウマが蘇った。

例に出した上に言うまでも無く原因は、両者がナガレに見せられたアニメ映画である。

 

魔法少女の超身体能力、特に動体視力により引きずり出される臓物の表面に這う神経網や垂れ下がる眼球、大穴の空いた頭蓋骨から溢れる脳漿やズタボロにされた足の腱までがくっきりと見えていた。

京はその様子に当然ながら恐怖を覚え、麻衣はその再現を色々な意味で実行したいようだった。

地球上で最強の存在である魔法少女の、例外の一つではあれどハードで破壊的な生態が垣間見えていた。

ちなみに麻衣はナガレとの同伴合わせて十五回鑑賞し、京は一回目の前半でギブアップし救急車を呼ばれる寸前まで憔悴していた。

 

「大丈夫だよ!いざとなったら私も戦えるよっ」

「偉いぞ。腐れゴキ…呉キリカにやったように、鋏で手足を切り刻んで眼を抉り出し、人形達に肉を喰い漁らせれば流石のあいつも動きを止める筈だ」

 

珍しく好戦的な姿勢を見せた京に、麻衣は感動を覚えていた。

守られる彼女ではなく、自らを守れる彼女へと成長を遂げたのだと麻衣は確信していた。

鼓舞するように語る言葉も熱い。熱が入り過ぎている。

 

「それにしても驚いたな。京がそこまで奴に憎悪を募らせるとは」

「あはは…」

 

照れたように京は笑ったが、過剰防衛に過ぎる言葉を述べたのは麻衣であり、その困惑に対しての苦笑いだった。

だがその表情の引き攣りが完全ではないのは、多少なりとも杏子を嫌っているからだろう。

縄張りに侵入した魔法少女を必要以上にブチのめし、ATM破壊やカツアゲ、スリに明け暮れていたとの情報は得ていた。

更に道化からは性犯罪の斡旋に加担しているだの、性別を問わず廃教会内に連れ込み筆舌に尽くしがたい破廉恥な行為に朝から晩まで耽り続けているといった悪辣な嘘を洗脳魔法で刷り込まれていた。

魔法自体は麻衣から道化に加えられた凄惨な暴力で剥がされたが、植え付けられた映像込みのビジョンまでは消えなかった。

 

リナは強引に忘れるように努め、麻衣は笑止と洗脳の後遺症を吹き飛ばしたがメンタル強度の違い故に京には無理だったようだ。

その結果、京は佐倉杏子をまともな存在として見れていなかった。ある意味ナガレに次いでの道化の被害者と言える。

前者は曲りなりにも好意を寄せられているのに対し、京は完全にとばっちりであると思えば彼女の方が悲惨であるかもしれない。

 

「もしその時が来たら、本当の本当に、最後の最後に危ない時は私が力を貸そう。

 ちなみに奴の何処がそんなに気に入らないんだ?よく考えればそう接点はないだろう?」

 

冷静な問い掛けをする麻衣であったが、冷静になるのが遅すぎた感は拭えない。

 

「うーん…私とキャラが被ってるところが嫌かな…」

「確かに、京も色々と赤いな」

 

湧いた疑問は内に留めて麻衣は返した。

タイミングを逸したとしても、このあたりはナガレよりも大人である。

服装は赤いが系統が違い過ぎるし、杏子はそもそも素で髪などが炎の様に赤い。

性格も真逆どころか似てるところを探す方が難しい。

 

スレた性格は的を得た言葉を容赦なく吐き、己の本能の赴くままに生きる杏子の姿は京にとって自身のアンチテーゼに見え、それが嫉妬を生んでいるのかもしれなかった。

または、京自身としてはこれでも精一杯自分を出して生きており、それがキャラが被るとしているのかもしれないが。

その後も年相応の会話から、あの映画の感想等に花が咲いた。

内容が内容だけにその花は毒々しい食虫花のようであったが、時間は着々と過ぎ、目測ではあるが矢印の地点に近付いていた。

 

「さて、決戦の火蓋はすぐそこか」

 

どのような会話が繰り広げられたか、麻衣は望みを叶える気のようだった。

血色の眼には混じりっ気なしの殺意が燃え、全身に魔力の波濤が這い始めた。

京も困惑しつつ麻衣に従い、複数体の人形を召喚した。人間の幼児程度の体躯のマリオネット人形の手には体躯の倍近いサイズの大鋏や棘付きの棍棒が携えられていた。

 

その時、鏡面を歩く歩く両者の上に再び影が降りた。

敵襲かと思ったが、影の大きさが人間のそれではなかった。

遥かに巨大であり、麻衣と京が歩く周囲をも包んでいた。

 

影の主の方向へと二人の魔法少女は視線を送った。

視線の先は上空であった。

視認の瞬間、京は膝を崩し盛大に胃の中身をぶち撒けた。

一瞬で穴が開いたらしく、黄色い胃液に大量の朱が混じる。

傍らの麻衣が京の丸まった背を優しくさすり、不得手な回復魔法を行使し苦痛を和らげるべく努める。

京の呼吸がやや楽になった時、再び麻衣は空を見上げた。

善なる行為をしつつ、その表情はもまた慈愛に満ちた母のそれとなっていた。

 

「最高だな、友人よ。お前を喪った後の、無意味な虚無が待ち遠しい」

 

その表情のまま、煮え滾る殺戮・破壊衝動と、掛け替えのない友への親しみのままに朱音麻衣は天へと告げた。

 











風見野組、久々の登場です
マギレコでもこの人らに会いたいのですが、その願いが叶うのは何時の日か…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 虚構 対 現実-魔法少女-③

音声ガイダンスに従い、必要事項を入力してください

「また設定か。面倒くせえな」

 

電子合成された女の声が、狭い室内に響く。

片目を血染めの包帯で覆ったナガレは、愚痴を言いつつも慣れた手つきでキーボードを連打した。

流れるようなブラインドタッチは勉学によるものではなく、ネカフェに入り浸っているうちに身に着いたのであった。

その様子を、灼熱の如く輝く真紅の瞳を持つ佐倉杏子が、氷点下の視線で眺めていた。

 

「聞きたくもねえけど、何やってんだ。で、その喋ってるのは何さ」

「初期設定ってやつだろ。で、こいつは隣町で拾った人工知能だってよ」

「また腐れキリカからの贈り物か。っていうか人工知能って、落っこってるもんなのかい。よく知らねえけどさ」

「ああ、頼んでもいねえのに携帯ごと寄越しやがった」

 

見てみるとノートパソコンの配線は、壁に適当としか思えない具合に溶接されたスマホに伸びていた。

明らかに接続端子が無い場所に、物理的にコードが突き刺さりパソコンからの情報を送っている。

魔法少女の視力を持ってさえ指先が霞んで見える連打に、杏子は才能のムダ使いを感じていた。

 

『最後に、宜しければ私の名前を教えてください』

「なんか言ってるぞ。パパになってやれよ、リョウマ」

 

杏子がさり気なく、本人に告げる言葉で二度目となる名を、軽い嫌味と共に告げた。

先程完全にスルーされていたので、ちゃんと通じているのか少々不安になっていた。

嫌いな相手だが、外していたら失礼であるし何より恥ずかしい。

だが当のナガレはと言うと、この少年にしては珍しく頭を抱えて真剣に悩んでいた。

まるでそれこそ、伴侶の出産を待つ父親のようだった。

杏子は溜息を吐いた。自分の抱えた小さな悩みが馬鹿馬鹿しいと吹っ切れたのだ。

 

「悩むところかよ、アホらしい」

「アホはてめぇだ。名前は大事だろうが」

 

正論を言われ、杏子は思わずぐぅと唸った。

奇跡でも起きているのか、今日の二人は比較的仲が良かった。

たまにこういう事が起きる。そしてその後には、大概ロクでも無い事が両者を待っている。

 

「キリカが言うにはだな、『名無し』ってのが名前らしいや」

「じゃあそれで。こいつは名無しの人工知能だ。それでいーじゃん」

 

更に悩み、ナガレは口を開いた。

少し遅れていたら、杏子はパソコンを引っ手繰って適当に入力するつもりだった。

 

「決めた。お前の名前は『ZERO』だ」

『了解しました。御主人様』

 

音の抑揚は無かったが、嬉しそうな様子で電子の女は応えた。

この時、彼はキーボードを叩いていなかった。初期設定には音声入力のプログラムも含まれていたようだ。

または人工知能自体が、自分でやり方を漕ぎ付けたのか。

入力を行ったナガレは特に疑問も抱いておらず、自分の命名を機械が認識したことが嬉しかったのか楽しそうに笑っていた。

見た目は多分に可愛げのある外見のため、杏子はこの肉の中にある非常識な人格につくづくと疑問を感じていた。

 

 

「ゼロぉ?また何かの漫画かい?」

「昔使ってた、まぁすっげぇ便利なカーナビみたいなもんだ。口煩くて自分勝手で、ちょっとムカつく奴だったけどよ」

「ならそいつは良い奴だね。あたしと気が合いそうだ」

「かもな。しっかし、あいつも今どこにいるのかねぇ」

 

今の今まで忘れていたような口ぶりだった。恐らく名前を付ける事に際して思い出したのだろう。

ZERO某が何かは杏子には全く分からなかったが、この少年の姿をした何かをぶん殴るのに役立てられればそれでいいと思っていた。

そいつに殴られて横転でもしたら今までの恨みとフラストレーションを込め、笑いながら蹴りまくってやろうと杏子は思った。

対するナガレは、妙に大人しい杏子の様子に一抹の不気味さを感じていた。

 

普段なら蹴りに拳に、主に槍が飛んでくる。

顔を殴ったり蹴りすぎたのかなと、彼は少々の罪悪感を覚えていた。

 

魔法少女を不死身の怪物と、彼の言うところの便利なカーナビから聞いた『戦闘獣』とある程度の同一視をしていても、やっぱり人間の子供なんだなと彼は改めて思っていた。

互いの思いに常識からの乖離と邪悪さが込められてはいても、異形の操縦席内の雰囲気は悪くは無かった。

普段が地獄じみているせいで、何も起きない現状は不気味ですらあった。

 

おーい友人ーっ佐倉杏子ーっ!密室内でせっせと励むのもいいけど避妊はしっかりしなよーっ!私はまだこの歳でお祖母ちゃんキャラになるのは御免だぞーっ!

 

その平穏をぶち壊し、黒い魔法少女の咆哮のような雑言が異界を貫いた。

室内にいる筈なのに、耳で覆わんばかりに莫大な音量を持って放たれる声の暴力であった。

 

さささささを裏切るのか不貞者、相手は生理二日目だから加減してやれ。

胸が小さいからと悲観する日が漸く終わるぞ佐倉杏子、生えてなくても友人なら気にしないだろうから頑張れ。

 

これらがほんの一部であった。室内の雰囲気は、正確には空気は最悪になっていた。比喩ではなく物理的な意味で。

杏子の肌の表面から魔力が滲み、空気自体を毒に変容させていた。

常人なら数十秒程度で確実に死に至る、口と喉が焼けるようなガス室同然の中でナガレが口を開いた。

 

「ZERO、最初の命令だ」

 

冷ややかな口調でナガレは告げた。その間にもキリカの声は聞こえた。

内容は最悪であったが、声は真摯であった。彼女なりの気遣いと応援だったのだろう。

それを打ち砕くべく、二つの声が生じた。

 

「「あいつを潰せ。生かして帰すな」」

了解しました。御主人様方

 

完全なる同一タイミングでの発声。普段は冷戦さながらにいがみ合っている仲だが、こと破壊行為に関しては息がぴたりと合う二人だった。

ZEROと名付けられた元名無しの人口知能は、その命令を完璧に履行した。

重力が前に傾き、そして完全に前へとベクトルを向けた。率直に言えば、前に倒れたのだった。

杏子とナガレはと言えば、顔面を前方の壁とディスプレイに激突させていた。

 

不意打ちに近い完全な直撃で、その衝撃の度合いは、頑強極まりないこの二つの生命体達が意識を喪失したことからも伺えた。

意識が落ちる寸前、両者は前面の奥と地面の間で肉と骨が潰れる音と、

 

「若いからといって激しすぎだよ。節操無しども」

 

との呆れ果てた様子の声を聞いた。

意識が落ちていく中、杏子の脳裏に記憶の渦が巻いた。

どうしてこうなったのかと、後悔を伴侶とし彼女の心は記憶の迷路を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ…こいつは」

 

胃酸の匂いを口内に充満させつつ、杏子は呻きながら言った。

真っ先に認識したのはその物体の頂点だったが、杏子の視線は下に落ちていた。

眼を背けるような行為は、万物に敵愾心を放つ真紅の魔法少女にとって極めて珍しい事だった。

 

落ちた視線の先に、光に照らされた二本の柱が見えた。人の脚の形の面影を見せた柱であった。

フレキシブル構造の白色の蛇を思わせる二本の脚を、白い運動靴を思わせる足が支えていた。

二本の脚が結ばれた腰と胴体は、寸胴という言葉通りの太さであり、力士とプロレスラーの間を連想させる逞しさを持っていた。

それら全てが、白骨の如く漂泊された白の色を呈していた。

 

分厚い胸板の左右には、球体の肩があった。病的なまでに白い全身の中で、何故か正面から見て右肩が赤く染まっていた。

血で染めたような暗い色は、実際に血液の色だった。

丸い肩の淵に何体かの魔法少女の紛い物が引っ掛かり、淵からはみ出した手や足から、体内の液体を滴らせていた。

 

「おい友人。言われた通り肩を赤く染めたぞ。駄賃を寄越せ」

「俺が何時、んなもん頼んだ?」

「塗りたそうな顔してたじゃないか。相手の気を察して手伝ってやったのに、君は相変わらず身勝手だ」

「毎度だけどよ、ワケ分かんねぇ事言ってんじゃねえ。駄賃はやるからそこら辺の掃除でもしててくれ」

「やったー!これだから友人は好きだよ。嘘だけど」

 

何時の間にか先回りしているキリカと、噛み合わない会話を繰り広げる相棒兼対魔女・魔法少女用の汎用ヒト型殺戮兵器が見えた。

 

「あはははは、何度見ても笑える。この適当な外見、ロボットというかボロットだな」

「そこまで笑うんじゃねえよ、傷付くだろうが。てか、何で知ってんだお前」

 

嗤い転げるキリカ、その様子に対し明らかに悔しそうな顔で、そして不思議そうに見るナガレ。

嫌悪感と吐き気と憎悪と、怒りと虚しさが杏子の胸を突き抜ける。

視点が動き、再度形状を確認する。

白い蛇腹状の脚の隣に、それに似た二つの柱が上から垂れ下がっていた。

 

赤く塗られた右肩とその反対の左肩から垂れた腕は長く、胴体を越えて足の爪先近くまで伸びていた。

伸びきった先の手は、自然な形に伸びた五本の指を備えていた。

作業用の手袋を思わせる質感の手は、気味が悪い程に人間の手にそっくりだった。

しかも細く、輪郭で見れば美しいとさえ思えるその手は年少の少女の手に似ていた。

丁度、杏子やキリカ達のような。

 

背筋から尻までを貫く嫌悪感は、再び上がった視線が捉えたそのヒトガタの頭部を見た時に頂点に達した。

 

蛇腹の手足を従えた寸胴な胴体の頂点にあるのは、凹凸の廃された、のっぺりとした楕円形の頭部だった。

正面から見た爬虫類に魚類、特に鰻に似ていた。

但し目に相当するものは一切として見受けられない、異形の姿であった。

色はこれもまた、そして特に色素が廃された白色をしていた。

 

機械的な光沢を胴体や腕に脚が放つ中、手と頭部には有機体の様な生々しい質感が付与されていた。

魔法少女の喉から叫びが込み上げ、口から放たれる寸前、楕円形の頭部の一部に亀裂が入った。

 

そこは人間で言えば、口に当る部分だった。

小さな亀裂は左右に広がり、皮の様な弛みさえ生じさせ上に開いた。

 

開いた中身は、暗い闇。闇の奥に球体が鎮座し、口として開いた隙間からは黒い靄が漏れた。

靄は口の直ぐ隣にある赤い肩へずるりと向かい、そこに盛られた紛い物の魔法少女達を包むと、それを靄で包んだままに口内の闇へ戻った。

開いた口はすうと閉じ、僅かな隙間も見せずに消えた。

 

その瞬間、佐倉杏子は叫んでいた。

 

 

うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!

 

 

異界を劈く絶叫に、ナガレとキリカがぎょっとした様子で杏子を見た。

その様子が恐怖を怒りに変え、真紅の魔法少女に行動を促した。紅の風となって、杏子の身体が宙に舞った。

浮かべた表情は、殺意で凝り固まっていた。槍で左目を抉られた時の、赤い戦衣の少女に似ていた。

 

距離が近かった方、キリカの顔面に両脚を用いた飛び蹴りが叩き込まれ、その身を遥か彼方に弾き飛ばした。

機材や廃車を風のように吹き飛ばし、積み上げられた異界の構築物が衝撃で崩れ落ち、黒い魔法少女の上へ降り注いだ。

一瞬で、キリカの姿は異界の何処かに消えた。悲鳴すら許さぬ、無慈悲な処刑であった。

 

「この大馬鹿野郎がぁぁああああああああっ!!!!!!」

 

残った方、諸悪の根源に違いない少年の首を杏子は容赦なく両手で締め上げた。

口の端からは白煙が零れ、肌の温度は焼け付くように熱かった。

魔力が暴走し、身を焼くほどの莫大なエネルギーが生成されているらしい。

 

「何だあいつ!?テメェ遂に頭おかしくなりやがったか!?つうか、今動いたじゃねえか!!」

 

ギリギリと首を絞めながら、熱い唾を飛ばしつつ杏子が問う。

キリカを蹴飛ばしてやや落ち着いたのか、思いの外冷静さが戻っていた。

 

「そりゃあ…生きてる…からな」

 

苦しそうに、だが負けじと杏子の両手首を自身の両手で握り、喉から魔法少女の手を引き剥がす。

ナガレの奥歯が噛み締められ、顎が割れんばかりに力が注がれる。

真紅の魔法少女の熱い体温により、彼の手と杏子の手首の間からは肉が焼け焦げる甘い臭気が立ち昇った。

その生理的な嫌悪感もあり、杏子は弾くように手を離した。

 

「…どうやったか知らねえけど、このクソゲスなキモウナギの中身はあの斧魔女か」

 

断片的に見た情報から、杏子は正体を察した。

思うままに暴力を奮いある一定の戦果を挙げた事で、彼女は本来の魔獣じみた冷静さを取り戻しかけていた。

 

「よく分かったな。強くしてくれって頼まれたからよ」

「それにしたって、幾らでもやり方があるじゃねえか。やっと分かった。テメェの考えはこの世のものじゃねぇ」

「ああ。だからその似合いの地獄に、いつかこいつで帰るのさ」

「あン?」

 

憮然と言い放ったナガレの言葉に、当然ながら杏子は困惑した。

帰れとは言ったが、ウナゲリオンとボロットなる存在、そして魔女の魔改造融合体を造れなどとは言ってもいないし想像だにしていない。

困惑のまま、杏子は考えを巡らせた。

暴走の余波が残る熱と手首を握られた物理的な嫌悪感と、気持ち悪いにすぎる造形、定期的に訪れる生理的な出血からの不快感。

今後の人生設計と厄介者の排除法、未来永劫関わりを断てる事の可能性を見出すべく魔力が動員され、高次的な予測が超高速で組み立てられる。

そして結論は出た。時間にして0.1秒の間に行われた高速演算であった。

 

「なあ、あたしが手伝える事はねぇか?何でも協力してやるよ」

 

努めて笑顔で、相手に疑問を抱かせないような、滲み出る敵意を隠しての言葉を杏子は告げた。

それはまるで、聖女の様な表情と声色だった。

今度はナガレが困惑する番だった。少し間を置き、彼はこう告げた。

 

「お前、やっぱ良い奴だな」

 

単純とも言えるが、率直な物言いだけにそれは彼の本心だった。

故にその想いは彼を嫌う杏子にも届いていた。罪悪感が棘が魔法少女の胸を小さく刺した。

邪気無く笑いながら言う彼の様子に、杏子はこの存在を少し見直すべきではないかと考えた。

 

確かに理不尽であるしいるだけで迷惑だが、こちらも今まで迷惑は掛けたし、結果的とはいえ命を救われた事さえ幾度もある。

別れの兆しが僅かに見えた今こそ、それまでの関係を今一度考慮すべき時ではないのかと。

未来への希望を失って久しいが、ここに少しだけ、それを取り戻す欠片の様な光が見えたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあこいつの試運転やっからよ、今から一緒に乗ってくれ

 

 

 

 

 

そして希望の光が、絶望と久遠の闇へと変わるのは世の常であった。

 

 

 

 

 

 















久々に仲がいい(気がする)
また戦闘獣は真マジンガーZERO版のものとなります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 虚構 対 現実-魔法少女-④

鈍い痛みが額にじわりと滲む。

それを契機に、杏子は目を覚ました。

前に倒れた重力は、今は尻を置いた座席から下に向いていた。平常に戻ったらしい。

 

「目ぇ覚めたか」

「みりゃ分かんだろ」

 

カタカタとキーボードをタイプしながらのナガレに、当然ながら不機嫌そのものの様子で杏子は応えた。

額に手をやり優しく擦ると、痛みは緩やかに引いていった。

離した手にはぺったりと血が付いていた。軽傷なので修復はのんびりでいいと自己判断を下す。

そこで杏子は違和感に気付いた。

 

肌を覆う質感とが、気絶前に感じていたそれと大きく違う。

嫌な予感を覚え、彼女は現状確認を行った。

今自分が纏っていたのは、野暮ったい赤色の長ズボンと長袖のジャージだった。

着心地は悪くなく、フィット感は胸の部分を除いて申し分は無かった。

ダボダボな胸元の左の部分には『呉』、そして『見滝原中』の白文字が入っていた。

 

「ふーん…」と一瞬呆けた様子を見せ、直後に硬直。そして青ざめた表情となった。

この世の終わりを垣間見たような、破滅的な表情だった。

気付いてしまったのだ。自分が魔法少女服になる前の格好と、これを着ている事の因果に。

 

「運が良かったな。さっきキリカがそこら辺で脱ぎ散らかしていきやがった」

 

言い終わった瞬間、杏子の手が再びナガレの首を絞めていた。

彼への責め苦に首絞めが多い事に、多少なりともE.O.Eの影響が伺えた。

 

「…あたしはどのぐらい気ぃ失ってた?」

「一分てとこだな。俺はそれより十秒前くれえかな」

 

魔法少女の剛力で締められつつ、ナガレはやや自慢げに応えた。

杏子に対しては、とりあえず何かしらでマウントを取らないと気が済まないらしい。

幼子なら狂死、成人でも発狂せんばかりの恐ろしい表情で杏子はナガレの首をぎりぎりと絞める。

頸の骨が軋む中、ナガレの口が開いた。

 

「後で…顔面に二発…までなら…受けてやる」

 

後なんかねえよと、杏子は力を籠めるかどうかで少し悩んだ。選択肢というやつである。

結果、彼女は両手を離した。彼が無抵抗だったことに、こいつも少しは反省してるんだなと察したためだった。

実際は彼が無抵抗を通した理由は、上半身はノーブラの上に黒シャツ、下はパンツ一枚だけの少女にジャージを着せたという行為に変態的なものを感じて自己嫌悪を覚え、弱っていたのが原因だった。

少女相手に、ナガレは相変わらずの性的関心の一切を向けていなかった。

蝶を美しいとは思っても、そこに至るまでの蛹に興味は無いのであった。

 

「ちゃんと聞いたぞ。逃げんじゃねえぞ」

 

言いながら、逃げる事は無い事は分かっていた。そもそも眼の前の存在が、何かに逃げたのを見たことが無かった。

 

「分ぁってるよ。お前も最後まで付き合えよ」

 

そう言った処でナガレは手を止めた。

ZEROと名付けられた人口知能が入力完了を告げる。首絞めの最中であっても、彼は入力を続けていたのだった。

狭い室内、緑色のジャージを纏う黒髪少年が赤ジャージの赤髪少女に頸を絞められつつタイピングを続ける。

中々にシュールな光景だった。

 

「よし、今度は大丈夫だ。キリカもあの様子じゃしばらく動けねぇ」

 

ナガレの正面に据えられたモニターが、その様子を映していた。

違いねえと杏子も言った。その詳細は筆舌に尽くしがたいため、記述は控える。

 

「さて、ならしと行くか」

「ちゃんと歩くのかねえ、このボロットさんは」

 

杏子は思い出す。

この室内に行くのに用いたのは、右足裏の一部をペラっとめくって開いた足の中の空洞の、そこに備えられた梯子だったと。

 

「まぁいいや。で、なんでこいつの頭は腐れクソゲスキモ鰻なんだい?」

「こいつがそれがいいって、ていうかそれじゃねえと嫌だって抜かしやがったからだ」

 

天井をコンコンと叩きながらナガレは告げた。

登った高さで考えると、大体胸のあたりだった。

天井と幾らかのスペースの先には、忌むべき造詣の白鰻フェイスが置かれている。

叩いた音が狭い室内に響く中、叩かれた側からも壁を鳴らす音が響いた。

 

「怒るなよ、別にてめぇの趣味を嫌ってる訳じゃねえ」

「嫌だってんだよ、あたしはよぉ」

 

憮然と言う杏子は、叩いた音を言葉として理解しているナガレの事はこの際もう良しとした。

突っ込んでいてはキリが無い。

 

「まぁ強いていや、俺はこいつの元ネタの九号機より七号機の方が好きなんだけどよ」

 

杏子は溜息、魔女からは壁ドンが彼に与えられた。

もういい早く終わってほしいと、彼女は信じてもいない神に祈った。

そして、あの白ウナギ達のどこに外見の差異があったのかと怒鳴りたかった。

 

大丈夫ですか、御主人様B

 

早くも憔悴したその様子に、ZEROの名を与えられた人工知能が話し掛けていた。

得体の知れない存在がひしめく中で、電子合成された声は闇の中の光に思えた。

 

「ああ、ありがとうよ。それとあたしの名前は佐倉杏子で、こいつはナガレリョウマだ」

 

自分の呼び方から察するに、どうせ登録してねえんだろうなと思い、ついでに隣の奴の分も言っておいた。

つい最近まで記憶から欠落していた名前を言う事に、最早何の躊躇も無かった。

通じるか分からなかったが、「了解しました。キョウコ様」の声は彼女を安心させた。

 

キョウコ様、失礼ながら大分お疲れのご様子で

「ほんとだよ。疲れて死にそうだ」

それはいけません。微力ながらお力添えしたく思います

「ちなみに何が出来るんだい?」

 

杏子も中々の対応力を持っていた。

そうでもなければ魔法少女などというこの世の理の外の存在として、数年も生きていられないのだろう。

人工知能と会話する杏子の様子を、ナガレは感心した様子で見ていた。

意外と頭良いんだなと思っていたが、仮に口に出していたら乱闘が勃発していた。

話が進まなくなるので、彼の何気ない配慮は英断であった。

 

音楽など如何でしょうか。私の判断ですが、気の休まるものをご提供させていただきます

「そりゃあいい。頼むよ」

 

期待の表情を浮かべ、杏子は耳をすませた。

壁面に溶接されたスマホが、人工知能が選んだ曲を流し始めた。

 

柔らかな出だし、リズムよく流れる旋律。

 

音としては素晴らしかった。

 

それが主人公の少年がヒロインの首を締め上げ、更には人々が液化していく際に流れる曲である事を除けば。

 

 

「ありがとう。助かったよ」

 

顔を引き攣らせながら杏子は言った。

このフラストレーションは隣の奴に返してやると、彼女は固く誓ったのだった。

その隣の奴はと言えば、こいつにもこんな顔が出来たのかとお前るほどに安らかな表情を浮かべ、こくこくと頷いていた。

殺したいと、漆黒の殺意が杏子に湧いた。

 

思えば最初から間違いだった。

魔女を葬った時、何故かそこにいたこいつを使い魔の糧の為に放置せず、首でも刎ねてればよかった。

最初に戦った時に頭突きをもっと強くやってれば…手首を噛んだ時、完全に食い千切ってやっていれば。

 

そこから続く悪戦苦闘の歴史が、後悔となって押し寄せる。

それでも、なんとか必死に殺意を留めた。映像と音を切り離し、純粋な癒しとして受け取る事にしたのである。

そしてこの殺意を愉しむのは後にしようと、理性を総動員して漆黒の感情を覆い尽くした。

 

「ああ杏子、お前はこういうの初めてだったよな」

「そうだよ、悪い?」

 

初めてに決まっているし、軽い物言いに過ぎる。

ナガレはこれを運転免許の取得程度、或いは自転車の運転程度に思っているのだろうか。

悪いも何もないのだが、棘のある言葉を吐かずにはいられなかった。

一時の気の迷いはあっても、両者の関係は友情でもましてや愛でもなく敵対であった。

 

「じゃあ気構えを教えてやる」

「断る」

「あン?」

「嫌だ。テメェの話は聞きたくねえ」

 

胸の前で腕を組み、断固たる拒絶の意志と視線で以て杏子は告げた。

クロスされた胸元のぶかぶかさが、杏子の脳裏に虚しさを伝えていた。

 

「じゃあせめてこん中に宝石入れとけ。お前らの弱点だろ」

 

そう言ってナガレは、掌に載せた頑丈そうな鉄の箱を見せた。

横のボタンを押すと内部が開き、敷き詰められた綿の中央に卵型のスペースがあった。

相手の意思を尊重、ではなくどうせ説得は不可能だからと諦めているのである。

両者の意見がまともにかち合った試しなど、戦闘中以外では稀だった。

 

その方が良いかと思われます、キョウコ様

「…お前さんがそう言うなら」

 

渋々ながら杏子は承諾。指輪を外して卵型の宝石に変え、綿の中に優しく置いた。

ナガレと出逢ってから数か月経過しているが、見て数分の人工知能の方が比較不能なほどに親しかった。

これでいいのだろうか。

 

「まあ聞けよ。姿勢はぴーんとして、腹に力入れとけ」

 

ナガレ本人はどうでもいいようだった。

恐らく、これからもそうだろう。

 

「そんだけか?」

「ああ」

「アホくさ。さっさと動かせよ」

「よっしゃ!待ってました」

 

テンションを上げた少年の様子に、杏子は寒々とした視線を送った。

それを尻目に、ナガレは操縦桿を握った。それはまんま、車のそれであった。

 

「バッテリー・コードを外せ」

 

何故か中点を踏んで韻を付けて彼は言った。

多分、漫画の演出か何かだろう。そう言った言葉遣いが多用されるものを読んだに違いない。

機体の背後で、複数の何かが外れる音がした。

そして彼は座席のペダルを踏み込んだ。

 

「うぐぁっ!?」

 

その瞬間、座席に踏ん反り返っていた杏子の薄い胸が、腹が、その皮と肉が波打った。

肉の内側の内臓が圧され、骨が軋んだ。

 

「だから言ったじゃねえか」

 

凄まじい圧力が掛かる中、ナガレは平然と手を伸ばして杏子の襟首を掴み引き上げ、座席に置くように座らせた。

やや楽になったが、背中が座席に癒着せんばかりに押し付けられる。

 

「あぐぅっ!?」

 

前から後ろに抜ける圧力、そして今度は尻から頭部に突き抜ける衝撃が走った。

 

「悪い。これ敷くの忘れてた」

 

二度目の衝撃が来て浮いた尻と座席の隙間に、ナガレは素早く座布団を敷いた。

少し楽になった。死に通じる痛みが、死にたくなる痛みの数歩手前くらいに。

堪らず変身、したかったが宝石は手元を離れている。耐えるしかなかった。

高所落下による衝撃緩和機構が発動しないところを見るに、彼女の魔法少女としての身体はこれを攻撃と捉えているようだった。

 

痛みの最中に前を見ると、壁面に多数の画面が表示されているのが見えた。

白ウナギから見て正面、更にはこいつが走っている様子までが映っていた。

蛇腹の様な手足が悪夢の様に振り回され、異界を疾駆している様子が上空からの視点で映されていた。

画面の端には数字が浮かんでいた。

170km/hの表記に、杏子は自身の眼を疑った。

 

「よっしゃ、そろそろ加速するか」

「リョウマさんっ!?」

 

身に降り掛かる災禍をいなす為に新しく魔力の使い方を模索する中、ナガレは振動や衝撃など無いかのように普段通りの口調で言った。

対する杏子は上記の通り、完全に自己を失った様子で叫んでいた。

 

ギュンという音を立てて、機体が一気に加速した。

その寸前に杏子が対振動衝撃に対する魔力を自身に行使したのは、正に奇跡的なタイミングだった。

それでも、身を刻むような圧力が全身に加わった。

 

音速に到達。高速移動形態にシフトします

 

人工知能がさり気なく告げたその瞬間、寸胴な胴体が一気に縦に伸びた。

ウエストが一気に萎み、より人に近い体型となる。身長も十メートルから二十メートルに伸びていた。

手足の蛇腹な形状とややマッシブな事を除けば、ほぼProduction Modelに等しい姿と化している。

 

無駄に良いフォームで、白い人型ウナギが前傾姿勢で疾駆する。

その様子に杏子は絶叫を挙げた。

視界と肉体に注がれる嫌悪感と苦痛は十代の少女、というかこの世界の生物に堪えられるものではなかった。

救いを求めるように杏子は両手を伸ばした。そして五指が何かを掴んだ。

救いの手を引き寄せるが如く、彼女は手前に引いた。

 

「あ、お前それ」

 

一際強い衝撃が発生。

ナガレの少し焦った声が聞こえ、そして浮遊感が魔法少女の身を包んだ。

 

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 

叫ぶ杏子の眼には、地面が遥か遠くに見えていた。

異界の天の果てがあるのかは不明だが、機体の周囲は闇が多かった。

 

「よし、こいつも試すか」

 

言いながら、ナガレがハンドル近場のボタンを押した。

杏子は嫌な予感がした。そしてそもそも、いい事に転ぶ事などある訳がない。

 

「バトルウイングッ!!」

 

叫びと共に機体の背面の装甲の一部が剥離、魔女の魔力が離れた装甲を変容させる。

一瞬の後、装甲は開いた。閉じられた花が開くが如く。

それは大きく広げられた、人の手のような形をした翼であった。

災厄から人々を守り、そして全てを赦すかのような、女神が差し伸べた救いの手の様な翼だった。

神々しい羽根を広げた姿は異形の天使に見えた。

激しい既視感があった。トラウマという意味で。

 

そして何故か分からないが、ひどく冒涜的な姿に見えた。

例えるなら、神にも等しい聖なるものを貶めているかのような。

 

きっと地獄では、こんな異形が群れを成して罪人の肉を啄むのだろう。杏子はそう思った。

ならばその地獄に、せめて隣の奴を送り込んでやろうと杏子は宝石を入れた鉄箱を掴んだ。

固い質感の鉄は驚くほど簡単に開いた。

魔力を伴った握力で、強引に粉砕したのだった。

 

零れ落ちた宝石を握って想いを込める。

真紅の魔法少女と化して槍を召喚、厄介者の頭へ突き立てるべく振りかざした。

これまでの一連の流れは、一瞬の出来事だった。

さしものナガレも反応に遅れ、槍が眼前に迫っていた。

次の瞬間には、十字槍が彼の左目を貫き頭部を串刺しにした筈だった。

 

 

 

「ナガレぇぇぇえええええっ!!!!」

 

 

 

その瞬間を縫うように、機体の内で咆哮が聞こえた。その声は歓声に似ていた。

 

朱音麻衣の声だった。

 













混沌としてきたな…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 虚構 対 現実-魔法少女-⑤

「ナガレぇぇぇえええええっ!!!!」

 

操縦席に響き渡る絶叫は、朱音麻衣のものだった。

ナガレの眼前に切っ先を向けていた杏子の槍が一瞬停滞、その隙に斬線が乱舞し槍を複数の断片へと変えた。

そして杏子の腹部に衝撃が発生、その身が背中から壁面へとブチ当たる。

 

「ぐはっ…」

 

苦痛で開いた口からは、直後に大量の血が滝のように降り注いだ。

麻衣が放った裏拳は杏子のハラワタを引き裂き、心臓を潰し肺を肋骨で串刺しにしていた。

身構える間も無く放たれた一撃とは言え、威力は尋常では無かった。

 

「杏子っ!」

 

自身を抹殺しかけていた者の名を叫び、ナガレが座席下に隠していた斧を抜き麻衣へと襲い掛かる。

金属同士が激突し、悲鳴と火花を散らす。

 

「ここは狭い。場所を移すぞ」

 

手斧を刃で受け止めながら、麻衣は言った。

血色の瞳には燃え盛る様な感情の色が波打っていた。ギラギラとした、脂ぎった欲望の色だった。

 

「上等ォ!」

 

いい様、前へ突撃。

麻衣を後方へと押し上げる。彼女の背には、身長よりも深い円が開いていた。

そこからは吹き荒ぶ風が入り込み、そして円の内には操縦室の壁面ではなく異界の光景が広がっていた。

 

「来い!ナガレ!」

 

麻衣がナガレの手首を掴んで背後に跳躍する。

円の奥へと引き摺り込み、ナガレが抜けた瞬間に円は閉じた。

乱風が止み、座席内の動きが絶えた。

動くものは、壁面に背を埋め喘ぐ佐倉杏子一人だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白い手品覚えやがったな」

「君のお陰だナガレ。いや、リョウマだったか」

 

病的に白い足場の上で、ナガレと麻衣は対峙していた。

飛翔中の機体の背に広がった、女神の様な翼の上である。

操作を離れた為か、速度は比較的と言った程度であったが低下していた。

 

「どっちでもいい、好きに呼べ」

「分かったよ。いい名前だな、リョウマ」

 

言葉はリラックスしたものだが、吹き荒ぶ風でさえ両者の間に蟠った殺意を消すことは出来ていなかった。

 

「ありがとよ。それとこっちも今思い出した。よく覚えてやがったな」

「君の言葉は忘れないさ。以前に君に言われた、空間を削り飛ばす練習をしてみた際に偶然覚えたんだ。まさか出来るとは思っていなかったがね。

 空間を斬って別の空間と繋ぐ…虚空斬破(コクウザンパ)と名付けてみたのだが、どうだろうか」

 

問い掛ける麻衣は、実に照れ臭そうに笑った。

それでも殺意は変容しない。異常な光景だった。

 

「いいね、悪くねえよ。それと服の上でも分かるけど、大分鍛えたな。努力の勝利か」

「細かく言うつもりは無いが、苦労はしたな」

「それにしてもよく俺の居場所に気付いたな。この高さだってのによ」

「君の気配は独特だからな。あるのではなく、何も感じない。何もないといった具合だ」

「一応聞くけどよ、前からそうだったのか?」

「いや、なんかそうというか…気付いたというかな。君の名前を思い出したようにだ」

「不思議な事もあるもんだな」

「ああ、だからこそこの世は素晴らしい。そして友だから言う。これから言う私の卑しい欲望を聞いてくれるか。お願いだ」

「許しも何もねえよ。好きに言いな」

「礼を言うぞ。君と会ってから二か月が過ぎた。その間、私は自分の肉欲を慰めていない」

「男に二言は無ぇから聞いてやる。続けな」

 

ナガレは続きを促した。

少し困惑していたが、相対した時から薄っすらと予想が付いていた。

麻衣から発せられる臭気には、爛熟した女の香りが伴っていた。

 

「最初のうちに幾度か達してみたが、まるで満たされやしない。それでまた、再び君と相見える時を待っていた。ひょっとしたら私はこのために生まれたのかもしれない」

「買い被りすぎたこと言うんじゃねえ。自分の命は大事にしな」

「その命を、拳と刃のその先へ。無明の虚無へと私を誘ってくれっ!!」

 

淫らな雌の表情が垣間見えたが、麻衣はそれを強引に皮の内へと戻し、精悍な戦士の表情を作った。

彼もまたそれに応えた。そして出来る事は一つしかない。

こいつがガキじゃなかったら、抱いてやったのにと思わずにはいられなかった。

少女趣味は無いが、杏子に勝るとも劣らない戦闘本能の塊のような魔法少女には、確かな好感を持っていた。

 

「胸と、この腹に蟠った熱が、浅ましい肉欲と懊悩がこの心を焼きそうだ。いや、いっそ何もかも焼き尽くしてくれっ!」

「ああ。お望み通りそいつらを全部消し去ってやる!!代わりにこの俺の恐ろしさを刻み付けてやっから、精々存分に味わえ!!」

「応!殺したくない程に!今すぐ君を殺したい!この黒く醜く、淫らな疼きを止めてくれ!!」

 

ナガレの方は真っ向からの闘争心だが、麻衣のそれは自身も多分に自覚した上での、歪みを持った真摯な愛であった。

超硬質の翼が撓むほどの勢いで一歩が踏み出され、互いの刃が振るわれた。

それらは互いの防御を突破し、肉を貫き皮を引き裂き、そして骨を断ち内臓を刻んだ。

烈風が吹き荒ぶ中で繰り広げられる血水泥の応酬の中、少年と魔法少女は嗤っていた。

全てを救う女神ですら眼を背けそうな、輝くように楽しそうな顔だった。

 

 

 

 

「うるせぇ…奴らだな」

 

背中を壁から引き剥がし、杏子は呟いた。

剥がす際、布と皮と幾らかの肉が持っていかれたのを感じた。

倒れるように座席に戻る。背中の硬い感触は、露出した背骨だろうなと杏子は思った。

そこを基点に、翼の上での振動が伝わってきた。振動は刻一刻と烈しさを増しており、翼上での激戦が伺えた。

不思議と痛みは少なかった。苦痛過ぎて麻痺していたのである。

 

かなりの重傷だが、治癒が可能な範疇だった。

治癒魔法を行使しながらぼんやりとモニターを見ると、行く手の先の地面に巨大な穴が見えた。

画面に表示された数値によると、すり鉢状に広がった穴の直径は約五キロに及んでおり、その中央には闇が溜まっていた。

引き寄せられるように、彼女はレバーを倒した。女神の羽を広げた異形の天使は、そちらに進路を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは」

 

何十回と繰り返してきた動きを、ナガレは止めた。

その右手は肘まで深紅に染まっていた。

 

「リョウマ…ここで止めるな…痛いよ…」

 

麻衣の声がしたのは、彼の拳の下だった。

白骨然とした翼の一角は血の海と化していた。

大の字になった麻衣に、マウントポジションを取ったナガレが殴打を加えている最中だった。

 

麻衣の血色の眼は、左目が破裂し血溜りになり、前歯は全て折れて左頬が喪失していた。

無惨な傷跡からは、神経が数本付いた状態の千切れた舌が垂れていた。

手足も圧し折れ、逆方向を向いている。

対するナガレは元々傷付いていた右目から更に出血し、顔半分を完全に赤に染めていた。

殴打を繰り出す左手は指があらぬ方向に向き、関節がイカれかけている。

 

右手に至っては肘から先が無かった。

綺麗に断たれ、分厚い筋肉が層を成した断面を見せながら、掌を麻衣の剣に貫かれ白の翼に縫い止められていた。

満身創痍となりながら、この二者は戦闘を止めていなかった。今までは。

 

戦闘が中断する最中、白い巨体が穴の内部へと侵入。翼を広げて加速し、その奥へと落ちていく。

 

「なんだ…ここは…君らの、思い出の場所か」

「まぁ、そんなとこだ。なんかよく分からねえ結果に終わったけどよ」

 

麻衣の上から退き、ナガレは血塗れの手を差し伸べてその身を引き上げながら、両者は言葉を紡いだ。

受けた破壊以上に麻衣の顔が険しいのは、問い掛けに無いする答えへの嫉妬からであった。

一か月ほど前、杏子とナガレが奇怪な戦闘を繰り広げた場所だった。

 

炎と化した杏子と、闇色の青年の姿を取ったナガレが激突、発生した破壊のエネルギーにより一度はこの結界を完全に粉砕するに至っていた。

翌日には何もなく、その二日後に『サイカイシマシタ』との手紙が届いていた。

新しいラーメン屋にでも向かう気分で、ナガレが下見をした際に発見したのがこの穴だった。

異界の他の部分には見覚えがあったが、ここだけは別であった。

それから足を運ぶ度に視線を送っていたが、建造物や床面が次回の際は修復されるのに対しこちらは全く変化が無かった。

近くには獲物もいないため、彼としても放置していた場所だった。

 

その中を異形の天使が降りていく。

やがて底に溜まった闇の奥から光が見えた。輝く闇かもしれなかった。

 

輝く何かを抜けた時、視界が一気に開いていた。

眩い輝きが、少年と魔法少女の傷付いた身を照らした。

一面に広がるのは、布の質感を持った玩具じみた輪郭のある鏡であった。

幾度となく見た光景だが、普段の場所とは違って見えた。

旧世代の芸術を思わせる造形に満ち溢れ、それらの合間合間には階段が据え付けられていた。

肌を刺す嫌悪感はより強く、ひしひしと伝わる悪意が空気に満ちていた。

 

そして、声が聞こえた。彼らのすぐ後ろで。

 

 

 

ここは 神浜 神浜市

 

 

 

抑揚のない声が続く。生気と覇気に欠けた、聞き慣れた声が。

 

 

 

 

親愛なる 田舎者の お客様方 神浜の 果てなしのミラーズへようこそ

 

 

振り返り見ると、そこには紫髪の武者風の衣装を纏った少女達の群れがいた。

肌の質感に血色の眼まで、完全に麻衣と同じ姿を取った者達が。

 

 

 

誤爆 誘爆 乱戦 混戦 ご注意を 

 

 

そしてそこに、巨大な影が注がれた。

上空には、九体の異形が飛翔していた。

傷付き立ち尽くす少年と魔法少女を嘲笑うかのように、女神の翼持つ異形の天使の複製達が舞い降りる。

朱音麻衣達も一斉に抜刀し、その切っ先を彼らに向けた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 咆哮

朱音麻衣の複製体達が一斉に抜刀し、一糸乱れぬ足並みで以て翼の上に立つ者達へと迫り寄る。

更にその上には異形の天使の複製達が翼を畳み、群れを成して落下する様子が見えた。

それでも満身創痍の魔法少女と少年は己の得物を拾い、戦いに備え敢然と構えた。

 

「チィチィポッポと…」

 

操縦席の中で、呻きのような声が漏れた。

その瞬間に足場が大きく揺れた。水平から垂直へと一気に傾く。

 

「揃いも揃って心底うるせぇぇえええええええっ!!!!!!!!!!」

 

迸った絶叫は佐倉杏子のものだった。

女神然とした翼が開き、九体の同型達のど真ん中へと突っ込んでいく。

手近な一体の首を両手で締め上げ急上昇、他の連中も再度翼を展開し追跡を開始する。

 

「あいつ、やりあう気だぞ。操縦なんて出来るのか?」

「ああ。便利なカーナビが付いてる」

 

問いに答えたナガレは苦渋の表情を浮かべていた。

その顔を見た麻衣が、見たことを後悔するような表情だった。

そして彼女の心にも、後悔の感情が滲む。この結果を招いた原因は、自分だとしか思えないが為に。

彼の浮かべたその表情は、それに対する怒りが顕れているとしか思えなかった。

 

しかしながら現状に至った原因は、何はともあれ全て自分にあると彼は考えていた。

故に、憎悪にも似た怒りの矛先は彼自身であった。

 

交差する思惑など露とも知らず、異界の重力は両者を地へと誘った。

五十メートルほどの高さから落下する衝撃を、麻衣は魔法少女の防御機構で、ナガレは受け身を取っていなしていた。

先の戦闘で麻衣に切断され、先程拾った自分の右手を傷口に重ねると、その間に紫色の光が湧いた。

麻衣が発動させた治癒魔法により、骨が繋がり神経と血管が再生される。

 

しかし失った血液までを戻す余裕はなく、ナガレの顔は血の気が薄かった。

対する麻衣は手足と舌は戻したが、眼球や歯は後回しにされていた。

頬が吹き飛び前歯を喪失し無惨に傷付いた顔は、死人のそれと大差なかった。

 

そこに複数の影が舞い降りる。

音も無く着地したそれらに麻衣は呻き、残った奥歯を軋ませた。

身体にも衣服にも、傷や皺の一つすらない麻衣の複製達がそこにいた。

数は八体。虚無を宿した表情で、オリジナルの麻衣を血色の瞳で見つめている。

 

「生きた心地がしないな」

「ビビってんなら、そいつが生きてる証拠だ。気張れよ、麻衣」

 

後ろは任せろ、存分にやりなと彼は告げた。

頼むと応えて麻衣は刃を抜いて走った。待ち受ける複製達の表情が一斉に変化した。鏡にヒビが入ったように。

目を潤ませ、世を憂う深窓の姫君の様に啜り泣く。

そして完全に同一のタイミングで口を開き、

 

「お願い。殺して」

 

と、心底からとしか思えない声と表情で懇願を麻衣へと告げた。

悲鳴のような絶叫を挙げ、朱音麻衣は刃を振った。

 

 

 

血の気が失せて肌の赤みを減らした彼に対して、嘲笑うかのように複数の赤が彼の前へと降り立った。

燃え立つような真紅の色の長髪と、神父服と着物を合わせたような衣装が良く似合っていた。

先端に十字架を頂いた長槍も。

両目の瞳も。

胸の宝石も、全てが炎の様に赤かった。

 

その数は九体に上る、佐倉杏子の複製達だった。

本人がいた場所を鑑みれば、どこから落ちてきたのか凡その検討も付いていた。

対処する相手が減ったなら、杏子も多少は楽になれたかと彼は思った。

 

待ちを選んだ麻衣の複製に対し、真紅の魔法少女達は逆に一斉に彼へ向けて走り出した。

突き出された槍が多節を生じさせて一気に伸び、九匹の真紅の毒蛇となって彼の視界を覆い尽くした。

 

「似合わねえぞ」

 

真紅の隙間から見える複製達の表情に対し、彼はそう言った。

口は小さく開き、眼は一点を力なく見つめていた。

全ての意志を放棄した、虚無の表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

佐倉杏子は叫んでいた。

巨体が動く度に衝撃が生じ、それは操縦席に座る杏子の肉体にも響いた。

人間に酷似した、それも少女のそれを思わせる繊手が拳を作り、同型の胴体に殴打を叩き込む。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!」

 

理性を失くした獣同然の声で叫ぶ杏子。

拳が装甲を突き破り、内側へと減り込み背中を一気に貫通する。

抜け出た右腕はどす黒い赤に濡れ、生じた破壊孔からも間欠泉の様に液体が飛沫を飛ばした。

左手が首元を握り締め、白い手の甲に網目の様に管が浮いた。

 

左向きに力が一気に籠められ、その身を胸元から二つに裂いた。

開いた傷口からは、明らかに心臓や肺に相当する器官が覗き、零れ落ちた。

ロボットというより、ほぼ生物であるようだ。

 

複製であるとしたら自身のそれも同じでは、という疑問は今の杏子には無かった。

この時の杏子は、殺戮・破壊衝動に突き動かされる原初の獣と化していた。

 

叫び、吠え、狂ったようにハンドルやレバーを動かした。

異形の天使は杏子の思った通りに動き、同型達の腕を捥ぎ胸を貫き、そして。

 

「グゥアアアアアアアアアアアア!!!」

 

杏子は口を引き裂けんばかりに開いた。実際に口の端が切れて出血していた。

機体も同様に口を開き、その中に相手の頭部を誘った。

開いた口の中には、深海魚を思わせる長く鋭い、釘のような歯が連なっていた。

 

「ガウウウゥッ!!!!」

 

咆哮と共に、舌ごと噛み砕く勢いで口を閉じると、機体も同様に従った。

断面からの血飛沫が、白い顔を紅に染め上げる。

口の中では靄が渦巻き、抉り取った肉片が蕩けて黒い点へと吸い込まれる。

黒点は満足そうに蠢き、次の贄を待った。

女神の翼がはためき、次の獲物を異形の天使が、佐倉杏子が探し求める。

 

眼の無い顔であったが、外部の情報は取り込まれるらしく、杏子には自身の周囲の光景が手に取るように見えていた。

座席の後ろからは複数のコードが伸びていた。

それは杏子の背へと消え、あろうことか露出した脊柱に背びれの如く突き立っていた。

無機質なコードには陽炎の様に赤い光が寄り添っていた。杏子の魔力だった。

 

「キョウコ様、具合はいかがでしょうか」

「最悪。でも悪くねえ」

 

それは声ではなく思考であった。

荒れ狂う破壊衝動とは別に、意識はZEROの名を与えられた人工知能と意思を疎通させていた。

実態としての杏子は喉が焼けきれんばかりに魔獣じみた咆哮を放ち、白い異形を本能のままに蹂躙している。

 

「操縦系統を直接お繋ぎなさるとは。正直に申しまして正気を疑いましたが、魔法少女とは凄まじいもので」

「お褒め頂き光栄だね。ありがとさん」

 

そう思いを伝えた時、彼女は迫りくる気配を感じた。

 

「来ます。対ショック用意」

 

上空からの衝撃は、異形の体当たりであった。即座に反撃し、太い喉を握り潰す。

そこに再び激突、更に更にと数が重なる。

杏子が操るものと異なり、翼の形状は元ネタに近く、まるで巨大な鳩のそれであった。

群がる異形達の翼で視界が覆われるままに、杏子が操る異形の天使は地面へと向かって落ちていった。

その最中でも暴虐を振う杏子の胸の宝石は、既に紅ではなく黒の方が近かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒髪の少年の周囲で、真紅の魔法少女達が跳ねていた。

黒い衣の狩人の周囲に咲く、美しい花のようだった。

だが花は花でも、彼女らは美しい毒花だった。

 

ただでさえ強い杏子の複製を前に、ナガレは攻めあぐねいていた。

普段ならまだしも、既に立っているだけでも奇跡に近い。

先制攻撃は最小限の傷で躱したが、それでも全身に大小さまざまな裂傷を負わされた。

動くだけで小さな傷が裂け、ただでさえ枯渇気味の血が流される。

 

 

互いの呼吸が分かるほどの近接を選び、ナガレは杏子の複製達と斬り結んでいた。

遠距離では多節の槍に圧倒されるためである。

技量は杏子のそれより低いが、風見野の鏡の結界の個体よりもかなり手強い。

未だに一体も仕留められていないのがその証拠であった。

早々に一体を仕留め、槍を捥ぎ離して奪うかと思った時、佐倉杏子の複製達に変化が生じた。

虚無を纏った表情が蕩け、柔らかな微笑を浮かべた。

そして口々にこう言った。

 

 

「抱いて」

 

「愛してる」

 

「愛してる」

 

「触って」

 

「好き」

 

「好き」

 

「抱いて」

 

「抱いて」

 

「あたしを愛して。ナガレリョウマ」

 

 

言い終えるが早いか、杏子の複製達は防御を捨てて一斉に突撃した。

先行した二体がナガレが振るった手斧に首を掻き切られ、黒血をブチ撒けて倒れ伏す。

その上を乗り越え、一体がナガレの胴体に飛び込んだ。

細くしなやかな腕が腰に回され、薄いが隆起した胸が彼の胸元に押し付けられる。

ジャージの上からでも分かるほど、複製の胸の突起は屹立していた。

 

細いが頑強な首筋にも、熱いものが触れた。

杏子の複製が口から伸ばした舌であった。

それは槍が掠めて生じた傷を、淫猥な蛭の様に舐め上げた。

灼けるように熱くざらついた舌がもたらす、凄まじい快楽を伴う一舐めは並みの人間なら性差を問わず発狂し、絶頂に導きかねないものだった。

 

それを、正気のナガレの左手が頭ごと握り締めた。一瞬で爪先が頭皮を貫通し、頭蓋骨に切っ先を埋める。

慈しみ抱くような形となったのは完全な皮肉としか言いようがない。

圧壊まであと数秒と言う時に、今度は右肩から、そして左肩。

右脚に左脚にと真紅の魔法少女の複製達が絡みついた。

 

細腕の滑る様な動きは蛇を思わせ、その先の繊手は美しい白魚を思わせた。

それらがぎゅっと彼の肉を締め付け、指先は全身に刻まれた傷口をこじ開け、そこを赤い舌が淫らに這った。

愛するように傷口に舌が挿し込まれ、淫猥な動きで肉を舐め上げ血を啜る。

ざらざらとした舌は肉を深く刻み、場所によっては骨まで達していた。

それだけではなく、身を寄せた複製達は自らの衣と肉を彼の身体に擦りつけていた。

突起が屹立した胸と粘液で濡れそぼった股を擦り寄せ、自らの臭気を与えるかのように血みどろの少年に自らの熱を送っていく。

そして淫猥な舌遣いの最中には、複製達の口からは熱い吐息と喘ぎ声が漏れていた。

 

かつて道化が施したものと似ていたが、その動き方は人というよりも互いを巻き付け合って交わる蛇の交合のそれだった。

複製達の口からは幼い声で出来た妖艶な喘ぎ声が生じていた。

そしてその場からは血臭に混じり、濃厚な雌の香りが浮かんでいた。

 

「てめぇら…」

 

わなわなと唇を震わせ、ナガレが呟いた。

彼の声は女のそれに近いが、それだけに恐ろしい響きの声だった。

 

複製達が感じたのは、熱い血の滾りであった。

傷口を啜っていた舌が思わず怯んだほどに。

 

「てめぇらぁ…」

 

極限の怒りがナガレの身を焼いていた。

道化の時でさえ浮かべなかった狂相となり、眼の内の黒い瞳には底無しに続く渦が巻いていた。

 

正面にいた個体が、黙らせるように彼の唇目掛けて自分のそこを突き出した。

血の色を思わせる紅の唇は、雄の理性を狂わせる妖艶さで出来ていた。

 

それが、一瞬にして消え失せた。

唇は彼の肉と触れ合っていた。但し、そこは頬の内側だった。

悍ましい音を立てて、複製杏子の顔の下半分が齧り取られていた。

ナガレは即座に肉片を吐き捨てた。吐き出されたものは醜い肉塊であったが、唇だけは美しいままだった。

茫然とする複製の顔もまた、肉と骨の混合物となって弾けた。

後頭部に添えられていた手が再び圧搾を開始し、一気に握り潰したのだった。

 

てめぇらああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!

 

彼の怒りが爆発した。

それは自らが受けた被虐からのものではなく、仲の悪い相棒へのこの上ない侮辱に対するものだった。

あの生きた炎の様な苛烈さと攻撃性持つ真紅の魔法少女の、面影の欠片も無い姿を晒す者達に彼は底無しの憎悪を抱いていた。

 

淫らな表情を破壊すべく、脚にしがみ付いていた個体の顔面に鉄拳が叩き込まれる。

美しい顔が二目と見れぬほどに潰れ、二つの紅い眼球も潰れた状態で眼窩から弾け飛んだ。

 

あいつを愚弄するんじゃねえええええええええええええええええええええええええええ!!!

 

怒りの咆哮が異界を貫く。複製達が怯えたように身を震わせた。

酷く甲高く、それでいて地獄から響くような叫びが何処までも鳴り響く。

渦巻く瞳は怒りの黒炎を宿していた。

彼の心は佐倉杏子の複製達を根絶やしにすべく、満身創痍の身に限界を超えた力を与えていた。

 

他者の事を自らの怒りとして、心底から全力で架せられる者はざらにいない。

その怒りは身を突き破り、鏡の世界を焼き尽くさんばかりに滾っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 舞って散った、紅い花

「グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

人間が、それも年少者が発するとは思えないおぞましい音の咆哮が木霊する。

女神の翼を持つ異形の天使を操る魔法少女が吠え猛り、血みどろの少年が怒りの咆哮を放つ。

巨体同士が互いを喰らい合い、愛を囁く少女達の中央で血風が舞う。

 

 

 

先端に十字を頂いた真紅の槍の裂帛の一突きが放たれる。その切っ先が虚ろと霞んだ。

黒と緑の禍風のように少年は槍の上を跳躍していた。

その姿を見つめる複製の杏子の顔は恍惚とした表情を浮かべていた。

奇跡の果てに、彼とめぐり逢えたかのような。

その顔を覆うようにナガレの両手が、猛獣の咢の如く頭部を掴んだ。

 

疾走と跳躍の勢いを乗せ、そしてこの体型にはあるまじき重量と悪夢のような腕力が合わさった破壊が、複製の半身を襲った。

頭部は簡単に爆ぜ割れ、胸と腹が一気に圧搾される。

潰れた腹からは臓物のとぐろが飛び出し、血臭と悪臭が大気を濡らす。

弛緩した右手から槍を奪って振り回す。

 

既に迫っていた三体の複製の槍を弾き、粉砕した複製杏子の身体を足場に更に跳躍。

空中でナガレと杏子達が切り結ぶ。

眼に耳に鼻を切り裂かれながらも、彼女らは淫らな視線と愛の言葉を囁き続けた。

 

「ウォォオオオオッ!!」

 

眼を裂かれた個体の動きが鈍り、ナガレが接近。

魔獣の咆哮と共に槍を一閃させる。頭頂から股間までに朱線が入った。

刀身は背まで抜けており、複製の身は裂けつつあった。

血染めの身を抱きしめ、その個体は身が裂ける事を押し留めた。

その両脇から二体が迫り、即座に彼は迎撃態勢へと移った。

 

その時だった。二つに裂けかけている杏子が両腕を伸ばし、二体の同胞の腰に己の手を巻いたのは。

それはナガレに施したような、性愛と慈しみに満ちたものではなく、相手を喰らわんとする荒々しい獣のそれだった。

押さえられていた傷口が開き、肉の亀裂が一気に開く。

 

割られた心臓、胃と腸が覗き、そして下腹部からは切り裂かれた白桃色の袋が見えた。

死相そのものの顔には、それでも必死の意志が顕れていた。その杏子が浮かべた顔はまるで、子を守る母のそれだった。

自らの命を吐き出しながら。自分を破壊した者を守っていた。

無残に破壊された命を育む器官を露出させながら、その個体は同胞を拘束していた。

 

腰に手を巻かれた者達は、それが無いかのように前へ進むべく地を蹴った。

一歩として進めず、地団太が踏まれる。

傷付いた複製から零れた血と臓物を踏みしめられ、無残な飛沫が上がる。

切断により胸元ごとずれていた宝石に向けて、瀕死の複製杏子が唇を小さく尖らせる。

その時の表情は、悪戯を思い浮かんだ無邪気な子供のようだった。

そして、杏子の唇が胸の宝石へと触れた。

 

「! やめろ!!」

 

察知したナガレが叫んだ。その声からは怒りが引き、代わりに理性の響きがあった。

自らの脅威を察した怯えのものではなく、静止を命ずる声だった。やめろ、そんな事はするなと。

その瞬間、真紅の光が迸った。

光の中、身を割られた杏子の複製は女神の様に微笑んでいた。

 

光が炸裂し、赤い爆炎が三体の複製を包み込む。生じた衝撃波が、ナガレの身を弾き飛ばした。

破壊の光は直ぐに消え、そこには三体の杏子の面影すら残っていなかった。

 

衝撃から立ち直りかけた時、真紅の風が纏わりついた。

複製の一体が全身で彼を愛するように脚と腕を、彼の身体に正面から身を絡ませる。

服の一部が剥がれ素肌を晒した彼の右腿には、熱い感触が泥濘となって貼り付いていた。

桃色の短いスカートの中身は布地に覆われておらず、生の肉を外気に晒した肉の芽と花弁が、熱く淫靡な樹液を伴って彼の肌に直接押し付けられていた。

複製の口から熱く短い喘ぎが生じ、その身が軽く痙攣した。

腰を震えさせながらもさらなる刺激を求め、複製は温みきった熱い肉を彼の身体に擦り付けた。

 

そしてそれとは別に、複製杏子の身体を隔てて複数の衝撃が彼の身を襲った。

彼を抱いた複製の背と、腹と左腿を真紅の槍が貫いていた。

槍の穂先は杏子の身体を抜け、ナガレの身にも僅かだが届いていた。

 

ナガレが吠えた。言葉には不可能な、砕かれた様な音だった。

盾となった杏子を己の身からずるりと抜き、その身から手早く三本の槍を抜き、左手の一振りで以て纏めて投擲を行った。

飛燕の速度で飛翔し、紅の魔法少女達の胴体を深々と貫いた。

 

くの字に折れ曲がって、倒れ伏すそれらにトドメを刺すべく立ち上がった彼を、血染めの両手が引き留めた。

地面に仰向けに倒れた、彼の盾となった杏子が伸ばした手であった。

振り払う力がこの時は失せていた。複製達との戦闘で更に多くの血を流しており、疲弊しきっていた。

上半身を起こしながら杏子は彼の手を引き、自らの胸元へと導いた。

血染めの掌の下で、真紅の光が輝いていた。

 

「いってあげて。あたしは、あなたをまってる」

 

彼の手に複製が優しく力を込めた。

それは促しであった。ここを砕いて、先に進めと。

先程まで戦闘を繰り広げていた相手なの百も承知で、矛盾に満ちた行為この上ない。

複製のこの行為は、人間の理解を拒む狂気で満ちていた。

 

ただ、彼は手を動かさなかった。それが答えであったのかは遂に分からなかった。その上空に、巨大な影が降りていた。

彼は地を蹴って跳んだ。左手で残った槍を握り、そして右手には血染めの複製体が抱かれていた。

 

彼がいた場所には白く巨大な腕が突き立ち、鏡の地面が深々と抉られていた。

そして蛙の様に身を下げた鰻顔の異形が、彼と複製体に鼻先を向けていた。

人型の胴体が伸びるように動き、細長い顔が開いて口が形成される。

複製元とは違い、原型同様に無機質だが人間に似た歯の列が並んでいた。

それの上方、上顎の先が真紅の一閃により斬り飛ばされた。

 

更に数回、ナガレが空中で槍を振った。

縦長の顔が縦横に刻まれ、巨体が傾斜する。

そこを足場に着地し周囲を見渡す。

鏡の結界の特性か麻衣の気配は感じられず、更に姿は見えなかった。

 

しかし、別のものが見えた。

複数の白い異形が、一か所に群れている光景が。

 

 

「こっち見ろ!!てめぇら!!!!!!!」

 

ナガレが叫び、異形達は一斉にそちらを向いた。

顔は白ではなく、赤く染まっていた。

生じた隙間からは、女神の様な翼が見えた。

 

異形達が一斉に鳩に似た翼を広げて飛翔する。

数は三体であった。一体として無傷なものは無く、杏子の奮戦が伺えた。

喉を嚙み潰されたもの、両腕を引き抜かれたもの、胴体に大穴を開けられたものが見えた。

距離と負傷の度合いから優先順位を判断し決断、会敵に向けて槍を構える。

 

視界がぼやけ、鰻達の病的な白色さえも霞むが、前からは眼を離さない。

架空世界の主人公の少年に『戦えよ』と感想を述べた事を、彼は忘れていなかった。

それでなくとも、彼は戦ったに違いない。

 

その上に再び影が舞い降りた。異形達よりも高く、そして細い影だった。

異形達も見上げていた。三本の巨大な槍が聳えていた。先端に十字を頂いた、巨大な蛇の群れに見えた。

槍穂の根元には、衣を血に染めた杏子達が立っていた。

先の投擲により、その胴体は千切れかけていた。

 

腹部や胸からは止め処ない大量出血が生じ、穴からは内臓が垂れ下がっていた。

そして彼女らは一斉に槍へと命じた。その切っ先は、巨大な異形たちに向けられていた。

獰悪な毒蛇の如く異形達へと敢然と襲い掛かり、その身を串刺しにして切り裂いていく。

 

異形達も反撃に転じ、杏子の一体を手で捉え、血染めの口を大きく開いた。

真紅の魔法少女が噛み潰される寸前、その首が胴体と切り離された。斬線の先には、槍を振ったナガレがいた。

 

「逃げろ!」

 

手の中の複製に向けナガレが叫ぶ。

複製は血染めの顔で艶然と微笑み、輝く胸に手を置いた。

 

「愛してるよ。さようなら」

 

どこか舌足らずに聞こえる喋り方も、オリジナルと似ていた。

真紅の毒蛇と異形達が交差する中心で眩い閃光が生じ、槍もまた一塊の炎と化して破裂し、異形を打ち砕いた。

それは更に続いた。その杏子の顔半分は異形の口内にあった。

秀麗な顔が異形の口内で咀嚼されて挽肉と化し、白い喉へと嚥下される。

残った顔で彼女はナガレに、「またね」と告げて光となった。

 

更にもう一人は上下半身を巨大な両手で摘ままれ、虫か人形のように引き千切られていた。

瀕死の異形の慰み者とされ腹を裂かれたその瞬間、その杏子の胸も真紅を放った。

口が小さく動いた。「チャオ」と言っていた。

 

爆発の度に異形の肉が抉れ、手足が吹き飛んでいく。

宙にいたナガレが一体の胸の上に降り立ち、その首元に槍を深々と突き刺し、掻き毟るように引き切った。

巨体が苦しみに満ちた痙攣をし、そして動かなくなった。

その異形は両腕が肘から消し飛んでいた。杏子を玩んだ個体だった。

 

荒く息をするナガレは、周囲を見渡した。生き残りの複製を探したのだった。

白けた霧が広がるような視界の中で、彼は見つけた。

今の彼の視界には、それが地に咲いた真紅の花に見えた。

彼の盾となって彼を守った杏子の複製は、胸から下が巨大な腕の下敷きとなっていた。

その異形は上下半身が真っ二つにされていた。

負傷故に、切り裂いて落下してきた巨体を避けられなかったものと見える。

 

口からは血泡が湧き、呼吸の度にごぼごぼと泡が弾ける。

苦痛の極みにある表情は、傍らに来たものの姿を認めると死相の浮いた笑顔に変わった。

間髪入れずに巨腕に手を掛けたナガレに、複製は小さく首を振った。

 

「あたしを、まもってあげて」

 

そう言って、複製の眼は閉じた。閉じてなお、微笑が浮かんでいた。

二秒ほどそこに目を注ぎ、彼は踵を返した。

動くものが絶えた静けさの中、彼は何も伝えず沈黙を守った。

 

ただ彼は、行動で示すべく動いた。

口からは黒血が吐き出され、全身からの出血も止まらない。

朱の線を鏡面に引きながら、彼は進んだ。

砕けた鏡の面が血を吸って、花の根の様に紅を地面に刻んでいった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 そまりゆく、くれないのこころ

「グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

人間が、それも年少者が発するとは思えないおぞましい音の咆哮が木霊する。

女神の翼を持つ異形の天使を、真紅の魔法少女が操り吠え猛る。

その様子を、他ならぬ佐倉杏子が眺めていた。

 

「…ひっでぇツラ。暴れてる時のあたしって、こんな顔してんのかよ」

 

緑色のパーカーと、際く切り込んだホットパンツという何時もの出で立ちであった。

操縦席で暴れる杏子の正面から後ろへ下がると、壁を透過し外へ出た。

その状態でも内側が透けて見えていた。足は地面に着いてはおらず、ブーツは虚空を踏んでいる。

 

タイムラグがゼロである為に当然だが、相変わらず魔法少女の杏子は怪獣の如く暴れていた。

そして怪獣は外にもいた。全身が白で覆われた、奇怪な映画のトラウマメイカーに酷似した姿の連中が。

 

しかしそれは杏子が駆るものもまたほぼ同じであり、これらは血みどろの闘争を繰り返していた。

噛みつきに殴打に引き裂きにとレパートリー豊富な大乱闘が繰り広げられる。

それらの如何なる物理的干渉も無視して、杏子は世界を眺めていた。

 

「なんだろね、これ」

 

杏子はふわふわと宙に浮きながら呟いた。

身体を動かすように思考すれば、上下左右にと自由に動いた。

ううんと考え、答えを一つ。

 

「幽霊か。今のあたしは」

 

そう言いながらも、杏子はそれをてんから信じていなかった。

幽霊なんてものがいるなら、毎晩家族に会えている。

 

となると考えられるのは、肉体と機体をコードでつないだことによる意識の交差と思えたが、これもまた外れていた。

背中のコードは既に全てが外れていた。

操縦桿を殴る蹴るをする杏子の苛烈な運動に耐えられず、全て脊柱から外れるか切断されていた。

 

「うわぁ…」

 

短いスカートであることなど顧みもせず、レバーとハンドルを蹴って蹴って蹴りまくる。

魔法少女の剛力で行使されるそれに、壊れないのが不思議であった。

それが功を奏しているのかは分からないが、杏子の異形は他の者達を寄せ付けなかった。

杏子の暴力にシンクロし、同様の動きで攻撃を繰り出していた。

 

「キモい光景だな」

 

白ウナギの蹴りで白ウナギが蹴飛ばされ、拳で顔面がぐにゃりと凹む。

言葉通りの様相だった。

 

「…アホらし」

 

溜息一つを吐いて、杏子はポケットをまさぐった。

何時もストックしているロッキーを取り出し、一本食んだ。

口に運び、歯で噛み砕いたとき、彼女は眼を見開いた。

開いた先で、座席に座る杏子が見えた。

反乱狂の様子は欠片も無く、座席の杏子の真紅の眼は真っすぐに浮かぶ杏子を見ていた。

 

「今更?気付くの遅いよ」

 

浮かぶ杏子の口の端からは、赤黒い液体が垂れていた。

口内に広がる芳醇な血液の香りと塩気を感じながら、彼女は思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぐ…ぅぅう…」

 

杏子の喘鳴が室内に木霊する。そしてそれを塗り潰すように、破壊音と水音が響く。

一瞬の不意を突かれた結果だった。

押し倒された瞬間、複数の手が腹の装甲を引き剥がし、剥き出しになった肉に異形達が一斉に歯を立てた。

悲鳴を挙げる間もなく肉が抉られ、内側に詰まった内臓が引き摺り出された。

咀嚼に移る前に必死に蹴り上げ、手で負傷を庇って応戦する。

その最中に、異形達の隙間から覗く光景を杏子は見た。

 

自らに酷似、どころか同一の外見を持つ者達の群れと、それと相対する少年の姿を。

自身の複製達が彼に身を寄せ、淫らな表情を浮かべ痴態を繰り広げたところを。

彼に抱き着いた一体が、身の内に雄の肉を受け入れた淫婦のように表情を蕩けさせ、恍惚と微笑むところを。

そして彼の盾となり、その身を真紅の槍で貫かれたところを。

 

更に悪夢は続いた。

自分と同じ存在達が、他者の為に命を捨てて血みどろになって。

そして戦い果て行く姿を。

光となって散り行く彼女らは、自分の顔は使命感と笑顔に満たされていた。

物語の中の、現実では決してあり得ない、空想上の魔法少女の姿の様に。

 

 

機体と直接接続していることによる痛みが消え去るほどの、絶対的な嫌悪感が彼女の精神を貫いた。

開かれた口からは絶叫が溢れ、苦痛に身を捩った瞬間に杏子は大量の胃液を吐き出した。

 

本来の黄色に大量の赤が足されたそれは、嘔吐というより吐血であった。

多大なストレスにより、胃が溶け崩れて口から吐き出されていた。

赤と黄と、肉片の混じった吐しゃ物は止め処なく溢れた。

 

やがてそれは液体ではなく、黒々とした闇へと変わっていった。

彼女の膝に注いだそれらは床に落ち、床を覆うと壁を伝って昇っていった。

数千数万数億数兆の黒い虫が這いずり回る様な光景だった。

 

そして遂に、狭い室内は闇に覆われた。

杏子の身体の上にも、黒々とした闇が這っていった。

室内を満たした闇の中、ある一点が漆黒に輝いていた。

闇さえも食むような、貪欲な赤黒い光であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

口汚い罵声、悪罵。

頬と背と腹には鋭い痛み。

周囲から注がれる好機の視線が、幼い身体の全身を犯すように刺す。

潰されかけて傷付いた林檎が土の上を転がる。

林檎と大して変わらぬ小さな手が、それを求めて手を伸ばす。

 

悪臭を放つ汚水が、手と林檎に降り注ぐ。

悪罵は嘲笑へと変わっていた。

 

それを背に受けながら、幼い少女は走った。

まだ足りぬとばかりに嘲笑は続いた。

止め処なく涙を流し、必死に走った。

彼女には世界の全てが、自分たちを嘲弄しているように思えた。

 

 

 

 

走った先に、聳え立つ建物が見えた。

安堵が心を満たす。

 

扉を開けて中に入ると、視線の先には宙に吊られた神父服の男の姿。

 

地面には赤黒に塗れた女と童女が横たわっていた。

 

ドス黒い感情が溢れ出し、感情のままに少女は走った。

 

自らもそこへ行きたかった。

連れて行ってくれと伸ばした手が月の光に照らされる。

踏み出した一歩は虚空を切った。足場が突如として崩れ、その身が前へと倒れ伏す。

 

身を打ち付けた瞬間、悪臭と泥濘が彼女の身を捉えた。

吊られていた男の腹は裂け、腐り果てた臓物が糞便の臭気を伴って液体の様に垂れ下がっている。

滴る汚液と液化した肉が、二人の女の死体を濡らしていた。その二つの身体が蠢いた。

 

汚液で汚れた女の下腹部が膨らみ、腐敗した体液の染み付いた衣服の布地を押し上げる。

見る間に破裂し、男の腹から生じたものと同じ異臭が鼻を刺す。

少女の顔にも降り掛かり、汚濁が彼女の顔と身体を黒々と穢した。

 

血と肉を押し開く小さな手。

そして小さな鼻面が見えた。何かを齧る為の二本の牙が見えた。その形は捩子くれていた。

血の様に紅い眼の周囲には、無数の腫瘍。全身を覆うはずの黒い毛皮は、所々が赤黒かった。

赤い部分は、血管が浮き出て、至る所に赤い壁蝨(ダニ)を纏わりつかせた肌だった。

女の腹から生まれたのは、赤と黒のいびつな斑模様をした奇形の鼠であった。

 

赤髪少女が叫ぶ間もなく、妹の首で蠢き。

腐乱した両親のそれとは違い、幼い妹はまだ柔らかい肌の質感が残っていた。

その細首が、がたがたと人形のように動いた。

そこから、一斉に白と黒が覗いた。

親指大の大きさの白は、妹の肉を喰らって成長した蛆虫だった。

 

うねうねと身を伸縮させながら蠢き、小さな口で妹の肉を食んで消化し糞をひり出す。

蛆虫の奥から黒い蠢きが見えた。蛆を跳ね除けながら、丸々と太って黒々と輝く無数の蠅が一斉に羽音を鳴らして飛翔する。

父が娘の首に与えた長く深い傷の他にも、妹の眼と耳と鼻と口からも蠅と蛆虫が溢れ出す。

 

死臭と悪臭と、それを啄む蛆虫と蠅と奇形の鼠。

 

腐り果てた父と母。その二人から生まれた、両者の血と肉を受け継いだ赤い髪の少女。

 

蛆虫の慰み者とされる妹。その姉だった赤い髪の少女。

 

かつて少女たちを育んだ女の腹の中で異音が鳴っていた。

汚濁の溜まった腐肉袋と化した生命の揺り篭を、奇形の鼠がげっ歯類の醜い歯でかりかりと齧り、ぴちゃぴちゃと啜る音だった。

そこに、赤黒の奇形の鼠に無数の蠅が纏わりついた。

 

 

交わる蠅はやがてある輪郭を形作った。

 

そしてそれは、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

蠢く蠅で出来たブーツが、女の腐敗した子宮と萎びた卵巣を踏み潰している。

 

黒々とした蠅の粒で出来た衣は、神父服と着物の間の子だった。

 

長い髪が動くたびに、汚らしい蠅の羽音が振り撒かれた。

 

右肩に掛けられたのは、筆舌に尽くしがたい悪臭の染みついた長大な十字槍。

 

 

足を腐肉から乱暴に抜き取り、それは周囲を歩き始めた。

腐肉をぶちぶちと潰しながら歩いて身を屈め、左手で落ちていた林檎を拾う

無数の蠅で出来た、少女の姿をしたものが口を開いた。

 

口の中は壁蝨がびっしりと纏わりついた、腐肉同然の様相を呈していた。

林檎を齧る歯も蠅で出来ていた。割れた林檎からは、眩いばかりの深紅の液体が滴り落ちた。

 

蠅の少女が二口目を齧りながら右手を動かした。

肩に掛けられていた槍が一閃される。

槍の一払いで三つの死骸が汚液をブチ撒けながら乱暴に吹き飛ばされる。

 

そして、その者達から溢れたもので身を染め床に腰を置いた赤髪の少女に向けて、蠅の少女は槍を突き出した。

その先端には、死者たちの顔が串刺しにされていた。

腐敗しきっていながらも、それぞれの顔には彼ら彼女らの最期の表情が、永遠に消えない絶望と苦悶が貼り付いていた。

 

 

「これであんたは自由で、あたしも自由だ。やったじゃねえか、おめでとさん」

 

 

蠅の少女が言った。

佐倉杏子の声で。

 

底なしの絶望が赤髪の少女の、佐倉杏子の口から砕け散ったガラスの様な音となって迸る。

 

闇に染まった感情は行き場所を失くして少女の内を再び巡り、その濃さを更に黒く赤くと増していく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 そまりゆく、くれないのこころ②

叫びが終わり、音が絶えた。

止めたのではなく、喉が裂けて遂には機能しなくなっていた。

それでも叫んだ。溢れ出る感情をぶちまける為に。

それでも感情は減らず、寧ろ吐き出せば吐き出すだけ増えていった。

懊悩に苦悩、そして後悔が渦を巻く。

 

頭が割れんばかりに痛むが、それで思考が絶えることは無い。

痛みによって寧ろ感覚は鋭敏になり、心の苦痛が実際の痛みとなって彼女の感覚に押し寄せる。

 

やがて痛みは寒気と化した。開いていた口が、生理的な反応によりがちがちと歯を鳴らして痙攣する。

苦痛と記憶が渦巻く中、杏子は自身の身体が仰向けになっていることに気付いた。

見上げた先は曇天の空。それでも今の彼女の心に比べれば、光が澄み渡る快晴に違いない。

 

倒れていた身が、突如として起き上げられた。

冷え切った身体を抱くのは、杏子よりも少し年上に見える少女だった。

眩いばかりの、黄金を思わせる毛髪がくすんだ紅の眼に眩しく映っていた。

死人とばかりに冷えた身体を抱く少女の顔の左右では、カールを巻いた髪が揺れていた。

 

その髪型と、豊かな胸を通して与えられる温かさ、そして優しさが杏子の心に熱を与えた。

枯れ切った喉からは裂傷に等しい痛みが生じている。それでも何かを述べようと、杏子は口を開いた。

この温もりを、放したくはなかった。

 

「離せよ」

 

しかし、彼女の口から出たのは拒絶の言葉。

やめろ、黙っていろと。心の中で杏子は叫んだ。

それでも実体としての杏子は拒絶の言葉を続けた。

相手の少女は共にいようと叫んだ。

伸ばされた手を、杏子は腕を振り払った。

互いに主張を交え、互いに一歩も譲らない。

解決策は一つしかなかった。

 

双方が魂に刻んだ色を光として放出し、その身を変える。

紅と黄金、紅の戦士と黄金の姫騎士姿の魔法少女が対峙し、激突する。

そして勝敗は決した。当てる気のない砲撃では、真紅の魔法少女を止める事は出来なかった。

掻い潜る必要すら無く、杏子は姫騎士へと肉薄し、先端に十字架を頂いた真紅の槍を姫騎士の喉元へと突き付ける。

そこで終わっていた筈だった。

 

杏子の意思に反して、止めた筈の槍が動いた。

突き出された槍は先端を跳ね上げ黄金の少女の左目を貫き、そして巨大な槍穂が頭部を貫通した。

槍の先端には弾けた頭蓋の破片が引っ掛かり、内側から吐き気を催す黄色の脳漿がこぼれていた。

 

やめろ!と心が叫ぶが止まらなかった。

杏子は槍に力を込め、串刺しにしたまま獲物を宙に浮かせるや、槍を両手で握ると槍の切っ先を地面に向けて突き刺した。

廃墟が連なり、家屋の墓場のようなった街外れの一角で、姫騎士姿の魔法少女が地に縫い止められていた。

 

そして、彼女は気付いた。

残虐を振った杏子の口は半月を描いている事に。

痙攣する魔法少女に近付き、身を屈めて苦痛に苛む様子を眺める。

無造作に槍を引き抜き、傍らに放ると杏子は顔半分を血に染めた魔法少女の腹に尻を置いて跨った。

 

そして右手を拳に変え、腕を振り上げて降ろす。

魔法少女の剛力で、少女の繊細な顔が一撃で陥没した。

左手は細い首を握っていた。締めるのではなく、殴打によってずれ動くことを防ぐ為の行為だった。

再び拳が姫騎士を襲った。

抉れる肉、飛び散る血と骨が真紅の魔法少女を深い紅色に染めていく。

 

一通り破壊すると、暴虐の対象は僅かな起伏を繰り返す豊かな乳房に向いた。

胸の上に垂れた、黄色のリボンもまた既に赤黒く染まっていた。

それと衣装ごと、杏子の両手が乳房を握った。

 

卵の様に美しく丸い形が一瞬で変形し、握り潰した新聞のようにぐしゃぐしゃとなった。

肉の断面からは分厚く黄色い、敷き詰められた魚卵の様な脂肪層が覗いた。

そのまま指先に力を込めて、肉の内を進む。

固いものに接触し、杏子の指がそれを捉えて一気に引いた。

 

肋骨を掴んだ指により、姫騎士の胸が内側から強引に一気に開かれた。

筆舌に尽くしがたい苦痛に、姫騎士の全身が痙攣する。

開かれた奥には血で濡れた肺と鼓動を続ける心臓が置かれていた。

 

ぶちぶちと音を立てながら、胸の肉というよりも胸部自体を身体から引き剥がし、杏子は心臓に手を置くや力と体重を掛けて圧し潰した。

夥しい量の出血が生じ、少女の開いた胸を孔として滾々と血がそこに注がれていく。

血が溜まりゆく肉の孔に向けて、杏子は蹴りを放った。

何度も何度も、狂ったように。

孔の内側の臓器は完膚なきまでに破壊され、バラバラになった肺が血を吸い深紅に染まっていた。

 

それでも、黄金の魔法少女は生きていた。

杏子が再び屈み、今度は両手で首を絞める。

最早髪は黄金ではなく、黄と赤黒の汚らしい色になっていた。

杏子が彼女の首に向けて伸ばした両手と入れ違いになるように、姫騎士も腕を震わせながら両手を伸ばした。

だがその手の向かう先は、杏子の首では無かった。

姫騎士の両手が触れたのは、杏子の両頬だった。

 

「ごめんなさい」

 

潰れた顔と裂けた唇を動かして、黄金の魔法少女が告げた。

まだ血の付着していない手で、杏子の頬を優しく撫でる。

 

その両手を杏子は握った。

瞬間、繊手が全て圧し折れ無意味な肉塊と化した。

 

獣の咆哮が響いた。

口を耳まで裂けんばかりに開いた、佐倉杏子の声だった。

開いた口は弧を描いて地へと向かい、潰れた顔で微笑む姫騎士の顔に齧りついた。

 

「ごめんなさい」

 

それでも謝罪の言葉は続いた。

対する杏子は、紅の肉食獣と化していた。

ひしゃげた骨を噛み砕き、折れた鼻を齧り取り、一本残らず砕かれた歯と曳き潰された舌を飲み込んだ時、姫騎士は漸く動きを止めた。

下半身以外のほぼ全ての部分の原型を喪失した魔法少女の肉体から、上半身を赤黒に染め切った佐倉杏子が立ち上がった。

 

心の内では再び絶叫が吹き荒れていた。

かつて命を救われ、交友関係を結んだ先輩魔法少女の無残な姿を、杏子は破壊の様子の隅々までを見せられていた。

 

ははははは、と実体の杏子の声が聞こえた。

それは哄笑だった。

 

「あんたとはもう、覚悟が違うんだ」

 

口元に半月の笑みを浮かべた悪鬼の貌で、佐倉杏子は姫騎士の亡骸へと告げた。

かつて実際に姫騎士に向けて放った離別の言葉に、内心の杏子の憎悪が炸裂した。

視界は蕩けて色彩を失い、万物の輪郭が融けていく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 そまりゆく、くれないのこころ③

佐倉杏子は眼を開いた。

目覚めの気分は最悪を越えていた。

思考に渦巻く悪夢に耐えるように、杏子はこの気分を事象に例えることにした。

 

無麻酔で腹を切り刻まれ、その中から一つ一つずつ内臓を摘出され、部位ごとに丁寧に腑分けされるような。

 

そしてその様子を自分も眺めさせられ、更には延々と脳内でリピート再生され続けるような。

 

更に頭蓋を開かれて脳に電極を刺され、真紅の眼は眼窩からスプーンで刳り抜かれ、蜜柑を食するかの様に顔の皮も剥がされる。

 

人間の尊厳を完全破壊する蛮行に耐えられず、下半身からは悪臭を放つ汚物が垂れ流しになり、幼い身体が穢れきる。

 

体液と血と排泄物で汚れ切り。 

 

顔も割られて腹も内臓を抜かれて空っぽにされ。

 

脳味噌を露出させた状態で。

 

その状態で雄の群れに囲まれて手足を掴まれて抱きかかえられ、膣や尻どころか目や鼻といった全身の穴という穴を雄の肉で貫かれて抉られて、醜悪な白濁とした欲望を注がれる。

 

それが死ぬ寸前どころか、死後も延々と続き弛緩した肉体が蹂躙され続けるような。

或いは死ぬ事さえも許されずに生きたまま、明瞭な意識の下で犯され続けるような。

 

 

だがそんな最悪極まりない例えでも、今のこの気分には及ばないに違いないと杏子は思った。

そして例えそんな目に合おうとも、贖罪にはこれっぽちも足りはしないと。

そもそも贖罪に意味は無く、したところで何も変わらない。

真紅の瞳は虚無を湛え、虚ろに宙を彷徨った。

 

視界の中、上方から注ぐ光は青白かった。

ゆっくりと首を傾けると、聖人を抱く聖母を描いたステンドグラスが見えた。

そこでやっと、ここが廃教会だと気が付いた。

 

今自分が座っている場所も、いつもの寝床であると。

祭壇の上に置かれたボロいソファの周囲には食物の梱包袋が転がり、使い捨ての食器がカップ麺の容器に何本も突き刺さって放置されていた。

鼻紙や使用済みの生理用品に包帯も、赤い染みを見せながらコンビニ袋の中に乱雑に放り込まれていた。

荒れ切った教会内の退廃的な光景を前に、杏子の瞳は虚無を映し続けた。

心の中では間断なく、罪を求めて罰が騒いでいる。

 

そこに、音が鳴った。

じゃりっという、何かが踏みしめられる音だった。

 

何気なく、反射的に教会の入り口に視線を送った。

姿を認識したその瞬間、真紅の瞳が朱を増した。

瞳は赤く赤く染まり、白目部分には蜘蛛の巣の様に赤黒い血管が浮いた。

 

無気力に開き、唾液を滴らせていた口は、耳まで裂けたように開いた。

眼はギラつき、口元は半月と化した。

悪鬼の笑みが浮かぶ。

 

 

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 

 

獣の如く吠え猛りながら跳躍、そして変身。

着地の瞬間、真紅の槍が振り下ろされた。

轟音と莫大な衝撃が生じた。

 

魔法少女の操る真紅の十字槍と噛み合うのは、二本の手斧であった。

鉈の様な幅広の刃を持った、戦闘用に改造された斧だった。

 

それを握るのは白い皮手袋に覆われた、細くしなやかな手。

 

赤いシャツの上に青いジャケットを羽織り、長い脚を白色のカーゴパンツが包む。

 

交差して槍を受けた斧の間には、黒い炎の様な髪型。

 

その下の顔は、目元は髪に隠れていたが、鼻立ちと顔の輪郭だけで見ても、性別を言わなければ美少女として通用する童顔だった。

 

その姿を見た時に、杏子の心は炎と化した。

苦痛に苛まれながらも、内なる憎悪を燃やして身を焦がしながら燃え盛る炎へと。

怒りに満ちた眼で黒髪の少年を睨む杏子は、思い切り槍を振った。

 

そしてそれは少年も同じであった。

魔法少女の剛力とそれにやや劣りながらも御せる技量が衝突し、互いの身体をあらぬ方向へと弾き飛ばした。

戦場は廃教会の入り口から中央へと移り、ステンドグラスから注ぐ光が見守る中、二体の魔人が対峙する。

 

そこを動くな、殺してやると杏子は叫んだ。

 

ドス黒く渦巻く感情が、真紅の苛烈な言葉となって魔法少女の口から溢れ出す。

 

 

テメェのあらゆる死に様を考えてきた。

 

正体も分からねぇ、魔女でも魔法少女でもない、人間のマガイモノ。

 

無様に這いずれ、のたうち回れ。

 

百の残骸も残さねぇ。

 

 

唾を飛ばして叫び続け、そして。

 

 

「死ねぇええええええええええええナガレぇえええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

紅の閃光と化して杏子が突撃、同時にナガレも地面を蹴った。

黒い禍つ風となり、ヒトの形をした真紅の光と切り結ぶ。

 

再度の激突。

年齢的には幼く、こどもである筈の両者の表情は悪鬼のそれとなっていた。

鋭い牙と闘争心を剥き出しにした二頭の狂犬が、廃教会という名の同じ檻の中に放り込まれ、互いを破壊すべく争っている。

 

金属の悲鳴が鳴り響き、秒間に数十発も連打される槍と斧の斬撃が眩い火花を照らし続ける。

薄闇の下での戦闘である筈なのに、廃教会の中は光で満ちていた。

互いが打ち合わせる刃によって生じる光の中を、少年と魔法少女が跳ね、飛翔し、疾駆する。

 

数百回目の交差にて、遂に少年の得物が砕け散った。

だが杏子は勝機とは思わず、戦線から急速離脱を図った。

手持ちの武器を失ったら、アレが来る。

 

杏子が退避した空間を、長大な黒い一閃が薙いだ。

長さ三メートルに達する巨大な斧槍であった。斧の中央に開いた穴はの中には、得体の知れない球体が浮かんでいた。

 

着地の瞬間、杏子は片膝をついた。

折り曲げた左膝小僧に、真紅の液体が滴り落ちる。

斧型の魔女をそのまま振るった魔の一撃は、杏子の胸のほんの少し下を切り裂いていた。

肋骨が横に切られ、傷が心臓に至るまでは一センチをもない。

激昂しながら杏子が地を蹴って走る。

ナガレの迎撃と真っ向から切り結び、互いの身体の末端の肉を削って血を飛ばしていく。

 

真紅と黒の激突は更に激しさを増していった。

一撃一撃が、互いを死に至らしめる必殺の威力が込められ、弾かれ躱される斬撃も次の次に繋がる狡猾な罠であった。

互いの破滅に向けて、ただただ切り結んでいった。

 

剣戟の中、杏子の思考に波紋が生じた。

 

こいつは、何故死なない。

何故、怯えない。

何故、殺せない。

最後の疑問が杏子の心を抉るように掴んだ。

 

愛情なんて抱いていない。

ましてや性愛なんて持っていない。

定期的に腹から滴る血は邪魔で仕方なく、更に言えば女に生まれた事が呪わしい。

手加減なんかしていない。

そんな事はする気が無いし、したらこちらの身が持たない。

 

その瞬間、杏子の身体に衝撃が奔った。

 

「あがっ…」

 

苦鳴を挙げて杏子は宙を舞った。

その正面には、斧の先端を床に突き立て、その反動で蹴りを放ったナガレがいた。

蹴りの着弾点は杏子の顎だった。

咄嗟に背後に跳んで衝撃を幾分か逃がしたものの、顎は確実に砕かれていた。

 

バック転の要領で背後に転んで更に衝撃を逃がし、追撃に備えて槍を構えた。

その時には、ナガレは既に眼前に迫っていた。

 

耳まで裂けんばかりに開いた口には、牙の様な歯の列が並んでいいた。

例え狂いきった狂人であっても、それを見ただけで生まれて来た事を呪うような。

生命の根源に根差した恐怖を具現化したかのような。

美しいが、悪夢じみた歯並びだった。

 

それに見惚れることなど無く、杏子は槍を振った。

ナガレもまた大斧を振った。

激突の際に鳴った甚大な金属音は、女の悲鳴か絶頂の叫びに似ていた。

 

「うああああああああああああああああああああっ!!」

 

杏子の叫びと共に、廃教会の一角が砕けた。

飛び出したのは、互いの首を絞め合いながら身を絡めたナガレと杏子だった。

両者の激突により壁面が大きく崩れ落ち、両者は廃教会の外へと転がり出た。

転がりながら、互いの胴体を蹴り続けながら。

 

互いの蹴りが腹に直撃し、両手の拘束を振り切って両者は弾丸のように弾けた。

雑草が生い茂る広場の中、全身に痣と裂傷、内側は骨折に内臓損傷を多数引き起こした状態の両者が立ち上がって対峙する。

互いに荒い息を吐く姿を月光が青白く照らしている様子は、まるで月に嘲笑われているかのようだった。

 

鉄と肉を用いての闘争が止まると、杏子は急速に心が曇ってゆくのを感じた。

曇りは瞬く間に漆黒となり、無限の後悔と懊悩が心を圧し潰さんと暴れ狂う。

 

「なんでだよ…」

 

黒々とした感情に苛まれながら杏子が問う。

言い終えた時、彼女の口は血反吐を吐いた。

身体が折れんばかりに折れ曲がり、血は止め処なく溢れ出る。

それでも杏子の口は動いた。

 

「なんで、なんでテメェは死なねえんだよ!!親父も母さんも、モモも死んで腐っちまって!!マミもグチャグチャにしちまったってのに!!なんでテメェは死なねえんだ!!」

 

血を吐きながら、杏子は叫ぶ。

これまでの光景は、彼女の意識に常に鮮明に映っていた。

常に苛み続けたビジョンへの恐怖と後悔、そしてその原因を引き起こした事への永遠に晴れない自己嫌悪が渦を巻く。

 

「テメェはそんなに特別なのかよ!なんでここに来たんだよ!ここじゃない別の場所って何だよ!!!」

 

理不尽に抗うように杏子は叫び続ける。

 

 

「黙ってねぇでいつもみてぇにそっちから勝手にベラベラと喋って何とか言えよ!!!黙ってるんなら殺してやるから休んでねえで今すぐ掛かって来いよ!!」

 

 

無言。

杏子の表情は、狂人のそれとなりかけていた。

鮮明な地獄のビジョンに苛まれながら、意識を振り絞って叫んだ。

 

「何とか言えよ!言ってくれよナガレリョウマ!!!!!!!!!」

 

少年から聞き、長らく忘れていた名前であった。

それを言い終えた杏子は遂に身体を折った。

両手が地面に着き、膝も崩れて四つん這いの姿勢となった。

 

血塊が口からごぼっと吐き出たというのもあったが、感情のままに吐き出した言葉の中身に気付いた所為だった。

問い掛けは、途中から請願へと変わっていた。

それが彼女の心を更に大きく傷付けた。

 

そして幾度となく枯れ果てた喉は、再び絶叫を紡ぎ出した。

真紅の眼からは止め処なく涙があふれた。

涙はすぐに、水から鮮血へと変わった。

身を突き破らんばかりに増幅の一途を辿る感情の波濤に、先程までの激戦で傷付いた彼女の肉体が崩壊を始めていた。

鼻と耳からも出血し、全ての傷口が一斉に開き滝の如く血が流れ落ちていく。

 

「なんなんだよ…お前はよ」

 

地に伏した姿勢で、杏子は呟いた。

戦士の勇敢さは、遂に見る影もなく消えていた。

 

苦痛に喘ぐ杏子は、身に迫る足音を聞いた。

草を踏みしめゆっくりと迫りくる様に、彼女はそのままの姿勢を通した。

 

ただ傷だらけになった指は、土と雑草を弱弱しくも握りしめた。

それが彼女に出来た、最後の抵抗の意志だった。

足音はついに、彼女の傍らへと辿り着いた。

 

ただ確認をするために、杏子は顔を上げた。

そこにいた者の姿を見た時、彼女の口は小さな悲鳴を漏らした。

小さな背丈、白に黒袖のパーカー、薄い青地のジーンズ、そして腰の手前まで垂れた真紅の髪。

幼い頃の自分の姿が、顔を上げた先にいた。

 

「しってるくせに」

 

今以上に舌足らずな口調でそう言いながら幼い杏子は腰を落とし、今の杏子の目線に自分の真紅の両眼を重ねた。

そして幼い杏子は両頬に小さな両手を添えた。

姫騎士の末期を思い出し、心に絶望が滲む。

 

「わすれてるなら、おもいださせてあげよーか?」

 

親切な口調で、小さな杏子は告げた。

離れようとするも、身体は全く動かない。

彫像のように硬直した杏子に、幼い杏子は更に迫った。

 

「ほぉら、よーっく見てね」

 

友達と楽しく遊ぶように小さな杏子は言った。

向かい合う真紅の双眸、魅入られたように杏子はその眼を見た。

幼き頃の自分の眼の中に、蠢く何かが見えた。

 

再び杏子は叫んだ。

言葉になっていなかったがそれは、もう嫌だと、殺してくれと言っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 流狼竜

もう嫌だ。

 

殺せ。

 

殺してくれ。

 

もう生きていたくない。

 

何者でもいたくない。

 

消え去ってしまいたい。

 

無になりたい。

 

誰か。

 

誰かあたしを消してくれ。

 

終焉に連れて行ってくれ。

 

お願いだよ。

 

誰か。

 

誰か。

 

誰か。

 

 

 

光も闇も無く、何処でもない場所で。

 

魔法少女姿の佐倉杏子は声なき声で叫び続ける。

 

魔法少女としての精悍さや蛮勇、好戦的な態度の欠片も無く。

 

生命の尊厳を打ち砕かれた者として、死を望む哀願を叫ぶ。

 

黒髪の忌むべき少年と戦う最中に感じる、真紅の閃光の如く輝く灼熱の怒り。

 

高揚感と緊張感。

 

容赦なく与え、そして与えられる凄惨な暴力による死への渇望(デストルドー)。

 

胸の宝石に斬撃が触れかけた時に極偶に感じる、血を吐き出す事しか用途が無いはずの子宮の疼き。

 

それらの、狂おしいまでの殺戮・破壊衝動と憎悪。

生と死の欲望の円環が断たれた時に心に降り掛かったのは、過去の闇だった。

 

袋小路に陥った思考はねじくれ、そして歪み切った自棄の結論を出した。

 

日頃の闘争は全て、ぽっかりと空いた心の穴へと自己と他者の吐き出した血を集めて埋めていくような、破滅的な自慰行為であり。

 

それによりほんの一時、そして極僅かとはいえ過去の惨劇を忘れられていたと。

 

そしてそれによって自らの精神の均衡が保たれていたと感じた時、真に彼女を傷つけたのは彼女に残った最後のプライドであった。

 

家族を犠牲にして得た力で及ばず、あまつさえその存在に依存していたと悟った事が。

 

トドメとして、それを赦すことが出来ない彼女の心が。

 

まるで自らの心に無数の鉤爪を引っ掻けて、全方向から全力で引くが如く苛んだ。

 

ドス黒く染まった感情は魔法少女の心と皮膚を突き破って噴き出し、周囲を黒々と染めていく。

 

一瞬にして、世界は闇に満ち満ちた。

 

されど感情の量は減らず、抜けた分を補うように滔々と、心の底から負の感情が込み上げてくる。

 

闇の感情を吐き出した杏子が浮かべた表情は解放の安堵ではなく、永劫に代わらぬ苦痛と絶望だった。

 

幻想の中で自身の槍に貫かれた、彼女の家族と同じような。

 

何も感じない。

 

何も感じたくない。

 

 

空虚。

 

虚空。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

虚無。

 

 

消え去ろうとする思考はそれ自体が形を成していた。

 

無に、零に還ろうとするほど彼女の意識は個としての己を主張した。

 

矛盾に満ちた状態に、杏子は嗤った。

 

暗く昏い笑いだった。

 

人間が、知性あるものが、ましてや幼い少女が浮かべていいものではなかった。

 

止まらない絶望感を伴侶として共に笑いながら、杏子は思い出した。

 

ああ、あれだ。

 

自分の人生が絶対的な破滅を迎えた日から暫く経って。

 

久しぶりに登校した際に見た、小学校の教室で。

 

黒板一面に描かれていた悪意の文字と書きなぐった猥雑な落書きを見た時に。

 

呆然と立ち尽くす自分の前で。

 

級友たちは自分を意にも介さず、昨日のテレビだとかゲームだとかのお喋りで笑い合っていて。

 

遂には怒る事も泣くことも出来ず、教室を飛び出した時と。

 

確かその時も笑っていたような気がする。

 

はははは。

 

傑作だ。

 

喜劇でも悲劇でもありゃしねえ。

 

ありゃもうただの現象だ。

 

けらけらと杏子は嗤った。

 

風に吹かれた骸骨が、かたかたと顎を鳴らすように。

 

 

 

その笑いが止んだ。

 

 

 

彼女の魔法少女の感覚は、この時も鋭敏な知覚能力を保っていた。

 

無意識の内に手は槍を握っていた。

 

顔を上げた時、傍らを何かが通り過ぎた。

 

己が吐き出した絶望の渦が乱され、その場所からはぽっかりと消えた。

 

そう思った。

 

真紅の眼がそれを負った。

 

杏子は見た。

 

世界に満ちる絶望が切り開かれるのを。

 

その中を何かが進みゆくのを。

 

 

人の形をした虚無を。

 

 

闇と絶望で満ちた世界の中、それは確たる輪郭を持っていた。

 

杏子が知覚したその背丈は、百八十センチを優に超えていた。

 

逞しく広い背中。

 

筋肉の盛り上がった肩に腕。胴体、そして下半身もまた精悍さと力強さに溢れていた。

 

肉体の頂点である頭部には、靡く炎か獅子のたてがみの様な髪型が見えた。

 

虚無のシルエットは、まるで獣の様な美しさと精悍さを持った青年の姿をしていた。

 

魔法少女の超感覚と生来の勘で、杏子は虚無の姿を捉えていた。

 

それは絶望で満ちたこの世界において、別の空間のようだった。

 

虚無の青年が、杏子が全身から絶え間なく吐き出し続ける憎悪の中を歩いていく。

 

全くの無造作な足取りで、気まぐれに進む流れ者の様に。

 

まるで魔法少女を蝕む絶望は空気か、それこそ無であるように意にも介さず。

 

そしてそもそも、杏子の存在に気付いているのかどうか。

 

通り過ぎてから、どのくらいの時が経ったか。

 

青年の姿が点に等しくなった頃、杏子は立ち上がった。

 

そして歩き出し、その背を追った。

 

無を求める魔法少女は虚無に惹かれた。

 

己を破滅に導く誘蛾灯に誘われる、美しい紅の毒蛾のように。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 流狼竜②

真紅の衣に身を包んだ魔法少女が、何処とも知れない空間を歩いていく。

魔女が住まう結界とも異なる異界は地面こそ硬質の質感があったが、空間の広さはまるで不明瞭であった。

無限長の広さとがあるようにも、閉塞した空間ともとれた。

 

空間に囚われた存在が動けば、その都度伸縮するのかもしれなかった。

とはいえ、それらは今の杏子にはどうでも良かった。

 

今の杏子は思考能力自体が欠落し、ただ歩くだけの肉の傀儡となっていた。

普段は左肩に掛けられる槍は、力なく垂れた右手に握られていた。

というよりも曲がった指に辛うじて、柄が引っ掛けられていたと評する方が正しかった。

十字を頂いた真紅の槍を最後の拠り所とするように、杏子は歩いた。

とぼとぼと、杏子は歩いた。

 

真紅の瞳の輝きはくすみ、普段の炎じみた色は見る影も無い。

歩き、進む空間は闇で満ちていた。

真紅の衣の表面から、杏子の体表から溢れる闇だった。

その中を杏子は歩いた。

 

虚無を求める心は欲望に反し、明瞭な意識を以て後悔を叫び苦悩が渦巻く。

内に無い虚無を求めて、杏子は歩いた。

残穢のような僅かな光を宿した紅の眼の先には、闇の中に浮かぶ虚無が立っていた。

最初は点にしか見えなかったそれは、近付くに連れて明瞭な形となった。

 

そして遂に辿り着いた。

逞しい四肢を有した精悍な青年の姿をした虚無の背後で、真紅の魔法少女は歩を止めた。

そこが終焉であるように。

 

「テメェなんだろ」

 

ぽつりと杏子は言った。

 

「随分と見違えたけど、雰囲気だけはそっくりだ」

 

言いながら杏子は手の力を抜いた。

ごとりという音を立てて槍が地面へと落ち、そして彼女の発する絶望に呑まれて消えた。

 

「どんな方法でも構わねぇ…あたしを終わらせてくれよ……相棒」

 

身を切る様な自棄の言葉を、杏子は吐き切った。

しばしの沈黙。

その間にも杏子の体表は闇を湧かせ続けた。

両者の間にも、闇が滾々と積もっていく。

 

虚無の輪郭が振り返った。

そして無造作な足取りで、真紅の魔法少女へと歩み寄っていく。

絶望の感情に、臓物を抉られるような恐怖が這入り込む。

距離が近付く。

何か言おうと開いた口は、そのままの形で固まっていた。

そして虚無と魔法少女は重なった。

 

重なり、そして離れた。

虚無は魔法少女の身体を、何らの抵抗も無く通り抜けた。

背を向けた青年の右手へと、杏子は手を伸ばしたがそれも同じであった。

勢い余って前へつんのめり、魔法少女が無様に転倒した。

 

顔面を強打したことにより鼻を痛め、鼻孔からは血が滲んでいた。

それでも彼女は虚無を求めた。

自らを終わらせる為に、出来ることは何でもやる積りだった。

 

再び迫ろうとした時、彼女は見た。

自らが今も湧かせ続ける闇が渦を巻いていくのを。

それは虚無と魔法少女の周囲を廻り、ゆっくりと形を成していった。

そして、虚無と魔法少女を取り込んだ者達の姿は。

 

「…鬼?」

 

体格は様々だが、人に似た体型をした闇色の影が無数に生じていた。

鬼の言葉が示す通り、それらの頭部には様々な本数の鋭角が生えていた。

仲には頬や顎にも鋭角を連ねている者達もいた。

周囲を取り囲んだ者達を、虚無は見渡していた。

虚無の視界に杏子は映っておらず、ただ彼女の発した絶望が生み出した異形に向けられていた。

 

ぞくりという悪寒が杏子の背を這った。

それは周囲を取り囲んだ異形達から感じた恐怖ではなく、虚無から垣間見えた感覚であった。

この青年の姿をした者は嗤っている、そう思った。

 

雲霞の如く群がる敵に囲まれながら、処刑に等しい状況で嗤う。

こんな事が出来る生命体を、彼女は二つしか知らない。

魔法少女と黒髪の少年の二つである。

そして笑い方は後者に近く、更に獰悪さが増している。

そう思えてならなかった。

 

前触れもなく、戦端が開かれた。

鬼達は一斉に虚無へと向かった。

間の杏子の事は透過し、次々と駆けていく。

一瞬にして虚無は絶望より生まれた鬼達に覆い尽くされた。

 

その一角が弾け飛び、複数の巨体が宙を舞った。

鬼達の首は捩じれ、潰れ、そして捥がれていた。

空いた隙間から、青年の姿が飛翔した。

 

二メートルは優にある鬼達が手を伸ばしても届かぬ高さでの滞空の最中、虚無の逞しい首で何かが靡いた。

首に巻かれた布のようだった。

それは主が持つ底なしの戦意を顕すが如く逆立ち、獰猛な獅子の鬣を思わせて靡いていた。

宙に浮かぶ虚無の右脚が霞んだ。

蹴りの連打であったが、それは魔法少女の眼でも鮮明では無かった。

大柄な鬼達の頭部が易々と潰れて削られ、雄々しく伸びた角が無意味な残骸と化していく。

 

着地の瞬間、一際に大柄な鬼が伸ばした手を青年の逞しい手が迎え撃った。

がしっと掴み互いの力が籠められる。

体格にして倍近く、腕の太さは三倍にもなる力比べは一瞬で終わった。

巨体の鬼は膝を折って身体を崩し、組み合った手は鬼の頭部に落下した。

圧搾から殴打へと切り替わった一撃は、影で作られた分厚い筋肉と骨格の鎧を難なく破壊し沈黙せしめた。

 

その様に、威嚇の様に牙を剥き出しにしていた有象無象たちが一斉に動きを止めていた。

退くことも進むこともせず、ただ彫像と化したかのように静止している。

 

ちら、ちらと虚無の青年は首を小さく左右に振った。

そして軽く顎を引いた。

鬼達と同じく動きを止めた杏子にはそう見えた。

そしてその動きは嘲りであると彼女は見た。

 

無数の数を有しておきながら、何故掛かって来ないのかと。

普通の思考なら、この機に撤退を行うだろう。

だがこの青年の姿をした者は、真っ向からやり続けるようだった。

最後の一匹を仕留めるまで。

 

「ならこっちから行くぜ」

 

鬼の形を取った絶望の中に泰然と立つ青年は、そう言っているように見えた。

それが異形の精神の均衡を崩したのか、鬼達は一斉に地を蹴って走った。

鬼達が取り囲むよりも、跳ぶように走った青年が鬼の集団を襲撃する方が早かった。

 

鉄拳が機関銃の如く勢いで放たれ、大きく弧を描いた蹴りは断頭台の威力を伴い複数の鬼の身体を破壊した。

人間の赤ん坊や幼児程度の大きさのもの達が飛び掛かったが、蹴りや頭突きで破壊される。

 

異形相手に人の姿をしたものが、暴虐を振い続けるという異常な光景。

魔法少女である杏子には見慣れた光景でもあったが、素手で振う暴力として見るとこの光景は非現実感があった。

 

青年を背後から仕留めるべく、多数の異形が迫る。

鉄拳を振った虚無の横顔が、背後をちらりと見た。

そして、彼の右手が背後に流れた。

流れた時、黒々とした鬼達の姿は、水に溶けた墨汁の様に分かたれていた。

首が肩の肉をこびり付かせて地に落ちる。

 

筋肉が隆起した腕の先にある逞しい五指が握る、虚ろな形状に杏子は見覚えがあった。

 

「斧」

 

一言で済んだその言葉であったが、その形は詳細は異なれどこの数か月で嫌というほど眼にしてきたものだった。

サイズとしては大して大きくはなく、柄と刃の部分を合わせても杏子の槍の穂程度の大きさも無い。

あくまで手の延長、少し届かない先の敵を滅するための武器といったサイズだった。

だが青年の姿をしたそれが振るう斧は、明らかに刃の長さを上回る物体を切断し、砕き、千切っていく。

迫り来る影を、一網打尽に叩き伏せて斬り刻み続ける。

 

切り伏せられた絶望は既に百を軽く超え、先に滅ぼされた者らも含めれば更に数は莫大なものとなっている。

倒れた者達は絶望の黒い闇と戻り、再び鬼とはならなかった。

但し、絶望はそれで消えはしなかった。

形を失った者達は、黒い靄となって青年の周囲に渦となって纏わりついた。

怨恨と怨嗟を伝え、呪うように。

 

それらは青年の戦闘の余波に巻き込まれて霧散していく。

だが直ぐに、倒れた者達が後に続いて呪詛となる。

終わりのない殺戮には、絶えない憎悪が伴侶として寄り添っていた。

 

ああ、こいつは。と杏子は思った。

呪詛を浴びながら殺戮を続ける虚無の様子に、杏子はある事を確信していた。

 

こいつは、これを繰り返してきたのかと。

 

殺戮に次ぐ殺戮、闘争に次ぐ闘争、破壊の先には破壊があり、地獄の先にもまた新たな地獄が待つ。

 

魔法少女が吐き出していく絶望を糧に描かれる異界の光景は、その再現の戯画であると悟った。

少年の姿を取っている者から冗談半分に聞き出した事が、記憶と混ざって産み出された光景がこれなのだと。

それでもきっと、この光景は嘗てあった事であり、そして延々と続いていくことに違いないだろうと杏子は見た。

 

立ち塞がる者の全てを蹴散らし圧し潰しつつ。

果ての無い戦いを、飽きもせずに続けていく。

怨嗟の海と憎悪の沼に身を浸しながら、一歩も引かずに前へと進む。

何も救いがなく、そして求めるものも何もない。

破滅と退廃が織りなす世界だった。

 

 

その時頭頂から股間までを斧の一撃が一閃し、巨体の鬼を二つに裂いた。

そして動くものは絶えていた。

怨嗟の海に浮かぶ孤島の様に、虚無の青年は立っていた。

その輪郭は、視線を天に向けていた。

そこもまた闇が蟠っていた。

 

天に溜まった闇は、そこで新たな姿を取った。

杏子も空を見上げた。

闇が何かの形を成していくのは見えた。

 

だが、その形成は異常であった。

何が出来ているのか分からず、そして大きさの際限が存在していなかった。

絶望の闇は天を埋め尽くし、更にその奥まで分厚く層を成していった。

この光景が嘗て何処かであったものを再現しているとすれば、それはつまり、天空ないし世界そのものを敵に回したということか。

闘争の日々を送る魔法少女ですら、想像が付いていかなかった。

 

「…で、どうすんのさ」

 

杏子は聞いた。

心を苛まれながらも、答えが無いとしても聞かずにはいられなかった。

言葉を発して数秒、青年の姿を取った虚無は闇が広がる空の方向に向けて走った。

風を巻くような勢いで走り、飛翔する勢いで跳躍する。

魔法少女にも引けをとらない運動能力で行われたその様は、天に舞い上がる竜を思わせた。

 

飛翔した先で、青年の姿が消えた。

魔法少女の眼でも鮮明に映らぬ何かと、青年の姿が重なるところだけは見えた。

絶望の闇が広がる空の中に向けて飛ぶ、三つの虚無を感じた。

三つの虚無は一つに重なり、そして一つの巨大な虚無と化した。

杏子に向けて背を向けて飛翔する、その形には見覚えがあった。

 

絶望の闇を切り取る虚無の輪郭は、嘗て相棒が描いた落書きの中で見た、手足の生えた鉄塔の姿に似ていた。

猫の様な耳、または鬼の角の様なものが生えた頭部が妙に印象的だった。

 

「あの野郎…」

 

呻きながら、天へと挑む鋼鉄の虚無を見上げながら杏子は言葉を紡ぐ。

 

「見た目変わっても…今と全然変わってねえじゃねえか…イカレてやがる」

 

絶息の苦痛に苛まれながら、呆れの言葉を吐き出していく。

そこには、掠れた笑い声が伴っていた。

 

絶望を蹴散らす様に勇気を貰った訳でも、ましてや励まされたなどでもない。

ただ自分と比べた訳では無いが、これほど救いようのない存在がいた事には苦笑を抑えられなかった。

 

負の感情も相俟って、笑い声は陰鬱さを帯びて昏くなっていく。

魔法少女が嘲笑う中、飛翔する巨体は天に広がる絶望へと触れた。

光とも闇ともつかない、それこそ虚無の波濤が迸り、そして全てを飲み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 真紅たち

天に広がる絶望の塊へと、鋼鉄の虚無が飛翔していく。

逞しい人型を象った背中には、翼と思しき外套が広がっていた。

一瞬にして空の彼方へと昇り詰め、虚無は絶望へとその身を触れた。

 

瞬間、そこから何かが迸った。

光とも闇ともつかない何かが。

それは天を覆い、天と地の間も埋めて地に立つ杏子の下へと怒涛の如く到来した。

視界全てがそれで満たされる中、杏子は口を開いた。

 

「ありがとよ」

 

これで終わりだと杏子は思った。

結果として、あの青年の姿をしたものは彼女の望みを叶えてくれたのだと。

 

「じゃあな、相棒」

 

そう言い終え、彼女は何かの中へと消えゆく筈だった。

だがアイと言い、ボウと言い始める途中で、彼女の襟首が何かに掴まれた。

 

「ぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅっ!?」

 

予想だにしない現象に、言葉を紡いでいた口は叫びを放った。

叫ぶ魔法少女の身体は背後に引かれていた。

後ろを振り返ったその瞬間に浮遊感。

そして激突。

 

「うぎゃっ」「痛っ」「てめぇっ!」「この馬鹿!」

 

悲鳴に罵声が連なり、杏子は仰向けに倒れていた。

木目の浮いた天井と照明が見えた。

困惑する杏子。

その下、正確には彼女の背中の下から這い出す複数の気配を感じた。

細い腕と柔肌と布の感触がした。

そのどれもに、そして先の声にも彼女は身に覚えがあった。

振り向こうとした時、

 

「どうりゃああああああああああああっ!」

 

視界を猛然と横切る人影と叫びを聞いた。

赤く長い髪をポニーテールで纏めた女が急いでガラス扉を閉じ、その前に棒状の物体を突き刺す光景が見えた。

棒の先端には、赤い淵の丸に斜めの朱線が奔ったマーク…道路標識が取り付けられていた。

 

「こっからは通行止めだよ。一昨日来やがれってんだバカヤロウ」

 

ガラス扉の向こうに溢れる異次元の色彩を前に、赤髪の女は中指を立てて叫んだ。

黒い長袖のTシャツと青のジーンズを履いた女は、佐倉杏子の顔と声をしていた。

但しその身長は杏子よりも十センチ程度高く、身体の各部、特に尻や太腿の辺りが成長していた。

顔付きも少女の面影を残してはいたが、成長した女の顔となっていた。

年齢で考えれば、今の杏子よりも十以上は歳を重ねた風貌に見えた。

 

次の瞬間、杏子は跳躍していた。

天井のすれすれを飛翔しながら槍を召喚。

咆哮を放ちながら、自分と同じ顔を持つ女へと真紅の十字を突き出した。

美しい女の顔へと吸い込まれる寸前、その鋭利な穂を女の繊手が軽々と捉えた。

穂の根元ではなく、全てを貫く魔槍の穂自体を素手で平然と掴んでいる。

 

「んなっ!?」

「おお速っ。やっぱアタシだ、血の気が多いったらありゃしねえ」

 

片手一本で槍を捉え、その先にいる杏子を宙に吊るしながら成長した杏子の姿をした女は言った。

宙ぶらりんに吊られた杏子はその状態で足掻いたが、縫い止められたようにその槍はビクともしなかった。

女は手をゆっくりと下げ、杏子の両足を地面に置いた。

地面、というよりも床にはベージュ色のカーペットが貼られていた。

 

「誰だ、テメェ」

「あたしはアタシさ。あんたと同じ、サクラキョウコだ」

 

ああ?と激昂する寸前、彼女の背後で

 

「あたしも」「あたしも」「アタシは年長さんだ!」「うっせぇよ、テメェら」

 

と複数の声が鳴った。

声の強弱や幼さと言った違いはあったが、全てが同じ声だった。

恐る恐ると、杏子は振り返った。

苛立ちと苦痛で覆われていた杏子の顔に、唖然とした表情が広がった。

 

積み木や木で出来た車の玩具が転がった床の、傍らに置かれたテレビを囲うように配置された椅子に複数の赤髪少女が座っていた。

普段着の杏子と、隣町の制服を着た杏子、見覚えのある赤ジャージをだらしなく着た杏子。

そしてこれは明らかに幼女としか思えない体躯の杏子がいた。

幼い杏子は先の制服を小型化したような服を着ていた。さながら幼稚園の制服と言った風貌だった。

 

振り返っているのは幼い杏子のみで、他の杏子は魔法少女服の杏子を見もせず菓子を食みながらテレビ画面を注視していた。

杏子達によって見えにくいが、今時滅多に見なくなった分厚い旧型テレビにはオープニングと思しき映像が映っていた。

 

赤いスカーフを首に巻いた黒いライダースーツ風の衣装の男、禿頭で黄色の鎧に似た衣装を纏った大柄な男。

白衣を着た女、厳めしい顔の白髪の老人が、機械的な趣の廊下らしきものに消えゆく光景が映っていた。

一目見ただけだが、杏子にはこいつらが揃いも揃って、まともな人間とは思えなかった。

悪鬼のような連中が消えた後、画面内に炎が渦巻いた。

渦巻く炎は文字の形を取り、画面に広がった。その瞬間、

 

「あのさ、これは閲覧禁止って言ったよな」

 

何時の間にかテレビの傍らに立っていた年上の杏子、キョウコがテレビの電源を指で消した。

チャンネルは無いのだろうか。

当然のように、キョウコ達は一斉に声を挙げた。

 

「何しやがるこの年増っ!」「保護者面すんじゃねえ!」「おい、たつひといねえじゃねえか!」「あー、うぜぇ」

 

一斉に喚き始めるキョウコ達。

年上キョウコが最初の二人をぶん殴り、幼女の頭を撫で、無害なジャージキョウコを放置する。

 

蚊帳の外へ置かれた杏子は、とりあえずその光景を眺めることにした。

この秒単位で正気度を削る地獄めいた光景も、自分への罰なのかと彼女は考え始めていた。

 

「いいじゃねえかよ。面白いんだから」

「このアニメの主役連中は社会不適合者のダメ男三人組で、他も危険人物ばっかりだ。こんな不健全で暴力的なアニメ、少なくとも観る時はアタシに隠れて観な」

 

叱りつつも割と柔軟な姿勢を見せ、年上のキョウコは諭した。

そしてテレビの前へと屈んだ。

そこには随分と前に発売されたゲーム機が置かれていた。

ゲーム機の背後から線が伸び、テレビの背面へと消えていた。

ボタンを操作して中に入れられていた円盤を抜き、何処からか取り出した別の円盤を挿入した。

 

「だから代わりにこいつを観な。善良な公務員二人が繰り広げる愛と勇気が勝つ冒険譚(ストーリー)だ」

 

立ち上がり言ったキョウコは何故か誇らしげだった。

杏子は何故か嫌な予感がした。

何故かは分からなかったが。

 

一瞬の内にロードが完了。

画面内に映ったのは金属光沢を放つ物体であった。

ほんの一瞬のフラッシュバックの様なビジョンであったが、それは髑髏を模したような、悪魔じみた鉄仮面に見えた。

白魔が漂うような霊峰が映ったと見るや、吹き荒ぶ雪の中に晒された、今度は本物の髑髏が見えた。

風に揺れ、笑っているような髑髏に複数の閃光が突き刺さり、死者の尊厳を無視するかのように破壊する。

 

砕け行く骸骨の後に映ったのは、視聴者から見て顔の左半分を炎と化した男の顔。

初見だけでもまともではないと思える凶悪な面構えだというのに、それに加えて更に獰悪な笑みを浮かべていた。

次に映ったのは、右半分を氷の如く冷淡な青に染めた美青年。

こちらも纏った雰囲気は尋常ではなく、人を殺すために造られた機械の様な冷酷さが伺えた。

暴力という言葉を具現化したような映像には、メタル調の音楽が悪霊の様に伴っていた。

 

唖然とするキョウコ達。

物語は始まってすらおらず、オープニング映像の始まりだというのに幼いキョウコに至っては泣き叫んでいた。

ただ年上のキョウコだけが、(比較対象を杏子としての)大きめの胸の前で腕を組み、眼を閉じながら満足げにこくこくと頷いていた。

 

その様子に杏子は溜息を吐いた。

それは、鉛のように重かった。

 

「ああ、そっか分かった」

 

軽く言いながら、杏子は膝を着いた。

祈るように両手を重ねると、手の間に魔力を生んだ。

それは真紅の槍穂となった。

 

「自分で死ねってんだな。そうだよな。最初からそうすりゃよかった」

 

喉元に突き付けた槍の先端へと杏子は堕ちる様に首を傾け、両手もまた喉を目指した。

 

 











目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 夢の終焉、目覚めの原初

柔らかな照明が降りる室内に、ぷんと香ばしい香りが漂う。

察した赤髪少女達が一斉に匂いの根源へと顔を向ける。

そこには、身の丈に近い高さの配膳ワゴンを手押しする魔法少女姿の杏子が立っていた。

 

「ほらよ、アンパン焼き上がったぞ」

 

各層にびっしりと敷き詰められたものを早速一つ食べながらそう言った。

 

「食う!」「焼きたてを逃してたまるかってんだ」「アタシ、おおきくなったらこうむいんになるっ」「あたし茶ぁ沸かしてくるわ」

 

口々に言いながらキョウコ達が餌食に群がり、また飲み物の用意に奔走していく。

その数は十人を越えていた。

配膳と恐らく調理も担当していたキョウコの紅い眼が室内をちらと見て、一点で止まった。

 

「おい新入りの狂犬。アンタも食うかい?」

 

投げ掛けられた言葉の先には、これもまた魔法少女服姿の杏子がいた。

しかしその風体はやや異常であった。

首から下、それこそ爪先までを鎖で雁字搦めにされているのである。

 

鎖の端は壁に立てかけられた複数の槍の柄に繋がっていた。

それは杏子の槍と同じギミックではあるが、彼女のそれが真紅一色の十字槍であるのに対し、壁の槍の柄は柔らかな金色であった。

槍穂も赤のラインが内側に入った巨大な二等辺三角形の刃であり、どこか矢印を思わせたりと形状がまるで異なっていた。

偽物かなと、縛られている杏子は思った。

あるいは自分がそうなのかもね、とも。

 

「一個くれ。ついでにこれ取っ払ってくれ」

 

「もうバカな真似しねぇんならな」

 

「やっても無駄って分かったのさ」

 

自死をすべく喉へと向かう刃が柔肌に触れるよりも早く、全方位から飛来した鎖が彼女を拘束。

無傷のまま捕獲していたのだった。

 

「手間かけさせんなよ」「精一杯生きろ」「あたしのツラでんな顔すんな」

 

と口々に励ましとも愚弄ともつかない言葉を受け、杏子はうぐぐと喉を鳴らした。

自分ではないが自分としか思えない連中の言葉は、頬ではなく心に容赦ないビンタを放っていた。

 

配膳係が周囲に目配せをすると、アニメを視聴中の連中が軽い頷き、挙手などで許容を示した。

最後に年上のキョウコに尋ね、「離してやりな」の一言を合図に杏子の鎖を解き放った。

身動きは出来なかったが、身に降り掛かる締め付けは強くはなく、解放後は特に苦痛が無かった。

暴力行為ではあったが、危害を加える気はなかったらしい。

 

ほらよと渡されたアンパンを、あんがとさんと杏子は受け取りがぶりとやった。

焼きたてのパン生地の宿した芳醇な香ばしさと生地の柔らかさを喰い破ると、中に満たされた餡子の甘くほろ苦い味が口の中に広がった。

ここ最近、血の鉄錆臭さと塩辛さ、と吐しゃ物の腐敗感と酸味しか捉えていなかった舌には些か強過ぎる刺激でもあった。

 

「久々に食ったな、アンパン」

 

「美味いかい?」

 

「ああ、ていうかマジで美味いよ。それこそパン屋が開けそうだ」

 

「まぁ実際、あたしの本業はパティシエだけどね。賄いと趣味も兼ねてで店長に覚えさせられたんだ」

 

「ふうん」

 

二口目をやるとアンパン一つが杏子の体内へと消えた。

遠慮もせずにもう一つを手に取り齧る。

短い遣り取りだったが、杏子も大分慣れてきていた。

或いは単に自棄っぱちになっているだけかもしれないが。

 

「テメェは食わねえのか」

 

早くも三個目を食べながら、杏子はリーダー格であるらしい年上キョウコに尋ねた。

その問いに困った顔をしながら、年上キョウコは「これも飲みな」とペットボトルに入った茶を差し出した。

ラベルには『カフェインZERO』と書かれていた。

見覚えがあるような無いようななパッケージだったが、杏子は気にせず封を切って一気に煽った。

ZEROの表記が、妙に太字だったことも特に気にならなかった。

渇いた身体に、琥珀色の冷えた茶が一気に染み渡る。

 

「アンパンていうか、アタシはあんこ苦手なんだよね。苦い思い出があってさ」

 

「ふーん」

 

「まぁそのお陰で今の自分がいるから、なんともって感じなんだけど」

 

「へぇーえ」

 

体に沁みる水分の感覚を愉しむ杏子の返事は適当そのものだった。

対する年上のキョウコの視線は彼方を泳いでいるようだった。

込み入った事情があるらしい。

壮大なストーリーを連想させたが、杏子は無視した。

自分の事で手いっぱいだと云うのに、他人の事など気に掛ける余裕も無いし、何より何かが不吉であった。

 

それと自分の記憶の中では特にアンパン、ないしアンコに嫌な思い出はない。

強いて言えば子供の頃、綽名にされて揶揄われたくらいか。

そしてついでに、嫌な奴の事も思い出した。

初遭遇してやり合った翌日、一瞬だけそう呼ばれて幼稚な舌戦を繰り広げた事を思い出していた。

 

「はぁ」

 

杏子は溜息を吐いた。

何かにつけて、あの少年のようなナニカについて考える事に嫌気が刺していた。

 

「悩んでるね。よかったら話を聞こうか?」

 

「カウンセリングでもしようっての?」

 

「そうだね。悩み事や鬱憤は吐き出すに限る。ああそうそう、アタシは心理カウンセラーの資格もちゃんと持ってるから安心しな」

 

杏子にしては大きな胸を張りながら、年上キョウコは自信ありげに言った。

都合のいい夢だと杏子は思う事にし、それに付き合う事にした。

そしてこの時彼女の無意識は、憎悪の吐き出し先を求めていたようだ。

 

座りな、とキョウコは椅子を薦めた。

簡素な四脚鉄パイプの丸椅子に、真紅のヒラヒラ衣装の魔法少女が腰掛けた姿は中々にシュールだった。

キョウコも似たような椅子に座り、二つの真紅が向き合う。

 

「まず心配を取り除こう。その感情はあいつへの愛でも、ましてや恋じゃないと思うよ」

 

「なんで最初にそれなんだよ。バカにしてんの?」

 

「で、実際どうなのさ」

 

「無い。それは全くこれっぽっちも」

 

杏子は言い切った。

己の自我に自信を持った口調であった。

キョウコはその様子に歯を見せて笑った。

 

「素直だね。何にせよ、欲望には忠実な方が良い。人生それが大事だよ」

 

そう語るキョウコは悪戯っ子の様な表情だった。

成長したような感じとは言え自分と同じ顔の女が浮かべた表情に、こんな顔何年もしてねぇなと、杏子は思った。

 

「で、どうよ。他の奴に話した気分は」

 

「すっとした」

 

「そうそう。人に感情を吐き出すのと独りで愚痴るのとじゃ違うだろ」

 

「欲を言えば、思うとかじゃなくて全否定してほしかったけどよ」

 

「そりゃ無理だ。アタシはあたしじゃない。あんたにアタシの気持ちが分かるかい?何考えてるのかとかさ」

 

「無理だね」

 

「因みにあいつへのヘイトだけど、呉キリカと比べたらどうよ?」

 

思いがけない名前を聞き、杏子は露骨に嫌な顔を浮かべた。

 

「いきなりその名前を出すんじゃねえよ。まぁあの陰キャ雌ゴキブリと比べたら世の中の大半は善人で、あのクソガキも少しはマシになるだろさ」

 

「酷い言い様だな。アタシはあの子の事嫌いじゃねえんだけど」

 

「テメェ、本当にカウンセラー?その一言であたしはあんたに不信感を持ったぞ」

 

「人の好き嫌いは様々なのさ。あの子はあれがいいね、白に黒の色彩とか手から生やす斧とか。それと意外とカッチカチで装甲が分厚いところに親しみを感じる」

 

「好きになる要素がすっげぇ気持ち悪いな。あいつと喧嘩してみろよ、その特徴全部が嫌いになるぜ」

 

「その受け取り方は様々なのさ。だから無限に可能性があるし、あんたも何にだってなれるんだ」

 

「…いい話っぽく締めるなよ。意味分からねぇんだけど」

 

呆れながら杏子はアンパンを齧った。

これは既に十個目である。

 

「とりあえずアンタの為に言うけど、あの厄介者はほっぽり出した方が良いと思う。引き取り手には心当たりがあるんだろうしさ」

 

肉食獣が餌食を食い千切る様にアンパンを食み、杏子は一瞬動きを止めた。

不愉快な存在二つを思い出したのである。

一つは万年発情期の糞道化、もう一つは戦闘狂の紫髪女である。

どちらも彼女にとっては嫌な存在だが、今回は後者へのヘイトが高かった。

思い返すと、この現状に至った片棒を担いでいるような気もするし、と。

 

「あれが敵に回るのは厄介だな」

 

食べながらそう口にする。

寂しいとかではなく、利己的な視点からの結論が出た。

咀嚼したアンパンを飲み込む際、僅かな苦みを覚えた。

それは味蕾が受け取ったものではなく、

 

「逃げるみたいで嫌だ、ってかい?」

 

的確な言葉にコメディの様に吐き出しそうにはならなかったが、彼女は茶をごくごくと飲んだ。

飲み終わった時、強引に痙攣を抑えた気道には痛みが残った。

 

「ああ。そんな気がしちまう」

 

あの存在への対抗心は、嫌々ながらも確かに今の自分を作る要素の一つであった。

それが例え、過去の惨状や行き場のない負の感情を発散するための、血で血を洗う抗争の相手だとしても。

 

「こう見えてもアタシはさ」

 

言葉の途中だが、何がこう見えてもなのかが杏子は分からなかった。

多分加齢のせいなんだろなと思う事にした。

意外と見た目より歳を喰っているのかもしれなかった。

 

「人間観察が趣味で、今まで色々な奴と、そして世界を見てきた」

 

語るキョウコの真紅の眼は、ここではない何処かを映しているかのようだった。

茫洋とした輝きは、広がる赤い海か焼けた大地を思わせた。

 

「だからあんたより、少しは世界の事を知ってる積り。だけどあいつの事はよく分からない」

 

「だろうね」

 

杏子も即答する。

本当によく分からない奴だからである。

 

「奴は一種の怪物だね、空想の怪物で例えるなら竜とかかな。竜ってさ、格好良く思えるけど実際パーツ毎に見ると結構悍ましいよ」

 

「あー…背中とか蝙蝠だしね。身体はトカゲかヘビで鱗塗れって思うと気持ち悪いな」

 

「そんな得体の知れない怪物の心を、奴は持ってる」

 

キョウコの言葉は短かった。

それだけに嘘を言っていないと察せた。

胡散臭いとは思いつつも、そう思えてならなかった。

それを語るキョウコの様子が、何処となく愉しそうなのが不気味だった。

 

「だからあんな奴の事で悩む事なんか無い。さっさと忘れて友達でも作って、それこそ恋でもしてみなよ。風見野から出てみるとかさ」

 

「…そっか。それも悪くねぇな」

 

椅子を無理矢理前後に揺らしながら、杏子は想いを馳せた。

違う光景、親しい仲間、そして年相応の他者との関わり。

室内の光景を眺めると、姿の異なるキョウコ達の姿が見えた。

互いに戯れ、喧嘩し、思い思いに過ごしている。

 

何気なくテレビに視線をやると、黒く禍々しい姿をした怪物、魔神の様なロボットが暴れ回っていた。

黒い剛腕から炎を撒いて飛翔させて弾丸として見舞い、敵と思しき異形達を粉砕する。

まるで化け物の化石の様な悍ましい形をした巨大剣を振い、異形達をズタズタに引き裂く。

二丁の真紅の銃器を振り回し無数の敵を撃ち貫いたと思いきや、その刃状のグリップを斧の様に振り回し逃げ惑う敵を血祭りに上げていく。

その様子を幼いキョウコが食い入るように見つめていた。

杏子は思わず、将来が不安になった。

 

それに、杏子はおかしなものを感じた。

そしてそれは笑いとなって、彼女の口から溢れ始めた。

未来なんてとうの昔に捨てた自分が、得体の知れない存在とは言え幼い姿の自分の将来に思いを巡らせるなど、思いもしていなかった。

周囲から見れば唐突に始まった奇行のそれに、キョウコ達も一斉にそちらを向いた。

幼子だけは、画面内で髑髏の魔神が織りなすの殺戮を眺めていた。

 

「決めたよ、目標」

 

何言ってんだこいつと、キョウコ達は互いに顔を巡り合わせた。

しかし年上キョウコの満足げな様子を見て、それに合わせるよう似た表情を作った。

即席の協調性を発揮したキョウコ達に見守られながら、杏子は口を開いた。

 

「とりあえず、生きるとこまで生きていこうと思う。もう死にてぇなんか、思ったりはしても言ったりなんかするもんか」

 

「あのクソバカはどうすんのさ?」

 

「捨てた先で何かされて、あたしにヘイト溜まると困るからね。監視下に置いとく」

 

「気が変わるの早いじゃねえか、結構チョロいんだね。それともツンデレに目覚めたのかい?」

 

「アンパン食って、テメェらのグータラで無様な姿見てたら色々とどうでも良くなった」

 

「そうかい。じゃ、快気祝いに一発殴らせな」

 

「別に、槍でもいいけど?なんなら纏めて掛ってきなよ」

 

「…あ?」

 

「あぁん?」

 

杏子に喰って掛ったのは、それまで無害を通し怠惰を貪っていたジャージ姿の杏子だった。

意外と血の気が多い個体であったらしい。

 

両者は既に互いの得物を携えて歩み寄り、額を付け合って互いの真紅の眼にメンチを切っていた。

可憐な口からは獣の様な唸り声が聞こえた。

向かい合うのは、美少女の姿をした二頭の狂犬だった。

 

互いにアンパンをしこたま食ったせいか、両者の口から漏れる臭気には甘さが伴われていた。

ただそれが場の空気を和ませる、とは一切なかった。

一秒後には、両者はこの場で切り結び室内は阿鼻叫喚に陥っていた筈だった。

 

「はい、こういう時のテンプレ的対処」

 

音も無く忍び寄っていた年上キョウコは、そう言って二人の佐倉杏子の後頭部を掴み軽く引き、そして両者の額をブチ当てた。

肉というよりも金属同士が激突するような音が鳴った。

引き剥がした時、二人の杏子の眼の中には混乱の渦が巻いていた。

石頭同士の激突は両者に相応のダメージを与えていた。

ぐらぐらと首を揺らす杏子を吊り上げたキョウコは、ふと彼女の胸の宝石に目をやった。

怪訝な表情となるや、ジャージキョウコを椅子へと放り投げると、彼女は自由になった右手を宝石の上に伸ばした。

 

「ちょっと失礼」

 

親指と人差し指を、何かを摘まむような形にし宝石へと近付ける。

爪先が触れた時、真紅の石の表面に波紋が浮いた。

表面張力の広がった液体の様にとぷんと広がり、指は第一関節までその内に入った。

内側で指先を擦り合わせ、そして何かを摘まんだ。

 

「インキュベーターめ」

 

吐き捨てると、指を一気に引いた。

女の指先には黒い靄が湧いていた。

忌々し気に手を振り、指先の物が投げられる。

壁に突き立ったのは、五本の黒く長い釘だった。

釘の表面には、澱の様な黒が滴っていた。

 

「傍に置いとくつもりなら、今度から寝る時には見張りを頼みな。そんでもって、あんなメルトダウン級に危ない奴は精々コキ使って早々に使い潰してしまえ」

 

襟首を掴んでプラプラとやるも、杏子は無反応だった。

聞こえてないな、とキョウコは言った。

まぁいいやとキョウコは言い、

 

「まはーるたーまらふーらんぱ」

 

と、舌足らずな喋り方で何かの言葉を唱えつつ、真紅の表面を優しく撫でた。

真紅の宝石の表面を均すような手付きだった。

 

「おい、そろそろ目覚めな。時間が無い」

 

「…ん」

 

ゆっくりと手を下げ、女は魔法少女を床に置いた。

真紅のブーツが踏みしめた床はカーペットではなく、黒く硬い質感の何かに変わっていた。

 

「分かってると思うけど、今あんたは結構ヤバい状況だよ。気を付けな」

 

「だからその分、ためらったりもしねえさ。全力で行くよ。どうせ迷惑被るのはあいつだけだ」

 

和やかな雰囲気だった部屋の中が、黒々と染まっていく。

時間とは、このことであるらしい。

 

黒の発生源は、佐倉杏子の真紅の髪や衣の内側であった。

彼女を侵す絶望は今もなお、滾々と湧き出ていたのである。

無惨な様子に年上のキョウコも少し言葉を詰まらせたようだった。

 

「やっぱり奴とやり合う積りか。止めたってのに」

 

「ああ」

 

「それが、さっき言ってたあんたの目標?」

 

「ああ。今度こそあいつに勝ってやる」

 

「最初の頃、奴に頭突きをかましたよな」

 

「やっぱそれもこの気分の原因か。喉でも喰い千切ってやりゃよかったよ」

 

「腹壊すからやめときな。何となく分かってるだろうけど、奴は人の形をした地獄だよ」

 

「ならその地獄ごと、あたしはあの野郎をブッ潰す」

 

「何処かで聞いたセリフだな。嫌な予測と因果を感じる」

 

「なら喰い潰すでもいいさ。あくまで例えだけどさ」

 

「奴を倒すでも殺すでも。滅ぼすでもなく、潰して喰うか。そんな事を思う奴が、果たして宇宙にどれだけいた事か」

 

「言い方がオーバーなんだよ。恥ずかしくなるからそのリアクションはやめてくれ」

 

「謙遜するな。あんたは凄いよ、佐倉杏子」

 

そう言ってキョウコは杏子の頭を、右手でぽんぽんと軽く撫でた。

若干鬱陶しかったが、杏子は黙って撫でられるがままとした。

一応、カウンセリングの例とでも言うように。

確かに気分は最悪だが、幾分かはマシになっていた。

 

「頑張れよ」「二度と来るなよ狂犬」「野菜も食えよ」「今度は一緒に新ゲ見ようぜ」「アタシ、クライベイビーがいい!」

 

そして口々に、好き勝手に様々な姿のキョウコ達が言う。

言い終えると、彼女らは自身の顔に何かを張り付けた。

 

それは丸い穴の目に半月の笑みを浮かべた、白い仮面であった。

白い仮面をつけたキョウコ達が、杏子の姿をじっと見つめる。

 

闇が部屋を満たす中、杏子と白仮面のキョウコ達だけがその輪郭をはっきりと浮かび上がらせていた。

 

「ああ、アタシはちょっと訳アリでね」

 

一方年上のキョウコの顔は、曖昧模糊とした輝きに覆われていた。

まるで、モザイクを掛けたような顔となっている。

急速に認識と記憶が薄れていく。

今の顔も、そしてどんな顔をしていたのかも、杏子には分からなくなっていた。

 

「じゃあ、これでさよならだ。思いっきりやりな」

 

「言われるまでもねぇ。徹底的にブチのめしてやる」

 

薄く嗤いながら、杏子は言った。

その顔には、それまで貼り付いていた狂気や苦痛が消えていた。

ただ今まで通りの、風見野の狂犬魔法少女の表情に戻っていた。

 

そして眼を閉じた。

ほどなくして、周囲には何もなくなったと感じた。

 

 

 

ただ、自分から噴き上がる感情と華奢な心臓が軋む音だけが聞こえた。

 

その鼓動を乱すように、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

それは叫びだった。

 

女の様な声であったが、雰囲気で男と分かる。

 

そんな声だった。

 






叛逆よろしく、妙な存在に好かれる杏子さんであった


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 マイナス10話 被検体佐倉杏子及び追記

風見野市在住の魔法少女、佐倉杏子に対する実験報告。

 

この件はもとより、魔法少女契約後長期間に置いて生存している彼女に対してその精神を探査するために行ったものである。

 

佐倉杏子は契約後、生産者及び付随物の死を目撃。

 

以降固有魔法を喪失するも現在に至るまで生存している。

 

相応の絶望を背負ったものの魔女化を回避している現状は極めて異例であり、これにより彼女の精神は人間の持つ性能とは異なる一種の奇形を発しているものと考えられる。

 

その為我々はその異常な精神を探るべく実験を提言、承認の上実行に移った。

 

嘗て別の銀河系にて行った魔法少女の生成に際し、現地の知的生命体の幼稚な精神と凶暴性を抑制するために開発した制御装置を彼女のソウルジェムに搭載したのである。

 

制御装置は地球での表現及び単位で云えば、長さにして十センチメートルの釘である。

 

これは対象の魔法少女のソウルジェム内に穿孔し、魂に着床。

 

過去の感情を魂に固定化し、心理的外傷を負った光景を無意識下で精神に投影し続ける。

 

以降は感情成分を分析しデータを収集、回収されたデータはソウルジェムの固有波長を介して地球のインキュベーターに送られる。

 

副作用として穢れの固着が存在するも、データ収集後は被検体を長期生存させる必要もないため、魔女化を誘発すべく装置は摘出せずに放置する。

 

また元より、魂に着床した制御装置を除去する方法は無い為、遠からずの内に膨大なエネルギーを獲得できる筈である。

 

嘗て使用した際は原始的な生命体であったため、一本の使用で事足りたものの、未だ精神の未解明部分が多い人類が相手である為、本数は五本を使用する。

 

使用の際に相応の苦痛が生まれることが予想される為、より高品質なエネルギーを得られる事も利点として挙げられる。

 

本人が風見野市、ひいては地球内においても相応に強力な個体である為に加工の機会は限られたものの、被検体はあすなろ市にて他個体と戦闘し負傷。

 

個体名飛鳥ユウリから受けた攻撃による状態異常効果により数日間の昏倒に陥ったため、実験が可能となった。

 

制御装置は無事にソウルジェムへと穿孔。

 

魂への着床も確認され、後日データを回収する。

 

その結果、被検体は常日頃から過去の記憶による精神汚染を受けており、戦闘及び人間社会における非道徳的行為と飲食物の過剰摂取により発散しているものと判明。

 

予測の範囲を越えない、無意味な自慰行為を思わせる結果には残念であるものの、平常時から発せられる感情量はけして少なくはなく、魔女化の際に期待が持てる。

 

苦痛は更に増し、絶望感の募りも生じている筈だが、外見上での変化は今のところ見受けられない。

 

今後、被検体の更なる絶望の蓄積に期待する。

 

 

 

追記

 

神浜市の魔法少女、里見灯火より多元宇宙論及び隣接次元の存在の提唱を受ける。

 

隣り合わせの別世界が存在するとの理論は我々から見て幼稚ではあるが、現状を鑑みれば議論に値すると考えられる。

 

我々の宇宙の熱的死が目前に迫る今、仮に隣接次元及び多元宇宙の存在を肯定するならば魔法少女を用いて解決を図る必要も考えられる。

 

突飛ではあるが魔法少女の願いを用いての宇宙の書き換え、または世界間の融合も地球人類の精神を以てすれば理論上は不可能ではない。

 

また同市では奇怪な現象が多く、鏡の結界なる特異点にも似た存在も確認されている。

 

別の世界があるとすれば、そちら側を観測し技術を接収。

 

場合によっては魔法少女を兵器化し侵攻を図る事も考慮に入れるべきではと提言する。

 

地球人の第二次性徴期の雌即ち魔法少女の条理を覆す願いと、現在観測宇宙全域を地球を除き支配下に置いた我々インキュベーターのテクノロジーがあれば、凡その障害は排除可能だと断言できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

返信

 

内容を受諾、佐倉杏子については経過観察を続け、魔女化の際には速やかにエネルギーを確保せよ。

 

但し別添の事項については、個体名里見灯火と議論を行ったが故の精神汚染の可能性が見られる。

 

場合によっては派遣した個体群の抹消を以ての処理も考慮に入れる。

 

魔法少女の性能、インキュベーターの科学力に関しては疑う余地はないものの、隣接次元の提言をするにはサンプルが不足している。

 

原因不明の因果の集積地たる見滝原市、箱庭を形成したあすなろ市諸共、神浜市の調査を続けよ。

 

また一応ではあるが、多元宇宙の存在についてのサンプルは生物・非生物・エネルギー等種類を問わない。

 

各種事例に対し報告可能と為ったら速やかに本星へと報告せよ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 虚熱空間

口の中に広がるのは、むせ返る様な塩辛さと鉄錆の香りだった。

 

「目が覚めたか」

 

女の様な声は、杏子の鼓膜と顎を震わせていた。

真紅の魔法少女の口は、ナガレの喉に添えられていた。

はっきりと言えば、彼女は彼の喉を喰い破らんばかりに噛み締めていた。

口内に広がる血肉の香りから逃れるべく、杏子は口を開いて離れた。

動きは直ぐに止まった。

開きはしたものの、彼女のすぐ後ろにあった壁にぶつかり、彼からは二十センチと離れられなかった。

 

首の肉から魔法少女の歯がざくりと抜けた後、彼の首に刻まれていた歯型には手前どころか奥歯までが含まれていた。

その結果として杏子の全ての歯は血塗れで、口内と喉には鮮血が溜まっていた。

 

「…あ」

 

吐き出そうとした瞬間、杏子は思わずそれを嚥下していた。

ごくんと鳴った音に、両者の間に気まずい沈黙が降りた。

 

「…帰ったら胃薬でも飲みな」

 

無言のまま、杏子はばつが悪そうに口を腕のレースで拭った。

薄紺色に朱が足され、黒い染みが生地に浮いた。

 

「具合悪いみてぇだな」

 

「目覚めて最初に見るのが、テメェのツラじゃね。無理ないさ」

 

「思ったよりは元気じゃねえか。安心したぜ」

 

「そう言うテメェは…酷ぇ有様だな」

 

杏子の前に立つナガレの姿は、血みどろという言葉の通りとなっていた。

緑色のジャージは全身がどす黒く変色し、破れた生地から覗く肌には黒塗りの朱線が奔っている。

元々負傷していた右目の血は乾ききり、眼窩は黒い孔と化していた。

 

彼の背後では、真紅の十字槍と斧槍型の魔女が地面に突き立っていた。

両方の刃にも無数の傷が付き、軽く触れただけで崩れそうな様相を呈している。

 

「あたしにやられたのか」

 

「ああ。凄ぇ暴れぶりだったぜ。見せたいくらいにな」

 

「それなのにあたしは無傷か。お優しいこって」

 

「俺も強いって事よ」

 

「全身傷だらけでマウント取るんじゃねえよ」

 

それもそうだとナガレは言い、笑った。

喉の傷は気道に達している筈だが、あまり気に留めた風は無かった。

 

「何時も思うけどお前は強ぇな。俺をここまでボロボロにしやがったのは…まぁ、そりゃ別にいいや。ちょっと大人しくしてろよ」

 

そう言って斧槍に手を伸ばし、中央に開いた穴の中に手を入れた。

引き抜いた指は黒い卵を、グリーフシードを握っていた。

 

「まだあったのかい」

 

「こういう時の為の予備だ。魔女は幾らでも出やがるからな、必要分をお前に渡してても結構溜まるもんだ」

 

早速取り出したものを杏子の胸元に向けた。

宝石は既に紅ではなく、光を吸い込むような黒となってた。

放出された靄も何時になくどす黒く、グリーフシードは一気に染まり切った。

 

「心配すんな。まだあるからよ」

 

指を離し、再び穴へと手を入れ二個目を使用する。

同様に一瞬にして漆黒へと変わった。

同じ動きで、再び新しい卵を添えた。

 

「おい」

 

「あ?悪いな、指先が欠けてんだ」

 

「その傷だと、あたしが齧ったか」

 

「今は気にすんな。楽にしてろ」

 

地面には既に六個のグリーフシードが転がっていた。

そして更に一つ増えた。

 

「で、済まねえな。距離感がイマイチ掴めねえ」

 

「別にいいよ。テメェなんかに胸触られようが、こんな状態じゃ正直なんとも思わねえし」

 

「そんなに苦しいのか」

 

「男には理解できない苦痛だね」

 

ナガレは黙った。

そう言われては、無意味な慰め以外に言えることは何もない。

彼女もそれを望まないだろうと、彼は思った。

話の方向を変えることにした。

 

「で、さっきの呼びかけは別の事か?何か聞きたい事でもあんのかよ」

 

「ある。変な質問だけど答えてもらうよ」

 

「ああ、言ってみろ」

 

「誠に遺憾ながら、あたしらは一緒に寝泊まりしてる訳なんだけどさ。あんたはあたしを、抱きたいとか思った事ねぇの?」

 

絶句、そして沈黙。

ナガレはその中で手を動かし、黒く染まった卵は更に二つ増えた。

 

「それ答えたら、ちったぁ気が紛れるか?」

 

脳が活動を再開し、彼は問うた。

床に落ちた卵の数は既に十二個となっている。

 

「そっち次第だね。テメェの話は何時もつまらねえからな」

 

「悪かったな。お前らと同年代の奴らと会話するなんざ、今まで滅多に無かったんだ」

 

「言い訳するなよ、見苦しい。で、どうなのさ。手足ぶった切られたのは何度もあるし、全身の骨を砕かれたなんて、何回やられた事か。やろうと思えば犯せたんじゃねえのかい?」

「お前、俺をどんな目で見てやがんだ?」

 

「見たままだよ。メルトダウン級に危険な奴。ついでにあんたくらいの歳の坊やは、そういう考えで頭一杯の猿だろうからね」

 

「なんて酷ぇ例えしやがる。ていうか、その質問の理由は何だよ」

 

二つ纏めて卵が落ちた。

これで十四個目。

 

「昔色々あったからね。あの教会で寝てた時にやって来た連中とか、路地裏やゲーセンで会った奴らとあんた、どう違うのかなと思ってね」

 

「ちなみに、そいつらは今頃生きてんのか?」

 

「さぁね。あたしらの感覚で全治三か月ってくらいにかましてやったら二度と見なくなったんだけど」

 

「それで正解だ。俺もヤクザ相手によくやる」

 

「で、そろそろ答えなよ。許してやっから思うままに言いな」

 

「そういう話は十年早え」

 

「…は?」

 

予想を超えた答えに、杏子は素っ頓狂な声を出した。

十六個。

 

「お前らがキレイなのは分かるけど、俺好みの歳じゃねえんだよ。ついでに女犯すほど飢えてねぇ」

 

「言葉を信じるなら意外と常識人なんだね。ていうかあんた、そういう趣味だったのか」

 

「年上好きで悪いかよ。バカにしたきゃ勝手にしろ。だからせめてその間は生きやがれ」

 

十七個。

 

「十年か。その頃になりゃ、あんたも少しは男らしくなるのかね」

 

「どうだかな。最近思ったけど、この身体は強くなっても成長はしてねえんだよな」

 

「何で分かんだよ、そんなの」

 

「なんとなく、気分で」

 

「あんた、多分今までずっとそうやって生きてたんだな。本当に大事な事とかよく考えて生きろよ」

 

十八個。

 

「つうか、十年後のあたしか。こっちも想像も出来ねえな」

 

「いい女になってると思うぞ」

 

「もうちょっと丁寧な言い方しろよ。ところで、あんたは叶えたい願い事とかねえの?」

 

「なんだよ急に。お前、なんか変だぞ」

 

「骨の髄から変な奴に言われたかないね。まぁこれでも魔法少女だからさ。アホで無様で救いようが無い人生を送るあんたに、少しは夢を与えてやろうかなと」

 

「好き勝手言いやがって。ていうかほんと急だな。つうか、んな場合かよ。自分の事考えろ」

 

「いいから言ってみなよ、聞くだけ聞いてやら。カウンセラーごっこってやつさ」

 

「カウン…?」

 

ああもう、おバカと杏子は思った。

二十二個。

 

「よくよく考えりゃ、あんたも変なのに好かれたりしてるからね。心病んでないかなとちょーーーっとだけ心配してみたりなかったり」

 

「で、話を聞こうってか。バカにされてるのだけは分かったぞ」

 

「バカめ」

 

「くそっ…」

 

演技ではなく普通の様子でナガレは悔しがっていた。

分かりやすい男だった。

二十五個。

 

「じゃあ決めた」

 

「早いね。ロクでもないものだろうけど言ってみな」

 

「友達になってくれ」

 

杏子は沈黙し、露骨に困った表情を作った。

二十七個。

 

「また随分と難しいの寄越すな。嫌がらせかい」

 

「そうくると思ったぜ。あと嫌がらせじゃねえよ。時々ムカつくけど、別にお前の事は嫌いじゃねえからな」

 

「言い方が正直すぎだよ、おバカ。あと知ってるか、そういうのツンデレって言うんだぞ」

 

「ああ?アヤナミみたいなのか」

 

「絶対に違うし、なんでそう思ったのか意味が分からねえ」

 

溜息、そして嘆きが漏れる。

三十個。

 

「正直、尻向けろとかヤラせろって言ってきた方が楽だったよ。ぶちのめせばいいからね」

 

「だから、俺はお前らをそういう目で見れねぇんだよ」

 

俺ロリコンじゃねえしと続こうとした言葉をナガレは飲み込んだ。

そんな単語、口に出すだけで気持ち悪いと思ったのだった。

三十二個。

 

「で、どうなんだよ。割とマジな願いなんだけど叶うのか」

 

「じゃ、とりあえず相棒から始めようか」

 

三十三個。

 

「寧ろ距離感縮まってねぇか」

 

「この場合の棒って言葉の意味はあんたは武器、っていうか兵器って意味さ。言うなりゃ、対魔法少女及び魔女用の汎用ヒト型決戦兵器」

 

「何だかんだでお前もハマってんだな」

 

「気になったから本編も観ちまった。で、あの世界の大人は現実に輪を掛けてロクなのがいねえことが分かった」

 

三十五個。

 

「なんだよ、俺まだ映画しか知らねえってのにお前そこまで観たのか」

 

「あんた凄ぇな。話の下地無しにあんなの何十回も観てたのか」

 

「この前で百越えたらしいぞ。何で知ってるのか知らねえけどキリカの奴にそう言われた」

 

「故郷の地獄の前に、お前もう病院行けよ。可能なら入院してじっくりと心を診て貰いな」

 

会話の論点は既にズレており、元の会話の体をなしていなかった。

互いのテンションや発言も、おかしいと思いつつ話題が無いためおかしいままに続けざるを得なくなっていた。

ただ珍しく、本当に珍しく、両者の交流は出来ていた。

そして、三十六個目のグリーフシードが消費された。

 

「なんだかな、今日は妙に会話が続くじゃねえか」

 

「面白いかどうかは別だけどね。まぁ明日は雨かな。或いはこの世の終わり」

 

三十八個。

 

「終わりと言えば、まだあるのかい」

 

「まだまだあるから心配すんな。もうちょい付き合え」

 

四十個。

 

「なんか、最初の頃思い出すな」

 

「どれだよ。ネカフェ行く前に斬り合った時か?」

 

「その後、あんたがキリカに半殺しにされた時さ。今のあたしみたく胸をやられてたからね」

 

「あの時か。お前の手当は助かった」

 

「胸の傷に手ぇ当てて、肋骨引っ張った時はこいつ頭おかしいんじゃねえかと思ったね」

 

「あれはクソ痛かったな。二度と御免だ」

 

「その割にはあたしには容赦しねえよな。殴る蹴るされて、何度肋骨が肉の外に出たと思ってやがる」

 

「謝ったら怒るか?」

 

「もちろん」

 

「だろうな。俺もお前の立場だったら怒るわ」

 

四十五個。

四十六個目を手に取った時、杏子の身体が震えた。

 

「寒い」

 

「待ってろ。今、火でも」

 

「待てねえ」

 

いい様、杏子が前傾した。

激突するように、杏子の額がナガレの胸にぶち当たる。実際激突だった。

いつぞやの時以上に肋骨が破壊されており、何本かが肺に突き刺さっていた。

それが更に押し込まれ、ナガレの視界は苦痛の深紅で染まった。

 

「悪い、加減ミスった」

 

ナガレは無言だった。

無言のままに手だけは動いていた。

新しいグリーフシードが消費され、地面へと落下する。

四十八個。

 

「あんたを包帯でグルグル巻きにしてた時を思い出したんだ。あんた、体温高いのな」

 

「それが、どうした」

 

青春物の一場面の様に男の胸に顔を埋める事はせず、杏子はあくまで額の一部だけを彼の胸に触れさせていた。

対するナガレは苦痛が若干和らいだのか、返事が可能となっていた。

恐らくは痛すぎて麻痺したのだろう。

 

「このまま熱を寄越しな。それと男ならちったあ喜べよ、美少女で魔法少女な女がこうしてやってんだぞ」

 

「血で汚れんぞ。あとやっぱ、お前テンション変だぞ。別に嬉しくねえし痛ぇだけだ」

 

「変な性癖持ちのマセガキが生意気ほざいてんじゃねえ。それに、あんたの返り血なんざいつも浴びてる」

 

「そういう問題じゃねえと思うし、人の好みを愚弄すんなよ」

 

五十二個。

そして同時に溜息が鳴った。

 

「お互い、可笑しなこと事やってるな」

 

「優木の糞女が見たらさぞ面白くトチ狂うだろうね」

 

ナガレは道化を思い出して嫌そうな顔になり、杏子はその様子が愉快らしく薄く笑った。

五十五個。

 

「にしても何も感じねえな。恋愛感情とか、そもそもどういうのか知らねえけど、あんたに触れててもマジで何も感じねえ」

 

「あー…どうリアクションしたらいいのか、俺もそろそろ分かんなくなってきたな。で、少しは温まったかよ」

 

「氷みてぇに冷え切ってる。あんたよくこれで生きてんな」

 

「頑丈だからな。あとやっぱりか。お前のデコの方が熱いくらいだ」

 

「お互い、こういうの慣れてねぇんだな。あたしらしくねぇったらありゃしねえ。なんか虚しくなってきた」

 

「ああ。俺も冴えない事しか言えなくて情けないったらねぇや」

 

密着した両者の間で黒霧が舞い、グリーフシードを瞬時に漆黒へと変える。

六十個。

 

「ていうか、本当にグリーフシード多いな。まだ無くならねえのかい」

 

「実はいい狩場があってな。行きつけの映画館の近くにウジャウジャいやがるんだ」

 

「あーーー…納得」

 

六十三個。

 

「それにしても、今日は随分と態度が素直じゃねえか。病気でもした?」

 

「俺なりに学んだことがあってな」

 

「学ぶか。本能のままに生きてると思ったよ、あんたは」

 

「それでも覚える事はあんだよ。そいつはこうだ。他人、少なくとも毎朝顔見る相手くらいには出来るだけ優しくしろ、だ」

 

「ああ、あの映画の影響か」

 

ぐっとナガレは呻いた。

完全に読まれていた事に敗北感を覚えたのだった。

六十五個。

 

その後も互いの不器用さと、これまでの死滅的な人間関係からのツケが廻ったちぐはぐな会話が続いた。

 

安らぎを捨てて、というよりも必要としないレベルで頑強な存在と、自分から幸福を捨て去った少女との間に安らかな温もりが生まれる訳も無かった。

それでも僅かに、微量な光でも地面が温もりを得るように人間らしい感情の波紋は生じていた。

どれだけ殺戮に明け暮れた生活を送り、破滅的な関係であったとしても、人間の楔からは逃れられない。

 

互いに瀕死の状態の中、漸く生じかけている人間らしい関係をあざ笑うように、両者の足元には黒い卵が大量に転がっていた。

それは撃ち尽くされた弾丸の様だった。

 

どれもが悍ましい黒で染められ、異形の色を孕んでいた。

そしてそのどれよりも黒々とした輝きを、杏子の胸の宝石は宿している。

 

七十個目の卵が落ちた。

魔女が生じさせた穴の中に入っていたナガレの手が止まった。

指先は何も捉えられず、ただ虚空に触れていた。

所持していたグリーフシードが、遂に尽きたのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 交わり、触れて、溢れて、尽きて、そして…  (挿絵あり)

大量のグリーフシードを収めていた、魔女の中で区切った仕切りの中はついに虚空となっていた。

瀕死の少年と魔法少女の間には、染まり切った七十個のグリーフシードが落ちている。

 

「なぁ、その黒いのは俺に渡したりできねぇのか」

 

「出来たらとっくにやってるさ」

 

相変わらず、額をナガレの胸に置いたまま杏子は応えた。

冷えた身体を温めるための、熱を求めた行為であったが彼女の額に感じる温度は氷であった。

 

「じゃあちょっと待ってろ、一狩り行ってくる。ここの奴は大物だろうしな」

 

「あんた、ほんと諦め悪いのな」

 

「それだけが取り柄でね」

 

「嫌な取り柄だな。生きてて疲れねぇのか」

 

「今のお前よりゃマシだ」

 

身を離して後退、した瞬間に彼の背に衝撃。

残った方の目で伺うと、細かな真紅の菱形の連なりが見えた。

それは視界の端から横に、そして奥と上にと流れた。

瞬く間に、電話ボックスサイズの空間が仕切られた。

内部は人間二人が行き交うのもままならない狭さだった。

 

「久々の結界魔法、っと」

 

「おい、ここから出せ」

 

「出たかったら壊して出な」

 

狭すぎるせいで、斧を振り回すのもままならない。

普段なら杏子を撃破し、魔法を強制解除するのだろうが今回ばかりはそうはいかない。

 

「ああ、分かった」

 

狭い空間を利用し、ナガレは背後に向けて蹴りを放った。

普段は魔女の肉体すら損壊させる威力があるが、今は人間の首を飛ばす程度に低下していた。

編み込まれた結界は僅かに弛んだのみで、傷の一つも入らなかった。

 

「最初の日にバトった時を思い出すね」

 

「今ならあの位のは一発で壊せるさ」

 

「悔しそうなツラするなよ」

 

更に蹴りが連打される。

弱い魔女なら絶命に至る程度の衝撃が蓄積するが、結界は揺るぎはしても傷は入らなかった。

 

「おい、いい加減やめろって」

 

応えずナガレは蹴りを続ける。

全身から滲むはずの血は既に枯渇し、代わりに薄黄色の体液が僅かに傷口を濡らすのみとなっていた。

この時も彼女の額は彼の胸に触れていた。

氷の冷たさの奥に、ドクドクと脈打つ音が聴こえた。

 

「いい加減にしろよ。このクソガキ」

 

苛立ちながら言った瞬間、蹴りによって押し上げられた結界の一部が割れた。

杏子は思わず目を見張った。

そしてちらと見えたナガレの血染めの横顔に、牙を見せた暴力的な笑みが見えた。

 

「オラァッ!」

 

弱っている筈なのに、その叫びは衰えていなかった。

蹴りを放った長い脚の奥で、菱形の結界が砕け散った。

開いた穴は、屈めれば通れそうな広さがあった。

 

「よっしゃ。これで」

 

屈めようとした瞬間、穴を菱形の鎖が塞いだ。

 

「だから、やめろって言ったんだよ」

 

背を向けたナガレに杏子は告げた。

疲労が蓄積しきった緩やかな動きのままで、再び杏子に向き直る。

向いた瞬間、杏子の額が再び胸に触れた。

こころなしか、先程よりも触れる面積が広かった。

 

「そのザマで何が出来るのさ。離れるんじゃなくてここにいろ。今はあたしと向き合いな」

「…分ぁったよ。俺の負けだ」

 

ナガレはついに折れた。

疲労ではなく、言葉の通り根負けしたのだ。

彼にしては珍しい事この上ない。

 

「気晴らしに話が聞きたい。そのくらいは出来るだろ」

 

「じゃあ何が聞きたい?つまらねえ話ならしてやるぜ」

 

「ここに来る前の話をしてくれよ」

 

「つまらねえぞ。マジで」

 

「しつこいな、それで良いって言ってんだよ。で、そん時もあんたは戦ってたんだろ」

 

「ああ。色んな奴とな」

 

「たしか鬼と陰陽師だっけ。魔法少女でもやってたの?」

 

「嫌な例えすんなよ。それと偉そうな事ほざいてた連中がいたな。神とか名乗ってた」

 

「…神か。そいつぁ流石に予想外」

 

「連中の自称だけどな。確かに金ピカだったし仏像みたいな外見のもいたな。黒い奴は気付いたら死んでたけどよ」

 

「強かったかい?」

 

「お前よりも、ちょっとな」

 

彼の語りを聞き、杏子はううんと唸った。

突拍子も無い話で、尚且つ実力を認められて、悪い気がしない…というよりよく分からない気分が添加されている。

困惑も当たり前だろう。

 

「あたし的には妄想って吐き捨てたいんだけどさ、嘘言って無さそうなのが怖いな」

 

「どう受け取って貰っても構わねえよ。実際口に出して言ってみると俺でも不思議な気分になってくら」

 

「あんた嘘言った事ねぇからな…今まであんま喋んなかったってのもあるけど」

 

ナガレの過去の話に、互いに困っていた。

まいっかと、ほぼ同時に気分を切り替える。

主に暇つぶしと、偶に訓練を兼ねての殺し合いを延々としてきただけに変な所で息が合っている。

 

「教会の娘が神殺しを拾って、しかもそこに住ませてるか。こりゃ笑える」

 

「すまねえな」

 

「珍しくしょげた声出すんじゃねえよ。冗談なんだからあんたも笑ってくれ。で、その後は?」

 

杏子の問いにナガレは言い淀んだ。

これも珍しい事だった。

 

「何だよ、神様までブッ殺したんだろ。それが言えて、なんで言えないのさ」

 

それもそうかと、ナガレは応じることにした。

彼としては言いたくは無い事であったが。

 

「俺だ」

 

「はい?」

 

「俺と戦ってた。この紛い物の身体になる前の、元のままの俺だ」

 

「自殺願望でもあるっての?」

 

硬直、杏子はしばし考えようかと思ったが、時間が無いと口早に返した。

また先程までの自分が陥っていたデストルドーからは、彼女は既に脱している。

 

「カーナビに聞いたら、へーこーせかいの別人って答えられたな。魔法少女物でもたまにあるだろ」

 

「あー、過去作品の連中出たりとか劇場版とか、あとは時間遡ったりするやつか」

 

大事な事である筈だし閃光に包まれる前に説明も受けた筈なのだが、つくづく戦闘以外は興味なさげな男であった。

また、杏子も順応が早すぎる。

これは進化と呼ぶべきなのか。

 

「そいつら、まぁ俺か。トチ狂って色んなもん壊したり虐殺とかをしてやがる。こっちはいい迷惑だ」

 

「魔女みてえだな、そりゃ嫌になら。だから殺して廻ってるってか。そんな事やってもう長いのかい?」

 

「そうでもねえよ。気分的には始めてから一年かそこらだ」

 

「それ本当?よく分かんねえけど、時間感覚とか狂ってんじゃねえのか?なんか前の学校とか学年とかの雰囲気で言う事なのかい?」

 

「大丈夫だ。俺の記憶力を信頼しろよ」

 

ナガレは自信ありげに言った。

根拠のない自信とはこういう事だろう。

 

「それが出来ねえんだってば。お前、買い物行くと毎回何か忘れるじゃねえか」

 

「今度から気を付けるよ。で、何体かは倒したな。でも死んだかどうかは分からねえ」

 

「どういう事さ?」

 

「乗ってた奴をぶった切ったり消し飛ばしても、あいつら最後には笑いながら光になりやがるんだ」

 

「そりゃ嫌だね、勝った気もしなそうだ。で、乗ってるってのはいつか落書きしてたあの鉄塔?」

 

「それだ。たまに戦艦みてえな形してたりもする」

 

「なんだそりゃ。ねえと思うけど、あの鉄塔はスライムか粘土みたいに形がコロコロと変わるっての?」

 

「よく分かったな」

 

「分かりたく無かったよ、あたしは」

 

理解が及ばない事柄のラッシュに、杏子は少し後悔を覚えていた。

もう少し会話しときゃよかったな。

一度に聞くと疲れると。

 

「顔っていや、あんたツラはいいよな。マジで美少女な顔してやがるよ」

 

「ありがとよ。全っ然嬉しくねえけど」

 

「聞いてて思ったけど、今のあんたの状況ってさ。ぶいちゅーばーってのに似てると思う」

 

「何だそれ。ゲームか?」

 

「動画配信のやり方さ。美少女のガワを着て、中身は男か女か定かでも無い奴らが喋ったり歌ったりするやつさ」

 

「あー……近いかもな」

 

「そこは否定しろよ。よく考えてりゃ、あんたの陥ってる状況って笑えねえな。ちょっと可哀想になってきた」

 

「ちょっとか」

 

「憐れんで欲しいのかい。凄く、とっても、凄まじく可哀想とでも言って欲しいと?」

 

「憐れみはいらねえけど、気分的にはそんな感じなんだよ。でも元の俺にもちょっと似てるから余計ムカつく」

 

「人生の悲哀を感じるね」

 

そこで一旦話は途切れた。

同時に吐かれたのは溜息だった。

 

「不毛だね」

 

「ああ」

 

「会話じゃなくて、あんたって個体の存在がさ」

 

「あ?パシャって水になれってか?」

 

「そこまでじゃねえけど、そうでもしねえと救われ無さそうだな。生きててしんどそうだよ」

 

「別に救いなんざ求めてねえよ。俺は好きで今の生き方やってんだ」

 

「救う気もねえし、出来ねえよ。あたしら魔法少女は人を幸せにするようには出来てねぇんだ」

 

ま、精々このくらいかと杏子は言った。

あん?と呟いた言葉を遮るように、彼の右頬に杏子の手が触れた。

四本の指の腹が、顔の形を確かめるように添えられている。

 

「なんだ、この手」

 

「憐れすぎてね。せめて人の温もりを与えてやろうという気紛れさ」

 

「寒いんじゃなかったっけか。この手熱いぞ」

 

「ああ、あれウソ。悪いね」

 

ナガレは困惑していた。

やや居心地も悪そうであり、そして落ち着かないらしい。

 

「おい、俺は別に鬱んなってる訳じゃねえ。シンジ君じゃねえんだからよ」

 

「お前があんな繊細な訳あるかよ」

 

「こう見えても俺の神経は繊細って、前言わなかったっけか?」

 

「あんたが繊細なら、魔法少女なんていう面倒くさいイキモノはこの世にいねえよ」

 

「やっぱお前、いつもと態度が違いすぎてちょっと怖ぇぞ」

 

「いつものあたしらは殺し合ってばっかりじゃねえか。それが平気で今が怖いってぬかす、あんたのがよっぽど怖いね」

 

「本当にそう思うか?」

 

「バレたか。正直あたしも今のこの雰囲気が絶妙に居心地悪い。さっさといつもの調子に、ロクデナシ同士の平凡な日常に戻りてえよ」

 

「ああ。そんでさっさと忘れちまえよ、こんなつまんねえ話」

 

「大丈夫さ、寝たら忘れるから。あんたの事憂うほど、あたしも余裕はねえからね」

 

玩ぶように、彼の頬に触れた指が動いた。

 

「ほんと、もう余裕がねえ」

 

繊細な指の先で、乾いた血が割れて、赤黒い欠片が散った。

胸の宝石は、それよりも黒くなっていた。

 

「さっきのだけど、友達になりたいって願い事は考えとくよ。ついでにあたしのも聞いてくれ」

 

「何だ。俺の命でも寄越せってか」

 

「ああ、そうだよ」

 

「そうすりゃお前は助かるのか」

 

「少しは逡巡しろよ」

 

杏子は顔を上げた。

真紅の眼の先にあった黒い瞳は、嫌になるぐらいに強い意志を湛え真っすぐに杏子を見ていた。

その様子がサマになりすぎていたので、杏子は軽く鼻を鳴らして笑った。

 

「キリカがよく言ってるけど、テメェは主人公って感じがする。これは皮肉じゃねえよ、褒めてるのさ」

 

「御託はいい、俺は何をすりゃいいんだ。どうすりゃその色を消せる」

 

「なぁに、簡単さ」

 

微笑みながら杏子は語る。

彼女の内で繋ぎ止めていたものが、一つずつ解れ始めた。

 

あたしと戦え。いつもみてぇに血腥く、容赦もなくさ

 

平然と告げた杏子。

それが彼らの日常であるためか、言葉には一切の澱みがない。

ナガレが口を挟む前に、次なる言葉を紡いだ。

 

「認めたくないけど、あたしらは似てるな。でも似てるけど全然違ぇや」

 

「当たり前なことぬかすんじゃねえ。お前はお前で、俺は俺だ。どんなツラになろうがよ」

 

「良い事言うね。改めて踏ん切りが着いたよ」

 

「何だと」

 

嫌な予感が彼の胸を刺した。

そして、杏子の胸から闇が溢れた。

 

「杏子!!」

 

叫び、手を伸ばした彼の身体を闇の奔流が弾き、狭い結界の奥まで押し遣った。

頬から離れた杏子の手が持っていた熱は、急速に冷えていった。

闇は赤い結界に触れ、結界は音も無く弾けた。

杏子から溢れ出した闇は濁流の勢いとなって鏡の中に広がっていった。

濁流の直撃に、ナガレは斧槍を地面に突き立てて絶えていた。

溢れた闇の水位は、彼の胸元まで達していた。

 

「さっき言ってたよな、自分の事を紛い物って」

 

荒ぶ闇は鏡を砕き、それどころか空間にも罅を入れていた。

虚空の中、砕けた空間は鏡となり、溢れる闇が異界を汚染してゆく光景を無限に反射し続けた。

そして魔の力で反射される闇の色は、黒では無かった。

極彩色の色を孕んだ黒とでもいうような、悍ましい色となっていた。

 

「じゃあ、あたしも見せてやるよ。ちょっといい事思い付いてね」

 

廃教会で彼が言った台詞の意趣返しを、異形の闇の源泉となった杏子は告げた。

 

ああそうかと、膨らみゆく絶望感の中で杏子は気付く。

非現実じみた存在とは言え人の身で魔に抗う存在に対し、僅かに抱いていた感情を。

垣間見た絶望の戯画から、それは確信へと変わっていた。

 

無限地獄に等しい世界を、眼の前の全てに喰らい付き、屠り進みゆく男の姿に感じたものを。

自覚したそれは、彼女の内で荒れ狂う力の拠り所となった。

 

彼女の中で渦巻く絶望感に変化は無い。

それでいて、急速に変化しつつあった。

絶望が形を成す、その方向へと。

 

闇を噴き出し続ける杏子の下へ、ナガレは斧槍を突き立てながら進んでいった。

彼女の名を呼ぶ叫び声は、闇の濁流でさえ掻き消せなかった。

そのせいだろうか。

一瞬、闇が途切れた。

 

「行くぜ相棒。あたしなりの、本気の紛い物を見せてやるよ…ナガレリョウマ」

 

言葉を言い終えた瞬間、極彩色を孕んだ異形の闇が彼女を再び内に宿した。

今までの穏やかな表情は幻影であったかのように、そう告げた杏子の顔は他者の血肉を啜り、怨嗟の声を枕に眠る狂犬の顔となっていた。

ナガレの、彼のよく知る顔に。

 

己から際限なく吐き出される激情が渦巻く中、杏子の意識は一つの名を聞いた。

嘗て彼が道化に尋ねた言葉が、ほんの少しだけ聞こえていた彼女の脳裏に、この時蘇っていた。

 

知らぬ方がよいものを。

 

そして、触れぬ方がいいものを。

 

この世にあらずの、真に邪悪なるものの名を。

 

身を切り刻む絶望の中に浮かぶ杏子の口が、亀裂の様に開いた。

 

八重歯を覗かせ、彼女はその名を口にした。

 

獲物を見つけた獣の様な、獰悪な微笑みを浮かべながら。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲッター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てを奪う者の名を。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 紅黒く醜く淫らに強く

極彩色を孕んだ闇が、鏡の異界を蹂躙する。

異界の至る所に点在する用途不明の、家具や建物を模した無数の物体が呑まれその中に没していく。

波濤は留まるところを知らずに広がり、濁流が異界を汚染していく。

 

魔法少女から溢れ出した闇に身を浸しながら、黒髪の少年は前を見ていた。

彼の身体は喉元まで闇に呑まれ、全身の傷を闇が孕んだ感情の波濤に舐め廻されていた。

それは魔法少女の身ならず、精神ある生命体が触れて良いものではなかった。

含まれた感情は対象の肌や視覚を通して他者へと触れ、その精神を穢し尽くす。

脳裏には地獄めいた光景が延々と投射され、内心に秘めた罰が叫び出し、その心を絶望へと突き落とす。

 

「杏子」

 

魔法少女が抱えた地獄のビジョンを垣間見ながら、ナガレは呟いた。

地獄よりもなお昏い場所から、滔々と湧いてきたような声だった。

声は怒りに満ちていた。

怒りの矛先は名を呼ばれた少女に対してではなく、その言葉を発した彼自身に向けられていた。

杏子を蝕み尽くしたこの感情の発露に対し、彼は何ら無力であった。

 

斧を立てて濁流の中立ち尽くす彼の背後から、凄まじい衝撃が降り注いだ。

何処までも広がった闇の波濤が反転し、舞い戻って来たのだった。

闇は鏡の結界を削り、建造物を噛み砕き、そして複数の血肉あるもの達をも巻き込んでいた。

偽りの生命を喪失した異形の天使たち、建造物に用途不明のオブジェや割られた鏡の地面も波濤に組み込まれたまま上昇していった。

それは異界に生じた、逆さまの大瀑布。

 

そして果てしない高さへと達し、その頂点にて闇が蠢いた。

全体と比べれば僅かな、それでも河川に等しい量の闇を残して闇の本体は宙に吸い上げられていった。

天の如く広がった闇は急速に収束していった。

収束の果てに出来たものは、縦も横も直径が百メートルを優に超えた、卵に似た赤黒い何かであった。

極彩色を内包したそれの形状は、ソウルジェムに似ていた。

卵型の表面を覆うように伸びた装飾は、元と同様に卵を抑える檻に見えた。

 

その上を更に、卵の下部から這い上がった無数の管が包んでいく。

管の色は血のように赤く、その光景は獲物に群がる無数の蛭か蚯蚓を思わせた。

蠢く管によって卵が締め上げられる様は、鼓動を続ける心臓にも似ていた。

その鼓動が不意に停止した。

 

めりめりと肉が引き裂けるような音を立て、巨大な卵の正面に亀裂が入った。

中央に生じた亀裂は縦に広がり、裂けた傷口からは毒々しく黒い紅が吐き出された。

それは闇の波濤に蹂躙され尽くした異界の中に、滂沱となって降り注いだ。

闇に埋もれ、地に立ち尽くす少年が見上げる前で、卵は一つの形を生んだ。

亀裂の内から顕れたものを。

 

紅を吐き出す傷口をこじ開ける、人間に酷似した形の手と五指を彼は見た。

卵の輪郭の横幅全てを使い限界まで押し広げられた時、闇の卵は千々と砕けた。

そして闇の破片が散る中、それは舞い降りた。

着地の瞬間、異界が號と震えた。

それが持つ巨大質量と、異界の中でなお異質な存在を受け入れたが故に。

 

膝を折っていた巨体が、ゆっくりと立ち上がる。

闇の流れに浸る彼の姿は、それが落とす陰によって完全に覆われた。

それは、四肢と頭部を備えた巨体。

全体的なシルエットは人間に似ていた。

 

五指の先端には鋭い爪が生えていた。

塔を思わせる脚の膝は、巨大な鋭角で覆われていた。

赤黒い装甲で覆われた両腕からは、緩い弧を描いた三本の刃が生えていた。

六角形に似た角ばった頭部には、二本の巨大な角が生えていた。

それら全て、その身体に生えた鋭角の全ては槍穂を思わせる形状をしていた。

 

巨体を染めた色は、自らを宿して弾けた闇と等しい漆黒と燃え盛る炎の様な真紅の輝きを宿していた。

それら二つの色が交わり、その全身は臓物の如き赤黒い色となっていた。

 

その姿に彼は見覚えがあった。

ここでは無い宇宙。

彼の故郷である異界で生まれた、この世界には無い邪悪な光を動力源として稼働する究極の殺戮兵器。

 

「紛い物って、そういう意味かよ」

 

潰れた肺腑から絞り出すようにナガレが言った。

既に幾筋もの罅が入った、牙のような歯が食い縛られていた。

魔女の皮膚さえ貫き、魔法少女の武具にも形を刻む歯が骨肉に喰い込む。

怒りの形相のままに彼は巨体を見上げる。

 

彼の知る限り、この兵器としては比較的整った顔立ちが口元から横一門に引き裂け、亀裂となって開いた。

開いた隙間には、無数の槍穂を思わせる長い牙が連なっていた。

牙は桃色の歯茎から生え、牙の奥には赤く艶やかな舌までが生えていた。

 

四十メートル近い巨体は身を屈め、そのおぞましい顔を少年の前に向けた。

槍穂の様に鋭いガラス状の目の輪郭には、真紅の少女の面影が宿っていた。

砕けたような線が入った瞳の無い二つの真っ赤な眼の中に、そこを見上げる黒髪の少年が映っている。

 

「なんだよ。感想を言えってか……似合わねえぞ」

 

今日、二度目の言葉であった。

切って捨てるように言った瞬間、マガイモノが吠えた。

聞くものの記憶に一生残り、生まれて来た事を後悔させるような異形の叫びだった。

 

吹き荒ぶ咆哮を浴びつつ、ナガレはマガイモノの姿を見た。

全体的な形状は口の牙を除けば本物と酷似していたが、その体表はまるで別物だった。

真紅の表面は重金属の冷たい光沢と、体内を切り裂いて広げたような肉襞と粘膜の生々しさと、甲殻類や骨を思わせる質感で出来ていた。

それらが蕩けるようにして交わり、無数の縫合や傷跡、溶接痕のような繋がりで結合し強引に束ねられていた。

だがその無惨な様相は固定されておらず、赤黒い表面を無数の蟲が這いずる様に蠢いていた。

それは彼の知るどの機体よりもグロテスクで痛ましく、粘液の滴る粘膜を晒したような淫らさと獰悪な表情からは欲望を有した卑しさが滲んだ姿だった。

 

「甘い香りがするな。林檎か、これ?」

 

尋ねるようにナガレは呟いた。

マガイモノの口内から溢れた臭気は、彼が告げた果物の香りのそれであった。

 

「お前林檎好きだよな。俺には一個もくれなかったけどよ」

 

普段の様に、ナガレの口調に変化は無い。

 

「あの無人販売所、随分儲かったろ。お前お得意様の筆頭だろうからな」

 

ただ、眼の中に渦が巻いていた。

 

「でもよぉ、毎回買い占めんのはやり過ぎだと思うんだよな。しかもそれ俺の眼の前でやるか、普通?」

 

そして変化は彼の足下で生じていた。

彼の周囲に広がる闇が彼の下へと噴き上がり、黒風となって集まっていった。

彼の右手が握る魔斧が魔法少女が吐き出した闇を集めていた。

そして中央の孔から柄を伝い、彼の手へと闇が這っていく。

繊細な歯形を刻まれ、欠損していた指の先端に闇が凝固し指先となった。

 

腕から胴体に向かい、無数の切り傷に闇が侵入する。

折れた骨や筋線維が繋がれ、傷付いた神経が闇を媒介にして接続される。

 

闇は全身に広がっていく。

狂乱する魔法少女に喰い漁られて喪失した肉を闇が埋め、胸や腹の傷口から強引に体内へと這入ってゆく。

傷口から啜られた血液も、魔法少女が吐き出した闇を代替として彼の中へと満ちていく。

それは治癒でも再生でもなく、強引な修復とした方がいい有様だった。

傷口は全て、溶接で埋めたような無残な傷跡となっていた。

魔法少女の指で抉られた右目には漆黒の泡が立ち、その中から新たな眼球が形成される。

漆黒から生まれた眼に宿る瞳は、闇や漆黒よりもなお黒かった。

 

「悪ぃな。まだ付き合ってくれや」

 

そう告げつつ、彼の右手は全力で斧を握っていた。

斧は震え従順を拒否していたが、彼の力の方が上だった。

 

体表を這う闇が弾け、彼が身に纏った緑のジャージを変容させていく。

自他の血を吸って赤く染まっていた衣は、異界の酸素に触れて黒へと変わっていた。

その赤と黒の混じった色のまま、彼の衣服は普段のものへと変わっていった。

ジャケットと長袖のシャツと、カーゴパンツを纏っていた。

 

「待たせたな杏子。この前鏡ん中でウヤムヤになっちまった時の続きといこうや」

 

斧槍の切っ先をマガイモノの顔へと突き付け、挑発的な笑みを浮かべてナガレは言った。

斧の震えは既に絶えていた。

諦めた、或いは己の運命を受け入れたか、怯え切っているのだろう。

 

互いに普段とは異なる様相で、されど何時ものように殺し合う。

戦闘開始の理由は、いつもは特に無い。

 

単に暇だからとか。

 

魔法少女アニメの再現がしたいとか。

 

癇に障ったとか。

 

挙句は空が青いから。

 

そういった破滅的な、理由にもならない理由で主に魔法少女側が開戦を提案をし、戦闘好きな彼も平然と応じる。

今回異なるのは、普段が脅迫や一応の名目上は訓練という事ではなく願いを叶える為の行為という点だった。

双方にグロテスクな赤黒い色を纏いながら彼は、ナガレリョウマはマガイモノへ、佐倉杏子へと告げた。

マガイモノの身は紅の比率が多く、彼は黒地の衣服の所々に紅が浮かび上がっていた。

互いの色を最後の拠り所とするように、二体の悪鬼が睨み合う。

 

「そのマガイモノを切り刻んで、お前を抉り出してやる」

 

渦を巻いた異形の眼と斧槍の切っ先が向いた先。

魔法少女が産み出したマガイモノの胸元だけが炎の様に鮮烈な紅の光を放っていた。

苛烈にも程がある言葉は、そこに向けられていた。

 

そして彼の言葉に彼女も応えた。

マガイモノが異形の咆哮と共におぞましい口を広げ、槍に酷似した爪が生え揃った両手を振り下ろす。

ナガレも魔獣の叫びを挙げ、魔の斧槍が旋回する。

黒い刃が紅の斬撃を真っ向から迎え撃つ。

 

戦いが始まった。

いつものように。

それでいて非日常的に。

 

悪夢の様に。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 紅黒く醜く淫らに強く②

轟音に爆音、怒号に咆哮が木霊する。

地面と大気は常に震え、どこからか飛来した、砕けて散った鏡の破片たちは地面でかたかたと笑うような音を立てていた。

その一つを、黒い安全靴が踏み潰した。

相応の硬度を有していたはずなのに、それはスポンジのように音も無く潰れていた。

潰れた破片の上に、その加害者である小柄な人影が降りていた。

人影は宙を飛翔し、林立するオブジェや建造物を蹴って撞球の様に上昇していった。

 

地上五十メートルの高みに到達するまで、三秒と掛からなかった。

その場に身を躍らせたのは、黒く赤く染まった私服を着たナガレだった。

宙に舞う彼の周囲には無数のビル群が立ち並んでいた。

壁も窓も、全てが鏡で構築された水底を思わせる色をした異界の建造物だった。

 

正確には彼の背より奥が、であった。

彼の視線の先、彼がここへ来るまでにあったもの、彼の視線の先には建造物どころか平坦な地面が消失していた。

崩れ落ちた物体が堆積して山を成し、地面には無数に亀裂が入り、まるで地獄へ続くかのような裂け目を形成していた。

 

そして既に建造物よりも高い場所にいる彼の上に、巨大な影が降り注いだ。

異界に破壊を成したものの姿が生み出した影だった。

 

それは肉と機械が蕩け合わさったようなグロテスクな装甲で身を覆った、異界の兵器のマガイモノ。

真紅の魔法少女の絶望が産み出してしまった、忌まわしき姿。

身長百六十程度の少年と、全長四十メートル近い巨体との対峙は冗談を越えて悪夢の光景となっていた。

 

「行くぜ杏子ォォォオオオオオオオオオ!!」

 

名を叫びながらナガレは斧槍を振った。

彼が流した血と、魔法少女から溢れた異形のエネルギーによって生成された赤黒の私服を纏って幅広の黒斧を振うその姿は、贔屓目に見ても悪魔の姿に近かった。

対するマガイモノの外見もまた、地獄に住まう悪魔でさえも身を背けかねない醜悪で痛ましい姿だった。

魔法少女が顕現させた異形が吠え、獰悪そのものの顔で剥き出しになった無数の牙の全てが傾斜し、切っ先を彼へと向ける。

 

旋回する斧、突き出される槍。

無数の槍と斧槍が交差する。

 

斧が槍を逸らして切断し、槍が斧の腹に激突し一瞬にして無数の火花が散った。

斧が織り成す物理的な防御を突破し、数本の槍がナガレへと向かう。

それぞれが心臓と腹と頭部を串刺しにすべく体表に切っ先が触れた瞬間、肌と槍穂の間に紅の光が生じた。

拳大の六角形の紅光が、槍の前進を阻んでいた。

 

その停滞も一瞬であり、槍は即座に障壁を貫通した。

だがそれより一瞬早く、彼はバク転の要領で宙を舞っていた。

足場となったのは、障壁により停滞していた槍穂状の牙だった。

 

滞空の最中、彼は左手を突き出した。

普段は白く、今は剥き出しになった内臓の如く赤黒い色と化した皮手袋で覆われた手は黒光りする物体を握っていた。

それは彼の外見での年齢、凡そ十三から十四歳程度の年少者が持つにしては異質であり、今の現状を鑑みればあまりにも無力な、何の変哲も無い拳銃であった。

暇つぶしと申し訳程度の地域貢献を兼ねて趣味的に行っている暴力団や半グレ等の抹殺の折、永久に拝借した得物の一つだった。

 

四肢切断や内臓の破裂どころか、惨殺死体や焼死体状態からも平然と蘇る魔法少女や、文字通りの化け物である魔女相手にはほぼ何の役にも立たない無意味な鉄塊はしかし。

彼がジャケットの背部から取り出した瞬間から魔力を纏い、引き金を絞った瞬間にはその姿を大きく変えていた。

掌とさして変わらない大きさだったそれは、彼の腕に匹敵する長さの銃身と魔力を孕んだ弾丸を詰めた、丸い弾倉を備えた異形の機関銃と化した。

 

「喰らいなっ!!」

 

一瞬の内に変容したそれの引き金を絞ると、銃口からは破壊の申し子たちの産声が上がった。

 

マガイモノの顔面に無数の弾丸が突き立ち、次々と破裂していく。

放たれた弾丸の一発一発には黒い斧の面影があり、肉襞と金属を思わせる異形の装甲に突き刺さって炸裂。

肉片と甲殻が弾け、硬質な金属が破壊に抗う。

 

無数の弾丸は一発一発が精密射撃の精度を持ち、槍のように伸びた牙の根元である桃色の歯茎を正確に射抜き破壊していった。

しかしマガイモノはたじろぎもせず、その両腕を高々と掲げた。

両腕の先にある爪を有した五指同士が組み合わさり、岩塊の如く巨大な拳が形成される。

 

「ちっ」

 

吐き捨てつつ、ナガレが牛の魔女に命じて退避を促す。

魔女の浮遊能力を利用し、戦線からの離脱を図った。

背中を魔力で引っ張る様なイメージを浮かべると、魔女は彼の望みを叶えた。

だが後ろに弾けるように飛んだ瞬間、マガイモノの巨体は彼の背後に回っていた。

この巨体でありながら動く速度は彼と大差がなく、それどころか魔法少女の機動力を有していた。

回避は不可能とみて両腕を掲げて防御の体勢を取った瞬間、飛燕の速度で拳が落下。

 

直後に天より降りた黒い流星は複数の建造物を貫き、地面に激突し直径二十メートルに達するクレーターを生んでいた。

深く広い円周のクレーターの中央には、長い手足を投げ出して仰向けに倒れたナガレがいた。

彼の背で、赤い燐光が舞っていた。

 

「ぐぅ…」

 

魔女に発動させたダメージカット、通称ダメカを全力展開したものの流石にこの衝撃はかなり効いていた。

牛の魔女は即座に治癒魔法を全開発動、主の負傷を魔力が強引に修復する。

 

破裂した内臓が高熱で繋がれ、裂けた肉が歯か牙で強引に無理矢理噛み潰されて癒着されるような苦痛が全身に広がる。

狂わんばかりの激痛で真っ赤に染まる視界で彼が下した自己判断は、まだこれからだという闘志の発露であった。

 

そこに向け、間髪入れずに赤黒い拳が放たれた。

拳はその軸線上にある複数の建物を、砂上の楼閣のように容易く貫いていた。

隕石の如くクレーターに突き刺さりその面積を倍加、どころか周囲一帯に激震を走らせ地面を陥没させた。

 

蜘蛛の巣のように這う亀裂の上空、地面から噴き上がった破片の中に混じり、少年の姿は宙にあった。

拳が地面に突き刺さる数瞬前に跳ね起き、地を蹴って跳んでいた。

魔女の力を借りて跳躍し宙で斧を振りかぶった先には、異形の後頭部が聳えてた。

 

振り下ろし様、ナガレは異形の外見をつぶさに見た。

自分の知る機体と比べ、かなり細身で手足も人の輪郭に近かった。

有機物と無機物が混じったような異形の装甲の分だけ人体よりは太かったが胴体にはくびれが浮かび、その身体の形には見覚えがあった。

マガイモノも彼に気付き、横顔をこちらに向けた。

 

「笑えねぇな」

 

思考を打ち切り、吐き捨てながらナガレは斧を振り下ろした。

顔面に突き刺さる筈の刃は、飛燕の速度で飛来した左手で受け止められた。

皮手袋に似た質感で覆われており、巨体に相応しい巨大な指が生えてはいたが、その形はどう見ても女性の手を連想させる繊細さが見受けられた。

 

斧は人差し指に命中した。

彼の感覚は最初に肉の柔らかさが感じ、次いで金属の感触を覚えた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおりゃあっ!!」

 

内に湧いた生理的嫌悪感をブチのめすようにナガレが叫び、斧を思い切り引いた。

巨大で繊細な形状の指が纏めて切り裂かれ、四本の巨大な塊が宙を舞う。

真っ黒な断面からは、汚泥の様にどろりとした闇が零れた。

魔法少女を苛む黒色は尚も溢れ、巨体の隅々に行き渡っているらしい。

 

指を切断したナガレは、そのまま下方に向けて飛んだ。

魔女に命じ、背中を魔力で蹴り飛ばす要領で加速する。

目指した先は槍穂の様な装甲で守られた膝部分、その背後であった。

 

「もう一丁!」

 

音速に近い加速を身に宿したまま、ナガレは横薙ぎの一閃を放った。

人体同様鍛えられない膝裏を切り裂き転倒を誘発。

四肢を破壊し行動不能にし、その間に巨体を解体するしか今の彼に打つ手はない。

 

魔女の力も載せた一閃は通常の魔女なら一撃で屠る威力が乗せられていたが、その斬撃は虚空を切った。

間合いを誤った訳でも、ましてや外した訳でもない。

接触よりも前に膝関節は外れ、自ら隙間を生んでいた。

生じた隙間がずれ、その断面が蠢いた。

死んだ獣の毛皮の内側で、肉を漁る蛆虫の様に。

 

無数の丸い点が断面を埋め尽くしたと見えた瞬間、それは泡のように弾け滂沱と溢れ出した。

 

「白丸っ!?」

 

滞空する彼の前の様に広がったものの形を、彼はそう評した。

溢れた赤黒い闇が取った姿は、キュゥべえと自称した獣を連想させる小動物然とした姿だった。

だがその手足は全て槍穂を思わせる鋭角と化し、人間の子宮に酷似した形状の顔には、無表情な眼はそのままにマガイモノ同様の悍ましい口が開いていた。

卵巣に似た耳の先にある指状の器官の先端には爪が生えており、全体的に見て吐き気を催すほどに醜悪な姿となっていた。

 

一瞬の内に生じた異形は彼の背後へも回り込み、その数は細菌を思わせる膨大さとなっていた。

それらが一斉に口を開き、ナガレへと襲い掛かった。

水平ではなく縦にされた魔斧が迎撃し、弧を描いて振り回された斧の腹への激突で百体を超える異形が体液を散らして粉砕される。

生じた隙間へ、彼は異形を蹴り飛ばして飛翔した。

大半の牙と爪を空振らせたが、それでも数十体の獣たちが彼の背に貼り付き衣服や肌に爪と牙を立てた。

動きが停滞した瞬間を狙い、残りの獣たちも彼へと迫り彼の姿は蠢く赤黒の中へと消えた。

 

 

「しゃらくせえ!」

 

背中の獣たちの牙が肉に埋もれた瞬間、ダメカを全開発動。

生じた障壁が獣の口に炸裂しその頭部を消し飛ばし、その衝撃を魔女が増幅し彼の体表を通じて群がる獣へと襲い掛かった。

まるでポップコーンの生成のように獣の顔や胴体が弾け、外見同様の赤黒く汚らしい飛沫を放って四散した。

だが彼も更に負傷し、牙が立てられた全身からは出血。

獣から噴出した汚液が赤黒い衣に更に色を足した。

 

「確かにそいつは分散するけどよ、こりゃねえだろが」

 

ようやく着地し、凄惨さを増した血染めの姿でマガイモノを見上げながら彼は愚痴った。

切り結んでから数十分が経過していたが、有効打に欠けていた。

魔女の中に積載した銃火器は未だに大半が残っていたが、マガイモノの動きが素早く使う機会が限られる。

そして距離をとれば、普段であれば…。

 

「やべぇ」

 

そう思考を過らせた彼の眼前で、マガイモノは右手を広げた。

まるで挨拶でもするように、無造作な様子だった。

仲が悪すぎてロクに見た事がなかったが、それだけにやりとりを行った記憶は鮮明に残っていた。

 

真紅の魔法少女の繊手の面影を宿した五指が広げられると、指の表面から無数の紅が連なった。

それは四方八方に伸びて着弾、更には着弾地を基点に爆発的に増殖。

地面に建造物に、一瞬にして広大な範囲に連なる真紅の菱形が刻まれた。

 

そしてマガイモノは手を握り込んだ。

破砕されていた歯茎は既に再生し、それを突き破りながら無数の槍穂を思わせる牙が生え揃う。

新生した口元は嘲弄を浮かべているように見え、元の姿の少女の眼付の輪郭に酷似した眼も挑発の形を浮かべていた。

 

こればかりは、混じりっ気なしの真紅をした鎖状に連なる菱形は、彼の周囲と地面を紅に染め上げていた。

菱形はナガレを中心にした場所を取り囲むように敷かれていた。

 

「いつも思うけどよぉ、杏子。やっぱお前強過ぎるぞ」

 

一斉に発光を強め、異界の一角が紅の色に染まり切る。

真紅の結界の中央に立つ彼も当然、その光に染まる。

それはまるで、祭壇に捧げられた贄を舐め廻す巨大な獣の舌を垣間見たような光景だった。

 

「ZEROの野郎を相手にしてた方がよっぽどマシだ」

 

牙の様な歯を見せながら、彼は何故か満足げな笑みを浮かべた。

単純に、強いものは好きなのだろう。

 

一際眩く光が発光したその瞬間、菱形の一つ一つが一気に炸裂した。

真紅の光は同色の十字を頂いた槍と化し、全方位から彼に向って殺到した。

 

無数の真紅の毒蛇に群がられるが如く、異形の槍衾が押し寄せる。

それは彼の存在を完全に消し去るが如く、空間を埋め尽くすように。

無数の槍が乱舞する様は、紅の風が渦を巻いているようにも見えた。

 

その時、鈴の音の様に美しい音が鳴った。

それを皮切りにして、殺到していた槍が次々と切断されていく。

空間が開かれ、その中央に立つ者が姿を見せた。

 

ナガレは全身に更に傷を負い、生きているのが不思議な有様となっていた。

歯を食い縛られた口の端や、槍によって裂けた頬からは黒い煙が湧いていた。

 

「悪ぃな杏子。俺は諦めが悪いんだ」

 

言い終えると、砕いた破片を飲み込んだ。

それは胃に達する前に煙と化し、彼の内へと吸い込まれた。

魔法少女の絶望を吸った魔の卵を噛み砕き、溢れた魔を彼は魔女の力を介して己の力に変えていた。

脳を切り刻み、そうして生じた無数の隙間に直接記憶を流し込まれるような感覚が、彼の精神に灼熱となって爪を立てる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!!!!!!!!!!」

 

怒りが凝縮された咆哮だった。

少なくともそれは、魔法少女の絶望に屈した自棄の叫びでは無かった。

最後の最後まで足掻き生きようとする、飢えた獣の叫びだった。

咆哮に含まれた怒りとは、理不尽に対するやり場のないものと、そして異形の力に頼った彼自身に向けられていた。

 

それさえも力に変えて、彼は走った。

自らへ殺到する槍の大群を足場に跳び、行く手を遮るものは全て切断し、身に触れるものは更に出力を上げた障壁で弾きながら。

槍の大群の破壊と死に物狂いの走破はマガイモノの予測を超えていたのか、巨体の動きは鈍かった。

勝機と見た彼は一気に跳躍。

群れを成す槍と同色の光が灯る胸元へ、跳躍の威力を乗せた蹴りを叩き込み巨体を大きく揺るがした。

肉襞に甲殻が弾け、生物で云う骨格を形成する金属が大きく歪む。

 

そしてナガレは両手で魔斧を握り、紅の光の下へと全力で叩き付けた。

肉が波打って引き裂け、光の上に縦一文字の傷口が開いた。

傷口からは真紅の光が溢れ、血みどろとなった彼を更に赤く染め上げた。

 

「待ってろ。今」

 

力の反動により虚脱感を覚えながら、彼は再び斧を振らんと構えた。

その瞬間、彼は背後へと振り返った。

 

空を切って飛翔する物体を、彼の感覚が捉えたのだった。

それは虚空を切って飛来する真紅の十字槍であった。

斧で弾くか回避するかと思った刹那、彼の左手は掲げられていた。

 

「!?」

 

意図せぬ行動に驚きつつ、彼は掌にダメカを発動。

紅の障壁が展開され、槍の切っ先が激突する。

嫌な予感が胸を刺したその瞬間、障壁は微塵と砕けていた。

砕けた瞬間、彼の胸を目指していた槍は衝撃で上を向いた。

そして。

 

「ぐっ…」

 

僅かな苦鳴と共に、血と肉が弾けた。

首を捻って躱したものの、槍の十字部分の端が彼の左目を抉り取っていた。

 

「おい…これ、まさか」

 

自分で行っていながら自分の意思と外れたような不可解な行動と不運、そして見覚えのある場面。

不吉な予感が脳裏を過ったその時、彼は背後によく知った気配を感じた。

振り返るより早く、彼の血染めの胸を少女の細くしなやかな手が嘲弄するように撫でた。

繊手に宿るのは、炎の様に熱い体温だった。

 

「お前っ!!」

 

後ろに顔を向けかけて叫んだ瞬間、手が触れていた胸に衝撃。

勢いのままに圧され、マガイモノの胸へと彼の背が激突した。

肉々しく不愉快な質感が彼の背に不快感を刻むが、彼にはそれを味わう余裕は無かった。

 

「がはっ…」

 

彼の口からは黒血が吐き出され、胸も血に染まり切っていた。

十字の真紅槍が、彼の胸に深々と突き刺さっていた。

 

「なんの…これしき…」

 

心臓を外れてはいたが、彼は瀕死の重傷に追い込まれていた。

苦痛のままに見上げた先に、無数の槍が飛来する様が見えた。

 

血染めの咆哮を上げ、彼は斧を傍らに放ると両手を突き出した。

伸ばした手先には先の拳銃が握られ、これもまた機関銃へと姿を変えた。

飛来する死の流星へむけ、彼は重火器を放った。

無数の弾丸が無数の槍を撃墜してゆき、空中に紅の破片が千々と散りばめられていく。

 

彼の周囲、即ちマガイモノの胸や胴体、それどころか全身には既に百本を超える槍が突き刺さっていた。

槍はビルや地面に展開された菱形の結界から放たれていた。

巨体に比べて槍は小さいとはいえ、自らごと刺し貫く戦法には彼への憎悪と狂気が感じられた。

 

胸からの大量出血により視界が霞んだその時、彼の右肩を槍が射抜いた。

関節を砕かれ機能を喪失し、機関銃が手から滑り落ちる。

気にせず残った左腕で連射を続けるが、一本、また二本と槍が弾幕を抜けて飛来した。

 

「あぐっ…ぐぁ…」

 

槍は腹と左脚を貫き、彼の身が完全にマガイモノへと固定された。

身を動かそうとするが、十字部分が肉に喰い込んでいてびくともしない。

銃器を離して左手で脚の槍を抉り抜くべく手を添えた時、彼は槍の飛来が無い事に気が付いた。

見上げた先には飛来する槍は無かった。

代わりに、視界の端から迫り来る巨大質量があった。

 

「杏…子…お前…マジかよ…」

 

血を吐き出しながら言葉を紡ぐナガレの胸の前へと、ゆっくりと流れていったそれは超が付くほど巨大な槍だった。

嘗てキリカを焼き尽くした際に杏子が放ったものと同型且つ、更に巨大化させた十字槍だった。

巨大化を果たした理由は簡単だった。

マガイモノにそれを握らせる為である。

 

「正気か…お前…」

 

喘鳴の様な声に、彼の背後にいるものは気配で返した。

 

あったり前だろ。血腥く、容赦なくって言ったじゃねえか

 

返ってきたものを言葉にすればそうなるだろうと、彼は受け取った。

血を吐きながら彼はそう思った。

 

マガイモノは手慣れた様子で槍を旋回させ、穂の近くを両手で握った。

そしてその切っ先を自身の胸に、そこに突き刺さった少年へと向けた。

 

「やるじゃ…ねえか…佐倉…杏子」

 

虚ろとなりゆく視界で、彼は真っすぐに槍を、己の破滅を導くものを見据えていた。

最後の力を振り絞り、ナガレは傍らの斧槍を手に取った。

 

逃げ出す格好の機会だと云うのに、牛の魔女は素直に従った。

これが死した彼を喰う為なのか、或いは情が湧いたのかは分からなかった。

ただその様子に、彼は血で汚れ切った歯を見せて小さく笑った。

 

「来いよ…杏子。勝負と行こうじゃ…ねえか」

 

確実な破滅を前に、彼は最後とは言わなかった。

そしてその願いをマガイモノは、佐倉杏子は応えた。

 

腕が可動域一杯に伸ばされて槍が引かれ、そして思い切り手前へと引かれた。

それは明らかに、自分への被害さえも度外視した力が籠められていた。

 

迫り来る圧倒的な存在を前に、それでもナガレは斧槍を振った。

口から鮮血を吐き出しながら放った咆哮は、生物の奏でられる音とは思えなかった。

まるで架空の生物の様な、例えるならば、瀕死の竜が最期に口から放った紅蓮の炎を思わせるような。

それは、そんな叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那の後、咆哮が迸った。

マガイモノが放つ、異形の雄叫びだった。

だがそれは、勝利の歓喜に満ちたものではなかった。

 

彼がいた場所には、不自然な程に丸い円を描いた陥没が生じていた。

陥没と言うよりも空間が消滅したとでもいうように、異形の装甲は滑らかな面を見せて消えていた。

 

ぽっかりと空いた穴の奥では、紅の光が輝いていた。

人型の輪郭と、頭部にある二つの光点は溶鉄の如くぎらついた光となっていた。

 

槍を握るマガイモノの手が震え、異形の口が牙を全開にしながら叫びを放ち続ける。

その叫びには、少女の絶叫が重なっていた。

異形の咆哮さえも塗り潰すような莫大な音量と、音としてのおぞましさ。

憎悪で満ちた咆哮だった。

 

魔法少女の、佐倉杏子の声で奏でられた音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、世話の焼ける殿方だな」

 

その凛とした声は、血の大半を失ったナガレの頭にもはっきりと届いていた。

 

「痛むぞ」

 

いい様、指先が露出した黒手袋を嵌めた手が、仰向けにされた彼の胸と腹に刺さった槍に触れた。

そして間髪入れずに一気にそれを引き抜いた。

体内に残っていた最後の血液が一気に溢れ出した瞬間、治癒魔法が二重に最大展開される。

一つは傍らに横たわっていた牛の魔女の本体から、もう一つは薄紫髪の魔法少女が放つ不慣れなものが。

 

「悲鳴一つ挙げないか。矢張り…君は…イイな…」

 

精悍な声は、後半から陶酔の響きを宿し、その様子を見る血色の眼にも感嘆と…押し隠せずに僅かに覗いた欲の色が顕れていた。

 

「お前…もな。やっぱ生きてたか」

 

腹と胸、命に係わる傷が塞がるとナガレは立ち上がった。

脚を立てる時によろめきこそしたが誰の補助も無く、力強く地に足を付けた。

やや咳き込んでいたが、発声にも異常は無かった。

 

「ああ、君との勝負は終わってないからな。あれしきの連中に負けて堪るか」

 

それに負けじと、紫の胸当てで押さえつけても豊かに膨らんだ胸を張り麻衣は応えた。

治ったばかりの彼の背をバンと叩きながら、親友然とした様子で語った。

人間関係が大問題ばかりの彼ではあるが、別の問題を孕みつつも麻衣との関係はその中では良好なようだ。

麻衣もまた負傷は治癒されていたが、顔は血染めのままだった。

 

そして自信ありげな様子だった麻衣だが、不意にハァと溜息を吐いた。

 

「と、言えれば恰好が付くのだがな。残念ながら独力では連中に勝てなかった」

 

そう言いながら麻衣は顎をしゃくった。

言われるまでも無く、彼も気配で気付いていた。

頭に超が付くほどの不吉と混乱、そして破壊と怠惰の混沌のような存在に。

 

 

 

 

「ちぃーっす」

 

聞き慣れない挨拶を、黒い魔法少女は放った。

異界の構造物に座りながら、奇術師風の衣装の袖を両手でパタパタと振りながら。

 

「久しぶりだね友人。一時間ぶりくらいかなぁ」

 

「多分な。お前も元気そうだな」

 

「お蔭さまでね。とりあえずやる事はやるけど、後で年長者らしく説教をさせて貰うよ」

 

麻衣とナガレは顔を見合わせた。

年長?という視線が交わされる。

その様子を全く無視し、片目を眼帯で覆った白と黒の色を纏った少女はこう告げた。

 

「ハイハイ、まぁそう云う訳で。私はご覧の通り正義の魔法少女きりか☆マギカですが、この事態に関する情報と的確な対処は如何っスかぁ?」

 

何時ものように朗らかと、そして何かの真似なのかキャラが崩壊した口調を、普段通りの美しい声で呉キリカは述べた。

血染めの顔で苦い顔をする麻衣とナガレであったが、キリカはその二人の様子に頸を傾げていた。

彼女としては、こういうのも面白いかなと思っての発言だった。

 

元ネタは第八話の台詞だけど友人は気付くかなという期待感が、身体の発育具合に反比例した幼い顔に浮かんでいた。

自由過ぎる彼女に、現在のシチュエーションについての意識は見た限りでは皆無だった。

ちなみに彼は映画の周回しかしておらず、本編は未見なので応えられる筈も無かった。

麻衣は履修済みだが、細かすぎてそこまで気が付かなかった。

ほんの一瞬コミュニケーションをしただけで、麻衣とナガレは薄っすらと疲労を感じていた。

 

 

まだ彼方ではあるが、真紅の憎悪が滴る破滅の叫びはここにも届いていており、それは近付いているように感じられた。

よって時間はあまりなく、ナガレと麻衣はこの厄介極まりない魔法少女の力が欠かせない事を思い知らされていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 されど魔なる者達は抗い叫ぶ

「時間が無いから手短に行くぞ。あれは魔女だ」

 

前触れもなく、呉キリカは言い切った。

ナガレは苦い表情となり、麻衣の顔は硬直した。

 

「杏子だろ。気配が同じだ」

 

「諦めが悪いぞ、友人」

 

切って捨てるようにキリカは言う。

 

「多分君も見たのだろうが…ソウルジェムに絶望が蓄積して濁り切ると、魔法少女は魔女と化す。これが摂理だ」

 

無感情な様子で、キリカは残酷な言葉を告げる。

その様は罪人の頸へと無慈悲に淡々と落とされる、美しく磨かれた断頭の刃を思わせた。

 

「それ、魔法少女はみんな知ってんのか」

 

「見ろ友人、あれが答えだ」

 

無表情から、鮮血色の唇を薄笑いに変えキリカは指を指した。

朱音麻衣の方へと。

歯軋りを立てたナガレの胸に衝撃。

治癒をしたばかりの彼の胸板に、朱音麻衣の顔が埋められていた。

キリカが答えと評した麻衣の顔を、彼は見なかった。

そして、彼女も見せたくなかったに違いない。

 

「すまない。胸を借りるぞ」

 

彼の背に腕を回し、拘束するように力を込める。

彼の骨と肉が軋んだ。

常人なら、どころか水牛でさえ頸が折れるほどの力が籠められていた。

何も言わず、彼は魔法少女の好きなままにさせた。

 

「私も、いつかああなるのか」

 

「濁り切ったら、と言ったよ」

 

「魔女になったら人を喰うのか」

 

「分かり切った事を聞かないで欲しいな」

 

「そうか」

 

淡々と、事実を確認するように魔法少女達は語り合う。

 

「そうだな」

 

納得を顕す一言もまた、無感情であった。

 

「リョウマ。これからする、私の行いを赦してくれるか」

 

「それで気が楽になるなら好きにしな」

 

「…ありがとう」

 

告げた瞬間、朱音麻衣は口を開いた。

そしてその歯を、ナガレの胸へと突き立てた。

 

傷と同時に再生させ、防刃機能を付与させたシャツが簡単に切り裂かれ、皮膚を貫き肉へと歯が喰い込んだ。

そのまま口が閉じられ、歯形状の傷口が彼の胸に開いた。

増やしたばかりの血が一気に溢れ、魔法少女の美しい顔を深紅に染めた。

 

血を浴びながら麻衣は再び肉を噛んだ。

刃先に触れた肋骨も強引に喰い千切った。

鼓動する心臓の手前で、その行為は止まった。

麻衣の口内からは、肉と骨を噛み潰し血を啜る音が聴こえた。

その音に混じって、獣の咆哮に似た慟哭が鳴っていた。

背中に回された手にも剛力が籠り、彼の背を魔法少女の指先が牙の如く抉っていた。

 

ナガレは微動だにせず立っていた。

魔法少女の懊悩と怒りと、そして悍ましい感情をただ受けていた。

キリカはその様子を虚無を宿した表情で、無言で眺めていた。

そして咀嚼音が消え、ごくんという音が鳴った。

 

「返り血から知ってはいたが」

 

彼の胸を抱きつつ、心臓の音を聴きながら麻衣は言った。

 

「舌で感じる味は普通と同じく塩辛いが…君が相手のせいか、感覚的には甘く感じる。肉も硬いが悪くはない」

 

狂気の言葉を、彼は無言で聞いていた。

視界は激痛により深紅に染まっていた。

今日だけで数十度目かの事だった。

そして今回の深紅には麻衣に向けてではなく、行き場のない理不尽への怒りも含まれていた。

 

「魔女としての私は、これで終わりだ」

 

言い終えた瞬間、麻衣の全身から治癒魔法が全開発動された。

幾度か繰り返した為か精度が上がっていた。

 欠損していた肉や骨が泡立ち皮膚や筋肉、そして骨が再生し新しい血が彼の身を巡っていく。

 

「愁嘆場は終わりかい」

 

「ああ。魔法少女を続けよう」

 

「その意気だよ、朱音麻衣」

 

溜息を小さく一つ吐き、キリカは言った。

尋ねる口調ではなく、確認のそれだった。

 

「…すまないナガレ。痛む…に決まってるな」

 

「お前らよりゃマシだろうよ」

 

ナガレの返しに麻衣は苦し気に唇を噛んだ。

血塗れの口を袖で拭うが、それでも凄惨さは消えなかった。

 

「憐れんでくれているのか」

 

「好きに受け取りな。問答ってのは苦手なんだ」

 

「君らしいな。そういうところが好きなんだ」

 

状況と行為が異常だったとはいえ、率直に好意を告げられるところは彼女の美徳だろう。

 

「佐倉杏子の匂いが染み付いてた事だけは、ちょっと気に喰わなかったが」

 

仲が良くてよろしいと、冗談交じりに麻衣は言った。

落ち着いてはいたが、彼女の血色の眼には狂気の欠片が見えた。

 

「許して遣れよ、友人。魔法少女ってやつはどいつもこいつも何処かしら狂ってるんだ」

 

キリカの念話に、ナガレは何も言わなかった。

少なくとも狂気の魔法少女は、美しき奇術師姿としてそこにいる。

そして散々に血を流したにも関わらず身に沁みついていた女の香りが何であるかは、彼しか知らない事柄だった。

 

「それでだ、つまりは今の佐倉杏子を救済するには死しかないと。そう言いたいのか呉キリカ」

 

「さっきから露悪的だね。嫉妬かい、朱音麻衣」

 

「そうだと云えば納得するか。別に構わないぞ」

 

「禁欲のし過ぎも考え物だな。見ないでおいてやるからさっさと発散したらどうだい」

 

残酷な真実と喰い漁られた血肉が放つ鉄錆の香り、噛み合わない会話にと場の雰囲気は最悪となっていた。

しかし、これが日夜凄惨な死闘に明け暮れる魔法少女としては平常なのか、麻衣の眼光にはいつもの調子が戻っていた。

血みどろの死生観を日常とした魔法少女の、殺意と闘志が狂気の上に被さっている。

 

「まぁその、なんだ。盛り上げたとこ悪いが、あれは魔女であって魔女じゃない」

 

「じゃあ何だ。佐倉杏子の魔力を放つあの怪物の正体は魔獣、または悪夢(ナイトメア)とでも云うのか?」

 

「魔法少女らしいシャレオツな仮名だな。ああ、あれはドッペルだ。この腐れクソレズシティ神浜特有の怪現象、別名世界の歪みだ」

 

ドッペル、とナガレは呟いた。

魂に刻み込むような、獰悪な唸り声で。

 

「神浜に根差した腐れ糞カルト宗教団体の糞餓鬼様曰く、魔法少女の感情が臨界を越えた時に出る剥き出しの感情そのものの怪物だ。要は魔女化の代わりとすればいい」

 

よくもまぁこんな事をしたもんだと、キリカ。

 

「神浜の連中はこれのお陰で魔女にはならない。それどころか武器にして戦ってやがるのさ。イカれてるだろ?」

 

「情報が多い日だな。呉キリカよ、貴様はいつからそれを知ってた」

 

「さぁね。くだらない事だしもう忘れちゃったよ。でもそれを聞いて意味があるのかい?」

 

「神浜だけの事柄とくれば、風見野在住の私達にとっては意味は無いな。それで、魔女化がドッペルとやらの発現にすり替わったとはその宗教団体とやらが原因か」

 

「御名答。その名も不愉快なりし糞団体の忌むべき腐れ名は『マギウス』。我が不俱戴天の敵だ」

 

「そうか。私はその名を覚えたぞ」

 

「ついでにアリナ・グレイという腐れ名も覚えておいて呉。奴だけは幾ら引き裂いても飽き足らない」

 

キリカの言葉に、麻衣は不愉快そうに太めの眉をひそめた。

この不愉快そのものの魔法少女が更に不快感を感じる存在など、ロクなものではないと悟ったのだ。

 

「奴が今この時も生きていて、物を食って排泄し、呼吸して腐れた言葉を発し…そして絶叫を挙げて自慰行為に耽りながら、どろどろの性液と唾液まみれの手で人畜の死体をこねくり回し、邪悪な作品を創造していると思うと身の毛がよだつ」

 

「詳しいな」

 

最悪という言葉の更に数段上の事柄を聞きつつも、麻衣の表情は変わらなかった。

変えないように努めていた。

 

「両手足を複数人の魔法少女に拘束された状態で顔を除く全身の皮と筋肉を剥がされて、腹を割られてハラワタを取り出され」

 

吐き気を催す光景が麻衣には容易に想像できた。

キリカの奇術師風の衣装や巧みな身振り手振りが、聞くものに悪夢の情景演出を連想させるに一役買っていた。

 

「力づくで子宮を引きずり出されて、ナイフでぱっくり割られた断面から袋の中身を見せられて」

 

同じ女相手にやるとは思えない凶行に、思わず麻衣のそこも疼いた。

欲情したのではなく、命を育む場所を守らんとして怯えたのだった。

 

「挙句左右の卵巣を眼の前で齧られた後に、ハンバーグみたいに切り刻んだ子宮を炎の中にぽいってされて焼かれて、炭化したそれを絵の具にされたからな」

 

ああ、それでもまだ序章だった。とキリカは加えた。

 

「引き抜いた私の腸に私の肝臓を擦り潰した汁を振りかけられてこね回されて、それをあの糞女は自分の腹を掻っ捌いて抉り出した自分の腸とぐるぐる絡ませて悦に浸り腐ってたな」

 

他人の迷惑を顧みないとか、人として最悪だよとキリカは告げた。

アリナ・グレイなる存在は、考え得る限りで最悪を越えた何かに違いなかった。

 

「まぁ、その状態で私には理解できないご高尚なお絵描きやってる時になんとか身体をぜぇーーーんぶイチから再構築させて、その場のモブ魔法少女共諸共生まれて来た事を後悔するぐらいにズダズダにしてやったがね」

 

何が愉しいのか、語るキリカは朗らかに笑っていた。

こちらもこちらで狂っている。

そしてざまぁみろと言った途端、その笑みが不愉快さを宿したものへと変わった。

 

「だが奴はその間も延々と笑ってるわ、腹の傷口を自分で広げて自分の内臓…多分子宮を握り潰しながら、血塗れの指どころかぶった切って遣った手首の断面を擦り付けて自慰ってるわで最悪だった。二度と会いたくない」

 

キリカは豊かな胸の前で腕を組み、義憤に満ちた声で漸く地獄の光景を言い終えた。

麻衣はこれまで神浜とは縁が無かったが、一発で嫌いになれた。

 

そして更にこう思った。

行ってみたいなと。

こいつと一緒に。

血色の視線の前には、胸板を魔法少女に貪らせた少年の姿があった。

 

「そのドッペルってのは、ぶっ壊せるのか」

 

麻衣が立ち直った今、彼の関心事は杏子の安否に向けられていた。

この世の地獄を聞いてはいたが、アリナ某の事など知った事では無かった。

 

「勿論。多少頑丈だがね。それにしてもあんなのをティロっと一撃で破壊した巴マミは異常だ」

 

「壊したら元に戻るのか」

 

「新キャラの名前に触れてほしかったな。まぁいいだろう、ちゃんと戻るよ。奴らが創ったドッペルシステムは、元々魔法少女救済の為のものらしいからね」

 

「そうかい。生きてるのは分かってたけどよ、これで安心したぜ」

 

「友人、君も可愛い処あるじゃないか」

 

ほう、とキリカは軽く驚いたようだった。

安心と告げた時のナガレの顔には一瞬だが緊張の糸の緩みが見えていた。

 

「何がだよ。悪いかよ」

 

「安心なんて言葉、君から聞くとはね」

 

「んな不思議でもねえだろ。俺だってちゃんと心がある人間なんだぞ」

 

「はいはい。君は一から十まで人間だって分かってますよぉだ。にしても、よく佐倉杏子が生きてるって分かったね。希望的観測かい?」

 

「はっ、あいつが死ぬわけねえだろ」

 

反応を愉しんでいるようなキリカに、ナガレは敢然と言い切った。

心の底からそう信じていると、声の中に込められた感情が嫌というほどに感じられる声だった。

 

「思い上がりだな。魔法少女ってのは思ったよりも繊細で簡単に死ぬんだよ」

 

「あいつの死ぬ光景ってのが思い浮かばなくてね」

 

「答えになってないな」

 

「それでもあいつは死なねえし、お前らも死なせねえよ」

 

どこからその考えが湧いてくるのか、キリカには理解できなかった。

ただ麻衣の血染めの唇には、薄っすらとした弧が描かれていた。

よくぞ言ってくれたと、彼女は思っていた。

 

じゃそろそろ行くかと、ナガレは言った。

地面に刺さっていた斧槍を抜き左肩に掛ける。

 

「でもお前独りだと死ぬぞ、友人」

 

「今度は負けねえよ。あとあいつからは寝床貰ってるし、かなり世話んなってるからな。役に立ってやりてえのさ」

 

「それは救いたいとか、佐倉杏子の絶望を背負ってやりたいとか?」

 

「俺にんな事が出来るか。俺に出来るのはあれをぶっ壊してあいつを引っ張り出して遣る事だけよ」

 

素直だなとキリカは思った。

普通はここで尤もらしい事言いそうなのにと。

まぁおバカなこいつらしいなとキリカは思い、そしてこう言った。

 

「それにしても、チラッと見ただけだがあんな醜くて、しかもデカい姿になるなんてね。佐倉杏子の闇は深いな」

 

それは、とナガレは言い掛けた。

開いた口の前に掌を突き出し、キリカが静止を掛けた。

 

「何も言わない方がいいぞ。魔法少女の絶望の感情っていうのは、最も忌むべき存在で且つ尊いものなんだ」

 

極めて真摯な口調でキリカはそう言った。

行き場のない感情に歯軋りはしたが、ナガレは黙った。

そして一呼吸置き、麻衣の方を向いた。

 

「麻衣、悪いんだが」

 

「いいぞ」

 

言葉の途中で、麻衣は力強く言った。

そして豊かな胸の前に右の掌を置き、叫ぶように言った。

 

「この命、君の好きに使ってくれ。囮だろうが特攻だろうが、無意味な自爆だろうが構わない」

 

力強く、そして痛切な響きが込められていた。

 

「この騒動の原因は私にある」

 

「話を聞く限り、そうだね」

 

うぐ、と麻衣は唸った。

そしてナガレの方を見た。

何も言わないでくれと、血色の眼が告げていた。

 

「まぁいいや。さっさと行こうよ」

 

「お前も来てくれるのか」

 

意外そうにナガレは言った。

不信の元は、これまでの親しい中にもふんだんに用いられるキリカの悪行が原因である。

遊んでいる最中であろうが、十分に一回は自分を殺しに掛かってくる存在と付き合っていればそう思うのも無理はない。

しかしそもそも、そんな危険な存在と一緒にいること自体異常なのだが。

 

「手を貸すに決まってるじゃないか。じゃなきゃさっさと帰ってるよ」

 

それにねとキリカは繋げた。

 

「君が結界の中で人を助けるのと同じだ。人助けに理由なんかないよ」

 

「そうかい…ありがとよ」

 

すまねえなとナガレは言った。

その様子にキリカは満足げに笑った。

ああ、そのちょっとしょぼくれた顔見るの楽しいなと言わんばかりに。

 

「それでだ友人、ナガレリョウマよ。君は佐倉杏子が好きか」

 

唐突な質問に、ナガレは何言ってんだコイツと言った視線を向けた。

麻衣は血色の眼で彼を刺すように見ながら、答えが出るのを待っていた。

幸い、回答はすぐだった。

 

「嫌いじゃねえよ。たまにムカつく事やってくるけど、こんな得体の知れねえ奴を置いてくれてるしな。良い奴だと思う」

 

「素直に好きって言えば、中身は兎も角その美少女ショタボディを活かせて可愛いのに。ふむ、君は典型的なツンデレだな。予想通りだ」

 

キリカはつまらなそうに言った。

麻衣はツンデレか…と小さく意味深に呟いていた。

 

「お前らもだけど、戦ってる様を見ると惚れ惚れすんだよ。ぶっちゃけ尊敬してるぐらいだ」

 

「友人、今更急に主人公ムーブやるなよな。調子狂うじゃないか」

 

困った奴だなぁとキリカは言う。

お前に言われたかねえよとナガレは返した。

 

「さて、この場にはツンデレ二名内ヤンデレ予備軍一名と至極真っ当な性癖の魔法少女が一名か。私には特殊性癖はないのだが、ここは君らに合わせるべきだろうか」

 

答えのない問いをキリカが放った時、彼らの足元を激震が襲った。

そして、巨大な影が魔法少女達と少年を見下ろしていた。

赤黒い巨体、生物と非生物が合わさったような異形の外見。

 

佐倉杏子が産み出してしまった、異界の殺戮兵器のマガイモノが聳えていた。

 

 

「待たせちまったみてぇだな」

 

と、ナガレ。

 

「全く気付かなかったな」

 

と、朱音麻衣。

 

「ああ、揃いも揃ってマヌケばかりだ。もちろん私もだが」

 

と、呉キリカ。

 

「まぁ仕方ない。私達は自分で物語を決められないんだ。運命とは突き付けられるものだからね」

 

キリカは諦めの様に言った。

そして赤黒い悪夢の形を取った運命は拳を振り上げ、三体の魔なる者の中央へと振り下ろした。

鏡面の床が木っ端みじんに粉砕され、無数の破片が高々と宙を舞う。

その中に、三つの影が飛翔する姿があった。

 

「頼むぜ、魔法少女!!」

 

「応!お前こそまた手を煩わせるなよ、リョウマ!!」

 

「ははははは。佐倉杏子ってば、でっかいねぇ。これは刻み甲斐がありそうだッ!」

 

三者は吠え、呼応し、そして嘲りの叫びを挙げた。

斧槍、魔剣、そして斧爪が煌いた。

 

マガイモノが牙を剥き出しにして吠え猛る。

真紅の槍穂を思わせる爪を振りかざし、無数の結界魔法を宙に描く。

そして空間を埋め尽くさんばかりの無数の真紅の槍が召喚され、魔なる者達へと飛翔していく。

そして自らも、己を滅ぼさんとする者達へと悪夢のように襲い掛かっていく。

 

両者の力が激突した時、悪夢の第二幕が始まった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 焼け爛れた大地に芽吹くは、毒液滴る破滅の紅花

時期的には第33話目の手前あたりとなります






深夜十二時と三十八分。

 

その日は平和な一日だった。

不愉快な訪問者も無く、獲物も身近で発生せず、そして何より同居人の顔を見ずに一日を終えられた。

魔女狩りに苦戦したらしく、そいつは今日一日微動だにせずに床に伏していた。

 

最低限の呼吸音だけを発して眠り続けるそれを放置し、杏子はソファに座りながら不気味な形状のテレビから流れる映像を楽しんでいた。

同居人の不愉快な友人、詰りは彼女が思うところの陰キャ雌ゴキブリが置いていった、出処不明のアニメの本編映像だった。

平和な時間を使い潰すように、飯を喰らい時折小用に出るなどをしつつそれを見続けていた。

 

劇場で公開中の物も付随しており、彼女はそれも一気に観た。

その結果として彼女は今、無類の寝苦しさに襲われていた。

魔法少女の凄惨な日々を送る杏子さえも息を吞む死闘、無数の会話と人間の持つ悍ましい悪意、精神の抑圧と解放。

少年の白濁した欲望、血みどろの地獄絵図、閉塞の拡散。

 

「くそっ…」

 

悪罵と共に杏子は起き上がった。

ソファに横たわるのではなく、座って項垂れるようにしたが睡魔は訪れなかった。

 

眼を閉じていても延々と繰り返される映像や架空の人物たちの言葉が、魔法少女の心を刻むように撫でる。

脳裏に最も色濃く浮かぶのは、孤軍奮闘の果てに尽きた少女の絶叫と苦悶、そして絶望と憎悪の表情だった。

架空の少女が纏った眩く輝く真紅は、今の杏子にとって悪夢を象徴する忌まわしい色となっていた。

 

項垂れた事で、彼女の髪は物理法則に従って前に垂れていた。

生まれ持った色であるし好きな色だが、今は髪に触れる気にもなれなかった。

 

それにしてもここ最近、妙に心が重い。

しかし何時の頃からかと思えば、その特定は出来なかった。

不愉快という言葉では表せない、汚泥の様な感情はここ数年来の彼女の伴侶であった。

 

ふと気配に気付いた。

顔を上げると垂れ下がった紅の沙幕の奥に、架空ではなく現実世界の悪夢がいた。

 

「ん…起こしちまったか」

 

距離はあるが、向き合うように配置されたソファに座る少年の姿が見えた。

黒い渦を宿した瞳は、廃教会の天井に向けられていた。

そこから眼を離し、彼は杏子を見た。

 

「ちょっと考え事しててよ」

 

「珍しい事もあるもんだね。単純生物の分際で、センチな気分になったのかよ」

 

不愉快な気分を言葉に乗せて、杏子は少年の言葉を迎え撃った。

 

「かもな」

 

彼は平然と返した。

罵詈雑言が混じる会話は、両者の日常でなんらも珍しくないからである。

 

「あの映画の事考えてたのか」

 

「よく分かったな。魔法でも使ったか?」

 

「テメェの考えなんざ、単純すぎて予測するまでもねえ」

 

髪をかき上げ、睨むように彼を見る。

不思議そうな顔つきで、ナガレは何やら考えていた。

 

「なんだよ、そのツラは」

 

「いやな、最後に残ったあの二人は仲良くなれたのかな…とちょっと気になっちまって」

 

「女に跨って首絞めなんざしくさる野郎と、どう仲良くなりゃいいのかね」

 

彼女の言葉は尤もだった。

やっぱそうだよなぁとナガレは言った。

架空の存在に、彼は心配を抱いているようだった。

内容が内容だけに、それは普通の事であるのだが、杏子はその様子にいらりと来るものを感じた。

心に抱いた感情を吐き出すか、少し考えて彼女は結論を出した。

 

吐き出して遣ろうと。

血に塗れた汚泥の様に。

 

「そういやこの前の首絞めは痛かったなァ…テメェの場合は、よりにもよってあたしの槍を使ってきたんだっけ」

 

弄ぶように杏子は言った。

肉食獣が瀕死の獲物を爪先で転がすように。

 

「首の骨が折れかけて酸欠で苦しむ女の顔は、そんなに見てて愉しいのかよ。ええ?」

 

「別に楽しかねえよ。あとそれは多節で絞めてやったやつか。結局、全然効いてなかったじゃねえか」

 

「あの後拘束振り解いてから一晩中殴り合ったんだよな。目が覚めたら血の海で二人して寝転がってたんだっけ」

 

「ああ。それで軽く拭ってからネカフェ直行してシャワー浴びたんだった」

 

「シャワー室とか更衣室を血塗れにして、よく出禁にならなかったよなぁ、あたしら」

 

「店員も慣れたんだろうよ。てか、お前そのぐらい掃除しとけよ」

 

「さぁね。誰の所為か知らねえけど、頭も身体も痛すぎて考えが廻らなくってねぇ。ま、その迷惑料も料金の内さ」

 

「ひっでぇ奴だな」

 

「加害者がほざくんじゃねえよ」

 

闘争開始の理由も定かではない破滅的な破壊と大迷惑行為について、事実を確認するような淡々な遣り取りで両者は続けた。

 

「で、何の話してたっけ。前に腐れピエロに犯されかけたの思い出して死にたくなったとか?」

 

「その話やめろ。っていうか珍しいな」

 

「何がさ」

 

「お前がそういうエロ絡みの話題振ってくるたぁな」

 

「そういう気分の時もあるのさ」

 

吐き捨てるように杏子は言った。

 

「ガキなんて別にいらねえってのに腹からはレバーみてぇにどろっとした血が出るし、出すだけじゃ嫌なのか知らねえけど妙に疼いてムラってする時とかもさ。ま、身体を持て余すのはあたしらの歳じゃ珍しくもねえだろ」

 

言いながら、自分でも不愉快になる卑しい言い方だとは自覚していた。

それでも心に溜まった何かを吐き出す快感を確かに感じていた。

 

それを自覚したことで更に心が掠れた。

傷を産めるように、彼女はそれを吐き出し続ける事にした。

 

「テメェ、外見だけは可愛いからな。見てて変な気分になったのかもね」

 

ああ、嫌だなと思うくらいに、魔法少女の顔は悪鬼じみたものになっていた。

表情のモデルは道化である事に気付いたが、自覚は後回しにすることにした。

今は眼の前の少年の心を刻む方が先だった。

後悔に自分の心を刻まれるのはその後でいい。

 

「それでもしさ。気の迷いでトチ狂ったあたしに組み伏せられたら、テメェはどうする?成すがままにされて、あたしに貪り喰われるかい?」

 

「さっきから黙って聞いてりゃ、口の減らねえ女だな」

 

不愉快さを隠そうともせず、ナガレは返した。

闇の中で瞳の中の渦は深さを増し、開いた口からは怒りの灯った熱い吐息が漏れた。

 

「寝不足か空腹のせいか知らねえけど、今日はやたら噛みつくじゃねえか」

 

「悔しかったら力づくであたしを黙らせて、モノにしてやるくらいの男気見せなよ。そんなツラでも男だろ」

 

「なんだお前。悩みでもあんのかよ」

 

「言葉を濁すんじゃねえ。まぁ、手を出す勇気もねえか。意味は違うけど、テメェはあの映画のクソガキ以下だな」

 

「女をブチのめして、その上で犯すのが勇気か」

 

彼が吐き捨てた言葉に、杏子は反論を即座に構築。

口も開いたが、そこで動きが止まった。

切り捨てるように言った彼の言葉が、杏子の意識を挫いていた。

 

「話が逸れ過ぎたな。まぁいいや、連中はあの後幸せを掴んだんだろうなって。そう思っとこ」

 

「どう解釈したらそうなるのかね」

 

敗北感に抗うように、回帰した話題に対して杏子は噛みついた。

 

「物語の終わりなんざ、全部ハッピーエンドってやつでいいのさ」

 

「幸せと程遠い奴が言うと、妙に説得力があるねぇ」

 

ケラケラと嘲り嗤う杏子に、まぁなと牙を見せた笑顔で返すナガレ。

焼けて尽きた、赤い大地の様な二人であった。

互いに感情移入を拒絶するような関係は最早、人間ではない何かを思わせる異形さがあった。

 

「にしても随分と気に入ってんだな、あのアニメ」

 

「ああ。自分でも不思議なんだけどよ、なんか何度も観ちまうんだよな」

 

「因みにさ。キャラクターだと誰が好きなんだい。ま、名前覚えてればの話だけどさァ」

 

「ぶっちぎりでアスカだな」

 

即答された名前に、杏子は歯軋りで応えた。

考え得る限りで、最も聞きたくない名前だった。

 

「ふうん…そうかい」

 

心底嫌そうに杏子は言った。

 

「やっぱあたしらは気が合わねえな。あたしはそいつが一番嫌いだ」

 

「へえ…そうかよ」

 

杏子と似た口調で返したことに、彼の苛立ちの発露が察せた。

針に喰いついたと杏子は思った。

 

「あたしがあの女を嫌いな理由とかは聞かねえのかい」

 

「聞いてどうするってんだよ。俺の気分が悪くなるだけだろうが」

 

「そいつはつまり、あたしには愉快ってこった。だから言ってやるよ」

 

「勝手にしろ。暇潰しに聞いて遣る」

 

ああ、愉しいなと杏子は昏い想いを抱いた。

自分でも嫌になるくらいに、そして狂おしく思える気分だった。

思うままに、蹂躙するように悪意を吐き出すというのは。

 

それが一切の気を遣う必要が無い相手で、それでいて気に喰わない相手であれば尚更だった。

切り刻んでも殴り続けても。

生きてるのが不思議なくらいにズタズタにしようが。

何度も立ち上がり、自分を破壊しに掛かる血みどろの悪鬼の様な少年は。

ナガレと言う名を与えた少年は彼女にとって最高の慰みものであり、いくら吐き出しても尽き果てぬ悪夢と憎悪の恰好の捌け口だった。

 

「女の腐ったみてぇな性格だから。強がってる癖にガキだから。クソの役にも立たねぇってのに、他人の評価ばかりを気にし腐ってやがるから」

 

立て板に水の如く、杏子はキャラクターへの憎悪を吐き続けた。

 

「心を覗かれたくらいで壊れちまったから。クソガキのズリネタにされたから。輪姦されるみてぇにグチャグチャと食われて負けたから。しかも潔く死にもせずに足掻き腐ったから。それも無意味に終わって漸くくたばったから」

 

喉の奥からは笑い声が漏れていた。

 

「最後は首絞められて、意味深な言葉吐いて、それで終わりって、もう最高にイカれてるじゃねえかよ」

 

身体を折り曲げ、笑いを堪えるようにしながら更に続ける。

 

「そもそもあいつ、戦い以前に、動けなくなるの、確定してたから勝負にも、なってねえんだよな、ピエロも、いいとこだ」

 

堪えきれずに言葉が途切れる。

真紅の瞳を宿した眼の端には涙すら浮かんでいた。

 

「ハァ…駄目だ、どうやっても笑えちまう。まぁ他にも腐るほどあるけど情報多くし過ぎてもテメェの脳味噌が限界だろうから、ここまでにしといてやらぁ」

 

「言う割に随分見てるじゃねえか。好きと嫌いってのは裏返しらしいな」

 

「…うぜぇな」

 

一転して冷え切った声で、切って捨てるように杏子が言った。

ゾッとするような響きであったが、

 

「図星だからって怒るなよ」

 

彼は平然と返した。

その様子に杏子の苛立ちは更に募った。

 

両者の間で、ぎんと空気が氷結した。

渦巻く漆黒の瞳が、闇を孕んだ真紅の瞳を切り刻むように眺める。

真紅が黒を穿つように睨みつける。

その状態のまま、両者は更に会話を重ねた。

 

「で、あのメスガキのどこが好きなのさ」

 

「生き様」

 

「テメェ、映画館で寝てるらしいな。無様な無駄死にだったじゃねえか」

 

「無様だろうがなんだろうが、あいつは最後の最後まで戦った」

 

「単純なヤロウだね。そこまでいくと思わず羨ましくなってくるよ。テメェ、悩みとか無さそうだしね」

 

「少なくとも絶望なんて言葉は俺の辞書には無いね」

 

「ほざくなよ、絶望の意味もしらねぇクセに」

 

けっと吐き出すように告げた杏子に、ナガレは何も言わなかった。

それが何故かは分からなかった。

それはさておきと、話を切り替えるように彼は口を開いた。

 

「あいつのあの真っ赤な闘争心てやつか。あいつが何で戦ってるのかとかは知らねえし、あの大暴れが自棄っぱちだったんだろうがなんだろうが、俺にはあの真っ赤な姿が眩しく見えたね」

 

「赤か」

 

言葉の中で頻出した単語を、杏子は呟いた。

 

「もしかして好きなのかい、赤が」

 

「ああ、色の中で一番好きだ」

 

ナガレは素直に告げた。

偽る理由も無いからだ。

 

「逆にここ最近で一番嫌いになった色は緑だな」

 

そう告げた彼の口調に、杏子は眉をひそませた。

異様な感覚を魔法少女は感じたのであった。

それは、今までに彼から受けたどんな気配とも異なっていた。

近いものは、魔斧を振り下ろす際に放たれる鬼気とでも云うような感覚だった。

まさかと彼女は思った。

 

あり得ないとその想いを握り潰した。

こんな奴に、自分が怯えたなどという事はあってはならない。

 

「ま、結構気持ち悪い色だからな、緑って」

 

「全くだ。得体の知れねえ感じがしてならねえや」

 

自分の考えを述べると、彼もまた同意した。

緑の物体は日常に溢れているし街中には緑髪の者も多いが、その色はよほど嫌いであるらしい。

 

「それでだ、まだ眠くならねえか?」

 

「寧ろ冴えちまったね。話がつまんな過ぎて」

 

「そいつは悪かったな」

 

何時の間にか、会話の調子は年少者同士のごく普通のものになっていた。

不気味な変容であった。

その変化には、この両者も気付いていた。

そして、その後に向かう先も。

先とは、破滅と地獄を意味していた。

 

「赤、好きなんだよな」

 

「ああ。正直言うとな、ずっと見てても飽きねえ」

 

思えばアレとの付き合いも長いしなと、彼は付け加えた。

そう言った彼の眼はどこか遠くを見ているようだった。

言葉の矛先が自分では無い事も、なんとなく杏子には分かっていた。

 

その様子が何かを誘発させた。

めらりと、彼女の内で何かが疼いた。

それは黒くエグく、そしてぎらついた真紅の欲望だった。

 

「そうか。そうかい」

 

言いながら、彼女は立ち上がった。

そして彼の元へと歩みながら、その身をゆっくりと真紅の光に浸した。

燃え尽きていく人体の様になりながら、紅い亡霊のように彼の元へと歩いてゆく。

ナガレもまた立ち上がり、闇の中で輝く真紅へと歩み寄る。

 

「なら今から存分に見せてやるよ。死にたくなるくれぇによ」

 

「望むところじゃねえか」

 

互いの呼吸音が分かるくらいの距離で、両者は歩みを止めた。

亡霊然とした姿を弾き飛ばしながら、佐倉杏子は魔法少女の姿へと変じた。

顕れた姿に、ナガレは美少女とも揶揄されるその顔には決して触れさせてはいけない表情を、それでいてこの上なく似合う獰悪な笑みを浮かべた。

 

「やっぱいいな。真紅ってな」

 

「ほざけ、ガキ」

 

邪悪としか思えない顔で嗤いながら、両者は向き合う。

もしもそれを見てしまったのなら。

狂いきった大狂人でさえも己という存在を喪失しそうな、凄絶な笑みが二人の顔に浮かんでいた。

 

「来な」

 

「来い」

 

招来の言葉を、魔法少女と少年は同時に言った。

その手には十字を頂いた真紅の槍と、邪な魂を宿す巨大な斧槍が握られていた。

 

 

 

それきり、言葉は絶えた。

闇の中、闘争に飢えた二体の獣が漆黒と真紅の瞳を輝かせている。

 

廃教会内で、真紅魔法少女が発する紅の光が乱舞し、まるでそれと舞い踊るように黒い靄が真紅と身を絡ませた。

そこに月光を抱いた一陣の風が吹いたとき、廃教会内からは二人の姿は消えていた。

撒かれた風には、光と共に魔なる者の力の残滓が宿っていたが、すぐに夢の様に消えた。

 

廃教会の中は月光と静謐に満ちた。

 

そして何処とも知れぬ異界では魔法少女と少年の怒号と剣戟が交わされ、互いの身から削られた血肉が、焼けて爛れ切った大地の一面に咲く紅の花の様に咲き誇っていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 されど魔なる者達は抗い叫ぶ②

鏡の異界は、既に鏡の様相を呈してはいなかった。

少なくとも、その破壊の吹き荒れる半径十数キロの範囲では。

 

罅と陥没で覆われた地面の上には、焼け焦げた肉襞に溶け崩れた甲殻、切断された装甲が山となって堆積していた。

人間の指に酷似した巨大な物体も多く、その断面の近くでは身を寸断された異形の獣が無数に横たわっていた。

 

それら数十センチからメートル単位の物体の破壊に対し、陥没の淵に引っ掛かる魔具の破片や引き千切れた人体の一部などはひどく小さく見え、異界を彩る装飾にさえ見えた。

これらを踏み潰しながら、赤黒いヒトガタの異形が暴れ狂っていた。

太い槍穂を連ねたような五指が、旋回する槍の如く勢いと閃光の速度で振られ続ける。

それだけで異界は破壊され、触れなくとも生じる衝撃波が異界の大気を掻き回す。

 

その渦中には、二体の飛び交う人影があった。

血で染まり切ってはいたが、それは黒と薄紫の髪を生やした少年と少女であった。

二人の姿は異界の兵器のマガイモノの上に、魔法少女の佐倉杏子が産み出した怪物の頭上にいた。

 

「麻衣!」

 

血染めの顔、抉られた左目から溢れた血で顔半分を朱に染めたナガレは叫んだ。

 

「応!」

 

こちらもまた、顔半分が深紅に染まっている。

異なるのはこちらは右の眼球が周囲の肉ごとごっそり消え、右頬から顎までの皮が消し飛んでいる事だった。

全身からも鮮血が滴り、最早両者の肉体で血が付着していない部分は皆無としか思えなかった。

しかし凄惨な姿のままで叫んだ両者の声は、耳を塞ぎたくなるほどの闘志と狂気を孕んだ殺意で満ちていた。

 

その矛先へ向け、ナガレは両腕を突き出した。

傍らに浮かばせた魔女に命じて、彼女の内部に保管した得物を召喚する。

瞬時に顕れたそれを両腕で抱えるように掴む。

 

長さは彼の身長である百六十センチに近く、太さは一抱えほど。

親指の長さ程度の短い砲身の傍らにある取っ手に右手を添え、無骨に削られた銃身を抱えながら下部にある引き金に彼の指が添えられる。

銃身から垂れた弾帯には、中指ほどの長さの弾丸が連なっていた。

じゃらんと揺れたそれの長さは、三メートルにも達していた。

相応の重量の筈だが、抱える手は全くとして震えていない。

 

対する麻衣は腰に刺した刀を抜刀、そしてそのままに宙に斬線を刻む。

一瞬にして描かれたのは五つの円。

円の内側には薄紫の魔力が膜のように張っていた。

それに向け、ナガレは異形の重火器の引き金を絞り切った。

巨大な弾丸が魔力の膜を貫き、三つの円の内側へと入り込む。

 

貫かれた先には赤黒の装甲が広がっていた。

但しその光景は孔ごとに異なっていた。

それぞれマガイモノの左右の脚と腕、そして最後は少女の面影を有した腰元が映っていた。

 

虚空斬破と名付けられた麻衣の魔法が、空間を繋いでいた。

そこに破壊の申し子たちが、一斉に獰悪な牙を突き立てた。

肉襞や甲殻が爆砕され、マガイモノの口からは苦悶の叫びが上がる。

 

マガイモノの動きが素早いゆえに、単身では使用不可能だった重火器が麻衣の魔法のサポートを受け完全にその威力を発揮していた。

破壊したマガイモノの破片やグリーフシードを与えられた魔女により、弾丸に付与された破壊力は並みの魔女なら数発で絶命に追い込む威力が込められていた。

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

砲撃を受けつつマガイモノが剛腕を振う。

構えた瞬間にナガレは得物を再転送し斧を手に取り、麻衣の腰に手を巻いた。

掴んだ手から魔女へと命令が伝い、彼の身が弾かれるように後退する。

複数回繰り返されて戦線より離脱する。

 

強引な飛翔というよりもその擬きにより発生した衝撃に裂かれ、彼の全身から更に出血が生じた。

肺に喰い込んだ肋骨が更に肉を抉り、破れた胃の傷口が拡大する。

口から黒血を吐きながら、拭いもせずに彼は麻衣を見た。

彼女は頷き、再び空間を繋いだ。

 

間髪入れずに重火器を召喚し、弾丸を斉射する。

マガイモノの各部で爆発が連鎖し、遂に右脚が崩壊。

次いで両手と左脚もそれに続いた。

そして断面から無数の獣の異形が蠢いた瞬間、それらの血色の眼の前には人間の頭程度の大きさの黒い丸型が投ぜられていた。

漫画にでも出てきそうな、べたな形状をしたそれの正体は、本体へと数ミリの距離に火が迫った導火線が物語っていた。

 

繋いだ空間からも逆流する勢いで炸裂する閃光が、その威力のほどを示していた。

吹き荒ぶ風と肉片で出来た赤黒い煙の中、殊更に色濃い紅が浮かんだ。

 

「閉じろ!」

 

ナガレが短く叫び、弾切れとなった重火器を投げ捨て麻衣の前へ身を晒す。

斧を構えたその瞬間、その身を更に麻衣が押し退けた。

そして直後、麻衣の全身を真紅の十字が貫いた。

 

「ぐぅぁぁあああっ!!」

 

生じた孔から飛来した十字槍は彼女の両肩を貫き両膝にも三本ずつ、下腹部には五本の槍穂が凶悪な刃を彼女の肉の内に身を埋めていた。

更に切っ先を見せた真紅に群れへ、彼女は刃を振った。

斬線上の空間が切り裂かれ、通常の色彩を取り戻した。

その上に麻衣から溢れた鮮血が間欠泉の様に降り注いだ。

 

「麻衣!」

 

叫び手を伸ばしたナガレへと、彼女は手を伸ばしかけたがしかし。

ひび割れた唇を微笑みの形に直し、思念を送った。

 

「私に構うな。そんな場合じゃないだろう?」

 

それでも地上六十メートルほどの高みから落下に移った麻衣を補足しようと魔女に命じたその瞬間、ナガレの身を風が叩いた。

その風は炎の如く紅蓮の色と、溶鉄のように黒い色を孕んでいた。

何かが空中を移動している事に気付き、残った眼でその姿を追った時。

今度は彼の身体を衝撃が貫いた。

比喩ではなく、物理的に。

 

「ぐっ!!」

 

切り裂かれた六つの腹筋のど真ん中に、真紅の槍が突き刺さっていた。

槍穂は背を貫通し、更には彼を貫いたまま更に押し込んでいく。

猛風を背に浴びつつ、自分を宙で串刺しにした存在を彼は見た。

 

激痛の中、彼の唇が歪む。

狂を発したわけでも諦めの為でもなく、ただ驚きからの凄惨な笑みによって。

 

「やるじゃねえか…杏…子」

 

人類どころか、凡その生物が即死するであろう衝撃と破壊に、この少年は瀕死とは言え耐えていた。

魔女に命じて可能な限りの延命処置を行っているものの、魔法少女顔負けの常識外れの頑強さだった。

 

それでも彼の命は削られ、風によって傷口から伸びた彼の血が真紅の槍の根元へと向かって行く。

それをぴちゃりと、赤黒い指が触れた。

細く華奢な指がナガレの血を救い、痩せぎすにも見える腕が曲げられ、指先はこれも赤黒い唇に触れた。

ちろりと出た桃色の舌が、少年の腹から溢れた血を舐め取る。

ぴちゃぴちゃと音を立てて啜る様は、猫の姿を思わせた。

 

それは眼も無く、髪も束ねられずに自然に垂れており、更には身を覆い隠す一切の衣装を身に纏ってはいなかったが。

更には身体の体表全てを肉の粘膜や、甲殻然とした隆起に覆われていたが、それは紛れもなく佐倉杏子の肉体の模倣であった。

知性は感じられず、マガイモノの体内から溢れた獣の異形同様の有機的ながら無機質な存在感を持っていた。

 

杏子の模倣をした何かは、グロテスクな淫靡さを放つ裸体を平然と晒しながら彼の前に立っていた。

その足元には彼を貫いた槍があり、その根元には魔獣の如く、いや魔獣そのものとなった凶悪な顔があった。

彼を貫き彼女の足場になっているのは、マガイモノの額から突き出た角だった。

 

今日だけで百数十回目、最早常と言った風に激痛の深紅に染まった視界で彼はその姿を見た。

激痛の中、彼は歯軋りをした。

苦々しいものが心に湧き、それが喉に溜まるように留まった。

四肢を破壊されたマガイモノの姿は一変していた。

平坦に近かった顔は牙を湛えた口元を基点に前へ伸び、まるで狼か爬虫類の口吻の様に鋭い形となっていた。

また、既に音速に近い速度で飛翔している為か、角は傾斜し小さな翼を思わせる趣となっている。

 

そして視界の左右には、視界に収まり切らないほどの巨大な物体が広がっていた。

これもまた槍を思わせる鋭さを左右の先端に宿したそれは、金属の支柱に肉襞を広げたような翼であった。

爬虫類然とした頭部に翼を生やした姿は、見るものによっては、幻想の怪物を連想したかもしれない。

 

『竜』という存在の姿を。

 

そしてその巨体の隅々には鱗の代わりに無数の槍穂がびっしりと生え、甲殻類の如き装甲を成していた。

槍穂を無数に生やしたそれは、触れる全てを破壊せずにはいられない、破壊衝動が具現化したような姿であった。

痛々しく、そして感情移入を拒絶する異形の姿だった。

 

そして彼もまた、このマガイモノの姿に見覚えがあった。

細部は異なるが、飛翔する三角錐然とした姿に対して。

 

「元ネタは…ゲット…マシン…か」

 

彼の言葉に杏子の模倣は首を傾げた。

 

「じゃなきゃ…エン…ラー…」

 

殊更に苦し気、というよりも忌々しそうな口調で半端に告げられた固有名に対しても、彼女は同様のリアクションを示した。

態度だけで見れば、可愛い動きではあった。

 

「偶…然か…想像…力が豊か…過ぎんだろ」

 

槍に貫かれ、内臓を破壊されたままにナガレは語る。

 

「ゼ…と会ったら…喜び…そうだな」

 

語らなければ意識が吹き飛び、その瞬間に死ぬと分かっていての軽口だった。

だがそこに恐怖心は微塵も無く、ただ生きようとする執念があった。

やるべき事が残っているがために。

 

そんな彼を尻目に、杏子の姿をとったものは彼から啜った血を舌に乗せて、形だけは可憐な両手の上に唾液ごと垂らした。

性的な官能さえも湛えた動きで両手を擦り、手の隙間を開いた。

そしてそこから、長大な得物が生じた。

形を確認するまでも無く、それは十字架を頂いた槍だった。

どの姿であろうとも、身に宿した力のスタイルは変わらないらしい事に、彼は薄く笑った。

宿っていた感情は感心であった。

 

それに対して何らの反応をすることなく槍を振りかぶった模倣の姿の前に、銀色の何かが突き付けられた。

 

「悪いな。まだ俺ぁ戦えんだよ!」

 

刃の様な形状の四枚のフレームが供えられたのは、黒く長い銃身。

全てが金属で作られたそれは、幾つものボンベが取り付けられていた。

火炎放射器に似た何かを、瀕死のナガレが何時の間にか取り出して構えていた。

佐倉杏子の姿を取った何かの、その顔の前に。

 

「これなら外しゃしねえなぁ…!」

 

何時になく獰悪な表情を浮かべ、ナガレは言った。

腹を貫かれたまま最低限の治癒を施したのか、彼の口調は明瞭となっていた。

模倣の姿が行動に移る前に、彼は異形の重火器の引き金を引いた。

放たれたそれは、赤の光を宿した破壊光であった。

 

杏子の模倣の上半身は、光によってまるで水の様に貫かれていた。

更に光はその背後にあるマガイモノの顔面へと突き刺さり、彼から見て左の角を根元から粉砕した。

血に染まり切った彼の口からは噛み砕かれた黒い卵の欠片が覗き、よく見れば銃身には槍状に変形した牛の魔女がまるで溶接されたかの如く貼り付いていた。

そして更に彼は引き金を引き、マガイモノに向けて赤熱光を放ち続けた。

彼を貫いた槍は刻一刻と根元に近付き、彼が魔女の力を借りて放つ光はマガイモノの姿を削っていった。

それは互いに身を削り貫いての、陰惨な根競べであった。

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「喰らええええええええええええええええええええっ!!」

 

身を裂く苦痛は上がる一方だが、それでも互いを破壊する行為が続けられていく。

 

元々の両者の関係からしてそうであったが、瀕死に陥ろうが絶命の寸前であろうが、戦う事に変わりは無いのであった。

相手を黙らせる、その瞬間まで。

 

 


















今回の武装は
・ゲッターミサイルマシンガン
・ゲッターレーザーキャノン
を参考にしました(発射されるのは魔力由来の小型ミサイルとレーザーであります

また変化したマガイモノの姿はデストロイア飛翔体がモチーフとなっております


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 紛い物よ、贄と為れ

 異界の空を、真紅の風が切り裂いていく。

 風は閃光と灼熱、砕かれる異形の破片と絶叫と咆哮を孕んでいた。

 

「キョウ…コ……お前…っ!!」

 

 槍に腹を貫かれ、異形の飛翔の伴侶とされたナガレが叫ぶ。腹からは大量に出血、宙吊りになった両太腿には槍穂が二本ずつ刺さり、左胸を貫いた槍の先端は背に抜けていた。

 両手で持った異形の重火器からは高熱からの白煙が昇り、全体に高温が広がっていた。それを抱える彼の両手指の接面からは肉が焼け爛れる甘い臭気が昇っていた。

 

 それとは異なる、そして同じ種類の香りが彼の鼻先を掠めた。臭気の源泉は、彼を貫いた異形であるマガイモノから生じていた。

 酸味と甘みが混ざり合った果実の香り、それは林檎の香りに酷似していた。それが、彼の持つ重火器が放った熱線により抉られた個所から立ち昇っていた。

 

「ああ…くそっ、いい香りすんな畜生!」

 

 激痛による自意識の喪失を防ぐ為に彼は叫んだ。彼自身も何言ってんだろ俺、と思いながらの叫びであった。

 マガイモノの醜悪な顔面の左半分は粉砕され、胴体にも大穴が幾つも空き、両の巨大な翼の根元も大きく抉れていた。

 その姿を前に彼は再び叫んだ。

 

「いつもの紙装甲と下手な防御は何処行きやがった!頑丈過ぎるだろうが!!」

 

 感情のままに彼は叫んだ。マガイモノから放たれる無数の槍穂を、魔女の力を借りた破壊光で迎撃しつつその本体を撃ち続けた。

 数十発も連打された破壊は、一撃一撃が並みの魔女を粉砕する威力が込められていた。それに耐え切り、マガイモノは半壊しつつも形を保っていた。

 半分だけになった、異形の爬虫類を思わせる顔は彼を嘲笑うかのような形となっていた。

 

 それの前に彼は再び重火器を構え、引き金を引いた。骨まで焼け焦げた指は辛うじて動いた。

 

「貫けぇええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!」

 

 咆哮と共に、重火器からは殊更に巨大な閃光が放たれた。先端のフレームが砕け、銃身が蕩けながらの一撃だった。

 それはマガイモノの口に突き刺さり、残っていた全ての牙を粉砕した。

 

 そのまま喉を貫き胸に至るその瞬間、直進していた筈の熱線はマガイモノの背中より放射された。

 異界の空を貫き、何処とも知れぬ場所へと着弾。果てしなく遠い鏡面の空に、紅の円弧を咲かせた。

 閃光があらぬ方向へと跳ね上げられた理由は、一つしかなかった。内部にいるものが、それを切り裂き弾いたのだった。

 

「ちゃんと生きてるな。心配掛けさせやがって」

 

 その言葉通り、彼は酷く安堵の表情を浮かべていた。行為と矛盾した発言ではあったが、この少年の姿をした存在なりに考えはあったらしい。

 言い終えた瞬間黒血を吐き出したその顔が、いや、その姿が赤く染まった。

 

「あぁ…ったく」

 

 視認した先には、牙を全て失った口を全開まで開いたマガイモノの姿。その洞の様な口内の奥には、真紅の光が灯っていた。

 

「だから、杏子、お前…強過ぎんだよ!!!」

 

 叫ぶながら、彼は全身からダメージカットを全開発動。展開した障壁により串刺しにしていた槍が破壊され、彼の身体が宙に浮いた。

 槍を引き抜き治癒魔法を発動させる。そこに向け、マガイモノの口内から紅光が奔った。同色の光と障壁が激突し、眩い光が異界を照らす。

 繰り返し展開されたせいか障壁の能力が向上し、熱線に対しても効果を発揮していた。

 

 しかしその拮抗状態も残り数十秒程度である事は彼も分かっていた。サイズ差もあるが、マガイモノから放たれる熱線の威力は彼が放つそれの一桁は上であった。

 魔女から彼の脳へと送られてきた温度の数字は、30000と刻まれていた。

 

 何かよく分からねえけどやるしかねえとナガレが決断。この男は何時もこうである。

 熱線を切り裂き懐に飛び込む、と彼が動いた瞬間、彼の身体は背後に引かれた。抗う間もなく、剛力で引き寄せられる。

 

 引き切られた瞬間、彼の眼の前の光景は一変していた。足は地に着き、周囲は壁で覆われていた。

 壁は粗く抉られた鏡で出来ていた。上空から悍ましい叫び声が生じた。

 音量からしてかなり遠方ではあるものの、それは地上にも届き万物をその音で震わせていた。

 

「また助けられたか」

 

 自らの襟首を掴んだ者へと、彼は声を掛けた。返事は直ぐにあった。

 

「ああ…本当に…手の掛る奴だ」

 

 崩れ落ちる身体を振り返ったナガレが支えた。彼女の身体は血に塗れていた。

 そして彼の姿を見た朱音麻衣は絶句した。

 

「ちょっといいツラになっちまったかな」

 

 いててと言いつつ頬を指で撫でると、その部分の皮膚がまるで枯れ葉の様に剥離した。

 今の彼の姿は血染めに加え、マガイモノの放った熱線に障壁越しに焙られていた。

 更に襟首を引かれた瞬間に解除された障壁を越え、一瞬だが熱線が彼の身を舐めていた。身体の前面には皮膚が蕩けるほどの火傷が生じていた。

 常人なら全身が炭化していておかしくない熱量に耐えている事は大したものだが、何故生きているのか分からない有様だった。

 

「ああ、その姿も中々可愛い」

 

「せめて格好いいって言ってくれよ」

 

 濡れたような声で言った麻衣にナガレは普段の調子で返した。苦痛は無論あるのだろうが、反論の方が優先されるらしい。

 確かに火膨れは少なく元々の美少女然とした顔は熱で均され、毛髪は棘を成したような形はそのままに髪同士が蕩けたように交わっていた。

 潰れた左目とその周囲の肉は焦げ、まるで闇を孕んだ坩堝となっていた。痛ましい姿ではあったが、麻衣はそこに美意識を見出したようだ。

 

 その麻衣はと言えば、空中で彼女を貫いた両肩の槍は抜かれていたが、それ以外は膝に下腹部にと十本を超える槍穂が突き刺さっている。

 破裂した右の眼球や抉られた頬肉などの負傷もそのままである。不死身に近い生命力を誇る魔法少女とはいえ、こちらも無惨な姿だった。

 膝を貫いている槍穂を手早く抜くと、彼は彼女の身を地面に横たえた。槍を引き抜く際、彼女は一言も呻き声さえ漏らさなかった。

 ナガレはグリーフシードを噛み砕いて魔力を補充し、魔女に治癒魔法を発動させる

 そのまま麻衣に向けて治癒を全開発動、自分の負傷は後回しである。

 

「レディファーストとは紳士だな」

 

「俺はそんなガラじゃねえ」

 

 そして屈むと、彼女の腹に突き刺さった槍の一本に手を添えた。それはスカートの中から入り込み、彼女の下腹部に向けて刺さっていた。

 槍の先端と思われる場所、彼女のへその辺りを左手で抑え残りの右手で槍穂の根元を持った。

 

「悪いな」

 

「腹に触れただけだぞ。散々殺し合った仲じゃないか、そんな事で気負うな」

 

 血染めの顔で麻衣は笑う。それにナガレは苦笑で返した。

 

「お前ら…歳の割に強過ぎんだよ」

 

「過酷な宿命を背負ってるからな」

 

「ああ、何て言えばいいのかねぇ」

 

 苛烈な言葉に焼けた唇を噛み締め、ナガレは吐くように呟く。その様子に麻衣は好ましそうに笑った。

 

「その顔、まるで自分の事みたいに悩んでいるな」

 

「そう見えるか」

 

「ああ、君はもう少し自分を知った方がいい」

 

「何がだよ」

 

 意味が分からないといった表情で彼は尋ねるように言った。

 

「君の心が持つ美徳は、君が自分と向き合って気付くべきだ」

 

 微笑みながら麻衣は返した。

 

「自分と向き合え、か。頭の悪い俺には難しそうだな」

 

 バツが悪そうにナガレは言った。自分というありふれた筈の言葉には、やや忌々し気な響きがあった。

 

「抜くぞ」

 

 手に力を込めると、麻衣は奥歯を噛み締めた。彼女の抉られた頬からは、噛み合わされる歯が見えた。

 

「頼む」

 

 瞬間、彼は一気に槍を引き抜いた。

 粘ついた血の線が糸を引き、紅の先端と彼女の肉を繋いでいた。それはまるで、臍の緒にも見えた。

 槍を投げ捨て、ナガレが魔女へと治癒魔法の発動を命じる。肉の裂け目が塞がり、そして血が増やされる。

 

「純潔は無事とはいえ…私が自分の子宮を通して、最初に産み落としたものがあれとはな」

 

 彼方へ投擲された槍の方へ視線を送りながら麻衣は言った。

 

「冗談だ。別に気にしちゃいないよ」

 

 残った左眼でウインクをしつつ麻衣は言った。

 全員がこうではないのだろうが、血みどろの最前線にいる魔法少女の冗談は凄惨に過ぎた。

 流石に男の立場で云える事は無く、彼は残りの槍にも手を掛けた。槍の穂先が埋まっていると見えた場所に添えた彼の手に、麻衣は手を重ねた。

 

「済まない…やっぱり…ちょっと、キツい…少し…私の話を聞いてくれないか」

 

 それは彼女の懇願だった。

 

「好きに話しな。手を動かしながらですまねえけどよ、聞いてやる」

 

 言い終えた瞬間、彼は槍を抜き彼女の視界の外へと放り投げた。

 

「私は…強者との戦いを望み、それを対価に契約して魔法少女となった」

 

 思い出すように麻衣は語っていく。どこか虚無的な表情だった。

 聞きながらも手を緩めずにナガレは槍を抜いていく。契約、という言葉が彼の精神を逆立たせた。

 その感情の矛先は、白い獣へと向けられていた。

 

「我ながらイカれた望みだ…他の魔法少女の願いは誰かの為を想っての尊いものや、自分の幸福の為だというのに…私のそれは破滅の招来でしかない…」

 

 滔々と、そして淡々に麻衣は語っていく。

 

「だがそれでも…満足の行く日々だった…。血みどろの日々は私に生きる気力を与え、私には勿体ない仲間も出来た…そして君という面白い奴にも逢えた」

 

 虚無を宿した表情に小さく笑みが生じたのは、仲間と口にした時だった。

 

「しかし、私は…弱いな…先程、何でも従うと言ったのに…気力が枯渇しかけている」

 

 麻衣は拳を握り締めた。骨どころか手自体を破壊しかねない力が籠められていた。

 彼女の血色の眼の中には、闘志とそしてそれよりも色濃い恐怖があった。

 

「その点…君は凄いな。何故、そこまで戦える?」

 

 麻衣はナガレの眼を見た。その黒い瞳の中には微塵の恐怖も感じられなかった。

 そして、麻衣への応えは直後であった。

 

「今までずっとそうしてきたからな。一度戦いが終わっても、またすぐに次が来やがる」

 

 ややうんざりしたように、それでいて楽しそうな口調でもあった。

 この男の場合、戦いとは非日常ではなく日常そのもので、至って平凡な行いであるからだろう。

 これまでも、そしてこれからも。

 

「だから慣れちまった。逆を言やぁ、俺はそれしか生き方を知らねえのさ」

 

 我ながらバカな生き方してるもんだと彼は言った。

 当たり前の事実を述べるような口調だった。ようなではなく、正真正銘の事実なのだろう。

 

「素直に生きるか…羨ましい…奴だな」

 

「素直っていやそうかもな。実際は厄介事から眼ぇ背けてるだけってコトだけどよ」

 

「そのあたりは解釈の違いだな。悲観することは無いと思うぞ?」

 

 薄く笑いながら言う麻衣の様子に、彼は少し不吉なものを感じていた。

 自分の言葉を妙に好意的に受け取る麻衣の様子に、こいつ将来男絡みで苦労しなきゃいいんだがと、彼は勝手ながらに思っていた。

 

「ついでに…何か一言、言ってくれないか…やる気を出す…言葉がいい」

 

 それもまた懇願だった。今にも泣きそうな麻衣の表情は、年相応の少女のものだった。

 腰と腹の間辺りで帯に結ばれた宝石の色は鮮やかな紫色から黒へと変わりつつあった。

 本来の色を喰らいながら蠢くその黒は、そこから別の生き物が生まれたがっているような悍ましい色だった。

 そして最悪な事に、それは比喩ではなく事実だった。本能のままに叫びたくなる衝動を抑えながら、彼は言った。

 

「生きろ。お前、叶えてぇ夢があるんだろ」

 

 ああ。情けねえ、と。言葉を言いながらナガレは思った。もっとマシな事言えねえのかよ馬鹿野郎と。

 

「覚えてたのか」

 

 彼が自分でも陳腐だと思ったその言葉に、麻衣は眼を丸くしていた。

 

「ああ。昔っから能天気に好き勝手生きてる俺からしたら、お前さんが言った人生設計が立派過ぎてな」

 

 何がしてぇかとか目的とか、将来の夢を考えた事も記憶にねぇやと彼は続けた。

 

「だからお前はちゃんと学校通って働いて、いい男でも見つけて家族を持ちな。あと、猫も飼うんだろ」

 

 口に出して言うと、麻衣が望むのはまともに過ぎる人生だった。彼も一瞬自分に当てはめて想像しようとしたが無理だった。

 全くとして予測が出来ず、曖昧模糊とした様子も思い浮かべない。嘗て一緒にいた腐れ縁の存在なら、その可能性はZEROだと言ったに違いない。

 だが彼が告げた言葉に、魔法少女は一定の満足を覚えたようだった。麻衣の表情は幾分か晴れ、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「…この女殺しめ」

 

 ただ彼に聞こえない声で、喉の奥で彼女は唸る様にそう言っていた。

 

 

「さて…やるか」

 

 それには気付かず、彼は斧槍を垂直に立てた。そして魔女へと命令を伝えた。

 麻衣の傷は癒え、更に立ち直ったとまでは言わないが多少はマシな精神状態になっていた。やるなら今だと、彼は思った。

 命令を受け取った魔女の、斧の中央に生じた眼は困惑の瞬きを放った。しかしながら、彼女はそれに忠実に従った。

 大斧が急速に収縮し、柄の部分へと刃が寄り添うように細まった。大斧槍は小さな斧を備えた槍斧へと姿を変えていた。

 変形を見届けると、彼は麻衣から少し距離を取り両膝を着いた。

 

「何をだ」

 

 その姿に不吉さを感じ、麻衣は尋ねた。

 ん?ああ、とナガレは応じた。日常そのものといった様子で。

 

「いつも必死に生きてるお前らに比べて、俺は楽をし過ぎた」

 

「何を、言っている?」

 

 答えになっていない言葉に理解が追い付かない、というよりも理解したくないという思考が麻衣の中に浮かんだ。

 それにそもそも、この常に血みどろになっているような少年が楽に生きているとは全くとして思えなかった。

 

「命も削らねえであいつに勝てるだなんて、甘すぎたのさ」

 

「リョウマ、お前…何をする気だ」

 

 麻衣の言葉は問い掛けでは無かった。彼女の声は怯えを孕んでいた。

 得体の知れないものに対する、根源的な恐怖だった。

 例えば、こことは異なる場所から来たものに向けるような。

 

「お前らと…昔会った奴のマネゴトだ」

 

 彼の表情に、麻衣はああ、と呻いた。

 強敵へと向かう彼の顔がそこにあった。戦う獣の様な、獰悪な表情が。

 その表情のまま、彼は槍を旋回させた。そして槍穂の手前で絵を握るや、その切っ先を自身に向けて突き刺した。

 頑強な胸板と骨を貫き、黒い槍穂は心臓を切り裂きその背中へと抜けた。

 

「リョウマ!?」

 

 立ち上がり叫ぶ麻衣の前で、彼の身が闇に包まれた。それは槍の全体から放たれていた。

 

「お前さん達の…苦労なんざ…」

 

 自ら心臓を切り裂きながら、ナガレは言葉を告げていく。

 

「これっぽっちも…背負ってなんて…やれねえが…俺でも…この…くらいは…」

 

 彼の言葉はそこで途切れた。闇の中に浮かぶ彼の体表という体表に、黒い拳大の紋章が刻まれていった。

 それは魔女が贄を誘う際に用いる魔の焼き印、魔女の口づけだった。彼の支配下を離れたと察した魔女が、彼へと叛逆を開始したのであった。

 本能を剥き出しにした魔女は蛇状の使い魔達を召喚し、紋章で覆われた彼の上へと巻き付けさせた。

 その上から更に、槍の柄から無数の針を発生させて彼の全身を貫いた。

 彼と魔女の間からは、悍ましい音が鳴り始めた。肉が裂かれ、骨が磨り潰される音が。

 

「やめろ!!そいつから離れろ!間女!!」

 

 麻衣が叫び、魔女へと刃を振り下ろした。接触の寸前、彼女は刃を静止させた。

 彼女の脳裏に声が届いていた。女の様な声の、思念の言葉だった。それは『待て』と言っていた。

 

「お前にも」

 

 声が続いた。それは、麻衣に向けての言葉では無かった。

 

「散々…苦労掛けてる…からな…今は…好きに……喰いやがれ……だから」

 

 その後の言葉に、麻衣は言葉を失った。

 

 

 何だと。

 

 リョウマ、お前。

 

 今、何て言った。

 

 

 

 闇に覆われてはいたが、跪き、槍を両手で握り、それで身を貫いた彼の姿は祈りにも、供物の姿にも見えた。

 呼吸さえ忘れて麻衣はその様子を見た。理解が及ばない、異形を見る眼であった。

 しかし彼女は眼を背けず、その様子を見続けた。そしてやがて、闇の一部が裂けた。

 彼の顔の部分、潰れて孔となった左目がある筈の場所が。

 

 闇が開いた先には、闇よりも黒い何かを孕んで渦巻く瞳があった。

 円環する地獄を顕現させた様な眼は、ナガレリョウマのものだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 魔なる女よ、贄の対価に糧と為れ

 黒、黒、黒。

 

 天も地も無く、世界は黒で満ちていた。その中で、ぬらりと蠢くものがあった。

 

 牛を模したような影靄で出来た、身長にして二メートルにも達する巨体。牛の魔女と呼ばれる存在だった。

 魔女の正面にはその半分程度の大きさの何かが地面から突き立っている。その表面にもまた、黒い靄が掛かっていた。

 

 靄の形状は鰻か蛇を思わせる黒い流線。それが覆うものの姿は膝を着いた人間だった。

 自らの胸を巨大な槍で貫き、槍の切っ先は背を抜けて、血塗れの切っ先には引き千切られた心臓の繊維が付着していた。

 

 それを流線の一つが慈しむように身を絡ませ、臓物の一部を体内へと取り込んだ。

 無数の細長い者達に絡まれたものが行われているのは、異形による捕食行為であった。

 心臓の回収を見届けた瞬間、牛の魔女の巨体は霧散し自らもまた靄と化して、己を槍で貫いた者へと覆い被さった。

 

 彼の全身を覆った魔女の行為は単純なものだった。

 喰う。食む。貪る。啜る。食らう。喰らう。喰らう。

 魔女の存在そのものが肉体に吸い付き、魔女を構成する魔力が血肉へと染み渡っていく。

 力を行使されていた身ゆえに、この存在が持つ人間にあるまじき力は熟知していた。

 

 それゆえに、喰い尽くすなど勿体ない。

 これを我がモノとしたいと、異形の思考でありながら、それは確かな意思となって魔女の行動を促していた。

 この力があれば、天敵である魔法少女は今までよりも簡単に葬れる。血肉を啜り骨を噛み砕き、更には性的にも辱められるだろう。

 孕ませた胎児を生きたまま抉り出し、産声を挙げるそれを、上顎と下顎に手を掛けて真っ二つに千切り割いて、母親となった魔法少女に喰わせながら更に犯してそいつの肉も喰らう。

 

 実に楽しそうだと、絶望より生まれた人間の精神の、更に成れの果ての落とし子は本能からの悪意でそう思っていた。

 最初の生贄は…そうだ。ちょうど近くにいる紫髪の女でいいと。

 自らの腹で命を育みたい、誰かを愛したいという欲求は以前元主と共に交えた剣戟を通して伝わってきていたし、それを叶えつつ破壊するのも愉しいだろうと。

 

 邪悪な未来を叶えるべく、最後の仕上げに取り掛かろうと魔女は力を行使した。

 この黒で満ちた空間自体は魔女の口づけと使い魔と、そして魔女で包まれた嘗ての主の姿を象った精神の合わせ鏡であり、魔女は既に彼の精神へと触れていた。

 喰い漁る行為は精神又は魂への浸食であり、それらを隷属させるべく魔女は肉体としてのビジョンで精神世界に投影された彼の身体を貪った。

 そして自らの悪意を、存在を注ぎ込む。肉の器は魔を宿し、全くの別物へと変わっていく。

 

 邪な作業に魔女と呼ばれるその存在は没頭していた。そこには異形であったが、確かに性的な快感さえも含まれていたのかもしれない。

 牛の魔女が持つ本来の魔法である幻惑の力が最大限に行使され、彼女は少年の精神を己の物とすべく邪悪なる行為に耽っていた。

 その時だった。

 

掴まえた

 

 女のような声であったが、籠められた雰囲気と絶望から生まれた魔でさえも怖気が奔るほどの獰悪さを秘めた声だった。

 声の源泉は魔女の直ぐ近く、どころではなかった。

 魔女が汚染を続ける肉体の主そのものから放たれていた。

 

「よっと」

 

 軽く言い様、跪き闇に覆われた肉体がずるりと二重にぶれた。黒い靄が剥離し、その中からまるで脱皮でもするようにして、少年の姿が身を顕した。

 血に染まった衣服はそのままに、それはナガレと呼ばれる黒髪の少年の姿を取っていた。

 その姿の虚影と化して跪く魔女を、その前に立った少年の渦巻く瞳が見降ろしている。

 

 そして魔女はというと自らの姿は何時の間にか、今まで喰い貪っていたはずの肉の中にいた。

 外側から浸食を観測していた筈なのに、胸を突き刺し跪く少年の姿へと、まるで檻の様にして閉じ込められていた。

 困惑する魔女を尻目に、ナガレは自分を貫いていた筈の槍へと手を伸ばした。

 白手袋で覆われた手が槍の柄を掴み、そしてこう言った。

 

「お前とは上手くやっていられた積りなんだけどよ、魔女ってだけあってロクな事考えてねえのな」

 

 ナガレは。

 リョウマは皮肉気に言う。魔女の精神を覗いて、少なくとも見掛け上は平然としているなど異常に過ぎた。

 こいつの持つ精神や魂、そして心というものは、魔女よりももっと悍ましい何かとしか、牛の魔女には思えなかった。

 そもそもどこからが現実で、何処からが己の幻惑魔法を含めた魔力の制御下であったのか。

 自らが行使する幻惑と精神への干渉に、この魂がいつ打ち勝ったのかさえも魔女には分からなかった。

 

「でもま、たらふく肉を喰えただろうが」

 

 冗談ではないと、魔女は思った。実際は精神干渉に力を注ぎすぎ、全身どころか両腕の肉を八割ほど齧り取った程度だった。

 程よく焼けていて美味いと言えば美味かったが、割になど合わないし魔女の欲望は底なしである。

 その底なしの欲望や悪意が。

 獲物である筈の人間によって今、抑え付けられている。

 今までは逆らったら物理的に殺されるゆえに、更には正直そこまで嫌でも無かったが従っていた魔女としても理解不能だった。

 

「押し売りみてぇで悪いけど、代金は支払えよ。人としての常識ってヤツだ。借りた金はちゃあんと返すみてぇにな」

 

 利子を付けてなとも彼は加えた。

 ドヤ顔みたいな精神の声で彼は語った。まるで今までの人生で、さも自分がそれを遵守してきたとでもいうように。

 だが少なくとも人間が魔女に人の道を説くというのは、世も末ないいところな異界じみた所業である。

 

「んじゃ、『契約成立』ってコトで。これからもよろしくな」

 

 意味不明過ぎる言葉だった。そもそも本人が契約という行為の根本を分かっているのかすら定かではない。

 記憶の奥の奥の片隅で、そんな言葉を何処かで聞いたような気分が魔女の中に木霊した。

 だがそれも一瞬の事であり、絶望の象徴たる魔女の感情はこの時完全に駆逐されていた。

 恐怖というものを除いて。

 

 牙を見せて嗤う、少年の姿をしたものが跪いた魔女に突き刺さる槍を抜いたその瞬間。

 広がる闇は千々と千切れ、そして鏡の異界の中に築かれた常世が顔を覗かせた。

 槍を手に持ち光を浴びるその様は、闇を祓い世界に光を齎した若き勇者の姿に見えた。

 

 

 

 

 祓われた闇の内から出でた渦巻く瞳が最初に見た者は、全身の衣装を朱に染めた武者姿風の魔法少女の姿だった。

 少女が口を開く前に、その姿が黒く染まった。

 黒とは、異界の光源を覆って展開された何かだった。

 

「悪いな」

 

 黒が麻衣の姿を覆った時、ナガレはそう言った。

 光源を遮られ、闇が降りた麻衣の腰に右腕を巻いた。

 悪いとは少女の身体に触れたコトについてだろう。

 

 そして力強く、一気に地を蹴った。

 重力を引き剥がして高々と舞い上がったその跳躍は、その後に生じる筈の落下の音を響かせなかった。

 

 異界の風が頬を撫でる中、麻衣は彼を見た。十二分な男らしさを宿しつつも、美しい少女の様な顔立ちが見えた。

 そしてその背を血色の眼がちらと覗いた。

 

「ああ…」

 

 感嘆とも哀切ともとれる、声が漏れた。

 

「やっぱり君は最高だ」

 

 濡れた声で更にそう続けた。

 恋慕に浸る乙女の声だったが、その顔付には生死の狭間を揺蕩う剣鬼の如く陰惨さが影となって貼り付いていた。

 

「んな言葉、もっと別のコトに使えよ」

 

 ナガレは麻衣へと笑い返した。いつもの笑い方だった。

 地獄を宿したような渦巻く瞳も、牙の様な歯も何時ものままに。

 

 但し異界の地面に降りたその影は、人間の形をしていなかった。

 麻衣の腰を抱き、腰の裾を掴んだ腕と手の質感もまた、肉のそれではなかった。

 

 











相変わらずこの二人は仲が良い(麻衣さんのマギレコ実装を望みます)
そして結局、893の借金どころかラーメン屋のツケも払ったかどうか怪しい男であった


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 真の姿の紛い物

「うむ」

 

 呉キリカは頷きながら呟いた。可憐な顎を引いたとき、濡れ羽色の髪から一筋の液体が垂れた。

 

「ズタボロだな」

 

 垂れた液体は言うまでも無く鮮血だった。割れた鏡の上に数滴垂れた血は、そこへと流れた血の中に蕩けて消えた。

 血の源泉はキリカの腹から生じていた。肉の断面を見せて転がり、千切れた内臓からは悪臭と血臭、そして白い湯気が昇っていた。

 上半身はと言えば胴体を垂直に立て、まるで座っているかのようだった。

 

 両手は右は肘から、左は手首から先が消失していた。豊かな肉と脂肪で出来ていた乳房は大きく抉られ、獣に喰い漁られたかのように、砕けた肋骨が乱雑に飛び出していた。

 美しい顔の正面から見て左半分、大きな黒い眼帯で覆われていた右目は顎先から額までが削られていた。

 白い骨の断面が見え、額からは桃色の脳が覗いた。皺で覆われている筈の脳は、グズグズに掻き混ぜられた泥の様に荒い面を見せていた。

 無数の槍穂を掻い潜った際、顔を掠めた一本によって脳の一部が吹き飛ばされていた。

 

「どうするかなぁ」

 

 その状態で平然とキリカは喋っていた。肉体の損壊も、少なくとも生物なら生じる筈の思考力の欠落とも無縁の口調だった。

 これが魔法少女であるという事だろう。彼女らにとって、肉体は刺激を感じるためだけの器に過ぎない。

 

「我がバンパイアファング、威力は凄いんだが時間が掛かるのと手数がなァ…」

 

 残った眼を閉じ、キリカは回想した。

 

『死ね!佐倉杏子!!』

 

 剥き出しの殺意の叫びと共に放ったバンパイアファング。それは確かにマガイモノの装甲を削り、その身を大きく傷付けた。

 だが結界魔法との合わせ技で放たれた無数の槍穂は、速度低下を以てしても捌ける数では無かった。

 なおも強引に刻み続けた果てに、マガイモノの拳が激突。

 彼女は戦線を離脱し、後はナガレと麻衣に任せたのであった。

 

「ま、私が消えたお陰で雰囲気作りにはなったかな。あいつら案外お似合いだしね」

 

 でも朱音麻衣は最近雰囲気危ないから、友人には生贄になってもらお。とキリカは言った。

 

「まぁDVやカニバリズムな邪悪青春してるアホ共の事はいいか。話を戻すと一度発動したら取り回しが利かないから、普段は大得意な近接が潰れる」

 

 壊れた人形のように首を左右に振りつつキリカは語る。言葉の矛先は自分自身か、それとも虚空か。

 

「新必殺技が望まれるな。これは次への課題だ。人間は常に進歩せねばね、私は魔法少女だが」

 

 首の旋回は、首の骨が折れんばかりに早まっていた。実際、首に刻まれた傷は振られる度に広がっていき、鮮血を周囲に撒き散らしていた。

 

「だが、もう遅いか」

 

 その狂気の運動は唐突に停止した。動きを止めたキリカの惨殺死体然とした姿を、紅の光が照らした。

 それは鏡面の地面を、まるで水の様に溶解させて直進する巨大な光であった。

 光の根元は遥か彼方であったが、赤黒い巨体が空中で狂乱する様が見えた。

 

 少女の声の面影を残した絶叫を挙げながら、姿を飛翔体からヒトガタの直立歩行形態へと変えたマガイモノはあらゆる包囲に向けて口内からの熱線を放っていった。

 鏡の異界は三万度に達する超高熱に蹂躙され、夥しい数の蕩けた陥没痕と構造物の破壊がもたらされていた。

 その内の一発が今、黒い魔法少女を飲み込もうとしていた。

 

「きひっ」

 

 真紅の破滅の光を前に、キリカは笑っていた。黄水晶の眼は、憎悪に狂った異形の姿を映していた。 

 異形は常に何かを求めるように首を振り回して周囲を見渡し、自らの口や牙を融かしつつも超高熱を放ち続けていた。

 その様はまるで、泣き叫びながら失くした玩具を探して泣き喚く子供の姿に見えた。

 

「一生そうして喚いてろ、佐倉杏子」

 

 半分になっても美しい顔の唇は、嘲弄の笑みを浮かべていた。

 

「口や態度でどれだけ拒絶していようが、お前の心は分かり易過ぎる。所詮お前は猛き竜の戦士には成れない。淫らな毒蛇がお似合いだ」

 

 意味深気に見える言葉に意味が含まれているのかは、彼女にしか分からない。

 灼熱の舌が彼女の身を舐める寸前、その身体は影に覆われた。熱と光とは真逆のものに。

 

「よう友人」

 

 キリカは感慨も無く、自らの襟首を手で引っ掴んだ者に告げた。

 その身体は浮遊感に包まれ、冷ややかな風が血染めの体表を撫でていた。

 

「よう、キリカ」

 

 ナガレもまた声を掛けた。韻が踏まれているのは、彼女の惨状を見たからだろう。

 怪物じみているとはいえ、年少者の無残な姿には思うものがあるらしく表情にも複雑な感情が浮いていた。

 そのくせ自身は戦闘に入れば呵責なく肉体を破壊するのだから、矛盾しているものである。

 

 キリカもそんな様子に気付いているのか、ふふっと鼻を鳴らした。こちらは楽しそうな様子だった。

 苦悩する彼の様子が面白いのだろう。

 そしてこの時、キリカは彼を挟んで隣にいる者に気が付いた。

 

「よう朱音麻衣。よかったな、友人に抱かれて。それとまさかだけど、随分と雌臭いところからしてまだ純潔のままかい?」

 

 沈黙。五秒後に麻衣は口を開いた。

 

「ああ、呉キリカか。気付くのが遅れて悪いな、貴様の声はゴキブリの羽音に聞こえるもので」

 

「ははは。その調子だと遂に狂ったか。友人、見ないでおいてやるからさ。指でも何でもいいからさっさと使って、こいつの処女孔とソウルジェムをぶち抜いて永遠に黙らせて呉」

 

「黙れ、下衆」

 

「ほざくな、雌犬」

 

 最悪な雰囲気に挟まれているが、ナガレが思ったのは多少のイラつきと「大丈夫そうだな」という感情だった。

 何かに噛み付く気概があるのは、余裕がまだある証拠だと。

 

「ふむ、紫に黒か。互いに不吉な色だが両手に花だな。実に主人公らしくていいね」

 

「その主人公ってのやめろ。ここはお前らの領分だろうが」

 

「領分、ねえ」

 

 ここ最近であった事を思い出し、キリカは困ったような顔をした。

 ウナゲリオンに佐倉杏子の暴走、そして気を利かせてやったのに女を抱いて遣れないこの少年の不甲斐なさ。

 少なくとも前の二つは、今までの魔法少女生活ではお目に掛かれない珍事だった。

 魔法由来の事柄とは言え、キリカはいまいち納得がいかない様子だった。そう思わせる原因は他にもあった。

 前から噴き付ける風を浴びつつ、キリカは彼の背中を見た。

 そして襟首を掴み背に触れているものの感触を覚え、ハァと溜息を吐いた。

 

「いや、ほんと。っていうか何やらかしたのさ」

 

 キリカのそれは、呆れ切った声だった。

 

「お前らのマネゴトだよ」

 

 ナガレは答えた。こうでもしなきゃ勝てねえからな、と続けた。

 

「答えになってないね。まぁ、無茶でバカな事やった事は分かるよ」

 

「まぁな」

 

「でもま、自分を顧みないところは及第点かな。精々足掻けよ、魔少年」

 

 魔少年の言葉に彼は皮肉気に笑った。

 魔法少年と言われていたら、多分こいつはカチンと来てただろうなと麻衣が思った時、彼が抱えた両者の足は地に付いていた。

 何時の間にか、キリカの下半身は衣服等も含めて完全に再生していた。相変わらずの不死身振りであり、異常な再生能力だった。

 

「じゃ、行ってくら」

 

 地に降りた足音は二人分だった。彼の姿は虚空にあった。

 

「私達はどうすればいい?」

 

 見上げながら呉キリカは聞いた。黒い闇が異界の光源を遮り、二人の魔法少女をその色に染めていた。

 

「お前らの命だ。自分の好きにしな」

 

 ナガレは応えた。そして魔法少女達の顔を一陣の風が撫でた。

 風が彼女らの身体を撫でて背後へと消えた時、少年の姿は消えていた。

 

「あいつめ、私達を実質的に放置しやがったぞ。普通主人公ならお前らは逃げろとか、もう大丈夫だとかさ。もっと気の利いたコト言うよね」

 

 憤然とした口調で、そして無関心にキリカは告げた。麻衣に対してというよりも、あくまで独り言と言った風だった。

 

「社会的には別としてだが。私達は既に子を孕んで産み落とし、乳を与えて育てられる歳だぞ。この身に命を宿せる者として、命の使い方は自分で決めるべきだ」

 

「朱音麻衣、お前の言動は一々欲望丸出しで更に重すぎる。だが、まぁその通りなのだろうね」

 

 互いに視線も交わさずに魔法少女達は異界の空を見上げていた。

 

「確かに私達は既に命を孕んでいる。最悪な形ではあるけどね」

 

 魂を穢すようなキリカの言葉に、麻衣は黙って耐えた。そして縋る様に空を見つめた。

 黒い何かが飛翔する姿が見えた。それは既に、視界の遥か彼方であった。

 

 

 

 

 

 絶望、絶望、執着、空虚、空虚、虚構 

 

 

 灼熱地獄の中心部で、マガイモノは熱線を吐き出しながら叫び続ける。

 内側に存在するものの、感情の波濤に呼応するように。

 

 

 欲望、執着、憎悪、後悔、後悔、後悔

 

 

 渦巻く感情の波濤を吐き出すように、その捌け口を求めるように。

 

 

 懺悔、執着、執着、経血、肉欲、性、欲、孕、母、父、妹、家族、崩壊、破滅、懊悩、憎悪、憎悪、憎悪、後悔、後悔

 

 

 自らを融かしながら、灼熱の光を放ち続ける。

 溶解した鏡面の地面は泡立ち、泡は破裂し炎が舞い上がる。

 舞い散る炎は互いを愛する紅の妖精の様に抱擁を繰り返し、そして別の熱に犯されて交わり、巨大な炎と化していく。

 地獄の直径はキロ単位の広さとなっていた。

 この世の終焉を描いたような地獄絵図は、何時果てる事も無いかの如く続いた。

 

 

 虚無、虚無、虚無、虚無、闇、闇、闇、闇、虚無、闇、闇、虚無、闇

 

 

 紅蓮の中心にいながら、マガイモノの視界は闇に包まれていた。

 邪魔な羽虫も消え失せ、意識を掻き乱すものは何もない。 

 ゆえに世界は輪郭を失い始め、全てが自棄っぱちの感情のままに堕ちていく。

 

 彼女の思考を埋める、虚無や闇へと。

 その感情に、一滴のように何かが落ちた。それは大海の中に投じられた一滴、ないしは一粒の砂の様なものだった。

 そしてそれは、一気にその感情を拡散させた。

 

 

発見、執着、憧憬、捕食、同化、支配、支配、支配、支配、支配、支配、憎悪、解放、性、悪意、懊悩、執着、絶望、後悔、憐憫、支配、支配、同化、吸収、肉欲、憎悪、執着、捕食、性欲、愛憎

 

 浅ましく悍ましい感情が、一気に彼女の中を突き抜ける。閃光が停止し、半ば溶け崩れた異形の口から咆哮が迸った。

 闇と虚無を切り裂いて挙げられたそれは、産声の様だった。

 咆哮の矛先は、天に向けられていた。自らの虚無と闇を裂き、感情の叫びを挙げさせた光とでもいうものに送るかのように。

 

「派手にやってんなぁ、杏子」

 

 声が答えた。マガイモノの身長の倍ほどの高さの場所に、それはいた。

 

「お前、本当に強いぜ。あんなドロドロとした感情ってヤツに耐えてたなんてよ」

 

 彼の背後には身長よりも遥かに巨大な闇色の沙幕が見えた。

 沙幕の形は、斧か鎌を思わせる鋭利な輪郭で縁取られていた。

 

 それが左右に一つずつ。彼の身を重力から切り離しているそれは、金属の光沢を有した翼であった。

 人の悪意と堕落が、そして闇に生まれて闇に潜む忌むべき生物である蝙蝠のそれと合わさり産み出した虚構の怪物、または概念。

 『悪魔』と呼ぶべき存在を連想させる漆黒に輝く翼が、ナガレの背に顕現していた。

 

しつけぇぞ、ほんっとテメェは往生際が悪ぃな

 

「ああ。あいつみてぇに最期の最後まで戦ってやるよ」

 

 吠えた異形に、背に異形を纏った彼は人の言葉で返した。その言葉にマガイモノは再び吠えた。

 

「怒ったか。相変わらずアスカが嫌いなんだな。まぁ、お前のままで安心したぜ」

 

 苦笑しながら、右手を側頭部へと伸ばした。手は、指先から肩まで包帯を思わせる帯で覆われていた。

 耳の少し上のあたりで、硬い質感が捉えられた。

 

「はっ、まだ足掻くかよ。てめぇも大したもんだ」

 

 指先が弄するようにそれに触れる。

 そこに生えていたのは大きく湾曲した突起、というよりも角だった。頭の反対側にも同様の物が生えている。

 彼の毛髪が蕩けて混じり合って変性し、くの字を描いて伸びたそれは牛の魔女の義体のものと同じであった。

 

「まぁちょうどいい。俺も景気づけって奴がやりたくってよ」

 

 右手が角と化した毛髪を握り締め、握力でぐしゃりと砕いた瞬間。ほぐれたそれは新しい形を成した。それに連れて、反対側でも変異が生じる。

 湾曲していた形状が解けて再び交わり、鋭く伸びた鋭角となった。

 鋭角の色は、彼の髪と同じ漆黒。耳か、または角に見える形だった。

 その角度といい、生えた場所と言い、それはマガイモノとも酷似していた。

 元となる存在が、個体は違えど種は同じである為に。

 

あたしの真似するなよな

 

「お前が真似てんだろうがよ」

 

 咆哮に返す様も慣れたものだった。普段よりも親しいまであるほどに。

 

「真似っていうならよ。まさか俺が、しかも生身で真ゲッターの真似をする日が来るたぁな…」

 

 悪魔の様な翼を眺めながら、彼は呟いた。不吉そのものを宿したような声だった。

 

「コイツだけには成りたくなかったんだけどな…ほんと笑えねえや。笑っちまうくれぇによぉ」

 

 言葉の通り、彼は凄絶な笑みを浮かべた。そしてその顔のままに、彼は告げた。

 

 

さぁ、ケリをつけようぜ。佐倉杏子

 

 

本気出すのが遅ぇんだよ。ナガレリョウマ

 

 

 再び言葉と咆哮が交わされる。

 己の感情の捌け口と慰み者を見つけたマガイモノの口からは、甘い臭気を孕んだ唾液が滂沱と垂れた。

 

 

「そうだな」

 

 距離を隔てても香る様な狂気を好ましく思うように、彼は眼を閉じて満足げに笑った。

 その眼がかっと開かれた。開いた先にあったのは、円環する地獄の様な黒い渦を宿した瞳。

 

「だからよ!最初から全力でやってやる!!」

 

 叫んだ瞬間、彼の背の翼が蠢いた。朧の様に霞み、羽搏く様は無数の刃の斬撃に見えた。

 刃の形状には斧の面影が宿っていた。

 悪魔の翼と頭角を生やした少年がマガイモノへ向けて飛翔する。

 その飛翔は直線では無かった。空間を切り刻む様に縦横無尽の軌跡を描いたそれは、慣性の法則を無視した異形の飛行だった。

 

 接触の瞬間、剛腕が振り抜かれた。腕からは無数の槍穂が針山地獄の如くに伸びていた。

 極微な隙間を掻い潜り、ナガレはマガイモノの背後へと回っていた。

 そこを真紅の熱線が貫いた。蕩けていた異界の地面に着弾し、巨大な火柱が立ち昇る。

 その頂点よりも更に高みに、ナガレはいた。

 

 展開された闇の翼の中央で、紅い光が迸った。それは、胸の前で彼が合わせた両手の隙間から生じていた。

 そして、かつてそれを見た時の記憶のままに彼は叫んだ。

 

 

 

 

ストナァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 咆哮が異界を震わせた。比喩ではなく、遥か彼方の地面にまでその声は届いていた。

 噴き上がる炎でさえも、怯えたように震えていた。

 手の間の光は強さを増し、両手の間隔は肩幅程に開いた。その間には、掌から生じた光を吸って巨大化した光球があった。

 

 

 

 

サァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!!

 

 

 

 

 叫びと共に光球が更に一気に巨大化。言葉の通り、太陽を思わせる赤色の珠と化した。

 炸裂する熱が彼自身の腕に広がり、指先から肩までの帯が一気に消え失せた。

 白い帯の下からは、黒色と金属の光沢が覗いた。それは真紅の光球の輝きを受け、溶鉄の色に染まっていた。

 

 魔女に喰い漁られた肉や骨を、彼は魔女の魔力と魔女自身の肉体を用いて鋼の腕として再生させていた。

 破裂せんばかりに巨大化した光の直径は彼の身長の三倍にも達していた。

 指の先端に生え揃った鉤爪が、光を抑え込む様にその表面に喰い込んでいた。

 それに抗うように、光の表面には無数の波紋が蠢いていた。

 

 

 

 

シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアインッ!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 そして少年は咆哮と共に光球を掲げ、一気に両腕を振り下ろした。

 真紅の光球は不規則な軌道を描き、まるで呪いの様にマガイモノへと向かって行った。

 マガイモノはそれを前に、一歩だけ身を引いた。しかしそれ以上は動かず、真正面からそれを受けた。

 赤黒い腹に光球が直撃した瞬間、光はマガイモノの全身を包み込んで炸裂した。

 紅い光球の拡大は止まらず、地面を削りながら半円形に立ち昇る中、それを突き破り巨体が宙に躍った。

 身体の右半分が消失し、断面は炭化し体表が焼け爛れていながらもマガイモノは戦闘力を失っていなかった。

 

「やるじゃねえか!杏子!」

 

 一瞬にして眼の前へと出現した巨体を前に、彼は叫びながら両手を掲げた。

 指先に鉤爪を有した両手は、手斧サイズとなった両刃の斧を握っていた。

 禍々しい波が打たれた刃を見せた、獰悪な凶器であった。

 振り下ろされた剛腕に、彼はそれらを叩き付けた。

 マガイモノの剛腕は振り切られず、そこで停止していた。

 冗談のようなサイズ差でありながら、彼は真っ向からの剛力に耐えた。

 ただでさえ高い身体能力が、取り込んだ魔女の力によって魔法少女級に強化された結果であった。

 

「行くぜぇぇぇえええええええええ!!!」

 

 叫びながら悪魔然とした翼を開いて飛翔。ジグザグとした飛行をしながら、巨体を縦横無尽に切り刻む。

 迎撃の熱線と結界魔法を掻い潜りみながら、異形の戦士と化したナガレが両刃の斧を振ってマガイモノの身体を削っていく。

 無数の槍穂が迎撃し、斬撃や障壁が迎え撃つ。

 切断された個所が蠢いて泡立ち、更に攻撃的な姿となって再生していく。

 そこを更に破壊し、傷口を残忍な刃が切り刻む。

 

 絶叫と咆哮が融け合うように、異界の空に木霊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何やってんだ、あいつら」

 

「戦いだろ。見て分からないのか、呉キリカ」

 

「悪いが私は貴様ほど狂ってないからな。あれはなんだ、怪獣映画か?」

 

「さしずめ、宿敵二体の直接対決だな」

 

「ああ。こんな時でも名前を呼び合ってイチャつき腐ってる彼奴らは、うんざりするくらいに宿敵同士だろうよ。それでお前は連中の眼中には無い部外者だ」

 

 遠方の死闘を眺める魔法少女達は、険悪な雰囲気のままに己の意見を述べ合っていた。

 部外者の言葉に、朱音麻衣は歯を軋ませた。実際に何本かが折れ、砕けるほどに食い縛られていた。

 

「その扱いは御免被る。私は参加させてもらうとしよう」

 

 腰に下げた刀を抜くと、麻衣は虚空を断つ魔法を刀へと与えた。

 

「死ぬ気かい?」

 

「かもな」

 

「平然と言う奴だな。友人に毒され過ぎだ」

 

 憐れな奴めと続けたキリカに、麻衣は軽く鼻を鳴らして答えた。

 

「命は大事に使う。その命を燃やすときが今なのさ」

 

「ははっ、まるで狂信者だな。友人も便利な奴が出来て、さぞ嬉しいだろうよ」

 

 無表情のままに、口だけは半月を描いてキリカは笑った。

 その鼻先に、ほんの一ミリだけの隙間を残して麻衣は刀を突き付けた。

 

「お前に何が分かる」

 

 地獄の底から響くような声には、感情が鎖の様に絡みついていた。

 愛情と、嫉妬と、獲物を奪われた肉食獣の様な、貪欲なる欲望への渇望が。

 血色の眼は潤み、刃はキリカに向けられてはいたものの、その眼が宿す殺意の矛先は彷徨っているかのようだった。

 武者姿の魔法少女の苦悩に、キリカは朗らかに笑い、こう言った。

 

「「なんで」「どうして」「これから」」

 

 麻衣の眼が瞬いた。涙が弾けて垂れ、頬を濡らした。

 

「どうせそんな事を考えてるんだろ。友人にイカれるのは構わないが、そんな難しい事を考えるのは生き延びてからにしとこうよ」

 

 形で見れば優しそうに、されど感情のこもらない、無関心な口調でキリカは述べていた。

 いつもの狂乱の一種だとは麻衣も分かっていた。

 この美しい悪鬼の首を撥ね飛ばし、素手で肉を引き千切って細切れにしてやりたい激情が湧いたが、キリカの言葉は麻衣の心の中で反芻を繰り返した。

 なんで、どうして、これから。その言葉が、何故か胸に突き刺さる。

 まるで心臓を抉られるような、幻痛が胸の奥を焼いた。

 

「そうか」

 

 痛みを覚えつつ、麻衣は刀を下げた。

 

「そうだな」

 

 言い終えると、麻衣は首を小さく左右に振った。眼の涙が剥がされ、血色の眼からは潤みが消えた。

 そして、殺意と戦意に燃える瞳のままに彼女は刀を振るった。

 

「私は行く。お前は好きにしろ」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 麻衣は再び小さく鼻を鳴らした。親しみの一切が籠っていなかったが、代わりに憎しみは僅かに減っていた。

 共に歩む魔法少女達の宝石は、黒々とした闇を孕んでいた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 真の姿の紛い物②

 灼熱地獄による高熱が舞い踊る中、空中にて二つの存在が争っていた。

 一つは全身から紅の槍穂を生やし、甲殻類と爬虫類の中間のような顔つきとなった、異形の竜とでも呼ぶべき真紅の巨体。

 もう一つは両側頭部に黒い角、背中には悪魔を思わせる蝙蝠型の翼を生やした少年。

 

 それら二つが、縦横無尽に異界の空を駆け巡っていた。

 離れては迫り、巨体が追い縋ってはそれを掻い潜っての少年の斬撃が見舞われる。

 両者の速度は既に音速をとうに越えていた。

 高さにして地上から約五百メートルは下らない高度にて、二つの飛翔体が巻き起こす破壊の乱流が鏡の世界を掻き乱す。

 

「悪いな!!」

 

 乱流が渦巻き紅と黒の破片と鮮血が舞う中、翼を広げたマガイモノの真上にてナガレは叫んだ。その体表は赤い光に覆われていた。

 魔女を取り込み、強化されたダメージカットが彼の体表を力場の様に覆い、吹き荒れる大気と衝撃波はその表面で虚しく渦巻くに留まっている。

 

「空中戦は得意でね!」

 

 いい様、その身に背負った翼がはためき、彼は黒い流星と化してマガイモノの背から腹部側へと巨大な表面を這うようにして抜けた。

 交差の瞬間、鋼の義手と化した黒い両手が振り切られていた。巨大な刃渡りを有した、両刃の斧を握った手であった。

 一瞬の後、マガイモノの右の翼がその半ばから切り裂かれた。断面からは膨大な量の赤黒が、大海の如く迸る。

 マガイモノの絶叫が空を貫く。少女の面影を残した叫びが乱流さえも切り刻んで異界の空へと響き渡る。

 

 振り返った正面には海のように拡がる赤黒の沙幕。

 それを突き破り、マガイモノの顔が顕れた。その身は全身が噴き出した体液により赤く黒く、淫らにも見える光沢を持って濡れていた。

 マガイモノが水平から垂直へと体勢を変化させ、彼を食い潰さんとして獰悪な牙を剥き出しにして獲物へと迫る。

 

「怒るなよ。どうせ物覚えが良いお前のコトだ」

 

 獰悪な叫びは痛みではなく、悔しさで出来ていた。音としては他のものと変わらないが、そこに含まれた意思を彼は感じていた。

 

「空での戦い方も、すぐに覚えちまうだろうさ!」

 

 叫び、獰悪な牙の群れへと自ら突撃していく。激突する牙が、その姿をガキリと捉えた。

 されど牙は肉に届かず、黒翼の上に先端を立てたに留まった。

 牙と噛み合う翼が蠢く。悪魔のような形はそのままに、翼の表面からは無数の刃が林立した。

 刃の形状は円に近い弧を描いていた。彼が最も愛用する刃の一種、斧の形を成していた。

 

「バトルウィング!!」

 

 翼長にして三メートルに達する翼が、更に倍の長さとなってはためく。

 牙が弾かれ、マガイモノの顔が上を向いた。向いた先に、黒翼を広げた少年の姿があった。光を遮った影は、口角を歪めて笑う悪魔の貌にも見えた。

 その悪魔然とした翼が、マガイモノの顔へと叩き付けられた。

 

 その表面に羽のように生えた斧状の刃の群れの激突により牙が砕かれ、桃色の歯茎ごと複数の牙が寸断される。

 苦痛の咆哮が迸り、ナガレはそれを全身で受けた。そして咆哮と共に、口元同様に刻まれた額から紅の角が放たれた。

 彼の頭部を狙ったそれに対し、ナガレは障壁を宿した右掌を振り上げ、かけて留まった。

 その隙に角は伸びきっていた。鮮血が舞った。彼の右頬、薄皮一枚を破った際に生じたものが。

 受けようとしていた体勢から強引に首を逸らし、間髪で回避していた。

 

「…やっぱりか」

 

 呟くと、彼は黒翼を羽搏かせた。背後に一気に跳び、その後に反転。音速を越えた速度を宿してマガイモノへと向かう。

 目標を見据えるナガレの思考に違和感が生じていた。そのマガイモノもまた背後へと飛翔し、彼と距離を取っていた。

 熱線かと思ったが、重力から解放された今となっては縦横無尽に動く彼の姿を捉えきれやしない。

 その思考に応えるように、マガイモノは光点を放った。但しそれは口内のみに留まらず、その巨体の全体から生じていた。

 そして紅の光が迸った。数百数千に達する光は全て、黒翼を纏った少年へと向けられていた。

 

「へっ、こんなもん喰らったところで」

 

 嘲笑うように歪んだ笑みが硬直、慌てて翼が翻った。

 

「って、死ぬっつの!!!」

 

 直撃しかけていた光を回避し、更に光を掻い潜る。回避の最中、巨大化していた翼は折り畳まれ元のサイズへと戻っていた。

 空中戦が得意とした彼の自己評価は伊達ではなく、細かい光の間の関隙を縫い飛翔する彼を無数の光が捉えることは敵わなかった。

 

「さっきの感覚は洗脳か」

 

 光を回避しながらナガレが呟く。

 周囲には光が柱のように聳えているが、強化した障壁のお陰で今度は灼熱に身が焙られずに済んでいた。

 

「素で強ぇってのに、そんなのまで使えるのかよ」

 

 戦慄にも似た表情を浮かべて更に飛翔、異界の果てはまだ知れないが、かなりの高空にて彼は停止した。

 

「大分吐き出したか、ならそろそろ…」

 

 上空にてマガイモノを視認した彼は気付いた。マガイモノからは既に閃光の発露は停止していた。

 それでいながら、放出された後も光が空間の中に固定されたかのように紅の光が残っている。

 それは光ではなく、物体と化して存在する紅の柱の群れだった。その表面にじわりと無数の泡が立つのを彼は見た。

 

「やべ」

 

 言った瞬間、泡の一粒一粒から真紅の槍が飛び出した。伸びた先で、更に柄の部分から更に槍が、それが更にと連鎖する。

 空間を埋め尽くし喰らい尽くすかのように、異形の枝葉を広げて真紅の槍が拡散していく。

 全てを、世界を憎悪し尽くしたかのような地獄じみた光景に彼は奥歯を噛み締めていた。

 その彼へと、槍穂の先端の全てが向かって行く。

 

「本当、嫌われたもんだな」

 

 翼を開いて表面に斧状の羽を生やし、彼は両手の斧を握り締める。

 

「いいさ。俺なんかで良いんなら、存分に殺意でも悪意でも吐き出しやがれ」

 

 翼を翻し、異形を纏う魔法少女へと再び向かう。

 全てを喰らい尽くす勢いで拡散される真紅の槍の枝葉が、彼の視界の全てを埋め尽くす。














次話が長くなりそうなので、短めですが繋ぎとしまして…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 真の姿の紛い物③

 視界を、空間を埋め尽くすが如く広がる紅の槍の波濤がナガレの姿を包み込む。

 林立した柱から更に広がった異形の枝葉は無数の大樹を形成し、その全ての表面から槍が生じていた。

 第一陣とでもすべき波濤の上に、更に更にと真紅の先端が喰らい付く。

 

「はっ。甘いな」

 

 直径数十メートルに達した槍の包囲の中で少年の声が生じた。

 直後、紅の包囲の表面を漆黒の光が走った。光の隙間が拡大したと見るや、球状になっていた槍の群れが霧散した。

 崩れていく真紅の中央には、巨大な翼を広げたナガレが立っていた。

 翼はこれまでになく巨大化し、片翼だけでも長さが十メートルに達していた。

 翼の淵は鋭利な刃であり、翼の表面に生えた羽根は小型の斧の連なりであった。

 

「やっぱよ、ゲッターって奴は武器に使うんなら便利だな」

 

 翼を畳みながらナガレは言い、どんな形でもよぉと更に続けた。

 そして飛翔し地上を目指す。その度に大樹に阻まれ、切り刻み進む。数度繰り返した後、彼は地上に向けて視線を送った。

 

「こいつは…」

 

 それは絶句に等しい呻き声であった。

 既に視界は広くなく、今もなお伸び続ける槍穂の群れが巨大な枝葉となって異界を覆っていた。

 針の山地獄とでも呼ぶべき異様な光景が、視界の端まで広がっている。

 あいつらは脱出したかなと思った時、複数の気配と足音が彼の周囲で鳴った。

 枝葉と柄の拡大により、空中の至る所にまるで地面のような足場が生じていた。

 そして気配は宙にもあった。

 

 その方向へと、一閃する何かがあった。空中を一薙ぎすると、それは何処かへ消え失せた。

 肉が弾けて液体がブチ撒けられる水音の後に、複数の落下音が生じた。

 それは全身が赤黒く染まった少女の姿。佐倉杏子の身体の輪郭の面影を残した、ヒトの姿の紛い物だった。

 

 杏子の身体から衣服及び皮膚を剥ぎ取り、髪型の形を挽肉と粘膜で形成し、剥き出しの筋肉の上に火傷や肉襞を敷き詰める。

 そして得体の知れない甲殻類の甲羅を張り付けて、それらしく構成したかのような吐き気を催す姿だった。

 ミラーズ内で生じる偽物の魔法少女達の更なるデッドコピーのような代物ではあったが、グロテスクな中に確かに彼女の輪郭を留めていた。

 眼は無く、鼻は輪郭だけが残り、それでいて口はある。口の中には臼歯が覗いていた。

 

 そして歯の中には一本、発達した八重歯が見えた。元々の面影がそこには多分に残っていた。

 それだけに、彼女を知る者からしたら嫌悪感を掻き立てずにはいられない存在だった。

 この姿を彼の前に遣わすものの心情には、何が籠められているのだろうか。

 間違いなく言えるのは、悍ましい想いに違いないという事である。

 

「今日は随分とお前に会うな」

 

 苦笑交じりで彼は言った。そしてこの異形に対しても、彼は杏子として扱っていた。

 

「お前の死に様ってのは全然思い浮かばねえってのに、なんでこんな事ばかり起きるのかね」

 

 ぞろぞろと、光に惹かれる毒蛾のように無数の姿が彼へと近づく。

 彼女らの手にはやはり、十字架を頂いた槍が握られていた。

 肉体は腐乱死体もかくやといった惨状ながら、槍は元の姿と同じ形状を保っていた。

 

「来いよ。とことん相手になってやる」

 

 言うが早いか、異形の杏子達が駆けた。グロテスクではあったが、その身には少女の幼い体つきが再現されていた。

 痩せぎすの身体や胸の未発達さ、肉の薄い尻などにはある種の雄を惹きつける忌まわしい魅力があった。

 彼はその場で立ち、垂らした両手の先に斧を握って彼女らを待っていた。

 彼を中心にした円を成して、更には宙からも槍を振り下ろして迫る杏子達の姿があった。

 先程の槍穂の群れから異形の杏子へと攻め手が変わっただけといえばそうだが、その光景の悪夢じみた様子は先程の比ではないだろう。

 

 振り下ろされた必殺の槍と交差するように、何かが伸びたて円弧を成した。

 その円弧の根元は彼の背の裏側に繋がっていた。

 それは多節を有した黒い鞭であった。その形は彼が主武装としていた牛の魔女本体の柄部分に似ていた。

 魔女自体は彼の背で翼と化している為、これはその柄そのものだった。

 複数の節を有して滑らかに動くそれ。

 背中から生えてはいたが、まるで巨大な爬虫の尾にも見えた。

 

 それが十メートル以上も伸び、宙に舞う杏子達の首を薙ぎ払った。そして残った一体の顔面を串刺しにしたのだった。

 勢いは止まらず、地上の杏子の胸にも着弾。薄い胸が背中ごと破裂し、更に尾は逆方向に向けて回って一周、

 振り切られた後には胴体や首を切断された、少女の姿が遺骸となって転がった。

 まるで、振り切られた巨竜の尾のような一撃だった。

 

 それを踏み潰しながら、更に異形達が殺到する。

 その口からは林檎を思わせる甘い香りの唾液が溢れており、彼女たちが何を求めているかの察しがついた。

 翼を最小限の大きさに畳み、今度は彼も動いた。赤黒の群体の真っただ中に、黒い孤影が猛然と襲い掛かっていく。

 繰り出される槍は悉く空を切った。

 彼女たちの力が本物並みならいざ知らず、素の身体能力を魔女との融合で魔法少女級に引き上げた彼の前にはデッドコピー品の動きは遅すぎた。

 

 隙間を縫って肉薄し、醜くも美しい姿に両刃の斧を見舞っていく。

 首や手足が刎ねられ、割られた胴体からは悪臭を放つ臓物が無意味な肉片と化して宙に舞う。

 宙に湧いた血肉は渦を巻いて吸い寄せられ、彼の背中の翼の中央に開いた孔へと吸い込まれていった。

 このあたりは斧形態と変わらず、そして魔女自体が翼と化しているゆえに普段の大斧は使用不能となっている。 

 

 背後から迫っていた者らに対しては背中から生えた鞭が振られ、複数体が口を貫かれて数珠繋ぎとされた。

 じゅるんという啜る様な音を立て、竜尾が背へと舞い戻ると貫かれていた杏子達は人形のように崩れ落ちた。

 

 一瞬で数十体の肉体が破壊され、杏子の姿を模した存在の残骸が大量に横たわる

 それらを踏み潰し、更に無数が彼へと迫る。獰悪な咆哮を上げ、彼は彼女らと切り結ぶ。 

 自分を相棒と呼んだ少女と似た姿と気配を有した存在を切り刻む度に、噴き上がる鮮やかな血肉。

 魔女はそれらを啜り貪った。

 

 瞬時に消化され、血肉は魔女の力へと変わる。それは魔女を制御下に置いた彼に対しても同じ事であった。

 杏子達の紛い物を構成していた魔力を通じて注ぎ込まれる感情の波濤が、彼の魂へと押し寄せる。

 記憶と思い出、そして抱えた闇さえも。

 

 それに対して、だからどうしたと切り捨てることを彼はしない。こんなものとも蔑みもしない。

 ただ魔法少女を、佐倉杏子を苛んでいた理不尽に対する怒りが募る。

 生じた怒りは身を動かし、魂を突き動かす糧となる。

 

 あらゆる感情を贄と燃やして、この男は生きてきた。

 そして今、彼は魔法少女の抱えた闇と向き合っている。

 自分自身の存在をかなぐり捨て、紛い物とはいえ、成れの果てに等しい姿となってまで。

 

 自らの命を差し出しながら、眼の前の命と真っ向から向き合う。

 彼にはそれしか出来ず、そして生命あるものが行えることで、それ以上の献身はこの世に存在しない。

 そんな事など微塵も意識せず、ただ本能と己の心の赴くままに彼は杏子達と戦っていく。

 

 切れ味が鈍ってきた斧を杏子達の群れへと投擲し、空いた右手は奪い取った十字槍を振っていた。

 疾走と飛翔を以て、移動しつつの乱戦の最中に先を見る。思わず彼は歯軋りをした。

 開いた隙間の奥で、更に無数の巨大槍の形成が再開されていた。

 槍の表面で泡立ち生じる槍の枝葉に加え、この紛い物達も槍から生まれ行く姿が見えた。

 紅い柄の表面から少女に似た裸体がずるりと這い出す光景は、卵から這い出る蛇の幼生を思わせた。

 

 それを眺めるのも一瞬の事で、彼は背後に向き直り得物を構えた。

 既に無数の杏子達に囲まれ、周囲は甘い香りと荒い息遣いで満ちていた。呼吸には濡れたような響きがあった。

 紛い物達を動かしているものは、飢餓だけでは無いらしい。

 

 再び会敵に移ろうとした直後、戦場を横薙ぎの光が一閃した。

 紛い物達が声も挙げずに蒸発し、複数の槍と枝葉が寸断され視界が一気に広がった。

 彼は間髪の差で光を避けて飛翔していた。

 光の元を探った時、咆哮が木霊した。音の元へ眼を向けると、マガイモノの巨大な顔があった。

 

「奇襲たぁ、味な真似するじゃねえか!杏子!」

 

 叫んだそこへも、真紅の熱線が見舞われた。

 避けるスペースが狭く、熱が彼の脇腹を掠めた。

 障壁により三万度の熱が千度程度まで下げられていたが、触れた部分は血色の泡と化していた。

 更に放たれる熱線。回避を重ね上昇し、上空からの反撃を画策する。

 その時だった。 

 

「よう友人」

 

 上昇する彼と行き違いに、黒い魔法少女が下方へと降りていった。

 声を掛ける前に

 

「話すのもグダつくから無しだ。勝手に殺戮行為をやらせてもらうよ」

 

 とキリカは会話を拒絶した。そして降り立った足場の周囲には、既に百を越える杏子の紛い物達が待っていた。

 着地の瞬間には、彼女の両手には五本の赤黒い斧が形成されていた。

 

「キヒ」

 

 狂を発した声と表情のままに、彼女は異形達へと向かって行った。

 

 その様子を見た彼の真上に、突如として影が躍った。影の形と気配から、彼は正体が察せた。

 真正面から降りてきた姿は、武者を模した衣装を纏った魔法少女であった。

 彼の背中に両手が廻され、飛翔中の彼の身が抱き締められる。

 

「おい、麻衣」

 

 何やってんだお前という口調でナガレは言う。

 

「嗚呼、やっぱり君は抱き心地が良いな」

 

 それを無視し麻衣が語る。

 その瞬間、両者の手前を熱線が掠めた。一瞬気付くのが遅ければ蒸発していたに違いない。

 

「顔が可愛くて、それでいて男らしくて強い。完璧に近いな君は」

 

 気にもせずに麻衣は語る。彼を信頼しているという事だろう。

 そこに再度熱線が飛来する。今度は複数であり、明らかに速度と熱量そして幅が倍加していた。

 それらに対し、彼は音速を越えて飛翔し掻い潜る。

 正しい対応ではあるのだが、音速を越えた飛翔に飛ばされまいとしてより力強く抱き締められたことで骨が軋み、豊かな胸が彼の身体に押し付けられる。

 女ならともかく少女からのそれからは、例によって一切の性的関心が無いままに漸く足場へと辿り着いた。

 こうしている間にも鏡の異界は槍によって浸食されていた。最早当初の面影が見当たらない程に。

 

「完璧ってな、なんだよ」

 

 話は聞いていたらしい。息抜き程度に彼は聞いた。

 

「もう少し、理想的には身長は百八十以上だな。そして今より男らしい外見が私的には完璧の好みだ」

 

「そうかい。いい趣味してんなお前」

 

 彼は素直な意見を述べた。その条件には思い当たりがあり過ぎる。

 状況が状況でなければ、青春の一幕だっただろう。

 

「ああ。だから今は生き抜くとしようじゃないか」

 

 麻衣は抜刀し、彼もまた再度両刃の斧を召喚した。

 その両者の上に、巨大な影が降り立った。その背には悪魔の様な真紅の翼が展開されていた。

 憎悪に歪んだ表情と相俟って、マガイモノの姿は悪魔そのものと化していた。

 

「模倣されたようだな」

 

 人型のままに翼を形成したマガイモノに対し、敵愾心に満ちた視線を血色の眼に宿して麻衣は言った。

 

「ああ。物覚えが良すぎらぁ」

 

 両者の言葉を塗り潰すように、マガイモノは少女の面影を残した悍ましい声を上げて叫んだ。

 そして、最後の戦いが始まった。

 

 








背中鞭はゲッターロボDEVOLUTIONの機体(決戦仕様)を参考にしました
それと書いていた時は全く気付きませんでしたが、ほぼデビルマンな状況ですね…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 飛翔する紅、刻む黒

 青の光で満ちていたはずの鏡の世界は、遍くものが一変していた。

 単なる破壊行為によるものだけではなく、その纏った色が変容している。

 深窓の底のような深海や薄闇を伺わせる青は、万物が赤へと変えられていた。

 

 異界の殺戮兵器を模したマガイモノから発せられる魔力は、殺意と憎悪の槍を生成し、樹木のように次回の地面から天に向けて無数に生やしていた。

 それらは互いをすらも憎み合うように貫き合い、絡み合い、真紅の大樹と化して天へと挑んでいった。

 そららも更に食らい合い、大樹は山脈もさながらといった風に変貌している。

 

 異形の地形を支える地面には無数の亀裂が入っていた。亀裂の断面に蠢きが生じる。

 蠢いて震えた直後、飛び出したのは十字架を頭に頂いた異形の触手だった。触手には無数の多節が入れられていた。

 

 節となっていたのはこれもまた赤い、それも血のような毒々しさを持った赤黒の鎖だった。

 触手は亀裂を更に切り裂いて溢れ出し、それらはまるで異形の蛇の群れを思わせた。

 亀裂が亀裂を生み、範囲は急速かつ広範囲に広がっていく。

 その様子を真上から観測した者がいれば、一際巨大で天まで届きそうな、真紅の世界樹とでもすべき場所から鏡の世界を赤が穢していく様が見えただろう。

 世界を犯し、蹂躙する様を。

 

 全てを飲み込む赤い波濤の前に、一つの影が立っていた。

 燃えるような長い赤髪が、ワインレッドの輝きを放つ外套の背を伝い、腰のあたりまで滝のように垂れている。

 波濤に飲み込まれる寸前、人影は地を蹴って跳んだ。

 一跳びで高さにして三十メートルを軽く飛翔する姿は、人の形をしていたが人の力を越えていた。

 盛上がった触手の端や、異形の樹木の表面を蹴りながら間髪入れずに数十回と繰り返すと、人影はある場所へと辿り着いた。

 見上げた先には超が三個は付くほどの巨大質量。世界を浸食するその中心部の根元へと人影が、紅い少女が立っていた。

 その眼の前に、どちゃりという音を立てて何かが落下した。

 

 長髪を揺らしながら、彼女は上を見上げた。紅い瞳が映す先からは、破壊音と哄笑が聞こえた。狂乱と歓喜に満ちた声だった。

 落下物には一瞬だけ視線を注ぎ、彼女は膝を撓めた。その時に口からは苦鳴が漏れた。

 

「うぅ」

 

 細い身体がふらつき、倒れかける。紅の長得物を地に立て、彼女は転倒を防いだ。

 今の今まで徒手であったのに、それは前触れもなく彼女の手に握られていた。

 長さ三メートルに達するそれの、上空へ向けた頂点には全てを貫くような鋭さを有した十字が頂かれていた。

 その状態で五秒ほど、彼女は荒い息を立てて立っていた。瞼を閉じると、自然と一つの姿が浮かんだ。

 

 自らと大して変わらない背格好の、悪鬼の如く形相で瀕死ながらに力を振り絞り立ち塞がる全てを蹴散らしていく、燃え立つような黒髪の少年の姿。

 牙のような歯を並ばせた口から放たれる、悍ましくも美しい音で奏でられた咆哮が聞こえた。

 それが脳裏を掠めると、呼吸がほんの少しだけ安らいだ。休息はそれで十分であり、真紅の少女は跳躍した。

 壁に樹木にと蹴り続けひたすらに上を、世界の中央にしてその果てへと目指していく。

 

 少女が跳躍し地上から消えた直後、再び落下物が地面に落ちた。その数は複数だった。

 それは手であり足であり、骨と臓物であり、そして千切られた首と割られた頭部から零れる脳髄だった。

 ぎざぎざとした、金鑢の表面に似た断面を見せて転がる肉体は、火傷で覆われたように爛れた肌をしていた。

 それでいて佐倉杏子の顔の面影を確かに残し、生えた毛髪もオリジナルに似ていた。

 

 それらが、次々と降ってきた。執拗に切り刻まれた肉が残酷な雨とミゾレと化して、地面へと降り積もっていく。

 真紅の魔法少女を模した者達の遺骸が、赤く染まった異界の地を更に赤く染めていく。

 

 血肉が桜吹雪の如くに、異界の空より降り注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーーーーーーーむ」

 

 美しい声が可憐な唸りを上げた。呉キリカの声だった。

 彼女は何かに座り、両脚を投げ出すように伸ばしていた。

 

「お試しは大成功ってところかな」

 

 誰もが微笑み返したくなるような笑顔で、キリカは朗らかな口調で告げた。

 紅の世界樹の枝葉の一つ、槍が束ねられて構築された広場の一角に彼女はいた。

 その周囲は燃えるような真紅の地面と、どす黒い赤黒で彩られていた。

 漂うのは、生臭い鉄錆の臭気に甘酸っぱい果実の香り。

 それらが渦のように混じった、異様な空間だった。

 

「お、まだ生きてる。流石は魔法少女の紛い物」

 

 座ったままに前傾し、ひょいと手を伸ばして何かを両手で掴み持ち上げる。

 それは薄い起伏の胸元あたりで切断された、佐倉杏子の紛い物だった。

 僅かに留められた命が、陸に上げられた魚のように口をぱくぱくと開閉させていた。

 

 それの両肩を無遠慮に掴み、彼女は高々と掲げていた。まるで、赤子を抱き上げているかのように。

 肉の断面からは血と内臓の欠片がこぼれ、地面で跳ねた。

 地面もまた、散乱した血肉で満ちていた。

 彼女が椅子代わりとして尻を置いているものも、切り刻まれて積み重ねられた血肉と骨で出来ていた。

 

 眼も鼻も無く、されど苦痛の形を成して痙攣する死に掛けの姿へと、キリカは口を開いた。

 

「まぁここあたりで伏線でも張っておくとだね……私はお前が、佐倉杏子が大嫌いだ」

 

 表情は朗らかなままに、ただ黄水晶の瞳に虚無を宿してキリカが告げる。

 

「だ・か・ら・コ・ロ・ス」

 

 唇を可憐にすぼめてそう言うと、キリカの両手に力が籠った。

 手が握った紛い物の肩が握り潰され、骨肉が血飛沫と共に弾けた。

 

「その、可愛いくせにいつも無理にツンツンとした顔」

 

 手からずるりと落ちかけたそれを、髪を無造作に右手で掴みキリカは紛い物へと告げた。

 その命は既に絶えており、口の開閉も止んでいた。

 

「栄養が偏った食事しか摂らないせいで痩せっぽちの身体に、面倒くさいに過ぎるツンデレな性格。

 無駄に刺々しい言動、ロクに変えないせいで生活の匂いが染み付いた服、その他凡そが嫌いだ。とりあえずもう少し風呂に入る頻度を上げて、下着も毎日取り替えろ。そして使った生理用品はさっさと捨てろ。いくら友人が魔法少女の血と肉を斬り刻んで噛み砕くのが大好きな捕食生命体でもそういう生臭いのは食わないだろ、多分」

 

 長々と言い終えると、右手が下方へと弾かれるように動いた。直後に激しい水音が鳴り響く。

 魔法少女の力で地面に激突させられた紛い物の残骸は、無数の頭髪の残骸とそれに付着した小さな頭皮が少々。

 そして原型を推測することも困難な挽肉と化して、地面にブチ撒けられていた。

 感慨も無く、既に同じ様相を呈して地面を彩る赤黒に眼を落とす。

 

 虚無を宿した眼が見ていたのは、赤黒に染まった肉塊の一つだった。

 仰向けに倒れ、腹の真ん中あたりで横に切断されたそれへとキリカは手を伸ばした。

 手の甲から一本だけ斧を召喚し、下腹部の下へ、鼠径部の下部へと切っ先を宛がう。

 

「いや、切り開いて中身を見るまでも無いか。どうせあいつも膜持ちだ」

 

 まぁ私もだけどとキリカは呟き、そして溜息を吐いた。

 

「あんな分かりやすくて卑しい感情を鱗粉のように振り撒くなら、ああもう、テンプレっぽくて癪だが。誰を相手にとは言わないけど、さっさと抱かれるか抱くかしてたらよかったものを」

 

 煮え切らない女だなと言い捨て、キリカはその遺骸を蹴り飛ばす。

 脇腹が大きく抉られたそれは緩い放物線を描き、下層へと落下していった。

 

「なんだろうな、ここに来てから胸糞悪い光景が頭に浮かぶんだよね」

 

 よっこらせと立ち上がり、キリカは誰へともなく言葉を告げる。

 

「私の大切な…嗚呼…言葉に等ならないが、大切で大切で仕方ない、愛しく愛すべき純なる愛の存在を」

 

 虚無を宿していた眼には陶酔の色が映えていた。

 それは情欲であり忠節であり、そして彼女以外には計り知れぬ感情を宿した眼であった。

 見開かれた眼の周囲には涙が滲んでいた。だがその透明な液は、すぐに朱の色に染まった。

 

「彼女を傷付ける姿がね。あの美の結晶の姿を槍で串刺しにする姿がさァ……脳裏にこびり付いて離れないんだよ」

 

 赤い涙を、涙腺から鮮血を溢れさせながら凄絶な顔でキリカは言葉を紡ぐ。

 虚無と憎悪と、そして得体の知れない何かを宿した表情だった。

 

「私の妄想といえばそれまでだがね。その光景の原因であるそれだけで、お前は万死に値する」

 

 キリカが言葉を吐き出した周囲には、隅の隅まで血肉の欠片が散乱していた。

 面積にしてこの場所は、校庭のグラウンドにさえ匹敵する広さがあった。

 異常なのは遺骸の様子であった。

 切り裂かれたり殴り殺されたものは兎も角として、内臓が四方に飛び散っていたり内側から破裂したようなものまであった。

 破壊後に死体損壊をしたとしても、微塵に切り裂かれたものの数は尋常ではなく、戦闘によって生じたものである事が伺えた。

 

「ん…ああ、そうだった。そういや友人と発情紫髪女がまた浮気タッグ組んでの決戦中なんだった」

 

 それは今思い出した、そういえば、そんな事もあったねといった口調だった。

 

「それに、肝心の佐倉杏子の本体はそこにいるんだった」

 

 変わらぬ事実であり、更に言えば自分が肯定した筈の事柄である。

 先程の発言からすれば、憎悪の矛先である筈の存在ですらキリカは忘却していたらしい。

 

「さて練習も終えたし、私も混ざるとするかな。どうせあいつらは相変わらずグダグダイチャイチャメソメソとやってるに違いない」

 

 背伸びをしながら上を見上げるキリカ。その黄水晶の眼に何かが映った。

 それは眩く輝く、真紅の色を纏っていた。彼女が立つ場所から、数百メートルは離れた場所の崖にそれはいた。

 時折の停滞をしつつも必死に足場となるべき場所を探して跳躍をし続け、上空を目指していた。

 

「へぇ。まだ残ってたとはね」

 

 自然現象を眺めるように、キリカは感慨も無く言った。

 

「仕方ない、残飯処理というかゴミ掃除をしておいてやるか」

 

 いい様、黒い魔法少女の姿はそこから消えていた。

 彼女が立っていた場所の地面が大きく抉れ、衝撃で浮いた破片や散らばる血肉を宙に舞わせていた。

 それらはまるで時を奪われたかのように、不自然な状態で宙に浮いていた。

 

 

 

 荒い息を零しながら跳ねていく少女の上空に、影が舞い降りた。

 禍鳥が翼を広げたかのような、不吉な形の影だった。

 

「じゃあね、紅い毒蛇の紛い物。せめて愚かな星と散れ」

 

 真紅の瞳で見上げる彼女へと即興で紡いだ言葉を送り、呉キリカは両手の甲から生やした計十本の斧爪を振り下ろした。

 

 

 

 

 











いいタイミングかはあれですが、遂に本家で鏡の主が来られたようで


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 紫の少女よ、朱き音を帯び舞い狂え

 赤に侵食されてゆく異界。その中で三つの飛翔体が空を舞っていた。

 一体は全長四十メートル弱のマガイモノが背負った、悪魔のそれを思わせる翼。

 肉襞と粘膜、そして金属を乱雑に散りばめたような異形の翼であった。

 本体の大きさに見合ったどころか、本体よりも遥かに巨大なサイズだった。

 

 広げられた翼長は体長の三倍を超えており、縦幅も体長の倍はあった。

 巨大建造物に匹敵するサイズでありながら、それは一瞬たりとも同じ場所に停滞せず、空中を縦横無尽に駆け巡っていた。

 宿った速度は音速を遥かに越え、空中では衝撃波が吹き荒れる。

 

 それ自体が破壊の力を持った刃の如く旋風を突き破り、黒い影がマガイモノへと接近していった。

 互いに似た背丈の少年と少女だった。そして両者の背にも翼があった。但し、それは一つだけだった。

 少年は背の左側、少女は右側からこれもまた悪魔のそれを思わせる形状の、黒い金属光沢を放つ翼を生やしていた。

 

「どうだ、麻衣」

 

 飛翔しつつナガレが思念で尋ねた。肉が抉られた右肩から溢れる鮮血が風に乗り、彼の背後へと血の珠を散らしていた。

 

「空を飛ぶのは佐倉杏子でも出来る事だからな、全く問題はない」

 

 朱音麻衣も同じく、やや悪意交じり且つ棘のあるであるが思いで返した。

 間接的に自分も愚弄されている気がしたが、ナガレは気にしない事にした。

 また麻衣の場合は、左肩の肉が削られていた。両者の負傷の程度は概ね同じであり、その体表に映えた赤の色も等しかった。

 音速を越えた事への物理法則からの業罰を防ぐ為、両者の全身には魔の障壁が展開されていた。

 

「行くぞ」

 

「応」

 

 短い遣り取りを終えるが早いか、一対の魔は閃光と化してマガイモノへと迫った。

 振り下ろされた両の剛腕をナガレと麻衣は真っ向から受けた。

 直後に巨大質量の表面に斬線が入り、巨柱のような指と手の甲が赤黒い破片と化して宙に舞う。

 その奥から姿を覗かせたのは、それぞれが手に持った刃を振り切った黒髪と紫髪の少年少女。

 

「これは…イイな」

 

 散る破片に囲まれる中、麻衣は小さく言った。口は耳まで届きそうなほどに開いていた。

 

「気に入ったか」

 

「ああ、生まれ変わった気分だよッ!!」

 

 叫びながら、麻衣の手先は霞と化した。

 握られた刃が縦横無尽に暴れ狂って手首を切り刻み、背負った翼が羽搏き一気に前へと進む。

 背中からの推進力のままに進み、刃が骨らしきものや神経網をズタズタにし、肉と鉄の混合物を粘土のように切り裂いていく。

 数秒と経たずに視界が開けた。傍らを通り抜ける果実に似た甘い臭気とグロテスクな破片の彩が、彼女には桜吹雪のように美しく見えた。

 背後で迸る絶叫と自らに迫る巨大質量を感じ、麻衣は背へと命じた。飛翔せよ、何処までもと。

 

 巨大な翼が刃と化して麻衣の身体を磨り潰す寸前、彼女の身体は紫の霞と化していた。

 紅い障壁で覆われた武者姿の少女はマガイモノの背を抜け、閃光と化して垂直に昇った。

 思うままに飛翔したところで、びたりと止まって反転。

 見下ろすように、硬貨程度のサイズに見えるほどに離れた先のマガイモノを血色の眼で見つめる。

 

 マガイモノもまた彼女を見ていた。巨大な翼の下で、肩まで切り裂かれた両腕が見えた。

 そして自身の傍らに見知った気配を感じた。空間にぽっかりと生じた、虚無のような気配を。

 

「奔っていく先に君がいた、か。昔そんな歌を聴いたことがある」

 

「良さそうな歌詞だな。今度教えてくれよ」

 

 声を掛け、返ってきたものに麻衣は薄く笑った。翼を分け合った少年がそこにいた。

 ここでの合流は意図していた訳では無い。自然なままに思考と気分が合致していたのだった。

 それに麻衣は快いものを感じた。戦いの中の一体感に血と戦意が煮え滾る。

 

「ソイツが何かしでかしたらすぐ言えよ。地獄を見せてやる」

 

「貸してくれと言ったのは私だ。そしてその前に、まずあいつに地獄を与えるとしよう」

 

 紫髪を頬に垂らしたその横顔には、口を半月に開いた残酷な笑顔が刻まれていた。

 右手に下げた日本刀然とした刃には血肉の欠片どころか刃こぼれ一つなく、白銀の冷え冷えとした輝きを放っていた。

 その刀身に朱の色が覗いた。光源は下方からのものだった。

 

 全身に光点を生じさせたマガイモノから放たれた、超高熱を宿した光であった。

 その数は無数であり、それは巨大な紅い壁が迫り来る様に見えた。

 

「しゃらくさい」

 

 自身を一瞬で消滅させる熱量を前にしながら、麻衣の顔に浮かんだのは戦姫の笑みだった。

 

「虚空」

 

 刃を水平に構え、想いを紡ぐ。

 我が刃よ、望みを叶えよと。刃の白銀の上に紫色の魔力が翳る。

 

「斬破!」

 

 魔力により白銀と紫が混じった刃が、左から右へと横薙ぎに振り切られた。

 迸った光が一の字の線を描き、直後に縦に拡大。繋がれて開いた空間の先には桃色の歯茎から無数の牙を生やした異形の貌。

 躊躇いもなく、麻衣は自らが切り開いて繋げた空間の中へと飛び込んだ。

 間髪入れずに飛来した大顎を寸前で回避し、醜悪な顔に向けて刃を振り下ろす。

 額が切り裂かれ、装甲と肉が弾け異形の鮮血が舞う。

 

「我が呪われし願いと運命よ、感謝する」

 

 言葉を紡ぐままに、麻衣は刃を振う。ただ只管に、眼の前の存在を切り刻む機械と化したように。

 

「このまま削り取って、貴様の存在を消してやる!覚悟しろ佐倉杏」

 

 残り一言を言う瞬間、激しい金属音が鳴り響いた。背中から飛来した何かが麻衣の身を打ち据えていた。

 刀身を伸ばした刃で防いだが、その身体は宙から地へと向けて落ちていった。

 口と胸から噴き出す血の線を引いて落下する身を、横薙ぎの颶風が連れ去った。紅の地面までは高さにして十メートルを切っていた。

 

「よく防いだな」

 

 右肩を貸して飛翔しつつナガレが告げた。その身は微細な焦げ跡と火傷が刻まれていた。

 壁面に等しい密度の熱線の隙間を、彼は掻い潜って飛翔したらしい。

 左手に握られた両刃の斧が痛み、肉片をこびり付かせているところを見るに、彼もまたマガイモノを刻む最中だったようだ。

 

「あれだ」

 

 言った瞬間、紅の色が視界を掠めた。身を捻って回避し、顎先でそれを示した。

 空中で振られていたのは、巨大に過ぎる槍だった。びっしりと多節が生じ、伸びきった長さは三百メートルは下らない。

 太さ五メートルの槍は、マガイモノが展開した翼と背中の接合部分から生えていた。翼といい、見覚えがありすぎた。

 

 それが空中で鎌首をもたげて本体と共に再度飛来。のたうつ毒蛇のように蠢き、隣りあわせとなって再び一つになった黒翼へと迫る。

 

「悪いな、ちょっと苦しいぞ」

 

 右腕を腰というか腹に回して衣服をがしっと掴む。白い生地には鮮血が滲んでいた。

 その上で豊かな胸を締め付けていた紫の帯は、今は消失していた。

 そして麻衣の乳房も削られていた。左右の胸は程度の違いはあれど子供の拳程度の大きさの肉と脂肪が消し飛んでいた。

 

 本来は朱鷺色の突起は溢れ出す血で濡れ、血に塗れた胸は無残且つ妖艶な趣を有し、魔を孕んだ美しさを宿していた。

 彼はそれを見ないように努めた、というよりも彼女の心境を慮る以上に気に掛ける余裕は無かった。

 獲物を執拗に狙う毒蛇の如く振られる槍に加え、無数の十字架が飛翔。更には熱線までもが空間を薙ぎ払うように飛来する。

 

「豪華なもんだ」

 

 豪華とは、異形を纏った杏子から与えられた歓待の事だろう。もしかしたら、業火と掛けているのかもしれなかった。

 いい様に垂直に急上昇。空ぶった槍が地面を大きく抉り、大瀑布により生じる飛沫の如く無数の真紅が宙を舞う。

 

「腹に力を入れな。飛ばすぞ」

 

 即座に頷く麻衣。直後にその身に、見えない巨大な手が握り締めたような圧力が加わった。

 骨を軋ませ、内臓が直に握られて揉み解されるような感覚に襲われる。

 それは慣性の法則を無視した、この世の理の外を思わせる異形の飛翔の代価であった。

 障壁で守り切れない、異界の重力に引かれる事で生じる圧搾。

 

 摂理を無視した事への罰は魔法少女の肉体を、不可視の手で愛し尽くすかのように無慈悲に凌辱していく。

 苦痛に苛まれる意識を切り刻む様に、麻衣は音を聞いた。

 すぐ隣で鳴る鼓動と、魔獣のような咆哮を。

 迫る槍に対して翼で迎え撃ち、巨大槍を斧で弾き、掻い潜ってきたものを背中から生やした斧の柄で形成した鋼の尾で薙ぎ払っていく。

 

 そうして生じた隙間を縫って飛翔する。向かう先は決まっていた。

 

「行くぞ」

 

「願っても無い」

 

 当然のように彼は戦闘継続を伝え、麻衣も応える。

 退避を赦してくれる相手ではないし、それに「大丈夫か」と言っていたら麻衣の心は折れていた。

 彼の言葉を聞き、麻衣はそう思った。胸の傷は既に魔力で破損個所を皮膚で覆わせ出血を止めていた。

 露出した状態も、少し迷ったが生地を無理矢理伸ばして塞いだ。元々余裕のある造りであるため、露出を覆うのは楽だった。

 

 そこへ巨大槍が飛来する。二人を纏めて串刺しにする算段の十字はしかし、接触の寸前に対象が二つに分かれた事で空を切った。

 弾かれたように離れた様に、麻衣は奥歯を噛み締めた。腹を巻いていた鋼鉄の義手の、冷たくも熱い感触が急に冷えていく。

 

 湧き上がる喪失感。

 そして飛来する凶器の群れを前に、武者姿の魔法少女は吠えた。我が子を失った母親のような悲痛な叫びだった。

 

 嘲笑うように飛来する暴虐の嵐を、麻衣の斬撃が斬り払っていく。

 彼女の貌に浮かぶのは阿修羅のように凄まじく、そして美しい戦姫の形相だった。

 怒りに満ちた貌を複数の紅が照らした。触れれば即死の光の前に、麻衣は挑むように立った。

 その身が高熱で包まれる瞬間、麻衣は刃を振り切っていた。そして数万度の熱を宿した熱線は悉くがあらぬ方向へ弾き飛ばされていた。

 弾かれた先では破壊が生じ、異形の樹木に地面にとあらゆるものが破壊された。

 それでいて、麻衣には一切の負傷が無く、刃も魔を帯びつつも冷え冷えと輝いている。

 

「すげ…」

 

 先行したナガレは巨大槍とやり合いつつ、それを見た。

 魔法少女との戦闘には彼も慣れてきた積りだが、毎回驚かされてばかりだった。

 そして彼は更に驚愕する事となった。

 

 熱線を切り裂いた斬線は止まらず、紫の波濤となっていた。

 遂には三百メートルは離れているマガイモノ本体へと至り、その左半身を縦に大きく切り裂いた。

 破壊は前面だけに留まらず背後にも至り、巨大な翼や左脚も切断されていた。

 苦鳴が鳴り響く中、空中で身を崩したマガイモノは地面に向けて落下していった。

 そして地面へとうつ伏せに激突。巨大質量の墜落による衝撃で地面が波打ち、大気が號と吠えたように震えた。

 

「これでお相子だな。尤もお前の場合は強制的にだが」

 

 滞空しながら、荒い息を吐きつつ麻衣は嘲りの言葉を放った。片翼同士だが、貴様は私と違うと血色の眼が無言で告げていた。

 自分らしくないとは思いつつも何かを言わなければ、そして思わなければ気が済まなかった。

 文字通りに死ぬ瞬間、その上で覚悟を決めて刃を振ったからこそ、彼女に宿る魔の力は限界を越えた力を発揮したのだった。

 

 その代わりに払った対価は大きく、身を内側から切り刻む苦痛や恐怖感が間断なく響く。

 血色の眼は苦痛により焦点が定まらず、気を緩めた瞬間に気を失う事だけは分かっていた。

 気付けが必要だった。愛刀の鮫皮を口に咥え、自由になった手を左肩に添えた。

 

 飛来した槍の一本により肩口から脇の下の辺りまでが切り裂かれて生じた傷がそこにあった。

 既に傷口は乾き、赤黒い欠片がこびりついている。脇の下から衣服の内側へと入り、指は負傷による肉の隙間へと向かう。

 まず感じたのは、指先が捉えた柔らかなザラつき。そういえば昨日処理を忘れていたなと麻衣は思い出していた。

 脇に生えた産毛を抜けて、既に鮮血に濡れた指先が乾いた傷口をこじ開ける。

 その動作に、麻衣は下腹部が疼くのを感じた。

 

 弄ぶ部位は身体全体から見て反対側に近いが、指先の体毛といい感触自体は似ているなと彼女は思い、自嘲気味に小さく笑った。

 この行為により実際の自慰同様に今はまだ空っぽの肉の袋が熱を帯び、育んだものが通り生れ落ちる場所もぬかるんでいるのだろうとも。

 淫らな思考は敢えてそのままに、麻衣は指を激しく動かした。自分で自分を慰める時と同じように。

 

 傷が開かれた事で、傷口を守っていた粘液が糸を引き、肉がみちみちと引き裂ける熱く激しい痛みが心に響く幻の痛みに亀裂を入れていく。

 愛刀を噛み締めながら、麻衣は更に指を穿孔させる。

 第一関節まで指が入った時、残った親指を肩口の傷に突き刺した。

 痛みで視界が真っ赤に染まる。真っ赤に染まり、そしてはっきりと意識が戻っていく。

 紅の視界の中、無数の影が見えた。

 

 切り裂かれて巨大な葉のようにゆっくりと落下する翼から、無数の杏子の模倣体が産まれてゆく様が見えた。

 それらは手に手に槍を携え、一点を見据えていた。自分たちを産み出す切っ掛けを与えた、武者姿の少女の姿を。

 

「…ふっ」

 

 鮫皮を噛んだまま、麻衣は嗤った。口を開いて愛刀を落とし、唾液で濡れた鮫皮を血に濡れそぼった右手が掴む。

 掌底を柄の上に掛け、小指と薬指を締める。

 他の指はそれに従うように締めと緩めの境目に揺蕩わせ、卵を握る様に、小さな生き物を護るかのように添えるだけ。

 刃を握る感触は心地よく、刃を自らが従える様には性的な快感さえ伴っていた。

 血と唾液が滴る握り手。

 それに握られる刃は、捧げられる餌食を今や遅しと待ち構えている獣の牙に見えた。

 

 自らを産み出す翼を足場に、杏子達が飛翔する。

 そこに向け麻衣もまた黒翼を広げ、猛禽のように荒々しい飛行で迫る。

 接触の瞬間、振られた刃によって複数の人体が切り裂かれ、更に舞い踊る刃が更に肉体を切り刻んだ。

 槍を掻い潜り、残った左手で杏子に似た頭を掴んで握り潰す。

 蹴りが跳ね、細い首を圧し折り顔面を叩き潰す。

 

 刃の切っ先で胸を貫き、脚の間から出た刃を下方に切り下げて真っ二つに切り開く。

 突き出された槍を躱して背後に回り込み、空らせて無様な背を晒した個体の長髪を頭皮の根元あたりで纏めて掴む。

 そして背中に足を掛けて、剛力を用いて頭の肉ごと赤髪を引き千切る。

 杏子の姿で苦しむ異形の様子に、思わず麻衣は短い哄笑を挙げた。

 笑いながら刃を振い、その個体の首を撥ね飛ばす。

 刃は止まらず、血色の眼が求めるままに次の獲物を探して魔刃が荒れ狂う。

 

 全身が血に塗れ、衣服の内側では血以外の泥濘が粘膜を濡らせていた。

 思うままに、想うがままに暴れ狂う。

 視界の隅では、自らと同じく翼を広げた少年の姿が見えた。

 頭部から生えた長い突起は角にも耳にも見え、それを麻衣は可愛らしい獣の耳と受け取っていた。

 美少女に近いというかそのものの顔付きでありながら、雄々しさと猛々しさが矛盾なく合わさった美しい顔に、魔獣じみた表情を浮かべながら彼もまた杏子達を斬り払っていた。

 血に塗れ、全身に切り裂いた者達の破片を浴びながらも殺戮を続ける姿に、彼女は熱い息を吐いた。

 

 拭い様も無い欲情の感情が渦を巻く。自分の肉の内側に、あの強く雄々しく猛々しいものを導きたいという欲望が沸き起こる。

 周囲の真紅はそれを阻む邪魔者であり、憎悪と嫌悪と殺戮衝動を麻衣の中に湧かせていく。

 感情の激流の渦に導かれるように、魔法少女が振るう残忍な円弧は紡がれ続き、群がる敵を蹴散らしていく。

 

 殺せ、本能のままに。

 

 脳内に、魂にそんな言葉が浮かび、消えては顕れてを繰り返す。

 明滅の度に、魂が燃え上がる様な思いが迸った。

 刃を振る度に、視界に少年が映る度に、彼女は生まれて来た意味を感じていた。

 そして無数の人体を無意味な破片に変えながら、麻衣は叫んだ。

 それは昂った魂が放った絶頂の咆哮でもあり、次の贄を求めて渇望の声を挙げる飢えた獣の叫びであった。

 

 叫びのままに振られる刃が、肉を破壊し血を迸らせる残忍な朱い音を刻んでいく。

 この音色よ永久に続けと。

 傍らの雄々しき戦士よ、我と共に寄り添えと。

 紫髪の魔法少女は、朱音麻衣は残忍で純粋な願いを籠めて舞い狂う。



















遂に五十話となりました
そして多分初めてとなる朱音麻衣さん回です
また妄想の糧としたいのですが、彼と麻衣さんのディスク構成が気になります(個人的に彼はアクセルゴジラなイメージです。麻衣さんはブラゴリでしょうか))


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 刻み踊るは、紫と黒。毒の言の葉紡ぐ、狂える漆黒

 刃が躍る様に振られて人体が切断され、両刃の斧がその獰悪な形状に違わぬ勢いで刃と肉を叩き斬る。

 地面へとブチ撒けられる残骸は、直ぐ様に無数の足によって踏み砕かれた。

 魔の翼を分け合った少年と少女は地面に降りていた。その周囲と上空を佐倉杏子の模倣体が取り囲んでいた。

 

 その数は例えるならば腐肉に群がる無数の蟻、そして空を埋め尽くす雲霞の如くであった。

 宙に浮いた者は背に翼を生やしていた。これもまた彼を模したのか、蝙蝠然とした形状をしていた。

 皮膜に相当する部分が粘膜のぬめぬめとした輝きを放っていることに、麻衣は吐き気を覚えずにはいられなかった。

 

「本当に気味の悪い奴らだ。佐倉杏子め、何を考えればこんな悍ましい命を産み出せるんだ?」

 

 嫌悪感と共に吐き捨てつつ、麻衣は刃を振い続ける。模倣体の杏子達の首が刎ねられ、唾液を垂らす口内を刃の切っ先が貫く。

 刃が掠めた歯が砕け、背後の個体の頭部も貫く。三体が貫かれた時に麻衣は刃を縦に降ろし、三体は残忍な開き物と化して体内のものを四方に散らした。

 ナガレもまた斧に翼、そして背中から伸びた鞭状の刃を振い続ける。一瞬にして夥しい死が連鎖し、両者の足元にその残骸が降り積もる。

 そうやって開いていく血路の奥に、巨大な物体が倒れていた。赤黒い姿の杏子の模倣体達はそれを守護すべく、一対の魔の前へと立ち塞がっていた。

 

「あいつは目と鼻の先だってのに、キリがねぇ」

 

「敵が多いのは良い事だ。君との時間が続くのは好ましい」

 

 毒気のある言葉だが、生来の実直さゆえか嫌味は含まれていなかった。

 現に刃は全く鈍らず、彼と共に迫り来る赤黒の人体を次から次に斬り伏せていく。

 そこに刃の包囲網を抜け、一突きの槍が去来した。それは麻衣の右頬を掠め、美しい肌に朱線を刻んだ。

 だが直後に槍が引かれ、その個体が前へと引き出される。つんのめった瞬間、杏子の面影を大いに留めた形の顔が木っ端微塵に砕け散った。

 報復として放たれた、朱音麻衣の拳によって。 

 

「悪戦苦闘に多勢に無勢、されど戦意は十二分で背中を預ける友もいる…実にいいシチュエーションだ。死に甲斐がある」

 

 右手に付着した骨肉と脳漿の破片を振り飛ばしつつ、麻衣は言った。将来の夢を語る様な、実に楽しそうな口調だった。

 

「ロクでもねぇ事を言うな。死に甲斐なんて言葉は百年早ぇ」

 

 叩き付けた斧を横に傾けた槍で受けた模倣体の腹へと蹴りを叩き込みながら、ナガレは苦々しい声で返した。

 自らの行為が言葉と矛盾している事と、死を望むような発言が神経に障ったのだった。

 蹴りを受けた模倣体は腹部が破裂し、渦巻く内臓を宙に躍らせた。それらを貫いて飛来した槍を背から伸びた鞭が弾いて翼が切り裂く。

 

「怒ったのかい?」

 

「そう聞こえたか」

 

「ならこう言い換えよう。生き甲斐を感じると」

 

「ああ生きろ。死ぬんじゃねえぞ」

 

「応!言われる迄も無い!」

 

 死を量産しつつ、両者は着実にマガイモノへと向かって行く。されど距離は未だに二百メートルほども離れ、包囲網はなおも両者を取り囲む。

 一気に飛翔しようにも、雲霞の如くひしめく模倣体が全方位から押し寄せる為に地面を踏破するしかない。

 大技を使おうにも繰り出される槍穂の嵐が力を練る隙を与えない。策が無い訳ではないが、その為には時間が欲しいと彼が思ったその時だった。

 

「はいそこまでー」

 

 殺戮で満ちた場に似合わぬ、朗らかで間延びした声が去来した。脱力気味ではあったが、少年のようなハスキーボイスまでは曇っていない。

 

「あのコピー女は取り逃したが、まぁいい。ささいだ」

 

 当人にしか分からぬ言葉が紡がれた直後、顕れたのは赤黒い刃の波濤であった。

 無数に連なった斧状の魔力が模倣体たちを切り刻み、紅い地面さえも深々と切り裂く。

 吹き散らされる人体を更に刻み、地面どころか空中にまで破壊の凌辱が広がっていく。

 

 円を描いて切り抜かれた視界の先に、黒い魔法少女である呉キリカが立っていた。何の積りか、ナガレと麻衣に向けて丁寧な礼を捧げていた。

 美しい従者のような姿が見えた次の瞬間、破壊された人体の残骸と赤い破片が無数に降り注いだ。

 悪夢の雨が注がれる中、キリカはゆっくりと上体を起こした。

 

「はいはーい。空気も読まずに私、参上。んじゃま、呉キリカさん視点で見る佐倉杏子抹殺ルート、黒髪ショタと発情紫髪の愁嘆場チャートはーじまーるよー…って」

 

 降り注ぐ血肉。既に臓物と肉片で満ちた地面にそれらが跳ね、悪臭と血臭が鼻を刺す中でキリカは長台詞を述べた。

 そして黄水晶の眼が少年と紫髪の魔法少女を、正確には両者が背負った黒翼を捉えた時、

 

「うわぁ…」

 

 という呻き声と、美しい顔には明らかな困惑と『引き』の表情が滲んだ。そして彼女は溜息を吐いた。

 

「あーーーーー。そうか、今はそういうプレイの最中か。なんていうか、朱音麻衣よ。お前の性癖の深淵は深いな、卑しすぎて底が見えない」

 

「黙れ雌犬。これは誇り高き決戦仕様だ」

 

「はいはい。言葉の自慰行為ご苦労様。っていうか友人、お前もさっさとこいつらを抱かないからこういうハメになるんだぞ。分かってるのか甲斐性なしめ」

 

「黙れと言ったぞ呉キリカ。貴様を切り刻んでアリナ某に差し出して遣ってもいいんだぞ」

 

「その時はお前も一緒に捕まるだろうね。それでモブ魔法少女共にレズ輪姦されて、肉を焼かれて炭にされ、あいつの唾液と性液を混ぜ合わされた絵の具にでもされるのさ」

 

 毅然とした麻衣の言い分にもキリカは動じず、邪悪な存在を示唆する歯に布着せぬ罵詈で返した。

 魔法少女同士の物騒且つ自分の身を抉られるような物言いにナガレは必死に自分を抑えて無言を通した。自分が出るとロクな方向に行かない事を漸く学んだようである。

 ついでに周囲を見渡し警戒していた。呉キリカという存在の乱入は、異形達の思考にも影響を与えたのか模倣達の動きは止まっていた。

 好機だと彼が思った時、キリカは思い出したように口を開いた。

 

「ああそうだ。さてと友人、異界からのお客様である君にだね。この世界の豆知識を教えてあげよう」

 

 麻衣からの殺意の視線など無いかのような、いつも通りの春風の如く朗らかな口調のキリカであった。

 

「古今東西、魔法少女は触手に弱い」

 

 自信満々に断言するキリカ。意味を理解したが故に、露骨に不快感を顔に浮かばせ青筋を額に浮かべる麻衣。

 そして全く意味が分からずに首を傾げるナガレ。

 こんな事をしている場合ではないと彼が思った時に場の均衡は破れ、三体の魔の周囲を無数の赤黒い影が覆い尽くした。

 

 











短いですが、例によって次の話の繋ぎとしまして


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話 狂える禍風、そして

 宙に躍る赤黒の人体、地を駆ける者達。

 三人の年少者達を包み込むのは、人型をしたものが織り成す包囲陣。

 蚊の一匹ですら通さぬ密度のそれを、赤黒い数条の線が貫いた。

 

 数体、十数体、数十体を貫通したまま旋回し、包囲を強引にこじ開ける。

 線は旋回と共に動き、触れた者達を容易く切断。無数の人体の破片が宙に舞い、臓物と血が雨となって降り注ぐ。

 切り開かれた先には、肩の位置まで上げた両腕を水平に伸ばした黒い魔法少女の姿があった。

 その両手へと、赤黒い線の端がするりと消える様子が見えた。

 

「どうした友人?地面などに突っ伏して」

 

 残酷な雨を降らせながら、キリカは朗らかに言った。

 

「おいキリカ、てめぇ!」

 

 ナガレが即座に怒鳴り返す。黒翼は畳まれ、彼女の言葉通りに地に伏した彼の身体を覆っていた。

 その傍らからは苦鳴が生じ、更に翼の端からは血だまりが溢れていた。

 

「何やってるんだ朱音麻衣。友人と並び立ちたいなら、そのくらいは避けろよ」

 

 嘲弄と共に跳躍し、前へ出る黒い影。広範囲の包囲はそのままに、周囲の者達の注意はキリカへと向いていた。 

 それでも数十体がナガレや麻衣へと向かう。立ち上がり斧を構える少年は、左手に魔法少女を抱いていた。

 右肩から乳房を伝い下腹部までに繋がる深く長い傷からは、血はもとより切り裂かれた内臓までが垂れ下がっていた。

 治癒魔法を発動させつつ、ナガレは向かい来る異形の杏子達を迎え討つ。

 

『一つ貸しだぞ、朱音麻衣』

 

 背後にて槍と斧の交差が為される中、キリカはそちらへ思念を送った。

 苦痛に満ちた『ああ。感謝する』との返しに、キリカは可憐な唇を歪ませて嗤った。

 猛禽類が笑うとするのならこうなるのではないかと思われる、捕食者じみた笑顔だった。

 

『じゃあね、先に待ってるよ』

 

 キリカが思念を送るのと、そのだらりと垂らした両手から、正確には両手に嵌めたブレスレットから無数の光が湧き出したのは同時だった。

 

「見たか佐倉杏子の紛い物ども。これは我がバンパイアファングの派生系、醜く卑しき管蟲どもだ」

 

 管蟲と呼ばれたそれらは、彼女の言葉通りの形をしていた。

 直径にして、一センチあるかないかの太さの無数の連ねた斧。

 本来のバンパイアファングの極小版とでもいった存在だった。

 先端の形状は針の如く尖り、獲物を求めるように身をくねらせていた。

 それが彼女の両手からそれぞれ十本、計二十本の管蟲達が垂れ下がり紅の地面に広がっていた。

 長さは十メートルに達し、それは既に複製体達の足元にまで伸びている。危機を察知して彼女らが動くよりも早く、

 

「行けッ!卑しき淫らな触手ども!!!」

 

 キリカの残忍な叫びが木霊した。悍ましい形状をした触手たちは、その声に一斉に従った。

 針を思わせる切っ先が上を向き、逆向きの滝のように迸る。先端の終点に赤黒い肌が待っていた。

 水のように貫き、体内を切り刻みながら瞬時に体外へと抜ける。それが触手の一本につき五体以上も貫いていた。

 忌まわしき数珠繋ぎの様を晒して貫かれ、異形達は身悶えていた。その様子に、キリカは歯を見せて笑った。

 

「オリジナル同様に雌臭い香りを振り撒く腐れボニータどもめ!ガスガスによがらせて殺る!!」

 

 貫いたままに、天高く飛翔。当然の如く触手たちが引かれ、異形達からずるりと抜ける。

 そして抜け際に、連なる斧は破壊を遺していった。

 肉の内側がズタズタに切り裂かれた挙句に鞭のように旋回し、異形達は金鑢のように荒い断面を晒して肉塊と化した。

 

 そして宙を舞いながらキリカは両手を振う。まるで舞踊のように美しい仕草をしつつ、残忍な触手たちを操り殺戮の渦を吹き荒らす。

 ある個体は腹部から穿孔した触手に内臓を瞬時に掻き回され、妊婦の様に下腹部を膨らませたかと思った瞬間に破裂させられた。

 

 破裂した腹の上で、微塵となった内臓を喰らうかのように触手たちは蠢いていた。

 またある個体は口から入り込んだ触手によって、内側から背骨を抉り出されていた。

 白い骨の表面を触手は何重にも巻きついて動き、その傷跡を楽しむ様に刻んでいた。

 

 拷問のような惨状が至る所で引き起こされていた。その渦中にいるキリカは哄笑を挙げ続け、触手たちを操り杏子達を玩んでいる。

 そこに数十本の槍が飛来した。大半を触手で防いだが、二本がキリカの元へと至った。避ける素振りも見せず、彼女はそれを受けた。

 豊かな両乳房を、それぞれ一本の槍が貫き切っ先は背中から貫通していた。宙でバランスを崩し、その身が地面へと落下する。

 落ちていく最中、呉キリカは

 

「ああ、丁度よかった」

 

 傷と口から血を零しつつ、彼女は平然と言った。

 

「もっと増やそうと思ってたからね」

 

 言うが早いか、その身体は赤黒に包まれた。背中と胸から、その傷口から更に大量の触手たちが溢れ出した。

 それは落下地点で待ち構えていた杏子達の全身を貫いて切り刻み、更に落下するキリカの身を柔らかく受け止めた。

 玉座に座る姫のような体勢となり、その状態でキリカは命じた。

 

「喰い漁れ」

 

 触手たちは忠実に従った。背から湧き出た触手は翼の如く広がり、彼女の背後に回った模倣達に地獄を見せた。

 胸を突き破るようにして広がった触手はまるで手のように開き、その波濤は複数の人体を容易に飲み込んだ。

 過ぎ去った後には、僅かな肉片と内臓の切れ端だけが残った。身を貫いた槍はそのままに、全身から触手を湧かせつつキリカは走った。

 黒い禍風どころか竜巻と化し、触手の先端に触れる全てのものを貫き切り裂き、蹂躙していく。

 

「ハハハ」

 

 渦の中心からは、絶え間なく笑い声が生じていた。

 

「ハハハハハ」

 

 串刺しにした杏子達の首が、まるで果実の身のように触手に連なっている。

 

「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!」

 

 哄笑のままに殺戮を続け、異形の触手を舞い踊らせながら無数の群れを切り裂いていく。

 虚無を宿した空っぽの心。その表面に泡のように湧いてくる殺戮、破壊衝動。

 その赴くままにキリカは全てを切り刻み、抉り、貫き続ける。

 それでも尚包囲は分厚く、敵は雲霞の如く襲い来る。

 だが黄水晶の眼には何も映っていないのか、一切を気にせずただ只管に進んでいく。

 

 その上空に巨大な影が降り立った。触手が地面を叩き、その反動で以て高々と舞い上がる。

 衝撃により触手が貫いていた、大量の肉片が払い落とされる。背中から生えた触手が束ねられて開いた様は、これも翼そのものの形となっていた。

 形はナガレのそれに似ていたが、彼女の技名を鑑みてかこちらは蝙蝠に近い形状だった。

 

 赤黒い翼を背負ったキリカの前に、巨大な姿が聳えていた。

 切断された左半身はそのままに、マガイモノが立ち上がっていた。傷口からは膿の様な黒々とした液が滝のように零れ続けている。

 

「ハハッ、流石に満身創痍か」

 

 同じ目線の状態でキリカは言った。異界を震わすような吠え猛る咆哮にも、キリカは平然としていた。

 

「佐倉杏子。君に一言だけ言いたくてね」

 

 朗らかに笑いながら、キリカは語る様に告げる。

 

「自分ばかりが、特別だとは思うなよ」

 

 くすりと笑ったその瞬間、彼女の背から闇が迸った。

 それは彼女の纏った衣装よりも黒く、一切の光を宿さぬ無明の闇で出来ていた。

 闇が彼女の体表を這っていく中、キリカの顔は半月の笑みを浮かべていた。

 それは彼女の肌と口で出来たものではなく、白骨の如く白い仮面に描かれた表情だった。

 












ゲッターロボアークまでには間に合いました(ネット配信視聴勢)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 マイナス??話 叛逆の竜達

 衝撃音が鳴った。それはもはや、爆音に近い激しい音だった。

 その音に乗じて何かが風を巻いて飛んだ。そして地面に激突し、更にはかなりの距離を滑ってようやく停止した。

 

「ウグゥ…」

 

 蒼天が空に浮かび、世界を白光が照らしている。

 敷き詰められた砂地の上で唸り声を挙げたのは、四肢を備えた巨躯だった。

 手も足も胴も、潜水服の様に膨らんだ分厚く黄色い装甲を纏っていた。

 

 頭部には顔の全てを覆う面貌が嵌められていた。その形状は奇妙な事に、前に大きく迫り出した形をしていた。

 ぱっと見た限りでは、大型犬の顔の輪郭に似ていた。

 苦痛を孕んだ声を零しながら、その巨体は仰向けから立ち上がろうとした。首を傾けたところで、その身体は完全に倒れ伏した。

 殊更に分厚い装甲が施された胸に、まるで砲弾を叩き込まれたかのような深く広い陥没が生じていた。

 倒れた巨体の先に、一人の男が立っていた。

 

「俺は実感がねぇケドよ、俺はお前らにとっちゃ憎いどころの相手じゃねえんだろ?」

 

 突き出した拳を戻し、泰然とした立ち姿を取りながら青年は言った。

 緑と青で彩られた戦意に身を包んだ、百八十センチを越える長身。

 その衣に包まれるのは頑強で引き締まった筋肉と逞しい骨格。

 

 野性味を帯びながらも整った形状の貌、そしてやや浅黒い肌には艶やかな張りと若さが満ちていた。

 頑強さと秀麗さが混じった顎に触れるか触れないかの場所。

 彼の逞しい首には緑色のスカーフが巻かれ、その端は獣の尾のように宙で靡いている。

 炎の様な攻撃性と烈しさを思わせる黒髪の下で、刃のように鋭い目が黒い瞳を宿して輝いていた。

 その目がちらりと左右に向いた。黒い瞳の中には、先に打ち倒した巨躯に匹敵する二体の姿が映っていた。

 

 青年から見て右は赤、そして左は青。

 炎と水を思わせる色の装甲を纏った二体の巨躯はそれぞれ前者が鈍い金属光沢を放つ長槍を、後者が鉈のように分厚く日本刀のように長い刃を手に携えていた。

 二体の武装した巨躯に対し青年は全くの素手であり、彼も長身とは言え対する巨躯たちの身長は二メートルどころか三メートルに近く、身体の厚みも三倍近い差があった。

 子供と大人どころではない。人間と巨獣の差に近い体格さであった。

 

 されど、その内の一体は彼に倒されていた。呻きだけは続けていたが、その身体はぴくりとも動いていない。

 倒れた巨躯の近くには、重火器らしき物体が転がっている。

 一切の熱を孕まず冷え冷えとした金属光沢のままであることが示すように、一発の弾丸さえも放てなかったようだ。

 

「どうしたァ…オイ」

 

 武具を携えながらも停滞する巨躯たちに、青年が口を開いた。その姿に相応しい、燃え上がる真紅の炎のような精悍な声だった。

 

「来なけりゃこっちから行くぜ?」

 

 嘲笑うというよりも、「早くしろ」と急かすような声だった。声に殺意はなくただ純粋な戦意が滾っている。

 だがそこに巨躯たちは恐怖を見出した。それは感情というよりも、遺伝子に刻まれたような原初の恐怖であった。

 悍ましい叫びを挙げながら巨躯たちが武具を突き、または掲げて突撃。

 重合金を穿ち、巨岩でさえ両断しかねない裂帛且つ完全なタイミングの双撃はしかし。

 それらよりも遥かに速く、旋風の如き速度で動いた青年によって躱されていた。

 

 そして更に、技を放った筈の二体の姿は宙を高々と舞っていた。

 得物を手から放して吹き飛んでいく二体の真ん中で、両手を左右に緩やかに突き出した青年が立っていた。

 彼が放った左右の一撃により、地に落下した二体の腹と胴体には、先の個体が負ったものと酷似した陥没が刻まれていた。

 そして彼の拳を覆う茶色の皮手袋の拳骨部分からは、焼け焦げた香りが漂っていた。彼の鉄拳が音速を越えた証拠であった。

 

「一撃必殺、二天一流…とでも名付けようかね」

 

 白く鋭い歯を見せて嗤いながら青年は言った。立ち上がろうともがく巨躯たちは、その声に心を折られたように動きを止めた。

 

「そこまで」

 

 そこに新たな声が生じた。抑揚と感情を抑えたような、物静かさを伺わせる若い声だった。

 声の発生源へと青年が首を向けた。そこにいたのは、青年と似た体格の姿であった。

 その身を頭まで包むのは、古代文明の戦士を思わせる鎧。

 重厚だが見る者にも重さを感じさせない未知の存在を思わせる姿であった。

 

「構わない、そのまま楽にしていろ」

 

 立ち上がろうとした者達を、寧ろ咎めるように鎧を纏った若者は言った。

 厳しさは優しさであり、敗者達の苦痛を断ち切り安息の気絶へと誘った。

 

「整備は完了した。何時でも発てるぞ」

 

「要は出てけってコトだろ」

 

「理解が早くて助かる」

 

 いい様、鎧姿の若者は右手の指をパチンと鳴らした。

 蒼天が照らす闘技場の光景が一変し、地面も壁も金属で覆われた無機質な世界へと変じた。

 そのまま壁面に向かい無造作に歩くと、一ミリの凹凸も無い壁が左右に分かれて開かれた。

 その隙間を、若者に先導された青年が歩いていった。

 

 出てすぐに見えたのは、無数の光点が散らばる闇の世界。

 広く長い回廊の半分を覆う窓の外には、無限の宇宙が広がっていた。

 それに対し、特に感慨も無く両者は歩いた。宇宙とは見慣れた光景であるために。

 

「槍が苦手か。刃に対して僅かに接近を許していたな」

 

 歩きながら若者が言った。青年は「ああ」と返した。

 

「つっても得意も苦手もねぇって感じだけどな。こっちからしたら槍の先端は点にしか見えねえ」

 

「そういえば昔、キョウトとやらで槍に制圧されたらしいな。前に言ってた気がするが」

 

「下らねぇコト覚えてやがるな。あとそれは負けたんじゃねえ。次に何やっていいか分からなかったから、敢えて捕まってやったんだよ」

 

「理解に苦しむ状況だ」

 

「まぁな。俺も未だにあん時の事はよく分かってねぇ」

 

 タイムスリップというのだと、若者は言おうか迷って止めていた。理解される気がしなかったからである。

 

「それよりもよ。さっきの組み手の相手の事で話がある」

 

「気付いていたか」

 

「ああ。あいつらガキで、しかも全員女だろ」

 

「その通りだ。最後に残った三人を含めて都合三十人、人間の年齢で云えば十から十四歳といったところか」

 

「小中学生くらいの子供を、俺に差し向けやがったのか」

 

「そうなるな」

 

「それであんなゴツい鎧まで着せて、音よりも早く動けるようにしやがったのか。てめぇ、偉い立ち場なのは分かるけどよ。児童虐待って言葉を知らねえのか」

 

「彼女らの希望だ。一刻も早く戦士として戦いたいと。だからお前との対峙を希望したのだ」

 

「てぇ事ぁ、そんな連中まで戦わせてるのか」

 

「言い訳はしない。その通りだ」

 

 若者の言葉に青年は歯を軋ませた。呪詛の様な響きが、宇宙を映す窓に当って震わせた。

 

「命を懸けて戦う女のガキどもか。いい気分はしねぇな」

 

「それらをぶちのめした男の台詞とは思えないな」

 

「向かってくる奴らにゃ容赦しねぇよ」

 

「それでいて命までは取らないか。あちらは殺す気だったぞ」

 

「その辺りの分別くらいは付けられんだよ。俺を何だと思ってやがる、殺人鬼か何かってか?」

 

「冗談だ。まぁ、改めての確認のようなものだ。お前はまだ正気らしい」

 

「相変わらずっつうか、元とは言え二号機乗りって奴ぁどうしてこう皮肉屋で理屈っぽいのかね」

 

「確かにな。一種の法則かもしれん」

 

 若者の言葉には分析を行うような知性の響きがあった。一種の発見でもしたかのような。

 そのまま思考しながら歩く若者。しばらくして、足音が一つ消えていることに気が付いた。

 振り返ると、緑衣の青年は右を見ていた。無機質な壁面の奥を、凝視しているようだった。

 

「やはり気付いたか」

 

「ああ」

 

 声には懐かしさと警戒心が滲んでいた。感情の対比としては六対四といった比率で懐かしさの方が多かった。

 

「見ていくか」

 

「いや、いい。それと何だか、嫌な気配まで一緒にしやがる」

 

「そこにも気付くとはな。この先は一種の封印区画だ。お前からの預かり物も含め異界の産物を閉じ込めている」

 

「危険物を預けてる俺が言うのもなんだけどよ、大丈夫なのか?」

 

「危険は承知だ。万一の時にはバグで全てを破壊する、というか消す」

 

「徹底したコトで。まぁそれで正解だろうな」

 

 そのまま少しだけ壁を見つめ、青年は「じゃあな」と言った。そして再び歩き出す。振り返りはしなかった。

 

「整備は既に済んでいる。ゲッター炉心も問題はない」

 

「助かるぜ。機械いじりはどうも苦手でよ」

 

「少しは覚える努力をしろ。同盟を組んでいるとはいえ、敵のような存在を頼ってどうする」

 

 若者の口調は呆れと諦めが混在していた。溜息を吐き、新たに言葉を紡ぐ。

 

「この寄せ集め機体に搭載されているのは、アークのそれを元にした炉心だ。勝手に暴走もしないし火星にも行かない筈だ」

 

「ゲッターロボアーク…。お前から寄越された写真でしか見た事ねぇけど、あの悪魔みたいなヤバイ面した奴か。見かけによらず優等生なんだな」

 

「変な表現をするな。そしてやはりお前と話すと疲れるな」

 

 再び溜息。苦労が多そうな若者であった。

 

「そういえばだな」

 

「あん?」

 

「『終焉にして原初の魔神』というのを知っているか」

 

「なんだそりゃ。新手の化け物か?」

 

「そんなところ、で済めばいいのだがな。所謂概念的な神であるらしい」

 

「まーたワケ分からねえコトほざきやがる。まぁつまりは魔神てだけあって、神っていうか悪魔の類ってか」

 

「お前にしては理解が早くて助かる」

 

「おい」

 

「既に滅び去った宇宙や消え去りかけの宇宙にて、その存在を示唆する遺物や記録が最近観測された。現状では不明もいい処だが、確かに存在はするらしい」

 

 青年が言い掛けた文句を上書きするように、若者は畳みかけるように言った。

 

「で、そいつをどうしろって?」

 

「最初の説明を思い出せ。私は尋ねただけだ」

 

「あー、要はアレか。見っけた時は何でもいいからサンプル?ってのを寄越せってんだな」

 

「その通りだ。異界の遺物、特に不可思議な存在は歓迎する」

 

「例えば奇跡とか魔法とか、そういうよく分からねぇものってか」

 

 適当に思い浮かんだ単語を青年は述べた。これらが存在するなど、微塵も彼は思っていない。

 奇跡は起きるのではなく起こすものであるし、魔法という言葉の意味に至ってはそういう言葉があるという程度の認識しかない。

 

「そうだ。我々がゲッターに対抗する為には、そういった存在するかも定かではない物も使わざるを得ない」

 

「お互い先は長いな」

 

 笑うように青年は言った。若者もまた重々しく頷いた。

 そして若者は再び指を鳴らした。手近な壁面が開き、広大な空間が開かれた。

 巨大で精緻なメカが並ぶ中に、一際に巨大な物体が鎮座していた。

 血で染め抜いたような紅の色を纏った、機械の戦鬼がそこにいた。

 

「じゃあな、苦労の絶えない王様よ。そのうちまた色々と頼むぜ」

 

「不本意だが、お前との同盟は維持していきたい。可能な範囲で支援はしよう」

 

「おう。今度来るときは魔神てヤツの頭でも持ってきてやる。それともしもいるんならって感じだが、ええっと魔法使い?って奴も連れて来てやらぁ」

 

 開いた壁の淵に足を掛けた時、彼は振り返った。

 

 

「おい、カムイ

 

 

 それは王と呼ばれた若者の名であった。

 

「まだ会った事ねぇが、この世界の俺のガキ…拓馬って奴に会ったらよ。伝えておくコトとかあるか?」

 

 しばしの沈黙。そして王は、カムイは口を開いた。

 

「大きなお世話だ。あの二人との決着は私がつける」

 

 毅然とした、強い意志を込めた苛烈な言葉だった。

 

「ああそうかい。だろうな」

 

 青年が複雑な表情を浮かべたのは一瞬、そして理解を示した。

 

「お前も精々ハジをかかないコトだ。別の宇宙の流竜馬よ」

 

「ああ。俺は皇帝なんざ似合わねえからな」

 

 吐き捨てるように青年は、流竜馬は決意のように言い切った。

 

 

「だがよ、もしもだぜ。仮にどんな姿になっちまおうが、俺は俺でいてやるさ」

 

 

 牙の様な歯を見せて嗤い、そして竜馬は床を蹴って飛翔した。

 戦鬼の元へ軽々と辿り着き、その体内へと入り込む。

 紅の顔に穿たれた鋭角の眼が輝き、顔と胸に配置された緑のパネルが暗緑の輝きを放った。

 その光を忌む様に、周囲の機械が離れてゆく。代わりに壁面からせり出した新たなメカが戦鬼の周囲をぐるりと一円する。

 細長い円が戦鬼を囲み、猛烈な勢いで加速していく。紫電を振り撒き回転を速め、更には景色までもが歪んでいく。

 

 

「じゃあな、カムイ!死ぬんじゃねえぞ!」

 

 霞んでいく戦鬼から青年の叫びが鳴り響いた。

 

「ああ。お前もな、流竜馬」

 

 そして消えゆく戦鬼へと、最後にこう続けた。

 

「摂理への叛逆者、竜の戦士よ」

 

 その言葉は届いたのかどうか。

 言葉が言い終わるが早いか、閃光が迸った。

 一瞬の後に光は絶え、静寂が舞い降りた。

 光の渦中にいた筈の戦鬼の姿は何処にもなかった。この宇宙の何処からも。

 














ゲッターロボアーク放送開始を祝しまして

また、寄せ集めゲッターの出自について自分なりに考えた結果でもあります
(後日もう一度番外編が続きます。少々お待ちを)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 狂い叫び、貫き刻むもの

 濡れ羽色の美しい黒髪の下、呉キリカの顔を白い仮面が覆ってた。

 虚ろな丸い目が穿たれ、口元には半月の笑みが描かれた仮面であった。

 嘲弄の表情を有した仮面を嵌めたキリカへと、咆哮と共に巨大な牙が迫った。

 

「遅いね」

 

 牙が噛み合う音よりも早く、キリカは声を発していた。声はマガイモノの後頭部から生じていた。

 振り返った瞬間、マガイモノの頭部に複数の衝撃が突き立った。

 砕けた眼にはその原因が映っていた。眼を半分以上抉っているそれは、巨大な針だった。

 直径が三十センチ、長さは五メートルにも達する冗談の様なサイズの針が、獰悪な異形の貌に五本も突き刺さっていた。

 

「見たか佐倉杏子。これが我が感情の現身だ」

 

 涼しげな声と共に複数の風切音。マガイモノの巨体が震え、歯茎ごと牙が割り砕かれた口からは苦痛雑じりの叫びが漏れた。

 胸と腹に二本ずつ、両膝にも一本ずつの巨大針が突き刺さっていた。苦痛の呻きを鳴り響かせながら、異形は宙を見上げていた。

 貫かれた両眼の先に、奇怪な存在が浮かんでいた。

 上半身部分を連ねたマネキン人形。そうとでも例えられるような、奇怪な形状だった。

 

 丸い頭部に被せられた紫色の婦人帽子にはべっとりとした血が滲み、その胴体を飾る様々な色の衣服も血に塗れていた。

 その袖からはこれもまた針の様な手が生えていた。その先端は毒々しい赤黒に染まり、まるで獲物を喰らったばかりの獣の牙の様だった。

 三人分の胴体を重ねられた終点、一番下の部分には手足を投げ出したように垂らした仰向け状態のキリカがいた。

 そのキリカの抉られた両胸から、この異形は生えていた。

 胸に開いた二か所の傷口からは異形の触手が伸び、それらが交わる事でこの形が形成されていた。

 

「『針のドッペル』…。常時股を濡らせて発情しっぱなしの糞下衆淫乱ド変態女のアリナ・グレイにしてはいい名前を付けてくれたものだ」

 

 仰向けで宙に浮いた状態で呉キリカは言った。身体がぐるりと水平に百八十度回り、逆さまの状態で彼女はマガイモノを見据えた。

 

「じゃあ、抉り貫き…て邪魔だなこれ」

 

 言うなりキリカは顔を左右に軽く振った。顔を覆っていた仮面が外れ、美しい顔が再び露わとなる。

 落ちてゆく仮面を、巨大な針が貫いた。針は彼女が言う処の『針のドッペル』の周囲に円を描くように配されたうちの一本だった。

 計十一本の針がドッペルの周囲に浮かんでいた。

 

「さ、抉り貫いて刻もうか」

 

 そう言うなり、十一本の針の内の一本が飛翔した。続いてその隣、更に隣と連鎖が続く。

 円状に僅かな時間差を生じさせつつ針は次々と放たれる。

 両足を貫かれても回避行動に移ろうとしたマガイモノの動きに、奇妙な停滞が生じていた。

 撓められた足は延ばされず、ゆえに全ての針が巨体へと突き刺さった。仰け反った姿に対し、更に針が飛来する。

 針は発射の直後に即座に再生成され、ドッペルの周囲に再び滞空していた。

 

「そう云えば、これで最初に切り刻んで、全身を串刺しにしてやったのはあの腐れアーティスト女だったか」

 

 通常時よりもさらに強力になった速度低下魔法を発動させ、思い出を朗らかに語りながらキリカは針を放っていく。肉襞と装甲が貫かれ、マガイモノの傷口からは膿の様な粘度の高い黒液が溢れ出す。

 佐倉杏子の声の面影を残した絶叫を挙げ、巨体がキリカへと向かう。

 振り切られた剛腕の傍らを、ドッペルはふわりとした挙動で抜けた。

 

 嘲弄の色を帯びて微笑むキリカを、背後から伸びた複数の触手が貫いた。

 細身でありながらも肉の付いた太腿。

 ほっそりとしたウエストの腹部、華奢な肩にと触手が容赦なく貫き、切っ先は身体の前面から抜き出ていた。

 彼女を貫いた触手の根元は、ドッペルの背中に繋がっていた。貫かれたキリカが移動し、ドッペルの頭部のすぐ下に磔のような状態で固定される。

 ドッペルの下部とキリカの胸とを、これもまた複数の触手が束ねられた管が臍の緒のようになって結ぶ。

 管を介して何かが送られているのか、管は膨張と収縮を繰り返す。

 

「はいよ、戦闘モードっと。待たせたね、今から本格的に弄んでやる」

 

 にっこりと笑った瞬間、キリカを貫いている触手たちが一斉に蠢き、そして溢れ出した。

 触手は巨大な腕を削り、顔面へと着弾。

 亀裂の隙間から内部へと入り、肉と装甲を抉り抜く。苦痛の叫びを聞きながら、呉キリカはふと気が付いた。

 

 「あ」と呟いたそこを、巨大な槍が貫いた。そう見えたのは一瞬であり、キリカの姿はその傍らに移っていた。

 機動性など皆無にしか見えぬ外見ながら、キリカは魔女と同様の浮遊能力を以て移動していた。

 残像を生じさせながらの移動速度は、普段のそれを上回っている。

 

「なるほど、捻りか」

 

 次々に飛来する槍を小刻みに回避しながら、キリカはふむふむと頷きながら言った。

 黄水晶の眼は、胸から噴出する触手の一本を興味深げに見ている。

 槍を躱していく最中、真っすぐに放たれた触手に捻りが生じていた。

 

 その触手から伝わる肉と甲殻を抉る感触は、今の彼女の感覚で言えば、そう。

 まるでナッツを白い歯で噛み砕いたような、ポッキーをかりっと齧ったような。

 そんな心地よい響きが胸元から脳へ、魂へと昇り詰めていた。

 

「ドリル」

 

 穿孔し、穿つ。その働きを為すものの名前を彼女は呟いた。

 その言葉は工事現場のそれよりも、彼女が友人と呼ぶ存在から聞いたものを由来としていた。

 

「どりる、どりどり」

 

 言葉の語感が気に入ったのか、キリカは繰り返す。

 

「どりるどりどりどりりりり」

 

 触手が応え、あるものは右に、またあるものは左側へと猛烈な回転を開始する。

 そこへ、本体を貫く不埒者を誅するべく、その上空から複数体の模倣達が槍を携えて飛来した。

 

「ドリルリドリドリ」

 

 ドッペルの針が射出され、空中で模倣杏子達が貫かれる。そこに更に数を増やした触手が殺到。

 開いた口を貫き食道を通り、柔らかい内臓を凶悪な触手が容赦なく陵辱する。

 

 

「ドリドリ」

 

 

 さらに複数体が貫かれる。回転する触手に内臓を切り刻まれ、腹を膨張させて無惨に破裂する。

 

 

「ドリドリドリ」

 

 

 キリカの両手からも迸った触手が模倣を捕獲。頭頂から股間までを、まるで回転鋸のように削り切る。

 

 

ドリ!ドリ!ドリ!ドリ!

 

 

 語気が強まり、触手の本数が一気に増やされた。そして。

 

 

キヒ

 

 

 磨き抜かれた水晶が砕けたように、キリカの美しい顔に狂気の笑顔が描かれた。

 

 

 

ヒャーーーーーーーハッハッハッハッハァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!

 

 

 

 絶叫と共に、キリカの全身から、それどころかドッペルからも膨大な数の触手が溢れた。

 それは赤黒い殺戮の大河となって、マガイモノの腕に突き刺さり直後に微塵と砕け散らせた。

 波濤は進路を変えられつつも巨体の脇腹に着弾。そこから内部へと侵入し、有機体めいた中身を抉り抜く。

 苦痛と共にマガイモノが吠えた。吠えた瞬間、地面に宙にと無数の魔鎖が描かれる。

 

 そして鎖の中から、無数の槍穂が射出されていく。自らへ向かう槍穂をキリカは回避し、更に触手を差し向け迎撃させる。

 

 

イケぇええええええええええええええ淫らな管蟲、『ドリル・ワーム』どもォォォォォオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!

 

 巨体が動き、キリカもそれを追う。槍穂がそれを狙い、触手が先端を激突させる。

 真紅と赤黒の交差が、空間を埋め尽くす勢いで展開されていく。

 

 

ドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリドリィィイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!!!!!!!!

 

 絶叫のままにキリカは触手を操り、槍穂とマガイモノ、そしてそれらの破片から無数に生れ出る模倣体を破壊していく。

 落ち着きなく一か所には一秒たりとも留まらず、キリカとドッペルは醜くも美しい無数の残像を悪夢のように残しながら、世界を切り刻んでいく。

 世界は赤黒い破片と殺戮と、黒い魔法少女の狂乱と異形の絶叫で満ちていた。

 地獄の一端が開かれた様な、正気を掻き消すような光景だった。

 

『朱音麻衣。長くは持たないから、イベントはさっさと済ませておくれ』

 

 狂乱の中、呉キリカは思念を発した。

 返答は直ぐあった。

 

『今行く。少しだけ待て』

 

 決意と、悲痛さに満ちた朱音麻衣の思念であった。












危険人物(偽書ハヤト)×危険人物(呉キリカ)×危険物(ドリル)の組み合わせ
お楽しみいただけたら幸いです(またこの形になったのは偶然だとは思います。多分)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 紫の少女、孕み宿すは冷たい虚空

「悍ましい光景だ」

 

 血色の眼に映る光景に、朱音麻衣は観たままの感想を漏らした。

 暴れ狂う巨大な異形を相手に、呉キリカが発現させた感情の現身が主の絶叫と共に異形の触手を浴びせ続けている。

 装甲や肉襞が赤黒い霧となって宙に迸り、迎撃として放たれた十字の槍穂が触手を砕き砕かれ、無数の破片が乱舞する。

 血の池地獄と針の山地獄、その二つを混ぜ合わせたような地獄の光景が展開されていた。

 

「京は先に帰しておいて正解だった。こんな地獄絵図、あの子には耐えられない」

 

 片翼を身に巻き、地面に座りながら彼女は呟いた。生真面目な性格のためか、選んだ座り方は正座であった。

 折り曲げられた膝の上に、桃色の管が乗っていた。鮮やかな桃色の粘膜が赤い血で濡れ、どこか淫靡なきらめきを放っていた。

 それは、下腹部から胸までを切り裂かれた麻衣の腹から垂れた小腸だった。

 白いスカートを朱に滲ませながら、麻衣はその内臓をまるで眠る猫のように膝上に置いていた。

 地獄を映す血色の眼が彷徨うように動き、腸の表面を走る毛細血管を見た。

 濡れた粘膜の奥の細い管の中、その更に内側で走る血の流れが見えた。

 

「…ふむ」

 

 その様子に何を思ったか、麻衣は感慨深く呟いた。

 腸が垂れている肉の淵。彼女の身体を大きく抉る傷の断面は、無数の粒が浮いたような荒いささくれが連なっていた。

 麻衣の肉は鋭利な刃物で切られたのではなく、細かい刃で強引に抉り削られていた。

 ちりちりとした微細な痛みが傷口にびっしりと張り付く。

 それは例えるなら無数の蟻かダニに群がられて一斉に牙を立てられ、肉を齧られ更に肉の奥へと穿孔されていく感触だった。

 

「私は生きているか」

 

 気が狂わんばかりの痛さと痒みさえも無いかのような、涼し気な麻衣の声だった。

 その彼女の元へ、複数の物体が飛来した。砕かれた十字の槍と、千切れた触手の破片であった。

 それらは最後の力を振り絞り、傷付いた魔法少女を黄泉路への道連れと選んだかの如く、破壊されてもなお研ぎ澄まされた牙を麻衣へと向けていた。

 接触の寸前、麻衣へと迫り来る牙の群れの前に黒い魔風が立ち塞がった。

 風は幅広の刃を、両刃の斧を伴っていた。

 

 風が吹き荒れた後、斬撃により微塵よりもさらに細かく切り刻まれた魔の破片達は無害な塵と化していた。

 それは自らに破壊も与えた者の元へと向かい、その背へと吸い込まれていった。

 正確には、その者が背負った黒翼の根元に開いた魔の眼へと。

 

「あいつ、見境無しか」

 

「何時もの事だ。気にするな」

 

 互いに自然現象に対する感想を述べるかのような、ナガレと麻衣であった。

 飛来する破片をナガレは斬り払い、更にはそれを掻い潜り迫る模倣達とも斬り結ぶ。

 巨大な破片ごと模倣の頭頂から股間までを両刃斧で切り下げ、破片を蹴り飛ばし即席の砲弾として扱い、模倣体の頭部を吹き飛ばす。

 破壊されたものは彼が背負った魔女へと漏れなく体液を啜られ、破片は魔力として吸収されていく。

 

「腹の傷はまだ塞がらねえか」

 

 魔女の力を借り、思念の声でナガレは訊いた。

 

「傷口にあの女の魔力がわだかまっているな。そのせいで治癒魔法が阻害されている」

 

 同じく思念にて麻衣も返した。彼が振った裏拳が模倣体の頭部を砕いた瞬間でもあった。

 

「まるで毒みてぇだな」

 

「ああ。この卑しさ、実にあの女らしい」

 

 迫り来る全ての脅威を斬り伏せて蹴散らすナガレの姿を見つつ、麻衣は「よし」と呟いた。

 彼とは幾らでも会話をしていたいが、そうもいかないなと折り合いを着けた。

 正直なところ佐倉杏子に対して申し訳ない気持ちはあっても、思い入れがある訳ではない。

 

 そもそも麻衣は杏子と会話をしたことが無く、彼女の過去についても道化から聞かされてはいたがあくまで情報としてのものだった。

 それについて気の毒だとは思うものの、それ以上の詮索を彼女はしなかった。何処までが真実か分からず、また知ったとしても何も言えないし何もできない。

 全てはもう既に終わった事柄である為に。故に思い入れは少なく、彼女の為に命を賭ける価値はといえば無いと言えばそれまでだった。

 踏みとどまっているのは強者と戦いたいという欲望と、この事態を招いた事への責任感。

 血色の瞳の前で、異形相手に死闘を繰り広げる少年の為であった。

 

 ああ、と彼女は今日十何度目かの陶酔の声を漏らした。

 傷付きながらも異形達を蹴散らす少年の雄々しさ。殺戮の最中で激しく燃え上がる闘志の激しい輝き。

 それらを纏った少年。その姿の美しさと憧憬、身を焦がすように狂おしい程の愛おしさ。

 それによって腹の奥がドロドロと蠢き、溶鉄のように熱く疼く。

 生命の揺り篭が発する熱は、いつか子供を宿し育み産み育てたいという欲望と、懊悩と化して彼女を熱く苛む。

 そしていつの日にか、話して聞かせたいという願いも浮かぶ。

 

 眼の前の苦難を一笑に付し、何者が相手でも敢然と立ち向かうものの存在を。

 話の中での例えや表現は変えつつも、この存在を伝えたいと。

 そう思い描く中で腕に抱いた我が子の姿と、その傍らに立つ者の姿を一瞬想い描いたところで麻衣は傍らに置いていた刀を鞘から抜いた。

 

 魔力により産み出された刃は、白銀の清潔な光を宿し美しい輝きを放っていた。

 掲げた刃の鏡面の如く磨き抜かれた刀身には、それを掲げる主の姿も映っていた。

 胸から下腹部までを縦に切り裂かれ、赤黒い傷を晒し零れた内臓を膝に置いた凄惨な姿。

 傷の傍ら。腹と胸の間の辺りに、切られかけた紐に結ばれた丸い宝石が辛うじてぶら下がっている。

 普段は青紫の美しい輝きを放つそれは、今は漆黒よりも更に黒い闇そのものの色を孕んでいた。

 

 それを見ながら、麻衣は呉キリカの言葉を思い出していた。

 

『ドッペルは誰でも使える訳じゃない。ある程度の力量と相応の感情が必要だよ』

 

 異形の姿を纏いマガイモノと戦う彼の元へと向かう際、呉キリカはそう言っていた。

 

『果たして色情にうつつを抜かす君如きに、そこまでの絶望が背負えるのかね』

 

 嘲りでもなく疑問でもなくキリカはそう言った。無関心さの顕れであり、凡その事例に虚無感を抱く彼女らしい言い方だった。

 

「ならば私は、それに挑もう」

 

 決意の口調で麻衣は言った。その声は彼の元へも届いた。

 巨大化した片翼が長大な刃となって旋回し、無数の模倣体を駆逐した直後の事だった。

 ほんの少しだけの間、戦場に生じた時間の隙間を使い、彼は麻衣の方へ振り返った。

 

 黒い渦巻きを宿した瞳が嵌った眼が、麻衣を見た時に大きく見開かれた。そして彼は、肉が貫かれる音を聞いた。

 キリカによって麻衣の身体に刻まれた亀裂の様な傷の内側へ、麻衣は両手で柄を握った刃の先端を当てていた。

 内臓を傷口から垂らして正座しながら、麻衣は刃の切っ先で自らの子宮を刺し貫いていた。

 

「ああ…」

 

 凄惨な自傷行為に、麻衣の口から苦痛の声が漏れた。肉体的なものではなく、精神が刻まれる痛みからだった。

 振り払うように、麻衣は両手に力を込めた。頑丈な肉の袋が刃を孕む様に飲み込んでいく。

 そしてて生命を育む揺り篭の中心で、麻衣は自らが得た魔の力を行使した。

 

 空間を切り裂き、別の空間へと繋ぐ魔法。虚空斬破と名付けたそれは、力の中心地である彼女の子宮を彼女の身の内から消し去った。

 生命の元となる卵を産み出す卵巣も消えた。

 後には、熱が引きつつも粘液で濡れた膣だけが無意味な肉の管として彼女の中に遺された。

 浮遊感にも似た、胎内の喪失感。虚空が与えられた胎内の感覚に、麻衣の精神を虚無が抱いた。

 彼女の全存在を宿した宝石が、まるで彼女自身を嘲笑うかのように黒く輝いたのは、正にその時であった。



















麻衣さんの素敵な挿絵を頂いた直後で複雑ですが、今回の主役は彼女であります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 紫の少女、虚空を孕み宿して招いたものは

 切り裂かれた腹に解剖刀のように挿し込まれた刃の先が、桃色の肉の袋を貫いていた。

 そして少女の胎内で、虚空の力が発動される。それは生命を宿し育む器官を彼女の内から消し飛ばし、少女の内に虚空を描いた。

 当然のように、刃に貫かれた部分自体が消えた事で子宮を刺し貫いていた痛みも消失した。

 子宮の中で蠢いていた熱く粘ついた性欲による疼きも消え、冷えた鉄の様な冷気が麻衣の腹の中を満たした。

 

「これが私の絶望か」

 

 自らの未来、願いと欲望の象徴である器官の喪失に、麻衣の心は身を包む虚無感を感じていた。

 

「ああ…良かった」

 

 殴り蹴られて打ちのめされ、強引に組み敷かれて手足を縛られる。

 そして好きでもない大勢の男たちに群がられて全ての穴を強姦されて。

 ありとあらゆる憎悪と侮蔑の滾った悪罵を受け、更に生きたまま腹を切り裂かれてじっくりと解体されるかのように、存在自体を蹂躙されるような。

 

「ちゃんと、足りたようだな」

 

 心という輪郭が、虚空から伸びた無数の手に掴まれて引き千切られていくような。

 

「満足だ」

 

 凄惨な自傷行為によって傷付いた心の隙間を、子宮の喪失による虚無感が埋めていく。

 その中で麻衣は微笑んでいた。美しい花に微笑むように。

 

 宝石に加工された己の魂から湧き上がる闇に包まれる寸前、麻衣は闇の奥にある闇よりも黒い眼を見た。 

 地獄の様な渦巻く眼に見詰められながら、麻衣の心は事切れるように闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 再び眼を開けた時、麻衣は自分が無明の闇の中にいる事を知った。

 天も地も無く、爪先は浮遊感を捉えている。胸と腹にかけて開いた傷はそのままに、されど痛みは感じなかった。

 それどころか、自分の鼓動さえも感じなかった。自分という存在が確立されているのかも分からない、曖昧な世界。

 虚無。

 

 孤独感が強く湧き立ち、今にも周囲の闇に圧し潰されそうな重圧をひしひしと肌に感じる。

 そして裂けた腹の奥で、自らが消し去った子宮の場所に存在する虚空を彼女は感じていた。

 

 皮肉なことに、それが彼女の今の自己を確立させている大きな要因であり、麻衣自身もそれに気付いていた。

 中身に空白の出来た下腹部に眼をやり、手で触れて少し力を込めると、内側へと指と肉が沈み込む感触がした。

 見事なまでの消失に、行使した魔法の名前の虚空を斬破するとはよく云ったものだと麻衣は思った。

 

 そして彼女は前を見据えた。手を伸ばせば届く距離に、それは何時の間にかそこにいた。

 

 武者に似た精悍さを持ち、それでいて可憐な要素も多分に含まれた衣装を纏った紫髪の少女が立っていた。

 自分と全く同じ衣装でありながら、一切の傷が無く清潔な姿をした自分の姿であった。

 その顔は白い仮面に覆われていた。空虚な丸い目に、緩い半月を描いた口。

 どこか道化を思わせる風貌であり、呉キリカも顔に嵌めていたそれに麻衣はふんと鼻を鳴らした。

 

「貴様が私の心か」

 

 道化を見出した事も含め、憤然とした様子で麻衣は言った。

 仮面姿の自分は何も言わなかった。麻衣の方もそれは承知であり、元から答えなど求めていない。

 何よりも今必要なのは、新たな力であった。

 

「勿体ぶるのはよせ。私にはやるべき奴がいる」

 

 感情の赴くままに麻衣は仮面の麻衣へと突き付けるように言った。やる、の『や』とは『殺』の文字が当て嵌まる。

 彼女にとって佐倉杏子とは救出すべく対象ではなく、葬り去るべき標的だった。

 憎悪に燃える血色の瞳に応ずるように、仮面の麻衣は右手を伸ばした。麻衣も同じく、鏡合わせのように同じ動作を行った。

 

 穴の開いたグローブを嵌めた手が、互いを求めるように近付いてく。

 片方は無垢のままであり、片方は血と体液に塗れていた。

 それらが触れる寸前、仮面の麻衣は動きを止めた。

 

 不審に思った麻衣の眼の前で更に異変は続いた。こちらに伸ばされていた仮面の麻衣の右手が、不意に消失したのであった。

 曲げられた肘の辺りで消えたその断面は、周囲と同じ闇色をしていた。

 更に次の瞬間には右足が消えた。同時に先に消えた右手も残っていた肘が、その根元である右肩諸共に消えた。

 そして左足に左腕も消えていった。

 消失した肉体の断面に闇を纏わりつかせた、達磨状の麻衣の肉体が本来の麻衣の前に浮いていた。

 

 仮面を被った麻衣の表情は、当然ながら全く分からない。身じろぎ一つせず、自らに降り掛かる現象をただ受けている。

 それを見る麻衣自身もこの光景自体が初体験のものであり、何が正しく何が異常なのかが分からない。

 その時ふと、麻衣は仮面の麻衣の背後で何かを感じた。広がる闇の中、何かを見たような気がした。

 

 よく目を凝らすと、闇の中で更に濃く輝く部分が見えた。そう思った時、仮面の麻衣の姿が消えた。

 白い仮面を嵌めた頭部から、首が、胸が、そして腹と腰が消えていった。

 消えた後、その消えゆく過程の後に何かが残っていることが分かった。

 それは長く、長く連なる何かであった。そして更に二つ、麻衣の前に存在するそれの左右から生じた。

 

 来たと言った方が正しいのかもしれなかった。最初に左右の身体が削られ、最後に胴体を消したと見れば数が合う。

 その三つの何かは麻衣の近くへと忍び寄っていた。

 闇に慣れてきた麻衣の眼には、それが彼女の周囲をゆっくりと旋回していることが分かった。

 明瞭な形は不鮮明であったが、それらは巨大な蛇に思えた。

 しかしそう思ったのは一瞬だった。それを彼女は改め、蛇ではなく別の物として捉えた。

 

か」

 

 短くぽつりと、それでいて感慨深く親し気に呟いた。

 そして。

 

「そうか」

 

 次の瞬間に麻衣は悟った。

 

「そうだったのか」

 

 この存在がどこに繋がっているのかを。

 

 理解したとき、麻衣は口を開いた。小さく開いた隙間からは、白く健康的な歯の列が覗いた。

 口の端は頬の半ばまで達していた。

 先程の仮面のような酷薄さと、生物の温かみを持ったその形は狂気を孕んだ慈母のような笑みだった。

 

「愛しき我が子らよ」

 

 微笑みながら、麻衣は再び手を伸ばした。

 闇の中で蠢く何かが、一斉に動きを止めた。

 彼女に従うかのように。

 

「御帰りなさい」

 

 微笑みながら麻衣は告げた。それに従うかのように、彼女が竜と認識したそれらは麻衣の元へと向かって行った。

 そして切り裂かれた腹と胸へと一斉に潜り込んでいった。それが更にどこへ向かうのかを、彼女は分かっていた。

 絶望を孕むべく、自らの意思で魔法で消した子宮があった場所へと、そこに開かれた虚空へと三匹の竜が入っていく。

 

 それを彼女は帰ると表した。巨大としか思えないそれらが完全に彼女の中へと入り込む寸前、最後に彼女の腹の前で闇が跳ねた。

 最後に残ったのは三匹の竜の尾であり、それは彼女の下腹部に臍の緒のように繋がっていた。

 つまりこれらは、彼女の内から生じていたものだった。

 

 腹の中に満ちる虚空を感じながら、彼女は腹を優しく撫でた。そこに傷は無く、清らかな肌を柔らかくも強靭な布地の衣装が覆っていた。

 微笑みながら腹を撫でつつ、麻衣は言葉を口ずさんでいた。

 

 『竜』『戦士』『命』という言葉が連ねられたそれの音程には、古の都に流れる音の流れの様な和の趣が感じられた。

 呉キリカが何気なく呟いていたフレーズが麻衣の耳に残り、そして時折思い出していたそれらの単語を連ねた即興の唄だった。

 優しく穏やかな口調で奏でられるそれは、子守歌にも聴こえた。

 

 そして魔法少女が奏でる唄によって為されたかのように、周囲の闇は切り裂かれていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話 虚構を喰う者

「はは、ハハハ!」

 

 自らの感情の現身の全身から凶悪な形状の触手を展開させながら、呉キリカは嗤う。

 可憐な唇は鮮血に染まり、秀麗な顔にはその美に挑むかのように複数の凄惨な切り傷が走っていた。

 ドッペル自体もマネキン然とした形状と質感の表面に幾つものヒビが入り、そこからは粘ついた血色の体液が滲んでいた。

 無数に展開された触手たちもよく見れば、伸びた長さが不揃いであったり、凶悪な造詣ながら整然と生え揃った細かい斧の列に乱れが生じていた。

 それらが束ねられ、一塊の巨大な触手となって飛翔する。その切っ先には巨大な異形が佇んでいる。

 

 マガイモノの右腕は肩から欠損し、左脚も根元から失われている。

 それ以外にも全身を切り刻まれ、黒い粘液が赤黒い全身を染めている。

 縦横に無数の傷が入った巨体の頭部へと、束ねられた触手は赤黒い巨大なドリルと化して飛んでいく。

 

 だがこれまでに幾度も巨体を抉り手足を砕いてきた一撃は、飛翔の半ばで受け止められていた。

 回転を強引に抑え込むのは、切断された右肩から新たに生成された巨大な腕と五指を備えた手であった。

 

「私の速さと刃の鋭さに追い付いてきたか」

 

 そう呟いたキリカの前で、拘束されたドリルが握り潰されて砕け散った。

 ドリルを握っている手と腕は黒く、それは傷口から溢れた得体の知れない黒い粘液から発生していた。

 手と腕の形状はそれまでよりも更に人間に似た形となり、その形を覆う装甲も整然とした滑らかさを獲得していた。

 

「成長?いや、よくあるゲーム的には進化って事なのかな」

 

 実際こういうのは変態っていうハズなのにおかしいよね、とキリカが誰へともなく呟いたときにその全身に砕けたドリルの破片が突き刺さった。

 

「速度低下も効いてるのか効いてないのか…いやはや全く」

 

 ドッペルに磔となって埋め込まれているキリカの下腹部に右腕、そして触手に覆われた左腿に破片と化してもなお牙の様な凶悪さを色濃く残した破片が喰い込む。

 血を吐き出しつつ、キリカは生じた傷から新たな触手を産み出した。

 だがそれはこれまで同様に敵を刻む為には伸ばされず、キリカとドッペルの周囲を繭のように包み込んだ。

 それをマガイモノの黒い拳が撃ち抜いた。正拳ではなく、地面に向けて振り下ろすような一撃だった。

 キリカを覆う触手の繭が砕け散り、彼女はドッペル諸共地面へと墜落した。半球の様な陥没痕が生じ、その周囲にも夥しい数の亀裂が入った。

 

「がふっ…」

 

 口からは衝撃で破裂というよりも爆裂した胃袋の破片が胃液や血諸共噴き出し、その中には歯茎と共に砕けた歯も混じっていた。

 彼女のアイデンティティを示すかのように右目を覆っていた眼帯も帯が肉ごと抉られて外れ、その奥にある黄水晶の眼は弾けた血色の玉となっていた。

 

「一体…何時まで…続くんだ…この、虚構相手の茶番は…」

 

 現状を呪うように、キリカは血塗れの顔を動かして言葉を紡ぐ。

 キリカのみならず、背後に背負ったドッペルも全身隈なくヒビを入れられていた。

 触手の防御をしてもなおこの惨状を鑑みれば、素の状態で受けていたのなら今頃微塵と化していたに違いない。 

 

「底の見えない耐久力に、素早さ…クソ高い打点と言い、面倒くさいに過ぎるだろ…ソシャゲのレイドボスなら絶対に避難轟々だ…」

 

 自分の知識と趣味を組み合わせた皮肉を言いながら、キリカはドッペルを跳ね上げさせた。その直後、陥没痕を巨大な柱が貫いた。

 腕同様に新たに生み出された、黒い足が陥没痕を更に深々と抉っていた。

 

「全く…虚構と現実が交わるとロクな事が無い」

 

 最近観た映画の事柄をそれっぽく加えつつ、傷だらけのキリカが治癒魔法を発動させた。

 強力な治癒により、ドッペルと自身の傷を強引に塞ぐ。魔法によっても塞ぎ切らない傷は、小さな針で肉を貫いて縫い留める。

 キリカとその感情の現身は、針による縫合を全身に施した凄惨な姿と化していた。

 

「流石にもう持たないぞ。友人とあのヤンデレ発情女は何をやってるんだ?漸くヤッてるのか?赤飯なら炊かないぞ。私あれ嫌いだから」

 

 マガイモノから繰り出される十字槍の雨と拳を全力でいなし、回避しながらキリカは言った。

 

「次元を切り裂いてワープ的に移動できるんなら、ヤる事ヤったらさっさと来いってんだよ全く」

 

 愚痴を言う最中、キリカはあるものに気が付いた。

 額から垂れた血を受け止め、朱の膜を帯びた黄水晶の眼が赤く染まった世界の一点に吸い寄せられた。

 それとほぼ同時に、嵐のように撒かれていた災禍も止んでいた。キリカはマガイモノから距離を取り、改めてそこに視線を送った。

 割れた鏡かガラスの様な無機質なマガイモノの眼も、キリカと同じ場所を見ていた。

 

「何だ、あれは」

 

 彼女の言葉の矛先は、眼が見たものではなく魂の感覚が捉えたものだった。

 それは彼女が気付いたというよりも、そこにあるものに吸い寄せられたような感覚だった。

 恐らくそれはマガイモノも同じだろう。

 

 悪意も無く殺意も無く、ただそこに何かがあるという感覚だった。

 あるいは逆に、そこにぽっかりと空白が空いたような空虚な気配。

 

 これに似た気配をキリカと異形を纏う魔法少女は知っている。だがその黒髪の少年ともまた違う気配だった。

 何がどう違うのかは分からなかったが、似てはいても別のものだと分かるような。

 共通しているのは、この世のものと思っていいのか、これまで生きてきた中で感じた事のない存在であるという確信だった。

 そこに感覚を集中し、キリカは漸く正体が察せた。

 

「朱音麻衣、か?」

 

 それでいて、疑問符を付けざるを得ない気分であった。

 

「奴の魔力を感じない事も無いが…これは」

 

 言いつつキリカが言葉に詰まる。

 魔女や使い魔とも、そしてあすなろ市の悪意の種子や神浜市に巣食う怪異とも異なる、感じた事のない気配にキリカは言い淀んでいた。

 

「不吉過ぎる」

 

 総評としてキリカはそう述べた。言い終えた時、身体を這うように連ねた針たちが互いに身をぶつけ、かたかたと鳴っている事に気付いた。

 針自体は微動だにしていない為、動いているのは彼女の肉だった。

 まさかとキリカは思った。

 

「怯えているだと?」

 

 淡々とした声で尚且つ思考も、狂気を宿していながらに彼女にとっての正気であり明瞭だったが、肉体は間違いなく震えていた。

 微細な震えはそのままに、キリカは目を凝らした。

 視界の先、赤く染まった大地の様な異形の地面の上に立つ、虚空の気配の主が立っていた。

 

 眼を閉じて両手を左右に自然に垂らしながら、朱音麻衣が立っていた。

 胸と下腹部を繋ぐ傷はそのままに、生地の裂け目では乾いた血が赤黒い色合いを見せて固まっていた。

 キリカとマガイモノの視線に晒される中、麻衣の胸の傷が上に向けて奔った。

 秀麗な顔の中心を縦断し、鼻と額を断ち割って頭頂にまで傷が達した。

 

 そして眼を閉じたままに、麻衣の身体が左右でそれぞれ前後にずれた。

 長さにして約五センチほどであったが、麻衣の身体は上半身が二つに裂けていた。

 生じた肉の切れ目には、そこにある筈の肉や内臓の断面は無く、磨かれた鏡面の様な滑らかさを見せて闇色に輝いていた。

 

 その闇の奥で、更に黒く濃い闇が浮かんでいた。闇の形は完全な球体であり、大きさは彼女の拳と同じくらいであった。

 拳大の大きさの闇の球は、彼女の豊かな胸の断面の奥に鎮座していた。

 麻衣に生じた闇の断面には奥行というものが感じられず、まるで彼女の内に新たな空間が広がっているかのようだった。

 キリカはそれを魔女結界に近いと感じた。そして或いは

 

 

「宇宙?」

 

 

 で、あるとも。呟いたキリカの傍らを巨大質量が通り過ぎた。

 それは巨大な複数の十字槍だった。

 佐倉杏子が使用するそれの十数倍に巨大化したそれらは、マガイモノが発動した鎖状の結界から召喚されていた。

 その数は二十本に達し、多節を生じさせながら飛翔していた。

 

 それはさながら、複数の蛇が獲物へと喰らいかかるかのようだった。

 十字架を描いた頭部は次々と麻衣の周囲へと突き刺さり、赤い地面に突き立っていく。

 その巨大質量も相俟って、それは肉どころか彼女の立つ空間自体を喰らう巨大な獣の咢にも見えた。 

 その様子にキリカは違和感を覚えた。

 

 槍は確かに地面へと向かっていた。だがその途中で、槍は垂直への落下に移っていた。

 切っ先を地面に向けての意思による貫きではなく、重力によって惹かれたが故の刃を垂直に立てての墜落だった。

 よく見れば、槍の各部は切断されていた。その様子に更に疑問が渦巻いた。

 

 麻衣の魔法や得意技である斬撃が為した、とすればそれまでだが破壊の範囲が広すぎる。

 槍は槍穂の根元で断たれたものもあれば、長大な柄の半ばもあった。

 更には一本の槍の中で断たれた部分が十か所以上に昇るものも見えた。

 異常な状況に、キリカはおろかマガイモノさえも動かない。

 朱音麻衣の異常に対し、様子見として槍を放った点も含め、この異形には確かに戦い上手な杏子の思考が感じられた。

 

 マガイモノの異形の眼は地面に向いていた。彼女は赤い地面の上に、異様な存在を見つけていた。

 落下して散らばった槍の断片を縫うように、黒い影が蠢いていた。

 違う。影が触れた部分の槍が切断され、影の通り道となっていた。槍を切り刻む様に影は這い廻っていた。

 そしてこれは切断ではあったが、あくまでそれは結果としてのものだった。

 

「喰って、いるのか」

 

 キリカが呟いた通り、影が触れた部分は切断ではなく消失していた。正確には、影の先端が触れた部分が。

 影の切っ先は刃のように鋭く、それでいて切っ先から少し手前の輪郭は無数の棘が密集する異様な形となっていた。

 言うまでも無く、この影を地面に落とす存在は無く、宙にはただ虚空が舞っている。

 

 更に異常な場面を彼女は見た。

 他の槍を足場として傾斜していた槍の、その地面に落ちた影を喰らった時にその槍もまた同じ部分が切断されたのである。

 

「…何だ、あれ」

 

 魔法とすればそれで終わりだが、そこに魔力は感じられなかった。

 影の為す行為は、この世の理を捻じ曲げて異界の法則に従わせているかのような異様さだった。

 

 積もっていた堆積物を喰らい、地面には開けた空間が出来ていた。それにより、キリカは影の数とその出処を知った。

 影は槍に匹敵する巨大さであり細長い形状は槍を連想させたが、曲がりくねって縦横に好きなままに動く様は蛇の動きを思わせた。

 その数は三本も、いや、三匹もいた。

 

 そして忌まわしきそれらの影の根元は、上半身を二つに裂いた麻衣の影から伸びていた。

 キリカ達が見つめる中、三匹の影の蛇は麻衣の元へと戻っていった。

 麻衣の影に対し、三匹の蛇のシルエットは比較対象にするのも馬鹿らしいほどに巨大であったが、全く以て自然に蛇たちは麻衣の影へと同化していた。

 

「もういいのか」

 

 ここに際し、顔を二つに割られた朱音麻衣は始めて口を開いた。

 呉キリカが聞く機会も皆無であったとは言え、聞いたことのない優しく穏やかな声だった。

 

「ならば、往くといい」

 

 その口調にキリカは思わず顔を歪めた。

 慈悲に溢れているとしか言いようのない声に、不気味さと生理的嫌悪感を、そして放たれるであろうものに危機感を覚えたのである。

 呉キリカの感情など露知らず、麻衣は眼を見開いた。

 開かれた眼は真っ赤に染まっていた。白目は無く、彼女の血色の瞳の色が眼全体に広がっている。

 

「往け、愛しい者達よ」

 

 妖しい深紅に輝く眼を見開いた麻衣が厳かな口調で告げた時、麻衣の身体から闇が弾けた。

 噴き上がったそれはその果てにて形を成した。

 

 鋭く細長い口先、弓のように緩い弧を描いた上下の顎。その顎を覆い尽くすかのように生え揃った鋭い牙。

 胴体へと流れるように生えた四本の角は、まるで王者の冠を思わせる荘厳ささえ漂っていた。

 表面にびっしりと棘を生成した、棘皮動物のような刺々しい胴体と爬虫類を連想させる鱗の連なり。

 それらは漆黒色に輝き、麻衣の身体より発生していた。

 身体の何処も彼処もが鋭く尖った異形の姿、全身が凶器のような漆黒の竜だった。

 

 麻衣の左右の胸から。両胸の断面にわだかまる闇の奥の、更に黒い闇の球体からそれぞれ二匹が。

 そして下腹部に達する凄惨な傷口から最後の一匹が。

 そこも同じく闇に満ち、そしてそれの尾とでも云うべき末端部分がどこに繋がっているかは容易に想像が出来た。

 朱音麻衣の肉体の女性を象徴する部分から、これら漆黒のものたちが生えていた。

 

 手足は無く、蛇か帯のような身をくねらせながら鎌首を上げ、竜達が彼方の存在を見据える。

 眼に相当する部分には、身に纏う黒色に埋もれてはいたが、昆虫の眼のような丸い突起が幾つも生えていた。

 その先には、巨大な赤黒いヒトガタの存在が立っていた。

 目線の高さはそれぞれ等しく、されど竜達の胴体は更に長く、太さは別として縦の長さではマガイモノさえ圧倒していた。

 

 そして三匹の黒い竜達は一斉に口を開いた。

 発せられたのは異様な叫びだった。

 稲妻のような爆音と、摩擦音の様な金切り声。そして古めかしい通信音を思わせる電子的な音。

 それらが絡み合い、生物どころかこの世の存在とは思えない異界の咆哮となって放たれていた。

 

「…あれは…奴のドッペル、なのか?」

 

 キリカが思わず問うたが、答えなどは無論無い。答えを求めるように、異形の竜を放った者へと、朱音麻衣へとキリカは視線を送った。

 完全に深紅に染まった麻衣の眼からは表情は伺えない。

 だが微笑みを浮かべた口元や頬の形からして、彼女は自らの臓器や肉の奥と繋がる竜を愛おしく見ているかのようだった。

 そしてその姿は縦に腹にと傷跡が刻まれ、今にも三つに分かれてしまいそうな凄惨さを放っている。 

 その三分割されかけたような状態でこれら異形を呼び出した様に、キリカは

 

「まるで供物みたいだな」

 

 と言い放った。

 

「どうとでも言え。私はそれならそれでいい」

 

 声は麻衣へと届いたらしく、麻衣は思念で返した。その思念からもキリカは異様な気配を感じた。

 思念を通して何かに見られている、心を覗かれているといった気分がしたのだった。

 そしてそれは恐らく間違いないだろうと彼女は結論付けた。

 麻衣の思念の奥に、竜達が放った咆哮の一端である、「カラカラカラ…カラカラカラ」という電子音に似た何かが聞こえたからだった。

 

「行け!」

 

 キリカの不愉快さなど意にも介さず、麻衣は右手を振った。

 銃殺刑を執り行う指揮官のような、冷徹さを思わせる動作だった。

 麻衣と繋がっている者達は、それに一斉に従った。

 

 長大な胴体が大きく揺れたと思った直後、数百メートルはあった距離が一気に縮み、三匹の巨大な顔はマガイモノへと噛み付いていた。

 鋭い牙が装甲を貫き、その巨体を引き裂かんとして長大な胴体が激しくうねる。

 装甲が千切られ、マガイモノの体内から黒い粘液が溢れ出し、牙で覆われた口からは苦痛の叫びが迸る。

 

 

 

「ま、いいか。なんだ、その…あれだ。ささいだ」

 

 その光景を眺めながら、キリカはそう言った。

 疑問は無くも無いが、これは奇跡とか新たな力とか、そういうヒロイック的なやつに見せかけたおぞましい何かだろうとキリカは納得した。

 今やるべきことは一つであり、朱音麻衣が発現させた力の出処などどうでもいい。

 

 

「死ねぇぇええええ佐倉杏子ぉぉぉぉおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

 再びドッペルを駆り、触手を展開させながらキリカは叫んだ。

 奇しくもこの言葉を、同じタイミングで朱音麻衣も更に激しく憎悪に狂った口調で叫んでいた。

 異形の巨体同士が絡み合い、狂乱の魔法少女が針と獰悪な触手を放つ。

 絶叫と咆哮が狂気の嗤い声と混じり合い、ここに新たな地獄が産まれていく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話 誘う紅

 紫髪の魔法少女から闇が溢れた。

 迸ったそれらは三匹の異形の竜と化し、異形の外見に相応しい産声を挙げて身をくねらせて飛翔する。

 そして細長い口を広げ、赤黒い巨体へとその牙を突き立てる。異界の殺戮兵器のマガイモノの口からは苦痛と憎悪の絶叫が鳴り響く。

 

 白目も血色と化した、赤一色の眼を見開きながら朱音麻衣は自らから生まれた三匹の竜を見ていた。

 棘皮動物のようなトゲに覆われた、親しみや温かみの一切を廃した外見でありながら、麻衣はそれらに向けて微笑んでいた。

 緩やかに開いた口元と柔らかく綻ぶ頬。彼女の浮かべた表情は慈母の笑顔だった。

 その表情を一変させ、麻衣は叫んだ。

 

「おぞましき姿と化した佐倉杏子よ、我が愛し子達に抱かれ虚空の彼方へ消え失せろ!」

 

 憎悪が滴る口調であった。その想いが伝わったのか、三匹の竜が獲物を咥えたままに身を捩る。

 三匹の竜が宙に描いた黒い螺旋は、超巨大なデスロールだった。装甲と肉が簡単に抉られ、破片と黒い粘液が宙に溢れる。

 

「はははっ!訳の分からない者同士随分と仲良しこよしじゃないか」

 

 黒髪魔法少女が嘲弄を叫び、無数の斧が連ねられた触手が耳障りな音を立てて振われる。

 数十条の触手と放たれた針は、巨体と絡む漆黒の竜達ごとマガイモノを貫いた。

 触手から伝わるその手応えに、キリカは一瞬怪訝な表情を見せた。だがすぐに美しい顔を破顔させて狂気の哄笑を放った。

 

「ははははは!朱音麻衣よ。煮え滾る欲情と卑しい想いの果てに、お前は何を何処から呼び出したんだ?」

 

 虚を貫いたように、竜の身は針や触手からするりと抜けた。いや、触れてさえいなかった。

 水と影を縫い留められないように、竜達の体は針と触手をすり抜けていた。

 それはマガイモノからも同様であり、爪を生やした巨手や槍のように長い牙、更には召喚された槍穂からの干渉の悉くを無視していた。

 それでいて自分は鋭い牙を巨体に突き立て、相手の肉や装甲を抉っている。

 魔女や魔法少女、更にはキリカの知るどのドッペルと比べても異常な存在だった。

 まるでこの竜達の存在が、この世の理の外にあるかのような。

 

「まぁいい、そのキングギドラみたいな奴の出処や元ネタなんか知った事か」

 

 一笑に付すように叫び、キリカは更に触手を産み出す。縫合した傷の奥から、腐肉から湧く蛆虫の如く触手が溢れる。

 

「この腐れ爛れた醜く美しき世界には!奇跡も魔法もあるんだからな!ハハハハハ!!!」

 

 異常な存在を前にしても、呉キリカは呉キリカであった。ただ自分の思うままに言葉を発し、身に得た力で破壊を成していく。

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女達の奏でる地獄絵図。

 その傍に、正確には異形の竜を女体の内から解き放った朱音麻衣の傍に彼はいた。

 

「魔法少女ってな、底が知れねえな」

 

 畏怖とも畏敬ともとれる呟きを放ちながら、ナガレは両刃の手斧を振った。

 突き出された赤黒い槍が縦に裂け、それを握る肉を剥き出しにした細指たちもぱらぱらと切断されて宙に舞う。

 虚を突かれた杏子の模倣体へと、彼は蹴りを放った。弧を描いた回し蹴りは模倣体の首を撥ね飛ばし、傍らの同胞へと砲弾のように着弾させた。

 オリジナル同様に薄い胸に激突した頭部は深々と減り込み、動きが止まったそれの頭頂へとナガレは縦の斬撃を放った。

 

 手斧は胸に埋まった頭部ごと模倣体を切り裂き、刃は股間から抜けてその身を縦に真っ二つに裂いた。

 相変わらずの無慈悲な破壊の後に、遺骸から溢れた血肉が巻き上げられる。そして、彼の背へと吸い込まれていく。

 

 薄いリュックサック程度に折り畳まれた悪魔翼と赤黒い渦を背負ったままに、彼はなおも襲い来る異形達と切り結ぶ。

 片翼であった翼は再び一つになっていた。麻衣が子宮を刃で貫き闇で包まれた瞬間、魔女の片割れは怯えて彼の元へと戻っていた。

 

 そして佐倉杏子へと嫉妬と憎悪の叫びを放った直後、麻衣は一種のトランス状態へと陥っていた。

 赤一色で染まった異形異類の眼で自らが呼び出した者達を見つめ、口元に慈母の笑を浮かべて見つめている。

 ふらりふらりと人形のように身を揺らしながら、彼女が愛し子達と呼んだ存在を眺めている。

 

 それが今の彼女の存在理由であるのか、麻衣はそれ以外のあらゆる事象に関心を示さずそれどころか気付いてさえもいない。

 無防備な彼女へと襲い来る佐倉杏子の模倣体を、悪魔の翼と魔獣じみた角を生やして蹴散らす少年の様子は異形の騎士を思わせた。

 そして今もまた、横に振られた斬撃が三体の模倣杏子の胸を切り裂いた。

 迸る血飛沫が最後の抵抗とでもいうように、彼の顔を呪いのように赤黒く染めた。

 

 今のところ攻撃は概ね捌けてはいるが、何分数が多過ぎる。無傷での戦闘継続は有り得ず、彼の全身には大小さまざまな傷が生じていた。

 常人なら重傷だが、彼にとっては治癒魔法を発動させるかどうか微妙な状態だった。

 それに今は少しでも魔力を蓄える必要があった。その為もあり、彼は今主に護衛を兼ねての果てしなき掃討に従事していた。

 背後で複数の足音が鳴った。模倣体は全裸である為、地面を踏む音は「ぺたぺた」といった、まるで童女が爛漫に歩き回る様な忌まわしくも可愛らしい音だった。

 

 そこに向けて振り返った時、迫っていた五体の模倣体の首は宙に浮いていた。

 何事かと思った彼の眼の前で、長髪を靡かせながら宙に浮かぶ首が横一文字に貫かれる光景が映った。

 首を貫いたのは燃える炎を思わせる真紅の棒であり、その果てには断罪を象徴する十字架状の槍穂が生えていた。

 鞭のように伸びていた槍が縮み、主の元へと舞い戻る。倒れていく五体の模倣体の奥に、彼は少女の形をした炎を見た。

 

「お前は」

 

 叫んだ瞬間、模倣体達の肉が弾けた。無数の斬線が肉に刻まれその中身の骨や内臓を木っ端微塵に切り刻む。

 桜吹雪のように散る赤黒い破片を貫き、眼が眩むほどに鮮烈な赤い光が火炎のように彼の元へと飛来する。

 

 真紅の外套が翼のように靡き、黒いリボンで束ねられた赤い長髪のポニーテールが、文字通り馬の尾の如く優雅に揺れる。

 華奢な肋骨の上に薄い肉を貼り付け、申し訳程度に盛り上がった胸の中央、真紅の衣装から覗く地肌の上には、紅い宝石が乗せられていた。

 爬虫類の眼のような、縦長の宝石だった。

 そして裂傷が走った血塗れの両頬に、熱い体温を宿した繊手が触れた。

 黒い渦を宿した瞳の先に、彼は熱く燃え上がる炎色の瞳を見た。紅い瞳は、彼の渦巻く瞳の奥を興味深く覗き込んでいるかのようだった。

 彼の前に姿を顕したそれは、姿かたちは模倣体と似ているが、模倣ではなくそのものだった。

 

 手が触れた時、彼の意識からは肉体の動作に関する意思が一瞬ではあるが消え失せていた。

 紅い少女にとって、その時間があれば十分だった。

 

 見方によっては甲殻類を連想しそうなトゲトゲとした赤い前髪の奥の額が、彼の額へとこつんと触れた。

 同時に、乾いた返り血が付着した彼の唇にも熱く柔らかいものがふわりと触れる。

 口を伝って送られた、甘い果実のような香りを彼が感じた時、彼の視界を一色の赤が埋め尽くした。

 それに対する抗議の意識を持ったまま、彼の心は煮え滾るマグマで満ちた火口に沈むが如く、何処とも知れぬ深い何かへと落ちていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 奪い育む紅、託される黒

 赤い霧で覆われていたかのような、不吉な血色の景色が晴れていく。

 だが鮮明になった視界の中を占めるのは、またも赤い色だった。

 伸ばされた右腕の、手の甲と手首を覆う黒い袖口から伸びた繊手が、脈動する赤黒い何かを掴んでいた。

 皮を剥ぎ取って剥き出した筋肉を、火傷と裂傷で覆ったような凄惨な肉体。

 佐倉杏子の模倣体の肉体の首を、その繊手は掴んでいた。

 細い指先は肉の内側に沈み込み、赤黒い肉の内側からは薄黄色の体液がスープのように漏れた。

 

 苦痛に痙攣する肉体へと、吸い付くように視界が迫る。視界と肉がほぼゼロ距離になった場所は、模倣体の下腹部だった。

 接触の瞬間耳を覆いたくなるような生々しい音が、ぶちぶちと肉を噛み千切って抉り出す音が鳴り響いた。

 鮮血を伴って引き摺り出されたのは桃色の袋、子宮であった。

 

 外見は死体の如き凄惨さの極みでありながら、内臓には健常な瑞々しい生命の輝きを放っていた。

 腹の肉ごと抉り出されたそれが、硬く柔らかな音と共に噛み砕かれた。複数の砂肝を一気に噛み砕いたかのような音だった。

 小さな歯形を刻まれて真っ二つにされた子宮の中から、赤色の光が漏れた。

 光を発しているのは、血と粘液で照り光った赤い六角形の宝石だった。それ自体が生命であるかのように煌々と輝くそれにも、子宮を噛み砕いた歯が立てられた。

 意外なほどにあっけない音を立てて、赤い宝石は砕け散った。砕けた宝石は拡散する光となり、その視界を覆い尽くした。

 

 その赤い光は直ぐに消えた。次に映ったのは、両手で首を締められている模倣体だった。

 形だけでみればオリジナルとよく似た頭部の隣には、赤い地面が見えた。押し倒されているらしい。

 前と同じく視界が接近、着弾したのは模倣体の左側頭部。林檎の皮のように易々と頭蓋骨が割られ、灰色の脳味噌が齧り取られる。

 壊れた脳の奥から光が漏れた。青黒く丸い宝石が放つ光だった。

 次に視界を染めたのは、赤い宝石同様に噛み砕かれた青黒い宝石が断末魔のように放った同色の光だった。

 

 それからもまた複数の映像が映った。薄い胸を喰い破り、鼓動を続けるままに両手の繊手によって解体された心臓の中からは緑色の光を放つ菱形の宝石が。

 喉笛の奥からは二等辺三角形と八角形を組み合わせたような水色の宝石が、蛇のようにとぐろを巻いた腸が絡み合う腹腔の内奥からは眩い光そのものといった八角形が。

 

 この時視界の中の映像は一つではなく、細かな複数の視界が連なる無数の悪夢となっていた。

 模倣体とはいえ少女の形をしたものを解体し、その奥から宝石を採取するという光景が、一度に百以上も展開されていた。

 無論模倣体からの抵抗はあった。だがこの貪欲な捕食者はそれらを逆に打ちのめし、手足を切り飛ばして無力化したのちに肉と宝石を喰らっていった。

 異形の人体を切り裂くのに用いられるのは、十字架を模した真紅の槍穂。

 

 無慈悲な断罪を執行する刑吏のように真紅の長槍が暴れ狂い、無数の模倣体を蹴散らしていく。

 宙にばら撒かれた肉片に手を伸ばし、内臓に育まれているかのように人体の奥で輝く宝石を掠め取る。

 ジェノサイドに等しい光景が広がる中、一か所のみが異なる場面を映していた。

 超高速で振るわれる槍の乱舞に、赤黒い斧が暴風と化して喰らい付いていく光景だった。

 赤黒い斧は不吉な黒鳥を思わせる黒髪の、片目を眼帯で覆った魔法少女から放たれていた。

 光景自体は無音だったが、それを見るものの脳裏にはその少女が挙げる狂気の叫びが鳴り響いていた。

 

 黒い魔法少女、呉キリカの美しくも邪悪な笑顔が他の殺戮・捕食風景をアップで押し退けて全面に映った瞬間、その光景はプツリと消えた。

 まるでテレビのスイッチを消したかのように。そしてこれは比喩ではなく事実だった。

 無数の殺戮を映すテレビの右下にあるスイッチを、黒い鋼で覆われた手から伸びた人差し指が貫くように押していた。

 古めかしく分厚いテレビの両サイドに、その大きさには見合わぬ細い指が添えられている。

 

 スイッチを押すためにやや屈めていた体勢から、この光景を自分に見せた存在へと顔を向けた時、それは自分で彼の元へと寄っていた。

 役目は終わりだと言わんばかりに、横へ向けて投擲されたテレビは遥か彼方へと放られていた。

 どれほどの力によるものか、まだ自由落下にも移らず飛翔を続けている。

 

 その剛力を以てして、彼の腰に両腕が廻されていた。

 薄紫色のレースを通した細腕であったが、宿った力は猛牛を絞め殺す大蛇のそれだった。

 逃げ場を失くすように腕が絡み、彼の胸へと柔らかく熱い肌が押し付けられる。彼が視線を下に送ると、燃えるような赤髪とそれを束ねる大きな黒いリボンが見えた。

 リボンと髪は左右に激しく動き、まるで鰐か鮫が獲物を喰い千切るさまの様だった。

 しかしながら彼へと送られる行為は捕食ではなく至って平和な行為、熱と自らの匂いを与えるかのような頬擦りだった。

 ポニーテールの紅い長髪が獣の尾のように揺れる様子は、巨大な猫が飼い主にすり寄っているかのようにも見えた。

 或いは、炎が何かを焼き尽くそうとしているようにも。

 

「……」

 

 彼は無言で待った。なんだこの状況と言いたげな表情を、美少女じみた貌に薄っすらと浮かべている。

 そのまま五秒、十秒と待ったが、マーキングじみた身の摺り寄せは終わる気配がない。

 ひょっとして終わらせる気が無く、時が果てるまで続けるつもりなのかもしれなかった。

 仕方ないと彼は行動を起こすことにした。そう思うに至った時にちくりと何かが精神に触れたのは、真摯な行為に対する叛逆に思えたためだろう。

 

「ああ、俺もお前さんにまた会えて嬉しいよ」

 

 彼は素直にそう言った。言葉を飾り立てるほどの発想も無く、その言葉は彼が思ったままの言葉だった。

 声を掛けられ、赤髪の少女は顔を見上げた。そこにあったのは太陽のような輝く笑顔。

 それでいて紅の瞳が嵌められた目尻には、滾々と熱い涙が溜められていた。

 姿かたちはそのものであり、されど彼が知らない表情をした姿。鏡の結界が産み出した、佐倉杏子のコピーだった。

 言葉を理解し、コピーの笑顔が緩やかに蕩けた。童女の眩い笑顔の面影はそのままに、ほのかな妖艶さが孕まれる。

 

 どういった原因なのか、コピーの杏子達は色沙汰に身を焦がす性質を持っている。

 嘗ては姉妹とでも言うべき複数体で彼に群がり、全身の傷を舐め廻していた。

 更に彼女らは、ただでさえ薄い着衣の下に下着を着用しておらず、肉の花芯や熱い樹液に濡れた花弁、胸の突起を彼の体に摺り寄せたりと媚態を振り撒いていた。

 オリジナルがやるとは全く思えない事柄に彼は激怒し、怒りのままに複数体を抹殺した。

 

 だが何を思ったのか、コピー達はある者は彼を庇って命を落とした。

 残った個体も血路を開くために自ら命を投げ捨て赤い灼熱の花と化して舞い、美しくも無惨に散って行った。

 今ここにいるコピーの外見は少なくとも見えている範囲では傷が無く、巨大な異形の残骸に胸から下半身を下敷きにされていた個体に違いなかった。

 それ以外の個体はそもそも肉体を完全に喪失するか、他ならぬ彼の手によって肉体を惨たらしく破壊されている。

 

「       」

 

 コピーが口を開き、ぱくぱくと口を動かした。口内の造形もオリジナルそのままだった。

 杏子は噛み付きも攻撃方法として取ってくることから、彼は彼女の口内を割と見慣れていた。

 ここ最近では暴走した杏子に襲われて肉を喰われたので、見る機会に恵まれ過ぎているが。

 それは兎も角と、その様子に彼は怪訝な表情となった。

 コピー達の発言と思考は人間の理解を拒む狂気と愛に満ちていたが、それでも言葉は難なく発せる筈だった。

 

「喋れねえのか」

 

 そう尋ねた彼の口調は心配の響きを帯びていた。

 彼は彼女らと真っ向から死闘を繰り広げた相手だが、だからこそ彼なりにこのコピー達には思う事があるのだろう。

 コピーは少し迷ったような表情を見せ、襟を開いた。そこにあったものに、彼は表情は変えず喉奥で唸った。

 

「キリカか」

 

 コピーの喉は無残な有様となっていた。喉の中央でバツの字を描いた斬線はぎざぎざとした傷となってコピーの喉を抉っていた。

 針同士が向き合うようになったヤスリの如き傷は、赤い糸で強引に結ばれていた。

 その糸とは彼女の長髪を何本か束ねたものであった。

 

 コピーの様子に怒りは覚えるが、同時に悲痛さと虚しさが打ち消していく。彼もまたコピー達に無惨な死を与えた為だ。

 他に動かせる場所が無かったとはいえ、コピーの一体は彼に口元を喰い千切られ、またある個体は上半身を圧搾されて破裂した腹から臓物を溢れさせた。

 戦いの最中であるとはいえ、そんな自分にキリカを責める権利など無い。

 

 コピーは更に襟を開き、刻まれた傷を見せようとした。

 胸の宝石のあたりまで開こうとした時、彼女の両手首を冷たい鋼の手が卵を手に取る様に柔らかく握り、その動きを止めた。

 傷は喉だけで済まず、右の胸を緩やかに抉って更に下降していた。麻衣の例を鑑みるに、恐らく傷は下腹部まで続いているのだろう。

 

 無言で自分の動きを止めた彼にコピーは困惑したような表情を浮かべたが、すぐに優しい顔になり、緩い拘束から両手を抜いた。

 そして自由になった両手で、今度は彼の右手首を掴んだ。そしてその手をゆっくりと下方に向けて下げていった。

 どうしたのかと彼が視線で手を追うと、彼の刃の眼差しは痙攣するかのような引き攣りを見せた。

 

 内に内臓を秘め、やせ型ながらに緩く膨らんだボディラインに更なる膨らみが見えた。

 それは肥満による風船のような膨張ではなく、人体の構造に沿ったごく自然な変化に思えた。

 膨張の中心はコピーの下腹部であり、膨らみにより短いスカートや衣装が窮屈そうに押し上げられていた。

 ピンク色のスカートで覆われた秘所の奥にある臓器が何であるかは考えるまでも無く、膨らみの中心であるそこで何かが育まれている。

 臨月とはいかないが、コピーの体は少なくとも半年以上は腹に生命を宿した女のそれと似た体型となっていた。

 その様子に彼が怪訝な視線を送っているのは、見た限りで十三、四歳程度の少女が妊婦となっている姿に複雑な思いを抱いている為だろう。

 

 割と常識人な思考をしている彼の思惑は兎も角、その膨らみへとコピーは彼の手を誘っていた。腹に生命を宿した女が、そこに触れることを許す存在は多く無い。

 例えばその生命の…。

 否応なく想像させられた彼の思考を砕くように、指先が熱に触れた。

 優しい形の膨らみの、彼女の臍の真上のあたりに温もりを廃した鋼の手が触れていた。

 

 触れたと思った瞬間、手はスカートと胴体を繋ぐ黒いアンダーの中にとぷんと沈み込んだ。

 出血は無くただ内側へと指先が入り、そのまま手首までずるりと埋没する。

 他者に与える感触は鉄ながら、主へと伝える感覚は素肌と変わらない義手が捉えたのは熱い体温と蕩けるような泥濘の感触だった。

 

「おい」

 

 自分への危機感ではなく、声の矛先はコピーに向いていた。

 腹の中へと彼の手を導いたコピーの顔は仰け反り、無残な傷を彼に晒している。

 細い身体と腰が震え、立っているだけで精一杯に見えた。コピーは明らかに苦痛を訴え…ていなかった。

 

 仰け反った顔の口端は蕩け、法悦の緩みを以て開いた口からは涎が垂れていた。背中を伝う、ビクビクという魚が跳ねるような震えは性的な絶頂のそれだった。

 しかし苦痛では無いと分かり、彼も一応の安心感を覚えた。

 感覚が麻痺と言うよりも認識がおかしいが、彼の存在自体が非常識な上に彼が身を置く世界自体も異常に満ちているので仕方ないのかもしれない。

 

 滑らかな熱い泥と、蛭に吸い付かれるような女体の内で、冷たい指先が何かに触れる。

 それは腹の肉や他の内臓を押し退けて膨張した子宮であり、子を護る為の頑丈な外側も容易く抜けて、彼の手が生命の揺り篭へと導かれた。

 神聖なそこに侵入することには、流石に彼も思うところがあるが努めて表情に出さぬように努力する。

 

 その様子が苦痛を堪えているものと取ったのか、快感にわなないていたコピーは顔を前に戻し、彼の頬に開いた傷へと舌を這わせた。

 ざらついた熱い舌の一舐めは並みの男どころか、性を意識する前の幼子だろうと快感に浸らせる刺激が伴われていたが彼に効果は無かった。

 相も変わらず彼はこの年代の少女に性的関心は抱かなかった。ゆえに寧ろ苦悩をさらに募らせる結果となった。

 そしてそれを表出しないように努めることが、コピーの更なる不安を煽った。

 コピーは優しくも貪るように彼の傷を柔らかな舌で舐め廻し、舌が捉える血の味や肉の感触に対しても快感を覚えて身を震わせる。

 すぼめた唇が傷をしゃぶるように食み、正常な肉と共に愛撫する。

 その刺激はよほど精神が強い者でも性差を問わずに理性が蕩けさせるほどで、そうなったら即座に彼女を押し倒し欲情のままに幼い女体を貪っただろう。

 それはコピーの望みでもあり、彼を癒したいという気持ちに加えこの愛撫に励む理由でもあった。

 

 しかし対するナガレはと言えばやはり子供へは性的関心は皆無であり、ゆえに刺激自体も理性の壁で虚しく跳ねて返されていた。

 その一方で、女体の中に導かれた右手に奇妙な感触を覚えていた。人差し指の先を、何かが掴んでいる。

 それは小さな手であり、ともすれば赤ん坊のそれにも思えた。そしてそれは一つではなく、複数だった。

 感触を認知するが早いか、全ての指の先端と手の甲に掌、膨らんだ子宮の中に入っている右手の全ての個所で無数の手に触れられる感覚があった。

 

 彼の手に触れる無数の小さな手は、彼と言う存在を知ろうと励んでいるかのように思えた。

 振り払おうと思えば簡単に跳ね除けられるそれらを放置したのは、その動きに子供じみた無垢なものを感じたというのもあるだろう。

 そしてそもそも、この行為にも意味があるとして彼はそれに従うと決めていた。戦いなら兎も角として、この形をした存在への認識を改めたいという思いもある。

  

 夥しい数の手に触れられながら、彼の手は更に奥へと沈んだ。肘の辺りまでを、コピーは子宮に宿した。

 

「うゥ……」

 

 切り裂かれた喉を震わせ、コピーが呻く。そこに快感は無く、苦痛に満ちていた。

 同時に胎内の熱が増した。熱湯から炎へ、そして溶鉱炉もかくやと言ったものへ。

 無数の手も形が蕩け、それでいて名残を惜しむ様に彼の手を撫で廻して消えていく。

 焼け爛れる痛みはそのままに、彼の手は魔法少女の複製の中にあり続けた。身を焼く痛みなどに逃げる訳も無く、彼はそのままであり続ける。

 

 対してその苦痛の発生源であるコピーは、胎内を焼かれ溶かされる地獄の苦痛に身を苛まれていた。

 苦痛に身を折りかけたコピーの身体を、ナガレは残った左手を彼女の腰に添えて支えた。

 その瞬間、コピーは眼を見開いて叫んだ。

 破壊された声帯が奏でたのは、獣のような咆哮だった。元の可憐さなど欠片も残っていない、無残な声だった。

 

 その意識がコピーを苛み、眼から涙を滂沱と溢れさせる。濡れた眼は救いを求めるように、愛しさの対象を見つめた。

 黒い瞳が真っすぐこちらを見ていた。瞬きもせずに、視線も全く逸らさない。

 瞳の中にあるのは、銀河か地獄を思わせる闇の坩堝。

 全てを虚無へと導くような渦巻く瞳に、コピーは自らの懊悩が飲み込まれていくような感覚を覚えた。

 それが契機となったか、腹の熱は頂点に達した。そして今までの発熱が嘘のように、急速に冷えていった。

 両手で彼の肘を握りつつ、コピーはゆっくりと胎内から彼を引き抜いていく。

 

 行動としては全く真逆だが、彼の肘を握る様はまるで引き抜きではなく、彼の手に縋り付いて胎内に留めようとしているようにも見えた。

 されど無情ささえも帯びて、彼の手は彼女の内から取り除かれた。入るときと同じく、皮膚からは一滴の血も破壊も無く。

 最後まで彼はコピーに自らの手を預けていた。それが彼女の姉妹たちに無惨な死を与えた事への贖罪なのかは、彼にしか分からない。

 

 彼を解放したコピーは荒い息を吐きながら、膝を折り曲げ四肢を地面に着けていた。

 屈膝の邪魔となっていないことから、膨張していた腹は元の平坦さを取り戻したらしい。

 四足獣然とした姿で獣じみた呼吸を続ける様子は、紅く美しい獣に見えた。

 

「確かに受け取ったぜ。ありがとよ」

 

 自らも屈み、ナガレはコピーへと言った。次の瞬間、その身に彼女が覆い被さった。

 獣のように荒々しく、慈母のように優しく彼の後頭部に腕を巻く。

 そして貪るように彼の顔に唇を這わせ、薄い胸を彼の胸板へと押し付ける。まるで自らの全てを捧げるように。

 赤と黒の影が一つに交わったと見えたその瞬間、世界は紅の色に染まった。全ての存在が彼らのように一つとなり、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界に色を取り戻した彼が最初に見たのは、黒い異形の竜を体内から放っている朱音麻衣の後ろ姿であった。

 彼女は相変わらずにトランス状態を維持し、愛し子と呼ばれた竜達は巨大な異形へと喰らい付いている。

 呉キリカもまた絶叫と狂気の叫びを挙げ、針と触手を乱舞させている。

 彼の感覚では、意識の喪失から復帰までには、長くても数秒程度しか経っていない。

 しかしながら周囲を見渡すまでも無く、この世界が産み出した佐倉杏子のコピーの気配と姿が消えていた。

 紅い幻影にでも逢ったかのように、彼女の姿は何処にもなかった。

 

 されど、彼女は確かに彼の傍にいた。魔法少女の複製が胎内で育み、身の内へと彼の手を導いて托したもの。

 彼女の体内で触れた血と粘液に濡れた手が、それを握っていた。それは虹色に輝く光の結晶だった。

 赤に青に紫に緑色、そして光そのものの輝き。

 それらを束ねたような光沢を放つ、戯画的な星のような形をした結晶体が彼の手に握られていた。

 大きさは彼が武器として扱う手斧程であり、産み出された場所を例えの参照とするならば、新生児ほどの大きさがあった。

 虹色の宝石の中央が輝き、彼の肘を虹色に照らす。

 

 光に触れた血と粘液が宝石へと吸い込まれ、宝石に朱と濡れたような光沢を足した。

 そして血を吸った宝石は、命を得たかのように形を変えた。

 星形の形が中央に向けて折り畳まれていき、それまでとはまるで異なる形を形成していく。

 一秒と掛からず、宝石の形は丸みを帯び大きさも掌に乗る程度の大きさへと変じた。

 

 彼の右掌に鎮座するのは、杏にも桃にも似た形をした、サイズで言えばさくらんぼ程度の大きさをした虹色の塊だった。

 躊躇も無く、彼はそれを口内へ放り噛み砕いた。

 蓄えられた六つの色の魔力が弾け、それを彼が背負った魔女が受け取り力に変えていく。

 それはこれまでの戦闘で蓄えていた力を支配者のように束ね、覚醒させるに足りていた。

 与えられた力が身を苛む苦痛は進化の声であるかのように、コピーから託された力が彼の内を毒のように駆け巡る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 紅の少女、触れる記憶

 赤、緋、朱、紅。一面の真紅の世界が広がっていた。

 世界のあらゆる場所で振動が絶え間なく続き、その度に身体の何処かしらが痛んだ。

 眼が抉れ、内臓が破裂し、骨が砕けて全身の筋肉が断裂する。

 気が狂わんばかりの痛みが走るが、されどそれらは一瞬であり、身に浸る感情の波の中へと溶けていく。

 

 波を形成するのは欲望に後悔、渇望と絶望。

 そして波の力の大本は、彼女に根差した本能であった。狂おしいほどの殺戮・破壊衝動が今の彼女を形作っていた。

 その原初の衝動に突き動かされる思考に、ノイズとでもいうものが混じった。

 

 ノイズとは明確な思考という意味でもあった。

 感情の波の中を揺蕩い沈むそれを呼び出したものは、狂乱の黒い魔法少女と、漆黒に輝く三匹の異形を呼び出した紫髪の魔法少女。

 その二つから発せられる感情に、同類である彼女自身も反応していた。

 

 片や、執念とも執着とも取れない、何かに固執する悍ましいとしか思えない異様な感情。

 

 もう片方は巨大な竜の姿をした虚無感の奥にある、見ていて吐き気がするようなドロドロと粘ついた性欲と自分には馴染みのない恋慕と言う感情。

 

 前者とは幾度となく剣戟を交わしたが、後者は今回で会うのが二度目であり、会話どころか声すらも禄に聞いたことが無い。

 何故絡まれるのか分からず、そもそもよく考えれば何でここにいるのかも分からない。

 当然と言えばそうであるが、イラりとした思いを彼女は抱いた。

 

 そして彼女は苦痛に浸りながら、現状の打破を思い描き始めた。

 敵は三体。

 最初に相棒が奇怪な変化を遂げ、更に不愉快な同類二匹が気持ち悪い感情を剥き出しにし、異形を吐き出してこちらの肉と装甲を削っている。

 後者二つはもう考えた。そして考えたくもいいので放置。

大事なのは相棒の方だった。

 

 前々から分からない奴だったが、最近になって少し分かってきた。

 まずはこことは違う場所の存在であるという事。それは案外、少し気を変えてみたらすんなりと受け入れられた。

 

 もとより魔女や使い魔が結界なる場所を作って、現実世界と虚構の狭間を行き交っている世界である。

 なら宇宙には更に変なのがいて、あれはその一つだろうと。

 並行世界云々という話も、まぁ信じてやっていいかなと思った。

 他の自分を殺して廻っているという話が、魔法少女という存在を鑑みてみれば胡散臭いと思いつつも納得できてしまう。

 

 今のこの状況に陥って、魔女と魔法少女との関係が実は近い存在であったと実感できていた。

 そもそも名前からして謎かけのようなものだった。

 そう思うに至ったのは、呉キリカから放射される念話であった。

 これが魔法少女の真実だと、聞いてもいない事柄をキリカは彼女に向けて無遠慮に送っていた。

 それは彼女なりの配慮であり、無自覚な悪意でもあった。

 何故そんな事をしたのかと彼女に問い詰めれば、恐らくキリカは応えられないだろう。既に忘れているに決まっているからだ。

 

 思考が逸れた。ゴキブリ女の事はもういい。

 考えたくないと思ったのに、どうもあの女は思考を侵食する。そう思うと、呉キリカの美しく悍ましい哄笑が脳裏に流れた。

 またも思考が掻き乱される。悪魔か、と彼女は思った。

 その単語が次に繋がる切っ掛けとなった。

 

 黒い翼に黒い頭角、または猫耳のような何か。個人的には猫耳に見えると彼女は定義した。

 最後に背中から生やした鋼の鞭尾。遠目で見た限りでも、百体を越える複製があれで頭部を薙ぎ払われて貫かれていた。

 そしてそれを操るのは悪鬼羅刹の魂を宿した、女みたいな顔のクソガキ。

 性癖を狂わせるような見かけと、闘争においては情け容赦の微塵もかけない中身。

 アレは文句なしに悪魔だろうと、彼女は信じて疑わなかった。

 そういえばさっき、サラッと神殺しをしていたとか言ってたなとの事も思い出す。

 神の定義などよく分からないし生まれた家が家な上に、この状況を鑑みると笑い話にもならないどころか一周廻って笑えて来る。

 

「ほんと…なんなんだろなぁ、あいつ」

 

 喉の奥で呵々と唸る様に笑いながら彼女は呟いた。付随する笛のような空気の音は、衝撃で裂けた喉の一部から漏れたものだった。

 

 笑いながら手を振った。世界と同じくその手も赤かった。

 世界を染める色よりも赤いシルエットが、今の彼女の輪郭を作っていた。

 振られた手は爪の一本も残っておらず、指は捩じれて肉の内側から細い骨が飛び出していた。

 はてこれは実物なのかイメージなのかと、彼女は少し疑問に思った。

 

 だが負傷は魔法少女の常であり、ここ最近は特に命の削り方が酷い。

 覚えてる限りでもどてっ腹を貫いたり、槍衾にしてやったり全身を焼いて遣ったりと。

 魔法少女でもないあいつが生きてるんだから、こっちも負けてられるかと弱気な思考を放棄する。

 あいつは人間なのかという思考は、最早無い。ああいう存在だと定義され、彼女の中では怪物として分類されている。

 血を散らして振られた手の周囲で、何かが渦巻いた。

 彼女の血と視界を覆う赤い世界を渦は吸い上げ、何かに変わった。

 

「よっと」

 

 自由落下に移ったそれを、彼女は両手で受け止めた。それは大きな、巨大と言ってもいいサイズの本だった。

 立幅も横幅も、まるで学習机のように長く広い。本というよりも図面ないしは地図のようだった。

 それでいて厚さは大したことが無い。薄くは無いのだが、例えるなら精々アニメかゲームの設定集程度。

 長さにすると、三センチあるかどうかといったところだろうか。

 

 そして重さは皆無であった。一度手で支えると、本はそこで宙に浮いた。

 彼女から見て、全体が一望しやすい高さへと自動で調節される。便利だなと彼女は思った。

 彼女の眼の前に浮くのは、上記の特徴を備えた赤い書物であった。

 炎のように赤い表紙には、太陽のような紋章があしらわれていた。炎が書物の形を取ったような本だった。

 躊躇することなく彼女はページを捲った。正確には、触れるだけで勝手に開いた。

 開いた先には目次が連なっていた。無視して次に行く。複数の単語が並んでいたが、見ない事には始まらない。

 

 バラバラとページが一気に捲れていく。

 ものの数秒で眼で見える厚さのページが消費されたが、それでいて厚さに変化は無い。

 この外見自体、どうでもいいもののようだ。

 そしてこの存在は本ではなく、彼女が垣間見た他者の記憶であった。

 

 数か月前のあの日の夜。

 青白い月光が降り注ぐ廃教会内で遭遇した怪物へ。

 今の相棒へと放った、憎悪と悪夢の記憶を乗せた頭突き。

 その返礼か副作用か、互いの思念が交差し、相手から逆流した記憶のカタチがこの書物であった。

 

 可能な限り意識から遠ざけ、そして何故か今まで明確な認識が出来なかった記憶であった。

 最初の遭遇時の記憶の逆流は彼女に甚大な苦痛を与え、暫くの間その戦闘力を低下させるほどの毒気を受けた。

 しかし今、これが必要だと彼女は思っていた。

 

 本気の紛い物を見せてやると言った事を、彼女は思い出していた。

 果たしてそうだろうかと、狂気の声の囁きが聞こえる。それは違うと理性が応える。

 応えた理性は狂気の解答を導き出した。自嘲からのやけっぱちな狂気ではなく、正気のままに生み出された狂気であった。

 

「あたしの欲望が中途半端だってコトか」

 

 赤い世界の中で、閉じられていた左眼が開かれた。

 潰れた右眼は傷と抉れた頭蓋骨を押し上げ、強引に開いた。真紅の瞳が、赤い世界の中で爛々と輝いていた。

 

「なら、欲望の程度を上げてやる」

 

 得る、望む、手に入れる。そして……奪う

 

 頭の中に浮かんだあの言葉の意味を、ぱっと思い付いた限りで並べたものがそれらだった。

 不思議な親近感と、そして嫌悪感が同居した感情を彼女は抱いた。

 何故だと思ってすぐにその理由に気が付いた。同じものであると。

 

 自分が魔法と言う力を得て、戦いの中に生きるようになり、因果によって全てを奪われた事象と。

 何かを望み、そして全てを喪う。

 希望と絶望は差し引きゼロであると、嘗てあの時に思い知らされた。

 

 自分が今触れて得ようとしているものも、形は異なりそして破滅的であれど願いであった。

 奴に勝ちたい。それが今の望みであり、そして今の彼女には失って心を痛めるものは何もない。

 心自体が対価である為に。

 それ故に、彼女に迷いはなかった。

 

 全ての爪を失った右手が、血に濡れた指先を書の中央へと突き立てた。

 もがく様に蠢動するページを抑え、甘い声にてこう囁いた。

 

「だからあたしに教えてくれよ。テメェが何者なのかをさ………なぁ…………ゲッター

 

 少女の声に応じたように、嘗て垣間見て今は自分の記憶となった、本の形をしたものは静かに動きを止めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 紅の少女、垣間見たもの

 動きを止めた記憶の書物を、彼女はペラペラと捲っていった。指先が触れるだけで巨大なページが捲れていく。

 数回繰り返した時、彼女は小さくため息を吐いた。巨大な形状と相俟って、まどろっこしさを感じたのである。

 と、そう思った瞬間に書物は発光。彼女が目を丸くしていると、瞬く間に縦横三十センチ四方の大きさの情報端末と化した。

 

「便利だな」

 

 彼女は呟き、端末の電源を入れて画面をスライドさせる。

 にしても初めて読む電子書籍がこれかよと、彼女は思わずにはいられなかった。

 光る画面の中には何かが書かれていたが、中身は曖昧模糊としていて判然としない。

 しかし探している事柄は一つであり、探すのは比較的容易であった。

 

「コイツか」

 

 指を止め、彼女は呟いた。

 

「ナガレの野郎の、あのコスプレの元ネタってやつか」

 

 そこに映っていたのは茫洋とした輪郭で且つ曖昧なシルエットながら、現実で視認した存在と似通った姿をした存在だった。

 

 人間のような四肢、一種の装甲なのか異様に膨れ上がった肩。

 頭部から角か獣の耳のように伸びた、彼女の感覚で見れば槍穂も連想させる長い突起。

 そして一際目を引いたのは、背中から生えていると思しき巨大な何か。横に幅広く、縦には刃のように鋭い形。

 蝙蝠の羽を思わせる不吉な形状を持った、悪魔の翼だった。

 

 更にトドメに、この存在は両手で巨大な得物を握っていた。

 自分の得物である槍にも相当する長さの柄に、幅広い両刃の斧が結合した凶悪な武器。

 かつての強敵と似た形であり、ここ最近で極めてよく目にする形の武器というか兵器だった。これで何度身を削られて、手足を吹き飛ばされた事か。

 そう思いながら、彼女はふっと小さく笑みを漏らした。楽しい事柄では全くない筈であるのに、そこに不快さは感じられなかった。

 何故なのかは彼女自身も分からないに違いない。そのまま少しだけ動きを止め、すぐに表情を変えた。

 表情はたしかに笑顔ではあった。ただし、悪鬼のような捕食者じみた笑顔と化していた。

 

シンゲッター…とか言ってたっけ。なるほど、中々強そうだね」

 

 シンとは真ってところだろうと彼女は思った。そして少なくとも神という意味では無いだろうと。

 また中々とは言いつつ、背筋には寒いものが走っていた。血みどろの魔法少女から見ても、この姿は畏怖を覚える外見に過ぎていた。

 故に体の一部が氷結したような悪寒は、この姿からの威圧感のせいでもある。

 しかしそれ以上に輪を掛けて感じるのは、この存在から感じる不可視の何か。

 

 感覚として一番近いのは、初めて訪れた魔女結界で感じた底知れない悪意。

 日常から非日常へと突き落とされた、あの浮遊感にも似た不安感と、未開の地に足を踏み入れた高揚感。

 ただ魔法少女生活開始の感覚は、願いが叶ったという充実感もあって高揚感の方が強かった。

 しかしこれは完全に未知のものであり、故に得体の知れない物を強く感じていた。

 

「そうこねぇとな」

 

 薄く笑いつつ彼女はそう言った。

 それは恐怖心を戦意で上塗りするための言葉であり、狂気の領域に触れるための決意でもあった。

 何かを獲得するためには、相応の代価がいる事はもう嫌というほど知っている。現に相棒は魔女に身を喰わせるという代価を支払った。

 その光景を見た訳ではないが、気配が融合していることを鑑みても間違いない。

 

 自分は感情の現身の力で異形を産み出しているだけに過ぎず、今もただ曖昧模糊な記憶を読んでいるだけだ。

 屈してなるかと、砕けた歯を食い縛る。割れた歯の中で、最期の闘志を示すかのように二本の八重歯だけが無事だった。

 

 詳細を見る彼女の紅い眼が、ふと疑問を捉えた。悪魔のような姿を映した画面の右隅に、小さな窓が二つ開いていることに気が付いた。

 その中にはこれもまた判然としないが、それぞれ何かの姿が映っていた。

 二つが縦に重なった内の一つの窓を、彼女は静かにタップした。直ぐに画面が開き、悪魔の姿は縮小されて隅へと畳まれる。

 展開されたものに、彼女は首を傾げた。

 

「なんだこりゃ」

 

 映っていたのは、これもまた人型の存在。但し形状は先のものと大きく異なっていた。

 真正面を向いた手足は異様に細く、まるで案山子を思わせた。

 先端の鋭さを考えると、胴体から伸びた刃物で手足を構成しているようだった。

 頭部は三角形に近く、その様子に彼女はおとぎ話の魔女の帽子のイメージを抱いた。

 

 その姿の中で、特に目を引いたのは彼女から見て左側、この存在で見れば右腕に相当する部分が巨大な円錐と化している事だった。

 華奢に見える姿の中で、そこだけが突出して巨大であり身の丈そのものに迫る勢いで右腕が肥大化している。

 更には反対側の左腕は、刃であると云うのか円弧を描いた異様な形状になっていた。

 疑問のままに最後の窓を開いた。拡大されたものに、彼女は遂に疑問に満ちた唸り声を漏らした。

 

 開かれたのは、何やら戦車のような形状の何かだった。

 やや斜め向きに映っていた為にそう見えたのだが、正面からでは何が何だか分からなかった事だろう。

 例えるなら、車から生えた巨大な人間の胴体。それも腕に相当する部分が異様に太い。

 

 他の二体が異形ながら人間に近い姿であったために、これはまるで魔女のような別次元の異形感に満ちていた。

 この姿への詳細を鑑みる前に、彼女の中に疑問が渦巻いた。

 何故これらは、一つの画面に載せられているのかと。

 

 これら三体は程度は違えど人型の要素を持ちつつ、外見が全く異なっている。

 であれば別々に表示されるのが普通ではないかと、彼女はこのデータベースと化した記憶に憤然としたものを抱いた。

 とはいえ他者に記憶を見られるなどとは異常であり、この行為はいうなればのぞき見且つ空き巣に近い。

 ならばこの憤りは筋違いかと、彼女は少しの反省と共に納得した。

 

 彼女の陥っている状況は異常の中の異常であったが、こういうところで常識人な面が出てしまうのであった。

 それが更に異常であり、これも彼女の精神的な強さなのかもしれない。

 それでもまぁいいやと気分を切り替えて次に行く。気分的にはATMを破壊したり、銭湯に忍び込むときと大して変わらなかった。

 

 次のページで見たものは、形は違えど似た形状の三つの姿だった。

 怒髪天を突くとでもしたような五本の角らしきものを天に向けて伸ばし、肩から背部に巨大な外套状の翼を広げた人型。

 続く二体も糸杉のように細いものと、これは人型をした手も足も太い存在が見えた。

 

「なるほど」

 

 彼女は呟いた。二つの例を見るに、何かしらの法則を掴んだらしい。

 相変わらず形の異なる三体が一緒にカテゴライズされていることは疑問であったが、ここに彼女は予測を立てた。

 恐らくこれらは別個体で編成されるチームであり、運用の際は三体同時に展開されるのだろうと。

 

 となると姿が変わっている事にも合点がいった。

 最初のものはバランス型、次は高機動、最後はパワー型であるのだろう。

 外見からしてこれで間違いなく、見てみればそれほど不思議でもなかった。

 

 例えるなら、魔法少女が集団で徒党を組んで戦うようなものだった。確かに生き残りを賭けて戦うのなら、集団の方が生存率は上がる。

 だがその分苦労も増えるだろうし、いつまでもチームのままとは限らない。何時か齟齬が生じて別れる羽目になるんだろう。

 クソ真面目な自警団長率いるあの連中も、何時まで持つか。そういえば自分の場合は…と思ったところで彼女はそれを打ち切った。

 どうも感傷的になり過ぎている。集中しろと思い直す。

 

 次のページを開いたとき、彼女の眼がピクリと瞬いた。

 そこにいたのは、これまでのページでもそうだったように、彼女の見立てでのバランス型となる存在の姿だった。

 その姿には、どこか既視感があった。

 

「そうか。こいつが」

 

 思い返すと、それは戦闘が始まってまだ時が浅い頃。

 紫髪の同類と共に自分と対峙した相棒によって四肢を破壊された時、脳裏に流れ込んできた姿がこれだった。

 その時はこんなにハッキリとした意識はなく、ただ生存本能に従い、得た記憶を使って飛翔体とでもいうべき姿へとマガイモノの身を変えた。

 結果、顔から生えた角は翼のように変化し、口元の牙はより獰悪さを増した。

 その際の記憶の大本が、きっとこれなのだと彼女は思った。

 

「助けられたってコトか」

 

 それは勘違いであるのだろうし、単なる偶然なのだとは彼女も分かっている。しかしながら、彼女はその偶然に好感を持った。

 姿を見れば、これまでの二体計六体に比べて大分人間の形に近付いている。

 手足はしなやかさを増し、胴体は美しいボディラインさえ浮かべつつも逞しい。

 背中から生えた翼、のように思える存在の形状も他とは大きく異なっていた。

 

「変わり種って奴なのかな。気に入ったよ、あたしは」

 

 そしてその頭部の形も、凶悪さを伺わせるものであったがそこにも多少の親しみが伺えた。

 かなり強引だが、自分の髪を束ねるリボンと似た要素を彼女は見出だしていた。

 確かに、気分転換に大きめのリボンを使った時にはこんな感じに見えるのかもねと、彼女は自嘲交じりに笑っていた。

 その形状は先に見た記憶の姿、そして相棒が変異した姿が背中に背負ったものと、似た形状を兼ねていたからである。

 

 また何故かこの姿の輪郭は、他と比べて幾ばくか鮮明だった。形としての姿が、よりはっきりと浮かび上がっている。

 何か思い入れでもあるのかなと思ったが、詮索は無粋と打ち切った。

 そして他と同様、隅には二つの姿も別枠で映っていた。

 一瞥した限りではあったが、より禍々しさと重厚さが増した姿であった。

 

「よし、決めた」

 

 気軽な口調で彼女は言った。晴れた日の外出先を決めたような、そんな言い方だった。

 悩んでいても仕方は無いし、そろそろ時間が切れそうだった。

 少しでも意識の手綱を緩めると、底無しの狂気の沼に沈み込んでしまいそうになる。

 今のこの意識が狂気を孕んではいても、これは確かに彼女の意思での狂気だった。

 それとは異なる、負の感情に支配されたままの狂気とは自己の喪失に他ならない。

 その前にやるべき事は一つだった。

 

 自身から溢れた絶望からの現身から、この姿を着想としてもう一度紛い物の姿を造り直す。

 敢えて紛い物とするのは完コピだと自分で戦ってる気がしないから、彼女はそう思っていた。

 端末から光が消え、そしてその形は渦を巻いて消え失せた。

 世界は再び赤一色となり、彼女の意識もまた、ゆっくりと赤い世界に溶けていく。

 

 心が蕩けていく中、そういえば何故あいつ勝ちたいのかと言う事に、疑問が湧かない事に逆に彼女は気になった。

 少しだけ考え、薄く微笑む。半月の笑みは、戦う少女の貌であった。

 

「理由なんざ、勝ってから考えるさ」

 

 勝ちたいから。普段通りの特に理由も無く戦い、血みどろになって罵り合って一日を終える。

 そんな破滅的な関係、というよりも関係と呼ぶに足りるかも分からない対象である。

 フラストレーションの慰みもの、生理的な肉の欲求の鎮静効果が奴との闘争の中で見いだせた。

 

 死ぬか生きるかのギリギリの瀬戸際が、忌々しい程に楽しくて仕方がない。

 この戦いもその延長であり、変わった事と言えば相棒への嫌悪感が薄れているという事か。

 心の中で何かの枷が外れたような気分だった。

 多分それは、あの紫髪女の毒々しいまでの欲情に影響されたせいだと、彼女はそう思う事にした。

 

 そして現身が造り上げた紛い物の存在に、意識が流れ込んでいく。

 その最後に思ったものは、姿のモデルとした存在のページに描かれていた紋様だった。

 どこかで見た見覚えは、嘗ての先輩の家であったと記憶している。

 彼女はそういう、どこか変わったというか、ヒロイックな存在をノートに書き留める癖があった事を覚えている。

 そのことに杏子はクスリと笑った。

 

 幸せだと思える時期だった。

 その時の事は今は身を刻みつつも確かに温かな記憶であり、またその文字の意味するものもまた、彼女の胸に疼痛を与えた。

 彼女の生家の生業から見ると、複雑な心境にならざるを得ないものである為に。

 そしてその名前を持ちつつも、その外見はかけ離れている禍々しさを感じた為に。

 廃れたとはいえ、教会の娘の力の拠り所とするのはどうしたものかと、この時に彼女は感じた。

 

 だがもう突っ走るしかなかった。覚悟はとうに決めている。一気に意識の中へと沈み込んでいく。

 強引に抑えていた、画像から感じる得体の知れない感覚もまた彼女の心を包み込む。

 上等だと、身に押し寄せる狂気に対して彼女はほくそ笑む。

 

 そして仮初の姿に対しての名前に思いを馳せた。先程も考えた事であるが、現状と生家の家業を鑑みるとその名前は皮肉に過ぎていた。

 自分の記憶が正しければ、あれはインドの宗教絡みの文字であり、大日如来を顕す言葉であった。

 

「ならあたしの場合、あんたの事は新境地への方舟って思った方がいいのかね。なぁ…アーク?」

 

 からかうように告げた言葉。

 そして彼女の思考に応えるものはなく、彼女自身の笑い声と共に感情の渦の中へと消えていった。

 蕩けた先で、灼熱を帯びた真紅の力と、希望とは相反する漆黒の感情によって新たな形が作られていく。

 

 異なる世界で生まれた戦いの因子を、歪な形とはいえ時空を超えて彼女が受け継ぎ、その感情と魔力で育んでいく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話 剥ぎ取りし記憶、束ねし異形

「これは愉快だ。面白くもなんともないが笑えて来るよははははは」

 

 白い喉を仰け反らせながらキリカは言った。本人の云う通り全くの感情が廃された、虫の鳴き声のような笑い声も同時に挙げられている。

 芋虫とマネキンの融合体のような感情の現身に磔になりながら、巨大な針を撃ち出し続ける。

 更に跳ねるように飛び回り、キリカは異形の触手で赤黒い巨体を切り刻んでいく。

 

「で、そろそろ決着かな」

 

 告げた彼女の顔を、赤黒い破片が掠めた。それは珠のようなキリカの皮膚を僅かに削り、幾らかの血滴を跳ねさせた。

 頬を伝って垂れてきたそれをぺろりと舐めるキリカの視線の先には、破壊されてゆく巨体の姿があった。

 異形ながらにも人型をしていた姿に既に四肢は無く、肩や膝から先の無い達磨状と化していた。

 全身の傷からは膿汁のような粘度の黒い液体が溢れ、黒雑じりの赤の姿を黒に染めている。

 四肢の断面から絶え間なく液を落とし続ける巨体に、三匹の黒い竜が噛み付いている。竜の細い顎とマガイモノの体表の間では、奇怪な現象が起きていた。

 

 竜の体と同様に黒く、鋸の歯のように無数に連なる牙が触れた個所の色が徐々に透明となっていき、遂には物理的に消え失せていく。

 溢れ出る黒液も同様に、牙に触れた部分が忽然と消滅する。

 そうして顎の贄が消え去ると、竜は別の場所へと噛み付いた。

 細い輪郭である為に欠損の量は決して多くは無かったが、それでも結果としては破壊であってももたらす行為は消失と、竜の行為は魔法少女から見ても異質だった。

 そして何より、この現象に際して一切の魔力が生じていない事が異常さを際立たせていた。

 

 異常な現象を起こす三匹の竜の根元では、紫髪の魔法少女がいた。

 その細い身を左右にゆらゆらと揺らしながら、白目まで真っ赤に染まった赤一色の眼で竜達を見ていた。

 裂けた身体の内に生じた三つの虚空からは、漆黒の竜達の尾の末端が伸びていた。

 それらの発生源である朱音麻衣は微笑みながら、自身から伸びた異形達を眺めている。

 

 普段の溌剌さや凄烈な闘志を振い、数多の悪鬼羅刹と対峙してきた彼女の面影は何処にもない。

 人形のような空虚さと、悪霊のような悍ましさ。

 そして複数の感情を視線に乗せて、自らが産み出した者達を眺める慈母の姿がそこにあった。

 

「喰らえ…存分に…喰い尽くせ…愛し子らよ」

 

 麻衣の口からは時折言葉が漏れていた。それに呼応し、竜達は咆哮を挙げた。

 耳障りという領域を越え、聞くものの精神を砕くような異質な音だった。

 巨体の背に向けて垂直に身を立てて装甲を漁る様は、天から注がれる黒い落雷に見えた。

 身を捩りながら牙を立て、佐倉杏子が産み出した異形を虚空の顎で喰らっていく。

 

「なんともまぁ…思わぬ展開だね」

 

 攻撃の手はそのままに、キリカは呆れたような声を出した。

 

「まさかの最強キャラが発情紫髪だったとは。御都合展開に過ぎるし、第一ピンと来ない。例えるならそう…本編から見てスピンオフ作品の、しかも脇役が実は最強だったみたいな」

 

 好き勝手に言いつつ、キリカは触手を捩る。マガイモノの全身に突き立てられた触手が一斉に回転し、獲物の装甲と肉を破壊する。

 

「ま、これで佐倉杏子も解放されるか。ああそうそう、解放と言えば」

 

 破壊をしつつ、キリカが過去の記憶を辿る。狂気に浸されてはいるが、彼女の頭脳自体は明晰であった。

 

「今は懐かしだけど、私が君らの前に強キャラ感出して初登場した後か。胸を砕いて遣って昏睡状態にさせた友人をしばらくじっと眺めた後、お前が寝床で何をしていたかは覚えているよ」

 

 口調に嘲りはなく、ただ事実や案内を告げる機械のような冷たさがあった。

 

「別に覗き見の趣味は無いが、敵情視察は大事だろう?今はこんなに仲良しだけど、あの頃は敵だったんだからさ。

 まぁ詳しくは言わないよ。君も年頃だし一応は男である友人の手当てしたんだろうから、気の迷いとは言えそういう気持ちになるのは分からなくもない」

 

 淡々と言いつつ、照れたような口調にもなった。あくまで口調だけは。

 

「指の動きと押し殺した声から察するに割と燃えていたようだが、何時も嫌いだとか死ねとか真顔で言える友人相手でそういうコトが出来るなら、

いい加減互いに得をしないツンツン路線はやめて、分かりやすくいちゃいちゃちゅっちゅな路線でいきなよ。

 そっちの方が人生楽だよ。つまんない意地やしんどい生き方してないで、欲望なんて解き放っちゃえばいいのさ」

 

 真摯な口調で持論を語るキリカ。しかし返答は期待せず、ただ暇潰しと言った風に言葉を述べていた。

 そして言う端から忘れているに違いない。

 

 

ああ、そうするよ

 

 

 その為、思念にて返事があった際はキリカも思わず目を丸くしていた。

 そして何を感じたのか、眼には柔和な線が描かれ美しい顔は微笑みを形作った。

 

 

「案外素直だね。じゃあ速やかに無意味な死とまごころを君に」

 

 与えよう、とでもキリカは続けたかったのだろう。しかしそれは果たせなかった。

 言葉を紡ぐ口が、というよりも頭部自体が喪失した為に。

 竜達に啄まれる異形の背中から、血のような深紅の何かが飛び出していた。

 竜達が押し退けられたように後退り、その生じた隙間にそれが聳えていた。

 

 マガイモノをまるで卵か蛹のように突き破って生じたそれは巨大であった。

 直径はマガイモノの背中の面積に等しく、長さにして二十メートルに達していた。

 その頂点へ向け、竜達が鎌首を上げていた。昆虫のような丸い複数の眼と、竜達を追って空を見上げる麻衣の血色一色の眼に新たな異形の姿が映っていた。

 

 深紅の巨柱には、包帯のような帯が巻かれていた。横に巻かれたそれらは、蛇の蛇腹か木乃伊を思わせた。

 かなりの長さというよりも高度の先でまず最初に眼に着いたのは、巨大な二枚の翼だった。

 それは背中ではなく、頭部から生えていた。

 

 蝙蝠の羽の鋭い輪郭と、猛禽類の猛々しさが合わせられた異形の翼。

 その長さは一枚当たりで軽く四十メートルに達し、これまでのマガイモノの体長に匹敵する大きさだった。

 それを支える人型の頭部はそれまでとは異なり有機的な要素が消えうせ、完全に金属の光沢で覆われていた。

 刃の切っ先のような鋭い眼の下には、前と同じく口が開いていた。

 

 しかしその開閉は上下だけではなく、頬にさえも二つの亀裂が入って形成された異様な口だった。

 まるで幾つもの関節を以て獲物を飲み込む、蛇の頭部のような構造の口となっていた。

 開かれた口の中には前と比べて短くも、太さと鋭利さが増した牙が生え揃っている。

 その牙で覆われた口の中で、呉キリカの頭部とドッペルの上部分、更にはキリカが「ドリルワーム」と名付けた触手が大量に喰い千切られて咀嚼され、混ぜ合わされていた。

 先程までマガイモノの身体を易々と切り裂いていた獰悪な触手は、柔らかい麵のように易々と噛み砕かれている。

 

 生え揃った歯の中で特に発達した八重歯がドッペルの婦人帽子を貫き、桃色の脳味噌と黒髪が付着した頭皮や頭蓋骨がペースト状になるまで曳き潰される。

 完全に形状が崩壊したキリカの肉と感情の現身の一部を、この新たな異形は嚥下した。ごくりという生々しい音さえも付随させながら。

 球状に見える肩の輪郭はありつつも、手も無く足も無く、異様に伸びた胴体を持つこの異形は超巨大な深紅の蛇といった姿だった。

 そこに頭部から生やした一対の巨大な翼が合わさった威容は、禍々しくもある種の美しさと神々しさを湛えていた。

 蛇に蝙蝠に猛禽類、そして人間の要素が束ねられた姿は、神話か御伽話の神々の姿に見えた。

 また或いは、悪魔か邪神のような。

 

「きさ…ま…」

 

 頭部を喰われたキリカの首の断面から、憎悪に満ちた音が絞り出された。そして直後、肉を突き破って微細な斧を連ねた触手の束が発生する。

 触手たちが絡み合い、欠損したキリカの頭部を新たに作り出していく。

 

「私の…心を……喰うなッ!!」

 

 肌の再生も後回しに、血と体液を出来かけの頭部から滲ませながらキリカはドッペルを飛翔させた。

 外見に似合わぬ速度は音速を越え、既に百メートルは優に超える巨体となった新たなマガイモノの頭部の更に上へと瞬時に身を躍らせる。

 主同様に頭部を失ったキリカのドッペルが、その不吉な影を深紅の巨体に注いだ時、それに次いで三匹の黒竜達が逆さまの瀑布のようにマガイモノの頭部へと牙を走らせた。

 こちらはキリカと異なり、影すら生じていなかった。異界の物理法則にすら縛られず、竜達はマガイモノの喉や左右の翼へと噛み付いた。

 先と同様、牙の先から徐々に存在が希薄となっていく。

 

「何だか知らないが、無駄に巨大なパワーアップ形態も無駄なようだな。朱音麻衣の欲望を侮ったのが悪い」

 

 筋肉が剥き出しの赤黒い顔のまま、ドッペルに針を射出させながらキリカは言った。

 マガイモノの深紅の装甲は硬度が増し、それまで貫通ないし八割は埋没させられていた針は先端が突き刺さる程度になっていたが、キリカは針を連打していく。

 そして彼女が言うように、竜達の攻撃は物理的な防御を無視している。

 巨大化したことで牙に対する面積が増えたために効果が薄くなってはいるが、それでも傷口は虚空へと迫っていく。

 触手やドッペルを易々と齧り取った牙は脅威だが、先程と異なり手も足も無い為に剛腕や蹴りが放てない。

 更には麻衣の竜達は、まるで悪夢の存在であるかのように相手からの物理的干渉を受けない。

 

 先程の口撃は不意打ちであり、今度はもう喰らわない。

 ならばやる事の手間が増えた程度と、キリカは艶やかな肌で覆って完全再生させた顔に嘲弄を浮かべながらそう思った。

 その表情が硬直したのは、マガイモノの背から生えた長大な十本の紅い槍か針のような物体を見た時だった。

 場所的にそこは、前のマガイモノの翼があった場所だった。

 

 イチョウの葉を思わせる形に開かれた十本の長槍の間で、荒れ狂う炎の如く赤い光が迸っていた。

 

「その魔法は」

 

 キリカが発した声は、嫌な予感からの不吉さが滲んでいた。

 稲妻のような光の波紋に、キリカは見覚えがあった。

 朱音麻衣が所属する自警団の団長が得意とする雷撃と、魔女を取り込んだ彼女の友が放った破壊の光球の表面で波打っていた波濤に。

 それは見る見る間に増大し、マガイモノの背を紅い稲妻の波紋が覆い尽くした。

 

「やばっ」

 

 ほぼ反射的にキリカが呟いた瞬間、その視界の全てを真紅の光が染め上げた。











外見のイメージはシレーヌの翼を持ったゲッターアークの上半身+腕の無い邪真ドラゴン(真ドラゴン第二形態)となります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話 最後の刃

 呉キリカの視界を真紅の光が埋め尽くす。

 それは彼女の黄水晶の瞳だけでなくその魂の現身や、異形の竜を顕現させた朱音麻衣にも赤の色を映えさせていた。

 新たな姿を得たマガイモノの背中から生えた十本の長槍状の翼に膨大な赤い電撃が蓄えられ、それが臨界に達した時に雷が爆裂した。

 それらは雷撃であると共に、曲がりくねった無数の紅い槍であり夥しい数の毒蛇であった。

 宙に放たれたそれらが、その牙や切っ先を万物に向けて突き立てる。

 

「きひっ…!」

 

 紅い光に身を染められながら、キリカはそう漏らした。悲鳴ではなく、狂気に浸った笑い声を。

 飛来したそれらに向けて、キリカの現身から放たれた異形の触手が噛み付いた。真紅の光と触手が絡み、共に果てて砕けていく。

 更にドッペルは高速で飛翔し、光の隙間を掻い潜り上下左右にと目まぐるしく空間を駆け巡る。

 

「これは…予想以上だな。さっさと仕留めておけばよかったよ」

 

 触手を貫いた雷撃に身を焦がされ、キリカの口から放たれる吐気には焦げた匂いが混じっていた。

 肌を貫いた雷は内臓を焼け焦がし、彼女の骨を高熱で焙っていた。それでも口調は平然とし、黄水晶の眼は爆裂した雷撃に晒される異界の景色をちらりと見ていた。

 そこに映っていたのは、世界そのものが業罰を受けているかのような地獄絵図。いや、地獄とした方が早い光景だった。

 

 彼女の針のドッペルが針の連打によって再現した針山地獄とは、破壊の範囲が桁違いに広い。

 戦場となっている異界の巨樹の天辺だけではなく、ここを基点に異界の各地に雷撃がばら撒かれていた。

 地上戦により破壊された異界の建造物や地面、マガイモノが顕現させた無数の真紅の柱などが雷撃によって溶かされ、切られ、粉砕されている。

 

「その姿の元ネタがどの程度の存在か知らないが…やれやれ、友人の戯言をちゃんと聞いておけばよかったよ」

 

 聞いてても無意味だったろうけど、と更にキリカは言った。その瞬間。展開されていた触手が根元まで弾け飛んだ。

 赤黒い触手の壁を貫き、無数の光がキリカの全身に絡みつく。皮膚が一瞬で炭化し、黄水晶の眼が破裂し、血と体液があぶくを立てて沸騰した。

 半壊していた現身も砕け散り、美しい形だけは留めたままで全身が煤色となったキリカは地面へと落下した。

 落下の衝撃で腕と脚が砕け、断面から赤い粘液となった血が垂れた。四肢は胴体から捥げ、腹部も腰の辺りで上半身と断裂している。

 

 右眼を覆っていた眼帯も焼き切れ、下の眼が露出していた。

 眼帯が最後の仕事を果たしたのか、右眼は高熱により白く濁ってはいたが眼球の形を留めていた。

 ごとりと首を横に傾け(というよりも首が胴体から外れ)、キリカは白濁とした眼で異界の奥を見た。

 そしてほぼ炭と化した顔に微笑を浮かべて呟いた。その視線の先には、朱音麻衣がいる筈である。

 

「なるほどね。完全無敵な存在など有り得ないか」

 

 焼死体と化して地面に横たわるキリカの元へと、上空から無数の雷撃が飛来した。

 それらは獲物を貪りに来た毒蛇達であり、キリカを焼き尽くす灼熱の雷撃であり、貫いて刻む光の槍でもあった。

 紅く染まった黒い身体の前に、更に紅い姿が身を躍らせた。

 それは人の姿をした炎を思わせた。

 髪も衣服も、そして得物である長槍も紅い少女であった。

 

 先端に十字架を頂いた槍が乱舞し、毒蛇の群れを光の微塵と散らす。振られた槍は多数の関節を生じさせ、その長さを爆発的に伸ばした。

 長大な鞭となって多くの光を刈り取り、真紅の少女を中心とした空間に台風の目の如く一時の静寂を招いた。

 

「あ、お久しぶりだね。調子はどう?友人にはもう会って抱かれたかい?」

 

 声に応じたように、槍を元のサイズに戻しながら真紅の少女は振り返った。少女はにこにこと笑っていた。

 誰もが微笑み返したくなるような、慈しみを感じる童女の笑顔だった。

 

 その朗らかな笑顔のまま、真紅の少女は横たわるキリカの腹に拳を突き込んだ。

 ほぼ粘塊と化した内臓が傷口から溶岩のように弾け、赤黒い体液が飛沫となって少女の笑顔を染めた。

 少しはだけた神父服を思わせる衣服の喉元には、ズタズタに切り裂かれた肉が紅い繊維で強引に縫われた凄惨な傷が刻まれていた。

 痙攣するキリカの反応を他所に、少女はキリカの体内をその繊手で蹂躙し、そして何かを掴み引き抜いた。

 

 赤黒い泥のような肉塊と粘液化した血に塗れたそれは、ダイヤのような菱形をした青紫色の宝石だった。

 微かな死の痙攣に震える、炭と生焼け肉の合い挽き状態となったキリカの顔を蹴飛ばし彼方へと放り、真紅の少女は放たれた矢のように飛翔した。

 虚ろとなった無残なキリカの残骸を、再び降り注いだ雷撃が芥子粒も残らず消し飛ばしたのは直後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ真紅の雷撃は、三匹の黒い竜達も貫いていた。されど紅い毒蛇達は黒い体表をすり抜け、地面に激突して爆ぜた。

 数十発数百発が貫通するも、熱を帯びる気配も存在を掻き乱される事も無く、一切の影響を受けていなかった。

 自らよりも遥か高みに存在する異形に向けて、竜達は威嚇の唸り声を挙げていた。

 

 人と蛇を合わせた胴体に、猛禽と蝙蝠を合わせた巨大な翼を頭部に頂く巨体は悠然と竜達を見降ろしていた。

 その翼の下にある鉄仮面のような貌に開いた無数の牙を有す口は、獰猛そのものの形状に人間の感情を有して歪んでいた。悪意の笑みに。

 竜達が飛翔せんとして身を撓めた時、口を開いたマガイモノの貌の前で巨大な光が生じた。雷撃ではなく、直径にして三十メートルもある真紅の光の球だった。

 

 自分達には無意味な攻撃と捉えたのか、三匹の内左右の首が唸り声を挙げた。

 右は闘志を剥き出しにしたような落雷の爆音に似た声であり、左は耳障りな金切り声だった。

 左右のものと異なり無言を通していた中央の首は、何かに気付いたように口を開いた。そして左右の首に報せる様に吠えた。

 古めかしい機械の通信音を思わせる、異界じみた声で。

 

 光球が放たれた瞬間、三匹の竜は背後に向けて全速で後退した。

 地に向けて放たれた光球には、無数の落雷も伴っていた。それらは竜達を狙ったものではなかった。

 光の中心には、紫髪の魔法少女が立っていた。そして真紅の光が炸裂した。

 

 異界の地面が蒸発し、朦々と靄が立ち込める。そこを雷撃が次々と貫く。

 紅い光に照らされて、巨大な物体が姿を顕わにした。それは、身を重ね合って何重にもとぐろを巻いた竜達だった。

 刺々しい突起が無数に並んでいた体表には、高熱による溶解と槍状の雷撃に切り裂かれた無数の傷が生じていた。

 傷口からは体表と同色の何かが液体のように零れ、地面に落ちた直後か落下の最中に煙となって消滅していく。

 

「…ぅあっ!」

 

 朱音麻衣は目を覚ました。白目も含め血色一色だった眼は、瞳のみをその色に戻していた。

 目覚めの原因となった身体の三か所で感じた痛みに身を捩る。痛みの場所は両胸と下腹部であり、彼女はそこを手で触れた。

 指が捉えたのは柔らかな衣服とその下の肉体の感触だった。

 痛みはありつつ、開いていた凄惨な傷口は閉じていた。

 

「ああ…ああっ!!」

 

 掻き毟る様に身に手を這わす。耐えがたい喪失感が麻衣の心を襲っていた。

 その彼女の耳朶を爆音が震わせた。次いで、異形の苦鳴が三つ。

 麻衣は即座に其方に向けて顔を向けた。

 

 血色の眼が見たのは自分を取り囲む黒い巨大な壁であり、そこから内側に向けて鼻先を向けて重なる三匹の竜の顔だった。

 大型車ほどもある頭部は痙攣し、夥しい数の牙が生え揃った口から異形ながらにも苦痛の響きを持った鳴き声が漏れている。

 竜達は麻衣からその身を外し、自らの身で編んだ防壁の中に彼女を匿っていた。衝撃音が響き、竜達が苦痛に身を震わせる。

 

 細い口からは吐血のように闇が溢れた。既に外側は雷撃の嵐に晒されてズタズタになっていた。

 朱音麻衣という召喚者兼観測者との接続を断った時、竜達の存在はこの世のものと化していた。

 その体表の頑強さは確かなものであったが、それでも限界に達しかけていた。

 

「お前達!」

 

 叫んだ麻衣の眼の前で竜達が悲鳴を挙げた。悲鳴は音を曳きつつ更に上昇した。竜達で構築された壁と共に。

 浮かび上がった竜達に、それらを更に上回る巨体となったマガイモノが牙を立てていた。

 縦方向だけでなく、頬にも裂けて生じた口は、巨大な獲物を飲み込むために複数の顎関節を有する進化を遂げた蛇に似ていた。

 その悍ましく開いた口で、マガイモノは三匹の竜を纏めて咥えていた。牙は深々と喰い込み、竜から溢れた黒が唾液のように滴っている。

 

「やめろぉぉおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 怒号と共に麻衣が抜刀。

 飛翔した瞬間、麻衣の元へと複数の雷撃が飛来した。叫びと共に切断した直後、彼女の背後で紅い電撃が爆ぜた。

 毒蛇のように回り込んだその一撃は、麻衣の背中から大半の皮膚を剥ぎ取り、焼け焦げた衣服と共に黒い欠片をばら撒いていた。

 背骨も熱に焙られ、首筋から尻までに宿る灼熱の感覚が彼女の精神を焼いた。

 

 しかしそれ以上に彼女の心を砕いたものは、マガイモノの開いた口の中に竜達が噛み砕かれて飲まれていく光景だった。

 竜達は抵抗するものの、物理法則に囚われた状態ではマガイモノの方が力で優っていた。

 蛇がより巨大な蛇に飲まれるように、竜達は頭部から尾の末端までが巨体の中に飲まれていった。

 

「貴様ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

  

 怒りと悲しみに満ちた声で絶叫する麻衣。

 空宙でバランスを崩し落下する彼女を、更に複数の雷撃が襲う。

 刀を握る手は震えていたが、それでも彼女は迫る死に向けて刃を振う積りだった。

 

 その時迫り来る雷撃が、宙に迸った一閃によって切り裂かれた。

 稲妻の毒蛇達を切り裂いた者は、宙に浮かぶ麻衣の身を捉え抱えて更に飛翔した。

 身を抱かれた時、麻衣の胸は竜達を失い憎悪の最中にあった。それでも彼女は希望を抱いた。己の身に触れた存在に心当たりがある為に。

 しかしそれは、彼女の望んだ者ではなかった。彼女を抱えるものは、燃えるような真紅の衣装に身を身を包んだ赤髪の少女だった。

 視認の瞬間、麻衣の心は嫌悪感に襲われた。

 

「離せ!私に触れるな紛い物!!」

 

 反射的に叫び、そして右の拳を振った。それはかなりの力を失っていたが、真紅の少女の左頬を撃ち抜いた。

 頬の内側の八重歯が肉を裂き、少女の口端から血を滲ませた。

 血を滴らせながら少女は着地し、ほぼ同時に足を撓め弾かれた発条のように跳ぶ。

 宙に残っていた血滴が、そこに降り注いだ雷撃によって地面諸共に蒸発した。少女を追って雷撃が次々と降り注ぐ。

 時折掠めつつも、少女は跳ね回り巧みに雷を避けていく。

 フェイントさえも掻い潜り的確に避ける様子は、まるで相手の思考を先読みしているかのようだった。

 

「離せと言って…!」

 

 叫ぶ麻衣の口へと、真紅の少女は何かを押し込んだ。

 麻衣の口の中一杯に広がるのは、歯が捉えた石のように硬い感触。舌に広がるのは、血腥く焦げ臭い匂いと鉄と潮の味。

 そして喉奥に突き刺さる、吐き気を誘発する不愉快な痛覚。

 麻衣が眼をやると、口から生えた二等辺三角形に似た紫色の宝石が見えた。そして

 

「やぁ朱音麻衣。矢張りというか、中々に舌遣いがやらしいな。夜の営みの予行練習でもしてるのかい?」

 

 その紫色の石からは、呉キリカの思念が届いていた。

 この石の正体を察した麻衣の喉奥からは悲鳴が湧き、麻衣は反射的に宝石に歯を立てた。

 

「え、ちょ。そういうグロ行為は私の担当ではないのだけど」

 

 キリカの声には焦りがあった。宝石は軋む寸前であり、もう少しで歯が喰い込むところだった。

 そして奔る少女の背に、無数の雷撃が迫っていた。疾走の最中、紅い少女は前を見た。

 

 前へ進む少女と入れ替わる様に彼女の背後へ、異界の空を覆わんばかりに広がる雷撃に向けて走る人影を彼女らは見た。黒い髪の少年だった。

 真紅に染まった空に向け、彼は両手を振った。振られた手の先で、黒い波濤が迸った。

 空を刻む様に奔った黒の波濤と接触した途端、迫っていた雷撃は霧散した。

 

 それは目前だけのものに留まらず、その後ろで彼らに目掛けて進んでいたものまで掻き消していた。

 空に広がっていた雷撃は、まるで黒い風に吹き散らされるかのように消し飛ばされていく。

 その奥で聳える巨大な異形にまで、その消滅は届いていた。

 マガイモノの巨体の蛇のように伸びた腹の一部で、装甲が小さく剥がれ落ちた。

 

 接触の瞬間、装甲の上では黒い光が跳ねていた。それを見届けると、マガイモノは小さく吠えた。

 だからどうした。効いてねぇぞと、獰悪ながら少女の声の音階を有したその叫びは言っていた。

 雷を斬り払った少年の両手には、両刃の斧が握られていた。刃の表面には、彼の黒髪や瞳のような黒い光が纏わりついていた。

 

「悪いな、また遅れちまった」

 

 背後に向けてナガレは言った。

 背中から生えていた巨大な翼が今は消え、頭角だけが残っていた。一部の異形化は残っていたが、普段の彼に戻っていた。

 だがその身から立ち昇る鬼気はどうだろう。そして彼の内側で渦巻く力の気配は。

 

 それらを鋭敏に感じ取り、麻衣は思わず息を呑んだ。

 普段は陶酔が掠めるのだが、今の彼女の中には呼び出した竜を失った怒りが勝っていた。

 そして、恐怖があった。それは彼に対してのものだった。

 

「やろうぜ、杏子」

 

 更に前へと進みながら、ナガレは言葉を紡いでいく。黒い瞳は巨大な異形を真っすぐに見据えていた。

 その悪魔じみた姿を脳裏に刻む様に睨んでいる。歩きながら彼は小さく、

 

「多分だけど、そいつはアークか」

 

 と呟いた。名を呼んだその声は、怒りの中に僅かな親近感が滲んでいた。

 そして彼は両手の斧を投げ捨てた。完全な素手となった状態で彼は右手を伸ばし、掌を上にし親指を除く四本の指を垂直に曲げた。

 

「来な」

 

 その様子にマガイモノは少し硬直した。罠を疑ったのだろう。

 竜が顕現した時と同じく、槍を召喚する事も出来た筈だが、彼女の欲望は速やかな決着を望んだ。

 

 空間が破裂したかのような大音声を挙げると、その巨体は真紅の大瀑布のように彼の元へと落下していった。

 彼の上空に巨大な口が開かれるまで、遥か彼方からの飛来と合わせて一秒と掛からなかった。

 彼が噛み砕かれるまでは、更にその十分の一の時間もあれば十分だろう。

 その刹那に、彼の右肩が光を放った。それは光であり、輝く闇でもあった。

 

 迸ったそれに、マガイモノは胴体を引いた。しかし、空中で夥しい量の紅い液体が大河の如く流れた。

 それはマガイモノの貌から迸っていた。

 顎から額に掛けて光は一閃し、更に上へと伸びていった。仰け反った状態で、マガイモノはそれを見た。

 真紅の少女に投げ捨てられ、地面に乱暴に置かれた麻衣もキリカの魂をぺっと吐き捨てながら上を見上げていた。

 

 ナガレの肩から、長い長い黒い直線が生えていた。

 それはマガイモノの百メートルを優に超える体長すら更に越え、伸びきったその先で巨大な刃を形成した。

 光のように輝く闇色の巨大なそれは、超巨大な大斧槍であった。その柄をナガレは両手で掴み、そして

 

 

「喰らえええええええええええええええええええええっ!!!!!!!」

 

 

 裂帛の気合と共に、莫大な魔力の籠ったそれを一気に振り下ろした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話 束ねられし力

「喰らえええええええええええええええええええええええっ!!!!!!!」

 

 咆哮と共に長大な得物が振り下ろされる。

 天高く伸びた柄の長さは百メートルに達し、その頂点で展開された両刃の大斧の刃渡りは二十メートルを優に超えていた。

 魔法少女どころか、巨大な魔女が振るう武器さえ遥かに上回る超巨大な大斧槍。

 

 それはナガレが刈り取った異界の生命や多数のグリーフシード。

 そして佐倉杏子の複製体が、胎内で育んだ虹色の宝玉に籠められた魔力を得て巨大化した牛の魔女であった。

 ただ肥大化しただけではなく、魔女と融合したナガレによって魔力を束ねられ、その姿は実体でありながら意思を持つエネルギー体と化していた。

 ゆえに彼に掛かる質量は普段と変わらず、されど純粋な破壊の力が集約された魔刃となっていた。

 

 また、彼がこの超巨大な得物を振り下ろすのは初めての経験では無かった。

 神々しい金色に輝く神を名乗る絶対者に向けて放ったのが最初であり、その時は弾かれたものの以降の放浪の中で多くの敵を葬ってきた。

 星々を喰らう魔物の細胞、そして並行する世界にて宇宙を蹂躙する自分自身の成れの果て達。

 それらを葬ってきた魔刃が今、愛機である深紅の戦鬼からではなく、紛い物の肉体でありながらも他ならぬ彼自身が生身で放っていた。

 彼にとっても初の事だが、彼の認識では戦い方が変わり使う力も変わったに過ぎなかった。

 

 迫る大斧槍が着弾するまで、ほんのひと刹那の時しかなかった。

 その間でマガイモノには後退か側面への回避か、または迎撃の時間が残されていた。

 そのどれもが為されれば、彼の攻撃は威力を大きく削がれていた筈だった。結果として、そのどれもが為されなかった。

 振り下ろされる大斧槍と共に、マガイモノの巨体に複数の物体が絡みついていた。

 

 それは雷撃で抉られ、溶解した地面から生えていた。マガイモノの中にある魔法少女の意思は、それが何かが瞬時に分かった。

 地面から生えていたのは自分が使う魔力と全く同一の存在、巨大な十字槍だった。それも数が十本以上に上っていた。

 獲物に絡む蛇か蔦植物の如く、それらは一瞬で地面から伸びて多節を生じさせて長さを伸ばし、マガイモノの体表を這い廻った。

 それらの力の源泉は抉れた地面の上で片膝を着き、両手で握った槍を地面に突き刺していた。

 

 ポニーテールの髪型を結う為に用いられていたリボンは外れ、槍の柄に結び付けられていた。

 枷を外された髪が解かれ、真紅の衣装に身を包んだ少女の背中に長い赤髪が紅い滝のように垂れている。

 そして紛い物の紅い少女は、自らの魔法で覆われたマガイモノを、自身のオリジナルを真紅の瞳で見つめていた。

 

 瞳の中の紅を構成するのは、徹底的な敵対心と反骨心。そして自らの行動への誇りと、燃えるような恋慕であった。

 その姿を見た瞬間、マガイモノの無機物的な鋭い眼もまた紅色を宿した。それは憎悪に滾る血のような光だった。

 

 マガイモノは、その中に宿る意思は即座に行動を起こした。標的は二つあった。

 迫る斧を握る少年か、自らを拘束する槍を従える複製体。一瞬たりとも彼女は迷わなかった。

 開かれた口の中央が光ったと見えるや、放たれた真紅の熱線が地表を大きく抉り蕩けさせ、消し飛ばした。

 

 熱線の贄と選ばれたのは、佐倉杏子の複製だった。

 そして生じた熱風がナガレの身を叩いたとき、大斧槍は振り下ろされていた。

 その寸前、彼の眼の前の地面に真紅の十字槍が突き刺さった。

 槍の柄の半ばに結ばれたリボンは半分近くが焼け焦げ、槍も所々が熱で溶解し高熱を帯びて湯気を上げていた。

 マガイモノの全身を覆う槍が、虚しく崩壊していく様が見えた。

 

 彼が再び挙げた叫びは、誰に対するものか。灼熱の中に消えた複製か、それを放った本体か。

 恐らくはその両方だろう。どちらも佐倉杏子であるが故に。

 

 振り下ろされた大斧槍を、マガイモノは頭部から生えた巨大な悪魔翼で迎え撃った。

 蝙蝠と猛禽類を合わせた翼が鋭い爪を宿した手の如く広がり、魔なる大斧に爪を突き立てその腹を掌で抑える様にして捉えていた。

 巨大な力同士が激突し、地上百メートルの高みにて真紅と黒の火花を散らす。

 

「ぐうぅ…」

 

 ナガレが獣の如く獰悪な唸り声を挙げた。マガイモノもまた似たような音を口から漏らしてた。

 サイズは違えど、両者の力は拮抗していた。それ故に互いに動けない。

 拮抗から十秒、変化が生じた。莫大な力の行使によって皮膚と肉が裂けて血を滲ませたナガレの左肩に、傷で覆われた右手が添えられた。

 

「相変わらず、世話の掛る殿方だ」

 

 彼の背後に、朱音麻衣が立ち右手を彼の左肩に置いていた。

 魔力が枯渇しかけているのか、その姿は赤のジャケットに黒茶色のショートスカートを纏った平常時の姿と化していた。

 

「少し気に喰わないが、ここは空気を読んで合わせといた方がいいのだろうね」

 

 右後方には呉キリカがいた。こちらは衣服は普段の学生服じみた私服を着ていた。

 しかし肉体は再生中という有様で、髪は治っていたが所々で生の肉が剥き出しとなった凄惨な姿となっていた。

 それを表現するとしたら、死にたての新鮮な死体を獣の群れの中に置き、直ぐに取り出せばこういった風になるとでもすれば良いのだろうか。

 

 露出した肉の表面には魚卵のような黄色い脂肪の粒が並び、再生中の筋肉と神経が蛆虫のように蠢いている。

 異常な光景だが、普段の再生能力からするとあまりにも弱弱しい様が、彼女も力が枯渇しかけている事を表していた。

 そしてキリカもまた、ナガレの右肩に手を置いていた。

 筋肉と骨が剥き出しになった人体模型の様な手が、内に秘めた力の解放により肉が弾けた右肩にそっと置かれている。

 

「我が最後の力。受け取れ、友よ」

 

「友人。精々無駄にしないでくれよ」

 

 言葉と共に、両者の最後の力がナガレの中へと這入り込む。

 血肉を介して、その魂へと魔なる力が接続(コネクト)された。

 両者が彼に与えた魔力の色は、光を拒むような暗澹とした闇色をしていた。

 

 そして力が解放され、拮抗状態が打ち破られた。

 刃は翼を切り裂きマガイモノの貌を縦に縦断し、その胸元までを一気に切り裂いた。

 紅い装甲に入った傷口からは、黒々とした飛沫が大量に噴き上がった。

 

 滂沱と溢れ、見る見るうちに異界の地面を穢して大海のように拡がっていく。

 しかし、大斧槍の侵攻はそこで喰い止められていた。その時、マガイモノの体内にて何かが斧を激しく叩いた。

 その衝撃は凄まじく、斧は逆に上方へとかち上げられた。そして自らが切り裂いた傷口を逆に辿り、斧はマガイモノから抜け出ていた。

 抜け出た斧は、刃が大きく抉られていた。刃に入ったヒビが浸食のように広がり、遂に大斧槍が刃と言わず柄の部分まで砕け散った。

 そして、砕けたのは斧だけでは無かった。

 

「ぐ…」

 

 彼は短い苦鳴だけを放っていたが、その身に降り掛かった破壊は尋常では無かった。

 斧の柄を手に持っていた彼の両手にも、莫大な衝撃が送られていた。

 まずは両手。そして腕が、最後に肩までが肉と骨と、腕を覆っていた鋼が混ざり合った血色の飛沫と化して散った。

 黒い霧と化して霧散していく斧の向こうで、口を大きく開いたマガイモノの貌があった。

 その口の前で、真紅の光球が育まれていた。

 口の中に納まるサイズの球が一気に巨大化し、マガイモノの貌に匹敵する巨大さとなった。

 

 最後の力を彼に与えた麻衣とキリカは既に自力で立っていられず、ナガレの背後で荒い息を挙げながら膝や手を着いていた。

 両肩の断面から滝のように血を流しながら、ナガレだけが立っていた。

 

 そして業火の如く赤く滾った光球が、彼と彼女らの元へと撃ち出された。

 視界の全てが真っ赤な光に染められた中、二人の魔法少女達は、敵と己の血で染まった顔で嗤う少年の横顔を見た。

 暴力という衝動や言葉が、形を成したかのような闘争に飢えた貌だった。

 

「ありがとよ。麻衣、キリカ」

 

 その貌でありながら、彼は人の言葉と心を彼女らに示した。

 彼にとってそれは狂気の貌ではなく、絶望の中で勝機を見出さんがとする戦士の顔であった。

 

 そして噴き出す血も顧みずに足を前へと進めた。

 その最中、彼は地面に突き立った複製杏子の槍を口で引き抜き真ん中の辺りを咥えた。

 若き勇者に寄り添うように、彼の顔の隣では槍に縛られた黒いリボンが揺れていた。

 

 柔らかい口内が槍に宿る高熱に焙られ、舌や頬や唇の肉が焼けて口の隙間からは白煙が昇った。

 脳髄を焼かんばかりの苦痛さえも気にせず、彼は走った。

 迫る光球との接触は直後だった。光球の超高熱に触れれば、人体など炭化どころか消滅する。

 

 しかしマガイモノが放った光と彼の姿が交わる直前に、空中で霧散した黒が、砕け散った大斧槍の残滓が彼の元へと飛来しその身体を包んでいた。

 そして黒い靄の中で、咥えた槍へと彼は魔女を介してある形を伝えた。やり方としては、大斧槍を顕現させた時と同じだった。

 その為に用いられたのは、朱音麻衣と呉キリカが彼に与えた最後の力であった。そして更にもう一つ。

 彼が羽織ったジャケットの裏側から、靄と化した魔女が輝く宝球を取り出していた。

 

 眩い虹色に輝いたそれは、地球儀を思わせる形をしていた。

 嘗て彼が風見野の鏡の結界を踏破した際、結界の主からお引き取り願うと押し付けられた物だった。

 

 虹色の宝球、レインボーオーブとでも呼べるそれに靄が纏わり付き、噛み砕く様に圧搾して破壊する。

 内部からは魔力が溢れ、外側もまた魔力に還元される。更にはマガイモノが放った光球さえも取り込み、杏子の複製が残した槍が形を変えた。

 魔法少女の変身の如く、その変化は一瞬で終わった。

 

 そしてマガイモノは見た。自らが放った光球が弾け飛ぶ様を。

 その中から顕れ、自分に向けて真っすぐに飛来する血のような深紅と底知れぬ闇の色が入り混じった物体を。

 マガイモノから見て、それは自分と似通った姿に見えたに違いない。

 

 やや縦長の鉄仮面のような顔。

 鋭い鋭角の眼の周囲には緑色の結晶がばらまかれ、口や頬に同党する部分にも同じ光が散りばめられていた。

 そして頭部の左右には、黒髪の少年のそれとよく似た角の様な獣耳の様な長い突起が生えていた。

 但し彼の獣耳が直線であるのに対し、これの耳は根元が少し窪んでいた。動物で例えれば、前者が猫科なら後者はやや兎のそれに近かった。

 これは幅広い肩から逞しい胸部までが形成された、マガイモノによく似た別の存在であった。

 そしてその大きさは、巨大な翼を除いた状態でのマガイモノの頭部に匹敵するサイズであった。

 輪郭は陽炎か幻のように揺らめきながらも、それは確たる形をとって異界の中に顕現していた。

 

 この外見の投影に、彼は最初の愛機のイメージを与えていた。そしてこの場面もまた、身に覚えがあり過ぎていた。

 だが今は、それはいい。

 

 この存在と共に戦い続けた事と、こうして打ち砕いた者が見せた生き様も。

 この状態で相対した、自分が辿る可能性とその果ても。

 そして、かつての仲間達との思い出も。

 

 彼が今対峙し立ち向き合うべき者は、たった一人だけである。

 全てを非情に振り払い、全力でその者と向かい合う。

 

「杏子ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!!」

 

 深紅の機体の中で魔を宿した少女の名を叫びながら、疑似的に再現された深紅の戦鬼がマガイモノの胸元へと激突した。

 凄まじい轟音と衝撃が鏡の結界の中に響き渡った。その最中、上半身だけの戦鬼の姿はマガイモノの背後にあった。

 

 マガイモノの凶悪な頭部が捩じ切れ、共に引き千切られた胸部装甲の一部と共に宙に投げ出されていた。

 そして戦鬼の半身は役目を終えた事を悟ったように、その姿を爆炎へと変えた。それはマガイモノの頭部も同じであった。

 炎が広がる空の中、黒煙と炎を切り裂いて飛翔する何かが見えた。

 それは両腕を喪った黒髪の少年だった。そして彼は流星のように、マガイモノの内部へと落下していった。

 

 頭部と胸の一部を失い、マガイモノの胴体に生じた空洞の中を落下し、やがて彼は着地した。

 破損の具合によるものか、その場所は上空から注がれる僅かな光も通さない闇で満ちていた。

 そしてそこは、大斧槍が弾き返された場所だった。

 

「やっと会えたな」

 

 闇の中であったが、彼には内部の光景が見えていた。眼の性能が良すぎると、気配の察知が鋭敏過ぎるのだった。

 

「杏子」

 

 幾度となく呼び掛けたその名を静かに告げながら、彼は闇の中でゆっくりと歩み寄っていった。

 敵対に相当する行為を続けておきながら、名前を呼ぶ声の調子は普段と変わらなかった。

 彼と彼女が送る、平凡な日常の中で名を呼び合う時のそれと同じであった。













ここまで長かった…本当に


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話 交差する魂

 嘗ての必殺技の模倣と嘗ての愛機を模した存在で切り裂き砕き、漸く到達したマガイモノの体内で、ナガレはそれを操る者の姿を見た。

 周囲は闇に満ちていたが、彼の眼は月の無い夜でも眼を潰すような白光の中でも対象物を鮮明に捉える性能があった。

 コツコツと、硬い床面を彼の足が叩く音だけが小さく響く。歩いた先、彼の眼の前には紅い衣装を纏った魔法少女が倒れていた。

 

 仰向けになり両手を胸の前で重ね合わせた姿で、佐倉杏子は静かに眼を閉じていた。

 それは敬虔な祈りを捧げる聖母か、祭壇に捧げられた供物か。

 闇の中でも炎のように鮮烈な紅の色を彼へと伝える衣服と、柔らかな素肌には僅かな皺や傷の一つも無く、埃一つも無い清潔な闇色の地面の上で。

 例えばこの世の全ての残酷さから隔絶された安寧の中で、胎児の如く揺蕩うように杏子は横たわっていた。

 

 それを無言で見つめるナガレは、上方へと視線を向けた。

 そこにはただ闇があるだけ。その筈だった。

 

「もういいか?」

 

 闇に向けて、ナガレは尋ねた。その瞬間、満ちていた闇は光に変じた。

 焚火で照らされたかの様な、赤を映えさせた光に。

 照らし出されたのではなく、現実としてそこにあったものが消え失せて幻となり、真の現実が姿を顕したのだった。

 彼の鼻がむせ返る様な潮と鉄と、生命が果てた腐敗臭が混じり合った悪臭で満ちた大気の臭気を嗅ぎ取った。

 

 安全靴を履いた足裏は、無数の罅割れと陥没の感触を覚えた。

 そして渦巻く闇色の眼は一片として無傷な部分の無い、元は白色の壁を染める赤黒を見た。

 

 破壊し尽くされた壁をキャンパスとして、正気を打ち砕くような残酷な絵画の絵の具として用いられているのは迸った血と肉と、身体の内側から弾けた臓物と骨。

 そして抉れた頭皮に付着した、赤く長い毛髪や血をたっぷりと吸った衣服の切れ端だった。

 猟奇殺人現場もかくやと言った惨状の中心に向け、彼は顔を上げていた。

 

 そこにいたのは、巨大な人型の戯画であった。丸い窓を思わせる頭部の中には、教会のステンドグラスを思わせる模様が散りばめられていた。

 異形の頭部の下は赤を基調とした、豪奢な刺繍状の模様で覆われた着物姿へと繋がっている。

 神父服の西洋風と、着物の和の趣が融和したような姿だった。

 その中心に置かれた、洋風家具の様な台の上に彼女はいた。周囲を染める残酷で凄惨な絵画の素材となった者が。

 

「こいつが…お前のドッペルって奴か。なぁ、杏子」

 

 名前の対象は、台の上に立っていた。立たされていた、とした方が正しいかもしれない。

 台から伸びた鎖が手首や足首に絡んで肉に喰い込む事で強引に縛られ、直立を維持させられていた。

 彼女を拘束する銀の鎖は、彼女から伝う血で濡れていた。

 衣服の至る所が破け、脇腹や胸、スカートに至っては半ば以上が千切れ、その中の下着も外れていた。

 血で濡れた事によりスカートが鼠径部に貼り付き、完全な露出から彼女を保護していた。

 

 凄惨な中には確かな色気があったが、肉が抉れた腹からは小腸が外気に触れ濡れた光沢を見せて輝き、肘や膝小僧の皮も外れて関節が剥き出しになっていた。

 他にも無数の個所で打撲に裂傷が走っている、彼女の肉体で無事な個所を探すほどが困難なほどに。

 

 その偏執的な拷問を受け続けたかのような姿が動いた。傷で覆われた身体の中、長髪を束ねるリボンは血を吸いつつも不思議と無事だった。

 項垂れていた態勢が戻され、髪とリボンが揺れた。彼女の動きによるものと、台座に生じた僅かな振動によって。

 頭を上げた彼女の前に、黒髪の少年が立っていた。

 肩から両手を失い、身を掠めた爆炎で全身に火傷を生じさせていても、縦に五メートル程度の跳躍は難なくこなせるらしい。

 それでも普段は着地時は無音且つ、衝撃は完全に殺せている。その辺りに彼の疲弊が伺えた。

 

「ひっでぇ…有様だな…あたしも、お前も」

 

「お前ほどじゃねえよ」

 

 言いつつ、彼の猫耳のような形の頭角が蠢いた。彼の頭部に向けて、根元から縮んでいく。

 対して両肩の断面が血色の泡を吹いた。泡が弾けると、針金のような無数の繊維が伸びた。

 それが腕の長さ程度に伸びた時、彼はそれを振った。針金の先端には、小指程度の小さな刃が生えていた。

 

 鉄を断つ音が一回、現象として四回生じた。少女を拘束する鎖が外れ、彼女の体が転倒に移る。

 だが倒れかけた身体は、自力で直立を維持した。それを信じていたのだろうか、彼は黙ってそれを見た。

 その間に彼の肩から伸びた繊維は絡まり合って、歪な紛い物の両腕と手を形成した。

 鎖を切断した刃物は、この手の先の爪であった。

 

「それで、さっきの話だけどさ」

 

 背後に首をかくんと揺らし、杏子が話を振った。「ああ」とナガレが返す。

 彼女の細首には肉の裂け目が複数重なり、さながら魚の鰓のような傷が出来ていた。

 当然ながら肉体の破壊は顔にも及んでいたが、多少の骨の歪みと無数の細かい傷、右眼球の破裂程度や半分以上の歯の崩壊程度で済んでいた。

 開いた口の中に赤い光が残っていることを見ると、項垂れている間に治癒魔法を行使したようだった。

 彼女なりに、身に気配りをしたのだろうか。或いは彼に対しての。

 

「コイツのコトなら、そうなんだろね。そうか。ドッペル、ドッペルか」

 

 背後に佇む巨体を見ながら、杏子はその名を重ねていく。

 

「気に入ったのか?」

 

 どこか弾むような声に、ナガレは疑問を問い掛けた。

 

「まぁね。ワリといい発音してると思う。胡散臭くてしょうがねぇけど、結構便利だった」

 

「便利?」

 

「こいつを使って動かしてたのさ。見てみな」

 

 杏子に促されてナガレは視線を落とす。

 彼女の感情の産み出した存在の背や外套の内側から伸びた無数の鎖が、その背後の壁に撃ち込まれている。

 鎖は壁の内側から更に分岐し、外側の巨体と繋がっているのだろう。操り人形で更に人形を操る。

 要は二人羽織りみたいなものかと彼は思った。多分違うのだが、それはそれで合っているようにも思える。

 

「自棄っぱちなままに暴れてたから、振動とかでこんなズタズタになっちまったけど」

 

「痛くねぇのか」

 

「痛覚遮断してるからね。この前キリカにやり方を教えて貰ったのさ。解除したら、多分痛みで狂う」

 

「お前はそんなヤワじゃねえだろ」

 

「はっ。知った風なコト言いやがって。あたしの何を知ってやがる」

 

「そういや、何も知らねえな」

 

「だろ?正直言うと、この口調とかも結構しんどいんだよね」

 

「え、どゆこと?」

 

 急に振られた話題に、ナガレはアドリブじみた対応で返した。困惑しつつ興味があるらしい。

 

「誰かにナメられねぇように、男喋りを頑張って遣ってるんだよ。本当のあたしはもっと可愛くて素直で乙女なのさ」

 

「例えばどんな感じだよ」

 

「この口調も長すぎてね、やり方忘れた」

 

「じゃあ取り戻せばいいじゃねえか」

 

「そうするよ。魔法少女をやめたらね」

 

 事も無げに告げた言葉に、ナガレは喉奥に苦いものを感じていた。

 表情には出ていなかったが、杏子はそれに気付いたらしく見透かしたように小さく嗤った。

 

「そういやぁ…取り戻すっていえばさぁ。ちょっと気に入ったのもあるんだよね」

 

「何がだよ。…おい、まさか」

 

 彼の中の数少ない英語の知識が、その言葉を予感させた。

 

「『ゲッター』」

 

 それはある意味一番身近で、最も遠ざけたい言葉でもあった。そしてその言葉から離れられた試しは無い。今もまた。

 

「取り戻す。ゲット、ゲット、ゲッター……なるほど。ゲッター……ねぇ。いい発音で、妙に響きが良い。なぁ、お前もそう思わない?」

 

 呪われた言葉を、周囲に血肉が転がる酸鼻な香りが漂う中で詠うように口遊む。

 幼い身を傷で覆った真紅の少女は、実に愉しそうだった。

 その様子に何を感じたか、ナガレは息を吐いた。そして一秒だけ眼を閉じて何かを考える。

 そして眼を開く。闇色の眼は、腹を括った男の眼となっていた。

 

「確かに覚えやすい名前で、叫ぶのにもピッタリだな。で、ところでなぁ杏子」

 

「叫ぶってなんだよ、技名とか?それでなんだよ、ナガレ」

 

「ナガレか。なんか、妙に懐かしく思える呼び方だな」

 

 杏子の返しに、思わず彼は苦笑する。確かにここ最近、彼の呼び名は変化が激しい。

 

「感謝しろよ、あたしが付けてやった名前なんだ」

 

 呼応するように杏子も笑う。今思い出したという思いが彼女の脳裏を過る。

 しばし両者の間を純粋な笑いが繋いだ。そして笑いが自然と絶えた時。

 

 

「さぁて休憩も済んだし、そろそろ第二ラウンドといかねえか」

 

「ああ、そうだね」

 

 笑い声も絶えた時、笑顔もまた消えていた。正確には、笑ってはいた。

 戦う者達の獰悪な笑みが、両者の顔に仮面のように張り付いている。

 戦姫の貌で、杏子は右手の人差し指と中指を鳴らした。

 爪が剝げ落ちて捩子くれた指であり、鳴った音は細指の中の更に細い骨が圧し折れる音でもあった。

 

「逃げるなら今の内だけど?」

 

「誰が逃げるか。とことん相手になってやる」

 

「救いようがねぇな。お互いに」

 

「違いねぇ」

 

 言葉を交わす両者の近く。

 彼の視線の先であり杏子の背後で、それまで沈黙を守っていた杏子のドッペルが動き出した。

 両腕が広げられ、その着物の袖からは紅い霧が噴出された。霧は瞬く間に周囲に広がり、この空間の中で拡散していく。

 地面が消え失せたように霧がわだかまり、血肉が付着した壁面も霧で覆われる。

 霧は両者の立つ台座の上にも到達した。足に膝にと、紅い霧が纏わりつく。

 

 その霧を突き破り、複数の物体が台座の淵から飛び出した。それは銀色の光沢を放つ鎖であった。

 それらは蛇のように宙で翻り、ナガレへ向けて飛んでいた。それが全て切断された。この時、彼は全く動いていなかった。

 

「余計な事するんじゃねえよ、自棄っぱちの木偶人形」

 

 その木偶人形へと振り返りもせず、吐き捨てた杏子の右手には巨大な槍が握られていた。

 それは普段の十字槍ではなく、菱形に似た巨大な穂を両端に備えた異形の槍だった。

 黒く染まったその色は、全身を染める赤い血が酸素に触れて、黒へと変わりつつある杏子の姿の現身ともとれる。

 

「ほんとバカだよ。あんたも、あたしも」

 

 紅い霧が肩まで達した頃、ナガレと杏子との間には十数センチ程度の距離しかなかった。

 

「だろうな。じゃあ、そのバカをやるとしようや」

 

 口角を上げて、戦意に満ちた貌でナガレは杏子に告げた。ふっと吐息を吐き、杏子は彼の背に両手を回した。

 右手に握られた槍穂の先端は、彼の背に向けられていた。

 

 杏子は何かを言おうと口を開いたが、その唇は虚しく震えて再び閉じた。

 何を言えばいいのか分からなかったのか、最早言葉は不要としたのか。恐らくはその両方だろう。

 全てを振り払い、それでいて繋ぎ止める様に、杏子は槍を握る両手に力を込めた。そして思い切り手前に引いた。

 無を貫いたように、それは杏子の背中から先端を抜けさせた。血の一滴も出ていなかったが、槍は彼の心臓と、魔法少女の胸の宝石を貫いていた。

 

「       」

 

 声ならぬ声が、杏子の開いた口から流れた。悲鳴ではなく、純粋な苦痛の声だった。

 対するナガレはと言えば、歯を食い縛って沈黙を演じていた。無意味だが、男の意地である。

 それに呆れたか、杏子の首が前に倒れた。自らが貫いた少年の左肩に、魔法少女の額が寄り添う。

 

 傷だらけながらに美しい顔の下にある、薄い胸の上。

 槍で貫き通された胸の宝石は、表面に着いた黒く固まった血液が剥がれ落ちていた。

 黒血の下から出たのは、固まった血よりもなお昏い真っ黒な闇。

 その色に染まった紅い宝石がそこにあった。感情の現身を顕現させてもなお、消え失せない闇だった。

 紅い瞳でそれを見ながら、杏子の意識はゆっくりとその闇に落ちていった。

 

 その背後で、彼女であって彼女ではない巨大な姿が蠢く。

 彼女の言葉を借りれば『自棄のドッペル』とでも称される存在が身を屈め、もう一人の自分の様子を顔の無い貌で眺めていた。

 それは主である下僕の様子を興味深く観察し、そして嘲笑っているかのようだった。

 

 その巨体を、もう一つの闇が見上げていた。円環する地獄のような渦巻く瞳が。

 

「こいつに伝えな。先にそっちで待っていやがれ、ってな」

 

 貫かれた心臓は、主に向けて極大の苦痛を送りその意識を虚無へと誘いつつあった。

 その中で、彼はドッペルにそう告げた。

 彼の姿に怯えたように、自棄の感情を宿した現身は後退した。そして、自らが今も放出させ続けている赤霧の中へと消えていった。

 霧は遂に少年と魔法少女の姿も覆い尽くした。その中で、闇色の瞳は静かに閉じた。

 

 彼は待っていろと言った。

 そして両者が集うそこが、まともな場所である筈は無い。

 彼と彼女が向かう先は常に地獄の領域であるが、今回は特級の地獄であるに違いない。

 









目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 新の名を冠する物語

 闇の中、紅い光が輝いた。光とは一対の真紅の瞳であった。

 瞳の周囲には影のような靄が生じ、瞳の主の意思に従い雲霞の如く寄り集まって形を成していく。

 数秒足らずで完成したのは、影のような少女の裸体だった。細い手足、慎ましい隆起の胸に少年のように肉の薄い尻。

 幻影の様ではあったが、それは佐倉杏子だった。

 

「さて、どうしたものかね」

 

 全ての包囲を闇に囲まれた中で、自身もまた闇色となった佐倉杏子は呟いた。そして彼女は考えた。

 ノリと勢いでやってみたが、ここは奴の心の中なのだろうかと。まぁ恐らくはそうだろうし、ならばやる事は一つだった。

 

「ま、さっさと探し出してブチのめすか。今度こそ決着つけてやる」

 

 先程までいたとはいえ、精神世界とでもいう場所に彼女も随分と慣れていた。

 そして足先の闇を蹴って飛翔する。軽く蹴っただけなのに、音速も軽く超越した速度が宿り、彼女の飛翔は何処までも続いた。

 飛翔の最中で闇を切り裂きながら彼女はふと考える。

 勝ったとして、それで何かを得られるのか。

 そして負けたら何を失うのだろうかと。湧いた疑問は、すぐに彼女の脳内で千々と千切れて思考の渦へと溶けていった。

 

 代わりに思考されるのは、どうやって勝つかという事柄。

 二人の魔法少女とそのドッペルに加えての袋叩きとはいえ、自分はあの力がありながら敗北している。

 今度の戦いが何になるか分からないが、雪辱は晴らしていきたいものだった。

 今まで心の中で澱のように固まっていた憎悪が消えているのは妙な気分だったが、その分を純粋な闘志が埋めている。

 相変わらず嫌な気分が続くが、戦いの事を考えていると闘志が燃え上がり、不快さが薄らぎ燃えるような感覚が心を焙る。

 

「イカれてるな」

 

 苦笑しながら、彼女は冷静に自分の内面をそう評した。何かに熱中しているときは時間の経過が速く感じる。

 何かの法則によって、時の流れが加速していると思えるほどに。

 そう思い浮かんだときに、この執着の対象の名が重ねられていることに気が付いた。

 飛翔の中で彼女は数秒間瞳を閉じた。その間で、その名前の存在の事を考えた。そして結論。

 

「全然、分からねえや」

 

 分かり切っていたように彼女は切って捨てる様に言った。記憶を垣間見ても、あれが何なのかはよく分からない。

 ゲッターと称される存在が何であるのか、兵器であれば何の為に生み出されたのか。

 言葉としては確かに聞いたが、実感が全くとして湧かなかった。当然と言えばそうだろう。

 そう思った時、彼女は闇の彼方で光るものを見た。目を凝らしたが早いか、それは彼方から杏子の目前へと迫りそして彼女の体をするりと抜けていった。

 振り返ったのはまさにその瞬間であったが、それは背後に広がる闇の何処にも姿が無かった。

 

 しかしその姿の輪郭を、彼女の感覚は朧気ながらに捉えていた。

 魂の現身を介して操作した紛い物の肉体が打ち砕かれた瞬間、その姿は呪縛のように魂に焼き付いた。

 血のような黒味を帯びた深紅、角か獣の耳のように伸びた長い突起を生やした鉄仮面。

 それは赤と白の装甲を施された人間に似た手足を持ち、暗黒の世界を光さえも越えた速度で飛翔していった。

 

 魔女が見せる異界の景色の如く、この世に非ずの幻影のようにも思えたが、一方で確たる存在であるという認識が彼女の中で強く生じていた。

 それを追うべく、闇色の杏子は両脚を撓めた。しかしそれが伸ばされる前に、世界の方が変化を見せた。

 視界全てを覆う闇が光へと、正確には白色の何かへと変わっていった。

 それは無という存在の権限だった。闇さえも駆逐する無が、虚無が世界ごと彼女を包み込んでいく。

 闇色の身体が希薄化し輪郭を失う中、彼女の両眼だけは真紅の光を保ち続けていた。

 

 

 

 

 

「何処だ、ここ」

 

 虚無に飲まれながらも目を見開き続けた杏子の周囲に広がったのは、夜の帳が降りた雑踏な街並みの光景だった。

 疲れた様子で歩く勤め人をネオンの光が照らしだす。露出が高い衣服を着て街頭に立つのは、性を売る女達。

 見れば周囲の店も飲み屋や風俗店が多い。闇夜を貫いて林立するのは、看板の名前からしてラブホテルなどだろう。

 ハァと溜息を吐く杏子。こういった光景は風見野にも多いが、ぱっと見ても規模が広すぎる。

 

 周囲を更に確認すると、『歌舞伎町』と書かれた道案内の看板があった。

 

「あいつ、あたしをバカにしてんのか?ハイカラぶりやがって」

 

 自分が地方都市の住民である事を言っているのだろうか。

 彼女の憤りを他所に、看板の根元では酒に酔い過ぎたのかゲロを吐いている学生風の若者がいた。

 ひとしきり吐いた後、風俗店かキャバクラの呼び込みらしい店員に引かれ強引に店の中へと引きずられていく。

 

 見れば似たような光景が幾つか広がり、また建物同士の隙間の奥では、街の明かりに影として照らしだされた男女の影。

 壁に手を着いた女と、それを後ろから抱いて腰を振る男の影までが見えた。

 音も匂いも熱も寒さも無く、ただ紅い眼を持つ影と化してそれらの光景を眺める杏子であったが、この街に満ちる雑多で不健全な気配は嫌というほど伝わってきた。

 前述のとおりこれらの光景は風見野にもあり、見滝原に客を取られているとはいえ、町の繁華街に行けば不健全な光景は幾らでも見られる。

 そういえば父親が街のこう言った事を常に嘆いていたと、杏子は思い出した。思い出してすぐに、粘ついた思いを感情の端に押しやった。

 今はやる事がある。

 

「どこにいやがる」

 

 苛立ちを覚えつつ、杏子は周囲を見渡した。その時ふと、地面を黒く染める点が生じた。

 点はやがて面となり、地面では水しぶきが跳ねた。降り出した雨は杏子の姿を透過し世界を更に濃い闇へと染めていく。

 闇の中、朧げに光るものを見た。赤い煙のようなものが、街路で光るのを見た。傷口から噴き上げた血のような煙だった。

 それを道しるべと判断し、杏子は煙の後を追った。路地裏を幾つか抜けると、神社の鳥居が見えた。

 また神仏絡みかと思いつつ抜け、境内へと入る。入ってすぐ、奇怪な光景を見た。

 

 小さな隙間を開けて縦に立ち並ぶ鳥居。それは分かるが、それらが半ばあたりから鋭利な断面を見せて悉く斜めに切断されていた。

 死体のように折り重なる鳥居の奥に、紅い煙が続いていた。躊躇もせず先に進んだ。先にしか道は無い。

 

 抜ける途中にも切断された赤い手摺や、括られた絵馬ごと切断された板が見えた。

 それらを抜けると、本殿とその前の広場に辿り着いた。雨は相変わらず降り注ぎ、アスファルトが敷かれた広場を濡らし続けている。

 広場の中央の辺りに、倒れた三つの人体が見えた。そのどれもが動かず、身体から流れた血と降り注ぐ雨の中に沈んでいた。

 三人の男の死体へと歩み寄り、杏子はその様子を見た。

 

 一際目を引くのは身長が二メートルを優に超える黒人。

 はち切れそうな筋肉が搭載された身体を、タンクトップとジーパンで包んだその男は鼻筋と後頭部から血を流して死んでいた。

 その近くには白い着物姿の男の死体。

 眼鏡を掛けて顎髭を蓄えた細身の姿は、どこかの組織の司令官及び物語の主人公の少年の父親を思わせる風貌だった。

 着物姿の男は肩から腹までを袈裟懸けに切られ、夥しい血と内臓を溢れさせて死んでいた。

 この死に方でも、初号機に喰われたヒゲ親父よりはマシだなと杏子は思った。何だかんだで結構好きな作品らしい。

 

 そして最後に、リーゼントヘアのチンピラ風の格好をした小男がいた。

 右手が肩近くから切断され、その近くには切り離された腕が転がっていた。

 出血の痕跡がその周囲にあることから、腕の切断によりパニック状態に陥り、走り回って息絶えた事が伺えた。

 

 似た光景を目にしたことがあった。魔女の結界で似たような感じで、戦闘不能に陥っている魔法少女を何人か見た事がある。

 自分たちは呉キリカというサンプルから魔法少女の不死性を学んだが、大体は手足の欠損で戦闘不能に陥る。

 当然なのだが、自分たちは頑強にすぎると改めて杏子は思い直した。

 

 そして改めて死体を見ると、落下した腕の近くでは複数のナイフが転がっていた。

 振り回すのには少し刃が細いので、恐らくは投げナイフだと杏子は思った。少なくとも剣戟が出来そうなサイズではない。

 魔法少女なら手投げナイフでも鉈並みの大きさだが、これが普通なのだろうと。明らかに普通の状況ではないのだが。

 更に広場の奥では、銀光を宿した木製の柄の日本刀が落ちていた。一連の流れを推察するに、これが三人の男を葬った凶器とみて間違いなかった。

 

 風貌から見て着物姿の男の得物だろうが、どうやら奪われて主とその仲間に牙を剥いたらしい。

 そして最後は投擲され、小男の腕を切断して死に至らしめたのだろう。またどの死体も致命傷以外に傷跡はなく、一撃で仕留められていた。

 となると考えられる事として、この連中を葬ったのはたった一人の存在であるという事になる。

 誰の所為かは考えるまでも無かった。

 

「昔から変わらねえ奴みてぇだな。進歩のねぇ野郎だ」

 

 三つの死体の真ん中で杏子は呆れたように言った。実際呆れているのだろう。

 また殺人を認めた事でもあるが、彼女にはあまり動揺は無かった。

 倒れた連中がどいつもこいつも狂相で、しかも武装しているとあればまともな連中で無いと思ったのである。

 一応は教会の娘だから祈って遣ろうかと一瞬は思ったが、ご利益は無さそうなのでやめておいた。

 当の本人が天国へ行ける身とは思っておらず、この世には地獄は有っても天国は無いと思っている為だった。

 

 その時、杏子は死体から少し離れた場所に転がる何かを見た。

 爪先で蹴り上げようとするも、杏子の体はそれを通り抜けた。舌打ちしながら屈み、地面に落ちたそれをじっと見る。

 それは親指大の物体だった。先端が鋭く尖り、その中身には空洞があった。まるで何かが入っていたような。

 少し考えると、記憶の中にこれに近い物体があった。

 

「麻酔弾か」

 

 首を傾げつつ杏子はそう言った。見滝原の先輩魔法少女は銃遣いであり、その流れか弾丸にも興味を示していた。

 その中で豆知識的に披露された中にこれに似たものを見た気がしていた。とすれば空洞は薬剤が入っていた跡であり辻褄が合う。

 なんでこんな推理じみた事をしなきゃならないのかと、杏子は更にイラっと来ていた。

 そして同時に違和感を覚えた。獣を行動不能にする為の麻酔など、人間が受けて良いものではない。

 それを使用されるなどただ事ではなく、その猛獣扱いされた者がマトモである筈が無い。

 

 分かり切っていたことだが、この光景を事実として突き付けられるとまた違う感慨が湧いてくる。

 そしてそもそも、この光景があの巨大兵器とどう結びつくのか分からない。

 分からないから、進むしかない。

 そう思った時、彼女の足元からざっと闇が広がった。それは死体や境内や、そして世界の全てを飲み込んだ。

 

「さっさと連れてきな。女を待たせるんじゃねえよ」

 

 不敵に笑いながら、杏子は闇へとそう告げた。

 最初の頃と同じように、全てを飲み込んだ闇の中には爛々と輝く二つの瞳だけが残された。










バンダイチャンネルにて見放題なのが素晴らしい限りで


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66話 神の贄、目覚めの邪竜

「さぁて、あいつを探すとするか」

 

 女のように高い声で、男の口調でナガレは告げた。態々言ったのは、あいつ近くにいないかなと一応期待した為である。

 反応は無く、彼は言葉の通りに彼女を探す事とした。

 黒い瞳を宿した眼で周囲を見渡す。一面を紅い霧のような色が染めているのが見えた。

 

 彼の眼を以てしても奥に何があるかも分からず、距離感も狂っている。

 ならばと自分の事を検める。顔を手に触れると何時もの顔がそこにある。

 本来の自分の要素も持ちつつ、女々しいというか可愛らしい見た目と化した今の顔。

 元の自分が変形したというか変異したというか、恐らくはそういう類ではないのが救いかと何時も思っている。

 確かめる術も無く根拠も無いのだが、この肉体は自分とは別物であるという確信だけは揺るがない。

 そう思いたいだけ、なのかもしれないが。

 

 ついでに手足を確認。

 いつもの私服に包まれた肉体は、細く華奢な外見の癖に極めて頑丈。

 柔らかい皮膚に覆われた細腕の中身は、頑強な骨に絡んだ重金属の束のような筋肉。

 扱いにくい肉体だが、肉体の性能は元々よりも幾らか上なのが心憎い。

 しかしながら扱いにくいという点が問題で、反応速度が微妙に遅い。

 

 まぁ仕方ないかと彼は思う。所詮は紛い物の肉体であるとし、更には慣れない自分が悪いと己が惰弱と判断した思考を打ち切る。

 そして不思議なもので、五か月も経つとこの紛い物の肉体にも愛着が湧いてくるものだった。

 呉キリカ曰く性癖を狂わせるという顔付は気に喰わないが、魔法少女なる存在の近くにいるならこの外見の方が都合がいいと思っている。

 現状確認終了。行動を開始するかと歩を進める。

 歩みの矛先は、彼が自分を振り返ってる際に感覚的に捉えた魔法少女の気配の場所へと向いている。

 

 歩くと周囲の霧が彼の体に纏わり付き、形を確かめる様に触れて、更に離れてく。

 触れて離れてを繰り返す霧はいつしか濃度を増し、とある形を造っていった。

 紅い色はそのままに、広い空間が生じた。赤い木目の床面に高い天井。

 天井には、聖人と聖母を象った紅いステンドグラスが広がっている。

 

 室内に並ぶ長椅子には、赤色の映えた老若男女と思しき人影が座っている。

 人形のような人影たちの、眼の無い視線の先には壇上の上に立つ、これも赤に染まった眼の無い神父姿の男がいた。

 顎髭を生やした神父は熱心に説教を語っていた。

 

「…」

 

 頬をぽりぽりと掻き、ナガレが座席を見渡した。見覚えのある場所ではあり気に入ってる建物だが、嘗ての様子となると居心地が悪いらしい。

 最後部の右端に一か所だけ空いてる場所を発見し、足早に歩いてそこに座った。

 座った瞬間、入れ替わる様に隣の席の女が立ち上がった。途端に輪郭が薄まり、数秒と経たずに消え失せる。

 

 次いで前の座席の中年男が、その隣の老人が、両親と思しき男女と共に幼い子供が立ち上がり、そして消えていく。

 それが次々と連鎖し、彼の周囲は薄い霧で包まれた。霧の奥には、尚も説教を続ける男の姿が見える。

 声は聞こえないが、何を言っているのかが彼の魂へと届く。人影が去っていく様子に反比例して、説教の熱は増しているようだった。

 引き留めようとしてるんだなとは彼も思った。故郷である新宿でよく見た光景だった。

 彼の覚えている事柄は、当然ながら聖職者の説教ではなく飲み屋や風俗店の呼び込みであったが。

 

 やがて霧が晴れた。霧の量からして察しは付いていたが、人影は全て消えていた。

 神父の話を座して聴くものは、本来は此処にいなかったはずの少年ただ一人だけとなった。

 虚しく消えゆく信者の残滓の奥に、尚も話を続ける神父の姿があった。彼は黙って座っていた。

 一分、更に三分が経過し、五分が経った。更に時間が経過した。

 そして話が続く中、彼は溜息を吐いた。

 

「神って奴がこんなコト考えてたら、宇宙も少しはマトモなのかね」

 

 神父が語る隣人愛の精神と博愛の心。

 それらは神という存在を絡めての話であったが、彼の知る神を称する連中と神父の理想とは随分とかけ離れていた。

 強欲で無慈悲で残酷。それでいて支配欲に溢れ、故に宇宙の安定を図り意に添わぬ者達を徹底的に排除する暴君共。

 愛や悲しみなどは無縁であり、惑星をも簡単に消し去り、守るべきはずの民草を種族単位で惨たらしく殺戮する。

 屍を昆虫の標本のように晒上げ、恐怖こそが無言の秩序と言わんばかりに無数の災禍を重ねる。

 捧げられる祈りを心地よく感じはせど見返りは無く、永久の服従のみを強いる。慈愛などある筈も無い。

 

 他の場所とは言え、神父の語る慈しみの心などを、神と称する連中は持ち合わせてなどいないのだった。

 そう思いつつも、彼は話を聞いていた。

 長話を聞くことに向いていない彼でも、十分は聞くことが出来た。

 少々の熱が入った口調は正直癇に障ったが、彼の感覚では間違った事は言っていないように思えた。感心さえしていたくらいだった。

 

 しかし、である。なおも話を続ける神父の周囲の床には埃が堆積し、過ぎ去った信者たちは誰一人として戻らず新たに訪れる者もない。

 炎の消えて縮んだ蝋燭は替えられず、それは絶えた命を思わせた。

 神父自身も瘦せこけ、立派に生え揃っていた顎髭も艶を失っていた。

 そしていつしか神父の隣には、今にも朽ちそうな枯れ木のように痩せた童女と幼女が立っていた。

 一人は現実で見覚えがあり、もう一人は流し込まれた記憶の中に存在していた。

 

 この後に何が来たのかを、彼は既に見ていた。

 忘れる訳も無い、初めてこの場所に来た日の事。

 真紅の魔法少女が放った頭突きに乗せられた、彼女にとっての地獄の光景。

 一時の繁栄の後に訪れた破滅。その経緯は、その当事者の絶望を吸った魔の卵を噛み砕いたときに彼の脳内を駆け巡った。

 

 彼女にとっては紛れも無い、心が切り裂けて砕け散りかねないほどの絶望。

 絶望という感情からは無縁に近い、強靭極まりない精神を持つ彼であっても、何故杏子があの感情に耐えられているのかが分からなかった。

 自分ならどうだろうかと思いはしなかった。それは彼女への冒涜であるし、何より何処まで行ってもこの絶望は彼女のものである。

 ただ彼が出来るのは、理不尽に対し憤る事だけだった。

 

 痩せた娘達と病に倒れた伴侶を自らの信仰の贄と捧げた神父の姿は、異界の神殺しである彼の眼にどう映るのだろうか。

 確実な事は、彼を見る少年の眼の中には地獄の如く黒い円環の瞳が嵌り、更には彼自身もまた異界の概念に愛された、人の姿をした地獄であるという事だけである。

 

 彼が睨む様に前を見つつも座し続けた後、神父は口を閉じた。それは説教の終わりであった。

 さぁて、と言いながら彼は立ち上がった。何気ない動作だが、その実彼はかなりの疲労を感じていた。

 長話を聞くことに慣れてはおらず、更には赤い少女の過去に改めて心を刻まれたのだろう。

 グリーフシードを噛み砕くたびに味わわされた記憶だが、慣れる事は無いしあってはならない。彼はそこまで、人間性を捨ててはいない。

 

 異界から来た最後の信徒が立ち上がった時、教会は急速にその形を喪い、砂上の楼閣のように崩れていく。

 彼はその場に立ち続け、崩壊を見届けた。降り注ぐ紅い砂の奥に、立ち続ける三人の家族の影が見えた。

 何もかもが崩れ去ったのち、立っているのは黒髪の少年だけになった。

 教会一棟分を形成していた紅い霧は砂の池と化し、地面に広がっていた。

 

 その紅が広がる場所の一か所で蠢き。彼が前に少し首を傾け、視線を落としていた場所だった。

 砂が弾け、何かが宙を舞った。この世界を照らす光を遮って、巨大な影が彼を覆った。

 有無を言わさず、ナガレは抜き打ちで斬撃を見舞った。いつも通りならと、背に右手を回して掴んだ手製の手斧によってである。

 戦闘用に改造した手斧と噛み合うのは、長大な両刃の斧槍だった。真紅のそれを握るのは赤い手と腕、身に纏ったジャケットやカーゴパンツもまた紅い。

 本来は黒である筈の髪も紅く、背中から生やした巨大な悪魔の翼と側頭部から生やした獣耳じみた形の角も紅かった。

 

「俺か」

 

 滞空する異形の自分を前に、事実を確認する口調で彼は告げた。この姿を選んだのは、果たして彼女の意思によるものか。

 しかし魔法少女が魂の守人として侵攻者自身の姿を取らせたのは、矛盾がありつつも当然だったのかもしれない。

 彼女にとって目下最大の敵であり、更には最も身近な他人という存在が、他ならぬ彼である為に。

 

 刃を翻して弾いた瞬間、視界の端から飛来する一条の光。光が迸った瞬間、彼は左手を背に回して抜刀した。

 衝撃と金属音が発生。掲げられた左手の手斧に、朱を帯びたナガレの背から伸びた鋼の鞭尾が激突していた。

 両手を振って斧と鞭を弾いた瞬間、黒い影が彼を覆った。背中の悪魔翼が蠢き、左右から迫る巨大な刃と化していた。

 

 挟まれる寸前に彼は地を蹴り、更に滞空中の尾も蹴って跳んだ。見上げた自分の偽物へと彼は無慈悲に斧を振り下ろした。

 美少女然とした美しい顔が斜めに切断され、内側からは脳髄ではなく深紅の液体がどばっと溢れた。

 そして虚脱した肉体から斧槍を奪い、ナガレは偽物の身体を足場にそれを旋回させた。

 複数の金属音と衝撃、火花が散った。旋回した斧槍に、複数の同型の斧槍が弾かれた。

 飛翔したナガレの視線の下には、紅い砂から新たに生じた複数の自分の姿が映っていた。

 全てが悪魔翼を背負い、身の一部を異形化させている。

 

「上等!」

 

 素の姿のままで彼はそれらを迎え撃った。槍として突き出された斧槍を身を捩って掻い潜り、懐へと潜り込む。

 迎撃に移る前に横薙ぎの斬撃が放たれ、三体が胴体を両断された。噴き出した鮮血が、ナガレの身体を赤で満ちたこの世界の如く染め上げる。

 血の沙幕を貫いて飛来した斬撃と鋼の鞭尾を回避し、逆に必殺の斬撃を繰り出し首と胴体を刈り取っていく。

 上がる飛沫が彼の身を更に紅く染め、血を吸った地面からも更に赤の濃い彼の偽物が生み出されていく。

 

 落としていた手製斧を投げ、唸りを上げて回転する刃によって三体の首を落とし、飛翔の最後に二体の額に突き刺し異形の命を奪い取る。

 それでも屍を乗り越え、葬った数に数倍する者達が彼へと迫る。

 関心が無い為に気付かなかったが、揃いも揃って闘争心に滾った獰悪な表情を浮かべていた。

 自分も似たような、どころかさらに凶悪な顔になっている事に彼も気付き、苦笑交じりにこう告げた。

 

「それだとあんま怖くねえな。もっと練習しろよ」

 

 そして言い終えるが早いか、彼は自ら群れの中へと飛び込んだ。即座に乱戦が発生し、斬撃が乱舞し人体が破片となって吹き飛んでいく。

 相手の頭を斧で断ち割り、胸を拳で陥没させ、首を蹴り砕く。乱戦ながらナガレの身体に負傷は無く、次々と自分の偽物を葬っていった。

 こいつには負けたくない、そんな気概があったのかもしれない。それはやがて、一つの結果を彼に与えた。

 吹き荒ぶ暴風の如く暴れるナガレによって千切れた肉体から溢れた血が、彼の身体を塗装するように染めていく。

 四方八方から噴き付けられる血によって、彼の姿は赤から黒に変わっていった。

 

 そして、変化は色だけでは無かった。

 蹴散らされる少年の肉体、可愛らしさを微塵も残さず叩き潰した拳は先程よりも一回りは大きかった。

 鉄拳を叩きこんだ腕も、長さに加えて逞しさが増していた。放たれた蹴りは、長大な刃による斬撃を思わせた。

 刈り取られた者達が派手に吹き飛ばされ、その破壊の中心部に空白が生じていた。

 

 立ち並ぶ異形の翼を纏った者達の中央に、長身の影が立っていた。

 他の者達の身長を百六十センチとして、その者は頭一つ近く高い百八十センチと少々。少年ではなく、青年の姿がそこにあった。

 服装は彼らと似ていたが服の内側の筋肉は厚みを増し、それでいて肥大している訳でなく、腕の足も鍛え上げられた刃の如く鋭さを感じさせる逞しさに満ちていた。

 そしてその胴体の頂点で生え揃った、燃え上がる炎のような黒髪の下で周囲を睥睨する黒い眼は、更に色濃い渦を巻いていた。

 

 その眼に怯えたように、既に数十体を越える数と化した異形の少年たちは足を止めていた。

 それを黒く渦巻く瞳を持つ青年は見渡すと、促すように手を招いた。

 

「お前らに構ってる場合じゃねえんだ。さっさと来な」

 

 声もまた、錆を含んだ若い青年の声と化していた。

 その声が起爆剤と化したかのように、彼らは一斉に青年の元へと殺到した。

 無数の斧槍の鞭尾、そして巨大な翼が迫る中、処刑に等しい状況で彼は牙のような歯を見せて嗤っていた。

 例えるなら物語に描かれるような、贄か宝物を与えられた邪竜のように。

 そしてそれは比喩ではなく、そのものであった事だろう。

 異形の少年たちの前に姿を顕したそれは、人の姿をした竜だった。

 














彼が見てきた神々につきましては新ゲッターロボの曲、「Gods(串田アキラ)」をご参照いただければと思います
歌詞から察するにほんとロクでもない存在です(絶対者たる神らしいとも言えますが)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 紅い闇孕む魔都、見据える真紅

「さて、お次は何かね」

 

 視界が開けていく中で佐倉杏子は呟いた。相も変わらずの裸体であり、身体は闇色の影と化している。

 既に特に気にした様子も無く、次に訪れる現象を待っていた。

 順応性が高いのか麻痺しているのか。きっとその両方だろう。

 彼女が発現させた感情の現身の如く、自棄の状態も兼ねている。ただそれでいて、前を見つめるのは彼女の意思によるものだった。

 そして視界が開けた。

 闇を抜けた先にあったのは、またしても闇だった。

 

「あン?」

 

 見えたのは薄闇に覆われた建物の連なりだった。だがその形状には彼女が疑問の声を零した通り、見慣れたものではなかった。

 並ぶのは屋根の低い木造建築。

 経年劣化で煤けた色は先代から受け継いだという生家の教会を思わせたが、それにしても全体的な黒味が強く炭を纏ったような黒さだった。

 それに何よりも、構造自体が古い。まるで時代劇で見かける長屋のような建物が連なっている。

 

 現代社会の何処にこんな光景があるのかと、杏子は疑問を抱いた。

 疑問のままに周囲を見渡すと、低い家屋とは対照的に巨大な塔が何本も見えた。

 木造と思しき巨塔は出来損ないの生物のように歪み、まるで巨大な老樹のようだった。

 それらは天高く、恐らく五十メートルほどの高さを有していた。党の天辺よりさらに先、世界を覆う空を見た時に杏子は思わず呻いた。

 

 空一面に広がるのは、血のような深紅。

 血溜りが天に生じたような、異様な空だった。

 天空を支配するが如く座す満月も、血が凝固したような赤黒く巨大な珠であった。

 

 空を見渡した先に、一際巨大な塔が見えた。五重塔を思わせる層塔の楼閣構造を以て屹立する塔の高さは、周囲の塔の五倍か六倍は高い。

 現代の巨大建造物や小山にも匹敵する巨大さで、異形の世界の支配者の如く全てを睥睨してる。

 塔の各所には、罪人を苛む拷問具の針のように突き出た無数の突起が見えた。

 まともな思考の元で建造された存在とは思えず、その造形には狂気が伺えた。

 そして明確な意思の元でこの形を造ったと考えれば、人間性を喪失した魔女が創る結界よりも狂気の度合いは上回る。

 杏子は唾を吐き捨てたくなる嫌悪感と共にそう評した。

 

「で…何なんだよ、コレ」

 

 周囲を覆う異様な雰囲気と狂気に呻きつつ、杏子は苛立った声を挙げた。

 苛立つ理由は様々だが、力を持て余しているというのが大半である。

 肉体に非ずの身だが、体内からは鼓動を感じ、神経がチリチリと逆立っている感覚もある。

 その杏子の脳裏に異界の言葉が木霊する。

 

「これと、一体何の関係があるのかね。なぁ、ゲッター?」

 

 既にこれまで、幾度かその存在に問い掛けている。

 答えは無いが、発音がしやすく響きが良いからと、彼女はこの呪わしき言葉を気に入っているようだった。

 呟いて数秒、世界に変化は訪れなかった。深紅の空の元、狂気と陰惨さで満ちた異形の古都が佇んでいる。

 

「チッ…」

 

 舌打ちと共に彼女は歩み始めた。行き先は狂気を具現化したかのような巨大な楼閣。

 ロクでもない存在である事は間違いないが、だからこそ目指す奴がいる気がした。

 自分もそうだが、地獄や災禍の満ちる場所は互いに住処も同然である。

 

 数歩歩いたとき、彼女の上に巨大な影が降り立った。振り返るより早く、その眼の前に巨大な物体が墜落した。

 それは家屋を幾つも巻き込み、土が剝き出しの道を大きく抉り、彼女からかなり離れた場所で停止した。

 破壊の際の音は無く、噴き上がる粉塵や豪風も彼女に全く影響を及ぼさない。

 その為杏子はその物体をじっくりと確認することが出来た。正体を察した時、彼女の心に生理的な嫌悪感が湧いた。

 

「腕…か?」

 

 言葉の通り、それは横倒しになった巨大な腕だった。

 金属で装甲された腕の先には、内臓疾患のような青黒い肌をした指が並び、指の先端には人間の身長ほどもある黄色く鋭い爪が生え揃っていた。

 それは肘の辺りで切断され、断面からは大きさに相応しく太い骨と血管が見えそこからは大量の流血が生じていた。

 振り返った直後、今度は眼の前で衝撃。力としての影響は皆無だが、彼女には吹き付ける風が確かに感じられた。

 そして、むせ返る様な血の香りが。

 

 彼女の眼の前に聳えていたのは、巨大な人型生物の首であった。腕と同じく青黒い肌に、真っ赤な分厚い唇。

 唇の間からは鋸のような鋭さと、身を掻き毟りたくなるような不潔感を煽る黄色に染まった牙が見えた。

 衝撃で潰れ、丸くなった鼻の上には瞳の無い白い眼玉があった。

 

 杏子から見て右の眼は眼窩から外れ、千切れかけの神経を晒して口元近くに垂れ下がっていた。

 その上には、藻や海藻のように乱れた茶色の髪が広がっている。

 そして最大の特徴として、額の頭皮を貫き、家一軒ほどもある顔自体と等しい長さの、白骨如く白い角が生えていた。

 家屋を圧し潰して縦に置かれたそれの、首や眼窩や鼻孔などからは溢れた鮮血が広がり、地面に残忍な池となって広がっていく。

 首だけで魔女ほどもある存在の傍らを、杏子は駆けた。疲労感は無いが、胸が高鳴っているのを感じた。

 

「待ってやがれ……!」

 

 だが彼女の欲望に反して、走る速度は御世辞にも早くは無かった。

 魔法少女の体力ではなく生まれ育ったままの力であり、それは彼女の年代の女子と比べて平均よりやや遅かった。

 不摂生な生活と、幼少期から長期間にわたって続いた栄養失調が招いた結果であった。

 それでも走る彼女の前に、再び巨大な物体が落ちた。

 

 複数の家屋を感嘆に圧し潰してのたうつそれに、杏子は思わず足を止めて呻いた。

 それは巨大な管だった。赤い空と黒い煤けた建物が並ぶ夜の世界であってもなお、鮮烈に輝く赤で輝いていた。

 だがそれは美しさではなく、血と粘液で濡れたグロテスクな輝きだった。

 超巨大な蚯蚓のように地面でのたうち回るのは、巨大な内臓、恐らくは腸だった。

 

 そこに更に、複数の物体が降り注いだ。

 ざっくりと切り開かれた腹筋から、恐らくは地面で跳ねる腸の根元をぶら下げた胴体。

 傷口には肉と金属が絡まる様子が見えた。更には溢れる血に混じって弾ける紫電も。

 大きさからしてまともな生物でないのは分かっていたが、機械と混ざり合った存在であるらしいと杏子は察した。

 実際は数時間前、感覚的には数か月前のように思えるが、鰻顔の似た存在を操っていた事もある。

 

 膝の部分で切断された巨大な足、紫色の肌の一本角を生やした鬼の首。

 思考内で全ての物体を縦に並べて大きさを推察すると、鬼の体長は五十メートルを優に超す。

 顔に開いた口は平均的なサイズの魔女を丸呑みし、手や足は魔女を簡単に握って踏み潰すことが可能な大きさだった。

 胴体は巨塔の一つに激突し、それを根元から圧し折った。

 

 折れて傾斜していく塔の遥か奥、並ぶ古の街並みの中に、燃え上がる深紅の炎が見えた。

 炎は轟々と燃え盛り、その周囲では巨大な存在が蠢いていた。それらは武装した巨大な鬼達だった。

 棍棒に剣、槍に更には肥大化した拳を持った、禍々しい鎧を着た異形達。

 それらが炎に撒かれ、絶叫と悲鳴を挙げて炎を吹き消そうと武器を振い、或いは渦巻く炎から逃げ惑っている様子が見えた。

 

「…違う。あれは、あいつは……」

 

 災禍の中央である深紅は、炎では無かった。

 大渦の如く怒涛を撒いて暴れ狂う深紅は、それもまた巨大な鬼だった。

 二本の槍穂か獣の耳のような角を生やした、全身を血のような深紅で覆った戦鬼。

 装甲された腕に生えた刃が鬼の肉体を切り裂き、その手に握る長柄の大斧が巨体を縦に真っ二つに切り裂く。

 地獄が開いたかのように溢れる臓物と鮮血を更に破砕しながら、翻った斧の背面に備えられた棘付き鉄球が振り下ろされる。

 直撃した鉄球が、雄々しく伸びた二本角ごと青鬼の頭を木っ端微塵に叩き潰す。

 

 破壊の旋風が吹き荒れ、複数の家屋や塔が吹き飛ばされていく。

 その様はまるで、堆積した埃が箒で履き散らされる様に似ていた。

 巨大な肉を破壊する度、当然の如く溢れた鮮血が逆向きの滝となって天空へと迸る。

 それをばら撒く様に斧が振られ、鮮血が血霧や血風となって拡散する。

 その奥から更に出現し続ける鬼達を、同胞の後を追わせるべく次々と葬り、無意味な肉塊や血の飛沫へと変えていく。

 

 斧に拳に蹴りにと、残虐な暴力が繰り出され、その度に肉が弾けて骨が砕ける。

 それを行う戦鬼は間違いなく機械でありながら動きは極めて滑らかであり、そして速過ぎた。

 遠方である事と鮮血や爆炎が視界を遮る事などもあるが、その動きが巨体ながら魔法少女に匹敵か上回る為に姿の詳細は鮮明ではなかった。

 顔や腕の形状と武装を察せたのは、杏子のこれまでの経験から結びつけられたからに過ぎない。

 そして戦鬼の戦い方には見覚えがあった。あり過ぎていたと言ってもいい。

 深紅の戦鬼の殺戮を眺める杏子の口角は、彼女も知らぬうちに吊り上がっていた。

 

「そうか」

 

 八重歯を牙のように覗かせた悪鬼のような表情で、そして玩具を見つけた童女のように弾んだ声で杏子は呟く。

 

「そこにいるんだな」

 

 確信を込めて杏子は告げた。

 告げた時、深紅の戦鬼の殺戮は終わっていた。

 戦鬼を包囲していた鬼は一匹残らず屍に変わり、無残な肉と鉄片を散らし鮮血の大河に沈んでいる。

 そして大斧を携え、戦鬼はある方向を向いた。

 瞬間、杏子の表情が氷結した。戦鬼が、煌々と輝く刃の眼を向けた方向は何処であろう。

 そこはまさに、彼女が立つ場所に他ならなかった。

 

 熱も風も、脚が地面を踏みしめる感覚もあらゆる臭気も今の彼女とは無縁だった。

 だが、彼女が感じることで生じる感情だけは当然ながら別である。

 感じたものは心臓を掴まれた様な恐怖。その感情を、杏子は素直に認めた。

 異形の鬼達を残虐に葬り去った異界の戦鬼から真っ向に見据えられ、恐怖を感じない方がどうかしていると心の整理を付けたのだった。

 

「なんだよ、やる気?」

 

 好戦的な声と言葉を出した時には、恐怖心は大分落ち着いていた。声こそ震えていなかったが、言い終えると歯の根が疼いた。

 霧状ながら肉体の感触を有する身体の震える歯を、強引に噛み縛って押さえつける。

 生の肉体なら歯を砕いていたかもしれない程に力を込め、こちらを見る戦鬼を睨み返す。

 

 そこで気が付いた。戦鬼の視線の方向はこちらではあれど、角度が異なっていることに。

 戦鬼の顎は前に突き出され、鋭い眼は上空に向けられている。杏子は振り返り、空を仰いだ。

 その背後には、拷問具の如く禍々しさを持って屹立する巨大な塔がある筈だった。

 紅い空を見上げて戦鬼の視線の先を追ったその瞬間、彼女の身体は崩れ落ちていた。

 

 細い膝が折られ、両手は這いつくばるのを阻止するために地面に向けて広げられ彼女の身体を支えた。

 重力さえも感じないのに、身体は一気に鉛の重さと化していた。

 それは全て、視線の先にいた者を見た時に心に広がったどす黒い何かだった。

 

「あれは…」

 

 邪悪過ぎる。彼女の心はそう呟いた。

 遥か彼方だが、邪悪な存在の外見は薄っすらと見えた。というよりも認識させられた。

 それは白い狩衣、平安貴族風の衣装を纏った長身の男だった。

 丈の長い立烏帽子を被り、袴を通した足で異形の楼閣の最上階の足場に立っていた。

 

 その顔と纏う雰囲気は、と思ったところで杏子は胃袋が激しく蠕動するのを感じた。

 呼吸さえも不要なはずなのに、口は酸素を求めて空気を貪る。

 されど深い水底に落ちたように、口から得る空気は全く肺に取り込まれずに苦痛が続く。

 苦痛は有れど、意識を失う気配はなかった。明確な意識のまま、新鮮な苦痛が続く。

 

「ハぁっ…!ハァ……っ…ぐあ…」

 

 呻きながら苦痛を制御すべく思考を整える。認識の瞬間に感じた気配は、邪悪という概念そのものだった。

 その邪悪さの傾向と雰囲気には覚えがあった。不愉快極まる洗脳道化、優木沙々である。

 だが極まると称しながら矛盾が生じるのだが、その度合いが桁違いに過ぎた。

 道化の遊び雑じりの間抜けな邪悪さが、こちらはそれを残しつつも更に濃度を上げていた。

 例えるなら、上澄みと原液の違いか。

 

 ただ存在を認知しただけで、彼女の心には黒々とした蛇が溢れかえり、一斉に毒持つ牙を立てたが如く苦痛が生じた。

 正確にこの状況を表せば、思い出したという事だろう。

 彼女のソウルジェムは今もなお濁り、それが記憶の中の邪悪な存在を見た事で引き出されたと。

 再び訪れた苦痛に、それでも彼女は地に這う事を良しとしなかった。この世界には、杏子が探し求めている奴がいる。

 

「見せられるかよ…こんなザマ…!」

 

 必死の思いで立ち上がり、再び邪悪の根源を見上げる。再び苦痛が襲うが、今度は膝を折りさえもしなかった。

 後ろの戦鬼は奴だ。そして奴はこれと対峙している。

 なら、自分にも耐えられる筈だ。

 執着心からの対抗心で、杏子は必死に邪悪に抗っていた。

 

「負け…られるか!!」

 

 彼女は叫ぶ。異界の邪悪と、自らに巣食う絶望に向けて宣戦布告するように。

 

「魔法少女を、あたしを…佐倉杏子を舐めんじゃねえ!!」

 

 血を吐くような叫びが、紅い闇の帳が広がる世界を貫いた。

 そして叫ぶ彼女の頭上の遥か上を、巨大な物体が飛翔していた。向かう先は言うまでもない。

 鋼の翼を広げた深紅の戦鬼は、白い邪悪な人影へと向かって行った。

 そして異形の塔の最上階に、空中で身を反って振りかぶった戦斧を叩き付けた。

 赤紫の障壁が塔の表面で発生し、刃の侵攻を阻む。

 

 莫大な力と力がぶつかり合い、光が空間に乱舞する。そしてやがて蓄積した光は巨大な泡の如く弾けた。

 生じた白色の光が、または無色の闇とでもいうべきものが空間に広がっていく。

 戦鬼と巨塔、そして魔を孕んだ都も包み込んでいく。それは、消滅という現象の具現化だったのかもしれない。

 迫る消滅へと、杏子は黙って立っていた。

 自らを苛む苦痛を宿したまま、虚無へと誘うそれを真っ向から睨み付ける。

 

「待ってろよ、ナガレ。今行くからな」

 

 炎の如く紅い力を宿した身を、骨まで焼け焦がすような執着心が彼女の心を槍の如く貫き、歪な支えとしていた。

 魂が渇望する存在の名を呟いた彼女を、拡散する無は一瞬にして飲み込んだ。

 










黒平安京を巡る佐倉さんでありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花①

息抜きも兼ねて平和な日常風景を描く番外編です
時期的には第33話の前後あたりとなります


 午前十時半と少々。平日のよく晴れた日という事もあって、その駅は人の歩みと交差で満ちていた。活気のある街の証拠だった。

 実際、駅前で視線を軽く動かすと遠く遥か先まで広がる巨大ビル群が幾らでも見えた。

 それでいて古きモダンな趣も違和感なく合わさっている。街自体が高度な芸術作品のような街だった。

 各々の日常へ赴く人々を見送り、また招く様に、巨大な駅の入り口の上に据えられた電光掲示板には街の名が浮かんでいた。

 それは『見滝原』と読めた。

 

「洒落た名前しやがって」

 

 その名に対し、女そのものの声で対抗心にも似た言葉を発したのはジャケットに赤いシャツ、それとカーゴパンツといったやや野性的な服装を纏った黒髪の少年であった。

 荒々しい炎にも似た髪型、美少女のような整った顔に少年の溌剌さ。

 そして太い眉やくっきりとしたアイラインに宿る、男らしい精悍さ。

 三様の美しさが互いを破壊することなく奇跡的に交わった、可憐で猛々しく美しい少年だった。

 

 駅の真正面に広がるロータリーに沿って流れる手摺に寄り掛かり、平和な人々の日常風景を眺めていた。

 年齢は十三から十四程度に見え、普通なら義務教育を受ける立場の存在に思える。

 されどその実は不良どころか異界の存在。

 

 異界の神々を怯えさせ、終焉の魔神でさえも一目置いた竜の戦士の魂が、マガイモノの肉の器に宿った存在。

 真紅の魔法少女によって真名に似た名を与えられた者、ナガレであった。

 言葉に宿った対抗心は、約五か月の滞在を経て風見野市に対し芽生えた郷土愛の賜物だろうか。

 

「おっまたせー」

 

 快活なハスキーボイスは、朝の喧騒の中でもよく響いた。

 桜が静かに舞い散る春のような朗らかな顔で手を振りながら、元気よく身体の各部を揺らして走っていた。

 例えば白いシャツの首に巻いたピンクのネクタイと短いスカート、そして体躯に対してはかなり大きな胸がたゆんたゆんと揺れていた。

 異界の美を思わせる少年の前に辿り着いたのは、他者の性癖を狂わせかねない彼に勝るとも劣らない美しい少女。

 黒い魔法少女、呉キリカだった。

 朝日に抗うように、濡れ羽色の髪が陽光の中でも闇のような輝きを放っている。

 両者が対峙した時、その場面に居合わせた何人かが言葉を失い、一時の痴呆状態に陥り手に持っていたスマホや飲み物を落下させていた。

 

「悪いな、急に呼び出して」

 

「別にいいよ。友達じゃないか」

 

 何気ない会話を交えた時、更に何人かは陶酔の呻きを漏らした。

 尤もそれらは感受性の高い者達のみであり、大半は自分たちの日常に向き合っている。

 痴呆に陥った者達も、いずれ二人の光景を白昼夢であったとして忘却するか、記憶の片隅に美しくも曖昧なビジョンとして仕舞われるのだろう。

 だからこそ人の世は回り続ける。忘却と記憶を繰り返し、行動を為す力を養い日々と向き合う。

 それは彼と彼女も同じであった。地獄同然、もとい地獄そのものの異界からの流れ者と、地獄に等しい環境で日々を生きる魔法少女であったとしても。

 

「君の頼みだからね。学校なんかへーきのへーざでサボっちゃうよ」

 

「呼んでてなんだけど、いつもじゃねえか?行ってるのかよ、学校」

 

「お、それ聞いちゃう?聞いちゃうのかい、友人」

 

「ああ。ちょっと気になる」

 

 返したナガレに対し、にまっとキリカは笑った。喉を撫でられた猫のような表情だったが、ナガレはそこに不吉さを感じた。

 

「つまりアレかい。私の制服姿を見たいと」

 

「そういうワケじゃねえ」

 

 困惑もせず、普通に否定するナガレであった。

 弱みを見せると、この魔法少女に喰い破られる。戦闘でも会話でも同じだった。

 

「私とその姿で交わりたいなら、素直にそう言えばいいのに」

 

 しかしそもそも、相手の話を聞かず態度も考慮に入れないキリカにとっては凡その防御は無意味である。

 彼のそれは、ささやかなレジスタンスであり今まさに核兵器で丸ごと消し飛ばされたに等しかった。

 

「全く君は何時逢ってもそうだな、自分の欲望を優先させる。君が私の何を知っているというんだ?私が学校でどんな扱いを受けてるのか知ってるのかい?」

 

「知るか」

 

 厳しい言い方に聞こえるが、彼は単に事実を述べただけである。

 その言い回しに、キリカは右手を額に置いた。手首に巻かれたベルトが、拘束具じみていて艶めかしかった。

 キリカが美麗な女体に描いたそれは、古代の賢人が人の世の苦悩に悩む姿を描いた彫像のように美しい姿。

 しかしその手の奥の脳が紡ぐのは異界よりも異形の思考であり、思春期特有の性絡みの思考を更に飛躍化させた何かであった。

 

「君ときたら、やっぱそれだよ。昔から変わらないね」

 

「あー…うん。続けて」

 

 口調が砕けたどころか少しのキャラ崩壊をしながら、ナガレはキリカを促した。

 昔と言うが、彼とキリカが出会ってから経過した時間は約四か月と三週間程度である。

 キリカの「むかし」という言葉の発音的には、生まれた時からずっと一緒のような響きがあった。

 意志の弱い者なら、偽りの幼馴染な記憶を植え込まれかねない。

 そんな錯覚さえ覚えさせるような、キリカの自然な話術であった。

 

 

 その気遣い良いね。

 

 君は女の扱いが上手いな。

 

 でもそろそろ朱音麻衣が限界だ。

 

 近い内にあいつを抱いとかないと君、殺されるよ?

 

 でも何を狙ってるのか、自慰行為禁止を己に課した今のあいつの性欲は底なしだ。

 

 抱いても結局、雌と化したあいつに絞り取られて死ぬかもね。

 

 なーんてね、君はそんなに弱くないよね。失礼失礼。

 

 文句はさささささに言って呉。

 

 あいつは今日も今頃君の写真で自慰っているが、時々し過ぎて意識が飛んで死にかけてるらしい。

 

 あ、ごめん。話が逸れたね。

 

 罪深い私を赦しておくれよ。

 

 贖罪としておっぱいくらい、乳首以外はみせてやるからさ。

 

 まぁこれも全部、人見リナって奴が悪いんだ。

 

 誰か忘れてる気がするけど、佐木京はレアキャラだからまぁいいよね。

 

 それにしても楽しいな。君との会話は話題が尽きない。

 

 楽しいね。

 

 嘘だけど。

 

 素敵だね。

 

 嘘だからね。

 

 ほんとだよ。

 

 立石に水のように、清水の如く綺麗な音で、汚泥の如く蝕みの言葉を紡いでいく。

 彼と自分を包む大気の味を確かめる様に桃色の舌を蛇のようにちろちろと出しつつ、美しい声でキリカはこの場にいない者達の愚弄を述べていく。

 ナガレは黙って聞いている。災害と思っているからだ。

 

「まぁでもいいね、その返し。普通は「知るか」なんて台詞は演技じみたぶっきらぼうさを発揮するってのに、君ときたら自然そのものだ」

 

「ありがとよ」

 

 褒められた気がしたので彼は素直に礼を言った。このあたりはこの少年の美徳だろう。

 

「嗚呼、良いね。その素直さは好感が持てるよ。それにしても惜しいな」

 

「何が?」

 

 尋ねるべきではないのだろうが彼は尋ねた。

 キリカの黄水晶の眼に期待の色を見た事と、この状態を放置すると人目も気にせず(尚、気にした事などそもそも無い)泣き喚くことを知っている為に。

 

「私が佐倉杏子みたいに、常に君に恋焦がれて心狂うほどに大大大好きだったなら、多分私は濡れていたのに」

 

 彼の返事は無言。表情は虚無。どこから疑問を処理すればいいのかが分からない。

 そして肉体のどこが水気を帯びているのかを言わない辺り、彼女なりの淑女な配慮と小悪魔な悪意が伺える。

 ナガレはあきれ果てているのだが、キリカは精神攻撃が効いていると見た。

 そして畳みかけるのは、今がその時であると。

 因みに何故精神攻撃とやらを行うのか?

 

 その問いの応えは無い。

 彼女はただ、狂気に満ちた脳内で演算される思考と欲望のままに生きている為に。

 

「てなわけで、さぁ!さっさとこのミニマムボディ捕まえてあの路地裏にでも連れ込めよ。そしてこのベルトでも掴んで私の太腿を上げて」

 

 会話が危険域に達した時、ナガレは左手を伸ばした。

 キリカとの待ち合わせをしてからずっと、背中の方に回していた手だった。

 ある台詞を思い浮かべ、言うかどうかを悩んだ。一秒を百に分割する圧縮された思考の中で彼が導き出したのは無言であった。

 そこまで自分は彼女と、あの美しい真紅の姿を纏う少女とは近しい仲でないと判断したのだ。

 

 手に握られていたのは、白紙に包まれたドーナッツだった。小麦色一色であることから、味はプレーンらしい。

 瞬間、キリカの眼から謀略と期待と、サディスティックな色彩が消え失せた。

 そして代わりに純粋な欲望と憧憬が覗いた。キリカの身体が迅速に傾き、鮮血色の美しい唇が開いた。

 美しい造形はそのままに、捕食する肉食獣の貌でキリカは獲物へと向かった。

 

 そして餌食に歯が立てられた。餌食とは、ナガレの手の甲だった。

 

「何しやがる」

 

「ごほうび」

 

 彼の手の甲を齧るというか、彼の親指の根元をしゃぶる様にしながらキリカは応えた。妙に手の込んだ噛み方だった。

 その様子を見たのか、道行く者らの中から幾つかの短い悲鳴が聞こえた。

 眠りに落ちた後、美しい悪夢にならなければいいのだが。

 その状態のまま、キリカは右手を伸ばした。傍から見れば、中腰になった状態で彼を抱くような姿である。

 

 顔の位置的に危険な妄想をさせかねない体勢だが、例によって彼女は全く気にしていない。

 対する彼も年少者に性欲は抱かず、更には魔法少女化していないキリカの咬筋力程度では、自分の皮膚くらいしか破れない為に無害と判断している。

 両者にしてはあまり流血を伴わない交流であるが、ここまでの遣り取りを見ても人間かどうか疑わしい連中だった。

 

「あ、やっぱりあった」

 

 ここに至り、キリカは彼の手から口を外した。

 粘性の高い彼女の唾液が、獲物を捕らえた蜘蛛の糸のようにねっとりと、血が滲んだ彼の手と彼女の鮮血色の唇を繋ぐ。

 彼女が伸ばした右手は、彼の羽織ったジャケットの内側に沈んでいた。身体を戻し、そこで掴んだものを引く。

 直立に戻った彼女の右手には、通称ミスドと呼ばれるチェーン店の名が刻まれた袋が握られていた。

 四角い膨らみと僅かに大気に広がる香ばしい香りが、中に入れられた箱の中で餌食と化すのを待つ大量のドーナツたちの存在を示していた。

 

 それを大事そうに抱えるキリカは、まるで自らが産み落とした我が子を抱く母の様だった。

 誰もが心に光を注がれるかのような、神聖さに満ちた笑顔だった。

 そして彼女は彼の隣に立ち、ロータリーの手摺にぺたんと座って膝の上にドーナツ箱を置き、

 

「いただきまーす」

 

 と両手を合わせ、元気且つ丁寧に言った。

 先程まで我が子のように扱っていたものを食べるという様子に、不運ながら想像力が豊かな通行人の何人かは吐き気を覚えていた。

 交通が乱れた場所に生じた空白は、恐らく身を折り曲げて嘔吐している者だろう。

 キリカが美しい姿なだけに、嫌悪感も相当な物であるらしい。本人は全くの無自覚ながら、危険な香りを纏う少女であった。

 

 他人の苦痛も露知らず、そして知っていても知らんぷりとばかりにキリカはドーナツを食べ始めた。

 ひょいパク、ひょいパクと、小さな口で次々と食べていく様子にナガレは見入っていた。見事な食べっぷりに、純粋に感心しているのだった。

 そして俺にはくれないのかなという、残念そうな視線も含まれていた。最初に差し出したドーナツも、気付いたら消えている。

 

 仕方ないとし、ナガレは手持無沙汰になった左手を口元に寄せて傷を舌で舐めた。

 このくらいの傷はツバでも付けときゃ治っちまう。いつかそんな事言ったなと、懐かしい気分になっていた。

 だがそれを砕く様に、己の愚策を悟った。急いで口を離したが遅かった。

 少女を性の対象として見ていない事が、この悲劇の一助となっていた。

 離す寸前、パシャリという音が鳴った。そえはキリカが右手で掲げたスマホから鳴っていた。

 

「はい、これで通算二十三回目。今回も良い表情いただきました。御馳走様」

 

 もぐもぐごくんとさせながら、実に可愛らしい様子でキリカは言った。

 言葉の通り、箱の中身は空となっていた。

 よいしょと箱を潰し、キリカはすたすたと近場のゴミ箱に箱はリサイクル、袋はプラスチック類にと丁寧に分けて捨てていた。

 

「くそっ…」

 

 小さな声でナガレは呪詛を吐いた。その言葉を満足そうに聞きつつ、キリカはこの写真をどうするか考えていた。

 金払いが良いのはさささささだけど、友人をまた一日ぶっ通しの自慰の総菜にされるのはどうなのかなという良心。

 感謝してくれるのは紫髪女(朱音麻衣)。でも友人の写真をプリントして壁と天井にびっしりと沢山貼ってるらしいのがちょっと怖いね、でも笑えるねという悪心。

 善悪の際は彼女にしか分からず、その差があるとは思えない。

 

 どうしよっかなぁと、大きな胸を圧し潰しながら腕を組み真面目そうに考えるキリカの隣で、ナガレは天を仰いでいた。

 まだ何も始まってないのにこの始末。

 事の始まりを彼は思い出していた。

 天を見つめる黒い渦が巻く瞳は、暗緑の力を宿す深紅の愛機と、終焉にして原初の魔神と共に全てを蹴散らして宇宙狭しと駆け巡っていた、無限地獄を懐かしんでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花②

 午前零時十五分。世界を闇の帳が覆い、多くの者が寝静まる時間帯。

 されどその時間は、世界に満ちる悪意から人知れずこの世を護る者達、また或いは己の生存を掛けて戦う者達の時間であった。

 その中の決して少なくない者達が、戦いに出て生きて帰れる保証はない。敵は怪物だけでなく、他ならぬ自分自身である事もそれに拍車を掛けている。

 故に彼女らは身に宿した力で鮮烈な光を輝かせ、魔の剣や槍に銃器に弓を携え、無惨且つ美しく戦い続ける。

 やがて滅び去り、或いは成れ果てるその日まで。

 魔法少女と呼ばれるその存在を、世の多くの人々は架空の存在として疑わず、しかしそれは確たる現実としてこの世に存在しているのであった。

 

 そしてここにも、魔を帯びた存在がいた。

 但しそれは、この世の理が生み出したものではなかった。

 

 しかし彼は血を流して肉を裂かれ、骨を砕かれながらも戦いを終えて、血みどろの身体を住処へと帰還させていた。

 異界の存在ではあれど、その行為と生き方は魔法少女とさして変わり無く思えた。

 

 住処に入る前に、彼は額から流れる血を拭った。降り注ぐ青白い月光が少年の、ナガレの姿を照らし出す。

 拭ってもまだ途切れぬ血を更に拭いながら、彼は今日の狩りを思い返していた。

 

「手強かったな」

 

 そう口にした彼の姿は衣服の至る所が破れ、戦闘の苛烈さを伺わせた。

 斬撃や刺突、殴打による単純な破壊による破損もあれば。熱で焼き切れた個所や、酸で溶かされた部分まであった。

 今の彼が纏うのは緑色のジャージであったが、戦闘の苛烈さゆえに出動の度に使い潰している始末である。

 このあたりの不経済さに、彼は魔法少女の変身能力を少しだけ羨ましいと思っていた。

 が、変身の瞬間に全裸になる手順を踏むのは自分には無理だなとも思う。

 

 変身の瞬間に閃光が発せられ、普通はそれが目暗ましとなるが彼の眼はそれを貫通し、光の中で衣に覆われる魔法少女達の裸体を毎回目撃させられていた。

 下半身は可能な限り見ないようにしているが、それでも見える時は見える。

 世の男が羨みかねない事であるが、彼はそれに嫌気しか抱いていない。

 

 そう思ったあたりで、漸く流血が止まった。布越しに頭を触る感触からすると、頭蓋骨にもヒビが生じているらしい。

 二日もあれば治ると自己診断。

 身体の各部位からも可能な限り汗と血を拭い靴も土を払ってから、もう随分と見慣れた場所と化した、この建物へと入っていく。

 左手首に引っ掛けたビニル袋が月光を受け、中身の卵型の物体を晒していた。

 袋は丸く膨らみ、一個当たりの大きさから察するにその個数は十を優に超えていることが伺えた。

 

 かつて荒廃と繁栄を交互に享受し、今は役目をほぼ終えて、静かに滅びへと向かう神の家へと彼は足を踏み入れた。

 侵入と同時に、彼はある匂いを捉えた。それは彼の、いや、男というか雄の本能に触れる匂いだった。

 

「……」

 

 自分の鼻の良さを呪いながら、彼は鼻孔から脳に入り、極小の針の先でちくちくと突かれるようなその感覚を無視して歩いた。

 歩を進める度に、それは強くなった。辿り着いたとき、針は釘となっていた。

 釘は彼の本能を刺激しつつも刺さらず、理性というか性的嗜好の障壁に阻まれていた。一種のATフィールドだろう。

 

 彼以外の男なら、恐らくは数歩手前で懊悩に狂っている。

 臭気というか香りの源泉は、薄汚れたソファーの背もたれに置かれていた。

 際どさを覚えるほどに短く切り揃えられた丈の、薄い青色のホットパンツだった。それはそこから生じているのだった。

 眼を逸らすように彼は視線を落とす。元々こちらを目指していたのである。

 

 ここまで一切の音を出さずに歩き、袋のガサつく音すらも立てずに中から薄闇色の卵型の物体を右手で取り出し、指先で摘まみ手を伸ばした。

 ある距離に達した時、卵は闇を吸い取った。小さな雲のように溢れた闇が吸い込まれ、その奥から鮮烈な赤色が輝いた。

 それはソファーの手摺に置かれた、真紅の宝石だった。その形は、金属で縁取られた卵型をしていた。

 彼が闇を吸い取らせた物体と、何処か似た造形の代物だった。

 

 そしてその宝石の傍らに、更なる赤が広がっていた。赤とは、ソファーに寝転ぶ少女の長い頭髪だった。

 髪の主は佐倉杏子であり、彼女は今眼を閉じて、手足を投げ出すような姿勢で眠っていた。

 体勢的に、まるで巨大な蜘蛛を思わせる姿となっていた。苦痛に呻いた果てに、漸く寝入ったが故の姿だった。

 

 だがそれ以上に目立つのは、彼女の今の服装である。上は大きめのタンクトップのような黒シャツ一枚、下は素っ気ない白のショーツ一枚。

 シャツから伺える隆起の形からして、その下にはブラは通されていない。よく見れば左の胸に生じた突起が見えた事だろう。

 右のほうに至ってはブカ付いた部分から、先端を上向きに尖らせた桜色を晒してた。

 先の通り彼は眼が良すぎるが故に、一瞥しただけで詳細が見えてしまった。言及は避けるが、下着の本来とは異なる色なども。

 

 無言で、可能な限り雌の臭気を吸い込まないように口も閉じて、無音を維持して廃教会内を歩いていく。

 なお、杏子がこのあられもない姿をしているのは、彼を臥所に誘っているのではない。

 

 男として見ていないから、そもそも異性というものへの理解が足りず、男という存在に無頓着であるからに過ぎない。

 彼女の廃滅した社会性が、この状況を産み出す一助となっていた。

 

 歩いた先に、忽然と白い物体が聳えていた。

 薄汚れてはいたが、それは学校か会社などで用いられていたホワイトボードであった。

 そこには予めカレンダー然としたマス目が引かれ、予定が書きこまれていた。

 使用しているのはナガレだけらしく、彼の名しか入っていない。

 翌日、というよりも当日の予定を彼は新たに書き込んだ。

 

 その後自分の寝床に行き、プラケースに入れた私服を着替えとして確保。その場では着替えずにネカフェへ向かう事とした。

 血や煤で汚れた姿だが、これより更に酷い状況の自分や杏子を受け入れてくれた場所でもある。

 幸い金は、武器調達を兼ねて壊滅させた暴力団事務所から永久に拝借したので暫くは余裕がある。不都合な分は追加で握らせようと彼は思った。

 

 準備を整え、ゆっくりと出口へと向かう。再び真紅の魔法少女の傍らを通ると、彼女の寝床の周囲に堆積した無数のゴミが目についた。

 使い潰した歯ブラシ、応急処置に用いた血塗れの包帯。

 更には丸められて、テープで止められた使用済みの生理用品や、くしゃくしゃに潰されたティッシュが即席麺の容器に割り箸諸共乱雑に突っ込まれていた。

 

 羽虫が湧いていないのは、恐らくこの廃教会に住まう連中の存在を虫達が本能で察知している為だろうか。

 帰りにゴミ袋沢山買っとこうと、彼は思った。

 ここ最近、杏子が殊更に退廃的になっているのが気がかりだが、自分には魔女を葬ってその卵を集める事しか出来そうにない。

 彼女の内面は彼女のものであり、彼が踏み込む事では無いだろうし、そんな事が出来そうにない。

 やれることをやろう、彼はそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつも通りあいつをリョナって四肢切断して、内臓を抉り出してから全身にロンギヌスの槍を九十本くらい刺して地面に縫い留めて」

 

 朗らかな口調で物騒極まりない言葉を述べる美しい少女の声が、見滝原の一角で木霊する。

 

「お前は雌臭い、風呂入れ、犯らせろ、尻向けろ、犯すぞ、殺してやる、殺してくださいと言わせてやる。ただあいつの耳元で優しくそう言ってあげればいいだけじゃないか。何を複雑に考えてんのさ」

 

「ド直球すぎんだろうがよ」

 

 澄み渡る青空の下、街中を練り歩きながら不健全極まりない会話を続ける両者であった。

 必要最低限の意味の抜き出しを除き、物騒で卑猥な言葉に対する反論を行う気は彼には既にない。無駄だからである。

 ナガレとしては「着替えの買い出し行くから付いてきてくれ」としか言わなかったが、廃教会の勝手な常連と化しているキリカには事情が察せていた。

 狂った頭脳の持ち主だが、頭の回転はまともな所があるのが、この魔法少女の恐ろしいというか嫌なところであった。

 

「否定はしないんだな。よし、じゃあ早速自警団にも召集駆けて佐倉杏子のしあわせ処女喪失プランその二十九。ツンデレ路線脱却及び殺菌滅却浄化処置プラス魔法少女服強制逆バニー化作戦をだね」

 

「やめろ。コトを大きくすんじゃねえ」

 

 どうやったら思い付くのか分からない最悪な作戦名に、彼は思わず吐き気を覚えた。会って十数分でこれである。

 何時まで経っても、キリカの不意打ち的な不健全性絡み発言には慣れない。

 慣れてしまったら、多分また一つ人間性ってのを喪うんだろうなと彼は思った。

 

「じゃあ、なんで私に声かけたのさ」

 

 てくてく歩いて彼の前に立ち、両手を腰の辺りで組んで問うキリカ。

 一昔前位の青春ドラマであったような演出だが、実際の会話の内容は清々しさとは真逆。

 爛れた劇薬と腐り果てた廃液が交わった末に生まれた、未知の毒物みたいなものである。

 そもそもコトを大きくするなと言われてこの返しとは、完全に自分の災厄性を自覚しているとしか思えない。

 

「ん~、どうなの?ねぇねぇねぇねぇねえったらあん♡」

 

 美しい顔を近付けながら、彼を弄びつつ性の快楽に浸る矯正のような甘い声を出し、身を寄せる様に更に接近していく。

 甘いと言えば、彼女が近付く度に甘ったるい香りが彼の鼻を刺した。

 先程貪り食われたドーナツのせいもあるが、それ以外の菓子の香りも混ざっている。

 そして更には恐らく、彼女自身の体臭がそもそも甘い。

 人工的なものに特有の刺々しさが感じられない事から、彼は察したというか察せられた。

 

 魔法由来かと思えばそうでもない。これが体質だとするのなら、蠱惑的極まりない。

 現に今も花の様に自然で甘い香りを漂わせつつ、彼の眼の前では身長148センチに似合わない巨乳が揺れている。

 不自然にならない程度に肉付きの良い尻の形がくっきりと浮かんだ丈の短いピンクのスカートも、中身が見えんばかりに左右に振られていて。

 

「あ」

 

 そこで彼女は気が付いた。彼もキリカの外見から生じる違和感や鼻の良さからして気付いてはいたが、どうか違ってくれと思っていた。

 因みに彼女からの問い掛けについては、次のこの発言が無ければ彼は応える筈だった。

 

 

「ブラとパンツ穿いてくるの忘れてた。君相手だからどうでもいいし、それに何時犯されるか分かったもんじゃないからね。破られて投げ廃られちゃ勿体ない」

 

 

 この責任はどう取る気だい?キリカはそう言った。

 親し気な態度から一転、胸の前で腕を組み毅然とした態度でナガレを見据える美しい少女。

 麗しき断罪者となったキリカであった。

 

 身長差が約12センチもあるので、やや見上げる姿勢に近い。

 拘束具を外された胸は、まるで硬さが無いかのようにキリカの両腕によってぐにゃりと潰れていた。

 恐らく手を乗せて軽く力を入れれば、何処までも沈むような弾力があるに違いない。

 

「じゃあそれもついでに買おうぜ。要件が一度で済ませられっからよ」

 

 憮然とした口調で、事も無げと言った風にナガレは言った。

 そろそろ苛立ちも限界だが、まだ序盤もいい処なので黙らせるに黙らせられない事が彼には歯痒かった。

 もちろん、沈黙させる方法とは暴力か餌付以外にはあり得ない。

 

「くそ…友人に…こんな奴にレスバ負けするとは……ちくしょう…」

 

 対するキリカは彼の反論に敗北感を持ったらしく、膝を折って地に手を着いた。

 眼が涙ぐんでいるあたり、本気で悲しんでいるらしい。

 今のこの状況でその態勢はやめろとナガレが説得し、嫌だと愚図るキリカを納得させるまで、彼は一時間四十二分と十三秒を要する事となった。

 

 

 

 














相変わらず仲良しな二人でありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花③

 可憐な美少女のような顔をした、野性味ある美少年が見滝原市内の歩道を歩く。

 それに付随し、ゴロゴロという音が鳴っている。音の源泉は彼が右手で引きずる黒いキャリーバッグの車輪であった。

 そのキャリーバッグは大きく、子供なら身を屈めば二人程度は入れそうな大きさだった。

 そう、例えば

 

「友人」

 

「なんだい呉さん」

 

 今ここに入れられている、黒い魔法少女のように。

 

「私を視姦できなくて寂しいからってスネるなよ。それでなんだけどね、さっきからお尻に伝わる振動がいやらしい。お腹の奥が疼く」

 

 なんかお肉がきゅんきゅんする。まるで妊娠したみたいだよ。私処女だけど。

 そう、キリカは平然と言った。

 

「で、俺にどうしろと?」

 

 ナガレも平然と聞き返した。

 キリカの発言は慣れないが、気にしていたら負けである。

 そして彼は負けることが大嫌いだった。

 

「話をして呉。肉の疼きが紛れる」

 

「了解」

 

 ナガレの視線は青い空に向けられていた。キリカの説得に要した時間故に、今は昼時の時間帯となっていた。

 

「お、友人。今トキめいたね?」

 

「あん?」

 

「隠さなくていいぞ。ギャルゲー原作のアニメでもあるだろう?ヒロインのご出産のときに、ヒロインを孕ませた主人公様がこれからお母さんになるヒロインの手をぎゅって握ってがんばれ、がんばれって言うアレだよ」

 

 尊いね、素敵だね。ムカつくね。早くバトルをやって欲しいねとキリカは言った。

 素直でよろしい、と彼も彼でキリカの評を謎の基準で思っていた。

 現実の魔法少女への対策として、アニメや漫画の魔法少女物を読み耽っていた事があるからだろう。

 彼にとって、平凡な日常描写は退屈でしかないのである。

 例えそれが作中の人物の人生に大きな影響を与える事柄だとしても、所詮は架空と切って捨てている節がある。

 

「んじゃあよ、何が聞きたい」

 

「友人、君ってばこういうとこ実直でいいよね。さささささが声だけで何十回も絶頂出来て、朱音麻衣が狂信者じみた事し始めるのも頷けるよ」

 

「いいからお題を寄越せ。話せるコトなら話してやる」

 

「んーーーー、佐倉杏子との共同セイカツで楽しかったコト」

 

 言うまでも無く、セイのあたりには彼女の無意識の悪意があった。

 しかしこれは理解できないことでもなく、半年近く異性同士が一つ屋根の下に一緒にいるのに何もないのがむしろ異常なのである。

 キリカの悪意など無視し、ナガレはしばし考えた。

 外見が外見だけに、思考する彼の姿もまた美しかった。

 

 身に降り掛かる災禍を打ち倒し、愛するものを護るべく巨悪に立ち向かう誇り高き戦士の顔が浮かんでいる。

 だが実際に彼の脳裏を駆け巡っているのは、ロクでもない光景ばかりである。

 

 魔法少女の手足から鮮血が飛び、殴り殴られて互いの歯や肉が弾ける。

 関節技を極められた個所で肉と骨が抉れ、靭帯が悍ましい音を立てて断裂する。

 真紅の大輪の花か炎のような美しい姿と繰り広げる、互いの命を互いの贄と捧げるような死闘と苦闘。

 どれも確かに楽しく何物にも代えられない思い出だったが、それだけに選定が難しかった。これは難題だ、と彼は悩んでいた。

 

 もしかしたらこの世界に来てから、一番悩んでいるのがこの時だったかもしれない。

 毎日毎日、数時間ごとに繰り返された死闘の記憶を辿る。その果てに、一際思い出深い場面を見つけた。

 これだ、と彼は決めた。自信を込めて、彼はこう言った。

 

「そうだな…俺と杏子の二人で、簀巻きにした優木の両手両足を…たしか俺は足を掴んでよ。一緒にタイミング図って三二一で川に放り投げた時かな」

 

「頭おかしいね。他には?」

 

 期待など全くしていなかったかのように切って捨て、キリカは次を促す。

 同じく満足げな表情で彼は返した。

 

「サイゼ行った時、メニュー表裏の間違い探しやった時」

 

「一緒に?」

 

「席別だったな。俺は店の右端であいつは左端。念話で『まだ見つけてねぇのかよ間抜け』とか言い合いながらやってたな。あれは燃えた」

 

「なるほどね。改めて、お前らの関係が死滅してる事が分かったよ」

 

 なんで互いに同じ場所で生きてるのやら。そして常に殺し合ってる癖に生き続けてるのやら。

 そう呟いたキリカに

 

「俺にもよく分からねえ」

 

 と彼は答えた。完全に予測の範疇であり、キリカは欠伸をしながら聞いていた。

 

「ああ、もういいや。友人と佐倉杏子がどうしようもなくラブラブだってよぉく分かったよ。んで、それとね友人。悪いけどティッシュをおくれよ」

 

「鼻か?」

 

 ジッパーを開けてポケットティッシュをそこから入れた。

 理由を一応聞いたのは、心配しているためだろうか。

 たまに、素で人間の善性が出る男である。そしてキリカの発言にも、やはり特にリアクションを示さない。

 

「えっち」

 

「はい?」

 

 キリカから返ってきたのは、非難のような言葉。

 そしてその理由が述べられる。

 

「これは汚さないようにする為の予防策だよ。このバッグは私の為に態々買ってくれたものだろう?」

 

「はい?」

 

 順を追うと、このバッグは愚図るキリカを運ぶために彼が買ってきたものだった。

 場を離れる際、四足獣の姿勢にあったキリカ。

 今はノーパンであるが故に、下手したら真昼間の人々が行き交う往来の中で尻と秘所を露出しかねない彼女へ彼は、緊急処置として自分のジャケットを羽織らせた。

 そして急いで走って街を駆け、購入してきたそれにキリカをブチ込んだのである。

 都合よくこんな物が買えたことは、見滝原は都会だからと受け取っていただきたい。

 そして現状。彼の疑問が重なっている。しかし一方で理解が浮かんだ。

 

「さっきからね、ちょっと自分の身を試して実験中なんだ。題して『私は友人で欲情出来るのか』」

 

 ぱんぱかぱっかっぱっぱっぱーんと、壮大なファンファーレを模した声をキリカは挙げた。

 ナガレは道の傍らを見た。繁栄の裏側とでも言うべきか、汚濁の流れるドブ川が見えた。

 安い買い物では無かったが、キャリーバッグをすぐにでも投げ捨てたくなった。

 

「さて、ここで実験の発端をご説明しよう」

 

「勝手にしろ」

 

 容認したのは聞きたいからなどでは断じてない。拒否したら、さらに面倒になるからである。

 うん、するよ、しまくるよ!童女の口調と輝く笑顔を伴った声でキリカは言った。

 

「君は私を色情狂とでも思っているのだろうが、こう見えて私は性欲が薄い。生理の時とか、流れた血を拭き取ってる時にちょっと疼くくらいだ」

 

「へえ」

 

 このあたりで、ナガレは感情を捨て去る事って出来ねえのかなと考え始めた。

 んな器用な事無理だなと早々に諦め、魔法少女の話を聞くことにした。これも何時もの事である。

 

「それなのに私の周りの連中ときたら、どいつもこいつも爛れた性絡み連中ばかり。リナに至っても、最近は自宅に監禁してるさささささとレズ紛いの行為に耽ってるらしいし」

 

「思ってたより進んでんな」

 

「そのリアクションは予想外だね。やっぱ君、面白いよ。あとさささささの事心配したしたげてよ」

 

 相槌程度に返したが、彼としてもやはり、自警団長の趣味には少し驚いているようだった。

 一方で納得もしていた。魔法少女は恋愛する時間なんて無いだろうし、となると性の矛先が同性に行くのも無理ないだろうなと。

 また会った回数は少ないが、リナが優木を見る眼になんというかこう、妙に熱が入っている気がしていたのだった。

 そしてその視線の先には優木の尻があった。何かあったのかなと、彼はいらん心配をしてすぐに忘れた。

 キリカが言った心配という事も、それを指している訳ではないだろうに。

 

「ま、その素っ気ない態度も君の狡猾な罠なのだろうね。性に関心がない積りで、その実は欲望を抱え込んでる。そしていつか誰かが犯されるのさ」

 

 さも当然の、今曇ってるから小一時間もしたら雨が降るだろうね、といった風な言い方だった。

 

「さぁて最初の被害者はやっぱり佐倉杏子か朱音麻衣かさささささか。ってこれじゃ駄目だね、こいつら相手はいちゃいちゃラブラブな和姦じゃないか」

 

「…」

 

「となると大穴で佐木京か。あ、大穴っていってもそういう意味じゃないからね。他にはあれか、隣のクラスで今入院中の天才バイオリニストな美少年かな。案外いいカップルかもねぇははははは」

 

 自分でも満足する愚弄が出来たのか、キリカはけらけらと笑っていた。

 しかしそこで、思いがけない事が起きた。

 

「抱かれてぇのか?」

 

「え」

 

 キリカの笑いが途絶、彼女は何を言われたのか分からなかった。

 

「俺に抱かれたいのかって、そう聞いてんだよ」

 

 バッグの上部分を軽く小突き、ナガレは追加で言った。

 振動が伝わったのか、キリカは「ひゃうっ」と可愛い悲鳴を上げた。

 

「さっきから黙って聞いてりゃ爛れた事ばっか言いやがって。俺が黙ってばかりとでも思うかよ?」

 

 何事にも限界はある。彼も流石に怒っていた。

 周囲を見渡すと、視界の奥にそれっぽい雰囲気の場所と建物が見つかった。

 

「こんな上品で綺麗な街でもそういう場所はあるもんだな。これから二人で行ってみるか。このままなら怪しまれにくいしなぁ。ええ?」

 

 ここまで言っておきながら、彼はキリカに欲情などしていない。

 ただ腹が立って仕方なく、その衝動を言葉に乗せて述べているだけだった。

 後先を考えない男である。

 

「…友人」

 

「…なんだよ」

 

 キリカの暗い声に彼の口調のトーンも下がる。自分でも子供相手に不健全トークを言ってて疲れたのだろう。

 

「どうして、泣いているんだい」

 

 冷え切った水で濡れたような声でキリカは問う。

 

「泣いてねぇよ」

 

 涙など最後に何時流したかと彼は思った。

 記憶を辿ると、それが全く分からない程度には自分が涙と無縁だと分かった。

 

「ううん、心が泣いてるよ」

 

「だとしてもお前に分かるか、んなもん」

 

「分かるさ」

 

 全てを受け止めるように優しく、そして有無を言わさぬ強さの声でキリカは言った。

 

「君を、私が分かってあげる」

 

 バッグのジッパーが開き、そこから二本の美しい手が伸びた。

 それは彼の右手を掴むと、凄まじい力でその内部へと導いた。

 バッグに捕食されるかのように彼の身体が吸い込まれ、そしてジッパーが閉じた。

 

 バッグが激しく揺れ、動いていく。やがて平坦な道から下へと続く坂道に向かって行く。

 傾斜したバッグは重力と、さらに内部からの力を受けて一気に加速。凄まじい速度で坂を下る。

 

 バッグの中身は地獄と化していた。

 闇の中、上も下も下着を纏わないシャツとミニスカートの私服姿ままで、魔の力を発揮した少女が少年の身体に身を絡ませていた。

 

 明らかに人間の骨格の可動範囲や硬度を無視し、キリカの身体はナガレの身体と交わっていた。

 骨を自ら砕いて関節を伸ばし、キリカの身体は柔らかくしなやかな異形の人体と化していた。

 総評すれば、今の彼女の身体は首から足首までが蛇か鞭のような構造となり、彼に絡んだ彼女の細身はナガレの腰から背へ廻っている。

 更に腹へ身を絡ませて一周し、美しい顔同士が闇の中で向き合っていた。

 

 異形ながら美しい光景ではあったが、細身で華奢なキリカの身体から伝わる圧搾は巨像さえも絞め殺す超剛力。

 両腕もまたそれぞれが一頭ずつの蛇のように彼の背を抱き、両手を牙のように彼の肩肉に喰い込ませながら凄まじい力を加えていた。

 人間なら即死どころかバラバラになる異形の力に、少年の身体は耐えていた。

 身に絡みつくキリカの身体に指を突き立て、それ以上の圧搾を阻んでいる。

 

「うふ、くひひ、ふははは」

 

 実に楽しそうに、サディスティックな響きを纏った声でキリカが笑う。

 笑う彼女の口から香る匂いは、強力な麻薬じみた魅力を孕んだ甘ったるい香りであった。

 

「…へっ……」

 

 歯を食い縛り、全身の筋肉を総動員して美しい蛇と化したキリカに抗うナガレ。

 彼もまた黒く渦巻く瞳で彼女を見据え、唸り声交じりの吐息を漏らした。

 

 バッグはその間も走り続けていた。道行く者達も慌てて避ける。

 だが幼き子供が間に合わず、迫るそれを茫然と観ていた。接触の寸前、バッグの側面の一部が破裂。

 そこから生じた拳が地面を叩いた。するとバッグは軽々と宙を舞い、近場の建物の二階へと落下。

 幼子はその様子を見て、思わず呆けた後に笑い出していた。

 楽しそうに笑う子供を抱え、若い母親が更なる危機が来ないものかと不安に駆られて急いで逃げていく。

 

 一方の悪鬼どもはといえば、運動エネルギーは消えずにバッグは更に進む。建物の屋上の手摺へと至った時に再度拳が地面を叩いて飛翔。

 高々と跳んだ果てに、ビル同士の隙間へと墜落した。

 

 壁面に激突し続けながら、壁を擦って漸く地面へと着いた。

 そして半壊したそれの中から、まるで卵の殻を破る様に黒い影が立ち昇った。

 先に出た影は

 

「ホラよ」

 

 と手を伸ばし、居場所を共有していたもう一人の存在に手を貸した。

 

「ん、ありがと」

 

 遅れて出てきたキリカは素直に礼を言い、彼の手を取って立ち上がった。

 んっ、んっと言いながら背骨を伸ばし、両手をぷらぷらさせ、関節が元に戻っているのかを確かめている。

 その後はだけていたシャツや捲れていたスカートを元に戻す。

 その間、彼は建物の隙間の奥に見える昼の光景を見ていた。

 呉キリカという美しい悪鬼に再び襲われる可能性があるというのに、律儀なものである。

 

「あーあ、あと少しだったのにね」

 

「ぬかせ」

 

 何があと少しだったのかは、当事者たちにしか分からない。

 

「でも案外、唇は柔らかいんだね。魔女の腕も平気で喰い千切る歯があるんだから、唇も刃物じみてると思ったのに」

 

 自分の唇を、それ自体が工芸品のように美しい繊手の先でぷにぷにと突きながらキリカは言った。

 

「お前、それで良かったのか?」

 

 顔をキリカの方に戻し、ナガレが尋ねる。

 その声はどこか昏い。自分に対してではなく、キリカを慮っての感情が伺えた。

 

「なにがさ。別にあれで私が孕むってわけでもないのに…ってもしや、もしかして?」

 

「んな訳ねぇだろ」

 

「なーんだ。流石に君も、そこは普通の人間か。ちょっと面白みに欠けるね」

 

「お前…」

 

「いいよいいよ。どうせまたすぐ顔か、頭ごと作り替える羽目になるんだからさ」

 

 はははと朗らかに笑って言うキリカの笑顔は、暗闇の中でも輝いて見えた。

 同時に彼は奥歯を噛み締める。

 どの世界にこんな事を言う中学女子がいるのか。

 

 そして何度、自分はこの存在を破壊してきたか。

 彼女の凶行に対し、取るべき行動をしなければ簡単に殺される相手なのは分かる。

 しかしそれでも、理不尽という怒りが募る。魔法少女という存在は、彼から見ても日常が凄惨すぎる。

 

「ま、忘れるまではこの感覚は覚えておいてやるよ。いい感じに不快さと心地よさが混じった珍しい感触だった」

 

「そうかい。好きにしな」

 

 少しオトナになれたかも。と付け加え、キリカは相変わらずの朗らかさで笑っていた。

 その様子に彼も気分を切り替える。

 

 なんでこいつ彼氏いねえんだろ、とナガレは不思議で仕方なかった。

 性格の問題という考えは彼には無い。魔法少女はこういうものだと思っている。

 その上彼自身が認識する普通というものは、通常人類のそれとかなりズレている。

 

「ま、外の光景を見た限りだと着いたね。長い道のりだった」

 

「ホントにな」

 

 心の底からといった風に、彼は言ってた。

 そして暗い路地裏から、闇から光の領域へ向けて歩き出す。

 

「さぁ行こう友人!私達の冒険の始まりだ!」

 

 路地裏の出口、その目の前。

 闇と光の境目に立って、世界に降り注ぐ光の欠片を浴びながらキリカは光に負けない眩しい笑顔で振り返り、彼の方へと右手を伸ばして叫ぶように言った。

 何人かが思わず彼女の方を見たが、彼女は気にも留めない。

 今の彼女の意識の中で、世界には自分と彼と、そしてここにはいないもう一人しか存在していなかった。

 

「おう!」

 

 彼女の様子に応える様に、先程まで死闘を繰り広げていたことなど忘れた様子で彼も叫んだ。

 そもそも魔法少女との死闘など、彼にとって喰う寝る或いは呼吸するに等しい行為である。

 恨みも何も無く、両者は光の中へと飛び込んだ。

 

 

 












追記
なおその冒険の目的は、佐倉杏子さんの新しい下着とホットパンツを買う事である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花④

 陽光よりは優しい、されどどこか物足りない。

 そんな人口の光満ちる空間に二人はいた。周囲を取り巻く喧騒も、街の中に勝るとも劣らない。

 

「と、う、ちゃ、あーくっと!」

 

 元気よくぴょんぴょんと小さく跳ね、そして地面に着地するキリカ。

 演技を終えた体操選手の如く、両手を高々と誇らしげに掲げている。掲げた手に従うように、彼女の胸は揺れていた。

 周囲の何人かが気付き、熱い欲を滲ませた視線を送ってすぐに逸らした。彼女の背後からこちらを覗く、黒い二つの渦を見て。

 

「おい友人、さっさと行くぞってうわ近」

 

 後ろを向いたキリカはわざとらしく驚いたようなポーズを取った。片足を上げ、両手を変な角度に曲げて。

 そのキリカの背中をずいずいと押し、自分諸共彼は脇へと追い遣った。彼らの後ろには長いエスカレーターがあった。

 巨大な吹き抜けから下までには、三つの階層が見えた。どの階にも、蠢く蟻の如く人々が行き交っている。

 

「誰の所為かな」

 

 ナガレは憮然と言った。その言葉にキリカは首を傾げた。

 

「当然私だ。他にいるか?」

 

「お前なぁ…」

 

 何をしていたのかと言えば、率直に言えば彼女のスカートの中身の死守である。

 彼女は今、ただでさえ短いピンクのスカートの下に、あろうことか下着を穿いていなかった。

 彼女の鼠径部や尻は本来のボディラインを晒し掛け、ただでさえ危険な状況である。

 

 それを彼女は全く気にしておらず、逆に気にするナガレが必死に防衛する羽目になった。

 その過酷さは、彼が憔悴している様からも伺えた。無尽蔵に相当する体力と頑強な精神を持つ彼が、である。 

 そんな彼を眺めながら、キリカは美しく朗らかに笑いながら

 

「エレベーターって知ってる?おばかさん」

 

 と彼に告げた。その一言に彼はすさまじい脱力感を感じた。

 思い浮かばなかった訳では無い。キリカがエスカレーターに乗るのを阻止できなかった自分に情けなくなったのだ。

 

「でも中々良かったよ。まるで乙女を護る騎士だ」

 

「…騎士ってガラでもねぇな。ま、ありがとよ」

 

「あ、嬉しいんだ」

 

「評価してくれてんだろ。嬉しくて悪いかよ」

 

「ふうん…君も結構かわいいな」

 

 満足そうに笑い、じゃ、その可愛さ活かそうかとキリカは言った。

 言い合いながら歩いて進んだ先に、目的の場所があった。小洒落た名前と柔らかな雰囲気、男の侵入を阻む婦人服店がそこにあった。

 手前に煌びやかで繊細な衣服が並び、店の奥にも洗練された配置で衣服が陳列されているのが見えた。

 

「なぁ、やっぱ行かなきゃダメか?」

 

「何のためにここに来て、私を呼んだのさ」

 

「そりゃ買う為で、お前にはメシ奢るから買い物を頼もうかって」

 

「やーだーよーだ。私は君の面白い様を見たくて同伴を許可してるんだ」

 

 呼ばれた側でありながら、主客が逆になっていた。これは彼の落ち度である。

 そもそも、彼女を制御など出来ないのだ。

 

「行くぞ美少女顔。自分の顔に自信を持てよ。気になるんならあれでも見て、そしてこう思うといい。あれは君じゃない。君じゃないったら君じゃない♪」

 

 嘲弄するように励ますように、妙なリズムを口ずさんで彼に精神攻撃を行うとキリカはさっさと店内に入っていった。

 取り残された彼は横を向いた。キリカが「あれ」として指さした場所だった。

 そこには彼の身長よりも縦に長い鏡が置かれていた。入店時に客が自分の姿を確認するためのものだろう。

 映った自分の姿を見て眼を逸らし、また見た。決意のような声で

 

「行けるな」

 

 と彼は言った。吹っ切れたようだ。吹っ切れてはいけないような気がするが。

 そして店内。外から見る以上に柔らかく品の良い雰囲気が漂う中に、美少女な顔の野性味を帯びた美少年の姿が新たに加わった。

 先行く美少女の後に続くと、キリカは振り返り困ったような表情となった。

 

「うあ」

 

「なんだよ」

 

「ほんとに来たよ。君も勇気あるね」

 

 少し前の遣り取りなど、完全忘却しているキリカであった。

 なんだそんなことか、と彼も認識する。彼も彼で慣れたものである。

 

「吹っ切れたんだよ。どうせこいつは俺であって俺じゃねえし」

 

「結局、君じゃないか」

 

「まぁな」

 

 皮肉気にほくそ笑む彼。その様子がおかしいのキリカはきひっと笑った。

 

「客観性ってのが持てねぇんだけどよ、ほんとに俺は可愛いのか?」

 

「かなりのレベルだよ。さっきも言ったけど自信持ちな」

 

「そうかい」

 

 容姿を褒められているという事だが、流石に礼を言うのは憚るようだ。しかし胸に引っ掛かるものがある。

 それはやはりお礼言っといた方がいいのかなという思い。こういうところで人間性が出る男だった。

 

「じゃあさ、私はどうなのさ。君から映る私の姿は」

 

「可愛いな。あと綺麗だ」

 

 改めて確認するわけでもなく、即答で応えた。そうとしか思えないからだ。

 

「ふうむ」

 

「どうした?」

 

 左手の繊手を意味深に細顎に添え、キリカは意味深な声を漏らした。可憐なその姿は、謎に挑む小さな探偵を思わせた。

 

「君に褒められたってのに、なんか嬉しいな。これは発見だ」

 

「それ、俺はどうリアクションしたらいいのかね」

 

 言われたキリカも悩んでいるようだった。

 悪意ではなく、本当に褒められたことで感じた嬉しさが不思議であるらしい。 

 彼女は考えたが、結局分からなかった。歩きつつ店内の奥へ彼を導き、そこでふと彼に話し掛けた。

 

「そういえば君の陥ってる状況は不可思議だな。昔話諸共と総評して、少なくともロボアニメのキャラの所業じゃないな。どっちかと言えば私達、魔法少女の領域に近い気がする」

 

 「案外君は私らの同類かもね」とトドメのように言い放つ。

 彼の人生を、存在を全否定か上書きしかねぬキリカの発言である。

 彼女はこれに喰って掛られる事を予想した。そして彼がそうすることも期待している。

 先程から心に湧いた不思議な思いを、塗り潰してくれないかなと言う想いと共に。

 

「なるほど」

 

 対して返ってきたのは、以外にも程がある肯定の意思。

 誰だコイツ、とキリカは思った。

 これまでの関係で、彼とはある程度の融和をしつつ対立というか殺し合いばかりしていたのにと。

 

「恭順の理由を聞こうか」

 

「お前ら魔法少女の事好きだしな。ちょっと複雑だけどよ、同類って思ってくれんのはなんでか嫌な気分でもねぇ」

 

 そう言うと先行く彼女に並ぶ。既に両者の周囲には、まるで美しい蝶の標本のように陳列された煌びやかな女性用下着が広がっていた。

 

「じゃ、買い物すっか。頼むぜ、キリカ先輩」

 

 キリカが疑問を言う前に、ナガレは彼女に告げる。投げ掛けようとした問いは彼女の中で蕩けた。

 先輩の言葉は魔法少女としてか、彼にとっては今擬態中の女という存在に対してか。

 或いは単なるからかいなのか。しかし肩をぽんと叩かれたキリカは、悪い気分がしなかった。

 

 友人の分際で、と思うものの、美しい貌には半月以外の笑みが浮かんでいた。

 されど蕩けた問いは残っていた。

 「魔法少女の事が好き」。それは何故という疑問であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分後、彼は店の前にいた。左手にはこれも品の良い白色の紙袋が下げられている。

 商品の種類を悟られないようにするためか、婦人服ないし下着を思わせる趣の一切が無い袋だった。

 結局、買い物は無事に終わった。

 レジを通すときにも、更には大学生と思しき女性たちの一段とすれ違った時も異常だと思われなかった。

 強いて言えば、顔を数秒見つめられたくらいか。

 それは異性を警戒したのではなく、可愛らしい顔に見惚れてのそれであった。

 

 兎も角、目的は果たせた。

 替えの下着や彼女が使用しているものと似たホットパンツに、更には新しいパーカーも買えた。

 サイズに関しては彼の目測だった。常に殺し合っているが故、恐らくは測るよりも正確に分かるのだろう。

 魔法少女相手に間合いを読み違えると死につながるが故に、相手のサイズは否応なく本能で覚えてしまうようだ。

 実際の数字に当てはめられるのは、彼の趣味が異形の機械の製造であり、最近では鏡の結界内でロクでもないものを建造しているせい、そして本能や勘である。

 

 彼は今店の前で、往来の邪魔にならない場所に立っている。

 キリカはいない。買い物の最中、

 

「ちょっと外すね」

 

 の一言と共に、店の外へと消えていった。

 女性店員に「こんくらいのホットパンツ何処っすか?」と尋ねていたこともあり、彼はキリカを追うことが出来なかった。

 彼女の今を思うと、心配でならないのである。しかしながら、それは

 

「お待たせ~~~!」

 

 と間延びした朗らかなキリカの声で終わりを告げた。

 駆け寄る彼女のスカートは際どく跳ね、拘束を外された彼女もまた暴れるように揺れている。

 中々どころではなく、洒落にならない破壊力だった。

 例によってナガレは関心が無いため「うわ」と内心で呻いていたが、周囲で彼女の様子を見た男たちは明らかに動揺していた。

 それらが色気を帯びた視線をキリカへと送る様子に、

 

「このロリコンどもめ」

 

 と唾を吐き捨てたくなる思いを彼は抱いた。

 

「何処行ってたんだよ」

 

「えへへ」

 

 右手で後頭部を摩りながら、キリカは彼に寄り添うように傍らに立つ。

 その様子に察したか、周囲の男たちが消えていく。

 ザマァみろと彼は思った。どういった感情の元、そう思ったのかは彼にしか分からない。

 

「ちょっとね。あと、荷物を頼むよ」

 

「ああ」

 

 白い袋を開けると、キリカが持ってきたコンビニ袋程度の大きさの黒い袋を中に入れた。

 何なのかは分からないが、袋は妙に分厚く感じた。されど疑問はその程度で、彼は異論も無く彼女の荷物を受け持った。

 男なんだから当然と、考えるまでも無く身体と思考が動いている。

 

 それは相手が自分以上の剛力を発揮可能な魔法少女相手でも、なんら変わりはしない。

 戦闘の最中であれば、魔法少女は美しく強大で残忍な相手だが、それ以外では子供以外の何物でもない。

 これもまた、態々考える訳でもなく彼はそう思っている。

 

「んじゃ、飯でも食うか?」

 

 目的を済ませたら、やる事は一つである。無論、彼女も

 

「うん!」

 

 と返した。眩く輝く笑顔であった。

 

「じゃ、レストラン街のある上の階へゴーだね。先に行くよ!!」

 

「あ、おい!」

 

 しまったと彼は焦る。しかし時すでに遅く、彼女はエスカレーターに足を踏み入れていた。

 畜生と呟き、彼は急いで後を追った。

 先に示した通り、彼女はまだ下着を着用していないのである。

 

 

 

「おい友人、上昇如きで疲れるなよ。メイドインアビスでも観たかい?」

 

「疲れてねえよ。あと面白そうなタイトルだな、アニメか?」

 

「うん、今度貸してあげるよ。にしてもマジで辛そう。死ぬの?イっちゃうの?」

 

「全然平気だ、死なねえよ」

 

 そう言いつつも、両膝の上に手を置き身を少しだけ屈めているナガレ。

 その様子を、どこで買ってきたのかココアを飲みながら眺めるキリカ。

 

「苦っ」

 

 と評し、飲み終わった缶を持ってゴミ箱へと歩み寄り捨てる。

 苦いと評されてはいたが、缶には「糖分50パーセント増量中!」と健康志向とは真逆のキャッチコピーが描かれていた。

 

 戻ろうと振り返った時、そこにはナガレがいた。

 身長差故、顔ではなく彼の喉の辺りが彼女の目とかち合う位置だった。

 女そのものの声が示すように、喉仏の存在しない平坦で細い首だった。月明かりが似合いそう、キリカはそう思った。

 

「ぴゃっ!」

 

 思いつつ、変な悲鳴を上げて仰け反るキリカ。動じず、されど少しニヤつくナガレ。

 期待したより面白いリアクションだったらしい。彼も彼女に適応してきたか。とすれば恐ろしい男である。

 

「じゃ、行こうぜ」

 

「あ、友人襟首やめてって」

 

 これ以上離れると碌なことが無いと、彼はキリカの襟を掴んだ。

 軽く引き寄せた時、思わず呻きそうになった。

 張り詰めた胸を布地が引っ張り、巨大な二つの乳房を圧し潰す感覚が伝わったのだった。

 

 それはあまりにも肉感的で、まるで性行為の最中の愛撫を彼に思い出させた。

 しかしあくまでそれは連想であり、やはりそれ以上は抱けないし持ってはいけないものだと彼は思っている。

 重ね重ねだが彼は魔法少女を、未成年以下の子供を性の対象とは見做さないのである。

 

 そう言った事もあり、彼は手を離した。謝ろうかと思った時、虚空に伸びたままの右手を何かが掴む。

 細くしなやかな彼の指に、更に細い指が絡みつく。

 軽く力を入れたらどころか、少し手を傾けただけで折れそうな美しい繊手だった。

 そして実際に、幾度となく肉片へと変えた指であった。

 

「行こう、友人」

 

 左手で彼の手を握り、先導するように引っ張っていくキリカ。攻守が変わったと自覚し、軽く笑って彼も「おう」と告げた。

 

 

 

 その後手を繋いだまましばし歩いた。それは本当に少しの間で、どちらから離したともなく手は離れた。

 両者は今、複数の飲食店が並ぶ一角に辿り着いていた。

 そこは少し不思議な場所だった。喧騒が聴こえ、存在が伺えるがここは静寂が支配していた。

 少年と魔法少女の周囲には、シャッターを閉められた店が壁面の円形状の配置のままにずらりと並び、両者を取り囲んでいた。

 嘗ては賑わっていたのか、それとも当初から終焉の手に引かれていたのか、名残を惜しむかのように看板や外装はそのままにされていた。

 打ち捨てられた場所という事か。

 

 飲食店を目指していた二人が、何故ここに入り込んだのかは定かではない。

 なんとなく、退廃的な場所に惹かれたのかもしれない。

 彼は今の住処と似た静寂さと雰囲気を感じ、キリカは万物への興味を失せている死滅した世界観と同じ虚無の匂いを感じて。

 

 両者の視線は店を閉ざすシャッターに向けられていた。正確には、その表面を覆うものに。

 それは、複数の少女達の顔、顔、顔、顔。

 書き方の仔細は様々だが、「行方不明」の情報が共通している。

 

 それらがびっしりと、人の目線に当たる位置に所狭しと貼られている。

 注意してみれば、同じ少女の顔が幾つもある事に気付く。

 それが一人や二人ではなく、元の数の多さの相俟ってさらに膨大な数の顔を映した貼紙の群れとなっていた。

 

 こうなる理由はたった一つ、行方をくらませた少女達を求める者達の必死さの顕れである。

 勝者たる栄えた店が立ち並ぶ表通りではなく、敗者達の佇む、忘れ去られたようなこの場所に貼られているのはその必死さの一つか。

 或いはここしか貼る事が許可されなかったのか。

 

 彼はそれらを眺めるが、見知った顔は一つもない。

 しかし年齢的にはここ最近よく出逢う、というよりも人間関係の基幹となる連中とほぼ同じ。

 見た目や張り紙に記載された年齢が示す通り、凡そは第二次成長期の少女。

 人生これからと言った連中ばかりである。それが忽然と消えるなど、ロクなものである筈が無い。

 これらの原因の一つに、彼はどうしても思い浮かべてしまうものがある。

 

 魔法少女。

 日夜異形と戦う、美しき戦姫達。見ているだけでも分かる、戦わなければ生きていけず、生きるためには戦うしかない異形の生態。

 ある意味最も生物らしいとも言えるが、それを担うのはこれらの貼紙に貼られた年頃の少女達というのは、彼をしてもまともとは思えなかった。

 

 そして彼は傍らを見た。そこにキリカはいなかった。

 見渡すと、通路の奥に立つキリカを見た。通路の奥にも似たような景色が広がっている。

 忘れ去られた店舗たちに囲まれた中央に、彼女は立っている。そしてこちらと同じく、下げられたシャッターは広告板と化しているのが見えた。

 こちらよりも更に奥に存在する為か、その場所には闇に近い暗がりが広がっていた。

 

 そこへ彼は足早に駆け寄った。知り合いでもいたかと思ったのである。

 自分に出来る事はあるかという考えはない。

 こちらに背を向け、薄闇の中に佇む彼女を一人にしてはおけなかった。これは本能に近い行動だった。

 

 彼女の傍らに並び立つ。何が出来るかは定かで無いが、自分がいる場所が背後では意味が無い。

 彼女と同じものを彼も見た。そこにあったのは、異常な光景だった。

 貼紙は大量に張られている。それは変わらない。

 

 異様なのは、彼女の前の事柄だった。並ぶ貼紙は彼女の前で忽然と消失していた。

 正確には、彼女の前にある一枚の大きなポスターの周囲から。両者の目線の先にあったのは、薄闇の中でも分かる白の彩り。

 ポスターを染める骨を灰にしたかのような病的な色の一部に、緑の色が塗られている。

 

 それは絵画とその作者の署名が重ねられた繊細なアートであったが、彼にはイマイチ理解が出来なかった。

 それでも眼を引く程度の関心が彼にはあった。芸術性ではなく、これから感じる異様な気配を読み取ったのである。

 

 それは不吉な想いであった。偏執で、何かに狂ったような。それ以上の何かのような。

 絵の下には「あすなろ現代美術館」と記載されていた。場所やこの絵面からして、展覧会の告知用ポスターらしい。

 その更に下には、展覧会の名称が描かれている。

 彼は最初のAの文字を読んだ。その時だった。

 

「あ」

 

 キリカが呟いた。黄水晶の目は、ポスター全体を凝視していた。

 その瞳に異常さを感じた。全てを虚無として見る彼女の瞳が細かく震えている。こんな姿は見たことが無かった。

 

「おい、キリカ」

 

 声を掛けた瞬間、それが切っ掛けだったのか。

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 キリカは声を挙げた。音自体は大きくない。

 されど、嘔吐のように何かを内側から吐き出すような声だった。

 その間も彼女は前を凝視している。

 狂ったように。

 

 

 そこで、彼は新たな気配を感じた。

 周囲の闇が濃さを増し、両者を包んでく。風が吹き付け、そこに乗せられた感情が肌を刺す。

 形を成した悪意、絶望の象徴。

 この世界の邪悪の象徴たる存在、魔女が顕現する。

 そして開かれた異界が、二人を飲み込んでいく。

 

 










平和が長続きする筈も無く


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑤

 奇怪な叫び声。號と吠えるような金切り音。そして鋭い切断音。

 これらがほぼ同一のタイミングで発生し、それに少し遅れて吐き気を催すような暗緑の液体が地面で弾ける落下音が聴こえた。

 それは次々と連鎖し、極彩色で彩られた異界の中に異形の花を咲かせていく。

 

「不味そうな魚だ」

 

 漆黒の大斧槍、牛の魔女を小枝かナイフの如く軽々と振り回しながら、ナガレは言った。

 疾走しながら魔なる大斧を振り回す様は、まるでそれによって飛行する異界の悪魔か天使に見えた。

 美しい少年の姿をした天魔の贄として命を奪われていくのは、彼が評した通り魚に似た姿をした異形であった。

 

 大きさは長さ一メートル少々、鈍色の滑らかな円錐形をした切っ先に続く胴体を鱗状の装甲が覆い、終点ではイカやタコに似た赤い触手が尾鰭のように揺れていた。

 それらが音速に近い速度で飛翔し、彼の元へとあらゆる方向から接近していく。

 そして今も、地を蹴って飛翔した彼の周囲を異形の魚たちがぐるりと取り囲んでいた。距離は既にメートルの単位を切っている。

 対する彼は、

 

「遅ぇ」

 

 と呟くや斧槍を縦に横に、斜めにと閃めかせていく。空中で緑色の死の柘榴が破裂し、毒々しい色を宙にブチ撒ける。

 その中を器用に潜り抜けて落下し、彼は再び前へと走る。

 彼の脚力は人類のそれを越えているが、手に持った牛の魔女が彼に更なる力を与え、風の如く疾走を可能とさせていた。

 消費される魔力の贄は、今薙ぎ払われた者達の血肉である。

 

 斧の中央にある孔に異形の血肉が渦を巻いて吸い込まれ、魔女に喰われて魔力へと変換されていく。

 同胞の眷属を喰らい、主に力を与える事で更に死を産み出していく救いのない連鎖。

 罪悪感などある筈も無く、魔なる女は満足そうに金属の輝きを刃に宿し、主たるナガレへと惜しみなく力を捧げていた。

 

 再び迫る生きた魚雷を、彼は再び一閃の元に下していく。

 弾ける体液と砕ける肉片、それが牛の魔女へと吸い込まれる渦の更に奥。

 彼が目指す場所では、黒い嵐が吹き荒れていた。

 黒嵐は殺戮と絶叫と、そして美しい少女の姿で出来ていた。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 絶叫しながら両手を振う呉キリカ。

 白い手袋で覆われた繊手、その根元である手首から、彼の握るものと同種の得物が発生していた。

 それは赤黒い輝きを放つ、牙のような獰悪な形状をした斧だった。

 長さ五十センチに達するそれが一つの手につき五本、計十本の禍々しい斧が黒い奇術師風の姿となったキリカの手首から生えていた。

 それが振られる度、宙で緑が弾けた。六つに砕けた肉片が更に刻まれて微塵となり、異形の体液も吹き散らされていく。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 叫びながら、暴風と化して荒れ狂うキリカに向けて無数の使い魔が飛翔していく。

 されど一体として彼女の元へは辿り着かず、無意味な肉片と血飛沫と化す。

 荒れ狂うキリカの周囲で、奇怪な現象が生じていた。宙に撒かれた残骸は落下せず、そこに残り続けていた。

 呉キリカの固有魔法、速度低下の発露であった。

 

 彼女の全身から放射される魔力が使い魔を捉えて歪んだ時の流れの中に拘束し、彼女はそれを片っ端から刻んでいった。

 キリカ自身の持つ禍風の如く凄まじい速度と相俟って、彼女は正に無敵と化していた。

 しかしナガレはその様子に、不吉なものを感じていた。

 狂気に浸っている彼女だが、この狂気は違う。

 彼女の意思で狂ったものではなく、狂わされているものだと彼は思った。荒れ狂う力の発現の様子に、身に覚えがある故に。

 

「キリカ!」

 

 使い魔の一団を切断し、彼がキリカへと駆け寄る。

 殺戮が一段落し、キリカは両腕をだらりと垂らして猫背の姿勢で立っていた。

 彼女には、一滴の返り血も付いていなかった。身に迫る全てを暴風として跳ね除けたからだ。

 いま彼女の傍らに立つ彼は、この結界へと招かれてから初めて彼女に受け入れられた存在だった。

 結界が発動した瞬間、変身したキリカは振り向きもせずに只管に前へと走っていった。そしてようやく追いついたのが今だった。

 

 名を呼ばれた彼女は、ゆっくりと彼へと振り返った。

 

「ああ、ああああ、あ……ゆう…じん」

 

 振り返ったキリカは、彼が知るキリカのどんな様子とも異なっていた。

 

「それ、外れるんだな」

 

 その姿を見て感じた喉の呻きを堪えつつ、彼はそう尋ねた。

 

「もちろんさ。わたしのからだのいちぶだからね」

 

 童女のような柔らかい口調で話すキリカ。斧を出したまま右手を掲げ、斧の切っ先で顔を指す。

 切っ先の先端は彼女の顔の右半分に向けられていた。そこには彼女の白く美しい素肌と眼があった。

 普段は魔法少女と化したキリカの右目を覆う眼帯が外され、彼女の素の部分が晒されていた。

 

 しかし、そこに異常があった。美しい黄水晶の瞳が、異様な動きを示していた。

 左右で異なる位置に、まるで撞球のように眼球内で上下左右にと全く止まらずに狂ったように動いている。

 

 表情もまた異常だった。キリカとしては、普段の春風のような朗らかな笑みを浮かべているつもりだろう。

 しかし美しい表情が刻んだのは泣き笑いのような無残な表情。

 まるでキリカの笑顔を紙に書き、それをぐしゃぐしゃにしたかのような。

 何らかの悪意によって、彼女の存在を否定すべく歪めたような笑顔であった。

 

 口の端からは黄色い液体が垂れ、顎を伝って彼女の豊かな胸に押し上げられた赤いネクタイを濡らしていた。

 異形の体液が放つ悪臭を貫くように、酸の匂いがそこから伝う。唾液ではなく胃液であった。

 絶叫と胃液を吐きながら、彼女は使い魔と戦っていたのだった。

 

「お前」

 

 大丈夫かと伝える積りだったのかもしれない。言った時、彼は左拳を強く握っていた。

 彼女の答えが何であれ、彼は彼女の腹あたりを殴打する積りだった。

 明らかな異常事態に、彼は結界からの一時退却を選択肢として選んだ。その間に自分が魔女を仕留めると。

 乱暴な解決策だが、キリカ相手にはこうでもしないと足止めにもならない。

 それこそ、背骨を完全に圧し折るなどでもしなければ。

 

 その結果が出る前に、両者を激震が襲った。地面が砂糖菓子のように割り砕かれ、一気に隆起する。

 割れた地面を更に砕き、巨大質量が迸った。それは両者の間を裂く様に、醜い姿を顕した。

 それは内臓疾患を思わせる赤紫色の、太さ一メートルに達する巨大な触手であった。

 使い魔のそれと似て、更に醜悪にさせた疣を連ねた頭足類の触手だった。地面を砕いた触手は、真っすぐにキリカへと向かって行った。

 

「キリカ!」

 

 斧を携え触手に向かって走りながら、ナガレは彼女の名を叫んだ。その彼へと、触手が方向を変えて向かった。

 眼前に広がる醜悪な壁に、彼は斧を振った。凄まじい力と粘着力が斧を包んだ。

 あらゆる魔女を切り裂いてきた魔斧が、触手の表面で止められていた。

 

「うるぁああ!!」

 

 魔獣の咆哮を上げてナガレが両手に更なる力を込めた。牛の魔女もそこに力を加え、膂力が一気に増大。

 振り切られた斧は触手を切断し、断面からは夥しい出血が溢れた。

 使い魔のそれよりも、更に色濃い緑の体液が迸る。その色に彼は嫌悪感を覚えた。

 気持ち悪さではなく、ある存在と似た色彩である為に。

 

 だがそれさえも一瞬で焼却し、彼は触手で覆われていた視界の先を見た。

 砕かれていく地面が波打つ海面のように揺れ動く中、キリカはただ静かに、割れた地面の上に立っていた。

 縦横無尽に動いていた黄水晶の瞳が停止し、ある一点を見つめている。

 視線の先には、緑色の体液を吐き出す異形の触手。

 それが引き戻されていく場所へと、キリカは視線を送っている。彼には、キリカの視線は緑の色を追尾しているように見えた。

 そして、触手の根元が吸い込まれた地面が一気に隆起し、破裂するように破片を宙に吹き上げた。

 

 顕れた魔女の姿を言葉にすれば、家一軒ほどの大きさの超巨大なオウムガイと云った処か。

 老樹を思わせる黒茶色の甲殻、整えられたまつ毛を生やした無数の巨大な眼球が、巻き状の貝殻の下部に開いた穴から覗いている。

 花束の様に束ねられた無数の眼球の中の瞳の色は緑一色であり、それがキリカとナガレを見つめていた。

 

 そして無数の目が一斉に瞬いたとき、人間一人ほどもある眼球を押し退け、その奥から無数の触手が放たれた。

 先に切断したものも混じっているのか、緑の鮮血も触手の噴出と共に迸る。

 視界全てが赤紫色の触手という、常人なら瞬時に精神を破壊されて狂わせられかねない地獄絵図。

 しかし、魔なる者達は退かない。

 

「行くぞ、キリカ」

 

「もちろんさ、いこう、ゆうじん」

 

 もう退避など間に合わない。ならば撃破し生きて帰るのみ。

 ナガレはいつも通り真っ向から魔女へと向かう。異形を喰らう更なる異形、異界での呼び名の一つである竜の戦士であるかのように。

 キリカは常と異なる狂気の表情と叫びを挙げて、手の甲から生えた異形の斧を禍鳥の翼の如く広げて、飛翔するように触手の群れの上空へと跳んだ。

 自分が持つ狂気以外の狂気に侵され、更に狂った最中であっても、呉キリカの姿は美しかった。

 

 

 

 

 

 

 













呉キリカさんの可愛さと美しさ、そしておぞましさを描いていきたい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑥

拙文ながら、冒頭よりグロテスクなシーンが展開されております
閲覧にはご注意願います























 闇が広がる。底の無い洞の中に広がる様な黒い闇が。

 

 されど闇の中にはいくつかの光があった。

 

 それはある存在に向けて光の矛先を向け、焙る様な熱量で以て照らしていた。

 

 照らされたものは熱さの他に、背中に広がる冷たい金属の感触を味わっていた。

 

 しかし、手足の感覚は無い。

 

 胴体と繋がっていないからだ。

 

 両脚は膝から下が無く、両腕は肩から先がない。

 

 骨と肉と黄色い脂肪が見える断面は乾き、赤黒い血が薄い瘡蓋のように固まっていた。

 

 いつもは邪魔に感じる大きな胸も今は無い。根元近くから切り取られ、中に詰まった黄色い脂肪の並びが見えた。

 

 赤い肉の壁を隔てて、黄色い粒が並ぶ様は取り出された魚卵にも見えた。

 

 滲む脂と体液が混ざり、てかてかと濡れた輝きを見せている。

 

 四角く硬い枕が後頭部に敷かれ、顎を引かせられているが故にその様子がよく見えた。

 

 その先の、痩せぎすゆえに腹筋が浮いた腹は、白磁の如く白い肌を…見せてはいなかった。

 

 そこに広がるのは、鮮烈な赤と暗い黒。白い肌は裏返しにされ、腹腔の内側の赤を見せていた。

 

 左右から伸びた幾つもの金属の爪が肌と肉を貫いて固定、それに繋がる細い鎖は上空を伝い、闇の奥へと消えている。

 

 左右に広げられて開腹された腹の中は、空だった。本来収まっている筈の大腸や小腸、肝臓や膀胱までもが消えていた。

 

 正確には、ほぼ空と言った処か。

 

 たった一つ、彼女の最後の尊厳を示すようにただ一つの臓器というか、器だけが残っていた。

 

 そこに、闇の中から手が伸びた。

 

 彼女の肌とは異なる白、灰のように白い手だった。

 

 但し、白いのは黒い綿状のリングを巻いた手首より手前だけ。

 

 骨のように細い指も、肉食獣の牙の化石のように鋭い爪も、赤黒い血と照り光る脂で濡れていた。

 

 手首に撒いたリングには、それらがたっぷりと染み込んでいた。

 

 まず右手が彼女の腹腔に入り、次いで左手が肉の壁を押し広げる。

 

 苦痛と嫌悪感に犯される意識。

 

 芋虫も同然の状態で震える身体を、闇の中から伸びた複数の手が拘束する。

 

 左右に振られる顔も強引に前へと固定され、激痛と嫌悪感の源泉を見せられる。

 

 ぶちぶち、みちみち、めりめり、めきめきという音が鳴る。

 

 何かを抑え、そこから何かを引き千切っている。

 

 音に混じって、複数の少女の声がした。

 

 はぁ、はぅ、うぅ、あぁ…。

 

 それらは陶酔と羨望の響きを宿した、熱に濡れた吐息であった。

 

 暴れる彼女を抑える者達が漏らした吐息が、闇と閃光、そして血臭が交差する室内に満ちる中、腹腔から手が抜かれた。

 

 血を垂らしながら、開いた腹腔の上にそれが引き上げられた。

 

 更に血と体液に染まって深紅と化した両手の先は、人差し指と親指で小さな膨らみを有した細い管を摘まんでいた。

 

 それは左右に一本ずつあった。

 

 そして管は中央へと伸びていた。それは、彼女の。 

 

 

ハイ、見えるヨネ?コレがアナタの

 

 

 血で濡れたそれを掴む者が声を発した。

 

 美しいが、粘着質な声色の少女の声だった。

 

 もしもウイルスや病原菌が意思を持つのなら、こう言った声を出す。

 

 そう思わせてしまうような、毒々しさを帯びた声だった。

 

 

 その声と共に、光景が変化していく。

 

 地獄のような悪夢から、現実へと。

 

 地獄のような現実に、世界が置き換わっていく。

 

 その寸前、緑の色が視界に広がった。

 

 それは人の姿をした地獄であった。

 

 半月の笑みを浮かべて、彼女の肉の袋を摘まむのは、緑の長髪を腰まで垂らした少女。

 

 軍服風の姿をした、緑の瞳と髪と、黒いネクタイの首元に緑の宝玉を嵌めたその者の名は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 少女が叫び、両手から生えた斧を振る。

 迫り来る巨大な赤紫の触手が切断され、毒々しい緑の体液が吹き上がる。

 頭足類の吸盤に似た疣がびっしり生えたそれは地面に落下し、魚のようにびたびたと跳ねて緑の体液を撒き散らした。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 緑の飛沫を貫いて迫る触手が、またも切断。

 呉キリカによる、猛烈に回転する独楽のような動きに伴って行われる斬撃によって、切断に切断が重ねられる。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 全く同じ音で、全く同じ長さの声だった。まるで機械に録音され、繰り返されているかのような。

 そして叫びというよりも、声が溢れると言った方が近い。

 声の大きさは大したことが無く、震えてもいない。

 ただ、声が吐き出されている。

 傷口から血液が垂れ流されるように。

 

「あ」

 

 ふと、何の前触れも無く声は停止した。斬撃も止まり、キリカの長い両腕がだらりと下がる。

 美しい顔も下を向いていた。普段の眼帯が外され、彼女は両眼で世界を見ていた。

 黄水晶の眼の先には、異界の地面があった。

 切断されて横たわる巨大な触手から溢れる緑の体液が、海の如く広がっている。

 

 彼女はそれを見ていた。自らが触手を切り裂いて生み出した、緑の色を。

 ただ見ていた。瞬きもせずに。

 好機と見たか、再び触手が彼女に迫る。その時だった。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 先程とは打って変わり、キリカの口からは絶叫が迸った。無数のガラスを一度に砕いたかのような、破壊的な叫びだった。

 

「アアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 叫びのままに、キリカは廻る。そして破壊の叫びに相応しい暴虐を、彼女は魔女の触手に与えていた。

 全方位から迫っていた触手が千々と千切れていく。

 迸る緑の体液さえも切り刻み、黒い魔法少女が叫びのままに疾走。触手の根元へと駆けていく。

 

 触手を迸らせるは、家屋に相当する巨大な異形。古代生物であるオウムガイによく似た姿の魔女であった。

 直径一メートルに達する触手の根元、巻貝状の殻の口には花束の様に束ねられた無数の眼球があった。

 緑の瞳を宿した眼球を押し退け、眼球と眼球の間からは細い管が伸びていた。

 

 赤紫の管は眼球から数メートル離れた位置から急速に膨張、直径一メートルに達する巨大な触手と化した。

 切断された触手の根元の管は萎み、数秒と経たずに砂のように崩れ落ちた。

 だが同じ場所からは再び管が伸び、それもまたある程度伸びると一気に触手として成長した。

 その間に、彼女は準備を終えていた。

 両腕の手首のブレスレットに莫大な魔力が宿る。そして。

 

「ウウウァァァァアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 狂気の叫びと共に、両腕が振りかぶられて降ろされる。そして彼女の両手から赤黒く輝く連なる魔斧が、吸血の牙が迸った。

 普段なら高らかに叫ばれるヴァンパイアファング。

 されど今のキリカの口は絶叫しか紡がない。

 

 叫びの最初に、ほんの僅かに生じた発音の差異が技名の名残だろうか。

 振り下ろされた二本のヴァンパイアファングは迫る触手をズタズタに切り裂き、遂には触手の根元へと到達した。

 ファングの着弾と同時に生じたのは、陶器が割れたような硬質な音だった。

 見れば、赤黒い斧は巻貝状の魔女の胴体に着弾していた。

 

 触手は自分達を斧の贄とし魔詰めを逸らし、本体への直撃を避けていた。

 更に甲殻は堅牢であり、ヴァンパイアファングの貫通力を以てしても体内への穿孔は長さ二メートル程度に終わっていた。

 そして着弾とほぼ同時に、両手が塞がった彼女の元へと何かが飛来した。それは、彼女が切り裂いた触手の中から生じていた。

 

 ばちんという破裂音が鳴った。切り裂かれた触手の中から発生したのは、更に小さな触手であった。

 触手の破片を根元として生じた、半分程度の太さのそれはキリカの胸元を薙ぎ払っていた。

 空中に白と黒の衣装の破片、そして肉と骨と、黄色い粒が散った。

 粒とは、彼女の豊かな胸の中に蓄えられた脂肪であった。

 触手の一薙ぎは彼女の胸を破壊し、肋骨の大半をも削り取っていた。

 

 破壊はそれだけに留まらず、腹の皮もごっそりと消し飛ばしていた。腹腔が外気に晒され、白い湯気を立てた。

 不幸中の幸いか、胸から腹にかけてに開いた傷から覗く肺や心臓。

 腸といった臓物は損傷せず、奇跡的に彼女の内側に収まっていた。

 

 しかしその奇跡をあざ笑うように、更にもう一本が彼女へ迫る。その切っ先は彼女の美しい顔へと向かっていた。

 更には最初のものも彼女へ向き直る。次の瞬間には、彼女の臓物が異界に飛び散る筈だった。

 

「キリカァァァアアアア!!」

 

 彼女の名を呼ぶ声と共に、巨大な斧槍による斬撃が触手たちを両断しなければ。

 

「あ」

 

 その者の姿を見た時、キリカの叫びは止まっていた。

 横に一閃された大斧槍。それを翼のように水平に構えた少年の身体は血に塗れていた。

 自らが体内から流した赤いものと、異形から浴びた緑のもので。

 

「ゆうじん」

 

 童女のような声で、キリカは彼の呼び名を言った。

 

「悪い、雑魚退治に手間取った」

 

 そう告げた彼。そして今この世界から、使い魔達は絶えていた。

 魔女とキリカが対峙していたこの場所から少し離れた場所では、古代魚に似た無数の使い魔が残骸となって転がっていた。

 生きた弾丸、或いは弾頭であるこの使い魔を彼は牛の魔女を介して呼び寄せ、キリカが魔女と一対一で戦う場を与えたのだった。

 この役割を担った事を、彼は逃げだと思っていた。

 

 しかしながら、彼の全身は切り傷に覆われ、背や脇腹は古代魚の突進によって抉られていた。

 更には右足の爪先が吹き飛び、脛からは肉が裂けて骨が覗いている。

 数体までなら問題ないが、数十、数百を超える群れで音速飛翔する生体魚雷を一手に引き受けての戦闘行為が逃避である筈が無い。

 

「だいじょぶさ、ゆうじん。だって、だって、きみと、わたしは」 

 

 無残な姿で、笑顔でキリカは告げる。普段の朗らかな表情ではなく、泣き笑いのような無残な顔で。

 

「任せろ」

 

 異常な状態にあるキリカへ彼はそう告げた。キリカは小さく、「うん」と返した。

 何が起きているのか分からないが、その返答を彼は酷く無惨に感じた。

 呉キリカと言う存在が、消えてしまったように思えたのだ。

 

 だが、彼女はここにいる。傍らに立ち、共に戦っている。

 余計な事を考えるんじゃねえぞ馬鹿野郎と彼は自分を罵り、今遣るべき事を成すと決めた。

 

 雑魚は一掃し、触手はキリカが薙ぎ払った。ならばこれが使える。

 手に握る斧槍を地面に突き刺し、彼は叫んだ。

 

「うぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 腹の底から、彼は叫んだ。叫びに呼応し、斧槍から黒い靄が迸り、彼の身へと張り付いた。

 それは牛の魔女の義体、牛と人間を合わせた姿であった。

 それが彼と重なるや、ナガレは両掌をかち合わせて一気に開いた。開いた掌同士の間で、紅い光が迸っている。

 掌を再び近付けると、雷のように迸っていた光はバスケットボール大の光球と化した。

 そして。

 

「りゃああああああああああああああああああああああああ!」

 

 絶叫と共に、彼はそれを両掌で抱えたまま腰の右側へと引き寄せ一気に前へと右手を突き出した。

 投げ出された光球は空中を跳ねる様に動いて飛翔。

 再展開されていた触手が阻もうとするも容易く貫き、オウムガイの下部へと激突した。

 その瞬間、真紅の光が被弾個所から迸り、オウムガイの巨体の半分近くを球状の光が包み込んだ。

 光の内側では触手を貫いた熱量が暴れ狂い、堅牢な甲殻の表面が高熱と噴き上がる猛風によりはらはらと剥離していくのが見えた。

 

「やれ!!キリカ!!」

 

「うん、ありがとう、ゆうじん」

 

 そしてキリカも為すべきことを成した。高熱で蕩けた体内を、ヴァンパイアファングが駆けた。

 吸血の牙が縦横無尽に暴れ狂い、堅牢な甲殻の内側を切り刻んでいく。

 やがて牙は獲物を捕らえた。無数の眼球が、無数の緑色の瞳で自らの体内を刻みながら迫り来る牙を見た。

 

 そして獰悪な牙は容赦なく、その切っ先を緑の瞳へと突き立て切り裂いた。










邪悪さを少しでも表現できていたらと思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑦

 炸裂する光の中を、魔爪が駆け抜けていく。異形の肉を切り裂き、内側から湧き上がる悲鳴も貫きながら。

 そして赤黒の爪が抜け出た。オウムガイ型の外見をした魔女を内側から切り刻み、その姿を数百の肉片へと変える。

 魔女の正面に突き立てた刃は体内を巡り、崩壊していく魔女の頂点より垂直に抜けていた。

 呪わしきものに怯えて離れていくかのように、ヴァンパイアファングを支柱として、魔女の巨体が崩れていく。

 

 家一軒ほどもある巨体を貫いた頂点には、無数の眼球を花束のように纏めた異様な肉塊があった。

 キリカの両手から伸ばされたヴァンパイアファングがそれを貫き、絞首刑台に乗せられた囚人のように晒し上げていた。

 崩壊する魔女から滂沱の如く緑の鮮血が迸り、またその身に叩き込まれた高熱の名残を帯びて黒々と変色していく。

 

 熱とはナガレが従えた魔女の力を借りて、彼が右手で放った太陽の如く真紅の光球であった。

 それは魔女の堅牢な外殻を高熱により脆弱化させ、内側の肉も蕩けさせた。

 硬度が低下したそれを、先に突き刺さり装甲で止められていた二本のヴァンパイアファングが貫き、体内から蹂躙したのだった。

 勝利に一役買った彼ではあるが、その代償は安くなかった。

 

「ちっ」

 

 舌打ちと共に彼の身体が揺れた。

 魔女の力を借りた際に身に纏った、彼女の義体である黒靄が絹のように滑り落ちて雪のように消える。

 露わになった彼の姿は無残なものだった。

 数千度を超える超高熱を制御した両手はほぼ炭化し、手首の辺りまでが真っ黒な炭の色と化している。

 両手の小指と薬指に至っては消失し、その他の指も親指を除いて爪先が消えている。

 

「生身でストナーの真似事やんのは、ちょっと無理があったか」

 

 肘から肩に掛けては火傷が生じている。

 こちらは焼いた燻製肉が脂で濡れる様に、滲んだ体液の滴りによって桃色と薄黄色に濡れていた。

 それ以外にも上半身からは複数の白煙が昇り、シャツの内側では肉が焙られていることが伺えた。

 

 苛む苦痛が意識を焼き、膝は支えを求めて地へと向かい掛けるが強引に伸ばして直立を維持する。

 地獄の苦痛の中のささやかな安楽を拒絶するのは、彼の意地に他ならない。

 また更に、自分よりも遥かに上の傷を負った魔法少女が近くにいるためだった。

 

 魔女の触手で胸から腹までを薙ぎ払われ、皮と肉を剥がされて内臓を外気に晒した無惨な姿で呉キリカは立っていた。

 巨大な傷口から滴る血は、短いスカートから伸びた太腿を赤く染めている。

 嘗て彼女は似た事例に陥った時、その様子を「経血の大河」と評していた。

 

 今はそこに、黄色い粒も付着していた。注視してみれば、キリカの身体の至る所に細かな黄色の粒を認められた事だろう。

 それは、彼女の乳房が弾けた際に撒き散らされた脂肪だった。

 胸のサイズが大きいゆえに、蓄えられた脂も相当の量だった。

 それらがまるで虫に植え付けられた卵のように、死体じみた姿となった彼女の体表に浮かんでいる。

 

 それらを全く気にしていないかのように、キリカは両腕を軽く一振りさせた。

 長さ数十メートルに伸びていたファングが彼女の手の甲に巻かれたブレスレットへと格納される。

 そしてキリカから見て数歩先に、軽自動車ほどの大きさの肉塊が落下した。

 

 生臭い生命の色を思わせる緑の血と、熱で焼かれた黒い血が合わさる汚泥のような血の海の上に落ち、緑と黒の混合液を跳ねさせた。

 跳ねた液体を、キリカは躱そうともせず正面から受けた。

 血で染まった美しい顔と濡羽色の髪、彼女のイメージカラーの象徴でもある黒い衣装。

 そして露出した鮮やかな桃紅色の内臓を緑と黒の汚液が穢した。

 熱を失い始めた緑と、熱湯の温度を持つ黒が彼女を犯す。

 

「…ふ………ぅ」

 

 複数の色の斑模様となったキリカ。

 その前に転がる魔女の本体。

 

「ふ……う………ふ……う」

 

 それを前に呼吸を繰り返すキリカ。

 黄水晶の瞳は魔女を見ておらず、丸い靴の爪先を見ている。

 

「う、う、う」

 

 何かを言おうとしているのか、鮮血色の唇が震える。

 ぐちゅりという音がした。反射的に、キリカはそちらを見た。

 そこに広がっていたのは、緑、緑、緑、緑。

 

 触手が弱弱しく持ち上がり、その先端にある無数の目がキリカを見ていた。

 ヴァンパイアファングにより潰れたり切断されたり、高熱で白濁したものも多かったが、教室の黒板に匹敵する面積で以て無数の眼球が広がっていた。

 その緑を彼女はゆっくりと見つめた。

 

 魔女とて何もしなかったわけではない。

 瀕死ながら、いや、瀕死故に最期の力を振り絞り、眼の前の醜く美しい姿の魔法少女を更に美しく醜い肉塊へと変えるべく眼球の内側で触手を形成していた。

 次の瞬間には無数の触手が放たれ、キリカの全身は血肉と骨と汚物の微塵と成る筈だった。

 しかしそれは眼の内側で切っ先を尖らせたのみで終わり、終ぞ外界を拝むことは無かった。

 彼女から生じる固有魔法、速度低下が魔女の動きを止めていた。

 

 キリカは魔女を見ていた。

 魔女もキリカを見ていた。

 自分の天敵である魔法少女の眼を。

 黄水晶の輝きの中には、ただ虚無があった。

 虚無の目で、彼女は魔女を見ていた。

 

 その虚無が鏡の如く、無数の緑を映していた。

 黄水晶の色は緑に染められていた。

 魔女はそれを見た。

 そしてそれが、魔女が最期に見た光景となった。

 閉ざされる寸前に映ったものは先程自分を切り裂いたものと同じ形の、禍々しい五本の赤黒。

 それに引き裂かれて千切れる己の姿。

 

 全ての眼球が機能を喪い、魔女は崩れ落ちた。

 しかしその状態で、まだ微細な動きを繰り返している。

 キリカの速度低下が継続しており、崩壊が押し留められていた。

 もう助かる見込みも無く、反撃の手段も絶えている。

 ただ苦痛が伸ばされているだけの、絶望的な命の延長だった。

 

 ビクビクと蠢く魔女からは、ゆっくりと体液が流れていく。

 切り裂いた際に彼女へと飛来した返り血により、キリカの姿はより緑が濃くなっていた。

 心臓の表面に緑が映え、緑の奥で赤い心臓が脈動する。

 とぐろを巻いて腹に収まる消化器官の皺の上に緑が染み入り、まるで黴に覆われているような趣を彼女の臓物に与えた。

 割れた肋骨や肉の内側、他の臓器も似た有様を晒していた。

 今のキリカの姿は、腐り果てて粘菌の苗床となった死骸と、鼓動を続ける生者の間に立っていた。

 

「気は済んだか」

 

 尋ねるのとは違う言い方で、彼はキリカに話し掛けた。

 キリカが瀕死の魔女を無意味に切り刻む事は珍しい事ではなく、今回もその一環だと思っていた。

 しかしキリカはトドメを刺した程度で、以降の動きを見せなかった。

 いつもなら行う無意味な死体損壊をしない事が、却って彼女の今の異常さを示していた。

 

 身に降り掛かる速度低下を、炭化した指で器用に掴んだ斧槍型の魔女に分解させつつ彼女の背後に立っている。

 魔女が反撃に移った際、即座に始末する為である。

 速度低下魔法への対処の為、彼の肉体の回復は後回しにされていた。

 

「うん。まんぞく」

 

「そうか」

 

 短い遣り取りだが、彼にはキリカの異常が続いていることが分かった。

 どうすべきかと彼は思った。このままの状態が良い訳が無いが、かといって結界から外に出したら何が起こるか分からない。

 一人の魔法少女が狂乱に陥り力のままに暴れ狂えば、商業用施設など十数分程度で巨大な棺桶と化す。

 

 これは結界の中にいるうちに決着を着ける必要がある、彼はそう思った。

 だが、その手段が思い浮かばない。

 出来る事はとすれば、話をしてやることぐらいかと。彼女の友人として。

 そう思った彼が口を開こうとした、その時だった。

 

 

「うえええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇえええええっ」

 

 キリカの細い身体がほぼ直角に曲がるや、彼女の膝が崩れ、両手が地面に着いた。

 そして悲痛な音が彼女の喉から鳴り響く。

 その音を押し退ける様に、黄色い液体が酸の香りと共に可憐な口から吐き出されていく。

 吐き出された胃液には赤みが混じり、更に未消化の固形物が幾つか観られた。

 それは、彼女が彼から与えられたドーナツの成れの果てだった。

 

「あ、あ」

 

 今も止まらずに吐き出し続けていく中、キリカは言葉のような声を出した。

 黄水晶の虚無の目は、魔女の血と己が吐き出した体液の海に沈む焼き菓子を見ていた。

 

「ああああああああ」

 

 叫ぶように声を連ねると、キリカは身を屈めて地面に這いつくばる様な姿勢となった。

 そして白手袋で覆われた繊手を必死に広げ、吐き出したものを集め始めた。

 そうして出来たのは、小さな堆積。

 胃液と異形の血と溶けかけのドーナツで作った小さな山だった。まるで幼子が砂場で作る児戯のような。

 

 彼女はそれを啜った。両手を口の隣に置いて、まるで地面にキスをするような姿勢となり、吐き出したものを一滴も漏らさないように。

 それらを飲み込んだ瞬間、キリカは再び吐いた。

 吐しゃ物が地面から跳ね返り、彼女の顔と、開いた傷口と内臓に塗りたくられた。

 

 それを見た彼女は、再び吐いたものを集めようとした。

 

「やめろ」

 

 伸ばされた手に交差するように、彼女の両脇に腕が差し込まれた。

 その際に彼が発したのは、唸り声のような声だった。

 静かだが、反抗を許さない響きがあった。

 後ろから彼女を拘束したまま、彼は立ち上がった。

 小柄な少女に、彼女よりは幾らか大きい少年が寄り添う。

 

「や」

 

「ん?」

 

 キリカが何かを呟いた。

 彼が怪訝な声を出したのは、自分が聞いたことのない声の出し方だった為だ。

 

「や、やや、ややややや」

 

 異常なキリカの更なる異常が続く。

 彼の腕の中、彼女は慌てていた。

 

「や、めて……は、は、は、は、はず、はずか、しい」

 

 見ればその血と体液と脂で汚れた頬に、薄い赤みが見えた。

 羞恥の色だった。

 

「何でだよ」

 

 彼は聞き返した。

 離す事は出来ないが、話すことは出来るとしたのだった。

 

「お、おおお、おとこの、ひとに」

 

 たどたどしく喋るキリカ。それはまるで別人のようだった。

 

「かかかから、からからら、からだ、さわら、さわられれ、れるの……は、は、はず…かしい」

 

 確かに、理屈は通っている。

 その様子に、彼も従うべきだと思った。

 が、確認する事があった。

 

「ちなみによ、そしたらお前は何をするんだ?」

 

「うん。もちろん」

 

 またしても口調が変わっていた。というよりも、先程からの童女風に戻っている。

 

「ちゃんと、たべるよ。ぜんぶ」

 

「やめとけ。腹壊すぞ」

 

「だいじょうぶ、まほうしょうじょは、おなかこわさない」

 

 キリカの口からは彼女の胃液と血と、異形の体液の香りがした。

 彼は鼻がいいとはいえ、鼻先を掠めるだけでも筆舌に尽くしがたい悪臭が脳髄を焼いた。

 それをもろに受けるキリカは、数段どころか一次元上の苦痛を感じているだろう。

 

「なんで、そこまで」

 

「きみのだから」

 

 即答だった。

 

「あのどーなっつは、きみが、ゆうじんがくれたものだから」

 

「そうか」

 

 彼も直ぐに返した。

 ありがとよ、という礼は彼の喉に留まった。

 言えば拘束を振り払い、また始めると思ったからだ。

 

「腹減ってるなら、少し休んでから外出て何か食おうぜ。元々その途中だったしな」

 

「うん、わかったよ、ゆうじん」

 

 これからの事を話すも、まだこの状態が続いている。

 普段の爛れた話を投げ掛ける彼女の様子が懐かしく思えてくるが、今自分の手の中にいるキリカもキリカである。

 彼女は成れ果てとなり切ってはいない。彼はそう思っている。

 

 成れの果てなぞ、なるものじゃない。

 彼の脳裏に一瞬、巨大な姿が浮かぶ。

 一瞬で斬り払うように姿を消し去る。

 今向かうべき存在は、たった一つだけだと。

 

「さむい」

 

 腕の中でキリカが震えた。

 寒いのも当然だろうと彼は思った。

 彼女の肉体は今、四肢を除いて死人もかくやといった有様である。

 魔女に命じて火でも起こすかと、彼が考えた時だった。

 

 

「わたし、さむい」

 

 

「さむ、さむむ、さむい」

 

 

「寒い」

 

 

 一つの声で、言葉が三つ重なっていた。

 それは彼女の口と、発声した思念の声によるものだった。

 

 

「わたし、からっぽ」

 

 

「か、からっぽ」

 

 

「空虚だ」

 

 

 童女と慌て者と、そして普段の彼女の口調が。

 

 

 

「だから、うめる」

 

 

「う、う、う、うめる」

 

 

「うめるよ」

 

 

「きみは、ゆうじん」

 

 

「あ、あな、あなたは、ともだち」

 

 

「君は友人」

 

 

「たいせつな、おともだち」

 

 

「ともだち、だよ」

 

 

「友人だ」

 

 

「わたしの、たったひとりの、ゆうじん」

 

 

「たった、たったひとり」

 

 

「一人だけだ」

 

 

「わたしは、あまりきみをしらないけれど」

 

 

「ごめんね、愚図で」

 

 

「君は口下手だからな」

 

 

「でもきみのなかに、わたしがいる」

 

 

「わたし、あなたのなかにいる」

 

 

「私は今、そこにいる」

 

 

「だから、ほしい」

 

 

「とても、ほしいの」

 

 

「欲しいのさ」

 

 

「きみの」

 

 

「あなたの」

 

 

「君の」

 

 

 

 

 

 

「いのちがほしい」

 

 

 

 

 

 発声の仕方の異なる三つの声が同じ言葉で重なった瞬間、彼の肉体が硬直した。

 これまでにない程の強力な速度低下魔法の行使が、牛の魔女の干渉力を上回ったのだった。

 彼の身からするりと抜けると、キリカは彼の方へと向いた。

 口から胃液と血と、魔女の血を垂らしながら、体の前に開いた巨大な傷から腹の中の全てを彼に晒しながら。

 呉キリカは朗らかに、どこまでも優しく微笑んでいた。

 

「だから、ゆうじん」

 

 微笑む彼女の傷口で、何かが動いた。

 それは、破壊された肋骨だった。

 細い肋骨の先端が、見る見るうちに鋭さを増し、形が整えられていく。

 

 その矛先は前を向き、先端は巨大な錐を思わせる形状となった。

 本数は左右十二対で都合二十四本。

 それらが傷口一杯に縦に広がり、長さも伸びていく。

 人体の重要部位を護る筈の肋骨は、巨大な牙となっていた。

 

 そして倒れる様に、キリカはナガレに身を寄せた。

 身体が触れた瞬間、彼女の肋骨が彼の肉と衣服を深々と貫く音が異界に木霊した。

 それに対し、彼は一声も挙げなかった。

 歯を砕かんばかりに噛み締め、凶行に耐える。

 

「きみのいのち、あたたかい」

 

 キリカの傷口は今、巨大な口と化していた。

 肋骨の牙が彼の脇腹に突き刺さり、その身を彼女の開いた傷口へと寄せている。

 温かいとは肋骨から伝わる彼の熱か、または直接彼に触れている、彼女の臓物が感じる彼の体温か。

 分類は無粋だろう。

 あたたかいとは、彼女が全身で感じる彼の存在全てであるからだ。

 

「からっぽなわたしを、きみのちにくでうめさせて」

 

 ともだちだから、いいだろう。

 そうキリカは言った。

 朗らかな笑顔と、慌て者の今にも泣きそうな。

 そしてその両方にもなり切れない、笑顔の出来損ないが混じった無惨な表情だった。

 その表情を振り払うように、彼女は口を開いた。

 

 開かれた口の中で、犬歯が異様な発達を見せていた。

 彼女と二度目に相対した時も、彼はこの光景を見た。

 古の吸血の魔性の如く、キリカはナガレの首に喰らい付いた。

 皮膚を喰い破った瞬間に溢れた血潮を口いっぱいに頬張りながら、鮮血色の美しい唇で彼の皮膚を強く吸い、更なる血潮を体内に招く。

 

 また、キリカの両手は彼の背中に回されていた。

 彼を拘束する両腕には剛力が、彼の背を撫でる繊手には花を摘むような柔らかな力が籠められていた。

 

 そして口での吸血と傷口での捕食を同時に行う中、キリカは犬歯を彼の首に突き刺したままに口を動かした。

 彼の肉へと直接刻むように、キリカは彼から溢れる熱い血を飲みながら言葉を紡いだ。

 

 

「わたしときみで、こども、つくろう。ふたりでいのち、そだてよう。わたしに、しきゅうを、つかわせておくれよ」

 

 

 たどたどしくも優しい声で母のように微笑みながら、呉キリカはナガレにそう告げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑧

 緑、翠、碧、碧、みどり。

 

 緑の色は、彼女の色。

 

 あの美しく崇高で、何物にも代えがたい色、愛の色。

 

 それは神聖で高潔で、何者にも踏み入れさせてはならない不可侵の色。

 

 それなのに。

 

 それなのに。

 

 それなのに。

 

 

 みどりをみると、わたしのこころに、あのおんなのすがたがひびく。

 

 

 

ハァ…何度見てもキレイだヨネ…このカラダ

 

 

 女の声がみみにとどく。

 

 硬いきんぞくのベッドにねかされた私。

 

 はだかにされて、あかんぼうみたいに寝かされてる。

 

 顔をうしろからつかまれて、くびをまげさせられて、あの女をみせられている。

 

 緑の長い髪、兵隊さんみたいな服。

 

 それが今はじょうはんしんだけが羽織られてる。

 

 したは肌が剥き出し。

 

 ガーターベルトだけがのこってて、したぎもはいてない破廉恥な姿。

 

 そのみためで、そのおんなはわたしにてをのばしていた。

 

 はずかしいばしょのすこしうえに、そいつの両手が置かれた。

 

 おへその少し下あたりだった。

 

 みどりがみおんなの両手の先が曲げられて、ないふみたいに鋭い爪がひふにささった。

 

 いたい。

 

 いたいよぅ。

 

 そうおもったら、すごいいたみがわたしをおそった。

 

 ゆびがいっきにねもとまで、皮膚を突き破ってわたしのにくにつきささった。

 

 ぺっとぼとるをひっくり返したみたいに、たくさんの血があふれだした。

 

 噴水みたいに、ぴゅーって流れたりもした。

 

 あばれるわたしを、たくさんの手がおさえた。

 

 黒と白のローブを袖に通した手だった。

 

 ひっしにあばれたけど、くさりでも縛られてたからなにもできなかった。

 

 緑髪女の手が肉に喰い込んだまま、左右に一気に引かれた。

 

 すごいいたみで、わたしはびくびくとふるえた。

 

 下腹部が温かかったから、多分漏らしたんだと思う。

 

 肉が観音扉みたいに開かれて、血がだぱだぱと溢れ出る。

 

 ひらいたそこに、あのおんなはてをつっこんだ。

 

 またすごくすごくいたくなって、わたしは必死に暴れた。

 

 まわりからは、荒い息が聞こえた。

 

 あいつら、私が解体されるのを見て欲情しくさってたんだろうね。

 

 ぶちぶちとおとがして、わたしのからだのなかから何かがひきずりだされた。

 

 赤い血が火花みたいに弾けて、わたしのからだが赤く染まった。

 

 みどりがみおんなの灰みたいにしろいからだも、わたしの血でぬれてた。

 

 広げられた両手が、左右のそれぞれで、先がふくらんだ袋をつかんでた。

 

 しろまる。

 

 キュゥべえ。

 

 ももいろで、ぴんくいろのしろまるだった。

 

 あの女が指でつまんでたのは、しろまるの耳だった。

 

 わたしにはそうみえた。

 

 でもそれはちがう、形は似てるけど、ちがう。

 

 ちがうけど、それでいい。

 

 考えたくなんてないから。

 

 ももいろピンクのしろまる。

 

 もっぴーって呼んだら、ちょっとかわいいかも。

 

 そうおもってると、あの女はしろまるの耳を二つ纏めて噛んだ。

 

 くしゃりくちゃりっていう音がした。

 

 

アア…この歯ざわり、噛み潰した感触、溢れる肉汁……アナタの卵巣、これでもう五回目だけど、本当に壊し甲斐があって……最ッ……高ーーーー!

 

 

 くちゃくちゃと、あの女は私の卵巣を噛み潰して…いや、食べていた。

 

 そしてしろまるのくびの断面に手を突っ込むと、それをごういんにこじ開けて私にみせてこういった。

 

 

ホラァ、見てぇ……コレがアナタのベィビールームゥゥ……ハァアア……ココで美しいアナタの遺伝子を受け継いだモノの命が育まれるんだと思うと、ゾクゾクするゥ……!

 

 

 そのしゅんかん、わたしは吐いた。

 

 はいたけれど、何も出なかった。

 

 むねのまんなかに、大きな隙間ができてた。

 

 いぶくろはもう、とられちゃってたんだ。

 

 それでもくうきを吐いてると、まだ眼の前でひろげられてる、わたしのいのちのゆりかごが、くろぐろとしたいろにかわっていた。

 

 わたしのからだのいちばんおくのいろも、赤からみどりにかえられていた。

 

 あの女の手から伸びた、腐った魔力のせいだった。

 

 そしてみどりのいろがひろがって、私の肉が闇へとかわる。

 

 

 嗚呼、そうだ。

 

 おもいだした。

 

 わたしはもう、何度も、何度も。

 

 このおんなにきりきざまれて、作品にされていたんだった。

 

 そのしょうこが、あそこにあるのをみつけた。

 

 てんじょうからのびたくさりが、わたしのりょううでをしばってつりさげてる。

 

 むねからかふくぶにかけてをひらかれて、ひらいたすきまには、私の首が見えるだけでも五つはつめこまれてる。

 

 無理矢理肉を押し広げられて、たくさんの私の首が詰め込まれてるせいで、にんぷさんみたいにおなかがふくらんでる。

 

 おなかのなかのわたしの目玉はぜんぶえぐられて、まっくろいあなになってた。

 

 あなとくちと、みみと鼻で、何かがうごいてた。

 

 たくさんのちいさなむしが、わたしのにくをたべてそだってた。

 

 わたしのおにく、おいしいのかな。

 

 そしてとられたおめめ、どこだろう。

 

 あった、見つけた。

 

 にんぷさんにさせられたわたしのちょうど反対方向。

 

 くびをきられて、フックがついた鎖で肩を貫かれて、ぶらんって吊り下げられたわたしのからだ。

 

 わたしは軽いせいなのかな。

 

 首に刺されたかぎつめ一本で、かるがると吊られてた。

 

 またおなじようにひらかれてたけど、そのなかみに…。

 

 

ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 

 叫び声が聞こえた。

 

 

違う!違う違う違う!

 

 

 聞こえた。

 

 

こんなのは、こんなのはアリナが思い描く理想の世界じゃない!

 

 

 聞こえる。

 

 

本当の世界は、アリナが描きたい地獄は、もっともっともっともっと!もっと醜くて美しい!こんなの…この程度じゃ…

 

 

 聞こえる。

 

 

ヴァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!

 

 

 けもののような、こえがきこえる。

 

 でもわたしは、そのあいだずっとわたしをみてた。

 

 つりさげられたわたし。

 

 あたまはあったけど、くびからおへそのしたまでをきりさかれて、きずぐちを何本ものくさりでひろげられたわたし。

 

 ひろげられた傷口の中から、さんにんのわたしがでていた。

 

 ひとりは、全身の皮をむかれてた。

 

 一人は、全身を赤黒く焼け爛れさせていた。

 

 最後の一人は、からだは無傷だったけど、うわあごからうえがなかった。

 

 その三人の私の身体の上に、たくさんのないぞうがぐるぐるとまかれていた。

 

 焼けただれた私の首に、神経でつながれたたくさんのめが、首飾りみたいにまかれてた。

 

 さんにんのわたしは、ひとりのわたしのからだから、がんばってうまれようとしているみたいにみえた。

 

 それをみたときに、わたしはとてもつらくなった。

 

 つらくてつらくて、かなしくて、そしてこわかった。

 

 きもちがわるかったって訳じゃない。

 

 例えるなら地獄から、わたしがうまれかわっているみたいにみえたから。

 

 それがなんでつらいのか、かなしいのかわからない。

 

 でもつらかった。

 

 くるしかった。

 

 なまえをよんだ。

 

 彼女は呼べない。

 

 触れさせてはならない。

 

 だから、二番目の名前。

 

 たすけてほしいひとのなまえ。

 

 多分、「ゆうじん」って言ったんだと思う。

 

 

 そうつぶやいたわたしを、あのおんながじっとみていた。

 

 わたしがゆうじんについておもってるあいだに、暴れまわってたみたいだ。

 

 そこにある全ての私は、ずたずたに破壊されていた。

 

 魔法を使ったんだろうな。

 

 肌の表面から緑色のあぶくを立てて、たくさんの私が融けていく。

 

 

 あの女が、にやっと笑った。

 

 わらうとかがんで、私の破片に指を這わせた。

 

 ぐずぐずになっていたわたしのはへんは簡単にゆびのさきで、バターみたいに溶けた。

 

 とけたそれをゆびさきでもてあそびながら、あのおんなは、そのゆびをじぶんの股の間に…。

 

 その瞬間に、私の心は弾けた。

 

 弾けて溢れて、そしておおきなすがたになった。

 

 そうなったわたしを、あのおんなと、なんにんもの白と黒の姿がみあげていた。

 

 あの女は、

 

キレイ…

 

 と呟いていた。

 

 そして、わたしはおもうままにあばれまわった。

 

 何本もの手足が飛んで、内臓があふれだして、ひめいとぜっきょうがこだました。

 

 ちとぞうもつのあめがふるなか、あのおんなはぜんしんをきりさかれながらわらっていた。

 

 わらいながら、ぐちゅぐちゅとおとをたててなにかをしていた。

 

 わらいつづけるかおとからだに、なんぼんも、なんぼんも、おおきなはりをうちこんだ。

 

 なんぼんも、何本も撃ち込んだけど、そいつの、アリナの笑いは止められなかった。

 

 私が覚えてるのはそこまでだった。

 

 からっぽになった私の心。

 

 さっき呟いた名前が、埋めるように反響していく。

 

 

 ゆうじん、友人、わたしのともだち。

 

 どこにいるの。

 

 でておいで。

 

 こわいことなにもしないから。

 

 いつもみたいに、なかよくおどろう。

 

 わたしのもやもやを、そのいのちで受け止めておくれ。

 

 

 ゆうじん。

 

 友人。

 

 わたしの、たったひとりのおともだち。

 

 おんなのこみたにいかわいいけれど、男らしくてかっこいい。

 

 おとこなんてとうさんいがいしらなかったけど、もう他の男なんてどうでもいい。

 

 友人とは、なんどもころしあった仲だから。

 

 ほかのやつじゃ、これいじょうふかくはつながれない。

 

 だからゆうじん、おねがいだから、わたしと。

 

 そうおもったとき、あたたかいおんどをかんじた。

 

 なんどもかんじた、あついたいおん。

 

 ああ、これは。

 

 なんだ、ゆうじん。

 

 そこにいたのか。

 

 大丈夫、こわいやつはどこにもいない。

 

 わたしがきみをまもってあげる。

 

 私の胸からお腹に掛けて開いた傷が、唇みたいに友人を包む。

 

 ろっこつが牙みたいにのびて、ゆうじんのからだにぐさぐさっと刺さる。

 

 友人の身体の中で、肋骨の先からはえた鋭い針がそだっていく。

 

 錐のような根っこ、まるでわたしは花みたい。

 

 錐の花、キリカ、呉キリカ。

 

 わたしのなまえ。

 

 きみはゆうじん。

 

 わたしとおなじ黒い髪。

 

 まるでおおかみみたいな、あらあらしくてかわいい髪。

 

 どこからきたのかわからない、ナガレモノ。

 

 流れ狼、私の友達、あの紅い女からナガレってよばれてる友人。

 

 きみのあついからだにふれる、わたしのひえきったぞうもつが、きみのたいおんであたたかくなっていく。

 

 錐の根から吸い上げた、君の血潮が私の身体にはいってく。

 

 それでも足りない。

 

 まだ寒い。

 

 だからね、きみのくびを思い切り噛んだ。

 

 私はヴァンパイアだからね、いいだろう。

 

 昔もこうしてあげたよね。

 

 懐かしいね。

 

 あのときのきず、きえないはずなのに、もうあとかたもない。

 

 だからもういちど、こんどはきえないようにしっかりときざもうね。

 

 歯が根元まで、友人の喉に喰い込む。

 

 たくさんのちが溢れ出して、わたしの中に流れ込む。

 

 ながれる、ながれる、ナガレ。

 

 友人が私の中に入って来る。

 

 開いた傷の中のわたしの内臓が、友人の灼けた肌に触れる。

 

 あたたかい。

 

 きみのいのちは、あたたかい。

 

 そのいのちを、わたしはそだててみたい。

 

 なんどもあいつにえぐられて、なんどもこわされた、ももいろのふくろがうずく。

 

 せいよくじゃなくて、そこをつかいたいって欲望が私の中で渦巻く。

 

 君の存在を、私の胎内でつなぎとめてやる。

 

 りゆうなんて、おしえてやらない。

 

 おとめにはひみつがおおいのさ。

 

 ああ、友人。

 

 温かい友人。

 

 でも、そのあたたかさがかわっていく。

 

 わたしのからだは熱を持ち、きみの身体が冷えていく。

 

 あたためなくちゃ。

 

 私は焦った。

 

 ごくごくと熱い血を飲んで、きみから血を吸い上げて、私の体に熱を宿らせて、君に熱を与えるべくだきしめた。

 

 内臓を君の身体に絡めて、よりふかくつながろうと、わたしのなかにみちびいてあげようとした。

 

 あたたかいわたし。

 

 つめたい君。

 

 身体の中で、きみがきえていくような気がした。

 

 いかないでって思いながら、わたしは君を見た。

 

 私を見る君がいた。

 

 黒くて黒くて、やみよりもふかい、きれいなおめめ。

 

 めのなかに、ぐるぐるとうずがまいてる。

 

 こわいけれど、ゆうじんのものだからこわくない。

 

 でもこわい。

 

 こわくてこわくて、めをそむけたくなった。

 

 でも、ゆうじんだからちゃんとみてあげた。

 

 そしたらゆうじんはわたしにこういった。

 

 

「もう終わりか?」

 

 ゆうじんのこえは、よわよわしかった。

 

 かおも、しにんみたいにしろくなってた。

 

 いつものゆうじんだった。

 

 ふてきなえがおで、わたしをみつめるところも、おんなじ。

 

 すき。

 

 好き。

 

 だいすき。

 

 愛してないけど、君が好き。

 

 だからもっとふかくつながりたいと、わたしはゆうじんをぎゅって抱き締めた。

 

 ろっこつがさらににくをさいて、錐の根がゆうじんのほねにもくいこんで、君の骨のなかでそだっていく。

 

 そしてわたしは、ゆうじんのめを、くろいうずをじっとみつめた。

 

 そのなかに、わたしのこころはすいこまれていくみたいだった。

 

 やがて流れ流れて、今の私達の身体のように、私の心が友人の中に融けていく。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑨

 融ける。溶ける。鎔ける。蕩ける。

 

 私と君のさかいめが消えて、私が君に這入りこむ。

 

 さながら君のほねとにくに喰い込む、私の錐の根のように。

 

 私の肋骨は君の肉とないぞうを貫いて、そのひょうめんからびっしりと錐のような根を出して、君のからだに根を張っている。

 

 君の骨はがんじょうだが、なに、ささいだ。

 

 ふと思ったが、考え事がさっきにくらべてだいぶ纏まる。

 

 どうやら友人、君の血肉はせいしんあんていざいとしての効能があるらしい。

 

 これは良い、少しおおめに貰っておこう。

 

 そう思っていると、私は何かに気が付いた。

 

 それは、自分を覆うこのせかい。

 

 ゆうじん。

 

 きみの心の中のけしきに。

 

 それをみたとき、わたしのこころは、つかのまのへいこうをうしなった。

 

 きみの心の中でみたものは、わたしのりかいをこえていた。

 

 世界の端からはじまでを、なにかがびっしりとおおっている。

 

 蠢く何か。

 

 無数の蟲がひしめいているような。

 

 それはあの女が、アリナが私でつくった芸術とやらににていた。

 

 でも、それは全然似ていなかった。

 

 似ているようで、別物だった。

 

 なにせ、君の心の中でひろがるこれのほうが、はるかに醜くて、きれいだったから。

 

 黒く蠢くのは、ちいさなちいさな生き物のようなもの。

 

 使い魔とも魔女ともちがう、よくわからないもの。

 

 それがより集まって、ふかしぎな姿をつくっていた。

 

 無数の触手を生やした、トカゲみたいな生き物。

 

 さかなや甲虫みたいなのもいた。

 

 それらはみんな、内臓をうらがえしたようなぐにゃぐにゃした形と、機械みたいな硬くて冷たいしつかんをもっていた。

 

 似た系統は有っても、なにひとつとしておなじものはない。

 

 そんな異様なかいぶつが、むすうにひしめいていた。

 

 色は黒一色に見えたけど、じっさいはきっと、無数の色でそめられているんだろうね。

 

 私の頭の処理がおいつかなくて、きっとこう見えるんだ。

 

 想像力ってやつがたりないのかも。

 

 残念だ。

 

 すごく、凄く残念。

 

 きみの見えてる世界と、私の見る世界は異なるみたいだ。

 

 それはそうか。

 

 仕方ない、君と私は別人なのだから。

 

 でもいまは同じく蕩けてる。

 

 だからこの光景がみられてる。

 

 それでいいってコトにしとこうか。

 

 残念だけど、だきょうてんは大事だよね。

 

 こうなっても、一つになれないか。

 

 きみは頑固だね。

 

 ムカつくね。

 

 素敵だよ。

 

 そういうとこが、私はすきなのかも。

 

 しょうじき、よくわからないや。

 

 でも好きなんだ。

 

 あいはないけど、きみがすき。

 

 そう思ってる私の目の前で、世界がすがたをかえていく。

 

 無数のいぎょうのいきものたちがかさなりあって、おおきくなっていく。

 

 まるでひこうきみたいに、つばさをのばしたものや、ひとに似た姿になったやつもいた。

 

 恐竜みたいなはちゅうるい、触手をのばした、蛸や烏賊みたいなもの。

 

 植物や貝や、おうとつのないのっぺらぼうな蛇みたいなのもいた。

 

 そいつらは、たがいに殺しあっていた。

 

 かみついたり、圧し潰したり、手や足にみえる部分でなぐったりけったり。

 

 喰って食われて、飲み込まれる。

 

 そうすると、そいつのはらがふくれて、ふうせんみたいに破裂する。

 

 破裂したら、そのなかから、そいつよりもずっとずっとおおきななにかが顕れて、それにむすうの怪物たちが群がって喰い尽くす。

 

 そしたらそいつらのなかから、またべつのやつらが産まれてくる。

 

 殺し殺され、また生まれる。

 

 産まれたら殺されて、またどこかで生まれてくる。

 

 そんな様子がどこまでも続く。

 

 右も左も、上も下も。

 

 私の意識がある場所でも。

 

 無限の空間を、なおももてあましているように。

 

 ずっとずっと。

 

 世界の端まで。

 

 ああ、そうか。

 

 私はわかった。

 

 分かりたくなんてなかったけれど。

 

 あの女は、これがやりたかったんだ。

 

 わたしのからだをつかって。

 

 なんどもなんども、わたしをころして、からだをつくりなおさせて。

 

 すべてのぞうきをひきぬいて、骨を抉って取り出して、肉にうじむしをうめこんで。

 

 肉を焼いて腐らせて、酸で溶かしてきりきざんで。

 

 からっぽになった私のなかに、いろんないろをぬりたくった臓物を押し入れて。

 

 わたしのくびをたくさん詰め込んで。

 

 一つの私の身体から、複数の私が産まれる様な形で縫い留めて。

 

 死んで生まれ変わる。

 

 生と死の輪廻がしたかったんだ。

 

 きっと、この世界そのもので繰り広げられることみたいな。

 

 この世界。

 

 友人の中に広がる世界。

 

 魔法少女の私、呉キリカから見ても、異様な世界。

 

 魔で満ち溢れた世界。

 

 そうだ。

 

 ここはきっと、なまえにするなら。

 

 ここは、魔界だ。

 

 

 

 

 死ぬことのない怪物が、それでも殺し合ってまた生まれ変わる。

 

 生まれ変わり、転生を繰り返して、また殺し合う。

 

 それが無限に続く。

 

 永遠に。

 

 魔界で繰り返される転生の輪廻。

 

 魔界、転生。

 

 

 まかいてんしょう、魔界転生。

 

 

 なるほど。

 

 言葉にするときれいだね。

 

 あの芸術家女が目指すだけはある。

 

 救いようが無い、この世界。

 

 これがきみのこころなのか。

 

 たしかに、たたかうのが大好きな君とよくにてる。

 

 いや、わたしたちともそっくりだ。

 

 簡単にはしねなくて、いきてるかぎり戦い続ける。

 

 このにくたいは、石になった魂が動かすいれもので。

 

 私達は魂を宿した傀儡。

 

 かんたんに、いくらでもなおせる。

 

 でもそれをするためには、戦わなくっちゃいけない。

 

 生きて無いけど、いきてるかぎり。

 

 ずーっとずっと。

 

 ははは。

 

 たとえとして君をだしてごめんよ。

 

 これは私達の縮図だ。

 

 この醜く蠢く連中は、私達と変わらない。

 

 生まれ変わりの、転生の部分もそうさ。

 

 きみはまだしらないだろうが、わたしたちにもひみつがあるんだ。

 

 そのうち、きみにつきつけてやるから、かくごしておくがいい。

 

 どんなかおするのかな。

 

 泣きはしないのはわかるんだ。

 

 きみはむかしからそうだからね。

 

 きっと、たぶん、おそらくだけど。

 

 ただ、怒るんだろうね。

 

 この仕組みに対してさ。

 

 その時がいまから待ちきれないよ。

 

 今の私の形がどうなっているかは分からないけど、きっと私はわらってる。

 

 きみといつもあそぶときみたいな、すてきなえがお。

 

 わたしの爪が君を切り裂いて、きみが流した血飛沫をあびて。

 

 わたしも君になぐられて、はれつした心臓か胃袋からのぼってきた自分の血に濡れて。

 

 たいくつなひびのなかでの数少ない例外の時に、さいこうのときに浮かべる、とっておきのあの顔を。

 

 痛いってのに、なんでだろうな。

 

 苦しいのに、なんでだろうね。

 

 分からない。

 

 分からないけど、すてきだね。

 

 ああ、とてもすばらしいことだ。

 

 流血と殺意と、切り裂かれる血肉で、私達は繋がっている。

 

 死へと向かうはずだけど、その時が一番生きているって感じるんだ。

 

 ああ、いいね。

 

 友達っていうのは。

 

 だから私は、君の命が欲しい。

 

 きみの命をすいとって、そしてこの身で育みたい。

 

 なんでかって?

 

 そうきかれたら、わたしはむねをはってこういうよ。

 

 

 わたしはおんなだから。

 

 

 いのちをそだてられるから。

 

 

 どうだい、反論もできないだろう。

 

 私をその気にさせた、君が悪い。

 

 無数の異形が蠢く異界の中で、私は笑う。

 

 笑う。

 

 哂う。

 

 嗤う。

 

 幾らでも笑えた。

 

 嗤う理由なんてないさ。

 

 これはきみへの親しみでありちょうろうであり、嘲笑だからだ。

 

 わたしたちいじょうにすくえない奴が、この世にいたなんて。

 

 友人。

 

 君は、本当に。

 

 

 哀れだ。

 

 

 

 そう思ったときだった。

 

 世界の端の端の、そのまた端でなにかが光った。

 

 すると、それは私の前を通り過ぎていった。

 

 それは、真っ赤な光だった。

 

 あの女みたいな、真紅。

 

 それを浴びた異形達が、いや、この魔界とでも呼ぶべき世界がきえていた。

 

 光の中でもがき苦しんで、溶けていく。

 

 とけた後には、なにもなかった。

 

 溶けた異形は、また形になることはなくて、消えたままになった。

 

 わたしのめのまえに、ぽっかりとした広い空間がひろがった。

 

 空間に色は無かった。

 

 虚無。

 

 うつろな、無。

 

 何もない。

 

 異形達は、一斉にそこをみた。

 

 ひかりが来た場所を。

 

 私も見た。

 

 そして見た。

 

 私の直ぐ近くで、巨大な異形が砕け散った処を。

 

 いつから、それがそこにいたのかわからない。

 

 大きさの尺度はわからないけど、きっとかなり大きな建物くらいある。

 

 佐倉杏子の教会の、たぶん倍くらいの高さは。

 

 それは真っ赤な色をしていた。

 

 深い紅、深紅。

 

 血みたいに黒くて鮮やかな色。

 

 闘争の日々に生きる、私達の身体を染める色。

 

 それを全身に纏った、見上げるほどに大きな姿。

 

 たしかに近くにいるのに、動きが早すぎてその形が分からない。

 

 それでも、それが人間に近い姿なのは分かった。

 

 逞しい腕に、大剣のような脚、太くて頑強な胴体。

 

 身体の天辺にある、二本の角。

 

 まるで鬼を思わせる姿。

 

 それが信じられない速さで動いて、何もかもを壊していく。

 

 音も何も聞こえないけど、異形の生物たちが悲鳴を上げているのが分かった。

 

 自分達の身体で魔界を形成して、その中で転生を繰り返す怪物たちが泣き喚いてる。

 

 悍ましい外見からは想像も出来ないような、鏡みたいな綺麗な断面を見せて切り裂かれて、或いはただずたずたに引き千切られて。

 

 私はその様子を見続けた。

 

 形の詳細や、何をやってるのかまでは分からなかったけど、これだけは分かった。

 

 あれは、君だ。

 

 友人。

 

 君なんだろう。

 

 魔界を蹴散らす、深紅の姿、戦う鬼、戦鬼。

 

 深紅の戦鬼。

 

 あの中に君がいる。

 

 この容赦のなさと、苛烈な戦い方。

 

 例え戦いの形が違っていても、君は君のままだ。

 

 そうか、そういう事だったのか。

 

 君はこんな事を繰り返してきたのか。

 

 ずーっとずっと、ここに来るまで。

 

 そう思うと、また喉の奥が疼いてきた。

 

 喉が震えて、声が出る。

 

 音は無いし、今の私に喉なんてないけど、もう止まらない。

 

 笑い声が止まらない。

 

 憐れとか、救いがないとか、そういう次元の話じゃない。

 

 友人。

 

 お前は、地獄だ。

 

 この魔界を、深紅の悪夢で塗り潰していく。

 

 君こそ地獄そのものだ。

 

 最高だ。

 

 ナガレ。

 

 我が唯一の友人。

 

 君は素敵だ。

 

 最悪で、最高だ。

 

 だから、離してなどやるものか。

 

 君の存在を、私の内に縫い留めてやる。

 

 そう思いながら、私は嗤った。

 

 声なき声を響かせる中、視界の全てが真紅に染まった。

 

 世界を覆い尽くす怨嗟の声が聞こえた気がした。

 

 これをやっている者が誰かなんて、そんな疑問は愚問だね。

 

 あの女が創りたかったものを、君が、友人が徹底的に壊していく。

 

 光はあらゆる方向に迸って、この世界の、異形が転生し続ける魔界の全てを焼き尽くした。

 

 破壊が広がる中、私は光を発する方向を見た。

 

 遥か彼方だったけど、君の気配と共にあの巨大な姿があった。

 

 そしてもう一つ、そのすぐ傍に、似た大きさの何かがあった。

 

 白と黒の、これもまた人によく似た姿。

 

 友人の気配がするそれよりも、更に逞しい姿。

 

 顔を見てやろうと思った時、私の笑い声は止まっていた。

 

 それもまた、私を見ていた。

 

 城塞のような形の兜、そして髑髏のような貌。

 

 そこに穿たれた鋭い眼が、私を見ているような気がした。

 

 それを見たのは一瞬の事で、形自体も私の勘違いだったのかもしれない。

 

 でも、恐ろしい姿だった。

 

 それだけは分かった。

 

 信じてなんかいないけど、まるであれは、神様みたいに見えた。

 

 友人のことだから、何かに祟られているのかもね。

 

 禍神というか、そう、例えば魔神とでも呼ぶような何かに。

 

 そう思ったら、暖かい陽気に眠りに誘われたみたいに、私の意識は急に薄れていった。

 

 とてもいい気分だった。

 

 友人と血を出し尽くして、自然と血の海の中で眠りに落ちるみたいな。

 

 一瞬だけ見た白と黒の何かが、私と同じ色を帯びていたせいかな。

 

 それに、不思議な安心感を覚えたのかも。

 

 私という存在の形が、未だ魔界を蹂躙する深紅の光を帯びて友人の中に融けていく中、私はそう思う事にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流竜と錐花

 赤に染まった黒い世界を抜けたと思ったら、今度もまた黒に、というか闇に満ちた場所に出た。

 

 此処は精神世界的なのだと思うけど…やれやれ、友人と言う奴は案外中二病な性格らしい。

 

 案外でもないか、カードゲームの販促キャラみたいな外見してるし。

 

 友人にはこの前カードゲームも教えたけど、そろそろ対象を取る・取らないの違いは学んでほしいな。

 

 それはそうと、そんなに闇が好きなのか。

 

 気が合うね、私もだ。

 

 多分私が魔法少女大乱闘なソシャゲにでも参戦したら、きっと闇属性が宛がわれる筈だ。

 

 君は何だろね、斧が黒いしそもそもあれ魔女だし、闇属性かな。

 

 でもそれだと私と属性被るなぁ。

 

 よし決めた。

 

 君は光属性だ。

 

 そっちの方が存分に殺し合えるからね。

 

 うん、それがいい。確定。答えは聞いてない。

 

 さて友人のせいで脱線したが、君の領域にずかずかと土足で踏み入って遣ろう。

 

 そう思うと、何時もの丸靴が見えた。

 

 次いで白ニーソ、太腿、スカート、お腹のヒラヒラ、友人の好きな私のお胸。

 

 我ながら、佐倉杏子とは比べ物にならないデカさだね。

 

 朱音麻衣にも負けちゃいないよ。

 

 よく斧で血と脂の破片にされて吹き散らされたり手刀で貫かれるから、友人はおっぱいが好きなんだろうね。

 

「俺はボインちゃんが大好きでな」

 

 たしかそんな台詞を言ってた事もあるようなないような、多分私の勘違いだけど面白いから今度あったらイジってやろ。

 

 まぁとにかく、闇の中に魔法少女姿の私がいる。

 

 自分でこの姿を取ったのか、はたまたこういう設定なのかは分からない。

 

 いいさ、別に。

 

 意識だけじゃなくて形があるってコトは、私の力が及んでいるというコトで。

 

 友人今頃どうなってんだろ。

 

 もう食べ終わっちゃったのかな。

 

 しかし、そうか。

 

 友人は私が食べたのか。

 

 つまり私が友人か。

 

 よろしくね友人、これからもずっと。

 

 友人。

 

 なぁ、友人。

 

 友人、友人、友人。

 

 どこにいるのさ。

 

 私の中にいるなら、返事くらいしておくれよ。

 

 泣くよ?泣いちゃうよ?

 

 女の子を泣かせる気かい?

 

 ならせめて、何時もみたいに私の顔面を殴り砕いて、涙腺を破壊するとかにしておくれ。

 

 君の為に悲しむなんて、そんな事はしたくない。

 

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 友人。

 

 

 

 

 

 

 嗚呼もう、これだけ呼んでも来ないか。

 

 普通ならこんな時に「よぅ」とか言って気付いたら後ろにいるってのに。

 

 君はフラグ建築がヘタクソすぎる。

 

 今度一緒にアニメでも観て勉強させてやろう。

 

 何が良いかな。

 

 がっこうぐらし!か、おおかみこどもの雨と雪か。

 

 ひだまりスケッチやOVAのタフでもいいか。

 

 君はアニメ観る度に面白い反応するから、こちらとしては観てて飽きないんだ。

 

 その様子を覚えておいて、殺し合う時の煽りにするのも愉しいからね。

 

 仕方ない奴だ。

 

 まぁ、幸いにして私は女で魔法少女だ。

 

 私の中に君がいるなら、何度でも試してやるまでさ。

 

 何をかって?

 

 そんなの決まってる。

 

 君を産みなおしてあげるのさ。

 

 私の子宮で育んで。

 

 

 

 なぁ、もういい加減に出てきておくれよ。

 

 今のは喰いつくところだろ?

 

 頼むよほんと。

 

 これ以上私を困らせないで呉。

 

 せっかく君のお陰で闇落ちから立ち直ったんだから、いつもみたいに遊ぼうよ。

 

 なぁ、友人。

 

 性欲なんか感じちゃいないが、子供くらいなら産んでやってもいいぞ。

 

 うちのお母さんも期待してるみたいだし、引きこもりの親不孝娘としてはこのくらいの親孝行はしとかないとね。

 

 そう思ってふああって欠伸しながら歩いてると、頭にこつんと何かが当たった。

 

 昨日は眠れなかったからね。

 

 最近友人の顔見れなかったから、生きるのが退屈で仕方ない。

 

 暇を紛らわすために、君を刻む為の必殺技も幾つか考えたけど、当たるイメージが思い浮かばない。

 

 我がヴァンパイアファングは強力だが、あれはゲームで言えば単体攻撃だ。

 

 いや、攻撃範囲自体は広いよ。

 

 でも面と言うよりは点の攻撃で、うすのろい魔女は兎も角、魔法少女や君相手には分が悪い。

 

 いつか佐倉杏子相手にヴァンパイアファングを叩き込んで、内臓をバラ撒かせてやりたいのだが…人生はうまくいかないな。

 

 そういえば連中に捕まったのも、ファングを掻い潜られて数の暴力で輪姦じみて群がられたからだったな。

 

 ああ、純潔は大丈夫だよ。

 

 あの腐れアリナは自分の経血を、炭化させた私の内臓の粉末と混ぜて絵の具にしてたりしてたが、破瓜の血は別に良いらしい。

 

 まぁいいや。

 

 あいつは何時か殺す。

 

 お前なんか、もう怖くなんてないからな。

 

 お前が創ろうとしてる地獄を、真っ向からブチ壊した奴が私の友達なんだ。

 

 あんな紛い物の地獄より、友人の方がよっぽど怖いね。

 

 来るなら来てみろ。

 

 友人と佐倉杏子が相手になってやる。

 

 でも友達にあの変態の相手させるのは気が引けるなぁ。

 

 では佐倉杏子、頼んだよ。

 

 生理仲間同士、多分上手くやれると思う。

 

 私達はその間、プレイアデスでも壊滅させとくよ。

 

 特に理由は無いけどさ。

 

 ああ、それでもしもアリナ率いる変態達に負けた時には、その時と思って呉。

 

 あとの主役は私が引き継ぐ。

 

 朱音麻衣あたりが友人の所有権を主張するだろうが、一泊も君を自宅に泊めた事が無い奴に親権など発生するものか、バカめ。

 

 先週も一週間くらい家に泊めたし、軍配はこっちにあるだろう。

 

 友人は気付いてたかもしれないが、母さんは君を狙ってる。

 

 こういうのにありがちな、父さんは単身赴任で不在ってのが原因でもあるんだろうね。

 

 あれは男に飢えてる目だった。

 

 それを向けられてる時の君の顔、まんざらでもなさそうなのが癪に障ったね。

 

 幾ら私の母が若いからって、ああもデレないで欲しいね。

 

 そういえば母さん、この前三十になったんだっけ。

 

 ううむ、これはそろそろ孫の顔を見せた方がいいのだろうか。

 

 にしても友人、私に向ける殺意の欠片も私によく似た我が母に向けないのは如何な物かな。

 

 差別ってのは酷いよね。

 

 私もよく殺意を堪えられたものだ。

 

 きっと成長したんだろうな。

 

 じゃあ義務的にだが、アリナにとっ捕まって酷い目に合わされる予定の佐倉杏子に思いを馳せておこうか。

 

 あいつに色々とアレされて作品になった後は…そうだねぇ。

 

 私や友人、ついでにさささささの覚醒イベントの時や、哀しい過去回想の時に赤い幻影となって出てきてくれると演出的に助かるよ。

 

 期待してるよ、佐倉杏子。

 

 ん、ああ。また脱線した。

 

 佐倉杏子ってヤツはこれだから…。

 

 そう思って目の前にあるそれを見た。

 

 うん、なんだか分からない。

 

 でもかなり大きい。

 

 少しバックして見上げる。

 

 まだ足りない。

 

 またバックを追加。

 

 あとバックって言えば、私は孕むことに抵抗は無いが犯されるのは嫌だな。

 

 強姦とか最悪だ。

 

 せめて前を向いてしてほしい。

 

 友人のあの顔、女顔の癖に男らしいところが妙に性癖だからなぁ。

 

 少しは孕む確率も上がるだろう。

 

 私の性欲は薄いし、清く正しい見滝原中学二年女子の私としては、不純異性交遊の機会はなるだけ少ない方がいいと思う。

 

 校則違反とか怖いしね。

 

 反省文なんて書きたくないよ。

 

 ああ、オーケー。

 

 そう思ってたらいい距離になった。

 

 やっぱり友人の事を考えるのは時間つぶしとして最高だな。

 

 

 

 …なにこれ。

 

 色は分からない。

 

 でも形は分かる。

 

 たくさんのトゲトゲが地面とは逆向き、つまり上向きに鱗みたいに生えた柱。

 

 それが二本並んでる。

 

 その上には…胴体?

 

 人間と比べて寸詰まり、いや、この柱を脚とすればこの脚が妙に長いのか。

 

 なるほど、良いスタイルって奴かな。

 

 甲冑みたいな胴体の左右には丸い形を基本として、渦みたいな形の刃が巻かれた肩があった。

 

 物騒な形の方から先には、トゲトゲがたくさん付いた腕があった。

 

 腕の先は、私から見て左は大きな鋏になっていて、左は鋭い刃で出来た五本の指があった。

 

 そして、そんな物騒な形をした奴はどんなツラしてるんだろうと思って顔を見たら。

 

「騎士」

 

 多分その言葉は口に出てたんだと思う。

 

 ああ、ここまでは独り言と言うかモノローグだよ。

 

 口に出してこんな延々と喋るほど、私は狂ってないし壊れていない。

 

 上に向かって伸びた四本の角と、細長い形の頭。

 

 それは多分、騎士をモチーフにした兜の形だったんだと思う。

 

 それともう一つ、これは私の考えというかセンスの問題なのかもだけど、この形にはどこか厳かなものを感じた。

 

 なんだろう、ギザギザまみれの手足といい、形としては物騒と言うか異形なんだけど妙に神々しいというか。

 

 なんていうか、仏様みたいな感じがした。

 

 そうしてじっと見ていると、頭の中にぼんやりと形が浮かんできた。

 

 ああそうか。

 

 仏様のイメージを抱くわけだ。

 

 梵字。

 

 サンスクリット語。

 

 平たく言えば、仏様の言葉。

 

 それが一目で分かっちゃったよ。

 

 私は博識だからね。

 

 伊達に長期間ぼっちで暇を持て余してて、父さんの稼ぎが良いからって事で、パソコンやスマホを惜しみなく買い与えて貰っただけのことはあるのだよ。

 

 さて、確か此れの意味する言葉は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い出した。

 

 そうか。

 

 そっか。

 

 そうなのか。

 

 似てるね、私と。

 

 私の名前と。

 

 私の最初の友達とも、君の、あなたの名前は似ているね。

 

 意味したものは、私の間違いで無ければ千手観音菩薩様。

 

 あまねく一切衆生を救う為、千の目と手を得た姿。

 

 慈悲と救済を司る仏様。

 

 立派過ぎて、私には口に出すのも憚られる。

 

 そう思って改めて姿を見る。

 

 鋭い鎧を纏った異形の騎士。

 

 何故か妙に近しく感じた。

 

 そして疑問。

 

 何故この存在がここにあるのだろう。

 

 さっき垣間見た光景で、友人の気配を持っていたものに何か関係があるのだろうか。

 

 形はまるで違うけれど、私にはそう思えた。

 

 私の勘はこう見えて結構当たるから、多分自分の感覚は信じて良い。

 

 これはきっと、友人にとって何か意味を持つものなのだろう。

 

 そう思って、またこの姿を見上げた。

 

 

 

 

 

 

「----だ」

 

 

 

 

 声がした。

 

 喋り方は友人と同じで、全く違う声。

 

 

「そいつ、----っていうんだよ」

 

 

 男らしい、いや、男らしすぎる。

 

 とても若いのは分かる。

 

 若々しくて生命力にあふれた声。

 

 ああ、これは…。

 

 友人、お前。

 

 どこまで私を、私の中の雌を狂わせれば気が済むんだ。

 

 熱い吐息が口から漏れる。

 

 熱い息が口から出て、胸を撫でて虚空に消える。

 

 その途端、身動きが取れなくなった。

 

 まるで何かに噛まれたみたいに。

 

 全身を、大きな大きな生き物の口の中に入れられたみたいに。

 

 そいつの口にはびっしりと鋭く長い牙が生えていて、それが檻みたいに私を捉えて拘束している。

 

 牙の形は短剣か槍穂みたいな鋭さ。

 

 現実にいる生き物なんかじゃない。

 

 頭の中に一つの単語が浮かんだ。

 

 ああ、確かに君をそう評した事はあったさ。

 

 でも、これは反則だろう。

 

 あの精悍で男らしくて、まるで炎を纏った息吹みたいな猛々しい強さを持った声。

 

 たった二言だけで、私はそう理解させられた。

 

 お前が、お前が友人の正体か。

 

 

 

「お前と似てるな、キリカ」

 

 

 

 名前を呼ばれた時、私は自分の身体がぐしゃぐしゃに噛み砕かれた様な気がした。

 

 友人はそんなつもりは無かったんだろうが、君の存在は強過ぎる。

 

 

 

 人の姿をした竜め

 

 そして、ああ。

 

 聞いていた名前からして、君はそもそも竜だったね。

 

 動けないまま、私はそう思った。

 

 そうしたら、

 

 

「…ん?ええっと、あー……これって」

 

 

 友人本体が何やら言い始めた。

 

 咳払いのような音も聞こえる。

 

 

「あ、やっぱこれ俺の声か。いや、聞くの久々過ぎて」

 

 …ええ。

 

 …まぁ、いいか。

 

 このぐらいのおバカさというか欠点があった方が人間らしいし。

 

 

「見たとこ、大分元気んなったみてぇだな」

 

 

 何時からそこにいたのか知らないけど、友人の本体だけあって不躾な奴だな。

 

 まぁ、元気なのは君から貰った栄養が良かったからってのもあるのだろうね。

 

 

「かもな。で、そろそろしんどいからよ。悪ぃが連れ出させてもらうぜ」

 

 

 そう言うと、襟首が後ろから掴まれるのを感じた。

 

 私が小柄だというのもあるけど、声の出てる高さからして三十センチ以上は軽く身長差があると思った。

 

 襟首を掴む手も、私よりもずっと大きい。

 

 それにしても、展開が急すぎないかな。

 

 もう少し雰囲気を読むとか、しんみりした空気を出して欲しいよ。

 

 全く。

 

 君は、君って奴は。

 

 ちらっとだけ見た今の君は、私の知る友人の顔にもある精悍や勇猛さ、それでいて端麗さが色濃く残った形が顔や髪にも描かれていた。

 

 子供っぽさや女々しさを取り払った、男の中の男って感じの姿。

 

 私が女というか、雌である事を思い知らされる姿。

 

 どんな生き方をしてきたか、それが顕れたような貌を、君はしていた。

 

 今の私には、少女の私には今の君は刺激が強過ぎる。

 

 女殺しめ。

 

 心の中で、とはいえ今のこの状態が心そのものか。

 

 常々から思っているあいつへの呪詛を今日もまた呟いた。

 

 

 

 っていうか友人、さっきの会話を思い出すと私の心覗いてないかい?

 

 これは後で問い質すとしようか。

 

 水の底から浮かび上がる様に、私の身体が一気に上がっていくのが感じられた。

 

 あんなに上の方にあった、あの神々しい名前と姿をした騎士の顔も、今は目の前にあった。

 

 ばいばい。と私は手を振った。

 

 さようなら。

 

 あなたは何もしていないけれど、あなたのお陰で私はまた友人に会えた。

 

 そんな気がする。

 

 

 さようなら、また会う日まで。

 

 

 

「じゃあね、キリク

 

 

 さようなら。

 

 私と私の友達によく似た名前を持った、千手観音菩薩の名前を冠された異形の騎士。

 

 友人から聞いたその名前を呟いたとき、私の身体は眩い光の中に包まれていた。

 

 まるで、生まれた時に初めて浴びるような。

 

 そんな光のような気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑩

「おい、起きな」

 

 薄闇の中、少年の声が響く。

 少年といっても声は少女そのもので、口調や雰囲気で男と分かるような声だった。

 ううん、という喘ぎのような声が応じた。

 そして閉じていた眼が開いた。整った睫毛が並んでいた瞼を押し退け、黄水晶の瞳が顔を出す。

 見渡すようにぐりぐりと動き、やがてあるものを見つめた。黒髪を生やした、美少女じみた貌の少年が直ぐ傍にいた。

 

「ひゃは、ひゅうひん」

 

 訳すると、「やあ、友人」という言葉になる。呉キリカの口は、彼の、ナガレの首にほぼ全ての歯を埋めていた。

 鮮血色の唇は彼から吸った血で淫らに濡れ、異様な妖艶さを放っていた。

 

「ぷは」

 

 その口を離し、キリカが一息を吸って、吐いた。

 甘ったるく、それでいて酸鼻な血潮の香りがナガレの鼻孔を突いた。

 引き抜かれた歯と彼の喉、ちょうど顎の下あたりにざくっくりと入れられた傷の間で、どろりとした唾液と血の混合液が蜘蛛の巣のように糸を引いた。

 それを逃しやしないとでも言わんばかりにじゅるりと啜り、小さな喉をごくんと鳴らして嚥下する。

 更には傷口に顔を寄せると、桃色の舌で傷口を穿る様に舐め廻していく。

 

「んちゅ…んん…ちゅぱ…ちゅく…ちゅ」

 

 淫靡な声と音を出しながら唇で肌をしゃぶり、舌が蠢いて傷口に付着した血を一通り舐め取る。

 終わった、と思ったらところで彼女の唇は再び彼の喉に吸い付いた。

 

「…ぅぇ」

 

 彼は珍しく呻き声を出した。当然だろう。

 キリカの舌は喉の正面に開いた傷から彼の喉の中に侵入し、可能な限りの範囲をちろちろと舐めていた。

 それはまるで這い廻る蛇か、肉に吸い付いた蛭、または死体に湧いた蛆虫を思わせる蠢き方だった。

 喉の中に残っていた血をじゅるっと飲み干し、挙句の果てに声帯を一舐めした後にようやく、

 

 

「やぁやぁ友人。相変わらず君は血の香りが似合うね」

 

 

 などと彼に告げた。陽光の下に吹いた、春風のような朗らかな笑顔を伴って。

 その様子に彼は溜息を吐いた。

 舐め取られたせいか、そこを伝って溢れた血が相当であるにも関わらず、血の香りは殆どしなかった。

 彼の血の香りや大量の血は今、キリカの中へと入っている。

 

「心配させやがって」

 

 彼女の好きなままにさせていた少年から安堵の息が漏れる。

 感覚が常人から見ておかしいどころか狂っているが、彼にとっては何時もの事である。

 それにこれらの暴力行為に対し思うことが無い訳が無いが、それを必死に抑えている。

 その様子を察し、呉キリカの顔に意地の悪そうな笑顔が浮かぶ。

 

「ふはは、悪いね。君を困らせるのは私の義務で権利で、健康法故に仕方ない」

 

「んなもん許可したつもりは無ぇな。あと健康になりてぇってんなら、身体の鍛え方でも教えてやろうか?」

 

「やーだよ。私は今の不健康引きこもり生活が大好きなんだ。ああでも、偶にだったらお願いしようかな。目標は普通の時でも佐倉杏子の顎を毟り取れるくらいに」

 

「エグい事言うな、お前」

 

「そうかい?眼窩に指を突っ込んで、顔の前半分を引っこ抜くよりはマイルドだと思うんだけど」

 

 真面目に語るキリカを見て、ああ、もう大丈夫だなと彼は思った。

 口走る内容は狂人のそれだが、故に普段の彼女に戻っている事が分かった。

 

「エグいと言えば、今の私達はなかなかにステキな絵面だね」

 

「ああ」

 

 認めた瞬間、彼は身を蝕む痛みを思い出した。

 今までは覚醒直後の泥濘、そして呉キリカへの心配だったりと感覚が麻痺していたのだった。

 ステキな絵面とキリカは評した。

 確かにそう見えるかもしれない。地獄を描いたような、前衛的な絵画であれば。

 体勢としては両脚を広げて背を壁に預けたキリカ。

 

 そのキリカの脚の間に身を滑らせたナガレが、正面からキリカに覆い被さっていた。

 年少者同士とは言え男と女、そして十センチ以上の身長差もあり、その様はぱっと見は少女を強姦する少年の構図に見えた。

 だが二人を繋ぐのは雄と雌の器官ではなく、この世に実体化した狂気であった。

 

 前述のとおり、キリカはナガレの喉に喰らい付いていた。

 牙と変えた歯を持って血管を喰い破り、そこから溢れる血を残らず飲み干していった。

 

 更にはキリカの両胸の脇からは十二本の、左右で合わせて二十四本にもなる白い物体が伸び、ナガレの身体の各所に突き刺さっている。

 また胸と言う言葉を使ったが、彼女の胸は魔女の攻撃により根元から欠損し、吹き散らされた黄色い脂肪と鮮やかな肉の色を外気に晒していた。

 肉の破壊は下腹部部の手前にまで及んでいた。

 そうして生じた空白の中に、ナガレの腰から少し上までの部分が埋まっていた。

 

 いや、正確に言えば、それは包まれていたとする方が正しい。

 彼女の凄惨な傷口はまるで縦に開いた口さながらであり、彼女から伸びた白とは錐状に変形した肋骨だった。

 傷が口、肋骨が牙の役割を持ち、ナガレの脇腹や背を貫いて女体の内に咥え込んでいた。

 食虫植物が獲物を捕らえた様に似ている。

 

 更には彼の体内を抉る肋骨の表面からは植物の根の如く細長い触手が放たれ、ナガレの肉や骨に喰い込み文字通りに根を張っていた。

 根は彼の血肉を啜り、主へと骨を介して送っていた。

 捕食活動、彼女がナガレに行っていた行為は正にそれだった。

 そうして得た彼の熱を持って、彼女の内臓や肉は捕食によって体温を奪われる彼へと熱い泥濘の如く粘りつく熱さを与えている。

 この矛盾する関係を、彼女は真摯に行っていた。

 

 そんな悍ましい状況ながら、両者の腕は相手の背へと廻されていた。

 互いを抱きしめる形である。

 されど意図は真逆であり、キリカのそれはナガレを更に自分へと引き寄せるためのもの。

 彼のそれは後ろに巻いた腕の先の手でキリカの肩を掴んで、それ以上の侵攻を防ぐためのものだった。

 

 この時の彼の腕は、黒く変色していた。

 堅牢な装甲を持つ魔女に対し太陽の如く輝く破壊の光球を放った際、その熱で炭化していたのだった。

 両手の薬指と小指、更には親指以外の爪先が欠損した無惨な姿と化している。

 方や死体もさながらといった血水泥状態、方や人体の欠損と魔法少女による凄惨な肉体破壊。

 その状態で、意図は兎も角として両者は互いに抱き合っていた。

 

 その二人を、黒い沙幕が繭のように包んでいた。

 キリカの魔法少女衣装の燕尾部分が伸びて湾曲し、両者の顔だけを残してすっぽりと覆っている。

 まるで彼の逃亡を阻止するか、或いはこの時を続けさせる為に。

 

 闇が凝縮したような彼女の衣の内、更には彼女の中で。

 キリカの女体の中に導かれた彼の腹に、キリカの臓物が静かに触れていた。

 それは彼の血肉を吸って、マグマのように熱く蠢いていた。

 

 

「重くねぇか?」

 

 彼女の臓物の鼓動と温度を身体の前面で感じながら、彼は問うた。

 彼女の身体を圧迫している感触は無いが、自身の体重が外見とは裏腹に二百キロもある為に心配になったのだろう。

 

「君、今は自分の心配しなよ」

 

 呆れを隠そうともせず、捕食者たるキリカは言った。当然、彼もかちんと来た。

 

「誰の所為かな?」

 

「勿論私だ。というか私しかいないだろう。現実逃避もたまには精神の健康に良いとはいえ、今は私に向き合って呉よ」

 

 全くの悪びれも見せず、キリカは寧ろ憤然とした様子を見せた。

 あ、これほんとにもう大丈夫だわと彼は思った。

 魔女との戦闘の最中に見せたキリカの変貌は、彼にとって相当の衝撃だったらしい。

 

「ところで、痛くないの?」

 

「痛ぇよ。超痛い」

 

 即答である。当然だろう。

 

「なんで泣かないの?」

 

「男の意地」

 

 同じく即答。

 

「ふむ、なら仕方ないね。じゃあ、苦しいんなら抜いたら?」

 

「抜けねぇ」

 

「それは困ったな。私はこれでも美少女のつもりだが」

 

「はい?」

 

 問い掛けであったが彼にはなんとなく、彼女のこれから言おうとしている事の方針が分かった。

 

「やっぱり佐倉杏子じゃないと駄目かい?君って奴は案外一途だな」

 

「キリカさん」

 

 口角を吊り上げながら彼は聞いた。

 もう色んな意味で限界が近いのだろう。

 彼の内では今も細い触手が侵攻を続け、常人なら既に数百回は死んでいるほどの痛みが彼の中で木霊している。

 

「はぁい、なんでございましょ。まぁ予想は付くね。そろそろ人見リナに手を出したくなったんだろ?」

 

「き・り・か・さ・ん」

 

 一文字一文字に世界を呪うかのような想いを込めて、彼は彼女の名を呟く。

 この時のナガレの顔は、悪魔でさえ視認の瞬間に自死を選びたくなりそうな凶悪な顔であった。

 それを前に、キリカさんは首を傾げていた。

 なんでこんな顔してるんだろ、そう言いたげな表情だった。

 そしてふと、閃いたように「あ、そっか」と漏らした。

 

「夢見る時間は終わりか。残念」

 

「さっきまで、その夢ん中にいただろうがよ」

 

「いや、この状況も結構楽しくてね」

 

「そうかい。俺はしばらくは御免だな」

 

「友人、君はそうやって相手を気遣うのは良いが、ちゃんとハッキリ嫌だって言わないからこういうコトになるんだぞ?」

 

 繋がったまま、といえば性交の暗喩であるが、この場合は物理的に繋がれている。

 今の彼の体内はキリカの骨から伸びた根に侵食され、常人なら即座に発狂する苦痛が彼を苛んでいる。

 その苦痛を押し退け、ナガレはグルル…と唸った。

 彼女との会話はやってて楽しいのだが、流石にカチンと来たのとそろそろ外して欲しいらしい。

 

 肩を竦めて、キリカは「仕方ないなぁ」と言った。

 その瞬間、キリカの肋骨が一斉に折れた。ちょうど、彼とキリカとを繋ぐ間辺りで。

 無駄にしないとでもいうのか、肋骨の断面からは一滴の血も零れなかった。

 そして折れた骨は彼の肉の中へと、這いずる蛇のように滑り込んだ。

 更なる苦痛に、彼は歯を食い縛って耐えた。

 

 

「抜くよりこっちのが早い」

 

 視界が苦痛で深紅に染まる中、彼はキリカがそう言ったのを聞いた。

 なるほどと彼は思った。

 そして紅い視界の奥で、キリカが美しい顔を彼の顔の前へと寄せた。

 

「あとコレもオマケだよっと」

 

 言い終える前にキリカの唇が彼のそれへと重ねられる。

 鮮血色の鮮やかな唇の色は、真っ赤な視界の中でも一際赤く輝いていた。

 彼の反応が遅れたのは、その色に魅入られたせいかもしれない。

 

 唇の奥からキリカの舌が侵入し、彼の口内をそれ自体が意思を持つ生物の如く這い廻る。

 たっぷりと唾液が纏わりついた舌が、彼の歯を、舌の根元に絡んでうねうねと蠢く。

 

 歯の裏を舐められながら、彼はなんだろうこの状況と思い始めた。

 唇を重ねる行為は世間一般で愛情表現とされるが、彼はそれが何故愛に繋がるのかよく分からなかった。

 かといって女子中学生が惜しげも無くそれを行う事には、疑問というか複雑な気分が伴う。

 

 こういったのはもっと別なのにやるべきだろうと。

 例えば将来共に歩む者を相手へと。

 しかし彼自身が口づけにさりとて特別な意味を見出せない以上、それ以上の考えも不可能であった。

 

 そしてこの時、ナガレは異常の中での異常に気付いた。

 彼の口内を蹂躙していた舌が、喉の奥へとずるりと降りたのである。

 感触を確認すると、複数の舌が縦に連ねられて一本の長大な舌にされているらしいという事が分かった。

 

 舌がもたらす快感は、通常の男相手なら口の中を舌が這い廻った辺りで射精しかねないものであったが、例によって彼には通用していない。

 ただ異形化した舌と、女子中学生にいいようにされる自分の不甲斐なさを感じるだけだ。

 舌はそのまま食道を通じて胃へと到達、今度は胃の中を触れ回り始めた。

 

「痛っ」

 

 胃の底へ触れた時、彼女から思念が届いた。

 

「君の胃液、まるで王水だな。舌が瞬時に溶けたぞ」

 

「あー…大丈夫か」

 

「大丈夫な訳ないだろう。あーあ、私のベロが赤い水になっちゃったよ」

 

 牛の魔女を介しての思念に、キリカは生理的嫌悪感を煽る表現も交えて返した。

 その口調は極めて平坦である。

 たしか魔女狩り後の暇潰しで殺し合った際、四肢切断してやった時もこんな感じだったなと彼は思った。

 

「まぁ好都合だね。えいっと」

 

 思念の終わりには、『ぶぢん』という生々しい音が響いた。

 それは彼女の唇を介して彼にも伝わった。

 そして口の中に、お馴染みの臭気と味が伝わる。

 匂いは潮で、味は錆びた塩辛さ。

 滴る血の源泉は、彼女が噛み千切った舌の断面である。

 

 

「ぐろいね」

 

 にっこりと笑いながら彼女は思念で言った。

 白い歯は、今噛み千切った舌から溢れる血で赤々と染まっている。

 

「何時ものこったろ」

 

「なんてひどいコトを。君は私をグロ担当とでも思ってるのか?」

 

 まったくもう酷いなぁ。そう言ってキリカは「勿体ない勿体ない」と呟きながら口を開き、舌が再生する様を彼に見せつけた。

 血を噴き出す断面から桃色の舌がにゅるりと生まれる様は、淫猥に蠢く蛭を思わせた。

 

「残念だがそれはハズレだ。実は私は」

 

 そう言うと、彼女は彼の背に手を回したまま、右手の指先を絡ませてパチンと鳴らした。

 

「どこぞの黒インナーの白桃すけべ修道女なお人好しアーチャーよろしく、でもえっちとは無縁な清らかな身と心の闇属性ヒーラーなのさ」

 

 得意げにそう言った瞬間、彼の中でキリカの骨が蕩けた。 

 熱い熱と共に形を喪い、這い廻っていた根も融けていく。

 そして彼の体内に自らが切り開いて描いた傷へと埋まり、癒していく。

 自分が常に瀕死どころか複数回の肉体の完全崩壊を経験してるだけに、治癒も得意であるらしい。

 尤も、この負傷は大半が彼女の残虐行為に依るものなのだが。

 

「さて。傷も癒えたならやる事は一つだな」

 

「ああ、今よけてやるからよ。お前もその傷治して、飯に行こうぜ」

 

「うーん…なぁ、友人」

 

「何だ?飯屋ならお前に合わせっけどよ」

 

「助けてもらったんだから、お礼を言うべきじゃないのかい?」

 

 極めて自然に、ごく当たり前の常識を問うような口調でキリカは言った。

 ナガレは苦々しい表情で応えた。

 その様子を、キリカが背にした物体は無言で眺めていた。

 それはキリカによって速度低下を掛けられ、瀕死のままで生かされている魔女の残骸であった。

 無数にあった眼も大半が潰され、今では数個が弱弱しく開いているのみ。

 

 そしてそれも今ようやく終わった。

 キリカの速度低下はまだ維持されているが、魔女の異常な思考を以てしても理解の及ばないこの二人の行動に、遂に耐え切れなくなったのだろうか。

 その身体は千々と砕けて、そして主を喪った異界もまた同時に弾けて消えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑪

 そこは、実に平和な空間だった。

 天井には赤みがかったオレンジ色が映えている。

 柔らかな光が、煌びやかなで可愛らしい趣が至る所に散りばめられた内装を照らし出す。

 和やかな談笑、時折上がる黄色いはしゃぎ声が生じた。

 音は他にもあった。

 ステンレスの食器が陶器と触れ合う音、靴が絨毯を柔らかく踏みしめる音。

 そして

 

「あぁん、むっ」

 

 右手に持ったフォークに刺したケーキを頬張る少女の、可憐な捕食の吐息。

 

「ん~、やっぱ甘味はいいねえ。味覚のある生物に生まれてよかった。当時は私より少しだけ年上だった母さん、堕胎せずに産んでくれてありがとう」

 

 木製の丸い机の下で脚をパタパタさせながら、呉キリカは左手で頬を抑えて幸せそうに悶絶した。

 際どいどころではないワードを呟いてはいたが、要は生まれてよかったという事である。

 それだけに、幸福感は本物らしい。

 ハートをあしらった背もたれの椅子が、小柄な体格の震えに合わせてかたかたと揺れる。

 自分に尻を乗せた少女に、怯えているようにも見えた。

 机の上には二枚のプレートが置かれ、その上には多種多様の大量のケーキや飲み物が置かれていた。

 

「ほんと、お前さんは美味そうに食うもんだなぁ」

 

「美味しいからね。こうやって敬意を表するのは当たり前だろう」

 

「偉いなお前」

 

 そう言いつつ、再び食事を再開したキリカを感心して眺めながら、その向かい側に座るナガレもまた菓子を食べていた。

 開かれた口が蛇のように大きく開き、されど違和感を生じさせない自然さでもって一口でシュークリームを飲み込んだ。

 クッキー状に焼き上げられた表面を齧り、口内で溢れた中のクリームを舌で絡めて味わいながら咀嚼し呑み込む。

 

「うん、美味いな」

 

「全くだね、味覚を得た生物に至ったご先祖に感謝だよ。進化最高」

 

「違いねぇ」

 

 彼にとって特別且つ不吉な言葉が混じっていたが、一々気にしていたらキリが無い。

 それに今は、彼にとってはもっと気になる事があった。

 再びシュークリームを食みながら、彼は周囲をちらっと見た。

 女子、女子、女子、女子。

 年齢的には二人より上、大学生くらいの女たちが周囲の席を埋めている。

 同性の姿を探すが、給仕姿の店員以外には男の姿は無い。

 

「大丈夫だよ。君はこの空間に融け込んでる」

 

 見透かしたようにキリカは言った。

 彼女はストローを鮮血色の唇で食み、ずぞぞっとジュースを啜っていた。

 

「なんのコトかね」

 

 彼ははぐらかした。

 直後に愚策と悟る。

 プリンをスプーンで突きながら、キリカはにやぁっと嗤った。

 猫の威嚇にも見える、サディスティックな笑顔だった。

 

「いや、なんとなくね。君とはよく遊んでるし、戦闘中は表情一つからでも情報を得ないと君を相手にするのは凄くしんどい」

 

 これだと彼は改めて思う。

 普段の狂乱さとは裏腹にキリカは頭の回転が速い、そして勘が鋭すぎるのだ。

 

「それにさっきまで身を絡ませて蕩け合ってた仲だ。君への理解度がぐっと増したよ」

 

「蕩けてた、ねぇ」

 

 不穏なワードにナガレは反応した。

 二重の意味でである。

 一つは実際にあった事として、もう一つはその言葉を聞いてしまった者に対する憂いとして。

 気配を探ると、二人の周囲の何人かが手の動きを一瞬止めていた。

 ああ、もう手遅れだなと彼は思った。そして内心で謝罪した。

 

 悪い、俺でもこいつは制御できねぇ。と。

 異界の概念を捻じ伏せ、それを動力源にして稼働する機械の戦鬼すら御する彼がそう思っていた。

 つまりは、誰も彼女を止められないという事になる。

 呉キリカはそんな事など露知らず、ある種の異形な偉業を成し遂げていた。

 

「なんだいその顔は。ははぁん、衛生面を気にしてるのか」

 

 そんな事など知る筈も無く、彼女はこう述べ始めた。

 

「私から引き抜いた時に君を濡らしてた、あのぺとぺとしてたのは羊水だよ。生産者が言うんだから間違いない。変な匂いもしなかっただろ?」

 

「まぁ、確かにな。嫌な感じもしなかった」

 

「ふふん、ならばよし」

 

 得意げになるキリカ、羊水って何だろと考えるナガレ。

 最後のシュークリームを平らげつつ気配を探る。気まずさの雰囲気の範囲は更に増している。

 

「気になるってんなら、お風呂は先に入りなよ」

 

「え?」

 

「暇だから今日は泊まってっておくれよ。ああ、母さんにもそう伝えといたから」

 

「今日はっていうか、この前泊まったばかりじゃねえか。しかも一週間もよ」

 

「ああ、あの時も楽しかったね。初日から一晩と三時間四十一分十五秒も、休むことなく互いを貪り合った」

 

 事実ではある。

 もちろん貪るとは闘争の暗喩である。

 牛の魔女も困憊し、蓄えていた武具も全て破損。

 両腕は切断されかけ、両脚もヴァンパイアファングの破片で貫かれていた。

 

 魔力が枯渇しかけて似たような状況に陥ったキリカとの間で交わされた最後の交差は、互いの牙を用いての超原初の闘争だった。

 牙同士が噛み合わされて出血し、口元を互いの唾液と血滴で染め上げた凄惨な死闘の末、勝者となったのはナガレだった。

 

 キリカの襟首を砕けた牙で噛み、最後の力を以て振り回して異界の構造物に彼女の全身を激突させ、骨の大半を砕き内臓を爆裂させての勝利だった。

 そのまま互いから溢れて地面に流した血の海に沈み、一時間後に目を覚まして治癒をした後に呉亭へと帰還。

 シャワーを浴びるなどして身支度を整えてから、延々とカードゲームで遊んでいた。

 

 事の発端を思い出すと、魔女退治をして暇になったからという何時もの理由で殺し合いが勃発していた。

 ついでに帰宅後の決闘(デュエル)に於いても、ナガレの戦法が墓地利用封殺・サーチ封じと悪辣に過ぎてフラストレーションを溜めたキリカが激怒。

 そのまま牛の魔女を用いて結界を呼び出し、第二ラウンドが展開される羽目になっていた。

 そこでも最後は徒手空拳と牙が物を言う結果となった。

 こちらはキリカが彼の喉を喰い破り、出血死の寸前まで陥らせたが跳ねた血飛沫が眼に入った一瞬を突かれて彼の手刀が炸裂。

 豊満な胸を貫き、背中から突き出た左手で心臓を抉って握り潰した彼の勝利とキリカが認めて終了となった。

 

 廃教会に帰宅した彼からそれらの話を聞いた真紅の魔法少女は「狂ってやがる」と言った。

 勿論二人に対してである。

 そして隠れてそれを聞いていたキリカが佐倉杏子を

 

 「友人がいなくて寂しかったんだね。でも自慰の時間がたっぷりとれたからいいだろう?匂い的に随分と致したようだし」

 

 となじり、即座に沸騰した杏子との間で死闘が展開された。

 例によって、ナガレが牛の魔女に命じて結界を開いて両者を異界に放逐。

 自分の寝床で寝転がったり、廃教会内を掃除したり消臭スプレーを撒いたりしながら時間を潰していると、二時間後に杏子は戻ってきた。

 首が千切れかけて血塗れのキリカにお土産宜しく長髪を片手で掴まれて吊り下げられ、全身を包帯でグルグル巻きにされた姿で。

 

「佐倉杏子って生理は激重みたいだね。君も少しは大事にしてやりなよ」

 

 と言って、気絶している杏子をボールのように蹴飛ばしてソファーでは無く廃教会の外に放った。

 そして「じゃあね」とナガレと挨拶を交し黒い魔法少女は去っていった。

 気絶したままの杏子をナガレが回収して彼女の寝床に横たえ、ようやく廃教会内に平和が訪れた。

 

 もちろん、杏子がこれで終わる訳も無い。

 この半日後に意識を取り戻した杏子は、ナガレが買っていたフライドチキンを三バレル平らげて失った肉を補充。

 更に二日掛けて彼と模擬戦と言う名の殺し合いをしてから体調を整え、周辺の魔女を虐殺しGSを蓄えてから再び廃教会を訪れたキリカと再戦。

 凄惨な死闘の末にキリカを原型を留めない肉片に変え、巨大槍から放った灼熱の炎で焼き捨てて復讐を果たしていた。

 が、当然の如くキリカはその十分くらいした後で平然と復活し、呆れ果てた杏子を尻目にまたナガレを借りて映画鑑賞やら魔女退治やらに連れ出していた。

 長くなったがそれらを踏まえ、彼はこう言った。

 

「あれは楽しかったな。流石の俺も逝っちまいそうだった」

 

「友人、もう少し周りの事を考えて発言してよ」

 

 恥ずかしいな、もう。とキリカは加える。

 周囲の者達の動きは停止に近い状態になっていた。

 そして息をひそめて、両者の会話に聞き入っていた。

 

「まぁいいや。それじゃあ腹も膨れたから本題に入ろうか」

 

 膨れたと言いつつ、キリカの腹は平坦なままである。

 既にケーキは二十切れ以上、アイスやスイーツが山と盛られたパフェも五杯は平らげている。

 杏子もそうだが、魔力を用いて完全消化しているらしい。

 便利なもんだと彼は思ったが、彼も彼で腹は膨れていない。

 だが彼の場合は王水に匹敵ないし凌駕する超強力な胃酸と、異常な吸収能力によるものだろう。

 どちらも化け物である。

 

 

「なぁ友人。子供産みたいんだけど、協力してくれないかな」

 

 

 化け物の片割れが雌の願望を告げた。

 ぱくぱくと忙しそうに、スプーンでプリンを掬って食べ続けながらの発言だった。

 周囲の気温が、五度は低下したように静まり返った。

 毒のような空気に抗うように、平素を装ってされていた会話も途絶えていた。

 

「ふむ」

 

 もう一体、顔は可愛い雌だが中身は猛々しいにも程がある雄の怪物は、声だけで聞けば賢そうな呟きを放ちながらストローを啜ってコーラを飲んでいた。

 ちゅーずぞぞという音が、会話の絶えた店内に良く響いた。

 

 ああ、だから別の意味で腹を膨らませたいのか。

 ナガレはそうぼんやりと思った。

 そうでも思わないと、やっていられないのだった。

 

 

 

 

 

 










ある意味最大の危機、到来


そしてこの番外編も随分と長くなってきたものであります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑫

「なぁ友人。子供産みたいんだけど、協力してくれないかな」

 

 プリンを貪りながら、彼の方を見もせずにキリカはそう告げた。

 発言の瞬間から、バイキング形式にて甘味を提供する天国のような店舗の中は氷結地獄と化していた。

 コーラを啜り、ケーキを丸呑みするように食べ、クッキーを五個纏めて口の中に放り込んでボリボリとやってから飲み込む。

 キリカはチョコケーキを食べていた。

 

「あむっ」

 

 可憐な口がカットされたケーキの半分ほどを齧り取る。

 もぐもぐとしながら口内の甘味を味わう様子は、地上に顕現した天使であった。

 幸せそのものの態度を、ナガレはソーダをストローで飲みながら見ていた。

 チューズゾゾという音が店内によく響いた。

 店内に流れるクラシックじみた優しい音を除いて、音を発しているのがキリカと彼しかいないからだ。

 飲み終えた時、彼は静かにコップを置いた。

 

 そして相変わらず甘味を貪り、幸せな笑顔を振り撒いている。

 店内の客たちの何割かは、その笑顔に釘付けとなっていた。

 そして残りは、その前に座る少年を見ていた。

 少女、それも美が頭に付くくらいの容貌の彼が開いた口に視線が注がれ、耳は放たれる言葉を待っている。

 

「お前さんに吊り合う男連れて来いってか?骨が折れるな」

 

 外見に相応しい、これもまた可憐な少女の声で、それでいて男らしい響きを帯びた口調で彼はそう言った。

 

「ええ…」という困惑の反応が店内に木霊した。

「どういう意味?」という問い掛け、または「こんなトコで言うなよ」という息をひそめて、そして赤面しつつ慌てての青春的な一幕。

 見ていた者達はそういったやり取りを予想、ないし期待した。

 彼が返したそれは、そのどちらでもなかった。

 

 問題解決に向けてはいるが、明らかに何かがおかしいのであった。

 更におかしいと言えば、黒髪の美少女の言葉がそもそも異常である。

 性交を求めるなら、他に言い方は幾らでもある。

 

 しかし彼女が選んだそれは、快感を伴う過程ではなく生物的な結合としての結果である。

 性行為と言う気まずさから生じた人間たちの沈黙は、それに気付いたとき、自分達とは異なる存在と認知したが故の恐怖へと変わっていた。

 変な言い回し、子供ゆえのからかいといった考えは消えていた。

 それを誘発したのは、向かい合う黒髪達が備えた美しさだった。

 外見的には十三、四程度の美しい二人が備えた妖しさは異形の問い掛けを以て対峙した為に増大され、二人の間で一種の異界を形成していた。

 

「ハァ…」

 

 知らず知らずのうちに、店内の空間を支配した怪物の片割れであるキリカが溜息を吐いた。

 ネットスラング的に言えば、クソデカ溜息というやつである。

 

「友人、私に近親相姦をしろと?」

 

 そう言うと、キリカはオレンジジュースを飲んだ。

 ナガレはチーズケーキを味わっていた。

 

「どういう意味だ?」

 

 質問に質問で返すやり取りである。つまりは何時もの事だった。

 

「言葉のままの意味だが、説明が必要かい?」

 

「ああ、頼む」

 

「素直でよろしい。が、今回は私もちょっと怒っている」

 

 ナガレは首を傾げた。キリカも真似をして首を傾げた。

 ナガレは無言だったが、キリカはふふっと笑った。

 様子で見れば可愛らしいが、会話の内容は異次元だった。

 

「首の角度は私の方が深いな。私の勝ちだね」

 

「やるな。おめでとさん」

 

「友人、真面目な話なんだけど」

 

「悪いな。空気読めなくてよ」

 

「友達同士なんだ、そんなに気負わないで呉」

 

 甘味を食べ続けながら、両者は言葉を投げ交わす。

 会話一つ毎に、前の会話が無意味になっていく。

 これは会話というか、会話のような何かだった。

 

「そうそう。話を戻すとだが、私の世界には男は二人しかいない。一人は我が父君。そしてもう一人は君だよ、友人」

 

 この時、キリカはそれまで続けていた食事の手を止めていた。

 椅子を少し後ろに引いて脚を組み、豊かな胸の前で腕を組み合わせ、そして黄水晶の目でナガレを見ながら告げていた。

 緩く開いた口は小さな半月。ドヤ顔という奴だった。

 

 組み合わされた脚の奥では、鼠径部に貼り付いたスカートが見えた。

 そして組まれた両腕はキリカの胸を圧し潰していた。

 あ、そういえばとナガレは思い出した。

 この時に至っても、彼女はまだ下着を着用していない事を。色々な事があり過ぎて、思慮の外に追いやられていたのだろう。

 

「さっきも言ったけど、母さんが私を宿したのは十五の頃で色々と悶着があったらしい。今ではもう収まった、らしいけどその上で更に実の娘を孕ませたとなればこれは一大事だ」

 

 星を眺めているかのような、または他人事のような口調でキリカは言った。

 

「となると相手は君しかいない。私が近親相姦をするのが君の望みか?そして私の家を家庭崩壊させたいのか?」

 

 一転し、弾劾の口調でキリカは述べる。

 

「だとしたら君の倫理観は大いに問題があるな。今までどうやって生きて来たんだ?」

 

「ん?見なかったのか」

 

 なら良かったと彼は付け加えた。何処か安堵した様子である。

 数秒の沈黙。

 キリカはサイダーを飲んだ。ナガレはクッキーを数個噛み砕いて飲み込んだ。

 互いが喉を鳴らして生じる、ごくりという音が重なる。

 

「ま、それはそうとしてだ。私は子供を産みたいわけだが、その片割れとして遺伝子提供者に君を指名するよ。友人」

 

 平然とキリカは言った。

 仮にこの言葉を受けたとしても口調が平然とし過ぎて、何を言ったのか分からない者が大半だろう。

 それはそんな言い方だった。

 残念ながら、彼にはそれが言葉として伝わった。既に言われていた事でもある。

 一分ほど考え、彼は口を開いた。

 

「てこたぁ何か。ここ来るときも冗談で聞いたけど、俺に抱かれてぇのか?」

 

「ふむ。やはり君の存在は興味深いな。何故こうも闘争を望むんだい?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 敢えて直球を用いての確信を突いたような彼の問い掛けに対し、矛先を変えたようなキリカの問い。

 それに対し、両者は同じリアクションを取った。

 

「ええと、違うの?」

 

「違うよこのおバカ」

 

「あー、じゃあ。闘争を望むってのは?」

 

「え?抱かれたいって、喧嘩売ってたんじゃないのかい?ならお望みどおりにって感じで、また締め上げてやろうかと思ったんだけど」

 

 言いながら、キリカは右腕を掲げた。

 肘の手前から指の根元までが黒いベルトで覆われた手が、ベキベキと音を鳴らした。

 関節が組み替えられ、人のそれから蛇の胴体のような多節と化していく。

 締め上げるとは、比喩ではなくそのものである。

 ここに来る前の道中で、彼は全身の関節を外して蛇も同然と化したキリカに身を絡めさせられ、重機に匹敵する力でその身を圧搾されている。

 

「うーん…」

 

 キリカの威嚇に対し、言い方が不味かったのかなぁ、と彼は思った。

 そしてふと思い出す。

 嘗て言われた言葉を。それは男女差を咎めるような一言であった。

 そしてここ最近では、それを特に意識している。

 

『力があれば、男だろうが女だろうが』

 

 彼はそれに「違ぇねえ」と返した。あいつは良い奴だったなと思い返していた。

 それは一瞬で済ませた。

 果てに待ち受けた死や不愉快な存在を思い出す前に、彼は今に向き合う事にした。

 

 思えば簡単な事なのだ。

 言い方が不味かった。

 知らず知らぬの内に、自分の方が目上だと思っていた。

 

 確かに年上だが、自分は二十歳でキリカは十四歳である。

 差があるようで対して差がない。

 であれば、敬意を払うべきだろうと。

 それを踏まえ、彼はこう尋ねた。

 

 

 

「つまり、俺とヤリてぇの?」

 

「死ね」

 

 抱くという表現に自分の方に主導権があると見ての、可能な限り同じ目線で尋ねた言葉は即座に斬り捨てられた。

 キリカの黄水晶の目には、深い憐れみが浮かんでいた。

 答えは何処にあるのだろう。ナガレはその美しい色を、キリカの瞳を見ながらそんな事を考えていた。













短めですが、パワーワードが多過ぎて書いてて疲労しましたので…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑬

「君にも分かるように要約すると、私は君との子供が産みたい。だけど、だけどね」

 

 最初から飛ばした言葉を喋りながら、キリカは続ける。

 

「友人、君はどうしていつもこう…性に結び付けた発言を繰り返すんだ?君は本当に色狂いだな」

 

 世に満ちる無数の苦難を嘆く賢者のように、右手で額を覆いながらキリカは告げる。

 対するナガレの顔には疑問の色が満ちていた。

 

「だから、子供欲しいんなら…そういったのは必要なコトで」

 

「友人」

 

 ナガレの言葉を遮り、強い口調でキリカは言った。経験則に従い、彼は素直に黙った。

 

「私が散々伏線をバラ撒いたってのに、君は気付いていないのか」

 

「?」

 

 彼は頭にそんな記号を浮かべた。そんな場面がよく魔法少女物のアニメに出てくるので、その場面を模した表情を真似ていた。

 

「気付かないの?」

 

「?」

 

 ナガレの表情は変わらない。何を言われてるのか、そもそも分からないと言った表情だった。

 

「あ、そっか」

 

 キリカが何かを察した。

 

「ねぇねえ友人。ふくせん、て言葉の意味分かる?」

 

「ああ、それ。俺、国語はちょっと苦手でな。知らねぇから教えてくれるかね」

 

 ハァ、と溜息を吐くキリカ。

 

「伏線てのは、あとあとのために仄めかしておく言葉とかさ。そうするとね、それが使われた時に物語が盛り上がるんだよ」

 

「なるほど。そう言われると思い浮かぶとこあるな」

 

「漸く気付いたか。我が布石に」

 

「いや、今まで観てたアニメの方」

 

「死ね」

 

 昏く響く声で、キリカは死天使の如く彼に告げる。

 しかしそれでいて、

 

「ああそうそう。これ美味しいよ」

 

 と皿を差し出した。

 

「お、サンキュ」

 

 皿ごと受け取り、手前に置く。

 八分の一程度に切られて乗せられた菓子を一つ手に取り、彼はしげしげと眺めた。

 

「へぇ。こりゃ随分と豪勢なこった。使われてる苺の数凄ぇな」

 

「苺タルトだからね。初めて見たのかい?」

 

「まぁな。こういったのとは無縁の生活しててよ」

 

「また一つ賢くなったね、友人」

 

「ああ。最近生きてて楽しくて仕方ねぇや。あといい色してんなぁ、コレ」

 

 興味深くタルトを見つめるナガレの姿は、年相応の子供そのものだった。

 いや、合ってはいるのだが。

 

「相変わらず赤が好きなんだね」

 

「そうだな。色の中で一番か二番くらいにな」

 

 左手で頬杖をつき、その様子をキリカは眺める。

 虚無を宿す黄水晶の目に、悪戯っぽい光が霞む。

 名残惜しそうにタルトを見つめ、彼が口を開いた瞬間にキリカはこう言った。

 

「それ、佐倉杏子カラーだね。あいつの胴体の色みたいだ」

 

 言い終えたのと、タルトが齧られたのは同時だった。

 

「苺の断面は、さしずめあの女のハラワタかな」

 

 停滞も無く、彼は菓子を咀嚼する。

 

「つぶつぶの浮いた苺の赤い表面は、血の滴る肝臓ってところか」

 

 次の一口で完全にタルトは口内に消えた。

 

「どうだい友人。佐倉杏子の味は」

 

 さっきと同じく咀嚼され、飲み込まれる。

 

「容赦なしか」

 

「なんで菓子に手加減が?」

 

 予想通りのリアクションが得られず、キリカは残念そうだった。

 彼女のプランでは齧った直後に彼が咳き込み、はいはい慌てない慌てないと、背中をさすりながら強炭酸水を飲ませてやる算段だった。

 それで吐き出して醜態を晒せればよし、出来なくても恩が売れると彼女は睨んでいた。

 どちらでもない事に、彼女は不満になった。

 しかしそもそも、咳き込むようなヤワな生命体じゃないなと自分の愚策を悟っていた。

 そのせいで、最初の話題を思い出していた。

 

「で、友人。さっきの話だけど」

 

「伏線か?」

 

「ああその通り。でだね、張り巡らせていた設定とは『私は性欲が薄い』だ」

 

「そういや言ってたな」

 

「君が私の台詞を覚えているとはね。成長したな、友人」

 

「で、それがどうしたってんだよ」

 

「だーかーらー。私は性行為というかセックスに関心は無いんだって!いい加減分かってよ!友人!」

 

「え、そうなのか?」

 

 危険な問い掛けだという意識は彼には無かった。四六時中爛れた性絡み発現を受ければ、そんな気分にもなるのだろう。

 

「そうだよ!生理の時に流れた血を拭く時にちょっと疼く程度って言っただろ?それにさ、体内に異物が入るとか気味が悪いったらありゃしないよ」

 

「さっき俺を喰ってたろ」

 

 先よりもさらに危険な発言であるという意識は、この少年いやこの男には無いのだろうか。

 味が気に入ったのか、苺タルトを食べながらの発言だった。

 食事中ゆえに頭から胃に血液が流れ、普段より脳が不活性もといバカになっているに違いない。

 

「ああ、あれは別。友人だからね、身体で包んでやるくらい訳ないさ」

 

「えと、あの…それだと矛盾しねぇかな」

 

 異次元の行為に対する矛盾を突き付けるナガレであった。

 そしてこの時、店内の雰囲気は更に氷結していた。

 

「なにがさ。別に大したことないじゃないか。ただくぱぁって開いた私の肉に君を導いて、熱い粘液とかも交えてぐちゃぐちゃっと咥え込んでやっただけだ」

 

「あー…キリカさん、流石にちょっと抑えて抑えて」

 

「そうやってまた逃げようとする気か。ちなみにだが、九月八日はくぱぁの日らしいね」

 

「それが何だよ」

 

「いや、知識マウントをとろうかなと」

 

 これ以上に最悪なマウントがあるのだろうか。

 恐らくあるだろう。呉キリカの行うこういった要素には際限がない。

 

「まぁあれも興奮しなかったかと言われると、そうだね。悪い気分じゃなかった。君は?」

 

「温かかったな」

 

 快不快ではなく、言い切るように言った。

 事実であるし、それ以外は弱音になるからと彼は言葉を控えている。

 

「私の内臓がぴったりと君に張り付いて、君の肌にちゅうちゅうと吸い付いてたね。あの感覚は忘れないよ」

 

 感慨深くキリカは言った。

 周囲から幾つかの呻きが上がった。

 陶酔の響きを帯びていた。

 実際の行為は地獄そのものであったとしても、彼女が語る言葉は性の悦びに浸る美しい少女のそれだった。

 それが熱病のように拡がり、淫らな色を周囲に振り撒いていた。

 

「でもさ、それとこれとは違うのさ」

 

 それを切り裂く様に、冷たい声でキリカは言った。

 

「考えても見なよ。受け入れる側として、性行為というのは中々に悍ましい」

 

「ん…」

 

 そう言われ、彼も少し考える。

 が、立場が違うのでそもそも考えが合わない。

 更には飲み込まれる方も結構気分的に来るものがある気がすると、彼は思った。

 

「どうせ立場が違うからとか思ってるんだろう。だから私に良い考えがある」

 

 ロクでもないものだろうなと彼は思った。そうとしか思えないし、そうでない筈が無い。

 というかなんとなく、その台詞には不吉さを感じた。

 

「だから君も…ええと、君の……うん、量産機を切り落として私達の仲間、つまりは女の子になれば私の気持ちが分かると思うよ。うん」

 

 さすがの彼も唖然としていた。

 しかしながら、少し恥ずかしがりながら言っていたところに、可愛いとこあるなコイツと思う程度の余裕はあった。

 余裕というか、精神的な強度がどうかしているのである。

 

 にしてもそれで女の仲間入りが出来るとは。

 キリカの発言は漫画かアニメが元ネタになっている事が多いと、これまでの付き合いで気付いていた。

 となるとその凄惨な様子も何か原型があるのだろうと。もしかしたら英雄的な行為の為に必要だったのかもしれない。

 何となくそう思った。

 

 そして次いでの事柄についても考えた。

 

「量産機か」

 

「はい?」

 

 キリカは困惑した。これは単なるものの例えである。

 そして同時に悟る。

 こいつはあの映画に並々ならぬ関心を持っていたと。

 

「お前、あいつら馬鹿にしてるみてぇだけどよ。あいつらも結構強いぞ」

 

 キリカは両手で顔を覆った。

 ああもう、この子ったらと呟く。

 

 いつもこうだ。

 話が脱線しすぎて、核心から離れていく。

 彼女はそう嘆いたが、自分もまた脱線の片割れを担っている事に気付いているのだろうか。

 多分、気付いていないだろう。

 この二人の会話は無軌道で無秩序且つ不健全で満ちており、それでいてそれが平常運転なので、今更治しようがないからだ。

 

 

 

 

 










不健全会話もここに極まれりであります(鹿目さんや環さんにはこんなやり取り、とても見せられない…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑭

 前のめりな姿勢となったナガレは手を伸ばし、両手の先で折り紙のように折られた紙ナプキンを弄んでいた。

 それをちらと見て、キリカは溜息を吐いた。

 

 空になった皿を重ねて設けられたスペースで対峙するのは、角ばった頭部の人型と丸く長い異形じみた頭部の人型。

 簡単な折られ方ながら、特徴が良く再現されていた。

 ゆえに、鰻じみた頭部のそれが醸し出す嫌悪感は相当なものだった。

 周囲の人々もそれが何だか分かっていた。

 件の映画はカリギュラ効果によって人気を博し、今この時も新たな毒素をこの世界に振り撒いている。

 

「でだな、俺としては6号機の奮闘を評価したいと思っててよ」

 

「何さ。6号機って」

 

「お前が振ってきた話じゃねえか。何度も観たってのに、分からねえのか?」

 

 向き合わせた二体を小突き合わせながら、心底不思議そうな顔で彼は聞いた。

 

「分からない…って、何が?」

 

 キリカは不機嫌そうに、そして心底意味不明だと言わんばかりに聞き返した。

 

「6号機っていやぁ、弐号機とチャンバラやった奴に決まって…ってお前まさか、こいつらの見分けが」

 

「付く訳ねぇだろこのおバカ」

 

 普段の口調を崩壊させながらキリカは断言した。

 

「マジかよ…お前らも不憫だな。あんなにボロボロになりながら頑張ってたのに、名前覚えてもらえないなんてよ」

 

「なぁ友人。ウナゲリオンどもに注げるその優しさ、というかまごころをさ…魔法少女にも与えられないのかい?」

 

 量産機を模した紙人形に同情の視線を送るナガレを、キリカは哀れっぽい視線で見つめながら言った。

 

「ん?頭でも撫でて欲しいのか?」

 

「どうしてそう…いや。いい機会だな」

 

 そう言うと、キリカは頭を垂れた。

 濡れ羽色の美しい黒髪は、翼を畳んだ黒鳥にも見えた。

 

「撫でろ」

 

 彼が異を唱える前に、強い口調でキリカは言った。

 更に。

 

「恥ずかしいから、早くしておくれよ。君が私の友達なら」

 

 こう続けた。伏せているが故に表情は当然分からない。

 だが、声には羞恥の響きがあった。

 彼はそう思った。

 発する言葉が爛れた要素を孕んでいたとしても、行動は別なのだろう。

 

 極めて迅速かつ自然に、彼の手は伸びていた。椅子から立ち上がり、やや前屈みとなって右手が伸びる。

 形で見れば、その指は細かった。

 但し彼の指は合金もかくやといった頑丈な骨を頑強な筋肉が覆った、関節を備えた釘のような指だった。

 人間の頭どころか、使い魔程度なら容易く握り潰す握力を行使できる手。

 魔女の甲殻や体表を抉り、剛力で異形の肉を引き裂ける力を有する指。

 

 それが、キリカの頭頂に触れた。

 接触の瞬間、彼女の身体が僅かに震えた。

 怯えたようにも、反射的に震えたようにも思えた。

 震えが治まると、彼は指先を彼女の髪の中に滑り込ませた。

 さらさらとした黒髪が指先を覆い隠し、掌までが包まれる。

 

 その状態で、彼は指先を動かした。

 黒い茂みの中を、彼の指先が這う。

 

「…くぅ」

 

 キリカは押し殺した声を上げた。

 声は止まらず、小さな唸り声となって続く。

 髪をかき分け、少女の柔らかな頭皮をナガレの指の腹が撫で廻す。

 

「ぅ…」

 

 呻き声に粘着質な響きが混じる。

 やめろと言えばすぐにでもやめるつもりだったが、彼女は頭を差し出し続けている。

 呻き声は熱を帯びていた。

 ナガレは指の動きを止めた。途端に、ビクリとキリカが震えた。

 

 求める様に彼女が首を上げた時、頭頂に置かれていた手は再び頭皮に触れ、重力に従うように下方へとスライドした。

 鳥で言う翼の部分、豊かな横髪が蓄えられたキリカの左頬へと彼の手は移動していた。

 人差し指の先が、彼女の耳へと触れている。

 動かそうとした時に、

 

「友人」

 

 キリカが声を発した。普段のハスキーボイスだが、どこか濡れた響きが纏わりついている。

 

「何故、そこを攻める」

 

「触りてぇから」

 

 率直に過ぎる言い方だった。理由がそれなのだから仕方ない。

 

「そこ、君がよく殴る位置だな。何度そこに拳を叩き込まれて、眼球を爆裂させられ、脳みそをブチ撒けさせられた事か」

 

「お前は強ぇからな。そうしねぇと俺が死ぬことが多くてね」

 

 親指が耳たぶに触れ、残りの指が耳の裏を撫でた。

 その瞬間、キリカの背は跳ねた。

 弓なりに反り、背筋がビクビクと蠢動する。

 震えは十秒も続いた。

 そしてゆっくりと背筋が戻り、彼女は熱い息を吐いた。

 

 そのまま一分ほどが経過した。

 彼は既に手を戻し、座席に座っている。

 静まり返った店内に、キリカの呼吸音と心臓の音が響いた。

 彼の聴覚は、それ以外の音を拾わなかった。

 

「ごめん、ちょっとお花摘んでくる」

 

 やがてキリカは立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩いていった。

 夢遊病者のような動きのキリカが手洗い場の奥へ消えるのを見届けると、彼も席を立った。

 動きを止めた他の客たちの様子に奇妙なものを感じつつ、彼はお盆を手に取った。

 

 その上に皿を敷き詰めると、長机の上に並んだ菓子をトングで掴み次から次へと皿の上に乗せていった。

 一つの盆が一杯になると、自分たちの机の上に並べてもう一度それを繰り返した。

 机の上に色とりどりの菓子が並んだ頃、菓子に手を付けずに座席に座る彼の対面の席に少女が座った。

 

「待たせたね友人。一つ、分かった事があるんだ」

 

 座った直後にキリカは言った。

 

「ここに来る前、私が言った実験の事を覚えてるかい」

 

 真面目な口調と表情で彼女は言う。幸い、というよりも不幸ながら彼はそれを覚えていた。

 

「それ、俺に言えってか」

 

「流石に酷だな。じゃあ結果だけを言うと、実験は成功だ。私は性欲が薄いのではなく、単に発現の仕方を知らなかっただけなのかもしれない」

 

「…つまり?」

 

 何を言わんとしてるかは分かるし、尋ねるのは無意味と分かっていた。

 しかし、聞いた方がいい気がした。

 彼なりに空気を読んだのだろう。

 まだ青いながらに、女の香りを孕んだ空気を。

 

 

「私は君に欲情したよ」

 

 

 ただ事実を告げる、淡々とした口調でキリカは言った。

 

「それと気が利くね。ありがとうさん」

 

 そして眼を輝かせ、机の上に置かれた菓子に手を伸ばした。

 第二陣の中で最初に彼女の贄となったのは、先程彼とその相棒を愚弄するのに用いられた苺タルトであった。

 

「ところで、あの妙にえっちな撫で方はどこで覚えたんだい。後学の為に聞きたい」

 

「これでも昔、お前らの歳の頃には彼女がいたからな」

 

「へぇ、人生経験豊富だね。で、どんな人?差支えなければ、それも教えてほしい」

 

 ナガレも菓子を食べながら返した。

 年齢についての突っ込みを彼女はしなかった。

 前々から、彼の実年齢と今の状況については聞いている。

 普段は馬鹿にしているが、今は信じている。

 のではなく、興味の矛先が事実がどうというよりも彼の過去に向いているのだった。

 

「教えてやるけどよ、前以て約束してくれるか」

 

「何をだい、友人」

 

「怒るなよ」

 

「ああ。約束しよう」

 

「お前に似てた。髪の色も黒だった。髪は少し短くて、眉はちょっと太かったけどよ」

 

 沈黙。

 そうなるに決まってる。

 

「…ふぅん、性格は?」

 

「色々とはしゃぎまくってて面白い奴だった」

 

「理知的で物静かな私とは真逆の性格という訳か。ふむ…」

 

 キリカは考え込んだ。

 脳内で外見を構築し、思い当たる対象を探す。

 そして発見。

 

「となると私よりも、同じ学年の他の組にいる奴に似てるね。そいつは青髪だけど、妙にうるさいし似てるかも」

 

「似た奴ってのはいるもんだな」

 

「ところで、彼女って事はやる事はやったの?」

 

「そりゃ、付き合ってりゃな」

 

 当然だろといった感じで彼は言った。

 彼としてはむしろ、キリカや魔法少女各位に彼氏がいないのが不思議なくらいだった。

 

「なら丁度いいじゃないか。嘗ての女だと思ってくれて構わないから、君の命の一部を私におくれよ」

 

 そして話題は元へと戻る。

 互いの遺伝子を混ぜ合わせて、命を宿したいという欲望へと。

 

「でも後ろから交わるのは嫌だね。繋がってるところとか、あと……お尻を見られるのが恥ずかしい。それと強姦みたいでなんかやだ」

 

 淡々とした口調で言おうとしていたが、流石に口ごもりと羞恥が混じる。

 彼女にとっては珍しい事だった。

 

「可能なら、というか顔を見せて手を繋ぎながらしておくれ。そうしないと多分、湿り気を帯びないから互いに痛いと思う」

 

 そして際どいに過ぎる言葉をキリカは連ねていく。

 朗らかな、春風のような温かい笑顔で。

 

 美しい容貌と可愛らしさ、そして雌の色気を今のキリカは持っていた。

 それを跳ね除けられる者など、ざらにはいないだろう。

 

「悪いな」

 

 しかし例外はここにいた。

 

「俺はお前らくらいの歳の相手にそういう気分にはなれねぇし、それに親になる気は無ぇ」

 

 真っ向からの拒絶の意思を、彼はキリカへ突き刺すように告げた。

 告げられたキリカは彼を見た。

 黄水晶の瞳の中に、昏い虚無が広がっていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑮

「そうか」

 

 沈黙を破りキリカが口を開いた。

 

「薄々は、気付いていたんだ。私だってバカじゃない」

 

 そして淡々と言葉を続ける。

 

「悟っていたさ。君がホモだって」

 

「違う」

 

 即座に彼が否定する。

 精神と魂が掛かっているからだ。

 

「違う」

 

 更に否定を重ねた。

 再び沈黙が降りた。

 そしてその沈黙を破ったのは、またしてもキリカだった。

 

「今日、いや…これまで私と一緒に歩いてる中で見た、私を見る男どもの目を覚えているかい?」

 

「ああ」

 

 背後や左右からキリカへと吸い付く粘着質な視線を、彼は幾度も睨み返して蹴散らしていた。

 

「私から見たり感じたりする視線を思うと、あれは視姦というか強姦。

 そして輪姦するような目だね。私の尻や胸、もちろん膣も。

 それと口、手や足もかもしれないな。要は全身を蹂躙してやりたいって感じに見えた」

 

「おい」

 

 彼の声は諫める口調だった。

 それをキリカは「云わせて呉」と返した。

 彼はそれに従い、聞くことにした。

 自らを抑える様に両腕を胸の前で組み、黒が渦巻く瞳でキリカを見る。

 その様子に満足感を覚えたか、キリカは得意げな笑みを浮かべた。

 そして、肘近くまでを黒いベルトで覆った右手で下腹部を摩りながら、

 

「そいつは私を組み敷いて服を剥ぎ取り、私のここに自分のものを強引に捻じ込んで、胎内に肉の杭を打ち込む」

 

 笑顔のままで、最悪な事象を語り始めた。性欲に満ちた視線を送ってきた者によって、自分が強姦されゆく様を。

 

「処女の私は異物が胎内に入る痛みに泣き叫ぶ。

 結合部からは肉の悲鳴みたいに血がだらだらと溢れる。

 まぁそれで、その私を正面から抱きかかえて一心不乱に腰を振る。

 胸の形が変わるくらいに揉まれて、乳首を齧られて血が滲む。

 自分を守る為に粘液が分泌されて、血と粘液が掻き混ぜられて泡が弾ける。

 その様子に興奮して、私を犯す男の腰の動きが速くなる。

 当然刺激も増えて、限界が訪れる。そして私の胎内に男の精が注がれる」

 

 少女のような貌に不快感を滲ませながら、彼はそれを聞き続ける。

 

「熱い粘液が破瓜の傷口を焼いて、私は呻く。

 引き抜かれたそれからはドロリとした白濁と粘液と血が垂れる。

 それを私はぼんやりと見てる。そこに別の男が覆いかぶさり、同じことを繰り返す。

 気が付くと男の数は増えていて、私の性器だけじゃなくお尻の方も蹂躙される。

 激痛を和らげるために、苦痛が次第に慣れていくけど、気持ちよさなんて訪れない。

 胸の間にも挟めさせられて扱かれる。達した事で私の顔と胸が白い粘液に汚される。

 手にも握らされて、この黒髪も肉に絡められて弄ばれて白濁に染まる。

 口の中にも突き込まれて、顔を両手で掴まれて前後に振られて喉奥まで犯される。

 私の口の中で熱が弾けて、口から粘液がどろどろと垂れる。

 でも直ぐに別のものに塞がれる。何時間も何時間も輪姦が続く。

 前と後ろの穴は何度蹂躙されたか知れず、乾く暇もない。

 最初の頃の白濁は黄ばんでいて、据えたような異臭が漂う。

 やがて私は鎖に繋がれて、連中の好きな時に好きなだけ弄ばれる。

 そして幾月かの時を経てその結果が出る」

 

 眼を閉じ、頷きながらキリカは長台詞を続ける。

 

「つまり、私は孕む」

 

 当然とでもいうように、キリカは生物的な結合の結果を述べる。

 

「腹を鞠のように膨らませた私だが、男たちの輪姦は続く。

 膨らんだ腹を上からぐしゃっと掴んで、膣の圧を少しでも高めようとしてくる。

 尻の方も同じで、尻たぶに爪が立てられて血が滲むくらいに力が籠められる。

 命を宿した腹が玩具として弄ばれて、私の口にも二本の肉が突っ込まれる。

 子供の栄養になると嘲られながら、大量の白濁を強制的に飲ませられる。

 そして全身を陵辱される中で私の腹が蠕動して、凌辱の最中に我が子が産まれる。

 しかし抱くことも出来ずすぐに取り上げられて、私は犯され続ける。

 やがて再び孕ませられ、また産まれるか堕胎される。

 ああ、臨月の腹を殴られて流れてしまうのかも」

 

 吐き気を催す状況が、美しい声で滔々と語られる。

 

「それを、君が見ている。見せられている。一部始終をずーーーーっと」

 

 言いながら、キリカは眼を開いた。

 当然の事ではあるが、最初に彼女が見たのはナガレの顔だった。

 元の姿勢のままだったが、その表情は更に激情を秘めていた。

 キリカも思わず黙っていた。

 放射される怒気が彼女の肌を刺し、呼吸さえも忘れさせていた。

 負けじと息を大きく吸って、キリカは続けた。

 

「私を視姦していた連中から見て、隣にいる君は多分恋人か、或いはきょうだいだ。

 ああ、私の方が姉だからね。そんな身近な奴の前で私を犯して穢し尽くす。

 そこから得られる背徳感は、相当なものだろうね。

 そんな妄想を交えながら、私は連中の脳内で犯され続ける。

 そう思うだけで吐き気がする。正直言ってて辛い」

 

 言い終えるとキリカは溜息を吐いた。

 重金属のような吐息であった。

 疲労感は本物らしい。

 

「でもね。君にはそれを許してやる。

 勿論、一部だけどね。私を孕ませる行為を、さっき言った条件でなら許してやれる」

 

 前を見ながら、互いの手を繋いで、尻と結合部は見ずに。

 条件とはそれである。

 

「それでも、無理かい」

 

「ああ。お前らの歳相手には、そういう気分になれねぇんだよ。悪いけどな」

 

「そっか。真面目だね」

 

 長く続いた言葉とは裏腹に、決着はあっさりと着いた。

 少なくとも、今は。

 

「つうか、なんだその胸糞悪い妄想は」

 

「演出」

 

 当然とでも云うようにキリカは言った。

 

「…さっきまでの全部がか」

 

「うん。興奮したかい?」

 

「いや、滅茶苦茶にムカついただけだ」

 

「ふむ。相変わらず倫理観はちゃんとしてるな。安心したよ」

 

 狂気と常に共にある彼女にも、モラルの基準があるらしい。

 

 

「にしても、歳の差か」

 

「ああ。未成年に手を出すのは趣味じゃねえ」

 

「ううむ」

 

 キリカは神妙な顔つきで考え始めた。

 ロクでも無い事だろうなと思いつつ、ナガレはオレンジジュースを飲んだ。

 彼女が語った陵辱劇を思い浮かべた事による喉の苦みを、鮮烈な酸味が多少なりとも拭い去る。

 飲み続ける彼の目の前で、キリカは胸のボタンを一つ外した。

 

「どう?」

 

 言いながら、シャツの前立てに右手の人差し指を引っ掻けて引いた。

 肌色の膨らみと桃色の突起が外気に触れる。

 怪訝な視線のままに、ナガレは首を左右に振った。

 

「じゃあとっておき」

 

 そう言うと椅子を後ろに倒して角度を上げ、ミニスカートの鼠径部を左手で小さくつまんで上げた。

 薄い暗がりの奥に、薄っすらと生えた陰りと肉の縦筋が見えた。

 

「悪いな」

 

 彼は内心うんざりしていたが、努めて表面に出さないようにしていた。

 彼女なりの熱意を汲んだものと思われる。

 

「謝らなくていいよ。そういうの、重い」

 

 指をスカートから離すと、桃色の布は静かに元の位置へと戻った。

 

 

「ちなみに友人。もしもだけどさ」

 

「ん」

 

「君がその見た目と同じ年齢だったら、どうだった」

 

「考えるより、動いてたに決まってら。もちろん避妊はすっけどよ」

 

「私も大概だったが率直に過ぎるぞ、友人。

 って、やはり結果よりも行為を求めるか。このスケベ」

 

「男ってのはそういうモンなんだよ。ていうか、何で子供欲しいんだ?」

 

「産みたいから」

 

「素直だな」

 

「私の美徳さ」

 

 胸を張りながら得意そうにキリカは言った。

 既にボタンは閉じられている。

 妙に几帳面な少女である。

 

「じゃあ、産みたい理由は?」

 

「ああ、それねぇ」

 

 確信に踏み込んだ質問にも、キリカは動じなかった。

 

「最近母さんによく言われるんだ『あの子とどうなの?』『最近見ないけど元気?』って」

 

「ええと、つまり?」

 

 最近見ない。 

 先週は一週間呉亭に泊まっていたのだが、以降の一週間をキリカ母は最近と捉えているらしい。

 

「うん。だから結果を見せてあげようと思って」

 

「結果…ねえ」

 

「勘違いしないで欲しいが、産んで終わりな訳ないからな。ちゃんと育てるよ、私の母君が」

 

 もちろん母乳は私が与えるけどね。とキリカは繋げた。

 

「ああそうそう、赤ちゃんの戸籍とかもどうたらこうたらとかして、母さんが産んだって事にするみたいだよ。協力は惜しまないみたいだ」

 

「…そうか」

 

 予想を超えた願望の源泉と、そしてキリカ母による計画的な事象にさしものナガレも衝撃を受けていた。

 

「うん。当時は母君も中学出たばかりで手探りもいいとこだったから、改めてまた育児をやってみたいんだってさ」

 

「人生ってのは大変だな」

 

「人ひとりが新たに生まれるんだからね、当然さ」

 

「全くだ」

 

 何気ない世間話のように、両者は粘ついた事象を語り合う。

 仲が良い事だけは間違いないらしい。

 

「それだけに残念だね。君は最初からここにいる奴だったら良かったのに」

 

「はっ、そりゃ無理だろうさ」

 

「なんで?」

 

「なんでもだよ。俺って奴はそういう風には出来てねえのさ」

 

「ふぅん。君も面倒な奴だな」

 

「面倒な奴か」

 

 言い回しが気に入ったのか、彼は歯を見せて笑った。

 その様子が面白かったのか、キリカも喉を反らせて笑っていた。

 

「そうさ。元はああだってのに、その見た目になってここにいるんだから」

 

「やっぱ見たか、俺のツラ」

 

「チラッとだけどね。小娘の私から見てもいい男だと思ったよ。発情紫髪の朱音麻衣なら一発で落ちそう」

 

「そこまで色狂いには見えねえけどな、あいつは」

 

「ふふん、果たしてどうだろうね。にしてもほんと奇妙な状況だな。流石は主人公」

 

「ああ。ムカつくくれぇに変なコトになってら。でもな、悪い事ばかりでもねぇのさ」

 

 言うと彼はカットされた苺ケーキを丸ごと放り込み、咀嚼して飲み込んだ。

 

「多分こうでもなってねぇと、俺とお前らとは会う事は無かったろうな」

 

 身に降り注いだ異常な事象に対し、極めて平然とした様子で彼は言った。

 彼なりに今の生活は気に入っているらしい。

 

「悪い事ばかりでもない、か。私にあんな事をされたのに。私は君を喰いかけたんだぞ?」

 

「あン?ああ、流石にしんどかったから毎度は付き合えねえけどな」

 

「私を嫌いにならないのか?」

 

「別に」

 

「友人、お前頭おかしいな」

 

「んだとコラ」

 

 苺タルトを齧りつつ、ナガレはキリカを睨んだ。

 こいつの心はよく分からないな、あと赤好きすぎだろ。

 キリカはそう思った。

 

「ホラよ。育ち盛りなんだから、お前も食いな」

 

 言いながらナガレは皿を差し出した。

 苺のショートケーキが盛られた皿だった。

 

「ん。あんがと」

 

 皿を受け取るキリカ。

 すると、その動きが停止した。

 

「ん?」

 

 異変に気付いたナガレは怪訝そうな声を出した。

 

「そうか」

 

 キリカは小さく呟いた。

 そして、

 

「わかったぞ」

 

 と、宣言するように言った。

 不吉なものを彼は感じた。

 ちなみに、彼女と接する中で不吉で無かったものなど殆どない。

 

 







そろそろこのお店永久出禁になりそう


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑯

「ん…くぅ…」

 

 暗闇の中、少女の声が響いていた。

 声に宿るのは、濡れた響きと滴る様な欲望の色。

 声にはぴちゃぴちゃという水音も伴っていた。

 ある程度の歳のものなら、その様子に自慰行為を思い浮かべるだろう。

 肉の花弁の内側に繊手が這入り込み、熱い果汁を纏わらせながら桃色の肉襞と膨らんだ花芯を弄ぶ。

 

 確かに、それは行為自体で見ればそれに近かった。

 闇の中にいるのは、少女だけでは無かった。少女の喘ぎは地面から生じており、その真上では彼女とは別の呼吸音が生じていた。

 横たわる少女の上に、もう一人の存在が覆い被さっていた。

 両者の身体は密着し、性行為か強姦の一幕にも見えた。

 

「うぐぅ…」

 

 少女の喘ぎ声が一際強くなる。絶頂が近いのだろうか。

 被さる存在が動く。しかしそれは前後運動ではなく、彼女からの乖離であった。

 重なりかけていた頭が離れる。闇の中、炎かたてがみを思わせる豊かな黒髪が垂れ下がる。

 次いで胸が離れていく。その度に、ぺりぺり、べりべりという生々しい音が鳴っていた。

 前者は水に濡れた何かが、捲れていくような音だった。

 後者は、接着しているものを引き剥がしていくような。

 

「あぅ…あっ…ああ…」

 

 少女の声が激しさを増す。

 それは性欲よりも、苦痛が増しているように聞こえた。

 声を浴びながら、胸が離れて腹も続いた。

 闇の中に浮かび上がったシルエットは、少年の上体だった。

 

 それは、仰向けに横たわる少女の身から生じているように見えた。

 少年と少女の間を、複数の線が緩やかな下弦の円弧を描いて橋のように繋いでいる。

 更に引き剥がす音が続き、遂に彼の腰までが彼女から離れた。

 

 二人を繋ぐ複数の線は途切れていき、地面に落下し水音を伴って跳ねた。

 その傍らに、両足を地面に着けて立つ少年の姿があった。

 荒く熱っぽい息を吐きながら仰向けの上体で喘ぐ少女を、静かに見つめていた。

 その眼の中には、闇よりも濃い黒い渦が巻かれていた。

 

 その彼を、少女もまた見ていた。

 闇と相反するような、輝く黄水晶の瞳で彼を見ていた。

 両者の瞳の中にはそれぞれ、闇と光が宿っていたが、互いに纏った色は同じであった。

 闇の中に浮かび上がる様な、凝縮した闇のような黒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かった」

 

 ナガレが差し出した、ショートケーキの乗せられた皿をテーブルに置き、キリカは再び言った。

 美しい顔には難解な方程式を遂に解き明かしたかのような、真理に至った学者のような表情があった。

 

「何故、私はこれに気付かなかったんだ。何故、こんな簡単な事に」

 

 両手で顔を覆い、キリカは言葉を続けていく。

 

「嗚呼、どうして私は視野が狭かったんだ。何故1プラス1が2だと思っていたのか?いや、これは義務教育の弊害だ」

 

 ぶつぶつとキリカは何やら思考し、そして呟く。

 何を言うのかなと思いながら、ナガレは手元のプリンを丸呑みした。

 滑らかな喉越しを味わいながら、キリカが発する次の言葉を待っている。

 

 何だかんだでキリカと喋る事は楽しく、話を聞くのも面白いのだった。

 並の奴なら喰い潰されるとは嘗ての彼の保護者の言葉であったが、今に至っても彼は頑強であり、キリカの狂気と渡り合っていた。

 

「友人」

 

「何だよ、改まって」

 

 両手を顔から離し、両膝の上に丁寧に置いてキリカは言った。

 口調もまた、凛とした理性の響きに満ちている。

 猛烈に嫌な予感を感じ、彼はキリカが発する言葉の幾つかの予測を立てた。

 

『ここ出たら抱いてほしい』

 

 さっき拒否したばかりである。

 それに彼女が抱かれるという言葉を使うのはピンと来ない。

「犯してやる」なら云いそうだがと彼は思った。

 

 

『佐倉杏子を一緒に犯そう。身体の部品が全部そろってて中身が温かい内なら、死体でもいいよね?』

 

 これも違う。普段から似たようなコトを言っているため、改まる必要性が無い。

 言うまでもないが付き合う気はないし、実行するなら全力で止める。

 

 

『この世を私達のものにしよう。とりあえずここの奴らを全員殺そう』

 

 これも無い。彼が見た限り、言葉は爛れていても呉キリカは善人である。

 無関係の者を無為に殺戮するほど彼女は狂っていない。

 

 

『全て捨て去って、一緒に旅に出よう。世界の果てまで行ってみよう』

 

 楽しそうだ、というか楽しいに違いないなと思った。しかし今は買い物の途中なので、それを済ませてからになる。

 

 

『母君を孕ませてくれないか』

 

 有り得そうだ、と彼は判断した。

 同時に彼女の母の顔が脳裏に浮かぶ。

 あの美貌を垣間見て思わずほんの一瞬理性が揺らめくが、こればかりは本能に任せては危険だった。

 家庭崩壊を招くだろうし、何より倫理的に不味い。

 そして仮にそうなった場合、キリカが自分の娘になる可能性がある。

 怖いというか、嫌だった。

 

 彼女とは友達でいたいのだと。

 考えることがおかしいような気がするが、彼なりの理性でその可能性を拭い去った。

 だが彼女がそう言った場合、対峙せざるを得ない事柄だった。

 

 鮮血色の美しい唇が、一言分の空気を吸った。そして、彼にこう告げた。

 

 

 

 

「私は、君の母と為ったらしい」

 

 

 

 

 五秒ほどの時間が経過した。

 

「はい?」

 

 はっきりと聞こえていたが、その認識を彼は拒んでいた。

 

「私は君の母になった。私は君を産んだんだ」

 

「んん……どゆこと?」

 

 考えるが、さっぱり分からない。

 尋ねた彼に、キリカは優しく微笑んだ。

 ゆっくりと右手を上げ、人差し指を除いて他の指を緩く折り畳む。

 美しい指の先端は、ナガレの胸を貫く様に指していた。

 

「今の君のその身体、どこまでが君なのかな?」

 

 何をと言い返そうとしたが、彼はキリカの意図に気付いた。

 こういったコトには身に覚えがある為に。

 

「私が君に突き刺した肋骨から伸びた触手は、君の体内に張り巡らされた。

 ああ、内臓にはそれほど手を触れてないよ。プライバシー保護は重視するタチでね」

 

 感謝してくれよとキリカは言った。

 ナガレはイラっと来たが、黙って聞いた。災害には対抗ではなく対処しか出来ないように。

 

「そして私は君の血肉を啜った。触手からちゅうちゅうと吸って、口からゴクゴクとガブ飲みした」

 

 言い終えると、キリカはコップを手に取りごくごくと飲み物を飲んだ。

 赤の色が強い葡萄ジュースだった。

 口の端から一筋が垂れて顎に伝った。

 その様は妙に官能的且つ、グロテスクであった。

 

 右の人差し指でそれを拭い、赤紫の滴が溜まった指先をちゅうと唇で食んだ。

 唇の間からにゅるりと這い出た桃色の舌が、美しい指を舐め廻す。

 指紋の中に染み入った最後の一滴までも、体内に取り込むかのように丁寧にしゃぶる。

 

 その様子に、ナガレが見覚えがあった。

 キリカが噛み付いたことによって出来た彼の首の傷を、歯形に沿って丁寧に舐めて血を啜る様によく似ていた。

 というよりもそのものだった。

 

「その結果、君の血肉は大量に減った。私の見立てだと、あと十分もそれを続けていたら君は死んでいた」

 

「どうだかね」

 

 黙っておくと思っておきながら、一応の反論はする彼であった。

 彼の見立てでは、もう三分ほどは生きていた筈だと思っていた。どうでも良くないが、今はどうでもいい事である。

 面白かったのか、キリカはクスっと笑った。誰もが一瞬陶然とし、そして微笑みを返したくなる顔だった。

 

「その命は、どうやって繋がれたのかな」

 

 その笑顔のままキリカは言った。

 問い掛けではなく、宣言である。

 

「触手が、肋骨が、そして口づけの中で切り離した私の舌が君の新たな血肉となった」

 

 キリカは事実を告げる。

 

「そして君は私の胎内に取り込まれた。私の内に広がる赤く熱い肉襞に包まれた」

 

 美しい唇が動くたびに、それに負けぬ美しい声が毒の言葉を紡ぐ。

 

「君の腹と私の臓物は触れあい、そしてゆっくりと表面が蕩けて、君の肌を融かしていった」

 

 この時のキリカの表情は、普段の彼女のそれだった。

 春風のような朗らかな笑顔。黄水晶の瞳に宿るのは、同色の虚無。

 

「君と私の境目が消えて、肌と肌が重なって肉が蕩け合う。放っておけば、もっと深く繋がれたのに」

 

 淡々とした口調でキリカは言う。そこに宿った感情は、声からは掴めない。

 残念なのか、ただ現象としての事実を述べているのか。

 

「でも、君は私から離れた。それは君が望んだ事だから、私もそれを認めた。

 何故かって?おいおい、私達は友達じゃないか。

 友達の願いは叶えるものさ。それでなくても私は魔法少女だ。夢と希望を叶える者なのだから」

 

 声に寂寥感と使命感が混じる。こいつ扇動の才能あるなと、ナガレはストローで飲み物を啜りながら思った。

 キリカが飲んでいるのを見て、自分も飲みたくなったのだろう。葡萄ジュースを飲んでいた。

 

「だから叶えた。君の生きたいと云う意思を尊重し、君の削られた肉と失った血を、私の肋骨と触手と舌を融かして与えた。君の身体には肉が新たに生まれ、そして新しい血も満ちた」

 

 そこで、キリカの唇が緩い半月を描いた。

 

「さて、となると今の君はどこまでが元の君なのかな」

 

 口はそのままに、微笑みながらキリカは言う。

 

「私の肋骨には私の血肉を詰めておいた。それが君の血肉と結びついて抱き合って、今の君の身体となっている。

 その身体を流れる血は私のもので、今は君のもの。そして君の形を造っている肉と骨にも、私がいる」

 

 黄水晶の瞳が、やや細くなった。

 人のそれから、爬虫類のような瞳孔へと。

 獲物を見る眼であった。

 

「でも私だけじゃない。元の君の血肉と骨も私のそれと絡んでる。だから大丈夫、君は消えちゃいない。何も怖くない。怖くないんだよ」

 

 限りなく優しい口調でキリカは告げた。

 

「そして君は私の内から解き放たれた。肉襞が分泌した羊水を浴びて、私の肉から身を引き剥がすときに、裂けた肉からの血も浴びた。血と羊水に塗れての剥離。これを誕生と言わずしてなんと云う」

 

 キリカの言葉を、ナガレは無言で聞いている。肯定と捉え、キリカは更に続ける。

 

「また先述の通り、今の君は私と元の君との合いの子だ。となるともう一つの事実も確定する」

 

 胸の前で腕を組みながら、彼は話を聞き続ける。

 組まれた腕の下で握られた拳が、骨を砕かんばかりに握り締められていた。

 何を言うのか、予想が付いたのである。伊達にこの狂気と向き合い続けている訳では無いという事か。

 

「今の君は私達の子供のようなもの。つまり前の君であり今の君、つまりは友人…君は父親になったんだよ」

 

 天使のような、いや、天使の笑顔でキリカは言った。

 

「まったく…何処迄属性を盛れば気が済むんだ、君は?そこに萌えろとでも?」

 

 そしてやり過ぎだよと、キリカは咎めるように加えた。

 母親が幼子をあやすような口調で。

 

 そこで限界が来た。

 何のかと言われれば、こう答えるしかない。

 ナガレの堪忍袋の尾である。

 

 腕組を解除し、右腕を伸ばす。

 そして人差し指から小指までを垂直に立て、僅かに前後させた。手招きである。

 

 オッパイが欲しいのかなとキリカは思った。

 キリカの認識の中では、目の前の少年は赤子同然となっているらしい。

 

「(たぶん出ないんだけどな…まぁいいか)」

 

 素直に従い、キリカは立ち上がると美しい身体を前に倒し、彼の前へと上体を、更に言えば拘束を外れている為にたぷんと揺れる胸を差し出した。

 

 そこに向けて、ナガレが動いた。

 やや傾いていた肘が伸ばされる。

 食欲旺盛だなあとキリカは感心していた。

 

 だが、手の矛先は胸を通り過ぎ、キリカの頭部へと向かった。

 折り畳まれた翼のように彼女の左頬を覆う黒髪に、しなやかな五指が添えられる。

 きょとんとするキリカ。だが一瞬の後、彼の意図に気が付いた。

 渦巻く黒い瞳が、彼女を見つめている。その瞳に映るキリカは、渦に囚われているかのようだった。

 身体を背後に引いて逃げようとしたが、それより早く右頬に彼の左手が添えられた。

 

「呉キリカ」

 

 深淵から響くような声で、ナガレは彼女の名を呼んだ。

 思わずビクリと震えたが、彼女の顔は微動だにしなかった。

 柔らかく添えられているとしか見えない彼の手に、魔法少女が完全に拘束されていた。

 それは物理的な力ではなく、彼から発せられる鬼気とでも言うべき不可視の存在、恐怖によるものだった。

 

 そして。

 

「あんま調子に乗んじゃねえ」

 

 言った瞬間、彼は両手の指先を動かした。

 その動きに彼は既視感を感じ、一瞬で納得した。

 キリカが自分の傷を丹念に舐めた時の舌の動きと奇しくもよく似ているのだった。

 

 両手の指先は、キリカの左右の耳の裏を弄んだ。

 瞬間、店内に満ちた甘味よりも、更に更に甘味を孕んだ嬌声が響き渡った。

 報復に成るのか分からないが、暴力よりはいいだろうと彼は思っていた。












こいつらは…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑰

 静けさに満ちた店内の中、呉キリカは立っていた。

 店内には他に誰もいないのではなく、他の誰もが完全に呆けているのであった。

 それらに全く彼女は気付かず、立ちながら傍らの光景を眺めていた。

 視線は下方に向けられており、黄水晶の瞳には虚無が映えていた。

 虚無が映すのは彼女が座っていた椅子の傍に膝を屈めて、分厚く束ねたペーパーで座席を拭く少年の姿。

 

 室内の光に反射されて照り光り、そして手の動きからすると、ぬめぬめとした感触の何かが拭われている。

 美少女のような貌をした少年は無言且つ、これもまた虚無を宿した表情で作業を行っていく。

 紙を何度か取り換え、何処から持ってきたのか洗剤も使用しぬめりが完全に拭われた時、彼は解放された。

 

 使用した紙を屑箱に入れようとした時、彼は視線を感じた。振り返ると、キリカがじっと見ていた。

 気まずさを感じながら、ぬめり気を拭った紙を捨てた。溜息が背後で聞こえた。

 どういった意味の溜息かは、彼としても考えたくも無かった。

 そしてキリカは座席に座り、テーブルの上の菓子を食べ始めた。

 ナガレもまた手を洗った後に彼女に続いた。

 

 他愛ない会話を交えたり不健全な会話、つまりは呉キリカによる佐倉杏子陵辱・殺害計画を彼が聞き流したりするなどの平和な時間が流れた。

 やがて滞在時間のリミットが訪れ、両者は手早く店を出た。

 店を出る際、対応した店員の虚無的な様子や店内の静けさに両者は不気味なものを感じていた。

 自分たちが原因であるなど、露とも思っていない二人であった。

 

 建物を出る際には、エスカレーターではなくエレベーターが用いられた。

 

「友人、今の私の状態を気遣っておくれよ」

 

 そう言いながら、キリカは手招きしていた。彼はイラっと来たが従った。

 登る時の苦労は何処へやら、何の問題も無く、強いて言えば相変わらずキリカの姿は男どもの視線を引き付けていた程度で両者は建物の外へ出た。

 窓や天井から注がれる光からしても分かってはいたが、外の世界は昼から夕方の景色へと変わっていた。

 赤の光と闇の帳がせめぎ合い、世界を赤と黒が染めている。

 光を浴びて赤く染まった人々と闇を纏って黒へと変わった人々が交差し、それぞれの行くべき場所へと歩を進めている。

 

 その様子を、ナガレとキリカは眺めていた。

 どちらが先に歩を止めて、どちらがそれに従ったのか。

 同時だったのかもしれない。きっとそうだろう。

 

「綺麗だな。なんか生き生きとしてやがる」

 

「死人が練り歩てるみたいで、不気味だね」

 

 両者は同時にそう述べた。

 それぞれの感想はまるで異なっていたが、その意見の相違は両者に不快感を与えなかった。

 それも当て嵌まると思っているからだ。景色に答えなど無く、ただどう感じるかが全てである為に。

 気付いたら、両者は再び歩いていた。これもまた時を同じとしていた。

 

「にしても友人、ほんっとに赤が好きなんだなぁ」

 

「ああ、それと黒もな」

 

「照れるね」

 

「確かにお前さんの衣装もいい趣味してんな」

 

「喧嘩売ってるのかい?」

 

「褒めてんだよ」

 

 歩きつつ言葉を投げ合う。歩む先は決めていない。

 ただ本能のままに、人の流れに沿って歩いていく。

 歩みの先に、ナガレは三つの姿を見た。学生服を着た三人の少女の姿だった。

 

 闇と赤の光が交わる世界であったが、ナガレの目は鮮明に彼女たちの姿を捉えていた。

 一人はブローがかった緑髪、もう一人はややキリカに似た感じの髪型をした青。

 そして最後の小柄な少女は、ツインテールで整えられた桃色の髪の色をしていた。

 差別意識は全くないが、この世界の髪の色の多様さには何時まで経っても驚かされる。

 

「何度も言うけど、別に桃色ピンクな髪の色なんて珍しくもなんともないよ」

 

 見透かしたようにキリカは言った。彼女としては適当に言った積もりだが、それは完全に的を得ていた。

 このあたり、キリカの勘の冴えは鋭いのである。

 

「どうしてもな、気になっちまうんだよ」

 

「君の故郷も地球で尚且つ日本らしいけど、我ら日本人は概ね黒髪ばかりなんだよね」

 

「そうだな。そりゃあ、地毛で少し色が付いた奴もいるけどよ」

 

「ふぅん、変な世界だね。…ふむ」

 

 歩きながら首を傾げ、キリカは少し考えた。

 元居た場所が変な世界かと言われ、そうでもねぇのになとナガレは思った。

 思っていると、キリカが口を開いた。

 

「そうすると、ちょうど今の私達みたいな感じかな。君のいた世界で、人が連れ合って歩いてる様子ってのは」

 

「そうなるかね」

 

「懐かしくなったかい?」

 

「ん…まぁ、少しは」

 

「帰りたくなった?」

 

「里帰りするには、まだまだやる事があってよ」

 

 その言葉を聞いたとき、キリカは自分の身体が僅かに強張るのを感じた。

 心臓が、まるで直に殴られたかのようにどぐんと高鳴る。それには痛みさえも伴っていた。

 声は変わらない。口調でさえも。

 

 それでも何かを感じた。その何かを探った。

 そして理解した。これを発している者は、自分が友人と呼ぶ少年の、この姿の中に潜む本来の…。

 気付いたとき、キリカは喉奥から小さな悲鳴を上げていた。

 口を押さえ、悲鳴が外気に触れぬように出口を閉ざす。

 

「どうした?体でも冷えたか」

 

 ナガレが尋ねた。心配そうな口調は、単純に彼の善意からのものである。

 それに安堵したか、跳ね上がっていた心臓は急速に静まった。

 

 すると彼女はナガレの手を取った。人々が往来する交差点を、早歩きの速度で踏破する。

 魔法少女の力なら人々を平気で蹴散らせるが、彼女はそうしなかった。

 これもまた彼女の良心がそうさせていた。

 

「なぁ友人」

 

「なんだよ、キリカ」

 

 交差点を抜け、建物の隙間へと彼を誘う。

 何かを言いたい事は彼にも分かり、ここなら人の邪魔にならないとして彼もそれに応じた。

 

「シたい。今すぐに」

 

 呟くように、そして熱く濡れた声でキリカは言った。

 建物同士の隙間へと赤い光が射しこみ、彼を求める呉キリカを染めていた。

 夜になる寸前に太陽が放った、断末魔のような赤光であった。

 数秒後、答えは返ってきた。

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 その正面に立つナガレを、最後に世界に差し込んだ赤い光の輪郭が切り取っている。

 赤い縁取りが為された少年のシルエットは、闇で彩られていた。

 光が求め、闇が受け入れる。

 求めあう両者がすべきことは、一つであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄闇の中、肉と肉がぶつかり合う。

 熱くぬかるむ粘液が弾け、柔らかい粘膜がぐちゅぐちゅと掻き回され、淫猥な音が響く。

 男の喘鳴と女のソプラノの喘ぎ声が交わり、二種の体液が放つ生臭い臭気が空気を犯す。

 壁に手を着き、黒い上着はそのままに下半身を剥き出しにした女を後ろから抱え、男が自身の赤黒い肉を女の体内に打ち込んでいる。

 動きは激しさを増し、両者の呼吸も激しさを増していた。

 あと数瞬で両者は絶頂に至る、その時だった。

 

 不意に風が吹いた。背後から漂ってきた冷気を感じ、男が振り返った。

 その瞬間、彼は叫んでいた。

 収縮した自分自身を熱く濡れた女体から引き抜くと、それを仕舞うのも忘れて奇声を挙げて駆け出していった。

 引き抜かれた瞬間に嬌声を発した女であったが、異常な事象にまずは憤り、次いで同じく悲鳴を上げた。

 このあたりは男女の差か、最低限の身を整えて女もまた男の背を追って逃げていった。

 両者の脳裏には、同じ存在の姿が浮かんでいた。

 

 それは虚空に浮かんだ、血塗れの生首。

 

 黒髪を生やした美しい少年と少女のそれが、自分たちが交わる様子を眺めている姿。

 

 思い出した瞬間、両者は精神が砕けたような絶叫を放った。

 

 草が生い茂ってコンクリート片が散乱し、卑猥な言葉と落書きが至る所に施された建物の中を躓きながらも走っていき、やがては見えなくなった。それらを見る両者の視界から。

 

 

「んだよ、根性なしが」

 

 生首の片割れが声を発した。

 

「生で見たのは初めてって言ってたな。感想は?」

 

「んーーーー」

 

 傍らに声を掛け、それもまた応じた。

 

「クソきめぇね。ゲロゲロだよ」

 

「やっぱお前、結構可愛いとこあるよな。なんつうか、汚ぇ言葉も似合わねぇしよ」

 

「うっせ、唐突にツンデレすんな。時間を無駄にしたね、こっちもさっさと続きをヤろうよ」

 

「おう」

 

 そう言って、二つの首は忽然と消えた。

 後には静寂と、虫の奏でる鳴き声だけが聞こえた。

 

 

 

 

 朝が来た。

 鳥たちが草に付いた虫を食べていた。

 

 昼が来た。

 小動物たちが室内を動き回り、不運な野ネズミが蛇に絞殺されて吞まれていった。

 

 夜が来た。

 虫の囀る声が響いた。

 

 そして再び朝が来た。

 虫を食べに来た小鳥が、それを待ち構えていた野良猫によって捕食された。

 

 昼になった。

 特に何も無かった。

 

 夜になった。

 野犬が徘徊し、互いに縄張りを主張し争っていた。

 

 そしてまた、朝が来た。

 大きな変化があった。

 

 廃屋の中央で、突如として光が炸裂した。

 光と言ったが、それは闇でもあった。

 一応、一瞬だが前兆があった。

 斧と杯を組み合わせたような闇色の紋章が一瞬浮かぶや、それが砕けて弾けたのだった。

 

 そしてその中から、一対の存在が身を絡めながら身を躍らせた。

 そして両者は、同時に行動を起こした。

 どぐっという破壊音が鳴った。

 長く伸びた足の先が、両者の腹を抉って生じた音だった。

 

「ううぐ…」

 

「ぐあぅ…」

 

 苦鳴が重なり、離れる両者が室内を転がる。

 そしてほぼ同時に立ち上がった。

 滴った十数滴の血滴が、深紅の花を地面に咲かせた。

 そして建物の隙間から差し込んだ光が、対峙する二人を照らし出す。

 

 朝焼けに包まれながら、二人の姿が浮かび上がる。

 それは朝の光を浴びてはいたが、両者が纏った色は濃い夕焼けのような、赤黒い深紅の色だった。

 両者は全身に傷を負い、全ての傷口からだくだくと血液を滴らせていた。

 

 片方はナガレであり、もう片方は呉キリカである。

 彼は手に斧槍を携え、キリカは両手から各五本の魔斧を生やしていた。

 

「さす…がに」

 

 荒い息でナガレは言った。

 その顔には複数の傷が刻まれ、うちの一つは右目を縦に刻んで失明させていた。

 

「二日半…ブッ通しは……キツいな」

 

「笑いながら…言わないでほしいな…友人」

 

 苦笑と共にキリカも両肩を上下させながら言った。

 右目に巻かれた黒い眼帯にも、鮮血の色がありありと刻まれている。

 美しい顔の左頬が弾け、砕けた歯と抉られた歯茎を外気に触れさせている凄惨な姿となっていた。

 

「お前…こそ…鏡、みやがれってんだ」

 

 彼の言葉に、キリカは右手の斧の腹を自身の顔に向けて傾けた。

 見た瞬間、彼女は哄笑した。

 

「はは、ハハハハハ!こいつは酷い!でもなんていい笑顔してるんだろう!まるで愚者か狂人みたいだ!」

 

「そう思えんなら、お前はマトモってこった」

 

 痛みをこらえて笑いながら、彼はキリカの正気を肯定する。

 血を浴びて赤みを帯びた闇色の眼は、キリカの眼帯を見ていた。

 数日前に彼女が狂乱した際は、着用されていなかったものだった。

 

「?何言ってるのさ。私は不思議ちゃんキャラで通っているが、頭脳明晰で清廉潔白な大和撫子だぞ」

 

「違いねぇ」

 

「友人、そこは突っ込んでおくれよ」

 

 血塗れで、傷だらけで両者は嗤い合う。

 朝の清潔な光の下、血臭を漂わせた凄惨な姿で。

 苦痛を感じながらも、心の底から楽しそうに。

 

「じゃ、やるか」

 

「うん」

 

 挑発的なナガレの笑みに、キリカは朗らかに微笑んだ。

 そして両者は互いを求めて前へと飛翔し、空中にて得物を激突させた。

 最初に生じた巨大な火花に次いで、無数の火花が乱舞する。

 弾ける光よりも遥かに美しく、炎よりも熱く激しく。

 一対の魔達は互いの命を求め、互いの血肉と骨を切り刻む。

 













会話してる場面も書いてて好きですが、この二人はこうでないとという気がします(にしても佐倉さん待ちくたびれてそう…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑱

 朝が来た。青白い光が夜の闇を駆逐していく。

 その光でさえも、照らし出せない闇があった。

 闇は人の形をしていた。深紅に染まった闇だった。

 紅に当るのは両者から噴き出し、互いを染めた血の色だった。

 それが酸素に触れて、黒へと変わっていた。

 

 ナガレと呉キリカが、朝焼けを浴びて対峙する。

 

「二度目だな」

 

 ナガレが言う。幾度となく致命に至る傷を負っては、治癒して戦闘を継続し続けた。

 治癒の回数は覚えていないが、数百回は行使された筈だった。

 しかしそれでも追い付かず、傷に塗れた姿となっていた。

 

「うん。今日もいい天気だね」

 

 キリカが返す。こちらも似た有様であり、彼より更に酷かった。

 豊かな胸には縦横に傷が刻まれ、内部に詰められた黄色い脂肪を外気に晒していた。

 腹部は裂け、桃色の管が垂れ下がっている。

 

 両者が手に持つ得物も無事では無かった。

 彼が右手に持った、メイン武装である牛の魔女は半壊状態。

 長柄は通常の三分の一程度の長さとなり、両刃の斧は鮫にでも貪り喰われたかのようにボロボロになっている。

 キリカに至っては右手自体が欠損していた。

 

 肩の辺りで切断され、今も生えている斧状の爪がコンクリを貫き地面に突き立ち、腕は肉の棒となって倒れている。

 残る左手の魔爪も数は五本であったが、全てに刃こぼれとヒビが入れられていた。

 三日半に突入した死闘も遂に決着が近付いてた。

 両者ともに満身創痍。死ぬ寸前なのである。

 

 それでいて戦う事をやめようとしない。

 悪鬼羅刹でさえも眼を背けそうな二人であった。

 

「さっきっていうか…この前の二人、覚えてる?」

 

「ん…あぁ、ヤッてた奴らか」

 

「割と若かったけど…子供、いるみたいだったね」

 

「熱心に世話しちゃいねえようだったけどな」

 

 行為に励む最中に聞こえた会話には、可愛くない雌ガキという言葉が含まれていた。

 どっちにも似てない、あの緑髪が気持ち悪いとも。

 

「子供育てるのって、大変なんだね」

 

「だろうな。想像もできねえや」

 

 どういった事情があるのかは、その会話だけでは分からない。

 ストレスもあるのだろうなと思いつつ両者は内心で、緑髪の女の子という程度しか姿の分からない子供の安息を願っていた。

 例えそれが無力な行為であるとしても。

 

「あとアレ、どう思う?」

 

「何が?」

 

 話題を切り替える様にキリカが口火を切った。

 

「ホラ、アレだよ…その…量産機しゃぶるやつ。っていうか、女の方も舐めさせてたから…」

 

 血の気の薄い肌を、ほんのりと僅かに赤めて彼女は言った。

 普段の猥談と、実際に初めて見た性行為の様子を重ねての言葉はまた別のものであるらしい。

 

「俺は好きじゃねえな。触るんならまだしも、舐めたりって感覚が分からねぇ」

 

「私も咥えるのはゴメンだね。ていうか友人、君は年上らしいがJCにこんなコト平然と言うなよ。事案だぞ、事案」

 

「お前が振ってきたんだろうが。じゃなきゃ俺から言うか、こんなコト」

 

「うわー、責任転嫁だ責任転嫁。君さ、もう父親なんだからそういうとこしっかりしなよ。ってごめんごめん、君は赤ちゃんでちたね」

 

 ゆーあー、まいさん!あいあむまざー!オッパイ飲む?乳首何処かに吹き飛んでるし母乳なんて出ないけど。

 羞恥の色もどこへやら、キリカの世界が展開されていく。

 閉口しながらそれを見つめ、彼は

 

「完全復活だな」

 

 と言った。

 

「ふふん。ご覧の通り、もう絶好調さ」

 

 傷だらけの姿で、腹から臓物を垂れ下がらせ、右腕をまるごと欠損した状態でキリカは朗らかに言った。

 顔は乾いた血で赤黒く染まり、今もじわじわと頭皮から垂れて彼女の顔を新鮮な血で濡らしている。

 

「それにしても心配性だな、友人は」

 

「お前の友達だからな。心配くらいさせな」

 

「そうだね。君は私の唯一人の友達だ」

 

 ふふんと快さそうに鼻を鳴らしてキリカは笑った。

 しかしその笑いの後で「あ」と呟いた。

 

「どうした?どっかで落とし物でもしたかよ」

 

 なら探しに行くか?と彼は付け加えた。

 両者の周囲は全てが破壊され、荒涼の極みとなっていた。

 見滝原の郊外にある、廃棄されたラブホテル街に二人は来ていた。

 

 ここなら迷惑が掛からないだろうという、大迷惑存在二人から世界への配慮であった。

 荒廃しきったお城じみた建物にキリカははしゃぎ、ガラスを無意味に割っては哄笑を上げていた。

 

「凄いな友人!そういえば私もここで生まれたらしいよ!宿されたって意味でさっ!」

 

 妙にハイテンション且つコメントに困る発言を聞きながら廃墟内を二人で探索し、肝試しじみた遊びを行ってからナガレは魔女に命じて結界を開いた。

 

「あのさ友人。これやるんなら、ここ来た意味あるの?」

 

 という質問と共に、両者は異界へ誘われた。

 この言葉に、彼は答えられなかった。

 前述の理由に加え、ただ風見野からここに来る際に乗った電車の車窓から、遠くの山肌にあるここが見えて、ちょっと気になってたからという理由があった。

 それが結局は、魔女が結界を維持することに疲れ果てて両者を放逐。

 第二ラウンドの場として活用されたのだった。

 その結果、まともな建物は全て無くなっていた。

 乱舞する魔斧達に切り刻まれ、砕かれ、遺物と化していた建物達は遂に役目を完全に終えたのだった。

 

「日中だとバレるから、ハデなのは夜中にしようぜ」

 

「そうだね。公共のマナーは守らないと」

 

 と両者は結界の外へと出た際に取り決め、律儀に守りながら凄惨な死闘を行っていた。

 話を戻す。キリカが何かを呟いた件についてである。

 

「いやね。友達って言えば、えりかは今頃どうしてるかなって」

 

「なんだ、引っ越しでもして別れた友達でもいんのかよ」

 

「わぁお。友人すっごいね、大当たりだ」

 

「俺の勘もたまには当たるな」

 

「たまにっていう割には君の勘は鋭いよ。もうここ三日間、何千回も殺しそびれてるからね」

 

 欠伸を堪えながらキリカは言う。

 ナガレも苦笑する程度のリアクションだった。こう言ったやり取りは既に何度も行われている。

 

「また会いたいな、えりか。まぁ、それはその内というコトで。あ、これ伏線だから。覚えといてね」

 

「ああ。努力してやら」

 

 反射的な様子でナガレは返した。その時、彼が右手で握る斧が震えた。

 刃の傷口からは黒々とした、闇そのものとでもいうような異界の体液が溢れ出した。

 闇は彼の傷だらけの腕を伝い、傷口へと入り込む。

 

「限界か。いいぜ、来な」

 

 言うが早いか、牛の魔女は動いた。

 斧の形が溶け崩れて液状化し、宙へと拡がる。

 

 そして、彼の手へと降り掛かった。

 彼の手から腕へと伸びていき、傷と体表を覆っていく。

 傷から肉に入り、骨にまで達する。

 闇からは粉のように微細な黒が散っていた。やがてそれが消え、その中身を朝日の中に晒した。

 

「無茶するね」

 

「お前が相手だからな」

 

 光を浴びながらも、それもまた乾いた血に塗れた両者のように黒い輝きを有していた。

 何本かが欠損していた彼の指先は、金属光沢を持つ細く長い爪へと変わっていた。

 爪の先端、人で言えば指の腹に当る部分からは小さな斧状の刃が生えていた。

 触れたものを確実に傷つける為だろう。

 何かを慈しんで抱くことは敵わなそうな、攻撃性に特化した手であった。

 

 それの根元に当る掌は元の大きさより巨大化し、まるで猛獣の掌を思わせる形状へと変化していた。

 そして肘までを、横に倒した複数の刃、それも斧のように弧を描いた刃を重ねたような装甲が覆っていた。

 金属光沢を放ちながらも、どこか有機的な趣を持った獣の腕へと、ナガレの腕が変化していた。

 

「中々に良いデザインだね。まぁ精々、魔女に叛逆されないように気を付けなよ」

 

「御忠告ありがとよ。ま、上手くやるさ」

 

「ならいいけどね。ところで、さ。そのトランスフォームを見てて思い出したんだけど」

 

「何だよ。妙に改まった声出すじゃねえか」

 

「私が君を喰って君から奪った血肉を、私が自分を削って君に新しい血肉を与えたコトだけどさ。あれ、なんだったんだろうね」

 

 両者の間で、しんと静寂が舞い降りる。

 どう答えるべきか、というよりも、質問の内容の理解に苦しむ問いだった。

 何秒かが経った。

 そして彼は答えた。

 思考というより、経験と自らの本能に従ってその答えを自分なりに導いていた。

 

 

……、ってのじゃねえのか」

 

 

 彼が告げた言葉の最初の部分に、鳥のさえずりが覆い被さった。

 その言葉を構成するのに用いられた声量は、彼の声としては信じられない程に小さかった。

 自信が無いのか、軽々しくは言えないものか、それとも…恥ずかしいのか。

 

「そうか。君はそう思うのか」

 

「上手く言えねぇケドな」

 

 それを、キリカは聞き取っていた。

 受け取ったキリカは二度、瞬きを繰り返した。

 表情に一切の変化は無い。

 それだけだった。

 

「そうか。そっか。そうか」

 

 キリカは言葉を繰り返した。

 声にも変化は無い。

 ただ自らが聞いた言葉を確認するように、自らも確認と認識の言葉を繰り返す。

 

「あのお陰で俺は助かった。そのまま喰うコトも出来たろうけど、お前はしなかったからな」

 

 変な言い方なのは分かっているが、生きながらえているのは彼女のお陰である事に違いはない。

 

「そうだね。友人がいなくなると寂しいし」

 

 想像したのか、キリカの声の調子はトーンが落ちていた。

 

「俺もお前らに会えなくなるのは嫌だしな」

 

 ナガレも自分なりの言葉で同意する。

 傍から見ると狂気に満ちた遣り取りだが、両者としてはそれらは本音であるのだろう。

 

「じゃ、いこうか」

 

「ああ」

 

 その意思を保ったまま、両者は駆けた。

 向かう先は言葉を交わしていた相手。

 

 ナガレはキリカへ。

 

 キリカはナガレへ。

 

 友と呼ぶ相手を破壊するために、魔を帯びた武具を振った。

 

 何故殺し合うのか、と問われれば両者は首を傾げるかもしれないし、理由を即答するかもしれない。

 常人では理解しえぬ領域に、少年と魔法少女はいるのだった。

 

 一つ確かな事は、最初はキリカが彼との刃の交差を望み彼もそれを受けたという事である。

 

 彼女にはその欲望があり、そして彼にはそれと真っ向からやり合える力があった。

 

 ただそれだけの理由でも、両者が殺し合うのには十分な理由なのだろう。

 

 そして刃は放たれており、既に言葉は無意味となっている。

 満身創痍の両者は、全身から血を吐き出しながら血風を撒いて腕を振るった。

 ナガレは右手を水平に構えて突き出し、キリカは左手を右に向けて振った。

 

 この時、キリカは速度低下を全開発動していた。

 ナガレもまた右腕と融合した魔女に命じ、相手の魔法を分解しに掛からせる。

 それでも粘りつくような速度低下魔法により、キリカの動きはナガレよりも先んじていた。

 彼の右腕。

 黒い鋼の獣の腕の先端で輝く魔爪がキリカの身を美しい黒水晶のように引き裂き砕くよりも、キリカの魔爪が彼の首を無慈悲に切り落とす方がコンマ0.05秒は速い。

 

 その時だった。

 ナガレが突き出した腕が、更なる異形と化したのは。

 

 伸ばされた五指が中指を基点として切っ先を集中させ、手が一つの刃と化した。

 そして腕を構築していた装甲が松毬のように開いた。

 但し開いた装甲は平面ではなく、無数の鋭角と化していた。

 

 鋭角の切っ先はナガレの方へと向いていたが、その隆起は鋭利な刃であった。

 一瞬を更に分割する刹那にて、籠手のようだったナガレの腕は異形の槍へと変貌していた。

 変形の際に生じた力により彼の腕である槍の速度が増加し、切っ先は速度低下魔法を切り裂き、キリカの爪へと追い付いていた。

 

 

 その形状に、キリカは見覚えがあった。

 梵字で描かれた名前、意味する言葉は千手観音菩薩。

 それを見た自らと似た名前の、巨大な異形の騎士の腕。

 

 

 認識の瞬間、赤黒い魔爪と漆黒の突撃槍が激突した。

 破壊による破片が宙にバラ撒かれた。

 柔らかい肉と鮮血、そして赤黒い魔爪と黒い衣装が。

 

 魔斧を顕現させる左手首のブレスレットごと、左腕は破壊されていた。

 肘までを肉片に変えてキリカの身体から捥ぎ離しても槍は止まらず、文字通りの手刀となった彼の指先はキリカの胸を貫いた。

 鼓動を続ける心臓が体内で挽肉となり、指は背骨を砕いてキリカの背から抜けた。

 

 しかしそれでも、キリカは戦闘不能には至らなかった。

 肘までをキリカの体内へと埋めたナガレの首へと、キリカは開いた口を躍り掛からせた。

 歯は全て牙へと変じていた。

 これが命中すれば、ナガレは首を喰い破られるどころか切断される。

 

 牙と肌の接触の直前、キリカは体内で生じる震えを感じた。

 それは自分の身を抉る、異形の騎士の腕を模した彼の腕から生じていた。

 刹那の後、キリカの身体から大量の血飛沫と肉が溢れた。

 朝の大気を紅く赤く染めるそれは、無数の紅い蟲が彼女の内より解き放たれたかのようだった。

 

 血飛沫の発生源は、彼の腕だった。 

 赤い光景の中、キリカの体内に突き刺さった槍は機械的な音を立てて、地獄の坩堝の如く回転していた。

 表面の刃は魔法少女の身を切り刻むだけに飽き足らず、凄まじい力によってキリカの肉体をねじ切りに掛かっていた。

 彼の首へと向かう彼女の顎も、その力によって首を捻じ曲げられて強制的に留めさせられている。

 

 ごぎん、という音が鳴った。

 彼の胸に、キリカの両脚による蹴りが直撃した音だった。

 骨と内臓がミックスされた挽肉を吐き出すキリカの胸の傷から異形の槍が引き抜け、ナガレの身体が倒れる。

 蹴った方のキリカもまた宙を舞い、受け身も取れずに落下した。

 何秒が経過したか、先に立ち上がったのは黒い魔法少女であった。

 

「ハァ…はぁ…ハぁ…」

 

 胸に開いた大穴、どころではなく胸から下腹部にまでの肉が弾け飛んでいた。

 中身の内臓に至っては、肺は全損し肝臓と腸は回転する槍によって、肉叉に絡められた麺のように束ねられて引き千切られていた。

 

 回転による力はそれだけに留まらず、キリカの小柄な身体自体も大きく歪めていた。

 彼女の身体は四肢が壊れた人形の如く、いびつな歪みを与えられていた。

 その姿で、彼女はナガレの元へ鮮血と挽肉を零しながら歩いていく。

 破壊された腕から滴る血を集め、傷口の断面からは一本だけの小振りな魔斧が生えていた。

 これが正真正銘、最後の力だった。

 

 ほんの五メートルほど進むだけで、キリカはかなりの時間を要していた。

 その間に、ナガレも立ち上がっていた。

 腕の魔槍からは、鋭角が剥離していた。

 残っているのは、至る所に骨が見えるほどの傷が入れられた傷だらけの右腕と、五指を形成する壊れかけの鋼の爪。

 既に左手は右手以上に切り刻まれており、全くの役に立たない状態だった。

 

 またキリカに強打された胸は肋骨が折れ、折れた骨が肺と肉に突き刺さっていた。

 口から溢れる鮮血も拭わず、彼は目の前にキリカが来るのを待った。

 

 キリカが前に立ち、彼を見据える。

 黄水晶の瞳と、血の色を帯びて赤みを添えられた黒い瞳が向かい合う。

 互いの身は、キリカから飛び散った鮮血と挽肉と脂肪で彩られていた。

 気持ち悪いという感情は今はない。そんな余裕はない。

 そういった感情は、全てが終わった後に取り戻せばいい。

 

 キリカは左腕を掲げた。

 ナガレは構えずに待った。 

 迎撃か、抜刀術のように全ての力を一気に開放する道を選んだのだろう。

 

 そして振り上げられたキリカの左腕が降ろされた。

 その瞬間、キリカは思った。

 

『ばいばい、友人』

 

 そう認識した瞬間、彼女の動きが不自然な形で停止した。

 剛力を以て振り切られる筈の腕は、ただ重力に引かれるだけの緩慢なものと変わっていた。

 

「ああ…」

 

 キリカは前へ倒れながら呟いた。

 この原因を理解したのだった。

 身体を作動させることを拒む負の力の源泉は、彼女の背後にあった。

 

 腰の辺りでクロスされた二本の長い帯の中央に置かれた菱形の宝石は、酸化して黒く変じた血液よりもどす黒く濁っていた。

 喪失を思い浮かべた事による負荷が、最後の力を彼女から奪い去っていた。

 

 行動と全くの矛盾を見せた彼女の心。

 理不尽極まりなく、あらゆる理解を拒むような現象だった。

 その事に対する思いを、キリカの唇はこう述べていた。

 

「良かった」

 

 呟きながら、キリカは前へ倒れた。

 倒れたが、地面には落ちなかった。

 糸が切れた人形のようになったキリカを、ナガレが支えていた。

 

 軽い身体が寄り掛かっただけで、彼の身体もまた崩れそうになっていた。

 だが必死の力を込めて、彼は耐えた。

 最後の拠り所とでもするように、キリカの身体を抱いていた。

 

「はは。あと少しだったのに」

 

 自分を内側から侵していく異形の何かに耐えながら、キリカは笑った。

 いつものような、天使の笑顔で。

 

「なぁ友人、最後に」

 

「最後じゃねえ」

 

 縋るようなキリカの言葉を、ナガレは断ち切った。

 そして彼女の背後に回していた右手を開き、腰のあたりに近付けた。

 腕と同化した魔女に命じ、魔女の体内に格納していたそれらを手の中に顕現させる。

 

 長い爪と化したその手には、複数の黒い卵が握られていた。

 物理法則の如く当然の現象が生じ、キリカのソウルジェムは存分に闇を吐き出しグリーフシードは闇を啜った。

 握られていた五個のグリーフシードは、完全に濁り切り、キリカの宝石は元の色を取り戻した。

 

「…用意良いね」

 

 疲労感と苦痛、そしてどことなく残念そうな響きを帯びさせてキリカは言った。

 

「お前らと一緒に行動すんだからよ。準備位はするさ」

 

「うわ、なんか言い回しエロいね。ゴムを常に持ち歩いてるみたい」

 

「お前…」

 

「あ。あと私とする時はゴム着用禁止だからね。体内に異物が入るのって、なんかキモいから」

 

「あー…そうなの」

 

 浄化したとはいえ、傷はそのままであるのにキリカは元気であった。

 生々しい性絡み発言に奇襲を受けつつ、ナガレは安堵していた。

 

「うん、そうなの。じゃ、こっちもお礼をしてあげよう」

 

 言うが早いか、キリカが彼へとぴょんと跳ねた。

 そして瞬時に再生させた両腕で彼の肩を抱き、唇を重ねた。

 

「んん…ちゅ」

 

 唇から桃色の舌と、黒い魔力が送られた。

 ついでに行き掛けの駄賃とばかりに、彼の口内の血を唾液と共にじゅるっと啜る。

 彼の身に入った魔力を魔女が検知し、瞬時に自らへと取り込み力を復活させる。

 彼の全身に治癒魔法が行使され、全ての傷が癒えていく。

 

 鋼の爪は夢のように消え、代わりに肉で出来た手が再生される。

 ナガレの身体が熱を帯びてきたと察した時、キリカは唇を離して彼の身に自分の細身を絡ませ、滑り降りる様にして地面に足を付けた。

 

「ありがとよ。また死ぬとこだった」

 

「こちらこそ。あと数秒で私が私で無くなるトコだった」

 

 互いに身を再生させつつ、少年と魔法少女が語り合う。

 ナガレがキリカの右腕を拾い手渡すと、キリカは

 

「気が利くね。ありがと友人」

 

 と礼を言った。

 これに限らず互いを瀕死に陥れた事の原因は互いにある事を、両者は理解どころか認識しているのだろうか。

 

「んじゃさ、友人。これから私の家帰って、ゲームでもしようよ」

 

 渡された腕を肩にくっ付けながらキリカは言った。

 腕は問題なく接続され、何の後遺症も無く元通りとなった。

 

「お、いいな。じゃ、さっさと行くか」

 

 その様子に驚きもせず、ナガレは楽しそうに同意した。

 微笑むキリカは変身を解除し私服姿となり、ナガレは魔女に命じて自分の体表の全ての血と体液、そして臭気を消し去らせた。

 女子力の賜物或いは乙女や淑女の嗜みとでもいうのか、キリカはそう言った行為を治癒と並行して行っていた。

 

 身支度を整え清潔な身となった二人は、清冽な清水のように輝く朝日の中を歩いていった。

 ただ仲の良い年少者二人として寄り添い歩きながら、キリカの家へと向かって行く。

 先程までの死闘の事など翳りも残さず、またそれらなど今の歩みや呼吸と同じであるかのように。

 平凡な日常の一幕であるかのように。

 

 

 

 

 










二人のほのぼの模様でありました(そしてキリクへの風評被害。それにしても今週最終回のアークは果たしてどうなることやら…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑲

 一人用にしては広めの部屋を、優しい光量の電燈が照らしている。

 小さめの細長い横長テレビの前には、最新機種のゲーム機が置かれていた。

 テレビ画面には電源が入れられ、画面の中では勇壮な騎士や戦士たちが異形達と対峙する様子が描かれていた。

 前にあるゲーム機にも電源が入っており、ケーブルもテレビに繋がれていることから、どうやらゲームのムービーらしい。

 だが奇妙な事に音は生じていなかった。

 見れば、テレビの右上にはミュートの表示が浮かんでいた。

 

 無音で活劇を映すテレビの右横には大きな本棚が幾つか並び、その中は隙間なくびっしりと本が詰められていた。

 タイトルからして漫画やライトノベルが多く、部屋の主の年齢に相応しいランナップだった。

 

 部屋の中央には四角い机の上には開封されたポテチが置かれ、包装された紙コップが立てられている。

 既に開封されており、二つが机の上に乗せられていた。

 両方とも中身が満たされ、葡萄ジュースが深紅の水面を見せていた。

 その表面が微細な震えを見せていた。

 

 それでいて、室内に音は無い。

 正確にはほぼ無いといったところである。

 室内の端から端を、一本のぴんと張られた糸が繋いでいる。糸の両端は、それぞれ紙コップの底に繋がっていた。

 片方はベッドの上に体育すわりで座す美しい少女の耳元に当てられ、もう片方は部屋の左端に座る(几帳面にも正座をしている)美少女じみた貌の少年の口元に当てられていた。

 糸電話を用いてナガレが何かを話し、呉キリカがそれを聞いている。

 

 一見すると微笑ましい光景、であるのだが。

 この二人が行うというよりやらかす事柄がまともである筈が無い。

 

 彼の話を聞くキリカは、右手で糸電話を持ちもう左手を口元に当てて声を発するのを抑えていた。

 その顔は耳まで赤く染まり、黄水晶の瞳が嵌めこまれた眼は涙で潤んでいた。

 

 華奢な身体はビクビクと震え、それが振動となって紙コップの水面を揺らしていた。

 細い肩の痙攣は官能的でさえあった。

 その様子はまるで情事の最中、与えられる快楽と共に耳元で囁かれる甘い言葉に身を震わす乙女である。

 それを面白げに、それでいて性的な要素は見出さずキリカが行う珍しいリアクションを、可愛い猫の仕草のように楽しみながらナガレは何かを話していた。

 

 しかし時折その顔に憂いが掠めた。

 原因は彼に右側面を向けたキリカの下半身にあった。ベッドに沈み込み、キリカの尻は持ち上げられた掛け布団によって隠れていた。

 しかし彼女が動くたびにそれがズレて、桃色のスカートの中身を晒しかけていた。

 痩せている割には肉の付いた、白桃のような尻の横顔が視界にチラつく。

 

 そして彼に不安を与えているのは、それ以上の部分が映る事だった。

 死闘を終えて呉亭に到着して三時間。キリカはまだ下着を着用していなかった。

 真っ先に履いて貰うべきだったなと彼は思いつつも、状況故に眼を逸らすことは不可能であった。

 更に思えば、ここは彼女の部屋であり極論を言えば彼の言葉に従う謂われは無い。

 この格好で過ごしたいと言われればそれまでである。

 現実逃避をするように、どうしてこうなったのかなと彼は思い返した。

 そういえば最初にこの部屋に来た時も、こんな感じに回想に入ったなと彼は思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー…『私、呉キリカ以下甲は友人以下乙との契約に従い、何時でも何処でも強姦・陵辱・あらゆる性的倒錯行為の生贄となる事をここに誓います』っと。これで満足かい、友人?」

 

 四角テーブルの近くに座布団を敷いて座りながら、キリカは憤然と言った。

 座り方は胡坐であり、中々に危険であった。

 

「俺はんなこと言ってねぇだろ。ついでに以下って言いながらも最初の一回しか出てこねぇしよ。ていうかキリカお前、それで良いのか?」

 

 その右横に座るナガレも憤りを交えて返した。

 彼にしては妙に突っ込みが細かい。

 このあたりは嘗て、新宿にあった自分の道場の土地の権利を取られた時に発揮された、偽造契約書を一目で見破った能力が無駄に発揮されている為だろう。

 

「良い訳がないだろ。今まで散々伏線的に言ったってのにもう忘れたか。私は強姦が大嫌いなんだ、反吐が出る」

 

「じゃあ、なんでんな事言うんだよ」

 

「君を篭絡して我が胎に命を宿すための誘惑。興奮したかい?」

 

 これで満足か?と言わんばかりに、キリカの黄水晶の瞳には糾弾の冷気が宿っていた。

 

「いんや。あの店でお前が言った、お前が輪姦される話みてぇに胸糞が超悪くなった」

 

「それは悪い事したね。ごめんよ」

 

 一転してシュンとなるキリカ。

 見たものが思わず、何もしていないのに罪悪感を覚えかねないような、そんな沈痛な表情を浮かべていた。

 無言で頷き、彼女の謝罪を受け入れるナガレ。

 気を取り直して話を進めるべく口を開いた。

 

「守ってもらう事は単純だ。これからする俺の話を聞いて『暴れない』『キレない』『人を殺さない』で、もしも暴れたくなったら俺に言え。存分に相手してやら」

 

「分かったよ。友人」

 

 豊かな胸をかき分けて心臓の真上に右手を置いて左手を彼の胸に当て、キリカは彼の言葉を繰り返した。

 

「これでいいかい?」

 

「ああ、警告はしたからな。お前もちゃんと守れよ」

 

「私は魔法少女だからな、契約は守るさ。さて…契約完了か。ふむ」

 

 意味深に呟きながら、キリカは首に肩にと身体を回し、各部を確認する。

 シャツの胸元を引いてブラをしていない肌を見たり、スカートの前も同じようにして中身を見る。

 衣服による闇によって中身は自分には見えなかった。見ていないと彼は思う事にした。

 一通り確認すると、

 

「肉体的にはなんの変化も無いな。肌や服にお洒落な紋章が浮かび上がる訳でもない」

 

 と言った。

 

「何のことだ?」

 

「いやね、君って異界存在だろ?だからこういうことしたら、主従かパートナー契約的なのが発生するのかと」

 

「そういうモンなのか?悪いけど俺にそんな能力はねぇよ」

 

「なーんだ。せめて子宮の真上に桃色ピンク、縮めてモッピーな淫紋くらいは刻まれるかと思ったのに」

 

「インモン…?なんだよ、それ」

 

「君はモノを知らないんだな。流石は私のベイビーちゃん」

 

 優しく微笑むキリカの表情は慈母のそれであった。

 案外いい母親になるのかもしれないなと、ナガレは客観的な感想を思った。

 

「読んで字のごとく、淫らな紋章。『孕ませる・孕む』って意思の紋章。こんな形してる」

 

 そしてスカートの布が貼り付いた下腹部の上に、両手で逆三角形を作って添えた。

 子宮の暗喩であるとは彼にも一発で分かった。

 

「俺をどんな目で見てやがんだお前は。ていうか紋章?それ付けてどうすんだよ」

 

「勿論有効活用するさ。出来損ないツンデレの佐倉杏子や、発情パープルヘアの朱音麻衣に性的マウントが取れて愉快だ。あいつらの悔しい顔が眼に浮かんで精神的に健康になれる。そして寿命が延びて君と交われる可能性が上がる」

 

「要は長生きしてぇって事か」

 

「せっかくパワーワードを幾つか盛り込んでやったってのに、注意を引くのはそこかい」

 

「俺なんかがその、拠り所でいいのかねぇ」

 

「私が勝手にやってる事だし、そんなに気負わなくていいよ。にしても、さっき聞いたけど君が好きな年齢は私達プラス十歳くらいか。残酷だね、君」

 

「残酷か」

 

「ああ。魔法少女生活は苛酷でね」

 

 キリカの黄水晶の瞳に変化が生じた。瞳孔が縦に窄まり、爬虫類を思わせる捕食者の眼と化した。

 

「偉そうなこと言えねぇケドよ。ここ数か月お前らにくっ付いて生活してて、少しはお前らの事を知れた」

 

 その眼に真っ向から向き合い、彼は言葉を続ける。

 

「大した事してるよ、お前らは」

 

「君から見てもか。光栄だね」

 

「だからって訳でもねぇけど、少しくれぇならお前らを手伝ってやれる。偉そうな言い方で悪いけどよ」

 

「そうだね。ちょっと上から目線で少しムカッと来た」

 

 拗ねた口調でキリカは言う。

 

「でも、自覚してるのはポイント高いね。友達補正で好感として受け取っておくよ。おっと話が脱線したね」

 

「何時もの事だな、悪い」

 

「すぐに謝る。私の好感度ポイント無限分の1追加。まぁ友達だからね、脱線もするさ」

 

「まぁ確かに、お前と会話してると楽しいしな」

 

「ありがとね。あとその様子だと、佐倉杏子との関係は相変わらず死滅してるみたいだね」

 

「そこまでじゃねえけど、会話よりも暴力が多いな」

 

「平然とそう言えるあたり、君らヤバいね。どうして一緒に住んでるのさ」

 

「あいつに拾われて、名前を貰ったからな」

 

「ふぅん、なら仕方ないね。毎度思うけど、佐倉杏子は素直じゃないな」

 

「そうか?俺を嫌いってのがすっげぇ分かりやすくて寧ろ気安いんだけどよ」

 

「友人の事は好きだけどさ、そのメンタルは頭が下がるよ。にしても佐倉杏子め、友人を自慰の総菜にする程度には意識してる癖に塩態度だな」

 

「塩態度?新しい言葉か」

 

「君が肋骨を全損して昏睡してる時、あいつったら君の枕元にしばらく立ってた後で寝床に戻って何度も致してたからな」

 

 話を逸らすべく彼が尋ねた事を完全に無視し、キリカは嘆くように言った。

 

「誰だっけな。俺の胸をぶっ壊したの」

 

「忘れたのか?今もあの時と同じく、ミステリアスで強キャラ感に溢れたままの私だよ。両足のキックで、こうバシーンってさ」

 

 キリカは体育座りとなり、両脚を曲げて伸ばしての実演を行った。

 その際の痛みというよりも不覚を思い出し、ナガレは苦い表情となった。

 

「あれが友人との最初の出逢いだったね。今となってはその前に会っておきたかったかも」

 

「あれ以外の会い方があったのかね」

 

「残念だがそうは思えないね。あれで良かったんだろうさ」

 

 ナガレも思わず頷いていた。

 自分が半殺しにされた事柄が良かった事だと肯定できる精神は、強いどころか異形じみている。

 

「そう言う世界線もあったかも、とでもしておくか。おおっと、そういえば話題の中心は世界の事だったね」

 

「ああ。にしてもお前、本当に聞きたいのか?」

 

 怪訝な表情でナガレはキリカに問い掛ける。最後の警告だった。

 

「うん。君のことが知りたい」

 

「で、俺の世界を知りたいと」

 

「うん。教えて」

 

「お前、見なかったのか?」

 

「ちょっとだけね。私がお肉をくぱぁして、君を抱いてる時の精神世界的なとこで」

 

「言い方」

 

「厳然たる事実だ。君の感触は今も肉の内に色濃く残ってる。今でも君をギュっとしてる感じだよ」

 

 そう言いながらキリカは優し気な手つきで胸から腹までを撫でた。

 肉を圧し潰しての撫で廻しは、手が触れる肌というより肌の下の内臓を撫でているような手付きだった。

 

「だからもっと知りたい。見てきた事でも、聞いた事でもいいからさ」

 

 何故それが自分を知りたい事に繋がるのかは分からなかったが、キリカ相手に議論は無意味である。

 絶対に意見を変えないし、舌戦が強過ぎて勝てる気がしない。

 

 彼が強敵と認めた存在は多い。

 

 例えば、星々を喰らう魔物。

 

 または、終焉にして原初の魔神。

 

 そして皇帝の名を冠する、並行世界の自分自身。

 

 その中でもかなりのレベルというか、最強格に呉キリカはいるのである。

 

 ナガレの脳裏では、それらの一つ上の階級ピラミッドの頂点で、胸を張って朗らかに笑う魔法少女姿のキリカの様子が映っている。

 その隣では笑うキリカをジト目で見る佐倉杏子と朱音麻衣がいる。

 遭遇した魔法少女の数は多くないが、この三人は彼の認識の中でかなりの強さの存在として捉えられていた。

 

「何でもいいってコトか」

 

 仕方なく、彼は妥協案で行くこととした。

 

「そうそう。面白ければ何だっていいよ」

 

「何だってか」

 

「ウム」

 

 キリカは力強く頷いた。

 ナガレも決めた。ちょっと待ってなと言い、話の方向性を頭の中で纏め始める。

 その間に、キリカは何やら作業を始めた。

 ナガレは眼を閉じて話を考え、ちょうどまとまった時にキリカが彼の肩を叩いた。

 

「はい。コレ使って」

 

 そう言ってキリカは紙コップを手渡した。コップの底には糸が通されていた。

 それを手に取ってしげしげと見ている間に、キリカは自分のベッドの上へと移動していた。

 

「これぞ文明の利器。我が大発明の威力を存分に味わうがいい」

 

「いいね。こういうのも楽しそうだ」

 

「君は本当に無邪気だな。罠を疑うとかしておくれよ」

 

 噛み合わない会話だが、これも何時もの事で両者は楽し気に笑っている。

 

「まぁ正直言えば、聞くのがちょっと怖いからね。これでちょっと緩和したいんだ」

 

 へぇ、とナガレは感心した。

 言葉ではなく音として聞くつもりかと思ったのであった。

 

「あとベッドで横になって抱き合いながら、耳元で囁かれるっていうのは今の私にはちょっと恥ずかしいからね。そういうのはオトナになってからで」

 

 照れた口調でキリカは言った。

 孕むことを望んでおきながら、そういう事には羞恥を覚えるらしい。

 というか、そこまで睦まじいシチュエーションで話をする気は、彼には無かったのだが。

 

「そうかい。お前ならいい大人になれるだろうよ」

 

 それを笑う事もなく、彼は思った事を素直に言った。

 そしてキリカから離れ、糸が張り詰めるまで距離を取る。部屋の端に彼は座った。

 

「じゃ、始めるか」

 

「よろしく、友人」

 

「で、話の方向性なんだけどよ」

 

「何でもいいって言ったよ。エロ話でも下ネタでも構わない」

 

「いいんだな?」

 

 最後の最後の警告であった。キリカは頷いた。

 

「分かった。じゃあお前の中で考えられるくらいの、卑猥で猥褻な話を思い浮かべな」

 

「そういうプレイが望みかい?まぁいいや、ちょっと待っててね………ハイ、おっけ。残念ながら、私はさささささや佐倉杏子ほど自慰行為が好きでは無いから見せたりはしないよ。ああいうのはお風呂場とかお手洗い場でこっそりやるものさ」

 

 自覚か無自覚か、他者への愚弄を惜しまないキリカであった。

 彼女の頬がほんのりと紅潮しているのをナガレは認めた。例えとして自慰の言葉を用いたあたり、彼女はそれなりに熱心な妄想をしたらしい。

 

「これから話すやつは、それが学校でやった道徳の教科書に思えるくらいに最悪な話だ。覚悟しとけよ」

 

「妙に変な例えだね。まぁいいさ、それを私に話したまえ。私はそれを全て聞いた上で、平然と笑い飛ばしてやる!」

 

 キリカの眼付は挑む者の闘志が滲んでいた。分かったと、ナガレは言った。

 キリカは彼に右側面を見せて座って右耳にコップを当て、ナガレは口にコップを近付けた。

 両者の間で糸電話が結ばれる。

 

 そして、彼は話し始めた。

 ここに来る前に聞いたり、勝手に仲間になった人間観察が趣味の魔神が収集・観測した世界の事柄を。

 

 まずは、筆舌に尽くしがたい性技を忍法として身に着けたくノ一軍団vs異常性欲者と男色の忍者たちの死闘。

 

 そして未来科学が生んだ、男の白濁とした欲望の全てを叶える為に造られた超高性能ダッチワイフなアンドロイドの物語。

 

 他にもいくつかの話が用意されていた。

 

 キリカが耳まで赤くなり、口を押さえて羞恥の悲鳴を抑えた。

 それは話を開始して、十秒と経っていなかった。

 











彼が話し始めた物語。
前者は『伊賀淫花忍法帳』
後者は『ブルーベリードール』となります。
当然ながらどちらも石川賢先生の作品です。
最近購入しまして、延々と笑ってました。
出てくる単語が悉く放送禁止級且つ超絶お下品な内容で、それでいて極めて暴力的と石川先生の恐ろしさを改めて実感いたしました。
花忍法帳は某アニヲタなwikiに記事もありますのでよろしかったら…。



書いててなんですが、JCになんてものを話すんですかナガレ君と言うか新ゲ竜馬さん…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花⑳

 ナガレが異界の事柄をキリカに話し始めてから、数時間が経過した。

 キリカの部屋は無音となっていた。テレビやゲームの電源、照明は落とされ室内を闇が包んでいる。

 闇の中、四角い机の上では会話に用いられていた糸電話が重ねられていた。

 糸は紙コップに丁寧に結ばれ、再び使われる時を待っている。

 

 カチャリと言う音が鳴り、部屋の扉が開かれた。直後に照明が灯され、室内と侵入者の姿を照らし出す。

 侵入者は緑色の寝間着姿に身を包んだ、黒髪の少年であった。

 美少女のような顔は僅かに赤く染まり、黒髪の末端は湿り気を帯びていた。風呂に入っていたらしい。

 

 扉を閉めて、ナガレは室内を見渡す。

 いくつかの変化を発見した。

 布団の整えられたキリカのベッドの上に、もう一つの枕が増えて並んでいた。

 

 これはまだいい。予期出来た事である。

 問題は机の上にあった。立てられた糸電話の隣に、銀色の小さな箱が置かれていた。

 箱の表面には『0.01』との記載があった。

 

 ナガレは無言でそれに手を伸ばし、手に持つと箱の中身を取り出した。

 銀色の袋パックの中に、Oの字を描いた何かが入っている。

 黒い眼でそれをよく見た時、彼の喉は小さく唸っていた。

 地の底から響くような、悪霊の嘆きのような音が生じた。

 

 彼の眼は、袋の表面に生じた複数の小さな穴を認めた。

 狂気を感じながら、彼はそれを部屋の隅に畳んであるジャケットのポケットへと仕舞った。

 少女の部屋のゴミ箱にこれを捨てることに抵抗を覚えたのだろう。

 

 ベッドの上の枕を一つ拝借して地面に置き、牛の魔女を呼び出して彼女の内部に仕舞ってある布団一式を取り出して部屋の隅に敷く。

 外出や魔女の追跡で野外に出る事も多い為、魔女の内部には簡単な生活用品を入れてるのだった。

 まるでどこぞの未来ロボットのポケットみたいな使い方だが、ある意味魔法の正しい使い方かもしれない。

 その後は布団の上で寝転びながら、キリカの部屋にあった小説を読んでいた。

 

 彼が読み耽る文中では、液体金属の身体を持つ異形の触手により主人公の教え子が目の前で強姦され、人外の赤子を強制出産される様子が事細かに描かれていた。

 

「うえっ」

 

 彼も思わず呻き、それでいて紙コップに注いだジュースを飲みながら読んでいた。

 次の場面では異形の子を産んだ絶望に囚われた母親が、胎内から這い出てくる赤子に向けて、自分の肉も切り裂きながら何度も何度も短剣を突き立てる場面が展開されていた。

 

「すげぇなこの本。グロ過ぎんだろ」

 

 自分たちの生活を棚に上げて小学生並みの感想を漏らしていた。

 彼は口が寂しくなり、魔女をまた呼び出して菓子類を出させた。

 机の上に広げ、その中からポッキーを取り出してポリポリとやりながら読み耽る。

 

 無造作なように見え、一片の欠片も落とさない丁寧な食べ方だった。無駄に器用な男である。

 文中ではなおも地獄のような場面が続き、彼も夢中になって読んでいたあたりで部屋の扉が開いた。

 誰かは分かっていたが、顔をそちらに向ける。

 

「お待たせ」

 

 美しい黒髪をタオルで拭きながら、部屋の主たる呉キリカが室内を歩きベッドの上に腰かける。

 湯場の温もりを肌から立ち昇らせるその姿に纏われていたのは、相も変わらず白いシャツとピンクのスカートだった。

 衣服の張りからすると型は同じであるが別の衣装らしく、流石に手袋や太腿のベルトは外されていた。

 

「んー、気持ちよかった」

 

 背を伸ばしながら言うキリカ。それにより衣服が肌に寄り、美しい女体の形を鮮明に表す。

 シャツのボタン同士の隙間から見える肌色とも相俟って、キリカはまだ下着を着用していない事が分かった。

 上もそうだとすると、下もそうだろうなと彼は思った。

 

「じゃ、友人。これ頼むよ」

 

 激烈に嫌な予感がし、それでもナガレはキリカを見た。

 彼に見せつける様に、いや、キリカは誇らしげに見せつけていた。

 両手の人差し指と親指は新品の純白ショーツの端を掴み、彼に突き付ける様に両腕が伸ばされていた。

 当然のように彼は絶句していた。何を要求しているのかは考えるまでも無い。

 

「はりー・あっぷ、まい・さん兼まい・ベイビーな友人。これは休憩料金と思いたまへ」

 

 宿泊ではなく休憩と言うあたりに、彼女のイノセントなマリスが伺える。

 ひどく緩慢な動きで、彼はキリカに歩み寄った。

 彼女がぱっと離した柔らかい布を空中で掴み、同じように広げベッドの近くに、正確にはベッドに腰かけるキリカの正面に正座する。

 何も思うな感じるな。彼はそう思いながら作業を開始した。

 

「友人」

 

 キリカの呼びかけに応じ、美しい足先に向けていた視線を上に上げる。

 にっこりと朗らかに笑うキリカの顔がそこにあった。

 

「ただ呼んでみただけだよ。じゃ、お願いね」

 

 無言で頷く。歯は歯茎に減り込まんばかりに食い縛られていた。

 可憐な爪先を上げさせ、下着を両脚へと通す。そして柔らかな肌で覆われた細い脚の上を、ゆっくりと這い上らせていく。

 膝に達し、キリカを立たせて太腿に通す。

 跪いた態勢が屈辱的で我慢できなかった為に、膝に下着を通したあたりで彼は立ち上がっていた。

 

「中々にエモい光景だね」

 

 その表現の意味するところを彼は知らなかったが、本来の用途なら悪くない事なのだろうなと思っていた。

 両手は上昇し、ショーツの奥が引っ掛かりを見せた。キリカの尻に触れたのである。

 

「ん…」

 

 キリカが小さく声を漏らした。迂回するように引き上げ、先に尻を布で覆う。

 

「テクニシャンだね。自分で履くより気持ち良いよ」

 

「うるさい」

 

「うわぁ、照れてるよこの子。素直じゃないねぇ」

 

「黙ってて。キリカさん、お願いだから黙ってて」

 

 ここに至り、漸くナガレが口を開いた。キャラ崩壊した口調ももう慣れたものである。

 そして次は前をと力を落として上に上げた。布の表面と湿り気を帯びた薄い体毛が擦れるささやかな感触が、布越しに彼の指に伝う。

 

「くぅ…ふぅ…」

 

 デリケートな部位に布が触れた際、キリカはそう呻いた。

 こいつがガキじゃなけりゃなと、ナガレは思った。

 性的関心は抱かないが、同じ目線だったらさぞかし魅力的だったろうにという感覚はあるらしい。

 

 そしてこの屈辱を終わらせるべく、腰まで上げようとした時、背後で扉が開く音が鳴った。

 室内を歩く音が静かに生じる。彼も動きを止めていた。

 というよりも止めさせられていた。キリカの速度低下魔法である。

 

 赤いシャツに青いジーンズと落ち着いた服装且つ、キリカより少し高い背丈。

 髪をポニーテールに結わえた美しい女が、四角テーブルの上に飲み物を置いていった。

 外見年齢的には二十代半ば。

 実年齢は三十になったばかりらしい、キリカの母である。

 

 ベッドを背後に、娘のスカートの中に手を入れている少年の姿を一瞥すると、女は優しく微笑み無言で会釈した。

 そして静かな足取りで部屋の扉の前に行くと、再び会釈して丁寧に扉を閉じて去っていった。

 その瞬間速度低下は消え、ショーツは完全に彼女のスカートの中を覆った。

 ナガレは即座にスカートの中から手を引いた。

 その様子を、キリカは朗らかな笑顔で見つめていた。

 

「お疲れ様、褒めて遣わすよ。んじゃ、次は上ね」

 

 言うが早いか、シャツがするりと肌から滑り落ちる。

 体型に反して豊かに過ぎる膨らみと、その曲線の中央に位置する朱鷺色の突起が惜しげも無く晒される。

 

「ほい」

 

 どこに隠していたか、平然と白いブラを彼に手渡しキリカはくるりと振り返って、彼に背中を見せて両腕を水平に伸ばした。

 やれることは一つしかなく、彼はブラを彼女の身体に通して位置を調整し、背中のホックを繋ぎに掛かった。

 その時、彼は背後に視線と気配を感じた。その二つの感覚は、今彼の目の前にいる存在とよく似ていた。

 

「ほらほら友人。母さんの視線に欲情してないで、今は私に向き合っておくれよ」

 

 キリカは念話でそう告げた。この台詞からして、前以て示し合わせていたのだろうと察しがついた。

 ナガレは背筋に何かが走るのを感じた。

 

 この感覚は彼にとっては馴染みでもあった。

 佐倉杏子や呉キリカとの戦闘時に、自らの命に届く殺意の軌跡を有して飛来する魔槍・魔爪を前に、背筋が訴える危機感に。

 それを彼は呉家の女たちに感じていた。

 振り払うように、彼はキリカのブラのホックを繋ぐ。どんな振り払い方だと彼も自分の行動に突っ込んでいた。

 

「ん。上出来だね、ご苦労さん」

 

 そう言ってキリカは彼の方を向き、下着で覆われた胸を見せた。白い肌が赤みを帯びているのは、風呂の熱の残滓か彼女の興奮ゆえか。

 キリカはベッドに放っていたシャツを再び着用して肌を覆った。

 どうやらこの姿で寝るらしい。或いは、寝る積りが無いのか。

 疲弊勘に囚われる彼を尻目に室内を歩き、棚の中から複数のディスクケースを取り出す。

 そしてテレビの前にしゃがみ、ディスクをセットした。

 

 再びベッドの前へ戻って腰掛けると、未だ苦悩の中にいるナガレの手を引いた。

 

「ホラホラ、突っ立ってないで座りなよ。そろそろ始まるから一緒に観よう」

 

「ああ」

 

 そうだなと彼は気分を切り替えた。重い体重の彼ではあるが、特殊な体捌き故にベッドが軋む事は無かった。

 両者はベッドの上で隣同士で仲良く座る。

 先程までの苦悩は何処へやら、自分の知らない物語の開幕を待つ彼は外見の年相応に微笑んでいた。

 その様子をキリカは面白そうに眺めている。

 そして物語が始まった。

 

 開始されたのは、底知れぬ深淵へと挑む少女と機械少年の物語だった。

 

 

 

 










彼が読んでいたのはガガガ版され竜4巻ですな
あの場面はほんっとヤバい

それに反して、自作にしては珍しく平和な回でありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉑

 轟音に破砕音、そして肉を引き裂く生々しい水音が鳴る。

 それは何かに阻まれ、くぐもった音を出していた。

 

 だがそれは解き放たれ、聞くものの精神を砕かんばかりの悪夢の絶叫のような音と化して世界を震わせた。

 同時に差し込んだ光が、音を閉じ込めていた闇を切り裂く。

 その光は白光ではなく、異界の極彩色であった。

 そして光は、破壊によってもたらされていた。

 

「ハハッ!他愛も無いね!」

 

「一丁上がりっと」

 

 少女の声が二つ、ほぼ同時に生じた。片方は少女のようなとすべきか。

 異形の甲殻・骨格・血肉を切り裂き、異界の血液を浴びながら少女と少年が異界の光の下へと出でた。

 

 呉キリカとナガレである。前者は両手から魔爪を出し、後者は巨大な斧槍によって魔女を体内から切り刻んでいた。

 異界の血液を滂沱と溢れさせながら、魔女の巨体が倒れ伏す。

 その大きさは、二十メートルを軽く超えていた。

 

 そして巨体の全身に亀裂が生じ、溢れた魔力が爆裂する。

 砕かれた肉や甲殻が血飛沫と共に宙高く舞い上がり、残酷な雨を降らせ始めた。

 それバックステップで優雅に避けながら呉キリカは朗らかに笑い、傍らのナガレへと声を掛けた。

 

「毎度のことだが君はホントに人間なのかなぁ…って、何してるの、友人」

 

 隣にいると思っていた存在は、彼女の前にいた。

 降り注ぐ極彩色の雨の中、ただ立ち尽くしていた。

 当然その身には雨が降り注ぎ、彼を同色の色に染めていく。

 

「どうした友人、特殊性癖の目覚めか」

 

 キリカはとてとてと歩いて進み、彼に並んだ。

 降り掛かる異界の液体に触れる、というよりも彼と同じ色へと変わる事に全くの忌避感を抱いていない様子であった。

 

「ふはは、どうだい友人。新たな個性を身に着けて私にマウントを取ろうったってそうはいかないぞ」

 

 顔に髪に衣服にと、異界の色に染まりながらキリカは微笑む。

 その彼女の前で、ナガレは静かに片膝を着いた。

 

「大丈夫だ」

 

 斧槍を地面に立てて杖として、キリカが声を掛ける前に彼は言った。

 しかしその息は荒く、肩は激しく上下している。

 

 その様子に、こいつと性行為に及ぶとこんな姿が見れるのかなとキリカは思った。

 思い浮かべた想像に欲情したか、桃色の舌が唇をちろりと舐めた。

 しかしその表情も一瞬で消え失せ、真面目そうな表情へと変わった。

 

「そうは見えないね」

 

 断罪のようにキリカが告げる。告げた時、雨は止んだ。

 キリカは更に前へと進み、倒れた巨体の前へ立つ。

 

「やいお前。よくも私の大切な友人を苦しめたな」

 

 そう言って右足で異形を蹴った。

 黒い丸靴の先端が魔女の剥き出しになった肉と臓器を蹴る。異形の悲鳴が鳴った。

 

「判決。貴様は死体損壊の刑に処す。そしてその死骸は、佐倉杏子の首桶か朱音麻衣の自慰の道具にでも加工してやる」

 

 言いながら蹴りを続ける。こんにゃろ、こんにゃろう!と彼女が蹴る度に魔女の臓物は蠕動し、苦痛を訴えていた。

 魔女は既にほぼ死に体であるが、強靭な生命力と、何よりキリカの速度低下によって死が引き延ばされていた。

 

「あとコイツ、似てると思ったら我がヴァンパイアファングを編み出した時の奴の同型か。変な縁があるもんだね」

 

「俺にも…見覚えがあるな」

 

 霞むような声でナガレが応じた。

 

「ん?過去回想かい?」

 

「杏子と…あいつと組んで、倒した奴と同じだ」

 

「なんだかんだでバディしてるね。苦戦したかい?」

 

「ああ」

 

「佐倉杏子は死んだ?或いはこいつに犯された?」

 

「なんて答えりゃ…満足だ?」

 

 こりゃ重傷だなとキリカは思った。返答にキレが無く、面白みに欠ける。

 その様子に、彼女は不安を覚えた。

 

「ようし。過去回想には回想で返そう。ええと、全くもう、友人てば私を庇ったりなんてするから」

 

 キリカの脳裏に、数分前の光景が浮かぶ。

 アニメを一気見し、まだ夜が帳を広げる世界に二人は飛び出した。

 そして路地裏を抜け、異界の入り口へと踏み入り、自分たちのバトルフィールドである魔女結界に雪崩れ込んだ。

 

 その瞬間、先行するキリカに向けて、一つ一つが人間の身長ほどもある巨大な球体の列が飛翔した。

 それはまるで、彼女を狙いすましたかのような正確な一撃だった。

 不死身も同然の肉体を強みに防御すらせずに受けようとしたキリカとの間に、ナガレは黒い流星のように割って入った。

 妖しい緑に輝く球体に漆黒の斧槍が激突し、球体が弾けて破片を散らした。

 球体は自ら砕けたようにも見えた。

 

 千々と砕ける緑の欠片の大半を彼は斧の腹を盾に受け、斧である牛の魔女は同胞の破片を中央の孔から吸い込み餌食として喰らった。

 数片が微細な棘や細かな欠片となって彼の表皮を傷付けたが、彼は咆哮を上げて地を蹴って跳んだ。

 連なる球体と魔女の胴体を蹴って上昇し、宝石が群れを成す頂点へと辿り着く。

 

 宝石の中央に置かれた巨大な眼球が、宝石を蹴って更に飛翔し自らを宙で見降ろす少年の姿を捉えた。

 そこに向けて緑色に輝く真珠を連ねたような腕を振ろうとした刹那、魔女は全身を束縛する不可視の力に気が付いた。

 

 そして彼女は、二種類の斧を見た。

 一つは少年が振り下ろした、自らを獲物として見る斧型の同胞。

 そしてもう一つは、黄水晶の瞳を殺戮への歓喜に輝かせた、魔を狩る少女の右腕から放たれた赤黒い斧の列。

 自分の同類が嘗てこれにより切り裂き砕かれた事など終ぞ知らぬまま、それが魔女が最期に見た光景となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「以上回想終了。原因はこいつの欠片か。……なぁ友人。ちなみにこの腐れ間女の形、君には何に見える?」

 

 ゲシゲシと蹴り続けながらキリカは尋ねる。

 面白い答えを期待しているのか、サディスティックな笑みが異界の色に染まりながらも美しい顔に宿っている。

 

「不味そうなパフェ」

 

「友人は想像力が足りないな。私には大人の玩具の融合体に見えるよ」

 

「そうかい」

 

 返事も気分が無い。押し寄せる不安感。

 少し迷い、キリカは言葉を続けた。

 

「ええっと、ゴホン…具体的にはオナホとアナルビーズかな。いや、アナルパールだっけ」

 

 際どすぎる言葉をキリカは口にした。

 知識として備えてはあれど、言葉にしたのは初めてだった。緊張故か、声は若干震えている。

 彼女にも乙女心や羞恥心は有るのである。

 

 されど、ナガレからの言葉は無かった。

 ただ、苦痛による荒い息が聞こえる。

 

「友人、友達だったら「女の子がそんな言葉使っちゃいけません!」て感じでメッ!てしてよ。年上なんだろ」

 

 沈黙。

 しばしの沈黙。そして

 

「……あー…悪」

 

 底の見えない深淵より去来したかのような声。

 残りの一言は放たれず、そこで言葉は途絶えた。

 それになにより、荒くはなっていても、行われていた呼吸音が聴こえない。

 

「ちょっと、やめてくれよ友人。そういう苦痛に呻く役はヒロインである私がやるべきだよ!」

 

 沈黙。

 

「ああ、行動すればいいんだな!じゃあ今から倒れるよ!糸の切れたお人形さんみたいに倒れるから、何時もみたいにぎゅっと抱き締めて転倒を防いでおくれよ!じゃあいくよ!ハイ!バターン!」

 

 沈黙。

 言葉とは裏腹に立ったままにキリカはナガレを見つめる。

 

「ちょっと友人!ノリ悪いよ!この程度で私の好感度は下がらないが、それじゃの世の中やっていけないぞ!私みたいに小学校と中学の半分を、心を閉ざして過ごす羽目になるぞ!あんなの全然楽しくなかった!それでもいいのかい!?」

 

 キリカの声には請願のような響きが混じり始めていた。

 

「あー…友人、ちょっと笑えないんだけど…あの、ええと、そっか!さっき一気見したアニメの真似だな!その分だとリコ役かな!じゃあ私はナナチ的なの探してくるから、君はスパラグモスの練習でも」

 

「…ぁ」

 

 不安を拭い去るべく吐き続ける言葉を遮るように、ナガレは音を立てた。

 キリカの顔が希望に輝く。だが。

 

「ぐは…ぁぁああっ」

 

 胸を抑えて身体を折るナガレ。そして開いた口から、ぼどっと言う音を立てて何かが落ちた。

 異界の地面に落ちたのは、どす黒い血塊であった。

 黒とは死滅した赤血球が変じた色であった。

 

 また跳ねた黒血には、血や体液にはあり得ない色彩が混じっていた。

 異界を思わせる極彩色の悍ましい色、そして立ち昇る煙と弾ける光である。

 

「魔法による毒状態…か。しかも、これは」

 

 先程までの慌てぶりなど消え失せ、キリカは虚無を宿した眼で魔女の体表に触れた。

 そして自らの黒い魔力を流し込む。

 

 瞬間、意識の中に音と姿が浮かぶ。

 緑色のサイン、歯を見せて笑いながら敬礼する姿、そして奇怪な哄笑。

 この魔女の出処、即ち飼い主たる存在を彼女は知っていた。

 それは不愉快という感情では表せない、忌避すべき存在であった。

 

「あの…おん…な」

 

 口元を震わせ、ナガレへと歩み寄りながらキリカは言葉を紡ぐ。

 僅かな恐怖、そして怒りが交互に表出した声だった。

 

「友人は…渡さないぞ」

 

 彼の前へと跪き、死滅した血を吐き続けるナガレと視線を同じくする。

 ナガレが握る牛の魔女もまた、体表から黒い靄を断続的に発生させていた。

 それが増えるに連れ、色合いが失せていく。

 宝石の魔女が放った毒は、全てを喰らう牛の魔女の命をも削っていた。

 

 その魔女をナガレから奪って投げ捨て、キリカは両手で彼を抱き締める。

 彼の背に回された腕と背中に触れる手。

 そして密着した胸が伝える彼の温度は、既に氷に等しかった。

 感じる鼓動も、脈打つ回数が皆無と思えるほどに弱い。

 

「…やめろ。死ぬぞ、お前」

 

 死人も同然の声でナガレは言った。声がくぐもっているのは、喉に詰まった血塊のせいだろう。

 キリカが何をするのか、彼には分っていた。だから彼はそれを止めているのだった。

 普段よりも色合いの薄い黒い瞳を、キリカは黄水晶の眼でじっと見つめた。

 その顔は、朗らかに微笑んでいた。普段のように。

 

「君は友人で、且つ私の血肉を分けた我が子。更にはその父親も同然の存在だ。助けない理由があるなら教えておくれよ」

 

 数日前、狂乱に陥った彼女は本能と欲望の赴くままに彼を喰らった。

 胸から下腹部に掛けて開いた巨大な傷で彼の身体を食む様に包み、牙の如く変形させた肋骨で肉を貫き、口の牙で喉を喰い破って彼の血肉を浴びる様に貪った。

 そして生じた傷を、今度は自らの血肉を与えて癒した。

 

 傷を癒した彼が肉体から離れていった事に、彼女は胎から子を産み落とした事と同じであると彼に告げた。

 また、今の彼は傷付いた彼に自らの血肉を与えて新たに作り替えられた存在であり、混じり合った遺伝子の片割れとして彼は父親でもあるのだと。

 

 当人にしか理解出来ないどころか、理解を拒む行為と発言である。

 狂気という言葉では足りぬ行動と思考ではあったが、キリカの想い自体は極めて真摯なものだった。

 彼から命を得て育みたい、彼女の願いはそれであった。

 

 それに、とキリカは付け加える。

 

「私はこれでも魔法少女だ。目の前のたった一人の命を救えない魔法少女に、存在する価値なんてない」

 

 言い終えた瞬間、キリカは鮮血色の唇を彼のそれへと重ねた。

 よせという静止の叫びに覆い被さる様に、彼女はナガレを強く優しく、母のように抱いた。

 怖くない、お母さんが守ってあげる。だから心配しないで。

 

 まるでそうと言わんばかりに。

 他の選択肢の一切を排除して、有無を言わせぬキリカであった。

 

 そして蒼白となった彼の唇を捕食のように貪り、キリカは彼の喉に溜まった血を一気に啜った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉒

 ナガレの蒼白の唇に呉キリカの鮮血色の唇が重なる。舌を絡める事を省き、キリカは一気に息を吸った。

 魔の毒を受けたナガレの喉に溜まった血が、彼女の口内に移動する。

 彼の血が舌に触れた時、キリカの眼は見開かれた。

 構わず嚥下した時、彼女の背は弓なりに反った。それでも身長差ゆえに、唇は重ねたままであった。

 

 その唇が離れた。しかし、キリカの顔の位置は動いていない。

 

「ぁ…はぁ…ふ…ひゅ…」

 

 キリカの口からは空気の震える音が生じていた。

 そしてぼどぼどと言う音を立て、キリカの胸や膝に緑の滴が垂れていく。

 

 胸や膝、そして地面に触れた時、接触面から白煙が生じた。胸糞が悪くなる異臭が生じ、衣服が泡となって溶けた。

 皮膚が融解し、桃色の肉が溶け崩れた。その様子は、キリカの口も同じだった。

 

 唇が消え失せて歯茎が露出し、その歯茎や歯までもが肉色の泡を吹いて溶けていく。

 毒を嚥下した下顎と喉は、更に悲惨であった。

 桃色の可愛らしい舌は根元から液体と化して消失、骨を融かされた顎は自重を支えきれずに落下していた。

 

 喉も同じく、皮膚と肉が泡となっていた。

 溶けた喉は豊満な胸に滴り、胸の衣装を毒が槍のように貫いて、二つの双球を赤黒い穴だらけの肉と脂肪の塊へと変えていた。

 胸の中の黄色い脂肪が焼け、毒々しくも香ばしい匂いを立てる。

 

 赤子に乳を与える為の二つの突起も容赦なく溶かされ、乳を育み蓄える胸自体も無意味な肉の欠片となって、キリカの胴体から辛うじて垂れ下がっている。

 ずるりと胴体から滑り落ちる肉が、不意に停止した。

 そして映像の逆再生のように溶解した乳房が上昇し、欠損部分を新たな肉と脂肪が埋めて、美しい肉の張りとそれを覆う黒衣が蘇る。

 

「はひゅ…は…はぁ…はぁ…!」

 

 喘鳴と共にキリカの喉や歯茎、その他全ての部位が修復されていく。

 それでも痛みは消えずに、莫大な苦痛がキリカを苛む。

 その中でキリカは、痙攣する頬を歪ませるようにして微笑んだ。

 

「ゆうじん…きみ……がんじょうすぎ」

 

 キリカの発言は尤もだった。魔法少女を溶け崩させる猛毒に、ナガレは人の身で耐えているのであった。

 そして、それだけではなかった。

 肉体を修復させつつ、彼から得た毒を帯びた血塊を魔力で分解させたときに彼女をはそれを察した。

 

「きみは……このどくと……あいつと、戦ってるのか」

 

 言葉を告げる中で、舌と歯茎が再生した。

 魔の毒は精神を侵食し、元から備えている破壊力と相俟って対象の肉体と精神を破壊する。

 

 ならばと彼は精神力で抗っていた。毒性に対しては仮初の肉体の力が頼りである。

 その背後から黒い靄が立ち昇り、彼の背に触れた。

 

 それは擬人化した牛のような姿、牛の魔女の義体であった。

 その姿も毒を帯び、手や胴体、雄々しく湾曲した角も完全に形成されずに歪んでいた。

 

 義体は彼の身体を背後から抱き、形を霧散させるや彼の皮膚を介してナガレと同化した。

 本体である斧槍も、義体が運んでいたためかナガレの傍らに置かれていた。

 

 瀕死の魔女は消滅に抗い、彼の生命力と精神に賭けるべく協力というか寄生の道を選んだらしい。

 魔女も彼の体内の毒を解毒に掛かるが、毒に宿る魔力の強力な反発に合い、彼の体表から苦痛に身を捩るように黒い靄が渦を巻いた。

 

 また毒自体は瀕死の魔女から与えられたものだが、宿る魔力は魔女ではなく、その飼い主のものである。

 それは一種の呪いであり、魔女を殺しても消えはしないとキリカは思っていた。

 

「キリカ…分かったろ……こいつは…俺が、なんとかして」

 

「うるせぇ病人な友人!空気読めおバカ!女にハジをかかせるな!!」

 

 再生させたばかりの喉でキリカは叫び、ナガレの言葉も聞かずに再度唇を重ねた。

 さきほどと同じく。いや、前以上に強く啜り毒血を体内に導く。

 毒を受けた肉が溶け崩れるが同時に治癒を行い、毒の受け皿としての形を保つ。

 喉を伝って胃に落ちた血が胃壁を焼き、常人なら即座に狂を発する苦痛がキリカの精神を貫く。

 

「まけ……るかっ…!」

 

 溶解により穴が開く寸前で、胃の内側をキリカの黒い魔力が覆った。

 

 まるで溶鉱炉の如く様子で胃の内側が装甲され、毒血が内部で跳ねる。

 魔力は溶かされつつも毒を分解し、食物のように消化し魔力へと変える。

 そうして生じた魔力を用いて、キリカは自らの肉体の修復と彼への治癒魔法を行使した。

 苦痛は変わらないが、肉体の損壊は一時的とはいえこれで防げるはずだった。

 

「だから…やめろ…って」

 

「おだまり!!」

 

 離れようと彼女を突き飛ばす為に出されたナガレの右手に、キリカは左手を蛇のように絡ませる。

 五指が接触した瞬間、キリカの手から光が弾けた。手を覆う白手袋が消え、素肌が彼の手に触れる。

 

 当の彼の手は白の皮手袋で覆われていたが、それでも彼女はより近い距離を好んだらしい。

 行為に及ぶのならば避妊具の着用は認めない、それを形は違えど体現したかのように。

 残る左手も同じように捉え、互いの十本の指が絡み合う。

 

「はな…せ」

 

 体内から滾々と滲み、喉と胃に溜まり続ける毒血を飲まれながら、唇を動かしてナガレは言った。

 

「い…や…だ♪」

 

 彼による解毒を介してもなお、強力極まりない毒性を発揮する猛毒をキリカは飲み続けながら答えた。

 苦痛に苛まれながらも、弾むような声だった。

 

 キリカの再生能力を以てしても、毒が肉を融解させる速度の方が早かった。

 魔力が毒の浄化と、ナガレへの治癒に傾けられているせいもある。

 そして何より、毒の威力が強過ぎるのだ。

 

 血が触れたすべての部位が苦痛を訴え、細胞の一つ一つが怨嗟と呪詛を吐いて泣き叫んでいるかのような痛みが生じる。

 痛みの種類は、考えられる限りの全て。針で貫かれる鋭い痛みに熱に冷気。

 鈍痛に肉が削れて齧られるような、全身に細かくびっしりと拡がるような苦痛。

 吐き気に頭痛にと、脳が溶けて乱雑に掻き混ぜられるかのような苦しさも同時に彼女を襲う。

 

 その中で、キリカは思考していた。

 

ああ…友人が私の中に来る

 

 来る、とは血の事だろう。しかし、それは以前にも経験したことである。

 彼の喉を喰い破り、彼女は大量の血を飲んでいた。

 今もシチュエーションとしては近い。それに対し、彼女の想いは新たな悦びを孕んでいた。

 

私の血肉も、君の中へと沈む

 

 毒血を飲みながら、キリカは治癒の魔力を乗せた自分の血をナガレへと送っていた。

 彼女が想ったとおりに、それは肉でもあった。

 毒によって溶け崩れ、赤い粘塊となった自分の血肉をキリカは彼へ与えていた。

 

 吸って、吐く。

 口を介してキリカが血が交差させる様子は、普段の呼吸も同然だった。

 またこの行為は、胃に魚を溜めた親鳥が雛に餌を与える様子にも似ていた。

 ナガレを見るキリカの黄水晶の眼は、子を見る母のそれだった。

 

 そして、それだけでは無かった。

 

私の中に、君の死が溜まる。毒で死滅した君の黒い血と、新たに生まれては溶ける私の赤い血肉が、互いの生死が抱いて抱かれて交わっていく』

 

 生と死の交差を、彼女はそう評した。

 苦痛の最中にありながら、キリカの顔は恍惚と輝いていた。

 

 体内に導いた毒血を分解し、その血を用いてキリカは自分の傷を埋めていく。

 防いではいても、僅かに開いた胃の穴から毒は肉体の中に滴り、彼女の内臓を無惨に破壊していく。

 肝臓が、はらわたが、肉に骨がと毒の凌辱に晒される。

 

 それらを彼から得たものを用いて治癒し、その為に毒血を浴びるように飲む。

 そして更に傷付き、また彼の血を用いて治す。

 

 幼い女体の中で、救いようのない地獄の輪廻が形成される。

 

嗚呼…堪らないね、癖になる。これはあの女には勿体ない

 

 それを理解していながら、キリカは艶然と微笑んだ。母の慈しみと、雌の本能が美しい顔に描かれていた。

 

渡すものか

 

 そして苦痛の裏側では、もう一つの感覚が燃え上がる。

 渦巻く炎のように、魂に根差した本能と湧き上がる感情の想いに突き動かされ、呉キリカの雌の欲望が昂る。

 

この苦痛は私の、私達のものだ

 

 毒が溜まる上半身とは真逆の位置で熱が生じ、軟らかい肉が、襞が疼いた。

 

ひとしずくたりとも、貴様なんかに渡すものか

 

 肉は蠢き、別の肉を受け入れるべく粘液が滲む。

 

「…あ…ぁ…あ」

 

 血を飲みながら、小さな喘ぎが漏れる。

 キリカの体内の肉襞は収縮し、熱い液が黒いスパッツで覆われた彼女の女性を濡らしていた。

 

ぅぅうううう…あぁぁあああああああっ!

 

 彼女は思念で叫び、身体を震わせた。

 蓄積した欲望が頂点に達し、当然の結果を彼女の身体に与えた。

 訪れた快感は一度だけではなく、連続で何度も何度も、波のように彼女の身体と魂に訪れた。

 まだ自分の指以外のものを、それもほんの浅くしか受け入れた事のないそこで、まるで奥の奥まで。

 肉の行き止まりである命の揺り篭の入り口にまで、雄を招いたかのようにキリカの腰は小刻みに震えた。

 

 その度に熱い粘液が彼女の奥から溢れ、黒い布の受容範囲を超えて滲み、透明な糸を垂らした。

 甚大な苦痛と身を焦がす快楽の中、キリカは彼の毒血をごくごくと飲み続けた。

 ナガレの手と絡ませたキリカの指には、彼を絶対に離しやしまいと、その指を砕かんばかりの力が籠められていた。












仲良いわね…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉓

 ごくり、ごくり、ごくん。

 

 血は友人から幾らでも湧いてきて、そして幾らでも飲める。

 

 味を感じる舌が直ぐに溶けて、味わえないのが残念だね。

 

 それにしても情けない。

 

 毒を受けた君は形を保っているのに、私ときたら酷い有様だ。

 

 私は君の毒血の受け皿だ。

 

 君から得た毒を魔力に変えて、君を癒させてもらってる。

 

 報酬は君の血とその味だ。

 

 なのに半分しか得られていない。

 

 私が受ける毒は君を介してある程度清められたものだというのに、毒に耐性がある筈の魔法少女の私をぐずぐずに溶かす。

 

 こちらも毒に抗う為に必死になっているのだけど、どうやら毒自体も変化…いや、あの糞女にあやかって変態としておこう。

 

 変態して強くなっているらしい。

 

 最早新たな生命だな。

 

 苛立たしい。

 

 

 こうして何分経ったかは考えていない。

 

 幸福な時間は過ぎるのが早いし、そうでない時は時の流れが遅すぎる。

 

 幸いにして今はとても早く感じる。

 

 奴の毒で身体が溶かされる苦痛よりも、友人に触れることの楽しさの方が上だから。

 

 友人から滲んだ毒血が私を溶かして、溶けた血肉に魔力を宿して友人に渡す。

 

 友人の血は全て私のもので、渡すのは私由来の血肉だけ。

 

 一マイクロリットルたりとも、返してなんてあげないよ。

 

 歯も全部グズグズで、気道も倍くらいの広さになってる。

 

 今はもう胃も融けて、はらわたや色んな臓器もデロデロにされてるね、これは。

 

 外に漏れるのだけは嫌だから、肉の内側を装甲みたいな魔力で覆って頑張って耐えてる。

 

 私の中は、溶けた肉と毒でたぽたぽの状態だ。

 

 君を治癒するための最低限の管だけは形を保たせて、君に血肉を送る事は絶やさないようにしているよ。

 

 そして私は乙女だから、汚いものは君に行かないように工夫を凝らしてる。

 

 気配りに感謝してくれたまえ、友人。

 

 ふむ。

 

 状況としては嫌なものだけど、授乳とはこんな気分だろうか。

 

 または臍の緒で繋がる胎児と母体な関係に近いかもしれない。

 

 それと性交や相手の…そう、身体の一部をしゃぶったり舐めたりする行為を行う時の心境も。

 

 となると案外悪くないのかもしれないな。

 

 もちろん衛生観念には気を付けるから、実行するときは互いにちゃんと準備をしてからになるね。

 

 ううむ、それにしても友人め。

 

 私の性癖をどこまで歪めれば気が済むんだ?

 

 前にも考えたが、それが萌えという奴なのか?

 

 そう考えていると、頭にくらっときた。

 

 おかしいな、脳味噌はもうとっくに蕩けてて、使い物にならないはずなのに。

 

 となると魂の方か。

 

 あ、これヤバいね。

 

 じわじわと滲む感覚がする。

 

 例えるなら思いっきりドロドロとした経血が止め処なく出てるような、傷口が膿塗れになって、しかも傷から蛆虫が沢山這い出てくるようなっていうのかな。

 

 前者は兎も角として、後者は佐倉杏子は知らないだろうから今度教えてあげよう。

 

 なに、肉が腐っていく様子を見せられるのも人生経験の一つだよ。

 

 中々に肝が据わる状況だった。

 

 あ、そういえばその時は抉り取られた肝を口に咥えさせられてたんだっけ。

 

 いや、子宮だったかな?

 

 あのド変態はそんな私を見ながら、自慰行為しつつ絵を描いてたんだよね。

 

 思い出したら吐き気がしてきた。

 

 でも友人と唇を重ねてるから吐くに吐けない。

 

 頑張れ私、つわりの体験版だと思って耐えろ、私。

 

 なんにせよ、濁り切る寸前だ。

 

 でもやる事はしないとね。

 

 君の血を飲むのは精神の健康に良い。

 

 だから構わず続行しよう。

 

 でもくらくらが止まらない。

 

 ああ、駄目だこれ。

 

 じゃあね、私の身体。

 

 後は任せたから頑張っててね。

 

 そう思うと、私の意識はすうっと薄れていった。

 

 そう言えばちょっと前にもこんな事があったよね。

 

 まるで脚本の使い回しみたいな展開だ。

 

 それが最後の思い、だった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が消えて、またすぐに戻った。

 

 目覚めた心の目の前に、視界の隅々まで同じ色が広がっていた。

 

 

 草原。

 

 そう思った。

 

 一面に緑が広がってる。

 

 草が生い茂った原っぱ。

 

 そういう風に見えた。

 

 でも違った。

 

「げっ」

 

 緑は私の足元にもあった。

 

 黒い丸靴の先に落ちていたのは、生首だった。

 

 髪も肌も、捩じ切られたのかささくれた繊維を見せた断面と、そこから流れる体液も緑の首。

 

 その形には見覚えがあった。

 

 だから踏み潰して遣った。

 

 簡単にぐちゃっと潰れて、濃緑色の脳味噌が目や耳や鼻からにょろっと芋虫みたいに出てきた。

 

「ざまぁ。糞アリナ、ざまぁ」

 

 息を吸って吐く様に、私はそう愚弄した。

 無力なものを破壊する事に、罪悪感は殆どない。

 友人がそれをみたら嫌な顔するだろうなと思って、ちょっと嫌な気分になるだけ。

 

 そして久々に自分の声を聞いて、口内で蠢く舌とかち合う歯の感触を覚えた。

 身体も五体満足で体内の臓物も元気いっぱいに蠢いているのを感じる。

 スカートの中のスパッツも肌にぴっちりと張り付いてて、色々とくっきり形を見せてる。

 

 うむ。

 買ってもらった下着が汚れるのが嫌で、こっそり脱いでたのもちゃんと再現されてるね。

 あとでまた穿かせてもらおう、そうしよう。

 

 それにしてもこの状態でくぱぁってしたら、大体の男は落ちそうだな。

 やる気も無いし、友人相手にやったら多分怒られるからしないけど。

 

 

 変な状況だけど、こういうのは最近あったからすぐ分かった。

 ここは精神世界だ。

 多分互いの感情が混じり合った、なんていうかアレだよ。

 エヴァ的な世界。

 電車がゴトゴトって動いてるときみたいなさ。

 

 なるほどね。

 やはり友人とイロイロすると精神的に成長するらしい。

 とするとアレか。

 それこそセックスでもすれば、更には子宮に命を宿せれば更に躍進できるのかな。

 

 そう考えてると、何かが飛んできた。

 爪を生やして右手で払った。

 三つになった破片は、両手を捥がれて臍の上あたりで切断された胴体だった。

 断面からは千切れた腸が飛び出てて、私が付けた傷からは緑色の心臓が見えた。

 ぶちぶちと繊維が引き千切られた首は、私が潰したそれとぴったり合う感じだった。

 

 友人に対する私のキャラ付けとして、義務的に行っている死体損壊を今回も行った。

 抉り出した心臓を興味深く観察してから、歯形を付けて首の断面に開いた気道に突っ込んでやった。

 ちょっと面白かったけど、友人がいないと面白くないな。

 リアクションを発する相方は絶賛募集中。

 但し友人に限る。

 貼紙でも貼っておこうかな。

 

 この損壊は面白いから、今度はアリナ本人か佐倉杏子で試そう。

 それにしても、佐倉杏子は魔法少女の真実を知ってるんだろうか。

 知らないと面倒だな、今のうちに回想パートも踏まえた真実の突き付け台本でも書いておこうかな。

 

 思いながら、考えた事をメモにした。

 ペンとメモ帳は上着のポケットに入ってた。

 この便利さは精神世界特有で、奇跡と魔法ってやつだね。

 

 暫くペンを走らせてると、また何かが飛んできた。

 見てみると、何個も新しいものが落ちてた。

 物書きに夢中になり過ぎて、気が付かなかったみたい。

 

 メモに書かれた話の内容は何時の間にか、佐倉杏子がフラストレーションからか発狂して、何を思ったのか病院で大暴れする長編作品になっていた。

 最悪な事に、奴は産婦人科を襲撃していた。

 書いてて思わず、義憤を感じてしまう鬼畜の所業だった。

 これも私が母と言う存在に近付いている為だろうか?

 

 佐倉杏子は臨月の母親の腹から胎児を引き摺り出して貪り食ったりしていた。うええっ。

 それに続いて、保育器の中で眠る赤ん坊の頭を握り潰してから、母子共々切り刻んで作った屍の山の上で自慰行為に耽って悦に浸ってる場面。

 こんな奴は生かしておく理由も無いから、私と友人に死闘の果てに惨殺されるっていう、そこそこに有り得そうな未来を描いていた。

 

 状況的には私は赤ちゃんを産んだばかりで戦意は有るけど、デバフが五重に掛ったパワーダウン状態。

 お包みに包まれた我が子を抱き、志半ばで果てた朱音麻衣の死体を蹴飛ばして奴の槍の盾にして、その間に友人があいつの頭頂から股間までをハルバードで真っ二つにする。

 二つになった断面を見て、私は佐倉杏子の苦悩を察する。

 そして哀し気に「でもこれで処女を捧げられたね。おめでとう」と告げて、天使のように微笑む我が子を抱きながら物語を終わらせる。

 

 ううむ、中々悪くない話だ。

 でも学校の作文とかには使えないな。

 多分何かと問題になってしまう。

 誤解されやすいけど、私にもちゃんと倫理観とか善悪の心は有るんだよ。

 

 あと私はさっきハルバードと言ったけど、本人はあの斧槍を『トマホークだ』って言ってて聞かないんだよね。

 トマホークって、インディアンな方々が使う手斧って意味だった気がするんだけど。

 まぁ友人はあのデカいのを手斧か小枝みたいに振り回してるから、本人的にはそんな感覚なのかな。

 

 そこでパタンとメモ帳を閉じて仕舞うと、また何かが落ちてきた。

 今度は千切れた臓物だった。

 形からして肝臓かな。

 

 あれだよあれ、プルシュカから抜かれてた奴。

 そんなのが沢山散らばってた。

 

 他にも切断された手足や胴体、首におっぱいにと多種多様。

 人体の投げ売り状態だね。

 あ、これちょっと面白い表現だ。

 メモッとこ、めもめも…。

 

 メモを終えると、私は前を見た。

 自分の行動を振り返ると、友人との会話同様に脱線が多い。

 

 これも朱音麻衣っていうヤンデレ女が悪いんだ。

 あいつがさっきの妄想の中で、さっさと佐倉杏子を仕留めていればここまで創作行為に没頭しなかった。

 まぁいいや。

 あんな性欲に爛れた倒錯者共はほっとこう。

 

 それにしてもヤンデレか。

 私には理解できない感情というか属性だな。

 

 

 

 

 

 前を見る。

 緑が群がっていた。

 

 緑は全て、あの女と同じ形をしてた。

 違うのはちゃんと服を着てるところ。

 

 あいつは私と会う時は、下半身はタイツとガーターベルトしか付けて無かった。

 股からは液が駄々洩れでぬめぬめしてて気持ち悪い。

 五分に一回は自慰を始めてイキまくってた(突っ込んでた指の深さからして処女みたいだけど、あいつにも乙女心とか恋心とかあるのかな。きもちわるっ)。

 

 でも今は服をちゃんと来てる。

 淑女の嗜みとでも言うんだろうか。

 にしても、何故あいつは軍人風の姿なのか分からない。

 ああ、あれか。

 SMの女王様的な感じか。

 なるほどね。

 

 でもねアリナ、そいつは簡単にはいかないよ。

 そう思ってほくそ笑む。

 上下左右から一点に向かってく。

 駈け出したり、跳び上がって襲い掛かっていた。

 何に?

 彼に。

 その中央で、暴れるものに。

 

「元気だな、友人」

 

 頭から足の爪先まで、コールタールを浴びたみたいに、友人の姿は真っ黒だった。

 振り切った斧でばらばらになるアリナ共の奥に、そんな見た目の友人がいた。

 

「なるほど、これは毒に抗う様子の暗喩か」

 

 私はこう言う処は察しが早いからね。

 考察をグダグダするのは好きだけど、自分の身の回りの事象でそれをやるのは好きくない、時もある。

 今は友人が見たい。

 

 両手にはいつものハルバード、友人の意思を尊重するならトマホークが握られてる。

 それが回転翼みたいに振り回されて、アリナたちを切り刻んでく。

 客観的に見ると、よくもまぁ、あんなのと私は渡り合えているもんだなと感心する。

 

 アリナたちの死体が友人の足元に散らばると、あの女達は友人から距離を取って両手を突き出した。

 手の間には、緑色のルービックキューブみたいのが浮かんでる。

 あ。アレはヤバい。

 

 弓なりに身体を反らせてポーズを取ると、キューブから無数の光が発射された。

 それが友人を取り囲む周囲から。

 光である訳だから、光った次の瞬間にはそれらは着弾していた。

 それを撃ったアリナ達の身体に。

 

 無音で…ああそうそう。

 この場所では音が全くしないんだ。

 だからあの女のキョーキョキョキョって変な笑い声もしないし、上半身が消し飛ぶ音も肉や内臓が焼ける匂いもしなかった。

 

 バタバタと無様に倒れるアリナの中央で、友人はトマホを振り切ってた。

 一度遠目で観たけど、いやはや、熱線を斧の一振りで拡散させるとかどうかしてるよ。

 しかもそれを跳ね返して攻撃にするなんてね。

 戦闘センスが高いね、君は。

 そのせいかな、殺し合いが飽きないんだよ。

 

 感慨深く思っていると、緑の中央に立つ友人が動いた。

 ああ、緑ってのは、更に言えば最初に思った草原っていうのはアリナ達の死体だね。

 それは見える限り、地平線の先ってところまで広がってる。

 

 友人てば、治癒の暗喩とは言えあの女を殺し過ぎだよ。

 その緑に変化があった。

 形を溶け崩させて、光になって空に舞い上がっていく。

 

 不覚ながら、綺麗だなと思った。

 無数の蛍が、飛んでいくように見えたから。

 

 友人はどうしてたかと言うと、そこにはいなかった。

 でも代わりに、別のものがいた。

 でも友人のままだった。

 

 友人の形は、何時の間にか変わっていた。

 その頂点を見上げようとして首を傾けた。

 猫みたいな頭をした、ゴツゴツしつつも滑らかさも伴った大きな身体がそこにあった。

 背中をマントみたいなボロボロの布が覆ってる。

 中々にセンスが良いね。

 

 あの時は赤だったけど、今の友人の色を反映してか色は黒だった。

 黒猫っぽいね。

 

 大きさは、数日前にも見たけど五十メートルはあるだろう。

 友人の乗り物だな。

 今は何処にあるんだろ。

 

 それも更に、その大きさのくせに空を見上げてた。

 地上の隅から隅まで広がる緑が、空に吸い込まれていった。

 空の色は無色透明。

 そこをキャンパスにするみたいに、何かが描かれてく。

 

 それは一瞬で顕れた。

 友人の持ち物に、よく似ていたと思う。

 多角形の顔に、大きな角が沢山生えていた。

 

 それは緑の光で出来た、大きな大きな、空を埋め尽くす大きさの顔だった。

 

 鉄仮面や岩みたいな、無機質さが感じられたけど、でも生き物みたいにも見える。

 

 形の詳細は、分かるんだけど分からない。

 

 分かりたくないのだと気付く。

 

 よく見ろと心をしっかりさせようとするけど、上手くいかない。

 

 怖いから。

 

 見たら私が私で無くなりそうだから。

 

 そう思うと怖くなった。

 

 助けてと思って、友人を見た。

 

 その時、私は感じた。

 

 友人から気配を察したというか、そう思った事なのだけど、あの時に見た友人は凄く怒ってた。

 

 今まで感じたことが無いくらいに。

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 あれは、友人の憎悪か。

 

 たしかに、私はそれを感じたことが無い。

 

 友人は魔法少女を怒っても、憎んだことが無いんだろう。

 

 でも、友人は憎しみを持って空を見ていた。

 

 空一面に広がる、自分の持ち物とよく似た貌をしたものに。

 

 そこで気付いた。

 

 友人の気配は、そこだけじゃない事に。

 

 空のそれも、友人と似た気配がしてた。

 

 これ一体、って思った瞬間理解した。

 

 理解したくないけど、そうとしか思えない。

 

 友人にとって、あの大きな存在は自分と同じ…。

 

 

 

 

 

 もういい。

 

 怯えるのは此処迄だ。

 

 ここまで来たら見てやろう。

 

 例えるならX線が人体を見透かすみたいに、私も君の心を解析してやる。

 

 どこに隠れてようが回析して追い廻し、君の正体を突き止めてやる。

 

 いくら君でも、放射線には敵うまい。

 

 そうだ。

 

 私はそれでいい。

 

 全てを貫き、見透かす光になって構わない。

 

 君を貫き縫い留める、針のような光に、光のような針になろう。

 

 駆り立てられるような衝動のままに、そう思って私は眼を閉じた。

 

 再び開く頃には、もっと深いところにいる筈だ。

 

 こういう現象の時は、物語の都合的にそうなるに違いない。















一週間遅れとなりましたが、アニメ版ゲッターロボアークに携わった方々に無限の感謝


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉔

 眼を開く。

 

 感覚的には何も感じない。

 

 魔法少女姿の私がいる事だけは分かる。

 

 明るくも無くて、暗くも無い。

 

 何も無かった。

 

 というよりも、認識できないって感じなんだろうか。

 

 虚ろな無がどこまでも広がってる。

 

 

 

 

 それ以外は。

 

 

「なに、これ」

 

 声を出したけど、喉が震えた感覚も無い。

 

 音っていうよりも、頭に音が響いた感じ。

 

 まぁいいや。

 

 前を見よう。

 

 

 

 六角形。

 

 すごくおっきな六角形が浮かんでる。

 

 距離は分からないし、比べるものが無いから大きさも分からない。

 

 でも多分、友人と買い物に行ったモールの面積よりも広いというか大きい。

 

 色は緑色。

 

 今まで見たどんな緑よりも、色の濃い緑に輝いていた。

 

 いや、輝くというよりも…昏いというか、それでいて暗く輝いてるというか、光なのか闇なのか判別がつかない色に思えた。

 

「友人ってば、相変わらず中二病の気があるらしいね」

 

 軽口を言っておく。

 

 そうでもしないと、ペースに飲まれかねない。

 

 にしてもここは、友人の心の中なのだろうか?

 

 私はこれを見た覚えはないし、あの友人とこの構造物がどう結びつくのかイマイチ関連性が……。

 

 

 

 

 いや、分かった。

 

 あれだ。

 

 友人が乗り物と言ってたアレだ。

 

 あの存在が顔にくっ付けてたガラスだか模様だかが、こんな色をしてた。

 

 そしてそういえば、その存在が見上げていたあの大きな何か。

 

 それにも同じものがあったように思える。

 

 そうか。

 

 そういうコトか。

 

 つまり友人は、アレとは切っては切り離せない存在なのか。

 

 あの存在の名前、教えてくれなかったな。

 

 佐倉杏子は知ってるんだろうか。

 

 さささささも洗脳が得意だから、何か見たりしたのかもしれないな。

 

 よし、帰ったら聞いてみよう。

 

 まずはペンチと焼き鏝、それと鉄串を用意しなきゃ。

 

 あの連中相手に、こういった質問が上手くいかないのは私だって分かってる。

 

 だから真っ先にすべきは質問ではなく拷問だ。

 

 でも私、正直言ってグロ系は苦手なんだよね…どうしよう。

 

 ああそうだ。

 

 朱音麻衣に頼もう。

 

 あいつは戦闘狂で血深泥バトルが大好きなグロ要員で、今は自慰行為を禁じてて鬱憤が溜まってるからきっと協力してくれるに違いない。

 

 なるほど、持つべきものは友だね。

 

 あんなやべー奴は友達じゃないけど。

 

 

 と、軽口を叩きまくる。

 

 話題を尽かさないように、話を探す。

 

 そうでもしないと、おかしくなってしまいそうだからだ。

 

 あの緑は、危険すぎる。

 

 何かわからないというか、分かりたくない。

 

 友人を覗き込みたくてここに来たのに、その欲望を理性が拒絶する。

 

 本能も危険だと叫んでる。

 

 もう見てはいけないと。

 

 

 

 

 

「なら、ちゃんと見ないとね」

 

 

 

 だから、しっかりと見る。

 

 その為に壊れてしまっても構わない。

 

 無論、壊れる気なんて毛頭ない。

 

 人の世は悲しみと憎しみが交差する世界だが、最近は愉しい事や遣りたい事が尽きない。

 

 だから友人よ、その責任はとってもらおう。

 

 私は狂う気なんてない。

 

 狂ってしまえば、君と共に笑いあえないし殺し合えない。

 

 そんなのは御免だ。

 

 そして、嗚呼。

 

 これは嫉妬か。

 

 私達は仲が良いが、それ故の問題もある。

 

 性に関する好みや君のスタンスの違い故に、交われないのは残念だが、これはいつかそのうちとしておこう。

 

 だが君は私を憎んでいない。

 

 その憎しみの感情のひとかけらでも、私に向けてくれただろうか?

 

 この存在は、それを浴びていた。

 

 あの時君から感じたのは、間違いなく憎悪だ。

 

 あんなのは、魔法少女をやっていても感じたことが無い。

 

 激烈で、苛烈で、炎のように熱く氷のように冷え切った心の波濤。

 

 そんなもの、私は浴びたくない。

 

 私は君の肉をよく刻むが、君は恨んではいないし憎んでもいないんだな。

 

 ほとほと、君は不思議な奴だと思う。

 

 多分だけど、というか確実に今のところの人生で一番男と会話してる時期が今だ。

 

 君とやり取りを重ねてて思うのだけど、こんな私も普通の女の子みたいに振る舞えるんだなと思えて安心するんだ。

 

 血肉を貪らせてもらった時にも思ったけど、友人は私の精神安定剤だな。

 

 うん、間違いない。

 

 これからも定期的に摂取しよう。

 

 

 よし、勇気補充完了。

 

 となると、今度は別の感情が湧いてくる。

 

 めらめらと燃えて、油のようにべとつく感情。

 

 そうか。

 

 これが嫉妬か。

 

 なるほどね。

 

 朱音麻衣が佐倉杏子に怒り狂うのも分かる気がする。

 

 というか分かった。

 

 自分に向けられない感情を誰かが浴びる事が、こんなに嫌なことなんて。

 

 学校でハブられるとかとは、全然違う。

 

 学校の連中は如何でもいい。

 

 でも友人はどうでもよくない。

 

 その友人から、私はあの心を向けられてない。

 

 なんだこれは。

 

 この孤独感。

 

 しかもその相手は、あの糞女から出た光ときてる。

 

 状況を考えると、友人の記憶にある何かの姿をアリナの毒が模して、友人を蝕みに掛かってる。

 

 でも友人は、多分大丈夫だろう。

 

 あんな奴に負ける友人じゃない。

 

 でもそこじゃない。

 

 あの感情を向けられたのが、アリナだって事が許せない。

 

 

 いや、そうじゃない。

 

 私は憎まれたくなんてないんだから。

 

 じゃあ、何だ?

 

 考えろ、感じろ。

 

 

   

 

 分かった。

 

 想われたいんだ。

 

 強く大きい想いを、友人から受けたいんだ。

 

 その想いをあいつが受けた事が許せない。

 

 でも嫌いなんてものは受けたくない。

 

 好かれたい。

 

 となると、当て嵌まる感情は私のお粗末な頭だと一つしか思い浮かべない。

 

 でも、それは……それだけは。

 

 何より友人を貪ったその瞬間に、私自身が否定した。

 

 私は友人が好きだ。

 

 でも、好きだけど……私にあの言葉は重すぎる。

 

 しかし、だ。

 

 私の想いはこの程度なのか。

 

 嗚呼、身と心が刻まれる。

 

 刻んだ部分に嫉妬心が入って暴れる。

 

 呼吸なんてしてないのに、息が苦しくなる。

 

 助けて。

 

 助けて、友人。

 

 そう思い、願い続ける。

 

 来て。

 

 来て。

 

 来て。

 

 あの声を聞かせておくれ。

 

 いつものでも、本当の君の声でもどちらでもいい。

 

 どちらも好きだ。

 

 巨大な六角形を見ながら、私はそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、興味深い」

 

 

 私の想いに被さる様に、頭に声が響いた。

 

 

「どうあっても、奴はこれから離れられないというコトか」

 

 

 確かにそれは、聞き慣れた声ではあった。

 

 

「仮にこれを、『皇帝の欠片』とでも呼ぶか。奴にとっては皮肉で不愉快だが、悪くない呼び名だ」

 

 

 淡々と語る声。

 

 私は顔を振り返らせた。

 

 

「ああすまない、つい独り言を零してしまった」

 

 そこには椅子があった。

 

 喫茶店のカウンターとかにあるような、地面から大分座面が上になっている椅子。

 

 黒と白で塗られた椅子だった。

 

「ここは危険だ。迷い込むのは仕方ないが、長居はお勧めしない」

 

 そこに座って、こっちに顔を向けている奴がいた。

 

 その顔と姿を見た時、思わず吐き気が込み上げた。

 

 そんな私を知ってか知らずか、そいつは微笑んだ。

 

 春風が吹いたみたいな、朗らかな笑顔だった。

 

 

「お初にお目にかかる。会えて光栄だ、呉キリカ」

 

 

 その笑顔で、そいつはそう言った。

 

 声の調子から、本心だってことが分かる。

 

 それは、そんな声だった。

 

「そう」

 

 冷たく無感情に、それを装うようにして私はそれに向き合った。

 

 手首までを覆う黒い長袖のシャツ。

 

 純白を思わせる白いジーンズ。

 

 魔法少女姿の私と合わせたような色合いに、私は我慢が出来なくなった。

 

 

「消え失せろ、私の虚影」

 

 

 言い終えるよりも早く、私は両手を振った。

 

 赤黒く輝く斧の波濤が、牙であり爪である我が必殺技のヴァンパイアファングが放たれて、微笑み続けるそいつに向かう。

 

 その微笑みは、私だった。

 

 椅子に座りながら私を見て、そして微笑むそいつは…私の……呉キリカの顔と身体と、声をしていた。

 

 

 















やがて、皇へと至る為の因子。
その未来を覆す為、竜の戦士は戦い続ける。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉕

 飛翔するヴァンパイアファング。

 調子からすると、今の私は絶好調。

 ここが心の中であるということも大きいのだろう。

 私の思うままに最高にして完璧に近い技が、忌々しい糞ったれなゲロカス民度の神浜市での呼び名に沿えば『マギア』が放たれていた。

 

 向かう先には、もう一人の私がいる。

 私の声と顔と、服こそ違えど私自身が椅子に座ってこちらを見てる。

 嘲弄も恐怖も無く、ただ朗らかに笑ってる。

 

 クソムカつくね。

 だから死ね。

 私の牙に喰い貪られて、後は血と為れ肉と為れ。

 

 二本のファングが当たる寸前、もう一人の私は宙に浮いていた。

 壊れるのが嫌なのか、右手で椅子を掴みながら高さ五メートルくらいの場所に逆さまになって跳び上がってる。

 思い返すと、「トン」っていう小さな音が鳴ってた、というか感じた。

 多分、爪先で地面を蹴ったんだろう。知るか。

 

 相手は私だ。

 この位はやるだろうさと思ってた。

 だから、前以てファングも上空へ跳ね上げさせた。

 

 相手からしたら、避けた積りなのにその先で牙に待ち構えられた事になる。

 友人を相手にしても、五十回に一回は通じる戦法だ。

 嗚呼、早く終わらせて友人と互いに肉を貪り合いたい。

 

 両手から伸びたファングは絡み合って、檻みたいに宙に広がる。

 閉じろ、切り裂けと念じた正にその瞬間、私は宙で身を回転させた。

 他ならない私が見ても、思わず美しいと思った。

 自画自賛と言われても仕方ないけど、白と黒の旋風となって私は廻る。

 細い身体は数舜後には自分を刻むファングの隙間をするりと抜けて、先に落としていた椅子にすとんと座った。

 

 最初と全く変わらない、姿勢と同じ表情で。

 変化したのは私だけだった。

 でもまだだ。

 終わりじゃない。

 

 上空のファングを、今度は地面に向けて降り注がせる。

 結合を解除して、無数の斧に変えて。

 

「素晴らしい」

 

 そいつは微笑みながらそう言った。

 何時の間にか、黒シャツを袖まで通した右手が高々と掲げられていた。

 降り注ぐファングの雨じゃなく、そいつは私を見ていた。

 細い指先がぱちんと弾かれた。

 

 指先には、先行したファングがあった。

 嫌な予感がした。

 そして、それは当たった。

 予感と、そしてもう一つの意味で。

 

 最初のが弾かれて、近くのファングに当る。

 それが更にぶつかる。

 ぶつかって、弾いて、弾かれてが連鎖する。

 その勢いは全く衰えない、どころかぶつかる度に増していった。

 ファング同士が接触する様子は、激しい激突になってた。

 

 落ちていくはずのファングは、激突の連鎖のせいで逆に上昇しているように見えた。

 無数の斧が密集して、雲みたいになったファングが弾けてばらばらになって宙に広がった。

 そして漸く、雨になって降り注ぐ。

 もう役目は済んだって事なのか、そいつは手を膝の上に置いていた。

 

 微笑み続けるそいつの前に、私は既に立っていた。

 激しく降り注ぐ斧なんて、私にとっては止まって見える。

 そして速度低下を全開発動。

 同時に片手に五本の爪を生やした両手を振った。

 

 振り切られる前に、それは止まった。

 硬い感触は全くしなかった。

 柔らかい粘土か、粘膜に包まれたみたいな感触だった。

 極限まで反動を殺したみたいな、気遣われたみたいな気分だった。

 多分、その通りだったんだろう。

 

 そいつは、私は、首を僅かに引いて、そして口で爪を止めていた。

 咥えられたんじゃなくて、口から出た桃色の舌の先が、Xの字を描いて振られた左右の爪が重なる頂点にちょこんと触れて、動きを止めていた。

 爪からは舌の柔らかい感触が伝わる。

 ただそれだけ。

 

 それなのに、全く動かないし振り払えない。

 いくら力を加えても、腕はぴくりとも動かない。

 

 それに拘束されているというよりも、力が何処かに抜けていくような感じだ。

 自由な足で蹴り上げようという意志さえも、奪われていくような。

 

 

「ふざ…けるな!!」

 

 

 と思ってたら、動いた。

 その様子に、座る私の眼は少しだけ広くなった。

 

 驚いたのかな。

 知るか。

 死ね。

 

 左足を軸にしての、右脚の回し蹴り。

 自分でも会心の一撃だった。

 ああ、これが佐倉杏子か朱音麻衣相手だったなら軽く首を刎ねられたか、頭を爆裂させられたろうに。

 そして丸靴の先端が、私の首に触れた。

 そう思った。

 

 触れるまでの距離は、多分一ミリ程度。

 そのあたりで、私の足は止められていた。

 座るそいつの左手が伸びて、私の踵に手を添えていた。

 力が加わった感じも無い、ただ触れられてるだけなのに完全に停止させられてる。

 詰みだった。

 

 速度低下の影響下で私より早く動けて、更に力が強いんじゃどうしようもない。

 いや、それ以前の問題か。

 

 認めたくないけど、この私は…いや、こいつは……強過ぎる。

 

「離すよ」

 

 そいつはそう言った。

 手が離れた瞬間、私は背後に跳んだ。

 皮肉って言うのかな、立った場所は最初と全く同じ場所だった。

 時間にしたら、これまで通しても、多分長くて十秒以内。

 

 だけど、かなり疲れた。

 身体は全く疲労感が無いけど、心が疲弊した。

 なんだ。

 なんだこいつ。

 そう思う私の眼に、黒いものが見えた。

 

 降り注いだファングはあいつの周囲に突き立ったり、破片になったりして横たわってる。

 役目を終えたそれらが魔力の残滓になって、黒い輝きになった。

 見えたのはそれだった。

 

 黒い輝きは私の魔力だと云うのに、そいつに向かって行った。

 普通なら、煙みたいに立ち昇って消えるのに。

 そして黒いシャツと白いズボンを纏った私の顔をした何かに、光が吸い込まれていく。

 思わずゾッとした。

 自分が喰われてるみたいな感じだったから。

 

 

「素晴らしい」

 

 

 私はそう言った。

 

 やめろ。

 

 

「やはり、魔法少女は素晴らしい」

 

 

 やめろ。

 

 私の肉を喰って、血を啜って、その感想を言うみたいな事をするな。

 

 何を考えてるんだ、こいつは。

 

 常識が通用しないのか?

 

 

「魔法少女。美しき輝きを宿す者達」

 

 

 私の声と顔で、私が友人にするのと同じように微笑みながらそいつはそう言った。

 

 褒めている、のは間違いない。

 

 でも、何かが異質だ。

 

 少なくとも人間の思考、だとは思えない。

 

 感覚的に近いのはしろまる…キュゥべえだけど、それとも違う。

 

 あくまで近いと感じるのがそれだけだ。

 

 これは、あいつよりも何かが希薄で、そして色濃い。

 

 嫌だ。

 

 考えたくない。

 

 それでも私に言葉が届く。

 

 

「魔法少女。私の予測の悉くを超えて、上回る。素晴らしき可能性に満ちた存在」

 

 

 言葉の一つ一つが、何を意味しているのかが全く分からない。

 

 全くとして分かりたくない。

 

 ただ私の姿をしたものが、理解を拒む存在だという事だけが分かった。

 

 そしてそれは、私をじっと見ている。

 

 出会った時から、片時も目を離さずに。

 

 

「呉キリカ。貴女は実に素晴らしい」

 

 

 同じ。

 

 同じなんだ。

 

 爪を止めた舌も、伸ばした指の長さや指紋の形も、ぜんぶ。

 

 でも、違う。

 

 あれは私じゃない。

 

 上手くは言えないけど、機械か現象が声を発して笑っているような。

 

 何かが私の肉を被って演じているか、真似事をしてるような。

 

 私は…呉キリカは、そんな気がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉖

「何が…素晴らしいだ」

 

 魔法少女や私への賛美を送るそいつ。

 私の姿をした何かへと、私は歯を剥き出しにしながらそう言った。

 今の私の姿を誰かが見たら、威嚇する猛獣か何かに見えたかもしれない。

 

「その美しさ、その心、そして魂」

 

 威嚇なんて全く通じなかった。

 まるで子猫でも撫でる様に、そいつは微笑んでた。

 

「つまり、貴女の全てだ」

 

 それは断言だった。

 本心からそう言ってるんだって分かった。

 分からせられた。

 

「きもちわるっ」

 

 思ったままに私はそう言った。

 キモいっていうよりも生々しい拒絶の言葉だ。

 少しは私の気持ちを思い知れ。

 

 そう思った。

 でも

 

「よし、完成っと」

 

 …そいつは、何時の間にか手に何かを持っていた。

 膝の上にあるのはスケッチブック、そして右手にはボールペン。

 左手には万年筆やら色鉛筆やらが握られてる。

 

 ずっと見ていた。

 片時も目を離していなかったのに、コイツの行動は変化していた。

 なんなの、これ。

 

「事後報告になったが、貴女を描かせていただいた。いかがだろうか」

 

 そう言って、そいつはスケッチブックを広げてこっちに向けた。

 言ったとおりに、私が描かれてた。

 魔法少女姿の私、呉キリカ。

 

 私から見て左のページには、両手から爪を生やして両腕を垂らして立つ私がいて。

 右ページにはまるで踊ってるみたいなポーズで、爪を生やした両手を頭の後ろでクロスさせている私がいた。

 その姿は、少なくともこいつには見せていないと思う。

 

 でも、これまでの魔法少女生活の中で、確かにそんな姿をしたことがあったっていう実感はある。

 何故、知ってるんだっていう疑問は既に湧かない。

 

 こんな意味不明な奴を相手に、常識で考えても意味が無い。

 でも考えることを辞めれば、私はそれこそ死人と同じだ。

 考えろ、思え、挑め。

 

「絵柄、違うんだね」

 

 とりあえずそう言った。

 左の私に比べて、右の私は顔が丸みを帯びているように見えた。

 何だろう、ソシャゲとかでよくあるランクアップ前と後のバージョン変化って感じなのかな。

 

「うむ。描いている間に変化した」

 

 私には描いている様子さえ見えなかったのだけど、とは言わない。

 もう既に私の負け同然の状態だけど、これ以上負けを重ねたくない。

 

「失礼な奴だね」

 

 だから非難の言葉を向けることにした。

 こいつは度し難い存在だが、何故か悪意は感じない。

 だから報復は無いだろうと思った。

 素直に認めるけど、死ぬのは嫌だからだ。

 会えなくなるのが嫌な人は、こんな私にだっている。

 

 しかしながら、私の命はこいつの掌の上に置かれた塵芥も同然だとは理解している。

 吹かれれば簡単に吹き散らされて、そして二度と戻らない。

 

「本当に申し訳ない。つい熱気が入ってしまった」

 

 苦笑ししながらそいつは言った。

 どうやら殺される心配は無いらしい。

 じゃあ存分におちょくれる。

 

「熱気って何に?」

 

「貴女に」

 

 ごめん。

 無理。

 ここから何かを繋げようと思ったけど…こいつほんとに、きもちわるい。

 

 はい?と拒む様に言い返す。

 

「私は貴女のファンだ」

 

 うわぁ。

 うわぁっていうか。

 キャーだよ、キャーって感じだよ。

 

 悲鳴を上げて逃げたい。

 たすけて、友人。

 

「…きもちわるっ」

 

 本日二度目。

 前の時より嫌な気分だったから、発音にもそれが表れてた。

 

「そう受けて頂いて構わない。私はそれだけのことをしたのだ」

 

 平然とそいつは言う。

 現象、まるで概念を相手にしてるみたいだ。

 

「そういうお前は、何なのさ」

 

「なんだと思う?」

 

「…自らの存在を問い掛けるとはね」

 

 ムカつく。

 ほんとに。

 

「あ」

 

「なに」

 

 気付いたような声に、私も苛立ってた。

 

「いやね。前にもそう言われたもので」

 

「成長しないのかな」

 

「進化はしてるんだけどね。成長って難しいんだよ」

 

 言葉の一つ一つが妙にオーバーだ。

 それでいて、嘘は言っていないって気がする。

 

 なんだ。

 なんなんだこいつ、ほんとに。

 

 駄目だ、飲まれる。

 話を変えろ。

 

「よく描けてるよ。今度描き方教えてね」

 

「ご評価を感謝する。そして残念だが、それは無理だ」

 

「企業秘密かな」

 

「そういった訳では無いのだが、時間が足りない」

 

「お仕事、お忙しいの?」

 

「今は鞄持ちの身習い事のようなものをしている。昔はカウンセラーもしていた」

 

 淀みなく返事を返してくる。

 何かに雇われているのか、という内情と過去の一端を伝えてきた。

 

 カウンセラーか。

 確かに私はこいつに促されるみたいにして、言葉を引き出されている感じがする。

 

「何か悩んでるのかい?私でよければ話を聞こう」

 

 あ、もう無理。

 限界。

 プチりんときた。

 

「お前、何様?」

 

「私は私だ。貴女の思うままの存在と受け取って構わない」

 

 椅子に座り続けながら、微笑んでる。

 頭の中で怒りと恐怖と嫌悪感と、いろんな感情と一緒に思考の光が駆け巡る。

 こいつの今までの発言、私が今まで生きてきて見聞きしたもの。

 それらをごちゃ混ぜにして私なりに考える。

 

 こいつに常識は通用しない、なら、狂った考えでもいいからぶつけてやる。

 吐き出してやる。

 カウンセラーを名乗るんなら、本望だろうさ。

 

「なら、私はお前を神様とでも定義してやる」

 

「ほう」

 

 感心したみたいだった。

 眼も少しだけ跳ね上がったのが見えた。

 

 なんだろうね、核心でも付かれたんじゃあるまいし。

 いいや、気にしない。

 どうせ演出だよ、演出。

 

「それもあれだよ。よくあるだろう?ループする世界とかを司ってる奴」

 

「続けて」

 

 そいつは話を促す。

 私と同じ黄水晶の眼は、興味に輝いて見えた。

 癇に障る。

 

「云われなくとも。話を聞く限りだと、私の事を随分と知ってるみたいじゃないか」

 

「私は魔法少女が好きだ」

 

「答えになってないね。あと言い方気持ち悪い。観測者って言うか変態だ」

 

「どう捉えられても構わない」

 

 何度目かだけど、こいつに付き合うのは無理だ。

 だから自分の意見を述べよう。

 

 そしてなるほど、ふむ…観測者か。

 なるほど、神の視点てやつか。

 

 …何言ってんだろ、私。

 でもいい。

 吐き出してやる。

 

「そうだ。お前は世界を見てる。確かめる術も無いし実感なんてある訳ないが、私達が生きるこの世界は何度も時間をやり直してるとしよう」

 

 吐き出す。

 

「何を切っ掛けかは分からないが、終焉を迎えた世界はまたゼロに還って繰り返す」

 

 吐き出す。

 何故かそう言った時、そいつの笑顔がさらに深くなった気がした。

 緩く開いていた口が、半月の形になったみたいに。

 知った事か。

 

「その中で私達は何度も生まれて生きて、何度も死んで、出逢い別れてを繰り返す」

 

 言っててなんだけど、心が張り裂ける思いだ。

 仮にそうだとしたのなら、私達は単なる駒で道具じゃないか。

 

 道具となるのは構わない。

 でもそれは……いや、よそう。

 

「憎しみ合い、或いは関わりもせず、そして…」

 

 言葉に詰まる。

 でも言う。

 

「愛し合う」

 

 これだけははっきりと言える。

 この言葉は私を構成する重要な因子だ。

 

 『愛』。

 『愛』だ。

 

 この言葉を思うだけですべてに対して救われる。

 それでいて、身と魂を刻まれる思いが去来する。

 

 そうだ、それでいい。

 その度に愛を感じられる。

 私はそうしていないと、生きていられない。

 いや、存在し続けられない。

 

 他者に依存しないと、私は私で、呉キリカでいられない。

 

「お前は私が…いや、私達が悩む様子とか、身と心が刻まれる様を見てせせら笑ってやがるんだろう」

 

 そういった物語でよくある事だ。

 戦いを宿命づけられて、何度も戦い最後の一人になるまで、或いは決定的な破滅を回避するために戦い続ける。

 

 もし勝者になっても結果が望むものでなければ、容赦なく時間は戻される。

 或いは破滅を回避できず、次を目指して時間を戻す。

 

 私はアニメはよく見るけど、こういった作品が好きなのか嫌いなのか、正直よく分からない。

 でも視聴者、即ち全てを客観的に見れる神の視点は気楽だ。

 当然だけど、キャラクターの懊悩や苦悩は個人差はあれど娯楽の部類に違いない。

 

 神の視点で、愚者であり道化である駒たちの様子を見て悲しんで燃えて萌えて、笑い続ける。

 あの時のアレがああなった。

 今回の世界ではこうだった。

 次回からはどうなるのだろう。

 

 そんな感じに考察しながら。

 

 でもね、改めてそう言ってて思った。

 これは嫌だ。

 

 少なくとも私はそんなループに、円環に巻き込まれるのは御免だ。

 次があるからとか、そういうのは好きじゃない。

 終わった時は戻らない、ただ無為に消えるだけだ。

 言ってしまえば全てが無駄になる。

 

 仮に何かを残せたとして、それが何になる。

 上手く説明は出来ないが、私はそういったものにはなりたくない。

 今の私の未来は、今の私が創って遣る。

 次とか前とか、知ったこっちゃない。

 

 自分でも気持ち悪くなってくるくらい、考えが滾々と湧いてくる。

 それを次々と吐き出す。

 

 さっき思った事を言葉にして、カウンセラーを名乗るそいつに叩き付ける。

 そいつは頷きながら聞いている。

 

 時々相槌を打ちながら、実に興味深そうに。

 自分の意見は述べず、ただ私の話を聞いている。

 

 認めたくないけど、聞き手としてのこいつは中々に優秀らしい。

 私も昔小学校でカウンセリングを受けたけど、結局は「君も辛いけどみんな悩んでる。だから学校に行こう。ちゃんと人と話そう」っていう結果を求めての誘導だった。

 今思えばあのカウンセラーは大学出たばっかりくらいの歳の男だったけど、どさくさに紛れて私の尻と胸、更には股も触ってた気がする。

 

 話をしてる最中の視線は、私の身体で性を主張する部分を粘ついた視線で見てた。

 私から話を引き出しながら、想像の中で私を犯しくさってたに違いない。

 

 たどだとしく言葉を続ける私の口に自分のものを突っ込んで、頭を抱えて強引に前後させて口と喉を犯すとか。

 今よりも小さい身体を抱えて、後ろから突き込んで強姦するとかさ。

 もしかしたら、結構危なかったのかも。

 

 そういえばあいつ、クビになったんだかカウンセリングは途中で終わっちゃったんだよね。

 ひょっとして、他の誰かに手を出したか実生活で何かやらかしたのか。

 それとも母さんが手を回してくれたのかな。

 あの人、そういうとこにはめざといから。

 

 嗚呼、それにしても、そんなに小学生女子の乳と尻と膣が欲しいのかね。

 なんか友人の気分が分かってきた。

 

 子供に欲情する奴は異常だ。

 友人は正しかったんだね、諦めないけど。

 

 何時の間にか、私の口は動くのを止めていた。

 意思と言葉は何時の間にか乖離してて、私は思考に没頭してた。

 それに気付いて、私は心と体を一つに戻した。

 そして、突き付けてやるようにしてこういった。

 

「お前の正体なんか知らないが、お前は私の世界に踏み入ってる。私の心という世界を覗いて、支配した気分になっている。お前は狂った破壊者だ」

 

 人と同じ姿を取って、人の心に干渉する。

 破壊者、または心を世界とすれば破界者とでも呼んでやろうか。

 

 ここまで来ると、私の妄想も大したものだと思えてくる。

 将来は絵本作家にでも成ろうかな。

 言い終えてそいつを見ると、眼を閉じて腕を組んで考えていた。

 そいつがまた口を開いたのは、私がそれを見てから直ぐの事だったけど、なんか妙に時間が掛かった気がした。

 

 

「破壊者か。そう言われると返す言葉も無い」

 

 

 肯定しやがった。

 まぁ確かに…カウンセリングでは患者の意思の否定はしない方がいいと聞くけれども…なんだ、この。

 肯定された事の安堵、いや、納得感は。

 

「私は私がしてきた事を悔やみはしないが、確かに褒められた行為ではない」

 

 そいつは続ける。

 淡々とした口調で。

 ただ事実を言うように。

 

「だが私は生まれた意味と、なりたい自分を探していた。随分と回り道をしたものだが、今の立場は気に入っている」

 

 おかしい。

 こいつは本当におかしい。

 

「その結果、私は力を得た。ならば今は得た力を使い、やるべきことを為すまでだ」

 

 何故私の話から、そういった言葉が出てくる。

 それじゃあ、まるで、ほんとうに…。

 

「それは呉キリカ、貴女も同じ事だろう」

 

 そして唐突に、話の主題に私を置いた。

 訳が分からないよ。

 

「思うままに。されど自らを律する自らの法の下に、貴女もやるべき事と成したい事を為すといい」

 

「…いい事言ってるつもりかい?」

 

「そう受け取ってもらえるなら、何よりだ」

 

 そう言って奴は微笑む。

 形で見れば、こちらも笑い返したくなる形だった。

 私もこんな感じなんだろうか。

 客観視ってのは難しいね。

 

 そう思うと、空からぽっと光が射した。

 最初は何処から来たのか分からない。

 でもそれはどんどん広がって、私達の周囲を埋め尽くしていった。

 

 それは夕焼けみたいな、血の色みたいな光だった。

 さっき色々考えたけど、世界が壊れていく様っていうのは、こういう感じなのかも。

 

「どうやら、奴は勝ったらしい」

 

「当然だ」

 

 奴って言い方はさっきもしてた。

 誰を表すのかは考えるまでも無いね。

 とことんウザい存在だな、こいつ。

 

「さて、私はそろそろ消えるとしよう。さらばだ呉キリカ。私は良き時を過ごせた」

 

 赤く染まった私は、そう言った。

 

「うん、ばいばい。二度とそのツラ、見せないでね」

 

 私もそう言った。

 本心から、もう二度と会いたくなかった。

 

「名残惜しいが、私の事は忘れた方がいい。あの存在についても同じだ」

 

 やっぱり話が噛み合わない。

 そしてそれはきっと、私の後ろにある大きな六角形だろう。

 手から生やした爪の刃を鏡みたいに使って、後ろを見た。

 赤い光に包まれてるのに、それは濃い緑で輝いてた。

 

 

「マハールターマラフーランパ」

 

 

 それを見ていると、そいつはそんな言葉を言った。

 何かの呪文みたいだった。

 

 私達とは違う、アニメや漫画の中の、創作物の中の魔法少女が使うみたいな。

 それが言い終わった時、そいつの姿は曖昧なものに代わっていった。

 手足に胴体にと、モザイクみたいな茫洋とした輝きが広がっていって、最後は顔も覆い尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ、何だろう。

 

 あのモザイクみたいな光、何かを隠しているみたい。

 

 あ、消えた。

 

 何も無くなった。

 

 そもそも、私は此処で何やってるんだろ。

 

 此処って何?

 

 そしてそんな事より、友人は何処?

 

 何この赤い光。

 

 怖い。

 

 寂しい。

 

 友人に会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思った時、口の中に味がした。

 

 眼が覚めるような潮の香と命の味が口いっぱいに広がって、私っていう器を満たす。

 

 友人の味。

 

 

 

 

 どうせ誰も見てないし、言ってしまおう。

 

 たかだか友人如きが相手だし、勿体ぶった伏線も無しで問題なし。

 

 うん、そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 の味がした。

 


















そろそろ書いてて怖くなってきた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉗

 眼を開く。

 感じたのは嫌な感じの光と言うか闇と言うか、魔女結界特有の陰キャな雰囲気。

 そう思うと、全身に痛みを感じた。

 いや、痛みというか、熱くて寒いというか。

 体勢としては仰向けで、首を起こす感じに曲げてみた。

 

 うわぁ。

 そう思った。

 

 胸は根元から溶け崩れて、肋骨もぼろぼろ。

 心臓は動きを止めてる、というか消えてる。

 胃袋や肺も同じで、私ったら何で生きてられるんだろって感じ。

 凄いね、魔法少女って。

 

 でも何時もの事だから、もうあまり感慨も湧いてこない。

 代わりに別の感覚に気付いた。

 口の中に広がる味。

 新鮮な血の味、友人の味。

 

 少し前に思い浮かべた事を思い返すと、物質的にはほぼ存在していない胸の辺りがきゅーってなった。

 苦しくは無くて、なんかもだえる感じ。

 あぁ、アレだ。

 萌え。

 

 友人萌え、かわゆす。

 そりゃ私の子供みたいなもの…ってこのネタも随分になるね。

 友人は属性の塊だな、全くもう。

 

 

 あ、そういえばあいつ、どうしてんだろ。

 口の中の血の味が美味しい事を考えると、解毒には成功したんだね。

 

 アリナ毒に勝つとは、中々やるね。

 さっすが、私の世界観での唯一の男。

 私が遺伝子提供者に選んだだけはある。

 

「起きたか」

 

 噂をすればなんとやら、当の本人が声を掛けてきた。

 この呼びかけも結構耳にするね。

 まぁ私はメインヒロインだから仕方ないか。

 

 声がした方向は私の左側。

 そっちに顔を向けると、私に背を向けて立つ友人がいた。

 

 ジャケットやズボンは血塗れだった。

 主に私の溶けた血肉だね。

 

 今の友人は、全身が私の匂いで満ちてるに違いない。

 実際、そんな匂いがした。

 こんな状況だけど、私は欲情の疼きを感じた。

 友人てやつは結構蠱惑的だな。

 

 そんな友人の前に、巨大な何かが聳えてた。

 何かと言いつつも、感じた魔力のパターンはほぼ同じ。

 外見を率直に例えると、本体がオナホで腕に相当する部分がアナルパールだかビーズだかのクソデカい魔女。

 倒した筈なんだけど、なにこれ、どうなってんの。

 

「使い魔が成長しやがった。初めて見たぞ、あんなの」

 

 おう、状況説明ありがとう友人。

 お礼を言おうと思ったけど、声が出ない。

 

 流石に声帯とか喉がやられたか。

 それと今思ったけど、この私の視点ってアレだね、RTA動画的なのの走者な感じ。

 

「使い魔って、魔女を喰いやがるんだな」

 

 え、なにそれ。

 

「起きた時な、綿だか芋だか分からねぇ形してる使い魔が死に掛けの魔女に群がって貪り食ってやがった。その中の一匹が周りの使い魔まで喰ってデカくなったのがあいつだ」

 

 状況説明の長文を言う友人の息は荒い。

 もう戦闘に入ってるみたいだね。

 まだ毒が残ってるのかな、友人が右手で持った得物の斧魔女は形が崩れてたりとダメージド状態だ。

 だらしないね。

 

 あ、そうか。

 匂いからして友人の両手や胸からも私の匂いがする。

 治療で付いたのもあるだろうけど、香りが新鮮な所を鑑みると、そうか。

 私を抱きながら戦ってたか。

 

 まぁ、状況的にはそうだよね。

 今更だけど、周りに沢山の穴ぼこが出来てる。

 戦闘はそこそこ前から続いてるみたいだね。

 病み上がりによくやるよ。

 

 

 

 嗚呼、萌える。

 あ、何処とは言わないけどちょっと湿ってきた。

 

 

 

「来な。出し惜しみはナシだ」

 

 友人はそう言った。

 声の矛先は私じゃなくて、手に持った魔女。

 間女め。

 

 何をやらかすかと思ったけど、この光景は前にも見たね。

 私の身体を半分くらいミンチにさせた、魔女との合体技。

 やっぱり間女じゃないか。

 

 あの魔女、いつか殺してやる。

 ハイ、決ーめたっと。

 細かく砕いた斧は朱音麻衣の全身に入れ墨みたいに入れてやって、残った柄は佐倉杏子の口から尻までを通す串として使わせてもらおう、そうしよう。

 

 そう思ってると、魔女は前の時みたいに黒靄に形を変えて友人へと向かった。

 前と違っているのは、それが覆う場所が右手じゃなくて友人の全身ってところ。

 無数の蠢く虫が這い廻ってるみたいに、友人が真っ黒い靄に覆われる。

 

 やめろ。

 やめろ、間女。

 友人に触れるんじゃない。

 

 昏い感情が湧いて来た時、黒に染まった友人は地を蹴って跳んだ。

 流石は強化形態的なのってことなのかな。

 ひとっ跳びで、二十メートルはある魔女よりも高い場所に身を躍らせてる。

 

 そこに向かって魔女はパールを連ねたみたいな、卑猥にも見える手を振ろうとした。

 させないよ。

 速度低下を喰らいやがれ。

 

 魔女は身体の天辺にある眼で私を見た。

 私の魔力は枯渇寸前で、速度低下の効果も一瞬しか期待できない。

 魔女は次は私にトドメを刺す気だろうね。

 でもその一瞬で十分なんだ。

 

 なんでかって?

 友人を信じてるからさ。

 それも何故って聞かれたら、友達だから信じてるに決まってるって答えるよ。

 

 私を見る魔女の身体が、光で染まった。

 魔女はその光の根源を見た。

 私もそこを見た。

 見覚えがある光は、太陽の色をしていた。

 

 黒く染まった友人の手の中で、光が育まれてる。

 その力の中に、私は私自身を感じた。

 

 そうだ、あれは私だ。

 私が友人からもらった毒血を飲んで、治癒の魔力を含ませた私の血肉を飲ませてあげた時の力だ。

 

 あれを使って、友人は合わせた両手の間で光を作った。

 なんだろう、この気分。

 凄く嬉しい。

 あとなんていうか、尊い。

 

 ああそうか。

 共同作業ってやつかな。

 良いね。

 萌える。

 

 光に照らされて、友人を覆う黒が逃げる様に離れようとする。

 でも友人はそれを許さない。

 

 逃げる為に伸びた黒は、強引に形を整えさせられてく。

 背中の靄は翼みたいな、それも蝙蝠か悪魔みたいな形になった。

 

 手や足も伸びて、まるで蜘蛛の手足みたいないびつな形になってる。

 そして友人の頭からは、左右の辺りから大きな角みたいな突起が生えてた。

 角と言うか、猫の耳みたいな感じかな。

 

 そう、アレだ。

 友人の乗り物に凄く似てる。

 

 そして友人は太陽みたいな光球を持った両手を後ろに回した。

 その時、友人の声が聞こえた気がした。

 くぐもってたけど、あれは叫びだったと思う。

 

 ストナー…って言ってたと思う。

 前にこれを使った後、そんな言葉を呟いてたような気もするし。

 どんな意味だろ、そもそも英語なのかな。

 

 でも、言い語感だ。

 ひどく発音もいい。

 

 そして両手を前へ突き出しながら、また友人は叫んだ。

 サンシャイン。

 そう聞こえた。

 

 ふむ…『ストナーサンシャイン』か。

 

 いいね。

 センスを感じる。

 

 その光に照らされる友人は、悪魔みたいな姿だったけど、凄く格好良かった。

 あの姿は多分、魔女が本調子じゃないせいでああなった歪んだ見た目なんだろうね。

 いつかちゃんとした姿で見られるかな。

 だといいな。

 

 その時は…そうだね。

 佐倉杏子との決戦時、なんて良さそうだね。

 

 いつかその日が来るのが楽しみだよ。

 あいつはストレス抱えてるし、そう遠くないのかも。

 楽しみだなぁ。

 その時には思う存分、あいつを切り刻んでやろう。

 喉辺りを敢えてグチャグチャに汚く切って遣って、無意味に苦痛と屈辱を与えるのもいいなぁ。

 

 そう笑ってる間に、友人が放った光は魔女に命中して、あの巨体を破壊の光で包んでた。

 苦痛に身もだえする魔女の装甲が溶けて、割れて、引き裂けて、光の中で砕けていく。

 大きな目や宝石もぐちゃぐちゃに溶けて蒸発してく。

 凄いねコレ。

 

 そして最後の抵抗というか道連れって事なのかな。

 砕けてく魔女は車くらいの大きさの破片を飛ばした。

 友人にじゃなく、私にってところが魔女らしくてやらしいね。

 

 でも、私に不安は無かった。

 破片が見えた時には、私の身体は強い力に抱かれてた。

 そして空を切って、凄いスピードで飛んでいく。

 

 破片は虚しく地面を抉ったらしくて、そんな感じのカランって音が聴こえた。

 自分の破片を飛ばして乙女を道連れにしようとは、なんて奴だよ、全くもう。

 

 でもこの状況を作ってくれたことには、感謝してやってもいい。

 悪魔みたいな翼が視界の殆どを覆って、細いけどがっしりとした腕が私の身体をぎゅって掴んで、抱いた。

 その頃には友人の手は元に戻ってた。

 友人の熱い体温が、私の冷えた身体を温めるのを感じた。

 

 私も腕や脚で抱き返そうとしたけど、それは無理だった。

 どうやら、手足が胴体から離れてるみたいだ。

 残念だね。

 

 黒い靄の奥で、友人の鼓動を感じた。

 胸に顔をくっ付けながら、上目遣いで私は友人の顔を見た。

 黒く渦巻く眼が見えた。

 いつもと変わらない、殺る気マックスなぐるぐるおお目々。

 

 それに安心したのか、私は思わず笑ってしまった。

 黒い靄越しだったけど、友人が「なんだこいつ」って感じの顔になったのが分かった。

 それがまた面白かったから、私はまた笑った。

 

 そして遠くで、光が破裂する爆発音が鳴って、その奥からは魔女の断末魔が聴こえた。

 消えていく魔女の世界の中、身体を絡ませた私達は、何処までも一緒に飛んでいった。

 

 


















比較的健全なお話でありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉘

 深夜。

 時間帯は午前二時ごろ。

 昏く長い回廊が続いていく。

 窓から差し込む青白い月光に映えた壁の色は、明るい灰色か赤みを帯びた黄色というか、優し気な色彩となっていた。

 訪れる者の心を少しでも癒しに導くような、そんな色だった。

 

 回路が曲がりくねって伸びた先で、微かな物音が生じていた。

 とある室内の中、何かを漁る音がした。

 それはとても微細な音で、それを奏でる当人にしか聞こえないほどに小さな音だった。

 

「なぁ、友人」

 

 闇で包まれた部屋の中で声が生じた。しかしそれは音ではなく、思念の言葉であった。

 

「こんなまどろっこしいことしてないで、保管庫でも破ったらどうなのさ」

 

「新品盗んだら、帳簿合わなくて担当の人が困るだろうが」

 

「友人、君ってば時々妙にマトモな事言うよね」

 

 少年と少女が思念を交わす。

 前者は得物である牛の魔女を介し、後者は魔法少女としての機能を使って。

 

「ええっと、包帯と痛み止めに抗生物質っと…あった、これか」

 

 闇の中であったが、ナガレの眼は鮮明に全てを映していた。

 彼の眼の中の、黒が渦巻く瞳は室内の闇よりもなお黒かった。

 

「ふーん」

 

「なんだよ、妙に感心した声出すじゃねえか」

 

「君にお薬の知識があったとはね。意外」

 

「まぁな。昔新宿で、闇社会のアホ共と渡り合ってたら覚えちまった」

 

「ううん…」

 

 キリカが怪訝な思念を送った。

 

「今度はどうした?」

 

「いやね、納得すべきか「無理あんだろ」って呆れて驚くべきか、それとも都会マウントを非難すべきか」

 

「したいようにしろよ」

 

「それもそうだね、うん、そうする」

 

 即座にキリカは判断した。

 ごとりという音が鳴った。

 それは複数の段ボールが積まれた室内のみで鳴り、部屋の外側には一切漏れなかった。

 

 しかしながら、生々しい音だった。

 肉が地面にぶつかるような。

 

 それに次いで、ずり、ずるりという音が続く。

 音が表すのは、何かが這いずっているという事実。

 そして。

 

「抱っこして」

 

 とキリカは言った。

 それは即座に叶えられた。

 

「最初からそう言えよ。あと、怪我人は無茶すんな」

 

 ナガレは正面からキリカを抱いていた。

 脇の下に慎重に両手を差し込み、赤ん坊のように持ち上げる。

 普段から軽いキリカの身体は、更に軽くなっていた。

 

 彼が持ち上げた魔法少女姿のキリカの両腕は肘の辺りでその先を喪失させ、両脚に至っては付け根の近くから消えていた。

 その断面には包帯が巻かれ、闇の中で白と赤黒の色の対比を見せていた。

 

「無茶じゃないよ。びたんびたんとお魚さんみたいに跳ねてない」

 

「お前ほんと凄いな、尊敬しちまうよ」

 

「ははは、もっと褒め給え。そして私を孕ませろ」

 

「まだ言うのか、それ」

 

「ああ言うよ、言いまくるよ。君と私が生きてる限り」

 

 異様な風体でありながら、呉キリカは呉キリカであった。

 ほぼ無い腕を彼の身体に絡ませるように挟み、キリカは身を擦り付ける。

 

「何してんだ」

 

「まーきんぐ。私の匂いが薄くなってきたから」

 

「恥ずかしいとか思わねぇのか?」

 

「思うよ!だからいいんじゃないか!」

 

 力説するキリカ。

 顔が薄っすら赤いあたり、本気らしい。

 その彼女を赤子のように抱いたまま数歩歩く。

 そして開いた段ボールを敷いた床の上に、ナガレは静かにキリカを置いた。

 自らも跪き、傍らに身を寄せる。

 

「薬塗るから、包帯取るぞ」

 

「許可しよう。先ずは上からね」

 

 あいよ、と言いナガレは仰向けにしたキリカの右腕から先に手を付けた。

 丁寧に包帯を剥がしていく。

 二層を巻き取ると、赤黒が粘液として沁みる層に至った。

 

「ん…」

 

 キリカは小さく鼻を鳴らした。

 痛みを堪えているとも、性的な何かを感じたともとれる一息だった。

 可能な限り慎重に、ナガレは包帯を剥がす作業を続ける。

 

「…ぃっ…あっ…くひ…ひき…くひゃ」

 

 キリカの声は奇声となっていた。

 美しい音だが、聞くものの精神を穢すような発音でもあった。

 べた、びちゃ、ぴちゃと、粘着質な音を立てながら包帯が剥がれていく。

 

 そしてやがて、肉と骨と脂肪の断面が見えた。

 切断ではなく、溶け崩れて生じた断面だった。

 その表面は体液が滲み、そして泡を弾かせていた。

 血と無色の体液の他に、黄色い汁が爛れた肉を濡らしている。

 

「悪いね友人、臭いかな」

 

「んなもん全然しねぇな。気のせいだろ」

 

 憮然と返し、ナガレは傷口に噴いた血膿をガーゼで静かに拭った。

 黄色と赤の粘液が、死滅した菌類の断末魔の如く死臭を闇の中に振り撒く。

 

「友人」

 

 キリカは彼を呼んだ。

 

「なんだ、キリカ」

 

 血膿を拭い、爛れながらも綺麗になった肉の表面に、ナガレがピンセットで摘まんだ綿に含ませた消毒液をぽんぽんとさせていた時だった。

 

「次はお薬、塗るんだよね。抗生物質」

 

 キリカの言葉は震えている。

 消毒液がもたらす針を刺すような刺激にも、何かを感じているのだろう。

 キリカの言葉にナガレは、ああと答えた。

 蓋を開けた容器の中の軟膏に、新しい綿を浸しながら。

 

 それを見ながらキリカはこう言った。

 

「それ、使っちゃ嫌。友人の指で、直接塗って」

 

「分ぁったよ」

 

 間を置かず言ったのは抗議は無駄と知ってるためと、少しでも苦痛を拭ってやりたいという思いからである。

 

 キリカが彼から吸い出した毒血は、口を溶け崩して溢れて彼女の四肢を溶かした。

 それでも構わずにキリカは血を吸い続けた。自分が毒を受け、自らの血肉に治癒魔法を乗せて彼へと与えた。

 そして彼女に蓄積した毒は、彼女の魔力を狂わせていた。

 

 普段なら数秒で完治・再生する筈の四肢切断は、回復の兆しを膿の発生程度しか見せず、彼女の命を継続させるのみに留まっていた。

 牛の魔女の治癒魔法さえも受け付けず、かといって医者に見せる訳にも行かず。

 

 とりあえずの応急処置をする為に、両者は見滝原市内の病院へと忍び込んでいた。

 外側から見た限り、かなり巨大な施設であったと彼は思い出していた。

 それっきり興味を失い、彼は黒い風のように建物の中へと侵入した。

 

 相応のセキュリティがある筈だが、彼にとっては紙の要塞に等しい脆弱な建物である。

 さして苦労もせずに病院の物置部屋へと侵入し、廃棄予定の薬や包帯を漁っていた。

 廃棄を予定されてるとは言え、置き場に困っての処理らしく、確認した使用期限に問題は無かった。

 

 そして、今に至る。

 

 ナガレは手をウェットティッシュで何度も洗ってから消毒液をたっぷりと着け、水気を払うと軟膏を人差し指に纏わらせた。

 

「いくぞ」

 

「うん、来て」

 

 許可が下りた。

 ならば実行あるのみ。

 

「くひっ」

 

 傷口に触れた瞬間、キリカは背を逸らしながら言った。

 そして体液が滲み出して濡れた傷口に、ナガレは指を這わせた。

 剥き出しの肉を、軟膏を纏わらせた彼の指が触れて圧して撫でる度に、キリカは声を出した。

 

「きひっ、ひぃっ、ひきゃ、きゃ、ぅあっ」

 

 痛みと快楽が混じった、いや、快感が色濃く乗せられたキリカの奇声が続く。

 

「ゆ、ゆうじん」

 

「何だ」

 

 傷に丹念に軟膏を塗りながら、ナガレはキリカに応じた。

 

「温度、どう?わたしの、ひっ、肉、ひきゃ、の」

 

「温かい」

 

「ひゃ、ひゃわら、やわら、きひゃ、や、やわら、かい?」

 

「ああ」

 

「きもちひっ、ひ、ひひ、気持ち、いい?」

 

「お望みの言葉を言ってやる。なんて答えりゃいいんだ?」

 

「それを私からは言えないね。君の言葉でないと、ロマンが無い」

 

「おい」

 

 今までの奇声は何処へやら、キリカは普通に言葉を述べた。そのことにナガレは怒気を孕んだ声で突っ込んだ。

 だが。

 

「ひきゃ、ひき……ああああああ、あああああああ」

 

 その分の反動なのか、キリカは嬌声を上げて仰け反った。そしてそのままビクビクと痙攣し、室内に雌の香りを漂わせた。

 キリカが黙ったのをこれ幸いと、ナガレは手早く包帯を巻いた。

 自分自身がよく使うせいか、巻き方は丁寧且つ迅速だった。

 

 更にキリカが恍惚としている間に、彼は赤く濁った色と化した指先の軟膏をティッシュで拭うと、もう片方の腕に取り掛かった。

 その中でまたキリカは幾度も達し、荒い息を吐きながら彼の顔を見上げ続けた。

 

「ゆうじんは…テクニシャン…だね……治療で、私を、絶頂させるとは」

 

「あー、なんていうかな」

 

 ナガレは疲れ切った声で応じた。

 

「俺もこんな経験初めてだよ」

 

「ふふふ、私が初体験の相手か」

 

「そうなるな」

 

「光栄だね。忘れやしないが、今日の日記に書いておこう」

 

「ああ。好きにしな」

 

「うん、そうする」

 

 彼が言い終えるのと、キリカの傷に包帯を巻き終わる事、そしてキリカが雌の香りを発する腰を少し上げたのも、それらとほぼ同じ時であった。

 

「次はこっち、お願いね」

 

 何時もの朗らかな口調でキリカは言った。

 黒く短いスカートの中の黒いスパッツは、溢れた粘液を含み色の黒味を増していた。

 

 下着を着用していないため、薄い布の奥にある肉のふくらみの形も鮮明に表している。

 キリカの腰の上げ方は、それを見せつけるようなやり方だった。

 大体の男はこれで理性をやられるだろう。

 

「触ったらすまねえな」

 

 例によって、彼には効かなかったが。

 

「いまさら何を言う。あ、そうだ」

 

「ん?」

 

「友人、支えに困ってるなら私のお腹の上に手を置きなよ」

 

「それは助かるんだけどよ、何処なら触っていいんだ?」

 

「愚問だね。下腹部を所望する。具体的に言えば子宮の上」

 

「ちょうどいい場所だな。抑え場所にぴったりだ」

 

「友人、もっと面白いリアクショひぎぃっ」

 

 彼女が指示した場所に手を置くとキリカは悲鳴を上げた。

 字で書くと苦痛の極みだが、音としては甘い快感の声であった。

 

 聞かなかったことにしようと思い、彼は手早く右脚の包帯を外した。

 腕と同様に、血膿で濡れた傷口が外気に晒される。

 脚と言いつつも、ほぼ欠損している為に鼠径部から十センチ程度の肉の柱と言った感じであった。

 

「ねぇ友人」

 

「何だ、キリカ」

 

 再び指先に軟膏を取り、彼はキリカに応じた。

 

「今どんな気分?」

 

「何時もと変わらねぇよ」

 

 そう言って、体格の割に肉突きの良い脚の残骸の断面を指で触れた。

 

「ひくっ!ふ、ふーん、じじ、人生、たたたた楽しんでるねってくきゅっ」

 

「褒めてるのか」

 

 軟膏を念入りに塗りながら、彼は思念の言葉を重ねる。

 

「ふぅっ!は、半分くらい、ね。残りは憐れんできゅっ…げ、原因は私だけどゅううう!?」

 

「自覚あるのかよ」

 

「ひどい…友人、なんてコトを言うってひぎゃっ」

 

 そこでまた限界が来たらしく、キリカの腰が跳ねた。

 彼が左手を置いた(彼はこの時、料理人ってこんな気分なのかなと考えていた。キリカをまな板の上の魚みたいだと一瞬だが思ったらしい。こいつもどうかしてる)腹の奥の器官も疼いたらしく、皮の奥で肉が収縮する様子を彼は指先で感じた。

 感じたくも無かっただろうが。

 

 雌の器官から近いせいか絶頂の高みは腕よりも上であるらしく、キリカの痙攣は激しかった。

 その間に包帯を巻き、左足に取り掛かった。

 

 感度が増しているのか包帯を巻く中でさえキリカは五回も達し、布から溢れた体液が太腿の残骸を伝って傷口を濡らした。

 彼はそれを血膿と共に拭ってから軟膏を塗った。

 キリカの心は、更に八回は絶頂に導かれた。

 

 そして包帯を巻いたとき、ナガレの疲労は限界に達した。

 そもそも、彼自身も満身創痍に近い状態なのである。

 

 毒は消えたが破壊された器官や肉体は苦痛の悲鳴を上げ続け、牛の魔女も彼との強引な融合により疲労困憊、更に異界の兵器の必殺技の再現による負荷が大きかった。

 その状態でキリカの応急処置を終えたこと自体、一種の奇跡なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 だから、包帯を巻かれたキリカの胸から複数の黒い触手が生じて、地面に斧状の爪を生やした先端を付けてその身を浮き上がらせ、

 

「んじゃ友人、ちょっと探索行ってくるよ」

 

 と元気そうに告げたキリカが、仰向けの状態のままカサカサと、まるで蜘蛛の如く様子で床面を移動して、

 

「産婦人科とか、その内お世話になるかもだしね」

 

 と言って天井に張り付くや、天上の通風孔を外して、

 

「じゃあね友人。私が恋しかったら追い掛けて来たまへ。ていうか来い。来なかったら犯し殺すからね」

 

 と言いながら天井裏に。

 

 まるでそこに住まう、アシダカグモの如く様相を呈しながら這い上がり。

 

「ばいばい」

 

 と言いつつ黒い触手を振って消えていく事を阻止できなかったとしても、責める事は難しかった。

 

 

 

 キリカが天井裏に消えてから数秒が経過した。

 

 経過した時間は、彼が内心の整理を付けるのに要した時間だった。

 

 そして結果が出た。彼の中で何かが『プチりん』と切れた。

 

 

 

 

あのアマ……

 

 

 

 

 彼が漏らした昏い発音でのその言葉と、殊更に禍々しく渦巻いた彼の瞳は、ナガレの今の感情を表していた。














キリカさん元気過ぎ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉙

今回は少々アクの強い話になります


「はぁ……ハァ……ぅっ……」

 

 薄暗い室内の中で、苦鳴とも喘ぎともつかない声が鳴っていた。

 大きめの寝台に横たわる、白色の患者衣を纏った少年の口を発生源としての声だった。

 銀灰色の髪の毛が、カーテンを開け放たれた窓から差し込む月光を浴びて輝いていた。

 

 顔の造形は整い、十四歳程度の幼いと言ってもいい年齢や月光による幻想的な様相も相俟って、物語の王子か美姫を思わせる容貌の美少年だった。

 奏でられるのは男としては高く、少女を思わせる音階の声であった。

 細い首の喉仏も、発達の兆し程度の隆起しか見せていない。

 

 しかし彼の中で、明確に性別を示す部分があった。

 下半身の衣が下げられ、そこからは…。

 

「ぁ…くっ……うぅっ」

 

 彼はくぐもった声を上げ、それを手で愛撫していた。用いられていたのは右手であった。

 顔と同様に、繊細な細さを持った少女のような美しい指だった。

 それに対して、左手は沈黙を守っていた。

 

 綺麗に五指を揃えられてはいたが、どこか歪んだ左手だった。

 例えるなら、一度崩れたものを再びつなぎ合わせ、形を整えたような。

 沈黙を保つ左手に反して、右手の上下への律動は激しさを増していった。

 

「はぁ…はぁ…はっ…」

 

 その手は少年の右手の激しい動きにも反応せず、ただ掌を天井に向けていた。

 数分が過ぎた。

 少年は動きを止めた。

 

 少年は荒い息を吐いていた。

 薄い胸と細い肩、そして繊細な顔の額や頬に汗の珠が浮かび、白い肌を伝う水滴となる。

 駄目だ。と彼は思った。

 胸の中で懊悩が渦巻き、雄の器官には血が流れ込み、脳裏には幼いながらに得た性知識が映像となって乱舞する。

 

 素肌を晒した同年代の少女、年上の女性、行為の中の快楽に及ぶ様子が妄想される。

 その様子が描かれた様子は、実に鮮明なビジョンであった。

 少年が持つ優れた創造力と豊かな感性が、性的に優れた要素を持った美しい女達の姿を彼に思い起こさせていた。

 しかし、であった。

 

 それは彼の感性は、美しさばかりを捉えてはいなかった。

 日ごろから彼の世話をする看護師の女性たち、その中で特に若い者達が彼に注ぐ視線や態度の中に、職業遂行上の慈しみ以外のものを彼は感じていた。

 若い少年の姿を見つめる女達の粘着質な視線は、少年の鋭敏な感性を刺激していた。

 

 それは性的なものだけではなく、憐憫や好奇心、そして執着心までもが含まれていた。

 自分に寄せられるそれらの感情について、彼は心当たりがあった。

 

 嘗ての自分、バイオリンであらゆる曲を自由自在に奏でていた自分はもういない。

 その過去に吸い寄せられるように、複数の感情が寄せられるのだろうと。

 更に家は資産家であり、例え働かなくても一生食うには困らない。

 

 それを狙う輩がいても不思議ではないと、彼は幼いながらに感じていた。

 そして自分は長男であり、財産を得ようとするのならば自分を篭絡するのが手っ取り早いと。

 そんな馬鹿なと一笑したいが、実際にそう感じるのだから仕方ない。

 

 悍ましいそれらから逃げる様に、彼は身近なものの存在を彼は想った。

 異性の幼馴染。

 水のような青い髪の色、自分と少し似たショートヘアーの髪型、男勝りで姉貴的な一面もあって付き合いやすい性格。

 

 身近であるが故に、思いを馳せると心が安らぐ。

 この身の上になってもなお、彼女は足繁く病室に通ってくれていた。

 会話をすると心が安らぐ、まるで兄弟のような間柄。

 

 しかしここ最近、彼女から受ける視線には熱が纏わりついていた。

 それは、自分を見る看護師たちとは違う、しかしながら同じ要素を持つ熱だった。

 

 彼女とあいつらは違うと思いつつも、受ける感覚には相似性を感じる。

 それに心の整理を付ける余裕と経験が、今の彼には両方とも足りていなかった。

 

 そういった感情を受け、彼は女性というものが分からなくなっていた。

 もともと人生経験の少ない年頃であり、女の何たるかもほぼ分からない。

 

 それでいて、複数の粘着質な感情を寄せられている事は分かり、性欲の対象としては女性を求めて互いに愛し合って交わる様子を連想する。

 感情の歪みと幼い性愛が混じり合い、彼の中に混沌を生み、雄の器官に溜まった熱い欲望の解放を心で望みながらも心が阻んでいた。

 硬さと熱さは維持されたままのそれに、彼は虚しく繊手を添えていた。

 

 肉の中を走る血流の滾りを彼の指先は捉えていた。

 躍動する生命のリズムに、彼は音楽の一端を感じた。

 馬鹿々々しいと彼は思った。

 夢は潰えたと云うのに、こんな時にも思考の一端には音楽が魔手を伸ばして彼を悔恨の世界へと誘う。

 

 寝よう。

 彼は思った。

 寝て何かが変わる訳ではなく、世界は残酷なままに続いていく。

 

 されど一時の休みになり、その時間だけ人生の時間は過ぎる。

 ただ生きているだけの人生に価値があるのかとは、彼は考えないようにしていた。

 答えは無く、見つけるしかないからであり、そして未来はようとして知れぬままであった。

 

 まずは愚息を仕舞おうと、彼はズボンを引こうとした。

 その時であった。

 

 

 

ずる ずり ずるる

 

 

 

 何かが聞こえた。

 這いずる音だと、彼は思った。

 単なる音なのに、少年はそこに恐怖を感じた。

 

 入院してから結構な時が経っているが、深夜の病院の雰囲気は未だに慣れない。

 生と死が日常的に交差する場所である為か、独特の雰囲気が満ちている。

 それが夜になると肥大化し、別の空間と化したように自分の今生きる環境を包み込む。

 

 恐怖の理由を分析することで、彼はこれを幻聴であるとした。

 しかしながら、音は続いた。

 それは段々と、自分に近付いているように思えた。

 その音は天井から聞こえた。

 

 そして音が止まった。

 最後に鳴った這いずる音が生じた場所は、彼の部屋の真上であった。

 

 天井を見上げた。

 何時もの天井が見えた。

 見続けたが、変化は無かった。

 三分ほど、彼はそれを維持した。

 変化は無い。

 

 安堵の息を彼は吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ」

 

 

 

 

 

 

 その声は、彼の息と同時に生じていた。

 

「当たり前だけど、大人とはだいぶ違うんだね」

 

 少年のようなハスキーボイス。

 されど明らかに、それは少女の声であった。

 

「大きさはそんなに変わらなそうだけど…赤黒さが無くて肌色が多い。あ、そっか、皮の色か」

 

 声はすぐ左隣でした。

 確かにそこには気配があった。

 来客用に、ベッドの周囲に配置した複数の椅子の一つがある場所だった。

 

 反射的にそちらに顔を向けた。

 誰もいない。

 管楽器のような、長い背もたれの椅子があった。

 

「あ、ごめん。邪魔したみたいだね。続けていいよ」

 

 声は今度は右で生じた。

 距離が近い故か、温度の変化を感じた。

 人間であれば温まる筈の空気は、逆に冷えていた。

 まるで、氷がそこにあるかの如く。

 

「?どうしたんだい?何か問題でも?ナースコールしようか?」

 

 あ、無理だった。これじゃボタン押せないや。ゴメンね。

 

 声はそう言った。

 顔を其方に向ける勇気は彼には無かった。

 

 黙っていると、気配は場所を変えた。

 視界の隅に蜘蛛の足のような何かが見えた、そんな気がした。

 

 右から宙へ、宙から…。

 

 

「問題ないなら…続けてよ…後学に、したいんだ」

 

 

 彼の足下へ。

 

 

 その部分は月光の浸食が薄く、闇の領域であった。その中で、何かが蠢いている。

 少女の声を発しながら、闇の中で這いずる何かが。

 

「ひっ」

 

 彼は悲鳴を漏らした。

 当然である。

 しかし気絶しないだけ、彼は勇敢…いや、不運だろう。

 

「私は無知で…まだ何も知らない子供だ…だから私に、雄の営みをみせておくれ」

 

 這いずる者はそう言った。

 闇に慣れた眼は、その姿を朧げながら認識した。

 

 闇の中でも色濃い黒の姿が見えた。

 全体的な大きさは、体を丸めた幼児のようであった。

 それでいて、セミショートの髪型を有した頭部の大きさは自分たちの年代とさして変わらないように思えた。

 

 そしてその髪型に、彼は幼馴染と似た意匠を感じた。

 違う、これは違うと思うものの、現実的に形としてはよく似ていた。

 

 それが逆さまの状態で、こちらに顔を向けている。

 

 悪夢と言う言葉では到底足りない、異界の恐怖がそこにいた。

 そして彼は恐怖の中で、この存在の異常さの一つに気が付いた。

 

 本来ある筈の四肢が無く、肘の先や脚の付け根には白い布が巻かれていた。

 白の色が鮮明なだけに、不幸にもそれが良く見えてしまっていた。

 

 ひっと悲鳴を上げ、そして直後に貪るように息を吸った。

 この存在から雄の営みを見せてくれと言われた時から、彼は呼吸を止めていたのだった。

 恐怖と共に座れる空気。

 

 それを体内に入れた時、彼の一部に熱が滾った。

 瞬時に湧き上がる疑問と、急に血流が生じた事の痛み。

 

 その原因は、空気に含まれた雌の臭気であった。

 

 心を蝕む女達の感情に晒されていたことにより、彼はそれを本能で察した。

 

 こいつだ。

 雄を狂わせる雌の香りを、こいつが漂わせている。

 

「うぅ…あぁ……」

 

 彼は前も隠さず、後ろに下がった。

 直ぐに止まった。ベッドの背もたれがある為だ。

 それでも下がろうとした。

 当然ながら無理である。

 

 足は虚しくベッドの上の布を蹴り、動かない左手は鉛のように重かった。

 その中でも、いや、自らの命の危機を感じている為か彼の雄は熱と硬さを増していた。

 

 空気に混じる雌の匂いを、彼の鼻と雄の欲望は甘い花の香りとして捉えていた。

 それだけに、恐怖感は加速度的に増していった。

 

 しかしながら、闇の奥の気配の動きも停止していた。それに気付き、彼もまた動きを止めた。

 彼の荒い息が、雌の香りが満ち始めた室内に響く。

 

 

「お…」

 

 

 少女の気配が声を発した。

 その声もまた震えていた。

 恐怖によって。

 

 

「お…犯される…!」

 

 

 少女は震える声で言った。

 意味が分からなかった。

 心を満たす恐怖の中に、一粒の泡のように疑問が弾けた。

 

「ヤバい、やばいやばいやばい…なんで、何で私はこんな事を」

 

 気配は言葉を重ねる。

 

「分かり切ってた事じゃないか。思春期の男子は猿も同然で性欲の塊だ。現にあいつ、あんなに興奮してやがるよ。エロ親父より酷いよ、なんなんだよあれ。あれが体の中に入るっての?入らないよあんなの」

 

 呼吸もせずに、彼女は言葉を吐き続ける。

 

「無理無理無理。小指でもキツいのにあんなの無理だって。そして私は今こんな状態だし、捕まったらきっと玩具にされる。肉孔として弄ばれる。膣と尻と口を犯されて監禁される。膜なんて何度でも治せるけど、そういう問題じゃない。これは魂の問題だ」

 

 早口だが、音楽で培われた感性と才能故に、彼は言葉の一つ一つがはっきりと聞こえていた。

 彼の顔は、既に泣き喚く寸前の幼子と化している。

 

 そしてこの瞬間、両者は同じことを考えていた。

 

 

 

「たすけて」

 

 

 

 と。

 この状況を、誰か打ち破ってくれと。

 

 

 

 それは、正にその瞬間の出来事だった。

 窓が開け放たれ、外から入り込む風と共に翼を纏った何かが室内に侵入した。

 

 それは広げた闇の翼でベッドの上の何かを覆った。

 翼とは、それが纏ったジャケットであった。

 その中へと喰われるように消える寸前、雌の香りを放つ少女のような何かは「あ、友人」と呟いていた。

 

 そして床面に、友人と呼ばれた存在は無音で着地した。

 場所は部屋の隅であり、そこは闇に覆われていた。

 しかし彼には、その姿がくっきりと見えた。

 正確には、姿を感じられた。

 それが纏った気配は、闇でも光でもなく、その場所にぽっかりと生じた虚無の気配である為に。

 

「邪魔したな」

 

 『友人』はそう言った。

 少年は脳と脊髄の痺れを覚えた。

 その声は少女のものでありながら少年の溌剌さと、年上の同性の響き、それも感じた事のない野性味を有した声であった。

 

 そして着地と同じく無音で地面を蹴り、風の如く勢いで窓辺から飛び立っていった。

 高さにして五階建ての高さにある窓からの跳躍を、一切躊躇していなかった。

 急いで眼で追ったが、窓の外には月明かりに照らされる夜だけが静かに映っていた。

 

 しかし、一瞬だけ彼の眼に映った『友人』の姿は彼の網膜に焼き付いていた。

 それは、あの声に相応しい外見であった。

 可憐な少女と美しい少年、そして獣のような猛々しさが一切の矛盾なく融合し合い、炎か獅子の鬣のような揺らめきと刺々しさを持った黒髪を頂いた顔。

 月光を浴びて輝く様は、恐怖さえも塗り潰す美しさを有していた。

 そして渦巻く黒い瞳が、少年の心を釘づけにして離さなかった。

 

「この借りは必ず返すからよ。じゃあな」

 

 窓の外に消えゆく寸前、彼はそんな言葉を耳にしていた。

 呼吸が落ち着くまで、十分以上の時を有した。

 

 

 そして彼は、思うままに右手を動かした。

 脳内で思い描くは、あの姿の、友人と呼ばれた存在に組み敷かれる自分の姿だった。

 体格的には、身長が170近い自分と比べて十センチは低かった。

 しかしそれは、時運の優位性を示すものとして何の役にも立たないと彼は本能で感じていた。

 

 何故この妄想をするに至ったのか、彼にはよく分からなかった。

 分からないままに、もう一人の自分を刺激した。

 

 そして達するのに、三十秒も掛からなかった。

 溜め込んだ白濁は彼の手から零れて着衣とシーツを穢し、まだ室内に残る雌の匂いを犯すように覆い被さり、生臭い臭気を交わらせた。

 

 その手を拭わないままに、彼は再び行為を始めた。

 夜が明けるまで、そして精魂尽き果てるまで、彼はそれを繰り返した。

 

 そして尽き果てた時に寝入った際、その美しい顔は陶然の赤で染まり切っていた。

 行為をやめてからも彼は夢の中で、一瞬だけ出逢った存在と再び出会い、そして雌として組み敷かれることを選んでいた。

 

 

 

 














多感な時期の一幕でありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉚

 朝焼けもまだ訪れぬ深夜の三時半頃。

 星と月光が、世界の光源の役割を果たしている時間であった。

 

「着いたぞ」

 

 その世界の一角にて、少年が声を掛けた。

 少女のような声の矛先は、彼の頭の後ろにいる者であった。

 振り向いた先の闇色の眼に、少女の顔が映った。言うまでも無く呉キリカである。

 黄水晶の瞳に宿るのは虚無、可憐な唇の端からは唾液の滴が垂れている。

 

 

「はい、回想開始」

 

 そう言って気絶したキリカを、ナガレは不思議そうな顔で見ていた。

 そして意識が虚無へと消えた彼女を小脇に抱えると跨っていたものから降りて、それを呉亭の敷地内に置いて静かに玄関を開けた。

 

 

「お帰りなさい」

 

 

 当然のようにキリカの母がいた。

 開いた扉の先に立っており、厳かに頭を下げていた。

 

「お世話になります」

 

 ナガレもまた当然の礼を返した。

 

 前以て連絡などしていないはずなのに、という疑問は彼には無い。

 娘と同じく、勘が鋭いのだろうと思っている。

 母親の手前もあって少し丁寧な抱き方にキリカを持ち替え、自分の靴を脱ぎ、キリカの靴も脱がせて上に上がる。

 

 そして二階にあるキリカの部屋に向かって階段を昇り、部屋へと入る。

 室内は綺麗に片づけられており、机の上には菓子と飲み物が補充されていた。

 コップは一つでストローが二本である事に、彼は狂気を感じた。

 

「お、母さん気が利くね」

 

 そこでキリカが目を覚ました。

 いや、ひょっとしたらずっと眼は覚めていて、彼に自分を運搬させたかったのかもしれなかった。

 ペットボトルに入ったミルクコーヒーを一息に飲み、

 

「飲む?」

 

 とナガレに差し出した。

 

「空じゃねえかよ」

 

 と彼は返した。

 

「口付けるだけでもいいよ」

 

「なんで?」

 

「トキめくから。間接キスだよ間接キス。ナナチ的に言えばちゅーだよちゅー。やり方知ってる?」

 

「やれば満足か?あとそいつ良いよな。可愛くて好きだ」

 

「自分で言っててなんだけど、多分引くね。ていうか友人、君はケモナーだったのか」

 

 異次元じみた会話を交えながら、ナガレもまた飲み物を一気に飲んでいく。

 強炭酸のコーラだが、それでやられるほど彼の喉はヤワではない。

 

「ホウ、炭酸入りコーラですか」

 

 キリカがそう言った瞬間、彼は空いている左手で胸を抑えた。

 痙攣した横隔膜を強引に黙らせ、口からの液体の噴出を留めているのである。

 

「大したものですね」

 

「ッ……ッハァ!」

 

 一気に飲み、息を貪る。

 相当な疲労が生じたらしく、折った身体で激しく呼吸を繰り返している。

 

「友人、意外と笑いのツボが可愛いね」

 

 無防備に苦しむ彼の様子を、キリカは楽しそうに眺めている。

 その表情がふと変化した。

 疑問を思ったかのように。

 

「あれ友人、回想はやった?」

 

 彼は答えを返さない。

 苦痛の喘ぎは今は笑いに変わっていた。

 キリカが振った「ネタ」は相当にツボであるらしい。

 

 仕方ないなぁとキリカは呟く。

 腹を抱えて笑うナガレを、キリカは満足げに眺めている。慈しむような視線は、母のような眼差しであった。

 そしてクスリと笑い、ゴホンと意味深に息を吐いてからこう言った。

 

「じゃ、回想開始。ハーイ、ヨーイ、スタート」

 

 絵に描いたようなというか、棒読みという言葉のサンプルと出来そうな見事な棒読みでそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううん、やっぱいいねぇ。解毒完了、治癒も完璧。骨と内臓も全て本調子。今だったら、着床から出産まで五分もあればできそうなくらいの絶好調だよ」

 

 試してみない?とキリカはナガレへと尋ねる。

 晩御飯何処で食べる?とでもいうような気軽すぎる口調だった。

 

「そりゃ良かったな。お前は元気がよく似合う」

 

 無難な様子で返したナガレの前には、プラスチックの青いゴミ箱があった。それも複数である。

 その一つの蓋を開け、そこに蹴りを放ちながらの返答だった。

 

「友人、それで私を知った積りなのかい?」

 

 対するキリカは昏い声で返した。

 呪いのような声だった。

 

「悪いな、軽々しく言っちまって」

 

 言い終えるとゴミ箱の蓋を閉じた。閉じられた後、中で呻き声が鳴っていた。

 そしてそれらの蓋を、何処から取り出したのかガムテープで塞いで路地裏へと放り投げた。

 

「そうだよ。ここ最近、友人は私を知った気になりすぎている」

 

 弄ぶ口調でキリカは言う。その発言を言い終えるまでに幾つもの悲鳴が鳴ったが、ナガレは勿論キリカも全く気にしていない。

 五個のゴミ箱をそうして処理してから、二人は夜の街を歩き始めた。

 

「で、どうだった?」

 

「何が?」

 

「私のヤンデレムーブ」

 

「ちょっと怖かったな」

 

「フフフ…怖いか?」

 

「そいつも何かの台詞か?」

 

「御明察。擬人化した戦艦娘の台詞だよ」

 

「なんか凄ぇキャラだな。どんな外見してんだよ」

 

「色は黒ベースで所々が白。セミショートで、髪の色は黄水晶で髪は黒。左目に眼帯を巻いてる」

 

「へぇ、格好いいな」

 

 特徴で聞く限り、それを語った少女と似た特徴を持った存在を疑いもせずにナガレは返した。

 

「そうだろう、そうだろう」

 

 何故か誇らしげにキリカは言った。

 言葉を交わしている内に、二人の足は止まっていた。

 ナガレは屈み、地面に倒れていたそれを立てた。

 

 形が歪んでいたが、それは自転車だった。

 錆を噴いたフレームと歪んだ篭、長い間放置されたもののようだった。

 

「今度教えてあげるよ」

 

「ああ、よろしくな」

 

 そう言うと、ナガレはジャケットの内側に潜む牛の魔女に命じた。

 彼の手を介して魔力が行使され、廃品寸前の自転車の表面を黒い靄が覆った。

 一瞬の後に消え失せると、新品となった自転車が姿を顕した。

 

 銀色の一般的な色彩は、赤ベースの黒が映えた派手な色に変わっていた。

 フレームは太くなり、タイヤも倍くらいの太さになっている。

 

「赤厨」

 

 呆れ切った口調でキリカが言う。

 

「好きだからな、仕方ねえんだよ」

 

 そう言って彼は自転車に跨った。

 

「ふうん、まぁ黒があるから許すとしよう」

 

 口には出さなかったが、キリカは内心で「朱音麻衣ざwwwwwwまwwwwwwwwぁwwwwwwwwww」と思っていた。

 その時のキリカの顔は妙にニヤ付いていたので、ナガレは少し不気味に思った。

 そう思う彼の事など何とも思わず、キリカは上機嫌な様子で彼の背中にしがみ付いた。

 

 彼が座る座席の後ろに、もう一つの座席が用意されていた。

 柔らかい質感の椅子の上にキリカが尻を置く。

 

「あ、そういえばまた穿くの忘れてた」

 

 それを、ナガレは聞こえなかったことにした。

 キリカ本人も特にその事象に対して大した気概は無いらしく、彼の背を掴んでいた両手を彼の腹に回して腰を抱く。

 そして、自分の五指同士を出逢わせて絡める。

 

「なあ友人」

 

 ナガレの背に右頬を置きながらキリカは聞いた。

 

「ん?」

 

「君、本調子じゃないね」

 

「分かるか」

 

「まぁね。ていうかさ。今、生ごみと仲良く一緒にゴミ箱に入ってるあの連中もアホだよね。君なんかに喧嘩売るなんて」

 

「よくあるこった。このツラは迫力が足りねぇからな」

 

 キリカの視線の先には、地面に垂れた数滴の血痕があった。

 彼のものではない。

 

「それでもさ、ヤバい感じは雰囲気で分かるだろうにって。グータラなイエネコでも、もっと危機管理能力あるよ」

 

「まぁいいじゃねえか。足も出来たコトだしよ」

 

「足、ねぇ。連中が破れかぶれになって、どこにあったんだか知らないけどブン投げてきたこれがかい」

 

「壊さねえようにするのがちょっと面倒だったな。飛び道具は反射的に殴って落としちまうからよ」

 

「なんか突っ込みが追い付かないね。あと君の心臓の音すき。喉を喰い破った時に流れる血と同じ鼓動で動いてる」

 

「そりゃそうだろうな。じゃ、そろそろ出るぜ。性能試してぇし、ちょっと運動したいんだけどよ。ちょっと激しく動いても大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ。君の好きに動いて私の肉体を弄びたまえ」

 

「俺も原因作ったけどよ、言い方」

 

「あ、生ぬるかったか。じゃあこう言い換えよう、私の身体の奥の奥まで貫いて孕ませる勢いで」

 

「行くぞ、振り下ろされねえようにしっかり腕巻いてな」

 

「うん。れっつらごー!」

 

 元気よく右手を振り上げ、キリカは声も控えめながらに叫んだ。

 今が夜であるという配慮である。

 彼女もまた、変な所で常識がある女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 この日、呉キリカは様々な事を知った。

 

 まず、自転車は垂直でビルや電柱を駆け上がり、また同じように降りれること。

 

 ビル同士を足場に、夜の闇を飛翔できること。

 

 慣性の法則を無視したような、ジグザグの走行が可能であること。

 

 それらの行為を、瞬間的には音速を超えて実行可能であること。

 

 それでいて道を飛び出してきた野良猫や歩行者、車とは接触せずに猛スピードを維持出来る事。

 

 そして自分は、乗り物への適性があまり無さそうであるという事。

 

 逆に運転手であるナガレは、実に愉しそうに運転、というか操縦していた。

 これが本職と言わんばかりの様子であった。

 

「こいつ…」

 

 と思いながら、キリカはナガレの腰を強く抱いた。

 並みの人間なら即死しかねない強さであったが、彼の筋肉と骨格によって圧搾は跳ね返されていた。

 

 熱い体温と鼓動、そして牛の魔女の衝撃緩和のフォローがありながらも強い振動を維持する自転車の走行に身を揺らしながら、キリカは眠る様に眼を閉じた。

 というよりも気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「以上、回想終了っておええ…」

 

 そして現在、キリカは自宅の手洗い場にいた。

 洗面台の前で身を屈め、頭をふらふらと左右に振りながら、蠕動する胃袋から込み上げる胃液を吐いていた。

 異形の疾走を思い出した事で、気分を害したらしい。

 それでいて、彼女の顔には満足感があった。

 

「いいね…これ。この気持ち悪さとシチュエーション……未来への予行練習って気がするよ。これは君にとっても将来の為の、いい経験になる事だろう」

 

 口を胃液塗れにさせながら、キリカは微笑む。

 そして再び、黄色い胃液を吐いた。

 その華奢な背中を、ナガレが無言で摩る。

 

 そしてその様子を、少し離れた場所でキリカ母が娘と似た朗らかな笑顔で見守っている。

 微かに聞こえる機械音は、恐らくビデオカメラだろうなと彼は思った。

 機械に見られているような感覚もあることから、間違いは無いだろう。

 

 可能な限り、労りはしつつも深くは考えないようにして、ナガレはキリカの背を擦り続けた。

 そうでもしないと、二人の女達に支配されたこの家の雰囲気に耐えられそうにない。













書き手ながら、この二人の次の行動が全く読めない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉛

「友人、お醤油取って」

 

「手ぇ伸ばしゃ届くだろ」

 

「あいたたた…両腕の結合部分が痛むよぉ。友人にお薬塗り塗りされた肉の中身がグネグネと疼くぅ」

 

「目玉焼きに掛けりゃいいのか?」

 

「うん。私は塩派だけど、君が掛けたいのなら仕方ない。私は無駄な争いは好まない主義でね」

 

 会話になっているのかなっていないのか、確実に言えるのはいつもの会話であるという事である。

 時間は朝の六時半、キリカの部屋で二人は朝食を食べていた。

 

 献立はレタスとトマトのサラダに舞茸の味噌汁、ベーコンエッグに焼きたての食パンという和洋の良いとこどりな内容だった。

 片手で醤油さしを使いながら、ナガレは右手でパンを持って齧っていた。

 香ばしく焼けたパンの小麦色の熱い肌の上で、黄色いバターが見る見るうちに溶けて沁みていく。

 見た目に違わぬ美味の様で、ナガレは満足そうだった。

 三口で食パン一枚を食べたナガレを、キリカは楽しそうに眺めていた。

 

 

「美味しそうに食べるねぇ。ちなみにそれ、母さんが焼いたパンだよ」

 

「美味いからな。いいお袋さんじゃねえか、作るのは大変だったろうによ」

 

「色々と正直だねぇ。にしても君、何か身体に異変はないかい?」

 

「なんだ、毒でも入ってるってか?」

 

「まぁ近いね。それ、強力な精力剤と媚薬マシマシ媚薬カラメの筈だから」

 

「ふーん。別に問題ねぇな」

 

「なーんだ。つまんないの。あ、友人。この目玉焼きさ、有精卵を使ってるんだけど見た目の感想を言ってもらってもいい?」

 

「目玉焼きが生きてるみてぇだな」

 

 彼の返事に、キリカは箸を置いて腹を抱えて転げまわった。

 足を絡ませ、交尾する蛇のように我が身を抱いて室内をゴロゴロと転がる。

 

「けはっ、くひ、くははひひひひひひひひひひひひひひ、ひ、ひひひっくはーひゃはははは!」

 

 奇声を挙げながら、両足を狂ったようにバタバタとさせる。

 今の彼女の服装は、ワイシャツとピンクのスカートの何時もの姿であり、激しい動き故にスカートの中身は簡単に晒される。

 その中身が下着で覆われていない事に、彼は最早突っ込まない。

 

 そういう趣味に目覚めたんだろうなと思っている。

 笑いのツボに入って転げまわるキリカを放置し、ナガレは目玉焼きを箸で二つに切って、半熟の中身が垂れたそれにベーコンを絡めて口に運んだ。

 醤油の塩気やベーコンの脂の甘味、黄身のまろやかさと白身の淡白さが口内で出逢い、交わる。

 

「うめぇなぁ。ほんと生きてるみたいだぞ、この目玉焼き」

 

 それが追加攻撃となり、キリカは更に大声を上げて、最早叫びとなった声を上げて転げまわった。

 数分後にキリカ母が部屋の扉を静かに叩いてキリカを呼び、「近所迷惑になるからやめなさい」と部屋の外で彼女を叱っていた。

 立場は母親の方がかなり上であるらしく、一分後に部屋に戻ってきたキリカはしくしくと眼に涙を浮かべていた。

 テンションが下がった模様であり、そのままぐずついた様子で綺麗に平らげ食事を終えた。

 一寸先は闇だな、とナガレは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…ぁあ!…ぅぅ…くっ…ひゃぁ…ひくっ!」

 

 その思いを彼は今も思っていた。

 場所は呉家の手洗い場。

 そのドアの反対側の壁から少し離れた場所に、ナガレは背を預けて立っていた。

 ドアの内側からは、少女の悲鳴というか喘ぎ声と水音が絶え間なく聞こえる。

 

 どうしてこうなった、と思えば簡単にその理由は分かる。

 朝食の中に含まれたものの効果が出た、ただそれだけである。

 どうやらキリカの母は自分だけではなく、娘にも薬を盛ったらしい。

 或いは朝食がロシアンルーレットとなり、彼女が当たってしまったのか。

 

 それが発症したのは食後三十分が経過した頃であり、そして彼女が「花摘み」に出てからも同じく三十分が経過していた。

 花摘みとは、今の彼女にとってかなりの皮肉だろう。

 繊手で摘まれて撫でられ弄ばれるのは、桃色と紅の鮮やかな肉の花弁であり、充血して固くなった肉の花芯であるためだ。

 彼女自身、彼に肩を貸されて階段を下りる際、耳まで赤くなった顔で彼にそう言っていた。

 

 開いた口から見える八重歯は更に鋭さを増しているように見え、黄水晶の眼は欲情の色に狂い掛けていた。

 それが理性を破壊する前に、彼女は手洗い場の中に入った。

 その間、熱くぬかるむ場所を刺激する指の動きと、熱病に呻くような喘ぎは一瞬たりとも止まっていない。

 

 

 

「……」

 

 無言で眼を閉じて、ナガレはそれが終わるのを待っている。

 何故ここにいるかと言われれば、今苦境と言うか快楽の最中にある当人に

 

「ここで待ってて」

 

 と言われたからだ。従うしかない。

 聞き耳を立てるのも失礼と、何時もの暇潰しを開始する。脳内での戦闘シュミレーションである。

 

 仮想敵は無数にいる。

 並行世界の自分の成れの果てである、皇帝を冠された存在。

 複数の多元宇宙を支配下に置いた、星々を喰う魔物。

 敵なのか味方なのかよく分からない、便利なナビゲーション機能を備えた終焉にして原初の魔神。

 

 そいつらを放置し、彼は仮想敵として真紅の魔法少女を選んだ。

 

 音速を軽く超え、閃光の如く乱舞する十字槍。

 迎撃の斧槍と激突し、一瞬にして数百の火花が散る。

 

 その火花よりも赤く紅く、真紅の魔法少女は鮮やかに輝き、獰悪で美しい乱舞を舞う。

 剣戟の度に異界の構造物や使い魔が切り刻まれ、地面にも亀裂が入っていく。

 

 世界を破壊しながら、自分と佐倉杏子が互いの命を奪い合う。何時もの事で、ここ最近離れている為に為せていない事だった。

 攻撃と防御を兼ねた剣戟の包囲網が崩れ、互いの得物が吸い込まる様に互いの首に迫る。

 

 その中で、水が流される音と扉が開く音を聞いた。

 彼の思考は、赤い幻となって消えた。

 現実に向かう時が来た。

 

 開いた扉から、細い影が倒れてきた。

 床にぶつかるよりも遥かに前に、ナガレが正面から受け止める。

 

 全身を汗で濡らし、濡れ羽色の黒髪もぐっしょりと濡れていた。

 衣服が汗で貼り付き、彼女の桃色に染まった肌をじっとりと晒し掛けている。

 ここに来た時と異なり肩を貸してではなく、彼女を背負って彼は階段を昇り始めた。

 十字架を背負ったかのような姿だった。

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……ぁぁ……」

 

 キリカの部屋のベッドの上に、キリカは寝かされていた。

 濡れた衣服は替えられて、今の彼女は水色の寝間着姿となっている。

 今の彼女は動けない、そしてキリカ母は買い物に行っているのかここしばらくは不在である。

 

 着替えさせたものは一人しかいない。

 性欲の欠片も出さずに、彼は淡々と少女を着替えさせた。

 彼にとってその作業に興奮する要素など何も無く、ただやるべきことをやっただけである。

 

 解毒を終えて体調は万全と言ってからわずか数時間。

 あの時よりは軽いが今のキリカは高熱を発し、病人も同然の姿となっている。

 乾いたタオルやら額に貼る冷却シートに飲み物にと、スマホで情報を調べて一律を準備した。

 彼自身は頑強すぎて、今までの人生で風邪で寝込んだことが無かったのである。

 

 一通り自分を慰め尽くしたのか、今のキリカの性欲は鎮まっているらしかった。

 ただ身を焦がす熱に悶え、熱い吐息を吐き続けている。

 

 何かあった時のことを考え、ナガレはキリカが眠るベッドの傍に座った。

 気配を察し、キリカは閉じていた眼を開いた。

 涙で潤んだ黄水晶の眼は、地の底深くで輝く宝石の様だった。

 

「気分はどうだ?」

 

 月並みな言い方だが、他に尋ねる言葉の種類を彼は知らない。

 無知な野郎だと彼は己を少し呪った。

 

「悪くないね。とっても熱いけど、割と心地いいよ」

 

「そうか、ならよかったな。なんか欲しいものは」

 

「ヤリたい。殺し合いじゃなくて、セックスがしたい」

 

 言葉を遮り、キリカはその身が訴えかける欲望を口にした。

 

「熱くて柔らかい私の雌を、熱くて硬い雄で慰めて欲しい。私の中のグチョグチョに濡れた肉を、叩き潰す勢いで気が尽き果てるまで蹂躙し尽くして欲しい。体勢は問わない、正面からでも、獣のように後ろからでも好きなようにして構わない」

 

 直球極まりない言葉で、キリカは雄を求めた。対して彼は何かを言い返そうと口を開いた。

 それを塞ぐように、キリカは更に続けた。

 

「でも、今は駄目だ。これは私の意思じゃない。我が母に盛られた薬で誘発された、単なる肉の疼きだ」

 

 平然とキリカが言った言葉と事実は、戦慄と狂気の一言だった。

 しかし二人ももう慣れているのか、そこに特別な程の感慨は湧かない。

 やりかねないと思っていた事であるからだ。

 

「私が君を求めて欲情に狂う時は、完全に私の意思と欲望の元で狂わなければならない。そうでないと」

 

 続く言葉を、キリカは留めた。

 言うか言うまいか、酷く悩んでいた。

 その言葉は、彼女にとって重すぎた。全存在を掛けた言葉であるとも言える。

 熱で桃色になった顔には、亀裂のような苦痛が浮かんでいた。

 

「友人」

 

 身を引き裂く苦痛から逃げる為に、キリカは別の言葉を使った。なんだ、と彼は返した。

 

「今は…静かに、寄り添って…どこにも…行かないで」

 

「行かねぇよ」

 

 キリカの哀願。

 彼は即座に返事をした。

 そこにキリカは右手を伸ばした。

 

 何を求めているのかは分かっていた。

 両手で包む様に、ナガレはその繊手に自分の手を重ねた。

 らしくない事だという自覚は、彼にもある。

 しかしそれよりも、困っている者に何かしてやりたいという欲望の方が彼の中で強かった。

 

「何処にも行けねぇし、行かねえよ。お前が望むだけ、ここにいてやら」

 

 彼の返事に、キリカは満足しながら頷いた。

 

 

 




















重苦しい感情が描きたい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉜

 薄闇の中、無数の火花が舞い踊る。

 照らされるのは黒衣を纏った少女と、ジャケットを羽織った私服の少年。

 

 少女は両手から計十本の斧型の爪を生やし、少年の手には柄の長さが三メートルにも達する斧槍が握られていた。

 向かい合う二人の間では絶え間なく剣戟の火花が散り、時折そこに鮮血が仲間として加わった。

 そして火花や鮮血も、交差する斬撃の嵐によって更に切り刻まれ、新たな光の贄となる。

 

「ハアァッ!」

 

「オラァアア!!」

 

 怒号が重なり、その声に相応しい重い一撃が繰り出される。

 激突する二種の斧。

 その瞬間、二人の肉体は弾き飛ばされていた。

 重ねられた力は完全なる互角であったのだ。

 

「は…ハハ!」

 

 少女は嗤う。

 美しい顔には蜘蛛の巣のように鮮血が広がり、開いた口に並ぶ歯も血塗れだった。

 

「へっ」

 

 少年も嗤う。

 こちらも似た有様だった。

 違うのは、口内に血は殆ど無く、彼は今それを唾と共に吐き捨てたところだ。

 彼の右頬に、殴打を受けた痕があった。吐き捨てた血はそれで頬を切った為だろう。

 

 しかし喉にはざっくりと開いた傷口があった。傷は歪んだ楕円形をしており、連続した傷ではなく複数の点が連なったものだった。

 さらに奇妙なのは、大きな傷だと云うのにそこからの流血が殆どないところだった。

 よく見れば傷口の一つ一つが照り光り、粘液のようなものが傷にわだかまっていることが確認できただろう。

 それが黒い靄を帯びて、傷口から血色の泡を吹いて塞がっていく。

 

「便利だね」

 

「まぁな。にしても、こいつとの付き合いも随分長くなってきたもんだ」

 

 右手に持つ得物を眺めながらナガレはキリカに応える。

 

「仲が良くてよろしいね。ううん、やっぱり君とこうして交わるのは精神と肉体の健康に良い」

 

「奇遇だな。俺もお前と戦うのが楽しくて仕方ねぇ」

 

「ははははは。分かり切った事言うねぇ、友人。あとそうだ、相変わらず君の血液は美味しいよ。君の味が舌の上で跳ねる度、幸せを感じるんだ」

 

「うへ…そうかよ」

 

「うん。レビューは百点としておこう。あ、分母は無限大だから、今後も精進をするようにネ♪」

 

「お前にゃ敵わねぇな、ホント」

 

「お、敗北宣言か。なら君の遺伝子おくれよ。ここで大事に育むからさ」

 

 そう言って、キリカは腹を撫でた。

 普段そこは白いレースで覆われているが、今はそれが取り払われ、白い素肌を晒している。

 布を取り払われた腹部の少し下に、黒いスカートのウエストベルトが巻かれている。

 

 少し下とは腰よりもやや下であり、腹と鼠径部が交わる女体の美しさが露わになっていた。

 呉キリカと言う少女が持つ毒花のような色気と相俟って、獣欲を滾らせそうな外見となっている。

 

 更にはその白い肌にも朱線が奔り、腹から流れた血は女体を垂れて彼女の股間へと消えていた。

 それが却って、雄の欲情を刺激する煽情的な様子を演出していた。

 因みにこの姿になっている理由は、

 

「火照った身体を冷やしたいし、イメチェンも必要だと思う」

 

 とのことを、キリカは戦闘前に語っていた。なるほどなと、彼は納得した。

 その直後に剣戟が開始された。

 戦闘時間は既に三時間に達している。

 

 

 妖艶な姿から立ち昇る色気は、彼も確かに感じてはいる。

 但しそれ以上に、相手は子供であるという意識がある。

 それは事実であり、両者の間にはその認識が隔絶の溝となって横たわっている。

 

「前にも話したけど、同年代なら良かったのにね」

 

 彼女もそれを察し、拗ねたような口調で言う。諦めてはいないのだ。

 

「かもな。でもよ、それだときっと俺達は出会えてねぇ」

 

「君がそう言うんなら、そうなんだろうね。遠い場所から来た友よ」

 

 彼の心の中で、キリカは彼ではない彼に出会った。

 そして他にも何か、果てしない何かを見た気がする。

 思い出そうとするが思い出せない。

 ただ一つの言葉を除いては。

 

 

 

「【皇帝】」

 

 

 

 キリカは呟いた。

 

 コウテイ、ではなくエンペラーと発音していた。

 

 

 

 何故その言葉を選んだのか。

 そして何故、言葉に出してしまったのか。

 彼女には分からなかった。

 だが放たれた弾丸の如く、それは彼に届いていた。

 

 その言葉を、ナガレはただ聞いていた。

 何も変わりはしなかったが、キリカはその言葉を発した瞬間、彼の渦巻く瞳に感情の揺らぎを感じた。

 それを彼女は『憎悪』であると見た。一瞬で消えたが、間違いないと確信していた。

 

 その感情の矛先は自分ではない事も分かっていた。

 そこに彼女は、酷く寂しいものを感じた。

 

 感情を受けられた相手が自分で無い事と、そしてそんな感情を持つ彼に憐憫を抱いたのである。

 

「君は旅を続けていたらしいけど、それは結構長いのかい?」

 

「そうでもねえさ。感覚的には一年くらいだ」

 

「うーん…そっか」

 

 キリカは断片的にしか彼を知らない。

 しかし彼の心の中に広がる記憶の世界を垣間見た限りでは、とても一年程度の経験とは思えなかった。

 

 例えるなら、人が産まれて死ぬくらいの時間。

 そのくらいは経過してるのではないかと、なんとなくであるがそう思った。

 だが本人が一年程度と言ってるんだからそうだろう、友人の事を信じようとキリカは自分を納得させた。

 

 互いの全力全開、命と魂を削り合う死闘の最中にありながら、両者は極めてリラックスした気分であった。

 命が如何でもいと言う訳では無い。

 これがこの連中の平凡な日常なのである。

 頭部や喉以外にも大小さまざまな傷が全身を覆い、血と体液で体表を濡らしている。

 それも何時ものことだ。

 

 白手袋を嵌めた右手でキリカは額を拭い、更に剥き出しの腹を撫でた。

 拭われたのは血と汗であり、それを纏って撫でられた白い肌はそれで彩られた。

 グロテスクさとエロティックさが、幼い女体の表面で交わる。

 

「血と体液。そして剣戟で互いの命を奪い合い、血みどろでぬるぬるのべとべとになる交わりか。まるでセックスみたいだね」

 

 淡々とキリカは言う。眼帯を纏わない左目に理解の色が宿る。

 

「そっか」

 

 その色は、闇の中で輝く希望の光に見えた。

 

「これが、私達のセックスなんだな」

 

 納得の声でキリカは語る。

 鎮まっていた肉の疼きが蘇り、胎内の肉襞が雄を求めて蠢動し、肉の唇が収縮する。

 

 熱い疼きを感じながら、キリカは艶然と微笑む。

 ナガレは黙って聞いている。

 議論は無駄であるとも、そしてそういう考えもあるんだろうなとでも思っているのだろうか。

 答えはない。

 ただ真っすぐに、彼は呉キリカを見ている。

 

「なぁ友人。君、前に言った事を覚えているかい。アレだよ、私の捕食行為からの君への治療。互いの血肉を分け合って身体を治したコトさ」

 

 その言葉に、キリカが何を問おうとしているのかが彼には分った。

 仲のいい証拠だろう。

 

「それを君、何て言ったか覚えてるかい。概念的なものだよ。とても重く世界そのものと言っていい」

 

 キリカの言葉は弾劾であり告発であり、そして強要だった。

 彼女から発せられる気配は、闇よりも色濃い鬼気と狂気であった。

 

 常人なら、いや、同じ魔法少女でも触れた瞬間に気を遣られ兼ねない感情の棘を、今のキリカは放っていた。

 それは彼を全方位から覆い、全ての逃げ場を奪っていた。

 その中で、彼は口を開いた。

 普段の口調で、はっきりとした、自分の意思を乗せた声で。

 

「『』だ」

 

 一瞬、世界は動きを止めたように思えた。

 時は刻まれるのも忘れ、全てが静止したように。

 刻まれるのは、互いの呼吸音と心音のみ。

 この瞬間、世界はただ二人だけのものとなっていた。

 

 しかしそれも一瞬であり、時は再び刻まれ始めた。

 その切っ掛けとなったのは、キリカの言葉であった。

 

「血は、『』か」

 

 彼女の告げた愛の一言は、単なる言葉や音ではなかった。

 光さえも飲み込んで離さない、ブラックホールの如く超重力の坩堝であった。

 それは、そんな意思が乗せられた言葉だった。

 

 逃げることも出来ず、決して逃がさない。

 そんな意思を、『』という言葉を呟いたキリカから彼は感じた。

 

 血液がべっとりと付着し、深紅となった右手をキリカはじっと見つめる。

 

「となると私達は、血を糧にしなければ…互いの命を削り合わなければ、を育めないというコトか」

 

 淡々とキリカは言う。

 その手は震えていた。

 

「くひっ」

 

 そして、彼女は嗤った。

 可憐な唇が裂けたように拡がった。

 

 口の端を通り越し、耳まで裂けたように見えた。

 噛み合わされて並んだ歯は、彼から啜った鮮血の深紅に染まっている。

 それは美しき吸血姫の貌だった。

 

「そうでなくては」

 

 嗤いながら、彼女は語る。

 

「互いの命を貫いて、流れ出た血を混ぜ合わす。生存か。消滅か。互いの全存在を掛けての交差でもないと、やはりには至れない」

 

 嗤う。

 どこまでも朗らかに。

 

「ならば、を求め逢うとしよう」

 

「ああ。来な」

 

 分かり切っていたように、両者は短く言葉を交わす。

 そして言い終えた瞬間、互いにやるべき事を為した。

 赤黒と黒の斧が乱舞し、異界に再び血と光の花を咲かせる。

 

 交差は激しさを増していた。

 互いの命を奪い合う、その行為の果てにあるものを、少なくともキリカはそう認識したが故に。

 それを求めて、魔力が存分に振るわれ、高い身体能力を更に飛躍させていく。

 一撃一撃を放つごとに、キリカの速度は増していく。

 

 それに対し、ナガレも魔女に命じて魔力を行使させ、自身の身体能力の底上げを図る。

 足りない分は、これまでの経験で補うのみ。

 互角の剣戟が続く中、不意にキリカは背後に跳ねた。

 全身から出血しての飛翔により、背中や腕から流れ出る血が溢れる様は異形の天使の翼に見えた。

 

 その飛翔の中で、キリカは両手を振った。

 莫大な魔力が消費され、彼女に更なる力を与える。

 顕現したのは、彼女のマギアであるヴァンパイアファング。

 

 ただし、普段とは様子が異なっていた。

 本来の数は一つの手に付き一本、ただし今は、両手からそれぞれ五本の計十本のヴァンパイアファングが放たれていた。

 一本一本の太さは、普段のそれより細く、形状としては触手に近い。

 

 それだけに幅広く広がり、更には操作性が高いのか速度も増していた。

 視界を埋める赤黒い斧が連なった触手に、彼は得物を叩き付けた。

 

 凄まじい音量の金属音が鳴り響き、衝撃が異界を震わせる。

 何本かが切断されたのを、キリカは感じた。

 そして何本かが、彼の肉と骨を抉った事も。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 しかし切り刻まれながら、ナガレは触手を刻み続ける。

 自分が刻まれるよりも早く、速く。

 キリカは振るわれ続ける斧とその破壊を見た。

 

 そして小さく笑った。

 子供に花飾りか手紙を渡された母親のような、慈しみの表情で。

 

 ああ、そっか。

 斧同士の結合、甘かったみたいだね。

 

 無造作にしか見えない斬線を描いて振られる斧は、関節部分を正確に切断していた。

 その様子を見て、彼女はそう思った。

 思った時と、その美しい身体が斜めに裂かれたのは同時の事だった。

 

 触手の悉くを切断して飛翔したナガレは、飛翔しながら下方からの斬撃をキリカに見舞っていた。

 キリカの細い身体の右脇腹から左肩までに朱線が入り、傷となって開いた。

 切り裂かれた臓物や溢れた血液が、空中で残酷な花を咲かせる。

 その血肉の花を、斬撃が更に断ち切った。

 

 上方に流れた斧が下降し今度は逆方向から、キリカの右肩から左脇腹に刃を抜けさせていた。

 再び溢れ出す血と臓物。

 そして与えられた衝撃のままに、キリカは異界の地面へと落下していった。

 

 その四つに分かれかけた肉体が、空中で力強く抱き締められた。

 自らから溢れる血潮によって冷えていく身体。

 それを血に塗れた熱い身体が抱く感触をキリカは味わい、自らも手を伸ばして相手の身体を抱いた。

 

 そして異界の重力に引かれるままに、二人は地面へと落ちた。

 寸前にナガレは背を地面に向け、与えられた衝撃の全てをその身で受けた。

 

 異界の地面が砕け、小規模なクレーターが生じた。

 その中に、二人はいた。

 

 血塗れどころか、血みどろになって抱き合っていた。

 

「なんで、って聞くのは無粋かな」

 

「別に、構いやしねえよ」

 

「ふふ、今日は素直で可愛いね、君」

 

 彼との間に、切断された内臓を広げながらキリカは微笑む。

 

「そういうとこ、好きだよ」

 

 そうして血塗れの唇を彼のそれに重ねて、魔力を送った。

 対する彼も彼女の背に手を回し、魔女から取り出したグリーフシードを、キリカの腰近くに据えられたソウルジェムにこつんと重ねた。

 治癒と浄化が同時に行われ、互いの命が延命される。

 しかし、疲労感は残っていた。

 

 身体を繋げて内臓をずるりと体内に戻したところで、キリカの睡魔が限界に達した。

 媚薬が抜けるまでに要した時間は丸一日であり、その間は横になっていなかったが寝ていなかった。

 またナガレもそれに付き合い、ずっと手を握っていた。彼もまた、ものすごく眠かった。

 

 先にキリカが寝落ちした事を確認すると、彼も欠伸を一つ放ってから眠りに落ちた。

 互いの体温と心音が溶け合うような、安らかな眠りだった。

 

 互いを慈しみ、労わりながら。

 全力の殺し合いを続けていた二人は、こうして漸く動きを止めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉝

 見慣れた天井、見慣れた室内。

 そして嗅ぎ慣れた匂いと肌に触れる心地よい空気。

 買い出しに出てから約六日目、ナガレがキリカ宅で迎える日も三日目となっていた。

 時刻は昼の11時頃。

 

 窓の外では雨が降り、陰鬱な灰色の空が広がっている。

 しかし部屋の中ではそれも些細な事であり、そもそも彼は外を見ていないかった。

 床に寝転がりながら、キリカの部屋に置いてある小説を読んでいた。

 

 彼に活字が読める、というあたりは彼の昔の事を思うと大した進歩であるだろう。

 「されど」から始まり、罪人と竜が舞踏を舞う、といった美しい言葉の並びのタイトルが書かれた青いカバーの本だった。

 黒く渦巻く瞳は繰り広げられる物語に夢中になり、熟読しつつも頁を捲る手は早い。

 

 内容はと言えば…脳漿が飛び散り、内臓が破裂し血肉が桜吹雪の如く舞う凄惨な戦闘模様。

 弱者や年少者に対しても情け容赦なく訪れる、繊細な描写で描かれる拷問・虐殺・輪姦・強姦・異種出産などの惨劇という言葉では生ぬるい悲劇。

 作中の問題ごとの殆どは終結はしても解決はせず、既に終わった悲劇が更なる悲劇を呼ぶ負の連鎖。

 ライトノベルというジャンルではあるが、頭に暗黒と付け、暗黒ライトノベルとでもした方がよさそうな小説だった。

 

 彼は現在、七巻を読み耽っていた。

 美少女のような貌に時折刻まれる怪訝な表情は、そこに描かれた描写の凄惨さを示していた。

 常日頃からそれに近い生活を送る彼ではあったが、リアルと創作物との境界線は引かれており、だからこそ物語の悲劇を悲劇として認識できているのであった。

 

 そして今、部屋の主である呉キリカはここにいなかった。

 数時間前、朝七時頃に朝食を食べ終えてから

 

「母さん、話があるんだ」

 

 と切り出し、客人であるナガレに自室に先に戻るように言って、以降は一階の居間から戻っていない。

 母娘の話し合いとやらは、既に四時間に及んでいる。

 そしてその内容は、屋根を叩く雨音や頁を捲る音、彼の呼吸と心音のみが漂う室内の中にも伝っていた。

 

 それに気が付いたのは、彼が五巻を読んでいた時の事だった。

 部屋の一角から、二人の女達の声が僅かではあるが聞こえたのである。

 場所は本棚の近くの壁からであった。

 

 どうやら何らかの吹き抜けというか、構造上の都合で一階の音が伝わるらしい。

 糸電話みたいなものかと彼は思った。

 

 また、数日前にキリカが大発明をしたと自信満々に言って使用した糸電話は、以降も活用されている。

 彼が無害と判断した過去話や、キリカが語る自分に欲情した男達に拉致され陵辱・輪姦される様子や、健全な性生活の妄想等の不健全極まりない一方的なお喋りの為に使用されていた。

 恐らくこれは、少なくともここ数日の間で地球上で使用された糸電話の中で、最も異形で爛れた会話に使用された糸電話であるだろう。

 今は丁寧に糸を巻かれて重ねられ、再び使用される、されてしまう時を静かに待っている。

 

 

だーかーらぁーーーーー!!

 

 

 静寂さを打ち破り、壁から声が伝わった。

 同時に、食器らしきものが割れたような破壊音が続く。

 

 

娘に媚薬盛るなんて!母さんてば何考えてるのさ!

 

 

 正論極まりないキリカの言葉であった。

 感情が昂っているためか、声は涙声に近い。当然と言えば、そうか。

 

 娘の叫びに対し、母は無言であった。ただ、割れた破片を拾い上げているらしいカタカタと言う音が鳴っている。

 その後もキリカの発言は続いた。

 

 最初は、どんな気分になったか。

 

 そして身体がどうなってしまったか。

 

 どこがどんな風に疼いて、どれくらいの体液が分泌されたか。

 

 弄び方はどういう風にしたのかとか。

 

 キリカの語彙が無駄に豊富であるが故に生々しく、官能小説じみた表現が続く

 

 声の大きさは雨音に掻き消される程度に下がっていたが、一度意識してしまうと耳は拾ってしまうものである。

 読み耽る小説が、年齢制限が無いにも関わらず過激な描写が多い故、話の内容と妙に合ってるなとナガレは思った。

 こちらも明らかに、常人とは異なる感性と言うか状況適応能力を持っている。

 

 その後も女達の話は続いた。

 

 話の内容は何時の間にか

 

「何故、地球に生命が溢れたのか」

 

「すべての物質には意思がある」

 

「時間や空間にも記憶はある」

 

 といった話になっていた。

 そこから自分が受けた快楽地獄とのつながりを強引に結び付けていた。

 要約すると

 

 

「お天道様は全て見てるんだよ!悪い事なんて出来ないんだ!」

 

 

 というのがキリカの主張だった。

 聞き耳を立てつつ、ナガレは思わず口笛を吹いた。良い事言うなぁと思ったのだろう。

 自分にとっての不穏なワードが幾つかあったはずだが、キリカへの関心が勝っているらしい。

 

 

 

 読書を一休みし舌戦を伺おうと思った時、

 

 

「来ないわね」

 

 

 キリカの母の困ったような声が、壁から聞こえた。

 ぞっとするものを感じ、彼は壁から顔を離した。

 

 これは久々の経験だった。

 例えば星々を喰う魔物の支配する、多元宇宙数個分は下らない広大な空間の中に飛び込んだ時のような。

 

「そうだね。あいつ、スルー能力高いんだよ」

 

 落ち着いた声で、娘が母に応じた。

 そして

 

「ねぇ友人。そろそろお昼にしないかい」

 

 という声が送られてきた。

 ナガレは黙っていた。そして気付いた。

 

 これまでの全ての遣り取りが、自分を誘い出す為の罠であった。

 仮に誘われていたら、どんな目に遭っていたのかは想像も出来ないし、したくなかった。

 苦笑いを浮かべ、

 

「こいつら…」

 

 と内心で思った。

 それだけでも彼は豪胆だろう。

 

「じゃあ、呼びに行きましょうか」

 

 とキリカ母。

 

「うん、そうだね。母さん」

 

 壁からは母娘の声がし、そして足音が聞こえた。

 

 

 迫り来る二人分の足音は、彼であっても恐怖を覚えた。

 それを、誰が臆病者と責められようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐちゃり、ばきばき、ずるり

 

 肉が引き裂け骨が砕かれ、内臓が破壊される音が響く。

 両者にとって聞き慣れた音であった。

 その音をナガレは耳で聞き、呉キリカは身体の内を伝わる衝撃として聞いた。

 

 牛の魔女が展開させた魔女結界の中、今日も今日とてナガレとキリカは戦っていた。

 戦闘開始から約一時間。

 両者にとっては短めであったが、激しさはこれまででも随一だった。

 異界の地面の至る所が抉れて砕け、構造物も微塵となって転がっている。

 まるで、巨大な何かが暴れ狂ったかのようだった。

 

 彼が突き出した右腕はキリカの豊かな胸の真ん中に吸い込まれ、皮膚を貫き肉を切り裂き骨を砕いていた。

 そして背に抜けた手は、赤い心臓と彼女の背骨を握っていた。

 握力が加わり、それらは果実や砂糖菓子のように簡単に握り潰された。

 

 キリカの口から血液が滝となって降り注ぎ、異界の地面を濡らす。

 

「ふ、ふふ、ふふふ」

 

 血塗れの口をにたにたとさせながら、キリカは笑う。

 

「友人…君、ほんと、わたし、の、おっぱい、すき、だねぇ」

 

 苦痛の中でキリカは笑う。

 どこまでも朗らかに、春風のように。

 それに対し、ナガレは言葉を紡がなかった。

 彼の口からもまた、血塊が吐き出されていた。

 ナガレの右腕はキリカを貫き、左手は自分の胸を押さえていた。

 

 指の隙間からは絶え間なく鮮血が溢れ、異界に滴っていく。

 彼もキリカの斬撃によって胸を切られ、心臓を破壊されていたのだった。

 

 強靭な生命力故に、手で押さえられている事で強引に鼓動が鳴らされていた。

 異常な生命力だが、長くは持ちそうになかった。

 その中で彼は自分の治癒よりも、彼女を破壊することを選んだのである。

 

 荒い息を吐き、命を刻一刻と喪いながらもナガレは闘志に溢れた鋭い眼でキリカを見ていた。

 その様子に、キリカは息を吐いた。

 血の香りを纏った、陶然とした吐息だった。

 

「嗚呼…イイね…ほんと…イイ」

 

 欲情の炎が滾るのを、キリカは感じていた。

 この外見が気に入ったのか、キリカの腹のレースは取り払われたままだった。

 露わになった白い肌の上には朱線が横に引かれ、そこからは桃色の腸が垂れ下がっていた。

 スカートは腰より下であり、鼠径部のラインがかなりの位置まで見えていた。

 

 もう数センチ下に下がれば、雌の器官が露わになる筈である。

 そこはスパッツに覆われてはいたが、その中に下着はない。

 直に肌を撫でる空気の感触が心地よく、またせっかく買ってもらった物なのだから、血で汚したくないという彼女なりの配慮があった。

 

 それは今、血と性欲の液で濡れていた。

 命を奪い合う行為は求め逢いであり、生と死の交差は血と体液と肌の重ね合いであった。

 現に今、彼の腕で自分は貫かれ、彼と繋がっている。そこに彼女は、堪らない興奮を見出していた。

 

 温かい肉、柔らかい肌、熱い血滴と弱弱しくも力強い鼓動。

 その全てをキリカは体内で感じていた。

 

 そうだ。

 と彼女は思った。

 

 そうでなくては。

 これが、私達の性行為なんだ。

 

 何の疑いも無く、キリカはそう思った。

 与えられた肉欲ではなく正気のままで、自らが感じる欲望のままに湧き上がる性欲に狂っていた。

 スパッツの内側で彼女の雌の器官が蠢き肉襞を疼かせ、雄を求めて熱を増していく。

 

「ああああああああああああああああああああっ!」

 

 欲望のままに彼女は叫んだ。

 そして血に染まった斧型の爪が生えた両手を振った。

 彼を慈しむべき両手は、彼の命を狩るべく振るわれていた。

 

 殺したくなどない。

 

 されど、今自分たちはセックスをしている。

 

 それは互いの命を奪い合う行為。

 

 ならば相手の命を奪う事がこの場合は正しく、そして今、唯一行うべき行為なのであった。

 命を賭けて向かってくる相手に対し、自分も命を向き合わせる。

 叫びのその瞬間に興奮は感極まり、呉キリカは絶頂していた。

 

 

 

 ぎぢん

 

 生じた音にキリカは眼を見張った。熱い液が垂れる性の器に、奥の奥まで一気に氷柱が突き込まれたかのような冷気を感じた。

 

 ああ、こいつは。

 

 こんな死に掛けであるのに。

 

 キリカは笑った。

 

 鮮血色の唇は、感動に震えていた。

 

 自らの首を刈り取るべく振るわれたキリカの両手の爪、それが交差した瞬間にナガレは自らの歯と牙で魔爪に噛み付き文字通り喰い止めていた。

 しかし、それも一瞬の状態である。

 キリカは手を押し、彼の顔を輪切りにする積りであった。

 

 しかしそれより前に、キリカの左脇腹にナガレは右膝蹴りを叩き込んだ。

 膝がキリカの肉を破壊する寸前に、彼は咥えた爪を離した。

 

「あぎぃっ!?」

 

 内臓が体内で爆裂する感触と圧迫感に、悲鳴を上げるキリカ。

 その身体が吹き飛ぶ前に、ナガレの右足が彼女の左足を踏み、その場に留めさせた。

 そして、彼は叫びと共に頭突きを放った。

 彼の額がキリカの眼と鼻の間に激突し、莫大な衝撃が少女の頭部で荒れ狂う。

 

 最初に砕けたのは彼女の黄水晶の眼であり、次いで破裂したのは彼女の後頭部だった。

 白桃色の脳味噌が曳き潰した豆腐のようにバラけ、頭皮を突き破って彼女の背後に広がった。

 

 仰け反ったキリカには、両手が無かった。

 左手が胸から離され、ジャケットの裏側から取り出した手斧を握っていた。

 それが見舞った斬撃により、キリカの両手は肘の辺りで切断されて宙を舞っていた。

 

 その両手が落下し、爪が地面に突き立つのと、ナガレの身体が崩れたのはほぼ同時だった。

 胸が破裂したように、傷口からは鮮血が噴き出した。

 

 その身体を、キリカが抱いた。

 腕だけでなく両脚も絡め、全身を使って彼を抱く。

 狙ったのか偶然か、性行為のような姿勢であった。

 体位で言えば、対面座位の形になっている。

 

 眼は両眼とも無惨に潰れて更には脳を喪い、そしてほぼ全ての歯は歯茎ごと抉られ、赤い舌に弾丸の様に突き刺さっている。

 凄惨どころではない惨状となった顔を、キリカは彼の胸に埋めた。

 そして辛うじての原型を留めた口を、ナガレの胸の傷に合わせた。

 異形の口づけに、顔を深紅に染めたキリカは鮮血を飲みながら微笑んだ。

 

「これもいいね。剥き出しの肉、血と体液で濡れた傷と傷とを重ねるキスとは実に尊い。嗚呼、萌える」

 

 思念でそう言いつつ、溢れる血を一滴残らず飲み干しながら、キリカは治癒魔法を発動させる。

 治すのは自分ではなく、血を提供する彼である。

 

 割れた心臓が繋がり、傷が塞がってき、傷口を皮膚が覆う。

 名残惜しそうに、キリカは彼の素肌が覆われた胸に唇を触れさせた。

 彼から顔を離すと、既に彼女自身の治癒も完了していた。

 

 そして今度は彼の唇に元に戻った唇を重ねて血を啜った。

 血を啜り飲みながら、キリカは下半身の感触を感じていた。

 

 濡れたスパッツの奥に、彼の身体がある。

 彼の着衣の奥に、重なり合った腰の奥に、キリカは自身の柔らかい肉で彼の雄を感じていた。

 

 自分と異なり、この行為に性欲の欠片も感じておらず大きさは変化していなかったが、それは確かに彼の雄を示す器官だった。

 布越しながらにそれに触れたという事が、彼女の理性を狂わせた。

 

 口付けをしながら、キリカは腰を何度も震わせた。

 それは、腰を振る度に訪れる絶頂により彼女が気を失うまで、何度も何度も続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「食べる?」

 

「いいのか?」

 

「一口だけね」

 

 場所は変わって、見滝原市内。

 自宅からほど近い場所の喫茶店の屋外席に、ナガレとキリカは来ていた。

 時間は午後の二時頃であり、死闘を終えてキリカが落ち着いてから十分後の事だった。

 肉の疼きが消えて、負傷も完治させた。

 

 ならば、時間を有意義に使うだけだと街に繰り出し、ソフトクリームを食べていた。

 ナガレはストロベリーで、キリカはバニラ味であり、両者共にコーンに乗せられているものを選んだ。

 食欲が旺盛な証拠だろう。

 

 もちろんキリカはナガレの注文に対し、「赤厨」と煽るのを忘れず、彼が赤桃色のクリームを齧った際に

 

「あー!佐倉杏子の下顎がぁ…あんなに、あんなに無惨に………ざまぁ☆」

 

 と嘆きに見せかけた愚弄をするのも忘れなかった。下顎と言うあたり、どうやらかなり細かく部位分けをしているらしい。

 

 互いに自分のを数口齧ったり舐めたりしたあたりで、キリカは最初の遣り取りを彼に切り出した。

 舐めて無さそうな場所を齧らせてもらおうとした時、キリカはそれを手前に引いた。

 彼の歯は虚空を切り、噛み合わされる音だけが虚しく響いた。

 

「気が変わったのか」

 

「うん、ごめんね」

 

「別に怒ってねぇよ」

 

 ただちょっと、味見が出来ずに残念そうなだけの彼だった。

 そこに罪悪感を感じたのか、キリカは続けた。

 

「いや、なんていうかさ…衛生面、気になっちゃって。ホラ、唾液ってそんなに綺麗な物じゃないからさ」

 

 まぁ確かに、といったところだが、それを肯定する気にはなれなかった。

 何時も血を啜ってるとかではなく、年頃の子供相手に「お前の口は汚い」と繋がる言葉を返す気は彼には無かった。

 だから返事はせずに、ソフトクリームをコーンまで齧り切る。

 同時にキリカもコーンを咀嚼し終えていた。

 

「ちっ」

 

 それはキリカが放った、可愛らしい舌打ちだった。

 食べ終わるのが彼よりも遅かったことが悔しかったらしい。

 愉快なものを見たように彼が笑うと、キリカは頬を膨らませ、ナガレは「悪い悪い」と笑いながら謝った。

 ぷんすかとするキリカを一旦放置し、料金を支払って戻るとナガレはキリカにこう言った。

 

「さて、次は何するよ?」

 

「雪辱を晴らしたいから、ゲーセンでも行こうよ。てなワケでさぁ行くぞ!油を売ってる時間は無いぞ、友人!時間は有限だからね!」

 

「ああ!返り討ちにしてやら」

 

 言い合いをしながら、街の中へと両者は消えていく。

 年少者二人の姿は、午後になっても足繁く歩く人の波に消え、見えなくなった。

 

 

 

 そろそろ、彼が風見野に戻る時が近付いていた。

 

 













この二人、正直ずっと会話させていたいのですが…
時は残酷であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉞

 朝になった。

 死闘の後に一日中遊びまわった疲労もどこへやら、年少者二人は元気そうに食事を摂っていた。

 場所は呉家の居間であり、長机の上に並べられた朝食を穏やかな雰囲気の元で食べている。

 瑞々しいレタスとトマトのサラダに焼き魚、お味噌汁に白米が躍る様な箸の動きと子供特有の旺盛な食欲で次々と消費される。

 向かい合って座るナガレとキリカ。キリカの隣にはキリカの母が座り、慈母の笑顔で微笑んでいる。

 

 食事が終わり、皿洗いくらいしましょうかとナガレは言った。

 お客様にお手を煩わせるわけにはいきませんと、キリカの母は穏やかに言った。

 キリカは洗い物を手伝うと云い、女達二人が残った。

 

 彼は先にキリカの部屋に戻り、寝転んで青い表紙の暗黒ライトノベルを読み始めた。

 架空の物語の中では、幼い少女が生きたまま無麻酔で解剖される様が事細かに記載されていた。

 

「うええ…」

 

 彼が呻いたシーンでは、手術台の上に置かれた少女が腹を開かれ、肋骨を鑿とハンマーで破壊される様子が描かれている。

 最悪の場面を読む彼の耳には、家の中の空洞を伝って壁面から聞こえる一階の会話が届いていた。

 

『効かないわね…常人なら致死量なのだけど』

 

『だから言ったじゃないか、あいつは頑丈なんだよ。タフって言葉は友人の為にある』

 

 母と娘の和やかな会話を聞きながら、ナガレは

 

「ふああ…」

 

 と欠伸をした。

 これが彼に盛られた薬物、要は致死量の媚薬が為した、唯一の効果であった。

 そして再び彼は本を読み進めた。

 活字で描かれた地獄が、彼を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼を回った。

 ナガレは相変わらず暗黒ラノベを読んでいた。

 作中では主人公の知り合いの女が、殺人鬼によって一家全員ごと惨殺された場面が描かれていた。

 死体は弄ばれ、開かれた肉と皮とされて壁に釘で打ち付けられていた。

 

「えっぐ…」

 

 呟いたのも仕方ないだろう。

 彼の行動は変わっていなかったが、場所が変化していた。

 彼は今、キリカのベッドの隣に座っていた。

 

 彼の右手は伸ばされ、ベッドの方に伸びている。

 その手に、少女の左手が指を絡ませている。

 つなぎ方は俗に云う恋人繋ぎの形である。

 ベッドの上には、頭までをすっぽりと布団で覆ったキリカがいた。

 

「ううん…だっるぃ。生理痛きっっっつい。嗚呼母よ、何故私を女として産んだ?感謝してるから文句は言わないけど、この痛みと不快感は……楽しいけど辛い」

 

 もぞもぞ蠢きながらキリカは呟く。

 体調の変化のためか、ナガレの手に伝わる彼女の体温は高かった。

 この状態が既に、三時間は続いている。

 

 平和な時間が流れているせいか、ナガレは悪い気分ではなかった。

 ただ、今のキリカに何かしてやれないかなと思っていた。

 手を繋ぐだけでよいものかと、男には理解できない苦しみに悶えるキリカに対して思っていた。

 

「そうだ!」

 

 その時、キリカが立ち上がった。

 手を繋いだままだったので、ナガレも引っ張られる形で立ち上がらせられていた。

 

「奪われたなら、奪えばいいんだ!」

 

 そしてキリカは叫んだ。

 この時、彼女は衣服を纏っていなかった。

 

 左足の黒とピンクの縞ソックスと右脚のベルトだけを身に着けただけの、裸体であった。

 朱鷺色の乳首や一つまみで抜き取れそうな慎ましい恥毛が生えた秘所を、何の躊躇も無く晒している。

 その様子にナガレは「俺は馬鹿にされてるのかな」とだけ思った。

 

 布団に入る際にはいつもの白シャツとミニスカを着用していたが、熱さの為に布団の中で脱いだらしい。

 火照った身体から熱が上気し、興奮で濡れた秘所には血の香りが混じっていた。

 その状態で、キリカは彼に抱き着いた。

 肌が触れた直後、彼女の全身を魔力が覆い、白と黒の衣装を纏わせた。

 

「てなわけでぇ……友人、シよぉ♪」

 

 抱き着きながら彼の耳元で、熱く甘く囁くキリカ。

 その意味を探ると

 

『生理で血が流れたから、君の血を飲ませておくれ』

 

 となるのだろうかと彼は思った。

 魔女を呼び出し結界を張った瞬間、キリカが満足げに微笑んだのを見て、その考えは当たっていたとナガレは理解した。

 

 そしてキリカはその表情のまま、形成された異界の中で彼に魔爪を振った。

 当然のようにナガレがそれを牛の魔女で受け止め、反撃する。

 いつものように、死闘が展開された。

 血風の中対峙する両者は、獣の威嚇のように嗤っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になった。

 コンビニに出かけていたナガレは呉亭に帰宅した。

 いつものように「お帰りなさい」と出迎えるキリカ母はいない。

 

 それが逆に不自然に思えるくらい、何時帰宅しても出迎えてくれる女であった。

 少し不思議に思いつつ、彼は買い物袋を右手に下げ、空いた左手で喉を触れていた。

 

 傷一つない喉であったが、そこに与えられた痛みと、血を啜られて傷口を舌で舐め廻される感覚は何時まで経っても慣れない。

 慣れてはダメな事なので、異常ながらに彼の感性は正常だった。

 廊下を歩く中で、ナガレは戦闘後の事を思い出していた。

 

 互いに血深泥になり、全身を骨折して動けなくなり、仰向けになって隣同士で倒れていた。

 その様子をキリカは「惣流と駄目主人公みたい」と評した。

 ひでぇと思いつつも、反論は無いのでナガレは何も言わなかった。

 寧ろ好きなキャラクターの名前が出たので、嬉しかったくらいである。

 

「なぁ」

 

 ナガレは訊いた。右の頬が腫れ上がり、童顔を無残なものに変えていた。

 

「なーに、友人」

 

 キリカも聞き返した。こちらに至っては、左頬が破裂し、砕けた歯や抉れた舌が見えていた。

 互いの負傷は、互いの拳がクロスカウンターとして炸裂した結果であった。

 破壊の度合いの違いは、両者の格闘技能の差だろう。

 力自体はキリカに分があっても、技術は彼の方が格段に上なのである。

 

 また痛痒の欠片も感じさせない、平凡とした返事は、痛みを感じていないのではなく痛みも愉しさと捉えているためだ。

 凄惨な顔ながらに満足そうな表情が浮かんでいるのは、戦闘の最中に幾度も達したからだろう。

 生と死をこね回すような死闘は自分にとっての性行為、という彼女の認識は全く変わっていないらしい。

 

「お前、俺の血を飲みたかったんならよ。そう言えばよかったんじゃねえか?」

 

「友人、私を見くびらないでほしいな」

 

「ん?」

 

「私にだって常識は有るんだよ?考えてもみなよ、血が飲みたいから飲ませてって、頭おかしいじゃないか」

 

 ナガレは首を捻った。

 意味を図り兼ねている一方、納得しているような顔にもなっている。

 なるほど、確かに頭おかしいなと。口には出さずそう思っていた。

 

「だけどさ、戦いの最中だったら普通だろ?喉を喰い破ったついでに、流れ込んできた血を飲むわけなんだから」

 

 なるほど。納得、と彼は思った。

 今の彼の喉には、いつも通りに彼女の歯形が刻まれている。

 

 手加減をした訳でも、喉を差し出した訳でもないが、呉キリカとの戦闘はコンマ0.1秒も気が抜けない悪戦苦闘であり、喉の傷もその中で付いた傷の一つに違いないのであった。

 また実際、血を飲みたいと言われて自分が素直に血を与えたかと思えば疑わしいものがあった。

 自分の心はそれほど広くはない、彼としてはそう持っていた。

 その一方で死闘には応じたりと、こいつの考えも異界じみていた。

 

「天才だな、お前」

 

 と彼は笑った。全身の傷に声が響くが、知った事ではないと笑った。

 何が可笑しいのか分からなかったが、キリカも連られて笑った。

 彼女はすぐに飽きたが、傷に響く笑い声の感触が面白くて笑い続けた。

 

 それは一時間近く続き、互いに空腹感を覚えてそれをやめ、魔法で身を清めて治癒を終えてから異界を出た。

 また部屋に戻ってからキリカは服を着て、適当に寝転んで漫画を読み始めた。

 相変わらず下着は未着用だったが、ナガレも既に気になっていなかった。

 

 とりあえず、彼女の生理痛は消えたらしい。

 全身を切り刻まれたからなのかなと思いながら、彼はコンビニ行くけどとキリカに尋ね、山のようなお菓子の買い出しを要求された。

 買い物の品目には生理用品も含まれていたが、彼も特に疑問には持たなかった。

 下着を購入したことで度胸が付いたらしい。

 

 それを度胸と言うのかは謎で、それでいいのかという感じではあるが。

 しかしながら、恥ずべきものではないのは確かであった。

 

 閑話休題。

 

 そして今、ナガレは部屋の前に立ち止まっていた。

 キリカの部屋の前ではなく、リビングを覗く位置で、である。

 そこには畳の上に座り、テレビを観るキリカの母の姿が見えた。

 

 彼女は手にハンカチを握り、しきりに眼を拭っていた。

 その後ろ姿が、廊下に立つ彼の位置からよく見えた。

 彼の名誉の為に言えば、彼に覗きの趣味は無い。

 見入ってしまったのは、テレビに映っていたものである。

 

 それは二日前の昼頃の事。

 上気した、直球で言えば媚薬を混入された朝食を摂取して発情したキリカの手を、ナガレが両手で握る様子が映っていた。

 

 荒い息を吐き、苦痛に耐えているかのようなキリカ。

 

 その手を握るナガレ。

 

 その様子はまるで、命を産み出す苦痛に耐える女に寄り添う男である。

 

 この場合の男の役割が何になるのかは、説明するまでも無いだろう。

 

 それがしかも複数のアングルで、同時にテレビに映っている。

 つまり、この母親は娘の部屋を…。

 

 気付いたら、ナガレはキリカの部屋にいた。

 声も出さず、完全な無音であったが、キリカの部屋に着いた時のナガレの鼓動は戦闘中もかくやと言った具合に跳ね上がっていた。

 

「やべぇな」

 

 一言だけそう言った。

 そう言った時の彼の声は、鼓動が示すように荒い息を伴っていた。

 

「ああ、母さんのコトかい?」

 

 キリカは平然と言った。ありがとねと言いつつ、ナガレが買ってきた物品から生理用品と好みの菓子を取り出し、早速菓子を食べ始めている。

 

「朝から延々とリピートしてるよ。これで少しは親孝行できたかな?」

 

 どう反応したらいいのか、彼には分らなかった。

 分かって堪るかと彼は思い、キリカが

 

「食うかい?」

 

 と言って差し出してきたポッキーを受け取って噛み砕いた。

 短い一言だったが、キリカのその言葉は佐倉杏子の真似をしている事は分かった。

 

「ああそうそう。流石にプライバシーの侵害だからってコトで、カメラは撮影後に全部外させたよ。それでも10個くらい残ってたけど、君の魔女が撤去してたから大丈夫だと思う」

 

 付け加える様にキリカは言う。

 気が利く奴だと、ナガレは半共生状態の魔女を内心で褒めた。

 そう思う事で、キリカ母の狂気から眼を背けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、更に数時間が流れた。

 他愛も無い会話や異界の話、キリカが思い描いた性絡みの生々しい創作話を直接話したり糸電話を用いて聞いたりと言った、不健全で平和な時間が流れた。

 一通りの話をキリカが終えた時、

 

「そろそろ、かな」

 

 彼女はそう言った。

 もの寂し気な、名残惜しそうな言い方だった。

 

「ああ」

 

 彼もそれを肯定する。

 楽しい時間であっても、終わりは必ず来る。

 

「ねぇ、友人」

 

 糸電話を用いて彼女は訊いた。

 

「なんだ、キリカ」

 

 彼も同じく、キリカ曰くの大発明品である糸電話で訊き返した。

 

「風見野までさ、歩いて…いかない?」

 

 

 キリカの提案に、彼は頷いた。

 

 何事にも終わりは来るが、伸ばすことは出来る。

 

 それに乗らない手は無かった。

 

 
















次回、呉キリカさん編最終回(の予定です)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㉟

 空は曇り、月光も降り注ぐ月光もまばらな夜だった。

 その薄い光に、奇妙な影が照らされていた。

 身長は百六十程度だが、その厚みは年少者二人分の体積があった。

 

「なぁ、友人」

 

「なんだ、キリカ」

 

 少女は前の少年へ尋ね、少年は背中の少女へ返した。

 雲の隙間から覗いた月光が二人の姿を映し出す。

 歩き続けるナガレの背後から抱き付き、胸から腹にかけてを彼の背に密着させたキリカの姿が照らされた。

 

 キリカの体勢は、まるで彼を押し留めているかのようだった。

 しかしその重さなど微塵も感じさせない歩みで、彼は進んでいく。

 キリカもまた彼に追従するように、つま先立ちで器用に歩いていく。

 

「何か話して。そうだね、君の知ってる物語を教えて」

 

 彼の腹の辺りで両手を絡め、力で言えば常人を圧殺する程度の腕力を込めつつ身体を寄せながらキリカは言った。

 強靭な腹筋はその程度の圧搾を難なく跳ね返し、主にも痛痒を与えていない。

 ただ、彼女の体温と柔らかさ、そして鼓動だけが伝えられている。

 

「そうだな……じゃあ、あいつらの話をするか」

 

 そして彼は話し始めた。

 それは聖なる者と魔なる者、その間に生まれた双子の姉弟の物語だった。

 

 異なる陣営の父母を持つ双子は自らの出生を知らず、姉は妖艶で美しい女へと、弟は醜い姿ながらも純真な心を持った巨体の少年へと育った。

 仲睦まじく生きる二人であったが、血の宿命が平穏を許さず残酷な運命の果てに両者は対峙を余儀なくされる。

 互いの全存在を掛けて戦う二人、その戦いの余波は地に生きるもの全てを破壊しそして…。

 

「そして、どうなるの?」

 

 ナガレの鼓動を聞きながらキリカは尋ねた。

 彼が話をする間、彼女はそれまで一言も話さず物語に聞き入っていた。

 

「済まねえが、そこまでだな」

 

「打ち切り?」

 

「そうじゃねぇけど、そこで見失った」

 

「…そっか」

 

 残念そうに、それでいて安堵したようにキリカは言った。

 結末は誰にも分からない。

 それでいいのかもしれない。いや、いいのだろう。

 彼女はそう思った。

 

 見失ったという彼の言い回しに、彼女は疑問を持たなかった。

 異形の物語の語り部としての彼を、友達として信じているのだった。

 

 また彼としても、異界を廻る中で垣間見たあの二人の事を思い出していた。

 詳細については因果を観測する魔神から聞いたものであり、彼は吹き荒れる破壊の奔流の中を掻い潜りつつ、争う両者を見ていた。

 時間と空間を超越し、過去と今の概念が存在しない超存在に対し、彼は究極の殺戮兵器に搭乗していたとはいえ人の身でその様子を観測していた。

 

 それが終わりを告げたのは、その二人すら超克する存在---両者の父母と思しき者達が顕現した瞬間だった。

 全てが弾け、万物が混沌と化した。

 

 聖と魔の物語、魔神曰くの『聖魔伝』は此処に終局を迎えた。

 尤も、時間が無意味な存在である以上、これが全ての始まりかもしれないのであるが。

 

 虚無の中に、彼は巨大な腕を見た。

 それは傷付いた両者を優しく抱き、何処かへと連れ去っていった。

 彼にはそう見えた。

 

 ナガレはそれを語らなかったが、聡いキリカの事である。

 なんとなく言葉の隅から勘付いているのかもしれないなと、彼は思った。

 

「ねぇ」

 

「なんだ」

 

 尋ね、応ずる。

 幾度も繰り返された事だった。

 重なる言葉の他に、他の音は存在していなかった。

 深夜を回った郊外。車の音は遠く、道を歩む者は二人しかいない。

 

 感じるのは互いの鼓動と体温と肉の感触。

 今の世界にはこの二人しかいない。

 そんな風に思える静けさが訪れていた時だった。

 

「君は、いつか帰ってしまうのかい」

 

「だろうな」

 

 帰る。

 元居た場所へ。

 生まれた世界ではなく、彼が旅立った世界へ。

 未来永劫の修羅地獄へ。

 

 断片的にではあるが、キリカはそれを聞いていた。

 何故か大部分を忘れていた、というよりも記憶と認識の欠落を起こしていたが最近不意に思い出した事だった。

 

 こいつは別の何処かから来て、何故か今の姿に成り果てて此処にいると。

 

 そして言葉の通り、何時かそこに帰ると彼は言った。

 当然の事であるとして。

 そして当然ながら、それは別離を意味している。

 普段の拠点へと戻る、今のように。

 

「だけどそいつは今じゃねぇよ。帰り方も分かんねぇし、足もねぇ」

 

 どうすっかなと彼は続ける。

 その言葉のとおりであり、如何したらよいのかもさっぱり分からない。

 危機感というのは特になく、まぁ何とかなるだろうと言った程度に考えていた。

 実際これまで何事もそうであったし、最初に変な場所に、彼は未だに現代の京都に行っただけだと思っている『黒平安京』に行った際もそれで何とかなっていた。

 

「手伝おうか?」

 

「ん?」

 

「君が帰るのを」

 

 言ってから、キリカは自分の発言に内心で驚いていた。

 自分は何を言っているのだと、彼女はそう思った。

 

「足が無いんなら、作るのとか手伝おうか?」

 

 やめろ。言うな。

 内心で彼女は想いを馳せる。

 ここにいろ、他へは行くな。

 針で何かを貫く様に、まるでピンで刺された標本か丁寧に縫われた刺繡のように、彼女は彼を縫い留めるイメージを抱いた。

 何処に?

 この世界に、そして自分に。

 

「困ってるなら、助けるよ」

 

 ああ、そうか。

 

 それでいて、呉キリカは悟る。

 

 こいつは友達なんだった。

 

 困ってるなら、助けないとね。

 

 感情と思考が矛盾してせめぎ合い、その一方で納得に至る。

 彼女の精神は混沌とし、それでいて純粋であった。

 

「別に困っちゃいねぇよ」

 

 ふっと笑い、彼は返した。

 

「まぁ、ありがとな。そん時は頼むかもしれねぇや。あとお前、何だかんだで優しくて頼りになるな」

 

「何だかんだは余計だよ、っとテンプレ的に返しておこう」

 

 言い合い、笑う。

 当然だろう。

 二人は友達なのだから。

 

 暫く笑い合い、そして歩みが止まる。

 

 ここ最近は離れていた、しかし既に慣れた雰囲気と空気を彼の感覚が捉えた。

 キリカもそれを感じていた。

 

 視線の先、まだ二キロメートルほど先ではあるが闇の中に浮かぶ廃された神の家が見えた。

 

「そろそろだね」

 

「ああ」

 

 事実を確認するように言葉を重ねる。

 そして、キリカは彼の身体から離れた。

 

 熱い体温が離れた後、互いに冷気を感じた。

 それをキリカは、喪失の冷たさだと思った。

 

「じゃ、私は行くよ。あいつの雌臭さが漂ってきそうだ」

 

「ひっでぇ言い方だな」

 

「あはは。軽い買い出しのつもりが一週間も他の女のところに転がり込んだ奴がよく言うよ。そして君を喪ったあいつの性欲が、今どうなってるかなんて考えたくも無いね。愉快で嗤えて殺意が湧くよ」

 

 闇の中で朗らかに、春を司る妖精のようにキリカは笑う。

 嗤いながら、闇の中を跳ねていく。

 

「じゃあね、友人。また逢おう」

 

「ああ。気を付けて帰りな、キリカ」

 

 ナガレは手を掲げ、キリカはばいばいと手を振った。

 

 そして彼女は闇の中に、溶ける様に消えていった。

 その気配が消えるまで、彼は闇を見つめていた。

 直ぐに消えた。

 同時に彼は背を向け、彼は前へと歩き始めた。

 今度は一人で、今の世界での拠点へと。











彼が語った作品は「セイントデビルー聖魔伝ー」となります
某wikiには「テレサ&ユンク」のタイトルで記事がありますので詳細はそちらを…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花㊱

 一週間ぶり、正確には日付が変わったとので八日ぶりの帰還となった。

 役割を終えた神の家、風見野の廃教会である。

 空には相変わらず黒雲が浮かび、月光は世界を照らすには至らず薄く光の色を塗る程度に留まっていた。

 敷地内の広場を通り過ぎ、更に闇が色濃く溜まる教会内へと足を踏み入れる。

 

「ん…?」

 

 その直前に、ナガレは匂いを嗅いだ。

 種類は主に二つ、色濃い血臭とアンモニアの刺激臭。

 その根源を探すと、入り口から少し離れた場所にそれを見つけた。

 

 無言で近寄り、詳細を確かめる。

 

「……」

 

 なんと声を掛けようか、ナガレは考えたが結局は無言のままだった。

 乙女の尊厳を無視したかのように衣服を剥ぎ取られ、皮や肉、そして内臓を散乱させて白目を剥いて倒れていたのは優木沙々だった。

 ピクピクと死に掛けの蟲のように痙攣していたが、半壊した帽子にくっ付いているソウルジェムの様子を見るとまだ余裕があるようだった。

 

 顔の近くに複数のグリーフシードを置き、切断された手足を拾って断面をくっ付けてやってからナガレは廃教会へと向かった。

 少し心配だったが、彼が顔を近付けた瞬間に白目が解除され、陶然と蕩けた眼でナガレの顔を眺めた為に彼は大丈夫だなと判断した。

 傷口や場所からして加害者は杏子に違いなく、復活しても怯えて今日は来ないだろうと思い優木の事は放っておく事にした。

 今は、優木以上に厄介な存在と向き合う必要がある故に。

 

 屋内である為に、当然ながら教会内は更に闇が色濃い。

 踏み入れた瞬間、反射的に彼は匂いを嗅いでいた。

 今回の外出の切っ掛けは、教会というかこの場所の主の衛生面の改善を為すためであった。

 

 鼻を使った結果、臭気は人が生きるに当たって生じるものの最低限ほどしか感じられなかった。

 そのことに少し驚き、というよりも感心し、そして闇の奥を見る。

 散乱していたゴミが消え、空間に余裕が出来ていた。

 

 見渡しながら歩き、進んでいく。

 経年劣化が生じる床と二百キロに達する自重がありながら、床を踏み抜かないどころか一切の音を出さずに歩いていく。

 

 そして彼は、寝息を立てるものの直ぐ傍に立った。

 その時、ナガレは首を傾げた。

 ソファの上に横になっている者が誰かは、気配と髪型で分かる。

 問題は服装だった。

 いや、これを服装と呼べるのか。

 

 纏われていたのは、もこもことした質感の、服と言うか着ぐるみだった。

 青をベースとして、蛇腹のような縞模様の袖が通されている。

 ふっくらとした盛り上がりの腹の辺りには、大きな星マークが描かれていた。

 

 そのズングリムックリさと、細長い腕に彼は僅かながら既視感を覚えていた。

 投げ技や砲撃が得意な形態との類似点を見出していた。

 その自分の考えに、自分は自嘲気な笑いを感じた。

 あの存在と関わって、自分も毒されてるなと思ったのだ。

 

 そう思った後に、なんでこんなの着てるのかなとも思ったが、温かそうなので布団も兼ねてるんだろなと納得した。

 出処はどうせ、外の優木が何処かから持ってきたのだろうと。

 そして優木はと言えば、今では既に気配は消えている。

 逃げたのだろう。賢明である。

 

 仰向けに寝る杏子の近くに、彼は買い物の袋を置いた。

 今まで魔女の中に格納していたものだった。

 そして振り返り、自分の寝床へと進んでいく。数歩進んだ時、背後で音がした。袋を漁る音だった。

 

 再び振り向き、背後を見ると座りながら袋を探る杏子の姿が見えた。

 当然衣服と言うか纏ったものはそのままゆえに、まるで休憩中の遊園地のスタッフのような姿となっている。

 

「ただいま」

 

 その言葉は自然と出ていた。

 

「おかえり」

 

 憮然とした口調だったが、杏子もそれに返した。

 

「随分と長い買い物だったね」

 

「色々あってな」

 

 本当に、本当に色々あったなと彼は思いを馳せた。

 

「ふぅん。仲の宜しい事で」

 

 皮肉気に言う杏子。嫉妬ではなく、呆れの口調である。

 言いながら、新品の下着とホットパンツを無造作に取り出し寝床の近くに放り投げる。

 男の前でやる行為とは思えな、くもないが、それは余程親密な間柄くらいだろう。例えば同棲中のカップルのような。

 しかしこちらの場合は、そもそも意識していないといった風である。

 

「…ん?」

 

 袋を漁る手が止まる。何事かと思うと、杏子は袋の中から別のものを取り出した。

 それは、黒い袋だった。ナガレはそれに見覚えがあった。

 下着やホットパンツを買った後、キリカが何処からか入手してきたものだった。

 いつの間にか袋の中に混入させていたようだ。

 その袋には、一枚のメモ的な紙が貼られていた。

 

「『私からの気持ちです。使ってください』…か」

 

 それを杏子は読み上げた。要はプレゼントだろう。

 嫌な予感がした。

 ナガレと杏子、その両者がである。

 

「あー…ちょっと慎重に言った方が」

 

 ナガレはそう言ったが、それが反骨心を招いたようだ。

 躊躇していた杏子は手を一気に袋に突っ込み、何かを掴んだ。そして引いた。

 

 それを見た瞬間、ナガレの表情は引き攣った。

 着ぐるみを着た杏子の指先では、細いコードが垂れていた。

 コードの先には楕円形の小さな物体が付いている。コードの反対側には小さなコントローラーのようなもの。

 

 それらの色は、闇の中でも眩さを纏ったピンク色だった。

 何に使うのか、どうやって、そして誰が使うのかは一目で分かった。

 それに追い打ちをかける様に、コントローラー側には袋と同じくメモが付着していた。

 

 メモには『佐倉杏子へ。使いすぎ注意ね by黒い魔法少女より』と書かれている。

 

 杏子はそれを無言で投げ捨てた。桃色の淫具は宙を舞い、彼女の寝床へと落下した。

 そして空いた手で、再び袋の中に手を突っ込んだ。

 

 引き抜いた手は、縦長の二十センチほどの物体を掴んでいた。

 四角い立方体はパッケージの箱である。

 

 そこにはヒラヒラとした短い裾のスカートを履いた、露出の高い衣装を纏った少女が描かれていた。

 肩は剥き出しで前述のとおりスカートの丈は膝よりも上、腕も肘までがレースで覆われていたが肩からその間までは白い肌が見えている。

 少女の髪は長く、絹のようなロングのストレートヘアが腰まで垂れていた。

 

 手には煌びやかな造詣の槍が握られている。このイラストが何を表しているのか、容易に察せられた。

 架空の存在ではあるが、魔法少女である。そしてその少女は、燃えるような真紅を基調としたカラーであった。

 服も髪も、金色の槍を除けば全てが紅で彩られた美少女だった。

 

 少女はこの世の残酷さを全て受け止める女神の如く微笑み、可愛らしくも勇壮なポーズを取っていた。

 

 そしてそのすぐ近くに、女性の器を模した形状をした淫らな唇と襞が赤裸々に描かれていた。

 サンプル画像と言うやつである。

 

 それを見て、彼は絶句していた。

 杏子は一声も発しない。

 無言でそれを、自分と似た容姿を持った少女が描かれた性の玩具を握っている。

 

 その箱にもまた、メモ用紙が貼られていた。

 曰く、

 

『こういうのって、本物より具合が良いらしいね by佐倉杏子のアンチより』

 

 とあった。

 言うまでも無く、廃教会内の雰囲気は筆舌に尽くしがたいものとなっていた。














次回、呉キリカさん編最終回
(そして記念すべきと言うか200回目となります)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花-終-

 月は黒雲の腕に抱かれ、星影も見えない闇の中。

 その闇よりも更に濃い闇が満ちた廃協会の中には、闇以外のものがじんわりと拡がりつつあった。

 原因はソファの上に投げ捨てられたピンクローターと、寝間着代わりに着ぐるみを着た佐倉杏子が手に握る、空想世界の赤い魔法少女が描かれたオナホール。

 

 佐倉杏子の顔には虚無があった。

 何も感じていないのではない。

 内面から湧き上がる怒りと憎悪が、純粋な切なる想いにまで昇華され彼女から外見上の感情の発露を拭い去っていた。

 それにどんな声を掛ければいいのか、ナガレも分からずに立ち尽くしている。

 怯えは無く、彼女の行動に備えている。

 

 そして、彼女は動いた。

 右手で握る性の玩具が、一瞬にして無惨に握り潰された。

 弾けるシリコンと潤滑用の粘液。

 それが宙を舞った次の瞬間には消えていた。莫大な熱量を浴びて蒸発したのである。

 

 廃教会の中で光と熱が乱舞していた。

 眼が潰れかねない光量の白光は、揺らめく炎の形をしていた。

 そしてその中に、少女の女体が描かれている。

 

 纏われていた着ぐるみは一瞬で消失し、光と炎の贄となった。

 それでいて、廃教会の地面や寝床、生活空間には一切の影響を与えていない。

 物理法則を超えた現象は、魔法によるものである。

 

 光と熱が弾けた。

 その二つの力の落とし子として顕現したのは、十字槍を携えた真紅の魔法少女だった。

 

「殺す。呉キリカは殺す」

 

 産声のように、佐倉杏子は無表情でそう言った。

 まるで呼吸をするように、さもそれが当然の事柄であるように。

 

「殺す。百の残骸も残らねぇようにバラバラにして殺す。細胞の一辺迄焼き尽くして殺す。殺せなくても殺す。殺せるまで何度も殺す」

 

 呪詛を呟きながら、廃教会を歩いていく。

 教会の出入り口に近付いたとき、その歩みは止まった。

 

「どけ、クソガキ」

 

「悪いが通さねぇ」

 

 室内よりは色が薄い闇が降り積もる世界への出口を遮り、ナガレが杏子の前に立ち塞がっていた。

 既に牛の魔女を召喚し、巨大な斧槍として携えている。

 

「なんで?」

 

 額に青筋を浮かべ、杏子は訊いた。

 怒りに怒りが追加され、杏子の怒りはさらに一段階上のものとなっていた。

 喰い付いたとナガレは思った。

 それは怒りの矛先を、自分に向けられたという思いであった。

 

「お怒りは御尤もだがよ、ここ一週間であいつも色々あったんだよ」

 

 本当に色々あったのである。

 無敵と思われたキリカのメンタルにも深い傷があり、そして度し難くも自分への想いを抱いていると語っていた。

 そうでなくとも、彼は杏子に立ち塞がったに違いないが。

 自分の身近な魔法少女達は不死身もいいところであり、彼としても死ぬ姿が全く想像できない。

 しかしそれでも今は、戦えば何方かが死にそうな予感がしていた。

 

「あっそぉ…色々、ねぇ」

 

 軽蔑の視線を真紅の瞳に乗せて、杏子は言った。

 次の瞬間、彼女の右手が振り切られていた。

 ほぼ同時に金属音が生じ、衝撃が廃教会内に響く。

 

 槍と斧が激突し、双方を弾いた。主たちも後退し、両者の距離が開く。

 ポトン、という音を立てて、何かが床に落ちた。

 槍を構えたままに杏子はそれを見た。

 

 それは、槍穂が切り裂いたナガレの上着のポケットから落ちていた。

 彼はそれを、意図的に落下させていた。

 どの程度の効果があるかは不明だが、少なくとも嫌悪感を抱かせることは出来るだろうと思ったのである。

 

 そして同時に彼はこうも思っていた。

 本気ではないが、それでもその覚悟はしつつの思いであった。

 

『俺、死ぬかもな』

 

 と。

 

 床に落ちたのは、キリカの部屋で回収した避妊具の箱だった。

 キリカの母が用意して娘の部屋に置き、しかも前以て全ての避妊具に孔を開けておくという狂気が施されたものだった。

 捨てるタイミングを逸していて、結局ずっとポケットに入れたままになっていた。

 

 ふぅぅぅうううううううううう…という音が廃教会内に生じた。

 それは、杏子が長く息を吸った事による音だった。

 

 そして。

 

「あいつの前に、テメェを殺してやるよ」

 

 闇さえも忌避しそうな、獰悪で残忍な半月の笑み杏子を浮かべていた。

 それは力の解放と、闘争への渇望と、そして憎悪の矛先を見つけた喜びに満ちた笑顔であった。

 

 

「死ねええええナガレぇぇええ!!!!!!!!!!!!!」

 

「来やがれ杏子ぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 

 咆哮と共に、佐倉杏子は真紅の弾丸となってナガレへと飛翔した。

 ナガレもまた怒号と共に彼女へ向かって床面を蹴った。

 槍と斧が激突した瞬間、両者は異界へと誘われた。

 現世が閉じるその瞬間にも、一瞬の間に激突し合う数十数百の剣戟の音が聴こえた。

 

 

 

 

 遥か彼方で、その様子を眺める者がいた。

 天に挑む様に聳えた鉄塔の頂点に腰かけた、白と黒の衣装を纏った少女であった。

 春風のように微笑みながら、黄水晶の眼と口元には寂寥の哀しみが顕れていた。

 

 自分は、あぁはなれない。

 そう諦めつつ、それでも笑みの形が浮かんでいた。

 それは、彼女なりの心境を表していた。

 想いが届かないのなら、見守ろう。

 黒雲の上にありながらも、僅かでも世界に光を届ける月のように。

 

 まるでそう思っているかのように、呉キリカは微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れ者達の平凡な日常 番外編 流狼と錐花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、呉キリカ君」

 

 夜風を縫って、美しい声が鈴のように凛と鳴る。

 

「君に質問です」

 

 呉キリカはそう言った。

 自分自身に向けての問い掛けを。

 電線が外され、無意味な遺物となった鉄塔の天辺近くに腰掛けながらの問いだった。

 彼女が腰掛ける少し上。

 地上四十メートルの頂点で左右に突き出た鉄の柱の組み合わせは、まるでネコ科動物の耳にも見えた。

 

「何故友人を、返してしまったのでしょうか」

 

 その形に何かを感じつつ、キリカは問いを放った。

 闇の中、彼女の顔が映っていた。

 キリカが掲げた右手から生えた魔爪の刃部分を鏡とし、キリカは己の顔を見ていた。

 

「そ、そ、そ…それは…」

 

 映ったキリカは言葉をどもらせ、困惑した顔で言葉を紡ぐ。

 

「ゆっくりでいいよ。嘗ての私。愛を知らず、愛を知って変わる前の憐れな私」

 

 鏡の中の自分へとキリカは微笑む。

 それを受け取り、嘗ての私と評されたキリカも、ぎこちないながらに笑みを浮かべる。

 

「それは…友人が、友達…だから」

 

「正解だ。よく出来ました」

 

 ホッとした表情を見せ、嘗てのキリカが安堵する。

 

「そうだ。友人は友達だ。だから意見は尊重しなければならない」

 

 言い聞かせるようにキリカは言う。

 

「だけど、我慢ならない事もある」

 

「うん…そうだね」

 

 一人のキリカが互いに言い合う。

 キリカは一人であるが、鏡と現実の中に一人ずついた。

 それは単に鏡に映った自分であり、分かたれたわけではない。

 

 しかし彼女の認識では、今の自分は他人同然の自分と話している気分だった。

 鏡の中の自分もそう思っていると疑わない。

 

 彼女が表情と口調を変える度に、当然ながら現実の彼女は二つの顔を見せる。

 普段のものと、嘗てと称する者へと。

 単純ながら、狂気を垣間見せる様相であった。

 

「友人は友達だ。だから家へと帰る」

 

「家っていうか…拠点、かな?」

 

「同じだよ。あいつの居場所はあそこなんだ」

 

「悔しい…ね」

 

「そうだね。でもそれ以上に」

 

「うん…アレだね」

 

「ああ、そうだ」

 

 キリカ達が語り合う。

 当然ながら思考は同じであり、想いも同一であった。

 

「あの感情を、私は友人に向けていない」

 

「うん。私は友人が好き。だから憎んでない」

 

「でもあいつは憎んでる。何故かはあいつも分かってないに違いないけど」

 

「多分…理由なんてないんだと思う」

 

「そうだ。あいつは憎みたくて憎んでる」

 

「そうしないと、あいつは自分で居られないんだろうね」

 

「自分の輪郭を掴めないか」

 

 そう言った時、キリカは気付いた。というよりも再認識をした。

 

「私と同じか」

 

「そう、だね」

 

「何かに依存していないと自分を保てない」

 

「悲しい、ね」

 

「ああ。素晴らしいね」

 

「嬉しいね」

 

「虚しいね」

 

 悲しみ、笑いながらキリカは続ける。

 言葉の通り、自己分析に虚しさと嬉しさを同時に感じていた。

 

「そうだ。今の私には友人が必要だ」

 

「うん、必要」

 

「彼女の代わり、などではないけど」

 

 その言葉には苦痛が滲んでいた。

 彼女と言う存在が、キリカの心を貫き抉っているように。

 

「代わりなどとは、おこがましいが」

 

「そ、うだね。でも」

 

「ああ。今の私には友人が必要だ」

 

「どうして?」

 

「何故?」

 

「そんなの」

 

「分かり切ってる」

 

 息を吐き、嘆くキリカ。

 そして再び口を開く。

 

「今の私には、愛が必要だからだ」

 

 血を吐く様にキリカは言った。

 実際、彼女の唇は血に濡れていた。

 八重歯が唇を貫き、出血させていた。

 

「友人は大切な友達であり、そして私の血肉を与えた我が子であり、その形を造る相方を担ったつがいも同然だ」

 

 狂気の言葉を、キリカは唇を震わせながら告げていく。

 言葉が口から零れる度に顔の苦痛が晴れていき、歓喜の色が美しい顔に滲んでいく。

 

「そして互いの身を切り刻む血みどろの戦いは、私に生と性を実感させてくれる。嗚呼、温かい友人。硬く、それでいて柔らかい友人。痛くて気持ち良い友人」

 

「恥ずかしい、けど…気持ち良くて、愉しい、よね」

 

「友人は優しいから、私がシたいと言えばシてくれる。前触れなく黙って刃を振って奇襲しても、ちゃんと対応してくれる。私が友人を殺しに掛かる様に、友人も私を殺すつもりで向き合ってくれる。私の命と魂を奪うべく戦ってくれる」

 

「嬉しいね」

 

「ああ、あんな奴に出逢えたのは奇跡だよ」

 

 喜びのままにキリカは語る。

 しかし一転し、その表情は曇った。

 

「でも、あいつはずっとここにはいない」

 

「そう、だね」

 

「あの場所は友人にとって仮の拠点に過ぎない。更に言えば、この世界はあいつにとって寄り道でしかない」

 

「だから、いつかお別れしなくちゃならないね」

 

「何時かは今じゃないのは分かる。でも、時は無限に有限だ」

 

「だから、何時かは何時か必ず来るんだね」

 

「別離の時が」

 

「ここに来たみたいに……流れていってしまうんだね」

 

「名は体を表す、そんな感じにね」

 

「悲しいね」

 

「ああ、哀しい」

 

「辛いね」

 

「想像するだけで、顔を掻き毟りたくなるよ」

 

「皮膚も目も、鼻も唇も」

 

「全部骨が見えるまで剥ぎ取って、喉も引き裂いて叫びたくなる」

 

「苦しくて、痛いね」

 

「当然さ。愛を喪うのだから」

 

「嫌だね、そんなの」

 

「ああ、嫌だ」

 

 細い首ががくんと垂れ、豊かな胸に秀麗な顎が置かれた。

 そしてキリカは喉を震わせ始めた。肩も小刻みに震えている。

 彼との別れを憂い、啜り泣いているのだろう。

 

 

 

 

「は、はは」

 

 

 いや、それは泣いているのではなかった。

 

「は、はははは」

 

 嗤っていたのだ。

 

「はは、ははははははははははははははははは」

 

 機械が同じ動作を繰り返すように、ただ笑いに相当する音が綴られていた。

 それは暫く続き、不意に止んだ。

 

 そして声が絶えた口が、裂けたように拡がった。

 半月の形は全てを嘲笑うようにも、緩やかに微笑んでいるようにも見えた。

 

 

 

 

だから君の存在を。我が内に縫い留めることにしたよ、友人。流れさせてなんかやるものか

 

 

 

 

 その時、風見野の夜に風が吹いていた。

 風は黒雲を散らし、時折隙間を生じさせ、月光が地に降り注ぐ孔を作った。

 その内の一つが、キリカの上空でも生じた。

 青白い光が、黒い魔法少女の姿を照らした。

 

 濡れ羽色の美しい黒髪、軽く抱いただけで砕けそうな細い肩。

 華奢な身体に反して、呉キリカの女という性を大きく主張する双球。

 どれもが美しい形状をもつ人体の形状を、月光が優しく照らしていた。

 

 そして光は胸を撫でる様に照らして下降した。

 異変は、そこで生じていた。

 呉キリカの腹部を覆うのは、純白のレースである。

 それは普段と変わらない。

 

 変わっているのは、それが膨らみを帯びている事だった。

 膨らみは豊かな胸のサイズを遥かに上回り、胸自体を押し上げるまでになっていた。

 キリカの胸のすぐ下から下腹部に至るまでが、大きく膨らんでいる。

 

 醜い肥満ではない。

 内に何かを、生命を宿した女体が人体の構造に沿って膨らんだ、いわば愛の結晶とでも言うべき形となっていた。

 月光が照らしたキリカの姿は、妊婦のそれ。

 呉キリカは、妊娠していた。

 しかも今にも生命を産み落としそうな、臨月の姿と化している。

 光が照らすそれを、キリカは愛おしそうに見つめ、そして爪を解除した右手と左手で優しく撫で廻した。

 

 

 腹を撫でる手に、少しだけ力を込めた。

 ちゃぽんと言う音が、キリカには聞こえた気がした。

 

「ふふ…まるで中から蹴られたみたいだよ」

 

「うん…多分、きっとこんな感じなんだと思う」

 

 鏡を用いず、キリカは自分自身と会話を始めた。

 

「ああ、感じるよ」

 

「うん…とっても」

 

 優しい口調は、まさに慈母そのものだった。

 

ああ、ここにいるんだね…友人

 

 慈母の口調で、淫らに蕩けた貌でキリカは言った。

 

君が、君の血が…私の子宮に満ちている

 

お腹の中で、たぽたぽ、ちゃぷちゃぷって揺れてるね

 

うん。大事に大事に、友人からごくごくと飲んで溜めたからね

 

背骨の中、骨の中、私の中を走る血の中

 

魔法を使ったりもして、結構苦労したよね

 

友人と何度も戦って、私の血はかなり喪ったけど

 

友人の血は、一滴たりとも流していない

 

 

 狂気の言葉をキリカは語る。

 美しい花を愛でる、無垢な少女のように。

 

そして、私達は一つになる

 

 そう言ったキリカは、両手を下腹部に置いた。

 そこは、膨らむ前の子宮が存在する場所の真上だった。

 

「ん…」

 

 呻きと共に、手を伝って魔力が使用された。

 それはキリカの衣服を抜け、皮膚に至って更に肉の中へと喰い込む様に伝っていく。

 

「あ…ああ…」

 

 喘ぎのような声を上げるキリカ。

 異変は直ぐに生じた。

 膨らんでいたキリカの腹が少しずつ、身体に沈んでいくように体積を減らしていく。

 

「あっ…ああっ!」

 

 護る様に腹を抱き締め、キリカの身体が震える。

 その体勢のまま、キリカは動かなくなった。

 そして数分が過ぎた。

 ゆっくりと、キリカは両腕を腹から離した。

 平坦となり、美しくくびれた腹が戻っていた。

 

 数回ほど腹を撫でて元の形に戻った事を確かめると、キリカは右手を掲げた。

 手首から魔力が迸り、キリカの右手から一本の魔爪が生えた。

 爪の形状は湾曲した斧ではなく、直線を描いていた。

 

 ナイフのような形の爪だった。

 それをキリカは躊躇なく、自らの下腹部へと突き刺した。

 僅かな苦鳴も上がらなかった。

 

 むしろキリカの顔は、喜悦に輝いていた。

 爪の先が強い弾力を捉えた。

 慎重に刃を進ませ、その表面を切り裂いた。

 するとキリカの血が溢れる傷口から、光が生じた。

 

 青紫色の、闇のような光であった。

 それを求めて、キリカは爪を抜き、代わりに繊手を傷に這入り込ませた。

 肉をかき分け、それを掴んで引き抜いた。

 

二度目だけれど

 

 顔の前に翳したそれに語り掛ける様に、キリカは言う。

 

これで私達は、一つになった

 

 キリカが子宮から取り出したのは、青紫色に輝くダイヤ型の宝石だった。

 彼女の魂の結晶、ソウルジェムである。

 青紫の輝きの奥底に、赤黒い光が溜まっていた。

 

「嘗て友人は、私のこれを切り裂いた」

 

「投げられた斧で、ズバッとやられたね」

 

「幸いにして切り口が鮮やかに過ぎて、私は砕ける事は無かった」

 

「でも、すっごく苦しかった」

 

「ああ、今となっては愛おしい痛みだ」

 

 朗らかに笑いながら、過去を反芻するキリカ。

 

その傷から、君の血を吸わせてもらったよ…友人

 

お、お腹ごと子宮を切り裂いて、ソウルジェムを入れるのは…恥ずかしいけど、嬉しくて楽しかった

 

うん。友人との子供を作ってる気分だった

 

尊いね

 

萌えるね。激萌え

 

でも、お腹は萎んじゃったね

 

ああ。喪失感を感じるよ

 

本当の受精、したかったね

 

うん。またお腹を膨らませたいよ

 

「卵巣まで血に浸っちゃったから、私の卵子は溺れちゃったのかもね」

 

そうだね…悪い事したな

 

ごめんね

 

ごめんよ

 

ごめんね…私の卵細胞

 

 哀惜に満ちた言葉を、キリカは腹を抱き締めながら告げた。

 言葉の通り、受精を果たせずにいずれ排出される運命にある自分の細胞に語り掛けているのだろう。

 

 

 一時間はそうして動かずにいたが、やがてキリカは立ち上がった。

 

「辛いな」

 

「辛いね」

 

「でも、やるべきことを為さなければね」

 

「そう、だね」

 

「じゃ…行こうか」

 

「うん。行こう」

 

 立ち上がるに留まらず、彼女は闇夜を飛翔した。

 闇の黒よりも、彼女が纏った黒い衣装と魔力の方が色濃く闇を孕んでいた。

 

 飛翔は落下に変わり、美しい姿は地面に吸い込まれていった。

 しかし、彼女は地面に接触しなかった。

 地面の上には奇妙な存在が出現していた。その場所には、月光が映し出されていた。

 風は黒雲を吹き飛ばし、空に月を降臨させてた。

 そして地面には、魔を纏った異界の入り口が開いてた。地面に生じていたのは、鏡の性質を持つ異界であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鏡の中を、呉キリカは落ちていく。

 どこまでも、どこまでも。

 

 しかしやがて、一つの場所に辿り着いた。

 複数の鏡を巡り、風見野市まで進出を果たした鏡の世界。

 

 その本拠地に、彼女はいた。

 鏡を思わせる青が何処までも続く景色が、キリカの侵入の直後に不可思議な変容を遂げていく。

 全てを白が覆い、霧までもが立ち込める。

 

 その奥から、黒い影がキリカの元へと歩み寄っていった。

 

 キリカはそれをじっと見た。

 

「さぁ、始めようか…私」

 

 彼女の言葉は、正にその通りだった。

 顕れたのは、呉キリカだった。

 姿は寸分たがわず同じであったが、目元だけが闇で覆われたように暗かった。

 

 そのキリカは、本物のキリカが自分を見たと知るや否やに駆け出した。

 そして飛翔し、両腕を振り下ろした。

 赤黒い波濤が発生し、地に立つキリカの元へと向かった。

 

「遅い」

 

 そう告げたキリカは、偽物のキリカの背後にいた。

 振り向くこともかなわず、偽キリカの全身を何かが貫いた。

 それは、無数の斧が束ねられた触手であった。

 

 偽キリカが身を捩った瞬間、触手が体内で暴れ狂い、彼女の身体を破裂させた。

 肉から外された骨や内臓が乱舞し、血肉が雨となって降り注ぐ。

 先に着地していたキリカは、全身でそれを浴びていた。

 

「これで私の心は私のものだ」

 

 そう言ったキリカは、自分の胸の中で何かが変わるのを感じていた。

 あの女によって呼び覚まされ、そして眠っていた存在が、完全に自らの力になったとキリカは確信した。

 心臓の上に手を置きながら、キリカはそう思った。

 そしてその思いを押し退け、熱い想いが彼女の胸を焼いた。

 

「いつかこんな感じに、君の事を奪ってやろう。君という存在を、私にものにしてあげる」

 

 朗らかに、春風のように。

 平凡な日常の一幕のように。

 自らの複製の血肉で血深泥となった呉キリカは、眩い笑顔でそう言った。

 生き物に根を張り肉を貫き血を啜るような、鋭い錐の根を持つ美しい花のような笑顔であった。

 

 静かに私と寄り添って。

 

 せめて君から得た血だけは何処にも行かないで。

 

 魂の中で囀っていて。

 

 

 そんな想いを込めて、キリカは先の言葉を発していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終劇
















約二か月間、お付き合いいただき誠にありがとうございました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 流狼と錐花-EX-

 午後六時半。薄闇が覆う時刻であった。

 場所は風見野市、二人の魔なる者達の拠点である廃教会。

 そこに今日は一人の来客、ないし襲撃者が訪れていた。

 

「ねぇねぇ友人。面白いかい?」

 

「ああ、楽しめてるよ」

 

 ソファに座る年少者二名。

 前者は来客と襲撃者を兼ねた存在である呉キリカであり、後者はナガレである。

 

 彼から見て右側に座るキリカはナガレに身を傾けながら、ナガレは服を伝うキリカの熱い体温と柔らかい肉の感触をとくに気にもせずに前を向いている。

 両者の前にはテレビ(製作はナガレ。至る所に釘が刺された拷問具のような外見)が置かれ、映像と音を流している。

 

 異形の外見に反して高性能な液晶が嵌めこまれた画面の中では、仲睦まじく寄り添う高校生のカップルの青春模様が描かれていた。

 身体の弱い演劇部の少女と、軽い素行不良な少年の物語だった。

 

「あの謎の世界ってあるよな」

 

「ロボと女の子がいるとこだよね。それが何か?」

 

「いやな…物騒だなと。何か、宇宙を滅ぼすとかそんなコトをやらかしそうな気がしてよ」

 

「そういう場所じゃないから。君が迷い込んだっていう、全人類が仮面契約者みたいに争ってる世界と違うから」

 

 宥めの口調でキリカは言う。

 その様子はまるで母親だった。

 

「今のところ、何処が好きだい?ヒトデ好きなロリっ子とか?」

 

「ああ、そこも感動したな」

 

「ちっ」

 

「あン?」

 

 振られた話への同意、からの舌打ちに彼は反応した。

 イラっとしたのも無理ないだろう。

 

「あいつの声、こいつに似てるからさ」

 

 キリカは可憐な顎先を軽くしゃくり、ナガレの左側を指した。

 

「うっせぇよ、ゴキブリ女」

 

 佐倉杏子である。

 憮然とした口調で言い返す。

 

「ほぉら、そっくりだ。子供っぽいところか、妙に舌足らずなとことかさ」

 

「死にてぇのか?」

 

「戦いたいのは私も同じだが、出来るかい?その有様で」

 

「テメェもな」

 

 互いに笑い合う魔法少女二名。

 そこに親しみは無く、眼には嘲笑と敵意。

 まるで爬虫類のような笑みだった。

 

 間に挟まれているナガレは警戒はしつつも視線を物語に注いでいる。

 今の杏子は両腕と両脚が、巻かれた包帯の下で繋がりつつある状態だった。

 

 普段は即座に繋がるが、ナガレが帰宅してから彼と繰り広げた丸二日間の死闘に加え、そこに乱入してきたキリカとの悪戦苦闘が一日半の計三日半の戦闘により魂が疲弊していた。

 治癒が遅いのはその為だと、杏子は苛立ちと共に思った。

 

 対するキリカも似た様子で、こちらは腹を切り刻まれて内臓を殆ど失っている。

 そのくせに大量に購入したドーナッツを貪り、炭酸水をガブ飲みしていたりと忙しない。

 何かの間違いで、今すぐ死なねぇかなと杏子は思っている。

 

 共に戦闘力は無い事は無いが、今は休息がしたいとのことで一時停戦状態となっているのだった。

 あくまで一時のものだと示すように、両者は変身を解いておらず魔法少女姿のままである。

 治り次第、直ぐにでも斬りかかる積りなのだろう。

 

 ちなみに彼が間に入っているのはこの均衡を保つため…ではなく単にそこにいた方がテレビを観やすいからである。

 

「まぁいいや。で、ついでにさっきの映画はどうだった?」

 

 そう切り出したのは、とある若い母親の物語。

 狼男を愛した女が母になり、獣の血を引く二人の姉弟を懸命に育てる姿を描いたアニメ映画だった。

 

「いい面構えしてたな。あの弟君は」

 

「いや、いいけどさ…見るとこそこかい」

 

「あと姉貴に引っ掻かれた奴、あいつの対応は男の鏡だな」

 

「友人、お前もっとこう…まぁいいや。感想は人それぞれだからな、うん」

 

 自分を納得させるようにキリカは言う。

 そこでキリカは脳内に光が奔るのを感じた。

 閃きと言うやつである。

 

「ああそうそう。佐倉杏子に聞きたい事があるんだけど」

 

「うぜぇ」

 

「そう言わないでおくれよ。最近自慰行為が出来てなくてイラつくのは分かるからさ。私も最近、性に目覚めたからその気持ちはよく分かるよ」

 

 殺してぇと杏子は思った。

 そしてどこから反応すればいいのか。

 

「友人と過ごした七日間、私はいろんなことを学んだんだ」

 

「きめぇ」

 

 杏子は吐き捨てる。

 そして鉛のように重い息を吐いた。

 

 女達の間に座るナガレも緊張感を覚えていた。

 物語も終盤、劇中のヒロインが熱で倒れたのである。

 

「どうなっちまうんだ…」

 

 ナガレは心配の言葉を呟いていた。

 女達はそれを無視した。

 両者の間に、少なくとも物理的な存在としての彼は存在せず。

 今はただ、互いを傷つけあう言葉の刃が交わされようとしていた。

 

「心の癒し方、欲望の解放の仕方、そして……もう一つの愛を」

 

 言葉の間の沈黙は、思い悩んでのものだった。

 愛と言う言葉は、彼女にとって全存在に等しいものである為に。

 

「愛か」

 

 杏子が応じた。

 

「そうだ。君にも詳細は話したはずだ」

 

 真摯な口調と声でキリカは告げる。

 戦闘の最中、自分たちが何をしていたのかを彼女は話し続けていた。

 

 発狂からの、ナガレの血を大量に啜り、肉体を捕食・同化からの乖離を経た復活。

 甘味処での語らい、三日間に及ぶ死闘。

 

 口づけを交わしての解毒、忍び込んだ病院で行われていた少年の健全な行為。

 音速を超える自転車での帰宅模様、実の母に盛られた媚薬で発情し、治るまで彼の手をずっと握っていた事。

 

 その後の死闘の最中で目覚めた、互いの肉を抉り合う行為と性行為との類似性の発見と自己への適用。

 生と死が交差する行為は自分にとっての性行為であるとし、そこに幸せを感じるとの説を熱心且つ真摯に説いた。

 

 これは愛だと。

 お前が持っていない、彼への愛を私は抱いたとキリカは語った。

 

 これを話したキリカの思惑は「お前から友人を奪ってやったぞ」というマウント意識。

 そして「いい加減に素直になれ」という遠回しの配慮である。

 

 自分の話と行った行為は、きっと佐倉杏子も理解してくれる。

 そして願わくば、彼女も尊い想いに至って欲しい。

 それがキリカの願いであった。

 自分と言う輪郭を保つために愛を求めるキリカにとって、愛の対象以外にこういった行為や思いやりを見せるというのは異例中の異例、というよりも空前絶後だった。

 

 キリカは期待を胸に秘め、朗らかに慈母のように微笑んでいた。

 それを見て、佐倉杏子は口を開いた。

 そしてこう言った。

 

 

 

 

 

 

きもちわるい

 

 

 

 

 

 

 ありったけの嫌悪感と拒絶が籠った一言だった。

 それっきり、理解と認識と。

 あらゆる関わりを立つように杏子は口を閉じた。

 そして空想世界が映し出されるテレビを観続けた。

 

 キリカはしばしの間、きょとんとした様子で杏子を見ていたが、やがてテレビへと顔を向けた。

 二人の傷付いた美しい魔法少女が、そしてそれに挟まれた美少女顔の少年が物語を見続ける。

 物語は第一の終幕へと向かおうとしていた。

 かくて演劇は開始され、登場人物達が己の役割を全うすべく動いていく。

 

 

 

 

 

 

 殺してやる。

 呉キリカはそう思った。

 

 あんなに丁寧に話したのに、聞かれた事には答えたのに。

 血深泥になりながら、内臓を零して手足を吹き飛ばされながら。

 彼と重ねる様に、佐倉杏子にもそうやって傷を付けてやったのに、傷を付けさせたのに。

 

 愛を理解できない佐倉杏子を、キリカは理解しかねていた。

 そんな彼女を、キリカは異常な存在であると定義した。

 憎みたいが故に憎む。

 

 そうしなければ依存できず、自分と言う存在を確立できない。

 今の杏子を認識している存在はナガレだけであり、それを離したくないが故に憎んで殺し合う。

 何故、それが出来るのに愛に至れないのか。

 

 キリカにとって不思議で仕方なかった。そして哀れにも思う。

 それはソウルジェムにも表れているのに。

 キリカはそう思い、杏子の胸の宝石を見た。

 

 真紅の底に、何かが溜まっている。

 穢れよりも更に色濃い、例えるなら呪いとでも呼ぶべきものが。

 

「(きっとその内、なにかやらかすんだろうな)」

 

 キリカはそう思った。

 思うと自然に、口の端が吊り上がった。

 殺す口実が出来た、そう思っての笑みだった。

 

 嗤いながら、キリカはソファの上に置かれた彼の手に自分の左手を重ねた。

 跳ね除ける理由も無い為に彼も手をそのままにし、白手袋が掌に触れるのを許していた。

 それに満足し、キリカはスリスリと身体を捩り彼に身を寄せた。

 自分の匂いが彼に移る様に、所有物だと示すために。

 

 

 

 

 

 

 

 殺してやる。

 佐倉杏子はそう思った。

 

 その対象は、キリカだけではなく隣に座る相棒も含まれている。

 こいつらがやらかした事は何処までも気持ち悪く、気持ち悪いという感慨以外何も湧いてこない。

 沸き立つ殺意も正当なものとしか思えず、罪悪感も全くない。

 

 また相棒が含まれている理由は、そんな行為に合わされてもなお、この呉キリカと言う最悪な災厄と友達で居続けられる。

 そんな精神が全く以て信じられないからである。

 異界から来たという事は与太話にしか思えないが、それすら信じてしまいそうになる。

 異界存在であるならこの世の生命体とは精神構造が異なっているだろうし、だから耐えられるのだと理解が出来るというか認識の逃避が出来る。

 

 この相棒に対する恋慕の意識は全く無い。杏子はそう思っている。

 ただ自分が原因で起きた破滅のその罪悪感を紛らわせる絶好の捌け口、言ってしまえば自慰行為のオカズみたいなものであった。

 

 当然ながら彼がいない時を狙って行う自慰行為では、無意識に自分が誰かに組み敷かれ、強姦される様子が脳裏に浮かぶ。

 それを肉欲で塗り潰すべく、粘膜と花芯を熱心に弄ぶ。

 

 そして絶頂の瞬間、自分が陵辱を受ける妄想を抱くのは、快楽に至る行為にも罰を求めているのだと悟る。

 快感が薄れゆく中、誰に自分が犯されているのかも分かる。

 

 それが誰であるかを認識してしまう前に、再び行為を始める。

 疲れ果て、妄想を抱く余裕が消え失せるまで肉欲を満たし続ける。

 それが彼女の自慰行為だった。

 

 故にそこに愛は無い。誰からも愛されるとは思えないし、何かを愛するとも思えない。

 だから、愛を語るあの女への嫌悪が募る。

 

 それが例え、理解を拒む内容であってもキリカの言葉と乗せられた感情は本物だと杏子には分かった。

 だから拒絶する。徹底的に。

 その殺意を育てながら、杏子はテレビを観た。

 今は精々、物語を楽しもうと。

 

 彼女の胸で輝く宝石は、杏子の負の感情に呼応し、真紅の奥底で何かを育んでいた。

 そして彼女の脳裏には、今も過去の光景が鮮明に繰り返され続けている。

 それによって育まれる何かが、生まれ出る日は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 似てるな。

 ナガレはそう思った。

 

 杏子が言った『気持ち悪い』の言い方についてである。

 基準となるのは勿論と言うか、EOEであり『まごころを、君に』のラスト。

 嫌い嫌いと言っておきながら、案外好きなのかなと彼は思った。

 女達の間で高まるおぞましい何かを感じてはいたが、それを止める事も鎮める事も出来やしない。

 

 自分に出来るのは、激突する両者が死なないように、殺意の矛先を自分に向ける事だけだろうと。

 両者が何時暴発しても対応できるように神経をとがらせつつ、彼もまた物語を観続けた。

 

 

 

 それぞれが各々の思いを描きつつ、平凡な日常が流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!

 

 

 絶叫が迸った。

 同時に金属の棚が倒れ、並べられていた複数のガラス容器が砕けて中の液体と物体を地面にブチ撒けた。

 アルコールの臭気が立ちこめ、その中身がごろりと転がる。

 

アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!

 

 叫びと共に足が踏み下ろされ、その『中身』を踏み砕いた。

 腐ったトマトのように弾け、内容物を散乱させる。

 裸足が踏み潰したのは、アルコール漬けにされた人間の頭部だった。

 潰れた眼球の色は、美しい宝石のような黄水晶。

 呉キリカの首だった。

 

 それが周囲にいくつも転がっている。

 首に混じって転がる赤い管は腸であり、小さな桃色の袋は子宮だろう。

 その他にも肝臓や心臓、肺に膵臓と、呉キリカの中身を構築する一通りの素材がそろっている。

 

ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!

 

 それらを裸足が次々と踏み潰していった。

 飛び散る肉片が足を、太腿を、そして下着も纏わず剥き出しになった下半身に付着していく。

 翠色の体毛が薄く翳る股間にも、脳や肉片が纏わりつく。

 それが毛の奥の肉を刺激したのか、声の主は動きを止めた。

 

 息は荒く、軍服然とした上着にも無数の肉片がこびりついている。

 疼く肉欲が彼女に理性を取り戻させていた。

 直ぐに狂う、束の間の理性を。

 

 彼女は見た。

 己の与えた魔力を介して、配下の魔女が接触した何かを。

 それは人間だった。

 魔女はそれに毒を与え、肉体の破壊に加えて精神を破壊すべく浸蝕を図った。

 その中に、何かがあった。いや、いた。

 

 毒は魔女ではなくその主の形を取り、その心を蝕んだ。筈だった。

 蝕むはずの毒は、その浸蝕相手によって悉く破壊されていった。

 

 イメージの中で、草原のように広がる緑が思い描かれた。

 緑とは、切り刻まれて惨殺された自分が散らばっている様子でもあった。

 

 魔法少女でさえも即死させかねない猛毒に、誰がこうも耐えられたのかとの思考を巡らす。

 しかしその思考は千々と千切れた。

 

 別の存在がイメージの中に湧いた為に。

 広がる緑は舞い上がり、より集まって何かに変わった。

 それは、果てしなく巨大な何か。

 

 天才と謳われるアーティストである自分が、想像すら出来ない何か。

 彼女はそれに激しい嫉妬を抱いた。

 恐怖ではなく、嫉妬である。

 それは内罰的なものでもあった。これを思い描けない自分に無力感を感じていたのである。

 

 その無力感が、彼女が放とうとした叫びを止めた。

 感情のままの狂気が止まり、思考が続く。

 

そういえば…そうだったヨネ…

 

 そう言いつつ、彼女は暗い室内を見渡す。

 闇の中に、複数の物体が浮かび上がっていた。

 彼女が翳した右手から緑の光が迸り、即席の光源となってそれらを照らしている。

 

あの時と…同じだネ…新しいアートを始めようって思ったのは

 

 陶然とした口調で彼女はそれらを見つめる。

 緑の眼が見るのは、人体で作られた異形の芸術品だった。

 

 喉から下腹部にまでを繋ぐ巨大な傷を走らせられ、開いた肉の隙間に無数の手足を乱雑に突っ込まれた少女の身体。

 

 傷で覆われた身体に、糸で縫われて繋げられた腸や肝臓、心臓などの臓器を巨大な縄のように見立てられてぐるぐる巻きにされた少女。

 

 下腹部から胸までを開かれ、その中に黒髪を生やした頭部を大量に突っ込まれ、異形の妊婦とされた少女。

 

 他にも複数の残酷な人体模型が並んでいる。

 足は釘が打ち込まれて地面に固定され、両手首に付けられた鎖付きの手錠や直に締められた鎖によって強制的に直立をさせられている。

 

 それら全ては、呉キリカの肉体を用いて作られたものだった。

 捕らえたキリカを監禁し徹底的に拷問し、肉体の破壊と再生を何度も何度も繰り返させて得た肉体を用いて作製した悍ましい芸術品だった。

 

 その内の一つに、緑の眼は熱い視線を送っていた。視線には、煮え滾る様な欲情が宿っていた。

 

アア…ほんと…美しいボディなんだヨネ…

 

 美しい肉体。それはどちらのものだろうか。

 視線の先にあったものは、並ぶ品物らとは趣が異なっていた。

 固定された手足は他のものと同じく、しかし違っていた。

 右と左で、構築している肉体は別のものだった。

 

 彼女から見て右が呉キリカであり、左は別のものが使われていた。

 両方とも眼が潰され、眼窩は黒い孔となっている。

 

 左右の額の中央から股間までに線が入り、その線を糸がジグザグに移動し異なる人体を繋いで接続していた。

 左右の対格差があり、それが更にちぐはぐさを出していたが、伸ばされた糸で強引に結ばれている。

 左を担当とする少女の部品は、緑髪のロングヘアを腰まで伸ばしている。

 

 肉体の表面には幾つもの孔が空いていた。穴は人体を貫通し、奥の暗い闇を覗かせる。

 まるで、無数の針に貫かれたかのようだった。

 

あの地獄の…魔界で魔物が転生していくようなイメージが…何処から来たのかはアリナは知らない…ケド、そんなコトはどうでも良いんだヨネ…

 

 自らが最近製作した、自分自身の肉体と呉キリカの肉体を結合させた生命の尊厳を破壊する冒涜的な作品を眺めながら、彼女は、アリナは言う。

 

アリナは、アリナが思い描いた世界を創る…それだけでいいんだヨネ……ふ、ふふっ

 

 肩を震わせ、股間から粘液を溢れさせながらアリナは笑う。

 笑いは何時しか哄笑となり、感極まった欲望は絶頂となって彼女を襲った。

 

 その快感に相反するように、彼女は剥き出しの下腹部に両手の爪を立てて柔肌を切り裂いた。

 溢れ出る血を股に擦りつけてぬめりを増加させ、鋭い爪が生え揃った手で掻き毟る様に自らの女性を弄ぶ。

 

フフ…気持ち…イイ……あぁ、そうだぁ…そろそろ…呉キリカが…尽きるから……補充、しない…とネ…

 

 血深泥の自慰行為を行いながら、アリナ・グレイはそう呟いた。

 童女のような、穢れなき笑顔を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇終

 

















上には上が


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 真紅の少女、垣間見た地獄 そして

「あいつは…」

 

 呟く声。誰のかって言われれば、あたしの声。

 佐倉杏子の声だ。って誰に言ってんだよ、バカバカしい。

 

「何を考えてやがんだ?」

 

 でもさ、思わず言いたくなるもんだよ。

 こんな光景を見せられりゃさ。

 

 あの胸糞悪い京都?みてぇな町並みを抜けたと思ったら今度はこれだよ。

 血みたいに赤い空、壊れた街並み。

 落っこちてる看板を見ると『新宿』って書いてやがる。

 ああ、そうかい。あたしを地方民だってバカにしてんだな。

 

 くそったれ、って思ってそれを蹴った。

 スカった。知ってる。今のあたしは裸の姿で闇で出来てる。

 何にも干渉できねぇし、干渉されねぇ。クソつまんねぇ状態だ。

 

 ああ、そうかよ。

 辿りつくまでが長いってんだな。それまで世界を観ろってか。テメェが見てきたものを。

 

「上等だ。地獄ってのを見せて貰おうか」

 

 そう言ってあたしは飛んだ。

 百メートルくらいかな。

 そしたら見えた。

 地獄が。

 

 

 人間みたいな姿の奴らがウジャウジャといて、互いに殺し合って身体を引き千切って奪い合ってる。

 抉り出した心臓みたいなのを引っ張り合って、もぎ取った首を誇らしげに掲げてやがる。

 形は色々だけど、うちの教会なんざ軽くぶっ潰せるくらいの大きさだな。五十メートルってとこか。

 魔女でも握るか…いや、指先で押し潰すだけで殺せるだろうよ。

 

「同じじゃねえか」

 

 それを見たあたしはそう呟いてた。

 同じってのは、あたしらとってコトだ。

 生きる為に何かをブッ殺して、互いに資源を奪い合って殺し合う。

 確かにそりゃあ、生き物が生きていくためには必要な行為だろうさ。

 食物連鎖って奴か。

 

 でも、あいつらは…あたしらは違う。

 戦いたいから戦い、殺したいから殺す。

 魔女と戦ってる時のあたしは、明らかにあいつらの悲鳴や弾ける肉の様子を楽しんでるし、遣ろうと思った技が決まってブチのめした時は良い気分になる。

 

 魔法少女を殺したことはまだねぇけど、多分同じ気分になるんだろうな。

 戦いってんなら、今探してるあのヤロウとの殺し合いは……ああ、認めたくねぇけど楽しくて仕方ねぇ。

 魔法少女や魔女相手だと感じねぇ何かを感じちまう。

 腹の奥が疼くのは、あたしも雌だってことなのかね。変態かよ。

 

 話が逸れちまった。で、だ。

 見てる限り、あの連中も楽しんで殺してる。

 単独だったり徒党を組んでたり、でもその群れも戦いが終われば餌食を取り合う敵に早変わり。

 また殺し合いを始めやがる。

 

 傷付いても殺した部品を自分の身体に埋め込んだりして欠損した部分を補ってまた戦って、殺されていく。

 傷口からは血みてぇなのをボドボドと零して、傷口も生き物っぽい感じがありやがる。

 全部が金属で出来た機械だってのに。

 

 そうだ、機械だ。

 形は大まかに分けて三つ、人間に一番近い形なのと、それより痩せてるのと、下半身が戦車みてぇになってる奴。

 

 そうか。

 そうかよ。

 こいつらは、やっぱり…。

 

 そう思ってると、目の前にデカい何かが落ちてきた。

 あたしの前を落ちて、地面に落下してグシャって潰れる。

 それ目掛けて連中が向かって行って、機械の死体を漁る。

 そしたらその上にも落っこちてきて、ノシイカになる。

 

 それは次々と続いた。壊れた機械人形の雨あられだ。一つの街、風見野なら壊滅するくれぇの範囲で降って来やがった。

 あたしには全然問題ねぇけど、連中は堪ったもんじゃねえだろうな。知った事か。

 その時ふと、へんな感じがした。

 気になって少し移動したら……冗談だろ。

 

 それを見た時、最悪の気分になった。

 

 

 

 

 赤ん坊だ。

 

 生まれたばかりの、産声を上げてるんだろうな。

 

 寸詰まりの手を震わせて泣き叫んでる赤ん坊がいたんだ。

 でもな、ああ、ちくしょう。

 

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 自分の頭の中だけで聞こえる叫びを挙げて、あたしは飛んだ。

 真っ赤な血みたいな空を目指した。

 逃げたんだ。

 

 そこにあったものが信じられなくて。

 胸の奥から、身体の中から外側に向けて突き出る無数の針みたいな痛みに耐えられなくってよ。

 手や腕、腹に足に顔に脳味噌にって感じで、全身を内側から喰い破られる痛みがした。

 

 なんでかって聞かれたりしても、あたしにも分からねぇよ。

 善の心だとか、正義感とか、そういうのじゃないんだ。

 

 あれは本能だ。

 あたしは女だから、クソ忌々しい生理も来てるしヤる事ヤれば子供を産んで親になれる。

 だからか、そんな機能があるせいか、赤ん坊には弱いんだろうよ。

 本能で生まれたばかりの命を守る様に出来てるんだと思う。

 

 だから耐えられなかった、そう思うと少し気分が楽になれる。

 

 

 

 

 ……訳ねぇだろうがくそったれ!!

 

 なんだよアレ!?

 

 なんで生まれたばかりの赤ん坊に、たくさんの鉄の管が突き刺さってやがるんだ!?

 

 なんであんなふわふわとした柔らかい肌に、硬くて冷たい金属の回路が突き刺さって、しかも肉と溶け合ってやがる!? 

 

 なんでこれが揺り篭やベッドだって言わんばかりに、金属の丸い塊で覆われた座席みたいなのに乗ってんだ!?

 

 なんで、なんでだよ!?

 

 

 地獄だ。

 

 ここは本当の地獄だ。

 

 そう気づくと、嫌な事が分かっちまう。

 あの機械人形を動かしてる連中も、こうやって生まれてくる。

 そして殺し合って、殺し合って、何時か殺されるまで殺し続ける。

 

「ふざけんなああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 叫びでもしなきゃ、無理やりにでも怒らなけりゃ、湧き上がった恐怖にあたしは潰されてたかもしれねぇ。

 だから必死に叫んだ。そして飛んだ。

 雲の中には、まるでイナゴの群れみてぇに沢山の機械人形共がいた。

 

 そいつらは何処かを目指してた。あたしもそこを目指した。

 雲からは毒蛇の群れみたいに雷が落ちてきて、それを喰らった連中が次々と落下していった。

 さっきのはコレが原因か。

 でもお仲間達が無残に死んでいくってのに、誰も逃げようとしやしねえ。

 それだけの価値があるってコトかい。

 

 そしてあたしは空を見た。

 赤が広がってた。相変わらず、いや、もっと色が濃くなった血みたいな空。

 

 

 

 違う。

 空じゃねえ。

 あれは、雲みたいにデカくて雲みてぇに広がってるけど、あれは…まるで昆虫みてぇな形をしたあれは……。

 

 

 

 

「ゲッター」

 

 

 

 

 

 なんでそう呟いたのか、あたしには分からねえ。

 でもそれが正しい事だってのは分かった。

 ここは地獄だ。

 

 『ゲッター』って存在が人間と一体化して、延々と殺し合う世界だ。

 そして、あいつが…あの異様な形と異常なデカさのあの化け物がこの世界をーーー。

 

 

 

てめぇか

 

 

 聞こえた。  

 というか、響いた。

 音と言うか、意思が。

 

 

 

てめぇがこんな吐き気のしそうな世界を創りやがったのかぁぁぁああああああああ!!!!

 

 

 そいつは、激烈な…炎みてぇな意思だった。

 込められた感情は、無数の刃みたいな殺意と言うか怒り。

 

 ああ…これは。

 

 よくよく考えりゃ、喧嘩はしてもここまでいった事はねぇな…。

 

 そうか。

 

 これがあいつの、お前の本当の怒りかよ。

 

 

「怪物か」

 

 

 そう呟いた。あんな怒りは、人間が出せるものなのか。

 

 その怒りの根源は、あの化け物の前にいた。

 血色の鬼みたいな外見の、あいつが。

 大きさの差は、比べ物にもならないってのに全く怖気づいちゃいねえ。

 

 長柄の斧を振り回して向かって行きやがる。

 そして斧を叩き付けた。

 

 そうしたら、あの化け物の表面が崩れ始めた。

 その瞬間、あたしの意識が弾けた。

 弾けて何もかもが消えてく中、あたしは二つの気配に気が付いた。

 

 一つは、あいつの気配。

 

 

 それともう一つは………それと、よく似た気配。

 あたしはそれを、あの空みたいな大きさの化け物から感じた。

 おい、待てよ。

 

 ってコトはよ………。

 

 あいつと、あの化け物は………。

 

 最悪の気付きに吐き気を催したあたしの事なんて、全く顧みもされないで、またあたしの視界が歪んだ。

 

 今度は何処に行くんだろうな。

 地獄である事は間違いはねぇんだろうけどよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいやがったか」

 

 

 吐き気の苦しみで満ちた心の奥から、声が聞こえた。

 

 

「久々だな、杏子」

 

 

 あいつの声だって事は、口調で分かった。

 だけどあいつの声じゃなかった。

 若くて荒々しい、男って存在を声に変えたみてぇな、忌々しい程に男らしい声だった。

 













新ゲッターロボ第九話
『地獄変』より


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 heats-storm---------DRAGON

 あたしの意識が飛んでいく。

 感覚的には何も感じねぇけど、心で色々な物を感じる。

 身体に当るのは、何もかもを燃やし尽くしそうな熱を帯びた風で、それが大嵐みてぇに渦巻いてあたしを取り囲んでる。

 

 その風に乗せられて、あたしの視界に色んな光景が映る。

 青い空、壊れた街、グチャグチャになってる死体、鉄筋に串刺しにされた死体、腹から内臓を垂らして苦しんでる人間、が死んだ。死体になった。

 死体、死体、死体。

 

 燃え上がる街並みや倒壊するビルの奥に、邪悪な気配を感じた。

 人間の上半身、爬虫類か昆虫みてぇな、魔女と比べても気持ち悪すぎる外見。

 その化け物が暴れまわって、眼に映る全てを壊してく。

 そいつはとても楽しそうだった。

 その前に、真っ赤な機械の鬼が立ち塞がった。

 

 勝負は一瞬だった。

 いや、虐殺ってのが正しいな。

 一方的に翼や腕や足を切り刻まれて、最後には赤い光に包まれて消えていった。

 光はそいつだけじゃなくて、壊れた街も飲み込んでいった。

 

 

 

お前は

 

 

 

 

 声が、というか意思があたしに届いた。

 もちろん矛先はあたしじゃねえ。

 それでも、意思に籠った憎悪を感じた。

 

 

 

お前は…ゲッターと共に、生きながら無限地獄をさ迷うがいい………

 

 

 

 意思はそう言って、消えていった。

 何を言ってやがるんだ、と思っているとまた場面が変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 光輝く空が見えた。

 輪みたいに広がった光の中から、何かが出てきた。

 数は四体。

 外見の差はあるけど、あれは…。

 

 

「神、か」

 

 

 仏って言葉でも通じただろうな。

 でも、あの存在感と言うか…威圧感か。

 あれは優しいものじゃない。

 

 何もかもを見下して、蹂躙するのが目的って感じの連中だった。

 こんな状況でもなきゃ、そんな事は思えなかったろうな。

 素直に認めるけどよ、怖ぇよ。

 

 なんだあれ。

 理解を超えてやがる。

 魔法少女なんてもんがいるんなら、神様ってのもいるのかもしれねぇけどよ。

 あれは…。

 

 そいつらの前に、あいつが立ち塞がった。

 血塗れみてぇな深紅の体の猫耳みたいな角を生やした機械の鬼、戦鬼。

 

 こいつ……恐怖ってのを知らねえのか。

 

 そこから先の様子は、眼で追ったけど認識が追い付かなかった。

 あたしが神って表現したそいつらの大きさはあいつよりデカくて、そして強かった。

 

 動きが止まった時、あいつはボロボロになってた。

 全身から血みたいなオイルを噴き出して、装甲もズタズタに切り裂かれてる。

 

 

「ふざけんな」

 

 

 あたしはそう呟いた。何でだろうな。

 

 考えた。

 

 分かった。

 

 相手が『神』って奴だからだ。

 

 ああ、くそったれ。

 

 そう思ったらむかっ腹が立ってきた。

 

 あたしとこいつらは関係ねぇ。

 

 親父が言ってた神様ってのはこいつらじゃねえってのも分かる。

 

 でもよ、神なのには違いねぇ。

 

 あたしがこうなったのは、あたしのせいだ。

 

 でもそれでも、割り切れねぇ事だってあるし、怒りってのは湧いてくるんだよ。

 

 

「負けるな」

 

 

 また呟く。

 

 

「負けるな」

 

 

 呟く。

 

 そして。

 

 

「立て!」

 

 

 叫ぶ。

 

 次に何を言おうか、一瞬だけ考えた。

 

 

「立て!ナガレぇぇぇえええええええええええええええええ!!!」

 

 

 叫んだ。

 なんでかその、爽快だった。

 その瞬間、視界の全てを光が覆った。

 

 緑色の光だった。

 それは山の天辺を吹き飛ばして、大きなクレーターを造った。

 その中心に、あいつがいた。

 立ち昇る黒煙の中で、緑の光を帯びて輝いてた。

 

 

「殺っちまえ」

 

 

 それを見て、あたしは笑った。

 口角を吊り上げて、獣みたいに。

 

 それから起こった事は…やっぱりというかあたしの理解を超えていた。

 でも吠え猛る狂ったような叫び声を上げて大暴れするあいつに、ボッコボコにぶちのめされる神々の様子が見えた。

 

 そして一際デカい金色の神が残って、あいつと対峙した。

 宇宙空間…だろうな。

 真っ暗な世界を螺旋みたいに飛び回りながら交差していって、距離を離した時に神が放った稲妻とあいつが放った真紅の光が激突した。その時だった。

 

 

 

 

傀儡に魂を入れてはならんのだ

 

 

 

 

 頭の中にそう浮かんだ。

 

 音としては何も聞こえなかったけど、神ってだけあってかなりの荘厳な声だった。そんな気がした。

 

 

 

 

ゲッターは……ゲッター線は……

 

 

 

 

「……ゲッター……セン…?」

 

 

 なんだ、そりゃ。

 センってのは……線ってコトか?

 

 エネルギーって意味でさ。

 となるとアレか。

 あの緑の光がそれか。

 

 それが魂?傀儡?

 意味が分からねぇな。

 こいつ、何言ってやがんだ?

 

 そう思うと、イライラが込み上がってきた。

 

 何を。

 

 何を。

 

 何を、何を訳の分からーーーーー。

 

 

 

ワケの分からねぇコト言ってんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 咆哮。

 

 

 ああ、そうだ。

 

 あたしが今思った事だ。

 

 

 その瞬間、赤い光を覆い隠すように赤の表面で緑色の光が渦巻いて横長の大竜巻になって、稲妻を飲み込んだ。

 そしてそのまま、緑があたしのところまで届いて、全てがその色に染められた。

 その光を浴びた瞬間、あたしは灼熱の熱風の大嵐に巻き込まれた。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

 緑の光が熱と一緒に渦巻く中で、声がした。

 

 若い男の声が。

 

「おいってんだろ」

 

 背筋をゾクゾクとさせるような、あたしの中の雌を刺激する男らしすぎる声が。

 

 口調は同じだけど、まるで別物で、そのくせに似てやがる。

 

「あー、佐倉さん?聞こえてる?」

 

 声と一緒に、気配が近付いた。

 その瞬間、身体が動いた。

 

 足先で地面を蹴って、あたしは背後に跳んだ。

 着地した時、ゆっくりと視界が開けていった。

 

 その中に、そいつがいた。

 

 あいつが。

 

 あの地獄から、ここに来た奴が。

 

 

「お前、か」

 

 そいつの姿を認めながら、あたしはそう言った。

 声は震えていなかった…と思う。

 

 

「ああ。初めまして、ってコトになるんだろうけどよ、そう言うのも変だよな」

 

 そう言って、そいつは不敵そうに笑った。

 

 いつもみてぇに。

 

 まるで別物の貌で。

 

 よく似た顔で。

 

 服装は何時ものジャケットに長袖のシャツ、そして長ズボンだったから大して差はねぇ。

 デザインが外見に合わせて大人びた感じに変わってる感じか。

 身長も二十センチは伸びてて、体格も格段に頑強さが増してやがる。

 

 そして、こいつの顔は…。

 

 めらめらと燃え上がる炎や、獅子の鬣か、研ぎ澄まされた刃の切っ先見てぇな髪型の下の、こいつの顔は…。

 

 

 

 ああ……もう………くそ……あたしも………。

 

 

 

 イキがっててもやっぱり女で、雌ってコトかよ……。

 

 

 

 それと、こいつは………ヤバい。

 

 

 

 ヤバすぎる…。

 

 

 あたしの生き物としての本能が、そう叫んでた。

 

 

「んじゃ、改めて自己紹介すっか」

 

 

 やめろ。

 

 黙ってろ。

 

 あたしを狂わせる気か、てめぇ。

 

 やめろ、ナガレ…。

 

 

流竜馬だ」

 

 

 つっても、もう何度もそう呼んでやがったよな。

 そういってこいつは笑った。

 そこに悪意はねぇのは分かった。

 でも、あたしの緊張感は全く解れなかった。

 

 

 流竜馬

 

 こいつは……。

 

 

 その名の通り………人の姿をした……。

 

 

 ーーーーーだ。

 
















遂に顕現、永劫の地獄を歩む竜の戦士


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 吠えろ、竜と戦姫よ

「それが」

 

 喉が渇く感触を覚えながら、あたしは声を出す。

 何かしてないと狂いそうになる。

 それが恐怖か、或いは…いや、いい。

 

 

「お前の正体か」

 

「あー…それなんだけどよ」

 

 何時もと似たような態度で、別物でありながら似た外見で、ナガレは…流竜馬は言い淀んだ。

 

「俺的にはどっちも俺だから、正体っていってもピンと来ねぇんだよな」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

 

 うん…なんだ。

 なんだ、この雰囲気。

 でも不安感が湧いてくる。

 何か言わねぇと、飲まれちまう。

 

 

「いつものあのガキの外見は何なんだろな」

 

「俺も分からねぇ。お前と最初に会った時からあの見た目になっちまってた」

 

「あんたが子供の時と似てるかい?」

 

「眼付とかその程度だな。ありゃ俺とは別物だ」

 

「そういや前、並行世界の自分がって言ってたよな」

 

 

 言いながらあたしは思い出す。

 あの地獄みたいな…いや、地獄そのものの世界に君臨してやがったのは…。

 

 

「だな。いつもの俺は、そういう俺なのかもな」

 

 

 皮肉っぽく口を歪めて、それでも楽しそうにあいつは笑った。

 

 

「いいのかよ、それで」

 

「俺は俺だ。どうなってもそれは変わらねぇ」

 

「強情な奴だな」

 

「そいつが俺の取り柄でね」

 

 

 こいつ…。

 

 見た目は変わっても、変わらねえな。こいつは。

 多分今までもそうして生きてきたし、これからもそうなんだろうな。

 こっちの気分も知らねぇで、勝手な野郎だ。

 

 

「変わったって言えばよ」

 

 

 こっちをじっと見て、あいつは言う。

 …ああ、くそ…………疼く。

 

 

「…なにさ」

 

 

 熱っぽさが出てねぇか、不安だけど仕方ねぇ。

 ああくそったれ…恋の一つでもして、男慣れでもしときゃよかったか……いや、そんな機会、あたしには…。

 

 

「その服、似合ってるな。あと、変わってるのは俺だけじゃねえみてぇだぞ」

 

「…は?」

 

 

 そう言われて自分を見る。

 …なんだこりゃ。

 

 

「黒いドレスか、良い趣味してんな」

 

 

 皮肉な感じはねぇ。

 単純に褒めてるのか。

 

 あたしが着てたのは、あいつの言う通りの黒いドレスだった。

 ノースリーブでスカートの丈の長いドレス。

 肌の見える腕や手を見ると、違和感を感じた。

 

 そういえば目線がいつもより少し上だ。

 背中に広がる髪の感覚も多い、ってことはリボンは卒業してんのか。

 

 ああ、そうか。

 

 今のあたしは…幾つか知らねぇけど…。

 

 

「なぁ」

 

 

 だから尋ねた。

 

 

「今のあたし、幾つに見える」

 

「立派な女だ。綺麗だよ」

 

 

 率直に、特に飾らずに答えやがる。

 こいつの良いところと言えばそうなのかね。

 

 

「答えになってねぇな」

 

「女の年齢ってのは外見じゃ分からねぇからな」

 

「ふぅん、そういうものかい。…ってか、なんでこの格好なんだろな」

 

「なりたい自分って奴なんじゃねえのか」

 

「なるほど…ってことはアレか。将来は場末の酒場の歌姫か、風俗嬢にでもなるのかな」

 

「反応に困るな」

 

 

 だろうねと思いつつ、あたしは笑う。

 こいつを困らせる遊びは割と楽しいな。

 畳み掛けるか。

 

 

「ついでに、いつものあたしは幾つに見える?」

 

「ハズしたら悪ぃけど、15ってところか?いつもの俺が13か14くらいの見た目なら、アレより年上に思えるからよ」

 

「なるほどね」

 

 

 惜しいな。

 

 

16だよ」

 

「へぇ」

 

「意外だった?」

 

「別に。さっきの繰り返しんなっけど、女の年齢ってのは分からねえんだよ」

 

「ガキの頃、栄養取れない時期が長くてね。年齢の割にガキっぽいのはそのせいさ」

 

 

 嗤いながらそう言ってやる。

 思った通り、あいつの表情に沈痛さの影がふっと掠める。

 分かりやすい奴だな。

 

 

「何も言ってねぇだろうが」

 

「これはあたしの独り言みてぇなもんさ。で、あんたも身長伸びてっけど、割とガキっぽい見た目だな」

 

「言うじゃねえか。因みに俺は幾つに見える?」

 

「18ってトコかな」

 

「惜しいな、ハタチだよ」

 

「嘘くせぇな。未成年っぽい。なんていうか、雰囲気がガキ」

 

「口の減らねぇ奴だ」

 

 

 カチンときたらしく、返す言葉には棘がある。

 それに対してあたしは笑う。

 嗤ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 その陰で、あたしの心は冷え切っていた。

 

 ヤバい。

 

 こいつは、マジでヤバい。

 

 会話を重ねて、対峙するだけでこいつは危険だと本能が叫んでやがる。

 

 流竜馬。

 

 こいつの辿って来た道は…死山血河なんて生易しいものじゃねえ。

 

 地獄。

 

 文字通りの地獄。

 

 神って呼ばれる連中ともやり合って、挙句の果てに別の自分を殺し続けるとかいうワケの分からねぇ地獄の連鎖。

 

 こいつは、それをしていく内にここに来た。

 

 そしてこいつがヤバいのは、強さとかそういうのじゃねえ。

 

 確かに強さだけど、何よりもヤバいのはこいつの心だ。

 

 何でだ。

 

 何であんなものを見て、そこを潜り抜けてきて狂わねぇんだ。

 

 何で、正気でいられるんだよ、テメェはよ……!

 

 そしてあたしは、こいつに勝つために、こいつと戦うためにここに来た。

 

 なのに、やってるのは時間稼ぎだ。

 

 くそ……今すぐにでも槍を呼び出して…いや、素手でも構わねえ。

 

 一矢報いる為なら歯で肉を喰い千切って遣る。

 

 でも、それが成功するとは思えねぇ。

 

 どうやっても、触れる前に打ち負かされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だけど、やるしかねえ。

 

 なんで戦いたいのかって、その答えはどうでもいい。

 

 ただ戦いたいのさ。

 

 強いて言えば…退屈しのぎか。

 

 いつも死んでるみてぇなもんなんだ。

 

 だから、地獄に自分から進むのも悪くねぇ。

 

 そうだ。

 

 悪くねぇ。

 

 そして、特級の地獄が目の前にいる。

 

 なら……戦うしかねえだろうよ。

 

 そう思った時、だったな。

 

 

「んだよ、時間切れってか」

 

 

 あいつはそう言った。

 

 そしたら、あいつの姿が霞んだ。

 それは一瞬の事で、直ぐに形が整えられた。

 

 そしていつものあいつが、ナガレがいた。

 流竜馬のいた場所に。

 

 

「うーん……」

 

 

 そして唸り声を上げる。

 さっきまでの男らしい音程は消え失せて、女そのもののきゃわいらしい声に成り果ててやがる。

 それでも、声の出し方は同じだった。

 ゾクっとする声の震わせ方をするヤロウだな。

 

 

「ま、今の俺はこれでいいか」

 

「いいのかよ」

 

 

 さっきまでは見上げてたけど、今はあたしの少し下にあいつの目線がある。

 あたしが165としたら、あいつは160くらいだからな。

 普段のあたしとそう変わらねえ。

 

 

「いいんだよ。さっきも言ったろ、どうなろうが俺は俺なコトに変わりはねえ」

 

 

 そう言ってほくそ笑む。

 ああ、確かにね。

 嗤い方が同じだ。

 

 そう思うと、なんだか急に楽になった。

 

 理由は分かる。

 

 あいつはあいつのままだけど、それでも今は違う。

 

 だからだ。

 

 それに安心しちまったんだ。

 

 

 ああ。

 

 あたしは。

 

 

 なんて卑しい魔法少女なんだ…。

 

 

 そう思った瞬間、あたしの身体は燃え上がった。

 

 黒いドレスの内側が、あたしの肉や骨が炎になって真っ赤に燃える。

 

 そして普段のあたしに戻る。

 

 そうだ。

 

 あたしは。

 

 魔法少女だ。

 

 あたしらのいる場所は、何処までも真っ暗な世界。

 

 でもあたしが放った光が、この場所を闇を切り裂いて黒に赤を足した世界に変えた。

 

 ははっ。

 

 中々いい色合いじゃねえか。

 

 

 

 変身したあたしは着物みてぇなドレスをふわっとさせて、伸ばした手の先で呼び出した槍を握り締める。

 

 十字架の槍穂はあたしにとって、地獄でも物足りねぇ業罰の印って意味もある。

 

 そうだ。

 

 あたしは赦されちゃいけねえし、あたしはあたしを赦すつもりはねぇ。

 

 それは他の誰にも譲れねぇ、あたしを佐倉杏子たらしめるものだ。

 

 その地獄と業罰を宿して、あたしは尽きるまで戦い続けてやる。

 

 

 その想いが伝わったのかな。

 

 変身したあたしの姿は、いつもと様子が違ってた。

 

 

「黒いな」

 

 

 ナガレはそう言った。

 

 そうだな。

 

 今のあたしは、いつも通りの真っ赤じゃなかった。

 

 胸のソウルジェムを中心にして、黒い模様が体中に伸びてやがる。

 

 まるで植物の根みてぇに体の表面を這い廻って、蛇みたいで気持ち悪い。

 

 そいつは腕や足にも、身体の末端近くまで伸びて、髪の毛も黒が混じってやがる。

 

 幸いって言うか、顔だけはそのままだな。

 

 最後の尊厳ってヤツかい。

 

 

「そいつがお前を蝕んでる…穢れってのか」

 

「みたいだね。似合うかい?」

 

「苦しいか、それ」

 

 

 無視しやがった。

 

 可愛げのねぇ奴。

 

 

「まぁね。あのイカレ頭の呉キリカと会話してる時の気分だよ」

 

 

 まぁ正直、あいつと関わるよりかは幾分かマシか。

 

 死ぬほど痛いけど、不愉快さはあいつよりは下だ。

 

 なんたってこいつは、あたしの感情からくる痛みだからな。

 

 ああ、そうか。

 

 ある意味こいつはあたしの子供で、この痛みは陣痛みたいなものか。

 

 はっ。

 

 なんてな。

 

 

「そうか」

 

 

 ナガレが短く言った一声は…認めたくねぇけど、あたしを怯えさせやがった。

 

 本当のあいつの声、そのものに聞こえたからさ。

 

 そしたらあいつは、拳のままに右手を伸ばして指を開いた。

 

 いつものアレが、忌々しい斧魔女はここにも来られるのか、あいつがナガレの手に握られやがった。

 

 

「なら、そろそろやろうぜ。そいつをお前から引き剥がしてやる」

 

 

 そう言って、斧槍を構えやがる。

 

 ああ、そうだな。

 

 そろそろ頃合いだ。

 

 ぎんと張り詰めていく空気、高まっていく殺気。

 

 身体の奥底から湧き上がる衝動。

 

 破壊衝動。

 

 ああ。

 

 こいつは…イイな。

 

 いつものコトだけどよぉ……。

 

 何度やっても、堪らねぇ。

 

 

 

 

 

「来な」

 

 

「来い」

 

 

 

 

 

 そしていつも通りに、相手を招く様にそう言い合って互いに向けて走り出す。

 

 そうだ。

 

 あたしらに大義名分なんざ必要ねえ。

 

 戦いたいから戦い、潰したいから潰す。

 

 それだけありゃあ、戦う意志さえあれば十分だ。

 

 

 そして互いの得物が激突して、轟音と火花があたしらを震わせて、眩い光で染め上げた。

 

 光の奥に、闘争の中で嗤うあいつの顔があった。

 

 いい顔してやがるな、全くこの戦闘狂が。

 

 そう思いながら、あたしも同じように笑ってやった、というかもう嗤ってた。

 

 

 楽しいな。

 

 てめぇとの殺し合いは、生きてる実感をあたしに寄越しやがる。

 

 忌々しい。

 

 

 忌々しいんだよ。

 

 

 そしてその事を嬉しく思っちまうあたしが一番許せねぇ。

 

 

 だからやろうぜ。

 

 いつもみてぇに。

 

 

 魂が砕け散るまで、あたしはてめぇと戦い続けてやる。

 

 そして互いに怒号を上げて、互いを求めて刻み合う。

 

 今のあたしらはさしずめ、竜と戦姫ってヤツか。

 

 気取ってやがるな。

 

 そう思って笑いながら、あたしはこいつと剣戟を交わし続ける。

 

 命を、魂の炎を燃やし尽くさんばかりによ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 















タイトルは「DRAGON」の歌詞の一部のもじりより


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 吠えろ、竜と戦姫よ②

 抜けるような青空がどこまでも続く。

 その下では深い青を湛えた海面が静かに揺れ、平穏のままに揺蕩っている。

 そこにふと、一筋の光が注いだ無限を思わせるほどに広大な海原においては、砂粒のような小さな光だった。

 

 それが海面に着弾した瞬間、全ては変貌した。

 海面が引き裂け、莫大な海水が空高く何処までも巻き上げられる。

 水の亀裂は地平線の彼方まで続き、その断面の遥か下方には荒涼した大地を思わせる海底が露わとなった。

 そして更に、海底が黒い闇を産み出したかのように裂けた。

 

 底に溜まる闇の奥から真紅の液体、マグマが流血の如く溢れ出る。

 大地の亀裂は縦横に広がり、マグマが止め処なく噴き上がる。

 海面は更に裂け、海底も切り刻まれるように割れていく。

 

 青空が消え失せ、曇天と化した空からは光が無数に注がれていた。

 それが海底や海面に着弾する度に同様の破壊が吹き荒れる。

 

 天と地が逆さまになったかのように、全てのものが巻き上げられ、超高温と衝撃が暴風となって荒れ狂う。

 昇るマグマは竜巻と化し、破壊を周囲に振り撒いていく。

 それは天に挑む東洋の竜にも見えた。

 

 

 その破壊の中、交差する二つの存在があった。

 全てを、世界が破壊されゆく中にある存在としては、あまりにも矮小な者達がいた。

 

 

「ううううううるあああああああああああああああ!!!!!!」

 

「おおおおおおおらぁあああああああああああああ!!!!!!」

 

 だがその者達は、そんな事など歯牙にも掛けていなかった。

 吹き荒れる破壊の乱舞の最中、崩壊していく世界の中で互いを破壊すべく争っていた。

 剣戟を交わすのは、黒髪の少年と真紅と闇色の色が混じり合った髪を生やした少女であった。

 

 世界が陥る破滅は両者に何の影響も与えず、激しい剣戟もまた吹き荒ぶ土砂や溶岩に触れるも全く変化が生じない。

 世界の法則の全てを無視し、両者は空中を飛翔しながら激しく争っていた。

 

 振るわれるのは漆黒の斧槍と真紅に闇色が混じった十字槍。

 周囲の破壊もかくやと言った勢いで振り回され、その度に光が弾けた。

 光は色を帯びず、虚色とでもいうべき純粋な光だった。

 それが対峙する両者を、両者だけを照らす。

 普段の姿、この世界に訪れて与えられた紛い物の肉体を持つナガレと、自らから溢れた穢れによって全身に闇を帯びた佐倉杏子を。

 

 

「ううううぅぅるぁ!!」

 

 獣の叫びを上げ、杏子は虚空を蹴った。ナガレの上空を飛燕のように舞い、その背後へと回り込む。

 首を狙った一閃が放たれ、彼の首へと闇の纏わりついた槍穂が吸い込まれる。

 

「はっ」

 

 楽しそうな吐息と共に、ナガレは斧槍の柄を旋回させる。

 穂先が逸らされ、彼の横顔を掠める。

 進む槍に対して彼もまた前へと進む。踏み出した瞬間に、彼は斧槍を握る両手を振り下ろした。

 しかし、凶悪な武具は佐倉杏子の顔の寸前で停止した。

 

 巨大な斧の根元に、多節と化した槍が蛇のように絡みついていた。

 互いに互いの得物が絡み合い、侵攻と静止の力が拮抗する。

 

 互いの呼吸が聞こえる距離で、杏子とナガレは睨み合う。

 佐倉杏子は真紅の瞳で、ナガレは闇色の渦巻く瞳で相手の眼を見た。

 そして同時に、

 

「ふっ」

 

 と嗤った。唇の端を歪めて、悪鬼のように。或いは仲の良い者同士のように。

 その瞬間、両者の背で何かが弾けた。ナガレは右、杏子は左の背で。それは虚空で広がって形を成し、相手へと向かった。

 轟音と衝撃が両者の耳に届き、体を震わせた。構うものかと先程とは逆の場所からもそれを発生させ、同様に解き放つ。

 同じく轟音、衝撃。そしてぎりぎりという圧力が互いに加わる。

 

「真似たかよ」

 

「うるせぇ」

 

 ナガレの指摘を杏子は吐き捨てる。両者の背からは、異形の翼が放たれていた。

 蝙蝠をモチーフにしたような、もっと言えば、悪魔という存在のイメージに酷似した翼だった。

 ナガレは黒、杏子はこれもまた闇雑じりの真紅である。

 

 それが相手の翼を喰い合うように絡み、締め上げる。

 その状態で数秒、両者は対峙した。

 そして同時に結論に至る。

 

 邪魔だ、これと。

 

 

「おらあああああ!!!!」

 

「喰らえええええ!!!!」

 

 

 同時に翼の接続を解除し得物も投げ捨てる。

 超至近距離へと至り、そして互いに拳を振う。

 直後に衝撃。

 互いの右拳が相手の左頬へと着弾する。

 

「あが…」

 

「あぐ…」

 

 似たような苦鳴。僅かに仰け反るがその仰け反りも同時に止まる。

 そして再び拳が振られる。今度は左手であり、それが相手の右頬を撃ち抜く。

 

「ぐぐ…ぐぐぐぐぐ…」

 

「グル…るるる………」

 

 左拳を相手の右頬に接触させたまま両者は獣の如く唸り声を鳴らし、獰悪な視線を交差させる。

 残った右手が同時に振られた。

 それは拳ではなく、五指を広げた獣の手を思わせる形となっていた。

 相手の顔面を刻むべく振ったそれを、両者は相手の手へと向かわせた。

 掌が激突する破裂音が鳴り、そして五指が握り締められる。

 

 

「馬鹿力が」

 

 獰悪に笑いながら杏子は言う。

 

「お前もな」

 

 似た表情でナガレも返す。

 

 

 そして同時に首を背後に傾ける。

 両手が封じられた今。

 至近距離過ぎて蹴りも使えない。

 これまで幾度となくあったシチュエーションであり、この状況の打破に用いられる闘争方法は一つであった。

 

「砕けろぉぉおお!!」

 

「やってみなぁああ!!」

 

 破壊の意思を言葉に乗せての杏子の頭突きに、ナガレは挑発で返す。

 そして激突。

 それは今も吹き荒れる破壊の乱風に何も影響を与えなかったが、互いの見る世界は歪んでいた。

 頭部の中を駆け巡る苦痛と衝撃によって。

 

 全てが歪んだその中で、目の前の相手の姿だけは克明に映っていた。

 その瞬間に全てが正常に戻った。

 頭突きの衝撃で吹き飛ぶ中、二人は得物を握り締めた。

 

 そして同時に虚空を蹴り、命を奪い合う相手へと向かった。

 怒号が放たれ、剣戟が再び交差される。

 切り裂き、弾き飛ばし、空いた距離が生じたならばそれを埋めるべく飛翔し求め逢うように殺意を漲らせて交じり合う。

 

 その間も世界は破壊に揉まれ、全てが千々と砕けていく。

 崩壊する世界の上空から、一際巨大な光が舞い降りた。

 それが世界に触れた時、遂に全てが光に包まれて消えていった。

 万物が一瞬にして蒸発し完全なる無に、虚無へと還っていく。

 

 

 その中で、佐倉杏子とナガレは戦い続ける。

 世界の事など一顧だにせず、ただ互いを喰らいあう毒蛇と邪竜のように。

 

 両者にとってこの時、世界とは今二人で互いを喰らいあう行為が全てであり、そこで世界として完結しているのだった。

 破滅の中で、自らも破滅に向かうかのように、杏子とナガレは殺し合う。いつものように。

 獰悪に、邪悪に、そして楽しそうに笑いあいながら。

 

 互いの精神と記憶が混じり合った世界の中。

 穢れで身を蝕まれる魔法少女と、異界から来た存在が成り果てた少年は、何時果てるとも知れぬ戦いを繰り広げていく。

 

 

 

 

 

 

 










二か月半の隙間を埋めるように争い合う二人でありました(いつもの)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 吠えろ、竜と戦姫よ③

 闇が広がる。

 果てしなく、無限を思わせるほどに。

 その闇を切り裂き、彼方から複数の光が去来する。

 それは幾つも分かれ、闇の世界を無色の光で染めていく。

 

 やがて微細な砂粒もかくやといった細かさに分かれた光は、球状の存在へと吸い込まれていった。

 球は複数というよりも無数にあった。

 色もそれぞれ、青赤黄色に黒に桃色などの個性を帯びていた。

 

 大きさで見れば光は球に対してあまりに小さく、無に対する無限に等しい差があった。

 されど、その光が触れた瞬間、球が帯びた色は消え失せた。

 光が纏う無色の光が球を染め上げ、そして破裂しそれもまた光となって闇の中を迸る。

 それもやがて球に接触し…と、連鎖が続く。

 闇を侵食するように、または闇を土壌と見立てれば、その中に根が這うように光の線が続いていく。

 

「はっ」

 

 その中で、少女の声が鳴った。

 

「なんだよコレ。笑えねぇ冗談だな」

 

「ああ。胸糞悪い光景だ」

 

 杏子が吐き捨てた言葉に、ナガレも同意する。

 光によって切り裂かれる闇の中、言葉を交わしながら杏子とナガレは剣戟を交わしていた。

 両者が今いる場所は精神世界の中にある惑星ではなく、それを内包する宇宙であった。

 

 破壊される球とは惑星であり、その渦中に二人はいた。

 しかしそれも他人事であり、二人は互いを破壊する行為に没頭していた。

 先程の遣り取りは、その中で不意に生じた偶然のようなものであった。

 丁度斧槍と十字槍の柄を重ねての鍔迫り合いを演じていたため、少しだけ暇だった、からなのだろう。

 率直に言って、中々に狂った状況で暇を感じる二人だった。

 

 しかしそれも一瞬の事、二人は同時に動いた。

 それぞれが自身の得物の柄を蹴り、相手を強引に弾き飛ばした。

 そして引き離されたのも束の間、杏子とナガレはこれも同時に空間を蹴った。

 

 

「おおおおおおらああああああああああ!!!」

 

「うるぁぁあああああああああああああ!!!」

 

 

 咆哮と共に得物を振い、激突する。

 両者はそこで止まらずに飛翔し、反転。

 再び吠えて剣戟を交わし、先の動作を繰り返す。

 得物が帯びた色である黒と真紅の色が交差し、二人は宇宙に交差の螺旋を描く。

 

 互いを切り刻みながら上昇し続けていく。

 それは偶然か、彼方から飛来する光を目指しているようにも見えた。

 剣戟の最中、ナガレはそれに気付いた。

 この先に行くのはマズい。

 彼はそう思った。

 

「おい杏子!!」

 

 激突と離脱、そして再びの激突の中でナガレは叫ぶ。

 

「なんだ、降参なら認めねぇぞ!」

 

 十字槍を連打しながら杏子も叫んだ。

 秒間に数百発は放たれる真紅の猛攻を、ナガレも斧槍の穂で迎撃する。

 

 

「テメェかあたし!そのどっちかがくたばるまで、あたしはこれをやめる気は無ぇ!!」

 

「奇遇だな!くたばるってトコ除けば俺も同じだ!!」

 

 

 声を掛けた案件については頭にあったが、彼は杏子に自らの意思を示すことを選んだ。

 

 

「はっ、生き残る積りかよ!或いはあたしを殺さねぇってか!」

 

「物分かり良いな!そうだよ!!」

 

 

 無数の刺突を、ナガレは斧槍を一閃させて纏めて弾いた。

 斬撃は杏子の槍を大きくかち上げ、更に刃は彼女の胴体を過っていた。

 上がる苦鳴、されどその身体に変化は無かった。

 

 

「これは…あたしらが…今は……魂だけの…存在だからって、コトか…」

 

 

 胸の宝石から生じ、彼女の体表に絡みつく穢れの線は相変わらずであったが、斬撃がもたらす一切の負傷が肌や衣服にも生じていなかった。

 

 

「傷がねぇと…味気ねぇな」

 

 

 斧槍が過った場所を左手で抑えながら、杏子は言った。

 その顔には、悪鬼羅刹の如く凄絶な笑みが浮かんでいる。

 苦痛と闘志、それが混ぜ合わされた、戦う事が楽しくて仕方ないとでもいった笑顔だった。

 

 

「ああ…でも、くそ……魂ってのに直接響きやがるな…この痛みは」

 

「お前、今のは避けられたんじゃねえのか」

 

「なぁに、テメェの心を試したのさ。あたしに手心加えねぇかってさ」

 

 

 そして杏子は手を離して槍を構えた。

 

 

「テメェ…やっぱほんとイカれてんな。殺さねぇって言いつつ本気で打ち込んで来やがる」

 

「お前がこのくらいで死ぬワケねぇからな」

 

「でも、殺す気でやったよな。今のは」

 

「ああ。そうでもしねぇとお前とはやり合えねえからな」

 

「くはは!……上等じゃねえか。こっちも出し惜しみは無しだ」

 

「来な。とことん相手してやるぜ」

 

 

 互いに獰悪な表情を浮かべて笑い合う。

 実に愉しそうに。

 それが生きる意味だと言わんばかりに。

 

 

「言ったな。後悔させてやる」

 

 

 口を半月の形にして杏子は言った。

 そして飛翔する。

 彼の元ではなく、上空へと。

 

 それを見上げるナガレ。

 彼の眼には、佐倉杏子の姿は闇の中に浮かぶ美しい真紅の花に見えた。

 ほんの一瞬、彼はその輝きに魅入られた。

 だがそれを消し去ったのは、その表面に浮かぶ穢れの黒であった。

 すぐさま彼女を追うべく、飛翔に移ろうとしたその時だった。

 

 虚空に浮かぶ杏子の姿に変化があった。

 

 

「おい、そいつは」

 

 

 それを見て、ナガレは眼を見開いて呟く。

 渦巻く瞳の奥に浮かぶ杏子の背に、九本の槍が浮かんでいた。

 上向きの半円の如く、翼のように展開された真紅の槍が。

 その配置に彼は見覚えがあった。

 そして、その槍の間で漂う紫電の様子にも。

 

 

サンダァァァアアアアアア!!!!!!

 

 

 背負った槍からの光を帯びて、杏子が叫ぶ。

 しかし続く筈の言葉はそこで止まっていた。

 杏子の顔には僅かな困惑、そして戸惑いがあった。

 それを察し、ナガレは

 

 

「ああ、分かるよ。発音ムズイからな、それ」

 

 

 と答えた。それが届き、杏子は絶叫で応えた。

 その瞬間、彼女を中心に巨大な雷撃が放たれた。

 宇宙空間を切り裂き、距離で表せば半径数百メートルに渡って展開された雷撃は、爆裂を伴って炸裂し空間自体を破壊していくかのように見えた。

 

 その間を掻い潜り、慣性の法則を無視した軌道で飛翔する影があった。

 その姿は、背に悪魔を模したような巨大な翼を生やしていた。

 

 

アークの『サンダーボンバー』……。俺の頭を覗いて覚えたんだろうが、ここまで使いこなしやがるか」

 

 

 魔女との融合形態。

 背から悪魔翼を、頭部から二本の頭角を生やした姿。

 言伝に聞いた存在の姿を模した状態でナガレは呟く。

 

 その存在の名は、『タラク』と聞いていた。

 自分の成れの果ての前身でもある嫌いな存在の一つだが、その中ではマシなものだと聞いている。

 だが、今はそれはいい。戦うまでである。

 

 

「なら、こっちも!!」

 

 

 雷撃を掻い潜りつつ、ナガレは両手を広げ二つの手の間に隙間を作った。

 そしてその間に力を込めた。

 力は光を纏い、光球の形を取った。

 それを振りかぶり放とうと思ったその瞬間、

 

 

「なっ」

 

 

 手の間の光球を、少女の右手が握り締めていた。

 光に照らされる杏子の顔に浮かぶのは、獲物を見つけた女豹の笑み。

 八重歯を牙のように見せ、そして生まれたての太陽を握り潰した。

 

 炸裂する光。

 その中で二種の刃が煌いた。

 そして、激突。

 

 

「お前…ホント強ぇな」

 

 

 衝撃で解除されたのか、ナガレの姿は普段のそれに戻っていた。

 超至近距離での炸裂に、彼の顔には苦痛が浮かんでいた。

 だがそれ以上に、ナガレは現状を楽しんでいた。

 

 

「あんまり嬉しくないね、その姿で言われてもさ」

 

 

 彼の斧槍に自らの十字槍を絡めながら杏子が返す。

 こちらも同じような表情だった。

 しかし彼女の言葉を受けたナガレには変化が生じた。

 

 

「酷いコト言うなよ、凹むだろうが」

 

 

 イラつきと、そして悲哀がナガレの表情を掠める。

 素直過ぎんだろ、コイツと杏子は思った。

 

 

「あたしは褒めてるつもりなんだけど」

 

「あん?」

 

 

 何言ってんだと、ナガレは怪訝な表情となる。

 

 

「あんたの姿、あっちの方があたし好みだよ」

 

 

 獲物を見る様に、そしてその裏に恐怖を滲ませながら杏子は言った。

 彼女の脳裏には、この少年の正体の姿が亡霊のように焼き付いている。

 呪いのようなそれの、その姿の名を思い浮かべ、そして言葉にすべく口を開いた。

 

 

「なぁ、竜馬

 

 

 妖艶さを帯びた声で杏子はその名を言った。

 それを受け、複雑な気分もあるのかナガレは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。

 だがやがて、牙を見せて楽しそうに笑った。

 その表情は、彼の本来のそれによく似ていた。というよりも、そのものであった。

 

 それを見て、杏子は

 

 

「やっぱり、そっちのが似合うよ」

 

 

 と言った。

 楽しそうに、それでいて湧き上がる闘争心に輝いた顔で。

 そこに、彼方からの光が降りた。

 破壊は生じず、光は両者に何らの影響も与えない。

 漂泊された光の中でさえ、二人の姿は鮮明だった。

 

 

「ウザったいな、これ」

 

「ああ。邪魔だ」

 

 

 その中で、鍔迫り合いをしながら言葉を交わす。

 奇しくも最初の遣り取りと似た状況となっている。

 

 

「なんなんだよ、これ」

 

「くだらねぇ物だよ、気にすんな」

 

 

 ナガレは吐き捨てる。

 その様子に、杏子は思考を巡らせた。

 そして気付いた。

 この世界が何であるのかを。

 

 

「そうか」

 

 

 そう言って、杏子は背後に跳んだ。

 

 

「いるんだな、お前が。ここに」

 

 

 杏子は気付いた。

 ここはかつてあった事であり、その渦中に目の前の存在がいる事に。

 

 その思考にナガレも気付いた。

 ヤバいと彼は思った。

 

 自分の記憶が正しければ、これを、この世界で生じている事はーーー。

 そう思った刹那、杏子は飛翔していた。

 真紅の閃光と化して、破壊の光が生じる場所へと向かって行く。

 

 

「くそっ!待ちやがれ!!」

 

 

 ナガレも叫び、再び背から悪魔翼を生やして飛翔する。

 空間を切り裂く斬線の様に飛び、漆黒の光となって真紅の後を追う。

 

 















ドワォズワォしつつも健全な二人であります(比較対象はキリカさん)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第71話 虚無と、零と

 真紅の光が暗黒の世界を飛翔する。

 彼方からは煌々と輝く光が飛来し、真紅の光と真逆の方向へと消えていく。その果てでは破壊が生じ、触れたものが同色の光に包まれて崩壊していく。

 その根源へと、真紅は進んでいった。

 

「遅ぇ」

 

 真紅の光が、佐倉杏子がそう呟いた。

 そして望む。

 

 もっと、もっと、もっともっと速くなれと。

 光よりも何よりも、全てを超えた速さを寄越せと。

 

 その想いは、彼女の願いを叶えた。

 光を超越した速度を纏う光と化して、杏子は飛翔した。

 

 その中で、彼女はふと疑問を抱いた。

 これまでの交戦の中で、複数の惑星を戦場とした。

 その全てが光と化して消えていったが、それらに共通する事柄があった。

 水はある、大地もあった。

 

 だが、生命に相当するものが一切存在していなかった。

 初めから存在していないのか、それとも死に絶えたのか。

 二人が渡り歩いた、というよりも飛翔した星々の全ては、虚無に満ちていた。

 

「ま、考えても無駄か」

 

 そう呟き、彼女は更に速度を上げた。

 目指すものは唯一つ。

 自分が執着の感情を向ける者を探し、彼女は光を超えて虚空を進んでいった。

 

 その状態でどれほどの時間を重ね、距離を飛んだのか。

 本人でさえ分からぬままに、やがて彼女は停止した。

 

 穢れによって斑色に染まった身体。

 されど真紅の眼はそのままに、彼女はその眼で彼方を見ていた。

 破壊の光の源泉を。

 

 そこには。

 

 

「あれは……」

 

 

 杏子は呟いた。

 視線の先は、遥かか彼方。

 視界には映っていれど、それとは無限の隔たりがある様に杏子は感じた。

 

 

「あれは」

 

 

 杏子は言葉を繰り返した。その次の言葉は絶えていた。

 その存在をどう表せばいいのか、彼女には分からなかった。

 初めて見る存在ではあった。

 

 だが、精神が、心が、魂は何かを覚えていた。

 この雰囲気と、気配。

 

 そして、恐怖を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

虚無を司ル神、か

 

 

ナント無意味で、クダラヌ存在だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の文字が虚空に浮かぶ。

 その存在の正面に。

 そして光に照らされたのは-----。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレホドニ虚無が好キナラバ

 

 

 

 

 

自ラもマタ、滅びるガ道理

 

 

 

 

 

ソウは思ワヌカ

 

 

 

 

 

 

 

星々を喰ウ魔物------ラ=グースよ

 

 

 

 

 

 

 呪われし名前を帯びたものは、杏子の理解を超えた姿をしていた。

 宇宙に浮かぶ、いや、宇宙そのものとしか思えないサイズの巨大な顔。

 それは赤ん坊のそれによく似ていたが、愛おしさや可愛さなど微塵もない。

 

 牙がびっしりと生えた口腔、皮膚を剥がして肉の中身を剥き出しにしたような体表、頭蓋を切り取られて露出した脳髄。

 精神を穢し尽くすおぞましさと、名状しがたき姿。

 そして思うだけでも気が触れそうになるその名前。

 

 

 

 

 

 ラ=グース

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそれと対峙する、白と漆黒の色を纏った機械仕掛けのその姿。

 

 大きさで見れば比較のしようがないサイズ差があったが、その差を感じさせない容姿をしていた。

 

 城塞を思わせる兜で構築された頭部、逞しい四肢、刺々しい刃を生やした剛腕を泰然と構えた威風堂々とした姿。

 

 それ自体が山脈のように隆々と盛り上がった胸部には、牙のような形状の二枚の真紅の装甲が施されていた。

 その背で輝く、無限大の記号とアルファベットのZ、そして数字のゼロを束ねたような造詣の紅の翼。

 

 それは神々しいとさえ思える姿ではあった。

 

 ただ一つ、その貌を除いては。

 

 狂暴、獰悪、凶悪、獰猛、その全てでもあり。

 そしてそれらを超越した、恐怖や畏怖と言った概念が形を成したかのような貌を、それはしていた。

 

 神。

 

 これもそれなのだと、杏子は本能で悟った。

 

 それは暗黒の中で輝く魔なる神。

 

 魔神

 

 これはそういった存在であるのだと。

 

 

 

 

ZEROニ還ルガイイ

 

 

 

 

 そこで、杏子の精神が限界を迎えた。

 光の文字と共に、魔神の髑髏のような貌が輝いたその時に。

 

 それは世界を滅ぼしていった、光そのものの色をした光であった。

 光子が力と成り、閃光と化して放たれていく。

 

 

 

 

ううううううあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!

 

 

 

 杏子は絶叫を挙げた。

 闘争心で満ちていた杏子の心に、恐怖が無数の槍となって突き刺さっていた。

 その苦痛に満ちた叫びだった。

 

 目の前では光が乱舞し、巨大と言う概念すら覚束ない存在に向けて放たれている。

 そして杏子は苦痛と狂気の中で理解した。

 あの光は、これであったのだと。

 

 迫る光に、ラ=グースと呼ばれた異形の赤子は口を開いた。

 杏子には何も聞こえなかった。

 だが、確かに何かを聞いた。

 

 それは産声であったと、彼女の本能が理性に告げた。

 

 赤子の口が開いた瞬間、景色が歪んだ。

 宇宙を切り裂く光が歪み、散乱していく。

 そしてあらゆる方向に向けて飛散する。

 

 千々と砕けて、微細な点と化して撒き散らされる。

 歪んでいるのは空間であり、宇宙そのものであった。

 

 ああ、そうか。

 

 再び彼女は理解する。

 

 星々を破壊した光は、これだったのだと。

 

 光の本体ではなく、残滓の残滓。

 その更に欠片を更に散りばめた、元の存在からしたらゼロに等しい無力な光であったと。

 それですら惑星を破壊し、宇宙を破壊で蹂躙する。

 

 

「こい…つらは……」

 

 

 苦痛そのものの声で杏子は呟く。

 全てが理解を超越し、そして拒む存在達が繰り広げる戦闘。

 

 いや、そもそも戦いに発展しているのだろうか。

 神に相当する連中が行う破壊の行為に果たして上限はあるのか。

 そう思った時、杏子は心中に更に恐怖の感情が染み込んでいくのを感じた。

 込み上げる強烈な吐き気は、以前に垣間見た邪悪な存在でさえも比較対象にならなかった。

 

 その中で、杏子は思いを抱いた。

 それは助けを求める事でも、恐怖に屈するものでもなかった。

 

 

「お前じゃ……ねぇ……!!!」

 

 

 狂った獣のような表情で、歯を食い縛りながら杏子は声を絞り出す。

 憎悪を帯びた執着心が彼女を狂わせ、狂気が恐怖を押し込めていた。

 

 

 

 

「テメェは………どこに……いやがる!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 獣の貌で、悪鬼の声で叫びながら杏子は世界を睨みながら睥睨する。

 赤々と輝く瞳は、凝縮された血雑じりの毒液のようだった。

 

 

 

 

『はっ。珍しく苦戦してるみてぇだな、ZEROさんよ』

 

 

 

 前触れも無く、彼女はその声を聞いた。

 音の無い世界の筈なのに、その声は彼女に届いた。

 錆を含んでたが、若く猛々しい男の声だった。

 存在するだけで宇宙を蹂躙する存在に対し、彼は傲岸不遜な言葉を事も無げに投げつけていた。

 

 執着の対象が発するその声に、杏子は叫びを止めた。

 

 声を止めた彼女の口に浮かんだのは、悪鬼そのものの半月の笑みだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 竜と皇

『魔神っつっても、流石にそいつ相手は荷が重いかよ。ええ?マジンガーZEROさんよ。いっそZに変わったらどうだ?』

 

 

喧シイ ソレに勝負はマダ始マッテスライナイ

 

『だろうな。言っとくがよ、暴走して閉じた世界ってやらをまた創るんじゃねえぞ』

 

 

昔ノ話ダ 可能性ヲ閉ザス愚行ハもう行ワヌ

 

 

『だといいけどな。もしやらかしやがったら、てめぇ、アンパンていうか餡子を顔面にぶつけ…いや、もったいねえな。んじゃ、パイルダーん中に居座って十個くらいアンパンとか喰ってやら』

 

 

貴様………私にソノ話ヲ持ち出すトハ---------死ニタイヨウダナ

 

 

『ハハハハハ!今んとこ正気みてぇだな。安心したぜ』

 

 

相変ワラズ煩イ奴ダ 私ノ趣味ハ人間観察デ
 

 

 

カウンセリングモ得意ト自負シテイルノダガ
 

 

 

貴様ノ思考ト精神ハ全く分カラヌ
 

 

 

トイウヨリモ 分カリタクなど無イ

 

 

『てめぇ、こんな時に何ワケの分からねぇコト言ってやがる。真面目にやりやがれ』

 

 

存在自体ガ冗談のヨウナ貴様ニ言ワレルトハナ

 

 

マアイイ 貴様コソ、精々取り込マレヌヨウにスルがイイ

 

 

『ああ。ハジをかいて堪るかよ』

 

 

マハール

 

 

ターマラ

 

 

フーランパ

 

 

『何だ、そりゃ』

 

 

魔法ノ呪文

 

 

『だから、何だよ』

 

 

戦勝祈願トデモ思エ

 

 

『正真正銘の魔神にそれやられても嬉しくねぇし、不吉なだけだろうが』

 

 

神殺シの貴様に力を与エル神ナドオラヌ

 

 

『てめぇ、ホントワケ分からねぇな。会話が通じねえぞ』

 

 

奇遇ダナ 私も同意見ダ

 

 

『なんていうかな。こっから先も俺の旅は続くんだろうがよ、てめぇほど意味不明で理不尽な奴とは会えないだろうからちょっと安心だぜ。退屈でもあるけどよ』

 

 

ソウナル保証ハ何処ニモ無い

 

 

可能性の力を侮ラヌコトだ

 

 

『どうだかな。てめえよりワケ分からねぇ奴がそこら中にゴロゴロといて堪るかってんだ』

 

 

 

 

 

 既知の言葉で、理解の及ばない内容を声と光の言葉で投げ合う魔神と青年。

 

 その様子を、佐倉杏子は見上げていた。

 そして真紅の瞳があるものを捉えた。

 機械仕掛けの魔神が背負う異形の翼の背後で、深紅の巨体が聳えていた。

 

 距離的には背中合わせに近い状態だが、その実生じている距離は無限、ないしは別次元の隔たりがある。

 彼女はそう認識した。

 

 魔神の背に、陽炎か幻影のように深紅の戦鬼がいた。

 この時彼女の認識は、全てがそちらに向いた。

 そして彼女は見た。

 

 ディテールこそ異なっていたが、二本の頭角といい角ばった頭部といい、太い装甲を施された手足に胸部。

 それは記憶の中で彼が駆っていた機械の戦鬼と同種の存在である事が分かった。

 両肩から伸びていた翼は、今は深紅の外套となって巨体の背で靡いている。

 

 

「見つけたぞ……!」

 

 

 何かが滴る様な声で杏子は言った。それは血潮か毒か、それとも…憎悪か。

 

 

「流…竜」

 

 

 何かの感情を込めて、人間が持ってはならないような想いを込めて、杏子は残りの一語を呪いのように呟くつもりだった。

 だがそれは、そこで途絶えていた。

 その言葉の矛先である、深紅の戦鬼の姿が消え去った為に。

 

 

「な…」

 

 

 それは、銀色の存在だった。

 それに果てはなく、何処までも続き杏子の視界の全てを覆っている。

 

 

「何が」

 

 

 そう疑問を抱いたとき、視界は更に開けた。そして一瞬にして、それが何かを彼女は認識した。

 

 

「ッ!?」

 

 

 咄嗟に口を押さえた。悲鳴を堪えたのである。

 

 湾曲した幅広の両刃の刃。それを支える真紅の装甲が施された強固な長い柄。

 それは、巨大と言うにも憚られるサイズの斧だった。

 

 それだけでも一つの世界、一つの宇宙に等しい存在であると彼女は認識した。

 それが深紅の戦鬼の、流竜馬のいた場所に振り下ろされていた。

 

 振り下ろされた。

 そうである。

 

 斧の柄にはこれも巨大な手が絡みつき、その先には更に巨大な剛腕が続いた。

 手も腕も、岩肌のような質感を見せた深紅で彩られていた。あの戦鬼と、同じ色だった。

 

 絶句しながら、杏子は更に先を見た。

 横に広がる、緑のラインが入った胸部が見えた。

 重厚な鎧を思わせる外見の上にはーーーー。

 

 

「…ゲッ………ター……?」

 

 

 姿を見た杏子は、そう呟いた。

 その時であった。

 

 無限に等しいサイズと質量を持ったそれが、高々と跳ね上げられたのは。

 

 天の果てまで届きそうなほどに、両刃の斧は切っ先を掲げていた。

 その刃の一部にある異変を、彼女は見た。

 極限まで研ぎ澄まされた刃の一部が、無惨に砕けてるのを。

 

 

『ハッ!笑えねぇ冗談だな!!』

 

 

 脳内に、怒気を孕んだ青年の声が木霊する。

 

 

 

『何が進化だ!そのザマで何をほざいてやがる!!!』

 

   

 

 青年が、流竜馬は感情を剝き出しにして叫んでいた。

 怒りと憎悪と、そしてやるせなさが滲む声だった。

 

 

 

『俺から見たら、てめぇなんざ取り込まれただけの!!成れの果てでしかねぇんだよ!!』

 

 

 

 理解の及ばぬ存在に、青年は平然と傲岸不遜に叫びを挙げた。

 

 

 

『そのてめぇに…俺が引導を渡してやらあ!!!』

 

 

 

 その根源には、小振りながら鋭い刃の生えた斧を両手で握った戦鬼がいた。

 となると、つまり……あの超巨大な斧はその持ち主が手を引いたのではなく……。

 

 

『行くぜ!!』

 

 

 鉄仮面を思わせる貌、頭頂から怒髪天を突いたように伸びた頭角を基準とし、左右に二本ずつ、計五本の長く太い角が生えていた。

 その姿は、彼女が認識した異界の殺戮兵器と似ていた。

 

 佐倉杏子の前に顕現したそれは、まるでそれらを束ねる存在のような圧倒的な威圧感を備えていた。

 そう、例えば、その存在を評するならばーーー。

 

 

 

『【ゲッターエンペラー】!!!』

 

 

 

 

 皇たる姿をしたその存在---【ゲッターエンペラー】へ向け、流竜馬は獰悪な魔獣の咆哮を上げて深紅の戦鬼を飛翔させた。

 相手が何であれ、彼にとっては立ちはだかる者の全ては獲物である事に違いない。

 これまでもそうであり、これからもそうなのだろう。

 恐らくは、未来永劫に。

 

 

 

 圧倒的な存在に向けて猛然と飛翔する深紅の姿を、佐倉杏子は歯を食い縛りながら睨むように見つめていた。

 それがまるで、自身の最後の正気を保つ為であるかのように。

 

 

 

 

 

 





















短いですが、前の話同様書いててホント疲れました
そしてまぁ……その理不尽で意味不明な存在とは彼は後々、作中時間で一週間、リアルタイムで二か月半ほど色々とやらかされる訳で…
魔神相手には好き勝手言える癖に魔法少女にはデバフでも掛かるのかやりにくそうになって好き勝手にされる男

人生とは分からないものであります
またこんな冗談でも言っていないと、これら超存在を描いた反動で心が虚無りそうになるのであります
追加の駄文を失礼いたしました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第73話 魔獣竜

 暗黒の世界を紅の閃光が駆けていく。

 空間を切り刻むような、稲妻のような飛行であった。

 それは無限に等しい距離を一気に詰め、その頂点へと舞い上がった。

 

 光は深紅の戦鬼の形をしていた。

 太い腕や足を逞しい胴体が束ね、その頂点には猫科動物に似た造形の頭角を生やした鉄仮面を思わせる貌があった。

 顔に配置された緑色のガラスの内側で、更に濃い緑が輝いた。

 巨体の中に、何かが宿っているかのような。生命の息吹と、腐敗の汚濁を思わせる輝きだった。

 

 その輝きは二つあった。

 一つは深紅の戦鬼。

 

 そして戦鬼の前に広がるのは、一つの宇宙に匹敵する巨体。

 皇帝の名を冠された、頂点たる存在。

 

 

 戦鬼、数多の寄せ集めで造られたゲッターロボ

 

 皇帝、ゲッターエンペラー

 

 

 その二体の腹部と頭部が同時に輝いた。

 真紅の色に。

 

 そして。

 

 

 

ゲッタァァァアアアアアアビィィィィイイイイイイイイイム!!!!!!!!!!

 

 

 

 青年の咆哮と共に、深紅の戦鬼の腹部から熱線が放たれた。

 それと同種且つ更に巨大な閃光が、エンペラーの額からも放出される。

 比較対象にならないサイズ差は、例えるならば大海に一本の針を刺したに等しかった。

 されど、針が水を貫く様に戦鬼の熱線は皇帝の閃光を貫いた。

 

 神話にある、引き裂ける大海の如く様相を呈して、閃光は二つに裂けた。

 そして閃光を引き裂いた熱線はエンペラーの額へと着弾し、深紅の炎の花を咲かせた。

 宇宙という土壌に根を張り、そして咲き誇った光の花だった。

 

 その炎の花を突き破り、巨大質量が寄せ集めのゲッターへと迫る。

 それを、戦鬼は両手の斧で受け止めた。

 

 

『流石に早ぇな!!』

 

 

 竜馬の叫びの通りに、それはいつ抜刀したとも思えないほどの超高速で振り下ろされた超巨大な戦斧だった。

 これもまた、比較対象にもならない質量と大きさの差がある。

 それを掲げた剛腕の先で握った二本の手斧で、戦鬼は受け止めていた。

 戦鬼の性能も凄まじいが、一つの宇宙に匹敵する存在を避けもせずに真っ向から受け止めるなど、青年は常軌を逸した精神の持ち主であった。

 

 

『だがな、俺を殺るには力が足りてねぇんだよ!!』

 

 

 竜馬は叫び、戦鬼は腕を払った。

 すると信じられない事に、超々巨大な、それだけで一つの宇宙に相当する大きさの斧が軽々とかち上げられたのである。

 それが霞んだ、いや、それは消失に等しかった。そして巨大な戦斧は、再び戦鬼へと振り下ろされていた。

 

 巨体ゆえの動作から生じるタイムラグなど全く無い。

 皇帝、ゲッターエンペラーの動きは万物に存在する筈の時間や物理的な制約さえも超越していた。

 そして、それを戦鬼は再び受け止めた。その瞬間、青年の眼は自らに迫る無数の斬撃を見た。

 エンペラーが繰り出した斧は一撃ではなく、空間を埋め尽くすほどの超高密度の斬撃であった。

 

 

『上等ォ!!』

 

 

 人の声で叫び、魔獣の咆哮を上げる流竜馬。

 無限に等しい質量と、誇張無しの文字通りの無数に達する斬撃を戦鬼が剣戟で迎え撃つ。

 超振動が宇宙を、次元を、世界を揺るがし空間が溶けた鏡のように歪んでいく。

 

 

『ううううおおおおおおおおりゃああああああああああああああああ!!!!!!』

 

 

 咆哮を上げる竜馬。

 そして剣風の嵐と化して、迫る斬撃を切り刻む戦鬼。

 人機一体の修羅が光を超えた速度で飛翔しながら、皇帝たる存在と切り結んでいく。

 その斬撃がふと止んだ。

 見上げた戦鬼とその主の目の前に、無数の機影が浮かんでいた。

 

 形は大別して三つ。

 戦鬼と似た特徴を備えたもの、腕にドリルを生やした細身のもの、そして重厚な装甲で覆われた巨体のもの。

 ゲッターエンペラーの体表から、無数のゲッターロボが発生していた。

 その三様の存在達は、全てが戦鬼の十数倍の大きさを誇り、凄まじい速度で以て戦鬼を包囲していた。

 そして携えた武具の切っ先を戦鬼へと向け、あらゆる包囲から戦鬼へと迫った。

 

 

『へっ、ゾロゾロと出てきやがって……いい機会だな。飛焔のガキ共から預かったあいつを試してみるか』

 

 

 その様子に、竜馬は実に愉しそうな笑みを浮かべた。

 言うまでも無く、恐れなど微塵も無い。

 

 

『やるぞ…出て来やがれ!!』

 

 

 叫ぶ竜馬。直後、戦鬼の姿は完全に覆い隠された。

 寸前、戦鬼の外套が大きく靡いていた。

 その深紅で覆われた闇の中で、何かが蠢く。

 そして深紅の闇の中から、それが姿を顕した。

 

 戦斧が振り下ろされ、ドリルと拳が突き出される。

 それらは全て空を切った。

 回避されたのではない。

 それを繰り出した者達同様に、腕や獲物が千々と砕けて空を舞っていた。

 

 砕け散る巨体の破片の奥から、それらよりも更に巨大な物体が飛翔した。

 それは巨大な胴体を蛇行させながら、逆向きの激流のように舞い上がった。

 その姿を捉えようと、ゲッター達が一斉に顔を向けた。

 

 それらの鉄仮面然とした顔に、無数の雷光が迸った。

 青白い雷光が鋼の顔面を貫き、胴体を焼き尽くした。

 光は超広範囲に広がり、稲妻が触れたゲッターを媒介としてさらに拡大していく。

 

 破壊は熱量だけに留まらず、数百メートルを超える巨体が一瞬にして人間の拳程度の大きさにまで潰される。

 稲妻は超重力の力を孕み、対象の硬度を無視した力で破壊していた。

 

 その青白い光の根源には、巨大な口が開いていた。

 肉食魚のような長い口吻、その中に生え揃った鋭い牙。

 三日月を思わせる歪曲した白い頭部も、びっしりと牙のような鋭角が生え揃っている。

 それとは対照的な黒く長い胴体は蛇を思わせる造形をしていた。

 

 無数のゲッターロボを一撃の下で葬ったのは、機械の蛇。または竜と呼べる存在だった。

 眼に当る部分には長いラインを描かれた菱形が象眼され、その内側では不吉な血色の線がクロスしていた。

 それは機械の無感情を湛えていながら、殺戮の歓喜に彩られているようにも見えた。

 

 

『随分とご機嫌だな。伝説の魔獣って奴ぁ、伊達じゃねぇな』

 

 

 掛け値なしの感嘆の意を込めながら竜馬は言った。

 魔獣と呼ばれた存在は、彼への従順を示すように、その愛機を中心に全長にして1キロメートル近い巨体を曲げて渦巻いていた。 

 

 鋼の骸が無数に浮かぶその周囲を、更に数を増した巨体達が包囲していた。

 新しい獲物の出現に、竜馬は牙を見せて嗤った。

 

 

 

『ったく、いつもながら遊び相手に不足はしねえな。思う存分暴れな!!ウザーラ!!

 

 

 

 彼の叫びに呼応し、白と黒の鋼の蛇竜は殺戮に飢えた咆哮を挙げた。


















書いてる身でアレですが、まさかの御登壇
アークでの強さも圧倒的でありました
今回の場合は飼い主との色的にドラグレッダーというかドラグブラッカーというか


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 天獄

 その戦闘がどれほどの時間で行われているのか、彼女には分からなかった。

 時間の感覚が狂っている事は自覚していた。

 全ては一瞬の事のようであり、また永劫の時が流れたようにも思えた。

 

 そして目の前で繰り広げられる事象の全ては彼女の理解を超えてはいたが、その光景は虚構には思えず、ただ受け入れるしかなかった。

 そしてそもそも、拒むつもりは毛頭も無かった。

 湧き上がる感情の種類は複数あり、それが彼女の中でない交ぜとなり、そして濃度を増していく。

 心身を侵す穢れもまた、その色を濃くしていった。

 黒くエグく赤黒く、魔法少女を呪いの色が染めていく。

 

 そして彼女の真紅の眼の奥では、地獄の光景が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ウザーラ!!』

 

 

 戦鬼を駆る青年の叫びに、鋼の蛇竜が身をくねらせて追従する。

 深紅の戦鬼の手斧の一閃は、刃から迸った緑の閃光によって自分の数十倍以上の対格差を誇る相手を百体近くまとめて真っ二つにした。

 ウザーラと呼ばれた蛇竜に至っては、その巨体を相手に接触させるだけで原型も残らず破壊していく。

 

 黒い体表には重力の渦が巻き、それに触れた物体を超重力で圧し潰しているのだった。

 巨大な顎が敵を噛み砕き、長大な尾が猛然と振られる度に、食い散らかされたメカや装甲の残骸が宇宙に散った。

 大雲霞の如く押し寄せる無数の巨体を、戦鬼と蛇竜は事も無げに蹴散らしていく。

 

 

『ここらで一掃してやるか』

 

 

 受け止めたドリルを握り潰し、その主の顔面を戦鬼の拳で叩き潰しながら竜馬は言った。

 主の言葉を理解し、ウザーラは巨大な頭を垂れた。

 その三日月を思わせる頭部の上に、寄せ集めのゲッターは飛び乗るや即座に腹部に力を集約させた。

 

 

『ゲッタァァアアアアアビィィィイイイイイイイム!!!』

 

 

 放たれる真紅の破壊光。

 それは大軍を貫き炎の坩堝へと叩き落とす、この世に顕現した灼熱地獄。

 その熱線を、蛇竜の口から放たれた青白い光が追う。

 二種の光は絡み合い、互いを増幅させて異形の色に輝いた。

 

 拡散する超重力と破壊の力が撒き散らされ、方向を問わずにあらゆる物体が無残に破壊されて消し飛ばされていく。

 塵も残らず消えていく無数のゲッターロボを、超巨大質量が貫いた。

 深紅の剛腕、ゲッターエンペラーの拳であった。

 

 

『しゃらくせぇ!!』

 

 

 自らの戦鬼の拳を、竜馬はそこへ叩き付けた。

 その瞬間、宇宙全体が號と震えた。

 激突の結果、エンペラーの拳から全ての指が砕け散り、手首までが崩壊した。

 

 破壊は止まらず、肘までに一気にヒビが入って無数の破片と化して飛散する。

 その中を蛇竜は飛翔し、頭部に乗る戦鬼は右腕を前に向けて突き出していた。

 その形は異様な形状と化していた。

 

 猛然と回転するそれは、前に長く伸びたドリルの形となっていた。

 表面には鰭のように並ぶ複数の刃が連なっている。

 攻撃的な形状そのものと言ったドリルという存在の中でも、破壊に特化した構造をした右腕と化していた。

 その形は千手観音菩薩の名を冠された機体、『キリク』と呼ばれる機体に酷似したものに変化していた。

 

 超光速で移動するそれを、巨大な影が覆い隠した。

 エンペラーのもう片方の腕が伸び、左手が開いて自らの装甲ごと戦鬼と蛇竜を圧し潰しに掛かっていた。

 その手の甲が膨張し、装甲が内側から割砕かれた。

 

 深紅の分厚い装甲を貫き、二本の長大な物体が姿を顕す。

 先端に逞しい五指を備えたフレキシブル構造の両腕へと、戦鬼の腕が変化していた。

 それは破壊したエンペラーの腕の傷口を掴むや、一気に左右に開いた。

 大きさの差異の概念など無視し、剛力がエンペラーの手の甲から巨大な肩までを一息に切り裂いた。

 

 不動明王たる『カーン』の剛腕が、エンペラーの装甲を割砕いていた。

 その傷口に向け、ウザーラが口から超重力を纏わせた稲妻を放った。

 内部のメカが引き摺り出され、エンペラーの巨体も僅かによろめく。

 

 その瞬間、深紅の外套を翻し戦鬼は飛翔した。

 皇帝へと迫る戦鬼に、再び発生した無数の臣下たちが追い縋り侵攻を阻止せんと得物を見舞う。

 だがそれよりも速く戦鬼が迎撃し、ゲッター達を鋼の骸へと変え、またウザーラが上向きに放った稲妻が夥しい数の破壊を撒き散らす。

 そして邪魔者や破片を払いのけ、寄せ集めの機体が遂にエンペラーの眼前へと舞い上がっていた。

 

 はためく外套が、色はそのままに形を変える。

 形成されたのは、戦鬼の背で広がる九本の槍状の翼であった。

 深紅の槍の間では、紫電の毒蛇が躍っていた。

 

 

サンダァァァァアアアアアア!!!

 

 

 竜馬の咆哮と共に、翼槍に力が籠る。

 

 

ボンバァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 

 叫びに従い力が解放。

 それは戦場を、ゲッターエンペラーすら包み込むほどの超々広範囲に広がる雷撃であった。

 触れた存在が爆裂し、宇宙が光で染め上げられる。

 

 滞空する寄せ集めゲッターの元へと蛇竜が接近し、槍状に変形した翼に鼻先を触れさせる。

 すると巨体は深緑の光と化し、槍の表面へと吸い込まれていった。

 ほぼ同時に翼槍も形状を変化させ、元の外套へと姿を戻す。

 

 爆裂はなおも続き、エンペラーの体表が砕けてその輪郭も崩壊していく。

 その様子を眺めながら、流竜馬はこう吐き捨てた。

 

 

『偽物か』

 

 

ヨク出来てハいるガな

 

 

 

 青年の声に呼応する光の文字。

 その光の元では、逞しい手を掲げた魔神の姿があった。

 五指が握るのは宇宙に等しいサイズの赤子の極一部分。

 しかしながら、魔神はそこを基点にその存在を、ラ=グースを頭上に掲げていた。

 腕から伝わる魔神の力によるものか、ラ=グースは微動だにしていない。

 

 

 

ファイナル

 

 

ブレスト

 

 

ノヴァ

 

 

 

 光の文字が複数並んだその瞬間、魔神は胸から赤光を放った。

 それはラ=グースの身体を貫き、そして全身を燃え上がらせた。

 発射された赤光の勢いは全く止まらず、宇宙の果てまでその色で染め上げていく。

 異常に過ぎる破壊力に宇宙が蕩け、次元が歪む。

 光が放たれたのは時間にしてほんの一瞬の事であったが、残ったのは赤子の原型を僅かにとどめた頭部だけだった。

 

 

ツマラヌ

 

 

 光の文字で吐き捨てて、魔神は動いた。

 掲げた右腕を軽く振った。

 それだけで、ラ=グースは遥か彼方へと投擲されていた。

 単純な動きの中だが、あらゆる常識が消滅していた。

 

 その方向へ、魔神は貌を見上げた。

 そして。

 

 

ルストハリケーン

 

 

 引き裂けて牙のような断面が形成されたフェイスプレートの奥から、魔神は巨大な竜巻を放った。

 それがラ=グースの残骸を飲み込み、先程の光と同様に留まる気配を見せずに宇宙を飲み込まんばかりの勢いで彼方まで続いていく。

 

 

 

此方モ同じダ

 

 

コレはソノモノに等シイが ラ=グースでハナイ

 

 

仮に此レを疑似個体トデモ呼称スルカ

 

 

『出来の良いパチモンだな』

 

 

ソシテ気付いてイルか、流竜馬よ

 

 

『ああ』

 

 

コレは一種のメッセージダ 誰か、或いハ何カが我ラを誘っテイルラシイ

 

『なるほどな。ちょっと前からだが、変な声が聞こえやがる』

 

 

アア…耳障リナ笑い声ダ

 

 

『女の声って感じなだけ、気分的にはマシってとこか』

 

 

勿論、黙ラセルノダロウ?

 

 

『当たり前だ。売られた喧嘩だ、買わねぇと損だろうよ』

 

 

 

愚問ダッタカ

 

 

 

『だが今は、無駄口叩いてる場合じゃねえな』

 

 

ソノ通りダ

 

 

 

 言葉を交わす魔神と青年の前で、異変が生じていた。

 魔神が放った破壊の光と大渦が、その果てで忽然と消滅した。

 消えていく光の奥で、認識が可能な範囲の全ての空間を用いて描かれた異形の赤子の姿があった。

 

 

 そして崩壊していくゲッターエンペラーを、更に巨大な物体が包んでいた。

 それを両者は、途方も無く巨大な手であると見た。

 その色は、戦鬼と皇帝と同じであり、その手中にある存在と同じ造形をしていた。

 それを巨大な手が、偽のゲッターエンペラーを握り潰した。

 

 

 

『勝手に偽物を出されて怒ったみてぇだな。本物のご登場か』

 

 

今度は楽シメソウダ

 

 

 

 

 

 そして魔神の全身を光が覆い、戦鬼の体表を深緑の光が這い廻る。

 それまでの相手には見せなった、力の全てが二体の前身に満ちていく。

 元々開きに開いていたサイズ差は、更に比較不能なほどに広がり、戦力差に至っては想像すらつかない。

 それでもなお、この連中の戦意は全く衰えない。

 

 だが激戦の疲労や恐れなど、この二つの存在には無縁の事柄だった。

 これらからしたら、新たな獲物が顕れたというだけである。

 

 二種の光を纏った者達は、それぞれの相手へと向けて飛翔していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで真紅の少女は叫びを上げた。

 誘発させたのは、異界の恐怖ではない。

 深緑色の光が戦鬼をその色に染めた時、そこから発せられた鬼気が彼女の心に触れていた。

 

 爆発的な力の増幅と、怒りの感情。

 それは深紅の戦鬼の中から発せられていた。

 人間が抱けるキャパシティを大幅に超克したそれに、彼女の黒く染まった魂が反応していた。

 可憐な唇から吐き出される獣のような咆哮は、何を意味しているのかは当の本人でも分かっていないに違いない。

 ただそれが、苦痛に満ちている事だけは間違いなかった。

 

 

「杏子!!」

 

 

 自らが上げる叫びの中で彼女は聞いた。

 声色はまるで別物だが、口調と発音だけはそのままだった。

 そして声がした方向へと、彼女は猛然と襲い掛かった。

 湧き上がるどす黒い感情を鎮めるためか…或いは、更にその感情を深めたいのか。

 













寄せ集め故に、こういった芸当が可能と言う設定であります(アークを破壊して奪った訳ではありませんが)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第75話 狂依存の錐花、懊悩の朱い音

「しっかし、まぁ…」

 

 ハスキーさを帯びた少女の声が空間内に木霊する。

 

 

「発情紫髪のワープ魔法で友人を助けに来たはいいが……佐倉杏子の性的倒錯行為、ここに極まれりだな。君もそう思わないかい?朱音麻衣」

 

 

「雑魚キャラみたいな説明口調に過ぎるな、呉キリカ。貴様に同意するのは不愉快だが…今回は反論する意味も無いな」

 

 

 仲の悪さを証明するように、距離を取って並ぶ呉キリカと朱音麻衣。

 両者の間の雰囲気は言うまでも無く最悪である。

 そしてその前には、佐倉杏子とナガレの姿があった。

 

 互いの身体を重ね合い、互いに寄り掛かる事で転倒を防いで立っていた。

 それだけ見れば尊い姿であっただろう。

 

 しかし、両者を取り巻く環境は異常そのものだった。

 周囲には血と臓物の破片が飛び散って異様な臭気を発し、その出処である佐倉杏子は全身に隈なく傷を負っていた。

 切り傷に打撲にと、美しい身体には執拗な拷問を受けたような凄惨な傷が無数に浮かんでいる。

 

 破れた腹からは小腸が垂れ下がり、時間の経過により粘膜が乾いて表面がささくれていた。

 そんな彼女に抱かれるナガレもまた酷い火傷を顔や体に受け、両腕は異様な形状の義手で構築されている。

 だが、最も異常なのは両者を一本の真紅の槍が貫いている事だった。

 

 それは佐倉杏子の手に柄を掴まれ、ナガレの背から入って彼を貫通し、杏子の背から抜けていた。

 槍はナガレの心臓と杏子の胸の宝石を貫き、それらを繋いでいた。

 

 

「へぇ、友人てば気持ちよさそうな顔してるね。可愛い」

 

 

 室内の異様さには一瞬で慣れ…いや、そもそも気に留めてすらいないようなキリカの言葉はナガレの顔の直ぐ近くで生じていた。

 それこそ、唇が彼の肌に触れそうなほどの。

 

「どけ」

 

 ナガレの顔を覗き込んだキリカを、麻衣は憮然と除けた。

 そして彼の顔をしばし見つめた。杏子の事は完全に無視している。

 

 

「はぁ…」

 

 

 溜息を吐く麻衣。欲情で熱く濡れた吐息だった。

 その様子に、キリカは理解出来ないといった顔になった。

 そして麻衣は懐から端末を取り出し、意識を失って目を閉じたナガレの顔を撮影し始めた。

 写真は連射で、可能な限りのアングルを試していく。

 彼の顔の全てを記録せんばかりの、舐め廻すような撮影が続く。

 

 

「それ、部屋に飾るのかい?天井や壁や床にびっしりと」

 

「愚問だ」

 

「サイコパス」

 

「勝手に言え」

 

 

 キリカの言を鼻で笑い、麻衣は撮影を続ける。

 

 

「そして意気地なし」

 

 

 しかしそう言われた時、彼女はシャッターを切る手を止めた。

 

 

「なんで撮影で我慢するのさ。どうして友人の唇に自分のそれを重ねないんだい?」

 

「…それは、卑怯だからだ。そういうのは堂々と同意のもとで行うべきだ」

 

「立派だね。そんなんだから色々と先を越されるんだよ」

 

「……詳細を話せ」

 

「お前と会話しろだって?スズメさんやアシナガグモと会話してた方が話が弾みそうだね、断固として拒否する。でも」

 

 

 いい様、キリカは麻衣の襟首を掴み引き寄せた。

 精神的な動揺もあり、麻衣の反応は遅れていた。

 普段なら、キリカの手が衣服に触れた瞬間にその手首を切り飛ばしている。

 

 

「教えてやるくらいはしてあげよう。愛というものを」

 

 

 そう言うや彼女は朗らかな笑顔を浮かべ、麻衣の額に自分の額を重ねた。

 次の瞬間、麻衣は悲鳴を上げた。

 

 皮膚が触れた時、キリカは魔法を使っていた。

 自分の記憶の一部を麻衣へと見せたのである。

 

 少し前に彼との間で繰り広げた、筆舌に尽くしがたい日々と行為の様子を。

 

 

「貴様…それでも人間か」

 

 

 麻衣の言葉は、問い掛けではなく拒絶だった。

 自分と同じ種族の存在であると、考えたくなかったのである。

 

 

「魔法少女だ。お前と同じ、ね」

 

 

 彼女の言葉を予想していたか、キリカは朗らかな笑顔で、悪意を滴らせながら答えた。

 上がりそうになった悲鳴を、麻衣は必死にこらえた。

 

 

「あれが、愛…だと?」

 

 

 具体例を麻衣は出さなかった。キリカが彼に対して行った行為の全てが、麻衣の理解を超えていたからだ。

 

 

「うん、私は友人を愛してる。無論、性的な意味も多分に含む」

 

 

 聞いた瞬間、麻衣は歯ぎしりを鳴らせた。ぎしぎしという音の先に、破壊音が生じた。

 狂気に対する気付の為に、奥歯を噛み砕いたらしい。

 

 

「あれの……肉体を用いての捕食行為や吸血が、性だと?冗談もいい加減にするんだな」

 

 

「生物としての本能と言っておくれ。私は子宮に命を宿したい」

 

 

 呉キリカに対して、麻衣は生理的な気持ち悪さを感じた。

 話が噛み合わないのもあるが、純粋に、とても気持ち悪いのだった。

 

 

「貴様が母になると云うのか。悪夢のような冗談だ」

 

 

「まーた嫉妬か。そのくせ自分は変わらない。だからお前はずーっと中途半端なままなのさ」

 

 

 反論に対するカウンターは麻衣の心を貫いた。

 キリカから垣間見せられたビジョンには、裸体を彼に晒すキリカの姿も映っていた。

 更には欲情に狂い、ベッドの上で苦しむキリカの手を優しく握る彼の様子も。

 どちらも性行為には至っていないが、麻衣にとってそれは、執着の対象が奪われて無惨に破壊されていく光景に等しかった。

 

 

「言葉では嫌ってて、依存するために憎んでるっていう異常性癖持ちで、そのくせ友人で自慰行為をするのが大ぁい好きの佐倉杏子は友人を実質支配下に置いて常時総菜にしまくりで、数えた限りだと一日で最大二十五回はしくさってる。私も家に二十四日と十三時間二分五十二秒も友人を滞在させて母君にも紹介済みだ」

 

 

 打ちのめされた麻衣に対して、キリカは更に言葉を投げ掛ける。

 その一語一語が、麻衣の心を更に抉る。

 

 

「裸体も余すことなく…ってほどでもないけど晒したし、見ての通り肉を開いて内臓の奥まで見て貰った。そしてキスをしながら血と肉をじゅるじゅると啜って」

 

 

 恍惚とした表情でキリカは告げる、そしてトドメと言わんばかりに

 

 

「ここに啜った血を溜めて、そして今一つになっている」

 

 

 下腹部を撫でながら、腰から外したダイヤ型のソウルジェムを麻衣へと掲げた。

 青紫の色の下に、赤い何かが流動している様子が見えた。

 麻衣は感じた。

 湧き上がる吐き気と嫌悪感、狂わされていく己の正気。

 

 そして、嫉妬と欲情を。

 

 

「で、お前は何?狂ったふりをして、それを口実に浅ましい欲情のままに友人の胸の肉を貪り食っただけじゃないか」

 

 

 十二分に狂気に浸った事柄を例に出し、それを更に欲望の値が低すぎると付け加え、キリカは断罪者の如く口調で告げた。

 

 

「親が…厳しいんだよ」

 

 

 蚊の羽音よりも小さな声で麻衣は言った。

 両親から異性交遊を認められていないという事だろう。

 その返事にキリカは深いため息を吐き、そして侮蔑の表情を浮かべた。

 

 

「たかがそれだけが愛の障壁か。軟弱な」

 

 

 吐き捨てるキリカ。

 麻衣は耐える。それしか出来ない。

 

 

「お前と話してると無力感に苛まれるね。ああ、早いとこ今の場面終わらせて、友人といちゃいちゃとセックスしたいよ」

 

 

 麻衣の肩がびくりと震えた。

 怒りと無力感と嫉妬が綯い交ぜになり、彼女の中で増えていく。

 

 

「互いに血深泥血塗れになって、皮が消し飛び肉が弾けて骨がブチ折れ、内臓がぐちゃぐちゃになって垂れ下がる。その中で牙を見せて嗤い合って、死の寸前まで殺し合う。嗚呼、なんてすばらしい性行為なのか」

 

 

「そ…れの…どこが…性行為…なんだ」

 

 

 たどたどしい口調の麻衣。唇からは鮮血が溢れている。

 舌を噛み切ったのだろう。

 

 

「生と死が交じり合う、どっちが死んでもおかしくないほどの命と血肉の交差だから。肌を重ねるよりも相手の体温と存在の温かさや尊さを知れるのさ」

 

 

 キリカは堂々と胸を張って答えた。

 それが真理であるかのように。

 

 

「因みに子供の名前も既に考えてあるんだ。男の子なら『キリカ』、女の子なら『キリカ』だ。発音が違うだけで大分印象が変わるだろう?」

 

 

「貴様の…事は…大っ嫌い…だったが…今…それを更に…更新、した…貴様は…腐肉に集る…蛆虫以下の…腐れ外道だ」

 

 

「はっ。それは自分の顔を見てから言うんだね。嫉妬と欲情に劣等感、それが今のお前の貌だ」

 

 

「…黙れ」

 

 

 唸り声を伴いながら麻衣は言う。

 右手は既に腰に差した刀の柄に触れている。

 

 

「話を戻すけど、そんな命の重ね合いを私は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も」

 

 

 楽しそうな表情で、狂った録音機のようにキリカは同じ言葉を重ねていく。

 

 

「何度も何度も何度も何度も何度も友人と繰り返してる。あとその後で友人の生の手で傷口に薬をぬりぬりしてもらった時なんて、嗚呼」

 

 

 頬を紅く染め、白手袋で覆われた両手を両頬に重ね、細い身を蛇のように捩らせながら

 

 

「あ、ヤバ。思い出すだけでイッちゃう。だってさ、あいつの手ったら妙にやらしいんだよ。骨と神経に触れた時なんて、私は直接あの指に触れられる骨と神経に嫉妬して狂いそうになったんだ」

 

 

 と言った。顔が蕩け、腰が震えているあたり、快楽に溺れかけているという事は嘘ではないようだ。

 

 

「黙れ」

 

 

 血潮の臭気が濃厚に漂う室内に、キリカが発する雌の香りを感じながら麻衣は再び言った。

 

 

「あ、無理。我慢できない。あ、あ…あぁ…友人、そんな奴から離れて、早く私と肌と血肉を重ねようよぅ」

 

 

 既にキリカは麻衣を見ていなかった。

 微動だにしない彼の元へと、キリカは両手の繊手を伸ばした。

 欲情に駆られていながら、それは我が子を抱く母のような優しい手の広がりを見せていた。

 そこで麻衣の精神が限界に達した。

 

 彼女の脳裏には、ナガレを自らの子供だと定義したキリカの姿が映っていた。

 そして、毒に侵された彼を救うべく、慈母の表情を見せた彼女の姿も。

 

 

「黙れぇぇぇぇぇえええええええ!!」

 

 

 嫉妬と憎悪に狂った叫びを上げながらの抜刀。次元を切り裂く力を乗せられた刃が煌いた。

 

 

「うん、そうするといいよ。お前がね」

 

 

 その声は、麻衣の背中で生じていた。

 同時に感じる、全身に粘りつく異様な時間経過の気配。

 その認識と、激烈な熱さと痛みは同時に来た。

 

 

「------------!!!」

 

 

 声にならない叫びを麻衣は挙げた。

 豊かな胸が内側から抉られ、豊富な脂肪が外気に晒されていた。

 蜂蜜のような黄色い脂肪は血に塗れ、折れた肋骨が四方に飛び出ている。

 その中央には、赤黒い斧が血と脂に濡れた切っ先を見せていた。

 

 

「よいしょっと」

 

 

 軽く言いながら、キリカは麻衣の背を蹴った。

 背中から胸を貫通した右手が引き抜かれ、麻衣の傷を更に広げた。

 ぐちゃぐちゃに破壊された麻衣の胸の惨状は、かつて彼女が食い散らかしたナガレの胸の様子に似ていた。

 それだけが、麻衣にとっての救いであった。その事が、砕け散りそうな麻衣の心を支えていた。

 それを察したか、キリカは優しく微笑んでいた。

 

 抉り出した麻衣の心臓を、倒れた麻衣の顔の前で掲げながら。

 そしてそれを、ゆっくりと自らの美しい顔の前に近付け、まるで林檎でも齧る様に歯を立てた。

 絶叫する麻衣。

 その彼女へと、キリカは回し蹴りを放った。

 胸を大きく抉られた麻衣は木の葉のように吹き飛ばされ、佐倉杏子の血肉で彩られた壁面に激突し、新たな血の花を壁面に咲かせた。

 

 

「うええ、ゲロマズ。やっぱり私にはカニバリズムの気は無いんだな。ノーマルな性癖で助かったよ」

 

 

 ぺっぺと渋柿でも吐き出すように、キリカは麻衣の心臓の破片を床に吐き捨て本体を握り潰した。

 麻衣の心臓が弾け、四方八方に無意味な肉片となって飛散する。

 

 

「当然ながら、友人じゃないと駄目か。全く、友人ときたらどこまで私を愛に狂わせれば気が済むんだ?」

 

 

 嘆く様に呟くキリカ。されどその黄水晶の眼には、子と伴侶を見つめる慈愛の色が映えていた。

 そしてそれは、ある存在を見た時に一変した。

 誰であるかは言うまでもない。

 彼と抱き合ってい、槍で繋がれている真紅の魔法少女である。

 

 

「お前、邪魔」

 

 

 憎悪以外の感情を廃した声は、一切の熱の籠らない永久凍土のような声だった。

 それに等しい冷たい瞳を暗澹と輝かせながら、キリカは杏子の元へと美しい死神のように近付いていく。

 

 

 














久々のお二人
書いててなんですが、地獄みてぇ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第76話 濡れて滴る朱い音

 視界が朱い。全身が痛い。胸が熱い。心が折れそうなくらいに苦しい。

 ふざけるなと、私は願うように思った。

 すると、体の痛みがすっと消えた。

 

 痛覚遮断というやつらしい。便利なものだ。

 そのお陰で、心の痛みだけが残った。

 一番苦しいものだけは、流石にどうにもならないか。

 それにしても魔法少女とは、本当に化け物であるらしい。不死身に近い身体に加え、痛覚まで遮断できるとは。

 

 素晴らしい限りだな。

 そう思うと、血塗れながら思わず口に笑みが浮かぶ。そして笑い出したくなる。

 自分の無力さと情けなさに。

 

 

「さて。軟弱な足手まといは無力化したから、私も精神世界に殴り込むとするか」

 

 

 この現状を作り出したゴキブリ女、いや雌ゴキブリは私の方をちらちらと見ながらそう言った。

 説明臭い台詞と言い、見せつけているという事か。ふざけた女だ。

 見せつけている、か。

 ああ、そうだな。

 今この時にも、私の頭の中には奴から見せられた光景が広がっている。

 

 開いた傷を口、伸ばした肋骨を牙に見立ててナガレを咥え込んでの捕食行為。

 髪と頬を撫でられたことでの性的絶頂。

 三日間にわたる殺し合い、からの雌ゴキブリ宅に移動してからの同室での宿泊。

 それから……もういい。

 考えたくない。

 

 何故なら…嫉妬してしまうからだ。

 あの女に、呉キリカに。

 

 確かにあれらの行動は度し難い。

 私の理解を超えている。

 だが一方で、奴は行動を起こし、そしてナガレと触れ合ったのだ。

 それは否定しようも無い事実だ。

 

 あの光景は奴の記憶そのものだろう。

 映像を介して観た彼の息遣いに触れた体温、肉体の質感……間違いなく本物だ。

 そして何より、喰らった血肉の味が同じだ。

 

 形は異形にせよ、触れあえたのは事実だ。

 それを奴は性行為と称した。

 命のせめぎあいであるからと。

 

 

 それを聞いたとき、私は身体を切り刻まれたような苦痛を覚えた。

 

 こいつに、こんな奴に……先を越されてしまうとは。

 そうだ。

 私もそれを望んでいたんだ。

 私はナガレを殺したい。私の強さの糧とする為に。

 それでいて愛したい。愛されたい。腹で命を育みたい。

 

 その欲求は戦いの中で満たされるという事に、私は気付けていなかった。

 戦いこそが性行為。

 こんなに簡単な事だったのか。

 答えはこんな近くにあったのか。

 

 私は愚かだ。

 大馬鹿だ。

 なんでこうも、考えが至らないのだ。

 

 それだけじゃない。

 行動力も無さ過ぎる。

 チャンスは幾らでもあったと云うのに。

 

 私がした事と言えば、彼と出会ってから自慰行為を禁じた事。その程度だ。

 それが何だったというのだ。禁欲をしたから、精神的に成長したとでも?

 そんな訳あるか。

 

 少し考えればわかったはずだ。

 自分を慰める。

 つまりは私が行った行為はどこまでも自分本位だ。

 内にわだかまる肉欲を解放せずに溜め込んだ。

 再び解き放つ時の快感を高める為に、溜め込むことで自分への罰とするように。

 

 なんて愚かだ。

 それならばあいつを想って、一度でも多く致していた方が良かった。

 そうして想いを重ねて、行動を起こしていれば。

 

 機会はあったんだ。

 映画鑑賞に言った時に手を握ればよかった。

 一言でも多くの言葉を重ねればよかった。

 

 何かの拍子に、唇を重ねればよかった。

 ああすれば、こうすれば。

 後悔は尽きない。

 

 

「さぁて、イベントを進めるか」

 

 

 雌ゴキブリの呉キリカの、音としては美しいが中身には蛆が湧いているような声が聞こえた。

 見たくも無いツラだが、何をやらかすか分かったものでは無いから仕方なく見る。

 

 奴は右手を伸ばし、一本だけ魔爪を生やしていた。

 そして右手を振りかぶると、その切っ先を紅い宝石目掛けて突き出した。

 槍で貫かれた、佐倉杏子のソウルジェムへと。

 

 その様子は、酷くスローに見えた。

 ゆっくりゆっくり、呉キリカの腐れた手が佐倉杏子の、あの女の魂へと近付いていく。

 実際には超高速なのだろうが、私の認識が遅れているというか、圧縮されているのか。

 

 現状的には佐倉杏子の危機だが、全くとして気遣う気持ちが無い。

 特に接点が無いからと言うのもあるが、むしろ砕けてしまえ、死んでしまえという気分さえある。

 人間的にどうかとは思うが、そう思うのだから仕方ない。

 

 何故そう思うのかと自己分析すると、はっきり言って嫉妬心からのものだと分かる。

 私の手元にいないあいつを、佐倉杏子は手元に置き、それでいて何もしていない。

 夜這いを掛ける訳でもなく、肌を重ねることも無い。

 挙句、実質支配下に置いているのに憎んでいる。

 

 呉キリカの話では、佐倉杏子はあいつを憎みたいから憎んでいる。

 そうしないと心の支えが無いからだと。

 愚か者めと思うが、奴の過去を鑑みるとバカにする気にはなれない。

 

 そもそもあの腐れ雌ゴキブリを完全に信じた訳ではない。

 しかし、だとしたら私はなんなのだ。

 恋焦がれているくせに何もせず、何もできない。

 なんだこれは。私は道化ではないか、愚者ではないか。

 

 思考が堂々巡りに至った時、脳裏にふっと景色が浮かんだ。

 呉キリカが語った、ナガレとの間で繰り広げた筆舌に尽くしがたい非人間じみた行為の数々。

 部分的に見れば、愛を感じる場面も憎たらしい事に幾つかあった。

 しかし大半は異常な行為だ。異常に過ぎる悪夢の光景、地獄そのものだろう。

 

 だがその地獄を、ナガレは乗り越えた。

 いや、彼としてはそんな大層な事を考えてすらいないだろう。

 あれが、いや、地獄が彼にとっての日常で、キリカのそれもその中の一部に過ぎないと。

 

 そう思った時、私は一つの光景を思い浮かべた。

 腐れ雌ゴキブリの呉キリカがいた。

 小柄な体躯ながら、相応に雄を引き寄せる雌の身体は、秘めた色気を解放するかのように全裸になっていた。

 

 その呉キリカを、普段の服装を纏ったナガレが犯していた。

 

 後ろから覆い被さり、奴の無駄に豊かで永劫に本来の用途として使われて欲しくない乳房を両手で揉みしだきながら、奴の尻に猛然と腰を打ち付けている。

 呉キリカの尻が揺れ、白い乳房が赤くなるまで強く揉まれる。

 

 無得に伸びていた彼の手が呉キリカの顔を掴み、強引に後ろに向ける。

 情欲に狂った顔で雌ゴキブリが振り向かされ、彼はあいつの血色の唇を強引に奪う。

 肉食獣が肉を喰い貪るかのように。

 

 血が出るほどに強く唇を噛まれても、呉キリカは抵抗しない。

 それどころか自ら唇を開き、彼の舌を迎え入れる。

 長い舌を伸ばして絡め合い、お互いの唾液を混ぜ合うように口内で暴れさせる。

 二人の呼吸は荒く、興奮の度合いが高いことが伺えた。

 

 だが見てる限り、興奮の感情の種類は両者で異なっているように思えた。

 雌ゴキブリは浅ましい性欲から、対する彼は嗜虐心と征服感から。

 呉キリカと言う存在を破壊するかのように、情愛の欠片も無い暴力的な交わりを行っている。

 

 孕ませるのではなく、命を育む器官たる子宮を壊すように、その通り道の膣を切り刻まんばかりに彼の肉がキリカの肉を抉っている。

 その様子に、私は嗤っていた。

 悪鬼のような半月の笑みを浮かべて笑っていた。

 嗤いながら泣いていた。

 滴る涙は塩辛い水ではなく血液だった。

 

 呉キリカが行った行為は、彼を我がものとしたいが為のものだろう。

 自らが育んだ我が子であり、その遺伝子の片割れを持っているのだから伴侶だなどと一方的に決めつける。

 

 挙句の果てに自分を母と定義し、血を交わして庇護者足らんとする。

 感心する一方で、やはり嫌悪感を感じる。

 私が正常だという証拠だろうな。

 

 そして彼もまた正常だ。

 このイメージはきっと、あの雌ゴキブリから受けた仕打ちへの解答だ。

 それはつまり、呉キリカの行為はナガレに全くの影響を与えず、奴が敗北したというコトの表れだ。

 あれほどの性的倒錯行為と暴力を受けながら、ナガレの心は揺らいでいない。

 確たる自己を彼は維持し続け、そして今に至っている。

 

 ははは。

 そうか、愚者は私だけではなく道化役も一人だけではなかったか。

 卑しいと思いつつも、安堵感を得てしまう。

 それが悔しく、心が痛む。

 しかし、それが血涙の原因では無かった。

 

 私に涙を流させたのは、憧憬と嫉妬の思いだった。

 今も目の前では、呉キリカが彼に陵辱されている。

 あれは本来、私が受けるべきだったんだ。

 

 あれは私だ。

 犯されているのは朱音麻衣だ。

 

 私の役割を呉キリカが代行している。

 本来なら彼が私を凌辱し、私が彼に壊されるのだ。

 何故、呉キリカなのだ。

 その事実が、どうしようもなく苦しい。

 

 だが疑問も浮かぶ。

 私は呉キリカになりたいのか? 違う。そんな卑しい事は望んでない。

 私は彼を殺したいが、呉キリカのように彼を壊したい訳ではない。

 

 ただ、私の居場所を得たいだけだ。

 彼の、ナガレの前なら私は女に、雌になれる。

 こんな戦闘狂の私でも、女の幸せを求められるんだ。

 

 でもどうやって彼を取り戻せばいい? 答えはない。ただ私は血の涙を流し続けた。

 

 

「助けてくれ」

 

 

 私は呟いた。

 

 

「助けて……助けてよぉ……ナガレ……」

 

 

 これが自分かと疑うほどに、弱弱しい声と口調で私は愛する者の名前を呟く。

 そんな私を放置して、世界は時を刻んだ。

 呉キリカが突き出した右手が伸びきり、その爪の先端が佐倉杏子のソウルジェムに触れていた。

 儚い音を立て、破片が舞い散った。















精神世界内では超インフレバトル、現実世界ではヤンデレ懊悩……この作品に安息は無いのだろうか?(今更)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第77話 朱と紅

 破片が散る。

 佐倉杏子のソウルジェムに、呉キリカの爪が触れた事で。

 

 知った事か。

 と私は私の感情に向き合う。

 

 どうすればいい。

 

 私はこれから。

 

 懊悩に割り込む様に、嘗て聞いた言葉が木霊する。

 

 

「なんで」

 

 

「どうして」

 

 

「これから」

 

 

 美しく、それでいて腐った果物から滴る腐敗して爛れた毒の言葉が聞こえる。

 

 

「そんな事は知らない方がいいよ」

 

 

 呉キリカの意味深な言葉。

 頭の内側に蛆虫が詰まった奴は、こういった言い回しが好きなようだ。

 その意味さえも知らないだろうに。

 

 しかし今の私には、それは甘美な誘惑に聞こえた。

 思考を放棄し、身を任せる。

 欲望を持つのだから、苦しくなる。

 ならばそれを喪えば。

 現実と理想の乖離に苦しむ事も無い。

 

 確かに、理にかなっている。

 なるほどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふざけるな

 

 

 

 

 私は。

 

 私は私の欲望を肯定する。

 

 私の心に、魂に、三種の叫びが轟くのが聞こえる。

 

 黒く巨大な、異形ながら美しい姿が瞼に浮かぶ。

 

 ああ。

 

 お前達。

 

 我が愛しの子ら。

 

 そうか。

 

 そうだな。

 

 お前達と出逢えたのも、私の欲望が本物であったからだ。

 

 ああ、そうだ。

 

 その母たる私が、私自身と、何よりお前達を否定してはいけないな。

 

 

 

 

 

 だから私は、もう我慢はしない。

 後悔なんてしないよう、私は私の欲望を全うしてやる。

 

 そう思ったら、すっとした。

 

 簡単な事だったんだ。

 手を伸ばせばよかった。

 

 欲望の、いや、私の愛の対象は直ぐ傍にいたのだから。

 

 ナガレ。

 

 異界から来た強き者。

 

 あの腐れ雌ゴキブリには水を開けられてしまったが、なぁに、取り返す時間は幾らでもある。

 

 あとは私次第という訳だ。

 

 奴を始末して、後釜になるのも悪くない。

 

 いや、これは正攻法だな。実に私らしい。

 

 先程からこういったことの連続だが、私の脳裏に映像が浮かぶ。

 

 温かい風が吹く一面の緑の上、葉を生い茂らせた木の根元に私服姿の私が座る。

 

 その腹は新しい命を宿して大きく膨れていて、私は両手でそれを撫でる。

 

 そこに私ではない手が加わる。

 

 細いが華奢ではない、逞しさも併せ持った男の手が。

 その主は、勿論ーーーーー。

 

 そこで私は思考を打ち切った。

 この素晴らしい光景に浸りたいが、まずは行動を起こすべきだ。

 

 意識は虚構から現実に戻った。

 その時の痛みは、筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 

 

 

 

 呉キリカの爪の先で、破片が舞い散っている。

 その色は、黒。

 飛来した破片に肌を切られながら、呉キリカは驚きの表情を浮かべていた。

 

 ソウルジェムの硬度は知らないが、奴の爪を佐倉杏子の魂は弾き返し、挙句破壊していた。

 やるじゃないかと感心する。

 そして感謝した。時間を作ってくれたことに。

 

 その瞬間には、私は飛翔していた。空洞になった胸から入る空気が妙に冷えていて気持ちが良い。

 痛覚遮断は既に切っている。痛みには慣れているし、戦闘に入ったのならもうあんなものは邪魔だ。

 呉キリカも私に気付き、こちらに振り返る。

 

 そして奴は、にっこりと笑った。形だけで見れば、その笑顔は美しい。

 だから貴様は嫌いなんだ、腐れ雌ゴキブリが。

 何故その外面に等しい、美しい行いが出来ないのだ。

 

 いや、あれが、私に見せたあの光景が、貴様にとっては美しく尊いものなのだろうな。

 鉄塔の上で月光を浴びながら、座っていた貴様の姿が目に焼き付いている。

 彼の血を子宮に宿した貴様の顔は、確かに性欲を見せてはいても、母としてのそれになっていたと思う。

 

 

「やあ朱音麻衣。その顔を見る限り、精神的に成長したのかな」

 

 

 その時と似た表情で微笑みながら、奴は言う。

 

 

「ならば私と共に、今からなんとかしてこのツンデレモドキで自慰行為好きの特殊性癖女の精神世界に突入をだね」

 

 

 言葉の意味を頭が受け取る前に、私は駆け抜けた。

 そして抜刀していた刀を腰に差した鞘へと戻す。

 鍔鳴りの音が、耳に心地よかった。

 

 呆気にとられた呉キリカが振り返り、首を傾げた。

 それがずるりとずれた。

 

「え、あの、ちょっと」

 

 最初に首が、胸が、腕が、腰が、脚が、膝が。

 斬線が入り、ばらばらになって落下していく。

 我が生涯で最高の斬撃が放てていた。

 なるほど、確かに私は成長したらしい。

 

 

「ちょ、なんで!?」

 

 

「貴様の胸に聞け」

 

 

 背を向けたままに吐き捨てる。

 呉キリカの声は地面で生じていた。

 

 

「ヤンデレ発情紫髪、私の胸は知らないって言ってるぞ」

 

 

 腐れ頭を示すように、こいつは自分の胸に話し掛けていた。

 私の斬撃で念入りに、果物みたいに輪切りにしてやった自分の胸に。

 当然ながら無視する。

 すると呉キリカは、私の名前をちゃんと言わなかったことが原因と捉えらたしく次にこう切り出した。

 

 それにしてもヤンデレと来たか。

 こいつの発言は的外れな事ばかりだが、今回は特にそうだ。

 

 デレてはいるが、私の何処が病んでいるというのだ。

 全く以て完全に、私は健全であるのだが。

 

「やい朱音麻衣、友人が私のおっぱいが好きな事を知らないのか?あいつ、よく私の胸をパンチでよく貫くんだぞ!?」

 

「だからどうした」

 

「その欲望を受け止める神聖にして母なる胸に何てことするんだ!しかも縦に何回も輪切りにするなんて最悪じゃないか!」

 

「最悪の災厄がほざくな。お得意の治癒魔法で治してみろ」

 

 

 言われなくとも、と奴は言った。バカめ。

 

 

「おい、朱音麻衣」

 

「なんだ、下着未着用の淫乱腐れ雌ゴキブリの呉キリカ。貴様の爛れた記憶を見るのはもううんざりだが?」

 

「語彙が貧弱だし罵詈の組み立て方が甘いね。って違うよおバカ。この断面、どうにかしてくれないかい?これじゃ傷が繋げられない」

 

 

 呉キリカの身体の断面は、黒い鏡面と化していた。

 空間を繋ぐ魔法の応用で、斬撃にそれを乗せてやった。

 身体の断面が異空間と化してしまえば、治癒もへったくれも無いだろう。

 

 

「悪いが初めて使ったものでな。自分でもまだ制御できてない」

 

「無能」

 

「その無能に無力化された気分はどうだ?」

 

「あのさ、今は争ってる場合じゃないと思うんだけど。君、この現状分かってる?」

 

「最初に手を出してきたのは貴様だぞ」

 

 

 自分の胸の大穴を指差しながら私は告げる。

 

 

「君の成長を促す為だよ。この技を見る限り、それは達せられたようだが」

 

「ああ、とてもいい刺激になった。感謝はしないが、慈悲は与えてやる」

 

 

 言いながら、私は再び抜刀した。

 一太刀で終わらせてやる。

 

 

「協力する気は無いのかい?」

 

「遺言が無意味な言葉とは、最期まで貴様らしいな」

 

 

 状況を分かっていないのか、ぼんやりとした表情の呉キリカの黄水晶の瞳が私を見ている。

 それが鏡となって、私の顔を映している。

 悪鬼の笑顔で刀を掲げた私がそこにいた。

 

 ああ、イイ表情。満足だ。

 この腐れクソゲス淫獣を葬るに相応しい表情だ。

 そして魔力を籠めた一刀を奴の顔面と、腰から外れたダイヤ型のソウルジェムへと振り下ろした。

 

 その刹那、肉の断片となって転がるキリカの先に立つ紅の姿が眼に映った。

 ナガレと自分を槍で貫き、抱き合っている佐倉杏子の後ろ姿が。

 その瞬間、私は自分の笑顔が更に浅ましく、そして狂暴になったのを感じた。

 

 

 

 そして次はお前だ、諸悪の元凶たる佐倉杏子。

 刀身から迸る魔力は、確実に二つの魂を切り裂くだろう。

 いかに耐久力があろうが、次元を切り裂く力に敵うものか。

 後は血と為れ肉と為れ。

 

 ナガレは私を赦してくれないかもしれないが、覚悟はできている。

 その時は愉しく明るく健全に、悲壮で無惨に凄惨に、互いの力を出し尽くして存分に堂々と殺し合おうじゃないか。

 破壊の対象二つを悪鬼の貌で睨み、恋慕の対象を愛おしく見つめながら私は愛刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

 

 

 肉が貫かれ、背骨が砕けた。

 桃色の内臓が傷口から溶岩のように溢れた。

 武者姿風の朱音麻衣の背から腹を、真紅の長得物が貫いていた。

 切り裂かれた内臓をこびり付かせながら彼女の腹から先端を覗かせた切っ先は、十字架を模した形をしていた。

 

 十字の上には、血で濡れた朱色の宝石が切り裂かれたリボンに吊られて乗っていた。

 振り下ろし掛けた刀は、槍の左右の叉が彼女の両腕を切り裂くことで強制停止させられていた。

 

 また当の麻衣本人も動きを止めていた。

 苦痛による停止ではなく、悪鬼の形相のままに全ての動作が完全に止まっていた。

 まるで、電源を切られた人形のように。

 

 

「ああ、なんだ」

 

 

 どうでもいいといった風に、呉キリカの生首は言った。

 

 

「生きてたのか、お前」

 

 

 声に宿った嫌悪感と共に言い終えた彼女の頭部が爆ぜ割れた。

 灰と桃色の脳髄と砕けた頭蓋、潰れた眼球やばらばらに砕けた歯や千切れた舌の上に、真紅のブーツが乗っていた。

 ブーツが動き、キリカの肉片を更に念入りに磨り潰した。

 ペースト状になった脳髄が割れた唇や潰れた肉と粘土のように混ぜ合わされる。

 

 そこにいたのは真紅の魔法少女だった。

 髪を束ねていたリボンは消え失せ、長いの髪が紅の滝のように垂れ下がっている。

 神父服のような趣のドレスを纏った、佐倉杏子がそこにいた。

 

 呉キリカの残骸をなおも踏み潰しながら、紅い眼で自分を、佐倉杏子を見ている。

 彼女であって彼女に非ず、この鏡の世界が産んだ、佐倉杏子の複製体だった。

 灼熱の熱線の中に消えたが、まだその命は絶えていなかったようだ。

 

 しかし、その姿は変わり果てていた。

 ドレスの至る所が融解し、皮膚と癒着し腫瘍のような血色の泡が無数に出来ていた。

 それは右半身が顕著であり、スカートから覗く肌の部分にも重度の火傷が生じ、それは膝まで続いていた。

 

 更には顔も右半分が焼け爛れ、真紅の眼は赤く蕩けた皮膚の下に隠れていた。

 当然苦痛も尋常ではなく、投擲と跳躍、そして憎い仇であるキリカの頭の踏みしだきを行ったコピー杏子の息は荒く、凄惨な負傷を追った顔には苦痛しか浮かんでいなかった。

 

 それでもコピーは歩いた。得物は麻衣を串刺しにしたままだったが、その右手には脇差しが握られていた。

 すれ違いざま、動かぬ麻衣の腰から拝借していたものだった。

 

 歩みの矛先は一つしかなかった。

 その過程で、彼女は床に落ちたキリカのソウルジェムへと足を延ばした。

 自らに執拗な攻撃を加え、喉を無惨に切り刻んで声を奪った相手の魂を踏み潰さない理由はない。

 それが止まり、更には足を引かせた。

 

 コピーの残った左の眼は、青紫色の宝石の中にある赤い色を見た。

 青紫の中で輝くその色に彼女は見覚えがあり、そこからある気配を感じ取った。

 その感覚に、彼女は眼を細ませた。安らぎと情愛の表情を彼女は浮かべた。

 

 呉キリカの魂にではない。その中にある赤い輝き、呉キリカが自身の子宮の中に溜め込み、挙句の果てに自らの魂の中に閉じ込めたナガレの鮮血に対してである。

 一部ではあっても、それは彼女が想いを寄せる存在に変わりなかった。

 魂を破壊しなかった代わりに、コピーは砕けたキリカの爪を脇差を握る右手の指で摘んだ。

 

 再び彼女は歩き、その彼と抱き合うオリジナルの元へと辿り着いた。

 そして二人を見つめた。そして動かぬナガレの顔へと焼け爛れた自分の顔を近付け、その頬に唇を重ねた。

 数秒間、彼女はそのままの状態を維持した。そして名残惜しそうに彼から離れ、大きく息を吸って、吐いた。

 

 そして左手を胸に伸ばし、そこに付着した真紅の宝石を握り締めた。

 乾いた音が鳴り、火傷で覆われた手の中で宝石が砕けた。

 

 コピーの眼から生命の輝きが消え、あらゆる動きが停止した。

 そして仰向けに、ゆっくりと倒れていく。

 

 その最中に、コピーの身体が光となった。

 肉と骨が、衣服に髪が真紅の光と化していく。

 右手に握られた魔爪や刀は、それぞれ黒と紫の光となった。

 

 床面に触れた瞬間、光は無数の粒子となって舞った。

 黒と紫の光もそこに交わり、風に吹かれた桜の花びらのように宙を漂う。

 それはある場所へと向かった。

 

 三種の光はナガレの両腕を形成する義手へと触れ、寄り添い慈むようにその表面に纏わりついた。

 そしてやがて、その中へと吸い込まれていった。
















麻衣さんの覚醒
そして多分、この作品の良心は佐倉さんのコピーであります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第78話 紅の蝕

「グゥゥゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 佐倉杏子は吠えていた。

 黒く穢れた身体からは同色の靄が立ち昇っていた。

 人の形を留めた黒い炎の獣と化して、彼女は槍を振り下ろした。

 それを魔斧槍が迎え撃つ。

 

 

「ぐ…」

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 短く苦鳴を漏らすナガレに対し、咆哮する杏子。

 拮抗していた腕力が、杏子側に優勢を傾けていた。

 

 彼女の身体を覆う黒靄が妖しく輝き、彼女に力を与えていた。

 彼はそう思った。

 その様子には覚えがある故に。

 力に溺れた嘗ての自分に。

 

 

「ならよ!!」

 

「グァアアアア!?」

 

 

 押されていた斧槍の柄を蹴り、ナガレは杏子を撥ね飛ばした。

 そして空間を蹴って跳び、杏子に斧槍を振り下ろした。

 

 今度は杏子がそれを迎撃した。

 精神世界の中、嘗てあった宇宙の中。

 

 皇帝の名を冠する機械神と虚無を司る神。

 それら相手に、摂理へ抗う叛逆の戦鬼と終焉にして原初の魔神が繰り広げる人知を超えた地獄の中の地獄にて、少年と魔法少女が剣戟を交わす。

 

 

「来な杏子!!待たせた分だけ、徹底的に相手んなってやる!!」

 

「グガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 真紅の魔槍が、魔なる生命を宿した斧槍が互いを求め逢い、刃を重ね合う。

 

 

 それを操る二人の背後では、魔神が眼から放った閃光が宇宙を貫き次元を揺るがし。

 

 虚空の神の咆哮が宇宙自体を消滅させ。

 

 皇帝の額から発せられた熱線が虚無の中に新たな宇宙を生み出し。

 

 深紅の戦鬼が振るった手斧の斬撃が虚無と宇宙、そして次元を切り裂いていた。

 

 それらの一切を無視し、二人は戦っていた。

 世界の全てが、互いで完結しているように。

 

 

「杏子おおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 名を呼びながら、ナガレは猛然と斬撃を繰り出す。

 巨大な獲物がナイフ並みの手数で嵐の如く振られ続ける。

 その様は、地獄の中で戦い続ける機械の戦鬼の動きに似ていた。

 似ているのではなく、そのものだった。

 

 彼は彼女を助けに来た。人としての彼女を取り戻すために。

 されど行っているのは、彼女を破壊する行為である。

 矛盾という言葉に、これほど合致するものが他にあるのだろうか。

 

 しかし、今はこれしか出来ない。

 戦いの答えは戦いの中でしか得られない。

 

 激しい剣戟を前に杏子が押され、今度は彼女が防戦に陥った。

 

 

「ナ…ガ…」

 

 

 暴風の如きラッシュを捌きながら杏子が呟く。

 一つの言葉を生み出さんとして。

 

 

「ナァァァァガァァァァアアレェェェェェエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 

 

 咆哮に意味を乗せて、彼女は攻めに転じた。

 

 無限の広大さを誇る宇宙が砂場の城か積み木のように簡単に破壊され、また新たに創造される中で二人は斬り合い、殴り合い、蹴りを重ねる。

 互いの名前を叫び、狂気の塊のような叫びを上げる。

 その最中で、幾筋もの斬線が両者を刻んだ。

 

 しかし肉体的な破壊はなく、ただ狂わんばかりの痛みが接触した個所を中心に全身に行き渡る。

 今の二人は実体としての感覚は持っていても、存在としては剥き出しの魂であり、今行われているのはそれ同士の激突であるが為に。

 

 数百数千数万、数が無意味になるくらいに、剣戟が交わされる。

 その中で相手の先の先を読み、最適解を演算して振う。

 戦う事が本能に根付いた両者は、持てる力の全てを駆使して戦っていた。

 

 苦痛に満ちた交差の中、二人は嗤っていた。

 力を解放し、それを重ね続けられる相手の存在に歓喜するように。

 

 嗤いながら、両者は蹴りを放った。回し蹴りだった。

 それは真っ向から激突し合い、二人の足に激痛が生じて全身に波及する。

 

 構うものか。

 

 と二人は思った。思考ではなく本能で。

 次の瞬間には、杏子とナガレは得物を手放していた。

 そして空いた手を拳に変えて、相手の顔面へと襲い掛からせた。

 

 

「ぐがっ…」

 

 

 ナガレの拳は直撃し、杏子のそれは彼の左頬を掠めるに留まった。

 手を止めずにナガレは追撃した。残った左拳が杏子の顎を撃ち抜いてかち上げる。

 そして浮遊した彼女の足首を掴み、まるで斧槍のように振り回した。

 

 

「大雪山おろしいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 叫びを上げ、杏子を再び上方へと吹き飛ばす。

 折れてはいないが、彼女の身体は可動範囲がぎりぎりになるまで捻じ曲げられていた。

 

 

「グゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 相当な苦痛に苛まれている筈だが、杏子はその身のままに天を蹴り上げ下方へと向かった。

 それを見たナガレの顔には驚きの表情が浮かんだ。それは直後に感嘆に変わった。

 

 

「マジかよ。すげぇな」

 

 

 魔神にすら痛打を与えた技で止まらぬ杏子に、彼は賛辞を送ってた。

 それが届く事も無く、杏子は汲み合わせた両手で作った拳をナガレへと見舞った。

 それは彼の両手でのブロックを打ち砕き、ナガレの額を撃ち抜いた。

 

 苦鳴を上げる間もなく、彼は吹き飛ばされた。

 木の葉のように跳ばされていく彼の動きがびたりと止まった。

 その背に、悪魔のような翼が出現していた。

 

 飛翔に移ろうとした時、その眼の前には杏子の顔があった。

 眼は血走り、悪鬼でも眼を背けそうな恐ろしい笑顔を浮かべた彼女の顔が。

 

 

「ガァァッ!」

 

 

 その彼女が取った攻撃は、牙を用いての噛み付きであった。

 大型肉食獣、いや、太古の覇者たる肉食恐竜の如く勢いで杏子は猛然と噛み付きを何度も放つ。

 彼女の歯が、牙が噛み合う音は武具による剣戟の音に匹敵していた。相対する彼はそう感じていた。

 

 その彼女に対し、彼は前へと進んだ。

 そして頭が齧り取られる瞬間に顔を引き、その顔に頭突きを叩き込んだ。

 

 

「がぁ…」

 

「グァァ…」

 

 

 二つの苦鳴。

 ナガレの頭突きに対し、杏子もまた頭突きを放っていた。

 これまで何度も何度も行ってきたが、杏子との戦いではこれが一番痛いとナガレは思った。

 互いに、強い意志の力を反映しているが如く石頭に過ぎるのだった。

 

 頭痛に揺れる頭を振り、両者は再び争うべく向き合った。

 それは、その時に生じていた。

 

 

 互いの意識がほんの一瞬途絶していたその間に、その存在は顕れていた。

 

 対峙する杏子とナガレのその間に。

 それは紅い光で作られた、真紅のドレスを纏った少女だった。

 

 長い髪をポニーテールで束ね、十字架を模した穂を頂いた長い槍を携えていた。

 それはナガレに背を見せ、佐倉杏子と対峙していた。自らと同じ姿の存在へと。

 身を彩る衣服や武具、そして光で出来た肌や目鼻立ちは佐倉杏子と全く同じだった。

 全身が黒斑で無いところと、更にある一点を除いては。

 

「お前」

 

 ナガレが呟いた瞬間、佐倉杏子の幻影は自らのオリジナルへと向かって行った。

 対して、オリジナルの杏子は叫びを上げた。

 怨嗟に満ちた叫びを。

 

 自らの複製に対する憎悪でもあり、不愉快極まりない存在達に対する悪意でもあった。

 複製からは自分と同じ気配と、二匹の同類の気配を感じていた。

 

 その源泉は、複製の胸元にあった。

 そこにある宝玉は、三食の色で出来ていた。

 一つは元来の真紅、二つ目は漆黒、そして青い紫色が渦のように交じり合った色をしていた。

 

 その様子に杏子の怒りが、憎悪が煮え滾った。

 嫌う者達と交じり合い一つになっている様が、彼女にとって極大の嫌悪感と屈辱感を与えていた。

 杏子は感情を乗せて叫んだ。

 それに、彼女を蝕む穢れが応えた。

 

 杏子の全身に広がる黒い穢れの源泉たる胸元が、その魂たる宝玉がある胸の中央が膨らむや、黒い波濤が放たれて複製へと向かった。

 波濤は空中で異様な変化を遂げた。

 黒の表面からは百足か蜘蛛を思わせる脚のような線が無数に飛び出し、波濤の先端は横に開いて無数の牙が生え揃った口となった。

 昆虫を思わせる無機質さと、皮を剝かれた獣のような有機的な要素を併せ持つ異形へ、彼女の穢れが変化していた。

 

 複製へと迫るそれに、ナガレもまた前へ跳んだ。

 

「逃げろ!!」

 

 彼は叫んだ。これまでにも、彼女に対してそれを促した。だが彼女は従わなかった。

 だから今度もまた、彼女はそれに従わなかった。それに、複製は彼へ振り返って微笑んだ。

 どこか申し訳なさそうな、女神のような優しい微笑みだった。

 

 そして彼女は槍を投げ捨て、脚を止めた。

 その場に留まり、腕を左右に大きく広げた。その姿は、真紅の十字架そのものだった。

 立ち塞がる十字架に、異形と化した穢れが牙を立てた。

 抵抗も無く、柔らかい果実を喰らったが如く複製の身体は大きく抉られていた。

 

 薄い膨らみの胸がごっそりと消え、下腹部までの輪郭が大きく削られている。

 それでいて、彼女は微笑んでいた。傷口から血飛沫のように紅い光を放出しながら、形を崩壊させつつ消えてゆく。

 消えながら、複製は口を動かした。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「ずっといっしょに」

 

 

「いたいけど」

 

 

「あたしができるのは、ここまで」

 

 

「がんばって」

 

 

 口の動きはそれらの言葉を告げた。

 伝えると同時に、複製の姿は消えた。紅い光の残滓も残さずに。

 そしてこの時、消えたのは彼女だけでは無かった。

 

 複製の身体を咀嚼する異形の穢れ、その先端が消え失せていた。

 その直前に、目覚めた魔獣のような獰悪極まりない叫びが上がっていた。

 それは、消えゆく少女への応えであった。

 

 そして今、何かを砕く音が生じていた。

 憎悪に狂った杏子の脳裏に、それは響いた。

 その音の源泉を彼女が探った時、それは既に彼女の直ぐ近くにいた。

 

 彼女までの間に伸びていた穢れは、まるで無数の刃に切り刻まれたかのようにずたずたにされていた。

 強引に引き千切られ、齧られていた。

 今、佐倉杏子の顔の前で口を大きく開き、切っ先を見せたナガレの牙によって。

 白く鋭い牙と彼の唇には、引き裂かれた穢れの残滓が纏わりついていた。

 

 彼が何をしたのか悟った瞬間、佐倉杏子は叫んでいた。

 彼女に牙を見せ、渦巻く瞳で杏子を見るナガレの眼は、獲物に対する捕食者の眼となっていた。

 怯える獲物の声で、彼女は叫んでいた。

 

 しかし、この時彼が獲物と見ていたのは、彼女から噴き出す穢れであった。

 そしてその源泉へと、彼は牙を立てた。

 彼女の魂である、今は黒で覆われた真紅の宝玉へと。

 

 杏子の長髪を束ねるリボンの根元を左手で掴み、腹の部分の生地を右手で捕獲し、彼は彼女の穢れを貪り食い始めた。

 その様子に、佐倉杏子は再び悲鳴を上げた。

 

 それは凄絶な響きを帯びてはいたが、雄に貪られる雌の悲鳴にも聴こえた。

















コピーさんは天使であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 闇喰らう竜、混沌啜る毒蛇

ばりばり

 

ぐちゃぐちゃ

 

ずるり

 

ごくん

 

 

 あたしの目の前で繰り広げられるそれは、そんな音を立てていた。

 あたしの胸から、ソウルジェムから湧き出す穢れ。

 あたしの心を形にしたみてぇに、虫や百足、それと爬虫類とかをごちゃ混ぜにした醜い見た目になったそれを。

 

 あいつが、喰っていた。

 恐竜みたいな牙を生やして、あたしの穢れを、心を貪り食ってやがる。

 噛み砕いて、砕いて、砕いて切り裂いて、飲み込む。

 そしてまた、湧き出してくる黒い穢れを喰っていく。

 

 あたしの髪と腹を手で押さえて、まるで犯すみたいにして食っていきやがる。

 

 犯す。

 

 レイプ。

 

 強姦。

 

 ああ。

 

 そんな感じだな。

 

 自分でする時に思い浮かべちまう光景に少し似てやがる。

 肉が疼いて弄ってると、どうしても自分が滅茶苦茶にされる光景が浮かんでくる。

 

 ボコボコにされて投げ飛ばされて、動かなくなった体に覆い被されて、アレをあたしの股の穴に突っ込まれて犯される。

 嫌に決まってるんだけど、それ以外のシチュエーションなんてあたしには思い浮かべられねぇし、いちゃいちゃとした子作り目的の幸せなセックスなんざ似合わねぇ。

 あたしの疼きは、気の迷いと暇つぶし、それと一時の快感の確保で良い。

 

 

 だけど、これは…これは、似てるけど違う。

 

 助けようとしてるってのは分かる。

 

 分かるけどよ。

 

 割り切れねぇよ。

 

 犯される側としちゃあよ。

 

 

 

 でも実際、あいつに喰われる度に楽になっていくのが分かる。

 

 心の中で暴れまわって、外に出たがっているどす黒い感情が減っていくのが分かる。

 

 胸の内側をデカい百足が暴れまわってるような、体の内側をナイフで切り刻まれていくような痛みが減ってく。

 

 痛みが消える。

 

 楽になる。

 

 あいつが噛み千切って、口に咥えた穢れがあいつに噛み砕かれて嚥下される。

 そしてまた、あいつはあたしの胸に顔を埋めた。

 その前に、あたしは見た。

 

 あいつの渦を巻いた黒い瞳の中に、穢れと同じ色が浮かぶのを。

 

 そしてあたしの穢れが、あいつの渦の中に消えていくのを。

 

 

「あ」

 

 

 あたしはそう呟いた。

 そして、楽になって軽くなっていた心の中に何かが広がっていった。

 

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

 

 あたしは叫んだ。

 

 

「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 

 叫びながら、あたしはあいつの顔を殴った。

 左手でナガレの首を掴んで、右手で殴り続ける。

 それでも、あいつは止まらなかった。

 殴られながら顔をあたしの胸に埋めて、一心不乱に喰い続ける。

 

 

「ぐぅぅぅううううううあああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

 

 今度は蹴った。

 両腕をあいつの頭に絡めて、両脚の膝であいつの腹を蹴りまくる。

 鳩尾と腹に何発もクリーンヒットして、あいつは苦しそうな呻き声を上げた。

 普段ならこれで仕舞だろうな。

 

 さすがのあいつでも、内臓が全部破裂して心臓を破壊されてるはずだ。

 それなのに、ナガレは止まらねぇ。

 気が狂ってもおかしくない痛みを与えてやってるはずなのに、渦巻く瞳の中の光はあいつが正気だって示してやがる。

 

 

 やめろ。

 

 やめろ。

 

 やめろ!!

 

 

 叫びつつあいつの身体を殴る蹴るしながら、心の中でもあたしは叫んでた。

 

 こいつは、この穢れは、この苦痛はあたしのものだ。

 

 

 

 だから。

 

 

 てめぇの、この行為は。

 

 

 余計なお世話だ。

 

 

 あたしの心を、喰うんじゃねぇ。

 

 

「ぐぅぅあああああああああ!!!」

 

 

 あたしはまた叫んだ。

 そして開いた口を、そこにずらっと並んだ牙を、あいつの首に突き立てた。

 喉笛をやれりゃよかったんだけど、微妙に交わされちまったからうなじに喰いつく羽目になった。

 

 噛んだ感触は、まるで分厚いゴムで覆われた岩みてぇだ。

 現実と同様、幾ら殴っても折れやしない頑丈さのままらしいや。

 

 感覚的に、全部の牙の切っ先があいつの中に喰い込んだのを感じた。

 まだ足りねぇな。

 

 

「ぐがあああああああああ!!」

 

 

 叫びながら力を込める。

 牙が全部、歯茎まであいつに埋まった。

 感覚が妙なのは、弾かれてるってコトだろな。

 喰い込んではいても切り裂けちゃいない、傷付いちゃいねぇってこった。

 

 そうかい。

 

 なら、やってやるよ。

 

 傷付かないなら、傷付けてやる。

 

 もっと鋭く、もっと強く。

 

 伸びやがれ、あたしの牙。

 

 もっと尖れ、あたしの心。

 

 あたしの憎悪。

 

 何かを憎んでねぇと、落ち着けねぇ歪んだ心。

 

 

 

 でも、唸りながら牙を尖らせるあたしを、ナガレは見てすらいやがらねぇ。

 口元は穢れの残骸で真っ黒に染まっていた。

 相変わらず、狂ったみてぇにあたしの心を貪ってやがる。

 

 その顔には、はっきりと苦痛が浮かんでる。

 血深泥で斬り合って殴り合って、いつ死んでも分からねぇ、寧ろなんで生きてるか分からなくなるぐらいに互いを切り刻んだ時の顔と似た表情をしてやがる。

 

 ああ、流石にてめぇでも辛いんだな。

 

 そうか。

 

 あたしの心はてめぇに苦痛を与えられてるのか。

 

 そりゃあ良かった。

 

 

 なら、ついでにこれも受け取りな。

 

 

 ぶつん、て音があたしの口の中で鳴った。

 あいつの魂をあたしが傷付けた音だった。

 

 

 ざまぁみろ。

 

 即座にあたしはそう思った。

 

 ざまあみろ。

 

 ざまあみろ。

 

 ざまあみろ!

 

 てめぇに喰われ続けたあたしの苦しみを思い知れ!

 

 喰われたあたしの憎しみを思い知りやがれ!!

 

 あたしはあいつのうなじに喰らい付いたまま笑い続ける。

 

 笑う。

 

 嗤う。

 

 

 てめぇの心にあたしの毒を、呪いを刻み込む。

 

 てめぇの身体にあたしの感情を流し込んでやる。

 

 てめぇの全てを、あたしの想いで塗り潰す。

 

 てめぇを、あたしが喰ってやる。

 

 

 ああ、喰ってやる。

 

 

 喰ってやるよ。

 

  

 ナガレ。

 

 

 いや。

 

 

 流竜馬。

 

 

「ぐぅあああああああ!!!」

 

 

 いったん口を離して、吠えて、そしてまた同じ場所を力いっぱいに噛む。

 さっきよりも深くに突き刺さって、唇はあいつの体温を強く感じるようになった。

 そしてあたしは、唇に力を込めて啜ろうとした。

 あいつの魂の中身を。

 

 その意思が、がくっと揺らいだ。

 というよりも、消えていく。

 流れてく。

 

 あいつと触れてる口元が妙に熱い。

 それで分かった。

 

 

「て…め…ぇ…!」

 

 

 啜られてるのは、あたしだった。

 あたしの牙を介して、あいつはあたしを喰い始めた。

 

 そうか。

 

 だからてめぇは。

 

 ワザとあたしに、自分を傷つけさせやがったのか。

 

 

 化け物か。

 

 

 本物の化け物かよ。てめぇって奴は。

 

 名は体を表すってもよ。

 

 大概過ぎるだろうが。

 

 竜。

 

 怪物の中の、怪物。

 

 

 その時、あたしは異変に気が付いた。

 

 

 あたしに覆い被さるナガレの背中に、その奥に何かがいる事に。

 

 

 見るな、とあたしの本能が叫んだ。遅かった。

 

 あたしはそいつを見ちまった。

 

 その瞬間、あたしは叫んでた。

 

 無様な悲鳴を上げていた。

 

 

 
















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第80話 互いに纏うは、成れの果て

 あたしを強姦するみたいに覆い被さって、胸から溢れる穢れを貪り食うナガレ。

 

 その背中で、何かが育っていた。

 

 そいつは元々は、あいつが取り込んだ魔女が変化した悪魔みたいな翼…だったんだと思う。

 

 でも今のそれは、元々とは比べ物にならない大きさになっていた。

 

 十メートル、二十メートル。

 

 そんな単位じゃ足りない。

 

 あいつの背中からは、一つの宇宙が生まれてた。

 

 広げられた翼みたいに、どこまでも広がってた。

 

 視界の範囲を超えてるってのに、あたしにはそれが認識できた。

 

 あの宇宙を作った材料が何か、あたしには分かってたから。

 

 穢れだ。

 

 あたしからあいつに移った穢れが、あれの材料だ。

 

 あたしの穢れがあいつを蝕んで、それであれが生まれてる。

 

 

 

 なんだよ。

 

 なんだよ、それ。

 

 お前も、これに負けちまうのか。

 

 確かにあたしはてめぇに、お前に勝ちたいけどさ。

 

 これは違うだろ?

 

 だから、お前は。

 

 そう思って、あたしは考えを止めた。

 

 だから…何だ。

 

 だから、その次はなんて思えばいいんだよ。

 

 負けるな、ってか。

 

 はっ、そうだとしたらあたしが負けるじゃねえか。

 

 負けるのは御免だね。

 

 

 ……いや、なんつうか…我ながら…拗らせてるな。

 

 

 少しばかり、ほんの少しだけど、その……罪悪感が……。

 

 

 

 

 

 そこで気付いた。

 

 

 ナガレから溢れるそれが、何かの形を取ってる事に。

 

 

 そいつがあたしら二人を、世界の果てから見降ろしている。

 

 

 穢れと同じ黒だけど、その形は…。

 

 

 見上げた先で、その黒の奥に、ナガレの心の中の映像が見えた。

 

 血みたいな色で、岩みたいな装甲で全身を覆った、大きさの概念が狂った機械の化け物。

 

 それと、ナガレから湧き出したそいつは同じ形をしてた。

 

 

 

 そいつの、名前は。

 

 

 それを考えた瞬間、あたしは叫んでた。

 

 恥も外聞も無く、赤ん坊みたいに泣き叫ぶ。

 

 怖かった。

 

 あたしにそいつとの因縁なんか無い。

 

 そいつと縁があるのはナガレだ。

 

 その縁を、あいつはこう言ってた。

 

 『成れの果て』。

 

 誰のってのは、考えるまでもねえ。

 

 

 

 成れの果て。

 

 あたしらはいつか魔女になる。

 

 それがあたしらの成れの果てだ。

 

 何時もぶっ殺してる、あの気持ち悪い怪物にあたしらは成り果てる。

 

 そして人間を喰って、使い魔を産んで、結界の中に引きこもって、そしていつか魔法少女に殺される。

 

 そんでもって、その魔法少女もいつか魔女か魔法少女に殺されるか、生き延びても魔女になる。

 

 このふざけたサイクルは、キリカの奴がお節介にもさっきの戦闘中に教え腐ったコトだけど…ほんと救いがねぇ。

 

 狂ってやがる。

 

 それと同じく、あいつが言ってた事も狂ってやがる。

 

 

 ナレノハテ。

 

 てことは、つまり。

 

 あいつも、なるのか。

 

 これに。

 

 この、宇宙みたいな大きさの機械の化け物に。

 

 

 

 そこであたしは眼を閉じた。

 

 

 そうでもしないと、耐えられない。

 

 

 

 

 

 

 眼を閉じた先で、あたしが見たのは闇じゃなかった。

 

 心の中の魂の身体で、閉じた眼の内側で、あたしは一面の緑を見た。

 

 何処までも続く草原みたいな、一面の緑。

 

 だけど、それは爽やかさなんてこれっぽっちも無かった。

 

 その緑の色は今までに見たどんな色よりも、魔女結界の中で見た色も含めて、凄く気持ち悪い色をしてた。

 

 腐り果てて液状化した黴や死体、そして土壌にして生まれてきた青々とした命みたいな。

 

 生き死にのサイクルそれそのものを表したみたいな、そんな感じの色に思えた。

 

 これは多分、さっき考えた事を頭が関連付けてるんだろう。

 

 でも、それは単なる偶然だ。

 

 気持ち悪い。

 

 凄く、物凄く気持ち悪い。

 

 それと、この緑には見覚えがあった。

 

 あいつが乗り込んだ、鬼みたいな外見のロボット……ゲッターか。

 

 あれが放ってた光の色に似てた、いや。

 

 これそのものか。

 

 

 

 ああ。

 

 

 そうか。

 

 

 そういうコトだったのか。

 

 

 これが、あれか。

 

 あいつの記憶の中で、あたしが感じた名前の正体。

 

 

 ゲッター。

 

 

 ゲッター線。

 

 

 この緑の色が、それか。

 

 

 そう思ったあたしを、緑色の何かが包んだ。

 

 魔法少女姿のあたしの腹から足の爪先までが、緑色に覆われる。

 

 あたしの視界に広がる一面の緑動いて、あたしを包んでいた。

 

 いや。

 

 握っていた。

 

 途方も無く巨大な手で。

 

 星よりも、銀河よりも大きな手が、あたしを掴んで離さない。

 

 離れられる訳がない。

 

 巨大な手はそれよりデカい腕に続く。

 

 腕の先には、三本の刃が生えて異様に膨らんだ肩があった。

 

 

 そして、五本の大きな角を生やした頭が見えた。

 

 鉄仮面みたいな顔。

 

 その中の鋭い眼が、あたしを見ている。

 

 その顔が、こっちに一気に近付いた。

 

 顔の中で、複雑な形をした線が幾重にも重なった模様が縦と横に引き裂けて広がった。

 

 広がった先には、もっと色濃い緑が溜まってた。

 

 地獄でももっときれいなものが見える。

 

 そう思っちまうほどの、醜い色だった。

 

 そしてそれが開いた場所は、人間でいう口の部分だった。

 

 開いた孔の淵は、牙みたいにぎざぎざと尖ってた。

 

 それがあたしを飲み込んだ。

 

 そいつの口の中の緑色に包まれた瞬間、そいつの名前があたしの頭の中に浮かんだ。

 

 そしてあたしの口も、そいつの名前を呟いていた。

 

 

 

 

 

 

ゲッター……エンペラー……

 

 

 

 

 

 成れの果て。

 

 

 あいつの。

 

 

 ナガレの。

 

 

 流竜馬の成れの果て。

 

 

 

 お前は。

 

 

 これになりたくないから。

 

 

 赦せないから。

 

 

 だから、戦ってるのか。

 

 

 成れの果ての自分と。

 

 

 緑が満ちた口が閉じられて、あたしはその中に沈んだ。

 

 

 ほんの、一瞬だけ。

 

 

 あたしを包む緑は、あたしの目の前で真っ二つに引き裂けた。

 

 

 苦悶でも感じたのか、あたしに触れる緑が震えたのを感じた。

 

 そして視界が開けてく。

 

 緑が闇に変わってく。

 

 闇の奥に、血みたいな色の光を見た。

 

 そいつは、猫の耳みたいな形の角を生やした機械の鬼、血色のマントを羽織った戦鬼。

 

 あいつが乗って、化け物と戦ってるゲッターだった。

 

 そいつは、両手に手斧を握ってた。

 

 手斧を振り下ろした体勢だった。

 

 そいつの胸に埋め込まれたガラスの中で、切り裂かれていく緑と同じ色が見えた。

 

 そうか。

 

 ゲッター線。

 

 そして、ゲッター。

 

 名前の通りに、こいつはあの光を力に変えてるのか。

 

 嫌な力と一緒に戦う。

 

 なるほどね。

 

 そういうとこも、あたしらとちょっと似てるな。

 

 

「杏子」

 

 

 声が聞こえた。

 

 二重の声だった。

 

 

「お前は、こんなもんに取り込まれるな」

 

 

 ナガレでもあり、竜馬でもある声。

 

 あいつの声。

 

 

「こいつは俺の地獄で、お前のものじゃねえ」

 

 

 言い終えるが早いか、あいつのゲッターは両手を振った。

 

 斧の先から迸った緑の斬線が、あたしの周りの何もかもを壊していった。

 

 崩れてく世界、その中で、あの深紅の巨体だけは鮮明に最後まで残ってた。

 

 全てが消えていくその時まで、あいつはあたしを見続けていた。

 

 

 

 

















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第81話 奪い尽くせぬ、奪うもの

 眼を開いた。

 

 あいつがいた。

 

 あたしの胸の穢れを喰うナガレが。

 

 あいつだけがいた。

 

 他は全て消え失せていた。

 

 真っ暗な世界に、あたしとこいつだけがいる。

 

 いや、よく見たらもう一つだけ存在してるものがあった。

 

 そいつはあたしらの周りを覆う闇よりも黒かった。

 

 だから見えた。

 

 あいつの背中から湧き上がる、黒い塊。

 

『ゲッターエンペラー』。

 

 あいつの言葉を借りれば、そう呼ばれてる奴が。

 

 あたしの穢れを吸って、膨れ上がった魔女が変貌し腐りやがった姿。

 

 そいつがナガレの背から生えて、見渡すくらいに、宇宙そのものってくらいに広がってやがる。

 

 ナガレの奴はそれに眼もくれず、一心不乱にあたしの穢れを、心を貪り続ける。

 

 その度に魔女はこいつから力を得て更にデカく……いや。

 

 逆だ。

 

 縮んでやがる。

 

 荒い岩肌みたいな表面のゴツゴツしたデカい手を上に伸ばしてもがきながら、全体の輪郭が縮んでく。

 

 苦し身悶えて、その根元へと消えていく。

 

 ナガレの背中へ。

 

 音は聞こえない。

 

 あいつがあたしの穢れを喰い貪る音と、仰向けになったあたしの腹の上に重なるあいつの胸から聞こえる、うるせぇくらいの鼓動しか聞こえない。

 

 それでもあれが、魔女が変化したあの化け物が苦しんでいるように見えた。

 

 多分、得た力を使ってナガレの奴に逆らおうとした積りなんだろうな。

 

 でもそれを抑え付けられて、あいつに逆に吸収されてやがる。

 

 はっ。

 

 どっちが化け物なんだろうな。

 

 なぁ…ナガレ。

 

 

 お前、さっきみたいな地獄の戦いを繰り返してきたんだろ。

 

 今の敵を倒しても、またすぐに新しいのが来る。

 

 その次も、その次も。

 

 ずーっとずっと。

 

 きっと終わりなんてなくて。

 

 多分だけど、死ぬこともできずに。

 

 地獄の光景を見続けて、そのなかで戦い続ける。

 

 続けさせられる。

 

 永久に。

 

 未来永劫に。

 

 一時の安らぎも得られずに。

 

 無限に終わらない地獄。

 

 永遠の業罰。

 

 恒久の責め苦。

 

 果ての無い拷問。

 

 

 

 なんだよ。

 

 

 なんだよ、それ。

 

 

 お前は。

 

 

 

 

 

 

 お前はあたしが求めてるもの、そのものじゃねえか。

 

 

 

 

「グゥゥゥゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 跳ね起きて、叫ぶ。

 

 左手であいつの首を掴んで、開いた右手をあいつの胸に重ねる。

 

 相変わらず、高鳴る鼓動がそこにある。

 

 そこにあたしは、魔力を使った。

 

 あいつの身体がガクガクと震えた。

 

 首を掴むあたしの左手にも衝撃が伝わる。

 

 耐え切れなくなって手が離れる。

 

 吹き飛んでいくあいつの身体。

 

 その身体の胸には、表面を埋め尽くすくらいの数の槍穂が突き刺さってた。

 

 普段なら地面に菱形の結界を張って、相手を貫く技。

 

 異端審問って名付けたかな。

 

 そいつを直接、あいつの胸にしてやった。

 

 文字通りの槍衾になって、あいつは吹き飛ばされる。

 

 でも。

 

 

「……ぐ」

 

 

 短く呻いただけで、こいつはよろめきながらも着地して、二本の足で空間の中に立ちやがった。

 

 そしてこっちを見た。

 

 不意打ちの怒りでも困惑でもなく、ただあたしを見る。

 

 あの渦巻く眼で。

 

 あたしのその中に、あたしの穢れの色が見えた。

 

 そしてそれがあいつの渦の中に飲まれて、消えていくのも見た。

 

 

「ガァァァアアアア!!!」

 

 

 また叫ぶ。

 

 叫んで右手を突き出す。

 

 あいつの身体が仰け反った。

 

 当然だろうな。

 

 あいつの右眼に槍を突き刺してやったんだから。

 

 いつも使ってる長い柄の槍があいつの眼を貫いて、ついでに仰け反った喉にも同じのを送って遣った。

 

 続けて左右の太ももと脛にも槍穂を送る。

 

 腹のど真ん中にも槍を投げてやった。

 

 それを全部、あいつは受けた。

 

 全部受けて、全身に突き立てさせながら、あいつは倒れもせずに立っていた。

 

 そして残った眼で、あたしを見る。

 

 穢れを飲み込む渦が巻く眼が、あたしを見る。

 

 それが気に入らなくて、そこにも槍を投げようとした。

 

 違和感。

 

 あいつに突き刺した槍の長さが……。

 

 そう思った時、あいつは走っていた。

 

 あたしに向かって。

 

 そこに向けて、あたしは槍を放った。

 

 全部当たった。

 

 両肩と腹に、合わせて十本の槍が突き刺さる。

 

 それでもあいつは止まらなかった。

 

 それに動揺しちまって、あたしの動きが一瞬遅れた。

 

 その隙に、あいつは跳んでいた。

 

 あたしがあいつに与えて、あいつの前身から生えた槍は、まるで牙みたいに見えた。

 

 あいつを喰らいながら、そしてあたしを喰おうとして開いた口の牙に。

 

 逃げて堪るか。

 

 そう思った。

 

 だけど、あたしの足は…後ろに退いていた。

 

 驚きよりも、自分に向けての怒りが湧いた。

 

 

 

「ぐぅぅぅぅおおおおおあああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 咆哮。

 

 あたしのじゃなくて、あいつの叫び。

 

 あたしがあたしに抱いた怒りは、この時に消し飛んでた。

 

 あたしの叫びと似ていたけど、それよりも凶悪な響きの声。

 

 それにあたしの身体が強張った。

 

 そして動けないあたしの両手を、あいつの手が掴んだ。

 

 手首が掴まれて拘束される。

 

 そこであたしは見た。

 

 あいつに突き刺したあたしの槍が、あいつの中に吸い込まれていくのを。

 

 いや。

 

 喰われていくのを。

 

 そもそもあたしの槍はあいつに突き刺さったけど、貫けちゃいなかった。

 

 喉と眼に刺さった槍は、あいつの首の裏や後頭部から抜けて無かった。

 

 そして今気付いたけど、槍はいつもの赤一色じゃなくて、黒が大分雑じった色になっていた。

 

 槍も穢れで出来てたってコトか。

 

 そうか、だからか。

 

 だからこいつはわざと槍を全部受けて、そして喰ってやがったんだ。

 

 

 ああ。

 

 

 ちくしょう。

 

 そう思うあたしの前で、あいつに突き刺さった槍は全部あいつの中に消え失せた。

 

 そしてあいつは叫びを上げて、あたしの胸に喰らい付いた。

 

 ジェムの表面すれすれをあいつの牙が掠めて、そこから溢れる穢れが牙に貫かれる。

 

 あいつの顔が、肉を喰い千切る猛獣みたいに振られて、穢れがあたしの中から引き摺り出される。

 

 ずるりって感覚が、あたしの中で木霊した。

 

 最後の最後。

 

 あたしの中に残っている最後の穢れ。

 

 黒々とした色であたしを染めていた穢れは、もう体の何処にもなかった。

 

 ガン細胞って感じに幾つも腫瘍を浮かべた醜い根っこみたいなのが、あたしの最後の穢れだった。

 

 あいつはそれを噛み砕いて、飲み込んだ。

 

 喪失感。

 

 はあまり感じない。

 

 それどころか、絶え間ない吐き気が、頭の中に汚物がブチ撒けられてるみてぇな感覚が消え失せてる。

 

 焦燥感があたしの中に生まれた。

 

 首を全力で絞められてる感じの苦痛。

 

 その中で、あたしは探した。

 

 あたしを苛む感情を。

 

 あたしがしでかしちまったコトの記憶を。

 

 

 

 

 探すまでも無かった。

 

 

 あの光景が、鮮明にあたしの脳裏に浮かんだ。

 

 むせ返る血の匂いは、新鮮なままだった。

 

 

 

 ああ。

 

 これはちゃんと、残ったか。

 

 あたしはこれを守れたんだ。

 

 血塗れで倒れる母さんとモモ。

 

 そして、宙吊りになった親父。

 

 

 あたしの、しでかしちまったコト。

 

 その記憶。

 

 この地獄は、あたしの中に残ってる。

 

 

 ああ。

 

 

 よかった。

 

 

 忘れることが出来なくて。

 

 

 

「くは、ははは…」

 

 

 

 それに安堵を覚えるなんて、あたしは。

 

 

 あたしは。

 

 

 ああ、なんて卑しい魔法少女なんだ。

 

 

 そう思いながら、あたしは眼を閉じた。

 

 消えていく意識の中、あたしは倒れるあたしを支える手の感覚を味わっていた。

 

 何度も切り刻んでやって、そして何度もあたしを切り刻んだ、あいつの手の感触を。















決着


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第82話 現世へと

 崩れ落ちる佐倉杏子を、ナガレは両手で受け止めた。

 軽い身体の重みを両手で受けた時、彼の身体がよろめいた。

 

 体内に染み渡る異様な感覚は、熱であり冷気であり、そして痛みであった。

 頭の中では吐き気と頭痛、そして腐敗に腐敗を重ねた汚物のような臭気が滞留している。

 自意識が、自分と言う存在を喪失しかねない苦痛が彼の感覚の大半を占めていた。

 

 彼は息を吐いた。鉛より重く、火のように熱い息を。

 そして眼を閉じて数秒瞑目し、再び開いた。

 その時には、体と心に満ちる負の感覚が消えていた。

 

 正確には、強引に理性の奥に押し込めたのであった。

 幸い言うべきか、不幸と見るべきか、彼はそういった感覚の対処に慣れていた。

 

 杏子に肩を貸す形で抱えつつ、彼は世界を見渡した。

 彼女が闇として見ていた周囲の様子は、未だに地獄の戦闘が継続されていた。

 

 このあたりは認識の違いによるものだろう。

 彼が穢れの捕食を行っている際、彼女の意識の殆どは彼へと向けられ、その他の事象が意識の彼方へと追い遣られていた。

 それは彼も同じであり、今久々に彼は世界を認識していた。

 嘗て自分がいた場所の光景を。

 感覚的には、これは今いる世界に来る半年ほど前の出来事だと記憶している。

 

 渦巻く視線が世界の果てを見ていた。

 深紅の巨体に挑む、複数の光が見えた。

 光の先頭には彼がいた。

 その周囲には、三体の機影が見えた。

 

 それらは------。

 

 

「ふっ」

 

 

 それらから想いを逸らして自嘲気に笑う。それでいて不快さが無い小さな笑い声だった。彼は眼を閉じた。

 そして今も半共生状態の魔女に命じて、背から悪魔を模した翼として放った。

 魔翼は両者を夜の帳のように覆い、姿を霞ませていった。

 周囲の感覚が消え失せていく中、左手で抱いた腰と触れた肌から伝わる杏子の体温と鼓動は最後まで残り、存在を主張し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼を開いた。

 黒い瞳が血に塗れた壁面を視認し、鼻孔は酸鼻な香りを捉えた。

 乾いた血と臓物の発する臭気が、彼の周囲に渦巻いていた。

 仰向けに倒れていた姿勢を正そうと顎を引いたとき、顎先にこつんと何かが当たる。

 

 見てみると、火のように紅い毛髪が見えた。

 そして開いた口と、肉に突き立っている牙が。

 佐倉杏子の横顔が見えた。顎に当ったのは、彼女の左頬だった。

 

 牙のような八重歯が彼の皮膚に触れていたが、表面を押し込むだけで破壊に至ってはいなかった。

 今の杏子は魔法少女姿ではなく、普段のパーカーにホットパンツにといった私服姿となっている。

 流石に疲れ果てたのか、魔法少女化が解除されたらしい。

 強化を喪った体では、彼の頑丈な肉体に傷一つ与えられないのも道理であった。

 

 開いた口から溢れた唾液に塗れた喉から杏子の口を丁寧に外し、呼び出した牛の魔女から取り出したハンカチで彼女の顔を拭う。

 垂れ流されていた唾液と鼻水、そして涙を拭い魔女が捕食に用いる斧の中央の孔の中へと投じる。

 嫌がっていないあたり、その程度までなら餌食として無問題であるらしい。

 動かぬ杏子を抱えて周囲を見る。

 

 血の海の中に沈む二人の魔法少女を彼は見た。

 一人は呉キリカ、もう一人は朱音麻衣である。

 両者も精魂尽き果てており、意識は喪失し魔法少女衣装ではなく私服姿だった。

 治癒は自分でしたらしく、両者ともに血に汚れてはいたが美しい素肌が戻っている。

 

 乾いた血で張り付いた頬を床から静かに離し、杏子に施したのと同じように顔を拭く。

 そしてキリカを背負い、左手に麻衣を抱えて杏子のパーカーの襟を噛んで宙吊りにする。

 酷い状況なのは分かっているが、手を全て使えなくするのを防ぐ為だった。

 

 背負った感触からすると、また下着を付けてないようだ。

 体格に反して巨大な乳房がぐにゃりと彼の背で潰れ、腰に当るキリカの下腹部も距離が近い。

 三人を抱える彼の身体が揺れた。

 

 重さにして約130キロ程度のものを抱えた程度では、彼の身体は小動もしない。

 またキリカからの精神汚染でもない。

 

 彼の心には喰い尽くした穢れが溜まり、また肉体は極限の疲労に苛まれていた。

 それが彼が踏み出した一歩を揺るがしたのだ。

 されど転倒もせず、そして停滞もしない。

 狂気も苦痛も、彼の歩みを止めることなど出来はしない。

 これまでそうだったように、これからもそうなのである。

 

 一人を抱えて一人を背に担ぎ、一人を咥えながら彼は歩く。

 歩きざま、血で塗りたくられた壁面が静かに崩壊を始めた。

 

 異界の兵器を模した魔の残骸は、主の意識の喪失と共に滅びを始めたようだった。

 いや、それだけではなく、その者に汚染されたこの異界そのものが。

 残された時間はあまりなく、彼は歩みから走りに、そして疾走に変えた。

 

 走りながら、彼は壁面に埋まる何かを見た。

 目線の高さ程度の場所に、機械の端末が埋没しているのが見えた。

 彼はすれ違いざま、それに手を伸ばして剥ぎ取った。

 呉キリカ曰くの「名無しの人工知能」である。

 また面倒を起こさないように、との思いでそれを剥がし、魔女の中へと放り込む。

 

 そして彼は、崩壊した壁面から外を見た。

 

 紅に染まった異界が、異形の槍で出来た樹木の群れが崩壊していく様が見えた。

 その中で彼は周囲を見渡し、気配を探った。

 五秒ほど探し、彼は奥歯を噛み締めた。

 自分が今咥えた存在と同じ気配は、世界の何処にも無かった。

 

 それを悟ると、彼は虚空へと跳んだ。

 宙に身を躍らせた彼の肩から、キリカの身体を器用に避けて黒い波濤が迸った。

 魔女が変化した悪魔翼が開き、その主と魔法少女達を包み込む。

 

 

「さぁ」

 

 闇に包まれながら、彼は呟いた。

 そして翼の内に魔女は結界を開き、それを別の場所へと繋いだ。

 

 

「帰るか」

 

 

 闇がその声を包み込み、魔女は主の願いを叶えた。

 この直後、紅に染まった鏡の世界は消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…くっ」

 

 

 深夜の三時、風見野の廃教会。

 鏡の世界に赴いたのは前日の同時刻であり、丸一日が経過していた。

 

 ソファに仰向けに横たわるナガレは口から小さな苦鳴を放っていた。

 崩壊する異界から廃教会に戻って約二時間が経過していた。

 その間にキリカと麻衣は目を覚まし、

 

 

「ばいばい、友人。中々楽しかったよ」

 

 

「ではお休み、ナガレ。今日のところは大人しく帰るとしよう」

 

 と彼に告げ、同族の二人は互いの顔を見もせずに逆の方向へ歩いていった。

 両者ともに疲弊していたが、廃教会内にもストックしてあるグリーフシードで浄化をすると戦闘可能な程度には回復していた。

 おっぱじめられたら厄介だなという彼の心配は杞憂に終わった。

 ヤバいと思わず厄介と評する辺り、彼もまた大概であった。

 

 帰宅していく二人を見送ると、彼はソファに倒れた。

 さしもの彼も、今回ばかりは疲労困憊に陥っていた。

 

 心は折れておらず、意識もはっきりしているが、それゆえに苦痛も大きかった。

 グリーフシードを噛み砕いたときとは比較にならない負の感情の波濤が、佐倉杏子の中に蓄積した異形の闇が彼の心を喰わんと牙を立てる。

 彼はそれと、今も戦っているのであった。

 

 襲い来る懊悩と倦怠感、そして運命を呪う憎悪を彼は自らの心を刃と化して振りかざして切り刻み、自分の中に取り込んでいった。

 少なくともそんなイメージで、彼は杏子から貪り食った穢れと向き合っていた。

 

 それが二時間ほど続いていた。

 慣れてはきたが、苦痛は続いている。

 

 

「あいつ…」

 

 

 喉の中で、唸る様にその言葉を転がす。

 彼は何を想い、そう口にしたのだろうか。寝ながら顔を動かし、黒い瞳が一点を見つめる。

 視線の先には、自分と同じくソファに横たわる杏子がいた。言うまでも無く、あいつと呼ばれた存在は彼女である。

 彼女は先の二人と異なり、まだ眼を閉じたままだった。

 

 自分の苦痛はどうでもよく、彼は彼女の事が気がかりだった。

 穢れは食い尽くしたとはいえ、目を覚まさなければ意味はない。

 

 どうしたものかと思っていたが、どうにもいい考えが思い浮かばない。

 今は待つしか出来なそうだと思った。

 

 そしてもしもこのままであるのなら、もう一度神浜に赴いているかと。

 以前キリカから聞いた「調整屋」なる存在を頼ってみようと。

 

 

 そう思った彼の視線の先で、当の杏子がむくりと身体を起こした。

 

 安堵はしたが、驚きは少なかった。

 彼女の強さは、彼女の穢れを貪り食い、そしてその苦痛に今苛まれている彼がある意味一番よく知っている。

 

 

「起きてるかい」

 

 

 開口一番、彼女はそう言った。

 

 

「ああ」

 

 

 彼もまた起き上がり、彼女に向かい合うように座りながら返した。極力苦痛を表に出さぬように努めたが、自身は無かった。

 そうかい、と杏子もまたナガレを見つつ言った。

 

 しばしの沈黙が二人の間を繋いだ。

 ふぅ、と杏子は息を吐いた。

 

 何かを決心したかのように。

 

 

「一度しか言わねぇからよく聞けよ」

 

 

 そう言うや立ち上がり、彼に向って歩き始めた。そして彼の手前数メートルの辺りで右手を掲げ、絡ませた指先をパチンと鳴らした。

 廃教会内に響くスナップ音。

 それと同時に、紅い光が彼女の体表を掠めた。

 そして変化が生じた。

 

 紅い髪を束ねる黒いリボンが消え、髪が美しい滝のように彼女の膝裏近くまで垂れ下がった。

 緑色のパーカーと黒いシャツ、ホットパンツにブーツが消え失せた。

 その代わりに、黒いドレスが少女の身体を包んだ。

 青く輝く月光を浴び、オーロラのように輝く薄い黒布の内側には華奢で美しい女体が透けて見えた。

 

 女体を隅々まで見せつける様に、裸体の上を薄い布で覆った杏子は裸足のままに歩を進めてナガレの前へ立った。

 

 

抱け。あたしを

 

 

 氷のように冷たい声色で、されど欲に濡れそぼった熱い吐息を伴いながら。

 佐倉杏子はそう言った。

 












目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第83話 這い寄る紅

 青い月光が少女の姿を映し出す。

 炎のような紅の髪は滝のように垂れ下がり、風を孕んで儚く揺れている。

 薄いシーツのような黒いドレスの中に、少女の裸体が見えていた。

 細い鎖骨、あばら骨の形が薄く浮かぶ慎ましい膨らみの胸、存在を主張してやや上向きに先端を向けた朱鷺色の突起。

 

 痩せている事により腹筋が浮かぶ腹、くびれた腰、細い太腿。

 そしてその間にある女の部分。そこを彩る薄い赤の翳りも見えた。

 白い肌と黒い布地との対比で、その部分はよりはっきりと浮き上がって見える。

 

 その全てが艶めかしく、妖しい色香を放っている。

 月光による光と闇を思わせる黒いドレスの融和による幻想的な色合いも相俟って、男を狂わせる魅力に溢れていた。

 

 

「聞こえてねぇみたいだから、もう一度言うぞ」

 

 

 女の魅力と雌の色気を毒蛾の鱗粉のように振り撒きながら、佐倉杏子はゆっくりと口を開いた。

 唇から零れた吐息には熱が籠もり、艶やかな声音で囁く。

 それはまるで恋人に愛の言葉を伝えるように甘く――だが同時に酷薄な響きを持っていた。

 そうして紡ぎ出された言葉は、ナガレの耳ではなく心に直接語りかけるような不思議な音色だった。

 

 

「あたしを抱け。ていうか、好きにしな」

 

 

 そう言うと、彼女はソファに座るナガレの元へと倒れ込んだ。

 こちらに身体の正面を向けている彼の身体の背に手を回し、その身を這い上がる様に身体を寄せて彼の両膝の上に尻を置いた。

 

 彼女の体重を受けて僅かにバランスが崩れるが、ナガレはそれを気にした様子もなく黙ったままだ。

 そんな彼に杏子の方から顔を近づけていく。

 二人の顔の距離が急速に縮まり、鼻先が触れ合うまでになった時……ようやくナガレが動いた。

 彼は右手を持ち上げると、杏子の肩に置いて押し留める。それを押し退け、杏子が迫る。

 

 

「お前、それでいいのか」

 

「よく見てみろよ。貧相だけど、あたしもちゃあんと女してるだろ?」

 

 

 彼の問い掛けを完全に無視し、指先に触れた小さな肉芽を布ごと摘まんで引っ張る。

 慎ましい膨らみも後を追って引かれ、彼女が指を離すと柔らかい弾力を示すようにたゆんと揺れた。

 小さくはあっても、確かにそれは乳房であった。

 

 

「だから、それでいいのかって訊いてんだろが」

 

 

 それを見ても尚、ナガレは一切の情欲を見せずに怒気を孕んだ言葉を彼女に与える。

 対する杏子はつまらなさそうな顔をしながら、自分の左肩に添えられた彼の手に自らの掌を重ねて体表をスライドさせる。

 向かう先は、先程まで触れていた彼女の胸だった。自分の鼓動を刷り込む様に、彼の手を自分の肉に押し付ける。

 

 

「抱け」

 

 

 杏子は言葉を繰り返す。

 それは懇願するような声でも、自分を求めて欲しいと望むような声でもなかった。

 暴君が奴隷に命じるような、或いは絶対的な敵対者に向けるかのような声だった。

 

 しかしそれでも、彼女の瞳の奥底には微かな怯えがあった。

 ナガレはそれに気が付いていたが、敢えて気付かないフリをして彼女の誘いを拒絶し続ける。

 柔らかく温かい杏子の胸に触れたナガレの手は、その形を楽しもうともせずにただ二人を隔てる壁のように重ねられているだけだった。

 

 その頑なな反応を見て、杏子は目を細めた。

 紅い瞳が発する視線の温度が低下していく。

 紅い氷のような眼に込められている感情は失望か諦観か。

 あるいはどちらも違うものなのか。

 それは彼女自身にしか分からない事だろう。

 

 だが彼女は行動を止めなかった。

 

 

「なら、勝手にやらせてもらうぜ」

 

 

 そう言って杏子は彼の首筋に舌を這わせた。

 唾液をたっぷりと着けた剥き出しの粘膜が、彼の肌を擦り上げる。

 これまでこういった事は一切行わず、当然ながら処女でありながら、杏子の舌遣いは爛熟した娼婦のそれだった。

 

 狙ってやったのではなく、知識で得たものを行使したわけではない。

 ただ湧き上がる欲望と生来に備わった本能のままに行っているのがこれなのである。

 杏子が彼の首を舐め廻し始めてから十秒が経った。

 並の男なら既に快楽の虜となり、絶え間ない射精を繰り返してる頃だろう。

 

 だが、相手が悪い。悪すぎた。

 

 

「お前、マジでどうしちまったんだよ」

 

 

 ナガレは再び問い掛ける。淡々とした言い方を心がけてはいたが、声に滲むのは嫌気であった。

 性欲など欠片も無い。

 今受けている行為は、16歳とはいえ子供が行う不相応な背伸びであるという認識しかない。

 

 

「別に何とも思わねぇさ。ただ、これが一番てっとり早いと思っただけだよ」

 

 

 言い終えると、杏子は彼の首に噛み付いた。

 歯を立てるのではなく、唇と口腔を用いて吸い付き唇の跡を刻むべく行為に励む。

 杏子の声に一切の変化はない。だが、それが強がりだとわかる程度には付き合いが長い。

 たとえ、これまでの関係が、人間性を廃した破滅的なものであったとしても。

 

 どうしたもんかね、と思いつつ、更にはイラっとしつつもナガレは彼女の好きなままにさせている。

 昨日起きたコトがコトであるし、ここで拒絶してまた濁られでもしたら嫌に過ぎる。

 そして経験上、魔法少女は欲望に忠実でこちらの話を聞きそうにも無い。

 

 結論。

 殺意を感じないし、今は子供が行う無害な遊びだから好きにさせとこうというコトになった。

 

 彼がそう思う中、杏子は彼の首筋に5か所ほど唇の跡を刻むと彼の頭に手を回し、自分の胸をナガレの顔に押し付け彼の腹に下腹部を寄せて長い脚を彼の背に回した。

 蜘蛛が獲物を捕らえたように。

 

 

「だいしゅきホールドっていうらしいな、コレ」

 

 

「知らねぇよ」

 

 

「また一つ賢くなったな」

 

 

 杏子の胸に視界を塞がれる中、喉奥で彼はガルルと狼のように唸った。

 「キリカみてぇな言い回しだな」という思いは頭の中で打ち消した。言ったら即座に彼女はキレたに違いないからだ。

 

 そして杏子はその体勢のまま、彼に触れた部分をもぞもぞと動かし始めた。

 自らの身体の匂いを、彼に刷り込むように。お前は自分の所有物だと示すように。

 

 

「覚えてるかい?前に、『力づくであたしを黙らせて、モノにしてみろ』って言ったコトをさ」

 

 

 呪いのように自らの体臭を彼に刷り込みながら、杏子は言う。その香りは、ひどく甘ったるかった。

 

 

「そういやんなコト言ってたな」

 

 

 彼もまた思い出す。

 幾度か分からないほど繰り広げた、焼け爛れた大地に毒液を振り撒いたような不健全極まりない会話の中で、杏子が彼に告げた毒花のような言葉であった。

 

 

「覚えてるたぁ上出来だね。だからさ、それだよ。あんたのモノにされてやる」

 

 

 彼から胸を剥がし、代わりに顔を近付け牙を見せながら威嚇のように、それでいて妖艶な表情で杏子は嗤う。

 

 

「食物連鎖って、習ったっつうか知ってるだろうけどさ。アレと同じさ。弱い奴を強い奴が喰う、その連鎖。これもその一つさ、あんたはあたしに勝ったんだからあたしを貪る権利がある」

 

 

 息を吐きかけながらそう告げる。

 彼女の息もまた、毒液を育む花の様に甘かった。

 

 

「…お前なぁ」

 

 

 短い言葉であったが、そこには呆れの成分が多分に含有されていた。

 これは想像以上に何かを拗らせてるな、という。

 杏子はその反応すら織り込んでいたかのように話を続ける。

 

 

「ああ、やり方が分かんねぇんだな。悪ィ悪ィ」

 

 

 弄ぶように言うや、杏子はドレスの中に右手を入れた。

 その繊手の先で下腹部を素早く撫で、そして彼の前で五指を広げた。

 指と指の間は、蜘蛛の巣のように拡がって照り光る粘液で濡れていた。

 

 

「………」

 

「へぇ」

 

 

 何やってるんだこいつ、といった表情で無言のナガレ。

 対する杏子は感心したような呟き。

 真紅の視線は、自らが広げた五指に注がれていた。

 

 

「弄る時にそうなるのは知ってるけど…ふぅん。それ以外でも、こんなあたしでも股は濡れるんだな」

 

 

 手を表裏に何度かやりつつ杏子は言う。

 

 

「まぁ、アレだよ。難しい事なんざねぇさ。あんたのアレをコレで濡れたあたしのココに突っ込んでブチ犯してくれりゃいい。心配すんなよ。こんな生活送ってるけど、ウリなんてしたコトねぇしする気もねぇからあたしのココは綺麗なままさ」

 

 

 喜劇でも観てるかのようにケラケラと嗤いながら彼女はそう言った。

 

 

「だからさ、壊してくれよ」

 

「…あ?」

 

 

 怒気を隠さずに、彼は訊き返した。

 

 

「大丈夫さ、あたしは正気だ」

 

 

 怯えを隠しながら、杏子は返す。

 たしかに、言葉は狂ってはいても眼はいつもの彼女のままである。

 少なくとも見掛けの上は。

 

 

「多分、これはあんたのせいだよ」

 

「言いたいコトがあるなら言いな」

 

「あたしの中に溜まってたドロドロを、あんたが貪り食っただろ」

 

「ああ」

 

 

 事実を彼は肯定する。そしてその喰らった感情の渦は、今も彼を苛んでいる。

 

 

「そのお陰であたしは今は心が軽い。こんなコトは初めてかもね。それで、気が弾んじまってるんだろうよ」

 

 

 杏子は自分の心をそう分析していた。

 案外にまともな思考に、ほんの少しだけ、些かという程度に安堵を覚えた。

 

 

「でも心が軽いってコトは、空っぽってこった。伽藍洞って感じだね。だから、それを埋めたいのさ。あんたが、ナガレが欲しい。というか……喰いたい」

 

 

 自分を貪る権利があるといいつつ、彼を喰いたいという杏子。

 矛盾があるという意識は、彼女にあるのかどうか。

 

 

「空っぽってのは結構不安なんだよ。だから新しい何かが、それも記憶と身体を切り刻むような刺激が欲しいし、空っぽの部分を埋めたいんだ。だから…頼むよ」

 

 

 杏子の表情が変化した。

 捕食者の顔から、哀願する少女のものに。

 彼女が言う通りの不安感が押し寄せてきたという事か。

 

 

「情けねぇってのは分かってる。分かってるケド…。これもさっきみたいな……人助けか、アフターフォローだと思ってさ」

 

 

 そう言って、杏子は腰を彼の太腿の上に置いた。

 女の器から溢れた熱い体液が彼のズボンの布地を濡らし、柔らかい肉の感触とその温度を彼の肌へと届ける。

 

 

「一発だけでもいいから、あたしのココをブチ抜いてくれよ。あたしが痛みに強くて、傷なんてすぐに治るのはあんたも知ってるんだからさ」

 

 

 彼の背に回した両手で、ナガレの背中を擦りながら彼女は言った。

 嘘偽りは無さそうだと、彼は思った。

 そして、彼はこう告げた。

 

 

 

 

「抱けば、いいんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第84話 重なる紅抱く黒

「抱けば、いいんだな」

 

 

 ナガレはそう言った。

 疲れの色があったが、それは諦めではなく挑むような口調であった。

 対する杏子は、両の口角を吊り上げ美しい眼豹のように嗤った。捕食者の笑みで。

 

 

「ああ、やっと素直になりやがったか」

 

 

 そう言い、腰を左右に軽く揺らした。

 密着した股から溢れる体温と同じ温度の粘液が、彼の太腿を覆うズボンの布地を犯すように濡らす。

 そして顔をナガレの頬に近付け、そこにべろりと舌を這わせた。

 

 たっぷりと唾液をまぶし、その糸が引かれる舌をだらりと下げて彼に見せつける。

 彼女の顔には、勝ち誇りの趣が浮かんでいた。

 彼を見る杏子の視線は、敗者を見降ろす勝者のものでもあった。

 

 しかし、それはほんの数秒のことであった。

 彼女が見せた表情はすぐに消え去り、代わりに現れたものは淫蕩な女の顔だった。

 

 自分の魅力を最大限に使い男を陥落させたと確信したときの女の顔である。

 だから彼女は、またも挑発的な言葉を吐く。

 

 

「ヤりたいんならあたしにばっかさせてねぇで、あんたからも抱き締めなよ。あたしの処女孔ブチ刳り抜いて、痛みと喪失感をあたしに寄越しな」

 

 

「お前、随分と嬉しそうだな」

 

 

 杏子の破滅的な言葉に彼は噛み付く様に言い返す。

 

 

「ここ最近負け続けだからねぇ。でもさ、これでおあいこかあたしの勝ちってコトになるんじゃねえのかなぁ」

 

 

 だがそんなことは気にもせず、むしろ楽しげにすら見える声で杏子は答えた。

 

 

「あ?」

 

 

 完全に意味不明と言った表情と声でナガレが返す。

 その困惑を楽しむ様に、杏子は先程自分の股に触れた手で彼の腹筋を弄ぶように触れる。

 粘液で濡れた指先が、黒いシャツに覆われた筋肉の隆起と形を愉しむべく、蛇の舌の如く蠢いた。

 

 

「あんたのアレをあたしのナカに挿れてイカせてやれば、あたしの勝ちってコトになると思うんだよね。ホラ、股で咥え込むってもいうしさ、一種の捕食みてぇなもんだろ」

 

 

 そう言う杏子の言葉には熱に浮かされた様な響きがあった。

 自らの身体を使って彼を屈服させることへの期待に満ちていた。

 彼女が求めているのは、愛ではなく性欲の解放と勝利への渇望と純潔を喪失する際の痛みであった。

 

 故に、求める。

 

 欲望のままに。

 

 自らを満たすために。

 

 この男を支配し辱め蹂躙するために。

 

 それこそが、彼女にとっての勝利なのだから。

 それを理解しているのかいないのか、ナガレは僅かに眉間にシワを寄せた後、ふっと口元だけで笑った。

 

 その様子に、杏子はイラっとくるものを覚えた。

 餌の癖に生意気だと、雌の本能が彼女にそう告げた。

 

「だからさっさとあたしを喰って、あたしに貪り食われちまえよ。ナ・ガ レ」

 

 苛立ちをぶつけるようにして、杏子がその名前を呼ぶ。

 

「ああもちろん、無粋なゴムなんざ付けるなよ。あんたの肉は、直接あたしの肉で喰いたいんだからさ」

 

 

 そう言って、再びナガレの首筋に舌を伸ばして舐める。

 その動きに合わせるように、彼女の腰がゆらりと揺れた。

 

 誘うように。

 いやらしく。

 

 それは、まさに娼婦の所作だった。

 それに抗う術などありはしない。

 あるわけがない、筈なのだが。

 

 

「いらねぇよ、そんなもん」

 

 

 その返事に、杏子の身体がびくっと震えた。

 跳ね返すような、挑むような、そして肉を喰い千切る獣の様なナガレの声だった。

 

 そして彼女は彼の顔を見た。

 月光の中でも、その顔は昏く見えた。

 鋭い眼の輪郭と、開いた口から覗く牙のような歯だけが見えた。

 

 肉食動物の持つ凶暴さを持った男の顔であった。そして、その顔に見惚れてしまった自分を、杏子は心底後悔した。

 それに対しても、彼女は敗北感を覚えたのだった。

 

 彼の顔が昏く見えているのは、その認識を拒んでいる為だと分かった。

 その顔が美しいと認めつつ、そしてそれ以上に恐ろしいと彼女の本能が察していた。

 

 

「……いいね、そういう顔の方が、あんたらしいよ」

 

 

 だが、すぐに彼女はまた微笑を浮かべた。強がりである。

 

 

「じゃあ、さっさとヤろうぜ。もう待ちきれねぇんだよ。あたしの孔に突っ込んで、奥まで滅茶苦茶に犯し尽くせ。そして、本当の意味であたしに勝ってみろよ。なぁ…ナガレ」

 

  

 長い言葉を、杏子は一気に言い終えた。自らの意図と矛盾する言葉となっている事に、彼女は気付いているだろうか。

 ああ、と彼は返した。

 

 そしてずいっと、彼女の顔の前に自分の顔を近付けた。

 昏い色は消え、いつもの彼がそこにいた。

 美少女のような形の、野性味のある少年の顔が。

 

 そのことに少し安堵しつつも、杏子は挑発的な表情を崩さない。

 崩したら負ける、立て直せない。

 彼女はそう思っていた。

 敗北を予期した事への背徳感を覚えたのか、彼女の子宮は疼き、そこに至るまでの肉の襞は収縮を繰り返しながら熱い樹液を垂れ流していた。

 

 

「だが悪いな、杏子」

 

「ッ…!…!?」

 

 

 拒絶ともとれるその言い回しに、杏子は思わず身を引いた。動かなかった。

 そう彼が言った時、彼の右手は杏子の背に回されていた。

 彼女の逃げ場を奪い、更に彼は顔を近付けた。

 そして牙を見せてこう言った。

 

 

「そういうのは10年早ぇって、この前言っただろうがよ」

 

 

 捕食者の顔と声で、彼はそう言った。

 

 杏子は息を飲むことしかできなかった。

 目の前にある男の貌に、少女はただ怯えることしか出来なかった。

 

 恐怖を感じた瞬間、杏子の中にあった何かがぷつんっと音を立てて切れた。

 薄れていく意識、急速に冷えていく体温。

 それを、何かが引き戻した。

 

 灼熱の温度を帯びて、煮え滾るマグマのような温度。

 それが、彼女の身体の前面に、胸に腹にと拡がっていた。

 

 眼を開けると、右頬の辺りに彼の顔があった。

 杏子の右肩に顎を乗せ、両手で背を抱いている。

 

 そこに性的な要素は何も無かった。

 ただ彼は、彼女を抱き締めていた。

 自らの高い体温を与える様に、裸体の上に薄い布のドレスを羽織った杏子を抱いている。

 

 

「え、ちょ…お前…」

 

 

 困惑し、杏子は彼を振り解こうとした。

 だが、身体は動かなかった。

 そして自分の困惑と裏腹に、抵抗の意思も薄れていくのを感じた。

 代わりに去来したのは、安堵であった。

 

 

「黙ってな」

 

 

 そこに彼が言葉を投げ掛ける。

 

 

「黙って抱かれてろ」

 

 

 何を言っているのか、すぐには分からなかった。

 だが、少し経って彼女には分かった。

 今の状況に、やっと頭が追い付いたのだ。

 そして、その事実に胸が痛くなるほど驚いた。

 

 

「ナガレ…お前……」

 

 

 絞り出すように杏子は言葉を紡ぐ。

 彼の手は杏子の背から、肩、そして。

 

 

「ひぅっ……」

 

 

 彼女の真紅の髪を生やした頭部に触れた。

 その形を確かめるように、そして壊さないように。

 彼の手付きは、繊細な硝子の芸術品を扱うかのようだった。

 それは触れられる杏子が信じられないほどに、優し気な触り方だった。

 

 ぞくっとする感覚に、杏子は身を震わせた。

 

 

『なんだよ…これ』

 

 

 震えながら、彼女は思う。

 

 

『これじゃ……まるで……』

 

 

 その触れ方には、覚えがあった。

 もう二度と会えない、触れられない者達から受けた事に、それはよく似ていた。

 

 そのまま、彼は動きを止めた。

 どのくらい、そうしていただろうか。

 数分は過ぎた。

 

 そして一時間は経過しなかった。

 ナガレは手を、杏子の体表から離した。

 杏子は離れなかった。

 更に数分間、彼に身体を預けていた。

 

 溶けあうように重なった身体が離れる速度は、ひどくゆっくりだった。

 一つのものを、ゆっくりと二つに引き裂く様に。

 

 床に足を付け、杏子は数歩下がった。

 下がりつつ、魔法を発動させた。

 

 黒いドレスが消えて一瞬、彼女の裸体が月光を浴びた。

 そして直後に、普段の私服が彼女を覆った。

 頭髪にもリボンが巻かれ、素足もブーツで覆われる。

 

 足を縺れさせながらも後退し、やがて停止した。

 

 

「…お前」

 

 

 一言言った直後、彼女は莫大な疲労感に襲われた。

 二度三度と、重い息を吐く。

 

 それでいて不快さはない。そして、渦巻いていた性欲が体の奥に消えていく感覚がした。

 荒い息が続くが、彼女はなんとか呼吸を整えた。

 その様子を、ただ無言で彼は見ていた。

 

 

「はっ!」

 

 

 疲労を振り払うように、彼女は叫ぶように息を吐いた。

 

 

「確かに……抱いたってのに間違いはねぇよな」

 

「ちょっと反則だったけどな」

 

「それ、自分で言うかい?」

 

 

 意地の悪い笑顔で返した杏子の反論に、彼も似た表情で返した。

 

 

「十年か…長いな」

 

「そうか?年月なんざ過ぎればワリと直ぐだぜ」

 

「違ぇよ。その時あたしは26か7で、結構な歳だと思ってね。って、前にもこんなコト言ったよな」

 

「一番面白い時期だと思うんだけどな」

 

「実年齢が18くらいの奴が言うなよ。マセやがって」

 

「ハタチだってんだろ。つうか、少し前のてめぇの行動を思い出しやがれ」

 

「ガキっぽいんだよ、お前は。で、何だって?あたしが何かした?」

 

「お前、よぉ……」

 

「くははっ!その困ったツラは傑作だね。腐れメスゴキブリ女と胸にゴム鞠をくっ付けた紫髪の剣士気取りが執着するのも分かる気がするよ」

 

 

 不思議と、先程までの不健全な様子は消えていた。

 だが最後の最後、彼女の中に残った性欲の残滓が、彼女に新たな欲望を与えた。

 

 

「まぁ…今回はここで大人しくしてやるよ。……それで、さ…」

 

 

 その消えかけの火のような欲望の欠片は、最期に炎と化して彼女の顔に浮かんだ。

 歳に合わない妖艶さと、魔獣のような獰悪さが。

 

 

「代わりのコト……しようぜ」

 

 

 そう言い終えた彼女の全身を、真紅の光が包んだ。

 紅に照らされる前に、彼は彼女の意図を察していた。

 

 軽い溜息、そして牙を見せた嗤い。

 やっぱそうなるだろなと、確信と戦意を纏ったその表情が彼の心中を告げていた。

 















次回、(一旦の)最終回


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終回 前編

「ガラガラヘビ」

 

「ん…?」

 

 

 佐倉杏子はそう言った。

 彼女の顎が動く感触を、彼は右肩で感じた。

 同じく彼の動きを、彼女は同じ場所で感じた。

 ナガレと杏子は身体の前面を重ねあい、互いを支える様にして立っていた。

 言葉の合間には、ぴたぴたという水音が追従していた。

 

 

「ガラガラヘビってさぁ、平均で23時間もヤリまくるんだってよ。この前ネカフェで動物の番組見てたらやってた」

 

 

「…それがなんだってんだよ」

 

 

「はっ、分かってる癖に。で、始めてからどんぐらい?あたしの腹時計だとそろそろ一日なんだけどさ」

 

 

「大当たりだな。あと五秒」

 

 

 互いの肩に顔を置いたまま、右頬と右頬同士を重ねたままに、時計も見ずに彼はそう言った。

 

 

「よん」

 

 

 杏子が言った。

 呟いた声からは、濃厚な血の香りがした。

 

 

「さん」

 

 

 今度はナガレが言った。

 同じく、血の香りが言葉に纏わりついている。

 

 

「「にぃ」」

 

 

「「いち」」

 

 

 声がハモる。

 そして、両者は弾かれたように離れた。

 それぞれ約一メートル、合わせて二メートルの距離が開く。

 

 

「「ゼロ」」

 

 

 最後の数字と共に、両者は前へ踏み出した。放たれた弓矢、いや、弾頭の速度が乗せられていた。

 

 

「ぐがっ」

 

「ぐぅっ」

 

 

 同時に苦鳴、そして破裂音。

 互いが放った右拳による殴打が、それぞれの顔面に直撃していた。

 美少女である佐倉杏子と、美少女じみた顔の少年であるナガレの顔が衝撃と苦痛に歪む。

 その状態で、杏子は乾いた笑い声を挙げた。

 

 

「超えたな、ガラガラヘビ」

 

「今回が初めてでもねぇだろ」

 

「ははっ、それもそうか」

 

 喉を見せ、楽しそうに哄笑する杏子。

 喉にはざっくりとした切り傷が入れられていた。

 接近戦を繰り広げた際、手刀で切り裂かれたものだった。

 既に出血は止まり、傷口は赤黒く変色している。

 

「でもさ、今までとはなんか違うんだよ。ああ、そうだ分かった。あんたへの憎悪が消えてる」

 

 

 なるほどねと、彼の拳を顔に付けたまま杏子は納得の声を出す。

 切れた唇の端から顎を伝って滴る血滴が、妙に妖艶だった。

 

 

「じめじめが無くなって、カラッとした感じかな。今のこれもスポーツやってるみたいなさ。なんつうか、健全?になってるっていうか」

 

 

 健全という言葉の概念が変容しそうであるが、この両者にとってこれは大きな進歩であった。

 

 

「そりゃよかったな」

 

 

 皮肉ではなく純粋な同意を彼は示した。

 例によってこいつもどうかしている。

 

 

「にしても元気そうだな、お前。安心したぜ」

 

 

「こっちもね。あんたもあたしの穢れで参ってるかと思ったけど、アホみてぇに不死身だ」

 

 

「お前こそ相変わらず強過ぎんぞ。しかもさっき心ん中でバトってた時より強くなってやがる」

 

 

「あんたって存在のお陰かもね。練習相手としては最高だからな」

 

 

「役に立ててるんなら何よりだ」

 

 

「お人好しは長生きできねぇぞ?」

 

 

「仲間の役に立ててるんならいいじゃねえかよ」

 

 

「仲間か」

 

 

 言葉を心中で反芻する杏子。

 今更ながら、彼の顔に激突させていた拳を戻させながら。そして彼もそれに倣った。

 

 一日前なら、その言葉に心中で渦巻く闇が反応して拒絶反応を示していた。

 杏子自身も彼に反発し、吐き気を催していただろう。

 今は、それが無い。

 なので、彼女はこう返した。

 

 

「仲間ってか、友達だろ」

 

 

 彼女の返しに、彼の思考が一瞬途絶した。

 

 

「そっか。それで、お前はいいのか?」

 

「他ならねぇあたし自身がそう言ってんだ。疑ってんなら寧ろ怒るぜ」

 

 

 どことなくすまなそうな様子のナガレに、態度を切って捨てる様に睨みを利かせた視線を送る杏子。

 息を吐き、「分かった」と彼は言い、「ありがとな」と繋げた。

 その返事に、杏子は思わず右手で顔を覆った。広げた手により、彼女の眼から下、顎先までが覆われる。

 どうした?と彼は聞いた。いや…ね、と杏子は返した。

 

 

「照れたんだよ。人に褒められねぇ生活してるからさ」

 

 

 言いながら手を戻す。

 殴打によるもの以外の理由で、彼女は頬を染めていた。

 

 

「俺も似たようなもんだよ」

 

「あんな化け物と、宇宙の為に戦ってたくせに。あの化け物共、多分だけど命を吸うんだろ?だから星とかに生き物がいなかった」

 

「よく分かったな。でもよ、俺がやってたのはロボットに乗って暴れまわるだけだ」

 

「改めて言うと今と合わせてカオスな事してんな、お前」

 

「かもな。で、そん時の俺は安全な操縦室ん中にいる訳だ。生身で戦い続けてるお前らと比べたら情けねぇったらねえよ」

 

 

 彼の言葉に、杏子は返しの言葉を告げられずにいた。

 

 

「(マジで言ってるのか、こいつ…)」

 

 

 そう思いつつ、思い返す。

 宇宙単位のサイズの敵を相手に数十メートル単位の存在で真っ向から激突する。

 言葉で書けばそれまでだが、異常という言葉では済まされない。

 それなのに安全な場所にいるとは、彼女の理解を超えていた。

 だがナガレの様子は完全に本心からであり、杏子を慮ってのものでは無い事は分かった。

 

「あーーーーーーーーーーっ、もう」

 

 

 杏子は大きく息を吐いた。

 胃液と血の匂いが香る、俗に云うクソデカ溜息であった。

 

 

「ならあたしらの方がよっぽどシンプルじゃねえか。魔法って変な力を使って、同類や化け物共と殺し合う。そんだけさ、大した事じゃねえ」

 

 

 当然のことと、杏子は言った。

 その様子に、彼は首を立てには振らなかった。

 やはりというか彼女たちの境遇には、思うものがあるらしい。

 

 

「あんた、やっぱ面白いな。もう少し早く気付けばよかったよ」

 

「本かテレビか忘れたけどよ、遅すぎるってコトはねぇらしいぞ」

 

「そっか。じゃ、今からそれを埋めようぜ」

 

「ああ」

 

 

 嗤いながら、両者は言葉を交わす。

 ここまでの会話の時間は二分程度。

 回復するには十分な時間だった。

 

 再び激突。

 蹴りに拳が嵐となって交わされる。

 

 

 互いの攻撃は悉くが必殺。

 一撃貰えば終わりである。

 故に二人は回避に徹しない。

 防御に回ればそれだけ相手の攻撃を喰らうことになるからだ。

 

 そして二人の狙いは同じ。

 つまり、相手が死ぬまで殴り続ける事。

 この勝負は、どちらかが倒れるまで続く。

 

 友達だと言葉を交わし、これまでの廃滅的な関係で生じた空白を埋めようといった矢先にこれである。

 しかしながら、それは両者にとっては矛盾しない。

 これが、正に求めている事であるからだ。

 

 

「どうした!さっきから蹴りが粗いぞ!」

 

「言われなくてもなぁ!」

 

 

 互いの血肉を削る交差の中で言葉を投げ合う。

 弾けた血が拳の先で飛沫になり、削げた皮が弾ける。

 それらが互いの眼球に入るが、両者ともに構いもしない。

 

 その程度で怯むような柔な精神をしていない。

 何故なら、この生き方を選び、そして望んだのは他の誰でも無い自分自身なのだから。

 

 そうして、どのくらいの時間が過ぎただろうか。

 二人の間に言葉は無くなっていた。

 

「なんで、こんなに、楽しいん、だろう、なぁ。あんた、分かる、かい?」

 

 言葉を思い出したかのように、杏子は疑問を告げる。

 殴り合い、蹴り合う中である為に言葉が途切れ途切れとなっている。

 まるで情交の最中みたいだなと、杏子は思った。

 

 後ろから抱かれて、肉を抉られてる時のような。

 少し前に見たエロ漫画で、そんな場面があった。

 あれも確か、魔法少女物だったようなとも。

 

 だが疑問の形をとりつつ、杏子には答えが分かっていた。

 それを確かめたくて、彼女は声を出していた。

 

「全力が、出せてる、からだろうよ」

 

 対する彼は、笑っていた。

 その顔からは苦痛など微塵も無い。

 ただ、楽しそうに。

 まるで、遊びに夢中になる子供の様だ。

 

 その様子に、杏子はまた胸の奥を突かれるような感覚を覚えた。

 これは何なのだろうか? 杏子には分からない。

 だが、嫌なものでないことは確かだ。ならばいいではないか。

 その答えは、戦いの中で掴めばいい。

 

 

「そうだな!あたしもだよ!」

 

 言いながら、彼女は己を誤魔化す様に、彼の顔へ拳を叩き込んだ。

 そうだ。

 理解できない感情の事は今は良い。

 今はただ、眼の前の存在を打ち砕くのみである。

 

「……ぐぅ」

 

 顔面への衝撃に、ナガレはよろめく。

 人間の顔面など軽々と粉砕する魔法少女の力に耐えているのは、瞬時に身を引いた為と足裏から衝撃を逃がす技術、そして頑丈過ぎる肉体のお陰であった。

 しかしながら苦痛は尋常ではなく、頭蓋内で脳が爆裂し泡立つような感触が熱と共に去来する。

 だがそれはつまり、彼の意識が喪失していないという事。すなわち、戦闘不能ではない。

 

 

「うぐぁぁああああ!!!!」

 

 

 魔獣のような叫びと共に、彼は右腕を彼女に見舞った。

 バチンという破裂音が杏子の左頬を襲う。

 

 

「がぁぁあああああっ!!!」

 

 

 叫びながら、杏子の身体が大きく吹き飛んだ。

 彼が用いたのは、拳ではなく張り手であった。

 

 広げられた五指の間には、杏子の血と顔の肌の一部が張り付いていた。

 耳孔にも着弾しており、内側の鼓膜も破壊されていた。

 衝撃が涙腺を引き裂き、眼から、鼻からも血が溢れている。

 

 グラグラとした視界、脳味噌が煮立つような熱さ。

 しかしそれは、彼が先程味わった苦痛に近い。

 であるからして、彼女も戦闘不能に陥らない。

 

 ブーツにも滴り落ちた血流によって滑りつつも、杏子は地面に着地した。

 背後に後退していく中で、彼女は右腕を掲げた。

 度重なる殴打の使用で骨折を繰り返し、彼女の繊手は歪んでいた。

 

 その中の一本、人差し指が伸ばされ、ある一点を指さしていた。

 割れた爪の先には、ナガレの姿があった。

 

 杏子の奇妙な動作に不吉さを覚え、ナガレは魔女を召喚し斧槍として構えていた。

 不吉さの由来は二つ。

 一つは天空を曇天に変え、そこから稲妻を呼び出し、武器として放つ偉大な勇者の名を持つ魔神。

 そしてもう一体は…。

 

 

サザンクロス

 

 

 戦意に燃えていた彼の背に一瞬、魂を凍らせるような冷気が這う。

 しかしそれを焼却し、彼は魔女を体内へ取り込んだ。

 というよりも、魔女が退避していた。

 

 魔翼を展開した時、彼の周囲に赤い菱形が連なる結界が生じていた。

 羽搏き宙を舞った瞬間、それらは形を変えた。

 菱形の頂点である四つの鋭角が伸び、彼女の言葉通りの姿と化した。

 南十字星、十字架のような姿へ。

 そして。

 

 

ナイフ!!

 

 

 ナガレは跳んだ。疑問は焼き尽くし、現実への対処に移る。

 杏子の叫びと共に、南十字星を模した刃…何処となく彼女の十字槍の穂の面影を持った刃の群れがナガレへと向けて雲霞の如く迫る。

 

 

「やべっ」

 

 

 短く呟き、魔翼を用いて飛翔する。

 音速に近い速度に瞬時に達するが、その周囲には真紅の十字の刃が、『サザンクロスナイフ』が浮かぶ。

 急停止からの旋回を行うも、それらは正確に追尾を続ける。

 

 

「同じか」

 

 急加速した後に停止。そして彼は挑むように言った。

 斧槍も呼び出し、構える。

 以前までは魔女自身が翼を担当し、その間は手斧で戦っていたが、魔女も成長したのか今では使い魔に命じて翼を形成させていた。

 それは背から生える竜の化石のような尾も同然であった。

 

 

「来やがれ」

 

 

 彼が言うまでも無く、無数の刃が彼に殺到する。

 それらを、彼は斧槍にて斬り払う。

 斬られた刃は炎となって消えていく。

 

 だが、その数が多すぎた。

 全ての切っ先が、雨の様に彼に降り注いでいく。

 その様はまさに、流星群。

 

 そしてそれらを全て、傷付きながらも彼は迎え撃った。

 刃の暴風雨に加え、背から伸びた竜尾、そして悪魔を思わせる形状の翼が刃の群れを喰らっていく。

 

 超高速の斬撃の交差は、勝負は一瞬で付いた。

 状況的には彼の勝利であったが、全身からは出血。

 戦闘の最中に左目を刃の破片が掠め、失明とはいかずとも黒い瞳は血色に染まっている。

 

 

「やるねぇ」

 

 

 杏子の声がした。

 彼の背後で。

 即座に斬撃を見舞うが、それを易々と回避する真紅の影。

 バック転の要領で、彼よりも遥か高度へと飛翔する杏子。

 

 その姿は普段とほぼ変わらない。

 変化は、彼女が羽織る外套にあった。

 

 真紅の外套の裾が紅の燐光を発して燃焼していた。

 次から次へと生み出されるのか、外套の長さに変化は無い。

 しかしそれによって発生する力を用いてなのか、彼女は飛翔を遂げていた。

 

 その様子に驚きつつも、彼は納得もしていた。

 ドッペルを用いての異形も飛翔を覚えていたし、精神世界では上も下も無い空間の中で彼女と戦い、彼女はそれにも対応していた。

 そして飛翔能力を持った外套を背負う姿は、彼には見覚えがあり過ぎた。

 戦意の微笑みを見せる彼女に、彼は深紅の戦鬼の面影を見た。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終回 中編

 裾を燃え上がらせて揺らめく外套を纏い、飛翔する佐倉杏子。

 艶然ささえ浮かべてこちらを見降ろす彼女の姿に、彼は鋼の戦鬼の面影を見た。

 

 

「綺麗だな」

 

 

 その姿を彼は素直にそう評した。

 当然ながら、戦鬼相手には思い浮かべた事のない感情だった。

 

 

「お褒め頂き、ありがとさん」

 

 

 微笑む杏子。その姿が茫洋と霞んだ。

 同時にナガレは両腕を胸の前でクロスした。

 重ね合わされた両手の真上を、衝撃が襲った。

 急速下降した杏子の長い右足が伸び、蹴りとなって放たれていた。

 

 木の葉のように吹き飛ばされるも、彼もまた魔翼を広げて衝撃を殺す。

 そして自らも飛翔し杏子を急襲すべく足を撓ませた。

 足裏に簡易の足場を作り、そこを基点に飛ぶつもりだった。

 そこに影が降りかかった。

 

 背後の風の流れも変化していた。

 何かに遮られ、風流が二筋に分かれているのを感じる。

 上空の杏子は、口を半月に開いた悪鬼の笑みを浮かべていた。

 そして同時に背後から感じる魔力の波濤。

 

 足場を蹴って飛翔し振り返る。

 一気に二十メートルは跳んだが、それはその長さよりも大きかった。

 形状を確認しつつ更に跳ぶ、更に十メートルを昇ってようやくそれの頂点に辿り着いた。

 

 その形を確かめた彼は絶句していた。

 蛇のように長く、大樹の如く太い物体が宙を蛇行している。

 形状には杏子が召喚する巨大槍の面影があった。

 だがそれ以上に色濃く、ある存在の類似性が見受けられた。

 

 太い蛇腹に多節が生じ、下方に伸びた尾の先端には十字架を模した巨大な槍穂があった。

 そしてその反対側、頂点である場所もまた十字架の形状が見られた。

 異なるのは十字の中央が開き、巨大な口を形成している事だった。

 

 蛇か竜か、恐らくはその両方。

 開いた口の中にもその槍穂を縮小させたサイズの、短剣のような牙がびっしり生えている。

 上顎の部分は三日月のように湾曲し、そのラインに沿っても口内と同じく牙のような無数の突起が並ぶ。

 

 

「おい…こいつは」

 

 

 さしもの彼も緊張し、声を絞り出すようにして巨体を見上げた。

 蛇行して上昇する真紅の蛇竜は彼の頭上を通り過ぎ、更に上空にて滞空する杏子の元へと向かっていた。

 そして身体を渦のように蛇行させながら、彼を見降ろす杏子を護る様に彼女の周囲を旋回する。

 彼女の槍が姿を変えた蛇竜の全身からは、鬼火のような紅光が湧いていた。

 それを見て彼は察する。

 

 これを形成しているのは、先程彼女が放った十字架の刃の乱舞、『サザンクロスナイフ』の破片であると。

 即興か狙ってのコトか、彼女はナガレが斬り払って打ち砕いた魔力を元にこの巨体を作り出していた。

 

 そのデザイン元は、先日彼との精神の中で垣間見た異界の存在。

 紛い物ではあるが、その蛇竜は守護竜にして魔獣。

 

 その名は。

 

 

「やっちまいな!ウザーラ!!

 

 

「嘘だろ!?」

 

 

 支配者の如く傲慢ささえ孕んだ杏子の命令。

 そしてナガレの叫び。

 呼応して、紛い物の蛇竜は口を開いた。

 

 顔の側面で、十字の光が輝いた。

 オリジナルと同じく、菱形で縁取られた眼の内側を走る光だった。

 無機質だが、殺戮と破壊の歓喜で喜びに震えているかのように光が灯る。

 同時に、口の奥にある深淵の如き暗い孔にも光が灯る。

 

 

「やべぇ!」

 

 

 叫ぶ彼へと、二種類の光が吐き出された。

 一つは大河の如く迸る炎の奔流、もう一つは空を砕くかのような雷撃の毒蛇の群れ。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 咆哮を上げ、彼は全身に紅の光を纏った。

 ダメージカット、通称ダメカで鎧のように全身を覆わせ、肉体を一瞬で炭化させる熱と雷撃を防ぐ。

 そしてそのまま、二種の光の奔流に向けて飛翔した。

 彼は斬撃の乱舞を見舞い、斧槍で光を切り刻む。

 

 

「相変わらず、無茶しやがる奴だな」

 

 

 杏子は呆れきった口調で言った。

 その無茶を強いている張本人と、本人は自覚があるのだろうか。

 真紅の瞳の先では、熱に身を焦がされつつも炎と雷を切り裂く彼の姿が見えた。

 

 

「ったく…世話焼かせやがる」

 

 

 溜息を吐く杏子。左手で顔を覆いつつ、右手を蛇竜の頬へと添える。

 恋慕の懊悩、または結ばれぬ愛への嘆きに沈む乙女のような姿で、彼女はこう言った。

 

 

「火力追加だ。焼き尽くせ」

 

 

 主の命に蛇竜は行動で示した。

 十字架を横に引き裂いた竜の咢は更に広がり、炎と雷撃も太さを増した。

 大河から大海へと変貌した光に、ナガレの姿は完全に飲み込まれた。

 

 それは異界の地面にも着弾し、瞬時に地面を融解させた。

 跳ね上がる蕩けた地面と蒸発していく異界の構成物。

 

 地面を這う熱は留まるところを知らず、辺り一面に行き渡る。

 灼熱地獄が顕現したような光景が異界に広がり、その上空に蛇竜と杏子は支配者の如く浮かんでいた。

 

 

「おい」

 

 

 なおも蛇竜が吐き続ける奔流へ、杏子は声を掛けた。

 その口には何時の間にか、彼女のお気に入りの菓子であるROKKIEが咥えられていた。

 熱でチョコが蕩け、彼女の血染めの唇を黒が濡らしている。

 

 

「もうお仕舞かい?」

 

 

 菓子を齧りながら杏子は問うた。

 その時だった。

 

 蛇竜が吐き出す光が真横に切断され、黒い閃光が迸ったのは。

 

 切り裂かれた炎の奥には、横に斧槍を振り切ったナガレの姿があった。

 荒い息を吐きながらも、彼は上空を見上げていた。

 黒く渦巻く瞳に、咢を上下に切り裂かれた蛇竜が見えた。

 

 その左右を見渡すナガレ。

 真紅の魔法少女の姿は無かった。

 

 その代わりに、紅いものを彼は見た。

 竜の喉の奥に雷と炎の塊が見えた。

 

 竜はそれを吐き出した。

 自動車一台ほどの球状の光の塊が放たれたのは、彼へ向けてでは無かった。

 

 槍の柄で出来た喉を真上に伸ばし、引き裂けた口を開いて上空へと放っていた。

 放たれた光の先に、彼女がいた。

 光は彼女を飲み込んだ。

 その光を、佐倉杏子は全身に纏った。

 

 紫電と炎が彼女の体表を這い廻る。

 その光が、彼女の色を輝かせる。

 彼女の心のような、猛々しく美しい、真紅の色を。

 

 その姿に彼は息を呑んだ。

 全身を高熱で焙られ、大量出血を経た満身創痍の身であっても、彼にはその姿を美しいと感じた。

 余裕があるからではない。ただそう感じたのである。

 恐らく死ぬ寸前でも(実際、今がその状態に近いのだが)、彼はそう思っただろう。

 

 

「今、確信したよ」

 

 

 光の中で、杏子は微笑む。

 

 

「何だかんだで、あんたを拾ったのは正解だった」

 

 

 そして嬉々として呟いていた。

 光と化して、彼の元へと真紅の流星と化して向かって行った。

 激突は一瞬という間も空かない後であった。

 

 降下した杏子の右脚がナガレの胸に突き刺さり、その内側の骨と筋肉を打ち砕いた。

 

 

「おおおおらああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 杏子が叫ぶ。

 叫びながら、その両脚は狂ったように動いていた。

 右と左が交互に、まるで毒蛇か鮫の噛み付きのように連続で繰り出される。

 

 一撃一撃が人体を破壊する威力。

 それに彼は受け技とダメージカットで必死に耐える。

 

 彼の口からは血が吐き出され、加害者である獰悪な美姫の貌を朱に染める。

 唇に触れたそれを、杏子は反射的に舐めた。

 

 

「ん、悪くないね」

 

 

 そう思った。

 それと同時だった。

 ナガレの両手が、杏子が繰り出した左脚の足首を掴んだのは。

 

 

「掴まえ」

 

 

 血臭い声を吐きながら、彼は杏子を見上げつつ言った。

 言い掛けた。

 

 

「た」

 

 

 彼の言葉を杏子が引き継いだ。

 彼が見上げた杏子の顔は、にっこりと微笑んでいた。

 

 彼女が彼に告げた一語の後には、音符かハートマークが似合いそうだった。

 好意と言うか、悪意と言うか。

 それらが綯い交ぜになった言葉だった。

 

 そしてそれは単なる言葉ではなく事実であった。

 彼の胸に足裏を置いた彼女のブーツが解け、複数の鎖状結界となって彼の背へと回り、その身を拘束した。

 そのまま彼女は外套を翻して上昇、したと思いきや急反転して地面へと向かった。

 灼熱の舌の凌辱を免れた一帯を、彼女は目指していた。

 

 

「おい…見えるぞ」

 

 

 胴体を鎖で圧搾され、朦朧とする意識の中で彼は言った。

 スカートの中身の事だろう。

 

 

「ああ。ご覧の通り、この前買って来てくれたのをちゃあんと履いてるよ。中々良いの選んだな。悪くねぇ履き心地だ」

 

 

 愉快そうに笑いながら杏子は言った。

 

 

「じゃあな」

 

 

 そして音速を超えた速度のままに、彼を地面へ向けて投擲した。

 地面への距離は、十メートルも無かった。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 その彼女の首を、何かがへし折らんばかりに圧搾した。

 血走った眼で彼女はその原因を見た。

 ナガレの背から生えた、化石化した竜の尾のような武装が彼女の首に巻き付いていた。

 

 

「お前も…付き合いな!!」

 

 

 血を吐きながらナガレは叫んだ。

 

 

「主人公とは…思えねぇ、所業だな」

 

 

 苦痛の中で杏子は答えた。

 

 

「ま、いいさ。一緒にいてやるよ」

 

 

 何が可笑しいのか、杏子は笑っていた。

 嗤いながら、杏子はその意思をナガレへ送った。

 

 

「あんた、案外寂しがり屋だしな」

 

「かもな」

 

 

 杏子の意思に、ナガレも返した。

 その直後、二つの身体は音速を超えた速度で地面へと激突した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終回 後編

「ん……ぐぅ」

 

 痛み、熱、濃厚な血の香りと胃液の酸味。

 それらを同時に味わいながらナガレは目覚めた。

 佐倉杏子による、高度からの落下速度を乗せての音速を超えた投擲。

 

 それに対して加害者である彼女を道連れにしての墜落。

 激突の瞬間にダメージカットを全開発動させたことで、彼は即死を免れていた。

 まともに激突していたら、いかに彼とは言え文字通りに身が持たない。

 

 目覚めから更に十数秒後、肉体の感覚が戻ってきた。

 両腕は感覚が無く、その他の場所は熱と痛みで満ちていた。

 筋肉が断裂し、骨には隈なくヒビが入っているだろう。

 

 背中に合った悪魔翼も崩壊し、魔女自体もダメージを負ったのか消え失せている。

 彼はそう認識し、彼はうつ伏せのまま首を左右に動かした。

 顎先を地面に着けたまま、肉を擦りながら見渡す。

 

 数十メートル先に、仰向けに倒れた魔法少女の姿があった。

 彼はそこを目指し、這いずりながら移動し始めた。

 僅かに動く肩と足と腹を使い、翼を喪い、地に落ちた瀕死の竜のように這いずっていく。

 

 そこの近くまで辿り着くのに、彼は数分を要した。

 その間、杏子はぴくりとも動かなかった。

 

 杏子の身体もまた、全身に肉の裂け目と腕や脚から折れた骨を飛び出させていたりと凄惨な姿と化している。

 溢れた血は彼女を中心として小さな湖面を描いて広がり、彼女を血の絨毯の上に浮かばせていた。

 だがそれ以上に彼をその場へ急がせたのは、杏子の胸に置かれた紅い宝石だった。

 

 縦長の、爬虫類の瞳孔を思わせる形状のそれの中には闇色の穢れが溜まっていた。

 魔法少女たる証であり、且つ最大の弱点であるソウルジェムの穢れが彼女を蝕んでいる。

 内部に蓄積し続けて増大した穢れを彼が喰らった処で、これはどうにもならないらしい。

 

 虚しさを覚えながらも、彼はやるべき事を為すべく動いた。

 思念で魔女に呼びかけ、必要な物を彼の元へと届けさせる。

 彼の口元に暗い光が宿り、実体として形を成した。

 

 

「…最後か……これが」

 

 

 それを咥えながら、彼は更に這いずる。

 全身から出血が溢れ、血の線が地面に引かれ続ける。

 彼がうつ伏せで倒れていた場所から今に至るまで、太い朱色の線が地面に描かれていた。

 

 そして今、地に広がる二つの朱が交わった。

 杏子から溢れた血の絨毯に、彼が身を浸す。

 芳醇な血の香りが鼻孔を刺した。

 

 

「……ん……ぐ」

 

 

 杏子の血から身を引き剥がすように、彼が動く。

 生き残った筋肉と骨と、力の全てを動員して上体を起こし、杏子に覆いかぶさるように身を寄せる。

 そして彼は口に咥えたそれを、グリーフシードを杏子の胸に近付けた。

 

 効能は直ぐに生じた。杏子のソウルジェムから穢れが溢れ、黒い卵の中に吸い込まれた。

 黒が消え失せ、それに覆われていた真紅の色が目覚めたように姿を顕していく。

 

 

「…綺麗、だな」

 

 

 煌々と輝くその光を浴びながら、彼はそう呟いた。

 彼の視線は、彼女の宝石だけにあった。

 眼を奪われていた、という訳では無い。

 

 宝石の上にある杏子の表情を、彼は見なかった。

 彼女はそれを見られたくないと思い、また彼も彼女のその姿を見たくなかった。

 苦痛に呻く少女の顔など、見ていて良い感情に至れるわけも無い。

 

 グリーフシードが完全に穢れを吸い取った時、彼の意識は急速に薄れていった。

 その中で彼は口を開き、グリーフシードの針から卵部分へと咥える歯を移動した。あとは噛み砕けばいい。

 

 そうすれば半共生状態の魔女が、それを元手に彼を治癒する。

 吸われた絶望を、彼が垣間見る苦痛を対価に。

 力を込めた。卵の表面にヒビが入った。それまでだった。

 

 普段ならまるでスポンジケーキを噛み潰すように容易く破壊可能なグリーフシードを砕けない程に今の彼は弱っていた。

 意識が黒く染まり、その中に落ちてく感覚。

 

 ナガレは更に力を込めた。歯の切っ先が卵の内側に減り込む。

 その時だった。彼の身体が、仰向けに押し倒されたのは。

 

 ナガレの背中で、血溜りが弾けた。仰向けにされて押し倒された彼の両肩を、杏子の両手が押さえていた。

 顔は昏く、表情は伺えなかった。

 ただ一つ、にっと半月に開いて牙を見せた、彼女の口を除いては。

 

 そして彼女は口を開き、彼の顔に自らの顔を重ねた。唇と唇もまた重なり合う。

 

 ほんの一瞬の交差の後、彼が咥えていたグリーフシードは杏子の口の中にあった。

 牙で捉えたそれを、杏子は一息に噛み砕いた。

 黒い穢れが口内に溢れる。

 

 そして脳裏に映し出される鮮明なビジョン。

 物言わぬ肉と成り果てた家族の姿。

 いつもの地獄。

 

 これからも、永劫に彼女を苛む後悔の象徴。

 苦痛。

 苦痛。

 終わらない苦痛。

 

 それを味わうように、杏子は砕いたグリーフシードを咀嚼した。

 その度に映像が増えていく。

 

 師匠と呼べる存在と袂を分かったあの日の事、幼少期に浴びせられた無数の悪罵。

 

 窃盗を行う度に感じる罪悪感。

 

 その他の負の感情が、まるで彼女を陵辱し輪姦するかのように押し寄せる。

 それらを受けつつ、彼女は口を動かした。

 ストレスにより粘度を増した唾液を、元から口内に溜まった血を、舌で絡めて破片に纏わせる。

 

 そして彼女は再び動いた。

 先程と同じように、彼の唇に自分の唇を重ねる。

 但しその様子はまるで、肉を貪る獣そのものだった。

 首を、顔を左右に振り、彼の顔を喰い尽くすように重ねた唇を貪る。

 

 彼に覆い被さり、彼の頭を掴んで固定し、開いた口から強引に己の口を彼の口に重ねた。

 

 舌を彼の口内に差し込み、彼の舌を逃がすまいと蛇のように絡ませる。互いの口内で、二人の粘膜が交わる。

 

 それにグリーフシードの破片を、たっぷりと分泌させた唾液と口内の血で絡ませて送る。

 送りながら、杏子は彼の口内を舐め廻した。

 歯の裏側に付着した彼の血を、口内の傷口を舐め廻す。

 舐めながら、自分の血と唾液を送り出す。

 

 

「足りねぇな」

 

 

 杏子はそう思った。

 即座に行動に移した。

 八重歯で舌を貫き、開けた孔から湧かせた血に唾液を絡めて彼へと送る。

 

 更に色濃く、彼女の臭気を纏った交差が始まる。

 彼が誰のモノであるのか、それを示すように杏子は自分の匂いを彼に伝える。

 

 また彼女の両手は既に、彼の肩には無かった。

 仰向けの彼の背に回され、その身体を抱いていた。

 爪先は彼のジャケットの上に立てられていた。

 

 鋭い爪によって繊維が破れ、彼の背に傷が生じる。

 それでいて、手付きは優しげだった。

 まるで幼子の頭を撫でるかのような。

 

 紅く輝く宝石が宿る胸も彼の胸板に押し付け、腹も互いに密着させられ、更に彼女の両脚は彼の右脚を捉えて離さなかった。

 身が触れあう部分を微細に動かしながら、杏子は彼を貪っていた。

 

 口で、身体で。

 本能のままに、赤い血が求める欲望のままに。

 

 二人の血が交わって更に広がっていく血溜りの上で、杏子は身体を彼に絡める。

 全身血塗れになりながら、いや、寧ろその姿を望んでいるかのように。

 一心不乱に、杏子は彼を求めていた。

 

 

「んぅ…………」

 

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 杏子は名残惜しげに唇を放した。

 既に口内は空っぽだった。

 

 砕いたグリーフシードも、溢れた穢れも。

 唾液も彼にほぼ全て与えて消費しきり、口内は乾いて粘ついていた。

 舌も既に孔だらけで、まるで虫に喰い荒らされた葉のような有様と化している。

 

 ならば、欲しい。

 与えた分だけ、失った分だけ、与えられたい。

 この空白を、空っぽを何かで埋めたい。

 杏子はもう一度、今度はゆっくりと顔を近付けた。

 

 

「もう…大丈夫だ」

 

 

 しかしそれは叶わなかった。

 触れあう寸前で、彼はそう告げた。

 その言葉に、彼女は動きを止めた。

 

 拒絶の意志表示。

 そう受け取った杏子の顔から、表情が消えた。

 

 そして二人の周囲に広がる血が、バシャンと弾けた。

 ほぼ同時に、金属音が鳴り響く。

 聞き慣れた音階は、剣戟の音だった。

 

 それは連続し、何時までも続いていく。

 交わされるのは真紅の十字槍と漆黒の斧槍。

 振う両者の動きに合わせて地面が、そこを覆うように拡がる血溜りが弾けて跳ねる。

 

 それさえも切り裂く激しい剣戟が、杏子とナガレの間で交わされていく。

 無言で二人は武器を振るい続けた。

 

 やがて杏子が横に跳ね、ナガレがそれを追った。

 疾走しながらも、刃の交差は止まらない。

 

 牛の魔女が開いた魔女結界の中の、異界の構造物が剣戟に巻き込まれて次々と破壊されていく。

 当然ながら互いの肉体も互いの得物によって切り刻まれる。

 

 彼から与えられたグリーフシード。

 その浄化によって復活した魔力で治癒した杏子の肉体が、破滅に向かって突き進む。

 他ならぬ彼の手によって。

 

 彼女から与えられた砕けたグリーフシード。

 その穢れを彼と半共生状態の魔女が魔力に変えて、彼の身体を治癒させた。

 その身体が、癒しの切っ掛けを彼に与えた杏子によって新たな傷を与えられていく。

 

 互いを癒し、そして破壊し合う二人。

 矛盾に満ちた、異形の交差が繰り返される。

 

 

「なぁ」

 

「ん?」

 

 

 その中で杏子が口を開いた。

 ナガレも応じた。

 

 

「何か言えよ」

 

「ん……」

 

 

 斧槍を振い、槍を突き、相手の防御を破壊しつつまた受け流しながら言葉を重ねる。

 切り裂かれた肌から溢れた血が更に刻まれ、微細な飛沫となって両者に付着する。

 

 

「お前な!!」

 

 

 杏子は叫んだ。

 異界を震わすような叫びだった。

 

 叫んだ瞬間、杏子は槍を地面に突き立てていた。

 彼女の首を狙って放っていた斬撃を、彼は肌の寸前でびたりと止めた。

 そして彼女に倣い。自らも斧槍の先端を地面に突き刺す。

 

 二メートルほどの距離を隔てて、杏子とナガレが対峙する。

 二人とも、先程血の上で身を絡ませたために全身隈なく、自分と相手の血が混じった血に塗れていた。

 一面に夕焼けを浴びたかのような、または地獄に繋がれた死人のような姿だった。

 

 

「あたしの初めて奪っといて!何の一言もねぇのかよ!!」

 

「…え?」

 

「あー!?」

 

 

 再び大声を上げる杏子に、ナガレが思わず目を丸くした。

 どうやら自分の言った事が聞こえていなかったらしい。と、彼女は思った。

 

 そう認識した途端に、彼女は羞恥心に苛まれた。

 既に血によって深紅に染まった頬がかあっと熱くなる。

 

 

「いや、ちょ、その言い方」

 

「やっぱ聞いてんじゃねーか!!この野郎!!!」

 

 

 杏子は激昂し、槍を振り上げた。

 次の瞬間、それは光と化した。

 数千か数万か、幾度めかの金属音が鳴り響いた。

 短い平和であった。

 

 

「お前、アレは自分でしてきたじゃねえかよ!」

 

「そうさせたのはてめぇだ!!」

 

「いや、そうだけど…ありがとよ」

 

「一方的にデレるんじゃねえ!バカ!!」

 

 

 柄と柄を絡ませ、鍔迫り合いを交わしつつ両者は叫ぶ。

 

 

「長い付き合いになって来たし、これからも長いだろうから言ってやる!言ってやるからな!!」

 

「ああん?」

 

 

 怪訝な顔をするナガレ。その表情に「うっ」と呻く杏子。

 そしてその感情を、懊悩を抱きつつ叫んだ。

 

「お前のツラは可愛くて!そのくせ中身は嫌になるほど男らしくて!そんでもって声の出し方……なんつうか韻の踏み方がエロいんだよ!!つうか!お前の!存在が!!エロいんだよ!!すっごく!!」

 

「ええ…」

 

 

 困惑するナガレ。

 当然だろう。

 

 

「見てたり会話してたり…今だってそうさ!殺し合っててもな!お前見てると性癖が拗れるんだよ!リアタイであたしの性癖を拗らせ続けてんだよてめぇはよ!」

 

 

 更に叫ぶ杏子。

 三人称の変化からも彼女の混乱が伺える。

 

 

「だからその顔で!その声で!変なこと言うなって話だよ!しかも自覚なしとか最悪にも程がある!あああもう!!!てめぇって奴はよぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 絶叫する。

 眼に涙を潤ませ、懊悩に狂った表情で。

 

 

「いや、俺そんな事言われても困るんだけど……」

 

 

 割と真っ当な彼の発言であった。が、杏子が聞く耳を持つはずも無い。

 

 

「うるせぇ黙れ!!そもそもだなぁ、あたしがどんだけ悩んだと思ってんだ!?こっちは初めてだったし、あんなもん突っ込まれて痛かったし、お前の出したもののせいで腹下すしで大変だったし、その後なんか訳分かんなくなってたし……」

 

「おい、ちょっと待て!!」

 

 

 と、ここでナガレが口を挟んだ。当然だろう。

 

 

「何?」

 

 

 ムスッとした表情で杏子が返す。

 性的関心は無いが、結構かわいい顔出来るじゃねえかと彼は思った。

 これまでの生活で、憎悪に狂った表情を主に見てきたせいだろう。

 

 

「身に覚えがねぇな」

 

「どれの事だよ」

 

 

 全部だよ、と言いたいのを彼は堪えた。

 

 

「突っ込むとか、出したものとか、聞き捨てならねぇ台詞だよ」

 

 

「じゃあ訂正しな。あんたの言葉で」

 

 

「はい?」

 

 

「ヒント。あたしの初めてってのは何だろね」

 

 

 有無を言わせず、杏子が畳み掛ける。

 それに対してナガレは悩む。言うべきか言わざるべきか、いや。

 言うしかないので、どう言えばいいかという悩みである。

 ちょろい、と杏子はほくそ笑んだ。

 

 

「………ス」

 

 

 これまでの人生で使った事がほぼ、ないし全くない単語を彼は言った。

 

 

「んー、聞こえねえなぁ。はい、もう一度、元気よく」

 

 

 それに対し意地悪く杏子は言った。

 無論、彼の言葉は聞こえている。

 ただ、嫌がらせがしたいのだった。

 

 

「キスだよ!キス!これで良いんだ」

 

 

 ろ?と続ける筈だったのだろう。

 その顔面に杏子は頭突きを放った。

 

「スキあ」

 

 

 接触の寸前、杏子は言った。

 奇しくも彼が言った単語と逆の読み方の言葉だった。

 それもまた、途中で途切れた。

 

 何故かと言えば、彼もまた額を彼女に叩き付けようとしていたからだ。

 両者の動きが止まった。

 似たような思考をしていた事に、気まずさが生じたのだった。

 

 だが、黙ってはいられない。

 両者は首を背後に傾けた。

 何度も繰り返された事だった。

 今回もそれに変わりはなかった。

 成長しない連中である。

 

 

「うるぁぁああああ!!!」

 

「くらええええええ!!!」

 

 

 怒号と共に互いの額が激突。

 途切れる意識、そして覚醒。

 再び頭部が激突し合い、また途切れて再び激突。

 それを十回ほど繰り返してから、両者は得物を振った。

 

 十字槍を斧槍が迎撃し、二つの暴風となって絡み合う。

 数十秒後にそれは生じた。

 両者を支える地面が、半径十メートルに渡って罅割れたのである。

 

 だが、両者は止まらない。

 咆哮を上げながら互いを殴り、蹴り、斬撃を放ち続ける。

 そして互いの全力の刺突と斬撃が激突した時、それは起こった。

 

 異界の地面が砕け、大口を開いて両者をその中へと導いたのである。

 孔の中には闇が広がり、一片の光も見えない。

 

 その中で、無数の光が乱舞した。

 発生源は言うまでもない。

 その最中でも交わされる刃の交差によって生じる火花である。

 

 共に飛翔することが可能でありながら、両者は落下しながら戦っていた。

 撥ね飛ばされれば、壁面を蹴って舞い戻り、その際に刃を相手に叩き付ける。

 離れれば、また寄り添うように近付き暴力を交わす。

 

 互いを求めて、何処とも知れぬ奈落の底へ堕ちながら、剣戟と拳と蹴りが交わされていく。

 それはいつ果てるとも知れずに続いていく。

 

 

「楽しいな!ナガレ!」

 

「だな!杏子!」

 

 

 杏子の短い言葉に、彼もまた短く返した。

 それが全てだった。

 そして再び怒号と剣戟が重ねられる。

 異形異類、そう思える関係だった。

 ただ、暴力を糧に向き合う両者はとても楽しそうだった。

 

 闇の中で輝く光を、争う相手を求めて殺し合う。

 何時もの事だった。

 漸く、この日常が戻っていた。

 

 

 杏子自身、自分のテンションや態度が可笑しいと気付いてはいる。

 しかし、彼とどう接していいか分からなかった。

 憎悪が消えた今、それをどう埋めようかと必死になっていた。

 

 対するナガレは困惑しつつも、彼女に合わせていた。

 それは単なる善意であるし、面白い奴だという関心もあるのだろう。

 

 つくづく変わらない、変われない二人である。

 何が変わったかと言えば、揃って首を傾げるだろう。

 二人の出逢いから今に至るまで、物語が動いたかと言えばそれもまた微妙なところである。

 

 しかしながら、何かが変わっていた。

 破滅的な関係に少しは人間らしい要素が増えた。

 そのくらいには変化があった。

 マイナスから、ゼロよりは少し数字が増えたような。

 

 そして両者の否応なしに、時は流れて人生は続く。

 

 生きている限り。

 

 そして彼らは、こいつらはそう簡単には死にそうにないのであった。

 

 例え、その先に待つのが死よりもおぞましき結末、末路であり成れの果てであったとしても。

 

 流血と怒号と、痛みと苦痛と闘志に満ちた、同じ檻に放り込まれた二頭の狂犬のような。

 

 それでいて破壊も暴力も、主に醜く、そして少しだけ美しいと思えてしまう異形の関係が。

 

 血よりも紅い深紅に濡れて染まり切った。

 

 宇宙と次元と、時空を超えて出逢ってしまった二人の。

 

 

 魔法少女と流れ者の、不健全で平凡な日常は続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 























第一部、完

原作及び全てのキャラクター。
執筆を支えてくださった全ての方々、そして読者様に無限に有限の感謝であります。
次回からはエピローグを描きます。
第二部まで少々お待ちを。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ1 Darkness・Prompt

 赤。緋。紅。朱。

 眼にも鮮やかな赤が、鏡で形成された地面の上を覆っていた。

 新鮮な血液は肉の内から解放されたばかりであることを示す、芳醇な臭気を放っていた。

 湖面の如く広がる血溜りの上に、大小様々の人体の部品が、まるで島々のように点在している。

 

 指、手足、耳、頭皮、肝臓、腎臓、膵臓、心臓に腸に、そして抉り出された子宮が。

 全てが三センチほどの厚みを持った血溜りの上に置かれている。ばら撒かれている。

 そしてそれは、今も続いていた。

 

 鏡の世界の中に少女の怒号と咆哮が鳴り響き、音速を超えた速度で降られる斬撃が、そこへ迫り来る煌びやかな衣装を纏った少女達を切り裂き無意味な肉片へと変えていく。

 少女達は衣装や頭髪の色も様々だったが、ただ一つだけ、顔が鏡で形成されているという共通点があった。

 その鏡が、加害者の姿を映していた。

 

 薄紫の毛髪を紫の帯で巻いた、白と紫の布地で構成された武者風の姿をした少女の姿が、肉片となって血の海に沈んでいく少女達の鏡の顔に映っていた。

 風見野屈指の実力を誇る魔法少女、朱音麻衣である。

 振り終えた一刀の先で湧き上がる、間欠泉のような血の奔出。分かれた人体から溢れる臓物の山。

 

 しかし、血色の瞳はそれらの地獄を見ていなかった。

 彼女が見ていた、いや、求めていたのは新たな敵の姿であった。

 

 血の海の上に山と浮かぶ死骸の奥に、それはいた。

 真紅。人型の炎のような姿。

 十字架を模した穂を先端に付けた長槍。

 その認識の瞬間、麻衣の意識は炸裂していた。

 憎悪によって。

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 

 魂が砕けたような絶叫。そして疾走。

 真紅の魔法少女の複製が槍を構えるより早く、麻衣は複製の喉を右手で捉えていた。

 複製の細い首からは出血。麻衣の手は掴むのではなく、全ての指の切っ先で複製の首の肉を貫いていた。

 親指と人差し指に至っては、背骨にまで達している。

 

 残る左手は複製の腹に触れていた。と見るや五指が曲げられ、鉤爪のように衣服と肉に喰い込んだ。

 麻衣はそれを一気に引いた。痙攣する複製杏子。

 その腹の肉は、いや、腹は消失していた。

 滝のような血が腹腔から溢れ、左手が握る衣装と肉の塊と腹腔の間を丸ごと引き摺り出された各種内臓が吊り橋のように繋いでいる。

 

 そして麻衣は右手に軽く力を込めた。

 砂糖菓子が砕ける様に、複製杏子の骨は折れた。

 骨のみならず、筋線維も柔らかい上質の肉が歯の上で裂けるように簡単に千切れた。

 落下した首を、麻衣の足が即座に踏み潰す。

 鏡と肉と骨と脳髄の混合物が弾け、麻衣の膝から腰までを彩った。

 

 

「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 再び咆哮。

 同様に落下した首から下の肉体を、麻衣は踏みしだき始めた。

 手足が簡単に外れ、宙に舞う。

 肉が満遍なく均され、無惨な挽肉と化していく。

 

 トドメとばかりに、完全に原型を喪った複製杏子の肉体の何処かを踏み潰したとき、何かが麻衣の頬を掠めた。

 鏡か骨か。

 あるはその両方が交じり合った破片が彼女の頬を掠めて肉を抉り、薄く出血させていた。

 

 そのまま数秒、麻衣は動かなかった。

 頬の傷から溢れた血が唇に触れた時に彼女は動いた。

 

 

「うぐぐうぐうううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!」

 

 

 懊悩と憎悪と、嫉妬が混じった雌の咆哮。

 全身をわななかせて叫び、そして左手に掴んだ複製の腹の肉と内臓を麻衣は顔へと押し付けた。

 そしてそれをまるでタオルとして扱うかのように、顔をゴシゴシと拭き始めた。

 当然、麻衣の貌は血に染まった。

 薄紫色の毛髪も血塗れになり、顔から喉、胸に鮮血が滴る。

 

 

「はぁ…ハァ……あああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 慟哭。

 膝を折り、血の海に跪きながら麻衣は泣いていた。

 両手で杏子の残骸を抱き締めながら。

 

 肉塊は麻衣の腹の前で抱かれていた。

 皮を隔てて、麻衣の命を育む器官の直ぐ近くの場所で。

 

 憎むべく相手の肉片を、我が子を慈しむように抱きながら、朱音麻衣は涙を滂沱と流して泣いていた。

 いや、涙ではなかった。

 麻衣の顔を染める鮮血と、彼女の涙から出るものに差はなかった。

 麻衣の涙腺から溢れているのは、涙ではなく鮮血だった。

 

 泣き叫ぶ麻衣の背後で足音が生じた。

 血色の眼から血涙を流しながら、麻衣はそちらを見た。

 そして彼女は笑った。

 泣きながら笑っていた。

 

 そこにいたのは、白と黒で構成された奇術師のような、男装じみた衣装を纏った少女の姿。

 その美しい姿が飛翔したとき、麻衣の両手は抱き締めていたものを握り潰していた。

 

 臓物と血肉が弾ける。それが飛び散るよりも早く、朱音麻衣は跳躍していた。

 黒い魔法少女の複製よりも高く飛び、相手が両手の爪を振る前に斬撃を放った。

 

 キリカの複製の頭頂から股間までが両断され、空中で二つに裂けた。

 

 

「あああっ!!!!」

 

 

 血塗れの麻衣が叫び、空中で刃を振う。

 一閃にしか見えなかったが、キリカの肉体は二十を超える数の破片に分断されていた。

 それが落下する前に、麻衣は先に着地し刃を走らせた。

 

 魔力を乗せた刃が虚空を切り裂き、その中へとキリカの破片を放逐した。

 切り裂いた際に生じた僅かな血だけを残して、複製キリカの存在はこの世から消滅した。

 

 憎悪と嫉妬の対象の複製を葬った麻衣の周囲で、再び足音が鳴った。

 彼女をぐるりと取り囲むそれらは、真紅の魔法少女と黒い魔法少女の複製体だった。

 それらを麻衣は見渡した。

 眼は完全に血に染まり、瞳と白目の差が消えていた。

 

 

「ふ…ふふ…」

 

 

 肩を震わせながら麻衣は呟く。

 

 

「ふふ…ふ…ふふ…」

 

 

 昏い笑い声だった。

 

 

「ふはははははははははは!!!ハハハハハハハハハハハ!!!!!!」

 

 

 紅い血の坩堝となった眼をぐにゃりと歪ませ、口に半月の笑みを浮かべ、麻衣は哄笑を上げながら複製達へと襲い掛かった。

 麻衣の拳が複製杏子の顔面を砕き、回し蹴りが複製キリカの胴体を横薙ぎして下腹部から内臓と肉を弾けさせる。

 自らに襲い来る槍と爪を刃で迎え撃ち、その隙間から身を切り刻まれながらも朱音麻衣は殺戮を続けていく。

 

 横に滑らせられた斬撃が杏子の頭部を横に輪切りにし、隙間から切り裂かれた脳髄がドロリと零れた。

 キリカの豊かな胸を手刀で貫き、そのまま体内を手でこね回し、可能な限りの内臓を引きずり出して他の個体へ目暗ましとして投擲する。

 

 殺戮の叫びを上げながら、麻衣は刃を振い続ける。

 その脳裏には、キリカから寄せられた記憶が浮かんでは消えていた。

 

 彼女曰くの愛。一週間に及ぶ異形の行為。倒錯しきった性の交差。

 それを振り払おうと刃を振るうも、異常な記憶が麻衣を苛む。

 その中で彼女は愛しいものの姿を求めた。

 下腹部が熱を持って疼く。その欲望は麻衣の最後の正気に思えた。

 

 彼の姿を求める中で、麻衣は一つの願望を描いた。

 それは今よりも時を重ねた彼の姿。

 思い浮かぶが上手くいかない。

 今の姿が可愛いに過ぎる為に。

 

 今の姿も好きではあるが、彼女の嗜好としては更に男らしい姿が望みであった。

 例えば、どうやっても自分では勝てない、屈するしかないと認めさせられるような。

 

 その時、記憶の最中に何かが浮かんだ。

 一瞬にも満たない時間、彼女はそれを見た。

 

 

「あ」

 

 

 それは一瞬で消えた。

 輪郭も朧気だった。

 それでも、彼女には分かった。

 そこに彼の面影を認めたからだ。

 

 そしてそれは、あまりにも強過ぎた。あらゆる意味で。

 

 認識した瞬間、麻衣の理性は弾けていた。

 恐怖による熱と冷気、そして欲情に。

 垣間見た姿は、彼女の願望そのものだった。

 

 一か月ぶりの性的絶頂。

 快感と言う言葉では表せない極致。

 浴びる血の香りと肉を切り刻む甘美な感触。

 

 そして槍に貫かれる胸、爪に切り裂かれる腹部。

 

 痛い。

 

 痛い痛い痛い。

 

 

 だが、それが心地いい。

 

 

 痛みさえ悦びに変わるほどに、彼女は彼と深く繋がれたと感じていた。

 それが一方的なものであると理解しつつも、彼女はそう思えてならなかった。

 殺戮の中、麻衣は嬌声を上げていた。

 喉が枯れ果てるまで、そして襲い来る憎悪の対象たちを皆殺しにするまで、それは止まらないに違いない。

 

 彼女の胸の下で揺れるソウルジェムは、自他の血に濡れていたが鮮やかな光を放っていた。

 

 その内側では、黒い渦が巻いていた。

 渦の形は、何処か蛇に似ていた。

 表面に無数の棘を持った蛇が三匹、のたうっているかのような。

 それは蛇と言うよりも、竜と称した方が近い形状をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麻衣ちゃん…」

 

 殺戮を続ける麻衣を、遠方より見続ける存在がいた。

 小高い鏡の丘の上に、赤ずきんを思わせる衣装の栗毛の少女の姿があった。

 魔法少女の身体能力向上にて、佐木京は麻衣の表情をつぶさに観察していた。

 女の悦びに浸る、悦楽の表情を浮かべて殺戮に勤しむ美しい死天使がそこにいた。

 

 

「麻衣ちゃん…綺麗」

 

 

 その様子を陶然と見守りながら、京は熱に濡れた言葉を発した。

 潤んだ目で、京は麻衣を見る。親愛に溢れた眼差しだった。

 その鼻先を、血臭が掠めた。京は一瞬顔をしかめたが、すぐに表情を綻ばせた。

 視線の先の存在と、同じ香りを感じていると思ったからだ。

 

 今日の周囲には、幾つかの十字架が置かれていた。

 鎖に縛られているのは、真紅の魔法少女と黒い魔法少女…だったものとした方がいい物体だった。

 切り裂かれた衣服は十字架から垂れ下がり、剥き出しの肌は隙間なく傷で覆われていた。

 腹腔は開かれて空洞になり、内側の内臓は全て取り除かれている。

 

 その傍らには、複数の人型が立っていた。

 肌は布、内側は綿。童話に出てくるような中世風の農民の子供を模した人形だった。

 眼の位置に孔を開けた麻袋を被った、身長120センチ程度の存在達は、手に鋸やナイフ。

 釘に金槌を握っていた。

 

 刃物や鈍器は血に濡れていた。

 何をしたかは一目瞭然だった。

 

 

「麻衣ちゃん…」

 

 

 京は名を呟く。

 そして手を握り締める。

 握られた右手は、小さな人形を握っていた。

 黒くトゲトゲとした髪、人工物であってもオリジナルの容姿を備えた可愛らしい顔。

 

 ナガレと呼ばれる少年を模した人形だった。

 京に握られ、胴体がぎりぎりと締め付けられていた。

 その間から、血滴が零れていた。

 

 更に指の隙間からは濡れ光る内臓の破片が零れた。

 どうやら、複製杏子やキリカから抉り取った内臓の一部を人形の腹に詰めているらしい。

 凄まじい憎悪の片鱗であることが伺えた。

 

 

「大丈夫だよ…麻衣ちゃん……私が…魔法少女の……ヒロインの私が、麻衣ちゃんを助けてあげるからね……」

 

 

 殺戮の光景を眺めながら、佐木京は力強く言った。

 言い終えた後も、京は麻衣の名を呼び続けた。

 
















闇は闇を、病みは病を惹き寄せる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ2 Madness・Prompt

「ん…く…ぅ」

 

「ふぁ…!ん…んんっ……くぅ…」

 

 

 闇の中、二人の少女が身を絡ませていた。

 照明を落とされた室内には、既に雌の香りが濃厚に漂っている。

 当然ながら共に裸体であり、片方はやや身長が高く、胸と尻に着いた肉の量が多かった。

 片方はやや低く、胸と尻は貧相であったが言い方を変えればコンパクトにまとまっていた。

 

 もう一人の少女はそれらを愛おし気に撫で、そして朱鷺色の突起を口に含んで愛撫していた。

 その動きは優しくも激しかった。

 まるで、何かから逃げるように。

 

 互いに肌を重ねて愛欲を貪るのは、人見リナと優木沙々であった。

 既に行為の時間は二時間に達しており、両者ともに汗の珠を肌に浮かばせ、白い肌を桃色に染めている。

 唇や胸、太腿や腹には幾つもの唇の痕が刻まれていた。

 互いが互いを自らの所有物という証を刻むような、狂気を感じるほどの執拗さがあった。

 

 言葉はなく、ただ互いを舐め廻して指を触れ合わせ、互いの体温と体液を共有し合う。

 優木はリナの背に爪を立てた。リナはそれを受け入れた。

 既に彼女の背には、幾筋もの爪痕が刻まれていた。

 

 優木は背中を弓なりにしならせ、身体を蠢動させた。

 リナは優木の身体を優しく抱き、離すまいとするかのように腕を優木の背中に絡めた。

 そのまま二人は絡み合う発条ように身を動かし、互いの身を寄せた。

 

 そして同時に快楽の頂点へと至った。

 雌の部分から熱い雫が溢れ出す。それが互いの同じ部分を濡らした。そこは口づけのように重ね合わされていたからだ。

 

 

「優…木……」

 

 

 リナは絞り出すように言った。そしてゆっくりと眼を閉じた。閉じ切られるまで、彼女は優木の顔を見ていた。

 リナは優木の薄い胸の上に顔を置いて、寝息を立て始めた。

 意識が消えるのを見計らって、優木は表情を変えた。

 快楽に沈む少女の顔から、欲望と悪意に喜悦を輝かせた女の顔へ。

 

 

「くふっ……」

 

 

 特徴的な笑い声を上げ、優木はまどろむ中で思考する。

 リナは随分と自分に夢中になってきた。

 理由は分かる。

 怖いからだ。

 

 あれから。

 一月ほど前に垣間見たあの光景から逃げたいから。

 伝説の魔女と、あの機械の鬼が繰り広げた地獄の光景から。

 

 

「ひきっ!」

 

 

 そう思い返した時、彼女の意識は恐怖に沈んだ。

 彼女もまたそれから逃げるようにリナの顔を抱いた。

 気に喰わない奴である事は変わらないが、今はこの体温が欲しかった。

 そして今の彼女には、リナしかいないのであった。

 

 今抱いている此れが彼であったなら…そう思った時、優木は再び達していた。

 熱く弾ける快感と、そこに滲む恐怖を感じながら優木は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、元気だね」

 

 

 朗らかな声が回廊に木霊した。

 うす暗い縦長の回廊の中を、黒い奇術師風の衣装に身を包んだ少女が歩む。

 その左右には不思議な光景が広がっていた。

 

 縦に五メートルほどの柱が大量に並んでいる。

 柱は氷のような青白さで輝いていた。

 内部には液体が充満しているのか、その中に時折気泡が生じた。

 

 その柱の真ん中から少し上の辺りには………。

 

 

「こらこら、はしゃぎすぎだよ。でもそんなことはその、あれだ、ささいだ。だから赦してあげる」

 

 

 それらを完全に無視して、少女は、呉キリカは歩んでいく。

 回廊は床ではなく、二つ隣同士に並んだブロック状の足場が連なる遺跡じみた構造をしていた。

 足場の下にはさらさらと水が流れていた。

 空気も冷たく、時折白い冷気が少女の歩みを阻む様に回廊に広がる。

 

 しかし当然ながらそれでキリカが足を止めることは無かった。

 冷気は黒い衣装の表面で分かたれ、彼女の歩みによって引き裂かれた。

 

 

「大丈夫。何も心配しなくていい」

 

 

 彼女は語りかけていた。

 これまでも、ずっと続けていた事だった。

 しかし、今の彼女は一人だけで歩いていた。

 その前後や左右にも、共に歩む者はいない。

 

 

「冷たい思いなんてさせないよ。私の熱でぬくぬくしていておくれ」

 

 

 愛おしそうに腹を摩りながら、呉キリカは言った。

 太腿や尻に胸。

 性を連想させる部位に魅惑的な肉を纏いつつも、彼女の姿は例えるならアシナガグモのような線の細い繊細さで構成されている。

 その中に異変が生じていた。

 それは彼女が常に手を添えている腹にあった。黄水晶の瞳もまた、そこを見つめていた。

 

 

「おかあさんが、まもってあげるから」

 

 

 呉キリカの腹は、臨月もかくやと言った膨らみを帯びていた。

 膨らんだ腹に触れぬよう、細長い脚が織り成す歩みの歩幅は狭く、膝も上げられていなかった。

 

 それでいて、軽やかに足場を渡っていく。

 その動きはゆったりであっても停滞はない。

 腹に配慮しつつも、その歩みは軽やかだった。

 

 

「あ、蹴った。元気だなぁ……『キリカ』は」

 

 

 自らの名前をキリカは言った。自分の腹に向けて。

 

 

「あ、また蹴った。ははは、わがままなベイビーちゃんだなぁ」

 

 

 春の風のような朗らかな表情でキリカは言う。

 愛に満ちた表情には、普段は空気のように纏われている狂気の欠片も無い。

 しかしそれは、無いからではない。

 彼女の存在自体が狂気そのものである為に、発露していないだけである。

 

 

「そういうところ、友人とそっくりだね……大好きだよ」

 

 

 慈愛を込めて、キリカは語る。

 腹を撫でつつ進む。

 

 そして彼女は歩みを止めた。

 その先は壁で閉ざされていた。回廊の最奥へと、彼女は辿り着いていた。

 

 青白い壁の正面には、巨大な柱があった。

 高さは左右のものと同程度だが、幅と厚みは三倍もあった。

 柱の左右には複雑な形状の機械が配され、微細な音と共に稼働していた。

 

 記録か維持か。

 

 或いは------封印か。

 

 その中にある者を、キリカは見上げていた。

 無言のままに。

 魅入られたように、じっと見つめる。

 

 そこにあったのは、青い液体の中に浮かぶ女体であった。

 キリカよりも二十センチは高い長身は、細くしなやかな四肢と珠のような白い肌に覆われていた。

 豊満な胸と、前からでも分かる尻の膨らみは異性のみならず同性すら魅了するだろう。

 それらに被さる様に、白銀の長い毛髪が水の中で揺れていた。

 

 呉キリカは、それを、柱の中で眼を閉じて浮かぶ少女の姿を見つめていた。

 もしも時の概念が存在していなければ、何も無ければ、彼女は永劫にそれを見続けたかもしれなかった。

 しかしそれは果たせなかった。

 

 背後で生じた音に、呉キリカは振り返った。それは足音だった。

 振り返るその一瞬の間に彼女の腹は平常に、軽く抱くだけで折れそうな細いウエストへと戻っていた。

 振り返ったキリカの背で、青紫のダイヤ状の宝石が輝いている。

 宝石の中には、渦のように滞留する赤黒い流動体の存在が見えた。

 

 そして彼女の表情もまた一変していた。

 

 苛立ちを隠そうともしない、獰悪な美しい獣の貌と化していた。

 

 

「これはまた……性懲りも無く、随分と造ったものだねぇ」

 

 

 そこにいたのは、黒い影たち。

 鍔の広い三角帽子に黒いローブを纏った姿は、おとぎ話の魔女の姿を連想させた。

 

 ゆったりとした服装であっても、それらが小柄な体格をしている事は見てとれた。

 不気味なのは、その体格が完全に均一である事だった。

 そしてその数もまた。

 

 狭い足場の上には勿論の事、その姿は天井にも存在していた。

 洞窟の蝙蝠の如く、両脚を歯車が並ぶ天井に張り付けてぶら下がっている。

 それでいて帽子や衣服は重力に引かれていない。魔法によるものだろう。

 

 呉キリカの前方には、彼女と同じ色を纏った無数の魔法少女達が群れていた。

 眼深に被られた帽子によって、表情の半分は覆われていたが、それだけで十分だった。

 

 隠れていない口元に浮かんでいるのは、揃いも揃って獣の表情。

 鋭い牙を見せ、小さな唸り声を上げる可憐で狂暴な獣の貌がそこにあった。

 

 

「じゃ、始めようか。ちょっと今嫉妬で疼いてるし、大切な時間を奪われた罰を与えないと気が済まないんだ」

 

 

 全くの怯えも見せず、キリカは両手から魔爪を放った。

 赤黒い刃が、回廊に溜まる冷たい空気を切り裂いた。

 それが合図だった。

 

 無数の黒い魔法少女達は、一斉に呉キリカへ向けて襲い掛かった。

 疾走や天井からの落下の際に帽子が傾き、彼女らの眼が見えた。

 そこにあったのは、深紅の瞳。その隣も、背後の魔法少女も同じ色の眼をしていた。

 

 憎悪と、そして飢えに満ちた輝きを放っていた。

 牙を剥き出しにした口元からも唾液が滴り、顎まで垂れ落ちていた。

 彼女たちは呉キリカを、文字通りの獲物としてみているようだった。

 

 それに向けて、キリカも走った。そこには微塵の恐怖もない。

 

 

「きひっ」

 

 

 狂気の吐息を漏らしながら、キリカの速度低下魔法と魔爪が放たれた。

 直後に弾ける鮮血。

 そして咆哮と金属音が鳴り響いた。

 

 

「私の妊婦さんごっこを邪魔した罪は、貴様らを臓物の山に変えて晴らしてやる。……生き損ないの紛い物共め」

 

 

 湧き上がる憎悪を形にしたかのように、黒い禍つ風と化して暴れ狂うキリカ。

 大量の血飛沫が回廊の中で跳ね、足場の下の水を深紅に染めて左右の柱を赤黒で穢す。

 その柱の中にもまた、裸体の少女の姿があった。

 全ての柱の中に、それが浮かんでいる。

 

 封印された少女の裸体が無数に並ぶ異様な空間の中、黒を纏った者同士の凄惨な死闘が続いていく。

 

 それらを眺めるように、柱の中に浮かぶ白銀の少女は一切の動きを見せずに静かに佇んでいた。

 



















物語の裏で随分と進んでいたお二人
そしてまたロクな事にならなそうな事をしてるキリカさんでありました(いつもの)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ3 Deep Red・Prompt

「残酷な」

 

「天使の」

 

 

 廃教会の中、夜も更けていく中で二つの声が鳴った。

 ソファに並んで座る声の主たちの前には、異形じみたテレビが置かれている。

 外見に反して鮮明な画面の中ではテレビアニメのオープニングが映っていた。

 上の二つの言葉は、その歌詞をなぞったものだった。

 

 意味深な歌詞と確かな歌唱力、そしてリズムよく進む曲調は二人の耳に心地よかった。

 言うまでもなく、二人とは佐倉杏子とナガレである。後ろから見て杏子は右に、ナガレは左に座っている。

 

 戦闘を経て、二人の全身は包帯に覆われていた。

 あまりに損傷がひどいのか、下着を除いて肌の上に直接巻かれていた。

 白い生地の表面には朱の痕が無数に浮かび、激戦の痕跡が伺えた。

 外界を見る眼は今回は無事だったが、口元に鼻くらいしか包帯の浸食を免れていなかった。

 

 それでも負傷は慣れたもので、二人は歌詞を口ずさんでいく。

 異様な光景だが、元気そうであった。

 

 

「なぁ」

 

「うん?」

 

 

 オープニングが終わると、杏子は彼に声を掛けた。

 前までなら会話は皆無であった事を考えると、大した進歩だった。

 

 

「補完計画ってさぁ、割と理に適ってるなぁって」

 

「凄ぇ事言うな、どうしたよ」

 

 

 画面を観つつナガレは杏子の物騒気味な発言に対し訊き返す。

 

 

「相手の事が分からねぇ、だから不安になる、苦労する」

 

「まぁ、当然の事っちゃそうか」

 

「で、分かる為には色々とやるしかねぇ。会話だったり、喧嘩だったり……セックスだったりとか」

 

 

 杏子が滔々と言葉を述べる。

 画面内ではオンエアする時間帯によっては茶の間を凍らせそうな濡れ場が展開されていた。

 ベッドの台に置かれた避妊具の袋や、飲み掛けのビールが生々しい。

 その様子にナガレは少し安心した。

 性を象徴する単語を言い淀む程度には、杏子も安定してきたようだと。

 

 

「でも、結局は分からねえ。他人だからな」

 

 

 当然のことを杏子は語る。ナガレは黙って聞いている。

 

 

「で、その垣根を取っ払っちまおうってぇ話だ」

 

 

 そう言って杏子はちらっとナガレを見た。

 

 

「理解できたかい?これ2週目だけどさ」

 

 

「ああ、余計にワケ分からなくなった」

 

 

「あんたらしいね。ま、あたしも正直よく分からねぇ」

 

 

 中身のない会話を、平和的に投げ合う両者。この状態が何時まで続くのだろうか。

 

 

「でもさぁ、こうでもしないと無理そうじゃない?」

 

 

「何がだよ」

 

 

「あんたが戦いを終えられる方法」

 

 

 沈黙。

 テレビからの音声だけが流れ続ける。

 ナガレは言葉の意味を探っていた。杏子はマズったかなと思っていた。

 

 

「パシャってか」

 

 

 ナガレは杏子を見た。そして指先まで包帯で覆われた五指をグーからパーに変えながらそう言った。

 杏子は思わず背筋が凍えた。

 

 彼女としては、「互いに理解し合うしかないんじゃないのかい?」と聞いた積りだった。

 だが彼は、結果的には同じ事に繋がるとはいえ皆殺しの道を選んでいた。

 並行世界の自分を殺し続ける旅路の事を。

 

 

「そうだね。あんたにしちゃあ、頭の回転早いじゃねえか」

 

「このアニメのせいかもな。面倒な単語と情報が多過ぎて、観てるだけで頭が賢くなった気になるんだよな」

 

「混乱してるね。答えになってねぇよ」

 

 

 電波じみた彼の返しに、杏子は安堵する。そうしようと努めた。

 

 

「それにしても、最近ちょっと妙だよな。俺の名前を憶えてくれたり、腐れ思い出話を認識できたりよ」

 

「それな。あたしもちょっと気になってる」

 

 

 話題を変えようと杏子は思考する。確かに気になっていた事柄だった。

 

 

「多分だけど、いや、それしかねえか」

 

 

 彼女なりに、ナガレという存在の認識の薄さについての結論を出した。

 

 

「魔法だな、魔法少女の」

 

 

 或いは願いか。そう繋げようか杏子は迷ったが、結局言葉にしなかった。

 言ったら面倒なことになると彼女は察したのだった。

 

 

「やっぱ強ぇな、お前らは。大したもんだ」

 

 

 関心の言葉を彼は言う。

 素直な感想なのだろう。

 魔法少女の存在は、当の魔法少女である杏子も複雑な想いを抱いている。

 その言葉をどう感じるか、と杏子は悩んだ。一瞬だけ。

 

 

「お褒め頂きありがとよ。あんたにそう言われると、こんな厄介な力でもちったぁ嬉しく思えるもんだ」

 

 

 感じた感情を言葉に乗せて、杏子は左手を掲げた。

 中指に嵌った指輪は、真紅の輝きを放っている。放たれた光は完全ではなく、幾らかの闇が含まれていた。

 その光と闇を見て、杏子は思いを巡らせた。

 掲げた手を照らす光と染み入る様な闇。それらに当り、包帯の内側の指が透けて見えた。

 それを見て一つ思い付き、杏子は口を開いた。

 

 

「話を戻すけどさ。ほら、互いに分かり合えないって話さ」

 

「難しいだろな。相手の考えてる事は分からねぇし」

 

「分かっても、それは自分のコトじゃねえからな。視点や立場が違う」

 

 

 ナガレの言葉を杏子が引き継ぐ。そして更に続ける。

 

 

「あたしらは互いの心を覗いたよな。例えるなら、X線で身体を透かして中身を見るみたいにさ」

 

 

 腕の包帯を一部解き、内側の肉を杏子は見る。

 切り刻まれた肌、抉れた肉、その奥にちらっと見える白い骨。

 加害者である彼に見せつけるように、杏子は肉の中身を見せる。

 応えるように彼はそれをじっと見る。

 

 

「いや、文字通り心の中に入ってたんだ。これ以上ないくらいの見透かしと言うか覗き見というか…いや、一体化してたとも言えるか」

 

「まぁ、槍でブッ刺してたからな」

 

 

 思い返しながら、胸を軽く撫でるナガレ。

 当然ながら、相当に苦痛であったらしい。

 彼がこういうことをするのは珍しい。つまりは格別の苦痛だったのだろう。

 

 そこで沈黙が降りた。

 話を切り出したはいいが、何を続ければいいのだろうか。

 分かり合えないとは、今言ったばかりだ。

 心の中身を覗き、また記憶を垣間見て挙句の果てに限定的ながら一体化を果たしていても相手の事は分からない。

 立場も違う。

 

 だから相手の悩みは何処までも他人事で、過去の災厄や背負った宿命も自分のものではない。

 言うなれば、相手の記憶や宿命は物語に過ぎない。

 

 それを口に出したところで、どうするというのか。傷を舐め合う趣味はない。

 ならば何故か。

 杏子は自分の心を切り刻む様にして考える。

 痛みを伴う思考が彼女の心を苛む。

 

 

 そして彼女は、その答えに行き着く。

 杏子の目線は自然と左へ向かう。

 そこにはナガレがいる。

 

 彼と杏子は、確かに繋がった。

 魂を交差させた。

 肉体的には全身の傷とそれがもたらす苦痛が示す通り、刃と拳に蹴りなどの、考え得る限りの暴力を重ねた。

 苦痛は重ねた。

 そして重ねていないのは。

 

 

「そういやぁ、死ぬ寸前てのは性欲高まるんだってな」

 

「なんでそうなるのかね」

 

「聞かれる前に言っとくと、あたしは結構昂ってる」

 

「聞いてねぇんだけど」

 

「ていうかあんた、我慢強すぎじゃねえの?」

 

「はい?」

 

「あたしがあんたの立場なら、こんな生意気なメスガキは顔面をボコボコにして四肢を砕いて動けなくしてから前もケツも容赦なくブチ犯してるね、うん」

 

「怖ぇなお前」

 

「あんたとあたし、性別が逆じゃなくて良かったねぇ」

 

「お前、頭の回転早ぇのは知ってたけど想像力も豊かだな」

 

 

 顔を引きつらせながらナガレは言った。イラつきと勘弁してくれよと言う想いからである。

 ここ最近の相棒の苦労は少しながら察していたし、多感な年頃とは思っているが、ここまで酷い妄想を聞かされるとは思わなかった。

 流石に反論するかと彼は思った。

 

 そのために開いた口は塞がれた。正面から圧し掛かってきた杏子の唇で。

 包帯で大半が包まれた唇だったが、彼女の体温は伝わった。杏子の方も彼の体温を感じているだろう。

 

 舌が押し込まれる。蛇のようにのたうつ舌が彼の舌に絡みつく。

 例によって性欲は湧かないが、やられてばかりなのが彼の反抗心に火を付けた。

 絡んできた舌を絡め返し、口内から追い出そうと押し返す。

 

 

「んぐぅっ!?」

 

 

 その動きに杏子はくぐもった悲鳴を上げた。

 途端に舌の動きが鈍る。その反応で彼は察した。

 こいつ、ここでも受けに入ると弱いのかと。

 

 杏子と戦っていて思うのは、防御は厚い事は厚いが強引に突破されると脆いという事だった。

 こういった面でも、それは変わらないらしいと。

 

 そして杏子の背は痙攣した。二人の間を繋ぐ短い距離に雌の香りが漂う。

 そこから漏れた粘液は、幸いにして包帯に全て吸い取られていた。

 

 数秒、あるいは数十秒間。

 唇を重ねていた、杏子は離れた。

 自分が少女の性に仕方なくも応戦したことによる嫌悪感から死んだような眼になったナガレに対して、肩を震わせながらも杏子は舌なめずりをし、女豹の雰囲気を出そうと努める。

 そして、涙目ながらに妖艶に笑って見せた。

 

 

「今回は…これで、勘弁してやるよ」

 

 

 包帯から覗く頬の色は桜色に染まっている。

 その色を綺麗だなと思う余裕は残っていた。

 

 

「ああ、続きは十年後な」

 

 

 そう返し、彼はテレビのリモコンを操作した。

 見逃した部分を巻き戻すである。

 

 

「ああ、こちらこそね」

 

 

 言いながら、杏子はナガレの身体を這った。獲物を絞め殺す蛇のように。

 そしてナガレの胸に顔を近付け、じっと見た。

 この時彼は、杏子から異様な気配を、いや、視線を感じた。

 何もかもを見透かすような、彼女が言う処のX線による物体の透過のような、得体の知れない気持ち悪さを。

 そして彼女はこういった。

 

 

「だからよろしくな……竜馬

 

 

 ナガレの顔を見ずに、彼の中身へ呼び掛けた。

 その様子に、彼は喉の奥で唸った。

 

 

「……それは、キッついな」

 

 

 呻きながら彼は言った。

 今の自分はあいつにあらずと、突き付けられた様なものである。

 正真正銘の同一人物である為、これは堪えたのだろう。

 

 

「お返しだよ」

 

 

 杏子は笑いながら言った。八重歯を見せての、可愛らしい肉食獣の笑顔であった。

 そして彼女は彼の身体を滑るように降り、元の位置に座った。

 

 同時に巻き戻しも終了し、彼は動画を再開させた。

 話の着地点は終ぞ決まらず、会話によって得られたものは特にない。

 精々疲れただけだった。

 

 だがこれでも、今までと比べたら大分人間らしくなっている……のかも、しれなかった。

 動画を再開してからはや一分、両者の間に言葉はなかった。

 只今は、何処ぞとも知れない場所から去来したアニメーション作品を観耽る事に夢中になっていた。

 再び言葉が交わされたのは、数話ほど見終えた後、エンディングの際に

 

 

「食うかい?」

 

 

 と杏子が声と共に傍らに置いておいた紙袋から取り出した、林檎を差し出してきた時だった。

 

 

「ありがとよ」

 

 

 と言って彼は受け取った。

 赤々とした新鮮な林檎を齧る音は同時に鳴った。

 咀嚼する音もシンクロする。

 

 珍しく平和な雰囲気が保たれている廃教会の中、夜は朝に変わりつつあった。

 そして生まれ出た朝焼けが、不健全な生活を続ける二人の年少者達を照らし出した。

 新しい一日が、両者を否応なく新しい一日へと導いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逃げねぇし、逃がさねぇ』

 

 

『お前の事は、絶対に』

 

 

『お前はあたしのモノだ』

 

 

『お前の全てが、お前がいる地獄が欲しい』

 

 

『ナガレ』

 

 

『流竜馬』

 

 

『その為になら、あたしは何にだってなってやる』

 

 

『お前が離れられない存在に、あたしはなってやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

『だからあたしは』

 

 

 

 

 

『お前にとってのゲッターに』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲッター線になってやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄すら楽園に思えるような、深紅の想い。

 

 紅い血が求めるのは、未来永劫の業罰。

 

 突き動かすのは、赤く染まった欲望の衝動。

 

 それは真紅の魔法少女の心の中で着実に、静かに、そして荒々しい渦のように。

 

 または際限なく濃度を高めていく血雑じりの毒液のように、禍々しさを孕んで大切に育まれていった。

 

 

 

 

 
















彼との関係を模索する佐倉さんでありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグZERO 円・環 (挿し絵あり)

 闇が広がる。

 静謐と言う言葉を具現化したような、全てが停止し時だけが流れる世界が広がっていた。

 世界自体が、安息の眠りに就いているかのようだった。

 

 その中で何かが蠢く。

 世界を覆う闇を取り囲み、世界の、宇宙の輪郭が狭まっていく。

 それはまるで細胞内で強力なウイルスが増殖していくかのような、異様な光景だった。

 その色は黒。津波か雪崩のように宇宙を進みつつ、その表面で無数の影が蠢いていた。

 

 触手に爪、牙に眼に内臓に。

 歪んだ生を与えられたかのような異形の姿が群れていた。

 虫や爬虫類、魚類に小動物にと、そのどれにも似ていて、そして似ていない。

 幾つもの特徴を中途半端に、或いは極端に捉えて形成させた、生命を冒涜しているとしか思えない異様な形状だった。

 

 異形の各部に無節操に次々と発生する眼球は、腐敗と再生を繰り返しながら無数の泡のように醜い体表をびっしりと埋め尽くしていた。

 破裂と再生を交互に行う眼球は、狭まっていく世界の中心を見ていた。

 

 そこには、闇ではなく光があった。光が闇を柔らかな桃色の光で照らしていた。

 それは闇を駆逐するのではなく、闇と共存しているかのような、自然と調和がとれた輝きであった。

 光が広がる中心部分に、卵のような物体が浮かんでいた。

 丸みを帯びた透明な珠の中に、光の根源が存在している。

 

 それは、白と桃色を帯びた少女であった。

 神々しい白い衣装に身を包み、輝く桃色の髪を左右から伸ばした美しい少女。

 そこもまた光が満ち、無限の光の草原となった地面が広がる球の中で、うつ伏せになって眠っていた。

 

 完全な無防備の体勢は、安堵しきっているイエネコの様子を彷彿とさせた。

 背中から生えた二枚の美しい巨大な羽を柔らかに畳み、細い背中の上に乗せている。

 白い手袋を纏った両手の甲に可憐で小さな顎を乗せ、静かに眠り続けている。

 

 黒く醜い異形達は、光を放つ美しい女神を目指していた。

 

 無限の増殖力を持つ、実体化した悪意と殺意、そして憎悪。

 永劫に満たされることのない飢えと、何かを傷付けて破壊し陵辱したいという醜悪な欲望の具現。

 歪んだ牙と蛆虫の群れが蠢いているような舌を躍らせる口からは、ドロドロとした唾液が垂れ流しになっている。

 異形の思い浮かべる思考の中で、幼く美しい女神はあらゆる暴力と陵辱に晒されていた。

 

 異形にとっては、女神と言う存在は珍しいものではなかった。

 発生原因は異なるとしても、広大な宇宙の中で自らを高次元存在とさせたものは多い。

 

 例えば決定的な破滅を回避するために、或いはより良き世界の為に。

 身を投げうって人としての生を捨て、神となった少女は多い。

 

 それらを見つける度に、異形はその悉くを支配していった。

 無限の増殖力に再生力、触れたものを瞬時に自らと同化させる性質。

 

 対話の一切が通用せずに相手の理解を拒む思考と、相手を傷付け絶望を与える事を至上の悦びとした尽き果てない悪意。

 それらの前に敵はなく、これまでの無限に近い歳月の中で無数の次元と宇宙を手中に収めていった。

 虐殺した生命と捕獲した女神達は今も狂う事さえ許さない異界の拷問を受け続け、常に絶対的な絶望と孤独、そして新鮮な苦痛に犯され続けている。

 

 その中にあの女神を加えようと、異形達は迫っていく。

 

 そして異形達は女神の光と宇宙の闇が重なり合う位置に着いた。

 全方位を囲み、桃色の光を異形が覆う。いつでも襲撃が可能な位置だった。

 女神は一切の動きを見せず、安らかな眠りの中にいた。

 

 その顔を絶望に染めてやる。白い肌を傷で覆わせてやる。

 憎悪に狂った欲望が、異形で覆われた宇宙に満ちる。

 

 

 

「まだ、眠りの時間は長いままか」

 

 

 声がした。

 若い女の声だった。はっきりとした発音だが癖であるのか、僅かに舌足らずな言い方であった。

 

 そして異形達は見た。

 卵型の珠に背を預け、虚空に足を延ばして座る若い女の姿を。

 

 赤く長い髪を頭頂で結わえた黒いリボンで束ね、黒い長袖のシャツと青いジーンズに身を包んでいる。

 年齢は二十代前半程度だろうか。

 女神の外見的な年齢を十四歳くらいとすれば、十歳くらいは歳上に見えた。

 

 鋭い目つきではあるが、赤髪の女は緩やかに微笑んでいた。

 うつ伏せになる女神よりも下方に頭を置いて座る様子は、まるで主人と飼い犬のようだった。

 

 

「それにしても奴め…腹立たしい。なんと不遜な事を」

 

 

 真紅の瞳が嵌る眼が、緩さを廃した鋭さへと変わった。

 文字通りの鋭さは、非人間的でさえあった。

 例えるなら、まるで機械のような。

 

 

「奴の存在を秘匿させる為に、貴女は力を使わざるを得なかった。奴め、その恩がありながら逆干渉にて貴女を疲弊させるとは」

 

 

 淡々とした口調であったが、声には忌々しさが糊塗されていた。

 

 

「それにしても、奴を消し去る為に奴の夢に干渉を試みるというのならば分かる。だが、奴を理解し……救う為に接触を図るとは」

 

 

 事実を確認する言葉を女は述べていく。

 何時の間にか、女の姿は変化していた。

 

 165センチほどの身長は20センチほど縮み、髪型や色、声や体格までもが変貌している。

 服装はそのままに、濡れ羽色のセミショートヘアと黄水晶の瞳、体格に反して大きな胸とハスキーボイスを発する少女の姿に変わっていた。

 その変化の過程も、前兆すらない変化だった。

 

 いや、むしろ最初からこの姿であったかのような。

 

 

「今は、休まれるがいい。見習い以下の下っ端である私だが、鞄持ち代行の真似事程度は出来るだろう。勿論、それは先輩諸姉方の御尽力あってのものである。居場所を与えていただき、感謝は尽きない」

 

 

 赤い長髪の女から濡れ羽色の髪の少女へと変化した存在は、異形を見ていなかった。

 今は黄水晶となった瞳で、女神を見ている。

 瞬きはおろか、瞳孔の変化も全くとして生じていない。

 生き物の温もりはある外見だが、決定的に何かが欠けた存在だった。

 

 

 異形達の思考に疑問が浮かぶ。

 この存在は、いつからいたのかと。

 それを抱いた瞬間、異形は一斉に襲い掛かった。

 

 気付いてしまったのだ。

 これは最初からそこにいたと。

 自分たちがその存在を認識していなかった……否。

 存在を認識することを拒み、意識から消し去っていたからだと。

 

 恐怖そのものである筈の異形が恐怖していた。

 恐怖に突き動かされ、異形達は桃色の光の中へ踏み出した。

 踏み出そうとした。

 果たせなかった。

 

 そこで消滅したからだ。

 

 秒にも満たず、時の概念から外れた、一瞬以下の刹那であったがそれは確実に存在していた。

 女神が君臨する卵の下から、二つの鋭角から迸った光が。

 光は、それを放ったものの姿も照らしていた。

 形状と存在を、異形達は認識した。

 

 

 決して手を出してはいけない、存在を忘却せざるを得ない真の恐怖と絶望の象徴たる者の名を。

 

 

 迸った光が、異形を消し去るのに要した時間は光が発生した時間よりも短かった。

 最初から何も無かったかのように、宇宙は元の色となった。

 

 しかし光は異形を消し去った後も、その意識に苦痛を与え続けていた。

 それは異形が侵略し、捕えていた者達に与えていたものよりも数次元は上の苦痛。

 そして苦痛以上に、光を放ったものへの恐怖と遭遇した絶望が異形の精神を焼き続けていた。

 

 異形は今、穴の中にいた。

 宇宙の果ての果てに生じた惑星サイズの黒い穴が、異形の本体だった。

 意思を持つ異次元の穴、これがこの存在の正体である。

 

 宇宙の災厄を詰め込み、兵器とした存在。

『空間兵器ドグラ』である。

 

 穴の外側には、宇宙一つを埋め尽くす量の異形が出ていた。

 そして穴の中には、外に出ていた異形とは比べ物にならない数のドグラがひしめいている。

 強引に比較するとして、数百億倍以上。

 実質的な無限である。

 

 その無限の中にも、光は侵入していた。

 当然の結果であると言えた。

 無限の増殖力と再生力を誇る存在を瞬時に消し去った光の暴虐が、その程度で済むはずが無いからだ。

 

 

 穴の中で蠢くドグラの一体が、楕円形に切り取られた。

 その前に、光り輝く人型がいた。

 細長い四肢を備え、天使のような翼を生やしていた。

 

 しかしその頭部は、朧げな輪郭でありながら蛇か蜥蜴などの爬虫類、または鰻のような形をした異形となっている。

 それが再び口を開いた。

 開いた口には、光で出来た臼歯がずらりと並んでいた。

 逃げようとする異形を五指を備えた手で捕獲し、がぶりと齧って咀嚼する。

 

 応戦すべく牙を剥いた他の異形を、二又の長槍が貫いた。

 動きを止めた異形に、今も異形を喰い貪る鰻顔の天使が噛み付いた。振られた首で肉を引き千切り、目も鼻も無い貌で美味そうに捕食する。

 

 それを合図にしたように、同型の者達が次々とドグラへと襲い掛かっていく。

 身の丈以上の諸刃の剣を振り回し、或いは素手で引き千切り、外皮を噛み千切って内臓を引き摺り出す。

 投擲された剣は二又の長槍へと姿を変え、ドグラを貫き沈黙させていく。

 殺戮を繰り返す天使の数は九体いた。

 

 

 その内の一体の顔が無残にひしゃげた。

 見れば、似た形状の存在が頭を踏み潰していた。

 

 肩の装甲らしきものと、寸詰まりの魚のような貌こそ違えど、凡その体格は同じであり同型であると伺えた。

 腕に携えた光の小銃を構えるや、同じ光で構築されたその個体は光の弾丸を乱射した。

 鰻顔ごとドグラを粉砕、ないしは鰻顔を積極的に破壊している。

 

 何かの恨みを晴らすかのように破壊を続けるその存在の左右から、更に似た形の二体が武装を携えて進軍する。

 前に突き出た額を持った単眼の個体は長大な重火器を持ち、光の波濤で無数のドグラを一気に貫く。

 鎧武者に鬼のような一本角を与えた個体は咆哮するかのように口を開き、猛獣の如く勢いで疾走するや鰻顔とは比べ物にならない暴虐さを発揮しドグラを虐殺していく。

 

 

 その暴虐に向け、ドグラも動いた。

 侵入者に対し、津波の如く勢いで一気に飲み込まんとして襲い掛かる。

 その表面に無数の光が突き立ち、炸裂した。

 砕けていく眼は、迫り来る無数の光を見た。

 

 それは大別して二つの存在だった。

 一つは戦車に戦闘機、戦う為に生まれた者達。

 もう一つが運搬車両や飛行機。

 人が生きる為に造られた存在だった。

 

 それらは火砲を放ってドグラを砕き、また轢殺して破壊していく。その先頭には、大型のトラックと思しき光があった。

 それはドグラを足場に飛翔するや、空中にて姿を変容させた。

 荷台は何処かへ消え失せ、前面が複雑な形状変化を生じさせて人型へと変容(トランスフォーム)したのであった。

 

 そして手に携えた小銃から光を放つ。

 着弾地点で巨大な炸裂が生じ、その中へとそれは降り立った。

 その瞬間、小銃が跳ねた。投げたのではなく、自ら動いたのだった。

 空中で回転する最中でそれもまた変容した。

 

 質量さえも増大し、大型トラックから変じたものと同程度の体格の個体と化した。

 その両者の分厚い装甲が施された胸部には、異なる紋章が刻まれていた。

 

 トラックのものは擬人化した獣のような、火器が変じたものは鉄仮面を思わせるものを。

 それぞれが異なる陣営であり、そしてその後からそれぞれと同じ紋章を身体の各所に付けた者達が続く。

 相容れない存在達が並び、一つの存在を滅ぼすべく同じ光から顕現していた。

 

 無数の変容する機械の戦士たちに続き、更に光は溢れる。

 装甲を纏った鋼の者達が、絶望の異界生命を滅ぼす為に集い破壊を与えていく。

 

 その全てに恐怖しながら、ドグラの意思は彼方からの視線に気付いた。

 おぞましい形の眼が、こちらを見ている。

 

 いや、それはドグラを見ていなかった。

 自らが呼び出した無数の軍勢を眺めていた。

 最初から、あの存在はドグラを眼中に入れていなかった。

 

 そして光は闇を駆逐した。

 無限に等しい存在を、さらに上回る無限の戦力で瞬く間に圧し潰したのであった。

 

 遍く無数の砲撃に攻撃、そして必殺の技を浴びながら苦痛と恐怖の中でドグラは一つの意思を発した。

 

 

 何者だという意思だった。

 

 

 それを送りつつ、恐怖の具現体は疑問に思った。

 何故この行動を取っているのかと。

 そして気付いた。

 自分は既に掌握されており、その問い掛けを放つように仕向けられたと。

 

 何のためか、とは考えるまでも無い。

 

 弄びたいからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の文字が浮かび上がり、その存在の全貌を顕した。

 この瞬間に、絶望と恐怖という存在そのものであるドグラの精神は砕け散った。

 その苦痛を維持されたまま、ドグラという存在は固定された。

 

 そして捕らえていた全ての生命と女神はドグラの中に無く、跡形も無く消えていた。

 そんな事など、どの宇宙や時代、次元に於いても存在していなかったかのように。

 

 

 最初から最後まで、ほんの一時の出来事であった。

 無限の存在を破壊したという規模に反して、一切の音も衝撃も無い。

 まるで書物を読んだだけであるような事象だった。

 

 そもそもこれは戦闘ですらなかった。

 ただ一つまみの埃を払ったか、吐息で散らしたに等しい。

 力が違い過ぎており、比較対象にもならないのである。

 

 

 静謐を示すように、円環の女神は身じろぎ一つせずに安らかに眠り続けていた。

 

 その女神を頂点に頂き、破壊者もまた静かに佇んでいる。

 

 終焉にして、原初。

 

 究極の破界神。

 

 無限(ZERO)

 

 そしてZを示す巨大な翼を背負い、魔神たる威容でこの宇宙に存在している。

 

 

 

 幼き眠りを護り続ける、虚空に聳える鉄の城として。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 












「わたしの、さいきょうのともだち」(さいきょうには複数の意味が入るかと思います)



そして最高のイラストをお描きいただいた絵師様に無限の感謝を捧げます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグEX 鏡合わせのマガイモノ

 昏い世界。

 そこはそんな場所だった。

 

 闇よりは少しだけ明るく、その状態でも周囲の様子は見えた。

 どこまでも連鎖する闇があった。

 そこに時折、何処からか差し込む光が掠めた。

 それもまた連鎖し、光は何処までも続いていく。

 

 ここは鏡の世界であった。

 壁のように並ぶ鏡と、それを覆う天井、それらが生えている地面。

 迷宮のように拡がる鏡が何処までも続いていた。

 

 鏡は鏡を映し、その光景が続いている。

 その中に、鏡以外の存在があった。

 

 床に尻を着き、曲げた膝を抱いた紅髪の少女がそこにいた。

 うつむいていた顔が上げられる。

 鏡が掠めた光を、反射的に追ったのだろう。

 

 露わとなった顔は、無惨な有様だった。

 右半分が焼け爛れ、蕩けた皮膚によって右目は覆われていた。

 肌の色は赤と桃色が連なり、それはまるで爬虫類か魚の鱗に見えた。

 幼い少女の身に降り掛かった災禍は、彼女の美を妬み破壊するかのような悲惨さだった。

 

 灼熱の蹂躙はそれに留まらず、右半身の真紅のドレスは高熱によって泡立ち、蕩けた肌と癒着し肉と繊維はほぼ一つのものとなっていた。

 曲げられた膝や太腿も似たように火傷を負い、彼女の顔同様に焼けて赤と桃色となった肌が鱗のように体表を覆っている。

 

 全身に傷を負い、火傷で覆われた姿。

 それでも、紅の髪だけは無事であった。

 長髪を束ねる黒いリボンは喪失していたが、そこだけは艶やかな光沢を持って輝いていた。

 

 鏡の迷路の中には佐倉杏子の複製だけが、彼女一人だけがいた。

 

 体を覆う火傷による熱、喉をズタズタに刻む醜い傷の痛み、熱の凌辱を免れた左頬に生じた、殴打による青痣。

 膝を抱いて座りながら、杏子の複製は痛みに耐えていた。

 耐えながら、想いを抱いていた。

 

 複製である彼女には佐倉杏子としての記憶も存在していた。

 過去の飢餓、一家への嘲弄、切なる願いによる契約、同胞との出逢い、一家の破滅、そして離別。

 全ての記憶は彼女も持っていた。だが、それだけだった。

 

 それらに対して抱く思いは、自分のものでありながら他人事でしかなかった。

 精々、フィクションの悲劇を読むか観たりした程度の感慨しか、複製の彼女には無い。

 

 両親とされる存在は親ではなく、妹はただの小さな子供である。

 可哀想だとは思う。

 どこまでも他人事の感慨程度のものとして。

 

 そしてコピーは胸に右手を近付けた。火傷により指紋の消えた指先は素肌を撫でた。

 開いた胸にある筈の宝石は、そこには無かった。

 魔法少女たる証であり、魔法少女であるのならば己の全存在を示す存在である筈のものが。

 

 

「        」

 

 

 声なき声で彼女は笑った。

 自分が何か分からなくて、可笑しくなったのだった。

 

 自分は佐倉杏子の複製体。

 魔法少女にして魔法少女に非ず、非・魔法少女とでも云うべきか。

 

 そもそも自分は死んだ、というか消滅した筈だった。

 愛する存在の活路を開く為に魂、とされていた宝石を砕いて光となって、オリジナルと彼の魂が交差する場所に赴き彼の盾となった。

 後悔はなかった。

 伝える事は伝えたし、消えゆく中で抱いた気分は幸福そのものだった。

 

 そのまま消えたかった。

 だが自分は今ここにいる。

 何処とも知れない場所で、傷付いた身を再び与えられて。

 

 

「        」

 

 

 嗤った。

 楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 苦痛と孤独感に苛まれながら、コピーは幸せな気分に浸っていた。

 

 自分は生きている。

 だから想える。

 愛する者を。

 

 だから想う。

 あの少年を。

 この恋慕の源泉はオリジナルからのものだったが、今の自分の想いとは違う。

 この感情は自分のものだと、コピーは確信していた。

 

 憎悪と恋慕。

 方向性は違えど自らの輪郭を保つ為に彼を想うオリジナルの存在を、コピーは嫌いにはなれなかった。

 それが例え、自分の身を焼き苦痛を与えた者だとしても。

 

 そしてなにより、この痛みは彼を護る為に負ったもの。

 彼に自らの身を捧げた証拠が、この身体を苛む苦痛。

 それに包まれて彼を想える。

 

 空腹も無く、排泄の欲求も無い。

 苦痛はあるが疲労は無い。

 となると、この生は永遠に続くのではないか。

 

 ここは、楽園か。

 

 コピーはそう思った。

 そして眼を閉じて、想いを重ねる。

 青空の下、何処までも続く緑色の草原を彼と手を繋いで歩く自分。

 

 手を繋ぎながら街を歩き、買い物を楽しむ自分。

 共に並び立ち、異形を相手に戦いに赴く自分。

 そして肌を重ね、肉を交わらせる自分。

 

 幾らでも思いは浮かべられた。

 幸せだった。

 たとえその想いは届かず、世界と誰もが彼女を一顧だにしないとしても。

 

 鏡が満ちる闇の中、彼女は想いを重ね続けた。

 時折彼と出逢ってからの記憶を振り返り、記憶の中の彼を慈しむ。

 

 肌に触れた感触と傷に舌を這わせた時の香りと味、彼の太腿に自らの女を擦り付けた時の快感。

 浅ましいと思いつつ、肉欲が疼いた。

 疼いたら指で慰めた。

 達した時の快感は、しばしの間苦痛を駆逐した。

 

 ほどほどにしようと彼女は思った。

 痛みは彼と繋がっている証拠だからと思った。

 一方的な想いでも、このくらいは赦して欲しいと願いながら。

 

 それを彼女は重ね続けた。

 何時間か何日か。

 時間の経過を示すものは彼女の鼓動以外には無く、彼女は経過する時間に一切の意識を向けていなかった。

 

 想いは無限に湧いてくる。

 そして自分には恐らく無限の時が与えられている。

 だから気にしない。

 例え五十億年が経って、地球も月も、太陽も消え去っても。

 何時も何時までも、彼を想っていられる。

 

 何故彼が好きなのかは、好きだからとしか言えない。

 それでいいし、それ以上の言及や思考は無意味。

 

 幸せな気分は想いの数だけ重なる。

 しかしやがて、重なったものは別の色を帯びていく。

 それは哀しみ、そして寂寥。

 

 会いたい。

 

 触れたい。

 

 唇を重ねたい。

 

 でも会えない。

 

 この世界を彷徨ってみたが、何処にも出口はない。

 自分にはこの世界しかない。

 

 それが分かった時、彼女は泣きながら笑った。

 ここは自分に用意された牢獄であり、天国であると知れたから。

 

 それに、彼女は安堵していた。

 自分はオリジナルに、佐倉杏子には成れはしないと分かっていたから。

 

 あくまでも自分は紛い物であり偽物である。

 だから佐倉杏子の立場にはなれない。

 彼の傍には立てない。

 

 だから自分はこれでいい。

 そう確信していた。

 悲しみを宿した決意をし、彼女は世界を巡る事を止めた。

 

 それでもやはり、寂しさは続いた。 

 それを味わいながら、想いを重ね続けた。

 

 寂しさを快感と思っているのではない。

 寂しいからこそ、自分の想いは本物であると自覚出来るからだった。

 オリジナルが、常に身を苛む悪夢の光景によって自己を保っているように。

 

 

 

 

 

 その時、彼女は感じた。

 自分以外の気配を。

 

 即座に立ち上がり、その手に十字架を頂く長槍を召喚……させなかった。

 槍を握るべく開いていた右手を、彼女はゆっくりと閉ざした。

 感じる気配に、覚えがあったから。

 

 それは、とてもよく似ていた。

 似ていたが、異なっていた。

 本物に対する偽物のような。

 

 似ているが、まるで別物だった。

 例えるなら、複製である自分とオリジナルである佐倉杏子のような。

 

 

 そしてその気配は、彼女の前に姿を表した。

 その姿は、鏡の中にあった。それを見た時、コピーは声の出ない喉を震わせた。

 

 左眼からは熱い涙が零れた。

 

 そこにいたのは、一人の少年だった。

 肩を出した青いジャケット、その下の赤いシャツ。

 肩から出た細長い腕と少女のような繊手の指先までを、白い包帯が包んでいる。

 そして、空手の黒帯をベルト代わりにした白いカーゴパンツを履いていた。

 細部は違うが、よく似ていた。

 

 彼に。

 ナガレに。

 

 

「君は……」

 

 

 少年は口を開いた。少女のような声だった。それも似ていた。

 トゲトゲとした髪型も、眼の下のアイラインも、そして美少女然とした顔つきも、何もかも。

 

 

「             」

 

 

 声にならない叫びを上げて、コピーは歩み寄っていた。

 そして鏡に身体が触れた。当然のように、彼女の身は弾かれた。

 それでも彼女は鏡に近付いた。鏡さえなければ、互いの鼓動が感じられる距離に立ち、彼を見つめた。

 彼もまたコピーを見た。

 黒と真紅が二重螺旋となった、異形の瞳がそこにあった。

 

 近くに立つと、その他の違いが見受けられた。

 黒髪を基調としているが、髪の一部には朱が混じっていたり、体格にも差があった。

 彼の身長は、彼女よりも十センチほど低かった。

 百五十センチに届くかどうか。

 

 それを彼女は、とても愛おしいと感じた。

 彼ではないと分かっているが、それでも眼の前の存在は彼に似ていた。

 

 だから顔を半分、手で隠した。

 醜い形を見られたくなかったから。

 

 しかし彼は、コピーが顔を隠す前に彼女の顔を見ていた。

 だから、彼女が顔を隠した理由を知っていた。

 故に彼はこう言った。

 心の中身を、本心を口に出した。

 

 

「綺麗だよ。桜の花弁みたいでさ」

 

 

 優しく、だが力強く言い切った。

 相手を安心させる為に、そして気持ちを相手に伝える為に。

 それはコピーに伝わった。

 羞恥は安堵に変わり、彼女は手を外した。

 

 

「ああ……綺麗だ」

 

 

 再び本音を口にする。

 打算の感情は一切ない。

 ただ相手への思いやりと、自らに素直でありたいという彼の生き様があるだけだった。

 

 そしてコピーも想いを行動に出した。

 右手を縦にし、鏡に重ねた。

 意図を察して、彼も左手を鏡に重ねる。

 

 鏡越しに、二つの手が重なり合う。

 動いたことで、少年の手の包帯が解けた。

 

 白い帯の内側にあったのは、金属の光沢。

 細い指には、刃のような鋭利さがあった。

 彼の腕は、鋼の義手で出来ていた。

 

 

「        」

 

  

 コピーは口を開閉させた。

「かわいい」と言っていた。

 少年にも伝わったのか、彼は頬を染めて右手で頭を搔いた。嬉しかったらしい。

 先程と同じように包帯が解けた。

 右手もまた、冷たい鋼の義手だった。

 

 

「            」

 

 

 コピーは再び口を動かした。

「あなた、おなまえは?」と尋ねていた。

 それに彼は答えた。

 

 

 

 

「俺は、リョウ」

 

 

 その名前をコピーは胸に、記憶に、そして存在するかも分からぬ自分の魂へと刻み込んだ。

 そんな想いを込めて、その名を声にならない声で繰り返した。

 

 

「了だ」

 

 

 優しく微笑みながら、義手の少年は佐倉杏子の複製へと名を告げた。

 















偽物にして本物であり、本物にしてマガイモノ


そして、次回から第二部開始であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部
第二部プロローグ 戦鬼×戦姫


 ごぽり

 

 音は無かったが、音として表せばそうなるだろう。

 生じたのは気泡であった。

 海のように青い液体の中で生じたものだった。

 生じた気泡は当然のように上昇していった。

 

 その中で気泡は幾つもの物体に触れた。

 黄色い瞳の眼球、青い髪を揺らせた頭部、触れるだけで折れそうな指を並ばせた右手、瑞々しい輝きを放つ内臓。

 気泡は更に下方から溢れる。それらもまた人体の部品に触れる。

 それは無数に存在していた。液体が放っているかのような青い輝きの中は、人間の部品で満ちていた。

 

 切り刻まれた肉体は概ね大きさが小さく、生物として未成熟である事が伺えた。

 そして木目細かい肌や細く繊細な腕や指の造詣は、女性のものであった。

 浮かぶ肉の群れの元は、少女達のものだった。

 

 肉や肌、更には骨や内臓の表面で黒い靄が蠢いた。

 靄が消えると、その部分にあったものが消えていた。蟻に齧られたかのように、微細な穴が生じていた。

 

 その黒靄はまた別の場所にもあった。

 大量の人体の部品が浮かぶ、広大な水槽の正面に置かれた、比較的小さな縦長の容器の中に。

 そこにもまた青い液体が満ちていた。

 

 その中で黒い靄が蠢いている。

 靄の塊は四肢をだらりと下げて浮かぶ、人間の姿に見えた。

 

 髪や肌の色も分からず、少女のように細い輪郭程度しか分からない。

 蠢く靄の一角が不意に弾けた。

 その奥には、開いた眼があった。

 

 黒い渦を巻いた、禍々しい瞳が嵌った眼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼が開いた。

 黒い瞳の中には薄い渦が浮かんでいた。

 地獄を垣間見たかのような、禍々しさを孕んだ眼であった。

 

 

「……変な夢だったな」

 

 

 嫌気を込めて少年は呟く。美少女のような形の、されど付与された男らしさが矛盾なく合一した顔を持った少年だった。

 無数の人体が水の中に浮かぶ夢を彼は見た。

 

 ここ最近戦ってばっかりだったかな、あとアニメの見過ぎ。と彼は思った。

 そう思うと、異様な光景についてはどうでも良くなった。

 夢よりも現実の方が大事である。

 

 意識を今に戻すと、見えているのは何時もの光景。

 経年劣化と自然界の風雨の浸食に晒され、退廃に向けて進みゆく廃教会の天井。

 此処五か月間、目覚めの際によく見る光景である。

 

 

 

 

 この場所は一つの家族と独りの少女の人生の破滅の場所ではあるが、五か月、いや、今日で半年ともなれば愛着も多分に湧く。

 寝床であるソファからむくりと起き上がると、朝の陽射しが見えた。

 

 記憶を遡ると百回を超える視聴を行った映画のテレビ本編を、死闘後に瀕死の中で家主と三周は見た後に疲れ果てて眠った事が思い出せた。

 そう認識すると意識が急に鮮明になっていった。

 三周したが、情報が多過ぎてよく分からなかった。

 飯でも買ってきて食べたらまた観ようと思い、彼は両腕を突き上げながらふああと欠伸をした。

 

 その時に、異変に気付いた。

 

 右手に嫌な感触がしたのである。

 それはねとっとした、粘着質な感触だった。彼は手を戻してじっと見た。

 見た瞬間、意識が消えた。一瞬だけ。

 

 細くしなやかな手にあったのは、三種の粘液。

 一つは透明、一つは赤、一つは白濁。

 更に異変に気付く。

 全身を覆っていた包帯が外され、肌が露出していた。

 

 

「ん……」

 

 

 狙ったように、傍らから呻き声がした。女の声だった。

 彼はそこを見た。彼に背を見せて横たわる少女がいた。

 

 裸の背に、真紅の髪が河の流れのように映えていた。

 髪の終点では、細い腰と白桃のような尻が見えた。

 

 そして尻の少し下からは彼の手に付着したものと同じものが……。

 

 その瞬間、彼の、ナガレの意識は深紅に染まった。

 莫大な憎悪が脳髄と魂を焼く。

 

 彼が嫌いなものは少なくとも二つある。

 一つはロリコンで、もう一つはトチ狂った自分である。

 後者は並行世界と言う括りがあるからまだしも、前者に自分が至るとはと彼は思った。これも先と同じく、一瞬だけ。

 

 自分に向けられた憎悪が意識を尖らせ、却って正気にさせていた。

 彼は気付いた。手に付着した白濁の違和感に。

 そして把握。

 憎悪は消え失せ、代わりに苛立ちが思考を支配した。

 

 

「キョーーーーォーーーーーコォーーーーーーーー」

 

 

 呪いのような声を発した時、彼の視界はぼやけて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が戻る。再び見知った天井が映った。

 体を起こして前を見る。

 以前はかなり遠く、今は三メートルほどの距離を隔てて並べられたソファに仰向けで寝転ぶ佐倉杏子の姿が見えた。

 傷は治っていないのか、全身にはまだ包帯が巻かれていた。それは彼も同じだった。

 

 

「よう、おはよ」

 

「ああ、おはよ」

 

 

 杏子は彼を見ずに、スマホをポチポチとやりながら朝の挨拶を告げた。

 それに毒気を抜かれたのか、何かを飲み込む様に呻いた後に彼も応じた。

 

 

 

 

 

 一時間が経った。

 廃教会内に、香ばしいソースの残り香が漂っている。

 互いの寝床の近くには、空にされたカップ焼きそばの容器が重ねられていた。

 数はそれぞれ十個ずつ。驚異的なカロリー摂取と量だったが、この二人にとっては小食な方だった。

 

 普段なら十個入りのフライドチキンのバレルを、平気で各自五つは空ける。

 杏子は魔力を用いて即座に完全消化し肉体に吸収、ナガレも似たような具合だが彼の場合は魔力ではなく素の肉体の力でそれをやっている。

 ゆえに大食いでも腹は平坦なままという、質量保存の法則に唾棄しているかのような食事風景が繰り広げられるのだった。

 

 今回カップ焼きそばを消費したのは、丁度残っていたからだった。

 付属の青のりとマヨネーズは使われていなかった。

 掛けるのが面倒だからという理由だった。

 

 作るのに手間を要するカップ焼きそばを十個も作っておいて、面倒の基準がよく分からない連中だった。

 もちろん、使う時は使うのだろう。

 今回はそうだった、というだけである。

 

 余った調味料を、ナガレは呼び出した牛の魔女に与えていた。

 普段は大斧槍の形を取っているが、今回は手斧程度の大きさにされている。

 そんな事で来たのかよと、杏子は思った。

 その魔女の斧の中央に開いた穴に、ナガレは青のりとマヨネーズを注いでいた。

 

 シュールな光景だった。

 しかし魔女は嬉しいのか、孔を瞬きのように蠢かせながらそれを吸収している。

 

 彼女の普段の食事は同類である魔女の血肉に主が噛み砕いたグリーフシードの中の穢れ、そして戦闘によって生じる主と相手の血である。

 塩気が足りて無い事は無さそうだが、味の問題なのかなと杏子は思った。マヨネーズって美味いしなと。

 今更ながら、振りかけなかったことを彼女は後悔し始めていた。

 

 

「なぁ」

 

 

 その彼女にナガレは尋ねた。

 

 

「さっきのアレ、なんだよ」

 

「アレって?なにさ」

 

 

 ニヤ付きながら杏子は返す。

 最近知った、「メスガキ」という存在の表情を真似ていた。

 彼はそれを知らなかったが、「ガキが…」という思いを抱いた。無理も無いだろう。

 

 

「俺がお前を犯しくさりやがった光景だよ。悪夢じゃねえか」

 

「この前読んだエロ漫画のお裾分け。よく出来てたろ」

 

「ああ。大したもんだな、魔法ってやつぁよ」

 

「だろ?他人が親父の話をちゃんと聞いてくれって願った時のオマケさ。幻惑ってのが皮肉で笑えるよな」

 

 

 自虐の塊を言葉に乗せて彼へと告げる。

 彼は黙った。

 魔法の性質については、数日前に彼女が暴走した際に放った魔法に強力な幻惑・洗脳作用があった事から察せてはいた。

 

 問題は彼女が告げた事象である。それに対し、彼は何も言えなかった。

 杏子も黙った。

 気まずい雰囲気が廃教会内に満ちた。

 

 

「ま、使い方は最近まで忘れてたんだけどね。で、それを送った理由はあんたへの報復さ」

 

「報復?」

 

 

 堪え切れずに杏子が話題を戻した。

 ロクな着地点にはならなそうだと思いつつ、彼も話に乗った。

 

 

「あんた、結局あたしを抱かなかっただろ?」

 

「お前らの歳の連中を、俺はそういう目で見られねぇからな」

 

「なら、結構キたよな?」

 

「次やったら切れるからな」

 

「へぇ、楽しみだねぇ」

 

 

 ナガレが発する怒気を、杏子は弄ぶような態度とその内に秘めた闘志で迎え撃った。

 室内の気温が低下していく。更には両者の間で風が渦を巻き、重力までもが狂っていくような。

 要は何時もの二人であった。仲が良くなろうが性欲と執着を自覚しようが、これは変わらないらしい。

 常人なら気が狂いそうな雰囲気の中、杏子は疑問を抱いた。

 

 

「にしてもさぁ、どうして幻だって気付いたのさ。見た目には現実と同じはずだったんだけど」

 

「他は兎も角、白いのの匂いがしなかったからな。あとネバつき方がシンジ君のと同じだからよ」

 

 

 尤もであるが、嫌な判別の仕方である。そして流石に三桁の視聴は伊達でないという事だろうか。これも嫌な事例である。

 そしてついでに、露わとなった自分の下半身は描画されていなかったからと言わずながら彼は思った。

 少なくとも数年以内には見せる気も無いし、見られたくも無い。

 

 返答から数秒が経過。

 皮肉の一つも返ってこない。

 

 見ると、杏子は顔を赤く染めていた。

 その眼を見ると、彼女は速攻で視線を逸らした。

 そして寝床に置いてある毛布を掴んで身を包ませた。

 不貞寝というやつだろう。

 

 それを放置し、彼は後片付けを始めた。

 ついでに廃教会内を箒で履き、既に傷も治っていたので包帯を取り払っていつもの私服に着替える。

 そして自分と家主の洗濯物を纏めてコインランドリーへと赴き、用を済ませて帰宅した。

 ここまでで二時間が経過している。

 

 帰宅して寝床を見ると、杏子の位置が自分の寝床に移動していた。

 そして相変わらず、布団を被っている。

 

 

「…」

 

 

 居場所を奪われ、仕方なく彼は占拠されている自分の寝床の近くに腰を降ろした。

 布団がもぞりと動いた。

 

 

「…なぁ、ナガレ」

 

「なんだ、杏子」

 

「ここ最近のあたし、テンション可笑しくなかったかい?」

 

「………」

 

「抱けとか、処女孔ブチ刳り抜けとか言ったり……あんたの首とか舐め廻したり………キスしたりとかさ」

 

 

 全部やべぇよ、と彼は言いたかった。

 相手が普通のというか、人間なら言えただろう。

 しかし彼女は魔法少女であり、常に爆弾を抱えているような存在であると数日前に認識させられた。

 今更ではあるが、配慮する必要があるなと彼は思っていた。本当に今更な気もするが。

 

 

「まぁ…その、なんだ。お前も年頃なんだし、そういうのに興味持つのは寧ろ普通なんじゃねえの?」

 

 

 当たり障りないようにと心がけて彼は口にした。

 彼にしては正論を言っている。

 

 

「そっか」

 

 

 蒲団の裾が引かれ、そこから杏子は顔を出した。

 ハムスターみたいで可愛いなと彼は思った。無論性欲とは別の可愛いという意味である。

 

 

「そうだよな」

 

 

 ソファの手摺を枕に見立てて顔を押し付けながら杏子は言った。

 納得したかと彼が思った、その時だった。

 

 

「いや、やっぱ無理」

 

 

 言うが早いか、布団の横から紅の光が迸った。

 それは彼の胴を巻いて、主の元へと引き寄せた。

 

 その様子に彼は覚えがあった。

 前回の加害者は呉キリカで、引き摺り込まれたのはトランクケースだったが。

 次の瞬間には、彼は杏子の羽織る布団の中に招かれていた。

 布団を透過して差し込む朝日の中、ナガレと杏子は対峙していた。

 

 

「ハズい…いや、マジで、これ……はっっっず!!!」

 

 

 顔が触れそうな至近距離で、赤面して涙目になった杏子が叫ぶ。

 息の匂いはソースの香りだった。

 こいつ歯ぁ洗ってないなと彼は思った。が、それどころではなかった。

 

 彼は胴体を多節棍状態と化した槍に締め付けられ、更に両手は杏子の両手と組み合わされている。

 恋人繋ぎとされる交差だが、両者の指の先端が触れる各々の手の甲からは血が滲んでいた。

 互いに握力は数百キロを超えており、その剛力同士が拮抗している。

 

 

「でも、今はあんたしか知らねぇ……なら、さ……」

 

 

 こいつがいなければ、という思いが彼女の脳裏に湧いては消えていった。

 状態的には黒歴史を晒されて悶絶している状態に近いだろう。

 

 しかしながら、それも恐らくは方便というか口実である。

 眼の前の異性の顔を見る彼女の眼には、戦意の炎があった。

 

 死闘に次ぐ死闘、そして休憩と食物摂取。

 その間に、彼女の闘志は復活したらしい。闘争本能とした方がいいか。

 要するに、ヤりたいのである。

 

 それに対し、ナガレは軽く嗤った。好まし気な嗤い方だった。

 そして彼は半共生状態の魔女へと「頼むわ」と思念を送った。

 少しの間を置き、彼の口元に黒靄が生じた。靄は小さな手斧へと変じた。

 

 状況を察して、自身をサイズダウンさせた牛の魔女である。召喚の際に応じた間は、流石に呆れ切っての困惑によるためだろう。

 布団の中という薄闇というか薄明りの中で戦鬼たる少年と、魔法少女という戦姫が対峙する。

 そしてこの厄介者共を現世から排するかのように、魔女は異界に両者を招いた。

 支えを失った布団がぐしゃりと潰れた。廃教会の中にも静寂が満ちた。

 

 やはりというか、何時もの二人だった。

 互いの距離が近付いても…いや。

 近付いたからこそというべきか、更に不健全さを増した両者の平凡な日常は再び幕を開けた。

 

 















開幕であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグ② 変容の紅

 極彩色が何処までも続く異界の中、剣戟の音が鳴り響く。 

 硬い金属の交差には液体が弾ける音が連なっていた。 

 音の発生源は、異界の中に巨大な影を落とす異形の刃。

 

 全身がねじくれた西洋風の甲冑が上半身、下半身を蛞蝓のような形状と質感で構築した異形の騎士だった。

 三階建ての家に相当する大きさから振られる鉈と円錐状の槍は、異界の地面を軽々と砕き柔らかい土のように弾き飛ばしていた。

 

 その異形の力と、黒髪の少年は真っ向から斬り結んでいた。

 黒髪と言ったが、彼の髪には朱が混じっていた。鮮血が豊かな黒髪を濡れそぼらせ、朱色の糸を引いている。

 更には彼の左腕は、正確には左肩は存在していなかった。

 関節から外され、抉れた肉の節からは常に水差しを傾けているかのような鮮血が滴り落ちる。

 

 しかしながら戦意は高く、刃と槍の嵐を潜り抜けながら彼は魔女を切り刻んでいた。

 魔女は全身を傷に覆われ、負傷の度合いで言えば魔女の方が上であった。

 激戦の中、魔女が大きく仰け反った。

 面貌を模した顔面の中央に何かが着弾。千切れていく金属上の表皮と、内側に詰まった小腸のような肉が破裂。

 銀と桃色の微塵が魔女の後頭部より噴出する。

 

 造作が中央に集まった魔女が最期に見たのは、自分の頭部よりも高い位置に飛翔した黒髪の少年の姿だった。

 それは腕から迸る血を魔翼のように広げた、死天使のような姿であった。

 振りかぶられた巨大な斧槍が頭部に喰い込み胸から抜ける冷たく熱い感触を味わいながら、魔女は緩やかに倒れ伏した。

 

 その間に、彼は捥げた左肩と魔女の顔を砕いた物体を拾っていた。

 自分の肉体的損傷に対する意識もほどほどに、彼はそれを見つめていた。

 そして魔女が絶命、異界が崩壊する。

 

 顕れたのは薄汚い路地裏。

 空き缶に煙草の吸い殻、少女の顔や特徴が印刷された尋ね人のポスター、丸められた先端に精液を溜めた使用済みの避妊具など、夜も更けた暗がりには雑多なゴミが散らばっていた。

 その中の、異界にて魔女が存在していた場所に、黒い卵が落ちていた。

 彼は外れた左腕を口で咥え、空いた右手でそれを拾い、左手に持った赤い縦長の宝石に近付けた。

 爬虫類の瞳孔を思わせる宝石の中に、瞳の如く渦巻く黒い穢れがあった。グリーフシードがそれを吸い取り、真紅の輝きが蘇る。

 

 それを持って、彼は歩いた。血が流れ続けているが、治癒よりも歩みを優先させている。

 

 

「いや、治せよ」

 

 

 小さな声だったが、彼には届いた。

 路地裏の闇の中だが、彼の眼には鮮明に映る。二百メートルほど離れた場所でその声は放たれていた。

 お言葉に甘え、彼は使用済みのGSを握り潰す。溢れた穢れを牛の魔女が摂取し、魔力に変えて彼を癒す。

 時が逆転したように腕が繋がれ顔にも血の気が戻る。

 全身の負傷も完治させると、彼は走った。どの道は走る積りだったが、先に治すのは気が引けていたのである。

 

 二百メートルを十秒と掛からず走破し到着。素の身体能力でも彼は現生の人類を上回っている。

 

 

「援護ありがとよ、しっかしなぁ……」

 

 

 言いながら、彼は左手を伸ばした。

 

 

「無茶しすぎじゃねえか?」

 

 

 苦虫を噛み潰したような貌と声で彼は言った。

 その彼の指の先で輝く宝石を、血に塗れた別の指が掴む。

 

 

「いいだろ。こいつはあたしのモノっていうか、正真正銘あたしそのものなんだからさ」

 

 

 受け取った宝石を、杏子は胸に接触させた。吸い付くかのようにそこに固定され、彼女の魂たる宝石は真紅の輝きを増した。

 紅の光に照らされた佐倉杏子の身体は、既に紅で彩られていた。

 抉られた右肩、肉の半分をもぎ取られて肋骨を剥き出しにした右胸、皮を削ぎ落されて内臓を露出させた腹。

 両足も右は膝と、左は付け根の近くから失われ全ての傷から大量に出血していた。

 

 溢れた血が彼女の肌と桃色のスカート、肉同様に半ば以上破壊された真紅のドレスを穢している。

 杏子は小汚いビルの壁面に背を預け、汚れ切った路地の地面に尻を置いていた。

 黙ってさえいれば、死体と思われたに違いない。

 

 

「なんだよ、じっと見て。気になるのかい」

 

「そりゃあな」

 

 

 先日開始された二人の戦闘はいつもながら苛烈であり、早々に両者は彼我の血に塗れた。

 そして流れた血で頭を冷やしたのか、ある程度満足したのか「グリーフシードの蓄え無しで戦うのは危険だな」という呼吸同然の生命の事柄に気付いて一時中断。

 久々に二人そろっての魔女狩りを開始したのであった。

 

 相変わらず風見野市内は魔女の巣窟であり、あっちを見ても魔女、こっちを見ても魔女といった有様だった。

 それらを片っ端から抹殺し続け、今の有様に至っていた。

 今の両者の負傷は、死闘の果てに魔女を殲滅し魔女結界を崩壊させたと思った次の瞬間、別の魔女の結界に飲まれ奇襲された結果である。

 獲物である魔女も無能ではなく、狩人を狙っていたらしい。

 

 

「頑丈、だな。随分と」

 

 

 先程の援護は戦闘不能に陥った杏子が、残った左手で胸の宝石…彼女の魂たるソウルジェムを投擲しての原始的な狙撃であった。

 魔力で強化され、音速の数倍に達した速度を宿した彼女の魂はナガレの斬撃さえ弾いた魔女の顔面を貫通してのけていた。

 畏怖したような彼の声と表情に、杏子は誇らしげに笑った。

 

 

「みたいだね。硬さなんて意識した事ねぇけど、パリンて割れなくて良かったよ」

 

「縁起でもねぇな」

 

「あと外してブン投げたけど問題ねぇのな。エヴァや使徒ならコア外してる…って人間なら心臓な脳味噌投げてるってコトだろうから即死してそうな気がすんだけど」

 

「それを試したお前の度胸はほんと凄ぇな。あと中々の遠投じゃねえか。今回は二百ってトコだったけど、魔女に当んなきゃ何処まで飛んでたろうな」

 

「あんたの着眼点。天然が混じってるせいか、かなりのカオスだね。で、さ」

 

 

 恥ずかしそうに杏子はもぞりと体を揺らす。ナガレは首を傾げた。

 

 

「触りてぇのかい、コレ」

 

 

 紅く輝く魂をトントンと指で突きながら杏子は尋ねる。血染めながら、浮かんだ表情は寝台に男を誘う雌である。

 宝石が乗せられた肌は紅く、その周囲は肉と骨、挙句の果てには脈動する臓物までもが露出している。

 それでもなお、いや、だからこそとでもするのか、その表情は妖艶だった。

 自らの肌の下で蠢く肉と内臓が持つグロテスクさに抗うかのように。

 

 

「さっき持ってた。十分だ」

 

「いいから触れ!」

 

 

 ナガレの引いた手を速攻で掴んで引き寄せる。

 どちゃっという生肉と血を弾く音と共に、彼の手が杏子の宝石に、ほぼ全損した杏子の胸に重なる。

 右胸はごっそり消えてたが、左は原形を留めていた。

 緩やかな隆起の頂点で、肉の突起は興奮を示して硬く尖っていた。

 

 

「服直せよ。つうか傷治せ」

 

「このくらいで、あたしらがくたばるかよ」

 

 

 杏子の口元に浮かぶのは嗜虐的な笑み。心配する彼を弄ぶような表情である。

 血に濡れた唇は紅よりも赤い。

 

 

「つうか、その上で魂まで頑丈とはね。あたしらは簡単にくたばれるけど、死に難いな」

 

「俺はそうは思えねぇな」

 

 

 体勢を崩し、片膝を着き杏子と同じ目線になったナガレは言う。

 彼からの反論に、杏子は首を傾げた。

 少し前までなら、自分の意見に反したと彼女が認識した瞬間に斬りかかられていた。

 そしてそもそも、会話すら成立していなかっただろう。

 そのまともな反応に、彼は彼女が急速に変化した事に対する少しの寂しさを感じ、その様子への好ましさを表情に浮かばせた。

 

 

「お前が、っていうかこれまであった魔法少女か。お前らがくたばる様子が想像出来ねぇ」

 

 

 確信を込めて彼は言った。

 

 

「褒めてんの?」

 

「ああ」

 

「悪い気分じゃないね。あんたに言われると説得力がある」

 

 

 彼女は彼の記憶を覗いた。

 異界の地獄を彼女は見た。

 芥子粒のように散らされる大陸、大海、そして惑星。挙句の果てには宇宙そのもの。

 破壊を為すのは機械の戦鬼と皇帝の名を冠する存在、宇宙をも超える大きさの異形の赤子。そして----。

 

 その姿は一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

 恐ろしいという一言では足りない。あらゆる恐怖を凝集したような、畏怖と恐怖の塊だった。

 虚空に浮かぶ、深紅の巨大な零の字を思い浮かべた瞬間、思わず悲鳴を上げそうになった。

 だから彼女は左手で彼の手を強く掴み、引き寄せた。

 真紅の宝石と、自分の胸の肉に深く触れるように。

 

 恐怖は強い。

 だがそれと同じく、幾多の地獄を超えて此処に来たこの存在に、そう認められているという事からの感慨は強かった。

 肉が剥き出しの胸に触れる彼の手は熱く、皮膚を介して彼の鼓動が肉と魂に伝わる。

 その鼓動と熱に、彼女の雌は疼いた。赤い肉は彼の手を離すまいと皮膚に吸い付き、手と肉の間にある宝石は輝きを増したように見えた。

 

 

 対する彼は杏子の魂たる宝石の感触に覚えを感じていた。

 軽く触れるだけでも分かる、確たる硬度。

 

 全てを弾き返し、また打ち砕く強靭さ。

 不吉どころではない存在が脳裏を過る。

 紅の美しい光を放つ彼女の魂、それはまるで石と云うよりも金属。

 そしてこれは………。

 

 

「んっ」

 

 

 杏子が声を発した。思考を切り替える。

 彼が触れる杏子の肉からは血と体液が滲んでいた。だから離そうとした。動かなかった。

 

 

「あんた、触り方やらしいな」

 

「……動かしてねぇんだけど」

 

「じゃあ存在。前にも言ったけど、あんたは外見と喋り方とかであたしの性癖を狂わす。ぶっちゃけエロい」

 

 

 闇の中で杏子の二つの双眸が輝いているように見えた。

 紅い血が求める欲望の光のような、真紅の色に。

 どうしてこうなんだろ、と彼は思った。

 ふと脳裏に、最近少し流行ってるのか矢鱈と見る漫画の広告を思い出した。

 肉体関係を求められ、男とはいつもそうだと否定する赤面した女が印象的な広告だった。

 

 

「お前ら…最近、なんかそうだよな。俺の事何だと思ってんだよ」

 

 

 そのせいか放った言葉も似通っていた。

 闇の中で杏子の口が半月に開く。反撃の口実を与えただけだと彼は愚策を悟った。

 

 

「無自覚ヤンデレ製造機ってトコかな。あたしは違うだろうけど、腐れ雌ゴキブリな淫乱女と発情紫髪の武人気取りで胸にゴム鞠を二つくっ付けてる妊活バカ女の二匹はヤンデレっていうクッソキモい属性持ちだろうからさ」

 

 

 あたしはツンデレだしなと、杏子は長台詞の後に加えた。

 言葉の使い方を見るに、発情紫髪と称した存在に対し相当な憎悪を持っているらしい。

 

 

「ワケ分からねぇコト言ってんじゃねえ」

 

 

 切って捨てるように言い、彼は魔女を召喚。闇の中で闇よりも色濃い黒を纏った斧槍が呼び出され、彼はそれを右手に握った。

 その刃の腹を杏子の脇腹に軽く重ね、魔女に治癒を命じた。

 斧の中央に開いた丸い穴に、眼球のようにまたたく黒があった。

 

 魔女の口であり本体であり眼であった。

 瞬きは、血塗れの魔法少女を見て美味そうとでも思っているからだろう。生き物なら涎を垂らしている状況とすべきか。

 それでも命令は忠実にこなし、杏子の傷が癒されていく。露出していた内臓は表面の傷や渇きを修復され、肌や骨も治っていく。

 欠損していた足も瞬時に再生する。

 それら全てに五秒と掛からなかった。

 

 肉が剥き出しの胸も、脂肪と肉が補填されて皮が覆う。更に次いでというか、報酬も兼ねて二人の体表を汚している血液を吸引していく。

 結果として身は清められ、不快感も消え失せる。

 しかし杏子の魔法少女服は破損したままであり、彼女の上半身はほぼ裸であった。

 変身を解除すれば即座に解決する問題ではあるが、このあたりの悪意は流石は魔女と云った処だろう。

 

 

「すけべ」

 

 

 彼女は再生したばかりの右手で両胸を覆った。

 彼女なりの基準があるのか、今回は恥ずかしいらしい。

 胸の宝石を輝かせ、変身を解除させる。

 緑のパーカーに黒いシャツ、短めのホットパンツに長いブーツという、普段着の姿へと変わる。

 

 

「別に変な意味はねぇよ」

 

 

 彼の手首を離した杏子の左手を、今度は彼が握った。

 軽い引きで彼女を立ち上がらせる。

 

 

「具合はどうだ?」

 

「んー……」

 

 

 腕を回し、脚を折り曲げ体の各部の具合を確かめる。

 筋肉の筋の伸縮や指の開閉といった単純な動作の組み合わせだが、どこか躍っているようにも見える。

 そういえばダンスが得意な奴だったなと、彼は思い返していた。

 

 

「問題ねぇ、っていうか前より調子いい。で、これからどうする?」

 

「ゲーセンでも行くか?」

 

「乗った」

 

 

 杏子は右手を掲げた。意図を察し、彼は左手を掲げる。そして同時に前へ振って激突させる。

 汚さで満ちた路地裏に、破裂音が鳴り響いた。

 力の激突は両者に軽くない苦痛を与えた。

 

 が、それを二人は顔には出さない。

 出せば馬鹿にされて笑われるからだ。だから嗤う。

 

 

「痛ぇよ。殺す気か」

 

「あんた相手じゃ、そうでもしねぇと張り合い無いからね」

 

 

 互いにケラケラと嗤いながら、闇の中で相手を見る。互いの瞳の中には、疼き始めた闘志の炎。

 だが今はいい。まだ燻り程度で収まっていろと、二人はそれを黙らせる。

 戦いの火蓋が切られる機会は、これから先幾らでもある。とでもいうように。

 

 そして二人は肩を並べて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三歩歩いて、その歩みは停止した。

 路地裏の先、夜の闇を貪るように輝く光の中に、一つの人影を見たからだ。

 その姿に杏子は嫌悪感を、ナガレは親しみを感じた。

 

 赤色のパーカーに丈の短い茶色のレザースカート、黒い長ブーツに身を包んだ少女がいた。

 猥雑な街の光と青白い月光で輝く薄紫色のセミロングヘア。

 そして血のような赤い瞳が、闇の中にいる者を見ていた。

 ナガレを、彼だけを。

 

 

「よう、麻衣。夜遊びか?」

 

 

 至って普通に彼は声を掛けた。それが当然だからである。

 

 

「そんなところだ、ナガレ」

 

 

 彼女も返事をした。彼だけに。

 

 

「実は、こんな夜更けに申し訳ないが「あーー、うるせぇぞ万年発情紫髪女。性欲塗れのその声聞いてるだけで、耳が腐っちまいそうだ

 

 

 麻衣の申し出、の成りかけに割り込み杏子が言葉を重ねる。

 

 

「我々のリーダーであるリナが一席設けたいと「知るかよクソボケ色ボケ股濡らしの腐れメスガキ。さっさと家帰って股でもケツ穴でも弄りまくってマス掻いて、気を遣りながら永久に寝ちまえよ

 

 

「風見野で大量発生している魔女に「大方てめぇの色欲ってのに影響されてるんだろうさ。いっそご自慢の刀を自分の股に突っ込んで切り裂いて、その欲望を元から断っちまえ

 

 

 深夜11時。

 風見野の路地裏の雰囲気は最悪となっていた。

 朱音麻衣と佐倉杏子、その会話にならぬ会話が両者の最初の遣り取り…以下の交差であった。

 距離を隔てて繰り広げられる女達の様子に、さしもの彼も気まずさを覚えていた。

 

 

「全く、こいつらときたら常識というのがないんだろうかね。こんなところで死んだら腐って破れた腹から排泄物が垂れ流されて町の人やここに住んでる野良猫やドブネズミ達にとっての大迷惑じゃないか。ここはきちんと清く正しく、今すぐに溶鉱炉の中にでも飛び込んで遺伝子の一辺も残らず身を焼き尽くして二匹ともこの世から消えるべきだ。なぁ、友人。君もそう思うだろ?」

 

 

 そんな彼に、背後から長々とした言葉が掛けられた。

 夜風が運んで来たかのような、美しい少女の声だった。

 その声を、二人の魔法少女が認識する。

 場の雰囲気は更に、最悪を超えた最悪へと変わっていった。

 

 














佐倉さん、大丈夫っスかねぇ
色んな意味で


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグ③ 愚者どもの遊戯

「グアアアアアアア!!!!」

 

「ぐるるぅぅああああ!!!!」

 

 怒号、というよりも咆哮。

 理性を失い、ただ眼の前の存在を破壊するためだけに鼓動を刻み続ける二体の獣がそこにいた。

 一人は佐倉杏子、もう一人は朱音麻衣。

 

 異界の中、人の姿をした二頭の美しい獣たちが争っていた。

 獣という表現は比喩ではない。

 闘争に用いられていたのは、互いの四肢と牙、そして頭部であった。

 

 

「ガァァァアアアアア!!!!」

 

「るぅぅぅうううあああ!!!!」

 

 

 咆哮と共に互いの頭部が突き出され、互いの額でそれを迎撃。

 

 

「ぐあっ…」

 

 

 麻衣が仰け反り、割れた額から鮮血を噴き出しつつ後退する。

 その襟首をガっと掴む杏子。

 

 

「逃がすかよ…メスガキぃ……」

 

 

 唸り声で出来た言葉を紡ぎ、杏子は麻衣の顔を見る。

 麻衣の顔は既に傷で覆われていた。

 殴打によって頬は青黒く腫れ上がり、右の瞼も血が溜まって膨らみ、眼球を殆ど覆っていた。

 

 前歯が何本も圧し折れ、折れた歯は舌や頬に突き刺さっている。

 打撲以外にも、拳や蹴りが掠めた事で生じた切り傷に擦り傷が顔を縦横に走る。

 

 

「ウルァァァァア!!」

 

 

 叫びを上げて麻衣の首を手前に引き、自らの額を麻衣の顔に激突させる。

 容赦ない頭突きにより傷が肉を抉る深さが増して骨が罅割れ、顔全体から血が噴出する。

 

 それを何度も何度も繰り返す。杏子の顔も血に染まり切っていた。

 麻衣の顔から剥がれた皮膚や潰れた眼球の水分、破壊した鼻孔から漏れだした鼻水が交じり合った液体が血に塗れた杏子の顔に異様な光沢を与えていた。

 その杏子自身も顔面は傷だらけだった。頭突きを受ける前の麻衣のそれとさして変わらない状況だった。

 だが今の麻衣の様子は、それまでが軽傷だったと思える有様と化していた。

 

 皮が弾け、内側の筋肉どころか骨までが露出している。

 ただ、破壊を免れた右眼だけが血よりも紅かった。左眼は潰れ、透明な体液を垂れ流している。

 瞼が失われて完全に露わとなった血色の眼は、彼女の意思を表したが如く妖しく輝いていた。

 

 その眼で麻衣は杏子を見ていた。

 自らも傷付いた身の上での攻撃は彼女自身も疲弊させていた。

 それを確かめると、麻衣は唇を喪った口を吊り上げさせた。

 

 麻衣は両手を伸ばし、杏子の腰を掴んだ。

 そして意趣返しとばかりに彼女の身体を引き寄せながら、折り曲げた右膝を杏子の下腹部に突き刺した。

 

 

「ぐぁぁっ!?」

 

 

 肉の内側で、命を繋ぐ為の器官である子宮が変形させられる不快感に、杏子は叫びと共に胃液を吐き出した。

 血に染まった黄色い液体が、酸の臭気を撒き散らす。

 その間に麻衣は杏子の背後に回っていた。

 背中を蹴り飛ばして姿勢を崩すや、杏子の右肩に自身の右足を乗せた。

 そして杏子の真紅の長髪の一部を両手で握り締めた。

 

 

「お返しだ」

 

 

 その声は優しげだった。意図的に麻衣はそう言っていた。

 悪意と殺意をと憎悪を、杏子に分かりやすく伝える為に。

 杏子が暴れる前に、麻衣は右足で杏子の細い肩を踏みしだき、両手で思い切り彼女の髪を引いた。

 絶叫が迸った。それに先んじて、バリバリという肉が引き剥がされる音が鳴っていた。

 

 引き剥がしたそれを放り投げ、麻衣は杏子を蹴飛ばした。

 杏子は右手で頭を抱え、左手を狂ったように振り回しながら叫び続ける。

 

 どっちゃっという落下音が遠くで鳴った。

 

 引き剥がされた頭皮には大量の毛髪と、そして杏子の顔半分が頭皮に引きずられる形で付着していた。

 

 

「ああ、あああああああああああああああああああああああ」

 

 

 叫び続ける杏子を、麻衣は冷たい眼で見ていた。

 見ている間に、失われていた顔の肉が補填されていき、潰れていた眼球も膨らみ、最後に皮膚が顔を覆った。

 元の美しい顔に戻った瞬間、麻衣は腰に差していた愛刀を抜いた。

 

 

「トドメといくか」

 

 

 淡々と言い、暴れ続ける杏子へと近寄っていく。

 間もなく射程圏、といったあたりで杏子の身体が崩れ落ちた。足元にまで至った自らの血で足を滑らせたのだった。

 倒れながらも蠢く杏子の様子を、麻衣は

 

 

「大きな芋虫だな」

 

 

 と吐き捨てる。

 そして刃に魔力を乗せて振り下ろした。

 

 自らの背後へと。

 

 鳴り響く金属音、刃同士がガチガチと噛み合う音。

 噛み合うのは日本刀を模した魔刀と、赤黒く輝く三本の斧。

 

 

「そろそろ来ると思っていたぞ、雌ゴキブリ」

 

「んー、アカネくんは今日も強キャラの演技をしてるねぇ」

 

 

 妙に紳士的な言い方と親近感を感じさせるような言い回しに、麻衣はカチンときた。

 多分何かの真似だろうとも。

 尤も、キリカ相手であれば何事にも彼女は不快感を示すのであるが。

 

 その感情があれば、もう言葉はいらない。元から会話をする気など無い。

 噛み合っていた刃を、麻衣は水平に振った。

 

 振り切られた刃の上を、呉キリカは華麗に飛翔していた。

 その手首から生えていた斧は、刃の半ばで寸断されていた。

 残りの刃が地面に落ち、儚い音を立てて消えた。

 

 

「きひ」

 

 

 その様子を楽しそうに見つめ、キリカは両手からそれぞれ五本の刃を発生させる。

 そしてそれを麻衣に向けて振り下ろした。麻衣が迎撃の刃を走らせ、二人の間で白刃と赤黒の光の交差が始まった。

 

 麻衣は嫌悪感に満ちた、それでいて憎くて憎くて堪らない相手をこの手で切り刻めるという欲望に満ちた笑顔でキリカに挑み、キリカはただ朗らかに、形だけは優しい形で麻衣の刃を迎え撃つ。

 数秒の交差の中で、両者はすぐさま鮮血で顔を彩った。

 血飛沫を撒き散らし、肉と骨を削りながら叫びを上げて殺し合う。

 

 

 その様子を、佐倉杏子はじっと見ていた。

 ナガレによる治癒を受けたばかりの身体は再び全身が痛み、打撲と裂傷に覆われている。

 顔面は度重なる殴打で歪み、挙句の果てに左半分の肉が頭皮諸共に千切られて引き剥がされている。

 

 女性が受けるにはあまりにも悲惨すぎる状況。

 杏子の心中には、苦痛と怒りが渦巻いていた。そして苦痛を押し退け、怒りが爆発する。

 怒りの矛先は加害者である麻衣ではなく、こうなるに至った原因である自分自身に対してだった。

 

 血溜りに沈み、自分は芋虫と評されたように無様に這いずっている。

 その視線の先で、二匹のメスガキ共が殺し合っている。

 世界はその二匹を中心に捉えて回り、自分は弾かれている。

 あちらが主人公で、自分はモブキャラ。

 そんな想いを杏子は抱いた。

 

 

 

「ふっざけるなぁぁああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 咆哮。

 叫んだことで傷付いた内臓が破け、口から赤黒い血液が吐き出される。

 全身の傷も一斉に開き、血溜りへと加わっていく。

 その叫びを完全に無視し、キリカと麻衣は剣戟を続ける。

 

 その二人がほぼ同時に動きを止めた。その瞬間にバックステップを行い、互いの距離を開く。

 そして声の発生源である佐倉杏子の方を見た。

 地面にはいなかった。そこには血溜りと、そこに降りる影が見えた。

 

 その影は、麻衣とキリカにも降り注いでいた。

 視線を上へと向けると、二人は言葉を失った。

 

 

 

 肉食魚を思わせる長い口吻、真紅のリングが連ねられた様な蛇腹。

 大型バスほどもある太い胴体は三十メートルはあり、その尾の末端には十字架を思わせる巨大な槍穂が据えられていた。

 佐倉杏子が呼び出す巨大槍、それを変異させた異界で猛威を振るった鋼の蛇竜の模倣。

 以前造り出した時よりも巨大になり、更には紅の色が濃い。生成時に、溢れた血を魔力の媒介としたためだろう。

 

 また、前回と異なっている部分はそこだけではなかった。

 

 

「主人公のあたしを差し置いて!乳繰り合ってんじゃねぇぞモブキャラどもおおおおおおおお!!!!」

 

 

 傲慢な言葉を声にして佐倉杏子が吠える。

 それに呼応し蛇竜の口が開き、爆撃のような咆哮を上げる。

 

 真紅の魔法少女の叫びは、そのすぐ近くで生じていた。

 大きく開いた蛇竜の口の上顎、横から見ると三日月を描いたような頭部の中央に、佐倉杏子の上半身が生えていた。

 腰から下は蛇竜の頭部の中へと消えている。その様子を、

 

 

「佐倉杏子。それは顔芸、ないしは六歳児の真似か?」

 

「悪趣味だな。だが…」

 

 

 キリカと麻衣は、それぞれそう評した。

 キリカは呆れており、麻衣は嫌悪感を持ちつつも何かを感じているようだった。

 血色の眼は、鋼の蛇竜の全身を見渡している。

 

 

「…良いな。素晴らしい」

 

 

 蛇竜の外見に陶酔ともとれる言葉を麻衣は漏らした。

「そういう性癖か」とキリカは思った。この場でまともな精神を持っているのは自分だけなのか?とも。

 その二人を、蛇竜の眼が見据えた。菱形に縁取られた鋭角の中に、紅の十字が走った機械の眼だった。

 

 

「殺るぞ!ウザーラ!!」

 

 

 顔半分を再生させながら、杏子が異界の蛇竜の名を叫ぶ。

 ウザーラの模倣体は再び叫びを上げた。

 叫びと共に、牙が並んだ口からは雷撃と炎が放たれた。

 

 異界の一角が、紫電と真紅で染め上げられる。

 その中を二人の魔法少女が疾走し、跳ねていた。

 麻衣は魔力を乗せた刃で炎と雷撃を消し飛ばし、キリカは両腕の斧を微細な斧が連なる赤黒の触手に変えて蛇竜の攻撃を切り刻む。

 破壊の力が吹き散らされ、至る所に破壊を撒き散らす。

 炎の熱が異界に充満したかのように、赤々とした火花と火炎が宙に舞う。

 

 

 

 

 

 

 

「面妖な」

 

 

 その様子を、軍属の儀礼服を思わせる衣装を纏った少女がそう言った。

 風見野自警団の長である、人見リナである。戦場が一望できる小高い丘の上で、紫色の瞳の遥か彼方を見つめている。

 視線の先では蛇竜の頭部から上半身を生やした佐倉杏子と、そこに空間接続を用いて辿り着いた朱音麻衣が繰り広げる剣戟の光景が見えた。

 

 普段と目線が違う相手に麻衣は苦戦しているように見え、更にそこへと巨大質量が飛来した。

 十字槍を模した蛇竜の尾が急襲し、麻衣の身体を切り裂いていた。

 寸でのところで気付き両断を免れていたが、麻衣の左腕は宙を舞っていた。

 

 そこに杏子は追撃。彼女の腹に十字槍を突き刺し、蛇竜に首を振らせて地上四十メートルの高みから地面に突き落とした。

 残るキリカはと言えば、蛇竜の口に咥えられていた。

 無数の牙が少女の細身に喰い込み、キリカの肉をズタズタに切り裂いて、まるで流れる血が竜の唾液であるかのようにダラダラと垂れさせている。

 

 

「ううむ、これもまた貴重な経験か」

 

 

 遠方にいるキリカの口の動きを、趣味で覚えた読唇術で解読したリナは思わず吐き気を催した。

 竜の牙はキリカの顔面から喉に胸、腹を抉って下腹部に至り左膝から足先を縦断している。

 位置的には子宮をも貫通している筈だった。相変わらず、呉キリカは人間ではないという印象をリナは強めた。

 

 

「止めなくていいのかよ?」

 

 

 その彼女に問い掛けるものがいた。

 リナの背後に立つ黒髪の少年、ナガレである。

 

 

「事前に説得しましたが無意味でした。そちらも同じでは?」

 

「ああ、そうだったな」

 

 

 苦い顔でナガレは返した。

 精神世界での交差や戦闘を経て、大人しくなったと思っていたが、杏子がそれを発揮するのは自分だけらしいと彼は思った。

 他は以前と変わらず、延々と戦闘を続けて生きるしかない自分のような狂犬じみた存在であると説得を試みた際に再認識させられていた。

 

 

「で、あんな夜に俺らを探し回ってた理由はなんスかね。自警団長さんよ」

 

「ふむ。ではお伝えさせていただきましょう」

 

 

 拘束から外れたキリカが全身から触手を生やし、麻衣が血塗れの最中で笑いながら刃を振い、杏子が蛇竜を暴れ狂わせる地獄の光景を背にし、リナは彼の方へと向いた。

 リナもナガレも彼女らを嘲ってはいなかったが、説得に応じずに本能のまま遊戯とでもいうように殺し合う三人の魔法少女は客観的に見て愚か者共もいいところだろう。

 

 そして、彼女はこう言った。

 

 

「あなた方二人、私達のチームに入りませんか?」

 

 

 













佐倉さん、ウザーラがお気に入りの模様
また顔芸及び六歳児とは闇マリクの事になります
融合してるのはラーではなくオシリスに近いですが


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグ④ 異貌のものども

 朝の四時。ランニングや犬の散歩をするには早く、夜遊びをするには遅すぎる時間帯。

 日の出にも一時間以上の余裕があり、されど薄っすらと明るみを帯びた時間であった。

 その薄い灯りが満ちる世界を、一人の少年が歩いていた。

 

 

「んなに早くしなくても、大丈夫だってばさ。あたしのコト知ってる奴らは今頃順風満帆な人生送って、自分の家でぐっすり寝てら」

 

 

 その彼の背で少女の声がした。赤い長髪の少女が彼の背におぶさっていた。

 彼は杏子の膝裏に両手を添えて彼女を抱え、杏子は彼の背に身体の表側をべっとりと貼り付けている。

 

 

「別に。俺もさっさと寝てぇだけだよ」

 

「添い寝してやろうか?色んなトコ触らせてやるし、ぎゅうって抱き締めてやるからさぁ」

 

「その芸風もサマになってきたな」

 

「似合うかい?」

 

「で、話を戻すとよ」

 

 

 逃げたな、と杏子は思った。だが彼の言う事も尤もであり、今は対策を考えるべき時だった。

 そして話を戻すという言葉に彼女はピンときた。

 

 

「じゃ、あたしがやってやるよ」

 

 

 得意げに杏子は言う。

 そして彼の反応も待たずに、ナガレの肩から右手を離し、上に向けて立てた人差し指をくるくると廻しながらこう言った。

 

 

「まはーるたーまらふーらんぱ」

 

 

 舌足らずな言葉、そして不吉な呪文。

 彼が「おい」と声を掛けるよりも早く、その脳裏に映像が広がっていった。

 杏子が取り戻した、幻惑魔法を応用して回想である。

 楽しそうに笑う杏子の顔は、青痣が至る所に浮き、充血で腫れ上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾ける血飛沫、弾丸のように飛び散る砕けた歯。

 朱音麻衣の拳が佐倉杏子の顎を打ち抜き、反撃で放たれた杏子の脚が麻衣の脇腹を抉る。

 魔法少女の腕力同士の激突により、両者は全身がズタズタとなっていた。

 治癒しては殴り、治癒しては壊しを繰り返している。

 

 衣装の修復は無駄としたのか、両者は上半身がほぼ裸であった。衣装の切れ端が辛うじて裾や肩、腹に纏われている程度である。

 杏子のなだらかな胸を血滴が伝い、拘束を外れた麻衣の豊満な乳房が表面を濡らす血を飛び散らせながら揺れている。

 

 叫びながら争い合う二人の傍らでは、杏子が巨大槍をベースに構築させた異界の蛇竜の模倣体が横たわっていた。

 その巨体は複数に寸断され、鋼の光沢を放つ表面には無数の傷が浮いている。

 

 横倒しになった巨体の周囲の地面は融解し、焼け焦げ、深さも定かではない大穴が幾つも空いていた。

 蛇竜を操る真紅の魔法少女と、それに挑む黒と紫の二人の魔法少女達の死闘は異界を揺るがし互いの血肉を削り取る凄惨さに満ちていた。

 そしてそれは、蛇竜と杏子を引き離しても続いていた。

 

 

「遅い」

 

 

 拳と蹴りの交差の中で麻衣が呟く。

 先程の意趣返しのアッパーカットを麻衣は回避し、その間に杏子の懐に潜り込む。

 そして腰を深く落とし、右腕を手前に引いてから力強く放った。

 砲弾の如く一撃が減り込んだのは、杏子の下腹部。

 肉を隔てて、彼女の子宮がある場所だった。

 

 

「んぐぅぅっ!?」

 

 

 言いようのない不快感と激痛。

 しかし、麻衣は攻撃の手を緩めなかった。左手で杏子の細首を掴み、同じ場所へと何度も何度も殴打を重ねる。

 

 

「ぎゃっ、うぅっ、がっ、ぎひっ」

 

 

 苦痛の奇声を挙げながら、杏子は笑っていた。

 麻衣はそれを気味悪がり、殴打から蹴りへと攻撃方法を切り替えていた。手で触れるのが嫌になったらしい。

 麻衣の爪先が杏子の下腹部へと深々と突き刺さる。

 更に上のレベルとなった痛みの中で、杏子は笑っていた。

 

 痛みで可笑しくなったのでも、痛みに快感を見出している訳でもない。

 更には戦う事が楽しいからでもない。

 

 命を繋ぐ器官を殴られ、そこに哀しさを感じている自分に対して嗤っていた。

 

 作る行為に興味はあるが、子供はいらない。

 

 自分には親になる資格はないし、なれない。

 

 だから佐倉家は自分で終わり。おしまい。

 

 そう思っているのに、腹の中で砕かれていく子宮に喪失感と哀惜を感じる。

 それが可笑しくて笑っていた。

 

 更にもう一つは、嘲笑で。

 

 自分の中で最も不要な器官を、何を思ってか狂ったように責め立てる朱音麻衣を杏子は愚弄していた。

 

 ああ、こいつはなんてバカなんだ。

 

 

 だから嗤っていた。

 

 それが腹立たしく、麻衣は特に力を込めた蹴りを放った。

 

 

「バァカ」

 

 

 嘲りを告げながら、杏子は麻衣の回し蹴りに喰らい付いた。

 比喩ではなく、迫り来る右脚に顔を叩き付け、その牙を立てていた。

 麻衣が苦痛に呻いた瞬間、それは叫びに変わった。

 

 杏子の首の振り回しと両腕の腕力により麻衣の膝は逆に曲げられ、関節から一息で引き千切られた。

 靭帯が断裂する嫌な音と麻衣の悲痛な叫びが異界に木霊する。

 そして引き千切った右脚をゴミのように投げ捨て、杏子は倒れた麻衣の下腹部を思い切り踏み潰した。

 自分が遣られたことを、重ねられた痛みと喪失感の想いを纏めて返すための渾身の一撃だった。

 

 

 

「ぎぃぃぃいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああっ!!!」

 

 

 魂が砕けたような叫びを上げ、麻衣は吐しゃ物を撒き散らしながらのたうち回った。

 

 

「うぅぅううううううううああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 腹の中で砕けた袋。それに対する憎悪と絶望の感情を叫びに乗せて麻衣は跳んだ。

 杏子を背後から抱き締め、麻衣は杏子の首筋に喰らい付いた。

 折れた歯が杏子の柔肌を喰い破り、麻衣の口内に流れ込む。

 

 

「やれぇええええええ呉キリカああああああああああ!!」

 

 

 杏子の肉を噛み、血を飲みながら麻衣が不吉な名を呼んだ。

 

 

「あぁ、アカネ君も漸く友情の大切さを学んだか。これは大きな進歩だねぇ」

 

 

 飄々とした口調で、何処からともなく呉キリカは現れた。

 麻衣に拘束された杏子の前に立ち、朗らかに微笑んでいる。

 その笑顔のままに、キリカは右の拳を見舞った。

 肉が弾けて血が宙を舞い、砕けた歯が飛び散った。

 

 朱音麻衣の顔から。

 

 

「でも人を信用しすぎるのも良くないね。アカネ君の今後の課題だ」

 

 

 仰け反って吹き飛ぶ麻衣、拘束を外された杏子の前髪を、麻衣の顔面を打ち砕いたばかりのキリカの手が掴んだ。

 速度低下魔法が直で発動され、杏子の動きを奪っていた。

 

 

「んっと」

 

 

 気軽様子で、キリカは杏子の前髪を掴んだ右手を振り回した。

 直後に激突の音と衝撃。

 戦闘によって地面から抉れ、巨岩として転がっていた異界の構築物へとキリカは杏子の顔を叩き付けていた。

 

 

「はい、以下省略」

 

 

 引き剥がしてからの激突を十回以上繰り返し、キリカはそう言った。

 杏子の前髪は血で濡れそぼり、キリカの手は後頭部付近に移動していた。

 

 そしてキリカは自分の体重を杏子に向けて傾けながら、岩の表面に杏子の顔をゴリゴリと擦り付けた。

 当然ながら杏子と岩の間からは血が滴る。

 暴虐の痕跡を示すように、杏子の顔の皮や肉の破片が岩の表面に放射状に散っていた。

 

 

「あちゃあ、これは失敗。これじゃ目も潰せないし鼻も抉れない」

 

 

 引き剥がした杏子の顔を見てキリカは言った。

 赤一色の顔、眼は潰れて鼻も根元から削り落ちている。

 

 

「まぁいっか。壊せる場所は他にもたくさんあるからね♪」

 

 

 言い様、キリカは杏子の腹を殴った。柔らかい肉の中で臓物が弾けた。

 唇が喪失し、歯の殆どを喪った杏子は口の中から血の塊を吐き出した。

 

 キリカの残虐行為は更に続く。

 繰り返した殴打によって痛んだ皮を掴んで引き千切り、零れ落ちた内臓を引き摺り出して放り投げる。

 破れた小腸からは漏れた汚物による悪臭が立ち昇り、内臓が血の海に沈む。

 

 腹を破壊すると、キリカは杏子の胸へ手を伸ばした。

 緩い膨らみを、白手袋で覆われた繊手が触れ、そして一気に握り締める。

 肉どころか肋骨ごと纏めて握り潰され、キリカの手から真紅の液が滴り落ちた。

 絞り粕となった骨と肉を、赤い表面に穴が開いただけとなった杏子の口に押し込むと、キリカは杏子の胸を破壊し始めた。

 

 用いられたのは手では無かった。

 腕は杏子の肩を持っていた。

 

 

「んじゃ、いこうか」

 

 

 軽い外食にでも行くような気軽さでキリカは言う。

 そして口を開け、杏子の破壊された胸に顔を埋めた。

 血塗れになった顔が上げられた時には、彼女の口には血で濡れた肺が咥えられていた。

 

 次に胃袋が引き摺り出され、次は心臓が抉り出された。

 その心臓をキリカは噛み潰す。

 脈動を続けていた心臓が破裂し、広範囲に血を迸らせた。

 

 

「うええ、げっろまず。朱音麻衣の方がまだ新鮮さがあってのど越しが爽やかだったのに。吐き出したけど」

 

 

 ぺっぺと口内の心臓の破片を吐き出しながらキリカは言った。

 色々な意味で最悪の食レポだろう。

 

 

「やっぱ友人じゃないと美味しくないよ。にしても不味すぎ。これはクレーム案件だ」

 

 

 ほんとつまんね、と吐き捨て杏子を投げると、宙に浮かぶそれに回し蹴りを放った。

 細い胴体がくの字に曲がり、杏子は遠方まで蹴り飛ばされた。

 何度もバウンスし、内臓の欠片と砕けた骨と肉を撒き散らして漸く停止する。

 

 朱音麻衣は瀕死状態、杏子は放逐。

 キリカは一人になった。

 

 

「さてと、デイリーミッションであるメスガキ二匹の討伐も完了したし、友人を探すかな。疾く早く急く見つけて、めっちゃめちゃくちゃに殺し合ってたっぷりしっぽり愛し合わなきゃ」

 

 

 あー、もう想像しただけで子宮が疼いて後ろ足が跳ねちゃうよ♪

 顔を赤面させながら、身を悶えさせてキリカは語る。

 

 仕草だけを見れば恋する乙女である。彼女としてはそうなのだろう。

 恥じらいながら、これから繰り広げたい事柄を思い浮かべる。

 その中で彼女は気付いた。

 何かがおかしい。

 

 普段なら即座に思い浮かぶ光景が、脳裏に鮮明に浮かぶのが遅い。

 まるで思考の中、何かを差し込まれているみたいに。

 そして気付いた。

 即座にキリカは行動に映った。

 

 ぶつん、という音は彼女の口内で鳴った。舌を噛み切った音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど…ね。幻惑か」

 

 

 口から血を吐き出しながらキリカは言う。

 口の中には舌はあった。出血の原因は別だった。

 彼女を背後から刺し貫き、地面に縫い留めた真紅の十字槍がその原因だった。

 

 

「今更…気付いても遅ぇんだよ……バァカ」

 

 

 槍を握るのは言うまでも無く佐倉杏子。

 畑のように耕されている顔を、徐々に修復させながらそう言っていた。異界の蛇竜の模倣体の顕現とその攻撃は、彼女に多大な負荷をかけたらしい。

 また魔力消費の原因は他にもある。

 

 岩に激突させての顔面破壊が終わった直後に、彼女はキリカに幻惑を放っていた。

 自らの肉体を破壊させる妄想は、杏子にとっては簡単だった。

 自分の事が大嫌いであり、更にはその程度の暴虐など、自分が受けるべき罰の内に入っていないからだ。

 

 背中から胸を貫く槍を引き抜こうと柄に手を添えたキリカを白光が照らした。

 見れば、横たわっていた巨獣が口を開き、キリカと杏子の前に聳えている。

 牙を無数に生やした口内には、白い光球が生じていた。

 縦横三メートルほどの、巨大な光の球だった。

 

 

「プラズマ…ってとこ、かな。電磁雷撃系第五階位、電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)のパクリかな?」

 

「知るか、死ね」

 

 

 冷たく言い放った杏子の背に躍り掛かる影があった。

 影が重なった瞬間、杏子とキリカは苦鳴を上げた。

 

 

「私抜きで、愉しい事をするんじゃない」

 

 

 麻衣は刀で杏子を背後から貫き、更にキリカも串刺しにしていた。

 引き千切られた脚は傷口と重ねられ、火傷のように溶けた傷口を見せながらも繋がっていた。かなり強引に傷を塞いだらしい。

 

 

「ううむ、これじゃ私だけ不公平だな。お前ら二人から一方的に輪姦されてる気分だ」

 

 

 不公平の不満を漏らしたキリカの傷口から、赤い血肉が散った。

 その後に、細く赤黒い触手が溢れた。

 刃と槍で貫かれたキリカの傷口から、微細な斧が連なった赤黒い触手が生えていた。

 それも一本二本ではなく、数十本が溢れて蟲の様に蠢いた。

 

 

「じゃ、よがり狂って呉給え♪」

 

 

 口調は楽しそうに、表情には憎悪を宿してキリカは告げる。

 言葉より早く、数十本の触手が杏子と麻衣の全身に突き刺さった。

 触手は先端を体外に出さず、肉の側を這いずり回った。

 杏子と麻衣は同時に歯を食い縛った。悲鳴を上げないようにするために。

 

 その歯が内側から砕けた。体内を駆け巡り、胃袋を貫いて食道を切り刻みながら駆け上がった黒い触手によって。

 触手は眼窩や耳孔、鼻孔からも溢れた。無数の細い鰻、または黒い蛞蝓が少女の顔の穴という穴から溢れ出る。

 悪夢の光景だった。

 

 

「ぐぐぐぐぐあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 くぐもった悲鳴が切り刻まれていく口、というよりも顔全体から上がる。

 ずたずたになった頬は口と繋がり、顔に開いた巨大な口と化していた。

 

 触手は脳内にも溢れ、頭蓋の内側で暴れ回る。

 それでも二人は絶命に至らない。

 魔法少女にとって、脳など付属品でしかない事を二人は理解している。

 三人とも、全身を傷に覆わせた異様な姿となっていた。

 生き物とは思えない姿、その寸前である。

 それらが三つも折り重なった様子は、見たものの正気を破壊する狂気が秘められていた。

 物理的な破壊を受けた凄惨な顔と、狂気に浸った顔のままに殺し合う異貌の者どもがそこにいた。

 

 だがそれを、客観的な視線の一切を、この三人は全くとして考えていなかった。

 ただ手近な存在を葬る。

 それだけを、思考と本能で考えていた。

 

 身体と脳を刻まれながら、杏子が抱いたのは闘志と殺意だった。

 その思いを、異界の蛇竜の模倣体へと送る。

 ウザーラの模倣体はそれに応えた。

 口が縦に大きく開き、主もろともに二体の敵を屠らんとプラズマの火球を放った。

 

 

 プラズマが口から離れたその瞬間、それは起こった。

 上空から光の柱が降り注ぎ、傷付いた蛇竜の全身を覆った。

 

 光の中、蛇竜は一瞬にして蕩けて消えた。

 放ちかけていた光球も光に飲まれた。

 

 眩い光の直径は十メートルにも及んでいた。

 数秒が経過して光は細くなり、そして消えた。

 

 そこに硬い足音を立て、着地する一人の魔法少女がいた。

 軍人のような姿をした魔法少女は、風見野の自警団のトップたる人見リナである。

 手にしたバトンからは白光が迸り、彼女の周囲を電磁の光で覆っている。

 

 先の一撃は、彼女がバトンから放ったものだった。

 以前は魔法少女なら耐えられる程度の威力だった。

 だが今は、力を込めたとはいえ巨大質量を一瞬で消滅させる威力となっていた。

 

 雷撃を纏うリナは、冷ややかな視線で眼の前の物体を見つめていた。

 それは黒い花弁の蕾か、閉じられた黒い貝殻に見えた。

 黒い物体に立てに線が入り、横に開いた。そして力尽きたように消えていく。

 

 消え失せる黒の中にいたのは、黒髪の少年。

 全身から白煙を立ち昇らせる背後に、倒れ伏した三人の魔法少女がいた。

 キリカと杏子は高熱により傷口が焼かれ、身体が部分的に炭化していたが、一番背後にいた麻衣は語弊はあるが無傷であった。

 少なくともリナの光は麻衣を傷付けなかった。

 

 

「さて、先程の応えはいかに?」

 

 

 魔法少女の盾となり、死の光に身を晒したナガレへとリナは問うた。

 彼の全身から噴き上がる白煙は、消える気配を見せていない。

 身体の表面に目立った負傷は見受けられないが、その身体は内側が炭と化しかけているに違いない。

 

 

「……相棒と…相談する。だから、しばらく……待ってな」

 

 

 焦げ臭い息を吐きながらナガレは言った。

 高熱に焙られながらも、彼の眼は黒々とした普段の輝きを保っていた。

 しかし眼の中に渦巻くのは、怒りの意思。

 普段から魔法少女に酷い目に合わされながらも、なんだかんだで許容している彼ではあるが、今回は流石に怒っているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 
















プロローグからこれかよ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグ⑤ 蠢動

「唐突だけどさ」

 

「あん?」

 

「あんた、このアニメのキャラで誰が好き?」

 

「レヴィ」

 

「だと思ったよ。確か他にはクインシィとか、あとはお決まりの惣流とかの赤いカラーで気が強い女が好きなんだったね」

 

「ああいう連中は見てて飽きねぇからな。あと赤って色は最高だな」

 

「そういうトコだぞ」

 

「何が?」

 

「自分で考えな。無自覚シチュ野郎め」

 

 

 廃教会の中、言葉が交わされる。

 時刻は朝七半時。朝の支度はとうに終え、一日の始まりに向けて人々が動き出している時刻である。

 この社会不適合者なストリートチルドレンもどきな二人は、帰宅早々にテレビを付けてアニメ鑑賞に勤しんでいる。

 

 画面の中では黒のタンクトップに際どく切り込んだホットパンツを穿いた、赤みがかった茶褐色髪の美女が二丁拳銃を振り回しながら、実に愉しそうに殺戮に勤しんでいる。

 廃教会内は被害者の悲鳴や銃弾の音で満ちていた。

 

 架空の存在であるその女の外見に、現実の存在への似た部分を感じた。

 考えろとはそう言う事かと彼は思った。

 確かに、そろそろ現実に対応すべき時だった。

 

 

「それでなんだけどよぉ…そろそろ退いてくれねぇかな」

 

 

 彼はそう言った。彼の顔の前に、赤髪を生やした後頭部が見えた。普段のリボンは外されていたが、画面の半分くらいが赤髪で埋まっている。

 そして彼への被害はそれだけでは無かった。

 ノーブラの状態での黒タンクトップ、更には足の付け根近くまで切り込んだホットパンツ。

 画面内で邪悪に笑いながら小気味良く低俗な冗談を投げ続ける女と似た姿で、佐倉杏子はソファに腰掛けた彼の腹に尻を置いていた。

 

 色々と際どい位置だった。

 客観的に見れば、背面座位で励んでいるように見える。

 

 最初は疲れてるからという事で許容したが、座らせた瞬間に別に疲れてるから人の腹の上に座る理由は無いなと彼は気付いた。

 その頃にはもう遅く、杏子の小さな尻が置かれていた。

 それから約二時間。そろそろ限界だった。

 性欲ではなく、屈辱感が重なってきている。

 

 

「あー、身体痛ぇ。繁殖願望持ちの腐れ紫髪に殴り蹴られたあたしのコブクロが、マグマを注がれたみてぇに熱くて痛ぇ」

 

 

 先手を打って、杏子はそう言った。言いながら、下腹部に両手を添えて撫でている。

 男である彼は黙るしかなかった。

「手を出すなよ」と彼女から言われていたとはいえ、自分はあの行為を止めなかったという自責が多少なりとも彼にはあった。

 そしてこれは、そんな彼の思考を計算に入れての杏子の発言である。中々に小悪魔じみていた。

 

 

「ていか、なんでああなったんだろな。最初はファミレスにいたってのに」

 

「そりゃお前」

 

 

 思い出しつつ彼も言葉を重ねる。

 息をするたびに杏子の髪の匂いがした。

 あとでさり気なくネカフェ行くのを提案しとこと彼は思った。

 

 

「会話になんなかったからな。あの場の雰囲気は俺でも思い出したくねぇ」

 

「よく言うよ。ガツガツとパスタ食ってたくせに。ご丁寧にアサリとムール貝の貝殻まで全部食いやがって。しかも三杯くらいお代わりしてたよな」

 

「いやぁ。歯ごたえが楽しくて、つい」

 

「パスタの感想じゃねえよ、それ。まぁ、あの雰囲気は…うん、興味深くはあったな」

 

 

 そう言って二人は思い返す。

 深夜のイタリアンレストランなファミレス。

 並び合って座る佐倉杏子と朱音麻衣。この時点で最悪だった。

 

 麻衣は腕を組んで杏子を冷ややかに見つめ、杏子はそれを完全に無視して肉料理を喰い漁る。

 彼の貝殻喰いを指摘していたが、彼女も彼女で骨の類は全て食べ尽くしていた。

 

 ナガレの対面には人見リナがいた。リナはイタリアンな固めのプリンを食べながらドリンクバーを往復しつつ、持ち込んでいた新聞紙を読んでいる。

 定食屋ならともかく、ファミレスしかも深夜で女子中学生がそうしているのは中々奇妙過ぎる光景だった。

 何で呼ばれたんだろ、と思いながらナガレはパスタを食べていた。

 

 

「友人、これあげるよ」

 

 

 と、彼の隣に座った呉キリカが時々貝殻や鳥の骨を彼に差し出した。

 普通なら嫌がらせとしか思えないその行為を。「ああ、サンキュ」と言って彼は平然と受け取り噛み砕いて食べていた。

 こんな感じで一時間が過ぎた頃、

 

 

「本題に入りましょう」

 

 

 とリナは言った。その瞬間、杏子と麻衣は揃って店を出た。

 自分の食べたものの料金をテーブルの上に置いていたのが、妙に常識出来だった。

 が、店に出た瞬間に両者が行ったのは殴り合いだった。

 

 罵声を放ちながら相手の顔を殴り、髪を引っ張り駐車場内を転げまわる。

 駐車場でたむろしていた連中は、酒が入っていたこともありそれを煽った。

 しかし、胸倉を掴み合う二人に睨まれた瞬間、そいつらは悲鳴を上げた。

 

 新しい獲物を見つけた肉食獣のように口を開き、血と唾液を滴らせて嗤う顔をその二人はしていたからだ。

 急ぎ後を追って駐車場に行き、おなじみとなった異界へと追放して先の死闘となった訳である。

 思い返していて、ナガレは意味不明だと思った。

 最初からレストランでテイクアウトをしてから、異界に直で行った方が時間を無駄にしなかったのにという考えを彼はしていた。

 焦点がズレているという自覚は、恐らく彼には無いのだろう。

 

 

「それで、終わった後も殴り合ったんだよな。あの紫髪女、しつこいったらありゃしねえ。こっちはあいつの名前も知らねぇってのにさ」

 

 噛み合わせた歯を軋ませつつ、忌々しそうに杏子は言う。顔に着いた青痣はそう云う訳である。

 素の身体能力は不健康な生活を続ける杏子よりも日ごろから鍛えている麻衣の方が遥かに上であったが、杏子は異常な闘争心で麻衣に喰らい付いていった。

 素手の麻衣に対しコンクリブロックや鉄パイプまで使用し、杏子は襲い掛かっていた。

 

 流石にストップが入り、ある程度やり合ってから引き離された。

 因みにキリカは「眠いから帰る。ばいばい友人」と手を振って帰宅した。彼も手を振って別れを交わしていた。

 それを杏子と麻衣は睨んでたが、何故睨まれるのか彼には分からなかった。

 

 また彼が見た限りでは、武器を持っても麻衣の方が強かった。

 適当に切り上げたのは、素の状態の杏子が弱すぎて弱い者いじめになっていると麻衣が身を引いた為だった。

 それを杏子も自覚しており、杏子の口調は苦々しさで満ちていた。

 

 

「朱音麻衣だ」

 

「お仲がよろしい事で」

 

 

 そう憮然と言って杏子は背中を、というか尻を彼に押し付ける。

 勘弁してくれよと彼は思った。少女の尻の感触を振り払うように、彼は会話を続けることにした。

 

 

「あとなんだけどよ。俺らは試されたな」

 

「殺されかけたの間違いだろ」

 

 

 二人の認識は、リナが放った極大の雷撃に突いてで一致していた。

 ナガレは重傷、キリカと杏子もそれより幾らかは軽いが全身を焼かれた。

 それでいて、麻衣は無傷。

 

 範囲を精密に絞った、しかも彼が魔法少女全員を庇う事も計算に入れての魔法操作である事が伺えた。

 威力といい魔法の使い方といい、自警団のトップであるだけはあるという事である。

 そこで杏子に疑問が湧いた。

 

 

「にしてもあいつ、どこであんなに強くなりやがったんだろな」

 

 

 前回の遭遇の際、実際に彼女とやり合った為、余計に不思議なのである。

 

 

「なんかいい刺激でもあったんじゃねえのか?」

 

「あたしみてぇにかい?」

 

 

 笑いながら杏子は言った。皮肉であるが、確かに数日前の大暴れからの精神世界でのバトル以降、彼女の調子は上がっていた。

 

 

「お前らはほんと強いな。切っ掛けがあれば天井知らずに強くなりやがる」

 

「あんたにそう言われるとはね。ああ、そうそう」

 

 

 認められることが嬉しいらしく、杏子の表情が緩む。

 それが淫らな色を帯びた。

 自然に垂れていた彼の両手に、杏子の手が重ねられた。

 

 

「お褒めいただいたついでに、ちょっと魔法少女の役に立ちな」

 

 

 そう言って、杏子は自分の下腹部に彼の両手を乗せた。

 くびれを描いた腹の、へそより下の部分。

 女の器の少し手前の位置である。

 

 

「さっきも言ったけど、ここが痛くて熱くて堪らねぇ。悪いけどちょっと撫でてくれよ」

 

 

 彼は息を呑んだ。

 ここ最近、杏子の態度が、というか距離感が近すぎる。

 拒みたくて仕方ないが、相手は生きた時限爆弾に近い性質を持つ存在で、更に少し前に性への関心を肯定したばかりだった。

 つまり、逃げ場はないのである。

 何時もの事だなと、彼は思考を切り替えて従った。

 

 

「ひぅっ!?」

 

 

 肉と皮を隔てて、命を育む袋の上を軽く撫でた瞬間、杏子の身体が跳ねた。

 背中が反って長い髪が揺れ、尻が更に腹に押し付けられる。

 さっさと済ませようと、丁寧な手つきで彼は動きを速めた。

 

 

「ひきゃ!あくぅ!ひぎ!くぁ!くふっ!」

 

 

 熱と甘さを交えた声が続き、杏子の身体が蠢動する。

 一週間前の彼女の様子からは想像も出来ない変化であった。

 性的な快感に震える少女の、その快感の片棒を担がされている事について、ナガレは精神的な虚無を感じていた。

 

 虚無の中、一つの考えが思い浮かんだ。

 心なしか腹に触れる布地が湿り気を帯びてきた気がしていた。

 流石に現状が辛くなってきたので、この昂りを鎮めてやろうと彼は思った。

 

 

「あー…悪いんだけどよ」

 

 

 止めようとは思いつつ、手の撫で廻しは止めてはいない。

 律儀な男である。

 

 

「見たから分かっと思うけど、本当の俺はこんな可愛らしいガキじゃなくて」

 

「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 

 

 萎えさせよう、そう思っての言葉の最中に杏子は叫び、そして身体をしならせた。

 細い腰はガクガクと震え、体の動きと共に汗が跳ねた。

 萎えるどころか、彼女は快楽の頂点へと達していた。

 

 荒い息を吐き続ける杏子。

 何かに察しがついたナガレ。

 その表情は、どんな顔をしていいか迷っているように思えた。

 

 

「…ああ。だから、今の、お前で、我慢、してんだよ」

 

 

 息の合間に途切れ途切れになりながら、後ろを軽く振り返り杏子はサディスティックに笑いつつそう言った。

 

 

「なぁ…竜馬」

 

 

 彼の外見ではなく、中身を見透かすように杏子は告げる。

 以前、波風立ってるのは悪くないと言った覚えはあるが、これは含んでいいのかね、と彼は思った。

 妙に冷静に見えるのは、キリカに鍛えさせられたせいだろう。

 

 













ひぇっ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグ-終- 静穏

 柔らかな音楽。優しげな光量の照明。

 異国の雰囲気を思わせる内装。カチカチと食器と器が触れあう音に談笑の声が重なる。

 

 時折若者たちの騒ぐ声が聞こえたが、気にする者は特にない。

 治安が良いとは言えない土地柄故に他人に無関心な傾向が強く、深夜のファミレスで騒ぐ声程度では興味さえ持たれないのであった。

 

 それが突如として怒声に変わり、やがては罵声と怒鳴り声へと変貌する。

 漸く客の何人かが眼を細めて不快感を露わにした。

 

 少し前までは大声ながらにも談笑していた若い男二人は互いの胸倉を掴み、互いを罵り合っている。

 仲間と思しき同年代の連中も、止めるではなく囃し立てている。

 

 そして遂に男の一人が相手の頬を拳で殴った。

 被害者は即座に沸騰し加害者を殴り、自らも加害者となる。

 大の大人二人が大した理由も無く、人目もはばからず争い続ける。

 

 よくある事ではないが、風見野では珍しくも無い光景だった。

 店員は止めるでもなく静観し、警察を呼ぼうかどうかを店長と相談している。

 

 客たちも席を移動するなどして対処する。

 普段ならそれでよかった。

 ただ今日は、すこし勝手が違っていた。

 

 争う二人に向け、何かが高速で飛来した。それは両者の額を正確に打ち抜き、即座に昏倒させた。

 原因が複数枚を重ねられて丸められた紙ナプキンであったと、認めたものは誰もいない。

 

 

 それを投擲した者達を除いては。

 

 

 

「さぁて、どうすっかなぁ」

 

 

 丸めたナプキンを弾いた指先を戻し、ストローでコーラを啜りつつ佐倉杏子は言った。

 

 

「この前の話か?チームに入るかってやつ」

 

 

 カルボナーラのパスタを食べながらナガレも応じる。紙ナプキンを投げた左手は味にアクセントを付けたいのか、卓上のタバスコの瓶を握っていた。

 

 

「ん、いや。それじゃなくて将来のコトさ。ていうかそんな話もあったね」

 

 

 今の今まで忘れてたよと引継ぎ、杏子はペペロンチーノに刺したフォークをくるくると廻した。

 大盛のパスタが拳大に纏められ、彼女はそれをがぶりと噛んだ。

 団子状にされたそれに半円が刻まれ、続く二口目で完全に消えた。

 

 

「あたしももう16だしなぁってさ。つっても、今更学校行くって感じでもねぇし、かといってやりたい事もねぇし。あたしに出来る仕事が何かも分からねぇ」

 

 

 左手で頬杖をつき、右手でフォークを操りチキンソテーを刺して口に運ぶ。

 

 

「前に言った感じに場末の酒場の歌姫か風俗嬢にでもなって、このカラダ売って日銭を稼ぐしかねぇのかなぁ」

 

 

 そこで杏子の眼がにやりと笑みの形を刻む。

 弄ぶような視線で、対面に座るナガレを見る。彼もまた食事をしていた。

 エスカルゴを丸ごと殻ごと噛み砕きながら、ナガレは杏子を見ている。

 

 

「子供に欲情しないってのはご立派な倫理観だけどさぁ。うかうかしてっと、何処の誰かも知らねぇ男に犯されて中古になったあたしを抱く羽目になっちまうよ?」

 

 

 言葉を投げつつ、杏子はその様子を幻視する。思わず吐き気を覚えた。

 口いっぱいに男のものを咥え、丹念に舐め廻す自分の様子を思い浮かべたのだった。

 そしてその後はそれを……。

 

 自分の指以外を受け入れた事のないその場所も、ズキンと疼いた。そんな気がした。

 

 

「じゃあ探そうぜ、やりたい事」

 

 

 彼はそう返した。

 

 

『話聞いてたのかい?やりたい事は無ぇって言ったじゃねえか』

 

 

 そう返そうと彼女は思った。しかし杏子の唇は、別の言葉を紡いでいた。

 

 

「手伝ってくれるのかい?」

 

 

 言った直後に彼女は驚いていた。

 人間的な願望や未来を閉ざした生活をしている自分が、建設的な意見を言えたことに。

 

 

「俺はお前の相棒で、ついでに俺を友達って認めてくれてるんなら、邪魔じゃなけりゃ手助けとかさせてくれよ」

 

 

 彼の応答。

 残り二個となったエスカルゴの内の一つを噛み砕く音が静かに響く。

 それに間を併せるように、杏子も残りの一個を手に取りそのまま口内に投げ込む。

 

 八重歯が殻を砕き、桃色の舌が器用に動いて陸貝の肉を捉えて歯で噛み潰す。

 残った殻もついでに奥歯で噛み砕く。

 ボリボリという音の交響が重なる。そしてほぼ同時に二つの喉が鳴った。餌食が嚥下された音だった。

 

 ナガレと杏子は真顔になっていた。

 どんな顔にしたらいいか、互いに分からないからである。

 

 ナガレが先に動いた。首を右に傾ける。本人もよく分からないままにそうしているのだろう。

 今の自分のツラを考えろよ、と杏子は思った。可愛すぎるのである。

 だがそれで、緊張感は解れた。というよりも消え失せた。

 

 

「喰うかい?」

 

 

 そう言って、杏子はフォークを彼に向けて突き出した。

 肉汁とソースが滴る牛ステーキが、ナガレの前に差し出されている。

 彼は困惑した。一秒ほど。

 

 

「齧ればいいのか?」

 

「ガブっといきな」

 

「んじゃ遠慮なく」

 

 

 言いつつも、何やってるんだろうなという思考が過る。

 垂れ下がった肉に喰らい付く様は、まるで餌付けされた犬だった。

 彼が齧ってから、彼女も肉に歯を立てた。

 

 一枚の肉を、少年と少女が噛んでその間の懸け橋として繋いでいる。

 距離が狭まった為に、互いに前傾姿勢になる。

 まるで二頭の犬が一つの獲物を奪い合っている様子であった。

 

 肉を齧る二人が、口を歪める。この二人は、犬は犬でも狂犬だった。そう思わせる笑顔だった。

 または狼か。或いは、竜か。

 

 両者は同時に口に力を込めて自らの方へと、獲物を引き寄せた。

 相手を自らの内に引き摺り込むかのように。または相手を喰らうが如く。

 

 肉に亀裂が入って弾けた。それは当然の結果だった。

 肉はちょうど半分の位置で裂けた。飛び散ったソースと肉汁の飛沫は少なかった。

 

 少しばかり顔を汚しながら、二人はそれぞれの肉を喰った。

 獣のように肉を喰い千切り、人の歯使いで咀嚼し呑み込む。

 食べ終わるとテーブルを拭いた。律儀な連中である。

 

 

「ありがとな。美味かった」

 

「出る時にアンケートにそう書いといてやれよ。にしてもまぁ、あたしらも大分変わったな。先週だったら、席は別々で口を聞くのも嫌だったってのに」

 

「随分と懐かしい気がするな」

 

 

 ナガレは苦笑する。ここ最近の距離の詰め方は急だが、如何せんここ最近は色々とありすぎた。

 

 

「前にも言ったけどさ、よくあたしを嫌いにならねぇな。あんた」

 

「ムカっと来たことはあっけど、嫌いだった事はねぇな」

 

「唐突にデレるなよ。まだあたしを狂わせ足りねぇのか?」

 

 

 眼を細めて杏子は告げる。そういう路線の話がしたいのかと彼は察した。

 たまには乗って遣るかとナガレは思った。

 

 

「お前が敏感過ぎんだよ」

 

「悪かったね。親以外の男に腹を撫でさせるなんて初めてで、こちとら暴走しちまったのさ」

 

 

 言いつつパーカーとホットパンツの間の開いた部分、剥き出しになった腹を杏子は撫でた。

 半日前に受けた手触りの感触がまだ残っていた。それは杏子の手の触れ方に反応し、軽い電流のような刺激を彼女の子宮に与えた。

 

 

「覚えてるだけで15回はイッちまった。責任とれよな」

 

「責任?」

 

「あんたといると、替えの下着が幾つあっても足りねぇんだよ。だから明日下着とか服とか買いに行くから付いてきな。拒否権はねぇぞ」

 

 

 普通に買い物行くって言えば良いんじゃねえのかなと思いながら彼は聞いた。

 下着云々についてはあまり疑問には思わない。

 以前自発的に買いに行ったからである。

 

 

「じゃあ、見滝原にでも行くのか?」

 

 

 了解の意を暗に含めての返しであった。

 となるとキリカとの遭遇戦、からの随伴になりそうだなと彼は思った。

 

 

「いや、地元に金を落とすさ。あと見滝原はあんまり行きたくねぇんだ」

 

 

 真紅の魔法少女の脳裏に、ふと眩い光が掠めた。

 誇り高い黄金の輝きだった。

 それを振り払うのではなく、想いが過ぎ去ってから杏子は再び口を開いた。

 

 

「なんか、見下されてる気がしてね。こっちは寂れてきてるってのに、あっちは栄える一方でさ」

 

「あー、それ分かるかもな。なんつうかお上品っていうかな」

 

「だろ?こちとら隣の街だってのに妙に不景気で陰気臭くて、路地裏で避妊もしねぇで盛ってるアホどもやゲーセンにいつも溜まってる不良ども、弱い奴を食い物にしてるクズやヤクの売人は掃いて捨てるほどいるってのにさぁ」

 

 そう言って杏子はちらりと店内を見る。

 先の投擲で倒れた二人はまだそのままだった。倒れた仲間を床に放置して、残った連中は雑談に花を咲かせている。

 話の内容が漏れ聞こえ、「クスリ」「援交」「堕胎」「神浜」と聞こえてきた。

 

 

「ラブホと風俗店は妙に多くて…まぁそれはいいとしてさ、治安も悪いよな。新聞開けば風見野で起きた強盗や殺人、放火と強姦に窃盗やらのオンパレードがズラリさ。そりゃ親父も毎朝泣く訳だな。まったくロクでもねぇこった」

 

 

 言ってて辟易としつつ、杏子は言い切った。

 そういえばこんな事を口に出してい言うのは初めてだったかもしれない。

 吐き出したせいか、ほんの少しばかりの爽快感があった。

 

 

「でもま、生まれ育った場所だからかな。離れる気があんましねぇのさ」

 

 

 自分はこの街に奪われてばかりだった。

 街の環境は家庭の破滅の一因でもあることは、全てを自分の所為と背負う彼女であっても理解はしていた。

 

 だからこそ、この場所から離れられない。

 

 現在の象徴である廃教会から、杏子は離れられなかった。

 

 常に心を苛む後悔が、離れることで薄れてしまうように感じられるが故に。

 

 

「故郷ってな、厄介だな」

 

 

 彼は言った。

 過去の事には触れずに、言葉の中にその意味を乗せずに。

 ただ事実としての言葉を告げた。

 

 

「全くだね」

 

 

 杏子も呼応し薄く笑った。

 実に厄介で、嫌な渡世だと再認識させられる。

 そうでなくてはと彼女は思った。

 

 背負うものは軽かったら意味が無い。

 苦しみに満ちた生こそ自分に似合う。

 

 それしか出来ない。

 そうしなければ、生きられない。

 

 

「ところで、よぉ」

 

「ん…」

 

 

 彼が尋ねた。今度は杏子が首を傾げた。

 その様子にナガレは、何故この女に彼氏がいないのかが不思議で仕方なかった。

 俺も同年代だったらなという思いが過る。

 

 

「それ、汚れちまってるな」

 

「ああ、これか」

 

 

 真紅の視線が下方に落ちる。そこにあったのは、左手に嵌った真紅の宝玉が嵌った指輪。

 先程の食餌の際に飛び散った汁が、僅かではあるが付着していた。

 

 

「じゃ、頼むわ」

 

「おい」

 

 

 言い様、指輪を外して彼に放った。

 唐突な行動に、若干慌てながらも彼はそれを受け取った。

 

 指輪に変形したソウルジェム。

 彼女の魂であり、肉の器を動かす本体を。

 

 

「んな慌てなくて大丈夫だって。ソウルジェムの頑丈さは、あんたも知っての通りだろ」

 

「そういう問題かよ」

 

「そういう問題程度で良いんだよ。にしてもまさか、こいつが武器としても使えるとはね」

 

「んなぁ…武器っつうか、弾丸っていうか…」

 

「どっちでもいいさ。じゃ、拭いとくれ」

 

 

 あいよ、と言って彼は指輪を新品のハンカチで丁寧に拭いた。

 ハンカチは魔女に命じて出現させたものだった。そこでふと、異変に気付いた。

 

 

「なぁ」

 

「なんだい。あたしの魂を舐めてぇのか?二舐めくらいなら別に」

 

「これ、色変わってねぇか?前はこの輪っか、銀色だったろ」

 

 

 杏子の言葉を無視し、拭き終わった指輪を軽く掴んで杏子に見せる。

 黒いリングの上に、真紅の宝玉が乗せられている。

 ふーん、と杏子は言った。関心はあまり無さそうだった。

 

 

「パワーアップでもしたのかな。色々あったしねぇ」

 

 

 サンキュと言って、杏子は彼が掲げた宝石に左手の中指を通した。

 

 

「なぁ」

 

「なんだよ、杏子」

 

「今のコレ、中々エモい遣り取りだねぇ」

 

 

 歯を見せて笑い、彼女はそう言った。

 相変わらずの女豹の表情だが、どこか恥ずかしそうでもある。

 

 虚を突かれたのか、彼も言葉を詰まらせた。

 うぐっとでも言いそうな、例えるなら魔法少女化した杏子による腹パンの直撃を受けたような表情となっていた。

 それが可笑しくて、杏子は噴き出して笑った。

 

 

「お前は強ぇな、色々と」

 

 

 笑い続ける彼女に、彼はそう告げる。

 

 

「俺なんざ、暴れるコトしか出来ねぇってのによ」

 

「そうでもないさ」

 

 

 笑いを止め、杏子は遮るように言った。

 口調には刃の鋭さが、そして炎のような熱が宿っていた。

 

 

「あたしの役に立ってる」

 

 

 はっきりとそう言い切った。

 反論を赦さない口調であった。

 

 

「そうかい。なら良かった」

 

 

 彼も笑い、グラスを手に取った。

 グラスの中では、ドリンクバーで注いだコーラが波打っていた。

 それがやや激しいのは照れ隠しで動揺してんだろうなと杏子は読んだ。

 そして彼女もまた自分のグラスを持った。中身はオレンジジュースである。

 

 グラスを持ったまま、互いに視線を交わす。

 意図は一瞬で伝わった。

 

 手を伸ばして、互いのグラスを軽く小突く。

 小さな波が飲料水の表面で揺れる。

 そしてそれを、二人は一気に飲み干した。

 

 

 呆れるような死闘の果てに、一時の静穏が訪れていた。

 長くは持たない間であったとしても、今ここには確かな平和があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常

第二部プロローグ-終- 静穏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イヤ オワリデハナイ ソウ ワカッテイルハズダ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















あっ()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグZERO『990000000099』

魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常

 

 

 

 

第二部プロローグ-終- 静穏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イヤ オワリデハナイ ソウ ワカッテイルハズダ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 複数の文字が虚空に浮かぶ。

 虚空を彩るは漆黒の闇。

 闇の彼方には、闇に紛れて無数の光点が見えた。

 広大なる宇宙空間に、それらの文字が浮かんでいた。

 

 

「フム…懐かしい」

 

 

 並ぶ文字の前に、一人の女がいた。地面も無いと云うのに、両の足を付けて立っている。

 燃えるような赤い髪が、くびれた腰まで滝のように垂れ下がる。

 黒い長袖に青のジーンズに動き易そうな運動靴を着こなすは、二十代半ばと思しき美女だった。

 大人びた雰囲気に逆らうように、長髪を頭頂あたりで束ねた黒いリボンが可愛さを演出している。

 

 普通ならばさぞ魅力的であろうが、この存在を取り巻く様子は異常に満ちていた。

 生命体が生存できかねない環境で平然と存在し、また纏った雰囲気は異質そのものであった。

 

 存在しているようで、そこにいない。

 虚無のようで、確たる存在としてそこにいる。

 とでもいうような。

 

 

「あのやり取り、彼によるちゃぶ台返しは九億回くらいに及んだのだったな。いや、数にするのは無粋か」

 

 

 女の姿をした者は淡々と語る。

 

 

「まぁ私の事は良い。こちらが重要だ」

 

 

 女は右手を掲げる。開いた五指の中に光が灯る。

 光が拡大し、形を形成する。

 

 

「上手く動いている」

 

 

 それは、回転する盤を乗せたレコードプレイヤー。

 金色に輝く喇叭に木目の台の上には黒い盤が乗せられ、回転を続けている。

 音も立てず、振動さえもないがそれは確かに動いていた。

 

 

「そうだ。終わりではない。終わらせてはいけない」

 

 

 

「物語は始まってすらいない。これから始まるのだ」

 

 

 

「今まで幾度となく、このレコードは停止した」

 

 

「その原因を私達は探り続けた。そして今回ようやく、一つが分かった」

 

 

「佐倉杏子だ」

 

「貴女から聞いた話では、彼女は物語と呼ぶべきものに関わる存在だ」

 

「それに至るまでの間に、この世界では彼女は死亡している」

 

「優木沙々による襲撃、それによる敗北」

 

「呉キリカによる殺害」

 

「朱音麻衣との遭遇戦による死亡」

 

「魔女との戦闘による敗北、および捕食」

 

「その他多数」

 

「またそれらの前提として、インキュベーターどもによる観測実験が確定している」

 

「面白くはないが、あの虫共の勉強熱心なところは感心する」

 

 

「そして彼女の死、ないしは魔女化が世界が止まる原因だ」

 

 

「滅ぶでも消えるでもない。ただ停止する」

 

 

「因果も紡げず、先の予測も不能。されど巻き戻すことは出来る」

 

「嘗ての私が繰り返したように」

 

 

 淡々と語り続ける。しかしながら、僅かに感情が籠っていた。

 それは懐古のものだった。

 

「経験が役立つ事を昔取った杵柄と云ったか。確かに調理師免許とカウンセリング資格も取っておいてよかった。実際役に立っている」

 

「まぁ、とにかく」

 

「佐倉杏子。彼女の死後、というよりも存在の消滅。物語からの退場の後に、多少の時間の変化はあれどこの世界は止まる」

 

「しかし世界は廻っている。それを示すように彼女も生きている。そして」

 

 

 そこで女は言い淀む。苛ついたような表情が薄く浮かぶ。

 

 

「奴め。そこにいたとはな」

 

「先に行くとは言ったが、予想外に過ぎる」

 

「奴が出現したのも初めてだ」

 

「あの外見になっているのは不明だが、奴の肉体が変化したものではないな」

 

「今回の廻転による佐倉杏子の生存は彼女自身の尽力と、認めたくないが奴の存在が多少なりとも絡んでいる」

 

「奴は因果を紡ぐのではない」

 

「奴は因果を切り裂き袋小路を破壊し、物語を進めているのだ」

 

「この私をして首を傾げる行動が多過ぎる」

 

「少しは兜甲児とZを…無理か」

 

「しかし今は奴に少しばかり託す、のではないな。彼女を信じる事が大事だ」

 

「奴は……貴様は所詮、添え物に過ぎない」

 

「それは私もであるのだが」

 

「貴様は世界の中で彷徨いながら、彼女の、いや、魔法少女の役に立て」

 

 

 そう言って女は手を振った。回転し続けるレコードプレーヤーは光へと変わり、極微な光点へと変わった。

 光は虚空を舞い、女の背後へと消えた。

 女は伸ばしていた手を戻そうとした。

 その動きが止まった。

 

 真紅の眼は、右の繊手の先を見ていた。

 眼の内側、虹彩には渦が巻かれていた。

 凝視の最中、渦の間隔が狭まる。

 それは次々と重なる。

 まるで顕微鏡の倍率が上がるかのように。

 

「……なんと」

 

 

 美しい人形のような無表情に近い、または達観した仙人のような貌に変化が浮かぶ。

 

 

「確かに、彼女の様子を見に行ったのは不安定な場所であり、私も少しは無理をした」

 

「そして私は彼女の魂に触れた」

 

「その時に」

 

 

 唇が歪み、吊り上がっていく。

 

 

「齧ったか」

 

 

 その者の発した声は感嘆であった。

 

「それを基点に私の干渉は出来ず、最早私とは切り離されているが」

 

「それが少しは役に立てるとしたら嬉しいものだ」

 

 海流のように、いや、万物を飲み込むブラックホールのように渦巻く瞳のが見つめる人差し指には、何も無い。

 されど、その眼には見えていた。

 

 極微中の極微。それを表現するには新たな単位と概念を要するほどの、限りなく零に近い量の質量の喪失があった。

 それをこの存在を「齧った」と評した。

 それをこの存在は、嬉しそうに語っていた。

 

 

990000000099

 

 

 女は数を呟いた。

 九千九百億九十九

 

 

「彼女はそれだけ死んで、世界はその回数停止した」

 

 

「今回が990000000100回目。そして恐らく、次はない」

 

 

「廻り続けるのみだ」

 

 

「或いは虚無へと消えるか」

 

 

「どちらにせよ、私は見守るのみ」

 

 

「私も奴同様、脇役として自ら出来ることをやるのみだ」

 

 

「それにしても」

 

 

 

 言葉が重ねられていく。

 その度に女の姿が消えていく。

 消えて光になり、輪郭が消えて拡散する。

 

 そして広がった光は、新しい形となった。

 

 

アア

 

魔法少女ハ

 

素晴ラシイ

 

 

 光の文字が、闇の中に浮かぶ。

 

 闇の果てに、無数の蠢く影が見えた。

 それらは人間の抱く美という思いからかけ離れた狂気じみた造形の機械であり、全身から牙を生やした粘塊であり、崩壊と再生を繰り返す病原菌のような姿をしていた。

 それらは宇宙の中の一点を目指していた。

 

 闇の中に、卵状の球体が浮かんでいる。その中には、桃色に輝く美しい姿があった。

 輝く羽根を折り畳み、眠りの世界で微睡む女神がそこにいた。

 

 そこを目指し、異形の群れが進む。

 その衝動を促すものは、美しいものを穢したいという欲望。

 新たな世界を侵略し、更なる上位へと身を高めたいという願望。

 増殖の為の苗床としたいという、本能。

 求めるものは違っていれど、全て対話が不可能な侵略行為であった。

 

 

ソレを理解セヌトハ

 

 

憐レ

 

 

 

 光の文字が、嘆いたようにそう浮かぶ。

 そして光が言葉の主を照らす。

 

 その瞬間、宇宙に絶望と恐怖が満ちた。

 本来であればここに存在していないもの。

 無限に存在する宇宙を無限の回数ほど滅ぼし、そしてそれらを上回る数の宇宙を開闢せし神。

 終焉にして原初の魔神。

 

 

 マジンガーZERO

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダガ モウ 貴様ラハ絶望モ 恐怖スル必要モナイ

 

 

 

 

 

 

円環ニ 弓引ク 侵略者ドモよ
 

 

 

 

 

 

 

ZEROニ 還ルガイイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 その顕現に無数の異形は悲鳴を上げる。

 しかしそれは音にもならず、一切の怨嗟を生まなかった。

 魔神の眼がごく一瞬だけ輝いた。

 その光が宇宙を迸り、光の文字の通りに全てを0へと還した。

 

 宇宙には、円環と魔神だけがいるように見えた。

 

 魔神の頭部に頂かれた球の中で身を丸める女神の傍らで、レコードは世界を静かに紡いでいた。

 

 












目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部プロローグEX ダークネス・ファンタズマ

 とくん

 

 とくん

 

 とくん

 

 

 

 

 自らの内で鳴る音を、少女は数えていた。

 上下左右全てに、鏡が広がる異様な世界。

 昏い空間の周囲に満ちるのは無数の虚影。

 

 紅の髪を垂らし、体育座りをしているのは真紅のドレスを纏った少女であった。

 至る所が断線した黒いストッキングで覆われた膝に隠れているが、美しい顔の右半分は無残に焼け爛れ、桜色に蕩けた肌を晒している。

 

 鏡の世界を時折掠める風が身体を伝って肌に触れ、剥き出しに近い状態の肌の鋭敏な感覚を刺激した。

 痛みは少なく、くすぐったい。

 常に熱を持つ皮膚にとって、それは心地よかった。

 僅かながら、性的な快感も伴っていた。

 

 疼き始めた雌の器官を、彼女は弄びたかった。

 佐倉杏子の複製としての生を受けてから約一週間。

 自分の性欲の強さはオリジナル由来なのかなと、複製の杏子は考えていた。

 だがそれ以上に、既に水気を孕んだそこを指で愛撫したかった。

 

 しかし、今は。

 

 

 とくん

 

 

 鼓動が鳴った。

 数え始めてから十万回目。

 

 彼女は顔を上げた。

 向き合う鏡の先に、気配を感じた。

 こちらに近付く足音も聞こえた。

 

 コピーはゆっくりと立ち上がった。

 そして恥じらうように、無惨に爛れた右半分を彼女は長い髪で隠した。

 オリジナルと異なり、彼女の髪は束ねられずに下げられていた。

 

 

「綺麗だよ」

 

 

 声が聞こえた。

 少女に似た、それでいて男のものと分かる力強さを宿した声。

 自らが発した言葉が、本心からのものであると示す意志の強さに満ちていた。

 

 

「隠さなくたっていいよ。でも肌が風に触れて辛いなら」

 

 

 彼が言い終える前に、コピーは髪を払った。

 鏡の世界に、赤い流れがざっと広がる。それを鏡は無数に反射し。世界は一瞬、紅に染まった。

 それを、鏡の中の少年はじっと見つめた。

 

 

「…綺麗だ……本当によ」

 

 

 彼は再びそう言った。

 感嘆の熱い吐息までもが、鏡を隔てて感じられた様な気がした。

 

 赤と黒の二重螺旋を描いた異形の瞳、靡く炎のようなトゲトゲとした髪型は黒が主体の紅交じり。

 身長160センチほどのコピーよりも十センチは低い身長。

 青いジャケットに赤いシャツ。空手の黒帯をベルト代わりにした白のカーゴパンツ。

 そして両肩から指先までを彩る鋼の光沢、鋼鉄の義手。

 彼に似ているが、彼ではない。

 

 

「    」

 

 

 切り刻まれた喉ゆえに声なき声で、コピーは彼の名前を呼んだ。

 上下した唇は「了(リョウ)」と言っていた。

 

 

「ああ。今日も待たせちまったな……サクラさん」

 

 

 彼はそう告げた。その名前に、彼女はぴたりと動きを止めた。

 その様子に、了はすまなそうな表情を浮かべた。

 

 

「悪いな…俺、頭悪ぃからよ…安直でさ」

 

 

 力を失くしたように、されど彼女から目を離さずに彼は言葉を紡ぐ。

 

 

「なんか、さ。君って、桜の花弁って感じがするんだよ。前にも話したけど、今は花なんてあんまり見れないけどさ」

 

 

 コピーは黙って彼の話を聞いている。

 眼に溜まり始めた涙に、彼はまだ気付かない。

 

 

「でも、そんな感じで君はすっごくキレイなんだ。だから…似合うと思って」

 

 

 言葉を紡ぎながら、彼は自分の無学を呪っていた。

 なんでもう少し気の利いた言葉を使えないのか、そして知恵が廻らないのかと。

 

 

「次逢う時までに名前を考えておく、ってさ。バカな俺には、難しすぎたのかな」

 

 

 彼の言葉に、コピーは、サクラは首を左右に激しく振った。

 彼の言葉の否定であり、彼から貰った名前の肯定だった。

 涙腺に溜まった涙が、彼女の動きによって吹き飛ばされた。

 鏡の中、彼女の涙が無限に映る。

 

 

「…いいのかい?本当に?」

 

 

「         」

 

 

 うん、ありがとう。

 彼女の言葉を、心を彼はそう受け取った。

 両者の間に、言葉は必ずしも必要では無いようだった。

 

 

「そっか。こっちこそ、ありがとう…サクラさん」

 

 

 彼は再び名を告げる。

 彼女は彼に歩み寄り、触れようとした。

 しかし指先が捉えたのは、鏡の冷たい感触。

  

 見た限りでは、鏡の境目は厚さにして1ミリメートル有るか無いか。

 しかしそれでいて、別の世界同士のように二人は隔絶されていた。

 

 

「じゃ、話の続きをしようか」

 

 

 彼はそう声を掛けた。

 彼女を悲しませたくなく、そして彼自身もこの隔たりがあることを認めたく無かったのである。

 彼女は喜んで頷いた。

 

 

 そして彼は話し始めた。

 滔々と、今までの事を。

 それは自らを無知と認めた彼の、稚拙な言葉遣いと彼なりの配慮が交えられた話でありながら、思わず血臭を覚えるほどの凄惨な物語だった。

 

 人が生きながらに喰われ、女子供は陵辱の限りを尽くされ、徹底的に嬲られて弄ばれながら惨殺される。

 異形の力を得たものが跋扈し、人類を玩具として扱う世界。

 彼がいた世界の話を、コピーは残さず聞いていた。

 

 そして彼は、その異形達と戦う者であった。

 奪われたものを奪い返す。

 その為に凄惨な戦いの日々に身を置き、そして-------。

 

 

「……って、ところかな。その後記憶が飛んじまってさ……気付いたらここにいたんだ」

 

 

 やがて彼は話しを終えた。

 長い長い話だった。

 言い終えた彼には、疲労よりも何よりも、色濃い哀切さが伺えた。

 彼としてはそれを隠そうとしていたのだろう。

 だが幼い顔に浮かぶ笑顔と、彼の語った物語は否応なく悲劇の歴史を彼の顔に刻んでいた。

 

 

「              」

 

「…そうだな。俺も、君に逢えてすっごく嬉しいよ」

 

「              」

 

「さぁな…俺も出来るならずっとここに、君の傍にいたい」

 

 

 ごく自然に、二人は言葉を交わしていた。

 互いの赤を含んだ目を見ていると、それだけで意図は伝わる。

 出逢ってからの日は浅いが、共に過ごした時間は長い。

 

 互いの身を寄せ合うように、二人は鏡に互いの額を重ねて両手も同じく鏡越しに重ねていた。

 冷たい質感の奥に、確かに愛おしいものがいる。

 二人はそう感じていた。

 

 しかしながら、何事にも終わりは来る。

 

 

「…そろそろか」

 

 

 忌まわしそうに、彼は呟いた。

 この世界の原理は不明だが、二人が出逢える期間は約一日であった。

 その間に生物としての営みに関する事象は一切感じず、その間二人は互いの意思を重ね続けていた。

 しかし時が来ると、彼の姿は幻か亡霊のように消え失せる。

 また彼としても、彼女の姿が同様に掻き消えていく。

 

 そのタイムリミットが、近付いていたのだった。

 しかし、今日は様子が違った。

 

 

「呼んでる」

 

 

 彼はそう言った。

 彼は背後を横目で見た。

 それは彼にしか分からない感覚だったが、彼女も察した。

 

 恐らく、今日が彼と逢える最後になると。

 今日を越えたら、もう二度と逢えないと。

 

 彼は眼を閉じた。

 時間はあまりないと、彼は分かっていた。

 だから、考えつつも急いでこう切り出した。

 

 

「…来るかい?」

 

 

 苦渋に満ちた口調だった。

 彼が何処から来て、そこがどういう場所なのかは、彼自身がこれまで話して聞かせていた。

 彼としては日常の事であったが、話にすることで、その日常は地獄であると認識させられた。

 そこに彼女を、愛しいものを招く。

 悪魔としか思えない提案に、彼の心は切り刻まれていた。

 

 

「   」

 

 

 それに対し、彼女は即答した。

 肯定の意思だった。

 

 ならば、それを叶えたい。

 彼はそう思った。

 そして今ならば、それが可能だと本能で悟った。

 

 彼が背後に感じた気配は、それを可能とする存在が発するものだった。

 

 

 

 彼の背後から、黒い靄が湧き出した。

 これあで一切の変化が無かった、昏い世界に黒が満ちていく。

 彼がいる鏡の中で満ちていくのは、闇だった。

 

 そして、サクラは見た。

 闇が凝縮し、色濃くなっていくのを。

 その濃縮された闇が、形を成していくのを。

 

 生まれ出た漆黒の姿は、亡霊か炎のようだった。

 

 頭部からは槍穂のような角が生え、口には無数の長く鋭い牙が並ぶ。

 

 砕けた水晶のようなヒビの入った四角い眼が、闇の中で輝いていた。

 

 形成された姿は、目測で見て五十メートルを超えていた。

 

 おぞましいその存在を、彼女は彼から聞いていた。

 

 そしてその姿は、見覚えがある代物だった。

 

 彼女のオリジナルが生み出した、感情の産物。

 

 ただしそれは、それよりも遥かに黒く、エグく、そして---凶悪だった。

 

 

 奪われたものを、奪い返すもの。

 

 

 光を喰らう、闇。

 

 

 その名は。

 

 

「頼むぜ……ゲッター

 

 

 

 奪還者(ゲッター)

 

 彼は漆黒の巨体をそう呼んだ。

 

 主の言葉に、それは従った。

 彼の真横から、巨大な二つの物体が去来した。

 

 それが巨大な手であり、手の全てが刃の如く形状をしていると見えたのは、それが鏡に先端を突き立てた瞬間だった。そして、彼女は見た。

 いかなる方法を用いても傷一つ付かなかった鏡面を、一抱えもある巨大な指先の切っ先が僅かながらに貫いたのを。

 そこに、了は両手を添えた。

 

 

「うおおおおおあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 そして、彼は吠えた。力の限りに。

 鋼の両手に全ての力を込めて、僅かに開いた傷を引き裂きにかかる。

 その手に、サクラも手を重ねた。

 何もできないが、それは彼に力を与えた。

 彼女も強い眼差しで彼を見た。

 焼け爛れた皮膚に覆われ、一つしか残っていない左眼で、彼を見る。

 

 

 そして、やがて、砕け散る音が鳴り響いた。

 彼女の正面の鏡に、巨大なひび割れが走った。

 鏡の奥では、仰け反る彼の姿が見えた。

 力の代償か報復か、彼の身体は弾き飛ばされていた。

 

 次の瞬間、またも鏡が砕けた。

 それを成したのは、真紅の十字槍であった。

 槍はひび割れた鏡の中央を貫き、完膚なきまでに粉砕していた。

 割れ砕ける鏡の中を、真紅の影が迸った。

 

 それは両腕を伸ばし、自分よりも小さな体を抱き締めた。

 初めて触れた身体は熱く、そして思ったよりも細く、それでいて逞しかった。

 勢い余ってつんのめり掛けた彼女の身体が、今度は優しく抱かれた。

 

 焼けた身体に触れた鋼の義手の感触は、冷ややかで心地よかった。

 やがて抱き合う二人を、漆黒の闇が包み込んだ。

 輝くような、美しい闇に包まれながら二人が抱き合う中、砕けた鏡は時が逆行したかのように破片を元の位置に戻させた。

 だが今の二人にとって、それはどうでもよかった。

 初めて触れ合う肌の感触と相手の存在を、全身で味わっていた。

 

 

 やがて、漆黒の色は消えた。

 全ては、何も無かったかのように思えた。

 二人の姿と、漆黒の巨体は消えていた。

 

 既にこの世界の何処にも、それらは存在していなかった。

 
















コピーさん、偽書ダークネスな世界へ(落ち着いてきたら別途連載を開始します)
英語とイタリア語が混じったタイトルですが、この二人同様に別の存在同士という事で


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 さりとて特筆すべき事のない、平凡な開幕

「来るぞ」

 

 

 異界の中、ナガレはそう言った。

 両手で握る斧槍は異形の体液で刃を濡らし、柄には深紅の液体が絡みついている。

 既に全身を負傷しており、その源泉が何処かは分からなかった。

 細身ながらに筋肉が発達した胸には深く長い傷が幾つも付き、右肩の肉は大きく抉れていた。

 

 

「分ぁってるよ」

 

 

 十字槍を構えながら、佐倉杏子もそう返した。

 こちらも全身から血を流し、真紅のドレスを深紅に染めている。

 

 杏子は左の太腿が柘榴のように爆ぜていた。膝も深く傷付き、赤い肉の裂け目の奥に血の色を塗られた白い骨が見えた。

 両者ともに呼吸が荒く、内臓も痛めているのか吐く息には血の香りが混じっている。

 されど黒と紅の瞳は戦意に燃え、生と勝利への渇望を宿してギラついた輝きを放っている。

 

 振動。

 異界の地面が揺れる。

 そして並び立つ両者の前で、異界の地面が弾け飛んだ。

 

 飛来する礫の奥に、巨大な孔があった。

 深く昏い穴の淵には、無数の牙が生えていた。

 

 

「「うおおおおおおおらああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」」

 

 

 似たような叫びを上げて、二人は斬撃を放った。

 水平の斬撃は相手を巻き込みかねない斬線であったが、数ミリを残して相手に切っ先は届かなかった。

 これまでの無数の訓練というか喧嘩というか、暇つぶしを兼ねた殺し合いで相手の間合いは把握しきっている。

 

 切り裂かれる異形の巨体は矛先を逸らされながら、慣性のままに二人の間を通り抜けた。

 口の真ん中を切り裂いた斬撃は太く長い胴体を切り裂き、末端にまで達していた。

 

 黒い胴体の最後には、小柄で可愛らしい人形のような姿があった。

 その口に胴体の末端は吸い込まれ、最後にはそこも真横に裂け、人形の頭部と可愛らしいピンク色の胴体が切り離された。

 

 轟音を立てて倒れ伏す巨体。

 その音と同時に、二人は跳んだ。

 跳ねて空いた隙間に、巨大質量が激突していた。

 寸前まで二人がいた場所は、巨大なクレーターと化していた。

 

 その中央で、むくりと巨大質量が起き上がる。

 粉塵の奥にあるのは、大きく開いた口から覗く巨大な舌と牙。

 そして渦を巻いた二つの眼光が、二人を見上げていた。それが食欲に狂った眼差しだと、二人は確信していた。

 

 

「あいつ、完全に俺達を餌だと思ってやがる」

 

「はっ、ふざけやがって。餌はてめぇだって、思い知らせてやろうぜ」

 

 

 異界の上空に、禍々しい黒翼が広がっていた。

 ナガレの背から生えた悪魔を模した漆黒の翼は、彼と半共生状態の牛の魔女の使い魔で出来ていた。

 

 その傍らには、真紅の外套の裾を炎で燃やして滞空する佐倉杏子の姿があった。

 燃えた端から外套を再生させ、燃焼で生じる魔力を用いての飛行能力を彼女は数日前に体得していた。

 その飛行のモチーフとなったのは、異界存在である彼の心の中で見た、深紅の外套を纏って飛翔する機械の戦鬼の姿であった。

 

 

「気に入ったかよ、それ」

 

「まぁね。紛い物だけどいい玩具だよ」

 

 

 戦闘態勢に入りつつ、言葉を投げ合う二人。

 その下方で複数の光が輝く。

 それは一対の眼と、その下で輝く牙の列の光であった。

 粉塵の中、それが幾つも見える。

 

 

「あいつっていうか、よ。てめぇら、だな」

 

 

 彼の言葉が契機となったように、複数の柱が地上から伸びた。

 すべて同じ形をしていた。

 

 黒い蛇のような胴体をした巨体、末端の人形。

 鮫のような貌と渦巻く眼。そして鋭く生え揃った牙の列。

 魚であれば鰓に当る部位からは、人間の手を抽象化させたような巨大な手が伸びていた。

 

 それが十体。

 まるで投じられた餌に群がる池の鯉のように群がっている。その光景は悪夢以外の何物でもない。

 そしてそれらは全て、滞空する少年と魔法少女を目指していた。

 

 

「まぁいいや。精々楽しもうじゃねえの」

 

「ああ。死ぬなよ」

 

「あんた、誰にモノ言ってやがる」

 

 

 悪夢の光景に、両者は獰悪な微笑みを浮かべる。

 そして即座に身を翻し、二人は漆黒と真紅の弾丸と化して魔女の群れへと襲い掛かった。

 迫る獲物に向けて放った魔女の牙は、全てが空を切った。

 

 その内の幾つかは、上下に分かれて宙を舞った。

 切断された肉と噴き上がった血飛沫の奥に、悪鬼に等しい表情を浮かべた二人がいた。

 

 されど魔女達は怯まずに応戦。

 挙句の果てに破壊された同胞を喰らっている個体さえいる。

 長い胴体に牙を立て、内側の異形の臓物を引き摺り出して喰らっている。

 

 そういったものは二人にとって絶好の獲物であり、即座に惨殺されていく。

 異界の中で繰り広げられる、異形の食物連鎖であった。

 

 

「おらよっ!!」

 

 

 自らを狙った大顎を身を引て回避。閉じた大口を、杏子はサマーソルトの要領で蹴り上げる。

 噛み合わされた牙同士が砕け、黒血と破片を撒き散らす。

 その背後、更には左右から迫る複数の牙。

 槍を構えた直後、開いた牙と顎に頬、そして眼球と鼻先が爆風と共に引き千切られた。

 

 

「危ねぇじゃねえか。散弾みてぇなので、んな遠くから狙うんじゃねえ!」

 

「こんなもんに、当たるタマじゃねえだろ!」

 

 

 遥か彼方、魔女の群れを斧槍で刻みつつ火砲を放ったナガレへと杏子は思念を送った。

 用済みになった手製の武器を投げ捨てつつ、思念を送り返したナガレの周囲で炎が躍った。

 

 彼を包囲していた魔女の一体の頭部に、真紅の槍が突き刺さっている。

 周囲の魔女に燃え移った炎はそこから発せられてた。

 直後、槍が強く輝いた。

 

 

「あ、やべぇ」

 

 

 その思念は杏子から届いた。彼もそう思った。

 直後に光が炸裂した。

 発生した衝撃が不可視の刃と化し、異形の群れを切り刻む。

 吹き散らされる破片の中に、紡錘形に折り畳まれた黒翼があった。

 

 翼の表面には、赤い障壁が張られていた。生き残った魔女が傷付きながらも、畳まれた翼を喰らおうと首を伸ばす。

 その首の表面を、黒い乱舞が走った。

 展開された翼による斬撃だと、十数個の賽子となった魔女が分かったかどうか。

 

 

「お前も大概じゃねえか!」

 

 

 翼を広げたナガレは背後に向けて叫んだ。全身から白煙が昇っているが、彼的には軽傷の部類らしく怒った様子は無い。

 

 

「悪いって言っただろ!次は上手くやるさ!」

 

 

 何時の間にか彼の背後には杏子の姿があった。

 互いの死角を補うように背中を併せて周囲を見る。

 上下左右、びっしりと同型の魔女たちがひしめいている。

 全てが口から唾液を垂らし、赤い舌で牙を舐めている。

 

 

「こいつら…」

 

 

 杏子は呻く。

 初めての経験であった。

 同じ形状の魔女が、これほどに大量に発生している結界に入り込むのは。

 

 覚えているだけで、既に十二体は葬っている。

 それなのに、現状はこれである。

 減るどころか、増えているとしか思えない。

 

 

「ちょっと多過ぎるな。一掃するぞ」

 

 

 対する彼は何時もの様子だった。

 向かってくる敵を真っ向から叩きのめして殲滅する。

 

 そのスタンスは、彼女が最も理解している。

 少なくともこの地球上で、彼と最も交戦経験が多いのは佐倉杏子であった。

 

 

「ああ」

 

 

 言い様、示し合わせたように両者は上空へ向けて飛翔した。

 そこにいた魔女達の体内へと自ら滑り込む。

 

 歯と舌で捉えられるよりも早く、それらを刃で斬り刻む。

 続く肉や内臓も切り裂き、魔女の体内を抉り抜いて尾から抜けた。

 末端の人形が、無残に切り裂かれて宙に舞う。

 

 

「あたしの勝ちだね」

 

「…ちっ」

 

 

 先に魔女から抜け出たのは杏子であった。

 軽口を叩きつつ更に上昇し、二人は下方を見た。

 体内を蹂躙されて惨殺された二体を、同じ形をした魔女たちが貪り食っていた。

 

 死にきれない巨体に容赦なく牙が突き立ち、先程と同じように喰らわれていく。

 瀕死の異形は全身に牙を突き立てられ、既に喰う場所も無いという事か何体かはそこを抜けてナガレと杏子へと迫った。

 

 それらの者達が見たのは、こちらに向けて右手を翳し、嘲弄の表情を浮かべた佐倉杏子の貌だった。

 そしてそれらの背後で、真紅の光が生じた。

 群れによって喰い漁られ、皮くらいしか身の残っていない一体の異形の体内から、その光は漏れ出していた。

 

 

「サザンクロス!」

 

 

 杏子の叫びと共に発光が強まる。

 その光は、上空の二人にも届いていた。

 

 

「ナイフ!!」

 

 

 叫びと共に光が一気に噴出した。

 手の平サイズの真紅の十字架の形を取った光は、異形の皮膚を切り裂き歯を砕き、眼球を抉り出し、鼻先を切り落として全身を切り刻んだ。

 

 乱舞する十字架の暴虐がもたらす苦痛に呻く異形達。

 それらに、新たな光が射した。

 十字架が発する紅光と同じ赤の色であったが、より光量が強かった。

 それは、太陽の色をしていた。

 

 

「「ストナァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」」

 

 

 ナガレと杏子が叫ぶ。

 彼が突き出して広げた左手の五指に、杏子は右手を重ねていた。

 手を介して、杏子の魔力が彼に伝わる。

 彼と半共生状態の魔女が彼の掌に魔力を籠める。

 そしてナガレがその力を制御し、そして増幅させる。

 

 

「「サァァァァアアアンシャアアアアアアアアアアイン!!!!!!!!!」」

 

 

 

 叫びと共に彼の掌で育まれた光が解き放たれる。

 バスケットボール大の光球が、先陣を切っていた異形の鼻面へと激突する。

 

 その瞬間、眩い光が炸裂した。

 光を浴びた魔女の眼球は一瞬にして白濁し、次いで顔ごと蒸発し内側の骨格とでも云うべき形の輪郭を晒した。

 それすらも熱によって消し去られ、魔女達は逃げる間もなく光に曝されて自らも光と化していく。

 

 炸裂した光は、それを放った者達をも飲み込まんとして迫る。

 光の貪欲さは、食欲に飢えた魔女たちをも上回っていた。

 

 迫る光とは真逆の方へ、結界の上空の彼方を目指して黒翼を纏った少年は飛翔していた。

 彼の左手は杏子の腰に巻かれていた。彼女の腹に触れた彼の手は血に塗れていた。

 手と腹の間からは、血と粘液で光る桃色の管が覗いていた。

 

 魂に刻まれた異界の技能を行使し彼に力を与えた対価と、魔女の体内に入った際に腹を貫いた牙による負傷により、彼女は限界を迎えていた。

 胸の宝石は紅を押し退け、穢れた黒が色濃く渦巻いていた。

 上空に開いた異界の出口に彼が飛び込むのと、高熱を纏った光がその背を撫で上げたのは同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナガレは眼を開いた。直後に感じたのは身を苛む苦痛。

 首に掛かる巨大な圧力。

 そして腹に感じる柔らかい肉の感触と熱さ。

 

 背中に感じるのは粘度の高い水の感触。その粘ついた感じと酸鼻な匂いから、血液である事は容易に分かった。

 そして視界に映るのは、真紅の髪に真紅の瞳をした少女の顔。

 言うまでも無く、佐倉杏子の顔だった。

 

 彼から見て右側の眼は無残に潰れ、その下の頬は大きく抉れて内側の砕けた歯と歯茎、千切れかけの舌も見えた。

 その他全身に傷を負い、紅のドレスも左胸が完全に露出する程に破壊されている。

 

 その状態で彼女はナガレに馬乗りになり、その首を締めていた。

 息は荒く、苦痛によるものか露出した肩が震えている。

 酷い傷だが、加害者は他でもない自分である。

 

 

 何故こうなった?と彼は考え、記憶を辿った。

 

 

①いつも通り、暇を持て余したので喧嘩がしたくなった

 

②グリーフシードが足りないと判明、魔女狩りに出動

 

③普段と違う気配の魔女結界を発見したので突入。同じ姿の複数の魔女と遭遇

 

④先程の経緯を経て結界から脱出。手際の良い魔女のお陰で大量のグリーフシードを入手

 

⑤浄化を行い負傷を治し、魔女に命じて魔女結界を展開

 

⑥ようやく喧嘩開始

 

 

 の流れを思い出せた。

 ああ、何時もの事だなと彼は口の端から血泡を吐きながら思った。

 苦しいが、それ以外の感覚も彼を苦しめていた。

 

 彼の腹の上に馬乗りになっている佐倉杏子。

 スカート越しではなく、直接その中身が彼の腹に置かれている。

 中身とはそのままの意味である。

 

 倒れた彼を中心として、血の海が広がっていた。

 彼と彼女の繰り広げた死闘によって、二人の身体から流れ溢れて交じり合った血の海である。

 その紅が広がる一角に、千切れた下着が沈んでいる。

 

 得物を用いての斬撃の最中、恐らくは胴体への縦切りを回避した時に外れたのだろう。

 結果として、杏子は今、生の肉をナガレの腹の上に置いていた。

 血でじっとりと濡れたシャツ越しに、彼は彼女の柔らかい肉の感触と、熱い体温を感じていた。

 

 それが、彼にとっては堪らなく嫌だった。だからそれを止める為に、彼女に向けて手を伸ばした。

 杏子の細首を、ナガレの右手が締め上げる。

 杏子の殺意と戦意に満ちた貌に、苦痛の要素が追加される。

 そして彼女も力を上げる。彼もまた呼応し力を増す。

 互いに互いの首を絞めながら、二人は「これまごころのラストじゃねえか」と思い返していた。

 ナガレはそこに親近感を、杏子は嫌悪感を抱いた。

 

 

 そんな二人が行っているのは、どちらかの首が折れるか、苦痛に音を上げるかの我慢比べだった。

 あと十秒もすれば、結果が出ただろう。

 この両者は相手に弱味を殆ど見せない。故に後者での決着は有り得ない

 故に前者で決着が着く。その筈だった。

 

 

 

ぐぅぅぅううううう

 

 

 

 音が鳴った。腹の音だった。

 それは杏子が発した音だった。

 彼女の腹は破けて開き、内臓がでろりと垂れ下がっていたのでその音はよく響いた。

 数秒が経過。その頃には両者は手の力を失くしていた。

 

 杏子の顔から闘争に関する要素が消え失せ、血に染まった顔に羞恥の色が映える。

 彼の腹の上で横たわる桃色の臓物を腹の中へいそいそと仕舞い、とりあえずという形で腹と顔の傷を塞ぐ。

 

 そして更に数秒後、大きく息を吸って吐いて、こう切り出した。

 

 

「なぁ、ナガレ」

 

「なんだ、杏子」

 

 

 極めて自然な風に、両者は言葉を重ねる。風にというより、これが普段の様子である。

 

 

「飯行こうぜ。たまには豪華に焼き肉とかさ」

 

「あー、それいいな。肉喰いてぇや、肉」

 

 

 血塗れ且つ、負傷による肌の下の肉が見えた状態で両者は今後のプランを考え始めた。

 よっ、と言いながら杏子は彼から身を離して立ち上がった。

 彼と触れていた部分と杏子の肉が離れる際ぶ血以外の粘液が見えた事、彼女の腰が軽く震えた事を彼は見なかったことにした。

 

 そう思っていると、杏子が手を伸ばしていた。

 その顔は赤かったが、冷静さを取り戻していた。快感の頂点に至れて、今のところはその欲求を満足させたのだろう。

 

 

「手ぇ出しな、怪我人」

 

「お前もだろうが。俺は重いぞ」

 

「知ってる。魔法少女ナメんなよ」

 

 

 一応の断りを、彼は入れた。几帳面というか、人間の善性の表われというか天然というか。

 先程まで自分の命を奪い掛けていた手だが、躊躇いはなかった。

 

 自らに伸ばされた杏子の手を、彼は壊さない程度に強く握った。

 杏子もまた強く握り返し、彼の身体を力強く引いて引き上げた。

 

 相変わらず、敵と味方の境が曖昧な二人だった。

 何時も通り、これまでと変わらない様子である。

 

 

 そしてまた、この二人の不健全で暴力的な、平凡な日常が始まるのであった。

 

 

 













漸く第二部開幕であります
今回出てない二人、キリカさんはお腹を膨らませて悦に浸り、麻衣さんはミラーズで殺戮に勤しんでいると思われます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 食事は楽しく、会話に花を咲かせながら

「ほらよ、焼けたぞ。こいつはどっちだ?」

 

「塩ダレ」

 

「あいよ」

 

 

 机の中央に開いた孔の中。

 網の上で焼けた肉をトングで挟み、対面に座る杏子の前の皿へとナガレはそれを置いた。

 

 

「さんきゅ」

 

 

 滴る脂が薄い白色の液体に沈み、香ばしい香りを立てる。それを箸で掴み、杏子はそれを口に運んだ。

 硬い肉を噛み締める度に、沁みたタレと下味の塩気が味蕾を撫でる。

 

 

「美味いな」

 

「ああ」

 

 

 ナガレも同意し、肉を噛む。

 両者が座る卓の上には、既に空になった皿が重ねられていた。

 

 夜の九時半、場所は風見野の焼き肉屋。

 安価な食べ放題が売りの店に二人は来ていた。

 

 

「そういえばさぁ」

 

「ん?」

 

 

 口内の肉を噛みながら、彼は杏子の言葉に反応する。

 噛み締める肉が放つボリボリという弾力は、砂肝に似ていて心地よい刺激を彼に与えていた。

 

 

「あたしら。要は魔法少女って子供を孕んだり産めたり出来んのかな」

 

 

 普段の私服姿の杏子は黒シャツを捲り、白い肌で覆われた下腹部を撫でながらそう言った。

 撫でているのは、正確にはその奥にある肉の袋をと云った処か。

 

 

「………」

 

 

 彼は黙り、肉を噛みながら考える。

 彼が口に含んでいたのは、豚のコブクロだった。

 感覚的に、口内の肉に苦みが添付された様な気がした。

 

 そうしていると、杏子も焼けたコブクロを数枚一気に口に含んだ。

 対面に座る両者の間で、それを噛み砕く音が鳴り響く。

 

 ごくんという音が鳴り、ナガレは肉の袋を飲み込んだ。

 少し遅れて杏子も飲み込む。

 

 

「そりゃあ…お前」

 

「あたしらの本体はソウルジェムで、あたしらの身体はそいつから出る電波?だか電磁波だか放射線だかで動いてるらしいね」

 

 

 彼の見解を遮るように、杏子は事実を述べる。

 

 

「んーーーー…実感ねぇけど、あたしらはゾンビってことかな?動く死体ってヤツ?」

 

「死体にしちゃあ、元気だな」

 

「最近、ってワケでもねぇけど元気に走るゾンビって多いみたいだからね。あたしらもその一つかもなぁ」

 

 

 そう言って杏子は、先程のお返しとばかりに焼けた肉を彼の皿へと置いた。

 皿の上に、焼けたコブクロが山と乗る。

 独特の形状に丸まったそれらに、ナガレは辛みが利いたタイプのタレをかけた。

 食欲をそそる香りを放つ、焼けた子宮。

 美味そうだなと彼女は思った。

 

 

「お前はちゃんと生きてるじゃねえか。物食ってるし血も流すし、欲望にも素直だしよ」

 

 

 煽りのような言葉を彼は吐いた。彼女はそれを叱咤と受け取った。

 下手な言い回しだな、主人公ならもっと気の利いた事言えよと彼女は思った。

 

 しかしながら相手の立場を考えると、どういった事を言えばいいのか自分でも分からない。

 まぁ及第点にしておくかと思い、八重歯を見せて嗤った。

 いつものように、獲物に向けるような貌で。

 

 

「そういうのはゾンビでも出来そうなんだけど?本能だろ、それ」

 

「じゃあ言葉話せてる。俺の言葉を理解できてるってトコで」

 

「ガキ孕んで産めるのかってトコは?」

 

「何の為に腹から血ぃ流して苦しんでんだよ」

 

「はっ、そいつは生き物のマネゴトかもね。だとしたら邪魔な機能でウザってぇだけさ。佐倉家はあたしで終わりだからさ」

 

 

 時折肉を喰いながら二人は会話する。

 この状況下で、次に消費され始めたのはレバーだった。

 焼けた事で白っぽくなった肝臓の表面に歯を立てたとき、杏子はふと疑問を覚えた。

 

 

「そういや、あたしの事はそれでいいとしてさ」

 

 

 疑問を言葉にしていく。

 彼は何となく察せた。彼女は自らの存在を問うた。

 となると次に問われるのは。

 

 

「あんたもあんたで、男なんだからあたしらとヤれるのは分かるんだけど。ヤった後に孕ませられるのかなってさ。出身は地球でも別のとこから来たんなら、そもそも別の生き物じゃねえのかなと」

 

 

 だろうなと彼は思った。

 思いつつ、確かに疑問でもあった。

 しかし分かるところもある。

 

 

「それで合ってると思うぜ」

 

 

 その確信は本能からのものだった。それについては、結論が出ているとしか思えない。

 一方で、別の疑問もある。

 

 

「そいつは元のあんたの事だろ。今はどうなんだろうな」

 

 

 それである。

 この肉体は元の自分が変わったものではない、ということも本能的に察せている。

 となるとこの肉体の出処は?そしてこの世界で生まれたものであれば、遺伝子の結合は可能なのかと。

 

 

「さぁな」

 

 

 自分の本能に問うと、それについては分からなかった。

 試す気も無い。

 しかし、自分の生きる方針は既に決まっている。

 

 

「まぁ俺は家庭とか似合わねぇし、誰かを育てられるとも思えないし、そういうのになる積りがそもそもねぇや」

 

 

 思うままに言葉を述べる。

 寂しさは全くといっていい程ない。

 

 

「なんでさ」

 

 

 ふぅん、と返したつもりだった。

 そう言った事には、言い終えてから肉を口に含んでから彼女は気付いた。

 今度は杏子が、口内の肉に苦みを感じる羽目となった。

 罪悪感からのものである。

 踏み込むべきではない言葉だったと、否応なしに良心が彼女を責める。

 

 はっ、と彼は嗤った。

 皮肉でもなく、彼女に対する非難のそれでもない。

 ただの笑いである。

 

 

「こんな面倒な生き方してる奴に、付き合わせちゃ悪いだろうが」

 

 

 事も無げに彼は言う。思わず杏子は息を呑む。

 こいつ、というかこの存在の生き方を彼女は垣間見ていた。

 肉を咀嚼する顎の動きも止まる。

 

 

「ま、そんなワケだな。ああそうだ、飲み物持ってくっけど何がいい?」

 

 

 話題の矛先を変え、行動を促す。

 助け舟とばかりに彼女は肉を呑み込み、

 

 

「コーラ。出来るならコップ二つで、氷多めで頼むよ」

 

「あいよ。ちょっとまってな」

 

 

 そう言って彼は席を立ち、店の奥にあるドリンクバーへと向かい歩き始めた。

 多くの客を収納する為か店内は入り組んだ構造であり、まるで上から見た蜂の巣のように小部屋が連なっている。

 狭い通路でありながら行き交う人の数も多い。それらを器用に避けて彼は進み、角を曲がって彼女の視界から消えた。

 

 夜も更けてきたというのに店内は人で満ち、至る所で肉の焼く音や笑い声や怒鳴り声、過激にじゃれついているのか女の嬌声までもが入り乱れている。

 眼の前の存在が消え失せると、先程までは全く気にならなかった環境音が濃厚に感じられた。

 

 うるせぇなと思いつつ、網の上で焼けた肉を皿の上に置いた。

 先にナガレの方に置き、次いで自分の皿に盛る。

 タレを追加しようとした時に、杏子は小さく笑った。

 相手を労わる心を出したことに、おかしさを覚えたのだった。

 

 

「(あたしも弱くなったもんだ)」

 

 

 そう思った。思ったが、それが弱さとどう関係するのかとも思う。

 まぁいいやと思い、食事を続けようとした。

 薄いロースをタレに絡めて口に含む。

 

 咀嚼しているその間、音が聴こえ続けていた。

 口の中で肉を噛み潰される音ではなく、周囲で交わされる会話を彼女は聞いていた。

 正確には聞こえていたと云うべきか。

 

 先程まで、ナガレがいた時は全く気にもならなかった雑音を、彼女の魔法少女としての感覚は残らず拾っていた。

 こいつらを自分は敵と思ってるからかと、彼女は思った。

 

 バカバカしいと思い肉を咀嚼する。

 胃液のような苦々しい味がした。そんな気がした。

 

 

『売女』

 

 

『淫売』

 

 

 頭の中で単語が連なる。

 それは更に続いた。

 順番ではなく同時に、一斉に。

 

 

『浮浪者』

 

『ホームレス』

 

『未就学児』

 

『孤児』

 

『孤独』

 

『カルト宗教』

 

『詐欺師の娘』

 

『人殺し』

 

 

 肉を呑み込む。

 それは鉛のように重かった。

 

 

『一家心中』

 

『死に損ない』

 

『きっとあいつが殺した』

 

『殺した』

 

 

 当たってるよ、と杏子は表情には出さずに内心で皮肉る。

 全くとして、面白くもなんともなかった。

 

 

『さっきまでいた奴』

 

『彼氏か?』

 

『股の穴でも使ってたらしこんで、友達ごっこしてるんだろ』

 

『淫売だから尻穴も使って男を咥えてるに違いない』

 

 

 酷い言われようだと思った。

 もう一枚肉を喰おうとしたが、手に持った箸は異様に重く感じた。

 軽い肉を挟んだら、恐らく手から滑り落ちてしまうと思えるほどに。

 

 

『娘もそうなら、きっと母親も淫売』

 

『夜の街角に、あいつの母親が立ってるのを見た事がある』

 

『買った事がある。二人分ひり出したせいで緩かった。金返せっての』

 

『ウソつけ。ずっと寝込んでたハズだ』

 

『なんで知ってる』

 

『妹の方狙ってたから』

 

『うっわ、引くわ』

 

『妹は新品だったろうから勿体なかった』

 

『犯っておけばよかった』

 

『あいつは?』

 

『今度人集めるか』

 

『あの生意気そうな顔を歪めてやりたい』

 

『金払えば犯らせてくれるか』

 

『バカ、こっちは貰う側』

 

『代わりにシンナーでも飲ませるか、クスリでもちょっとくれてやればいい』

 

『あすなろとかで出回ってるやつ。アレ最高』

 

『あいつの歯を全部圧し折って突っ込みたい。喉奥犯してぇ』

 

『紅い眼を抉ってそこに突っ込んでもいい』

 

『あー、この前観たスナッフビデオでやってたプレイな。可愛い子が泣き喚いてて、すっげぇ興奮した』

 

『あんな面白ぇの、神浜行けば簡単に買えるの凄い。草生える』

 

『その内、新作にあいつでてるかも』

 

『言えてる』

 

『殺されながら犯されるか、死姦されてるの似合いそう』

 

『尻や股だけじゃ足りなくて、口や目、耳や鼻にも突っ込まれてヨガってそう』

 

『それ最高。想像したら勃っちまったから便所で抜いてくる』

 

『草』

 

『草』

 

『草』

 

 

 重なる悪罵と悪意、嘲笑と穢れた欲望。

 そして。

 

 

『佐倉家は呪われた一家。あんな奴ら、生まれてこなければよかったのに』

 

 

 そこで限界が来た。

 杏子は箸を握った。

 簡単に圧し折れた。

 それからどうするか、彼女は一瞬の内に決めた。

 

 

 

 

 その思考を貫いて、店内に音が迸った。

 ガラスが砕け散る音だった。

 その音に従うように、店内は静まり返った。

 

 音の発生源は、それを気にも留めずに歩みを進める。

 

 

「ほらよ。ちょっと混んでてな、遅くなった」

 

 

 自分の座席に座り、杏子の注文したグラス二つ分のコーラを彼女に差し出す。

 これでもかと氷が入れられ、グラスの表面を水滴の粒が濡らしていた。

 彼は右手でグラス二つを握っていた。

 左手には何も持っていなかった。

 ただ、彼の左手からは飲料水の甘い香りがし、細くしなやかな指は液体に濡れていた。

 

 

「またそろそろ、網変えるか」

 

 

 平然と彼は言う。何も無かったように。

 悪罵はもう聞こえなかった。

 それらを発していた者達は、心が死んだかのように黙っていた。

 

 

「その前に顔拭けよ。こっちに顔向けな」

 

「ああ、悪いな」

 

 

 ポケットからハンカチを取り出し、杏子は彼の顔を拭いた。

 破片で切ったか、僅かに出血していた。顔に付着した液体を拭ったころには、負ったばかりの小さな傷は消えていた。

 

 

「ありがとよ。さて、時間はあと一時間ってとこか」

 

 

 食べ放題の制限時間についてである。

 

 

「何を喰う?」

 

 

 タッチパネルを見せる彼に、杏子はにやりと笑った。

 

 

「景気よく、全部と行こうぜ。余裕だろ?」

 

「たりめぇよ」

 

「そうこなくっちゃね。血肉は幾らあっても足りねぇからな」

 

「そいつぁ言えてやがる」

 

 

 愉しそうに笑い、くだらない会話を重ねながら二人は食事を続けていく。

「ありがとよ」と言うべきか彼女は悩み、結局言わなかった。

 

 













この二人も随分と仲良くなったものであります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 月光の下で

 夜は十二時を廻っていた。

 少し欠けた月が空に浮かび、街を青々とした輝きで照らしている。

 その光景が、彼には一望できた。

 風見野の廃教会、その天辺付近の屋根の斜面に彼は座っていた。

 

 身長は百六十程度だが、彼の体重は身体の造りが異なる為か二百キロを超えている。

 それでも元がしっかりとした造りなのか、経年劣化を経てはいても足場としての不安はなかった。彼自身も特殊な身のこなしで体重を分散させていた事もある。

 夜風を浴びながら、彼は風見野の光景を眺めていた。

 

 繁栄というよりは斜陽の気配が漂う風見野だが、それでも夜の景色は美しかった。

 その光源の何割かが風俗店の外灯であったり、苛酷な残業に勤しむ企業の灯りであったとしても。

 それもまた人の営みの一部だった。そして彼はその灯りに見覚えがあった。

 

 此処と似た、そしてよりぎらついた輝きを放つ街。

 新宿に。

 

 その時背後から流れる風の流れが変わった。同時に足音を聞いた。

 静かに振り返るナガレ。

 視線の先にあったものを見て、彼の顔が硬直した。

 

 

「なんだよ。変なのものでも見たかい?」

 

 

 そう言って、佐倉杏子は斜面を降りて彼へと近付く。

 長い髪が夜風に揺れ、真紅の衣装を月光が染め上げる。美しい姿だった。

 それはいい。

 

 問題は、彼女の体型だった。

 顔から胸までは変わらない。腰から足の爪先までも問題ない。

 問題は、彼女の腹だった。

 下腹部を基点にぽっこりと、柔らかな丸みを帯びて膨らんでいる。

 

 彼にとっては見覚えがある姿だった。彼女の複製が、これの生き写しの姿となったのを彼は見ていた。

 

 

「ホラよ」

 

 

 そう言って、杏子は魔法少女服の内側から中身を破裂寸前にまで膨らませたコンビニ袋を取り出した。

 その中から適当に一つを取って彼に投げる。受け止めた鮭おにぎりは、彼女の体温を纏い生ぬるい熱を帯びていた。

 そのまま何事も無かったかのように彼に歩み寄り、その隣に座る。

 空いた距離は五センチも無い。何かの拍子に身体を動かせば、触れ合う距離だった。

 

 

「さっきの意味は?」

 

 

 ジト目で隣、というか杏子を見ながらナガレはおにぎりのラベルを外して一口齧る。

 

 

「その顔が見たかったから」

 

 

 にやにやとしながら、杏子はそう返した。

 こちらは卵サンドを齧っている。

 食べ放題の焼き肉屋で時間いっぱいまで散々に喰っておいて、まだ喰うらしい。

 先程の杏子のそれは別として、両者の体型に変化は無い。

 消化というか、即座に食物がエネルギーに変換されてるとしか思えない。

 

 

「似合ってたかい?」

 

「まぁな」

 

 

 コピーに対しても思った事だった。性的な興奮の一切は無いが、命を宿した女の姿は美しいと思える感性を彼は持っていた。

 

 

「悪いね。本物の腹ボテ姿は見せられそうになくってさ」

 

「悪いも何も、人生設計は自由だろ」

 

「そうだね、自由だ」

 

 

 そう言って杏子は空を仰ぐ。真紅の魔法少女の紅の視線の先には、煌々と輝く夜空があった。

 

 

「いっそ、今度腹破けたときにでも手ぇ突っ込んで取っ払っちまおうかな。あたしの子宮」

 

「治りそうだな」

 

「ははっ、だろうね」

 

 

 夜空の下で、廃墟とは言え教会の上で繰り広げられる会話は不健全そのものだった。

 笑いつつ、杏子は隣を見る。

 おにぎりの最後のひとかけらを飲み込みながら、彼は夜の風見野を見ていた。

 眼を半分開いてのその顔は、景色を懐かしんでいるようにも、寂寥を帯びているようにも見えた。

 その姿に、杏子はハァと溜息を吐いた。熱い吐息だった。

 

 

「ほんと、あんたって奴は性癖破壊兵器だな」

 

 

 そう言って、杏子は

 

 

「ほれ」

 

 

 と言って彼に食べ物を差し出す。袋に入ったアンパンだった。

 距離が近いので差し出すというか横に向けるというべきか。

 

 

「ああ、ありがとさん」

 

 

 そう言って彼は受け取る。

 袋の端を掴んだ。

 その手を、アンパンから手を離した杏子が掴んだ。

 

 

「何してる?」

 

「肌を重ねてる」

 

 

 事実だが、言葉としては性交の暗喩である。

 手を緩やかに引いたが、杏子は彼の手を離さなかった。

 

 

「いい景色だよな」

 

「だな」

 

 

 手を重ねたまま杏子は言い、ナガレも返した。無害そうなので、無理に引き剥がす気はしなかった。

 

 

「景色としちゃあ、悪くねぇよな。年々廃れてきてて、そのせいかどんどんロクデナシになっていく汚ぇ街だってのに」

 

「まあ、綺麗っちゃ綺麗だ。あと俺は隣の見滝原より、こっちのが好きだな」

 

「あんた、ほんと風見野好きだよな。郷土愛でも湧いたかい?」

 

「かもな。俺の故郷、新宿に似てんだよ」

 

「そっか」

 

 

 素っ気なく、杏子は返した。しかしその心中は穏やかではなかった。

 眼の前の街並みの中、光が炸裂して全てが消えていく。

 一瞬、そんな幻視を浮かべた。いや、実際に彼女は見ていた。

 無意識の内に幻惑魔法が発動し、彼女に風見野の街が崩壊する様子を見せていた。

 

 その破壊のビジョンは、自分と彼の胸を槍で貫いて繋がった際に、精神世界の中で見た光景が元だった。

 炸裂した真紅の光によって崩壊した場所は、彼が故郷と呼んだ場所である。

 

 その上で風見野に故郷を重ねる彼の様子に、杏子は一つの決心をした。

 それは話そうかどうか、迷っていた事であった。

 決めた理由は、隠し事をしたくないという想いからだった。

 

 

「あたしさ。さっきの焼き肉屋で、周りの連中相手にキレかけちまった」

 

「そうか。でもよ、何もしなかったじゃねえか」

 

「邪魔が入ったからね」

 

 

 邪魔という言葉に、彼女は胸の痛みを覚えた。

 周囲から寄せられた小声の悪罵、穢れた欲情の想い。

 魔法少女の感覚機能はそれらを鮮明に捉えていた。

 

 それらを前に激情に陥りかけたとき、彼はグラスを素手で握り潰して猥雑な音を黙らせた。

 その事について、彼は一切何も言わなかった。

 何も無かったかのように彼女に話しかけ、そして会話と食事を重ねた。

 

 それを邪魔と表現したことによる負の感情を自らの内に押し込めるように、コンビニの袋からペットボトルのお茶を取り出して一息に飲む。

 500mlの水分が、まるで一気に蒸発したかのように杏子の体内に入り込む。

 

 

「それが無かったら、何してたか分からねぇな。魔法少女に変身して、殺しちまってたかもしれねぇ。あの店にいた奴、全員」

 

 

 夜の光景を見ながら杏子は言う。紅い眼の先には、あの焼き肉屋がある

 かなりの深夜まで営業している店なので、街を彩る光の一つになっている。

 

 

「してねぇだろ。お前は誰も傷付けてねぇ」

 

 

 彼も街を見たまま杏子に言った。風見野を見る彼の眼に、一瞬刃のような光が掠める。

 怒気を孕んだ眼光だった。

 

 

「…弱くなったな、あたしは」

 

「強さと関係がある話とは思えねぇな」

 

 

 切って捨てるように彼は言う。思い出すなと、彼はそう言っているのであった。

 彼女もそれは理解している。だからこそ、彼女は想いを吐き出したかった。

 

 

「あの音が、あんたがグラスをブチ壊した時、あたしはあんたの顔を思い浮かべたんだ」

 

 

 記憶に踏み込み、彼女は語る。

 前ではなく、横にいる彼の顔を見ながら。

 

 

「その黒い眼が、あたしを見てた。咎めてる訳でも、バカにしてるって感じの眼でもねぇのに、それがあんたの眼だと思ったら気分が萎えちまった」

 

 

 杏子は溜息を吐いた。

 

 

「行動、ていうか衝動をさ。変えられちまったんだよ、あんたに。だから、弱くなったって言ってるのさ」

 

「生憎だが、俺は何もしちゃいねぇよ。こいつら相手に何かするのはバカらしいって、そう決めたのはお前だろ」

 

「まぁ、確かにバカらしいって思ったさ。あんな連中、ゴミでも散らすように吹っ飛ばせるからさ。でも、そう決めさせたのはあんただ」

 

「いや、だからよ。決めたのはお前だろ」

 

「あんたさ」

 

「お前だ」

 

「あんた」

 

「お前」

 

「ナガレ」

 

「杏子」

 

 

 言葉を重ねる。しかし互いに譲る様子は無い。

 

 

「頑固だね、あんた」

 

「お前もな」

 

 

 そう言われ、あーもう!と杏子は叫んだ。そして傾斜に背を預けて寝転んだ。

 

 

「あんた、妙に生真面目って言うか、主人公って感じなところあるよな」

 

 

「主人公ってのが何だか分からねぇが、俺に言わせりゃお前の方が俺よりよっぽど強ぇんだよ」

 

 

 杏子は寝転がりながら、ナガレは座ったままに言葉を重ねる。

 その二人を、風見野の夜風が弄ぶように撫で上げる。

 冷たい夜風であったが、両者の高い体温を下げることは出来なかった。

 特に今なお触れあっている手と手には、互いを溶かし合うような熱が宿っていた。 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 月光の下で②

 赤、赤、赤、黒、赤、赤、赤。

 電灯に照らされる室内は、それらの色が塗りたくられていた。

 壁に床に天井に、赤黒い物体が貼り付き、赤黒いの雨を降らせている。

 潰れた男の頭部が壁面に埋め込まれて、破裂した額からは脳味噌がブチ撒けられていた。

 

 上下半身で分断された女は、上が天井に減り込み、下が机の上に引っ掛かる様にして乗っていた。

 分かたれた上下半身の運命に抗うように、血と粘液で濡れ光る胃と腸が伸びて上下を繋いでいた。

 未だ熱を持つ網の上では、挽肉同然になった人肉が焼けて香ばしい匂いを立てている。

 

 血と腹の中の汚物によって穢れた、皿の上の肉の中に極小の人体が置かれていた。

 母親の胎の中で育まれているべき大きさの、赤子以下の赤子である胎児がそこにいた。

 母胎から抉り出された挙句に野菜のように切り刻まれた子宮の中で既に絶命し、未分化の親指を唇に咥えたままにあらゆる動きを止めていた。

 

 至る所に手や足がばらまかれ、臓物が椅子や机に引っ掛かっていた。

 眼球を抉られた男の顔は、苦悶の表情を浮かべて血の涙を流しているように見えた。

 しかし、そういった人の形を留めている死体はまだマシな方だった。

 

 殆どは単なる肉、赤と黒の破片となっていた。

 時折雑じる、骨由来の白と、肉の断面に並ぶ黄色い脂肪が残忍な装飾品としてグロテスクさを引き立てていた。

 ぐちゃぐちゃに引き千切られてばらばらにされた、肉と骨と内臓と体毛。

 

 内臓の中身は当然ながら汚物であり、酸鼻な血と潮の香りの中に交じり合って筆舌に尽くしがたい悪臭を漂わせていた。

 夏の日に涼を取る為に、または草木に水を与える為に水を撒いたかのように。

 百人以上の人間を楽に収容できる店内は、原型を留めないまでに破壊された人間の血肉と汚物の混合物によって穢し尽くされてた。

 

 そして大量の赤黒が溜まった店内の中、一塊の肉が盛り上がった。

 

 血と脂肪をべったりと含ませた赤い長髪、引き摺り出した腸をロープを担ぐように細い肩に乗せ、くびれた腰と腹には剥ぎ取られた顔の皮が何枚も貼り付けられている。

 少女の身体に纏われていたのは人肉の破片。

 

 少女は裸体の上に人の肉や血や皮を擦り付け、衣服のように纏っていた。

 曝け出した秘所は、血以外の粘液で濡れていた。

 それが爪先から頭の天辺までに全身を覆う中で、血の濃度を下げて元の色と形を露わにしていた。

 

 少女は長い槍を右手で掴んでいた。

 十字架を模した槍穂には、三方向に湧かれた穂先のそれぞれで幾つもの首を貫いていた。

 眼や口、耳を貫かれて恐怖と苦悶の表情で絶命しているのは全てが幼い子供であり、泣き喚く形で絶命している赤ん坊の首もあった。

 

 地獄の如く惨状の中。

 糞便が放つ悪臭と血肉と体液の酸鼻な香り、そして潰された性器から溢れる生臭い匂いを全身に浴びながら、少女は微笑んでいた。

 艶然とした、快楽に耽る雌の表情だった。

 秘所を濡らす体液は泉のように滾々と溢れて太腿を艶めかしく濡らし、彼女の性的な快感が事実である事を如実に示している。

 

 不意に、少女の右手が霞んだ。槍穂に突き刺さっていた首の全てが外れて宙を舞い、旋回した槍はそれらを全て無惨に切り刻んだ。

 落下するよりも前に、複数の頭部は微細な肉片と化していた。

 少女は槍を止めなかった。

 

 店内の何もかもを、真紅の槍は切り裂いた。

 辛うじて原形が残っていた死体も、無慈悲な斬撃で人間の最後の尊厳を奪われるように破壊されていく。

 

 少女の足が床を蹴り、泥のように血肉が吹き上がる。

 当然、悪臭もまた振り撒かれる。その中で少女は哄笑していた。

 

 自らの力を物言わぬ物体と化した者達に誇示し、踏み躙る事で快楽を得ていた。

 動くものは何も無い。

 狂ったよう動く彼女と、彼女による暴虐に晒される死骸と物体を除いては。

 

 

「おい」

 

 

 殺戮の最中、少女のような声が鳴った。赤に染まった少女は動きを止めた。

 

 

「そろそろ戻って来な」

 

 

 声は耳元で生じていた。

 そしてその細首に、がっと圧力が加わった。

 猛獣が獲物の首を噛むような、それはそんな力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐倉杏子は眼を開いた。

 吹き抜ける夜風の先に、風見野の街並みが見えた。

 

 

「ん」

 

 

 隣からの声。

 ペットボトルに入った水を差し出すナガレがそこにいた。

 無言で受け取り、一口飲む。冷ややかな水が、喉の渇きを優しく癒した。

 そのままごくり、ごくりと飲んで口を離した。

 

 

「見たのかい」

 

 

 前を見たまま、杏子は問うた。

 

 

「ああ」

 

 

 同じく風見野の夜景を見ながらナガレは答えた。

 言い終えると、彼は二個目のおにぎりを齧った。断面には赤色のフレーク。中身は鮭だった。

 ハァと溜息を吐く杏子。何時の間にかしていた妄想が幻惑魔法と絡み合い、ビジョンとなって本人と隣のナガレに作用したと悟ったのである。

 

 

「ま、何を考えるかは自由だけどよ」

 

 

 事も無げと言った風に彼は言う。

 気にするなと言いたげであった。

 

 

「怒らないのかい」

 

「その問い掛けなら、応えは今言ったばかりだぜ」

 

 

 何を考えるのかは自由。確かにそれはそうである。

 しかしながら、杏子には納得できなかった。

 それは、自分がなぜあんな光景を思い描いたのかという疑問も混じっていた。

 

 そして疑問に対し、彼女はある思いを抱いた。

 それは猛スピードで増殖する腫瘍のように膨れ上がった。

 

 

「あれがあたしの、本性というか願望なのかもな」

 

 

 血と臓物に塗れて、暴力を振う事に至上の快楽を見出す自分。

 無意識の内にそれを思い描いた事は、何よりの証拠で無いのかと。

 

 

「だったら何だよ。お前はこうして大人しくしてるじゃねえか」

 

「今だけかもよ」

 

「それなら、そん時にはまた俺相手に戦えばいい」

 

 

 杏子の方を見て、彼は即答する。

 

 

「そっちの方が、お前も暴れ甲斐あるだろ」

 

 

 漆黒の坩堝のような、渦巻く眼が杏子を見る。

 彼の顔に浮かぶのは、挑発のような笑み。

 

 

「…案外、甘い奴だな」

 

 

 彼の意図を察して、杏子は言う。

 自分を人殺しにさせたくなく、人死にが見たくないのだろうなと彼女は思った。

 

 

「ああ、昔にもそう言われた。お前みたいな強い女によ」

 

「へぇ」

 

 

 素っ気なく返す。強いと言われた事は嬉しく、一方で別の女という事例が彼女の胸に「もやもや」を溜めた。

 これがのちの火種だったのかもしれない。

 

 

「人生経験を匂わせての年上アピールたぁ、あんたもガキだね」

 

「うっせ。たまには年上らしい事させろ」

 

「だから、もやもやがあんならぶつけろっての?」

 

「まぁ、そうなっかな」

 

「あんた、そういう風に甘やかしてっからあいつらがツケ上がんだぞ」

 

 

 あいつらとは、言うまでも無く呉キリカと朱音麻衣である。

 どちらも杏子にとって、生命体として害虫以下の認識をされている。

 

 

「ああ?俺はいつも本気で戦ってんぞ?でねぇとお前ら相手じゃ瞬殺されちまう」

 

「いや、そういう甘やかしっていうか、手加減て意味じゃなくて……」

 

 

 微妙なズレに、こいつは本気なのかなと杏子は思った。

 様子から察して、本気である事が分かった。天然なのだろう。

 そして本気である、という事から彼女は行動を決めた。

 

 

「じゃ、さっそく頼むかな」

 

 

 そう言って、杏子はナガレへとずいと近寄った。

 とはいえ最初から五センチ程度しか離れていない距離である。

 少し動いただけで、杏子の右肩は彼の肩へと触れた。

 露出した彼女の肩は、炎のように熱かった。

 そして直後、彼に与える熱が増えた。

 

 杏子が身体を右向きに半回転させ、彼を正面から抱き締めていた。

 そして。

 

 

「抱かせろ」

 

 

 彼の背に手を回して身体を密着させる。

 赤い宝石が付着した胸を彼に押し付け、肉の柔らかさと肌の熱さを彼に伝える。

 肉食獣が獲物を喰うかのように彼の体に覆い被さり、唇を彼のそれに重ねながら、佐倉杏子は思念を用いてそう言った。

 

 

 

 

 


















彼の心の声「(お前らって最近いつもそうですよね。俺の事なんだと思ってるんですかね)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 雌餓鬼

 月光の下、廃教会の屋上にて粘液が絡み合う音が響く。

 ナガレの唇を、女豹が餌食を喰らうように貪り続ける。

 熱い舌が彼の歯と歯茎を舐め廻し、淫猥な蛭のように蠢く。

 

 

「何しやがる」

 

「シたくなったから、シたいコトをシてんだよ」

 

 

 思念で問い、思念で返す。

 紅い眼を淫らな色で輝かせた杏子は、彼の舌を追い掛け蛇のように絡ませる。

 治癒魔法の応用か、彼女の舌は通常の倍ほどに伸びていた。

 

 

「それにあんた、言ったよな」

 

 

 身体を擦り付けながら杏子は言う。

 赤いドレスの下には下着はなく、尖った胸の突起が衣装を押し上げ、短いスカートから覗く太腿には淫らな体液が下方に向けて流れていた。

 スカートの中に夜風が入り剥き出しの女を舐め、淫らな香りを孕んで通り過ぎていく。

 快感にぶるっと震える杏子。耐えるように彼の身体を強く抱き、舌が彼の口内で暴れ回る。

 

 

「こう、いう、欲望ってのは…本能で…だから…あたしが、生きてる証拠…だってさ」

 

「痛いとこ突きやがるな」

 

 

 焼き肉屋でのやり取りを思い出す彼であった。

 自分は生きた死体であると告げた杏子に、欲望は生きてるから生じていると彼は言ったのだった。

 また杏子は、この時少しかちんと来ていた。

 

 彼から感じる命の鼓動と異性の匂い、触れ合う舌の感触から快楽を見出していると云うのに、相手である彼は特に様子を変化させていない事に。

 快楽の波をかき分けるように、屈辱感がさざ波となって波紋を広げる。

 反撃しよう、と杏子は思った。

 

 

「ざぁこ」

 

 

 愛撫の最中、杏子はそう言った。

 舌と唇を絡め、彼の口の中に言葉を押し込む様に。

 杏子の言葉に、彼は首を引きつらせたようにぴくりと反応した。

 その様子に、杏子は満足そうな笑みを浮かべた。小悪魔のような貌だった。

 

 

「ざぁこ。ざぁこ」

 

「………」

 

 

 舌を絡め、彼の唾液を啜って自分の唾液を彼に送りながら、欲情を帯びた嘲弄の表情で杏子は言い続ける。

 口内を舐め廻す杏子の舌は、彼の喉の奥で小さく生じた獣のような唸り声の震えを感じた。

 ぞくりと背筋を恐怖が這うが、肉体を絡める快感と彼の反応を愉しむ欲望の方が強かった。

 

 

「なんだ、それ」

 

 昏い洞の奥から噴く、不吉な禍つ風を思わせる声だった。

 怯えを糊塗するように、杏子は嗤った。男を弄ぶ娼婦の笑顔で。

 

 

「いやぁね。事実を言ってる迄さ」

 

「事実」

 

 

 更に闇を帯びた声。

 恐怖によって、杏子は体内の肉の袋が疼いたのを感じた。

 生命の危機を感じ、彼女の本能は命を繋ごうと蠢動したのだった。

 それに彼女は少しの驚きと、嬉しさと嫌悪感を覚えた。こんな自分が命を宿そうなどと。

 

 

「事実って、なんだよ」

 

 

 彼女の内なる思いを断ち切るように問い掛けを放つ。

 現実に向き合おうと杏子は思った。

 

 

「あんた。あたしにここ最近なすがままだろ?あたしらに欲情しねぇってのは分かるけど、無抵抗ってのはどうなのかなぁって」

 

「…成程な。一応聞くけどよ、ざぁこってのは雑魚ってコトだよな」

 

「そうだよ。ざぁこ」

 

「…」

 

「ざぁこ、ざぁこ、ざぁぁぁぁぁこ☆」

 

 

 彼の顔の前で口を大きく開き、彼の頬を舐め上げて杏子は言う。

 男とは思えない木目細かい肌の感触は、それだけで杏子を欲情させた。性癖破壊兵器と呼ばれるだけはある。

 そして嘲弄の眼に鋭さを宿して彼を見る。彼の外見の中、魂に潜む者の姿を見透かすような視線であった。

 

 その視線に、彼の眼差しが重なる。

 黒々と渦巻く、坩堝のような眼だった。

 

 

「なんだよ、その眼は」

 

「何時もの眼だよ」

 

「何してんのさ」

 

「お前を、佐倉杏子を見てる」

 

「改めて言うなよ。あとそんなじっと見つめんなよ。あたしは腐れゴキブリや孕み願望紫髪と違って色気違いじゃねえんだぞ」

 

 

 そう言うや、離していた唇を重ねる。

 全くの自然な動作、呼吸に等しい動きであった。

 舌の蠢きを再開し、彼の口内を蹂躙しに掛かる。

 

 

「んな事より、ざこらしくこれでも触ってな」

 

 

 しゃぶる様に彼の口内を舌で這い廻らせながら思念を送る。

 杏子は両手で彼の手首を掴むと、自分の両胸へと彼の掌を導いた。

 薄い隆起が彼の手に吸い付くように重ねられる。

 興奮によって硬くなった二つの頂点が彼の手に触れたとき、彼女は軽く達していた。

 彼との戦闘で胸を殴打され、蹴りを叩き込まれて切り刻まれた事は幾度となくある。

 

 骨が見えるのは日常茶飯事で、心臓が肉片、骨が白い欠片になって吹き飛ぶのも全く以て珍しくない。

 生じる苦痛は自分に生を感じさせ、尚且つ背負うべき業罰の片鱗として彼女の心に苦痛を刻む。

 その破壊と苦痛を齎す手が、自分の胸に触れている。

 揉むでもなく撫でる訳でもなく、ただ触れているだけであるが、少し力を入れれば根こそぎ胸を抉り抜く力を秘めた彼の手に触れられることは背徳感も相俟って強い刺激を彼女に与えた。

 

 

「あふぅ……」

 

 

杏子は吐息とも喘ぎともつかぬ声を出してしまう。

 

 

「どうした?」

 

 

 彼は尋ねる。何の喘ぎかは分かっている。

 彼の内心に、それに対する性欲はない。

 ただ、別の感情が渦巻いていた。

 

 

「なんでもないっ……わけ、ねぇだろっ!!」

 

 

 快感の痺れに酔いながらも杏子は思念で叫ぶ。

 

 

「あたしは、何でもなくなんか無いんだよぉ……!もっと強く、もっと乱暴にしていいんだよ……!」 

 

 

 口を離し、杏子は荒い息を吐きながら語り始めた。

 

 

「さっさと…あたしを……犯せよぉぉおおおおおお!!!」

 

 

 本能に心を焦がされ、身を持て余した獣のような叫び。

 今の杏子と発情しきった雌の獣との差は、言葉を話すか否か程度の違いであった。

 

 

「ならよ、どうして欲しいのか言ってみろよ」

 

「だからぁ……!」 

 

「言えよ」

 

 

 彼の眼には、怒りがあった。

 黒い炎か、怨念のような意思の渦か。

 

 

「俺に何をして欲しいんだ?はっきり言いな」

 

 

 その言い回しに、杏子は自分の中で何かが切れたのを感じた。

 

 

「このっ!!だから!!ざこらしくあたしをぐちゃぐちゃにレイプしろって言ってんだよ!!分かってんだろうがこのざこ野郎!!」

 

 

 意味不明だと、彼女の理性は認識していた。

 しかし怒りと欲情に滾った本能がそれを覆い隠している。

 叫ぶ彼女の脳裏には、自分が彼に組み敷かれる様子が映っていた。

 

 馬乗りになった彼が自分の服を引き千切り、裂かれた衣服が風見野の夜に花吹雪のように舞い散る。

 そして裸にした小さな乳房に彼が噛み付き、突起を貪る様を思い浮かべる。

 スカートを捲られ、下着を纏っていないが為に秘所を露わにされた自分は、そこから熱く甘い蜜を垂らしながら彼を迎え入れる。

 そして激しく腰を打ち付けられる度に身を捩じらせて悲鳴を上げ、涙を流して懇願する。

 

 もっと酷く、もっと激しくしておくれ。

 後ろから覆い被さって、結合部と菊座を手で開いて、内臓の内側を剥き出しにして凝視して罵りながら犯してくれと。

 自分が上げる嬌声や悲鳴を無視して、ただ獰悪な衝動を以て犯し尽くして欲しい。

 

 それが叶わなければ死んでしまいそうなほどに、苦しくて仕方がない。

 そうして、自分を壊しておくれ。

 

 

 そんな様子が、彼女には鮮明に見えていた。

 荒い息遣いや、雄と結合する自分の雌が放った淫らな香りや、快感の叫びを上げながら振り回される赤い髪が振り撒く汗の匂いも鮮明に感じられた。

 陵辱される自分の様子に、彼女は浅ましい欲望と、人間性を放棄して破滅へと向かう事への願望を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、お前の望みかよ」

 

 

 その光景の奥から、ナガレの声がした。

 呆れている訳でも、欲情している訳でもない。

 何時も通りの彼の声である。

 ただそこに、彼女は彼の怒りを感じた。

 

 

「それとさっきから雑魚雑魚雑魚って、好き勝手に愚弄しやがって」

 

 

 彼の怒りの理由に、杏子は思わずぽかんとなった。

 これまでのあたしのアプローチを差し置いて、気にするところがそこなのかよ、と。

 

 しかし一方で、危機感を覚えていた。

 彼と自分の意識に入り込んでの幻惑魔法によって表現される、架空の彼による自分の凌辱劇。

 それを貫いて自分に届く、実体の彼から発せられる怒気は尋常ではなくなっていた。

 

 

「攻守交代だ。覚悟しな」

 

 

 彼はそう言った。

 そして幻惑を貫いて、彼の手が杏子の肩に触れた。

 その瞬間、佐倉杏子は悲鳴を上げていた。

 風見野の夜に、恐怖と嬌声が綯い交ぜになった、真紅の雌餓鬼の叫びが木霊する。

 

 















恐らくは今年の書き納めであります
(この不健全な内容で書き納めとか。いいんスかそれ…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 美しい夜に

 夜は十二時を廻っていた。

 齧られたように月が空に浮かび、街を青白い輝きで照らしている。

 昨日ほどではないが、美しい夜だった。

 その光景を、彼は一望していた。

 風見野の廃教会、その天辺付近の屋根に彼は座っていた。

 

 斜面には畳惨状ほどの大きさの板が乗せられ、水平の足場となっていた。

 彼はそこに腰掛け、胡坐をかきながら世界を見ていた。

 見ながら、彼は溜息を吐いた。

 

 長い長い息だった。

 風見野の夜の冷えた空気に彼の熱い息が交わり、白い蒸気となって夜を彩って消えた。

 消えゆく白の奥、彼は記憶の幻影を見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうど一日前。

 板を張る前の斜面にて、佐倉杏子は夜の大気を震わせるほどの声量で声が枯れるまで嬌声を上げ続け、幾度となく失神と絶頂を繰り返した。

 彼女の秘所から溢れた熱い欲情の粘液は、彼女の短いスカートを完全に濡らし切り、外套も腰から下の大半が水気を含んだ。

 長い髪の末端も欲情の体液で濡れる羽目となった。

 ガクガクと全身を震わせる杏子を前に、多大な疲労感を感じたのを彼は今でもはっきり覚えていた。

 

 彼としては、散々に弄ばれ続けた借りを返しただけだった。

 無抵抗を貫き通し、魔法少女に成すがままにされていたことを、彼なりに返したつもりだった。

 

 肩に手を置いて抱き寄せ、背中と腰を軽く撫でる。

 そうしたら悲鳴じみた声を上げて逃げようとしたので腰を抑えて引き寄せ、下半身は触れないように腹と腹同士を軽く重ねる。

 それらの一挙手一投足の度に杏子の雌が疼いて液体が弾け、肉の袋とそこに至るまでの肉襞が蠢いた。

 杏子としての反撃だったのか、彼女は噛み付くようにナガレの唇に喰らい付いた。

 

 先程のように彼の口内を蹂躙しようとした時、伸ばした舌に彼の舌が絡みついた。

 引き戻そうとしたが、彼の方が強かった。

 獲物を絞め殺そうとした蛇が絡みついたのは、自分よりも上位に当る竜であった。

 そんな思いを彼女は抱いたが、それは一瞬にして消えた。

 彼の舌のざらつきと滑らかさ、そして舌で絡められて拘束される被虐感に杏子は悶えていた。

 

 

「むぐぅぅぅ!?」

 

 

 そこに更なる追撃。

 彼女の長髪をなぞりながら伸ばされた彼の右手が、杏子の後頭部に添えられていた。

 触れられた瞬間に達し、撫でられても達した。

 興奮が連鎖しているのか、今の彼女は全身が性感帯と化し、感覚も皮膚を引き剥がしたかのように敏感になっていた。

 彼がそれに気付いたのは、内心の怒りが静まった頃だった。

 

 その時には杏子の眼は虚空を泳ぎ、全身は汗だく…というよりも体液塗れになっていた。

 攻守交替と彼が告げてから、時間にして十分後の事であった。

 杏子の胸の宝石の様子を確かめ、彼女の様子が少し落ち着いてからナガレは杏子を背負って廃教会内部へと戻った。

 

 触れた肌の感触からして、降りるまでの短い間でも彼女は五回は達していた。

 その間、彼は無言だった。

 彼の脳裏で、彼女の魂でもある宝石の輝きがちらついた。

 それは今まで見たことが無い程の、美しい真紅の色に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ」

 

 

 一日前の行動とその結果を思い出す彼に、声が投げ掛けられた。

 振り向くよりも早く、声の主は彼の隣に座った。

 

 

「なぁにショボくれてんだよ、相棒」

 

「べつに」

 

 

 誰かは言うまでも無いが、佐倉杏子である。

 こだわりでもあるのか、魔法少女服で廃教会の屋根の上に登っていた。

 憮然とした彼の様子がおかしいのか、杏子はハハっと笑った。

 

 

「お前、もういいのかよ」

 

「見て分からねぇの?あたしは元気だよ」

 

 

 昨日の不健全行為の後、荒い息のままに目を閉じて眠りに落ちた杏子をソファに寝かせた。

 そして、彼はこれからどうしようかと思った。

 水浸しに等しい状況なので服を脱がせる必要はあると思ったが、彼女の服は一着のみであり替えが無かった。

 とりあえず身長はほぼ同じなので自分の服が使えるのは幸いだと思っていた。

 少女の服を脱がせる行為に関しては、キリカで経験済の上に性欲は微塵も感じない。

 

 これは先程の不健全行為の時も同じであった。

 彼が行ったのはあくまで、不相応に淫らな背伸びに走って自分を弄んだことへの大人しめの報復であった。

 彼が「メスガキ」というネットスラングを知っていれば、「わからせ」という現象を思い浮かべてげんなりとしていたに違いない。

 

 話を戻す。

 あとで半殺しくらいにはされてやるかと思い、まずはということで彼は杏子の胸の宝石に手を伸ばした。

 汗か或いは唾液か、彼女のソウルジェムは濡れた輝きを見せていた。

 それをハンカチで拭ったとき、杏子は小さな呻き声を上げた。

 

 すると杏子の全身が発光、魔法少女服が解除され私服姿へと変化した。

 何らかのスイッチが入ったのかと彼は思った。

 手間が一つ省けたと思い、彼は魔女に命じて杏子の髪を乾かした。

 ガスバーナーの要領で炎を吐き付けるところを、出力を弱めてドライヤーの代わりとさせていた。

 便利なものである。

 

 絶え間ない絶頂で疲れたのか、熱風と音に対しても杏子は無反応で寝入っていた。

 髪を乾かして掛け布団をかけると、彼は廃教会を出ていった。

 焼き肉屋と廃教会屋上で時を重ねている間、また周囲に魔女が顕れたようだった。

 複雑な気分ではあるが、グリーフシードはあるほどいい。

 自分に出来ることを為そうと、彼は魔女に命じて異界を開き、成れの果てが潜む異界へと旅立った。

 

 

 

 数時間後、血みどろの戦闘を経て帰還した彼が見たものは眠り続ける杏子の姿だった。

 それは別に良かった。呼吸は安定しているし、だいたい数時間程度の経過なら眠っているに決まってる。

 それ以降が問題だったのである。

 

 朝になっても杏子はそのままだった。

 昼も同じく。

 太陽が落ちて、世界を闇が染めても杏子は動かなかった。

 

 流石に声を掛けようと思った時、

 

 

「上で待ってな。少ししたら行くからさ」

 

 

 と思念が聞こえた。

 彼はそれに従い、先に上に登ったのである。

 建物を破壊しないように壁を蹴っての上昇移動。

 彼と魔法少女にとっては、階段を上るに等しい簡単な運動だった。

 

 一時間ほどして、彼女は来た。

 そして冒頭に繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

「もう一度だけど、あたしは大丈夫さ。色々と発散させてもらったからね」

 

 

 ひひっと弄ぶように笑うが、そこに悪意はなかった。

 言葉の通り、満足したのだろう。

 ならよかった、と言っていいものかと。

 言ったら悪化するに決まってる。

 既に悪化しているし、彼が何をしようが現状は悪化するしかないのだが、彼はそれに気付いているのだろうか。

 

 

「ほらよ。センチだか賢者だかになってんだか知らねぇけど、落ち着いてるあんたは気味が悪い」

 

 

 そう言って、杏子は彼の左頬に何かを押し付けた。

 ぐにいと押し上げられた頬の肉。

 その根源に目をやった彼は、赤い表面に薄っすらと映る自分の顔を見た。

 

 

「喰うかい?」

 

 

 いい様、シャクっという音が鳴った。

 杏子の口が、瑞々しい赤に輝く林檎を齧っていた。

 夜にも鮮やかな、杏子の歯形を付けた白い断面が覗いた。

 

 

「ああ、ありが」

 

 

 言い掛けた彼の顔、正確には口へと杏子は林檎を押し付けた。

 

 

「喰うかい?」

 

 

 言い方が気に入ったのか、杏子は言葉を繰り返す。

 彼女としても、その言い回しは妙にしっくり来た。

 恐らく自分の本能みたいなものだろうなと納得した。

 何故そう思うのかは分からないが、別にいいやと彼を弄ぶことに専念する。懲りていないのだろう。

 

 

「喰うよ」

 

 

 そう言って、押し付けられた林檎に歯を立てた。

 口に咥えたまま受け取り、一口齧る。

 半円を削り取った林檎をしげしげと見ながら、

 

 

「美味いな」

 

 

 と味を評した。

 

 

「これアレか。郊外の無人販売のやつ」

 

「そうだよ」

 

「待ってろって、これ買いに行ってたのか」

 

「ああ。あんた、喰った事無いだろうしね」

 

 

 確かに食べるのは初めてだった。

 彼女は今までは全て買い占め、全て自分だけで食べていたからだ。

 指摘するのもバカらしいので、二口目を齧る。

 瑞々しさと甘さと酸味がちょうどいい塩梅だった。

 

 

「ほんっと、妙な関係になったよなぁ。あたしら」

 

「嫌かよ」

 

「そうでもねぇのが割とシャクだよ。ああ、これがツンデレってやつか」

 

 

 自分が纏うものがそれなら、仕方ないとでも言うように杏子は属性を口にする。

 

 

「ついでデレ成分を追加してやる」

 

 

 杏子はそう言った。また昨日の再現になるのかなと彼は思った。

 確かに身体は寄せられた。

 但し、それは彼の頭に置かれた杏子の右肘だった。

 短いスカートから覗く太腿を見せるように膝立ちになりながら、杏子は左手を彼へと伸ばした。

 

 

「こいつも喰いな。まだまだあるから、いつもみてぇに魔法少女関連で心配する必要もねぇぞ」

 

 

 長く、そして強引な台詞を言った杏子の左手には新しい林檎が握られていた。

 林檎を間に挟んで掌同士を重ねるように、彼はそれを受け取った。

 割と見透かされてるのかもなと、彼は思いつつ最初の林檎を口に運んだ。

 

 昨日から、最初からこの遣り取りをしていれば平和そのものだったのだろうなとも思った。

 しかし実際は不健全な交差を経て、ここに至った。

 この関係を形成するまでがそもそも半年を経ている。

 平和ってのは得るのは大変なんだなと思いながら、杏子とナガレは林檎を齧り続けた。

 考えなければならない事と、向き合わなければならない事柄は多いが、今は平和を貪ろうと思った事も同じであった。

 

 

 

【挿絵表示】

 















あけましておめでとうございます
そしていつもながら、自作には勿体ない素晴らしいイラストであります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 紅の決意

 昼の二時と少々、場所は風見野の廃教会。

 神の家としての役目を終えたその場所の中で、住人であるナガレと杏子は食事に勤しんでいた。

 

 杏子は一心不乱にハンバーガーを、しかも分厚い肉が何枚も入ったビッグサイズのものを大口で齧って次々と消費していく。

 ケチャップやマスタードが口を穢すが、ある程度になったら舌で一舐めして残らず啜る。

 包装紙に付着した調味料も、バーガーを食べると舐め取っていた。食べ物を大切にするという想いを、この少女は徹底しているのだった。

 

 対するナガレは弁当屋で購入した弁当を食べている。

 今食べているのは、いい具合に醤油が染み込んだ海苔が乗せられた海苔弁当だった。

 

 海苔を破かないように箸で手早く飯ごと斬り分けて口に運ぶ。

 タルタルソースが掛けられた白身魚のフライを齧ってオカズにし、キンピラごぼうをアクセントとして時々咀嚼する。

 食べながら、ナガレは対面に座る杏子の物欲しそうな視線に気が付いた。

 

 

「トレードするか?」

 

「ん」

 

 

 ナガレの提案に、杏子は右手を振った。

 右手が掴むのは柄を伸ばされた真紅の槍であり、その穂に包装されたバーガーが乗せられていた。

 それを受け取り、ナガレは代わりに新品の海苔弁当を乗せた。

 柄が引き戻され、杏子はそれを受け取りガツガツと食べ始めた。

 

 この遣り取りも平和になったなと杏子は思った。

 少し前なら槍は彼の頭を狙い、手加減無しで串刺しにする勢いで放っていた。

 つくづく異常だと呆れるが、懐かしさと寂しさを感じた。

 

 

 

 数分後、食事が終わった。

 食べたものの内訳は杏子がビッグサイズのバーガーを15個、海苔弁当を5個。

 ナガレは海苔弁当を13個にバーガーが3つ。

 両者にしては少なめの食事で、食べ終わってから二人ともに物足りなさを覚えていた。

 

 食休み程度に寝転び、ぼけーっとする。

 十五分程度そうしてから、杏子が口を開いた。

 絶頂と失神を繰り返したあの後、意識を取り戻してから丸半日間布団の中で考えていたことがあった。

 彼女はそれを伝えようとした。

 

 しかし八重歯を覗かせて開いた口は、虚空を彷徨うように開いたままになった。

 そのまま少し待った。

 心を決めたのは、更に数分が経過した時だった。

 

 彼女が口を止めたのは、その内容を告げるか迷ったという事もある。

 自分一人で解決すべきではないかと、杏子は思っていた。

 しかしそれをやっても、どうせ相棒は野性的な感というか本能で勘付く。

 そしたら伝えた方がいいと、それについては解決した。

 

 それでいて言葉を紡ぐのを止めたのは、言葉にしようと思い描いたものが、とてつもなく恐ろしかったからだ。

 自分の恐怖心を認めようとはしない、感じていても気合で黙らせる彼女にとっても、その存在は恐ろしかった。

 しかし、向き合わなければと思っていた。

 だから彼女は、ソファからむくりと起き上がり、彼の方を向いて言葉に出した。

 その名前は彼から聞いていた。

 すうと、大きく息を吸った。

 

 

 

マジンガーZERO

 

 

 

 その名前を出した時、杏子は背筋が凍えるのを感じた。

 外は燦燦とした陽光が輝き大気も相応の熱を持ち、それを風が運んできていると云うのに、室内の気温は真冬と化したような気がした。

 その言葉に、彼も反応した。

 表情には出さなかったが、うげ、という感慨を抱いた。

 

 

「たしかそんな名前だったよな。ここに来る前のあんたの仲間」

 

「ああ。それで合ってる」

 

 

 しかしながら、そろそろ話した方がいいと思っていた事でもあった。

 それを彼女から切り出されたことについて、自分の事を彼は情けないと思った。

 尤も、彼も食後に話そうとしていたところだったので、誤差程度ではあるのだが

 

 

「さしずめ、アレだろ。『サザンクロスナイフ』」

 

「うん、それそれ」

 

 

 努めてフランクな様子で杏子は同意した。

 彼がその存在に対して怖れを持っていない事、そして彼女自身が彼のようにあろうとしたことが、少なくとも表面上での動揺と恐怖を抑え込んでいた。

 

 

「お前、あれを何処で知った?」

 

「なんか、頭にパッと思い付いた。で、やってみたら出来た。で、やってみたら出来た。あいつの技かい?」

 

「ああ」

 

 

 彼は肯定した。牽制技とは言わなかった。

 使用者にとってはそうなのだろうが、実物は宇宙を切り刻み次元さえ超えて相手を追尾し殲滅する殺戮兵器である。

 そんな牽制があってたまるかと。

 

 

「使い勝手良いね。便利だよ」

 

 

 杏子は事実を告げた。その言葉のままだった。

 そして彼女は右掌を垂直に掲げ、そこに魔力を集中させた。

 掌サイズの十字架の刃、サザンクロスナイフの一枚が浮かぶ。

 

 

「ちなみに、一応確認するけどマジンってのは魔の神ってコトだよな」

 

「ああ」

 

「じゃあ、ガーって何?」

 

「俺も分からねぇ。聞いてみたけど本人も知らねぇんだと。造った奴に言ってくれとさ」

 

 

 その造った奴、即ち創造主は生まれた瞬間に踏み潰したという事を彼は聞いていた。

 まぁそれは別にいいと、彼は言及を控えた。

 

 

「あんな化け物相手に仲良いな、あんた。なんつうかアレかい。ヤバい奴にはヤバい仲間がいるもんだね」

 

 

 軽口を叩くが、杏子の内心は怯え切っていた

 彼の心の中で見た地獄どころではない異次元の地獄の中で、彼女はその存在を見た。

 0と無限を示すような真紅の翼、あらゆる物体を触れるだけで破壊出来そうな逞しい四肢。

 降り掛かるあらゆる災厄を、逆にぶちのめして蹴散らすであろう分厚く黒い装甲。

 白い王冠のような頭部。そして髑髏を思わせる貌。

 

 

 魔神。

 

 その言葉に間違いはないと思わせる姿をしていた。

 そしてあの貌というか、異様な存在感。

 例え生れ落ちた直後の生命体であっても、または美意識や認識能力と感覚機能の差異はあったとしても。

 その別なく、根源的な本能に根差した原初の恐怖を刻み込むであろう存在である事が分かった。

 

 

「まぁあいつ、アホみたいに強いけど趣味はロボアニメ鑑賞だったりするからな。あと新しい物好きでいつも何かを探してやがる。暇さえあれば俺にマジンガーZを勧めてくるしよ」

 

 

 そんな存在に対し、彼は愚弄ともとれる発言をした。

 彼女の内心を見抜いて気遣っている、よりも単に本心を言ったのだろう。

 

 

「マジンガーZってのは、たしか…」

 

「ああ、これだ」

 

 

 そう言うと、彼は魔女を呼び出した。

 そして魔女の眼の中から粘度を取り出し、手早くこね回し始めた。

 魔女の中は倉庫として使われているが、最早なんでもアリだなと杏子は思った。

 そう思っている内に、形が出来ていた。

 

 

「ほい」

 

 

 そう言った彼の掌の上に、それは乗っていた。

 ZEROと呼ばれた存在と酷似していたが、詳細が大分異なっていた。

 異形そのものと言った禍々しさが消え、代わりに神のような荘厳さと威厳が纏われた姿となっている。

 それでいてシンプルでどこかレトロな雰囲気があり、恐怖ではなく親しみを感じる姿に思えた。

 

 

「…これが、アレになるのか」

 

「そういうコトになるな。俺も一度見たけど、結構エグい変形してた」

 

 

 おぞましさを感じる杏子に対し、ナガレは何時もの様子だった。

 こいつメンタルヤバすぎんだろ、と彼女は思った。

 

 

 

 それから杏子は、ZEROと呼ばれる存在について尋ねた。

 かなり掻い摘み、ナガレは答えた。

 自分で話してはいたが、彼としても信じられなく、そしてどう考えても……。

 

 

「悪魔どころじゃねえな、そいつ」

 

 

 ひとしきり聞き終えた杏子は、声を絞り出すようにしてそう言った。

 そして急速に不快感を覚えていった。

 それは、耐えられるものではなかった。

 

 

「ーーーーーーーぅっ!」

 

 

 口を押さえて廃教会内を走り、転げ落ちるように外に出た。

 そして一本の木の根元に立つや、両手を幹に付けて思いっきり口を開いた。

 開いた口から、胃壁を溶かして赤に染まった胃液が滝のように溢れ出る。

 

 

「うええぇ!うげぇ!ぐぶぉ!?」

 

 

 吐き気が止まらない。

 

 身体が震える。

 

 気持ち悪い。

 

 恐ろしい。

 

 痛い。

 

 怖い。

 

 苦しい。

 

 辛い。

 

 

 杏子の中を、感情が駆け巡る。

 

 異界の存在の中でも、とりわけて邪悪な存在を垣間見た事は杏子の正気を削っていた。

 胃液を吐きながら、杏子は心を整理しようと努めた。

 繰り返される時間、滅亡する世界。

 完結し、平和が訪れたと思った矢先の更なる地獄。

 永久の拷問のようなそれに、彼女は打ちのめされていた。

 

 そんな地獄の苦痛を味わう自分を、異形の渦巻く眼が見ているような気がした。

 杏子はそう思った。

 その間も嘔吐は続く。

 固形物はなく、次々と生産される胃液と、それに溶かされ赤い水と化して流れる体組織が吐き出されていった。

 

 背を折り曲げて吐き続ける杏子の隣に、何時の間にかナガレの姿があった。

 彼は無言で杏子の背を摩った。

 大丈夫か、などは愚問であるし余計な気遣いは彼女のプライドを傷つけるだけだと思っていた。

 その事に、杏子自身も感謝していた。

 もし言葉を投げ掛けられたら、屈辱で自分を見失ってしまっていたかもしれないと。

 

 そしてそのことが、杏子の決意を固めた。

 溢れる胃液を、杏子は敢えて飲み込んだ。

 口を押さえ、更なる嘔吐を強引に抑える。

 

 五分が経過した。

 杏子は己の嘔吐感と恐怖。

 それらによる苦痛を黙らせ、ふらつきながらも両足で立っていた。

 

 そして傍らのナガレの顔をじっと見つめ、こう言った。

 

 

「…神浜に、あの鏡の世界に、あたしは行かなきゃならねぇ」

 

 

 嘔吐によって潤んだ眼であったが、そこには確たる意思が秘められていた。

 

 

「自分を…見失わねぇ為に……あたしは、あたしの心に勝って遣る……!」

 

 

 込み上げる胃液を強引に胃に留まらせ、杏子は言った。

 

 

「何時だ」

 

 

 と彼は尋ねた。

 

 

「今からさ」

 

 

 獣が歯を見せて嗤うように、杏子は今できる最大限の強がりしてそう応えた。

 

 

 


















新年早々不穏であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 あたしは

 弾ける体液、飛び散る肉片。

 砕け散る武具に引き裂けて宙を舞う煌びやかな衣装。

 

 切り開かれた体の中からは血と粘液にまみれた内臓が、悪臭を撒き散らしながらでろりと這い出て地面に落ちる。

 何時もの光景、といえばそうだった。

 武具を用いての殺し合いによって生じる、当然の結果である。

 ただしこの異様な日常の中でも、異常さは表出していた。

 

 破壊される物体の何もかもは、血のような赤い色をしていた。

 髪も肌も骨も、衣装も武具も何もかも。

 それが落下する地面もまた赤一色だった。

 

 赤いガラスのような地面に、赤で彩られた人体が落下する。

 赤い長髪に、赤い着物。

 赤い柄と刀身の二本の脇差が、折られてもなお主に寄り添うように二つに分かれて臓物を零して悪臭を立てる死体の傍に突き立っていた。

 肉の断面から溢れた内臓は、自然に零れたにしては量が多過ぎた。

 傷口の破壊具合から見て、切り裂いてから抉り出したかのようだった。

 

 地面は赤一色ではあるが、動きを見せていた。

 地面自体が動いているのではない。地面の下にある映像とでも言うべきもの。

 例えるなら、地面というガラスの下で、赤色の水面が波を伴って揺れているような感じだった。

 

 それが一面に、果てしなく広がっている。

 まるで赤い海のような光景だった。

 地面の下で波打つ水面、そして地面の上では大量の死骸が水を撒いたかのように散らばっていた。

 

 単髪で軽装の、指を出したグローブを両手に嵌めた赤い少女は首と胴体と両膝を切り離されていた。

 顔は踏み潰され、ブーツの底の形に陥没した顔の孔から赤い脳髄を見せていた。

 

 その近くには頭頂から股間までを一気に切り裂かれた少女が転がっていた。

 中華風の衣装でお団子状に束ねたツインテールの髪型が印象的だった。

 両手に装着された、長く伸びた三本の爪状の暗器は手首ごと切り離されて左右に分かれた主の顔面に耳の辺りから突き刺され、強引に縫い止められていた。

 先に真っ二つにしてから、まだ息があったので追加でトドメを刺したのだろうか。

 単純だが、加害者の憎悪が伺える殺害方法だった。

 爪を武器にした暗殺者風の外見が、何かを連想させたのかもしれない。

 

 その傍には、小柄な少女がいた。

 短冊状に切りそろえられた髪を生やした少女の首が、断面を地面に着けた形で置かれていた。

 鏡の中の少女らしく、無表情な顔で仲間と思しき三人の少女達の無残な姿を眺めている。

 そしてその首から下は、原型を全く留めていなかった。

 ミキサーにでも掛けられたかように、衣服と肉が細かく刻まれて混ぜ合わされた物体になっていた。

 かつての名残であるかのように、その近くには槍が転がっていた。

 穂の部分が、まるで本の栞のような形をした赤い槍だった。

 

 

 その近くに、地面に突き立つ槍とそれに寄り掛かる様にして座る少女の姿があった。 

 少女もまた、全身に紅を纏っていた。

 ただしこちらは、生まれ持った色として。そして、自分が滅ぼした者達から溢れた色に染まっていた。

 

 

「はぁ…はぁ……」

 

 

 荒い息を吐きながら、佐倉杏子は座り込んでいる。左手は五指広げて胸に重ねられている。

 指の隙間からは、闇色の輝きが見えた。

 

 硬質の足音を立てながら、そこに近寄る少年がいた。

 血に塗れた斧槍状の魔女を肩に担ぎ、全身に返り血と傷を負ったその姿は例え美少女じみた顔であっても悪鬼羅刹の類か、それ以上の悍ましい何かにしか見えなかった。

 

 事実、彼の背後には酸鼻で凄惨な光景が広がっていた。

 全身を赤に染めた無表情な魔法少女の複製達の死骸が散乱していた。

 血と肉の海に沈む転がる首の総数で鑑みれば五十体は軽く超えていた。顔面を砕かれたものを追加すれば更に数は増える。

 また見えている範囲でそれなので、少なくとも実際はその数倍は屠られているのだろう。

 

 

「どうだ?」

 

「ああ、イイ感じさ」

 

 

 ナガレは膝を折って彼女に目線を合わせて尋ねた。

 空気までもが赤みを帯びているかのように赤く染まった世界は、並ぶ二人にはよく似合っていた。

 

 その彼に、杏子は左手を退けて胸を見せた。

 複製からの攻撃で、手の下の衣服は弾け飛んで血に染まった肌が見えていた。

 血で濡れ光る剥き出しの胸の中央に、闇を孕んだ宝石が見えた。

 

 

「もうすぐ孵るよ、あたしの卵がね」

 

 

 それはたしかに、孵化の兆候だった。

 彼女の中に、新たな命が生まれようとしている。

 

 

「…ほんとにやる気かよ」

 

「たりめーだろ。何の為に神浜くんだりまで来たってんだよ」

 

 

 黒々と濁った杏子のソウルジェムを見て、ナガレは毎度ながらこの色には慣れないという感慨を抱いた。

 

 廃教会にて異界の魔神の所業を聞き、嘔吐を繰り返した杏子は自らに決着をつけると言って風見野の鏡の結界に赴き彼もそれに付き合った。

 理由は、本人ではないとは言え彼も察していた。

 

 十日ほど前、佐倉杏子は鏡の結界の中で異形を現出させた。

 それを撃破し彼女の魂の中へ赴き、互いの精神と記憶が交じり合った魂の世界で両者は争い合った。

 結果的にナガレが勝利し、杏子の魂の中に溜まっていた濃縮された穢れは杏子の中から取り去られた。

 

 しかしながら、それはあくまで強制的な浄化であり、彼女としての心の整理は付いていなかった。

 呉キリカ曰くの『ドッペル』の制御について、帰還後に彼女からざっくりとだがナガレは聞いていた。

 ゲームか何かのイベントに例え、彼女は『ドッペル解放クエスト』と言っていた。

 杏子にそれを伝えてはいなかったが、杏子は本能的に察したようだ。文字通りに自分の身体の事である為だろう。

 

 そして神浜の鏡の結界を経由して、以前訪れた神浜のミラーズへと赴いた。

 出迎えたのは嘗ての光景ではなく、赤一面に染まった異形の世界。そして、同じ色に身を染めた魔法少女の複製体達だった。

 結界が変化してしまったが誰の所為なのかは、今はいいとした。

 異様さが増していたが、気配は以前と変わらない。ならば前と同じ事は起こせるのだろうと、複製達を葬りながら互いに思った。

 

 

「やる事はアレだよ。前にあんたにヤられた事を、あたしが自分でヤればいい。例えて言えば、前のがあんたとあたしのセックスなら、今回はあたしのオナニーみてぇなもんさ」

 

 

 強がるように性的な単語を交えて杏子は言う。

 言った後で羞恥心が来たのか、杏子は顔をかぁっと赤くした。流石に露骨だと思ったらしい。

 元気である事は分かったので、彼も少しは安心した。

 

 

「この穢れってのがあたしのストレスから来てるってんなら、あんたも少なからず片棒を担いでる。ある意味、あんたはこいつの父親か」

 

 

 胸を突きながら杏子は言う。この前に絶頂地獄に叩き込まれた事への報復として言っていた。

 言われた方としては、あの時は随分と宝石は輝いていたのにと理不尽さを感じていた。

 しかし今の彼女が背負っている理不尽さとは、そんなものは比べ物にならない。

 

 

「それと…見ろよ、この惨状。あたしはこいつと決着を付けなきゃならねぇ」

 

 

 周囲に転がる、執拗に破壊された惨殺死体に視線を送り、杏子は言った。

 そして、槍を杖にして立ち上がる。

 

 

「あたしって奴は…どうにも残虐性って言うか、殺戮衝動ってのがあるらしい。前にも言ったけど、あんたがいなけりゃ焼き肉屋の中は惨殺死体で一杯になってただろうよ」

 

 

 彼は黙って聞く。

 

 

「あれがあたしの本性だってんなら…仕方ねぇさ。でも、あたしはそいつに振り回されたくねぇんだ……あんたなら、分かるだろ」

 

「分かる」

 

 

 言い切るように彼は言う。

 力に囚われ、力に遣わされる事程、馬鹿々々しい事はないからだ。

 彼はそう思っていた。

 だからこそ、彼は今の生活をしているのだった。

 全ての元凶を葬る為の旅に出た切っ掛けは、まさにそれであった。

 

 

「だから…あたしがやらなきゃならねぇんだ。あたしが、決着を……」

 

 

 語調は静かだが、力強い眼差しで彼を見る。

 その言葉は、嘗て彼が今の放浪の旅に出る際に仲間に告げた言葉と同じだった。

 皮肉な因果を、彼は感じた。

 

 

「ああ。俺は邪魔しねぇから、存分にやりな」

 

 

 少しだけ迷い、今できることを彼は告げた。

 それに対し、杏子は頷いた。

 頷いて、こう告げた。

 

 

「変な話、だとは思うけどさ。聞いてくれるかい?」

 

「何でも言いな、相棒」

 

「あんたがもし、血に狂った殺人鬼みてぇな奴だったら…あたしもそれに合わせられたら……好き勝手に暴れてりゃいいから、楽だったのかもね」

 

 

 自嘲気に笑い、彼女はそう言った。

 

 

「あたしって女は…近くの奴に結構影響受けやすいみたいだからさ。もしもあんたが狂ってたら、きっとあたしも同じく血に狂ってた」

 

 

 その光景を杏子は幻視した。

 自分でも嫌になるほど、その光景は簡単に想像できた。

 この世界のような、一面の赤。

 赤いフィルターが常に通された様な、毒々しい赤で満ちた世界。

 

 鼻孔を刺すのは、人体から溢れた血と鉄錆と、臓物の中身である糞尿の悪臭。

 その中で、二人は嗤っている。

 手や武具で死者を冒涜的にこねくり回して弄び、怯える生者を嬉々として殺していく。

 ただ自分の力を誇示するために。

 

 

 そしてその光景を思い描いた事が、最後の一押しになった。

 黒く濁り切った真紅の宝石から、穢れが溢れ始めたのである。

 闇の奔流は力を伴い、猛烈な風が吹き付ける。

 

 それを彼は真っ向から受けた。髪や衣服がはためくが、彼の体幹は小動もしなかった。

 

 

「でもあたしは、そうはなりたくない。そもそも、あたしはあたし以外にはなれない」

 

 

 そう言った杏子の手に、闇が集まった。闇は細長く伸び、黒い柄と緑と黒、そして赤の混じった斑模様の菱形の槍穂を持つ巨大な槍と化した。

 

 

「もし…もしも何かになれるなら……あたしは…………」

 

 

 杏子はナガレを見る。彼もまた杏子を見ている。

 

 

「あたしは……」

 

 

 槍穂の根元を持ち、杏子はその切っ先を闇を吐き出す胸へと、自分の魂へと向けた。

 

 

あんたみたいに、なりたい

 

 

 そう言った時、杏子は微笑んでいた。

 泣き笑いにも似ていた。

 そして先端は魂を貫き、次いで槍穂が一気に宝石の内へと埋没した。

 穂の太さはソウルジェムのそれを超えていたが、漏斗に注がれた液体のように魂の中に入っていく。

 槍の半ばまで吸い込まれるのに、一呼吸も掛からなかった。

 

 槍は背からは抜けず、彼女のソウルジェムの中に留まっている。

 その槍の中へと杏子の意識は融け、そして自らの魂の中へと吸い込まれていった。

 

 薄れてゆく意識の中でただ一人、こちらを見つめる彼の顔があった。

 その姿とその魂を心に刻むかのように、彼は杏子を見続けていた。

 意識が消え失せるまでの間、ずっと。

 

 

「勝て」

 

 

 最後に、その声が聞こえた。

 彼の今の声に被さる様に、本来の彼の声がした。

 そんな気がした。

 


















新年早々大変であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 残虐との対峙

 自らの魂を貫き、精神の中に己を潜り込ませた佐倉杏子。

 その眼が開き、彼女が意識を取り戻したのは、彼女の感覚では槍が魂を貫いた直後の事だった。

 意識が消え失せる寸前に、彼から投げ掛けられた一声は今も鮮明に脳裏に残っている。

 

 眼を開くと杏子は立ち上がった。

 一面の白。

 輝くのではなく、白い闇のような世界が見えた。

 

 足元から膝下の辺りまでを、同色の霧か靄が滞留している。

 天も地も、白い闇で満ちていた。

 何処からともなく吹く風に寄り、足元の霧が巻き上げられて視界を遮る。

 その霧の奥から、彼女に歩み寄ってくる影があった。

 

 長い得物を肩に担ぎ、白の中でも分かる真紅のドレスを着たものの姿が見えた。

 展開が早くていい。

 彼女はそう思い、槍を構えた。

 

 直後、闇が弾けた。

 弾丸もかくやという速度で、それは彼女の元へ訪れた。

 

 眩く輝く、紅と金色の一閃が迸った。

 異界を切り裂くような金属音と、そこに乗せられた力が激突した。

 

 ガチガチという音を立てて、二種の槍が柄を絡ませていた。

 

 

「はっ……どこで手に入れたんだよ、その槍」

 

 

 一つは先端に十字の槍穂を頂いた、全てが真紅で彩られた魔槍。

 それを持つのは佐倉杏子。心の中に訪れた者である。

 

 そしてもう一本は、金色の柄に二等辺作角形の幅広の槍穂を頂く魔槍。

 それを持つのもまた、佐倉杏子だった。彼女の心の中に潜む者。

 

 分身である筈なのに、得物に差異が生じていたことに彼女は僅かな疑問を抱いたが、何故だか納得もしていた。

 何処かでその形を見た、そんな気がしていた。

 そして今は、それはどうでもいいとした。

 

 訪れた方の杏子は、相手の力に抗いつつ、自分の顔を見た。

 前髪に隠れ、両眼は見えなかった。

 ただ一か所、耳まで裂けたように半月状に開いた口と、噛み合わされた白い歯が見えた。

 歯の間からは、ダラダラと唾液が溢れ、細い顎を淫らな輝きで濡らしていた。

 

 それだけで、杏子には相手の正体が分かった。

 自らの内に潜む残虐性。殺意の塊とでも言うべき、もう一人の自分。

 そう認識した時、杏子の心に怒りの炎が湧き上がった。

 

 拮抗状態を打破すべく頭突きを放とうとしたその瞬間、相手の杏子の手が伸びていた。

 杏子の細首が、殺意の杏子の繊手によって絡み取られる。

 一気に握られ圧搾される杏子の首。

 彼女の中に生じた炎は、その瞬間に爆発した。

 

 

「なろォ!!」

 

 

 左手は槍に添えたまま、残る右手で杏子は相手の顔面を殴打した。

 拳の先で、繊細な顔が潰れる感触がした。

 構わず引いた。拳が着弾した杏子の顔は、鼻から血を溢れさせながらも表情を変えていなかった。

 不気味な表情を破壊すべく、杏子は連続して殴打を放った。

 

 着弾する拳と顔の間からは血飛沫が迸り、杏子の手首までが血に染まるのにそう時間は掛からなかった。

 降り掛かる血液が、殴られ続ける杏子のドレスを穢す。

 魔法少女衣装の美しい真紅は血液の黒々とした色と交わり、首から下の胸元を基点に毒々しい赤紫色となっていく。

 真紅の杏子と赤紫色の杏子、今この異界には、そんな二人の杏子がいた。

 

 

「くた…ばれ!!」

 

 

 数十発の殴打を見舞い、そしてトドメと言わんばかりに杏子は殴った。 

 揺蕩う白い霧の中に鮮血が飛び散り、白に赤を足した。

 杏子はその殴打によって、相手の骨が砕けた事を確信した。

 その拳に、にゅるりという感触が這った。

 舌で舐められたと瞬時に悟る。

 

 嫌悪感に思わず拳を離す。

 殴打痕が幾つも生じた血塗れの顔は、それでも悪鬼の笑顔を浮かべ続けていた。

 衝撃で前髪が少しずれ、その奥の眼が見えた。

 

 真紅の瞳の中は、爬虫類を思わせる縦長の瞳孔が見えた。

 それは杏子をじっと見ていた。温度の宿らない、無機質な瞳。

 口元と反して、感情の伺えない眼がそこにあった。

 

 それを叩き潰すべく、杏子は叫びと共に拳を見舞った。

 接触の寸前、杏子の叫びと動きが止まった。

 首を掴んでいた殺意の杏子が力を一気に強め、杏子の気道をほぼ完全に握り潰し、苦痛によって動きを停止させていた。

 

 殺意の指は首の肉を貫き第二関節までを首の中に埋めていた。

 首の肉の中で、殺意の指は肉を喰らう蛆虫か絡み合う蛇のように蠢いた。

 犯されるような嫌悪感に身を貫かれる杏子。

 

 直後、その身体は宙に浮いていた。

 殺意の杏子が軽々と杏子を放り投げ、地上20メートルの高みにまで一気に投げ飛ばしていた。

 

 

「くっ…」

 

 

 苦鳴を上げつつも、杏子は空中で姿勢を正した。

 真紅の外套の裾を燃焼させ、覚えたての飛行魔法にて宙を舞う。

 首の負傷を治癒させ、内側の骨も元に戻す。

 

 ここは精神世界であるが、前回と違い肉体は負傷するようだった。

 気構え一つで変わるのかもしれないが、今の彼女にその余裕はなかった。

 

 その彼女の上から、巨大な影が降り注いだ。

 この状況には覚えがあった。

 見上げた瞬間、魂と心臓を氷の爪で掴まれたかのような恐怖。

 

 空中を蛇行する巨大な機械の蛇竜、ウザーラ。

 本来の色は黒と白、佐倉杏子が生み出した紛い物であれば一面の真紅。

 そして今いる個体は、血に染まった殺意の杏子を思わせる毒液のような色合いの赤い紫。

 

 紫色の十字線が入った眼が滞空する杏子を見据え、既に開かれた口の中で無数の紫電の毒蛇が躍り狂っていた。

 退避と後退、そして死という単語が脳内を過る。

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 恐怖を振り払うように叫び、上昇する杏子。

 それと時を同じくして、赤紫色の蛇竜は口内の力を解き放った。

 空間それ自体を獲物としているかのように、雷撃の毒蛇達がばぁっと拡がる。

 

 その中を、真紅の魔法少女は槍を振いながら飛翔した。

 地上に退避しても、広範囲攻撃に蹂躙されるだけ。ならば進むしかない。

 

 蛇竜の頭部に取り付き、その首を切り落とす。

 それしか勝機が無い。

 肩に膝にと、紫電が着弾し肉を焼け焦がす。

 

 構わず武器を振って、血路を開いて上昇する。

 その最中、蛇竜の鼻先に立つ不吉な影を見た。

 それは今も口を広げ、血染めの顔で不気味な笑みを浮かべていた。

 

 殺意の杏子は鼻先を蹴って飛翔、空中で身をくねらせ、下方の蛇竜に向けてにっと更に口を広げて嗤った。

 それを合図に、赤紫の蛇竜は雷撃に加え、黒交じりの炎を吐いた。

 

 禍々しい色は毒液を思わせ、それは瀑布のような奔流となった。

 嗤う杏子はその上に乗り、毒々しい輝きの流星と化して急降下。

 右脚をキックの形に伸ばし、赤紫の杏子は杏子に迫る。

 

 杏子はそれに対し、両腕をクロスさせて構えた。重ねられた両腕の中央に、毒々しい色彩を纏った蹴りが直撃した。

 激突した腕の肉が弾け、折れた白い骨が外気に晒される。

 宙を舞う杏子の血肉は焦げ臭い匂いを放っていた。赤紫色の杏子の足裏には、蛇竜が放った雷撃と炎が絡みついていた。

 

 苦痛の声を上げる前に、再び杏子の腕を衝撃が襲った。

 今度は左脚による蹴りだった。

 このやり方に、杏子は身に覚えがあった。

 彼女自身が、ナガレに見舞った技だった。

 

 そして、それが地獄の始まりだった。

 まるで泥でも踏みしだくように、赤紫色の杏子は狂った笑顔のままに両脚で交互に蹴りを放った。

 魔法少女の力に紫電と炎が纏われ、一撃毎に杏子の肉体が削れていった。

 

 数発で、防御に用いていた両腕は肩まで炭化し開いた腹に蹴りが減り込む。

 高熱で内臓が焼け爛れ、体内の血液は赤い水飴のような粘液と化した。

 続く一撃が胸を陥没させ、心臓を雷撃の毒蛇が締め上げる形で愛撫する。

 

 悲鳴すら上げられず、杏子は口から血泡を吹きながら落下していった。

 やがて彼女は地面に叩きつけられ、その全身から熱によって変質させられた、粘ついた血が噴出した。

 赤紫色の杏子はそんな杏子に覆い被さるようにして着地した。

 いや、そんな生易しいものではない。

 仰向けに叩き付けられた杏子の腹に、両膝を突き込む形で着地したのであった。

 

 既に焼け爛れて強度を喪った内臓が、杏子の肉の中でペースト状に掻き混ぜられた。

 口と、胸に開いた孔からは熱い肉の泥が噴き出した。

 ゴボゴボと、汚泥を垂れ流す配管のように杏子は壊れた内臓を吐き出していく。

 

 杏子の肉体の惨状はそれだけに留まっていなかった。

 彼女の右目は落下の際に掠めた雷撃によって蒸発、血色の孔と化している。

 両腕は肩の付け根から外れ、断面は炭となり、赤い粘液を滲ませながら黒い肉が自然と剥離していく。

 

 その様子が面白いのか、赤紫の杏子の笑みはより深くなったように見えた。

 悪鬼の表情で、血に染まった両手を首へと伸ばした。そしてゆっくりと絞め上げていく。

 息苦しさに喘ぎながらも、杏子は必死に逃れようともがいた。

 

 しかし体幹を揺らす程度の抵抗しか出来ず、その様子を弄ぶように彼女は楽しげに笑うばかりだった。

 左目だけの視界が徐々に暗くなっていく。

 消えそうな意識は、背中で生じた痛みによって引き戻された。

 

 

「が、あああああああああああああああ!!!」

 

 

 杏子が悲鳴を上げた。

 赤紫の杏子は杏子の潰れた右目に親指を突き刺し、頭を掴んで地面を引きずり始めた。

 赤紫杏子の指は、杏子の頭皮と頭蓋を貫通し、脳を貫いていた。得体の知れない吐き気に杏子は意識の喪失と覚醒を繰り返した。

 

 そして、続く苦痛で完全に覚醒させられる羽目となった。

 魔法少女の脚力の疾走は風に等しく、身体を地面に押し付ける剛力は重機に等しい。

 杏子の背中の肉が異界の地面と摩擦させられ、激しく引きずられる。

 

 異界の白霧が切り裂かれ、背中を中心に削られる肉と泥のような血液が霧を凄惨な色に変えていく。

 肉が大きく削ぎ落とされて背骨が削られ、炭化しかけの肺までもが地面に触れた。

 

 このまま自分を削り切る気かと杏子は思い、杏子は極限の苦痛の最中で治癒魔法を発動させた。

 破壊されてゆく中で治癒が開始される。まずは両手を戻してこいつから離れよう。そうしないと死ぬ。

 そう思った杏子の視界に黒い光が見えた。

 

 それは、彼女が引きずられていく先から発生していた。

 強引に首を動かし、杏子は絶句した。

 そこには巨体を接地させ、大口を開いた蛇竜がいた。

 口の中には黒色の巨大な球体、ブラックホールを思わせるプラズマの火球が形成されていた。

 

 

「てめぇ…!」

 

 

 杏子は必死に叫び、治癒魔法を全開させる。だがそれよりも早くに、赤紫杏子は杏子を宙に放っていた。

 火球に直接放るのではなく、杏子を垂直に持ち上げていた。

 そこにずいと近寄る赤紫の杏子。

 

 杏子は五センチほど浮き上がらせられていた。

 衣装が剥き出しになり、焼け焦げた肌を露出させたその腹に、杏子は嗤いながら掌を添えた。

 傷を癒すかのような、優し気な手つきであった。

 その掌から光が迸り、莫大な熱が球状に集約した。

 

 

 

「す・と・な・ぁ」

 

 

 此処に至り、赤紫の杏子は初めて口を利いた。

 歯を噛み締めたまま、喉奥で唸る様にして声を発していた。

 背後と腹に超高熱を感じつつ、杏子はその言葉の意味を前に全身に冷気を感じていた。

 

 

「さん、しゃいん」

 

 

 何処までも優しく、溢れた血肉で赤紫に染まった杏子は労わる様にそう言った。そして、掌の力を解き放った。

 投擲された太陽光が杏子の腹で炸裂し、その身を大きく吹き飛ばした。

 魂が砕けたような絶叫を挙げ、高熱で剥離する肉片を焼き付かせながら、杏子は背後の黒い火球へ吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 















新年早々、残虐なオマージュ攻撃に晒される佐倉杏子さん


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 Genocider

「--------------------------------------ッ!!」

 

 声にならない声を上げ、吹き飛ばされていく佐倉杏子。

 両腕を肩から失い、内臓をほぼ全損、右目も潰された今の彼女は、佐倉杏子という存在の面影を僅かにとどめた肉製のズダ袋のようだった。

 更には今、腹部に超高熱を発する光球が押し付けられ、骨肉を焼いて両脚も付け根から炭化し始めていた。

 

 そしてトドメと言わんばかりに、彼女が飛翔していく先には家一軒は飲み込めそうな大きさの大口が開いていた。

 口の中には巨大な黒色の光球が形成されていた。

 遠方からも感じる温度。ブラックホールのような、黒いプラズマの火球だった。

 

 接触まであと数秒。その中で佐倉杏子は叫んだ。

 恐怖でも憎悪でもない、闘志の声だった。

 己の消滅を良しとせず、抗う為の咆哮を上げた。

 叫ぶ口に魔力が集約され、杏子はそれを力強く噛んだ。

 

 真紅の十字槍を咥えた佐倉杏子は、自ら黒い光球へと飛び込んだ。

 その瞬間、杏子の腹で光が炸裂した。

 

 黒い光球へと見舞われる真紅の斬撃、太陽の如く白光の炸裂。

 全ては光に包まれた。

 光が晴れたのは、次の瞬間だった。

 光の後に残ったのは、赤紫色の蛇竜。開かれていた口が、ゆっくりと閉じていくところだった。

 

 その様子を、同色の毒々しい色に染まった佐倉杏子が見ていた。

 光の中に消えた杏子と異なる、金色の柄に幅広の二等辺三角形の槍を肩に担いでいた。

 

 噛み合わせた歯を見せながら、耳まで開いたような口でニタニタとした笑顔を浮かべ、歯の間からは唾液が滴り落ちていた。

 

 佐倉杏子を葬った事への悦びと、次の獲物を求める飢えと渇きに満ちた表情に見えた。

 赤紫色の杏子は槍を旋回させ、両手に持って構えを取った。

 彼女が獲物と定めたのは、自らが生み出したはずの赤紫の装甲を纏う蛇竜であった。

 

 蛇竜もまた主の性質、底無しに湧き上がる殺意を受け継いでいる為か、長い首をもたげて臨戦態勢に入った。

 全長50メートルに達する巨体は、佐倉杏子がかつて発生させたウザーラよりも遥かに巨大であった。

 

 主と眷属が、互いを葬るべく向かい合う。

 戦うが為に戦い、殺したいから殺す。

 それ以外は何も無い、殺意を向け合う関係であった。

 

 蛇竜が吠え、口を開く。口の中には、再び黒いプラズマが形成されていた。

 黒々とした光で白い世界を染める、地獄の光景。

 それを前にしても、赤紫の杏子は嗤っていた。

 それしか感情が無い事を示すように。

 

 しかし巨大に成長したプラズマは放たれなかった。

 その様子に、蛇竜の主は首を傾げた。

 そして異変が始まった。

 

 蛇竜が痙攣し、宙で身をくねらせ始めた。

 蛇行する巨体の首に、本来は無いはずの突起が生えていた。

 それは、真紅の色をしていた。

 

 突き出た真紅は、蛇竜の首から尾へと向けて一気に奔った。

 その軸線上の装甲は切り裂かれ、血液の代わりか赤紫色の毒液の如き闇が迸った。

 その闇の奥から、切り裂かれた蛇竜の体内からは少女の叫びが聞こえた。

 

 

「ううううううおおおおおおおおおらああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 佐倉杏子の叫びだった。叫びが尾まで走った時、蛇竜の尾が弾け飛んだ。

 赤紫の杏子が持つ槍と同じ形の、幅広の二等辺三角形の槍穂の形の尾が弾け、その奥から真紅の巨体が姿を表した。

 蛇竜から出でたのは、これもまた蛇竜だった。佐倉杏子が自らの槍を変化させたウザーラが、同じ姿の存在を体内から喰い破っていた。

 そしてその頭部には、真紅の衣装を纏った佐倉杏子の姿があった。可憐な口元には、闇が纏わりついていた。

 

 欠損した手足と傷は、闇色に染まりながらもその形を取り戻し、傷は溶接か火傷のように塞がっていた。

 そしてその黒は、その端から元の色へ、肌の色へと変わっていく。

 佐倉杏子は闇を喰らって自らの力とし、姿を取り戻していた。

 

 そして引き裂けた蛇竜の体内から、杏子のウザーラが姿を顕す。

 蛇竜の体内を進む為か、そのサイズは赤紫の同類よりも二回りは小さかった。

 全身が真紅に染まった姿と尾の十字槍は、佐倉杏子の眷属である事を示していた。

 主を傷付けた者を滅殺すべく地を睨んだ十字の眼が、生物が瞳孔を拡大させたかのように線を太くした。

 

 途端、真紅のウザーラは宙で身を巻いた。

 頭部に長大な胴体を、まるで縄の結び目のように巻きつける。

 次の瞬間、その巨体の全身を無数の槍が貫いた。

 

 金色の柄を持つ二等辺三角形の槍穂が、完全にその身を蛇竜の体内に埋めている。

 槍衾となったウザーラより、一つの影が宙に躍った。

 

 そこに向け、複数の槍が殺到する。

 咆哮。

 

 全身を貫かれたウザーラが吠え、真紅の奔流を吐き出す。

 それは迫る槍を蒸発させ、その渦中にいた少女に、佐倉杏子に力を与えた。

 濁流のような炎を背に受け、佐倉杏子が地面に向けて飛翔するように落ちていった。

 

 叫ぶ杏子。その元へ、炎を貫き赤紫の毒々しい色彩の杏子が躍り掛かった。

 

 

「おりゃああああ!!!」

 

 

 杏子は槍を振い、ニヤついた笑いを続ける赤紫杏子も異なる形の槍を振った。

 激突。轟音。衝撃。破壊。

 

 杏子の目が見開かれた。赤紫の杏子の目が。

 

 銀の刃の二等辺三角形の槍穂が砕け、柄が縦に割れた。

 

 砕け散る槍穂の破片の中、杏子は嗤った。破片に頬を切られ、血を流しながら笑っていた。

 杏子が振った槍は、穂の部分が巨大化していた。

 十字架ベースの形状事態に変化は無かったが、左右に伸びた叉の部分が大きく湾曲し、巨大な斧の形になっていた。

 斧の中腹からは、元の十字架を構成する刃が伸びていた。斧の要素を加えた十字の槍斧を彼女は振るっていたのだった。

 

 

「トマホーク…」

 

 

 振り切った杏子の目に、真紅の光が灯る。

 戦意と闘志の炎。

 

 

「ランサァァアアアア!!」

 

 

 再び槍が旋回。

 赤紫杏子が再生成した槍で受けるが、今度も砕いてその胴体を一薙ぎに払う。

 一瞬の後に傷口が開き、赤黒い血と臓物が宙に溢れる。

 その最中でも、彼女は嗤っていた。口からは唾液に加えて血液が溢れるが、笑みの形は変わらない。

 それは縦一文字に切り裂かれた。頭頂から股間までが、一気に切断される。

 

 

「先を越されたな」

 

 

 面白くも無さそうに、杏子は呟く。

 

 

「処女喪失、おめでとよ!!」

 

 

 最悪の発言と自覚しつつ杏子は再度槍を振った。

 それをバック転の要領で、赤紫杏子は回避した。

 

 追撃を行おうとしたが、時間はなかった。

 硬い音を立て、杏子は地面に着地した。

 

 対する相手も同じく地面に足を着ける。両断されているとは思えないほど、軽やかな着地だった。

 切り裂けた身体を両手で抱き締め、完全な分断から身を留めていた。

 二人の杏子は、三十メートルほどの距離を隔てて対峙していた。

 

 裂かれた肉の断面からは血が止め処なく溢れて全身に赤黒が行き渡り、赤紫の色彩を皿に毒々しく禍々しいものへと変えていく。

 それでも何も無かったかのように、彼女は嗤っている。

 頭頂から股間までの斬撃は、杏子が言ったように彼女の雌の器官も断ち割っていた。

 股間から溢れ出て滴る黒血は、経血か破瓜のようだった。

 

 それを見た事で生じた、杏子の背中を撫で上げる嫌悪感。

 しかしその嫌悪感を押し退け、欲望の熱が滾るのを彼女は感じた。

 一つは喪失による虚無感の渇望。自らに罰を架したいと願う欲望。

 

 そしてもう一つは、湧き上がる性欲。形は違えど、経験を果たしたという事への嫉妬。

 杏子はそれらを異常と認識しているが、それも自分を構成する要素だと思っていた。

 そしてそれは、今目の前に存在するもう一人の自分に対しても同様であった。

 

 だから向き合う。自分を構成する感情の一部と。

 

 

「そんなに、暴力が楽しいかよ」

 

 

 杏子は尋ねる。答えはない。

 

 

「相手を痛めつけるのが、そんな風に笑っちまうくらいに面白いかよ」

 

 

 同様。

 

 

「力を誇示出来るのが、そんなに嬉しいかよ」

 

 

 同じである。

 

 

「そうだよな」

 

 

 彼女は薄く笑った。

 

 

「楽しいし、面白いし、嬉しいよな」

 

 

 杏子は認めた。己の抱いた、残虐性を伴う感情を。

 

 

だからあたしは、てめぇが欲しい

 

 

 赤紫杏子のそれに似た、しかし、より感情の籠った表情で杏子は相手に笑いかけた。

 赤紫の杏子は笑い続けている。彼女にとって、相手は自分が破壊し愉しむための道具でしかない。

 

 肉で出来た、体内に血と内臓と糞便が詰まった道具が何かを言って、何かを想っているだけの存在でしかない。

 だから殺す。理由は無く、そうするのが正しいという認識すらない。

 だから杏子の発言にも動じず、殺意のままに行動した。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 理性の欠片も無い、狂った歯車同士が強引にかち合わされるような声を上げた。

 それは招来の叫びだった。

 叫ぶ赤紫杏子の背後に、主と同じく両断された蛇竜が墜落するように降り立った。

 莫大な衝撃が地面を揺らすが、叫ぶ杏子は小動もしない。

 

 対する杏子は槍斧を右肩に担ぎ、黙ってそれを見ていた。

 単に相手を破壊するだけなら、今すぐにでも可能だった。

 

 相手は完全な隙を晒している。しかし、それでは意味が無かった。

 だから、コトが終わるのを待った。

 何が起こるのかは、見当が付いていた。

 

 

「拍子抜けはさせんなよ」

 

 

 相手の変化を期待するかのような口調で杏子は言う。

 コトが起きたのは直後であった。

 

 蛇竜が口を広げ、叫ぶ主を喰らったのである。

 無数の牙が生えた口で執拗に咀嚼する。開閉される口の中で、牙に貫かれて噛み潰され、攪拌される赤紫の肉と衣装が見えた。

 その様子も、杏子はジッと見た。

 

 巨大な口が垂直に持ち上がり、蛇竜の口から喉へと喰われた杏子の血肉が移動する。

 そして、そこから更に変化が始まる。

 

 蛇竜の鋼の体表に、泡のような赤紫の腫瘍が無数に浮かぶ。

 それは喉から生じ、一気に全身を覆い尽くした。

 腫瘍が一斉に弾け、腐敗した葡萄を思わせる色の膿が迸る。

 

 それが連鎖し、形の輪郭が破壊されていく。

 破壊され、また泡が生まれて再生する。

 それが繰り返される。

 やがて泡は薄まり、その内側の存在が顕れていく。

 

 最初に、装甲された両脚が見えた。

 次いで同じく装甲された胴体と胸、車輪のような装甲で覆われた肩と、そこから伸びた両腕が顕れる。

 両腕には触れるもの全てを傷付けるかのような複数の刃が生え、指先にも鋭い爪が生え揃っていた。

 最後に顔の部分の泡が弾けて滴り落ちた。

 

 騎士風の仮面を思わせる、眼鼻の無い非生物じみた顔だった。

 それでいて口の部分にはマスク状の装甲が、まるで虫の口のような造型で施され、妙な生々しさを感じさせるデザインとなっていた。

 見るものに、生理的な不安と恐怖、そして嫌悪を与える姿だった。

 

 中世の拷問具、それに似た趣も杏子は感じた。

 その頭部から左右に向けては、槍穂のような長く鋭い角が生えている。

 姿のモチーフとなったのは、かつて杏子が造り出してしまった異界の兵器、『ゲッターロボ』のマガイモノ。

 

 それがより洗練され、装甲化された姿となって、佐倉杏子の前に顕現していた。

 その大きさは、目算で見て約40メートル。

 魔法少女どころか、魔女でさえも一撃で握り潰す、または踏み潰せるサイズだった。

 

 毒々しい色合いは更に強まり、限りなく紫に近い赤紫の色になっていた。

 その巨体の背後で、蠢く長大な物体が見えた。それは地面を強かに打ち、白い地面を砕いて波打たせた。

 それは蛇竜の胴体をほぼそのまま使用した、巨大な尾であった。

 

 背中の横から伸びているところを見るに、首の付け根か背骨のあたりから生えているらしい。

 魔女と融合したナガレのそれと、ほぼ変わらない様子である。

 

 目も鼻も無く、口も装甲で覆われていたが、その全身からは自然と立ち昇る殺意が伺えた。

 殺戮への渇望、殺人・破壊衝動。

 凝り固まりつつも渦巻き、混沌としながらも何処までも純粋な殺意の発現。

 人と獣と、竜が束ねられた異様な姿。

 全ての生命体を殺戮する為の、万物の破壊とジェノサイドを望み、成す為の姿であった。

 何もかもを、惨たらしく殺したいという欲望の存在。

 

 調子を試す為なのか、分厚く装甲された太い首が左右にユラリと揺れ、そしてぐるりと回される。

 ゴキゴキという、背骨がずれ合わさる様な音が聞こえた。それは、呻き声に聞こえなくも無かった。

 

 

「はっ、気持ち悪ぃ動きしてねぇで、さっさと来な。こちとら待ちくたびれてんだ」

 

 

 更に増幅した殺意を前に、杏子は相手への愚弄を交えつつ泰然と大槍斧、『トマホークランサー』を構えた。

 それが最期の拠り所とでもいうように、真紅の得物を握り締める。

 脳裏に浮かぶのは、これと似た形状の武具で自分に挑んだ相棒の姿。

 あいつが出来たのだから、自分にだってと想いを重ね、怯えを燃やして闘志へと変えていく。

 

 そして彼女の要望に応えたように、他ならぬ彼女自身から生まれた大虐殺の化身は、母たる佐倉杏子へと襲い掛かった。

 

 

 














ほんとトラブルだけは事欠かない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 今は兎に角、為すべきコトを

 自らの胸の宝石を異形の槍で貫き、跪いた姿勢で意識を喪失した佐倉杏子。

 その前に、ナガレは立っていた。

 

 相棒は自分との対話に入った。そこに自分が立ち入る余地はない。

 それでも何か出来る事は無いかと、彼は思った。

 こういう処は堪え性が無いというか、生真面目というかな性格である。

 

 そこで気付いた。

 一秒ほど思考を停止させ、やるしかねぇかと思い直した。

 槍が貫いた杏子のソウルジェム。

 その少し下、彼女の薄い膨らみを見せた両胸は生地が破け、地肌が露出していた。

 地肌と言ったが、そこは彼女から溢れたものと、葬った複製の血で赤く濡れていた。

 

 胸の頂点の突起も紅く染まり、粘液に濡れた刺激のためか硬くなっている事が伺えた。

 いらぬ考えであり欲情したわけでもないが、ここ最近の過激なアプローチも鑑みて彼は

 

 

「お前、感度高すぎんだろ」

 

 

 という感想を抱いた。彼自身、そう考えて辟易とはしていた。

 しかし考えてしまうものは仕方ない。何かにつけて身を絡ませてくる少女を相手にしていたら、無理も無いだろう。

 反撃で絶頂地獄に追い立てたとはいえ、それ以外じゃ文字通り手を付けていないのだから、彼の精神力と性癖の健全さを評価すべきだろう。多分。

 

 健全なのか不健全なのか判断に困る思考をしている間にも、彼の身体は動いていた。

 魔女を呼び出し、魔女の内部に仕舞っている治療用具から清潔な包帯を取り出した。

 それを手早く迅速に、杏子の胸へと巻いていく。

 正面に座り、背中に回した包帯を前に回して、とそれを繰り返していく。

 

 今は他に出来そうなことは特に無さそうかな、と彼は思った。

 包帯を巻きつつ、彼は杏子の治癒を魔女に行わせていた。

 あとは周囲から湧いてきた複製達を葬り、相棒を護ることのみ。

 

 複製の杏子の事もあり、複製を葬る事は以前に比べて思う事があるが、今はやるべきことを為すべきだった。

 それにこの変質した赤い世界の複製は、最初に試したが意思疎通が不可能の存在となっていた。

 それを救いだとは、彼はそもそも思わなかった。

 戦いは嫌いではないが、美醜もへったくれも無い行為だと思っているからだ。

 

 そうこうしている間に、彼女の胸は包帯の下に没した。

 生地が薄い為に、突起が隠せないのは仕方なかったが少なくとも胸は隠せた。

 前で大きく結ばれた蝶々結びは、彼をして中々可愛い仕上がりだと思った。

 目覚めたときに杏子に何か言われそうだが、それならそれで面白い。

 

 そう思った彼の目に、赤い光が移り込んだ。

 閉じられていた佐倉杏子の目が開き、正面に座る彼を見ていた。

 虚ろな瞳には一切の意思が感じられなかった。

 虚無。虚ろ。

 そして無を宿した表情の上に、顎先から額までを覆う白が這って行った。

 

 その瞬間、彼は背後に飛び退いていた。

 杏子の顔は、白い仮面に覆われていた。

 横長の円の目の奥には、赤ではなく黒い闇があった。

 小さな微笑みを思わせる口も同じく、無明の闇がその内部に広がっている。

 

 見た事は一度だけ、キリカが少しの間だけ装着し、直ぐに外した仮面であった。

 そして、これが意味するものは。

 

 

 杏子の黒リボンが弾け、束ねられていた髪に何かが纏わりつく。

 いや、リボンで覆われていた毛髪の一部分が、何かに変貌していった。

 前を見据えるナガレの視線が上昇していく。

 

 戯画化した蠟燭の炎を思わせる光が広がり、その背後で赤を基調とした極彩色の模様が連なる。

 それが、巨大な袖と外套を形成していく。

 形成に連れて引き上げられるように直立した杏子の足元は、金色の盆に乗せられていた。

 金の盆には、金属製の家具の足を思わせる形状があった。

 蹄を持った、獣の四肢が生えていた。

 

 四肢の正面、頭に当たる場所には桃色の毛糸の玉が盆に添えられている。

 大きさからみて、幼児の頭くらいの大きさであり形であった。

 形状に彼は見覚えがあった。

 廃教会で杏子と初めて会った際に交差した記憶の中、そして精神の中で杏子と繰り広げた戦闘の前に垣間見た、彼女の記憶の中にいた幼子の姿。

 

 それがけたたましく地面を蹴り、上体を上げた。

 当然のように、巨大な姿全体がせり上がる。

 それは対峙するナガレを威嚇し、拒絶する獣の態度であった。

 

 自棄のドッペル。杏子は以前、これをそう名付けていた。

 全長10メートルに達する巨体は中華風の振袖のようなゆったりとした姿を持つゆえに、長さ以上に幅広く、さらに巨大に見えた。

 

 仮面を付けた杏子は、蝋燭の如き輝きを放つ光を頭に浮かべながら、それに引かれるようにして立っていた。

 両腕は全く動かず、自身の槍で宝石を貫いている。

 

 白い仮面の表情は変化せず、また一切の意思も彼には感じられなかった。

 だが彼女の心の現身は、意思を行動で表すが如く動いた。

 ゆったりとした衣の裾から、鎖で結ばれた三本の異形の槍穂を放った。

 計六本の槍穂は、貫く相手を求めて彷徨うように鎖を揺らしながら宙を舞っていた。

 

 対峙する異界の流れ者と、魔法少女の感情の現身。

 その周囲で、一斉に足音が鳴った。

 

 それらは忽然と、前触れなく顕れていた。

 軽く視線を左右に向けるナガレ。

 

 黒い渦巻く瞳は、赤一色で彩られた、可憐な衣装の者達の姿を見た。

 魔法少女の複製体。それらは彼とドッペルを取り囲み、両者を包囲していた。

 彼女らの手には既に、それぞれの得物が握られている。

 

 全身が血塗れのような赤い姿で、無表情のままに包囲を少しずつ縮めていく。

 彼女たちにとって、この世界に来たものは全て敵であり、それは自分達と存在が近いドッペルが相手でも同様だった。

 

 

「やるぞ」

 

 

 彼は短く言った。その手に長大な漆黒の斧槍が握られる。

 直後に黒い靄が彼の背と頭部に生まれた。

 

 そして靄は、背からは巨大な悪魔翼と翼の付け根から生じた竜の尾のような鋼の鞭へ。

 頭部のものは猫科動物を思わせる傾き方の、槍穂のような長く鋭い黒角へと変わった。

 『真ゲッターロボタラク』と呼ばれる機体を模し、便利だからと尾状の鞭を加えた姿であった。

 

 真ゲッターという存在は自分の末路の暗示のようで、嫌というか呆れた思いがするが、この機体はマシな方の存在であるという事が彼としては気に入っていた。

 そしていつまでも自らの影、ゲッターエンペラーやら聖ドラゴンやらを鬱陶しがっても仕方ない。

 彼はそう思っていた。

 思いつつ、気が付いた。

 

 

「そうか」

 

 

 理解した言葉を口にする。

 

 

「お前の、お前らのお陰か」

 

 

 自らの末路を力に変えて戦う者達、魔法少女。

 彼自身、破滅に寄り添う力を伴侶に戦ってきた身であるが、彼に特別なことをしているという自覚はなかった。

 それは今も変わらない。

 しかし、常に心身を削りながら、そして心の闇を解放して戦う魔法少女達の姿に立ち向かう意思を感じたらしい。

 

 叛逆という行為は彼の行動の原理でもあるが、彼はそれを自覚したことは無い。特別な事とも思っていない。

 だが魔法少女という存在は、彼の心に立ち向かう気概というものを感じさせたらしい。

 負けるかよと、彼は思った。そして、牙を見せて嗤う。

 

 その途端、真紅の少女達とドッペルは彼に襲い掛かった。

 彼から発せられた、鬼気とでもいうべき気配を、畏れたかのようだった。

 

 ドッペルの槍穂を斧槍の斬撃で払い、迫る魔法少女達を竜尾の鞭で貫き横薙ぎに払う。

 自棄のドッペルに向けて飛翔した、刺突剣を持つ魔法少女の前に黒翼を広げて立ち塞がり、その顔を殴り潰す。

 

 脳味噌と眼球を弾けさせられたのは、頭に兎を思わせる長いリボン付きのカチューシャを巻いた、ショートボブの少女だった。

 崩壊した顔から鮮血を溢れさせた、カジノのディーラー風衣装を纏った身体を三本の槍穂が貫き無惨に引き裂いた。

 

 散りばめられる人体の部品と、血と臓物の滝の奥には彼を目掛けて飛翔するドッペルの姿があった。

 複製魔法少女が盾となったのは、単なる偶然だろう。

 ドッペルは残る右手を彼に向けていた。煌く槍穂の先端が彼を睨んでいる。

 そしてその周囲には、武具の先端に光を纏わせた複数の少女達がいた。

 

 放たれた熱線、そして槍穂。

 ドッペルの攻撃を回避しながら、彼は斧槍を振った。

 振る最中に、彼は魔女に命じてその長さを倍ほどに伸ばした。

 斬線からドッペルをずらし、切っ先を魔光に合わせて振り回す。

 

 熱線が反射され、主の元へと舞い戻りその首や胴体を消滅させる。

 完全に反射は出来ず、ナガレの身体を高熱が抉っていた。

 治癒する間もなく、ドッペルは彼に槍穂を放った。意志の喪失を表すように、恩義という概念も無いらしい。

 

 その理不尽な様子に、少し前のツンツンとしていた杏子の態度を彼が思い浮かべたかどうかは、定かではない。

 だが彼はドッペルには反撃せず、その得物を弾くに留めた。

 

 そしてドッペルを襲う複製を葬り、ドッペルを、佐倉杏子を護るべく動いた。

 魔法少女の武具に刻まれ魔光に身を焼かれ、槍穂に翼を抉られながら、彼は自分が今為すべきことを為すべく動いた。

 

 その最中、彼は叫んだ。

 殺意でもなく殺戮の歓喜に湧くでもない、純粋な闘志の咆哮が、真紅の世界を貫いた。

 

 その叫びに、ドッペルを発する佐倉杏子の身体が僅かに震えた。

 彼の叫びに、呼応したかのように。














この姿というか、強化フォームにも慣れてきたものであります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 紅の決断

 金属音。そして少女の苦鳴。

 その後、更に激しい金属音が重なる。

 白い世界を、二つの暴風が蹂躙していた。

 

 一つは赤紫色の装甲で全身を覆った、獣じみた姿のヒトガタ。

 目鼻が無く、昆虫を思わせる造形の口元を持った、異形の騎士の姿であった。

 毒によって破壊されていく肉体を彷彿とさせる、痛々しさと毒々しさで彩られた巨体が動くたびに暴風が吹き荒れ、白い霧が千々と縮れて地面が砕ける。

 

 殴る蹴る、背から生えた蛇竜の尾が鞭となって旋回する。

 吹き荒れる暴風は全て、暴力によるものだった。

 

 それらに対し、もう一つの暴風が喰らい付くように挑んでいた。

 40メートルを超える巨体から繰り出される殺意の行為に、真っ向から挑んでいた。

 その真紅の暴風の名は、佐倉杏子と言った。

 

 真紅の外套の裾が燃焼し、燃え行く衣が翼となって、杏子に飛行能力を付与していた。

 巨体の攻撃を掻い潜り、時には手に持った槍斧でいなしつつ、彼女は飛燕の速度で赤紫の装甲の上のスレスレを飛翔する。

 

 

「喰らいな!」

 

 

 叫びながら斬撃を見舞う。

 杏子が振り下ろした一閃は、鉄仮面の額から口元までを一気に薙いだ。

 だが。

 

 

「ちっ!」

 

 

 杏子の舌打ちを、飛来した巨大な拳の衝撃が掻き消した。

 回避はしたが、外套の一部が僅かに掠めていた。

 それだけで、杏子の身体は大きく弾き飛ばされていた。

 

 宙を舞う身体は、血と体液に濡れていた。

 衝撃によって内臓が痛み、口からは鮮血が吐き零される。

 

 どうせすぐにまた壊れると、肉体の損傷は放置しつつも破れた外套は修復。同時に空中で姿勢を制御し、突撃。

 接近し再び斬撃を見舞う。

 伸び切られた手首の関節を狙っての一撃だったが、手応えは変わらなかった。

 

 堅牢な装甲に、斧の斬撃が弾き返される。

 また弾かれずとも、細かく連なる装甲は鱗のような役割を果たし、杏子の刺突を受け流していた。

 油によって滑るかのような感触が実に気持ち悪く、杏子は粘液で濡れた爬虫類か魚だと思った。

 

 

「よく出来てやがるな!」

 

 

 考えてみれば、相手は自分である。

 自分の攻撃の特性を理解し、対策を練ったのだろう。

 そして自分であるという事は。

 

 

「やべ!」

 

 

 異界の空に挑む様に、天に向けて伸ばされる長大な得物。その影が杏子に降り掛かる。

 巨体の数倍はある、長大に過ぎる十字槍が聳えていた。

 色は体色同様の毒々しい赤紫であり、表面も滑らかではなく悪性腫瘍のような無数の瘤が浮いていた。

 

 先端の十字の刃はねじくれ、ドリルを思わせる獰猛な形状となっていた。

 その刃を受けるものを貫き抉り、苦痛を与える事を至上の目的としているとしか思えない。

 

 天に向けられた先端が霞む。

 直後に異界を砕くような金属音が號と鳴った。

 

 異形の十字層槍が振られ、その切っ先が佐倉杏子を捉えていた。

 受けきれるものではなく完全回避も間に合わないと見て、杏子は迫る槍の側面を得物で弾いて飛翔、好機を伺う為に距離を取る。

 

 しかしそこに迫る赤紫の死線。

 槍が多節に変化し、杏子に向かって恋慕のように追い縋る。

 

 

「しつけぇな!!」

 

 

 回避し、または斬り払って叫ぶ。

 叫びつつ、理解もしていた。

 相手は自分。

 同じ、同じである。

 

 つまりあちらは、自分の行動も予測可能。

 杏子は考える。自分ならば、小うるさい蠅をどうするか。

 

 理解した時、背骨は氷と化した。

 槍の柄を持つ異形の騎士の背後で、大量の闇色の十字架が形成されていった。

 一つ辺りの大きさは掌サイズではあった。但し全長40メートルを誇る巨体の、である。

 

 

「サザンクロスナイフ!!」

 

 

 杏子は叫ぶ。同時にあちらも闇色の十字架を放った。

 真紅の十字架が杏子の背後から飛翔してゆき、相手のそれに喰らい付く。

 圧倒的なサイズ差故、杏子の十字架は次々と破壊される。

 しかしその度に生成し、片時も休まず攻撃を続ける。

 

 数百の十字架に対し、彼女は数千数万の刃で対抗した。

 ここが現実ではなく、心の中だからこそ可能な無茶な行為だった。

 

 二種の光が互いを喰らいあい、黒と赤が千々と散る。

 殺意と闘志の光が乱れ散る様に、杏子は少しだけ想いを馳せた。

 

 

「あいつが好きそうだな。こういう光景」

 

 

 言いながら薄く笑う。

 そこに、杏子の十字架を突破した複数の黒い十字架が飛来した。

 彼女の姿が闇に包まれる。

 ほんの一瞬だけ。

 

 闇の表面に斬線が入り、二十を超える十字架はバラバラに切り裂かれた。

 開かれた闇の奥に、旋回させた槍を携えた杏子がいた。

 致命の攻撃をいなした杏子であったが、その表情には苦さがあった。

 

 

「…間に合わねぇ」

 

 

 切り裂いた闇を砕きながら、巨大な拳が杏子に迫る。

 槍斧を基点に結界魔法を発動。

 衝撃を殺しながら、巨拳の表面を滑るように回避するも力の差は歴然であり、杏子は弾丸の速度で吹き飛ばされていった。

 口に目に耳に鼻からは鮮血が迸り、両腕は皮が破け、筋肉が粒状になって弾け飛ぶ。

 二百メートルは吹き飛び、地面に激突し、数度のバウンスを経てようやく停止した。

 

 

「がふっ」

 

 

 血の塊か肉片か、臓物の一部か。

 恐らくはその全てである、赤黒い塊を吐き出す杏子。口から吐き出したものは、排泄物と同じ悪臭を放っていた。

 脳髄を焼く不快感に身を委ねる間も与えず、その上空に既に異形の騎士が迫っていた。杏子に向けて降り注ぐ影。

 無数の剃刀を縦に連ねたような溝が刻まれた足裏を、彼女は見た。

 

 赤黒の染みになる直前、足の落下が停止した。

 彼女はその瞬間に全身から血を曳きつつ飛翔し、死の影から離脱する。

 

 

「…すまねぇ」

 

 

 上昇した彼女が見たのは、騎士の脚に身を絡ませてその動きを止めた、自らが生み出した瀕死の蛇竜の姿であった。

 既に全身に赤紫の槍を突き立てられた蛇竜は、爪を有した五指に身を裂かれ、真紅の破片となって散った。

 光となって分解される寸前、蛇竜は元の姿に、杏子の十字槍の姿に戻っていた。

 

 偽りの生命を与えた存在が消えゆく様に、杏子は胸が痛む感覚を覚えた。

 肉が大きく抉れ、赤い宝石とその周囲の肉が僅かに残った襤褸雑巾のような胸に、針が刺すような想いが去来する。

 

 対する騎士は、破壊を成した事に充足感を抱いたのか杏子への追撃をせずに顔を彼女の方へ向けていた。

 巨大な両腕を横に広げ、刃の如き五指を翼のように広げている。それは威嚇と嘲弄、そして殺戮への歓喜を表していた。

 その姿に、佐倉杏子は殺意に満ちた自分が上げる、哄笑と咆哮が聞こえた気がした。

 

 

 その様子に、佐倉杏子は思った。

 

 

 ―――ああ。漸く、分かったよ。

 

 

 そして同時に、佐倉杏子は一つの決意をした。

 それは破滅を招きかねない決断だった。

 

 恐怖は殆ど無かった。

 自分が死ぬだけであるからだ。

 

 ただ、喪失感と寂しさがあった。

 死んだ後で、自分は彼に逢えるのだろうかという想いを抱いた。

 少年の姿の中に潜む、竜の名を持つ男に。

 

 そして彼女は武器の構えを解いた。

 矛先を巨体へと向けていた槍は下方に流れ、槍を握る右手の力は緩んでいた。

 

 

「あたしはてめぇに勝てねぇ。けど、あたしはてめぇに勝ってやる」

 

 

 矛盾に満ちた杏子の言葉。

 それが届いたか、異形の騎士は動きを止めていた。

 罠と思っているのか、それとも呆れているのか。

 

 

「来いよ」

 

 

 苦痛に震える唇を、強引に笑みの形に歪めて彼女は言った。

 次の瞬間、それは叶えられていた。

 光もかくやと言った速度で、赤紫の槍が突き出された。

 それは滞空する杏子の胸に突き刺さり、下腹部近くまでを一気に切り裂いた。

 

 だがそこで、騎士の動きが停止した。

 蓄積した殺意の為か、赤よりも紫が色濃くなっていた装甲の巨体は、ぴくりとも動かない。

 いや、動けなくなっていた。

 騎士は自らが繰り出した攻撃の、その異様な結果を垣間見ていた。

 

 十字を模したねじくれた槍は杏子を貫いてはいたが、彼女の背中から抜け出てはいなかった。

 巨大な刃は、完全に彼女の中に埋没していた。

 

 

「これ、を…」

 

 

 苦痛に満ちた声で、杏子は言葉を絞り出す。

 そして彼女の血染めの顔が、苦痛から別のものへと変化していく。

 

 

「まってた」

 

 

 その顔には、殺意や狂暴といった感情さえも上回る様な、獰悪な狂気の笑みが浮かんでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 覚醒の時

「これを、まってた」

 

 

 十字を模した、ねじれた槍に身体を貫かれた佐倉杏子は、血染めの顔でそう言った。

 赤く染まった顔には、殺意や凶暴さと言った本能からの表情ではなく、彼女の確たる意思の元で作られた、獰悪な狂気に満ちた笑みが浮かんでいた。

 そして彼女を貫いた槍は杏子の背からは先端を出さず、その体内に完全に没していた。

 完全に異常な状況に、巨大な異形の騎士は右手で掴んだ槍をさらに圧した。

 

 槍は前進し、更に深く女体の内に没した。

 そして槍の前進は止まらなかった。

 槍は自ら進んで、杏子の体内を目指していた。

 

 騎士は両手で槍を握り締めた。止まらなかった。

 槍は手の表面を滑りながら、前へ向かって進んでいく。

 危機感を覚え、騎士は両手を離そうとした。

 離れなかった。

 

 何時の間にか、槍の表面は粘液状の物体で濡れていた。

 先程は滑ったそれが凝固し、膠のように手に張り付いている。

 

 

「逃がさねぇ」

 

 

 口の端から血を滴らせながら杏子は言う。

 槍は既に穂どころか柄に達しており、柄の直径は彼女の胴体を超えている。

 それが、杏子に触れる手前から形が蕩けて細まり、杏子の腹へと吸い込まれていく。

 

 捕食行為。

 彼女が異形の槍に、いや、赤紫色の異形の騎士に対して行っている行為はまさに捕食であった。

 40メートルを超える騎士の身体が、槍に貫かれている杏子に向かって引き摺られていく。

 杏子からの力は殆ど無い、どころか皆無。

 

 しかし泥の上に置かれた小石が沈みゆくように、物理法則に従うかのように槍は自ら杏子に向かって吞まれていく。

 ついに手元までが杏子へと沈んだ。穿孔が開始して、二十秒足らずの事だった。

 

 

「で、どうするよ。ええ?」

 

 

 苦痛に満ちた貌で、それでも獰悪な表情を崩さずに杏子は言った。

 騎士の身体が、嘶くように震えた。

 槍に指を曳かれながらも、強引に指先を広げた。

 

 鋭い爪を有した五指が、口から血を滴らせながら騎士を睨む杏子を包んだ。

 杏子の姿は完全に消え、五指が握り込まれる。

 指の間からは血が滴り、指の内側では肉が潰され骨が砕け、それらが合わさったものが餅のように捏ね回されていた。

 

 だがやがて、それが消えた。

 磨り潰し切る前に、忽然と消失したのだった。

 殺意で満ちた思考以下の思考しか持たない騎士に困惑が生じた。

 それは、子供が玩具を失くしたような感覚に似ていた。

 

 ふと、その身体が硬直した。

 指先は、その中にいる杏子を磨り潰したままの形で停止していた。

 その様子はまるで、祈りを捧げている様子にも見えた。

 

 異形の甲冑で全身を覆った騎士の中、二つの眼が開かれた。

 赤紫の毒々しい色に染まった髪の奥にあるのは、爬虫類の瞳孔のような感情の無い赤い瞳。

 異形の騎士の胸の中、残虐性の化身とでも言うべき杏子は縦横を赤紫色の粘塊に覆われた場所にいた。

 

 粘塊の表面からは泡が弾け、毒色の飛沫を飛ばしていた。

 その塊に背を預け、腰から下をその中に埋めている。

 赤紫の杏子は粘塊と半ば同化していた。これを介して、彼女は騎士と同化し動きを操っていたのだろうか。

 

 その背後、壁のように拡がる毒色の粘塊が大きく膨らんだ。

 そして一気に弾性張力の限界まで押し広げられ、先端が弾けた。

 

 顕れたのは血みどろの手に肩、血浸しのドレスを纏った胴体。

 そして、たっぷりと血を含んで濡れた真紅の長髪。

 最後に、血染めながらに美しい顔。

 

 

「よぉ。来てやったぜ」

 

 

 そう言って、赤紫杏子の背後の粘塊から半身を出した杏子は、両手を前に絡めた。

 赤紫杏子の胸と腹を、杏子は抱いた。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 赤紫杏子は叫び、胸に回されていた杏子の左腕に噛み付いた。

 牙のような歯が突き立てられたその瞬間、杏子の腕はどろりと蕩けた。

 

 形は壊れず、ただ赤紫杏子の歯と唇がその中へと沈んだ。

 口を杏子の腕の中に埋没させたまま、彼女は首を左右に激しく振って、言葉にならない声を上げた。

 

 引き剥がそうとするが、全くとして動かない。それでいて、顔が次々と腕の中に沈んでいく。

 既に鼻梁の大半が飲まれ、下瞼にも腕が接している。

 杏子の身体と触れている、または飲まれている部分からは、焼けた鉄のような熱を感じた。

 苦痛でも嫌悪感でもなく、ただただ熱かった。

 

 

「-----------------------------ッ!!!!」

 

 

 熱の中でくぐもった叫びを上げ、赤紫杏子は両手を背後の杏子の腹に押し付けた。

 そして魔力を発動。

 右手からは灼熱の光球、『ストナーサンシャイン』が、左からは掌に発生させた結界から放つ複数の槍、『異端審問』が放たれる。

 

 それらは杏子の肉を貫き、内臓を焦がして貫き…彼女の中に消えた。

 しかしなおも止めず、赤紫杏子はそれを何度も繰り返した。

 

 既に両眼も吸い込まれ、頭頂が僅かに見える程度まで頭部が飲まれている。

 そして次いで首が、肩が、胸がと吸い込まれていく。

 杏子の腕と、胸と、そして腹に。

 

 やがて両腕の手首だけが残り、その状態でも破壊が行使されていた。

 槍は体内で縦横を問わずに展開され、蕩けた肉体を貫いた。

 

 最後の足掻きか体内の槍は溶けるのが遅く、体内で何度も新しい槍として生成された。

 一本の槍の柄から何本も槍が生まれ、枝葉を別れさせながら杏子の体内を切り刻む。

 

 腕は勿論の事、腹に下半身に、更には顔の内側や頭の中に至るまでが刻まれた。

 それはまるで、体内で際限なく生え続ける針の群れだった。

 

 だがそれは、所詮は最期の足掻き。

 

 それらもやがて、杏子の肉の内で蕩けて消えた。

 消えた後には、苦痛だけが残った。

 

 赤紫杏子の全てを体内に収めた杏子は、大きくため息を吐いた。

 吐かれた息は白い蒸気であり、濃厚な血と胃液の香りがした。

 

 

「…手間かけさせやがって」

 

 

 疲労そのものと言った声だった。

 しかし、まだやるべきことが残っていた。

 熱病に犯されているような気だるさを振り払い、杏子は腰から下を覆い隠している毒色の粘塊に手を触れた。

 粘塊は、杏子に触れた個所から杏子の身体に吸い込まれていった。

 

 そしてそれは更に続いた。地面が、壁面が、全てが杏子に向かって落ちていく。

 莫大な質量が、杏子の身体に取り込まれていく。

 

 手だけではなく、杏子の全身に向けて、周囲を構成するあらゆる物体が触手の様に伸びて触れた。

 杏子の身体自身が強大な重力を発し、全てを取り込んでいるかのようだった。

 

 その姿はまるで、大勢の人間に寄って集られて肉を貪られる様か、または性的な陵辱を受けているようにも見えた。

 しかし杏子の顔には、苦痛がありつつも、牙を剥き出しにした表情があった。

 喰われるのではなく喰う側の、捕食者の笑みがそこにあった。

 

 やがて、内部のものは全て取り込まれた。

 最後の壁面が、彼女に向かって蕩けて流れていく。

 壁の厚みが減り、そして孔が無数に空き始める。

 外の世界を覆う、白煙で覆われた世界が見えた。

 

 異形の騎士の頭部がぐしゃぐしゃになりながら杏子に取り込まれ、胴体や下半身も飲まれていった。

 最後に、先程「食べ掛け」だった槍が杏子の腹に飲まれた。

 

 そして足場を含めて全てを喰い尽くした杏子は、静かに異界の地面に降りた。

 疲労感は更に濃くなり、全身が鉛のように重かった。

 

 茫然としたように、辛うじてといった具合に杏子はふらつきながらも二本の足で立っていた。

 右手で魔力を使い、斧槍状に変形した愛槍を呼び出し杖として地面に突き刺す。

 あと数秒遅かったら、倒れてただろうなと彼女は思った。 

 しかし、今の彼女に休んでいる時間はなかった。

 

 次に何をすべきかは、身体と魂と、本能が教えてくれた。

 心の赴くままに彼女は身体を動かした。

 

 顎を上げるだけでも、莫大な苦痛を感じた。

 全身を血に染め、体内に熱と痛みを我が子のように宿した杏子は、白で覆われた世界の空を見た。

 月明かりのような光が見えた。

 

 その光は杏子の目の前で輝きを増していった。

 杏子はそれを求めるように、左腕を伸ばした。

 自らの半身を喰らった腕を。

 

 伸ばした手の先から、杏子の姿は光に包まれていった。

 光の中。

 これで終わりだと、彼女は思わなかった。

 これが始まりであると、彼女は確信していた。

 

 白い光に包まれる杏子の瞳の中、赤と紫の光が見えた。

 それは渦巻く暴風のように揺れていた。

 暴れているような様子はまるで、彼女の中から出たがっているような、杏子から逃げたがっているようにも見えた。

 

 黙らせるように杏子は眼を閉じ、再び開いた。

 そこに赤紫の色はなかった。

 ただ、真紅の輝きが宿っていた。

 

 苦痛の表情のままに杏子は微笑んだ。満足そうな笑みだった。

 

 

 

 

 

 














久々の更新となりました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 進化の咆哮

 長大な斧槍が一閃。

 横薙ぎの斬撃により、五つの複製魔法少女の首が飛ぶ。

 断面から噴き出す、逆向きの鮮血の滝。

 それを貫き、異形の槍が彼に向って飛翔する。

 

 

「おらよ!!」

 

 

 返す斬撃で斬り払い、ナガレは背後に跳躍する。

 戦闘開始から約二十分。彼の全身は彼我の血で塗れていた。

 背中の悪魔翼は経年劣化を経た蝙蝠傘じみた孔だらけの惨状となり、顔や腕には多数の切り傷。

 頭部から生やした、ゲッター1系列のそれを模した角にも斬線が幾つも走っている。

 左目は抉られ、肉が炭化していた。熱線が掠めたらしい。

 

 

「へっ…お前は元気だな……なぁ、杏子」

 

 

 血染めの顔で、口端から血泡を吹きつつ彼は嗤いながらそう告げた。

 その視線の先には顔を白い仮面で覆い、胸の宝石を槍で貫いた杏子がいた。

 そして彼女の伸びた髪と接続されている巨体があった。

 

『自棄のドッペル』。異形の槍を携えた着物姿の異形が、ナガレを無貌の顔で見降ろしている。

 そこに躍り掛かる複数の影、対してドッペルは両手を振りかざす。

 

 腕の裾から鎖付きの槍穂が放たれ、襲撃者たちを纏めて串刺しにし、その状態で腕を振り回す。

 ハンマー投げの鉄球のように振り回され、骨肉が質量兵器と化して周囲の魔法少女達を蹂躙する。

 しかしその隙間を抜け、何体かの魔法少女がドッペルへと迫る。

 その前に、ナガレは飛翔し立ち塞がった。

 

 相手が彼を視認した刹那にその肉体は数個の肉塊と化していた。

 そして守護者となった彼へと向け。ドッペルは鎖を鞭として放った。

 回避と剣戟を重ねて鞭とやり合い、着地する。

 掠めた程度だったが、脇腹の肉が抉れていた。もう少し深ければ内臓を垂れさせていただろう。

 

 ドッペルを、佐倉杏子を複製達から守りつつ、自分の命もドッペルから守る。

 異様に過ぎる行為を彼は続けていた。

 その行為を彼は矛盾とは思わなかった。ただ自分が戦闘不能に陥れば、自分は勿論の事、ドッペル=佐倉杏子も死ぬという事は分かっていた。

 複製とは言え魔法少女という存在を、彼は決して嘗めていなかった。

 

 彼の着地に少し遅れて、周囲に肉片と臓物の雨が降り注いだ。

 可憐な顔の形はそのままに、血と汚物の体積の中に少女達の残骸が転がる。

 その光景を成しているのが他ならぬ自分であるとはいえ、何時まで経ってもこの光景には慣れない。慣れたら終わりである。

 そしてこの中に杏子を加える訳にはいかなかった。

 

 今も十数体を屠ったと云うのに、周囲に満ち始める気配と足音。

 さて、またやるかと構えたとき、彼は異変に気付いた。

 

 ドッペルが彼への追撃も、周囲の魔法少女への襲撃もせずに停止している。

 そしてバキン、という音を彼は聞いた。

 その瞬間、彼は血と汚物と肉片が散乱する赤い地面を蹴った。

 

 目指す先では、白い仮面が砕けていた。

 胸を貫く槍も光と化していき、手がだらりと垂れ下がる。

 崩壊は更に進み、杏子の身に纏う魔のドレスが光となって消えゆく。

 ただ一か所、彼が彼女の胸に巻いた白い包帯だけはそのままだった。

 

 

 

 

 眼が開いた。

 赤い瞳を宿した双眸が世界を見た。

 最初に見た存在は、とても眩く見えた。

 

 まるで生まれて初めて見る光のように。

 それは漆黒の輝きを放つ、輝く闇であった。

 

 

「よぉ、杏子」

 

 

 ぼんやりとした思考と視界は、その声によって一気に覚醒した。

 彼の放った声は、普段のそれに、程よく錆を含んだ若い男の声が重なって聞こえた。

 それが自分の願望であると、彼女は理解していた。

 

 その声は、生まれて初めて聞く音のように彼女の身体と魂に響いた。

 生まれ変わったような気分だった。

 

 

「ひっでぇツラだな、あんた」

 

「いつもながらだけどよ。お前と、モドキとはいえお前の同類は強くってな」

 

 

 血塗れの顔で彼は言う。潰れた左目は、彼のウインクのように見えた。

 背に悪魔翼を展開し、左手を杏子の腰に回して彼は異界を飛翔する。

 ほぼ裸体の杏子の背には、ナガレのジャケットが羽織らされていた。

 

 布越しに感じる彼の腕の感触と熱い体温、そして血の滑り。

 思わず杏子は上唇を舌で舐めていた。思わず欲情したのだろう。肉の襞と袋が痛む様に疼いた。

 性癖破壊兵器めと、杏子は内心で思った。どっちもどっちである。

 

 そこに追い縋る巨体。

 自棄のドッペルが地を駆けて飛翔し躍り掛かっていた。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 彼は尋ねた。殺害ないし破壊の許可である。

 

 

「ああ。あれはヌケガラみてぇなもんだよ。あたしとの関係は切れてる」

 

 

 杏子は認めた。

 

 

「存分に殺っちまえ」

 

 

 彼女が言った瞬間、彼は黒い流星となってドッペルへと跳んだ。交差する槍と斧槍。

 彼の黒翼と体表から溢れる鮮血、そしてリボンを外された杏子の長髪が、まるで連れ合う二頭の竜のように異界の空に靡く。

 

 切断音。

 槍を放ったドッペルの右腕が半ばから斬り飛ばされていた。

 愕然とした様子で振り返ったドッペルの左腕も後を追うように、こちらは肩で切り裂かれた。

 

 

「鈍いんだよ!」

 

 

 バーカ!と悪罵が続いた。加害者は杏子であり、彼女の左手には真紅の槍が握られていた。

 

 

「形変わったな。イメチェンってやつか?」

 

「あたしなりのリスペクトだよ」

 

 

 杏子が手に握る槍は、十字の左右を形成する叉が斧の形状に変化していた。

 斧の中腹からは垂直の刃が突き出ており十字の形が保たれていたが、確かにこれは彼への、または「ゲッターロボ」という存在への敬意を表する形となっていた。

 

 

「だからあんたも、ちったぁあたしを意識しな」

 

 

 そう言うなり、杏子は彼の唇に自分のそれを重ねた。舌を差し込み彼の舌を舐め、直ぐに離した。

 柔らかく熱い少女の唇と舌が離れた直後に彼が思ったのは、奇襲すっこと覚えやがったなこのアマという感慨であった。

 例によって、性欲は絶無である。

 

 

「さぁて、ケリをつけようか……ナガレ」

 

 

 言い淀みつつ彼女は言った。

 彼をどう呼ぶか、少し迷ったようだった。

 そして選ばれたのは何時もの通りの呼び名。

 元の名前は今の彼女にとっては遠く、吊り合わないとしたのだろうか。

 

 

「ああ。ちいと無茶させてもらうぜ、杏子」

 

「無茶しなかったコトが、今まであるかよ」

 

 

 皮肉気に笑いながら、杏子は彼の腰を抱いた右腕の先の五指を開いた。

 彼もまた彼女を抱いた左手を彼女の指に絡めた。

 

 重ねられた手の間からは、煌々とした真紅の輝きが放たれていた。

 まるで新たな命のように、紅い光が両者の間で育まれていく。

 

 そこに殺到する、無数の魔法少女。そして主を喪って暴走する、ヌケガラと評されたドッペル。

 愁嘆場は見たくないとばかりに襲い掛かる様は、嫉妬に思えなくも無い。

 その中で両者はそれぞれの得物を前に突き出した。二種の槍が、切っ先を重ねるように寄り添う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前、俺の記憶を見たか?

 

 

 思念の声で彼は尋ねる。

 

 

ああ。そんでもって本にまとめた。

 

 

 杏子は返した。うえっと思いつつ、彼は今はまぁよしとした。

 

 

じゃあよ。多分見たよな。

 

 

ストナーってのより上かどうか分からねぇけど、こういう時のにピッタリなのがあったねぇ。

 

 

なら上等だ。やるぜ。

 

 

合わせろよ、あたしに。

 

 

抜かせ。お前が俺に合わせんだよ。

 

 

ああ、わーったよ。あんたに合わせるあたしに合わせて、あんたが合わせな。

 

 

口の減らねぇ女だな。

 

 

うっせぇ。帰ったら黙らせてやるから、覚悟しな。

 

 

 

 そこで思念を打ち切った。そして同時に力を発動。

 二人の身体を、二つの手の間に握られた宝石…ソウルジェムから発せられる光が包む。

 真紅の光に、ナガレと半共生状態の魔女の黒い魔力が纏わりつく。

 紅と黒が交わり、新たな光となっていく。

 

 光の力が増大し、輝きが増す。

 そして顕現したのは、眩い光そのものの色。

 金色のような輝きだった。

 

 

 

「「ゲッタァァアアアアシャアアアアアアイン!!!」」

 

 

 

 呟くように、だが力強く二人は言った。

 ゲッターという言葉は彼にとって複雑に過ぎる意味を持つ。

 だがその言葉を使う事に、彼は迷わなかった。

 自らの内に潜む魔に打ち勝った者をその手に抱いているが故に。

 

 そしてゲッターという言葉に、杏子は複数の意味を込めた。

 

 望む。

 

 願う。

 

 奪う。

 

 得る。

 

 本来の意味は、今はいい。

 自分の欲望を叶え、未来を切り開く力が自分にとってのゲッターであるとの思い。

 それを彼女はゲッターという言葉に込めた。

 

 二人の意識が同調した時、ナガレと杏子は光そのものと化した。

 

 眩い巨大な光球の中、二人の輪郭と前に突き出した得物の形状が僅かに見えていた。

 そして、二人は叫んだ。

 それはゲッターという言葉や己の中の闇に対する適応の、進化の咆哮であった。

 

 

 

 

 

 

 

「「シャアアアアアインスパァアアアアアアク!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咆哮は、全てが終わってから遠く聴こえた。

 真紅の結界の中を光の渦が通り抜けた後には、破壊だけが広がっていた。

 

 胸を貫かれたドッペルは、僅かに形状を留めた直後に爆発四散し、無数の複製魔法少女達は衝撃と熱波で木っ端みじんに砕け散った。

 光が駆け抜けた先には、真紅の世界に開いた黒い渦が巻いていた。

 だがそれもやがて、小石を投じて波紋を浮かべた水面が元に戻る様に、自然のままに消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 夜風の下で

 風が吹いた。それが熱く火照った身体を撫で、彼の身体と感覚に心地よさを与えた。

 それを契機に彼は目覚めた。薄い黒布のように映えた雲が夜空を彩り、欠けた月に従うように夜空を流れていく。

 仰向けに倒れているナガレは、顔を左に倒した。

 既に背中に触れている芝生が彼の頬にも触れた。そして彼は、隣にいる少女の顔を見た。

 

 

「よぉ、相棒」

 

 

 紅い眼の少女はそう言った。言うまでも無く佐倉杏子である。

 

 

「よぉ、杏子」

 

 

 彼もそう返した。普段よりもゆっくりとした発声から、拭いきれない疲労感の蓄積が伺えた。

『シャインスパーク』と呼ばれる技は機体のエネルギーを相当に喰うが、魔法を使っての疑似再現でもそれは変わらないんだなと彼は思った。

 首を傾けるだけでもかなり疲れ、全身には熱が纏わりついている。

 

 

「ほい。返すよ、それ」

 

 

 杏子は立ち上がり、背に羽織っていたものを剥ぎ取って彼に掛けた。

 月によって切り取られる彼女の輪郭が、一気に細さを増した。

 ナガレに返したのは、彼から借りていたジャケットだった。

 

 彼が全裸の杏子に掛けたものだった。当然の結果として、杏子は生まれたままの姿となった。

 痩せぎすで、肋骨の浮いた薄い胸と筋肉の形が肌の下に透けた腹筋。

 ろくに筋肉の付いていない手足、そして薄い陰りが生えた女の器を月光が青い光で染めていた。

 

 闇の中だが、彼の眼はその程度では曇りもしない。

 それを分かっていても、いや、分かっているからなのか、杏子は自らの裸体を彼に晒していた。

 恥じらう様子は、見た限りでは外見には表れていない。

 

 その様子を彼は見ている。見たいわけではなく、顔を背けるのさえ億劫なのだった。

 そもそも杏子というか未成年の肉体には欲情しない。また今までも変身の度に裸体を晒していたので珍しくも無い。

 しかしながら、少女の身体にはやはり慣れない。複製魔法少女を屠る事同様に、慣れてはいけない事柄だろう。

 

 そして彼は無言で右手を掲げた。その瞬間、手に斧槍が握られていた。

 口を僅かに開閉させると、斧槍は中央に開いた孔から何かを放出した。

 それは緑がかったパーカーと青いホットパンツ、黒シャツと白いショーツ、そして長尺のブーツであった。

 要は、佐倉杏子の普段着である。役目を終えると斧槍は消え失せ、彼の手も地に落ちた。

 

 

「便利だねぇ、ほんと」

 

 

 放り投げられたショーツを取り、杏子は白い下着を穿いた。

 穿く様子がゆっくりだったことは、言うまでも無いか。

 

 

「なぁ」

 

「なにさ。もう一回見てぇのかい?」

 

 

 下着の裾を右手で掴んで伸ばし、鼠径部をちらりと見せながら杏子は嘲笑いの顔で言った。

 手がもう少し下がれば、彼女の女に生えた陰りが夜風に触れる。

 まるで童貞を嘲笑う、熟練の娼婦か淫魔である。

 まぁ、当の杏子自身は処女であるのだが。

 

 

「物陰で着替えるとか、そういう考えはねぇのか?」

 

 

 横になっていて少し回復したのか、ナガレの声には力が戻り掛けていた。

 尤もな問い掛けを、杏子は鼻で笑った。

 

 

「真夜中に、自然公園の草原で裸のメスガキが一人きり」

 

 

 朗読するように杏子は言う。

 ここが何処か教えてくれたことを、彼は「こいつって妙に親切だよな」と思っていた。

 状況を考えると、神浜のミラーズで模擬シャインスパークを放った後に魔女が気を遣ったのか安全な場所にとこの場所に空間を繋いだのだろうと判断した。

 もしかしたら、魔女にとっては嘗ての餌場だったのかもしれないとも彼は考えた。

 

 

「そいつが物陰でのろのろと服を着てる。そこに迫るのは群れるのが大好きで、群れねぇと何も出来ねぇDQNども」

 

 

 演技がかった言い回しが妙にサマになっていた。

 なんかキリカに似てきたな、と彼は思った。

 

 

「憐れなメスガキはとっ捕まって、抵抗したせいでボッコボコにされる。腹を殴られて両手を折られて足首も砕かれて芋虫みてぇに転がされる」

 

 

 そういえばこんな感じに謎妄想を言われたことがある。だからこの後に何を言われるかは検討が着いた。

 

 

「それでもそいつは…あたしは抵抗を続ける。でも無力で何も出来ねぇ。そんなあたしの股に、そいつらは雄を突っ込む。狭すぎるから膜どころか肉も裂けて血だらけになって、あたしは泣き叫ぶ。そいつらは面白がって笑う。そんでもって、ケツにも無理矢理突っ込む。こっちも裂けて血塗れになる。そして血と体液が掻き混ぜられて結合部がグチャグチャになるまで犯されて、当然だけど中に出される。白くてどろっとしたのがあたしの穴から溢れる。それを出した肉を、あたしは舐めさせられて口にも出される。周りの奴らはあたしの身体に自分のを擦りつけて、この髪も竿に巻き付けて扱いたりしてあたしの身体にぶっ掛ける」

 

 

 淡々とした、それでいて生々しい言い方で彼女は続ける。そのせいで、彼が場面を想像するのは容易かった。

 

 

「で、佐倉杏子さん16歳はあんたに抱かれる前に中古になりましたとさ、と。でもってあたしは駅前にでも手首と足首を縛られて股を開いた体勢の全身白濁まみれの状態で捨てられて、朝通りがかった通行人とかに動画取られてネットに流されて、半永久的に晒し者兼夜のお楽しみの総菜にされるんだろうよ」

 

 

 最悪の上に最悪を重ねる杏子。

 自分の災禍を楽しそうに語っている彼女の心境やいかに。

 

 

「とまぁ…こうなったらあんたのせいになるけど、それでいいの?」

 

 

 トドメと言わんばかりに彼女は告げた。

 息が荒く、少し疲れた様子だった。

 心がというより、一気に捲し上げたせいだろう。

 本来の体力の無さが、ここに表れていた。

 

 

「くだらねぇコト言ってねぇで、さっさと着ろ」

 

 

 歯を軋ませながら彼は言った。

 魔法少女から受ける大抵の暴虐を何だかんだで赦す彼だが、何物にも限度はあるらしい。

 当然のことであるのだが。

 

 その彼の様子に、杏子は「ハイハイ、分かりましたよっと」笑いながら言い、鼻唄交じりに残りの服を着始めた。

 今回のレスバは自分が勝った、とでも思っているらしい。

 また彼も彼とて敗北感を覚えていた。

 

 その一方で、苛立ちの奥から滲むのは安堵の感覚。

 何はともあれ、杏子が無事で何よりといった想いであった。

 













久々の不健全会話


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 夜風の下で②

 夜の公園。

 月夜が映えた世界に、ギィギィという音が響く。

 鎖に錆が浮いたブランコが揺れる音である。

 

 

「久々に乗ったけど楽しいな、これ」

 

「童心に帰ってんの?」

 

「そうなるかね」

 

 

 軽い前後運動をしつつ、ナガレが応えた。

 杏子も似た様子で遊具に座っている。

 彼の答えが気に入ったのか、杏子はけらけらと笑っていた。

 しかし声の様子がどこかおかしい。何かを引きずっているような、くぐもっているような発音だった。

 

 

「俺は小さい頃から空手の修行ばっかしてたから、こういうとこは来たことはあっても遊んだこと殆どねぇな。多分だけど、ブランコに乗んのは人生で二度目か」

 

「あたしが言うのもなんだけど、すげぇ人生送ってんな。ていうか、何しに公園来てたのさ」

 

「そいつも空手の修行だな。砂箱突きとかしてた」

 

「すなばこつき」

 

 

 意味を確かめるように、杏子は舌先で言葉を転がすように呟いた。

 

 

「文字通りの意味さね。砂を詰めた箱を手刀で突くのさ」

 

「…えっぐいな。痛くねぇ…ワケねぇよな」

 

「すげぇ痛ぇよ」

 

「強くなれたかい?」

 

「小学校を卒業すっころには、抜き手で畳み三枚ぶち抜けるようになってたかな」

 

「畳み三枚」

 

 

 分かる様な分からないような、そんな例えだった。

 家が洋風であったため、畳があまり身近ではなかったせいもある。

 しかし畳を踏みしめる感覚を鑑みるに、自分がいくら押してもびくともしないそれを抜き手で纏めて三枚破壊するというのは尋常ではない。

 

 しかも小学校卒業時ならば12歳程度。

 そんな歳で…という想いはあったがあまり強くはなかった。

 こいつ、というかあの男ならやるだろうなと彼女は思っていた。彼の本体についてである。

 その姿を思い浮かべたとき、杏子の鼻先を生臭い匂いが掠めた。

 思考、というか妄想を邪魔され、杏子は露骨に顔をしかめた。

 

 

「くっさ」

 

 

 嫌そうに吐き捨て、背後を見る。

 その顔は、左右の頬が青黒く腫れていた。酷い内出血をしている証拠だった。

 振り返った時、杏子は胸に手を当てていた。服ごと肉を握り締めるように掴む。

 

 

「痛ぇな…」

 

「さっきも聞いたけどよ、魔法使うか?」

 

「さっきも言ったけど、遠慮しとくよ。たまには自分の身体を使って治すさ」

 

 

 そう言いつつ二人は背後を見た。

 生臭い香りの源泉はそこに積み上げられていた。

 暗闇の中、複数の肉塊が重ねられている。それらはこの二人より年上の男たちだった。

 

 過度にダボついた衣服、耳や鼻、唇に付けられた多量のピアス。

 肌が露出した部分には毒々しい色彩のタトゥーが入れられていた。

 まともな連中では無さそうだった。

 

 呼吸音と苦鳴を上げたそれらは、身体の一部が破壊されていた。

 端的に言えば、全員が男性機能を破壊されていた。

 肉の管は爆ぜ割れ、睾丸は潰されて溜められていた精液と血液を服の中に飛び散らされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 公園内を散策していた二人に、この連中は声を掛けてきた。

 二人は無視したが、連中は二人に付き纏った。

 果てにはその周囲を取り囲み、卑猥な言葉を投げ始めた。

 

 

『お前はあの教会の娘だろう』『金は無いけど代金代わりに孕ませてやる』

 

『そっちのお嬢さんも混ざらないか』『混ざらなくてもその尻を貸してくれるなら可愛がってやる』

 

『抵抗しない方がいい』『してくれても構わないけど』『暴れてくれた方が燃える』

 

『こっちは温かければ死体でも構わない』『この前の連中は自殺したんだっけか』

 

『子供のくせに夜遊びしてたから悪いんだ』『男は彼女を守れない甲斐性なし』『女は堕胎が怖くて死んだ馬鹿』

 

『ウケる』『最高』『時々動画見返してシコってる』

 

 

 思い出して興奮しているのか、ズボンを下げて露出したそれを扱いている者もいた。

 赤黒い肉が激しく擦られ、異様な匂いを夜風に含ませた。

 杏子はそこへ向かって歩いた。

 彼は止めなかった。

 

 

「手は出すな」

 

 

 と、杏子は彼に思念を送っていた。彼はそれに従った。

 怯えて服従したと思った男は、杏子を一思いに抱き締めようと近付いた。

 口からは涎が垂れている。その脳裏では、杏子があらゆる方法で辱められていた。

 尻から犯してやろう、そう思った思考は痛みと熱で塗り潰された。

 

 

「汚ぇもん見せんじゃねぇよ」

 

 

 その声は遠く聴こえた。

 杏子が放った蹴りが、男の股間を叩き潰していた。

 ブーツの底で竿が折れ、睾丸が完膚なきまでに潰された。

 

 直後に男達が沸騰、杏子へと襲い掛かった。

 一発目、二発目の殴打を彼女は避けた。

 

 三発目は鳩尾を貫いた。相手が子供であり女である事は一切意識されていなかった。

 崩れた杏子の顔が蹴られ、地面に倒れた。そこに落ちる踏み付け。

 安全靴を履いた足が、男の全体重を乗せられて降ろされていれば、杏子の頭蓋骨は割れていたかもしれない。

 

 だがそれが彼女の鼻先に触れる前、男の身体は宙を舞っていた。

 開いた視界の中、暴風の如く暴れ狂う存在を杏子は見た。

 決着は一瞬で着いていた。

 

 

「ほれ」

 

 

 伸ばされた手を、杏子は握り返した。その手を、彼は彼女の体に負担が掛からない程度の力を以て引き寄せた。

 引き寄せられた瞬間、杏子は彼の口に自分のそこを重ねた。

 

 殴打で膨れたせいで、普段よりも距離が近く感じた。

 裂けた唇の間から、杏子は舌を伸ばしてナガレの口内を這い廻った。

 にゅるにゅると口内を蹂躙するそれを、彼は好きなままにさせた。

 

 足元近くにてその様子を見上げるチンピラの顔へ、ナガレは足を降ろした。

 それは彼の感じている苛立ちを向けられた憐れな生贄であり、またそいつは杏子を踏み潰そうとしたものである為に因果応報そのものであった。

 

 

 

 

 

 

「でさぁ、話を戻すけど」

 

「ああ」

 

 

 以降、二人の間から背後で呻く肉の山の事は忘れ去られた。

 特に語る事も無いからだ。

 

 

「シャインスパークって言ったよね」

 

「ああ。それがどうした?」

 

「意味が重複してねぇか?」

 

「え、そうなのか?」

 

 

 頭をガツンと殴られた様な気が、杏子にはした。

 それは顔と胸の痛みも暫くの間消し去っていた。

 

 

「まぁいいや。消耗が激しいみたいだね、しばらくぐったりしやがって。心配掛けさせんなよ」

 

「心配してくれてたのか」

 

「悪いかい」

 

「いや、嬉しい」

 

「不意打ちでデレるな」

 

「嫌かよ」

 

「いいや、もっとやれ」

 

「注文の多い女だな」

 

「ああ。あたしは欲深なのさ」

 

 

 そこで笑う杏子。少し困ったような顔になりつつ、ナガレは満更でもなさそうな表情を浮かべている。

 会話が楽しいのだろう。

 そして欲という言葉から、杏子は話を思い出した。

 

 

「それで、シャインスパークってのはなんのゲッターの技なんだい?」

 

 

 ゲッターという言葉に、彼女は欲という意味を重ねていた。その他にも幾つもの意味が、この異界の言葉には乗せられている。

 彼としては、これは何時ものことだがどう答えるか少し考えていた。

 該当する機体は、彼にとっての皮肉と不吉の塊だからだ。

 しかし結局、話すことにした。何時もの事である。

 

 

「『アーク』…ってやつ?」

 

 

 彼が口を開く前に杏子はそう口にした。僅かだが彼が悩んでいる様子を見破ったのだろうか。

 だとしたら大した観察眼である。これも彼女が彼に持つ粘ついた執着心故か。

 

 

「そうなるな」

 

 

 嘘では無かった。寧ろ技の性質上、身に纏ったエネルギーを放つのではなくエネルギーごと体当たりしたのでアークのそれが近かった。

 肯定した彼に、杏子は更に疑問を投げた。

 

 

「それを見たのはあたしが暴れてた時だけどさ。あんたの記憶の中で、あれは妙にハッキリ見えてたよ。あれに…乗ってたのかい」

 

 

 尋ねた杏子の脳裏にはアークと呼ばれた存在の外見が浮かんでいた。

 悪魔の翼を思わせる形状の装甲を生やした頭部、槍のような翼、均整の取れた逞しい身体。

 禍々しくも、どこか神々しい姿をしていた。

 

 そもそもアークという言葉自体、大日如来を意味する言葉であった。

 以前は箱舟だと思っていたが、多分そっちの方だろうと杏子は思った。

 

 

「いや、あいつに乗ってるのは俺じゃねえ」

 

「じゃあ、誰だい。もしかして」

 

 

 もしかしてと言ったが、杏子にはその続きが思い浮かばなかった。

 しかし、応えは直ぐに来た。

 

 

「息子だ」

 

 

 その返答に、杏子は息を呑んだ。

 

 

「俺の息子。アークに乗ってるのはそいつだ。つっても、別の世界の俺の子ってコトだけど」

 

 

 いささかバツが悪そうに、ナガレは流竜馬としての言葉を佐倉杏子に返した。
















…彼の今の現状は、真面目で良い子ばかりのアークチームに見せてはいけない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 夜風の下で③

 乗っているのは、並行世界の自分の息子。

 ゲッターロボアークという存在に搭乗しているのはそれだと、彼は言った。

 どこから突っ込んでいいか分からない、突拍子も無さ過ぎる事が続いた発言だが、今更疑うこともなかった。

 彼の語る異界の存在の有無と、事象を疑う時期を彼女はとうに過ぎていた。

 

 

「そのせいだろうな。俺とは無関係っちゃそうだけど、あの機体のコトはよく覚えてる。俺も人間だからか割り切れてねぇんだろうな」

 

 

 ブランコに揺られつつ彼は自分を分析したように言った。

 言葉の通り、どう表現したらいいのか分からないようだ。

 杏子も言葉に詰まっていた。

 何を割り切るというのだろうか。

 

 

「そっか」

 

 

 同じく遊具に揺られつつ、そうと返した。

 それしか言えない。

 

 

「ま、それはいいや。でだな、アークの話になっけどよ」

 

「ん」

 

 

 話の矛先を少し変えるナガレ。それに杏子も乗った。

 しんみりとした雰囲気は、どうにも自分達には合わないと思っているのだろうか。

 

 

「あれは見た目が悪魔みてぇでヤバいけど、結構優等生でな」

 

「ゆうとうせい」

 

 

 外見を思い出しつつ、言葉を転がす。

 ブランコに乗り始めてから、こうするのはもう三度目だが、どうにも外見とその言葉が一致しない。

 悪い奴では無さそうなのだが、アークの外見的は赤い悪魔そのものだった。

 

 

「ああ。勝手に暴れ回ったりしないいい奴だ」

 

「ふぅん…」

 

 

 頷く杏子。直後に違和感。

 

 

「……って、勝手に動くのかよ。ゲッターって」

 

「全部って訳じゃねえけど、時々な。力を持て余してるとそうやって悪さしたりする」

 

「なんか、ドッペルみたいだな。あとは魔法少女。イキって暴れてるって感じが似てる」

 

「反応しづれぇ例えだな」

 

「それでも意見言ってくれよ。人生の先輩としてさ」

 

「先輩か」

 

 

 そう言われたら言うしかない。結構気遣いができる女なんだなと彼は杏子をそう思った。

 ちょろい男である。

 

 

「人間臭いロボットだよ、ゲッターは」

 

「人間、か。じゃあ、それに似てるあたしらは」

 

 

 脳内で意味を繋げ、言葉を促す。

 どこか請願に近い響きがあった。

 

 

「ああ。だからってわけでもねぇけど、お前らは人間だ。…あぁ、これでオチにしてくれよ。俺は三流小説の登場人物より口下手なんだ。あんまり俺をいじめんな」

 

「ああ…赦してやるよ……くっ、ハハハハハ!」

 

 

 彼の言葉を満足げに受け取りつつ、笑い出す杏子。

 彼がいじめという言葉を使ったのが、彼と似合わな過ぎて面白かったらしい。

 

 腹まで抑えて笑い始める。先程チーマーたちに殴られた顔と胸が痛いが笑いは止まらない。

 殴られた場所が熱い。心も熱くなる。

 気分が高まるのを感じた。

 

 高揚した気分の今なら、言えそうなことがあった。

 このテンションのままに、高所から物体が落下していくように。

 なるほど、酒と麻薬が世界中で人気の訳だと杏子は納得した。

 

 

あたしら、付き合わない?

 

 

 笑い声を止め、杏子はそう切り出した。

 世界はしんと静まり返った。

 元々音を発していたのが杏子の声だけであったので、それは当然だった。

 しかしそれ以上に、杏子には世界が凍ったようにさえ思えた。

 熱が満ちていた体内にも、その冷気は這入り込んだ。

 

 ぞわっとした感覚と共に、胸から手足の先までが凍りついたように冷えていく。

 自分が望む応えでなかったら、という恐怖。

 それは絶望にも近いか、そのものだった。

 

 

「付き合うってな、一緒に遊んだりとか飯食ったりとか、出掛けたりってのになんのかね」

 

「そう、じゃねぇかな」

 

 

 辛うじてと言った風に返す。そういえば、自分が提案したことが具体的にはどういった定義なのかよく分からない。

 

 

「それと一緒に暮らしたりとかか」

 

 

 そうだね、と返そうと思った。そこで気付いた。

 

 

「最近の俺らだな。会った時と比べて、少なくとも仲は悪くなっちゃいねぇだろうよ」

 

「だね」

 

 

 即座に答える。

 杏子としても最近の自分の態度というか相手への距離感が近すぎるのは分かっている。

 しかし、人生経験が足りな過ぎてそういった態度しか出来ない。

 それに、生半可ではこいつを繋ぎ留められないと感じていた。

 彼の身に牙を突き立て、喰らい付く。

 

 そうでもしないと、何処へ行ってしまうか分からない。

 それが怖かった。

 この地獄そのものの存在は、少年の姿に自分が求めるものが詰め込まれた存在だった。

 

 

「いいぜ」

 

 

 即答。

 同時に赤い光を夜風が孕む。

 そして月夜を切り裂いて動く影。

 長い髪が、それ自体が美しい獣のように動いた。

 

 ブランコに乗るナガレの目の前には、両手を広げた真紅のドレスを着た少女がいた。

 行動を分析するとブランコから飛び、前の鉄柵を蹴って三角飛びをしたようだ。

 

 接触の寸前、彼も背後に飛翔した。

 そこに更に追い縋る真紅の姿。

 女豹のように彼に迫る佐倉杏子。

 

 背後への退避ということで、当然ながら背後の物体が彼の回避行動に巻き込まれた。

 積み上げられたチーマーたちである。

 数は七人か八人か、それはどうでもいいとして全てが弾き飛ばされた。

 体重二百キロを超える彼が弾丸もかくやと言った速度で背をぶつければ、そうなるか。

 口からは内臓破裂の鮮血が零れたが、それを誰も気にしない。

 

 吹き飛ぶ人体の中央を更に跳び、背後の草原の少し小高い丘でナガレは止まった。

 ここなら遊具を壊さない。土も露出した場面だから景観もそう壊しはしない。その判断だった。

 

 迫る杏子。眼は前髪で見えないが、口は半月の笑みを浮かべている。

 嬉しそうだなと彼は思った。実際その通りなのだろう。

 

 次の瞬間、夜を貫く破裂音。

 二人の掌が重ねられ、指先が手の甲へと喰い込む。

 手四つを組み、互いの肌と力を重ねている。

 手の甲からは早くも出血、指先は骨にも達してそうだ。

 

 

「いいのかよ、ほんとに」

 

 

 前髪で眼を覆ったままに杏子は言う。

 相変わらずの好戦的な笑顔のままだが、声の発音は泣き笑いに近い。

 

 

「いいってんだろ」

 

 

 彼は答える。そして両者は後頭部を背後に引き、前へ向けて強く突き出す。

 夜を砕くような破壊音が鳴り響く。

 額が重なる。重なっている肌の間からは鮮血が滴り、鼻筋を通って顎へと至る。

 傷口が重なっている為に、その血は両者のものが混ぜ合わされていた。

 

 なんでこうなる?という疑問は両者が抱いていた。

 しかし今は言葉より現状をさっさと抑える方法をとるべきだった。

 自分たちは既に放たれた弾丸であり、その役目を全うすべきだと。

 

 何時もの通りに彼は魔女に命じて異界を開き、その中へと二人そろって入っていった。

 異界の中ではいつも通りの、されど気分的には普段とは異なる戦闘が開始されていた。

 切り刻む肉と浴びる血滴の熱さから、杏子は別の何かを。

 そしていつもと同じながら、さらに強まった肉の疼きを感じていた。

 















さぁ大変だ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 新しい平凡な日常

 心地よいまどろみを引き剥がすように、佐倉杏子は目を覚ました。

 外から差し込む昼の光が、昏い教会の中に一抹の明かりを与えていた。

 そのまま上体を起こす。

 

 羽織っていた毛布がずるりと下がる。

 いつもの黒シャツを杏子は羽織っていた。その下にブラは着けていない。

 新しいのを持っていたが、どうにもつけるのが面倒だった。

 故にブカついた隙間からは赤い突起が外気に触れ、薄い生地故に見えてなくてもその形はくっきりと浮かんでいた。

 

 

「よう相棒」

 

 

 羞恥心など何処吹く風で、眼を擦りつつ杏子は声を掛けた。

 寝床としているソファの、杏子から見て足先のあたりにはナガレが座っていた。

 

 

「ああ。元気か、相棒」

 

 

 言いつつ、彼は左手でペットボトル入りの水を差し出した。

 残る右手で自分の分を飲んでいる。

 杏子はソファの上で尻をスライドさせて彼に近付くと、ペットボトルを奪うように受け取った。

 そしてごくごくと飲み始めた。

 ナガレが既に飲んでいた方の水を。

 

 

「うっま」

 

 

 そう評し、ナガレに水を返す。二口分程度残してあるのは、つまりそういう事だろう。

 残った分を、ナガレは平然と飲み干した。その様子をからかうように、そして満足げに杏子は見ている。

 

 

「どうだった?」

 

「水だな」

 

 

 杏子の問いにナガレはそう返した。事実以外の何物でもない。

 

 

「それだけかよ。美少女の唇付きだぜ?」

 

「じゃああれ、ソース味がした」

 

 

 これも事実だが、それを指摘すると杏子の顔は赤くなった。

 顎先から額、耳までが朱に染まる。まるでアニメの演出さながらに。

 そのまま悶え始める杏子。それを尻目に新しいボトルを杏子の手に握らせ、今までの事を思い出し始めた。

 

 夜中の自然公園で告白されてそれを受諾。

 照れ隠しに襲い掛かってきた杏子と、半共生状態の魔女に命じて開かせた魔女結界にて杏子と交戦。

 交戦時間は四時間に及んだ。

 ナガレは右目を蹴り潰され、左腕を喰い千切られて右手を切り飛ばされ、肋骨を槍に切り刻まれた。

 杏子は両腕を肩の付け根から捥ぎ取られ、腹を半分以上切り裂かれて傷口から腸を垂らし、細首は千切れかけた。

 

 その状態で、杏子は口に折れた槍を咥えて彼に挑んでいった。

 血反吐を吐き、全身を彼と自分の血と体液で穢しながら獰悪な斬撃を繰り返した。

 ナガレも似た様子で応戦した。口に牛の魔女を咥え、佐倉杏子と切り結んだ。

 

 何かを常に咥えているという状態ゆえに、当然口が開いている形となる。

 そのせいで、両者は笑いながら戦っているようだった。

 いや、本当に笑いながら凄惨な戦いを繰り広げていたのだろう。

 

 得物を噛む力さえ失い、体内を巡る血が枯渇寸前になった時、漸く戦闘は終わった。

 そして肉体を治癒し、いつものネットカフェでシャワーを浴びて食事や漫画を読み終えてから二人は帰宅した。

 ナガレが指摘したソース味とは、ネカフェの個室で杏子が食べていたカップ焼きそばの事である。

 

 金額の節約の為と杏子が言い、一部屋に二人のプログラムで入った為に、室内では頻繁に杏子が唇を求めてきていた。

 暴れられてもヤバいと黙っていたが、そろそろ対策を考えようかとナガレは思い始めた。

 真っ先に思い付いたのが唾液を毒物化させるかと思ったのは、彼らしいと言えばそうかもだが、キリカに毒血を啜られた経験からそれを実行するのはやめとこうと彼は思った。

 

 その後廃教会に帰宅し、ナガレはアニメ鑑賞に没頭。

 杏子は眠りに落ちた。そして今に至るのである。

 

 

「元気かよ」

 

 

 彼は尋ねる。殺し合いをしておいて、という感じだがメンタルの面を言っている。

 

 

「ああ、落ち着いてるよ。ちゃんと大人しくしてる」 

 

 

 悶絶を終え、杏子はシャツを捲って腹を見せた。

 腰より下に裾を下げ、鼠径部近くまでが見えた白い肌を撫でる。

 

 撫でられる手の下にあるのは、消化器官ではなく命を育む袋である。

 そこに新たな命を宿したかのように、どこまでも優しい手付きで杏子は撫でる。

 これも彼に対する挑発行為だが、功を奏した様子は無い。

 

 

「あたしはあの化け物みたくなりたくねぇ」

 

 

 杏子の脳裏に浮かぶのは、白と黒を基調とした髑髏顔の魔神。

 力の暴走の果てに無限回ほど宇宙を滅ぼした悪魔。

 

 杏子がドッペルと向き合う前、廃教会でその名前を出していたことからナガレは化け物が何を差しているのかは分かった。

 意味不明な性格は相変わらずなものの、今は善落ちみたいな状態をしているが、別にそれは伝えなくてよさそうだった。

 にしてもあいつは今どこにいるんだろうか?と一瞬だけ思った。

 

 どうでもよくなった。彼をして無敵過ぎる存在なので、負けることは無いだろなと思っている。

 どうせ今もどこかで何かを破壊したり殺戮したりしてるのだろう。

 少なくとも今の自分達と接点があるとは思えない。

 

 

「力は制御して管理しねぇとな。あんたみてぇに」

 

「俺としては自信がねぇけどな。でもお前はちゃんと出来てたじゃねえか」

 

 

 彼の指摘は、チーマー連中相手に魔法少女の力を行使しなかった事についてである。

 

 

「まーね。でもあたしは弱ぇな。あんたがいなかったら、きっと今頃全部の穴から精液垂らして全身も精液まみれの傷だらけにされてどっかに捨てられてる」

 

 

 そんでもって捨てられた先で拾われて、今も別の連中に輪姦されてっかも。

 酒とかクスリを無理やり飲まされてキメさせられて、自分から腰振ってエロい言葉叫びまくってんのかも。と杏子は加えた。

 

 立石に水の如くに自分の陵辱劇を語る杏子の様子に、彼はどうしてもキリカの存在がダブっていた。

 しかしあちらは挑発行為、杏子の方はどうも願望じみているところがあると彼は感じていた。

 微妙な表情の変化を読み取れるのは、常日頃から殺し合ってる所為だろう。嫌な観察眼である。

 

 

「なら身体鍛えようぜ。これでも昔は空手道場やってたからな。教えんのは嫌いじゃねえし下手でもねぇ」

 

 

 なおも自分を辱める妄想を語る杏子の話を切断するように、別の切り口で話を進めるナガレ。

 彼女の妄想に付き合う気は無いようだ。

 

 

「経営はヘタクソだったみたいだけどね」

 

「痛いとこ突きやがるな。とりあえず、明日から走り込みとか筋トレでもしてみるか。お前はまずは基礎体力上げた方が良さそうだ」

 

「気が向いたらね。……あぁ、悪い、起きたばかりだけどそろそろ寝るわ」

 

「ああ。んで、起きたらメシでも行こうぜ」

 

「牛丼屋がいいかな。肉の気分」

 

「いいな。んじゃ、おやすみ」

 

「ああ。おやすみ」

 

 

 普通の会話だが、此処に至るまでは長過ぎた。

 杏子もそれを感じているのか、毛布を羽織ると安らかな表情で眼を閉じた。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 と思いきや眼を開いた。

 

 

「添い寝したかったらご自由に。なんなら胸でも尻でも触ってくれて構わねぇよ。でも、シたくなったら起こせよな。自分の膜がブチ破られて血ぃ流すとこはちゃんと見たいし痛みも感じたい」

 

 

 そう一気に捲し立てて眼を閉じ、即座に寝息を立て始めた。

 演技ではなく、本当に寝入ったのだった。

 勝ち逃げしやがって、と彼は思った。

 

 思うところがそれでいいのか、と思わなくも無い。

 そして彼はソファの前に置かれているテレビにイヤホンを繋ぎ、アニメ鑑賞を始めた

 彼女の傍から動かない、という事が、添い寝と言った彼女に対する彼なりの妥協点なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の中、巨大な赤紫の物体が聳えていた。

 それは佐倉杏子が己の内に取り込んだ、彼女の中の殺意の感情。

 ドッペルを構成する元となる、負の感情そのものの姿。

 ゲッターロボを模した、全身に装甲を纏った無貌の騎士風の姿の存在。

 

 それが、左右と背後から伸びた鉄の檻に囲まれ、そこから伸びた幾つものワイヤーやボルトによって各部を拘束されている。

 鉄の檻は微細に震えていた。それは、この存在が拘束を良しとせずに解き放たれたがっている事を意味していた。

 

 

「往生際が悪ぃ奴だな」

 

 

 そう呟いたのは、魔法少女姿の佐倉杏子である。

 槍を肩に担ぎ、全長40メートルほどのそれを見上げている。

 

 

「こりゃケージってやつかな。どっかエヴァっぽいのは仕方ねぇか」

 

 

 眼の前の状況を杏子はそう分析した。

 

 

「ここはあたしの夢の中、つまりは心の中だからな。あたしも随分とあの作品に毒されてんな」

 

 

 そう言った杏子の足元の黒い地面が隆起し、上昇していく。

 夢の中と彼が言った通り、自由自在であるようだ。

 その間も、異形の騎士は拘束を振り払おうと微細な動きを繰り返す。

 だが拘束は固く、びくともしない。

 

 

「これがあたしの演出で、意味がねぇ事は分かってる」

 

 

 杏子は言葉を紡ぐ。

 

 

「なんせお前はあたしで、あたしはお前だ」

 

 

 顔の前に杏子は立つ。

 

 

「でも今の形は気に喰わねぇから、お前をあたし色に染めてやる」

 

 

 そして槍を構える。

 

 

あたし(お前)は、あいつをこの世界に…いや、あたしの手元に繋ぎ止めるための楔と鎖になってやる

 

 

 槍に魔力を使い、形を変える。

 

 

あいつはあたしにとってのゲッター(欲しいもの)で、あたしはあいつにとってのゲッター(奪うもの)になる

 

 

 変形したそれから伸びたコードを、杏子は力強く引いた。

 猛々しい機械音が鳴り響く。

 杏子の手に握られているのは結界魔法の鎖を刃とした回転鋸、血のような真紅のチェーンソー。

 

 

「あーっ、たくよぉ。面倒だねぇ、惚れた弱味っつぅのはさぁ」

 

 

 その切っ先を騎士に向け、更に近寄っていく。

 

 

「ああ……そして、あたしは……あたしは…なんて、なんて卑しい魔法少女で」

 

 

 自分の心へ、それを切り刻む道具を携えて。それを大きく振りかぶって。

 

 

 

嗚呼、なんて卑しいゲッターなんだ

 

 

 

 そう呟き、佐倉杏子は己の心の現身へと、唸りを上げて回転する鋸を振り下ろした。

 その時の彼女の表情は、黒一色で塗り潰されていた。ただ口元だけが、半月の形に開いていた。

 
















佐倉さんの進化が止まらない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 竜と朱

 猥雑な音と眼が痛くなるような光が、薄暗い室内に乱舞する。

 雑多な笑い声と下品な冗談、そして時折女の嬌声までが入り混じる。

 過度にスキンシップをしているか、影で交わっているかだろう。

 当然、それらの発生源である人の数も多い。

 

 大体は若者で、ラフな格好であったり着崩した制服だったりと言った具合である。

 それぞれが店内に置かれた筐体の前に陣取り、財布に悲鳴を上げさせながら硬貨を投入していく。

 そして湧き上がる悪罵と歓声。

 それを彼は心地よいと感じていた。

 

 

「サバトってな、こんな感じなのかね」

 

 

 何時ものジャケットを羽織り、両手をポケットに突っ込みながら店内を進む。

 顔で見れば美少女そのものだが、纏った雰囲気は精悍に過ぎる男のもの。

 荒々しい気配と可憐な姿が全くの矛盾なく合一された姿は、佐倉杏子曰くの性癖破壊兵器。

 

 しかし本人はこの姿にも慣れたもので、この外見もいいかなとか思いながら生きてる。そう思った方が楽な事に気付いたのだろう。

 この外見に魂を押し込められてから約半年、今の名はナガレ。嘗ての名と言うか真名は流竜馬である彼は今日も楽しく生きていた。

 

 

 歩いていると、前方に人だかりが見えた。

 その場から外れた時間は数分だが、その間に何かあったらしい。

 トラブルには事欠かねぇ街だなと彼は思って前に進んだ。

 

 人だかりをするすると抜けた瞬間、彼の視界を人間の背が埋めた。

 身長160程度の彼の前に、180センチほどの男が吹き飛ばされていた。彼はそれを難なく片手で受け止め、地面に叩き付けた。

 宙で一回転し、足から落とす。

 

 剥離骨折程度で済ませてやったのは、どういったいきさつかは知らないからだ。

 剥離骨折を負わせた理由は、どうせろくでなしだからと思ったからだ。

 

 女子中学生相手に集団で襲い掛かる奴らが、まともである筈が無い。

 

 視線を前に向けると、数人の男たちを相手に立ち回る少女の姿が見えた。

 繰り出される殴打を軽やかなステップで交わし、繊細な指を拳に固めて相手の顎や鳩尾を打ち抜く。

 鋭い蹴りを膝裏に叩き込み、身体を倒して顔面を踏みつける。

 

 足裏で歯が折れて鼻が砕け、汗と血が床に放射状に飛び散る。

 そこで更にごりっと踏み付け相手を気絶させる。

 周囲に残った男は一人。

 一目見ただけでまともな人種ではなく、暴力沙汰に慣れた雰囲気を纏わせている。

 それが明らかに怯え、そして屈辱に震えていた。

 

 それを紅い眼が凛と見据える。

 軽蔑と嘲笑、そして挑発の眼差しだった。

 紅い視線に魅入られたように、男は叫んだ。ポケットに突っ込んだ手を抜き放つ。

 岩のような拳には刃物の光。バタフライナイフが握られていた。

 それが少女の前に来る寸前、動きを止めさせられていた。

 

 刃は、少女よりも逞しいが、ナイフを握る男のそれより遥かに細く繊細な指によって止められていた。

 男の体重と全身の筋力を総動員して押し込むが、全く以てビクともしない。

 美少女のような貌の、野性味を帯びた少年の右手の人差し指と親指が刃の先端を「ちょこん」と掴んでいた、それだけで。

 

 

「せめて素手でやれよ」

 

 

 そう言うや、ナガレはナイフを奪い取った。といっても、軽く手を上に上げた程度でナイフの柄は男の手から離れていた。

 代わりに柄を握り、刃に歯を立てる。ギャラリーの何人かは、その様子に淫らなものを思い浮かべたかもしれない。

 霞がかったように、陶然とした表情になっている連中がそれである。

 牙のような歯が刃に触れた瞬間、バギンという音が鳴った。

 

 刃に加えられた力によって、ナイフの刃は圧壊させられていた。

 大型のプレス機にでも掛けられたかのように、鉄の塊がグシャグシャになっている。

 口元に残った小さな破片を、ナガレはプッと吐き出した。

 

 飛翔した破片は、持ち主の膝に軽く突き刺さった。頑丈なはずのジーンズの抵抗など、全く無意味だった。

 与えられた痛みと恐怖が男を恐慌状態に陥らせ、男は意味不明な叫びを上げて逃げていった。

 

 ギャラリーたちはその背を追った。何度も蹴躓いて転びながら、男が店外へ出た後にはその加害者二名の姿を追った。

 視線を巡らせたその者達が見たのは、苦痛に呻く五人の男たちの無様な姿だけだった。

 

 

 

「無茶する奴だな」

 

「君の真似をしただけだ。魔法少女と生身でやり合う君のな」

 

 

 看板やら壁やらを蹴り、建物から建物へと飛翔しながら両者は言葉を重ねる。

 屋上の手摺を蹴り、ナガレの身体は宙を舞った。

 その手には、赤眼の少女が抱かれていた。お姫様抱っこと言えば分かりやすいか。

 

 

「じゃあ、次は何処へ行こうか。ナガレ」

 

「お前に合わせる。行きてぇとこ案内しな、麻衣」

 

 

 夕焼けに身を焦がすように、ナガレと朱音麻衣は全身に赤い色を映えさせながら飛翔していった。

 血に濡れているようにも見えた。

 何時もの二人のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナガレ。デートしないか」

 

 

 休日の昼下がり。午後三時あたりになった時に、廃教会には客が訪れていた。

 薄紫色のセミロングヘアに血色の眼をした魔法少女。風見野自警団の一員、朱音麻衣である。

 廃教会の入り口に立つなり、開口一番にそう言った。

 叫んだわけでもないのに、凛とした声はよく響いた。

 

 その時のナガレは、ソファに座っていた。隣には佐倉杏子がいて、一緒にアニメ鑑賞をしていた。

 何かを言おうとして、ナガレは口を開いた。その口を、杏子の唇が塞いだ。

 肉を貪る獣のように、彼に覆いかぶさって唇を重ねて舌を彼の口内で暴れさせる。

 

 赤髪のポニーテールが、それこそ獣の尻尾のように左右に激しく振られていた。

 杏子は麻衣の存在を完全に無視しつつ、麻衣が来たことで生じた感情のままに行動していた。

 

 

『…悪いな』

 

 

 ばつが悪いに過ぎる様子で、ナガレは麻衣に魔女経由で思念を送った。

 

 

『気にしなくていい。その雌餓鬼が悪い』

 

 

 波長的には全く動じず、

 

 

「失礼する」

 

 

 と一言加えてから麻衣は廃教会に足を踏み入れた。

 杏子は麻衣を一瞥すらせずにナガレの唇を貪り、手と足を彼に絡める。

 流石にイラっときたのか、彼は両手を杏子の肩に添えて身を抱くのを阻止していた。

 

 しかし形的には、似たような感じになっているので杏子の思惑は達成されていた。

 何であるかは言うまでもない。

 麻衣へのマウント取りである。

 

 その身体が、ずいと引き上げられた。

 猫でも掴む様に、麻衣は杏子のパーカーの帽子部分を引っ張っていた。

 

 

「よぉ発情紫髪女。相変わらず雌臭ぇ匂いしてやがんな。どんな匂いか言ってやろうか?」

 

「ああ。そちらも元気そうだな、佐倉杏子。色気違いここに極まれりといった感じだな」

 

「負け惜しみかい?ちなみに匂いってのは経血を煮詰めて固めてゲロをぶっ掛けたような感じだよ」

 

「どうとでも受け取るといい。そしてお前は一度病院にでも行くといい。正直引いてる、というか心配になる」

 

 

 実質的に二回目の会話がこれである。

 言うまでも無く廃教会内の雰囲気は最悪である。

 テレビだけが、それとは無縁のようにアニメ映像を流していた。

「ガガガ、ガガガ」という声が聞こえた。オープニングテーマの一部だろう。

 

 

「単刀直入に言う。ナガレを暫く借りたい」

 

「ああ、いいぜ」

 

「そうか。なら力づくで」

 

 

 変身、しようとしたが、麻衣はそこで取りやめた。

 不信感よりも、喜びが大きく勝っていた。

 既に麻衣の視界からは、眼の前にいる筈の杏子の姿は消えていた。

 風見野の街を歩く、自分と彼のビジョンが脳裏に浮かんでいる。

 

 

「ああ、貸してやるよ」

 

 

 そこに割り込む、杏子の声と顔。

 声は穏やかで、天使のような微笑みを浮かべている。

 

 

あたしの彼氏、貸してやるよ

 

 

 その表情と声で、杏子はそう言った。

 悪魔、という言葉が相応しい。

 麻衣の顔から表情が消えた。

 

 

「そいつとは、昨日話を着けたんだ。付き合おうってさ。その様子だと、てめぇもその話を切り出す積りだったみてぇだなぁ」

 

 

 表情を一変させ、杏子は嘲笑う。

 

 

「腐れクソゲス淫乱発情のキリカにも言われただろうけどさ、いっつも遅ぇんだよ、バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッカ!」

 

 

 耳まで裂けたような半月の笑みは、悪魔でさえも眼を背けそうな有様だった。

 楽しそうに笑う杏子。本心だから、そして遠慮する相手で無いから思う存分に相手を傷つける言葉を告げていた。

 その様子はまるで、嘗てのナガレに向けていたそれである。

 彼女の最後の理性というか善性が

 

 

『どうした?濁っちまったのかい?安心しなよ、そん時ゃあたしが責任もっててめぇを殺ってやる。てめぇの亡骸も成れの果ても、何もかもを刻んでやるよ。文字通り身も心もぜぇんぶねぇ!』

 

 

 と言うのを押し留めていた。

 理由は隣に彼がいるからである。

 杏子は、背後から高まりつつある彼の怒気を感じていた。

 付き合う云々を受諾したからと言って、行動を全肯定するわけでないのが彼らしい。

 

 口を挟まないのは、これが女同士のバトルであるからだろう。

 下手に介入すると、全てが悪化するだろうと彼は思っていた。

 その原因は他でもない彼自身だが、これを無責任と評すかは難しい。

 

 震える麻衣。

 そして口が開かれた。

 そこから溢れたのは

 

 

「はっ……は……ハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 

 泣き声でも絶望の慟哭でもなく、確たる意思を有した哄笑。

 

 

聞いたぞ!聞いたぞ佐倉杏子!ナガレは借りるぞ!いいな!!

 

 

 杏子の顔にずいと顔を近付け、麻衣は息を吹きかけるようにして叫ぶ。

 口から放たれる息は甘く、熱は炎のように熱い。

 当のナガレは「俺なんかのどこがいいんだろ」と思っていた。

 そこに思念が割り込んだ。

 

 

『まぁいいさ。あんたはまだ完全にあたしのモノになってねぇからな。いいさ、楽しんでこいよ』

 

 

 杏子はそう送った。

 先程の毒々しい言葉と異なり、すっきりさっぱりとした趣きのものだった。

 彼が察する限り、それは本心のようだった。

 

 再確認は野暮と想い、彼は家主の言葉に乗った。

 主体性ねぇなぁと彼は自分の行動をそう思ったが、他に選択も無さそうである。

 

 こうして、ナガレと麻衣の風見野デートが開幕したのであった。















後が怖い


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 竜と朱②

「沁みるぞ」

 

「望む処だ」

 

 

 ビルの屋上で、ナガレと麻衣はそんなやり取りを交わしていた。

 前にもこんな事があったなと二人は思った。

 ビルの壁に背を預けた麻衣の顔に、ナガレが右手の指を伸ばした。

 

 少女のような、それでいて鋼の頑強さを持つ彼の指先は、透明な光沢で濡れていた。

 濡れた人差し指が麻衣の顔に触れる。右目の周囲を、輪郭をなぞる様に這う。

 

 

「くすぐったいな」

 

 

 その感触に、熱く濡れた声を漏らす麻衣。

 ビクビクと震える肩は湧き上がる情欲を抑えている事によるものだった。

 麻衣の右目は、青々と腫れていた。

 

 ゲームセンターで男たちを相手に大立ち回りを演じた際、彼女の顔の半分くらいはあるごつい拳が掠めた際に受けたものだった。

 一しきり塗薬を塗った後、ナガレは次に左頬を撫でて麻衣の喉を軽く擦った。

 それぞれが蹴りと手に依る圧搾による暴力の痕跡を受けていた。

 

 

「この暮らしも長くなってきたけどよ、風見野ってな物騒だな」

 

「まぁな。どうやら神浜あたりからも来てるみたいだ。会話の節々にあちらの地名があった」

 

「嫌な場所だな。名前からして好きになれねぇ」

 

「同感だが、行けば退屈し無さそうだ。その時はぜひ君と一緒に行きたいよ」

 

「まぁ、そうだな。でも無茶はすんなよ」

 

「善処するが、強姦される危機を感じたら今回のように即座に迎撃せざるを得ない」

 

「逞しいな」

 

「そうでもない。さっきのは素の私だが結構ギリギリだった。君がいなければ、今頃私は」

 

「お前は勝ったんだ。しばらくは勝利に浸ってな」

 

 

 簡易的な治療を施し、また受けながら二人は言葉を交わす。

 治癒魔法を行使すれば一瞬で完治できる負傷にも拘らず、麻衣はアナログな治癒を望んでいた。

 理由は自分が人間であると自覚したいからと、彼に触れられたいからである。

 

 

「なぁ、ナガレ」

 

「なんだ、麻衣」

 

「好きだ」

 

 

 呼吸のように麻衣は言った。

 それがなんらの緊張も自分に与えない事を、麻衣は当然のことと思った。

 彼への好意は真実であるし、当たり前のことであるからだった。

 

 

「ありがとよ」

 

 

 ナガレは素直に返した。皮肉以外の好意の言葉を向けられて、嫌がる人間はいない。

 その様子に麻衣は頷いた。

 付き合うとか彼氏とか、そんなのはどうでも良かった。

 彼と気持ちを通じさせられているなら、それでいい。

 負け惜しみではなく、本心から彼女はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナガレを貸し出してから数十分後。

 横になっていた杏子は不意にがばっと起きた。

 寝ようと思っても寝られず、自分を慰める気分にもならずに寝る真似をしていたのだった。

 それに飽き、杏子は行動を開始した。

 

 まずは近所の公園に赴いて用を足した。腹の具合が悪いのは何時もの事だった。

 ついでに歯を磨いた。歯茎からの出血。

 歯周病を患っていたらしく、魔力で作った鏡を見ると歯茎が赤くなりブヨブヨとしている部分が見えた。

 

 舌先で歯に触れてみると、歯同士の隙間が塞がれている。

 歯石も少し溜まっているようだった。頃合いを見計らってそれらは魔力で治そうかなと彼女は考えた。

 よく考えれば歯や歯茎はいつも殴り合いやらで破壊されるのに、なぜこれらが残っているのかが謎だった。

 自分と言う連続性を保つ為か、と杏子は思った。

 気構え一つで変わりそうなので、次に殺し合って壊れた際は新しく治そうと彼女は決めた。 

 

 あと歯石や歯を洗って無い事は、唇を重ねたナガレの反応を観てから考えるってのは変態かな、と少しだけ思った。

 

 生き物としての用を終えると、杏子は公園から足早に立ち去った。

 あと少ししたら老人と子供の憩いの場になる場所に、自分がいては邪魔だろうと思っていた。

 

 街へと繰り出して買い物を済ませる。ポケットに入る程度の菓子と歯ブラシのストック。

 キリカが寄越してきた『玩具』の電池など。

 時期的に生理が近いが、生理用品はナガレに買いに行かせた方が、というか一緒に買いに行った方が楽しそうだった。

 

 パーカーの帽子を被りながら、コンビニを物色する。

 目当ての商品を買い物かごに入れてレジに並ぶ。

 周囲や遠くからは好奇の視線を感じた。

 耳は勝手に音を拾う。

 小学校の時の同級生らしく、昔の話が聞こえた。

 

 特に問題なく買い物を済ませ、コンビニ袋を手に下げて帰路に就いた。

 

 

 

 見上げた空は、雲一つない快晴。

 されど眼に映るのは、同じ青でも青い絵の具で無造作に塗られたかのような雑多な青空。

 

 斜陽ながらも人の営みが感じられる家々やビルなどは、日差しの下で生じる影が異様に長く黒々として見えた。

 

 道路を走る車の音や人の足並みや話し声は、調律を放棄された古い楽器が奏でるような不協和音に聞こえた。

 

 歩く人々も、それぞれの表情を浮かべてはいたが彼女には部隊の書割りのようなのっぺりとした無貌に思えてならなかった。

 

 鼻孔が捉える世界の匂いは生ゴミや血の匂い。杏子が麻衣へと告げた『雌臭い匂い』も同然の悪臭が体内を巡っていた。

 

 それらは実体ではなく、感覚としてのものだと彼女には分かっていた。

 ソファに寝転がりつつ、八重歯で舌を噛む。

 

 舌がざっくりと切り裂かれ、口内に鮮血の香りが充満する。

 途端に、体内の悪臭は消えた。

 血の香りが駆逐したのではなく、そう感じていたものの原因が消えたのだ。

 

 

「ハァ…」

 

 

 口内に溢れる血を飲みつつ、杏子は溜息を吐いた。

 

 

「あたしゃツンデレだっつうの……これじゃヤンデレなメンヘラじゃねえか」

 

 

 一人言葉を零しつつ、杏子は理由が分かっていた。

 幻惑魔法。その発動。

 ナガレがいない喪失感を、ストレスとして捉える為に、そのストレスを味わう為に異様な感覚と光景を脳に投影したのだと。

 嘗ては憎むことで彼に依存していた。今もまた別の意味を含んで依存している。

 

 久々に一人だけになった今、彼女は孤独感に苛まれる自分自身に対して悲しむという行為を望んでいた。

 自分の今の感情を、杏子はそう判断した。

 

 

「イカれちまってんだなぁ……あいつによぉ」

 

 

 再び溜息を吐き、寝床に寝転がる。

 さてどうすっかなと考えた。

 次の瞬間には閃いた。

 細い指を有した両手が、ホットパンツの中に滑り込む。

 指先が薄い陰りに触れた。

 

 既に湿り気を帯びていた。何時からその状態だったのかは分からない。

 最近は常にこんな感じであるからである。

 存在を主張する突起を両手の指先で挟んだ。

 痺れる感覚が背骨を伝って頭頂に達した。

 

 ビリビリと伝う性の感覚の奥には、自分を苛むべくして生まれ出る孤独感があった。

 気分的には、何時ものことながら最悪の気分。

 肉の快感があるが、気休め程度にしかならない。

 だが今はその気休めが心地よかった。

 

 

 

「やっほー。お楽しみ中かい?そうなの?そうだよね?きっとそうだ!ちがいない!」

 

 

 廃教会の入り口で生じた、朗らかな調子のハスキーボイスが、杏子の中から全ての感情の殆どを駆逐した。

 後には、彼への依存心と家族への後悔と業罰の渇望。

 そして、呉キリカへの憎悪が滾った。

 

 

 

 

 

 
















やべぇよやべぇよ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 竜と朱③

 熱と蒸気と脂の香り。

 麵を啜り、スープを飲む音が店内に満ちている。

 

 

「初のデートでラーメン屋とは、我ながらセンスを疑うな」

 

 

 割り箸をパチンと割りつつ麻衣は言う。

 

 

「そうか?俺も正直こういうのはよく分からねぇけど、俺としちゃ楽しくて堪らねぇな」

 

 

 同じく割り箸を割るナガレ。

 麻衣の行きつけのラーメン屋に、二人は来ていた。

 店内の隅のテーブル席に並んで座っている。

 律儀に頂きますをして、両者は同時に食事を開始した。

 

 ナガレはチャーシュー麺、麻衣は味噌ラーメンを食べている。

 洗面器のような大きさの器に並々と注がれたスープの中に、まるで山か小島のように面と具材が盛られている。

 それが見る見るうちに消費され、二分後には具材が空となった。

 

 大きな器を両手で持って、ぐびぐびと豪快にスープを飲む様子は店内の注目を集めていた。

 

 

「ぷはぁっ」

 

 と同時にスープを飲み干す。

 器の底には一滴のスープも残っていない。

 同時に器を置く。顔が合った。

 

 

「…ははっ!」

 

「…くぅ」

 

 

 快活に笑うナガレに対し、麻衣は若干目を伏せて笑った。

 ナガレは素だが、麻衣は女子としての恥じらいを感じたらしい。

 

 

「次、何処に行く?」

 

 

 ナガレは麻衣に尋ねた。

 思い描いていたプランを、麻衣は脳内検索を掛けて紡ごうとした。

 上手くいかなかった。

 何をしても楽しそうだからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何しに来やがった」

 

 

 佐倉杏子は尋ねた。

 名残惜しそうに、両手をホットパンツから引き抜く。

 指の先端を濡らしていた粘液は、腹の肌で拭う。汚いという考えはない。

 雌を濡らした液体は別に汚くないと思っていた。

 

 

「セックス」

 

「…はい?」

 

 

 直球過ぎる言葉に、杏子は呆けたような声を出す。

 色ボケしやがってとの思いも湧いた。つい数秒前は、自分も性に関する事柄を行っていたという自覚は皆無である。

 自分の言葉を意味不明と捉えている杏子の様子に、私服姿のキリカもまた理解不能と言った表情となって首を傾げていた。

 その脚が、トンと地面を蹴った。

 

 

「友人とセックスしに来たんだけど」

 

 

 杏子の前に静かに着地しながら、呉キリカは言った。

 更に直球過ぎる言葉だった。

 溜息を吐く杏子。

 

 

「あぁ、そうか。発情紫髪が言ってたけど、あいつとの殺し合いがテメェの定義するセックスなんだってな」

 

 

 戦闘中、麻衣が言っていたというか叫んでいた事であった。

 

 

『お前も奴の同類だ!!殺し合いを性行為とぬかす、呉キリカのクソゲス雌ゴキブリのな!!』

 

 

 という叫びだった。

 互いの肉を切り刻み、子宮を殴る蹴るして破壊し合う行為の最中に思念だか声だかでそう言っていた、ような気がした。

 杏子のその指摘は事実であった。

 

 しかし、当のキリカはまたも首を傾げた。

 先程とは逆方向に首を傾けているのはユーモアのつもりなのだろうが、杏子はその様子にイラっときていた。

 尤も、杏子はキリカの全てが嫌いなので何をやっても不愉快になるのだが。

 

 

「相変わらず君には世界が、そして幸せの形が見えていないな。それは正しいのだが全てではない」

 

 

 キリカの嘆くような言葉に杏子のイラつきが更に増す。

 言い回しが妙にエヴァっぽいと彼女は思った。

 そして思った。こいつはやっぱり嫌いだと。

 

 

「セックスはセックスだよ。単純明快津々浦々。互いの肌を重ねて身を絡め合い、朝も夜も無く交わり合う。私の雌で友人の雄を咥えて粘膜で温かくぎゅっと抱き締めて、液と液が繋がってる部分で泡立って性の香りを振り撒いて、ぬぷぬぷと敏感な部分を擦り合わせて快感の頂点に昇り詰める。そしてその果てに命の結晶をこの身に宿したい。以上、説明完了」

 

 

 立石に水の勢いで長台詞を芝居がかった調子で告げるキリカ。

 その表情は真剣そのもの、声の出し方にも真摯さがあった。

 

 本心から言っていると、否応なしに分かる態度だった。

 分からなくも無い部分もある。

 年齢から鑑みれば、今が一番子作りに適した年齢であり、常に死と隣り合わせなせいか魔法少女の性欲は高い(と杏子は思っている)。

 だからスケベ話とすればそれまで。では、あるのだが。

 

 

「あー…子宮で胎児を育みたいなぁ。臍の緒ってどんな感覚なんだろう。出産も大変だろうけど興味深い。あぁ、授乳したいなぁ。私も母乳飲みたいなぁ」

 

 

 物語を朗読するかのように、すらすらと願望を述べるキリカ。

 嫌悪感が杏子の身を貫く。

 この存在がナガレと交わり、命を宿した姿を想像してしまっていた。

 膨れた腹を愛おしそうに撫でるキリカを思い浮かべたとき、杏子は胃液を吐きそうになった。

 

 命を繋ぎたくない自分と異なり、こいつは命を生み出したいと願っている。

 それが異様な感覚を杏子に与えていた。

 単なる嫌悪感なのか、それとも嫉妬なのか。

 杏子には分からなかった。

 

 

「大丈夫かい、佐倉杏子。随分と辛そうだけど生理かい?それとも精神病?死ぬの?死んじゃうの?別に良いよ!大歓迎!」

 

 

 額に脂汗を浮かばせる杏子へと近寄るキリカ。

 何時の間にか、魔法少女姿へと変身していた。

 もう限界だと杏子は思った。

 相手は変身している。ならこちらもしない道理はない。

 ナガレを見習い、過剰な攻撃性は抑制しようと努力していたがこいつは無理だ。少なくとも今はまだ。

 

 

「その前に、無知な君に教えてあげよう」

 

 

 杏子の前に立ち、白い手袋が通された繊手を彼女の両頬に優しく添える。

 

 

「私が友人に抱く想いを」

 

 

 そして顔をずいと近付ける。

 慈母のような、朗らかな微笑み。

 そして黄水晶の瞳の中には揺らめく輝き。狂気の炎。炎の渦。

 

 

「彼と重ねた日々の記憶を。この身体に、心と魂に、我がDNAに。歴史的時間軸に刻み込んだ尊い記憶を」

 

 

 振り払おうとした杏子の動きは、停止と等しい緩慢さとなっていた。

 速度低下が全開発動し、杏子の動きを縛っていた。

 

 キリカは杏子の額に自分のそこを接触させた。

 その様子に、杏子はナガレと初の激突をした際の頭突きを思い出した。

 あの時は互いの記憶が交差した。

 

 ならば、今度は。

 

 

「私の愛を、君にも垣間見せてあげよう」 

 

 

 重ねられた額から、呉キリカの記憶と感情が佐倉杏子へと流れ込む。

 網膜に投影される映像に音に臭気と感覚。

 

 魂に叩き付けられるその全てに、杏子は絶叫と悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

















やだもう、こいつら

キリカさんが佐倉さんに見せた光景は第一部の『流狼と錐花』をご参照ください
…あの番外編は、自分で読み返しててもきもちわるくなる(でも書いてて最高に楽しかったんやな)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 竜と朱④

「うえええええええええっ、げっ、ぐぁ、ぐあああああああああああああああああああああああ」

 

 

 絶叫を挙げ、のたうち回る。

 薄闇が満ちるその場所は、廃教会前の広場であった。

 かつて多くの信者が去っていき、またより大勢の信者で埋め尽くされた場所でもある。

 今は閑散としているそこで、佐倉杏子は地面を這いずりのたうち回っていた。

 

 魔法少女に変身していたが、真紅のドレスは吐しゃ物と泥に塗れていた。

 口から絶え間なく吐き出される胃液が地面を濡らし、それで泥濘となった土が泥となっていた。

 ドレスだけでなく髪もぐちゃぐちゃに汚れている。

 

 立とうとするも膝が笑って崩れ落ち、挑む様に地面に突き立てられる腕は手が胃液と泥で滑って倒れた。

 身体全体に力が入らず、それでいて口からは絶叫と胃液が滾々と湧き出る。

 

 胃液は既に黄色くなく、真っ赤に染まっていた。

 高濃度の胃酸が、胃と食道を溶かしていた。

 杏子の口から吐き出されるのは、グズグズに蕩けた血肉であった。

 

 

「はぁ…はぁ……ぐぶ……ぐふ……」

 

 

 死にかけの獣のような有様で、杏子は仰向けになった。

 星々の輝きが見えた。

 そこにぬっと、黒雲のような不吉な影と黄水晶の輝き。

 

 

「大丈夫かい、佐倉杏子。悩みがあるならお母さんが聞いてあげようか?」

 

「ううううううえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 

 

 盛大にゲロを吐き出し、杏子は転がり回った。吐き出された血肉の吐瀉を軽く躱し、キリカは杏子に歩み寄る。

 頭を抱え、胎児のように体を丸めて横倒しになっている杏子に、キリカは身を屈めた。

 キリカの鼻孔を、酸の刺激臭と血の塩臭さ、そしてアンモニアの臭気が掠めた。

 

 前者二つは口からの、最後の一つは尿道からのものだった。

 やれやれとキリカは思いつつ、それに対して何のコメントも発さなかった。

 杏子の様子があまりにも無様過ぎて、良心が痛んだのである。

 

 しかしながら、彼女としては疑問があった。

 

 

「あの、佐倉杏子。さっきから何をそんなに苦しんでいるんだい?私でよかったら悩みを聞こうか?カウンセリングしてあげるよ、って何処かで聞いたなこの台詞。どこだっけ?」

 

 

 言葉の通り、キリカは杏子が何故こうなっているのかについて、全く分かっていない。

 原因は唯一つ。彼女が杏子に見せた性倒錯行為、とすら呼べるのかも怪しい狂気の日々の記憶である。

 

 

 胸から腹までに至る巨大な傷口を用いてナガレを同化吸収、捕食しようとするキリカ。

 

 そこからの彼の乖離を出産と捉えるキリカ。

 

 だから私は母になったと語るキリカ。

 

 頬を撫でられて、傷口に薬を塗られて、そして彼の喉をがぶりと噛んで湧き出る血を音を立てて飲む事による性的絶頂を迎えるキリカ。

 

 血肉を削り、内臓を破壊されて傷口から垂れ下がらせ、眼球と脳を破壊された死体も同然の姿と化すキリカ。

 

 重ねられる生と死の交差。それを性行為と認識し、幸福感に浸るキリカ。

 

 実の母に致死量に近い媚薬を盛られ、欲情に身を焼くキリカ。

 

 そして、異常な感性を持つ芸術家によって、生きながらにおぞましい肉体破壊行為と生命の冒涜を受けるキリカ。

 

 その感覚を、杏子は味わわされていた。

 呉キリカとしての視線で。

 キリカが寄越してきた記憶に、杏子の幻惑魔法が反応し、杏子にそれを見せていた。

 

 以前、麻衣もキリカの記憶を受け取り、殺意を暴走させた。

 今回のそれは、杏子の魔法も作用されているだけに麻衣のそれよりも酷かった。

 麻衣には自意識が残っていたが、杏子はそれすらも奪われかけていた。

 

 上記の例えが全体で見ればほんの一部である事も、杏子の苦痛に拍車を掛けている。

 杏子の今の視点は呉キリカのそれであり、身に着ける衣服の感覚も同じであった。

 スカートとワイシャツの中が涼しいのも、記憶の中でのキリカは殆どの場面で下着を着用していないからだった。

 

 そして、杏子を苛んでいるのは異常な状況に陥らされた事への苦痛だけではなかった。

 

 記憶の中、キリカは彼と共に戦っていた。そして互いに死ぬ寸前まで殺し合っていた。

 

 共に食事をしていた。手を握られていた。

 

 肉欲の疼く粘液塗れの雌を彼の腹に擦りつけ、キリカは絶頂していた。

 

 その他にも多数。というよりも全て。

 彼と時間を共有していたという事に対し、杏子は嫉妬していた。

 

 そしてそれは彼女の中で限界を迎えつつあった。

 苦痛を押し退け、耐えがたい依存心と独占欲が炸裂した。

 狂依存、とでもすべき感情だろうか。

 

 

「お前……」

 

 

 槍を召喚。それを杖に立ち上がる。

 月の明かりが強い、黄色がかった月光に泥まみれの杏子の姿が浮かぶ。

 

 

「本当に…くるって…」

 

「あ、ちょっちごめんね」

 

 

 言うなり、キリカは杏子の目の前に歩み寄った。

 身長差故に少し見上げる形になっていた。

 

 

「うぐぅう!?」

 

 

 その状態でキリカは左手で杏子の首を掴み、右手を彼女の口内に突っ込んだ。

 小柄な少女とは言え、人間の口は人の手首までを受け入れられるようには出来ていない。

 キリカはそれを実行した。赤い舌の上に白手袋を通された手が置かれる。

 

 

「よいしょっと」

 

「がががががあああああああああああ!!!!」

 

  

 キリカはそれを更に進めた。

 肘までが杏子の口内に入った。口の端が切れて出血する。

 肘までの衣装を消し去っていたのは、キリカ的には慈悲だったのか。いや、単に突っ込むのに邪魔だったからだろう。

 

 

「ほいっと」

 

 

 そして手を引いた。粘つく血液と溶けた肉の塊を、キリカの手が握っている。

 破壊された胃袋の残骸だった。

 

 

「ほいな」

 

 

 それを投げ捨て、血塗れの手を杏子の胸に重ねる。

 そして掌から治癒魔法を発動させる。

 破壊されていた内臓が、まるで絵を描くように再生されていく。肉も同様に治り、血液も増やされる。

 

 

「がはっ…はぁ……はぁ……」

 

 

 荒治療だが、呼吸は楽になった。

 だが礼を言う気にはなれなかった。

 

 

「お礼はいいよ。どうせ君の中で、この大惨事は私の所為ってコトになってるんだろうからさ」

 

 

 やれやれといった風に両手を掲げ、キリカは言う。

 イラっと来た。

 だがそれ以上に違和感を覚えた。

 

 

「…お前…なんていうか……大人しいな」

 

「お、気付いたかい。感心感心。伏線察知能力は友人よりは上みたいだな」

 

 

 イラつきを高めながらも杏子は黙って聞く。

 キリカに斬りかからない事に、杏子は自分の成長を感じた。

 という事にして耐えた。

 

 

「まぁ、分かっただろう。あれが友人だ。あの精神力はどうかしてる」

 

「…あぁ」

 

 

 杏子は同意する。

 フィジカルも大概だが、真に恐るべきはあの精神力、または魂の頑強さである。

 杏子は彼の過去を少し見た。

 

 何故狂気に陥っていないのか、何故絶望しないのかが分からなかった。

 宇宙全てを敵に回して、並行世界の自分を殺す旅を続けるなど。

 未来永劫に、終わらない旅を。

 

 

「汗顔の至りだけど、一人だけじゃ敵わない。友人を繋ぎ留められない。友人は何時か何処かへ行ってしまう。或いは私達は死ぬ」

 

 

 杏子は黙って聞く。全てでは無いが、彼女もキリカの言葉に同意していた。

 同意しかねるのは、敵わないと言う処と死ぬと言う処である。

 

 

「それだと愛を果たせない。それは望むべくものじゃない。だから、佐倉杏子」

 

 

 キリカは手を伸ばした。

 杏子から溢れた、血肉で濡れた右手だった。

 

 

「私の手を取れ。共通の願いの為に仲間になろう」

 

 

 朗らかな笑顔で、キリカは告げた。

 杏子はじっとキリカの顔を見た。

 

 キリカを見つめる杏子の目の中には、赤い渦が巻いていた。

 複数の感情が交じり合った眼差しだった。それが、ゆっくりと止んでいく。

 渦が消え、凍えた炎のような色と化した。

 

 

「ああ。いいぜ」

 

 

 昏い声で、暗い洞窟の奥から噴く風のような声で杏子は同意しキリカの手を右手で握った。

 吐瀉物と泥にまみれた手だった。

 

 

「ならもう一匹、地獄に引き摺り込むか」

 

 

 牙のような歯を見せて、杏子は言った。

 開いた口は、耳まで開いた肉の亀裂に見えた。

 キリカもにやりと微笑んだ。

 

 体内から漏れ出た体液と肉と胃液の悪臭を、夜風が大気にばら撒いていく。

 それは爽やかさとは無縁の、死を孕んだ風だった。

 

 そしてこの二人の間に出来た関係にも、似た香りが、いや、それ以上に苛烈で悍ましい臭気が染み付いていた。

 これは平和的な融和ではなく、新しい異形の関係の始まりである為に。
















何処に向かってるんだこいつら…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 竜と朱⑤

 風見野の夜の街をナガレと麻衣が歩いていく。

 ラーメン屋で腹を満たした後は、幾つかのゲーセンをハシゴした。

 常連になっているのか、ナガレは何人かに手を上げて挨拶をしていた。

 

 年少者が多いな、と麻衣は思った。

 注視して観れば、痩せ気味の子供が多い。家庭環境が悪いのだろうか、と思った。

 中学生の自分が言えた事でもないが、深夜のゲーセンに小学生くらいの子供が来ている事自体、あまり褒められた事ではない。

 そう言った子供らから、ナガレは好かれているようだった。

 

 縋り付きたく成る存在なのだろう、そういう風に自然と感じられた。自分も似たような立場だからだ。

 自分が彼に感じているそれが依存心である事は、疑いようのない事実だった。

 

 胸を焦がす恋慕と疼く性欲。

 滾る闘志に凍てつくような殺戮・破壊衝動。そして至高の獲物を仕留めたいという殺害欲。

 それらは彼あってのものであり、他の人間や魔法少女では代用できない。

 故にそれらの願望は、矛盾することなく同一のものとして麻衣の中に存在している。

 

 愛し合いたい、だから殺したい。

 殺したいから、肌を重ねて命を育みたい。

 切り刻みたいから、恋をしたい。

 

 自分は今、恋をしている。

 彼を愛している。

 時の経過ごとに、一緒にいる度に欲望が増していく。

 

 前日に、気が果てるほど繰り返した自慰行為で性欲を発散させた。

 

 眼が覚めてからミラーズに赴き、殺戮の限りを尽くした。

 

 室内の床や天井と壁にびっしりと貼り付けた彼の写真の中からお気に入りのものを抱き、暫く眠った。

 

 それは、眼を閉じて眠るナガレの写真だった。彼と添い寝している気分で、麻衣は安らかに眠った。

 

 全ての欲望を可能な限り希薄化させてから、麻衣は彼と出逢い行動を共にした。

 たった数時間で、その欲望はかなり蓄積した。

 彼の頬や唇に舌を這わせたくなり、首を刃で斬り飛ばしたくなる。

 

 異常な思考である事は、麻衣自身も分かっている。

 しかしながら、止められない。

 どうしようもない。

 卑しい思いなのは分かり切っている。

 それが麻衣を苦しめる。

 

 

「ほれ」

 

「ぴゃっ!?」

 

 

 頬に当てられた冷たい感触に、麻衣は悲鳴を上げた。

 店内の喧騒を貫いたそれに、何人かが顔を向けた。可愛い声だったからだ。

 

 

「あんま難しい事考えんなよ、楽しもうぜ」

 

 

 ナガレが何時の間にか、缶ジュースを買ってきてくれたようだった。

 

 

「そうか…そうだな。ありがとう」

 

 

 礼を言って封を切り、一気に飲み干す。

 淡い酸味と強い炭酸のサイダー水が、喉にわだかまっていた粘つきを体内へ押し戻した。

 込み上げていた欲望もまた、心の中に沈んでいく。

 そんな気がした。

 ああ、そうだな。楽しもう。

 そう思い、筐体に向かう二人。

 

 その前に立ち塞がる、大柄な男達。

 二人に向けて何かを喚きながら告げる。

 ナガレと麻衣の記憶には無かったが、いつだったか蹴散らした連中らしい。

 どうでもいい事過ぎて、二人の記憶からは消え失せていた。

 

 食後の運動に丁度いいなとナガレは言った。

 三秒くらいで全てが終わった。手首や足首を圧し折ったそいつらに、ナガレは顔を近付け

 

 

「俺以外の奴らに手を出したら、どこまでも追い掛けて地獄を見せてやる」

 

 

 と告げていった。

 その後、手際よく男たちを抱えたり引き摺ったりして店外へと運び、ゴミ箱に詰め込んだ。

 キリカと遊んでいた時といい、DQNの処理はこの方法を好むようだった。

 5個のゴミ箱に10人の男たちを詰め込み、ナガレは店内に戻った。

 子供たちに囲まれて遊ぶ麻衣がいた。

 楽しく笑う麻衣の様子に、笑顔が似合うなぁと彼は思った。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、気を付けろよ」

 

「私は魔法少女だ。この程度は何てことない」

 

 

 数時間後、二人は夜空の下にいた。

 錆の浮いた鉄柵を、跳躍で軽々と乗り越える。

 ほぼ無音で着地し、周囲を見渡す。

 

 

「いい雰囲気だな。嫌いじゃねぇぜ、こういうの」

 

「趣味が合うな。身体に纏わりつくような虚無感がたまらない」

 

 

 二人の周りは、錆を吹かせた鉄の残骸で満ちていた。

 嘗ては賑わっていたであろう売店やレストラン。

 

 絶え間なく回転する、コーヒーカップを模した遊具にメリーゴーランド。

 闇の中で更に色濃く闇が溜まった、藻だらけのプール。

 それらを取り囲む、まるで死した竜の残骸のように朽ちたジェットコースター。

 

 廃園となって幾年を重ねた、風見野の遊園地だった。

 夢の残骸の跡地を、ナガレと麻衣は歩いていく。

 

 

「ここも昔は、夢いっぱいってカンジの場所だったんだろうな」

 

「そうだな。だが今ではこんな有様だ」

 

 

 誰もいない。

 当然だろう。ここは既に廃業した施設なのだから。

 人気などあるはずがない。

 それでもナガレと麻衣は、園内を見て回った。

 

 

「昔、ここに来たことがある。このくらいの時に、親に連れられてな」

 

 

 手を水平にし、腰より少し上程度の場所に置いて麻衣は当時の身長を示した。

 

 

「なんか覚えてるか?」

 

「ああ。ジェットコースターに乗りたいといって、身長制限がある事に泣かされた」

 

「そりゃ悔しそうだな」

 

「君はどうだ?というかそもそも、遊園地に行った事はあるのか?」

 

「御察しの通り、行った事はねぇな。でもジェットコースターみてぇのには、ちょっと前はよく乗ってた。ついでに遊園地っつうか化け物屋敷じみたトコに住んでたりとかもよ」

 

「面白い人生だな」

 

「全くだ」

 

 

 廃園の中で笑い合う。

 麻衣にとっては、それこそが重要であった。

 ナガレと一緒にいられる事が嬉しい。

 その想いが、他の感情を覆い隠してしまう。その裏で、幾種もの願望を育みながらも。

 

 だから、麻衣はナガレとの会話を楽しみながら歩いた。

 そして、見つけた。観覧車だった。

 かつては赤かった塗装も、今はすっかり剥げ落ちてしまっている。

 

 

「ざまぁみろ」

 

「ん?」

 

「ああいや、なんでもない」

 

 

 麻衣はとっさにそう言った。

 破滅した赤。彼女にとって何を指しているのかは、言うまでも無さそうだ。

 それはそうと、麻衣は錆びた巨大建造物を見上げていた。

 

 

「昔はこれにも乗ったな。当時は何が楽しいのか分からなかった」

 

 

 そうかもなと彼は思った。高所を上るとはいえ速度も無く、退屈な遊具かもしれないと。

 

 

「少しは成長した今なら何かを感じられるかもしれないが、最早適わぬ願いか」

 

「そうでもねぇだろ。別の場所に行けばいい」

 

 

 彼の言葉に、麻衣ははにかむ笑顔を浮かべた。

 

 

「付き合ってくれるのか?」

 

「お前さえ良けりゃな。俺も動いてる遊園地に行ってみてぇ」

 

「行こう!」

 

 

 麻衣は叫んだ。

 

 

「行こう!隣のあすなろ市の、ラビーランドってところが色々と凄いらしいぞ!メインキャラクターのウサギが凄く可愛くて、建物もメルヘンチックで乙女心をくすぐられるんだ!」

 

 

 飛び跳ねながら麻衣は言う。

 普段の彼女を知る者なら、誰だこいつはと疑うだろう。

 

 

「やった!やったやったやった!遊園地に行ける!普通の子らしく私も遊べる!生きられる!」

 

 

 両手を回転翼のように伸ばし、右脚を宙に浮かせて残った左脚を軸にくるくると回る麻衣。

 余程嬉しいらしい。

 闇の中でも眩い笑顔を浮かべる麻衣。

 それを楽し気に見るナガレ。

 既に息絶えた遊園地の中で、そこだけは嘗ての栄光を取り戻しているかのようだった。

 

 

 そんな二人の笑顔が、不意に鋭さを宿した。

 刃の眼が、闇の一角を見据える。

 

 

「もういいだろう、さっさと来い」

 

 

 麻衣は闇に向かって言った。

 怨恨の塊のような声で。

 楽しい時間を、よくも奪い去ってくれたなと。

 

 その声に、闇が応えた。

 

 

 

「アヴィーソ・デルスティオーネ」

 

 

 

 鈴が鳴る様な美しい声。

 それに連れて放たれたのは、闇を切り裂く炎の塊。

 飛翔する炎塊の数は三つ。

 それら全てが、一回の斬撃で斬り払われた。

 

 刃を振り切った麻衣の姿は、魔法少女に変じていた。

 

 

「相変わらず、気持ち悪い趣味に精を出しているようだな……出て来い!!」

 

 

 炎の根源へ向けて麻衣は叫んだ。

 

 

 

「双樹あやせ!!!」

 

 

 

 嫌悪感に満ちた声で、その名を叫ぶ麻衣。宿った敵対心は、キリカや杏子相手にも劣らない。

 闇の中で、軽やかな笑い声が鳴り響いた。

 そして月光の下へ、その者が歩みを進める。

 

 ナガレと麻衣の前に表れたのは、純白のドレスを纏った少女。

 ここは夢の残骸である錆の城。その城に住まう、美しい姫君のようだった。














やべぇのが来たな


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 双樹

 滅びた夢の残骸、廃墟と化した遊園地に少女の笑い声が木霊する。

 その様子はまるで、色とりどりの花々が満開に咲き誇る花畑で、眼を輝かせて花摘みを愉しむ童女のようだった。

 月の明かりも薄い夜の下。闇と相反する純白のドレスが百合の花の様に舞う。

 

 

「お久しぶりー。元気だった?自警団の切り込み隊長さん?」

 

 

 麻衣に対して親し気に話しかけるその少女。

 麻衣は『双樹あやせ』と呼んだ。膝裏まで伸びた栗色のポニーテルが印象的な美少女だった。

 朗らかな様子ではあるが、翡翠の眼に宿る光は、闇に蠢く飢えた獣のそれだった。

 ごく短時間だったが、ナガレはそんなイメージを思い浮かべた。

 となると麻衣では相手が悪い。

 

 魔法少女同士の諍いに自分が、という感覚は彼にもあるが、その彼をしてこの存在は危険と感じられた。

 この者から粘つくような視線が、麻衣を舐めるようにして見ている。

 そしてその視線は、麻衣の腹の辺りを見ていた。

 彼女のソウルジェムを。

 

 

『こいつには借りがある。少しの間で構わないから、私に任せてくれ』

 

 

 麻衣は思念でナガレに告げた。彼は頷いた。

 

 

「ああ元気だ。そちらこそ相変わらずのようだな。そして、また切り刻まれたいと見える」

 

「相変わらずの戦闘狂ですね。人見リナのソウルジェムをちょおっと拝借しようと思っただけなのに」

 

「そう言って私達に問答無用で斬りかかってきた貴様に言われたくはない」

 

「やれやれ。心の狭い方々だこと」

 

 

 双樹は心底呆れ切ったように言った。

 自分がした事をなんとも思っておらず、むしろそれを邪魔した相手に罪があると認識しているようだった。

 サイコパスが。と麻衣は思った。

 

 

「心外な。貴女に言われたくありませんっ」

 

 

 頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いて双樹は言った。麻衣はゾッとしたものを感じた。

 

 

「あ、その顔。『なんで分かったの?』って感じ」

 

 

 にやっと笑い、麻衣を見る。

 一方的ではあるが、仕草で見れば親しい間柄のそれである。

 

 

「分かるよぉ。私、専門家だもん♪」

 

 

 微笑む双樹。

 麻衣は困惑していた。

 そして、戦慄の棘が精神に穿孔していく痛みを覚えた。

 遭遇したのは一度だけだったが、イカれた奴だと思った。

 

 今から約四か月ほど前、自警団でのパトロール中にいきなり襲われたのが初にして唯一の遭遇だった。

 奇襲を受けた事もあり、麻衣はリナを庇って重傷を負った。

 

 それでも必死に反撃し、剣戟の交差の果てに純白のドレスを深紅に染め上げた。

 麻衣本人もズタズタに切り裂かれたが、双樹よりは軽傷だった。

 血の滝を曳きながら撤退していく双樹を見ながら、麻衣は気を失った。

 

 狂気じみた奴だったが、それだけだ。

 万全な状態であれば自分の敵ではない。

 だが、今目の前にいるのは…姿は同じで声も同じだが、まるで別物のような感覚がした。

 吐き気も込み上げてくる。

 

 

「(なんだ…これは)」

 

 

 ここ最近は激戦が続いた。

 佐倉杏子の顕現させた異形には死の寸前まで追い込まれ、凶悪な触手を生成可能となったキリカにた体内の大半を切り刻まれた。

 顔の中を這いずり回り、脳味噌を刻みながら頭蓋の内側でのたうつ微細な刃が連なった触手の感覚は思い出すだけで泣きたくなる。

 

 しかしそれでもなお、今の双樹の雰囲気は異常だった。

 本能が危険だと訴え、すぐ逃げろと伝えてくる。

 

 それをしないのは、背後に彼がいるからだ。

 もしも一人だけだったらと思うと、どうなっていたか分からない。

 背後にいるナガレは、彼女にとっての拠り所であり枷だった。

 

 

「専門家とは笑わせる。お前に私の何が」

 

「分かります。その血色の輝きを見れば」

 

 

 麻衣の言葉を切って捨て、双樹が断言した。

 麻衣が二の言葉を紡ぐ前に、双樹は口を開いた。

 

 

「知っているかは知らないけど、魔法少女はその素敵な宝石が本体。故にその色からは人格や性癖、欲の深さも全てが分かる」

 

 

 更に告げる。

 

 

「貴女はその輝きと同じ。その魂は血色の淫らな肉孔。くぱぁと開いて粘液塗れの内臓を晒して自分の欲を咥え込む淫らで臭い雌の穴。それは何処までも暗くて長く、底が無い卑しき存在。貴女はそこに自他の血と肉を絶え間なく流し込んで埋めようとしてる淫らな女。まるで輪姦を受け、苦痛と快楽に喘ぐ肉便器。あ、肉便器って知ってる?知らなかったら画像検索すれば沢山出てくるからセルフでね。二次元の魔法少女の敗北ネタでも触手と並んで定番だよ」

 

 

 吐き気を催す言葉が紡がれていく。

 限界だと麻衣は思った。

 刃の柄に手を置き、抜刀の体勢に入る。

 そこに向け、双樹は右手を伸ばした。

 繊手の人差し指が、麻衣の顔を指し示していた。その美しい顔には、非難と義憤の怒りがあった。

 

 

「悪魔め」

 

 

 冷たい声でそう言った。

 あまりの冷たさと、そして殺気に麻衣の心が凍りつく。

 

 

「今の私を殺害しようなどとは、なんと愚かな。いち魔法少女として、いや、一人の女、いやいやそれ以前に一己の生命体として。朱音麻衣、貴女の愚かさを徹底的に非難する」

 

 

 分からない。何を言っているのか分からない。

 慣れてきたせいか、呉キリカの場合はある程度分かる。そして何より、ムカついたらブチのめしてなんなら殺してしまえばいい。

 だが今の双樹は何もかもが異様過ぎた。

 

 分からないし、分かりたくない。

 感情を振り切るように抜刀した瞬間、二人の周囲を光が照らした。

 

 光の中央には、手を掲げた白く輝くドレスの双樹がいた。

 手の先には繊細で美しい装飾が施された剣が握られていた。

 刃渡りは長く、幅の分厚い剣だった。

 

 

「この愚か者。邪悪で卑しき魔法少女に、私が天誅を下す。だから私は、みんなの力を預かり戦う。どんな奴が相手でも私は負けない、諦めない」

 

「『みんな』…だと」

 

 

 麻衣は思わず疑問を漏らした。

 そして、その答えは直ぐに来た。

 

 輝いているのは、既に役目を終えた外灯や遊具の受付の端末、または小さなモニターなどだった。

 在りし日は、そこでパレードの様子が中継されていたのだろうか。

 それらが魔力によって光を帯び、双樹を煌々と照らし出していた。

 

 自分が何を見ているのか、麻衣には分からなかった。

 これはまるで、アニメや漫画の魔法少女物のクライマックス。または舞台ではないか。

 配役は双樹が主役で、自分たちは悪役。正義に倒されるべき存在。

 そう声高々に叫ぶかのような、誇り高き戦士のような双樹の態度であった。

 

 

「だからみんな、私に力を」

 

 

 輝く光が、モニターが何かを映し出す。

 それは地面や虚空、そして壁面に鮮明な映像を投影させた。

 見た瞬間、麻衣はそれが何か理解した。

 眼が受け、脳が処理して魂が揺さぶられる。いや、グシャグシャに掻き混ぜられる。

 

 

「うぅぅぅぅあああああああああああああああ!!!ああああああ!!!ああああああああああああああ!!!!」

 

 

 夜を貫く悲鳴の叫びを上げる麻衣。腹の筋肉がまるで別の生き物になったかのように痙攣して蠢動し、生暖かく酸っぱい液体が喉に込み上げる。

 

 

「あああああああああ!!あああああああああああああああああああああああああ!!!!ぁぁああああああ」

 

 

 叫びながら麻衣は吐いた。

 

 

「……なん…だ……これ…は」

 

 

 吐瀉物を吐き出しながら、麻衣は震えていた。

 鼻にまで逆流した胃液が、頭を掻きまわす苦痛と嫌悪感を与える。

 だがそれを、麻衣は辛いとは思わなかった。

 他の感覚が無に帰するほど、映し出されたものは麻衣の想像を絶していた。

 

 

「やれやれ、そこまで愚かとは」

 

 

 にこりと双樹は微笑んだ。そして剣を近場に突き立て、人形のように華奢な両手で白いスカートの端を握る。

 

 

「こういうコトだよ」

 

 

 一息に引き上げられる。

 麻衣は再び叫んだ。

 

 その下には下着が無かった。

 

 スカートの裾の内側には小さな鎖が備わっていた。

 

 その先は、下腹部に伸びていた。

 

 そこで麻衣は認識を放棄した。

 

 女の肉、縦の唇。

 

 そこに打ち込まれた幾つもの金属の輪。

 

 麻衣から見て、左は血のような赤。右は双樹が纏うドレスのような白の輪。

 

 鮮やかな桃色。

 

 内臓の鮮紅色。

 

 剃毛の痕。

 

 そこから発せられる甘く淫らな雌の臭気。

 

 だがそれらの異常さは、更なる異常性を引き立てるための要素でしかなかった。

 

 淫らに倒錯的に彩られた女の器の少し上の、薄く腹筋が浮いた白い腹にはハートマークを模した複雑な紋様が浮かんでいた。

 色は赤と白の混合色。黒いコーヒーに溶いたミルクのように、マーブル状に重なりながら絡み合う蛇のように蠢いている。

 また或いは、互いに蔓と根と、枝葉を絡め合って一つになっている樹木か。

 その紋章には、そんな趣が感じられた。

 

 周囲の映像は、その紋章の内側を映したものだった。

 

 それは、鮮やかな桃紅色の肉の袋だった。

 外科手術で取り除いたか、輪切りの状態をガラス張りにしたように、その内部は丸見えにされていた。

 淫らな紋章は、視覚的に皮を除く役割も果たしているのだろう。

 他者に見せつける為に。

 それが誇りであるかのように。

 

 その内側には、輝く宝石が詰め込まれていた。ぎっしりと、ずっしりと、隙間なく。肉の弾性限界に挑むかのように

 双樹は、大量のソウルジェムを自分の子宮の中に溜め込んでいた。

 色とりどり且つ装飾が少しずつ異なり個性を主張するそれらは、肉の壁から分泌される粘液に濡れて淫らに輝いていた。

 

 

「美しい…なんて美しい輝き……生命の、魂の色…それらを宿した私は、まさに神話の聖母さながらの尊い肉体。穢れを知らぬ乙女、そして聖女」

 

 

 うっとりとしながら、双樹は自身の内臓の中身を見つめ、愛おし気に腹を撫でた。

 その表情を敵意と義憤、正義の塊と言った風に変えて双樹は麻衣を見た。

 

 

「その私を傷付け、挙句の果てに斬り殺そうなどとは……この悪魔同然の、いや、それ以上の最低最悪な所業は地獄の業火でも生ぬるい」

 

 

 そしてスカートの裾から手を離す。

 重力に引かれて下がったスカートで鎖が揺れ、双樹の口からは甘い吐息が漏れた。

 

 

「でも…私はそれを赦す。赦してあげられる」

 

 

 その熱が映ったのか、双樹の顔は淫らに蕩けていた。恐らくは絶頂にも達したのだろう。

 夜風が運ぶ雌の臭気が強まっていた。

 

 

「この身体も命も何もかも全て、全部ぜーんぶ、私のナカのみんなに捧げる!そしてこのこの醜く穢れきった卑しき淫らな魔法少女、朱音麻衣も私が救済してあげる!」

 

 

 高らかに、天まで届けとばかりに叫ぶ双樹。

 見た目だけで言えば、世の絶望を払う希望の戦士。

 魔法少女の見本であった。

 

 

「私達の崇高なる目的の為に。朱音麻衣、貴女の汚く虚ろな鮮血色の魂もジェム摘み(ピック・ジェムズ)してこのナカに「うるせぇええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 

 

 裂帛の叫びが場を貫き、長大な斧槍を翼のように広げた黒い風が双樹の元へ飛来した。

 そして、耳を劈く金属音が鳴り響いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 双樹②

 冷たい夜風を切り裂き、斬撃が交差する。

 刃同士の激突で生じる熱と火花が、冷気と闇を駆逐する。

 金属音が鳴り響き、轟音が鳴り渡る。

 

 前者は剣戟の音だが、後者は落下音だった。

 落下によりひしゃげた錆だらけの車輪型金属のフレームは、かつては恋人や友人、家族らの交流の場となっていた筈である。

 地上30メートルの高さから、それらは落下していた。

 落下物はゴンドラであり、戦場は観覧車であった。

 

 

「はは…」

 

 

 その根元で、乾いた笑いが生じた。

 乾いてはいたが、その口元は粘液と血液で濡れていた。

 

 

「平和なデートの…筈だったんだがな」

 

 

 血塗れとなった姿で、朱音麻衣は言葉を零す。

 魔法少女服の至る所が破れ、右の乳房が露出していた。

 深く長い傷を与えられた首筋から溢れた鮮血が、白い肌で覆われた胸をコーティングしている。

 

 

「いや、しかし…」

 

 

 血色の眼で、上空の剣戟を見つめる麻衣。

 月光を切り取る様に、二つの影が交差している。

 一つは白いドレスを纏った少女。

 

 それと相対するのは、闇の中でも色濃い黒髪の少年。

 彼が振るう蒼黒の輝きを放つ巨大な斧槍が、白い少女の剣とかち合い剣風を撒き散らし、足場であるゴンドラや鉄柱を切り刻む。

 その度に両者は跳躍し、新たな足場や空中にて剣戟を交わす。

 踊る様に舞う少女に、少年は禍々しい黒風のように追い縋りながら刃を交差させていた。

 

 

「…美しい。美しいぞ…君は」

 

 

 朱く濡れた声音で、麻衣はそう言った。

 

 

 

 

 

「地上からの熱い視線、モテる男って辛いよね」

 

 

 斬撃の奥で嘲る声。

 横薙ぎの一閃が、双樹の繰り出す刃を弾き切っ先をあらぬ方向に向けさせる。 

 そうしてがら空きになった胴体へと、ナガレは前蹴りを叩き込んだ。

 

 人間ならば即死、魔女ですら肉を抉る一撃。

 下腹部よりは上で、胸よりは下。ちょうど人体の真ん中あたりの位置に蹴りが直撃した。

 衝撃により、大きく後方へと下がる双樹。

 

 空中にて、刃の切っ先がナガレへと向いた。

 

 

「アヴィーソ・デルスティオーネ」

 

 

 舌を噛みそうだなとナガレは思った。

 直後に彼の顔を炎の光が照らす。

 再び横薙ぎの一閃。

 三つの炎塊が薙ぎ払われ、無害な熱と光と化して散る。

 

 

「うーん…」

 

 

 その様子に驚くでもなく、双樹は首を傾げていた。

 姿だけを見れば、その様は実に美しい。

 

 

「あなた、二次創作のオリキャラみたいだね。世界観に合ってないよ」

 

「だろうな」

 

 

 同意しつつ、ナガレはゴンドラを蹴った。

 体重200kgと外見に反して重量級の彼であるが、ゴンドラは小動もしなかった。

 

 

「スキくないよ。世界観を乱すとか壊すとか、そういうの」

 

 

 彼が宙に浮いた瞬間、先程まで彼がいた足場に高速で放たれた炎が衝突。

 錆びていたとはいえ鉄の塊が一瞬で溶解し、飴の様に迸る。

 

 その上をナガレが飛翔し、斧槍を頭上高く掲げる。

 

 

「でもその輝きはちょっとスキかも」

 

 

 双樹の目の前に着地した瞬間、斧槍は振り下ろされた。

 彼女の頭頂から顎先までを斧の刃が這う。

 

 

「ごめん訂正。ちょっとじゃないね。すごくすき」

 

 

 うっとりとした表情でナガレを見詰める双樹。

 彼女の視線は、ある一点に釘付けになっていた。

 

 

「そのすっごく綺麗で禍々しい、黒い瞳」

 

 

 掲げられた斧も、彼の顔も、身体も、双樹は見ていなかった。

 ただ、彼の眼を見ていた。

 

 

「アヴィーソ・デルスティオーネ・セコンダ・スタジオーネ」

 

 

 呟いた瞬間に双樹の周囲で複数の真紅が生じた。

 ナガレは再び宙に舞った。

 バク転の要領で後方に跳躍し、宙で身を捩る。

 その傍らを複数の炎が掠めた。

 

 身を捻る最中に、彼は翼のように斧槍を振った。

 複数の炎が掻き消され、または切り裂かれて後方へと消えていく。

 彼の背後で炸裂が生じた。

 炎は観覧車全体へと拡がり、夢の残骸を燃え行く金属の骸へと変えた。

 

 闇がわだかまる地面へと彼は落ち、そして無音で着地した。

 その背後で、巨大な構造物が崩れ落ちていく。

 焼け焦げる鉄の匂いを背後に彼は立ち、前を見る。

 

 零れ落ちる花弁のように、ふわりと優雅に着地する双樹の姿が見えた。

 その表情は甘く蕩け、熱い吐息を吐いていた。

 

 

「いい…良いねぇ……そのおめめ」

 

 

 欲情してやがるなと彼は思った。

 鉄の溶ける臭気に混じり、雌の匂いが彼の元へ届いた。

 またかよ、と彼が思ったかどうか。

 しかしながら、眼球に欲情されたのは初めての経験であったが。

 

 そして彼の関心は、双樹の趣味とは別の部分にあった。

 

 

「バリアかよ」

 

 

 忌々し気に彼は呟く。

 彼は剣戟により幾つかの手傷を負い、炎が掠めて火傷を生じさせていたが、双樹は全くの無傷だった。

 回避もあるが、身体に刃が見舞われたとしても傷に至っていなかった。

 硬い、というのとはまた別だった。ダメージカットとも異なる。

 物理的干渉自体が無効化されているような感覚だった。

 

 

「あ、知ってたの?神浜の新技術なんだけどオリキャラ君は情報通だね」

 

 

 感心する双樹。

 ナガレの存在が何であるかすら特に興味が無く、情報を与える事も無関心らしい。

 適当に言ったバリアという単語だが、的を得ていたらしい。

 となるとアレか、一定のダメージ量を無効化でもすんのかとナガレは考えた。

 

 キリカ宅に泊った際に遊んだゲームでも同名のシステムがあり、それではそんな仕様だった。

 新技術と言うからには、開発の際には参考にされたものがありそうだなとも。

 こういう時の自分の勘を、彼は信頼していた。

 

 これまでそれでやってきた、という実績もある。

 更に目を凝らせば、双樹の体表近くに渦巻く魔力の膜が見えた。

 所々で魔力がほつれ、薄氷のように薄くなっている部分が見えた。

 

 

「それにしても…結構耐久値に余裕はあったハズなのにバリアはボロボロ。あなた、結構強いですね」

 

 

 そこで違和感を覚えた。

 同じだが、何かが違う。

 

 

「カーゾ・フレッド」

 

 

 右掌を翳し、双樹は呟いた。

 咄嗟に身を翻す。

 火傷で熱を宿していた右頬に、熱と相反する感覚が掠めた。

 背後で燃え盛る炎と鉄を貫き、それは彼方の遊具の残骸に激突した。

 

 一瞬だけそちらに目を送ると、青々とした輝きに包まれたメリーゴーランドが見えた。

 手前の辺りに、長さ1メートルほどの刃状の物体、氷塊が落下している。

 そこから発せられる冷気が、巨大な遊具と周囲の地面を氷結させていた。

 

 視線を戻すと、双樹の身に纏う色が一変していた。

 一点の曇りも無い眩い白から、燃え盛る炎を思わせる赤へと変わっていた。

 魔力の性質は前者が炎で後者が氷。

 となると、と彼は思った。

 

 

「二重人格だったとはな。魔法少女とは何でもアリだな」

 

 

 彼の隣で少女の声。

 胸の露出はそのままだったが、治癒を完了させた麻衣がそこにいた。

 

 

「失敬な。これは生まれつきのものです。そして我が名は双樹ルカ。あやせに非ずの、同じ身体に宿りし魂。以降お見知りおきを」

 

 

 優雅な一例を添えて、双樹ルカはそう言った。

 重要そうな事柄である筈なのに、その出し惜しみの無さに麻衣は呆気に取られていた。

 

 

 

 

「にしてもあなた、理解が早いですね。漫画の読みすぎですか?それとも自慰行為のし過ぎで却って頭が良くなったとか?」

 

「ああ。ちょうど最近、愛読している格闘漫画でも遊園地で戦う回があってな。その時出てきたやつも丁度多重人格者だった」

 

「答えになってるようでなっていませんね。あとその漫画は知っていますが、第二人格がハイドで最後がテコンドーの達人パクって何なんですかね」

 

「私が知るか。あれは読者でも理解に苦しむ。それでだ、なんとなくそう思ったからカマを掛けたんだが見事に引っ掛かったな。特殊性癖も人の自由とは思うが、貴様は特級の変態にして大馬鹿者だ」

 

「別に隠してる訳じゃないですからね。例えば、あなたの血深泥の願いのように」

 

 

 愚弄の応酬の中、微笑みながら双樹はそう口にした。

 その瞬間、麻衣の表情が一瞬強張る。

 だが直ぐに敵意の眼差しをルカへと送った。

 

 

「何を言っている。口から出まかせも」

 

「『強者と戦いたい』」

 

 

 麻衣の言葉を遮り、ルカは告げた。

 ルカの言葉に麻衣は言葉を失った。

 その願いを知る者は極少数であり、決して他者には伝えないと思われるものばかりであるからだ。

 願いを叶えた当人にも口外は無しだと伝えてある。

 

 

「血塗れで卑しい願いですね。そしてなんと、他者に依存した破滅的な願いなのか」

 

 

 絶句している麻衣を他所に、ルカは嘆きの言葉を送る。

 麻衣本人も、自分の願いがルカの言葉の通りと理解している。

 だがそれを自覚するのと、他者から言われるのとはわけが違う。

 

 

「そんなあなたも、私達なら救えます。私とあやせの、命を育む尊い袋の中で癒して差しあげます」

 

 

 嫌悪感と吐き気が麻衣の中で込み上げる。

 別人格同様、こいつも同じ病気を患っていると把握したせいである。

 

 

「そしてそちらの殿方の眼も、私達のものとさせていただきます。舌で指先で、そして柔らかく熱い粘膜で包んであげましょう」

 

 

 あやせよりも妖艶さが増した口調で、欲情に濡れた言葉を送るルカ。

 それを受けたナガレの額には青筋が浮いていた。

 そんな二人の様子に、ルカは満足げな笑みを浮かべた。

 笑顔の裏側で、精神の片割れも笑っている事だろう。

 

 

 

 

「そいつは妄想だけにしときな、淫乱女」

 

 

 少女の声がした。

 激しく燃え盛る、生ける炎のような声。

 

 

「相変わらず、私のような健全さとは無縁だな。反吐が出る性癖だ」

 

 

 これも同じく少女の声。

 闇の中で舞う、春風のような朗らかな声だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 双樹③

「気持ち悪いんだよ、この淫乱女」

 

「お前は相変わらず不健全過ぎる。ここで死んでおくといい」

 

 

 炎のような少女の声と、春風のような少女の声が夜風に舞う。

 夜の冷たさと、炎上する巨大質量の熱気を貫き、彼方から何かが飛来した。

 華麗なステップで、双樹ルカは宙を舞う。

 

 双樹がいた場所に突き刺さったのは、真紅の十字槍だった。

 そして槍の切っ先が着弾した部分から、真紅の円が広がった。

 

 円の内側には菱形の紋様が連なり、それは夜の闇に挑む様に煌々と輝いた。

 円の内に連なる菱形の中から、複数の直線が迸った。中には枝分かれしているものもあった。

 数十に達する数の、先端に十字架の面影を有した槍だった。それらは、逃げる双樹に向かって行った。

 

 

「チッ」

 

 

 舌打ちしつつ斬撃し、十数本を切り裂く。

 対処しきれなかった部分が双樹の体表に当り、それを防御魔法であるバリアが無効化する。

 異形の槍の切っ先には、抉った魔力が燐光のように輝いていた。

 強力な防御法であるのは間違いないが、限界も存在する証明だった。

 

 

「それとこちらも喰らうがいい」

 

 

 背後で鳴ったハスキーボイス。

 双樹は振り返り際に斬撃を放った。

 斬撃を受け止めたのは赤黒い斧、その主は不吉な黒い影。

 耳まで裂けたように、半月状に開いた口で笑う呉キリカがいた。

 

 

「お前には世話になったからね。返礼をしてあげよう」

 

 

 剣を受け止める斧が形を変えていく。

 不吉な気配に双樹は斧を払って再び跳んだ。

 宙に身を躍らせた身体が、宙にてくの字に曲がった。

 

 

「これは…」

 

 

 腹に着弾した衝撃は、バリアの防御を僅かに超えて双樹に届いていた。

 その衝撃の根元には、微細な斧が連なった赤黒く鋭い触手があった。

 それは、呉キリカの手元、正確には手首のブレスレットから生えていた。

 

 

「ドリドリドリィ!!」

 

 

 キリカが叫んだ途端に彼女の手首から複数の、いや無数の触手が迸った。

 ギザギザとした触手が双樹へと襲い掛かり、のたうち回る蛇のような鞭と化してほぼ全方位から殺到する。

 

 

「悍ましい!!」

 

 

 嫌悪感を隠さない一喝と共に双樹が斬撃と冷気を見舞う。

 氷結した触手を斬撃が斬り払い、投ぜられた氷塊が触手を圧し折る。

 しかしその数は圧倒的。

 捌ききれるはずも無く、双樹の体表をヴァンパイアファングの派生系である『ドリルワーム』が掠めていく。

 その度に無数の刃が連なる触手が障壁を抉って削っていく。

 

 

「しつこいですね!!」

 

「ああ全くだ」

 

 

 触手で埋め尽くされかけた視界の奥で、刃を構えた魔法少女の姿があった。

 刃が煌いた。直径1メートルの真円が描かれる。

 描かれた円の中には闇があった。

 そしてその闇は、双樹の背後にも生じていた。

 

 

「しつこい奴は嫌われる」

 

 

 双樹は耳元で朱音麻衣の声を聞いた。

 正面の触手の奔流と追撃の槍。

 その二種の対処に追われている現状で、背後への防御が出来る筈も無かった。

 そしてそもそも、それらが無かったとしても、双樹は麻衣に対応できなかっただろう。

 双樹の首を薙いだ麻衣の斬撃は、これまでになく速度と威力を増していた。

 

 

「ぁ……!」

 

 

 麻衣が振った刃の先端がバリアを貫通し、双樹の首筋を切り裂いていた。

 背骨と気道が寸断され、悲鳴の奥には出来損ないの笛のような音が続いた。

 動きが止まった瞬間、触手と槍が殺到。 

 麻衣も更なる斬撃を放ち、双樹の背中を切り刻む。

 

 

「おのれええええええええええええええええええええ!!!!!!」

 

 

 災禍に晒される中で双樹が叫ぶ。

 その口調はまたも一変していた。

 空いていた右手にも刃が召喚され、麻衣と切り結ぶ。残った左手は触手と槍の対処に向かう。

 激しさと精妙さを増した剣技に双方の攻撃が弾かれ、その間を縫って双樹はキルゾーンから退避した。

 

 美しい軌道を描いて跳躍した先、錆だらけの時計台の天辺に着地した。

 地上10メートルほどの高さに立つ双樹は、バリアを抜け出た攻撃によって手傷を負っていた。

 それにより血は流れていたが、双樹の姿は別の赤で彩られていた。正確には、赤と白で。

 

 

「このメスガキ共め…随分と息が合ってるじゃないか」

 

 

 立ち上がり、下界を睥睨する双樹。

 ドレスの彩色が変化していた。

 双樹から見て右が真紅、左が純白となっていた。

 名は体を表し、外見が現状を顕すとするのなら、今は二つの人格が統合されている状態だろう。

 アヤルカとでも呼べばいいのだろうか。

 

 

「「「別に」」」

 

 

 憮然とした口調が三つ重なる。

 いいえ終えた後、舌打ちが鳴った。それも三つだった。

 

 息が合っている、というのははっきり言えば単なる偶然である。

 双樹が語った言葉にこの三人は『この変態』、と嫌悪感を抱き、その思いのままに攻撃しただけだった。

 また杏子とキリカの槍と触手はその背後にいる麻衣を巻き込む可能性があったが、二人はそれを考慮に入れていなかった。

 麻衣もまた、二人の殺意にやられる気は無かった。

 

 そしてこの息が合っている、という事に感心している者がいた。

 ナガレである。

 援護をしようかと思っていたナガレも、流れるような連続攻撃に間に入れずにいた。

 

 魔法少女達三人が並ぶ背後に立ちながら、彼はそう思っていた。

 

 

「それにしても相変わらず、変態趣味に精を出してるね。ええ?双樹」

 

「そちらこそ相変わらずの不愉快な性格と美しい姿だ。何度も何度も生きたまま解体されたというのによく生きていられるものだ」

 

「その節は世話になったね。お前は、というかお前らか。あの時は私の手を掴む担当をしていたな。腕押さえ輪姦、というジャンルに興奮でもしたのかな」

 

 

 会話にならない会話を重ねる両者。

 キリカの言葉にアヤルカは哄笑で返した。何が可笑しいのかは、全く以て分からない。

 キリカ自身も、アヤルカに向けるのはどうでも良さそうな口調での言葉だった。

 彼女が多重人格だとか、更に人格を変化させたとか、そういったのも含めて興味が無さそうだった。

 

 

「初めて会ってなんだけどさぁ、あたしはテメェが好きになれそうにねぇや」

 

「それはこちらも同じ事。家族殺しの大罪人とは会話もしたくない。耳が腐れる」

 

「そうかい、気が合うな」

 

 

 毒の言葉に皮肉で返す杏子。

 嗤っているような表情だが、眼は完全に据わっていた。

 

 

「私としては癪だが、この現状は詰みだぞ。双樹」

 

 

 そう告げたのは朱音麻衣である。

 人格は二つで統合して更に追加するとして三つ。

 それでも実体としては1対4の状況。

 

 頼みのバリアも大分削れており、この状況から双樹が勝てる要素は無いとしての言葉だった。

 ソウルジェムを収集し、挙句にそれを子宮に収納するという狂気そのものの趣味と言うか性癖ゆえに、仲間もいないだろうと麻衣は判断していた。

 この発言は、麻衣なりの降伏勧告でもあった。

 怒りと闘争心に身を焦がしていても、彼女の根源は限りなく善に近いものだった。

 

 

「左様だな」

 

 

 アヤルカは素直に認めた。

 

 

「そちらが」

 

 

 言うが早いか、アヤルカは両手の剣を交差させた。そして。

 

 

「ピッチ・ジェネラーティ」

 

 

 魔法の言葉を呟いた瞬間、夜を駆逐する眩い光が放たれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 双樹④

 鼻先を掠める鉄の香りで佐倉杏子は目を覚ました。

 背中には冷気を、周囲に満ちる大気からは熱を感じる。

 開いた眼が見たのは一面の夜空。

 

 そこに向けて、視界の隅からは無数の赤い粉が立ち昇っていた。

 身体を動かそうとするが上手くいかない。

 四肢は揃っているが、関節が僅かに動くのみ。

 

 腹の中には熱そのものと言った感覚が宿っている。

 開いた口はどろっとした血を吐き出した。

 粘度と黒味が増し、舌に絡む血は火傷するほどに熱かった。

 

 高熱が体内を蹂躙し、機能を破壊している事が分かった。

 この経験は、少し前にリナから受けた極大な雷撃と似ていた。

 しかしそれよりもはるかに強力で、痛みは数段上だった。

 

 無理矢理首を動かして周囲を確認する。

 視認した光景に、杏子は絶句した。

 周囲に林立していた、遊園地の遊具や施設が消え失せていた。

 地面のタイルまでもが剥がされ、溶解した土やアスファルトが高熱により抉られて断面をガラス化させた地面に向かって流れていくのが見えた。

 闇のように色濃い黒煙が濛々と立ち昇り、破壊の範囲は果てしなく続いている。

 

 自分とナガレがいる、半径十メートルほどの楕円形状の部分だけが無事だった。

 周囲を確認する中、同じように倒れているキリカと麻衣の姿も認めたが、それは杏子の関心事にはならなかった。

 

 そして無事な部分は正面にも存在していた。

 この大破壊を成した光を放った者の、その周囲である。

 

 交差させた剣を前に突き出したまま、赤と白のミドルカラーとなった双樹。あやせとルカの融合体であるアヤルカは動きを止めていた。

 それに対峙するナガレも、地面の斧槍を突き刺したままに動かない。

 立ち尽くす彼からは、芳醇なまでの焦げた香りがした。

 

 見ている間に、ドサリと音を立てて何かが落下した。

 それは、彼の右腕だった。

 断面から血色の粘液を垂らし、指は全て欠損している。

 自重に耐えきれず、半ばから折れたのだった。

 

 その光景に、杏子は思い出した。

 双樹が放った閃光を前に、三人の魔法少女を飛び越えて飛来した彼が、斧槍を地面に突き立てた瞬間を。

 そして斧槍が突き刺さった部分から、紅い障壁が発生し周囲を包み込んだのを。

 閃光と障壁の交差は、どのくらい続いたのか分からなかった。

 だが彼は耐え切り、魔法少女の生存を守り抜いていた。

 その身を炭に変えた代償として。

 

 

「テメェ……!」

 

 

 血臭い息を吐きながら杏子が声を絞り出す。

 声の矛先は言うまでも無く双樹である。

 

 声を出す中、杏子はナガレの体内で鳴る心音を聞いていた。

 かすかだが、彼はこの状態でも生きていた。

 彼の生命の音を聞きながら、杏子は双樹を睨む。

 

 百数十メートルほど先だろうか。

 熱線により抉られた地面の先にある時計台の上に双樹は立っていた。

 しかし、その表情は一切の感情を浮かばせていない虚無だった。

 美しい唇の隅からは、唾液が垂れて顎を濡らしている。

 

 

「あ」

 

 

 声が零れた。感情の無い声だった。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 声が連なる。狂った機械のようでもあり、また正しい動作を続ける精密機械のようでもあった。

 言い終えた時、瞬きも無く虚ろに開かれている眼が二度三度と瞬いた。

 

 

「修復完了。よくもあやせの心を壊してくれましたね」

「よくもルカを酷い目に遭わせたな」

 

 

 同じ顔で、別の別の意識が同一の殺意を四人へと向けた。

 杏子には意味が分からなかった。

 そこに、ハスキーボイスの笑い声が入り込んだ。

 

 

「そうか。お前ら、やっぱりそういう関係か」

 

 

 むくりと起き上がり、呉キリカは言った。

 

 

「心が壊れる度に、互いの記憶だか妄想だかで互いに壊れた部分を穴埋めして、相方の人格を再構成してたのか」

 

 

 戦慄の言葉をキリカは事も無げに言った。 

 あやせとルカもそれを否定しなかった。

 嫌悪感が杏子の背中を貫いた。

 

 

「…成程。この威力、流石に代償無しではなかったか」

 

 

 麻衣も意識を取り戻し、誰と無しに呟く。

 戦力の分析を行う処が、いかにもこの少女らしい。

 

 

「狂ってるな」

 

 

 杏子も呟いた。

 それは異常に過ぎる双樹に対してか、それを即座に把握して指摘したキリカか、または麻衣に対してか。

 恐らくは全てに対してだろう。

 この場で正気なのは、杏子の感覚では自分とナガレだけである。

 

 

「となるとお前達の本当の人格ってどうなってるんだろうね。今回壊れたのは通常形態担当のあやせだろうが、治されたって事は再構築と同義だからさっきまでのあやせと今のあやせは別物って訳だ。いいのか?それでも」

 

 

 キリカの言葉は労りのものではなく、相手の心を刻んで穢す毒の刃の言葉であった。

 今までノーリアクションを貫いていた双樹は首を傾げた。

 表情には困惑。

 

 

「…それの何が、問題なのかな?いやほんと、意味不明なんだけど。相変わらず気持ち悪いね、呉キリカは」

 

 

 双樹は嫌悪と理解不能さ、そして自分達に毒の言葉を吐くキリカへの義憤の表情を浮かべていた。

 

 

「あの…イカれてるって言ってるんだけど、言葉通じる?どぅゆうすぴーくじゃぱにーず?」

 

「イカれてるのはあなたでしょうに。変わりたい、今の自分を変えたいなどと簡単な事に一度きりの願いを使った愚か者」

 

「…あ?」

 

 

 キリカが反応した。言葉に籠った感情は怒り。

 彼女にしては珍しかった。

 

 

「美国織莉子の考えも底が知れている」

 

 

 固有名詞を述べる双樹。

 麻衣も杏子も初めて聞く名前だった。

 ただ、名字だけは何処かで聞いた気がした。

 その名前を出された時、キリカの顔から表情が消えた。

 

 

「そして朱音麻衣は先程も言いましたが、願い事が破滅的に過ぎる。なんですか、強い相手と戦いたいなんて。私達のように命を育む心を養むべきですね」

 

 

 そう言って双樹は腹を愛おし気に撫でた。

 皮と肉を隔てた袋の中には、ぎっちりと魂の宝石が詰め込まれ、分泌される粘液と熱で揉み解されている。

 それを双樹は『育む』と言ってるのであった。

 理解不能、そして理解してはいけない感情だった。

 

 

「強い奴と戦うってことは、傷つけるし傷付く。それを望んでるなんて、あなた狂いすぎ。サドマゾな特殊性癖なんてキモチワルイ。吐きそう、ゲロゲロ」

 

 

 自分の事を棚に上げるという感覚は双樹には無い。

 理解しつつ、皮肉っている訳でもない全く何の良心の呵責も疑問も無く、双樹は言葉を発している。

 怒りと嫌悪感に身を苛まれる麻衣を他所に、双樹は次の標的を見た。

 

 

「それにしても貴様は完全に理解不能だ。家族を救おうとした?父親の話を聞いてほしかった?それで世の中の人を救いたい?」

 

 

 青い瞳が断罪者の視線を帯びて杏子を見る。

 

 

「なんという傲慢。なんたる世界への侮辱。貴様のした事は世の摂理を捻じ曲げて世界を混乱させただけ。誰か救えたか?幸せになれた者が一人でもいるのか?どうだ?言ってみろ佐倉杏子!!」

 

 

 武人の口調で、正義と義憤に満ちた言葉を告げていく。

 

 

「言えないだろうね。それは真の邪悪って事の照明だよ。でももしかして、それが本当の目的だったりして?」

 

 

 そうか!と双樹は叫んだ。

 

 

「成程。愚かな父と無力な母、邪魔な妹を抹殺し家族という枷を外す」

 

 

 成程、と双樹はルカの口調で繰り返す。

 

 

「そして自由を手に入れる。その過程で破滅を眺めて楽しめる。なるほど見事な手並みだな。私はその手腕に敬意を評すぞ」

 

 

 私の誇りに反するな、謝罪しよう。とアヤルカは加えた。

 そこで限界が来た。

 杏子だけではなく、全員の。

 

 無言で治癒魔法を全開発動させて得物を抜刀。

 

 その表情は怒りと虚無に別れていた。

 怒りは杏子、麻衣とキリカは虚無だった。

 だが怒りが頂点に達している事は変わらない。

 

 

「ああ…綺麗」

 

 

 迫る死を前に、陶然とした顔を浮かべる双樹。

 双樹は襲撃者たちの顔を見ていなかった。得物すらも見ていない。

 視認ないし、気配として感じ取っているのは彼女らの魂の宝石の色と形である。

 そして双樹の右手が掲げられた。

 

 

「では、頂くとしましょうか」

 

 

 鈴の成る様な声と共に、指を鳴らす音が鳴った。

 パチンという音と共に、双樹から魔力が発せられた。

 

 

「トッコ・デル・マーレ」

 

 

 その魔法を、双樹はその名前で呼んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 双樹⑤

「トッコ・デル・マーレ」

 

 

 双樹はそう呟き魔法を放った。

 傍らを通り過ぎたそれに、灰と黒の彫像と化したナガレが反応した。

 死の寸前からの修復中のまどろみの中、言いようのない気配を感じたのだった。

 

 魔法が通り過ぎた直後、今度は別の気配を感じた。

 それは魔法とは逆方向へ、つまりは魔法が放たれた根源へと向かって行った。

 気配は三つ。それは脈動する魂の波長だった。

 

 瞼が開いた。内側の眼球は奇跡的に無事だった。

 その眼が見たのは、三つの宝石を手中に収めた双樹の姿。

 

 黒紫色のダイヤ型、紅い玉、そして爬虫類の瞳孔のような縦長の真紅。

 それらが双樹の手の中で、同色の卵型へと変じた。

 ソウルジェム。

 魔法少女達の魂。

 

 

「友人」

 

 

 背後で小さく、呉キリカの声がした。

 

 

「愛してる」

 

 

 その声が聞こえたとほぼ同時に、何かが倒れる音がした。キリカのいる場所で。

 少し遅れて、麻衣も倒れた。何も言わなかった。

 言えなかったのだろう。

 

 

「ああ、やはり……なんと美しい輝き」

 

「ほんと。性格は屑ばかりだってのに」

 

「生命の輝きだけは、実に美しい」

 

 

 融合体とあやせとルカ。

 三人で一つの身体を持つ人格は、奪った宝石を赤い舌で舐め上げた。

 唾液をたっぷりとまぶし、心から慈しむ表情で愛でる。

 

 

「では、一つになりましょう」

 

 

 それを三つ纏めて口に含んだ。

 一個ずつ丁寧に飲み込み、体内へ送る。

 喉を通ったそれらは、胃へは行かずに途中で転送された。

 

 既にぎっちりと宝石を詰めた子宮の中に、三つの宝石が宿される。

 内側から肉を圧迫するその感触を、双樹はとても愛おしいと感じた。

 下腹部を撫で、慈母のような笑顔を浮かべる。

 

 

「たっぷり愛してあげます。だから安心して「テメぇええええええええ!!!!」」

 

 

 咆哮。双樹は目を丸くし、その発生源を見た。

 それは、佐倉杏子の口から放たれていた。

 有り得ない、という動揺が双樹の脳裏を掠める。

 

 次の瞬間には、杏子は双樹の前にいた。

 十字槍を振りかぶり、眼には殺意を湛えている。

 胸にあった宝石は無く、ドレスの胸に開いた穴からは彼女の肌の色が見えた。

 

 槍が振られた。双樹は剣で迎撃した。

 

 

「軽い」

 

 

 右手一本で槍が受け切られ、双樹が接近する。

 刃の柄頭が杏子の下腹部に突き込まれる。

 肉の袋が抉られ、杏子は口から胃液を吐き出した。

 

 

「ぐぇえっ…!」

 

 

 苦鳴を上げる杏子に、双樹は更に追撃の蹴りを放った。 

 杏子の顎が撃ち抜かれ、更に反転した蹴りが杏子の胸を激しく踏む。

 そしてそのまま、時計台から落下した。

 背中から地面に激突した杏子を、双樹は更に力強く踏みしだいた。

 

 

「がぁっ!」

 

 

 肋骨が踏み折られ、胃と肺に突き刺さる。

 口からは悲鳴と鮮血が吐き出された。

 

 

「…貴様、何者だ?」

 

 

 武人口調でアヤルカが問う。

 戦闘力の低下は理解できる。肉体を治癒したとはいえ、自分たちが放った合体魔法は特別製であり魔法少女に甚大な損傷を与える。

 彼女の関心は、

 

 

「佐倉杏子、貴様は何故動ける?」

 

 

 この点にあった。

 杏子はそれが理解できなかった。

 

 杏子が見上げた先にあるのは、夜空を背後に自分を見降ろす双樹の顔。

 心底からの理解不能さと嫌悪感があった。まるで腐肉に湧いた蛆虫でも見るような眼をしていた。

 その背後に、夜の闇を切り裂く黒い影が見えた。

 長大な斧槍を振り翳した少年の姿。

 

 振り下ろされた斬撃を、間髪で回避した双樹。

 しかし、それは完全ではなかった。

 破壊による熱気と夜の冷気が交わる大気の中に、鮮血を噴き上げて飛ぶ二つの物体があった。

 肘の辺りで断たれた、双樹の両腕だった。

 

 双樹の破壊魔法を受け止め、全身を炭化させたナガレ。

 彼は身を治癒させつつ飛翔し斬撃を見舞っていた。

 炭化した皮膚と肉が剥がれ落ち、その下から新しい肉が覗く。

 

 衣服も同様に再生されている。

 体表に纏われるのは二種の魔力。

 キリカと麻衣が倒れる寸前、彼に送ったものだった。

 

 

「ヤンデレに愛されているようですね」

 

 

 自らの両腕の欠損も意に介さず、双樹は微笑む。

 両腕からの出血は既に停止している。肉の断面は凍り付き、または熱で焙られて炭化している。

 止血したのは外見的な問題だろうが、より凄惨さが増していた。

 

 構わずにナガレは前進。

 逃げる双樹へと突撃し、斧槍を槍として見舞う。

 裂帛の突きが放たれた。一瞬の後に、双樹の頭は貫かれて弾ける筈だった。

 接触の寸前、ナガレは胸に熱を感じた。

 

 双樹のいる方向から彼の胸に接触し、背から抜けていた。

 左肺と肉を貫き、彼の胸に大穴が空いていた。

 放ったのは双樹では無かった。

 

 双樹の魔法によって破壊された遊園地の廃墟の中、小柄な影が立っていた。

 瀕死からの強引な治癒、からの再度の重傷。

 視界は乱れに乱れ、微細なシルエットを捉えるに留まっていた。

 

 杖らしいものを構えたのは、黒い帽子を被り全身を黒いローブで纏った姿。

 その杖の先端には赤い光が付着していた。

 放たれた熱線の残滓だろう。

 

 

「借り物の出来損ないも、役に立つものだね」

 

 

 あやせが笑う。そして開いた口を更に広げた。

 

 

「その輝きも、私が頂くぞ!!」

 

 

 叫び、口を開いてナガレへと向かう。

 

 

「ぐがあああああああああああああああああ!!!」

 

 

 ナガレも吠えた。

 吠えた形のままに、彼も牙を剥き出しにする。

 空洞化した胸から灰と鮮血を垂らしながら、彼は地面を蹴った。

 そして両者が交差する。

 

 鮮血が散った。

 

 

「たしかに、いただきました」

 

 

 血染めの顔で双樹が笑う。

 その口には、黒い瞳を宿す眼球が咥えられていた。

 それが、口内からの血で濡れた。

 

 双樹の喉は、首筋の数センチを残して齧り取られていた。

 口にナガレの眼球を咥えた双樹に対し、ナガレは口内にある双樹の肉を吐き出した。

 

 

「あら残念。私はあなたとなら一つになってもいいというのに」

 

 

 鮮血をダラダラと垂らしながら、更に彼の眼球を咥えながらに器用に双樹は喋る。

 喉の肉の欠損により、声には笛を吹くような音が付着していた。

 

 

「まぁ、今日は此処で退きましょう。ではまたその内」

 

 

 言い終える前に、ナガレは斬撃を見舞っていた。

 その上を悠然と飛翔し、双樹は夜の闇へと消えた。

 彼の胸に大穴を穿ったもう一人の存在も消えていた。

 後には、傷付いたナガレと動きを止めた二人の魔法少女。

 そして。

 

 

「…こいつら、眼を覚まさねぇな」

 

 

 力なく、胸から宝石を喪った杏子が言った。

 

 

「軟弱な奴らだ」

 

 

 吐き捨てる皮肉にも力が無い。

 彼女の左手は胸に添えられていた。

 双樹に叩き割られた肋骨が痛むのではない。

 

 喪失の感覚に耐えきれず、宝石の場所の肉を掴んでいた。

 当然ながら、喪失感が埋まる筈も無かった。

 むしろ肌に触れることで、その感覚が強まるだけだった。

 

 ナガレは膝を着き、魔女に治癒魔法を行使させた。

 死の寸前から、再び引き戻される。

 彼は奥歯を噛み締めた。加わる力に耐えきれず、何本もの歯が口内で砕けた。

 

 双樹と彼らの戦闘は、実質的に後者の完全な敗北で幕を閉じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 喪失

 朝四時半頃。

 ナガレと杏子は廃教会にいた。

 二人の眼の前には、白色の二つのケースが並んでいる。

 縦長の丸みを帯びた形状、それは棺によく似ていた。

 

 実際、その中には人体が入れられている。

 顔に当る部分にはガラス窓が嵌められ、中が見えていた。

 

 一つは呉キリカ、もう一つには朱音麻衣が入っていた。

 二人とも、眼を閉じて動きを完全に止めている。

 安らかな眠りというより、先の通り完全停止という状況に思えた。

 まるで氷結したか、或いは時が止まっているような。

 

 

「どういうことだ…おい」

 

 

 杏子が呟いた。

 

 

「こいつら…死んでるじゃねえか」

 

 

 杏子は事実を告げた。

 キリカと麻衣の鼓動は停止し、一切の体温を発していない。

 肉体的には、完全な死を迎えている。

 

 

「今はこいつの魔法で鮮度を保ってる」

 

 

 ナガレが言うと、彼の肩で小さな黒靄が生じた。

 掌サイズの縫い包み然とした姿となったのは、牛の魔女の疑体だった。

 二本の角に、擬人化した牛のような姿を更にデフォルメした外見は、中々に可愛らしかった。

 

 

「時間を止めたみてぇな状態らしいから、腐りも痛みもしないとよ」

 

「元はどういう用途で使ってたんだかな。ま、喰うなら美味い餌の方がいいよな」

 

 

 狩人である魔法少女からの戦慄的な指摘に、獲物である魔女はバツの悪そうに身を縮ませた。

 彼が魔女と平然と意思疎通をしている事に関しては、既に疑問とも思わないらしい。

 

 

「まぁそれにしても、だ。ソウルジェムが魔法少女の弱点だったとはね。いや、冷静に考えりゃそうだよな」

 

 

 名は体を表す。

 それは奇しくも、そして皮肉にも双樹が示した事であった。

 

 

「あたしが無事なの、なんでだろうな?」

 

「こういうのはなんだけどよ…本当になんともねぇのか?体調とか大丈夫か?」

 

 

 言った瞬間、杏子はナガレの唇に自分のそれを重ねた。

 最早日常茶飯事な行為だが、彼としては慣れることが無い。

 そしてそもそも、この行為が世界的に見ても愛情表現である理由がいまいち分からない。

 

 

「ほら、平気だろ」

 

「…わぁったよ」

 

 

 真面目そうな、というかそのものの顔で杏子は自分の無事を告げる。

 少なくとも唇から伝わった体温と血の流れは、紛れも無く生者のものだった。

 更に次いで、杏子はナガレに飛び掛かった。

 跳ね返すことは簡単だったが、彼は力を緩めて物理法則に従った。

 

 背後にあったソファへと二人そろって倒れ込む。

 体重の合計は250kg近いが、ナガレの改造により軽く軋む程度で済んでいた。

 押し倒したナガレの唇に、杏子は再びキスをした。

 先程の一瞬接触させてすぐに離したものと異なり、強く押し付けて舌を送り、口内を舐め廻す捕食じみた動きをしていた。

 危機感でも覚えたのかそれとも気を遣ったのか、魔女は擬体を消滅させた。

 

 

「悪い。平気ってのは嘘だ。不安感がヤバい」

 

 

 唇を、ナガレを貪りながら杏子は思念で意思を伝える。

 唇を離して会話する事すら億劫、というか離したくないのだろう。

 

 

「だから…抱いてくれねぇかな」

 

「ああ」

 

 

 杏子は驚いた。拒絶されると思っていたからだ。

 悦びが湧くより早く、彼の両腕が杏子を抱いた。左手は彼女の後頭部に添えられ、右手は腰に触れている。

 触れ方に性的なものは何も無い。

 ただ強い力に抱かれるという行為に、杏子は不安感が薄れていくのを感じた。

 そこに杏子は、彼への依存心を改めて自覚する。

 それが弱味であるのか、或いは拠り所としている事で精神的な支柱として利用し自身の強味としているのか、彼女には分からなかった。

 

 身体に触れる手と身体に、杏子は性欲を覚えなかった。

 最近の杏子の様子からしたら珍しいどころか奇跡だった。

 不安と恐怖の逃避として、彼を抱いて彼に抱かれているからだろうか。

 

 ただ今の杏子は、別の意味での興奮を覚えていた。

 恋敵に相当する存在二人の死体の傍らで、彼を貪っている事への優越感。

 それが昏く卑しい感情であると知りつつ、その感情は収まらない。

 唾液を送り、舌を絡めつつ彼の顔を見る。

 

 今の彼は、左眼を黒い布で覆っていた。

 それは、キリカの眼帯だった。彼女が右眼に装着しているものを、今は彼が着けていた。

 黒布の下にある黒い瞳の眼球は、今はない。

 全身の傷は治癒させたが、そこだけを彼はそのままにしておいた。

 

 そこから視線を外すように、杏子は彼の右眼を見た。

 普段と変わらない、彼の瞳がそこにあった。

 

 自らの紅い眼で、杏子はじっと彼の眼を見る。

 黒の奥にある渦を、杏子は凝視した。

 揺らめく闇が、そこに溜まっていた。

 それを見て、杏子は喉の奥で悲鳴を上げた。

 

 

「…あんた」

 

 

 杏子は唇を離した。唾液の線が糸を引いて、切れた。

 

 

「……キレてるよな。すっごく」

 

 

 その問いに彼は言葉を返さなかった。

 だが、離れた杏子を彼は抱き寄せた。珍しい事だった。

 

 

「奪い返してやる。お前らを」

 

 

 杏子の顔を胸に押し付けながら、彼は言った。

 闇に深く蠢く、飢えた獣のような声だった。

 杏子の視界を奪ったのは、今の顔を見られたくなかったからなのかもしれない。

 普段と変わらない、されどこれまでにない激情が込められた言葉だった。

 

 その声と心音を聞きながら、杏子は嗤った。

 口は耳まで裂けたように広がっていた。

 

 

『ああ……やっぱイイわ………こいつはよ……』

 

 

 思念にも声にも出さず、杏子は心の中でそう呟いた。

 そして眼を閉じた。身を蝕む疲労感と暗い幸福感に身を任せ、杏子は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18.5話 敗北者たちの平凡な日常

「…はっ!」

 

 

 蒲団をガバっと跳ね上げながら、朱音麻衣は目を覚ました。

 眼を擦って周囲を見て、状況を把握する。

 

 服装、普段の寝間着。桃色の可愛いパジャマ。

 

 場所、自室内。天井や床には愛する異性であり獲物である少年の顔写真が隙間なく貼られている。照明は落とされていて薄暗い。

 

 体調、問題なし。強いて言えば性欲を感じる。そういう歳なのだから当然と自己判断。

 

 結論。

 

 

「…嫌な夢だったな」

 

 

 蒲団を投げ出したまま、寝床に倒れ込む。

 愛用の枕と敷布団が彼女の背を出迎えた。

 思い返すと、ロクな事ではない、だけでは無かった。

 

 

「しかし……楽しかった」

 

 

 そう言った麻衣の顔は緩んでいた。

 異性との交流を重ねられたという満足感、そして彼と時間を共有したが為に疼いた欲望。

 獲物を狩りたいという戦闘狂の欲望が4、身を焦がして疼く性欲が6である。

 その欲望に麻衣は従う事とした。

 

 既にぬかるみ始めたその場所に手を伸ばす前に、麻衣は魔力を使った。

 鞘に入れられた日本刀状の刃が、天井に向けて伸ばしていた左手に握られる。

 その武器の様子は、少し奇妙だった。

 

 鞘にひびが入り、巻かれた糸はほつれていた。

 そして鞘だというのに、それは固まった血液により赤黒く汚れていた。

 

 それを剥がさないよう、麻衣は慎重に握った。

 そして柄に手を添え、ゆっくり、ゆっくりと引き抜いていった。

 刃が鞘から出るに連れ、麻衣の性欲は高まっていった。

 

 

「はふぅ……」

 

 

 普段は見せない、彼女を知る誰もが知らない蕩けに蕩けた表情で、麻衣は刃を引き抜いた。

 その瞬間、体内の肉襞は蠢き粘液を分泌させた。鞘を自身の器、刃を異性のそれとでも思ったのだろうか。

 彼女の雌は、雄を受け入れる準備が出来ていた。

 残念ながら、今回もそれは指の役目となるであろうが。

 

 

「…美しい」

 

 

 心から、麻衣はそう言った。

 乾ききって、赤黒い血に塗れた愛刀を。

 それを顔に近付け、刃に宿った香りを嗅いだ。

 

 鉄錆と潮の、濃厚な香りが鼻孔から脳へと抜ける。

 その瞬間、麻衣の身体は痙攣した。

 腰が浮き、魚のように跳ねる。

 数にして5回。

 敢えて何がとは言わないが、回数は5回だった。

 因みに彼女はナガレとデートに赴くにあたり、欲望が爆発しないようにと外出前に自室で欲望を発散させていた。

 その回数は二十数回に及んでいた。

 

 

「これが……愛か」

 

 

 麻衣の両眼からは涙が生じていた。

 両眼の許容量を直ぐに超えて溢れた。

 

 そして麻衣は顔を刃に近付けた。

 唇を尖らせ、赤黒い表面を接触させかける。

 

 

「おおっと、勿体ない勿体ない。我慢だ私、頑張れ私」

 

 

 寸前で離し、呪詛のように唱える。

 演技ではない。する理由も無い。

 麻衣は全身全霊で、ナガレと自分の血が付着した血刀を舐めることを止めていた。

 倫理感や衛生観念ではなく、今の状態を維持したいようだった。

 

 ナガレとの交戦の際に溢れた血と浴びた血を刃に溜め、そして彩った刀がこれである。

 匂いを嗅ぐたびに、彼との交戦の様子が鮮明に思い出される。

 

 斬り合った事、殴り合った事、馬乗りにされて顔をグチャグチャにされた事。

 どれもが掛け替えのない思い出だった。

 その思いを糧に、麻衣は右手をズボンと下着の中に滑り込ませた。

 指先が熱く濡れ、触れた突起は痛いくらいに固くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

よっしゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!

 

 

 

 叫びが響いた。

 咄嗟に麻衣は指を引いた。指先の粘液が下腹部と臍を蛞蝓が這ったように濡らした。

 声の主は考えるまでも無かった。

 その美しい声を放つものに抱く嫌悪感は、魂に深く刻まれている。

 

 

「やったやった!今際の際に想いを告げられた!私の夢達成前の夢の一つが叶った!叶ったよ!」

 

 

 声の方向へと麻衣は視線を送った。

 見慣れた自室の壁の奥が透けて見えた。

 というよりも、境界線があいまいになり、色が蕩けて歪んでいる。

 まるで複数の絵の具を触れさせている境目のように。

 そこに、彼女はいた。

 

 呉キリカが。

 彼女の自室と思しき、大きめのベッドとちゃぶ台と、テレビとゲーム機が置いてある部屋に。

 ベッドの上でぴょんぴょんと、白シャツにピンクのミニスカ。そして左右非対称のソックスという出で立ちで。

 

 

「叶った!叶ったんだ!死ぬ前に愛を告げられた!これで私も悲劇のヒロインだ!」

 

 

 ああ、そうか。と麻衣は思った。

 

 

「ここは地獄か」

 

 

 それは確信の言葉だった。

 

 

「私は常々悩んでいた。この魔法少女と謂う立場に」

 

 

 動きを止め、天井を仰ぎ見ながらキリカは言う。

 天から技を授けられた芸術家が描いたかのような、美しい姿だった。

 それに関しては、麻衣も認めざるを得なかった。

 

 

「私は、私達は強い。強過ぎる。肉片になろうが挽肉になろうが平然と生きている。それはいいのだが……うむ…ちと不死身にすぎる」

 

 

 麻衣は思わず頷いた。確かに自分たちはタフすぎる。

 タフという言葉が自分達の為にあるかのように。

 

 

「だから……瀕死の私、糸の切れた人形のように倒れる私、苦しそうに喘ぐ私、抱きかかえられる私、その中で想いを告げる私…というシチュエーションに憧れていた」

 

 

 この前読んだ二次創作で、そんな尊い場面があったから。

 キリカはそう付け加えた。

 

 それを聞き、麻衣は無意識の内に涙を流していた。キリカが語った場面を、自分に当てはめて想像したのだった。

 確かに、悲劇とは乙女心をくすぐる要素であるのだろう。

 趣味嗜好は個人個人のものとして、そのジャンルは人類の黎明の時から存在したに違いない。

 

 

「たしかに、そう言った場面は無くはなかった。魔女化の寸前とか。でも、友人てば魔女のジェノサイドが趣味だからグリーフシード溜め込みすぎなんだよ!なんだよそれ!畜生!ファック!したい!!」

 

 

 それ言いたかっただけだろう、と麻衣は無言で突っ込んだ。

 こいつにしては面白いなとも思っていた。

 

 

「でも遂に!遂に今日それが叶った!これで友人の心に私を刻めた!無限に有限に!私は友人の中で生き続けてやる!ああもう嬉しすぎて後ろ足が跳ね上がってねじ曲がって刺さる!腰から子宮に刺さってお腹を貫通しちゃう!痛い!コワイ!」

 

 

 ここまで黙って聞いていて、麻衣はイラつきが溜まっていくのを感じた。

 そしてそれは、限界に達していた。 

 血刀を傍らに静かに置き、別の刃を召喚する。

 初めから鞘に入っていなかった。青白い刃が、薄暗い室内で冷え冷えとした輝きを放っていた。

 

 

「殺す」

 

 

 呟いたその言葉に、麻衣は疑問と罪悪感の一切を思い浮かべなかった。

 今の麻衣の感情は、無意識に反射的に蚊を潰した。とでも言うべき状態だった。

 為すべき事ではなく、為した事として麻衣はキリカの殺害を認識していた。

 

 ここが何だか分からないが、この不愉快な存在と一緒にいる事は嫌すぎた。

 例えば無人島か、脱出不可能な部屋に閉じ込められ、一人ではいつか必ず孤独に圧し潰されて狂うとしても、自分はキリカを殺すだろうな。

 麻衣はそう思った。

 

 その麻衣を、曖昧な輪郭の境界線の奥にいるキリカが見ていた。

 

 

「ねぇねぇ自慰行為中断させて悪いけどさぁそこの朱音麻衣!君はどうだった?君も友人に想いを告げられた?それとも死体を抱いてくれって言った?あ!もしかして「お腹に君の…」って意味深な伏線ぽい台詞を言ったりとか!?嗚呼!ずるい!それはずるいよ!あああああ!!!私もそれ言えばよかった!ああああああああああ!!!言えばよかった!言えばよかったよおおおおおおおおお!くっそおおう!やられたああああ!朱音麻衣に出し抜かれたああああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 

 朱音麻衣は呆然としつつ、ベッドの上で跳ねて暴れる呉キリカを見てこう思った。

 

 

「地獄だ、ここは。間違いない」

 

 

 麻衣の顔には氷のような冷気と、仮面のような虚無が。

 そして、食肉加工の機械のような残忍で冷徹な殺意が宿っていた。
















元気過ぎる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18.5話 敗北者たちの平凡な日常②

「私はああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 呉キリカは叫んでいた。

 自室のベッドの上で。

 その様子を、朱音麻衣が見ていた。

 

 光に満ちたキリカの部屋に対し、麻衣の部屋には薄闇が満ちている。

 二つの部屋は曖昧な輪郭で隔たれていた。

 それを介して、互いの様子が確認できている。

 

 しかしながら、キリカは麻衣の存在を意識していなかった。

 先程言葉を交わしていたが、既にその事も忘れていそうだ。

 

 

私は!!友人とセックスがしたいんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 

「…うわぁ」

 

 

 この上ないド直球発言に、麻衣はそう漏らした。

 嫌悪感は湧いたが、その一方で自分の願望とも重なる事柄であるせいか、否定する気にはなれなかった。

 ベッドの上で転がり、飛び跳ね、暴れながらキリカは欲望を口にしていく。

 

 特殊性癖かと思いきや、紡がれる言葉は直球ではあっても健全な性行為のそれだった。

 所詮は処女という事だろうか。

 少なくとも、尻を見られたり責められるのは避けているように思えた。

 一応は乙女か、と麻衣は思った。

 

 溜息を吐いた。

 その間もキリカの性発言は続いている。

 赤ちゃんと一緒に母乳が飲みたい、とか言い出したあたりで麻衣は口を開いた。

 

 

「妄想というか夢想もいいが、現状把握をしようじゃないか。先ず一つ、ここはどこだ?」

 

「分かってるだろう。あの変態女の腐れ子宮の中」

 

「………泣きたくなってきた」

 

 

 ベッドの上で仰向けになり、キリカは言った。

 麻衣は泣きたい、と言ったが「死にたい」と言わないだけ彼女のメンタルの強さが伺える。

 

 

「呉キリカ。貴様、あの女と知り合いだったようだが」

 

「まぁね。あのクソゲスド変態の腐れアリナの部下で、私の拷問と解体を手伝ってたモブの一人かな。あいつらのクソダサシンボルバッジの魔力は感じなかったから、脱退したのかなぁ」

 

「神浜のマギウスとかいう組織だったか。貴様の語った事柄には、流石に私も同情するぞ」

 

「同情と言えば、あいつにも同情したくなるね。しないけど」

 

「何故だ?」

 

「マギウスは脱退者は死刑だった筈だからね。内部にそれ専門の部隊がいて、そいつらに捕獲されてグロ拷問とかされる規約だったような。ああそうそう。それでその映像は闇で売られてるみたい。神浜なら割と簡単に買えるみたいだけど」

 

「…規約とは何なのだろうな。それと貴様と話をするたびに神浜という場所が嫌いになっていく」

 

 

 何処も彼処も地獄。

 麻衣はそう思った。

 

 

「それでだけどさぁ、朱音麻衣。気分は如何だい?」

 

「最悪。と言いたいのだが、そうでもない。いや、確かに嫌な気分ではあるのだが問題は無さそうだ」

 

「それだよ。というかそれが問題だ」

 

 

 口ぶりからして、キリカも同じ状態のようだ。

 不快さはあるが、問題はない。

 すなわち、魂は濁らない。

 そしてそれは、既に確認済みの事象だった。

 

 

「詰め込まれたソウルジェム…どれも輝いてたね。綺麗だった」

 

「…何かしらの方法で浄化しているという訳か。確かに、そうしなければ美しい状態は保てないし魔女が孵る」

 

「それとだ。奴は何故か私達の願い事を知っていた」

 

「誰かが話した、という線は薄いな。だが」

 

 

 無いとは言わない。魔法少女の願い事を、確実に知っている者がいる。

 しかしそれが、双樹とどう結びつくのかが二人には分からなかった。

 

 

「ま、今の私達は無力だ。解決は友人に任せよう」

 

「そうだな。ここは主人公の出番だ」

 

 

 会話を交える二人の脳裏には、血みどろになって戦うナガレの姿があった。

 彼の相棒、更には彼女的な立ち位置となった佐倉杏子の姿は無い。

 

 強いて言えば、彼の足下に肉片と赤い衣装の一部が転がっている程度である。

 麻衣はまだしも、キリカは朱音麻衣を対ナガレ用の包囲網の一員として加えようとしていた筈だった。

 それなのにコレである。

 

 例によってその提案をした事などとうに忘れていそうだった。

 仮にその時の映像を彼女に見せても、こんなのは知らないと突っぱねるだろう。

 

 

「さて、とだ」

 

「うむ」

 

 

 共通の敵は脳内で葬った。

 となれば葬る者は残り一つ。

 

 

「模擬戦、でいいかな?」

 

 

 立ち上がってベッドから降り、床に着地するまでの間にキリカは変身を済ませた。

 

 

「ああ。というかなんでもいい」

 

 

 同じく蒲団から抜け出し、立ち上がるまでの間で変身する。

 黒い暗殺者と白と紫の武者姿が、互いの部屋の境界線を隔てて対峙する。

 

 

「死んだら終わり。それでいいよね」

 

「是非も無し」

 

 

 麻衣の返答にキリカは微笑んだ。両手から複数の赤黒い斧が生える。

 麻衣も薄く笑い、腰の刃の柄に手を掛けた。

 今は魂同士の間柄でありながら、二人は何時もと変わらなかった。

 場所と現状がどうあれ、滅ぼし合う仲に変わりはない。

 

 

「相変わらず、狂ってやがるな。テメェらは」

 

 

 キリカと麻衣の場を掻き乱すように、どこか舌足らずな声が過った。

 重なり合う境界線を押し広げるように、新たな空間が麻衣とキリカの部屋に向かい合うように生じた。

 嘗ての神の家、今は廃墟寸前の建物。

 

 痛んだ床に、巻き上げられた埃が舞う。

 埃を立てるのは、紅いドレスの魔法少女の歩み。

 右肩に十字槍を担ぎ、ズカズカと二人の元へと歩いてゆく。

 

 

「何時でも何処でも、血と色恋沙汰に狂ってるんじゃねぇよ。バァーカ」

 

 

 粘着質な毒を纏った、灼熱の炎のような罵倒。

 佐倉杏子の言葉であった。

 













魔法少女は地獄であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18.5話 敗北者たちの平凡な日常③

「何時でも何処でも、血と色恋沙汰に狂ってるんじゃねぇよ。バァーカ」

 

 

 曖昧な輪郭を以て隔てた心の中で、三つの魂が出会う。

 先に呉キリカと朱音麻衣がいた。

 そして今、佐倉杏子も現れた。

 キリカと麻衣は自室の中に、杏子は廃教会の中にいた。

 

 

「やぁ佐倉杏子。そういえば君も奪われてたね。元気?」

 

 

 口撃を返そうとしていた麻衣よりも早く、キリカが反応した。

 麻衣は黙った。嫌いな奴だが、レスバトル最強格のキリカに任せた方が良さそうだった。

 尤も、キリカに敵も味方も無く分け隔てなく愚弄するのであるが。

 そもそもキリカ的には麻衣の事は味方となど思っていない。

 

 

「まぁね。さっきまであいつに抱かれてたし、身も心も満たされてるよ」

 

 

 嘲弄の表情で杏子言う。

 対する反応はというと。

 

 

「へぇ」

 

「ふぅん…」

 

 

 キリカは素っ気なく、麻衣は無関心を装っていた。心の中では激流が渦巻いている。

 

 

「抱っこされてたんだね。寂しいからとかなんとか言って、友人はああ見えてツンデレだから付き合ったとか」

 

「抱かれてた、って言ってんだろ」

 

「性的に?」

 

「ああ」

 

「具体的には?」

 

「そりゃあ」

 

 

 そこで杏子は言葉に詰まった。

 

 

「…イロイロだよ」

 

「佐倉杏子。惨めになるからそこらへんにしておきなよ」

 

「嘘じゃねえってんだろ」

 

 

 食い下がる杏子であった。

 キリカは溜息を吐いた。

 吐き出される息さえ輝いて見える。キリカはそんな美少女だった。

 

 

「歩き方」

 

「あン?」

 

「歩き方が非貫通仕様」

 

「なっ…」

 

「処女膜に引っ張られてる歩き方してる。バレバレだよ」

 

 

 そして美しい声で奏でられる言葉は禄でもないものだった。

 

 

「…テメェ、そんな知識どこで仕入れて来やがる」

 

 

 忌々し気に、そして敗北感を滲ませながら杏子は言った。

 キリカはエヘンと胸を張った。たゆんと揺れた。

 こいつら死なないかな、今すぐにと麻衣は思った。

 

 

「ハイ、それが答えだね」

 

「ああ?」

 

「今白状しただろ。自分が処女だって」

 

「テメェ…」

 

 

 曖昧な境界越しに杏子は呪い殺さんばかりの睨みを利かせた。

 キリカは気にした風も無く、春風のような顔で笑っている。

 異様な光景だった。麻衣はそれを異様とは思っていなかった。

 異常者二人の対峙が、まともである筈が無いと思っているからだ。

 

 

「というか君、身体に意識があるのかい?」

 

「ああ。あいつと寝てたらココに来た」

 

「まだ言うのかい。となると部分的には真実なんだろね」

 

「そう言ってんだろ。で、それが可笑しいってのか」

 

「友人の性格からして私と朱音麻衣の身体を回収したのだろうけど、私達の今の状況が魔法少女の普通だよ」

 

 

 動かない身体。生命の絶えた肉体。

 死体。

 ソウルジェムを喪った魔法少女。

 

 

「詳しく話しな」

 

「ソウルジェムの有効範囲は約100メートル。それを超えると肉体は抜け殻になる。あとソウルジェムが壊れても当然死ぬ。魂が破壊される訳だからね」

 

「…それ、マジか?」

 

「うん、本当」

 

 

 杏子は衝撃を受けていた。

 それは魂の具現化についてではない。それは既に魔女化云々で把握済みだ。

 問題なのは有効範囲と、ソウルジェムが破壊可能という事についてだった。

 

 少し前に佐倉杏子はソウルジェムを投擲した。

 それは二百メートルの彼方へと弾丸の速度で飛び、魔女の顔面を貫通して破壊した。

 ソウルジェムには傷一つ入らず、距離を隔てても杏子は問題なく肉体を動かしていた。

 

 物言わぬ死体となった恋敵二匹を見て、なんとなくそんな気がしていたが事実として突き付けられると流石に驚きと嫌悪感が湧いてくる。

 だがそれを押し退け、別の感情が顔を出す。

 表情にもそれが表れていく。

 

 

「てこたぁつまり、テメェらは脱落ってワケだ」

 

 

 口は耳まで裂けたように広がっていた。

 口から覗くは牙のような歯の列。まるで鮫のようだった。

 

 

「ははははは。そうかいそうかい。身体を自由に動かせるのはあたしだけで、テメェらは死体か」

 

「そうなるかな。見たままだよ」

 

 

 事実を告げるキリカ。

 あの景色綺麗だね、とでも云うようなあまりにも自然な様子に、杏子はずきりと胸が痛んだ。

 しかし退くか進むか、二択しかなかった。杏子は後者を選んだ。

 

 

「そいつぁいい。邪魔な奴がいない間に、あたしはあいつを貪るとするよ。テメェらが身体を取り戻すときには大人の階段て奴を上ってるだろうさ」

 

「相手にされる訳ないだろう」

 

 

 黙っていた麻衣が口を挟んだ。

 それは場に沈黙を生んだ。それはこの連中全員へ圧し掛かる事実であるからだ。

 

 

「ついでに佐倉杏子。カッコつけてるんだかなんだか分からないけど、お前も敗北者だからな。あいつの子宮の中で粘液塗れで温められてるコレクションの一つだ」

 

 

 それもまた三人の心に影を落とした。

 大概の事を言われることは平気な呉キリカだが、自分で言った言葉にはダメージを受けるらしい。

 

 

「うるせえよ、テメェだって同じ穴のムジナじゃねえか」

 

「穴、か。佐倉杏子、君も随分爛れてきたな」

 

「拾うな」

 

「いいもん、私は違うもん」

 

 

 ぷいっとキリカはそっぽを向いた。

 仕草だけなら可愛らしいし美しい。

 

 

「どう違ぇんだよ」

 

「私、友人の母親だし」

 

 

 杏子は絶句した。

 そうだった、と一瞬だけ思った自分を死ぬほど恨んだ。

 

 

「まだ言うか、それ」

 

「言うよ。言いまくるよ。お望みなら未来永劫に」

 

「吐きそうだ。お前らは不健全過ぎる」

 

「ん、想像妊娠したのかい?朱音麻衣。君もさっきの妊娠ネタをまた引きずるのか」

 

 

 やれやれ、とキリカは両掌を上向きにする古いリアクションを行った。

 麻衣は表情を引き攣らせている。

 杏子はその様子を見て、こいつらは狂ってやがると思った。

 だからもうほっとこう。杏子はそう決めた。

 

 

「まぁいいや。じゃれあってろよ狂人共」

 

 

 言い様、杏子は右手を鳴らした。

 パチンという音と共に、杏子の属する空間が変容していく。

 廃教会が消え、暗い空間が杏子の背後に広がった。

 その中に、巨大な影が聳えていた。

 

 全身に鎖を巻かれ、何本もの巨大な槍らしきもので関節や背中などの各部を貫かれ、地面に縫い留められている。

 闇の中であったが、それは人型に見えた。

 顔と思しき場所で、眼に当る部分が輝いていた。

 血のような深紅の輝きが、鬼火のように鎖の隙間から漏れていた。

 

 

「あたしにはやる事がある。邪魔すんなよな」

 

 

 そう言うや、その物体に向けて杏子は赤い閃光のように飛翔していった。

 そして十字槍を振い、その存在を斬りつけた。

 

 破片が飛び散り、鮮血のように紅い光が舞う。

 それを何度も繰り返す。

 闇と赤が交わる中、杏子の笑い声が聞こえた。

 心から楽しそうな声だった。

 

 

「どっちが狂人だ。自らのドッペル…なのかは分からないけど心を加工するなんて」

 

「そう…なのか?」

 

「多分ね。偶然だろうけど、調整屋モドキなことをしてるっぽい」

 

「それも神浜由来か」

 

「お、察しが良いね。知らずの内に自慰って賢者たいむにでもなったのかな?」

 

「確かにどちらが狂人なのだろうな」

 

 

 麻衣の言葉にキリカは少しだけ眉を跳ね上げた。

 発情紫髪女も言うようになってきたな、と彼女は思った。

 麻衣の皮肉には言葉を返さず、キリカは杏子の行為を見た。

 麻衣も見続けていた。

 

 二人の視線など意に介さず、杏子は槍を振い続けた。

 そして望む形に、魂が求めるままに心の一部を加工していく。

 殺意・破壊衝動・嗜虐心。

 杏子自身が嫌悪しつつも、自らの一部として認めたものを。

 

 

こいつは檻だ

 

こいつは鎖だ

 

こいつは枷だ

 

こいつはあいつを繋ぎ止めるためのものだ

 

 

 舞い踊るように槍を振い、自らの心を刻みつつ杏子はそう想いを刻む。

 異常な思考なのはとうに承知だ。

 この状況も異常であるし、自分の魂の変化も異常以外の何物でもない。

 だがそれを受け止め、更には利用さえして心を刻む。

 一つの形と願望を込めて。

 

 

あいつは…あたしのものだ

 

 

 闇の中、斬撃の破壊音と杏子の哄笑が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね」

 

 

 その様子を見て、キリカはそう呟いてほくそ笑んだ。

 

 

「ふむ…」

 

 

 麻衣も呟いた。秀麗な顎に手を添え、何かを考えている。

 少なくとも、杏子の行為に否定的ではなさそうだった。

 それはキリカも同じ様子であった。

 

 病と同じく、狂気は伝染するのだろう。

 例えるならそれは、何かしらの創作者が別の作品に刺激を受け、新たな物語を紡ぐように。















佐倉さん…ドッペル着て、どうぞ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 紅渦

「嫌な天気だね。辛気臭ぇったらありゃしねぇ」

 

「そう言うなよ。たまにゃこんな日もいい」

 

「ホントにそう思ってんのかい?」

 

「そうでも言わねぇと余計に辛気臭くなるからな」

 

「ハハハ、違いねぇ」

 

 

 昼下がりの風見野の街を、ナガレと杏子が歩いている。

 傘もささず、曇天の下でパラつく雨を受けながら。

 杏子は髪を服の中に入れ、パーカーの帽子で頭を覆っている。

 ナガレは何時もの私服だが、左眼を大きめの黒布が、キリカの眼帯が覆っている。

 

 

「さぁて、どうする?ナガレ」

 

「今考えてる。お前は?杏子」

 

 

 彼の問い掛けに杏子は溜息で返した。

 彼もそうしたかったが、自分にはどうも似合わない。

 そう思ったので吐かなかった。弱音に思えたのかもしれない。

 確かに気分は重い。

 

 

 敗北から三日が経った。

 呉キリカと朱音麻衣が物言わぬ死体となった後、その身体を保護して魔女に格納した後に、彼は風見野自警団へと連絡を取った。

 そしてありのままを伝えた。

 麻衣が言った通り、既に一度交戦済みであった為に話は思いの外スムーズだった。

 風見野の廃遊園地が一晩で焦土と灰燼に帰した事がニュースにもなった事も、戦慄すべき事実として自警団長には伝わった。

 

 会合の場所は以前にも使用したファミレスであり、来たのはリナだけだった。

 しかしながら、二人は身を刺すどころか引き裂くような視線を感じていた。

 団員である佐木京は伏兵として、いつでも動ける位置に配されていたようだ。

 

 話は手短に終わった。

 二人の不在への社会的・家庭的な対応は優木に何とかしてもらう、という事になった。

 

 

「俺からも頼むって伝えておいてくれ」

 

 

 と彼は言った。

 リナは無言で頷いた。

 こうすれば優木がやる気を出し、抜かりなく仕事をするだろうと踏んでいた。

 頷きながら、リナは奥歯を噛んでいた。

 優木の中でこの少年が如何思われているか、知らないリナでは無いからだ。

 

 

「悪かった、自分が全て悪いなどとは言わないでください。それは麻衣への冒涜です」

 

 

 別れ際、リナはそう言った。

 その言葉は果たして、どのくらいが彼への嫉妬で出来ているのか。

 リナには分からなかった。

 

 だが言った後、少しだけ晴れやかな気分になった。

 その気分を、リナは心底嫌悪した。

 

 そして伏兵の役を果たした京は、ナガレと杏子の二人が消えゆくまでその背中を睨んでいた。

 呪い殺すような視線を、二人は背中に感じ続けていた。

 

 その日が終わり、床に就いても感覚として残り続けた。それを拭うように、杏子はナガレを求めた。

 唇迄は許したが、肌を重ねることをナガレは拒否した。

 

 それを理由に、杏子はナガレへと襲い掛かった。

 愛に相当する行為から殺し合いに発展する。

 

 何時もの二人だった。

 今回の戦闘は杏子が両脚を切断、ナガレが左腕を肩から切断程度で終わった。

 気分が乗らなかったようだ。

 

 やはりというか、常人の理解を超えたというか拒む二人であった。

 これもいつも通りだが、それでも気分は重いようだ。

 

 

 そして現在。

 負傷を治し、廃教会で二日を過ごした。

 常に二人で行動し、外出を控えた。

 異常はなく、そしてこの状況も肉体と精神の健康に良くないと久々に街に繰り出したのだった。

 そう決めた日が曇天で、霧雨が降る日というのがこの二人らしいか。

 

 前途は常に、困難が空気のように漂い道と視界を塞いでいるような。

 それを苦何とも思わず、平然と進む辺りも二人らしいといえばそうか。

 

 

「さて、どうする?」

 

 

 先の質問をナガレは繰り返した。

 両手を緑パーカーのポッケに突っ込んだまま杏子はううん、と唸った。

 

 

「飯は食った。ゲーセンでも一通り遊んだ」

 

 

 これまでの状況を思い返す。

 

 

 牛丼屋でカウンターで並んで食事をした。

 メガサイズの牛丼は飲み物感覚で年少者二人の胃の中に納まった。

 早朝の来店だったので、朝定食として焼き鮭と味噌汁も注文した。

 

 

「なんで味噌汁って、飲むとホッとするのかね」

 

「あんたの世界でもそうだった?」

 

「ああ」

 

「不思議な法則だね」

 

「全くだ」

 

 

 そんなやり取りを交わしていた。

 二人は同時に一滴も残さず味噌汁を飲み干し、箸を置いて店を出た。

 

 次はゲーセンに行った。何時も通りに遊び、何時も通りに不良に絡まれ、何時も通りにゴミ箱に詰め込み便器の中に顔を押し込めた。

 社会勉強という事で財布から札を抜く。

 

 半分程度で済ませるのは、申し訳程度の慈悲だった。

 また気絶させる寸前に「他の奴らに手を出すなよ」と耳元で囁いて恐怖を刷り込むので、他の者から不足分を奪う事も無かった。

 この遣り取りは訪れる度にしているが、風見野もそこそこ人口が多い事と、近隣からこういった輩は汚水のように流れ込むので絶えることが無いのであった。

 その後は彼の言葉のとおりである。

 ゲーセンを出て、宛所も無く風見野の街を流れに流れていた。

 

 少し雨脚が強くなり、服は湿りを超えて濡れるまでに至っていた。

 宛所も無く、というのを地で行くように、今の二人は路地裏にいた。

 既に店を畳み、廃墟となり掛けている建物が幾つも連なっている。

 

 シャッターに描かれるのは落書きと卑猥な言葉。

 空き缶や煙草の吸い殻、内容物の原型を留めた吐瀉物に吐き捨てられた痰、エロ本の切れ端に使用済みの避妊具等も地面に落ちている。

 その脇を建物から滴るなどして寄り集まった水が、小さな川のように流れて排水溝へと落ちていく。

 

 

「あたしらみてぇだな」

 

「かもな」

 

 

 その様子を両者はそう例えた。

 人より力があろうとも、社会の底辺で蠢いている現状と、汚水に交わる雨とを比較しているのだろうか。

 いや、そこまで考えてはいないだろう。

 ただ水が流れる様子を、自分達に例えただけだった。少なくともナガレはそうだった。

 杏子は先の例えを自分に当てはめているのかもしれないが。

 

 

「それでだ、雨も強くなって来たから今度はネカフェにでも」

 

 

 言葉を紡ぐ彼の前に、真紅の色が輝いた。

 佐倉杏子の眼が。

 

 

「あたしからの提案。この二つから選びな」

 

 

 更に近付く。鼻先が触れ、顔がほぼ重なった状態。

 眼球までの距離も数ミリ程度しかない。

 

 

「あたしを()るか、あたしと()るか」

 

 

 言葉は同じだが、アクセントが異なる。

 前者には熱が、後者には冷気が宿っていた。

 性欲と殺意の差だろう。

 

 なんでこうなった、と一瞬だけナガレは考えた。

 壁の卑猥な落書きと、地面に捨てられた中身の入った避妊具でも見て興奮したんだろなと思った。

 

 

「じゃ、二番目の方で受けてやる」

 

 

 不敵に笑い、ナガレは額を杏子に付けた。

 杏子も笑い、額を押し付ける。

 そして互いに力を込める。

 常人なら首が圧し折れるくらいの力で、両者は額を重ねていた。

 

 そろそろ行くかとナガレが牛の魔女を呼び出そうとした時、彼は何かに気が付いた。

 雨は強さを増し、二人と世界を水の連打で叩き始めた。

 ナガレは杏子から額を離し、その気配の先に視線を向けた。

 

 

「なにさ。路線変更?」

 

 

 からかうように、それでいて嬉しそうに杏子は言う。

 そうは言いつつも、彼女もまたナガレが感じた気配には気付いていた。

 黒い渦を巻いた一つの眼と、炎のような二つの真紅の眼が路地裏の一角を見た。

 それは建物同士の隙間にいた。

 

 複数の段ボールを重ねた、即席の雨避け。

 地面には段ボールと新聞紙が敷かれ、硬い地面から身体を保護する絨毯となっていた。

 その上に、小柄な姿が身を屈めて座っていた。

 黒い前髪が見えた。濡れた髪の末端からは、水が滴っていた。

 

 水の行き着く先は白い肌。

 肩に当って腕を伝い、細い指から滴った。

 または胸を伝って腹へと滑った。そこに衣服は無かった。

 代わり程度に、長い黒髪が細い身体に蛇のように巻かれていた。

 そこにいたのは、全裸の少女だった。

 

 少女は二つの眼で、ナガレと杏子を見ていた。

 それはまるで血か火のように、紅い渦を巻いた瞳だった。

















話を進めねば


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒の少女

「警察だな」

 

「ああ。あたしらの出番じゃねえ。こういうのは公僕さんらの仕事だね」

 

 

 思念で会話する二人。

 まともな判断に過ぎていた。

 風見野の路地裏、建物同士の隙間に設けられた簡素な段ボールハウス。

 その中にいるのは、長い黒髪の全裸の少女。

 長い髪をマフラーのように、或いは獲物に絡む大蛇のように身に纏わせ、小柄な体躯を更に縮める体育座りをして二人をじっと見ている。

 血か炎のように紅く、そしてその色が渦を巻いた瞳だった。

 

 

「似てるね。あんたに」

 

「お前にもな」

 

 

 思念で短く会話し、ナガレは少女に歩み寄った。

 少女はジッとしたまま、迫る少年の姿を見ていた。

 対するナガレは極力裸体を見ないようにしながら、羽織ったジャケットを脱ぐや、それで少女の背を覆った。

 自分よりも小さな体躯故に、少なくとも尻までは隠せるはずだと彼は踏んだ。

 

 

「寒いな」

 

 

 と彼は少女に言った。

 少女は頷きもせず、ただ彼の顔を見ていた。

 仮面のような無表情だが、冷たい感じはしなかった。

 むしろ無垢な子供のような、実際のところ年齢的には13、4と言った程度だろうが、それよりも幼い童女のような雰囲気があった。 

 例えるなら、保護者の行う家事や仕事の意味が分からずに呆けている幼子というような。

 

 その様子に杏子は小さく口笛を吹いた。

 

 

「何だよ?」

 

 

 と思念で彼は尋ねる。揶揄うな、とでも言いたいのだろう。

 

 

「いや、似合ってるなと思ってさ」

 

「何が」

 

「父親っぽいよ、今のあんた」

 

 

 思念を唸り声にして、それを彼は杏子に返した。

 杏子は笑い声で返した。

 揶揄している感じはない。ただ妙におかしくて笑っていた。

 ならいいか、と彼もそれ以上の反応をやめた。

 少女の濡れた顔と髪を丁寧に拭く彼の様子に、杏子は「へぇ」と感じた。

 

 性に関する部分には触れていないが、彼の今の行動はセクハラとも捉えかねられない。

 しかしそれを自覚しつつも無視し、やるべき事として行動できるところにこいつはこういう奴なんだなと杏子は思っていた。

 感心すべき事なのかどうか判断はつかないが、彼という存在の一端を今日も垣間見えられた気がした。

 

 さぁて、どうすっかな。

 二人はそう思った。

 その時に、二人の感覚に怖気が走った。

 雨の冷気ではなく、本能に触れるような危機感と生理的な嫌悪感。

 退避する間もなく、二人は異界へと吞まれていた。

 

 極彩色の空間が周囲に広がる。そして前方には一面の黒。

 黒の淵には鋭角の列。

 それが閉じられた。牙同士が激突する音が鳴った。

 

 鮫と犬を合わせたような顔、円柱状ないしは超巨大な蛇のような胴体。末端には可愛らしい人形。

 魚でいう鰓の辺りから生えた、ひれ状の手か手のような鰭。

 肉として食むべきはずだった存在を、丸い眼が見上げていた。

 そして見られる方もまた、青黒い体色のその魔女に見覚えがあった。

 歯に付着した血を舐めながら、魔女はにやりと笑った。

 血の味が気に入ったのだろう。

 

 

「この前の奴だな。全滅できてねぇとは思ってたが、よりによって今出くわすたぁな」

 

 

 背から悪魔翼を生やし滞空するナガレ。 

 右手には斧槍を握り、左腕で黒髪の少女を抱いている。

 その左頬には深く長い切り傷が生じ、肉の断面から血を吐き出している。

 

 

「あたしらはとことん運がねぇってコトだろうさ。でもこいつにとっちゃ幸運だったかな」

 

 

 その傍ら、外套の裾を燃やして彼と並んで滞空する杏子の姿があった。

 手には既に真紅の十字槍が握られている。

 

 背後で風切り音が鳴った。

 振り向きざまに、二種の刃が振られた。

 十字の槍穂と大斧が旋回し、迫っていたものを横一文字に両断する。

 空中でずれて落下してくのは、これもまた青黒い姿の同型の魔女。

 

 二つになった死骸に、地上のものと更に湧いてきた二体が喰らい付き肉を貪る。

 大口ゆえに、二口程度んで殆どの肉が口内に収まる。

 食欲に狂った六つの眼が上空を見上げた。

 そこに獲物の姿は無かった。

 

 

「トロいんだよ!!」

 

 

 杏子の咆哮。

 上から下に流れた槍が魔女の顔面を縦断し断ち割る。

 そこに向かう二体の魔女。 

 立ち塞がるのは、魔翼を背負った黒髪の少年。

 

 

「悪いな、食事の邪魔してよ」

 

 

 獰悪な笑顔で斧槍を振り回し、一体の顔面を十字に刻む。

 残った一体が彼へと迫る。が、その動きが手前で強制停止させられていた。

 彼の翼の根元、背中から生えた尾状の鋼の鞭が魔女の喉を圧搾し、動きを止めていた。

 その力が更に強まり、喉が圧壊。

 眼球が飛び出し、口内に満ちた咀嚼された肉が十字の傷の断面から溢れた。

 充満する異形の血臭。

 そこを目指して、何処に隠れていたのか更に異形達が殺到する。

 

 その間を潜り抜け、或いは切り刻んで文字通りの血路を開いてナガレと杏子が戦場を駆ける。

 

 

「こいつら、何体いやがるんだ」

 

 

 少女を庇いながら斧槍を振い、殺戮した魔女が遺したグリーフシードを回収するナガレ。

 いったん飛翔し、上空で魔翼を広げる。

 

 

「さぁね。ぱっと見50体はくだらねぇか」

 

 

 呆れた口調で杏子は言う。

 よほど成長の早い魔女であるらしい。

 

 

「退却、してぇのはヤマヤマなんだけどな…」

 

 

 苦々しい口調でナガレが言う。

 

 

「どしたのさ。殺し足りねぇっての?なら心配すんな。あたしが最後まで付き合ってやるよ」

 

「ありがとよ。それなんだが、結界が開けねぇ。あいつらがこいつにちょっかい掛けてるみたいでな」

 

 

 斧槍を顎で指しながら彼は言った。

 

 

「敵の魔女さんらは学習してるってこったね」

 

 

 『敵の』『は』、という部分を杏子は強調した。

 斧の中央に開いた魔女の眼が、気まずそうに収縮した。

 

 

「ならやっぱり、殺し尽くして堂々と出ていくしかねぇってコトか」

 

 

 牙を見せて嗤う杏子。

 

 

「難しく考える必要、ねぇじゃんかよ」

 

「そうなるな」

 

 

 彼も似た表情となる。

 昂った感情の為か、頬から一筋の血が垂れた。

 

 

「…ん?」

 

 

 そこに向け、これまで沈黙を保っていた黒髪の少女が顔を近付けた。

 表情は変わらない。ぽけっとした童女のそれである。

 

 

「ちゅっ」

 

「え」

 

 

 黒髪少女はナガレの傷に口を付けた。

 唇をすぼめ、傷口に宛がう。

 杏子は思わず疑問の声を出した。

 何してんだこいつ、と少女の正気を疑っていたが、今の杏子も大概だろう。

 そしてそれに、杏子自身は気付かない。

 

 杏子の感情を他所に、少女は息を吸った。

 当然、管の役割を果たした唇によってナガレの血が啜られる。

 紅く柔らかい唇が彼の血で濡れた。

 にゅるっと伸びた桃色の舌が、それを綺麗に舐め取った。

 

 呆気にとられる彼、心がザワつく杏子。

 それを隙と感じたか、少女はナガレの手から抜け出た。

 当然ナガレは手を伸ばしたが、それは一瞬だけ少女の肌に触れてから滑り抜けた。

 その瞬間、彼の眉が跳ね上がった。

 地上15メートルの高さから、少女は軽やかに着地した。膝を曲げすらせず、ただ両脚が地面に着いていた。

 飢えに狂った魔女が蠢く地上へと。

 

 

「おい!」

 

 

 杏子は叫んだ。

 その叫びは、少女に対する心配と脅威を等配分に宿していた。

 この高さから受け身もせずに着地して、無事な人類は存在しない。

 例外は自分の相棒と、そして…。

 

 

「ったくよぉ!!」

 

 

 それでも杏子は自らも戦場へ立とうとした。

 移動しかけた彼女の右肩を、ナガレの左手が抑えた。

 

 

「ちょっと待て」

 

 

 彼の静止の言葉。普段ならば有り得ない。

 だが彼から伝わる手の感触は、杏子の動きを止めるのに十分な情報を備えていた。

 

 彼の感触は、生肉の柔らかさと骨の肩さ。

 皮が消え失せ、手の中身が露出していた。

 その原因は考えるまでもない。

 杏子の白い肩を、彼の手から溢れる血が見る見るうちに赤く染めていく。

 

 対して地上。

 50に達する魔女に取り囲まれながら、少女は呆然と立ち尽くしていた。

 羽織っていたジャケットは地面に落ち、完全な裸体となっている。

 胸や尻は薄く、体毛の類も見られない。

 生まれたままの姿、という言葉がぴったりと合う姿をしていた。

 

 異形達の口からは唾液が滴り、鋭い歯を巨大な舌で舐めている。

 当然ながら、巨体故に少女の事など一口で喰えてしまう。

 そして彼女らに餌を分け合うという概念はない。

 

 むしろ自分以外の他の全ては餌。

 それが同類だろうが関係ない。

 人類も似たようなものである。

 

 それを体現するかのように、異形達は吠えた。

 耳を聾する大音声。

 だが、それを。

 

 

「が」

 

 

 口を開いた少女の一声が止めた。

 魔女たちの動きも停止する。

 彼女らを止めたのは、貪欲な食欲さえも上回る、底無しの恐怖だった。

 

 

「があああああああ!あああああああああ!あああああああ!ああああ!あああああああっ!」

 

 

 黒髪の少女が叫んだ。

 間隔を生じさせての叫びは、まるで赤子の産声のよう。

 叫びと共に、少女の裸体から光が生じた。

 それは、輝かんばかりの闇色の光だった。

 

 頭部に手足に腰にと、輝く闇が衣装として纏われる。

 同時に叫びが終わった。

 

 そこにいたのは、闇色の衣装を纏った少女。

 黒いマント、胸を僅かに覆う布、申し訳程度に腹を隠す白い布と極めて短い黒のスカート。

 腕を覆う布は、例外とでも言うように肘まで伸びている。

 頂点がくるりと回った三角帽子は、物語の魔女を思わせる造形だった。

 鍔広の帽子の下では、前髪の一部が帽子の頂点のように丸まっていた。

 

 そして少女は、帽子から覗く赤い眼で世界を見ていた。

 周囲を覆う異形を前に、少女は口を開いた。

 その端は耳近くまで伸びた。

 露出したのは鋭い八重歯。

 

 紅い眼は爛々と輝き、口元には捕食者の笑み。

 それは奇しくも、彼女を拾った二人とよく似た表情だった。

 

 

 

 

 



















ずっと書きたかった子
漸く登場


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 黒の少女②

「グゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 咆哮。

 そして突進。

 羽織った黒いマントが翼のように広がり、短いスカートが身体に張り付き、または翻る。

 裸体の上に纏われた衣服であったが、スカートの中には白い下着が纏われていた。

 

 その白が黒で穢れた。

 右脚での蹴りを叩き込まれた、異形から溢れる体液によって。

 その蹴りの威力の凄まじさは、巨大な顔面の上顎が胴体まで埋め込まれていた事が示していた。

 上顎の歯が全て砕け、両の眼球が飛び出している。

 残った下顎を、黒衣装の少女が両手で掴む。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 絶叫が上がる。

 その声と共に両腕が左右に広げられた。

 巨大な異形が縦に真っ二つに引き裂かれる。

 断面から太いホースのような内臓が体液と共にブチ撒けられる。

 

 残忍な破壊を成した少女の背後から、もう一体の異形が飛来する。

 その横顔が叩き潰された。

 陥没した顔の手前に、背後に振られた少女の裏拳があった。

 潰れた異形の身体に異変。

 

 物体に生じた罅のように、顔から尾までに陥没が広がっていく。そして肉が粘度のように罅割れる。

 破壊は末端の人形まで続き、人形が無残に弾け飛ぶ。

 

 その間に、少女は戦場を駆けていた。

 襲い来る異形達に飛び掛かり、蹴りに殴打を見舞っていく。

 彼女が繰り出す行為は、癇癪を起した子供が行う身体の振り回しのような力任せのもの。

 技術はなく、ただ宿った力のみで為される破壊行為。その威力は尋常では無かった。

 その度に異形の頭部が、胴体が、少女の拳や脚が着弾した場所が抉れて肉体がプレス機に掛けられたように圧搾される。

 

 暴虐を振い続ける少女を、一際巨大な異形が飲み込んだ。

 少女の近くにいた異形達の首や胴体が喰い千切られ、膨大な体液が噴出する。

 口が蠢いて肉を咀嚼する。

 異変はその時に生じた。

 魔女の頭部が盛り上がった、と思いきやそこを基点に尾まで一気に肉が隆起した。

 蚯蚓腫れのように盛り上がった最後に、尾が弾けた。

 

 全身を体液に濡れさせた黒い少女が肉片の中から出現し、末端部分の人形へと喰らい付いた。

 少女が開いた口は、可憐でありながらも大型の爬虫類のように開き、その頭部を一口で口内に収める。

 背後で死の痙攣を行う異形を尻目に、もごもごと口を動かす少女。

 意趣返しと思えなくも無い。

 

 

「…げろまず」

 

 

 ここで少女は初めて言葉を発した。

 それが初めて口にした言葉であるかのように、舌足らずな言い方だった。

 言い終えると口内の肉を吐き出した。

 

 可愛らしい人形の形をした魔女の本体は、黒と桃色の肉の混合物となっていた。

 元の可愛さの原型など、全くとして残っていない。

 

 

「おまえたち、いらない」

 

 

 冷たい声でそう告げる。

 それは死刑の宣告であった。

 少女が伸ばした手に闇色の光が収束する。

 光は瞬時に形を形成。

 十字架を模したような先端の、黒い杖。

 

 十字架部分に光が溜まっていく。

 炎のような真紅の輝き。

 

 

「リーミティ・エステールニ」

 

 

 イタリア語を用いた華麗な言葉と共に、真紅の熱線が放たれた。

 直訳すれば「リミッター解除」とでもなるか。

 そして確かに、その熱線はそれに相応しい威力を発揮した。

 熱線が掠めた魔女は肉体が膨張して皮膚が裂け、内側の肉と体液を全身から弾けさせた。

 触れたものは一瞬にして融解。

 直撃を受けた個体は消し炭さえも残らなかった。

 

 破壊の光を放つ黒い杖を持ったまま、少女はその場でくるりと駒のように回った。

 当然、熱線の放射もそれに従い旋回する。

 一周廻った時、真紅の光が少女の周囲で炸裂した。

 光の軌道に存在していた異界の構造物、そして魔女達は何物の例外なく破壊された。

 弾けた光は、結界の果てである壁面に真紅の熱線が接触したことで生じたものだった。

 

 彼方で弾けたと云うのに、少女の元へと凄まじい熱風が去来し衣装と長い髪が靡く。

 その様子に満足したか、彼女は口元を綻ばせた。

 そして更に魔法を放つ。

 殺戮に次ぐ殺戮、破壊に次ぐ破壊が連打される。

 

 動くものが消え失せ、破壊されるものが無くなるまで、そう時間は掛からなかった。

 少女の立つ場所の周囲の地面は溶解し、土台が溶け崩れて沈降していく。

 高熱により熱風が生じ、踊り狂う小鬼の群れのような無数の火の粉が巻き上がる。

 その中でなおも、少女は光を放ち続ける。

 

 顔には童女の笑み。

 自分の力とその結果が楽しくて仕方ないと言わんばかりの、輝く笑顔だった。

 積み木で建物を造り、そして壊す。作っては楽しみ、壊しては楽しむような。

 

 彼女を中心にして、広大な焦土と溶けた地面の海が広がっていた。

 それは今も拡大を続け、異界を飲み込まんばかりであった。

 

 その時、気ままに破壊を成していた少女が背後に振り返った。 

 そして抜き打ちで熱線を放つ。

 しかし命中も触れもせず、それは旋回した影に回避された。

 黒い髪を生やし、黒い翼を背負った少年によって。

 

 更なる追撃を放つ前に、彼は少女の背後へ廻っていた。

 

 

「やり過ぎだ。もういい」

 

 

 そう言って、彼は両腕で少女を抱いた。

 少女の両腕を抱き、これ以上の熱線の放射を阻止する。

 ナガレの身長は約160センチ、対する少女は150センチと呉キリカとほぼ変わらなかった。

 この光景を正面から見た者がいれば、同色の髪と、美少女然としたナガレの顔付きから姉と妹を連想したかもしれない。

 だが少女が取った行動は、仲睦まじさとは真逆の行為だった。

 

 少女は口を開いた。汚れを知らない白い歯が並んでいた。

 そしてそれを、ナガレの腕へと突き立てた。

 彼は呻き声一つ出さず、また怯みもせずに耐えた。

 

 皮膚が破れて肉が裂かれ、大量の血が滲み出る。

 しかし、彼女の咬みつきはそこで止まった。

 彼の頑丈な骨を、少女は噛み砕くことが出来なかった。

 

 動きが止まったその瞬間、彼女が歯を立てているナガレの左腕から真紅の光が発生した。

 菱形を縦に連ねた、結界魔法。佐倉杏子の魔法だった。

 それは少女の全身に二重三重に絡み付いた。

 口を彼の腕に付けたまま少女も暴れるが、結界の方が力は強かった。 

 

 少女の動きが止まった事を確認すると、ナガレは畳んでいた魔翼を広げて飛翔した。

 滞空中の杏子へと合流し、結界を離脱しに掛かる。

 崩壊していく結界が異常な魔力を放出しているのか、未だに牛の魔女の結界生成能力は不具合を起こしていた。

 仕方なく、本来の結界の出口を探す。

 すぐに発見した。

 遥か上空、異界の空の中に現世への出口が出来ていた。

 

 

「そいつばっかで不公平だから、あたしの事も抱きな」

 

 

 当然だろ?とでも言わんばかりの杏子であった。

 時間も無い為にそれに従い、彼は右手で杏子の腰を抱いて飛翔した。

 結界が崩壊する寸前、黒翼を纏った少年は現世への門を潜っていた。














流石かずみちゃん、つよい
(ちゃんと強さを描けてるか不安なんやな…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 きみの名は

 雨が屋根を叩く音が響く。

 片付いてはいるが、荒廃した建物の内側はしっとりとした湿度が孕まれていた。

 昼ではあるが、雨雲が天を覆っているが故に照明が無い室内は薄闇に包まれている。

 その中に、三人の年少者達がいた。

 

 

「どうすんのさ」

 

 

 家主である佐倉杏子はそう言った。

 

 

「警察には渡せなくなったな。危ねぇ」

 

 

 応えるナガレ。

 二人の前には黒い長髪の少女がいた。

 ナガレの寝床(最近では杏子も勝手に侵入してくるようになった)であるソファに座り、その前に置かれたテレビを観ている。

 テレビに映るのは一面の砂嵐。

 それを少女は瞬きもせずにじっと見ている。

 

 テレビから発せられる僅かな光によって、少女の姿が照らされていた。

 上着はナガレの青いジャケット。その下の長袖の黒シャツも彼のもの。

 下に履かれているのは杏子のホットパンツのスペアである。

 足元は裸足のままで、スリッパを履いている。

 一応の来客用に購入したそれを、使う事があるとは彼も杏子も思っていなかっただろう。

 

 

「当然だけど、ほっぽり出す事もできねぇ。敵に回るとヤバいからな」

 

 

 杏子の指摘に、ナガレは何かを言いたそうだったが口を噤んだ。

 彼的にはそういった考えよりも雨の日に子供を放り出すのは、といった正義感というか倫理観からである。

 彼を他所に、少女を見ながら杏子は思い返す。

 今自分が口にした事は、ナガレを手元に置くと決めた理由と同じである事を。

 

 少し前まで、彼の事は便利な道具と思いつつもあの選択を後悔していた。

 しかし今の自分の自分の感情からすると、あの時の自分の判断は間違っていなかった。杏子はそう思いたかった。

 

 彼もまた杏子の想いは他所に、黒髪の少女へと近付いた。 

 少女は僅かに反応した。赤く渦巻く瞳の眼を向けたが、すぐに興味を喪い前を向いた。

 俺は砂嵐以下か、とナガレは思った。

 少女に接近して身を屈め、彼女より目線を低くしてから口を開いた。

 

 

「腹減ったか?あと、寒かったりは?」

 

 

 前者は兎も角、後者は大丈夫な筈だった。

 少女の周囲の大気は、快適な温度が保たれている。

 彼が牛の魔女に命じてさせていることだった。

 廃教会内の全域に作用させないのは、自然の空気の温度や湿度の方がナガレも杏子も快適に感じるからだ。

 無論限度はあるが、今はそうだった。

 

 問い掛けに対し、少女は瞬きを繰り返した。

 どうしたらいいのか、迷っているように見えた。

 となると、意思疎通は出来そうだとナガレは思った。

 

 このあたりは経験である。

 全くの意思が通じない異形との死闘を、彼は此処に来る前から数え切れないほど繰り返していた。

 

 

「お前、名前は言えるか?」

 

 

 更に尋ねる。

 少女の表情が変わった。

 無表情から困ったような顔つきに変わる。

 

 

「その様子だと口が利けないか、或いは忘れちまってるのかな」

 

 

 気の毒に、と杏子は思った。

 そう思った事について、彼女は驚いていた。

 他者を思いやる心を、彼女はナガレ以外に対して長らく使ってなかったような気がした。

 

 

「あんたが付けてやったらどうだい?同じ黒髪なんだしさ」

 

 

 それを小恥ずかしく思ったか、杏子は煽る様に言った。

 ううん、とナガレは考え込んだ。冗談のつもりで言った事だが、理に適った事でもある。

 

 

「女の名前か……」

 

 

 ナガレは真剣に考え始めていた。

 こういうとこ生真面目なんだよな、こいつ。

 彼女はそう思った。

 

 

「…ミチル」

 

 

 小さく、極ごく小さな声でそう呟いた。

 その言葉に、少女は反応した。

 再び砂嵐へと向けられていた眼が、ナガレを見た。

 

 

「ミ…チ…ル…」

 

 

 震える唇で、たどたどしくそう呟く。

 言い終えるまでに要した時間はほんの10秒足らず。

 しかしその間に、少女の脳裏には無数の映像が流れた。

 一つ一つが何であるかは分からない。

 しかしそのどれもに見覚えがあり、そして自分の知らない事ばかりだった。

 ただ一つだけ、確かな事があった。

 

 フラッシュバックが消え去った瞬間、少女は立ち上がった。

 

 

「かずみ!」

 

 

 叫ばれた言葉。

 少し前まで虚無的だった少女の顔には、花のような笑顔が咲いていた。

 

 

「かずみ!わたしは、かずみ!!」

 

 

 かずみ!かずみ!と少女は、かずみは叫びながら廃教会内を走り始めた。

 両手を高々と掲げ、長い髪を獣の尾のように振り回しながら全力で走る。

 それはまるで、休み時間になり外に解き放たれた幼女か、花畑の乙女か。

 その両方のような、全身で喜びを表している姿であった。

 

 呆気にとられるナガレと杏子。

 面食らったのも無理はないだろう。

 

 廃教会内を走り回り、元居た場所へとかずみは戻った。

 笑顔のままで、かずみはナガレの顔を見た。

 次の瞬間、少女の身体は宙にあった。その高さは三メートルに達していた。

 

 

「ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 叫びながら、かずみはナガレへとダイブした。

 避ける訳にも行かず、避ける気も無くナガレは両手で受け止めた。

 彼の腕力が尋常でないせいもあるが、殆ど重さを感じなかった。

 それでも生じる衝撃を殺すべく、彼はかずみの両脇に両手を通し、その場でくるりと回転した。

 

 

「恋愛映画かよ」

 

 

 と杏子は言った。

 声の裏には怒気が含まれていた。

 早速出やがったな、嫉妬心。と杏子は自身の内面を冷静に分析した。

 ドッペルの解放は多少なりとも役に立っているらしい。

 

 回転が停止、した瞬間に再度の動き。

 剥き出しとなった白い脚が床を蹴って跳躍、ナガレへと再接近してかずみが彼の肩を掴む。

 身体を固定した途端、かずみは顔をナガレに寄せた。

 

 

「…おい」

 

 

 再度の杏子の声。その眼の前で、かずみは彼の左頬に唇を軽く重ねていた。

 それは性的なものではなく、挨拶や親愛のそれだった。

 海外の風習に近い感じである。

 軽いキスを右頬と額に触れさせるかずみ。

 

 

「名前を教えてくれて、ありがとう!」

 

「…おう。役に立てたんならよかった」

 

 

 困惑しつつもナガレは返す。

 状況的には変もいいとこであるが、ここは合わせた方がいいと思ったのだろう。

 尤も、彼は少々魔法少女の行動を許容しすぎな上に合わせ過ぎだが。

 

 親愛の眼差しを向けるかずみ。その表情に閃きが浮かんだ。

 ナガレは嫌な予感がした。

 

 

「お」

 

「…お?」

 

 

 張り切っているような、期待しているようなかずみ。

 神経が苛立つ杏子。されるがままの存在と化したナガレ。

 

 

「おとしゃん!」

 

 

 かずみの言葉は「お父さん」と言った積もりなのだろう。

 だが「と」を言ったあたりで別の音が重なった。

 それは、かずみの腹の音だった。

 贄を求める胃袋が軋んだ音。

 それが割り込み、後半の発音を濁らせていた。

 

 名前を与えた、というか思い出す切っ掛けを与えたせいか。

 と彼は思った。

 見た限りかずみと称する少女の現状は記憶喪失。

 その中で名前を与えられたとすれば、生を与えられたも同じかと。

 

 今のかずみの状況を、ナガレは他人事とは思えなかった。

 記憶喪失で無い事を除けば、彼もまた今の名前を他者に、佐倉杏子に与えられたからだ。

 だから拒絶せず、「ま、好きに呼びな」と彼は言った。

 

 自分の発言を拒絶しないナガレの態度に好感を持ったか、かずみは再度軽いキスを見舞った。

 その傍らでは、現状に取り残された杏子が立ち尽くしていた。

 

 

「なんだ、この展開」

 

 

 そう彼女は呟いた。

 全く以て、その通りとしか思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















コレハ

ドウイウ

コトナノダ

(観測者の呟き)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 赤と白、束ねる桃色

「…うわぁ」

 

 

 呻くような声を出す佐倉杏子。

 

 

「すっげ…」

 

 

 同じような、そして感嘆の言葉を呟くナガレ。

 場所は廃教会。

 外は曇天。

 痛んだ屋根を叩くのは激しい雨音。

 照明が無い為に薄暗い室内。

 

 しかし、光を持たないものの、眩く輝くものが室内にあった。

 

 

「できたよー!」

 

 

 年齢が一桁台の童女のような声で、かずみは快活に叫んだ。

 その身に纏われているのは白いエプロン。

 手に持たれているのは大きな皿。

 

 かずみの背後には、廃墟も同然のこの場所には似つかわしくない最新式の調理台が横たわっている。

 それが、硬質な輪郭を喪い、溶かした絵の具のように蕩けて吸い込まれていく。

 調理台近くの壁に立て掛けられた、柄の長さが3メートルに達する斧槍へ。

 ほんと、便利なもんだと彼は思った。

 

 異常は更に存在した。

 ナガレと杏子の前には、大きめのテーブルが置かれていた。

 白いテーブルクロスが掛けられ、3つの椅子が接地されている。

 その真ん中に、かずみは大皿を置いた。

 湯気と共に、芳醇な香りが漂う。

 苺の酸味と甘さ、そして米と胡椒の匂い。

 

 

「イチゴリゾットって言ったかな」

 

 

 記憶を辿り、杏子は料理の名前を見つけて口にする。

 どこで知ったのかは覚えていない。

 ひもじい時期に、気を紛らわす為に捨てられてた料理雑誌でも読んだのだろうか。

 

 

「…すげぇ料理だな。作った奴は天才か?」

 

「えっへん!」

 

 

 胸を張るかずみ。

 胸の盛り上がりはかなり薄い。それでも杏子よりはありそうだった。

 使う予定の無い部位ではあるが、杏子は少しだけムっとした。

 

 ナニとは言わないが、挟んだりするのに使えればとは最近思ってきた。

 あいつがそれをさせる気が無さそうなのが残念だが。

 と、何を考えてるんだと思いを切り替える。

 今は性欲ではなく、別の欲を満たしたかった。

 

 

「確かに、天才だな」

 

「ふふん!」

 

 

 更に身体を仰け反らせるかずみ。

 これが絵本か漫画であれば、かずみの可愛らしい鼻がデフォルメで伸びていそうである。

 しかしながら、杏子は彼の評価に同意していた。

 テーブルを埋め尽くすのは、様々な料理だった。

 

 表面に優雅な模様を生クリームで描かれたビーフストロガノフ。

 バジルが効かせられた、骨付きの子羊肉。

 深皿に山盛りにされたペペロンチーノ。

 小麦色の熱い肌でバターを溶かす焼きたてのパン。

 鍋に満たされているのは、たっぷりとアサリを入れられたクラムチャウダー。

 ミディアムレアに焼き上げられた牛ステーキ。

 そして炊飯器には米が10合。

 

 これらの料理を、かずみはたった一人であっという間に作り上げた。

 全てが出来たての熱々であることからも、それが伺える。

 

 

『用意はしとくもんだな』

 

『なんであんなの魔女に入れてたのさ』

 

 

 思念で会話するナガレと杏子。

 あんなの、とはキッチン台の事である。

 

 

『隠れ家とか幾つか用意したけど、殺風景だったからな。ちょっと前に行った廃墟で綺麗なまま残ってたから拝借したんだよ』

 

『それ、理由として成り立つの?』

 

『温かい飯とか喰いたいだろ?』

 

『納得、しといてやるよ』

 

 

 そう言って席に着いた。

 他の二人も着席する。

 

 

「………」

 

 

 杏子は無言で前を見た。

 ナガレがいた。その隣にはかずみがいる。

 

 

「いただきます」

 

 

 両手を合わせ、厳かとさえ言える口調でかずみは言った。

 杏子とナガレもそれに合わせた。

 座る位置に関して何かを言おうと思っていた杏子であるが、そういう空気ではなくなった事と大人げないという想いから口を噤んだ。

 そしてこの口は、今は別の事に使う必要がある。

 

 重ねられた皿の一つを使い、取分け用の大スプーンを用いて杏子はイチゴリゾットを取り分けた。

 次いでかずみが同じ行為を行う。自分の分に加え、ナガレの分も用意する。

 ありがとよ、と彼は言った。かずみはにまっとした屈託のない笑顔を返した。

 自分の中の雌が反応するかと思ったが、あまりの朗らかさに杏子の感情は毒気を抜かれたようだった。

 これがキリカや麻衣であれば、少なくともフォークを投擲して額に突き刺していただろう。

 

 まぁそれはそれと、杏子はその光景を追い払う。

 不愉快な奴らの額から弾ける赤い血と桃色の肉を想像するのは楽しいが、今は同じ色でもこちらの方が大事だった。

 

 

『……中々、勇気がいるな』

 

『……ああ』

 

 

 ナガレの指摘に杏子も応じる。

 凡そ、好き嫌いの無い杏子であるが、この食べ物は完全に未知だった。

 成分的にはイチゴ大福が近いか?と二人は思った。

 未知の食べ物を前にしたナガレを、かずみがじっと見ている。

 

 顔をきょろきょろと動かし、ナガレの様子を伺っている。

 残された時間は、あまりない。

 今は期待だが、もう少し時間を掛ければかずみを悲しませることに繋がるだろうと彼は思った。

 彼は迅速に動いた。

 

 スプーンで白と桃色と赤の混合物を掬い、口に含む。

 程よく炒められ、そして粘度を与えられた米を舌で転がして磨り潰して飲み込む。

 その様子に、杏子は思わず唇を舌で舐めた。

 彼の口内で動く舌を想像し、思わず疼いたのだろう。

 

 どうにかしねぇとな、とは杏子も思っている。

 食事する光景でさえ欲情しては、下着が何枚あっても足りない。

 実際今、全裸であったかずみに新品の下着を半分貸している状態なのでかなり足りていないのだった。

 

 

「…美味い」

 

 

 そんな杏子を放置し(彼自身も杏子のそんな視線に気付いてはいたが、気付いていないフリをしていた)、彼は感想を呟いた。

 そしてもう一掬いし口に含む。

 酸味と甘み、そして塩気がバランスよく、それでいてそれぞれの味を声高に主張している。

 未知の味がそこにはあった。手は止まらなくなった。

 

 あっという間に、取分けた分が食べ尽くされた。

 はぁ、と一息つくと、かずみも杏子も食べるのに夢中になっていた。

 リゾットだけではなく、スープに肉にと、可愛らしい猛獣たちの手で次々に喰われていく。

 やっべぇと彼は思い、このバトルに参戦する事とした。

 

 

 30分後。

 全ての料理が食べ尽くされ、空皿が机の上に重ねられていた。

 皿に付いたソースの残りさえも喰い尽くし、3人は満ち足りた様子で椅子に座っていた。

 平和だった。

 この連中、仲が良くなったとはいえナガレと杏子の間の出来事としては信じられない程に。

 

 

「ねー、おとしゃん」

 

「ん?」

 

 

 そんなナガレにかずみが尋ねた。

 

 

「ほんとに、このあだ名使ってていいの?」

 

 

 杏子は思わず首をがくんと揺らした。

 記憶喪失の少女に呟いた名前。それを機に自我を芽生えさせ、名前を思い出した少女。

 それは第二の生であり、その切っ掛けを与えた彼はある意味彼女の父。

 彼を父親と認識する刷り込み。

 

 そんな、物語でありそうな状況を根底から覆すかずみの発言だった。

 

 

「ちょっとハズいな」

 

「んー、じゃあ基本はナガレでいくね。よろしく、おとしゃん」

 

「お前、中々面白い事言うな。小説家とか絵本作者とか向いてるんじゃねえのか?」

 

「小説……うーん、何か思い出せそうな…………まぁいいや。ナガレは好きな本とかあるの?」

 

「『まごころを、君に』って映画のフィルムブックかな」

 

「へぇ!それ、美味しそうな食べ物とか載ってたりするの!?」

 

「あー…悪ぃ。そういう本じゃねぇんだわ。よかったら忘れて貰ってもいいか?」

 

「あの映画観ると、ウナギが食べたくなるんだよね!あ!ちょっと何かを思い出せたかも!」

 

「そいつぁ良かった。ま、焦らずこの調子で思い出していけばいいだろうよ」

 

 

 早速繰り広げられる、キッズ二名による電波じみた会話。消化の為に胃袋に血が行ってるとは言え、杏子はぼんやりとした気分になっていた。

 平和、という言葉の本当の意味を、彼女は久々に思い出していた。

 

 

 














みんな旧劇好きすぎ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 破壊×破戒

「がはっ……ごふ……ぐぷ……」

 

 

 錆び味の呼吸、焼けるような喉の痛み、口内に満ちる粘ついた血液。

 血を吐きながら、佐倉杏子は呼吸していた。

 何時もの事、ではあるが今回は特段に酷い有様だった。

 

 手足はそれぞれが肘と膝のあたりで喪失。

 脚は肉と骨が綺麗な断面を見せていたが、両腕は筋肉の筋や血管が強引に引き摺り出され、壊れた家電のような様相を呈していた。

 

 骨や肉もミキサーに掛けられた挽肉のような有様であり、そこからは常に、鮮やかな色をした肉同様に生々しく新鮮な苦痛が間断なく生じていた。

 例えるなら、肉の内側に無数の蟻を詰められ、それが常に肉を貪り食っているような。

 

 更に負傷はそれに留まらず、今の杏子は上半身と下半身が二つになりかけていた。

 仰向けの上半身とうつ伏せの下半身の間を、身体の内側から溢れたねじれた腸がかろうじて繋いでいる。

 狂わんばかりの激痛。しかしそれが却って今の正気を保っているという状況だった。

 苦痛に満ちた生と呼吸を続ける杏子を、煌々とした炎の赤が染めていた。

 

 惨殺死体同然の有様と化した杏子の周囲には、炎が広がっていた。

 何で出来ているかも定かではない異界の地面が、魔を帯びた炎によって燃えている。

 本棚や椅子、ビルらしきものや巨大な時計台のようなもの。

 魔女の美意識が生み出した歪な構造物たちは、少なくとも杏子の見える範囲に林立するそれらは例外なく破壊され、炎の凌辱を受けていた。

 

 

「ぐふっ…」

 

 

 血の塊を吐き出す杏子。

 それが胸に滴り、腹へと伝う。

 胸に付いている筈の、魂の宝石は今はない。

 その代わりとでも言うように、吐き出した血塊は杏子の胸にこびり付いた。

 真紅の魔法少女服は、焼け焦げと鮮血の赤で赤黒く染まっている。

 

 それも普段の事ではあるが、今回は事情が異なる。

 今回の加害者はナガレでもキリカでも麻衣でも魔女でもなく、新しく出会った者だった。

 

 血を吐き出した口の中を、杏子は舌で舐め廻した。

 血と胃液と体液。自分由来の味しかしない。

 食べ尽くした料理の味や、固形物は全く無い。

 そこに杏子は僅かな安堵を覚えた。

 

 何考えてるんだ、と苦笑したくなった。

 苦痛の方が大きく上回り、浮かびかけた笑みが砕け散った。

 

 

「ごぶふっ……」

 

 

 同時に再度の吐血。

 体内の血を出し尽くすのかと思わんばかりに、口から大量の深紅が溢れる。

 出口を求めているのか、眼からも血涙が滝のように落涙していく。

 胡乱となった視界が、不意に真っ赤に染まり切った。

 更に熱風が杏子の全身を叩く。

 叫ぶ間もなく、杏子の全身を灼熱と猛風が打ちのめし、四肢を喪い上下半身で分けられかけた身体を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「かず…みいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 ナガレの絶叫。

 唸る風切り音。数は二つ。

 一つはナガレの斧槍。もう一つは十字を描いた黒い杖。

 十字部分が柄となり、そこから伸びた長大な直線が刃となっていた。

 そして刃同士が激突。

 

 二人の周囲もまた炎で満ちていた。

 激突の瞬間に生じた衝撃が、燃え盛る炎さえも吹き飛ばす。

 

 

「グルルルルル……ゥゥゥアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 咆哮。

 十字の黒い刃を握るのは黒い魔法少女。

 童話の魔女を思わせる鍔広の帽子を被り、最低限の部分しか身を覆っていない極めて露出の高い衣装を纏っていた。

 

 交差する刃の向こう、童女の朗らかさとは無縁の魔獣の如き有様と化したかずみ。

 刃を喰い止めている間も、かずみは彼に向けて顔を突き出し、可憐な歯が並んだ口を引き裂けんばかりに開いてガチガチと噛み合わせていた。

 まるでピラニア、または大型猛獣、或いは古代の覇者の恐竜か。

 

 

「美味いもんでも…ねぇだろうが」

 

 

 苦々しく呟くナガレ。

 背中に背負った悪魔翼はほぼ崩壊状態、頭から生やしたゲッター1モチーフの角は右側が根元付近から欠損。

 首筋には歯形、どころか歯の痕。

 右肩や脇腹、左腕などにも同様の傷が生じている。

 齧られ、噛み砕かれ、喰われた痕だった。

 

 それを指摘したナガレの言葉に、かずみは反応した。

 彼の血で染まった歯を、桃色の舌でぺろりと舐めた。

 唇の端には歪み。

 笑っているのだった。

 そこには、童女のように笑うかずみの面影があった。

 

 その笑顔に向かう、黒い閃光。

 牛の魔女と融合したナガレの背から伸びた、魔女の一部を変形させた黒い鞭。

 竜の尾のような多節の鞭。先端は鋭利な刃。

 それでかずみの首を締め上げ、無力化するのが目的だった。

 一度の瞬きを更に十数分割する程度の時間が、かずみと鞭を繋ぐまでの時間だった。

 

 

バリッ

 

 

 その時間の後に、音が鳴った。

 かずみの歯が、超高速で迫る鞭の刃部分を文字通り喰い止めていた。

 視認した瞬間、彼の身体は宙に浮いていた。

 かずみが口に鞭を咥えたまま、首を激しく振っていた。

 地面に一度叩き付けられ、今度は逆に放り投げられていた。

 

 

「ぐああっ!」

 

 

 苦鳴、そして吐血。

 折れた肋骨が肺に突き刺さっている。彼はそう判断した。

 空中で身を翻すナガレ。

 彼の本能に最大警戒の危機感。

 これまでに既に何度か受けている。

 

 異界の地上約10メートルから見渡す景色。

 一面の炎、破壊された異界の構造物。

 そして深々と抉られた、渓谷さながらの大破壊。

 それを為したものが次に来ると、彼は察した。

 

 彼の方に向けて顔を見上げているかずみ。

 その口が開いた。

 

 

「ぐぅぅあああああああああああああああああ!!!」

 

 

 絶叫が大気を震わす。

 その震えに、力が加わっていた。

 かずみの口から漏れ出るのは彼女の魔力。

 それが空気を激しく掻き回す。

 一瞬にして、その結果が発生した。

 

 彼の眼の前に広がるのは、一面の渦。

 その直径は、20メートルにも達していた。

 

 掻き混ぜられる空気の渦は、表面に無数のささくれを有していた。

 飲み込まれたら、どころではない。

 触れたら全てが破壊される。

 その結果が、地上を巨大な獣の爪とぎの如く抉り抜いた大破壊である。

 

 

「当た……るかぁ!!」

 

 

 破壊されていた魔翼を再生させて飛翔。

 破壊の範囲から間髪で抜け出る。

 大渦の側面から、かずみを急襲しようと回り込む。

 

 渦の根元を見る。そこにいた筈のかずみがいない。

 

 

「ふっ」

 

 

 彼の右耳に吹き付けられる吐息。

 振り返るよりも早く、彼は高速で退避した。

 彼がというよりも、魔翼が先に動いていた。

 

 彼と同化している魔女が危機感を覚え、逃避していた。

 佐倉杏子が発生させた、疑似ゲッターロボとでも言うべき全長40メートルに達する異形。マガイモノ。

 更には杏子のドッペルが相手でさえも逃避をしなかった魔女が、極限の恐怖により一時とは言え彼の拘束から抜け出ていた。

 

 だが彼は、魔女のさせるままにさせた。

 癪だが、今はそうした方がいい。

 というか、そうしなければ死ぬ。

 

 

「がああああああ、あああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 叫びと共に右手を突き出すかずみ。

 握られた剣の先端には紫電。

 それが放たれた。

 

 

「がぁっ!」

 

 

 ナガレの苦痛の叫び。

 放たれた雷撃は空中に生じたヒビのように広がり、彼の元へ届いた。

 ほんの先端を掠めた程度であるのに、魔翼の片方は根元から弾き飛ばされていた。

 背中の肉も胴体の半ば近くまで焼き尽くされた。

 

 肋骨の前はほぼ全損、後ろも焼け焦がされるという地獄の苦痛。

 苦痛の中で着地する。

 その足元に雷撃が叩き込まれた。

 残っていた魔翼を翻して回避する。だがその代償に、雷撃に触れた右翼も左翼と同様の運命を辿った。

 しかし、彼には休んでいる暇はなかった。

 

 苦痛に対する肉体の反応。

 意識の喪失という甘美な誘惑を振り払いながら、彼は回避を繰り返した。

 一瞬も休まず、バク転にバックステップにと身体を動かし続ける。

 

 それが停止したのは、数分後か十数秒後か。

 地面に足を着けているかずみと彼との距離は、10メートル程度。

 その間に、無数の穴が開いていた。

 

 彼を狙って放たれた雷撃の名残だった。

 孔の淵には紫電が宿り、淵は超高熱によりガラス化していた。

 孔の底は全く見えず、闇が溜まっている。

 

 

「お前…」

 

 

 口から血塊を吐き出すナガレ。

 欠損した左眼を覆い隠すのは、今現在魂を奪われて死体と化している呉キリカの遺品の眼帯。

 残った右眼で、彼は新たに登場した黒い魔法少女を見ていた。

 

 

「強過ぎるだろ」

 

 

 掛け値なしの称賛、そして脅威への警戒心。

 それが等配分に混ぜ合わされた言葉を、彼はかずみへと送った。

 













フム


イツモドオリデ


ナニヨリ


(観測者の呟き)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 燃える命

「うおおおあああああああああああああああああああ!!」

 

 

 佐倉杏子は叫んでいた。

 熱を孕んだ竜巻に巻きあげられ、四方八方から生じる力によって全身が捩じ切られんばかりの蹂躙を受けていた。

 必死に治癒魔法を発動させ、肉体の崩壊に抗う。

 

 繋いだ筋肉が千切れ、再生させた皮膚が溶け崩れ、肉が飴の様に蕩ける。

 その有様を脳に伝える眼球も熱に焙られて破裂し、獣の牙のような猛風によって眼窩ごと引き千切られる。

 地獄の苦痛が全身を苛み、破壊と再生を繰り返して明滅する視界の奥に、対峙する二人の影を見た。

 纏った色は、共に黒。

 その内の一方が激しく発光する。

 万物を焼き尽くすような、真紅の輝き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リーミティ……エステールニ!!!!」

 

 

 それは、そう辛うじて聞き取れる言葉で紡がれた咆哮だった。

 声を発した瞬間から、それは発生していた。

 但し、彼女が握る刃としての用途を果たしている杖ではなく、彼女の上半身から。

 

 黒い衣装の両肩と胸に施された、白い球状の装飾。

 そこが発光し、その三か所で生じた光が連結していた。

 技名の叫びが終わった瞬間、それは放たれた。

 それは、V字型を描いた真紅の熱線。

 

 

「やっべぇ!!」

 

 

 直接目にしたことは無いが、これに類似したものを彼は知っている。

 対比は無意味と迎撃を決意。

 魔女も彼に同意し最大限の力を彼に与える。

 忠誠心が四割、消滅への恐怖が六割といったところか。

 自らの欲に忠実な魔女という存在を鑑みれば、見上げた忠誠心と言えた。

 

 斧槍を前に突き出し、切っ先にダメージカットを全開発動。

 双樹を切り裂いた際に得た魔力の波長を解析し、不完全ながら再現させたバリアも重ねての二重の障壁が展開される。

 その外見のモチーフとなっているのは、やはりというかATフィールドである。

 何人にも侵されざる聖なる領域。銀髪赤眼の美少年はそう語った。

 

 確かにそれはこの現状にも当てはまっている。

 侵されてはいけない、という意味で。

 この障壁が破壊された瞬間、二つの生命は破滅を迎える為に。

 

 

「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 両手を下方に向けて斜めに伸ばし、胸を突き出しながらかずみは叫ぶ。

 そして、かずみが放った熱線がナガレと魔女が展開した障壁に激突。

 その瞬間、激しい閃光が飛び散った。

 軌道を逸らされる熱線、削られていく障壁。

 

 

「ぐぐ…ぐぐぐぐがががががあああああああああああああっ!!」

 

 

 くぐもった声を上げながら、ナガレは必死に耐える。

 熱の大半を殺しつつも、障壁の中は灼熱地獄と化していた。

 斧槍には数百度の熱が伝播し、彼の手を焦がしていた。

 度重なる高熱の洗礼により、彼の熱耐性はその度に上昇していたが、それでも常人なら即死する苦痛と破壊が彼を襲う。

 そして障壁の外では更なる地獄が展開されていた。

 

 双樹が放った、熱と氷の合体魔法は遊園地一つを焦土と化していた。

 だがかずみが今放っている熱線は、異界の地面を溶解させ、一面を熱で蕩けて爛れた溶岩に変えていた。

 熱線が迸る下を基点に、熱の凌辱が左右に広がっていく。

 細い川は大河に、大河は湖、そして海へ。

 視界の果てに辛うじて、と見える程度で熱の浸食は収まった。

 異常。

 異常に過ぎる破壊力だった。

 

 それに対し、ナガレは耐え続けていた。

 神浜の新技術とかいうバリアが無ければ耐えられなかった。

 彼は苦痛の中でそう思った。

 無論、双樹に感謝などしない。

 奴から全てを奪い返すまで死んで堪るか、という想いが彼の命を繋いでいた。

 

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアア!!!アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 堪え続ける彼に苛立ちを覚えたか、かずみは明らかに不愉快だと分かる感情を乗せて叫んだ。

 叫びと共に、光が追加される。

 胸の装飾に加え、肩や胸の部分の黒い生地までが発光し、かずみの上半身が真紅に染まる。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 そして熱線に更なる力が加わる。

 蕩けた地面が津波のように盛り上がり、爆ぜる、

 逆さまの大瀑布となった溶岩の中、飛翔する孤影が見えた。

 

 

「かずみいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 焦げて崩壊しつつある悪魔翼を背負い、ナガレが飛翔していた。

 手に持つ斧槍には障壁と熱線の魔力が刃部分に付着していた。

 障壁の力を刃に集め、攻撃に転化し熱線を切り裂いていた。

 

 代償は、その全身を包んだ灼熱地獄。

 認識できるすべての感覚が熱と苦痛という地獄。

 その中で彼は明確な自我を保ち、あだ名とは言え自らを父と呼んだ少女の名を叫んでいた。

 そして彼は灼熱地獄を飛び越え、手に持った斧を少女に向けて振り下ろした。

 

 狙うは手足。斬り飛ばしての無力化を目指した。

 

 

「がはっ……!」

 

 

 振り下ろす寸前、彼の口から血が吐き出された。

 彼の胸の焼けた肉を貫くのは、螺旋を描いた黒。

 それは、かずみの右腕から伸びていた。

 いや、それは彼女の右腕そのものだった。

 

 かずみの腕を覆う黒い布が伸び、長さ3メートルほどの黒い螺旋の槍へと形を変えている。

 槍の先端には、重ねられた五指の面影が残っていた。

 歯を見せて微笑むかずみ。

 その表情に亀裂が生じたような変化。

 驚きの色。

 

 異形の槍に貫かれながらも、ナガレは前に進んでいた。

 破壊の根源であるが故に、溶岩化を免れた地面を足場に、胸から血を吐き出しながら彼は前へと進む。

 心臓を刺し貫かれながら、その傷口を更に広げさせながら。

 

 

「グガ…アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 明らかな動揺を訴えながら叫ぶかずみ。

 残りの左腕が引かれる。左腕を覆う黒布が膨張し、多層の鋭角が表面に生じる。

 形成されたのは鋭いエッジを描いた装甲、それで形成された巨大な拳。

 元の腕の大きさと比べ、厚みが10倍近くに膨れ上がっていた。

 

 再び叫び、かずみはナガレへとそれを放った。

 装甲された拳が彼の顔面へと向かう。

 そこに向けて彼は刃を放った。

 

 

「おい」

 

 

 拳と刃の激突の寸前、上空から少女の声が降り注いだ。

 かずみはそちらへ拳を振った。ナガレから槍を引き抜き、その身体を吹き飛ばす。

 さしものナガレも限界に達し、口と全身から大量出血。

 直ぐには動けそうにない。

 

 そして激突したのは、真紅の十字槍。

 それを持つは真紅の魔法少女、佐倉杏子。

 破壊された全身を、応急措置でつないで強引に治した、痛々しい姿だった。

 

 手足は皮膚の再生を待たず、赤い筋繊維が剥き出しになっていた。

 繋いだ上下半身の切れ目からは、絶え間なく出血が続いている。

 左目は抉れたままで、潰れた眼球が眼下に引っ掛かっている状態だった。

 

 

「ぐはぁっ!!」

 

 

 巨大化した拳との激突の瞬間、杏子の全身から鮮血が迸った。

 枯渇しかけの魔力故に、即席となった手足は崩壊した。辛うじて左腕だけが、千切れる寸前で留まっていた。

 繋いでいた下半身が千切れ、引き裂けた内臓を晒して吹き飛んでいく。

 

 上半身だけとなった杏子の身体を、装甲化したかずみの左手が握っていた。 

 触れた瞬間、杏子の頭蓋骨の全体を無数のヒビが駆け巡った。

 耳や目からは大量出血。脳味噌は圧搾され、落とした豆腐のように頭蓋の中で砕け散る。

 

 かずみの手の中で、上半身だけとなった杏子の身体はビクビクと震えていた。

 

 死の痙攣。

 

 賞味期限切れ。

 

 生ごみ。

 

 もういらない。

 

 こいつ、なんか視線が怖い。

 

 

 言葉にならずの想いをかずみは抱いた。

 そして彼女は手を離した。

 

 その瞬間、その手首を何かが掴んだ。

 

 ぴったりと肌に吸い付く、剥き出しの筋肉と骨の感触。

 佐倉杏子の左手だった。

 

 

「テメェ……この程度で……!」

 

 

 凄まじい力が、崩壊寸前の左手に籠り、かずみの手を押し上げていく。

 

 

「ただ力が強いだけの…技もまともに使えねぇ……テメェなんかに、ベテランのあたしが……魔法少女が……殺れるわけねぇだろ………!!」

 

 

 彼女の言葉は、無論ではあるが全ての魔法少女に適用される訳では無い。

 ただひたすらに、佐倉杏子は頑強に過ぎているのである。

 

 

「あたしの死は、テメェなんかにくれてやるか!!」

 

「ヒッ……」

 

 

 血走ったどころか深紅の珠と化した右眼で 杏子はかずみを睨む。

 かずみの口から漏れたのは、本能的な恐怖の悲鳴。

 恐ろしい。佐倉杏子が怖ろしい。

 かずみが杏子に抱く感情は、真紅の恐怖そのものだった。

 

 

職業(プロ)魔法少女なめんなああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!

 

 

 かずみの手を引き、一気に前に出る杏子。

 そして怯えるかずみの額へと、自らの額をブチ当てた。

 轟々と燃え盛る異界の地面、そこから湧き上がる灼熱の熱風。

 それらを吹き飛ばさんばかりの衝撃と轟音が、熱と破壊で満ちた異界に轟いた。

 

 
















フム コレハ ドコカデ ミタヨウナ(観測者の呟き)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 濡れ草の上で

すぴー 

 

すぴー

 

すぴー

 

 

 ほぼ等間隔で、その音は響いていた。寝息である。

 その主は、二つのソファを向かい合わせて足をロープで繋げた即席のベッドの上で毛布を体に重ね、仰向けになって安らかに眠っていた。

 前髪の中、渦を巻いてピンと伸びたアホ毛が寝息と共に揺れていた。

 そのアホ毛の下、彼女の額には絆創膏が貼られていた。

 

 二枚の絆創膏を×の字に重ねて貼っている。

 漫画でしか見たことが無い使い方だった。

 絆創膏からは赤く腫れた皮膚が見えた。殴打によるものである。

 その加害者は今、廃教会内にいなかった。

 

 月も隠す、黒く分厚い雲の下にいた。

 

 

 

 

「ちゅ…ん……ちゅぱ」

 

 

 甘ったるい響きの音が夜の大気に触れる。

 音源は廃教会から少し離れた場所。

 教会前の広場の隅の草むらであった。

 雨により濡れた植物と土の上で、重なり合う二つの身体。

 

 治癒は済ませたが、感覚的にまだ火照っている背中に冷たい水気と泥の感触が心地いい。

 杏子に圧し掛かられ、唇を貪られているナガレはそう思った。

 ここ最近の通例となった、いつもの光景である。

 異なるのは彼の背にある泥濘が、血液か泥かというあたりか。

 

 

「あんた…今日はやけに無抵抗じゃねえの」

 

 

 ま、そういうのも良いけどよ。

 そう言って杏子は彼に額を自分の額で軽く小突いてクスリと笑った。

 彼女の額には赤い腫れが浮いていた。

 

 

「誰の所為だよ」

 

 

 口内を蹂躙する舌を自分の舌で押し退け、ナガレは言葉を送る。

 

 

「決まってんだろ。もちろんあたし」

 

 

 彼の舌に自分の舌を巻き付ける杏子。

 更に彼の肩と腹に触れていた手を、彼の背に回して抱き締める。

 重なり合う胸と胸。

 薄い脂肪で隔てた奥に、彼の頑強な筋肉で覆われた胸がある。

 その奥には彼の命の証である鼓動。

 

 その脈動は、彼女を大いに欲情させた。

 自分が求める永劫の地獄。

 それはそこにあるのだと、彼女に実感させる命の輝き。

 ナガレの鼻先を掠めるのは、雄を狂わせる雌の匂い。

 しかしながら、例によって彼はそれに反応しない。

 

 

「元気そうだな。安心したぜ」

 

 

 そう、安堵と皮肉を返すのみである。

 抱かれている、という状況がそもそも好きでないせいもある。

 

 

「みたいだね。上と下で引き千切れたのは初めてだったから、ちゃんと繋がるかは正直不安だったけどさ」

 

 

 彼を抱き締めながら、杏子は下腹部を彼の腹に擦りつける。

 ホットパンツは既に水気を含んでいる。濃密な雌の臭気が彼に押し付けられる。

 

 

「調子良いね。ホントにさ」

 

「………」

 

 

 無言の彼。

 良すぎんだよ、と言いたかった。

 だがそう言ったら、今以上の行為を求めてくるに決まっている。

 好意を向けられるのは嫌な気分で無いが、彼にとって今の佐倉杏子はどこまでいっても16歳の子供なのであった。

 

 

「調子っていやぁよ……凄かったな、あいつ」

 

「………ああ」

 

 

 露骨に顔を不快さに歪める杏子。

 声に纏われるのは嫉妬の音色。

 別の女が彼の関心を得ることを、彼女は不快と感じるようになっていた。

 あいつらのせいだな、と杏子は思った。

 

 言うまでも無くキリカと麻衣の事である。

 ヤンデレ成分と言えば道化もその属性の持ち主だったが、最早彼女のそれは健全さに限りなく近いものと化している。

 杏子、キリカ、麻衣が彼に向ける感情は確かに愛ではあるが、不健全どころではないのであった。

 

 杏子の思考の中、恋敵二匹の顔が浮かんだ。

 キリカは朗らかに微笑み、麻衣は道端の犬の糞でも見るような顔で杏子の方を向いていた。

 それを払拭すべく、杏子は先の戦闘の事を思い出すことにした。

 

 食事の後、魔女の気配を感じた。 

 ナガレと杏子は気配で、かずみはアホ毛で。

 本人がそう言うのだからと、二人は疑問に思わなかった。

 

 そして現場へ急行。

 よく二人が用足しやら暇潰しに訪れる公園だった。

 馴染みの場所を潰されても困ると、アスレチックに生じた結界から中に侵入。

 

 したその瞬間、視界を真紅の熱線が埋めた。

 獲物を待ち構えていた魔女と使い魔は全貌どころか一端すら分からない内に消滅。

 その後、殺戮に狂ったかずみは杏子を奇襲して瞬殺。

 トドメを刺す寸前に割って入ったナガレと交戦を開始したのだった。

 

 結果的に杏子の頭突きにてかずみを制圧。

 気絶したかずみを、胸を貫通されたナガレが抱えた。

 魔女に無茶を言っての応急措置だが、心臓の機能が復活していた。

 

 

「頑丈過ぎんだよ、あんたは」

 

 

 と言った杏子の身体もナガレが抱いた。

 彼を頑丈と言ったが、杏子も大概に過ぎていた。

 杏子はその時、上下半身を寸断されていた。

 残っているのは左手のみ。

 かずみの攻撃で吹き飛んだ下半身は、魔女の使い魔に回収させた。

 

 溢れる血潮と破壊された内臓の臭気が漂うが、灼熱地獄となった異界の中ではさして目立たなかった。

 上半身だけとなった状態で、杏子はナガレの顔を目指した。

 

 こんな時の口づけも一興と思ったのだろう。

 キリカが似たような状態で彼と唇を重ねた事も、彼女にその行動と欲望を促した。

 あと数センチ、というところで杏子は意識を失った。

 

 あ、そっか。

 その中で杏子は思った。

 牛の魔女の、角を持つ蛇状の使い魔が運搬する自分の下半身を見ながら。

 

 下半身がぶっ千切れてるから、力(性欲)が失せてたんだな。

 と。

 

 

 

 

 そこで回想を終えた。

 自らの幻惑魔法を用いて、その様子を彼にも見せていた。

 こいつ、あの時んなコト考えてやがったのかと彼は思った。

 まぁいいや。と気分を切り替える。

 この思い切りの良さは彼の美徳の一つだろう。

 

 

「ますます手放せなくなっちまったな…あんなの世に放ったが最後、少なくとも風見野は根こそぎ消えちまう」

 

 

 その指摘に彼は頷いた。

 その首筋を杏子は舐めた。

 ざらついた熱い舌が、細くも頑強な首筋を舐め上げる。

 

 舌の奥にあるのは太い血管。

 心臓の時と同じく、彼の命の源泉を舌で味わう。

 湧き上がるのは支配欲と独占欲。

 しかしその奥に、もう一つの感情が湧いていた。

 命というものに向き合う行為に、彼女はそれを見出だしていた。

 それをどう扱うか、彼女は決めかねていた。

 

 

「あいつの力、制御してやらねぇとな」

 

 

 ナガレは言い切った。

 その言葉には責任感。

 

 

「父親のつもりかよ」

 

「そう言われちまったからな」

 

「あだ名だって言ってただろ。あんたが責任感じる要素がどこにあんのさ」

 

「あいつを見つけたのは俺で、関わったのも俺だ」

 

 

 その言葉に杏子は両手を掲げた。

 降参、のポーズである。

 彼の身体から離した手を、杏子は彼の両手に重ねて握った。

 恋人繋ぎのスタイルだった。

 

 

「そいつはあたしもさ」

 

 

 決めた。と杏子は思った。

 

 

「だから、あたしもあんたに付き合ってやる」

 

 

 あんたのせいだからな。

 といういう意思を込めた眼差しでナガレを見詰める。

 

 

「やってやるよ。最初で最後の母親ごっこ」
















アラサーマミさんかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 会合

「お忙しいところ、お越し頂き感謝します」

 

「別にいいさ。こっちは暇を持て余してんだ」

 

 

 休日の昼下がり。

 風見野にあるファミレスの一つ。

 テーブル席を挟んで佐倉杏子と人見リナが対峙していた。

 真っすぐに互いの顔を見て、言葉を交わす。

 ほんの短いやりとり、更には敵意の欠片もない口調なのに、店内の雰囲気は剣呑なものとなっていた。

 大気が毒に変調し、呼吸するだけで不快感が身を苛む。

 そんな雰囲気が店内に満ちていた。

 

 

「んー!イタリアンプリンおいっしー!ナガレはどう思うー?」

 

「ああ。この固さがクセになるな。物を食ってる気がする」

 

「そっかぁ!じゃあ今度は飲めるくらいに柔らかいプリン作ってあげるね!好き嫌いはしちゃ駄目だよ?」

 

 

 その雰囲気を全く意に介さず、というよりも完全に平気な様子でナガレとかずみは会話している。

 ナガレは上記の会話の内容を自分の中で整理していた。

 

 硬いプリンが好き→柔らかいのは嫌い→じゃあ好き嫌いを無くすために一肌脱ごう。

 多分こんな感じだろうなと認識し、固めのプリンをスプーンの先で掬って口に運んだ。

 舌先と歯に感じる確かな抵抗が心地よい。

 確かに硬いものの方が、喰ってる感じがして好きなのだった。

 

 その二人の様子を意図的に無視するようにして、杏子とリナは対峙していた。

 そちらに注視すると、雰囲気が飲まれかねないと感じたからである。

 

 

「……産んだの?」

 

 

 その呟きは、この連中が座る席を基点に店内を汚染する、剣呑さと春風のような雰囲気に投じられた一石だった。

 リナ側の席に座る佐木京が呟いた一言だった。

 何を指しているのかは言うまでも無いだろう。

 闇のような黒い髪、血とも炎とも見える紅の瞳。

 そして服装はナガレと杏子の中間、というか私服の寄せ集め。

 

 リナは隣の京へとゆっくりと視線を動かした。

 ストローに口を付け、メロンソーダを啜る京がそこにいた。

 栗色の眼の中には、空ろな虚無が溜まっていた。

 何故そうなったのか、リナには痛いほど分かっていた。

 

 

「麻衣ちゃんはいなくなっちゃったのに」

 

 

 ずぞぞと啜り、京は言う。

 その言葉は、風見野自警団の長であるリナにも突き刺さった。

 京自身も、自分の無力さに加えてリナへの糾弾を含めていることを自覚していた。

 それが的外れであり、卑しい事とは知りつつも言葉は止められなかった。

 

 

「だから、なんだっつうの」

 

 

 横に向いていた視線を、リナは前に戻した。

 

 

「だったらどうしたってのさ?あたしはこいつの彼女でこいつはあたしの彼氏。ならヤることヤってるに決まってんだろが」

 

 

 ニヤ付きながら、グラスを片手でブラブラとさせ、挑発的な視線を送りながら杏子は言った。

 グラスの中身がコーラではなくアルコールでさえあれば、中々に様になる様子だった。

 

 

『おい』

 

 

 かずみと会話しつつ、ナガレは杏子に思念を送った。

 ちなみにかずみとの会話内容は、テーブルに置かれた妙に難易度の高い間違い探しについてだった。

 

 

ピシッ

 

 

 二つの陣営の間でその音は鳴った。

 京がストローで接しているグラスにヒビが入った音だった。

 杏子の態度に苛立ち、口を介して魔力が放たれたようだ。

 

 死んだような眼で、そしてゴミを見る視線で京は杏子を見た。

 杏子は平然として炭酸水を飲み干し、何が楽しいのか喉を鳴らして笑った。

 突き刺さるような視線など、意に介していないどころか酒ではないが飲み物の肴とでも思っているのだろうか。

 ついでにこれが佐倉杏子と佐木京の、会話になっていない初会話だった。

 

 名前が微妙に似ている二人であったが、仲良くしようという考えは皆無らしい。

 喧嘩を売った側なのは京だが、杏子の返事も大概どころか不健全に過ぎている。

 

 杏子を見ていた京の視線が流れた。

 その隣へと。そこに座る少年に。

 京だけではなく、リナも彼に視線を注いでいた。

 軽蔑と侮蔑と警戒。リナはそれに加えて嫉妬の眼差しを送っている。

 

 それらに気付かないふりをして愚者を演じつつ、ナガレは脳内でのたうち回っていた。

 風見野自警団の二人の脳内では、自分が杏子と性行為に明け暮れている様子が思い描かれていると思うと、今すぐ怒りの咆哮を叫びたくなるのであった。

 

 その様子が、彼の脳裏に映る。

 夜の廃教会、その前に広がる広場の草むら。

 地面に四肢を付けた杏子に自分が背後から覆い被さり、彼女の首筋を噛んで動きを止めている。

 首筋を牙が貫いたことで、そこからは血の滴が垂れる。

 しかしながら、杏子が上げるのは苦痛よりも嬌声が多い。

 

 彼の腰が前後に激しく振られ、裸体の胸を壊すかのように激しく揉み、杏子の胎内を肉の凶器で抉る。

 そんな場面が色や音、更には性の臭気も伴って脳裏に響く。

 

 それは妄想の域を超えたリアルさを持っていた。

 一つの世界、仮想現実とさえいってもいい。

 それが何かは分かり切っている。杏子の幻惑魔法である。

 

 

『安心しな。教育に悪いもんは、かずみには見せねぇしこのバカ共にも勿体ないから見せてやらねぇよ』

 

 

 杏子はそう、ナガレに思念を送った。

 ナガレは無言で耐えた。何か反応すると、それに応じて何をするか分かったものじゃない。

 

 

『……あの、ナガレさぁ。この女、さっきから何言ってるの……』

 

 

 杏子の思念が去ってから、今度はかずみが思念を送った。

 その声色には恐怖と不信感。

 暴走時の記憶は完全に無いとのことだが、先の敗北というか相討ちがあった為に杏子の事は本能的に怖がっているようだ。

 

 

『気にすんな。それより間違い探しの方が大事だ』

 

 

 強引に話を切り替えるナガレであった。

 苦労してるんだな、と記憶喪失の少女であるかずみも察し、今幾つ見つけたかの情報共有を行った。

 全10個の間違いの内、残り二つがまだ見つからない。

 

 

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 

 静かな声でリナは言った。

 視線は冷たいままだが、仕方ない。とナガレは思うことにした。

 

 

「ソウルジェムが奪われた、とのことですが。麻衣が行動を停止する因果関係が不明です」

 

 

 リナの指摘に、杏子は眼をぱちくりとさせた。

 ソウルジェムは魔法少女の本体で、壊れたりしたら死ぬ。

 100メートル程度離れたら、ジェムからの信号だかが外れて肉体は死体になる。

 

 常識だろうがと杏子は思った。

 とはいえ彼女も、その事実は少し前に知ったばかりである。

 敵対に近い存在にはとりあえず、内心でもマウントを取るというのが基本方針のようだ。

 

 そして現在自分もソウルジェムから離れているが、無事な事については極力考えないようにしていた。

 考えても仕方ないし、今無事なのだから別にいいと。

 強がりではあるのだが、思い込みは大事である。

 実際、彼女が家族の死によって心を破滅させなかったのも、自分は死や地獄行きすら生ぬるいと、業罰を求める為に生きる必要があると認識しているが為である。

 

 しかしながら、リナの言葉には杏子も参っていた。

 口ぶりからすると魔女化の事すら知らないらしい。

 どうしたものか、と考えている彼女の傍らで、ナガレは手を掲げた。

 

 広げた右掌に魔力が集中し、形を成していく。

 形成されたのは、手のひら大の小さな黒斧。

 縮小された牛の魔女だった。

 

 当然ながら、リナは緊張した。

 戦端を開くべきか、常識人な彼女は迷った。

 その間に、ナガレは斧の中央の孔に左手を埋没させた。

 異空間に繋がる内部へと指先が入り、そしてすぐに出た。

 

 細くしなやかな指先には、白い物体が握られていた。

 翼のような、手のような。

 白い体毛に覆われた、生物の一部。

 

 一気に引かれると、全容が露わになった。

 猫に似た大きさ、耳から生えた長い翼か腕のような器官。

 その半ばには金色の輪が通され、身体に触れもせずに滞空している。

 顔は形状で言えば、子宮と卵巣の断面図にも似ている。その顔の下の首には、赤い首輪が通されていた。

 

 外界に触れた赤い眼が、ぱちぱちと瞬いた。

 

 

「久々だな、白丸。早速で悪いが、説明責任を果たしな」

 

 

 白丸と固有名詞を付けたキュゥべえの一体を掴み上げながら、ナガレは面白くもなさそうにそう言った。
















第一部の第30話 鏡映すは屍山に血河③
からずーーーーーーーーっと牛の魔女さんの中に入れられてた模様


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 会合②

すぴー 

 

 

 

すぴー

 

 

 

すぴー

 

 

 

 

 

 ほぼ等間隔で、その音は響いていた。寝息である。

 その主は、二つのソファを向かい合わせて足をロープで繋げた即席のベッドの上で毛布を体に重ね、仰向けになって安らかに眠っていた。

 前髪の中、渦を巻いてピンと伸びたアホ毛が寝息と共に揺れていた。

 そのアホ毛の下、彼女の額には包帯が巻かれていた。

 

 二昔前の少年漫画の主人公のように、まるで特攻に赴く際のサラシを思わせる巻き方だった。

 

 

「…前にも、こんな感じじゃなかったかな」

 

「タフのコピペみてぇなもんだろ。病室の使い回しとかみてぇによ」

 

 

 憔悴しきった様子で言葉を交わすのは杏子とナガレ。

 寝床を貸しているが故に、祭壇までの斜面に腰掛けて会話をしている。

 顔や腕には包帯が巻かれ、内部から漏れる赤い液体を白地に滲ませている。

 

 

「回想、するかい?」

 

 

 杏子は言った。

 ナガレは頷いた。

 魔女の中から白丸と名付けたキュゥべぇを呼び出した後の状況は、これまで混沌の渦中で死闘を繰り返してきたナガレと杏子をして、混沌に過ぎていた。

 疲れた様子で、杏子は幻惑魔法を使った。

 実体としての視界の手前に、杏子が発した魔法による映像が投影される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはは……あははは……アハハハハハハハハハ!!」

 

 

 店内を哄笑が貫いた。悲鳴のような声だった。

 全ての客と、表に出ていた店員の全てがそちらを向いた。

 音を聞いてから振り向くまでの時間差は殆ど無かった。

 にも関わらず、全員が見たのは空皿と食べかけの料理をテーブルの上に残した空席だった。

 異界への誘いを担った魔力の残滓など、誰も見ることが無かった。

 

 

 

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 異界に木霊する咆哮。

 地面は溶け落ち、構造物は蕩けて崩れる。

 主に黒を基調とした、肌面積の極めて多い衣装を纏ったかずみが杖から熱線を連射し、動くもの全てを破壊しようと試みていた。

 身を焼かれ、手足を引き千切られ、腹を破られながらも魔法少女達は応戦した。

 杏子は巨大槍を異界の機械龍、ウザーラへと変貌させてかずみを襲撃し、京は武装した人形達の集団を差し向け、リナは雷撃の嵐を見舞った。

 

 

「があああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 雷撃を掻い潜り、人形が放つ猟銃や弓矢を杖で振り払って駆けるかずみ。

 一気に跳躍し、巨大な蛇龍の顎にかずみは肥大化させた左拳を打ち込んだ。

 大型車よりも大きな顎は一瞬で圧壊され、破片となって宙に舞った。

 墜落する巨体を足場に、かずみは龍の背にいた杏子を襲った。

 黒い十字杖を剣として振るうかずみ。

 

 力任せの剣戟だが、その力は杏子を遥かに上回り彼女の防御ごとその両腕を斬り飛ばした。

 そして既に切り裂かれ、内臓をちらりと見せている杏子の腹へとかずみは左手を突き込んだ。

 

 

「ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」

 

 

 敏感な内臓の表面を強く掴まれ、更には引き摺り出される。

 桃色の腸が湯気を立てながら外気に触れる。

 その背後から迫る、京が放った人形集団。 

 幼稚園児程度の大きさ、偽りの生命を与えられた非生物達は手にハサミや槍、剣に弓矢を以てかずみへと襲い掛かった。 

 攻撃の軸線上には杏子もいたが、全く構っていなかった。

 

 

「くひぃっ」

 

 

 血泡を吐く杏子の身体を、かずみは弓矢の盾にした。

 背中に突き刺さる無数の矢。

 その切っ先は杏子の腹や胸から突き出ていた。

 

 

「この……ガキっ……」

 

 

 血を吐きながら告げた言葉は、京へと向けられていた。

 かずみに対しては、杏子は敵意を抱いていない。

 少し前にナガレと交わした、「母親ごっこ」という言葉を彼女は守っていたようだ。

 かずみは確かに杏子を盾として使ったが、杏子もまたかずみを庇っていた。

 

 

「ジャマ……」

 

 

 そんな杏子をゴミのように投げ捨て、かずみは迫る人形へと杖を向けた。

 先端に灯る光。

 そして炸裂。

 光に触れた瞬間、人形の体表は消滅してフレームが剥き出しになり、そして塵も残さず消え失せた。

 放たれながら、熱線の矛先が下方へと向かう。

 熱線は首を喪った蛇龍の胴体を貫き、地上の京へと迫った。

 その前に立ち塞がる、軍人風の姿。

 

 

「させません!!」

 

 

 熱線に向けてリナは極大の雷撃を見舞った。

 自警団長の渾身の一撃はかずみの熱線とさえも拮抗した。

 真紅の光と白光の雷撃が喰らいあう。

 

 

「……ウザイ」

 

 

 かずみはボソッと呟いた。

 そして微笑む。

 

 

「リーミティ・エステールニ」

 

 

 かずみの両肩と胸の白い装飾が発光。

 真紅の輝きが連結し、胸と肩を繋ぐVの字となる。

 そしてそれもまた熱線として放たれ、かずみが杖から発する光と合流する。

 膨れ上がった力を前に、雷撃は濁流にのみ込まれる小川と化していた。

 

 リナと京が熱線の贄となる寸前、その輝きは上空へ向けて放たれた。

 一瞬先の死が回避され、リナは京を庇いながら前を見た。

 

 

「落ち着けかずみ!こいつらは敵じゃねえ!!」

 

 

 かずみの背後からナガレが抱き着き、彼女を羽交い絞めにしていた。

 熱線の範囲ギリギリに腕を絡め、輻射熱で皮膚と肉を焦がしながらもかずみの動きを止めに掛かる。

 暴れ狂う彼女をどうにか押さえつけ、熱線の矛先を魔法少女達から外しに掛かる。

 その身体は既に傷に覆われていた。

 

 魔法少女の真実を知った京が暴走し、緊急回避で異界へ赴いた瞬間、かずみが真っ先に襲い掛かったのはナガレだった。

 今の今まで、彼は吹き飛ばされて貪り食われた肉の修復を行っていた。

 

 

「があああああ!!!」

 

 

 叫びと共に一際強い力が放たれた。

 ナガレの左頬が深々と裂け、内部の舌までが刻まれた。

 身を転がして回避した先で、ナガレは巨大なねじれた円錐を見た。

 かずみの右腕は長く巨大なドリルとなっていた。

 指の面影を残した先端から根元に滴る彼の血を、かずみは舌でぺろりと舐めた。

 

 

「…おいし」

 

 

 童女のように微笑むかずみ。

 その表情のままに彼女は右腕をナガレへと向けて突き出した。

 彼の血は美味しい。

 だから、もっと欲しい。

 傷が出来ればまた飲める。

 そう考えているのだろうか。

 

 迫る死に向け、ナガレは前へと進んだ。これは何時ものことだった。

 交差する円錐と拳。

 交差は一瞬だった。

 

 走り抜けた彼の背後で、かずみは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 少し遅れて、彼の胸が引き裂けた。

 噴火した火山のように血が迸り、膝が折れかかる。

 耐えているときに、血塗れの身体に燐光が纏われた。

 白金色の光だった。

 

 

「貸し借り、などという事は言いません。当然のことですから」

 

 

 自らを律する心のままに、感情を抑え付けてリナは言った。

 彼女から与えられる魔力を喰らい、ナガレと半共生状態の魔女が彼を癒す。

 自分も片腕をかずみにもぎ取られ、右目を潰されていると云うのにリナも気丈なものだった。

 

 

「真面目過ぎんだろ」

 

 

 かずみの手で引き出された内臓を体内に戻しつつナガレに歩み寄りながら、杏子は自警団長を皮肉っていた。

 杏子への魔力提供は行わず、リナはナガレに添えていた魔法の警棒を引いた。

 その様子に杏子は好感を抱いた。

 もしもリナから治癒をされたとあっては、その場で戦闘に入っていたに違いないと杏子は思っていた。

 

 集まる三人の様子を、呪い殺すような視線で以て京は見ていた。

 栗色の眼は、全てを憎んでいるように見えた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 会合③

 一時間が経っていた。風見野のファミリーレストランの中。

 机の上に料理を放置したまま、中学生と思しき連中が消えてからそのぐらいの時間が経過していた。

 

 その席の事を、店員も客も無視していた。

 魔力云々を察知しているのではなく、そこにわだかまる不吉の気配を本能的に察したのだった。

 しかし流石に店としての対応をしよう、店員たちはそう考えていた。

 

 そこから伝わる気配が変わったのは、そんな時だった。

 前触れも無く、誰も見ていない内に座席には消えていた年少者達が戻っていた。

 

 しかし姿には若干の変化があった。

 顔や手など、服で覆われていない部分の肌の上には包帯が巻かれていた。

 誰もが苦しそうに呼吸をし、憔悴している様子が伺えた。

 

 その中で一人だけ、こっくりこっくりと頭を小さく上下させている黒髪の少女がいた。

 額に長い包帯を巻いている以外は、特に異変は無かった。

 それが異常な風体となった連中の中で唯一の正常なので、却って異常なのであったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この前の話だけどよ、俺らもあんたらの仲間に入る事にするぜ」

 

 

 店を出てからの別れ際、ナガレはリナにそう言った。

 杏子はかずみを背負い、ナガレの後ろに立ちながら、少し面白くないといった顔をしていた。

 しかしながら同意を示し、彼の言葉に軽く頷いていた。

 

 対するリナはと言えば、苦渋そのものと言った表情になっていた。

 

 

「そちらは……こちらで精査します」

 

 

 そう言ったリナに、「そうかい」と彼は返した。

 対するリナは少しおいて、「ではまた、いずれ」と言って踵を返した。

 隣に立つ京も後に続いた。背中を見せるまで、京は眼の前の三人を睨み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハイ、以上回想終了っと』

 

 

 映像に重なる杏子の声。

 そして映像も変化する。

 ナガレの顔の前には杏子の顔。

 彼の膝の上に尻を置き、両腕をナガレの頭と背中に絡めて向かい合わせとなり、艶然とした顔で接近してくる。

 

 

「ところでよぉ」

 

 

 ナガレは言った。口から発する声ではなく、思念の声で。

 唇同士の接触まで数ミリ足らず、というところで杏子は動きを止めた。

 

 

「お前最近、これよくやっけど楽しいのか?」

 

 

 これとはキスの事である。

 暇さえあれば、ともすれば以前病的に行っていた菓子の貪り並みの頻度で、今の杏子はナガレを求めて身を絡めてくる。

 彼自身は子供の背伸びと受け取っているし、それに可能な範囲で好きにさせてやってもいいかと思っていた。

 杏子への問い掛けは、魔法少女の運命の残酷さを改めて確認したからだろうか。

 

 因みにファミレスでの京の発狂の発端となった、魔法少女の真実を説明したキュゥべえ通称白丸は再び牛の魔女の内部に入れられている。

 存在すっかり忘れてたわと彼は思っていた。

 放り込んだのはたしか、風見野に開いたミラーズで暴れ回ってる時だったかなと思い返す。

 

 

「んーーーーーー…」

 

 

 先程のナガレの問いに、杏子は唸っていた。ただしそれは思念にて。

 彼女の唇はナガレのそこに重ねられていた。

 相手の唇の感触を楽しむべく、自分の唇で食んだり接触の角度を変えるなどして肉を絡める。

 

 

「あたしもよく分かんねぇや。だから分からねぇなりに楽しませてもらうさ」

 

 

 意思を伝え、唇の隙間から舌を彼の元へと送り出す。

 舌の上にはたっぷりと唾液が乗せられていた。

 とろみのついた液体は、ミントの香りがした。

 ちゃんと歯磨きをするようになったようだ。

 

 

「ほんとならセックスがしてぇんだけど。っていうかブチ犯してくれって感じだけど、あんたの性癖を尊重するとこれが妥協点になるのさ」

 

 

 ちゅるちゅると小さな音を立てながら、杏子は彼の口を啜った。

 唾液の味や香りは変わらなかった。歯磨き粉が同じだからだ。

 

 

「妥協、ねぇ」

 

「ああそうさ。妥協だよ」

 

 

 彼に絡める手の力を強くし、さらにずいと前に出る。

 

 

「セックスしてぇって、さっきも言っただろ」

 

「だからよ。10年待てって言ってんだろが」

 

「それはあんたの都合だろ。あたしはさっさと股の中に張られてる蜘蛛の巣みてぇな膜を捨ててぇんだよ」

 

 

 抱き締める、唇を重ねるといった行為の中であったが、杏子はイラつきを覚えていた。

 このあたりはナガレを見る度に不快さが込み上げて悪罵どころか殺害も辞さない態度であった、少し前の杏子の様子を彷彿とさせた。

 

 

「あ、そっか」

 

 

 表情を一変させ、納得の表情を浮かべる杏子。

 

 

「魔法使えばいいか」

 

 

 そして重なり合う唇を基点に、強力な魔力が行使された。

 注がれるのは、欲情の思念。

 杏子が彼に抱く想い、欲望。

 それで彼を感化させようと、幻惑魔法の応用で以て行使した。

 彼はそれを真っ向から受けた。

 

 脳裏に渦巻くのは彼女の裸体、開かれた内臓の色、重なり合う二つの身体。

 男であれば獣欲を解き放たずにはいられない、そんな光景だった。

 

 

「お前、それでいいのか?」

 

 

 その思念は何時もの通りだった。

 緊張も困惑も、乱れもせずにただの問い掛けとして放たれていた。

 杏子は幻惑の行使をぴたりと止めた。

 

 そして熱い息を吐いた。

 放った幻惑はナガレをその気にさせるには至らなかったが、それを放った杏子に対しては効いていた。

 まるで自分の毒で苦しむ毒蛇である。

 

 

「魔法もあたしの実力の内だけど、フェアじゃないね」

 

 

 腹の奥の疼きを堪えて杏子は思念で言う。

 

 

「それに正直言うと……最近あんまりソノ気にならねぇんだ」

 

「えっ」

 

 

 思わずナガレは返していた。

 その間も杏子の唇は彼の唇に絡みついている。

 その状況でその発言は如何に、と思うのも無理はない。

 

 

「多分、あいつのせいっていうかお陰って言うか、そんな感じかな」

 

 

 そして唇を離し、彼女は彼の胸板に顔を埋め、背に回した腕を肩甲骨の辺りで組んだ。

 体重を預け、甘えるように。ナガレは何も言わない。話聞いとこ、と彼は思っていた。

 あいつというのは誰かは分かる、というか一人しかいない。かずみである。

 

 

「ごっこって言っても、あと身勝手とは言え、あたしはあいつの母親役だ。だから性欲も萎えちまってんだろな」

 

 

 彼の胸に頬擦りしつつ杏子は言う。

 彼女なりにかずみの事について考えているのだろう。

 性欲の基準についても、それは杏子の基準なのでナガレは口を出さなかった。

 出しても無駄と分かっている。

 

 

「だから、この程度が精いっぱいさ。萎え切らないのはアレだよ。あんたが性癖破壊兵器だからだ」

 

「…その言い方、なんとかならねぇのかな」

 

「じゃあ対魔法少女懐柔兵器」

 

「言うほど懐柔できてねぇよ」

 

「ハハハ、だろうねぇ」

 

 

 中身のない会話を重ねる二人。そうしていく内に杏子は「ああそうか」と呟いた。

 

 

「あんた、恋愛ってしたことある?」

 

「どうだかな。一緒にいて楽しい奴と付き合ってた事はあるけどよ」

 

 

 愛情という概念について、そもそもよく分からない。

『これ』と確定させない方が面白そうだし定義は無理だろというのが彼なりの考えだった。

 正義とか英雄とか、謳われるならともかく自称すると急に醜悪に思えることに似てると、彼は持論を抱いていた。

 

 

「じゃあそれ」

 

「はい?」

 

「あたしの現状。あんた相手に恋してる」

 

 

 にやっと笑い、杏子は告げる。

 

 

「でも今は子育て第一だからな。一緒に頑張ろうぜ、『おとしゃん』?」

 

 

 彼が何かを言う前に一気に言葉で畳み込み、杏子は再び唇を重ねた。

 女ってのはよく分からねぇな、と口の中を這い廻る舌の感触を味わわされながら彼は思った。

 杏子は角度を変え、舌のアプローチに変化を掛ける。

 

 その為に、彼女の背後の景色が見えた。

 ソファから上半身をむくりと起き上がらせたかずみが、その様子を赤く渦巻く眼で見ていた。

 

 

『……大変だろうけど、合わせ過ぎも互いの為にならないと思うよ……『おとしゃん』』

 

 

 かずみはそう思念を送り、ゆっくりと身体をソファに沈めた。

 この生活を始めて結構経つが、かずみの指摘はその間で生じた数々のカオスな事象と比べてもさほど遜色がないほどに、彼の心を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 













ううむ、中々に不健全
いや、年齢的には健全でもあるのか……?(自作佐倉さんの年齢は16歳)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 それぞれの夜の過ごし方

「ああ…ああああ」

 

 

 深夜の暗い部屋。少女の声が鳴っていた。

 秘められているのは苦悩、そして快楽。

 床に敷かれた布団の中で、裸体の少女が二人、熱い肌を重ねて絡まっていた。

 指は互いの乳房を撫で、絡められた両脚が互いの女に触れる。

 滲む体液が太腿を濡らし、快楽の声が生じて腰が跳ねる。

 

 その中で、リナは苦悩し続けていた。

 魔法少女の真実、双樹による実質的な麻衣の拉致・死体化、京のメンタルの不調。

 そして風見野自警団にあの二人を迎えるべきか、否か。

 その二人が擁する、としていいのかは判断に困るが、あの異常な戦闘力をもつ「かずみ」なる少女。

 考えることが多く、そして全てを軽々しく決める事など出来ない。

 そもそも、何処から手を付けて良いのかが分からない。

 

 分からない。

 でも決めなくてはならない。

 何故か。

 自分はその立場にいる者だから。

 責任があるから。

 

 

「ああ、ああああああああ!」

 

 

 相手の小さな身体を抱きながらリナは叫んだ。

 叫びが自分を蝕む感覚が、確かにあった。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

 震える身体を、自分が抱いていたものが抱いた。

 

 

「私は、貴女の味方です」

 

 

 リナにはその声が、救済の女神のそれに聞こえた。

 闇で包まれた室内、更にその中で二人を覆う布団。

 完全に近い闇の中ではあったが、リナにはそのものの姿が眩く輝いて見えた。

 

 慟哭を上げながら、リナは相手の薄い胸に顔を埋めて泣いた。

 赤子の産声のようだった。

 リナの頭を、その者は優しく撫でた。

 

 

「くふふっ」

 

 

 闇の中に、その笑い声が漂い消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わるが、そこもまた暗い部屋だった。

 部屋の片隅に置かれた勉強机の上だけに、勉強用のライトスタンドによる光が灯っていた。

 

 

「………」

 

 

 机の上の一角を照らす光を、その前に座った少女はじっと眺めていた。

 身じろぎ一つせず、ただ眺める。

 瞬きもせず、呼吸さえも絶えているかのように。

 

 

「麻衣…ちゃん……」

 

 

 その呟きは机の上に当たって砕け、そして消えた。

 それを彼女は、何度も何度も繰り返した。

 夜が明けるまで。

 そして、日が世界を光で染めても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばり ぶちゃ くちゅ ばき ほふっ ぺちゃ ぱき ごくん

 

 

 音が響いていた。

 光り輝く光量で満たされた部屋の中。

 

 豪華な寝台、家具や書物などは整頓され、整然と並んでいる。

 広さにして約二十畳ほど。

 部屋というより家の広さに近い。

 白い壁面、異国の情緒が伺える赤い絨毯が敷かれた床。

 その全てと相反する、悍ましい音が響いていた。

 

 いや、その実、相応しい音でもあった。

 棚の一つの中には、銀色に輝く物体が置かれていた。

 金属光沢を放つのは、一角を持つ動物の頭だった。

 生物にあるまじき異形さは、動物の死体の上に銀を塗しているからだ。

 

 元となったのは、立派な角を持つ犀だった。

 首だけでもかなりの大きさだが、棚自体が大きく問題なく収納されていた。

 製作途中なのか、獣の皮膚の一部は乾燥させられて乾いて亀裂が入った肌を見せていた。

 銀色の犀の首の前には、生前と思しき写真とその名前と生没年が刻まれている。

 野生のものではなく、どこかから盗んできたのか。

 

 そう言った品は他にもいくつか並んでいた。

 紫色に塗られたコブラの剝製、腹の中身を刳り抜かれて翼を広げさせられた白鳥、赤い絵の具を無造作に塗りたくられたエイ。

 何かしらの美を追求し、その過程で飽きて捨てられた者達。

 それでも整然と飾られているのは、中途半端なこの状態で満足しているせいか。

 

 そして先述の悍ましい音は、この棚の前で生じていた。

 赤い絨毯の上に、白いドレスを着た少女が座り込み、何かを一心不乱に喰らっていた。

 何かを手に持ち、真珠のような歯でかぶり付いて咀嚼し、舌の上で転がし味わってから飲み込む。

 口と食物の間からは真紅が滴り、ドレスの上に降り掛かる。

 長いスカートの部分は真っ赤に染まり、赤を越えて黒くなってさえいた。

 全く構いもせずに、少女は喰らい続ける。

 獲物を喰らう獣の尾のように、栗色の髪のポニーテールが左右に激しく揺れていた。

 

 

「相変わらず、よく喰うねぇ」

 

 

 その背後で、呆れたような声が生じる。

 発したのは、深い青色の衣装を纏った緑髪の少女。

 薄い白鞄を背負い、飛行眼鏡を額に乗せた姿は、二昔前の飛行機乗りの姿にも見えた。

 その声を無視し、白ドレスの少女…双樹は食事を続ける。

 

 

「元から変な措置を受けていたとはいえ、よくもまぁ、こんな食生活を続けるものだ。見てるこっちが祟られそうだよ、くわばらくわばら」

 

「異星人の幽霊なんて、怖くもなんともないね」

 

 

 振り返りもせず双樹は返す。血塗れの歯が、白い毛皮を喰い千切って肉を引き出す。

 

 

「それに、私達にはこれが必要なのです」

 

 

 双樹の口調が変化した。あやせからルカへと変わったのだろう。

 

 

「そう。皆と一緒にいる為に、これは必要不可欠なイベントなの」

 

 

 滴る血で赤黒く染まった下腹部を、双樹は愛おし気に撫でた。

 皮と肉を隔てた先の、彼女の子宮には奪ったソウルジェムがぎっちりと詰め込まれている。

 

 

「いやはや、なんとも真面目だ。脱帽するよ、本当に」

 

 

 青の少女は目元は無表情で、口には酷薄な微笑を浮かべてそう言った。

 

 

「それにしても、厄介な身体だねぇ」

 

「誰の所為でしょうかね」

 

「それは勿論私と海香。あとその土台を作ったのは神浜の連中だからそいつらにも製造責任はある。しかしながら、それを望んだのはキミだよ。おじょうちゃん」

 

 

 少女の指摘に、双樹は声を震わせた。

 それは哄笑だった。

 

 

「ははははは。言葉にすると中々にカオスで実に笑える。笑えるぞ、神那ニコ」

 

 

 右の眉を不快そうに上げる、ニコと呼ばれた少女。

 表情は虚無に近いが、また人格が変わってるなという嫌気が伺えた。

 

 

「言われてみればその通りだけど、そっちだって私のデータが欲しかったくせに」

 

「ああ、全く以てその通り。あとデータっていえば、ホレ」

 

 

 両胸の下にある、白いベルトで括られたケースから何かを取り出し、ニコは双樹へ向けて放った。

 後ろを見もせずに、双樹はそれを受け取った。

 繊手が握ったのは、液体で満ちた小瓶。

 その中で、黒い瞳を持つ眼球が揺れていた。

 

 

「それは返すよ。中々興味深い結果が得られた」

 

「それは、この前聞いた破壊音と関係が?この監禁部屋までよく響いたのですが」

 

「詳細を知りたいのか?」

 

「いいえ、別に。社交辞令として尋ねただけだよ」

 

 

 やれやれ、とニコが呟く。

 会話が成立しない事への嘆きだろう。

 

 

「そんじゃ、私は此処で失礼するよ。食い散らかしたのは、自分でちゃんと片付けてくれ」

 

「…?何故?」

 

 

 心底意味が分からない。

 そんな感じの双樹であった。

 溜息を吐くニコ。

 

 

「じゃ、ここでバイバイといこう。おやすみ、おじょうちゃんたち」

 

 

 右手を掲げて左右に振る。

 振り終えると、その身体は硬直し、足元から砂となって崩れ落ちた。

 異常な現象は、魔法以外の何物でもない。

 床に堆積した砂も、瞬く間に消えていった。

 その内の一つが、室内に循環する暖房の気流によって双樹の元へと運ばれた。

 燐光を帯びて消えてゆく砂粒が触れたのは、白い毛皮の獣。

 

 赤い血玉のような眼をした、猫のような外見の四足獣。

 

 

「ああ、むっ」

 

 

 それを、双樹は喰っていた。

 耳から生えた腕のような部分を引き千切り、腹を喰い破って中に詰まったものを啜る。

 獣は暴れもせず、どころか微動だにしない。

 完全なる意識の消失。

 獣が陥っている状況はそれだろう。

 

 そうすると、彼女は獣を投げ捨てた。

 部屋の一角には既に、50体近くの獣の骸が積み上げられていた。

 そして双樹の傍らには、まだ十数体の個体があった。

 それらも全て、贄となるのを待っているかのように動かない。

 

 ものも言わず、そして動かぬ獣をまた一体、双樹は肉を噛み砕いて捕食した。

 血肉を飲み干す中、双樹の青い瞳が輝いた。

 それは獣と同じ、血玉のような赤い色をしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 平穏で静かな、いつもの夜

 深夜零時。空に浮かぶのは満月と一面の星空。

 日中に降った雨により、大気はじっとりと水気を孕み、夜風には冷気が宿っていた。

 それが火照った身体を冷やす。

 その感覚を、ナガレと杏子は楽しんでいた。

 

 

「うううううらああああああああああああああああ!!!」

 

「おおおらああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 鮮血を吐き出す傷に覆われた姿で、身を削る剣戟を交わしながら。

 風見野の郊外、ほぼ隣の市に近い場所で、ナガレと杏子は命を重ね合っていた。

 新しいものを創るのではなく、奪い合うという意味での。

 

 真紅の十字槍を迎撃するのは、ナガレが両手に持った手斧であった。

 この世界に来てから破壊と再生を幾度となく繰り返し、修繕材料として魔女の構成物や魔法少女の武具までも用いて作り上げた武器だった。

 形状は両刃であり、刃は幅広く盾としての用途も可能。

 

『ゲッタードラゴン』。モチーフとしたのはその名を持つ機体の斧、ダブルトマホーク。

 その機体は不吉な存在であり、彼にとっても本来の名前と重なる部分があるがそれはそれである。

 魔法少女が自分の闇を背負っているのだから、というのも彼にこの形を選ばせたのかもしれない。

 ただ単に、武器としての有用性を見出したからとも言えるが。

 

 

「厄介だな!!」

 

「お前らに鍛えられたからな!!」

 

 

 絡み合う鋼の暴風。その中で両者は会話する。

 新たに傷を作りながら、既に開いている傷口を更に深くさせながら、言葉を発する口から唾と血を吐きながら。

 夜の、更に天井となり月と星の光を遮る森の中であったが、剣戟により火花は絶え間なく生じ、二人の姿はよく見えた。

 戦闘開始から既に2時間。骨も内臓も大分痛めている頃合いだった。

 今もまた新しい鮮血と肉片が宙を舞った。

 

 

「ぐっ…」

 

 

 水平に振られた杏子の斬撃を、ナガレは間髪で身を屈めて回避。

 一瞬の間も置かずに左手で身体を支え、蹴りを放っていた。

 砲弾に等しい威力のそれは杏子の顎を綺麗に打ち抜き、その身体を宙に舞わせていた。

 

 腹を上向きにして吹き飛ぶ杏子であったが、その状態で強引に姿勢を制御し斬撃を放った。

 それは複数の金属塊を弾き、切り裂いた。

 ナガレが放った、簡素な手投げナイフだった。それが電子の光を帯び、配線が絡められていると知った時、杏子は急いで外套に手を伸ばして身を覆った。

 爆音、そして炸裂。

 

 森の中が一瞬、白光で包まれた。

 既に周囲に生物はおらず、木々にもダメージはない。

 破壊の範囲を絞り、尚且つ威力だけが面ではなく点に作用するよう調整された結果だった。

 

 地面に着地した杏子は、口から血の塊を吐き出した。

 その身体には、白煙が纏われていた。

 

 

「容赦するな…っていう、あたしのリクエスト……守ってくれてありがとよ」

 

 

 口から血を垂らしながら、杏子は微笑む。

 その顔は、凄惨そのものの様相となっていた。

 ナガレが放った、小型爆弾付きの手投げナイフは無数の破片となって杏子の全身に喰い込み、血で濡れた表皮とドレスを肉の柘榴に変えていた。

 その猛威は顔にも及び、杏子の左頬は吹き飛び、口の中身も大きく抉っていた。

 左目には大きな破片が突き刺さり、赤い瞳を縦に割っていた。

 

 激痛と闘争心、そして怒り。

 それらの裏側から湧き出す、充実感と更なる欲望。

 自分が得たい地獄は彼の存在そのものであり、それは恋慕と同義であるとも自覚した。

 

 それはキリカの影響、ではないと杏子は思っていた。

 そもそも彼女の事など、この時杏子は全く考えていなかった。忘却していたとさえいえる。

 また仮に今の彼女にキリカとの類似性を指摘しても、杏子の方が何処が似ているのかと首を傾げる事だろう。

 

 そして今の彼女は、ただひたすらに彼の事が欲しかった。

 あらゆる意味で。

 

 

「ナガレぇえええええええええええええええええええ!!!!!」

 

「行くぜ杏子ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 渇望の咆哮。迎撃の叫び。

 何時もの二人だった。

 そして同時に駆け出した。

 互いの命を求め、奪う為に。

 血の線を曳きながらの疾走、そして一瞬の交差。

 

 刃の斬撃、切断音。

 走り抜けた両者の距離は、10メートル。

 その真ん中、交差した点に何かが落ちた。

 それは両刃の斧を握った、ナガレの左腕だった。

 杏子は振り返った。

 口は耳まで裂けたように広がっている。

 

 こちらに背を向けたナガレの姿が見えた。

 左腕は肘の辺りで切断され、滝のように血が滴っている。

 自分が彼に与えた戦果に、杏子は満足を感じた。但し、満足とは言いつつそれはまだ欠片。

 本当に欲しいものは、まだ二本の足で立っている。噴き出す血が表すように、まだ鼓動が続いている。

 

 だから、まだ……。

 

 

「奪ってやるよ。ナガレ」

 

 

 槍を構えて身を低くし、杏子は突撃の構えを取った。

 その時、ナガレは右手を振っていた。

 手に握る斧から、血と脂を振り払う。

 水を撒いたように、血と脂肪が湿度を含んだ草木に降り掛かる。

 

 その瞬間、杏子の視界を深紅が覆った。

 それは、彼女の胸から放たれていた。

 絶叫が杏子の口から…放たれなかった。

 喉から肉が裂け、胸を断ち割り臍の上まで朱線が続いた。

 放とうとした叫びは形にならず、水気を孕んだ笛の音のように杏子の体の中から噴き出していた。

 

 杏子との交差の際、彼が放った一撃の結果だった。

 濁流のように、杏子の体内から鮮血が溢れ断ち割られた臓物が零れ落ちる。

 それでも。

 

 

「ナァァァガレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 

 

 声にならない音で杏子は叫び、そして走った。

 自分を求め、迫る死となって接近する杏子へと、彼は振り返って走った。

 再びの交差。

 今度は金属音が鳴り響いた。

 

 三度目は無かった。

 激突の数秒後、両者は互いにもたれ掛かる様にして倒れた。

 そして互いが吐き出す血の海の上に横たわった。

 

 

 

 

 

 

「ハイ、どーぞっ」

 

 

 眼を開くと、満面の夜空が見えた。

 そして、その声を発したものの顔が見えた。

 長い黒髪、前髪から飛び出たアホ毛。

 赤く渦巻く瞳。

 纏った服は、上がナガレの私服で下が自分のホットパンツの予備。

 記憶喪失の少女、かずみがいた。

 

 彼女は軽く身を屈め、水を掬うような形にした両手を杏子に差し出していた。

 白魚のような指が並んだ手の上には、警笛を数十倍の大きさにしたような形の鮮やかな赤い肉が乗せられていた。

 

 

「あー……あんがとさん」

 

 

 むくりと血の海から起き上がり、血染めの両手でそれを受け取る。

 人体最大の臓器、肝臓だった。

 杏子はそれを腹の傷口に強引に押し込んだ。

 はみ出ている腸も一緒に格納する。

 

 麻痺していた痛みが再来する前に、治癒魔法を全開発動。

 傷口が塞がり血が増やされ、痛みが淡雪が溶けるように消えていく。

 口の中に溜まっていた血をどうするか一瞬迷い、飲み込んだ。

 あいつの血の方が喉越し良いな、と彼女は思った。

 言うまでも無くナガレの血の事である。

 

 立ち上がりながら背中の泥と血をぱっぱと払い、杏子はこきこきと首を鳴らした。

 

 

「はい、どーぞ!」

 

「おう。ありがとな」

 

 

 視線の先では、かずみがナガレに切り飛ばされた腕を渡しているところだった。

 ふむ。

 と杏子は思った。

 

 

「平和だなぁ……」

 

 

 皮肉でもなく、感じたままにそう言った。

 欠伸を噛み殺しながらであったことも、それが彼女の本心である事を示していた。

 

 

 

 














順応性が高いに過ぎる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 平穏で静かな、いつもの夜②

『美味い』

 

 

 ナガレはそう言った。

 牙のような鋭い歯が、海苔で包まれた白米を齧る。

 

 

『味付けは塩だけ…だっつぅのに、この味は……美味い』

 

 

 語彙力の無さを呪いつつ、ナガレは続けた。

 皿に齧る。手に付いた塩気と粘り気すら惜しいのか、彼は指をぺろりと舐めた。

 それからでさえも、美味の残滓が感じられた。

 

 

『えへへ…嬉しい』

 

 

 応答するのはかずみである。

 塩むすびを作った張本人。

 彼女自身も、ほっぺたに米粒を付けつつ食事を楽しんでる。

 

 

「ホラ、落ち着いて食べろよ。あと水もちゃんと飲みな」

 

 

 かずみの頬に付いた米粒を指先で取り、杏子は鞄から水筒を取り出した。

 中に入っているのは熱いお茶である。

 コップを兼ねた蓋に湯気を立てる茶をかずみへと差し出す。

 

 

「ありがと、佐倉杏子」

 

 

 礼を言って、かずみはそれを受け取った。

 はふはふと息を吹きかけて良い感じに冷やし、かずみはとくとくと飲み込んでいく。

 

 

『…ねぇ、ナガレ』

 

『なんだ?』

 

 

 思念で意思を交わすかずみとナガレ。

 理由は察していたが、一応尋ねた。

 何事も決めつけは良くないと、彼は思っていた。

 

 

『佐倉杏子、良い人とは思うんだけどちょっと怖い。なんで私の母親ムーブしてるの…』

 

『…辛いか?』

 

『ううん…だから、頑張る』

 

 

 振り向くと、視線の先には廃墟に腰掛けたかずみと杏子の姿。

 彼の左眼は今は無く、キリカの眼帯でそこを覆っている。

 残った右眼で、彼はそれを見ていた。

 かずみの頬に付いた米の粘り気を取る為か、濡れタオルで彼女の顔を磨くように擦る杏子の姿が見えた。

 苦笑いをしながら、かずみはされるがままの存在と化していた。

 なんとなくだが、飼い主に抱っこされて嫌がる猫のようなイメージが彼の脳裏を過った。

 その様子に、彼は多少なりとも自分の姿を重ねたのかもしれない。

 

 

『偉いぞ。良い子だ』

 

 

 生意気な口調と言い方。彼は今の言葉をそう思った。

 対するかずみは、ゴロゴロと喉を鳴らした音の思念で応えた。

 褒められるのは、正確には彼に褒められるのが嬉しいようだ。

 

 このあたりは、自分の名前を取り戻す切っ掛けを与えてくれた事。

 ともすれば彼に父性のようなものを感じているからだろうか。

 その感覚は彼にも伝わっており、彼はそれを悪くないと感じていた。

 

 

「ホラよ。お前も食いな」

 

「ありがとう、ナガレ」

 

 

 そう思いつつ、彼は砕けたコンクリに腰掛けながら傍らの存在に半分に千切った塩むすびを渡した。

 右手の上に乗せられたそれを、そいつは勢い良く食んでいた。

 

 

「食欲は旺盛だな」

 

「栄養の摂取は大事だからね」

 

「ま、そうだな」

 

 

 言葉を発するのは、人間ではなく白い獣。

 猫にも似ていて可愛いものの、独特の異形なフォルムをしている。

 キュゥべぇと呼ばれる存在だった。

 首には誰かの所有物である事が示されている赤い首輪が嵌められている。

 

 

「にしてもなぁ…白丸よぉ。お前も随分とエグい奴だな」

 

「申し訳ないけれど、僕達に罪悪感は皆無だ。感情が無いからね」

 

「それでも申し訳ないっていう社交辞令は言えるってか。メタルマンの博士かよ」

 

「その映画は知っているけど、僕でも理解に苦しむね」

 

「なら今度一緒に観ようぜ。てめぇが感情とかを学べるまで周回してやる」

 

「君は拷問吏の才能がありそうだね、ナガレ」

 

「てめぇがほざくなよ。インキュベーター野郎」

 

 

 異形の獣相手に、聞いている方が正気を削られそうな謎会話を繰り広げるナガレであった。

 キリカの眼帯のせいだ。

 そのやり取りを見る杏子はそう思った。思うことにした。

 

 その一方で、杏子は少し前にファミレスで、風見野自警団の残党と共に聞いたキュゥべぇ…インキュベーターの話を反芻していた。

 エントロピー云々、宇宙の寿命どうたら、希望から絶望への相転移はなんたら、だとか。

 

 

『ふーん』

 

 

 というのが、杏子の率直な感想だった。

 スケールの大きな、自分ではどうにもならなそうな事象について、最近垣間見たせいもある。

 ナガレの、彼の精神の中で見たもの。

 あれらを見ていたから、精神的な衝撃が和らげられていた。

 先程のナガレに抱いた現実逃避的な思い同様に、杏子はそう思う事で精神的な苦痛に耐えていた。

 

 そんな話がされたのが、それまでの伏線も皆無で場所は夜のファミレスというのがどうにも締まらないが、事故と同じく出来事の開始には前触れが伴わない時も多い。

 自分も家族を救いたいと思った事が、破滅を導くとは思っていなかった。

 執着の対象と会話を続ける白い獣に、言いたいことが無い訳ではない。

 だが無意味そうだなと彼女は思った。

 

 本人曰く、感情が無いとのことでは無意味そうではなく無意味である。

 それに今は母親ごっこをする方が大事と、杏子は行動に移していた。

 かずみのかいた汗を拭うべく、服の中にハンカチで覆った手を這わせる。

 虫歯が無いかと口を開けてチェックする。

 戦闘の余波で怪我をしていないか身体をまさぐるetc。

 

 それらを、かずみは黙って耐えていた。

 顔を逸らし、恐怖を感じている事を杏子に伝えないように努める。

 その様子を、杏子はかずみが照れてるのか、記憶喪失故に寂しいのかと捉えていた。

 

 なのでそれらを埋めてやろうと、彼女はかずみへのスキンシップに励んでいた。

 当然のように、かずみの恐怖、というか怖気は深くなっていった。

 それでも抵抗しないのは、雨風凌げる住処を提供してもらっている恩義がある為だ。

 実に健気な少女であった。

 

 

「おい、杏子」

 

「ん?」

 

 

 かずみを背後から抱き締めながら、杏子は声の方向を見た。

 四足を地面に着けた獣と、その首に繋がれた鎖を握るナガレの姿が見えた。

 

 

「ちょっと散歩行ってくる。かずみの事頼んだぜ」

 

 

 そう言ってナガレは鎖を軽く引き、湿気が籠る森の中へと歩き出した。

 なんとなく楽しそうなのは、動物が好きだからだろうか。

 キュゥべぇも特に拒否せず付き合っている。

 杏子がこの獣への抗議は無意味と思ったのと同じく、獣もまたナガレへの反抗は無意味と思っているのだろう。

 

 かずみの長い黒髪を手に取り、その感触を楽しみながら、これからどうするかなと杏子は考えた。

 彼が散歩に出た、という事で彼女も一つを思いついた。

 今回の風見野郊外へ出向いてのお弁当持参のバトルのように、遠くに繰り出すのもいいなと。

 かずみの記憶回復にも役立つかもしれない。

 

 かずみの後頭部に鼻を添え、彼女の香りを嗅ぎながら考えた。

 髪に纏われた甘い香りに、杏子は一つの考えを思いついた。

 少し前にコンビニで読んだ雑誌か、路地裏に捨てられてた雑誌にでも載っていた、とある店の名物料理。

 直径20センチほどの深底のバケツに、溢れんばかりに盛られたアイスにフルーツに生クリーム。

 ある種の夢の集合体、その名も尊き「バケツパフェ」。

 

 それを取り扱う店に行ってみたいなと、杏子は思った。

 雑誌に載せられていた画像には、その作り手と思しき男の顔も載っていたが、杏子の認識はそこには無かった。

 大事なのはその所在である。

 すぐに思い出せた。

 幸いにして、それは風見野から割と近い場所だった。

 

 

「あすなろ…か」

 

 

 杏子はぼそりと呟いた。

 その単語に、かずみは思わず身を震わせた。

 自分に対して距離感が近すぎる杏子に対する警戒心からのものではなく、その言葉が自分の心に与えた不可思議な感触によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















話を進めねば


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 力は使う事に価値がある

「そろそろかな」

 

「多分な」

 

 

 昼下がりの廃教会。

 祭殿の半ばあたりで昼寝をしていた杏子とナガレは、むくりと起き上がるやそう言った。

 ナガレは立ち上がり、祭壇の麓に置かれていた発泡スチロール容器を開けた。

 潮の香りが立ち込める。入っていたのは、茹でられた蟹だった。

 松葉ガニにタラバガニやズワイガニなどがぎっしりと。

 廃教会の中、それらの赤い甲羅が眩く輝いていた。

 

 

「回想、するかい?」

 

「するほどでもねぇだろ」

 

 

 魔法を用いての回想は便利だが、魔力の無駄遣いは控えとこうという彼の意向である。

 尤も今の杏子はソウルジェムを喪っており、彼女の魂は双樹の子宮の中にある。

 中々に、というか狂いきった状況だが、そう云う訳で今はソウルジェムの浄化もへったくれもないのであった。

 奪われてから十日が経過し、その間特に何の異常も無い。

 結論。普段通りで良し。

 しかしながら、彼が言った通りに別に幻惑魔法を用いての回想をするまでも無い。

 単純な事だった。

 

 気まぐれで出した懸賞が当たり、それを受け取った結果がこれである。

 受け取り場所は近場の郵便局にしておいたので受け取りもスムーズだった。

 ほったらかしにして解凍し、今に至るという訳だ。

 

 

「どれ」

 

 

 タラバガニの足を根元からボキンと折り、ナガレは蟹の肉が露出した断面を歯を立てた。

 肉ではなく、甲殻ごと口に含んでいた。

 口が閉じられると、甲殻はスポンジケーキのように簡単に噛み千切られた。

 そのまま咀嚼されて飲み込まれる。

 

 

「うん、イケる」

 

 

 棘だらけの足だったというのに、彼には痛痒の欠片も無い。

 歯と顎が頑丈過ぎ、口の中の粘膜も強靭過ぎるのだ。

 

 

「どれどれ」

 

 

 杏子は手を伸ばし、ナガレが持っていた蟹の足を引っ手繰った。

 そして彼が齧った部分に口を近付ける。こういったところでも、

 彼とのつながりを持ちたいらしい。依存心の顕れである。

 その手を、横からがしっと掴む者がいた。

 

 

「任せて」

 

 

 諭すような口調を放ったのは、記憶喪失少女のかずみ。

 見ていられない。そんな感情が彼女の赤い瞳に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 十数分が経った。

 廃教会の中央には白いテーブルクロスが敷かれた机が用意され、その上には大量かつ多種の料理が並んでいた。

 蟹チャーハンに蟹玉、ピラフにクリームパスタに蟹入りのサラダなど。

 素材の味を存分に生かした料理がずらっと並んでいた。

 席に着いた面々の背後では、調理道具を用意しこの後の後片付けを担う事の報酬として、蟹の殻を貪り食っている牛の魔女がいた。

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 食材と料理人に感謝を込めて、三人は手を合わせてそう言った。

 そして言うが早いか、料理を貪り食い始めた。

 呼吸をする間も惜しいと言わんばかりに、丁寧にされどガツガツと食べていく。

 蟹肉特有の豊潤な旨味がかずみの調理によって飛躍的に向上し、口に含む度にえも言われぬ多幸感を捕食者達に与えていく。

 

 

「佐倉杏子、ちょっとごめんね」

 

 

 席の並びはナガレ・かずみ・杏子である。

 隣に座る杏子の顔を、かずみは一言言ってから白いナプキンで拭いた。

 彼女の顔は、パスタから跳ねたクリームが付着し、どろっとした白さを纏わされていた。

 

 一種の淫らさを触発させかねない外見となっていたが、これは彼女の意図が含まれたものではなかった。

 ただあまりにも料理が美味すぎて、我を忘れて貪った事の結果だった。

 顔を拭かれつつ、杏子はほんの極僅かとはいえ食べ物を無駄にしてしまった事、そしてこの子供じみた行為からの扱いに精神的な打ちのめされを感じていた。

 

 実行者であるかずみはといえば、この行為に安堵感を覚えていた。

 その理由は杏子から受ける目上の、というか自分を子ども扱いしての杏子の母親ムーブに感じる妙な居心地の悪さと少しの恐怖への対抗心。

 自分が大人にならないと、とかずみは記憶喪失ながらに思っていた。

 良い子にすぎる少女であった。

 

 その様子を横目で眺め、「平和だな」と思いつつ彼はチャーハンを食べていた。

 卵黄でコーティングされた黄金の白米に混じる、白と赤の蟹の身が実に美味い一品だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱波が渦巻き、雷撃が降り注ぐ。

 魔女結界の中は地獄と化していた。

 地面には無数のクレーターが生じ、果てしない深さの底には灼熱の泥が溜まっている。

 破壊を為した黒衣の少女は、背中の黒いマントを翼のように靡かせながら、

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアア!!!!アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 声にならぬ叫びを上げ、手に持った黒十字の杖を振り回し熱線と雷撃を放ち続けていた。

 それらを真っ向から斬り刻みながら、破壊者たるかずみに向かって真紅の暴風が奔っていた。

 

 

「かずみいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 破壊者の名を叫ぶ佐倉杏子。

 肩や頬には、熱線や雷撃による重度の火傷が生じていた。

 右眼も周囲の肉ごと蕩け、顔半分は桜色の皮膚となっていた。

 胴体にも複数の黒点が穿たれ、よく見れば炭化した穴の奥には向こう側の光景が見えた。

 

 首も半分ほど千切れかけ、断面からは血泡がシャボン玉のように付着している。

 その状態でありながら、杏子の動きは衰えていなかった。

 そして遂にかずみの前に立った。

 横薙ぎの一閃が、かずみが放った熱線を消し飛ばし、稲妻の毒蛇の首を撥ね飛ばした。

 

 

「ざぐら…ぎょうこおおおおおお!!!!」

 

 

 不格好な発音だったが、かずみは確かに名を呼んでいた。

 そしてぎこちない動きで以て、杏子に向けて拳を放つ。

 当たれば胴体が粉砕される。

 拳に絡みつく猛風から、杏子はそれを悟った。

 だが、彼女は恐れなかった。 

 

 

「だから…甘いんだよ!!」

 

 

 叫び、右手を放つ。

 迫る右拳の側面に杏子は右の裏拳を放って軌道を逸らした。

 拳が痺れ、肩が捥ぎれそうなほどに痛む。

 だがその前に、杏子はかずみの懐に飛び込み、彼女の薄い胸に数十発の打撃を放っていた。

 肉が抉れ、肋骨が破損し、かずみの身体が吹き飛ぶ。

 だがそれを赦さず、杏子は左手でかずみの首をがしっと掴んだ。

 そして手前に強く引いた。

 

 

「オラァ!!」

 

 

 叫びと共に頭突きを放つ。額同士が激突。

 受ける寸前、狂乱のかずみの眼には明らかな恐怖が浮かんでいた。

 杏子の石頭がかずみの額を打ち抜き、彼女の額からは出血。

 意識が飛び掛け、かずみの眼が虚ろになる。

 

 

「おい!!」

 

 

 それを引き戻したのは、杏子の叫びだった。

 再び首が引かれ、杏子の額と激突する。

 

 

「ただ闇雲に暴れてもなぁ……いいことなんざねぇんだよ!!」

 

 

 その叫びはかずみに向けたものであったが、同時に杏子自身にも向けられていた。

 狂乱は確かに一時の力のブーストにはなるが、持続力が無い。

 暴走した巨大なドッペル、精神の中で彼と戦った自分の経験。

 そして彼の記憶で垣間見たもの。

 

 狂乱するかずみは、それらとダブついて見えた。

 だからこそ、制御する必要があると感じられた。

 自分の事であるように。

 

 叫ぶ自分の背に、杏子は彼の視線を感じていた。

 まだだ、と彼女は思念を送った。彼も了解を示した。

 自分はまだ戦える。

 選手交代はまだ先だ。

 

 

「力ってのは、使われるんじゃなくて使ってなんぼだからな」

 

 

 血染めの顔で杏子は微笑む。

 それを理解しているのか定かではないが、かずみも唸り声で返した。

 そして、拳の交差が再開された。

 

 かずみの放つそれは確かに荒々しさの塊であったが、僅かに洗練されていた。

 杏子がそれに押され、手も足も砕けて血塗れとなるまでそれは続いた。

 そして言葉の通りに、ナガレがその後任を引き継いだ。

 

 彼の咆哮とかずみの絶叫が絡み合う音を聞きながら、杏子は意識を失った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 親となるのは簡単で、親になるのは難しい

 小さな寝息が、廃教会の中に溜まる空気を僅かに揺らす。

 割れたステンドガラスから覗くのは曇天の空。

 分厚い雲の奥に、薄っすらと月の形が滲んでいる。

 

 闇に等しい空間の中、重なり合う身体が二つ。

 そしてそこから生じるのは、寝息よりも小さな水音。

 発生源は二つだが、積極的に発しているのは片方だった。

 崩壊しかけの祭壇に腰掛けた少年の正面に、向かい合うように腰掛けた少女の唇と口内から。

 

 

「痛ぇな」

 

「ああ」

 

 

 重なり合う唇。呼吸の合間に言葉が交わされる。

 座るナガレと、彼の膝の上に座って身を絡めて唇を貪る杏子。

 いつもの不健全な二人であり、その風体はいつも通りであるが少々異なっていた。

 服からはみ出ている皮膚の部分、顔の大半と手首から指先まで。

 

 杏子の場合は腹や足の付け根まで切り込んだ、ナガレ篭絡用にわざわざ履き替えるホットパンツから露出する肌の全てを白い包帯で覆っている。

 包帯には朱が滲み、よく見れば指や腕の形も少々歪んでいる。

 シャツの裾からも包帯の端が見えることを鑑みると、服の内側も帯で覆われているらしい。

 つまりは全身に傷を負って内臓や骨も重症という訳である。

 つまり、いつもの有様だった。

 異なるのは魔法で瞬時に治る負傷が、今も継続している事だった。

 

 

「あいつの動き…良くなってきてるし、少しだけど会話できるようになってきたけどさ…」

 

「打撃の時の置き土産が…強烈だな」

 

 

 ナガレの指摘が両者の現状を示していた。

 かずみの手足に宿る魔力が傷口や負傷に対して毒のように作用し、治癒魔法を阻害していた。

 命に関わるものは峠を越えたので、今は苦痛が間断的に生じているだけだ。

 

 つまり大丈夫と、両者は自己判断を下した。

 本当に怖い家庭の医学此処にあり、である。

 ふとナガレは疑問を抱いた。

 

 

「お前、これ好きだけど楽しいのか?」

 

 

 普段の彼なら、愚問だとして問わなかっただろう。

 問い掛けを誘発したのは、頭に喰らったかずみの蹴りによる影響の可能性がある。

 これもまた愚問だが、彼の言う「これ」とは杏子が今続けている性行為もどきの事だ。

 身体を重ねて胸と下腹部を擦りつけ、唇を相手のそこに重ねて舌で口内を蹂躙する。

 相手を得たい、奪いたいという意思表示。

 故に応えは決まっている。

 

 

「楽しいね」

 

 

 牙のような八重歯を見せて笑いながら、杏子は肉食獣の眼で彼を見ながら言った。

 

 

「あたしの身体と触れてるあんたの骨と肉の感触。あたしの胸の奥で感じる心臓の音、舌で感じる牙みたいな歯の形、喉奥をちらっと舌先で触れた時の窪み、口の粘膜や舌の柔らかさ」

 

 

 舌をくねらせる様子を見せつけながら、杏子は彼を評価していく。

 それはまるで解剖刀で検体を切り刻み、取り出した臓器を銀盆に並べ整理していくようだった。

 

 

「そいつらを確かめねぇと、安眠できねぇのさ」

 

 

 自嘲の欠片を笑顔に宿して杏子は言う。

 彼女の見る夢は常に悪夢だが、それはそれで見ないこと自体が彼女を苛む悪夢である。

 精神は安息を求めず、されど肉体は休息を求めるというのが、彼女の生活スタイルだった。

 人生のある時点からずっと続き、今後も続いていくであろう無限の地獄。

 

 

「あと……ここが疼く」

 

 

 祭壇に着いていた彼の両手を取り、包帯で覆われた自分の下腹部に指先を触れさせる。

 痛んだ皮と肉の奥にあるのは、杏子の子宮。

 本人曰く、自分の身体で一番不要な器官。

 

 

「使う気はねぇけど、二手順くらい飛ばして今は母親ごっこしてるからかな。本能が呼び覚まされてるのかも」

 

「なら、仕方ねぇな」

 

 

 性欲の高まりについてである。

 子役のかずみがいるから性欲が抑えられてるとは何だったのか、という彼なりの遠回しの突っ込みと理解でもあった。

 

 

「逃げるなよ」

 

「あン?」

 

「本能だけじゃねえ。あたしの意思もちゃんとある。だからそれだけで済まさねぇでくれよ」

 

 

 そう言って再びキスをした。口の中に溜めていた唾液を、杏子は彼へと送り出す。

 吐き出すわけにもいかず、彼はそれを飲んだ。

 

 

「好きって事さ。愛してるんだよ。あたしなりに、あんたを」

 

 

 柄にない言葉なのは分かっている。

 仮に自分以外の誰かがそんな言葉を言っていたら、指を指して笑って愚弄するに違いないとさえ思っていた。

 しかし本能と理性は彼を求める。

 邪魔な存在が二つも死体になっている事も、杏子にその言葉を発する衝動を促した。

 だから欲望は加速し、雌としての本能が激しくなる。

 

 だがその一方で、その雌の本能が最後の欲望の解放を阻む。

 意思としては、彼と今すぐ交わりたい。

 セックスがしたい。

 自分の肉を開いて、溢れ出す粘液で濡れた赤桃色の肉襞を見せたい。

 純潔の膜で覆われたそこに彼を導きたい。

 

 しかし、本能は母親である事も強いる。

 

 

「でもあたしは……母親役が出来てねぇ」

 

 

 行動の逐一を自分なりに考え、彼女は呟いた。

 自分の母親はもういない。

 知り合いや友達もいないため、母親という存在と接する機会がそもそもない。

 

 

「ごっこすらできてねぇ……とことんポンコツだな。あたしって女はよ」

 

 

 彼は眉を少しだけ跳ねさせた。

 杏子の悲観思考に、少しイラっときたらしい。

 彼女の必要以上に自分を責める態度と、それをどうすることも出来ない無力感に苛まれていた。

 向き合いながら、杏子とナガレは互いに苦悩の表情を浮かべていた。

 彼も彼とて、かずみの保護者役が出来ているか自信が無いのであった。

 

 ナガレは考えた。その間に杏子は彼の背に手を回し、自分の体温と匂いを彼へと与え続けた。

 重なる唇からは唾液が滴り、顎と胸の包帯を濡らし続ける。

 

 

「母親か」

 

 

 その中で、ナガレは呟いた。決断の意思が籠っていた。

 

 

「アテが無い、訳でもねぇ」

 

 

 杏子の額に自分の額をこつんと付け、ナガレは言った。

 苦渋に満ちた一言だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 母を求めて

 温かい。

 杏子はそう思い、彼女の身体も同様の感覚を脳に伝えた。

 乳白色の入浴剤が入れられた広めの浴槽の中に、佐倉杏子は身を沈めていた。

 

 赤い髪も同様に、湯の中に溶けるように沈んでいる。

 白と赤が交わる場所を、杏子はジッと見た。

 赤の表面から広がるのは脂の輪、そして滲む黒い汚れ。

 

 

「うっ……」

 

 

 我ながら、と思いながら杏子は呻いた。

 数日に一度程度、ネカフェのシャワールームで洗ってはいたが髪が長いゆえに行き届かず、更にはあまり気を配らなかったせいで汚れが蓄積していたようだ。

 濛々と立ち込める白い湯気に満たされたユニットバスの中。

 シャアアという水音が鳴った。

 

 湯気の奥に、温水を噴き出すシャワーを持った者の影が薄く浮かんでいた。

 残った左手で軽く手招きし、杏子を湯船から上がる様に誘っていた。

 

 杏子は思わず息を呑んだ。

 悪意のない優しい笑顔が湯気の奥に見えた。

 なのにというべきか、だからというべきなのか。

 込み上げてきた溜息を飲み込み、杏子は湯船から上がった。

 

 肉がロクに付いていない、年齢の割に幼い身体の表面を白い液体が滴り落ちる。

 大きな鏡の前に用意されたシャワー用椅子に腰かけ、杏子は鏡を見た。

 自分の背後に、自分と同じく裸体になり、コンパクトながらに豊満に肉が付いた身体をバスタオルで覆った女の姿が見えた。

 

 その女の特徴に、彼女は戦慄的なものを思い浮かべていた。

 逃避するように、そして現状の確認の為に、杏子は自分に魔法を使った。

 幻惑を用いての回想である。

 実体としての視界の奥に、これまでの経緯が映し出される。

 頭に程よい温度の温水を掛けられながら、杏子は魔法による光景に意識を注いだ。

 

 

 

 

 

 

 ガタン、ゴトンという音と共に、緩い振動が乗客を、そしてその中に含まれている年少者三人を慣性に従って揺らす。

 時間は午前十時頃。

 努め人の出勤も終わり、学生たちの登校時間とも外れている。

 それゆえに、乗客の数は比較的まばらだった。

 様々な生活スタイルがあるとはいえ、社会から弾かれている少女と自分の記憶を喪失している少女、そしてそもそもこの世界の存在ですらない少年の三人組が行動するにはいい時間だった。

 

 

「綺麗な景色だねぇ」

 

「ああ」

 

 

 身体をナガレに持たれかけさせながら、車窓から覗く景色を眺めるかずみ。

 その評価に彼もまた頷いた。

 赴くのはこれで三度目だが、確かに綺麗な街だと彼も思っていた。

 

 

『おい相棒。ほんとに行くのかい?』

 

『もう移動しちまってる。引き返すか?』

 

『それはパス。逃げたみたいでヤだ』

 

『じゃあなんで尋ねたよ』

 

『どんな形でも、あんたと繋がっていたいから』

 

 

 かずみと喋りつつ、ナガレは杏子と思念を交わす。

 思念を送りながら、あたしも随分イカれてきたもんだと杏子は自嘲していた。

 

 

『で、そのアテってのは…』

 

『行く前にも見せたけど、こいつだ』

 

 

 席の後ろ、要は座席と背中の間の隙間を使って、ナガレはそれを杏子に渡した。

 それは、電車の切符のような形をしていた。

 

 

宿泊券 三名様まで 有効滞在期間:一枚に付き一週間 有効期限:無期限・再発行可

 

 

 と記載されている。

 宿泊券なる存在の淵には、複雑な紋様がびっしりと刻まれていた。

 またこれを透かして見れば、偽造防止用の透かしさえも入れられている事が分かるだろう。

 個人で作るにはどうにも高度な、そして真面目なのかふざけているのか分からない代物だった。

 

 何処で貰って、何処へ行くのか。

 その問い掛けは既に終えていたが、もう一度繰り返したくて堪らなかった。

 しかし運命と受け止め、杏子は従うことにした。

 

 

「んじゃさ……行く前に、ちょっと行きたいとこあっから付き合ってくれよ」

 

 

 少し疲れた様子で杏子は言った。

 

 

「あいよ」

 

「いいよー」

 

 

 何処へ?と尋ねる事も無く、ナガレとかずみは杏子に従う意思を表した。

 方や異界存在、方や記憶喪失故に当然の反応ともいえなくもないが、こういったツーカーなところな仲が良い証拠だろう。

 かずみもまた、杏子に恐怖の一部は抱いていても彼女を嫌ってはいないのだった。

 

 程なくして電車は到着した。

 アナウンスが告げた名前と、駅のホームに据えられた看板は『見滝原』の名前を乗客達に伝えていた。

 

 

 

 

 

 

「よっと」

 

 

 杏子は一声発し、魔力を使った。

 見滝原の市街を周囲を一望する大パノラマが、彼女の周囲に広がっている。

 青空の下で輝く街並みを望むべく据えられた複数の望遠鏡の一つへと、杏子は魔力を使っていた。

 機能的といえば聞こえはいいが、面白みに欠ける無難な形状が魔力を帯び、どこかメルヘンチックな外見と質感へと変異する。

 

 杏子からは見えないハズなのに、対物レンズの淵にはマーブルチョコらしき形状と色の模様まで付いていた。

 杏子はここ最近はお菓子の暴飲暴食をしていないのだが、好きな事は変わっておらずそれがイメージに投影されているのだろう。

 見滝原駅を出てから数十分後、風見野のストリートチルドレン三人組は見滝原市のど真ん中に聳え立つタワーの展望台へと赴いていた。

 立ち並ぶ高層ビルでさえ、このタワーの中腹にも至らない。

 肩を並べるのは、頭に超が付く高層ビル程度だろう。

 

 高さは約300メートルに達すると、周囲のパネルに描かれていた。

 しかしそれも今は見るものも無く、広い展望台は彼と彼女らの貸し切り状態となっている。

 一般人には見えないとは言え、杏子が躊躇なく魔法を使ったのもその為だ。

 

 

「おー、すっげ。単なる高い場所ってしか思って無かったけど、展望台ってのも楽しいもんだなぁ!」

 

「ねぇねぇナガレ!アレみてアレ!美味しそうなお好み焼き屋さんが見えるよ!」

 

「お、マジか。じゃあ今度行ってみようぜ!」

 

 

 杏子の背後では、きゃいきゃいと喧しい声が聞こえた。

 かずみの声は妙に甘ったるく幼い声で、ナガレの声も口調は兎も角音程で言えば少女そのものである。

 ガキが、と杏子は思い、望遠鏡を眺めた。

 そして十数秒後、

 

 

「サボりかよ。見ねぇうちに不真面目になったもんだな……いや、まさか……あいつに限って……」

 

 

 杏子はそう漏らしていた。

 望遠鏡から外して街並みを見る。外側で見る限り、平和な光景が広がっていた。

 

 

「なんだあれ。全面ガラス張りで、妙な形してっけど……なんかの研究所か美術館か?」

 

「学校だよ。中学校」

 

 

 何時の間にか隣にいたナガレに杏子は応えた。

 自分が発した呟きは、どうやら聞こえていなかったようだ。

 

 

「なるほどな。確かに学生服が沢山見えら」

 

「目、良すぎんだろ。もういい、あたしの用事は済んだよ」

 

 

 いい様、魔法を解除し杏子は踵を返してエレベーターへと向かった。

 どうしたのかな?とかずみは首を傾げた。似たような感じで、ナガレも同じような態度を取った。

 そして杏子の後を追い、エレベーターへと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊張するねぇ」

 

「ああ、ほんとにね」

 

 

 言葉を交わすのはかずみと杏子。

 彼女らより一歩前に立つナガレの前には、玄関の扉が聳えていた。

 大きめの二階建ての家、清潔な玄関、その片隅には赤いフレームの自転車が置かれていた。 

 自転車というよりも、寧ろ大型の自動二輪車のような重厚さがあった。

 どう見ても既存の製品ではなく、何者かの手が加えられた存在だった。

 

 インターホンを押そうとした瞬間、玄関の扉が開いた。

 扉を開けたのは、黒が強めの栗色の髪をした女だった。

 清楚そのものと言った美しい顔つき、来客である年少者達を見つめるのは、黄水晶の輝きを放つ瞳。

 

 

「きれーなひとー…」

 

 

 かずみは思わず小さくそう呟いていた。

 それが聞こえたか、その女は優しく微笑んだ。

 

 

「お待ちしておりました」

 

 

 そう言って、女は深々と頭を下げた。

 それに倣って、来客たちも首を垂れる。

 開いた玄関のドア近くの表札には『』に文字が刻まれていた。















ひっ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 母を求めて②

「………」

 

 

 白い床面を、佐倉杏子は眺めていた。

 髪を洗った湯とシャンプーの泡が流れていく。

 その色は白ではなく、灰色に近かった。髪と頭皮に付着した汚れや老廃物の為である。

 それから逃避するように、杏子は浴槽を見つめた。

 白い入浴剤が入れられた風呂の表面には脂が浮き、湯船の湯は黒味を帯びていた。

 可視化された汚れを前に、杏子は何を言っていいのか分からなかった。分かりたくも無い。さっさと忘れてしまいたい。

 

 

「こちらに」

 

 

 落ち着いた、年上の女の声がした。

 美しい指が床面を指し示している。正確には、床に置かれた物体を。

 そこにあったのは、青みを帯びたビニール製の何か。

 

 形状としては丸太で組んだ筏に似ている。

 水辺でのレジャーに使う、板状の浮き輪にも似ている。

 女の言葉はその上に横になれ、という指示だった。

 

 女はと言えば、洗面器の中に両手を入れ、何かを混ぜ合わせるように動かしている。

 洗面器の中には透明な液体が…いや、指や腕の光沢といい、それは液体ではなく粘液だった。

 白く細長い指にどろっとした粘液が絡む様子は、ひどく艶めかしかった。

 

 

『…何故?』

 

 

 そう思いながらも杏子は言葉に従った。

 相手から悪意を感じなかったからだ。

 後悔したのは、今の自分の体勢がうつ伏せで且つ全裸である為に、恥ずかしい部分が剥き出しになっていると悟った時だ。

 相手が同性とは言え、羞恥心を覚えない訳が無い。

 

 

「ひうっ!?」

 

 

 背中に、腰に、尻に、足に。

 ぬるっとした感触と、柔らかい肉の質感に熱い体温、そして軽いながらも感じる確かな圧迫感。

 それらを伴いながら、身体を擦られることによって生じる得体の知れない感覚。

 柔らかく張りのある双球が、杏子の首筋を包み込む。

 首から脳に直に伝わるその感覚は、杏子に嬌声を上げさせた。

 悲鳴のようなそれは、それから絶え間なく続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「佐倉杏子、遅いね」

 

「ああ。何してんのやら」

 

 

 かずみが呟きナガレが応える。

 整理整頓がされた一室で、二人はテレビでアニメを観ていた。

 紫色の一本角を生やした、鎧武者か鬼を思わせる巨大な存在が暴れ狂う場面が映っていた。

 なんで本編がこれで、劇場版で戦わなかったのかね。と、ナガレは思っていた。

 ついでにといった感じに、この場所に訪れてからの事を思い出した。

 

 杏子が用事と言った、鉄塔からの見滝原のウォッチングを済ませた後、ナガレ達はここに訪れた。

 玄関に嵌められた、姓を表す文字は『呉』。要は呉キリカの家である。

 キリカ本人は今はいない。

 

 いや、正確に言えばナガレと半共生状態の牛の魔女の内部に冷凍保存をされた状態で保管されている。

 ソウルジェムを宝石狩りの魔法少女である双樹に奪われ、同様の被害に遭った朱音麻衣同様に死体と化しているのであった。

 客観的に見ると意味不明な状況だが、当事者である彼としては悲痛な想いがあった。

 キリカの母には優木に頼んで洗脳魔法を行使してもらい、キリカは留学中という別の記憶を行使してもらっている。

 

 思い出す可能性や生活への齟齬、学校関係者やとの会話の矛盾も無いようにしたと彼は聞いていた。

 優木の洗脳の強さは、呆気なく打破したとはいえ喰らった彼本人も知っている。

 故に疑う気は無かった。

 しかしながら気になる事もあり、母親というものを学びたいという杏子の言葉を叶えるべくキリカ宅へと赴いたのだった。

 他に方法が無かったのかとか、そもそもこの行動は如何なのかと彼も思っていたが、他に道も無いように思えた。

 

 キリカ宅に赴いてからの事に話を戻す。

 風見野のストリートチルドレン三人組を出迎えたキリカの母は、杏子に近付いたときに悲痛の翳を表情に浮かべた。

 すると彼女の手を取り、有無を言わせず浴室へと導いたのだった。

 

 

「お部屋へ」

 

 

 とキリカの母は言い、ナガレはそれに従った。

 既これが三回目の来訪であり、滞在期間は累計で24日以上に及んでいる。

 部屋と言われて該当する場所には心当たりがあった。キリカの部屋である。

 部屋に入ると、既に菓子や飲み物が用意され空調も作動させられていた。

 魔女に命じて監視カメラの有無を確認し、作動中の80個のカメラを破壊はせずに無力化してから彼は入室した。

 

 恐らくは魔女も取りこぼしがあるのだろうが、不健全行為をしなければいいだけの話だ。

 しないというか、されないことに関しても流石に他人の家だからそれは無いだろう、と彼は思っていた。

 前回にここに来た時に、延々と不健全行為に付き合わされていたのを忘れたのだろうか。

 つくづく、進化はしても成長はしない男である。

 

 杏子が連れていかれたことに関しては、大丈夫だろうと彼は思っていた。

 暴れれば簡単に脱出できるだろうが、杏子はそこまで乱暴じゃないと。

 信頼しているという事だが、相手があの女じゃなぁ、という思いも強い。

 

 

「ごめんね」

 

「ん?」

 

 

 ナガレの考えを消し去る様に、かずみが声を掛けた。

 思考を上掛し、彼はかずみに向き合う事とした。

 

 

「会ったばかりだけど、いつも迷惑かけちゃって…」

 

 

 魔女結界に赴く、ないし魔女を認識すると自身が暴走する事についてだった。

 最初は力を感じるだけで暴れ狂っていたが、最近は多少の落ち着きを見せていた。

 自分が暴走してしまうと認識している事がその証拠でもある。

 

 

「構わねぇよ。こっちは好きでお前と付き合ってんだ」

 

 

 彼は本心を告げた。

 危険極まりない彼女を野に放つわけにはいかないという事もあるが、行き場のない少女を放り出すわけにはいかないという思いの方が強い。

 かずみを廃教会に住まわせているのは、ナガレと杏子による打算無しの善意だった。

 

 

「にしてもお前、料理上手というかちいと上手過ぎる。心当たりとかねぇのか?」

 

「うーん、ココロに靄が掛かった気分。でも食材を前にすると勝手に頭にぱっと調理方法が浮かんで、身体が勝手に動く感じがするの」

 

「身体に叩き込まれたコトってのは、簡単には忘れねぇからな」

 

「どんな生活してたのかなぁ、私」

 

「技術があるってこた、教えてくれた人がいるハズだ」

 

「大事にされてた、ってコトかな?」

 

 

 かずみの言葉には哀願の響きがあった。

 彼は答えた。

 

 

「だといいな」

 

 

 彼はそれを、曖昧な返しだと思っていた。実際にそうだろう。

 言い切るには情報が足りず、そしてその返しは彼の本心だった。

 相手の幸福を望む心に嘘と偽りはない。

 

 かずみはそれに、満足した笑顔を浮かべた。

 実際に確かめなければ分からない。

 そしてそれを、彼女は待ち望んでいるようだった。

 幸いにして、彼の応えは彼女にとっての最適解であったようだ。

 ナガレも笑顔で返す。

 毒気が抜かれる、と彼は思った。

 かずみという少女には、そういった力が感じられた。

 

 

「にしても遅いな、あいつ」

 

「もう一時間と…三十分は経ってるね」

 

 

 のぼせてるんじゃねぇだろうな、と彼は一抹の心配を抱いた。

 と、その時に部屋の扉が開いた。

 

 

「遅か……」

 

 

 そこで彼は言葉を止めた。

 絶句したのである。

 

 

「わー!佐倉杏子!可愛い!」

 

 

 かずみははしゃいだ声を出した。

 それと同時に、佐倉杏子の身体は崩れ落ちた。

 糸が切れた人形のように。













キリカ母が強過ぎる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 母を求めて③

 佐倉杏子は眼を開いた。

 光より前に、鼻孔が甘い香りを捉えた。

 自分の身体から発せられる匂いだった。

 普段は意識していなかったが、いつも感じる体臭は不快ではないがどこか塩気を孕んだような、そんな匂いだった。

 今はそれが微塵も無い。

 もぎたての果実のような、気を和やかにするような匂いを感じた。

 

 

「お疲れさん」

 

 

 開いた眼が最初に見たのは、こちらに顔を向けたナガレの顔だった

 少し心配そうな彼の顔の奥に、電燈が見えた。

 次いで体の感触に意識が寄った。

 寝かされている事に気付いた。体を覆う毛布を退けながら上体を起こす。

 

 

「風呂に入って疲れるって、どういうコトなんだかな」

 

 

 杏子は自嘲気に笑った。

 しかしそれでいて、肉体的な疲労は皆無。寧ろ爽快極まりない。

 身体の汚れと共に、心を蝕む毒も吐き出された様な、そんな気分だった。

 

 

「にしてもまぁ……随分とキレイになっちまって」

 

 

 垂れ下がる長い赤髪を右手で摘まみ、杏子は言った。

 自画自賛にも聞こえるが、杏子は自分の髪の様子に心底驚いていた。

 艶々と輝く、赤い絹のような赤い髪。

 手触りは柔らかく、一方でしっとりとした硬い質感も備えている。

 髪の一本一本までが滑らかで、少しなぞるとさらさらとした感触と共に細かい粒子の砂のように流れる。

 そこで杏子は動きを止めた。自分に寄せられる視線に動きを奪われたように。

 

 

「…恥ずかしいから、あんま見るなよ」

 

「なんでだよ。可愛いじゃねえか」

 

 

 悪意のないニヤついた笑いと共に放たれたナガレの言葉に、杏子は反射的に拳を突き出した。照れ隠しである。

 彼の顔面を狙ったそれは、ナガレが首を少し引くだけであっけなく躱された。

 当たれば彼の顔面はネギトロばりに砕けていたが、どちらも慣れたものである。

 

 杏子は当てる気はそんなに無く、彼も受ける気は無いし受けたら死ぬ。

 日常の一部で無意識の内に命を奪い合う関係。

 異形だが、これが二人の平凡な日常なのであった。

 このことに関して、疑問も何も抱いていない。

 

 

「…可愛い、か」

 

「ああ。可愛い」

 

 

 そう言われ、杏子は自分の姿を見た。

 見るのには少し勇気が要った。

 黒と白のフリルが見えた。

 フワフワとした、まるで上品なお菓子のクリームのような膨らみ方。

 

 

「ゴス衣装…ってヤツか」

 

「邪王心眼のに似てるな」

 

「言うなよ。っていうかそのものじゃねえか。キリカの奴、覚えてやがれよ」

 

 

 呪詛を吐く杏子。表情が愛憎と喜怒哀楽入り混じり複雑そのものとなっているのは、彼からの評価と恥ずかしさ、そして元の持ち主への嫌悪感によるものだ。

 風呂場での『洗体』ののち、杏子はこれに着替えさせられていた。

 元の服は選択に回され、今は主同様に汚れを落とされて乾燥される時を待っている。

 風呂場を出ても身体を覆う女体の感触は、杏子の自意識を一時的に奪っていた。

 その間に手早くてきぱきと、キリカの母は杏子に服を着せた。

 結果が今の状態である。

 

 

「加えて…コレときたもんだ」

 

「似合ってるぜ。ほんと」

 

「ネギでも振り回す練習しようかねぇ」

 

 

 皮肉気に言いながら、杏子は両手で赤髪を弄ぶ。

 普段は背後に回されている長髪が、今は彼女の頭の両サイドから伸びていた。

 ポニーテールからツインテールへと、髪型がチェンジされている。

 髪を束ねるのに用いられているのは、闇のように黒い細リボン。

 服同様、誰の趣味かは一目で分かった。

 

 それによる負の感情が、ナガレから受ける高評価を皮肉の吐露へと変えている。

 あいつは此処にいなくてもあたしの心を穢しやがる、と杏子は思った。

 何を勝手な、といった意見だが、杏子はそれほどにキリカが嫌いなのだから仕方ない。

 

 

「服が小鳥遊で髪型が歌姫か」

 

 

 ナガレが現状を呟く。

 反射的に、もう一発殴ろうかと杏子は思った。

 こんな格好と髪型に自分がなるなど、予想も予測もしていなかった。

 恥ずかしさのあまり、今すぐ虚無に還ってしまいたいと彼女は思った。

 

 

「それをやるのがお前じゃな、可愛いに決まってる」

 

「あああああああああああ!」

 

 

 杏子は叫んだ。恥ずかしさと嬉しさで。

 割合は7:3。なので彼女は打撃の嵐を彼に見舞った。

 彼は事も無げに躱し、或いは手先で殴打の矛先を逸らして無害化する。

 杏子の動きが羞恥心によって大分粗く、また衣装の破損を嫌ったものだったので御しやすかったのである。

 

 ふぅふぅ、と杏子は肩で息をした。

 そうしていると、腹が鳴った。

 腹時計を確認してから、室内の時計を探して時間を見た。

 

 

「九時か…六時間も寝てたのか、あたしは」

 

「でも飯ならあるぞ。明日礼を言っておきな」

 

 

 ナガレが指差した先には、ラップで包まれた複数の皿とお椀が見えた。

 透明な膜の奥に見えるのは、白米とサラダとから揚げ、そしてクラムチャウダーであった。

 ラップの裏側には蒸気が溜まり、それらが熱を保っている事が伺えた。

 どうやら配膳されて、大して時間が経っていないらしい。

 

 

「かずみは?」

 

「一階の部屋で寝てる。キリカのお袋さんと一緒にな」

 

 

 所在を確認でき、杏子はホっとした思いを抱いた。

 その一方、一つの事実に心が硬直した。

 

 

「お袋…そう言ったのかい?」

 

「ああ」

 

「それって、玄関であたしらを出迎えてくれた…」

 

「そうだよ。あの人が」

 

「いやいやいやいやいや」

 

 

 おかしいだろ、若すぎる。

 突っ込みが杏子の脳裏を駆け巡る。

 それを察し、ナガレもどうしたもんかなと言った表情を浮かべた。

 キリカ曰く、自分の母は30になったばかりだと。

 単純な逆算で、娘を宿したのは15の頃。

 

 今のキリカと一つしか違わない時である。

 年齢的には熟れた年頃だが、外見的には二十代の半ば。前半と言っても通じるだろう。

 一時の母で夫を持つ大人の女であり、そして若々しいに過ぎるキリカの母であった。

 この事実を言われるまで、杏子は彼女の事をキリカの姉と思っていた。

 その年齢差は五歳くらいかなとも。

 

 また身長で言えば、148センチのキリカよりは大分、160センチの杏子とナガレと比べたら少し大きな165センチくらいであった。

 この少しの差が、杏子にはかなりの差に思えてならなかった。

 それを誘発させているのが、先程の湯船での出来事だったが。

 

 

「………」

 

「おーい、佐倉さーん」

 

 

 それを思い返すと、思わずぼーっとしてしまう杏子であった。

 今もなお、ふにふにぬるぬる、もちもちつるりとした感触は杏子の体表に呪いのように絡みついていた。

 

 

「冷めちまうぞ、料理」

 

 

 その一言が、杏子を夢の世界から現実に引き戻した。

 素早く立ち上がってすたすた歩いて着席し、いただきますとちゃんと言ってから杏子は食事を開始した。

 丁寧に作られたことが伺える外見同様、用意された食事は身体と心に染み入る味だった。

 

 それを食べつつ、『なんであの人からあんな悪魔が』と彼女は疑問に思った。

 

 そう思った時、同時に理解もした。

 その例は正に、他ならぬ自分自身でもあるからだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 母を求めて④

 佐倉杏子は眼を開いた。

 知らない天井が見えた。今日二回目の事だった。

 電灯が落とされ、室内には闇が満ちていたが魔法少女の視力であれば問題ない。

 

 

「起きてるかい、ナガレ」

 

「今起きた」

 

 

 キリカのベッドで眠る杏子の声に、床で眠るナガレは即座に反応した。

 常に交戦状態に等しい環境で生きてる為に、熟睡からの覚醒も異常に速いのであった。

 

 

「昼間寝たせいかな。寝つきが悪いや。他人の家に泊るのは久々だから、緊張してんのかもな」

 

「普通のコトだろ」

 

「別に気負ってる訳じゃないよ」

 

 

 杏子の反論は気負っているという事を認めるための補助にしかなっていなかった。

 彼を前にすると見栄を張りたくなるようだ。

 

 

「にしてもアレ……凄かったな」

 

「なぁ」

 

「なにさ、相棒」

 

 

 相棒の発音は、あいぼぉと言ったものだった。

 甘ったるいというか、哀願するというか。

 乗せられた意思は「話を聞け」であった。

 なんでもない、とナガレは返した。彼も随分と成長したものである。

 

 

「ちょろいな」

 

 

 反射的に杏子は呟いた。

 ナガレは歯軋りで返した。水晶が砕けたような音が響いた。

 しかしそれだけで、ナガレは前言を撤回しなかった。

 男に二言はないということだろう。

 

 ゾクっという感覚が杏子の背を走った。

 一瞬ではあるが、彼を支配下に置いたような感覚を覚えたのだった。

 やべぇ、これ、クセになりそう。

 と杏子は思った。

 

 これは覚えとこう。

 杏子はそう、肝に銘じた。

 

 

「大人の女の身体って、あたしと全然違うんだな…すっげぇ柔らかくて、温かかった」

 

 

 言いながら杏子は毛布の中で身体を手でまさぐった。

 張りと柔らかさのある肌であるが、その下の脂肪は薄い。

 ゆえに肉よりも骨の感触の方が強い。

 自分がキリカ母からされた行為を思い出すと、それらが相手の肉と肌に包まれる感触が全身を覆っていた。

 

 

「柔らかくて…温かくて……包まれてる気がした……子宮って場所の役割、それが分かった気がしたよ」

 

 

 腹を摩りながら杏子は言った。

 

 

「そうか」

 

 

 彼はそう返した。そうとしか言えなかった。彼は男であるからだ。

 何時終わんのかな、この話。

 とナガレは思った。

 そう思った事を、誰が責められるのか。

 

 

「あれは凄かったなぁ……あたしの全身を這い廻る綺麗な指……あたしの恥ずかしいところも触られて、中身もしっかり丁寧に洗われちまった……洗われちゃったよぉ……」

 

 

 彼は沈黙した。

 何も言えないからだ。

 

 最後の台詞の辺りが、惣流の台詞のパクリじゃねえかと思った。

 杏子自身は相変わらず惣流アスカが嫌いだが、案外ウマが合うんじゃないかと彼は考えていた。

 赤い髪と衣装の少女と赤毛で赤いスーツの少女。

 並んだらいい絵になりそうだった。

 

 

「……ハァ」

 

 

 杏子の溜息が聞こえた。

 熱く濡れた声だった。

 もはやよく聞く声である。

 構えた方が良さそうだなと、彼は思っていた。

 

 

「駄目だ。もう限界」

 

 

 それ来た、と彼は跳ね起きた。

 蒲団を跳ねのけ、ベッドから距離を取る。

 無音且つ無衝撃で両足を着いて着地する。

 その間も彼の視線はベッドから離れない。

 闇の中、ベッドの上で立ち上がる杏子の姿が見えた。

 ダラリと両手を下げ、背中を丸めた姿はまるで亡霊のようだった。

 

 その身体から、身に纏うゴスロリ衣装がするりと脱げていく。

 顕れたのは杏子の裸体…ではなかった。

 

 

「なんだよ。良い顔してさ」

 

 

 半月の笑みを浮かべ、杏子は嘲笑うように言う。

 良い顔とは、彼が今浮かべている愕然とした表情である。

 半年以上、彼と一緒に生活をしている杏子であるが、一度だけ見た事がある顔だった。

 自分の魂の宝石から、闇が噴き出た光景を見た時の彼の表情だった。

 だがしかし、今は…。

 

 

「お前……恥ずかしく…ねぇのか」

 

「恥ずかしいに決まってんだろ!!」

 

 

 呻くような彼の言葉を、杏子は叫びで返した。

 彼にははっきり聞こえる声で、尚且つ声量としては大したことが無い。

 このあたり、杏子の真人間さが伺えた。

 しかし、しかしである。

 そう赤面しながら叫んだ杏子の今の姿は。

 

 

「……肌、綺麗だな」

 

「それを見せつけるための服だからねぇ」

 

 

 言葉を選んだ彼の言葉。

 そして杏子は服と言った。

 確かに服だろう。

 胸の頂点と股の部分は隠れている。

 そこだけが、隠れている。

 

 太腿、膝、空に首。

 それらに通された、細長い黒を除いて。

 

 杏子が身に纏っていたのは、ラバー製のボンデージだった。

 ほぼ裸である上に、身体に衣装が喰い込んでいる故に余計に肉感と肌の具合が強調されている。

 彼からは前からだけが見えるが、後ろも想像が付く。尻はほぼ剥き出して、秘所だけが覆われているのだろう。

 

 男を悩ませ、欲情を促す為の衣装だった。

 その出処は考えたくない。

 未来永劫、地獄の中での闘争を続ける事を定められた彼をしても、直視したくない現実はあるのである。

 

 

「ナガレ」

 

「なんだ」

 

「あたしの処女、喰わせてやるよ」

 

 

 喰わせてやると言いながらも、杏子の表情は捕食者のそれである。

 今回はそれが、殊更に狂暴性を増していた。

 

 

「ここ、キリカの部屋だぞ」

 

 

 直接拒絶するより、そう言った方が欲望の鎮静化に繋がるだろう。

 彼はそう考えていた。

 何をやっても裏目に出る彼にしては、いい考えだった。

 

 

「だからいいんじゃねえか」

 

 

 艶然と微笑み、黒ボンデージ姿の杏子は返した。

 彼の考えは良い線をいっていたが、やはりロクな眼に合わないという因果が待っているのである。

 ふううう…と杏子は息を吐いた。

 

 彼が杏子に告げた言葉は、却って欲情と背徳感、そしてキリカへの征服感を促した。

 ベッドの上で、杏子は両手をワキワキと動かしていた。

 まるで肉に爪を立てた獣の手である。

 彼もまた身構えた。

 床板一枚の被害で済めばいいな、と思いながら。

 

 

「あ」

 

 

 そんな中、杏子が呟いた。

 喉が詰まったような声だった。

 

 

「あ」

 

 

 再び同音の声。

 手は下げられ、眼は虚ろとなっていた。

 ごく短期間の間で、杏子の表情は一変していた。

 

 

「ああ、あああああああ、ああああああああ」

 

 

 その声が続いた。

 明らかな異常だった。

 

 

「おい、お前」

 

 

 罠と疑いつつも、彼は接近して声を掛けた。

 その彼を、杏子の紅い眼が見た。

 

 ふとそこに、彼は違和感を抱いた。

 それは杏子の眼ではある。

 だが、視線がどうもしっくりこない。

 

 そう思っている間に、杏子の身体はベッドの上に崩れ落ちた。

 膝が曲がり、ほぼ剥き出しの尻がベッドのシーツの上にぺたんと落ち、背中から仰向けに倒れる。

 上半身を見せつけるようなポーズは、中々に煽情的だったが例によって、彼は欲情などしなかった。 

 

 

「……どうしよう」

 

 

 誰へともなく、彼は呟いた。

 とりあえず、これ以上脱がせるわけにもいかず、痴女同然の杏子の姿の上にゴスロリ衣装を着せた。

 そのまま二時間様子を見て、異常なしと判断してから彼は寝た。

 ここまで異常しかないのだが、彼も慣れたものである。

 彼自身、まともな存在ではないが故に。

 















佐倉さんの服装に関しましては、

『弓さやか パイロットスーツ』

とグーグル画像検索していただければと思います
大体あんな感じです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 母を求めて⑤

 杏子がボンデージ姿のまま失神した翌日。

 互いに気まずかったのか、ナガレと杏子は無言で挨拶を交わして一階に降りていった。

 時刻は朝の六時半。この連中にしては珍しい、健全な時間帯の起床だった。

 何時の間にか、部屋の中に杏子の私服が畳んで置かれていた。

 着替えの際に彼を追い出さず、平然とボンデージを脱いで(ほぼ変わらないものの)全裸になって服を着ていったことが不健全ではあったが何時もの事だった。

 

 そしてその後、平和な時間が流れていった。

 朝食を担当したのはかずみだった。

 何処で覚えたのか定かではないが、彼女の料理のスキルは卓抜としていた。

 主婦生活が長いキリカ母をして、その味に驚きを隠せなかった。

 目玉焼きにベーコン、味噌汁に白米と言ったシンプルな朝の献立は格段の美味を誇っていた。

 

 その後は家事を行った。

 滞在者の当然の義務であると、ナガレも杏子も納得していた。かずみが家事の先制パンチを行っていたので、負けてなるかと思った事もあるのだろう。

 ナガレは洗濯を命じられた。

 

 単身赴任でキリカ父は不在。

 生じる洗濯物の持ち主の性別は男が1で女が3。

 女達は下着も全て、彼にバスケットかごに入れて押し付けていた。

 渡された衣服の山の上に、

 

 

「下着はデリケートなので手洗いで」

 

 

 と記載されたメモ用紙が置かれていた。

 彼は溜息を吐いた。

 それは、鉛のように重かった。

 

 一方の杏子はと言えば、かずみとキリカ母から料理を教わっていた。

 白いエプロンを通した姿が中々似合っていた。

 その成果が昼のご飯となる予定であり、これも立派な家事だった。

 責任重大であり、杏子は久々に責任という存在の重要さを噛み締めていた。

 

 魔法少女の時の杏子は動きがキビキビといしているが、魔力を解除した状態の彼女はどうにも鈍くさかった。

 ミンチされた肉から空気を抜くところも、何度手から落としそうになった事か。

 

 それでもどうにか人数分を用意でき、後は焼くだけとなっていた。

 幸いにして、これは上手くいった。

 炎を操る事は流石に長けていたのである。

 ついでに肉をミンチにする事も。

 指で肉をこね回しつつ、魔法少女生活も少しは役に立つもんだと杏子は思った。

 

 まだまだ動きが粗いが、着々と料理を覚えつつある杏子の背中を、即席の料理の先生となったかずみが好まし気に見つめ、その矮躯をキリカ母が背後から優しく抱いていた。

 台所にあるステンレスの調理具を鏡の要領で用いて、杏子はその様子をハンバーグを焼きつつ眺めていた。

 

 あれが母の姿か。

 そう思うと、哀切の刃が胸を刺した。

 心を刃で貫かせたまま、杏子は人数分の食事を用意した。

 形は不格好ではあったが、それは確かに美味だった。

 

 

 昼を終えると、三人は街に繰り出した。

 見滝原の街を練り歩き、ナガレの案内でとある商業施設に来た。

 前にここに来たのは一か月半前くらいだっけかな、と彼は当時の事を思い返していた。

 何処から突っ込んだ方がいいのか分からない、不健全さと暴力と一方的に押し付けられる性、そして愛。

 それらの発端となった場所。

 呉キリカと訪れたショッピングモールだった。

 

 前と同じく階層を上がり、女性用衣服の専門店で下着を含む衣服を購入する。

 その後は凄まじい大迷惑を掛けたビュッフェスタイルのスイーツ専門店に赴き、甘味の海に溺れた。

 幸い、今回は誰も店内で性的絶頂には至らなかった。そもそもそれが発生することがおかしいのだが。

 

 苺タルトを齧ると、当時の思い出が湧き出してきた。

 キリカは真紅のスイーツを佐倉杏子と見做し、それが彼に喰われる様をグロテスクに実況していた。

 噛み砕かれるのは杏子の臓物でどうたら、などと。

 

 なお、当の杏子はと言えば全く気にせずにバクバクと苺タルトを食べている。

 キリカが彼とこの場で何をしたかは、キリカが魔法によって余さず伝えた為に杏子も知っていた。

 その記憶を噛み砕くように、杏子は甘味を食べ続けた。

 

 ふと、その動きが止まった。

 ナガレと杏子は丁度、苺タルトとに歯を接触させた瞬間だった。

 かずみはジュースを飲んでいた。

 彼女の前髪から伸びたアホ毛が、みょいんと発条のように揺れていた。

 ナガレと杏子は急いでスイーツを食べ尽くした。かずみも残りのジュースを啜った。

 支払いを済ませ、感じた気配の根源を目指した。

 

 人気の少ない階段の隅に、異界の入り口が開いていた。

 躊躇もせず、三人は異界に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 結界に入った瞬間、魔女は瞬殺された。

 無数の使い魔諸共、居城とでも言うべき異形の構造物諸共に。

 杖や胸から放たれる真紅の熱線、両手から放出される雷撃。

 小さな唇から放たれる吐息は、鋼の刃を備えた巨大なミキサーの如く大渦となり異界を破壊していった。

 

 破壊の権化と化したかずみに、ナガレと杏子は真っ向から挑んでいった。

 それが自分たちの、義務であると言わんばかりに。

 

 

 

 

 六時間後。

 モール内に設けられた、案内板近くの椅子に三人は座っていた。

 かずみは爆睡し、口の端から涎を垂らしてこくこくと首を上下に揺らしている。

 ナガレと杏子は起きていたが、憔悴の極みに達していた。

 

 外見上はどこも怪我はない。

 が、肉の内側は破壊に破壊を重ねられていた。

 今の二人は、人間の形に成形された肉とでも言うべき状態だった。

 

 その状態で、疲れ切り瀕死でありながら二人は笑いあっていた。

 暴走はしていたが、かずみは咆哮と唸り声雑じりの片言ながら会話が成立するようになっていた。

 大きな進歩だと、破壊された内臓を笑い声の振動で痛めながら、愉しそうに笑っていた。

 

 

 

 二時間後、ナガレは呉家へと帰宅した。

 遅くなるとは前以て伝えてあったが、キリカ母に挨拶を告げる申し訳なさそうな態度だった。

 その様子を杏子は見逃さず、スマホで撮影していた。何に使うのか、彼は想像することを放棄した。

 

 杏子にかずみを任せ、ナガレは「必要な物探してくる」と街へと繰り出した。

 治癒魔法を全開発動させているが、現状は常人ならいつ死んでもおかしくない状態。

 それでも特に歩行に支障は見えず、かずみを背負った杏子に見送られながらナガレは街の雑踏に消えていった。

 

 そして帰宅した時、ナガレは杏子に痛み止めや軟膏等の一式を渡した。

 以前、四肢を喪ったキリカと一緒に忍び込んだ病院へと彼はまた赴いていた。

 廃棄される予定の薬剤である為、特に問題ないと思った事と、これに魔力を通すと格段に治癒能力が向上すると前回キリカに使用した際に学んだのだった。

 

 

「あいつも元気そうだったな」

 

 

 そう彼は呟いたが、杏子には何のことだか分からなかった。どうでもいいか、とだけ思った。

 女に対する言葉では無さそうだからだ。 

 

 客人の帰りが遅い事に対し、キリカ母は一言も何かを言わずに食事を作って彼と杏子へと渡した。

 杏子も食事を摂らず、彼の帰宅を待っていたのだった。

 当然のように一緒に食べた。

 傷がまだ痛むが、痛みは常にある二人である。その程度が大きいか小さいか、そのくらいの違いしかない。

 

 

 

 更に二時間後。

 電灯を落としたキリカの部屋で二人は寝た。

 ナガレは昼間に買った赤いジャージをパジャマ代わりに着て昨日と同じく床に布団を敷いて、杏子は同じく昼に購入した赤いパジャマを着て、キリカのベッドで。

 かずみも昨日同様にキリカ母と一緒に寝ている。

 

 

 十分後、ナガレと杏子は闇が溜まった室内で対峙していた。

 昨日と同じく。

 ナガレは赤いジャージを着て、杏子はパジャマを脱ぎ去って黒のボンデージ姿となっていた。

 元から裸体に近かったというのに、更に肌面積が増えている。

 昨日よりも欲を重ねたのか、更に手に負えなそうな状態と化していた。

 

 

「今日こそ、有難く喰らいな。あたしの処女をさ」

 

 

 少し言い回しを変え、杏子は舌で唇を舐めた。

 唾液が赤い唇に塗され、ぬめりを帯びた唇は妖艶さを孕んだ。

 飛び掛かる瞬間、杏子の身体が痙攣した。

 

 裸体に限りなく近い状態の身体が反り、口は喘鳴を吐き出す。

 何かが体内を這い廻っているように、杏子は両手を身に絡めて身体をくねらす。

 

 赤い瞳を宿す眼は、視線が一点に定まらずに撞球反射のように忙しなく動く。

 演技とは思えず、今日もまた彼は杏子を心配して歩み寄った。

 その時に、杏子の動きが止まった。

 両腕がだらりと下がり、蠢いていた瞳も一点を見て止まっていた。

 一点とは、杏子を見るナガレの顔である。

 

 その瞳の色は、赤では無かった。

 闇の中だが、彼にはそれが鮮明に見えた。

 闇の中で輝くのは、黄水晶の色。

 それを有する者は佐倉杏子であるが、浮かんだ表情は彼女のものではなかった。

 

 瞳に黄水晶の輝きを宿した佐倉杏子が浮かべたのは、春風のような朗らかな笑顔。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 仮初の身で目覚めし禍つ者

 闇に満ちた部屋。

 その闇よりも黒いボンデージを着用した杏子。

 必要最小限の部分しか体を覆っていない姿。

 

 その状態の杏子は、彼と畳一枚程度の距離を隔てて彼と向かい合いながら、春風のように微笑んでいた。

 闇の中で、杏子の瞳が輝いていた。

 その色は炎のような紅ではなく、光る風のような黄水晶。

 佐倉杏子でありながら、彼女ではない表情と瞳の色。

 杏子は口を開き、空気を吸い込んだ。その瞬間だった。

 

 

「よぉ、キリカ」

 

 

 言い淀む事も無く彼は確信と共に名を告げた。

 キリカと呼ばれた杏子は硬直した。

 開かれていた唇が震えた。

 

 

「お……」

 

 

 震えながら声が出た。

 

 

「お、お、お、お、お、お、おまままま、おま、お前えええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 

 杏子は叫んだ。

 

 

「おま、友人お前!主人公だってのにネタバレするなよぉぉぉおおおおおおお先行最終回じゃないんだからさあああああああ!!!!」

 

 

 声の大きさとしては大したことが無いが、それは叫びだった。

 この無駄な配慮の良さと彼への二人称。正体が確定した瞬間だった。

 

 

「なにさ!折角今から奇襲的に君にダイブして絡み合う中で耳元か胸元で正体を明かそうと思ってたのにってなんだこれえええええええええええええ!?」

 

 

 杏子、いや、キリカか。

 仮にこれを佐倉キリカとしよう。

 彼女は自分の姿に気付き、狼狽し始めた。当然だろう。

 

 

「なんで私のを着てるんだよこのメスガキ!うわぁ、デリケートな部分も触れちゃってるよ!奪われた!この衣装の処女は佐倉杏子に奪われた!うわああああああああああ!!!!」

 

 

 うわぁ。とナガレは思った。

 表現が生々しいなと思ったのだ。

 それ以外にも突っ込みどころは沢山、どころか突っ込みどころしかないのだが、やはりというか彼の思考もどうかしている。

 ついでに語尾を伸ばしまくるキリカの口調に、最近読んだ漫画の台詞回しを思い浮かべていた。

 キリカの母の事もあり、人妻って凄いんだなと彼は思い返していた。

 そういえば衣装も似ている。

 

 

「あ、ちょっとタンマ」

 

 

 そう思っていると、仮称佐倉キリカはベッドに戻り蒲団を被った。

 一秒後、布団を捲ってベッドから立って元の位置へと戻った。

 

 

「ごめんね友人。唐突に異常行動しちゃって」

 

「いいよ、別に」

 

 

 言葉の通り特に気にしていない。

 彼の感覚でも、以上と正常の境は曖昧である。

 尤も、その境界線などそもそも存在していないのかもしれない。

 

 

「くぱぁって開いて見るまでも無かった。歩く感じで分かったよ。私と同じで、処女膜に今の歩き方を強いられている」

 

 

 杏子の姿と声と舌で不健全な台詞を平然と言い、佐倉キリカは笑う。

 

 

「君、やっぱり主人公なだけあって紳士だね。お母さん、そこが嬉しいんだか寂しいんだか」

 

 

 哀切と慈愛の視線で彼女は言う。

 姿だけで見れば美しいが、衣装は不健全であり発言は意味不明極まりない言葉である。

 つまり、彼が知る何時ものキリカだった。

 その様子に安堵を覚える。これも何時もの事か。

 

 

「元気そうじゃねえか。安心したぜ」

 

「あたぼうさ、友人。こいつの身体というのがかなり不愉快だが……ああそうそう、ちょっと貸して欲しいものがあるんだけど」

 

「あ?俺の血か?」

 

「それだと借りるじゃなくて譲渡になるぞ。まぁそれでもいいけど…いや、こいつに君の血を飲ませるのは惜しいに過ぎる」

 

 

 ほんの少しの会話だが、聞くものの正気を疑わせそうな会話を繰り出す二人だった。

 

 

「今私が欲しいのは、ナイフだね。刃物が欲しい」

 

 

 とある諺にあるように、それは危険な要望だった。

 

 

「悪いな。手持ちがねぇ」

 

 

 彼はすまなそうな様子で断った。

 刃物なら牛の魔女がいるし、その内部には無数の武器弾薬が格納されているが、魔女を出したらかずみが暴走しかねないと今は自由行動を与えている。

 無論、人食いは厳禁であり禁を破ったら即座に滅ぼすと告げてある。

 以前に精神的に融合からの支配をしたので、その気になれば何時でも呼び出せるしある程度意識も共通している。

 今の魔女は、川に潜って小魚やカニ、ざざむし等の小動物の捕食に勤しんでいた。

 戦闘中に生じた血肉を喰らいはするが、彼と一緒にいる事で食性も変化してきているのだろうか。

 

 

「で、それで何すんだよ」

 

「リスカ」

 

 

 佐倉キリカの返事に彼は露骨に顔を顰めた。

 常日頃からの殺し合いに明け暮れているくせに、それには忌避感を示すらしい。

 

 

「何でだよ」

 

「絶望からの逃避。あと佐倉杏子への報復」

 

「苦しいんなら話位なら聞いて遣る。俺相手に吐き出しな。それとセコい真似すんな。やるならいつも通り正々堂々、互いに武器持つか素手で戦いやがれ」

 

 

 火のような口調で彼は言う。

 それを真に受けしばし黙り、佐倉キリカはううむと唸った。

 

 

「今度は何だ」

 

「やっぱりさぁ。君って主人公だなぁって。それと前にもここに来る前にしてきた事を聞いてたけど、行動とか言動がナチュラルに英雄的に過ぎる」

 

「俺が主人公で英雄?キッツい冗談言いやがる」

 

「冗談じゃない、本心だ。それとも何かい、私の思考までもが君が思うままになるとでも?私は君に惚れてはいるが、狂ってなんかいないぞ。思い上がりも程々にするんだな」

 

 

 糾弾の眼付と口調の佐倉キリカ。

 美しき断罪者であるが、思考は人間のそれではなさそうだった。

 

 

「私の認識では君は主人公で英雄だ。不満なのかい?」

 

「そんなガラじゃねえし、なんかムカつく。そういう連中は理由を付けて人を殺したり傷つけるからな」

 

「それは解釈の仕方による。そもそもこれらは曖昧で、立場によって変わるだろうからね。敵からしたら悪鬼羅刹、味方から見たら英雄。そんなものだろう」

 

「なるほどな」

 

 

 キリカの発言に彼は一定の理解を示した。これまでの、ここに来るまでの経験とキリカの発言を重ねたらしい。

 

 

「そしてそれらを定義するのは英雄だの主人公だのと呼ばれる存在本人ではなく、周囲の存在。つまりは観測者だ」

 

 

 佐倉キリカは歯を見せて嗤う。

 杏子もキリカも八重歯が特徴的ではあるので、似た感じの笑顔だった。

 

 

「つまりはそういった概念は当人が為るものではなく、称号として突き付けられるものだ。私が君に抱く想いのように」

 

 

 へぇ、とナガレは呟いた。

 そして自分なりに考えた。

 

 

「わぁったよ。勝手にしな」

 

 

 折れたのではなく、そう認識されることを認めたのだった。

 十字架を背負わされたとも言える。

 

 

「うん、そうする。だからあの女の魔手から私を助けておくれよ。君の物語の主人公であり、私の物語に顕れし英雄(ヒーロー)

 

「ああ」

 

 

 顎を引いて、彼は力強く頷いた。キリカの言い回しについては彼女の勝手だ。

 しかし自分にはやるべき事がある。その思いのままに、彼の身体は動いた。

 他人に見せるためのものではなく、ただ彼の心を表しただけの動作だった。

 その様子に、佐倉キリカは「嗚呼」と呟いた。懊悩の呻きにも聞こえた。

 

 

「だから…そういうトコなんだよ」

 

 

 縋り付く相手であり、愛の対象である彼へと黄水晶の眼を潤ませて言った。

 ドロドロとした執着心に彩られた、狂依存とでも言うべき感情に満ちた一言だった。















相変わらずのキリカさん
デストワイルダーたすけて


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 仮初の身で目覚めし禍つ者②

「そういうトコなんだよ……天然の主人公及び英雄体質・気質っていうのかな」

 

 

 佐倉杏子、正確にはその身体を乗っ取っている呉キリカ。

 すなわち両者の名前を合わせて佐倉キリカとでもすべき存在はそう言った。

 

 英雄及び主人公と言った概念の押し付けの果て、杏子の身体となったキリカは眼を潤ませていた。

 黄水晶の瞳には感情の揺らぎの炎。それは、欲情のかがり火だった。

 英雄色を好むとは言ったものだが、彼はこの現状に困っていた。

 重ね重ねになるが、彼は年少者に欲情などしないのだった。

 

 

「なあ友人、ちょっとセックスしない?丁度ベッドもあるし暗いし、君を誘惑するために母さんと作ったエロボンデージも着てるしで初体験に臨むシチュエーションはバッチリなんだけど」

 

「お前、その身体でいいのか」

 

 

 キリカの爛れた発言に、ナガレはそう返した。

 それは問い掛けでもなく、事実の突き付けだった。うぐぅとキリカは呻いた。

 

 

「それな…」

 

 

 欲情の色が消え、代わりに絶望が表情へと滲み出す。その様子に彼も呻く。

 魔法少女と謂う存在故に、それがどうしても破滅へのカウントダウンに思えてならない。実際そうなのであるが。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 それがまたも一変。希望の輝きを放つ。

 実際に光っていた。

 彼女の頭の上には輝く電球が浮かんでいた。魔力を用い、空間に戯画的なものを実体化させたのだった。

 その様子に、心配した俺がアホだったと彼は思った。

 同時に嫌な予感がした。

 

 

「妥協案」

 

「はい?」

 

「こゆこと」

 

 

 そう言って佐倉キリカは右手の人差し指を右頬に引っ掛けて横に引いた。

 

 

「口、あと喉も使っていいよ。舐めてあげる」

 

「………」

 

 

 佐倉キリカの行為に、彼は微動だにせず無言で応えた。

 凄く嫌そうな表情で、且つ強引に口を開いているので形は笑顔で彼女も黙った。虚しくなったのだろう。

 

 

「嫌な事は人にさせんなよ」

 

 

 御尤もな意見である。分かったよ、と佐倉キリカは返した。

 

 

「じゃあ………お尻で」

 

 

 なにが「分かった」というのだろうか。彼女の中で、佐倉杏子は人間ではないという事か。

 ポーズはそのままで彼女は言った。流石にその行為に及ぶのは更に嫌らしい。

 彼もイラっときた。闇の中で彼はその感情を表情に乗せた。 

 それを見た彼女の身体がビクリと震えるのが見えた。

 

 

「おー怖、分かったよ。流石に冗談が過ぎた。それにこいつの身体で交わるなんて悪夢以外の何物でもない」

 

 

 キリカは遂に諦めたようだ。

 今の発言を最初に思っていれば、今までの会話はそもそも発生していなかっただろう。

 遭遇してから半年になるが、今まで無数の異常な存在を撃破・殲滅してきた彼をしても呉キリカという存在は理解を越えていた。

 だからこそ、面白い奴だと思い気に入っている。そんなこいつもどうかしている。

 

 

「なんだかんだで元気だな。その様子だと麻衣も無事か」

 

「うん、快適。結構ぬくい」

 

 

 うっ、と思わず彼は心の中で呼吸が途絶える思いがした。

 この連中の本体であるソウルジェムは、宝石狩りの魔法少女である双樹の子宮の中に埋め込まれている筈だからである。

 とはいえ、無事である事は確かなようだ。

 そもそも美しい姿を保つ処置がされているのならば当然か、と彼は現状を分析した。

 となると何らかの仕組みがあるのだろうが、そこまではまだ分からない。

 

 

「ところでよぉ、杏子はどうしてる?」

 

 

 キリカのペースに巻き込まれていたとはいえ、その質問は些か遅いように思える。

 逆に言えば、杏子とキリカを信頼している事の裏返しでもあった。

 仲が悪いどころか絶対的な敵対関係にある二人だが、彼の中ではよくジャレついている可愛い子猫かなにかである。

 重ね重ねだが、こいつは物事の認識がどうかしている。

 

 

「おい、なんで眼を背ける」

 

 

 佐倉キリカは眼を逸らした。その様子に嫌なものを感じ、彼は彼女へとにじり寄った。

 

 

「生きてるよ」

 

「顔逸らすな」

 

「いやん、えっち」

 

「こっち見ろ」

 

 

 背けられている顔を、強引に前を向かせて顔を近付ける。

 彼としても嫌なやり方だが、効果があるかもと思って試した。効果はあった。

 キリカは観念し、ハァと溜息を吐いた。甘い香りが彼の鼻先をくすぐる。

 息に魔力を介し、佐倉キリカはキリカ特有の甘い花のような香りを吐息に宿したようだった。

 その目的は不明だったが、キリカの行動の逐一を気にしていたら時が幾らあっても足りない。

 

 

「実はね」

 

 

 と、キリカは彼の右耳に顔を寄せた。そしてしばしの間言葉を伝えた。

 伝えた終わりに、彼の首筋に軽く口づけを行った。

 これが最大の、彼女の気分を害さない程度の妥協点なのだろう。

 

 

「…マジか」

 

「うん、マジ。朱音麻衣、あいつ最近マジでヤバくってさぁ…」

 

 

 意見を交わす二人。そして室内の会話は絶えた。

 何を言っていいのか、彼としても分からなくなったのだ。

 それほどに、キリカが告げた事象は狂気に満ちていた。

 

 

「ところでさ」

 

「うん」

 

 

 キリカは話題を変え、ナガレもそれに乗った。

 狂った事を聞かされたが、杏子の生存は確認できたからである。

 

 

「母さん元気?」

 

「ああ、世話になってるよ」

 

「そっか。母さん、佐倉杏子の事は気に掛けてたからね。私としてはちょっと複雑な気分だけど、お世話が出来てよかったよかった」

 

「そいつは初耳だな。なんかあったのか?」

 

「うん。母さん、昔は佐倉杏子みたいな生活してたらしくてさ。父さんからも聞いた話を鑑みて客観的に考えてみると、境遇的には佐倉杏子とどっこいどっこいか、もっと酷い生活してたみたい」

 

「てこたぁ、随分と苦労したんだな」

 

 

 彼の顔と声に哀切さの翳が差した。

 意外に過ぎる、と思ったがキリカの母が娘を宿した時の年齢を考えると、何かあったと思う方が自然に思えた。

 

 

「あ、そうだ。一応言っとくけどちゃんと私は両親との間の子供だからね。前にも言ったけど、今は亡き郊外のラブホで繰り広げられた両親二人の愛の元、私は宿されたのだよ」

 

 

 勘が鋭い、そしてこれに限った事ではないが赤裸々すぎる発言だった。

 ちなみにその郊外のラブホとやらは今は廃墟と化しており、少し前にナガレとキリカによるデート的な殺し合いにて完全に破壊されている。

 

 

「まぁそれ以外にも佐倉杏子、っていうか佐倉家とは縁が……ま、今はいいか。ちなみにこれはこれ伏線ね♡」

 

 

 覚えといて☆とキリカは言った。あいよ、と彼は返した。

 

 

「さてと。という訳でさ。少し話を逸らしたけど、朱音麻衣がちょっとヤバいから近いうち助けておくれよ。あすなろとか特に縁も無い場所で朽ちたく…って、あ」

 

 

 しまった、とばかりにキリカは口を閉ざした。

 

 

「あすなろか」

 

 

 彼にはしっかり聞こえていた。

 閉ざしたところを見るに、情報を小出しにして彼を弄びたかったのだろう。

 

 

「あー…やっちった。これも朱音麻衣のせいだ。許さないぞ、あの発情女」

 

「場所が分かるってこた、正確な位置も分かるよな」

 

 

 佐倉キリカの言葉を無視して、彼は問う。

 再びキリカは溜息を吐いた。そして、一切の冗談を廃した生真面目な顔となって正面から彼を見た。

 

 

「知ってるけど教えない」

 

「ああ?」

 

「言えないではなく、言わない、だ」

 

 

 意味不明な言葉を重ねるうちに、彼女の身体が痙攣していく。

 

 

「わた、わた、わ、私の、ひ、引いた、レールも、最後だ」

 

 

 痙攣が激しくなる。

 彼は考えた。多分これがタイムリミットで、言わないというのは見つけてみろというヒロイン願望か何かだろうと。

 だから主人公とか英雄とかほざきくさってたのか。

 彼はそう結論付けた。

 以前の彼ならこういった考えはしなかっただろうが、ここ数か月アニメ等に慣れ親しんだせいで想像力が逞しくなったらしい。

 人生、何が影響を与えるか分からないものである。

 

 

「だから、ここから先は、主人公である、君の手で切り開け!」

 

 

 手を翳し、求めるように腕を伸ばす。

 その手を彼は掴んだ。行くな、と言わんばかりに。

 

 

「じゃあね、友人。しばしの間、さらばだ」

 

 

 黄水晶の眼が瞬いた。可愛らしいウインクだった。

 

 

「愛してるよ、友人」

 

 

 瞳には寂しさの色も浮かんでいる。意味不明な発言は、ひょっとしたら彼女なりの強がりだったのかもしれない。

 

 

「主人公ってな、他人からの評価だったよな」

 

 

 対して、彼はそう言った。

 意図が分からず、キリカは首を傾げた。

 

 

「なら俺からしたら、お前らもみんな主人公だ。だからお前らも自分の物語を主人公として全うしやがれ」

 

 

 腕を引き寄せ、顔同士の距離が数ミリも無い位置で彼は言った。

 獰悪で頼もしい、英雄や勇者を思わせる表情で。

 対して、キリカは佐倉杏子の顔の唇を少し尖らせた。

 当然の結果として、彼の唇に触れた。

 

 

「だからさ、そういうとこなんだって」

 

 

 そして春風のような表情となり、その直後に身体が崩れた。

 それはまるで、風が過ぎ去ったかのようだった。

 力を喪った細い身体を抱きながら、彼はそう思った。

 

 

「少し待ってな。必ず奪い返してやる」

 

 

 それを聞き終えた時、黄水晶の瞳を宿す眼は静かに閉じた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 獰猛さを力に変えて

 天も地も、極彩色の色が広がる。

 空間委に満ちた大気もまた、それらと同色の狂気を帯びていた。

 どんなに飽食をしても飽き足らず、永劫に尽きない食欲の坩堝。

 

 この異界は、異形の食欲に満ちた世界だった。

 その世界の中で、一つの孤影が立っていた。

 

 魔女を思わせる帽子とそこから垂れる黒い長髪。

 黒を主体に白を散らした、肌の露出が極めて多い衣装。

 その周囲で呻き声が鳴っていた。

 

 大型トラックよりも太く長い胴体。長く伸びた尾の先は可愛らしい人形の口に繋がっている。

 戯画化した犬に鮫の要素を足したような顔。 

 開いた口には、一抱えもありそうな巨大な牙がびっしりと並ぶ。

 それを更に巨大な舌が舐める。

 

 渦を巻いた眼で黒衣の少女を、かずみを見ている。

 舌に纏わりついた唾液が口内から溢れ、悪臭を振り撒きながら滴り落ちる。

 地面に落ちて跳ねた時、異形達は一斉にかずみへと襲い掛かった。

 その数は二体。

 吹き付けられる貪欲な食欲と狂気の中、泰然と立ち尽くすかずみは皿の上の贄に見えた。

 

 

「やるぞ」

 

 

 かずみは口を開いた。

 彼女の声だったが、短いながらに異なる口調の声だった。

 

 

「うん」

 

 

 自らの声にかずみは応じた。

 その時には、先陣を切った個体がかずみの前で大口を開いていた。

 腐肉に砂糖を塗したような悪臭がかずみの鼻先を掠めた。その臭気に、新鮮な血の香りが重なる。

 

 肉が吹き飛び、砕けた歯が鮮血と共に宙を舞う。

 魔女の右頬が圧壊し、顔の面積の半分以上が潰れていた。

 肉の陥没が生じたすぐ隣に、黒い塊があった。

 

 それは、通常の10倍以上の大きさとなった拳だった。

 指や拳頭に鋭いエッジが描かれ、それが魔女の肉を切り裂き砕いていた。

 かずみの腕を覆う黒布が一瞬にして変異した、破壊の拳。

 

 

「アトミック」

 

 

 かずみと異なるかずみの声。

 言葉が意味するのは「原子」。

 眼窩から神経の糸を引いて垂れ下がった眼で、異形は自分に向けられたかずみの巨大な拳を見た。

 

 

「飛べ」

 

 

 言った瞬間、異形の顔面が粉砕された。

 巨大な胴体も挽肉と化した。

 背中から噴き上がる鮮血に引かれるように、体内から巨大な臓物が溢れ出す。

 

 その末端である人形もまた粉砕された。

 それを為したのは、魔力によって飛翔していくかずみの拳。

 正確には、その左手を覆う拳状に変形した黒い布が。

 拳を飛ばした後、当然ではあるがかずみの手からは黒が消え、白い素肌が晒されていた。

 

 そこを目指して、もう一体の異形が迫る。

 開いた口の中では、咀嚼された同胞の肉と内臓が見えた。

 自分以外は全てが餌ということだろう。

 

 応じるように、かずみは右手を伸ばした。

 伸ばしていく間に、黒布が変化していく。

 五指の先端までも覆い、さらに伸びていく。

 

 指の面影を残しながら先端を捩じらせ、太さと長さが一気に増す。

 捩じれた部分は刃となり、彼女の右腕は螺旋を描いた槍と化した。

 その形状は、正に。

 

 

「ドリル」

 

 

 呟く。歯を見せて獰悪に笑いながら。

 かずみが浮かべた表情に、異形は一瞬、食欲さえも忘れて怯えた。

 それが異形の最後の感情となった。

 

 

「行け」

 

 

 言葉に従い、黒布が変異したドリルが飛翔。

 それが抜けたかずみの右手の前で、異形の顔面はドリルの着弾点である中心から捩子くれ、ドリルの回転によって胴体が何重にも絞られ弾性張力を越えた肉が弾けた。

 二呼吸する間に、異形達は肉塊と化していた。

 原型も留めぬほどに破壊された異形が崩れ落ちる中、破壊を為したかずみの黒布は尋常な形となって彼女の両腕へと戻っていた。

 その背後に、三体目の異形が迫った。

 しかし開いた口は、直後に縦に切断された。

 黒い斧槍の一閃には魔力が乗せられ、斬撃と共に迸った衝撃によって末端の尾までを切り裂いた。

 

 

「邪魔するなよ」

 

 

 噴き上がる血飛沫の中でナガレは言った。

 隠れていたのではない。

 異形達はかずみに引き寄せられ、彼の存在に気付かなかったのだ。

 魔女の気配を察知して暴走する彼女であるが、魔女を引き付ける存在でもあるらしい。

 それが今は、暴走には至らずに制御された状態にあった。

 

 

「覚えたか?」

 

 

 かずみは呟いた。

 声はかずみ、されど口調はナガレだった。

 そのかずみの背後で、ナガレは斧槍を一閃させて血糊を吹き払っていた。

 

 

「うん」

 

 

 かずみは応えた。自分の声で。「その意気だ」とかずみは言った。再びナガレの口調で。

 そして彼女は眼を閉じた。すぐに開いた。

 その間に、彼と彼女の周囲からは異形の気配がにじり寄っていた。

 極彩色の暗闇のような世界に、幾つもの渦巻く眼と牙の輝きが光る。

 

 

「ぐぐ…グ……グルル…」

 

 

 迫る異形達。対するかずみは呻き声を出していた。

 白い肌からは脂汗が浮き、赤く渦巻く瞳の中では正気と狂気がせめぎ合っていた。

 その様子を、ナガレは何も言わずにじっと見ていた。

 手に持った斧槍は下げられ、切っ先を地面に着き立てている。

 

 それを好機と見て、異形達は一斉に迫った。

 その時に、異形達は異変に気付いた。

 かずみの真上、極彩色の空の一角に黒々とした雲が浮かび、曇天となっている事に。

 その顔を、姿を、白光が眩く照らした。

 曇天から降り注いだ一筋の雷を、かずみの被った鍔広の帽子が受け止めた。

 雷は帽子の両サイドへと至り、そして彼女が高々と真上に伸ばした右手の人差し指に絡み付いた。

 

 

「サン…ダァァァアアアアア!!!!」

 

 

 指先に雷を絡めながらかずみは叫ぶ。

 莫大な熱量である筈なのに、彼女の帽子や衣服どころか、肌さえも全く傷付いていない。

 まるで雷撃を自らの友としたかのように。あるいは、王に平伏す臣下と為したかのように。

 

 

「ブレェエエエエエエエク!!!!!」

 

 

 咆哮と共に、雷撃が弾けた。

 空間を埋め尽くす稲妻の毒蛇達が舞い踊り、巨大な異形達へと襲い掛かる。

 黒い肌が瞬時に炭化し、眼球が破裂し、膨張した肉と舌が顎や歯を内外から砕く。

 

 三十体を越える魔女達は、為すすべも無く破壊の蹂躙を受けた。

 後方にいたために、十体程度の魔女は軽傷を負った程度で済んでいた。

 その上空に、かずみが地を蹴って飛翔していた。

 

 両腕をびしっと体の両側に下げた姿勢で、魔力を通された外套が彼女の姿を空中で固定する。

 何事かと見上げる異形の顔と身体を、今度は真紅の光が叩いた。

 かずみの両肩と胸にある白い飾りが、同色の光に輝いていた。

 そして三か所で生じた光が連結し、一つの光となった。

 それは、Vの字を描いていた。

 

 

「ブレストォォォオオオオオオオオ……ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!」

 

 

 かずみの咆哮と同時に、竦む異形達へと真紅の熱線が浴びせられた。

 莫大な熱量により巨体は一瞬にして溶解し、熱風が全てを消し去った。

 熱と風が過ぎ去った後には、大きく抉られた異界の地面が広がっていた。

 溝の底は見えず、そして視界が不明瞭であるからとは言え、破壊が何処まで続いているのかも見えない。

 

 

「グル…ルル……ル」

 

 

 唸り声を上げながら、かずみは静かに着地した。

 雷撃によって生じていた異形達の死骸も、今の熱線と熱風が吹き飛ばしていた。

 後に残ったのは、熱を帯びた大気と傷付いた地面。

 そして、斧槍を構えた黒髪の少年。

 

 彼の姿を見た瞬間、かずみの正気は消え失せた。

 本能のままに叫び声を上げ、かずみはナガレへと襲い掛かった。

 
















モチーフは…言うまでも無く


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 怨恨の想いを力に変えて

 午後六時。

 場所は呉キリカの部屋。

 テーブルの上に並ぶのは水の珠が浮いたレタスと切られたトマトのサラダ。

 デミグラスソースが掛けられ、目玉焼きが乗せられたハンバーグ。

 付け合わせのコンソメスープからは湯気が立ち、控えめながら芳醇な香りを振り撒いている。

 ナガレはそれを食べている。

 対面する杏子は、全く動いていない。

 

 キリカのものらしき、黒いゴス衣装を着てツインテールの髪型となった杏子。

 紅い眼は虚ろなまま、瞬きも行わずにテーブルを見ている。

 眼は何も映しておらず、ただ開かれている感じだった。

 料理を眼の前にして何も動かないところからして、そもそも異常だった。

 こんな状態が、丸二日も続いている。

 

 水を飲む、用を足す、キリカ母と一緒に風呂に入るといった日常の行為を除けば、そこから一切動いていない。

 限界だった。

 それを見る彼の方が。

 様子を見ていたが、そろそろ口を出した方が良さそうだと思った。

 

 

「大丈夫か、お前」

 

 

 無言。

 心配になり、彼は杏子に近付いた。

 その瞬間、杏子も彼に迫った。

 彼が後頭部を軽く引くよりも、その唇に杏子が唇を重ねる方が早かった。

 ほんのすこしだけ、彼の唇に付着していたデミグラスソースが杏子の唇にも移る。

 赤い舌が唇を蛇のように這い、焦げ茶色のソースを舐める。

 途端に、虚無の眼に意識が宿る。

 

 

「おかえり」

 

 

 ナガレは言った。

 

 

「ただいま」

 

 

 杏子は返した。

 そして、

 

 

「いただきます」

 

 

 と言って、料理を食べ始めた。

 今頃はキリカ母と早めの睡眠をとっているであろうかずみが腕を振るった料理は、言うまでも無く美味かった。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 二人は同時に言った。手を合わせ、丁寧な礼を示す。

 それから二時間、平和な時が流れた。

 キリカの部屋にあったアニメを観た。

 

 勇者の名を冠されたロボットと、それを操る金色の鎧を纏った勇者達の激戦を描く物語だった。

 獅子をモチーフとした漆黒の巨体、怪獣のような尾や爪が印象的な、破壊神的なロボットが圧倒的な破壊力を持って暴れ回っていた。

 

 その様子を「へぇ」と感心した風に見るナガレ。

 その彼の左肩に、杏子は身を寄せながら画面を見ていた。

 床に置いた彼の手に、杏子は手を重ねた。

 彼が拒否しなかったので、その体勢をずっと維持した。

 画面に注視しつつ、杏子は彼の体温と鼓動を聴く事に神経を傾けた。

 

 

「話、していい?」

 

「ああ」

 

 

 物語が終わってから、杏子は言った。

 彼に身を寄せたままの体勢は変わらなかった。

 

 

「あいつから、朱音麻衣があたしにしたコトは」

 

 

 杏子は語り始めた。

 二日前、ナガレに欲情した杏子は呉キリカに意識を乗っ取られた。

 その際に、杏子の意識はどうなっているのかと彼は尋ね、キリカは答えた。

 彼女をして、彼に言う事を暗に拒否した案件だった。

 

 杏子が語るのは、その詳細だった。

 滔々と、ただ事実を告げていく。

 話すのに要した時間は五分。

 

 その時間が過ぎた時、室内には鉛のような沈黙が降りていた。

 空気分子の一つ一つが硬直し、氷結しているかのような重苦しさ。

 今は此処にいない存在。

 紫髪の魔法少女の狂気が、今のこの場の雰囲気を作り出していた。

 

 

「かずみ、さぁ」

 

「ん」

 

 

 杏子は話題を変えた。

 彼女はかずみの母親役でありたいと思っている。

 とすればかずみは子供に当る存在である。

 彼女を会話のダシに使った事に、杏子は罪悪感を抱いていた。

 しかし、それは必要な話だからと心を納得させた。

 

 

「調子は…どう?」

 

「大分サマになってきた。まだ派手に暴れるけどよ」

 

 

 そう言って彼は笑った。

 何事も無いかのように。

 よく笑えるものだと、杏子は言葉に出さずに思った。

 

 外見で見ればいつもの彼である。

 しかし中身は瀕死だと、杏子には分かっていた。

 彼から感じた鼓動と脈動、そして体温からそれを察した。

 ここ最近はご無沙汰だが、出逢ってから今に至るまで、暇を見つけて殺し合った事による経験則でもある。

 

 

「悪いね。ここ最近役立たずで」

 

「休むのも魔法少女の仕事だろうよ」

 

「なんだよ、それ。初めて聞いたぜ、そんなコト」

 

「だろうな。俺も初めて言った」

 

 

 ナガレの返しに、杏子は軽く肩を叩いた。

 魔力を用いない、非力な少女の腕力で。

 彼の内側の肉が、わずかに千切れた。そんな気がした。

 

 

「なら今度はあたしの番だね。あんたはしばらく休んでな、相棒」

 

 

 杏子の言葉に、少し迷いながらも彼は頷いた。

 かずみの制御は着々と進んでいるが、強さは洗練され、破壊力もまた刻々と増している。

 それを彼は危惧したのだった。

 しかし、ナガレは杏子を、自分の相棒を信じることにした。自らを相棒と呼んだ存在を信じれなくてどうすると、彼は思った。

 

 

「それでさ。かずみの様子が落ち着いたら、行くとこ行こうぜ」

 

 

 杏子はそう言った。

 その口調は普段の通りだが、籠められた感情には、彼をして尋常ではないものがあった。

 

 

「あすなろ市へ、さ」

 

 

 報復心に満ちた声で、杏子は呟いた。

 双樹に奪われた自分のソウルジェムの奪還。

 それを今の彼女は考えていなかった。

 呉キリカの事も記憶から消し去られていた。

 

 今の杏子にあるのは、朱音麻衣への絶対的な報復心だった。

 それが今の杏子の心の中に渦巻き、次の行動を促す原動力となっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 偉大な勇者の背を追って

「しっかしまぁ…風見野だけじゃなくて、ここにもあるたぁな」

 

 

 声色は童女、口調は男っぽいのではなく男そのもの。

 地面も構造物も、何もかもが鏡で形成された世界で、黒い魔法少女はそう言った。

 その前方から、複数の影が彼女に向けて殺到していく。

 多種多様な衣装を纏い、剣に槍に銃器にと武装した美しい少女達。

 美しい姿でありながら、顔を鏡で形成した異貌のものども。

 

 先陣を切った一体が、少女の、かずみの前へと跳躍しながら襲い掛かる。

 ピンク色の髪の、長いツインテール。

 桃色と白で形成された肌露出の多い姿。

 手には大きく弧を描いた大鎌が握られていた。

 

 一瞬の後にはそれは旋回し、かずみの細首を血線を巻かせて吹き飛ばす筈であった。

 それより前に、少女の背中が破裂した。

 砕かれた背骨に内部の肋骨、心臓に肺に胃袋。

 そして腸と腹部の肉が背中から大量の血と共に挽肉となって、花吹雪のように吹き散らされる。

 

 肉の花吹雪が咲き誇る中央では、黒い円錐が少女の身体を貫いて聳えていた。

 

 

「ニーインパルスキック!」

 

 

 破壊の中、かずみが叫んでいた。

 彼女の黒い靴が左膝を覆い、一瞬にして膝小僧から先に二メートルも伸びた黒円錐を形成。

 それで以て、魔法少女の複製体を粉砕していた。

 そこに更に迫る複数の少女達。

 彼女らが武具を構えるよりも早く、漆黒の一閃が彼女らの胴体を薙いでいた。

 一閃が触れた個所で、例外なく赤い柘榴が散った。

 柘榴とは、血肉と臓物の意味である。

 

 既に尋常な形と戻った左脚を軸に、かずみの右脚が旋回していた。

 高く上げられた爪先には、先と同じく膝まで続く形状の変化が生じている。

 

 

「バックスピンキック!」

 

 

 彼女の爪先から膝までが、黒い刃となっていた。

 鉈の重さと名刀の切れ味を両立させたそれが刃よりも鋭い蹴りによって廻され、鏡貌の少女達の胴体を両断させた。

 おぞましくも美しい死に様を咲かせる少女達を、後方からの複数の光が貫いた。

 後続の疑似魔法少女達による遠距離攻撃である。

 殺到する光の隙間を、黒い姿が抜け出る。

 

 地上から天へと飛翔する逆さまの流星を、少女達は眼の無き顔で追った。

 その内の何体かは、「スクランブルダッシュ」という叫びを聞いていた。

 それが最後の声でもあれば、次のこの言葉が今生の最後の音でもあった。

 それは、眩い白光を伴っていた。

 

 

「サンダァアアアアアブレェェエエエエエエク!!!」

 

 

 かずみの被った魔女帽子の鍔から迸った雷が、彼女が伸ばした右腕の先の人差し指へと伝い、指先に光が纏われた。

 そして指先からは極太の雷撃が発生。無数の棘を生やした巨大な竜を思わせる雷撃は、棘の枝葉を更に無数に増やして地上の疑似魔法少女達へと襲い掛かった。

 回避も間に合わず、防御も無意味とさせる莫大な熱量。

 辛うじて人体の面影を残した炭の柱へと、魔法少女達は姿を変えられていた。

 動くものが絶えた中で、黒衣の少女がゆっくりと着地する。

 

 背中に羽織られていた黒いマントは、左右に大きく伸びた翼の形状を取っていた。

 それがしゅるりと長さを縮めて元の長さへと戻る。

 スクランブルダッシュが翼の展開なら、これはスクランブルオフとなるか。

 かずみの軽い体重が鏡の地面に触れた時、少女達の肉で出来た灰の柱は静かに崩れ落ちた。

 灰色の雪のように、灰が雷撃によって膨張した空気が起こした風に乗って舞い踊る。

 その中に立つかずみの姿は、幻想的な美しさを伴っていた。

 

 

「すげぇな」

 

 

 その様子を、背後で見るものが二人。

 内の一人である佐倉杏子はそう呟いた。

 

 

「「だろう?」」

 

 

 声が二つ重なった。声はそれぞれが違うが、口調は同一。

 杏子の隣に立つナガレと、彼女に向かって振り返ったかずみが言った言葉であった。

 この奇妙な様子に、杏子は内心で少しイラっときていた。

 ナガレとかずみに対してではなく、これを齎した事例について。

 

 数日前、杏子はキリカに意識を乗っ取られた。

 杏子のソウルジェムは他と異なり、何故か距離制限が無かった。 

 それを利用し、杏子のソウルジェムと同じく双樹の子宮にあるキリカのソウルジェム、つまりはキリカの意識が杏子の魂に干渉して意識を飛ばし、杏子の肉体を奪っていた。

 意味不明な状況だが、事実なのだから仕方ない。

 それに対し、当然ながら杏子は良い思いを持ってなどいない。

 

 そしてその事例を元に、ナガレはかずみの肉体を操作していた。

 但し彼の場合は、自分の肉体にも意識を残しつつ、というよりも移動などさせてはいない。

 感覚的には、コントローラーを操作してゲーム内のキャラを操る者や、ラジコンとその操者の関係に近い。

 

 かずみ自身もこれを行う事を許可していたことが、この奇妙な状態の成立に一役買っていた。

 要領としては、魔法少女に非ずの彼が魔法少女と行う会話。

 半共生状態の魔女を介しての念話のそれ。

 そのちょっとした応用を用いてかずみの肉体操作を行っていた。

 目的は無論、彼女の力の制御である。

 暴走に至る莫大な感情の発露と異常なまでの力。

 その二つを制御すべく、彼はかずみの能力の一つ一つに技名を付け、ある存在を模倣することで力の精錬化を図っていた。

 いわば、言霊を与えようというのである。

 その力の依り代として選ばれたのが…。

 

 

グレートマジンガー……って言ったっけか。この前聞いた、マジンガーZってやつの改良型だっけ』

 

『ああ。それで合ってる』

 

『二次創作のオリキャラみてぇな名前だな』

 

『俺もそう思う』

 

 

 杏子からの評価にナガレも同意した。

 正直に過ぎて、杏子は自分の発言に罪悪感さえ覚えた。

 

 

『グレートってのは偉大って意味だけどさ、自称かい?』

 

『いや、こいつはロボットでマシーンだからな。言葉もしゃべらないし涙も流さねぇ』

 

 

 当たり前だろと杏子は思ったが、彼の記憶から垣間見た幾つかの存在を鑑みるに、「ロボットってなんだろう」といった考えが湧いていた。

 彼曰く、ここに来る前に相方というか保護者みたいな存在であったZEROとやらは感情を備えているらしいとのこと。

 そいつがやらかした事を聞いた杏子は大いに気分を害しその存在が嫌いになったが、それはまた別の話である。

 

 

『グレートって意味は守られる側からの希望の象徴だったり、相手をする敵への威嚇が込められてるんだろうな。薄っぺらい承認欲求とか英雄願望じゃねぇだろうさ』

 

 

 彼は自分の中で整理した情報を杏子に伝えた。

 なるほどねと杏子は返した。

 

 グレートマジンガーという存在に対し、ナガレはその名前からいけ好かない思いを感じていたが、数日前に杏子の身体を乗っ取ったキリカとの会話で認識を改めていた。

 偏執的でも悪魔的でもない、精錬されて制御された力。

 自分の為ではなく、平和を守るための偉大な勇者であれという願いを籠められて建造された存在。

 なるほどなと、ナガレは思い返していた。 

 たしかに、かずみの制御を担う為の依り代として適した存在であると彼は思った。

 












イメージのモチーフはZERO版のグレートです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 命の火を灯すとき

 鏡の世界は死の香りで満ちていた。

 断ち割られた顔面から覗く脳漿、切り裂かれた腹部から零れる内臓、鏡の地面にたっぷりと溜まった体液と血液。

 転がる無数の死を観客とするかのように、二人の魔が対峙していた。

 

 

「うう…うう」

 

 

 唸り声を上げつつ、かずみは両脚で地面を力強く踏みしめた。

 堆積した血肉が、彼女への恨みのように跳ね上がる。

 それらを切り裂き、黒い塊が舞い上がった。

 かずみの靴の側面が剥離し、黒い欠片となって彼女へ向かう

 

 

「マギ…カ…」

 

 

 両腕をクロスさせ左手で右脚からのものを、右手で左脚からの欠片を腰の辺りで受け取る。

 十字架を描いたそれは、握られた瞬間から変異を始めていた。

 

 

「ブレー……ド…!!」

 

 

 手にしたそれを振り下ろし、左右に構える。

 黒い鍔と柄の両刃の刃がかずみの両手に握られていた。

 刀身の長さは1メートル近い。『マギカブレード』と名付けられた剣の名前は、そのまんまな直球であったが、元ネタからしてそれは同じである。

 斧槍を構えたナガレは、その様子をじっと見ていた。

 姿は既に血塗れであり、意識にも時折霞が滲む。

 

 

「握り方、ちょっと違うな。小指と薬指を締めて、他は力をあんまり込めるな。そうそう、ゆで卵でも握る感じだ。……よし、それでいい」

 

 

 ナガレの指摘にかずみは唸りながらも応えた。

 ただ力任せに握られていた柄が、的確な持ち方に変えられる。

 つまりは刃の威力を最大限に発揮される状態へと整えられた。

 彼の命を切り落とす力と技が、かずみの手に宿された。

 となればあとは、放たれるのみ。

 

 黒い風となってかずみは走り、漆黒の流星と化して彼に迫った。

 振り下ろされた二振りの刃を、ナガレは斧槍の柄で受け止める。

 

 

「いいぞ、その調子だ」

 

 

 これまでは鈍器としてしか用いられなかった剣が、刃の用途で振るわれた。

 それはつまり、かずみの進歩を示していた。

 刃で柄を切断できないと見て、かずみは刃を柄から離して斬撃を見舞う。

 黒い暴風のように荒々しく、それでいて精緻な剣技が振るわれる。

 相手の手首を狙い、僅かな感隙を逃さずに攻めて深追いはしない。

 これもナガレが教えた事だった。

 

 

「やるじゃないか」

 

 

 称えつつ彼も応戦。

 既に開いている傷口から出血しつつも、今以上の負傷を避けるべく相手の刃を弾いて回避する。

 そこに迫る複数の疑似魔法少女達。

 両者の背後から得物を突き立てるべく迫る。

 が、しかし。

 

 

「邪……魔……!」

 

 

 怒気を孕んだかずみの声。

 ナガレの背後に迫っていた疑似魔法少女の頭部が、切っ先を伸ばした剣に貫かれた。

 死の痙攣を行う少女の首を刎ね、かずみは死体を投げ捨てる。 

 

 ナガレも同様に、かずみの背後から迫っていた個体を斧槍にて両断していた。

 そして再開される剣戟。

 破壊の乱舞が舞い踊り、迫る少女達を挽肉へと変えていく。

 

 二人の交差は一か所に留まらず、互いの立ち位置を変えたり離脱と接近を繰り返しての戦闘となっていた。

 当然、破壊の範囲も広がっていく。

 遠距離から二人を狙っていた疑似魔法少女達も二人の動きを捉えられず、挙句の果てに高速で交戦する二人に接近されて巻き添えを食う始末であった。

 首や手足が飛び内臓が散乱する中、ナガレとかずみの剣戟は続く。

 

 

「ん……」

 

 

 その最中、彼の剣筋が乱れた。

 既に十数時間戦い続け、大量の血を喪失している。

 剣戟に至る前には雷撃に熱線に竜巻にと、想像を絶する破壊の標的にされていた。

 掠めただけで即死するそれらを掻い潜り、今も命を永らえさせている事が奇跡なのである。

 

 そのよろめきを見逃さず、かずみは刃を突き出した。

 左は彼の首、右は心臓を目指していた。

 金属音が鳴り響く。

 

 

「選手交代だ」

 

 

 美しい真紅の影が、かずみとナガレの間に割り入る。

 十字の槍穂を持つ真紅の槍がかずみの刺突を受け止めていた。

 剣を跳ね返しながら、杏子はナガレのジャケットの襟首を掴んで後方へと投げた。

 

 

『悪い』

 

 

 その言葉は彼ではなく、杏子が発していた。

 

 

『治すのに手間取っちまった』

 

『構わねぇ。って、やべぇぞ!!』

 

 

 思念で会話する中、二人の全身を白光が叩いた。

 これまでに何度も見てきたが、その度に背筋が凍る光景が眼前に広がる。

 かずみの魔女帽子の鍔から伸びた電撃が、彼女が伸ばした右腕の人差し指に連結。

 そこに蓄積し、そして。

 

 

「サンダァアアアアアブレェェエエエエエエクッ!!!!!」

 

 

 指先から放たれる高圧電流。

 迫る雷撃の毒蛇を前に、佐倉杏子は背後に下がらず前へと進んだ。

 

 

「ううううおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 叫び、愛槍を振り回す。

 雷撃の対処はリナとの戦闘で覚え、かずみを相手に幾度も重ねた。

 その経験を総動員し、彼女は光で出来た死の牙へと挑む。

 肩の端や膝の隅などに雷撃が掠めて即座に炭化する。

 構うものかと杏子は槍を振い続ける。

 ついさきほどまで、杏子の全身は完全に炭となっていた。

 

 脳も完全に焼き尽くされながら、苦痛だけがはっきりと伝わる感覚。

 それがやがて再生が進み、記憶や言葉、その他の感覚などを思い出していった。

 つまり一度死んだようなものであり、そもそも自分は常に死んでいるのと大差ない。

 そう思う事で戦意を燃やし、かずみの保護者であるという責任感を自分に課して、再び戦場へと彼女を立たせた。

 

 

「おおおらああああああああああああ!!!!」

 

 

 裂帛の叫びと共に放たれた横の一閃。

 真紅の穂先が、広がっていた雷撃を切り裂いた。

 刃に乗せられた杏子の魔力がかずみの雷撃を破壊し、霧散させていく。

 無害な光となって散る光を裂いて、かずみは杏子に向かって走った。

 

 

「が…ああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 獲物を仕留めきれなかったことへの苛立ちか、かずみは怒り狂っているように見えた。

 ナガレに指摘された剣の握りも、幼子が箸を握る様なただ力に任せたものへと変わっていた。

 その握りのまま、かずみは両手の剣を杏子に叩き付けた。

 ナガレの時と同じく、杏子は横に倒した槍の柄で受けた。

 金属音が鳴り響き、衝撃が奔った。

 

 

「く……ぅう…」

 

 

 受けた杏子の苦しみに満ちた声。

 靴底が血に濡れた鏡の地面を砕いて踝まで埋まり、土踏まずの辺りは断裂し割れた靴から骨と肉を飛び出させていた。

 咄嗟に膝を撓ませなければ、両膝も潰されていたに違いない。

 

 

「惜し…かったな」

 

「ぐるるるっ!がうぐううううう!!」

 

 

 歯をギチギチと噛み合わせながら、対峙する杏子へと吠えるかずみに杏子はそう言った。

 どこか、憐れみを孕んだ言い方だった。

 

 

「ちゃんと握ってりゃ……あたしに勝てたってのによ」

 

 

 かずみが放った両剣は、刃ではなく側面で振り下ろされていた。刃ではなく鈍器として。

 先程までの、本来の使い方で振られていたら杏子は今頃両肩を落とされ、次いで残った胴体を切り刻まれていただろう。

 

 

「ぐううううあああああああああ!!!!」

 

 

 かずみは再び吠えた。

 杏子の指摘が事実だと、彼女も理解しているかのように。

 事実であるが故に悔しく、それによって癇癪を起したように見えた。

 

 

「トチ狂うな!抑えろ!」

 

 

 剣を受け止めたままに杏子は諭す。

 

 

「前にも言ったけどよ、狂っても何も良い事ねぇんだよ!!勝てるもんも勝てなくなるし、なにより自分が悔しいじゃねえか!!」

 

 

 叫びながら杏子は諭す。

 それは自分に向けた言葉でもあった。

 

 

「力に使われるな!力は制御して使うもんだ!自分や……自分が大切だと思うもののためにさ!!」

 

 

 最後の一言は杏子の心に爪痕を残した。

 彼女はそれを既に、他ならぬ自分の手で失くしてしまった為に。

 かずみが何を願ったのかは知らないが、彼女にはそうなってほしくない。

 自分達、少なくとも自分の事は壊してくれて構わないが、かずみには大切な何かを自分の手で壊して欲しくない。

 杏子はそう思った。それは、願いそのものだった。

 そして杏子に押し寄せる悔恨。それを振り払うのではなく受け止め、苦痛のままに杏子は叫ぶ。

 

 

「その剣だってそうだ!!使いこなしてみろよ!!こんなもん…お前がいつも使ってる包丁と同じじゃねえか!!」

 

「ほう……ちょう……」

 

 

 杏子の言葉にかずみが反応した。

 今がチャンスだ。

 杏子は思った。

 

 

「そうだ!使いこなせ!火の扱いだってそうだろう!?」

 

「…火」

 

「そうだ!火だ!」

 

 

 彼女の言葉に、杏子は呼応する。

 

 

「力が荒れ狂うってんなら、その中に自分の火を入れろ!!それに加減を付けて、自分の心で操るんだ!!」

 

 

 火を入れる。魂に火を灯す。

 命を燃やすときを、他ならぬ自分が決めろ。

 杏子はそう願いながら言葉を発した。

 

 赤く黒いかずみの瞳に、一筋の光が灯った。

 赤々と輝く、火のような光。理性の光だった。

 しかし直後、杏子は心中で舌打ちを放った。

 受け止めているかずみの刃と真紅の柄に、背後から迫る複数の影を見たのだった。

 

 ナガレは既に、其方へ向けて刃を構えている。

 三人へ向けて、無数の魔法少女達が殺到していた。

 邪魔な奴らだと、杏子は怒りの炎を燃やしながらそう思った。

 皆殺しにしてやると振り返ろうとした時、杏子の槍に掛かる圧力が消えた。

 かずみは刃を引いていた。

 

 

「任せて」

 

 

 静かな声でかずみは言った。

 そして背後に軽く跳んでから、マントを翼に変えて上空へと舞い上がる。そして、右腕を高々と掲げた。

 手は漆黒の剣を握ったままだった。

 その握り方は、ナガレが教えたものと同じ。

 

 小指と薬指を締め、他は添える程度に。茹で卵を優しく握るかのように。

 そしてかずみの眼には理性の輝き。

 それは、杏子の願いが実った事を表していた。

 垂直に掲げられた剣の先端に、彼女の魔女帽子から放たれた稲妻が吸い込まれていく。

 収束していく力。その輝きは、これまでにないほどの輝きに満ちていた。

 力任せではなく、確たる意思の元で精錬されて制御された力。

 

 

「必殺パワー……サンダーブレーク!!」

 

 

 かずみが叫びと共に放った雷撃は、新しい力の誕生の瞬間だった。

 或いはかずみは、この時に再び生を受けたのかもしれなかった。

 

 放たれた雷撃は杏子とナガレには掠りもせずに間を抜け、迫る魔法少女達へと着弾した。

 瞬時に全身の体液が沸騰し、肉体が膨張に耐えきれずに破裂する。

 破裂する人体の隙間から、無数の熱線が放たれる。

 周囲から迫る光に、かずみは左手を翳した。

 

 そこに握られた剣にも既に、雷撃が宿っていた。

 そして放たれる、二発目のサンダーブレーク。

 雷撃が熱線に喰らい付いて飲み込み、その射手達も喰らっていく。

 

 雷撃が放たれ続ける両の剣をかずみは振った。

 サンダーブレークもそれに従い、雷撃が鞭のように振るわれる。

 破壊の範囲が拡大し、迫っていた魔法少女達が壊滅するのにそう時間は掛からなかった。

 

 訪れた静謐の中、かずみは静かに着地した。

 役目を終えたと察したか、黒い二本の剣も消えた。

 

 

「でき…た、かな?」

 

 

 降りた先にいた二人へとかずみは微笑みながら尋ねた。

 言葉が途切れた合間には、彼女の苦痛が伺えた。

 力の制御は、代償無しとはいかないらしい。

 

 

「勿論だ」

 

「上出来だよ」

 

 

 ナガレと杏子はそう答えた。

 二人とも傷を負ったままの姿であるが、感じる苦痛を全く表に出していない。

 かずみが不安がるからと、こっちも負けて堪るかという意気込みによって。

 保護者である二人の返しに、かずみは満足そうに笑った。

 天使が存在するなら、きっとこんな感じだろうと杏子は思った。

 それは、そんな笑顔だった。

 

 

「よか……ったぁ……」

 

 

 その笑顔のままに、かずみは糸が切れた人形のように倒れた。

 身に纏われた黒い衣装を、崩れ落ちる灰のように散らせながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 平凡で平和な二人の夜

 照明を落とされた室内には、水音が響いていた。

 ぴちゃぴちゃ、くちゅくちゅ、ちゅるちゅる、ずぞぞと。

 何かを啜り、舐め廻している音だった。

 幼子が無知なる純朴さゆえに、心の赴くままに食事を楽しんでいる音にも聞こえる。

 

 確かに、それは例えとして合致していた。

 この音を発している者は、純粋な欲望のままに好意を楽しんでいるが故に。

 ただしそれは、食事ではなく唇の交差。

 寝台の上に座る黒髪の少年と真紅の髪の少女。 

 その二人が重ね合わせた唇から、その音は響いていた。

 

 胡坐をかいて座るナガレの正面に、膝立ちの姿勢で身体を傾けた杏子は彼の唇を心の赴くままに貪っていた。

 いつも通りナガレは好きなままにさせ、杏子も好きなままにシている。

 しかし、今回は少し趣が違った。

 

 

「ぷはっ」

 

 

 杏子が唇を離した。 

 共にパジャマ姿となった二人の間で唾液が跳ねる。

 因みにパジャマは御揃いの柄で、赤を主体とした色だった。とことん赤が好きらしい。

 離れた間に息を大きく吸い、再び彼の唇にむしゃぶりつく。

 

 その様子が、普段と異なっているのだった。

 

 

 「ん……ふぅ」

 

 

 吐息を漏らしながら、杏子の舌先がナガレの口内に入り込む。

 そして歯茎や頬の裏、上あごまで丹念に嘗め回していく。

 

 

「(…しつけぇな)」

 

 

 その様子に彼はそう思った。

 普段の杏子は、力任せというか肉食獣が肉を引き千切り噛み砕くと言った風のスタイルを好む。

 こんな感じにねっとりとしたやり方は、彼女のそれでは無かった。

 しかしこの動きには覚えがある。

 彼の脳内で天と線が結ばれ、回答が導き出された。

 

 

『随分とねちっこいじゃねえか。またエロ本でも読んだのかよ』

 

 

 皮肉を込めて彼は思念を送った。

 この状態が開始されて既に二時間が経過している。

 苛立ちも溜まっているのだろう。

 

 

『ああ、最近だと惣流が監禁されて何日も輪姦されるの読んだよ』

 

 

 質問には答えず、杏子は彼の言葉に悪意で返した。

 彼の言葉が皮肉であるとは理解しており、ついでに彼の好きなキャラであり大嫌いな架空の女を愚弄できると一石二鳥の発言だった。

 破滅的で、当人ら以外には理解不明なやり取りだった。

 多分当人らもよく分かっていないのだろう。

 

 不愉快さを示す唸り声を上げるナガレ。その様子に満足する杏子。

 仲良くはなっていても、こういった喧嘩への道筋を描くのは絶えないようだ。

 仲が良くなり、より悪化したのではないだろうか。

 彼の頬の内側をねっとりと舐め廻し、杏子は再び思念を送った。

 

 

『キリカの奴は嫌いだけど、あいつのお袋さんには感謝しねぇとな』

 

 

 やや遠回しだが、それが答えだった。

 杏子は普段からキリカ母の昼寝の抱き枕、着せ替え人形、入浴の同伴者等々とキリカ母の玩具にされていたがその際に習ったらしい。

 どうやって?という妄想を彼は放棄した。

 女同士が交わる事に対し、別に関心事は無いからだ。

 

 そうしていると、杏子がぐいと接近した。

 より深く貪欲に彼を貪るべく、舌を伸ばして口内を漁る。

 眼球同士も互いが触れそうな距離になる。

 その様子に彼は少し前に暇潰しでやった喧嘩にて、十数回の頭突きを繰り返し合った事を思い出していた。

 額に広がる鈍い幻痛。

 頃合いだと彼は思った。

 

 

『時間』

 

 

 そう思念で伝え、ナガレは杏子の両肩に手を添えて押した。唇が離れ、どちらのともつかない唾液が垂れた。

 寝台の上に厚く敷かれたタオルの上に滴り落ちた。

 杏子も押し返し、彼を求めて最接近を図ろうとする。

 

 眼には殺意と憎悪にも似た輝き。

 愛を感じているのは間違いないはずなのに、何故相反する感情が湧くのか。

 それを発現させている杏子は特に疑問に思わず、ナガレもまた同じだった。

 

 壊れている。

 狂っている。

 この二人はそのどちらでもなく、さらに悍ましい関係なのだろう。

 

 そしてそれに対し、二人は特に異常とも思わない。

 ある意味で完成された二人であった。

 

 暫くの間、力の拮抗は続いたが杏子の方が力を緩めた。

 勢い余って押し倒す、コトにはならずにナガレも力を消した。

 一度似たようなことがあった際に押し倒してしまい、全身を使って抱き締められたことがあるのだった。

 

 全身から甘い雌の香りを漂わせ、大蛇の如く獰悪な圧搾をそれ以上に悪辣で可愛らしい顔で行ってきた杏子の顔はその晩の夢に出てきた位に印象的だった。

 それ以上に負の記憶として残るのは、拘束を剥がす為に背中を撫でた瞬間の蕩けた顔。

 それに至らせてしまったのが自分という事実は、少女に対して性的関心の一切を持たない彼にとってトラウマ三歩手前くらいの嫌な記憶だった。

 

 今回はそうはならず、ただ平和に事案が終わった。

 少しホッとし、彼は小さく息を吐いた。

 

 

「ふんっ」

 

 

 杏子の吐息。息の最後に♪が付随してそうな、勝ち誇った音だった。

 滲む敗北感に、彼は「覚えてろよ」とリベンジを誓った。

 何をする気なのかは考えていないが、どうせロクでもないことだろう。

 

 杏子はと言えば、寝台を降りて少し離れるとホットパンツを脱いで下着を取り換えていた。

 彼の視界の端で、しかしながら確実に見える場所で。

 変身の度に裸体を晒してるので今更珍しくもなく、欠伸を噛み殺しながら彼は虚空に眼を泳がせていた。

 

 杏子のこの態度に関しては、流石に彼も少し心配になっている。

 良い男でも見つけて幸せになって欲しいもんだと彼は思った。

 断言するが、もう手遅れである。

 恋愛模様を取扱説明書に例えて謳われた歌を、彼は聞いた方がいいかもしれない。

 

 

「おい、ナガレ」

 

「ん」

 

 

 呼びかけに彼はそちらを向いた。

 上はパジャマ、下はパンイチ姿になった杏子が立っていた。

 左右のレースに指を引っ掻け、水気を帯びた下着を手で持った杏子が。

 

 

「大事に洗ってくれよな。こいつが濡れたのはあんたのせいなんだからさ」

 

 

 サディスティックな笑みを浮かべて杏子は言う。

 その手の趣向の持ち主には堪らない表情だった。

 

 

「ま、そういう当番だからな。洗濯篭に入れとけ」

 

 

 親指をくいと動かし、部屋の隅の篭を示すナガレ。

 全くの平常心そのものだった。

 

 

「ふーん…」

 

 

 下着を丸めて投げ入れると、杏子は不思議そうに首を傾げた。

 つられて彼も首を傾げる。

 その様子に杏子は『この性癖破壊兵器め』と心中で呟いた。

 

 単純な動作だが、彼の外見は可愛いに過ぎるのだった。

 男らしすぎる中身と相俟ってそれは彼への執着対象には毒のように強烈に作用する。

 彼女はその様子を兵器であると例えたのだった。

 

 

「篭ってさ、なんで竜の文字が入ってんだろな」

 

「知るかよ」

 

 

 そりゃそうである。

 というかそもそも、篭の漢字に竜の文字が入っているなど彼は今初めて知った。

 

 

「同じ竜ならそのぐらい知ってろよ、竜馬」

 

「もうちっとマシなこじつけしろよ、杏子」

 

 

 全く以て虚無の会話を、二人は重ねる。楽しそうな様子であるのが、申し訳程度の人間性を示していた。

 ほどなくして彼は床に敷いた布団に潜り込み、杏子は寝台の上に身を横たえた。

 

 

「「おやすみ」」

 

 

 そう言って目を閉じ、眠りの世界へ落ちた。

 

 

 その後、彼は杏子から三回の接近を受け、最後には遂に我慢が出来ずに身支度を整えて二人そろって市内をうろつき魔女結界へと移動。

 魔女を半殺しにしてから、魔女が死ぬまでの間に凄惨な剣戟を繰り広げた。

 死の寸前まで殺し合ったところで魔女が死に、結界が消えて勝負はドローとなった。

 その後は傷を治癒して魔法で身を清めてから帰宅し、何事も無かったかのように今度こそ眠りに落ちたのだった。

 




https://syosetu.org/novel/283539/
最近連載を始めたこちらのマガイモノな二人を、少しでもいいから見習ってほしいオリジナル二人でありました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 偽りの物語へ 

「がたん♪ごとん♪がたん♪ごとん♪」

 

 

 揺れる電車の中、周囲に迷惑を掛けない程度の小声にて小さな歌が奏でられていた。

 腰まで垂れた黒い長髪、白いシャツにピンク色のミニスカート。

 呉キリカの私服の予備を着たかずみは、電車の横シートに座りながら今日も楽しそうに生きている。

 

 そんな彼女を真ん中に置き、真紅髪の少女と黒髪の少年が座っている。

 ナガレの前には大きなキャリーバッグが置かれ、その上には膨らんだリュックサックが置かれていた。

 

 

『遊び過ぎたね』

 

『色々とな』

 

 

 欠伸を噛み殺しながら、元祖風見野ストリートチルドレンズの二人は思念を交わした。

 欠伸をしないのは、新参のかずみが二人の欠伸から歌を止めないようにという配慮だった。

 かずみの小唄を聞きながら、杏子はナガレの前の荷物に視線を送った。

 

 

『何から何まで、世話になっちまったなぁ』

 

『全くだ』

 

 

 古びていたが頑丈そうなリュックサックはキリカ母が昔使っていたものらしく、キャリーバッグは少し前にナガレが買った物だった。

 キリカと見滝原を散策することになった際、

 

 

 『友人と一緒にいるといつ強姦されて下着破られるか分かったものじゃないから穿いてこなかった』

 

 

 という度し難いに過ぎる理由で下着を未着用で普段のミニスカを穿いてきたキリカを運ぶために買った物だった。

 色々あって見滝原市内を疾走し、ビル同士の隙間に落下した筈だったが何時の間にか回収していたらしい。

 それら二つの、呉家由来の鞄には大量の生活用品が詰められていた。

 缶詰などの食料、下着を含む衣類に生理用品、人数分の歯ブラシにラジオ、果てはランプや小型の焚火台までが用意されていた。

 メタリックな銀の光沢を放つそれを、ナガレは

 

 

「なんだこれ。メタル賽銭箱か?」

 

 

 と呟きかずみは腹を抱えて笑っていたのが印象深かった。

 キリカ母から聞いた使い方によれば、これを使えば焼肉も出来るそうなので後々楽しみだと杏子は思った。

 

 それにしても、と彼女は考える。

 年季の入ったリュックサック、キャンプ用品としても使える道具や必需品の用意や収納の手際など、どうにも良すぎるに見えてならなかった。

 おっとりとしたお嬢様風の佇まいだが、昔は色々とあったのだろうか。

 そう少し考えたが、杏子はそこで考えを止めた。

 

 他人の過去を遡るのは、どうにもいい気がしない。自分と結びつくからだと、彼女も理解していた。

 しかしながらと、もやっとした思いが脳裏に浮かぶ。

 キリカ母からの親愛の眼差し、そこに既視感があるのだった。

 

 形としては娘であるキリカと似てはいる。

 だがそれは可憐な花と美しい毒花ほどに異なるもの。

 キリカと似て非なるものだと認識している。

 

 となるとこの感覚は何だろう。

 渦巻いた疑問を、杏子は小さな溜息と共に拭った。

 

 それらの過去よりも、今は気にすべき過去の存在がある。

 すぐ隣で感じる体温、その持ち主の過去。

 

 

「あ、そろそろみたい」

 

 

 車窓から外をみつめるかずみがそう言った。

 程なくして車内にアナウンスが流れる。

 アナウンスが告げた地名は「あすなろ市」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でっけぇ街だな」

 

「ほんとだね。風見野の不景気さを分けてやりてぇよ」

 

 

 小学生並みの感想と、少しの郷土愛のような何かが混じった皮肉を投げ合うナガレと杏子。

 その少し先では、新しく見る景色に興奮しはしゃぎまわるかずみがいた。

 キリカと同じ衣服を着ているが、はしゃぎつつもスカートが短いところを意識しているところがキリカとの違いに見えた。

 

 

「さて、早速」

 

「『バケツパフェ』だな」

 

 

 ナガレの言葉を杏子の言葉が遮る。

 右を向くナガレ。その頬がぷにっと凹んだ。杏子が前以て伸ばしておいた、左手の人差し指によるものである。

 無害なカウンターが成功し、杏子はひひっと笑った。ナガレはイラっとしたが堪えた。引っ掛かる自分の間抜けさに対してである。

 

 

「なぁに真面目ぶってんのさ。んなもん、観光してからゆっくりやりゃあいいだろ?」

 

「んなもん、てお前」

 

「現状は特に不自由してねぇんだ。あたし的には腐れ紫髪をブチのめしてぇけど、そんなのも後でいい。だから観光が先でいいんだよ」

 

 

 ホラ行くぞ、とナガレの返事を待たずに杏子は歩き出した。

 他に選択肢も無く、彼はリュックを担ぎ、キャリーバッグを引きながら彼女の背に続いた。

 あすなろ市に入ってから感じる、妙な違和感に警戒しつつ普段の通りに歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷気、薄闇、水のせせらぎ。

 それらが籠った場所だった。

 洞窟を思わせる構造の室内の左右には、縦三メートルほどの容器が並んでいた。

 液体で満たされた容器の中には、一つに付き一人の全裸の少女達が浮かんでいる。

 どれもが眼を閉じ、眠りのままに揺蕩っている。

 彼女らの首には細い鎖が巻かれ、胸の前に浮かぶ小さな銀のプレートに繋がれていた。

 その内の一人のプレートには『KAEDE HINATA』の文字が刻まれている。

 名前という事だろう。

 それはまるで、美しい蝶を収集し、標本にして飾っているかのようにも見えた。

 

 見えている範囲だけでも数十人にも及ぶ、眠り姫となった少女達。

 その内の一つの前に、蒼緑の衣装を纏った少女が立っていた。

 見上げられた視線。それを見る瞳の中に宿るのは、緑色の瞳の輝き。

 されど、色はあってもそれ以外の何も無い。

 虚無を宿しながら、少女は容器とその中身を見ている。

 

 

「眠りの姫に」

 

 

 少女は言葉を紡ぐ。

 

 

「愚かなる道化たる、卑しき我が名を捧げよう」

 

 

 その声は、陰惨さと陰鬱さで出来ていた。

 

 

「我が名は神那ニコ。無意味な生を紡ぐ、愚かなる道化。紡いだ物語を、二度も終わらせた愚か者」

 

 

 瞳を全く動かさず瞬きもせずに、ニコと名乗った少女は呟く。

 

 

「神那ニコ……いとをかし」

 

 

 そこで彼女は言葉を閉ざし、ただ視線の先の存在を見続けた。

 視線の先には、他と同じく全裸の少女が浮かんでいる

 腰に触れるくらいの、白金色の長髪を背に靡かせた少女だった。

 

 この少女にも他と同じく、銀の鎖と名を記したプレートが添えられていた。

 

そこに記された名は、『KANNA HIJIRI』と読めた。

 

 自らに酷似、どころか同一としか見えない少女を、ニコは虚無の眼差しで見続けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 あすなろ

「見滝原ほどじゃねえけど」

 

 

 佐倉杏子がそう呟いた。

 

 

「ここも、まぁなんつうか」

 

 

 彼女の呟きを、ナガレが引き継いだ。

 肩を並べて歩く二人の前方では、輝くような街並みを、それ以上の輝きを宿した眼で見渡す少女がいた。

 はしゃぎながら、舞うように歩道を歩いていく。

 

 

「「ハイカラな場所だなぁ」」

 

 

 妙に古臭い例えを放ち、二人は従者のようにかずみの後に続いた。

 見滝原同様に、風見野と比べると嫌になるほどに発展した街並みに複雑な思いを抱きつつ、楽しそうな表情であすなろ市を練り歩いていく。

 

 

 

 

「たしかこの辺りだったよな」

 

「テンプレみてぇな言い方」

 

 

 杏子への問い掛けに、彼女は皮肉っぽい笑みで返した。

 ムッとした彼は、彼女の挑発に乗ることにした。

 

 

「何も変なコト言ってねぇだろが。絡む必要あんのかよ」

 

「別に。強いて言えば原点回帰さ」

 

「原点回帰ぃ?」

 

「ああ。半年前のあたしのね。こんな感じだったろ?あんたの言葉とか態度に片っ端から喰らい付いて皮肉言ってた時」

 

「…その心は?」

 

「マンネリ化の予防ってヤツかな。付き合いは今後も長そうだしな」

 

「まぁな。てかそろそろ十か月くらいか」

 

「あんたが最初にあたしを犯してたら、今頃臨月か」

 

「笑えねぇ冗談だな」

 

「ちなみに採点したら何点よ?」

 

「着いたよ!!」

 

 

 不健全で虚無の会話を重ねる二人に、かずみの眩い笑顔の声が割り込む。

 彼女の手には地図と、目的地について記載された雑誌の切り抜きが握られている。

 かずみが指さす方向へと二人は視線を送った。

 直後、二人は落胆と胸の疼痛を覚えた。

 

 

「…こいつは」

 

「そういう…コトだろな」

 

 

 苦々しさに満ちた呟き。

『バケツパフェ』なる代物が名物の喫茶店があるとされる場所には、巨大な建物が建っていた。

 しかも。

 

 

「潰れてる…っていうか」

 

「造ったはいいが、とん挫したって感じだな」

 

 

 気の抜けた声を出す二人。

 首を傾げているかずみ。

 なんともしまらない場面である。

 

 二人が言った通り、その新しい建物は営業を行っていなかった。

 外見や、フィルムが貼られたままのウインドウから中を見るにショッピングセンターのようだが、室内には照明はなく昼間だと云うのに陰鬱な気配を滲ませていた。

 始まってすらいない、されど終わった場所。

 二人は、孵化する前に死んだ卵を見たような気分になっていた。

 

 

「ねーねー」

 

 

 ん?と杏子とナガレは全く同じタイミングで同じリアクションを取った。

 異形の間柄ながら、やはり仲は良いのだろう。

 

 

「次行こうよ!次!」

 

 

 気持ちの切り替えの早いかずみであった。

 こういったところは見習わねぇとな、と二人は思った。

 

 

 それからしばらくの間、三人はあすなろの街を散策した。

 広場に放置された移動図書館の廃車を前に立って写真撮影をした。

 なんかゲージュツ性をかんじるっ!とはかずみの言である。

 

 次に近場に止められていたキッチンカーでクレープを買った。

 

 

「全部で。それを三セット」

 

 

 という杏子の注文に店主は困惑し、ナガレは説得を行った。

 ほどなくして納得する杏子。

 その結果、

 

 

「六セットに変更で」

 

 

 となった。

 両手で抱えるほどの量のクレープが、数分足らずで年少者三人の体内に消えていった光景を店主は死ぬまで忘れないだろう。

 美味い美味いと惜しげも無く口にし、その言葉通りの態度で綺麗に食べ尽くした事も。

 そして直後、直ぐ近くのホットドッグ屋に赴き

 

 

「三十本」

 

 

 と注文していたことも。

 

 

 

 その後も練り歩く中で興味を持った店に片っ端から入り、料理を食べるなり飲み物を飲むなどして過ごしていた。

 糖尿病だとか肥満だとか、全く気にしていない連中である。

 いくら食べようとも腹は平坦で、それでいて食欲は無尽蔵なのが怖ろしい。

 

 常人の十日分は軽く食べると、風見野発のストリートチルドレンたちは音を頼りにある場所へと向かった。

 人々の歓声に絶叫に笑い声が満ちる場所へ。

 接近に連れて、歩む足は早まった。

 それはやがて疾走となって、そこを目指した。

 

 

「はしゃいでんな。そういうトコは子供かよ」

 

「真っ先に走り出した奴が言うんじゃないよ」

 

 

 ナガレの言葉に杏子が噛み付くように楽しそうに返す。

 

 

「無駄口言ってないで、行こうよ!!」

 

 

 急かすどころか怒りの様なかずみの声。

 連中の前には広大な施設が広がっていた。

 城を模した建物が連なり、その奥には高く伸びて蛇行し急降下していく線路とその支柱が見えた。

 煌びやかな門には兎のマスコットが飾られ、ファンシーな筆記体にて『あすなろ市遊園地 ラビーランド』の文字が見えた。

 

 先行するかずみを追おうとするナガレ。ふと右手に違和感を感じた。

 

 

「どうしたよ?」

 

 

 その原因に対して尋ねる。彼の手を横に並ぶ杏子の左手が握っていた。

 

 

「彼女の役割果たしてる。忘れかけてたけど、あたしらは付き合ってるって間柄だろ?セックスしてくれねぇんだから、せめてたまにはその設定を使わせてくれよ」

 

 

 そう言って彼の手を強く握り、犬の散歩のように前へと引いた。

 毎夜の口付けや夜這い擬きは、彼女にとっての呼吸同然の生活の一部であるためか交際関係のイベントには含まれないようだった。

 その事については特に考えず、引っ張られるのは癪なので彼は杏子を追い抜く勢いで先に進んだ。

 

 張り合うかと思いきや、杏子は彼に合わせて引かれる側となった。

 調子狂うなと彼は思いつつも、彼はその手を離さなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 あすなろ②

 好奇心と楽しさを促すような、陽気な音楽が木霊する。

 幼い子供の手を引く両親、大学生と思しきカップルなど、誰かと連れ添い歩く者達が行き交っている。

 

 

「あはははははは!すっごーい!あのマスコットかわいい!」

 

 

 その往来の中、黒い長髪の少女が楽しそうに舞うように周囲を見渡している。

 赤い瞳は遊園地内の建物や遊具をロックオンし、好奇心に顔を輝かせていた。

 

 

「平和だねぇ」

 

「全くだ」

 

 

 その様子を、メルヘンチックな長椅子に座りながら杏子とナガレは見ていた。

 ジェットコースターに二十回、観覧車を三周、ゴーカードを周回しまくっていたが特に疲れている様子は無い。

 常に戦闘状態にあるも同然な生活を送る中、平和を貪っているのだった。

 あすなろに来てから数時間。

 痛感させられるのは、あまりにも平和だという事であった。

 風見野でよく見かける反社会的な連中もおらず、杏子への陰口もない。

 

 

「いいところだな」

 

 

 杏子は呟いた。

 引っ越すか、と彼は言わなかった。

 その方が格段にマシな生活を送れるであろうが、彼女は望まないだろうと分かっていた。

 でなければ、廃教会に何時までも住んでいる訳が無い。

 

 そう思っていると、右手に掛かる力が強くなった。

 来園してからの間、杏子は乗り物に乗るとき以外はずっと彼の手を手を握っていた。

 性別と年齢を考えれば別におかしい光景でもなく、二人の様子はこの施設に溶け込んでいた。

 非日常に過ぎる異常な生活を送る二人ではあるが、今は正常な世界の一部となっていた。

 

 

「そういえば、さぁ」

 

「ん」

 

 

 杏子が語り掛け、ナガレは応じた。

 

 

「あたしは今、ソウルジェムの範囲とかの設定?が無効化されてるみたいだけど、これってアレだよな。魔法少女系の薄い本とかエロ漫画でよくある「変身アイテムを奪ってやったから、お前は単なる無力なメスガキだから思う存分俺達で輪姦してやるぜ」ってシチュと無縁になっちまってるな。あたし」

 

 

 予想外に過ぎる内容の杏子の発言、ナガレはフムと少し考えた。

 

 

「そういった面倒なのは、無ぇに越した事なさそうだな」

 

 

 極めて無難に、彼は事実を言った。

 

 

「あー、つまんねぇの。無力なヒロインを演じて間一髪で助けられて、その場の流れであんたに抱き着いてセックスするってのもできねぇのか。あたしはとことんポンコツだな」

 

 不健全な妄想を告げ、杏子は右手に持った飲み物を飲み干した。

 空になったスチール缶を、彼女は軽く握り潰して適当に投じた。

 高く長く虚空を舞い、潰された巻は遠方の屑籠へと入った。

 

 

「ま、要約するとさ。あたしはあんたの事が好きなワケよ。抱きたいし抱かれたいし、こんな風にたまにはノンビリとしながら、ずっと一緒にいたいのさ」

 

 

 流れるように杏子は言った。

 気恥ずかしさは相応にある。

 だが本心故に、その言葉に澱みは無かった。

 今杏子が彼に言った言葉は、純粋な欲望そのままであった。

 

 

「俺の何処に、そんな魅力を感じるんだよ」

 

「ぜんぶ」

 

 

 憮然とした、突き放すような言葉に杏子は喰らい付くように返した。

 

 

「…ってほどでもねぇけど、色々とね。あんたって存在には、あたしの欲しいものが詰まってる」

 

 

 発達した八重歯を威嚇のように見せて、笑う。

 

 

「嬉しい?」

 

「まぁな」

 

 

 彼も即答する。事実だからだ。

 

 

「そう言ってもらえると嬉しいね。でもさ…自覚はしてんだよ。この感情はちと重すぎるってのはさ。それでも嬉しいのかい?」

 

「俺の事が好きだってんなら、嬉しいに決まってる」

 

「そうかい、嬉しいねぇ。でも、そーゆーとこなんだよなぁ……だから、あたしらは調子に乗っちまうんだよ」

 

 

 分かってはいる。

 だが、止められない。

 想いは増幅し、蓄積し、際限がない。

 そしてその欲望をこの存在は真っ向から拒絶し、降り掛かる暴虐を打ちのめして切り刻み、それでも付き合ってくれている。

 

 

「だって」

 

 

 呟く。

 だがその先を言葉に出来ない。

 脳内で、ここにはない魂の中で、言葉が反芻される。

 身体と魂の中で言葉と感情が跳ね返る。

 

 

『そうでもしねぇと、あんたはどっかに行っちまいそうでさ』

 

『それで、もう二度と会えなくなる。手の届かないところに行っちまう』

 

『それが、嫌なのさ』

 

 

 彼女が思ったのは、そんな言葉だった。

 言葉にすると形になる。

 言葉は意味を帯びて具現化し、叶ってしまいそうになる。

 だから、言葉には出さない。

 

 呟きは虚空を彷徨い、やがて消えた。

 去来する虚しさ。

 何故虚しくなるのか、彼女には分からなかった。

 

 言葉に反して離別を望んでいるのかと思った。

 自然と違和感は無かった。

 殺し合いは頻繁にしているし、彼と出逢ってから今に至るまで、その際に手加減をしたことは無い。

 

 彼女は何時も何時でも、彼を殺すつもりで戦っている。

 つまりは命を求めている。

 彼の消滅を望み、真紅の槍を暴風の如く乱舞させて彼の血肉を切り刻む。

 暴虐や残忍性を鎮めてはいたが、それでもこの望みだけは変わらない。

 そこで、心の中で思い描いた言葉が思い出される。

 

 

『そうでもしないと、離れてしまいそうだから』

 

 

 異常な思考なのは理解しているが、それでも正しいとしか思えなかった。

 離れたくないが故に殺し合う。

 究極の矛盾、その極致。

 

 これまでもこうだった。

 これからもそうだろう。

 そう思った。

 

 

「ひぅっ!?」

 

 

 杏子は悲鳴を上げた。

 限りなく嬌声に近い声だった。

 手に痕が付くくらいに強く握っていた筈の左手から、彼の右手が抜けていた。

 抜けた右手は杏子の背を通り過ぎ、彼女の右腰に回されていた。

 腰の少し上の脇腹に彼の手が触れた事に、杏子は悲鳴じみた声を上げたのだった。

 そしてその声は更に続いた。

 腰に触れた彼の手に力が入り、彼女の身体をぐいと引き寄せた。

 

 

「ちょ……」

 

 

 不意打ち気味に引っ張られた杏子だったが、特に抵抗はしなかった。

 背後から抱き締められている。

 現状を確認すると、そうなる筈だった。

 心臓が高鳴る。

 不死身の魔法少女にとっては有って無いような臓器だが、苦しさを覚えるほどに高鳴っていた。

 

 

「あ、あのさぁ」

 

 

 杏子は言った。顔の位置は、ナガレの胸元に近い。

 ゆえにすぐ近くには彼の顔があった。彼女は彼の顔を見た。

 彼は無表情に、しかし眼光は鋭かった。

 その視線は杏子を射抜き、釘付けにした。

 

 

「……」

 

 

 杏子は息を呑んだ。

 彼が何を考えているか、よく分からない。

 彼の身体にもたれ掛かるような体勢。

 外見に反して頑強な筋肉で構築された胸板の奥、彼の鼓動が聞こえた。

 自分のそれと異なり、静かな湖面の波紋の様な心音だった。

 

 

「俺はお前の彼氏なんだろ」

 

「そりゃ…そうだけどさ」

 

「嫌か?こういうの。俺もよく分からねぇんだけどさ」

 

「あんたが分からねぇんなら、あたしはもっと分からねえよ」

 

「繰り返すけどよ、嫌か?」

 

 

 彼の問いに、彼女は行動で返した。

 腰に巻かれた彼の右手に彼女は自分の右手を重ねた。

 

 

「嫌じゃねえよ。しばらくこのままでいたい」

 

 

 彼の胸に頬を埋めて、杏子は答えた。

 

 

 

『私はしばらくフラついてるから、移動するときは教えてね!』

 

 

 かずみから届いた思念に、彼は頷きの意思で応えた。

 

 

 

 

 

 

 一時間後、彼は自販機の前にいた。

 人数分の飲み物を買い、仲間の待つ場所へと歩を進める。

 そんな時、地面を転がる銀の円を見た。

 身を屈めてそれを拾った。

 百円玉であった。

 

 転がってきた方向に視線を送ると、隣の自販機の前に立つ少女がいた。

 小銭を手渡すと、その少女は丁寧に頭を下げた。

 彼は頷き移動を再開した。

 ベンチに座る二人の少女へと飲み物を渡す。

 杏子へはコーラ、かずみにはクリームソーダを手渡した。

 

 

「御帰り。色男」

 

 

 憮然とした口調で杏子は言った。

 分かりやすい少女である。

 それに対して特に反応も示さず、彼は杏子の隣へ座った。

 ベンチに乗せた右手を、杏子は即座に左手で握った。

 その様子を見ていたかずみは、「めんどくさいなぁ」とでも云うような視線を送っていた。

 

 コーヒーを飲む彼の脳裏には、先程の少女の顔が浮かんでいた。

 惚れたとかそういうのではない。

 異界から来た彼をしても尋常ではない光を宿した眼と表情を、その少女は持っていた。

 

 下げられた桃色のロングヘアを靡かせた、白いシャツと黒いスカートの少女。

 桃色の瞳の中には時が氷結したような虚無が溜まり、優しさで出来たような造型の顔には幾重にも重ねられた疲労の色が見えていた。

 









ありがとうアニレコ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 あすなろ③

 降り注ぐのは薄闇。

 踏みしめる地面もまた闇色。

 聞こえる音は金属の軋み。

 金属でできた何かが擦れ合う音だった。

 

 闇色の大気を切り裂いて、歪曲した刃が突き出された。

 それを握る手は銀の装甲で覆われ、肘もまた同様だった。

 そしてそこから先は、深紅に彩られていた。

 横薙ぎに放たれた斬撃が、刃の持ち主の胴体を切り裂いた事により。

 

 吹き飛んでいく血染めの上半身。

 下半身は数歩歩いて膝から崩れ落ちた。

 同時に上半身も落下する。

 銀色の甲冑姿のそれは、中世の騎士を思わせる風貌だった。

 

 真っ二つに裂けた甲冑の中からは酸鼻な香りを放つ血液が大量に漏れていた。

 ただし、断面には内臓はなく肉だけがあった。

 破壊者たるナガレは、ソーセージの断面を思い浮かべた。

 隙間なくぎっしりと、挽肉の様な粒粒とした肉が詰められているのであった。

 直後、彼は地面を蹴った。

 

 飛び上がった高さは、五メートルにも達した。

 飛翔の頂点で、彼は斧を立てに振った。

 切断音が鳴り、空中に深紅の薔薇が咲いた。

 彼が落下するより早く、薔薇は地面で砕け散った。

 騎士の隣に寄り添うように、煌びやかな衣装を纏った少女の形をしたものが転がった。

 

 しかしその様子もまともではなかった。

 縦に真っ二つにされたのは、ツインテールの髪を生やした少女である。

 煌びやかなドレスを纏い、手には短剣を持っている。

 少女の身体に皮膚はなく、赤黒い色で覆われていた。 

 

 皮膚の下の筋肉ではなく、こちらもまた挽肉で肉体を構築していた。

 顔の造形はそれでも可愛らしいと思える程度に整っていたが、それが一層の異常さを引き立てている。

 

 着地したナガレは、前へ向けて斧槍を構えた。

 闇の奥から、異形の騎士と少女達が歩み寄ってゆく姿が見えた。

 奇怪なのは、少女と騎士は必ず連れ添っているという事だった。

 

 ペアを組んでいる、という事だろうか。

 見える限りで十三組。都合二十六体。

 その奥からも、甲冑が擦れる音や靴が地面を叩く音が聴こえる。

 既に眼前の同数程を葬ってきたが、見えてる分の更に倍はいそうだなと彼は思った。

 

 

「気持ち悪い奴らだな……ベタベタと引っ付きやがって、みっともねぇったらありゃしねえ」

 

 

 背後からナガレへと歩み寄る杏子。

 十字槍は既に血で濡れ、軽いものではあるが身体にも傷を負っていた。

 右頬が浅く裂かれて頬が血で濡れ、彼もまた両腕から出血している。

 杏子はナガレを見た。彼も杏子を見た。

 そして薄く笑った。

 それを合図としたように、番となった少女と騎士は走った。

 騎士は地面を踏み締めて疾駆し、少女達は地を蹴って飛翔した。

 

 杏子とナガレは怒号を上げ、それらへ向かって襲い掛かった。

 一瞬の後、大量の血が噴出し複数の人体の部品が宙を舞った。

 斬撃で少女と騎士を纏めて薙ぎ払い、挽肉で出来た遺骸に変えるナガレ。

 相方を殺害されたものの、腕の切断だけで済んだ騎士の頭部をナガレの腕が掴んだ。

 騎士の身長は二メートル近いが、対格差をものともしない腕力で振り回し、地面に頭部を叩き付ける。

 

 手足をバタつかせ、必死の抵抗を行う騎士。

 ペアである少女の仇を討ちたいのか、頭部を拘束するナガレの手を握る片腕には凄まじい力が籠められていた。

 手が砕ける前に、彼は手を握り締めた。

 埋められた地面の中で兜が潰れ、面貌の隙間からは血肉が絞り出された。

 

 手足が痙攣して伸ばされ、そして動かなくなった。

 ナガレはそれを後続の連中へと放り投げた。

 頭部どころか首の根元まで握り潰されて引き千切られた死体は砲弾の速度で飛び、激突した複数の個体の肉を大きく傷付けた。

 しかし動きが鈍った程度。

 死骸を退けて直ぐに前進、しなかった。

 

 長大な十字槍が横から突き出され、騎士と少女の頭部を真横に繋いでいた。

 メザシを思わせる有様と化したそれらを、槍の一閃で引き剥がす。

 それらも質量兵器となって後続へと激突。

 今度はその隙間を駆けたナガレによる斧槍が振られた。

 破壊閃が少女と騎士を纏めて破壊し、無意味な物体へと変える。

 

 ナガレと杏子は前を目指していた。 

 騎士と少女達が出現する場所の根元にいる存在を目指して。

 

 

「見えてきた」

 

 

 十三組の番を粉砕し、血に塗れた姿でナガレは言った。

 杏子も似た有様となっていた。

 黒い靄の奥に何かが見えた。

 巨大なスクリーン、映画館のそれに酷似したものが見えた。

 その前にはポツンと一つだけの座席があった。

 

 座席には黒い影が座っている。

 輪郭を注視すると、彼らと同じくらいの子供のような大きさ。

 形状的には少女のものに見えた。

 ぱっと、スクリーンに映像が投射された。

 

 早送りの速度であったが、二人にはそれが何か理解できた。

 

 二人に襲い掛かった、少女と騎士のなかの一ペアと思しき連中が見えた。

 そいつらは制服を着た、少女と少年を連れていた。

 騎士が相方から少女を受け取り、自分が持っている少年と同様に襟首を掴んで放り投げる。

 高々と宙を舞ってから落下。 

 落ちたのは巨大なガラスの容器。

 形はコップに似ていた。

 

 コップの底には機械が埋め込まれた土台。

 ナガレと杏子はそれが何か理解した。 

 落下の衝撃で額を割られながら、少年と少女は互いに向けて手を伸ばした。

 指は折れ、肉が抉れて骨が剥き出しになっていたが、それでも互いに指を絡めようとしていた。

 しかし、その寸前で二人の姿は崩壊した。

 

 コップの底に置かれた金属の板が、底自体の高速回転により残酷な刃と化して二人の姿を破壊したのだった。

 肉、骨、血、内臓。全ての部品が破壊されて混ぜ合わされ、少年と少女は物質的に一つとなった。

 少年と少女の混合物を入れたコップが浮遊し、傾斜する。

 赤黒い物体が流れていく先には、兜を外された甲冑が置かれていた。

 

 その中に血肉の混合物が丁寧に注がれる。

 首の淵ぎりぎりまで一杯になると、コップは隣に移動して再度傾いた。

 流れる先には、板が置かれていた。

 

 板の中央には、少女の形を模した窪みが入っていた。

 その中へと、少年と少女の血肉が注がれる。

 なみなみと注がれたところで、騎士と少女のペアがその上に板を置き、甲冑の頭に兜を嵌めてそれぞれを担いで移動する。

 

 歩む先には、巨大な古びた竈があった。

 その中に甲冑と板が置かれて場面が暗転。

 次に映ったのは、竈の扉を開けて出てくる騎士と少女の姿。

 そしてまた、似た映像が繰り返された。

 

 啜り泣きが聞こえた。

 スクリーンの前に座る少女の様な姿から発せられていた。

 幼いカップルたちを使って作り上げた異形の使い魔。

 その誕生を見て、魔女たる彼女は涙しているのであった。

 流す涙は、恐らく感動による涙。

 

 

「吐き気のする趣味だな」

 

 

 杏子が吐き捨てる。

 ナガレも「ああ」と応ずる。

 二人の顔には怒りがあった。

 騎士と少女達と戦う最中、幾度も互いを庇い合う様子が見えた。 

 元の記憶があるかは分からないが、あれは混ぜ合わされて分かたれた自分自身の身体を守る事と、愛する者を守りたいが故の行動だったのだ。

 魔女に対する嫌悪感が膨れ上がる二人。

 

 嘲笑うかのように、スクリーンの左右から更に大量の騎士と少女のペアが出現する。

 数は予想した通り先の倍以上。

 六十体はいるだろうか。

 間髪与えず、それらは杏子とナガレへと向かった。

 手に手に得物を携え、疾風の速度で走る。

 目的は彼らの殲滅というより、彼らも仲間に加えたい、といったところか。

 

 ナガレは腕を振るった。

 斧槍が投じられ、旋回しつつ複数体の首を刈り取った。

 勢いは止まらずに、スクリーンへと槍の先端が突き刺さる。

 画面では今も、騎士と少女の製造模様が映し出されている。

 刺突の衝撃で画面が揺れた。

 その中で、斧槍の中央から闇が放たれた。

 

 スクリーンの前に座す魔女はそれを見上げた。

 使い魔である騎士と少女達も振り返って首を上に向かせた。

 魔女の中から放たれた闇は、人の姿をしていた。

 黒い魔女帽子に黒い外套。白と黒を組み合わせた、極めて露出の覆い衣装。

 外套が翼のように変化して更に上空へと舞った。

 

 それを眼で追った瞬間が、それらが最期に見た光景となった。

 

 

「サンダァァアアアアアアアアアアブレェェエエエエエエエク!!!!」 

 

 

 黒い少女、かずみが叫んだ。

 広げられた両手の全ての指から、白い雷撃が放たれる。

 雷撃は騎士の甲冑に触れ、その内側の肉を焼け焦がした。

 雷撃は騎士を伝って少女達にも触れ、赤黒い肉を膨張させて弾き飛ばした。

 相方を庇う間も逃げる間も無く、雷撃が戦場を蹂躙する。

 

 その中でも、魔女は啜り泣きを続けていた。

 騎士と少女が味わう災厄を悲劇と捉え、それを哀しいと思う自分自身の為に泣いていた。

 その正面に、黒い魔法少女が降り立った。

 啜り泣きを続ける魔女の首を掴み、椅子から強引に立たせて吊り上げる。

 

 喪服を着た黒い少女のような姿の魔女だった。

 右手で魔女の首を掴みながら、かずみは力を胸に籠めた。

 自分の中に火を入れる。その加減を自分で行って制御する。

 杏子から言われたことを、彼女は忠実に守った。

 

 肩と胸の白い装飾が赤く輝き、三つの場所を光が繋いだ。

 真紅のVの字が描かれ、放たれる時を待っている。

 そして、かずみは叫んだ。

 

 

「ブレスト……バァアアアアアアン!!!」

 

 

 かずみの胸から高熱の光が放たれた。

 それは魔女の首から下を一瞬で消し去り、更にかずみは反転し最悪の光景を流し続けるスクリーンを焼き払った。

 その背後にあった、邪悪な道具も熱線の破壊を受けて完膚なきまでに破壊される。

 

 最早感動にむせび泣くという余裕も消え失せた魔女を、かずみは真上に放り投げた。

 そしてかずみは上を見上げて息を吸い込み、吐いた。

 吐かれた息は顔の前数十センチの位置から猛烈な風に変化し、大災厄の如き暴風と化した。

 自らへと迫る破壊の風。

 その螺旋の渦を見ながら、魔女の残骸は千々と千切れて跡形も無く消え失せたのだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 あすなろ④

「疲れたな」

 

「ああ」

 

 

 闇の中でナガレと杏子は会話を重ねる。

 常人なら黒一色の世界であるが、例によって二人は視界を確保している。

 杏子は魔力で、ナガレは素の視力で。

 散策と観光、そして魔女退治を終えた風見野のストリートチルドレンはあすなろ市内の廃ビルの一室にいた。

 

 夜の隙間を縫って街を歩き、手ごろだと見定めた場所であった。

 四階建てのビルは外見は真新しく、中は壁が剥がされてコンクリートが剥き出しの状態。

 造ってすぐに用無しとなったようだ。

 その有様に三人は思わず胃袋の疼きを感じた。

 

 求めてやって来たはいいが、無人のビルへと成り果てたバケツパフェの店を思い出したのである。

 代用品としてクレープや大判焼き、普通のパフェやアイスクリームなどを散々に貪ったが、欲求は完全に満たされなかったらしい。

 我慢することも大切だと各々で欲望を納得させながら、天辺の階に足を踏み入れた三人は拠点の整備に掛かった。

 とはいえ、やることは簡単である。

 

 ナガレが武器としている牛の魔女の中に格納した家具を展開し、簡易の住処をこしらえる。

 床の清掃を含めて一時間程度で全ては終わった。

 無機質な床面には少し前にゴミ捨て場で拾ったカーペットが敷かれ、椅子や机などがその上に置かれる。

 窓から離れた場所にはテレビや冷蔵庫までが置かれている。

 電気は魔女が魔力で供給している。実に便利である。

 窓にはブラインドが下ろされ、窓自体にも黒い布が貼られて内部の様子を晒すことを拒絶する。

 

 

「じゃ、私もう寝るね!」

 

 

 元気よく言ったかずみは、地面に置かれた牛の魔女の斧の中央に開いた穴へと爪先を触れさせた。

 キリカ母から貰ったパジャマ姿に身を包んだ姿は、一瞬にして内部へと消えた。

 先の戦闘の際、かずみは牛の魔女の中に潜んでいた。

 敵への奇襲とかずみの保護を目的としたものだった。

 

 魔女の中には家具が用意されていたように、割といい感じの部屋が出来ていた。

 居心地もいいらしく、かずみは今頃ベッドの中で眠りに落ちている。

 ならば他二人もそこで暮らせばいいし、拠点を用意する意味合いも謎ではあるが、このあたりは気分の問題なのだろう。

 

 かずみが消えて数分間、二人は無言のままに長いソファに座っていた。

 拳一つ分程度のスペースを開けた、隣りあわせ。

 

 

「あんたさぁ」

 

 

 沈黙を破ったのは杏子であった。彼の反応を待たずに杏子は次の言葉を紡いだ。

 

 

「疲れてるよな」

 

「分かるか」

 

 

 彼は素直に認めた。杏子は横に身体を右にスライドさせた。

 体重を彼に預ける、というか圧し潰すように彼に身を寄せる。

 

 

「どうやって分かった?態度とかは変わって無かったハズなんだけどよ」

 

「どんだけ一緒にいたと思ってたのさ。雰囲気で分かるよ」

 

「本当か」

 

「悪い、カマかけてみただけ」

 

「なんでカマかけた?」

 

「雰囲気」

 

 

 なるほどと彼は言った。

 普段と変わらないが、僅かな変化を杏子は感じ取ったのだろう。

 それが何かと言われたら、彼女が今言ったとおりに「雰囲気」となるに違いない。

 

 

「同情でもしたのかい。挽肉にされちまった奴らにさ」

 

「そうなるな」

 

 

 彼は頷く。

 魔法少女の紛い物と甲冑姿の騎士に連れ去られ、生きたまま挽肉にされた挙句に同類へと加工される、恋人同士と思しき少年少女達。

 魔女が見せたその光景が彼の脳裏に浮かぶ。

 元凶たる魔女はかずみが抹殺した。

 しかし当然、被害者が生き返る訳では無い。

 

 撃破した使い魔の数は八十近い。

 その全てが人間を素体としているのなら、同数の犠牲者がいる筈である。 

 親類や友人たちは、帰らぬ家族の帰りを待ち続けるのだろう。

 最悪の最後と末路を知らない事が、救いになるとも思えない。

 

 

「気ぃ使わせちまったか?」

 

「別に。そいつは寧ろこっちの台詞さ。態々確認する必要も無ぇ事だった」

 

 

 杏子は溜息を吐いた。

 このあたり、自分はまだガキだと彼女は思った。

 年下で先輩な、金髪の魔法少女ならどう接したのだろうかと思い、あいつなら上手くやったのになと思っていた。

 

 

「でもさ。そう思えてるってことは、あんたがまともだって証拠だよ。あたしは…」

 

 

 魔女が見せた光景を思い出す。

 ミキサーにより挽肉にされる寸前でも、自分よりも少し幼い少年少女達は互いを思い遣っていた。

 彼女にはそう見えていた。

 それに対し、自分は何を想っているのか。

 

 魔法少女生活は長い。

 その間で眼にしてきた死の数は数えていない。

 それがまた増えた。

 正直に言えばそんな感想だった。

 

 しかし相棒は死を悼み、理不尽さに憤っているらしい。

 それは正しい怒りであり、恐らくは正義という概念に限りなく近いものなのだろう。

 杏子はそう思った。

 

 対して自分はどうなのだろうか。

 答えは出ない。それが答えのように思えた。

 

 クズ。

 

 そんな言葉が心の中に浮かぶ。

 黒い文字で描かれた文字は解け、コールタールのように蕩けて心の中に広がっていく。

 そんな気分がした。

 

 

「良い奴だよ。お前は」

 

「何でさ?」

 

 

 ムッとした口調で杏子は返した。

 お世辞のように思えたからだ。

 

 

「俺を心配してくれてんだろ」

 

 

 ぽかんと、頭の中が空虚となったような気分がした。

 

 

「だから、良い奴だって?あたしが?」

 

「ああ」

 

 

 無意識の内に杏子の手は伸びていた。

 シートの上に置かれたナガレの手に重ねる。

 指先が熱い体温に触れる。

 貪るように、杏子はそれを掴んだ。

 

 

「買い被り過ぎだよ」

 

「どう思おうが俺の勝手だろうが」

 

「そりゃそうだね」

 

「だろ」

 

 

 二人は互いに笑った。

 歯が尖っている故に、その様子は闇に深く蠢く、飢えた獣同士の威嚇にも見えた。

 笑いながら、杏子は背中を浮かせた。

 そして右手で掴んだ彼の左手を軽く引いて、自分の身体をくるりと半回転させる。

 ソファに座す彼の両膝に尻を置き、自分の膝の動きで更に前へと進む。

 

 薄い生地且つ、膝の付け根近くまで切り込まれたホットパンツゆえに、彼の体温と体の質感を彼女は如実に感じていた。

 普段なら、この時点で懊悩と性欲が心の中に渦巻いている。

 しかし、今回はそれが薄かった。

 

 

「あたしの体温、温いだろ?」

 

「ああ」

 

 

 彼は聞かれた事に答えた。

 炎を操る魔法少女と謂う事もあるのか、彼女の体温は温かいと云うよりも熱かった。

 

 

「しばらくあたしの身体を貸してやるよ」

 

 

 ただ、こうしたかった。

 純粋な善意のままに、彼に寄り添ってやりたい。

 杏子はそう思っていた。

 

 

「好きにしろ」

 

 

 彼はそう言った。

 遣り取りとしては妙である。

 しかし、そこに矛盾も無いのだろう。

 左手は今も杏子に握られている。

 残る右手で、彼女の腰を抱くように腕を動かした。

 

 付き合ってやるかと、彼は思ったようだ。

 手が腰に触れた時、杏子の胎の奥で熱が疼いた。

 命を次に繋ぎたくない杏子ではあるが、本能は別なのだろう。

 

 懊悩から逃げるように、彼女は彼の肩に頭を乗せた。

 そのまま頬を彼の顔に摺り寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い薄闇。水のせせらぎ。

 そして氷のような冷気。

 巨大な室内の左右に、筒状の物体が並んでいる。

 液体で満たされた容器の中に浮かぶのは裸体の少女達。

 

 その内の一つの前に、蒼緑の衣装を纏った少女が立っている。

 見上げた視線の先にも、筒の中に入れられた裸体の少女がいた。

 液体の中に浮かぶ少女の姿は、それを見る少女にとてもよく似ていた。

 完コピといってもいい。

 

 

「また、ここにいたのね」

 

 

 蒼緑の衣装の少女、神那ニコの背後から凛とした声が届いた。

 ニコは一瞬、眼だけを背後へと動かしたがすぐに前へと戻った。

 コツコツと、ヒール状の靴が水に濡れた床を叩く音が響く。

 そして停止。

 二コの隣に立つのは、白い衣装を纏った青く長い髪の、眼鏡をかけた少女だった。

 

 

「やぁやぁ海香先生。我が愛しの共犯者」

 

 

 見上げたまま、口角を僅かに吊り上げてニコは言った。

 皮肉に歪む笑みにも、泣き笑いにも見える様な顔である。

 

 

「そのフレーズは中々ね。今度小説のネタに使わせてもらうわ」

 

「おーこわ。迂闊に冗談も言えないねぇ。でもまたこれで、ベストセラー確定かな。報酬は出るのかい?」

 

「あなたから罪悪感を薄れさせられることなら、何でも」

 

「残念、そりゃ無理だね……お互いに」

 

 

 虚無の顔で笑うニコ。

 頷く海香の顔にも虚ろさが張り付いていた。

 

 

「麗しの神託者様の力を借りて、私達は悲しい物語を閉じた」

 

 

 その表情のままにニコは言う。

 声に滲むのは、虚無感と陰惨さの影。

 

 

「しかしながら…この光景はココロにクるね…」

 

「…ええ」

 

 

 ニコの言葉を肯定し、海香は上を見上げる。

 ニコに酷似した少女の右隣の容器にもまた、裸体の少女が入っていた。

 しかしそこには、他には見られない特徴があった。

 一つの容器の中に、二人の少女が入れられていた。

 

 金髪の長髪の二人の少女。

 その二人もまた、ニコの前にある容器の中の少女のように、互いに酷似した姿をしていた。

 繊手同士を絡ませ合い、寄り添いながら眼を閉じて、ただ静かに水の中を漂っている。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性

「暑い」

 

「分かってる」

 

「確認の為に言ったんじゃないよ。反応すんな」

 

「へいへい」

 

 

 欠伸をしながら会話を重ねるナガレと杏子。

 二人の言葉が表すように、空には燦燦と輝く太陽があり、熱せられた空気が風によって運ばれていく。

 風に撫でられながら、二人は今の現状を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 結局昨晩は一睡もせず、身を寄せ合ったままぼーっとしていた。

 朝になった辺りで身を離し、少し寝とくかと思った瞬間、

 

 

「朝だよ!」

 

 

 と、牛の魔女の内部で寝ていたかずみが魔女の内部から飛び跳ねて現世へと戻った。

 三角頭巾をかぶり、エプロンを巻いた姿。

 右手には山盛りのスクランブルエッグが乗せられた皿。

 

 左手には山盛りのパスタが入った深皿が握られていた。

 魔女の内部にある調理器具と食材を用いて朝食を作ったらしい。

 

 寝る訳にも行かず、出来立ての食事を食べない理由も無く、二人は朝の準備を整えた。

 焼きたてのパンに前述の料理、コンソメスープが机の上に並ぶ。

 数分で全てが平らげられた。

 

 

「ここ行きたい!」

 

 

 魔女の内部で皿洗いも済ませたかずみは、再び魔女の外へ出るやそう叫んだ。

 手にはキリカの母が持たせたあすなろ市の観光案内書があり、開かれたページには…。

 

 

 

 

 

「『あすなろ市立動物園』か」

 

 

 歩きながらナガレは呟く。

 

 

「なんだよ、妙に足早に歩きやがって。あんたも結構おこちゃまだな」

 

「お前こそ、結構楽しそうじゃねえか」

 

 

 彼を煽る杏子であったが、彼女の姿は彼の背後でも隣でもなく前にあった。

 

 

「その服も似合ってるしよ」

 

 

 本心のままに彼は告げる。

 杏子は微笑んだ。八重歯を牙のように見せての、猛獣の様な笑顔だった。

 

 

「お褒め頂きありがとさん。あたしの『方が』似合うだろ?」

 

 

 杏子が今着用しているのは、普段のパーカーにホットパンツに丈長のブーツではなかった。

 肩が剥き出しの、スカートの丈がやや短い黄色のワンピース。

 裸足を覆うのは彼女のイメージカラーでもある真紅のローファー。

 更には普段のポニーテールは解除され、拘束を外れた長い髪が熱い風の中で揺れていた。

 外見のモチーフは、言うまでも無さそうである。

 

 

「お前『も』似合ってるよ」

 

 

 架空の美少女である惣流アスカへの対抗心を燃やす杏子に、彼は怯まず自分の意思を伝えた。

 睨み返してきた杏子の視線にも、真っ向から挑む。

 数秒が経過した。

 

 

「わー!すっごーい!たーのしー!」

 

 

 杏子の背後から、楽しそうにはしゃぐかずみの声が聞こえた。

 遊園地の時と同じくデジャヴを感じる様子だったが、状況が似ているので仕方ない。

 彼らがいるのは園内に設けられた広場であり、その周囲に展開された檻を見て回りながらかずみははしゃいでいた。

 鳥類に爬虫類に哺乳類にと、動物の種の隔てなくかずみは見て回って楽しんでいる。

 

 動物は広く、全体の半分も来ていないが二人も少々疲れていた。

 理由は簡単で、二人もまた檻に入れられた動物たちを前にはしゃぎ回っていたからである。

 遊園地の時と同様、疲れ知らずで現状を楽しみまくっているかずみを確認できるベンチへと、二人は隣り合わせで座った。

 

 

「にしてもこのスカート、短すぎる気がすんだよねぇ。やっぱあの女は売女だな」

 

 

 嫌いなキャラクターそのものの服を着て、愚弄の言葉を彼女は語る。

 まるで馬鹿にするためにその作品を視聴し、アンチ発言を繰り返すような行為だった。

 下手に刺激すると不愉快な言葉を続けそうなので、彼は話の矛先を逸らすことにした。

 

 

「そういやよぉ。少し前に新聞で読んだのを思い出したんだけど」

 

「なにさ。このメスガキが綾波に人気投票で負けたってコトかい?」

 

 

 うぐ、と彼は呻いた。悔しいらしい。

 敗北の痛みを堪えてナガレは再び口を開いた。

 

 

「違ぇよ。この動物園であった、変な話だ」

 

「怪談話みてぇな?」

 

「そんな感じだな。なんでも、老衰で死んだ犀の死体が檻の中から消えてたんだとよ」

 

「角でも狙ったんじゃねえの?高いらしいじゃん、あれ」

 

「らしいな。でもな、誰にも気付かれずにあんなデカい生き物の死体を消せるってこたぁ…」

 

「魔法だな。魔法少女か魔女かは知らねぇけど、変な事しやがるな。変態に違いねぇぜ、そいつ」

 

「ほんと。何がしてぇんだろうな」

 

 

 奇妙な出来事に対する結論を出し、二人はぼーっと景色を眺めた。

 かずみは相変わらず笑っている。

 入り口付近のショップで買った、ライオンの鬣を模した帽子が気に入ったらしく、ふわふわの感触を時折手で確かめている。

 

 

「ライオン、ていやぁよぉ…」

 

「なんだい?昔話?」

 

「よく分かったな」

 

 

 弄ぶための言葉であったが、彼はそれを肯定した。

 杏子は興味が湧いた。

 

 

「邪魔しねえから、続けてくれよ。気になる」

 

「じゃあお言葉に甘えるか。昔な、アフリカに送られたことがあってよ」

 

「待て」

 

 

 数秒前の言葉を、杏子は自ら裏切った。

 

 

「アフリカ…ってのは、まだいい。『送られた』…ってのは?」

 

「言葉通りだよ。親父の野郎、修行だとかぬかして空手着の俺を箱詰めにして飛行機に俺を密輸させやがった。寝て起きたら新宿から外国にいたんだぜ?しかもサバンナ?いや、さばんなちほーっつうんだっけか。どうやったんだかそのド真ん中に置かれた箱の中にいたんだよ。冗談キツいってレベルじゃねえだろ」

 

「あー、うん。そうだね。ほんとにそう思うよ」

 

 

 冗談キツい、と杏子は思った。

 話す言葉の全てが冗談にしか聞こえないし思えない。

 最近感覚が麻痺していたが、そもそもこの少年の姿をした存在そのものが冗談じみていることを思い出していた。

 

 

「ったくよぉ…10歳の子供にさせるコトじゃねえだろってんだ」

 

「おいおいおいおいおいおいおいおい」

 

「ああ、悪いな。愚痴になっちまうところだった」

 

 

 ちゃんと話は進めるよ、と彼は言った。

 そうじゃない。

 そうであるが、そうではない。

 杏子はそう叫びたかったが、その気持ちを堪えて彼の話に耳を傾けた。

 

 

「まぁ最初にやったのは水の確保だな。これは幸いなんだが、別に困らなかった。泥水飲むのは山籠もりとかでも慣れてたからよ」

 

 

 泥水…と杏子は呻いた。

 流石に泥を喰ったことは無い。父親と一緒に、教会に来なくなった信者の元を回る中で泥をぶつけられた事はあったが。

 そういえば昔、何気なくテレビを観ていたら泥を喰ったとか言う場面が出てきたのを見た事がある。

 

 記憶を辿ると特撮番組だった気がする。動物っぽい感じの外見になった連中が殺し合う内容だっけかなと彼女は記憶を辿った。

 となると泥を喰うってことは蟹か何かに変身するのかなと杏子は思った。

 それっきり自分の過去への興味を無くした。

 今気になるのは彼の過去である。

 

 

「でも困ったのは動物どもだったな。そりゃああいつらからしたら俺は余所者で、気に入らねぇってのは分かるさ。犬猫でも縄張り意識は高いんだからよ」

 

「魔法少女もそうだね。つまりあたしらは畜生以下か」

 

「人間も動物だからな。でだ。ワニやカバやらが襲い掛かって来やがった」

 

「うげ」

 

 

 空手着の少年に襲い掛かる猛獣の群れの様子が、杏子には鮮明に想像できた。

 現実では、かずみがカバの檻の前で相手の大口に張り合っているのか口を大きく広げて笑っている。

 肉厚の巨大な口の中の巨大な臼歯。

 異形さでは部分的とはいえ魔女にも似た獰悪さがある。

 カバは大人しい動物ではなく、現地では人間を除いて最も人間を殺戮している生物なのである。

 

 

「そいつらを掻い潜ったり、なんとか頑張ってカバの眉間殴ったり、ワニの尻尾掴んで振り回したりしてブチのめして…まぁ、良い修行になったよ」

 

 

 笑う彼だが、当時を思い出しているのか疲れが見えた。

 どっちが猛獣、どころか化け物なのか分かったものではない。

 

 

「なんていうか…あんた……ほんとにロボット乗りなのかい?仮面ライダーとかの方が似合うんじゃねえの?」

 

 

 と、杏子は思ったままに口にした。

 言ってから思った事は、素の状態で変身ヒーローみたいな存在なのだから変身する必要は無く、寧ろロボットに乗る方が自然なのではないか。

 という事だった。

 

 なんか何もかもがおかしいな。

 言った後でそう思い、口角を尖らせて杏子は笑った。

 笑いながら「早く次を話せよ」と言い、彼に続きを促した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性②

「まぁ、そんなこんなで何回かヤバい目にも遭いながらなんだかんだで楽しくやってたんだけどよ」

 

「あーもう、どっから突っ込めばいいのかな」

 

 

 あすなろ市立動物園のベンチに座りながら、ナガレと杏子が言葉を交わす。 

 話の内容は、彼が10歳の時の出来事である。

 実の父親の手でアフリカのサバンナのど真ん中に放置されてからの出来事。

 たしかにこの一文だけでも、異様さに満ちている。

 

 

「動物ってのは野生の勘て言われるだけあって手強かったな。力も人間とは比べ物にならねぇ。確かに良い修行になった」

 

「それで修行って、普段何やってたのさ」

 

「ヤクザ事務所に喧嘩売ってから素手で乗り込んだりとか、暴走族をぶっ潰したりとか……ああ、さばんなちほー生活に比べたら退屈だったな」

 

「あたしも今の生活しててそこそこ長いし、何度も死にかけたけどあんたほど変な生活してねぇな。そのせいかな、なんか話聞いてるとホっとすんだよな。自分の正気が再確認できるっていうか」

 

 

 彼の語る言葉を一つ一つ整理しながら、黄色ワンピース姿の杏子は告げる。

 とりあえず気になったのは、サバンナの呼び方にこだわりがあるということだった。

 また何かのアニメでも観て、それにハマってるらしいことは分かった。

 

 

「そういえばあんた、ライオンを見てたらこの話を思い出したんだよな。何かあったのかい?」

 

「ああ。ライオンと暮らしてた」

 

「ふーん」

 

 

 このあたりで、杏子は驚かなくなっていた。

 そのくらいならやるだろうという感じがしたのである。

 

 

「大体今の俺やお前が四つん這いになったくらいの大きさだったかな。ちょっとデカい犬って感じだったから子供だったんだろうな。そいつを拾った」

 

「拾ったって事ははぐれ者か。随分とハイレベルな捨て猫だね」

 

 

 言ってて杏子の脳裏に浮かぶのは、今話をしている彼を拾った事柄だろう。

 あのときほっぽり出していたら、今の自分はどうなっていただろうか。

 そう思ってぞっとした事に、複雑さと嬉しさを覚えた。

 彼への執着心を再確認したのだった。

 

 

「喧嘩が弱いんだか、拾った時には怪我しまくってたな。ちょうど虎柄模様に赤く染まってたから『とら』って名付けたんだった」

 

「ライオンなのに?」

 

「どっちも猫の仲間だろ。大した差はねぇさ」

 

「なるほどね。納得」

 

 

 彼としては虎も獅子も同じ仲間と言った。

 彼女は彼にとって、猫も虎も獅子も同じものだと取った。

 ナガレとしては自分が発した言葉通りの意味であったが、事実としては杏子が捉えた意味に近い。

 

 

「それでそいつを育ててたっていうか一緒に暮らしてた。水飲み場とか詳しいし、美味いのの居場所とか知ってたから助かった」

 

「犬扱いかよ。で、美味いのってのは?」

 

「シマウマとか、あとコブラとかアナコンダとか、オオトカゲやガゼルってんだっけ?ああいうのとか」

 

「好みは言ってられねぇ環境なのは分かるけど、すげぇもん食ってたんだな」

 

 

 呆れとも驚きともない顔をする杏子。

 表情に浮かぶのは興味の色。

 

 

「因みに何が美味かった?」

 

「蛇系は大体美味かったな。アナコンダとかは寝技の練習相手にもなったし、コブラとかは噛み付き避けたりするのが楽しかったから修行も兼ねてよく喰った」

 

「で、味は?」

 

「ウナギとかに似てた。味付けは岩塩を使ったから結構いい感じになった」

 

「ウナギか…ウチの教会が流行ってた頃に喰った以来だから味忘れてるわ」

 

「俺も結構おぼろげだな。いい機会だから今夜にでも喰いに行くかね」

 

「いいねぇ。そういや、ウナギってのは精力付くんだってな。そっちも済ませるかい?」

 

「だから10年待てって言ってんだろ。でだ。10繋がりで俺がその歳の頃に話を戻すぞ」

 

 

 不健全会話を強引に修正するナガレ。

 杏子は舌打ちを放った。

 傍から見れば、仲が良いのか悪いのかが分からない。

 

 

「それで狩りを兼ねて、とらの世話とか喧嘩の練習とかしてた。つっても、すぐに結構強くなったぜ。多分教わる相手がいなかったんだろうな」

 

「なるほど。捨てられたって言うか、いなかったのか」

 

 

 杏子の言葉に痛切さが混じる。

 血で身を染めた獅子の様子が、急に身近なものに感じられた。

 

 

「かもな。しばらくしてたら密猟者どもにも会ったからな。そいつら得意げに銃を使いまくりやがってよ。眼に映った生き物を片っ端から殺してやがった」

 

 

 不愉快さを滲ませながら彼は言った。

 強者気取りの一方的な虐殺がよほど大嫌いであるらしい。

 その様子に、杏子は誇らしげなものを覚えた。

 やっぱこいつイイわ…。

 そんな思いを抱いた。

 

 

「で、そいつらはどうなった?」

 

「蹴散らしてやった。ご自慢の象撃ち銃をぶっ放しまくって何もかもぶっ壊してやった」

 

「…それ、人間が当たったら粉になるとかブラクラで言われてたやつだよな」

 

「装甲車とか簡単に壊れたからな。それで合ってると思うぜ」

 

 

 反動とか…いや、いいか。

 と杏子は思った。

 前に聞いた話では、ゲッターロボは動かすだけで人間が挽肉になる衝撃が生じるらしい。

 成長後とは言えそれに耐えられるのだから、子供時代でもそのくらいやるだろう。

 実際そうなのだから。

 と自分を納得させた。

 そうでもしないと、話が先に進まない。

 

 

「大体は俺ととらで捕まえて現地の人らに突き出したけど、何人かは夜のサバンナに逃げてったな」

 

「あーあ…」

 

 

 杏子の脳裏には、逃げ惑う人間と闇の中で光る無数の猛獣の眼と牙が思い描かれていた。

 使い魔や魔女ならば、運が良ければ直ぐに死ねる。

 しかし相手が獣となれば…まぁ、直ぐ死ねるかどうかは運だろう。

 ゆっくりと喰われそうだなと思った。

 

 

「そんな生活を半年…かな?続けてたらとらも随分大きくなってよ。赤い柄が気に入ってんのか、食べ残しとかの血を使って自分で器用に染めてたな」

 

「そいつ、どのくらい強くなった?」

 

「俺がいない時に三十匹くらいのハイエナの群れに襲われても、一匹で蹴散らせるくらいになったぞ」

 

「…わお」

 

 

 暇なときにネットで調べたり動物番組で見たが、ハイエナは随分と強いらしい。

 サバンナの肉食動物の頂点をライオンと争い合う種族だという。

 そんな同格相手に無双する。

 彼は随分と大した化け物を育てたらしい。

 

 

「にしても、今思えばちょっと疑問があんだよな」

 

「なにさ」

 

「とらの奴な、ライオンだってのに鬣生えて無かったんだよ。ずっとデカい猫みたいな感じだった。病気でもしてたのかねぇ」

 

  

 彼は首を傾げていた。

 杏子は眼を瞑り、額を指でトントンと叩いた。

 イラつきと懊悩を、頭蓋に響かせる刺激で押し留めたのだった。

 懊悩とは、彼の馬鹿さ加減によって感じた愛おしさによるものだ。

 

 

「…メスだったんだろ、そいつ」

 

 

 感情を押し殺しながら杏子は言った。呆れたような口調になった。

 なるほど!と彼は小さく叫んだ。

 長年の疑問が払拭できたのだろう。

 妙に嬉しそうである。

 

 まぁ喜んでるなら何よりかと杏子はぼんやりと思った。

 そしてついでにこう思った。

 血塗れの孤独な雌を拾った彼の状況は、今と大して変わらないなと。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性③

「それから?どうしたのさ」

 

 

 杏子は続きを促した。

 燦燦と降り注ぐ太陽の下では、かずみがカバとにらめっこをしている。

 いい友達になれたようだ。

 

 

「いつも通りの日常を重ねて、とらの奴が何匹か群れを率いるようになったからそこで別れた」

 

 

 そう語る彼の様子は少し寂しそうだった。

 黒い眼の先には、彼が育てたという雌ライオンとの離別の光景が浮かんでいるのかもしれない。

 自分もいつかそこに加わるのだろうか。

 

 杏子はそう思い、即座に否定した。

 逃がして堪るか。

 そう思って、彼女は奥歯を噛み締めた。

 発達した八重歯は唇を貫き、溢れた鮮血を舌が舐めた。

 

 

「で、そうしたら故郷が恋しくなってな。帰ることにした」

 

「どうやって?」

 

 

 旅費でも稼いだのだろうか。

 というのが杏子の見解だった。

 

 

「大使館てなぁ便利だな。やっぱ平和が一番だ」

 

「あー……そう」

 

 

 まとも過ぎる言葉が返ってきた。

 まとも過ぎて却って異常に思えた。

 

 

「そっからはまた退屈に生きてたな。いつも通りヤクザボコって山籠もりやって、族潰したりしてよ」

 

「学校は?」

 

「義務教育だからな。ちゃんと通ったよ。まぁそっちは面白かったな」

 

「あんたの感覚、まともなんだかどうなんだか」

 

 

 理解が及ばない。

 ナガレとは自分の心の中に招き、互いの過去を垣間見せあい死闘を繰り広げたが、見せた過去は全てではなく当然ながら思考までは分かる訳も無い。

 それにしても、である。

 まるで分からない。

 分かった積りでも、理解を越えた事象が横たわる。

 

 面白い、と思った。

 口角が自然と吊り上がる。

 丁度、肉食獣の威嚇の様な形になる。

 獣と異なり、可愛らしい貌なのが救いであった。

 またそれ故に、獣とは異なる恐怖が顔に描かれているのだが。

 

 

「分かってたコトだけど、あんたの世界観は異次元だな。ああ、他の世界から来たってんだから当然か」

 

「そう言ってもよ。暮らしてて思ったけど大して違いはねぇぞ。こっちはゲッターで、ここには魔法少女とか魔女とかがいるって感じくらいでよ」

 

「んー…どうにも夢とか希望とかが感じられねえな」

 

「何でだよ」

 

「世界や宇宙が変わろうが、人間は大して変わらねぇって感じたからさ」

 

「あー、それか。そういやそうだな」

 

 

 ナガレは感心したように言った。

 その様子に怪訝なものを感じ、杏子はそれが何故かを察した。

 彼は今まで、幾つもの世界を渡ってきたと聞いている。

 そのどれもが、似たような感じだったということだろう。

 つまりは

 

 

「世界は何処も彼処もロクデナシばかり。天国なんぞ有り得ねぇってコトか」

 

 

 背伸びをして、欠伸をしながら杏子は言った。

 長話で硬直していた背骨が伸ばされる感覚は、言葉に出来ない気持ち良さだった。

 今言った言葉にも特に矛盾を感じないし、当然の事しか思えない。

 惑星があって大気があり、物理法則も凡そ変わらず、そして人類に相当する生物が生まれれば似た歴史を辿るに決まってる。

 

 剣と魔法の世界を描いた冒険譚のファンタジー的な作品は多いが、どうやら現実では成立しないらしい。

 憧れていた訳では無いが、いざ否定されると寂しくはなる。

 

 

「どうだかな。俺だって全部を見た訳じゃねえんだ」

 

「あると思う?天国ってヤツが」

 

「魔法があるんならな。あってもおかしくねぇさ」

 

「あんたを悪く言うわけじゃねえけど、皮肉だね」

 

 

 杏子はカラカラと喉を見せて笑った。

 呪われた力を使って血みどろになって戦う魔法少女。 

 魔女は魔法少女の成れの果てであり、同族殺しもいいところの悪鬼羅刹な生活観。

 どう考えても、魔法少女とは地獄落ち確定の存在であり、天国とは無縁そうだった。

 

 

「因みにあんた。もし死んだら天国には行きたいかい?」

 

「どういうところか知らねぇけど、天国は平和でノンビリしたところでいいのかね」

 

「多分な。本を読んで寝そべったり、友達とおしゃべりしたりとかじゃねえのかな」

 

「じゃあ別にいいや」

 

「退屈だから?」

 

「いや」

 

「じゃあ何さ」

 

「今やってるからだよ。日向ぼっこしてのんびりしながら、お前と喋ってる」

 

「ふぅん………」

 

 

 韻を含ませた同意を返す杏子。

 同意しつつも、彼女は彼の言葉の意味を反芻させていた。

 沈黙の間に、杏子は考えを纏めた。

 

 

「今が天国だってのかい。あたしと会話してるこの時が」

 

「悪いか?」

 

「冗談キツいよ」

 

 

 吐き捨てるように杏子は言う。

 口調は憮然としていたが、彼女の顔には微笑みが浮かんでいた。

 過去の惨劇。つまりは地獄を引き起こした自分には天国という言葉は重すぎる。

 

 しかしそれでも、たしかな嬉しさを感じた。

 その感情のせめぎあいが、今の表情を彼女に与えていた。

 

 前を向いたままの視線の先から、かずみがこちらに来るのが見えた。

 二人の前に立って開口一番に、

 

 

「ご飯にしよ!」

 

 

 と叫んだ。

 手には木で編まれたバスケットが握られている。

 今まで素手であったので、これは魔法を使って消していたようだ。

 魔法の扱いにも慣れてきているという証拠に、かずみの保護者二人は安堵していた。

 

 同時に立ち上がり、かずみの提案に乗るべく行動を開始した。

 熱い風が肌を撫でるが、今はそれが心地良かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性④

「いっただっきまーす!」

 

「「いただきます」」

 

 

 元気に溢れたかずみの声。

 落ち着いた雰囲気、少なくともそう演じているナガレと杏子。

 かずみの手前だから、というのだろう。

 

 その実、二人は懊悩に耐えていた。

 動物園の広場から離れた草原。

 暑い日差しを避けて、多くの人々が木陰の下で涼んでいた。

 和やかな雰囲気の中、ここにもその一つがあった。

 大きめの木の下で、三人の年少者達が集っている。

 

 色とりどりの民族風のカーペットを模したシートの上には、かずみ手製の弁当が並んでいた。

 一口サイズに握られた大量のおむすび。

 中身は梅と鮭にツナマヨ、またはシンプルに塩のみである。

 

 からりと揚げられたから揚げ、パリッとした質感が見えるウインナー。

 ふわっとしたポテトサラダにひじきの煮つけ。

 眩い黄色の卵焼きと、付け合わせの沢庵といった献立だった。

 

 バリエーションに富んではいたが、ごく普通のお弁当。

 しかし鼻先に香るかぐわしい香りが示すように、その出来栄えは尋常ではない。

 

 

「………ぅぅ」

 

 

 杏子が唸りつつ、唾液をゴクリと飲み込んだ。

 どこか淫らで、欲情しているようにも見えた。

 本能に心を奪われているあたり、感情的には大差がないのかもしれない。

 

 早速、彼女は手を伸ばした。

 左手に取り皿、右手に箸を握っていた。

 どれを取ろうか迷い、橋の先は彷徨うように揺れていた。

 

 

「美味っ」

 

 

 おにぎりの一つを口に含んだナガレは、飲み込み終えるとそう言った。

 塩の具合、海苔の質感、米の粘り気。

 全てが完璧だった。

 

 

「でしょでしょー!」

 

 

 誇らしげに胸を張るかずみ。

 呉キリカの私服の予備で包まれた、本来の持ち主とは異なる慎まし気な胸が精いっぱいに誇らしげに張られた。

 ああ、平和だな。

 ナガレは思った。

 

 常に闘争に生きる彼であるが、平和が嫌いな筈も無い。

 そもそも彼が戦いを始めたのは、未来永劫に続く戦いの輪廻を断ち切る為である。

 戦闘狂というのは、あくまで彼の一側面でしかない。

 故に今は平和を享受し、朗らかに笑い合っていた。

 

 しかしふと、彼は違和感を覚えた。

 隣に座る杏子が、先程から全く言葉を発していない。

 即座に横を向いた。

 黄色いワンピースを着て、正座の姿勢をとっている杏子。

 その眼は閉じられ、両手は皿と箸を持ったままに動かない。

 

 声を掛けようとしたら、杏子は肩を震わせた。

 痙攣のような動きだった。

 かずみは特に気にせず、水筒に入れた熱いお茶を飲んでいた。

 ナガレはその様子に既視感があった。

 ネットスラングを使えば、『あっ(察し)』という状況である。

 

 痙攣が止まった。

 杏子は眼を開いた。

 開いた隙間から、輝きを放つ瞳が顕れた。

 それは炎の様な真紅ではなく、闇の中で輝く鬼火の様な黄水晶。

 

 

『よぉ、キリカ』

 

『やぁやぁ、友人』

 

 

 ナガレは思念を送った。杏子から、正確にはキリカからも返答が来た。

 これで二度目の奇妙な登場。

 佐倉杏子の肉体を遠隔から乗っ取った呉キリカ。

 佐倉キリカとでもすべき存在の出現である。

 

 

『相変わらず元気そうだな』

 

『まぁね。前にも言ったけど、快適なのがムカつくよ。なんかあれ。後藤さんに取り込まれたミギーみたいな気分』

 

 

 俺そのネタ知らねぇんだけど、とは返さなかった。

 元気そうで何よりだと思っている。

 

 

『で、杏子と麻衣は?』

 

『この前の第二ラウンドを開始してる。その内容は前も伝えたから言わない、というか言いたくないよ。今は御食事時だしね』

 

 

 そう思念で言って、佐倉キリカはから揚げに手を伸ばした。

 

 

「美味そうだなぁ、オイ」

 

 

 実体としてのキリカは、杏子の口調を真似ていた。

 思わずナガレは感心した。

 かなりの長期間、杏子と一緒にいる彼をして、発音や雰囲気が良く真似られていると感じた一言だった。

 完全なる同一ではないと気付けるあたり、彼も大したものだった。

 

 

「ああ、すっげぇカリカリしてて、それでいて中身はふんわり。完璧な揚げ方…」

 

 

 と、杏子の口調とから揚げの味が気に入ったのか語り続けるキリカの言葉が停止した。

 その原因は、彼女を見つめる紅い視線。

 

 普段と変わらない、しかし黄水晶の瞳となった杏子をかずみがじっと見ていた。

 口内のから揚げを咀嚼するために口だけを動かす。

 そしてごくんと飲み込む。

 その間に彼女は考えを纏めていた。

 

 

『ああ、そういうコトか』

 

 

 納得と、冷ややかさを宿した思念が送られる。

 思念の裏腹というか表では、

 

 

「卵焼き貰いっと。うん、美味そう」

 

 

 とキリカは杏子の肉体を操作して口調を真似て食事をしていた。

 器用にも程がある女である。

 

 

『黒い髪、真紅の瞳、ボーイッシュな雰囲気』

 

 

 そう思念で呟き、佐倉キリカはワンピースの黄色い生地で覆われた下腹部をさり気なく撫でた。

 

 

『ふむ。この弾力は未使用か』

 

 

 興味深げに呟く。

 先程の一撫では、腹の奥にある子宮の様子を確かめていたのだった。

 その事実に彼は気付きたくなかったが仕方ない。

 

 

『となるとつまりは人工授精。佐倉杏子は腹を掻っ捌けば卵子を取り出せるとして、問題は君の遺伝子だな。どうやって得たのだか。口か手か、或いは尻かな』

 

 

 実体は楽しそうに食事に勤しみ、精神では最悪の…キリカにしては比較的軽めか平均レベルの嫌な妄想を語る。

 

 

『それで、発生させた受精卵はエヴァ的な方法で育成してと……なるほど。これなら破弧なしで孕める。私とは別のルートを取ったか』

 

 

 キリカの妄想は止まらない。

 聞き捨てならない台詞があったが、聞かなかったことにしようかなと彼は思った。

 そう思う事を、誰が惰弱と責められよう。

 

 

「あなた、誰?」

 

 

 そんなキリカの異常な思考を他所に、かずみは首を傾げながら聞いた。

 真紅の眼は杏子=キリカの顔を見続けている。

 その瞳は、彼女の肉の内部の正体を見透かしているかのようだった。

 

 

「これはご挨拶が遅れて申し訳ない。卑しき姿で失礼するが、私の名前は呉キリカ。以後お見知りおきを」

 

 

 頭を下げ、主人に対する僕の態度でキリカは言った。

 魔法少女服が奇術師や従者を思わせる衣装なだけに、中々に堂に入った態度であった。

 

 

「ええっと、呉キリカは佐倉杏子の別人格なの?王様とAIBOみたいに」

 

「惜しいが少し違うね。そうだ、例えるならエヴァパイロットとコアの関係かな」

 

「てことは、親子?」

 

「うーん、ごめん。情報が足りなかったね。零号機と綾波、またはダミープラグと量産機みたいな感じだよ」

 

「へぇ。全然分からないね」

 

 

 弁当を囲みながら、理解不能の状況と会話が重ねられていく。

 異常が正常な日常であるので、彼もそれほど気にしていなかった。

 少なくとも今は、流血の心配が無いからである。

 また意味不明ながらも、楽しそうに会話が続いている。

 ならばよしとして、彼も食事を再開することにした。

 

 その瞬間、銀光が迸った。

 一瞬にして呼び出した牛の魔女を彼は握り、一閃させた。

 軽い金属音が鳴り、次いで落下音が鳴る。

 その時には、全員が立ち上がって抜刀していた。

 器用にも、その間に弁当箱は重ねられて再びバスケットの中に入れられている。

 

 

「もう少し早く気付くべきだったな」

 

 

 苛立ちを隠さずに、斧槍を構えながら彼は言った。

 憤りの矛先は自分である。

 

 

「そう責めるな、友人。間抜けは此処にも一人いる」

 

 

 杏子の身体でキリカが告げる。

 変身したその姿は、キリカの黒衣を纏っていた。両手首から伸びた赤黒い斧が、獲物を求めて輝いている。

 

 

「そこには私も入れてね。仲間外れは嫌だよ?」

 

 

 同じく変身しているかずみ。

 両手には十字の杖を変形させた剣が握られている。

 例によってグレートマジンガーの武装である「マジンガーブレード」を模した形状をしていた。 

 彼女曰く、そのまんまだが「マギカブレード」が黒と銀の輝きを放っていた。

 

 彼と彼女らを包む景色は一変していた。

 白い霧の様な何かが立ち込め、視界の奥にもそれが続いている。

 そして空には夜空が浮かんでいた。

 星々が輝いているが、現実で見知った星座は一つも無い。

 

 

「魔女…とは違うか」

 

 

 霧の中の一点を見つめながら彼は言った。

 蠢くものの姿が見えた。

 

 

「確かに、あれは魔女って感じじゃないね」

 

 

 キリカも肯定する。

 かずみは無言で、それを睨んでいる。

 三人の視線は上を向いていた。

 

 黒と黄水晶と紅の瞳が見上げた先には、銀色の光沢が見えた。

 筋肉を束ねた、大木の様な太い手足と逞しい胴体。

 それらを覆う、銀の装甲。

 前向きに伸びた顔もまた装甲に覆われ、鼻先と思われる部分からは巨大な角が生えていた。

 それは、二足歩行にした犀を武装化させたような姿。

 体長は5メートルにも達するか。

 

 

「なにあれ。メタルゲラスのコスプレかな?飼い主のヤンホモは何処だろう」

 

 

 異形から視線を逸らし、左右を見渡す佐倉キリカ。

 白い虎もいないかな。飼い主諸共無意味に無惨に殺したい。

 嫌悪感さえ帯びて、キリカはそう呟いた。

 元ネタが分からないナガレはそれを無視し、かずみは異形への敵対心から喉を唸らせていた。

 またキリカは相手をコスプレと愚弄したが、今の彼女の現状を鑑みれば人の事は言えないだろう。

 

 

「無駄口はそのくらいにして、さっさと倒そうよ。お食事の邪魔をしたあいつを生かしておくなんて無理」

 

 

 子供らしい率直さと残忍さが混じった言葉であった。

 言うなり彼女は、膝を撓めて突撃の体勢を取った。

 以前なら言葉すら発せず、既に大暴れを行っている。

 それが自制できてるところに、ナガレと杏子が行った特訓が功を奏している事が伺えた。

 

 

「ああ」

 

「だね」

 

 

 かずみの提案に、二人は短い言葉で同意を示した。

 かずみが先程言った言葉は、正に彼と彼女の望みでもあるからだ。

 

 咆哮が鳴り響いた。

 装甲された犀が放った叫びだった。

 それを合図に、三体の魔は異形の犀へと襲い掛かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性⑤

「うーん…」

 

 

 廃ビルの中でナガレは唸った。

 既に夜になり、生活スペースとしているフロアの中にも闇が満ちている。

 その中でも彼は昼間同然に全てが見えている。

 黒い渦を宿した瞳は、下方へと向けられていた。

 広げられたビニールシートの上に、それはあった。

 

 

「おいキリカ、こいつなんつったっけ?」

 

「どれの事?」

 

 

 背後へと声を掛けると、即座に返ってきた。

 声と声の間には、何かを刻む音が聞こえた。

 

 

「このサイみたいな奴だ。お前の家で読んだ本に出てきた化け物にも似てる」

 

 

 相手には見えないと分かりつつも、下方を指さして彼は言う。

 そこにあったのは、仰向けに倒れた人型の存在。

 全身を銀の装甲で覆った、サイ型の怪物だった。

 

 

「ああ。大禍つ式の一体で無派の子爵級、第四九三式のハビカイアーにも似てるね。良かったね、そいつが相手でなくて。あれが現実にいたら私らは死んでるよ」

 

 

 回答にならない答えをキリカはした。

 記憶を辿るとメタル云々迄は思い出せた。

 別にどうでもいいので、彼はまぁよしとした。

 

 

「で、こいつら一体何なんだ?あの後行く先々で出くわしたけどよ」

 

 

 更に彼は横に視線を走らせる。

 鼻先から伸びた角を含めれば五メートルにもなる巨体の隣には、似たような大きさの複数の異形が並んでいた。

 

 歪曲した角を生やした、擬人化したレイヨウ。

 首周りの広がった頸部から、人間に似た手を生やした紫色のコブラ。

 肥大化した眼球を飛び出させた、四肢を備えたカメレオン。

 一フロアを丸ごと使用しているとはいえ、これだけ多いと空間をかなり圧迫する存在感があった。

 

 

「よし、出来た」

 

 

 彼の問いには答えず、キリカは満足げに言った。

 またこの時に至るまで、キリカは相変わらず杏子の姿を乗っ取っている。

 杏子の身体で普段の黒い魔法少女姿となっているキリカは、ビニールシートへ向けて何かを放った。

 首を軽く傾げて、彼はそれを回避した。

 

 黒髪の先端がそれに触れ、僅かに切断された。

 首を傾けなければ、恐らく今頃彼の首は落ちている。

 それに対し咎めもせず、なんとも思っていないキリカであった。

 落下するより前に、彼の足が延ばされてそれを軽く蹴り、落下の衝撃を軽減させる。

 サイとコブラの上に、その物体は落下した。

 

 

「うげ…」

 

 

 思わず彼は呻いた。

 白銀に輝く物体が、絨毯のように広げられている。

 それは比喩ではなく事実であった。

 そこにあったのは、装甲然とした光沢と質感を持つ、白い虎の様な異形の敷物だった。

 現実の虎の敷物のように、身体の前面から手足に胴体にと真ん中あたりを切り裂かれて左右に広げられ、可能な限り表面積を増やされた姿にされていた。

 

 

「虎といえば敷物だよね。タフでもアイアン木場がやってたし」

 

 

 ナガレの隣に立ち、ニヤニヤと笑いながらキリカは言う。

 例によって元ネタは分からない、というか巻数が多過ぎて読めていない彼であった。

 知らない事ばかりだな、と彼は自分の無知を嘆いた。

 別に嘆く必要は無さそうだが。

 

 

「状況整理と行くか」

 

 

 知らない事ばかりならば知ればいい。

 彼はそう思考を切り替えた。

 

 

「こいつらだが、共通点は外見が動物ってコトの他にもあったよな」

 

「うん。これとかね」

 

 

 そう言ってキリカは身を屈め、広げられた装甲虎をごろりとひっくり返した。

 胴体の真ん中あたりに、隆起した肉らしきものが広がり、人が一人入れそうなスペースがあった。

 彼にそれを見せてから虎を蹴飛ばして退け、下敷きになっていたコブラとサイを露わにする。

 退けるのなら最初から別の場所に置けばいいのだが、行動を鑑みると彼から現状把握を提案される事を予測済みで、その上で虎を蹴飛ばしたかったからとしか思えない。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 立ち上がり、キリカは言った。

 

 

「友人、これ食べる?デストクローもどき」

 

 

 キリカが差し出した右手の親指と人差し指には、長い鋭角が握られていた。

 彼女が蹴飛ばした虎の手から生えた、複数の爪の一本だった。

 

 

「喰えるのかよ、それ」

 

 

 彼は至極真っ当な事を言った。

 爪を料理とすること自体、凡そ考えられない事態である。

 『やめとけ』と彼は言った積もりだった。

 キリカはそれを自分への挑戦と受け取った。

 見てみろ、と言わんばかりに彼を睨み返し爪状の先端を口に含んだ。

 

 ぞぶ、という音がした。

 歯は厚さ五ミリほどの爪に喰い込み、それを切断。

 外見に反して、柔らかい質感でもあるらしい。

 そして咀嚼、次の瞬間にキリカはそれを吐き出し、かけて飲み込んだ。

 

 

「うええ、ゲロマズ。もっと食べとこ。魔法少女は強いけどお腹壊すからもっと食べよう」

 

「分かってるならやめろっつの」

 

 

 顔を顰めているが、元が美少女である杏子な上に演じているのが類稀な美貌の持ち主であるキリカであるためそれすらも美しい。

 対する彼の表情には呆れしかない。

 もっと食べておこうとは、この肉体が杏子のものなので好き勝手にしてしまえという意図があるのだろう。

 彼の言葉を他所に、キリカの意思は杏子の歯で更に爪を齧って杏子の舌でそれを味わって飲み込む。

 

 

「あーくそ、苦くてまっず。デストワイルダーもどき超まっず。なにこれ、ゴムの質感と臭いと味がする」

 

「…着ぐるみみたいな感じだからじゃねえの?」

 

 

 彼はそれとなく話を戻そうとした。

 

 

「矢張りゴムっていうのは身体に挿れるためには出来て無いね。ってワケだから改めてだけど、私とコトに及ぶ時は避妊具の着用は絶対に認めないって事でよろしく。直接の触れ合いで互いの肉の質感や粘膜、溢れる体液の熱さを存分に楽しもうじゃないか」

 

 

 無駄であった。

 対する彼の思考は「そう来るか」だった。

 まるで将棋を指す中で、相手から渾身の奇策を打たれたかのような驚きと関心が今の彼にあった。

 どちらがより異常なのか、全く分からない二人であった。

 恐らくこの連中の思考は、知的生命体が持ってはいけない領域のものだろう。

 

 

「食べるかい?」

 

 

 食べかけの爪をキリカはナガレに向けた。

 彼女が齧り取った断面には、とろりとした唾液が纏わりついている。

 外見は杏子だが表情はキリカであるので、今の状況には異様な妖艶さが付与されていた。

 少し考え、彼はそれを受け取った。

 

 欲情したからではなく、試してみるかと思ったのである。

 またキリカの言い回しは偶然にも、杏子から掛けられたお裾分けの台詞に似ていた。

 だからといって、異形の爪を食べる行為の正当化にはならないのだが。

 

 鋭い歯が銀の爪を齧り、ごりごりと噛み潰す。

 キリカが言ったとおりの苦味を味蕾が捉えた。

 額に厭わし気な峡谷が薄く刻まれる。

 しかし、咀嚼を続けるうちにそれが薄れていった。

 

 

「……いや、これは…案外」

 

 

 齧る。齧る。齧る。

 爪一本が喰い終わるまで、五秒と掛からなかった。

 その様子を、キリカは奇怪なものを見る眼で見ている。

 気にもせずというか気付かず、彼は広げられた白虎の手首と手の甲を自分の両手で掴んで左右に引いた。

 

 ぶちんという、ゴムが千切られるような音を立てて一気に断裂した。

 硬度的には新品の大型タイヤ以上のものがあったが、彼の腕力からするとどうということは無いらしい。

 そのまま手首に噛み付き、大きく齧り取る。

 

 

「うん。中々イケる。これあれだな、サルミアッキ?っていうやつだっけか。あれの独特の味をパワーアップさせた感じがする。よく噛んで味わうと美味いな」

 

 

 そう感想を言うと、彼は食事、というか捕食を再開した。

 手首は直ぐに喰われ、手の甲に取り掛かられている。

 長さが五十センチ近くある刃状の爪まで喰いきるのに、そう時間は掛からなそうだった。

 

 

「友人…お前、なんか怖いぞ……」

 

 

 黄水晶の瞳の中に恐怖を宿しながらキリカは言った。

 確かに、真っ暗な廃ビルの中に複数の異形の骸が並べられ、それを美少女じみた外見の少年がその一体の腕を貪り食っているという状況は異常以外の何物でもない。

 ホラーかギャグかと問われれば判断に困るが、どれをとっても正気度を削る狂気に満ちていた。

 

 しかしである。

 この現状を生み出した原因は他ならぬキリカである。

 彼の問い、現状の把握について彼女が脱線させなければこうはならなかったハズだ。

 その件に付いては、キリカはとっくに忘れている。

 寧ろ今の彼女は

 

 

『こいつ、話を進める気があるのか?』

 

 

 とさえ思っていた。

 思っている間に爪先まで綺麗に喰われ、もう片方の手も行っとくかと身を屈めたナガレをキリカが説得を交えて止めてから、話は漸く再開された。

 

 

 

 

 












ええ…(困惑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 獣性⑥

「で、キリカ。こいつらは一体何なんだ?」

 

 

 ゴリゴリと口内の物体を咀嚼しながら彼は言った。 

 言い終えると同時に飲み込む。口内に溜まるのは独特の味。

 サルミアッキと彼は評した。

 

 彼とキリカの、佐倉杏子の身体を乗っ取った呉キリカの前には動物を模した巨大な複数の異形が並んでいた。

 大蛇にレイヨウにサイに虎にと、全長五メートルにも達するそれらは全てが仰向けになり、開いた腹部を見せている。

 虎だけは両腕が無い。彼が喰ったからである。

 

 ナガレの横顔をキリカが見ると、少し残念そうな表情をしていた。

 まだ喰いたいらしい。

 やれやれとキリカは思った。

 表情が綻んでいるところをみると、可愛いとか思っているのだろう。

 確かに彼の外見は可愛いが、行っている行動はやや異常である。

 

 

「魔女モドキ」

 

「こういうのもなんだけどよ、改めて女らしさ皆無だな」

 

「まー、そのあたりは多少はね?元々の魔女からして大体は女要素皆無だし」

 

 

 自らの末路に対し、キリカは平然とそう言った。

 ナガレが心苦しそうな言い方なのに対し、彼女はむしろ楽しそうですらある。

 

 

「それで、何なんだよ。魔女モドキってのは。ああ、言葉の意味そのままってのはナシでな」

 

「やるな友人。私の無駄話に対応して先手を打つとは」

 

 

 満足げにキリカは言った。

 

 

「これだよ」

 

 

 そう言ってキリカは、彼に向けて右手を伸ばした。

 広げられた繊手の中央に、黒い物体が置かれていた。

 形状と大きさはグリーフシードに近い。

 が、針状の部分が捩じれ、根の様な形になっている。

 

 

「ああ、こいつら倒した時に出てきたやつか……ん、見覚えがあるな」

 

「287話」

 

「はい?」

 

 

 謎の数字に彼は怪訝な声を出した。

 

 

「いやね、話数にしたらそのくらいぶりの登場かと思ってね」

 

「???」

 

「ああすまない、自分語りが過ぎたな」

 

 

 左手を軽く握って頭を叩き、てへっ☆とでもいうような仕草をした。

 いつもの黒い魔法少女服を着たキリカ=杏子の姿でのそれは尋常ではない可愛さだった。

 こういうのを見る度に、彼は疑問を抱くのであった。

 なんでこの連中は、今に至るまで彼氏とかがいなかったのかなと。

 この世界の連中は去勢されてるのかと、時々思う彼であった。

 

 

「実は私は、君と会ってから今までの出来事を絵日記として物語の形にして書いているんだよ」

 

「そうなのか」

 

「そうなの。創作行為してるの。えっへん!」

 

 

 キリカは胸を張った。

 普段なら生地を盛り上げるどころか張り裂けんばかりに押し上げられる胸は今はなく、ただ虚無である。

 

 

「それでねそれでね。今メモ帳に溜めてるんだけど、それで言えば今から287話前に出てきたなって。ホラ、さささささが食べてたやつがコレだよ。あいつが言ってたと思うけど、アレを渡したのが何を隠そう私でね」

 

「たしか名前は」

 

 

 ある種の犯罪の告白に対し、彼は全く気にしなかった。

 過去の事よりも、今の関係が大事だと言わんばかりに。

 

 

「『イーブルナッツ』。悪意の実だよ」

 

 

 そう言ってキリカは投げ寄越した。受け取ったそれを、ナガレはしげしげと眺めた。

 

 

「で、これが人に、というか女に触れると」

 

「こんな感じの化け物になる……のとは、合ってるけど少し違うハズなんだけどね」

 

「そういや、沙々の奴はこれ喰って腕を変形させてたな」

 

「そう、それ。これに触ると肉体自体が変容する」

 

「なるほどな。だとすりゃ妙だ」

 

 

 そうそう、と言ってキリカは右手から斧を一本生やした。

 そしてそれを下方に向けてステッピングファングとして打ち出した。

 仰向けにされた虎の頭部を撃ち抜いた。

 これを見ろ、という事だろう。

 態々そうやった理由は不明である。

 意味も無いのだろう。

 

 

「こいつらはまるで着ぐるみだ。どいつも人が入れる空洞があって、その中に人が入ってた」

 

「気配で分かったけどよ、ぞっとしねえな」

 

 

 彼は記憶を辿る。

 サイの中からは飼育員の女性、他のものからは女学生やら観光客か、スーツ姿の社会人もいた。

 

 

「飼育員の人は、多分サイの飼育担当員だったんだろうね。死体が盗まれたニュースは聞いてるから、それでストレス抱えてたんだろね」

 

「やっぱそういうのに反応するのか」

 

「そうそう。他の人らは特撮好きなのかなんなのか知らないけど、魔女モドキはその人が強い執着や感情を抱いたものにある程度影響された姿になるんだ」

 

 

 ほんと禍つ式みたいだね、とキリカは繋げた。

 

 

「さっき言ってたけど、お前がこの実を持ってきたんだったよな。でもお前が作ったって感じじゃねえけど」

 

「ああ。私はこいつを拾ったり奪ったりしたのさ。さあ、回想モードいくよ?」

 

「いいから話せよ」

 

「がっつくねぇ、友人。寝台を共にする時が楽しみだよ」

 

 

 微笑むキリカ。形は極めて美しい。

 危険な毒を孕んだ、闇の中で輝く漆黒の花の様に。

 

 

「私が持ってたのは、それの持ち主由来のものさ。変態的な肌露出をした金髪ツインテ女で、戦ってる時に色々聞いたりしたんだ」

 

 

 なるほどと彼は思う。

 キリカと話しているとよくあるのだが、彼女の言葉に先導されて情報を引き出されている時がある。

 多分そんな感じに、毒の言葉や嘲弄を交えた言葉を放ち、相手の感情を揺さぶり話を引き出したのだろう。

 いつもの不死身ぶりを発揮して、やられたフリをしてその際に聞き出したのかもしれないと。

 

 

「その時にパクったり拾ったりしたのさ。あいつボスキャラっぽい外見の癖に、割とドジっ子だったなぁ」

 

「てこたぁ、その変態ドジ女がバラ撒いてるってコトかよ」

 

「いや、それがどうもそうでもなさそうなんだよなぁ、これが。何でか知りたい?」

 

「教える積りはねぇってか?」

 

「うん」

 

 

 八重歯を見せて、朗らかな笑顔でそう言った。

 

 

「言っても現状無駄そうだしね。それと性質が変化してる以上、私の知るイーブルナッツとは大分異なっているみたいだ。先入観を持つのは危険だろ?」

 

「それもそうか。心配してくれてんのか?」

 

「いや、この理由は今考えた」

 

「おい」

 

「君と会話するのが好きでね。正直、これもセックスの一環だと思ってる」

 

 

 愛し気な表情で、キリカは舌で上唇を淫らに舐めた。

 ぷにっとした唇の上で唾液を纏った舌が躍り、照り光る唾液が宙を舞った。

 それは雄を求めて粘性を孕んだ雌の器官の暗喩であったのだろうか。

 

 

「んじゃ、心惜しいがそろそろ行くよ。ありがとね友人、今日は楽しかった」

 

「俺もだ。色々とありがとよ」

 

 

 肝心な事は言わないキリカであったが、彼は礼を言う事は欠かさなかった。

 楽しかったのは事実だし、自分では何も分からなかったからだ。

 そもそも、友達との別れ際である。

 利害云々を、今の彼は全く考えていなかったに違いない。

 

 

「ふふふ。礼を言うなら態度で示し給えよ」

 

 

 そう言って、キリカは唇を小さく尖らせた。

 求めているのだろう。

 

 

「なーんてね!」

 

 

 しかしすぐにそれを崩してキリカは言った。

 その瞬間、その体が手前に引かれた。

 悲しそうな顔をする演技を挟むつもりだった時の、不意の動作にキリカは戸惑った。

 腰に回された左手が引かれ、彼の身体の前面と彼女の前面が密着する。

 右手がキリカの後頭部に添えられ、二つの顔が重なる。

 

 

『ゆ、友人!?』

 

『礼が欲しいんだろ?こんなのでよけりゃ、たまにはやってやるさ』

 

 

 思念で意思を交わす。

 キリカは硬直した。

 彼の口内に舌を入れたいし、抱きしめたいが動けない。

 巨大な獣の口内にいるような、そんな感じがした。

 

 そして全身が痺れていた。

 それを誘発しているのは、彼から求められたという現状による思考の麻痺。

 心に染み渡る多幸感。

 それによって思考が千々と乱れる。

 

 消えていく意識、その奥から顕れるもう一つの意識。

 この肉体の本来の持ち主、真紅の魂。

 黄水晶の瞳がその魂と同じ色に輝く。

 同時に全身が発光、黒い衣装が弾け、真紅のドレスへと変わる。

 

 

『お゛』

 

 

 くぐもった悲鳴の意思。

 重なり続ける唇。眼の前の光景を認識する瞳。溢れる涙。

 

 

お゛ぎ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

 

 

 赤子の産声と断末魔を合わせたような叫びの意思。

 彼の意識に突き刺さる、悍ましく痛々しい思念の音が彼の魂に鳴り響く。

 キリカに意識を奪われているその背後では、さぞ異常な理不尽が彼女を襲ったらしい。

 杏子の叫びから、それに対する憎悪と怒りも感じながら、彼は杏子の唇に自分のそれを重ね続けた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 退行の赤、従属の黒

 空には星が満ち、少し欠けた月が浮かんでいた。

 遠くに聞こえるのは、鳥獣と思しき鳴き声に咆哮。

 風によって揺れる葉の音。

 そして間近では、焚火が燃える音が鳴っていた。

 くべられた薪の中央では、オレンジ色の炎が燃えて揺れている。

 

 その光に、黒髪の少年が照らされている。

 森の中、拾った丸太を横倒しにして即席の椅子にし、ナガレはそこに座っていた。

 火が僅かに弱まったと見えたか、足元に置いてある薪を数本継ぎ足した。

 新たに切ったものではなく、森の中で拾ったものを使っている。

 自然に配慮しているといい事だろうか。

 

 火に向かって落とされていた視線が上に向かう。

 炎を挟んで、正面にあるものを彼は見た。

 そこにいたのは、炎に照らされる二人の少女。

 

 

「はぁい、かずみちゃん」

 

 

 佐倉杏子の声である。しかし言葉が表すように、普段の様子ではなかった。

 声も猫なで声で、甘ったるい響きがある。

 それでいて、性的な要素はない。

 まるで生まれたばかりの子を持つ母親か、新しく妹が出来た姉のようである。

 

 

「かあさん、きょうはあなたのだいこうぶつをつくったの」

 

 

 ゆっくりと、丁寧に杏子は言う。

 魔法少女姿の杏子はナガレと同じく丸太に座っている。

 その両膝の上に、杏子の普段着を纏って身を横たえたかずみがいた。

 赤ん坊を膝の上で抱く、または猫でも抱えているような体勢だった。

 当然ながら、小柄とはいえ身長150センチの少女でそれを行っている為、外見的には違和感を禁じ得ない状況だった。

 かずみは黙ってその状態を受け入れている。

 

 赤い瞳には困惑の色があったが、仕方ないという諦念、または受容の意思が伺えた。

 そこに向けて微笑み返す杏子。形で見れば聖女にも見えるが状況が異常だった。

 かずみを膝の上に置いたまま、杏子は両手を伸ばした。

 

 開いた手の間に赤い光が溜まり、次の瞬間に実体化する。

 真紅の十字槍が二本召喚されていた。

 それを握り、切っ先を横に揃える。

 その間には既に用意が出来ていた。

 

 火の上にはだし汁と野菜が敷き詰められた鍋が、鉄棒で組んだ支えによって設置されていた。

 溶かれた味噌が沸騰する水分の泡によって、液体の中を循環していく。

 その鍋を挟んで、二本の槍が突き出されている。

 

 槍の下には抗菌プラスチックの白いまな板があった。

 裏面をナガレの両手が支えている。

 白い板の上には、赤桃色の肉塊が置かれている。

 大体、人間の首くらいの大きさだった。

 

 ナガレの足下には、それの出処が転がっている。

 黒茶色の剛毛を全身に生やした獣、猪の成獣が転がっていた。

 生やしたと言っても皮は既に身から剥がされ、近くの木に吊るされている。

 内臓も取り出されて処置をされ、あとは餌食となるだけである。

 

 肉突きの良い腿部分が切り取られ、まな板の上に置かれていた。

 それに向けて、二本の槍が下ろされた。

 

 

「チタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプチタタプ…」

 

 

 呪文のように唱えながら、杏子は槍を肉に叩き付ける。

 頑丈である筈の肉が簡単に切断されて見る間に挽肉となっていくが、槍穂はまな板に接触する音を立てない。

 ただ、杏子が唱える呪いの声と肉を切断し、潰していく音だけが響く。

 槍が止まって消えた。呪文詠唱も途絶える。

 微塵となったそれを、ナガレはスプーンで整形して鍋に投じた。

 手際が良すぎ、五キロ分の肉が鍋に消えるまでそう時間は掛からなかった。

 

 

「ちょっとまっててねぇ。おとしゃんがいまつくってるからねぇ」

 

 

 杏子が言う。

 そう言えばそんな名前で呼ばれてたなと思い返す。

 ここ最近はナガレ呼びで、普段の行動を鑑みると使用頻度は高くない。

 そんなものでいいだろうと彼は思っていたし、父親の紛い物から友達としての呼び方になった事にはかずみの成長を感じていた。

 

 程なくして肉に火が通った。

 お玉で具材を拾って、器に入れる。

 それに多節となった槍が触手の様に巻き付いて引き寄せる。

 強引な取り方なのに、汁の一滴も弾けない。

 

 杏子はそれを、器に入れていたレンゲで具材を掬って

 

 

「ふー、ふー」

 

 

 と息を吹きかけて冷やしていた。

 その様子に、彼は改めて「これは重症だ」と思った。

 

 

「はーい、あーん♡」

 

 

 ううむ、と彼は思った。

 意外と堂に入っていたので、良い母親になるのかもしれないなとナガレは思っていた。

 

 

「あーん」

 

 

 拒む様子も無く、かずみは口を開けた。

 その中に、丁寧に丁寧に具材を注ぐ。

 その様子はまるでニトログリセリンを扱うようだと、彼が思ったかどうか。

 かずみの口が閉じられる。

 彼女は笑顔になった。

 杏子も同じく。

 

 火に照らされながら、ああ、平和だなと思いながら彼は息を吐いた。

 炎が彼の息に揺れ、小さな火花を散らした。

 自分も食べるか、そう思った時に、彼は背中と首筋に冷気が掠めるのを感じた。

 物理的なものではなく、それは直感であった。

 

 前を見ると、杏子は二掬い目を用意しており、かずみは眼だけをナガレに向けていた。

 彼女も同じものを感じたようだ。

 

 

『佐倉杏子の事は私に任せて。手伝えなくてごめんね』

 

『こっちもな。その役は俺に出来ないとはいえよ』

 

 

 思念で意思を交わす。

 方針が決まった。

 

 

「悪い、ちょっと外すわ。山菜でも採って来る」

 

「いってらっしゃい」

 

「いってらっしゃーい!」

 

 

 似たような言葉を背後で受け、それに対して右手を振って彼は答えた。

 そして夜の森を歩く。

 

 比較的平坦な道から、下り坂へと移行していく。

 下降の最中に、不意に地面が平坦となった。

 周囲の景色も変わる。

 

 木々が消え失せ、広大な空間が広がる。葉の擦れる音や、生き物たちの息遣いも消え失せる。

 風も無く、音も無い世界だった。

 白い靄が立ちこめる場所の中に彼はいた。

 

 上空に輝くのは先程と同じく夜空ではあるが、月は満月に変わり、星の配置も異なっていた。

 その夜空を横切る影を彼は見た。

 それも一つではなく、複数の影を。

 彼は地を蹴って跳んだ。

 

 乳白色で覆われた地面が砕け、地を構成する黒い破片が舞った。

 滞空中に、彼は腕を振った。

 瞬時に呼び出していた牛の魔女が斬撃として放たれ、彼に向けて飛翔していたものを切断した。

 着地と同時に、彼の背後の二か所で地面が抉れた。

 

 着地の瞬間にも横薙ぎの斬撃を放った。

 背後の地面が大きく抉れ、細い三日月のような傷が刻まれる。

 

 

「衝撃波か」

 

 

 彼は呟く。

 放たれた不可視の攻撃に対し、彼は本能と経験で迎え撃った。

 威力の大半を薙ぎ払ったが、微細なものは刃と化して彼の衣服と肌を浅く切り裂いた。

 滴る血液に吸い寄せられるように、複数の黒影が舞い降りる。

 横に広がった黒い翼。

 

 羽根は無く、闇色の膜が広がっている。

 巨大な翼に反して胴体は小さく、爬虫類のように口吻を尖らせた頭部があった。

 頭部には縦長の耳が立てられている。

 身体を構築する全ての部分が闇色で染めた、翼長にして6メートルに達する巨大な蝙蝠達が彼の前に広がっていた。

 一体一体が大きいゆえに、視界の大半が闇の翼で覆われている。

 吸血を目的としたと見える牙を剥き出しにし、金切り声を上げて吠えている。

 

 それらの一体一体に、ナガレは視線を走らせる。

 外見上の差異は特に無し、そして内部から感じる気配にも人のそれはない。

 残る気配は異形の気配。

 異界の様子からしてほぼ確定ではあったが、魔女モドキとキリカに教わったものと同一と認識。

 

 

「なら、遠慮はいらねぇな」

 

 

 異形達に挑む様に彼も牙を見せて嗤う。

 右手に握った斧槍から、黒い波濤が広がっていく。

 それは彼の体表を覆い、更なる力を彼に与える。

 頭部からは左右に突き出た槍穂の様な黒い角が生え、肘に膝にと漆黒の装甲が覆う。

 

 

「ちょうどな、てめぇらみたいなのが欲しかったんだ」

 

 

 告げた瞬間、彼の背から闇が弾けた。

 広げられたのは、闇の翼を広げた蝙蝠達よりも更に巨大な蒼黒の翼。

 真ゲッターロボタラクと呼ばれる機体を模した、ナガレの強化形態。

 翼の根元からは、龍の尾の化石の様な黒い鞭が生え、試し打ちとばかりに地面を打った。

 打たれた地面が波打ち、切っ先が深々と地面を貫いて抉り抜く。

 

 

「じゃ、やるか」

 

 

 彼は斧槍を構えて言った。

 それを合図に、闇の翼で宙を舞う者達が金切り声を上げ、彼に向かって襲い掛かった。











佐倉さんの様子のモチーフは惣流さんの母
なおこの人の名前は…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 紅の回想

「壮観だな」

 

 

 夜の森の中、焚火の炎を背後に彼は言った。

 視線の先には複数の巨体が置かれている。

 翼長が6メートルもある、闇色の翼を持った魔女モドキ達である。

 どれもが頭部が叩き潰されるか切断されるかをされていた。

 翼に傷は皆無であったが、深紅の鮮血が翼の裾から垂れていた。

 

 戦果を眺めながら、ナガレは左肩をゆっくりと回した。

 魔女モドキの一体に肩を喰い千切られ、戦闘後に魔女に命じて行わせた治癒の具合を確かめたのだった。

 結果は違和感がほんの僅か。数時間もすれば元に戻ると彼は判断した。

 そしてこの時、回される腕が小さな風を起こした。

 それは紅い髪を優しく撫でた。

 その髪は、彼の喉元から生じていた。

 

 生えているのではない。

 ぶら下がっているのである。

 

 佐倉杏子が、ナガレの首に歯を立てていることにより。

 

 

「なぁ、もういいか。第二ラウンドって雰囲気でもねぇしよ」

 

『あたしは別にそうでもねぇけど、そっちが乗り気じゃねえんなら仕方ねえか』

 

 

 彼の喉、というか肉に歯を埋めながら魔法少女姿の杏子は思念で返した。

 口内の舌が、歯で抉られた彼の肉を舐める。

 赤い舌先が動脈を舐め上げ、彼女の味蕾は彼の血の流れの味を覚えた。

 

 

『ていうかあんた、ほんとやべぇな』

 

「ああ?」

 

 

 異常行動をしつつの杏子の言葉に対する彼の声には、苛立ちが多分に含有されていた。当然だろう。

 また無理に引き剥がさないのは、そうすると動脈が喰い千切られて面倒だからである。

 死ぬ、ではないのがこの少年らしい。

 

 

『舌の先であんたの命、っていうか血の流れを感じるけど、それだけで胎の奥が疼いちまう。どうなってんだあんたは。血の流れまで性癖破壊兵器なのかよ』

 

「理不尽過ぎんだろ」

 

『全くだね』

 

 

 彼の言葉に杏子は同意する。

 理不尽というのは、血流だけで自分を欲情させる彼についての事である。

 

 

『血管でコレなんだから、別のモノを感じたらどうなっちまうんだろな………なぁ、どうなると思う?』

 

「言ってて恥ずかしくねぇのか」

 

『ハズいに決まってんだろ。こっちは一応乙女だぞ』

 

 

 杏子は言う。事実ではある。

 思念の声には恥じらいがあった。

 その感情によるものか、歯は更に肉に喰い込んだ。

 あと少し進めば、動脈が破れて血が溢れる。

 

 杏子は上を見上げる。ナガレは下を見る。

 互いの視線が合う。

 話が繋がらない、という思考に至る。

 

 彼は恋愛とかを意識したことが無く、されど立場は杏子の彼氏なので何かをしないといけないのかなと考えている。

 杏子は自分でもこれは異常だと自覚しつつ、この行為を続けている。

 彼は異界から来た存在であり、何時か遠くへ行ってしまう。

 

 それが嫌で堪らなく、どうにかして近くに存在を留めたい。

 そのやり方が分からず、心が暴走するが故に欲望のままに動いてしまう。

 繋がりたい。

 それが彼女の望みであった。

 

 数秒が経過する。

 夜風が二人を撫でた。

 炎が揺れた。

 炎に照らされる二人の姿は、絡み合う二体の悪霊のようだった。

 

 やがて彼女は歯を抜いて口を開いた。

 これ以上は無意味だと判断した、のではない。

 アプローチを変えようと思ったのだった。

 唇と首の間で唾液が糸を引く。

 

 彼の首筋に付いた傷口から流れ出る血液が、顎先へと伝っていく。

 その光景が、彼女をより興奮させた。

 顎に垂れた彼の血と自分の唾液が混じった粘液を右の人差し指で掬い、親指との間で交わらせてから桃色の舌でべろんと舐める。

 真紅の眼が茫洋と霞む。

 この行為に淫らな物を感じたのだろう。

 彼との間で織り成す行為の大半を性交と見做している為だ。

 

 

「じゃ、いつもの回想といこうか」

 

「勝手にしろ」

 

 

 流石の彼もイラつきを発散させたいのか、刺々しい声色で言った。

 彼の態度は彼女の求めたものであったので、杏子は八重歯を剥き出しにして笑った。

 

 その様子は、嘗て世話をしていた雌獅子に似ていた。

 獲物を押し倒して喉を喰い破る時の様子だと彼は思った。

 他人が自分をどう思おうが勝手なので、それは別にいいとした。

 杏子が指をバチンと鳴らすと、映像が彼の視界に飛び込む。

 現実の光景に重なるように、『回想』が這入りこむ。

 

 最初に飛び込んできたのは、赤い肉と深紅の鮮血。

 そして重なり合う身体。

 白い腹からは内臓が零れ、それを血塗れの五指が掴んで引き摺り出す。

 被害者の悲鳴が鳴った。

 

 佐倉杏子の声だった。

 悲鳴は苦痛と嬌声が交じり合ったものだった。

 腸に肝臓にと、縦に裂かれた腹からは、そこに突っ込まれた両腕が蠢いて次々と臓物が掻き出される。

 そのすぐ下では、雄と雌の器官が交わっている。

 背後から被さる黒髪の少年が、佐倉杏子を壊しながら犯していた。

 

 

 

「おい」

 

「あ……ごめん。こないだ使った妄想が混じった」

 

 

 猟奇的な妄想を見せた事を、杏子は素直に謝罪した。

 次いで何かを言おうと思ったが、彼は口を閉ざした。

 話が進まないと判断したのだろう。

 

 最悪に過ぎる出だしから、これまでの回想が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 紅の回想②

 煌く星空が天に広がる。

 周囲に満ちるのは白い霧。

 その中に、赤い柱が立っていた。

 それは、炎のような色彩のドレスを纏った少女だった。佐倉杏子である。

 

 黒い地面に膝を着き、両腕をダラリと下げている。

 表情は虚ろで、真紅の瞳の中にも虚無があった。

 小さく開いた口の端からは唾液が垂れ、顎先にも伝っている。

 

 それが滴り落ち、杏子のスカートのちょうど股の部分に溜まっていた。

 杏子はぴくりとも動かず、不気味でどこか淫らで、そして美しい彫像となっていた。

 そこに影が降りる。風も届いた。彼女のドレスの端や真紅の髪が風を孕んでふわりと揺れた。

 星空が煌く世界の空を、何かが蛇行していた。

 それは一気に彼女へと迫った。

 

 全長が10メートルにもなるそれは、真紅と漆黒の色を纏っていた。

 蜥蜴か鰐の様な造詣の貌、蛇腹も鱗も、全てが装甲された東洋の竜に似た姿の異形だった。

 頭部には多数の角が生え、まるで王冠のように鋭角が連なっている。

 魔の力で浮遊しているのか、翼は無い。

 正面から見て右が真紅、左が漆黒の色となっていた。

 短剣のような牙が並ぶ口が開き、真紅側からは炎が零れ、漆黒の方からは黒煙が漏れていた。

 

 それが真上から、地面に座る杏子に迫っていた。

 既に、開かれた大口の真ん中に杏子がいる。

 黒々とした影に覆われ、竜の贄となるのを待っている。

 瞬き一つするのに掛る半分の時間の後には、杏子の肉体は頭の天辺から爪先の先まで死の顎に囚われ、挽肉となったに違いない。

 

 顎が閉じられた。金属音が鳴り響く。

 苦鳴が鳴った。視界が闇で覆われた。

 苦痛の叫びは、ボイラー音に似ていた。

 真紅と漆黒の装甲が割れ、破片が飛び散った。

 

 異形の絶叫はくぐもっていた。軽自動車程の大きさの竜の顔が、何かに完全に覆われていた。

 それが一瞬開き、次の瞬間にまた閉じた。

 装甲が砕け、大量の破片が宙に舞って地面に落ちる。

 その最中にいても、杏子は動かなかった。

 

 破片も杏子も、黒い影に覆われていた。

 先程の竜よりも幅も長く、そして長い影だった。

 表面を彩るのは真紅の装甲。複数の輪で形成された蛇腹の首、肉食魚と蛇の中間のような頭部。

 黒い樽の様な胴体からは、先端が十字の槍穂となった長い尾が伸びていた。

 

 菱形に十字が入った眼は、無機質ながら獲物を喰らう事に夢中になっているように見えた。

 佐倉杏子の槍が巨大化して変異した存在。

 異界の蛇龍、ウザーラの疑似個体である。

 全長一キロに達するオリジナルの数十分の一程度の大きさではあるが、それでも長さは三十メートルもある。

 

 トラックのコンテナにも近い大きさの大口が真紅と漆黒の竜を咥えて噛み砕いていた。

 抵抗に対し何度も牙を突き立てて破壊する。

 口の端には、既に喰われていたのか竜とは違う部品が見えた。

 

 ガラガラヘビの尾に似た突起がちろりと見え、細かく動いている。

 咥えられた異形達はなおも抵抗をやめようとしない。

 その口内で、一瞬光が迸った。

 槍穂の様な牙が並ぶウザーラの内からはその残光と、溶解した金属が飴の様に滴った。

 喉で発生させたプラズマを口内に広げ、異形達にトドメを刺したのだった。

 

 蕩けた異形を嚥下させ、蛇龍は宙で身を捻った。

 見る間に巨体が収縮し、元の真紅の十字槍へと戻る。

 地面に落下し、切っ先が突き立つ。

 

 顔の数センチ先を掠めて膝の間に落ちてきた槍を、杏子はぼんやりと眺めてた。

 異形との遭遇から最後に至るまで、変身をしてから膝を着いたままであった。

 業を煮やしたのか主への忠誠心か、槍は勝手にウザーラとなり異界の中の魔女モドキを喰らったのであった。

 

 

「うーん…」

 

 

 その様子を、ナガレは少し離れた場所で眺めていた。

 何かあればすぐに駆け付けられる位置であったが、これほどに万物に無反応を示し続けるとは思わなかった。

 

 

「ねぇ…どうするの?」

 

 

 隣に立つかずみも不安そうにしていた。

 その様子は、まるで杏子の保護者である。

 

 

「…俺に良い考えがある」

 

 

 しばし瞑目してからナガレは答えた。

 その返しに、かずみは不安そうな視線を送った。

 何故かは分からないが、成功する気がしないのだった。 

 

 

 

 

 翌日。

 日が昇る前、仮拠点である廃ビルから抜け出す二つの影があった。

 一人は杏子の私服の予備に着替えたかずみ。

 もう一人は普段の私服のナガレ。

 背中には杏子を背負っている。

 

 服装は私服だが、頭に普段のリボンは無かった。

 赤い髪留めが二つ、頭の左右にくっ付けられていた。

 本来は左右対称になるように付けるのだろうが、微妙に左右でズレている。

 この装飾はキリカが杏子の身体を乗っ取っている時に、嫌味で購入していたものだが、杏子はそれを着用していた。

 大嫌いなキャラクターに外見が近付くというのに、茫洋とした意識ながらにそれを自覚しつつ着けていた。

 

 

「おい杏子。調子はどうだ?」

 

「あ…う……」

 

 

 杏子は喃語で返した。

 反応を示す程度には回復してきている。

 良い事だと彼は思った。

 

 

「あん……た………」

 

 

 ナガレの背中に顔を押し付けながら、杏子は途切れ途切れで言った。

 

 

「ば……か……ぁ………?」

 

「………」

 

「あんた……ばかぁ………あんた…ばかぁ……」

 

 

 重症だと彼は思った。

 夜から朝になる前にと、二人は移動を開始した。

 そしてナガレの右肩に顎を乗せた杏子は、同じ言葉をいつまでも延々と繰り返した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 紅の回想③

「あー…いいなぁ。こういうの」

 

「ほんとだねぇ。生きてるって気がするっ」

 

「あんまり先に行くなよ。熊とか出るみてぇだからな」

 

「はーい!きゃははははっ!」

 

 

 あすなろの郊外。

 名前は気にしていなかったが、整備された登山道をナガレとかずみが歩いていく。

 周囲に満ちるのは小鳥の囀りと、青々とした葉を宿らせた木々。

 そこに風が流れた。

 今はもう朝となり、白い輝きの陽光が木々を染めている。

 風には植物の青さと土の香りが含まれていた。

 生き物としての本能をくすぐるような匂いだった。

 

 そのせいか、その中にいる者達は実に生き生きしているように見えた。

 ただ一人を除いて。

 

 

「うー……あぁ……うう……あ」

 

 

 喃語を発しながら、口の端から涎を垂らし、表情に虚無を宿した佐倉杏子は陽光を浴びる。

 顔には影が降り、喉元までが陽光から遮られていた。

 杏子は今、ナガレの背中にいた。

 彼は大きなリュックサックを背負い、その上に更に杏子を乗せていた。

 

 リュックには簡易的な椅子が取り付けられていた。

 素材として用いられているのは蔓と枝。

 どうやら道中に拾い集めたもので造ったらしい。

 

 そこに杏子が乗せられている。椅子には背もたれから伸びた庇までが付けられていた。

 体勢的にはナガレと杏子はリュックを隔てて背中合わせとなっていた。

 それはまるで昔話に出てくる、薪を拾う農夫の様な姿…と、いうよりも。

 

 

「(………姥捨て山…………)」

 

 

 かずみはそう思った。

 決して思念には出さないように、表情にも出さないようにして思った。

 

 

「どうだ、杏子。良い眺めだろ」

 

 

 リュックの中の各種用品とジャケットに隠した武装、そして杏子を含め、彼の背負った重量は二百キロにも達していた。

 されどしっかりとした足取りで、重さを感じさせる事も無くナガレは歩いていく。

 その中で発した問い掛けだった。

 

 

「う……ぅ」

 

 

 杏子の返事は唸り声に近い。

 聞こえてはいるのだろうなと彼は思った。

 

 

「俺の代わりに景色はよく見ておいてくれよ。あとで感想教えてくれや」

 

「ぁ……あ……あ」

 

 

 努めて普段の様子を意識しながら彼は言った。

 そして新たに一歩を踏み出す。

 地面に触れたのは、土で出来た上向きの傾斜ではなく平面だった。

 景色も一変し、空には星々が煌き、周囲には白煙の如き霧が立ち込める。

 その中を、彼は進んだ。

 五歩歩いたとき、

 

 

「アトミック、パーンチ!!」

 

 

 叫びが聞こえ、爆音の様な風切り音が鳴った。

 直後、魔女を模した存在の『魔女モドキ』の発する結界が崩壊した。

 踏み出した歩みも傾斜を踏みしめた。

 現世を歩くナガレの元に何かが飛んでいく。

 右腕を伸ばして五指を開く。

 

 牛の魔女が召喚され、その手に握られる。

 形状は普段の斧槍ではなく、槍としての顕現となっていた。

 黒い槍穂が飛翔体を貫いた。

 その瞬間、再び異界が顕れた。

 更に数歩歩く。すると、

 

 

「ブレスト…バァーーーーーーーン!!」

 

 

 叫び、熱風、爆発。

 それはほぼ同時だった。

 先程と同じく異界が崩壊し、現世に戻った。

 その瞬間にまた何かが飛来し、ナガレは槍でそれを貫いた。

 

 しばらくすると、また同じことが起きた。

 

 

「サンダァァァァアアアアブレエエエエエエエエエエエエエエク!!!」

 

 

 星々を覆い尽くす曇天が空に広がり、そこから落雷が落ちた。

 かずみの魔女帽子がそれを受け、伸ばされた右手の人差し指から増幅されて放たれる。

 白光が異界を染め上げ、直後に山道へと戻った。

 また飛んで来たものを槍で受け止めた。

 

 

「マギカブレード!!」

 

 

「マギカタイフーン!!」

 

 

「ドリルプレッシャー…パーンチ!!」

 

 

「バックスピンキック!!」

 

 

「ニーインパルスキック!!」

 

 

 以下略。

 数歩ごとに生じる異界、襲い来る異形。

 それらを片っ端から、文字通りに蹴散らしていく。

 そうして生じた残骸を、かずみはナガレへと投擲する。

 それを槍で受け、異形の串刺しを作っていく。

 

 焼け焦げた白銀の翼を広げた白鳥、緑色の巨大なカメレオン、こんがりと焼けた蟹、胴体を貫かれた蜘蛛、捩じれた角を生やしたレイヨウ。

 消し飛ばされたものを除けば、そんな連中が撃破されていた。

 串刺しが増えると、ナガレは魔女に命じて遺骸を魔女の中へと格納させた。

 何かに使うのだろう。

 

 

「さっきから気になってたんだけどよ……」

 

 

 躍る様に軽やかに歩き、先を行くかずみの方を見ながらナガレは言う。

 

 

「お前、随分と力の扱いが巧くなってきたな。大したもんだ」 

 

「えへ、そうかなぁ」

 

 

 照れ笑いを浮かべるかずみ。

 

 

「うん、ちょっとだけね。頑張ってるんだ、わたしも」

 

「偉いぞ。俺も見習わねぇとな」

 

 

 笑いながらナガレは答える。

 そこに、ぱちぱちという音が続いた。

 手を鳴らす音だった。

 

 

「えらい、えらい」

 

 

 音と声の出処は杏子であった。

 この状態となって三日目、漸く希望が見え始めた。

 

 やがて、歩み続ける二人は山道を抜けた。

 木々と草花に囲まれた広い空間に出た。

 そこでナガレは立ち止まり、周囲を見渡した。

 

 

「これか」

 

 

 広がる光景に、彼はあすなろのガイドブックに乗せられた情報を重ねた。

 

 

「おぉ~」

 

 

 かずみも感嘆の声を上げる。

 木造の小屋があった。

 小屋の裏手からは白煙が昇り、熱と硫黄の香りがした。

 温泉である。

 

 ナガレは背後から振動を感じた。

 杏子が振り返り、彼の頭に左手を置いていた。

 

 

「……くひっ……ひ……ひひ」

 

 

 背後から聞こえたその声には、確かな意思を感じた。

 気にしない訳でもないが、立ち止まってても仕方ないので、彼は前へと歩を進めた。

 

 










…あーあ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 紅の回想④

「ぁぁ…うぅ……」

 

「あんまり無理しなくていいけど、歩けるときは歩けよ」

 

 

 杏子に肩を貸しながらナガレが歩く。

 相変わらずの様子であるが、口から唾液は垂れてはいない。

 二人が歩を進めるのは木造の床面。公共の場だから、という意識が今の杏子にもあるようだ。

 

 登山途中にあった温泉小屋へと二人は来ていた。

 かずみの姿は既にない。

 二人を放置して更衣室へと消えている。

 背負った荷物を受付に預け、ナガレは杏子に肩を貸している。

 

 歩きながら、ナガレは思い出す。

 管理人の中年女性は、朝早くに訪れた年少者三名にも丁寧な対応をしてくれていた。

 荷物を預かり、この施設の利用法等を説明する。

 

 その中で、女性の眼に生じたのは悲哀さと理解の色。

 杏子を見る視線の成分を、ナガレは自分なりに分析した。

 

・強姦被害者の少女への悲哀

 

 これは当たっている、と彼は思った。

 双樹の体内で溶けあった魂の中、朱音麻衣が杏子に行っている行為は…と聞いていたからである。

 

・傷ついた心を癒すために登山に訪れた少年少女。関係性は恋人同士

 

 当たっている。

 恋人、というのはよく分からないが彼氏彼女だと自分らの関係を定義したので、遠くは無いかなと思った。

 他人からの視線を大して気にしない性格もあり、特にその程度思うだけで彼は行動を続けた。

 かなりゆっくりとした動きで、さして広くも無い施設の中を進む。

 しばらく経って、漸くかずみに追いついた。

 持参した手持ちのバッグをかずみに渡し、

 

 

「頼んだぜ」

 

 

 と告げて彼もまた更衣室へと向かった。

 その様子にかずみは首を少し傾げたが、

 

 

「あ、そっか」

 

 

 と言って、扉から半分出していた首を引っ込め、杏子の手を引いて室内へと連れ込んだ。

 背後で扉を閉めてから洗面台の鏡を見る。

 ああ、と納得した。

 

 今の彼の顔は、美少女と美少年の要素が矛盾なく交じり合った造形となっているからである。

 元の姿の面影も残している事に、器用な奴もいるもんだと考えていた。

 今の自分の姿に対して、最近では特に苛立つ事も無くなっている。

 外見をコロコロと変えるロボットに乗っていたとはいえ、慣れとは恐ろしいものである。

 

 

 

 白い煙が広がり、岩肌をじっとりと濡らしている。

 白く濁った温泉の中にナガレは身を沈めていた。

 

 

「あー…いい」

 

 

 熱めの温度が身体に心地いい。

 元々風呂が好きであり、自然の中にいるということもあって彼はリラックスしていた。

 ぼーっとしながら快楽を享受していると、視界に横切る黒と白と赤が見えた。

 白は肌であり、黒は水着、最後に赤は髪である。

 

 

「ラッコかよ」

 

 

 と彼は言う。

 彼の前に浮かぶのは、黒い水着を纏い仰向けに浮かぶ佐倉杏子である。

 口は微細な開閉を繰り返し、相変わらずの喃語を呟く。

 水着は鱗が連なったような彫が入れられたビキニ風の水着だった。

 その質感はゴムに近い。

 

 魔女モドキを用いてかずみが造ったものだった。

 どうやら裁縫も得意らしい。

 裁縫、というレベルを超えている気がするが。

 また当のかずみは風呂に入ってすぐに

 

 

「のぼせちゃった」

 

 

 と言ってリタイアしている。

 今頃はフロントの辺りでコーヒー牛乳でも飲んでいるのだろう。

 もしかしたら、二人に気を利かせたのかもしれない。

 またついでに、ナガレもサーフパンツ風の黒い水着を穿いている。

 温泉が混浴なのは前もって知っていたので、申し訳程度の対策であった。

 

 

「腹冷えるぞ」

 

 

 仰向けに浮かぶ杏子を、脇腹に手を添えてごろんと転がす。

 胸と股を晒す姿は彼女なりの誘惑だったのかもしれないが、何時も通りに特に効果はない。

 姿勢を変えられ、ナガレと同じく通常の入浴スタイルへと体勢が変わる。

 

 が、それを一瞬であり、今度はうつ伏せになってぷかりと浮かんだ。

 魔法少女故に窒息死は無いだろうが、その状態は水死体にしか見えなかった。

 そのまま杏子はぷかーっと浮かび、彼の眼の前から温泉の奥へと流れて行った。

 身体をくねらせていることからして、本人は楽しんでいるようだった。

 

 その様子に彼は、鰐やオオトカゲの遊泳模様を思い出していた。

 蛇のそれにも近いかもしれない。

 そういえば素材に用いていたのは巨大な蛇の姿をした魔女モドキだった。

 切り開いた内側の、ラバーっぽい部分が彼女の水着の素材となっていた。

 

 平和だな、と思って欠伸をした時、水が弾ける音が響いた。

 それは連続し、岩を足が叩く音も聞こえた。

 杏子が消えていった先は、白煙が立ち昇ってて見えない。

 

 なんとなく分かった。

 湯船の奥にいた先客が杏子を視認したのだろう。

 煙の奥からぬっと表れた、少女の水死体のようなもの。

 確かに怖そうだった。

 

 悪いことしたな、と思っていると湯船に浸かっている右手がグイと引かれた。

 完全な不意打ちにより、温水の中に一気に引き摺り込まれる。

 熱い湯の中だが、彼は平然と眼を開いた。

 乳白色の湯の奥に、赤く揺らめく毛髪と、牙を剥き出しにして嗤う杏子の顔があった。

 

 油断した、と思う間もなく杏子は全身を使って彼の肉体に自分の身体を絡めた。

 これが性欲か闘争本能によるものかの判別は、実質的に存在しない。

 その二つの欲望は、何の矛盾なく同時に成立するからである。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 発見

「はいよ、回想終了っと」

 

「おう、ありがとな」

 

 

 焚火を挟んで、ナガレと杏子が向かい合う。

 まだ夜も深く、周囲には闇が満ちている。

 月と星々を除けばほぼ唯一の光源である炎と火花が二人の顔を照らす。

 闇の中で赤く浮かび上がる様は、生者にも死者にも見える。

 そのどちらでもあるかもしれない。

 この二人の頑強さは異常に過ぎていて、生と死の狭間に常にあるとしか思えない。

 

 

「で、あの後は『温泉で暴れるのはやめよう』ってコトで、山の斜面で野外プレイと洒落込んだんだよな」

 

 

 顔を赤く染めながら杏子は言う。

 炎の輝きもあるが、自前で染まっているのもある。

 言ってて恥ずかしいのだろう。

 態度と言動が過激な時もままあるが、杏子の本質は純粋でまだ幼い事の証明であった。

 幼いが故に加減が分からず、行為がヒートアップしていくのもある。

 

 

「楽しくなかったってワケでもねぇけど、水着着ての殴り合いは俺としてはあんまやりたくねぇな」

 

「あんたさぁ、嫌な事はちゃんと否定しなよ。そういうコトすっから、纏わりつく雌の害獣共が調子に乗るんだからさ」

 

 

 杏子は不愉快そうに吐き捨てる。

 彼女の意思の中で、その害獣共には自分は含まれていない。

 

 

「それで、そん時のバトルで巻き添えになった猪を使って飯にしたんだよね」

 

「あの後結局、半日は戦ってたからな」

 

「かずみ、怒ると怖いんだな」

 

「ああ」

 

 

 二人は黙った。

 少し肩が震えたようだった。

 それは寒気か、恐怖か。

 ナガレが記憶を辿ると、杏子が精神崩壊した惣流母のような状態になったのは、半日も放置されたかずみの怒りを目の当たりにしてからだった。

 

 

「それから…ああ、回想と思い出しが混じるからややこしいな。このやり方は色々と不親切だ」

 

「誰に言ってる?」

 

「あたしの観測者なあんたに。それでだ、昨日の夜に母親ごっこやってかずみを寝かせたら……まぁ、アレさ。いつも通りムラっとしたから、さ…」

 

 

 話を聞くナガレの眉が跳ねる。

 あれは演技だったという自白に反応したのだった。

 ついでに母親というか、幼児にしか見えなかった。

 

 そう思いながら喉を撫でる。

 先程まで杏子に噛み付かれていた場所である。

 喉に喰らい付かれてからのデスロールに、よって大きく抉られ大量の血を飲まれた。

 魔女に命じて治したが、治癒したばかりのむず痒さによる違和感が拭えないのは仕方ない。

 

 

「寝るか」

 

「そうだね」

 

 

 火を浴びながら二人はそう言った。

 そうして焚火の前でうつらうつらと眠った。

 起きた時、寝ているナガレの腹の前に杏子が背中をもたれ掛けさせて眠っている事以外は普通だった。

 牛の魔女の内部で寝て、起きた際にその様子を発見したかずみは

 

 

「セミみたい」

 

 

 と言った。

 それは幹にしがみ付いている様子なのか交尾している様なのか。

 かずみは特に考えず、朝の支度を始めた。

 昨日の猪の肉はベーコンに加工済みであり、朝食はそれを使おうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うう……うぁ……うあーーーーーー!」

 

 

 朝の山道を裸足の少女が歩く。

 朝日を浴び、絶え間なく口から泣き声を出しながら。

 少女が纏っているのは数枚のバスタオル。

 水に濡れ、体表にぴったりと張り付いている。

 身体で隠すべき部分の最小限を隠し、泣きながら歩いていく様は強姦被害者にしか見えなかった。

 か弱くとぼとぼと、その少女は山頂を目指しながら歩いていった。

 泥まみれとなった足で進む先に、白煙を立ち昇らせる何かがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい天気だなぁ」

 

 

 歩きながら杏子は言う。

 坂道の先頭に立ち、両手を普段のパーカーのポケットに両手を突っ込んでいる。

 登山という行為をナメ腐っているかのような歩き方である。

 その少し後ろに、ナガレとかずみが並んで歩く。

 二人の前では、杏子の赤い長髪が彼女の歩みによって左右に揺れる。

 ポニーテールという名前にある通り、獣の尾のようだった。

 

 

「そうだな」

 

「うん」

 

 

 ナガレとかずみの返事も杏子と似たようなものだった。

 三人は揃って、晴れ渡った空を見上げていた。

 

 雲一つ無い青空。

 その青さを遮るものは何も無かった。

 視線を前に向ければ、山道の傾斜の角度で遠くに海が見える。

 この辺り一帯の標高が高い所為で、海面までの距離が近いのだ。

 水平線の彼方から太陽が顔を出していた。

 朝日に照らされる光景は、絵画の如き美しさを持っていた。

 

 

「…………」

 

「ん?どうしたの?」

 

 

 ふと、ナガレは杏子が背後を振り返っているのを見た。

 それに対し、かずみが問い掛ける。

 

 

「いや、なんでもねぇよ」

 

「ふぅ~ん」

 

 

 かずみにそう返す杏子。

 興味を失ったのか、かずみは景色を眺めながらてくてくと歩いていく。

 杏子は再び振り返ってナガレの顔を見る。

 表情はニヤけていて、楽しげだった。

 すぐに顔を前に戻して進む。

 

 

『なんなんだよ』

 

 

 ナガレは思念で尋ねた。

 ロクでもない言葉が返ってきそうだが、期待されてそうだと思ったからだ。

 

 

『あんたさぁ、さっきからあたしの尻ばっか見てるよなぁ』

 

『そうなのか』

 

『そうなんだよ」

 

 

 杏子は腰に手を当て、歩きながら小さく左右に振る。

 ホットパンツに包まれた小振りな尻が揺れる。

 

 

『あ、今また見たな?』

 

『え?』

 

 

 まだ続くのか、と彼は思った。

 

 

『見たいなら言えば良いじゃん。減るもんじゃないしさぁ』

 

 

 舐め廻すような思念で以て彼女はその言葉を送る。

 見たい、という欲望はない。

 単に杏子が先導しているのでその後ろ姿を見せられているだけだ。

 

 ふと彼は気付いた。

 杏子のこの様子に既視感があり、その原因がキリカであると言う事に。

 同じ場所に魂を格納され、時々人格を乗っ取られるせいか、魂が混じってるのだろうかと彼は思った。

 実際は彼への執着心が暴走し、ヒートアップしているが故であるが、彼には自分が好かれているという自覚が足りない。

 

 

『何度も言ったけどさ、ヤらせてやるって言ってんのにあんたも頑固だよなぁ』

 

『何度も言ったけどよ、まだそういう時期じゃねぇんだよ』

 

 

 朝早々から不健全、見ようによっては健全な思念を交わす。

『今日はいいお天気ですね』『何をして遊ぼうか』

 二人にとって、多分こんな感じの遣り取りなのだろう。

 杏子は脈無しとは思いつつも、一応という形で彼を誘う。

 

 もしも何かの拍子で彼が同意すれば、その時はナガレを貪れる。

 減るものじゃないとは彼女の言葉だが、尋ねることに何のコストもない。

 例によって今回も脈無しだった。

 

 彼の言葉を見れば、時間の問題のようだったが、彼女としてはさっさと経験したいらしい。

 欲望に素直という事だろう。

 ともあれ、未来があると再認識できた事は彼女に活力を与えた。

 後続が付いてこれる速度で、快活に進んでいく。

 

 しばらくすると、山頂の近くの山肌が見えた。

 その麓に、見覚えのある建物が建っていた。

 前日に立ち寄った温泉小屋、それを少し大きくしたような感じの施設だった。

 

 同様に施設内からは白煙が昇っている。

 振り返ってにっと笑い、杏子は一気に駆け出した。

 ついて来いと言わんばかりの態度だった。

 

 顔を見合わすナガレとかずみ。

 かずみは肩を竦めた。

 ナガレは頷いた。

 進むしかないのであった。

 

 歩きながら、ナガレは先程から気になっていたことを思っていた。

 自分たちが歩いていく山道。

 そこに前以て生じている足跡に。

 大きさは自分達と同程度だが、土に刻まれた形は裸足。

 何が起こってんだろなと彼は思った。

 

 

「おーい!」

 

 

 その建物の手前で、杏子は後ろを歩く二人に向かって叫んだ。

 

 

「おーい!こっちだぞー!!」

 

 

 両手を振り、大声で叫ぶ。

 分かってるよと思いつつも、彼はふっと笑った。

 元気になって何よりだと思ったのだった。

 

 だが次の瞬間、その笑みが氷結した。

 杏子の背後、小屋の玄関の扉が開いたときに。

 ナガレの表情を見て、杏子もそれに気付いた。

 振り返る。

 

 そこにいたのは、白い浴衣に身を包んだ少女の姿。

 杏子と同じポニーテールの髪型だが、髪の色も栗毛色であり、外見の印象は大分異なっていた。

 深い蒼緑の瞳が、振り返った杏子の顔を見ていた。

 次の刹那、咆哮が木霊した。

 佐倉杏子の叫びだった。

 その叫びには敵意と殺意、そして獲物を見つけた喜びがあった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 再会

 ずぞぞぞぞ、と液体を啜る音が鳴る。

 続いてごくんという嚥下の音。

 

 

「ぷはっ」

 

 

 という呼吸音。

 栗色の髪をツインテールで束ねた少女が、正座をしながら発した音だった。

 手に持った湯呑をテーブルに置き、浴衣の胸元から取り出したハンカチで唇を軽く拭う。

 和室の中、机を挟んで少女の先には三人の年少者達がいた。

 少女から見て左にはかずみ、右にはナガレ、そして中央には佐倉杏子がいた。

 

 

「さて」

 

 

 極めて平静な様子で杏子が口を開く。

 

 

「バラすか」

 

 

 それは殺す、ではなく解体を意味する言葉だった。

 相手の、双樹の死はついでである。

 バラバラにして死ねばよし、死んでなければ殺せばよし。

 全て殺せば大解決。

 

 呼応するように、ナガレは左手を掲げた。

 部屋の端まで届きそうな、長大な斧槍が召喚され異界の道を開き始める。

 

 

「やめようよ」

 

 

 静かな声でかずみは言った。

 

 

「さっきのこと、もう忘れたの?人の迷惑になるからダメだって言ったでしょ」

 

 

 子供に諭すように、棘を含みつつも優しく告げるかずみ。

 言われた二人はシュンとなったような気がした。

 ナガレは即座に牛の魔女を消し去り、手を膝の上に置いた。

 この場の四人は、室内の雰囲気に合わせたのか全員が正座となっていた。

 

 

『回想するか?』

 

『いや、セルフでいいだろ』

 

 

 杏子の提案にナガレはそう返した。

 思い出された事は単純だった。

 山頂付近の温泉宿の入り口から浴衣姿の双樹が現れた瞬間、杏子は沸騰し襲い掛かった。

 だがその背後に宿の管理人である若い女性が見え、杏子は寸前で動きを止めた。

 どうするか、と思った矢先に肩を抱かれた。

 

 

「私のお友達です!」

 

 

 彼女を抱き締めたのは双樹だった。

 困惑と怒りが混在する杏子の思考に、

 

 

『人に迷惑を掛けるのはスキくない。あとで戦ってあげるから、今は私に合わせて。お願い』

 

 

 という思念が割り込んだ。

 少し考え、

 

 

『知るかボケ』

 

 

 と返した。

 そして口を開いた。発達した八重歯が煌く。首を喰い千切る積りなのだろう。

 その体が更に引かれた。

 少女の形に似た、しかし逞しい腕が彼女の肩を抱く。

 

 

「朝早くから騒がせてすんません。自分らも泊まります」

 

 

 とナガレは言った。

 管理人の女性は少し怪訝そうな表情をしたが、すぐに営業の笑顔となって「こちらへどうぞ」と言った。

 フロントで部屋のカギを渡され宿泊室へと案内される。

 移動中、ナガレは杏子から手を離していたが杏子は彼の腕にしがみ付いていた。

 二部屋に区切られた和室だった。

 去り際に女性は杏子の耳に

 

 

「壁は厚いのでご心配なく」

 

 

 そう呟いた。

 分かっていると言わんばかりの言葉に杏子は耳まで赤くなり、しばし顔を両手で覆ってその場で悶絶した。

 自分の口からは爛れた性発言を言えても、言われる事には慣れないらしい。

 

 

「ちょっと今後のお話をしましょう。私の部屋はあちらなので、どうぞこちらに」

 

「おう」

 

「うん」

 

 

 その杏子を放置し、三人は双樹の部屋へと移った。

 杏子が来たのは、それから五分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でここに居やがる」

 

「自然が好きなので」

 

 

 杏子の問いに双樹は答えた。

 真っ当な返事であった。

 

 

「自然は美しい。命に満ちた場所に来ると心が洗われる」

 

 

 うっとりとした表情で双樹は言う。

 洗われた川はヘドロになりそうだなと杏子は思った。

 言葉として言わなかったのは、キリカの家で入浴した際に湯船に浮いた身体の汚れや髪の脂を思い出して憂鬱になるからだ。

 

 

「それを邪魔するなんて…そもそも佐倉杏子、君は入浴のマナーがなってないよ」

 

「は?」

 

「平和に湯浴みをしていた私に向かって、水死体みたいにプカプカ浮いて近付いて来たでしょ?」

 

 

 杏子は記憶を辿る。そして「あ」と言った。

 

 

「あれお前だったのか。悪かったね」

 

 

 謝罪はしつつも、ゴミを見るような視線で見ながらの言葉だった。

 そして視線が嘲弄へと変化する。

 

 

「そういやあの後、逃げる奴の背中が見えたな。あー、そっか。てことはテメェ、裸で登山したのか。すっげぇ変態だな。金カムに出れるんじゃねえの?そのままツキノワグマや鹿とでもよろしくやったのかよ?」

 

 

 悪魔のような表情で笑いながら杏子は言う。

 その傍らでは、ナガレがかずみの耳を塞いでいた。

 

 

「変態、淫乱、露出狂、獣姦女、ヤリ〇ン」

 

 

 その他聞くに堪えない悪罵が杏子の口から漏れていく。

 この時、杏子は双樹の顔を見ていなかった。

 テーブルの端で隠れた、彼女の下腹部に視線を落としてそう言っていた。

 

 

「よくもまぁ、そこまで立石に水で言えるもんだね。ここには自分もいるっていうのに」

 

 

 腹を摩りながら双樹も返す。

 

 

「ああ、なんと愛おしい魂たち。まるで、いいえ、正に私が宿した新しい命のよう」

 

   

 眼を細ませてうっとりとする双樹。

 胎の奥には、奪い取った魂の宝石がぎっちりと詰め込まれている。

 呉キリカと朱音麻衣、そして今彼女と会話している佐倉杏子のものも。

 

 

「ああ、そういやそうだったな」

 

 

 今気付いたように杏子は言った。

 そして表情に殺意が宿る。

 

 

「じゃあ早速言うけどさ。おい変態女、穏便に済ませてやるから朱音麻衣のソウルジェムを寄越しな」

 

「へ?」

 

「何さ、難しい事言ってねぇだろ?」

 

「いや、あの、自分のじゃなくていいんですか?」

 

 

 異次元的な会話の中、双樹は困惑していた。

 

 

「ああ、別に不便してねぇからな。今はまだいい」

 

 

 これは事実である。

 佐倉杏子のソウルジェムは、何故か距離制限が消え去っており挙句の果てに破壊不能となっている。

 また双樹の体内にある魂に穢れの蓄積は感じられない。

 よって、手元に置いておく必要が今のところはないのであった。

 今の佐倉杏子は、魔法少女かも疑わしい存在と化していた。

 

 

「あの…佐倉杏子、二次創作って知ってます?原作ありきの作品に手を加えるものなのですが、あなたはその世界の住人なので?」

 

「知るかバァカ。あと二次創作くらい知ってるよ。趣味でエヴァの二次書いて、ハメに投稿してるしな」

 

「脱線しますが、内容は?」

 

「暗い部屋に監禁された惣流が鑿やノコギリに金槌、紙やすりや硫酸に釘や針、あと苦悩の梨で」

 

「分かりました、ごめんなさい。私そういう生々しいの苦手なの。グロ耐性とか無いの」

 

 

 首を左右に振って双樹は続きを聞くのを拒んだ。

 これからがいいとこなのに、という表情を杏子はした。

 そのまま彼女は横を向いた。

 かずみの両耳を手で押さえているナガレの顔を見た。

 

 

「なんなんだよこいつ。話通じねぇんだけど」

 

「やかましい」

 

 

 怒りを顕わに彼は返した。

 それは不健全過ぎる会話に業を煮やしたのか、それともかずみの前でなんてコトをという怒りか。

 多分その両方だろう。

 当のかずみはと言えば、場の雰囲気には流されずに熱いお茶を飲みながら茶菓子を食べている。

 逞しいに過ぎる少女だった。

 

 

「前にも言ったけど、オリ主といえばそちらの彼もだね。何なの君ら、世界の法則を乱してるよ?自覚ある?」

 

 

 心底からの疑問と不信感の言葉を双樹は言う。

 

 

「知るか」

 

 

 彼の返しは、それらを切って捨てるかのようだった。

 

 

「いいから、奪った連中を返しやがれ」

 

 

 短い言葉だったが、その声に秘められた意思は室内の気温を温暖から冷気に変えたかのようだった。

 双樹も思わず息を呑む。

 半面、杏子に灯るのは灼熱の意思。

 

 

「もういいだろう。さっき言ってた、後で戦ってやるのをそろそろやってもらおうじゃねぇか」

 

 

 双樹を睨む杏子。

 獲物を見つけた雌獅子の視線であった。

 

 

「その腹掻っ捌いて取り出してやる。さっき自分を妊婦みてぇに言ってたけど、妊婦ごっこついでに疑似的な堕胎経験も味わえばいい」

 

 

 悍ましいに過ぎる言葉を、獰悪な表情のままに杏子は告げた。

 

 

 











口が悪すぎる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 再会②

 山道を二人の少女が歩く。

 丈の短いワンピースに長ズボン、黒い長袖の上着にミニスカートといった、登山にはやや不向きそうな服装の二人だった。

 前者は少女にしては長身、ショートヘアの髪型に眼鏡が良く似合っていた。

 後者はモコモコとした質感の長髪を腰まで伸ばした、小動物じみた少女だった。

 

 

「あーいーつー!」

 

 

 怒りを隠しもせず、長髪の少女が言った。

 外見に反して、やや攻撃的な性質を持つらしい。

 

 

「あれほど先に行くなって言ってたのにい!」

 

「そう怒るな、と言いたいが見つけたら説教の上にしばらく外出は差し控えだな」

 

「ねぇねぇ、あいつは私達の仲間だと思う?」

 

「難しい問い掛けだが、そうであると思いたい」

 

 

 言葉を交わす二人。

 斜面は平面になり掛けていた。

 二人の少女の視線の先に、湧き上がる温泉からの白煙を友とした建物があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞こえてねぇんなら、もう一度言ってやる」

 

 

 静かに燃える炎のような声で杏子は言う。

 

 

「テメェが胎に溜め込んだソウルジェムを返しやがれ。そいつらを我が子って呼んで妊婦ごっこしてるんなら、テメェの股からそいつらをあたしが引っ掻き出して堕胎の体験コースもさせてやら」

 

「最悪」

 

 

 双樹の返しは、正にその通りだろう。

 だがしかし、双樹も双樹で最悪の性癖を今も実行中である。

 彼女の趣味は魔法少女からソウルジェムを奪ってそれを嚥下し、魔法を用いて子宮内に格納して愛でる事なのだから。

 

 

「しかしながら、まぁ、いいでしょう」

 

「ああそうかい。じゃあさっそく股でも広げな。上手いとこ膜だけは残してやるから……え?」

 

 

 最悪の発言を中止する杏子。

 同意されるとは思っておらず、彼女はその発言を実行に移す気だった。

 

 

「その最低最悪な発言の事は今は見逃すよ。返すって言ってるの」

 

 

 呆気にとられる杏子であった。これに関しては、ナガレも同じである。

 

 

「なーんか、最近寝つきが良くなくて。君らを仕舞ってからなんだよねぇ。なんか汚染されてる気分」

 

「そいつぁ良かったな。で、例えば?」

 

「そうですねぇ。朧気ですが、三つの光だか闇だかな影が互いを喰らいあってる、または犯し合ってるみたいな悪夢を見るね」

 

「想像力が豊かで、よろしいこって」

 

 

 皮肉と呆れを口にする杏子だが、彼女も大概だろう。

 寧ろ行動ではなく発言で見れば、現状では杏子の方が遥かに酷い。

 

 

「まぁ、そこも愛おしくもあるのですが」

 

 

 うふふと微笑み下腹部を撫でる。

 彼女にとって、子宮の中に詰め込んだソウルジェムは我が子同然なのだろう。

 そこで杏子は疑問を抱いた。

 答えは決まり切っていそうだったが、問わずにはいられなかった。

 

 

「お前、罪悪感とかねぇの?」

 

「???????」

 

 

 双樹は首を傾げた。

 だろうなと杏子は思った。

 あまりにも予測通りだったため、肩透かしを感じた。

 その一方で、双樹の狂気を再認識した。

 さっさとこいつとは永遠にオサラバしたい。

 杏子はそう思った。当然だろう。

 

 

「しかしながら、条件があります」

 

「なんだ?安楽死がお望みか?」

 

「これです」

 

 

 杏子の言葉を完全に無視し、双樹は浴衣の胸元に手を入れた。

 胸元がはだけ、それなりに大きな胸が少し零れた。

 自分のそこと比べたのか、杏子は歯軋りした。

 本来の用途として使う予定は無いが、性的な道具としての用途を考えれば大きい方がいいというコンプレックスがそうさせていた。

 そんな杏子を他所に、双樹はテーブルの上に何かを置いた。

 500ミリ入りのペットボトル程度の大きさの物体だった。

 それは銀色の光沢を放っていた。

 

 

「なんだ、これ」

 

「メタルゲラスです」

 

「ゴジラ映画の怪獣か?」

 

「それは宣戦布告と受け取ってよろしいでしょうか?」

 

「知らねぇから訊いてんだよ」

 

「ならよろしい。自らの無知を恥じないところはスキくなくない」

 

 

 双樹は満足げに頷いた。

 それを無視して杏子は、テーブルの上に置かれた物体を見た。

 直立歩行したサイのソフビ人形だった。年季が入っており、銀の装甲が所々で剥げている。

 

 

「で、これが条件だって?」

 

「そう言ってるでしょうに。これが欲しいのです」

 

「本物が欲しいっての?」

 

「イエス」

 

「こいつは空想の産物だろ?」

 

「?だから?」

 

 

 双樹は首を傾げた。杏子の言葉の意図が伝わっていないらしい。

 或いは理解する気もないのか。

 杏子は黙った。

 双樹の狂気に圧されたのだろう。

 

 

「そもそもこの存在の素晴らしさと私の出逢いについては」

 

 

 双樹は熱の入った言葉を吐き始めた。

 展開が予想外過ぎて、杏子は黙るしかなかった。

 どうするかと考える杏子の眼の前で、双樹が熱心に語っている。

 杏子の傍らでは、ナガレがソフビ人形に対する既視感を思い出していた。

 

 

「そういやキリカが言ってたな。ヤンデレなホモがどうたらとか」

 

「「「シャラァアアアアアアアアアアアアアップ!!!」」」

 

 

 双樹がシャウトを放った。

 声は一つだが、三人分の声だった。

 声は怒りと嫌悪で出来ていた。

 余程触れられたくない話題らしい。

 

 

「うっさい」

 

 

 かずみは五杯目のお茶を飲みながら言った。

 ナガレが耳を塞いでいたが無意味だったようだ。

 

 

「失礼。私達はメタルゲラスは好きですが付属品と言う事になってるコスプレ怪人と中身は大嫌いなので」

 

 

 吐き捨てる双樹であった。

 悪意は止まらず更に続いた。

 

 

「というか他の全てが嫌いですね。あの作品は尊敬できる人が殆どいない」

 

 

 嘆きさえ交えて双樹は言う。

 何を言ってるのか分からないが、ナガレは「何の話だ?」とは言わなかった。

 また話が長くなりそうで、更に他人の趣味趣向に興味は無いからだ。

 しかしながら、双樹の発言の数々から光明が見えた。

 

 杏子を見ると、彼女も察した。

 テーブルの両サイドに回って持ち、壁の隅に除ける。

 始まった奇行を、双樹は怪訝な顔で見守った。 

 かずみはお茶と茶菓子を確保して移動していた。

 

 手を伸ばすナガレ。

 牛の魔女が召喚されて握られる。

 ほぼ同時に魔女は斧の中央に開いた孔から何かを放出した。

 空中に躍る巨体、それに向けて彼は斧槍の乱舞を見舞った。

 

 物体が切り刻まれて破片が散る。

 それらを魔女は強力な吸引力で以て捕食した。

 落下する前に加工が完了した。

 床に接触する寸前、ナガレの右足がそれを受け止めて衝撃を緩和させ、静かに置いた。

 

 

「ざっとこんなもんか」

 

 

 斧槍を肩に担いで彼は言った。

 彼の足元には、全長五メートルから三メートル程度に縮んだ魔女モドキの遺骸が置かれていた。

 その外見は、

 

 

「め…メタル……ゲラス……!?」

 

 

 仰向けに置かれたそれに前に跪き、震える声で双樹は言った。

 

 

「素晴らしい……この造型、光沢、そして角…嗚呼、正に完璧な生物」

 

 

 杏子はナガレを見た。

 

 

『さっき、冗談で獣姦女って言ったけど…案外間違って無さそうだな』

 

『………』

 

 

 ナガレは黙った。

 なにも返したくなかった。

 

 

「私は幼いころから自然が、生命が好きでした。その切っ掛けはこの存在にあったといっていい。将来はサイや像、獣の毛皮を狙う腐れ密猟者たちを粉砕する取締官になりたいのですが、その夢はメタルゲラスあってのものでした」

 

「テメェ本人が薄汚ぇ狩人だろ」

 

「魔法少女全般がそうでは?」

 

「だろうな。その中でもテメェは特級のド汚さだ」

 

 

 眉間に亀裂の様な皺を刻んで言う杏子。

 特級のと言ったが、同じかそれ以上に汚いと思っているものが二人いる。

 呉キリカと朱音麻衣である。

 かつて汚さの最筆頭だった道化が除外されているあたり、憎悪にもインフレがあるのだと杏子は実感した。

 

 

「?私はソウルジェムを常に綺麗にしているのですが」

 

 

 やはりというか全くの自覚のない双樹であった。

 しかし同時に杏子とナガレは疑問を抱いた。

 何故こいつが持っているソウルジェムは、輝いた状態が維持されるのかと。

 だが今はそれよりも大事なことがある。

 

 

「さっきの続きだ。こいつはくれてやるから、さっさとこいつらの魂を」

 

 

 そう言っているとき、背後の扉が開いた。同時に

 

 

「やい双樹ども!!勝手に先に行くなって散々に」

 

 

 少女の叫びが轟いた。

 そして、途中で停止した。

 室内にいる四人の存在、その内の一人を見た時に。

 長い髪の少女の視線は、黒い長髪の少女に注がれていた。

 闖入者の少女は、眼と口を見開きながら黙っていた。

 口と肩は、わなわなと震えていた。

 

 その背後には長身の少女がいた。

 そちらもまた、かずみを見ていた。

 

 

「そん……な……」

 

 

 愕然とした言葉が漏れた。

 その二人を、かずみも見ていた。

 赤い瞳が、二人の少女を凝視している。

 

 

「………えら」

 

 

 小さな声を呟いた。

 真っ先に反応したのはナガレだった。

 

 

『やべぇぞ』

 

 

 杏子にそう思念を送る。

 杏子は即座に反応し、魔法少女へと変身した。

 同時に、かずみの全身を黒い光が包んで弾けた。

 

 

「お、ま、え、ら、ああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 魔法少女姿となったかずみが、背後の二人へと向かって跳躍した。

 両手には十字の杖を変形させた剣が握られていた。

 接触の寸前、牛の魔女が異界を発生させ、その場にいた全員を自らの領域へと誘った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 開戦

 異界の中、荒い息が重なる。

 大気に漂うのは、焦げ臭さと鉄錆と潮の匂い。

 そして今また、更にそれが増えた。

 

 

「がふっ」

 

 

 荒い呼吸の中、杏子は口から血を吐き出した。

 鮮血ではなく、黒々とした粘着性の高い血液。

 杏子は全身に火傷を負い、手や足の先は炭となり腹の真ん中には大穴が空いていた。

 中にある消化器官と心臓と肺は、さながら良く焼けたハンバーグの様な状態となっている。

 焼ける以前に、挽肉同然に破壊されていたからだ。

 

 

「その傷でよく正気でいられるな。お前ら強過ぎんだろ」

 

 

 その傍らにはナガレがいる。

 二人は異界の地面が大きく隆起した岩の影に隠れ、手足を投げ出して座っていた。

 自分自身も血と傷に覆われた姿となっているが、それらは軽傷と彼は判断し、牛の魔女に命じて杏子の治癒を行わせていた。

 

 

「は、はは」

 

 

 治癒をされつつ杏子が笑う。

 八重歯は欠け、顔半分は無残に焼け爛れて血と体液を垂らしながらの凄惨な笑顔だった。

 

 

「二人、揃って、荒い息、立てて、体液、と、血、まみれ、で、全身、ぬるぬるで、ぐっちゃ、ぐちゃ」

 

 

 苦痛を振り切るように杏子は笑う。

 そうしなければ狂ってしまう。

 その自覚があるからこそ、彼女は口を動かした。

 

 

「気持ち、悪いのは、分かる、けど、これ、も、セックス、みたいな、もんか」

 

 

 余りの苦痛に歯が噛み合わずに鳴り合い、残った右半分の顔の赤い瞳は瞳孔を定めずに動き回るも杏子は不健全ながら愛欲の言葉を告げた。

 

 

「何度も言うけど十年待て。ちゃんと生きたら相手してやる」

 

「言ったな。ならちゃんと、あたしを抱き潰して壊してくれよ」

 

 

 血塗れで笑い合い、不健全な言葉を重ね合う。

 いつもの二人だった。

 

 治癒魔法が効果を発揮し、杏子の内臓が修復されて腹の穴が塞がる。

 炭化した手足の下から新しい指が生え、顔半分も火傷が消えて尋常な美しい顔に戻る。

 続いて自分を治癒しようとしたナガレに杏子は顔を重ねた。

 

 唇を介して魔力を送り、彼と半共生状態の魔女がそれを受け取り治癒を行う。

 内臓の損傷はなく、全身の裂傷と中程度の火傷に骨折程度で済んでいた為に彼の治癒は一瞬で終わった。

 その瞬間、二人は地面を蹴った。

 その背後で、二人が背もたれにしていた岩が砕けて蕩け、欠片も残さずに蒸発する。

 工事現場によくあるプレハブ小屋ほどの巨大質量を消し去ったのは、炎の力を帯びた魔力。

 

 

「そらよっと!」

 

 

 空中で身を捩り、斧槍を振うナガレ。

 飛来した炎の塊が切断され、二人の背後を流れて破裂する。

 背後からの熱波を浴びながら、二人は着地した。

 そして得物を構えて正面を見据える。

 

 黒と紅の瞳が見つめるのは、燃え盛る炎を背後に二人に向かって歩く白いドレスの少女。

 左右の手に幅広の剣を下げながら、魔法少女姿の双樹が杏子とナガレに向かってゆっくりと歩を進めていく。

 熱を孕んだ風でドレスを揺らし、火の粉が舞う中を悠然と歩く双樹。

 その姿は彼女の美しさと相俟って、超一流のファッションモデルと比較してもなんらの遜色も無かった。

 

 

「ごめんねぇ。二人の時間をお邪魔しちゃって」

 

「全くだよ。折角仲良くヤってたのにさぁ」

 

「なるほど。道理で股が濡れて肉が蠢く音がして、雄を求める雌の香りが漂ってるなと思ったよ」

 

「あ?テメェ、生理現象を馬鹿にするとかほんとガキだな。お前あれだ、仮に小坊の男子だったら女子の月経を愚弄して泣かすとか、そんなしょーもないことをする奴なんだろな」

 

 

 雌の欲望は否定せず、想像力を働かせた反論を行う杏子。

 それは双樹をイラつかせたらしく、秀麗な額に亀裂を刻んだ。

 子ども扱いが利いたのだろうか。

 双樹はその怒りを形に出した。

 但し言葉ではなく行動で。

 両手の剣を前に翳し、魔法を紡ぐ。

 

 

「アヴィーソ…緊急時故以下略」

 

 

 剣先から炎塊が発せられ、ナガレと杏子に向かって飛翔する。

 拳大の炎は飛翔の最中に空気を喰って巨大化し、人が横に手を繋いだほどの直径と化した。

 その間を二人は走った。

 

 斬撃で炎を払い、身を屈めて滑り込みながら走り抜ける。

 炎を回避し、二人は双樹の左右へと回った。悠然とした動きで双樹は刃を掲げる。

 直後に金属音、そして迸る衝撃。

 

 ナガレによる斧槍、杏子の十字槍の斬撃が、空気分子さえも切り裂きそうな速度と鋭利さで振り切られていた。

 試してみた限りでは、厚さ一メートルの鉄塊や頑丈な魔女の甲殻も粘度のように切り裂く斬撃を双樹は受け切っていた。

 得物同士が触れあう場所が、加えられる力によって牙鳴りのように微細に揺れるが、進行する気配が無い。

 

 

『この構図は思い出すな』

 

『ああ、キリカの時と一緒だね』

 

『なら』

 

『殺れるな』

 

 

 懐かしさの思念を交わすと同時に二人は前へ蹴りを放った。

 細い胴体に直撃し、双樹の身体が背後に向けて飛ぶ。

 二人の脚が捉えた感触は、まるで布を押したかのよう。

 その感触に相応しく、双樹は衝撃など無いかのように宙をふわりと舞っていた。

 

 

「なんて暴力的な」

 

 

 着地するとそう呟き、唇を可愛らしく尖らせて息を吐く。

 唇の隙間から、ほんの僅かな血が吐き出された。

 

 

「私(あやせ)に血を見せる(出させる)なんて(とは)」

 

 

 双樹の姿が、纏ったドレスの色が変わっていく。

 純白から真紅へと。

 

 

「許しません」

 

 

 口調も変化している。

 双樹あやせから双樹ルカへと、人格と魂が置き換わる。

 

 

「報いを受けよ」

 

 

 右の剣を掲げる双樹。

 瞬間、ドレスと相反する青白い輝きが剣先に宿る。

 異界の大気に含まれる水分が氷結し、三人を繋ぐ間に氷雪が舞う。

 

 

「カーゾ・フレッド」

 

 

 光が迸り、ナガレと杏子へと向かう。

 光が触れた空間の大気が凍りつき、空間自体が青く染まる。

 口を広げた巨大な毒蛇のように、氷の牙と氷結の光が二人に向かう。

 

 杏子は炎の魔力を紡ぎ、密かにナガレへとその一部を受け渡した。

 黒い斧槍に紅い力が宿り、解放の時を待つ。

 そして光に向けて二人は走った。

 後退という道はない。

 前に進むしか無いのである。

 

 そして、

 

 

『今はこいつに』

 

『ああ。構ってる場合じゃねえ』

 

 

 思念を交わして走る二人。

 氷結の力との接触の寸前、異変に気付いた。

 得物を突き立てて制動を掛け、地面を蹴って跳ぶ。

 双樹もまた魔法を止め、全力で退避行動に移っていた。

 

 杏子は外套の裾を燃焼させ、ゲッターロボを模した飛行魔法を行使し、ナガレは魔女を黒翼に変えた。

 退避の中、二人は上空を見上げた。

 異界の空には、極彩色の世界の中でも異質な闇の様な曇天が渦巻き、その内部では雷撃が轟いていた。

 そして天から降りた竜のように、巨大な雷撃が地面の一点に降り注ぐ。

 直後に、

 

 

「サンダァァァアアアアアアアブレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエク!!!!!!」

 

 

 少女の絶叫が木霊し、異界を極大の雷撃による白光が包み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 開戦②

「うう……」

 

 

 呻き声を上げながら、少女は、浅海サキは眼を開いた。

 眼鏡越しに見える世界は白一色であり、それがゆっくりと色彩を取り戻し始めた。

 知性を感じさせる優美な造詣の眼鏡に紺色のベレー帽に赤い衣装。

 騎手であるジョッキーを思わせる風貌の魔法少女衣装を纏った彼女の周囲には、彼女の左手が握る、これもまた乗馬鞭の形状をした武具から発せられる銀色の雷による障壁が展開されていた。

 それを解除するサキ。瞬間、熱風が彼女を叩いた。

 サキを取り囲む周囲の様子は、数秒前とは一変していた。

 

 黒を基調とした地面が、硝子の様な質感へと変化している。

 超高熱の雷撃によって溶かされ、凝固したのだった。

 同じく電撃を用いる魔法少女であったことが幸いし、サキは同質の力を用いることで破壊の力に耐えた。

 

 

「みらい……」

 

 

 仲間の名前をサキは呟く。

 周囲を見るが姿は無い。

 探さなければ、と思ったのも束の間。

 彼女の前、約二十メートルの距離を隔てて黒い影が地面に降り立った。

 地面に触れた黒い靴が、地面が変じた硝子を踏み割り乾いた音を立てた。

 

 

「っ…」

 

 

 視認した存在に、サキは唾液を飲み込んだ。

 もう何度も見ているし、先程から交戦状態にある存在。

 それでも緊張感は拭えず、胸の痛みは消え失せない。

 むしろ時間の経過によって増大していく。

 それはまるで、彼女の心に生じた黒々とした癌細胞。

 

 

「ぐる…るるるるる……」

 

 

 唸り声を上げるのは、黒い魔法少女であるかずみ。

 紅の瞳は瞬きもせずにサキを凝視している。

 口は開かれ、噛み合わされた歯が見える。

 口元からはガチガチという音。

 歯同士の隙間からは唾液が溢れて顎に滴っている。まるで狂犬病を発した猛犬である。

 

 異様な状態で、かずみはサキを見続ける。 

 最初の遭遇から今に至るまで、この状態が続いている。

 眼に宿る感情は、幾重にも血が塗られた様な憎悪の色。

 それがサキを射竦め、彼女の身動きを封じていた。

 

 サキは口を開いた。しかし、何も発せられなかった。

 掛ける言葉が無い。

 彼女はそう思ったのだった。

 

 

「おまえ、たち、が」

 

 

 そんな彼女に声が届いた。

 

 

「おまえたちが」

 

「オマエタチガ」

 

「お前達が」

 

 

 言葉が唱和されていく。かずみの口は、ガチガチと牙鳴りを続けつつもそれ以上は動いていない。

 しかしサキの元へ届くそれは思念ではなく、空気を震わせて生じる声だった。

 反射的に、サキは声の発生源を探した。

 合わせたように、かずみが羽織った黒いマントが翼の如く広がった。

 その瞬間、サキは気付いた。

 黒いマントの裏側で、何かが蠢いている。

 

 

「ひ…」

 

 

 サキは短い悲鳴を上げた。その顔は恐怖に引き攣っていた。

 かずみのマントの内側にあったのは、顔、顔、顔、顔。

 眼があり口があり、鼻がある。人の顔の表面を輪郭に沿って黒い布で覆ったような形。

 ゆえにやや朧気だったが、その形はマントの主であるかずみの顔の形に酷似していた。

 

 酷似どころか、それは同一の存在に見えた。

 どれもが眼から黒い流動体を零し、口々に怨嗟の声を漏らしている。

 マントの揺らめきに合わせてかずみの人面も蠢き、弾ける泡のように沸き立っては消え、そして増えていく。

 顔の裏にもまだ複数の顔があり、それが次々に現われて苦痛の顔で怨嗟を告げる。

 今のかずみを評するならば、生きた悪夢という表現ですら生易しい。

 地獄が人の形を取ったかのようだった。

 

 

「おおおおまあああええらああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 かずみは叫び、そして駆けた。

 地面が爆ぜ割れ、無数のガラス片が宙に舞う。

 迫るかずみを前に、サキは左手を強く握り込んだ。

 鞭の柄が手の肉に喰い込み、爪が肉を切り裂いた。

 

 手の中で血が溢れ、口内でも歯が舌を噛み千切って鉄潮の味を充満させた。

 自らの命の味と痛みを得ることで、サキは漸く体の自由を取り戻した。

 迫る地獄の姿を前に、サキは臨戦態勢を取った。

 その表情には、悲痛さと恐怖、そして色濃い罪悪感が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雷撃の白光が消え去った時、異界の地面の一角に黒い球体があった。

 表面に亀裂が入り、球体が開いていく。

 中から現れたのは、美少女じみた顔の造形の少年だった。

 魔女と融合することによって生み出した黒翼を退避シェルターとし、かずみの雷撃から身を守ったナガレであった。

 同じく吹き飛ばされた杏子も覆う予定だったが、余りの衝撃に引き離され黒翼の中には彼だけがいた。

 ダメージカットの魔法を杏子に渡した為、無事でなくとも即死はしない筈だと彼は思った。

 

 

「………ぐぅ」

 

 

 苦鳴を漏らし、黒翼を解除して斧槍へと変える。

 ダメージカットの力を半分以上杏子へと渡した故に、彼も無事では無かった。

 治癒したばかりの身体には火傷が刻まれ、高熱の空気を吸い込んだ故に胃の内側が焼かれていた。

 軽く呻いただけで苦痛は見せず、ナガレは周囲を見渡した。

 一面に硝子化した地面が広がる。

 杏子の姿は無い。代わりに、異様な物体が見えた。

 

 

「…ぬいぐるみ?」

 

 

 彼の言葉通り、それは尻を地面に着けて足を延ばした熊の縫いぐるみだった。

 テディベアというやつである。

 ただしその大きさは家一軒ほどもある超巨体。

 大きさと言い形といい、何かの野外イベントで見かける、キャラクターを象ったバルーンドームを彷彿とさせた。

 

 表面が焼け焦げ、焦げ茶色となったそれの額から腹部までに縦の線が入った。

 線は亀裂となり、左右に開いた。

 倒れていく途中で輪郭が崩壊し、魔力の光となって消え失せる。

 光の中に、一人の小柄な少女がいた。

 

 

「…………」

 

 

 その姿を前に、彼は言葉を失った。

 巻き毛となっているピンク色のロングヘア、身長は低く、かずみと同程度。

 纏っているのは髪の色よりも明るいピンクのドレス。

 と、そこまではいい。問題はその肌面積である。

 身体の前が大きく開き、胸と股は極めて際どいブラとパンツに覆われていた。

 欲情などしないが、思わず、反射的に彼はこう思ってしまった。

 

 

「(…風俗かよ)」

 

 

 何を意図しているのか不明だが、性の要素を剥き出しにしたような衣装に対し彼はそう思った。

 何故こんな姿に、と彼は思った。カルチャーショックを受けているようだ。

 これまでに遭遇した魔法少女の中で、比肩するのがミラーズで遭遇した、着物+黒パンツの魔法少女の疑似個体か女子レスラーのような姿をした魔法少女くらいである。

 肌露出で考えれば、殆ど尻を剥き出しにした後者が近いか。

 そこで彼は思考を切り替えた。

 彼がその少女を見ているように、少女もまたナガレを見ていた。

 

 面倒なことになる前に、と彼は直ぐに動いた。

 手に持った斧槍を地面に突き刺し、両手を掲げる。

 敵対の意思はない、と示したのだった。

 

 かずみの久々の暴走、状況を見ると原因はこの連中にありそうだが、それならそれで次に進む指標になる。

 争う理由はその先で生じるかもしれないが、今はその時ではないと。

 もちろん、争わずに済むなら何よりだと思っていた。

 彼は戦闘は嫌いでは無いが、闘いに狂った存在ではないのである。

 

 

「う……うあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 彼が言葉を発しようとしたとき、少女が叫んだ。

 怒りと憎悪に狂った声だった。

 口の端は切れそうなほどに開かれ、少女の薄桃色の瞳は血走り、声に乗せられたのと同じ感情に満ちた視線をナガレに送っていた。

 直後、彼は斧槍を握った。

 刹那の後、金属の絶叫が鳴り響いた。

 

 

「ボクのサキを、傷つけやがってええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 

 少女は小柄なその姿に合わない、巨大に過ぎる両刃剣を召喚し彼に叩き付けていた。

 横に倒した斧槍の柄で受け止めるも、刃渡りだけで三メートルに達する大剣に魔法少女の剛力が乗せられた一撃は彼の両足の踝までを地面に埋めさせた。

 全身の骨と肉が軋む超衝撃。受け止められるとは思っていなかったのか、少女の顔に一瞬驚きの色が映える。

 しかし直後に怒りの表情に変わる。

 

 斬撃が縦から横に変わり、受けた彼が木の葉のように吹き飛ばされる。

 着地の瞬間に再度飛来した大剣に、今度は彼もまた斬撃で返した。

 言葉を発する間もなく、次の瞬間に大剣と斧槍が乱舞を開始する。

 共に巨大な得物でありながら、秒間に数十、数百の交差が繰り返され無数の火花が弾ける。

 斬撃の衝撃が硝子化した地面を切り刻み、互いの脚捌きによって砕け散っていく。

 

 

「死ね死ね死ね死ね!ボクのサキを傷付ける奴は!その仲間もみんな、みぃんな死ねええええええ!!」

 

 

 狂乱のままに少女は斬撃を繰り出し続ける。

 なんでこうなる、と彼は思ったが直ぐに納得した。

 これまで、言葉だけで物事が穏便に解決したことなど、殆ど無かったためである。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 開戦③

「サンダァァァアアアアアアアブレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエク!!!!!」

 

 

 聞き覚えの無い名称、見覚えのある技。

 されど桁違いの範囲と威力となった雷撃に、サキもまた雷撃で返した。

 一瞬の拮抗、直後に蹂躙。

 

 

「くぁっ……!」

 

 

 皮膚の表面が爆ぜ、衣装が炭化する。

 悲鳴を上げる口からも雷撃が零れ、桃色の舌が炭と化す。

 両手足は棒のように伸び切り、指先が紫電に焼かれて半ばから剝落する。

 その両手が肘の辺りで爆散した。

 

『ドリルプレッシャー』『アトミック』。

 そんな言葉を、焼き切られる寸前のサキの鼓膜が捉えていた。

 蕩けた眼鏡が眼球に張り付き、白濁の後に破裂する。

 その視界の端に、自分の両手を砕いて飛翔する何かが見えた気がした。

 そして宙で仰け反るサキの首を黒い手が掴んだ。

 

 

「ユルサナイ」

 

 

 鼓膜は既に破れている、どころか消えている。

 その声は首を握る手から振動として伝わったものだった。

 短い言葉だったが、煮え滾る様な憎悪が込められていた。

 

 硬直した腕を強引に動かし、サキは首を拘束する手に焼け焦げた両腕を添えた。

 それは抵抗を示す為のものではなかった。

 ただ寄り添う為に、重ねられた腕だった。

 

 

「ごめん……なさい………」

 

 

 紡がれる謝罪の言葉。

 雷撃によって体内は焼かれており、歯も殆どが消し炭となりかけている。

 絞り出された言葉に対し、かずみは答えた。

 首を拘束する右腕がぐいと引かれ、耳まで裂けたような口へとサキの顔が招かれる。

 

 かずみの口内に生え揃った歯は全て、鮫の牙の様な獰悪な形状へと変化していた。

 彼女の背で外套が靡き、翼のように広がる。

 その内側では、かずみの顔と同じ形の無数の顔が蠢いている。それらがさざ波のように広がり、マントの表面で跳ねる。

 

 顔に生じた口の中には牙が生え揃い、顔と顔の間からは細く黒い手が伸びた。

 それらが一斉に、サキの身体に触れた。

 炭になった肉が砕け、内側の桃色の肉が曝け出され、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てんめぇええええええええええええええええ!!!!!」

 

「うるせえええええええええええええええええ!!!!!」

 

 

 金属同士の激突が奏でる轟音に、年少者二人の咆哮が鳴り響く。

 剣戟は火花と鮮血が伴っていた。

 振うのは斧槍と大剣。共に全長が三メートルにも達する巨大な兵器であった。

 にも拘らず、二人が追った負傷は浅い。

 精々、腕の半ばまで斬られて筋肉と骨の断面が見える程度である。

 通常なら重傷だが、この程度では戦闘不能どころか続行に差支えは殆ど無い。

 

 

「何が戦う気は無いだ!自分の行動を見てみろ!!」

 

「ああ!今もその積りだがな!だから武器を置くから少しだけ離れ」

 

「るわけねぇだろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 破壊の乱風の中で言葉を交わす。

 全くとして噛み合わず、話が一向に進行しない。

 この二人は初対面だが、こういった現象は人物を問わず何時もの事である。

 斬撃が互いの獲物を刻み、衝撃波だけで互いの肉が刻まれる。

 桃色の少女の顔にイラつきによって歪む。

 ラチが明かない、その表情はそう言っていた。

 互いの剣技はほぼ互角であり、状況を動かす為には変化が必要だった。

 

 

「ラ・ベスティアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 少女が叫ぶ。

 露出度が高いに過ぎる衣装を纏った全身から魔力が迸り、少女の周囲に無数の光が浮かぶ。

 不吉さを感じ、ナガレは少女の斬撃を斬り払って後方へと退避した。

 硝子化した地面を砕きながら背後に跳ぶ彼に向かい、複数の影が迫る。

 

 斧槍の一閃が奔り、それらを纏めて両断する。

 切り裂かれたのは子猫くらいの大きさの熊の縫いぐるみ、魔力で作られたテディベアであった。個性があるのか、個体ごとに微妙に体毛の色が異なっていた。

 牙を生やして鋭い爪を生え揃わせていたが、その形には確かな可愛さがあった。

 枕元に置けば、持ち主に癒しを与えるであろう愛しさを備えている。

 

 それが数十数百もの群れとなって、津波のように彼に向って押し寄せていた。

 

 

「喰い尽くせ!ボクそいつ嫌い!!嫌いだからキライ!!」

 

 

 全身を覆い尽くすテディベアの内側で、彼は理不尽に過ぎる叫びを聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこです」

 

 

 冷ややかな声で突き出される剣、切り裂かれる頬。

 剣に宿るのは凍てつく冷気。

 弾けた皮膚や溢れた鮮血が、与えられた運動エネルギーの形を維持して氷結する。

 

 

「あら素敵。まるで睫毛が増えたみたい」

 

「ああそうですか死ね!!」

 

 

 双樹の言葉通り、杏子の頬に刻まれた傷はそんな形に凍っていた。

 皮膚と血で出来た、凄惨な睫毛である。

 怒りを宿した裂帛の突きを、双樹はひらりと躱した。

 

 

「死なないってば。私は主人公なんだから」

 

 

 回避の最中、交差した一瞬で剣が振られた。

 それは杏子の頬の『睫毛』を正確になぞった。

 今度は逆に、剣先の熱が皮膚を焦がして血液を蒸発させた。

 熱は斬線から近い彼女の右眼にも伝わり、深紅の眼を高熱により白濁させた。

 

 

「ぐがぁあああああ!!」

 

 

 苦痛の叫びを上げて槍を繰り出す杏子。

 対する双樹は微笑みを崩さず、躍る様にステップを踏む。

 厚底のヒールが硝子を踏み割り、可憐な音を立てて宝石のように破片をバラ撒く。

 

 聖女のように微笑みながら双樹は右手を突き出した。

 五本の繊手が束ねられた掌の先にあるのは、杏子の額。

 

 

「カーゾ・フレッド」

 

 

 詠唱された瞬間、杏子は身を捩った。

 左半分を冷気が掠めた。発生源は双樹の掌から放たれた氷塊。

 ツララ状のそれが杏子の左側頭部を通り過ぎ、掠めた皮膚を氷結させて捥ぎ取った。

 杏子の左眼が、赤い瞳を内に宿した氷となって砕け散る。

 熱と冷気によって盲目となった杏子、双樹は刃を振い続けた。

 

 

「ほらほら」

 

「こちらですよ」

 

「佐倉さんちの」

 

「お嬢さん」

 

「私達の」

 

「剣の方へ」

 

「「鬼さん、こちら」」

 

 

 一刀ごとに人格を変え、時に重ね合わせながら双樹は杏子を切り刻む。

 肉がそぎ落とされ、肉の断面に詰められた黄色い脂肪が熱で焙られて肉汁を滴らせてから冷気で氷結させられる。

 腹を貫いた剣の切っ先からの冷気が腸を凍らせ、そこに放たれた蹴りによって体内で腸が砕かれる。

 異常極まりない苦痛に杏子は無言で耐えた。

 その様子にカチンと来たのか、双樹は更に刃を振った。

 

 可能な限り破壊は最小限に留めつつ、杏子の肌に火傷と凍傷を斬撃による切創を刻んでいく。

 それはまるで、佐倉杏子というキャンパスに傷という名の筆を走らせて自らの感性を描いていくかのようだった。

 事実、その際の双樹の顔は綻び、時折悩み、そして新しい描き方を見出した閃きによって輝いていた。

 

 対する杏子は防戦一方。

 盲目のままに双樹の攻撃に対抗するが、動きが遅く傷の程度を軽くするくらいにしかなっていない。

 ついに杏子の両膝が崩れ、膝立ちの姿勢となって停止した。

 全身の傷からは血と体液が、凍った皮膚の上を伝って滴り、また焼けた肉の上を赤黄色の氷が滑り落ちた。

 その様子に双樹は、正確にはあやせとルカは

 

 

『やっと理解してくれたんだ』

 

 

 という共通認識を抱いた。

 魂だけでなく、肉体も自分達に差し出してくれる。

 今の自分は杏子の魂を身に宿した、つまりは母に等しき存在であり、そんな自分に対し杏子は奉仕してくれてるのだと。

 双樹の美しい顔には感動が滲み、眼には涙が溜まっていた。眼の許容量を超え、両眼から涙が溢れた。

 頬を伝う涙の熱さと冷たさ。

 それを感じながら、双樹は最後の仕上げに入った。

 

 高々と振り翳した両手の剣に灼熱と極寒の力を宿して剣同士を融合させ、その柄を握る指同士を絡ませる。

 氷炎の力を宿した一本の大剣を、杏子の頭頂目掛けて振り下ろした。

 頭頂から股間までを切り裂かれ、断面を晒して倒れ伏す杏子の姿。

 それを想像した時、双樹の雌は疼いて肉欲を迸らせ、複数の魂の宝石を宿した肉の袋は淫らに蠢いた。

 

 そのせいか、双樹たちは気付かなかった。

 白濁した杏子の右眼の奥で、血色の光が輝いたことを。

 破裂し、僅かな破片だけを眼窩に残した杏子の左眼が、黄水晶の色を宿したことを。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 変容

 切り刻まれる皮膚、溢れる血潮、削られる骨肉と抉られる内臓。

 微笑みながら、氷炎の力を宿した剣を振う双樹。

 眼には涙さえ浮かべながら、感動に震えながら。

 

 緩慢な動作で槍を盾にして防御しながら、杏子は双樹の攻撃を受け続けた。

 双樹はそれを諦めと、自分への身を捧げる行為と解釈していた。

 彼女が目元を潤わせた感動とは、それによって生じた想いだった。

 

 しかしこの時、佐倉杏子の戦っていた相手は双樹では無かった。

 双樹よりも嫌悪感が強く、憎悪と殺意、その他無数の負の感情を抱かせている者達と、杏子は戦っていたのだった。

 それは彼女の精神の中で繰り広げられていた。

 悪罵に怒声に愚弄、そして精神的な浸食も行われた。

 

 しかしそれはある種、一種の対談でもあった。

 筆舌に尽くしがたい遣り取りの後に、肉体としての杏子は膝を就いた。

 彼女の肉体をキャンパス、自分の剣を筆と見做した双樹の暴力により、杏子の全身は血に塗れていた。

 

 血の一部は凍り付き、皮膚は火傷によって爛れ、溢れた体液と血が冷気によって氷結している。

 凍傷と熱傷による、原因は異なれど現象としては近い皮膚と肉の破壊に加え、腹に突き入れられた剣からの冷気によって胃と腸は氷の彫像となった後に彼女の体内で砕けていた。

 動きを止めた杏子に、双樹は氷炎の力を束ねた大剣を振り下ろした。

 焼けて爛れて氷結した肉の断面。

 消えゆく寸前の命の輝きを想像し、双樹は興奮しきっていた。

 剣が触れかけた時、杏子の眼が輝いた。

 

 高熱によって白濁した眼の奥からは血色の、冷気によって氷結して砕け、眼窩に引っ掛かってるだけとなった眼球の欠片は黄水晶の光を宿した。

 そして静かな音を立てて、剣の切っ先が異界の地面に触れた。高熱に舐められ、硝子化した地面が砕けて破片が舞った。

 発生した現象は、それだけだった。

 剣によって切断される筈の佐倉杏子の姿が、忽然と消えていた。

 

 

「やぁやぁ。久々だけど、常に私達と共にある変態ポニテ女」

 

 

 彼女の背後で囁く声。

 佐倉杏子の声だが、喋り方が異なっている。

 飄々とした、掴みどころのない口調。

 

 

「君はヤンホモみたいな鎧を着てる訳でもないのにすっトロいね」

 

 

 くすりと微笑みながらの嘲笑。

 

 

「貴様ァ!!」

 

 

 愚弄によって瞬時に理性が沸騰した双樹が背後に向けて剣を放つ。

 氷柱の根元から先端まで一気にヒビが入るような、迅速に過ぎる反応だった。

 

 

「おっそ」

 

 

 虚空を切った剣。

 そして掛けられた嘲りの声は、彼女の周囲全体で聞こえた。

 それでいて数は複数ではなく一つ。

 一つの言葉を言い終える間に、双樹の周囲を幾重も旋回していたのだった。

 赤黒い刃を持った斧と共に吹き荒ぶ、黒く禍々しい風となって。

 

 

「ぐあ!ぎ!ぐ!ぎゃ!」

 

 

 操縦の周囲、前後左右に上空と黒い風が吹き荒れる。

 風が伴う赤黒の斧が双樹の身体を切り刻み、白いドレスを血に染めてく。

 肩の端が切り飛ばされて肉片が舞う。

 吹き荒ぶ風に朱が混じる。彼女から溢れた鮮血は襲撃者にも付着していた。

 それを目印にして双樹は剣を突き出した。

 剣は肉を貫いて背後から抜けた。

 

 

「がっ……」

 

 

 苦痛に満ちた喘鳴。

 それを上げてたのは双樹だった。

 双樹が右手に握る剣は襲撃者の胸を貫いていた。

 黒い生地の上に鮮血がじわりと沁みていく。

 

 

「ははははは。これが奴の身体で感じる痛みか」

 

 

 楽しそうに笑う杏子、の声をしたもの。

 纏った衣装は黒と白を基調とした奇術師風。

 右眼を覆うのは黒い眼帯。

 残った左眼に宿るのは黄水晶の瞳の輝き。

 

 

「既に全身を刻まれているが…うん、この痛みは中々良い仕事をするね。それに対して敬意を表し、私もオマージュをさせていただいた」

 

 

 心臓を貫かれているが故に、口からは鮮血が溢れ、言葉を発する度に口の端から泡が弾ける。

 しかし朗らかな表情で彼女は、佐倉杏子の身体を乗っ取った呉キリカは告げた。

 対する双樹は苦悶の声を上げ続けている。

 

 キリカが告げたオマージュとは、双樹の全身に刻まれた傷だった。

 黒い禍つ風と化して双樹の周囲を超高速で旋回しながら、キリカは双樹を切り刻んでいた。

 傷は浅いが、肉が裂けた面積は広い。

 

 そして傷口はひび割れのようにささくれ立っていた。

 キリカが下げた左手に生えているのは普段の斧爪、であるがよく見れば刃の状態が異なっている。

 

 刃の表面には鱗の様な隆起が連なり、刃の曲線もギザギザと鋸の様な形になっている。

 この残虐な刃が双樹に残忍な傷を与えていた。

 また両者を詳しく見比べれば、全身に負った傷の配置に類似点を見出せただろう。

 嫌すぎるオマージュだった。

 

 だがしかし、双樹が呻いている原因はそれではなかった。

 

 

「あれ?お気に召さない?なんで?」

 

 

 心底から不思議そうにキリカは言う。杏子の声帯と舌を使っている為、杏子特有の舌足らずな喋り方になっていた。

 

 

「召す訳…ない、でしょ、この…変…変、態…!」

 

 

 身体を痙攣させながら双樹は途切れ途切れで告げる。

 キリカは更に首を傾げた。

 今のキリカは左手を下げている。

 胸は双樹の剣に貫かれている。

 

 その少し上で、キリカもまた双樹に向けて右手を伸ばしていた。

 水平に伸ばされた手から、一本の赤黒い触手が生えていた。

 太さは一センチ程度の、ヴァンパイアファングの小型版。

 微細な無数の斧を連ね、伸縮自在に蠢く事を可能とした鋼の管蟲。

 それは相手の中に切っ先を穿孔させ、内部を抉る残虐な凶器。

 忌まわしき名は、呉キリカ曰く『ドリルワーム』。

 

 それが双樹の左眼、瞳の真ん中を貫いている。

 時間の経過に連れて、触手は双樹の体内へと沈んでいく。

 

 

「そっか。じゃ、たっぷりと味わって呉給え」

 

 

 血染めの杏子の顔で春風のように笑って、キリカは言う。

 今の発言の語尾には♪が付くに違いない。

 言いながら手首が捻られた。同時に触手も、発生源であるキリカの手首に嵌められたブレスレットから生成されて一気に伸びた。

 絶叫が双樹の口から上がった。

 

 眼球を貫いて体内に穿孔した管蟲は、双樹の体内で数本に別れた。

 眼窩から脳へと向かい、頭蓋の中に穿孔して脳味噌を内側から切り刻む。

 双樹の頭の中で枝分かれした何本かは下方へ向かい、双樹の背骨を削りながら沿って腰まで降りた。

 そこで骨の隙間から背骨の中に侵入し、脊髄と神経をズタズタに破壊しながら今度は上方へと向かう。

 

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 生きた人間が味わえそうにない苦痛を受け、双樹は叫んだ。

 叫んだ口からは、脳と背骨を刻んだ触手が溢れ出た。

 ギザギザとした触手の表面は脳漿や血液に体液で濡れ、脳味噌と肉の合い挽きが絡みついていた。

 

 

「うわぁ、ぐっろ…」

 

 

 口から吐き出された、双樹の体内の部品や液を顔に浴びながらキリカは言った。

 残虐な破壊行為を鑑みれば当然の結果の筈だが、キリカはその結果が意外だったようだ。

 

 

「君の事だからこの苦痛も楽しさに変えて、攻撃を仕掛けた私の方が君の異常さに圧倒されて雑魚キャラ感を出す…というのが私が予想した未来だったのだけど」

 

「そんな…わけ…ある…か!」

 

「えー?でもさっき楽しそうにこのメスガキのボディを刻んでたじゃないか!理不尽だよ!」

 

「相手に、与えるのと…自分が、受けるのと……違うに、決まって、る、で、しょ……!常識……を、知れ…この、ば、ぁ、か…!」

 

 

 正論のようで理不尽。要は身勝手な言い分を語る双樹。

 尤も、これに関してはお互い様である。

 双樹の返事に、キリカはにこりと微笑んだ。

 左眼は薄く開き、隙間からは黄水晶の瞳が見えた。

 今後への期待が輝いている視線であった。

 

 

「ああ、全くその通り。こいつは常識知らずもいいところだ」

 

 

 キリカの口調が変わった。隙間から見えた瞳の色も変化していた。

 黄水晶から、血色の紅へと。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 変容②

「ああ全くだな。この連中は常識からは程遠い」

 

 

 吐き捨てる佐倉杏子、の姿をした者。

 杏子の身体は呉キリカに乗っ取られていた。

 それがまた変化した。

 黒い奇術師風衣装から、武者風のドレスへと変わる。

 双樹の眼球から入り、背骨と頭蓋の内側を切り刻んでいた触手も消えていく。

 黒い魔力となって消えゆく触手が、抉れた神経と脊髄を通り過ぎていく中で、双樹は見た。

 

 そこは、色の無い空間だった。

 天も下も無い、ただ空間があるとしか思えない場所。

 その真ん中に双樹は立っていた。

 声も出せず、そもそもぴくりとも動けない。

 

 体内で脈打つはずの心臓の音すら聞こえない。

 虚無の世界。

 それでいて、意識だけはある。

 しかしながら、今の現状を文字にすることが出来ない。

 まるで言葉全てを忘れたかのように。

 

 そのまま時が流れた。

 一分、一時間、一日、一秒。

 時間経過の感覚すらも狂い、時間経過は早く遅く、長く短く感じる。

 そして虚無に浮かぶ双樹の元へ、何かが迫っていった。

 

 色は漆黒、棘皮動物のように尖った体表面。

 世界を覆うかのような巨大な翼。

 そして、三本の長い首。

 そんな形の輪郭が、双樹の思考に飛び込んだ。

 

 認識の瞬間、双樹は叫んでいた。

 魂が砕けたかのような叫びだった。

 その声に、奇怪な音が重なった。

 カラカラ、カラカラという、通信音に似た音。

 それがこの異形の咆哮であると気付いたとき、双樹は再び悲鳴を上げた。

 

 そして三度目の悲鳴が新たに上がった。

 巨大な三本首の竜の様な何か。

 その長大な尾の末端は、巨体とは不釣り合いな小さな影に繋がっていた。

 

 それもまた影で出来ていた。

 武者風のドレスを着た、少女の影。

 その下腹部から、竜の尾が生えていた。

 位置としては少女の子宮があるあたり。

 

 双樹は少女の顔を見た。

 リボンが結ばれた、セミロングの髪型が見えた。

 少女の姿は輪郭のみで、詳細は分からない。

 だが、その少女が浮かべた表情は分かった。

 それは、柔らかな微笑。

 

 我が子を慈しむ母親のような顔で、少女は黒い竜を眺めていた。

 再び、通信音に似た音階の咆哮が上がった。

 親に応える赤子の笑い声のように。

 両者の関係性を察した時、双樹は最後の悲鳴を上げた。

 

 叫びの中で思い出す。

 三つの魂を宿してから、時折見ていた悪夢の光景。

 その内の一つがこれであったと。

 この世のものとは思えない存在と、胎内に入れた魂の持ち主の一人である紫髪の少女。

 それだけが存在する空間を垣間見ることが、双樹が見た悪夢の一つであった。

 

 

 

 

 

「おい、何を休んでいる」

 

 

 冷たい声が双樹の脳内に響く。

 切り刻まれた脳髄の傷の間に、その声は毒のように染み渡った。

 

 

 

「え?」

 

 

 双樹の疑問の声。

 それは天高くで生じていた。

 乱舞する視界、全身の傷から噴き上げる体液と鮮血。

 下方には双樹を見上げる佐倉杏子の姿があった。

 武者を思わせる造形のドレスを纏い、炎の紅ではなく血色の紅となった瞳を持った彼女の姿。

 双樹の子宮に入れられた朱音麻衣が杏子の肉体を乗っ取った姿だった。

 

 

「大雪山おろし…良い名前だ」

 

 

 血染めの姿で麻衣は言った。

 口元には満足げで、そして鮫の様な残忍な笑み。

 硝子化した異界の地面には、旋回状に回転した痕が見えた。

 麻衣が今言った言葉の意味は、投げ技によるものだと悟った。

 その瞬間、全身を襲う激痛。

 

 キリカに与えられた体表の傷に加え、今は肉の内側でも激しい痛みを感じている。

 変動する視界の中で双樹は自分の腕を見た。

 肘から指先までが、まるで蛇腹のような複数の節を生じさせていた。

 強烈な力で捩じられたそれは、人間の肉体で雑巾絞りをしたらどうなるか、といったサンプルでもあった。

 腕の感覚と痛みは全身に及んでいる。

 つまりは、今の自分は全身がこうなっていると悟った。

 瞬間、双樹は怒りが湧いた。

 

 

「よくも私を…私達を……!」

 

 

 怒りの言葉を発する双樹。

 発音する中、歯や舌も砕けて破れている事が察せられた。

 大雪山おろしなる投げ技が双樹に与えた損傷は、投げ技の範疇を越えていた。

 魔力を用いて空中で姿勢を制御し、下方を睨む。

 突き出した剣には炎と氷の魔法が宿る。

 その時に、双樹は不可解な事に気が付いた。

 

 こちらを見上げる武者風姿の杏子。

 その両腕が肘から先が消えていた。

 肘の断面は、肉と骨の切り口ではなく漆黒で覆われていた。

 双樹の視線に気づき、麻衣は牙を見せて嗤った。

 

 

「私の魔法、知ってはいると思うが『攻撃範囲の延長』だ」

 

 

 言葉の瞬間、双樹は両腕を掴まれた。

 視線を走らせると、黒い手袋を纏わせた手が見えた。

 

 

「地味というか曖昧な魔法だが、それだけに解釈のし甲斐があるのか中々に応用と拡張性がある魔法でな」

 

 

 双樹の腕を掴む手が握り込まれる。

 魔法少女の剛力、それも戦闘特化の願いを叶えて本人も鍛錬を惜しまない朱音麻衣の腕力は通常の魔法少女を遥かに上回っていた。

 双樹の腕は、砂糖菓子が歯で砕かれるようにして折れた。

 血と肉が弾け飛ぶ。

 痛みに呻く間もなく、次は肩に手の感覚を覚えた。

 

 

「まぁ、私だけの力ではないようだが」

 

 

 微笑みながら麻衣は言う。

 私だけではない。

 つまりは別の力も加わっている。

 それに対する愛しさを滲ませた声だった。

 

 

「新たな力、というのも変だが存分に味わってくれ」

 

 

 麻衣はそう言い、直後に両肩が砕かれた。

 千切れ飛ぶ血肉と衣装の破片。

 その合間に、彼女は麻衣の手を見た。

 麻衣の本体が肘から先を喪っていたのと対となり、腕は肘から先が無かった。

 肉の断面は本体同様、漆黒の色で覆われている。

 その色には見覚えがあった。

 麻衣と思しき少女の下腹部から生えた、全身が棘だらけで、三本の首と巨大な翼を生やした異形の竜のカラーリング。

 

 恐怖の叫びと激痛の悲鳴は同時に鳴っていた。

 固有魔法の応用、らしきもので双樹の周囲に腕を転移させた麻衣は、それを用いて双樹を蹂躙し始めた。

 腕は消えては現われを繰り返し、双樹の身体に指を突き立てて肉体を破壊していく。

 キリカが付けた浅い傷を左右に広げて肉の亀裂を拡大させ、手足を掴んで握力にて圧壊させる。

 異様な光景だった。

 激痛の中、双樹の色が変化していく。

 血染めの白のドレスから、血よりも鮮やかな真紅へ。

 そして、白と真紅の折衷へと。

 

 

「貴様ぁぁぁああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 猛々しさを有した咆哮。

 痛みや怯えの一切の無い、怒りと憎悪の叫び。

 双樹の人格が統合され、戦闘人格たるアヤルカが顕現する。

 両手に剣を持ち、斬撃を見舞う。

 発現しかけていた麻衣の腕が切り裂かれ、その場からの撤退を余儀なくされる。

 

 腕の転移が解除され、麻衣の肘の漆黒から彼女の両手が生えた。

 繋ぎ目も無く、腕が再結合される。

 切断されたわけではなく、空間の転移によって移動していたとみるべきだろう。

 手の甲が剣で切り裂かれ、傷は手の甲まで抜けていた。

 血を滴らせながら、双樹は上空を見た。青と赤の光が見えた。

 一つはドレスを翼のように広げ、飛行する双樹の背中から。

 もう一つは、彼女の左右の手が握る剣の切っ先から。

 

 

「死ね。卑しき醜い魔物ども」

 

 

 相手への時間を与えず、双樹アヤルカは氷炎の魔力による対消滅の力を放った。

 風見野での使用時には、廃墟となった遊園地一つを焦土に変えた。

 魔法少女の力としても異常に過ぎる破壊力。

 破滅の光を前に、麻衣の左半身が黒く染まった。

 衣装が変化し、武者風の趣に奇術師の造形も加わる。

 

 

「不愉快だが、こちらも真似をするか」

 

 

 呉キリカの口調で杏子は言った。

 

 

「ああ、全く不愉快で気持ち悪いが仕方ない」

 

 

 朱音麻衣の言葉で杏子は吐き捨てた。

 右手が持つ日本刀風の得物と、左手から生えた赤黒い斧爪を交差させ、迫る光を迎え撃つ。

 

 光との接触の瞬間、それは生じた。

 

 

邪魔だ。どいてろ淫らな雌餓鬼ども

 

 

 地獄の炎の様な声が、二つの人格の奥から響いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 欲望の閃光

「消え失せろ!!異貌のものども!!」

 

 

 双樹あやせと双樹ルカ。二つの人格が統合されて誕生した最強の戦闘人格、双樹アヤルカは空中にて二本の剣をクロスさせて前に突き出す。

 交差された剣同士の間で氷炎の魔法が合成され、対消滅による膨大な力を放つ。

 

 完全な同一のタイミングで合成された破壊の魔力は、風見野で放たれた際には廃墟となった遊園地一つを焦土と化した。

 前回はナガレと牛の魔女による、限界まで発動された防御魔法によって辛うじて防いだ。

 今回彼は近くにいない。

 迫る破壊の光に対し、呉キリカと朱音麻衣に身体を乗っ取られ、衣装が両者の中間となった異形の杏子は二人の魔法少女の武具を構えた。

 赤黒い斧と魔刀が光を刻む為に魔力を蓄える。

 

 

邪魔だ。どいてろ淫らな雌餓鬼ども

 

 

 その二人の意識の奥から、その声が届いた。

 静かな声だったが、燃え盛る炎と大地を砕く雷撃の様な猛りを宿した声だった。

 同時に、光が少女の身体を包んだ。

 前回この魔法を受けたときは、ナガレが彼女らの盾となった。

 防御魔法を駆使しても、破壊の力を浴びたナガレは身体の各部を炭化させられた。

 素の状態で直撃したなら、肉の欠片どころか遺伝子の一片に至るまで消滅させられる。

 

 容赦などなく、上空からの光は少女の身体を包んで下方へと抜けた。

 少女の立つ地面に超高熱が激突し、地面を溶解させていく。

 着弾点を基点に地面が孔となり、溶けた地面がその中に落ちていく。

 

 光の直径は十メートルにもなり、穴の直径は五十メートルに及んだ。そして更に広がり続ける。

 破壊の奔流を放つ中、アヤルカは秀麗な眉毛をピクリと跳ねさせた。

 全てを破壊する光の中で、動くものを見たのである。

 それは少女の裸体だった。

 纏っていた衣服が剥がれて燃え尽きた為に、その姿となっていた。

 衣服の崩壊に反して、華奢な姿には裸体と化した事以外の変化は無い。

 

 その姿に、新たな衣装が纏われていく。

 対消滅による無色の光、虚無そのものと見える白光の中で真紅のドレスが少女の裸体の上を覆い、最後に黒いリボンが長髪を束ねてポニーテールを結んだ。

 魔の装束を纏った少女、佐倉杏子は光の根源を見つめた。 

 鋭い目つきの中で、真紅の瞳が輝いている。

 それを破壊するための光を放つ立場ながら、アヤルカは、更には彼女の中のあやせとルカもまた同じ思いを抱いた。

『美しい』と、彼女らは思ったのだった。

 そして同時に感じるのは恐怖。

 破壊の奔流の中、佐倉杏子は微動だにせずに立っている。足場も消え去っている事を鑑みれば、浮遊しているとした方が正しいか。

 

 

「面妖な」

 

 

 額から汗を垂らしながらアヤルカは呟く。

 そして魔力の出力を更に上げる。

 

 

「消えてしまえ!!」

 

 

 叫ぶ双樹。光の太さは更に倍になり、地面が一気に溶解する。

 溶けた地面は逆さまの大瀑布となり、天高く舞い上げられる。

 黙示録に描かれた終焉の光景さながらの景色の中、

 

 

ゲッターシャイン

 

 

 双樹は不可解な単語を聞いた。

 それは声というよりも意識であり、脳裏ではなく胎内から響くように聞こえた。

 複数の魂を宿した彼女の子宮から、その意識は発せられていた。

 そしてその言葉は現象として顕れた。

 

 光の中にいる佐倉杏子が、真紅の光を宿して輝き始めた。

 放たれる虚無の光を喰らうように、無色の光の中で真紅の光が煌々と燃え盛る。

 シャインとはこれか、と理解した一方で疑問が残った。

 その言葉の前にある言葉。

ゲッター』とは何か。

 

 彼女の知識の中では精々スポーツの用語の一部くらいしかない。

 だがしかし、その言葉には異様な不穏さと不気味さを感じた。

 ゲッター、ゲッター。

 得る、奪う。

 だとしたら、何を?

 連なる疑問の後には恐怖が待ち受けていた。

 この状況で杏子が望み、奪おうとしているものは一つ。正確には三つ。

 双樹たちの、命。または魂である。

 

 

「「「うぅぅぅうううううああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」」」」

 

 

 人格の差なく、双樹たちは叫んでいた。

 三者の魔力が総動員され、破壊の力へと変換される。

 破壊の範囲は更に広がる。街中で放てば、一つの都市を壊滅に追い込む勢いであった。

 輻射熱が双樹まで届き、美しい姿の各部に高熱が傷を穿つ。

 アヤルカになった際に完治させた傷に変わって、皮膚の至る所に火膨れが生じ衣装が灰となって崩れていく。

 それでも双樹は魔法を緩めなかった。

 放つ本人にも苦痛が生じ、頭が割れんばかりに痛くなる。

 激痛のさなか、脳を刻んで出来た亀裂の様な痛みの隙間に、双樹は異様な感覚を感じた。

 

 溶鉄のような粘ついた何か。針で覆われた棘だらけの何か。鋭い刃の様な何か。

 それは感情の形であると察した。

 対象に張り付き、突き刺し、貫き、束縛と拘束、そして依存を求める心の在り方。

 形は違うが、その欲望が表す願いは一つ。

 それは異形で悍ましく、そして醜く尊い『』という感情であり欲望だった。

 

 そしてそれを浴びる存在もまた一つ。

 三つの心は、それに向かって一つになって…いるのではなかった。

 感情の持ち主同士の思念が互いに喰らい付き、牙と爪を立てて争っている。

 紅と黒と紫の色で出来た三人の少女達が、凄惨な殺し合いを行っている姿が双樹たちには見えた。

 

 一つの願望であるが分かち合う気は毛頭なく、ただ自分の願いの為に、欲望を叶える為に他者へと喰らい付いて自らの隷属を強いていた。

 誰もが全く譲らず、憎しみのままに争い合う。

 欲望は愛であり、純粋そのものではあったがそこに正義は無く、故に純粋な願いだけがある。

 他者からしたら相手は絶対悪であり、故に絶対に譲らず譲れない戦いとなっていた。

 想いは一つだが、絶対に一つとならない。

 しかし力と殺意と欲望は際限なく上がっていく。

 

 真紅の光を纏って、破壊の光の中で輝く杏子。

 その中で繰り広げられる悍ましい争いに、双樹は恐怖と、それ以上の嫌悪感を抱いた。

 だがその一方で、彼女の顔に浮かんだのは淫らさと慈愛の色を宿した微笑み。

 

 

「「「すばらしい」」」

 

 

 正気のままの狂気は、双樹も負けてはいなかった。

 極限の苦痛と狂気の中で双樹は最後の力を振り絞った。

 遂に光は杏子の真紅を覆い尽くした。

 地上を蹂躙する超高熱は、更に範囲を拡大して破壊を撒き散らす。

 

 光の中、喰らいあう意識。

 魂を交差させ、相手に牙を立てて啜り合う。

 血のように流動するのは記憶。

 杏子から流れたものを、キリカと麻衣が奪い取る。

 それを杏子も察知した。

 互いの喉を喰らい合う三匹の美しい雌獣達。

 精神の中、それらは相手を苦しめ自らも苦しめながら口角を歪めて嗤っていた。

 

 

お前達は、あたし(わたし)の力になれ

 

 

 恋敵を資源と見做し、彼女らは笑っていた。

 人間かどうかも疑わしい、異形に過ぎる感情であった。

 その思いのままに、彼女らは言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

『『『シャインスパーク』』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 欲望の閃光②

『『『シャインスパーク』』』

 

 

 意思で出来た声が重なる。

 佐倉杏子であり、呉キリカであり、朱音麻衣の声であった。

 双樹が放つ虚無色の破壊光の中で、複数の色が輝いた。

 真紅と黒と紫の光。

 それは互いに交じり合い、ドレスを纏ったポニーテールの少女の姿となった。

 少女の姿の上を絶えず流動し、少女は三つの色の斑となって煌々と輝く。

 

 光の中を少女は飛んだ。

 外套状のドレスの裾が翻り、翼のように広がる。

 

 

「悪魔」

 

 

 その姿を双樹はそう呼んだ。

 迫る少女の姿は、輪郭こそ佐倉杏子であるが鋭い眼の輪郭程度でしか表情は分からない。

 だが決して、それは聖なるものでないことだけは分かった。

 叩き付けられた感情は確かに素晴らしいと思えたが、それは芸術品としての意味で、である。

 自らに対する脅威であれば、取り除くしかない。

 

 攻撃魔法は無意味と見て、双樹は魔法を解除。 

 二本の剣で持っての迎撃をすべく身構えた。

 そうする、つもりだった。

 

 

「なっ」

 

 

 愕然とする双樹アヤルカ。

 二本の剣をクロスさせることで発生させている、対消滅の破壊光の発射が止まらない。

 腕も動かず、現状の維持が強制されている。

 異様な状態の中で双樹は迫る少女の姿を見た。

 そして気付いた。

 自分が発している魔法が、輝く少女の中に消えていくのを。

 光を喰っている。

 双樹がそう認識すると同時に、少女の姿に異変が生じた。

 少女は双樹からの光を全身に浴び、全身で喰らいながら形を変えていった。

 

 細く華奢な体躯の上に、光が幾重にも重なっていく。

 指先から腕に肩、胴体に腰に爪先までが光の装甲で覆われていく。

 何が起きている。

 疑問に思ったその瞬間、双樹の身体は一気に上昇させられていた。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 地上から約百メートルの上空。

 首に感じるのは強烈な圧搾感。

 見れば、細い首を真紅が覆っていた。

 真っ赤な装甲で覆われた五指であると気付いたとき、双樹の視界は暗転した。

 直後、激烈な痛みと衝撃が彼女を襲った。

 悲鳴を上げることも出来なかった。

 高空から地面へと一気に叩き付けられ、背中の骨は全て砕かれ肺が体内で爆裂していた。

 

 眼球には血が溜まり、視界は真っ赤に染まっている。

 視界の中、血よりも赤い紅を見た。

 光で構成された装甲で覆われた、人間に似た姿。

 輪郭は朧気だったが、双樹にはそう見えた。

 それが自分を見降ろしていることも分かっていた。

 

 定かでは無いが、大きさは自分の倍程度だろうか。

 佐倉杏子と同じ姿をしたものが変異したのだと察せたが、それは少女とはかけ離れた外見をしていた。

 一言で言えば、それは『鬼』。

 頭部からは槍穂のような二本の角が生えていた。

 それを根拠に、双樹はそれを鬼と評した。

 

 それが自分を、鋭い目で以て見降ろしている。

 その体が、ゆっくりと動き始めた。

 装甲で覆われた剛腕が持ち上がり、握り込まれた拳が掲げられる。

 何をするのか、一目瞭然だった。

 

 それは流星のように振り下ろされた。

 迫る真紅の拳。身じろぎ一つできず、口と鼻と耳から鮮血を吹き零しながら、双樹は迫る死を見つめた。

 そして拳は激突した。

 双樹の顔のすぐ隣へと。

 拳の大きさは、双樹の頭よりも大きかった。

 獣の様な唸り声が漏れた。

 

 音の発生源である口元からは蒸気が見えた。

 仮面の様な顔を掠めて、すぐに消えた。

 消えた後には、佐倉杏子の顔があった。

 姿も普段通りの、真紅のドレスへと戻っている。

 杏子は歯を食い縛り、何かに必死に耐えていた。

 喘鳴の様な荒い息を、杏子は吐き続ける。

 

 

「そっか」

 

 

 その様子に双樹は理解を示した。口調的に、通常人格のあやせになっているようだ。

 

 

「そんなに私達を殺したかったんだ」

 

「ああ」

 

 

 血泡を吐きながらの双樹の言葉を杏子は肯定した。

 

 

「でもしなかった。あ、そっか。あのオリ主くんのせいか」

 

 

 ふーん、と納得の表情となる双樹。

 対する杏子は沈黙。

 それは事実であるからだ。

 拳を振り下ろした瞬間、恋慕の対象の顔が浮かんだ。

 気付いたときには拳は逸れていた。

 

 戦いの中で相手を殺害するのは仕方ない。

 だが今回、決着は既に着いていた。

 この二つで何が違うのか、杏子自身も分からない。

 ただ、自分がなりたいものの事を思えば、自分が取った行動は正しかった。

 杏子はそう思うことにした。

  

 なんとなくであるが、双樹もそれを察していた。

 魂を宿し、感情の片鱗を理解しただけの事はあるか。

 

 

「それにしても佐倉杏子、きみってば自分に何したの?前にも言ったけど世界観おかしくない?何やってるか分かってる?」

 

 

 双樹は疑問を素直に口にした。

 その喉元を、杏子は再び掴んだ。

 そして一気に引き上げ、彼女の顔の真ん中に自分の額を激突させた。

 ナガレをして石頭と言わせた杏子の頭蓋は、双樹の顔をその形に陥没させた。

 

 大量の鮮血が飛び、再び双樹の身体が地面に激突する。

 そこに、杏子は右足を踏み下ろした。

 ブーツの底で、破壊された双樹の顔が更にひしゃげたのを彼女は感じた。

 殺しはしないが、その手前までなら痛めつけてやろうとは思っていたのだろう。

 

 

「なんのこたねぇよ。不思議な事でもなんでもねぇ」

 

 

 双樹の顔の上で、ブーツをグリグリと踏みしだきながら杏子は言った。

 

 

「ただ、恋してるだけさ」

 

 

 その言葉には微塵の狂気も含まれていない。

 ただ、少しばかりの気恥ずかしさと、確信による強い意思が込められていた。

 今の杏子の表情は、恋する乙女そのものだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 災禍

 ちゃぽんという音が鳴った。

 朝の陽射しを遮る白い湯煙の中、湯に濡れた裸体が歩いていた。

 長い桃色の髪が、華奢な体格の少女の白い肌に張り付いている。

 ゆっくりとした足取りで少女は温泉から上がり、床板を歩く。

 

 更衣室への扉に手を掛けた時、建物の中から不思議な気配を感じた。

 そう感じるが早いか、少女は扉を開いて走った。

 走る中、湯に濡れた裸体を桃色の光が覆った。

 それは彼女の左手の中指に嵌った、銀色の指輪から迸っていた。

 

 

 

 

 

 

 ガリ ボキ ボリ ボリ

 

 

 異様な音が鳴る。

 くぐもった音階の、複数の破壊音。

 発生源は異様な物体だった。 

 直径十メートルほどの球体。

 

 球の表面は滑らかではなく、モコモコとした起伏を見せていた。

 よく見れば、それらは抱き合って折り重なった無数のテディベアだった。

 外敵、主にスズメバチを撃退するためにミツバチが行う蜂球に似た状況に見えた。

 音はその中から聞こえているのだった。

 

 黒茶色の物体が重なる球体の表面に複数の線が入った。 

 音が途絶し、次の瞬間に線は亀裂となって拡大した。

 隙間の中からは黒い物体が飛び出した。

 

 それがテディベア達を切り裂いて押し上げ、そして吹き飛ばした。

 牙と爪を血に濡らした熊達の残骸の雨の中、黒翼を広げたナガレの姿があった。

 残骸の影に加え、血に染まったナガレの上に新たな影が躍った。

 残骸を更に切り裂きながら、ナガレは斧槍を振った。

 金属の轟音が鳴り響いた。

 

 

「消えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 振り下ろされた大剣、迎撃の斧槍。

 激突の際に生じた衝撃が、テディベアの破片を更に砕いて吹き飛ばす。

 

 

「うっ……せぇ!!」

 

 

 みらいの剛力を受け止め、ナガレの両脚は脛まで地面に埋もれていた。

 破片を散らしながら右脚を引き抜き、彼はみらいの腹へと前蹴りを放つ。

 寸前で察知し身を退いたが、彼の蹴りの方が早かった。

 呻きながら吹き飛ばされ、大剣を杖代わりにしてみらいは転倒を防いだ。

 内臓が破壊され、みらいは口から血塊を吐いた。

 露出が高いに過ぎる衣装の胸を鮮血が濡らし、凄惨且つ幼い体型ながらに女体に淫らな要素が書き加えられた。

 

 五メートルほどの距離を隔て、ナガレとみらいは荒い息を吐いて対峙している。

 ナガレは全身に無数の傷を受け、深紅に染まった姿。

 テディベアに集られ、振り払うまでの間に爪と牙を突き立てられていた。

 みらいは腹に与えられた蹴りが腸を破砕し、衝撃は背骨にも伝わり体内で骨が唐竹割りとなっていた。

 互いを睨みながら、ナガレとみらいは対峙する。

 血染めの手が得物の柄を握り締める。

 再度の激突は近い。

 

 しかし、二人の対峙はそこで終わった。

 ナガレを見るみらいの眼に変化があった。

 彼女は既にナガレを見ておらず、その背後の遥か先の光景を見ていた。

 眼が見開かれ、顔は蒼白となり、口が呆然と開いていく。

 

 

「サキぃぃいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」

 

 

 魔法少女の脚力で飛翔し、大剣を引きずりながらみらいは風のように走った。

 剣が地面を切り裂き、みらいの強烈な疾駆によってガラス化した地面から銀色の粉塵が逆さまの猛吹雪のように噴き上がる。

 みらいの薄桃色の眼は真っ赤に染まっていた。

 

 怒りによる興奮によってと、対象物がその色に染まっている為に。

 地面に座り、みらいに右半身を見せている黒衣の少女がいた。

 何かを手に持ち、それに向けて一心不乱に顔を埋めている。

 口元どころか、顔全体と手と胴体が深紅に染まっていた。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 絶望と悲しみと怒りと。

 複数の感情が混ぜ合わされた叫びを上げてみらいは大剣を振った。

 横薙ぎの一撃に合わせ、地面が引き裂けて抉れた。

 自らの魔女化さえ厭わずに、魔力の殆どを注ぎ込んで放たれた、全力での渾身の一撃だった。

 振り切られる前、半分ほどの円を描いたところで斬撃は停止した。大剣を握る両手に、少女の、かずみの右手が添えられていた。

 血に染まり切った小さな繊手の先端が、みらいの両手に軽く触れている。

 それだけで、みらいは動きを停止させられていた。

 力の全てを注ぎ込むが微動だにせず、

 

 

「っ!!」

 

 

 他ならぬみらい自身の力によってかずみの指の先端がみらいの両手の甲を突き破り、柄に触れる始末であった。

 構わず更に力を込めるが全く動かない。

 当のかずみは座り続けたまま、みらいを見もせずに左手で持った何かを喰っている。

 ぼりぼり、めきゃめきゃ、ぶちぶち、ぷちぷち。

 骨を齧り、肉を噛み潰し、皮膚を千切り、内臓をゆっくりと噛んで味わう。

 悍ましい音には、それ以外の音が混じっていた。

 

 

「ごめんなさい……ごめん………なさい」

 

 

 ごぼごぼという、泡が弾ける音を伴奏とさせながらの、血に濡れた謝罪の言葉がかずみが貪る肉塊から発せられていた。

 百万枚の絹を一斉に引き裂いたかのような、凄絶な叫びをみらいは上げた。

 

 

「うっさい。黙れ」

 

 

 その叫びの上に、小さな声が覆い被さっていた。

 万の怒りと絶望を上塗りしたのは、億の怨嗟と呪詛の声。

 何時の間にかかずみは立ち上がり、逆にみらいは膝を就かされていた。

 立ち上がる際に力が籠められ、みらいは屈膝を強制させられた。

 跪いたみらいを、紅い眼が見降ろしていた。

 幾重にも渦を巻いた、怨念の塊のような眼だった。

 

 

「こ……の……失……の」

 

 

 途切れ途切れになりながら、みらいはかずみを睨み返してそう呟いた。

 かずみは眉毛をぴくりと動かした。前髪に生じた特徴的なアホ毛も生き物の触角のように蠢いた。

 

 

「しっぱいさく」

 

 

 途切れた言葉をかずみの言葉が補完する。

 言い終えた時、かずみの口が半月に開いた。陰惨な笑顔だった。

 

 

「しっぱいさく」

 

「シッパイサク」

 

「失敗作」

 

「しっぱいさく」

 

「失敗作」

 

「シッパイサク」

 

 

 言葉の唱和が始まった。

 かずみの口は動いていない。

 発生源は、かずみが纏った漆黒のマントの内側であった。

 みらいは見た。

 黒いマントの内側で、何かが蠢きその言葉を発しているのを。

 その形が、かずみの顔に酷似しているのを。

 

 

「返すよ、それ」

 

 

 かずみの左手が振られた。

 超至近距離で、左手が持っていた物体がみらいに投げつけられた。

 

 

「もういらない。だからあげる」

 

 

 みらいがそれらの言葉を認識したのは、着弾点から軽く三百メートルは離れた位置であった。

 それまでの道程は、破壊で満ちていた。

 地面の至る所が賽子状に砕けて隆起し、肉と骨と内臓の破片を散乱させている。

 大きめの肉塊は、みらいの手足の破片である。

 何度も地面をバウンスし、その衝撃が地面を砕きながら転がり続け、肉片をばら撒き続けた果てに漸く停止したのだった。

 今のみらいの様子は凄惨の一言だった。

 

 両手両足は胴体に付いておらず、達磨状態となった胴体にはかずみから投ぜられた物体が減り込んでいた。

 それもまた、達磨状にされた人体であった。

 生殖器を除く内臓の大半を喰い荒らされ、顔も口元程度を残して齧り取られ、骨も殆どを貪り食われた後に残った残骸。

 

 皮と僅かな骨肉程度の状態にされた浅海サキの残骸だった。

 魂の宝石は口内に押し込められ、それによって生命が保たれていた。

 それが今、みらいの身体の前面に減り込んでいる。

 自分の肉と内臓で、みらいはサキを包んでいた。

 

 

「あ……はは」

 

 

 その状態で、みらいは笑っていた。

 衝撃によって顔の造形は圧壊寸前に破壊され、左の眼球は飛び出して神経の糸を引いてぶら下がり、首は千切れかけて僅かな肉と皮で胴体と繋がった状態とされながら。

 生き物が二つ重なっているとは思えない状態で、みらいは口端を痙攣させて嗤っていた。

 それは狂を発したのではなく、心から湧き上がる嬉しさによる歓喜からの笑顔であった。

 花を摘む童女のように、恋にときめく乙女のように、みらいは笑っていた。

 そしてサキはみらいの体内に顔を埋めていてもなお、顎が破壊されたために動かなくなった口と舌を懸命に動かし、謝罪の言葉を紡ぎ続けた。

 

 そんな二人の上空には、広大な曇天が浮かんでいた。

 そして巨大な白光が落ち、それを黒衣の少女の魔女帽子が受けた。

 帽子の鍔で増幅された雷撃が、かずみが掲げた右手の人差し指へと至る。

 

 

「サンダーブレーク」

 

 

 呟きと共に極大の雷撃が放たれた。その矛先は、言うまでも無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 君は銀の盾

「かずみいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 みらいとサキへと矛先を向けられていた極大の雷撃が放たれた瞬間、かずみの背後で咆哮が鳴り響いた。

 風切り音が唸り、金属の絶叫が続いた。

 直進する筈の雷撃は拡散し、微細な光となって散った。

 

 かずみは左半身を背後に傾け、左腕を掲げていた。

 黒い布で覆われた腕が、長大な大剣を受け止めている。

 背中から生やした悪魔翼の推進力を乗せた一撃であったが、強度を上げられた黒布の表面で難なく受け止められていた。

 だがナガレはそれ以上の力を掛けず、みらいの置き土産である大剣から両手を離し、かずみの上空を飛翔し前へと進んだ。

 

 一瞬の交差の中、彼はかずみの表情を見た。

 彼の振った大剣を受け止めた時、彼女には反撃を行うだけの時間があった。

 サンダーブレークの矛先を変え、彼に向けて放つことも出来た筈だったがしなかった。

 その答えは、かずみの表情に表れていた。幼い顔に浮かぶのは、苦痛の色。

 彼女は何かに必死に抗っていた。

 

 上空を行く彼に対しても、視線を送るだけで肉体的な反応を行わない。

 寧ろ、動こうとするのを強引に抑えているかのようだった。

 口は歯茎が剥き出しになるほどに歯が食い縛られていた。

 

 かずみが動きを止めている間に、ナガレはみらいとサキを確保して飛んだ。

 その時に、かずみの口からは唸り声が漏れた。

 歯同士の間からは唾液と血が滴っている。

 

 サキを貪った時のものではなく、彼女自身の出血による血であった。

 かずみの顔には苦痛と、そして憎悪が交互に浮かんでいた。

 その顔を、真紅の光が照らした。

 光の発生源はかずみの胸と肩にある白い球体。

 光同士が結ばれ、彼女の胸に赤いV字のラインが浮かぶ。

 

 

「な……が…れ……」

 

 

 口を震わせながらかずみは呟く。

 身体の向きが、飛翔するナガレへと向かっていた。

 

 

「か、わ、し、て、え、え、、ええええええええええええええ!」

 

 

 叫び。

 その瞬間にかずみの胸から放たれた、超高熱を宿した破壊光である『ブレストバーン』。

 視界を埋め尽くす真紅の光には、僅かながら隙間があった。

 反射の瞬間、かずみが身体を逸らした事で生じたものだった。

 彼はそこに向けて全力で飛んだ。

 

 それでも黒翼が掠め、一瞬で根元まで融解する。

 背中と背骨が灼熱と化す苦痛も味わう暇なく、彼は地面へと激突した。

 咄嗟に発動させたダメージカットの殆どを重傷者二人に回し、彼は物理的な衝撃の大半をその身で受けた。

 

 

「ぐぅ…」

 

 

 数十回の回転を経て停止し、ナガレはそう呻いた。

 卓抜した身のこなしと頑強さが、彼に生命を維持させていた。 

 それでも全身の筋肉が断裂し、胃が破裂し左肺が裂けるほどの重傷に陥った。

 

 しかし休んでるヒマなど無く、牛の魔女に命じて動ける程度の治癒を行う。

 達磨状態となり、重なり合うサキとみらいを抱えながら、彼は周囲を見た。

 大気に満ちるのは熱と焦げ臭い香り。

 その芳醇な香りが示す通りに、辺り一面が超高熱による大破壊を受けていた。

 

 熱線の幅は発射直後から拡大し、地面に刻まれた熱による溶解は幅二百メートルにも達していた。

 溶けた地面が緋色の溶岩となって流れる大河はまるで、灼熱地獄と血の池地獄を同時に再現したかのようだった。

 破壊の跡は異界の果てまで続き、視界の彼方には黒い歪みが見えた。

 あまりの破壊力が、空間自体を傷付けて歪めたのだろう。

 

 双樹が廃遊園地を焦土と変えた合体魔法さえ比較対象とはなり得ない、異常に過ぎる破壊力だった。

 破壊の範囲で言えば、風見野で放たれていたら同市を越えて見滝原まで破壊するのでは。

 有り得た光景を想像し、彼をしてもぞっとしない想いが過る。

 

 破壊の光景を一望し、彼は並行してかずみを探した。

 一キロほど離れた場所で、彼女を発見した。

 当のかずみは両手で頭を抱え、足をふらつかせながら苦しんでいた。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 叫びが聞こえた。

 距離を隔てていると云うのに、音は衝撃となって高熱となった大気を揺らして響き渡った。

 声に含まれる感情は怨嗟と悲哀に憎悪。

 時折くぐもった発音となり、その際のかずみは必死に口を押さえていた。

 それでも叫びは吐かれ続けた。そこに彼は違和感を覚えた。

 

 彼女の意思で放たれた叫びである一方、彼女自身もそれを抑え込もうとしていることに。

 湧き上がる力を制御するとは、暴走の危険性を孕んでいた彼女が背負っていた宿業だが、今の彼女は何かが違う。

 湧き上がっているのは力ではなく、別のものであると。

 幸いと言うべきか、その答えはすぐに顕れた。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

「ああああああああああああああああああああ!!!」

 

「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

 

 

 同じ音が、口に手を押し込んでまでして抑制しているかずみの声で放たれた。

 先程は背を向けていたが故に彼には見えなかったが、今回は見えた。

 かずみの黒いマントの内側に、無数の人面が浮かんでいるのが。

 人面の全ては、輪郭のみであったがかずみの顔と同じ形をしていた。

 眼に当る部分からはタールの様な何かが漏れ、口からは怨嗟の叫びが放たれている。

 

 

「殺して」

 

 

 彼が抱えているみらいは、静かな声でそう言った。

 

 

「あの失敗作、今すぐ殺して」

 

 

 眉を跳ね上げる彼。

 不可解な言葉も混じっている上に、声には嫌悪と憎悪が滲んでいた。

 当然ながら、彼はみらいの言葉に怒りを覚えた。

 恫喝を兼ねた尋問をしたかったが、相手は死にかけ、特にサキが重傷であり無理は出来ないと彼は感情を理性で抑えた。

 そして今この時、言葉を交わす余裕はなかった。

 

 

「ああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 獣の咆哮を上げるかずみ。

 あまりの音と、叫ぶことへの抗いの為に口に突っ込まれた両手により頬が引き裂け、その叫びは血に塗れていた。

 そして叫びと共に、彼女の全身から雷撃が放たれた。

 

 かずみを中心として、無数の紫電の毒蛇が放たれ雷撃の牙が荒れ狂う。

 破壊の範囲にはナガレ達のいる場所も含まれ、彼は急いで退避に移った。

 再び悪魔翼を広げ、瀕死の魔法少女達を庇いながら雷撃の中を掻い潜る。

 

 

「あああああ!!あああああああ!!!!あああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 叫び続けるかずみ。

 彼女は身体を掻き毟りながら、溢れる力を懸命に抑えようとしているように見えた。

 しかしそれも虚しく、彼女の体表面では制御を外れた雷撃が暴れ、蓄積しきって行き場を失くした雷が際限なく放たれ続けた。

 かずみを中心として雷撃は広範囲をドーム状に覆い、その範囲は拡大し続けていった。

 突っ切るか、と彼は思ったがそうなると魔法少女二人は確実に死ぬ。

 

 更にはこの二人をかずみに近付ければ更なる暴走を誘発させかねない。

 とはいえ、今がチャンスなのは違いなかった。

 かずみが今放つ雷撃は威力が弱められ、直撃しても肉が炭化する程度で済む程度となっている。

 これが更に威力を増すか、ブレストバーンまたは本来の技であるリーミティ・エステールニを乱射されれば接近する術がない。

 となると、と彼は思った。

 そう思うが早いか、思念を送る前に、それは向こうからやって来た。

 

 

「かぁぁあああずみぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 少女の叫びが、雷撃を貫いて異界の中に木霊した。

 降り注ぐ雷撃を回避しながら、ナガレはそれを見た。

 声の主は考えるまでも無く相棒である佐倉杏子。

 そしてその行動は、かずみへの接近。

 それを彼は視認したが、思わず言葉を失った。

 

 

「…なんだ、あれ」

 

 

 杏子は雷撃の中を疾駆していた。

 かずみから放たれる紫電の毒蛇達は上空は無論、水平や斜め上からも押し寄せている。

 それを、杏子は走りながら前に掲げた何かで受け、弾き返しながら進んでいた。

 物体を凝視すると、それは銀色である事が伺えた。その形に、彼は見覚えがあった。

 そしてそこから、不吉な魔力の気配を察した。

 

 

「気張れよ変態獣姦女ども!!愛しの王子様を傷付けたくなかったらなぁあああああ!!!!!」

 

 

 杏子が叫ぶ。

 応答として、くぐもった悲鳴が聞こえた。

 発生源は、彼女が盾としている、直立したサイの形をした魔女モドキの遺骸の中。

 銀の装甲の表面には炎と氷、そしてその二つが合わさり発生する対消滅の力が纏われていた。

 双樹を中の人というか障壁発生装置とさせ、杏子はサイ型の魔女モドキ、双樹曰くメタルゲラスなる存在に似たものの遺骸を盾として雷撃の中を走破していた。

 

 双樹曰く、彼女はこのキャラクターを愛している。

 ならばそれを盾にすれば双樹たちは愛しの存在を守るために防御魔法を惜しまないだろう、という考えだった。

 それは大成功していたが……色々な意味で非人道的な行為であった。

 

 そんな事は気にもせず、杏子はサイの胴体に左腕を回し大盾として掲げ、残る右手では槍を振って雷撃の雨を散らしていく。

 大きさが三メートルに達する怪物を持ち上げていながら、杏子の走りは風の速さを有していた。

 瞬く間に距離が詰り、彼女はかずみを覆う雷撃の結界の前に来た。

 そこで彼女はサイを持ち上げ、自らの左肩に足を置かせた。

 サイの着ぐるみを纏った双樹の身体は地面に対して水平に近い体勢となり、それはさながら杏子の肩から生えた巨大な銀の槍となった。

 

 

「え、ちょ、これ、まさか、ヘビープレ…」

 

 

 現状を察知し、技名を言い終える前に双樹が絶叫を上げた。その声は絶望で出来ていた。

 

 

「や、やだ!私達、ヤンホモコスプレ怪人ごっこだけはやだ!やだあああああああ!!!!!!!」

 

「うっせえ黙って仕事しろ!!」

 

 

 嫌悪感が滲んだ声で焦る双樹を無視し、杏子は肩に置いたサイを盾兼槍と見做して雷の障壁へと突撃した。

 そして激突。

 当然、サイの全身に雷撃が纏わり付き、中からは絶叫が聞こえた。

 それを無視して杏子は進み、自らも肉を焼けさせながら右手の槍を振った。

 

 

「そこだ!!」

 

 

 銀の装甲に纏われた双樹の攻撃魔法が雷撃に喰らい付き、障壁が弱った瞬間を狙っての一閃。

 真紅の十字槍が雷の障壁を切り裂き、その内部へと杏子は跳び込んだ。

 役目を終えた盾兼槍である双樹は、邪魔になったのでその着ぐるみごと放り捨てた。

 

 

「かずみっ!!」

 

 

 そして、なおもかずみから放たれ続ける雷撃を槍で切り裂いて道を開き、杏子は焼け焦げた腕でかずみの身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30.5話 喪失へのカウントダウン

 時刻は午前二時。場所は風見野の廃教会。

 二つのソファを組み合わせた即席ベッドの上で、黒髪の少女が静かに眠っている。

 祭壇の真下で眠る少女とは反対側、教会の入り口付近で忽然と黒い紋様が出現した。

 杯と斧を組み合わせたような形状の紋様の中から、二人の年少者がドアを潜る様にして顕れた。

 異界から現世へと戻る二人。言うまでも無く杏子とナガレである。

 

 

『音立てるなよ』

 

『お前こそ』

 

 

 思念を交わしつつ、廃教会の床を踏みしめる。

 共に私服姿であり、疲弊した様子だった。

 

 

『軽く済ませといてよかったな。寝る時間も欲しいしよ』

 

『五時間くらいは寝れるかな。あたしらにとっては寝すぎなくらいか』

 

 

 無音で歩き、適当な壁に背を預けて座る。

 手足を投げ出した楽な姿勢となり、隣りあわせで身を寄せ合う。

 どうやらそこが今日の寝床らしい。

 

 会話の内容から察するに、魔女結界内でいつもの殺し合いをしていたのだろう。

 血の匂いで起こしちゃまずいと、異界の中で治癒を済ませて両者曰くの軽い程度での帰宅となったようだ。

 軽重の基準はこの連中にしか分からず、そして常人、というか生あるものが分かってはいけない領域の事柄である。

 

 座るナガレは魔女を呼び出して内部に収納した食料を幾つか取り出した。

 ポテトチップスに袋詰めされたドーナツ、そして複数の菓子パン。

 今回は甘いものが食べたいらしい。

 移動同様に無音で封を切り、二人は思い思いに食事を始めた。

 食事の間も思念は交わせるが、それはせずに食べていく。

 よほど腹が減っているのか、または食べ物への敬意なのか。

 

 普段の食事…十ピース入りのフライドチキンバレル五個程度なら軽く平らげる普段と比べ、あまりにも少量の食事であったが、それでも一人当たり十個以上の菓子パンを食べている。

 色々な意味で、人類とは別カテゴリーに分類した方がよさそうな連中だった。

 食事を終えると袋等を手早く撤去する。

 

 今の廃教会内は、寂れてはいても清潔になっていた。

 かずみを保護しているから、というのもあるが、杏子の精神的な落ち着きが得られた為に以前のようなゴミの散乱は無くなっている。

 ほんの少し前まで、ゴミ捨て場の方がマシなくらいに至る所にゴミが散乱、酷いものではカップ麺の容器の底に使用済みの生理用品が突っ込まれていたりもした。

 今はもう、その面影はない。

 

 食事の〆に、二人はボトル入りのお茶を飲んでいた。

 500mlではなく2ℓのボトルなのが二人らしい。

 

 

「ぷはっ」

 

 

 先に飲み終えたのは杏子だった。ほんの一瞬遅れて、ナガレも似た声を漏らした。

 

 

「へへっ」

 

「…くっ」

 

 

 勝ち誇る杏子、敗北感を味わうナガレ。

 示し合わせた訳でもないのに、これは勝負となっていた。

 その後、どういう力があれば可能なのか、ボトルを無音で手のひらサイズまで潰して片付け、二人は一息ついていた。

 食べた直後なので眠気が収まっている。

 つまり暇な時間というわけである。

 何話そうかなとナガレは考えた。

 何だかんだで、彼も杏子と過ごす時間を楽しんでいる。

 話のネタを考えている間に。

 

 

「ほれ」

 

 

 と杏子がナガレに何かを手渡した。

 それを受け取り、しげしげと眺める。

 

 

「時計か。にしちゃあ…」

 

 

 妙だな、と繋げる積りだった。

 彼の言葉通り、それは時計。

 真っ赤な色をした、丸い形。

 オーソドックスな目覚まし時計。外見的には別に不思議では無かった。

 

 妙なのは、それが刻んでいる時間である。

 通常の針による現時刻に加え、液晶部分はよく分からない数字が並んでいた。

 それが一秒ごとに数字を減らしている。

 桁の数からみて、一億と数千。

 一体何を示しているのか分からない。

 

 

「その数字、なーんだ?」

 

 

 右に座る杏子が、ナガレに体重を預けて彼の肩に顎を乗せながら尋ねた。

 顔が近くなったことを幸いとしてか、ナガレの頬を舌先で舐めるのも忘れなかった。

 舌でなぞられ、唾液をまぶされた彼の頬には薄く紅い線が見えた。

 戦闘中に開いた傷が、魔女の治癒魔法により修復されている最中なのだろう。

 敏感な状態の皮膚への刺激は、年頃の男子なら股間を押さえて身を折りそうな威力だったが、例によって通じない。

 杏子としてもそれを分かっている。

 分かっているからこそ、この時計を渡したのだった。

 

 

「分かった。お前が」

 

「あたしが、あんたに抱かれるまでのカウントダウンさ」

 

 

 ナガレとしては、二十歳になるまでのカウントと言う積りだった。

 

 

「十年後、ってよく言ってる気がするんだけどよ」

 

「細かい事気にすんなよ」

 

 

 言うなり、杏子は彼の頬に自分の頬を擦りつける。

 触れ合う体温が熱い。

 彼女も顔を彼の攻撃によって破壊され、修復の最中なのであった。

 

 

「お前、これどうやって思い付いた?」

 

 

 呆れと感心、そして杏子の自分への執念に対する畏敬が混じった問い掛けだった。

 畏怖で無いのがナガレらしい。

 

 

「未来日記」

 

「ああ、分かった」

 

 

 最近二人が見ているアニメの事である。

 即座にネタを理解し、ナガレは頷く。

 

 

「あんた、ヤンデレ好きだからなぁ」

 

「積極的なとことか、問題はあっけど一途なとこがみてて好きなんだよ」

 

「ヤンデレねぇ…あたしにはよく分からねぇな」

 

 

 呟く杏子の脳裏には黒髪と薄紫髪の女の顔が浮かぶ。

 彼女はそれらをヤンデレを拗らせた異常者と認識している。

 

 

「そんでだ。それにあやかってっていうか、あたしが処女喪失するまでのカウントさ。視覚的に見えて、分かりやすくていいだろ?」

 

 

 情報量の多い台詞である。ナガレはううむ、と思っていた。

 

 

「お前も随分思い切ったことっていうか、予想外の事してくるもんだなぁ」

 

「たりめぇだろ。あんたっていう予想外の塊を相手にしてんだ。このくらいやらねぇと」

 

 

 謎のマウントの取り合いというか張り合いである。

 傍から聞いている者がいたら、意味不明さに一語ごとに頭を抱えているだろう。

 

 

「気を遣わせちまってるな」

 

「気にすんなよ。好きでやってんのさ」

 

 

 笑う杏子。笑いながら、

 

 

「そうさ。好きなんだよ」

 

 

 と言った。その場で左側に反回転し、彼の前に座る。

 投げ出されたナガレの足を椅子に見立て、その上に尻を置く。

 

 

「好きだから。もっと繋がりたいから、だからこの時計を用意したんだ」

 

「お前、そんなに」

 

「ああ、ヤりたいよ」

 

 

 数センチだけの距離を隔てて言葉を交わす。

 互いの呼吸が顔に触れる。

 共に感じる臭気は同じ。

 食べたものの大半が甘い為にその匂いがした。

 そして、戦闘の残り香である血臭が。

 

 

「あと抱かれたいっていうか…前にも言ったけど、あたしは」

 

 

 犯されたい。無惨に、凄惨に。

 家族を死なせた自分が、幸せを掴んではいけない。

 それは性行為の中の快楽も含まれ、生理的に発生してしまうのであれば、せめてその喪失は無残に迎えたい。

 自分でもそれは異常と理解しているが、幸せを拒絶する強固な意識が、陵辱への願望を叫んでいる。

 

 

「あんたに犯さ」

 

 

 直後に彼女は唸り声を感じた。

 闇に深く蠢く、飢えた獣の叫びの様な。

 

 

「俺にそういう趣味はねぇ」

 

 

 杏子の言葉を彼女の口ごと塞ぎ、彼女から離れたナガレは吐き捨てるように言った。

 

 

「そん時が来たら、まともに相手してやるよ。だから生きろ」

 

 

 いつもの彼の言葉である。兎にも角にも、生き続けろと。

 そう言われた杏子の脳は、困惑と混乱、そして熱い熱で蕩けていた。

 自分から彼を求めることは、最近では呼吸とさほど変わりはない。

 しかし、今の彼の行為は。

 

 それを思い返すと、頭の中でマグマが荒れ狂うかのような灼熱を感じた。

 自分の願望の否定、それによる怒り。

 それらも滅却するほどの衝撃が、彼から唇を重ねられたという事実が魂を焼け焦がす熱となって齎されていた。

 思考能力をオーバーした事象により、脳と魂の両方が限界を迎えた。

 急速に訪れた睡魔に従うように、杏子は彼の胸に身体を埋めた。

 

 眼を閉じる寸前、将来に約束された喪失の時間までのカウントダウンの数字を見た。

 刻一刻と刻まれる数字を見て、血の滴る肉を前にした、獣の様な笑顔となって眠りに落ちた。

 

 

 

 

 










不健全だけど平和な遡り回
呉亭に向かう少し前の話です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 沸き立つ憎悪

 闇、闇、闇。

 一片の光も差さない、漆黒の世界の中に少女はいた。

 無音の世界は、怨嗟の叫びで満ちていた。

 宙に浮かんでいるのか、あるいは地面に転がっているのかすら定かではない。

 あらゆる方向から、その叫びは長い黒髪の少女に向かって押し寄せた。

 

 少女は一糸纏わぬ華奢な身体を丸め、手で必死に耳を押さえた。

 それでも怨嗟は消えなかった。

 それは彼女の内からも鳴り響いていた。

 閉ざした耳孔の中で、歯を食い縛る口の中で、体内に畳まれた臓物の中で。

 そして、彼女の心の中で。

 言葉にならない、本能からの憎悪が湧き上がる。

 

 自分の記憶には覚えが無いが、その感覚を肉体が覚えている。

 彼女を握り潰さんとして押し寄せるそれは、そんな感情だった。

 そして彼女は悟った。

 自分の意識が消えた時、自分はこれに飲み込まれると。

 その認識の瞬間、怨嗟の叫びは濁流となって彼女を包んだ。

 

 闇色の憎しみの乱流に揉まれ、少女の身体が蹂躙される。

 全身の各部を無数の手が掴み、あらゆる方角に向けて全力で引っ張る。

 鋭い牙や歯が立てられ、肉を噛み潰されて引き剥がされる。

 

 闇と憎悪の怨嗟の中、黒髪の少女は無力ながらに抗い続けた。

 抵抗とは、意識を保ち続ける事だった。

 時間経過の感覚は無く、ただ永遠とも思える時が過ぎていく。

 

 そんな中、闇の奥で何かが見えた。

 それは、微かな光であった。

 光は強さを増していき、彼女の元へと飛来した。

 炎の様な真紅の色をした、長い髪の少女の形をした光だった。

 

 

「かずみっ!!」

 

 

 怨嗟と苦痛と、絶望で満ちた無音の世界を、烈火の叫びが貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眼を覚ませ!!あたしだ!佐倉杏子だ!!」

 

 

 雷撃の障壁を突き破り、杏子はかずみへと辿り着きその身を抱いた。

 盾を用いて進んだものの、その体には幾つもの雷が掠め、身体の各部が炭となっていた。

 かずみを抱く両手は、指の何本かが雷撃で燃え尽きた為に根元から欠損していた。

 正面から抱いて背に回した両腕も、少し前まで紫電を纏っていたマントに触れている為に肉が焼け焦げ始めた。

 

 

「もういい、もういいだろ!だから」

 

 

 骨まで焦がす高熱にも怯まず、杏子は叫ぶ。

 その叫びが途絶した。

 

 

「グゥアアアアアア!!!!」

 

 

 杏子の声はかずみの叫びに掻き消された。

 それに続いて、濡れた布を引き裂くような音が聞こえた。

 確かに布が裂かれていた。

 

 布とは杏子のドレスであり、濡れたものとは杏子の肉であった。

 かずみが杏子の喉に噛み付いて一気に首を振り、彼女の喉から胸、そして腹までの肉を彼女の身体から引き剥がした。

 皮と肉がベリベリと剥がされ、喉の内側と薄い胸の下に敷き詰められた筋肉と黄色い脂肪、そして桃色の内臓が高温を孕んだ大気に晒される。

 かずみは抉った肉をがふがふと齧り、三口で口内に全て納めて咀嚼し飲み込む。

 

 

「美味い…かよ…」

 

 

 それでも杏子はかずみから離れなかった。

 激痛に顔を痙攣させながらも、彼女の背に回した腕に力を込めて強く抱く。

 かずみは再び杏子の身体に歯を立てた。

 

 皮膚を剥がされた胸の、魚卵のように並ぶ脂肪が薄い肉と共に肋骨から剥ぎ取られる。

 二口目で肋骨が一気に数本噛み砕かれ、三口目で胸に大穴が空いた。

 開いた穴に顔を埋め、かずみは杏子の胸郭を貪り続けた。

 胃と肺と心臓が喰い漁られ、両者の足元に膨大な量の血が滴り赤い池を作った。

 

 

「か…ず……」

 

 

 喰われながら肉体を再生させる杏子。

 血泡と共に言葉を吐く杏子の視界に、黒い沙幕が広がった。

 それは、かずみの羽織った漆黒の外套。

 左右にも長く伸び、一枚の翼の長さは二十メートルを優に超えていた。

 それが折り畳まれ、周囲の空間ごと杏子を包む。

 かずみに喰われながら、闇の翼に覆われた杏子。

 

 その背に何かが触れた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 その感触は、正面から杏子の肩を掴む手と同じ。

 それが続いた。

 最初は背、脇腹、首、腋、腰と尻…。

 彼女の背中の部位を複数の手が触れて撫で廻して掴む。

 杏子が知覚した手の数は二十四、つまりは十二対。

 十二人分の手。

 それが一斉に、杏子の肌に爪を立てた。

 

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 皮膚が引き裂かれ、桃色の筋肉が剥ぎ取られる。

 骨が肉から引きずり出され、脇腹からは小腸が湯気を立てながら引き出される。

 かずみの羽織ったマントの中、杏子の全身を惨劇が襲っていた。

 

 正面からは肉を喰われ、背面からは複数の手で肉体が破壊される。

 趣は異なれど、強姦の様な有様だった。

 その両方に治癒魔法を発動させ、杏子は肉体の消滅を防ぐ。

 

 増やした血肉は即座に喰われて破壊され、その度に新しい肉と血が補充される。

 負傷が常の魔法少女ではあるが、この状態は血みどろの生活を送る佐倉杏子であっても異常に過ぎていた。

 既に心臓は二十回以上喰われ、背中の肉の総取り換えは八度目に上っていた。そしてその数は増え続ける。

 今の杏子の現状は、例えるならばミキサーの中に入れられた肉塊も同然だった。

 

 全身の苦痛は激しさを増し、肉体の損傷は肉や骨の修復速度が追いつかない程に進行していた。

 だが彼女は構わず、ひたすら回復魔法を使い続けていた。

 肉体が全損したところで、自分は別に構わない。

 

 ソウルジェムは幸いにして無事が確約されている。

 どういう訳か、双樹の胎内にある自分の魂は濁っている気がしない。

 ならば、意識の続く限り魔法が行使できる。

 双樹のものらしき悲鳴が、肉を破壊される音に混じって聞こえるがどうでもいい。

 

 今はかずみの事が大事だった。

 自分の肉体を喰わせることはいい。

 だが、殺させることはしてはいけない。

 ロクデナシの自分だが、かずみに自分の死を与えてはならない。

 かずみを人殺しには絶対にさせない。

 例えそれが、自分自身でも無価値で無意味な生を送る存在であると自覚している、佐倉杏子という名の穢れた女であっても。

 

 そして彼女は信じていた。

 この現状を、打破してくれるものの訪れを。

 

 

「かずみいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」

 

 

 叫びが聞こえた。

 求めていたものの声が。

 一瞬、かずみは動きを止めた。

 

 

「待ってろ杏子ぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

 雄々しき咆哮が上がった場所は、雷撃で出来た障壁の真上であった。

 

 

「ハズい…だろ…が……ば……か」

 

 

 かずみに喉を喰い千切られて肝臓を抉り出され、地獄の苦痛に痙攣しながら佐倉杏子は血塗れの顔で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 紅、喰らう黒

 朝の温泉宿の中、一人の少女が歩いていた。

 浴衣に身を包んだ小柄な姿。

 備え付けのスリッパを通した足並みは早く、それでいて履物特有のペタペタという音を立てず全くの無音で歩いていた。

 身体からは湯気の熱気が湧いていた。

 

 長い髪も、湯煙と湯船からの水気を孕んでいる。

 並ぶ部屋の一つの前で少女は歩みを止めた。

 ドアは開け放たれ、内部の様子が見えた。

 複数の靴が入り口に並んでいたが、人影は一つとしてない。

 まだ湯気を微かに立てる湯呑と食べかけの茶菓子が、少し前まで人間が存在していたことを示していた。

 

 部屋の奥に少女は眼をやった。

 桃色の瞳の奥に、黒々とした空間の歪みが見えた。

 次の瞬間、少女はそこへと跳んでいた。

 部屋の入り口から奥までを軽いステップで飛翔する。

 

 空間の歪みへと、少女は躊躇なく飛び込んだ。

 少女が纏った甘い香りと温泉の熱の残滓が室内の空気と交わり、それらを纏わせた桃色の髪から僅かな水飛沫が飛んだ。

 それらを彼女という存在の痕跡として微かに残し、桃色髪の少女は異界の中へと消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 熱と破壊が吹き荒れる異界の中。

 その破壊が生じる場所から遠く離れた地点に、みらいとサキはいた。

 かずみによって四肢を貪り食われたサキは、かずみによる投擲を受け、今もみらいの胴体に身体を埋め込まれている。

 血だらけ、どころか脳漿と体液に塗れたサキの銀髪にみらいは手を添えていた。

 

 みらい自身もかずみによる攻撃で四肢を喪っていたが、右手だけは再生させたようだった。

 みらいの肉に埋もれながら、サキは謝罪の言葉を紡ぎ続けている。

 愛する存在とこの上なく触れあうという嬉しさと、謝罪の矛先への嫉妬を同時に受けながら、みらいは破壊の中央に視線を送っていた。

 

 中央から発せられれる、常識外れの威力と範囲の雷撃が巨大なドーム型の障壁を構築していた。

 その大きさは、一つの学校の校庭と宿舎を覆い尽くすほどだった。

 半球状に形成された障壁の頂点を、みらいは見ていた。

 

 

『あいつ』

 

 

 脳内で呟く。

 そう言った時、障壁の頂点で凄まじい光の炸裂が生じた。

 光の炸裂は一度ではなく、連続して発生した。

 光の中央に、縦長の黒い物体が見えた。

 それが光に激突し、障壁の表面を砕いて散らしているのであった。

 魔法少女の視力は、その物体を槍の様な黒い渦と見た。

 渦という通り、それは激烈な勢いで回転していた。

 切っ先を障壁に突き刺し、光を破壊している。

 

 

『アタマおかしい』

 

 

 言い終えたのと、光の障壁の一部が崩壊したのは同時だった。

 穿孔する漆黒の槍、下方へと飛翔する斬撃がなおも絡みつく雷撃を引き剥がして千切っていく。

 

 

『……』

 

 

 みらいは思念でも無言でその光景を見た。

 サキに手を置いたまま、人差し指はそちらに向けた。

 そのまま魔法を使う、というよりも魔法を消す、という意識を抱いた。

 あとはその行為を認めればいい。

 一秒考え、そしてこう言った。

 

 

『…アホくさ』

 

 

 障壁の表面を破壊し、完全にその内部へと入った時に漆黒の槍は翻った。

 巨大な黒い翼となって広がる。

 

 それを羽織るのは黒髪の少年。

 その下方では、黒と真紅の魔法少女が身を絡めている。

 黒の少女が紅の少女の肉を貪り喰らい、紅の少女は治癒魔法を全開発動させて消滅から必死に抗っている。

 

 

「かずみっ!!杏子!!」

 

 

 血深泥になって絡み合う二人の少女の名を、ナガレは叫んだ。

 叫びの元へ、漆黒の沙幕が向かう。

 杏子を投げ出し、かずみはマントが変形した翼を刃として振るった。

 

 

「かずみ!!」

 

 

 ナガレが叫び、同時に彼の背からも翼が広がる。

 共に蝙蝠を思わせる、悪魔の様な翼だった。

 金属の絶叫が鳴り響く。地に立つかずみが空中のナガレを捉えたのか、空中のナガレがかずみを地に縫い留めたのか。

 噛み合う翼は互いに絡み合い、相手を捩じ切ろうと力をぶつけ合っていた。

 

 かずみの翼の表面で、波のように黒が蠢く。

 蠢いた黒の形は、かずみの顔によく似ていた。

 かずみの顔に黒い幕を張り、輪郭を曖昧にさせたような造形。

 

 開いた口からは無音の絶叫が響いていた。

 翼を伝い、彼にもそれが伝わった。

 憎悪と悲しみを直に寄せられる経験は、杏子の絶望を喰らった時に似ていた。

 だがしかし、彼女から伝わるこれは。

 

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 かずみが叫ぶ。途端に力が倍加。

 ナガレの黒翼が引き千切られる。

 一切の瞬きをしない、狂気の渦を巻いたかずみの紅い瞳は破壊される翼を見た。

 蝙蝠に似た翼。どことなく獣の姿に似た姿の中央からは、彼女の見覚えがある物体が突き出ていた。

 みらいがかずみに向かって振った大剣。

 

 それが、蝙蝠の翼の中央から生えていた。

 障壁を貫き、破壊した力の一部がこれだろう。

 主に変わり、大剣は一矢報いたということか。

 これは彼本来の、牛の魔女かその使い魔と融合することで発する翼ではない。

 蝙蝠型の魔女モドキにみらいの大剣を接続させて造った翼だった。

 となると。

 

 

「もう一丁!!」

 

 

 彼の背中から漆黒が迸り、再びかずみの黒翼と噛み合う。

 即席且つ、障壁の突破によって消耗した翼と異なり、今度は複数の使い魔を束ねた本来の翼。

 かずみの魔翼相手にも負けはしない。

 

 

「があああああああああああああ!!」

 

 

 苛立つように叫ぶかずみは両手を振り上げ、そして降ろした。

 手の落下に合わせて十時の剣が形成され、渦巻く猛風と共に降ろされた二本の剣をナガレは斧槍である牛の魔女で受け止める。

 みらい以上の剛力に、一撃で彼の膝が崩れて右膝が地面に激突する。

 

 

「がう!!ガウ!!ウウウウ!!!!」

 

 

 得物と翼を組み合わせながら、かずみは血みどろの顔を咆哮と共に前に突き出す。

 唾液が溢れる口を開き、血と唾液塗れの歯をガチガチと組み合わせて噛み付きを見舞い続ける。

 回避し続けるが、ナガレの頬が齧られ腕からも出血する。

 当然、肉が減れば二本の剣を押し留める力も弱まる。

 この拮抗状態は長く保たない。

 

 

「か、ず、み、ぃぃいいいいいい!!!!」

 

 

 かずみの背後から、杏子が血深泥の叫びを伴い飛び掛かった。

 地面を蹴った瞬間、彼女の腹は裂けた。

 かずみの怪力で延長させられていた背骨、そして内臓で辛うじて上半身と繋がった状態で下半身は地面に落ちて跳ねた。

 手も殆どが喰われ、手首から先は骨が突き出た肉の断面となっている。

 

 残る腕と肘を使って杏子はかずみを背後から抱き締めた。

 外套が蠢き、かずみと酷似した貌が彼女の肩に、杏子の顔の眼の前に形成される。

 黒い顔の口が大きく開いた。口内には米粒のように綺麗で並びの良い黒い歯が見えた。

 その顔が杏子の顔に喰らい付く瞬間。

 

 

「ぐぅぅあああああああああああ!!!!!」

 

 

 杏子の咆哮。びちっという音が鳴った。

 その音は、杏子の口が裂けた音だった。

 喰らわれたのではない。

 

 喰う為に耳の辺りまで一気に広がったのだった。

 かずみから生じた、かずみの顔を喰らう為に。

 そして流血を伴って開いた口が閉じられた。

 悍ましい音を立て、杏子はかずみから生じた闇を喰らった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 紅、喰らう黒②

「がふっ…はふ……がふ」

 

 

 獣の声を上げ、杏子は顎を動かし舌を蠢かせて喉を鳴らした。

 全身隈なく傷を付けられ、腹の辺りで横に引き裂かれた下半身は地面に横たわっている。

 桃色の内臓が上半身との懸け橋となり、その上半身はかずみの背後から彼女の身体を抱き締めている。

 

 当のかずみは獰悪な叫びと共に顔を前に突き出し続けている。

 振り下ろした二本の剣を斧槍で受け止めたナガレ。

 その彼の肉を喰らおうとしての捕食行動であった。

 それに完全に夢中になっているが故、かずみは背後の杏子への注意が逸れていた。

 

 かずみを抱く杏子の両手首から先は、醜い肉の断面を見せて消失していた。

 抱き着いている相手であるかずみに、貪り食われたのだ。

 手だけではなく、各部の肉に肋骨に心臓、肺と胃までが喰われていた。

 その度に杏子は治癒魔法を全開発動させ、消滅に抗いながらかずみの名を叫び、彼女に己の肉を喰わせ続けた。

 そんな杏子が今、逆にかずみを喰らっていた。

 正確には、かずみが羽織った外套から生じた、かずみに酷似した漆黒色の貌の隆起を。

 

 杏子を喰らおうとして口を開けていた黒色のかずみの貌は、逆に杏子によって捕食されていた。

 鼻から上が消失し、半円形の断面を晒している。

 断面には何が起こったのか分からず、死にかけの蟲の手足のように痙攣する舌が見えた。

 

 

「ぐぅああ!!」

 

 

 それを、杏子の口が飲み込んだ。

 大きく開いたそれは、耳まで裂けた口だった。

 比喩ではなく、物理的に頬肉が引き裂け、耳たぶ近くまで口が広がっていた。

 血塗れの口で、漆黒のかずみの貌を完全に口内に収めた。

 

 既に喰らっている顔半分と同じく口内で噛み砕き、ごくりと飲む。

 杏子の喉を黒いかずみの挽肉が嚥下されたその瞬間、杏子の脳裏に感情の波濤が押し寄せた。

 無数の鋭角で構築された針の珠、腐敗しきった肉塊の様な粘つき、雷撃を伴う硫酸。

 

 嫌悪と不快感、そして絶望を滲ませたその感情の種類は『憎悪』。

 杏子にはそれが直ぐに分かった。

 彼女自身も、その感情を糧に生きているという一面がある為に。

 少し前まで、杏子はナガレを憎悪し依存していた。

 今は恋敵二匹を憎悪し生きる活力としている。

 

 しかしかずみから流れてきたそれは、杏子が抱く憎悪とは異なっていた。

 かずみが抱いていたのは、生きる事と真逆のもの。

 杏子にはそう思えた。

 喪失と消滅。

 それを渇望する思い。

 それが遂げられない事の哀しみと絶望。

 そして、自分にそれを突き付けた者達への憎悪。

 

 曖昧模糊とした感情の奔流が、それを喰らった杏子の中で暴れ狂う。

 再生したばかりの胃が煮立ち、体内から腐っていく感覚。

 杏子の魂にも憎悪の毒液は滴り落ちた。

 その感情で杏子を染め上げるべく、彼女の魂の上をかずみの憎悪が皮膜のように覆う。

 杏子はそんなイメージを抱いた。

 

 体内と心中で暴れ狂う感情の波濤。

 それを咀嚼する杏子。

 その眼の前に、複数のかずみの貌が浮き上がった。

 動きの低下した杏子を、今度こそ喰らおうとして黒い歯を剥き出しにして一斉に襲い掛かる。

 

 牙のように鋭い歯、秀麗な顎、可愛らしい鼻、子供特有のふっくらとした頬。

 その全てが一瞬にして抉られた。

 かずみ達の肉体の一部が。

 

 

「がぅぅぅううううううう!!!!!」

 

 

 咆哮を上げる杏子。

 口の端からはかずみの黒い肉片が零れている。

 それを引き裂けた口の中から伸ばした舌で丁寧に受け止め、恭しささえ感じる動作で口内に導き、蛮性の塊の動きで噛み砕く。

 

 

「がぅうう!!うううう!!!」

 

 

 次いで噛み付きの連打。

 発生した四体のかずみの貌が杏子によって捕食される。

 当然、憎悪の塊を捕食した事により杏子の体内で感情が炸裂する。

 体内で無数の針が生じ、肉体の外へ向かって伸びていく感覚。

 針の表面からは毒液が分泌され、針による肉体破壊に並行して杏子の肉体が生きながらに爛れて腐っていく。

 だが、かずみの狂気に汚染されていながらに、佐倉杏子は佐倉杏子であり続けた。

 

 かずみの狂気は杏子の心を傷付けはするが、壊せなかった。

 憎悪で満ちた狂気の奔流の中、杏子の脳裏には地獄の光景が浮かんでいた。

 

 首を吊った父親の姿。

 

 首を切られて血の海に沈んだ母と妹。

 

 それらの前で、呆然と立ち尽くす嘗ての自分。

 自分が願った為に呼び寄せた、何よりも大切だった家族の破滅。

 そのビジョンが鮮明に脳裏に浮かび、杏子に激烈な苦痛を与えていた。

 それが杏子に、心を砕いて狂わせんばかりの苦痛を与え、かずみの狂気から守っていた。

 この上なく破滅的な精神防壁であった。

 

 狂わんばかりの苦痛の中、杏子は狂わず自らの意思で行動していた。

 湧き上がった心の闇を喰らう。

 嘗てナガレに精神の中でされたことを、杏子は実体として行っていた。

 杏子に喰われるかずみの憎悪。

 しかしそれらは際限なく湧き、杏子に向かって襲い掛かる。

 

 杏子はそれらを片っ端から捕食し、捕食を逃れたかずみの憎悪が杏子の身体に歯を立てる。

 肩が喰い千切られ、杏子の喉にかずみの歯が埋まる。

 対する杏子の反撃で、喰われた自分の肉ごと彼女はかずみを喰らう。

 本体のかずみもナガレを喰らおうと噛み付きを繰り返す。

 ナガレはそれを回避していくが、顔の表面の皮膚が削られ血が啜られる。

 

 喰って食われて喰らい合う。

 悍ましい交差が続いていく。

 その様子を、じっと見つめる者がいた。

 装甲されたサイを模した姿の中にいる者が。

 

 杏子によって雷撃を防ぐ盾と、雷撃の障壁を貫く槍とされた双樹である。

 用済みになった後に投げ飛ばされ、仰向けになった体勢で双樹は悍ましい光景を眺めていた。

 

 

「…嗚呼」

 

 

 双樹は呟く。

 陶酔に満ちた声だった。

 

 

「なんと、素晴らしい……生と死の交差、憎悪と哀切と思い遣り…」

 

 

 声は震えていた。

 彼女の双眸からは、涙が滂沱と溢れていた。

 

 

「なんて醜く………美しい」

 

 

 血深泥で絡み合う面々を、双樹は微笑みながら見守っていた。

 演技をしているのではなく、本心からそう言っていた。

 言いながら、下腹部を愛おしげに撫でた。

 胎内の子宮の中にある魂の宝石を肉越しに愛でる撫で方だった。

 まるで宿した胎児を労わる母親のように。

 

 その時、銀の装甲を纏ったサイの中にある双樹の眼に、桃色の光が映えた。

 それは天から降り注いでいた。

 全てを優しく照らし出し、清めるかのような光だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話 注ぐ光、駆ける闇

 光が降り注ぐ。

 桜の花弁にも似た色彩の、鮮やかで柔らかな色だった。

 それはかずみが展開した雷撃の障壁を薄紙のように貫き、雨あられの如く降り注ぐ。

 光は障壁の中にいるかずみとナガレ、そして杏子にも着弾した。

 その光の形は、弓矢。

 鋭い鏃は皮膚を貫かず、体表に触れた途端に弾けた。

 

 

「ああ、ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 光の中、かずみは叫んだ。苦痛の叫びだった。

 まるで幼子が、全身に熱湯を浴びせられ、のたうち回る中で更に湯を浴びせられているかのような悲惨な叫びをかずみは上げる。

 ナガレへと振り下ろした二振りの剣を握る手が開かれ、黒い十字架のような剣が滑り落ちる。

 

 

「ああああ!!!!あああああああああああああ!!!!!」

 

 

 口からは杏子の血が唾液と共に飛ぶ。

 羽織ったマントにも異常が生じていた。

 光が着弾した黒い外套から湧き上がる、黒いかずみの人面たちも苦しんでいた。

 無言の絶叫を挙げる口は引き裂け、顔の輪郭が蕩けて崩壊していく。

 崩壊しながら再生し、また崩れていく。

 

 

「かずみ!!」

 

 

 名を呼ぶ叫びは二つ。

 ナガレと杏子である。

 崩れ落ちるかずみの身体を、彼女の前に立つナガレが抱きかかえて支えた。

 

 

「ごぶ…」

 

 

 ナガレが受け止めた時の衝撃でかずみの矮躯が揺れる。

 その途端、彼女の貌が黒く染まった。

 眼と鼻と耳孔と口。

 顔の穴という穴から、黒い液体が溢れ出した。

 

 コールタールのように粘つく黒は、破壊された赤血球。

 呼吸の度にかずみの顔からは黒が溢れた。

 そして桃色の光の着弾の中、かずみは苦痛の声を漏らし続ける。

 杏子は声にならない声を上げた。

 声の成分は激烈な憎悪。

 

 叫びながら杏子は光の根源を探した。

 降り注ぐ光の痕跡を、視力と魔力を用いて探る。

 

 

「そこか…」

 

 

 昏い声で呟く。無数の光の線は、上昇からの垂直落下であると分かった。

 その根源を杏子は見つけた。

 桃色の光の先に、小さな影が見えた。

 見えたのは黒いローブ姿。

 修道女か或いは暗殺者か。

 杏子は後者と見た。

 こちらに向けて伸ばされた左腕に、光を放つ桃色の可憐な小さな弓…クロスボウが見えた。

 

 瞬間、杏子の脳は沸騰した。

 手が翻り、召喚された槍が何かを切断し、何かを掴んで絡みつく。

 その中で女の悲鳴が生じたが、杏子は全く意識しなかった。

 

 

「くたばれぇええええええええええええ!!!!!」

 

 

 叫びと共にそれを掴み、地面が割り砕かれるほどの力で地面を踏みしめる。

 全身の力と魔力を用い、槍で束ねた何かを投擲した。

 腕が消えたかのようにぶれた、と見えた時に結果は出ていた。

 

 桃色の光を引き裂き、巨大な物体が飛翔しその先にあるものへと激突した。

 喪失していた手や、喰らわれ続けて空洞になっていた腹の中は臓腑で満ちて傷も塞がり、そもそも上半身と離れていた下半身が接続されていた。

 それらに、この時の杏子は気付かなかった。

 

 ただ彼女は、自分の行動の結果を見ていた。

 彼女が投擲したのは、ナガレが製作した闇色の翼。

 その中央に双樹が纏ったサイ型の魔女モドキの角を乗せ、槍で雁字搦めにした異形の翼だった。

 それが桃色の光を引き裂いて飛翔し、その先にいる少女の胴体を貫いていた。

 

 華奢な胴体の直径が、巨大な角によって貫かれ、強引に拡げられていた。

 銀色の角の先には、赤桃色の内臓が絡みついていた。

 その様子を見て、杏子の口は吊り上がっていた。

 かずみの闇を喰らう為に、自ら引き裂けさせて開いた口は今は傷が閉じていた。

 それなのに、それに劣らぬ邪悪な形状となって口を開いて笑っていた。

 その表情が苦痛に歪む。紅い眼は、ナガレが杏子に蹴りを放った瞬間を捉えていた。

 

 

「逃げろ!!」

 

 

 かずみを抱きながらナガレは叫んだ。

 杏子はそれに従い、地面を蹴った。

 次の瞬間、視界が黒で覆われた。

 そして顔に灼熱と熱さを感じた。

 杏子が上げた叫びはくぐもっていた。

 叫びが解き放たれたとき、杏子の顔から赤い飛沫が飛んだ。

 顔を押さえた杏子が見たものは、黒く巨大な沙幕だった。

 

 黒い翼。

 奇しくも杏子がつい今しがた投擲したものと種類は同じだった。

 だがその輪郭は妙に歪み、翼の端は直線ではなくいくつもの湾曲を描いているように見えた。

 まるで粘度か液体で出来たかのような翼だった。

 その姿が歪む。

 寸前、杏子は叫びと共に腕を振った。

 

 

「くっ…」

 

 

 苦鳴が聞こえた。

 空中に黒と紅が飛び散った。

 その色の線を曳いてそれは飛翔した。

 眼で追った時には、その存在は杏子が投げた翼の元へと辿り着いていた。

 直後、金属音が鳴った。

 

 かずみを左手で抱きつつ、ナガレは残る右手で握った斧槍で振っていた。

 杏子の背後に、血で濡れた銀色の角を先端に頂いた巨大な黒い翼が転がっていた。

 中央で真っ二つに切断され、杏子の背後へと流れたナガレ手製の翼である。

 ナガレは斧槍を構えながら、杏子は槍を手に持ちながら前を見据えた。

 

 距離を隔てた先に、二人の少女がいた。

 一人は桃色の縁取りがされた黒いローブのボウガン使いの少女であり、それを抱くのもまた黒いローブの少女だった。

 黒いローブは、タールか粘液で構成されたようにドロドロとした質感となっていた。

 顔を覆うフードは黒い翼に相応しいように、黒い鳥の頭部を模した形となっていた。

 フードの側面には拳よりも大きな眼球状の膨らみがあり、それは杏子を睨んでいるように見えた。

 その下にある、黒髪の少女の眼と同じく。

 

 異形の鳥を思わせる姿の黒髪少女は、桃と黒のローブの少女を抱いていた。

 お姫様抱っこの形にされた少女の腹部には、銀の角で開けられた巨大な孔が空いていた。

 赤桃色の肉の中身が見え、血が滝のように滴っている。

 それを抱く少女もまた、露出が高い衣装の剥き出しになった腹に深い傷を負っていた。

 杏子を襲撃した際、彼女から受けた横薙ぎの斬撃による傷である。

 

 黒い少女は杏子を呪い殺さんばかりの眼で睨み続け、杏子も不可解な闖入者達を睨んでいた。

 杏子の顔は赤と白で出来ていた。

 顔の皮が引き剥がされ、筋肉が剥き出しになった顔。

 肉が深く抉れた部分からは顔の骨が覗いている。

 剥き出しになった顔で、紅い瞳の眼球を血に染めながら杏子は黒と桃色の少女達を睨み続けた。

 

 殺意に満ちた視線を浴びながら、黒の少女は膝を撓めた。

 伸ばした時には、その姿は空高く舞い上がっていた。

 結界の果てまで瞬く間に飛翔し、そして姿を消し去った。

 それからナガレは周囲を見渡した。

 

 近くにいた筈の双樹は消え、安全圏である彼方に置いておいた正体不明の魔法少女二名の姿も無かった。

 これにて仕舞いと、彼は魔女に命じて治癒魔法を発動させた。

 手の中では、かずみが今も虫の様な痙攣を続けていた。

 魔女の魔力を受け、かずみの呼吸は少しずつ安らかになっていった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 戦い終えるも、厄介事はまた来る

 絶え間ない金属音が続く。

 振られるのは闇色の斧槍と真紅の十字槍。

 黒髪の少年と赤髪の少女は、今日も今日とて互いの命を奪い合っていた。

 

 既に戦闘開始から三十分。

 双方の間で攻めと防御、先の先を読みながら時に意表をついて防御を崩し、また崩されたと見せかけて相手を自分の領域へと誘い相手を刻む。

 当然の結果として負傷し、血と体液が宙に舞う。

 舞ったそれらが剣戟の交差で切り刻まれ、水滴から飛沫へと変わる。

 肉が削られ骨にも刃が掠める。

 

 血と体液に塗れた命と命の奪い合い。

 ある魔法少女は、愛する者との間で繰り広げるこれを、性行為と捉えて認識した。

 その認識は彼女の中では概念と化し、挙句の果てにそれはウイルスか呪いのように伝播し、彼女の恋敵二名にも伝染した。

 

 いや、伝播したというのは語弊があるかもしれない。

 遅かれ早かれ、この領域に至ったのだろう。

 要は早いか遅いかの違いである。

 今もこれが繰り広げられていた。

 

 少年の方にその意識はないが、少女の方にとって、彼と繰り広げるこの行為は性行為に等しいものだった。

 実際の行為は未経験でありながら、彼女はそう認識していた。

 彼が、ナガレが応じてくれないためにそうなってしまっているというのもあるが、なんとも皮肉で異形な愛の形であった。

 しかしながら愛は愛。

 命を繋ぐ器官が熱を帯びて疼き、表情には獰悪さと恍惚さ、そして相手の命を喰らおうとする蛮性が顕れる。

 その筈だった。

 

 

「………」

 

 

 ナガレと杏子の間には沈黙が流れる。

 咆哮すら上がらない。

 ナガレが黙っているのは相手が黙っているからである。

 杏子はと言えば、何かを考えている表情で、戦術自体は並行思考と本能で繰り出していた。

 性欲に関しては今は皆無であり、表情は虚無的であった。

 

 

「休むか?」

 

 

 交差の最中、繰り出された槍の一閃を斧槍の腹で受けてナガレは言った。

 

 

「…あぁ」

 

 

 杏子は頷いた。

 これまでに負った負傷は、互いの右肩を縦に割る一閃は共通し、杏子は脇腹を切り裂かれている。

 ナガレは胸板を横断する傷。

 

 人並みの程度で言えば、本を読んでいたらページによって指の先をペーパーカットで軽く切れたという程度だろうか。

 ナガレは得物を肩に担ぎ、杏子は槍穂を異界の地面に突き立てた。

 またこの場所は言うまでも無く、牛の魔女が展開した魔女結界である。

 

 

「二日経ったね」

 

「ああ」

 

 

 負傷を癒しつつ、事実を確認し合う。

 

 

「かずみの様子は…聞くまでもねぇか」

 

「昨日あたりから落ち着いてきたな。こいつの使い魔に見張らせてっけど、今はすやすや寝てる」

 

「そりゃよかった」

 

 

 杏子は安堵の息を吐く。

 次の瞬間、その顔に憎悪が煌く。

 

 

「あいつら……何だったんだろな。あいつらの一人、黒桃色の女の矢を浴びてから…かずみはああなっちまってる」

 

「それは間違いねぇだろうが…妙だよな」

 

「あぁ。あたしらはあの光で傷が癒えた。でもかずみは」

 

 

 その時の光景を思い出し、杏子は言葉を止めた。

 顔中からコールタールの様に黒々となった血を噴き出すかずみの姿は凄惨に過ぎていた。

 自分たちが戦闘によって追う負傷と比べたら軽いほうだろうが、受けるのと見るのとはまるで異なるようだ。

 

 

「そもそも俺達は、かずみについて知らな過ぎるな」

 

 

 杏子は頷いた。

 

 

「魔法少女、だとは思うんだけどな。ソウルジェムも少し変わってるとはいえさ」

 

「それ初耳だな」

 

「あー、そっか。あんたに見せて無かったな。あいつのソウルジェム、ちょっとグリーフシードに似てるんだよ」

 

「…なんで俺、それ知らないんだっけ?」

 

「悪いね。なんかあれ。生理とかみたいな性の話題的に思ってたから、男のあんたに話しにくかった」

 

「…そうか」

 

 

 生々しい事例を言われ、ナガレは納得したことにした。

 そういえばソウルジェムの形に差が無い事自体、今初めて知った。

 

 

「それにしても…あいつ」

 

 

 杏子がギリギリと歯を噛み締める。

 脳裏に浮かぶのは、黒ベースで桃色の縁取りがされたボウガン使いの魔法少女の姿であった。

 

 

「断言する。あのローブ女は絶対にロクデナシだ」

 

 

 憎悪と共に吐き捨てる。

 

 

「あの服装見たか?桃の胸当てに同じ色のミニスカ。そんでもって残りは濃紺のタイツときてやがる」

 

 

 姿を思い出しながらの杏子の言葉は、一語一語が毒で出来ているかのような趣があった。

 

 

「何をどう願えば、あんなエロい格好になるんだ?男を誘ってるとしか思えねぇ姿だ。あのローブ姿も、桃色の縁取りを唇としたらあの腐れウナギっていうか量産機そっくりに見えるしよ」

 

 

 強引なこじつけさえ交えて杏子は語る。

 大嫌いなものに存在を重ねるあたり、杏子は相当に少女を嫌っているようだ。

 

 

「量産機って言えばもう一体いたな。あの黒いドロドロした鳥みてぇなの。あいつも魔法少女だろうけど、あれは」

 

「ドッペルか」

 

 

 ナガレが補足する。杏子は頷いた。

 

 

「それだ。おかしいよな?あれって腐れメスゴキブリの話だと、神浜だけの謎現象のハズなんだけどな」

 

 

 あの腐れ女の話を信じることが間違いか。と杏子は納得した。

 キリカの事を、杏子は完全な狂人と信じて疑わない。

 

 

「あたしが喋ってばかりだな。あんた、何か話す事あるかい?」

 

「さっき新聞読んでたら、妙な記事を見つけたな」

 

「へぇ。どんな?我らが風見野の自警団長が、遂に危険思想に至ってテロ行為したとか?」

 

 

 口端を歪ませて不愉快そうに杏子は言う。

 リナの雷撃で身体を焼かれた事を未だに根に持っているらしい。

 

 

「こないだの山の事についてでな。なんでも、昔の特撮作品のキャラに似たコスプレをした変態が、女二人を抱えて猛スピードで下山していく様が目撃されたんだとさ」

 

「そいつぁ変態だろうな。聞いてるこっちが正気を疑いそうになる」

 

 

 時期と状況的に、犯人は一人というか三人しかいない。

 双樹と雷撃遣い、そして桃色髪の大剣遣いの少女の行方は分からなかった。

 かずみの手がかりではあるが、あの状況では追撃は不可能だった。

 しかしあすなろにいる事には違い無さそうであり、近々捜索を再開する予定であった。

 

 再開といえば、もう一つ再開すべき事象があった。

 会話をしている間に、ゆっくりと行っていた治癒が完了していた。

 治れば、やる事は一つだった。

 会話を打ち切り、どちらともなく得物を構える。

 その時、地面を蹴る音が鳴った。

 続いて號と吠え猛る様な風切り音が生じる。

 

 杏子は槍を構えた直後に投擲していた。

 予想外の事ではあったがナガレは即座に対応した。顔面に向けて飛来した槍を、彼は斧槍で弾いた。

 宙高く舞い上がる真紅の十字槍。

 ナガレは杏子に注意しつつ、打ち上げられた槍も警戒していた。

 杏子は怪訝な表情をしていた。

 彼女もまた槍を見ていた。

 自分のやった行為を、理解していないような困惑さが杏子の顔に顕れていた。

 

 四つの眼が見上げる中、槍は急激に質量を増大させた。

 一瞬にして、巨大な影が両者の上から地面に降り注いだ。

 槍は全身を装甲された巨大な蛇龍の姿となっていた。

 魚と爬虫類に似た金属の貌と複数の節で構築された蛇腹の胴体。

 全長三十メートルに達するそれは、異界存在の模倣体。

 ウザーラと呼ばれる怪物が、杏子の槍が変じての模倣とは言え魔女結界の上空に顕現していた。

 

 

「…何でだ?」

 

 

 杏子が疑問の声を発した。

 杏子の槍が変わった存在である以上、これは杏子の支配下に置かれている筈だった。

 彼女の声は、その事実を否定していた。その様子が嘘とは思えなかった。

 その蛇龍の顔が、主である杏子の方を向いた。そして巨大な口が開いた。

 杏子の疑問を塗り潰すように、開いた口内には輝く光球が構築されていた。

 

 

「おい、ちょっと待」

 

 

 杏子が言い終わるのを待たず、ウザーラは口内のプラズマを放った。

 凄まじいエネルギーが炸裂し、爆炎と衝撃波が吹き荒れる。

 

 

「なんだってんだよ!?」

 

 

 杏子が叫ぶ。炸裂した光を寸前で回避し、杏子は破壊の力から逃れていた。

 地面には巨大な穴が空き、溶岩を噴き上げる火口のような有様となっている。

 破壊から回避した杏子であったが、ドレスの端が焼け、胸元の布は爆ぜていた。

 薄い胸が突起を露出させない程度にはだけさせられていた。

 その状態を杏子は不服と思い、自分で態々ドレスを弄って胸を露出させた。

 ナガレは目の錯覚と思うことにした。

 

 錯覚、というのは他にもあった。

 真紅の十字槍が変じた存在である、ウザーラの模倣体は当然ながらその色を受け継いでいた。

 その色が、二人の見上げる前で変化していった。 

 色が濃さを増していき、そして薄れていく。

 赤から黒へ、黒から紫へ。

 その色に、杏子は眉を跳ね上げた。

 不愉快な存在を思わせる色であった。

 

 真紅の蛇龍であるウザーラは、紫色になっていた。

 杏子には正体が分かった。

 同時に、ナガレもそれを察した。

 

 

「やぁ、ナガレ」

 

 

 声が響いた。

 快活そうな少女の声。

 

 

「元気だったか?私は元気だぞ!」

 

 

 声は続く。

 声の発生源は、空に浮かぶ巨大な影。

 紫色に染まった蛇龍、ウザーラの口から生じていた。

 無数の短剣のような牙が並ぶ開いた口の隙間から、少女の声が鳴り響く。

 

 

「そうみてぇだな、麻衣」

 

 

 ナガレはそう返した。

 そう呼ばれた存在、紫色のウザーラは巨大な顔をナガレに向けて近付けた。

 まるで主に甘える馬のようだった。

 その一方で、佐倉杏子の事は完全に無視している。

 杏子は眉を不愉快そうに痙攣させながらその様子を見ている。

 

 いつもとは異なる、そしていつも通りの最悪の雰囲気の中、ナガレは『魔法少女ってほんとすげぇな』と思っていた。

 言うまでも無く、今発生している事柄は、そういう問題どころではない異常な事象である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 解き放たれた悪鬼ども

「会うのは久々だな、ナガレ。ん?どうした?悩みでもあるのか?こんな私でよければ話を聞くぞ?」

 

 

 異界の中、朱音麻衣の声が響く。

 声の発生源を、ナガレと杏子は見上げていた。

 そこにいたのは、巨大な機械の蛇龍。

 元はと言えば異界の地球にて建造された存在。

 先史文明であるアトランティス帝国によって造られた、守護神であり文明の箱舟。

 

 それを奇妙な経緯で、この姿になる前のナガレが拾い、その記憶を垣間見た事で佐倉杏子が巨大槍を元に作り上げた模造品。

 本来は黒、杏子作のものは赤。

 これも元は赤だった。

 今は全体的に紫色となっている。

 

 上空で蛇行する巨体の長さは、五十メートルにも達していた。

 朱音麻衣の声は、そこから発生しているのだった。

 音の発生源を細かく探れば、蛇と肉食魚を合わせたような頭部の口から出ている事が分かるだろう。

 これまで奇妙で理不尽で意味不明な状況は多々あったが、これはその中でも異常な一幕であった。

 

 

「太り過ぎだ」

 

 

 杏子が嫌悪感を交えて呟く。

 彼女が召喚する模造品の大きさは、精々が三十メートル程度だからだ。

 蛇行する紫の蛇龍が、びくりと震えたような気がした。

 鋭い角度で描かれた、中心にバツの字が入った眼が杏子を見据える。

 

 

「ハァ…」

 

 

 鋼の蛇龍の口が開く。

 開いた口には、びっしりと槍穂の様な牙が並ぶ。

 それらが並ぶ金属の隙間の間からは白い蒸気が漏れた。

 

 

「相変わらず君は苦労しているようだな、ナガレ」

 

 

 杏子から眼を逸らし、ウザーラは…朱音麻衣は言った。

 呉キリカが佐倉杏子の身体を乗っ取った時は佐倉キリカの名が使えた。

 今は最早分からない。

 便宜上、朱音麻衣と表記する。

 

 

「別に。特段苦労もしてねぇよ。俺は今も昔も適当に勝手気ままに生きてるからな」

 

「謙虚だな。それでいて自由を愛する事を肯定するか。やはり君という存在は会話する度に、いや、同じ時を生きてるだけで好きになれる」

 

 

 鋼の巨体が身をくねらせて宙を舞う。

 悦びの表現のようだ。

 

 

「にしても随分と器用な事が出来るようになったな。やっぱお前らは凄ぇわ。何をやらかすか全く予想出来ねぇ」

 

「そうでもない。コツさえ掴めば簡単だ。要は武器の召還や念話の応用だな」

 

 

 冷静な分析を、上気して弾んだ声で告げる麻衣。

 巨体は捩じれに捩じれ、それが麻衣の感情を表現していた。

 彼に褒められ、嬉しくて仕方ないのだろう。

 彼はと言えば、褒めているのは確かだが多少の冗談めいた皮肉も混じっている。

 馬鹿にしてなどいないのだが、ナガレでもこの展開は予想外だった。

 精々、また杏子の身体が乗っ取られるのではという事の想定はしていた。

 その結果がこれである。

 

 

「なるほど。要は考え方次第って事か…お前らからは学べることが多過ぎる」

 

 

 ナガレは感心していた。

 こいつも大概だろう。

 毎度毎度異常なトラブルと魔法少女からのヤンデレ行為に巻き込まれるから、異常な現象に慣れた…というのではない。

 多少の影響を与えているのは確かだが、元々からして精神と魂が頑強すぎるのである。

 バカとも言う。

 

 

「ああ、嬉しい。嬉しいなぁ…君が褒めてくれるなんて。私を意識してくれるなんて」

 

 

 熱で濡れた声が響く。

 声に合わせて上下左右に、巨大に過ぎる存在が動く。

 

 

「ああ……ああ!ああ!」

 

 

 叫びが鳴る。

 発生源が巨大であるだけに、それは音の衝撃となっていた。

 ビリビリという空気の震えに、ナガレと杏子が耐える。

 

 

「なんだ…なんだ、この幸せは!震える…魂と、この鋼の身体が喜びと殺意で震えるぞ!!」

 

 

 感情のままに叫び、身を絡める麻衣。

 不穏なワードが混じっていたが、それも彼女の素直な心だった。

 愛している。

 だから戦いたい。

 そして殺したい。

 狩人が獲物に抱く敬意と似て、それとは異なる感情を麻衣はナガレに抱いていた。

 その感情と喜びを、麻衣は全身で表していた。

 これが生身であるのなら、彼女は悶絶しながら地面をゴロゴロと転がっているのだろう。

 

 しかし、今は。

 

 

「ハリガネムシかよ」

 

 

 巨大な蛇腹が動く様子を、杏子はそう吐き捨てた。

 麻衣は機械の眼で一瞥したが、それも一瞬だった。

 再び蛇行が開始される。

 横から縦へと軌道が変化し、上昇していく。

 ぐねぐね、ぐねぐねと。

 

 巨体が動く様は、杏子の皮肉の通りだった。

 上昇は続く。

 ナガレと杏子の首の傾斜は斜め上から垂直になっていた。

 牛の魔女が創る異界は薄暗いが光源はある。

 太陽を模しているのか、上空にはそれっぽく輝いている場所がある。

 麻衣はそこに向かっているようだった。

 空に向かって蛇龍が口を開いた。

 

 既に米粒程度の大きさとなっていたが、巨体が発する威圧感は衰えていない。

 世界を喰らうかのように口を開けた姿が、巨大な影絵となって異界の地面に降り注ぐ。

 

 

「黙れよ」

 

 

 声が生じた。

 佐倉杏子の眼の前だった。

 彼女の隣に立つナガレはそれを眼で追った。

 日本刀を模した尾の末端が微かに見えた。

 その時の彼は、突如として生じた猛風によって吹き飛ばされていた。

 異界の地面に靴の跡を轍のように刻みながら停止した時、遥か彼方から

 

 

「ははははは!どうだ佐倉杏子!痛いか?苦しいか?それなら幸いだ!存分に生を呪い、この地獄で苦しむがいい!!!」

 

「うるせえ発情紫髪!!!あたしの地獄はテメェなんぞに再現できるか!!!!」

 

 

 二人の少女の叫びが聞こえた。

 彼方の光景は、巨大な蛇龍が仰向けとなった杏子を口先で咥え、彼女の全身を無数の牙で貫いていた。

 杏子は牙でズタズタにされながらも、蛇龍の鼻面に向けて槍の連打を見舞っていた。

 杏子の体内から溢れる血が、まるで風にはためく真紅の旗のように見えた。

 行動を顧みると、彼や杏子ですら反応できない超高速で落下した麻衣=ウザーラが杏子を咥えて連れ去ったのだろう。

 単純だが、あれだけの巨体で異常な速度を持っている点が彼としても信じられなかった。

 明らかに杏子が呼び出すものよりも強く、麻衣にはそういった適性があるのかとさえ感じていた。

 

 しかし思索にふけるのは後である。

 今は遠くで展開される地獄の光景を終わらせるのが先だった。

 

 

「頼むぜ」

 

 

 彼は呟く。数秒経過したが何も起きない。

 手に握る斧槍に力を込める。

 ここで漸く斧槍が力を彼に与えた。

 ナガレの背から黒翼が生まれ、地面に翼を叩き付ける勢いで強く振られた。

 天高く舞い上がり、それから二人の後を…。

 

 

「「邪魔するな!!!!!」」

 

 

 叫びが轟いた。

 それは思念と声の両方で行われていた。

 咄嗟に身構えた彼を、真紅の槍の斬撃が襲い、声を上げる間も無く吹き飛ばされた彼の元へと巨大に過ぎる尾が向かった。

 

 間髪で回避したが、僅かに左肩が掠めていた。

 瞬間、彼の左肩は破裂して赤黒の霧となった。

 ナガレの身体自体も急降下し、地面へと激突した。

 激突の瞬間、黒翼が常に纏っているダメージカットが発動したものの、地面は直径十メートルほどの半球状に潰れた。

 その中央にナガレが仰向けに倒れていた。

 

 

「あ、の…」

 

 

 ごふっと血を吐きながらナガレは言った。

 常人なら即死どころか人体は赤黒の染みとなって地面を染めている。

 それながら、彼は生きている。

 異常なまでに頑丈な、彼の肉と骨である。

 しかし最も恐ろしいのは彼の精神力だった。

 黒い瞳の中には、苦痛よりも怒りがあった。

 

 

「ガキ……ども………!」

 

 

 日ごろから魔法少女、特に杏子やキリカに理不尽過ぎる目に遭わされ続けるナガレ。

 なんだかんだで流血と理不尽と性愛を赦しているが、流石に限界はあるのである。

 

 

「ふ、ざ、け…」

 

 

 怒りの声が喉と魂の奥から絞り出される。

 呼気が炎と化していないのが不思議なくらいの怒りが籠っていた。

 憎悪でも敵意でも怨恨でもない。

 ただの怒りである。

 それは正しい怒りであるのだろう。

 

 声と共に立ち上がろうとするナガレ。

 骨が砕かれていたが、彼は斧槍を握り締めていた。

 杖にしようと傾斜させたとき、彼は不思議なものを見た。

 

 斧槍の中央にある孔。

 普段はそこに日用品やら武器やらを内蔵している。

 魔女は相棒であり武器であり、便利で高性能な鞄的な扱いでもあるのだった。

 

 そこから、白い手が伸びていた。

 白とは手袋の事である。

 手袋に包まれていても、細く美しい指であることが一目で分かった。

 左右に軽く振られた、と見えたら影絵のような動物の顔を指で作った。

 形から見てキツネだろう。口に見立てた部分を上下させている。

 

 

「ホントにねー、ふざけてるよねー、殺したいねー、ホントにねー」

 

 

 ふざけた口調を、凛とした美しい声が奏でる。

 

 

「お前…」

 

 

 ナガレの呟き。

 それに乗ずるように白は孔の中か出でていく。

 白の次は黒が見えた。それは黒い輝きの波濤に見えた。

 

 

「お前、じゃないよ。まぁ、それでも合ってるか。それもまた親しみのある呼び方だ」

 

 

 仰向けになり、伸ばされたナガレの足の先にそれは立っていた。

 黒い丸靴が、爪先を垂直に向けた彼の靴底に足先を付けていた。

 百五十センチにも満たない低い身長の身体を屈めて、ナガレへと右手を伸ばす。白い手袋で覆われた美しい手だった。

 

 

「やぁ。今日もボロボロだね。相変わらず私の性癖を狂わせるのが上手だな」

 

「お前も相変わらずだな」

 

 

 伸ばされた手を、彼は握り返した。握ると言っても、そんな力は残っていない。

 手に手を重ねた程度であった。

 白い手がそれを握り返して強く引いた。

 ふらつきながらも、ナガレは立ち上がる。

 立ち上がり際に彼は血を吐いた。

 地面に向かって落ちた血塊を、白手袋の手が受けた。

 左右の手を使って器のようにした手で、恭しく受け取る。

 

 

「…」

 

 

 ナガレはその奇行を無言で見た。

 予測したくない未来が簡単に予想できた。

 

 

「ごくり」

 

 

 そう言って、受け止めた血を少女は飲んだ。

 一滴も逃さずに。口を離れた白手袋にも、どういう訳か血は染みとなっていなかった。

 

 

「結構なお手前で。ううん、相変わらず欲情に足る味だな。点数は無意味なので報酬を遣ろう」

 

 

 頬を右手の人差し指で突きながら少女は語る。

 

 

「よし。私の処女を存分に貪り食わせて孕ませる権利を遣ろう。嫌とは言わせないよ」

 

 

 牙のように発達した八重歯を見せる。

 右眼を覆うのは黒い眼帯。残った左眼の黄水晶の瞳には捕食者が獲物に向ける執着の眼と、母の様な慈愛の視線が混じっていた。

 

 

「なぁ、友人」

 

 

 春のような朗らかな笑顔で、黒い魔法少女は、呉キリカはそう言った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 解き放たれた悪鬼ども②

「うううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

 ナガレが叫ぶ。そして地面を蹴って疾走する。

 水平に伸ばされた右手は異界の壁面に埋没していた。

 壁を破壊しながら、血と肉の飛沫を上げながら走り続ける。

 溢れるのは彼の血肉では無かった。彼の手が握る、黒服の魔法少女のから噴き上がるものだった。

 彼女の顔面を壁に埋没させながら、ナガレは疾走していた。

 血肉に塗れた黒い衣装を纏った華奢な身体は、旗のようにはためいていた。

 

 

「りゃああああ!!!!」

 

 

 壁を抉り抜き、ナガレは踵を用いて急停止した。

 そして、顔を握り締めた右手を地面へと叩き付ける。

 破壊に破壊を重ねた少女の顔が地面に埋没。

 

 彼の腕も肘辺りまでが異界の地面に埋まっていた。

 その中で彼は手を握り締めた。手の中で少女の顔が弾けた。

 既に半ば以上挽肉となっていた顔が完全に崩壊し、割れた地面の中から赤黒いペースト状となって噴き上がる。

 顔を構成する肉だけではなく、歯も骨も粉砕されていた。

 

 仰向けになり痙攣する少女の肉体。

 その体に覆い被さる様にして、身を屈めた少年。

 異常な構図であった。

 

 両者の肉体は無傷な場所を探す方が難しいくらいに傷付き、全身を朱で染めている。

 少女の顔を粉砕したナガレは荒い息を吐き続けている。

 そんな彼が背後へ跳んだ。

 

 少女の顔面を粉砕し、血と脂と脳髄の破片と唾液で濡れた手からは、それらが毒々しい色の粘液となって滴る。

 それを切り裂き、無数の黒い触手が彼へと向かった。

 ナガレは左手で持った斧槍で迎撃し、逆に触手を切り刻む。

 だが彼が触手を迎撃する間に、倒れていた少女は立ち上がっていた。

 

 黒がメインで僅かばかりの白を散らした、奇術師風の衣装。

 従者のようにも、または暗殺者にも見える衣装は血と脂と肉片で穢れていた。

 全身を模様のように覆う傷は、痛々しさを越えて悍ましいの一言だった。

 

 しかしながら、その外見には恐怖を押し退けて存在する美があった。

 低い身長に反して豊満な胸と肉付きの良い太腿。

 それでありながら全体的には華奢なフォルムと、異形じみたバランスの対比が矛盾なく合わさった、奇跡のような姿だった。

 その姿を彩る血肉の赤黒は、この美しい姿に飲まれて美を引き立てる素材とされていた。

 

 立ち上がった少女には顔が無かった。

 前述のとおり、ナガレによって完膚なきまでに粉砕されている。

 代わりに、首の断面から伸びた赤黒い触手が塊のように交わって蠢いていた。

 微細な斧を連結させた触手が蠢き、破壊された頭部を再構成している。

 

 すらっとした鼻梁、艶やかな唇、柔らかそうな頬、美麗なラインを描いた顔の輪郭、細く美しい喉、艶やかなセミショートヘア。

 それらが赤黒の触手によって再現されていく。

 斧の連結による、一切の温もりの無い邪悪な触手であるというのに少女の可憐さと娼婦の様な妖艶さが形作られていた。

 

 

「友人」

 

 

 触手の唇が開閉し、言葉を紡ぐ。外見に違わない美しい声だった。

 

 

「手の中のそれ、返してくれるかな?」

 

 

 血で染まった白手袋を嵌めた右手で顔を指し示しながらそう言った。

 彼は手の中を見た。潰された肉片が見えた。

 少女の提示したものは、外見に相応しい悍ましい要求だった。

 

 

「あいよ」

 

 

 彼はそれに応えた。

 彼女が差し示した指の先、ちょうど肉片が入りそうなスペースがあった。

 その場所は彼女の額。

 柔らかく、未だに熱を保った肉片を、ナガレは触手で出来た少女の額に押し込む。

 瞬間、触手を肉が覆った。赤い繊維が奔って顔の土台ができ、即座に白い皮膚が覆う。

 そして閉じられた眼が開く。生まれたばかりの皮膚の隙間から見えたのは、宝玉の様な黄水晶の輝き。

 その片方、右目は黒い眼帯で覆われていた。

 

 

「ありがと友人。生まれ変わった気分だよ」

 

 

 朗らかな笑顔で、呉キリカはそう言った。

 生まれ変わったとの言葉が示す通り、全身の負傷も完全に治癒していた。

 

 

「ありがとか。なんか複雑だな」

 

 

 対してナガレは傷に塗れた状態である。

 しかしその顔には痛みによる苦痛ではなく、感情的な苦々しさがあった。

 

 

「ん?何が?」

 

 

 首を傾げるキリカ。

 頭に超が二つは美少女なので、単純な動作すら愛らしく美しい。

 それを前に、ナガレの顔に苦さが増した。

 少女に欲情はしないが、彼もキリカを美しい存在として認識している。

 それを破壊したのが自分であるという事に、思うものがあるのだろう。

 戦う事に躊躇は無いが、その結果をどう思うかは当事者だけの権利である。

 

 彼はそれを好ましいものとは思っていないようだった。

 それを察し、キリカは微笑む。

 この時には既にナガレも表情を切り替えていた。

 感情を顔に出すことはあっても、それに引きずられることは無いのだった。

 

 

「友人、手出して」

 

「ほらよ」

 

 

 彼は素直に両手を差し出した。斧槍は傍らの地面に突き刺している。

 出された両手の手首をキリカは握って引き寄せる。

 豊かな胸の前に導いた彼の両掌に向け、彼女は美しい顔を傾けた。

 

 

「れろぉっと」

 

 

 行動を言葉で表現しながら、キリカは艶やかな唇を開いて桃色の舌を出した。

 そして言葉の通り、彼女は彼の手を舌で舐め始めた。

 彼の手もまた傷に覆われていた。

 キリカ、というよりも魔法少女との剣戟で痛めるのは胴体や顔だけではない。

 武具を握る手も剣戟の衝撃に晒され、掌が引き裂けて肉の渓谷を作っていた。その肉の谷間をキリカは舌で舐めていた。

 

 割れた肉の表面を、ぬめぬめとした唾液で覆われた舌で丁寧に舐め廻す。

 肉の断面、亀裂の底で顔を出す骨の表面、隙間に溜まった血。

 それらを余さず舐めていく。

 キリカの表情に変化は無い。

 舌だけを丁寧且つ迅速に動かし、表情は風景でも眺めているような無表情。

 ただ瞬きを一切せずに、今の行為に没頭している。

 

 

「……美味いか?」

 

「うん。凄く濃い味と良い匂いがするよ」

 

「そりゃ良かった」

 

 

 そう言いながら、ナガレは己の手が綺麗になっていく光景を眺めている。

 舌を濡らす唾液に混じり、キリカの魔力が彼へと伝う。

 それは肉から彼の体内に取り込まれ、半共生状態の魔女がその魔力を喰らう。

 そして彼の傷を癒す。

 

 腹や胸など、生命に直接影響を齎す部分から治癒が始まり身体の末端部分も破壊個所が肉で覆われていく。

 傷口には黒い燐光が宿り、治癒と同時に消えていく。

 そして手の傷も消えた。

 消える寸前まで、キリカは彼の手を舐めていた。

 

 

「はい、ご馳走様でした」

 

 

 唾液が舌に交わるじゅるりと言う音を立てながらキリカは口内に舌を仕舞い、更には両手を合わせて丁寧にお辞儀をしてキリカは言った。

 あまりの真摯で丁寧な様子に、彼も思わず頭を傾きかけていた。

 

 

「こっちこそありがとよ。助かった」

 

 

 彼も礼を述べた。

 加害者は彼女である為、奇妙だという実感はあるが癒されたのは事実である。

 

 

「君も思っているのだろうが、この遣り取りは奇妙だね」

 

「お前も実感あったか」

 

「うん。血みどろの戦闘行為を性行為と見做している、という関係は中々に異形だ」

 

 

 それじゃねえよ、と彼は思った。

 何をどう認識しようが個人の自由だが、流石に一言伝えたかった。

 

 

「悪いが、俺は」

 

「分かってる。だからそれから先は言わないで」

 

「ん……」

 

 

 生真面目な顔でそう言われ、ナガレは口を閉ざした。

 この年頃の女は接しにくい、と彼は思った。

 

 

「まだ満足していない、と言うんだろう。君の体力と闘争本能は凄まじすぎるな。戦闘でこれなら、実際に肌を重ねたのならどうなることやら。最低でも三日は私を寝かせてくれなそうだな。まぁ、君相手なら私も一か月くらいは余裕だから平気だけど」

 

 

 胸の前で腕を組み、彼の顔を見据えながらキリカは言う。

 その様子に彼は見覚えがあった。

 少し前にキリカと共に見滝原を回った際、何をトチ狂ったのか下着を未着用で集合場所に赴いた事をナガレの所為にし断罪の言葉を吐いた時の様子に似ていた。

 被害妄想、ともまた違う。

 

 彼女なりに真摯に考えた結果がこの発言なのだろうか、と彼は考えた。

 しかし何も分からないのがキリカであるという結論に至った。

 思考に用いた時間は一秒以下である。

 考える事に飽きたのだろう。こいつも大概である。

 

 キリカによる糾弾の視線を数秒浴びた後、彼は前に歩き出した。

 彼女の脇を通り、流れるように歩いていく。

 その彼の歩みにキリカも続いた。

 示し合わせたような動きだった。

 歩きながらキリカは溜息を吐いた。

 

 

「もう少しこの謎会話を続けたかったけど、なんでこうも物騒な事には事欠かないのかなぁ」

 

「全くだな」

 

 

 キリカの言葉にナガレも同意した。

 その瞬間、二人の背後で光が炸裂した。

 少し前まで彼らがいた場所に、大穴が穿たれていた。

 穴の淵は融解し、穴の上空の大気はイオン化して揺らめいている。

 

 遥か上空では、巨大な何かが高速で蠢いていた。その近くでは、紅く小さな存在が飛翔している。

 そして空の彼方で光が轟いた。

 光は無数の雷撃となり、地面に雨あられと降り注いでいった。

 地面に着弾した雷は異界の地表を破壊し、無数の穴を穿った。

 

 

「あいつら元気だねぇ。止めるのかい?」

 

「いや、積もる話もあるだろうからな。当事者同士に任せて放っとけ」

 

 

 彼にしては珍しく、苛立つように吐き捨てていた。

 争いを止めようとしたら、その二者に邪魔者扱いされて半殺しにされたという先程の事を思えば仕方ない。

 そして当れば肉体を消滅させるであろう死の光の間を掻い潜り、ナガレとキリカは安全圏を目指して駆け抜けていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 解き放たれた悪鬼ども③

「テメェだけは…」

 

 

 滴り落ちる毒のような声が漏れた。

 声には金属音が覆い被さっている。

 

 

「テメェだけは!テメェだけはぁああああああああ!!!!!」

 

 

 毒の悍ましさと炎の苛烈さを同時に宿した声で、佐倉杏子が吠え猛る。

 外套を燃焼させて飛翔しながら、杏子は十字槍の連打を放っていた。

 秒間数十発にも昇る刺突を、巨大な機械龍の頭部が受け続けている。

 大型トラックにも匹敵する白い蛇龍の頭は小動もせず、槍の猛打を受け続ける。

 頭部の先の長い首も、それより更に長い胴体や尾も、平然としながら異界の空高くを滞空し続けている。

 

 

『退屈だな』

 

 

 機械龍、ウザーラの口の隙間から声が漏れた。朱音麻衣の声である。

 退屈そのものと言った声であり、言い終えた後には「ふぁぁ…」という欠伸の音さえ聞こえた。

 

 

『飽きもせずによくも、まぁ』

 

 

 声は続く。蛇龍の頭部からは火花が上がるが、それは龍の装甲が削れて生じるものでは無かった。

 

 

『こっちは飽きた』

 

 

 蛇龍は軽く首を振った。それだけで杏子は弾かれて吹き飛び、手にした十字槍の穂は乾いた音を立てて砕け散った。

 

 

『これで少しは楽しませてくれ』

 

 

 蛇龍が口を開いた。次の瞬間、視界を埋めるほどの広範囲に広がる雷撃が放たれる。

 

 

「ふざけんな!!」

 

 

 雷撃を回避し、また再生成した槍で刻みながら杏子は蛇龍に、いや、その体を乗っ取った朱音麻衣に向けて飛翔する。

 ドレスの裾や肩に頬を雷が掠めて消し炭にするが、杏子の勢いは止まらない。

 

 

『ほう。雷を避けるのが巧いじゃないか』

 

 

 皮肉ではなく、その声には関心があった。

 強さというものに意識の重点を置く、麻衣らしい言葉だった。

 

 

「使う奴が多いからな!!」

 

 

 杏子が叫び返す。

 確かにそうである。

 

 

『なら難易度を上げよう』

 

 

 雷撃に加え、麻衣は巨大なプラズマの光球を複数放った。

 杏子は悪罵を放ちながら、魔力を籠めた槍で迎撃する。

 

 

「ざけんな!!」

 

 

 槍が乱舞し、火球を微塵と消し飛ばす。続く二発目三発目を回避し、杏子は再び麻衣へと肉薄した。

 

 

「さっきからイキりやがって!あたしの魔法をパクってる癖に自慢げにしてんじゃねえ!!」

 

『それもそうだが、お前だと使いこなせていなかっただろう』

 

 

 言い様に巨大な尾が一閃。

 杏子へと日本刀状の尾の先端が叩き込まれる。

 

 

「うっせ!!」

 

 

 杏子は巨大槍を生成し、麻衣の尾を受け止める。

 ついでに試してはみたが、巨大槍をウザーラへと変貌させる魔法それ自体が奪われたらしく、槍は蛇龍へと変性しなかった。

 しかし杏子は、蛇龍の尾を受け止めて切り刻まれる巨大槍の破片の中で微笑んでいた。

 獲物を見つけた獣の、無邪気で残忍な笑みだった。

 麻衣もそれに気付いた。

 蛇龍の外見に変化は無いが、恐らく麻衣も同じ顔で微笑んでいた事だろう。

 巨大な口が開き、佐倉杏子を食い潰そうと巨体が一気に迫る。

 

 

「バァカ」

 

 

 杏子は嘲り、右手を開いた。そして強く握り締めた。

 瞬間、蛇龍の身体が硬直した。

 

 

『な』

 

 

 予期せぬ事態に、麻衣も驚き呟いた。

 そして次の瞬間、異様な現象が発現した。

 蛇龍の全身、頭部に首に胴体に尾にと、至る所で装甲が爆ぜ割れたのだった。

 割れた装甲の下からは、真紅の鋭角が覗いていた。

 それは一気に伸び、蛇龍の堅牢な装甲を内側から破壊しながら姿を顕した。

 

 

「どうだい?結構効いたみたいだね」

 

『貴様……!』

 

 

 嘲る杏子、苦鳴交じりの言葉を吐く麻衣。

 ウザーラの体の各部の内側から生じたのは、多数の十字槍だった。

 サイズは杏子が持つ得物とほぼ同じ。

 

 個人が持つには長大な得物だが、五十メートルを超えるウザーラの体格からすれば針の様な代物だった。

 だがそれが、巨体の至る所から生えている。

 そしてそれは、見る間に数を増やしてその体を覆い尽くしに掛かっていた。

 

 

『が…ああああああああああああああああ!!!!』

 

「ははははははは!盗人には手痛い仕置きをしねぇとなあ!」

 

 

 巨体を捩りながら苦痛の叫びを上げる麻衣。

 喉を仰け反らせ、麻衣の様子を指で差しながら嘲る杏子。

 その間にも槍は増え続け、ウザーラの全身は

 

 

「まるでサボテンだなぁ!結構お似合いじゃん」

 

 

 杏子の言葉通りの姿となっていた。

 槍が生えていない場所を探す方が困難であり、槍の密集した隙間の奥に辛うじて蛇龍のシルエットが分かるといった有様と化している。

 

 

「魔法少女も魔女も、ワケ分からねぇ奴ばっかりだからな。こちとら対策だってするんだよ」

 

 

 苦痛の叫びを聞きながら、杏子はドレスのポケットから菓子を取り出した。

 袋を噛み千切り、チョコレートでコーティングされた棒状の菓子を口で含む。

 

 

「折角だから少し相手してやったけど、こうなっちゃ勝負もクソもねぇ」

 

 

 今も槍の発生を止めずに杏子は告げる。

 槍は外側だけでなく、蛇龍の内部も切り刻んで貫いている筈だ。

 

 

「で、どうだい?さっさと返すってんなら、今すぐ槍を爆発させて楽にしてやるけどさ」

 

 

 解除ではなく破壊による苦痛からの救済、であるのが彼女らしいか。

 しかしここで変化があった。

 

 

「あああああああ………は、ハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 

 麻衣の上げる叫び声の変化だった。

 苦痛の叫びは、哄笑へと変わっていた。

 杏子は舌打ちをした。

 

 

「やっぱりか」

 

 

 吐き捨てながら槍を構える。

 杏子も麻衣の意図を理解していた。

 苦痛や肉体の損傷程度で、こいつは動きを止めたりしない。

 何故なら自分もそうだからで、相手はその自分とこれまで死ぬほどやり合ってきたからであった。

 友情などは微塵も無い。

 ただ、悍ましいほどの殺意の重ね合いの中で相手を理解しているのであった。

 

 

『感謝するぞ。佐倉杏子』

 

「なんだって?」

 

 

 しかしながら、その言葉は予想外だった。

 

 

『丁度な。欲しかったところなんだ』

 

 

 イカレたのか?と杏子は思った。または新たな性癖に目覚めたのかとも。

 だが次の瞬間、杏子には麻衣の意図が分かった。

 発生した槍が、更に伸びていった。

 ウザーラの輪郭を破壊しながら、内部から溢れ出る。その様はまるで、腐肉の中身を喰らい尽くして外部に湧き出た蛆虫を彷彿とさせた。

 そしてウザーラの中から飛び出た槍は、真紅の色をしていなかった。それは、毒々しさを湛えた紫色となっていた。

 麻衣に乗っ取られた蛇龍の色と、同じ色だった。

 それが何を意味するのか、杏子には分かってしまった。

 即座に槍の生成を止めるが、

 

 

『もう十分だ。これだけあれば足りるだろう』

 

 

 麻衣はそう言った。そして槍の群れが変化を始めた。

 触手の様に曲がり、或いは伸びて新しい形を造っていく。

 足りるとか、欲しかったとはこう言う事か。

 

 

「気色悪ぃな!!」

 

『少し待て。もうすぐだ』

 

 

 絡み合う槍の奥で麻衣の声が鳴る。

 音源の近くには、血色の二つの光が見えた。

 杏子はそれを、朱音麻衣の眼光と見た。

 

 

「待つ気はねぇ」

 

 

 杏子は言い捨て、全身に魔力を満たした。

 主の魔力に反応し、十字槍が形を変えていく。

 左右に突き出た叉は巨大化し、大斧へと変じた。

 トマホークランサー。その状態を嘗て杏子はそう呼んだ。

 

 そして燃えるような長髪を束ねるリボンにも変化があった。

 左右に伸びたリボンの裾が尖り、角か獣の耳のように変化する。

 ナガレの記憶の中で見た、異界の兵器の頭部を模した形状となっていた。

 武器は兎も角、リボンに手を加えたのは彼女なりのゲン担ぎなのだろう。

 

 

「今のうちにぶっ潰させてもらうよ」

 

『お前、空気を読まない奴だな。普通、相手がパワーアップとか覚醒からの変態中なら黙ってジっと見てるとかするものだろう』

 

「黙れ変態。あたしは相手に合わせる気なんかねぇんだよ。それで負けたら元も子もねぇしな」

 

『楽に勝てるのならそれで良い、か』

 

「ああ」

 

『獣と変わらないな』

 

「バケモノの外見になってる奴がほざいてんじゃねえ」

 

 

 そこで杏子は飛翔した。

 斧槍となった十字槍は眩く輝き、一撃必殺の威力が込められていた。

 対する麻衣も、全身を覆う槍の隙間からそれを見ていた。

 彼女の公算なら、新たな姿が出来るのと杏子との激突は同時。

 ならば負ける要素は無いとした。

 

 その麻衣の眼が、驚愕に歪んだ。

 杏子もそれを見た。

 接触の寸前、杏子は思わず振り返った。

 その瞬間、彼女の視点は反転していた。

 

 飛翔は落下に変わり、視界が激しく揺れ動く。

 その中で彼女は、切断された槍と、腹あたりで生じた断面から内臓と鮮血を零す自分の下半身、そして触手状となった槍で覆われた巨大質量が上下で真っ二つになって落下する様子を見た。

 地面に激突する寸前、

 

 

「よそ見注意ッ!」

 

 

 と叫ぶ声が聞こえた。

 麻衣にも聞こえた事だろう。

 それは二人にとっては、相対している相手以上に極めて不快な、そして春に流れる清らかな風のように朗らかとした声だった。

 意識が途絶える寸前、二人は黒い魔法少女の嘲笑の声と笑顔を見たような気がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 解き放たれた悪鬼ども③-別視点ver

「うへぇ」

 

 

 呻き声が漏れた。

 間抜けに思える発音だが、それですらも美しい声だった。

 

 

「見なよ友人。あいつら頭おかしいよ」

 

「俺も似たようなもんだ。必死なんだろうさ」

 

 

 異界の構造物を切断して設けた、切り株状の即席椅子に座りながらキリカとナガレは言葉を重ねる。

 両脚は地面に付かず、ブラブラと揺らしながら気ままに話している。

 二人が見上げた視線の先には、

 

 

「死ねぇええええええ朱音麻衣ぃぃいいいいいいいいいいい!!!!」

 

『佐倉杏子。もう少し槍の使い方を丁寧にだな…』

 

 

 怒りと憎悪の表情で、外套を燃焼させながら飛行し槍の連打を放つ佐倉杏子と、それを貌で平然と受け続ける、全長五十メートルの鋼の蛇龍を乗っ取った朱音麻衣がいた。

 異常すぎる状況だが、二人は平然と戦い、それを見ているナガレとキリカも風景を眺めるような自然さがあった。

 異常に満ちた日常が、この連中にとっての平凡な日常なのである。

 

 

「えいっ」

 

「ん?」

 

 

 ナガレの右に座るキリカが彼に向けて身を傾けた。

 本来は十二センチはある身長差だが、今はその差が埋まっていた。キリカは魔法少女に変身した際の身長増加を用いていた。

 その理由は。

 

 

「おらおら友人。美少女のほっぺた押し付け攻撃を喰らえ」

 

 

 これである。

 キリカの柔らかい左頬がナガレの右頬に押し付けられる。

 

 

「柔っ」

 

 

 声を発したのはキリカだった。

 ナガレは奥歯を噛んだ。

 

 

「別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。なるほどね、魔女を粉砕できる力で殴っても壊せない訳だ」

 

「例えが怖ぇよ」

 

「で、友人。どうだい私のほっぺたは」

 

「柔いな。あとすべすべしてやがる」

 

「他には?」

 

「ひんやりしてんな。お前、ほんとに大丈夫か?まるで」

 

「死人?」

 

「氷だ」

 

 

 否定するようにナガレは言う。

 彼の言葉通り、キリカの皮膚からは熱というものが感じられなかった。

 

 

「同じだね」

 

「違う。お前は生きてる」

 

 

 力強く否定するナガレ。対してキリカは溜息を吐いた。

 

 

「今の私は佐倉杏子の、無限延長された魂の電波だか波長だかにwifi的に乗っかって意識を飛ばしてる存在だ。それで肉体を動かしてる。つまりゾンビだ」

 

「体調は?」

 

「心配性だな、友人は。大丈夫、超健康で性欲もある」

 

 

 キリカは微笑む。それ聞いてねぇんだけど、と彼は言いたかったが黙っていた。

 

 

「言葉を重ねる、呼吸をする、肌を寄せ合う、同じ空間と時間を生きてる。言葉同士が絡み合い、呼吸によって空気分子が動いて重なる」

 

 

 頬擦りをしながらキリカは言葉を重ねる。

 

 

「これは全部、私にとってのセックスなんだよ。君を愛してるんだ」

 

 

 事実を述べる口調でキリカは言った。

 あの景色は綺麗だとか、あそこに何々の星座が浮かんでいるとか、そんな事を示すような口調だった。

 

 

「あと今の私は中身もひんやりしてるから、コトに及べば興味深い経験になると思う。ああ、湿り気とかは大丈夫だから心配しないで呉」

 

「お前な…」

 

 

 普段通りであり、更に悪化しつつあるキリカに対してナガレも流石に咎めるような口調になった。

 それでも罪悪感的な響きがあるのは、こんな様子でも彼女が自分を好いてくれてることが伝わる為である。

 

 

「友人、心配してくれてるのか」

 

「ああ」

 

 

 色々な意味でキリカが心配なナガレであった。

 その様子に彼女はにこりと微笑んだ。

 

 

「なるほど。ていうことは君の動揺を誘えたこのアプローチは、中々に有効というコトだな。よく覚えておくよ」

 

 

 するとキリカは豊満な胸元に手を突っ込み、一冊のメモ帳を取り出し、書き込みを始めた。

 ついでに胸元からは複数の書物が零れ出た。

 保健体育の教科書、赤ん坊の育て方等をメインに記載した母親向け雑誌、そして医学書までが落ちていた。

 どれも表紙や頁がくたびれ、幾つもの付箋が付けられている。開かれた教科書や医学書には、子宮内での胎児の形成メカニズムが記載されていた。

 こちらにも文章の隙間を埋め尽くさん勢いで、無数の書き込みが為されている。

 彼女の願望が記された、愛と狂気の産物である。

 

 

「で、今の状態は何時まで続けんだ?」

 

 

 キリカが奔らせているペン先がピタりと止まった。

 彼女は再び溜息を吐いた。

 

 

「バレてたか。てへぺろ」

 

「さっき戦ったからな」

 

 

 キリカの低体温状態、言うなれば死体及びゾンビ状態はごっこであると彼は看破していた。

 その理由は、戦闘中に浴びた彼女の熱い血潮や握り潰した頭部の肉や脳髄、血の温度である。

 それも日常の一部なのが、いかにもこの連中らしい。

 キリカは愉快げに笑い、ナガレは少し憮然とした態度を取った。

 やはりというか、戦闘は好きだが肉体破壊はそうでもないようだ。

 対してキリカは彼と繰り広げるこういった行為も愛であり性であるので愉しいのだろう。

 

 

「ふふふ。さっきも言ったけど、君と会話してると幸せになれる。さて、ここでそろそろ恩返しといこう」

 

 

 そう言ってキリカは立ち上がった。

 頬を離した際、彼の頬に口づけをするのを忘れなかった。

 

 

「何をする気だ?」

 

「話が先に進まないからね。あいつらを仕留める」

 

「大した自信だな」

 

 

 そう言って立ち上がろうとした彼を、キリカは眼で制止した。

 

 

「恩返しと言ったぞ。そこで見ていて呉」

 

「お前、一人であいつらとやる気か?」

 

「うん」

 

 

 当然と言うようにキリカは頷いた。

 

 

「大丈夫だよ。ぶっ殺したいしぶっ殺す気でやらないと話にならないからぶっ殺す気でやるけど、実際にぶっ殺しはしないから」

 

 

 同じ単語を繰り返してから、「任せてよ」とキリカは眼帯で覆われていない左目をウインクさせた。

 

 

「全く…君さえいなければ物事は単純で、私は今頃バーサーカーしてたろうから手加減なんてしてないんだろうけど」

 

 

 眼を細め、宙を眺めながらキリカは言う。

 黄水晶の瞳の先では、尚も争い続ける杏子と巨大龍となった麻衣の姿があった。

 

 

「私は今の生活も気に入っている。君のお陰だな。感謝してるさ」

 

「そいつはどうも。で、どうやるんだ?」

 

「少し話をしよう」

 

 

 伏線というか回想ってやつだよ。とキリカは繋いだ。

 

 

「佐倉杏子の魂の電波的なのに同調してるせいか、面白いものが見れてね。ああ、奴の過去やプライベートには極力手を付けていない。精々、どんなネタで自慰ってるかを見るくらいだ」

 

 

 配慮している、ようで最悪な事柄をキリカは告げる。

 そして彼女はナガレを見た。深い悲しみと、同情の眼差しが彼に向けられる。

 

 

「友人、妄想の中とはいえ、あんなことをさせられて自慰の総菜にさせられる君には本気で同情するぞ。流石の私も、あれには対抗心を燃やさざるを得ない。私ももっと頑張ろう、そんな気にさせられたよ」

 

 

 言い終えたキリカには、巨悪に立ち向かう正義の騎士のような高潔な表情が伺えた。

 邪悪な妄想への対抗心とやらの表情がこれというのは、世界の歪み以外の何物でもない。

 

 

「まぁいい。佐倉杏子の被虐的でハードコアなオナネタなんか今はいい。それでだ、記憶の中に興味深いものがあった」

 

 

 今までの発言を無にする発言をしつつ、漸くキリカは本題に移った。

 

 

「奴の記憶、いや正確には」

 

「俺のか」

 

「そーそー」

 

「大丈夫か」

 

 

 ナガレの声には心配が滲んでいた。

 自分の記憶など、ロクでもないからである。

 ナガレの問いに、キリカは口角を歪めて嗤った。亀裂の様な笑いだった。

 

 

「あれは…恐ろしいな」

 

「どれだ」

 

 

 ナガレが問い掛ける。キリカは笑い返した。

 開いた口から見えたのは、牙へと変化した臼歯。

 それだけで分かった。

 

 

「あれは友人の友人なのだな」

 

「てことになるな」

 

 

 複雑そうな表情となるナガレ。

 思い当たる存在に対し、どう言えば良いのか彼としても適当なものが思い浮かばない。

 そもそも今はどうしているのやら。

 

 

「もう一度言うけど、あれは恐ろしいね」

 

 

 そう言ったキリカの声は震えていた。

 歯が噛み合う音も聞こえた。

 演技ではなく、無敵に近いメンタルを持つ呉キリカが本気で怯えていたのである。

 

 

「私が恐怖を感じるなんてね」

 

「お前がまともってことだろ」

 

「私の精神がまともなら、この世界は腐れ果てた方がいい」

 

 

 彼と話した事で少し落ち着いたか、キリカは口端を引き攣らせながらも微笑んだ。

 

 

「しかし、恐ろしいという事は武器として有用ということでもある」

 

 

 そう言って、彼女は一歩前へ出てから右腕を掲げた。

 腕の先端の小さな拳は力強く握られていた。

 

 

「それは」

 

 

 ナガレには予想が付いた。

 それを察し、キリカは微笑んだ。

 そして変化が始まった。

 腕を覆う黒い衣装の布地から、連結した微細な斧を用いて作られた触手が迸った。

 触手は腕の左右に向けて一気に伸び、伸び切った時点で内側に角度を向けて直進。

 

 伸びた先で結ばれた瞬間、空白となった内側にも触手は伸び、キリカの右腕が巨大な刃となっていた。

 刃渡り十メートル、形状としては蝙蝠の翼に似た両刃の大鎌、または斧に似た形状。

 

 

「ヴァンパイア……」

 

 

 苦痛を堪えるようにキリカは言葉を紡ぐ。

 脳裏に浮かぶのは漆黒の巨体。

 キリカの思考の中、闇の中で蠢く恐ろしい姿が見えた。

 それは暗黒の中で獰悪な表情を浮かべ、漆黒に輝く魔神の貌。

 

 

「カッタァァァァァアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 キリカの咆哮。同時に長大な刃が射出される。

 キリカの肘までの衣装が刃に吸われている為、その部分の肌は露出していた。

 接近する刃に、彼方の麻衣が気付いた。次いで杏子が反応し背を向けた。

 その瞬間、長大な刃は杏子と麻衣を両断した。

 槍衾となった装甲が紙のように切断され、杏子も胴体の部分で上下半身に分断されて空中に血と臓物の花を咲かせた。

 

 

「よそ見注意!」

 

 

 叫ぶキリカ。

 同時に糸が切れた人形のように、彼女の身体が倒れていく。

 異常な破壊力の代償に、彼女をしても精神の消耗が激しいようだ。

 その身体をナガレは抱きかかえた。消えゆくキリカの意識は、それでもナガレの唇に自分のそれを重ねることを忘れなかった。

 次の瞬間にはナガレは宙を飛翔していた。

 受け止めるべき存在は、まだ二つ…真っ二つになった分を考慮すれば、あと四つもあるからだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 戦い終えて

「よく寝てるね」

 

「ああ」

 

「よく寝てるな」

 

「ああ」

 

 

 同じ言葉が発せられ、同じようにナガレは返した。

 あすなろ市の一角にある廃ビルの中、思念の声が行き交っていた。

 長いソファの真ん中にナガレが座り、右に杏子が、彼の左にはキリカが座っている。

 並んで座る三者の前には、コンクリが剥き出しの室内には似合わない豪奢なベッドが置かれ、その上では柔らかなシーツと毛布に包まれて眠るかずみがいた。

 それを起こさまいとして、三人は思念で会話をしていた。

 

 

「で、なんでテメェは生きてやがる」

 

「生まれたから。私の父母が愛し合ったから」

 

「パンからカビが生えたみてぇな発生原因はいい。なんで死体から復活しやがったんだって聞いてんだよ」

 

「聞かれたから応えると、佐倉杏子の魂電波に相乗りしてる。それで肉体を動かしてる感じかな」

 

「気色悪いな。外れて死体に戻れ」

 

「落ち着け佐倉杏子。私は君の味方だぞ。傷つけないから傷つけないで」

 

「妙にいいフレーズ使いやがるな。テメェじゃなければ、さぞ美しい文字の流れだろうよ」

 

「うーむ、ここまで会話が重ならないというのは奇跡だな。君の脳は今後の医学の発展の為に解剖され、ソウルジェムは調整屋どもにアナピヤみたく切り刻まれればいい」

 

 

 無音の室内であるが、例によって雰囲気は険悪であった。

 これでもまだこの連中の中だと、健全に近い会話であるのが異常である。

 

 

「さて、回想シーンと行くか」

 

「テメェがあたしと腐れ朱音麻衣を切断した。あたしの彼氏があたしらを回収してここに戻った。イカレ戦闘狂は思念だけ残して戻っていった。これで以上だろ。だから口を開くな雌ゴキブリ」

 

「ん?なんか言ったかい?」

 

 

 早口の思念を終えた杏子に、菓子パンを食べながらキリカは思念を発した。

 口を開くなという命令への意趣返しか。

 いや、そもそも完全に相手にしていないのだろう。

 

 

「いいから、もうお前ら寝ろよ。あと寝なくてもいいから俺を会話の中継点にすんな」

 

「うるせぇぞこのヤンデレ量産男。これはあたしらの問題なんだから、部外者が口を挟むんじゃねえ」

 

「そうだぞ友人。主人公だからって何でもかんでも首を突っ込むんじゃないよ」

 

 

 正論を告げる彼に対し、共に結託して口撃を行う杏子とキリカ。

 そう言えばと言った程度に、この二人は色々と頑強に過ぎるナガレへの対策として、同盟関係を結んでいたのだった。

 本人たちも忘れていたし、もはや嘗てのアレはどうでもいい事なのだろう。

 しかし今回はこの対応が変化を与えた。

 大体の事象の事を何だかんだで赦すナガレであるが、今回は苛立ちが勝った。

 

 

「お前ら……いい加減にしろよな」

 

 

 怒気を漲らせた思念を杏子とキリカに送るナガレ。

 それに対する二人の反応は、闇に蠢く獣が獲物に対して見せるような獰悪な笑顔。

 対するナガレも牙を見せて嗤った。

 

 先の戦闘終了から約三十分、再び異界が開かれた。

 その後、この救いの無い連中は朝まで互いを破壊し続け、空腹になったということで現世へと帰宅した。

 治癒は済ませていたが、色々と限界でありソファに倒れ込んで死んだように眠った。

 

 眠りに落ちてから数分後に、料理を作り終えたかずみによって叩き起こされる羽目となった。

 彼女の無事が確認でき、ナガレと杏子は安堵した。空気を読んだのか、キリカも嬉しそうに笑っていた。

 この連中に人の心があるのかは考えたくも無い事柄であるが、他者を思いやる気持ちは十分に備えているらしい。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うう……くぅ………ぅぅうううう……」

 

 

 手負いの獣の唸りの様な、少女の声が木霊する。

 少女は私室の中で布団を被り、その中で泣き続けていた。

 照明が落とされた部屋の壁と天井の一面、そして床には行動可能な最低の範囲を除いて、びっしりと写真が張られていた。

 

 黒髪の少年が写った写真だった。

 同時に映り込んだ赤髪と黒髪の少女の顔は、焼け焦がされるか、写真を貼り付けるための画鋲で貫かれて覆われていた。

 不快な存在ならば切り取ればいいものを、敢えて残して傷付けることに徹底的な憎悪と闇が伺えた。

 

 

「ああああ…あああああああ……ああああああああああ!!」

 

 

 布団の中で少女は、朱音麻衣は身を屈めて蠢いていた。

 心を苛むのは情愛と性欲と憎悪に嫉妬。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 感極まったような叫びが上がる。

 それは数分も続いた。

 

 

「ふ…ふふ……」

 

 

 叫びは笑い声へと変わっていった。

 闇を孕んだ笑顔だった。

 

 

「もう私のものだ。私の、私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の」

 

 

 布団から半身を起き上がらせ、朱音麻衣は言葉を紡ぎ続けた。

 纏った衣装は魔法少女服。

 瞬き一つせず、虚空を眺めたままに口を動かし続ける。

 その上空で、巨大な影が蛇行していた。

 既に麻衣を取り巻く空間は、彼女の自室ではなくなっていた。

 

 床と天井と壁が消え失せ、一面に闇が広がる。

 彼女の内心を空間として拡大させたかのように。

 そして麻衣は口を閉ざして上を見上げた。

 立ち上がった麻衣の血色の視線の先に、蛇行しながら飛翔する巨大質量が浮かんでいた。

 佐倉杏子から奪い取った、異界の蛇龍、ウザーラの模造体の生成魔法。

 

 朱音麻衣のイメージカラーである紫をメインとした色彩の蛇龍が、全長五十メートルにも上る威容を召喚者である麻衣に見せている。

 

 

「…美しい」

 

 

 麻衣は当然と呟いていた。

 この存在が何かは分からない。

 だが、佐倉杏子がこれを一から造ったとは思えない。

 となると出処は限られる。

 この世のものとは思えないこの姿の出処は、一つしかない。

 

 

「君の世界のものか。ナガレ」

 

 

 巨体を見上げながら、先程よりも陶然とした、熱く濡れた声を出して呟いた。

 言い終えると、麻衣は身を折り曲げて笑い始めた。

 

 

「それを奪ってやったぞ。あの女から」

 

 

 笑いながら言葉を吐く。噛み合う歯により、言葉の発音は不明瞭となっていた。

 気にもせず、麻衣は喋る続ける。

 

 

「お前達の器を、奪ってやったぞ」

 

 

 そう言った麻衣の身体から、闇の波濤が迸った。

 三本の闇の波濤は上空へと伸びていき、鋼の蛇龍へと絡みついた。

 蛇龍の口や装甲の隙間から、闇はその内側へと入っていった。

 抵抗の素振りの一切を見せず、蛇龍は闇を受け入れた。

 

 闇と同化した紫の蛇龍は、装甲の表面に闇を纏った。

 纏われた闇が膨れ上がり、蛇龍の輪郭を覆った。

 拡大した闇が取った形状は、巨大に過ぎる楕円形。卵の形であった。或いは、繭か。

 

 

「く…くははは……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 

 その様子を見つめながら、朱音麻衣は哄笑した。

 愛に欲情に憎悪に報復心。

 彼女の脳裏では、赤と黒の少女が紫の少女によってありとあらゆる方法で惨殺される様が描かれていた。

 そして同時に、紫の少女に寄り添う黒髪の少年の姿も想い描かれている。

 唇を重ね、言葉を交わし、そして重なり合って一つになる。愛し合う。

 

 その結果として、彼の命の一部を与えられた少女はその身に命を宿す。

 宿した命を育む腹を、少女は愛おしげに撫で、少年もまたそこに手を置き微笑む。

 

 その首が、鮮血を上げて切断される。

 生命を宿して大きく膨らんだ少女の腹に倒れ込む、少年の首無し死体。

 落下してきた首を、少女の右手が掴む。既に目を閉じていた少年の顔に少女は自分の顔を近付けて唇を重ねる。

 血の味がするキス。

 

 味蕾がそれを感じた瞬間、泣き声が上がった。

 何時の間にか、少女の左腕はお包みに包まれた赤ん坊を抱いていた。

 生まれて初めての行為である産声を上げている。

 母親となった少女は、愛する者を喪い、そして得た哀しみと嬉しさによって泣いている。

 赤ん坊を抱く左腕の先の手は、血で濡れた短刀を握っていた。

 赤子の父親である、少年の首を刎ねた刀だった。

 

 

 脳裏でそれらを思い浮かべながら、麻衣は自らが発した三つの闇が蛇龍を包み込んで産まれた卵を見つめていた。

 

 愛してるから、殺したい。殺したくない程に、殺したい。

 何故ならそう思えるほどに、彼を愛しているから。

 

 自分でも異常と思っている性を、麻衣は否定しなかった。

 母性愛と恋慕と、そして異形の愛。

 麻衣が闇の卵を見つめるその表情は、それらの愛が合わさりあった、真摯で邪悪で、そして清らかな微笑みだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 戦い終えて②

「ぐぐぐぐぐ……」

 

 

 少女の苦鳴が室内に木霊する。

 二十畳ほどの洋風の室内は光で満ち、異国の姫君が眠るような豪奢な寝台の近くにはライトノベルや漫画が整然と並べられた本棚が並んでいる。

 白い壁面で覆われた部屋の中には赤い絨毯が広げられている。

 その絨毯の上で、少女の呻き声は発生していた。

 栗色の髪のポニーテールの少女。その顔は苦痛に歪み、可憐な顔には汗の珠が浮いている。

 

 

「ぐあっ、あああああああ!!!!」

 

 

 少女は腹を押さえた。その時、少女の声以外の音が鳴った。それは金属音だった。 

 少女の指先が、腹に触れた時に生じた音。

 彼女の指先は銀色に輝いていた。それは少女の腹も同様だった。

 

 赤の絨毯の上で身を捩って苦しむ少女は、銀の鎧を纏っていた。

 鎧の近くには、サイを模したような兜が置かれている。

 元は雄々しく聳えていたであろう角は、鏡のような断面を見せて切断されていた。

 兜というか頭そのもの、また少女が着込んだ鎧は肉体そのものに見えた。

 金属ではあるがどこか輪郭が膨らんだような様子は、特撮作品の着ぐるみにも似ていた。

 

 

「先輩、よぉ……」

 

 

 少女以外の声が生じた。

 音程的には年少の女、または幼い男の声に聞こえた。

 

 

「とりあえず、脱いだらどうだい?その…」

 

「メタルゲラスです」

 

 

 呻き声を止め、双樹はそう言った。

 声の主は沈黙した。

 返事をすると双樹は立ち上がり、身に纏った着ぐるみ状の鎧を脱いだ。

 鎧を脱いだ双樹は白を基調とした、美しいドレスのような魔法少女衣装を纏っていた。

 当然と言うか、身体に密着した鎧というかスーツを纏っていた為に、白いドレスは彼女の汗で蒸れていた。

 脱いだ鎧を軽々と、そして丁寧に持って大きな棚の一つの中に収納する。兜も拾い、同じように棚へと入れて名残惜しそうにしながら棚の戸を閉じる。

 瞬間、双樹は床に倒れ伏した。

 

 息はより一層荒くなり、細い身体は瀕死の魚のように痙攣している。

 今の一連の動作で、心身に残された力を使い切ったかのように。

 

 

「あの…先輩」

 

 

 もう一つの声が言葉を紡ぐ。中性的な声に滲むのは心底からの心配の色。

 

 

「オイラ…あんた由来でこの人格を貰ったからさ…手助けしてやりてぇんだよ。オイラに何か出来るかい?」

 

「では…話を聞いてくれる?」

 

「もちろん。何でも話しておくれよ」

 

 

 声の主に、双樹はありがとう、と言った。

 

 

「私の子宮の中で、あいつらが暴れ回ってるの」

 

「…それは、辛いな」

 

 

 沈黙を織り交ぜつつ、声の主は双樹に同調する意思を示した。

 沈黙が生じたのは、口には出さないが双樹の行為を異常と認識している為だ。

 

 

「お腹の中で、あの三人の雌餓鬼どもが暴れてる。ソウルジェムからあいつらの穢れと感情が滲んで、私の子宮の粘膜を通じて私の心を汚染してくる」

 

「…………」

 

 

 双樹の話し相手は早速沈黙していた。その思考を見れば、

 

 

『吐きそう』

 

 

 という意思が見えた事だろう。

 

 

「…辛いなら…その、外したらどうだい?」

 

「却下」

 

 

 悶えながら双樹は答えた。

 声には確たる意思が宿っていた。

 

 

「命の輝きを宿しているのだから、この苦痛は当然です」

 

 

 双樹のドレスが白から赤へと変化した。

 あやせからルカへと、文字通りに変貌する。

 そして当然と言うべきか、彼女もあやせと同意見のようだ。

 

 

「それに、悪い事ばかりじゃないよ」

 

 

 今度は再び白へと戻る。

 顔を汗だくにさせながら、あやせは艶然と微笑んでいた。

 そこだけを見れば、相手の精を根こそぎ絞り付くさんとして情交に及ぶ、美しい娼婦のようだった。

 

 

「そう。この穢れとおぞましき感情は私達の力と成る」

 

 

 赤と白の姿となって、あやせとルカはアヤルカとなり言葉を紡ぐ。

 仰向けになり、愛おし気に両手の繊手で下腹部を撫でながら。

 

 

「私達はソウルジェムの穢れを吸って、胎内の魂たちを輝かせる。そして魂たちも私達に応えて力を与えてくれる」

 

「そう……なの、かい?」

 

 

 声は疑問と混乱に満ちていた。

 理解しようとしているようだが、理性が理解を拒んでいる。

 そんな声だった。

 

 

「そうなの。だから私達もそれに報いなければいけないの」

 

 

 双樹の声には使命感が漲っていた。

 それを聞くものは、もう理解することを放棄していた。

 ただ、約定を果たすべく耳を傾けた。

 

 

「私達は強くあらねばならない。胎内のこの子達を護る為。この美しき輝きを永久に保つ為」

 

「……それは、大変な使命だな」

 

「いいえ。これは義務です」

 

「そう、義務」

 

「強者の務めだ」

 

「弱きものを護る」

 

「その為に私は」

 

「私達は」

 

「我らは」

 

 

 人格を変えつつ、双樹達は言葉を重ねていく。

 言葉に滲むのは使命感と庇護者の持つ誇り高さ。

 演じているのではなく、双樹達は心からそう言っている。

 自己陶酔でもなく、その感情の赴くままの純粋な正義感が彼女達を突き動かしていた。

 

 

「「「牙無きものの為に、命を懸けて戦う」」」

 

 

 声が重なる。

 身の内側から与えられる苦痛は、無麻酔で内臓を抉り出して神経が繋がった状態で切り刻まれて氷漬けにされ、更にゆっくりと焼かれるような異形の感覚だった。

 それを受けながら、双樹達は笑っていた。

 これも本心からの笑顔だった。

 

 

「あまり、無茶はするなよ……先輩」

 

「勿論。命はたった一つしかない尊いもので、何よりも大事だからね」

 

 

 あやせはそう断言した。

 命の尊さを理解している者にしか出来ない、力強い言い方だった。

 

 

「立派だな。眩しすぎて、オイラってば気が滅入っちまいそうだ」

 

 

 双樹の会話相手は、そう言って宙を舞った。

 机の上から赤い絨毯の上に着地する。

 生じた音の数は四つ。絨毯の上に落下した足の数である。

 

 それは大きな黒い尻尾を揺らしながら、部屋の隅に向かって歩いていく。

 そして何かを掴み…というか噛んで、引きずりながら双樹の元へと後退していった。

 彼女の近くに辿り着くと、その存在は口を離した。

 

 尾も手足も胴体も黒い中、唯一白い色をした丸顔に紅い眼を有した獣だった。

 首の根元からは、人の手か翼の様な長い物体が伸びていた。

 その物体を器用に使い、獣は双樹へとそれを差し出した。

 

 

「とりあえず食事にしようぜ。オイラもあんたも、こいつらを喰わなきゃ体が保たねぇ」

 

 

 獣が咥えていたのは大きな皿だった。

 そして皿の上には、複数の白い獣が重ねられていた。

 ぴくりとも動かず、活動を停止しているそれらは、双樹の話し相手を務めていた白と黒の獣に酷似している。

 

 

「うん。ありがとう、ジュゥべぇ」

 

「いいってことよ。先輩」

 

 

 そう言うと、ジュゥべぇは口を開いた。口内には鋭い牙が生え揃っていた。

 皿の上に乗せられた手近な一体に、黒の獣は牙を立てて毛皮ごと肉を喰らい始めた。

 ほぼ同時に、双樹も白い獣の頭部に歯を立て果実を食べるかのように貪り出した。

 広い室内の中、牙と歯が肉を喰らう音が響いていく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 戦い終えて③

 柔らかさを感じる、暖色系の光が室内を満たしていた。

 安ホテルの一室程度の広さの部屋には、寝台にテレビに小さな机が置かれていた。

 机の上には何枚かの紙が並んでいる。

 紙の一枚には『神浜観光案内』という文字が見えた。

 

 寝台の上には一人の少女が仰向けに横たわっていた。

 桃色の髪も、全身を覆うタイツ上の衣装も、彼女が荒い息と共に全身から発する汗によってじっとりと濡れていた。

 黒いショートパンツも汗で蒸れていた。荒い息は絶え間なく続き、少女の幼くも美しい貌には苦痛の色がありありと浮かんでいた。

 部屋の入り口が開き、何者かが部屋へと侵入する。

 

 少女の息に混じり、歩み寄る音が小さく響く。

 水差しと吸いのみを乗せた銀盆を持つのは、黒い衣装の少女だった。

 肌露出が高めの衣装の上に、黒い外套を纏っていた。

 

 黒い髪もまた、黒いローブで覆われている。

 黒髪少女は桃色髪の少女の傍に立ち、机の上に盆を置いた。

 そして水差しから吸いのみに水を移し、苦痛に喘ぐ少女の首を静かに傾けて可憐な唇にゆっくりと水を注いだ。

 

 

 少女の細い喉が動き、少しずつ水を飲んでいく。

 二回ほど繰り返し、失った水分を補給させる。

 事を終えると、黒の少女は寝台の傍らへと従者のように跪いた。

 桃色の少女は肉体の反射で水を飲んでおり、意識は苦痛の彼方にあった。

 

 

「環さん…」

 

 

 黒の少女は桃色の少女の名を告げた。

 

 

「いろは、さん」

 

 

 更に名を続けた。繋げれば恐らく、環いろはという名前になるのだろう。

 少女はいろはの右手に触れた。宝物を扱うような、恭しい手付きで汗で濡れた繊手を両手で抱く。

 

 

「環さん」

 

 

 名前を呼び続ける。

 いろはに変化は無く、補充したばかりの水分が汗となって排出されていく。

 汗はタイツや衣装を濡らし、細い体表に張り付いていく。

 余分な肉の少ない華奢な身体のラインが浮き彫りになる。

 

 露出の少ないどころか皆無の外見ながら、ボディラインが露骨に顕れた官能的な姿が、汗によって透過されて蠱惑ささえ醸し出していた。

 黒の少女の視線はいろはの腹に注がれていた。

 脂肪が皆無の腹部が汗によって衣装に張り付き、輪郭がくっきりと浮かんでいる。

 布の奥に、傷一つ無い肌が見えた。

 その部分を見終え、黒の少女は溜息を吐いた。

 安堵の吐息であった。

 

 

「あの……赤髪女…」

 

 

 安堵から一転し、憎悪の響きを孕んだ言葉を少女は小さく吐いた。

 音としては極めて小さく、虫が鳴くような大きさの声。

 しかし含まれた憎悪は、対象を呪い殺さんばかりの感情が含有されていた。

 

 それを飲み込み、少女はいろはの身体を見つめた。

 同性愛の気は無いとは思っているが、それでも魅力的な肉体だと思った。

 慎ましい起伏の胸、人形の様な細い身体。

 

 大事に扱わないと、今にも壊れてしまいそうな繊細さを感じる姿。

 苦痛に呻いていても、翳りもしない可憐な顔。そして美しい桃色髪。

 それらの全てを、少女は愛おしく感じていた。

 自然と、陶然とした息が漏れた。

 目が潤んだ時、彼女は異変に気が付いた。

 

 汗で濡れたいろはの指に触れている自分の両手。

 そこで、異様な感触が指先に纏わり付いていた。

 ぬるぬるとした、粘着質な感触。

 眼で追った時、彼女は小さく悲鳴を上げた。

 

 いろはの手は、赤黒い泡を纏っていた。

 泡が弾けると、塊がどろりと垂れた。

 赤黒い塊には爪が付着していた。

 いろはの手は、泡を吹きながら融解していた。

 

 

「環さん!!」

 

 

 叫ぶ少女。治癒魔法を発動させながら手を握るが、その瞬間にいろはの手から肉が剥がれ落ちた。

 血と粘液、そして溶けた肉の糸を引いて剥がれた肉の下から、細い指よりも更に細い骨が覗いた。

 肉は手首まで溶け、彼女の右手が完全に白骨へと変わった。

 

 肉の滑りに巻き込まれて、黒の少女の手はいろはの右手から外れていた。

 その露出した骨にも変化が生じた。

 関節の隙間から、細い物体が突き出ていた。

 線虫のように蠢いた、と見えた刹那にそれは一気に伸びた。

 

 黒の少女の鼻先を掠め、部屋の壁へと突き刺さった。

 いろはの白骨化した指の関節や表面から、百に近い数の骨の触手が伸びていた。

 室内の壁の天井に突き刺さり、更に触手の表面からも枝葉のように更に触手が増えていく。

 更に細い骨が膨らみ出し、内側から黒く変色した血液を噴き出し始めた。

 黒色化した血には、吐き気を催すほどの死臭が込められていた。

 

 構わず、黒の少女は手を握った。

 自らの手も傷付くことを厭わず、異形となったいろはの手を握る。

 握りながら治癒魔法を全開発動。

 骨の触手が根元から折れ、黒い血の流れも止まった。

 だが、それに続いて新たな異変が二人を襲った。

 

 今度はいろはの手首から下が、細い腕に変化があった。

 タイツの内側で肉が膨張し、複数の個所で泡のように膨らんだ。

 タイツを押し上げ、緑色の膿疱がいろはの右腕を肘の辺りまで覆い尽くした。

 

 緑色の膿が溜まった腫瘍は、その中心に赤い輝きを宿していた。

 それはまるで、少女の肉の中で複数の太陽が生じたかのようだった。

 汚濁の緑と太陽の様な赤の輝き。

 相反する、または共に歩んでいるかのような色である。

 生命を育み、または滅す色の組み合わせ。

 

 

「環さん………いろはさん!!」

 

 

 名を呼び叫ぶ。

 そんな彼女を、黒の波濤が覆った。

 黒の少女が羽織った外套が変貌し、彼女に覆い被さった。

 少女は粘液のように粘ついた、異形の黒鳥の姿となっていた。

 嘴状になったフードの下の顔は、獣の獰悪さと人の理性が交じり合った表情となっていた。

 溢れ出さんばかりの力を、黒の少女は抑制しているようだった。

 

 その力を以て、少女は更に強力となった治癒魔法を行使した。

 翼の形を取った外套の裾がいろはの身体に静かに触れる。

 接触点からは黒い波濤が溢れ、苦痛に呻く少女の身体を覆い尽くした。

 彼女の全身を包み、少女は魔力の限りを尽くす。

 その中で、少女は見た。

 

 いろはを苛む、呪いと言うべきものを与えた者の姿を。

 一人は緑の髪、もう一人は栗色のロングヘアをしていた。

 前者は軍服風の衣装を纏いながら、奇怪な笑い声を上げていた。

 もう一人は手に持った傘を優雅に振い、舞いながら楽しそうに微笑んでいた。

 

 

「うあああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 少女は叫んだ。

 その姿を塗り潰さんと、魂の底から力を振り絞る。

 それが一時間は続いた。遂に限界が訪れた。

 少女が背負った異形の鳥が、黒い粒子となって消えていく。

 それでも少女は力を緩めなかった。

 

 減衰していく力のままに、出せる最大の力を使って治癒を続けた。

 その間、少女はいろはの名を呼び続けた。

 声が枯れかけた時、黒い波濤が断ち割られた。

 

 内側から伸びた白い腕が、黒い少女を抱き締める。

 疲労困憊に陥った少女の顔の前には、いろはの顔があった。

 いろはの口が開いた。

 何度かの開閉を繰り返す。

 

 

『ありがとう。黒江さん』

 

 

 いろはの口の開閉は、そんな言葉を紡いでいた。

 音はなく、ただ呼吸によって生じる空気の音だけがあった。

 

 

『もう大丈夫。心配しないで』

 

 

 続いてそう告げられた無音の言葉。

 それを告げると、いろははゆっくりと眼を閉じた。

 崩れる身体を黒江が支えた。

 腕の中にいろはを抱きながら、黒江は顔を上向きにして口を大きく開けた。

 

 口の端が切れて裂けるほどに、彼女は口を開いていた。

 彼女を起こすまいとして、心の中で叫んでいた。

 いろはを抱きながら、黒江は無音のままに慟哭していた。

 それは、彼女に異形の苦痛を強いる、この世の理不尽に対する憎悪の叫びだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話 久々の平和な時間

 嬌声、喘ぎ声。

 汗が弾ける音、荒い息遣い、肉同士のぶつかる音、掻き混ぜられる水音。

 交わる男と女。快楽に喘ぐ女の赤く長い髪が振り回される。

 

 

「なぁ」

 

 

 少女の様な音階の、しかし雰囲気で男と分かる少年の声がした。

 

 

「何時まで続けんだ、これ」

 

 

 声は無関心さと若干の鬱陶しさで出来ていた。

 

 

「それもそうだね」

 

 

 少女の声が応じた。滝のように垂れた赤い髪に繊手が入り、掻き上げる。

 

 

「もう飽きた」

 

 

 そう言うと同時に、性行為に励む男女の姿が停止した。当然、発声していた淫らな音も途絶える。

 佐倉杏子によるクリックによって、パソコンに映っていた動画は止まった。

 あすなろのネットカフェ。その一室に杏子とナガレは訪れていた。

 

 座席が二つ並んでいるやや広めの部屋で、予算節約の意味もあってカップルシートのプランを選択していた。

 一つのイヤホンをシェアしてそれぞれ右と左の耳に付け、淫らな動画を観ていたようだ。

 しかしながら、ナガレは画面には目を向けずに漫画を読み耽っている。何の関心も無いのだった。

 精々、音が喧しいという程度だろう。

 

 対して杏子は自分と同じ髪色且つ似た髪型の女が男と交わる場面をじっと見ていた。

 静止した男女の肉体の結合部分には、本来行われている筈のモザイク修正が無く、生の肉の様子が見えていた。

 画面の各所に英語が用いられており、杏子は海外の動画配信サイトでの投稿物を閲覧しているのであった。

 

 色々とグレーゾーンな行為であるが、当の二人は特に気にしていなかった。

 誰にも迷惑を掛けていないからだろう。

 杏子もナガレに倣うように、退屈そのものといった表情で机の前に置かれた漫画の一冊を取った。

 読み始めて十数秒後、杏子は漫画の内容に疑問を抱いた。

 

 

「なぁ、相棒」

 

「なんだ、杏子」

 

「そこは相棒って返してくれたらエモかったのに。ああ、言い返さなくていいよ」

 

「用事は何だよ、相棒」

 

「律儀だねぇ、あんたは。それでさ、この格闘漫画。なんでロボット出てくるんだ?いや、出てくるのはいいよ。なんで嚙ませにならずに主人公勢を圧倒すんだ?あとググったらさ、このロボットのスペックは仮面ライダーに匹敵してるっぽいぞ。初期型でこれってヤバくね?二回くらいアプデしたらあたしら超えるんじゃねぇのか?」

 

 

 早口で告げる杏子であった。

 漫画の内容がよほど衝撃的だったらしい。

 

 

「そういう作風なんだろ。あと、そういうのはよくある」

 

 

 漫画を読みながらナガレは告げた。

 

 

「そりゃここに来る前のあんたの話だろ。あたしが言ってんのは漫画の世界の話なんだよ」

 

 

 呆れた口調で杏子は返す。

 普通の遣り取りなら、現実の事象に対して漫画の事柄を述べ、これは現実の話だと返すのが普通なのだろうがこの連中の場合はそれが逆だった。

 現実自体が漫画、それも頭に「悪趣味」が付きそうな世界に生きているこの二人ならば、それが正しいのかもしれなかった。

 

 

「で、本題はそれなのか?」

 

「今から話すよ」

 

 

 読み始めたばかりの漫画を一時中断し、杏子は視線を上げた。

 男へと尻を着き出し、雄を受け入れる雌の姿が無修正の静止画として画面に映っている。

 それを眺める杏子の眼は冷ややかだった。

 赤い瞳は氷の視線で以て、男女の交合を見つめている。

 まるで虫の交尾でも見ているようだった。

 

 

「コレだよ」

 

「あん?」

 

「あたしさ、このエロ動画観てもなんとも思わねぇ」

 

「好みが合わねぇんじゃねえの」

 

 

 そう返したナガレの手から、杏子は彼が読んでいた漫画を奪う。ちゃんと会話しろという意思表示である。

 読んでいた部分までを、他の漫画で栞とする妙な几帳面さというか善人らしさが彼女らしい。

 

 

「そーゆうんじゃねえ。なんていうか資料としか思えないのさ」

 

 

 杏子は再び動画を再生。

 女の嬌声がイヤホンから二人の耳に伝わり、淫らな音と動画が再開される。

 

 

「どう動くのかとか、受けたらいいのか。そんな勉強用の資料って感じにしか今のあたしには感じられねぇ」

 

 

 ナガレは黙って聞いた。聞きながら、漫画取り上げなくても良かったんじゃね?とか思っていた。

 

 

「ゴムも付けてねぇし、この女が相手するのはこれで三人目だしと結構ハードな事やってるのは分かるさ。でもこれ見て興奮出来ねぇんだよな」

 

 

 再び杏子は動画を止めた。背後から突かれながら、別の男のものを口で愛撫する場面で動画が止まる。

 

 

「でもその一方で」

 

 

 杏子は視線を隣にずらした。当然ながら、そこにはナガレがいる。

 視線を向けられた彼は杏子を見た。並んだシートの僅かな隙間を隔てて、黒と赤の瞳が向かい合う。

 

 

「何もしてねぇだけのあんたを見ると、身体の奥でドクンと疼く。腐れメスゴキブリや変態戦闘狂紫髪と違ってグッチャグチャになるまで股を濡らすほどじゃねぇけどさ」

 

 

 杏子は吐き捨てる。また彼女の言葉は正しかったが、濡れる以前の湿り気程度には彼女の雌は変化していた。

 

 

「性欲ってのは自分の遺伝子を残す為の本能で、他人のを見れば個人差はあるだろうけど影響されると思ってた。でもあたしにはそれが無ぇ。家族はもう持ちたくないし持つ資格もねぇ」

 

 

 どうせあたしがヘマして壊しちまうんだからさ。と杏子は繋げた。

 声に寂しさはなく、淡々としていた。

 

 

「でもあんたを見ると、家族云々は兎も角として本能を刺激されてヤりたくなってくる。これは確信なんだけど、あたしはもう、あんたじゃねぇとこういうのを……セックスするのは無理なんだろな」

 

「それは」

 

「否定すんな。されたらただでさえ死んでるあたしの心が腐って果てる」

 

 

 せめてもっと、人生で他の男を観てからそう言え。そう言う積りだった彼の言葉はそこで断ち切られた。

 これに限った事では無いが、彼と魔法少女、佐倉杏子と呉キリカと朱音麻衣との会話は魔法少女側が自分の魂を人質に取って彼の否定を拒否するので始末に負えない。

 

 

「簡単に死ぬとか腐るとか言うんじゃねえよ。ガキが」

 

 

 しかし彼も黙ってはいない。腹が立つ事柄には相応に返すのだった。

 彼が返した一言は、獣の様な、いや、贄を前にした凶悪な竜が発した炎の息吹の様な声だった。

 

 

「例えだよ。あと少し卑屈になりすぎた」

 

 

 気分を変える、というか苦いものを飲み込む様に杏子は机の上に置いておいたコップを手に取り中身を飲み干した。

 強めの炭酸水が、粘ついた心境を洗い流すように喉の中を流れていく。

 ナガレから感じた怯えと、暗くなり過ぎた思考を切り替える。

 

 

「ま、オチを付けるとさ。あたしにこんな性癖を植え付けやがったんだ。約束通り、その時が来たら責任とれよ主人公」

 

「約束は守るけどよ、お前の人生の主人公はお前だろうが」

 

 

 未来の時に、愛に相当する行為の約定を再確認しておきながら、狭い室内の雰囲気は険悪とも陰鬱ともとれない気配となっていた。

 部屋の仕切りの隙間からはその気配と僅かな声が漏れ、周囲の室内からは足早に席を立つカップル達の様子が見れた。

 店員からすれば、一気に大量の退店者が出たので不思議だったことだろう。

 

 

「ふふん」

 

「へっ」

 

 

 そんな事は露知らず、二人は常人からしたら居心地が悪いに過ぎる空気の中で楽しそうに鼻を鳴らした。

 話の落ちが付き、やっと漫画に専念できるようになったからだ。

 なら最初から話をするなと思うのだが、この連中の思考は理解が不可能なので考察は無意味である。

 この程度の状況など、この二人からしたら山頂の山の空気の様な清らかなものと変わらない。常に殺戮の最中にあり、互いに命を奪い合う仲であるゆえに。

 

 

「さて、あと二時間ゆっくり漫画でも読むか」

 

「そうするとしようぜ。あと飲み物取って来るけどリクエストは?」

 

「コーラ。氷多めで」

 

 

 了解、とナガレは返して空になったコップと読み終えた漫画を抱えて退室した。

 その間に杏子はフロントへ電話し、大量の料理を注文する。

 激戦を終えてから二日。

 風見野の廃教会に住まう二匹の狂犬の、久しぶりに二人だけの平和な時間が流れていく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話 黒と黒 其の二

 耳が張り裂けそうなほどの爆音が鳴り響く。

 正確には鳴り続けると言うべきか。

 等間隔を置いて、地面が砕かれる音が生じる。

 音は人型の獣が疾駆する際の、地面を破壊する音だった。

 異界の地面を割砕きながら、身長約三メートル、白銀の装甲を纏った直立した猛虎のような姿の異形が時速二百キロの速度で以て、体重三百キロの重さを微塵も感じさせずに疾駆する。

 縦にも横にも広がった巨体、巨躯の厚みもまるで巨大な鉄塊だった。

 

 それが走り抜けた先には、白と黒の衣装を纏った少女がいた。

 白銀の虎の半分程度の大きさの細身の身体。

 激突どころか、掠めただけで赤く染まった白黒の破片となりそうだった。

 だが接触の直前、少女は薄く微笑んでいた。

 黒い眼帯で覆われた右眼の下と、露わとなっている左眼に浮かぶのは嘲弄の色。

 

 泰然と下げられた少女の両手が霞んだ。

 直後に轟音が鳴り響く。

 猛虎の突進は、少女の立っていた位置から二メートル足らずで停止していた。

 爪が生え揃った巨大な足が地面を抉りながら前に進もうとするも、地面を破壊するばかりで進めない。

 抉れた地面に、黒い液体が降りかかる。

 

 発生源は猛虎が伸ばした両手だった。

 巨大な両手から生えた、これもまた巨大な爪を切り裂いて、黒い刃が猛虎の両手を串刺しにしていた。

 その刃は、白黒少女の両手側面から生えていた。

 前に突き出た切っ先の形は、大鎌か刃渡りの長い大斧を思わせた。

 

 

「死神の斧…リーパートマホークとでも名付けとくかな。呼ぶ機会は無さそうだけど」

 

 

 苛立たし気に吠える猛虎を前に、呉キリカは涼し気な口調で言った。

 視線は虎には向かず、自らが生成した黒い刃を眺めている。

 莫大な衝撃を真っ向から受け止めたが故に、彼女の足は踝まで地面に埋まり、膝からは骨が飛び出ていたが平然とした様子だった。

 

 

「性能のテストに付き合ってくれてご苦労。感謝を評するよ」

 

 

 言い様、キリカは地面から右脚を引き抜いた。

 そう見えた時には蹴りとなって放たれていた。

 分厚い装甲で覆われた白銀の猛虎の左脚が、キリカが放った右回し蹴りで粉砕されて巨体が傾斜する。

 その瞬間に両手の巨大な刃が眼にも止まらぬ速さで振るわれた。

 側面からの刃、キリカ曰くのリーパートマホークに加え、本来のメイン武装である手首からの赤黒い斧も発生させての斬撃。

 白銀の虎が原型を留めない程に解体されるまで、二秒と掛からなかった。

 あまりに早すぎて、相手の悲鳴や苦鳴さえ上がらない、迅速かつ残忍な処刑だった。

 

 

「ほいっと、魔法少女の責務完了」

 

 

 白銀の残骸がバラ撒かれる中、落下してきた物体を受け止めたキリカはそう告げた。

 何かの販売員らしき服装をした、気絶中の女性であった。

 先程までの残虐行為とは裏腹に、魔女モドキに取り込まれ中身とされていた女性を扱う態度は丁寧だった。

 

 お姫様抱っこの形で抱えてすたすた歩き、丁重に地面に置く。

 その場所には既に、三人の女性が倒れていた。

 スーツ姿に学生に私服にと、十代半ばから二十代前半くらいの三人だった。

 その位置からみて少し離れた先には、異様な存在が山となって積み上げられていた。

 

 

「うん。身体の調子や魔法に問題なし。寧ろ絶好調、というかノリすぎかも」

 

 

 腕の刃を全て消滅させてキリカは言った。

 黄水晶の視線の先には、複数の異形達の蠢く姿があった。

 ただしどれも半壊以上、死ぬ寸前未満に肉体を破壊されていた。

 先程の猛虎の同種と思しき存在は、顔面を胴体に陥没させられた挙句、肩で捥ぎ取られた両腕を背中から杭のように打ち込まれていた。

 近くで蠢くのは、八本の脚を全て切り落とされた蜘蛛だった。

 

 落とされた脚はレイヨウ型の異形の腹から口に掛けてを貫通し、逆さまに地面に突き刺された串刺し刑とされている。

 またこれは通常の魔女らしい残骸もあったが、大きさが一変辺り四十センチ程度の立方体とされて数十の破片とされており、原型が全く分からなかった。

 動かないながらに必死に動こうとし、断面から内臓を零して蠕動している様子は、加害者であるキリカから逃げようと必死になっているように見えた。

 或いは、一刻も早く死にたいのか。

 

 蠢く魔女の肉片、そこに残った眼球や、串刺しにされても死にきれないレイヨウや胴体に首を埋め込まれた猛虎などの魔女モドキ。

 それらの視線は一転に注がれていた。

 こちらに向けて右手を掲げた、黒い魔法少女の姿を。

 

 

「それじゃ、君たちもご苦労さん。今度は別の生き物になって生まれなよ」

 

 

 言い終えた途端、キリカの右腕が黒い装甲に覆われた。

 装甲は両側面から翼のように広がり、握られた拳の前に切っ先を突き出した巨大な刃と化した。

 

 

 

「ヴァンパイアカッター」

 

 

 形の形成が完了した瞬間に飛翔し、魔女と魔女モドキをその質量と速度、そして異常なまでの鋭利さで切り裂いて絶命させた。

 同時に異界が消え失せ、悪夢の世界が現世に変わる。

 生物の内臓を裏返しにしたかのような極彩色の色彩は、無機質なコンクリの色へと変わった。

 壁紙も敷物も無く、剥き出しのコンクリが四方に広がっている。

 元となった空間は、廃墟となったビルだった。

 

 

「それで、どうだい調子は?」

 

「うーん…」

 

 

 異界から戻ったと云うのに変身したまま、呉キリカは背後に声を掛けた。

 困ったような声が返ってきた。

 振り返ったキリカの前に、緑パーカーに白いジーンズを履いた長い黒髪の少女がいた。

 ナガレと杏子の私服の予備を着た、記憶喪失少女のかずみである。

 

 

「ごめん。やっぱり変身出来ないみたい」

 

「そっかぁ…」

 

 

 申し訳なそうに告げるかずみに、キリカは心配そうに声を掛けた。

 それらは共に心からの様子であった。

 

 

「体調は?」

 

「ちょっと変な気分、かな」

 

「率直に聞くけど、生理かい?」

 

「んーん、そういうのじゃないかな。でも血がなんか変な感じする」

 

「例えば?」

 

「血管の中の血が、どろどろとしてうまく流れない感じ…かな」

 

「それは辛いね」

 

 

 キリカは思わず目を伏せた。

 多少なりとも吸血鬼をイメージとする魔法少女なだけに、かずみの陥っている体調不良が如何に彼女を不快に陥らせているのか想像出来てしまったのだろうか。

 

 

「ごめんね。役立たずで」

 

「それは違う」

 

 

 かずみの謝罪を、キリカは切って捨てるように言い返した。 

 静か且つ力強い否定だった。

 

 

「さっき私が腕から生やした刃や、あの巨刃を投じる術は君の戦い方を見ていて思いついたんだ。君は立派に役に立ってる。役立たずだなんて、それが例え君本人の言葉でも私は認めないし赦さないよ」

 

 

 キリカの放った技は佐倉杏子の記憶を読み込んだものであり、源流はナガレのものである。

 しかしながら、それを魔法の技として放つ為のイメージとしたのはかずみのドリルプレッシャー及びアトミックパンチである。

 それに対して、キリカは深い感謝と敬意を抱いていた。

 普段の彼女を知る者、魔法少女界隈に属する者がこの様子を見たら、今のキリカは偽物では無いかと疑うほどの別人ぶりだった。

 

 

「ほんとに?」

 

「ほんとほんと」

 

「マジで?」

 

「マジマジ。大マジ」

 

 

 確認のための問いと、肯定の言葉。

 それらを重ね合わせた後、二人は噴き出し、そして爆笑となった。

 腹を抱えて暫く笑う。収まり掛けた頃、キリカは口を開いた。

 

 

「ところでかずみん。ああ、これ今考えたあだ名ね。使っておっけー?」

 

 

 まだ笑い続けているかずみは、右手でOKの形を作って返した。キリカは満足げに頷いた。

 

 

「君、記憶喪失との事だけど私に見覚えとかはない?」

 

「あはははは……んーー?」

 

 

 かずみは首を傾げた。キリカも似たように首を傾げる。

 そのまま十数秒が経過した。

 

 

「無いかな。佐倉杏子を乗っ取ってた時が、普通の意味とはちょっと違うけど初対面だったと思う」

 

「言葉にすると随分と狂った状況だね。なるほど、了解」

 

 

 キリカは頷いた。

 

 

「そういう事か」

 

 

 その呟きは声には出さず、心の中で呟かれていた。

 

 

「さて、そろそろ帰るとしようか。魔法少女するのも終えたし、また変なのと遭遇しても困る」

 

「じゃ、ここから降りよっか」

 

「…ん?」

 

 

 窓際へと歩いていくかずみを、キリカは不思議そうに眺めた。

 ガラス窓を開けた時、

 

 

「え、ちょ!」

 

 

 と叫んでいた。

 開いた窓から、ビル風が吹き込む。

 ここは二十階建てであり、来るときは魔法少女化したキリカがかずみを背負って階段を走った。

 窓の下では、車や人が米粒程度に見えている筈である。

 キリカの静止も聞かず、かずみは窓の外へと身を投げた。

 

 

「おいおいおいおいおいおいおい!」

 

 

 焦りながら走り、窓の下を見る。

 かずみの身を預かった自分の大失態、という思考は全く無く、ただかずみを心配していた。

 見降ろした視線の先に、壁面に生じた窓などの窪みを蹴って、ステップでも踏むような気軽さで、且つ的確で迅速に下降するかずみの姿が見えた。

 まるで山岳地帯に生息する山羊の一種である。

 しばらく様子を見て、問題は無さそうと察知したキリカは安堵の声を漏らした。

 その息を吐き終えると、

 

 

「なるほど。素でも身体能力は弱い魔法少女程度はあるって事かな。となると、今回のかずみシリーズはこれまでと比べて、かなり強力な個体か」

 

 

 そう、冷静に分析の言葉を呟いた。

 

 

「プレイアデス共め。一体何をやったのだか。聖者気取りが笑わせるよ」

 

 

 吐き捨てるようにそう言い、救出した女性たちを背と肩と手に持ってかずみの後を追った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて

 昼過ぎのあすなろ市内。

 薄い雲が生じ、仄暗くなった街中をナガレと杏子は歩いていく。

 平日の昼であったが、大通りを歩く人並みは多い。

 活気に満ちた街であった。

 だから、二人の会話も喧騒に紛れた。

 その出だしは、この一言だった。

 

 

「失敗作。確かにそう言ったんだよな」

 

「ああ」

 

 

 杏子の問いをナガレは肯定した。

 数日前の戦闘にて、かずみを知っていると思しき魔法少女が告げた言葉だった。

 

 

「殺して、っても言ってた」

 

「ふざけやがって」

 

「ああ、ふざけてやがる」

 

 

 淡々とした口調で、表情は共に無表情。

 つまり切れる寸前という事である。

 

 

「で、あたしらはあのクソガキがほざいてた、そのクソみてぇな事をバカな頭で考えなきゃならねえな」

 

「まぁな。暴れるのは楽だがよ。それじゃ話が進まねぇ」

 

 

 共に息を吐き、思考を切り替える。

 

 

「あんたの見解はどうなんだい?」

 

 

 杏子の問い掛けは、年上のものに対する趣があった。

 これまでの経験で、何か思い当たる事は無いか。

 杏子はそう言っているのだった。

 

 

「失敗作って言葉からは、確実な事が一つだけ分かるな」

 

「…あいつは、かずみはあいつらに」

 

「造られた、ってことだろうよ」

 

 

 忌々し気にナガレは言う。杏子もまた、苦虫を嚙み潰したような表情を見せた。

 しかし止まる訳にもいかず、思考を続ける。

 

 

「失敗作ってこた。完成があるって事だろ」

 

「言葉通りだね。で、完成ってのは?」

 

「例えば武器だ」

 

「嫌な例えだな」

 

「全くだ。でもよ、そうだとしたら申し分ないよな」

 

 

 杏子は頷く。

 苦々しい表情は、なおも二人から消えることが無い。

 かずみを武器として認識することの忌避感である。

 

 

「暴走するから失敗作、って感じでもねぇ。あれはかずみ自体をそう言ってやがった」

 

「それは雰囲気でそう感じたのかい?」

 

「ああ」

 

「なら信頼できるな。あんたはそういうとこは妙に鋭い」

 

 

 歩みが止まる。赤信号の交差点に差し掛かったからだ。

 

 

「そういえばかずみに喰われてた、あの調教師女はそもそもかずみを見て驚いてたね」

 

「生きてたのが信じられない、って感じだったか」

 

「てこたぁ、あいつらはかずみを捨てたのか」

 

 

 ナガレは吐き捨てる。

 脳裏に浮かぶのは、風見野の路地裏で即席の雨避けを作って座っていた裸体のかずみの姿。

 

 

「…ヤバい」

 

 

 杏子はそう呟いた。

 声は震えていた。

 

 

「あん?」

 

「キレそう」

 

「ああ、俺もだよ」

 

 

 青信号になり、二人は歩みを再開した。

 

 

「少し脱線するけど、いいかい?」

 

「構わねぇよ。寧ろ頼む」

 

「ありがとよ。ついでにもう一つなんだけどさ」

 

「なんだよ、相棒」

 

「少し、っていうか気持ち悪い言い方になるけど大丈夫?」

 

「早く言えよ。そういうのは我慢すんな」

 

 

 ナガレは続きを促した。杏子は頷いた。

 

 

「あたしさ…あの子の事、家族だと思ってるのさ」

 

「それの何処が気持ち悪いんだよ」

 

「気持ち悪いじゃねえかよ。他人を家族だなんて」

 

「それだけ大事だって事だろ。こんなやり取りはさっきもあったけど、あんま卑屈になりすぎんなよ」

 

「それがさ、少し違うんだよ」

 

「ああ?」

 

「あたしにとって、あの子は子供みてぇなものなのさ。腹を痛めて産んだ、あたしの子供」

 

「へぇ」

 

 

 少し驚いたが、彼は間を置かずに返した。

 沈黙は否定と捉えられそうだと思ったからだ。

 

 

「そいつはおかしい事なのか?」

 

「おかしいだろ。大事にするって言っても過剰すぎるし、あたしも孕んで産める歳で機能もあっけどあたし本人がクソガキもいいとこだ」

 

 

 自分で発した言葉と思考に嫌悪感を滲ませながらも杏子は語る。

 女にしか出来ない思考で、命を紡ぐ行為も女にしか出来ない故に男である彼は黙って聞いている。

 その沈黙は否定と思わず、杏子は更に続けた。

 

 

「でも、あいつに関してはどうしてもそう思っちまうんだ。あの子はあたしの子。あたしから産まれて、だからあたしの近くにいる」

 

 

 杏子は内心を素直に吐露した。顔には苦痛が滲んでいた。

 

 

「笑っちまうよな。気持ち悪いよな。考えもそうだし、あたしはそもそも命を残す資格もねぇし、そもそもしたくもねぇってのにさぁ…」

 

 

 杏子の言葉は血が滲んでいるかのようだった。

 

 

「それでもさ。何でか知らねぇけど本能が疼く。大事にしねぇとって、この子はあたしの子供なんだって、そんな妄想だか欲望だかが込み上げてきやがるんだ」

 

 

 そこで杏子はナガレに顔を近付けた。

 

 

「可笑しいだろ?なぁ、笑えよ相棒。笑ってくれよ」

 

「お前、本当に笑って欲しいのか?」

 

「じゃあ、あんたはどう思うのさ。あたしのこの、トチ狂った母性本能」

 

「分からねぇよ。俺は女じゃねぇんだから」

 

 

 下手な返しだなと彼は思った。

 しかしながら、杏子は笑った。

 彼の返事が理屈的に苦しいところと、彼の困惑した態度が気に入ったのだろう。

 

 

「あー、そういやそうだっけ。悪いね、忘れてた」

 

 

 喉を見せて笑いながら、杏子はそう言った。

 対するナガレの顔には苦み。

 

 

「お前な…」

 

 

 この外見になってから長いが、慣れてはいつつも気になるのだろう。

 当然の事ではあるのだが、最近の彼はこの見た目に慣れ過ぎていたからいい薬である。

 笑う杏子に対し、彼もまた苦笑いではあるが笑い返した。

 少しの間ではあるのだが、冗談を交えた事で互いの心の中に浮かんでいた荒波が僅かに鎮まっていた。

 だからか、杏子はこう提案した。

 

 

「ネカフェ出たばかりだけど、またどっかに入るかい?雨も降りそうだしさ」

 

 

 空は薄曇りから曇天へと変じていた。

 雨は嫌いでないし多少は平気だが、確かに何処かで休みたかった。

 ナガレは街中で視線を動かした。

 黒い瞳の先に、一つの建物があった。

 それはあすなろの観光ガイドにも載っていた。

 そして彼の今までの人生の中で、訪れた事も無い場所だった。

 

 

「あそこなんてどうだ?面白いかもしれねぇぞ」

 

 

 杏子もそこを見た。ナガレが指さした先にある建物を視認し、彼女は思わずため息を吐いた。

 

 

「組んで長いけどさ。あんたのセンスってよく分からねえな」

 

 

 そうは言いつつも、杏子は笑っていた。

 先程のため息も、半分は呆れだがもう半分は期待だった。

 歩む矛先を決めた時、空から雨が降り出した。

 それを合図にして二人は走った。

 

 敷地内のタイルを蹴り、風のように走る。

 途中から競争となっており、激烈なデッドヒートが展開された。

 扉の少し前で、即席のレースは終わりを告げた。

 入り口で人に接触しない為である。やはりというか、基本的には善人である二人だった。

 そして二人は木製の大きな扉を開け、小さなお城を思わせる洋風の建物へと入った。

 

 建物の入り口にあった名前は『Angelica Bears』。

 あすなろ観光ガイドによれば、テディベアの博物館とのことだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて②

「デデデーン♪らったーららたーらららんたたんらららん友人ららららんららんららららららん♪大雪山♪」

 

 

 廃ビルの中、謎のメロディを口ずさみながら私服姿のキリカは躍る。

 両手は何かが詰められた、大きなタッパーを持っていた。

 中に入っている物体は、銀色の光沢をしていた。

 五センチ程度感覚に切り刻まれていたが、それは何かの装甲に見えた。

 

 

「友人早く帰ってこないかな♪好物を用意してやったんだから♪佐倉杏子も帰ってきたら嬉しいな♪死体になって戻ってきたら嬉しいな♪」

 

「呉キリカ。随分と元気だねぇ」

 

 

 躍るキリカの近くのソファに座るかずみはそう言った。

 キリカの舞踊は彼女の気分次第の気紛れな動きのそれだが、妙に様になっており、かずみはそれに魅入られていた。

 特に本人が気にせずとも、何かしらの美を発露してしまうのはこの呉キリカという少女の特徴であり長所だろう。

 

 

「そりゃあもう!虎型っていうかデストワイルダー似の魔女モドキを探すの、すっごい苦労したんだからさ!」

 

「あー…だからあんなに沢山歩いたんだね。何体くらい倒したの?」

 

「んー…十五体くらいかな。人型してて装甲も分厚いから技の実験台にも最高なんだ。直ぐ死なないから色々と試せる」

 

 

 邪悪に過ぎるキリカの言葉に、かずみはふーんと呟いた。

 彼女の脳裏では、直立歩行した白銀の虎がキリカに首を喰い千切られ、狂った笑い声を挙げる彼女に追い廻されて殴り潰され、また赤黒い触手で全身を引き裂かれて破裂させられる光景が浮かんでいた。

 破片となったそれらの一部を回収し、タッパーに詰めていたキリカはその際、

 

 

『これが女子力ってヤツかな?』

 

 

 と返り血を浴びた貌でかずみに問い掛けていた。

 きっとそうだよ、と空気の読める性格のかずみはそう応えていた。

 その返事に満足し、キリカは次の狩場へと赴く。

 そんな事が十五回も繰り返されていた。

 

 

「まぁ、今日はいい勉強になったね。新しい技にもだいぶ慣れてきた」

 

 

 流石私ってば大天才。

 彼女はそう締めくくった。

 確かにそうだろう。

 戦闘のセンスと残虐性、そして狂気という意味で。

 

 

「ところでかずみん、まだ思い出さないかい?」

 

「?」

 

 

 舞踏を止め、キリカは問うた。

 かずみは首を傾げ、ようとしたが、その動きをキリカの右手が止めた。

 今にも壊れそうなものを扱うような、厳かな手つきだった。

 

 

「逃げちゃ駄目だ」

 

 

 キリカは告げた。そして彼女の顔をじっと見た。

 身長的には、キリカの方がかずみよりも二センチは低い。

 ほんの少しだが、キリカはかずみを見上げる形となっていた。

 

 

「よく思い出すんだ。今日の私の姿を、私の技と声、そして動きを」

 

 

 キリカの黄水晶の瞳が輝く。

 乗せられているのは彼女の魔力。

 速度低下魔法が発動し、かずみの全身を包み込む。

 遅滞する感覚の中、かずみは思考した。

 それしか出来なくなっているからである。

 

 考えて考えて、記憶の中を辿った。

 何も無い記憶。

 その中を探っていく。

 その感覚は、一度経験していた。

 ナガレが彼女に対し、「ミチル」という名で呼んだその時に。 

 

 かずみが思考している間、キリカは近場に置いてあったものをかずみに手渡していた。

 肉体の反射で、かずみはそれを握り込んだ。

 瞬間、欠落した記憶の闇で覆われたかずみの脳裏に、闇ではないものが浮かんだ。

 それは闇の様な黒だった。その黒は、片目を眼帯で覆った奇術師風の姿をしていた。

 

 眼の前の少女と酷似した姿だった。それが美しい声で、悍ましい叫びを上げながら両手から生やした複数の斧を振っていた。

 赤黒い光を纏った武装が振られる度に、複数の手足が飛んだ。

 小さな少女の部品であった。

 手足に加えて、弾けた血肉と体内の臓物や首も飛んでいた。

 

 跳ね飛ぶ首。

 その形は。

 

 

「おめでとう」

 

 

 現実のビジョン。

 かずみの眼の前の呉キリカは微笑んでいた。

 光り輝く春風の様な笑顔だった。

 口の端からは一筋の血が垂れていた。

 血の線は面積を増やし、可憐な唇の隙間から滝となって吐き出された。

 

 

「キリカっ!?」

 

 

 かずみは叫んだ。その時に、かずみは気付いた。

 自分の両手が握り込んだ包丁が、キリカの胸を貫いている事に。

 豊かな膨らみの隙間に薄い刃が通り、胃と心臓を貫いていた。

 

 後退しようとしたかずみの手を、キリカの手が掴んだ。

 そしてあろうことか、自分に向けて引いた。

 包丁の切っ先がキリカの身体に沈み込み、傷口からも大量の血が滴る。

 血は、キリカが何時の間にか床面に敷いていたビニールシートの上で跳ねた。

 

 

「向き合うんだ、かずみん」

 

 

 血を吐きながら、それでいて微笑みながらキリカは告げる。

 その表情はまるで、我が子を抱く母のよう。

 

 

「自分の感情、いや、本能に従うといい。君の本能は、私をどうしたいと思ってる?」

 

 

 キリカの言葉に、かずみは内心を探る。

 即座に分かった。

 キリカに対して自分が抱く感情は、どす黒い殺意。

 認識した瞬間、かずみの手は勝手に動いた。

 キリカから包丁が引き抜かれ、直後に腹に突き刺された。

 

 変身せずとも弱い魔法少女程度はある、とキリカは評した。

 その通りに、かずみの突き刺した包丁は根元までキリカの体内に埋まった。

 手首が捻られ、キリカの傷が拡大。

 広がった傷口からは、切断された腸が零れた。

 血と臓物の酸鼻な臭気が室内にさぁっと波のように広がった。

 

 

「違う…違う!」

 

 

 かずみは否定の言葉を叫ぶ。

 対して、彼女の手は動く。

 凶器が引き抜かれ、再度突き刺される。

 

 それが何度も何度も繰り返される。

 キリカの身体の前面は、瞬く間の間に傷で覆われていった。

 左の乳房が切断されかけ、内部に詰められた脂肪の層を露わにしながら、皮一枚で垂れ下がる。

 

 

「違わない」

 

 

 傷だらけになりながらも、キリカは微笑んでいた。

 痛覚遮断は用いていない。

 このくらいの痛み程度では、彼女の表情を変えることは出来ないのだった。

 

 

「そしてなんてことはない。これでも御相子には足りない」

 

 

 キリカの黄水晶の瞳に、寂寥が掠める。

 それは憐憫と、後悔の色が映えていた。

 次の瞬間、キリカは左手を振った。 

 右手は既に、肘の辺りで切断されて足元のビニールシートに落ちている。

 

 キリカから溢れた血によって、三分の一程度が血の中に沈んでいた。

 跳ねる血の中に、キリカ以外のものが混じった。

 それは、かずみの右頬から生じていた。

 キリカが振った左手。その手首から一本だけ生じさせられた斧が、かずみの頬を薄く切り裂いていた。

 

 

「すまない、かずみん」

 

 

 キリカは謝罪した。

 深い罪悪感に満ちた口調だった。

 

 

「荒療治だが、君の記憶を思い出す事に役立ててくれ」

 

 

 それが、かずみが聞いたキリカの最後の声だった。

 自らの負傷に、かずみは彼女は叫んでいた。

 傷の痛みと恐怖が、それまで理性で押し留められていた殺意を解き放った。

 叫ぶかずみの手は、包丁を手放していた。

 先程よりも厚みを増した血の層の中に包丁が沈む。

 

 そしてかずみの両手は、キリカの腹と胸の傷に侵入してた。

 手首まで一気に沈ませ、指先が触れた臓器を思い切り掴み、そして引いた。

 

 傷だらけのキリカの身体から、血塗れの内臓が引きずり出される。

 湯気を立てるそれに、かずみは歯を立てて喰い千切り、そして咀嚼し始めた。

 自分の内臓が貪り食われる光景を、呉キリカは血塗れの顔で、それでも微笑みながら眺め続けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて③

『Angelica Bears』。

 

 入り口にそう書かれた建物へと、ナガレと杏子は雨宿りの為に入り込んだ。

 二人を出迎えたのは、温かな白い光と穏やかな音楽。

 そして無数のガラスケースの中に飾られた、テディベア達だった。

 

 入館料の概念は無いのか、係員や受付が存在していない。

 足を踏み入れた瞬間から、展示物が一面に広がっているのであった。

 建物の中に客はおらず、風見野の年少者二人だけが顧客となっていた。

 

 

「おい…」

 

 

 杏子が呻いた。

 

 

「ああ」

 

 

 ナガレが同意した。

 次の瞬間、彼の手元には黒い光が。

 杏子の全身を真紅の光が包んだ。

 ナガレは手に斧槍を握り、杏子は魔法少女へと変わり、その手に十字槍を手にしていた。

 

 

「この気配、ていうか魔力の残り香は…」

 

 

 杏子が槍穂を前にしながら進む。

 全身には緊張感を漲らせている。

 

 

「あの変態女だな」

 

 

 変態な女は多数いる世界であるが、彼が差しているのは双樹である。

 彼もまた刃を前にして歩いていく。

 二人は完全な戦闘態勢へと移行していた。

 

 気配を追って、展示物の間を歩いていく。

 壁面近く、地面に描かれた複雑な模様の真上で、その気配は強まっていた。

 二人は同時に獲物の切っ先をその上に突き立てた。

 

 魔力が迸り、描かれた紋様が発光する。

 輝くのは、ファンタジーものでよく見かけるような魔道陣。

 杏子と牛の魔女の干渉によって、床に描かれた魔道陣が発動した。

 光が迸り、二人はその中に飲み込まれた。

 怯みも怯えもせず、二人はその光を受けた。

 

 光が消え去った後、二人は薄暗い空間にいた。

 レンガ状の床面、その上に通された赤いカーペット。

 高い天井を、両サイドの床から生えた美麗な造形の柱が支えている。

 

 

「墓場みてぇだな」

 

 

 その様子を杏子はそう吐き捨てた。

 霊廟を連想したのだろう。

 ナガレも似たような気分だった。

 

 

「見ろよ、アレ」

 

 

 回廊の先を見据えたナガレが杏子の視線を促す。

 杏子もそれを見た。

 

 

「悪趣味」

 

 

 と、彼女は憮然とした口調で言った。

 歩いた先には、巨大な両扉があった。

 扉の表面には、複数の歯車が埋め込まれていた。

 飾りではなく、実際に稼働していた。

 

 生き物の内臓を見ているようで、杏子はそこに不快感を感じていた。

 それを払うように、杏子は槍を縦に一閃させた。

 歯車が寸断され、扉の中央に隙間が出来た。

 どうやら歯車は錠前の役割も果たしていたようだ。

 

 開き始めた扉に、ナガレと杏子は同時に蹴りを放った。

 壁面に埋め込まれた蝶番が外れ、巨大で分厚い扉が軽々と吹き飛ばされる。

 轟音を鳴り響かせて落下した扉。

 その先にあったものを見て、ナガレと杏子は嫌悪感に顔を歪ませた。

 

 

「収集癖があるのは知ってたけどさ…」

 

「こいつはやり過ぎだ」

 

 

 二人が見たものは、扉の先の部屋の、両側に設置された無数のカプセルだった。

 液体が充満された容器の中、裸体の少女達が浮かんでいた。

 どれも皆、眼を閉じて首から銀のプレート付きの鎖を下げていた。

 プレートには、アルファベットにて少女達の名前が刻まれている。

 

 

「まるで虫の標本じゃねえか」

 

 

 我慢ならなかったのか、杏子は唾を吐き捨てた。

 それは床面を流れる人口の小川の中に落ち、何処へともなく流れて行った。

 

 

「マナー違反」

 

 

 背後からの声。

 間髪入れずに杏子は槍を放った。

 ナガレの静止の声も間に合わなかった。

 声を発した者の首が切断され、高々と宙を舞う。

 主を喪った胴体も床に倒れ伏す。

 木でできた、人形の胴体が。その近くに、同素材の人形の顔が落下した。

 

 

「マナー違反その二、というレベルでもないねぇ」

 

 

 二人は振り返った。

 先程まで自分たちの視線が向いていた場所、即ち正面に一人の少女が立っていた。

 濃緑の帽子、肩を出した鮮やかな緑のパーカー、濃い緑色のアームカバー。

 丈の短いホットパンツも青みが強く、緑に近い色となっていた。

 金の髪をツインテールで顔の両サイドに垂らした少女は、緑で覆われた姿をしていた。

 

 

『あたしのパクりか?』

 

 

 と杏子はナガレに思念を送った。

 確かに、部分的ではあるが杏子と服装の趣は似ている。

 偶然だろうよとナガレは返した。

 この遣り取りは、杏子なりの感情のクールダウンでもあった。

 ナガレもそれを理解し、自分も冷静でいようと努めた。

 

 

「おや?」

 

 

 緑の少女が疑問の呟きを漏らした。

 

 

「おやおや、おやおやおやおやおやおやおや」

 

 

 呟きが連呼される。続く間に、それは疑問から理解の声へと変わっていた。

 

 

「なるほど。その姿、君たちが報告にあった『保護者』か」

 

 

 瞬間、二人の感情が膨れ上がった。 

 怒りである。

 少し前のクールダウンが無ければ、暴発していたに違いない。

 

 

「その口ぶり…テメェ、調教女と風俗嬢みてぇなイカれた服装のメスガキと腐れ肉袋女の仲間か」

 

 

 怒りのままに杏子は言う。呼び名が酷いのも、半分程度はその為だ。

 

 

「てこたぁ、かずみについて知ってるよな」

 

 

 一語一語を、噛み締めるようにナガレは言う。

 そうでもしないと、裸体の少女達が液体漬けにされて管理されているという、この異常な光景を前に怒りを爆発させそうになって堪らないのだった。

 

 

「その二つの問い、仲間達への不名誉な仇名を除けば肯定しよう。その通りだ」

 

 

 緑の少女は、二人の怒りを平然と受けた。

 まるで自身が虚無であるように。

 

 

「さて、と為れば保護者たる君達には知る権利がある。知らなければいい事を。君たちがかずみと呼ぶ少女の正体を」

 

 

 芝居がかった様子を前に、杏子とナガレは必死に怒りを堪えた。

 聞かなければいけない事柄を、聞き出さねばならないからだ。

 

 

「語り部たる私はニコ。神那ニコ。よろしければお見知りおきを」

 

 

 ニコと名乗った少女は、丁重で恭しい、王に対する臣下の様な礼を二人に送った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて④

「それでは」

 

 

 ニコと名乗った少女は、それを口火として語り始めようとした。

 かずみという存在の正体。

 自分達との関わり。

 そしてこの周囲の状況。意識を失った裸体の少女達が液体で満たされたカプセルに入れられ、眠り姫の如く沈黙している異様な光景。

 それら全てを、彼女は語る積りだった。

 ナガレも杏子も、それを黙って聞こうとした。

 異変はこの時に起きた。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

 苦しみの呻きを上げる杏子。

 身を折りそうなほどに身体が前へ傾き、両膝を突く。

 

 

「ぐ、あ、あ、ああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 苦痛のままに杏子は叫ぶ。

 ナガレはニコに注意しつつも片膝を突いて杏子の傍に寄る。

 そして彼女の名前を呼び、大丈夫かと声を掛け続ける。

 

 

「…どゆこと?」

 

 

 当然、ニコは困惑した。

 その一方で、これは相手の罠かとも疑っている。

 この二人のデータはある程度揃えてある。

 今、苦痛に呻いていると見える佐倉杏子は要危険人物としてニコの脳内に記録されている。

 風見野最強の魔法少女であり、一家心中の生き残り。

 家族を喪った後は軽犯罪行為を繰り返して生き延びている。

 

 敵対者には容赦なし。

 魔女は皆殺しで敵対した魔法少女はほぼ例外なく半殺し以上の目に遭っている。

 ニコはそこに警戒しつつも、奇妙な親近感を覚えていた。

 近しい存在の命が失われているという点にである。

 

 しかしながら、警戒心も怠らない。

 佐倉杏子が危険人物である事に変わりはなく、情報を得る為なら自分の手足の指を切断する拷問も厭わなそうだと思っていた。

 

 

「でも、これは…」

 

 

 思わず呟いていた。

 杏子の様子は、どう見ても演技には思えない。

 隣の少年も杏子を必死に心配している。

 そんな彼を、ニコは複雑そうな視線で見つめていた。

 彼に関するデータが、彼女の脳内で展開されていた。

 

 

「(こいつ…一体何者なんだろうねっと……む、ちょっと二次創作っぽい台詞だな)」

 

 

 自らの混乱を、茶化した思考でニコは誤魔化した。

 再び視線を杏子に移す。

 

 

「む」

 

 

 その時にニコは気付いた。

 杏子の中に、見知った魔力のパターンを感じていた。

 それは杏子の血管の中を流れ、全身に行き渡っているように見えた。

 

 

「なるほど」

 

 

 ニコは納得の声を呟いた。

 

 

「何がだ」

 

 

 ナガレはそれに反応した。

 ニコのそれは空気が掠れるような声であり、彼は大声で叫び続ける杏子の傍にいる。

 その状況で聞き取れたというのは、彼が異常極まりない地獄耳であることを示していた。

 

 

「その子、私の説明はいらないみたいだ」

 

 

 お手上げ、といわんばかりにニコは両手を掲げた。

 

 

「どうやったかは知りたくも無いけど、佐倉杏子に取り込まれたかずみの魔力が自分の物語を佐倉杏子に教えている。多分、私に会った事がトリガーになったんだろう」

 

 

 淡々とニコは語る。まるで風景でも見ているかのように。

 ナガレに怒気が芽生えたが、今はそれを押さえる必要があった。

 今注意すべきは相棒の安否と、今の現状が終わった時の感情の炸裂だった。

 彼が緊張感を漲らせている中、杏子の震えと叫びが止まった。

 荒い息が、急速に鎮まっていく。

 

 

「そうか」

 

 

 安定した呼吸の元、呟かれたのは冷ややかな声だった。

 冷たく燃え盛る、炎のようだった。

 しかし。

 

 

「そういう事だったのか」

 

 

 次いで言葉として吐き出された吐息は、まるで炎の様な熱を帯びていた。

 

 

「テメェら…」

 

 

 顔を上げ、立ち上がる杏子。

 ニコを見る真紅の双眸は、瞳の中に地獄が描かれているかのような悍ましさを帯びている。

 その瞳でニコを睨む杏子。

 

 ニコはその視線を真っ向から受け止めた。

 十数秒が経過した。

 杏子は溜息を吐いた。沈黙の時よりも、長い長い溜息だった。

 体内の空気を、全て絞り出してしまったかのような。

 そして息には、酷い疲労感がこびり付いていた。

 

 

「プレイアデス聖団、か」

 

 

 呪いでも紡ぐかのように、杏子はその名を口にした。

 

 

「大した連中だな」

 

 

 愚弄してるとも、その言葉のままに評価しているとも、または何も感じていないとも取れる杏子の言葉だった。

 

 

「その気持ちは分からなくもねぇさ。辛かったってのも、当事者じゃねぇけど察せはする」

 

 

 杏子は言葉を選んでいるようであった。 

 脳裏では、かずみという存在が誕生するまでの経緯が浮かんでいる。

 

 

「でもな。お前らも知ってるだろうけど、あいつは怒ってる。何故かも分かるよな?」

 

「勿論」

 

「だから、失敗作か」

 

「………その言葉は、ココロにクるね……」

 

 

 杏子とニコ、両者の間で沈黙が雪のように降り積もる。

 殺意も闘志も無く、ただ虚しさがあった。

 

 

「帰るぞ、相棒」

 

 

 杏子は踵を返し、入ってきた扉へ向かった。

 

 

「帰ったらあんたにも話してやるよ。この」

 

 

 次の言葉を、杏子は紡げなかった。

 

 

「…くそったれ」

 

 

 弱弱しい悪罵でしか、今の気分を表せなかった。

 ナガレも杏子の歩みに従い、後を追った。

 ニコもそれを黙って見送った。

 閉じられていた大きな扉を、杏子は押して開けようとした。

 だが、扉は勝手に開いた。

 扉の背後にいる者が、扉を手前に引いて開けた事で。

 

 

「………」

 

「………」

 

 

 来訪者と杏子の眼が合った。

 扉の奥から来たものは、黒い衣装を纏っていた。

 頭をすっぽりと覆い、膝裏まで伸びた黒いローブ。

 剥き出しになった腹と、黒と紫、そして桃色の薄い布で構築されたスカート。

 

 眼にも鮮やかなピンクのストッキング。

 外見の変化はあったが、その姿に杏子は見覚えがあった。

 そして、相手もまた同じく。

 

 

「貴様ぁぁぁあああああああああ!!!!!」

 

 

 黒い少女は叫びを上げた。

 憎悪と殺意に溢れた、怒りの咆哮だった。

 少女の全身から黒い波濤が溢れ、佐倉杏子を包み込んだ。

 蠢く黒の中、

 

 

「テメェェェェエエエエエエエ!!!!!!」

 

 

 という、佐倉杏子の叫びが聞こえた。

 闘志と敵愾心に満ちた絶叫だった。

 

 

 

 










超展開(いつもの)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑤

 それは物語だった。

 銀の装甲を纏った戦士が、襲い来る異形の獣や騎士たちを薙ぎ倒し、蹴散らしていく。

 積み上げられた屍の上、全身に傷を負った銀の戦士は立ち尽くしていた。

 

 戦いの高揚感と使命からの解放、そして奪った命への罪悪感か。

 ただ立ち尽くす戦士に、一人の少女が手を差し伸べる。

 栗色のポニーテルの、白と赤のドレスを纏った美しい少女が戦士の手を優しく握る。

 少女もまた鮮血に塗れていた。

 美しい衣装の紅は、自他の血で濡れていた。

 

 赤と黒の東洋龍、白い虎、黒い蝙蝠に直立歩行のカメレオン。

 どことなく銀の戦士と似た趣を持った、手足の生えた蛇の様な怪獣。

 それらを積み上げて作った屍の山、仰向けにした銀色の騎士を踏みながら戦士と少女は手を取り合っていた。

 

 

「そしてここに、狂気の遊戯は終わりを告げて、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ…………」

 

 

 抑揚のない声が続いた。

 声には何かに耐えているかのような響きがあった。

 それはこの声を発する者の感情の発露であったが、それが却って言葉に趣を与え、物語の悲劇性を演出していた。

 

 

「カット。御苦労さん、ジュゥべぇ」

 

「いいって事よ、先輩」

 

 

 そうは言ったものの、ジュゥべぇは疲労のあまりに両手の様な器官を床にだらりと下げていた。

 床には一冊のノートが落ちていた。少し前まで、彼が持っていたものである。

 ラベルが貼られた表紙には「私と銀の戦士の愚かなる遊戯」というタイトルがあった。

 

 それを製作した張本人である双樹は、至る所が剥げた直立歩行のサイのソフビ人形と、自分自身を模した人形を手に持って遊んでいた。

 二体の人形の足元には、先にある通りのソフビやフィギュアが山となって堆積している。

 人形の足裏では、銀色の騎士が二体によって踏みしだかれていた。

 サイとにた趣があるのにも関わらず、いや、だからなのか、双樹の嫌悪感は強いらしい。

 

 

「さて、動画を編集したら第二部と猿先生の漫画の様な悲しい過去編、そして番外編である私とメタルゲラスの愛の逃避行編を…」

 

 

 うっとりとした表情で双樹は語る。

 その最中にも、人格は入れ替わり、また統合されていく。

 人格は変わっても考えることは一緒であり、このサイ型の存在への異常な愛を語っていた。

 異常犀愛者とでも言えばいいのだろうか。

 三つの人格たちは物語の展開の議論を交わし、または反発と同調と考察、そして解釈違いからの仲違いと和解を繰り返していた。

 その様子を見るジュゥべぇは、硬直した笑顔のままに世界への理不尽に打ちのめされる哀愁を漂わせていた。

 

 素体はインキュベーター。虚無の思考の代わりに頭脳とされているのは、元マギウスの羽根であった双樹からもたらされた、神浜市で開発された人工知能。

 それをベースに、双樹本人の人格形成を解析して作られた高度な人格を持つジュゥべぇは、自分の源流でもある双樹という少女に後輩として尽くそうと決めていた。

 例えそれが、色々な意味で変態趣味の一言では表せない存在だったとしても。

 

 

「んじゃ、先輩。オイラ、次の撮影の準備を」

 

 

 言い掛けている途中で、ジュゥべぇは不穏な気配に気が付いた。

 直後にそれは振動となって足の裏から伝わった。

 

 

「先輩!!」

 

 

 黒い獣が叫び、双樹へと身体を激突させる。

 四足獣の一撃は、なおも言い争いを続ける双樹を突き飛ばした。

 仰向けに倒れた双樹の手には、今も自分を模した人形と古びたソフビが大事そうに握られている。

 

 

「ちょ、ジュゥべぇ!そういうのはもう少し日が暮れてから」

 

 

 自分を押し倒した獣へ首を傾けて双樹は言う。

 経験がある訳でもなさそうだが、満更でもない表情に狂気が滲んでいる。

 

 

「伏せろ!」

 

 

 彼女の額に両手を押し付け下がらせた直後、双樹の足元、即ち先程まで寸劇が繰り広げられてた床が絨毯とコンクリの破片となって噴き上がった。

 当然、そこにあった各種フィギュアも破壊されている。

 顔に飛んできた銀色の騎士の上半身を、双樹は蠅でも払うように繊手で張り飛ばした。

 

 

「なにっ」

 

 

 唐突な破壊の光景に、双樹は少女らしくない反応を示した。

 読んでいる漫画のミーム汚染が影響しているのだろう。

 双樹が妙な反応を示している間に、破壊された床面からは破壊孔を更に広げながら巨大質量が出現していた。

 黒い粘液で構成された翼と羽根を持ったものが、折り畳んでも尚巨大な翼を背負い天井へと激突。

 天井を薄紙のように貫いて、破片を散らしながら更に上昇していった。

 

 

「これ、今回の納品分!」

 

 

 天井に開いた孔の奥から、少女の声が遠く聴こえた。

 それに遅れて、大きな袋が落下する。まるでサンタクロースの背負った袋のようだった。

 ジュゥべぇの両手器官がそれを受け止め、人形を安全圏に避難させた双樹が袋を広げる。

 中に入っていたのは、十五体にも上る白い獣だった。

 赤い瞳は瞬きもせず、一切の情動を喪って横たわっている。

 

 

「流行りのデリバリーにしちゃあ、やり方がハデだな…」

 

 

 ジュゥべぇが呆れた声を出し、天井を見上げる。

 上に開いた孔は更に続き、点に見えるようになったあたりで通常の天井に戻っていた。

 その先からは、二種類の少女の叫びに罵声、そして破壊音と振動が発生している。

 どれほどの破壊が吹き荒れているのか、この室内にも軽い地震程度の衝撃が伝わっていた。

 

 

「この秘密基地、大丈夫なのか?こないだも脱走騒ぎで破壊されまくったってのに」

 

「別にどうでもいいよ。ニコ先生かクソガキのみらいが魔法でパパパッと直すんだろうし」

 

 

 興味を全く示さずに双樹は言った。

 掃き掃除を開始し、破壊された騎士と怪物たちの残骸を塵取りで収集して袋に集めている。

 恐らくは後で直させるものの一つとして渡す気なのだろう。

 銀の騎士だけは、床に開いた穴に破片を蹴飛ばして捨てていた。

 何が彼女をそうさせるのかは、考えたくも無い。意味すらないのかもしれない。

 

 

「さて、私とメタルゲラスの愛の舞台の参加者である愚か者どもは粉砕されたけど撮影機材は無事だし私達も今の間に方向性を纏めたから、いったんお休みにしよっか」

 

「そうだな。あと先輩、たまには生じゃなくて火を通してみるのもアリじゃねえかな。休むついでに色々試してみようぜ」

 

 

 牙を見せて笑いながらジュゥべぇが提案する。

 双樹もいいね!と親指を立てて同意していた。

 一人と一匹が楽しそうに、広い室内の片隅に設けられたキッチンに向かって歩いていく。

 その間に、二人の背後である床面の破壊孔からは黒い何かが飛翔し上昇していった。

 背後から生じた風に吹かれて双樹とジュゥべぇは振り返ったが、既にそこには何もいなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑥

「しつけぇなぁ鳥女ぁぁあああああああ!!!!」

 

「黙れ気狂い!!」

 

 

 長い回廊の中、高い天井と横幅を縦横無尽に移動しながら二人の魔法少女は争っていた。

 佐倉杏子は広げた外套を翼に見立てた姿、ナガレの記憶で見た彼の愛機である『寄せ集めゲッター』の外套を模したものを羽織って飛翔し、十字槍を乱舞させている。

 赤い長髪を束ねるリボンも端が伸びて先端が尖っていた。この部分でも、彼女はゲッターロボという存在を意識した造形を自らに課していた。

 そうさせるのは、心に焼き付く異性への執着心。

 彼と近し存在を模すことで、少しでも彼と繋がろうとする欲望の表われだった。

 

 

「落ちやがれ!!」

 

「落ちない!!」

 

 

 外套を翻しながら加速した杏子が放った槍の一撃を、黒の少女の翼が受けた。

 粘液で出来た鳥の被り物。彼女の外見はそんな趣であった。

 身体の左右から伸びた巨大な翼、その一つである右翼が杏子の槍を受け止め、彼女の身体を投げ飛ばした。

 

 

「ぐあっ!?」

 

 

 背中から壁面に叩き付けられ、壁が衝撃に耐えきれずに崩壊する。

 間髪入れずに、黒の少女は追撃を放った。先端が丸められ、拳状に形を変えた左翼が杏子の腹に突き刺さる。

 杏子の上半身ほどもある拳を、彼女は横に傾けた槍の柄で受けた。

 

 

「ああああああああ!!!」

 

 

 柄が砕け、杏子が更に吹き飛ばされる。

 血を曳いて飛翔しながら三枚の壁をぶち抜き、漸く衝撃が弱まった。

 着地した杏子は口から血塊を吐き出した。

 杏子の胸は潰され、体内では肺が裂けていた。

 赤いドレスを突き破り、折れた肋骨が何本も体外に突き出ている。

 

 交戦開始からわずか数分、プレイアデス所有の建物を破壊しながらの戦闘は杏子の劣勢が続いていた。

 彼女の刺突や斬撃は、粘液状の翼に包まれて無力化され、胴体を狙った攻撃も衣装から滲む粘液によって受け止められた。

 前回の、というか初遭遇時に杏子の槍で手傷を負わされた事で対策をしたらしかった。

 

 

「赦さない」

 

 

 槍を杖にして立つ杏子の前に、黒い壁が聳えた。

 そう見えた瞬間、その声と共に杏子へと黒い瀑布が降り注いだ。

 上げた叫びも、黒い逆さまの波濤に飲み込まれた。

 激突音。

 広い回廊の中央にクレーターが出来ていた。

 回廊自体が衝撃で歪み、陥没痕に向かって落ち窪んでいた。

 振り下ろされた両の翼は拳の形となり、佐倉杏子に打ち下ろされていた。

 

 

「が、ふっ…ぐ……」

 

 

 翼が退けた下では、大の字となって仰向けとなった杏子が血を吐いていた。

 拳が接触する寸前、多節とさせた槍を身体に巻き槍を基点にダメージカットを発動。

 与えられたダメージの七割ほどが軽減されるも、障壁を抜けた衝撃が杏子の肉体を破壊していた。

 

 皮膚の至る所が裂けて傷が奔り、露出していた肋骨は周りの肉ごと弾けていた。

 肉の柘榴。杏子の胸はそんな表現が似合う惨状と化していた。

 腹の内側では生殖器以外の内臓が爆裂し、血と体液の中に沈んでいた。

 

 破けた脇腹からは、破壊された内臓が割れた肉管となって垂れ下がり、異臭を放つ血と体液が汚泥のように漏れ出している。

 その傷口を、黒の少女が蹴り飛ばした。

 内臓の破片と黒血を吹きながら、佐倉杏子が宙を舞う。

 壁面に激突した瞬間、黒翼が急襲して殴打を見舞う。

 壁が再び破壊され、戦場が移動する。

 

 壁を抜けた先は、黒い空洞となっていた。 

 床が存在せず、杏子は肉片を散らしながら落下した。

 墜落した時、彼女の背を割れたコンクリが強かに打った。

 既に痛みは麻痺しており、さして苦痛でもなかった。

 光はない場所であったが、潰れかけの眼でありながらも魔法少女の視力は周囲の状況を鮮明に映し出していた。

 

 至る所に散乱した残骸。

 元は床や壁面、天井だったとおぼしきもの。

 それらに付着した、黒々とした模様。

 自分のものでは無い鉄錆の臭気。血痕であると伺えた。

 

 砕けた木箱に千切れた鎖。分厚い手錠に首輪もあった。

 その光景に、杏子は見覚えがあった。

 正確には、彼女が取り込んだものに、その光景が宿っていた。

 昏い室内の中、眼だけを光らせて佇む少女達の群れ。

 黒い髪に赤い瞳。そして、その顔は…。

 

 

「ううううううああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 認識の瞬間、杏子の思考は焼却された。

 魂の底から純粋な怒りが込み上げ、炎のような声となって口から溢れた。

 その杏子の前に、黒い翼が飛来した。

 襲撃者である黒い少女は、杏子の現状を単なる奇行としか思っていなかった。

 拳として放ったその翼が、根元から引き千切られた瞬間までは。

 

 

「いぎっ!?」

 

 

 闇の中で接近した両翼の側面を、杏子は両手で掴んで捩じり、千切り取っていた。

 神経を纏めて破壊される苦痛。

 感じたと同時に、その身体は背中から壁面に叩き付けられていた。

 翼を千切ったばかりの杏子の手が、少女の細首を締め上げていた。

 

 

「がああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 本能のままの杏子の叫び。

 少女の首を両手で締め上げながら、杏子は腕を振り回した。

 黒い少女の身体が暴風の中の旗のように激しく揺れ、振り回される体が鈍器となって壁面を破壊する。

 

 

「ううううるあああああああ!!!!」

 

 

 咆哮が更に重なる。

 杏子は少女の体を床に叩き付けていた。

 先程の意趣返しのように、暗い室内に激震が奔り、既に破壊の凌辱を受けている床面を更に破壊した。

 

 

「ぐがっ!?」

 

 

 少女の顔に激痛が生じた。

 鼻が曲がり、前歯が根元から圧し折れて舌へと突き刺さる。

 薄い胸の上には圧迫感。見上げた先には、こちらを見下ろす真紅の魔法少女がいた。

 黒い少女の胸に乗った杏子が、彼女の顔へ向かって拳を突き込んでいた。

 最初に放たれたのは右拳だった。そして、それで済むはずが無かった。

 

 

「ぐぎゃ!ぎゃ!ぎ!」

 

 

 悲鳴が鳴り響く。途切れるのは、その度に殴打が繰り返されるからだった。

 頬が抉られ、顎が削られて顔が歪んでいく。

 血肉が弾け、杏子の拳と顔を赤く紅く染めていく。

 

 

「こ……の!」

 

「ぐぁぁ!?」

 

 

 殴られ続けながら、少女は両手を動かした。

 杏子が振り下ろす拳を止めるのではなく、馬乗りになっている杏子の両脇腹へと両手が伸ばされていた。

 そこには、治りかけの傷があった。少女は両手で傷に爪を立てて抉り、傷口から杏子の体内へと侵入した。

 少女の手には、猛禽類を思わせる湾曲した鋭い魔爪が生え揃っていた。そして其れで以て、杏子の体内を掻き回した。

 

 繋がれかけていた腸や肝臓が再び破壊され、杏子の体内でバラバラに抉り潰されていく。

 杏子の口からは極大の嫌悪感と苦痛の叫びが放たれるが、それは叫びの途中で闘志と怒りの咆哮へと変わった。

 更に激しさを増しながら、少女への殴打を続けてく。

 破壊しては修復されを繰り返す少女の顔の破壊を、佐倉杏子は繰り返す。

 同様に、少女も杏子の体内の破壊を継続する。溢れ出す血肉も即座に直され、ただ苦痛だけが量産されていく。

 

 

「さくら……きょう……こぉ……」

 

「この……鳥……おん……な……」

 

 

 憎悪で出来た声を発する二人。

 互いの肉体破壊は終わりそうもなく続いていく。

 互いの全神経を集中し、憎い相手に向き合っていた。

 

 

「いい加減にしろよ、お前ら」

 

 

 そのせいで、この声の主が至近距離まで近付いていた事に二人は気付かなかった。

 視線を向けた瞬間には、二人の意識は落ちていた。

 単純な力ではない技によって、昏倒させられたのだった。

 崩れ落ちて重なる二人の少女の体を抱え、即座に血と体液塗れになったナガレは、背負った黒翼を翻して元来た場所へと戻り始めた。

 荒廃した室内の様子を一瞥し、鉛の様な息を一つ吐いてから。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑦

「すいませんすいませんすいません!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいい!!!」

 

 

 床に平伏し、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す少女がいた。

 白いローブを纏った上半身に黒いミトンで覆われた両手、ボディラインが浮き出た黒い衣装に白いタイツ。

 日常では見かけないメルヘンチックな衣装は、彼女が魔法少女である事を示していた。

 謝罪と連動しての頭の上下は、魔法少女特有の身体能力も相俟って残像さえ発する超高速となっていた。

 少女の背後には黒い布袋が置かれていた。

 内部にいるものが動き、芋虫のようにもぞもぞと蠢いている。

 

 

「お話を聞く限り戦端を発したのは黒江さんで、こちらが全面的に悪いのは分かります!でも悪気はなかったハズなんですってああごめんなさい!言い訳してごめんなさい!罰するなら私を罰してください!黒江さんには何卒慈悲を…」

 

 

 少女の前にはニコが立っていた。

 それより背後に、少々の間を置いてナガレと杏子が立っている。

 場の雰囲気は沈痛さで満ちていた。

 白いローブの少女の発言から襲撃者の名前は「黒江」と判明した。

 杏子と黒江の間では未だに殺意の糸が結ばれているが、一応の戦闘終了ということもあり、杏子はその黒江の仲間には悪印象を持たなかった。

 

 しかし無論と言うべきか、かずみへ甚大な苦痛を与え、杏子が報復として土手っ腹を破壊してやった桃と黒のローブの少女には恨みを持ち続けている。

 それはそうとして、といった視線で杏子は少女を見ていた。

 だが加害者であるが故に何も言えず、対応をニコに任せている。

 杏子の相棒であるナガレはそもそも魔法少女ですらなく、完全に蚊帳の外だった。

 ただ少女の発言に耳を傾け、新しい固有名詞等を覚えようと努めていた。

 

 

「いいよ、別に。施設はあとで私の魔法で直すからさ」

 

 

 気にしてなどいない、そんな口調だった。

 多少思うところはあるのだろうが、それはニコの本心だった。

 しかしその口調に裏があると思ったのか、白い少女は顔を引きつらせた。

 ローブの裾で眼が隠れていたが、裾から覗くぱっつん髪は委縮したように震えていた。

 

 

「ほんとにほんとにごめんなさい!!こんな事、都合が良過ぎとは思いますけど今後ともよき協力関係をと環さんも仰ってましたので何卒解析と技術供与は継続してくださいおねがいします私も微力ながら粉骨砕身してこの身を捧げますから何卒…」

 

 

 タマキ…と杏子は内心で呟いた。

 それがあの女の名前かと、彼女は報復心を漲らせたのだった。

 その様子にナガレも気付いた。

 今回の戦闘は止められたが、次回はどうなるか。

 それでも止めなければいけないのだろうなと彼は思った。

 

 

「その辺りは今回の件とは無関係、ということにするから大丈夫だよ。ええっと」

 

「黒です!私の名前はそれで構いません!なんなら匿名希望とか「ここに名前を入れてください」でもいいですから!私なんてモブ以下の空気で背景なので…」

 

「そっか。じゃあ黒さんや、早いとこ帰宅して君たちのリーダーである環いろはに無事な顔を見せてあげなよ」

 

「え、でも今回の損害は」

 

「いつも餌を届けてくれてるだろう。それで十分さ。報酬は今度人を出して送るからさ」

 

 

 ニコと少女、彼女曰くの黒との会話を風見野の二人は眺めている。

 杏子は環いろは、黒江の名前を魂に刻み込んだ。

 ナガレは名前を覚えつつ、相棒の暴発といつか必ず訪れる激突の際の制圧方法について考え始めていた。

 

 

「そ、それでは私達はここで……」

 

「うん。気を付けてお帰り」

 

 

 ばいばーい、とニコは手を振った。

 深々と頭を下げてから、黒は黒江が入れられた袋を担いで背後の大きな扉から出ていった。

 歯車が模様のように刻まれた大きな扉が閉まると、外界から遮断されたかのように黒と黒江の気配も消えた。

 今頃はこの施設の外にいるに違いない。

 今いる場所は杏子達が入ってきた位置とは異なっている。

 魔法を用いて、ニコが造った出口であった。

 破壊された施設はすぐに直せる、というのは事実らしい。

 

 

 

 

 

 

「さて、あたしらの話をしようか」

 

「ああ」

 

 

 杏子の言葉にニコは同意した。

 そのまま三人は少し歩いた。

 歩いた先、暗い部屋へと辿り着いた。

 黒江と杏子が凄惨な交差を繰り広げた場所だった。

 鎖や首輪の残骸、そして木箱の破片が散乱している。

 光はなく、闇と破壊で満たされた部屋だった。

 そしてこの部屋の中には、見知った者の気配が染み付いていた。

 

 

「ここがあいつの故郷か」

 

「否定するほど間違ってはいないよ」

 

 

 淡々と、しかし疲労感の滲んだ声でニコは言った。

 

 

「落ちてる首輪の数、ざっと十二個ってところか」

 

「そうだよ。君たちの保護したかずみは、十三番目のかずみだ」

 

「それだけじゃねえだろ」

 

 

 冷たい声で杏子は言った。

 声に滲むのは理不尽への怒り。

 

 

「ああ。ナンバリング以前に、夥しい数を試作した」

 

「へぇ。で、その試作やナンバリングとやらは今はどうしてる?」

 

「十三番目のかずみが脱走した際、現存していた個体は全て彼女に捕食された。骨のひとかけら、肉の筋一本残さずにね」

 

「なるほど。あいつのマントで蠢いていたのはそれかい」

 

 

 狂気としか思えない事実に対し、杏子は努めて声を抑えていた。

 心の中では、血みどろの感情が荒れ狂っている。

 

 

「だから失敗作か。ていうかさ、失敗や成功の基準てなんだよ?」

 

 

 この問いはナガレのものである。

 彼も抑えてはいた。恐らく、杏子がいなければ彼も切れていただろう。

 

 

「元の彼女。和沙ミチルの完全なる蘇生だ。或いはその人間性に限りなく近い存在の誕生を、私達は成功例と定義している」

 

「そいつは難儀なこった。で、あのかずみをお前らはどうしたいんだ?」

 

「現状維持で構わない。私達は彼女を処分しようとは思っていない」

 

「そうかい。じゃ、あいつはこれからも俺達の仲間だ。もし気が変わってあいつを始末しようってんなら」

 

「あたしらが相手になってやる」

 

 

 ナガレの言葉を杏子が引き継いだ。

 闇の中、苛烈な二条の視線がニコへと向かう。

 ニコは黙ってそれを受けた。

 虚無の表情を浮かべた右頬に、一筋の汗が伝わった。

 

 

「言えた義理では無いのだが」

 

 

 苦痛を堪えるようにニコは言う。

 

 

「彼女の事を、よろしく頼む」

 

 

 体を前に九十度角に曲げて、ニコは頭を下げた。

 その態度に、杏子は感情を爆発させかけた。

 生み出しておいて、何を言う。

 ニコへと歩み寄ろうとした彼女の襟を、ナガレの手が掴んで止めた。

 その手を払い、杏子は歯を食い縛る。

 数分が経過し、漸く激情が静まっていった。

 

 

「言われるまでもねぇ」

 

 

 そう吐き捨てる杏子。

 ナガレとしても同意見だった。

 今も頭を下げ続けているニコへと背を向け、二人は元来た道を戻り始めた。

 今度は邪魔が入る事も無く、二人はプレイアデスの本拠地を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二時間が経過した。

 二人の気配が消えたが、ニコは闇の中に佇んでいた。

 さらに一時間が経過した後、彼女は口を開いた。

 

 

「成功例なら、既にいる」

 

 

 その呟きの直後、ニコのポケットで振動が生じた。

 着信により震える端末を手に取り、通話を開始する。

 

 

「ああ、海香先生か。こちらはトラブルがあったが無事だ。うん、そうそう。私も後で行く。そうだね、私達は今後の事を話すとしよう」

 

 

 ニコは淡々と話していた。

 顔に宿るのは虚無の表情。それがふと、感情の波紋を帯びた。

 それは罪悪感と喜びが、奇妙な配分を見せて描かれたものだった。

 

 

「料理に期待していると、彼女に伝えておいてくれ。って途中で変わってたのか。受話器を奪うとは中々に活動的だな」

 

 

 苦笑交じりにニコは言う。

 そして、こう言った。

 

 

「改めて言うが、今日も料理に期待しているよ……ミチル」

 

 

 チャオ、と加えて、ニコはその通話を終わらせた。

 

 

「成功例は、一つだけ……か」

 

 

 通話から数分後、彼女はそう呟いた。

 その身と心に宿るのは、耐えがたい罪悪感と幻の痛み。

 この闇の部屋に囚われていた者達の遺した気配が微細な無数の針となって、自分の細胞の一つ一つを刺し貫いているように感じられた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑧

「疲れたな」

 

 

 あすなろの街を歩きながら、杏子は傍らのナガレに向けて呟く。

 彼は杏子の声は聞こえていたが、頷きも言葉での同意もせずに前を見据えたまま歩いていた。

 同意は弱音であると思ったからだ。

 杏子もそれを理解しており、不快感は抱かない。

 また今は、依存対象である彼の反応に対する意識が希薄化するほど別の事象に心を削られていた。

 

 時刻は既に夕方になっていた。赤い夕陽が世界を染める。

 赤の光を浴びる人々や建物は、燃え盛る松明のようにも血に染まった亡者のようにも見えた。

 その一群の中に、ナガレと杏子も没している。

 

 しかし二人の心は、今の景色を自分のものとは思えていなかった。

 杏子は垣間見た光景が内心で吹き荒れ、ナガレはそれを知らない空白があった。

 だから彼はこう言った。

 

 

「杏子」

 

「ん…」

 

「かずみの事、教えてくれよ」

 

 

 亡者の群れの一部となって歩きながら、杏子は頷いた。

 そして右手の指をパチンと鳴らす。

 幻惑魔法が発動し、ナガレの意識に杏子の記憶が流れ込む。

 視覚で捉えられる世界に薄く覆い被さる様に、杏子が垣間見たかずみの過去が映し出される。

 

 最初は、和沙ミチルという名の少女の死から始まった。

 彼女に導かれ、魔法少女となった者達が味わった絶望。

 魔法少女の真実、その否定と奪われた命の奪還。

 それが自分たち本位の願望であったとしても、彼女たちは大切な者の命が奪われた事に耐えられなかった。

 自らを救う為にも、彼女たちはミチルの蘇生を試みた。

 

 夥しい数の試作体が造られた。

 それらは番号を振られず、彼女らの本拠地を護る意思なき守護者となった。

 その末に、ある程度の技術が確立された。

 

 それから型番が振られたが、出来た者達は身体の一部が異形化し、性質は狂暴。

 同じ記憶を持っている筈なのに、嘗ての彼女とは異なる生命。

 そして十三番目の個体が完成した。

 

 その意識の発露の瞬間が、ナガレの網膜に視界となって投影された。

 生まれて初めて放たれたのは、憎悪の叫びだった。

 初めて目にしたのは、先んじて生まれた自分の同類たち。

 

 それらに向けて、十三番目のかずみは襲い掛かった。

 手足を捥ぎ取り、首を圧し折り、腹を手で貫いて内臓を引き摺り出し………そして、喰らう。

 血の一滴も肉の一欠片も、細胞の一粒も漏らさないように喰らっていく。

 

 他の個体の抵抗を捻じ伏せ、二人の知るかずみは無数の同類を捕食し続けた。

 どれほどの時間が経過したか、動くものは絶えていた。

 そこで視界が暗転した。

 破壊され尽くされた回廊から、退廃の雰囲気が滲む街並みへと変わった。

 ナガレにはその光景に見覚えがあった。

 風見野の景色であった。

 

 やがて雨が降り注ぎ、身体に冷気が満ちていく。

 一糸纏わぬ身体で、人の視線を避けながら薄汚い路地裏の中へと進む。

 ビル同士の隙間に身を埋め、拾った段ボールを重ねて簡易的な居場所を設けた。

 

 他に何もする気も無く、何が出来るとも思えずに、少女は雨音を聞きながら体育座りをしていた。

 ふと、少女は視線を見上げた。その様子もまた、ナガレは主観として見ていた。

 赤い瞳の先に、こちらを見つめる黒髪の少年と赤髪の少女の姿があった。

 そこで、杏子の幻惑魔法は終わった。

 視界に重なる景色が消え失せ、現世の光景が目に浮かぶ。

 

 時間にして約五分。

 鋭い感覚によって、視覚に被せられた映像があったとしても彼の歩みは滞らなかった。

 しかし、彼にはそれまでの時間が非常に長く感じられた。

 杏子が見たかずみという存在の記憶は、長い旅をしてきた彼をしても重苦しいものだった。

 

 

「辛いよな、あいつ」

 

 

 杏子はそう言った。

 溶けて固まった、鉛のように重い声だった。

 ナガレは奥歯を噛み締めた。

 どう返していいか分からない、自分の不甲斐なさとかずみという少女が背負った理不尽への怒りであった。

 

 

「どうする?これから」

 

 

 杏子は問うた。

 それが逃げである事は分かっていた。

 答えは自分たちの中には無い。

 それはかずみが選ぶべき事だった。

 しかし、自分達も何かをすべきであると思っている。

 それが何だか、全く以て分からない。

 

 

「答えになっちゃいねぇが」

 

 

 ナガレは口を開いた。

 街の雑踏に紛れながらも、その声はよく聞こえた。

 

 

「俺らがあいつの保護者なら、あいつの傍にいてやる事は出来るだろうよ」

 

 

 言いつつ、ナガレは不甲斐なさに奥歯を噛み締める。

 一方で、杏子も似たような感慨と安堵を感じていた。

 相棒が答えを出した事に、依存心にも似た安心感を覚えたのだった。

 

 そのまま無言で二人は歩いた。

 街の中心部から少し外れ、物寂しい雰囲気の地域へと侵入していく。

 風見野の全体像に似た、それでも風見野よりは活気のあるその地域には廃ビルが複数並んでいた。

 その内の一つの裏手に回り、周囲に誰もいない事を確認してからナガレと杏子は地面を蹴った。

 ビルの二階の窓まで一気に跳び、壁を掴んで片足を付けて身を固定。

 そして窓を開けて内部へと入る。

 

 既に夜となっており、窓辺付近に設けられた階段には闇が溜まっていた。

 その室内に入った時、二人は異変に気付いた。

 顔を見合わせ、階段を一気に駆け上る。

 生活の拠点であるフロアまで上り、扉を開いた。

 途端に、二人の鼻先を匂いが掠めた。

 それは鉄錆と潮の香り。

 生き物の身体の中身から発せられる臭気であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑨

 廃ビルのいちフロアの一角で、血潮の香りが漂っていた。

 黒い長髪の少女が握るのは、刃渡り一メートルに達する細く長い刃。

 それが水平に傾けられ、台の上に置かれたものに宛がわれる。

 銀の光を発する刃がそれに触れると、何の抵抗も無いかのように刃が通った。

 

 骨に沿って刃は進み、丁寧に肉が切り取られる。

 新鮮な肉と血の臭気がさっと広がった。

 斬り分けられた肉が更に切り取られ、骨に付いた肉が削がれていく。

 そして。

 

 

 

「できたよー!」

 

 

 快活な少女の声。

 少女は手に大皿を器用に幾つも載せていた。

 大きな机の上にそれらが手際よく並べられていく。

 

 

「うわぁ……」

 

 

 それを見る者達は感嘆の声を上げていた。

 私服姿のナガレと杏子、そして何故か魔法少女服のままのキリカである。

 三人の前には先の通り大皿が並べられていた。

 そしてその上にあるのは、宝石の如く輝く赤い切り身が用いられた料理だった。

 爽やかな香りを漂わせるカルパッチョ、刻んだ刺身に卵を落としたユッケ、鮮やかな白い脂肪を見せているトロを使った握り寿司。

 口直し用のガリやサラダまでが用意され、眼玉を入れたあら汁や熱いお茶も完備されている。

 

 料理を並べると、かずみは上機嫌な様子で作業場へと戻った。

 食事のスペースから少し離れた場所にキッチンが用意され、その区画は揺らめく薄い膜で覆われていた。

 キッチンの中では、かずみ以外にも作業者がいた。

 直立した牛を模した外見の異形、牛の魔女が魔女結界の応用で発生させた膜(調理の匂いを外に出さない為だろう)の中で、本体である斧槍を義体で包丁として扱いマグロを解体していた。

 キッチンに設けた大きな台の上には、まだ四尾の大きなマグロが横たわっている。

 大きさで見れば、長大な斧槍にも負けてはいない。

 

 巨体相応に巨大な頭部の兜焼きを作りながら、かずみは二尾目の解体を始めた。

 黒い峰の長い刃を軽々と扱い、マグロの巨体が瞬く間に解体されていく。

 三人もまた料理を口に運んだ。

 瞬間、三人は味覚を感じる生命体として生まれた事と、料理人であるかずみとついでに牛の魔女、そして命を捧げてくれたマグロに感謝した。

 数分で料理が空になり、次の皿がドンと置かれた。

 口先を天井に向けて聳える兜焼き、追加の寿司に竜田揚げが並ぶ。

 迫力満点の料理を前に息を呑みつつ、三人は挑む様に料理を手に取り食べ始めた。

 

 

『これはお前の仕業かい?』

 

 

 兜焼きから抉った眼玉を食べつつ、杏子は向かい側に座るキリカに思念で尋ねた。

 恋敵、というか彼女の認識としては害虫に相当するキリカ相手の声色は大分穏やかだった。

 美味な料理で満たされていく感覚に、杏子の気も緩んでいるのだろう。

 

 

『そうだよー。君らがイチャイチャしてる間に海にザブンと潜ってザバーって泳いでガシって捕まえてきたのさ』

 

 

 キリカは答えた。

 だろうな、というかそれしか考えられなかったが異常な行為である。

 

 

『どうやって海まで行った?時間が合わねぇぞ』

 

『この街にもあるミラーズ結界の応用さ。あれは色んなトコに通じてるから、結界の中を乗り継ぐ感じに移動したんだよ』

 

『それで海が近いとこの結界まで行ったってか。便利って言うか不穏だね』

 

 

 そこまで言ってから、兜焼きの頭部をナイフで切り裂いた。

 垂れてきた脳味噌を抉り、スプーンで掻き出す。

 珍味の独占はせずに三人分の皿に乗せ、配っているところが妙に生真面目である。

 

 

『ちなみにその海ってのは、神浜のあたりかい?』

 

『ふふん。聞いて驚くがいい、マグロの名産地として有名な大間の海さ』

 

『青森かよ。ミラーズは精々ここら辺だけかと思ってたけど、下手すりゃ日本全国にありやがるのか』

 

 

 会話している間にも料理が追加される。

 今度も寿司だが、表面が焙られ脂が香ばしい匂いを上げていた。

 薄い白色となった肉の表面には、小指の先程度の大きさに切られたカボスが乗せられていた。

 口に運ぶと、焼けた脂の味と爽やかな柑橘の組み合わせが実に美味だった。

 

 

『にしてもお前、よくこんなに捕まえてきたな』

 

 

 思念の会話にナガレも参加する。

 多少離れてはいても、牛の魔女とは半共生状態ゆえに彼も思念が使えていた。

 

 

『君を補足して斬撃を浴びせたり、ぎゅって抱き締めて骨をベキベキに折るよりはずっと簡単さ』

 

 

 あら汁を啜りながらキリカは答えた。

 その際、ナガレと杏子はキリカの細首に海藻が巻かれている事に気が付いた。

 海を泳いで獲ってきた、という行為の演出なのだろうと二人は思った。

 キリカの発言は物騒だが、ナガレは特にそれを不思議には思わない。

 言葉としては事実だし、自分の事をキリカが評価している事でもあると認識している。

 問題は、それを聞いた杏子であった。

 

 

『キリカ、テメェは食事時だってのに発情し腐ってやがんのか』

 

 

 杏子が呆れた思念を送る。

 ナガレは一瞬、箸の動きを止めた。因みに彼の座席は向かい合って座る杏子とキリカの真ん中に位置している。

 二人の暴発を止める裁定者であり監視者である為に。 

 故に、口論からは逃げられないのであった。

 

 

『何だい佐倉杏子、嫉妬かい?』

 

 

 キリカは杏子の指摘を否定しなかった。

 彼と繰り広げる戦闘、というか行為の全てを性的及び愛情表現と見做しているからだ。

 ナガレは喉が焼けるような熱いお茶を飲んだ。

 自分を好いてくれてるのはいいのだが、女二人の間で交わされる異様な雰囲気に胃の奥底が凝り固まったような感覚を覚えたのである。

 

 

『あぁそうだよ!悪いか!』

 

 

 杏子は肉体では美味そうに寿司を食べながら、一方の精神では激昂した。

 器用に過ぎる挙動であった。

 

 

『悪くはないよ。私と君の仲じゃないか』

 

『はっ、どの口が言いやがる。あたしとテメェの間にゃ何もありゃしないよ』

 

『あるよ。憎悪とか殺意とかそういうのだよ』

 

 

 キリカは平然と言った。

 空には太陽があり、世界は空気で満ちている。

 そんな常識を語る様な口調だった。

 実際そうなのだろう。

 杏子とキリカの間には、常に空気や重力同様に憎悪と殺意が飛び交っている。

 

 

『ふざけろ』

 

 

 兜焼きを切り分けながら杏子が返す。

 キリカの分も用意し、それでいて肉の量は変わらないのだから律儀な物だった。

 

 

『ありがとさん。にしてもまたそうやって誤魔化す……本当は私みたいにもっと素直になりたいと思ってる癖に』

 

 

 マグロの頬肉を齧りながらキリカは杏子をなじる。

 杏子の愛情表現も大概だが、キリカからしたらまだ甘いらしい。

 その判断基準はキリカにしか分からないし、人類が分かってはいけない領域なのだろう。

 

 

『…痛ぇとこつきやがるじゃねえか』

 

 

 そして杏子もそれを認めていた。

 暇があればナガレと唇を重ねて一方的に身を絡め、愛欲に胎の奥を疼かせながら血みどろの殺し合いを演じているというのに彼女としてはまだ上があると思っている。

 呉キリカがナガレと繰り広げた、一週間以上にも上るあの度し難い日々の記憶を叩き付けられたのなら、仕方ないのかもしれないが。

 

 

『だから前にも言ったじゃないか。友人は色々と強過ぎて一人じゃ勝てないから、一緒に同盟組んで対抗しようと』

 

『…そういや、そうだったな』

 

 

 今の今まで、杏子はそれを忘れていた。

 ソウルジェムを双樹に奪われたということで、すっかり失念していたのだった。

 しかし彼女のソウルジェムは杏子も気付かない内に距離の制限が消失し、同じ場所に囚われているせいか無限延長の相乗りで身体を動かしているキリカの現状と相俟って、嘗ての約定を思い出していた。

 状況が異常に異常を重なっており、色恋沙汰は今気にする事ではないと思うのだが、この連中は欲望に素直に過ぎていた。

 

 

『だから君一人で抱え込むんじゃないよ。一人よりも二人の方が強いに決まってる』

 

『………そうだな』

 

 

 渋々と杏子は同意した。

 そして視線を逸らした。真紅の瞳は、黒髪の少年に向けられている。

 視線に宿るのは、依存心と愛欲、そして闘志という混沌。

 キリカもまた彼を見ていた。黄水晶の瞳に感情の揺らぎはない。

 狂気を越えた狂気が、呉キリカの正気だからである。

 

 

 

『いいから黙って飯喰えよ』

 

 

 悍ましい感情を向けられるナガレは、小皿に醤油を垂らしながら二人の視線に思念で返した。

 思念の声色には動揺の欠片も無い。

 杏子は『ハイハイ』と返した。彼の精神の頑強さを、改めて思い知らされたのだった。

 

 一方でキリカは首を傾げていた。

 静かに食事してるのに、友人ってば変なの。

 というのがキリカの見解であった。

 口では言葉を発しておらず、肉体の行動は食事に真摯に向き合っているのだから彼女の見解も間違ってはいない。

 不思議だなぁと思いながらキリカはサラダを食べ始めた。

 今の今まで気付かなかったのか、首に巻かれていた海藻もついでにちゅるちゅると啜っていく。

 その様子に、杏子は不覚にも可愛いと思ってしまった。

 外見で見れば、呉キリカは類稀に過ぎる美少女だった。

 間抜けに見える一動作ですら、夜の輝きが凝縮された宝石のように美しい。

 

 

「まだ食べられるー?」

 

 

 キッチンからかずみの声が届いた。

 三人は空いている方の手を伸ばし、サムズアップをして返した。

 仲が良いのか悪いのか、は兎も角息が合った連中である。

 その応答に、かずみは輝く笑顔と同じようなサムズアップで返した。

 

 既に一尾が平らげられている。二尾目も半分近くが料理に変えられている。

 残りの二尾も、喰い尽くされるのは時間の問題だろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 短い平和は終わりを告げて⑩

 夜の帳の下、無数の光が煌く。

 空には無限にも思える星々が並び、闇の中ではあったが故に光が映えていた。

 それらが一望できる場所に、四人の年少者達は来ていた。

 あすなろの街のビルの一つ、その中でも一際高い場所の屋上である。

 地上二百メートルほどの高さであったが、魔法少女とそれに匹敵する体力の持ち主であるために上り切るのは造作も無かった。

 

 屋上の淵に歩み寄り、かずみはそこから遠くを見ていた。

 背後に立つナガレと杏子もそこを見ていた。

 キリカは三人から離れ、手摺に腰掛け逆の方向を見ている。

 方角的には見滝原がある場所に視線を送っていた。

 

 

『キリカ。お前、これを知ってたのかい』

 

『別に。でも予想は出来た事だろう?』

 

 

 思念での会話。キリカからの返事に杏子を奥歯を噛み締めた。

 ナガレも似たような気分になっていた。

 魔法少女と少年の視力は、数キロ先の光景を手近なものとして捉えていた。

 

 水槽を観察するように、三人は一軒の家を見ていた。

 洋風の大きめの家にも夜の明かりが灯っていた。

 一階の窓からは、内部の様子が見えた。

 食卓を囲んで笑う、三人の少女の姿が見えた。

 温かみのある橙色の髪の少女と、深水を掬ったような青髪の少女がいた。

 

 その二人に囲まれるように、黒い短髪の少女が輝く笑顔を見せていた。

 少女達の前には複数の種類の豪華な料理が並んでいる。

 その趣に、ナガレと杏子は見覚えがあった。

 そして何よりも、黒い髪の少女の外見は。

 

 

「私、だね」

 

 

 かずみは呟く。

 髪の長さこそ違えど、そこにいたのは紛れも無くかずみであった。

 幸せそうにするもう一人の自分を、彼女がどう見ているのかは背後に立つ二人は分からない。

 

 

「大丈夫か」

 

 

 ナガレは歩み寄り、傍らに立ってそう聞いた。

 無力な言葉であり、これが正しい言葉遣いなのかも分からなかった。 

 それでも彼は声を掛けた。

 杏子は立ち尽くすしか出来なかった。

 ナガレと同じ言葉しかかずみに掛けられそうになく、その後の言葉も紡げそうにない。

 

 

「うん」

 

 

 杏子よりも一歩を踏み出した彼に、かずみは頷きで返した。

 

 

「大丈夫」

 

「そうか」

 

「うん。だから、もう帰ろう。眠くなってきちゃった」

 

「ああ」

 

 

 かずみに同意した彼。振り返るかずみ。

 彼女が浮かべた表情は、遠方で今も笑い続けるもう一人のかずみと寸分違わぬ笑顔であった。

 そして彼女は「帰ろう」と言った。

 彼女の云う家とは、ナガレと杏子と共にあることなのだろう。

 彼女の紅の眼差しは、そう二人に訴えているようだった。

 二人の内心を察し、そして気遣うことが出来る少女だった。

 高空から身を翻したかずみを、ナガレと杏子は従者のように後を追った。

 少し遅れて、キリカも飛翔した。

 

 

「世知辛いね」

 

 

 彼女の呟きは夜風に紛れ、夜の中に蕩けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『起きてるかい、相棒』

 

『ああ』

 

 

 拠点に戻り、ナガレと杏子は横たわりながら思念を交わす。

 向かい合わせた二つのソファをベッドとし、それぞれが羽織った毛布の中にいた。

 かずみはと言えば、廃ビルのフロアの一角を占めるくらいに大きなベッドの上にいる。

 白いブランケットを身体に包んで眠る彼女をキリカが優しく抱き、彼女自身も寝息を立てて眠っている。

 その様子は妙に様になっていた。

 曲りなりにも、愛という存在に重きを置く魔法少女らしい。

 かずみを抱くその様子は、キリカ自身の母によく似ていた。

 

 

『意外な長所だね』

 

 

 杏子は素直に認めた。

 相手の美点を認められるのは良い事であると彼が思った一方で、随分と弱っているという事が分かった。

 マグロ三尾を喰い尽くした食後、かずみは外に行きたいと言った。

 そうして辿り着いたのが先のビルの屋上だった。

 彼女の視線の先を見た時、二人はかずみが自分の存在が何たるかを認識したことを知った。

 不在の間に、キリカが教えたのだろうと思った。

 

 考えてみればキリカは至る所でトラブルを起こしており、故に情報通なところがあった。

 かずみの事も知っているのはおかしくない。

 少し考えれば分かる事だった。

 

 分かろうとしなかったのか、頭が足りな過ぎたのか。

 しかし知っていたとして、黙っている事が良い事なのか。

 何をとっても分からない。

 思考には黒々とした虚無が渦巻き、考えを紡ぐことを拒絶する。

 杏子の思考は杏子自身に苦痛を与えた。

 身体が実際に切り刻まれる痛みには慣れている。

 

 過去の罪からの罰を欲し、心は常に拷問を受け続けているような苦痛に苛まれている。

 だが、それらは自分の事だから耐えられる。

 故に、他人の境遇を想って去来する苦痛は処理が出来なかった。

 未知の苦しみとなり、杏子の心を苛んだ。

 

 それは業罰を求める苦痛とは別種の存在であり、彼女はそこからの逃避を求めた。

 それが卑しく浅ましい行為であると知りながら。

 傍らにいる、依存心の対象へと縋る事を選択した。

 

 

『こんな時に……なんだけどさ』

 

『何だよ』

 

『あんたの話、聞きたいんだ』

 

『例えば?どんなのが聞きたい?』

 

 

 杏子の言葉にナガレは応じていた。

 ロクでもない記憶と経験ばかりだが、彼女の気晴らしになればいいと思っていた。

 

 

『かずみ、みたいな……生まれ変わりっていうのが、あんたの記憶の中にあったら教えて欲しい』

 

『…分かった。だがよ、ご期待に添えられる感じじゃねえぞ』

 

『構わない。頼むよ、相棒』

 

 

 彼は再び、分かったと言った。

 

 

『昔、平和とか誰かの為を思って戦う事を選んだ奴がいた。まぁ、そいつの興味本位ってのもあったんだろうけどな。兎に角そいつは戦いを選んだ。それで戦い続けて、仲間と世界を護る為に死んだ』

 

『…一種の英雄、ってやつか。それが生まれ変わったってのかい』

 

『ああ』

 

 

 彼の思念は苦々しさを滲ませていた。

 

 

『そいつは生まれ変わった。外見はそのままで、そして戦い続けた。いや、違ぇな』

 

『そいつは、どういう』

 

 

 言いながら、杏子の背筋が凍えた。

 彼女の脳裏に、真紅の巨体が浮かび上がっていた。

 岩塊の様な装甲、怒髪天を突くような複数の大角、そして宇宙さえも圧する巨体。

 

 

『戦いじゃなくて、そいつがやってたのは虐殺だ。宇宙規模のな』

 

 

 異様な発言に、杏子は息を呑んだ。

 彼が属する世界の事象を、改めて垣間見させられてた。

 

 

『星みたいな大きさの戦艦型ゲッターで片っ端から惑星を攻め滅ぼして、子供も女も皆殺し。星を腐らせる兵器を嬉々として使いまくる奴になっちまった』

 

 

 嫌悪感と共に告げる。

 杏子の脳裏では、彼の言葉が曖昧ながら映像として描かれていた。

 今いる世界と心が切り離され、その戦場を遠く眺めているかのような感覚が杏子を襲う。

 異界の事象に完全に心が引かれないのは、傍らにいる依存の対象と、遠くで寝息を立てる守るべきものがいるからだ。

 

 

『それでだ、そいつを作っちまったのがその世界の』

 

『分かったよ。ありがとさん』

 

 

 その先の言葉を聞きたくはなく、彼女はナガレの思念に割り込んだ。

 彼としても逃げでは無いが言いたくはない事柄だった。

 何より、聞きたくないのであれば言わない方がいい。

 今自分が言った事は、自分で思っても胸糞が悪い事に過ぎていた。

 別の世界とは言え、それを行ったのが他でもない自分であるが故に。

 

 そのまま暫く時間が過ぎた。

 杏子の呼吸音は、押し殺したような静かさだった。

 一方で、鼓動の音は激しかった。

 

 近くにいた彼だけがそれを知った。

 手を伸ばせば届く距離。

 だから彼は手を伸ばした。

 毛布から顔を出した彼の右手に、杏子の左手が指を絡ませた。

 触れた体温は、溶鉄のように熱かった。

 

 

『吹っ切れたとか、どうでもいいとか…そう思った訳じゃねえけど』

 

 

 彼の手を握りながら、杏子は顔を伏せながら思念を送った。

 今の表情を彼に見られたくないのだろう。

 

 

『無駄にスケールがデカい話を聞いて、気分が少し紛れた。なんとか眠れそうだ』

 

『そうか。ならさっさと寝ちまえ』

 

『そうするよ』

 

 

 彼の手に触れたまま、杏子は意識を喪失するように努めた。

 時が来れば朝が来る。

 朝が来たら、動く必要がある。

 その為には休まねば。

 精神を破壊するような異界の異常な事象を麻酔とさせ、その上で自らに使命感を架すことで杏子は強引に眠りに就いた。

 彼女の意識が消えてから、彼もまた眼を閉じた。

 手を離す理由は無く、彼はその状態のまま眠りに落ちた。















にしてもアーク放送から一周年……早すぎる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕

 そこは薄暗い路地裏。

 空には黒々とした曇天が広がっている。

 なのに薄い闇程度で済んでいるのは、多少の光がある為だ。

 電線が切れかけ、明滅を繰り返すも一向に修繕のされない街頭。

 

 不景気ながら、破滅に抗って夜遅くまで業務に勤しむ業者の入っている雑居ビルから漏れる光。

 路地の隙間の奥、風俗店や居酒屋が放つ眩い光の残光。

 それらが寄り集まって、僅かな光となって路地裏に届いていた。

 ゴミや吐瀉物、暴力沙汰でもあったのか血痕が残る混沌とした路地の裏では、荒い息が生じていた。

 苦痛と快感、それらが等配分にされた声だった。

 

 落書きが一面に施された壁に両手を付いた赤い髪の少女の背後から、黒髪の少年が身体を重ねていた。

 少女の肩に顎を乗せ、両手で腰を掴んで身体を前後に揺り動かしている。

 その度に、少女は苦痛と快楽の悲鳴を上げた。

 可愛らしく、そして凄惨な声だった。

 声に一切の耳を傾けず、少年は激しく動いた。

 

 

「ああっ!!」

 

 

 少女が叫んだ。その叫びは、快感よりも苦痛の方が勝っていた。

 路地裏の闇の中、紅い液体が迸った。

 発生源は少女の首筋。

 少女を陵辱する少年の口が開き、彼女のうなじの肉を喰い千切ったのだった。

 うなじの肉が爆ぜ割れたようになり、血の溢れる肉の谷間からは背骨の一部が見えた。

 彼はそこにも牙を立てた。その瞬間だった。

 

 

「ああああああああああああ!!!!」

 

 

 犯され続ける少女が絶叫し、首を前に倒して噛み付きを回避。

 今度は逆に後頭部で、空振りをした彼の顔を迎撃した。

 激突の寸前、背後からの気配が消えた。空ぶりを見舞った勢いのままに背後に向き直る。

 振り返る間に少女の全身を真紅の光が包む。

 路地裏の暗黒も、一瞬とは言え消し去るほどの光であった。

 

 少女は真紅のドレスを纏った姿となった。

 手には長大な十字槍。矛先は背後の闇に向けられている。

 その闇から、闇よりも黒い影が飛来した。

 

 迫る影に少女は、佐倉杏子は自らの得物で応えた。

 刃が噛み合い、続いて乗せられた力同士が激突する。

 全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。

 治癒したばかりの首の傷が痛み、杏子は歯を食い縛って耐えた。

 十字の槍は彼女の胸の前に掲げられていた。

 真紅の柄は黒い柄に重なっていた。 

 

 その上、彼女の顔の前には黒髪の少年の顔があった。

 黒い髪に覆われ、表情は分からない。

 だが口元は半月となり、噛み合わされた牙の様な歯が並んでいた。

 獲物を前に笑う、飢えた獣の表情だった。

 そしてそれはもう一つあった。

 

 少年と相対している少女もまた、同じ表情を浮かべていた。

 彼女も彼を獲物と見做しているのだった。

 次の瞬間、二人は離れた。

 噛み合わされた得物を激突させ、背後へと跳ぶ。

 そして次の刹那には地面を蹴って前へと飛んでいた。

 再び一つとなる為に。

 殺意と闘志と愛欲を同時に纏い、命を育む器官を疼かせながら、佐倉杏子は斧槍を携えて迫る少年へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃぷちゃぷ、ぴちゃぴちゃ

 

 

 

 闇の中、水音が重なっていた。

 昏い世界で、一人の少女が仰向けに倒れていた。

 闇のように黒い髪と衣装を纏った少女だった。

 少女は手を伸ばした。

 豊かな胸の間に、乳房とは異なる隆起が見えた。

 またよく見れば、細く華奢な身体の輪郭には乱れが見えた。

 なだらかな腹は膨らみ、その膨らみは胸にまで達している。

 

 胸の間、彼女の手が乗せられた場所には黒い衣装と黒い髪が見えた。

 それを彼女は、呉キリカは愛おし気に撫でていた。

 右手で髪を、左手では隆起した腹を撫でている。

 何処までも優しく、労わる手付きだった。

 まるで我が子を慈しむような。

 

 そして彼女の表情も慈母のそれだった。

 黒い眼帯で覆われていない左目で、手の先を優しく見つめて慈しんでいる。

 撫でる度に、水音が鳴った。

 隆起の内側で、または彼女の胸から覗く毛髪と、彼女の肉の間で。

 

 

「君は」

 

 

 キリカは呟く。

 声は歓喜に震えていた。

 

 

「私の肉の中で育まれ、私の中で一つになっている。君と私の境目が消えて交わっている」

 

 

 言葉を紡ぐキリカの眼からは涙が零れた。

 黒い眼球の裏側からも溢れて頬を濡らす。

 

 

「とても嬉しい事だが、同時にとても寂しい。だから、友人」

 

 

 そう言って、キリカは自分の身体を抱き締めた。

 その身体の中にある、愛おしい者ごと。

 

 

「だから友人、もう一度」

 

 

 声を聞かせて。

 姿を見せて。

 次に続く言葉は、恐らくこの二つのどちらかだったのだろう。

 結論から言えば、彼女の願いは叶った。噴き上がる鮮血と共に。

 

 キリカの脇腹が弾けた。血塗れの手が彼女の体外へと滑り出た。

 血と脂に濡れた右手は、キリカの首を掴んだ。次いで左脇腹が弾けて左手が出た。

 それもまたキリカの首を掴んだ。

 苦痛を与える手を、キリカは見つめた。

 黄水晶の瞳の中には危機感や恐怖はない。

 ただ、涙に濡れて輝く感情が見えた。

 それは、

 

 

「ああ………愛してるよ、友人」

 

 

 愛という感情だった。

 その言葉と共に、キリカの胸が弾けた。

 そして腹も。

 肉が引き裂けて血飛沫が上がり、体内の内臓が肉の隙間から溢れ出した。

 その上に、彼女の体を引き裂いて彼女の内より生じた少年の身体が重なっていた。

 そんな彼の顔に、キリカは優しく手を添えた。

 今にも壊れそうな、硝子細工を扱うような恭しい手付きで。

 

 

「おかえり、友人」

 

 

 血塗れの少年の両頬にキリカは優しく手を添える。

 白い手袋が血を吸って、一瞬にして深紅に染まる。

 その様子はまるで、生まれたばかりの赤子を抱く母のようだった。

 それと相反するように、少年は一気に身体をキリカから引き剥がした。

 肋骨が外側に向けて折れ、彼の衣服の表面に癒着していた内臓が悍ましい音を立てて千切れる。

 両脚もキリカから抜かれ、闇色の地面に足が着く。

 

 

「友人……大好きだ」

 

 

 少年に吊り上げられたまま、キリカは言った。

 次の瞬間、キリカは地面に背中から叩き付けられていた。

 地面を陥没させつつ、全身で隈なく苦痛を味わいながらキリカは鮮血を吐きながら言った。

 その顔に、血塗れの拳が突き込まれた。

 

 前歯が全て叩き折られ、顔が陥没する。

 引き付かれた直後に左の拳が叩き込まれた。

 顔は陥没どころか貫通し、後頭部からは粉砕された脳味噌が漏れた。

 その状態で、キリカは地面を蹴って跳んだ。

 

 三撃目を繰り出そうとしていた彼の身体が弾き飛ばされ、後退する。

 優雅に弧を描いて、呉キリカは着地した。

 全身に傷を負い、腹部と胸は全壊、挙句に顔は粉砕されかかっている。

 

 そんな破損個所の断面から、黒い触手が溢れ出した。

 無数の微細な斧を連ねて形成された触手は傷口から伸びて絡み合い、密度を上げていく。

 すると黒い蠢きは赤みを帯びて肉となり、肌色となって更に衣装となって体を覆った。

 見る影も無く破壊されていた顔が再生し、美しいに過ぎる顔が形成される。

 最後に右眼を黒い眼帯が覆う。

 輝く闇の様な美少女、呉キリカが完全再生していた。

 

 生まれ変わったかのようなキリカの前で、血で染まった少年は漆黒の斧槍を召喚して切っ先をキリカに向けていた。

 対するキリカは優しく微笑み、両手首から赤黒い斧を生やした。

 片手につき五本、計十本。

 獰悪な凶器を下げたまま、キリカは朗らかに笑っている。

 心から楽しそうに、我が子のように扱っていた彼を傷付ける武器を出現させた。

 

 緩く微笑む鮮血色の美しい唇の間から、牙の様な八重歯が見えた。

 愛に満ちた笑顔であったが、それは殺戮への歓喜を孕んだ魔獣の笑みだった。

 次の瞬間、少年は走った。

 禍々しい風のように自らに迫る少年に、キリカは両手の斧を構えた。

 唇の端は耳まで裂けたように広がり、美しくも禍々しい笑みを顔に刻んだ。

 そして、二人の時間が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕②

 絶叫、苦鳴、喘鳴。

 鮮血と共に、少女達の口からはそれらが漏れている。

 佐倉杏子と呉キリカ。

 真紅と黒の魔法少女は、それぞれの心の中で執着の対象と死闘を繰り広げていた。

 燃え盛る炎の様な黒髪の少年。

 

 杏子なら体格はほぼ同じ、キリカなら身長は十センチほど上。

 髪で目元は隠れていたが、垣間見える顔付はまるで美少女のよう。

 それでいて雰囲気は精悍な男のもの。

 二人の魔法少女はそこから感じる異性の存在に胎の奥を疼かせていた。

 初めて意識するに至った異性は、よりにもよって破壊神にも等しい異界の戦士だったとは。

 フィジカルは弱体化しているとはいえ、滲み出る鬼気と雄々しさに変わりはない。

 杏子とキリカは、その気配に欲情し、そして闘志を煮え滾らせていた。

 

 

「楽しいなぁ、ナガレ」

 

「楽しいねぇ、友人」

 

 

 各々の心の中で、対峙しているナガレの幻影を前に杏子とキリカは言った。

 互いを意識したわけではなく、ただ偶然にも思考が重なっていたのだった。

 いや、それは必然的な偶然だったのだろう。

 抱く想いは、仔細はあれど同一であるが故に。

 

 声を掛けられたナガレの幻影は無言だった。

 これまでの戦闘でも、一声も発していない。

 戦闘は一時間に及んでおり、幻影は全身に傷を負っていた。

 だが朱の線を走らせるに留まったナガレに対し、魔法少女二人は手足の切断及び腹を切り裂かれたことによる臓物の露出が生じていた。

 手足を癒着させつつ、垂れ下がる腸を体内へと格納する。桃色の管である腸が麺のように傷口に啜られ、腸を飲み込んだ傷口もまた塞がった。

 

 

「ああ、愉しい」

 

「うん、すごく楽しい」

 

 

 痛みさえ悦びに変え、魔法少女達は各々の武器を構える。

 杏子の槍とキリカの斧は、彼女らの手首から垂れる血によって柄が濡れ、刃はナガレの血で彩られていた。

 構えられた槍と爪に呼応し、二人の心の中のナガレは同じ姿勢を取った。

 魔法少女の肉を切り裂き、溢れた血と脂肪で濡れ光る長大な斧槍を彼女たちに向ける。

 そして口が動いた。

 無音であったが、それは『来い』と言っていた。

 

 次の瞬間という時間差さえなく、二人はそれぞれのナガレへと向かって行った。

 そして自らの刃と拳と蹴りを見舞う。

 溢れる血肉と体液。

 交差する命。

 

 凄惨で酸鼻な状況の中、二人の魔法少女は欲情に身を沈めていた。

 彼との戦いとは、自分にとっての性行為。

 そう定義したのはキリカであったが、杏子もその域に達している。達したというか、自分の欲望に素直になったと言うべきか。

 度し難い交差は、彼女らの尽き果てぬ欲望の如く終わりの兆しの一切を見せずに続く。

 願望と欲望、自らの依存心のままに、その対象へと血深泥になって挑んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青白い光が室内に降り注ぐ。

 壮麗な白磁の壁や柱が整然と並ぶその場所は、神を祀る場所。

 古代の神殿を彷彿とさせる広い空間の中、一人の少女が立っていた。

 白と紫を基調とした武者風の衣装を纏った紫髪の少女。

 日本刀を模した得物を大理石の床に突き立て、杖のようにして立っている。

 疲労しているのではない。

 手に得物を持つことで、即座に戦闘に入る為だった。

 

 孤影として神殿の中に立つ麻衣の耳に、硬質の音が響いた。

 それは等間隔を以て、彼女の元へと近付いていく。

 その姿を、麻衣は凝視し続けていた。

 血色の眼に宿るのは、殺意と闘志。

 そして、恋慕であった。

 

 

「待っていたぞ」

 

 

 麻衣は口を開いた。大理石に切っ先を埋めていた刀を抜いて右手で持ち、鋭い先端を前へと向ける。

 

 

「ナガレ」

 

 

 口調は冷たく、されど纏った体温は火のように熱かった。

 冷え冷えとした輝きを放つ刃の先に、その名を呼ばれた少年が立っている。

 神殿の窓から注がれる月光を浴び、その姿は星を散らした夜空の光を帯びていた。

 その姿を見て、麻衣は体内の鼓動が高まるのを感じた。

 心臓は痛みさえ感じるほどに高鳴り、体内を巡る血液は溶けた鉄のような熱さを宿す。

 

 

「ああ。こうして会うのは久々だな、麻衣」

 

 

 ナガレは答えた。それを見て、麻衣は溜息を吐いた。

 安堵に満ちた息だった。

 

 

「どうしたよ?」

 

 

 軽い口調だが、心配の色を滲ませた様子で彼は言った。

 彼の配慮に、麻衣は思わず目頭を熱くさせた。

 ナガレに想われるということが、堪らなく嬉しくて愛おしいのだった。

 

 

「いや、本物の君と話せるのが嬉しくてな」

 

 

 顔を上に向け、滲んだ涙を眼の中に拡散させてから麻衣は前を向いてそう言った。

 本物、とナガレは呟いた。

 

 

「たりめぇだろ。飯食ってる時からお前が呼んでたじゃねえか。あとよ、俺がそう何人もいて堪るか」

 

 

 麻衣には不快感が伝わらぬよう、彼はそう吐き捨てた。

 自分が何人もいるというのは、自分にとっての最大の皮肉であると自覚しているのだった。

 

 

「ああ、言い方が悪かった。ちょっと嫌な光景を見てね」

 

「どんなのだ?言ってみろよ」

 

「あの雌共…もとい、佐倉杏子と呉キリカの心の風景だ。同じ女の子宮の中に魂が奪われてる所為か、先程からその様子が脳裏に浮かんでくるんだ」

 

「そりゃ大変だな」

 

 

 この状況も長いが、言葉にすると矢張り異常に過ぎていた。

 そろそろ返してもらわねぇと、と彼は思った。

 

 

「あの連中、君との戦闘を夢の中で妄想している。狂犬病を発した犬のように息は荒くし、多分というか確実に股を粘液で濡らしながらな」

 

 

 嫌悪感を隠そうともせずに麻衣は言った。

 

 

「あいつらは何を考えてるのだろうな。無礼を承知だが、これではまるで君を玩具として弄んでの自慰行為じゃないか」

 

「夢の中なんだから好きにさせとけ。あと他人の性癖はあんまり気にしねぇ方がいいぞ」

 

「君の心は広いな。尊敬に値するよ」

 

「そう言ってくれんのは嬉しいけどよ、俺の言葉を全部鵜呑みにはすんなよ。俺でも自分で言ってて正しいかどうかは分からねぇんだから」

 

「ああそうしよう。私は私の意思で君の言葉に向き合うとする」

 

 

 微笑む麻衣。

 その表情に自分もまた好まし気な表情で返すナガレ。

 気が合う、というのはこういうことなのだろう。

 

 

「そうだ。これは私の意思だ」

 

 

 呟く麻衣の掲げた刃の切っ先が僅かに震えた。

 内心の動揺であると彼女は察し、少し迷った。

 今の言葉を告げるかどうかを。

 三秒考え答えを出した。吐き出すべきだと思ったのだった。

「気持ち悪い話をして構わないか?」と麻衣は尋ね、ナガレは無言で頷いた。

 

 

「今こうしている間も、映像だけではなく奴らの感情までもが私の中に流れ込んでくる。奴らが君を相手に何を想い、何を以て如何考えているかがだ」

 

 

 苦痛を堪える表情で麻衣は言う。

 

 

「考えが垣間見えるが、理解できない。しかし流れてくる情報は私の脳で演算され、何を根拠にその考えに至ったのかを私に伝えてくる。状況的には私が考えた事柄という事になるのが実に気持ち悪い」

 

 

 唇の端から一筋の血滴が垂れた。

 舌の先を噛み潰したのだろう。

 麻衣が見て、そして思考させられている想いは余程の毒物らしい。

 

 

「私は断固としてそれを理解しない。視点的には私の思考だろうが、私の想いでは断じてない」

 

 

 攪拌される思考を握り潰すように麻衣は言った。

 射抜くような視線でナガレを見据える。

 場数を踏んだ魔法少女や魔女ですら、思わず後退りしかねないほどの鋭利な眼光だった。

 対するナガレは一切の体勢を崩さず、呼吸音も安定したままその視線を真っ向から受けた。

 

 

「だから私は、私の想いのままに君と戦う。異形で異常なのは分かっているが、この気持ちは本物で、これは私の」

 

 

 麻衣は口を閉ざした。

 白い肌の頬が赤い色に染まる。

 心の中では恥ずかしさと、歓喜が渦巻いていた。

 心を侵食する、二人の恋敵の思考は既にない。

 歓喜と羞恥が、悍ましい二つの感情を塗り潰していた。

 

 

「これは、私の愛情と呼べるものなんだ。ナガレ、私は君を愛してる」

 

 

 唇を震わせながら、麻衣は言い切った。

 震える反面、掲げた刃の先は震えていない。

 切っ先はナガレの心臓に向けられている。

 それは、彼女の望みであった。

 

 

「前置きが長くなったが……いくぞ、ナガレ」

 

 

 刃を引き戻し、柄を両手で握る。

 彼に対して左の側面を向け、霞の構えを取った。

 対するナガレは無造作に右手を伸ばした。

 牛の魔女が召喚され、長大な武具を右手が握り締める。

 

 

「来い」

 

 

 麻衣から吹き付ける殺意を浴びながら、ナガレはそう言った。

 口調には動揺も、異常な日常への移行の混乱も無い。

 これがごく普通の日常であるのだから。

 彼の招来に、麻衣は行動で応えた。

 紫と銀の光となり、朱音麻衣はナガレへと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕③

「違う」

 

「違う」

 

 

 遠く異なる場所で、されど極めて近い場所で二つの声が唱和した。

 示し合わせたのではなく、偶然であった。

 

 前者は佐倉杏子の声だった。

 一面に広がる鮮血の上に彼女はいた。

 芳醇で酸鼻な香りが充満する血の絨毯の上で、彼女は抱かれていた。

 

 黒髪の少年が血の上で胡坐を組み、赤いドレスを纏った杏子を抱き締めている。

 左手は杏子の後頭部、右手は腰に回されていた。

 杏子の身体が上下運動を繰り返し、その度に彼女の口からは嬌声が溢れた。

 ここだけを見れば、性行為に励んでいるだけに見える。

 

 だが今も鮮血は滴り、血の範囲と新鮮な血の匂いを振り撒いている。

 その発生源は杏子の四肢、があった場所だった。

 筋肉と脂肪と骨。赤と黄色と白の色を見せた断面から、杏子の動きに合わせて鮮血が噴出している。

 肩と足の付け根から、杏子の四肢は切断されていた。

 切り離された手足は、血の池の傍らに石突を突き刺された槍の穂に貫かれて重ねられていた。

 

 

「あっ…あ……あっ……」

 

 

 振動に合わせて杏子の口から声が漏れる。

 苦痛と悦楽が、挽肉のように混ぜ合わされた声だった。

 彼女を抱く少年の手は、杏子の桃色のスカート越しに彼女の尻を掴んでいた。

 動きも激しさを増し、体内を抉る感触も強くなる。

 当然のように、杏子の声も激しさを増す。

 

 

「これは」

 

 

 嬌声の最中で杏子は呟いた。

 得られる快楽とは真逆の、冷たい声だった。

 

 

「違う」

 

 

 言葉を繰り返しながら杏子は前を見る。

 黒い瞳が見えた。

 何の感情も無い、虚無の瞳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違う」

 

 

 もう一つの声が鳴る。

 鈴の音の音の様な美しい声だった。

 黒く美しい少女の声帯が奏でた声。

 しかしその姿と状況は、異常という概念すら超えていた。

 

 呉キリカはナガレの幻影の首に歯を立てていた。

 鋭さを有し、牙となった歯が彼の肉を貫き鮮血を溢れさせている。

 それを一滴も逃さぬように、血色の唇をナガレの肌に吸い付かせてキリカは血を啜っていた。

 

 ここまではいい。

 異常ではあるが、彼女にとっての常である。

 異常なのは、立ち尽くすナガレの足下に黒い奇術師風の衣装を纏った肉体が横たわっている事だ。

 呉キリカの身体だった。

 

 仰向けになったその身体には首が無かった。

 豊かな胸の前は開かれ、肉の中身を露出させた赤黒い空洞となっている。

 肋骨は外側に向けて折れ曲がり、肉の断面は繊維が引き千切られていた。

 力任せに強引に肉体が破壊されていた。

 

 そして呉キリカの首が、ナガレの首に噛み付いていた。

 ナガレは両手をだらりと下げている。

 その胸に白い物体が突き刺さっていた。

 胸から溢れた血が、それを紅く染めている。

 というよりも、それが彼の血を吸っていた。

 その白はナガレの身体をぐるりと一周し、キリカの首に繋がっていた。

 

 それは、キリカの脊柱だった。

 首を抉り抜かれたキリカはそれでも動きを止めず、背骨を彼の身体に蛇のように絡めて骨の末端でナガレの身体を貫き骨で血を吸っていた。

 背骨の節が赤く発光し、肉と血をこびり付かせた骨の表面は体内に血を巡らせる血管のように脈動している。

 異常が常で、狂気を空気のように纏っているキリカであったが今回は特に異常だった。

 異形の蛇となりながら、キリカは血を啜り続けている。

 それでいて、首の断面からは一滴の血も零れていない。

 

 されど、グロテスク極まりない姿ながらに可愛らしい彼女の喉は液体を飲む度にびくびくと動いていた。

 血を飲み続けるキリカの顔には朗らかな笑みと、淫猥な表情が浮かんでいた。

 彼の身体に絡まる彼女の背骨も震えていた。

 ナガレの血を一口飲む度に、性的な絶頂を迎えているようだ。

 肌を重ねるとは性行為の比喩表現だが、この場合は更に距離が近い。

 何せ、骨を相手の身体に潜り込ませているのだから。

 本当の意味で、『身体を重ねる』という事象をキリカはある種の究極的に体現していた。

 

 

「違う」

 

 

 口を付けながら、流れる血を一滴も漏らさずにそれでいて明瞭な発音でキリカは言った。

 器用な少女である。

 

 

「これは、違う」

 

 

 ナガレの身体に絡ませている背骨を震わせながら、顔には悦びを浮かべながら、そして眼からは涙を流しながら言った。

 涙は、哀しみによるものだった。

 

 

 

 

「あいつなら、あたしの手足をぶった切っても安心しねぇ。手足と一緒に胴体も槍で貫くだろうさ」

 

 

「友人なら、首を引き抜いたなら頭も握り潰す。背骨も踏み砕くか切り刻むかをするだろう」

 

 

 

 別の場所で、同時に二人の女が言う。

 瞬間、それぞれが抱かれ、抱いている少年の形が崩壊した。

 杏子を貪るナガレは、その首に齧りついた杏子によって首を喰い千切られた。

 キリカに貪られるナガレは、キリカの背骨から発せられた無数の触手によって内部から崩壊させられた。

 黒い霧となって消え失せるナガレの身体。

 その奥から、五体満足となって闇の中に立つ杏子とキリカの姿が見えた。

 

 別々の場所、それぞれの心の中で、二人は合わせ鏡の様な同じ姿勢となっていた。

 両腕をだらっと下げ、顔を上向きにして立ち尽くしている。

 真紅と黄水晶の瞳の先には、果てしない闇があった。

 そして闇よりも昏い光が、二人の眼には宿っていた。

 

 

「あれは、あたしの願望だ」

 

「あの友人は虚像に過ぎない」

 

 

 二人は同時に言った。そして同じく両膝を着き、落下の衝撃に身を任せるままに尻を地面に置いた。

 

 

「あいつにこうされたい、だから思い描いた都合のいい妄想」

 

「友人と交わりたい、血を飲みたい。それが簡単にできる相手としての虚像」

 

 

 言葉を紡ぐ二人。

 コールタールのように粘ついた声での言葉だった。

 

 

「こんなのは」

 

「単なる」

 

 

 続く言葉を二人は発しなかった。

 聴くものが誰もいないとは言え、惨めになるだけだからだ。

 二人が内心で思い浮かべたのは、自慰行為という言葉だった。

 身体を抉られる感覚は自分の指と戦闘の際に刃で身体を刻まれる感覚からの疑似体験。

 吸血行為は単なる思い出し。

 

 そう認識した時、不安感が二人の心を満たした。

 それから逃げるように、または塗り潰すように、二人は叫んでいた。

 言葉すらない、ただの叫び。

 生れ落ちた赤ん坊が行う原初の呼吸の様な、本能のままの叫びだった。

 

 叫びに合わせて、闇が震えた。

 震えは激震となり、それぞれを取り巻く世界を覆った。

 闇が罅割れ、砕けて消えていく。

 形も何も無い世界であったが、崩壊が始まっていた。

 

 上も下も左右も無く、全てが壊れていく。

 その中で叫び続けた。

 やがて二人は、自分以外の声を聞いた。

 瞬間、二人は叫びを止めた。

 音の発生源へと視線を送る。

 

 それぞれの瞳には哀しみは既にない。

 あるのは、絶対的な敵意と殺意。

 そして見る前から分かっていた。

 

 だから手には得物が携えられ、凶器の矛先が向けられていた。

 そして激突する。

 より一層、色を濃くした闇の中で佐倉杏子と呉キリカが各々の得物を噛み合わせて向き合っている。

 歯を剥き出しにし、威嚇の表情を見せながら対峙する。

 二人の感情の叫びによって心の垣根が崩壊し、同じ場所となって繋がっていた。

 

 それに対し、二人は何とも思わない。

 言葉を交わす気も無い。

 分かっているのは相手が本物であるという事だけ。

 ならば、争い合って殺し合う。

 近くにいた、ただそれだけで十分であるし理由なんて不要である。

 

 得物を激突させ、互いに蹴りを放って相手を打つ。

 肉が抉られて骨が折られつつ身体が背後に向かって弾け飛ぶ。

 そして次の瞬間には再び激突を再開させる。

 一瞬にして鮮血が二人を覆う。

 しかし苦痛と損傷程度でこの連中は止まらない。

 動き出した永久機関のように、佐倉杏子と呉キリカは溶け合った心の中で殺し合う。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕④

 液体が滴る音が静かに響く。

 二つの場所で生じているそれら。

 一つは呉キリカの胸から。

 華奢で小柄な体躯に反比例する豊満な胸は、今は豊富に蓄えられた脂肪が肉と骨と混ぜ合わされた挽肉となっていた。

 内部に収まる肋骨は外側に向けて折り砕かれている。

 

 黄色い脂肪を散らした肉の穴の奥には、黒々とした闇があった。

 そこで鼓動している筈の心臓は無く、肉の空洞と化している。

 対するキリカはと言えば、朗らかに微笑んでいる。

 顔にも粒上の脂肪が付着し、体温で溶けて顎先へと滴っている。

 その様子には妖艶な美が備わっていたが、それを見る者の表情は憮然としていた。言うまでも無く佐倉杏子である。

 

 その杏子はと言えば、顔の右半分、正確には右側頭部と右眼の辺りの肉がごっそりと抉られていた。

 割られた頭蓋骨からは桃色の脳髄が覗き、真紅の瞳を有する右眼も消えている。

 だくだくと滴る血液が杏子の半身を赤く紅く染めていく。

 痛みを感じていない訳では無いが、彼女はそれを表に出さなかった。

 

 憮然とした表情で、血に染まった右手を前に突き出している。

 五指が握るのは、鼓動を止めた心臓だった。

 対して、キリカも左手を前に向けている。

 朱に染まった白手袋に包まれた繊手が摘むのは、紅い瞳が嵌めこまれた眼球であった。

 同時に、それらは弾けた。

 五指が握り込まれて心臓を破壊し、指先が眼球を静かに潰した。

 

 

「くっ…」

 

「ふふん」

 

 

 悔しそうな声を出す杏子。

 ほくそ笑むキリカ。

 肉体の破壊勝負とでも云うのか、謎のマウント合戦が繰り広げられていた。

 勝敗の基準は破壊の部位ではなく、相手の外見の美の破壊で決められていたようだ。

 故に顔面の破壊に至ったキリカの勝利、ということらしい。

 度し難いに過ぎる連中だった。

 仮にこの二人を精神鑑定したとしても人間の基準は適応されず、分析も無意味となるに違いない。

 

 血と体液と脂に塗れて全身に傷を負いながら、距離を隔てて対峙する二人は直後に同じ姿勢を取った。

 その様子に、両者は少し驚いていた。

 しかし困惑も束の間、直ぐに意識を殺意へと切り替える。

 

 合わせた両掌を、キリカは身体の前で、杏子は右斜め後ろにて構えた。

 十センチほどの隙間を開けて、掌の中で魔力が込められていく。

 杏子のそれは煌々と輝く真紅の色。

 キリカのそれは、光をも吸い込む漆黒。

 形状は共に真円を描いていた。

 色は違えど、それは太陽の様な形と力を伴っていた。

 触れた全てを破壊する、凶暴な力が二人の手の中で育まれ、解放の時を待っている。

 そしてその時が訪れた。

 二人の魔法少女は、同時に両手を前へと放った。

 炸裂する光と破壊。

 それに掻き消されるかのように、「ストナーサンシャイン」という名前が遠く響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次で…最後かな」

 

「多分な」

 

 

 荘厳な教会の中で、天窓から注がれる月の光を浴びながら朱音麻衣とナガレが対峙している。

 教会を構成する大理石の床や柱には長く深い刃傷が縦横に刻まれ、巨大な柱は何本も切断され床には多数の大穴が空いていた。

 無数の傷の発生源である二人も無傷では済まされず、自他の鮮血で身を染めていた。

 血と脂で濡れた得物を、二人は共に前へと切っ先を向けていた。

 

 濡れ光る刃の先には、相手の心臓があった。それを止めるべく、二人は距離を詰めていった。

 じりじりと、ミリ単位で間合いが狭まっていく。

 開いた距離は十メートル。距離が縮む速度は遅い。

 それだけに、この空間には異様な鬼気が満ちていた。

 武術への知識が一切ない子供や赤ん坊、または例え虫であっても…いや、だからこそか、本能を直撃して怯え切らせて狂わせるような緊張が滾っていた。

 

 

「ナガレ」

 

「ん?」

 

「私の話を聞いて欲しい」

 

「言えよ。聞いてやる」

 

 

 そんな中で、麻衣は声を掛けた。ナガレも平然と受けた。

 緊張感が緩んだのではなく、殺意と鬼気の最中に合って二人は平然としているのだった。

 麻衣はすっと息を吸った。

 ナガレとの接近戦で受けた殴打により、頬の内側は柘榴のように裂けていた。

 舌も半分ほど挽肉になり、歯も殆どが壊れている。

 

 ここは精神の中であったが、痛みは現実と変わりない。

 寧ろ心の中の出来事であるが故に、痛みは肉体という隔たりを祓われて自分自身に近く存在しており、より鮮明に感じられた。

 だから麻衣は治癒をしなかった。

 与えられた傷から彼を、ナガレをより深く感じる為に。

 

 吸われた息は、口内の無数の傷を刺激した。

 痛みの中に、爽やかさがあった。

 春の日差しを浴びたような感覚。 

 それは彼女の今の心のようだった。

 

 

「好きだ!」

 

 

 素直な心のままに、麻衣は叫んだ。

 

 

「君が好きだ!どうしようもなく!途方も無く!好きで好きで仕方ないんだ!!」

 

 

 叫ぶ度に彼女の口からは鮮血と壊れた肉が飛んだ。

 凄惨で無惨。

 それでも麻衣は叫ぶのをやめなかった。

 

 

「愛し合いたい、デートに行きたい、抱き着きたいし抱かれたい!肌を重ねて肉の交わりもしたい!つまり……」

 

 

 そこで口ごもった。

 ほんの一瞬だけ。

 羞恥心では彼女の欲望は止められなかった。

 

 

「君と、性行為が……セックスがしたいんだ!私の処女を、君に奪って欲しい!私は私の純潔を君に捧げたいんだ!」

 

 

 顔は羞恥で赤く染まっている。

 既に血で濡れていたが、体外に放たれたそれよりも体内を今も駆け巡る血の方が熱く赤かった。

 

 

「それと」

 

 

 麻衣は再び口を閉ざした。

 唇が噛み締められ、小さな開閉を繰り返す。

 言おうか言うまいか、彼女は必死に迷っていた。

 

 

「言えよ」

 

 

 そんな彼女にナガレはそう言った。

 苛立ったわけではない。

 ただ我慢するのは良くないと、素直にそう思ったのであった。

 彼からの言葉に、麻衣も決心した。

 

 

「私は…君を殺したい」

 

 

 興奮を抑えながら、麻衣は言った。

 

 

「君の事が大好きだ。例えようも無く愛してる。今までこんな気持ちを異性に抱いたことは無い。これが私の初恋だ」

 

 

 本心を述べ続ける麻衣。

 吐く息は火のように熱く、淫らさも帯びて濡れていた。

 

 

「だから、君を殺したい。我が刃で首を刎ねて、その首を抱いて、君を喪う喪失感に浸りたい」

 

 

 渇望と狂気と愛。

 麻衣の言葉には、それらの感情が一切の矛盾なく合わせられていた。

 

 

 

 

 

 

 












くるってる…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕⑤

「君を愛してる」

 

 

 朱音麻衣は語る。

 本心の、魂の奥底からの愛情を。

 

 

「だから、君を殺したい。我が刃で首を刎ねて、その首を抱いて、君を喪う喪失感に浸りたい」

 

 

 これもまた、彼女にとっての愛の言葉だった。

 渇望と狂気と愛。

 麻衣の言葉には、それらの感情が一切の矛盾なく合わせられていた。

 言葉を発しつつ、血と脂で濡れた刃を携えながらミリ単位で間合いを詰めていく。

 ナガレは黙って聞いている。

 麻衣はその間も言葉を紡ぐ。

 

 

「君が死んだ後に私も死ぬだろう。そして一緒に黄泉の国に行くんだ。そこならもう邪魔する者はいない」

 

 

 狂気の言葉の影で、血で濡れた足裏が漆黒の地面を濡らす音が響く。

 

 

「ずっと二人きりでいられる。永遠に……そうだ、永遠に二人でいよう」

 

「……」

 

「その時の為に……君を殺させて欲しい。いや、私の全てを賭けてでも必ず殺す」

 

 

 血色の眼で、片時も眼を逸らさずに麻衣は言った。

 ナガレもまた、瞬きさえせずに麻衣を見ている。

 

 

「その為に君を今ここで殺したい。私の手で殺して、私の物にして、私の想いを注ぎ込みたい」

 

 

 麻衣の全身からは汗が流れ出していた。

 それは極度の緊張か、それとも性欲による発情か。

 そこに差はなく、両方によるものだろう。

 

 

「だから、君を」

 

 

 そこで麻衣は踏み込むはずだった。

 全身を一つの刃とするかのように、神速を以てナガレへと接近。

 一太刀にて彼の首を切断し宙に舞わせる。

 ナガレの反応も防御も無意味とさせ、一瞬にて葬る。

 しかし麻衣は動かなかった。

 血色の眼は、ナガレの眼を見ていた。

 黒く渦巻く瞳に、彼女の視線が吸い込まれていた。

 

 

「それがお前の本心か?」

 

 

 狂気を責めるでも、嘲笑うでもない問い掛け。

 

 

「そうだよ。私は君の事が好きで好きで仕方ない。狂ってしまうくらいに好きなんだ」

 

 

 麻衣は即答する。

 そこには嘘偽りはない。

 ただただ純粋に、彼女はナガレの事が好きだった。

 だからこそ殺したい。

 自分の手で彼を斬り刻み、自分の物にしたい。

 

 

「そうか」

 

 

 ナガレの声は、やはり静かだ。

 怒りも侮蔑もない。

 ただ淡々と事実を確認するかのような声色。

 その反応が、麻衣を困惑させた。

 何故怒らない。

 何故困惑しない。

 そう思った。

 しかし直ぐに気付いた。

 自分が恋慕の対象とした最高の獲物は、この程度で屈する相手では無いと。

 

 

「そうか…そうだな。うん、そうしよう」

 

 

 麻衣は心の中で、何かが割れる音を聞いた気がした。

 それは理性が砕ける音ではなく、逆に狂気が爆ぜ割れる音であった。

 自分の本心。

 彼に対する欲望は語った通りではあった。

 だがそれは本当の意味で本心ではない。

 だから感じたままに、彼に応えようと思った。

 

 

「私は…君を殺して如何こうしたい、という訳じゃない」

 

 

 胸の高鳴りが止んでいく。

 一度ずつ脈打つたびに、静かに穏やかとなっていく。

 

 

「君を越えたいとか、君に勝てば成長できるとか、ましてやそれが英雄的な行為になるなんてバカな事は思っちゃいない」

 

 

 穏やかな風が時折掠める程度の静寂に満ちた湖面の様な、麻衣の心臓の動きはそんな鼓動となっていた。

 

 

「愛してるから。だから殺したいんだ。全力を出し合って戦って、その果てに君を殺したい。君を手に掛けた後の虚無が、私の望みだ」

 

「成程な。素直なもんだ」

 

 

 麻衣の言葉を受けながら、ナガレも間合いを詰める。

 長大な柄の先にある巨大な斧槍は、その矛先を麻衣へと向けている。

 ナガレの返事に、麻衣は困ったような表情を浮かべた。

 

 

「ええっと…重ねるけど、怒らないのか?」

 

「別に。人様が俺をどう思おうが勝手だからよ」

 

「おかしいとか…思わないのか…?」

 

「仮にお前が片っ端から人を殺しまくってたんなら、そう思ったろうな。でもお前が殺してぇのは俺だけなんだろ?」

 

「ああ」

 

 

 麻衣は断言した。

 殺したいとは即ち、愛しているという事の証明であるからだ。

 

 

「なら難しく考える事ぁねえ」

 

 

 ナガレがずいと前に進んだ。

 それまでの足先をにじり寄せての牛歩の進みではなく、無造作に足を踏み出しての前進だった。

 驚く彼女を前に、彼は歩みを続ける。

 

 

「掛って来な。相手になってやる」

 

 

 彼は言い切る。

 そして不敵に微笑んだ。

 麻衣の喉奥からは呻き声が漏れた。

 

 

「……いいね」

 

 

 麻衣の顔には、既に狂気の色はなかった。

 あるのは歓喜のみ。

 自分の本心を曝け出した事で、麻衣の思考はクリアになっていた。

 今目の前にいるのは、自分が最も望む相手。

 その彼と、存分に戦える機会を得た

 

 

「いいじゃないか。そういうの」

 

 

 麻衣の全身からは、闘志と共に殺気が立ち上っていた。

 

 

「と、ここでなんだけど、ちょっとだけいいかな?」

 

 

 湧き上がらせた闘志と殺意を消し去りながら、麻衣は恥ずかしそうに言った。ナガレは無言で頷いた。

 

 

「さっきの私の、その、色々と勿体ぶった言い方さ…ほら、君を殺して一緒に黄泉の国ってやつ…あれも私の望みではあるんだけど、やっぱり虚無感が欲しいんだ。でもそれだとちょっと変だろう?だからさ…それっぽく理由をつけてみたんだ。……さっきの私、変だったかな?」

 

 

 長々と言葉を発する麻衣。

 物事を簡潔に済ます彼女にとっては珍しい事であった。

 少しばかり、沈黙が流れる。

 その間に、ナガレの脳裏にはいくつかの単語が浮かんでいた。

 

 

「……確か…アレだよな。『恋は盲目』とかいう諺っていうか言葉があったよな」

 

 

 何言ってんだろ、と彼は思った。

 またこの言葉を知ったきっかけはキリカ由来である。

 幸いにしてその事について口を滑らせるほどは、愚かでは無かった。

 

「うん、まぁそうだね。うむ、私はちょっと普段と調子が違ってました」

 

「そうか」

 

「そう。そうなんだ」

 

 

 ナガレは大きく息を吐き出した。麻衣も同じように息を吐いた。

 互いを隔てる距離は、既に五メートルも無い。

 

 

「じゃ、改めて」

 

「やるか」

 

 

 吐き終えると言葉を交わし、二人は同時に踏み込んだ。

 次の刹那に、決着が着いていた。

 宙高く、細長い刃が飛んでいた。

 根元から折られた刀を握る手が緩み、乾いた音を立てて柄が落下した。

 振り切った斧槍を手放し、ナガレは両手で麻衣の細首を掴んでいた。

 

 手と麻衣の首の間からは、紅い液体が滲み出ていた。

 手を離せば、麻衣の頭部は首から転げ落ちてしまう。

 それを防ぐ為、他ならぬ加害者である筈のナガレは両手で首を掴んでいた。

 外見的には、締め上げている様子に見えた。

 

 首を切断された麻衣は、両手をナガレの背に回した。

 そして思い切り自分の元へ引き寄せた。

 首を離すまいと、ナガレは更に力を込めた。

 その様子に、麻衣は優しく微笑んだ。

 そして倒れ込む様にして、彼の身体に身を預けた。

 

 

「大好きだ。愛してる」

 

 

 単純で、思ったままの言葉。

 陳腐だと人は思うかもしれない。

 しかしそれが麻衣の本心だった。

 自分が殺害しようとし、そして自分の首を切断した相手への素直な気持ち。

 

 その感情のままに、麻衣は顔をナガレの顔に重ねた。

 心の中の事象ではあったが、唇同士が触れ合った。

 唇の隙間から入り込んだ血の香り。

 それが例えようもなく、甘美に感じられた。

 胸を満たす幸福感の中、急速に視界が光に覆われていった。

 幸せな夢が終わり、現実へと世界が切り替わっていく光景だった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕⑥

 眼を開いた。血色の眼が見えた。その中に映る自分の顔をナガレは見た。

 

 

「おはようさん」

 

「…おはよう」

 

 

 眼の前、どころではなく触れ合うまで数ミリ程度の距離の先にいる朱音麻衣へとナガレはそう言った。

 麻衣も返し、ゆっくりと身を退いていった。

 寝床としているのは合わせたソファ。

 羽織っているのは一枚の毛布。その中にナガレと麻衣はいた。

 後退する麻衣の姿がナガレには見えた。

 上は黒いタンクトップ、下は白の下着一枚。

 白く艶やかな肌で覆われた、引き締まった肉体が露わとなった姿だった。

 

 

「どうだ?久々の身体は」

 

 

 麻衣の肉体は二週間ほど前に魂を双樹に奪われ、空となった肉体はナガレの所有する魔女の中で冷蔵保存されていた。

 魂の距離が無制限となった杏子の通信に相乗りし、肉体とのリンクを再び繋いでいたのである。

 異常な状況であり突っ込みどころ満載だが、ナガレはその事よりも麻衣の復活を喜んでいた。

 

 

「問題ない。強いて言えば少し空腹な程度か」

 

「じゃあ何か食うか?缶詰とか菓子パンとかになっけどよ」

 

 

 ナガレの提案に、麻衣はふふっと笑った。

 隔てた距離は握った拳二つ分程度。

 麻衣の吐息がナガレの鼻先を掠める。

 蜜を蓄えた花のような甘い香りだった。

 

 

「残念だが遠慮しておこう。夜中の間食は控えている」

 

「なるほどな。そういうとこは俺も見倣っとくか」

 

「君の参考にされるとは光栄だ」

 

「大袈裟だ。つうか恥ずい」

 

「そうは言うな、君は私にとってのある種の理想だ。その君が私に倣うというなら光栄だ」

 

「人様が俺をどう思おうと勝手だけどよ、俺はそんな立派なもんじゃねえぞ」

 

「立派だとかどうかはいい。私は君に敬意を払っている」

 

 

 優しく微笑みつつも、麻衣の眼差しは真剣であった。

 その様子にナガレは疑問を覚えた。

 

 

「お前を馬鹿にしてるわけじゃねえんだけど、俺のどこがそんなに魅力なんだよ」

 

 

 ナガレの言葉に麻衣は首を傾げた。

 未知の言語を告げられたかのような反応だった。

 彼は具体例を挙げることとした。

 

 

「俺はよく主人公とか言われるけど、やってる事はお前らをぶん殴ったり殴られたり、切ったり切られたりの毎日。お前らが抱えてる問題の解決とかにも関われてねぇし、なんの役にも立ててねぇ。こんな主人公があるかよ。つうか色々と終わってんだろ」

 

 

 彼にしては珍しく、長々とした言葉だった。

 表情に苦々しさがあるあたり、彼なりに魔法少女と付き合っていく上での悩みはあるようだ。

 それに対して麻衣は

 

 

「なんだ。そんな事か」

 

 

 と言った。

 あっけらかんとした言い方だった。

 例えるなら多数あるうちのペンを一本忘れたとか、自販機で買おうとした飲み物が売り切れになっていたとか。

 そんな些細な、幾らでも替えが効く物質的な悩み以下の悩みに対するもののような。

 そして麻衣はにこりと笑い、身体を前に進めた。

 当然、顔同士の距離が近くなる。空いた距離は五センチも無い。

 前に大きく張り出した麻衣の両胸はナガレの胸板に接触し、形をくにゅっと僅かに潰させた。それでいて形は崩れていない。

 柔らかな形状と女体の持つ美しさは形を変えても保たれていた。

 

 

「私の意見だが、君と交わす暴力の交差は最高だ。今まで多数の魔法少女や魔女、それと絡んできた不埒者相手に拳や刃を交わしたが君ほど苛烈な相手には会ったことが無い」

 

 

 麻衣の血色の眼には羨望と敬意が映えていた。

 

 

「全く以て褒められた事してねぇんだけど」

 

「私が褒める。今の君との関係は奇妙であるが、これで最良なのだと思う。なんだかんだで共に戦っているし、何よりお互いに命を交わしている」

 

 

 麻衣の言葉は熱い。

 奇妙な関係であると認めながら、狂気を肯定している。

 

 

「君と交流するのは好きだ。こうやって顔を見つめ、身体を寄せ合って言葉を紡ぐのはとても素敵だ」

 

 

 麻衣が更に接近する。胸が大きく潰れ、彼の身体の両脇を通って麻衣の両手がナガレの背に回される。

 彼の背後で両手が交差し、ナガレの両肩に細い指が添えられる。

 もはや顔の距離は数ミリ程度しかない。

 その顔が動いた。

 下方に向けてするりとスライドし、先程まで自分の胸を押し付けていたナガレの胸へと麻衣は左頬を重ねた。

 柔らかな二つの双球は、今度は彼の腹に密着している。

 

 

「おい」

 

「ああ、いい感触だ」

 

 

 体勢的に少し危険になってきたので、ナガレがやんわりとした程度に注意をした。

 麻衣はそれを聞き流した、のではなく耳に入っていなかった。

 小動物のように頬を摺り寄せ、彼の肉の感触を恍惚とした表情で愉しんでいる。

 

 

「見掛けでは分からないが、頑強な筋肉とそれを搭載するに足りる頑健な骨格の感触が堪らない」

 

 

 そう言って、麻衣は顔の向きをナガレの胸から見て横から垂直へと変えた。

 鼻先を彼の鳩尾の辺りに軽く埋め、思い切り空気を吸った。

 途端に、彼の背を抱く麻衣の手が震えた。

 手だけではなく、身体全体も痙攣していた。

 

 

「いい……香りだ。私達とは違う、異性の匂い。雌である私の本能を撃ち抜く、雄の香りが脳天を貫いている」

 

「汗臭かったか?」

 

「いや、そうじゃない。君という存在の香りを満喫している」

 

 

 顎を彼の胸に乗せ、見上げる姿勢で麻衣は言った。

 表情には普段の凛々しさがあったが、眼の奥には欲情の炎が揺らめいている。

 

 

「君は……良いな。実に良い」

 

 

 肩に添えた手に力を込めて麻衣は言った。 

 逃がしはしない。そう伝えているかのようだった。

 ナガレはその様子に怯えもせず、真っすぐに麻衣を見ている。

 その様子が麻衣を更に興奮させた。

 少しずつではあるが、精悍な表情に淫靡なものが混じり始める。 

 それは熱病のように、彼女の表情を蕩けさせていった。

 

 

「もし、仮に……今、お互いが裸体であったなら……私は今頃、口を使って……君の……」

 

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 顔は紅葉のように紅潮し、舌が絡んだような発音となっている。

 言葉を言うのも恥ずかしく、そしてその光景が鮮明に脳裏に浮かんでいるのだろう。

 舌が絡むような発音は、実際にその様子をシュミレートしているからかもしれない。

 

 二人が羽織った布団の中では、興奮した麻衣から発せられる雌の香りが溜まりつつあった。

 思春期の男子なら、麻衣へと本能のままに襲い掛かっていたかもしれない。

 しかし、彼は違った。何時もの通りに。

 

 

「直球だな。素直で何よりだけどよ」

 

 

 馬鹿にしてる訳では無く、彼の認識だとそういう年頃かという感じだった。

 麻衣もそれを理解している。

 その態度を示した彼を、血色の瞳で見つめている。

 紅い視線は放射線のように彼の内面を探るようだった。

 

 彼の外見を眼で見て、中身を意識で探る。

 美少女のように整った外見ながら、眉毛の太さや眼の鋭さや力強さが分かりやすいほどに彼の性別を主張する。

 その要素を認識しつつ、彼を探る。

 一度だけ垣間見た姿を、朱音麻衣は思い出す。

 彼の本来の姿。

 意識した時に、麻衣の心は弾けた。

 

 憧憬と渇望、そして……恐怖。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕⑦

 泥が跳ねるような音が続く。

 硬いものが砕けるような音も混じる。

 砕けて飛んで、床に落下して音を立てる。

 それは血と唾液で濡れた歯であった。

 落下した場所には既に複数の歯が落ちている。

 歯の根元には歯茎の肉が付着し、赤と白に桃色の趣を加えている。

 

 それらが飛来した根元の場所では、二つの物体が絡み合っていた。

 元の色は白のシャツと桃色のスカート、緑色のパーカーと青みがかったホットパンツ。

 それらが赤黒く染まり、裂けた腹からは桃色の管が垂れている。

 飛び出た腸同士は絡まり、まるで交尾中の蛇のような有様となっている。

 

 人間なら瀕死、というか死の寸前の重傷だが腸の持ち主同士は動きを止めなかった。

 元は桃色のスカートと白いシャツを纏っていた少女に、パーカーを着た少女が馬乗りになって顔面に向けて殴打を繰り返していた。

 一撃の度に顔からは肉と血が飛び、加害者の少女の顔や体に振り掛かった。

 加害者の拳も皮が破れて肉が爆ぜ、白い骨を剥き出しにしていた。

 

 それでも殴打を止めず、殴られている方もまた加害者の首を右手で締め上げ、残る左手は垂れ下がる腸を掴んで引き延ばしたり握ったりを繰り返している。

 度し難い事に、そうしながら自分の腸と相手の腸を絡ませていた。

 蝶々結びや堅結びなど、まるで綾取りをするように肉の管を絡ませている。

 

 それに飽きると、キリカは伸ばした人差し指を杏子の腹の真ん中へと突き立てた。

 臍を貫いて体内に減り込み、指を鉤爪のように曲げる。

 激痛は耐えられても嫌悪感はそれを上回るのか、杏子は痙攣し一瞬動きを止めた。

 その隙にキリカが杏子を押し倒し、攻勢側へと回る。

 この陰惨な輪廻が、既に何回も繰り返されている。

 

 一面のブルーシートを敷いた廃ビルの一フロアは、酸鼻な臭気で満たされていた。

 此処に足を踏み入れたなら、鼻孔を貫く鉄と潮の香りに脳髄を焼かれ、異常な光景に心は狂気に陥るだろう。

 

 

「ふああ……」

 

 

 そんな室内で、場違いな欠伸が鳴った。

 一切の緊張も恐怖もなく、その欠伸は自然体のままに放たれていた。

 

 

「そろそろ朝かなぁ……」

 

 

 紅い瞳の少女は、黒い長髪を垂らしながらビルの窓に腰掛けていた。

 視線の先には、地平線に滲む光が見えた。

 室内に籠る陰惨さとは無縁な、清潔な光だった。

 地平線の果てから昇って行ったそれはビルの隙間や屋上から滲み出し、紅の眼の少女は眩しそうに眼を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷはぁっ!」

 

 

 麻衣はナガレの胸から顔を離した。

 顔を離しつつも縋り付き、彼から離れようとはしない。

 高鳴る鼓動をナガレの腹へと押し付ける。

 高鳴りは止む気配が無い。

 荒い呼吸を繰り返す中、麻衣は自分の心の内を探った。

 恐怖によって興奮し、感情が昂っているという自己診断が出た。

 心の奥では、巨大な三体の影がいた。

 異界か高次元からか。

 

 彼女のドッペルによって招かれた、全身を棘で覆った漆黒の異形の竜達は巨体を縮こませて怯えているように見えた。

 心の中で麻衣は、それらの鼻先を手で優しく撫でた。

 竜の巨大な顔と麻衣の手では、比べようもないサイズ差があったが、竜達は麻衣の存在を認識し震えを抑えていた。

 まるで母親に対して強がりを見せる幼子のように。

 それを見て麻衣は微笑み、意識を現実へと戻した。

 どちらも彼女にとって現実である為、物質世界へと意識を戻したとするが正しいか。

 竜達は顕現に制約があるが、既に麻衣と一体化しつつあるようだ。

 

 彼の胸に頬擦りし、大きな胸を彼の腹へと麻衣は押し付ける。

 身体を引いては前へ押すを繰り返す。

 弾むトランポリンのように、柔らかい肉と脂肪の塊が膨縮を繰り返す。

 

 与えられる性的な快感は相当なものである筈だが、麻衣はその変化を感じられなかった。

 自分に女、というよりも雌としても魅力が無いのか。

 彼女はそう思った。

 思った時に去来したのは、悔しさよりも諦観だった。

 思えば異性を性の対象と思った事が殆ど無い。

 将来は結婚して母となりたい、とは思っているが、その過程に興味を持ったことが無い。

 

 かといって同性愛の気も無い。

 というか、性欲とはほぼ無縁に生きてきた。

 命を紡ぐ機能を肉体が獲得してから、本能によって性欲が疼くくらいだった。

 疼いたら指で慰めればいい。

 敏感な粘膜を適当に弄っていれば、やがて肉体が反応して絶頂に至る。

 その快感は嫌いでは無かったが、積極的にしようとは思わなかった。

 性欲が薄いと言う事に、自分は果たしてちゃんとした大人になれるのかという危惧を感じた。

 

 その反面、肉体は女性である事を示す乳房の肥大化が顕著だった。 

 赤ん坊を育てる為の器官であると云うのに、男はこれに欲情することが不可解でならない。

 胸が大きくなり、中学に上がる頃には周囲から視線を感じることも増えた。

 元々そういった感覚に敏感であり、故に闘争というものに興味が湧いていた。

 昔から争いは避ける傾向にはあったが、人よりも発育が良い肉体の事を揶揄された時は物理的な解決を取ることが多かった。

 それは中学になってから更に増えた。

 

 趣味のゲームセンター通いの際には男に絡まれることが増え、その度に体よく躱すか暴力での解決で済ませた。

 反撃され、顔を腫れ上がらせた事もあったが相手の事はそれ以上に痛めつけた。

 パイプ椅子で殴打し怯ませてから、筐体の角に顔をぶち当ててやったときの感覚は今でも覚えている。

 

 自らも鼻血を垂らしながら、昏倒した男の禿頭を何度も踏みつけていた時に、自分は暴力が、正確には戦いが好きなのだと自覚した。

 それから暫くして、麻衣は魔法少女となった。

 願い事は『強い相手と戦いたい』。

 その願いは直ぐに叶った。

 地元風見野にて、仲間となった魔法少女達。

 仲間になるまでのひと悶着と、仲間になってからの多くの闘争。

 魔女に魔法少女にと、鮮血と破壊に満ちた日々に朱音麻衣の心は満たされていった。

 

 しかし、満ち切りはしなかった。

 黒い髪と黒い衣装を纏った少女達の群れ。

 宝石狩りの多重人格の悪鬼。

 その他多数の魔法少女に魔女達。

 戦いは苛烈だが、どこか空虚さがある。

 それが最後の障壁のように、麻衣の心に聳えていた。

 消えることは無いと麻衣は思い続けていた。

 

 しかし、それが瓦解する日が来た。

 今自分が抱く、少年と出逢った事で。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕⑧

 歯が喰い込む。傷口を指で抉る。

 絡み合う二つの女体は、全身を血で染めながら互いを傷つけあっていた。

 赤黒い血肉が全身を濡らし、外見の差異は髪の長さと身長くらいでしか分からない。

 

 乳房の大きさも今は大して変わらない。

 大小に関係なく、両者とも胸の肉が剥ぎ取られていた。

 肉の下の肋骨が露出し、乳房に蓄えられていた脂が血深泥の骨に黄色の趣を加えている。

 肉片に変えられた乳房は粉砕され、室内の何処かに転がっている。

 相手の女性を象徴する部分を抉り取ったのは、憎悪か嫉妬か。

 その両方であるのだろうし、ただ単に破壊できる部分だからとか手の先にあったからとか、どうでもいい理由でもあるのだろう。

 そもそも理由など不要であり、闘争は呼吸同然の行為だった。

 

 

「ぐるるるるるるるぅぅううううう!!!」

 

「きひ、ひひひ、ひひひひひ」

 

 

 キリカの喉に喰らい付きながら杏子は唸り、キリカは杏子の喉を肉に突き立てた両手の指でぐちゃぐちゃと弄りながら奇怪な笑い声を挙げていた。

 歯と肉の断面からは唾液と血が溢れ、キリカの指先は血泡に塗れていた。

 ぶちぶち、ぐちゃぐちゃという悍ましい音が鳴り続ける。

 肉が剥ぎ取られている為、互いに鼓動の音が聞こえていた。

 

 その音を止める為に、両者は争っていた。

 自分の生存を考えず、相手からの暴虐に晒されることのリスクなど全く考慮せずに闘争を続けている。

 いつもの異常行為であり、つまりは異常な状況だった。

 廃ビルの床に敷かれたブルーシートにはたっぷりと血が乗せられ、元の青色など殆ど見えない。

 一面に広がる赤黒が、光を帯びて輝き始めた。

 

 窓から入り込む光が、浄化の炎のように酸鼻な光景でさえも等しく照らし始めたのである。

 それが、闘争の終焉の合図となったかのように、二つの身体は同時に倒れた。

 バシャンという音を立てて、二つの胴体が血の大河に沈む。

 それより少し早く、それよりは小さな音を立てて落下物が二つ生じた。

 

 

「はぁ……ふ」

 

 

 欠伸を一つし、かずみは窓の淵から床に降りた。

 スリッパを履いたかずみの足は、地面の血の洗礼を受けなかった。

 足裏が触れる寸前、接触面からは血が消え失せていた。

 血は小規模な竜巻となって巻き上げられ、壁に掛けられた斧槍へと吸い込まれていく。

 

 竜巻はかずみを器用に避け、三呼吸もする頃にはビニールシートは新品同然の輝きを取り戻していた。

 後に残ったのは、重なって倒れる二つの女の身体だった。

 その傍らでは、悪鬼の表情をした佐倉杏子の顔と、朗らかさの背後に邪悪さを孕んだ度し難い表情をした呉キリカの顔があった。

 両者の首は胴体から離れ、筋線維と骨が強引に破壊されて千切れた首の断面からは血が滴り小規模な赤の川を生み出していた。

 

 

「うう……ううう…」

 

「き、ひ、ひ」

 

 

 声帯が千切れている為、首が発する声のようななにかも掠れ切っていた。

 首だけでも生きているのは魔法少女ゆえであるが、本来ならば身体より先に精神が死ぬだろう。

 二人は正気であった。

 だから狂わず、狂気の世界に明確な意識を以て沈んでいる。

 首だけになっても闘争を止める気はなく、まだ前哨戦程度の気分なのだろう。

 

 

「えいっ」

 

 

 可愛らしい声と共に、杏子とキリカの頭部の額に軽い衝撃が放たれた。

 軽かったが、込められた技能は尋常では無かった。

 額から入った衝撃が脳を揺らし、正気のままに狂っている二人の魔法少女を安らかな闇へと誘った。

 

 

「さぁて、そろそろ朝ごはん作らないと」

 

 

 そう言ってかずみは少しばかり作業をしてから杏子を背負い、キリカを小脇に抱えた。

 離されていた首も糸で縫われて胴体と繋がれていた。

 かずみの背中では黒髪のセミショートが顔をかずみの首筋に頬を触れさせており、かずみの右腕は赤い長髪の少女を抱えていた。

 

 

「これで少しは大人しくなるといいんだけどねぇ…」

 

 

 溜息と共にそう告げて、かずみは部屋を通って階段へと向かって行く。

 その背後に、壁に掛けられていた斧槍が浮遊しながら従者のように付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 細胞の一つ一つが想いで満ちている。

 想いは血や体液となって体中を巡り、それらが巡る管である骨格や脊髄も想いが結晶化して出来ている。

 狂ってるとは思いつつ、朱音麻衣はこの想いは本心であると確信していた。そこに微塵の疑いも無い。

 そして彼女は切なる想いを抱いていた。

 

 この想いを伝えたい。

 身体を巡るこの想いを、血と肉の交わりを繰り広げたい。

 彼と想いを分かち合いたい。

 

 

 命を、混ぜ合わせたい。

 

 

 

 

 

「あぁあああっ!」

 

 

 体と心を駆け巡る感情に、麻衣は甲高い声を発した。

 それは雌の嬌声そのものだった。

 声を放った時、彼女は自分の雌が潤んでいるのを自覚した。

 

 途端に羞恥心が心に押し寄せる。

 そしてその奥から、堪らない幸福感が溢れ出した。

 自分は彼に欲情し、肉体もそれに応えている。

 その事を嬉しいと感じている。

 想いはやはり嘘ではなく、本物だということが自覚出来た。

 

 だから、言おうと思った。

 毎度ながら自分の狂気は自覚している。

 しかしながら、嘘は吐きたくなかった。

 彼には自分の全てを曝け出したかった。

 だから口を開いた。

 興奮は止まらず、吐いた息に宿った熱はまるで火のようだった。

 

 

「私は……君が好きだ。話すことも、触れることも、そして……殺し合う事も」

 

 

 殺し合うか戦うか。麻衣はどちらを言葉に用いるか少し考え、前者を選んだ。

 そちらの方が言葉として惹かれ、そして願いそのものだからだ。

 鼻先が触れそうな距離で告げられる言葉を、ナガレは黙って聞いている。

 黒い渦を巻く瞳は、片時も麻衣から視線を逸らさない。

 彼女から去来する愛と殺意と欲望を、真っ向から受け止めている。

 

 自分の全てを喰らおうとするかのような彼の渦巻く瞳に、麻衣は恐怖と嬉しさを覚えた。

 自分の求めるものがそこにあると、更なる実感を得られたからだ。 

 この幸福感の積み重ねは先程から何度も繰り返されている。

 その度に上限が取り払われ、愛欲が際限なく蓄積していく。

 それはまるで濃縮と増加を繰り返し、殺傷力を上げていく毒物のようだった。

 そしてその毒が、言葉となって放たれた。

 

 

「私は…君と戦い殺し合うことに肉欲と愛を見出している。生と死の交差を重ねることが、たまらなく嬉しくてならないんだ」

 

 

 胎内の器官の疼きを感じながら、麻衣は言葉を重ねていく。

 そして。

 

 

「君との戦いは…私にとっては子作りに等しい行為に思えてならない。互いの命を血と肉と刃で交差させて新しい命を生み出す聖なる行為。私にとって、君との交わりはそういった意味を持っているんだ」

 

 

 度し難いに過ぎる言葉を朱音麻衣は告げた。

 そこに狂気は微塵も無く、この言葉はただ純粋な愛によって出来ていた。

 












どしがた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 闇の恋慕⑨

 パタパタと、コンクリの地面をスリッパが踏む音が鳴る。

 パジャマ姿でかずみは拠点の廃ビルの階段を歩いていた。

 階段を下っていくかずみは二人の少女を左右の腕で抱えていた。

 彼女の背後から見て右に杏子、左にキリカを抱えている。

 

 しかし前から見た場合、左にキリカで右に杏子となっていた。

 それぞれの胴体の首が、挿げ替えられているのだった。

 首の断面には朱線が浮き、細い糸で縫われていた。

 糸の色は黒と赤。

 それぞれの髪の毛であった。

 

 通常人類なら死亡しているだろうが、魔法少女の不死性ゆえにキリカも杏子も生きている。

 互いの首が挿げ替えられているという現状に、二人の魔法少女は極大の嫌悪感を顔に滲ませていた。

 それでいて一声も発さず、呼吸さえもしていない。

 憎々しい相手の肺を使いたくなく、更に言えば血の巡りすら感じたくない。

 体内の鼓動は忌まわしい音と振動であり、手足の感覚を認識するだけで相手に強姦されているような気分にすらなる。

 性に関する体の部位や内臓の疼きなどを、二人は完全に無視していた。

 意識したら気が狂うに違いないと思ったからだ。

 

 つまり今の現状が続くだけで、両者には多大なストレスとなっていた。

 苦痛に耐えながら、二人は沈黙を貫いていた。

 やがてかずみの歩みは生活空間のフロアへと達した。

 微妙に開いた隙間に足先を差し込み扉を開く。

 

 

「はい、トドメ」

 

 

 開きながらかずみは言った。

 何事かと二人は思い、その理由を知った瞬間に叫びを上げた。

 絶望と怨嗟の叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君との戦いは私にとって子作りである』

 

 

 朱音麻衣はそう言った。

 言いながら、彼女は記憶を巡らせた。

 

 戦った回数は、正直それほど多くない。

 彼に纏わり付く二匹の淫売な雌獣どもは、寝ても覚めてもおぞましい暴力の交差を繰り返している。

 対して自分は二回きり。 

 だがそれで十分だった。

 好きな漫画の言葉に、「中身のないヤツが数を誇る!」という台詞があった事を麻衣は思い出していた。

 数ではなく質が大事であり、そして数はこれから重ねていけばいい。

 

 刃の交差、溢れる鮮血、弾ける血肉。

 殴打によって抉られる肉、砕ける骨、爆ぜる内臓。

 マウントポジションを取られて顔面を殴られ続けて、眼球が破裂し歯は奥歯まで砕かれた。

 反撃で彼の腕を斬り飛ばし、頭突きを見舞って額を割った。

 傷つけて傷つけあう、素晴らしい思い出の数々。

 尊い記憶が駆け巡り、麻衣の心に安らかで温かい風を送った。

 

 噴き出す血。

 爆ぜる肉の感触。

 生あたたかくて心地よい、香しい生の香り。

 

 ああ、素晴らしい。

 そしてそういったものに、価値を見出すとは…自分は何て卑しいんだろう。

 光と闇が麻衣の心の中で混ぜ合わさる。 

 何が光で何が闇かは分からない。

 いびつな感情であると分かりつつ、真摯な愛である事が自覚される。

 他の相手には、絶対に抱かない感情であることは確かだった。

 だから、という訳では無いが、自分のこの感情は愛である事は紛れも無い事実だと麻衣は思った。

 

 そんな想いを込めて、麻衣は告げたのだ。

 戦いは子作りだ、と。

 

 彼がどう思っているのかは知らないが、少なくとも自分にとっては、彼との殺し合いは全ての子作りなのだから。

 彼の体に自分の愛を刷り込む行為であり、じぶんの肉体に自分を刻みつける作業であり、彼に対する愛情の表現方法でもある。

 言葉も交わしたいし、肌を重ね合って粘膜を擦り合わせたい。

 大きな胸を揉まれ、尻を撫でられて愛撫されたい。

 激しく愛されて、愛から滲んだ体液を交わらせたい。

 そして……そして……。

 

 

 本能と理性から、麻衣は未来の光景を幻視する。

 膨らんだ大きなお腹。

 一面の草原を眺めながら、木の影の中で並んで座る。

 小高くなった腹部に、少年の手が添えられ命を宿した腹部を優しく撫でる。

 

 その動きが途中で止まる。

 彼女の元へと、少年の身体が崩れ落ちる。

 その首は根元近くから切断され、断面からは墨のような血が噴き上がる。

 落下してきた首を恭しく受け止めて抱き締め、全身を愛する者の血で染める。

 

 胎内の我が子も何かを悟ったのか、幼い手足で母親の子宮の内側を触れる。

 命の鼓動と、血の流れと共に死滅していく愛する者の身体を抱き締めながら、命を宿した少女は微笑む。 

 それは聖母の笑みだった。

 母性に満ちた優しい笑みで、育まれる命と消えていく命を見つめている。

 そして、 ────── 妄想に浸っていた麻衣の意識が現実に引き戻される。

 彼と同じ寝床に潜り込んでから、幾度も繰り返された事だった。

 

 眼が覚めた時、麻衣は身を包む圧迫感を感じた。

 その正体を察した瞬間、

 

 

「ぴゃっ!?」

 

 

 彼女の口は、彼女を知るものであれば信じられないような悲鳴を上げた。

 そしてそれは悲鳴でもあり、嬌声でもあった。

 

 

「な、ナガレっ!?」

 

「なんだ、麻衣」

 

「な、ななな、な、なに、なに、を、して、るの、かかかなな?」

 

 

 バグった機械のように声を震わせる麻衣。

 声を出しつつ、背中と腹、というか身体の前面に感じる感触を全ての感覚で味わっていた。

 今の彼女は、ナガレにその身を抱かれていた。

 体勢も寝転がりではなく、ソファに座る彼の身体の前で抱き締められていた。

 

 下着とシャツ一枚の姿の麻衣は、ナガレの膝に尻を置き、彼の右肩に顎を乗せていた。

 性的な体位で言えば、対面座位の形だった。

 無論、ナガレにそう言った意図がある訳ではない。性の部分を重ねている訳でもない。

 抱き締めたらこういう形になっただけである。

 

 

「お前を抱いてる」

 

 

 現状をシンプルに、彼は口にした。

 

 

「だだだだだ、だだ、抱い、抱いて…」

 

 

 抱っこ。抱き締める。抱く。

 言葉が無数に脳裏に流れる。

 現実を認識できず、視界が霞む。

 その瞬間、触れた部分の圧迫が強くなった。

 

 

「ひゅんっ!」

 

 

 閉じられていたナガレの五指が開き、麻衣の背に触れたのだった。

 仰け反って倒れそうになった麻衣の身体を抑えたに過ぎない行為であったが、触れる面積が増えた事で麻衣の刺激は強まった。

 

 

「なん、なん、なんで…こん、な、こと」

 

「お前、俺が欲しいって言ったじゃねえか」

 

 

 そう言ってナガレは麻衣を更に抱き寄せる。

 接触は密着となり、相手の鼓動がより深く感じられるようになった。

 彼の体温や皮膚の呼吸、身体の内側を巡る血の流れさえも麻衣には聞き取れた。

 彼の生を感じ、彼女は胎内の奥が熱を帯びるのを感じた。

 そこは幻想の中で、自分が命を宿した場所だった。

 

 

「くぁぁっ!!」

 

 

 熱い疼きに耐え切れず、麻衣は叫んだ。

 途端に湧き上がるのは、欲望の渦。

 愛欲や性欲の奥から去来するのは、漆黒に輝く闇の感情。

 愛する者を殺したいという、度し難い欲求。

 

 彼の背に回っていた麻衣の手に、魔力で形成された愛刀が握られる。

 普段の半分程度の長さのそれの柄を両手で握り、切っ先をナガレの背に向ける。

 絶対に外さず、絶対に逃がさない距離と意思が込められていた。

 

 自分の心臓ごと、彼の心臓を貫く。

 刃で貫かれた彼の心臓が動きを止めていくのを、愛刀は自分の心臓へと振動で伝えてくれるはずだった。

 その様子に彼女は興奮し、また彼を喪う喪失感に身を焦がしていた。

 戦いの最中では無いが、今は幸福の絶頂に近い状態。

 その中で、自らが渇望するものが今手に入る。

 躊躇いもなく、麻衣は刃を振り下ろした。

 その瞬間に

 

 

「強情な奴だ」

 

 

 という言葉を聞いた。

 そして唇が何かに触れた。

 触れたものは、自分の唇と似た形をしていた。

 それは、つまり。

 

 途端に、麻衣の手から刃が消えた。

 紫色の魔力の粒となって消えていく。

 それが彼の背後に見えた。

 麻衣の眼は、黒く渦巻く彼の瞳を見ていた。

 瞳の中に、麻衣は自分の瞳を見た。

 渦に囚われ、飲み込まれていくかのようだった。

 それを見て、そして今の自分の現状を察して麻衣は叫んだ。

 叫びはくぐもっていた。

 重ねられた唇の間で震え、幸福と恐怖の慟哭となって響いた。

 

 

 

 

 

 

「はい、トドメ」

 

 

 麻衣はその声を聞かなかった。

 直後に上がった二つの絶叫さえも。

 今の麻衣は、彼に抱かれて口付けをされ、そして彼という存在に意識を縛られ飲み込まれていた。

 それは心地よく、決して逃げられない闇の坩堝であった。

 この存在から自分は逃げられない。

 そして逃げる気も無い。

 

 君は私のもので、私は君のもの。

 

 そう思いながら、麻衣は彼を強く抱き締め自ら唇を強く重ねた。

 その近くでは、今も絶叫が続いていた。

 

 

「ふぁぁああああ」

 

 

 とかずみは場違いに平穏な欠伸を放った。

 もう少ししたら荷物二つを気絶させて、朝ご飯を作ろう。

 彼女の関心は眼の前の事ではなく、朝の献立へと移っていた。

 















それはそうと、龍継のトダー再登場が嬉しいんだ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 訪れた平和

 時は流れる。望むとも望まなくとも。

 そんな場面が、この廃ビルの中でも流れていた。

 白いテーブルクロスを通された四角いテーブルの上には、大量のおにぎりと焼き魚にベーコンが並んでいる。

 塩におかか、そして梅が入ったおにぎりだった。巻かれた海苔はパリッと香ばしく、シンプルながら味わい深いおにぎりの魅力を引き立てている。

 焼き魚とベーコンも焼きたてで、流れる肉汁の香しい匂いが食卓を彩っている。

 三つ置かれた大鍋は、豆腐の味噌汁と卵スープ、そしてコンソメスープで満たされている。

 食欲を湧かせるいい匂いが、互いと争う事無く共存し、朝の差し込む廃ビルの一室に広がっていた。

 

 ここまでは、量が多い事を除けば理想的な朝の光景だろう。

 問題はそこに集っている面々、正確には集まっている五人の中、半数以上を占める三人の間で流れる空気だった。

 誰であるかは言うまでも無い。

 佐倉杏子、呉キリカ、朱音麻衣の三人である。

 

 並んで座るナガレとかずみから見て向かい側に、杏子を真ん中として右にキリカ、左に麻衣が座っている。

 奇妙なのは、前者二人が私服に対して後者三人は変身し魔法少女となっているところだった。

 しかしながら三人は戦闘態勢に無く、更には隣や近くの存在の事など無いかのように食事に精を出している。

 食べ方は丁寧であり、黙々と食べていく。

 かずみお手製の味わい深い食事に表情は綻び、三者の美しい貌が口内の美味によって蕩けたような形を描く。

 それだけに、不気味な光景だった。

 これだったらまだ、罵り合っていた方が自然な光景だ。

 一貫して近場の恋敵の存在を無視し、三人は食事に没頭している。

 その異常さが空気を歪ませ、眼の前の光景を異界じみたものへと変えていた。

 

 しかしながら、ナガレもかずみも気にもせずに食事をしている。

 異常なのはいつもの事であるし、何にせよ平和なのだからいいという考えである。

 

 

『ねぇナガレ』

 

 

 かずみは思念で彼に尋ねた。

 

 

『ん?』

 

 

 と彼は答えた。

 

 

『気付いてる?』

 

『まぁな』

 

 

 そう言われたかずみは、『ハァ』と溜息の思念を送った。

 実体としての彼女は、卵スープを静かに啜っている。

 

 

『死なないでね。おとしゃん』

 

 

 かずみの思念に、ナガレはそれとなく何気ないように頷いた。

 付け加えられた呼び名は、かずみのからかいか、或いは心配からか。

 魔法少女姿となった魔法少女三人は楽しそうに食事を摂りつつも、その視線は片時もナガレから離れていないのだった。

 真紅と血色と黄水晶の眼の奥には、危険な輝きとしか思えない光が溜まっていた。

 それは闇か、それとも混沌か。

 地獄が存在するのなら、こうだろうと思える色だった。

 

 

 

 

 

 昼になった。

 食事の後、

 

 

「ちょっと学校行ってくる」

 

 

 とキリカは言った。

 真っ当に過ぎて、ナガレは思わず困惑した。

 

 

「いってらっしゃーい」

 

 

 かずみは笑顔で手を振り、キリカもニコリと笑って応えた。

 仲の良い二人である。

 対して学校は違えど同じく学生の身分である麻衣は

 

 

「素振りしてくる」

 

 

 と彼に言ってから上階へと向かった。

 遠く耳を澄ますと、木刀か何かが物体を叩く音が聞こえた。

 更に感覚を鋭くすると

 

 

『滅びろ、雌餓鬼ども』

 

 

 という麻衣の声が聞こえた。

 音からして、(恐らくは魔力で作った)巻き藁を木刀から叩いているのだろうが、その顔には写真でも貼られていそうだなと彼は思った。

 良い趣味では無いが、別に迷惑を掛けている訳では無い。

 無害だと思って今の行動を継続した。

 彼はソファに座り、キリカが置いていった漫画を読んでいた。

 

 

「おい」

 

 

 そんな彼に、背後から声が投げ掛けられた。

 かずみはこんな風に声掛けをしない。

 キリカはいないし上階からは怨嗟の声と巻き藁を打つ音が聞こえる。

 消去法で、というか声的に声の主は佐倉杏子である。

 声と共に、空間に広がる湿気を彼は感じた。

 

 風呂上りだろうなと彼は思った。

 廃ビルで暮らし始めてそこそこの日数が経っている。

 魔女に命じて生活空間を整えていったところ、魔女もやり方を覚えてしかも楽しさを感じているのか簡易的な風呂場まで作ってしまったのである。

 野生化した後、これで人を喰う積りなんだろうなと彼は思った。

 この辺りの容赦のなさが彼らしいと言えばそうか。

 

 

「おい!」

 

 

 声が再び発せられる。音が怒気を帯びていた。

 

 

「なんだよ」

 

 

 振り向かずにナガレは答えた。

 若干、鬱陶しいという響きがある。

 漫画を読み耽っている最中だからという理由だろう。

 その反応に杏子の怒気は殺気へと変化した。

 

 

オイ!てめーエロい絵ばっかりみてねーでアタシを見ろ!

 

【挿絵表示】

 

 

「え?」

 

 

 怒りと殺意と羞恥心の混じった杏子の叫びに、ナガレは疑問の声を出した。

 漫画の場面の事か、と思って漫画を見直す。

 見開きブチ抜きで、序盤のボスキャラである国民的ヒーローのプロレスラーが、己の妻を「メスブタ」と罵りながら思い切りぶん殴る場面が描かれていた。

 情交を終えた後の場面だったので、両者はこのページでは部分的だが裸体で描かれていた。

 杏子はそれをエロい絵と評したのだろう。

 どうやら実写は平気でも漫画やアニメだと性に関連する部分は杏子にとっては刺激が強いらしい。

 可愛いとこあるなと思い、ナガレは振り返った。

 部屋の隅で、

 

 

「恥ずかしくねぇのか、あいつはよぉ…」

 

 

 と呟いて着替える杏子の姿が見えた。

 丁度下着を穿くところであり、言いながら背後をチラッと見ていたのが見えた。

 

 

「チッ…」

 

 

 舌打ちを放ったのは、見るのが遅ぇよということだろう。

 近くには脱ぎ捨てられた黒い水着が見えた。

 裸体ではなく、水着姿を見せたかったらしい。

 複雑な年頃だなと思いながら、ナガレは漫画を再開した。

 漫画の中では殴られた女が鏡に顔面を激突させて床の上で痙攣し、家から追い出せとの台詞が告げられていた。

 八度目の離婚だから大したことは無いという男の言葉に、こいつは後で酷い目に遭うんだろうなとナガレは思っていた。

 

 

 

 

「はい友人、これよろしく」

 

 

 帰宅、というか帰還してきたキリカはそう言って、黒い篭をナガレに差し出した。

 

 

「頼むぜ、相棒」

 

 

 杏子も少し間を置いてから、紅い篭を彼に手渡した。

 

 

「君にしか頼めない。受け取ってくれ」

 

 

 麻衣も似たような感じで紫色の篭を渡した。

 それぞれの中には、数枚の布が入っていた。

 どれもが彼女らの下着だった。

 見ないようにはしたが、彼の鼻は性能が良すぎた。

 それらから汚れの類の匂いはせず、ただ雌の香りが宿っていた。

 篭を手渡す際、三人の視線はこう言っていた。

 

 

『お前or君のせいでこうなったから、責任を取れ』

 

 

 イラっとしたが、事を荒げるとロクなことにならなそうなので彼は黙って受け取った。

 波風立っているのは悪くない。

 何でもいいからよ、と確かに昔そう言ったがこういう事では起こしたくない。

 また下着を洗うのはキリカ宅で経験済みであり、なら今回も、と彼に思わせる原因となった。

 経験を積ませてくれたキリカ母に感謝…するのは何か違うなと思いつつ、彼は黙って三人の少女の下着を洗うことにした。

 

 

「ねぇ、ナガレ」

 

 

 廃ビル内の水場に赴いて手洗いで下着を洗うナガレに、かずみが声を掛けた。

 

 

「どのくらい、メンタル保ちそう?」

 

 

 声は心配で出来ていた。

 少し間を置いて

 

 

「…一週間」

 

 

 彼はそう答えた。

 沈痛な表情を浮かべて、かずみは何度も頷いた。




素晴らしすぎる挿絵は日大太郎様(@ura47869454)からいただきました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 訪れた平和②

 朝になるとキリカは学校へ行く。

 学校が終われば自宅へ帰り、午後の六時くらいに廃ビルへと訪れる生活を続けた。

 キリカの母が彼女に持たせたサンドイッチなどの料理は、かずみからしてもかなりの美味との評であった。

 

 麻衣も朝になると風見野へと向かおうとした。

 が、途中で引き返して廃ビルでの不登校生活を開始した。

 優木の洗脳魔法が彼女の親や学校の朋輩達に付与されているので問題は無い。

 問題があると言えば麻衣のメンタルであり、ナガレと離れると不安になって仕方ないらしく、あすなろ駅で動けなくなりベンチに座っている所を彼女に呼ばれたナガレに保護される始末であった。

 情けないと泣きじゃくる麻衣はナガレに肩を貸されて廃ビルへと帰還した。

 

 

「御帰り」

 

 

 と何事も無いように告げたかずみの優しさと

 

 

「あざとい」

 

 

 と冷たく言い放った杏子のリアクションが麻衣の心を切り刻んだ。

 声を押し殺しての慟哭にかずみは心を痛め、杏子は三十分ほど笑っていた。

 笑った後で自己嫌悪に陥ったらしく、杏子はその日一日をローテンションで過ごした。

 帰還してきたキリカは立ち直って家事手伝いを始めた麻衣の姿に関心を覚え、頭を抱えてソファに座り続ける杏子の姿に人生の悲哀を感じたのだった。

 

 そして夕食を食べ、学生二名は宿題や自主学習、または木刀の素振りなどの鍛錬を行った。

 杏子は漸く立ち直り、ソファに寝そべって漫画を読み耽っている。

 

 

「なぁナガレ。今生きてたはずのキャラが十年前の回想中に死んだぞ」

 

 

 声には覇気が無いが、雑談を言い出せる程度にはメンタルが回復していた。

 話を受けたナガレはそんな馬鹿なと思ったが、杏子が読み終わったものを読むとその通りの事象が描かれていた。

 因果律兵器みたいなものかと、ナガレは案外素直にその事象を受け入れた。

 

 彼自身が非現実じみた存在だから、というか何も考えていないのだろう。

 平和な時間が流れる中、彼はぼーっとしながらソファに座って漫画を読んでいる。

 読み終えた時、足元に三つの篭が置かれていた。

 中には脱ぎ捨てられた下着が入れられている。

 鼻先を掠めるのは雌の匂い。

 歯軋りを一つし、篭を抱えて水場に急ぐ。

 欲情などしないが、さっさとこの匂いと別れたいのだった。

 

 

 

 そんな日々が八日間続いた。

 その間、三人の魔法少女達は隙間時間があれば罵り合い、殴り合いを繰り返した。

 少し目を離す、買い物で外に出ていると一フロアが一面血の海になっている事もザラだった。

 牛の魔女に命じれば即座に綺麗になるとはいえ、彼をしても気が滅入る光景が幾度も繰り広げられた。

 血の海の中から、身長と髪型くらいでしか判別できなくなった肉の塊を取り出して魔女に治癒させる行為は、常人なら即PTSDに陥るであろう凄惨で異常な状態だった。

 治してからの夕食時に闘争の理由を聞いてみると

 

 

「忘れた」

 

「どーでもいーよー」

 

「今後の方針を話し合ってたら手が出てしまった。今回の発端は…誰だったか。まぁいいか」

 

 

 上から杏子、キリカ、麻衣の順番でそう答えが返ってきた。

 砕けた脳味噌が飛び出していた頭部や、肺と肝臓と腸が混ぜ合わされた肉塊が漏れていた腹、叩き潰された手足も完全に修復されており当人たちも苦痛の欠片も留めていないのでナガレはそれ以降の言及をしなかった。

 その日の夕食はハンバーグと腸詰の盛り合わせだった。

 献立のメニューに困っていたかずみが、肉塊となった三人の様子を見て閃いたのかどうかは、ナガレは考えないことにした。

 肉汁が詰まりながらも、大根おろしとポン酢のさっぱりとした風味が際立つハンバーグと、香料が効かされた腸詰は絶品だった。

 

 普段通りの暴力的で陰惨な遣り取りの傍らで、一緒に買い物に出かけるなどの平和的な光景も見受けられた。

 協定でも結んでいるのか、ナガレと買い物に行く同伴者数はかずみを除けば一人だった。

 外に出て買い物をしていると、流石の連中も年相応に楽しく生きている様子が見えた。

 その様子にナガレは心に一抹の翳りが射すのを感じた。

 戦いの虚しさというものだろう。

 

 戦いは嫌いではないし人生そのものだが、この年頃の連中が血深泥の闘争に明け暮れている現状は彼をしても異常としか思えない。

 だが彼女らは闘争が好きで、更に言えば戦わなければ生きていけない。

 自分と戦う事がある種の安らぎとなっているようだが、なんだかなという気概は付いて回る。

 その一方で理解もしてしまう。

 彼自身が、闘争から離れられない存在故に。

 

 

 

 

 

「ちょっと明日一日、外出してもいいかね」

 

 

 九日目の夕食時に、ナガレはそう言った。

 疲れたとか逃げたいとかではない。

 家事全般は元々、杏子との二人生活の時にほぼ自分がしていたし、洗濯も別に恥ずかしい事じゃない。

 ただたまには、一人でのんびりしたいと思う時があるのだろう。

 要は普通の感情である。

 テーブルの上には焼き肉用のプレートが置かれ、周囲には瑞々しい赤桃色の肉が並んでいる。

 食事も戦闘と捉えているのか魔法少女姿となって食事をしているヤンデレ魔法少女三人組は、程よく焼いた肉を糧に大量に炊いた白飯をバクバクと消費していた。

 焼けた肉は、意外にも呉キリカによって取り分けられて皿に置かれていた。

 

 狂気の行動が基本スタイルのキリカであるが、一方で常識的な側面も持つ。

 狂い方が異常なので常識的な事をしている方が狂っているように見えるというのが皮肉であるが、焼き加減や肉の大きさ、部位のバランスも考えて配膳している。

 別に媚を売ろうとかではなく、自然に行動出来ているあたり彼女の善性が伺えた。

 肉や野菜を掴む銀のトングがぴたりと止まった。

 周りの連中に配り終わり、最後に自分の皿に取り分けていた時のことだった。

 杏子と麻衣も咀嚼や箸の動きを止めた。

 変わりないのは、追加のわかめスープを作ったり肉を用意しているかずみだけである。

 

 

「いいんじゃねえの」

 

「君の自由だろ」

 

「気晴らしに良さそうだな」

 

 

 一瞬の停滞の後、返事は直ぐに来た。

 了解、とナガレは答えた。

 そして何事も無かったように食事が再開される。

 ほぼ同時に、調理を終えたかずみが大鍋を持ってやって来た。

 コンソメで茹でられた海藻のスープは、本能を刺激するような海の塩気を放ちながら湯気を立ち昇らせる。

 キリカは早速取り分けを始めた。

 

 かずみも慣れたもので、手際よくキリカに食器と匙を渡していく。

 残り二人も動こうとしたが、先にキリカに仕事を取られていた。

 何人も動いても邪魔になるので何もしない方がいいのだが、バツが悪そうだった。

 仕方ないなと、自身も特にやることが無いナガレも似たような気分になった。

 

 配膳が終わると、スープを啜った。

 程よい塩気が心地よく、ほっとする味わいだった。

 飲みながら、ナガレは前を見た。

 五つの眼球による視線が、自分に注がれていた。

 

 眼帯で覆われているキリカの右眼も、魔法の布越しにナガレを見続けている。

 三人の魔法少女達は、食事を続けながらナガレを見ていた。

 先程までは時々見る程度だったが、今は瞬きさえせずにじっと見ている。

 真紅と黄水晶と血色の視線の中には、それぞれの色で出来た溶岩の流れのような、粘ついた何かが見えた。

 これが感情の発露というのなら、宿った感情の種類は悍ましいに過ぎるものだろう。

 常人なら発狂、植物なら枯れ果てるような何かが宿った視線を前にしてもナガレは平静だった。

 彼の予想では、最悪の場合はその場で闘争に発展するかもと踏んでいたので、この程度で済んで寧ろ安心なのであった。

 少なくとも今は、平和に食事を終えられそうだった。

 

 少なくとも、今は。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 訪れた平和③

 夜になった。

 日課となった下着洗濯を終え、ナガレは床に付いていた。

 ヤンデレ魔法少女三人組は、「ちょっとヤボ用がある」と言って上のフロアへと移動していた。

 これも普段の事なので、ナガレは「やり過ぎんなよ」とだけ伝えて横になった。

 寝床のソファの枕元には漫画が山と積まれている。

 現在第三部目が連載中の格闘漫画をナガレは読んでいた。

 元々空手家であることもあって、架空とは言え技などは気になるようだ。

 

 特に弾丸滑りという技には感心していた。

 魔法少女や魔女戦でよく行うダメージカットによる防御との類似点を見出していたのだった。

 漫画の描写されるとイメージが湧きやすく、しばし塾講するといい感じに魔法の使い方を思い描けた。

 早速今度使ってみようと、ナガレは思った。

 流石に胸から入った弾丸を心臓の表面で滑らせてダメージを大幅に下げるといった芸当は難しそうだが。

 

 

「ねぇナガレ」

 

「ん?」

 

 

 少し離れた場所に置かれたベッドに横たわるかずみがナガレに声を掛けた。

 基本的に誰かと添い寝がしたいかずみではあったが、性別による分別は付けているようだ。

 三人の雌餓鬼たちも見習ってほしいものである。

 

 

「最新刊で元ラスボスしてた人が動物園のゴリラに喧嘩を売って、しかも負けたんだけど…これって私が見てる幻覚なのかな」

 

「反応に困るな…」

 

「だよねぇ…。私はクローン人間みたいだけど、これは造った時のバグだったらよかったのにと思ってる」

 

 

 あんなに強かったのに…とかずみは続けた。

 反応に困る、という思いが再びナガレへと去来した。

 

 

「辛いか?」

 

「辛い。年取ったのは分かるけど、おじさんの扱いが酷い」

 

「いや、そうじゃなくてだな」

 

「あー、私の事なら心配いらないよ。寧ろ私が何者か分かったから今は気が楽」

 

「そう…なのか」

 

 

 彼をしても、かずみの態度には驚きを隠せなかった。

 彼女の様子が演技ではなく、本心からのものであると察せた所も拍車を掛けた。

 一方である程度の理解もしていた。

 自分がどういった存在かを知れたことは、決心が付く切っ掛けでもある。

 少なくとも自分はそうだった。

 存在するだけで災厄を招き、並行世界で数多の宇宙を滅ぼしてきた存在であると自らを知った時、彼が選んだのは永劫の戦いの道であった。

 行く場所とやるべき事を悟った時は、確かに多少気分が楽になったものだった。

 地獄へ向かう事を決めて安らぎを得るなど、彼ぐらいのものだろうが。

 

 

「てなわけで、そろそろお休みぃー!」

 

「ああ、お休み」

 

 

 闇の中、手を振る気配と空気の震えが伝わった。

 程なくしてかずみは寝息を立て始めた。

 安心しきっている様子に、改めてかずみは自分の現状を受け入れている事が察せた。

 強い奴だと彼は思った。

 もう少し漫画を読んでから寝ようと決めた。

 読んでいる巻では、闇堕ちした主人公が前作主人公の父親であり恩師でもあるキャラクターに闇討ちを仕掛けていた。

 度し難い行動と展開に、彼は首を傾げつつも読み耽っていた。

 独特の魅力がある作品だなと、彼は内心で感想を述べた。

 

 その時ふと、上フロアからの音に気付いた。

 魔法を使って遮音していても僅かに漏れる戦闘音ではない。

 それは、話し声だった。

 

 

 

 

 

「その案は悪くないけど、良くも無い。アルティメットドラゴンやジェノサイダーがいい例だ」

 

「アルティメットは知ってるけど、なんだその炭酸飲料みたいな名前は。新手の怪獣か?」

 

 

 キリカと杏子の声だった。

 珍しく会話が成立している。

 ちょっとした奇跡に、ナガレは夜空を見上げた時に偶々落ちてきた流れ星を見たような気分になった。

 

 

「まぁそんな感じだね。そうそう佐倉杏子、折角だからついでに君もジェノサイダーと融合するといい。頭の角の辺りから角代わりに生えてると見栄えがいいぞ。イメージ的にはラーと融合してる六歳児みたいな感じに」

 

「なんでそういう話になるんだろうなぁ。そっか、頭腐ってるんだったな」

 

「そして不死鳥モードやろうとして赤熱化して無意味に自爆するといいよ。或いは球体になってサイドデッキに入れられて、増G使っても引けずに制圧盤面されて負けるといい。あと不死鳥は手札に組んな。墓地で寝ててくれ」

 

「キリカ。テメェ、変なクスリでもやってんのか?」

 

 

 会話にならない会話を続ける二人、ナガレとしては平和だなぁという気分である。

 

 

「貴様らは真面目に会話が出来ないのか?ああ、無理だったな。すまない」

 

 

 麻衣が口を挟む。口調には呆れの成分しか含有されていない。

 怒りと殺意が無いのが驚きだった。

 これが奇跡か、とナガレは感動さえ覚えた。

 

 

「それはそうと海外新規で神々は強化されるな。ラー玉サーチ可能になるとは、いやはや」

 

 

 なんだかんだで麻衣も会話に乗っていた。

 安心したのでナガレも眼を閉じた。

 その日は何時にも増して熟睡できた。

 尤も、彼の場合数分でも熟睡に至り疲労の大半は取れるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 














短いけれど、投稿ペースを取り戻したい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 訪れた平和④

 朝を迎えた。

 時刻は五時二十五分。

 

 朝焼けが薄っすらと世界を彩る時間だった。

 既にかずみは目覚めており、朝食の支度をしていた。

 朝強いなとナガレが言うと、そういう風に作られたんだろうね。感謝。とかずみは言った。

 屈託のない笑顔であり、ナガレもそれに合わせることにした。

 

 

「得したな」

 

「うん!」

 

 

 輝く笑顔で返すかずみ。

 ナガレも似たような調子で返したかったが、彼が笑うとどうも不敵な笑みになる。

 それが彼の自然体なので、かずみは特に違和感を覚えなかった。

 

 

「そういや、あいつらは?」

 

「話し合いするんだってさ。さっきご飯食べたら出ていったよ」

 

「朝からご苦労なこったな。何処行ったとか言ってたか?」

 

「んー、なんていうか状況的にはこのビルから動いてないんだよね」

 

「ん……ああ、そうか」

 

 

 ナガレは即座に理解した。

 魔女結界を開いてそこに向かったと言う事かと。

 牛の魔女を呼び出して握ると、肯定の意思が伝わってきた。

 彼が寝ている間に魔女に呼びかけたのだろう。

 

 

「よく夜這いされなかったねぇ」

 

「反応に困るな」

 

 

 率直な物言いのかずみにナガレは思わず怯んだ。

 今のかずみは変身不能となっているが、それ以前に妙に強い雰囲気がある。

 自分はなんだかんだで今まで生き続けているが、自分の死はこういう奴に齎されるのかもしれない。

 そんな事をふと思った。

 しかしながら死ぬ気も無く、破滅への願望がある訳でもない。

 寝惚けてるなとナガレは思いを切り替えた。

 

 

「ちょっと早いけど、食事摂ったらコンビニに買い物でも行かねぇか?明日から一日空けるからよ、買い物済ませておきてぇんだ」

 

 

 飯と言わずに食事と言ったのは彼の気遣いである。

 細かいところではあるが、彼も成長したものだ。

 同僚相手に食堂で大暴れしていた時が懐かしい。

 

 

「いいよー!」

 

 

 かずみはサムズアップしながら応えた。

 冗談とはいえ彼を父親扱いする時もあるかずみだが、真っ当に過ぎる娘であった。

 それからは平和な時が流れた。

 かずみがこしらえた朝食は焼きたてのパンに刻んだベーコン入りのスクランブルエッグ、瑞々しい野菜が盛られたサラダに苦めのコーヒー。

 言うまでも無くどれもがハイレベルであり、常に地獄の中にいるナガレをしても安息の大切さを思い知らさせる代物だった。

 

 

 一時間後、二人は買い物から帰還した。

 近場にもコンビニはあったが、少し散歩がしたいと遠目の店を目指してあすなろの街を練り歩いていた。

 良い感じに歩いた後で目に入った店に入って買い物を済ませた。

 菓子に缶詰めにアイスなどである。

 また、杏子から頼まれていた生理用品も購入する。

 この様子も慣れたもので、彼には既に違和感も無い。

 強いて言えば、この行動をしても店員になんらの疑問も持たれない事にもやっとするのだった。

 

 それは彼女持ちだからと思われているのか、或いは彼が美少女と思われているのか。

 少し前ならイラついて何かを破壊していただろうが、この外見になって結構経っている。

 慣れとは恐ろしいと、彼は改めて実感したのだった。

 

 そんな事を、寝転がって漫画を読みながら思い返していた。

 漫画の中では犬型最強軍事兵器と、どう見ても格闘漫画とは思えない肩書と性能をされたサイボーグ犬が数枚の隔壁を鼻先からの突撃で破壊する場面が描かれていた。

 物理法則もあったもんじゃねえなと彼は思った。

 読んでいて疲れたので、ナガレは少し寝た。

 目を覚ましたのは三時間後だった。

 時刻は昼の十時。

 昼食にはまだ早い。

 かずみも彼に倣ってか少し遅い二度寝をしている。

 安らかに過ぎる様子に、彼も思わず柔和な表情を浮かべる。

 

 しかし少し経つと、それは怪訝なものへと変わった。

 この廃ビルの中で生き物の気配は二つ。

 自分とかずみしかいない。

 ネズミや昆虫といった小動物は、本能的にこの連中を恐れて逃げ出しているのであった。

 この建物の中では蟻や蠅すら存在していない。

 

 

「まだやってんのか」

 

 

 そう呟き、彼は再び横になって漫画を読み始めた。

 驚異的な性能の心臓を移植されたことで、イキり始めた主人公の様子が描かれていた。

 その様子にイラっと来てフラストレーションを覚えたのと、少し心配になってきたというのが重なり、彼は行動に移すことにした。

 起き上がって斧槍を持ち、魔女結界を開こう…として動きを止めた。

 彼の感覚は、別の存在を捉えていた。

 

 

「かずみー」

 

「うん。行ってらっしゃーい」

 

 

 起こしたら悪いと思っての、小さめの声だったがかずみは反応した。

 仰向けに寝ながら、右手を伸ばしてバイバイと振る。

 魔女に命じて複数の使い魔を生成し、それらをかずみの護衛とさせるとナガレは廃ビルの窓を開けて飛び出した。

 窓に足を掛けた時に、既に周囲は確認しており人目は無い。

 街中の監視カメラも魔女の魔法で胡麻化してある。

 そのまま彼はビルの屋上や壁面に足を掛け、昼の風見野を魔鳥のように飛翔していった。

 人の世の平穏を脅かす者どもを狩りに行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 無数の星に似た光が輝く空。

 砂のようだが硬い地面。

 コールタールのような粘液で出来た波。

 異界の中、ナガレは戦闘を繰り広げていた。

 振り下ろされる斧槍が、白銀の猛虎の掲げた両腕を切断し頭部を両断。

 胴体に達したところで刃を止め、装甲された身長三メートルの異形をハンマーのように振り回す。

 周囲に並ぶ異形、魔女モドキの群れに直撃し、白鳥にサイ、レイヨウ型の異形が装甲と血肉の合い挽きとなって砕かれていく。

 

 旋回を終えた彼は背後からの気配に身を捩った。

 開いた隙間を胃液か吐瀉物のような黄色い液体が迸る。

 地面に当った瞬間、地面は白煙を上げて異臭を放った。

 跳ねた液体は異形達にも当り、装甲された体表を一機に溶け崩らせた。

 

 それを放ったのは、装甲で覆われた紫色の大蛇。

 蛇特有のシュウシュウという威嚇音を上げてはいるが、それは暴虐による満足げな笑い声でもあっただろう。

 異形達の頑強な装甲を貫通する猛毒を浴びた少年は、骨も残らず溶解している筈だった。

 それを啜り呑んでやろうと身を屈めた瞬間、毒蛇の視界は途切れた。

 一瞬途切れ、次に映ったのは溶解した地面だった。

 それが最後に見えた光景で、直後に意識を苦痛が占め、それを最後に意識が絶えた。

 

 

「痛ぇじゃねえか」

 

 

 毒蛇の額から拳を引き抜き、血糊を振り払いながらナガレは言った。

 毒蛇の顔は殴打によって粉砕され、眼窩からは視神経を引いた眼球が飛び出している。

 十メートル近い巨体が死の痙攣で震えている。

 駄目押しに踏み付けを見舞って頭部を完全粉砕してから、ナガレは周囲を見渡した。

 ナガレによる斬撃と猛虎を利用した質量攻撃、そして毒蛇の猛毒によって周囲の異形は原形をほぼ喪って蕩けていた。

 地面や装甲も溶かす毒を浴びたナガレの顔の右側は、頬の辺りの皮膚が溶け崩れて桃色の肉を露出させていた。

 それだけだった。

 

 

「免疫って奴が付いたのかね。何事も経験て大事だな」

 

 

 異形を融解させ、地面にも深い孔を穿ってまだ止まない毒の猛威を見ながらナガレは意味深そうに呟いた。

 彼の言う経験とは、キリカを庇って魔女の猛毒を受けた時の事である。

 毒に苦しむナガレは血を吐き、キリカはそれを啜り、自分の血を彼に飲ませて力を与えた。

 狂気に満ちた解毒であったが、それが功を奏したと言う事だろう。

 

 それにしても、彼は頑強に過ぎていた。

 毒を受けたナガレは苦しむ程度で済んでいたが、彼が吐いた血を飲んだキリカは身体を溶かしていた。

 そもそもこの時点で異常であり、元々毒には強い耐性があるようだ。

 生き物としておかしいというか、物理法則を歪めている可能性すら感じられる頑強さである。

 そんな自分の異常さについては特に何も思わず、ナガレは改めて周囲を見渡した。

 毒はなおも止まず、最早原型の残滓すら残さずに全てが溶けている。

 それを見て彼は舌打ちした。

 

 

「今回は素材は…無しか」

 

 

 くたびれ儲け、と彼は言わなかった。

 自分がこれらを屠った事で、被害を受ける人間はいなくなったからである。

 精々、サルミアッキに似た味だという猛虎の腕が残って無くて残念と言った具合である。

 それが狂った認識であるという考えは彼には無い。

 彼の感覚的には、魔女モドキ退治は常人が果物狩りに行くのとなんら変わりは無いのであった。

 仕方が無いと、トドメを刺した大蛇を持ち帰ろうと視線を落とした。

 先程までそこにあった、踏み砕かれた大蛇の頭部が消えていた。

 察しが付いた。

 

 

「おい」

 

 

 ドスを利かせた声を出すナガレ。

 振り返ると、ドキッとして身体を震わせる牛の魔女の義体があった。

 直立させた牛のような黒い身体は、もう半ばどころかガラガラヘビの尾そっくりな尾の末端ぐらいしか残っていない魔女モドキの残骸を抱えていた。

 責めるようなナガレの視線に、彼よりも倍は大きな体躯の義体が食べかけの魔女モドキを恭しく差し出した。

 彼はそれを一瞥した。

 少し考え、

 

 

「その部分は余ってる。好きにしな」

 

 

 そう言われるが早いか、魔女の義体は尾の末端を口に相当する部分に押し込んだ。

 黒い靄状の身体の中にそれは沈み込み、やがて内部からバキバキという咀嚼音が聴こえた。

 それが終わると義体は消え失せ、石突を地面に突き刺して立つ斧槍に吸い込まれていった。

 義体ごと餌食を喰らい、牛の魔女は満足に刀身に光を宿した。

 

 

「さて、帰るか」

 

 

 牛の魔女を握って地面から引き抜き、彼は魔女に治癒を命じた。

 既に薄膜が肉の表面に生じており、治りかけだったが帰りはスーパーに寄りたかった。

 今回の戦闘は一時間程度であり、良い暇潰しになった。

 帰った頃には魔法少女どもも帰っている事だろう。

 そう思いながら、ナガレは魔女モドキ達を喪って崩壊を始めた異界を後にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話 いつもの

「ただいまーっと」

 

「おかえりー」

 

 

 ナガレが廃ビルに帰宅したのは午後一時半の事だった。

 かずみが買い物袋を受け取り、生活用品を収めた棚や冷蔵庫に手際よく放り込んでいく。

 ナガレが手伝う間もなく、買い物の片づけは完了した。

 

 

「まだ戻ってねぇのか」

 

「うん。だからとっても平和」

 

 

 若干の呆れがあるナガレに対し、かずみは極めてリラックスした様子だった。

 連中を嫌ってる訳でも無いが、今の静穏が心地いいらしい。

 

 

「しゃあねぇな」

 

「いってらっしゃーい」

 

 

 一言だけでナガレの意図を察し、かずみはバイバイと手を振った。

 彼女の隣に並ぶ護衛用の使い魔達も、蛇のような胴体から生やした小さな手をかずみと似た調子で振っている。

 外出している間、随分と仲が良くなったようだ。

 振り返って頷き、牛の魔女を呼び出して異界を開かせ内部へ入る。

 形式が移ろい、現世と切り離される。

 普段の戦場としている牛の魔女の結界が見えた。

 

 が、彼は違和感を覚えた。

 変わりゆく景色の先に、三人の姿が無い。

 神殿を模したような異界の造形物も破壊されておらず、違和感を覚えた。

 探す必要があると思った時、その光景もぼやけて消えた。

 

 次の瞬間、彼は別の場所に降り立っていた。

 足裏が感じたのは、ぐにゃり、にゅるりという柔らかさ。

 鼻孔が捉えたのは血と潮と悪臭。

 そして視界一面に広がる、赤黒い大地。

 

 大地を形成するのは、破壊された武具を握り締めた少女達の骸。

 真っ二つにされた、握り潰された、そのその首や上半身が消え失せているなどが多数あったが、転がっている首の中には顔が無事なものもあった。

 血に染まって転がる首は、どれも感情の一切が感じられない能面のような表情だった。

 僅かに開かれた口から血が垂れ、極小の滝となって地面に接触したまま硬直していた。

 

 地面は少女達の遺骸で埋め尽くされていたが、広がる血の奥には青い輝きが透けて見えた。

 それを見るまでも無く、彼には正体が分かっている。

 海の深層のよいうな昏く青い輝きが一面に広がる空、そして無数の魔法少女。

 ここは鏡の結界であった。

 風見野の結界と異なり、複製魔法少女達は顔が鏡となっていない。

 

 

「強かったよ。そいつら」

 

 

 声がしたのは、血肉が広がる奥からだった。

 闇から出でた悪夢のように、真紅のドレスを着た魔法少女が顕れた。

 左肩に担いだ十字槍の刃は、死者たちの怨念のように血脂で汚れていた。

 

 

「顔も鏡じゃねえし、ここの方が神浜のミラーズに近いのかもねぇ」

 

 

 そう言った杏子の右脚が霞んだ。

 足元の遺骸が蹴飛ばされ、ナガレへと砲弾となって放たれる。

 斧槍が迎撃し、手足と首を喪った胴体が切断される。

 紅く染まってはいたが、身体のラインがくっきりと分かる焦げ茶色のインナーを纏った少女だった。

 

 その肉体に変化があった。

 切断され、曝け出された臓物を押し退けて無数の針が牙のように生えた。

 別れた胴体は再び一つになるかのように針を伸ばした。

 その間にはナガレがいる。

 斧槍を旋回させ、二つになっていた肉を皿に四つの破片へと変えて弾き飛ばした。

 旋回させた斧槍を、彼は背後に振った。

 金属音が鳴り響いた。

 斧槍と噛み合うのは、長く伸びた白刃だった。

 

 

「やぁ、ナガレ」

 

「よぅ、麻衣」

 

 

 刃を重ねながら、朱音麻衣とナガレが言葉を投げ合う。

 口調は平然としたものだが、刃には剛力が乗せられている。 

 互いに少しでも力を抜けば押し切られ、敗者の首と胴体は寸断されるに違いない。

 

 

「突然失礼」

 

 

 鈴のような美しい声。

 麻衣とナガレの横合いからは声と共に黒い禍風が押し寄せた。

 去来した赤黒い刃を、白刃と斧槍が迎え撃つ。

 二人分の剛力が乗せられた斬撃を、左右五本ずつの斧爪が受け止めた。

 

 

「よしよし。朱音くんも空気を読む事を覚えたのだね」

 

「黙れ悪鬼」

 

 

 丸靴の踵を血肉で覆われた地面に沈ませながらも、呉キリカは二つの斬撃を受け切っていた。

 呉キリカは元々、パワーとスピードを兼ね備えたハイスペックな魔法少女であったが更に強化されたようだ。

 ナガレは強引に斧槍を横に滑らせ、麻衣とキリカを撥ね飛ばした。

 バックステップで後退すると、寸前まで彼がいた場所に複数の十字架が突き刺さった。

 掌サイズの紅い十字は遺骸を引き裂き、塊から挽肉へと変えた。

 斧槍を構えた先には、右手を突き出した杏子がいた。

 

 

「久々に使うな、サザンクロスナイフ」

 

 

 魔法の調子を試した。そんな口調だった。

 そんな彼女の左右へと、麻衣とキリカが跳躍する。

 

 

「邪魔だテメェら。身体から出てる体温とか他は…ああもうめんどくせぇ。存在が邪魔」

 

「何故だい?スペースは十分に開けてある。この距離なら、君の粘ついた雌臭さも我慢できないこともない」

 

「社交辞令で合わせたが、既に離れたくなってきた。方法は問わないから、せめてどちらか片方でも滅んでくれないか?」

 

 

 互いを見ようともせず、軽蔑と罵詈を重ねる三人。

 視線は唯一つ、先に立つナガレを見ている。

 

 

「随分と長い話し合いだな」

 

「まぁね。何話してたか忘れたし、そもそも会話なんてしたっけって感じだけど」

 

 

 彼の言葉に杏子が応ずる。

 左右の二人も口を開いてはいたが、真ん中というポジションである杏子が優越すると見たか口を閉ざした。

 敗北感が表情に滲んでいないのは、何か失言したら愚弄してやろうとでも思っているからだろう。

 

 

「で、この地獄みてぇな光景は?」

 

「ちょっと考えがあって、結界を弄ってみた。そしたらここに繋がったのさ」

 

「弄った?」

 

「魔法少女が三人もいるんだ。鏡の結界はあたしらにとってのカラオケみてぇな場所だし、なんかコツを掴めたのさ」

 

「私の魔法で繋いだんだ。こいつら二人は役立たずだ」

 

「ありがとう朱音麻衣。勤勉な様子に私も安心している。君は社会に出てもやっていけるかもしれない可能性があると思われる」

 

 

 杏子の謎マウントに反論する麻衣、そして愚弄するキリカという三連コンボが決まる。

 効果はナガレのイラつきである。

 どうせこの後戦うことになりそうだし、さっさと話を進めたいのだった。

 

 

「安心しな。この話はそろそろ終わりだよ」

 

「ああそうだ。私も言う事は無い」

 

「そこは気が合うな」

 

 

 八重歯を見せて嗤う杏子、朗らかに微笑するキリカ。

 礼を述べるような丁寧な表情を見せる麻衣。

 瞬間、三人の体表から光が迸った。

 杏子は真紅、キリカは黒、麻衣は紫色。

 それぞれの髪の色と同色の光は、膨大な魔力の発露だった。

 光の中には黒々とした闇が溜まっていた。

 それを見て、ナガレはこの連中が何をやろうとしているのかを悟った。

 

 一面の魔法少女の残骸は戦闘の跡。

 傷は治して服も修復していたが、これだけの戦闘を行って無傷である筈が無い。

 大量の魔力を消耗した筈だった。

 それは双樹に魂を奪われている現状でも変わらず、三人は大きく消耗していた。

 ならば、あれが使える。

 そして今目の前で展開されているのが、それの発露であった。

 

 

「お前ら、無茶しすぎだろ」

 

 

 苦々しく吐露したナガレ。

 その視線は上に向いていた。

 

 赤を主体とした、極彩の模様が彩られた巨体。

 着物のように見える姿の前に、獣の趣を持つ四脚を生やした盆の上に立つ杏子がいた。

 

 豊満な乳房を爆ぜ割りながら、血塗れになって伸びた管蟲。

 シルクハットを被り、身体の各所から針を生やした異形。

 胸から血を溢れさせながら、キリカは柔らかく微笑んでいた。

 

 二つの巨体に影を落とす、更なる巨体。

 異界の蛇龍を模した、全長五十メートルにもなる鋼の姿。

 肉食魚にも似た頭部の上には、朱音麻衣が立っていた。

 血色の瞳をした彼女であったが、今は眼全体が赤く染まっている。

 彼女の下腹部、ちょうど肉を隔てた先に子宮がある場所からは三本の黒い糸が伸びている。

 それが蛇龍の頭部に触れ、装甲の隙間から内側へと伸びている。

 外見はウザーラであるが、何かが違う。

 巨大な口の中には、杏子が操っていたウザーラの時には無かった何かが潜んでいる。

 

 

 顕現したのは、魔法少女の限定的な魔女化であるドッペル。

 それが三体。

 大気を圧する存在感と、放たれる魔力によって空気の組成さえもが毒に変わっていくかのようだった。

 理由も語らず、味方である筈の、更に言えば恋慕の対象であるナガレに自らの放つ最悪の戦力を向ける。

 魔法少女達の行っている行為は、度し難いに過ぎている。

 

 対して、彼もまたそれを問わない。

 最早言葉は意味を為さず、答えが知りたければ闘争の中で出すしかない状況となっている。

 ナガレは魔女に命じた。

 魔女は即座に従った。

 自らの生存の為に、そして食欲を満たす為に。

 

 血に満ちる血肉を、魔女は中央に開いた孔からの激烈な風と魔力を以て引き寄せた。

 赤黒い大渦が血臭を巻いて形成され、魔女はそれらを喰っていく。

 喰われた血肉は魔力となり、魔女に力を与える。 

 それをナガレが受け取り、力に変える。

 彼の背で巨大な黒い翼が形成され、頭部からは彼の愛機を模した角が生える。

 翼の根元から多節の鞭が生え、彼の背後で長大な尾となって揺れる。

 これで互いに準備は出来た。

 ならば。

 

 

「来い」

 

 

 ナガレが招き、三人が応ずる。

 血肉が取り払われた異界の中で、破壊と狂気の嵐が吹き荒れる。

 











◇この三人の目的は…!?(龍継煽り文感)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話 つながり

『朱音麻衣、ちょっと聞きたい事があるんだ』

 

『なんだ呉キリカ。今は機嫌が良いから聞いてやるぞ』

 

 

 弾む声の思念で返す麻衣。

 平和的で、奇跡のような遣り取りであった。

 

 

『君、必殺技とか奥義とか覚えて無いの?魔法少女的な必殺技じゃなくて、ナチュラルな剣技でさ』

 

『無い』

 

『はっ!つっかえ。ほんとつっかえ。辞めたら?その剣士キャラ』

 

『無駄に語録を使うな。それで、唐突に何を言ってるんだ』

 

『朱音麻衣って、いかにもそれっぽい古風な名前してるのに秘伝の奥義も覚えてないのか。御先祖様から何を教わった?』

 

『名前を付けたのは両親で、先祖から伝わったのは苗字だ。ついでに私の家には蔵的な物は無いしルーツを辿ったことも無い』

 

『それはそうだね。御両親と御先祖を愚弄して済まない』

 

『構わない。野良犬の粗相と思えばいい』

 

『にしても残念。ハズレか』

 

『何が』

 

『朱音麻衣ガチャ』

 

『は?』

 

 

 意味不明な言葉に、麻衣は怒りではなく疑問の意思で応えた。

 

 

『ああすまない。要は『朱音麻衣ピックアップガチャ』というコトだ』

 

 

 どぅゆうあんだぁすたん?とキリカは続けた。

 麻衣は理解を放棄した。

 黙っていると、キリカの方から思念を送ってきた。

 

 

『要約すると、この世界線の朱音麻衣はハズレ。つまり君は朱音麻衣の中でもレア度の低いハズレ個体って訳だ。ああ、もっと勇ましく意志が強く、精悍で好戦的な朱音麻衣が欲しかった。そんでもって私の為に戦って、そして華々しく死んでほしい。ほら、あの青空に笑顔となって。後々の私の回想で出てきておくれ』

 

『呉キリカ。お前、変なクスリでもやってるのか』

 

 

 麻衣の言葉は疑問ではなく確信だった。

 元より、キリカを正気と思っていない。

 それにしても今回の発言は中々に意味不明だった。

 なので怒りよりも興味が湧いた。

 

 

『この世界線と言うが、お前は意味を分かって言ってるのか?』

 

『シャレオツなSF用語ってくらいに。でもまぁ、別に大して考えて無い。君や佐倉杏子の並行世界の別人がいるとか悪夢そのものじゃないか』

 

『別世界の貴様か。それも悪夢だ』

 

『全くだね』

 

『同意するのか』

 

『うん。私以外の私は私の敵だ』

 

『度し難いな。もう切るぞ』

 

『うん、ばいばい。佐倉杏子に伝えとくことある?』

 

『「そこで眺めてろ」と伝えてくれ』

 

『聞こえてるよバァカ』

 

 

 割り込む杏子。思念はマグマから発せられる熱波のような怒気で出来ている。

 対する麻衣は春風のような微笑で返した。

 

 

『それは良かった。では』

 

 

 そして思念は途切れた。

 事象は精神ではなく現実へと移り変わる。

 

 

 

 

 

 

「朱音麻衣も中々に性格が悪いね」

 

「ああ。見せつけやがる」

 

「責任は自分らにあるとはいえ、辛いね」

 

「そうだな。じゃあ、さっさとなんとかしよう」

 

 

 吐き捨てる杏子。

 その口からは血の塊が吐き出された。

 頷くキリカは口からぶくぶくと泡を噴いている。

 泡は血で出来ていた。

 本人としてはシャボン玉で遊んでいるつもりなのだろう。

 ぷくっと膨らむ血泡は、風船ガムのようでもあった。

 弾けた時、それの飛沫は他でもない呉キリカと、佐倉杏子の顔を濡らした。

 

 

「おい」

 

「ごめんごめん。私の血ったら、友人のも混じってるのか元気いっぱいでね」

 

「あ゛?」

 

 

 顔を血で汚された事よりも、血が混ざるという言葉に反応する杏子であった。

 それに疑問は無い。

 憎悪にも似た愛欲と執着の対象。

 その血が奪われるなど、彼女にとっては身を切り刻まれるよりも辛い事柄であるからだ。

 そう。とても辛い。

 まさに今、この状況よりも。

 

 

「じゃあ佐倉杏子。さっさとこれをどうにかしようか」

 

 

 そう言ったキリカの顔には、しょうがないなぁという趣があった。

 これを言ったのは杏子が先だが、行動に出ようとしないので促したのである。

 話が脱線したのは自分のせいとは、彼女は全く思っていない。

 不承不承に杏子は頷いた。

 首を傾けた時、再び彼女は血を吐いた。

 切り刻まれると先程書いた。

 今の杏子は、正にそんな状態だった。

 それはキリカも同様である。

 

 キリカの胸と腹、杏子の同部位は巨大な針で貫かれていた。

 胸に一本、右脇腹に一本。それらは二メートルほどの距離を隔てて二人を繋いでいた。

 そして更にそれぞれの腹の中央を、黒い菱形に似た刃の槍が貫いている。

 槍と針で串刺しにされて繋がれた杏子とキリカの背後では、残骸となったドッペルが転がっている。

 斬撃や殴打による破壊、または火炎や雷撃からの高熱を受けて蕩け、無惨な有様となっていた。

 

 

「さて、さっさと引き抜いて戦線復帰といこう」

 

「ああ」

 

 

 渇望が声となったかのような声で二人は言う。

 愛する者と殺し合う。

 狂っているとしか思えない行為が、この連中にとっては正気の事柄であり彼との戦闘は性行為という認識なのだった。

 だからここで止まっている訳にはいかない。

 返り討ちになった身だが、まだ戦える。

 子宮には熱が溜まり、疼いてぬかるんでいる。

 

 

「ん…?」

 

「…おい」

 

 

 そんな中、杏子とキリカは同時に声を発した。

 疑問と、嫌な予感といった声だった。

 二人は共に、両膝を着いた体勢である。

 正確には膝下を切断されている為、血が流れて行く肉の断面を地面に着けている。

 それでも膝を動かして後退した。

 体内で、突き刺された針の滑らかさと槍の柄の凹凸が如実に感じられた。

 その感覚は、前へと向かっているのであった。

 実際、二人の距離は縮まっていた。

 

 

「あちゃあ…君もか」

 

「ッ!!」

 

 

 諦観の表情のキリカ。

 対して失意と絶望の貌を見せる杏子。

 

 

「こうすれば、友人と繋がれるからねぇ」

 

 

 二人の現状は、キリカのこの一言が示していた。

 針と槍の表面には、返しが設けられていた。

 後退すればするほど前進し、より深く食い込むギミックが。

 それを本来であればナガレに用い、彼を拘束するつもりだったのだろう。

 自分の身を貫いた上で。

 

 

「ふ、ふざけんな!」

 

 

 杏子は叫んだ。

 キリカの言葉への否定ではない。

 彼と繋がる事は彼女の望みでもあった。

 一度行った時は、まだ彼が嫌いだった。

 今では好きで好きで堪らない。

 だからもう一度繋がりたかった。

 それが今、最悪の相手と繋がる羽目になっている。

 だから彼女は暴れた。

 それがどういう結果を招くか、狂乱する杏子の思考には描かれていなかった。

 

 血肉を槍と針と肉体の間から漏らしつつ一気に前進し、既にキリカとの距離は数センチ単位となっている。

 眼の前には、キリカの美しい顔があった。

 絶世の美少女であるその顔は、杏子にとっては悪夢の顕現でしかない。

 

 

「ああ、人生の悲哀を感じるねぇ…」

 

 

 キリカは茫洋と呟いた。

 その瞬間、二つの美しい顔と唇同士が重なり合った。

 キリカの体内を、重ねられた口の奥から奏でられた杏子の絶叫が駆け巡った。

 

 

 

 












この展開に一番困惑してるのは書いてる自分なんだよね…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話 電磁の鏃、天空の剣

 炎、雷撃、暴風。

 異界の空を、赤と紫電の光が染め上げ、それらが巻き上がる風によって拡散されていく。

 一つの都市が壊滅するであろう、異常なまでの破壊は一体の巨大な龍によって齎されていた。

 紫を基調とした鋼の龍。

 異界で「ウザーラ」と呼ばれた存在の模倣体。

 元は佐倉杏子が使役していた存在であるが、今は朱音麻衣によって所有権を奪われ彼女のイメージカラーである紫に染められていた。

 杏子が召喚していた頃よりも倍近く巨大となり、その口から吐き出す炎や雷撃も威力を増し、更には機動力も向上している。

 蛇のような巨体は空気抵抗などものともせずに飛翔し、襲撃の際となれば音速を遥かに越えた速度で獲物へと迫る。

 そして、今が正にその時だった。

 

 

「ナガレっ!!」

 

 

 麻衣が叫んだ。

 雷撃と炎を纏わせた牙を生やした口が大きく開き、麻衣が名を叫んだ者へと襲い掛かる。

 

 

「喰われてはやれねぇなぁ!!」

 

 

 口が噛み合わされる寸前、死の顎からナガレは抜け出ていた。

 漆黒の翼を翻し、蛇龍の頭部へと迫る。

 そこには麻衣がいた。

 武者風の衣装を纏うのは普段通りだが、血色の瞳を有した眼は、今は白目も含めて血色となっていた。

 また彼女の下腹部、ちょうど衣装と肉を隔てた先に子宮がある位置からは、衣装の表面から三本の黒い糸が伸び、彼女の足下である蛇龍の頭へと繋がっている。

 魔法少女の最終兵器とも言えるドッペル。

 このウザーラの模倣体が、彼女にとってのドッペルのビジョンとなっていた。

 

 だがそれは正しいようで正しくないと、ナガレと麻衣は知っていた。

 蛇龍が開いた口の奥に、何かが蠢いているのをナガレは見た。

 しかし今は、向き合うべき者は他にいる。

 

 

「麻衣いいいっ!!!」

 

「ナガレぇぇえええ!!!」

 

 

 ナガレは麻衣の名を呼んだ。戦うに値する戦士に敬意を表して。

 麻衣はナガレの名を叫んだ。自らが渇望する存在の全てへの、愛欲と殺意を声に変えて。

 刃と斧槍が激突し、異界の空に金属音が鳴り響いた。

 莫大な衝撃に互いの腕が痛み、筋肉が悲鳴を上げる。

 

 だが、刃の交差は止まらない。

 互いの肉を削って跳ねた血が空中で混ざり、それが交差する斬撃によって限りなく無に近い極小になるまで切り刻まれる。

 時間にして一瞬だが、一瞬で互いに相手の血を浴びるほどに負傷が生じた。

 その状態で、ナガレと麻衣は嗤い合う。闇に深く蠢く、飢えた獣の笑みだった。

 

 笑いながら、麻衣はナガレの首目掛けて斬撃を放ち、ナガレは刃を掻い潜って麻衣の胸に蹴りを打ち込んだ。

 肋骨を破壊され、吐血する麻衣からナガレは蹴りの反動を利用して退避する。

 空いた隙間を埋めるように、雷撃と炎が去来した。

 

 掠めれば一瞬で炭化、どころか消滅するほどの超破壊力に対し、ナガレは逃げずに翼を広げて滞空し、悠然と斧槍を構えた。

 その瞬間、麻衣は「やられた」と感じた。それは本能と、彼に対する信頼からのものだった。

 距離を取ったのは、雷撃と炎を誘発させるためだと。そして、これで仕留められる訳が無いと。

 止めるのも間に合わず雷撃と炎がナガレへと着弾した。

 

 ウザーラが放った攻撃は、斧槍で受け止められた。

 斧槍、牛の魔女からは膨大な魔力が発生。

 熱と雷撃に対して全力で抗う。

 通常の魔法少女の必殺技ならば無力化できるが、異常なまでの破壊力に対しては一瞬の拮抗状態が精一杯だった。 

 そしてそれが、彼が求めたものだった。

 彼はにやりと嗤った。

 

 

「面白いものを見せてやる」

 

 

 力が拮抗となった瞬間、彼は斧槍を振った。

 その時に起こった現象に、麻衣は眼を見開いた。

 放った炎と雷撃が、大渦となって自身へと向かってきたのである。

 まるで、扇の一閃で紙吹雪が散らされるかのようだった。

 自らの分身に等しい存在が放ったそれを自らで受けた時、麻衣はそんな想いを抱いた。

 

 

「ぐぅぅ……あ、ああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 叩き付けられた力の奔流。

 その中で麻衣は叫ぶ。

 苦痛に満ちた響きは、熱によって身を焼け焦がされるものからではなかった。

 蛇龍の巨体が軋み、尾の先端などの末端部分が砕け散る。

 麻衣本人も腕がねじれ、指が根元から千切れ落ちる。

 

 

「こ、れは……!」

 

 

 血色の眼の中に更に色濃い赤の瞳を浮かべ、麻衣は首を強引に動かして周囲を見た。

 ベキベキと首の骨を折りながら周りを見ると、ウザーラを中心に巨大な二つの渦が巻いているのが見えた。

 それが彼女らを拘束し、肉体を破壊しているのであった。

 

 

「ちょっと違ぇけどな、こんな感じだったか。『超電磁竜巻』ってやつは」

 

 

 ナガレの声が遠く聴こえた。

 愛する者の声が、麻衣に力を与えた。

 彼を殺す為の力を。

 

 

「う、がぁぁぁあああああああああ!!!」

 

 

 螺子のように捩じれた腕を、肩を強引に動かして一刀を振った。

 そこには麻衣の魔力と、彼女と子宮で繋がった存在の力が宿っていた。

 振るわれた斬撃の範囲は、その刃の長さだけに留まらなかった。

 それが振られた先の存在、彼曰くの超電磁竜巻と吹き荒れる炎と雷撃の残滓までもが振るった刃の厚さ分だけ切断されていた。

 虚空を斬って破壊する。彼女はこれを虚空斬破と名付けていた。

 

 拘束を振り祓った後、麻衣は再び愛刀を振ろうとした。

 先の斬撃も、大渦の先にいたナガレを狙ったものだった。

 虚空斬破は次元そのものに作用し、射程内の万物を硬度を無視して切断する。

 躱された事は、虚無そのものの手ごたえを通して伝わっていた。

 次は斬る。

 拘束が切れかけているその時に、麻衣はそれを見た。

 

 漆黒の円錐が、凄まじい速度を伴って回転しつつ、こちらへと猛然と接近している事を。

 麻衣が斬撃を振り切るより早く、それはウザーラの口内へと達していた。

 漆黒の円錐とは、翼で全身を覆って自らを巨大な鏃と化して突撃したナガレである。

 その彼へと、麻衣によって高次元から召喚され、ウザーラの中に潜んでいる者達は一斉に牙を立てた。

 全身を棘で覆った龍のような存在は、牙で触れた存在を虚無へと変える。

 

 だが翼に牙を立てた次の瞬間、龍達は一斉に口を離した。

 自らが触れた存在が何であるかを悟り、怯えたのだった。

 怯えて後退る高次元存在へと逆に追い縋ると、漆黒の鏃はその鋭利さと破壊力を以て龍達の身を千々と切り裂いた。

 その一秒後には、ウザーラの胴体をぶち抜いて鏃は宙へと躍り出ていた。

 口と首と胴体の半分以上が、内部からの破壊によって見るも無残に破壊されていた。

 蛇龍の破片を伴侶として出でた鏃が広がり翼へと戻ろうとした時、それは真横一文字に切断された。

 麻衣の一刀の力である。

 

 辛うじて浮遊しているウザーラの上で、麻衣の心は恍惚となっていた。

 

 

「これで私の」

 

 

 「勝ちだ」。或いは「物だ」。

 どちらかを言おうとしていたのだろう。

 だがその言葉を

 

 

「負けだ」

 

 

 という言葉が引き継いだ。

 それは、麻衣の真上から生じていた。

 振り返った麻衣が見たものは、宙から自分へと舞い降りてくるナガレの姿であった。

 掲げた両腕は、斧槍ではなく刃を握っていた。

 刃には斧の面影があった。鍔の中央には穴が開き、穴の中央にある黒い物体が眼球のように瞬いている。

 牛の魔女を変形させて造った日本刀だった。

 何故と一瞬思い、直ぐに分かった。

 面白いものを見せてやる、という言葉はまだ続いているのだと。

 

 振り下ろされた斬撃は、麻衣の左肩から入って臍の辺りに達し、そこで捩じられ右肩へと抜けた。

 相手の身体にVの字を描く斬撃。

 一瞬で繰り出されるにしては複雑で残忍。

 そして両腕と内臓を手ひどく破壊するという、不死身の魔法少女さえも無力化に至らせる剣技。

 両の肺も破壊されている為に声は出なかった。

 だから思念で問うた。

 これは何という技なのだと。

 

 

『天空剣。Vの字斬りって、昔の仲間に聞いた』

 

 

 お前の技の参考になればいいんだけどな。

 そう彼から告げられたところで、麻衣は意識を失った。

 意識が消え去る寸前、不敵に笑えたのが満足だった。

 自分の強がりを、彼が好ましそうに見ていたからだ。

 
















ZERO様この人に余計な事教えんといてください…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話 災厄の最悪

 崩壊する機械の蛇龍。

 主の意識の喪失に伴い、頑強な装甲はひび割れた粘土みたいに剥離し、更に砂のように細かく砕けて流れて行く。

 巨大に過ぎる胴体は地面との接触の瞬間、粉塵となって舞い上がり、そして光となって消えていった。

 一足早く地面に着地していたナガレは、その様子を見送った。

 彼の腕の中には、血に塗れながらも安らかな顔で目を閉じている朱音麻衣がいた。

 

 左肩から入った刃は下腹部の手前で反転し、彼女の右側へと抜けた。

 外は勿論、内臓も破壊されているが麻衣の寝息は安堵に満ちていた。

 その様子に、他ならぬ加害者である彼も安堵し麻衣を抱いたまま歩き続ける。

 周囲に何も無い場所に麻衣を静かに置き、再び歩く。

 

 歩き続けて、やがて足を止めた。

 前を見た先に、黒い魔法少女がいた。

 

 

「待たせたな」

 

「うん。待った」

 

 

 ナガレの言葉に呉キリカは朗らかに微笑んだ。

 何時もの様子である。

 蜘蛛のように長い両腕を、更に伸ばすように生えた斧爪も普段の赤黒い輝きを見せている。

 ナガレも斧槍を構えた。二人の間に流れるのは、何処か映画にでも行くようなリラックスした雰囲気だった。

 殺し合いへと至る前の状態でこれなのも、普段通りの事である。

 

 

「お前だけか?」

 

「うむ。最初は奴も混ぜてやるつもりだったけど、見解の相違にて別れた」

 

 

 ナガレを見据えたまま、キリカの黄水晶の眼には靄が掛かったような色合いが映えた。

 魔法による演出は、遠い過去を眺めているような趣を見せていた。

 キリカ的には過去回想をしている気分なのだろう。

 

 

「あいつは何を考えてたんだか、私の唇を奪った。そういう趣味に目覚めた、っていうのなら別にいいさ。私はジェンダーレスだからね」

 

「そうだったのか」

 

 

 ナガレは思わず訊き返した。

 一方で驚いた様子は無い。

 

 

「ああ。君が仮に女でも私は君を好きになっていただろう。だから私はジェンダーレスだ。君が男でも女でも平等に愛せるのさ」

 

「そりゃ結構な事で」

 

 

 なんか意味違くね?話脱線してね?とナガレも疑問に思ったが、多分何かの漫画の台詞をもじってるんだろうなと感じた。

 そういえば見覚えのある台詞であった。

 

 

「それで。あいつは?」

 

「ん?まだ続くのこの話題」

 

 

 不思議そうな表情となり首を傾げるキリカ。

 美という文字が頭に二つは付く美少女は、何気ない仕草であっても可憐であり美しい。

 その何気ない表情を見たいが為に、狂気に陥る男は、いや、人間は少なくないだろう。

 

 

「まぁいいか。付き合うよ」

 

 

 そしてこの優しさに溢れた輝く美貌に見つめられたら、理性は弾けて蕩けるだろう。

 この表情を惜しげも無く与えられる者を他の誰かが知ったとしたら、果たして嫉妬に狂うか絶望するか。

 分かっている事は、それを見た当人が特に表情を変えずにさっさと話せよと思っている事だった。

 ナガレにとってキリカは出会った時から美しい存在であるし、女というより背伸びをしている子供といった相手なのであった。

 

 

「君が最初に私達を片付けたのは覚えてるよね」

 

「ああ。綺麗に同士討ちが決まったな。次は気を付けとけよ」

 

「うん。そうする。今度はちゃんと君と血深泥バトルもといセックスできるように頑張るよ」

 

「言いなおしが気に喰わねぇけど、その意気だ」

 

「あ、最初からセックスって言えばよかった?」

 

「もう好きにしろ」

 

「うん、好き。大好き愛してる。犯って殺ってヤりまくりたい」

 

 

 早速話が脱線するが何時もの事である。

 戦闘開始の直後、全力で突撃してきた二人の魔法少女のドッペルをいなし、それぞれへと激突させてから各々の得物を投擲して串刺しにした。

 これが杏子とキリカが無力化された経緯だった。

 彼はその先を知りたがっている。

 

 

「と、ここでお話を軌道修正。物語を進めないとね」

 

「悪いな」

 

 

 一応の断りを入れたのは、曲りなり或いは異常なまでに真っすぐに自分の事を好いていると思っているからだろう。

 因みに彼にとって呉キリカは異常者には映らない。

 彼女とは方向性が異なるが、異常な存在は腐るほど見てきている。

 またついでに言えば、その殆どは既に葬り去られている。

 数少ない例外が、今は世界の何処にも存在していない進化の光と、何処に行ったか分からない魔神の二例である。

 宇宙を塵芥のように粉砕可能なその二例の事は今は彼の頭には無く、彼の今の関心は杏子の現状の確認だった。

 

 

「佐倉杏子なら全身に針をグサグサ刺して地面にちくちくと縫い止めといた。裁縫って言うか溶接に近い状況かも」

 

「じゃあ暫くは来なそうだな」

 

「心配してないの?」

 

「お前らがそんな簡単に死ぬかよ」

 

「むむっ!」

 

「ん?」

 

 

 キリカの発した言葉というか喉鳴らしは憤慨の意思を帯びていた。

 口内に息を少し含んで小さくぷくっと膨らませた頬は、美しさと可愛さのある種の極致であった。

 

 

「どうしたよ」

 

 

 平然と返すが、ナガレも少し興味があった。こういったリアクションはあまり見た事が無いからだ。

 

 

「嫉妬。君の関心を受けるあいつに対して」

 

「素直だな」

 

「そうそう素直。だからあいつの現状も事細かに教えてあげる」

 

「ああ、頼む」

 

「頼まれた!」

 

 

 そう得意げに言ってキリカは胸を叩いた。

 生地を押し上げて膨らむ大きな胸がたゆんと揺れた。

 キリカ本人曰く、

 

 

「どうだい友人。我がクラスの男どもは私のおっぱいが揺れるのを見るだけで三日は総菜に困らないそうだよ」

 

 

 との事だった。

 そう言ったキリカの表情は呆れていた。

 

 

「何でそんなの知ってんだよ」

 

 

 そうは言ったものの、ナガレ本人も「まぁ中坊だしな」と理解していた。

 そしてこの時点で早速また話が脱線しているのだが、この連中は話を続ける気があるのだろうか。

 どうせ何も考えていないのだろう。

 

 

「前に魔女退治した時にクラスメイトが取っ捕まっててね。性欲でも刺激されたのかそんな事言ってたんだよ。『ああ、呉さん、呉さんっっ!』『キリカ、キリカ、キリカぁっ!』『あ!あ!ああ!射精(で)る!!呉の中に!』とかね」

 

「うへぇ」

 

 

 呆れ切った声を出すナガレ。

 それは欲望を剥き出しにした男子諸兄らに対してではなく、可憐なハスキーボイスを用いて少年の特徴を完璧に捉えて発した卑猥な言葉に対してであった。

 

 

「因みに捕まってたのは男だけじゃなくて女子も多かったよ」

 

「ん……」

 

 

 流石に言葉に詰まるナガレであった。

 

 

「彼ら彼女らはジェンダーレスのようだ。男からも女からも、私は平等に妄想の中で陵辱されるのさ」

 

「その台詞気に入ったのか?確かに妙に印象に残る場面だけどよ。煽り文も仕事してねぇし」

 

「そんな私の目的は…?」

 

「杏子が今どうなってるのかを教えとくれ」

 

「んもう、友人てば言葉攻めえっぐ」

 

 

 強引なんだから♡とキリカは言い、漸く話をし始めた。

 

 

「佐倉杏子は全身針で串刺しにしておいたよ。手足の指の関節にも腕や脚にも目や耳や口の中にも細かいのをびっしり刺しといた」

 

 

 キリカの顔は平然としていた。

 例えるなら、今日の当番やっといたよ。花壇の水やり。

 ちゃんと肥料も撒いといたから。

 そういう感じだった。

 

 

「てなわけで……あ!ああ!しまった!しくったぁ!!」

 

 

 しかし言い終えてから、彼女は少し慌てた様子を見せた。

 そして急いでこう言った。

 

 

「大丈夫!あいつの脳味噌や内臓はグチャグチャだけど、処女膜とかお尻とかは傷つけないように頑張ったから!見くびらないでほしいのだが、私もそこまで外道じゃない」

 

 

 そう言ったキリカの表情には晴れ晴れとしたものがあった。

 失敗を成功に転化させ、難儀な課題をやり遂げたような清々しさがあった。

 言うまでも無く、発言そのものは最悪を超えた最悪である。

 

 

 

 

 











キリカさん、久々に彼と一対一でお話しできて実に楽しそう


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華

「ぐう……ううう…」

 

 

 獣のような声が鳴る。

 声を形成する音は可憐な少女のものではあるが、歯の間からは声と一緒に血も流れていた。

 米粒のような歯には亀裂が入り、幾つかは砕けていた。

 白いドレスを纏った少女は床に這いつくばり、下腹部を抑えながらのたうち回っている。

 床の絨毯は口から吐かれた血に汚れ、騎士を模した仮面の戦士たちのソフビ人形も少女の狂乱に巻き込まれて手足や首を捥がれていた。

 竜や蛇、牛や虎の玩具も壊れて転がっている。

 色と形を繋げれば十三体に達するそれらの中で、銀色の装甲をした犀の玩具だけが無事だった。

 

 

「先輩!気をしっかり持つんだ!今浄化すっからなぁっ!!」

 

 

 苦痛に呻く少女の傍らで、人語を発する黒い獣が叫んでいた。

 四足で床を蹴って跳躍し、身体を丸めて円盤のように回転する。

 すると少女の下腹部、臍の辺りから黒い靄が発生し、靄は回転する獣へと吸い込まれていった。

 

 

「ぐぇぇ!?」

 

 

 靄を吸った時、獣は苦痛の叫びを上げた。

 回転が中断されて落下する。

 背中から落ち、床面と毛皮と肉が激突する生々しい音を立てて床に転がった。

 

 

「な、なんだぁっこの感情は…!?」

 

 

 苦痛の痙攣を起こしながら獣は疑念の声を出す。

 

 

「オイラと先輩の自動浄化機能を突破するたぁ……なんだこれ。怪異かなにかか?」

 

 

 声には驚愕と恐怖があった。

 苦痛の中で獣は必死に体を動かし、部屋の隅で丸められた風呂敷を手早く広げた。

 はらりと解けた布の中には、黒い獣と似た趣を持った白い獣が重ねられていた。

 白い獣たちはぴくりも動かず、瞬きもせず血色の眼を剥き出しにして硬直している。

 

 

「待ってな先輩!今こいつら喰って回復するからよ!!」

 

 

 そう言って獣は手近な白い獣に牙を立てた。

 毛皮を引き剥がして内側の肉を喰い漁る。

 血の赤と、綿のような膨らんだ肉が毛皮の下に広がっていた。 

 獣は一心不乱に喰らった。

 瞬く間に一匹が喰い尽くされ、二匹、三匹目も同じ道を辿った。

 終いには三匹一片に肉を齧られ、喰い貪られた。

 喰いながら、黒い獣は首から生えた手のような器官を伸ばした。

 伸ばした先には黒電話が置かれていた。

 受話器を取り、素早くダイヤルを回す。

 数秒で繋がった。

 

 

「ああ!チーム環のお嬢さん方!急で申し訳ねぇんだけど、大至急腐れインキュベーターどもを届けてくれ!!数はあるだけいい!肉片になってても構わねぇ!!」

 

 

 叫んではいたが丁寧で真摯な言い方だった。

 それに感化されたか、電話の相手も「待ってて」とだけ伝えて切った。

 

 

「頼むぜぇ…」

 

 

 黒い獣は呟き、受話器を置いた。

 少女は、双樹はなおも苦しんでいる。

 その様子を見る獣の眼には、心からの心配が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てなわけで佐倉杏子は離脱状態。肉体はズタズタだけど処女膜は無事だから実質無問題」

 

 

 呉キリカは結論付けた。非人間的にも程がある言葉だが、魔法少女という不死身同然の存在による認識なのでそこまでおかしくはない…訳が無い。

 そんな訳は無いが、既に事象は完結している。

 キリカ曰く、今の杏子は全身を針に貫かれ、手足の関節や口内も針で満たされているとのことだった。

 流石に直ぐには動けないだろう。

 ならば、やる事は一つである。

 

 

「じゃあお前を斃して…その頃には復活してる筈のあいつも斃す」

 

 

 倒すではなく、斃す。

 発音は同じだが、彼はそう言っておりキリカもそれを感じ取っている。

 彼から発せられる殺意を受け止め、高鳴る動悸を愛おしく感じていた。

 真正面から、命を賭けて向かい合う。

 

 生と死の交差。

 血と体液の交わり。

 それが自分たちの性行為。

 キリカの認識では、今の現状は互いに寄り添い合って肌を触れ合わせて敏感な場所に手を這わせ、舌で舐めあう愛撫や前戯の状態である。

 雌が、子宮が疼くのを感じる。

 子宮から伸びた二つの卵巣も、それぞれが熱を帯びていた。

 その時が近付いている。

 キリカの意識に同調し、内臓たちも興奮しているのだろう。

 

 

「では、いざ」

 

 

 朗らかに微笑み、キリカは地面を蹴った。

 両手から複数の赤黒い斧爪を生やし、疾走の中で振う。

 狙いはナガレの首と胴体。

 無論だが、最初から殺す気で放っている。

 そうでなければ愛せない。

 愛してるから、殺す為の刃を振う。

 殺したいのではないあたりが、朱音麻衣の愛とは異なる部分だろう。

 キリカはそこに狂気を感じていない。

 純粋で真摯な愛があるだけだ。

 

 ナガレもそれに応えた。

 彼に関しては、愛しているから殺したいといったものは一切ない。

 

 ただ、戦わなければ殺されるから。

 だから戦うのである。

 左右から水平に振られたキリカの斬撃に対し、彼は縦一文字に斧槍を振り下ろした。

 刹那を更に数十に分割する時の中、刃と刃が交わる時にそれは起こった。

 

 

「お前……!」

 

 

 噴き上がる鮮血。

 弾ける血肉。

 振り下ろされた斧槍はキリカの頭頂を断ち割り、胸の谷間を裂いて、湾曲した刃をキリカの下腹部に埋めていた。

 先程ナガレが発した声には怒気が含まれていた。

 

 

「キリカ。お前何考えてやがる」

 

「君の事を考えてる。大好き。愛してる」

 

 

 断ち割られた顔と声帯で、キリカは器用に声を発したが、発声には血泡が弾ける音も付随している。

 

 

「だからまともに受けたってのか」

 

「うん。おかしいかな?」

 

「ああ」

 

 

 基本的に、ナガレは他人の意見を否定しない。考えはそれぞれだと思っているからだ。

 なのでこの否定はかなり珍しい事であった。

 刃の交差の瞬間、キリカは速度低下を発動した。

 その対象はナガレではなく、自分自身に対してだった。

 結果、キリカの刃は斧槍とは交わらず、刃の代わりにその身で斧槍を受ける羽目となっている。

 そしてその速度低下は、今も続いていた。

 肉体自体に作用させた速度低下の効果によって、キリカの身体は斧槍を胎内に宿して離さなかった。

 

 

「おい、いい加減にしな。さっさとこいつを離しやがれ。さもねぇと」

 

「さもないと私の純潔が散る。そうだろう?」

 

 

 微笑みながらキリカは言った。

 斧槍の湾曲した刃は既に彼女の子宮を半ばまで切り裂き、激突の衝撃によって左右の卵巣を破壊していた。

 通常、ナガレは魔法少女らの肉体を破壊しても性の部分には攻撃を行わない。

 舐めているのではなくやる必要が無いのと、それを為した上で勝てる技量があるからだ。

 更に言えば、その行いが嫌だからである。

 今回は彼をしても予想外の行動で、更にはキリカは自ら彼の得物に当りに行っていた。

 彼の予測を覆すほどに、今の彼女は狂っていた。 

 だがしかし、例によってキリカは自分の狂気を感じていない。

 春風のように朗らかに笑ったまま、キリカは前に進んだ。

 当然、刃はより深く彼女の子宮を切り裂いた。

 

 

「ふふ……」

 

 

 苦悶が滲む微笑みを漏らしながら、呉キリカは前進する。

 速度低下の影響下にある今、少しの動きで両断に至ると彼は気付いていた。

 故に彼は大きく動けず、ただ手先の動きでキリカによる肉体破壊の程度を減らそうと努めていた。

 

 子宮が裂けて、卵巣が潰れ、それらの感覚が腹腔を満たしていく。

 それを痛みとは、キリカは感じていなかった。

 感じているのだが、それは愛おしいものでしかなかった。

 斧槍と肉体との接合部からは血肉が滝のように溢れる。

 その時、跳ねた血肉が動きを止めた。

 物理法則に従って、液体を宙に迸らせた状態で。

 

 

「……来た」

 

 

 キリカは笑った。

 愛する者が握った刃で自らの子宮を破壊させながら。

 慈愛に満ちた笑顔は、春の日差しを浴びた白く美しい花のようだった。 

 

 

「じゃあね、友人」

 

 

 そして花の宿命がそれであるように、その美しい姿が吹き散らされた。

 呉キリカを構築していた肉が爆ぜ、血が赤黒い霧となって飛散する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華②

 赤と桃色の破片が宙を舞う。

 赤と桃の間には白い欠片も混じっていた。

 血と肉と骨。

 それらが微細な破片となって宙に広がっている。それは一面の星空か、舞い散る膨大な数の桜吹雪を思わせた。

 呉キリカという存在を構築していたものが、飛散していく光景だった。

 

 ナガレの斬撃を自ら受けて子宮を切り裂かせたキリカは今、夥しい数の破片となって悍ましくも美しく輝いている。

 上空で散華するキリカの構成物を、ナガレはじっと見上げていた。

 

 

「そろそろか?」

 

「そうだね。頃合いだ」

 

 

 見上げながらの問い掛けに、キリカの声が応えた。

 散華した破片が広がる直径二十メートルの空間。それ自体から声が発せられていた。

 キリカの破片が渦を巻いて、一転へと集中していく。

 漏斗状に窄んだ場所は、ナガレから見て数メートル先だった。

 散っていた形が輪郭を取り戻していく。

 

 骨が見えた。骨の上を肉が這った。筋肉の筋が奔っていく。脈動する内臓が肉と骨の狭間に配置される。その上を白い肌が覆う。

 自らが光を発しているような美しい裸体を、美麗な衣装が彩る。

 ほんの一瞬の出来事だったが、彼にはその全ての様子が見えた。

 最後にコツリという音が鳴った。

 黒い丸靴が、地面に当る音だった。

 

 片時も目を離さずに前を見るナガレの先には、恭しく頭を垂れた少女の姿があった。

 赤いリボンが巻かれた、黒く大きなシルクハットを白手袋で覆われた繊手がそっと抑え、同じく白手袋で覆われた右手は豊かに膨らんだ胸に添えられていた。

 

 

「お待たせ。友人」

 

「気にすんな。それほど待ってねぇ」

 

 

 血肉と骨の無数の破片から蘇ったのは、言うまでも無く呉キリカである。

 白と黒を基調とした、奇術師風の紳士服とでも言うべき姿。

 スカートを除けば男装の麗人にも見える呉キリカの姿であったが、幾つかの差異が見受けられた。

 まず前述のとおり、頭には赤いリボンを巻かれた大きな黒いシルクハットを被っている。

 腹やタイツ、腕の裾からの白いレースの量も増え、フリルの膨らみが大きくなっていた。

 

 首には赤いネクタイが巻かれ、普段の白と黒に赤の趣を足していた。

 また上着の燕尾部分は、佐倉杏子の上着のように大きく広がり、まるで外套か翼を思わせる形となっていた。

 燕尾の内側にも鮮やかな赤が映えていた。鮮やかに過ぎる色だった。

 そこをナガレは少し凝視し、何の色かを理解した。

 一瞬ではあったが、キリカも彼が何を見ていたのかは分かった。

 分かったので、にまっと笑った。

 

 

「髪の色も変わるんだな」

 

 

 ナガレが言った。あ、そこ突っ込む?とでも云うような顔をキリカはした。

 

 

「ふふん。マイナーチェンジってやつさ。ちょっとカラフルさを演じてみた」

 

 

 得意げに語るキリカ。

 今の彼女の髪の色は、普段の濡れ羽色から黒寄りの紫色。紫黒色へと変わっていた。

 例えるならば、沈みゆく太陽が遺した最後の陽光が海と空の狭間を染め、それと交わった夜の闇が淡く輝く時のような。

 光と闇の狭間で揺蕩うような、そんな色となっていた。

 

 

「そいつもドッペルってやつか?」

 

「うむ。なんか出来ないかなぁって思ってたら出来た。そうでないと困るのだけどね。子宮を壊した甲斐がある」

 

「やり過ぎなんだよ。それにお前、さっきのは」

 

「ん。あの血肉と骨の桜吹雪?」

 

「それだ」

 

 

 苦々しく肯定するナガレ。

 少女と剣は交えて戦えてはいても、傷付けるとか傷付くことに慣れてはいない。

 

 

「我が魂の形と肉体を混ぜ合わせる儀式だね。元々私のドッペルは私の心臓が変わったものだから、今回のこれも、まぁ…ささいだ」

 

「ささいで済むか」

 

「ふふ。他人を散々傷付けてるんだから、自分の身体を破壊することくらいわけないさ」

 

 

 新たな姿となったキリカは微笑む。朗らかな様子は、全くとして変わっていない。

 

 

「では、やろうか」

 

「ああ」

 

 

 短い言葉の応酬の後、二人の姿は地上から消え失せていた。

 キリカとナガレがいた場所の上空から、激しい金属音が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぞぶり ぐちゃり くちゅ ばき べき ぞくっ

 

 

 柔らかいものが潰れ、硬いものが砕ける音が響く。

 それは大型の肉食動物が、骨ごと獲物の肉を貪る音を連想させた。

 音は断続的に続き、空気を震わせながら響いた。

 

 震える空気に触れて、赤い水面が小さく波を生じさせた。

 一面に広がる血の池は、自らを震わせる音と発生源を同じくしていた。

 震える赤い水面には、無数の針が映っていた。

 針と言っても直径は十センチ以上、長さもメートル単位。柱と言っていいサイズである。

 

 それが二十本ほど、佐倉杏子に突き刺さっていた。

 手、腕、肩、胸、腹、腿、膝、足。

 生殖器以外の場所へと、佐倉杏子という存在を掻き消すかのように巨大で長い針が突き刺さっている。

 手足を投げ出し、地面に座り込む杏子。

 背中からも針が胴体を貫通し、まるで昆虫標本のように杏子をその姿勢で固定していた。

 

 針で貫かれた杏子からは、先に表した肉食動物が獲物を貪る様な音が鳴っていた。

 彼女を貫いた針は、その表面から無数の小さな針を伸ばしていた。

 こちらのサイズは流石に常識的なサイズの針だが、行われている残虐性は外側よりも酷いかもしれない。

 体内で伸びた針は、植物の根のように広がり、広がった先で更に枝分かれをして杏子の体内を掘削していた。

 骨に触れたら骨を貫いて中の骨髄の中で広がり、内臓を刺し貫いてその中でウイルスのように増殖する。

 今の杏子は、外側を巨大な針に、内側を際限なく増殖する細かな針によって、内外から徹底的に破壊されていた。

 

 

「ふぅん……」

 

 

 新たな音が血の水面を揺らした。

 それは杏子の声だった。

 声帯や肺も、蛆虫のように蠢く針で埋め尽くされている。

 それでも声は出た。

 出来損ないの笛のような音であったが、それは確かに杏子の声だった。

 

 

「痛ぇけど………こんなんじゃ足りねぇな」

 

 

 開いた口の中も、動いた舌も、並ぶ歯も、それを支える歯茎でさえも内側を針で破壊されている。

 こうしている間にも針は増え続け、脳や心臓の中も隙間なく針で埋め付くされつつあった。

 極限の苦痛ではあったが、杏子はそれを足りないと言った。

 それは自分が背負うべき業罰に対してのものだった。

 未来永劫の苦痛と地獄。

 それは彼女の望みである。

 杏子は眼を動かした。

 眼球の中でも針は増殖し、すぐに見えなくなった。

 だが一瞬だけで十分だった。

 自らが求めるものは、異界の空にいた。

 

 

「…ははっ」

 

 

 頬を痙攣させながら杏子は微笑む。

 その動きによって、内側の針が皮膚を突き破って飛び出した。

 彼女の頬は溶け崩れるようにして剥離し、肉片はなおも増え続ける針を蠢かせながら落下した。

 

 露わとなった杏子の口内から、針が液体のように溢れ出す。

 その流れが止まったのは直ぐだった。

 針が生えた杏子の歯が、針を噛んで止めていた。

 

 そして顎が動いた。

 込められた力によって、彼女の歯が増え続けるキリカの針を数十本まとめて砕いた。

 口が上下し、同じ事を繰り返す。

 増え続ける針を噛んで、噛んで、噛み砕いて飲み込む。異常な行為が続いていく。

 

 異常はそれだけではなかった。

 彼女の身体を貫く針が、ゆっくりと杏子の中に沈んでいく。

 体内で増え続ける針も、杏子の再生力に増殖の速度を上回られ、彼女の血肉に覆われていく。

 包まれた針は、杏子の肉が発する熱で蕩けて彼女の中に溶けていった。

 

 そしていつしか、彼女から鳴り響く破壊の音が変質していた。

 針が杏子の肉体を破壊する音から、杏子が針を壊す、いや、喰らう音へと変わっていった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華③

「ヤベぇヤベぇヤベぇヤベぇ!!」

 

 

 横に広い回廊を走りながら、黒い獣は叫んでいた。

 走りながら背後を見ると、回廊の奥の闇が光によって駆逐される光景が見えた。

 開いた闇は光となった。

 光の中、白と赤のドレスを纏った美しい少女が見えた。

 その認識と、獣の前方で光が炸裂したのは同時だった。

 

 

「ヤベえええええええ!!!」

 

 

 溶解する鉄と砕けたコンクリを避け、獣は走ろうとした。

 が、歩みはそこで停止した。

 迸った熱線は回廊を粉砕し、獣の逃げ道を奪っていた。

 山積した瓦礫は、獣の力ではどうしようもない。

 獣は覚悟を決めた。

 

 

「いいぜ、先輩」

 

 

 牙を見せて獣は笑う。

 不敵な形にはなっていたが、そこに悪意はなかった。

 

 

「オイラは先輩から造られたんだ。その先輩に滅ぼされるんなら、悔いはねぇさ」

 

 

 そう告げた獣の貌の前に、双樹はサーベルを突き付けた。

 表情は虚ろであり、瞳は膜が掛かったみたいに薄く瞳の色が透ける半透明となっている。

 口の端からは唾液が垂れ、首は左右にゆらゆらと動いている。

 唾液が溜まる口端が痙攣しているのは、その身と精神を苛む苦痛に依るものだろう。

 今の双樹は自意識を奪われるほどの苦痛によって支配されている。

 ここに至るまでにも、狂乱する彼女によって対消滅魔法が連射され、施設内に甚大な被害が与えられていた。

 

 

「だからこれ以上壊されると面倒なんだなぁっと」

 

 

 無関心さと、虚無感が入り混じる声が生じた。

 獣へと剣を向ける、双樹の背後から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金属音が絶え間なく響き渡る。

 異界の空を高速で移動しつつ、剣戟が交わされていた。

 ナガレは背から悪魔翼を生やし、キリカは人間サイズのドッペル体とでも言うべき新たな姿で、通常時よりも大きく発達した燕尾を翼として飛翔していた。

 共に音速を越え、二人の周囲では空気が赤熱化し赤い膜のように輝いている。

 その空気を断ち切り、得物が交差する。

 ナガレは斧槍を振り、キリカは両手から伸びた斧爪を振った。斧爪は刃部分から無数の針が生えていた。

 リーチが大幅に上昇し、また刃から生えていると云うのに針自体が鋭利な刃物となっている為に切断力は以前よりも増している。

 より深く自分の感情と同一化しているためか、ただでさえ高いキリカの身体能力が更に跳ね上がり、最近では互角になってきていた膂力は再びキリカがナガレを圧倒するようになっていた。

 

 ナガレの斧槍は今、目も眩む速さで連打されるキリカの斧爪を前に防戦一方となっていた。

 受けては弾き飛ばされ、そこに接近したキリカの斬撃を受けてまたも吹き飛ばされる。

 飛ばされた先では、既にキリカがいた。

 飛翔能力も彼を上回り、数段強力となった速度低下魔法は牛の魔女の魔力抵抗を凌駕して効力を発揮し機動力を削いでいた。

 振り下ろされる斬撃。

 能力で上回り、魔法の効力も発揮されている今となってはナガレに成す術はない。

 その筈であった。

 直後に鳴ったのは、肉が寸断される音ではなく金属音だった。

 

 

「やるじゃねえかキリカ」

 

 

 振り下ろした両手の斧爪を、斧槍の柄が受ける。

 その先に、不敵に嗤うナガレの顔があった。

 口角が引き攣っているのは、掛け値なしに全力を振り絞って全身の筋力を酷使している為だろう。

 牛の魔女と半共生状態ということもあり、彼もキリカの速度低下魔法の分解に力を貸していた。

 魔女から与えられる魔力に己の思念を乗せ、空間そのものから発せられる速度低下の力に抗う。

 要は「お前に好き勝手させて堪るか」という拒絶の意思を放ったのだった。

 それが速度低下に干渉し僅かに減衰させ、キリカの計算を狂わせていた。

 そして更に、

 

 

「君もだ友人。相変わらず先読みがお上手で」

 

 

 必殺の一撃を防がれながら、キリカは優しく微笑んでいた。

 よく見れば安堵の色が見えなくもない。

 殺すつもりで、というよりも精神を殺意の塊と化して技を振ってはいるが、彼が生きているのは嬉しいようだ。

 度し難いに過ぎる精神構造だが、誰にも理解は不可能だろう。

 恐らくは呉キリカ本人にすら。

 

 

「戦いの年季が長いからな。お前らよりは少しよぉ」

 

「うわ。マウント取ってきた。友人てば大人げなー」

 

「あ?お前、俺を年上と思ってくれんのか?」

 

「んーんー。二歳くらい年下」

 

「せめて同い年くらいにしてくれよ」

 

「やーだーよーっと」

 

 

 刃を挟んではいるが、和やかな会話が流れる。

 それを覆い隠すように、颶風が生じた。

 両者の背後から。

 

 

 がぎん

 

 

 その音は、顎と歯の自壊を顧みずに全力で噛み合わされた牙鳴りに似ていた。

 続いた水音は歯茎から滴る血の音を思わせた。

 

 

「いい手を使うな。ちょっと驚いた」

 

「下手なお世辞は相手を傷付けるんだぞ、友人」

 

「世辞じゃねぇよ」

 

 

 言葉を交わす両者の顔の前には、鋭い鋭角の切っ先があった。

 それらの発生源はそれぞれの背中。

 ナガレは悪魔翼の中央から伸びた竜尾の鞭、キリカは翼として広がった燕尾の内側から伸びた細かい斧爪で出来た鞭。

 相手の顔を狙って伸びたそれらは、相手の鞭に絡めとられて静止させられていた。

 絡み合いながらも止まり切らず、あわよくば相手を破壊しようと二本の鞭は藻掻いていた。

 

 

「こうして使ってあげないと、ヴァンパイアファングも拗ねるからね」

 

「技を擬人化するのかよ」

 

「失敬な。これは私の血肉も同然というか私の血肉だ」

 

 

 憤然と告げるキリカ。

 鞭となったヴァンパイアファングの軌道から見るに、その根元はキリカの腰である。

 恐らくは背骨の一部を変形させて放ったのだろう。

 だとすれば、キリカの発言も間違ってはいない。

 実際、ナガレの背から伸びた竜尾と絡み合うキリカの鞭は部分的に圧壊され、赤い液体を滲ませナガレの鞭を濡らしていた。

 

 

「ん。なんかえっちな光景だね」

 

 

 それに淫らなものを感じたのか、キリカは上唇を舐めた。

 少し想像力が豊かなものであれば、まるで自分が舐められたかのような気分となり、意識を奪われかねない妖艶さがそこにはあった。

 

 

「言ってろ」

 

 

 言い様、絡み合う鞭の交接部分が弾けた。

 彼の言葉に言い返そうとしていたキリカであったが、「いぎぃっ!」という悲鳴に言葉が塗り潰された。

 普段から肉体損壊に慣れ切っているキリカであるものの、彼女をして想定外の痛みだったようだ。

 怯んだ瞬間に速度低下が切れ、ナガレの斧槍と噛み合う斧爪の力も緩んだ。

 その隙を逃がさず、ナガレは斧爪を弾き飛ばして前進した。

 

 斧槍の長さは三メートルを超えるが、ナガレの技量であれば長大な得物であっても相手の懐で最高の威力を発揮した斬撃が可能である。

 キリカの四肢を切断し胴体も両断、可能なら首も落として戦闘継続を不可能とさせ、ようとした時にナガレの背を悪寒が撫でた。

 刹那を千分割する時の中で、彼は翼を翻して背後に跳んだ。

 その瞬間、彼の視界を瑞々しい程の紅が覆った。

 その直後に、紅は黒となった。

 

 

「あーらら。外しちゃったっていうか避けたのか。ほんと勘が鋭いったらありゃしない」

 

 

 退避したナガレは宙でぐらつき、それでも斧槍を構えた。

 斧槍の先に、一面の黒が広がっていた。

 黒が引き裂け、その内側からキリカが姿を顕す。

 黒とは彼女の翼となっている燕尾であり、それが前へと伸びて彼女の姿を覆っていたのである。

 そして、紅とは。

 

 

「でも一部は齧れたね。じっくりゆっくり、はむはむと味わうとしよう」

 

 

 笑うキリカ。

 黒い衣装の内側は、紅が広がっている。

 血のような、とは少し違う。

 キリカの衣装の内側は、血の通った肉の色をしていた。

 その一部が黒く染まっていた。

 肉色のもので覆われたそれは、ナガレの悪魔翼の一部だった。

 その上に紅が貼り付き、内側へと沈み込ませていく。

 泥の中に沈む様に、悪魔翼の一部は紅の中へと消えた。

 

 

「さて、次は君を頂くとするか」

 

 

 童女の笑顔でキリカは笑う。

 少女のような、それでいて母のような。

 そして獲物を前に興奮を抑えきれない、雌の獣のような貌だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華④

「ぐふぅ」

 

 

 壁面に激突する少女の体。

 亀一面に亀裂が入り、少女の背中から迸った血液が亀裂の中を奔って壁は血走った眼球のような様相を呈した。

 

 

「あー…スマン、べぇやん。私じゃ力不足だわ」

 

 

 壁から落下した少女、ニコは顔半分を床に着けながら言った。

 床側にある左の眼球は破裂し、肉穴となった眼窩からは脳漿どころか脳味噌の一部が垂れている。

 右腕は肩から吹き飛び、肉の断面は炭化し飴の様に粘ついた血が傷口から滲む。

 

 

「謝ってる場合じゃねぇ!逃げるぞ!」

 

 

 獣は魔法少女服を齧り、必死に動いた。

 ずりずりと、血と炭の欠片の線を曳きながら後退していく。

 

 

「君は案外えっちだなぁ。お腹でも噛めばいいのに」

 

「行ってる場合か!」

 

 

 獣が噛んでいるのは、ニコの胸辺りの生地である。

 また腹部は大きく抉られ、腸も殆ど千切れて腹は赤黒い空洞となっている。

 腕と違って熱による破壊ではなく、刃と腕力による暴虐が行使されていた。

 

 

「私の事は放っておいておくれ。君に死なれると困る」

 

「ざっけんな!んな寝覚めの悪い事できっかよ!!」

 

 

 獣の返事に、ニコは目をぱちくりとさせた。

 眼球を喪った左眼も、肉を収縮させて驚きを表している。

 

 

「君、残酷な事を言うけどその感情は本物かい?」

 

「んなもん知るか!オイラのこの衝動が偽物でも知ったこっちゃねぇ!オイラはやりたい事をやってんだ!」

 

「それが私に、魔法少女に奉仕する理由かい?」

 

「そうだって言えば、自分でも動いてくれるか!?そろそろキツいんだよ!顎が捥げそうだぜぇっ!!」

 

「あー、じゃあ条件がある」

 

「な、なんだぁっ!?」

 

「ふぅむ。そのリアクションは確かに双樹どもさんらの影響が伺える。マネモブとは厄介な連中だな」

 

「なにっ」

 

「ふざけてるのか?」

 

「オイラは真面目だよ!でもこう造られちまったんだ!」

 

「人生の悲哀を感じるね」

 

「オイラはそうでもねぇぜ!こう見えても結構頑張って生きてるんだ。だからそっちも動いてくれよ!」

 

「無理。少なくともあと一分は動けない。だからその間話をしておくれ」

 

 

 ニコの提案に獣は言葉を喪った。

 不吉な足跡はゆっくりであるが近付いて来ている。

 遭遇したら今度は命が保つか分からない。

 獣はニコの提案に乗ることにした。それしか出来ない。

 

 

「ええと、他の皆様方は?」

 

「学校」

 

「だろうな」

 

 

 五秒で会話が終わった。

 獣は他の話を探した。

 

 

「逃げるのは当然として、他に手はあるのかい?」

 

「んー、逃げてから考える。君には何かあるかい?君はインキュベーターから造られたんだから、それを活かすとか」

 

「ええと、例えば?」

 

「例えばそこらの連中にマスクチェンジ的な魔法を使ってマスクドヒーロー的な存在にするとか」

 

「なんだそれ」

 

「ダークロウって知ってる?」

 

「知ってるよ。オイラ、あいつ嫌い。実質4900打点で多少の誘発も封じて来やがる。そもそもワクワクもへったくれもねぇじゃねえか」

 

「じゃあデスフェニ」

 

「ディバインガイが何したっつうんだよ…返してくれよ…てかアナコンダ投獄でいいじゃねえか…」

 

「うむ、その様子だと無理か。がっかり」

 

「話戻すけどアンタ、オイラを何だと思ってるんだ?で、仮にそれが出来たとしてオイラに何をしろと?」

 

「デュエルとかデスゲーム的なのを開催する。ジュゥべぇ、君はサポート役になって運営をするんだ。そして優勝者の願いを主催者権限で簒奪して、双樹をまともな人格にしてもらう」

 

「ニコさんや、アンタ…漫画や特撮の読みすぎ、観すぎだぜぇ…」

 

 

 時間稼ぎとは言え、中身の無さすぎる会話にジュゥべぇは疲弊していた。

 迫る足音の大きさは、刻一刻と増していた。

 

 

『あの…ちょっと』

 

「ん?」

 

「あ」

 

 

 その時、思念の声がニコと獣に去来した。

 ニコは「何だろう」、獣は「しまった」と感じた。

 

 

『黒江、だけど…その、急いでキュゥべぇ持ってきたけど、なんか随分と建物…荒れてないかな?入ってってだいじょ』

 

 

 あと二文字で終わる思念は、破壊の音で塗り潰された。

 回廊の奥で熱波と光が炸裂し、一人と一匹を熱を伴った猛風が叩く。

 

 

「あちゃあ…配達屋さん巻き込んじゃったよ」

 

 

 お手当弾ませないとなぁ。とニコはぼやくように言った。

 罪悪感は間違いなくあるのだが、多量の出血と肉体損傷の為に虚無的な声となっていた。

 傍らの獣は首から生えた腕状の器官で頭を覆っていた。

 申し訳なさ過ぎて堪らないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うむ」

 

 

 呉キリカは満足げに頷いた。

 被ったシルクハットが揺れ、落下させまいと慌てて左手で支える。

 単純な動作だが、それだけで熟練の奇術師のような洗練された動きとなっていた。

 キリカ本人はそう演じた訳ではなく、生来の美しさによって動きの全てが美しく見えるのである。

 

 

「中々良い感じだよ」

 

 

 緩やかに微笑む。開いた口の隙間からは八重歯が見えた。

 白い牙のような歯を、桃色の舌がちろりと舐める。

 その様子にはひどく官能的な、淫靡なものがあった。

 異界の空で、燕尾の翼を広げてキリカは春風のように朗らかで、そして淫魔のように艶然と笑う。

 白と黒を基調とした姿の背後には、燕尾の翼の裏地である赤の色が広がっていた。

 赤は蠢き、くねり、濡れ光る輝きを見せている。 

 それは明らかに、布の色彩と質感では無かった。

 

 

「君の肉、そして血はとても美味しいねえ。実に良い香りと食べ応えだ」

 

 

 微笑みながら告げる。

 そして両手で腹を撫でた。

 白い布に覆われたその部分は、彼女の子宮の真上だった。

 

 

「いい感じだ。お腹に溜まるよ」

 

 

 慈母のような慈しみの眼差しをナガレに向ける。

 対する彼は荒い息を吐いていた。

 左肩は削られ、皮膚の下の筋線維が見えていた。

 右頬も同様であり、皮が削げている。

 

 その他にも、腕や膝などが同様に肉を削られている。

 大体は大したことは無いのだが、彼が左手で抑えた胸は指の隙間から血の滴りが生じていた。

 今もまた彼の指を伝い、血の一滴が落下した。

 落下運動を始めた瞬間、血は下方ではなく前へと向かって落ちていった。

 そしてぴちゃんという音を立て、キリカの燕尾の裏地へと吸い込まれた。

 赤の裏地で小さな波紋が生じた。血が接触した部分が小さく窪み、そして戻った。

 

 

「おおっと危ない危ない。君の血はとても貴重だからね。一滴たりとも無駄には出来ない」

 

 

 キリカが告げている間にも更に数滴が滴り、それらは全て裏地に吸い込まれた。

 血を吸い込ませるたびに、キリカの笑みに妖艶さが増した。

 

 

「ああ……いいねぇ」

 

 

 うっとりとしつつ、キリカは背中をビクビクと痙攣させた。

 ナガレの嗅覚は、血の匂いに加えて雌の匂いが大気に混じるのを感じた。

 その様子にナガレは眉を跳ねさせた。

 吸血行為に性的な快感を見出すキリカの様子を見るのは、これが初めてではない。

 

 

「お前、その翼は」

 

 

 右手で握る魔女に治癒を命じながら、ナガレも強引に息を整える。

 キリカの翼に触れられた胸の部分は肉と骨が削がれ、肺の一部も削られていた。

 

 

「うん。生きてるよ。ていうか私の一部」

 

 

 そう言ってキリカは燕尾を大きく広げた。

 左右に広がる翼は、一翼の幅が五メートルもある。

 広げられたことで、翼の様子がよく見えた。

 赤い裏地は粘液で濡れて照り光り、凝視すれば赤い表面の下を流れる微細な血管とその中を流れる血が見えた。

 

 

「この吸い込みは君が握ってる間女を参考にしたのさ」

 

 

 存在を指摘され、牛の魔女がびくんと震えた。

 滅多な事では怯えず彼に従う牛の魔女が、呉キリカから離れようと藻掻いていた。

 赦す筈も無く、ナガレが腕に力を込める。

 逃げる前に滅ぼされると察し、彼女は覚悟を決めた。

 それでも、キリカへの恐怖の震えは止まらなかった。

 分かるのだろう。

 成れ果てた存在とは言え、眼の前の同性が放つ狂気が。

 

 

「そして、正直此れは言いたくないが……変態ド腐れ外道の双樹と、クソゲスゴミカスゲボ塗れの気狂いアリナにも敬意を払っておこう。あの二大変態は参考になった」

 

 

 不愉快そうに吐き捨て、キリカは燕尾に手を伸ばした。

 外字に手を這わせて軽く持ち上げる。

 柔らかく震えながら脈動する赤…鮮紅色の裏地を見つめる。

 

 

「これ、私の一番奥の色なんだ。別にいやらしくなんてないだろう。アダルトビデオとかエロマンガみたく、膣をくぱぁって広げてるんじゃあるまいし」

 

 

 キリカは平然と言った。

 この時点で、察しが付く者もいるだろう。ナガレもそうだった。

 そしてこれを聞いたのが杏子か麻衣ならば、恐らく吐いている。

 

 

「私の赤ちゃんを育てる部屋、アリナがよぉぉく見せてくれたからねぇ。全く、感謝はしないけど役に立つものだね」

 

 

 キリカは嘗て、アリナ某という存在に生きたまま解体されたと言っていた。

 その際にあったことだろう。

 魔女が再び怯えて震え始めた。

 対するナガレは怯えもせず、ただ斧槍を握り締めながらキリカを睨んでいる。

 

 

「それと、双樹も参考程度に役に立った。だけど子宮は、小物入れにするには勿体ない」

 

 

 キリカの翼が更に広がる。

 先程までの翼の交差は、使い方を覚えるための予備運動。

 これからが本番だった。

 

 

「だから君を今から取り込んで、我が胎に宿して育んで、そして産みなおさせていただこう。私に子宮を使わせておくれよ」

 

 

 何時ものように微笑み、キリカは飛翔する。

 分析など無意味な、度し難い欲望を宿して。

 この上なく、真摯で純粋な愛を伴って。

 

 

 

 

 

 

 

 


















◇この女の目的は……!?



龍継風煽り。冗談言ってないとやってられないくらい、過去最悪レベルで狂ってる
因みにこのキリカさんの外見は新約の特典、自作での能力の元ネタは某Bloo-Dです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華⑤

 金属音が異界で鳴り響く。

 斧槍の一閃を、呉キリカは刃ではなく腕で受けた。  

 激突の際に鳴ったのが、先の金属音である。

 金属の立てる耳障りな音と、爆音を合わせたような音だった。

 音だけで一閃の威力の凄まじさを感じさせるが、普段よりも広がった衣装の裾は弛みもせずにナガレの攻撃を受け切った。

 空中から地上へと戦場を移して、両者の戦いは続いている。

 形勢は相変わらずナガレが劣勢のようだった。

 

 

「うんうん、凄い威力だね。以前君が葬った、オナホに卑猥なパールを付けたような形した魔女でも難なく切断するだろう」

 

「慰めのつもりかよ」

 

「事実を言った迄さ。あと慰めが欲しいなら、私の身体を貸してあげるから存分に肌を重ね合おうよ。どこを舐めてもいいし、何時間でも何日でも何年でも相手してあげるよ」

 

「ふざけんな」

 

 

 言い捨て、再び斬撃を見舞う。

 首、胴体、脚。

 一閃したとしか見えないのに、斬線は複雑な軌道を薙いでいた。

 関節と柔らかい部分を狙ってのものだったが、結果は変わらなかった。

 岩だろうが魔女の甲殻だろうが破壊する斬撃は、硬質の音を虚しく立てただけに留まった。

 

 

「そうだね。慰めは君には不要だ」

 

 

 衝撃すら感じていない様子でキリカは微笑む。

 ふざけんな、という彼の発言も慰めを拒否しているものなので、意味は通じている。

 また肌を重ねたいというのは本心である。

 だから、彼女は動いた。

 

 

「だが、私には必要なんだ」

 

 

 燕尾の翼が拡大し、壁面のように広がる。

 裏地の赤は膜で覆われた肉の色。

 キリカ曰く、赤子を育む肉の袋の内側と同じ色であるとのこと。

 そして彼女の欲望は。

 

 

「君を取り込んで胚へと戻し、私の子宮で育てて産んであげよう」

 

 

 度し難いに過ぎる、人間どころか生物かすら疑わしい、一方で生物であるが故に抱いた欲望であった。

 

 

「今の君に私の血肉を分け与えて、新たな命を授けてあげる。君と私の輪郭が限りなく重なり合って、それでも交わらずに別の存在として愛し合える」

 

 

 慈母の顔でキリカは微笑む。

 形で見れば、彼女の表情は救いの聖女そのものだろう。

 

 

「君は私の子供で、更には伴侶なのだからこうするのが」

 

 

 正しい、とでもいう積りだったのだろう。

 そのキリカの左右から、躍り掛かる影があった。

 煌びやかな衣装を纏った二人の少女。

 顔に浮かべた表情は虚無。

 

 

「邪魔だ雌共!!」

 

 

 怒号を放つキリカ。

 それに追随し、彼女の燕尾が左右へと伸びた。

 瞬時に少女達へ到達。

 右の少女は赤紫色の和風のドレスを纏った赤髪の少女、左は縦長の帽子を被った軍人風の少女だった。

 それらを肉色をした燕尾の内側が包んだ。

 包んだ次の瞬間には開いた。

 脈打つ赤の奥に、二人の少女の面影が霞んで、そして消えた。

 キリカの衣装の厚みには一切の変化がない。

 極薄の紙に描かれた絵の上に別の絵を重ねたように、二人の魔法少女の複製体は消え失せた。

 

 

「そんでもって君らはいらん」

 

 

 その言葉と同時に、赤の表面が波打ち二つの物体が投擲された。 

 それは二人の魔法少女の肉体だった。

 但し、顔を除いて全身の皮が消失していた。赤い筋線維を剥き出しにした無残な姿であり、唯一残った顔も獣の爪か牙に襲われたかのように大きく抉れている。

 肉が泡を噴いている所を見るに、キリカの衣装に取り込まれると瞬時に溶解されるようだ。

 キリカから邪魔者として排出され、ついでのように質量兵器とされたそれらを、ナガレの斬撃が斬り払った。

 ミラーズ魔法少女の表情は一貫して虚無であったが、少なくともキリカからは解放された。

 そして彼女らは報復の機会を得た。

 切断された魔法少女の亡骸を、牛の魔女が分解して吸い取り体内で魔力へと還元。

 自ら及び操り手であるナガレの力へと変えたのだった。

 

 

「あちゃあ、失敗」

 

 

 そう告げたキリカの首の左側面へと、斧槍の分厚く巨大な刃が吸い込まれた。

 肉の切れる音がした。

 それはそれよりも遥かに大きな金属音によって塗り潰された。

 斧槍はキリカの首の皮一枚を切断していた。

 そして切り裂かれた皮膚の奥には、金属の光沢を持つ小さな線が幾つも見えた。

 

 

「懐かしいな、それ」

 

「覚えててくれたのか。流石は友人、感心感心」

 

 

 言う間に更に斬撃が乱舞する。

 結果はすべて同じ。

 多少の傷の深さの差はあれど、斬撃はキリカの体表を薄く裂いたに留まった。

 

 

「痛くねぇのか、それ」

 

「痛いに決まってる。ああ、君の攻撃の方は超痛い。痛すぎて脳内麻薬的なのがドバドバ出ててえっちな気分になってくる。多分、生命の危機だから命を繋ぎたいんだろう」

 

 

 人間ってよく出来てるね、とキリカは語る。

 以前一度見た、キリカの防御魔法のような何か。

 自ら体内を針で貫き、皮膚の内側を覆って肉体の強度を強引且つ飛躍的に向上させる。

 その頑丈さは先に示した通りであり、逆に斧槍の刃の方が痛んでいた。

 刃が部分的に潰れて歪みが生じている。

 それは即座に回復するが、キリカの頑丈さは異常に過ぎていた。これでは痛打を与えられそうにない。

 

 

「じゃ、攻守交替といこう」

 

 

 言い様、キリカの姿が霞んだ。

 激突の音は後からやって来た。

 朱の線を曳きながら、ナガレは後方へと吹き飛ばされていた。斧槍の柄が大きく歪み、背中と両腕からは大量の出血が生じていた。

 

 

「くっ…」

 

 

 苦痛を感じる間も無く、右足を地面に着ける。

 高速で背後に跳ばされている故に、地面と接触した苦痛らからはゴムが焼ける異臭が生じた。

 

 

「うへぇ、やっぱゴムって嫌な匂い」

 

 

 背後で生じたキリカの声。右脚を軸に回転して横薙ぎの一閃を見舞う。

 

 

「再確認できたが、こんな匂いのするものを胎内に入れる訳にはいかないな」

 

 

 キリカの声は、振り切られた斧槍の上から響いた。

 横に倒された斧の腹の上に両脚を乗せ、体育すわりのように身を屈めてナガレを見ている。

 垂れ下がった燕尾の鮮紅色の裏地へと、彼の背と腕から滴る血液が吸い込まれている。

 即座に翻って上へと薙ぎ払われる斧。

 血が吸われていく僅かな残像を残して、黒い影はナガレの隣へと瞬時に移動していた。

 

 

「だから友人。私とする時は絶対にゴムはしないでね。あと」

 

 

 耳打ちのように、恋人に囁きかけるようにキリカは言う。

 

 

「最初はキスからお願いね。あと…ぎゅっと優しく抱いて、私を君の手と身体で包んでおくれ」

 

 

 優しく淫らに呟きながら、キリカは左腕を振り抜いた。

 普段よりも膨らんだ袖が、ナガレが反射的に掲げた斧槍の柄に触れる。

 触れた瞬間に柄が砕け散り、ナガレの両肘は逆方向へと折れ曲がった。

 

 柄を砕いた腕は止まらず、彼の胸板へと激突する。

 次の瞬間には、ナガレの姿は背後にあった鏡色の岩塊へと吸い込まれていた。

 家一軒ほどの鏡の岩が砕け散り、無数の破片となって散る。

 輝く破片に混じり、血と肉の粒が星屑のように舞い散っていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 散華⑥

 鏡で出来た巨大な岩塊。それが砕けて銀の破片となって散る様を、呉キリカは眺めていた。

 その様子は奇しくも、無数の血肉の破片と化して宙を舞うキリカを見ていたナガレの様子に似ていた。

 銀の破片の中を悠然と歩きながら、破壊の原因となった場所へと近付く。

 

 

「さぁて、友人を喰らうとするか」

 

 

 今日は何処に遊びに行こう。

 そんな自然さでキリカは言った。

 

 

「やる事が多くて大変そうだが遣り甲斐はある。いやぁ、保健体育の勉強をちゃんとしててほんとによかった。赤ん坊が育まれるプロセスは、素人ながらきっちり学んだつもりだからね」

 

 

 舞い散る鏡の破片が無数の呉キリカを映し出す。角度の差はあれど、全てが美しい少女の姿である。

 

 

「早く友人を取り込んで子宮に宿して臍の緒で繋がらねば。そして私の血肉で育んで友人を産み落とし、今度はセックスで繋がりたい。そしてあれも…これも…ええと、色々とシたいなぁ」

 

 

 世にも美しい少女が語る言葉は、この世のものとは思えない美と狂気の混沌だった。

 当人としてはなんてことはない、ただ日常の事柄を語っているだけだ。

 頬が薄く朱いのは、夢想する光景に尊さを感じ、胸が熱くなっているからだ。

 自分に酔っているのではなく、ただただ嬉しいのだった。

 心中から滾々と、愛の感情が湧き上がる事が。

 

 

「お前…親が泣くぞ」

 

「嬉し泣きで?」

 

 

 掛けられた声に、キリカは反射的に応えた。

 疑問が湧いた。

 鏡の岩塊に愛する者を全力の拳で激突させたのは数秒前。

 岩と彼の背の激突地点に今いるが、彼の姿は見えない。

 そして彼の声が発せられたのは前からでも後ろからでもない。

 

 黄水晶の視線は下方に動いた。

 瞬間、視界は闇に包まれた。

 鉄が砕ける音が響き、それを激烈な掘削音が塗り潰した。

 それらはキリカの頭の中で鳴り、その一瞬後には彼女の頭部から外部に飛び出した。

 キリカのシルクハットが血肉と骨、体内に張り巡らされた針の破片と共に吹き飛ばされる。

 

 

「痛っ…たぁ……」

 

 

 呟くように言うキリカ。

 痛いと言うが、今のキリカの現状はそれどころではなかった。

 彼女は両足を地面に着けていなかった。

 絞首刑台の罪人のように宙に吊り上げられている。

 足元には大穴が空き、その淵にナガレが立っている。

 そして彼が掲げた腕の先に、宙吊りの呉キリカがいる。

 

 彼の右腕は身の丈にも近い巨大な黒い円錐となって、キリカの頭部を貫いていた。 

 切っ先はキリカの左眼を貫き、後頭部に抜けている。

 

 

「くひっ」

 

 

 その状態でキリカは微笑んだ。

 口内からも溢れた血で、全ての歯が深紅に染まっている。

 だが血染めでも、その笑顔は朗らかだった。

 その笑顔が霞み、銀の円錐からもキリカの顔が消えた。

 

 

「やぁやぁ友人」

 

 

 虚空に右腕を突き上げたままの彼の背後に回り、キリカがそう言った。

 言いながら、両腕から生やした斧爪を見舞った。

 

 

「よぉ、キリカ」

 

 

 その右側面でナガレの声。

 先の一撃の衝撃で、既に眼帯は外れている。

 だからキリカには彼の姿が見えた。

 破壊した両腕を黒銀の装甲で覆った姿。

 これに近い姿を、キリカは見た事があった。

 見滝原の郊外で彼と繰り広げた死闘。

 その終幕を引いた時の姿に似ていた。

 

 認識の瞬間、彼女の全身を衝撃が貫いた。

 比喩ではなく、頑丈な内部装甲を施した肉体が破壊されていた。

 瞬きの間すらない一瞬で、呉キリカの身体に多数の穴が開けられていた。

 穴は身体を貫通してその奥に抜け、肉と骨と血と、針の破片が全身から飛び散った。

 

 激烈に回転する黒銀の槍は、牛の魔女の変じた姿。

 魔女は頑丈極まりないキリカの針の装甲を貫くべく、切っ先を極限まで細くし、更に頑丈に自らを作り変えていた。

 魔女なりの報復心と忠誠心、そして呉キリカを喰らいたいという欲望。

 それが結晶となった姿である。

 ドリルであると、見たものは認識するだろう。

 

 

「ふふっ」

 

 

 血を吐きながら笑い、キリカは再び姿を霞ませた。

 黒く禍々しい風となり、ナガレの周囲を旋回していく。

 暴風となってナガレへと向かった刹那に、彼は地面を蹴った。

 爪先から膝までが、真紅の装甲で包まれていた。

 今の彼の脚は紅い細身の刃のような、そんな形を思わせる形状をしていた。

 

 そして二つの暴風が絡み合う。

 頑強極まりないキリカの袖が砕かれ、左肘関節が挽肉となる。

 胎に大穴が空き、掻き混ぜられた臓物が背中から微塵となって飛び出す。

 キリカが風なら、ナガレは光の如く速度であった。

 彼女が放つ速度低下も、回転するドリルを包む牛の魔女の魔力で吹き散らされ、僅かに効いた速度低下も相手が速すぎて影響を与えるには至らない。

 キリカは上を見上げた。全身は穴だらけで、開いた穴から見える体の内側には砕けた骨と内臓の欠片がぶら下がっているのが見えた。

 キリカの視線の先には、彼女が愛する者がいた。

 彼女は尋ねた。

 

 

「友人。前に見たキリクに似てるけど、その姿の元ネタは?」

 

「ゲッター2」

 

 

 言い様、下方へと、キリカに向けてドリルを突き出す。

 円錐の表面には無数の毒蛇のような紫電が巻き付いていた。

 キリカもまた、右腕を天に伸ばした。その先にいる彼を求めて。

 

 

「ドリルストーム!」

 

「ヴァンパイアカッター!」

 

 

 同時に叫び、技が放たれる。

 ドリルからは雷撃を纏う大渦が放たれ、キリカの右腕は刃渡りが十メートルにもなる巨大な翼状の刃となって撃ち出された。

 以前キリカが見せた際は、腕を覆う生地だけが飛翔した。今度は肘から先が寸断され、腕自体も放たれていた。

 巨大な刃は大渦を貫いて打ち砕いた。

 自らは雷撃の渦によって捩じ切られかけ、肌と肉を焼かれながらもキリカはその光景を見た。

 ナガレの記憶から垣間見た、キリカをしても理解を拒む鉄の魔神の技を模した攻撃魔法はそれに相応しい威力を見せた。

 捩じれたキリカの肉体を、左斜めから両断することによって。

 

 

「あ、ちゃあ…」

 

 

 言いながらキリカは失策を悟った。

 大渦によって推進力を減衰させられたキリカの大技は、ナガレによって掴まれ振られていた。

 減衰されてもなお強大であった力を利用されて反転し、その鋭利さを以てキリカを切断したのだった。

 そして刃の端を、ナガレはまだ掴んでいた。

 左斜めから右に抜けた刃を跳ね上げてその線上にあった右脚と右腕を切断。

 今度は右肩から左脇腹へと抜けさせた。

 

 

「ああ……これ、前にもあった、ね」

 

 背後に向けて傾斜するキリカ。

 開いた肉の断面からは、黒い触手が迸った。

 ナガレへと向かう前に、それらは引き千切られていた。

 キリカの口の中をドリルが貫き、そのままナガレは前へと疾走。

 その力で触手を引き千切り、彼女の背後にあった巨大な鏡へとキリカの頭部を激突させた。

 砕け散る鏡、降り注ぐ破片。

 衝撃が激しすぎて、鏡は粉となっていた。

 

 キリカの後頭部からは、回転を止めたドリルの先端が突き出ている。

 小さな壁程度に残った鏡へと、キリカはドリルで縫い止められていた。

 動きが停止した時、ナガレの背から鮮血が噴き上がった。

 口からは血の塊が吐き散らされ、それは留まる所を知らなかった。

 

 

「おやおや友人。随分と苦しそうだね」

 

 

 首だけになりながら、口にドリルを突っ込まれながらキリカは器用に言葉を発した。

 軽い口調だが、声には心配が滲んでいた。

 

 

「無茶しすぎだよ。全くもう、この子ったら」

 

「無茶しねぇと、お前らにゃ…勝てねぇからな」

 

 

 血を吐きながらナガレは答える。

 彼はキリカを圧倒したが、何の代償も無しに得た力では無かったのである。

 今の彼の内臓は大きく痛み、血は赤血球の一粒一粒に痛覚を付与し、その全てを煮立たせたかのような苦痛を彼に与えていた。

 

 

「君が負けず嫌い過ぎるのだろが、男の子ってのは大変だねぇ。ああそうそう、今思い出したけど」

 

「ん……?」

 

 

 吐き出そうとした血をナガレは飲み込んだ。

 これ以上の無様は見せたくないと思ったのだろう。

 この時うつむきかけていた為に、彼はキリカの右眼が上を見ていたことに気が付かなかった。

 

 

「ゲッターって、ここに来る前の君が乗ってたロボットだっけ」

 

「ああ」

 

 

 そう言えば前に話した事あったなと思い出していた。

 たしか、最初にキリカの家に招かれた時だったかと。

 

 

「思い違いじゃなければ、確かゲッターっていうのはアビスの上昇負荷を詰め込んだみたいな欠陥労災現場猫案件メカだよね」

 

「酷ぇ言い方だな」

 

 

 まぁ間違ってねぇけどと彼は思った。

 自分は特に健康を害した記憶は無いが、確かにあれは人を喰らう呪われたメカである。

 旅する中で、彼女曰くの災厄は幾度となく眼にしていた。

 

 

「じゃあ、あれもヤバいのかな?」

 

 

 首だけになったキリカが、舌をちろっと唇から前に突き出した。

 可愛らしい舌の先端は上を向いていた。

 振り返った時、ナガレとキリカを影が覆った。

 それは二人を取り巻く周囲をも暗く染めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66話 三魂

「よぉ、相棒」

 

 

 その声は、炎の息吹のようだった。

 声の調子としては平静。

 されど声によって震える大気は糖蜜の甘さを孕んだ。

 熱に焙られ、焼けた皮から香ばしい香りと共に溢れる甘露な蜜。

 それはそんな声だった。

 

 相棒と呼ばれた者は振り返った。

 真紅の衣装を纏った少女がいた。

 斑模様の紅とでもすべき着物を羽織ったその者の名は。

 

 

「よぉ、杏子」

 

 

 ナガレは相手の名を告げた。

 杏子は微笑んだ。唇の間からは、彼女のチャームポイントである八重歯が覗いた。

 

 

「どう?似合うかい」

 

「ああ」

 

 

 彼は素直に肯定した。

 彼女が発現させたドッペル。

 今の杏子はそれを衣装化して、身に纏った姿をしていた。

 キリカの例を鑑みると、ドッペルバージョンとでも言うべき姿だろう。

 また可憐さと妖艶さが交じり合ったその姿は、

 

 

「ちょっと未来を先取りして、花魁っぽくもあるかなぁ」

 

 

 小悪魔のような悪戯めいた表情で杏子は言う。

 金の輪で絞められた長髪を左手で弄びながら。

 

 

「可愛いじゃねえか。別にそう言うほどやらしくもねぇしよ」

 

「ホント?」

 

「ああ。冗談とか皮肉抜きで似合ってる」

 

「じゃ、もう一回言ってくれよ。可愛いってさ」

 

「可愛い」

 

 

 繰り返された言葉に、杏子は「くぅぅ…」と喘鳴の様に呻いた。

 宙を見上げ、胸を両手で抑え、両脚をジタバタとさせている。

 嬉しさの表現だが、そうなっている時の自分の顔を見せたくないという意地が出ていた。

 数分が経った。杏子は漸く落ち着いた。

 承認欲求は満たされた。

 だから、別の欲望が湧いてきた。

 

 

「じゃ、さ…」

 

 

 そう言って襟袖に手を掛ける。そして左右に引いた。

 衣装に覆われていた、杏子の素肌が露わとなった。

 慎ましい双球が見えた。下着で覆われてはいなかった。

 

 

「シよっか」

 

 

 赤の着物の下にある、普段の桃色のスカートの端を上に引きながら彼女はそう言った。

 光源の少なさと、逆光により輪郭だけが見えた。

 下着を履いていない事と、空気に漂う香りからは雄を受け入れる用意が整っている事が分かった。

 認識した時に、針が刺したような感覚が意識を一瞬貫いた。

 彼は左の眉を一瞬跳ねさせた。

 そうか、と彼は理解した。

 

 

「何度目かだけど十年待てよ。あと、セコい真似すんな」

 

 

 切って捨てるように言う。

 ナガレの言葉に、杏子は再び笑みを見せた。

 可憐な形だが、それは口を開いた毒蛇の笑みだった。

 それを合図に、風景が蕩けて消えていく。

 彼をしてそうと気付かせるのに時間を要した幻影の世界が、虚無へと向かい崩れ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 爆音、衝撃、暴風。

 

 その中をナガレは飛翔した。砕け散る異界の地面は逆さまの滝となって破片を宙に撒き上げた。

 舞い上がる破片の奥に、彼は輝く姿を見た。

 それは巨大であった。

 脚、腰、腹、胸、そして頭部。

 上昇の中で、彼は形状を確認した。

 見覚えはあるに過ぎていた。

 名前は口から自然に出ていた。

 

 

「ゲッター1か。お前も好きだなぁ」

 

 

 悪魔翼を広げて飛翔し、滞空する。

 聳える巨体の前でそう言った。

 

 

「まぁね。前より似てるだろ」

 

 

 巨体は杏子の声を発した。

 ナガレは呻くような表情となる。

 感情を暴走させ、異形のゲッターロボとでも言うべき紛い物の姿を纏った杏子との死闘は彼にとって記憶に新しい。

 

 

「確かにな。嫌になるくらいに似てやがる」

 

 

 彼の言葉に杏子は愉快そうに笑った。

 杏子が生み出したのは、赤い光子の塊とでも言うべき存在であった。

 輪郭は揺らめく炎のように曖昧だったが、見間違えようもない。

 そして輪郭が揺れていようと、彼には鮮明に見えた。

 腕から生えた刃、槍穂のような二本の角。

 人に似た姿、覆われた装甲。

 ゲッター1によく似ている。彼が嘗て愛機としていたものに。

 

 

「懐かしくなったかい」

 

「まぁな」

 

「ついでに聞きたいんだけど、ワンってのはイチってコトだよな」

 

「ああ」

 

「さっきキリカとバトってる時の会話聞いちまったんだけど、ツーってのもいるんだよな」

 

「3もいるぞ」

 

「必要に応じて乗り換えんのかい?」

 

「いや、その場で変形する」

 

「あー…手足を細くしたり太くしたりとか?ジャキンジャキンて装甲盛り上げたりとか、部品交換とかするんだよな」

 

「そんな複雑じゃねえよ。一回三つの戦闘機んなってから玉突き事故みてぇに激突させて変形させんだよ」

 

「…はい?」

 

 

 彼の説明に杏子は困惑した。

 魔力で構築させたこの巨体の中に座しながら、この存在の元ネタの異常さに理解が追い付いていなかった。

 

 

「激突の順番、まぁ頭になる奴だな。それで形態が変わるんだよ」

 

「なぁ」

 

「ん?」

 

「これ造った奴、頭おかしいんじゃねえの?」

 

「俺もそう思う」

 

 

 深く頷きながらナガレは答えた。

 そうとしか思えないからだ。

 

 

「で、やるんだろ?」

 

 

 この遣り取りを断ち切る様に、頷きが終わらない内に彼はそう切り出した。

 

 

「勿論」

 

 

 巨体が応えた。杏子の声では無かった。

 

 

「やっぱお前もいたか、麻衣」

 

 

 ナガレが返事をすると、嬉しそうな感情が思念となって彼に届いた。

 その直ぐ傍らでは、怨念のような気配が渦巻くのが感じられた。

 恐らく戦力増強として、杏子は麻衣を取り込んだのだろう。

 どうやったかは知らないが、魔法少女はすげぇなと彼は思った。

 もう少し考えるということをした方が良さそうであるが、異世界に来てもあまり変わらないこの男の事なので考えるだけ無駄だろう。

 

 

「で、お前はどうする?」

 

「んー…」

 

 

 ナガレは両手を掲げ、顔の前に持ち上げたそれに話し掛けた。

 呉キリカの首である。後頭部を抱え大切そうに持っている。

 その様子を見て、無数の針で刺されるかのような感覚を彼は感じた。

 針は熱と冷気を帯びている。呉キリカへの嫉妬だろう。

 

 

「このまま君のバディをするのが好ましいが、ここは空気を読むべきなのだろうな」

 

「そうか。投げるぞ」

 

「おk。あ、ごめんちょっと待って」

 

 

 投擲に入ろうとした時にキリカは待ったをかけた。

 幸いにして、その願いは間に合った。

 

 

「正直、あいつらの事は兎も角としてあのシチェーションは悪くない。前々から、一つ思う事があってね」

 

「何だよ」

 

「赦せなかった…第一部のラスト・ボスが佐倉杏子だったなんて……!」

 

「第一部?」

 

「うむ。佐倉杏子大暴れが解決してから、色々と変わっただろう。そこで一区切りかなと思って。あいつ基準なのは癪だけど」

 

「変わったって言えば、お前も結構変わったじゃねえか。最初は俺らの事殺しに来てたけど、今は仲良くやれてるしな」

 

「ふふん。そうそう、今は仲良しこよしでセックスも視野の仲さ」

 

 

 何処か誇らしげな様子でキリカは言う。首だけになっても元気に過ぎている。

 

 

「じゃ、投げるぞ」

 

「うん。じゃあね友人」

 

 

 言葉を交わした直後に投擲。

 キリカの首が巨体の胸元へと吸い込まれる。

 弾き返されたら気まずいなと彼は思っていたが、それは杞憂に終わった。

 それにしても奇妙に過ぎる遣り取りである。

 過去の敵対を懐かしみ、現状は仲良くやれていると言っておきながら、彼女の望みを叶えるとは。

 即ち、敵対の道を。

 

 キリカを受け入れた真紅の光子で出来た紛い物のゲッター1は、色彩に黒と紫を足した。

 それはキリカと麻衣の魔力を取り込んだ事の証だろう。

 伸ばされた腕の先にある手が開き、直後に握られる。

 巨大な五指が握るのは、斧と日本刀の意匠を有した槍だった。

 それが左右の手に握られている。

 全長はこの紛い物の大きさの倍、百メートルにも達するだろう。

 

 

「来い。纏めて相手になって遣る」

 

 

 怯えた風など全くなく、普段と同じく相手の招来を促した。

 三つの魂が宿った、真紅と黒と紫の色を纏う巨体は彼に応えた。

 最後の戦いが、今ここに幕を開けたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66.5話 閑話休題

「なぁ、呉キリカ」

 

「おぅ、なんだい朱音麻衣。小説版龍騎の猿先生によるコミ・カ・ライズが決定したのか?」

 

 

 布団と寝台に寝転がりつつ、魔法少女姿の二人が言葉を投げ合う。

 二人がいるのはそれぞれの自室。

 麻衣は和風の室内であり、壁や天井にびっしりとナガレの写真が飾ってあることを除けば普通の部屋だった。

 キリカも同じく洋風の趣のある自室にいた。

 互いの私室が横に並び、曖昧な境界線を以て半分ほど一体化している。

 

 

「そうじゃないが…それは、うん、気になるな。作風に合ってそうだ。あと変な所で中黒を多用するな。猿先生を愚弄する気か」

 

「ごめーんね。あと、だよねだよね。登場人物らの悲しい過去…とエログロな内容は猿先生の作風に似合う気がする。忌憚のない意見てやつだよ」

 

「小説でハブられた連中も出そうだな。となると東條あたりは英雄願望によって強姦中の女性を助け、ようとして「なんだこのクソ展開!」とか総合格闘家だった強姦魔達に言われながら返り討ちに合って「男もいけるしな」とヌっされて悲しい過去を背負いそうだ。それで、誰も気付かないうちにいつも通り猿空間に送られているとか。それとタフとのクロス・オーバーで尊鷹がオーディンに変身するのもアリかもしれない」

 

「鷹兄ィが中身とか、そんなオーディン誰が勝てるのさ」

 

「性格や行動も不思議系奇行キャラ化してて、何がしたいのか分からない存在になりそうだな」

 

「あと多分パンチやキックだけでもAP5000はあるぞ。メカ・ファルコン・フット状態ならAP20000越えしてそう。ああそうだ、最近トダーが復活したぞ。喋り方がペガサスみたいにな砕けた感じで可愛い。あと鬼龍おじさんがまた何かしてる」

 

「寧ろ何かしていない時が珍しいし不気味だろう。そういえばふと思ったが、貴様の意味不明で度し難く屈折した依存心剥き出しで気持ち悪いマジキチな性格は東條と何処となく似てるな。二次創作でクロスオーバーすれば面白いかもしれない。必然的にこいつらと絡ませられるデストワイルダーには同情するが」

 

「…お前、さぁ」

 

 

 話に熱中すると、麻衣は早口になるらしい。

 そんな麻衣を、キリカは冷たい声で制した。

 

 

「どんな妄想でも二次創作でも好きにやればいいと思うけど、当人に向かってそれを言うのはどうよ?単純に失礼なんだけど」

 

 

 読んでいた漫画を一旦脇に置き、朱音麻衣を見据えながらキリカは言う。

 全くの正論であり、返す余地も無い言葉であった。

 

 

「…あぅ」

 

 

 朱音麻衣は自分の頭が急速に冷えていくのを感じた。

 自分が狂人と信じて疑わない存在に諭された事と、自分の愚行を悟ったのである。

 

 

「…ごめん」

 

「分かればよいよい」

 

 

 キリカは謝罪を受け入れた。ちょろいなぁ、とかもついでに思っている。

 

 

「にしても君の今の反応は結構可愛らしいな。たまにはガールズトークをしてみたいのだが、君は結構モテるんじゃないか?」

 

 

 キリカにしては珍しく、麻衣に話しかけた。

 落ち込まれても面倒なので、メンタルケアをしてやろうとの目論見があった。

 私生活に突っ込んだ要件なのもそのためである。

 

 

「モテるって現象の定義にもよるが…胸と尻に視線を感じる事はよくある」

 

「あー、それ分かる分かる。視姦って言葉が生まれたのも必然だなぁって思うよ」

 

「うむ…あとこれは一度魔女結界であった事なのだが」

 

「…ん?」

 

 

 キリカには予想が付いた。先程、自分の体験談を話したばかりだからだ。

 

 

「魔女に囚われた連中は私の同級生でな、みんな男子生徒だった。魔女の魔力でその…性欲を刺激されたらしく、私の名前を叫びながら勃起した股間のアレを激しく」

 

「あーあーあーあーあー!」

 

 

 その先は聞きたくないと、キリカが叫ぶ。

 叫ぶのが遅いのは麻衣に卑猥な事を言わせたいと思ったのと、中断させたのはキリカの罪悪感だった。

 

 

「動作を見るに私の胸を掴んでその間に挟んで扱くとか、私の尻を掴んで後ろから動物の交尾のように激しくというのが伺えた」

 

「想像力豊かだね」

 

 

 吐きそう、とキリカは思った。

 性行為というものに、どこか悍ましさを感じているのだろう。

 呉キリカは性行為と受胎・妊娠・出産を望んではいるが、それの対象はたった一つである。

 故に他人が行う行為として見ると、子供特有の性行為への忌避感というか非現実感が去来しアンニュイな気分になるのである。

 面倒に過ぎる性格だが、ある意味貞淑な深い愛と子供らしさの象徴でもあった。

 

 

「これも定義というか捉え方なのだが、あれが『抱かれる』といった状態なのだろうな」

 

 

 朱音麻衣は物憂げな様子で上を見上げた。遠くを見るような視線だったが、視線の先には美少女じみた容貌の少年が映った写真が貼られている。

 というか、先に記した通り部屋の至る所、空間の隙間を埋める勢いでナガレの写真が貼ってあるのである。

 つまり、麻衣はナガレを見ていた。視界にはそれしか映っていない。

 

 

「私は『抱かれる』というのは好かない。主導権を握られるというのが気に喰わないのと、一方的に触れられるのが嫌なのだろう」

 

 

 麻衣は目を伏せた。床にも写真が貼られている。

 キリカはその様子を見て、「おおっ。リアル・悲しい過去…!」と内心で思い、妙に興奮していた。

 

 

「その時同級生らを操っていた魔女を酷く惨たらしく破壊したのは、そういった意識を覚えさせられたからという報復だったか、それとも普段通りの私だったのか」

 

「あんま気にしない方がいいよ。私も似たような感じで、私を総菜に自慰ってる同級生らに出くわした事あるしさ」

 

 

 慰めを言いつつ、キリカも場面を思い返して不愉快な気分になっていた。

 その同級生の中には同性も含まれていたからだ。

 

 

「ありがとう。だが気にするなとしても、どうしてもな……だが、例外がある」

 

「うむ」

 

 

 キリカは頷いた。何を言いたいのか察し、また自分も同じ考えであるからだ。

 

 

「彼が…ナガレになら、私は抱かれたい。同級生の男子共がしていた妄想も、彼相手なら私は受けられる。この胸を激しく揉んで、後ろから尻を掴んで私の雌を蹂躙して欲しい」

 

 

 熱い息を吐きながら麻衣は言った。

 他人には、よほど親しい相手でも見せない彼女の表情だった。

 それを見たのが宿敵に等しい呉キリカであるというのが、皮肉に過ぎている。

 麻衣の感覚的にはキリカは畜生も同然で、飼い犬や飼い猫の前で裸体を晒して恥ずかしがる事が無いのと同じ感覚である。

 

 キリカは麻衣の言葉を黙って聞いていた。

 愛の魔法少女なだけに、他者の愛を否定することもないのだろう。

 ただ、

 

 

「(後ろからか…割とマゾい性癖なのかな。あと私ならお尻見られるのハズいんだけど)」

 

 

 と思っていた。

 自分の事を朱音麻衣が言った場面に当てはめた時、キリカの顔は一瞬にして真っ赤に染まった。

 恥ずかしさに耐えきれず、枕に顔を突っ伏して鎮静に掛かる。

 数分が経った。ようやく、気持ち程度に興奮は収まった。

 枕から顔を離すと、朱音麻衣は布団の上で仰向け、というか逆海老反りに近い体勢になって悶えていた。

 彼女もまた、自分の発言に羞恥心を覚えて悶絶している。

 表情が嬉しそうなのは、その場面が尊くて堪らないからだ。

 幸せそうだなぁ、とキリカは思い、ふとある事に気が付いた。

 

 

「ところで朱音麻衣。最初に私に声掛けてきたけど、何用?」

 

「あぁ…もっと、そこ、激しく……ん、ああ、声掛けの兼か」

 

「同じ部屋だってのに喘ぐなよ。私も我慢してるってのに」

 

「む……ああ、話だったな。要は」

 

 

 麻衣が口を開いたのと同時に破壊音が鳴り、室内が振動する。

 机の上のお菓子や飲み物、本棚に麻衣の部屋の無数のナガレの写真も一切の揺れを起こさなかったが、確かに揺れた。

 そしてそれが続いた。破壊の音と振動は、近付いているようだった。

 

 

「これだね。佐倉杏子が劣勢か」

 

「そういうことだ。全く、奴は強いんだか弱いんだか分からん」

 

「まるで鬼龍おじさんみたいだ」

 

 

 キリカと麻衣は同時に溜息を吐いた。

 そして、外界に意識を向けることにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 無明

「なぁ、呉キリカ」

 

「おぅ、なんだい朱音麻衣。猿先生が描いた小説版龍騎大喜利でもしたいのかい?」

 

 

 キリカの返事に麻衣はデジャヴを感じた。

 もちろん麻衣の要件は別なので、キリカの度し難い発言を否定すべきだったが興味があったので頷いた。

 

 

「ラストバトル中に何の伏線もなくベノスネーカーが喋る。それでベノクラッシュ射出時に『勝利の呪文』を叫ぶ。でも言われた本人は気にしてないだろうし、その後は原作通りの展開」

 

「よくネタにされる『いけーっ〇〇の息子!!』か……酷い言い様だな。まぁ作中だとそれは事実なのだけど」

 

「出生が酷過ぎるんだ。理不尽だろうが仕方ないんだ」

 

 

 予想以上に酷い返事が返ってきた。該当する部分の明言を、麻衣は自分の良識に従って避けた

 麻衣は平静を装っていたが、ツボに入ったらしく胸の中では胃がひっくり返りそうになっていた。要は腹を抱えて笑っている状態だった。

 君は?とアイコンタクトがされたので首を振った。こういうロクでもない言葉遊びではキリカに勝てる気がしないからだ。

 キリカは勝ち誇って胸を張った。

 麻衣は逆にふふんと鼻を鳴らした。胸の大きさでは自分の方が上であると自負している。

 キリカもそれを察し、麻衣を睨み付けた。

 負け犬め、と麻衣はキリカに対して余裕の眼差しを送った。

 

 

「(とまぁ、そんな事思ってるんだろうなぁ。面倒くさい子)」

 

 

 それをキリカは見越しており、やれやれと溜息を吐いた。

 そして会話を軌道修正しようと考えた。

 誰が原因で脱線したのかという意識は彼女には無い。

 

 

「言いたい事はこれだろ?」

 

「ああ」

 

 

 やり取りを終えると同時に轟音と振動。

 二人は自室を模した空間の中におり、部屋の窓から外を見ていた。

 窓からは外界の様子が見えている。

 鏡の異界の中で、赤く輝く光の光子で出来た異界の兵器…ゲッター1を模した巨大な存在と戦闘を繰り広げる少年の様子が見えた。

 場所的には麻衣とキリカがいる場所は、少年と対峙している存在の中なのだが、麻衣の用いる空間接続の魔法によって客観的な視点での観測を可能としている。

 麻衣はそれを便利と思い、キリカは応用が強引でご都合主義すぎると思っていた。

 そして、その戦闘の様子はと言えば。

 

 

「予想通り佐倉杏子が劣勢か」

 

「役立たずだな」

 

 

 麻衣とキリカが罵り、同時に激震が異界に轟く。

 身長五十メートルに達する巨体が、鏡の地面へと腹這いになって激突したのだった。

 首の裏には黒い翼を背から生やしたナガレの姿があった。

 高速飛翔で翻弄しつつ、背後に回ってからの渾身の蹴りを叩き込んでいた。

 単純な力では圧倒されているため、翻弄によりこの紛い物が直立のバランスを崩した瞬間を狙って放った一撃だった。

 だが即座に紛い物が体を捩じって反転、巨大な顔がナガレへと向けられる。

 揺らめく炎のように曖昧な輪郭が、口の部分で大きく崩れた。

 一瞬で発生したのは、淵に無数の鋭角を持った裂け目。即ち口だった。

 

 

「ここ小説版王蛇」

 

「一々関連付けるな」

 

 

 麻衣の指摘を切って捨てるキリカ。真面目にやれという意思表示で正しいのだが、麻衣は釈然としなかった。

 そう言っている間に再度の衝撃が来た。

 瞬時に開いて即座に閉じた口の間を縫ってナガレが飛翔し、紛い物の右側頭部を殴打していた。

 今の彼の手と腕、脚と膝は黒銀の装甲で覆われていた。

 装甲を形成するのは牛の魔女の使い魔であり、戦力の出し惜しみ無しの総力戦状態。

 そうでもしなければ相手にならない程に今の杏子は強力なのだが、それでも培った経験の重さが明暗を分けている。

 

 流石にナガレ自身も無傷ではなく、顔は鮮血で濡れて装甲はヒビ割れ、悪魔翼も翼膜を穴だらけにされていた。

 赤い光子で形成された紛い物のダメージは外見では判別しにくいが、戦闘開始から今に至るまでを比べると形の輪郭に崩れが生じている。

 そしてここ数分は攻撃は掠りもせずに一方的にナガレからの干渉を受け続けている。

 今までの戦闘で間合いを見切られ、攻勢が反転したのだろう。

 

 攻撃を受けたのが頭部という事で、衝撃が中の杏子も揺らしたのか紛い物の動きが停滞した。

 彼は勝機と見た。

 

 

「あ、これ決まっちゃうんじゃない?」

 

「かもな」

 

 

 自分達も紛い物の中にいると云うのに、二人は妙に楽しそうである。

 やられてるのが佐倉杏子であり、ナガレの活躍も見れるので愉快なのだろう。

 また活躍が見れて嬉しいというのは彼の事が好きだからでもあるのだが、その彼の動きを覚えて次に戦う時に役立てようという打算もある。

 つくづく度し難い連中だった。

 

 強引に立ち上がった紛い物だが、ナガレはそれに激突することなく翼を広げて飛翔。

 手に持った斧槍を揺らめく光の装甲に突き立てながら、紛い物の体表を這うように旋回する。

 一瞬も停滞せずに巨体の上を飛び回り、手足に間接、指などの部位を切り裂いていく。

 既に紛い物の手には巨大な得物は無く、遠く離れた場所でそれを握る手首ごと地面に落ちてる。

 破壊された部位は既に直っていたが、破壊と再生の速度は破壊の方が僅かに速い。

 塞がり掛けた溝が埋まるより早く、その傷を再び斬撃が薙いでより深い傷を刻む。

 

 

「あちゃあ…佐倉杏子ってば、私の針を巧く使えてないのかなぁ…」

 

 

 額に右手を当てて嘆くキリカ。

 それだけで一端の名画の図と為り得る美しさがあった。

 麻衣ですら思わず息を呑んだが、動揺を出さぬように努めて「そのようだ」と相槌を打った。

 

 

「あの、というかこの身体は無限増殖する私の針で造られてて、傷も早く埋められるってのにあいつが巧く使えてない。あいつってばまた暴走しちゃってるよ」

 

「ただでさえ投げ捨てられてる人間性が、更に放棄されている訳か」

 

 

 破壊の音は部屋を包みつつあった。

 更に感覚として発生していた振動は物理的に室内を揺らし、テーブルの上のコップやお菓子、読みかけの漫画が震えていた。

 

 

「…あいつは、第一部のラスボス務めたくせに一体何を学んだんだ?」

 

「言ってる事は不明だが、言わんとしてる事は分かるぞ」

 

 

 キリカの架空メタフィクション的な言葉に難色を示しつつ、麻衣は頷いた。

 今の杏子は暴走状態であり、魔法を制御できていない。

 

 

「まぁ少しくらいは私の針のせいだろうけど」

 

「頭や心臓、臓物の中も針で貫いているのだったな」

 

「うむ。処女膜は無事なようにしてあるけどね」

 

「貴様にも良心があったとはな」

 

 

 軽口を言いつつ自分もキリカのグロ触手で顔の内側と脳味噌を切り刻まれた事がある麻衣は、苦痛を思い出して身悶えた。

 普通なら発狂するに違いない苦痛を受けてこの程度で済んでいるのは、魔法少女の不死性もあるがそれだけ麻衣のメンタルが強いという証明でもある。強過ぎる気がしないでも無いが。

 

 

「少しくらいは自分のせいと言ったな」

 

「うむ。で、残りは」

 

「ナガレへの欲情と」

 

 

 続く言葉を麻衣は飲み込んだ。

 血色の視線を、飛翔するナガレの斬撃の嵐の中で刻まれている巨体に注いでいる。

 

 

「ゲッターと言ったな。あの存在からの……」

 

「フィードバック、とでも言うべきかな。それに汚染されてるんだと思う」

 

 

 キリカは結論付けた。それきり彼女も黙った。

 二人の眼の前では、ナガレの攻撃に晒されながら紛い物が暴れ狂っている。

 息が吐かれた。鉛のように重く、火のように熱く氷よりも冷たい息。決意の吐息だった。

 

 

「奴だけに任せてはおけないな」

 

「言われるまでも無い」

 

 

 キリカは右手を前に突き出した。手首からは既に斧爪が発生し、赤黒い獰悪な姿を露わにしている。

 麻衣の手にも魔の愛刀が握られている。

 

 

「奴の心の中に入って、ぶん殴ってブチのめして」

 

「手足をバラバラに切断してからハラワタを取り出し肝臓と膵臓を摘出して肋骨を切り出して肉を削って」

 

「やり過ぎだよ。俗に云うメスガキ分からせ程度にメってしてあいつを制御すればいいんだから、肋骨切り出し迄にしといておくれ」

 

 

 諫めになってない諫めをし、キリカは斧爪を振った。

 部屋の壁に傷が刻まれた。

 五本の爪による傷は横に開き、壁面を黒い孔で覆った。

 その先に光は無く、闇が続いている。

 

 

「うへぇ。これがあいつの心か……まるで宇宙だな」

 

 

 顔をしかめてキリカは言った。顔の形としては崩れている筈なのに、それですら美の結晶だった。

 

 

「さて、この中に入っていく訳だけど、経験者として幾つか注意点がだね」

 

 

 何から話そうか、とキリカは思っていた。

 以前垣間見たナガレの記憶。

 それは断片的にだが杏子も共有している筈だった。

 その杏子の心に入り込むということは、彼の心を見る事にも近い。

 記憶の共有と言う事で面白い気分はしないが、今はその嫉妬心を抑え付ける。

 そうでもしないと、危険極まりないからだ。

 ナガレが見てきた異界の記憶は、紛れも無く地獄の景色であった。

 今からそこに入る。

 戻って来れるのかすら、いや、意識を保てるのかすら分からない。

 

 よし、決めた。

 とキリカは話の内容を頭の中で構築し終えた。

 キリカは隣を見た。

 そこに朱音麻衣はいなかった。

 

 

「…は?」

 

 

 既に壁面に闇の孔が生じており、その中から湧き出す闇に麻衣の部屋は吞み込まれていた。

 闇の奥で、叫び声が聞こえた。

 恐怖に泣き叫ぶ幼子の声に聞こえた。

 

 

「あのおバカ!!」

 

 

 キリカは叫び、躊躇もせずに闇の中へと飛び込んだ。

 少ししてから、絶叫が闇の奥で生じた。

 それを発したのは麻衣か、キリカか。

 或いはその両方か。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 無明②

「闇というか、宇宙だな」

 

 

 自分を内包する空間を眺めながら、キリカはそう言った。

 上も下も横も無い空間を彼女は漂っている。

 佐倉杏子の心の中を。

 彼女はそこを闇、そして宇宙と評した。

 無数の小さな光点が浮かぶ一面の黒。確かにそこは宇宙に見えた。

 光点と黒が集積する巨大な渦は、さしずめ銀河と云った処か。

 

 

「いつも偏愛ヤンデレな度し難い思考に満ちてる佐倉杏子に、こんな想像力がある筈ない」

 

 

 キリカは辛辣で冷静な意見を呟いた。

 無限とも思える空間の中、気配を探る。

 何を、という訳でもない。ただ本能に従い、行くべき道を探っていた。

 当てずっぽうとも言う。

 

 

「そこか」

 

 

 幸い、彼女の勘は鋭かった。

 目星をつけた場所へと、闇の流星となって飛翔する。思うだけで速度は幾らでも出せた。

 次の瞬間、彼女は闇の中ではなく大地の上に立っていた。

 といっても、輪郭は定かではない。実体らしい、という雰囲気だけが感じられた。

 足裏の感触は無い。

 それどころかあらゆる感覚が喪失している。

 常人なら発狂する状況だが、キリカは何とも思っていなかった。

 既に狂っている、のではなく彼女にとってこの世の事象は無関心な事柄が多過ぎるのである。

 

 

「へぇ」

 

 

 僅かだがその声には興味の成分が混じっていた。

 視線の遥か先にあるのは奇怪な物体。

 金属や肉、植物や昆虫の要素を詰め合わせた異形。

 明らかに自然の存在ではないと思えるのに、その形が適切なものと思えてならなかった。

 形とは言うが、それの形状の認識は曖昧である。

 キリカには理由が分かっていた。

 

 心の中とはいえ、網膜から入る情報は見たままを示している。

 それが脳で認識される際、誤変換を起こして曖昧に映っているのだと。

 理由は、認識による狂気から心を護る為。

 万物に無関心を示し、メンタルも強靭なキリカをして、この世界の事柄は精神を汚染するに足りる狂気で満ちているのだった。

 

 キリカがそう認識した存在は、遥か彼方、地平線の先にあった。

 ほんの数舜で、彼女の前方数百メートルの地点まで迫っている。

 それは大津波の如く高さと幅を備えていた。

 見上げても足りない高さ、視界の隅に収まらない範囲。

 振動は感じないが、地面が揺れているのが見えた。

 異形の大津波は進路上の全てを破壊し進んでいく。

 地形、山脈、文明、生命。

 全てが蹂躙され、異形の波に飲まれていく。

 

 流石に不愉快そうにキリカは美しい顔を少し顰めた。

 細首を回して周囲を見る。

 異形の波は全方位から迫っていた。巨大に過ぎる存在だったが、それはキリカが立っている場所を目指しているように思えた。

 何が起きているのかを理解し、キリカは空を見上げた。

 瞬間、黄水晶の瞳に深紅が映った。それは光の帯となり、異形の波へと降り注いだ。

 

 音も何も無いが、絶叫が響き渡るのをキリカは感じた。

 光が着弾した個所の異形は瞬時に形を崩壊させた。帯は横に一閃され、接近するもの全てを薙ぎ払った。

 光と熱風がキリカの身体に叩き付けられた。

 例によって何の衝撃も無いが、キリカはそれに圧倒された。

 されながらも、煌々とした光で満ちた空を見上げた。

 眩いに過ぎる光の中、形を備えた深紅を見た。

 それは光の先にある蒼穹へと吸い込まれていった。

 キリカは即座に地を蹴って跳んだ。

 黒い閃光となって、深紅を追い求めて飛翔する。

 

 大気圏内を抜け、宇宙に出た。

 既に深紅の姿は無い。

 本能に従って彼女は飛翔し続けた。

 その間、彼女は無言だった。

 思考も無に近かった。

 ただ本能に従って飛んだ。

 本能とは、『愛』でもあった。

 

 

「う……」

 

 

 飛翔し続けるキリカの耳朶は少女の声を拾った。

 少し考え、寄り道をすることを選んだ。

 こういうあたり、キリカは善人であった。

 

 

「やぁやぁ、久々だね朱音麻衣」

 

 

 接近するまでも無く、キリカには正体が分かっていた。

 宇宙空間の中、朱音麻衣が座り込んでいた。

 体育すわりになり、肩を、全身を震わせていた。

 仕方ないねとキリカは思った。

 

 

「何を見たか知らないけど、ここはヤバいんだよ」

 

 

 努めて優しい口調でキリカは言った。案外、保育士的な仕事が似合っているのかもしれない。

 キリカの言葉に、麻衣は大きく肩を痙攣させた。そしてゆっくりと振り返る。

 うわぁ、と言うのをキリカは堪えた。

 今の麻衣の顔は、幽鬼の如き虚無感と憔悴感で満ちていた。

 無念の内に世を去った亡霊でも、まだ明るい表情をしている。そう思わせるような貌だった。

 

 

「ここは佐倉杏子の心の中だけど、あいつは友人から記憶を掠め取ったみたいだ。つまりここは友人の過去さ」

 

「…くわしいな」

 

「一度、いや二度ほど経験があるからね。詳しくは言わないよ。精々たっぷり妄想しておくれ」

 

 

 麻衣は歯軋りをした。嫉妬の炎が燃え上がり、麻衣の意識を正気に戻す。ちょろいなぁとキリカは思った。

 

 

「あいつは此処に来る前は地獄みたいな世界にいた。そこで延々と戦ってたのさ」

 

「素晴らしいな。私もぜひ行きたいものだ」

 

「本心、そこに羨望と嫉妬が混じってるのが丸分かりだね。でも今そこにいるから叶ってるか」

 

 

 幽鬼から悪鬼の表情となった麻衣にキリカは呆れていた。

 自分の周りはどうしてこう、戦闘狂ばかりなんだろと彼女には疑問で仕方なかった。

 

 

「で、君は何を見たんだい?」

 

「それは」

 

 

 キリカの問いに麻衣は答えられなかった。

 麻衣の表情は戦意に燃える悪鬼から、虚無を宿した幽鬼へと戻りつつあった。

 めんどくせぇえええええ、とキリカは叫びたくなった。

 

 

「あー、うん。分かった。言葉にするのはやめとこ。理解するの無理」

 

「……そ、う、だな。うむ、そう、そうだな」

 

 

 口内に溜まった泥でも吐き出すように麻衣は言った。

 しばらくそのまま息を吐き続けた。

 待ってるのも暇だったのでキリカは麻衣の背を摩った。

 その甲斐あってか、麻衣の呼吸は落ち着きつつあった。

 さて、何を話そうか。

 キリカが今後の方針を考えていると、繊手の先でドクンと跳ねる心臓の感触を覚えた。

 

 麻衣の顔にも変化があった。

 眼は驚愕に見開かれ、口がわなわなと震えている。

 恐怖に慄く朱音麻衣の姿は、流石にキリカも初めて見た。

 恐らくは、この世の誰もが見た事のない表情だろう。彼女の親ですらも。

 麻衣にそんな顔をさせたものが何か、キリカには察しが付いた。

 麻衣の視線の先をキリカも追った。

 途端に、彼女の顔にヒビのような痙攣が奔った。

 

 視線の先には宇宙がある。

 そこに亀裂が走っていた。

 宇宙空間を切り裂く赤の線。

 それは縦に横にと拡がっていく。

 際限なく、空間を埋め尽くすように拡大する。

 瞬く間に、視界で納められる大きさではなくなっていた。

 

 だが二人にはその様子が確認出来ていた。

 視認という概念を超え、魂にそれが情報として注ぎ込まれているかのように。

 線は線と合流し、巨大な形を描いた。

 近くで渦巻く銀河と思しき集合体ですら、その形の先端と比較すれば指先で拭われる埃のようだった。

 そう、それは巨大に過ぎる指だった。

 それも指の第一関節であり、その後に更に関節が連なった。

 その後は手の甲になり、腕となった。

 

 そして、その先は。

 

 

 魔法少女、魔女。

 異形と接することが日常である魔法少女達の認識を、眼の前の存在は遥かに超越していた。

 文字通り別次元の事象であった。比較対象にもなりはしない。

 知らずの内に、叫びが放たれていた。

 恐怖と絶望。

 それが声となって吐き出されていた。

 しかし、眼の前の事象は魂に流れ込んでくる。

 以前にあった、異界の狂気から自分の心を護る為の本能的な防御も発動しない。

 ただただ、狂気を越えた狂気に浸されていく。

 宇宙を巨大に過ぎる深紅が汚染していく様が、まざまざと見せつけられる。

 

 叫ぶ中、二人は一つの光を見た。

 際限なく巨大化していく深紅の巨体。

 そこに向かって行く、深紅の姿を見たのだった。

 その形状には見覚えがあった。

 

 それは…。

 

 

 

「うるせぇぞ、雌餓鬼共」

 

 

 鬱陶しそうな声が、叫ぶ二人に投げ掛けられた。

 それが耳朶を打った時、二人の視界は急速に歪み始めた。

 そして全てが歪み、肉体や心と言った自身を構成する要素すらも曖昧となり、意識は虚無へと落ちていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 愛ゆえに

 重低音が鳴り響き、地響きが鏡で出来た異界を震わせる。

 崩れ落ちるのは真紅をベースに黒と紫を体表に散らばせた人型の巨体。

 異界の兵器、ゲッター1をモチーフとした、光子で出来た紛い物。肘と膝のあたりで腕と脚が切断され、達磨状とされていた。

 巨体の落下に少し遅れて、黒髪の少年が空中から地面に着地する。

 足が触れた瞬間、ナガレは膝を着いた。片膝だけで耐えたのは彼の意地である。

 悪魔翼は崩壊し、黒い鱗粉のように飛び散って行く。

 背から伸びた竜尾は根元部分だけを残して欠損。残った部分も剥離して落下し、地面に当った衝撃で粉となって消える。

 

 全体にヒビが入った斧槍を杖にして、なんとか転倒を防いでいるナガレであったが、顔面は蒼白となっていた。

 恐怖ではなく、体内の血が残り僅かとなっているのである。

 戦闘はナガレが優勢を保っていたが、攻撃の一つ一つの威力が尋常ではなくその蓄積が彼を追い遣っていた。

 斧槍同様、彼の全身の骨もまた砕けかけている。

 十秒だけ彼は休んで立ち上がった。

 あと少しだけ、作業が残っている。

 この存在を切り刻み、中にいる魔法少女三人を抉り出して現世に帰還するという事が。

 倒れ伏した巨体までの距離は二十メートル程度。

 復活を果たす前にさっさと済ませて仕舞おう。

 彼はそう思った。

 その瞬間、彼の意識は途絶した。

 

 

「ぐぁぁっ!?」

 

 

 一瞬の後、全身に刻まれた苦痛によって彼は覚醒した。

 咄嗟に、本能によって掲げた斧槍で防がなかったら少なくとも四肢は胴体から離れていただろう。

 全身から噴き上がる血が大気を染める。

 今の彼は、地面から高空へと瞬時に移動していた。

 血反吐を吐きながら、激痛によって真っ赤に染まった視界を睨んで原因を探った。

 赤の奥に、更に赤が見えた。

 形を備えた真紅の色だった。

 それが眼球の破壊と苦痛による視界の紅ではなく、実体としての赤として見えた。

 

 巨大な、超が付くほどに巨大な拳であると彼は認識した。

 拳だけで、先程斃した紛い物に相当する大きさだった。

 それが更にもう一つ、彼に向って接近していく。

 彼は叫び、再び悪魔翼を形成させた。

 翼膜は形成の時から既にボロボロであり、魔女も限界が迫っていた。

 

 それでも受けたら確実に死ぬとして、死力を振り絞っての形成だった。

 接触の寸前に飛翔するが、なおも拳は迫り来る。

 血を吐きながら叫び、魔力を行使して速度を上げる。

 間髪で逃げ切り、更に飛翔。

 高空から相手の全容を確認する。

 ナガレは息を呑んだ。血臭と胃液の酸味、そして死の香りがした。

 下方からの颶風。

 

 即座に上を見上げた時には、高空から見降ろしていた筈の存在が更に高所へと舞い上がっていた。

 影が降りる範囲は異常に広く、逃げ場はない。

 瀕死の身で出来ることは、ダメージカットを全開にする事だけだった。

 彼の全身を幾重にも重なる障壁が覆った瞬間、異界全体に激震が奔った。

 

 高空からは一筋の黒い閃光が地面に向けて落下したように見えた。

 地面に触れた時、二度目の激震が生じた。

 着弾地点からかなりの広範囲が、蜘蛛の巣状にひび割れた。

 例えるなら、一つの学校の敷地内に相当する面積が破壊されていた。

 

 その破壊の淵へと、赤く巨大な何かが降り立った。

 足と思しき光子の塊は、大破壊による孔と比べても巨大であった。

 それが巨塔のような脚に繋がり、更に巨大な胴体、胸部に繋がる。

 肩からは三枚の刃を生やし、頭部には巨大な複数の角。

 機械の鬼。それもまるで鬼神のような姿だった。

 

 

「『ゲッターエンペラー』……たしか、そう言ったよな。これ」

 

 

 真紅の光で構成されたそれは、佐倉杏子の声を発した。

 声の矛先は、ナガレの落下によって生じた深淵に向けられていた。

 

 

「あんたにゃ普通じゃ敵わねぇ。だからこっちも勉強させてもらったよ」

 

 

 杏子の声には色濃い疲労がへばりついていた。

 ナガレから得た記憶の一部を解析し、キリカによって打ち込まれた無限増殖する針を用いてこの形を形成。

 更に朱音麻衣の次元接続魔法の応用で、この姿自体を形ある魔女結界とでもいうべき存在と化した。

 つまりはこれも一種のドッペルである。それも、複数の魂を用いて形成したもの。

 そしてそれの元となり、制御しているのは。

 

 

「気に喰わないのは確かだけど、悔しいが今回ばかりは佐倉杏子の案に乗ることにした」

 

「こうでもしないと、君は振り向いてくれそうにないからな」

 

 

 杏子に続いて、キリカと麻衣の声がした。

 声には疲労と恋慕、そして暗い感情が付随している。

 

 

「あんたは別の場所から来た」

 

「地獄みたいな場所からね」

 

「あれと比べれば、君の今は退屈なのだろう」

 

 

 三人の魔法少女の口調には、鬱屈としたなにかがあった。

 悍ましいなにかが。

 

 

「だからあんたは」

 

「私達を」

 

「見てくれないんだな」

 

 

 声に含まれているのは、愛と憎しみ。三人の声は愛ゆえの憎しみで、愛憎によって出来ていた。

 愛しているから。

 でも振り向いてくれないから。

 だから憎い。愛しているから、こんなにも憎しみが生まれてしまった。

 だから、君が最も憎むものの姿を取った。

 

 そういうことなのだろう。

 

 

「だから」

 

「だから」

 

「だから」

 

 

 同じ言葉が連なる。

 聞くものの耳と魂にこびり付いて、永劫に魂を汚染するかのような、悍ましい感情が込められた声であった。

 声に合わせて、佐倉杏子が造り出した…疑似エンペラーとでも言うべき個体が巨大に過ぎる腕を掲げる。

 オリジナルの大きさとは比べ物も無いが、それでも腕だけで二百メートル以上、本体を含めれば一キロに達するサイズである。

 握り固められた拳は、まるで一つの山に等しい。

 

 

「だから…」

 

 

 再び同じ言葉が発せられた。

 その続きは、終ぞ言われることは無かった。

 言葉が終わるのを待たずして、巨大な拳が振り下ろされた。

 地面は衝撃に耐えきれず、鏡の地面の全ては瞬時に銀の飛沫と化した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 愛ゆえに②

 鏡の世界が砕け散る。

 三人の魔法少女の魔力と三体のドッペルの集合体。全長は六百メートルにも達するだろうか。

 そして、模倣体とはいえ皇帝の名を冠した存在の力は異常に過ぎていた。

 振り下ろされた剛腕がもたらした衝撃は一瞬で異界を駆け巡り、天も地も、そして無数に構造物や復活を始めた魔法少女の複製体達も白銀の塵へと変えた。

 その後に残ったのは、虚無。

 物質どころか空間までが割れた鏡となって破壊されている。

 鏡が消えた後には、闇が残った。

 破壊されたものの残滓が、白霧のように漂っている。

 

 闇の中、真紅の色に輝く巨体だけが残っていた。

『ゲッターエンペラー』。

 そう呼ばれる存在の模倣体。

 そしてそれを為している三人の魔法少女の魂と意思。

 佐倉杏子、呉キリカ、朱音麻衣。

 愛憎の想いが込められた一撃がもたらした大破壊。

 

 それによって発生した闇の中、真紅の巨体が孤島のように浮かんでいる。

 ナガレの姿は無い。

 世界を破壊した一撃は、彼を中心に発生したものだからだ。

 逃げ場も無く、彼はそれを受けた。

 だから、つまりは。

 

 

「勝った」

 

「勝った」

 

「斃した…」

 

 

 杏子と麻衣は淡々と、麻衣は感嘆の想いを込めて言った。

 前者二人は彼の殺害を結果として言葉にしただけだが、麻衣の場合はそれが望みであるために感情の深さが異なるのだろう。

 麻衣の心は高揚に湧いた。ほんのひと刹那だけ。後には喪失感が残った。それは杏子とキリカも同じだった。

 愛しているが、彼は自分達を見ていない。

 地獄のような世界から来た彼にとっては、この世界の万物の事象は心を動かすには至らない。

 だから異界の最終兵器を、彼が最も嫌う存在を模倣した。

 

 ゲッターエンペラー。

 彼の、ナガレの元となる存在の、流竜馬の末路。

 この姿になりたくないから。

 破壊者と化した自らの存在を認めず、破壊し続ける修羅地獄。

 その過程にある異形の群れを殲滅し続け、惑星や宇宙が芥子粒のように消え去る中でも戦い続ける。

 

 そういったスケールの世界に身を置く存在が彼であり、今はその旅路の最中の寄り道。

 魔法少女の苦悩や日々の血と愛欲に濡れた闘争も、あの地獄の世界の前では霞む。

 だから見てくれない。

 愛に応えてくれない。

 

 だから、こうなった。

 全てを破壊し、彼もまた消えた。

 

 

「駄目だ」

 

 

 声が重なっていた。

 杏子とキリカと麻衣の心はこの時、境目を持っていないかった。

 

 

「あんたは、君は、お前は……ここで終わっちゃいけない」

 

 

 その言葉は哀願だった。

 

 

「こんな事で、ここで死ぬはずが無い。死ぬなんて許さない」

 

 

 自らの愛憎と殺意を込めた攻撃を放っておいて、という考えは彼女らにも残っていた。

 それでも言葉が出た。それは祈りと願いであった。

 

 

「だから」

 

 

 立ち上がれ。

 戻って来い。

 いつものように。

 立ち塞がり、対峙してくれ。

 

 

 二の次を次いで、その後に続く言葉はきっとそれであっただろう。

 言葉が出る前に、異変が生じた。

 白霧のように空間に広がる銀の粒が、風に吹かれたようにある一点に向かって行った。

 それは巨体と比べれば、極微な点だった。

 粒が発する光がそれを照らした。

 

 

「言われるまでもねぇよ。死んで堪るか」

 

 

 斧槍を携えた、黒髪の少年の姿が闇の中に浮かび上がった。

 全身は血に染まった、どころか血に浸されたような姿。

 腕も脚も歪み、斧槍も砕け掛けている。その斧槍が、銀の光を吸っている。

 そして全身の負傷が、銀の光を纏って治癒されていく。

 治癒をされても、傷は塞がらずに血が零れた。

 強引に塞ぐように、全身に光が纏わり付く。

 

 この姿を維持するための、強引な処置だった。

 恐らく彼は、攻撃を受けた際に肉体をほぼ喪失したのだろう。

 そこで魔女と融合し、紙一重のところで死に至るのを防いだ。

 そして今、鏡の世界の残滓を取り込み力へと変えている。

 

 黒い洞となっていた眼球が再形成され、黒い瞳がエンペラーの模倣体を、いや、その中にいる杏子とキリカと麻衣を見据える。

 

 

「それでだな」

 

 

 黒い瞳には、雷嵐のような渦が巻いていた。

 叫びが轟いた。

 杏子とキリカと麻衣の声で。恐怖の叫びだった。

 ナガレの声は、普段と変わらない。

 機械に掛けても、魔法で分析しても寸分変わらないと診断されるだろう。

 だが違う。

 ナガレだが、ナガレではない。

 人間性はそのままに、更に恐ろしいものへと変貌している。

 三人はそう察した。愛しているから分かるのだった。

 恐怖とは、喜びの裏返しであるが故に。

  

 叫びと共に右の拳が放たれた。

 絶対に外しようが無い距離であり、回避も不可能な巨大さと速度の拳である。

 着弾の瞬間、轟音ではなく、キンという音が鳴った。

 金属が断ち割られる、鋭い音だった。

 直径五十メートルを超える拳の、光子で出来た塔の如き五指が根元から切断されて落下した。

 次いで手の甲が複数の破片となってバラけた。

 破壊は手の甲にまで達し、光が鮮血のように散った。

 輝く破片と化した巨腕の中、ナガレの姿があった。

 

 

「俺の自業自得もあるんだろうがよ……今回は、俺も怒ってる」

 

 

 そう言ったナガレの顔には、凶獣の如く獰悪な形が刻まれていた。

 渦巻く瞳は血走り、怒りを湛えている。

 自らが最も忌み嫌う存在を模したという事に対する怒りと、それを招いた自分への怒り。

 後者の方が、遥かに色濃い怒りであった。

 驚愕と恐怖と安堵と愛憎。

 それらが綯い交ぜになり、それでいてその何れもが独立した感情と想いを三人は抱いた。

 そして彼女らは見た。

 万物を破壊する剛腕を破壊したものの正体を。

 それを察した時、三人の魔法少女は息を呑んだ。

 

 

「あ……あぁ……」

 

 

 魂から漏れた喘ぎには、感嘆と、胸を締め付ける愛慕の念が込められていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 愛ゆえに③

 砕かれた左手の五本の指は、宙に舞うと真紅の色を喪い銀の光沢を放った。

 鏡の世界から三人の魔法少女が力を吸い上げて造ったものゆえに、その影響から離れたためにそうなるのだろう。

 更に砕かれ、飛び散る銀の破片を吹き飛ばしながらナガレは飛翔した。

 今の彼もまた、鏡の世界から魔女を介して力を吸っていた。

 肉体の破損個所を溶接のように塞ぎ、その部分は銀の色となっている。

 背中から生やした悪魔翼も銀色となり、禍々しい形状は兎も角として光を纏って飛ぶ姿は悪魔ではなく天使にも見える。

 

 美しい。

 

 三人の魔法少女はそう思った。

 だから、それが欲しくなった。

 

 

「速いな」

 

 

 迫る右腕を頭上に見上げ、ナガレは呟いた。

 エンペラーの模擬体は巨体であるが、腕の動きは落雷の速度を思わせた。

 広げられた五指が握り切る寸前、巨大に過ぎる手の甲に亀裂が入った。

 亀裂は掌の中央を基点とし、そこから崩壊が始まった。

 断裂する真紅の掌が銀色へと変わっていく。

 広がる孔を突き破り、銀の翼を背負ったナガレが飛び出した。

 手首へと着地し、そこを蹴って跳ぶ。跳躍は飛翔へと変わり、頂点を目指して光の矢の如く速度で飛ぶ。

 

 その彼へと、光が殺到した。

 一つは長い槍の形を取り、一つは鋭利な針となり、最後は巨大な雷撃となった。

 佐倉杏子と呉キリカと朱音麻衣の魔力は、それぞれが彼を求めて放たれていた。

 そのどれもに、彼の身を裂いて貫き、消滅させるほどの力が宿っていた。

 接触の寸前、それらが破壊された。

 空中を薙いだ、二振りの斬線によって。

 

 

『ああ……』

 

 

 陶然とした思念の声が漏れた。

 三人の魔法少女達は、先程から破壊を繰り返している存在の正体を知ったのだった。

 それは二振りの手斧だった。

 黒い峰と銀の刃を持ち、前に伸びた形状は日本刀の趣を有していた。

 それは彼の手に握られておらず、柄の部分から伸びた菱形の連なりによって彼の手首に巻かれた黒いブレスレットに繋がっている。

 

 

「こいつは前々から鍛えてた武器だがよ」

 

 

 そう言って彼は両腕を振った。

 菱形の魔力の鎖で繋がれた二振りの斧が、彼の動きに従い振り回される。

 残っていた槍と針と雷撃が斬撃によって切り刻まれた。

 

 

「こういう風にすることが出来たのはお前らのお陰だ」

 

 

 最初に、左手がが破壊された際に見た時に、三人は直感で感じていた。

 これは自分の武器を元に造られものではと。

 それが今彼の言葉で確定した。

 三人は、心がマグマのように沸き立つのを感じた。

 そして、その胸を貫く刀身の冷たさを。

 

 攻撃を薙ぎ払った次の瞬間には、ナガレは疑似エンペラーの頭部へと辿り着き、その額へと突撃していた。

 後頭部から抜け出た際、両手に握られた双斧は二人の魔法少女の胸を貫いていた。

 左手で呉キリカを、右手で朱音麻衣を。

 そして、残るは。

 

 

「ぐるるるるぅぅああああああ!!!!」

 

 

 血に狂った咆哮が、ほぼゼロ距離でナガレの顔に叩き付けられる。

 直後に鮮血が飛び散った。

 発生源は、ナガレの胸。

 両腕を塞がれた今、彼に成す術はなく彼の胸には杏子の牙が立てられていた。

 溢れる血が杏子の顔を赤く染め、彼女は血を飲みながら牙の先にあるナガレの鼓動を感じた。

 

 力の根源である魔法少女を喪い、エンペラーの模擬体はその姿を崩壊させ始めた。

 肩が胴体から外れ、脚は自重を支えきれずに胴体も断裂する。

 今は黒い虚空の中に浮かんでいるのだが、異界を破壊した存在が崩壊したことによってある程度の法則が戻ったらしく、エンペラーの破片は足があった部分へと落下した時に砕け散った。

 そこが地面ということだろう。 

 ナガレと三人の魔法少女達も、後を追うように落下しつつあった。

 彼の背にある銀の魔翼が、前に伸びて交差した。

 魔法少女達の背を庇うような形である。

 その動きに反応したか、

 

 

「あああぁぁぁぁあああああ!!」

 

「ぐがぁぁああああああああ!!」

 

 

 胸を刺し貫かれ、意識を喪失していたキリカと麻衣が目を覚ました。

 そして杏子と同じく方向を上げ、自らが更に傷付くのも厭わずして前へ進み、自らの牙をナガレに突き立てた。

 キリカは喉に、麻衣は彼の右肩へと喰らい付く。

 溢れる血を魔法少女達は啜り飲み、彼の肉と骨を噛み砕いた。

 彼の命に触れる事に、彼女たちは性的な快感を見出していた。

 熱い命が身体に流れ、体内が真っ赤に燃え上がる感覚。

 

 そしてそれは、直後に比喩ではなくなった。

 

 

「シャインスパーク」

 

 

 苦痛の中で、ナガレは強引に口の端を歪めて嗤いを作った。

 彼の身体が光を纏い、閃光と灼熱を放った。

 全てが白色に塗り潰される光と高熱、そして耐えがたい苦痛が返礼とばかりに魔法少女達に返される。

 だが誰一人として、彼から離れようともしなかった。

 寧ろ高熱で崩壊する口で、更に彼の肉を噛んで身体を絡めた。

 逃がさないと言わんばかりに。

 

 そして直後に、四人の身体が虚空の中の地面へと落下した。

 銀の翼が砕け、鮮血と血肉が銀の破片と共に飛散する。

 

 












いつもながらくるってやがる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 愛ゆえに④

「重い」

 

 

 杏子が言った。

 漆黒の地面の上で、仰向けとなった彼女はうつ伏せとなったナガレの下にいた。

 彼女の胸の上から顔を引き剥がし、

 

 

「悪い」

 

 

 とナガレが返した。

 杏子は唇の端を痙攣させた。笑いであるらしい。

 

 

「別に。あたし的にはこのままでもいいよ」

 

 

 杏子は左手を伸ばし、ナガレの右頬に手を添えた。

 頬の皮膚に触れたのは肌ではなく、焼け焦げた肉だった。

 

 

「そうでなけりゃ……続きをシようぜ」

 

「ああ」

 

 

 杏子が五指を握り込む寸前、彼は背後へと退避した。

 指先に引っ掛けられた皮膚が浅く抉れ、右頬に五本の朱線を奔らせた。

 前を見据えると、杏子も既に立ち上がっていた。

 ナガレの頬の皮が付着した五指の先を、桃色の舌でぺろぺろと舐めている。

 指に舌を絡め、器用に掬って口内にナガレの皮膚を導き、ゆっくりと噛んで飲み込んだ。

 ただキャンディを舐めているかのような自然さであったが、淫靡さが漂う動作だった。

 飲み込んだ直後に熱い吐息は蜜の甘さと血潮の生臭さを孕んでいた。

 

 

「あんたの血肉………なんでかなぁ……口に含むと、胎の奥が疼くんだよなぁ………」

 

 

 半月の口で杏子は言う。

 足はふらつき、肩は浅く上下している。

 魔法少女達に胸と喉と肩に牙を立てられて肉を砕かれて血を啜られ、その反撃として灼熱の閃光を見舞ってから、どのくらいの時間が経ったか。

 杏子の様子からして、あまり時間は経過していないようだった。

 今の杏子は、全身に大火傷を負っていた。

 顔の形は原形を留めていたが、皮膚の表面が蕩けたように爛れ、掌の皮膚は消えて焦げた肉が露出している。

 ナガレがゼロ距離で放ったシャインスパークの為であり、人間なら瀕死の重傷となっていた。

 

 杏子を見つつ、ナガレは気配を探った。

 自分から見て右の方向に、キリカと麻衣の気配があった。

 足裏からは微かな鼓動が伝わる。

 杏子は全身大火傷と落下の負傷で済んでいたが、キリカと麻衣は全身が炭化し落下の衝撃によって砕けた事で複数の破片へと変わっていた。

 死んでさえいなければ時期に回復するので、ナガレは今の二人の現状を『無事』なものとして把握した。

 

 キリカと麻衣の破片の近くには、二人の胸を貫いていた双斧が落ちている。

 距離を考えると、杏子を相手にした状態で取りに行ける距離では無かった。

 牛の魔女も戦闘不能状態。完全な丸腰だった。

 そんな彼に対し、杏子も得物を呼び出さなかった。

 

 傷付いた身体を引きずるように、彼女はナガレへと歩み寄る。

 彼もまた彼女を目指して歩いていく。

 火傷こそ負ってはいないが、ナガレも重傷の身であることに違いはない。

 杏子に喰い破られた胸、キリカに噛み千切られ掛けている首、麻衣の嚙みつきによって右肩は砕かれている。

 そんな苦痛など無いかのように、強がりながらナガレは歩く。

 歩行は直ぐに疾走となった。

 だから激突は直後であった。

 

 

「ぐぁああああ!!!!」

 

「オラァッ!!」

 

 

 獣の叫びを上げる杏子に、ナガレは裂帛の叫びで返した。

 杏子は右腕を、ナガレは左腕を突き出した。

 杏子の拳が頬を掠め、ナガレは浅く出血した。

 対して彼の拳は杏子の右頬を貫き、頬の肉を削ぎ落した。

 意識が飛び掛けた杏子へと、ナガレは右の回し蹴りを放った。

 それは杏子が反射的に行った左脚での防御を叩き潰し、彼女の胴体へと爪先を減り込ませた。

 破壊された内臓から逆流した血液が胃に到達し、喉を上った。

 しかし吐きはせずに留まった。彼から奪った皮膚と血を吐き出したくないと、彼女は必死に耐えた。

 

 

「痛ぇ……なぁ!」

 

 

 胴体に減り込む左脚を両手で掴み、杏子は彼の身体を振り上げてから叩き落した。

 後頭部が地面に接触する前に、彼の両手が先に地面に触れ、肘を撓めて衝撃を殺した。

 後頭部ではなく背中から地面に落ちると。彼は身を捩った。

 それによって彼の脚を掴んでいた杏子の身体も巻き込まれ、身体の側面から杏子は地面に激突した。

 

 

「うっ」

 

 

杏子が声を上げた。

大きくバウンスした彼女の顔面にはナガレの右膝が迫っていた。

防御も間に合わずに膝が杏子の顔面を直撃した。

その一撃により鼻骨が折れ、杏子は悲鳴と共に鮮血を吐いた。

 

 

「おぉおおあああ!!!」

 

 

 ナガレは雄叫びを上げ、左手で杏子の髪を掴み、更に二度三度と右膝を打ち付ける。

 

 

「ざっ……けんなぁぁぁぁ!!」

 

 

 顔を血塗れにし、口から歯の破片を吐き出しながら叫ぶ杏子。

 両拳でナガレの腹部を殴打する。

 ナガレも血を吐き、大きく後退する。手の拘束も外れ、杏子が尻から地面に落ちる。

 一切の容赦なく、ナガレは左拳を叩き込んだ。

 バク転の要領で杏子は後退し、拳が空を切る。

 地面に着弾した拳は小規模なクレーターを生み、その振動は離れた場所の杏子にも届いた。

 そしてそれは、二人の少女の意識に響いた。

 炭化していた瞼が開き、粘液に濡れた瞳が覗く。

 黄水晶と血色の眼は、争う少年と少女を見た。

 

 

『ヤってるねぇ』

 

『見れば分かる』

 

 

 炭となっている部分を少しずつ生体に直しながら、キリカと麻衣は思念を重ねる。

 幸いにして、苦痛は炭に血が通って濡れそぼっていく際の、死にたくなるほどのむず痒さ程度で済んでいる。

 

 

『にしても度し難い』

 

『うむ』

 

 

 治癒したばかりの眼で見て、神経網が這い廻っていく脳で思考し、ここにはない魂で情報を認識する。

 ナガレと杏子は再び接近し、殴打と蹴りを見舞い合っていた。

 既にノーガード状態であり、力も大分落ちている。

 肉体の破壊は小さく、痛みだけが重なる状態となっている。

 それは野生動物による、ただ互いの肉体をぶつけ合う原始的な闘争だった。

 見ている間にも杏子の顔は殴打され、ナガレの胸に蹴りが突き刺さる。

 

 

「はは…ははは…」

 

 

 口から血を吐きながら、杏子は笑っていた。

 楽しすぎて堪らないからである。

 

 

『本当に度し難いな』

 

『………』

 

 

 キリカの声は呆れていた。呆れてはいたが、それは羨望を糊塗するものでもあった。

 麻衣の沈黙は嫉妬によるものだろう。

 

 

「ひぃ…ひくっ…ひゃ……ひぃぅ……」

 

 

 喉に、腹にと殴打と蹴りが炸裂した時、杏子の笑い声は変化していた。

 変化というより、新しい趣が追加されたと言うべきか。

 彼女の声は、性的な快感に震える嬌声となりかけていた。

 彼と重ねる命の交差。

 与えられる痛みと与える痛み。

 痛みと痛みを取り換えるような、命同士のせめぎ合い。

 自分の全力に対して全力で向かってくれる相手の存在が、愛おしくて尊くて堪らない。

 それは、そんな声だった。

 

 

『やはりというか、佐倉杏子はちょっと異常だな』

 

『貴様が狂気を語るとはな』

 

『君も大概だよ、朱音麻衣。しかし佐倉杏子は必死に過ぎる。私でさえ、この状況ならキリカ式セックスは見送って負け犬共の回収作業を共に行いながら友人とイチャつくってのに』

 

 

 キリカの言葉を麻衣は理解しようと努めた。

 何故佐倉杏子がここまで必死なのかという事についてである。

 ついでにキリカ式セックスという度し難い単語については、考えるまでも無く理解できていた。要は殺し合いであり、彼女は彼と繰り広げるそれが大好きだからだ。

 また、自分と一緒に炭化した雌餓鬼共を回収する様子も実に尊いと思えた。

 精神鑑定が必要そうな精神だが、恐らく解析は不可能であるし診断した医師の方が病むだろう。

 

 

『そうか』

 

 

 キリカは気付いた。

 

 

『そういう事だったのか』

 

 

 同時に麻衣も理解した。

 視線の先では、ナガレの首に喰らい付く杏子の姿が見えた。

 噛み付きながら血塗れの身体を、ナガレの身体に蛇のように絡ませている。

 ナガレは杏子の口に左手を差し込み、強引に引き剥がした。

 首を掴んで地面に叩き付け、彼女の身体は全身の傷から血を噴き出しながら血車のように転がっていく。

 ふらつきながら立ち上がる杏子。その口は転がっている間から動いていた。

 ナガレの左手の指の第一関節が噛み千切られ、杏子はそれを噛み潰している。

 

 杏子の両眼からは血が滴っている。血で出来た涙だった。

 叫び、リボンの解けた長髪を靡かせながら杏子はナガレを目指して走った。

 その様子に、キリカと麻衣は哀切さを覚えた。

 孤独な幼子が、親と離れまいとして必死になって追い縋るかのようだったからだ。

 

 

『佐倉杏子。君には……』

 

 

 痛みを堪える口調でキリカは思念を発した。

 それを麻衣が引き継いだ。

 

 

『彼しかいないのか』

 

 

 呟きが放たれたのと、杏子の顔面にナガレが頭突きを見舞うのは同時だった。

 なおも杏子は腕を動かそうとした。

 予備動作に入った時点で、ナガレは杏子の腕を殴打して肘を破壊した。

 蹴りを放つ前に彼は彼女の両脚に回し蹴りを放って圧し折った。

 

 それでも杏子は彼に飛び掛かった。

 その胸を左拳が貫いた。背中から抜けた左手は、杏子の心臓を握っている。

 貫かれながら、杏子は胸に開いた肉の孔で彼の腕を飲み込む様にして前に進んだ。

 運動能力は皆無であったが、僅かな身体の揺らしと傾斜によって前に進めた。

 彼の肘に至った時、杏子はナガレの顔に顔を近付けた。

 

 ナガレは動かず、杏子の動きを見守った。

 触れる寸前で動きが止まった。

 なので最後は彼が迎えた。

 自分と相手の血で濡れた唇が軽く触れあう。

 そこで最後の力が切れ、杏子は眼を閉じた。

 既に眼球は破裂しており、瞼しか残っていなかった。

 

 

『ま、役得かな』

 

『そう思う事にしておこう』

 

 

 キリカと麻衣もその思念を最後に意識を閉じた。

 体力と精神が限界なのと、これ以上意識を保っていると嫉妬で狂いそうになるからだ。

 こうして長いに過ぎる、何時にも増して度し難い戦闘は幕を閉じた。

 

 

 











どしがた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 外道譚

「この…気狂ぃいいいいいい!!!」

 

「はは…フフ……ハハハハハ!」

 

 

 怒りを孕んだ絶叫と哄笑が木霊する。

 プレイアデス聖団の本拠地。

 テディベアの博物館の地下は破壊の坩堝と化していた。

 狂乱する双樹が両手に握るサーベルからは超高熱と超低温を合わせての対消滅魔法が発射され、相対する黒江は羽織った外套を粘液状の鳥の姿…自らのドッペルを発現させて相手の攻撃を掻い潜りつつ翼を変形させた拳で双樹の剣戟とやり合っている。

 二つの強大な力の激突によって階層が崩落し、巨大な穴となっていた。

 幸いにして魔法少女の保管場所であるレイトウコからは距離があり、地上への影響も本拠地自体が強力な魔法で外界から隔離されている為にあすなろ市への影響は無い。

 

 

「ひっでぇなぁ…これ」

 

「うむ。先にかずみシリーズとナンバー13の戦闘、あとそれより前にクソゲスメスゴキブリの呉キリカの襲撃があったとは言え、ここまで壊れるとは。激戦の連続で空間自体が痛んだのかもね」

 

「こんな手足だけどよ、オイラも再建に手を貸すぜ」

 

「おう。しっかり頼むよ、べぇやん。あと呉キリカは今度見たら責任取らせてやる。ソウルジェム奪ってから思い切りぶん投げて分身の私にバットでかっ飛ばしてホームランさせてやる」

 

「まぁ、呉お嬢さんのソウルジェムは、今………うぇ」

 

「すまないべぇやん。吐く時は前以て言っておくれ。ゲロを避けるにしても準備が欲しい」

 

 

 幅五十メートルはある穴の中を落下しながら、肩に乗せたジュゥべぇと会話するニコ。

 穴の底からは時折閃光が見えた。閃光に照らされ、争い合う二人の魔法少女の姿が見える。

 双樹と黒江は共に殴打と斬撃を受け、顔を血で彩っていたが戦闘の激しさは増す一方で、それが終わる兆しはまるで見えない。

 

 

「なぁべぇやん。我々は今追撃をしてる訳だけど、正直戦力になれるか微妙だ。ちょっと路線変更といかないかい?」

 

「いいけど…どうすんだい?」

 

「人質作戦、いや、この場合だと犀質か」

 

 

 ニコの発言で、獣は彼女の意図を察した。なるほどとさえ思った。

 

 

「名前忘れたけど、あの銀色の怪獣みたいなのいるだろう?あれを使えないかい?たしか大分年季の入ったソフビ人形があっただろう」

 

「悪くねぇ案だけどよ…オイラ達は死ぬだろうな」

 

「ふむ。ついでに余計なパワーアップを招く恐れがあるという訳だな」

 

 

 ニコの言葉に獣は頷いた。

 ついでに、彼女には興味が湧いた。

 どうせ会敵まで時間があるということで、聞いてみることにした。

 

 

「ところで双樹さんらはなんであのキャラクターが好きなんだい?込み入った理由とかあるのかいな」

 

「いや。単に好きだから好きなんだって聞いてるぜ」

 

「んー、こう聞くのはアレだけど悲しい過去的なのとかが関係してたり?」

 

「うんにゃ。ただ子供の時に親御さんに買ってもらったソフビで、それで延々と遊んでたから子供時代からの友達なんだってさ」

 

「割とまともというか真っ当な好感だね」

 

 

 その割には元ネタの作品の登場人物、特にその犀の持ち主を愚弄したりとよく分からん奴だなとニコは思った。

 

 

「そういえば魔女モドキで、あの犀の同類や同じ番組に出てる怪物どもに似たのが最近のあすなろを練り歩いてるんだっけか」

 

「最近はサブスクでの配信もあるからなぁ。それを知った人らが無意識に怪物として投影しちまってるんだろうさ」

 

「くわばらくわばら。ん、そしたら双樹さんら大歓喜では?」

 

「ああそうさ。この前は風見野のお嬢さん経由で本物そっくりのを貰って着ぐるみにして持って帰ってきたからな」

 

「あー……サキとみらいを持って帰って来た時か」

 

「あれは……色々と酷い有様だったなぁ……もう治ったとはいえ、よぉ…」

 

「うむ……で、双樹さんらは最近外出が増えてたけど、それってやっぱり」

 

「ああ。メタルゲラス似の魔女モドキを採取しに出かけてた。まぁ…これについては魔女モドキに狩られる人を助ける為ってのもあるんだけどよ」

 

「あいつらは異常さとまともさの合い挽き肉だね。成果は?」

 

「うん…アレも個体差があるみたいで、光り方が強いのとか熱を帯びてるのがいてなぁ」

 

「さしずめ、マギウスが定義した『属性』ってやつか。最初のが光属性で、後のが火属性とやらだろう。理に適ってはいるけど、まるでソシャゲのキャラ属性とかガチャみたいだ」

 

「多分そこから発想を得たんじゃねえのかなぁ。そういや最近………あ」

 

 

 獣が言葉を閉ざした。

 ん?と思って視線を遣ると、体毛で覆われた貌から汗を噴き出している獣が見えた。

 

 

「べぇやん、どうしたんだい?」

 

「最近、先輩はレアものを見つけてさぁ…」

 

「ふむふむ」

 

「さっき属性の話したけど、こいつは『闇』か『木』属性のどっちかだと思うんだけど、紫色をした奴で…」

 

「闇か木」

 

 

 ニコは言葉を転がし想像力を働かせた。なんとなくピンときた。

 

 

「それで紫というと、毒でも持ってたのかい」

 

「そう。それだ」

 

「で、ヤバそうって事はそいつの角でも加工した武器でも造ったと?」

 

「いや。喰っちまったんだ」

 

「…はい?」

 

 

 想定外の言葉に、ニコは聞き違えたかなと思った。

 または遂に狂ってしまったのかと。自分が。

 

 

「なんか凄く美味そうに見えたとかでさ…散々に行動を観察して制圧した後、爪の先から足の爪先まで全部喰っちまったんだ」

 

「んーーーー…丈夫な歯してるんだね。あと、今の暴走はそれが原因じゃないのかい?」

 

「いや。確かに喰ってる時は毒のせいで口とか焼け爛れさせてたけど凄く幸せそうでさ…で、口に入れた瞬間に魔力に変換するらしくて喰った後は体調がこれまで生きてきた中で最絶好調とか言ってたよ」

 

「…そうかい」

 

 

 現象の一つ一つが異常すぎて、ニコは頭を抱えたくなった。

 が、抱えても何も変わらないのは明らかなので問題と向き合う事とした。

 そこでふと気づいた。

 先程からの戦闘音が消えている。

 危機感が渦巻いた。

 

 

「べぇやん。さっきヤバいって言ったの、なんとなく察しが着いたよ」

 

 

 双樹は得意な個体の魔力を喰らった。つまりはその性質を受け継いでいる可能性がある。

 ただでさえ強力な双樹に更に力が加わったなど、悪夢としか思えなかった。

 そんなニコの不安を他所に、彼女の両足は地面に着地した。

 穴の直径を上回る、広大な空間が広がっている事が魔法少女の空間認識能力で察知できた。

 そして彼女は周囲を見渡した。視線が一点で止まり、ニコは視線を上げていった。

 それは、首に痛みを覚えるまでに続いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 外道譚②

 ニコと獣は上を見上げた。

 急な角度によって首が痛みを覚えた先で、四つの眼は宙に浮かぶ黒を見た。

 それは広げられた翼であり、黒い粘液のような翼の中央には、翼の主である黒江の姿があった。

 鳥の上顎を模した兜のような被り物の下にある彼女の顔は、苦痛に歪んでいた。

 

 

「こ……の……!」

 

 

 気狂い、とでも続ける積りだったのだろう。

 だが口から吐き出されたのは言葉ではなく、どす黒く変色した血塊だった。

 地面に落下した時、それはぼとりという音を立て、地面に広がらずにごろりと転がった。

 それは血でもあり、溶け崩れた内臓と肉の一部でもあった。

 

 

「なんだ、あれ」

 

 

 ニコの視線の先には、黒い翼があった。

 その真ん中から、黒とは相反する銀の柱が生えていた。

 柱の数は二つ。左右で広がる翼の中央を貫き生えていた。

 それは角だと、ニコと獣は悟った。

 目を凝らすと、黒江の背後にある物体の姿が見えた。

 

 

「これは……」

 

「先輩……演出過剰すぎだぜ……」

 

 

 二つの呻きがプレイアデス聖団本拠地の地下に広がる空間に響いた。

 一人と一匹の視線の先で、それは姿を顕していった。

 最初は黒江を貫いた角も見えなかった。

 そこが最初に光を帯びた。

 

 次いで輝いたのは、黒江の生やした翼よりも更に巨大な物体だった。

 演出とはこのことだろう。

 角と同様に銀の光沢で覆われたそれは、巨大な爬虫類の頭部にも見えた。

 だがよく見れば、前に鼻面を伸ばし三角の耳を生やしたその形状は犬のものだと分かった。

 それが銀の装甲を隙間なく纏っている。

 

 そして鼻の先から生やした角で、黒江の翼を貫いている。

 左右の翼を貫いている事から分かるように、装甲された犬の顔は二つあった。

 長い首の先には巨大な翼を生やした胴体があり、その背に双樹の姿があった。

 白目を剥いた表情でありながら、彼女の顔は恍惚と蕩けている。

 口からは唾液が滝のように溢れ、身体は左右にふらふらと揺れる。

 美麗な衣装の色は白と赤であり、その彩色の割合は秒単位で変化している。

 あやせにルカに、その二人の融合人格であるアヤルカの全てが狂っており、人格も定まらずに変化を繰り返しているのだろう。

 しかし表情が変わらないところを見るに、三人格は今の現状に満足しているようだった。 

 装甲の具合からして、この存在が双樹達が好むキャラクターを模している事は間違いない。

 そしてこれは。

 

 

「これが……こいつらのドッペルか。外道のドッペルとでも名付けよう」

 

「ヒドすぎんだろ……それで、これは」

 

 

 獣が一応の反論をし、そこで黙った。次の言葉を言いたくないのだった。

 

 

「変異部位は卵巣か」

 

 

 ニコは虚無的に吐き捨てた。

 同時に獣は吐しゃ物を吐いた。

 白い毛皮がこびりついた、未消化の赤い肉だった。

 ゲロを避け、ニコは上を見続けた。

 ドッペルの背に立つ双樹の脇腹からは、銀の鎖が生えていた。

 豪奢なドレスの表面から装飾の一部のように伸びたそれは、彼女の足下である双頭の犬の背に繋がっている。

 ニコの言葉を引き継げば、これは彼女の卵巣が変異した存在ということになる。

 狂気という言葉では表せない、度し難いに過ぎる状態であった。

 

 

「ああああああああっ!!」

 

 

 黒江の悲鳴が迸った。

 ニコの声が届き、現状の気持ち悪さを認識させられたのだろう。

 だが悲鳴の後に、彼女は血の塊を再び吐いた。

 彼女の白い肌は、更に白気を増していた。

 一方で皮膚の下にある血管は紫色に変色している。

 つまりは。

 

 

「毒か」

 

 

 同時に、宙で黒い波濤が迸った。

 黒江の翼が弾けたのだった。

 弾けた翼は液状化しており、膿のような悪臭を放っている。

 翼を貫いた角から流し込まれた毒の効果がこれか。

 宙に投げ出された黒江は、再び宙で固定された。

 

 

「あぐぅ!」

 

 

 黒江の両腕に、双頭犬が喰らい付いていた。

 軽自動車一台くらいなら軽く口内に収められそうな口には、小指の長さ程度の牙がびっしりと生えていた。

 それが黒江の細腕を貫き彼女を固定していた。

 だがそれはすぐに離れた。

 穴だらけとなった両腕からは赤血球が破壊されてどす黒くなった血が溢れた。

 毒は角だけでなく、牙にも備わっていた。

 次に喰らい付いたのは、黒江の胴体と両脚だった。

 

 そして双頭犬は口を閉じた。

 バキバキッという骨の砕ける音が響き渡った。

 

 

「ぎぃぃああああああ!!!」

 

 

 黒江の太腿から下が噛み潰され、彼女の腹から胸までが圧壊寸前にまで破壊された。

 肋骨が砕けてはらわたがズタズタになり、背骨が唐竹のように割れた。

 一瞬にして無数に生じた傷口からは、黒い血が大量に噴き出した。

 

 その血は黒江の頭部を濡らした後、双頭犬の背に生えた銀の翼を汚した。

 双樹の顔にも血は届き、頬を伝って唾液で濡れた口元へと流れた。

 濡れ光る唇の中に吸い込まれた時、双樹は緩やかに微笑んだ。

 それが母が子を見つめるような、慈愛に満ちた形であったことにニコは吐き気を催した。

 

 銀の双頭犬は再び動き、黒江を宙高く放り投げた。

 既に彼女の全身は、顔や腰などの部分を除いて襤褸切れもかくやといった状態となっていた。

 ニコも覚悟を決め、彼女を救うべく魔力を貯めた。

 身代わりくらいにはなるだろう。

 彼女はそう思った。

 その次の瞬間には黒江も殺害されるに違いないとは思ったが、あまり感慨が湧かなかった。

 自分の死については尚更で、何も感じるものがない。

 虚無の心のままに跳躍しようとした刹那、複数の光が降り注いだ。

 それは、眩いばかりの桃色を纏った光であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 舞い上がる桃色

「グゥゥアアア!」

 

 

 声は同じく、数は三つの叫びが放たれた。

 銀の装甲で覆われた双頭犬の口と、その背に乗る双樹の口から。

 双頭犬の全身に桃色の閃光が突き立ち、同色の爆発となって巨体を揺るがした。

 黒江を拘束する頭部には当たらず、喉元へ着弾した閃光によって双頭犬が怯み、黒江を宙へと投げだした。

 牙に宿る毒によって黒江の肉体は手足がほぼ溶解し、蕩けて崩れた筋肉と泡を噴き上げる骨が空中に飛び散った。

 

 それをふわりと、優しい力が包んだ。

 夜を切り取ったような美しい黒い蛾のイメージを、それを見上げるニコは抱いた。

 そして次の瞬間、ニコは両手に重さを感じた。

 視線を降ろすと、伸ばした両手で黒江を抱えているのが見えた。

 傍らを何かが通り過ぎたという感覚は、黒江の重さを感じてから届いた。

 

 

「やるねぇ」

 

 

 口笛を吹きつつニコは言った。

 驚いてはいるが、納得もしているが故の態度であった。

 

 

「さっすが、マギウスの創始者」

 

 

 そう言ったニコの喉に、親指と人差し指が喰い込んだ。

 皮膚を貫き、肉を裂いて声帯に達した。

 

 

「…黙れ」

 

 

 昏い声で黒江は言った。

 手足は既に再生しており、傷跡は全く残っていない。

 ただ、全身には鉛に変じたような倦怠感が纏われている。

 少し気を抜けば暗黒に沈むであろう意識であったが、それはニコの一言が聞こえた瞬間消し飛んでいた。

 尋常ではない怒りと憎悪によって。

 

 

「それだけ元気なら大丈夫だろね。じゃあ一緒に応援しようじゃないか」

 

 

 口から血を垂らしながら、一切の抵抗もせずに淡々とニコは言った。

 その間、彼女は一目たりとも黒江に視線を落としていない。

 ただ、視線の先に立つ者の背を見ていた。

 黒江は歯軋りを一つした。彼女もまた、ニコを見ていなかった。

 ニコの肩に座る獣も前を見ていた。

 二人と一匹の視線の先には、二階建ての家ほどの巨体を誇る双頭犬の前に立つ孤影があった。

 闇が固まったような黒いフード付きのローブを纏った、一人の少女がそこにいた。

 

 次の瞬間、その姿は空中にあった。

 双頭犬の右脚が振り下ろされ、地面を深々と抉り無数の破片を噴き上げている。

 大小さまざまな破片の中に、黒いローブ姿はあった。

 翻ったローブからは、タイツで覆われた華奢な脚と黒みがかった短いスカートが見えた。

 

 そこに向かって、巨大な二つの大口が迫った。

 がきんという音が鳴るよりも速く、無数の牙が生えた隙間を黒い影が亡霊のように抜け出た。

 舞い上がった無数の破片を蹴って足場としたのだが、魔法少女としても異常な跳躍力だった。

 二つ目の口の端が僅かに掠め、ローブの一部が引き裂けた。

 破れたフードからは、闇色のローブとは相反する桃色の毛髪が見えた。

 編み込まれた長い髪が、美しい滝のように背中に垂れ下がる。

 

 トン、という軽い衝撃が双頭犬の頭の一つで生じた。

 その直後に、巨体が桃色の光で覆われた。

 双頭犬の頭を蹴り、桃髪の少女が更に跳躍し、上空から無数の光を放っていた。

 光の発生源は、少女の左腕に備え付けられたボウガンであった。

 そこに装填された光の弓矢は放たれた瞬間に枝分かれして複数の矢となり、射出された直後には既に新しい矢が生み出されている。

 矢継ぎ早という言葉そのままに、桃色髪の少女は息をも吐かせぬ連続攻撃を行っていた。

 巨体を誇る双樹のドッペルを前に、少女は真っ向から立ち向かい圧倒している。

 その間、少女は一言も発していない。

 呼吸はしているが、声の類が生じていなかった。

 

 

「…環さん」

 

 

 双樹のドッペルを相手にする少女へと、黒江は痛切な響きを孕んだ一声を発した。

 未だ少女は肉体に何らの損傷も受けていないが、環と呼ばれた少女の顔には無数の汗が浮いていた。

 光の矢を浴びつつも、背の翼を広げドッペルは飛翔し少女へと迫る。

 迫る死の顎を避け、閉じた口を蹴って飛翔し矢を放ち続ける。

 既にニコや黒江の立つ位置から、戦場はかなり遠ざかっていた。

 少女は自らを囮に、災厄をその身に引き受けているのだった。

 

 

「環いろは……その自己犠牲精神はどこから来るのやら」

 

「おい」

 

 

 ニコの言葉を獣が遮った。

 言葉を聞こえないようにするためだった。

 だが、それは届いてしまっていた。

 ニコに抱かれている黒江は、この時初めてニコを見つめた。

 怒りによって血走った

 

 

「罪人如きが、環さんを語るな」

 

 

 暗澹とした黒江の声に、耳を覆いたくなるような粘着質で嫌な音が重なった。

 ニコの喉に埋まっている黒江の親指と人差し指が、ニコの声帯を千切り潰した音だった。

 ニコは眉を跳ねさせた。しかしそれは痛みによるものではなかった。

 

 

『そんな事より』

 

 

 思念にてニコは黒江に語り掛けた。

 黒江は怒りを増大させたが、すぐに気付いた。

 視線をいろはから離した事を、彼女は心底後悔した。

 

 

『君らのリーダーが大変だ』

 

 

 ニコの思念が届くのと、黒江が絶叫したのは同時だった。

 彼女らの視線の先では、胴体をサーベルで貫かれたいろはの姿があった。

 ドッペルを展開している双樹が投じたものだった。

 そして動きが止まったいろはへと、双頭犬の首が向かった。

 牙を鳴らす音が響いた。肉が裂ける音が鳴った。

 

 二つの巨大な首が重なる場所から、一つの物体が落下していく。

 言うまでも無く、それは環いろはの身体である。

 しかしその身体に首は無く、僅かな肉と皮を残して胸から臍の上あたりまでの肉が喪失していた。

 肉体の断面から零れたはらわたから黒血を吐きつつ、環いろはの肉体は地面に激突した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第71話 輝き

 首の断面からは肉の筋と骨が見え、胸から臍辺りまでの胴体は楕円状に刳り抜かれていた。

 全ての傷口から黒血を吐き出しながら、環いろはの肉体が黒い地面の上で横たわっている。

 それに、巨大な双頭が喰らい付いた。

 銀の装甲で覆われた巨大な双頭犬、双樹のドッペルは地面ごと環いろはの肉体を喰らい、千切れた腕を互いで分けるように両端に噛み付いて綺麗に二等分してから咀嚼し飲み込んだ。

 小さな骨の欠片が腕から飛び、地面に落下し乾いた音を立てた。

 

 そして意識を喪失している双樹と、彼女の卵巣が変異したドッペル、ニコ曰くの『外道のドッペル』は新たな獲物を求めた。

 二階建ての家に相当する高さにある巨大な顔は、彼方に立つニコと彼女に抱えられた黒江、そしてニコの肩に立つ獣を見た。

 距離はあるが、双頭犬の背には白銀の翼が生えている。

 一羽ばたきもすれば、次の瞬間には二人と一匹は獣の口内で肉片となる。

 環いろはとは胃袋での再会となるだろうが、それが何の意味を持つのだろう。

 本能のみの存在となっている双樹には自制が存在せず、双頭犬は前脚を撓めた。

 

 しかし双頭犬はそこで止まった。

 脚を伸ばさず、前に向いていた視線は下に向いている。

 装甲の隙間から覗く視線の先には、桃色のラインが入った黒いローブを纏った少女がいた。

 それは今、間違いないく全身を喰らい尽くされた筈の環いろはだった。

 獣の口内には、柔らかい肉と衣装を噛み潰した感触と鮮やかな血の味が残っている。

 

 

「がぁぷ」

 

 

 双樹の口がそう呟いた。

 同時に双頭犬は再び環いろはを貪り食った。

 左右の首によって上下半身が引き千切られ、桃色の臓物が撒き散らされた。

 噛み砕いて飲み込むと、再び気配を感じた。

 先程と寸分違わぬ様子で、環いろはが立っていた。

 

 目元はローブに隠れていたが、小さく開いた口からは荒い息が漏れている。

 その姿が白光に塗り潰された。

 双頭犬の右の頭からは超高熱が、左からは超低温の魔力が放たれて融合。

 対消滅の力と成って環いろはを消し飛ばした。

 白光が消えた後には、巨大な大穴とその背後に続く果てしない大溝が見えた。

 

 その溝の淵に、環いろはがいた。

 片膝を突き、両手は地面に触れている。

 

 

「ああああああああああああああああ!!」

 

 

 双樹が叫んだ。

 狂乱の中にありながら、恐怖を滲ませた叫びであった。

 巨体を支える前脚がいろはに振り下ろされる。

 少女の華奢な肉体は、ほぼ何の抵抗も無く圧壊された。

 眼球、爪、毛髪、歯、骨、肉、血、内臓、衣装。

 

 環いろはという存在を構成していた物体は、地面と混ぜ合わされた血肉の泥濘となって宙に舞う。

 そこを白光が貫いた。

 破壊された肉体を対消滅魔法で更に破壊する。 

 対消滅の光は止まらず、連射が続く。

 遠く離れたニコたちの元にも轟音に閃光、高熱を孕んだ猛風が吹き寄せる。

 地形が破壊されていき、広がる平面が荒涼たる荒れ地に変わるまで時間を要さなかった。

 攻撃を放ち続ける双樹は相変わらず混濁した意識に囚われていた。

 

 胎内に宿した三つのソウルジェムから逆流する穢れが、彼女を狂わせている。

 一方で穢れは膨大な魔力を宿し、それが双樹に施された自動浄化システムを介して双樹に異常な力を与えている。

 今の双樹は無尽蔵に近い魔力を有し、その力で以て暴れ狂っていた。

 しかし、双樹の狂乱した心には恐怖が渦巻いている。

 眼の前にいる小柄な少女に怯えていた。

 魔法少女の再生能力は強力だが、それでも何かがおかしい。

 怯えながら、双樹は攻撃を続けた。

 もう何度目、何百回と破壊した環いろはの肉体が閃光の中で弾けるのが見えた。

 肉体が崩壊し、どこかの肉片の一部が炭化し煤となるのが見えた。

 その微粒な黒い粒に変化があった。

 

 黒い煤が突如として白に変わった。

 次の瞬間にはミリ以下の大きさだった白は人型ほどの大きさになっていた。

 双樹にはその過程が見えた。

 恐怖によって狂乱が吹き飛び、理性が戻っていた。

 自身の眼とドッペルの眼、都合六つの眼が環いろはの変化を見た。白く見えたのは、白い線の折り重なり。

 

 楕円形をした白い糸の玉に見えた。それが蠢き数を増やした。

 その様子は、無数の蟲が蠢いているようにも見えた。

 また或いは……その蟲たちが生み出した繭のような。

 

 無数の繭の発生は、一瞬で行われていた。

 人体に等しい大きさを瞬時に形成するほどに。

 白い人型は次の瞬間には白は皮膚と衣服で覆われていた。 

 

 

「………そうか」

 

 

 その様子を視覚強化をしたニコも見ていた。

 そして、呻くように呟いた。

 

 

「あれが……エンブリオ・イブか」

 

 

 ニコの呟きに、黒江の歯軋りが重なった。

 そして閉じられていた眼が開き、桃色の瞳を嵌めた眼球が覗いた。

 開いた瞼からは、煌々とした光が溢れた。

 その光は環いろはの全身を覆った。

 光は体表を幾重にも覆い、彼女の姿を覆い隠した。

 その形は、蚕蛾の繭に似ていた。

 

 それを前に、双樹も動きを止めていた。

 そして沈黙が再び狂乱を呼び起こした。

 桃色の繭を前に、双樹は攻撃を再開した。

 双頭犬の口から対消滅の力を放った。

 異変が生じたのはその瞬間だった。

 

 

「あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁああああああ!!!!」

 

 

 苦痛に満ちた叫びが上がった。

 叫びと同時に、大量の赤黒と黄色の液体が噴き上がる。

 それが発生したのは、双頭犬の口からだった。

 赤黒と黄色のそれは悪臭を放つ粘液、血膿だった。

 

 更にそれは双頭犬の全身を覆う装甲からも発せられた。

 装甲の継ぎ目から膨大な量の血膿が弾けた。

 更には装甲が膨張して砕け、その下からは血膿で濡れた肉が盛り上がった。

 肉の泡とでも言うべき形状に変異した肉が、ドッペルの全身から生じ始めた。

 

 銀の装甲が血膿で濡れ、太く巨大な手足は崩壊し、巨体を支えきれずに崩れ落ちた。

 血膿に塗れて地に伏した双頭犬が苦痛に身を捩る。

 その間も肉の膨張は止まらない。

 増え続ける肉が装甲を覆い、装甲は肉に圧されて体内へと押し込められていく。

 今の双樹のドッペルは、犬の面影を僅かに留めた赤黒と黄色の悍ましい肉塊となっていた。

 双樹本人は形としては無事だが、ドッペルは彼女の卵巣が変異した存在であり、双樹の両脇腹から伸びた鎖で繋がっている為に双樹も苦痛を感じていた。

 口から血雑じりの泡がぼこぼこと吐き出され、眼は白目を剥いて痙攣している。

 肉塊はなおも膨張を続け、大きさは既に元の数倍となっていた。

 そんな動くことも出来ずに苦しみ続ける双樹の前で、桃色の繭が弾けた。

 

 繭の中からは眩い光が漏れた。

 眩いが、光量によって人を傷つけることのない、柔らかく優い白光だった。

 白い光は、一人の少女の姿の輪郭を照らしていた。

 全てが白に飲み込まれていく中、双樹は苦痛が急速に引いていくのを感じた。

 苦痛が彼方へ連れ去られていくかのように、痛みの感触さえも消えていく。

 双樹は再び理性を取り戻していった。

 視点の定まった双樹は、自らに向けて両手を伸ばした白い衣装の少女を見た。

 優しく抱かれた時、双樹の心を安堵が満たした。

 

 

「環……いろは様……なんて……お美しい……」

 

 

 聖なる者に対する信徒のような口調で双樹は呟いた。

 そして少女から再び光が放たれた。

 それは周囲の闇を駆逐し、プレイアデスの本拠地の全てを包み込んでいった。

 無限の光が、闇を圧するかのように。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 新しい夜明け(挿絵あり)

 清々しい風と眩い朝日が、廃ビルの裏手玄関から足を踏み出した彼を出迎えた。

 数時間前に魔法少女三人との死闘を終え、少し休んだだけで肉体の疲労は殆ど取れている。

 首をこきこきと鳴らしながら数歩歩く。

 路地裏から通りに出る少し前で彼は止まった。

 

 

「じゃ、あいつら頼むわ」

 

「うん。任された」

 

 

 振り向かずに言葉を放つ。その相手は呉キリカだった。

 何時もの私服に着替え、玄関の入り口に立って見送っている。

 

 

「あー………」

 

 

 ばいばい、と手を持ち上げかけてキリカは喉を震わせた。

 小さな声だったが、ナガレはそれで足を止めた。

 ちょろっ、とキリカは思った。

 

 

「どうした?」

 

「うむ、引き留めて悪いんだけどさ」

 

 

 ナガレが尋ねてきたことに、キリカは再度ちょろいと思った。

 

 

「頼まれた限りは全力を尽くすけどさ、大丈夫だと思うの?あいつら?」

 

「俺がいねぇのは一日だけだぞ」

 

「一日も、だね。佐倉杏子は言うまでも無く、朱音麻衣も最近危うさが増している」

 

「俺は麻薬かよ」

 

「ふざけるなよ、友人。私達の君への依存度が麻薬程度で済むわけ無いだろ」

 

 

 殺意さえ込めてキリカはそう言った。

 ナガレは小さく鼻で息を吐いた。ため息ということだろう。嘆きとも言う。

 

 

「毎度思うんだけどよ、俺のどこにそんな魅力がある?」

 

 

 承認欲求を求めての、返事を期待しての問い掛けではない。

 ただ純粋に、気になったから尋ねたのである。

 風切り音。

 次いで鳴ったのは破砕音。

 ナガレが振り向きざまに放った斬撃によって、赤黒い斧が粉砕されていた。

 

 

「気に入ったみたいだね、それ」

 

 

 ナガレが用いたのは、斧型の双剣だった。

 斧の分厚さと重さ、日本刀の切れ味に槍の鋭さを併せ持った新しい武器。

 柄の末端からは菱形の魔の鎖が伸び、彼の両手首に絡みついている。

 佐倉杏子と共同生活を始めた時から持っていた、工作用の手斧を幾度も改修しつづけたそれに、牛の魔女の魔力を与えて三人の魔法少女の武器を参考にして造った物だった。

 その三人が誰かは、言うまでも無いだろう。

 

 

「使い勝手も良くってな。あと何度も壊れては直しを繰り返してっから、愛着も湧いてんだよ」

 

 

 自らの命を狙った一撃を受けながらも、彼はごく普通の会話のように笑っている。

 

 

「そう言うお前も、それが気に入ったのか?」

 

「まぁね」

 

 

 ナガレの視線の先には、魔法少女となった呉キリカがいた。

 彼女が掲げた右腕から生じたそれを、彼は見ていた。

 赤黒い輝き。

 血の色である赤と、冷たい金属の黒が交じり合った色のそれは、キリカの身長よりも大きな弓反りの物体だった。

 

 

「アイアンカッターか」

 

「ヴァンパイアカッターだってのさ。ん、まぁそれでもいいか。気分次第で使い分けるよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 キリカが掲げているのは、彼女がナガレの記憶から読み取った存在の武装の再現だった。

 腕の側面から生やした刃を連結させて弓反りにさせ、巨大な翼のような形にさせたもの。

 そのオリジナルはナガレをして、思い出したくもないほどの理不尽な威力を備えている。

 単なる物質の切断に留まらず、対象の因果や存在の改変まで可能とする、最終にして原初の魔神の武器である。

 当然ながらそういった能力をキリカのそれは備えていないが、キリカのそれには彼女なりのアレンジが施されていた。

 

 

「使い方とかも、例えば今みたいにね」

 

 

 言い終えた語尾は弾んでいた。希望で言えば、ハートか音符が付くだろう。

 じゃりん、と音が鳴った。キリカが掲げた巨大な刃の表面で。

 そこには無数の斧が連なっていた。それは刃から牙が生えているかのようだった。

 音は、その連なりが蠢いたことで生じた音だった。

 ナガレは斧が並ぶ列の一か所に空白があるのを見つけた。先の斧は、そこに生えていたものを飛ばしたものだろう。

 

 

「便利だな。あと応用できるってのは大したもんだと思う」

 

「えへん!」

 

 

 変身を解除しキリカは胸を張った。

 いつものようにたゆんと揺れた。

 なお変身を解除したのは、私服の方が胸の揺れ幅が大きいからだ。無駄だとは分かりつつの、彼へのアピールである。

 表には出ていなかったが、確かにそれはナガレの関心を引いた。

 ただしそれは性的な物ではなく、「こいつ下に何も着けてねぇな」という呆れであった。

 

 

「で、話を戻すけどさ。君の魅力?その問いは愚問としか思えない」

 

 

 微笑みながらキリカは言う。優しい形であった。毒を孕んだ花のような。

 

 

「君の行動は、言動は、思考は、生き方は、何一つとして策を弄するところがない。思いやりがないとか空気を読まないとかとは少し違う。君は他からの評価を求めない、自分の本能で生きることを是としている。他者を拒絶して我を通すのでもなく、誰かに認められたいという歪んだ英雄願望でもない。ただ自分の思うままに行動して、人を助けたり誰かを救ったりしている。君を観察してて思ったのだが、私には君が正義の存在に思える」

 

 

 長い長い言葉を、キリカは平然と言い終えた。 

 自らの言葉を疑っている様子は全く無い。

 つまり、これは本心と言う事だろう。

 

 

「御苦労なこったな。『馬鹿』って言えば直ぐ済んだのによ」

 

「あ、そっか。友人てばジーニアス」

 

 

 ナガレの自嘲にキリカは即座に追従した。

 尤もこれは彼を全肯定している訳では無く、その手があったかという思いからだった。

 

 

「ていうか救ってるってのがピンと来ねぇ。魔女とかから人を助けたりはよくあっけど」

 

「気付かないのかい?」

 

「何が?」

 

 

 ナガレの疑問は、本心からのものだった。何を自分が救っているのか、本気で全く分かっていない。

 だからキリカはこう言った。

 

 

「ほんとに君は馬鹿だな、友人」

 

 

 微笑みながらキリカは言った。

 ナガレは首を傾げた。

 ううむ、やっぱ見た目可愛いなこいつ、とキリカは思った。

 そして同時にこうも思った。頃合いだと。

 

 

「じゃあね、友人。ヤンデレ二匹の世話は可能な限りやっておく。あとついでに私はヤンデレを超えたヤンデレなのであのメスガキ二匹と同ランクで見ないでほしい」

 

「酷ぇ言い方だな。それじゃ、行ってくるわ」

 

 

 彼はそう言い、キリカは頷いた。

 そして踵を返して歩いていく。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 数歩で彼は向き直った。首だけを背後に傾け、独特の角度で背後を見る。

 慌てて振り向くキリカの姿が見えた。

 

 

「自分を病んでるとか、あんまり言うもんじゃねえぞ。それにお前らは、俺が見てきたのと比べればずっとまともで良い奴らだよ」

 

 

 そう言って牙を見せて嗤うと、右手を掲げて軽く左右に振り、路地裏から去っていった。

 キリカはその背中が表通りへ消えるまで見つめていた。

 彼の姿が消えた後、

 

 

「女殺し」

 

 

 と小さく呟き、廃ビルの中に戻っていった。

 










素晴らしいイラストに感謝であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 新しい夜明け②

 ナガレを見送ってから、呉キリカは廃ビルの中へと戻り階段を登った。

 不思議なほど寂しさはなかった。

 内心を探ると、一秒以下で答えが出た。

 

 

「同じ世界にいるんだから、寂しさなんてある訳ないか」

 

 

 確認するように納得の言葉を呟く。

 不安を払拭するためではなく、単なる確認の為に。

 なるほどねと頷きながら更に歩を進める。足が止まった。

 

 

「ハァ…」

 

 

 そして溜息を一つ吐く。

 倦怠感が滲み出た、重金属のように重い吐息だった。

 

 

「頼まれたからなぁ……やり遂げないとね」

 

 

 口調は穏やかだが、言葉には死地に赴く覚悟のような感情が籠っていた。

 そして、キリカは生活空間としているフロアの扉を開いた。

 途端に、

 

 

「うわぁ…」

 

 

 と、失意の声を漏らした。

 まず最初に、部屋から零れた匂いで。次いで目に飛び込んできた光景で。

 

 

「佐倉杏子に朱音麻衣、とりあえず君たちは風呂入って着替えろ。汗臭い」

 

 

 努めて穏やかな口調で、直球な言葉をキリカは告げた。

 キリカはイラついたように、いや、実際にイラついて右の眉を痙攣させた。

 黄水晶の瞳の先には、今名前を呼ばれた魔法少女二人がいる。

 ソファに座り、机を挟んでの向かい合わせで項垂れている。

 また佐倉杏子と朱音麻衣は、戦闘時でもないのに魔法少女姿となっていた。

 汗の匂いは仕方ない。キリカはそう思った。自分も汗をかけばそうなるからだ。

 だが、こいつらの今の状況は我慢できなかった。

 

 

「それで、そのふざけた恰好は何を考えてるんだい?」

 

 

 魔法少女姿となっているとは今書いた。

 問題は、それが変身によるものでないということだ。

 杏子はいつもの紅いドレスで、麻衣は武者風の衣装。それは変わらない。

 ただ、衣装のクオリティが明らかに異なっていた。

 魔力で形成された魔法少女服は、手触りといい外見の良さといい、現行の技術での再現が極めて困難な品質となっている。

 魔法少女生活は苛酷だが、こういうところは悪くないとキリカは思っている。

 尤も、こういった甘い飴で少女を釣る事が契約の効率化になってるんだろうなとも思った。

 

 

「…作ったのかい?」

 

 

 キリカのこの言葉が、杏子と麻衣の現状を示していた。二人が待とう衣装からは魔力を感じず、また布の品質も既成の物、それも極めて安価であろうと思われる布地になっていた。

 形としても輪郭は似ているが、元の衣装が服として凄まじいクオリティを誇るだけに、激しい違和感を覚える出来具合だ。

 衣装の表面はゴワつき、裾には糸のほつれや縫い残しが見れる。

 コスプレ舐めんなよ、とキリカは義憤に駆られた。

 母親と一緒に時折衣装を手造りしているために、彼女は裁縫が得意なのであった。

 

 

「ああ」

 

「聞かなければ分からないとは、貴様は眼が悪いようだな」

 

 

 項垂れたままに二人は答えた。

 攻撃的な言い回しから考えて、朱音麻衣の方が重症で佐倉杏子は瀕死だなとキリカは踏んだ。

 ついでに二人は、まだ歯を磨いていない事も気付いた。

 乙女心とかあんのか?とキリカは考えた。

 ああ、そうか、と内心で納得した。

 雌餓鬼に常識を期待しても無駄だなと。

 

 

「なんでそんなの着てるのさ」

 

「別に…」

 

「万物に意味を求めるな。意味が無いという意味がある」

 

「わけがわからないよ」

 

「呉キリカ。貴様はまだまだ心眼が足らぬ」

 

「急に語録を使うな。せめて元ネタを全巻新品で買ってから言え」

 

 

 あちゃあ、とキリカは額を手で覆いたくなった。

 佐倉杏子は意気消沈中で、朱音麻衣は狂っていると思ったのだった。

 だが麻衣のこの返しは、呉キリカの普段の様子に無意識に感化というか汚染された結果によるものだった。

 ナガレが不在となったことによる精神ダメージによってこうなったのだが、それによって生じた狂乱という状態のイメージは呉キリカのそれが反映されている。

 キリカ本人はそれに全く気付かず、朱音麻衣は気が狂ったのだなとしか思わなかった。

 

 

「一つ、当ててやろう。その衣装、大方友人とセックスする時の為に造ったんだろ」

 

「……よく分かったな」

 

 

 昏い声で杏子は肯定した。麻衣は無言だった。つまり肯定である。

 冗談だったのに、とキリカは返事に困った。が、沈黙の中で彼女は胸のざわめきを覚えた。

 その手があったかと、麻衣と杏子の発想に嫉妬を覚えたのだった。

 エロいボンデージ姿は直球に過ぎた。

 この二人のような、頑張って手造りしました感のある下手くそな衣装の方が、それっぽい雰囲気と尊さを演じられるじゃないか。

 キリカの心は敗北心に満ちつつあった。

 

 

「……で、なんでそれを着てるのさ」

 

 

 敗北感を拭うようにキリカは尋ねた。

 杏子は口を開いた。金属が割れたような、亀裂のような笑みだった。

 

 

「供養…みたいなもんかな。あたしら、捨てられちまったんだぜ?」

 

「………」

 

「…は?」

 

 

 自嘲的な杏子、小さく頷く麻衣。意味が分からないという表情のキリカ。

 キリカの様子を見て、杏子の真紅の瞳には憐れみの色が掠めた。

 

 

「…まだ、理解してねぇのか」

 

 

 泣き喚く迷子の子供を見るような眼で、杏子はキリカを見ている。

 殺してぇ…とキリカは思った。

 

 

「あたしらはあいつに捨てられた。あたしらを嫌いになった。だから出ていったんだろ、あいつ」

 

「あのさ佐倉杏子。精神パートやら回想やらが面倒だから率直に言うよ」

 

 

 キリカの言葉に、麻衣は唇を震わせた。

 今まさに麻衣は、自分の想いを口に出して話すつもりであったからだ。

 

 

「友人が私らを嫌ってたら、なんで私らは今生きている?」

 

「………」

 

 

 沈黙。凄惨な言葉であったが、杏子はそこに納得を感じた。麻衣も同じく。

 

 

「それに嫌われてたら、あんなに激しく命の火花を重ねてくれるものか。こんな度し難い愛に応えてくれるなんて、宇宙どころか並行世界探しても友人くらいだろうさ」

 

「…無駄に話のスケールがデケぇんだよ、馬鹿」

 

「それは私の所為だが半分くらいは異界存在の友人のせいだ。文句は奴が帰ってきたら直接言って呉」

 

「…ふん」

 

 

 よしよし、とキリカは内心でほくそ笑んだ。

 生意気な返事が出来るくらいには回復したかと、杏子の様子からそう察した。

 もう一押ししとこう。キリカはそう考えた。

 

 

「あと佐倉杏子。君はかずみんの母親を気取ってるじゃないか」

 

「ああ、そうだよ。最初で最後の母親ごっこさ」

 

「だったらそのごっこを全うするがいいさ。やるべき事があるのならするべきだ」

 

「言われるまでもねぇ」

 

 

 杏子の口調には力強さが戻っていた。

 口車に載せられているという感覚は杏子にもあった。

 だが沈んでばかりではいられない。

 自分には使命があると、杏子は自らを奮い立たせていた。

 

 

「あーーー……それ、なんだが」

 

 

 黙っていた、というよりも蚊帳の外だった麻衣が口を開いた。

 なんだこいつ、という視線を以て杏子とキリカは麻衣を見た。

 

 

「こんなのを預かっててな…」

 

 

 麻衣は右手を伸ばし、人差し指と親指で一枚のメモ用紙を摘まんでいた。

 そこにはこうあった。

 

 

 

 みんなへ

 

 たまには私もお休みがほしいので

 

 こっそりナガレに付いていきます

 

 朝ごはんと昼ごはんと晩ごはんは冷蔵庫に入ってるので仲良く食べてね

 

 

 13番目のかずみより

 

 

 

 PS.ネット見てたら悪魔王子がぽっと出の新キャラに苦戦してるみたい。やっぱり血筋なのかなぁ?

 

 

 

 

 視認した杏子が放った絶叫は、キリカが全力の速度低下魔法を用いて強引に抑え込んだ。

 麻衣はと言えば、かずみの追記が気になったので電子書籍で雑誌を買って確認した。

 度し難いが、こいつらにしては比較的平和な様子で、狂依存の対象を欠いた一日が幕を開けた。

 













書き手ながら、どこから突っ込めばいいのか困る内容である


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 新しい夜明け③

「どうして付いてきた?」

 

「邪魔?」

 

「いいや。でも俺といて楽しいのかよ」

 

「んー…消去法って言ったら怒る?」

 

「個人の自由だな」

 

 

 あすなろの街をナガレとかずみが歩く。

 正しい意味での練り歩く、である。

 時刻は朝九時半。学生たちはおらず、勤め人らの数も少ない。

 今まで別の少女と歩いた時と同じ通り、平日に街を歩くにはいい時間であった。

 

 

「そういや、その服は作ったのか?」

 

「うん。似合う?」

 

「よく似合うよ」

 

 

 歩きながらナガレは視線をかずみに向けてそう言った。えへんと胸を張ったかずみがいた。

 僅かばかりといった程度に膨らんだ胸は、黒いシャツに覆われていた。

 その上に羽織られたのは緑色のパーカー、腰から下は長いジーンズを履いていた。

 要約すると、杏子の私服のジーンズが長い版となっている。

 

 炊事洗濯に加えて、裁縫も得意なかずみであった。

 彼女は知っていなかったが、麻衣と杏子が製作した手製の魔法少女服とはクオリティが雲泥の差であった。

 かずみのそれは実際に売り出しても無問題どころか高値で売れるだろうが、麻衣と杏子のそれは着用者の写真を貼り付ければ売れるだろうといった代物だった。

 

 

「ちょっとアンバランスじゃない?陰キャと陽キャが混じってる感じ」

 

「別に。って言いたいが、俺は女の格好とか詳しくねぇからなぁ」

 

「ナガレって歳幾つだっけ?」

 

「それなんだがよ、質問に質問で返すけどキリカから俺についてなんか聞いたか?」

 

「うん、別の世界から来た人って。本当はその見た目じゃないんだって」

 

「信じるのか?」

 

「信じるも何も、私は秘密組織的なのが造ったクローンなんだよ?もう大体の事は不思議じゃないかも。あ、別にだからって落ち込んだりしないでね」

 

「つまり、信じるって事か」

 

「ナガレ。少しは私の微妙な存在というか悲しい過去?的なのに触れてよ。落ち込まないでとは言ったけど、気にしないでとは言ってないよ」

 

「お前、俺で遊んでるな」

 

「気付くのが遅いよ」

 

 

 そう言ってかずみは無邪気そうに笑った。

 会話にならないが会話として成立している会話は、誰が原因なのかは考えるまでも無い。

 妙にウマが合うのか、ここ最近のかずみはキリカに懐いていた。

 その母親とも仲が良かったことを思えば、余り不思議でないのかもしれない。

 そうナガレは結論付けた。その考え自体がおかしいという意識は彼には無かった。

 

 

「それで外出してるけど、どこか目的地とかあるの?」

 

「いや別に。外の空気吸いたかったっていうか、ブラつきたかった」

 

「あ、それ私も。嫌じゃないけど、ちょっと疲れちゃった。育児疲れってやつかなぁ」

 

「ゼロ歳児が育児か。大変なもんだ」

 

「サラッと言ってるけど、ナガレもその育児対象なんだからね」

 

「ああ、それ込みで話してた。飯の世話になってばかりだからな」

 

「分かればよし!」

 

 

 あはははは!と笑ってかずみは少し走った。

 ジャケットのポケットに手を突っ込んでいるナガレは、軽く笑いながら後に続く。

 あすなろの歩道は広く、通行人もまばらであるので邪魔にはならない。

 そして道行く人々は連れ添って歩く二人を仲の良い兄と妹のように思って見ていた。

 

 

「とりあえず、街の中心でも目指して買い食いでもすっか。甘いもの喰いてぇ」

 

「いいねぇ!じゃあその間、お話とかしてよ」

 

「俺のか?」

 

『そうそう。別のとこから来たんだったら、面白い話知ってるかなと思って』

 

 

 会話の途中でかずみは会話を声から思念に切り替えた。会話の内容が漏れ聞こえる事を危惧したのだろう。

 変身が出来なくなっているかずみであったが、この程度は行えるようだ。

 

 

『そうだな……』

 

 

 ナガレも思念で応じた。何を話すべきかと思案する。

 ロクでもない話ばかりなので、かずみへの影響を考えたのだった。

 多少の配慮はしたとはいえ、不健全な世界の物語を伝えたキリカとはえらい違いである。

 

 

『グレートマジンガーの事とかはどうだ?お前さんの技の元ネタなんだけどよ』

 

 

 ナガレは無難な例を出した。

 何故か分からないがグレートは妙に気に喰わない事があるが、自分の感情は今はどうでもいいとして切り出した。

 

 

『んー、そういうのは後々の方がよくない?』

 

『嫌なのか?』

 

『ううん、伏線的に』

 

『お前、ちょっと発言がキリカっぽいぞ。大丈夫か?』

 

『大丈夫だよ!……って言いたいけど、ごめん、ちょっと自信ない』

 

 

 走るのをやめ、かずみはナガレの隣に並んだ。

 声と表情には僅かな寂寥と、そして怯えが伺えた。

 キリカに近付きつつある、という自覚が少しあるらしい。

 

 それを異常と捉えている事に、ナガレはかずみは正常なのだなと思った。

 酷い考えにも思えるが、他者と自己の同一視は危険だという認識が彼にはあった。

 このあたりは並行世界の自分が世界を破壊しまくっている事に起因するのだろう。

 

 

『じゃあ昔俺が見た連中について話すか』

 

『うん、お願い』

 

 

 話を切り替える為に、ナガレは会話中に思い出していた記憶から嘗ての経験を一つ選んだ。

 比較的マトモなものを選んだつもりであったが、その出だしはこうだった。

 

 

『そいつらは金属の身体を持ってる人型の連中で、場合によるけど400から900万年くらい戦争してる奴らでな』

 

『んん……?』

 

 

 かずみは困惑した。なんというか、数字がおかしい。面食らったのも無理はない。

 

 

『ああ悪い。困惑するよな』

 

『そりゃあ、ねぇ』

 

『こいつらは金属生命体ってぇのかな。ロボットではあるんだけど生き物っていう連中で』

 

 

 そこじゃねえよという突っ込みをかずみは堪えた。

 魔法少女や魔女がいる世界なのだから、常と異なる生命体の存在を信じるのはかずみにとってそんなに難しくはなかった。

 更に自分はクローンであり、ならばロボットである金属生命体とやらと似ていなくもない。親近感が湧くくらいだった。

 問題は、ナガレが言った数字である。そして、その間何をしていたのかという事で。

 

 

『ねぇナガレ。桁間違えてない?400年とか900年とかじゃなくて?』

 

『俺も聞いただけだがよ、万年単位だってよ。どうかしてんな』

 

 

 かずみは首を傾げているが、ナガレもまた同様だった。

 少し前に旅の仲間をしていた魔神経由で知った連中だが、言葉に出してみると時間に対して鈍感な彼をしても時間の概念がおかしくなりそうな超長期間。

 地球全体の歴史からすればざっくり計算して千分の一くらいだが、逆を言えば惑星の年齢と比較できる程度の時間という事である。

 

 

「(うーん……どうしよっかなぁ)」

 

 

 ここでかずみは考えた。

 元の会話に戻るか、ナガレの話を聞くかである。

 二呼吸程度考え、結論を出した。

 

 

『ほんとだね!ねぇねぇ、その度し難い連中の事もっと教えて!』

 

 

 かずみは前者の選択を選んだ。

 何だかんだで興味が湧いたし、何より元の状況だと会話にならない会話が延々と続くことになり、それはまるで思考がキリカ化したようで怖いからだ。

 

 

 














どうしてこの会話になった…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第73話『無題』

『そいつらの特徴なんだが、名前がややこしい。同じ奴だってのに舞台が変わると名前が変わるんだよ。サイド…なんとやらがランボルになったり、オプティマ…なんだっけかな。それがコンボイになったりとかな』

 

 

 思念でナガレは語る。

 がぎん、という音が鳴り響いていた。次いで上がるのは絶望を固めたような悲鳴。

 

 

『陣営の名前もややこしくてなぁ。サイバト…だったりオート…ボッツだっけかな。あとディセ………コンズでいいか。ん、ああ、デストロンだっけか。悪いな、横文字苦手でよ。それと同じ形で違う奴らが多い。何でか分からねぇけど、空飛んでる奴らに多かったな』

 

 

 空き缶を蹴飛ばす乾いた音、転倒によって地面と衣服がこすれ合う音が鳴る。

 

 

『そんな事よりさぁ』

 

 

 周囲の音を全く気にせず、かずみは少し苛立ったような思念を彼に送った。

 ゴミ箱が倒れ、壁が衣服と皮を削る音が背景音楽として鳴っている。

 

 

『戦いの事とか、そういうのは無いの?』

 

 

 無音の思念の奥では、『化け物』『たすけて』『おねがい』といった野太い声が鳴っている。

 大の男のそれだが、幼児が泣き喚いているかのようだった。

 

 

『そっちも見所は多かったけど、どっちかっつうとそれまでそこにいた筈の奴が別のに変わってたりとか、胸や肩に張ってあるバッジが敵のに変わってたりとかが俺には気になってな』

 

『それきっと作画ミスってやつだよ。よくアニメ観てるんだから分かるでしょ?人の指が一本増えてたり両手とも同じ手だったりとか』

 

『んー…そっか。ああ、そういう事だよな。うん、長年の疑問が解けた。ありがとよ』

 

 

 呆れ混じりのかずみの思念に、ナガレは納得と感謝の意を表した。

 かずみ的にはそれは皮肉であったのだが、ナガレはそれを鋭い指摘と受け取っていた。

 よく言えば素直、悪く言えばおバカな返事にかずみは苛立ちを抱くのをやめた。

 私がしっかりしないと、と思ったのである。

 ナガレを見るかずみの眼には、慈愛の色があった。

 人間に対してというよりも、子犬でも見ているかのような感じだった。

 

 その視線の先で、白い輝きが煌いた。

 トスっという軽い音、次いで鳴ったのは小さな水音。そして悲鳴が上がった。

 

 

『ねぇねぇナガレ』

 

『ん?』

 

 

 遠くから声を掛けられたからそっちを向いた。

 そんなリアクションを彼はした。

 

 

『そろそろ終わらせてあげない?』

 

『お前は優しいな。社会勉強はもういいのか』

 

『うーん、特に学べたことはないかなぁ…あ』

 

『何かあったか?』

 

『何事も見かけによらないから気をつけよう、ってとこかな』

 

『モアザンミーツジアイ』

 

『…「眼に見える以上のもの」……?』

 

『正解』

 

 

 微笑むナガレ。

 その頭が微かに揺れた。扉を開いたときに、少しの風に吹かれた様な。

 地面に杭を打ち込むのに用いる、ハンマーが彼の額に激突していた。

 太い腕と太い指で長い柄を握られた槌が、遠心力と体重を乗せられた一撃が彼に齎した効果は彼にとってそんなものだった。

 激突の際に鳴った音はほぼ金属音であり、それはハンマーが凹んでヒビが入る音であった。

 ナガレの額にも一瞬、赤い跡が浮かんだが一秒程度で消えた。

 

 傷が治るのではなく、そもそも傷付いてすらいない。

 ナガレは先程から徒手の殴打に加えて、ナイフや包丁の斬撃に刺突、そしてハンマーの殴打を受けていた。

 その結果は路地裏に満ちる加害者十名の狂乱と悲鳴、ナガレの足下に転がった凶器の残骸。

 彼自身は傷一つなく、精々服が少し痛んだ程度。

 魔女や魔法少女と渡り合う彼の肉体の頑強さは、まるで戦車の装甲のようだった。

 

 

「ふあぁ…」

 

 

 大口を開けてナガレは欠伸をした。

 連られてかずみも欠伸を一つ。

 開いた口の中にもなんら欠損が無い。

 欠伸をして口を閉じる間に、彼は現状を思い出していた。

 

 かずみと一緒にあすなろを歩いていたら十人ほどの変な連中に絡まれた。

 路銀が欲しかったのと、かずみへの社会勉強として大人しく路地裏に付いていった。

 暴力自慢と神浜の治安の悪さを口にし、風見野で暮らしている赤髪のストリートチルドレンへの卑猥な罵詈雑言を言い掛けた時に一番近場にいた男の股間を蹴り潰した。

 その後が今の現状だった。

 以上回想終了。

 

 連中の逃げ場は、怯えるふりをして彼から離れていたかずみが路地裏に放置されていた鉄の廃材やらで塞いでいた。

 かずみもナガレの意図を察し、ここ最近の懐事情を鑑みて補充が必要だと思っていた。

 連中の目的は中学生程度の兄妹を性的に辱め、その様子の画像や映像をネタに保護者を強請ったりネットに上げて家庭が崩壊するのを楽しむ算段だったが相手が悪すぎた。

 異様な音が背後から鳴り、男たちは狂った表情で背後を振り返った。

 

 ぎしぎしと、何かが潰れる音だった。そしてその音は時間が経つに連れて粘着質な趣を持ち始めた。

 連中の眼に映ったのは、ハンマーのヘッド部分を握っては離しを繰り返しているナガレだった。

 美少女じみた表情の少年の手の中で、頑丈な筈のステンレスは粘度のようにこね回されていた。

 見る間に形が崩壊していき、今ではスライムのような有様にされている。

 ナガレ的には特にこの行動に意味は無かった。

 どんなもんだろ、と自分の力をただ試しているだけである。

 

 二十年近く続いている格闘漫画の元ラスボスをボコボコにしたゴリラも、多分こんな気持ちだったのだろう。

 ナガレはそんな事を考える程度には暇を持て余していた。

 魔法少女や魔女なら兎も角、人間では彼の相手にならないのだった。

 因みに今の彼は魔法による一切の強化を受けていない。

 完全に素の状態でこれなのである。

 戦闘時は魔力で更に強化するが、魔法少女らの攻撃はそんな彼の肉や骨を難なく破壊し牙を以て彼の肉を喰い千切る。

 魔法少女とはこの地球で最強の生命体であり、彼であっても少し気を抜けば簡単に殺される生ける凶器、もとい兵器なのであった。

 

 

「さっさと済ますか」

 

 

 ナガレは口でそう言った。

 普通の口調であったが、酷く冷淡に聞こえた。

 外見同様に、声も少女のようである。声としては、音としてはそうだが、可愛らしい音に覆われているのは………例えようもない獣性と、多くの命を破滅させてきた自分達でも全くとして及ばない暴力性。

 眼の前の少年の可愛げのある外見は、それを餌に贄を求める暴虐な獣の罠。

 この連中の心を見分したら、そんな認識が浮かんだかもしれない。

 

 男たちは一斉に叫んだ。

 ナガレに向かってはいたが、それは逃走のような疾走だった。

 脚を縺れさせ、口から唾液を嘔吐のように垂らして走る。

 破裂しそうなほどに鼓動を高めた心臓、砕けそうになっている心。それらを誘発させている恐怖。

 苦痛から解放されるために。男たちはナガレを目指していた。

 

 連中にとって彼は、苦痛の根源であり解放の象徴だった。

 そんな連中を、ナガレは心底どうでもよさそうに見ていた。

 下衆に過ぎて、特に何とも思わないのだった。

 かずみは再び欠伸をしていた。彼女も似たような心境なのだろう。

 

 接触まであとコンマ五秒、と彼が思った時、

 

 

 

 

待てい!!

 

 

 

 という声が響いた。

 反射的にナガレは上を見た。

 男達も上を見た。

 戦闘の三名が転び、後続に踏まれて内臓破裂の重傷を負った。

 

 

「…wait?」

 

 

 上を見上げたかずみはそう呟いた。声は二重に重なって聞こえたのだった。日本語と、英語の二つの言葉で。

 複数の視線の先には、陽光を切り取って立つ孤影が見えた。

 路地裏に影を落とすビルの一つ、尖塔状に伸びた建物の屋根の、槍穂のように鋭くなった先端にそれは立っていた。

 影は、少女の形をしていた。

 

 

「とぅっ!」

 

 

 気合の叫び。

 ナガレにはそう聞こえた。

 跳躍した時、少女の背で長い髪が放射状に広がった。翼のように見えた。

 重力に従って少女は落下する高さ三十メートルほどの位置から、薄汚い路地裏へと。

 そして着地の瞬間、ぐぎい、という音を鳴らした。彼女の足首から鳴っていた。

 

 

「vaaaaaaaaaaaaaaaa!?」

 

 

 絶叫が鳴り渡った。少女は転がり、顔面を地面にぶつけ、右足首を両手で握った。

 

 

「VAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

 

 

 再びの絶叫。

 自らが握った事で新たに生じた痛みによるものだろう。

 叫びながら、少女は壁に顔を激突させた。

 

 

「……なに、この展開」

 

 

 かずみは首を傾げながら言った。言いつつ、早速男達の懐を漁っている。

 少女が落下する間に、ナガレの用事は終わっていた。

 連中の睾丸は全て蹴り潰され、全ての歯は折れ、両顎も回復不能なほどに破壊されている。

 

 

「………」

 

 

 ナガレは一瞬で蹴散らした獲物以下の獲物たちに眼もくれず、この闖入者に視線を注いでいた。

 顔はゴミ箱から溢れた袋に覆われていたが、長い緑髪が複数の袋の端から見えていた。

 丈の短いスカートは捲れ、露出した太腿は痛みに痙攣していた。

 

 

「ねぇねぇ。男の子だから仕方ないのは分かるけど、ちょっと見過ぎじゃない?」

 

 

 ねぇ、おとしゃん。とかずみは皮肉ったように言った。一種の反抗期なのかもしれない。

 

 

「……こいつは」

 

 

 ナガレは小さく呟いた。

 彼の視線は、スカートの中の黒い下着ではなく仰向けに倒れたこの奇妙な少女の全体を見ていた。

 その体表から僅かに発せられているのは、緑の力。

 万物を蕩けて爛れさせ、腐らせて焼き尽くして灰へと変える。

 そんな、毒のような魔力であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気

「おい、呉キリカ」

 

「なんだい朱音麻衣。好きなミラーモンスター語りかい?私はシアゴースト。声がキモくて好き。嘘、嫌い。殺したい」

 

「要件は違うがメタルゲラス以外なら何でもいい」

 

「言いたい事は分かるけどメタルゲラスに罪は無いだろう」

 

 

 廃ビルの一フロアの中で、限りなく内容が虚無な会話が重なる。

 要件に触れることは無く、会話の前後で互いの心に響くものが何もない。

 離れた場所に配置された椅子に座るキリカと麻衣は、互いに視線を交わしてすらいない。

 顔は別の方向に向いており、キリカに至っては小説を読んでいる。

『されど』から始まる作品だった。

 

 

「ならベノスネーカー。あの大きさで二百キロを下回るから振り回しやすい」

 

「好きの基準がよく分からないな」

 

「なら呉キリカ、貴様は?」

 

「サイコローグ」

 

「だと思った。ゴキブリ然とした貴様にお似合いだ」

 

「単に見た目が好き、あと便利そう。と付け加えておこう」

 

 

 欠伸をしながらキリカは告げた。言葉を遮られたことについて、何とも思っていないようだ。

 

「で、あの蛇の何が好きなんだい?小説でライア本体が転がってるのに腸しか貰えなかったとこ?」

 

「実用性」

 

「は?」

 

「実際試したが、全身のトゲトゲは大量殺戮を行うのに実に便利だ。作中使われていないのが勿体ない」

 

「二度目だけど好きの基準がよく分からないよ。あと実際というかあれは魔女モドキだぞ。ややこしい」

 

「モドキとはいうが、この前実験してみたら性能は概ね近い事が判明した。地面を掘り進む速度は600キロほどで、吐き出させた毒は金をも水のように溶かした」

 

「その金とやらは、君が暇潰しで壊滅させた暴力団事務所からの戦利品だっけかな。勿体ない」

 

 

 キリカがそう言い終えると話は絶えた。

 そのまま五分が経過した。

 溜息が漏れた。麻衣の口から。

 現実逃避はここまでにしよう。麻衣はそう思った。

 

 

「おい、呉キリカ。そろそろこいつをどうにかしないか?」

 

「そうだね。それが主人公の役割だろう」

 

「黙れモブ」

 

「朱音麻衣、一々私に敵意を向けるのはやめたまえ」

 

 

 そして二人は一点に視線を注いだ。首を傾け、そしてどうでもいいものを見るようにしてそれを見る。

 言うまでも無くというか、それは佐倉杏子だった。

 お手製の魔法少女ドレスを纏い、ソファに座っている。

 首がだらりと下がり、赤い髪は真紅の滝となって枝垂れている。

 二時間前には朱音麻衣はその対岸に座っていた。

 その時は麻衣も似た様子だったが、ゆっくりとメンタルを持ち直していき今に至る。

 風呂に入って身を清め、新しい下着を穿いて

 

 

「また同じ魔法少女服カッコワライダイソウゲンだから意味の薄い朱音麻衣であった」

 

「喧しい。誰と会話しているんだ」

 

「???君とだけど?」

 

 

 朱音麻衣的には唐突な愚弄への問い掛けだったが、キリカはその返事を即座に口撃へと転化した。

 こいつとレスバはすべきではない。麻衣はそう思い、悔しさを覚えた。

 

 

「こいつを…佐倉杏子をどうするか、だったな」

 

「うん。忘れそうになってた。というか忘れたい」

 

 

 そうは言いつつも、二人は席を立った。

 項垂れている杏子の近くへと歩み、一定の距離を取って立つ。

 その距離とは自らの得物が自分以外の魔法少女を切り刻める距離である。

 またキリカはこの時魔法少女服を着ていた。

 こちらも手製だが、普段の魔力による衣装とクオリティの遜色があまりない。

 

 

「裁縫がお上手なのだな」

 

「うん。母さんも手伝ってくれたんだ」

 

「…家庭の話に踏み込んだのなら謝るし答えなくてもいいが、貴様の母君は貴様が魔法少女だと知っているのか?」

 

「そういうとこ君は真面目だな。答えはノーだ。こんなの作りたい、って私が描いたイラスト見せたら手伝ってくれた」

 

「良き母君だな」

 

「うむ。私には勿体ない。流石は私の遺伝子提供者」

 

「大袈裟な言い方だが、その通りなのだろうな。大事にするといい」

 

「言われるまでも無いね。あと、私の名前も母さんからもらったんだ」

 

「たしかに、いい名前ではあるな」

 

「えっへん。親子三代に渡る名前だからね」

 

「…ん?」

 

 

 胸を張るキリカへと麻衣は視線を向けた。奇妙なものを感じたのだった。

 

 

「貴様の家庭は、婿入りが基本なのか?」

 

「んーん。母さんは天涯孤独のストリートチルドレンだったから嫁入りだよ」

 

「……そうか。それでだが……その……名前、とは…?」

 

「母さんの名前、『錐花』っていうんだよ。鋭く尖ってるって意味の錐と綺麗な花の組み合わせ。読みは『きりか』」

 

 

 朗らかに笑いながらのキリカの発言に、朱音麻衣は言葉を喪っていた。

 

 

「そして私の名前はご存知の通りに『キリカ』で、いつか私が育んで産み落とす命の名前も「きりか」の予定さ」

 

 

 キリカの言葉に、麻衣は口を軽く開いたままに硬直していた。

 えも知れない狂気を、キリカの、正確にはキリカ達から感じていたのだった。

 

 対するキリカはと言えば、急に黙った麻衣を見て不思議そうな顔をしていた。

 急に発情期にでも陥り、立っているだけで欲情でもし始めたのかと。

 

 

「(やれやれ参っちゃうねぇ。やはり私の周りは狂人だらけか。あーあ、友人は今頃どうしてるんだろ)」

 

 

 どうせ変なトラブルに巻き込まれてるんだろな。

 キリカはそう思った。

 そしてどんな事象であっても、この建物の中にいる自分以外の魔法少女二匹の狂気と度し難さには及ばない。

 それだけは間違いないとキリカは確信しつつ、今同じ建物の中にいる度し難い魔法少女共をどうしようかと考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水音が聞こえる。無数の細い水が、心地よい熱量を帯びて放射される音だった。

 シャワーの音は壁を隔てて、ナガレが座る場所へと届いた。

 彼が座っているのは、桃色の映えた寝台であった。

 元からその色ではなく、降り注ぐ光がその色を帯びているのであった。

 その桃色は、淫らさを孕んだ色だった。

 寝台の面積は広く、その上で横になって寝るよりかは動くのに適した作りになっていた。

 要約すれば、交わる為に必要なスペースが設けられていた。

 

 

「なんで、こうなった」

 

 

 ナガレは呟いた。

 カチャリという音が鳴った。

 シャワールームの扉が開いた音だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気②

「なぁ呉キリカ」

 

「なんだい朱音麻衣。このテンプレ遣り取りにも飽きてきたから話を進めると、こいつをどうするかの質問だろう?」

 

 

 白手袋に包まれた繊手の人差し指で、キリカは佐倉杏子を指さした。

 相変わらず項垂れた状態でソファに座り、ピクリとも動かない。

 普段ならばこの距離に接近したら即座に反撃に移ると云うのに、今の杏子は平和であるが異常であった。

 

 

「ふむ。朱音くん、どこかに細いチューブとビーカー的なサイエンスチックな容器は無いかな。因みに針なら幾らでもある」

 

「何をする気だ」

 

「創世王ごっこ」

 

「固めてゼリーにしてでも売る気か?そういうのはやめろ」

 

「何故?」

 

「こいつの血液と体液が何かの役に立つと思うのか?容器を汚すだけで、それを洗う際に下水道に流す事で生じる環境破壊は地球に住まう者として避けるべきだ」

 

「朱音麻衣、君が環境に配慮できる優しさを持っていたとは…」

 

 

 毅然とした口調の麻衣の言葉に、キリカは敬意の眼差しと共にそう返した。声の震えは感動によるものだろう。

 しばしの間、麻衣とキリカの間を敵意以外のものが繋いだ。

 平和という概念への可能性、その一端に思える光景だった。

 

 

「しかしここで少し疑問を呈する。果たしてこいつの血は無価値なのだろうか?」

 

「私達は魔法少女だからな。通常人類への輸血で相手に悪影響が出ないとも限らない」

 

「うむ。だが魔法少女へは大丈夫そうな気がする」

 

「魔法少女への輸血か。非常食というか入院時の点滴のように栄養というか魔力補給の手段として使えるのかもしれないな」

 

「その利用も悪くない。が、朱音麻衣よ。気付かないのかい?この女の血の価値に」

 

 

 麻衣は首を傾げた。しばし思考する。

 そして閃いた。

 

 

「そうか。こいつの血の中には」

 

「そう。友人の血が混じってる」

 

 

 佐倉杏子を見降ろす二人の視線には深紅の光がぎらついていた。

 それは、獲物を値踏みする捕食者の眼光。

 

 

「だからこいつから血を抜いて精錬すれば」

 

「気色悪いこと抜かすんじゃねぇ」

 

 

 注がれる視線へ、真紅の輝きが絡みつく。

 此処に至り、漸く佐倉杏子は現実へと意識を戻した。

 

 

「流石に起きるか。で、今まで何を考えてたんだい?友人と仮面ライダーの類似性とか?」

 

「ああ?」

 

 

 何時もながらアウトレンジな方向からの話を仕掛けてくるキリカに、杏子は不愉快そのものといった表情となった。

 因みに問い掛けが一つだけであったなら、彼女は殺し合いながら交わってる最中だったと応える積りだった。

 それが予想出来ていたので、キリカは口を塞ぐために問い掛けを重ねたのだった。

 

 

「互いに首絞め合って頭突きしながら繋がり合って」

 

「まぁ聞け。今は本人がいないから、友人とかいう謎存在を考察するいい機会だ」

 

 

 キリカの言葉を無視しての杏子の爛れた言葉をキリカが遮る。

 更に無視して妄想を言語化しようとした杏子だったが、彼女は口を閉じることを選んだ。

 

 

「確かにいい機会だな。で、何?仮面ライダーだっけ?あたしも少しは詳しいぞ」

 

「じゃあこれは?」

 

 

 そう言うとキリカは右掌を上に向けた。

 白手袋で覆われた手の真ん中から、微細な斧を連ねた細く赤黒い触手が生えた。

 触手は縦に何本も裂けて絡み合い、蠢きながら形を形成した。

 人型の物体の上半身に見えた。

 

 

「この前、中古屋でソフビ人形売られてるの見たな。ストライクってやつだろ」

 

「オッケー。もう分かった」

 

 

 全く知らないんだな、という事でキリカは納得した。手を握り、形成させた人型を握り潰すようにして消した。

 

 

「友人の能力というか存在なんだけど、あいつってば魔女と契約というか隷属させてるから龍騎のライダーっぽいなぁと」

 

「あいつは特撮キャラクターの模造品だってのか?」

 

「そこなんだけど、友人の話を聞いてて思ったけどさぁ、友人のやってた事って特撮の詰め合わせじゃね?」

 

「ああん?」

 

 

 質問を質問で返され、そもそも呉キリカという異常者を超えた異常者と会話するという行為に杏子は嫌悪感を抱いていた。

 

 

「………」

 

 

 麻衣は無言で二人を見ている。血色の視線には凡その温度というものが欠けていた。

 まるで投薬を受けた実験動物が、どんな反応を示すのかを見るような眼だった。

 

 

「まず友人は生身だ」

 

「クソ重たいけどな。素の重さで250キロ以上ありやがる」

 

「メタルゲラスと大して変わらないな。普段はそこに武装を付けてるから総じて400キロくらいか。となると友人は結び合わせたベノスネーカーとドラグレッダー相手にシーソーやれば吊り合うってことだね。場面想像すると草」

 

「話を脱線させるなよ淫乱雌ゴキブリ。まぁ生身っつってもアホみたいに頑丈だからな、あいつ。肉と骨で出来てるけど出来が違うんだろな」

 

「友人の皮膚はぷにぷにしてるけど、魔女の攻撃にも耐えるし王水以上の強酸を顔面に浴びても骨の少し手前ぐらいの融解で済むしなぁ」

 

「それ初耳だ。そういや確かに、鋼鉄を飴みたいに溶かす炎で焼いてやっても生焼けで済んでやがるな」

 

「特撮の詰め合わせという話はどうなった」

 

 

 淡々と、そしてイラついた口調で麻衣は言った。

 キリカと杏子は麻衣を一瞥し、やれやれという表情をした。

 

 

「今その話をしてるんじゃないか。黙って聞いてておくれよ」

 

「テメェはホント頭悪いのな。いや、テメェら、か」

 

 

 室内の空気は例によって最悪である。

 しかし誰もがそれにストレスを感じない。最悪の状況とは、この連中にとって空気や重力といった概念とほぼ変わらないせいだろう。

 

 

「まぁご説明をしてあげると、友人曰く元々は同僚二人とチームを組んでたそうじゃないか。社会復帰中のお坊さんと」

 

「どうしようもねぇクズだろ」

 

「そうそう、元テロリストとかいうゴミクズ。ブラックサンとかにいたら怪人根絶やしにするか怪人側に立って人類に宣戦布告して世界滅ぼしそうなやべー奴」

 

「その一方で頭も良いらしいから、タイガのデッキを解析して異常な性能のオルタナティブを作りそうだ」

 

「あーもううっせぇな特ヲタどもが。あたしの知らねぇ事で盛り上がってくっちゃべってんじゃねぇ」

 

 

 詳しいんじゃないのか、という煽りをキリカは堪えた。話が進まないからだろう。

 

 

「それでだ。チーム編成で云々やってたのはヒーロー戦隊っぽいなぁと」

 

「ヒーローねぇ。元強姦魔の坊主とクソゲステロリストの二匹と組んでるとか、まともなのはあいつしかいねぇじゃねえか」

 

「友人がまともな奴、かどうかは判断が難しいな」

 

「呉キリカ。その基準は何だ?」

 

「朱音くん、奴は美少女三人に群がられてるのに暴力と日常会話しか交わさないんだぞ?もう出会って半年は経つし誰かしらは処女喪失してそこから連鎖的に手を付けていってハーレムを形成しててもおかしくないじゃないか」

 

「成程。貴様の判断は正しい。私もそう思ってたところだ」

 

「だろう?だから友人は結構異常だ。物語の主人公とは思えない」

 

「あのな、現実の存在を架空のものと比べてんじゃねぇってんだろ」

 

 

 異常なのはテメェらだ、と付け加える杏子。

 それに対して鼻で笑う二人。誰もが自分以外を異常者と捉えている。

 

 

「それで最後に、友人はデカいロボットに乗ってたらしいじゃないか」

 

「何を言うか分かったぞ。ウルトラマン的な感じだと言いたいんだろ」

 

「うむ。ついでに友人、本当にウルトラマンに会った事あるらしいしね」

 

「は?」

 

 

 麻衣と杏子は同時に言った。遂に壊れたか、とも思っていた。

 

 

「会ったのはタロウ、らしい」

 

「歯切れが悪いな。なんだ、死ぬのか?」

 

「これまで一緒に戦った仲だ。介錯なら私が」

 

「いや、受けた迷惑度合いならあたしのが上だ。報復する権利がある」

 

 

 腰に差した愛刀の柄に手を乗せながら麻衣は言った。杏子も槍を出現させて手に握った。

 そこに冗談など一切なく、本気である。

 

 

「いや、友人もそれ以上何も言わなかった。なんていうか、そう、見ちゃいけないものを見たって感じだった」

 

 

 二人を完全に無視してキリカは言う。黄水晶の瞳は遠くを見ているようだった。

 それきりキリカは口を閉ざした。それ以上の情報を持っていないのだろう。

 

 

「さて、長々となったが」

 

「本題に入るか」

 

 

 麻衣が口火を開いて杏子が引き継ぎキリカが頷く。

 三人は他の二人を見た。

 

 

「さっきの話だけどよぉ、そういえばテメェらはあいつの肉を喰ってたよなぁ」

 

「うむ。血をガブ飲みしたこともよくあるよ」

 

「私は彼の心臓近くまでを貪り食った事がある。鼓動する心音を聞きながらのあれは……いい経験だった」

 

 

 麻衣は上唇を舌先で舐めた。その時の味と鼓動を思い出したのだろう。

 血の滴る肉を見た、飢えた獣と淫らな娼婦の表情が合わさったような。麻衣の今の表情を表すならそうなるだろう。

 

 

「変態」

 

「どしがた」

 

 

 杏子とキリカはそう言ったが、負け惜しみだとは分かっていたし麻衣にも見抜かれていた。

 

 

「そういやぁ、テメェはあいつの血をソウルジェムに溜めてたよなぁ………一応聞くけど狂ってるって実感、あんのかい?」

 

「佐倉杏子、惨めになるからそれ以上言葉を発するのはよしておきたまえ」

 

「ああ。今にも泣きそうになってるぞ」

 

「ぬかしやがれ」

 

 

 乾いた笑いが廃ビルの中で生じた。それは誰が最初に放ったものか。同時だったのかもしれない。

 それはすぐに哄笑となった。手製の魔法少女服を纏った魔法少女達は狂ったように、または美しい花や景色を見た時のように朗らかに笑い合う。

 狂気の一言では計り知れない、人間が持ってはいけない感情を帯びた笑いであった。

 

 

「じゃあ、テメェらの中にはあいつがいるってことだよなぁ…」

 

「察しが良いな、佐倉杏子」

 

「うむ。消化するなど勿体ない」

 

 

 イカレてやがる。三人は他の二人に対してそう思った。

 前々から察しており、先日ドッペルを融合させた際に確信が持てた。

 この連中は魔力を用いて、捕食したナガレの血肉を自らの肉体に取り込んでいるのだと。

 浴びた血肉の香りや味からそれが察せていた。

 真紅と血色と黄水晶。

 三人の瞳には危険、というにも程遠い陰惨な輝きが宿っていた。

 誰ともなく、口内に溜まった唾液を飲み込んだ。

 それが意味する事とは、つまり。

 

 

「(負け犬共め)」

 

 

 自らを焦がすような胃酸の分泌を感じながら、キリカは内心でほくそ笑んだ。

 

 

「(お前達は、友人を喰らっただけに過ぎない)」

 

 

 キリカは記憶を辿る。ナガレと唇を交わす、自らの姿が思い浮かんだ。

 

 

「(その点、私は………)」

 

 

 重なる口からは、蕩けた血肉が零れた。

 体液と血肉の交錯。

 毒を受けたナガレの鮮血を飲み、その血で自らの体内の肉が破壊された。

 肉体の損壊も構わずに毒を分解させたキリカは、溶解した血肉を彼へと口移しをして解毒を促した。

 彼の血を飲み、自らの血肉を喰わせ続けた。

 それは、他の二人には無い事だった。

 その事実に、キリカの精神は高揚し、興奮しきっていた。

 新たな命を胎内に宿し、自分の血肉を用いて育む事とはきっとこんな事なのだろう。

 呉キリカは今、女として、雌として生まれた事への感謝で胸を満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「率直に聞くんだケド」

 

 

 桃色の光量で満ちた室内で、濡れた身体をタオルで拭きながら少女はそう言った。

 澄んだ声であり、どこか異国の趣のある発音だった。

 長い髪や細い身体には湿気が纏われ、身を清めるのに用いられたシャンプーやソープの爽やかな香りを振り撒いている。

 薬品の香りに混じる甘い臭気は、少女が生来から纏っている匂いだろう。

 甘い匂いは、満開に咲いた花を思わせた。何かを誘引する様な、そんな香り。

 

 部屋の中にある大きな寝台の淵に座るナガレは、少女から片時も視線を外していなかった。

 身を拭いてはいるが、肌着どころか下着すら身に着けずに近寄って来る少女に欲情したのではない。

 警戒を怠らない為である。

 緑の髪の少女はある程度といった具合に身体を拭くと、濡れたタオルを放ってナガレの隣へと座った。

 二度目になるが、この時少女は全裸であった。

 そして彼女はこう言った。

 

 

 

「ユー、なんで呉キリカの匂いがするワケ?」

 

 

 深緑の瞳は、ナガレの眼を覗いていた。

 彼の渦巻く瞳の中を、注意深く探るかのように。













因みに彼の戦闘スタイルの元ネタは「されど罪人は竜と踊る」のザッハドの使徒達です(魔物が封印された書物を用いて連続殺人を繰り返す異常者たち)
また、彼が見たタロウというのは、漫画版の……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気③

「………」

 

「………」

 

「………」

 

 

 廃ビルの中。

 テーブルに配された椅子に座る佐倉杏子、呉キリカ、朱音麻衣の三人は黙っていた。

 だが口は動いており、手はナイフとフォーク、または箸を用いて食事をしている。

 杏子は血が滴りそうなレアなステーキ、キリカは濃厚なソースが絡められたカルボナーラスパゲティ、麻衣はいい具合に焼けた生姜焼きと、それをオカズにして白米を食べていた。

 廃ビルの中にはどこから用意してきたのは大きな冷蔵庫が三台もあり、その内の一台は食材がぎっしり詰め込まれ、今は外出中のかずみが残していった料理が二台の冷蔵庫の中で保管されている。

 今は昼頃近くになっており、早めの昼食兼遅めの朝食を三人は摂っていた。

 同じ建物の中で、同じ食卓を囲んでいるのに誰も会話をしようとはしていない。

 それに対して居心地が悪いとかストレスを感じるとかも思わない辺り、連中の精神の強靭さというか怪物性が伺えた。

 

 一時間ほどを掛けて食事を終えた。時間を掛けているのは食事を楽しんだからである。

 

 

「呉エリカ」

 

 

 皿洗いを終え、思い思いの場所で寝転がったり椅子に座って食休みをしている中で佐倉杏子はそう言った。

 因みにこの連中は今も手製の魔法少女服を着ている。気に入ったのだろうか。

 

 

「あたしが投稿してるネット小説の登場人物なんだけど、今死んだ。死に方聞くかい?」

 

 

 スマホを弄りながら杏子はそう言った。

 暇だったので麻衣はそちらを見た。

 

 

「読んで欲しいのか?」

 

「まぁね。毎日更新してるってのに五人くらいしか見てくれてねぇ」

 

「五人もいることに感謝すべきだろう」

 

「なるほど。あんたにしちゃあ、いい考えだ」

 

 

 納得する杏子。そこにううむ、という可憐な唸り声が届いた。

 

 

「えりか、かぁ…」

 

「なんだ?悲しい過去か」

 

「よく分かったね」

 

 

 キリカは感心したように言った。対して杏子は嘲りのつもりで言った言葉が的を得てしまった事に困惑した。

 

 

「昔、えりかっていう幼馴染がいてねぇ。仲良く遊んでたんだけど、万引きの濡れ衣着せられた後にそれっきりになっちゃった」

 

「……名前、変えとくわ。あんたの名前に……いや、あたしのでいいか」

 

 

 雨が降ってきた、止んだといった現象を告げるような、淡々としたキリカの口調だった。

 嘘を言ってるとは思えず、杏子はスマホを操作し始めた。文章の中では、呉エリカから佐倉キョウコへと名前を変えられたキャラクターが筆舌に尽くしがたい暴力行為の果てに一切の救いの無い最期を迎える様子が描かれていた。

 

 

「平和だな」

 

 

 今の現状を麻衣はそう評した。キリカは頷き、杏子は苦々しい表情となりつつも顎を引いて肯定した。

 

 

「静かならそれに越したことは無い」

 

「ああ、頭を冷やすのは大事だ。あたしらはどうかしてた」

 

「うむ。全くだ」

 

 

 三人は少し前の事を振り返った。

 互いの身体に同化させたナガレの血肉を、自分以外の二人を喰らって自らに取り込むという度し難いにも程がある考えをこの連中は持った。

 戦端が開かれる寸前までいったが、同時に『不純物が多い』という考えに至り三人は槍と爪と刃を収めた。

 必要なのは彼の血肉で、他は不要なのである。

 大体、何より…

 

 

「友人はどうせ十数時間か数十時間後に帰って来るしね」

 

「だな。喰うのはそっちでいい」

 

「それまでに鍛錬を終えておくか」

 

 

 この魔法少女、というよりも怪物。雌餓鬼とでもいうべき連中が導き出した答えはこれだった。

 冗談など一切なく、表情は真面目そのものである。

 人生の目的を見つけたような、そんな晴れやかささえあった。

 

 朱音麻衣は席を立ち、稽古道具の準備をし始めた。

 部屋の片隅に置かれている稽古道具…両手首に巻く重りや、ナガレが置いていった多種の武器を集め始める。

 剣以外にも使えるものは増やそうというのだろう。

 

 一方のキリカはその場に留まる事を選んだ。

 ソファに寝転がりながら、机の上に重ねた漫画を黙々と読んでいる。

 『龍を継ぐ男』というタイトルが見えた。

 キリカが黄水晶の視線を注ぐ頁の中では、グロテスクで面妖な覆面を被った筋肉男がポージングを極めながら何やらイベントのルールを説明している。

 どう見てもスパム・メール以下としか思えない内容と5000万ドルという非現実的な賞金にも関わらず、世界各国から参加者達が日本に上陸する様子が描かれていた。

 

 最後に佐倉杏子はというと、無言で立ち上がり部屋の出口を目指して歩いていた。

 自慰る気だろうな、とキリカと麻衣は思い、実際本人もそのつもりだった。

 部屋の外へ出るドアノブへと手を掛けた時、杏子は背後に飛んだ。

 麻衣も手に抱えていた稽古道具やらを投げ捨て、キリカも飛び起きた。

 それでいて今にも崩れそうなほど積み上げられていた漫画が小動もせず、今読んでいた漫画に付箋をしているところが彼女らしい。

 

 入り口から距離を保ちつつ、杏子を正面として左右にキリカと麻衣が立つ。

 既に得物で武装し切っ先を向けている。

 そして扉が開いた。

 

 

「突然失礼」

 

 

 ポニーテールの髪を揺らしながら恭しい一礼を交え、その少女は入室した。

 そんな彼女向けて三つの影が、武具を携えて襲い掛かったのは言うまでも無い。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気④

「ユー…なんで、ユーから、呉キリカの匂いがするワケ……」

 

 

 寝台に座るナガレへと、緑髪の少女は問いを発した。

 

 

「答えて、プリーズ」

 

 

 腰を屈め、顔同士の距離を限りなく近づけながら、奇妙な喋り方をする少女はナガレの眼を見ながら言った。

 深緑の眼は、彼の黒く渦巻く瞳の底を覗き込んでいるかのようだった。

 

 

「その前に」

 

 

 毒々しい瑞々しさを湛えた緑の瞳は、名状しがたい狂気を湛えていたがナガレは毅然と返した。

 怯えた風は全く無い。演じているのではなく、全く怖くないのだった。

 ただ、少しの疲れと呆れがあった。

 

 

「ちゃんと水気を切って、服を着な」

 

 

 全身はシャワーの温水で濡れ、湯気を立ち昇らせている。

 一糸纏わぬ裸体から。

 ぴちゃりぴちゃりと音が鳴る。

 少女の裸体を這い、床に落下する水音が連鎖する。

 深緑の瞳が遠ざかり、後退していく全身を濡らした少女の姿をナガレに見せた。

 離れはしても、少女はナガレの眼を凝視し続けている。

 

 

「ユー!そこを動かないで!!」

 

 

 湯に濡れた少女はナガレを右の人差し指で指しながら叫んだ。

 スラっと伸びた腕と細い指。芝居がかった動作だが、至って自然に見えた。

 叫ぶと浴室へと消えた。が、次の瞬間

 

 

「逃げたら赦さないカラ!!」

 

 

 と扉から半身を乗り出して叫んだ。

 逃げねぇよと言う前に少女は扉の奥に消えた。

 瞬間、扉が開いた。先程の再現でもしたかのように。

 

 

「もう一度聞くけど、なんでユーから呉キリカの」

 

「おい」

 

 

 少女の叫びを遮りナガレは言った。

 

 

whats(なにっ)

 

 

 と少女は呟いた。こいつもマネモブという奴かと、ナガレはどうでもいい情報を得た。

 

 

「何?言い訳ならせめてアリ……ミーが話し終わってからにしてほしいんですケド」

 

「服を着ろ」

 

 

 再び顔を覗き込んできた少女にナガレは再度の注文を付ける。

 先程の再現のように顔が遠ざかる。黒いパンツだけを穿き、あとは適当に水気を拭った程度の少女がいた。

 少女は溜息を吐いた。

 

 

「一々緊張感を削ぐボーイ……ボーイ、だヨネ?間違ってたらソーリー」

 

「男だよ。こんなツラで声だけど」

 

「シィィィイイイイット!!」

 

 

 叫んだ瞬間には少女は扉の奥に消えていた。

 人間の眼には瞬間移動に見えたが、ナガレにはその過程が見えた。

 瞬時に赤面し、胸と下半身を手で遮り、慌てながら扉を開けて中に入っていく様子が。

 直後に開いた。

 

 

「ユー!アリナ…じゃなくてミーの服はドコなワケ!?」

 

「あ、悪い。クリーニングのサービスに出してるから、洗面台に置いてあるの使ってくれ」

 

「サンキュー、ナナチみたいな声と口調のキュートボーイ」

 

 

 そして閉じて、また開いた。

 

 

「おまたせ」

 

 

 ナガレが用意した服を纏った少女に対し、ナガレは首を傾げたくなった。

 右手を前に出し、左手を額に付け、両脚を内側に曲げて八の字を描く。

 様になってはいるのだが、何を意図しているのか分からないポーズを少女は取っていた。

 拍手でもした方がいいのかな。彼は考えた。その間に、少女はナガレへと接近していた。

 

 

「隣、イイ?」

 

「いいけど、さっきのやらねぇのか?」

 

「ワッツ?」

 

「眼を覗くやつ」

 

「いい加減演出過剰だから省略。気に入ったノ?」

 

「いや、気にしないでくれ」

 

「オーケイ。じゃあ今度は…ミーの質問なんだケド」

 

 

 名前は先程、自爆気味に告げていたがまだ隠したいらしい。

 ナガレもそこには突っ込まずに質問を受けたという意思を首肯で表した。

 

 

「この服はユーの趣味?」

 

「別に」

 

「ふーん」

 

 

 少女は両手で、ホットパンツの裾を興味深そうに引っ張っていた。

 緑髪の少女が纏っているのは、佐倉杏子の私服のスペアであった。

 背格好がほぼ同じため、着用に不便は無いようだった。

 ただ外見的に、この少女の方が大人びており

 

 

「胸がキツいんですケド」

 

 

 とクレームを付けていた。しかし直後に「ま、イイか」と言い、少女はナガレの隣に座った。

 

 

「改めまして、ユー……呼び名が無いのは不便に過ぎるんですケド」

 

 

 それもそうだと思い、ナガレは名乗ろうとした。

 が、それより前に少女は言葉を紡いでいた。

 

 

「Hey,ナナチみたいな声と口調のキュートボーイ」

 

「長ぇんだよ。あと可愛いとか言うんじゃねえ」

 

 

 憤慨するナガレの態度に、少女はナナチ扱いは良いのかという疑問を抱いた。

 自分で例を出しておきながら、中々に勝手な思考だった。

 

 

「ユーから呉キリカとの接点が感じられるんだけど、ユーはキリカから何て呼ばれてるノ?」

 

「友人」

 

 

 ナガレは素直に認めた。伝えても問題が無い事だと思ったのである。

 瞬間、少女は背を仰け反らせた。感電でもしたかのように。

 

 

「友……人……呉……キリカの……あの……地球が…宇宙が生んだ奇跡……究極で……至高の………美しい存在の……友人………」

 

 

 少女は震えていた。歯の根は合わずに歯がガチガチと鳴り、両手で我が身を抱いて震えている。

 まるで極寒地帯にいるかのように。

 それでいて、表情は恍惚と輝き蕩けている。

 そんな奇妙な様子を、ナガレは黙って見ていた。

 一瞬たりとも気が置けない存在であると、彼の本能が呼び掛けていた。

 少女の震えが止まった。

 

 

「フレンズ」

 

 

 呪文でも唱えるような、厳かな発音で少女は言った。

 

 

「フレンズ。ユーは呉キリカの友人なら、アリ…ミーのフレンズなんだよネ。よろしく、フレンズ」

 

 

 興奮冷めやらぬといった表情で少女はナガレに握手を求めた。

 少し迷ったが、ナガレは手を差し出した。少女は彼の手を掴み、上下に激しく振った。

 それはいつ終わるともなく続いた。

 

 

「(年頃の女の考えって、ほんと分からねぇな)」

 

 

 腕を振られる中、ナガレはそんな事を考えていた。

 実質、何も考えていないのと同じである。

 こいつもまともな存在ではない事の証明だった。
















…何なんだこのキャラは


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑤

「改めて、フレンズ」

 

 

 佐倉杏子の私服のスペアを着た緑髪の少女は、少し畏まった様子で傍らのナガレに言った。

 桃色の淫らな光で満ちた室内、大きめのベッドの淵に腰掛けながら。

 

 

「なんで、フレンズから呉キリカの匂いがするワケ?」

 

「仲間だから」

 

「ヘェ…」

 

 

 少女は腕を組み、なるほどね、と呟いた。

 直後、組まれていた腕が解れた。そして伸ばされた腕の先の十指が、ナガレの首を絡み付いた。

 

 

「仲間ダカラって…呉キリカの血と体液の香りが、こんなに濃厚に染み付いてる理由が謎なんですケド」

 

 

 首を絞めながら少女は言う。香りと言いつつ、少女の鼻孔は動いていない。

 深緑の瞳はナガレを凝視している。ナガレはそれによって、自分の中身が見透かされているように思えた。

 またこの時、彼は苦痛を感じていなかった。

 

 首から伝わる力は、非力な少女のそれだったのである。

 非力な力だったが、少女の圧搾には必死さがあった。

 怒りと報復心、そして自分への恐怖。

 少女の汗ばんだ手からは、それらが感じられた。

 

 

「(どうすっかな…)」

 

 

 ナガレは少し考えた。

 まずは匂いと言う事から。

 彼の鼻を以てしても、キリカの血や体液といった匂いは感じられない。

 しかし少女が嘘を言っているようには思えない。

 となると事実であり、そう断言できるというのは少女も並みの存在ではないと言う事。

 

 一応念のためと確認すると、首を絞める少女の左中指に違和感を感じた。

 皮膚が捉える感触は、指輪のそれだった。

 ませた少女という見方もできるが、そこに意識を集中すると不思議としか形容できない力の存在が感じられた。

 キリカの名前を出していた時点で察せたように、この少女は魔法少女だった。

 

 次いでは、緑髪少女がいうところの説明をどうするか。

 魔法少女であれば荒事には多少慣れているだろうし、ありのままを話せばいいだろうと。

 が、そこでナガレは躊躇した。

 血みどろの闘争は常であり、日常そのものだがそれを他者に話すとなると勝手が異なる。

 

 そう意識したことで、彼は漸く自分たちの日常が異常な行為で満ちていると自覚したのだった。

 だが、ここで嘘を言ってもロクな事にならなそうだとも思った。

 そして彼は決めた。

 首に手を掛けられてから、ここまで思い至るのに五秒程度しか掛からなかった。

 彼自身は数時間も経過したように思え、考えの末に紡いだ言葉を言おうとした時に、少女の叫びが耳を劈いた。

 

 

「ソウ…ソウ、だったのネ」

 

 

 少女は手を放していた。指先はわなわなと震え、いや、少女の体全体が震えていた。

 

 

「フレンズ…つまりは呉キリカと肉体関係にあるってことだヨネ……」

 

 

 少女はナガレを睨んでいた。深緑の瞳は、地獄の炎のような燐光を放っていた。

 

 

「詳しく…」

 

「説明を……プリーズ…」

 

「アリ…ミーはマイクールをルーズしようとしていマス……」

 

 

 唇を震えさせながら少女は妙に韻を踏んだ様子で言った。

 

 

「俺とあいつは」

 

「オーケー、フレンズ。今、全てを理解したカラ」

 

 

 少女は首を振り、ナガレの言葉を遮った。

 

 

「こんなにも芳醇な呉キリカの香り。きっと普通のセックスなんかじゃないんだよネ」

 

「」

 

 

 少女の言葉にナガレは絶句した。ロクでもない勘違いをされたと悟ったのだ。

 ただこの少女の指摘はあながち間違いでも無かった。

 ナガレが浴びたキリカの血と体液は彼女と繰り広げた戦闘由来だが、当の呉キリカは彼との戦闘を性行為と見做している。

 無論、ナガレはそれを認めていないが、この場において彼の意思は無視されていた。

 

 

「これだけ濃厚ってコトは、多分殴りながら励むとかだヨネ…肉を齧ったりとか、カニバリズムな可能性もありそうなんですケド」

 

 

 狂った推論だが部分的には間違ってはいない、そこが狂った処であった。

 

 

「ヴァージン・フィルムを再生させながらとか、menstruation中とかを狙って血塗れになりながらヤりまくるトカ」

 

「おい」

 

 

 流石にナガレが口を挟んだ。

 もう少し早くこうすべきだったと、後悔が彼を苛む。

 今度こそは口を挟ませやしない。

 そう思った時だった。

 

 

「アリナ先輩、いい加減にするの」

 

 

 緑髪少女はそう言った。声は同じだが、口調と雰囲気が変わっていた。

 

 

「フールガール」

 

 

 その一言は先程とは違う口調と雰囲気、ナガレが見てきた少女のそれに戻った様子で紡がれていた。

 この時少女は、『フールガール』曰くのアリナはナガレを見ていなかった。

 自分の右の辺りを見つめながら言っていた。だが、そこには誰もいない。

 

 

「人の趣味は人の勝手なの。他人が如何こう言うべき問題じゃないのなの」

 

「フールガール。今回の問題は倫理的に問題大アリな可能性があるからきっちりさせときたいんだケド」

 

「キリカちゃんを生きたまま解体して壊して殺して生き返らせてを何十回も繰り返してアートにしてた、極悪人の先輩が言う資格なんて全くないの」

 

「それは……でも、アリナは、今は」

 

「言い訳するんじゃないのなの。先輩は極悪人を超えた極悪人なの。悪って言葉はアリナ先輩の為にあるの」

 

「うう……」

 

 

 ナガレはそのやり取りを黙って見ていた。

 眼の前で繰り広げられているのは、アリナという少女による一人芝居である。

 彼女の視線の先には何も無く、彼の感覚をしてもそこに何がいるというものも感知できない。

 しかしアリナの行為からは嘘や偽りを感じられない。

 彼女はそこに何かを見て、自分の口で相手の言葉や意志を紡いでいるのであった。

 

 

『ねぇ、ナガレ』

 

 

 奇妙な一人芝居を見ているナガレへと、一つの思念が語り掛けた。

 

 

『こっちはしばらく遊べるお金も稼いだから、そろそろ出ない?そういう雰囲気になったっていうなら、私はまた適当に時間潰してるけど』

 

 

 かずみから送られてきた思念に、ナガレはもう少しだけ待てと返した。

 彼の眼前では、なおもアリナと『フールガール』のやり取りが続いている。

  

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑥

「あのね君達、ちょっと落ち着こ?平和にね、ね?」

 

 

 優しく、ゆっくりとした口調で、幼子に語り掛けるように双樹は言った。

 変身は解除されており、ラフな私服を纏った状態となり、パイプ椅子に腰かけている。

 椅子はこの廃ビルに最初からあったものだった。

 敵意が無いことを示す為、双樹は両手を広げて三人へと見せていた。

 

 その三人とは言うまでも無く杏子とキリカと麻衣である。

 こちらは魔法少女姿、変身のそれではなく手製の魔法少女衣装で、こればかりは魔力で形成した得物を携えている。

 三人そろって負傷していたが、頬や肩を軽く切り裂かれたのと打撲程度で治癒魔法さえ使われていない。

 廃ビルの一室に双樹は入室し、同時に三人からの攻撃を受けた。

 刃の一閃で三人を弾き飛ばし、地面や天井に激突した直後の状況が今である。

 双樹は一度、この魔法少女三人の強引な合わせ技で撃破したが、それでも実力では三人を上回っていた。

 何か根本的な物が違う。肩で息をしながら、三人はそう考えていた。

 

 

「(それに…)」

 

「(なんか……)」

 

「(調子が………)」

 

 

 同じく、三人はそうも感じていた。

 武器を握る手の力や振った際の感触。そのどれもに違和感があった。

 そうでなければ、幾ら実力差があるとはいえ纏めて吹き飛ばされるなど有り得ない。

 戦闘を継続すべきかどうか、三人は迷っていた。

 普段なら迷うという段階は踏まれず、狂った獣のように暴れている。

 それが無い時点で、自分たちが不調を来しているのは明らかだった。

 

 原因はなんとなく察せている。

 少し前にナガレと鏡の結界で死闘を繰り広げた際に繰り出した、ドッペル体やら疑似的なゲッターロボの顕現。

 更に極めつけはエンペラーまで繰り出したことによる疲弊。

 それが原因としか考えられなかった。

 歯軋りを一つして、杏子は槍を消した。

 ほぼ同時に残る二人も武装を消し去る。

 三つの舌打ちが鳴った。

 腑抜け、と自分の行動を棚に上げ、他の二人を愚弄しているのだった。

 

 

「君達…部外者の私が言うのもなんだけど、もう少し仲良くできないのかな?」

 

「敵がほざいてんじゃねえ」

 

 

 ソファに身を沈めながら杏子は言った。

 キリカも頷きながら手近な椅子に座り、麻衣は壁に背を預けた。

 

 

「それで貴様、何しに来た」

 

「うん、ちょっと用事でね……それでなんだけど、ちょっとお時間貰ってもいいかな?」

 

「…なに?」

 

 

 刺々しい態度の麻衣。対して双樹の物腰は柔らかだった。

 それも馬鹿にしたり、見下したりの様子では無かった為に、麻衣は肩透かしを受けた気分となった。

 

 

「敵対してばかりなのもあれだから、ちょっと歩み寄りをしようと思って…ね」

 

 

 予想をしていなかった展開に、三人は沈黙した。

 血と暴力が伴わない展開に不慣れというのもあるのだろう。

 

 

「新しい人格か?」

 

「んーん、私はあやせだよ」

 

「そして私、ルカの意思でもある」

 

 

 杏子の問い掛けに双樹達は答えた。口調と雰囲気から、嘘は言っていないと分かった。

 

 

「前から思ってたんだけど、その多重人格なのは願いのお陰かい?」

 

「或いはイジメでも受けて、人格が歪んだ末の発露か?」

 

 

 キリカと麻衣が問いを発した。双樹は困ったような表情になった。

 

 

「ややこしいのは分かるけど、勝手なストーリーを作られるのは困るなぁ」

 

「全くです。私は最初からあやせの内にあり」

 

「私もルカの中にいたのだから」

 

 

 双樹達は答えた。

 過去に関係なく、生まれた時からの二重人格であり、一つの肉体に魂が二つの存在であったのだと。

 

 

「他に質問はない?可能な限り答えるよ」

 

「なんでソウルジェムを奪ってる?」

 

「綺麗だから」

 

「それだけか?」

 

「他に理由がいるの?」

 

 

 杏子の問いに双樹は当然とばかりに答えた。

 杏子はそれで納得した。態度は柔らかでも、双樹は狂人であると思っているからだ。

 狂人に理屈など通用しない。

 納得がいったので質問が途絶えた。そうすると、双樹は慌てだした。

 

 

「あー、うん、ごめん、話が終わっちゃったね…ええと、他に無いかな?質問」

 

 

 身振り手振りがオーバーであり、あまりにも必死だったために三人は罪悪感すら感じていた。

 この三人は総じて邪悪だが、邪悪にも種類がある。

 戦闘と自分の欲望以外に対して、この連中は善の側に属しているのだった。

 

 

「…そのポッケからはみ出してる、ボロっちいソフビ」

 

「メタルゲラスだよ」

 

「ご指摘ありがとよ、キリカ。そのメタル犀…たしか仮面ライダートラストってやつのペットにやけにご執心なのは何でなのさ」

 

 

 杏子の言葉に麻衣とキリカは顔を見合わせた。

 

 

「(なぁ呉キリカ。こいつのにわか知識はどこから湧いてくるんだ?)」

 

「(朱音麻衣。問い掛けは答えが明らかな物だけにしておくれ)」

 

 

 妙にピントのずれた問い掛けに二人は困惑し、双樹は叫びそうになっていた口を強引に閉じて唇を噛みしめていた。

 

 

「…私が子供の頃、遊園地でまだ遊ぶと愚図ってた私に両親が買ってくれたのです。以来、どこに行くにも一緒で今でも寝る時には枕元に置くのです」

 

「その塗装剥げは名誉の負傷か。悪いな、ボロとか言っちまって」

 

 

 杏子はすまなそうに言った。こういうあたりの感性はまともに過ぎている。双樹も頷き、謝罪を受け入れた。

 

 

「という事もあって私はこの子が大好きで、将来は密猟者を取り締まる立場の自然保護員を目指しているのです」

 

「立派な夢だね。メタルゲラスの飼い主とは大違いだ」

 

「あの屑に関して私達は何も話したくない。無関心でいたいから触れないでいてほしい」

 

 

 双樹は努めて無感情に言った。表情の裏側では、嫌悪感が地獄の燐火となって燃えていた。

 よほど考えたくない事柄らしい。

 無理も無いかと原作履修済みの麻衣とキリカは思った。適当に単語を知っているだけの杏子だけが、不思議そうな顔をしていた。

 阻害されている気がしたので、杏子は話を進めることにした。

 

 

「で、そろそろ本題に移ったらどうだい」

 

「…では、お言葉に甘えて」

 

 

 コホンと、双樹は咳ばらいをした。

 物語ならともかく、ほんとにやる奴いるんだ。とキリカは感心した。

 

 

「私が君達から奪ったソウルジェム。それを返還しに」

 

「いらねぇ」

 

 

 双樹の言葉を遮って、杏子は言った。

 

 

「え、いや。だから、その、ええ?」

 

「いらねぇって。そんな役立たずの光物、欲しけりゃくれてやるよ。ソウルジェムが大好きなら、最後まで仲良く添い遂げな」

 

 

 だからもう話し掛けるな。ここには来るな。

 そんな雰囲気を漂わせながらの、杏子の拒絶の言葉であった。

 彼女の声からは、奪われた自らの魂の結晶に対して何の感慨も感じられなかった。

 














ええ…(困惑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑦

「なぁ、その…」

 

 

 あすなろの街をナガレが歩く。その隣にはかずみがいた。

 ナガレの声は、かずみに向けられたものでは無かった。

 二人の少し後ろを歩く、もう一人に投げ掛けられていた。

 

 

「ワッツ、フレンズ?」

 

「何を気にしてるのか知らねぇけど、そんだけしてりゃ十分だろ」

 

 

 二人の少し後ろを、緑髪の少女が歩いている。

 が、その姿は少々、というか異様だった。

 陽射しが強い日中だと云うのに黒いコートを羽織り、頭には鍔広の黒帽子を被っている。

 更に目元はサングラスで覆い、口元も赤い布で覆っている。

 

 

『不審者』

 

 

 かずみは思念でそう評した。返す言葉も無い、完璧な表現だった。

 

 

「フレンズ。フレンズの認識は少し甘いんだヨネ」

 

「ていうと?」

 

「アリ…ミーはこう見えても有名人で、今はちょっと訳アリだから人目を避けたいノ」

 

「そうか」

 

 

 演技でもウケ狙いでもない真摯な言葉に、ナガレは突っ込みを入れることを戸惑った。

 真面目に何かをしている相手に対し、余計な事は言わないようにするというのがこの男の流儀というか習性のようだ。

 

 

『私この人知ってるよ。アリナ・グレイって人だよ。有名なアーティストさん』

 

『博識だな』

 

『生き物の死骸や遺灰を使って色んなのを作るんだって。こういうのは偏見になるかもだけど、多分変態さんだと思う。それも変態を超えた変態』

 

『かもな』

 

『ほっとくべきなんだろうけど、そうしたらしたで面倒だね。連れて行こうか』

 

『お前は賢いな。俺もそう思ってた』

 

『それ、今便乗したでしょ』

 

「ところで、フレンズ」

 

 

 思念で会話するナガレとかずみ。

 かずみへの返答をする前に、アリミー改めアリナは口を挟んだ。

 

 

「なんでア…ミーをlove hotelに連れ込んだワケ?今更だけど説明をプリーズ」

 

「顔面からゴミ箱に突っ込んで、匂いがヤバかったから。それがかなり酷かったから。一番近くて体洗える場所がそこしかなかったから」

 

 

 会話を長引かせても面倒と、ナガレは一気に言った。

 年頃の少女とラブホテルに入ったという事象が嫌すぎて、説明するのも嫌なのだろう。

 

 

「なるほど。そして気絶したミーを起こしてシャワーを浴びさせて、汚れた服は洗濯に回してくれたってコトだヨネ」

 

『説明口調だね』

 

『頭の中整理してんだろ』

 

 

 かずみとの思念の中で発した頭の中の整理に意識を引っ張られたのか、ナガレはその時のことを回想していた。

 街の不良たちを殲滅する直前、名乗り口上的な物を上げて落下してきたこの少女は、三十メートル上空からの受け身に失敗し転倒。

 転げ回った末にゴミ箱に頭から突っ込んで停止した。

 その際の彼女の様子は酷い有様だった。

 ゴミ箱は近場の風俗店から出たものだったらしく、通常のゴミに加えて使用済みの避妊具も結構な量が入っていた。

 

 つまりはそう言う事だった。

 教育上よくないと判断したナガレは、かずみに近くで時間を潰しているように告げて、彼が言った通り緊急事態と言う事でラブホへと入った。

 年少者二人だと云うのに、特に何のチェックもしてこないあたりに彼はモラルの低下を感じた。

 が、彼自身が気絶して白目を剥いた、上半身を精液で濡らした少女を抱えていてはなんの説得力も無かっただろう。

 通報されなかっただけマシだというものである。

 

 

『ご愁傷様。私がナガレの立場だったら泣き崩れてるよ』

 

『お前は優しいな。ありがとよ』

 

 

 通報はされなかったが、フロントの係員の表情をナガレはしばらく忘れられそうになかった。

 生臭い液体の出処は、どう見ても自分にされているだろうし、少女は気絶しているとあればまるで強姦被害者と加害者と思われそうだと。

 量的に考えれば集団暴行を受けたようにも見える。短く言えば最悪の状況だった。

 アリナが早めに目を覚まし、寝惚けながらも服を脱いでシャワーを浴びてくれたことにナガレは感謝していた。

 

 

「ところで、お前さん何やってんだ」

 

 

 ナガレが尋ねた先には、街の壁をボード代わりにして何かをメモっているアリナがいた。

 全身コートに手には白手袋、サングラスに赤いマスクにと完全な不審者スタイルであり、今の状況では何をやっても異常に見えるが殊更に異様に見えた。

 

 

「貴重な体験だったカラ、忘れないように記録してるんですケド」

 

「例えば、何を」

 

「年頃のボーイにlovehotelに連れ込まれたけど何もされなくて、その前には妙に興奮する匂いを嗅いだトカ…あの液体、フレンズは何だか分かる?」

 

「あー…ゴミが発酵とかなんかして、独特の感じになったんじゃねえかな」

 

「ナルホド…一種のケミカルなmiracleってワケね…」

 

 

 言葉遊びを交えながら、アリナは自らの経験をメモに書き切った。

 ナガレはその中身をチラッと見たが、日本語と英語がごちゃ混ぜになった独特の書き方であり全くとして何が書いてあるのか分からなかった。

 分かりたくも無いのだろう。

 

 

「ところでなんだけど」

 

「ホワッツ、フレンズ」

 

『懐かれすぎじゃない?』

 

 

 アリナの態度をかずみは怪しんでいた。一方、彼女も必要以上にはアリナを警戒していない。

 自分も似たような感じでナガレや杏子と出逢った為、妙な親近感でも感じているのかもしれない。

 

 

「あんた、何で俺らのとこに飛び込んできた?」

 

「困ってる感じだったカラ。人助けをするのは魔法少……ンン、ゴホン、げほん」

 

『うわぁ、漫画みたい』

 

 

 アリナの言い淀みにかずみは思念とは言え的確な突っ込みを放った。

 ナガレ的にはこの少女の正体は魔法少女だととっくに気付いているが、アリナ的にはそれを隠したいようだ。

 

 

「失礼。困ってる人を助けるのは、人として当然なんですケド」

 

 

 そう言ったアリナの態度からは、下心や承認欲求などといったものは感じられなかった。

 彼女の言葉は、自らの正しいと思う信念に則った、いわば正義感と呼べるもので出来ていた。

 

 

『不審者全開な外見だから、色々と台無しなのが残念だね…』

 

 

 その様子に、かずみは沈痛な意思をナガレに伝えた。

 ナガレも似た面持ちでそう思った。

 

 一日が始まって、まだロクに時間も経っていない。

 それでこれなのだから、今後は何が起こるか分かったものでは無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑧

「帰してよかったのか?」

 

「殺しとけっての?」

 

「そうは言っていない」

 

「なら反対とかその時にしておけよ。終わってからほざくんじゃねえよ」

 

 

 刺々しい口調で言葉を投げ合う麻衣と杏子。

 暴力が伴わない辺りに、この二人も成長したなぁとキリカはしみじみと思っていた。

 杏子はソファに寝転び、麻衣は壁に背を預け、キリカは双樹が座っていたパイプ椅子に座っている。

 心地よい据わり方を試しているらしく、座り方が秒単位で変化している。

 結局、通常とは逆の姿勢、背もたれを抱き締める形で落ち着いていた。

 

 

「その場のノリと雰囲気に従ったけど、ソウルジェムは返してもらった方がよかったかもね」

 

「あいつの腹を掻っ捌くとか、股に鉗子でも突っ込んで疑似堕胎でもさせる気だったのかよ」

 

「佐倉杏子、血腥さは抑えたまえ」

 

 

 キリカのたしなめに、杏子はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 まるでテンプレのような感じだった。

 

 

「(……ん)」

 

 

 その様子に、麻衣はふと目を奪われた。

 

 

「(…ふむ)」

 

 

 キリカも何かを感じた。

 二人が感じたものは同じであった。そして、それをもっと求めたいと思った。

 

 

「さっきからゴチャゴチャうるせぇな。肝心な時にテメェらは黙ってて、あたしに対応丸投げしてたじゃねえか」

 

「それは…」

 

「…すまない」

 

「ああ?」

 

 

 返ってきたしおらしい態度は、杏子にとって予想外だった。

 反射的に返した反応も、動揺によって語尾が上ずりかけている。

 

 

「うん…そうだったな。私達三人の問題だったというのに…」

 

「佐倉杏子、君だけに負担を押し付けてしまった」

 

 

 杏子は二人を見た。

 しゅんとした態度は演技には思えず、目を伏せた二人の様子は悲しみに嘆く乙女そのものだった。

 

 

「……まぁ、反省してるんならいいさ」

 

 

 不気味だと思いつつ、杏子は無難に、努めてそれを表に出さないようにして言った。

 弱みを見せると何をしてくるか分からない。

 杏子にとってこの二人は狂人であり血に飢えた獣なのである。

 しかし、今のこの様子はどう見てもまともに過ぎていた。

 だから、怖い。

 まるで中身がすげ変わったかのように、この連中からは普段の毒々しい殺意が一切感じられなかった。

 普段は空気や重力のように身に纏われているそれらが、である。

 

 

「それでだ、佐倉杏子」

 

「はい」

 

 

 呉キリカの言葉に、杏子は即座に反応した。

 恐怖による脊髄反射であるという認識は、言った後で彼女の精神を蝕んだ。

 

 

「これからのことだが」

 

 

 その感情を味わう間もなく、麻衣から次の言葉が飛んできた。

 気付けばキリカも麻衣も席を立っていた。

 

 

「まずは君のことを調べたいと思うんだ」

 

「……え」

 

「君のことを調べさせてほしい」

 

「ああ。それは急務だ」

 

 

 伸ばされた手を、杏子は間髪で躱した。

 紅いドレスが翻る様は、美しい花が舞い散るようだ。

 着地した瞬間には、追撃に備えて杏子は身構えていた。

 が、二人は立ち尽くしていた。

 佐倉杏子をじっと見ていた。

 杏子はその視線を見た。

 

 

「ひっ…」

 

 

 杏子が挙げたのは、紛れも無く悲鳴だった。

 こんな声を出したのは、一体何時ぶりだろう。

 ナガレと精神世界で死闘を繰り広げた時、それ以来だろうか。

 

 

「ああ…佐倉杏子…」

 

「君は…きれいだね。素敵だね」

 

 

 杏子を見る呉キリカと朱音麻衣の視線は、蕩けるような甘さと熱で満ちていた。

 

 

「……ッ!」

 

 

 ぞわりと、向けられる視線の熱量とは正反対に、杏子の背筋を冷たいものが駆け上がった。

 

 

「おい!ふざけんなよ!なんだその眼は!?」

 

 

 杏子は激昂した。そうでもしなければ、正気が保てそうに無い。

 彼女はそう思っていた。

 

 

「なんだってんだ……あたしは……アンタらの玩具じゃないんだよ!そんな目で見るな!!」

 

 

 今の状況が飲み込めず、杏子は思い浮かんだ表現を口にした。

 それを受けた二人は、哀し気な表情を浮かべた。

 

 

「……すまない。そうだよね。君にとっては迷惑だったろう」

 

「申し訳ないと思っている。だが、これは必要なことなのだ」

 

「…あたしに分かるように説明しろ」

 

 

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら杏子は言った。

 それはナガレが時折、理不尽な境遇に陥った時に選ぶ言葉でもあった。

 言い終えてから、自分は無意識の内に彼に縋ったのだと悟った。

 

 

「(助けてくれよ……ナガレぇ……)」

 

 

 表情はあくまで強気なまま、内面では杏子は今はここにいない少年に対して哀願していた。

 その時、彼女は見た。

 その言葉を言った時に、キリカと麻衣が体を震わせるのを。そして、二人の視線に宿る感情に気付いた。

 瞬間、杏子は甲高い悲鳴を上げていた。

 ひゃあああ、という声は、声だけで聞けば異常なまでに可愛らしかった。

 その音に、再びキリカと麻衣は震えた。

 天上の音楽に心を打たれたかのように。

 

 

「魔法少女としての君の力、ソウルジェムの秘密を知りたいんだ」

 

「そのために君を調べさせてくれ」

 

 

 そう言いながら、キリカと麻衣は杏子へと迫る。

 杏子は後退した。二人は杏子へとなおも迫っていく。

 

 

「なにせ、今の状況はとても厄介だ」

 

「ああ。この状態も随分になるが、ソウルジェムが手元にないのに体が動くというのは不思議に過ぎる」

 

 

 二人は両手を前にし、じりじりと距離を詰めていく。

 その様はまるで食人衝動に駆られたゾンビか、または太古の肉食恐竜にも見えた。

 だが二人の言葉を、杏子は脳内に入れていなかった。

 今の杏子はパニックに陥っていた。

 真実に気付いたが故の。

 

 

「(こいつら……あたしに……欲情…して、やがる…のか)」

 

『ああ』

 

『その通り』

 

「ひぃ!?」

 

 

 思考が思念となって漏れたらしく、キリカと麻衣の思念が返ってきた。

 そして杏子の足がもつれた。

 体勢を崩した杏子を、キリカと麻衣は逃がさない。

 二人は杏子にまるで覆いかぶさるように杏子へと迫った。

 伸ばされる手が迫る中、杏子は思考を巡らせた。

 それは混乱する脳が生み出した、走馬灯のようなものだったのだろう。

 

 今、キリカと麻衣が、そして自分が執着しているナガレはいない。

 そんな中、この二人は自分に彼の存在を見出した。

 威嚇の為に、そして少しでも彼に近付きたいが為に演じている男らしい口調。

 多分、そこにこいつらの雌が反応した。

 最初はかがり火だったそれは、共犯者を見つけた事で燃え上がった。

 二対一では勝ち目が無く、そして今は止めてくれる相手もいない。

 

 怖い。

 何をされるのかが分からないのが怖い。

 何もかもが怖い。

 恐怖の臨界点を迎え、杏子は絶叫していた。

 肉も魂も、何もかもが砕けたような悲鳴だった。

 

 それと同時に、事態は動いた。

 彼女が追い詰められていた壁には、窓があった。

 その窓のガラスが砕け散り、外からの風が三人を叩いた。

 ガラスの破片は、内側へと飛んでいた。

 

 

 

 

「お久しぶり、麻衣ちゃん」

 

 

 砕け散るガラスの音に杏子の悲鳴。

 その絶叫の中であっても、その小さな声はよく聞こえた。

 特に、その名を呼ばれた者にとっては。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑨

「麻衣ちゃん、自分がした事分かってるの?」

 

「…すまない」

 

「下を向かないで。眼を逸らさずに私を見て」

 

 

 正座をし、俯いていた麻衣は顔を上げた。

 同時に、その両頬に手が優しく添えられた。

 

 

「そうなの。麻衣ちゃんには私を見て欲しいの。私だけを見て欲しいの」

 

 

 そう告げたのは佐木京。

 風見野の魔法少女自警団の一因であり、朱音麻衣の仲間である。

 赤ずきんに酷似した魔法少女衣装を纏い、麻衣の前に立っている。

 

 

「そうしないと麻衣ちゃんは遠くに行っちゃうから。そんなの嫌なの。近くにいて欲しいの」

 

 

 笑顔で語る京。

 視線は真っすぐに麻衣を見つめ、片時も瞳が動かない。

 瞬きさえせず、栗色の瞳は麻衣だけを映している。

 当の麻衣はと言えば、顔は蒼白になりかけである。

 

 

「ねぇねぇ麻衣ちゃん。どうして意識が戻ったのに私に教えてくれなかったの?ねぇ、どうして?」

 

 

 どうして?どうして?と京は同じ言葉を繰り返す。まるで壊れた人形のように。

 

 

「それは……」

 

 

 麻衣は言い淀み、顔を傾けて視線を逸らそうとした。が、両頬に添えられた京の手はぴくりとも動かず、更には京は自分の顔を麻衣の顔へと近付けていた。

 顔同士を隔てる距離は、二センチも無かった。

 

 

「答えてよ麻衣ちゃん。麻衣ちゃんは私の大切な人なんだから。他の人を見るなんて許さないんだからね」

 

 

 麻衣の瞳孔が大きく開いた。栗色の瞳、栗色の闇が麻衣の眼の前に広がっている。

 何か言おうとした麻衣の口元が震えた。

 

 

「…………ごめんなさい」

 

 

 か細い声で麻衣は言った。

 途端、京の瞳を光が帯びた。ひっ、と麻衣は心の中で悲鳴を上げた。

 

 

「ふーん、そっかぁ。謝っただけで許してもらえると思ってるのかな?駄目だよそれじゃあ。もっと誠意を見せないと。そうだよね麻衣ちゃん?」

 

「……どうすればいい?」

 

「簡単だよ」

 

 

 そう言って、京は麻衣の額に自分の額を押し付けた。

 眼と眼同士が、接触寸前まで肉薄していた。

 

 

「私…ずっと麻衣ちゃんの事が好きだったんだよ」

 

 

 京の告白。

 言い終えた時、彼女の眼は潤んでいた。

 滲んだ涙が眼球を覆い、その体液は麻衣の血色の瞳も濡らした。

 麻衣は瞬きさえできず、自らの眼に触れる涙の熱さを感じていた。

 

 

「だから、謝るのなら私だけのモノになってほしいの。そうしたらもう何も言わない。約束してくれる?」

 

「……」

 

 

 絶句する麻衣。

 唐突に過ぎる展開に、彼女の脳が理解を拒絶し、それでも現実に立ち向かうべきだと稼働を始める。

 意を決して、罪悪感に身を焦がしながら、血反吐を吐く想いで口を開いた。

 

 

「なーんちゃって」

 

 

 麻衣が言葉を放つ前に、京はにぱぁっとした輝く笑顔でそう言った。

 おどけた様子はその衣装と相俟って、明るいミュージカルの一幕にも見えた。

 

 

「もー、麻衣ちゃんったら本気にしちゃうんだからぁ」

 

 

 茫然とする麻衣に飛びつき、京は麻衣の頭を撫で廻しながら彼女の身体に頬擦りをし始めた。

 対格差がある為に、その個所は麻衣の胸となっている。

 京の顔が触れる度に、大きな胸が左右に揺れた。

 恥ずかしさを感じて抗議をしようとするも、これまで連絡を怠っていた罪悪感が麻衣の胸に痛みを与える。

 そして実体の麻衣の胸は京に弄ばれることによる刺激が蓄積していった。

 無様は見せられまいと食い縛った歯の隙間からは、喘ぎのような声が漏れている。

 少し前に、性欲に身を焦がされていた事が影響しているようだった。

 

 

 

『怖ぇなあいつ。あれがヤンデレってやつか』

 

『灯台下暗し、と言っておこう』

 

『バカ言え。あたしはツンデレなんだよ』

 

 

 部屋の中央で繰り広げられている京と麻衣の遣り取りを、杏子とキリカは離れた場所で見ていた。

 京が乱入した際に破壊した窓ガラスは既に床には無く、破壊された筈の窓にはガラスが嵌めこまれている。

 傷一つなく、また新たに調達して嵌め込んだとも思えない。となると答えは一つだった。

 

 

「お騒がせして、申し訳ありません」

 

「ホントにな」

 

 

 発せられた謝罪の言葉に杏子は同意した。

 やんわりとした態度に、謝罪を発した当の本人、風見野自警団の団長である人見リナは思わず驚いていた。

 良くて殴打、悪くて斬撃か刺突。そしてどの道開かれる戦端を覚悟しての謝罪であったからだ。

 

 

「で、一体何の用なんだよ。自警団長さんよ」

 

「実は」

 

「そこ!」

 

 

 リナが口を開きかけた時、鋭い叱咤が飛んできた。

 

 

「今、麻衣ちゃんと大事な話してるの!小さな声でしゃべって!!」

 

「…悪い」

 

「…申し訳ありません」

 

 

 叫ぶ京。その声は杏子とリナの会話の数倍は大きな声量であった。

 リナが魔法で直したばかりのガラス窓がビリビリと震えたほどである。

 異様な様子に、杏子とリナはそれ以上の刺激を与えないように言葉を選んだ。

 怯えた、というのは正しいが事態は少々複雑だった。

 

 

「麻衣ちゃん……私の麻衣ちゃん……麻衣ちゃん…麻衣ちゃああん……」

 

 

 名前を繰り返す京。

 その度にぴちゃぴちゃと水音が鳴った。

 今の京は両手で麻衣の胸を揉み、彼女の顔を舌で舐め廻していた。

 既に麻衣の顔は唾液に塗れ、淫らな光沢で輝いていた。

 麻衣は既に視点が定まっておらず、血色の瞳は靄がかかったように霞んでいた。

 ただただ黙って、京の愛撫もとい陵辱に耐えていた。

 

 

「なんて卑しい連中なんだ」

 

 

 沈黙を続けていたキリカが呟いた。

 遥か彼方にいる蚊が飛ぶような音だったが、京にはそれが聞こえていた。聞こえてしまった。

 

 

「……これ、見せようかは迷ってたけど」

 

 

 麻衣の顔を舐めながら、京はキリカを見て言った。

 彼女の口は、亀裂のような笑みを刻んでいた。

 

 

「京、それは」

 

 

 リナが狼狽した様子で口を挟んだ。

 静止の為に京へと駆け寄る。一体何事だと、杏子とキリカは思った。

 霞む意識の中、麻衣も同じ思いを抱いた。

 

 

射出(イジェクト)

 

 

 京は右手を掲げた。金のフリルが通された赤い上着の裾が膨らみ、何かが飛び出した。

 それは黒い翼を持った鳥類。カラスを模した人形だった。

 ふわふわとした輪郭ながら、猛禽類にも劣らない精悍さを湛えた存在だった。

 それは室内を旋回すると、京の右手に軽く爪を立てて着地した。

 

 

「何を」

 

 

 攻撃かと思い、杏子は既に槍を召喚し握り締めている。

 状況を伺っていると、カラスの両目が輝いた。

 紅い宝石を嵌めこまれた眼が輝き、嘴が切っ先を向けている天井に光が満ちる。

 やがて、天井に映像が映った。この鳥はどうやら、射影機のような機能を有しているようだ。

 

 

「あ」

 

 

 杏子とキリカと麻衣の三人は、同時にその声を漏らした。

 リナは顔を両手で覆い、

 

 

「…神よ」

 

 

 と嘆いた。

 京は相変わらず笑っている。朗らかで純真で、そして無邪気な邪悪に満ちた笑顔であった。

 

 投影された映像は、あすなろの街を映していた。

 昼の中でも派手な外装をした建物の中に入っていく少年と少女の姿が映っていた。

 美少女のように可憐でありながら精悍な雄々しさを湛えた少年と、毒々しくも美しい色彩の長い緑髪をした少女の二人の姿が。

 

 廃ビルの中を、三つの絶望の叫びが満たした。

 

 

 











この作品にまともな人はいないのか


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑩

「フレンズ、そして」

 

「かずみだよ」

 

「キュートガール、ユーは呉キリカから何て呼ばれてるノ?」

 

「かずみん」

 

「ッハァ!!」

 

 

 両手で顔を覆い、仰け反るアリナ。長い髪が風に煽られたかのように大きく揺れた。

 開いた手の隙間からは、眼を覆うサングラスと口元を隠している赤布が見えた。

 十秒ほど痙攣してから、漸く再び口を開いた。

 

 

「…流石は呉キリカ。シンプル・イズ・ベストでジーニアスな呼び方なんだヨネ…」

 

「アリミーさん。呉キリカのことがほんと大好きなんだねぇ」

 

「イエス。でも…アリ、ミーには彼女に触れる権利が…」

 

 

 寂し気に語るアリナに対し、かずみは「つらいねぇ」と言いながらストローを吸った。

 ちゅー、ずぞぞという音を立てて、クリームソーダが啜られる。

 

 

「それでネ、フレンズ。まず呉キリカの偉大さと素晴らしさとは」

 

「悪いが、その前に」

 

 

 言葉を遮るナガレ。アリナは「ハイ」と言って黙った。

 フレンズという名称は伊達ではないらしい。更には友達という概念に加えて、敬意らしきものも抱いているようだ。

 ナガレは人差し指を左右に振った。

 周りを見ろ、という合図だった。

 

 アリナは周囲を見た。

 今、この連中は喫茶店の中にいた。ナガレとかずみが隣同士に座り、正面にアリナを据えている。

 あすなろ市内を散策中に適当に見つけ、腹ごしらえするかと入った店であった。

 昼前であるが、店内は既に空席よりも客の方が多い。中々に繁盛しているようだ。

 その中の大半の客が、不審者を超えた不審者のスタイルをしたアリナを見ていた。

 自分に注がれていた視線が、一斉に逸らされた瞬間を彼女は見た。

 

 

「ナルホドね。流石はフレンズ」

 

 

 頷くアリナ。

 傍らに置いていた。サングラスと赤布を外し、傍らに置いてあった鍔広帽子を手に取る。

 ナガレは怪訝な表情となった。

 

 

「アーティストらしく、使えるものは使うべきだヨネ。じゃあこれらを使って呉キリカがいかにこの宇宙が生んだ奇跡の美の結晶であるのかを」

 

 

 そしてアリナによる、帽子、サングラス、赤布、テーブルに置いてあったナプキン等を用いての呉キリカという存在のプレゼンが開始された。

 それは奇怪で明瞭で壮大で、幻想的で、壮麗で華美であり、清廉とした物語だった。

 

 

『ワケが分からねぇ』

 

『うーん、ナガレはもうちょっと本とか絵画に触れた方がいいのかもね』

 

『今度お勧めのやつ教えてくれ。まぁ、分からねぇなりにこいつが凄ぇ才能があるってのは分かったけどよ』

 

 

 アリナによって繰り広げられる机の上の演目をナガレは理解できないながらも力を認め、かずみは美として認識したようだ。

 思念を交わし終える頃、アリナのプレゼンは終わっていた。

 静かだが、自らの感性を振り絞って描いたそれによって彼女は消耗し、肩で息をしていた。

 

 

「って、トコロなんだヨネ……本当なら時間が幾らあっても足りないのだケド…」

 

 

 時間にして五分間。

 アリナは全力を以て呉キリカという存在を描いていた。

 表現に用いられた道具は既に退けられ、何が繰り広げられていたのかは当事者たちにしか分からない。

 そして実際に再現するのは不可能なのだろう。

 それは、そんな芸術だった。

 

 

「呉キリカ…ああ、なんで彼女はああも美しいんだロウ…あの美は、絶対に傷付けてなんかダメなんだヨネ…」

 

 

 疲労の極みに達しているアリナは、顔から汗を滝のように垂らしながら呟いている。

 何時の間にか机の上にはタオルが置かれ、汗で机が濡れることを防いでいた。

 アリナ本人が置いたのだが、ナガレもかずみもそれに気付かなかった。

 

 

「もしも呉キリカを傷つけたり苦しめる存在がいたら、アリナは絶対に許サナイ…もしも学校でイジメなんかに遭ってるとか、そんな世界線があったナラ、アリナは次元や時空の壁なんて薄紙みたいに粉砕してそいつらを残らずブチのめして、呉キリカへの絶対服従を誓わせてヤるんだヨネ…」

 

 

 汗と共に体温を発散させるアリナ。

 自らが発している言葉を妄想して怒りを覚えているのだろう。

 放出される熱は彼女の体表を突き破り、彼女の肉体を焼き尽くしながら燃え盛る緑色の業火に見えた。

 少なくとも、ナガレとかずみにはそう見えた。

 良い事言うじゃねえか、とナガレは思い、かずみは殺さないのが優しいね、と思っていた。

 今の発言により、二人はアリナへの好感度を上げたようだ。

 こいつらもどうかしている、というのは言うまでも無い。

 

 

『ところで、ナガレ』

 

『何だ』

 

『ちょっと、外に気を澄ませてみて』

 

 

 かずみの指摘にナガレは従った。

 彼らのいる場所は窓から離れた、店の中央に位置する場所であったがナガレは視線をアリナに注いだままに外の気配を探った。

 耳を澄ます、という行為の意識版とでも言えばいいか。

 アリナから目を離さないのは、無害な存在と思いつつあるものの警戒は怠るべきではないと彼の本能が告げているからであった。

 あすなろの街に思念の耳を澄ませるナガレ。すると、複数の思念が拾えた。

 

 

 

 

 

 

『まだ見つからないの!?』

 

『捜索員を増やしていますが、まだ発見には至りません!』

 

『もうイヤ!』

 

『出席日数ヤバみが深いんだけど!』

 

『あのクソアマ!!』

 

『これでもう四日目!』

 

『勘弁してよ!』

 

『シャワー浴びたい!』

 

『寝たい!』

 

『ドラマ観たい!』

 

『龍継ぐとエイハブ読みたい!』

 

『ああもうふざけやがって!』

 

『ざっけんな!』

 

『あんの外道!』

 

『鬼!悪魔!』

 

『絶対に見つけてやる!』

 

『探せ!』

 

『探せ!』

 

『草の根分けても!』

 

『地面を掘り返しても!』

 

『ゴミ箱や!』

 

『ドブ川の底を漁っても!』

 

『あの外道ならどこにいてもおかしくない!!』

 

『探せ!』

 

『探せ!』

 

『アリナ・グレイを探せ!』

 

『見つけろ!』

 

『そして殺せ!

 

殺せ!

 

殺せ!

 

 

 

『『『『『『『『『『『アリナ・グレイをぶっ殺せ!!!』』』』』』』』』』』

 

 

 

 ナガレが捉えたのは、数十に達する少女達の思念であった。

 殺せ、殺せという怨嗟の叫びは、終わる気配が無く続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 静かなる狂気⑪

「……うぅ……あ;あ…あ。。。ぃう……」

 

 

 廃ビルの隅で呉キリカが震えていた。

 体育すわりの姿勢となり、両耳を両手で抑え、口からは意味不明の嗚咽を漏らして肩を震わせている。

 眼帯で覆われていない左目は力なく、されど瞬きはされずに開かれ、黄水晶の瞳は一瞬たりとも停滞せず上下左右に撞球反射のように回転し続けていた。

 

 

「麻衣ちゃん…麻衣ちゃん……」

 

「」

 

 

 朱音麻衣はといえば沈黙し、佐木京のなすがままにされている。

 ソファに座らせられた麻衣は眼を開いてはいたが、普段は色鮮やかな血色の眼は霞みがかったようになり、彼女の意思の消失が伺えた。

 それをいい事に、京の手は彼女の胸を揉み、麻衣の首元を舐め廻している。

 今の京は麻衣の鎖骨の窪みを丹念に舐めていた。

 微弱な電流を流されたかのように麻衣が痙攣しているのは、肉体が刺激として認識しているからだろう。

 この反応が嬉しくて、京は今の作業に没頭していた。顔は恍惚と蕩け、幼い顔は淫らに赤く染まっていた。

 

 

「だらしねぇな…紙メンタルどもが」

 

 

 その様子を、佐倉杏子は冷たい声音で吐き捨てた。

 窓と壁に背を預け、昼の光を背負ったようにして立っている。

 

 

「あんたもそう思わねぇか?ええ、自警団長さんよ」

 

「…そう言う貴女は平気なのですか、佐倉杏子」

 

 

 傍らに立つリナからの問いに、杏子は「はっ」と言った。愚問だと笑い飛ばすかのように。

 

 

「あんなもん、偽物に決まってんだろ。どんだけあたしがあいつと一緒にいたと思ってるのさ。そのあたしがあんなフェイクに騙されるかっつうの」

 

 

 ニヤついた笑いと共に杏子は言った。

 言い終えると、杏子はポケットから手のひらサイズの紙箱を取り出した。ROKKIEという商品名の、棒状のクッキーにチョコがコーティングされた菓子だった。

 それを紙ごと、中の袋ごと杏子は嚙み千切った。

 そしてそれらごと咀嚼して飲み込み、齧られた残りに再度牙を立てて袋から引き摺り出して貪り食った。

 少し前にテレビ番組で見た、ハイエナがシマウマを喰う様子をリナは思い出していた。

 腹に開いた傷口から頭を突っ込み、肉や内臓を引き摺り出している様に、今の杏子の行動は酷似していた。

 

 普段以上の食い意地、どころではない行動は明らかな異常だった。

 佐倉杏子とそれほど時を共有していないリナにもそれは分かった。

 

 戦慄を覚えて立ち尽くすリナを尻目に、杏子は次の獲物に取り掛かった。

 次に取り出されたポテトチップスを、杏子は袋ごと喰らい尽くした。

 その様子があまりにも自然である事に、リナは恐怖していた。

 しかし、彼女には目的があった。

 それを為す為、リナは勇気を振り絞った。

 

 

「頼みごとが、あるのです」

 

「何だい?」

 

 

 杏子の反応にリナの心はざわめきを覚えた。

 普段なら、即座に「知るか」と言っているだろう。

 反応を示した時、杏子は次の菓子をポケットに仕舞った。

 その様子にリナはひどく心が痛んだ。

 

 今の杏子は、何かに依存することで自己を保っているのだと察してしまった為だった。

 菓子への依存が、リナという存在との会話しているという現在の行動への依存に置き換わっただけであると。

 だが彼女の認識は正しいが間違っている。

 杏子の依存は今に始まった事ではない、という点である。

 家族を亡くし、そしてナガレと出逢った日から、彼女の依存は形を変えつつ悪化の一途を辿っている。

 

 

「優木が…いなくなったのです」

 

「…そうか」

 

 

 杏子の声のトーンが露骨に低下した。

 優木とリナの関係性については、キリカと麻衣から『親密』だと聞いていた。

 杏子は優木が大嫌いであったが、愛する者の不在がもたらす喪失感への共感を抱いていた。

 なお、普段であれば

 

 

『別の相手でも見つけたんだろ。ざまぁみろ』

 

 

 などと返しているに違いない。

 そして言った後で自らの発言による後悔に苛まれるのだろう。

 

 

「何か心当たりはねぇのかい?」

 

「……実は、一つ」

 

 

 息を絞り出すようにしてリナは言った。

 杏子は頷いた。言いにくい案件であると気付き、気にするなという意思表示を見せたのだった。そしてリナもまた頷いた。

 

 

「実は優木は、元はマギウスという組織にいたそうなのです」

 

「……最近、よく聞く名前だな」

 

「いた期間は極僅かと言っていました。規律が合わず、どうにも胡散臭いのだと」

 

「なんていうかそんな感じがするね。そもそも名前からしてカルト臭ぇ」

 

 

 皮肉を込めて杏子は言った。皮肉とは自分の人生についてであった。

 

 

「そのマギウスが風見野でも動きを見せている、と何処からか知ったらしく、今朝になると私の家からいなくなっておりました」

 

「それで、連絡も寄越さなかった仲間への合流ついでにあたしらを捜索の手伝いに使いたいからここに来た…ってとこかい」

 

「…そうなります」

 

「そう畏まんなよ。にしてもマギウスが近くにいるから逃げたって事は」

 

「ええ。恐らくは脱退も脱走、逃避であったと見ています」

 

「逃げる…てことはヤバい組織ってコトだよな」

 

 

 言ってから杏子はキリカを見た。相変わらず何かに怯えている。

 

 

「朱音から聞いたけど、あいつはマギウスのアリ…なんとかって奴に酷い目に遭わされたらしい」

 

 

 言いつつ、杏子の顔に嫌悪感が滲んだ。

 麻衣曰く、捕えられたキリカは筆舌に尽くしがたい残虐行為を受けた挙句に治癒能力を悪用され、増やされた肉体を生命を冒涜しきったとしか思えない芸術品に加工されたのだと。

 彼女をしても信じられないが、拘束されて腹を掻っ捌かれて子宮を含む内臓を無麻酔且つ手掴みで抉り出されたらしい、と。

 それを一回や二回ではなく前述のとおり、破壊の度に治癒能力を行使させられ数十回も繰り返されたのだと。

 異常に過ぎる存在について思い出していると、キリカから聞いた、マギウスについての一つの知識も思い出した。

 

 

「そう、いえばだけどよ…」

 

 

 苦虫を噛み潰したように杏子は言葉を紡ぐ。

 

 

「マギウスには…脱走者とかを処罰する連中…処刑部隊とかいうのがいるって、キリカの奴が」

 

 

 杏子の言葉にリナの顔は蒼白となっていた。

 だがその時、リナの表情に変化が生じた。

 顔は優木への心配によって青白いまま、薄紫の瞳は杏子の身体の一点を見据えて止まっていた。

 

 

「佐倉杏子、それは」

 

 

 リナが呟く。その直後、杏子の傍らに何かが落ちた。

 

 

「…え?」

 

 

 視線を落とすと、床の上に肘の辺りで断たれた左腕があった。佐倉杏子のものだった。

 痛みは全く無く、出血も殆ど無い。

 だがその肉の断面は焼け焦げたように黒一色となり、滲む体液は泥のような粘性を持ち、吐き気を催す濃厚な腐臭を立ち昇らせていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第75話 正義の名の元に

 その街は、陰惨な暴力に溢れていた。

 複数の派閥に別れた者達は、互いの利益や思想の違いによって対立し、日夜抗争が繰り返された。

 連日、死者が量産された。

 死人となるのは、歳が十八にも至らない少女ばかりだった。

 頭を割られる、首を切断される。全身が焼けて炭化し、胸の起伏程度で性別が分かるほどに破壊された少女。

 白かった肌をミリ単位で切り裂かれ、朱線で体を覆った少女は無念と苦痛の叫びの形で顔を硬直させて息絶えている。拷問の果てに死が訪れた結果であった。

 

 だがよく見れば、その表情には違和感があった。

 苦悶に過ぎる表情を浮かべた少女の顔には、複数の針が刺さっていた。

 皮膚を引っ張り、それを裁縫針で顔に縫い止めている。

 少女達の遺体には、演出を施されたものが数多く存在していた。

 ブルーシートの上に並べられた物言わぬ少女達は、水揚げされた鮪のようにも見えた。

 ただし上下もバラバラで手足を重ねられていたり、遊びとしか思えない様子で口や鼻に指や手を突っ込まれていたり、挙句には卑猥な落書きまで施されている様は資源として消費される命とは比較にもならない冒涜さで満ちていた。

 

 死しても尊厳を破壊されている少女達の前に、レインコートを羽織った少女が立っていた。

 顔は見えないが、半透明のビニールの奥には青い髪が見えた。

 手には長い棒が握られている。垂れ下がっていた腕が上がり、棒の先端も持ち上がる。

 それは、長い柄を持つ斧だった。

 紫色の花を思わせる装飾が、斧の湾曲部の窪みに据えられている。

 レインコートの少女の体は震えていた。

 頭上高く迄持ち上がっていた斧も僅かに下がる。

 

 そこで少女へと向けて何かが投げられた。

 胴体に激突したそれは、切断された遺体の頭部だった。

 中学校低学年か、或いは小学校高学年程度の幼い少女の首だった。

 そして更に、捩じ切られた手や足が投げつけられる。

 斧を持つ少女はそれを受け続ける。

 数十秒が過ぎた頃、レインコートは血と体液で濡れていた。

 少女の周囲には人体の部品が転がっている。少女は視線を落とした。切断死体の眼が、虚ろな視線で虚空を泳いでいた。

 少女にはそれが、自らを見上げているように見えた。

 

 そこで、少女の理性が弾けた。

 斧が振り上がり、死体の頭部を砕いた。

 眼球が弾け、頭蓋骨が砕け散り、灰白色の脳髄が飛散した。

 次に斧は、並ぶ死体へと突き刺さった。

 胴体に複数回振り下ろされ、腹部に詰まった内臓が挽肉となって宙に舞う。

 手足や首、骨に臓物に肉や毛髪が、無意味な物体となって散乱していく。

 

 レインコートは血肉の赤黒と脂肪の黄色に塗れていた。

 少女の青髪や顔もその色で濡れていた。

 もっとも血を浴びている斧だけが、黒銀の光を保っていた。

 赤黒い顔で狂気の表情となって死体損壊を繰り返す少女の、最後の正気の輝きのように。

 数百回目の斬撃を放つ瞬間、少女の姿は停止した。

 噴き上がる血肉の飛沫でさえも。

 

 

 

 

「まこと、痛ましい話でありました」

 

 

 凛とした少女の声であった。

 

 

「二木市における魔法少女同士の抗争。そしてその際の死体処理を撮影した動画の流通」

 

 

 淡々とした口調で、陰惨な事象が語られる。

 

 

「まさかそれが、我らマギウスの構成員の仕業であったとは」

 

 

 声に感情が混じった。嘆きと、怒りであった。

 

 

「しかし悪が必ず滅びるように、正義は為されるのであります」

 

 

 停止している少女の姿が消え、別の存在へと変わった。

 そこにいたのは、白いドレスを纏ったポニーテールの少女だった。

 手に持つサーベルが振るわれる度、鮮血の大河が宙に広がった。鮮血の奥にいる少女の姿は、白から赤に、そして白と赤へと変化していた。

 多種多様な、そして煌びやかな衣装を纏った複数の少女達を相手に、白赤のドレスの少女は大立ち回りを演じていた。

 繰り出される斬撃や刺突を卓抜した剣技で薙ぎ払い、放たれる十数条の魔の光を、更なる破壊で塗り潰す。

 二つのサーベルから放った極大の破壊魔法は戦場となっていた廃ビル一棟を瓦礫に変えた。

 下肢を喪い、這いずり回る一人の少女に赤白の少女はゆっくりと近付き、その首を両手で掴んだ。

 

 

『『『あなたの魂、輝きが実に美しい』』』

 

 

 同じ声で、異なる口調が三つ重なっていた。

 花を愛でるような優しい顔で、赤白の少女は、双樹は微笑んでいた。

 

 

 

 

 

「双樹さん…彼女達は類稀なるマギウスの羽根でありました。マギウスの方々が直々に選抜した、逸材中の逸材」

 

 

 微笑む双樹に変化が生じた。

 映像が変わり、今度は別の少女達と交戦中の彼女の姿が見えた。

 放たれた火炎を冷気が吹き散らし、振り下ろされた棘付きの棍棒を灼熱の光が溶解させる。

 そこに殺到した複数のチェーンソーを、放たれた対消滅魔法が鎖の唸り声ごと消滅させた。

 

 

「過酷な精神強化プログラムを乗り越え、更には自動浄化システムの被検体としても名乗りを上げてくださった。その勇気と献身に、彼女は皆の尊敬を集めておりました」

 

 

 声のトーンが低下した。

 そして言葉は過去形となっていた。

 

 

「しかし彼女は力を得ると、用済みとばかりにマギウスを抜け、放浪の身となってしまったのであります」

 

 

 嘆きの声と共に、映像が消えた。

 残ったのは、一面の闇であった。

 その闇の奥に、茫洋と浮かび上がる影があった。

 そして先ほどからの声は、その影の正面で生じていた。

 

 

「この裏切り行為は、万死に値するのでございます」

 

 

 静かな声音だが、声は憤怒で彩られていた。

 声の主は小さく頷いた。

 その背後で気配が動いた。それは、二つあった。

 二つの気配の内の一つから、青白い光が放たれた。生き物の尾のような後を引く、奇妙な光だった。

 例えるならば、怪奇を思わせる人魂のような。

 そして人魂を彷彿とさせる光によって、闇の一部が駆逐された。

 青白い光で照らされたのは、赤錆で覆われた金属の椅子であった。

 手すりや脚の部分には、無数の棘が生えている。まともな用途に用いられるものではないのは一目瞭然だった。

 そして、その椅子の上には

 

 

「そろそろ罪を自覚されましたか?双樹さん方」

 

 

 液体の滴る音と、僅かな呻き声がその声に対する返事であった。

 声の通りに、そこには双樹がいた。

 赤と白のドレス、は今は僅かな色の面影を残す程度となっていた。

 衣服の端は焼け焦げ、また溶解して肌に張り付いている。

 ぴちゃんという水音が鳴った。

 音は双樹の肩から生じていた。

 彼女の肩から先は、存在していなかった。片方だけではなく、両方が。

 更に言えば、脚も膝から下が無い。

 関節の辺りで肉が外され、そこからは血と体液が滴っている。

 肉の断面は、赤紫色となっていた。

 滲む体液は赤黄色く変色し、骨の断面からは絶え間なく黄色い膿が垂れ流されている。

 

 

「ふむ…気付が必要でございますか……では、お願いします」

 

 

 傍らに声を掛けると、

 

 

「ぎっ」

 

 

 という悲鳴が上がった。

 四肢を喪った双樹の身体が、地面へと投げ出されていた。

 椅子の背もたれにも配されていた棘が一気に伸び、双樹を椅子から落としたのだった。

 当然、双樹の背中は棘によって傷付けられ、焼けた肉が抉られていた。

 

 

「御目覚めはいかがでしょうか、双樹さん方」

 

「……は、ハハハハハハ!」

 

 

 問い掛けに、双樹は笑い声で応えた。

 芋虫のように這いずりながら上を見上げる。

 肉体は破壊され切っていたが、彼女の顔は元の美しいままであった。

 這いずる双樹の周囲には彼女の手足が転がっていた。

 手が握るサーベルは、柄の近くで刃が粉砕されている。

 

 

「お元気そうでなによりでございます」

 

「うん、君達の様子がおかしくってね」

 

 

 笑いながら双樹は言う。

 彼女の眼には三人の少女の姿があった。

 一人は、青白い燐光を帯びた羽根付きの杖を持ち、ローブ状の衣装を纏った長い銀髪の少女。

 もう一人は、騎士風の意匠を持った服装の緑髪の少女。

 そして最後に、その二人を従えるようにして立つ、赤をベースとした奇術師風の衣装の少女であった。

 鮮やかな赤いリボンが、朱を帯びた黒髪を結んでいる。

 

 

「なんなのさ、揃いも揃って仮面なんか被っちゃって。陰キャ感全開だよ」

 

「ああ、これでございますか」

 

 

 揶揄の言葉に対し、奇術師姿の少女は事も無げに言った。

 右手の人差し指で、自らの顔に触れている。

 双樹の言葉の通り、そこは白い仮面で覆われていた。

 眼の位置が丸い黒で塗り潰された、感情移入を拒絶する様な不気味な仮面だった。

 

 

「私共は恥ずかしがり屋でありまして、相手に失礼のないようにこれを被っているのでございます」

 

「そう、でございますか」

 

 

 相手の口調を双樹は正確に真似をした。

 しかし、仮面の少女達は一切の反応を示さない。挑発が無意味である事に、双樹は諦念を覚えた。

 

 

「それでは、さらばでございます」

 

 

 そう言うや、少女はどこからか一本の笛を取り出した。笛には、赤い布が巻き付いていた。

 

 

「我らマギウス司法局による、鎮魂の調べをご堪能くださいませ」

 

「その人数で、何が」

 

 

 司法局だ。そう言おうとしたのだろう。

 だがその前に、少女は笛を顔に当てた。

 口元が僅かに開き、赤い唇が笛の孔に触れた。

 旋律が紡がれた。

 双樹は動きを止めた。

 言葉は紡がれず、されど口は大きく開いていた。

 眼も限界まで見開かれ、双樹の顔には極限の苦痛が浮かんでいる。

 やがて、音が途絶えた。

 少女は笛を口から外して身を屈めた。

 そして手を伸ばし、双樹の胸元に触れる。

 手が戻った時、少女の手には双樹のソウルジェムが握られていた。

 しかし魂の宝石には、色というものが消えていた。

 穢れの黒すらなく、ただ透明の石となっていた。

 

 

「さて、では次は貴女の番でございます」

 

 

 立ち上がり、少女は右を向いて言った。

 他の二人も同じ方向を向いていた。

 そこには、地面に横たわる一人の少女がいた。

 それは、全身を鎖で縛られた、黄色い衣装の道化であった。

 猿轡を嚙まされた口からは唾液が、眼からは涙が、鼻からは鼻水が。

 そして、彼女の周囲には失禁によるアンモニア臭が漂っていた。

 それら全ての無惨さを、道化は、優木は気になどしていなかった。

 

 ただ、マギウス司法局…別名、『MJD(magius justice division)』への恐怖と絶望だけがあった。

 




























書き手的な元ネタはDJD(ディセプティコン司法局)でございます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第76話 度し難さの果てに

「なんだ、これ」

 

「バケツパフェだよ」

 

「ふぅむ…」

 

 

 前に置かれた巨大質量に眼を注ぐナガレ。横の座席に座るかずみからそう言われたものの、脳の処理が追い付かない。

 十リットルは入る銀色のバケツの中には、淵から零れそうなほどのアイスやフルーツが盛られていた。

 見えない部分にもコーンフレークやプリンがぎっしり敷き詰められている。

 この喫茶店の名物というスイーツは、本来であれば数人ないしは十人近くでシェアすべき代物だった。

 

 

「…うん」

 

 

 興味深げに見た後で、彼はバケツをひょいと持ち上げて縁に口を付けた。

 一分が経過してから口を離した。ぷはっという小さな息が伴われていた。

 からんという音を立てて、バケツが机に置かれる。その中身は見事なまでに空だった。

 

 

「どう?」

 

「ひんやりしてたな」

 

「ふーん」

 

 

 尋ねておきながら気のない返事をしつつ、かずみはコーヒーカップを傾けた。

 いい具合に苦みと甘味が交じり合ったコーヒーを嚥下する。

 常人にあるまじき食欲というか摂食のキャパシティを不思議がることもなく、ピントがズレまくっている食レポにも気にしていない。

 

 

「じゃ、これ追加ね」

 

「なんだ、これ」

 

「バケツパフェだよ」

 

「ふぅむ…」

 

 

 ナガレの前に、再度巨大なパフェが置かれた。見ればかずみの隣には、後続のバケツパフェが三つも待機している。

 更にはナガレの前には空になったバケツが四つは重ねられている。

 先程の繰り返しが置き、今度は五十秒でバケツが空になった。

 

 

「はいこれ」

 

「ふぅむ…」

 

 

 空バケツを重ね、新品をナガレの前に置くかずみ。

 言うまでも無く、彼女はナガレをおちょくっていた。

 そしてナガレもナガレである。

 行動が再再度繰り返され、特に疑問にも思っていない。

 周囲に異常すぎる面々がいるせいで(しかしその連中が異常になっている原因は彼にもあるのだが)、まともに思えるナガレではあるが常人から見たら異常な存在である。

 だが今は殊更に行動がおかしかった。

 

 というのも、今の彼は脳の機能をかなり低下させられていた。

 思考に入り込む、映像と他者の思考によって。

 

 

 

 

『アアアアアア!!キリカ!キリカ!呉キリカ!』

 

 

 喘ぎ声のような音階の思念が、ナガレの脳内に響き渡る。

 そして前述のとおり、彼の元に届く思念は映像も伴っていた。

 

 

『ヴァアア!!!ヴァアアアアアア!ヴァヴァヴァヴァヴァアアアアア!!!』

 

 

 そこにいたのは、当然と言うかアリナだった。

 緑、赤、青、黒、白…全身を斑色に染めた彼女は、細い腕で身体を抱き締め絶叫を上げてのたうち回っていた。

 色が映えているのは衣服の上ではなく肌の上。全裸の彼女は多数の色彩で塗りたくられていた。

 色が垂れて交じり合い、更に奇怪で美しい色合いとなる。色自体が生命を持っているかのようだった。

 

 

「ちゅーずぞぞ」

 

 

 そして実体としてのアリナは、喫茶店だというのに紙パックに入ったイチゴ牛乳を飲んでいる。

 ストローで啜られるのと同じ音を、何故か声としても同時に出している。

 

 

『アアア!!もう!イメージが!!止まらナイ!!!!ノ!!!!!!』

 

 

 アリナの動きが更に異常さを増していく。

 例えるなら、限界まで張り詰めたゴム糸かワイヤーを千切った瞬間の蠢動のようだった。

 実体のアリナは落ち着いた様子であったが、一瞬眼光がぎらついた。

 緑炎のような輝きは、対面に座るナガレを捉えていた。

 ナガレはというと、今度は二杯同時にパフェを食べていた。

 眼光には気配で気付いている。言う事は特に無い。何を考えようが人の自由だと考えているからだ。

 この映像や思念も、アリナのそれが漏れ出しているのをナガレが勝手に捉えたから受け取っているだけである。

 そう、なのだが。

 

 

『フレンズとSEXして…!pregnancyして…!ママになる呉キリカのイメージ…!!美しすぎて…アリナの脳味噌が焼け爛れて破裂しそうなんですケドォォォオオオオ!!!!』

 

 

 アリナが抱いている妄想は、これまでに彼が見てきた度し難さの中でもかなりのレベルとなっていた。

 

 

『キリカが超絶・神的に美しいのは森羅万象と大宇宙の真理であるカラ間違いないとして…フレンズも大概なんですケドォォ!!美少女顔のショタでナナチみたいに男らしい口調でキュートな声とか反則スギィィイ!!!』

 

 

 ナガレが反応した。イラついたのもあるのだろうが、一番の原因はナナチという単語である。

 どうやらそのキャラクターが好きらしい。同一視されるのは悪くないとでも思っていそうだ。

 度し難さでは及ばないが、こいつもやはり大概なのだろう。

 

 

『呉キリカとフレンズが愛し合って交わり合う……アア………イイ……イイ…!……イイ!!』

 

 

 しかしアリナの度し難さは、普段接しているヤンデレ魔法少女ども(とはいえ彼自身は彼女らをそう認識してはいない。精々子供の背伸び程度である)とは一線を画していた。

 連中は自分と彼が交わる妄想はよくするし、戦闘を性行為と捉えている。

 それはどこまでも自分本位であり、そこに余人の入る隙間は無い。

 アリナの場合は、執着対象が性行為に励んで新たな命を身に宿す妄想に耽っている。

 その相手がナガレであるというのも、彼の外見がアリナの美意識を刺激したからではあるが、彼女の感覚的に完璧に嵌ってしまったようだ。

 つまりはどういう事かというと

 

 

『逃がさない』

 

 

 ナガレは厭わし気に眉を少し歪めた。それだけだった。

 逆に言えば、大体の事を赦すナガレをしてそのリアクションを引き出せたということである。

 

 

『絶対…逃がさないカラ……絶対に……呉キリカを愛して……沢山、沢山、沢山…SEXシて…孕ませてもらうんだからネ……フレンズ』

 

 

 どうしたものかと彼は考えた。

 繰り返すが、別にこの思念は送られてきたものではない。

 ダダ漏れになっているものを彼が捉えただけである。

 思念の捕捉をやめればいいとしてみても、アリナ・グレイがやらかした事を思えばそうもいかない。

 何を考えているか分からない上に、何を考え出すか分からず実行に移しかねないからだ。

 いわば時限爆弾みたいなものである。

 

 

「(そういえば)」

 

 

 アリナの思念を受けながらナガレは僅かな時間、自分の考えに浸った。

 緑の色、得体の知れなさ、度し難さ、危険性。

 方向性は似ていて、それでも程度で言えばアリナはまだマシだなと。

 

 あの緑の光よりは。

 

 

「(けったくそ悪ぃ)」

 

 

 内心でナガレはそう吐き捨てた。

 今もなお、アリナの卑猥な妄想はナガレの心に押し寄せるが、それは全くとして彼には届かない。

 それだけ、その緑の光への嫌悪感が強いのであった。

 あれが存在していれば、宇宙のどこにあろうが彼は感知できる。

 それが今は全く無い。

 それはこの世界にはあの光が存在していないという証明だが、それはそれで不気味だった。

 何も無い、というこの状況がずっと続くなど、その保証は全く無いのである。

 

 そこで彼は思考を打ち切り、

 

 

「そろそろか」

 

 

 と小さく呟いた。

 

 

「かずみ、そいつ頼むわ」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

 

 そう言って席を立つナガレ。ばいばーい、とかずみは手を振った。

 アリナは相も変わらず妄想をし続けている。

 先程までは啜っていたイチゴ牛乳も飲み干され、今は机に突っ伏し周囲の客に迷惑にならない程度の声量で不気味な笑い声を上げている。

 その声は、キョーキョキョキョ、と聞こえた。

 喫茶店から退店する時に聞こえたそれは、妙に耳にこびりついた。

 

 時刻は十四時になろうとしていた。

 陽射しのピークは過ぎたが、まだ陽光が強い。

 林立するビル群の上にナガレは視線を走らせた。

 次いで路地の裏、街を歩く群衆の中。

 感覚で把握したそれらを牛の魔女へと伝える。

 そして彼は脇道へと入り、ビルとビルの間にある薄暗い路地裏へと滑り込む。

 誰も見ていない場所であると確かめてから、

 

 

「やれ。間違えんなよ」

 

 

 と魔女へ命じた。

 次の瞬間、彼は路地裏から消えていた。

 牛の魔女の結界の中へと彼は移動していた。

 そしてここにいるのは、彼だけでは無かった。

 

 

「急に呼び出して悪いんだけどよ」

 

 

 この話し方で良いものか、と彼は思った。

 だが言葉はそこで遮られた。

 金属音が鳴り響き、火花が舞い散る。

 彼が握り、振り切られた牛の魔女は複数の飛翔体を弾いていた。

 破片を散らして飛び散らされたのは、黒い鎌に灼熱を帯びた双剣であった。

 右に振られた斧は今度は左に振られ、先程に倍する武装を弾いた。

 鎌は巻き付いた鎖によって引かれ、双剣も糸に引かれたように元の位置へと戻る。

 

 

「とりあえず攻撃か。間違ってねぇな」

 

 

 それは彼なりの称賛だったのだろう。

 その彼は影に覆われていた。

 異界の光を遮り、複数の、五十に達する人影が彼の周囲に飛翔していた。

 手には鎌に双剣、そして書物を携えた者もいた。

 それらは白と黒のローブを羽織った少女達だった。

 生地の裏は青く、額には広げた翼と半円を組み合わせた青色の紋章が刻まれていた。

 

 誰も声を発さず、一斉に彼へと武装を振り下ろす。

 それは、統率された魔法少女の集団であった。

 振り下ろされた武装へと、ナガレは斬撃を見舞った。

 金属音が鳴り響き、火花と金属の焦げる匂いが異界に漂う。

 そこに血臭が足されるのも、時間の問題だろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第77話 度し難き事実

 無言を貫いていた筈の襲撃は、いつしか悲鳴と絶叫を、そして咆哮を伴っていた。

 戦闘開始から二十分が経過し、五十はいた手勢が半分近くまで減っている。

 そして今、数は二十五となった。

 菱形の鎖で胴体を縛られた、黒いローブ姿の三人は地面に激突して気絶した。

 鎖が解け、持ち主の元へと戻っていく。

 血で濡れた両手が鎖の先端である双剣の柄を握り締めた。

 斧と日本刀の造詣を併せ持った刃が、周囲に立つ魔法少女達の姿を映していた。

 次の獲物は貴様らだ。

 そう言っているように見えた。

 

 

「来な」

 

 

 実体としての声も、少女達の行動を促した。

 少女の、それも美が頭に付くような可憐な音階だった。

 またその姿も、それに相応しいものだった。

 黒シャツの上にジャケット、下はジーンズと安全靴を纏うというやや荒っぽい服装だったが、その黒髪の少年は美少女のように可愛らしかった。

 しかし体表を覆う空気は張り詰め、それ自体が放射線のように物体を傷付けるような雰囲気を帯びていた。

 

 

「来な」

 

 

 再度の声。

 絶叫と叫びと悲鳴を上げ、従うように少女達は駆け出した。

 半分は戦闘不能になったが、まだ半分もいる。

 相手は一人であり、既に複数の手傷を負っている。

 この存在の正体は何だという思考を、少女達は放棄していた。

 疑問に耽るのは、これを屍に変えた後でいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アアアアア!キリカキリカキリカァァァァァ!!!!ママになってキュートさが増すの大確定の呉キリカァァァアアア!!!」

 

「先輩」

 

「キリカがフレンズに跨って激しく腰を振って、或いはフレンズにお尻を掴まれて後ろから激しく愛されて、イチャイチャとキスしながら正面から抱き合って激しく突かれて!そうして何時間も何日も愛し合ってからフレンズの遺伝子を受け止めて、あのお腹で新しい命を育んで………!ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァアアアアアアア!!!!」

 

「アリナ先輩うるさいの。正直声はあまり大きくないけど、存在がうるさいのなの」

 

「ホワッツ!?声に出てたノ!?」

 

「今も出てるしさっきから出てたし、私の声も出ちゃってるの。少し黙るの卑猥なの」

 

「イエス…マイjunior…アリ…ミーのクールな印象を壊しちゃ駄目だヨネ」

 

「それ本気で言ってるのなの?」

 

「ミーは何時でも本気なんですケド」

 

「先輩は本当に冗談が上手なの」

 

「サンキュー、フールガール。ああ、人に褒められるのって、どうしてこんなに嬉しいんだろうネ」

 

「先輩、ちょっとどころじゃなく怖いの。誰かこの変態を悪魔祓いしてなの」

 

 

 ナガレが消えてから三十分が経過した。

 喫茶店の中ではアリナが隣を向きながら、声色と口調と雰囲気を変えての一人芝居をしていた。

 その様子は静かではあったが、見るものを狂気に誘う迫真さがあった。

 何も無い虚空に声の主を幻視し、夢と現実の境目が曖昧となり、狂気へと誘われる。

 アリナは意図してこれをやっている訳では無かったが、彼女の天性とでも言うべき才能がそんな効能をもたらしていた。

 

 

「すいません、ホットケーキのお代わりください。あとブラックコーヒーを二つ」

 

 

 そんな狂気を前に、かずみは平然としていた。

 店員が呼ばれた際にはアリナも口を閉じた。なかなかどうして、雰囲気は読めるらしい。

 

 

「どう?フールガール。ミーも成長したでショウ?」

 

 

 店員が去ってからアリナは誇らしげに言った。

 返事は無かった。

 腕を組んでいたアリナは、やがて力なく両腕を降ろした。

 そして机をじっと見る。瞬きもせずに、じっと見る。

 見てはいながら、その深緑色の瞳には何も映っていないようだった。

 瞳の表面が乾いても、アリナは瞬きをしなかった。

 動きがあったのは、視界の端で動くものを見た時だった。

 

 

「キュートガール、それはなに?」

 

「んー?」

 

 

 かずみは机の上のナプキンを使って織物をしていた。それがアリナの興味を引いたのだった。

 

 

「ナガレが教えてくれたやつ」

 

 

 作業しながらかずみは答えた。答えになっていない答えであった。

 細指が軽やかに動き、ナプキンを折っていく。

 アリナはそれをじっと見ていた。その眼が見開かれた。

 

 

「出来た」

 

 

 満足げに、かずみはその両端を指で摘んだ。

 アリナから見えたのはそれの裏側だった。

 それだけで十分だった。

 

 

「……エクセレント」

 

 

 その形を認めたとき、アリナの口から感嘆の声が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何で。

 

 どうして。

 

 そんな。

 

 

 その思考を最後に、三人は意識を失った。

 投擲した鎖付きの鎌に、同じく鎖が付いた双剣が投ぜられて鎌の鎖に絡み付いた。

 三体一の綱引きは、魔法少女達が力を籠める前に隙を突いた少年の勝利に終わった。

 前につんのめった瞬間、飛翔した少年が空中で放った回し蹴りが白ローブの三人の後頭部を叩き地面へと突き飛ばした。

 地面に激突する前に、三人は意識を失っていた。

 三人が倒れる寸前、彼女らの傍らを複数の光が奔った。

 少年は掲げた双剣の刃で光を受けた。

 光は斜め後方へと滑り、異界の中に立つ結晶状の構築物へと着弾。直後に炸裂し熱と破片と閃光をばら撒いた。

 

 

「あんたで最後か」

 

 

 そう告げた少年、ナガレは双剣を握った手をだらりと垂らしながら、白いローブの少女へと歩み寄る。

 少女の手には白金色の光を纏った書物があった。光は先程放たれた光と同じ色だった。

 ナガレの全身は傷に覆われていた。

 背中には鎌の破片が何本も突き刺さり、顔には多数の切り傷が、両手も血に染まっている。

 胸には二つの小さな黒点が見えた。細い熱線が胸を貫き、肺の一部を炭化させていた。

 満身創痍となりながら、ナガレは四十九人の魔法少女を撃破していた。

 

 本を構えたまま、最後の魔法少女は動かない。

 この光景が信じられず、また理解したくないのだった。

 理解したくないが、眼の前の存在は魔法少女では無いが、それに近い存在だと理解させられていた。

 二次創作のキャラクター、原作付きの作品に追加されたオリジナルの主人公かよ、と少女は思った。

 それならまだ分かる。圧倒的な力で他者を捻じ伏せ、物語へと介入する主人公。その歩みを止めるものなどありはしない。

 

 が、この存在はどうも奇妙だった。

 全身傷だらけで、戦い方は泥臭く、美しいといえる外見だが非現実感と現実味が混在した存在に思えた。

 全身から立ち昇る血臭が、この存在が創作物ではなく現実の存在だと示している。

 眼の前の存在を二次創作のキャラクターと定義することによる、強引で突飛な現実逃避はここに終わりを迎えた。

 現実に向き合う時だった。

 

 

「聞きてぇこと、あるんだけどよ」

 

 

 だがその決断は少し遅かった。

 彼は既に少女の前に辿り着いていた。

 奇妙な絶叫を上げ、白ローブの少女は書物から光を放った。

 それは虚空を貫いた。自らに降りた影が、異界の光源を遮って跳んだ少年のものであると知った時、少女の延髄に鋭い手刀が叩き込まれていた。

 眠るようにして最後の少女は気を喪った。

 

 

「…やっちまった」

 

 

 そう言うと、ナガレは膝を折った。

 全身の傷口が開き、血が汗のようにどっと流れた。

 周囲からは魔法少女達の寝息が聞こえた。

 気絶しており打撲程度は追っているが、誰も出血していない。

 襲い来る五十人の魔法少女を、彼は全て無力化させるに留めたのだった。

 最初から殺す気でいったのなら、負傷はしてもここまでやられはしなかっただろう。

 

 最初に質問をしたが答えは返ってこなかった。

 ある程度倒したら、会話が可能になるかと思ったが無理だった。

 残りの五人になっても同じだった。

 そして最後の一人も最後まで戦う事を選んだ。

 

 

「よっぽど…頭を信頼してんだな」

 

 

 彼が尋ねたのは、どこの奴らかというものだった。

 結果は先のとおりである。

 感嘆の言葉を呟くと、急速に意識が遠のいてきた。

 そろそろ治療しないと死ぬ。

 そう思った時だった。

 

 

「…この香り、やっぱり」

 

 

 閉じかけた眼を開くと、眼の前に立っている者に気が付いた。

 声を聴く寸前、左頬に何かが触れたような気がした。 

 黒コートに黒帽子の不審者スタイル。

 掲げた右手の人差し指の先には、赤い液体。

 

 

「…あんた、何被ってんだ」

 

 

 顔を上げた彼は、まず思い付いた疑問を口にした。

 

 

「フレンズ。このエクセレントなエンブレムは、ユーがキュートガールに教えたって聞いたケド?」

 

 

 アリナの顔は、白い仮面で覆われていた。

 それは鋭角が目立つ、鉄仮面を思わせる造形をしていた。

 

 

「ねぇフレンズ、これは一体?」

 

 

 仮面を指さしてのアリナの問い掛け。

 それを切っ掛けに、忘れていた名前を思い出した。

 

 

「…ディセプティコンだ。デストロンでもいい」

 

 

 返答を受け、アリナは大きく仰け反った。

 

 

「…So,cool……フレンズ、それは一体どういった……ってフレンズ!」

 

 

 出処を聞くつもりで彼女は白ナプキンで造った仮面を外した。

 ナガレを見たアリナは絶叫した。

 

 

「フレンズ!ユー、こんなコトやってる場合じゃないくらいにヤバい状態なんですケド!」

 

 

 あたふたと慌てるアリナであった。

 血は流れていたとは分かっても、ここまで重傷とは思わなかったらしい。

 濃厚な血の匂いも、エンブレムの造詣に陶然としていた事で気が逸れていたのだろう。

 

 

「待ってて、今アリナが「みんな、今なの!」」

 

 

 アリナの言葉にアリナの言葉が重なる。フールガールの声であった。

 途端、閃光が迸った。

 その寸前、ナガレの身体は背後に引かれていた。

 

 

「危なかったねぇ、おとしゃん」

 

 

 ナガレも耳元でかずみが呟いた。

 押し寄せる強風と、害にならない程度の熱。そして宙を舞って遠ざかっていくアリナと、彼女が挙げる奇妙な叫びが耳に残った。

 周囲を見ると、倒れていた魔法少女達が片膝を突いたりふらつきながらも立ち上がって魔力の閃光を放っていた。

 

 

「全く……」

 

 

 その内の一人、白いローブを纏った少女が荒い息をしながら呟いた。最後まで残っていた少女だった。

 

 

「リーダーが、お供も付けずに歩き回らないでください……」

 

 

 言い終えると、地面に何かが激突した。その際に生じた音は、果物が潰れるような音だった。

 

 

「我らネオマギウスのリーダー……アリナ・グレイ様」

 

 

 他の魔法少女達も一斉に頷いた。その一言には、敬意が込められていた。

 かずみとナガレは互いに顔を見合わせた。

 

 

『また面倒なことになりそうだね。ナガレ、呪われてるんじゃないの?』

 

『多分な』

 

 

 思念で語り合うかずみとナガレ。さすがの彼にも疲弊が伺えた。

 それは現状と、これまでの人生の事も含まれているのだろう。

 

 そして一方で、『ネオマギウス』なる組織のトップであるらしいアリナは、仰向けになって白目を剥いて気絶していた。

 気絶しながら

 

 

「ざまぁみろなの。少しは反省しろなの」

 

 

 とフールガールの口調で呟いていた。













書き手ながらに困惑


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第78話 厄災の予兆

「…ふぅん」

 

 

 手に持った物体をしげしげと眺めながら、佐倉杏子は意味深に呟いた。

 手が持つのは灰色の生地で覆われた細い肉。

 黒いリストバンドの先には細い五指。

 

 

「あたしの手、こうして見ると結構綺麗だな」

 

 

 ソファに身を沈め、手製の魔法少女服を着た杏子は自分の左腕をそう評価した。

 その様子に、近場に立つ呉キリカは

 

 

「もっと前に気付いときなよ。腕の切断なんて今まで何度もあっただろう」

 

「テメェが原因なのも多いけどな」

 

「えへん」

 

「褒めてねぇ、っていう化石みてぇなやり取りがご希望かい」

 

「いいから、さっさとくっ付けろ」

 

 

 杏子とキリカの酷薄な遣り取りに麻衣が口を挟む。

 口調は静かだが、苛立ちが滲んでいた。

 

 

「言われなくても」

 

 

 言いながら杏子は左腕を放った。直後に閃光が奔る。

 振られていたのは杏子の右手。

 人差し指と親指が、小型化させた十字の槍穂を摘まんでいた。

 切断されていた左腕の断面を更に輪切りとし、肉片が杏子の足元に落下した。

 新鮮な肉の断面を見せる左腕を、彼女はそれと対となる部分へと付けた。

 治癒魔法を行使し、骨と骨、肉と肉が、神経と神経が再接続され、指先に感覚が戻る。

 だが動きを試そうと指を折り曲げる指令を脳が送った時、腕は床へと落下した。

 転がった腕の断面は黒々と変色し、黄色い膿が滲んでいる。

 

 

「…ま、こうなるか」

 

「十度目だからな。今回もそうだろう」

 

「なら促すなよ」

 

「私が言おうが言うまいが、貴様は試しただろう?」

 

「分かり切った事を言うんじゃねえ」

 

 

 中身が無い会話を終えると杏子は身を屈めて腕を拾った。

 腕の周囲には、黒色に変化した肉の断面が九個も散らばっていた。

 

 

「断面は腐敗してるが、腕自体は問題無さそうだね」

 

「冷蔵庫にでも入れとくか」

 

「氷漬けの方がいいだろう。ああ、少し前の私達と同じ処置をすればいい」

 

 

 キリカの言葉に杏子は頷く。

 後ろも見もせずに腕を放り投げると、一つ目の黒い蛇のような存在が彼女の腕を掴まえた。牛の魔女の使い魔である。

 

 

「適当に仕舞っといてくれ」

 

 

 あまりにもぞんざいな言い方であったが、使い魔は小さな腕で了解の意思を示して消えた。

 魔女結界に移動し、キリカが言ったとおりの事をするのだろう。

 人食いであったころに、人肉保管用に用いていた容器での保管である。

 牛の魔女の主はナガレであるが、杏子もそれなりにこの存在を使えるようだ。

 

 

「で、お前らは?」

 

「じゃーん」

 

 

 ふざけた調子で、キリカは両腕を前に突き出して五指を広げた。

 

 

「……うへぇ」

 

 

 杏子は呻いた。

 

 

「お前は指が全部か」

 

「失敬な。足は無事だよ」

 

「そりゃ良かったね」

 

 

 ふふん、と鼻を鳴らすキリカ。

 当てが外れたな、と杏子を愚弄しているのであった。

 そのキリカの指は、第一関節から先が無かった。断面は杏子と同じく黒く変色している。

 見ればキリカの立っている近くのテーブルの上には、氷を詰められた袋があった。

 半透明の氷の奥には、ぼんやりとした輪郭ながらに美しいと伺える十本の指があった。

 キリカもそれを背後に放り投げた。半分以下の長さとなった指で袋を器用に摘んでいる。

 投げられたそれを、先程と同じく使い魔がキャッチし異界へと持ち去る。

 

 

「慣れてるな」

 

「肉体損壊に見舞われる機会は多くてね」

 

「…ああ、そうだったな」

 

 

 普段なら愚弄するが、その気分には至らなかった。

 今の現状が異常であるのと、アリナ某の話を思い出したからである。

 もしも自分がそれをされたら、と杏子は考えた。

 手足を拘束され、生きたまま解体され、子宮を含む内臓を素手で抉り出される。

 雑巾でも絞るように、肝臓を手で磨り潰される。刃物で子宮を切り刻まれて内側を見せられる。卵巣に歯を立てられる。

 

 残虐行為には慣れている杏子であっても、それらの行為は変態を超えた変態、どころではない異常性が感じられた。

 異常で残虐で邪悪でと、どう表現したらいいのか思い浮かばない。

 会いたくはねぇなぁ、と杏子は思った。そこで思考を打ち切った。先程、京が見せた映像を思い出すからである。

 

 

「ところで、自警団の面々は?」

 

「さっき帰ったじゃないか。まぁ、宿はこの近場らしいけど」

 

 

 キリカに言われて思い出す。

 杏子の腕が落下した後、気まずい雰囲気がフロアに漂い、それに耐えられなくなったリナが京を引っ張って退去したのだった。

 麻衣から引き剥がされる時の京の様子は、母から引き離される小動物のようで痛ましかった、というのを思い出した。

 

 

「で、あんたは?」

 

 

 ついでに思い出したという風に杏子は麻衣へ尋ねた。

 キリカに比べて口調がややぞんざいなのは、キリカと比較して、まだ付き合いが短いせいである。

 

 

「………」

 

 

 麻衣は無言だった。

 尋ねるべきか黙るべきか。考えるまでも無かった。

 

 

「あたしとキリカの身体の一部が腐り落ちたのは、多分というかあの犀マニアのせいだろうよ」

 

「メタルゲ」

 

「うっせぇなキリカ。名前忘れたけど、あのエイみたいなのでも齧るかしてちょっと黙ってろ」

 

 

 ん、何処やったかな。とキリカは室内を徘徊し始めた。

 探しているのは魔女モドキの残骸だが、本当に齧る気のようだ。

 杏子もキリカによるこの程度の異常行動には慣れているので、それ以上何も言わなかった。

 

 

「それでだ。条件が同じなんだから、あんたも何か異変が」

 

「五月蠅い!!」

 

 

 突如として麻衣は叫んだ。

 杏子は言葉こそ止めたが、表情に変化はない。

 常人ないし他の魔法少女や魔女であれば恐怖による悲鳴や恐慌、肉体の硬直があっただろうが、杏子はこの程度では驚きもしないのだった。

 麻衣の殺意に満ちた咆哮に比べたら、こんなものは無害で心地よい春風のようなものである。

 

 

「あっそ。ならいいや」

 

 

 あっさりと杏子は質問を止めた。

 そして今更ながらに、左肘の傷に包帯を巻き始めた。片手だというのに手慣れているのは、生傷が絶えない生活を送り続けているからだ。

 

 

『子宮かい?』

 

 

 物探しをしながらキリカは思念で尋ねた。

 麻衣は黙っていた。それが答えだなとキリカは思い、それ以上の詮索をやめた。

 キリカの考えは当たってはいた。

 麻衣の肉体に異常はなかったが、彼女は喪失感を覚えていた。

 胎内の奥にある肉の袋の中で、ぽっかりという空白を感じていた。

 感覚を研ぎ澄ませば聞こえた、三匹の竜の声が今は聞こえない。

 身を引き裂きたくなるほどの喪失感に、麻衣は必死に耐えていた。

 

 

「なぁ、あんたら」

 

「んー?」

 

「…何だ、佐倉杏子」

 

 

 顔を向けた途端、颶風が奔った。

 キリカは顔を斜めにし、麻衣は

 

 

「遅い」

 

 

 と呟き刃を抜き放って受けた。

 激しい金属音が鳴った。弾き返された槍は、蛇のように多節を曲げて杏子の右手へと戻った。

 右手一本で真紅の十字槍を構える杏子。

 キリカも両手首から斧爪を生やし、臨戦態勢へと入る。

 

 

「暇潰ししようぜ。死んだら終わりでさ」

 

「佐倉杏子…」

 

「貴様…」

 

 

 楽しそうに嗤う杏子。

 対する二人もまた嗤っている。

 

 

「今日は冴えてるじゃないか」

 

「実に名案だ。シンプルで分かりやすい」

 

 

 心からの称賛を送るキリカと麻衣。

 悩み事を消し去るには、殺し合うのが一番。

 そう疑いなく認識しているのであった。

 何も無ければ、戦端は開かれた筈だった。

 それを止めたのは、フロアの扉が開いた為だった。

 扉の淵には、黒い魔力が通っていた。

 

 

「ただいまー」

 

 

 扉の奥から去来し、声を発したのはかずみだった。

 傍らには、直立する牛を模した姿の牛の魔女の義体があり、手には本体である大斧槍が握られている。

 そして三人の視線は、かずみの両腕に向けられていた。

 片腕で一人ずつ、人体を小脇に抱えている。

 一人は黒髪の少年、言うまでも無くナガレである。気絶しているのか、全く動く気配が無い。

 そして、もう一人は

 

 

「ちょっと色々あって、連れてきちゃった」

 

 

 変質者感丸出しの黒コート姿をした、毒々しい美しさの長い緑髪の少女であった。

 

 

「……この……beautifulな匂い…………」

 

 

 だらりとしていた頭がびくりと震えた。

 

 

「…呉、キリカ……?」

 

 

 少女は顔を上げた。深緑の眼は、呉キリカを見ていた。

 絶叫が上がった。二つは怒り、一つは恐怖。

 かずみの背後では、魔女結界を経由して招かれた五十人の魔法少女達が、バツが悪そうな表情となって待機していた。

 

 

 












あーあ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴

 どうしてこうなった。

 ナガレは思った。

 視界に広がるのは、列を成して座したローブ姿の魔法少女達。

 畳が敷かれた広い室内で、座布団の上に座っている。

 彼女らの前には小さな机が置かれ、その上には焼き魚に刺身に豆腐、汁物に白米、そして一人用の鍋と着火剤が置かれていた。

 宴会、という文字が脳裏に浮かんだ。

 

 

「えー、それでは我々ネオマギウスと……」

 

 

 マイクで拡張された声が響き渡る。音源は、会場の奥。壇上の上に立つ少女から発せられている。

 腰まで伸びた幅広の緑髪を垂らした少女。ネオマギウスのリーダー、アリナ・グレイである。

 今の彼女は桃色の浴衣を纏い、マイクを握っていた。

  

 ちら、と深緑の瞳が宴会場の一角を見た。 

 室内だというのに頭まで覆った白と黒のローブ姿の中、黒いセミショートヘアの少女がいた。美しい、という言葉で出来たような美少女だった。

 陶然とした表情で、アリナは黒髪の少女を見た。

 そうやってしばらく韻を踏んでから、アリナはこう続けた。

 

 

「この地球と時間軸、宇宙が生んだ美の奇跡…例えるならカオス・MAX・VWXYZ・ハイパー・アルティメット・beautiful美少女……呉キリカの未来永劫の栄光を祈って……乾杯!」

 

 

 びく、とキリカは肩を震わせた。

 恐怖とは無縁である筈の、強靭なメンタルを持つ呉キリカが怯えていた。

 形容しがたい評価を帯びて名前を呼ばれれば、無理も無いだろう。そもそも彼女は、この声の主から筆舌に尽くしがたい暴虐を受けている。

 反対に、アリナの祝杯の叫びは活気で満ちていた。

 反応に困るが、部下たちはそれに答えようとした。

 

 

「先輩」

 

 

 新たな、そして同じ声でありながら異なる口調と雰囲気の声が聞いたものの全ての動作を止めた。

 それは、アリナの口から発せられていた。

 

 

「すっっっっっっっっっごく、マジの、ガチの、本気でキモいの。ドン引きなの」

 

 

 しんと宴会場が静まり返った。掲げられたコップたちが、緩やかに下がり始める。

 

 

「…アリナさん、ちょっとやり過ぎです」

 

 

 白ローブの一人がそう言った。

 少し前に、アリナをアリナ様と呼んだのと同じ少女であった。認識のランクが少し下がったらしい。

 一人が窘めを言うと、後は決壊した川のように次々と続いた。

 

 

「同じく」

 

「うん…」

 

「…キモい」

 

「というか」

 

「気持ち悪い」

 

 

 キモい、気持ち悪い、吐きそう。

 そんな言葉が続いた。すると

 

 

「……ぇぐっ………」

 

 

 嗚咽の音が会場に響き渡った。

 再び、しんという静寂が訪れた。

 

 

「ご、ごめんなんですケドぉぉぉおおおおおおおおおお!」

 

 

 大声の謝罪はマイクで増量され、音の衝撃となっていた。

 

 

「ヴぁあああ!ヴぁああああああああああああああああ!」

 

 

 奇妙な叫びを上げながら、アリナは泣いていた。

 膝を折り、美しい顔をくしゃくしゃにしながら壇上でのた打ち回っている。

 それでいてマイクは離さないので

 

 

「うっさいの!先輩、黙るの!シャラップなの!!」

 

 

 同じくアリナが言うとおり、とても五月蠅かった。

 

 

「アリナさん!」

 

「ごめんなさい!」

 

「キモいってのは変わらないけど」

 

「気持ち悪いは言い過ぎました!」

 

「ヴぁああああああああああみんなぁぁあああああごめんナノぉぉぉおおおおおおおおおお!」

 

 

 あたふたするローブ姿×五十。泣きじゃくりながら転げ回って叫びまくるアリナ。

 

 

「だからうっせぇって言ってるの!黙るの!黙って!黙れ!!」

 

 

 泣きじゃくりつつ同じ声で別の台詞を発するアリナ。

 異常に過ぎる、そして居心地が最悪の雰囲気が宴会場の中に満ちていった。

 それを沈めたのは、立ち上がった孤影であった。

 黙ったまま、右手にコップを掲げていた。

 

 蛍光灯による反射で、杯に満たされたコーラは黒く艶やかに輝いた。

 その色よりも遥かに美しい黒髪と、その髪ですら美を引き立てる一要素でしかないほどの美の結晶のような少女が立ち上がっていた。

 すらりとした小柄な体型ながら、尻や胸、太腿にはそれ自体が強力な重力を発し、視線を釘付けにする様な魅力を持っていた。

 そして彼女の纏った衣装もまた、黒を基調としたものだった。

 

 

「あの外ど………おバカがいつか更生することを願って………乾杯」

 

 

 静かな声。微かな声と言ってよかった。

 だがそれはよく響いた。

 直後に、乾杯の声が一斉に上がった。

 杯が掲げられ、グラスが触れる音が次々と鳴る。

 先程までの光景を払拭するように、料理に舌鼓を打つ音や談笑が聞こえ始めた。

 

 

「…あんたはよく頑張ったよ」

 

「…ゥゥ……フレンズ……」

 

 

 倒れているアリナに肩を貸し、席へと戻るナガレ。座る前に、彼は離れた場所にいるキリカに視線を送った。

 必死に何かを堪えているキリカが見えた。やがて平静を装い、周囲から伸ばされた杯に対応し始めた。

 様子を見るに歓待されているようだ。外道と言いかけてよく止めたなと、後で誉めてやろうと彼は思った。

 彼の席は壇上から見て右側の最端であった。左隣には誰もおらず、右隣にはアリナがいる。

 

 

「Hey,フレンズ」

 

 

 着席した瞬間、アリナは彼に声を掛けた。

 掠れ切っていた筈の喉は、快活そのものの声を出した。

 

 

「カンパーイ、なんですケド」

 

「ん、乾杯」

 

 

 コーラが入った杯同士をかち合わせる。黒い水面が揺れ、両者はそれを口に含んで一気に干した。

 

 

「醤油だこれ」

 

「ぶはっ」

 

 

 苦い顔をして飲み終えた彼の顔に、黒い液体がブチ撒けられた。

 アリナの口内に溜まっていた液体である。それもまた、醤油であった。

 因みに、彼が飲んだのは関西風で、顔に掛けられたのは砂糖醤油だった。

 

 

「キョーキョキョキョ!キョーキョキョキョ!」

 

 

 奇怪に過ぎる不気味な笑い声を上げ、その場で転げまわるアリナ。

 二種類の醤油で顔を濡らしたナガレは、その様子をじっと見ていた。

 

 

「フレンズってば引っ掛かったんですケド!キョーキョキョキョキョキョ!」

 

 

 笑い続けるアリナを見るナガレは、自分の額に皺が刻まれているのを感じた。

 自分の容姿を馬鹿にして舐め腐る街の連中に腹が立つ、と言う事はよくあるが、ムカつくという事はあまり無かった。

 アリナはその怒りを誘発させているのであった。主に、この奇怪な笑い声が。

 

 

「ソーリーソーリー、ケアしてあげるから許してヨネ」

 

 

 そう言うとアリナは躊躇なく浴衣の上着を脱いだ。その下には下着が無かった。

 眼も醤油に覆われているが、ナガレにはその色も普通に見えていた。

 白い肌、ほどほどに膨らんだ胸、赤みの強い桃色をした二つの突起が見えた。

 アリナが平然と肌を見せたのは、彼の眼が塞がっていると思ったからだろう。

 今更捕捉する必要も無いが、彼は未成年の肉体になんらの欲情もしないし興味も無い。

 

 そしてアリナは脱いだ浴衣をタオル代わりにして彼の顔をゴシゴシと拭いた。

 肌に直接触れていた浴衣は、アリナの身体の匂いが移っていた。

 食虫植物のような、獲物を誘う甘い匂いだった。

 視界が塞がれている彼は、自分に向けて複数の、数にして五十三の気配が注意を向けている事を感じた。

 アリナの配下五十人による警戒心、そして仲間の魔法少女三人の、嫉妬と憎悪と、人間の心とは思えない悍ましい何かを。

 先程のアリナのスピーチの結果による最悪の雰囲気の、数次元異なる最悪の雰囲気が宴会場を包んでいた。

 本人は何もしていないというのに、理不尽な状況だった。

 だが彼は

 

 

「(おいかずみ)」

 

「(ごめん。あの変態さんから、絶対に盛り上がるからって泣いて土下座して頼まれたから…)」

 

「(いや、いい。それよりお前も頃合い見計らって休みな)」

 

「(りょーかーい)」

 

 

 と、かずみと思念で会話するくらいに落ち着いていた。

 つまり、気まずいとさえ思っていないのだった。

 顔を拭かれる間、彼は最初の疑問に戻ることにした。

 つまり、如何にしてこの状況となったか、という疑問の解明である。 















どうしてこうなった→俺(書き手)も知りたい
最早この作品は、自分の手から離れている感がある
大体アリナ先輩のせい、というかお陰というか


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴②

「アリナにいい考えがあるんですケド」

 

 

 アリナ・グレイはそう言った。ややくぐもった声だった。

 廃ビルに到着してから三十分が経過していた。

 その時間の全てはナガレが杏子と麻衣を宥めるのに費やされていた。

 キリカだけは例外で、別室にてアリナと何かしらのやり取りを交わしていた。

 俺も行くかというナガレの問い掛けを、

 

 

『引っ込んでろ。友人』

 

 

 と、正確に喉の一ミリ手前に斧爪を突き付けながら、彼の顔を見ずに彼女は言った。

 今までに聞いたことが無いような、絶対零度の冷たさを持った声だった。

 

 数分後、部屋から出たアリナは右の頬を拳二つ分ほど腫らしていた。

 盛り上がった肉によって、右の眼は殆ど埋もれている。

 声がくぐもっているのも、唇近くまで腫れているからだ。

 そして今へと戻る。

 

 

「ハァッ!」

 

 

 両手を掲げ、掌から魔力を発する。

 杏子と麻衣は槍と刃を携え、ナガレも即座に牛の魔女を呼び出せるように準備していた。

 キリカだけが爪を生やさず、腕を組みながら退屈そうに、アリナの魔法の発動を見ている。

 組まれた腕から覗く両手の甲、拳骨の辺りが赤く腫れていた。

 

 緑の光が壁と天井、そして床を這い廻る。

 光は一瞬で消えた。見た目は何も変わらなかった。

 しかし杏子と麻衣も、それを揶揄しなかった。

 魔法少女の感覚が、全てが変わったと伝えていた。

 

 

「さて、これでヨシ……で、後は」

 

 

 手を掲げたまま、頬を腫らしたアリナは硬直した。

 ちなみに今この時も、彼女は全身黒コートに黒帽子の不審者スタイルであった。

 高々と両手を掲げた不審者。それが今のアリナの姿だった。

 

 

「死ね」

 

 

 キリカが微かな声で呟いた。嫌悪感で出来た声ですら、美の結晶が剥離したかのような美しい声である。

 アリナはびくりと震えた。声の持つ美しさによる震えと、困惑によって。

 

 

「後は、どうする?」

 

 

 促すようなナガレの声。助け舟として言ったのか、彼には自信が無かった。

 

 

「いい質問…サンクス、フレンズ」

 

 

 右手の親指を立て、待ってましたとでもいうようなドヤ顔をしながらアリナは言う。

 彼に対するその呼び名に、三人の魔法少女が舌打ちを放ったのは言うまでも無い。

 舌打ちの矛先はどちらだろうか。

 きっと両方だろう。

 そしてアリナは掲げていた右腕を下げ、顔の前に手の甲を置いた。

 その手首に、銀の輝きが巻き付いていた。

 液晶の画面が見え、腕時計だろうかとナガレ達は思った。

 何をする気なのかは、彼にも分からなかった。

 

 

「アイ、どうすればいいと思ウ?」

 

『>アリナ・グレイ、少しは物を考えるということをしてください』

 

「考えたヨ…でも、アリナの感性は我ながらイカれてるから、このままだと何をしでかすか分からないんだヨネ」

 

『>成程。それは道理です』

 

「自分だけならまだしも、他者に肯定されるとキツいネ……」

 

『>ここ最近は僅かにマシになってきましたが、アリナ・グレイ。外道を超えた外道という言葉は貴女の為にあるのです』

 

「……自分の邪悪さに一番戸惑ってるのはアリナなんだヨネ」

 

『>場を和ませる為とはいえ強引にタフ語録を使い、自分で一番という辺りに反省を感じません』

 

「…ごめんなさいなんですケド」

 

『>私に謝っても意味はありません。態度で示しなさい』

 

「…ウゥ」

 

 

 その結果として出てきたのは、時計と会話し始めるアリナという現実だった。

 「アイ」というらしい機会に愚弄され、アリナは眼から涙を流し始めた。

 演技ではなく、本心からの涙だった。ナガレにはそう見えた。

 

 

「話が進まねぇな」

 

 

 と杏子。

 

 

「斬るか」

 

 

 と麻衣。

 

 

「すみません、もうすこしお時間をください」

 

 

 と、彼女らの少し後ろに立つ白ローブの魔法少女。

 

 

「…分かった。それと」

 

「何でしょうか」

 

「いや、いい」

 

 

 近いんだよ。という言葉を杏子は呑み込んだ。

 背後にはずらりと並ぶ、白と黒のローブを纏った魔法少女達。その数五十人。

 白が少なく、黒が多い。指揮官と部下だろうと杏子は思った。

 廃ビルのフロアはそれなりに広いが、流石にこの人数は多過ぎる。

 なのでローブ魔法少女達、杏子は脳内で「ネオマギモブ」と変換していたが、彼女らはかなり密着して立っていた。

 そのせいで余計に暑苦しく感じられた。実際、この大人数なので室温も上昇していただろう。

 

 

『>憩いの場、会食の場を設けるのが良いでしょう。アリナの魔法で場所は確保できました。また確認したところ、お風呂場が無さそうなので増築すれば大分居住性が上がります』

 

「ナルホド!サンキュー、アイ!」

 

 

 そう言って、アリナは時計の表面に触れた。

 

 

『>あの、まだ話は』

 

 

 という声が虚しく残った。

 次のプランを示され、歓喜の表情のアリナ。

 が、それは長続きしなかった。

 希望に燃えた表情は、燃え尽きるのも早かった。

 顔が弛緩していく様は、生から死への変化を思わせた。

 

 

「…アイ。そのやり方は」

 

『>本日の営業は終了しました』

 

 

 そう言って、端末は即座に切れた。再び起動させようとしたが、無駄な行いであると察したのかアリナは動きを止めた。

 

 

「…どうしよう」

 

 

 再び目に涙を浮かべるアリナ。

 見る間に涙が決壊し、滂沱と流れ始まった。

 

 

「死ね。そのまま体液を出し尽くして乾け。干からびて果てろ。報いを受けろ腐れ外道」

 

 

 再びキリカが呟いた。

 声には何の感情も籠っていない。それだけに、先程よりも怖かった。

 

 

「アリナ様」

 

 

 一人の白ローブ少女が前に出た。全体の中でもリーダー格らしく、先程も杏子と言葉を交わした者だった。

 

 

「煩わしい事は私達がやりますので、アリナさんは適当に除けててください」

 

「でも」

 

「涙を拭いてください。指揮官らしくしてることが今のアリナさんの仕事です」

 

 

 淡々とした口調は命令を思わせる響きがあった。

 また何気に、短い間で呼び方が降格している。

 白い魔法少女の促しに、アリナは涙を拭って頷いた。

 これまでもこんな事が何度もあったのだろうなと、見る者に察しさせる遣り取りであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、一時間後の様子がコレってワケ」

 

「お前、絵上手いな」

 

 

 場面は宴会場へと戻る。

 ナガレの隣に座るアリナの手には古びたお絵描きのボードがあった。

 先端に磁石が付いたペンを白いボードに近寄らせると、砂鉄がボード上で集められて線や形が描けるというお絵描き用具である。

 広げた両手よりも少し大きい程度のサイズからして、子供というか幼児向けの品のようだ。

 嘗てはキャラクターが描かれていたであろうボードの端は塗装が剥がれ、残った凹凸でキャラクターらしきものが描かれていたと察するしかない。

 アリナはそれを用いて、精緻極まりないイラストでこれまでの経緯を描いたのだった。

 丸っこいペン先は極微の線を難なく描き、砂鉄の集合体に過ぎないイラストには描かれた人物たちの生命感が、キリカの冷たい殺意や侮蔑までもが再現されていた。

 一切の魔力は使われず、アリナ・グレイという人物の技量のみによってそれは為されていた。

 ナガレが先ほど言った言葉には、感服の色があった。

 

 

「フッ…。フレンズ、アリ……ミーも中々やるでショ?」

 

 

 推理小説の登場人物のように謎めいた、ミステリアスな女を演出してのアリナの言葉であった。

 言うまでも無く、彼女の素上は彼に知られている。

 そもそも先程から、アリナという単語は頻出しているし、砂鉄の紙芝居の中でもアリナは自分の名前をアリナと言っていた。

 なお紙芝居の中の登場人物の台詞は全て、アリナの声真似で演じられていた。

 ナガレが思わず自らの喉に触れたほど、彼女の声真似は完璧だった。

 多芸な奴だなと彼は思い、この時間を楽しむことにした。

 耳をすませば、会場に流れる多くの会話が聞こえた。











仲良いな君ら


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴③

「うう…こんな風に食事するなんて、修学旅行以来…」

 

「私、サボったから行ってない…」

 

「私も」

 

「私も」

 

 

 私も、という声が唱和していく。その数は二十にも及んだ。

 それが止んだ時、最初に言葉を紡いだものは

 

 

「…最初の数分だけで、あとはトイレに逃げてたよ……」

 

 

 そう言って口を閉ざした。

 何故か、ホッとした雰囲気が漂った。

 

 

「…そういえば、アオちゃん元気してるかな」

 

「ああ、この前ミスドの友達から写メ送られてきた。乳歯が生えてきたみたい」

 

「あの人らも大変だよねぇ。次女さんまだ家出中だっけ」

 

「これ内緒だけど、神浜監獄を探してるんだって」

 

「確かそれ、金髪で背が高い人が看守長勤めてるとこだよね」

 

「相当強い人みたいだよね。どっちも」

 

「また血が流れそう。プロミスドブラッドだけに」

 

「笑えないよ」

 

「そうそう、魔法少女は血塗れがいつもだから、別におかしいことじゃないし」

 

「違う、そうじゃない」

 

 

 並べられた座席の座布団の上に座り、一人用の机の上に置かれた料理を食べたりジュースを飲んだりしながら少女達は会話をしている。

 揃いも揃って白か黒のローブ姿。

 前髪すら伺えないほど目深に被られている上、大体みんな似たような背丈なので声とローブの色を除けばまるでクローンである。

 モブという呼称が相応しい。そんな風にも思えてしまう。

 

 

「あれ何て言ったっけ、たしかMJ…」

 

「…MJD、マギウス司法局だよ。あのイカれ部隊」

 

「あー…嫌なの思い出した」

 

「笛の音はしばらく聴きたくない」

 

「緑髪の子…あの盾の中、一度見たけど忘れられない」

 

「れんぱすちゃん、妙に似合っててなんか怖い」

 

「最近新メンバー入ったらしいよ。仕事が増えたのかな」

 

「そりゃあ、ね…」

 

「きっと離反者の私らを狩る為だよ」

 

「私達全員、あの連中の懲罰リストに載っちゃってるし」

 

「もし見つかったら残酷且つ斬新な方法で拷問されて、ソウルジェムを取られるんだろうね。それで神浜監獄行き」

 

「離反前に聞いたけど、監獄って今は第九まであるらしいよ」

 

「って、離反者多過ぎて草」

 

「離反って言うか、懲罰リストの管理方法がね…」

 

「明確な規定ないしね、あれ」

 

「よっぽどでもない限りはだけど、基本的にはあの連中の感覚に掛かってるって…」

 

「あのメスガキ共、面倒な事はとことん部下に丸投げすっからねぇ」

 

「そんなんだから、みふゆさんは」

 

 

 言葉が途切れ、視線が流れる。

 従うように、会話に参加していた面々が視線を追った。

 視線の先には同じくローブ姿の少女がいた。

 白いローブを纏った姿は、周囲の魔法少女よりもやや高身長に見えた。

 

 よく見れば内側からの衣装のせり上げも、他の少女達より大きい。

 相応に大きな胸を持ち、全体的な肉付きがあるからだろう。

 他には顔を覆うローブもまた、上向きに上げられているように見えた。

 布の張り方からして、頭から何かが生えているような感じだった。

 例えるなら、角のような。

 

 その少女の傍らでは、白と黒ローブの二人があたふたと動いていた。

 どうやら座り続けるのが苦痛であり、ここにいたくないと言われているようだった。

 体格は大きいが、精神性は外見相応ではないらしい。

 その様子を見る魔法少女達の面持ちは、鼻から下が見える程度であったが沈痛なものが伺えた。

 そうしている内に、二人の少女をお供に白ローブの少女は宴会場を後にした。

 そこで漸く、会話が再開された。

 

 

「それで、MJDの事だけど」

 

「今更だけど食事中の話題じゃないよね」

 

「まぁいいじゃん。私らってどうせ浮いた話もないし」

 

「魔法少女やってたら、グロとかには結構慣れるしね」

 

「うーん…これって精神が強くなってるのかなぁ」

 

「麻痺だと思うよ」

 

「そろそろ調整屋さん行った方がいいかもね」

 

「それなんだけど、あの外見そろそろ戻してくれないかなぁ」

 

「未亡人スタイル、っていうのかな」

 

「あの薔薇どこから生えてるんだろ」

 

「それと護衛の人…あ、ごめん、笑いそうになる」

 

「何で笑うのよ。似合ってると思うよ」

 

「半笑いで言われてもねぇ」

 

「何て言ったらいいんだろ、あの外見」

 

「あれよあれ、仮面ライダーナイト」

 

「あー…それさ、本人の前だと禁句。ライダーってのも地雷ワードだよ」

 

「なしてよ?」

 

「ミスドの友達から聞いたんだけどさ」

 

「ふむふむ」

 

「訪れる奴らが毎回毎回「元ネタはナイトですか?」って言うもんだから、最近遂にブチ切れたんだって。同じ事言われ続けて精神的に参ったのと、外見を頑張って考えたのにライダーの物真似扱いが堪えたみたい」

 

「え、あれ本人のオリジナルだったの?オマージュか何かだと思ってた」

 

「本人は特撮とか、そもそもアニメとか漫画には無縁みたいよ。だから知らない存在の真似だとか言われたのが相当頭に来たみたい」

 

「そういえば貧乏で有名だったね」

 

「まだバイトやってるのかな」

 

「もうあの呼び名で呼ばれることはない、とか言ってるみたいだから…」

 

「あっ察し」

 

「人生の悲哀を感じますね」

 

「話が脱線してて草」

 

「もういいよ、MJDは」

 

「そもそも三人?最近二人加わって五人だっけ?それで司法局っておかしくない?」

 

「もしも連中にジェムが取られる時が来たら、最後の皮肉で指摘してやろ」

 

「連中のターゲットになりそうなのって、私らの他には誰がいたっけ」

 

「二木市でやられてたイジメ動画…っていうかあれは…うん…」

 

「あれを流通させてた奴らは主犯格はもう捕まってて、今は残党狩りがされてるみたい」

 

「それと私達の前に出ていった人かな」

 

「あの和風な人かな。ワケありみたいだけど、元々は良いとこのお嬢さん」

 

「あー、あの人か。あんま詳しく知らないんだよね、あの人。マギウスのメンバー多過ぎて」

 

「マギウスって今何人いるんだっけ?」

 

「さぁ。でも並んだ限りだと私達の人数なんて数の内に入らなそう」

 

「だったら見逃してほしいよねぇ。ああもう、懲罰リストなんて書いてないで、男でも作って抱かれてればいいのに」

 

「その発想は大草原。まー、人多過ぎるから会った事無い人が多過ぎるんだよね」

 

「私はちょっとしか会った事ないけど、しっかり者な感じだけどよく物とか壊してたよ。注意散漫なとこがあった気がする」

 

「逃げられるといいんだけどね…いっそ私達の仲間になればいいのに」

 

「まぁまぁ。そろそろこの話題やめとこうよ」

 

「そうだね。飽きてきた」

 

「それに、私達ネオマギウスの中で、MJDの懲罰リストのトップにいるのは」

 

 

 再び視線が動く。一糸乱れぬ統率を彷彿とさせる、機械のような動きだった。

 十数人の魔法少女達の視線の先には

 

 

「キョーキョキョキョ!フレンズ!アリナの胸を見た感想を言って、いや、言えなんですケド!」

 

 

 

 笑いながら、笑っていると演技した上で泣きながら、奇怪な泣き笑いをしている上司の姿が見えた。

 アリナ・グレイ。ネオマギウスのリーダーである。

 そしてその隣には。

 

 

「見てねぇよ。醤油で何も見えなかった。あと泣くな」

 

「ああ…自分の行動の軽率さに腹が立つんだヨネ……ガールみたいな外見してるとはいえ、ボーイの前でバストを晒すなんて……」

 

 

 アリナの言葉の通り、少女の、それも頭に美が付く少女のような外見をした黒髪の少年が座っていた。

 泣くなと言われつつ、アリナは顔を両手で抑えて泣き始めた。

 何か声を掛けようとして、ナガレは口を閉ざした。

 数秒後、アリナは

 

 

「フレンズ…ユーはアリ……ミーの痴態を見た記憶をどう扱うワケ?」

 

「忘れる」

 

「やっぱ見てたんですケドォォォォオオオオオオオ!!!!!!!」

 

 

 他者の会話の迷惑にならない程度の絶叫を上げるアリナであった。

 その様子を見るナガレは、困惑はしつつもリラックスした気分であった。

 普段と異なり、血肉が跳ねる事態にならなそうだと思っているからだろう。

 普段一緒にいる魔法少女達と比べたら、アリナは平和な存在に過ぎるからだ。

 

 

「サラッと混ざってるけど、誰、っていうか何、アレ」

 

「二次創作のオリ主かな」

 

「あ、確かに」

 

「それっぽい」

 

「うん、ほんと」

 

「声もナナチに似てるし」

 

「見た目可愛いし」

 

「多分誰かが魔法で作ったんだよ」

 

「人造オリ主かぁ」

 

「草」

 

「草」

 

 

 遠くで聞こえた声をナガレは拾っていた。

 これまでの会話も、何か役に立つだろうと思って聞いている、というか耳が良すぎるので聞こえている。

 他人が何を思おうが勝手だが、自分を二次創作扱いするとは妙な例えだと彼は思った。

 そもそも、二次創作って何だろうと思っていた。

 だが今の彼の関心は、それまでに聞いた不穏そうな会話にあった。

 この平和も何時まで続くのかねと、そう考えながら彼はジュースを飲んだ。

 また醤油の味がした。

 

 キョーキョキョキョという奇怪な笑い声が隣から聞こえた。

 何時の間にかまた継ぎ足したらしい。

 次やったら怒ろう。

 彼はそう決めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴④

「いかがですか。キリカさん」

 

「ん……」

 

 

 宴会場の一角。席に座したキリカは広げた両掌に視線を落としていた。

 衣服は手製の魔法少女服であり、ローブ少女だらけの宴会場の中では大分目立ってはいた。

 が、その前方左右背後をぐるりと囲まれているのであまり関係は無かった。そういう問題では無さそうだが。

 

 

「特に問題ないかな。重くもないし軽くも無い」

 

 

 広げた掌に普段の白手袋は無く素肌が見えていた。

 だが白い肌の部分はたなごころのみであり、そこから続く五指は黒一色となっていた。

 

 

「魔女モドキとウワサ、魔女の肉片を煮詰めて造った義指です」

 

「急造ですが、案外うまく出来たようで」

 

「因みに素材には魔女モドキですと紫の蛇が二十、赤い龍が五十、黒い龍を七十五、白銀の虎が四十九、蝙蝠が八十、不死鳥みたいなのが三十六」

 

「あとは、ええと、犀ベースで頭が蛇で……ああめんどい。ジェノサイダーみたいなのが四十八体」

 

「魔女は宝石をジャラジャラさせたウツボカズラが八、砂場で遊んでる無駄にデカいいかにも魔女って感じのが三」

 

「ウワサはクッソキモいフーセン犬みたいな黄色い歯車付きが四」

 

「そいつらを捕獲して」

 

「皮や鱗に装甲を一枚一枚丁寧にゆっくり時間を掛けて引き剥がして」

 

「慎重に慎重を重ねて生きたまま解体し、そうして得た新鮮な素材を加工したものを」

 

「以前アリナさんがやらかした時に入手した、キリカさんの骨をベースに肉付けしたものです」

 

「………」

 

 

 自分を取り囲む羽根達からの言葉を、キリカは手をくるくると廻したり、握ったり離したりをしながら聞いていた。

 

 

「うん、悪くないね」

 

 

 改めてキリカは指を見る。太さも長さも変わらず、よく見たら微細な皺や指紋まで完全再現されている。

 

 

「おい、腐れ蛆虫達の死骸から湧いた腐れ肉汁から自然発生したファッキンクソゲス腐れ外道アリナ」

 

「yes,my sweet hart」

 

 

 長いに過ぎる罵倒絡みの呼び名を終えた時、アリナは既にキリカの正面に座っていた。

 三回も用いられた『腐れ』の内の一回目を言われた瞬間から、彼女は移動していたのだった。

 

 

「これの形を整えたのはお前だね」

 

「イエス。お馬鹿なアリナは難しい事は出来ないから、素材の調達と皮剥ぎに鱗削ぎ、そして最後の粘度遊びしか出来なかったんだヨネ…」

 

「死ね」

 

 

 沈痛そのものといった面持ちのアリナ。

 その姿を見ず、指を眺めながらキリカは何の感情も込めずに言った。

 爪の長さまでぴったりか。と思った時にはさしものキリカも秀麗な眉間に嫌悪感の皺を小さく刻んでいた。

 

 

「それにしても、さっき言った数を一人で狩ったのか」

 

「yes.神浜のミラーズ結界が拡大シてて、その中の一つでこの連中が喰ったり喰われたりしてるsweetでemotionな場所があったんだヨネ」

 

 

 恍惚とした表情で語るアリナ。

 その場所がとても気に入ったというのもあるのだろうが、キリカと会話しているという事が嬉しくて堪らないのだろう。

 なお、キリカは相変わらずアリナの顔を見ていない。

 それすら、全く気にしていないようだ。

 

 

「答えになってない。お前ひとりで、さっきの適当に考えたみたいなふざけた数の獲物を狩ったのかと聞いてるんだよ」

 

「yes」

 

 

 右手を突き出し、サムズアップしながらアリナは答えた。誇らしげな様子であった。

 

 

「ドッペルか?」

 

 

 そう言ったキリカの視界に、奇妙なものが映った。

 

 

「やぁ熱病のドッペルくん。相変わらず不細工なズングリムックリ野郎だね」

 

 

 それは白と黒の縞模様をした芋虫、とでもいうべき存在だった。

 緑髪の子供の顔を模した縫いぐるみの顔が頂点にあり、頭からはトナカイのような角が生えている。

 胴体から生えた細長い手が、手をパタパタと振っていた。

 

 

「nonnon.傷付けちゃ不味いから」

 

 

 熱病のドッペルと呼ばれたそれをアリナは手で脇に退け、

 

 

「シュッ、シュッ、シュシュシュ!」

 

 

 そう声を含ませた息を吐き、息と共に短いパンチ…ジャブを複数放った。小学生辺りがよくやりそうな感じである。

 うぜぇ、とキリカは思った。

 

 

「うぜぇ」

 

 

 そして実際に声に出ていた。

 アリナはそれを聞こえているのだが、熱が入ったらしく立ち上がって距離を取り、

 

 

「aieeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!」

 

 

 叫びながら蹴り技を披露していた。爪先で畳みを蹴って数センチ飛び、落下するまでにアリナは宙で二回の回し蹴りを放っていた。

 その後何事も無かったように着地し、元の位置に座る。周囲からはおざなりな拍手が上がった。

 thaks,thanks、とアリナは拍手に応えていた。なお、拍手には奇怪な人形である熱病のドッペルも加わっている。

 自演乙と、そして「会話が成立しないな」とキリカは思った。

 

 

「全部素手で倒したってのは、いくらお前でも無理があるだろう」

 

「ソーリー、magiaも二回くらい。あとchargeしてからblast技を十発。accelも嗜み程度にネ」

 

「ふーん」

 

 

 気のない返事をしながらキリカは脳内で言葉の意味を探る。

 マギアは分かる。疑問なのは後の三つだ。

 多分ソシャゲ的な用語というかイメージなのだろうなとアタリを付け、それとなく察する。攻撃の際の気構えみたいなものだろう。

 そして謎の単語を出すことにより、アリナは自分と会話をしたいのだろうなと予測をする。

 視線を落としつつ、料理が盛られた陶器の器に反射されているアリナの顔には、キリカからの質問を待ちわびている笑顔が見えた。

 今すぐ、頭上で核弾頭が炸裂しねぇかな。

 そう考えたキリカであったが、その程度で死ぬ気がしないので現実に向き合うことにした。

 

 

「その数を、宴会場作る間の数十分くらいの時間で集めたっての?」

 

「non.流石に魔女やウワサは探すの大変だカラ、保存してたのを使ったんだヨネ」

 

「ふうん」

 

 

 となると消去法で、魔女モドキは素の数ということである。

 

 

「流石に無事じゃ済まなかったけどネ」

 

「ふーん、死ぬの?今?じゃあ死ねよ」

 

「ココ」

 

 

 そう言ってアリナは左頬を指差した。キリカはそれを見なかったが、空気の動きでそれが察せた。

 

 

「腐れメッシュのバナナ部分が欠けてるね。喰ったの?」

 

「惜しい。喰われたんだよネ」

 

「悪食もいたもんだ」

 

「イエス。なんか銀色に光ってるsnake?rhinoceros?stingray?なんかseetな外見したのがお腹にblack holeみたいなの作って、アリナってばそこに吸い込まれちゃんたんだヨネ」

 

「ならちゃんと死んどけよ」

 

「たくさんのお布団に圧し潰されたような、badな気分だったんだヨネ」

 

「だから、死ねって」

 

「でも中で暴れて、バタフライみたいに泳いダラたらなんとかなったんだヨネ。脱出した後は逆にそいつの首をdooms dayに押し込んで粉砕玉砕大喝采してやったんですケド」

 

「元ネタ知ってるんじゃねえか。勿体ぶってほざくんじゃないよ。とりあえず死ね」

 

「whats?適当に言っただけなんだケド……よかったら無知なアリナにそれを教えて欲しいんだヨネ…」

 

「にしても狩った数からして、運ぶの大変だったろうなぁ。貴様の部下にはなるもんじゃない」

 

 

 アリナの言葉を無視し、キリカは別の切り口で会話を続けた。

 戦闘力に関しては先程の会話で既に済ませてある。

 この女なら可能だろうと身をもって、文字通り骨の髄まで、細胞の一片や体液の一滴に至るまで思い知らされているからである。

 事実、今もブラックホールらしきものから泳いで抜け出すという異常な事を聞いたばかりだ。

 

 

「そうなんですよ!キリカさん!!」

 

「おぉう!?」

 

 

 アリナからの謎会話に繋がるだろうと身構えていた時、会話を引き継いだのは隣にいた白ローブだった。

 悲鳴のような驚きの叫びを上げるキリカであった。完全に予想外であり、面食らったのも無理はない。

 

 

「アリナ…さんったら、色々と無茶を押し付けるんですよ!」

 

「そうなんです!最近なんてキリカさんが心配だから、見滝原中学校をスパイするようにその為の部隊まで編成させやがったんですよ!」

 

「!?」

 

 

 左右に座る羽根からの言葉にキリカは言葉を喪った。

 これは異常事態である。

 何故なら普段はキリカの発言によって他者が言葉を喪う。

 いわばキリカは加害者であり、しかもこう言った場面だと最強だった。

 それが今、覆されたのだった。

 

 

「日中キリカさんがイジメられてないかとか、ハブられてないかとか」

 

「もしそうだったら然るべき処置を与える必要があるとかで」

 

「あの変態は虐めっ子の説得の方法とか会心のさせ方、洗脳についてまで勉強しくさってたんです」

 

「……詳しく」

 

 

 指を眺めながらキリカはぽつりと言った。周囲の少女達は「畏まりました」と唱和した。

 頭を深々と下げてのそれは、指導者であるアリナにすら見せない最敬礼の姿であった。

 キリカは覚悟を決めた。

 もしも地の底の地獄に向かうのなら、必要とあらば彼女は微笑みながら深淵の孔に飛び込むだろう。

 今がその時なのだと、心を平静に保とうとキリカは強く思った。

 

 

「特に問題が無いと分かった後は、同じ学年の連中が何を思って自慰ってるのかを調べるように命じてきまして」

 

 

 その覚悟は、キリカの背後にいた黒ローブがそう言った瞬間に砂上の楼閣となって崩れ落ちた。

 

 

「結果としましては、約四割がキリカさんに関連することで自分を慰めてから眠りに落ちている事が分かりました」

 

「これは全体では二位の数字であり、複雑な心境かと存じますが凄まじいスコアであると考えられます」

 

「因みに一位は三年生の金髪巨乳な方です。残念ながら僅差で抜かれて…失礼、これは言葉の綾です」

 

「最近不登校になられたことが心配ですが、キリカさんを上回るこのスコアは驚異的です」

 

「なおこの捜査対象は男女共通となっております」

 

「女性部門だとキリカさんが1位となっており、感服いたしました」

 

「他に興味深い点ですと、キリカさんとどことなく髪型が似てる別クラスの青髪の人は11位で、ワースト1位はその方の同クラスのピンク髪の子です」

 

「どうやら罪悪感を感じるらしく、性の対象として思う事に抑制が掛かるみたいですね」

 

「番外編ですと、これも同じクラスですが現在入院中のピアニスト君はキリカさんらしき姿が精神的外傷になっている上に」

 

「どうやら女性恐怖症も患ってしまったようですな」

 

「そのせいなのか、あの変態が連れてきたオリ主みたいなショタに抱かれる妄想で励んでます」

 

 

 

 

 キリカは途中から言葉を聞いていなかった。

 指を見ていた視線が上がる。

 上がる過程で、左右の白ローブ達の人差し指が見えた。見えていないが、背後の黒ローブも同じだろうと思った。

 「あの変態」を魔法少女達は差している。

 そして指の先には、そろりそろりと、まるで古めの漫画に出てきそうな様子でその場から撤退しようとしているアリナが見えた。

 視線に気付いたアリナは背後に向けて首をゆっくりと廻した。ギリギリ、という音が出そうな、そんな古めかしい動きだった。

 

 

「アハッ…」

 

 

 アリナは力なく笑った。

 言葉にして言われた事で、己の愚行を悟ったのだろう。

 逃げているのが、罪悪感を覚えているという証拠である。

 

 

「ねぇ君達。この指って、戦闘用にも使えるのかな」

 

 

 無表情で尋ねたキリカに、製作者の魔法少女達は懇切丁寧に説明した。

 この時既に、アリナは左右の腕を二人の白ローブに掴まれて拘束されていた。

 

 

「勉学に励む呉キリカ……ホント素敵なんだヨネ…」

 

 

 その様子を慈母のような表情で見つめるアリナ。

 そうしている間に、説明が終わった。

 

 

「おいアリナ」

 

「yeah!」

 

 

 歓喜の叫びをアリナは上げた。対する呉キリカの声に宿るのは、絶対的な虚無であった。

 

 

「この指の性能を試すから、手伝え」

 

「!yeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeees!!!!!!!」

 

「…変態、うるせぇの」

 

『>五月蠅いです。変態』

 

 

 一も二もなく、四の五の言わずにアリナは従った。

 叫びの後には同じ声で別の口調の声がアリナの口から出た。そして腕に巻いた端末からの人工知能の叱咤が入った。

 それを聞いて大人しくなったアリナであったが、歓喜に輝く表情で拘束されたまま宴会場の外へ連れていかれ、その後をキリカが追った。

 しばらくして宴会場に絶叫が響いたが、最初に一瞬不愉快そうな表情になっただけで誰も気にせず、食事と歓談を続けていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴⑤

「lady?」

 

「さっさと来い」

 

「yes,my sweet hart」

 

 

 対峙する呉キリカとアリナ。

 周囲には緑の輝きが煌く。

 ここは空気自体がその色に染まっているかのような場所だった。

 魔法少女姿のキリカに対し、アリナは宴会場の時と同じく桃色の浴衣を着ている。

 

 要は変身すらしていないのである。だがキリカは別に気にした様子はない。

 しかしながら、キリカは緊張感で背筋を凍えさせていた。

 内心を顔には出さず、キリカは手をだらりと垂らした状態を保っている。

 普段の斧爪は出でていないが、手には黒い五本の黒い輝きが見えた。

 腐り落ちた全ての指の代わりに装着した、黒い義手ならぬ義指である。

 

 

「とうっ」

 

 

 気合のような声を上げて、アリナは右手を掲げた。伸ばし切った時点で手を離し、手の中のものを宙に投じる。

 それは小さな緑色の正方形だった。大きさは一辺が一センチ程度。

 指先に乗る大きさである。

 

 

「とうっact2」

 

 

 その声は宙高くで生じた。

 移動の過程が、感覚に優れ、自身も速度を操る魔法少女のキリカですら鮮明では無かった。

 宙のアリナに視線を送った時、彼女の背後で緑が輝いた。

 緑光を背負ったアリナの背で、更に異変が起きた。

 発光しているのは緑のキューブである。そこから一瞬、紫色の物体が見えた。

 だが直後にそれは緑を帯びた黄色で塗り潰された。

 その黄色は宙に迸った超高速の濁流となり、その前方に浮かぶアリナの背へと激突した。

 

 

「yaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

「るせぇえええええ!!!!」

 

 

 二つの叫びは同時だった。その瞬間に、キリカの両手で黒が迸った。

 下げられていた両腕がキリカの胸の前で交差される。

 その少し後に、アリナはキリカの前にいた。

 

 

「キリカァ!!」

 

「うっせぇ!!」

 

 

 激しい轟音が生じた。

 それはアリナが伸ばした右脚と、キリカの左腕の接点で生じていた。

 キリカの腕は、肘までが黒い装甲に覆われていた。形状としては変身したかずみが放つ異界の魔神の武装の一つ、「アトミックパンチ」のそれに近い。

 

 

「きぃりぃかぁああああ!!!」

 

「アクセント変えるなぁぁあああああ!!」

 

 

 次いでもう一発。今度は左脚が蹴りを放ち、キリカは右腕で受けた。

 右腕も黒で覆われていたが、こちらは腕の側面に銀の輝きがあった。キリカはそれでアリナの蹴りを受けていた。

 それは、斧のように湾曲した刃だった。

 

 

「…excellent」

 

 

 黒い装甲で覆われたキリカの両腕をアリナはそう評した。

 少しの沈黙は、感嘆によるものだ。

 

 

「御託は良い。続けろ」

 

「yes,all hail kirika」

 

 

 続いて右脚の蹴りが炸裂し、次いで左脚、次は右脚…と、この動作が連続した。

 一打毎に速度と威力が増加し、轟音は爆音へと変わっていた。

 最初の一打を受けた時点でキリカの足の両踵は地面を抉っていたが、五打を受けたあたりで耐え切れずに地面が崩壊。

 砕けた地面の破片を吹き飛ばしつつキリカは背後へと押されていった。

 アリナが背に受けた濁流の勢いは消えておらず、前方への強烈な推進力を維持したままにアリナは激烈な蹴りを放ち続けていた。

 

 

「…最高。呉キリカ」

 

 

 母性と淫らさの中間のような笑顔で、蹴りを放ちながらアリナはキリカを見ていた。

 対するキリカの黄水晶の瞳には、虚無。

 

 

「お前は最悪だ。アリナ・グレイ」

 

 

 相反する評価にも、アリナは恍惚と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、悪くない」

 

 

 両手を見ながらキリカは言った。

 彼女の背後に立つ二人の白ローブ魔法少女達は深々と頭を下げた。

 

 

「お試しの通り、キリカさんの魔力に反応して任意の形状に即座に変化致します」

 

「その硬度は同じくご覧の通りです」

 

「ありがとう。流石に骨が堪えたけどね」

 

 

 治癒魔法を掛けながら背伸びをするキリカ。

 その背骨は小柄で華奢な体型には似合わないほど大きな音を立てて、衝撃によって生じた歪みを矯正させた。

 背伸びしながら、隣をちらりと見ると、異界の地面に刻まれた二条の長い轍が見えた。

 長さは二百メートルほどに達している。

 終点は家の数軒は優に飲み込むであろう大穴となっていた。

 

 

「キリカ、アリナは少しは役に立ったカナ?カナ?」

 

 

 キリカの隣へと接近するアリナ。途端、異臭がキリカの鼻を突いた。

 

 

「…死ぬか生きるか、はっきりしておくれ」

 

「じゃあliveで」

 

 

 両手でハートマークを作り、ウインクをしてアリナは答えた。

 びちゃんという粘着質な音を立てて、何かが地面に落下した。それは、溶解したアリナの背中の肉だった。

 蕩けた肉と骨と内臓が、泡を噴きながらさらに溶解していく。

 それに次いで、今度は轟音を伴って何かが落下、というか墜落した。

 

 

「ご協力感謝なんだヨネ。thanks」

 

 

 それに対して敬礼をするアリナ。キリカはこの時、アリナの背中から肉のほぼ全てが溶け落ちているのが見えた。

 胴体はほぼ空洞であり、肺も胃も心臓も無い。全て溶け落ちて、地面の上に堆積している。

 逸らすように視線を流すと、先程の落下物が見えた。

 全長十メートルほどの巨大な紫の蛇、だと思われた。

 

 

「全身腫瘍まみれじゃないか。膨らみすぎてコブラがツチノコになってる」

 

「yes,アリナは物を教えるのがヘタクソなんだヨネ…」

 

 

 残念そうにアリナは言った。落下してきたのは毒蛇の姿の魔女モドキだが、全身の至る所に巨大な胞子のような腫瘍が出来、その輪郭を膨れ上がらせていた。

 アリナの言葉を拾うと、先程の毒の奔流をうまく吐かせる為にはこうするしかなかった、ということになるか。

 そして腫瘍は次々と弾けてゆき、内側から緑色の血膿を吐き出した。体外に出た瞬間に変質したのか、それを浴びた毒蛇の肉体は見る間に溶解していった。

 瞬きを二度する間には、巨体の面影はどこにも無くなっていた。ただ、緑色の小さな湖面が広がるだけだ。

 

 

「で、キリカ。アリナの再現度はどうだった?」

 

「サマーソルトしてない。原作再現度マイナス十一万四千五百十四点」

 

「ソーリー。動画見せられたケド、態々やる必然性を感じなくて…」

 

「はい、無駄に敵を作るアンチ発言。更にマイナス八百九十三点」

 

「うぅ…」

 

 

 恐縮そうに身を縮めるアリナ。

 魔女モドキが遺した猛毒によって肉が溶ける異臭は更に強くなっているが、キリカは気にした風も無い。それはアリナも同じであるが。

 

 

「ほら見ろよ。これがちゃんとしたベノクラッシュだ」

 

「…サンクス」

 

 

 キリカは端末を取り出し、動画を見せた。密着した距離感となったが、必死に嫌悪感を堪える。

 紫色の鎧を纏った騎士風の戦士が疾走し、サマーソルトの後に背後に控えさせた毒蛇が吐き出す猛毒の奔流に乗って放たれる場面が描かれていた。

 その勢いのままに落下し、その先にいた銀色の騎士に蹴りの連打を叩き込む。

 苦鳴を上げた後に銀の騎士は装甲の表面から火花を上げて倒れ、爆発の中に消えた。

 

 

「この二人…さっきちょっとググったけど、狂人で外道で悪人すぎて引いたんだヨネ…」

 

「…はい?」

 

 

 狂人を超えた狂人にして変態を超えた変態、そして外道の中の外道にして極悪人を超えた極悪人であるアリナ・グレイが発した一言に、キリカは怪訝且つ不快感を露わにした一言を与えた。

 画面に視線を注ぐアリナを見たキリカの眼に映ったのは、深緑色の炎のように燃え盛っているアリナの双眸であった。

 

 

「これは架空の存在だし、このキャラクター達は悪役に見えるようにデザインされてるし、スーツアクターさんや役者さんは自らの本文を全うしてるだけだケド…」

 

 

 アリナの肩はワナワナと震えていた。両目の輝きは更に強さを増している。

 

 

「もしも…もしも実際にいたら……そして呉キリカに危害を加えるのなら……アリナは絶対に許さない……」

 

 

 声は義憤で…正しい怒りで満ちていた。アリナにその言葉を言わせたのは、嘘や偽りの入り込む隙のない完璧な正義の心であった。

 いつもの妙な語尾が消えている事も、それを表しているのだろう。

 

 

「あっそ」

 

 

 馬鹿らしいという意思を伴って、キリカは空気でも見ているような気分で言った。

 そんな風に思いながらの一言だったが、実際には自信が無かった。

 捩じれを治した背骨は今も、氷柱のように凍えている。

 愚弄を重ね、今のアリナは本心からこれを言っているのだと分かるが、どうにも恐怖が拭えない。

 彼女がされたことを思えば、一緒の空間に入れること自体が奇跡であるので、キリカも十二分に異常ではあるのだが。

 

 

「まぁ、役には立ったよ」

 

 

 逃避の為にキリカは言葉を紡いだ。

 黙っていることに耐えられなかったからだ。

 

 

「ホント!?」

 

 

 怒りから一転、輝く笑顔でアリナはキリカを見た。あまりの無邪気な笑顔に、キリカはたじろぎかけた。

 

 

「…ああ、ほんとだよ。バタ足キックの時も、蹴りに治癒魔法を乗せてくれてたしね」

 

「あ、気付いてくれた!?」

 

 

 キリカは頷いた。

 それが無かったら、今頃自分が結界の地面の染みになっている。

 という言葉を出すほどには、心に余裕はなかった。

 そして今のアリナは変身しておらず、申し訳程度の軽い肉体強化しか用いていない。

 戦慄すべき事実であった。

 

 

「ああ、役に立ってくれたよ。だから」

 

 

 言った瞬間、しまったと思った。余計な「だから」だった。

 とにかく喋ろうと、相槌みたいに言ってしまった言葉である。

 恐怖から口を滑らせたというのもあるが、契約で性格変えた筈なのに昔の陰キャ部分が蘇りやがったとキリカは思った。

 

 落ち着け、まだ大丈夫。

 言い間違えかもしれないし、そもそも声にしていなかったかもしれない。

 そう、これは頭の中でのことなんだ。

 まだ声にはしてない。

 だからクソゲスファッキン腐れアリナは何も聞いてない。

 そうだ、きっとそうだ。

 

 

「ダカラ………?」

 

 

 キリカのそんな希望的観測は、童女のように目を輝かせるアリナによって粉砕された。

 絶望するキリカの黄水晶の瞳は曇りに曇っていた。

 対してアリナのそれは、妖しくも美しい深緑色の瞳は、報酬への期待によって眩く輝いていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴⑥

「宿敵ゲームはっじまるよー」

 

 

 キリカとアリナが消えてすぐ、一人の白ローブ魔法少女はそう言った。

 周囲からは拍手が上がり、黄色い悲鳴も幾つか上がる。

 いるだけで面白い存在であるアリナが消え、新しいネタを出そうという考えなのだろう。

 その理由は勿論、賓客たちを退屈させない為である。

 

 

「それでは朱音麻衣さん」

 

「はい」

 

 

 生来の勘の良さで、自分に話を振られるのだろうなと考えていた麻衣は自分でも驚くほど冷静に唐突な声掛けに対応していた。

 

 

「早速質問ですが、あなたの宿敵は誰ですか?」

 

「例えるなら、あなたがキリカさんならアリナさんは誰です?」

 

 

 白と黒のローブ魔法少女二人に左右を挟まれながら、麻衣は歯を食い縛った。

 的を得てはいるが嫌すぎる例えに対する不愉快さを顔に出さないように、麻衣は必死に堪えていた。

 そうしていると、キリカから聞いた事を思い出した。

 マギウスは構成員を「羽根」と称しているという事である。

 となればそれぞれ白羽根と黒羽根かと麻衣は認識した。

 

 

「私の宿敵は」

 

 

 言いながら麻衣は視線を走らせる。

 その先には

 

 

「どうぞ。あーん、してください」

 

「…あーん」

 

「こぼしても大丈夫ですよ。私達にお任せください」

 

 

 左右を二人の白と黒の羽根に囲まれ、世話をされている佐倉杏子がいた。

 今の彼女の左腕は、肘より少し前から肉が消失し隻腕となっている。

 羽根達は眼端が効くようで、杏子のそんな様子を放ってはおかずに宴会の開始から即座にサポートを開始していた。

 先程までの、アリナと羽根達の様子を見ていると、アレに合わせる為にしている努力がこういうところで役立っているのだろうと麻衣は納得した。

 

 しかしそれはそれとして、彼女の宿敵は決まっている。

 少なくとも、今この場での。

 

 

「分かりました」

 

「お口に出すのは辛いでしょうから」

 

「その意図を我々が汲ませていただきます」

 

「え」

 

 

 言うまでも無く、麻衣は「佐倉杏子」と言う積りだった。

 数時間前に彼女に対して欲情した事など、今となっては忘れている。

 今後思い出す際には、幼少時に描いた黒歴史ノートを再び見た時のように悶絶するのだろう。

 

 

「あれですね」

 

「正に」

 

「あの黒髪の」

 

「ナナチみたいな声と口調の」

 

「サディストで」

 

「美少女顔のショタとかいう」

 

「オリ主みたいな奴」

 

 

 黒髪と言われた時点で分かっていた。

 この場の面々は、麻衣達賓客を除けば全員ローブを被っているからだ。

 それと、羽根達の声に宿る警戒心と敵愾心で。

 

 

「あれが麻衣さんの宿敵ですね」

 

 

 そう言われた時、麻衣は顔を両手で覆っていた。 

 指の隙間を少し開け、血色の瞳で宴会場の端を見る。

 隅っこの場所で周囲に空白を作った状態で、料理を食べつつジュースを飲んでいるナガレが見えた。

 表情は穏やかであり、一人の時間をリラックスして楽しんでいた。

 そんな彼を見て、麻衣は緩やかに微笑んだ。

 心地よい春風を身体に浴びて、新しい季節の訪れを喜ばしく思うかのような、健全で穏やかな笑顔。

 

 

「ああ。その通り」

 

 

 そんな表情で、麻衣は羽根達の言葉を肯定した。

 羽根達は一斉に黙った。

 その沈黙は麻衣の周囲だけではなく、会場全体で生じた。

 羽根達は各々の話をしつつ、麻衣の言葉に傾聴していたようだ。

 表面上だけかもしれないが、変わらないのは杏子の世話をしている羽根二人と話の渦中の存在となったナガレ。

 それと、佐倉杏子である。

 

 

「やっぱり」

 

「あの外道」

 

「アリナさんほどじゃないけど」

 

「悪魔」

 

「サディスト」

 

「邪悪」

 

「外道」

 

「外道」

 

 

 麻衣が肯定したことにより、羽根達の敵意は膨れ上がっていた。

 元々警戒心を持たれており、そもそも少し前にここの連中は全員がナガレにボコられた事もあって心象は今や最悪に近くなっている。

 シュプレヒコールが声を押し殺した物なのは、彼に対する怯えだろう。

 しかしこの現状を生み出した原因の半分を担っている麻衣は、羽根達の声を聞いていなかった。

 

 

「…宿敵」

 

 

 麻衣は小さく呟いた。途端、雷撃が背骨を奔り、脳の中で火花となって弾けた。そんな気がした。

 宿敵。運命の敵。ずっと前からの敵。

 相対し合う定めの相手。

 言葉の意味が麻衣の心を駆け巡る。

 

 

「ああ」

 

 

 麻衣は小さく呟いた。その声を聴いたのは、聞き耳を立てていた杏子だけであった。

 

 

「なんて、なんて素晴らしい関係なんだろう」

 

 

 言い終えた時、麻衣の両眼からは涙が零れていた。

 恋慕の想いが籠った熱い液体が、彼女の両頬を静かに濡らした。

 滴り落ちた涙が盆に当って弾けた時に、羽根達は麻衣の落涙を知った。

 

 

「麻衣さん!?」

 

「どうなされましたか!?」

 

「何処か痛むのですか!?」

 

「治療班!」

 

「MJDの攻撃の可能性も考えられる!警戒態勢!」

 

 

 麻衣の涙を異変と捉え、即座に対応するネオマギウスの面々。

 水際だった各員の動きと伝令の素早さは、日ごろからの苛烈な否応なしに戦歴を伺わせた。

 

 

「違う……違うんだ」

 

 

 麻衣は涙を拭い、首を左右に振った。

 一瞬の騒然が、ぴたりと止んだ。

 

 

「………話を、聞いてほしい」

 

 

 誤解を解く為に麻衣は話す必要があると考えた。

 涙の理由を。

 麻衣の周囲には、人だかりが出来ていた。杏子のサポート要員二人を除き、会場中の羽根達が麻衣の周囲に集っている。

 

 

「勿論です。聞かせてください」

 

 

 羽根の中のリーダー格らしい白羽根はそう言った。

 残りの羽根達は一斉に頷いた。

 

 

「私にとって……彼との戦いは………」

 

 

 そこで麻衣は言い淀む。

 頬は紅潮し、鼓動が跳ね上がる。

 一方で、腹の奥には冷気が蟠る。

 胎内にある肉の袋。子を宿す器官。

 それ自体は変わらない。

 だがその中には、虚無が宿っていた。

 ドッペルを発現させたあの日から宿っていた、彼方の存在が放つ鼓動が消えている。

 自らが我が子らと呼んだ、虚空の彼方から来た者達の気配が今は無い。

 その喪失感を思い出し、それを否定するかのように麻衣は思いを口にした。

 

 

「彼との…私の宿敵との戦いは……セックスなんだ」

 

 

 それから、麻衣は滔々と話し始めた。

 戦うことによる苦痛と快感。

 浴びた血の味と熱さ。甘美さと淫らな熱。

 互いの命を差し出す事は命の交差。

 

 互いの命を混ぜ合って、生と死を紡ぐ尊い営み。

 それと淡々と、それでいて熱を持った口調で麻衣は続けた。

 時間にして、ほんの三分ほど。

 だが言い終えた時、麻衣は疲弊しきっていた。

 彼以外の誰かに想いを伝えた事は、これが初めてだった。

 

 麻衣が話している間、羽根達は沈黙していた。

 話が終わり、麻衣の呼吸が落ち着くのを見計らってから、代表の白羽根は口を開いた。

 

 

 

「…頭、おかしいんですか?」

 

 

 真っ向からの否定の言葉であった。

 そうだろうな、と麻衣は思った。

 怒りは湧かず、疑問も無い。

 異常な思考と性癖である事は、麻衣自身が最も分かっている。

 

 

「あのオリ主は」

 

 

 白羽根はそう言い、そして黒羽根達は頷いた。

 彼女らの言葉と動作には、彼女ら曰くの「オリ主」への怒りが宿っていた。

 

 ん…?と、麻衣は首を傾げそうになった。

 自らが異常と考えている思考と性癖を理解されたことが、理解不能であるために。

 

 この場合客観的に見て、誰が一番狂っているのだろうか?

 











ええ…(困惑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴⑦

「朱音麻衣さん」

 

「貴女は」

 

「正常です」

 

「何一つとして」

 

「おかしくなどありません」

 

 

 麻衣を取り囲む羽根達は口々に言った。

 示し合わせた様子など無いのに、すらすらと一文の言葉が紡がれる。

 

 

「自信を持って」

 

「良いのです」

 

「…うむ」

 

 

 どうしたものか、と朱音麻衣は考えた。

 愛する者との血深泥の戦闘行為を性行為と捉えている事を、全肯定されたことについてである。

 麻衣としてはその感情は本物であり、愛しているからこそ殺し合うに値する。

 命と命を重ねる性行為だと認識している。

 だが客観的に見たら、これはちょっとおかしいなと思う程度には麻衣も正気だった。

 それを否定ないし、やんわりとした言い方で方向転換を促されないことに麻衣は困惑していた。

 自分の考えを示すべきか。

 そう考えていた時だった。

 

 

「しゅきしゅきだいしゅきゲーム、はーじまーるよー」

 

「わー」

 

「わー」

 

「わー」

 

 

 先程とに見た光景と酷似したものが、再び麻衣の眼の前で展開し始めた。

 知能指数を極限まで下げたような、そんなタイトルを理解するまで麻衣の脳は少しの間を要した。

 

 

「それでは朱音麻衣さん」

 

「はい」

 

 

 当然のように、麻衣に話が振られるのであった。

 

 

「早速質問ですが、あなたのしゅきしゅきだいしゅきな人は誰ですか?」

 

「例えるなら、あなたが双樹さんならメタルゲラスは誰です?」

 

「………」

 

 

 麻衣は両手で顔を覆った。

 闇の中で思考する。

 あの変態の性癖は割と有名らしいということ。

 そして好きという感情を持つ人物とその対象を例えにするのなら、先程と同じくアリナとキリカでいいだろうにという突っ込み。

 そこから考えられるのは、変態を超えた変態に愛されるキリカに、羽根達が深い憐れみを抱いているということだった。

 しかし、答えは決まっている。

 眼を開き麻衣は指の隙間から愛する者を見た。

 その瞬間、

 

 

パシャリ

 

 

 という音が鳴った。

 そして、血色の眼を閃光が出迎えた。

 一瞬の後、光に染まっていた視界が元に戻る。

 開けた視界を前に、麻衣の呼吸は途絶した。

 

 

「麻衣ちゃん、とってもかわいいねぇ……」

 

 

 いくつかの座席の列を超えた先には、ナガレがいた。

 そしてその隣には、佐木京が座っていた。

 光と音は、彼女が持ったカメラが発したものだった。

 

 

「少なくともあの方にとっては」

 

「ネオマギウス新メンバーの佐木京さんにとっては」

 

「朱音麻衣さん」

 

「あなたこそが」

 

「しゅきしゅき」

 

「だいしゅき」

 

「その対象に違いありません」 

 

「」

 

 

 羽根達の一糸乱れぬ宣言に、麻衣は打ちのめされていた。

 先程から、言葉に含まれる情報が多いに過ぎていた。

 

 

「…京、もネオマギウスに入ったのか」

 

「私もですよ、麻衣」

 

「!?」

 

 

 京の隣に座るものの存在に、麻衣は漸く気付いていた。

 風見野自警団のリーダー、人見リナである。

 京とリナはともに私服となり、京はナガレの隣に、京の隣にリナが座っている。

 何時からここに居たのか。

 麻衣には見当が付かなかった。

 

 

「ねぇ、麻衣ちゃんを寝取った人」

 

「さっきから言ってんだろ。そういう事はしてねぇよ」

 

「実態じゃなくて、精神の問題なの。それで、もっといろいろと教えて」

 

「いいけど、何に使うんだ?」

 

「あなたを殺す。麻衣ちゃんの心を、あなたから解き放ってあげるの」

 

「真剣だな。じゃあ協力は惜しまねぇよ」

 

 

 麻衣の視線の先では、京とナガレが何やらやり取りをしていた。

 何処からか取り出したノートに何かを書くナガレ。

 それを熱心に見る京。

 瞬きは一切せず、血走った眼で凝視し、時折殺意に満ちた視線をナガレに注いでいる。

 隣に座るリナは、上品そうに飲み物を傾けていた。

 だが居心地が悪いに過ぎるのか、額には無数の汗が浮かんでいる。

 その一つが落下した。

 汗の一滴がリナの胸元で弾けた。

 

 

「ああ、これですか」

 

 

 麻衣の視線を追っていたらしい羽根が声を掛けた。

 観察される怖さ、というのを麻衣は感じた。

 

 

「あそこのオリ主がアリナさんに吹き込んだらしいのですが、どこか遠くにある政治団体というか軍隊のシンボルマークだそうです」

 

 

 白羽根が指先で摘んでいるのは細い鎖。

 その先には、掌の半分程度のサイズの赤い金属板がぶら下がっていた。

 

 

「…随分と攻撃的な色合いと…禍々しい形だな」

 

「アリナさんもといあの変態曰く、『destron』だか『decepticon』とかいう団体だそうです」

 

 

 態々言い直すあたりに、羽根達のアリナへの印象が伺える一幕であった。

 改めてこのエンブレムを見る。

 赤はオレンジじみていて明るい色だが、形は鉄仮面のそれであり、しかも刺々しく禍々しい。

 

 

「…これを下げている、という事は」

 

「ええ。これが我らネオマギウスの新エンブレムです」

 

「新、というと」

 

「変更されました。ついさっき」

 

「ええ…」

 

 

 そういえばと記憶を辿ると、翼を広げた鳥のような金色のエンブレムをぶら下げていたような気がした。

 更にはローブの額にもそれと同じ刻印がされていたような。

 改めて確認すると、今は額に紫色の、そして首からはこの赤色の鉄仮面の紋章が下がっている。

 原型を留めていないというレベルでは無いので、最早別の団体になっている気がしてならない麻衣であった。

 

 

「…いい、形だな。強そうだ」

 

「ありがとうございます」

 

「実際、強い魔力が込められています」

 

「有事には色々と役に立つということで」

 

「なにせ、アリナさんの手造りですから」

 

 

 そう告げた羽根達は誇らしげだった。

 なんだかんだで、リーダーを尊敬しているのだろう。

 

 

「それでは、こちらをどうぞ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

 ごく自然な様子で白羽根はエンブレムを手渡した。

 あまりにも自然過ぎたので、麻衣はお礼を言って受け取った。

 ん、と思った。だが直後に理解した。

 

 

「…私と同じチームの京が、これを持っているという事は」

 

 

 麻衣は視線を送った。それを受けたリナは、一瞬肩を震わせた。

 だが咳ばらいを一つして

 

 

「今後を考え、私達もネオマギウスに加入いたしました」

 

「………そうか」

 

 

 沈黙は、思わず思い浮かんだ抗議を喉まで込み上げてから押しとどめるのに要した時間であった。

 自分が昏睡状態から復活してから、かなりの帰還連絡を怠っていたという事実が麻衣に後ろめたさを与えていた。

 そうやっている間に、何時も間にか麻衣の首には鎖が通され、デストロンないしディセプティコンなる団体のエンブレムが下げられていた。

 その途端、エンブレムの真上にある麻衣の心臓がどくりと鳴った。

 身に着けた事で、そこに宿る魔力を直に感じ取ったのだ。

 

 

「……これは………」

 

 

 苦痛の呻き声のように、麻衣は必死になって声を絞り出した。

 心臓は破裂しそうなほどに鳴っている。逃げろ、という恐怖と、戦意を促された事の高揚によって。

 

 

「これは……凄いな」

 

「ええ、アリナさんのソウルジェムから造りましたから」

 

「……………!?!?!?!?」

 

 

 度し難い事が続くが、これには物理的な衝撃さえ伴っていた。

 

 

「あの変態のソウルジェムの表面を少しだけ削って、剥離させたものを」

 

「アリナさんが乱獲した、ミラーズ結界の中の魔女モドキ達」

 

「悪ノリしてるのは否めませんが」

 

「『ミラーズモンスター』と名付けた連中」

 

「定着しなさそうですが、縮めて『ミラモン』達の」

 

「体組織やらを混ぜて溶かして」

 

「あの変態の魔力を込めてから固めたものになります」

 

 

 意味不明な事が続いて頭痛を、めまいを覚えるというのは大昔から使われている文章や漫画の表現だが、麻衣は実際に頭痛を感じていた。

 色々と酷い。

 酷過ぎる。こんなのってないよ。

 麻衣はそう思っていた。

 その時、宴会場の襖がばっと開いた。

 この時になって麻衣は、その襖は爪を展開して血みどろの闘争を繰り広げる呉キリカのイラストであると気が付いた。

 原型をリスペクトしつつのアレンジが大きく、更には風景画としての趣もある荘厳さがあったために気付かなかったのだった。

 襖に描かれているのは、傘を持った長い髪の少女の胴体を右手でぶち抜き、博士帽らしきものを被った少女の顔面を左手で殴打し爪の先端を後頭部から覗かせている状態のキリカであった。

 子供相手でも容赦しないだろうなと麻衣は思った。

 キリカの体型は出るところは出ているがかなりの小柄であり、精神的にも幼稚園児程度だと思っているからである。

 酷い言い様だが、少し前なら動物扱いだったのでこれでもかなりマシになっていた。

 

 話を戻す。

 開いた襖の先にもまた、呉キリカがいた。

 その身体には

 

 

ヴぁあああああああしゅきいいいいしゅきしゅきしゅきくれきりかしゅきいいいいいいいいいいいいいいいいしゅきしゅぎるんですケドぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 

 

 と叫びながら、キリカの胴体にセミのように抱き着いているアリナがいた。

 両手も足も、キリカの背に回っており身体の前面が完全にキリカと密着している。

 叫び声がくぐもっているのは、アリナの顔はキリカの胸に埋まっているからだ。

 叫び声には、呼吸音も混じっていた。

 キリカの匂いを、アリナは思う存分に吸っているのであった。

 

 

「………殺して」

 

 

 黄水晶の瞳に虚無を満たしながら、呉キリカは呟いた。

 殺す対象とは、恐らく自分の事だろう。

 絶望に満ちた声からは、そんな感情が伺えた。

 

 

 











全てに困惑


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 饗宴⑧

「ヴぁあああああああ!呉キリカぁぁああああああ!!だいしゅきぃぃいいいいいいいいい!」

 

『…キモいの。くっそキモいの…』

 

『>気持ち悪いです。アリナ・グレイ』

 

 

 呉キリカへと抱き着いているアリナ・グレイ。

 両腕をキリカの背でクロスさせ、両手で肩を掴み、両脚でキリカの腰を抱いている完全拘束状態。

 身長差が十センチはあるはずだが、背骨をかなりの弓反りにさせ強引にバランスを取っていた。

 

 

「…殺して」

 

 

 抱き着かれているキリカはそう言った。

 死人が発する声でも、まだ温かみと血の流れが感じられる。

 そう思えるような、死滅しきった声だった。

 

 

「友人…こいつを……外して……」

 

 

 それは、微かな命を振り絞っての声だった。

 

 

「フレンズ!呉キリカの願いを叶えてプリーズ!」

 

 

 キリカに抱き着いたまま、首を振り返らせてアリナが叫ぶ。

 今のキリカを死に追いやっているのはアリナ本人なので、理不尽どころではない状況だった。

 

 

「ナニをシてるの!?急いで!ハリー!ハリー!ハリー!」

 

 

 アリナは責めるように言う。キリカの表情は増々曇っていく。度し難い状況である。

 

 

「自分で離せよ」

 

 

 傍らへと接近し、ナガレは至極当然のことを言った。

 なお彼が歩む左右では羽根達が一斉に離れていた。

 相当に嫌われているようだが、ナガレが気にした様子は全く無い。

 

 

「それが…離れないんだヨネ」

 

 

 すまなそうにアリナは言った。

 言葉とは裏腹に、彼女はキリカの胸を頬擦りし、腰を振って下腹部をキリカの腹に擦り付けている。

 激しい前後の腰遣いを間抜けと取るか淫靡と取るか。

 どちらにせよ、被害者にとっては地獄だろう。

 

 

「…変態」

 

 

 死滅した声で、被害者であるキリカはそう言った。

 途端に、アリナの身体がすとんと落ちた。

 

 

「………」

 

 

 茫然とした様子でへたりこむアリナ。

 変態という単語は先程から頻出しているが、キリカから言われた事は無かった。

 この様子だと、それが堪えたのだろう。

 

 と、誰もが思っていた。

 

 

「い…」

 

「い?」

 

 

 アリナの呟きにナガレは応じた。

 キリカは既に退避し、ナガレの背後に隠れている。

 

 

「iyaaaaaaaahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」

 

 

 するとアリナは絶叫を上げ、開いている襖から外へと飛び出した。

 叫びは歓喜に満ちていた。

 叫んで疾走していながら、アリナは几帳面にも襖をちゃんと閉じていた。

 

 

「ありゃ自慰る気だな」

 

 

 羽根からの介護を受けて食事をしながら杏子は断言した。

 羽根の大半、というか全てが頷いた。

 茫然としているキリカの肩を、麻衣は軽くぽんぽんと叩いた。

 今日に至るまで、麻衣が最もキリカに優しくなれた瞬間だった。

 その様子を、京はじっと見ている。

 歯軋りをしているのは、キリカに嫉妬しているからだろう。

 リナはと言えば、座ってはいるがそわそわとして落ち着かない様子だった。

 優木の安否が気になって仕方ないのであった。

 

 

「出来たァァアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 室外に消えてから一分と経たずにアリナは戻ってきた。

 両手で一枚の紙を掴み、高々と掲げている。

 やや迷惑そうな視線でそれを見た一同は、思わず言葉を喪った。

 それは羽根だけではなく、招かれた者達も含まれている。

 

 

「お騒がせしてソーリー……ビビッとキちゃったから、思わず一枚描いちゃったんだヨネ…」

 

 

 丁寧に頭を下げるアリナであったが、全員の眼は相変わらず彼女が持つ紙に向けられていた。

 正確には、そこに描かれたものに。

 

 

「………綺麗だな」

 

 

 沈黙を破ったのはナガレだった。

 その一声で呪縛が解かれたかのように、他の者達の硬直が溶けた。

 息を吸う音が連鎖した。呼吸さえ忘れて、みなはそれに見入っていた。

 

 

「サンクス、フレンズ」

 

 

 謙虚に微笑むアリナ。

 彼女が持つ紙には、水彩で描かれた一枚の絵があった。

 そこには、黒い髪の女性が描かれていた。

 優しく微笑む様子は、聖典の聖母のようだった。

 そしてその手には、天使のように微笑む赤子の姿があった。

 母子の理想を体現させた絵は黒い絵の具のみを用いられていたが、見る者に想像力を掻き立て、絵の中に生命の息吹を感じさせ鮮やかな色を彷彿とさせる出来栄えとなっている。

 息をのむ美しさ、という言葉が比喩ではなく、現実としてそこにあった。

 

 そして現実という言葉は、事実でもあった。

 描かれた絵の中の黒髪の女性は、誰がどう見ても

 

 

「ハイ、呉キリカ」

 

 

 キリカの元へ歩み寄り、アリナは絵を差し出した。

 アリナの接近にキリカは何もできず、そして彼女もまたその絵に眼を奪われている。

 

 

「ユーの美しさには及ばないケド、会心の出来なんだヨネ……受け取ってもらえると、それはとっても嬉しいナって…」

 

 

 おずおずとした口調だった。それだけ、キリカと絵の美は開きがあると認識しているのだろう。

 キリカは手を伸ばし、その絵を恭しく受け取った。

 

 

「……あり、が、とう……」

 

 

 内心で吹き荒れる葛藤の嵐をどうにか抑制し、キリカは絵を受け取った。

 複雑極まる表情だった。

 受け取った絵を、キリカはじっと見る。

 途端に感情が決壊した。

 アリナへの嫌悪感が押し退けられ、胸の中を熱いものが満たす。

 尊い、という言葉が脳裏に浮かんだ。 

 

 感極まって肉体が弛緩し、膝が落ちた。

 落下しそうになった絵を、キリカは離しやしまいと抱き締めた。それは、今彼女が守っている絵のような構図となっていた。

 

 

「haaaah!!」

 

 

 その様子を見てアリナは叫び、両手で顔を覆った。

 そして背後へと倒れた。倒れる前に、背後に誰もおらず何も無い事を確かめていた事が妙に繊細であった。

 

 

「やっぱり…本物は………格別なんだヨネ………」

 

 

 仰向けになりながら痙攣をし始めるアリナ。顔は両手で覆われていたが、口元には歓喜の笑みが広がっている。

 悪意は感じられないが、捕食者の威嚇のようにも見える笑みだった。

 

 

「あの……今………」

 

「……え?」

 

 

 事の成り行きを見守る羽根達の中で、二人の羽根達が話し合っていた。

 狼狽する黒羽根から何かを告げられた白羽根が、言葉に詰まっていた。

 少し迷った様子だったが、その白羽根は膝を折り、アリナへと顔を近付けた。

 

 

「アリナさん、今大丈夫ですか?」

 

「大丈夫。伝えたい事があるなら遠慮なくプリーズ」

 

 

 一も二も無くアリナはそう返した。

 それでも白羽根は迷った様子を見せた。

 だが口を開き、こう言った。

 

 

「マギウスのリーダー、里見灯花が死亡した模様です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第80話 凶宴

 逃げろ、逃げろ、逃げろ。

 闇の中、路地裏を走る少女達の思考はその言葉で塗り潰されていた。

 恐怖と焦燥感は、今は思考の底に追い遣られている。

 認識してしまったら、一歩も動けなくなるからだ。

 

 少女達は走って行く先に、二つの影を見た。

 月と星の光によって、切り取られた闇が浮かび上がらせたシルエットは、身長にして百五十センチあるかないかの小柄さであった。

 だがそれを前に、少女達の心に恐怖と絶望が広がった。

 じゃらん、という音を、何人の少女が聞いただろうか。

 

 

「…炎舞」

 

 

 抑揚のない声が静かに響き、次の瞬間、赤々と燃え盛る炎が路地裏を照らし出した。

 浮かび上がったのは、十人の少女達。

 純白のローブを纏った一人の少女を先頭に、九人の黒いローブ姿が追従していた。

 炎は彼女らの衣装に燃え移り、各々の口から絶叫を放たせていた。

 

 

「ぁあああああ!!!!」

 

「ぃっぎぃぃいいいいい!!!」

 

「あづぃぃいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 炎に巻かれ、のたうち回る少女達。

 ローブは焼け焦げ、焙られた皮膚からは肉汁のように体液が滲む。

 路地裏は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化し、焦げ臭い匂いと、脂が燃える事によって生じた陰惨な甘い香りが大気を染めた。

 

 

「はぁーい、すとぉっぷ」

 

 

 韻を踏んだ声が鳴った。じゃらりという音が声に続いた。

 

 

「もう少し焼いてもいいんだけどぉ、やりすぎちゃうとお仕事を分担させた意味がないからぁ…」

 

 

 ゆっくりと、幼子に説明する様な口調で喋っているのは、露出の高い紫色の衣装を纏った小柄な少女だった。

 大きく開いた腹部の上には、蝶を模した飾りが取り付けられていた。

 衣装と同じく、闇色の濃い紫色の髪は両側頭部で優美なアーチを形成しており、それは猫かなにかの耳にも見えた。

 

 

「ここでやめとこぉ…ねぇ…スズネちゃん」

 

 

 紫の少女が告げた相手は、彼女の傍らに立つもう一人の少女だった。

 苦痛に呻く白と黒のローブの少女達は、眼に恐怖を湛えてそれを見上げた。

 そこにいたのは、元の数十倍以上に巨大化させたカッターナイフのような形状の刃を持った銀髪の少女だった。

 刃部分は赤く染まり、表面では火花が躍り狂っていた。それは炎の残滓であり、路地裏を舐め上げた炎の発生源はこれなのだろう。

 スズネと呼ばれた少女は、奇妙な姿をしていた。

 質素な運動靴を履き、地味な短パンを穿き、上には白シャツという簡易な服装。シャツには「マリトッツオ」という文字が刻印されている。

 スズネの年齢は小学生程度にも見え、外なら兎も角として自室等でなら特に問題が無さそうな服ではあった。

 だが日常では見る事のない衣装を纏った面々でひしめくこの場において、彼女の衣装はTシャツのダサさは別として異常に過ぎていた。

 

 その異常性を強調するか、或いはそれが健全であるとするかは謎だが、スズネの首には棘が生えた金属製の首輪が巻き付いていた。

 悪趣味な装飾は鎖が繋がっており、それの末端は紫の少女の右手に握られている。

 首輪の太さからして、金属製であれば相当な重さである筈だがスズネの顔には一切の苦痛が見えない。

 それどころか、感情を示す要素が皆無であった。

 薄紫色の瞳を有した眼は瞬きもせずに開き、ただ前を見つめている。

 僅かに開いた口からは、唇の端から唾液が垂れていた。

 

 

「ぁあああああ!!!!」

 

 

 それを好機と見たのか、恐怖に精神の均衡を破壊されたのか。

 黒いローブを纏った二人が焦げた肉と皮を零しながら立ち上がり、焙られた事で赤熱している刃を携えてスズネへと斬りかかった。

 刃は両刃の鎌であり、それはスズネの首と胴体を狙って振われていた。

 狂乱してはいても、正確に急所を狙った連携攻撃だった。

 鮮血が飛び散り、骨と肉が弾けた。

 襲い掛かった二人の少女の両腕の肘と両膝で。

 スズネも紫の少女も、指一本すら動かしていない。

 四本の腕が宙を飛び、自重を支えきれなくなった膝は折れ曲がって二人の少女は地面に落ちた。

 

 

「逃げろぉぉおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 飛び散った血肉を顔に浴びた事で、白ローブ…白羽根の少女は恐怖の呪縛から解放された。

 絶叫を上げて立ち上がり、一目散に走り出す。

 背後は振り返らなかった。

 だが、声と音が聞こえた。

 

 

「何して、くれてんの」

 

 

 紫の少女の声である。

 距離は隔てた筈なのに、首の後ろで語り掛けられているかのような距離感を感じた。

 

 

「私のスズネちゃんが……傷付いたら、どうしてくれちゃったわけ……」

 

 

 怨嗟の声が紡がれる。直後に風切り音が鳴り、そして悲鳴が響いた。

 悲鳴の奥には肉が潰れる音がした。

 

 

「ズズネちゃんを脅かした罪は……その身体で、払ってねぇぇぇぇ……」

 

 

 怨霊のような、紫少女の声が響く。

 風切り音の正体はスズネの刃だろうが、続く音は切断音ではなく打撃音。

 刃の背や腹を用いて、無力化された黒羽根二人を叩き潰しているのだろう。

 骨が砕け、肉が潰されていく音は、逃げる魔法少女達の耳にこびりついた。

 

 その音を、一つの爆音が掻き消した。

 途端に、少女達は一斉に倒れた。

 腕がもげ、肩が胴体から外れ、脹脛が弾けて断裂する。

 先頭を行く白羽根は、彼方で生じた光点に気付いていた。

 頭から地面に激突し、一瞬意識が途切れた。

 次に意識が戻った時、耳を劈く悲鳴が木霊した。

 

 

「痛いいいいいいいいい!!痛い痛い痛いぃぃいいいいい!!!」

 

「やめてやめてやめてやめぃぎゃああああああああああ!!」

 

「殺して!もう殺して!お願い!殺してぇええええ!!!!!」

 

 

 白羽根が見たのは、地獄の光景だった。

 仮面を被った緑髪の少女が、棺のような形の銀の台の上に乗せた黒羽根達の傍らに立っている。

 それらは横に三つ並んでいた。当然、台の上には同数の黒羽根が横たえられている。

 鎖で台に縛られ、動きを完全に拘束されていた。

 その隣には縦長の盾が置かれていた。盾の中央が大きく開き、その中には渦巻く闇が見えた。

 闇の中から一本の鎖が伸び、空中で固定された滑車に通されていた。

 垂直に垂れさがる鎖の先には、巨大な刃が設置されていた。

 

 

「お願い、やめ、やめ」

 

 

 静止を哀願する黒羽根達だったが、緑髪少女の顔は白い仮面で覆われ、彼女が何を考えているのかは分からなかった。

 ただ分かる事は、黒羽根の哀願は届いていないということだった。

 緑髪少女は台を指先で叩いた。誰が引くともなく、刃が引かれていった。

 

 

「やめ」

 

 

 その哀願を切断音が断ち切った。離された刃は黒羽根の腹を切り裂き鮮血を上げ、次の悲鳴が上がる前にその口を裂いた。

 刃の軌道は一往復ごとに変化し、黒羽根の身体を浅く長く切り裂いていく。

 黒羽根の悲鳴と肉が切られる音が響く。

 その音の奥に、別の声が聞こえた。

 

 許して、という少年の声。

 助けて、という青年の声。

 お願い、という女性の声。

 悪かった、という男性の声。

 

 悲鳴交じりのそれらの声は、鎖が伸びている盾の中から聞こえた。

 

 

 

 

 

「あああああ、ぎゃああああ、ああああああああ!!!!」

 

 

 絶叫が迸る。闇の中でその場所は、白い輝きで満ちていた。

 見れば、四つの椅子が並び、そこには黒羽根達が座らされている。

 白い輝きはそこから発せられていた。椅子から電流が流され、羽根達の身体を焼いていた。

 口や鼻、耳や目からは破壊された赤血球が黒いタール状となって止め処なく流れている。

 

 並ぶ椅子の一つ、中央のものの背後には緑髪少女と同じ白い仮面を被った少女がいた。

 椅子の背もたれに身を預け、転倒を防いでいるように見えた。

 その上空にて、奇怪な存在が浮かび上がっていた。

 単純に姿を顕すと、人の肋骨を生やした心電図。とでもなるか。

 

 緑色のグラフを刻む液晶から迸る電撃が椅子へと伝わり、電気椅子となって羽根達を苛んでいる。

 心電図の真上には、うっすらと人の姿が見えた。

 それは椅子にもたれ掛かっている少女と同じ存在に思えた。

 それもまた仮面を被り、揺蕩うように宙に浮いている。

 少女達の苦痛を楽しんでいるのか、何も感じていないのか。外側からはその一切が分からない。

 

 拷問が繰り広げられている地獄絵図の奥には、今もなお刃を振っている紫少女と、その傍らに茫然と立つスズネがいた。

 殴打は斬撃へと変化しているらしく、細かく刻まれた肉が跳ねているのが見えた。

 

 両脚を破壊された白羽根は、無事な両手で必死に地面を這った。

 痛みよりも恐怖が強く、その場に留まっている事が出来なかった。

 動いている間は生きていられる。その想いが白羽根に行動を促していた。

 芋虫のような動きで必死に進む白羽根の前に、二本の脚が待っていた。

 それは、黒茶色の軍靴を履いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第80話 凶宴②

 地面に這いつくばった白羽根は上を見上げた。

 膝から下は断裂し、断面からは鮮血が止め処なく溢れていく。

 背後では部下である黒羽根が、MJD…マギウス司法局の面々によって拷問されている。

 叫びと絶望は、身から飛び散る鮮血のように尽きない。

 何かに吊り上げられるように、白羽根は見上げる事を止められなかった。

 身体を動かさないことによって感じる恐怖に、耐えられないために。

 

 最初に軍靴が見え、次いで硝煙を先端から吐き出している猟銃が見えた。

 浅葱色の軍服調の衣装が見えた。

 最後に見えたのは、同色の帽子を被ったオレンジ色の髪。

 そして、眼の部分が黒く塗り潰された白い仮面が見えた。

 仮面を被った少女は、白羽根を見ていなかった。

 首は真っすぐと縦に伸ばされ、前だけを見ている。

 

 白羽根は自分の脚と部下たちの手足を破壊したのが、この少女の狙撃である事は分かっていた。

 湯国市から来た魔法少女だと聞いている。

 そこで何があったのかも、幹部階級である自分は知ってはいたが……。

 

 記憶を辿っている時に、カチッという音が聞こえた。

 軍服姿の魔法少女が、両手を仮面の側面に添えた時にその音は発せられていた。

 仮面の留め具が外されたのだと気付いたのと、この少女がいた場所で何があったのかを思い出したのは同時だった。

 恐怖の叫びを上げかけた時、鼻先を異臭が掠めた。

 仮面が外れた時、異様な匂いが大気に混じった。

 悲鳴も忘れて、白羽根は硬直した。

 

 仮面の下にあったのは、包帯に巻かれた顔。

 だが包帯は赤黒く、そして所々に黄が混じった色で染まっていた。

 赤黒は血であり、黄は膿であると匂いで分かった。

 血と膿は包帯の下から絶え間なく滲み、既に赤黒い包帯の上で粘液が盛り上がり、とぷんと弾けて顔の上を滴り落ちる。

 

 あまりの異常さに、白羽根は逃げようとするが逃げるための足は無い。

 そんな少女の前に、血膿で顔を覆った少女は膝を屈めて近寄っていた。

 当然、死の香りはより強くなる。

 猟銃を携えた軍服姿の少女は、白羽根にとって死と破滅の使者に思えた。

 そして不幸なことに、それは比喩ではなく事実なのである。

 

 

「わ……」

 

 

 くぐもって、震えた声が包帯の下から発せられた。

 震えた事で、血膿は更に滴り落ちた。

 

 

「わ…れ…の………ぉ」

 

 

 少女は、顔から外した自分の仮面を白羽根に見せていた。

 ただし、表面ではなく裏側を。それは白羽根の顔へと近付きつつあった。

 そこに見えたのは……。

 

 

「かお………を……………」

 

 

 その声は、闇の中で聞こえた。

 それきり、白羽根は何も感じられなくなった。

 あまりの恐怖と苦痛に、意識が途絶したのであった。

 

 

 

 

 

「皆様方、とても優秀でございます」

 

 

 叩きつけられる大剣による血飛沫、電気椅子が発する火花、振り込刃によって切り刻まれる肉。

 それらによって生じる悲鳴の最中であったが、その涼し気な声はよく通った。

 赤を基調とした奇術師風の衣装を纏った、長い髪の少女がいた。

 手には笛があり、それを大事そうに抱えている。

 そして紫髪の少女やスズネを除いての全員が着用しているものと、同じ仮面を被っていた。

 視界はゼロの筈だが、魔法を用いて周囲の状況を把握しているらしく、繰り広げられる拷問に満足している様子だった。

 

 

「これで二木市で製作された忌まわしき残虐記録の流通者達は無事に壊滅でございます」

 

 

 声の間にも、悲鳴は絶えることなく続く。

 それに対し、少女達は一切の耳を貸していなかった。

 

 

「こ…ん…な…」

 

 

 そんな中、一人の黒羽根が声を発した。

 その羽根は、四肢が根元近くから欠損していた。

 近場には、腕と脚であったであろう挽肉となっている。

 紫の少女によるものだろう。

 スズネに襲い掛かった二人の内、先に切り刻まれた黒羽根だった。

 紫少女は、残ったもう一人を同じ目に遭わせている最中である。

 

 

「こん、な、ことを、して……月咲さん、は、喜ばな……」

 

『ウチの事、呼んだ?』

 

 

 這いずりながら、最後の抵抗として相手の心を抉る為に言った言葉に対し、その声は投げ掛けられていた。

 声というか、思念だった。

 その思念は奇術師服の少女の手中から、彼女が持った笛から発せられている事に気付いた。

 

 

「そろそろ潮時でございます」

 

『ねー』

 

「ねー」

 

 

 笛の発した思念に、少女は声で答えた。

 そして笛に唇を重ねた。その時に黒羽根は、その笛は二つの笛が両隣に重ね合わさったものであることに気付いた。

 緩やかな旋律が流れた。それが広がるに連れ、拷問による悲鳴は小さくなっていった。

 そしてやがて、路地裏に静寂が訪れた。

 

 

「ねぇ、次の標的は?って確認するまでも無いか」

 

 

 意識を失った羽根達を放り投げながら、紫少女が言った。

 血と肉を散らしながら飛んだ羽根は、緑髪少女が地面に置いた盾の中へと吸い込まれていった。

 盾に開いた闇の奥からは、相変わらず少年と青年、そして男女の悲鳴が上がり続けている。

 

 

「リストのトップはあの変態の裏切り者でございます」

 

「それだけで誰だか分かるのほんと草生えるんだよねぇ」

 

「草…でございますか?」

 

 

 紫少女の言葉を、奇術師少女は理解できていないようだった。

 

 

『月夜ちゃん、それは物の例えだよ』

 

「なんと…面妖な言い回しでございます」

 

『ほんとだよねー』

 

「ねー」

 

 

 楽しそうに会話する少女と笛であった。

 その傍らでは、拷問台として使われていた棺に座る三人の少女がいた。

 スズネは相変わらず首輪を着用されたまま、虚ろな表情で口から唾液を垂れ流している。

 緑髪少女は、熱心な様子で何かをメモし続けていた。

 最後に軍服姿の少女は、両手で持った何かをじっと見ていた。外されていた仮面は戻され、視界は塞がっていたが、彼女にはそれが見えているようだった。

 

 

「さて。全員を収容したことですし、これで現地解散といたしましょうか」

 

「えー?」

 

「御不満でございますか?」

 

 

 紫少女の声に、少女、月夜は慌てた様子を見せた。

 

 

「ううん。その反応が見たかったから反抗してみただけ」

 

「左様でございますか。それはよかったでございます」

 

 

 大きな胸に手を当て、ほっと一息を吐く月夜であった。

 陰惨な拷問を評価しながら、何気ないふとした事を心配する。

 行動と態度が、どうにもちぐはぐというか、生真面目な少女である。

 

 

「ええと、では先程の言葉通りに解散いたしましょう。旭さんは何時も通り私が」

 

 

 言葉はそこで止まった。

 紫少女は首を傾げた。

 行動の停止が十秒を超えた時、もう勝手に帰ろうと紫少女は思い始めた。

 

 

「皆様方」

 

 

 再び口を開いた月夜の声は、陰鬱さに満ちていた。そして、怒りにも。

 

 

「懲罰…いえ、処刑リストのトップが変更となったのでございます」

 

 

 月夜の宣言に、紫少女は怪訝な表情となった。

 あの腐れ外道のド変態を超える者など想像できず、そして何をやらかしたのか見当が付かなかった。

 

 

「その者の名は…」

 

 

 名を継げようとした時、地平線の彼方から昇り始めた太陽が、血と硝煙で穢されていた路地裏へ朝焼けの光を差し込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第81話 地獄の種類

「さて、ここが正念場なんだヨネ」

 

 

 凛々しさを帯びた声が鳴った。

 地を踏み付ける運動靴が、摩擦によってジャりっとなる音が追従するように響く。

 

 青みがかったジーンズ、群青色のジャケットに黒いシャツ。

 露出した肘の先には、五指を出した穴付きの緑の手袋。

 赤を基調とした帽子には、独特の筆記で描かれた『A』の文字が白地の上に深緑色で描かれている。

 冒険者のような服装に身を固めた少女の前には、大小さまざまな無数の鏡が広がっている。

 鏡を鏡が映し、無限に等しい反射を作りだしている。

 

 青い湖面のような鏡の表面に、水面のような波が浮かぶ。

 そしてその中から、異形達が顕れ出した。

 真紅の龍、紫の大蛇、漆黒の蝙蝠に白銀の猛虎、鋼の翼を持つ白鳥に緑色の装甲を纏った猛牛など。

 機械の趣を持ち、また所々に肉らしきものを付けた異形の怪物たちであった。

 

 微妙な差異を生じさせつつも、同一種と思しき怪物達は鏡の反射を体現しているかのように後から後から湧いてくる。

 空中にも浮かぶ鏡に己の姿を反射させて蛇行する漆黒の龍は大きさが二十メートル近くあった。

 牙だらけの口からは体色と同じ、漆黒の息吹が吐き出された。

 地面へと着弾した息吹は津波のように跳ね、何体かの異形達を巻き込んだ。

 飲み込まれた異形は瞬く間に色を喪って動きを止め、黒龍はそれらを数体纏めて喰らった。

 

 

「wow、石化ってやつネ」

 

 

 異界の食物連鎖を眼にした少女であったが、怯えた様子は微塵も無い。

 息吹の衝撃で少しずれた帽子を被りなおす。

 

 

「でも、呉キリカには指一本触れさせナイ!」

 

「死ね」

 

 

 少女、アリナの背後に立つ呉キリカは冷たい声で吐き捨てた。

 それがどう脳内変換されたのか、アリナはそれを声援と捉えた。

 二人の少女へと、無数の異形達が殺到していく。

 

 

let`s,party!(さぁ、戦いだ!)

 

 

 そこに向け、アリナは自ら走り出した。

 両手を高々と掲げ、五指を曲げて疾駆する様は、どちらが怪物なのか分からなくなるほどの鬼気に満ちている。

 

 

「ミラモンゲットだぜぇええええええなんですケドぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「死ね」

 

 

 歓喜の熱に満ちたアリナと絶対零度のキリカであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何やってんだあいつら…」

 

 

 宴会場に置かれたテレビに映る映像を前に、佐倉杏子は茫然と呟いた。

 ちなみにテレビとは今どきの大きめで薄型のそれではなく二昔くらい前の小脇に抱えて運搬できるくらいの大きさの、正方形に近い形をしたものだった。

 床に置かれたその前に杏子は座り、その周囲をずらりと羽根達が囲んでいる。暑苦しい様子であった。

 

 

「それがですね」

 

「里見灯花が死んだと聞いて、インスピレーションを受けたらしく」

 

「あの変態は今、ご覧の通りアートの素材調達を行ってます」

 

 

 羽根達が言いにくそうに説明をした。

 ご覧の通りと言ったものの、アリナと魔物たちが会敵した瞬間に映像は途切れてしまった。

 

 

「アリナさん、じゃなくてあの変態の魔法は結界生成でして」

 

「鏡の結界への接続も覚え腐ったらしく」

 

「ご覧の通りコンビニ感覚で、あの地獄に突撃しているのです」

 

 

 ううん、と杏子は言葉に詰まった。突っ込みどころが多過ぎるのと、鏡の結界を危険な遊び場としていたのは自分らも同じなので共感できる部分が多いからだ。

 

 

「おいキリカ、元気に死んでるか」

 

 

 テレビの前に置かれたマイクを掴み、杏子はそう言った。返事は即座にあった。

 

 

『死にそう』

 

「そうか。同情するよ」

 

 

 砂嵐が流れるテレビからはキリカの声が発せられた。

 どうやらこのテレビの映像はキリカの視点からのもので、映像の乱れは魔法で作った機械か何かが壊れたか壊したかしたためだろう。

 幸いと言うべきか、音声は明瞭だった。

 

 

『私をこの変態に付き合わせておいて、同情もなにもあるものか』

 

「だってお前、そいつらの元ネタに詳しいんだろ?ええっと」

 

『魔女モドキの新種、別名「ミラー『』モンスター」だ。いいか、ズを抜くなよ。絶対抜くなよ。ついでに私は詳しいといっても小説派だから別に必要以上には』

 

「wow!amaizing!」

 

 

 キリカの警告を遮るように、アリナの叫びが聞こえた。声は相変わらず歓喜に満たされている。

 生まれて初めて動物園に連れていかれた子供も、こんな反応をするんだろうなという無邪気な悦びがあった。

 声の奥には振動による破壊音が鳴っている。それは、足音に思えた。

 

 

「なんだ。使徒とか量産機でも出たか」

 

『近いね』

 

「はい?」

 

『なんかジェノサイダーみたいなのが何体も練り歩いてる。大きさもなんか…うん、使徒みたいにデカい。足が無くて下半身が蛇になってるのとか、逆に足がめっさ増えてて百足みたいのになってるのがいる。色も赤に金銀にと色々。尻尾が槍や重火器みたいになってるとか、全身から針を飛び出させてるハリセンボン状態のもいてカオス』

 

「加勢が必要かい」

 

『いや、もう済んだ』

 

「あん?」

 

『素材大量ゲットォォオオオオ!!!yeaaaaaaaaaahaaaaaaaaaaaaaa!』

 

 

 アリナの叫びが再び木霊する。少女の方向の奥に、何か巨大なものが倒れるような音と、複数の獣を合わせたような叫びが聞こえた。

 歓喜で出来たアリナのそれとは異なり、叫びは悲鳴に聞こえた。

 

 

『こいつほんと、さっさと死なないかな。この異常な強さと引き換えに、戦う度に年単位で寿命が縮むとか』

 

『ホワァッ!?』

 

 

 キリカの願いとは裏腹に、アリナの声は元気で一杯だった。

 

 

ホ、ホワッツ!?(な、なんだぁっ!?)レッドなドラゴンとダーク・コウモリ、パープル色のスネークがバイクになったんですケド!』

 

「どういう状況なんだよ…」

 

『多分だけど、この腐れ外道の乱獲のせいで、生存本能を刺激されまくってるんだろうね。要はサバ』

 

 

 キリカの声を遮り、破壊音が連なる。何かが複数放たれ、それらが爆発しているような。

 その爆音は激しさを増す一方だった。

 

 

『そう…そうだったのネ……』

 

 

 燃え盛る炎が辺り一面に広がる、という光景が容易に脳裏に浮かぶ破壊音の中で、アリナは静かに呟いた。

 

 

『ユー達は素敵なmirrorなmonsterである事に加えて、愉快なTRANSFORMERSだったってワケね!!』

 

 

 アリナは高らかに宣言した。その声は、自信と確信に満ちていた。

 

 

『分かったかい、風見野のお仲間達とネオマギモブのみんな』

 

 

 重金属のような重さと、冷たさで出来た声をキリカが絞り出す。

 

 

『こいつに執着されるとこうなるんだよ』

 

『超excitieeeeeeeenggggggg,TRAAAANSFOROOOOOMERRRRRRRRRS!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 アリナの叫びに、タイヤが地面を削る疾駆の音が聞こえた。

 それには何やら巨大な獣の咆哮も混じっている。

 恐らくだが、先程言っていたバイクに変形した存在の内の一体を捕獲し乗りこなしているのだろうと。

 地獄にもいろいろな種類がある。そう誰もが思った瞬間であった。通信が途切れ、テレビが切れた。

 そして

 

 

「出て来なさい!変態腐れ外道のクソゲスアリナ!!」

 

 

 裂帛の叫びが宴会場を貫いた。

 一同が一斉に振り返った先には、巨大な黒い鳥のような姿が見えた。

 そしてその背で荒い息を吐く、黒い装束の桃色髪の少女の姿も。

 




















あけましておめでとうございます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第82話 絶えたもの、絶えぬもの

「もう一度!治癒魔法を全開発動!」

 

「了解!」

 

 

 十人の白羽根を中心に、残った黒羽根達が魔力を紡ぐ。

 円を組まれた中心には、魔力で作られた寝台に横たわる少女がいた。

 羽根達とよく似たローブ風の黒い衣装を纏った桃色の少女が、眼を閉じて荒い息を吐いている。

 並ぶ羽根達が持った得物に治癒の魔力が宿り、それが中央の少女へと金色の輝きとなって向かう。

 光が着弾した時、少女の体の震えが弱まり呼吸も和らいだ。

 ほんの一瞬だけ。

 

 

「-------------------ッ」

 

 

 眼が見開かれ、背中が大きく仰け反る。開いた口からは黒々とした血液が吐き出された。

 背骨は折れそうなくらいに曲がり、少女は無音の絶叫を上げていた。

 肌の上を直に覆った、黒味を帯びたワイン色のタイツは汗でじっとりと滲んでいた。

 そのタイツの下では肉が蠢いていた。腹と脚、腕を覆うタイツが至る所で小指大の隆起を見せ、それが小さな生き物のように移動し増殖していた。

 腐肉を喰らう蛆虫の様子を、連想せずにはいられない光景であった。

 

 

「…どうなってんだよ、あいつ」

 

「あいつじゃない。環さん。環いろはさん」

 

「じゃあ聞くけどさ。ありゃなんだ?生き物に喰われてんのか?」

 

「答える気は無い」

 

「力になれるかもしれねぇだろ」

 

「そのザマで?」

 

「その言葉はそっくり返してやるよ」

 

 

 宴会場の隣。どこか学校の教室に似た造形の開けた空間にて一同は終結していた。

 白羽根と黒羽根の円陣から少し離れた場所で、魔法少女姿の佐倉杏子と黒江は壁を背にして座っていた。

 険悪な雰囲気であったが、杏子の態度には確かな軟化が見えた。

 だが今の二人の有様は酷いものだった。杏子は既に左腕を欠損していたが、それに加えて右脚も膝から下が無かった。

 脇腹も肉が抉られ、包帯で巻かれてはいたが布のすぐ下には外に漏れかけの臓物があった。

 黒江も両腕を肩から喪失しており、右頬も大きく裂かれてまるで肉食動物の口のように広げられていた。

 

 

「……あー……」

 

 

 杏子は隣に視線を送ると、そんな声を出した。

 黒江はそれを奇行と思い、怪訝な視線を送った。

 

 

「何?五月蠅いんだけど」

 

「悪い、やり過ぎた」

 

「……何?」

 

「やり過ぎた。あたしが悪かったよ。ごめんな」

 

「………」

 

 

 どういう風の吹き回しだろうか。黒江はそう思った。

 佐倉杏子と会うのはこれが三度目だが、うち二回は殺し合いに発展していた。

 初戦では黒江は杏子の顔の皮を剥ぎ、黒江も反撃で手傷を負った。

 二回目は戦場となったプレイアデスの本拠地を半壊させるほどに暴れ狂い、両者は互いの内臓を引き摺り出し合った。

 その後は黒江の部下らしい、黒と名乗ったこれもまたローブ姿の魔法少女のとりなしによって両者は手を引く羽目となった。

 今回もいろはを担いできた黒江が杏子を見た瞬間に沸騰し、死闘が展開された。

 幸いであったのは、負傷の程度で言えば二人は日ごろのものと比べれば比較的軽傷であり、戦闘時間も二分程度で済んだ事であった。

 そうなった原因とは。

 

 

「痛むか、ナガレ」

 

「別にって言いてぇけど、少しな」

 

「素直でよろしい」

 

 

 杏子と黒江から少し離れた場所では、二人と同じように壁に背を預けたナガレがいた。

 彼はと言えば、両手の指先から肘までを包帯で覆われていた。

 その隣では、彼の手に包帯を巻いている麻衣がいた。

 包帯を巻かれたナガレの腕や指は微妙に歪んでいる。折れているのだろう。

 その近くでは、佐木京が立っている。

 ナガレを介抱する麻衣を、瞬きをせずにじっと見ている。

 麻衣の額には汗があったが、それは京の執拗な視線に晒されているからに違いない。

 

 

「…分かった。私の方こそやりすぎだった」

 

 

 そう言って黒江は軽く頭を下げた。

 杏子の様子に感化されたのと、京の様子を見て争いの火種を灯す事の虚しさを感じたようだ。

 前者は兎も角として、何が平和の使者となるか分かったものではない。

 

 

「ところで、あのオリ主みたいなのは?」

 

「あたしの彼氏」

 

「……大丈夫なの?」

 

 

 黒江の声には心配があった。

 会敵時に杏子を狙って放った一撃を受け止めたのも、殴り飛ばした杏子へのトドメの一撃を防いだのもナガレであった。

 

 

「ああ、よく」

 

 

 仲良く殺し合ってる。何の疑問も無しに杏子はそう答えようとした。

 それが自分たちのセックスだから。

 愛してるからグッチャグチャになるまで何時間でも何日でも殺し合って、互いの血と体液に塗れて抱き合って死んだように寝る。

 それがもう楽しくて愛おしくて堪らない。もうこの感覚からは抜け出せないし抜けたくない。

 完全な正気のままで、確信と恋慕の想いを込めて杏子はそう黒江に告げるつもりだった。

 そう言っていたのなら、間違いなく杏子の好感度は再び失墜し、この異常な愛を受け入れているナガレは異常を超えた異常な性癖の持ち主と判断された事だろう。

 

 

「環さぁぁあああああああんんんんんんん!!!!!」

 

 

 部屋のドアが開き、絶叫と共に緑色の疾風が室内に訪れた。

 瞬間、杏子の隣は空白地帯となった。黒く禍々しい風が、叫ぶ緑へと躍り掛かっていた。

 

 

「死ねえぇぇええええええええええアリナぁぁあああああああ!!!!!」

 

 

 叫ぶ黒江はドッペルを展開し、拳となった翼でアリナの顔面を殴打していた。

 倒れたアリナへと向け、人の上半身よりも大きな拳を振り下ろす。

 

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇええええええええええええええええええ!!!!」

 

 

 凄まじい憎悪と共に、巨大な拳が機関銃の勢いで振り下ろされ続ける。

 それは佐倉杏子へと向けた怒りと憎しみなど、到底及ばない煮え滾った感情の発露であった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第83話 進撃する炎

「…これで、大分落ち着いたハズなんですケド」

 

 

 肩を激しく上下させながら、アニメのキャラクターのような運動服を着たアリナ・グレイはそう言った。

 垂れ下がった両腕の両手の指先からは、緑の燐光が輝いていた。彼女の周囲を数十人の羽根達が取り囲んでいたが、彼女たちはアリナ以上に疲弊していた。

 両手を軽く振って、魔法の残滓を拭い去る。

 アリナの前には、台の上に横たわる環いろはがいた。

 顔は汗で濡れ、魔法少女服を纏った全身もまた似た様子である。

 苦痛は残っているようだが、確かに容体は安定している。

 タイツの下を這い廻っていた、蛆虫のような蠢きも姿を消していた。

 

 

「これで暫くはイブも大人しくなる筈なんだヨネ」

 

「治せないの?」

 

 

 アリナの言葉に、刺々しい口調で黒江が噛み付いた。

 

 

「治すって事はイブを殺すことで、それはつまり」

 

 

 そこでアリナが言い淀む。彼女が腕に装着した腕時計状の端末が光を放った。

 

 

『>イブの死は環いろはの死と同義です』

 

 

 アイという名の人工知能がアリナの言葉を引き取った。

 金属質な声であったが、残酷な答えを告げる声は悲痛な響きを孕んでいた。

 黒江は歯を軋ませた。奥歯が砕けるほどに、強く噛み締めている。

 

 

「よく分かんねぇけど、つまりアレかい」

 

 

 杏子が人垣を避けて近寄った杏子が黒江の横から声を掛けた。

 

 

「そのイブってのをどうにかすりゃ、いいんだな?」

 

 

 幾多の視線が杏子へと向けられた。

 見ていないのは、環いろは本人とアリナだけである。

 

 

「…出来るの?」

 

 

 気丈ではあったが、黒江のそれは縋りつくような響きに満ちている。

 

 

「あたしじゃねえけど、前に似たようなことをなんとかした奴がいる」

 

 

 どこか誇らしげな言い方だった。

 それだけで、ネオマギウスの一同はその言葉の矛先が誰かが分かった。

 疑念、心配、嫌悪。凡そ正のものではない感情を有した視線が、その対象へと向けられる。

 それは既に人混みを抜け、アリナの背後に立っていた。

 

 

「どうすりゃいいんだ。何でも言いな」

 

 

 向けられている全ての負の感情を一顧だにせず、それでいて功名心の欠片も無い。

 ただ、生来の力強さに満ちた声でナガレはそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行け行け行け行け行け行け!!!」

 

 

 少女の絶叫が響き渡る。

 号令を上げた少女の背後から、数人、十数人、そして数十人の少女達が押し寄せる。

 フードの下の髪の色こそ様々だが、赤い袖出しのベストと黒い長ズボン、そして口元を覆う赤いバンダナが共通していた。

 布には開いた肉食獣を思わせる牙が描かれている。それはまるで、自らを悪鬼の軍勢としているかのようだった。

 可憐だが恐ろしい少女達が掛ける傍らで、炎と爆風が躍り狂っていた。

 

 赤い空が何処までも続き、乾いた土と地面から露出した岩が地平線の彼方まで続く荒涼とした世界。

 炎と爆風は地平線の奥から訪れていた。巨大な岩のように見えたそれは、分厚い装甲で覆われ、幾つもの砲台を備えた要塞だった。

 砲台は休みなく稼働し、魔力による砲弾を吐き出し続ける。

 

 地面に当った瞬間に炸裂し、内部に詰められた破壊の力と砕いた鉄片が爆風と共に吹き荒れる。

 悪鬼の少女達は防御魔法を展開していたが、運悪く近くに着弾した者は破壊の洗礼を受けていた。

 手足が千切れ飛び、血と肉を撒き散らしながら土砂と共に宙を舞う。

 落下してきたそれを仲間が受け止め、治癒魔法を発動。

 

 奇跡のように手足が繋がり、同時に増血も施されて蒼白の顔に血の気が戻る。

 動けるようになった瞬間に戦列に復帰し疾駆を再開する。

 死の淵から戻ったばかりの少女であったが、悪鬼を模した口元からはその外見に相応しい絶叫が放たれた。

 それは攻撃者への報復心と敵対心で彩られていた。

 だが叫びの感情の中核は、コールタールのように重く粘ついた恐怖心であった。

 恐怖は敵に対するものではなく、それは寧ろ…。

 

 飛来する砲弾へ、少女達は一斉に曲刀を投じた。一抱えもある砲弾が串刺しにされて空中で炸裂した。

 抜け出てきた砲弾に、少女の一人は跳躍し両腕を振り下ろした。

 装備されたチェーンソーが砲弾の魔力の中枢を貫いて無力化させる。

 少女達の動きは連携が取れ、更には敵の武装を理解し破壊する知恵と実行する力を備えていた。

 さながら、強力な軍隊である。そんな少女達であったが、上半分だけに見える顔には焦燥感が滲んでいた。

 もっと早く、急げ、急げと何かに脅かされているような。

 

 進撃する少女達は、遂に要塞の間近まで接近した。

 あと数百メートルと迫った時に、要塞の前の地面が盛り上がった。

 土を撥ね飛ばして顕れたそれがトーチカであると気付いたとき、前線の少女達は金色の閃光に染められた。

 トーチカに搭載された砲台からは、弾丸ではなく広範囲を焼き尽くす雷撃が放たれていた。

 

 

「あらよっとぉー」

 

 

 雷撃に包まれる寸前、悪鬼の少女はそんな気だるげな声を聴いた。

 少女達の顔が、恐怖と信頼とが等配分された表情となる。

 その表情を、真紅の輝きが赤々と染めた。

 放たれた雷撃に巨大な炎が喰らい付き、引き裂いて喰らい尽くした。

 

 

「おぉいお前らぁぁ…ちょーっと気ぃ抜けてんぞぉぉ…」

 

 

 ダルそうにそう告げたのは、炎の意匠を有した中華風の装束を纏った少女だった。

 背中からは翼が、腰からは龍を模したと思しき尾が垂れ下がっている。

 手に持った赤く細いパイプの先端からは火花が散っていた。

 放たれた炎は、この少女によるものだった。

 炎はなおも暴れ狂い、出現した二つのトーチカへと向かってそれを覆い尽くした。

 迎撃の雷撃も抵抗虚しく喰らわれ、炎を更に拡大させる始末であった。

 巨大化した炎は東洋龍の姿となって炎を撒き散らしながら咆哮した。

 地面が揺れ、更に複数のトーチカが出現する。

 新たな獲物を見つけ、巨龍は歓喜の叫びを上げて襲い掛かった。

 

 

「さぁて、樹里サマの魔法が暴れてくれてっから…ここいらで少し休みでついでに、今一度目的を説明すっからなァ」

 

 

 炎の龍を呼び出した少女…樹里は、地面から露出した岩の上に腰掛けて言った。

 腰をかがめて足を開いてのだらしない座り方だが、貫禄に溢れていた。

 その前に四十人を超える悪鬼の貌の少女達が並んでいる。

 焼け焦げた大地の匂いに混じって、恐怖による汗の匂いが香り始めた。

 この場の誰もが樹里を恐れているのであった。

 

 

「あのふざけた要塞、神浜第九監獄をブチ破ってぇ…中にとっ捕まってるクソゲスマギウスの腐れ羽根どもを引っ攫う。それでもって、自由になった方々をちゃあんともてなしてやらねぇとなぁ」

 

 

 淡々とした口調だったが、樹里の貌は悪鬼の笑みを浮かべていた。

 口は少女達のバンダナに描かれているように大きく開き、鋭い歯が周囲で舞い踊る炎によって輝いていた。

 

 

「アオをあんな目に遭わせた奴ら…………ただ燃やすだけじゃ、ちょっと、芸が無い……よなぁ?」

 

 

 樹里の問い掛けに、誰もが反応しなかった。

 ただ主を、片時も離さずに見つめるしかできない。

 

 

「あ、そうだ。まずは身体を綺麗に洗ってやってから、皮をペリペリーってゆっくり綺麗に剥いで、口の中にこれを突っ込んで」

 

 

 手に持った火炎放射器の先端を、樹里はひょいと掲げた。

 

 

「とろ火でじっくり丁寧に、中身をウェルダンに焼き上げてやる。焼き加減は、剥き出しになった肉を見ながら要調整だな。こう見えても樹里サマは料理も出来っから、ま、なんとかうまくいくだろうさ」

 

 

 何の躊躇いもなく樹里は狂気を言葉に出した。

 冗談としか思えない事であったが、誰も笑わず身じろぎもしない。

 この場の誰もが、これが冗談ではないと分かっているからだ。

 そしてこの場にいる者は、実際にその光景を目にした者が殆どである。狂気に圧倒され、身体が震えているのが新入りだろう。

 

 

「中身だけをこんがり焼いたら、皮を戻して洗濯して綺麗にした服を着せてあげるのさ。中はウェルダンだけど、外側は綺麗な焼死体ってヤツだ。心配すんなよ、殺しちゃ勿体ないからちゃんと生かしておくさ。その様子は全部動画と写真に撮って、全部終わったら鑑賞会兼打ち上げだ」

 

 

 会場の準備とか菓子の買い出しのメンツを決めねぇとなぁ。

 面倒くさそうに、そして楽しそうに樹里は言った。楽しそうに嗤うと、一息を吐いた。

 

 

「…ま、こうしても、アオは苦しみ続けるのは分かってるけどよぉ…今この時も、世界のどこかでアオが血塗れになりながら死体を切り刻む動画と画像を見て、汚ぇブツをおっ勃てたり股濡らしたり…汚ぇ声上げながら扱いて擦って、液晶や印刷した画像に汁をブチ撒けてる糞野郎共に糞女共がいるんだよなァ……それは、樹里サマにはまだどうにも出来ねぇ」

 

 

 樹里の静かな声に、誰もが恐怖の虜となっていた。

 残虐な言葉を連ねた時よりも、今の静かなる怒りの方が遥かに恐ろしい。

 部下たちの正気が保たれているのは、樹里が敵ではなく味方であるという安心感がある為だった。

 樹里の怒りに部下たちも同調していても、この存在を敵に回してしまったマギウスと監獄の者達には同情を禁じ得なかった。

 

 

「さァて、休憩終わりだ。ちゃっちゃとあの要塞を」

 

 

 立ち上がりながら振り返る樹里。

 視線の先の光景に、彼女は思わず言葉を閉ざした。

 

 

「…なんだァ……?」

 

 

 怪訝な声を出す樹里。

 そこで部下たちも気が付いた。

 先程まで、噴火した火山の流弾の如く放たれて砲撃がぴたりと止み、周囲には静寂が訪れている。

 著しいに過ぎる環境変化に、樹里の恐怖から脱出しかけていた部下たちの間に不気味さによる新たな恐怖が漂い始めた。

 

 

「ま、いいや」

 

  

 どうでもよさそうに樹里は言った。途端に、部下たちの呪縛が解けた。

 何が来ようが、リーダーに敵うものなどいやしないという絶対的な信頼がある為に。

 

 

「どっちにせよ樹里サマ達には好都合だ。んじゃ、攻撃再開と」

 

 

 要塞から背を向け、部下たちに告げていた言葉はそこで途切れた。

 言葉を紡いでいた樹里の口を、血に濡れた刃の長い刀身が貫いていた。

 盆の窪を貫き樹里の口から生えたそれは、血に塗れてはいたが炎のそれとは真逆の、水面が光を跳ね返すような冷え冷えとした銀の輝きを放っていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第84話 炎貫く稲光

「プロミスドブラッドにより、第三次防衛ラインが突破されました!」

 

「迎撃用トーチカ、一番から五番までが崩壊!」

 

「大庭樹里のマギアによるものと思われます!」

 

「マギウス本部との通信、なおも回復しません!」

 

 

 室内は騒然としていた。

 明治時代から設けられた政治犯収容所の神浜監獄。

 その趣を今にも残した古風な室内では、黒羽根達が足繁く動き上司である白羽根達に報告していた。

 数にすれば白羽根が五、黒羽根が四十五。

 室内の中央には大きな机が置かれ、その上には最新の情報が映像や文字となって浮かび上がる。

 その机の前で、一人の白羽根が視線を落としていた。

 ローブに包まれてはいたが、裾からは眩く輝く金色の髪が見えた。

 

 

「トーチカ、半数が沈黙!」

 

「大庭樹里のマギア、接近!」

 

 

 次の瞬間、魔法少女達の足元が僅かに震えた。

 机の上には、炎で出来た東洋龍が要塞に牙を立てた瞬間が映っていた。

 今は微かな震えであったが、各々が所属する学校の校舎よりも巨大な要塞が個人の攻撃で振動をさせられた事が、魔法少女達の間に動揺を走らせていた。

 

 

「はーい、ちょおっと落ち着こうね」

 

 

 動揺する羽根達の間を、落ち着いた間延びした声が通った。

 その発生源へと、羽根達は一斉に視線を送る。

 声を発したのは、机に視線を落としていた白羽根だった。

 前屈みの体勢が直立へと変わる。

 並ぶ羽根達の身長は百五十から百六十五センチ程度であったが、その白羽根は他の者達よりも群を抜いて身長が高かった。

 

 百七十センチは軽くあり、他と比べたら子供と大人の差があった。

 身長差によって、他の羽根達は彼女を見上げる形となる。

 自分の高身長によるその視線をおかしく感じたか、その白羽根はくすっと笑った。

 その様子に、周囲の羽根達の緊張感が和らいだ。

 それを見越して、この白羽根は微笑んでいた。人心を操作することに対して思う事が無いわけでもなかったが、この場の指揮官であるという自覚を以て、ほろ苦い感情を飲み込んだ。

 

 

「さて、言葉だけじゃなくって」

 

 

 言いながら、白羽根は壁際へと歩いていく。

 

 

「看守長、それは」

 

 

 静止しようとした黒羽根が背後の白羽根に肩を掴まれて静止される。

 振り返った黒羽根に白羽根は頷きで応えた。信頼に満ちた力強い頷きだった。

 看守長と呼ばれた白羽根が壁に達すると、古い石造りを模した壁が歪み、切り取られたかのように壁面が消失した。

 三メートル四方に渡って壁が消えた先には、熱風渦巻く戦場があった。

 

 真紅の空を蛇行する炎の龍が異変を察知し、そこへ向けて一気に飛翔した。

 背後で幾つかの悲鳴が上がったが看守長は動じず、右手を前に突き出した。

 ローブの裾から出た五本の繊手は、黒い柄の銀の斧を握っていた。

 優美さを備えた魔法少女の武器の中でも特に美しい代物だった。

 

 右手に持った斧が斜め上方に向けられる。途端に、矛先が向けられた天空から雷撃が迸った。

 それは接近する龍の傍らを通り過ぎ、掲げた斧へと着弾した。

 看守長の全身が雷撃で覆われ、彼女の身体は女体の形をした稲妻となった。

 そして身に受けた雷撃の力を、身体を通すことで更に魔力を増強させて斧へと集中。

 極大の雷撃を宿した斧を空高くへと投じた。

 

 

「ま、ざっとこんなものかなぁ」

 

 

 そう告げたのと、投擲された斧の着弾によって真紅の龍が弾け飛んだのは同時であった。

 羽根の多くは、何が起こったのかを認識できていない。

 魔法の発露から樹里のマギアの撃破まで、要した時間は二秒と掛かっていなかった。

 

 そしてこの時、羽根達は空中で爆散した龍型のマギアを見てはいなかった。

 雷撃によって燃え尽きていく白いローブ。

 その中から顕れたものの姿を見つめていた。

 

 金の長髪、女性としての魅力に溢れた肢体と豊満な胸。

 その身を包むのは、物語の中に住まう妖精のような衣装。

 

 

「家族の為にも、頑張らないとねぇ」

 

 

 のほほんとした口調を崩さずに少女は言う。

 圧倒的な力を発した事で部下に与えていた恐怖も和らぐ。

 支配の為に恐怖を利用する大庭樹里とは真逆の性質を持つようだ。

 

 

「葉月様…」

 

「そこ」

 

 

 陶酔しきった白羽根の声。

 その唇に、葉月は人差し指をそっと重ねて直ぐに離した。

 二人の距離はかなり隔てられていた。

 間には複数の羽根もいた。

 だがその誰にも触れず、触られるまで白羽根は葉月に気付かなかった。

 驚異的に過ぎる速度であった。

 羽根の何人かは、彼女の体表で弾けた雷撃の残滓を見る事が出来た。

 自分の身体を弾丸と捉え、電磁を纏って超加速を行ったのだろう。

 本来ならかなりの消費を被る力であったが、葉月に疲弊した様子は全く無い。

 

 

「様なんていらないよぉ。呼び捨てか、精々さん付けで十分」

 

 

 子供に言い付けるような言い方で優しく告げる。

 身長差も相俟って、それこそ大人と子供、ひいては親子の対比にも思えた。

 

 

「敵は強大でマギウス本部と連絡が取れないのは心配だけど、この場のメンツでどうにかしよう」

 

 

 葉月は現状を認めた上で、独力での解決を宣言した。

 強い口調は微塵も無く、どこまでも自然な言い回しだった。

 

 

「君達となら、勝てる」

 

 

 その上で、勝利を断言した。これも穏やかな口調だった。

 羽根達は次々に頷いた。勝利への声高な叫びは上がらない。

 全員が勝つために動こうと決意し、命を掛けることになんの疑いも持たなくなった。

 上手くいったと葉月は思った。部下たちを命を惜しまぬ死兵へと変えたことによる胸の疼痛は、実際に心臓を刺し貫かれたようであったが顔には出さないように努めた。

 ここで死ぬわけにはいかない。職務はやり遂げねば。

 非情さと心の痛みを覚えながら、葉月は現実に向き合うことを改めて決意した。

 

 

「苦戦なさっているようですね」

 

 

 部下たちへと指示を出そうとしたその時に、その声は投げ掛けられた。

 月光を浴びて青々と輝く、澄んだ水のような声だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第85話 椿

「苦戦なさっているようですね」

 

 

 一点の穢れも無い澄み切った水。それに差し込む青白い月光。

 それはこの世にあってこの世に無い、幻想のような美しさを彷彿とさせる声であった。

 その声は、左右に別れた人垣の先にいた。遊佐葉月の元で鍛えられた白羽根と黒羽根達は既に武器を手に取っていた。

 全ての切っ先は、声を発した者へと向けられていた。指示があれば、即座に排除へと向かう手筈が既に整えられている。

 

 五十人の魔法少女達の間には緊張が漲っていた。視線の先の存在から、彼女らは片時も目を離さない。

 そこにいたのは、これもまた白いローブ姿の少女だった。多数の殺意に晒されていながらも、ただ悠然と立っている。

 何時からいたのか、それは誰にも分からなかった。

 俯き気味のため、表情すら伺えない。

 ただこの白羽根の声は誰もが知っていた。

 だからこそ、全員が脅威と見做しているのであった。外敵に襲撃されている、今この状況においてさえも。

 

 

「お久しぶりだねぇ。お元気だった?」

 

 

 緊張感を無視したような声色で葉月は言った。

 相手は何の反応も示さない。

 指揮官への無礼な態度に何人かの羽根達が憤ったが、近場の羽根が暴発はするなと思念で制止を促す。

 

 

「色々と話は聞いてるけど、まずは無断外出の件を報告した方が良さそうだね。そうしないと、怖い人たちに怒られちゃうから」

 

 

 親しみを込めて、それでいて悪戯っぽく葉月は言う。

 何人か、いや、半数以上の羽根達が背筋を凍えさせた。

 怖い人たちというのはマギウスの懲罰部隊であるマギウス司法局、通称『MJD』に違いなく、彼女らの名声という名の悪名と『戦果』は轟いているからだ。

 更に司法局の面々が捕獲した連中は、この神浜第九監獄に収監されている。

 捕縛されて引き渡された処罰対象者の有様を最初に目撃するのは、当然ながらここで勤務に当っている葉月以下の魔法少女達であり、MJDの被害者たちの様子は何度見ても慣れることがない。

 ここで勤務する者達は組織の中で最もMJDと接する機会が多く、彼女らも親しみを持ってくれているようだが、血塗れで火傷に覆われ、肉片や液体同然にされて苦しむ呻く魔法少女を引き渡されるのは遠回しに離反への警告をされている気分だった。

 

 

「まぁここに来られたって事は、ここへのアクセス権は残ってるって事だから…案外大丈夫かもねぇ」

 

 

 なおも無言の白羽根に向けて、葉月は更に言葉を紡ぐ。

 

 

「それでなんだけど、今はご指摘の通りの状況でね。文字通りの戦線復帰って事で、一緒に戦ってくれると心強いよ」

 

 

 手を差し伸べる葉月。

 離反者ではなく仲間として葉月は白羽根を扱った。

 大事なのはここを生きて切り抜ける事であり、無用な争いをすべきではないのであった。

 仮に白羽根に処罰が下るとしても、それは自分の仕事ではない。

 利用できるものは全て利用し、敵に勝たねばならないのである。

 

 もし大庭樹里一行が施設内に侵入し、囚人を解放されたのなら囚人達は看守である自分達に襲い掛かるだろう。

 監獄側は相手を殲滅ないし無力化しなければならないが、相手は囚人達を解放すれば勝利となる。

 現状は防御力で勝っているとしても、既に敵は要塞に肉薄している。

 刻一刻と、形勢は監獄側に不利となっていた。

 

 

「ああ、その事ですか」

 

 

 澄んだ声で白羽根は応じた。

 

 

「んー?」

 

 

 と葉月は首を傾げた。可愛らしい様子であったが、内心には疑念があった。

 僅かな応酬であるのだが、どうにも会話が成立している気がしないのだった。

 まるでなにか、機械か人形相手に話をしてるかのような。そもそも、生き物を相手にしている気がしない。

 気の迷いだと葉月は思い直す。

 相手の反応を待っていると、白羽根の顔がくいと上がった。

 

 

「許可なら、いただいております」

 

 

 白い肌が見えた。白磁の肌という言葉があるが、それを体現したような、いや、そのものに等しい質感と色の肌だった。

 非生物的な、美しい金属にも思える白い肌の中で、唇だけが赤かった。

 赤と黒の狭間、最も赤く最も黒い赤。深紅の色の唇だった。

 それと同色の物が、空中に投ぜられていた。

 視認した瞬間、葉月は雷撃を身に纏った。

 超高速の斬撃が放たれる、その瞬間だった。

 

 

「白椿」

 

 

 言葉を聞いたとき、葉月の手足は宙を舞っていた。

 鮮やかな鮮血が飛沫となって舞い上がる。

 それは黒羽根や白羽根達も同様だった。

 手足が吹き飛び、赤い飛沫が飛び散り大気に血潮の香りが満ちる。

 

 

「美しい」

 

 

 赤い唇が優雅な微笑みを浮かべていた。地面に落下した、四肢を喪った葉月はそれを見た。

 赤い絨毯を敷き詰めたように、赤い色が室内に広がっていく。

 

 体内から流れる血は、ただ一人立つ白羽根の足元にも辿り着いた。

 血の湖面は鏡となって、四肢を切断された少女達の中央に立つ孤影を映す。

 左右の手には一振りずつの日本刀が握られていた。

 赤い糸が巻かれた、左右で異なる長さの刃。

 輝く水面を思わせる銀の刃は、自らが切り刻んだ者達の姿を鏡のように映していた。

 

 苦痛の叫びが至る所で上がる中、葉月は顔の前に落ちている物体を見ていた。

 赤黒く汚れていたが、それは黒いリボンを巻いたブラウン色のロングヘアの少女だった。それも年齢的にはこの場の誰よりも幼い少女。

 その少女の、切断された頭部だった。首としないのは、切断箇所が鼻と唇の間であるからである。

 両眼は抉られ、黒い孔となっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第86話 圧する力

「まぁ…有体に言いますと」

 

 

 落ち着いた声音の少女の声が小さく響く。

 声の背後に重なるのは、同じくらいの年齢と思しき少女達の絶叫。

 

 

「ざっとこんなもの、といったところでしょうか」

 

 

 声とほぼ同時に、肉と骨が砕ける音が鳴った。

 砕かれた顎からの血を曳きながら、大庭樹里は宙に舞っていた。

 トーチカの残骸の上に背中から落下し、折れた歯と共に血を吐き出す。

 吐き出された血と歯の破片が落下し、彼女の顔を赤黒く染めた。

 尤も、今の樹里は既に全身がそんな有様だった。

 

 背中の翼と尻尾を模した衣装の部分は引き千切られ、そこから覗く地肌も抉られて赤い筋線維と折れて突き出た白い骨を見せている。

 両の拳は砕けている。手の甲が圧搾された様子を見るに、手を組み合わせての力比べに敗北したためだろう。

 両膝は半ばあたりでくの字に折れ曲がり、肉を突き破って骨が飛び出している。

 胸の意匠が内側から盛り上がっているのは、飛び出た肋骨のためである。

 顔も大きく腫れ上がり、両眼は膨張した肉の隙間から僅かに覗く程度の無残な有様。

 魔法少女チームの中でも屈指の武闘派で恐れられる大庭樹里が、完敗を喫していた。

 

 

「…失礼に聞こえたら、誠に申し訳ないのですが」

 

「……アァ……?」

 

 

 満身創痍の樹里の傍らで、少女の声。

 樹里には、身を屈めて問いを発する白いローブの少女が見えた。

 眼深に被られ、顔の造形するら伺えない中、唇だけが夜空の紅い月のように赤々と輝いて見えた。

 

 

「全力…いえ、今日は本調子ではなかったのでしょうか?」

 

 

 その声に嘲りは無く、ただ本心からの申し訳なさと心配さが伺えた。

 だからこそ、樹里の心は瞬時に沸騰した。

 全ての痛みが消え去り、殺意と戦意が燃え上がる。

 

 

「グァァアア!!」

 

 

 怒りは叫びとなった。そして彼女に力を齎した。

 爆発した感情は多大なストレスとなり、彼女の内に煮え滾る炎を宿らせた。

 生命の象徴である心臓が動力炉となり、骨と血管の中を灼熱が迸る。

 そして破壊された両手が真紅と化した。その矛先は、傍らで屈む白羽根に向けられていた。

 

 

「燃えろ!!」

 

 

 剥き出しの肉の中から灼熱の炎が発せられ、瞬時に白羽根を包み込んだ。

 叫びながら、樹里は文字通りの怒りの炎を浴びせ続ける。

 怒りの中、樹里は今の炎の威力は如何ほどかと考えた。

 今の感情には、義理の妹に非道な仕打ちをした連中への怒りも混じっている。

 関係があるかは関係ない。マギウスであれば怒りに足るには十分だった。

 

 それを鑑みて計算すると、ウワサのや魔女の数十体は飲み込み素材も残さず焼き尽くす力が込められている。

 その炎の中から炎の紅とは相反する、病的なまでに青白い五指が伸びた。

 皮膚には一片の爛れや火傷もなく、灰や死人、そして金属を彷彿とさせる非生物的な光沢を帯びている。

 その指は樹里の首を掴み、一気に彼女を宙吊りとした。

 

 

「なるほど」

 

 

 炎の中から、淡々とした声が響いた。落胆のそれではない。

 ただ現状を理解し、納得したという言葉であった。

 樹里はなおも炎を浴びせている。怒りと殺意は増大し、明らかに不利な中にあっても衰えを知らない。

 だが、彼女の発する力とは裏腹に、白羽根を包む炎は弱まっていった。

 喰われている、と樹里は思った。

 縮小し薄まっていく炎の奥に、ローブを纏った少女の姿の輪郭が浮かび上がっている。

 

 纏われたローブが、炎の中で白い光となって消えた。

 ほぼ同時に、炎も消えた。最初から何も無かったかのような、自然で異常な消失だった。

 触れれば燃え上がるほどに熱せられていた、大気の熱も消えている。

 

 

「て、め、ぇ、は……」

 

 

 締め上げられながら、樹里は言葉を絞り出す。

 この状況でありながらも、声は殺意に満ちた刺々しさを持っていた。

 それを受けた者の表情は、対象にこの上なく涼しげだった。

 何も聞こえず、何も感じていないような。

 

 その者は、青い衣装を纏っていた。

 花弁を模した紋様があしらわれたスカート、細い脚を包むタイツ、着崩した着物のような上衣。

 露出した肩に通されているのは、着物とは異なり洋風の衣装。

 全てが青と白で構成された衣装であった。

 真っ白い、文字通りの白磁の肌で覆われた肩にそっと触れるのは、鮮やかな青の蛍光色のセミロングヘア。

 

 

「マギウスの白羽根、常盤ななかと申します。以後お見知りおきを」

 

 

 優雅且つ、謙虚な響きの声であった。

 だがこの時、樹里の視線は少女、常盤ななかの眼に吸い付いていた。

 青で覆われた少女には、それ以外の色を纏った部分があった。

 一つは、鮮血の如き鮮やかな唇。それ自体が美しい花の花弁のようだった。

 

 そしてもう一つは、彼女の眼。

 眼鏡が通された眼もまた、赤だった。

 だが、それは正確には眼では無かった。常盤ななかに眼球は無く、眼窩には闇が満ちていた。

 闇に覆われた眼窩の奥で、紅い光が爛々と輝いていた。

 左右の眼窩に一つずつのそれで、常盤ななかは世界を見ていた。

 何の感情も読み取れない、虚無の眼。

 視認していながら、何も見ておらず感じていない。心というものがあるのかすら、樹里には分からなかった。

 

 

「御挨拶のついで、というわけではありませんが」

 

 

 言いながら、樹里を右手で吊り上げつつななかは歩く。トーチカの淵へと彼女の足が達した。

 その下からは、多数の悲鳴と叫びが、絶望の怨嗟の声が聞こえた。

 それらの発生源は、樹里が率いていたプロミスドブラッドの面々。

 苛烈な訓練、凄惨で陰惨な抗争の果てに大庭樹里への恐怖によって支配された悪鬼の少女達は、全員が四肢を切断され、胴体を分かたれて血と臓物の海に沈んでいた。

 自分と他者の血と体液と汚物に塗れ、絶え間ない激痛と死を懇願するほどの苦痛に苛まれている。

 これが全て、常盤ななかによって一瞬で齎されていた。

 樹里の眼下に広がるのは、この世に顕現した地獄の光景だった。

 

 

「お見せしたいものがございます」

 

「んだと、てめぇ…」

 

 

 この上で何を。そう思った時に異変が生じた。

 樹里は自分を掴むななかの手から、異様な気配を感じた。

 それは彼女の魔力であったが、どの魔女や魔法少女からも感じた事のない、膨大な力。

 その力の感覚には覚えがあった。

 

 赤々と、そして轟々と燃え盛る炎。

 圧倒的な熱と力を帯びた存在に、恐怖を感じて心を奪われた時と同じ。

 常盤ななかという少女の肉を突き破って、過負荷を厭わずに荒れ狂う力。

 それに触れら時に樹里は悟った。

 自身が発した炎は、これによって軽々と吹き散らされたのだと。

 例えるなら、細い蝋燭に灯った火が、隙間風で消された様な。

 

 その魔力はななかの脚を伝って地面に至り、そこから下方へと流れて行った。

 そして広がる血の海の中で何かが蠢いた。それは瞬く間に盛り上がり、地面で蠢く魔法少女達を見降ろした。

 その姿は、倒れ伏した少女の生き写しであった。但し、全身を染める色は赤一色。

 衣服や体格、顔の造詣は鏡写しのそれなのだが、色は血の赤で統一され、表情は…。

 

 

「……やめろ」

 

「?なんでしょうか」

 

 

 ななかは首を傾げた。声だけは心配の感情に満ちている。

 

 

「やめろってんだよ!!」

 

「ふむ」

 

 

 激情の樹里に対し、ななかの声は平坦そのもの。

 先程までの心配の声色など、そこには残っていなかった。

 

 

「そのムカつく笑顔をよォ!!」

 

 

 樹里が叫んだ時、血の海には倒れた部下と同数且つ同一の外見の血色の少女達。

 そして彼女らは一様に、緩く弧を描いた唇で微笑を浮かべ、ななかと同じ深紅の眼で樹里を見上げていた。

 

 

「では彼女らの願いを、叶えてさしあげてもらえないでしょうか?」

 

 

 樹里の激情を一顧だにせず、ななかは告げた。そして、樹里の首を掴んでいた手を離した。

 

 

「お好きになさい」

 

 

 重力に引かれて落下する中、樹里はそんな声を背後で聴いた。

 そして正面、落下によって接近する地面から伸びた、深紅の少女達の手と指を見た。

 それは樹里を歓迎し、受け止めた。

 その手が握られ、指が肉に食い込み、皮を引き剥がして内臓を抉り出したのは次の瞬間だった。

 樹里の咆哮も、肉体を損壊する粘着質な音が飲み込んだ。

 

 

「では」

 

 

 噴き上がる血と肉片、内臓の断片はななかの元にも降り注いだ。

 顔に付着した欠片は、大庭樹里の唇だった。それを拭いもせず、ななかは腰に差した愛刀を引き抜いた。

 一本の鞘の左右に刃が通された、奇妙であるが美しい青い鞘から、長刀と短刀が引き抜かれる。

 尚も降り注ぐ赤黒い人体の欠片とは相反する、清廉とした青白い刃であった。

 

 

「この世界を、心安らげる場所にいたしましょう」

 

 

 血肉の飛沫が降り注ぐ中、常盤ななかは身を屈めて二本の刃を足元へと突き刺した。

 ななかの身体から刃を伝い、彼女の力が神浜監獄を形成する異界の中へと流れ込む。

 これまで無表情のななかであったが、今の彼女の赤い唇には、春風のような朗らかな笑みが浮かんでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第87話 同調

「ところで、ほんとにあのガッデムファッキンプッシーキャットその①はデッドしたノ?」

 

『アリナ先輩、プッシーキャットっていうのは可愛い猫ちゃんを指す意味でもあるのなの』

 

「アイエエ!?really!?」

 

『だから先輩、罵詈雑言で言うならちゃんと日本語で言うのなの』

 

「え、ええと……」

 

『早く言えなの』

 

「……ふ、ふぁっきん、めすがき、マ〇〇……」

 

『ほんとに言うと思わなかったの。ドン引きなの』

 

 

 宴会場の一角にて、アリナの一人芝居が展開されている。

 そこから距離を取った場所で、人だかりが出来ていた。

 

 

「あの変態の言葉を引き継ぎますが、こちらがその証拠画像になります」

 

「ふむ」

 

 

 人の密集地帯の中心は呉キリカであった。その彼女に、傍らの白羽根は端末を渡した。

 

 

「あー、こりゃ中々にハードコア」

 

 

 黄水晶の瞳に移ったのは、仰向けに倒れた少女の体であった。

 赤と黒をベースとし、フリルをふんだんに用いたお嬢様のようなドレスは生地以外の赤黒に彩られていた。

 顔は唇から上が無く、頭部の断面からは桃色の舌が垂れている。

 倒れた肉体の背後に溜まる小さな血の池は、肘と膝のあたりにもあった。

 

 よく見ればその部分の衣装や肌には赤い線が奔っている。  

 丁寧に付けられてはいたが、四肢は切断されているのだろう。

 さらに注視すれば、広げられた指も関節ごとに切断されている。

 無惨に破壊した後で形を整えている所に、加害者の異常性が伺えた。

 しかし、キリカの視線は肉体よりも、切断されている頭部の隣に散らばる物体に注がれていた。

 血の池の中に、細かく砕かれた宝石が沈んでいた。

 それが意味するところは、つまり…。

 

 

「にしてもさぁ」

 

 

 端末を白羽根に返し、キリカは疑問の表情を浮かべた。

 

 

「こんな画像、よく手に入ったね。スパイでもいるの?」

 

「ええ。マギウスは無駄に人数も多いので忍び込むのは簡単でして」

 

 

 認めるのかよ、とキリカは思った。「しかし」と羽根は付け加えた。

 

 

「この画像の出処は別でして」

 

「エロサイトとか?」

 

「御名答」

 

「…はい?」

 

 

 キリカは冗談のつもりで言った。しかしそれは是であると言われた。

 

 

「海外のエロサイトに載ってました。多分というか内部の連中がリークしたんでしょう」

 

「あー…ええと」

 

 

 どこから突っ込もうかな、とキリカは考えた。

 なんでエロサイト観てるの?という問い掛けを内心で整理すると、自分も勉強用によく見てるから別に不思議じゃないとなった。

 少女の死体がそういったジャンルで投稿されている事に関しては、そういう性癖もあるだろうとキリカは納得した。

 となればと質問は決まった。幸いと言うべきか、答えはあちらからやってきた。

 

 

「このメスガキはめっさ嫌われてましたからね」

 

「正直、思い出すのも嫌でした」

 

「こいつに関しては憐れみは思い浮かびませんな」

 

 

 羽根達の口々の声。口調からして相当に嫌っていたようである。

 

 

「画像はこれ以外にもありまして」

 

「砕かれたソウルジェムや」

 

「首の断面の拡大画像」

 

「手足の接続を外して遊んだ様子など」

 

「五十枚ぐらいの差分がありました」

 

「うわぁ…」

 

 

 客観的に見てエログロの権化でもあるキリカであったが、自分でやる事と見ることはまるで違うらしく羽根達の言葉には引いていた。

 当然のリアクションなのだが、異常が通常のキリカであるのでまともな行動や情動が異常に思えるのだった。

 

 

「んなことやったら、また例のアレ……ええと、マギウス司法局縮めてMJDだったっけ。あの残念で残忍な変態集団に狩られるじゃないか。学習しないのかい?」

 

「多分今頃あの連中がお仕事してるのかなと思います」

 

「二度目ですが、マギウスは人数も多いですからね」

 

「その分アホで間抜けなお馬鹿どもも多いのです」

 

「まぁかくいう私達は」

 

「マギウスの落ちこぼれ集団だったのですが」

 

「あの変態…いえ、アリナさんに拾って貰えたのです」

 

「へぇ」

 

 

 キリカの一声は感心の響きを帯びていた。しかし一転し、黄水晶の眼に鋭い光が宿る。

 感心の対象も、眼光を鋭くさせた原因も同じ存在であった。

 

 

「ところで、アリナ」

 

「yes,my master」

 

「さっきみた画像が無惨だったけど、私に比べてたら可愛いもんだよねぇ…」

 

 

 触れれば即座に氷結しそうなほどの冷たい目で、キリカは眼の前のアリナに言った。

 遠くにいた筈のアリナは何時も間にかそこにいた。

 変態の為せる業だとして、誰も疑問に思っていない。

 

 

「あ、ええと……どれ、かな、かな?」

 

 

 一瞬にして顔一面に汗を浮かべたアリナは引き攣った笑顔でそう言った。

 対してキリカは微笑んだ。あまりの美しさに気絶しそうになったのを、アリナは必死に堪えた。

 

 

「私の肉体を、再生能力を暴走させて沢山作って」

 

 

 ゆっくりと、丁寧にキリカは語る。

 アリナは脳内検索を掛けていた。

 キリカの肉体を量産させたのは、一度や二度ではなく対象が絞れないのである。

 

 

「全部の肉体に意識を共有させたうえで、両脚を縛って逆さ吊りにして首を掻き切って」

 

 

 話を聞いている羽根達も、アリナを非難の視線でじっと見ている。

 なお此処に至っても、まだキリカが何を指しているのか絞れていない。

 候補はまだ十ほどもあるからだ。

 

 

「流れ出た血をぜぇんぶ一滴残らず、魔法で作ったプールに溜めて」

 

「あ」

 

 

 そこで漸く察しが付いた。しかしながら、まだ四つも候補が残っている。

 

 

「私の血で作ったプールに、私の肉体を切り刻んで作った人体の部品を投げ入れて、その後自分も裸でダイブして遊びくさってたよねぇ」

 

『最悪なの』

 

 

 アリナ自身の口から、彼女とは異なる意見が放たれた。断罪の言葉だった。

 

 

「お前は私の血のプールに潜って、私の頭や内臓を探して遊んでたよね。四肢切断して動けなくなった私を浮袋みたいに抱っこしながら」

 

『変態すぎるの』

 

「あ、その時の動画が残ってました」

 

 

 硬直するアリナの前を横切り、先程の白羽根がキリカに端末を差し出した。

 別に見たくもないんだけど、とキリカは思ったが折角の好意だからと受け取った。

 好意なのか?という疑問は、再生ボタンを押してから生じた。

 先程キリカが口にした言葉が映像となって展開されていた。

 

 海外の裕福な家庭の敷地内に設けられているような小さめのプールをキリカの血で満たし、その中で四肢を喪ったキリカを抱いて血塗れの遊泳を行っているアリナの姿が。

 顔は恍惚に蕩け、感極まっているのか両眼からは涙が溢れ続けている。

 あらゆる感情を喪失したかのように茫然となっているキリカと異なり、アリナは生の喜びに満ちているようだった。

 首にはキリカの腸らしき内臓が巻かれ、時折潜っては血の中に沈んだり浮かんだりしているキリカの人体部品を探し集めて喜んでいる。

 動画の時間を確認すると、「336h」の数字が見えた。

 少なくともこの異常行動は、二週間に渡って続いたらしい。

 

 

「何か言う事はあるかい?」

 

 

 キリカの声は更に闇を孕んでいた。

 その声に興奮しつつ、アリナはどう返すべきかを考えた。真面目に、心底から本気で考えていた。

 そして、その結果は。

 

 

「てへ」

 

 

 可愛い女の子達がきゃいきゃいと日常を過ごすアニメの一幕のような、失敗を茶化す様子をアリナは真似た。

 キリカがアリナを殴る前に、その顔に拳が叩き込まれた。

 それは、アリナ自身の右拳だった。右頬をぶち抜き、血と肉と歯が飛んだ。

 

 

『キリカちゃん!今なの!このド変態の腐れ外道をブッ殺すの!!』

 

 

 アリナは叫んだ。彼女曰くのフールガールの叫びだった。

 仰向けに倒れたアリナの顔を、キリカは目にも止まらぬ速さで踏み付けの連打を見舞い始めた。

 

 

「死ねアリナぁぁあああああああ!!!!!」

 

 

 叫ぶキリカ。

 と、そこに黒い風が舞い込んだ。

 それは、蕩けた黒い鳥のような姿。それを纏った少女であった。

 その少女、黒江とキリカは一瞬視線を交わした。キリカは頷いた。黒江もまた同じく頷く。

 

 

「「うぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」

 

 

 キリカと黒江。二人の黒い魔法少女の叫びは完全にシンクロしていた。

 アリナの顔面を全力で踏みまくるのも、完璧な連携が取れている。

 それは極大の怒りが生んだ、奇跡の同調であった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第88話 愛の熱、そして液

「度し難い…」

 

 

 人見リナはそう呟いた。

 視線の先には人だかりが出来、歓声が上がっている。そしてその奥からは

 

 

「死ね!変態!死ね!」

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇえええええええええええええ!!!!」

 

 

 という叫びが、肉を殴打する音と共に響く。

 前者は呉キリカ、後者は黒江である。

 キリカは嘗て自分がされた残虐行為への、黒江は主君に苦痛を与えた事への報復を行っていた。

 仰向けに倒れているアリナの顔に向け、二人は全力による蹴りの連打を見舞っているのだった。

 秩序を尊ぶリナとしては、争いが行われている事に心の痛みを覚えていた。

 そして暴力を受けているのが自分達のリーダーであるというのに、加害者側を応援している羽根達も理解しがたい存在であった。

 

 眼を背けるリナ。だが、逸らした先にも度し難いものがあった。

 

 

「はぁい、麻衣ちゃん。これ見てみて!」

 

「あ、ああ…」

 

 

 座布団に座る麻衣と京。

 京は麻衣に寄り掛かり、何かを手渡していた。

 

 

「これは……私か」

 

「うん!とってもよく出来てるでしょ!」

 

 

 輝く笑顔の京。彼女が麻衣に渡したのは、魔法少女姿の朱音麻衣を模した人形だった。

 

 

「大きいな…」

 

 

 両手を使い、腕に抱えるほどのサイズ。そして四キロ近くあるずっしりとした重さ。

 まるで、と麻衣は言い掛けた。

 続く言葉は「赤子のようだ」であった。それは脳内で思い描くに留められていた。

 口に出さなかったのは、麻衣の直感。不吉な気配を覚えたのである。

 上質な生地と綿を用いて作られた人形に触れていると、腹の辺りに違和感を覚えた。

 柔らかさの中に、しこりのような硬さを感じた。

 場所は腰の少し下。下腹部である。人体であれば、子宮が有る辺り。そこで麻衣は正体に気付いた。

 この人形の下腹部、胎内には赤子を模した人形が埋め込まれていることが手触りで察せたのだった。

 

 新しい命を宿し、育む妄想を麻衣はよく行っている。

 その度に尊い気持ちが胸を満たし、我が子の遺伝子の半分を自分に分け与えてくれた最愛の存在を殺害したいという欲求が彼女の内部に恋慕の炎となって燃え盛るのだった。

 客観的に言えば狂気以外の何物でもないが、麻衣は自分のその欲求を真摯で尊いものと感じていた。

 だが京からのプレゼントに施された仕掛けは、麻衣に恐怖を与えていた。

 自分で思い描く狂気は兎も角、与えられる狂気の愛に、麻衣は耐性を備えていなかった。

 怯えを必死に隠し、引き攣りながらも微笑みながら麻衣は京を見た。

 一点の曇りも無い青空のような、輝く笑顔の京の顔がそこにあった。

 

 それを見ているリナは、深い苦悩の最中にあった。

 脳裏に浮かぶのは、今はここに居ない道化姿の少女。

 彼女の肌の熱い質感を思い出すことで、リナは狂気に耐えていた。

 リナのこれも一種の狂気であるのだが、当の本人は気付いていない。

 

 

 

 

 そこは白一色の部屋だった。

 子供部屋程度の面積で、壁の床も天井も雪のように白かった。

 白で覆われた部屋で、それ以外の二色が折り重なっていた。

 一つは黒、もう一つは赤。

 それぞれ、黒髪の少年と赤い髪の少女である。

 壁に背を預け、足を延ばして座るナガレに、手製の魔法少女服を着た佐倉杏子が覆い被さっていた。

 二人の顔は重なり、接合点からは水音が鳴っている。

 ナガレの唇に杏子は自身のそこを重ね、彼の口内へと舌を這わせていた。

 

 ちゅぱ、れろ、れろ、くちゅ、ぐちゅ

 

 軟体動物が這いまわる様な、粘着質で淫らな音が室内に響いている。

 

 

「…ハハッ!」

 

 

 不意に唇を離し、杏子は笑った。唇は、ナガレから啜ったものと彼女自身のものが混じった唾液で濡れている。

 

 

「なんだよ、急に」

 

「なにさ、その不躾な口調。中断されたのがそんなに嫌かい?」

 

 

 生意気な口調と表情の杏子に、ナガレはがるるという喉の呻きで応えた。

 杏子の言葉の肯定ではなく、そもそもこの接吻が嫌だという意思表示である。

 音こそ小さいが、血に飢えた獅子ですら怯えるような迫力があった。

 猛獣どころか魔獣に等しい杏子は平然と笑っている。

 自分の挑発にナガレが乗った事が、嬉しくて堪らないのだった。

 ここ最近、ナガレに好意を抱く少女達は彼のリアクションを引き出すだけで嬉しさを感じている。

 依存の深刻さが、取り返しのつかない領域に至り掛けている証拠だろう。

 尤も、普段からして血みどろの戦闘を性行為と捉えているので、今更健全も不健全もないのだが。

 

 

「じゃお望みに応えて再開っと」

 

 

 言い終えるが早いか、杏子はナガレの唇に吸い付いた。

 情欲に燃えた相貌は、普段よりも色濃い真紅に染まっている。

 右腕を彼の背に回し、五指は彼の背中を這い廻っている。

 胸も腹もナガレに密着し、腰はナガレの両膝の上に置かれている。

 心臓は破裂しそうなほどに高鳴り、体温と鼓動は上昇と加速の一途を辿っている。

 自分の雌が既に潤いきっている事を、杏子はとうに自覚していた。

 この部屋に来て、ナガレに抱き着いた瞬間から彼女の雌は彼を求めて濡れていた。

 

 だが行為に及んでくれないのは、杏子も不承不承ながら納得していた。

 成人になれば相手をしてくれるという言質は取っているし、それまでのカウントダウンの時計も用意しているのだが、それでも欲しいものは欲しい。

 だからこうして唇と身体を重ねている。邪魔な雌二匹と離れた今、彼は自分の物だと証明するかのように、杏子は自分の身体を彼に擦り付ける。

 丹念に丁寧に、愛おしさを示すように。

 

 

「その腕、痛まねぇのか」

 

 

 口づけの中、ナガレが思念で言った。

 問い掛けというよりも、謝罪のような痛切さがあった。

 

 

「別に。それとあんたのせいでもねぇさ」

 

 

 同じく杏子も思念で返す。今の杏子は左腕が無く、隻腕となっている。

 当然ながらいつもの唇と身体の重ね合いよりも杏子は軽く、触れる身体の面積も少し狭い。

 その軽さと狭さが、彼に杏子の喪失を突き付けるのだった。

 

 

「思い当たるフシがあるとすれば、双樹の奴に何かあったんだろうさ。というかそれしかねぇか」

 

 

 ナガレの歯を舐めながら杏子は言った。

 少し前なら双樹と言わず、変態と言っていた。

 その称号は、更に相応しい存在へと移り変わっている。

 これは出世か、或いは降格なのか。

 

 

「まぁいいさ。波風立つのは悪くねぇ……だろ?」

 

 

 杏子の思念に、ナガレは苦さを帯びた貌となる。

 その言葉は、嘗て自分が言った言葉だからだ。その言葉を選んだのは、杏子に自分の記憶を見られたからだと彼も察している。

 客観視することで、自分は結構考えなしだということが自覚させられていた。

 彼の過去を鑑みれば、結構どころではないだろう。

 

 

「ま、いつも通りなんとかするさ。何が相手だろうが」

 

 

 残っている右腕で、杏子は彼を強く抱いた。

 

 

「あんたとあたしが組んで、負けるわけねぇだろ?」

 

 

 顔を離し、杏子は彼に向き合ってそう断言した。

 対する彼もまた頷いた。敗戦が無いわけでは無いが、これ以上負ける気は無いのである。

 そこでふと、二人は気付いた。

 周囲の環境が、前触れもなく変貌していることに。

 部屋の面積はほぼ変わらないが、地面には絨毯が敷かれ、彼が背を預けているものは寝台の側面になっていた。

 隅には本棚とテレビ、そしてゲーム機が置いてある。

 

 その配置と内装に、彼は見覚えがあった。それは杏子も同じだった。

 二人の脳内に、困惑が渦巻いていた。

 かちゃりという音が鳴る。

 ナガレと杏子は視線を送ると、開いていく扉が見えた。

 開いた扉の先には、黒を帯びたブラウンカラーのポニーテールの女性がいた。

 美しい顔の造詣には、とある少女の面影が見て取れた。

 

 その女性は、室内の光景を見て垂れ目気味の可愛らしい眼を二度三度と瞬かせた。

 そして数秒後、頭を下げて退室した。

 杏子とナガレは顔を見合わせた。

「どゆこと?」という意思の交差である。全く分からなかったので、杏子はとりあえず、彼へのキスとマーキングを再開した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第89話 帰還、そして

「ふぁぁ…」

 

 

 壁に背を預けたナガレは欠伸を吐き、右手を伸ばした。

 伸ばした先には丸い机があり、戻ってきた手には湯気を立てるティーカップが握られていた。

 左手で本を持ちつつ杯を口に運び、熱い液体を啜る。

 

 

「甘ぇ」

 

 

 砂糖とミルクがたっぷりと入った紅茶を彼はそう評した。

 甘みとまろやかさの奥に、好ましい香りが隠れている。

 麦茶や緑茶はともかく、紅茶を飲む文化が無いナガレにとって、これは人生初に近い紅茶だった。

 しかし彼はこの飲み物の基本がこれだとは思わなかった。

 何故なら、この場所の主の嗜好は味覚の内で甘味を第一とする性質を持っていると知っているからだ。

 

 

カチャッ

 

 

 部屋の扉が開いた。

 ふらふらという足取りで進むのは朱音麻衣だった。

 桃色のパジャマを着た彼女の眼は虚ろであり、髪や体からは湯気が昇っている。

 ナガレは扉を見た。

 茶髪のポニーテールの美女がそこにいた。

 垂れ目気味の目を閉じ、ナガレに頭を下げる。

 彼も軽く首肯した。

 

 扉が閉じられると同時に、朱音麻衣は前へ向かって倒れた。

 倒れた先には布団が敷かれていた。

 うつ伏せに倒れた麻衣を仰向けにし、枕を頭の下に置いて毛布を被せる。

 これでよしとしたときに、彼は周囲を見渡した。

 同じような光景が幾つもあった。

 佐倉杏子、人見リナ、佐木京。全員が同じようなパジャマを着せられ、仰向けになって眠っている。

 そろって口は半開きになり、唇は唾液で濡れていた。

 寝ているのだから意識が無いのは当然だが、それにしても呆け切った有様である。

 

 その中に一つの例外があった。

 

 

「え……えく、せ、れんと……」

 

 

 布団に入っている中で、ただ一人だけが目を見開いていた。

 緑色の瞳の周囲には、血走った血管が無数のヒビのように広がり白目の部分をほぼ駆逐していた。

 

 

『先輩…そろそろ寝て欲しいの……』

 

 

 アリナはフールガールの言葉を呟いた。実に眠たそうな声だった。

 

 

「あれが…呉…キリカの……ぐれぇとまざぁ……」

 

 

 アリナは興奮しきった声で言った。

 声に付随するがちがちという音は、彼女の口が小刻みに震え鳴らされている歯の音である。

 ナガレはそれを尻目に本を読んでいた。

 文中では、汲み取り式便所に捨てられた赤ん坊が母親の口に入ってから腹を引き裂いて脱出する様子が描かれていた。

 ナガレは本を一旦閉じて作者名を確認した。

 

 

「猿先生と違ったか」

 

 

 そう呟いて欠伸をすると、再び文章を読み進めた。

 文中の異常さではなく、作風の類似から作者名の方が気になるという変なリアクションを示すナガレであった。

 しばらく読み進めると、赤ん坊は成長し行く先々で殺戮を繰り広げていた。

 最終的には逮捕され、その人物専用の監獄に入れられていた。

 

 

「これが税金の無駄遣いってやつか」

 

 

 フィクションの中でも金は無駄に使われるんだなと彼は思った。

 彼自身が嘗て、政府からの莫大な予算を抽出して建造された研究所で製作された、天文学的な予算を投ぜられて造られたロボットに乗っていたという事を棚に上げての一言であった。

 その時また扉が開いた。

 今度は黒髪の少女であった。虚ろな目で、口元に緩い笑みを浮かべ唾液を垂らしながらふらふらと歩く。

 先程のように扉の先にはポニーテールの女がおり、また先程の遣り取りが為された。

 扉が閉められた直後に少女は倒れたが、その先には敷かれた布団が待っていた。

 

 うつ伏せになった少女、黒江へとナガレは手を出さなかった。

 彼が見ている間に、黒江はよろめきながらも動き、自分で毛布を羽織った。

 仰向けになった時、黒江はナガレを見た。

 呆けた表情に、複雑そうな想いが混じる。何かを言おうとしたが、彼女は途中で意識を失った。寝息が立てられ始めたのはそれからすぐの事である。

 

 

「『ありがとう』」

 

 

 天井からの声。その少し前には何かが外れる音がした。

 

 

「そう言おうとしたのかな」

 

「別に何もしちゃいねぇだろ」

 

「何もしないことに対してだよ。君、分かって言ってないかい?『俺何かしちゃいました?』みたいに」

 

 

 理解が及ばない台詞と共に彼の隣へと無音で着地したのは、この部屋の主たる呉キリカである。

 彼女もまた桃色の服を着ていたが、それは寝間着ではなく体操服であった。

 左胸の辺りに「見滝原中」という文字があった。学校指定のジャージなのだろう。

 

 着地したキリカは周囲を見渡し、部屋の半分を埋める布団とその中で眠る魔法少女達を見た。

 

 

「我が母ながら、あの女は淫魔かなにかかな?忌憚のない意見てやつっす。ついでにこの口調は鯱山語録じゃなくてミスドの馬くんのリスペクトっス。で、こっちが語録っす。以下無限ループ」

 

 

 久々に本調子だなとナガレは思った。確かに、ここ最近のキリカの行動は相変わらず異常だったがこう言った面での異常性は抑えられていた。

 アリナ・グレイという更なる異常者がいたために。

 

 

「大漁だな」

 

「うん。全く呆れるよ」

 

 

 呆れと疲労が混じった声でキリカは言い、両手に抱えた物を床に置いた。

 それらは数十に及ぶ小型カメラと収音器だった。キリカはちらりと緑髪の少女を見た。侮蔑の視線であった。

 

 

「そこの変態の魔法のせいで」

 

「ひゃん!」

 

「黙れ」

 

 

 キリカの声にアリナは即座に従った。再びキリカは重い息を吐いた。

 

 

「結界生成魔法で、私の部屋とあすなろの廃ビルが繋がったのは…まぁなんかご都合主義的な謎現象だからいいとしよう」

 

 

 これまでもそんなのばっかりだったしと、キリカは吐き捨てる。

 

 

「問題は私が不在の間に、母さんはまた監視カメラを大量にセットしてた事だ。よっぽど娘の処女喪失を記録したいらしい」

 

 

 そんなの何に使うんだよ、とキリカは嘆く。本人に聞く気にはならないので、永遠に謎な問い掛けだった。

 

 

「その上でなにさこれ。全員を一人ずつ風呂に連れ込んで骨抜きにするとかさ…娘としては地獄だよ」

 

 

 キリカの嘆きが続く。ナガレは何も言わない。言えるべき事が無いからだ。

 キリカとしてもナガレから何かを言われても困るので、彼の沈黙は救いであった。只今は、この嘆きを聞く者が欲しかった。

 

 

「これはそろそろ、父さんに密告して叱ってもらう事にしよう。母さん、いや、あの女は父さんには弱いから。寝床だとよわよわな雌になるから」

 

 

 単身赴任から帰ってきたら、これまでの罪をブチ撒けてやるとキリカは誓った。

 人様の家庭の性生活に踏み入る気も無いので、ナガレは相変わらず黙っている。

 また彼は何も言わず、思ってもいなかったが好意を寄せた異性に対して性的に弱くなるというキリカの性質は母親から受け継いだもののようであった。

 話を終えたキリカへと、ナガレは一枚の紙を渡した。

 キリカはそれを受け取らず、一瞥し内容を理解した。何度目かの溜息を吐いて、キリカはジャージを脱いだ。

 ナガレは視線を落とし、読書を再開した。先程の小説は読み終わり、別の作品を読んでいる。

 書物から召喚された巨大な東洋龍が、口から核融合の炎を発射し山を破壊する様子が描かれていた。

 次の場面を眼で追った時に、キリカはナガレから本を奪い取った。

 

 

「友人、行くぞ」

 

「何に?」

 

「読んでなかったの?」

 

「勝手に読むのはどうかと思ってな」

 

「変な所で常識人だな」

 

 

 言いながら、ナガレは立ち上がりいつもの私服に着替えたキリカの後を追った。

 階段を降り、一階へと歩いていく。

 

 

「隣に引っ越してきた人がいるから、挨拶しろってさ」

 

「何で俺まで?」

 

「私は契約でこの性格になったけど、過去のあれこれで陰キャになったから。だから知らない人とか怖いから」

 

 

 さらっと重要そうなことを言うキリカであった。なら仕方ないかと彼は思った。

 

 

「ついでに次に会いに行くときに、『私はこいつに孕まされました』って挨拶に行くための予行にしたいから」

 

 

 これについては仕方ないとは彼も思わないが、反論するだけ無駄でここは他人の家なので静かにせねばと黙っている。

 彼は今回、こんな役どころばかりであった。

 キリカが謎発言をしている間に、玄関に辿り着いていた。

 靴を履いて扉を開く。

 開いた先に、既に人が立っていた。

 出入りするタイミングが重なったようだった。

 その人物を見た時、キリカは言葉を喪った。

 左右に広がった金髪のセミロングにラフな格好をした、キリカと同年代くらいの少女。

 

 

「………え、りか?」

 

 

 声を絞り出すキリカ。まるで、幽霊でも見たかのような口調だった。

 言い終えた彼女に覆い被さる影。えりかと呼ばれた少女が、キリカを抱き締めていた。

 

 

「き」

 

 

 短い一言。その一言には感極まった響きがあった。

 

 

「きりかあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 抱き締めながら、少女、えりかはキリカの名を叫んだ。一度言い終えると、また名前を叫び始めた。

 困惑するキリカはナガレを見た。ナガレは首を傾げた。

 この役立たず、とキリカは内心で彼を罵った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 奇妙ながらの平凡な日常

「ふぁぁ…あ」

 

 

 キリカの自室にて、ナガレは欠伸をした。

 時計を見ると、夕方の十七時となっていた。

 そういえばと思い返すと、あすなろの廃ビルを出てからまだ二日も経っていない事が分かった。

 かずみと一緒にあすなろでの散策、をする間もなく不良たちに絡まれ、蹴散らしていると正義の味方風に割り込んできたアリナと遭遇。

 建物の屋上から飛び降りたはいいが着地に失敗し転倒。挙句の果てに風俗店から出たゴミ箱に突っ込んだせいで汚液に塗れたアリナ。

 気絶し異臭に塗れた彼女を放ってはおけずに緊急避難的にラブホテルへと向かい、シャワーを浴びせて洗濯も済ませて退去した。

 この間、かずみは財源確保と称して路地裏やゲームセンターをうろついては言い寄ってきた不埒な連中を返り討ちにし金品を強奪していた。

 逞しくなったなぁ、とナガレはかずみの成長に感動していた。

 熱くなってきた目頭を擦るナガレ。指に僅かに付着していた液体は汗ではなく涙であった。

 

 眼を数度瞬いてから追憶を開始する。

 その後はネオマギウスのリーダーであったアリナによって廃ビルの中に結界を張られ、交流も兼ねてネオマギウスの面々らと宴会を開き…。

 

 

「うーん…」

 

 

 ナガレは呻いた。

 要約していながらも混沌とした現状に、さしもの彼も苦悩しているのだろうか。

 

 

「平和すぎるな」

 

 

 何の疑問も無く、確信を込めて彼はそう言った。やはりこいつも異常であった。

 言い終えた時、部屋の扉が開いた。

 ふらふらと歩き、ベッドに向かって孤影が飛んだ。

 

 

「お疲れ」

 

「めっさ疲れた」

 

 

 鉛のような声で応えたのは、部屋の主たるキリカである。

 

 

「えりかとの昔話は…ああ、楽しかったよ。うん、これはマジ」

 

 

 ベッドにうつぶせになりながらキリカは語る。

 桃色のパジャマを纏い、濡れ羽色の髪や体からは湯気が昇っている。

 

 

「でもさぁ…その後で即お風呂行くなんて思わないじゃん?しかもあの女もとい母さん…いや、あの雌まで来るとかさ」

 

 

 キリカは嘆きの言葉を紡ぐ。そこで言葉は途絶えた。

 風呂場であったことに関しては、一言も言いたくないらしい。

 大変だな、とナガレは思った。そんな彼の鼻先を風が横切った。

 扉からの隙間風かと彼は振り返った。

 

 

「…ん?」

 

 

 振り返った瞬間、視界の端を何かが横切った。そんな気がした。

 

 

「なぁキリカ」

 

「なんだい、友人。アリナなら下で母さんと一緒にいるよ」

 

 

 ナガレの問い掛けをキリカは改変した。聞いて欲しいんだろなと彼は思い、追及を留めた。

 

 

「あの変態は母さんに甘えて、膝の上に頭を乗せて右手の親指をしゃぶりながら母さんのお腹に耳を当ててる」

 

 

 嫌悪感だけで出来た言葉を、キリカは滔々と口にしていく。

 

 

「流石に口に出してはいないだろうけど、『アア…この聖域で、呉キリカが育まれたの……!』とか思ってそう。死ね」

 

 

 出会ってから一日と少しだが、ナガレにもその様子が想像出来た。

 それだけ、アリナという存在が彼に与えた印象は強烈だった。

 

 

「それで話なんだけど、お前の家って猫飼ってたっけ?」

 

「いや別に。なんだい、デストワイルダーでも食べたくなったの?」

 

「何だよそれ」

 

「白い虎。あれだよあれ、サルミアッキ味の腕してるやつ」

 

「あー、あれか。いや、あれほどデカくねぇな。猫くらいの大きさの何かだった」

 

 

 相も変わらず狂った話を日常的に交わす二人であった。

 ん、とキリカは呟いて顔を横にし、ナガレを見た。

 

 

「何か、ってところが妙だね。君の視力で認識できないとは」

 

「まぁ、何かの見間違えかもしれねぇからな。別に気にする事でもねぇさ」

 

「その『何か』に該当するものが、我が家には皆無なのが問題なのさ」

 

 

 ん、と今度はナガレが呻いた。

 異常事態の発生かとナガレは弛緩していた気分を引き締めた。

 キリカはその様子を見て、こいつの挙動は一々がエロいんだよなぁと感慨深く思っていた。

 

 

「…それ、なんだけどよ」

 

 

 声の発生源は、布団から起き上がった杏子であった。

 それに続いてリナ、麻衣、京が目を覚ます。

 揃って御揃いの桃色パジャマを着た魔法少女らの顔にも、疑念の表情が張り付いていた。

 

 

「寝てる間、何かを見たのを覚えてるんだ。眼を開いたときとか、水を飲むのに起きた時とか…何かがいた気がするんだよ」

 

 

 他の面々も顔を見合わせて頷いている。

 その顔は青ざめているようにも見えた。

 

 

「んーーー…私の家、何時も間に心霊スポットになったんだろ?」

 

 

 茶化したキリカの声であったが、誰も笑わなかった。

 魔女という怪異と戦い続け、血みどろの死闘を繰り広げている魔法少女であるが、それはそれでこれはこれという意識なのだろうか。

 

 

「あ、ちょっとすみません」

 

「うあああああああああっ!」

 

 

 唐突に発生した声に、ナガレ以外の全員が叫んだ。

 言い忘れたが、この場にはもう一人黒江もいるのだが、彼女は眠り続けている。余程疲労が蓄積しているのだろう。

 それだけに今の叫びが不愉快だったらしく、寝顔が顰められていた。

 

 

「ごめんなさい。かずみさんがお料理を作ったので呼んできてとのことでして」

 

 

 すまなそうにそう言ったのは、ネオマギウスの白羽根であった。

 ベッドと床の間から、上半身が這っていた。

 アリナによる結界魔法とキリカの部屋との接続部分が、キリカのベッドの下なのであった。

 僅かな隙間であったが空間が湾曲しており、身体を圧迫する事も無い。

 

 

「なんだ…そうだったのか」

 

 

 安堵に満ちた声で麻衣が呟く。

 先程からの奇妙な事象は、この隙間から見えた羽根達だったと思ったのである。

 他の面々も頷いていた。

 だが。

 

 

「…いや、多分違うぞ」

 

 

 そう言った彼を、魔法少女らは一斉に睨んだ。

 

 

「空気読めよ」

 

「主人公だからって良い気になるなよ、友人」

 

「そういうところが好きになれないな」

 

「麻衣ちゃんに同意。というかお前嫌い。死んで」

 

「…ノーコメントです」

 

 

 口々に言葉を吐く魔法少女らであった。

 面倒な奴らだなとナガレは思った。

 とはいえバツが悪かったので、白羽根の方を見た。

 彼が見た時、白羽根は左右を見渡していた。

 眼深に被られたフードから覗く顔には、大量の汗が浮かんでいた。

 

 

「…あの……」

 

 

 絞り出すように白羽根は言った。

 

 

「このくらいの大きさの……人形を見ませんでしたか……?」

 

 

 両手を用いたジェスチャーで、白羽根は大きさを示した。

 それがナガレの記憶を刺激した。

 

 

「もしかしてだがよ」

 

「…はい」

 

「縦長で」

 

「ええ」

 

「簡単な形の顔で」

 

「…はい」

 

「頭の上に野菜のヘタみたいなのが」

 

 

 言い掛けたとき、白羽根は短く悲鳴を上げた。

 後ろに後退しようとし、ベッドの淵に派手に後頭部を激突させた。

 

 

「……間違い、なさ、そうです」

 

 

 声は引き攣り、恐怖に満ちていた。

 何が起きている。全員の疑問であった。

 

 

「それは…」

 

 

 後頭部の痛みも忘れて白羽根は口を開いた。

 

 

「そうだよ、キリカ」

 

 

 全ての視線が扉絵と向かう。

 開いた扉の先にいたのは、キリカの幼馴染であるえりかであった。

 彼女もまた、桃色のパジャマを羽織っていた。

 

 

「私が呼んだの。キリカの秘密も、この人が全部教えてくれたんだよ」

 

 

 晴れやかな笑顔でえりかはそう言った。

 キリカが問う前に、えりかは横に退いた。

 その背後には、小柄な少女が立っていた。

 上は深緑の葉、スカートは桃色の花弁。頭部には小さな王冠。

 植物を思わせる造形のドレスを着た少女がいた。

 その手には、黄色い縫い包みが抱かれていた。

 その特徴は、ナガレが話した通りであった。

 

 

「佐鳥、かごめです……取材、させていただけないでしょうか?」

 

 

 おずおずと、それでいて丁寧な言い方でかごめと名乗った少女は尋ね、頭を下げた。

 その様子を見るナガレの背後で、白羽根は小さく呟いた。

 

 

「……死神………魔法少女の……死の記録人……」

 

 

 怯えと共に放たれた白羽根の言葉は、室内の魔法少女らの耳に呪いのようにこびり付いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 奇妙ながらの平凡な日常②

 激論が続いていた。

 一つの存在に対する互いの主張を、己の心のままに言葉に乗せて相手に放つ。

 

 机の上にそれぞれが用意した資料を乗せ、議論の根拠と考察し独自の理論を紡ぐ。

 

 時に論理的に、感情的に。

 

 互いの心を曝け出しながら、二人は語り合う。

 

 時に激しく、時に静かに。

 

 強い口調も用いながら、相手の考えは否定せずに言葉と言葉を絡め合う。

 

 長い時が過ぎた。

 

 互いに既に汗だくになり、声も枯れかけている。

 

 汗を拭った時、二人の眼が合った。

 

 互いに互いの眼を、凄く綺麗だと思った。

 

 二人は笑った。

 

 結局、分かり合えなかったが二人の心は晴れやかだった。

 

 

「…アリナはまだヴァージンだけど」

 

「うん、私も」

 

 

 俯きながら恥ずかしそうにアリナは言い、呉キリカの幼馴染であるえりかも恥ずかしそうに頷いた。

 

 

「互いの心を曝け出して、絡め合っての今の時間は…まるでsexみたいだったんだヨネ…いいsexって、きっとこんな感じだと思うノ……」

 

 

 感慨深げに言うアリナに、えりかは深々と頷いた。

 アリナは顔を上げ、えりかの顔を見た。

 アリナの顔には真剣な眼差しがあった。

 

 

「呉キリカへの貴女の愛に、アリナは敬意を表します」

 

「私もだよ、アリナ・グレイ。でも、キリカが男とするっていう概念は私には受け入れられない」

 

 

 すまなそうに、だが毅然とした意志を以てえりかは言った。

 アリナは首を左右に振った。穏やかで、優しい動作だった。

 

 

「いいの、えりか。愛の形はそれぞれだカラ」

 

「うん、ありがとう。でも、絶対に私達は分かり合えないって分かっちゃった」

 

「それは…」

 

 

 アリナは言葉に詰まった。沈黙がしばし続き、彼女は再び口を開いた。

 

 

「でも、それはそれ。分かり合えなくても、関わっていく事はできるの。アリナ達には意思があって、言葉があるのだから。だから」

 

 

 再びアリナは口を閉ざした。意を決して、彼女はこう言った。

 

 

「だから貴方はアリナの(エネミー)。呉キリカへの解釈っていう一点だけだけど、それは大きくて深い溝。だからアリナはユーをエネミーって呼ぶ事にするの」

 

 

 えりかはアリナが、泣きそうになっているのが見えた。決して埋まらない溝で隔絶されつつも、歩み寄ろうとしてくれてると即座に分かった。

 えりかはアリナの手を取った。泣かないで、と彼女は言った。

 

 

「うん、分かった。私はアリナのエネミーとして、あなたの愛を否定する。だからあなたも私を否定して、共にキリカを愛していこう」

 

 

 言葉が終わると、二人は誰が先でもなく両手を伸ばして抱き合った。心の底から互いを労わる、この世で一番優しい抱擁に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぇぇええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 

 苦痛の叫びの直後、赤交じりの黄色い胃液を呉キリカは吐き出した。

 

 

「おぼろぇぇええええええええええええええええ!!」

 

 

 洗面台の淵に両手を乗せ、大量の胃液を吐き出していく。

 隣に立つナガレは無言で、キリカの背を摩っている。

 

 

「うおぇろえええええええええええええええええええええええええ!!」

 

 

 再びの嘔吐。吐かれるものは唾液交じりの鮮血となっている。

 白い陶器の洗面台は、肉の色に染まっていた。

 キリカの部屋の中にアリナが生成した結界。

 その中で繰り広げられた、旧友とアリナの会話。

 

 キリカの母が娘の部屋に仕掛けた盗聴器を再利用し、キリカは二人の会話を聞いていた。

 その内容が気持ち悪すぎたため、狂気に耐性があるキリカも耐えられなかったのである。

 ナガレはキリカの小さな背中に手を摩り続ける。

 三十分が経過した頃、吐かれるものは血から胃液になっていた。

 更に一時間後、漸く嘔吐が収まった。

 タオルで口を拭うキリカに、ナガレは水が入ったコップを差し出した。

 キリカはそれを奪って飲み干すと、彼が片方の手に持っていた二リットル入りのペットボトルを掴み一度の中断も無しに全ての水を飲み込んだ。

 

 

「難儀だな」

 

 

 彼の言葉にキリカは頷いた。

 

 

「全くだよ。愛についての解釈違い、これほど厄介な問題も無い」

 

 

 嘆くように言うキリカ。

 自分が想定していたのと違う答えが返ってきたが、ナガレも慣れたもので「ああ」と調子を合わせていた。

 納得はしていないが、この場で正論を言っても無意味と思ったのだろう。

 

 

「…あいつらの話、を聞いてて思ったのだけど」

 

 

 耳に装着していたワイヤレスのイヤホンを外し、キリカは続ける。

 

 

「クソゲスアリナの、私と君が交わって欲しいという妄想は……残念ながら悪くはなかった。奴は以外にも純愛好きというのが意外だったけど」

 

 

 悔しそうにキリカは言う。

 

 

「私が嫌だったのは、あいつが私の思考を多少なりとも理解しているというところだ。私を物語の登場人物か何かのように考えて、考察してる感が最高に気持ち悪い」

 

 

 言い終えるとキリカは口にタオルを当てた。胃液が込み上げてきたのだろう。

 

 

「最悪だったのは、君と交わる時の体位や喘ぎ声、繋がる角度に絶頂するタイミング、挙句の果てに最も効率よく着床できるであろう時間帯と遺伝子を絡ませる回数まで予測してそれが私の考えと一致してたところだよ」

 

 

 絶望の言葉を綴るキリカ。

 

 

「体の動かし方や体位とかは…ああ、あいつならよく分かるだろうさ。私を何十、何百回も解体したからな。あいつ以上に私の身体の構造に詳しい奴はいないだろうさ」

 

 

 込み上がってきた胃液をキリカは飲み込む。嘗ての凶行への反抗であった。

 

 

「あとえりかもえりかだよ。私を万引き犯にしたって事を、ずっと悔やんでたっていうのは私も心が痛むけどさ……それをこじらせて、ああなるなんて」

 

 

 話題を切り替えるキリカであったが、彼女の表情は晴れない。寧ろさらにどんよりと曇っている。

 

 

「隣の家に来たのも、母親の再婚相手つまりは新しい父親を脅してやったかららしい。曰く『私の妹か弟を作りたいなら言う事聞いて』だの『最終兵器、一生のお願いを使った』だそうだよ。その一生のお願いっていうのを、盗聴してた限りだと十二回はもう使ってるらしいけど」

 

 

 あんなに可愛かったのに、今のえりかは狡猾すぎる。

 キリカはそう嘆いた。

 

 

「それとえりかは…私が男と絡むのは絶対に嫌で、認められないという性癖を持っている。私はレズないし無性欲なキャラの方がいいらしい。私はそんなキャラだと、えりかは思い込んでる。これは厄介オタクにすぎる。ネット上のオタク談義でも解釈違いは戦争を呼ぶってのにさ」

 

 

 キリカは両手で顔を覆う。

 

 

「もしもあのえりかに私が男と絡む様子を見せたりしたら、何をやらかすか分からない。尤も、私は君意外じゃ濡れないし欲情しないのだけど」

 

 

 告げたキリカの胸に疼痛が疼いた。今の発言は、僅かな嘘を含んでいるという自覚があったからだ。

 少し前に、キリカは佐倉杏子に欲情していた。

 

 

「とにかくさ、私の心とか行動を研究されて語られるっていうのは実に気味が悪かった。狂気には耐性があると思ってたけど、邪悪や理解不能という概念は底がないって事が分かったよ」

 

 

 そこでキリカは言葉を切り上げた。口を拭ったタオルを軽く水洗いしてから洗濯機に放り込み、ボタンを操作し機械を回す。

 

 

「…そろそろ上に行こう。死の記録人、佐鳥かごめ…通称『ネクロボット』がお待ちだよ。にしても取材を受けるっていうのは実に変な気分だ」

 

 

 ふらつくキリカに肩を貸し、ナガレはキリカの部屋がある二階へと向かって行く。

 彼は黙っていたが、キリカの話を聞かされているナガレはキリカ以上に変な気分だったことだろう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 奇妙ながらの平凡な日常③

「なぁ友人」

 

「なんだキリカ」

 

 

 嘔吐を繰り返し疲弊したキリカに、ナガレは肩を貸していた。

 階段を半分上ったあたりで、キリカが声を掛けてきたのだった。

 

 

「いい雰囲気だし、部屋に戻ったら一発やらないか」

 

 

 ナガレの前に繊手を突き出すキリカ。

 白手袋で覆われた手は、拳の形になっていた。

 人差し指と中指が親指を挟み、ごしごしと扱いている。性交の暗喩である、卑猥なハンドサインであった。

 

 

「さっき君に背中をこすこすされてた時から…もう準備は出来てるのだよ」

 

 

 粘着質な甘い声を発するキリカ。

 並みの男なら今頃理性を破壊され、男性自身を極限まで膨張させている事だろう。

 

 

「今は兎に角、さっさと寝ちまえ。もういい時間だろうが」

 

 

 言うまでも無く、ナガレは普段通りだった。

 はいはーいとキリカは言った。結果は分かり切っていたので、残念という意識はそれほど多くは無かった。

 そして彼の指摘は尤もであり、時刻は既に十時を回っている。

 二階に辿り着き、キリカの部屋の前に着いた。

 

 

「なぁ友人」

 

「なんだキリカ」

 

 

 ドアノブに手を掛けた時に、彼女は再び話を振ってきた。

 

 

「この扉に私の背中を預けてさ、向かい合いながら繋がらないかい?」

 

 

 桃色の舌で上唇を舐めるキリカ。その様子は妖艶に過ぎていた。

 

 

「今なら私のお尻を掴んで行為に及ぶことを許可しよう。今を逃すと触れる部分は腰か脇腹になるぞ?いいのか友人?後悔しないかい?」

 

 

 キリカの問いもとい説得を完全に無視して、ナガレは扉を開いた。

 

 

 

 

 熱い風と共に、笛の音が聞こえた。太鼓の音も聞こえる。

 民謡のような調べが流れる大気には、何かが焼ける香ばしい匂いも乗せられていた。

 そして眼の前に広がる光景は。

 

 

「祭りか?」

 

 

 

 見上げた先には丸い月まで浮いた夜空があった。

 夜の闇に挑む様に、紅い光量を輝かせる出店が並ぶ。

 何時の間にか背後の扉も消えていた。キリカの自室は、まるで違う場所へと変わっていた。

 

 

「あ!りんご飴とクレープ、チュロスも発見!!行くぞ友人!」

 

「ああ」

 

 

 こりゃ面白れぇや、とナガレは思った。

 異常が日常であるために、この程度の変化は驚く程度で済むのであった。

 何でこうなった?という疑問は最初から持っていない。

 変化が実害として襲い掛かって来た時に、漸くそう思うのだろう。

 

 

「やぁやぁネオマギモブの白羽根ちゃん」

 

「お帰りなさい、キリカさん」

 

 

 言葉の通り、キリカはりんご飴を扱う屋台に訪れていた。

 隣や向かい側にも屋台が並んでいる。

 店主はネオマギウスの羽根達であり、客もまた羽根達である。

 よく見れば、役割を後退している様子も見受けられた。

 妙に手慣れているところから、これはネオマギウスの恒例行事らしいと察せられた。

 

 

「浴衣、似合ってますね。お美しい」

 

「それはあの変態の教育かい?」

 

「いいえ、本心です。あのド変態は無関係です。心外であります」

 

「そりゃ失礼」

 

 

 ごめーんねとキリカは言った。

 ふむとナガレは思った。確かに、桃色の浴衣がよく似合っているなと。

 

 

「んじゃさ、りんご飴一個ちょーだい」

 

「一つでよろしいのですか?」

 

 

 羽根はちらりとナガレを見ていた。彼が口を開く前に

 

 

「一個を二人でイチャイチャしながら齧り合うからそれでおk」

 

 

 とキリカは言った。なるほどと羽根は頷いた。何がなるほどだとナガレは思った。

 

 

「俺にも一個くれ。幾らだ?」

 

「…二百円です」

 

 

 ジトついた声で応じる白羽根。空気読めよという思惑が透けて見えていた。

 金を渡し、物品を受け取るナガレ。ほらよとキリカに渡した時、キリカは困った表情となっていた。

 

 

「どうした」

 

「財布忘れた」

 

「あー…」

 

 

 この場所はキリカの部屋が変化した場所なので忘れたという表現は正しくは無いが、今の彼女は現金を帯びていなかった。

 

 

「俺が貸してやるし、別に奢っても構わねぇよ」

 

「友人、そうやって雌共に甘いから奴らは天井知らずの恥知らずにつけ上がるってことをそろそろ学びたまえ」

 

「ああそうだな。御忠告ありがとよ」

 

 

 キリカの指摘にナガレは皮肉を込めて返した。キリカは首を傾げた。何か不機嫌になる事言ったっけ?とでも思っているに違いない。

 

 

「それなんですが、キリカさんならお代は心配不要かと」

 

「え?無料なの?それは悪いよ」

 

 

 キリカは少し声を落として言った。普段の行動は非常識且つ異常だが、こういう場面で素の善性が出るのであった。

 

 

「キリカさんの場合、物々交換が可能です」

 

「…はい?」

 

 

 キリカの口調は一転し、疑いに満ちた訝し気なものへと変化していた。

 

 

「身に着けている衣服は勿論、毛や髪、皮や肉に、爪や脂でも通貨として利用できます」

 

 

 平然とした様子で羽根は言った。トップがアレなので、部下もこの有様である。

 

 

「…それはあの変態の指示かい?」

 

「許可を出したのはその通りですが、提案自体は佐倉杏子さんからのあの変態への進言です」

 

「…すまねぇ」

 

 

 ナガレはキリカに謝罪した。杏子は彼の相棒だからという連帯責任からだった。

 だがそれは却ってキリカの嫉妬心を刺激する羽目になった。

 

 

「…ねぇ、お隣のチュロス屋さん」

 

「なんでしょうか、キリカさん。レート的には爪一枚あれば今の当店の在庫は全て枯らせられますが」

 

「考えとくよ。それでなんだけど、あとで調理場を借りていいかい?佐倉杏子を油の中に放り込みたいからさ」

 

「申し訳ありませんが、油が汚れるのでご遠慮願います」

 

「チョコとイチゴ味、それぞれ五本くれ」

 

 

 買い物をすることで会話を打ち切らせるナガレであった。

 揚げたてのチュロスは一瞬にしてキリカに貪り喰われた。

 

 

「…あー、少し落ち着いた。やっぱり甘いものというか食べ物を甘いと感じるようになっているのは最高。進化万歳」

 

 

 言いながら、キリカは苛立ちを抑えようと努めていた。

 そんなキリカの右肩にナガレは片手をぽんと置いた。

 

 

「友人、あざとい」

 

 

 彼の手を払いながらキリカは言う。面倒に過ぎる少女であるが、だからこそキリカらしいといえなくも無い。

 祭りの場を流れるキリカの視線は、とある店に吸い付いた。

 

 

「お面屋か」

 

 

 呟いた彼の手をキリカは掴み、引っ張っていった。

 眼の前に到達した店の前には、多数の仮面が並べられていた。

 

 

「いらっしゃいませ、キリカさん」

 

「うむ、いらっしゃいました」

 

 

 誇らしげに言うキリカ。絶世の美少女だから許されているが、実際にいたら実にウザったい様子であった。

 

 

「ふむ」

 

 

 並べられた仮面を一瞥し、キリカが呟く。

 

 

「これ、全部あの変態の作品だよね」

 

「御明察」

 

「まぁ、これだけ精巧というかよく出来てりゃ、ね。素材はミラーズモンスター?」

 

「左様です。しかも戦闘中に加工していたらしく…」

 

「…だから血飛沫まみれで、物によっては砕けてるのか」

 

 

 アリナによって追い廻され、生きたまま加工された怪物たちへとキリカは憐憫を抱いた。

 

 

「ところで」

 

 

 キリカは視線を動かした。ヒーロー然とした連中の隣には、異形の仮面が並んでいた。

 だが、その品ぞろえは奇妙であった。

 

 

「なんでこっちは一種類だけなの?しかもこいつ……何だっけ?」

 

 

 そこにあったのは銀色の大きな丸い仮面であった。機械的ではあったが、どこかクラゲのような意匠が感じられた。

 

 

「ブロバジェルっていうのらしいです」

 

「………マイナーに過ぎるよ」

 

 

 記憶検索を掛け、キリカは漸く思い出していた。

 

 

「で、なんでこのマイナーな奴が並んでるワケ?ってうわ、あの変態の語尾になっちゃった。きっしょ、マジきもっ」

 

「御心中お察しします」

 

 

 沈痛な声音でお面屋店主の黒羽根は言った。アリナに対する敬意など、少なくともこの場では全く感じられなかった。

 

 

「どうやら妙に気に入ったらしくてですね、乱獲したミラモン達の素材で狂ったように作ってました」

 

「素で狂ってるから平常運転だろうけど、やっぱりおかしいね。狂ってる」

 

「全くです。アイちゃんも困惑しておりました」

 

「あのAI?」

 

「ええ。なんでも、最近変な言葉を覚えさせられているらしく」

 

 

 そこでキリカの眼付が変わった。察しがついたのである。

 

 

「友人、スマホ貸して」

 

「あいよ」

 

 

 即座に従った彼へと、キリカは溜息をついた。

 

 

「友人、君はホントに雰囲気が無いな」

 

「ああそうかい。後学の為に教えてくれ」

 

 

 そうは言ったが、ナガレは学ぶ気などない。この言葉も皮肉によるものである。

 今回の彼は虫の居所が悪いのか少し不機嫌気味であった。

 

 

「こういう時は少し戸惑って、『ちょっと待て』って言ってあたふたしながら履歴とかブックマークを消すんだよ。エロサイトとかエロ動画を消す為にさ」

 

「それで、それにどんな効果があるんだ?」

 

「アストラルみたいな言い方だね。別に特に意味はないよ。ただ私がそれに対して突っ込んで、青少年の健全な性を確認してエモくなるくらいさ」

 

 

 言ってる間にキリカは端末を操作していた。

 検索エンジンに「ブロバジェル」と打ち込み、動画検索を掛ける。

 一番上にヒットしたものは、彼女の予想通りの存在だった。

 

 

「友人」

 

「はい」

 

 

 端末を返したキリカは、極めて真面目な口調と表情で彼を見た。

 その様子があまりにも迫真だったので、彼もそれに調子を合わせた。

 

 

「私と約束しておくれ。私との行為では絶対に避妊具を着けない。そして」

 

 

 キリカは仮面を指さした。

 

 

「『ブロバジェル』って単語を絶対に動画検索でググらない。いいかい?絶対だよ?お母さんとのお約束ですよ!!」

 

 

 最初は物静かに、そして最後は物凄い剣幕となってキリカは言った。

 そのお母さん設定も久々に使うなとキリカは思い、そこにエモさを感じていた。対するナガレはなんのこっちゃと思っている。当然だろう。

 最後にキリカは慈母の笑顔で微笑み、ナガレに背を向けて駆け出した。

 

 

「どこだ!!出て来いアリナァァアアアアア!!!!」

 

 

 叫ぶキリカの先で、

 

 

「キリカ!?アリナを呼んでくれたノ!?」

 

 

 という声が聞こえた。

 そこに向けて、キリカは漆黒の彗星となって飛翔した。

 『死ね!』という叫びと殴打の音がすぐに聞こえてきた。

 残された彼は、とりあえず杏子と麻衣を探すことにした。

 キリカからの注意事項は、既にすっかり忘れられていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 奇妙ながらの平凡な日常④

 祭り会場から遠く離れた場所で、会場から漏れる光が壁に背を預けて座る少女の影を闇の中から照らしていた。

 その周囲には幾つものゴミ箱が置かれ、脚を投げ出して座る少女の足元には空になった瓶が何本も転がっていた。

 

 

「んくっ」

 

 

 そんな音を立てて、少女は新しい瓶を口に含んだ。

 喉が小さく動き続け、やがて中身が空になった。適当に放り投げると、先に放られていた瓶に触れて硬い音を出した。

 瓶は転がり続けたが、三回転した辺りで止まった。

 

 

「探したぞ」

 

 

 足で瓶を止めた、少女のような声の少年は足の爪先で瓶を器用に蹴り上げ、落下してきたそれを右手で掴んだ。

 

 

「酒かと思ったけど、ラムネかよ」

 

「うっせぇな。昔少し飲んだけど、飲むとなんかイライラするし臭ぇから嫌いなんだよ。それにんなもん売ってるわけねぇだろ」

 

「それもそうか」

 

 

 転がっている瓶を片付けながらナガレは答えた。近場にあった瓶用のゴミ箱に放り込む。

 

 

「今更だけど、こうなるとは予想外だな」

 

 

 遠くに見える祭りの風景を眺めながらナガレは言った。

 

 

「それはこっちもさ」

 

 

 空間が操作された際、その場にいたであろう杏子も疑問の声を出した。

 

 

「要約すると、佐鳥かごめってやつの歓迎だとさ。あと定期的にやってるんだってさ。この縁日ごっこ」

 

「レクリエーション?つうんだっけか。ネオマギってのはそういうのに積極的みてぇだな」

 

「加入してるメンバーが家庭の内外に問題抱えまくりで、こういうのの経験が無いから失くした時間を取り返そうって意図らしよ。さっきの宴会みたいに」

 

「ん…」

 

 

 ナガレが唸る。

 子供が抱えた闇という存在は世界が罹患した病のようなものだろうが、減りはしても無くなりはしない。

 理不尽な災厄に、彼もまた思う事があるのだろう。

 そして彼の相棒もまた然りであった。

 杏子はそれを口にするか迷った。

 言った処で過去は変わらない。だが見上げた先には、薄闇の中でも更に色濃い黒が見えた。

 彼の双眸に嵌る黒い瞳は、真っすぐに杏子を見ていた。

 何があっても受け止める。彼女はその瞳にそんな意思を見た。

 それが自分の妄想であることは分かっている。

 しかし、彼女の口は動いていた。紡がれた言葉は、縋りつくような響きを孕んでいた。

 

 

「あたしもこういうのにはいい思い出があまり無ぇんだ。あまりってのは、まだうちの教会が普通だったころには楽しい思い出があったからさ。母さんからもらった千円札握り締めて、妹の手を繋いで祭りの中歩いて金のやりくり考えたりしてた」

 

 

 思い出を語る杏子は、自分の顔が笑みと寂寥の混じった泣き笑いのような表情となっている事を感じていた。

 ナガレの視力なら闇の中でもそれが見えているだろうが、それでも顔を隠してくれている闇がありがたかった。

 

 

「その後は…んなとこ行く余裕は無くなっちまった。教会が……繁盛するようになったらなったで気軽に出歩けなくなったしね」

 

 

 言い淀みながらも杏子は言い切った。喉奥が粘つき、焼けつくような痛みが走った。

 その感覚が消え去る気配も無いままに、杏子は言葉を続ける。

 

 

「それからは、祭りとは無縁さ。全部が終わってから、ふらっと会場に行くことはあったんだけど、なんでそこに行ったのかはあたしでもよく分からねぇんだ」

 

 

 杏子は記憶を反芻する。早朝に至る前、朝焼けが訪れる前に祭り会場の跡地を訪れた事が何度もあった。

 地面に刻まれた屋台の跡や人々の足跡などを、朝になるまで眺めていたことがある。

 散歩の一種と言えばそうだが、この行為は奇行であるという認識は杏子にもあった。

 

 

「祭りに参加したかった…のかもな」

 

 

 俯きながら杏子は言う。

 季節毎に訪れていた疑問の答えが出た瞬間だった。

 本当はとっくに気付いていたが、人に話す機会が無かった。

 杏子が孤独を伴侶としていた期間はあまりにも長い。

 一時共闘した者がいたが、その少女とは祭りに行った事は無かった。

 

 

「普通に参加するってワケにもなぁ…」

 

 

 一家心中以降、佐倉家はカルト宗教を広めた詐欺師一家であるという見解が凡その風見野市民の認識だった。

 今でもなお、街中を歩くと陰口の囁きが聞こえる。

 数年前であったなら、四方八方から罵詈雑言と物を投げつけられていただろう。

 杏子にはそう思えてならなかった。

 

 

「楽しんでるとこ、悪いしな」

 

 

 思考を打ち切る様に杏子は告げる。

 自分への憎悪も自分の境遇も理解しているが故の言葉であった。

 

 

「おい」

 

 

 彼の声がしたので、杏子は顔を上げた。

 こちらに向けて、伸ばされた右手が見えた。

 

 

「行こうぜ。一緒に楽しもうじゃねえか」

 

 

 祭りからの影を左半身に浴びた彼は、不敵に笑っているように見えた。

 不器用な奴だなと杏子は笑い。伸ばされた腕の手首を握った。

 それを彼は、力強く引き上げた。

 光の中へと杏子の身体が引き摺り出される。

 そして互いに顔を向き合わせて小さく笑うと、二人は祭り囃子へと歩き出した。

 時間を取り戻したいという願望は、この両者の共通点でもあった。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 奇妙ながらの平凡な日常⑤

「いい雰囲気だな」

 

「確かにね。熱気っていうか活気も凄いわ」

 

 

 左右に出店が並ぶ祭り会場をナガレと杏子が歩く。

 お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、焼き鳥、チョコバナナにアイスクリームに綿菓子などの料理にお菓子。

 特撮ヒーローに加えてクラゲの趣のある怪物を面が並んだお面屋、ヨーヨー掬いに射的、くじ引きの店が並んでいる。

 耳をすませばどこからともなく太鼓や笛の音が響き、肌に触れる大気は夏の夜の熱を帯びていた。

 

 

「暑くねぇのかな」

 

 

 綿あめを齧りながら、ナガレは屋台で店番をしている羽根を見ていった。

 

 

「実際暑いっぽいね」

 

 

 フランクフルトを咥えながら杏子は返した。

 齧った事で、手元である棒が刺し棒のように揺れた。

 その先に視線を送ると、歩いている羽根達は顔に汗を浮かべている。

 杏子の言葉通り、実際に暑いのだろう。

 しかしながら誰もローブを脱ごうとせず、鼻から上を露出させないようにしていた。

 

 

「取り決めか何かか?」

 

「役割の全うです」

 

「うぉう!?」

 

 

 ナガレの発した言葉への返答は、杏子の隣からした。

 黒羽根の不意の乱入に、杏子は思わず喉にフランクフルトを詰まらせかけた。

 急いで飲み込んでいる間にがちりという音がした。それは杏子の左腕で鳴っていた。

 

 

「遅くなって申し訳ありません。いかがですか?」

 

「………」

 

 

 黒羽根の問いに、杏子は無言で左腕を掲げた。

 そこには肉ではなく、紅い色の鋼で出来た腕と手があった。

 装甲は無く、内部の機構が露出した無骨な機械の腕だった。

 腕は欠損していた杏子の肘の断面に極めて自然に接続されている。

 腕を曲げ、手を開閉させるが作動音一つせず滑らかに動く。

 

 

「うん、完璧。形も注文通りだな。ありがとさん」

 

「それは幸いです。では失礼」

 

 

 一礼し、羽根は踵を返した。

 奥の方には二人の黒羽根が立っており、そちらと合流すると揃って屋台に向かって歩いていった。

 その様子を見送ると、ナガレは杏子を見た。

 正確にはその腕を。

 

 

「なぁその腕」

 

「ああ。あの格闘漫画の最強ロボを参考に造ってもらったのさ」

 

 

 誇らしげに言う杏子。

 形で察しがついていたが、彼女の言葉で確定した。

 突如として左腕が腐り落ちるという異常事態に見舞われている杏子だが、義手を貰った事は嬉しいようだ。

 その腕のモチーフとされたロボは、スパーリング相手の神戸弁が移って変な喋り方になった挙句にぽっと出の生身キャラに敗北するという事態に陥っている事をナガレは言わないことにした。

 

 

「んー…」

 

「どうした?」

 

 

 親指から順に指を動かしながら呻く杏子にナガレは尋ねた。

 

 

「いやさ、宴会からのキリカん家への移動といいこのお祭りといい、超展開っていうか謎展開っていうか、猿展開みたいなのの連続だなぁと」

 

「平和だからいいじゃねえか」

 

「ま、そっか」

 

 

 率直過ぎるナガレの言葉に杏子は何の違和感もなく同意した。

 ここしばらく、アリナ以外の流血を見ていない。

 確かに異常に過ぎるくらいに平和な時間が流れている。

 

 

「じゃ、その平和を享受しようか」

 

 

 そう言って杏子が歩きだす。

 やけに聞き分けが良いなと思いながら、ナガレがその後を追う。

 すぐに横に並ぶ、と思ったのだが。

 

 

「ん」

 

 

 一歩歩むと、杏子は既に更にその前にいる。足を速めると彼女もまた歩を進める。

 横に並びたいが、追い付けない。

 新しい遊びか?とナガレは思った。

 対する杏子はと言えば、その顔を真っ赤に紅潮させていた。

 ずかずかと歩きながら、杏子の脳と意識は沸騰していた。その想いとは。

 

 

「(…手、繋ぎてぇぇぇええええええ!!!)」

 

 

 であった。そして。

 

 

「(でも、恥ずぃいいいい!!)」

 

 

 身を焦がす恋心と願望、そして気恥ずかしさが彼女の歩みを速くしていた。

 

 

「追い付いたぞ」

 

「ぴゃっ!?」

 

 

 右隣からずいと顔を出したナガレに対し、変な声を上げる杏子であった。

 

 

「いいから行くぞ」

 

 

 そう言って彼は左手で杏子の右手を掴んだ。

 高熱を帯びた金属が赤熱するように、杏子の顔も赤みが増した。

 

 

『朱音麻衣』

 

『なんだ、呉キリカ』

 

 

 その様子を、別の屋台の列が伸びる道から店越しにキリカと麻衣が見ていた。

 恋敵を見ているというのに、二人は冷静だった。

 

 

『今は邪魔しちゃ悪いって、君でも分かるよね』

 

『莫迦にするな。そしてどの道動けないし動く気も無い』

 

「行こう!キリカ!今度はあれ!焼きそば一緒に食べよ!」

 

「麻衣ちゃん!一緒に型抜きやろ!二人の共同作業しよ!」

 

 

 キリカと麻衣はそれぞれ、えりかと京に纏わり付かれていた。

 それでも悪い気がしていない様子であり、二人ともこの状況を楽しんではいた。

 彼を想う気持ちは三人とも同じであるが、杏子は孤独に過ぎている。

 彼女にナガレを一歩以上譲っているのもその為であった。

 

 

「顔赤いな。楽しみなのか?」

 

 

 前を見て、彼女と手を取って歩きながらナガレは言う。

 

 

「そういうあんたも、ちょっと頬が赤いよ。恥ずかしいのかい?」

 

「うっせ」

 

 

 杏子の言葉通り、彼の頬も僅かに朱色に染まっていた。気恥ずかしいのだろう。

 その様子を羽根達は作業をしつつ、友達と談笑しつつ眺めていた。

 ナガレの事は正体不明で、二次創作のオリジナル主人公みたいなものだと彼女らは思っている。

 正直言って存在が気に喰わず、部外者なのだから出て行って欲しいというのがこの連中の共通認識だった。

 リーダーであるアリナの事は愚弄してはいるが内心では誰もが慕っている。

 そんな彼女と仲がいいのも実に気に喰わない。

 何かの事故で死なないかなとは少なくない数が思っていた。

 だが今は、並んで歩く少年と少女の姿に魅せられていた。

 嫉妬と願望が入り混じる感情は、自分もいつかああなりたいという欲望からだという事が誰にも分かった。

 そして今は、この光景を見ていたかった。

 少なくともあと少し、数分または数十分は。

 

 だが歩き出した二人の前に、横からふわりと孤影が顕れた。道を塞ぐかのように見えた。

 姿を見た者の大半が、背骨を氷に変えられたかのように体が凍えた。

 夏の夜を再現した暑さなど、一瞬にして消し飛んでいた。

 

 

「佐倉杏子さん……取材、させていただけませんか……?」

 

 

 奇妙な人形を抱いた、花の蕾を彷彿とさせるドレスを纏った少女はすまなそうに、おずおずと言った。

 魔法少女の記録者、『死の記録人』または『ネクロボット』と呼ばれている魔法少女。

 佐鳥かごめである。

 逢瀬を邪魔された杏子の額には青筋が浮かんだ。

 杏子の周囲では、恐怖以外のもので空気が凍えていた。

 その気持ちは羽根達にも伝播し、恐怖は徐々に消え去っていく。

 そして代わりに、この想いが伝染していくのであった。

 その想いを、佐倉杏子は口にした

 

 

「…空気読めよ……」

 

 

 と。

 佐鳥かごめは、更にすまなそうに身を縮めて頭を垂れた。

 彼女が抱えた人形も主に合わせて首を垂れる。

 その様子が不愉快な道化とそのお気に入りの魔女を彷彿とさせ、杏子の不愉快さは増した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第91話 罪禍

「では……佐倉杏子さん」

 

「…」

 

「…」

 

 

 佐鳥かごめ、魔法少女の記録人が杏子に問いかけ、逢瀬を邪魔された杏子は不機嫌そうにしていた。

 取材に応じるとも言っていないが、かごめの接近を拒絶しなかった。

 かごめはそれを取材に応じる構えと取って、杏子の近くの椅子に座った。

 休憩用のパイプ椅子が並ぶ祭り会場の一角でのやりとりを、少し離れた場所に座るナガレは無言で眺めていた。

 視界の隅では櫓を中心として盆踊りまでが行われている。

 ローブ姿の魔法少女らが躍る姿は奇妙であったが平和な光景だなと彼の心は和んでいた。

 耳を澄ませると

 

 

「みふゆさんは?」

 

「迷子センターで保護されてますから大丈夫です」

 

「ついでにあの変態は?」

 

「キリカさんが磔にしてました。煮え滾る油の中に突っ込まれこんがり揚げられたのですが残念ながら生きてます。衣の中からエンターティナーじみた挙動で復活しくさりました」

 

「タフって言葉は…あの変態の為にある、という訳だね」

 

「はぐむさん、それ言いたかっただけですよね」

 

 

 という平和な会話が聞こえる。

 現実を見ようとナガレは思って視線を戻した。彼の眼に再び、佐鳥かごめと佐倉杏子の遣り取りが映る。

 

 

「では改めて」

 

「あたしのコトが知りてぇんなら」

 

 

 言葉を断ち切る杏子の声。

 

 

「佐倉杏子、風見野って単語を検索しな。詳しいのがネットの大百科に載ってるからさ」

 

 

 杏子は退屈そうに欠伸をしながらそう言った。

 

 

「誇張というかネタ要素も多いけど…例えばあたしが妹を人質にして親父と母さんを脅して性行為を強要させて、二人がヤってる最中に煮え滾った油をぶっかけて泣き叫ばせて、手足を切って動けなくしてから妹を犯して殺してまた犯して、抉り出した内臓を瀕死の二人に無理矢理喰わせたとか」

 

 

 額に右の人差し指を当て、思い出しながら語った記事の記憶は最悪の上の最悪の事象であった。

 当の杏子の表情は、書物で調べ物でもしているような平常そのものだった。

 

 

「あたしの言葉の表現だと拙くなっちまうけど、実際はちゃんとしっかり人様に読んでもらうってことを意識された書き方で書いてあるから読みやすいよ。魔法少女の記録人やってるんなら、文章力?っていうのかな。そういうのが参考になるんじゃねえの?あたしが家族を殺す様子は他にも何パターンかあったし文体や視点も違った風に書かれてたから退屈しねえと思うよ」

 

 

 かごめは黙って杏子の話を聞いていた。

 だが不意に立ち上がり、踵を返した。そのままふらふらと歩き、近場の壁にもたれかかった。

 そして身を折り曲げ、胃の内容物を一気に吐き出した。

 濃厚な酸の匂いが、夏の熱気を再現された大気に混じる。

 三度四度と、吐瀉物が地面に落ちて跳ねる音が続いた。

 それでもかごめは戻ってきた。

 口元には拭われた唾液の跡が見え、少女の目元は湿り気を帯びて腫れていた。

 

 

「わた、わたし、も、その」

 

「うん」

 

 

 たどたどしく喋るかごめに杏子は頷いた。続けろと言っているのである。

 

 

「その、その、記事は、読み、ました」

 

「予習済みってことかい。偉い偉い」

 

 

 杏子は拍手を送った。

 

 

「おい」

 

 

 乾いた音を貫く声。黙っていたナガレが口を開いた。

 杏子は拍手を止めた。対してかごめは再び口を開く。

 

 

「わたし、は、あなたが、そう、だとは、お、おもえま、せん」

 

「あっそ」

 

 

 必死に言い切ったかごめの一言を、杏子は斬って捨てた。

 そして立ち上がると、かごめの前へと歩み寄った。

 速度はゆっくりな筈なのに、かごめは後退る事すら出来なかった。

 

 

「あたしが今何を考えてるか、教えてやるよ」

 

 

 杏子は笑った。青空の下で青い海へと向かって走る童女のような、快活で無邪気で、朗らかな笑顔で。

 

 

「殺せ」

 

 

 その表情で杏子は言った。殺意も何もなく、ただ単語として。

 かごめは小さな悲鳴を上げた。

 

 

「潰せ、破壊しろ、引き裂け、殴れ、踏み殺せ」

 

 

 ゆっくりと確実に、意味を相手に伝えるように丁寧に杏子は言う。

 表情は変わらない。意味を伝えようとしている一方、物騒な言葉の一つ一つに対して杏子は何も思っていなかった。

 何故なら。

 

 

「こんなこと考えてるけど、別にあんたを殺したいとかじゃない。頭の中でいつも、あたしはあたしを殺してる」

 

 

 そう言って杏子は右手の指をパチンと鳴らした。

 その音に乗り、幻惑魔法がかごめに届いた。

 現実の世界に折り重なるように、彼女の視界には杏子の思考が映っていた。

 そこには二人の佐倉杏子がいた。

 魔法少女姿をした二人の杏子は、身体を重ね合っていた。仰向けに倒れた杏子の腰に、もう一人の杏子が腰を置いて跨っている。

 だがそれを愛を求めての肉体の交差ではなかった。

 重なっている側の杏子は、もう一人の自分の首を左手で掴み、残る右手で殴打を見舞い続けていた。

 

 既に倒れている杏子の顔面は崩壊し、肉と骨の淵の奥に砕けた脳髄が血に沈む異形の器となっていた。

 残っている下顎に杏子は手を掛けた。歯を全て喪い、歯茎の肉が骨にこびり付いた状態となった顎は、一気に下に引かれた。

 皮と衣装が引き裂かれて肉が捲れ、既に折れている肋骨と薄い腹筋が露わにされた。

 下腹部の辺りで肉を千切り、顎下からの皮を杏子は投げ捨てた。

 それは古びた椅子に激突し、古い木目の床に落ちた。

 かごめは漸く、ここが廃教会の中だと気付いた。

 その間にも、杏子は自分自身を壊していく。

 

 両手で腹筋を剥ぎ取り、内臓を粘度のようにこね回して引き摺り出す。

 紅い空洞となった腹の中、最後に残った肉の袋を両手で握り潰した。

 生命を育むための器官は、無意味な肉片となって飛散した。

 破片を顔に受ける加害者の杏子は、全くとして平静な表情だった。

 十分に睡眠をとってからの、朝の目覚めを迎えたかのような。

 

 

「別に楽しい考えでもないけど、あたしはあたし自身を死ねばいい存在としか思えないからなぁ」

 

 

 当然のことを再確認するかのような杏子の言葉。

 言い終えると同時にかごめの幻想は消えた。

 かごめの息が途絶し肩が震えだす。

 死の記録人とまで、他の魔法少女から囁かれている佐鳥かごめは恐怖の虜になっていた。

 彼女にとって、佐倉杏子とは人の姿をした紅蓮の闇だった。

 自らを焼き尽くすまで燃え続けることをやめはしない、破滅の衝動に支配された闇の篝火。

 

 

「馬鹿が」

 

 

 その炎の揺らぎが、ふと止まった。

 人の姿をした炎に見えていた佐倉杏子の姿が、人間の姿に戻っていた。

 佐鳥かごめは、そんな幻視を見た。

 そして、彼女は声の主を探した。それは佐倉杏子も同様だった。

 二人の視線の先に、椅子に座る少年の姿が見えた。

 美しい少女と、雄々しい男の容姿を矛盾なく備えた少年だった。

 

 

「馬鹿が、って言ったんだよ。可哀想な自分を早口で語りやがって。人を怖がらせて悦に浸ってんじゃねぇよ、バァカ」

 

 

 呆れた口調でナガレは言う。

 直後に、かごめは紅蓮の炎を見た。黒い闇の奥から噴き上がったのは、絶望を焼き尽くす怒りであった。

 それは、佐倉杏子の内から生じていた。

 

 

「なぁぁがれぇぇえええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 灼熱の怒りが言葉となって、佐倉杏子の口から放たれた。

 空気が焼け焦がされる音と共に槍が見舞われ、断罪を示すような十字の穂先が迷うことなく彼の首へと向かう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第91話 罪禍②

 液体の滴る音が響く。

 そして荒い息遣いが一つ。それは深呼吸へと変わり、それが終わるころには平静に戻っていた。

 

 

「ここらへんでいいだろう」

 

 

 そう告げたナガレは全身を朱に染めていた。

 顔や腕や膝に負った裂傷は百に達するだろう。

 だがそのどれもが浅く、骨には届いていなかった。

 彼の身体を染めた血の大半は返り血であった。

 下げられた右手には長大な斧槍が握られており、それもまた血に塗れている。

 その発生源へと、彼は声を掛けていた。

 

 

「………ああ」

 

 

 渋々といった口調で杏子は言った。

 壁に背を預けている杏子には、義手である左腕以外の四肢が無かった。

 脚は太腿の真ん中、右腕は肩の付け根から切断されている。

 

 

「その左腕、やたらと頑丈だな。こいつでも斬れねぇとはよ」

 

 

 斧槍の刃に視線をやりつつナガレは言う。

 鋭利な刃の一角に生じた歪みが見えていた。

 

 

「元ネタがトダーってだけはあるんだろうさ。でも斬れなくってもあたし的にはすげぇ痛くて堪らねぇ」

 

「妙に高性能だな」

 

 

 呟きながらナガレは斧槍を傍らに突き刺し、歩を進める。

 杏子の前へと身を屈めると、左腕で抱えていた物を静かに地面に置いた。

 それは、自らが切断した杏子の手足であった。

 まず彼はそれらの中から右脚を掴み、杏子の右太腿と断面を重ね合わせた。

 肉が交わる際に杏子が上げた小さな声は、悲鳴ではなく嬌声に近い。実際、杏子の頬は血以外の赤で僅かに赤みを帯びていた。

 

 

「あたしの部品を拾いながら戦うなんて、余裕だね」

 

「ああ。今日のお前は弱かった」

 

 

 次いで左脚を接合させ、最後に右腕というか右肩を重ねる。

 重なった瞬間、杏子の右腕が跳ね上がった。五指が広がり、ナガレの首を目指して手が伸ばされた。

 

 

「………」

 

 

 握れば彼の首に届く、というところで杏子は動きを止めた。

 ナガレは杏子による首絞めから逃げる訳でも、阻害するでもなかった。

 ただ、懐から取り出したウェットティッシュで杏子の顔の血を拭っていた。

 

 

「…どこが、悪かった?」

 

 

 手を降ろしながら杏子は尋ねた。

 

 

「全部」

 

 

 率直にナガレは言った。

 

 

「…きっついなぁ」

 

 

 杏子は項垂れた。

 傾いた首の後ろもナガレは拭いた。

 首の真ん中には、横一文字の朱線が入っていた。

 それが意味する事とは、つまり。

 

 

「いつものお前なら、首を半分くらい切られるくらいで抑えるしな」

 

「…うぐ」

 

 

 さらっと口にしたナガレであるが、その言葉は恐ろしいに過ぎている。

 対する杏子はぐうの音も出ないといった面持ちであった。

 魔法少女の不死性を理解しているが故の狂気の会話である。

 

 

「で、思いっきり暴れて少しは気が晴れたかよ」

 

 

 ナガレは周囲に視線を巡らせる。

 古代の遺跡を思わせる風景が広がっているが、そこにある物体は悉くが破壊されていた。

 ここはナガレが杏子に襲い掛かられた際に開いた牛の魔女の結界だった。

 元々キリカの部屋の中をアリナの結界魔法が異界に変え、その中に更に異界を形成するという複雑な状況。

 視界の端には牛の魔女の結界の出入り口が門となって開き、その奥からは祭り囃子の音が漏れ聞こえていた。

 

 

「…ああ、晴れたよ。たまにはボッコボコにされるのも悪くないのかもね。相手はあんた限定で」

 

「なら良かったな。それでだ、杏子」

 

 

 反射的に杏子は顔を上げた。

 彼の声は、何時になく真剣であったからだ。

 そして彼の眼と顔もまた、刃のような鋭さがあった。

 

 

「お前、自分への罰を望んでるんだよな」

 

 

 射抜くような、射殺すような眼でナガレは杏子を見る。

 視線を逸らしたいが、彼の黒い瞳は光さえ歪める超重力を放つが如く、彼女の視線を捉えていた。

 

 

「だから幸せとかはいらなくて、地獄が欲しいんだったよな」

 

 

 杏子は頷いた。それしか出来なかった。

 

 

「じゃあ、それをしな」

 

 

 そう言われた時、杏子は意味が分からなかった。

 頭の中に空白が生じ、何も考えられなくなった。

 だが一秒後、空白の中央に黒点が生じた。

 それは巣穴から這い出た無数の蟻の如く、瞬く間に彼女の脳内を駆け巡った。

 そしてすぐに、思考の中をたっぷりと満たした。

 

 それだけに飽き足らず、それは杏子の頭から全身に行き渡った。

 がたがたと、杏子の身体が震えだす。歯の音が震え、ガチガチと歯が噛み合う。

 杏子を震わせ、彼女の内を満たしているのは絶望という感情だった。

 

 

「お前の言葉を借りると、自分のせいで何もかもを失くした。だから自分は幸せなんざいらなくて、だから地獄が欲しい、苦しみ抜きたい」

 

 

 震える彼女に向けてナガレは言葉を紡ぎ続ける。

 それは杏子の心身を抉る解剖刀のようだった。

 

 

「その理屈で言えば、地獄ってのはお前の望みだから罰になってねぇ。だからその逆がお前にとっての罰になるんだろうよ」

 

 

 心臓が抉り出される。

 それは杏子にとっては物理的によくある事ではあった。

 だが彼の今の言葉は、今までに味わったどの肉体破壊よりも酷い苦痛を彼女に与えていた。

 

 

「だからお前は幸せを探して生きろ。それが罰だってんなら受け止めて、自分を卑屈に演じてねぇで死ぬまで生きろ」

 

 

 身を屈めて視線を合わせ、真っ直ぐに杏子を見ながらナガレは言った。

 彼の言葉は杏子の願望である永遠の地獄の渇望を完膚なきまでに打ち砕き、更なる地獄へと突き落とす残酷な言葉であった。

 その一方で、彼の態度は子供に言い聞かせる態度だった。

 自らの意思を言葉に乗せて相手に伝える。伝わって欲しいと願うが故の行動。

 幼少期に家族からされたのと同く、彼の態度と言葉が相手を思い遣るが故のものであると杏子にも分かった。

 

 

「で、も、よぉ…」

 

 

 必死に声を絞り出す。声が出る度に喉が痛んだ。鑢で肉を削られるような、そんな感覚がした。

 

 

「その隣に、俺もいてやる」

 

 

 杏子が言葉を紡ぐより前に彼は言い切った。

 

 

「お前の幸せ探しに俺も付き合う。道具と思ってくれても構わねぇ」

 

 

 眼の奥が熱くなるのを杏子は感じた。

 

 

「あと前言ってた、ブチ犯せとかは何が何でもやってやらねぇ。その時ってのも時計用意して決めてたけどよ、そん時は犯すんじゃなくて抱いてやるよ」

 

 

 杏子の額に自分の額を押し付け、ナガレは言う。

 不敵な笑みは、散々に自分を犯せと言い続けてきた杏子への反発心でもあるのだろう。

 

 

「え…」

 

「え?」

 

 

 震えた声を出した杏子の声をナガレが唱和する。続きは?という促しである。

 

 

「えら、そうな言い方!」

 

 

 杏子が額を小突いて押し返す。

 赤い眼は涙で潤んでいた。

 

 

「確かにな、ちょっと偉そうだ」

 

「ちょっとじゃねぇよ」

 

 

 杏子は八重歯を見せて笑った。まだ険が残っているが、年頃の少女が浮かべる微笑みに近い笑顔だった。

 その笑顔を浮かべたまま、杏子は彼に向って体を寄せた。

 胸と胸同士が重なり、互いの体温が溶け合う。そして杏子は彼の顔に自らの顔を近付けた。

 彼は動かず、彼女の接近を許していた。

 その時であった。

 

 

「No!No!」

 

 

 叫び声と共に地面が揺れ、何やら機械の作動音のような物が聞こえたのは。

 その矛先を二人が見た時、ナガレと杏子の視界は白く染まった。

 そして次の瞬間、二人は宙高く舞い上がっていた。

 

 

「あが!?」

 

 

 二人は骨が折れ、口から鮮血を溢れさせた。

 そして上げた声も同じだった。

 落下した二人の先で、巨大な物体が地面を這っていた。

 仰向けに倒れた彼は首を傾けてそれを見た。

 

 

「…コンボイ?」

 

 

 それはトレーラーの事であり、実際にナガレと杏子を跳ね飛ばしたのもコンボイトレーラーであった。

 だが彼が言うそれの意味は微妙に異なっており、彼の指すコンボイとは旅の仲間であった魔神が呼び出した軍勢の指揮官を指している。

 

 

「Transform!」

 

 

 家と比較可能な巨大質量が、その一声と共に縮んだ。

 正確には構成していたものが溶け崩れ、微細な粒となったのである。

 巨大なコンボイトレーラーを構成していたのは病原菌の如く微細な魔の集合体、『熱病のドッペル』だった。

 それはつまり、この犯人が誰かを示していた。

 

 

「フレンズアンド、レッドアイズレッドガール!争いはSTOP IT!愚かさを繰り返しちゃNoなんですケド!」

 

 

 そう高らかに宣言したのは、ネオマギウス総司令官のアリナ・グレイであった。

 上も下も紺色の体育ジャージを纏っていた。

 乱入のタイミング、方法、発言、外見。

 全てにおいて意味不明な存在にすぎている。

 現状を強引に理解すると、杏子とナガレが争っているのを何かで知ったアリナはそれを止めるべくトラックに変形させた熱病のドッペルで突撃。

 既に和解し唇を重ねようとしていた二人を、未だ戦闘中と解釈して喧嘩両成敗を執行した、という事になるのだろうか。

 

 

「アリナ、お前はほんとどうしようもないな」

 

 

 アリナの背後には浴衣姿のキリカが立っている。トラックに同乗していたのだろう。

 アリナへ向けて心底からの侮蔑の表情を浮かべつつ、キリカの美しい顔には罪悪感が滲んでいる。

 恐らくはキリカが二人の戦闘を止めるべく動いた際にアリナが便乗し、戦力は大いに越したことはないと思って動向を許可。

 牛の魔女の結界を発見して乗り込んだが、その方法が予想外でありキリカの制止も間に合わなかった。というところだろうか。

 

 

「フレンズ、そしてレッドガール!喧嘩は悲しいだけだからもう仲直りしてプリーズ!」

 

 

 アリナの声には心の底からの心配があった。次の瞬間、涙を浮かべたアリナの顔に鉄拳が叩き込まれた。

 拳に纏わる魔力は、紅蓮の炎。

 

 

「てぇぇんめぇえええええええええええええええええええええええ!!!!!」

 

 

 これまでに散々に怒りを発露していた杏子であったが、今回のそれはその中でも格段だった。

 殴り倒したアリナに馬乗りになり、散々に殴打を見舞い続けている。

 ナガレはそれを止めようとしたが、当りどころが悪く少なくともあと数十秒は動けそうになかった。

 そんな彼の傍らに、二人の魔法少女が立っていた。

 一人は呉キリカであり、もう一人は佐鳥かごめだった。

 

 

「やぁやぁネクボ…じゃなくて記録人さん。最近の調子はどうだい?」

 

「呼び方は、お好きにされて構いません…私が取材した人たちは……いなくなったりすることが多いですから」

 

「ふむふむ。だとしたら私らも気を付けないとね。それで、最近だと誰を取材したのかな?」

 

 

 キリカの問いにかごめは言い淀んでいた。少し経ってから彼女は口を開いた。

 情報を提供することで、キリカ及び杏子への取材をしやすくしたいという考えが多少はあったが、相手の質問には答えなければという責任感が働いていた。

 

 

「私が最近、お話をしたのは……」

 

 

 そう言って、佐鳥かごめは三つの名前を告げた。

『純美雨』『志伸あきら』『夏目かこ』という名前であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第92話 慈しみの心と共に、微笑みを

 虚空の一角が歪み、空気が弛む。

 次の瞬間、歪んだ空間からは三つの影が飛来した。

 それは黒いローブを纏った三人の少女であった。

 地面から五メートルほどの高さから着地した際、三人は足音を立てなかった。

 互いの死角を補うように、三人は周囲を見渡した。

 破壊されたコンクリ片が散乱し、至る所に入ったヒビや亀裂が見えた。

 薄暗い回廊が長く続く、何かの施設の一角であった。

 

 十数秒が経過し、何も無いと察した時に三人は地面を蹴った。

 その際も音はせず、軽く十数メートルを飛翔し地面や壁を蹴って再度の飛翔を行った時も全くの無音。

 また風のような速度でありながら、三人は常に互いを意識し警戒を怠っていない。

 三人でありながら一つの個体であるかのような、恐ろしく高い練度が伺えた。

 

 進んでいく内に、少女達はある事に気が付いた。

 この建物の、少なくとも前後からは全く音がせず命の気配もしない事に。

 そして目を凝らすと、灰色のコンクリート壁や天井に僅かな染みが見える事に。そしてそこから、鉄潮の酸鼻な残り香が漂っている事に。

 一人の少女はそれに怯え、一人の少女がそこに視線を送って頷く。励ましの意思表示だろう。

 残る一人はただ前を見据えて先陣を切る。

 恐怖に屈しないという態度を見せる事で、仲間の戦意を保つ為に。

 

 施設の崩壊具合は前に進むに連れて穏やかになっていった。

 壁が完全な平坦となり、床に血痕の跡と粉塵の降り積もりが無くなったころ、回廊の突き当りにて無骨な鉄扉が三人を出迎えた。

 三人は一瞬だけ顔を見合わせた。覚悟はいいか、という意思の最終確認であった。

 全員が頷いた。次の瞬間、扉は開かれた。

 

 正確には、破壊されていた。

 分厚い鋼鉄の扉は紙のように千々と砕かれ、紙片のように舞い散った。

 相手の虚を突き、一斉に内部に押し入り速やかに制圧する。

 それが三人が立てたプランだった。

 

 だが、誰もが動かなかった。

 彫像と化したように、三人の黒羽根達は硬直していた。

 その鼻先を、酸鼻な香りが掠めた。

 そしてそれは、刻一刻と強くなった。

 鋼鉄の扉の内側は広い空間だった。

 そこに満ちていたそれは、出口を得られた事を喜ぶかのように三人の傍らを通り過ぎていった。

 

 

「ふむ……やはりこれは、中々……」

 

 

 凛とした涼しげな声が鳴る。

 氷で出来た鈴が奏でた音のような、美しい声だった。

 だが声の発生源からは、濃厚な鉄と潮の香りが放たれていた。

 

 声を発していたのは、青い髪に青い衣を纏った少女。

 化学薬品のような、自然界にはあり得ない光沢を放つ青い髪と衣に、白磁そのものとしか思えないような白い肌。

 掛けられた眼鏡の奥に、血のような赤い輝きが見えた。それは眼球ではなく、赤い輝きだった。

 少女の眼窩に眼球は無く、黒い闇が満ちている。赤の光は、闇の奥で輝いていた。

 炎のように揺らめき、闇を照らして輝くこれが、青の少女の眼なのであろう。

 赤い眼が見上げた先には、幾つもの突起の連なり。長い楕円形に、禍々しい刃が連なった鎖が巻き付いている。

 

 

「ちぇんそー…という名前なのは存じていましたが、よくよく考えると中々に可愛らしい名前ですね」

 

 

 大の大人が両手で持つべきそれを、少女は片手で軽々と掲げていた。

 白磁の白い肌の中、微笑みを浮かべる唇は鮮烈な赤色をしていた。

 人形のような非生物さに満ちた少女の外見の中で、そこだけは生き物の色をしている。

 体内を巡る温かい液体、鮮血の色をした唇だった。

 そこにぽたりと何かが落ちた。唇に落下したが、色の変化は少なかった。

 何故ならそれも。

 

 

「おぇぇえええええええっ」

 

 

 少女の一人が背中を折り、両手を地に着け、そして盛大に嘔吐した。

 残る二人はただ前を見ていた。額に浮かんだ汗が目に触れたが、眼は閉じられなかった。

 

 

「こん…な……おぇ……ひ、ひどい……」

 

 

 嘔吐しながら少女は言った。

 青の少女が掲げたチェンソーから滴り落ちているのは、鮮血と、粉微塵にされた肉だった。

 少女の顔の唇だけでなく、頬に数滴が落ちた。

 赤と白の対比は、生物と非生物の対比であり、生と死の対比に見えた。

 

 

「さて、では続きと参りましょう」

 

 

 掲げられていたチェンソーがゆっくりと落ちていき、びたりと止まる。

 刃が連なる鎖の手前には、人間の肌があった。

 

 

「お休みのところ、失礼いたします」

 

 

 丁寧な物言いをすると、青の少女は空いている左手を伸ばした。

 細い手もまた、光沢を放つほどに白かった。非生物的な美しさの手は、白桃色の物体に触れた。

 表面に無数の皺が入ったそれを、五指がそっと触れる。

 途端に、声にならない叫びが上がった。

 

 

「息災のようで何よりです。健康は大事ですからね」

 

 

 微笑む青の少女が触れているのは、頭蓋を蓋のように取り外されて剥き出しにされた脳髄だった。

 優しく触れながら、少女は脳を撫でる。小動物を愛でるような、繊細な撫で方だった。

 対して撫でられ続ける脳の下にある赤い瞳の眼は血走り、縦横に撞球のように一時も止まらずに動き続けている。

 手が動くたびに、その下の口からは叫びが上がった。

 声にならない声だった。

 それも仕方ないのだろう。叫び声を上げる口は、赤い宝石で塞がれていたからだ。

 黒い濁りを孕んだそれは、彼女の、大庭樹里のソウルジェムであった。

 

 

「待たせて申し訳ありません。では」

 

 

 言葉と共に残酷な機械音が鳴り、魂越しの絶叫が放たれた。

 回転する刃によって、樹里の左脚は膝小僧の真上で切断された。

 骨と肉が血雑じりの飛沫となって飛散する。

 青の少女は避けようともせずにそれを受けた。

 その顔には、汚れる事による嫌悪感も暴虐を与える事への快感は無かった。

 

 

「ふむ。なるほど」

 

 

 ただ、回転する刃だけを見ていた。そして、刃が止まった。

 

 

「この切れ味、実に素晴らしい。配下の方々にこれを使わせることを選んだ貴女の判断もまた、素晴らしい限りです」

 

 

 少女は微笑み、樹里を称賛した。

 そこに皮肉は無く、ただ本心だけがあった。

 闇の中に浮かぶ赤い光を眼とし、少女は樹里を見ていた。

 少女の前には縦長の台座があり、その上に樹里がいる。

 頭蓋を切り取られて脳は剥き出しにされ、口にはソウルジェムを咥えさせられている。

 左脚は今切断されたが、残る手足も既に無い。

 右腕は肘で、左腕は肩で、そして右脚は爪先から太腿の半ばまでを二センチ刻みで切り刻まれていた。

 

 

「ころひてやる…ときわ……ななか……」

 

 

 噛まされたソウルジェムを圧迫しないようにしながら、樹里は言った。

 口元は痙攣し、震えた事で歯が己の魂に触れてかちかちという音を出した。

 痙攣は、不敵な笑みを湛えた挑発だった。

 樹里の口の両端は頬に向かって一つの線が引かれていた。

 その線は糸で縫合されていた。よく見れば、樹里の喉や鼻の上にも同じような縫合があった。

 切断され、台の上に放置されている手足も似たような状態になっていた。

 樹里は一度、バラバラに引き裂かれており、肉片となった後で縫い合わされていたのだった。

 それは治療ではなく、再び破壊するための修理だった。

 受けた憎悪と屈辱を声と言葉にし、赤い瞳に乗せて樹里は加害者であるななかに報復の言葉を告げた。

 

 対するななかは、軽く首を傾げていた。

 

 

「はい、私は常盤ななかですが……それが……如何されましたか………?」

 

 

 心配そうな声色で、常盤ななかは大庭樹里に言った。

 

 

「私が何か…お身体や、気に障る事をしましたでしょうか……であれば、遠慮なく仰っていただきたく存じます」

 

 

 樹里の顔を覗き込みながら、ななかは言った。

 樹里は硬直した。開いた口は閉じられずに開いたままとなった。

 

 

「…素人考えですが、お疲れの御様子。然らば、安らかな休息を取られるのが急務です」

 

 

 ななかは樹里に一礼すると、チェンソーを台座の空いている場所に置いた。

 そして台座の横を通り過ぎ、真っ直ぐに歩いていった。

 縦横を無骨なコンクリートで覆われた広大な室内の中央へと、常盤ななかは至った。

 

 

「始めましょう」

 

 

 微笑みながらななかは言った。

 

 

「…そうネ」

 

「…始めよう」

 

 

 二人の黒羽根はそう言うと、纏ったローブを脱ぎ捨てた。

 青い髪に青いチャイナ服風の衣装の少女と、白銀の髪に白いラフな衣装の少女が並ぶ。

 

 

「あきらと私が戦うカラ、かこは大庭樹里を守ってあげるネ」

 

「うん…ななかだったら、そうしてた」

 

 

 前を見たまま、二人は言った。青髪の少女は、衣装の両手の内側から爪状の暗器を生やし構えた。

 銀髪の少女、あきらは空手の構えを取り、魔の力を帯びたグローブで覆われた拳を握った。

 

 

「そして、ボクと美雨は…」

 

 

 あきらの声には、痛切な響きがあった。

 

 

「…コイツを黙らせるヨ」

 

 

 対して美雨の声は、全てを断ち切る様な冷たさを纏っていた。

 美雨が言い終えた瞬間、二人の魔法少女は地面を蹴って跳んだ。

 拳と暗器が、常盤ななかへと向かって行く。

 眼前に迫った時も、彼女は避ける素振りも見せずに、ただ緩やかな微笑みを浮かべ続けていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第93話 第六段階

「ふぇいず、しくさぁずぅ?」

 

 

 ふにゃふにゃとしたとでも言うような間抜けな声を出したのは佐倉杏子である。

 普段の行動の突飛さや狂暴性は兎も角として、基本的には舌足らずながらに凛とした声を出す杏子にはあまり無い声色だった。

 

 

「はい。マギウスが魔法少女に施した強化措置です」

 

「ふぅん…」

 

 

 ぼんやりと杏子は言いつつ、どこかでそんな単語を聞いた気がした。

 記憶を辿ると思い出せた。

 まだ出会ったばかりの頃、苛立ちと暇潰しを兼ねてナガレと殺し合った時に言われた事だった。

 ここに来る前、スパーリングだかをした相手の特殊技能だかがそれだったと言っていた気がする。

 一緒に旅をしていた奴が呼び出した存在らしいが、極めて残虐非道で悍ましい性格をしているのだとか。

 とりあえず、名前が被ったのは偶然だろうと思った。なので一応試してみることにした。

 

 

「それってあれかい?マギウスの地球侵略計画の第六段階とかそういう…」

 

「いえ、ソシャゲとかでよくあるキャラクターの星の数です」

 

「ああ、☆6ってコトね」

 

 

 彼から聞いていた事を例に出すと、杏子が予想した方の答えが返ってきた。

 また会話している内に、意識から眠気が消えていた。

 

 

「で、その内の一人が」

 

「あの変態です」

 

 

 杏子と会話を続けていた黒羽根が指を差し、その隣に並ぶ羽根達も一斉に頷く。

 彼女らは揃いも揃って顔から汗を垂らしていた。黒羽根が伸ばした指の先端からも汗が滴り落ちる。

 杏子も同様であり、魔法少女服は汗に濡れていた。座った座席も背中から垂れた汗によって尻の辺りが濡れている。

 彼女らがいる空間は、高温多湿の環境だった。

 そして指が指された先では。

 

 

「おい変態腐れ外道アリナ。そこの肉焼けてるよ」

 

「oh,サンクスキリカ」

 

 

 焼けた石を詰めたバケツの上に金網を敷き、その上で肉を焼いているキリカとアリナがいた。

 アリナは黒コートと黒帽子にサングラス、そして顎のあたりに引っ掛けた白いマスクという不審者スタイルであり、キリカは魔法少女服であった。

 白樺の香りが漂う室内には五十名近くの魔法少女がおり、その中で汗をかいていた。

 要はサウナを楽しんでいるのである。

 その中でアリナとキリカは床に座ってサウナストーンを用いて焼き肉をしている。

 

 

「頭おかしいんじゃねえの?」

 

 

 杏子が言い、羽根達も頷く。

 だがこの面々も普段のローブ姿に加えて杏子も魔法少女服である。

 異常者扱いした対象との差は肉を焼いているか否かしかない。

 

 

「で、アレがそのフェイズシクサーズとかだっけか」

 

「はい。凡そあらゆる能力や身体能力が強化されてまして、通常の魔法少女とは別物と言っていい存在になっています」

 

「あの性格はそのせいなのか?」

 

「いえ。最近多少マシになってますが、アレは概ね元から変態です」

 

 

 変態した変態かと杏子は思った。我ながら巧い事考えたなと、彼女は内心で自画自賛していた。

 

 

「まぁ成程ね。あれだけ殴っても蹴っても槍で叩いてもビクともしなかったわけだ」

 

 

 杏子は先程行ったアリナへの報復を思い出す。殴る蹴るを繰り返したが、寧ろ杏子の手足が痛んで槍が破損する始末だった。

 手や槍が伝えるアリナの肌の感触は柔らかいのだが、その奥に異様な硬度を感じたような気がした。

 なんとも奇妙な感覚で言語化しにくいのだが、頑強であるというのは間違いない。

 

 

「強化措置ってことは、マギウスには特撮に出てくるヤベー博士でもいるってコト?」

 

「大体そんな感じです」

 

「ええ…」

 

 

 冗談で言ったのにと杏子は思った。

 

 

「調整屋って言葉訊いた事ありますか?」

 

「ああ、何度か」

 

「マギウスには専属の調整屋がいまして、その調整を受けて強化されたのがフェイズシクサーズです」

 

「特撮の改造人間かよ」

 

 

 欠伸をしながら杏子は言った。その間に幾つかの声が聞こえた。

 

 

「特撮って言えばミスドの次女さん、近々マギウスに宣戦布告するんだっけ?あの浅倉みたいな人」

 

「あのキャラ付けって狙ってるのかな」

 

「確かに外見的にジェノサイダーっぽいしね」

 

「ジェノサイダーって言えばアリナさんが狩ってきた類似個体、クッソデカくて邪魔なんだけど。まだ動いてて怖いし」

 

「あとで片付けさせようよ。あの人言わないとやらないし」

 

 

 二度目の欠伸をしながら、特撮好きはどこにでもいるんだなと杏子は思った。

 手で汗を拭って払い、視線を前に向ける。

 相変わらず焼き肉をしているキリカとアリナが見えたが、様子が変だった。

 

 

「No…No…No……」

 

 

 アリナは両手で頭を覆い、ブツブツと呟いていた。

 視点は一転に定まらず、撞球反射のように瞳が上下左右に激しく動く。

 キリカは頬張った肉を咀嚼しながらその様子を眺めている。

 ある程度噛んだところで、缶コーラを開けて肉を胃袋へと流し込んだ。

 

 

「何かは知らないけど、被害者の私を差し置いてお前がトラウマに苛まれてどうする」

 

 

 呆れ切った口調で、嘗てアリナに生きたまま解体された事のあるキリカは言った。

 普段なら即座に反応するアリナであったが、否定の言葉を続けるのみだった。

 

 

「ねぇねぇネオマギモブのみんな、これって演技?フールガールちゃんは出てこないの?」

 

「それは定期的な発作です。短くて数分、長くて三日位続きますので優しくしてあげてください」

 

「ふぅん、そういうことか」

 

 

 短い遣り取りだが、キリカなりに何かを察したらしい。

 新しい肉を金網の上に置くと、脂が石に滴り落ちて肉が焼ける甘い香りを放った。

 

 

「私はサウナビギナーだけど、某空手部がサウナ入る動画観ておいて助かったよ。勉強って大事だね」

 

 

 えへん、とキリカは胸を張った。少なくない数の羽根達が拍手を送る。

 こいつがリーダーでいいんじゃないかなと杏子は思い、また顔を拭った。

 キリカの発言が意味不明である事には、最早違和感を感じなくなっている。

 そこでサウナ室の扉が開いた。

 眼をやると、そこには朱音麻衣が立っていた。

 前の部分をタオルで隠す程度の裸体。この場所に入る場合なら本来の姿であるのだが、彼女以外の全員は衣服を羽織っているので麻衣は逆に目立っていた。

 

 

「…貴様ら、何をしているんだ?」

 

 

 麻衣の問い掛けの声は激怒の意思で満ちていた。爆発寸前の核弾頭を羽根達は連想した。

 

 

「サウナ…です」

 

 

 勇気ある白羽根の一人が答えた。

 

 

「何故、服を着ている?」

 

「恥ずかしいから…です」

 

「…何故、肉を焼いている」

 

「……本場フィンランドでは、パンやソーセージを焼くと聞いてましたので……」

 

「ここは日本だ」

 

 

 反論を赦さない強い口調で麻衣は言った。ひっ、という恐怖の呻きを何人かが漏らした。

 

 

「恥ずかしい…と言ったな」

 

「は……はい」

 

 

 言い終えた白羽根の首を、一瞬で距離を詰めた麻衣が掴んでいた。

 白羽根は三段ある座席の一番上に座っており、部屋の中ほどにいたが誰もがその移動の軌跡を認められなかった。

 

 

「そんなもの知るか!!服を脱げ愚か者!!!」

 

 

 激怒の叫びと共に、麻衣は白羽根の服を剥ぎ取った。

 ローブだけを残し、羽根の上着や下着が剥ぎ取られる。その次の瞬間には隣の黒羽根が餌食となり、その次の瞬間には別の羽根が被害に遭った。

 

 

「ほほう、朱音君はサウナーだったか。それも厄介オタクという奴だな」

 

 

 他人事のようにキリカは言い、焼き肉を片付け始めた。

 そして自分で服を脱ぎ、脱ぎ終えるとアリナの衣装を剥ぎ取りに掛かる。

 嫌そうな顔をしているが、介護役に回ることにしたようだ。

 彼女がされた事を考えれば、聖人君子のような決断である。

 

 

「そういや話に戻るけど」

 

 

 騒乱の中、杏子は隣の羽根に再度尋ねた。

 

 

「フェイズシクサーズってのはどんだけいるのさ」

 

「まだ数は少ないですが、少なくともマギウスのメスガキ二人の内の一人はそうだと思われます。片方は死体になったらしいので、残る一人がそうなのかなと」

 

「数が多いとめんどいな…あ、ひょっとして」

 

 

 杏子はある事を思い付いた。それを黒羽根も察したらしく頷く。

 

 

「ええ、以前遭遇されたという双樹さんらもフェイズシクサーズです」

 

「あの異常な強さはそれか。でもあたしらは倒せたから、案外大したことねぇのかな」

 

「いえ、それは楽観視にすぎるかと」

 

「というと?」

 

「恐らくですが、双樹さんもといあの変態共は何かで弱ってたのかと思われます。でなければ勝てるどころか逃げ切るなんてとても」

 

「なるほどね」

 

 

 反論はせず、杏子は納得した。そういえば温泉に行ってたし、ソウルジェムを返却したいとか言ってたなと思い返していた。

 

 

「フェイズシクサーズの戦闘力は異常です。魔法少女というより、戦略兵器と見た方が正しいでしょうか。通常の魔法少女なら、何十人で掛かろうが倒せません」

 

「本物の化け物ってことか」

 

「ええ。なので遭遇ないし発見した際は、速やかな撤退を推奨します」

 

 

 黒羽根が言い終えた時、朱音麻衣は杏子と彼女の前に迫っていた。

 憤怒の形相で、二人の服を剥ぎ取ろうと手を伸ばす。

 しゃあねぇ、少し運動するかと杏子は麻衣へと殴打を見舞った。

 麻衣も反応し、即座に交戦を開始する。

 

 

「サウナ室での乱闘か。実際のお店でやったら出禁だね」

 

「全くです」

 

 

 杏子がいた場所にキリカが座る。服を脱ぎ終えた彼女の裸体を、多くの羽根達が陶酔の眼で眺めていた。

 性的興奮を抑えきれない美しさと、美の結晶のような純粋な美しさで満ちた裸体であった。

 

 

「あ」

 

「どしたのネオマギモブちゃん。アリナの介護を代わってくれるのかな」

 

「kill,me…kill,me…kill,me…」

 

 

 アリナの呟きは殺害の懇願へと変わっていた。黒羽根は首を左右に振った。

 

 

「いえ。そういえば以前マギウスにいた時に、あたらしく強化措置を受ける候補の名前を聞いてたのを思い出しまして」

 

「ふぅん、もしかしてあきらくんかな。それとも調整屋の護衛をやってるナイトもどきのなぎたん?」

 

 

 キリカの言葉に黒羽根は再度首を振り、こう言った。

 

 

「たしか…常盤ななか、と聞いております」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第94話 砕ける氷、散る雨粒

 鮮血が散り、切断された指が宙を舞う。

 血と肉片の先に青い衣装を纏った青い髪の少女がいた。

 

 

「ななか」

 

 

 銀髪少女の呟きの直後、右から左へと光が流れた。

 左手は人差し指と中指に小太刀の柄を挟んでいた。

 

 

「ななか」

 

 

 再び同じ言葉を呟く。

 銀髪の少女の全身は血に染まっていた。

 右腕は肘の半ばで切断され、左手の指は全て切り落とされている。

 額から顎までを縦断する斬線はその間にある左眼を断ち割っていた。

 眼窩から流れる血雑じりの液体は、眼球内の房水と血液と涙の混合液だった。

 

 胸部は肉がそぎ落とされて肋骨の断面が剥き出しになっている。

 元は白銀で構築されていた衣装は赤黒く穢れ切っていた。

 その中で、新たに鮮やかな紅が足される。

 それは少女の鍛えられた腹筋の上を横に走る傷だった。

 

 

「ななか…」

 

 

 言い終えた少女の視界が黒く濁った。

 細い指が少女の顔を覆っていた。

 そして聞く者の脳裏に一生こびり付き、離れないであろう悍ましい音が鳴った。

 肉が引き裂け、骨が引き千切られる音だった。

 

 赤い花が花弁を散らして爆発したかのように、大量の血と肉と内臓が飛び散る。

 銀髪の少女、志伸あきらの胴体は臍の辺りで真っ二つに引き裂かれていた。

 断面からは滝のような鮮血が溢れ、千切れた内臓と血塗れの背骨が垂れ下がる。

 

 

「さて、お待たせいたしました」

 

 

 静かな声に少し遅れて、泥が弾けたような音が鳴る。

 投げ捨てられたあきらの肉体が、地面に落ちた音である。

 落下した少女の肉体の周囲は、罅割れと大小さまざまな陥没で満ちている。

 激戦の痕跡は至る所に広がり、罅を水路として鮮血が地面を這っている。

 無数の血の線が広がっていく様は、生物から皮膚を剥いで血管を眺めているかのようだった。

 広がる血はやがて、大きな血だまりへと合流した。

 そこには、青い衣装の少女が蹲っていた。

 

 

「…随分と、余裕ネ……私を舐めてるのカ?」

 

 

 血臭を孕んだ声で美雨は言った。

 今の彼女は両脚が膝の部分で捩じれ、続く太腿も真ん中のあたりで砕かれていた。

 太腿は折れた木のように、千切られた筋線維と折れた骨がささくれた断面を見せている。

 腹部を覆う衣装は破れてこそいないが血を大量に吸って赤黒く変色していた。

 長い脚による蹴りだったと美雨は記憶している。

 咄嗟に右膝で防御したが、防御した膝がへし折られて腹へと激突したのだった。

 防御しなければ、あきらより先に真っ二つになっていただろうと美雨は考えていた。

 また下半身の損壊とは裏腹に、上半身はほぼ無傷である。

 両手の三本の爪も、細かい傷はあれど形を維持している。

 

 

「いいえ」

 

 

 ななかは首を左右に振った。

 長い髪が主の動きに従い、柔らかな絹のようにさらりと揺れる。

 

 

「舐めてなどはおりません。あきらさんにも私は真剣に向き合いました」

 

「その割にハ、ほぼ素手だったと思うけド」

 

「彼女は手袋が武器とはいえ、素手でしたので私も合わせていただきました」

 

「………ふぅん」

 

 

 沈黙を挟んでから美雨は吐息を吐く。息からは血臭が止んでいた。

 肉の断面からも出血は絶えている。

 そして二人の姿が消えた。

 金属音が鳴り響く。高い天井を持つ室内の、頂点に近い場所にて。

 再生させきる寸前に美雨は跳躍し、ななかもその後を追っていた。

 美雨の両手の爪を、ななかは小刀一本で受けていた。

 

 

「ッ」

 

 

 美雨は爪を振って背後へと飛び、壁面へと至ると壁を蹴って再度跳んだ。

 同様の所作を行ったななかと、空中で激突。

 室内の高所にて、夥しい数の火花が散った。

 一瞬の間に繰り出される爪の猛打を、ななかは一本の小刀で完全に受け切っている。

 

 

「ほう、やはりお強い」

 

 

 氷のように涼しい声でそう言うななか。

 感嘆の響きは如実に表れていたが、美雨は奥歯を噛み締めた。

 自分が攻勢に出ているが、ななかに爪は届かず全く傷を負わせられていない。

 一方ななかは爪の猛打の中で生じた僅かな隙を逃さず刃を振い、美雨に手傷を与えていく。

 

 美雨の顔に首に胸に肩、腹に腕にと細い朱線が入り続ける。

 皮膚を切り裂き、肉をそっと裂く程度の傷。

 手加減をされているという事が嫌でも分かる威力であった。

 最初に切り裂かれたのは額でその次は首であったため、本気であれば最初の一手で自分は戦闘不能に追い込まれていた。

 その自覚が美雨を苛む。

 

 

「御顔が優れないようですが、何か悩み事でも……?」

 

 

 十数度目の交差は地上で生じた。

 美雨が繰り出した両手の爪をななかが小刀の刀身を絡ませて受け止める。

 問い掛けは、その際の一瞬の停滞の際にななかが告げたものだった。

 美雨の返答は怒りの咆哮だった。渾身の力で振り払う…が、ビクともしなかった。

 技ならばまだ分かるが、単純な力比べですら敵わない。

 その対比は蟻と巨象に等しいと悟った美雨の両手の圧力がふっと消えた。

 小刀が離れたと思ったとき、その顔に影が降りていた。

 見上げた先には、掲げられた小刀の柄があった。

 

 

「そんな悲しい顔……あなたには似合いません」

 

 

 痛切な声でななかは言う。

 直後に衝撃。柄が振り下ろされ、柄頭が美雨の前歯に激突し叩き折った。

 

 

「がぎゅっ」

 

 

 無残な悲鳴を上げる顔へと、ななかは再び小刀の柄を振り下ろした。

 額が陥没し、鼻が潰れ、頬が砕けて歯が飛び散り、飛散した歯は散弾となって柔らかい口内を切り刻む。

 悲鳴を上げ続ける美雨の背へと、ななかは左手を回していた。

 限りなく優しい手付きと力で抱擁しながら、彼女は美雨の顔を砕き続ける。

 一撃毎に肉と骨が飛散し、酸鼻な破片が宙を舞う。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第94話 砕ける氷、散る雨粒②

 がちゅん、という音が鳴った。

 骨が砕け、肉が潰れる音である。

 

 

「ふむ……少し力を入れ過ぎてしまいましたか」

 

 

 氷のような涼やかな声に続く伴奏は、滴る水音。

 常盤ななかが右手に持った短刀の柄には、肉と脂を糊として歯と骨の欠片がこびりついていた。

 左手に抱かれている青い中華衣装の少女、純美雨の顔は原形を留めないほどに破壊されていた。

 彼女の口を顔に開いた穴として、そこに向けて頭蓋も鼻も頬も顎も、砕かれて押し込まれている。

 首も圧搾され胴体へと減り込んでいた。僅かな痕跡として、血深泥になったツインテールの髪型が穴の淵から垂れている程度であった。

 手足は痙攣し、びくびくと震える度に肉の穴となった頭部の口からは鮮血が溢れた。

 冷えゆく赤い血を顔に浴びながら、ななかは溜息を吐いた。

 

 

「美しい顔が、これでは………」

 

 

 嘆きの言葉を告げたななか。次の言葉を紡ぐ前に、破砕音が鳴り響いた。

 

 

「ななか!!」

 

 

 破砕音に続いたのは、裂帛の叫び。

 志伸あきらの声だった。

 身体を切り裂かれた彼女は、断面から臓物と血を垂らしながらも地面を殴打して飛翔していた。

 下半身が無いながらに、完璧な打撃のフォームとなって振りかぶられていた拳は、氷の魔力を帯びて青い岩塊となっていた。

 直撃すれば数体の魔女を屠る一撃は、腕が伸び切る寸前で停止した。

 

 

「はい、あきらさん。何用でしょうか?」

 

 

 破れた鼓膜ではなく、脚から伝わる震えによってあきらはその言葉を認識した。

 雷光の如く勢いで跳ね上がった左脚が落雷となって落ち、あきらの後頭部へと踵を激突させていた。

 踵落しを叩き込まれたあきらの後頭部は爆ぜ割れ、頭皮と頭蓋骨は蜜柑の皮のように捲れている。

 灰桃色の脳髄は弾け、断裂した神経を露わにしていた。

 ななかは一端足を離すと、再び足を落とした。

 水が弾けるような音と共に、あきらの頭部は完全に崩壊した。

 顔を構築していた部品は無意味な肉片となり、ななかの足を基点として放射状に飛び散っている。

 

 

「美雨さん、あきらさんは何を仰りたかったのでしょうか?」

 

 

 ななかが問う。暗い孔に顔の肉が詰まった状態となった美雨は答えない。

 あきらに襲撃される前にはあった体温も消えかけ、血の噴出も収まっている。

 

 

「嗚呼、成程」

 

 

 無言の美雨と頭部が破壊されたあきらを交互に見て、ななかは言った。

 途端、彼女の視界が変化していく。

 X線で透過されているかのように、色が消えて線だけが残る。

 その線がほつれ、合わさり、新しい光景を作っていく。

 

 

「この程度で終わる、貴女達ではありませんでしたね」

 

 

 ななかの微笑みの先には、血に染まった美雨とあきらがいた。

 美雨は歯の殆どを折られ、左眼は潰されている。あきらは上下半身を分かたれたままだった。

 あきらに合わせ、片膝を着いた美雨に昭は右手を差し出していた。

 美雨は左手であきらの手を握った。そして、満身創痍の魔法少女二人は叫んだ。

 

 

「「コネクト!」」

 

 

 重ねられた血染めの手を基点に、二つの青い魔力が絡み合う。

 一瞬の後、魔法は完成していた。

 

 

「…これは意外です。素晴らしい」

 

 

 ななかが発した感嘆の言葉を、無数の爆音が覆い隠した。

 美雨の右手には、青い氷で出来た巨大なガトリングガンがあった。

 握っているのではなく、彼女の本来の得物である銀の爪のように手の甲に接続されているのである。

 腕自体が重火器となったような姿だった。猛烈な勢いで回転し、無数の弾丸を吐き出していく。

 弾丸が放たれる度、あきらの顔には苦痛の色が濃くなっていく。

 

 発射される弾丸は主に、あきらの魔力を吸って放たれているのであった。

 発射開始から数秒足らずで、彼女の眼や鼻、そして耳からは鮮血が噴き出していた。

 放たれていく氷の弾丸は、確実にななかを捉えていた。

 そして破裂した弾丸は青白い飛沫となって飛散している。

 それは霧のように空間を漂い、射線とななかの間を殆ど覆い隠した。

 

 

「ななか!!」

 

 

 歯を折られているが故に、くぐもった発音だったが美雨は確かな声で名を呼んだ。

 次の瞬間に起こった事は、その返事でもあったのだろうか。

 青い飛沫を切り裂いて去来する、白く美しいものを美雨は見た。

 そしてそれが、彼女が眼で見た最後の光景だった。

 ぞりっという音を美雨が認識した時、彼女は自分が見たものはななかの手であったと理解した。

 

 

「美しい…」

 

 

 陶酔した声を出すななか。

 広げられた手の中には、美雨の顔があった。

 顎先から額までを、厚さにして二センチほど。

 ななかが放った手刀によって、美雨の顔が抉り抜かれていた。

 残った顔は、眼球と舌と肉と骨、そして脳の一部の断面を晒した状態となった。

 しかしそれでも、美雨は意識を保っていた。

 コネクトにより呼び出したガトリングを撃つことをやめず、立ち続けた。

 そこでふと、砲撃が止まった。そして左手が繋がれている感覚が途絶えていた。

 焦燥感に駆られた瞬間、美雨の頭部に激震が走った。

 

 

「…ごめん、美雨」

 

 

 あきらの哀しみに満ちた声は、直後に氷が砕ける音となった。

 そこで美雨も意識を失った。

 魔法が消え、周囲を覆っていた白銀の霧が晴れていく。

 霧深い海に浮かぶ孤影のように、常盤ななかだけが立っていた。

 

 

「残念ながら、楽しいときは永遠とはならないものなのですね」

 

 

 儚げな声で告げたななか。

 足元には、首から上を失くした美雨の身体が横たわり、青と赤の破片が散らばっている。

 

 

「貴女は、それを私に示してくれたのですね…あきらさん」

 

 

 その両手には、凍り付いた足首と背骨が握られていた。

 ななかは美雨の顔を抉った直後、両断されたあきらの上下半身を背骨と足首で掴み、左右からの打撃武器として美雨に見舞ったのであった。

 酷使したことによる魔力の暴走によってあきらの身体は凍り付き、武器として扱うに十分な硬度を有していた。

 それで以て、美雨の頭部が破壊され、あきらは肉体の殆どを完全破壊されたのだった。

 そして今、ななかの手の中で最後に残った破片も砕け散った。

 握り潰したあきらの破片を投げ捨て、ななかは首をぐるりと動かした。壊れた人形を思わせる、不気味な動きだった。

 

 

「さて、残るは貴女だけですね」

 

 

 漆黒の闇が溜まった、ななかの眼窩。

 その奥で爛々と輝く深紅の輝き。

 異形の眼の先には、杖を携えた緑髪の少女がいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第95話 炸裂

「…おや?」

 

 

 常盤ななかは疑問の声を発した。

 既に美雨とあきらは斃され、首無しとなった前者の身体と足首と背骨の一部を残して全体が砕け散った後者の残骸が足元に転がっている。

 眼球に非ずの、眼下に溜まった黒い闇の奥で輝く赤い燐光の視線を向けた先の存在に対し、彼女は首を傾げていた。

 

 

「それ以上…近付かないでください……これは……警告です!」

 

 

 震えているが、芯の通った強い声。

 緑髪の小柄な少女は、栞の形をした刃を持った槍の切っ先をななかに向けてそう言った。

 声は震えていたが、槍の先は小動もしていない。

 右に傾いていたななかの首が、今度は左に傾いた。重ねての疑問を感じたということだろう。

 

 

「警告……ですか」

 

 

 病的を通り越して、文字通りの白磁の肌の中でそこだけは生命を感じる赤い唇が、不思議そうに言葉を呟く。

 言葉の意味を再確認しているかのようだった。

 

 

「貴女が…私を?」

 

 

 そう言ったななかの顔には、悲哀の影が差していた。

 

 

「私が何か……しましたでしょうか?」

 

 

 彼女の言葉に、夏目かこの槍の穂先が震えた。

 彼女自身の顔も引き攣り、両眼には恐怖の色が色濃く映えている。

 

 

「貴女にそんな、悲しい顔をさせるような、なにか、失礼な事を………」

 

 

 言いながら、ななかはかこへと歩み寄る。

 爪先があきらの内臓の破片を小石のように蹴り、足裏が美雨の眼球を踏み潰す。

 仲間二人の肉片や骨の欠片を砂利のように踏み散らしながら、常盤ななかはゆっくりと歩いている。

 

 

「どうか…教えていただけないでしょうか……私に出来る事なら、どんな改善でも致します」

 

 

 声は真摯であり、狂気の欠片も伺えない。

 全くの正気で、常盤ななかは狂っていた。

 かこは悟った。

 彼女は仲間たちの破片を破壊したいのではなく、視界に入っていないのだと。

 また、それを悪行とも思っていないと。

 そもそも自分が今何をしているのか分かっているのか、何を考えているのかが分からない。

 かこの心が、急速に黒々と濁り始めた。

 救出、奪還、和解。

 そういった言葉が、次々と希薄化していくのが感じられた。

 必死になって希薄化を防ごうとするも、踏み潰される肉や骨の音や、接近を続けるななかの存在がそれを阻害する。

 

 

「あ」

 

 

 かこは短く呟いた。

 精神の奥底に、黒い爪が切っ先を突き立てた瞬間だった。

 黒い爪とは、恐怖の事であった。

 爪先から流し込まれた恐怖の毒が、かこの心を一気に汚染した。

 

 

「あああああああああああああ!!!ああああああああ!あああああああああああ!!!」

 

 

 赤子のように、かこは叫んだ。

 それは産声に近い声だったかもしれない。

 彼女の心を突き破り、生まれ出でた恐怖の叫びである故に。

 叫びに呼応し、槍の先端が深緑色に輝いた。

 同時に、ななかの身体の正面からも同色の光が生じる。

 先に斃れた美雨とあきらが放った、機関銃の形をしたコネクト魔法。

 

 魔女数体を重ねても一撃で肉の霧に変える威力であったが、ななかの衣装や肉体が頑丈に過ぎ、弾丸も殆どが弾かれていた。

 だが美雨の爪を模した氷の弾の無数の猛打はななかの衣装を貫き、肉に食い込み骨格へと至っていた。

 彼女の外見こそ、僅かに衣服が乱れた程度であったが、極微の破片となった弾丸は彼女の体内に埋没している。

 それら全てが、かこの魔力の色に輝いていた。

 

 体内からの緑の光に照らされる、青い髪と衣装を纏った白磁の肌の少女。

 生命の色を思わせる光に対する非生物である造形物のような姿となったななかの対比は、常世に非ずの異界の美を表していた。

 

 

「ななかさん!」

 

 

 かこは叫んだ。異界の美の美しさが、僅かながらかこの恐怖を拭ったのだった。

 その視線の先、光の中のななかはかこを見た。

 闇の奥の赤い輝きはかこを見て、そして右手に視線を落とした。

 そこには、剥ぎ取られた人間の顔が貼り付いていた。

 

 

「…美雨……さん………?」

 

 

 呟くななか。その時、彼女の髪の色は赤く変わっていた。

 衣装も青から赤を帯びた紫へと変わる。白磁の肌も、白いが健康的な肉の肌となった。

 最後に、闇と光が溜まった眼窩が瞬く。開いた後には、赤い瞳の眼があった。

 瞳の中は、困惑と恐怖と、哀しみで満ちていた。

 それは紛れもなく、かこ達が知る常盤ななかの姿だった。

 かこは紡ぎかけの魔法を止めようとしたが、既に力が満ちていた。

 銃で例えるなら、引き金は引かれており弾丸は既に放たれている状態だった。

 

 

「私は、何を」

 

 

 愕然とした様子で呟いたななかの全身を、緑の光が包み込んだ。

 かこの放った絶望の叫びも、爆風と閃光に塗り潰された。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第96話 一つの終焉

「ぐっ…」

 

 

 熱と痛みが全身を隈なく覆う中で、夏目かこは苦鳴を漏らした。

 爆風に吹き飛ばされ、彼女は背中から壁に激突してから床に落下していた。

 顔が床にぶつかり、可愛らしい鼻は折れ掛け唇の端が割れていた。

 轟々と吹き荒れる風は、少しずつ勢いを減じつつあった。

 かこは顔を上げ、粉塵や火の粉が舞い踊る先を見た。

 

 そこには、赤く揺らめく影があった。

 腕を持ち上げ、涙で濡れた眼を拭う。壁面への激突に依る為か、右腕の手首は砕け、手はだらりと下がっていた。

 

 

「ひっ…」

 

 

 視力を取り戻したかこは、見たものに対する怯えを漏らした。

 

 

「これは……驚きました」

 

 

 それは、青い火柱だった。そしてそれは、常盤ななかの声を発していた。

 

 

「お見事です…かこさん……」

 

 

 硬質な音を立てながら、それは砕けた石畳の上を歩いている。

 硬い音には、粘着質な響きも混じっていた。

 眼を見開き、恐怖に引き攣った顔で、かこはその存在を見続けた。

 

 それは、青い燐光を纏った骸骨だった。

 

 

「それにしてもそんなお顔をされて……私の顔や体に、何かが付いておりますでしょうか?」

 

 

 常盤ななかの声を、その骸骨は発した。

 確かに、その身体には付着物があった。

 それは、骨の至る所から生えた無数の針だった。

 生け花で用いられる剣山を、かこは連想した。

 そしてその用途も剣山と同じであった。

 無数の針は、常盤ななかの肉を内側から貫き、骨に固定していた。

 赤々とした内臓と靭帯、筋線維や神経、そして僅かに残った肌の一部が針で貫かれる事で骨に貼り付いている。

 左腕は肩から外れ、関節の断面が見えている。そこもまた、無数の針が突き出す異形の関節となってた。

 剣山というのは比喩ではなく、今の彼女は生け花さながらの有様となっていた。

 常盤ななかの骸骨は大部分の肉を喪っていたが、それでも彼女の面影は残っていた。

 

 

「だとしたら、申し訳ありません。もう少し身嗜みには気を付けなければなりませんね」

 

 

 剥き出しの声帯を震わせながら、その言葉は紡がれた。

 頬骨に貼り付いた頬の肉に、幾つかの指紋が残っている右手が触れた。

 肉が残っていた頃のななかの様子を、かこは如実に思い出せた。

 今のななかと過去のななかの姿が二重に重なって見えた。

 その瞬間、かこは口から大量の胃液を吐き出していた。

 絶叫のような悲鳴と共に、赤黄色の吐瀉物が止め処なく溢れ出る。

 吐きながらも、彼女の眼はななかから離れなかった。

 

 肋骨の奥には、半壊した肺があった。

 焼け焦げた心臓は、灰の破片を散らしながらも脈動を続けている。

 体の各部では神経や血管の断片が、触手のようにのたくっていた。

 

 

「もうしばらくしたら、御片付けを済ませてお風呂に入りたいところです。かこさん、よかったら貴女も如何ですか?」

 

 

 青い頭髪が爆風の残り風に揺れ、唇が微笑みの形を作る。

 破壊し尽くされた肉体の中で、それらだけは元のままだった。

 かこへと歩み続けるななか。対してかこは下がる事も出来ずに、嘔吐を続けながらななかを見続けていた。

 気が触れる寸前、彼女の傍らを銀の光が過った。

 

 

「ん……」

 

 

 僅かな呻きが、米粒のような白い歯が並ぶ口から漏れる。

 ななかの右眼に、白銀の銛が突き刺さっていた。

 掌ほどの大きさの銛の尾には、銀の鎖が巻き付いている。

 その末端は、かこの背後に立つ人影の右手と繋がっていた。

 

 

「美雨……さん……」

 

 

 血と胃液を吐きながら、かこはその者の名を告げた。

 首の無い美雨が立ち上がり、三本の爪を変形させて一本に束ねた銛を放っていたのだった。

 脳のある位置まで埋没したそれを、ななかは触れもしなかった。

 

 

「お元気でなによりです。美雨さん」

 

 

 ななかの表情は崩れず、僅かに残った肉と腱は笑顔を形作る。

 銛を放った美雨は、それ以降の動きを止めていた。最後の力だったのかもしれない。

 

 歩みを再開したななか。

 その背で真紅が翻った。

 轟々とした熱風を纏うそれは、溶岩のような炎であった。

 

 

「腐れマギウスの落とし子がぁああああああああ!!!!」

 

 

 常盤ななかの背後で迸る炎。

 その発生源は、大庭樹里が握る火炎放射器。

 龍の口を模した形状の先端からは、赤黒く輝く禍々しい炎が放たれている。

 

 

「死にやがれぇええええええええ!!!!」

 

 

 悪鬼の形相で叫ぶ樹里は、全身を傷で覆った姿となっていた。

 常盤ななかによってバラバラに解体されて切り刻まれた肉体の各部は、簡易的な治癒魔法による魔法の糸で強引に縫合されている。

 取り外された頭蓋も剥き出しにされて直接握り潰されていた脳の上に被せられ、額には縫合の後が刻まれていた。

 ななかの姿は樹里の怒りの炎に飲み込まれ、僅かに輪郭が見えるのみとなっていた。

 自分はどうすべきか、かこは判断に迷った。

 その時、背後でどさりという音が鳴る。

 首無しの美雨が仰向けに倒れた音だった。それを見て、かこは決断した。

 

 

「っぅぅううう!!」

 

 

 悲痛な叫びを上げて、かこは落ちていた自分の杖を拾って魔法を紡ぐ。

 監獄から外界に出るための転移魔法であった。

 自分の魔力の残りは少なく、一度きりしか使えないと彼女は悟っていた。

 かこの背後に、ブラックホールを思わせる黒い孔が形成された。

 美雨を抱えてその中へ至ろうとした時、

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 唐突に足首を襲った彼女は悲鳴を上げ、その身体は崩れ落ちた。

 振り返ると、右の足首に針だらけの骨の指が絡みついていた。

 常盤ななかから外れた、左腕であった。

 

 

「ああっ」

 

 

 足首が一気に圧搾され、骨と肉が砕けた。骨の指の間からは挽肉が血と共に溢れる。

 腕は肘を芋虫の歩行のように曲げて伸ばしを繰り返し、かこが脱出口へと至るのを阻害していた。

 足首を握り潰した手から生えた針は、かこの肉体に突き刺さって離そうとしなかった。

 かこが右足の切断を決意した時、骨の腕は縦に切り裂かれた。

 二つになって落下する骨の奥、轟々と燃え盛る炎もまた二つになっていた。

 炎の間には、刃を振り終えた骸骨の姿。

 

 

「      」

 

 

 ななかは口を動かし、何かを言っていた。

 その言葉に、かこは眼を見開く。

 次の瞬間には、ななかは再び炎に包まれた。

 

 

「ななかさ」

 

 

 言い終える前に、かこは吹き飛ばされていた。

 動きを止めていた美雨の身体が再び動き、彼女の身体を突き飛ばしていたのだった。

 脱出口を抜けた直後に、異界からの出口は消え失せた。

 

 

「あっ……」

 

 

 伸ばした手の先で消えゆく出口を、かこは茫然と見つめるしか出来なかった。

 そのまま数分、かこは動きを止めていた。

 再び動き出した時、彼女は大声で泣き出した。

 仲間の全てを喪い、彼女は独りになっていた。

 腫れ上がった喉と荒れ果てた口内。

 泣くことによる震えだけで、彼女の身体は尋常ではない苦痛に苛まれる。

 だが何よりも、かこを苦しめていたのはななかからの言葉であった。

 

 

『お逃げなさい』

 

 

 自らの骨の腕を切り裂き、かこを逃がしたななかの言葉。

 これが、正気のななかによるものか、それとも狂気のななかによるものか。

 その判断が出来ない自分に対しての憤りと無力感が、彼女を苛んでいるのであった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第97話 希望を探して

 夜空には黒々とした曇天が広がり、激しい雨が降り続ける。

 路地裏を駆け抜ける風は強く、横薙ぎの雨と強風が華奢な身体を打ち据えた。

 古びたビルの壁面が連なる、不景気さに満ちた路地裏からは街の雑踏も遠かった。

 しかしこのとき、夏目かこは外部の音を認識していなかった。

 

 

「なんで」

 

 

 雨に濡れた唇が言葉を紡ぐ。

 

 

「どうして」

 

 

 魔法少女服のまま、身体の右半身を壁面に寄せ、布と肌を引きずりながらかこは進む。

 口からはひたすらに、「なんで」「どうして」という疑問と答えを求める言葉だけが滔々と漏れる。

 そして思考の中では、過去の事象が繰り返し脳内で反響していた。

 

 ある時、チームのリーダーである常盤ななかが行方不明になった。

 とある筋から足取りを掴み、神浜監獄へと赴いた。

 その結果として、かこは仲間を喪った。

 他ならぬ常盤ななかの手によって、純美雨と志伸あきらは肉体を破壊された。

 髪も衣装も本来とは異なる青い輝きに染まった常盤ななかは、かこの知るななかであり、そしてまるで別物だった。

 

 何の罪悪感も疑問も無く、彼女はかけがえのない仲間である筈の二人を無惨に破壊したのだった

 あきらは上下半身を両断された挙句に、分かたれた肉体を打撃武器にされた。

 顔の左右からあきらの身体を用いた打撃を受けた美雨の頭部は崩壊し、頭蓋骨と脳漿と血肉を散らした。

 あきらの肉体も背骨と足の一部を除いて完全に砕け散った。

 数十分前の光景は、時間経過の少なさもあって今でも鮮明に脳裏に刻まれている。

 酸鼻な状況の中、常盤ななかは人形のように微笑んでいた。

 

 

「……ななかさん」

 

 

 かこの呟きは、哀切さに満ちていた。

 あきらと美雨によって撃ち込まれた弾丸をかこが炸裂させた際、ななかは一瞬だけ元のななかの姿となっていた。

 そして神浜監獄からかこを逃がしたのもななかであった。

 

 

「ぅうう……!」

 

 

 脳裏を過る凄惨な記憶。

 小さな唸り声を上げ、かこは右拳を振り上げた。

 壁に叩きつける、寸前で拳は止まった。

 手を止めたまま、かこもまた動きを止めていた。

 そのまま一分ほど、彼女は動かなかった。

 やがてゆっくりと体勢を戻し、大きく息を吐いた。

 物に当ることへの無意味さと、暴力への忌避感が彼女の行動を抑制していた。

 一時灼熱していた思考が虚無感により急速に冷え、それが功を奏したのか心臓が破裂しそうなくらいに高鳴っていた鼓動は、胸が痛む程度の動悸へと収まった。

 

 

「………」

 

 

 頭に当たる雨が額を伝い、瞼を過って鼻筋に沿って流れ、細い顎から地面に滴る。

 雨水と涙で目を濡らしながら、かこは路地裏の先を見ていた。

 薄闇が蟠るその場所に、かつて見た光景がダブって見えた。

 

 

 あれは、一月ほど前だろうか。

 かこは神浜の街の路地裏を歩いていた。

 彼女の先には志伸あきらと純美雨がいた。全員が魔法少女に変身しており、手には武具を携えていた。

 魔力も十二分に溜まっており、何時でも各々の必殺技が放てる状態になっている。

 時刻も月の光の少ない夜であり、今との違いは雨が降ってるか否かの違いであった。

 

 ある存在から連絡を受け、一同は指定された場所に赴いたのだった。

 その相手に対し、全員が警戒心を抱いていた。

 幾ら抱いても足りないほどに、その存在は危険極まりなかった。

 

 先行する二人がぴたりと足を止めた。

 二人の背を見つつ、かこも歩みを止める。

 先を見つめるあきらと美雨の横顔をかこは見た。

 そこにあったのは、複雑な表情、としか言いようのない怪訝さで満ちた二人の顔だった。

 続けてかこも前を見る。彼女もまた同じ表情となった。

 距離にして十メートルほど先、指定された場所にそれはいた。

 歩いている最中は気付かなかったが、それだけ接近して漸く分かった。

 その存在は、闇色の衣装を纏っていた為に。

 

 

「welcome!」

 

 

 茫然としている面々へと、快活な少女の声が投げ掛けられた。

 韻を踏まれたウェルカムの発音は、音の一つ一つに濁音が入れられた様な趣があった。

 革製のフード付きのローブはその者の手首あたりまでを覆っている。

 横長のテーブルに両手を付き、その存在は三人を待っていた。

 

 あきらと美雨は互いに視線を交わしていた。

 その際に

 

 

『狂ったのかな』

 

『それは元からネ。でもなんか違う気がするヨ』

 

 

 という思念が交わされていた。

 申し訳ないと思いつつ、かこも同じ気分を抱いていた。

 思念を交えつつ、三人は改めて周囲を見渡した。

 歩いていく際も警戒は怠らなかったが、要人に越したことはない。

 その結果、魔法少女は自分達と眼の前を除いて周囲にはいない事が分かった。

 

 

「来てくれて、どうも感謝なんですケド」

 

 

 ローブ姿の少女は頭を深々と下げてそう言った。

 ローブの端からは、緑色の前髪と黄色の横髪が見えた。

 声、口調、髪の色と、ローブで身体を覆っていてもその存在は特徴的に過ぎた。

 

 その後、美雨とあきらとその存在は幾つかの言葉を交わした。

 戦闘に発展する事も想定していたが、幸いにしてそうはならなかった。

 美雨が挑発的な、そして皮肉気な言葉を告げても相手は自分の非を認めて反論をしなかった。

 何か裏があるのではと更に責め立てる美雨を、遂にはあきらが諫める場面もあった。

 

 やがてその存在は、こう切り出した。

 

 

「率直に言うんだけど、ユー達をスカウトしに来たんだヨネ」

 

 

 少女の声は涙声だった。鼻水を啜る音が声に続いた。

 その後、二人と少女の間で幾つかの言葉が交わされた。

 結果として、三人は所属する組織を抜けはしなかった。

 懲罰部隊への恐れはあったが、行方不明のリーダーを探すには今のままがいいという判断からだった。

 相手はそれに対して理解を示し、

 

 

「常盤ななか、早く見つかるとイイネ…」

 

 

 と、哀切な言葉を漏らした。

 最後に少女は、三枚の紙を渡した。

 名刺サイズのそれには、複雑な紋様が描かれていた。

 異形じみていたが、それは確かに美しかった。

 

 

「ソレを使えば、私の結界にすぐ行けるんだヨネ。もしも困ったり、その気になってくれた時はいつでも使ってプリーズ」

 

 

 美雨とあきらは迷っていた。信頼すべきか否か。

 そうしている間に、差し出されたうちの一枚が引かれた。それを引いたのはかこであった。

 三人は顔を見合わせる。かこは複雑そうな表情ながらに微笑み、二人は苦々しさを感じながらも頷いた。

 一枚だけは持っておこう。そういう結論に至ったのだった。

 美雨とあきらはかこ一人に重荷を背負わせたと感じていた。

 一方のかこはと言えば、狂人との交渉と会話を任せた事の負い目があった。

 この三人は何時でも互いを気遣う、理想的な集団であった。

 

 その様子を察したのか、札を渡した当の本人はローブの内側の眼を手の裾で拭っていた。

 

 

「美しい友情に感動しているんだヨネ…」

 

 

 その声には誰もが気付かないフリをしたが、全員がこいつは本当にあの狂人なのかと勘繰っていた。

 それから程なくして、会合は終わり三人はその場を離れた。

 距離を開けてから振り向くと、手を振って見送りをしている様子が見えた。

 元の異常者からの変貌が激しすぎて、却って不気味な気分になったのをかこはよく覚えている。

 

 手を振り続ける変態の姿が消えていき、やがて元の景色へと変わった。

 記憶の世界から現実へと戻った事を知らせるように、一層激しさを増した雨が音と衝撃でかこを打ち据えた。

 かこはしばし眼を閉じ、そして決心した。

 得物である栞の槍を呼び出し、握る。

 そして懐から取り出した一枚の札を放り投げる。

 精緻で奇怪な、されど美しい紋様を刻まれた札には「Alina Glay」という署名が見えた。

 毒々しい緑色に輝くそれを、瑞々しい緑の光に満ちた槍穂が貫いた。

 

 緑と緑が触れたその途端、札は鞠のように膨らみ弾けた。

 光が上下左右に広がり、路地裏を光が埋め尽くす。

 光の奔流は一瞬で消え去り、後には元の闇に満ちた景色が残った。

 そこに緑髪の少女の姿は無く、ただ無数の雨が地面を打つ音だけが響いていた。

 

 

 緑の光が視界を染め上げている。

 その中で夏目かこは考えていた。

 

 

「私が」

 

 

 思考はそのまま口から漏れた。

 

 

「私が、なんとかしないと……!」

 

 

 たどたどしいが、力強い口調でもあった。

 あの変態、アリナ・グレイへの不信感は強いが、それでも今は助けになってくれることを信じるしかない。

 魔法少女記録の共同執筆者も、立場的には中立だと言うが事情を話せば力になってくれるに違いない。

 そして、不安に染まりそうになる心を輝く桃色の髪の少女の存在が喰い止めていた。

 あの人なら、マギウスを離反した、マギウスの創始者であるあの人なら。

 今は何処にいるのか分からないが、マギウスと敵対している元マギウスの変態なら何か知っているかもしれない。

 誠に不本意で信じがたいが、あの変態はかこの希望となっていた。

 

 やがて緑の光が消えた。

 泥を踏んでいた足は、硬い地面の感触を捉えた。

 少し遅れて、視界も緑の光のそれから実体へと変化していく。

 その時だった。

 

 

「あぐっ!?」

 

 

 胸に鈍痛が走り、かこは尻から地面に激突した。

 咄嗟に痛みの着弾地点である胸に手を添えた。

 さらりとした感触と、粘ついた感触が同時に来た。

 そして彼女の鼻孔は、ここ数時間で嗅ぎ慣れた匂いを嗅いだ。

 それは、酸鼻な血臭であった。

 

 

「え……」

 

 

 その根源を見たかこは、呆然とした声を発した。

 そこにいたのは、緑色の長髪の少女であった。

 黒いコートに身を包んだ少女の胸には、胴体が千切れかけるほどの大穴が開いていた。

 穴は貫通し、背中からはかこの両脚が見えている。

 白目を剥き、口と鼻からは黒々とした血が垂れている。

 ぴくりとも動かないそれは、見間違えようもなくアリナ・グレイだった。

 彼女が希望とした存在は、全身を血に塗れた物言わぬ姿となっていた。

 悲鳴を堪えながら、かこは前を見た。

 この変態が飛翔してきたと思しき場所を見る為に。

 何か行動を起こさないと、心が砕けてしまいそうだった。

 

 

「ひぃいいっ!?」

 

 

 視認したものを前に、今度こそかこは悲鳴を上げた。

 悲鳴と共に、心の中で何かが砕ける音を聞いた。

 何かとは、希望という概念の事である。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 一時間前

 白い肌の上を汗が伝う。

 既に湿り気を帯びた肌を珠の汗が流れ、極小の川となって体表を濡らす。

 秀麗な顎から細く美しい喉を伝い、小さな水の線は大きな双丘へと至った。

 見ただけで分かる柔らかさと温かさを湛えた美麗な形状の乳房の上を、その美しい線に沿って流れ、金色の輝きを放つ装飾を濡らした。

 翼を広げた甲虫を模した、美しい装飾品だった。

 

 

「うぅむ」

 

 

 美しい喉が小さい声を出す。

 唸り声ですら、輝く星のような美しさがあった。

 

 

「ねぇねぇネオマギモブのみんな、このエロ衣装はなぁに?」

 

 

 華麗な、そして露出度が高いに過ぎる衣装に美しい手を添えつつ、呉キリカは尋ねた。

 エロ衣装とキリカは言った。実際その通りだろう。

 胸に股にと、性を象徴する部分を覆う布は余りに小さく、薄かった。

 

 

「エボニーちゃんです」

 

「誰よそれ」

 

「こちらの方です」

 

 

 首を傾げたキリカの前に、魔力で作られた画像が浮かぶ。

 

 

「んん…?」

 

 

 キリカは逆向きの方に首を傾けた。髪の先から汗が滴る。

 滴る汗ですら、星が流れたような美しさだった。

 

 

「このように、砂漠を練り歩いてる場面で有名な方です」

 

「衣装これと違うじゃん」

 

 

 キリカが指摘する。

 画像に映っているのは砂漠を歩く軽装の少女の姿。

 キリカの言葉の通り、纏った衣装はキリカのそれとは異なっている。

 

 

「流石はキリカさん、お目が高い」

 

「うん、確かに高い位置にお目目があるね」

 

 

 頭の上を小突きながらキリカが言う。

 濡れ羽色の髪の上には、鳥を模した装飾があった。

 

 

「御察しの通り、この人は過去の魔法少女なのです」

 

「ほほぅ」

 

 

 脱線した話題だが、新たな事象への興味を示した態度をキリカはした。

 

 

「マギウスの連中が過去への干渉というか魔法少女の事象のアーカイブ化をしてまして」

 

「噂では魔法少女の観測をしていた地球外の魔女を捕獲したらしく」

 

「これはそれを解剖・解析して抽出した画像だそうです」

 

「へぇ」

 

 

 軽く呟くように言ったが、キリカはうすら寒いものを感じていた。

 狂気の魔法少女である彼女をして、短い間に聞き捨てならない単語が幾つも出ていたからだ。

 

 

「そんな事はどうでもいい」

 

 

 熱い大気を貫いて、冷ややかな声が流れた。

 

 

「貴様たちは、サウナを嘗めているのか?」

 

 

 朱音麻衣は血色の眼で周囲を見渡した。

 自分の隣にも前にも、そして背後の上段にもローブ姿の少女達が並んでいる。

 黒か白かのローブの下の身体には、キリカと同じ衣装が纏われている。

 異なるのは頭に鳥の飾りがあるかどうかである。

 当然、九十度を超える高温多湿の空間においてキリカ曰くのエロ衣装は兎も角ローブを着ているのだから発汗量が尋常ではない。

 

 

「その破廉恥な服装といい暑苦しいローブといい、貴様たちは何を考えている」

 

 

 麻衣の言葉は嘆きでもあった。

 当の麻衣はと言えば、腰元を小さめのタオルで覆い、首から長いタオルを垂らしただけの裸体。

 サウナに入る場合の正装である。

 

 

「そうだよ」

 

 

 麻衣の隣で便乗の言葉が発せられた。

 隣に座る佐木京も麻衣と同じ姿となっている。

 言葉を言いつつ、京の眼はネオマギウスの一般構成員、別名ネオマギモブを見ていない。

 朱音麻衣の肌の部位を、舐め廻すように見続けている。

 

 

「同性相手とはいえ裸体を晒すのは恥ずかしいというのは分かるが、その衣装は裸よりも恥ずかしいと思うぞ」

 

 

 毅然とした声で麻衣は言った。

 一方で、隣から向けられている情欲に満ちた視線は完全に無視している。

 正直なところ怖くて怖くて仕方ないのだが、誇り高い戦士然とした自分を演じる事で乗り切っているのであった。

 そんな麻衣の隣で、京は誇らしげに腕を組んで何度も頷いている。

 それもまた、麻衣は怖くて堪らなかった。

 

 

「いいじゃねえか。ここはこの連中の場所で、あたしらは客なんだから口出しする権利はねぇ」

 

 

 そう言ったのは佐倉杏子である。

 彼女はと言えば、麻衣同然に裸になっている。

 こちらは腰を布で覆っただけで、上半身は何も隠していない。

 

 

「むぅ……」

 

 

 杏子の言葉に麻衣が唸る。

 杏子の言葉は正論であり、また彼女の堂々とした態度に敗北感を覚えたようだった。

 その様子を確認すると、杏子は眼を閉じて背もたれに体重を預けた。

 炎を操る魔法少女なためか、高温な環境が心地いいらしい。

 今の彼女は左肩から先が義手となっているが、外見は金属でも魔法由来の素材であり、製作したアリナの心遣いか快適なようである。

 

 杏子の発言によって麻衣が黙った事により、場に満ちていた緊張感は霧散していた。

 敗北感から立ち直りかけている麻衣が耳を澄ませると、幾つもの会話が聞こえた。

 

 

「自分らも色々あるけど、魔法少女チームってのも大変だよねぇ」

 

「基本的に個性ある人らばかりだから、纏めるの大変そう」

 

「それ考えるとあの三人組はよく纏まってたよね。火と水と木属性の人ら」

 

「調整屋が付けた便宜上のカテゴリだけど、木属性ってなんなんだろ」

 

「地属性とかだと分かりにくいからなのかな」

 

「草属性だとなんか草だし」

 

「他のチーム、というかあれは集団って言った方がいいのかな」

 

「なになに?」

 

「山奥で暮らしてる、ちょっとカルトな人たち」

 

「あ、それミスドの友達から聞いたことある」

 

「独特の宗教的な風習がある人らだよね」

 

「そそそ。猫耳生やした聖母様を奉ってるんだって」

 

「なにそれかわいい」

 

 

 うむ、平和だな。

 朱音麻衣はそう思った。

 ここ最近は多少はマシになってきたとはいえ、自警団仲間の二人はまだしも憎たらしい恋敵の雌餓鬼二匹とは会話が成立することがまず珍しいという破綻した間柄である。

 そういった非人間的な人間関係を構築している為に、普通に会話が成立しているという光景が珍しいのだった。

 和やかな気分で耳を傾けていると、会話以外の異音が聞こえた。

 ぴちゃぴちゃ、ぺろぺろ。

 音を言葉で表せば、そんな風になる音だった。

 

 サウナの中にいるので、汗や水蒸気からの水が溜まって流れるのは分かる。

 だがこの音は、妙に粘着質な音だった。

 そして、神経を刺激する様な淫らさがあった。

 麻衣はそちらに眼を向けた。

 何時の間にか、会話も絶えていた。

 他の面々も、その音を察したのだろうと思われた。

 

 

「んーーーーー」

 

 

 震えた声が続く。鼻で鳴らしているような声だった。

 声と共に、桃色の舌が縦横に動く。

 美しい繊手が握るのは、小さな棒。

 水色のアイスキャンディーがその先に続き、唾液で輝く舌がそれを舐めている。

 熱によって見る間に溶けるそれを、溶ける端から舐めていく。

 裏側、斜め、正面、先端。

 一滴も無駄にしないようにと、呉キリカは丹念にアイスを舐めていく。

 その様子を、サウナ室にいる全員が見ていた。

 少なくない何人か、というかその様子に大半が見惚れて唾を飲み込んだ。

 キリカとしてはただ単にアイスを食べているだけである。

 だがそれだけで、えも言われぬ美しさと淫らさが凝縮された美の結晶となっていた。

 煌びやかで淫靡な衣装ですら、彼女のこの美を引き立てる装飾品の一つでしかなかった。

 衣装よりも何よりも、キリカの外見と行動それ自体が美しすぎる為に。

 

 

「やっぱ邪魔だな、これ。切り刻んで硫酸に漬けてから海に捨てたい」

 

 

 舐めながら、キリカは辛辣な言葉を吐いた。

 キリカの膝の上には、横たわる緑髪の少女の頭が置かれている。

 

 

「おい腐れアリナ。そろそろ、そのトラウマモード解除してくれないかな。あとそのコート何枚着てるのさ。暑苦しいたらありゃしないよ」

 

 

 キリカが苦言を呈するも、アリナは

 

 

「kill,me…kill,me…」

 

 

 と虚ろな眼差しのままに繰り返すだけだった。

 溜息を吐くキリカであったが、払いのけはせずにそのままを維持した。

 羽根の一人から言われた、「優しくしてあげてください」という言葉を守っているようだ。

 

 

「これが成長ってやつか」

 

 

 杏子が呟く。

 

 

「煽るな」

 

 

 アイスキャンディーを舐めながら、キリカが力なく返す。

 それを見た麻衣は、こいつらは本当に杏子とキリカなのかという疑問すら抱いた。

 少し前までなら、会話が発生する前に殺し合いに発展し、言葉を交わした直後どころか言葉と共に槍や爪の応酬が重ねられていたからだ。

 

 

「…平和だな」

 

 

 苦々しく麻衣は言う。平和なのは結構だが、こういう状況に慣れていないのだ。

 渋々と言った様子で、キリカと杏子も頷いた。

 その瞬間、全員の耳朶を激しい音が打った。

 機械が泣き叫ぶようなけたたましい音が鳴り響く。

 

 

「警報?」

 

 

 杏子が呟く。

 

 

「おわぁっ!?」

 

 

 キリカが叫んだ。これまで虚ろな目で死を懇願していたアリナが、突如として跳ね起きたのだった。

 

 

「…oh,my god………」

 

 

 喉を絞り出すようにして呟くアリナ。

 その表情には、常には無い緊張感と焦りが見えた。

 

 

 




前話の一時間前の出来事であります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 一時間前②

 昏い回廊を少年が歩いていく。

 両手を上着のポケットに突っ込みつつ、前だけを見つめて淀みなく歩く。

 頑丈な安全靴を履いているというのに、彼の足音は聞こえなかった。

 靴底が地面と擦れる音すらしない。

 気を付けているのではなく、無自覚のままの行動だった。

 

 不意に彼は足を止め、ポケットから両手を抜いた。

 そして右手を前に着き出した。伸ばした手の先にも闇が溜まっている。

 その闇に彼の手は触れた。指先に軽く力を籠めると、闇は奥に向かってずれた。

 ずれた闇の輪郭は扉の形に似ていた。開いた輪郭の奥から、眩い光が放たれた。

 眼が眩む光の中でも、彼は眼を僅かに細めただけだった。

 

 

「遅い」

 

 

 光の奥で声がした。光の中にいる声の主は、影のように黒かった。

 

 

「悪い」

 

 

 彼は短く返した。言い終えた頃には太陽の直視ほどの光量は昼日中程度の光に収まっていた。

 なお彼の眼は光の中でも明確に相手の姿を捉えていた。

 

 

「黒江さん、でよかったかい?」

 

「さんはいらない。呼び捨てでいい」

 

 

 あいよ、とナガレは黒江に返した。

 黒江の声は淡々としていたが、声色には棘が見えた。

 呼び捨てを許可したのも親愛からではなく、敬称を付けられるのが嫌だからだろうと彼は察した。

 何時の間にか、背後の扉は消えている。

 代わりに、背後の奥からは僅かながら殺意を孕んだ気配が感じられた。

 数は一つ。以前会った、黒ないし匿名希望と名乗った少女だとすぐに分かった。

 

 

「要件は、なんとなく察してるかな」

 

「ああ」

 

 

 彼は前を見ていた。黒江と、その背後にあるものを闇色の眼で見つめている。

 黒江の背後には、縦長の透明の管があった。

 縦三メートルほどの長さの薄緑色の溶液に満たされた内部には、黒いローブの少女がいた。

 時折気泡が立ち昇り、眼を閉じた少女の顔の前を通り過ぎる。

 

 

「環いろはって名前を聞いてる」

 

 

 ナガレが先に口を開いた。

 対する黒江も何かを言おうとしたが、開いた口をすぐに閉じた。

 呼び捨てに対して思う事があったのだろう。

 呼び捨ても気に喰わないが、敬称を付けられるのはもっと嫌だとしたのだろう。

 

 

「前に死にかけた時に助けられた。感謝してる」

 

「…こっちも環さんから話を聞いてる。落としたお釣を拾ってくれてありがとう、って」

 

「そうか。まだ何かあるか?」

 

「もうない。要件は一つだけだから」

 

 

 会話を打ち切る黒江。覚悟を決めて息を吸い、唇を噛み締めてから口を開く。

 

 

「環さんを、お願い」

 

 

 平静さを装われていたが、黒江は血を吐くような想いでその言葉を告げていた。

 黒江は無力感に苛まれていた。

 背後の容器の中で佇む環いろはは自身と同化している怪物、イブによって常に苛まれている。

 肉体は再生と崩壊を繰り返し、常に四十度を超える高熱に苛まれ、声帯は溶け崩れていて声を発する事も出来ない。

 彼女の肉体を突き破り、体外に出ようとするイブは超高熱を有する破壊魔法と、万物を腐らせる毒魔法によって成長を阻害されている。

 

 それによって環いろはは生存しているが、同時に尋常ではない苦痛に襲われている。

 腕が溶け落ち、異形に変形した骨が露出するのを黒江は何度も見てきた。

 吐き出した血には内臓の破片、毒血によって蕩けた声帯や舌や歯の欠片が混じっていた。

 

 無音の絶叫を上げて苦しむ彼女に対し、自分は何も出来なかった。

 手を握り、顔を拭い、声を掛ける事しか出来ない。

 イブの暴走が収まり、死にたくなる苦痛が死にそうな苦痛になる時まで共に待つ事しか出来ない。

 

 考え得る限りの事を試したが、黒江は全くの無力だった。

 だから、現状が改善されるのなら自分は何だってやるしどんな手段でも試す。

 それが例え、この得体のしれない存在を利用する事だとしても。

 黒江としては、この存在を敬愛する環いろはに触れさせたくなどない。

 しかし、当の環いろはが彼による干渉を許可した。

 ならば臣下である自分はそれに従うのみ。

 

 だがそれが受け入れられない。

 理解しようとしても、どうしても意地が湧き立ち協力を望むことを拒む。

 これが嫉妬の感情からくるというのも理解できるが納得できない。

 頼むのだから頭を下げるべきなのだが、首が動かないし動かしたくない。

 これは美徳ではないと知りつつ、つまらない意地とも思えない。

 内心から湧き上がる毒のような感情が、自分の心を刻一刻と切り刻んで腐らせていく感覚を黒江は味わっていた。

 

 

「分かった」

 

 

 対してナガレは、力強く応えた。

 黒江の内心とも葛藤とも無縁の、絶対の法則のような力強さがあった。

 彼女の心を無視したのではなく、彼の言葉は彼の意志の強さを示していた。

 自分を頼るものがいるのであれば、それに応える。

 彼の本能と生き様が反映された応えであった。

 

 その態度は黒江を安堵させつつ傷付けていた。

 自分の嫉妬心が見透かされ、それを砕かれたように思ったのだ。

 それが錯覚であると知りつつ、湧き上がる感情は止まらない。

 自分の喉と顔を刃物で切り刻みたくなる衝動を、黒江は必死に耐えていた。

 

 その時に、黒江の背後で音が生じた。

 硬い響きの音だった。

 振り返る寸前、前に立つ少年の顔を見た。

 叫んでいるように見えたが音は聞こえなかった。

 聞こえてはいたのだが、黒江の意識は背後に集中していた。

 振り返った彼女が見たものは、自分に向けて伸ばされた美しい手。

 黒い手袋に覆われてはいても、黒江にはその下の白い肌と白魚のような指が見えた。

 

 ガラス状の容器は布のように貫き通され、内部を満たす液体が一気に溢れる。

 それを避けようともせず、黒江は迫る手を見た。

 ごく短時間の出来事だが、黒江には時が引き延ばされたように感じられた。

 この時黒江の心は、幸福に満たされていた。

 敬慕の対象が自分を求めている。

 ならば自分はその身を差し出さなければならない。

 古代の神に捧げられた生贄のような、そんな気高い心を今の黒江は持っていた。

 

 

「環さん」

 

 

 優しく微笑みながら、黒江は呟く。

 広げられた五指が、黒江の顔を正面から包む。

 

 

「大好き」

 

 

 手の中で微笑む黒江の顔へと、添えられた五指が一斉に力を込めた。

 そして肉が潰れ、骨が砕けて鮮血が飛び散った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 一時間前③

 ばりっという音が響く。遅れて水が滴る音が鳴る。

 そして二つの音を打ち砕き、金属質の轟音が鳴り響く。

 

 

「そいつ頼む!!」

 

「は、はい!!」

 

 

 交差する声。前者は前で、後者は後方で生じた。

 ナガレは黒江のローブの襟を掴み、背後へと投げていた。

 それと同時に斧槍を召喚し、縦の斬撃を叩き込んだ。

 右手一本だけで握られ、咄嗟の一撃だった故に十分な威力では無かった。

 だが、それでも。

 

 

「なんて力してやがる」

 

 

 巨大な斧の刃を、右手の親指と人差し指が挟んで止めていた。

 指の先でそっと摘むだけであるのに、数多の魔女を葬ってきた斬撃が完全に受け止められていた。

 斬撃を受けた指は血で濡れていた。

 斧と指の間には、血の斑点がこびり付いた皮膚が垂れ下がっている。

 

 

「…なんで、邪魔をしたの」

 

 

 ナガレの背後で、怨嗟の声。

 黒に抱きかかえられた黒江の顔は、額から顎までの皮膚が喪失していた。

 筋肉が剥き出しとなった顔の頬と額は、肉が抉れて削れた骨が見えている。

 剥がされた皮膚と肉、そして骨の一部は指と斧の間に引っ掛かって垂れ下がっている。

 

 

「あと、少しで……!!」

 

 

 怨恨の眼差しでナガレの背を凝視し続ける黒江の顔に、黒は無言で治癒魔法を発動させた。

 刷毛で色を塗る様に削られた骨と肉が埋まっていく。

 

 

「アリナさんのフレンズさん!早く離れてください!!」

 

 

 黒が叫ぶ。瞬間、金属の破砕音が鳴った。

 手で摘まれた部分を中心として、半円状に刃が割れる。

 破壊されたのではなく、自ら一部を切り離しての自壊であった。

 黒い旋風と化して、ナガレは背後に後退した。

 一部が欠けた斧を構え、対峙する。

 

 

「…………強いな」

 

 

 声と共に、一筋の汗が彼の頬を伝う。

 彼を知るものが見たら、幻と見紛う光景だった。

 されど怯えはせず、彼の眼は前だけを見た。

 渦巻く瞳の先には半円状に欠けた斧が見える。

 斧の断面には銀色の泡が浮いている。尋常な状態では無かった。

 

 斧の中心の黒い球体、牛の魔女の眼球は忙しなく動き、柄は微細な振動を振動を起こしている。

 眼は闘争を拒否し、一刻も早い逃亡を主であるナガレに促していた。

 ナガレは無言で柄の握りを強めた。

 牛の魔女は抵抗を止めた。既にこの遣り取りも何回目かになるが、逆らっていれば今確実に殺されると悟ったのである。

 

 この間、ナガレは牛の魔女を見ていなかった。

 刃の先に佇む、一人の少女を見続けている。

 破壊された巨大な容器の前に、黒いローブの少女が佇んでいる。

 治癒魔法を含ませた溶液が全身を濡らし、ローブや黒い手袋の端から滴り落ちる。

 手の下には、黒江の顔から剥ぎ取られた皮が落ちている。

 跳ねた水のように、血と液体で濡れた皮が弾けた。

 直後、ではなく同時に落雷のような轟音が鳴り響いた。

 

 

「ぐっ」

 

 

 短い苦鳴は空中で生じていた。多数の方向から引き裂かれるような感覚に苛まれつつ、彼は得物を見た。

 数多の魔女を葬り、魔法少女達と死闘を繰り広げてきた斧槍が、刃に亀裂を入れられていた。

 斧の腹には、拳大の陥没痕があった。視認の瞬間、再び轟音が轟く。

 

 

「がふっ…」

 

 

 今度の苦鳴は地上で鳴った。

 全身から血を溢れさせながら、ナガレは地面にうつぶせに伏している。

 颶風。

 頭上で生じたそれを感じた瞬間、彼は右に転んだ。

 直後に彼の頭があった場所の地面は崩壊していた。

 跳ね起きた彼が見たのは、ひび割れた地面とその中央に立つ少女の姿だった。

 

 

「……強過ぎるな」

 

 

 血の塊を吐き落しながらナガレはごちる。

 全身を雨で濡らした修道女。

 その少女の姿は、そう形容出来る姿だった。

 その一方で聖女の清廉さを見せつつ、ローブの下の紅黒のインナーが身体に貼り付き、一種の淫らさを醸し出している姿でもあった。

 しかし、ナガレの視線はそちらには向いていない。

 少女相手に性的な興味はない。

 彼が見ていたのは、少女の手であった。

 

 

「痛くねぇのか?」

 

 

 自身も血に塗れながら、ナガレが問うた。問い掛けに応えは無い。

 黒い手袋に覆われた少女の五指は、全てがあらぬ方向に曲がっている。

 肉は骨から外れ、露出した骨に皮と肉が残っている状態だった。

 手首や腕も至る所で皮が裂け、華奢な筋肉を覗かせている。

 見れば全身がそういった状態だった。

 真正面に捉えた相手を見失うなど、彼にとっても珍しい経験だったが、自らの肉体を破壊するほどの力と引き換えの神速であったのだ。

 そしてナガレは、少女の肉体の破損個所に眼を注いでいた。

 

 肉と骨の断面。そして引き裂けた皮の下。

 そのどれもに、微細な蠢きが見えた。

 蠕動する、皺だらけの芋虫。大きさは五ミリ程度だろう。

 それが少女の肉や骨の中、そして皮の下で蠢いている。

 

 

「そいつか。イブって奴は」

 

 

 事実を確認するように彼は告げた。

 少女は頷いた、ように見えた。

 指と同じく、首も捻じ曲がっていた。

 超打撃を防がれた反動で、少女の背骨は歪み、首も捩じれたのだった。

 

 その負傷が見る間に塞がっていく。

 傷口で蠢く「イブ」は自らを骨や肉に変え、捩子くれた骨格も強引に健全な状態へと回帰させた。

 対するナガレは牛の魔女からの治癒魔法を受けてはいるが、瀕死から重傷に戻った程度の状態。

 どちらが不利なのかは明らかだった。

 

 

「おい」

 

 

 背後へとナガレが声を掛ける。

 

 

「何ですか、フレンズ君」

 

 

 間髪入れずに黒が返答する。黒江は相変わらず、ナガレへと敵意の視線を向け続けている。

 自分が対応しなければ話が進まないと思ったのだろう。

 

 

「俺が時間を稼ぐ。他の連中、少なくとも戦える奴を全員呼んでくれ」

 

 

 言うが早いか、彼は前へと駆けた。激突の音は直ぐに鳴った。

 音が鳴る度に鮮血が弾け、肉が爆ぜ割れて骨が砕ける。

 

 

「環さん……環さん……!」

 

「黒江さん、今は環さんを止めることが先決です」

 

 

 連絡を済ませた後、暴れる黒江を抑えながら黒は静かに言った。

 でも、と黒江が返した。

 

 

「戦力外なら、役立たずで邪魔ですので、このまま首を絞め落します。傍観者になるのは嫌だったのでは?」

 

 

 淡々と黒は黒江に告げた。黒江は一瞬黙り、そして歯軋りで意思を示した。

 

 

「どけオリ主ぃぃいいいいい!!!!」

 

 

 解放された瞬間、黒江は怒号と共にドッペルを解放した。

 黒翼を靡かせ、環いろはへと向かう。

 

 

「すみません、大目に見てあげてください…」

 

 

 黒はすまなそうに言いつつ、桃色の弓矢を番えた。

 

 

「構わねぇ。俺の事は好きに呼びな」

 

 

 血に染まった姿でナガレは返した。言いながら、環いろはからの殴打の間隙を縫って斬撃を見舞う。

 返す刃で弾き飛ばされた環いろはは、戦列に加わった二人を見た。

 

 

 二人を見た環いろはは、優し気な微笑みを浮かべた。

 小さく開いた口の隙間からも、無数の蠢きが見えた。

 そして開かれた少女の瞳は、無数の点で出来ていた。

 無数の眼が連なった、昆虫の複眼の瞳で、環いろはは黒江と黒を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 一時間前④

 潮の香りも鮮やかな血臭と、死の匂いが凝り固まった悪臭が大気を穢していた。

 悲鳴に怒声に咆哮が途切れることなく続き、切断された手足や噴き上がった鮮血が宙を舞い続ける。

 災厄と呼ぶにふさわしい災禍の中心、切断されて吹き飛ぶ人体の奥に黒いローブを羽織った少女の姿があった。

 四肢を切断され、悲鳴を上げる間もなく肉片と化す少女達。

 宙を舞うそれらの首や手足に、連なった赤い菱形が絡みつく。

 数十条のそれらが引かれ、血と肉の線を曳いて少女達が後退した。

 

 

「化け物か」

 

 

 赤い菱形は、佐倉杏子の右手に繋がっていた。 

 引き戻された人体を、赤い鎖が強引に繋ぎ合わせて人の姿へと強引に戻す。

 

 

「相手にとって不足はない」

 

 

 抱えた羽根の一人を地面に下ろし、麻衣が言う。

 彼女は空間を繋ぐ魔法によって、負傷した羽根を回収していた。

 

 

「問題は、私達の力が足りないところだな」

 

 

 魔力の放出を止めたキリカが言った。

 速度低下を放つことで、彼女は救助をサポートしていた。

 

 

「予想はしてたけど、私の速度低下魔法もロクに効かないな」

 

「遅くしても相手が速すぎるんだろ、役立たず」

 

「全くだな。無能の呉キリカめ」

 

「ああ、その通りだね。全員無能の役立たずの能無しの弱虫毛虫だ」

 

 

 三人の声は極めて近い場所で発生していた。

 声の発生源は、赤黒い泥濘の中だった。

 佐倉杏子は両脚が太腿の半ばで潰されていた。左腕の義手も肩ごと抉られ右腕しか残っていない。

 朱音麻衣は両脚は健在だが、胸の少し上あたりで上下半身が分かたれていた。内臓と背骨の断面を見せつつ、うつ伏せとなった佐倉杏子の上に横たわっている。

 呉キリカに至っては四肢が欠損している。膝と肩の傷口は大きく抉れており、切断ではなく引き抜かれることによって人体が破壊されていた。

 凄惨な状況の中、三人は互いを罵倒し合っていた。

 

 これは何時もの事でもあったが、その一方でそうしなければ心が砕けると悟っての事だった。

 三人の傷口からは、毒々しい赤紫色に変色した血と、吐き気を催す色彩の黄色い膿が止め処なく溢れている。

 赤血球が破壊された血と膿が交じり合い、赤黒い泥濘が広がっていた。

 

 

「うわぁ、今回は特にグロい。映画とか漫画とかで出てきたら間違いなく吐いてたよ」

 

「頼むから吐くんじゃねぇぞ」

 

「もし嘔吐を堪えられなかったら言ってくれ。その前に介錯してやる」

 

「それにしても最近、悪魔王子が出てこなくて心配だなぁ。鷹兄ィも今何やってるんだろ」

 

 

 間断を置かずに発生する激痛に抗う為に、この三人は軽口を叩いていた。

 思考を塗り潰す激痛の中で互いを罵倒できるのは、思考を経由せずに反応として罵倒を紡げるほどに日常化しているからだが、その背後では怒りの感情が蓄積していった。

 魔力は底を突きかけ、最低限の治癒と現状維持しか出来ていない。

 その眼の前で、惨劇が繰り返される。

 ローブ姿の少女の手足が動くたびに、四方八方から迫る羽根達の肉体が切断される。 

 少女が繰り出しているのは手刀や蹴りであったが、それだけで魔法少女の武器や防具が紙のように切り裂かれて砕かれていく。

 

 

「二度目だし実感したけど、動きが速過ぎるし一発一発が重すぎる」

 

 

 キリカがそう告げる間に、少女を取り囲む羽根の背から血と肉が弾けた。

 一瞬の内に放たれた十数発の手刀が、同数の孔を羽根の肉体に穿ち背から血肉を噴き出させたのだった。

 それも被害者は一人だけではなく、五人。

 相手が防御する前に、また剣や盾で防いでいてもその上から叩き潰していた。

 

 

「あたしらがこうなってるのを考えると、腕力だけじゃねぇんだろうよ」

 

 

 言い終えた杏子の口からは、膿交じりの吐血が零れた。

 倒れた羽根達の傷口からも、赤黒い血と膿が溢れている。

 先と同じ救出は、既に魔力が枯渇し不可能となっている。

 今の三人に出来るのは、少しでも自分の回復を早めて戦線復帰することだけだった。

 

 

「毒の類…だとは思うのだが、防御が意味を為さないのは厄介に過ぎる」

 

「あー、きっとあれだよアカネくん。ソシャゲとかでたまにある、バフ能力の『防御無視』」

 

「悪いがゲームはあまりやらないのでな」

 

「いや、別にゲームするしないとかじゃなくてさ。能力としての事を言ってる訳。相手の防御力を無視して自分の攻撃力だけでダメージ判定を行うって事。アカネくん、自分語りも大概にしてほしいな」

 

「全くだ」

 

「あのさ、佐倉杏子。今はアカネくんと会話してるの。便乗して叩くとか、そういうのいいから。恥ずべき行為として猛省したまえ」

 

「バカ、駄目だ!」

 

「距離を開けるな!!」

 

 

 キリカの言葉を遮るように、杏子と麻衣が叫んだ。

 次の瞬間、桃色の閃光が迸った。

 ほぼ同時に、水が弾ける音が鳴り、そして何かが倒れる音が続いた。

 視線を送ると、数人の羽根達が倒れている。

 首から上が吹き飛び、首の断面からは血膿が滝のように流れている。

 倒れた羽根達の手の先には、魔法の弓矢や銃器と言った得物が転がっていた。

 矢や弾を発射した形跡が無いどころか、構える前に仕留められていた。

 

 空中には、僅かに魔力の残滓が漂っていた。

 桃色のそれが放たれた根源は、今も猛威を振るい続ける桃色髪の少女。

 左腕の手首には、可憐な形状をした小さなクロスボウが装着されている。

 乱戦の最中でありながら、正確極まりない狙撃が行われていた。

 

 圧倒的な近接戦闘力を持つ少女相手に、遠距離戦を挑むというのは通常ならば間違いではない。

 だがこの少女は距離を離せば時を問わずに狙撃を行い、それが即戦闘不能に陥る威力を持っているが故に、接近戦を挑むしか選択肢が無くなっている。

 近接戦闘を行っていれば、自分が標的にされている間は隣の仲間は傷付くことがない。

 例え同時に葬られる事になっても、後続が復帰できるまでの僅かな時間は稼げる。

 矛盾しきっているのは誰しもが分かっていたが、それしか選択肢は無いのであった。

 

 

「なぁ、キリカ」

 

「なんだい佐倉杏子。鷹兄ィが猿空間から出てこないのはメカ・ファルコン・フットが強過ぎるからって考察なら既にネット中を練り歩いてるぞ」

 

 

 重傷だなと杏子は思った。

 口数の多さと話の内容の意味不明さはいつも通りだが、今のキリカは明らかに異常だった。

 先程から瞬きもせず、黄水晶の瞳を宿す眼は、白目がほぼ無くなるくらいに充血しきっている。

 よく見れば長台詞を放つ口も震えている。

 キリカが傷を負うのは珍しくも無いが、今回の苦痛は彼女をして尋常ではないらしい。

 そしてそれは自分もなので、黙っていると死にそうになる。

 死なないために、杏子は話しを続けることにした。ちょうどいい例えも今出ていたのでと。

 

 

「メカ要素で思い出したけど、あんた的にはあの光景はどうなのよ」

 

 

 血膿で汚れた顎を傾け、方向を差し示す杏子。

 ああ、とキリカは見もせずに呟いた。

 

 

「生温い」

 

 

 吐き捨てるキリカの声の先には、地面に垂直に立つ金属の骨格が見えた。

 腕を模した形状のそれと地面の間には、叩き潰された少女の顔が。

 黒コートの不審者スタイルのまま仰向けになって倒れるアリナ・グレイの顔面に、佐倉杏子の左腕の義手が墓標のように突き刺さっている。

 

 

「だろうね」

 

「佐倉杏子、それは本題じゃないだろう」

 

「ああ、今のはあんたへの嫌がらせだよ」

 

「この程度がいやがらせなんて、君って奴はやっぱりどうにも中途半端だな」

 

「現実と向き合え愚か者ども」

 

 

 無駄な会話を切って捨てるように麻衣が告げる。

 冷静な声ではあるが、苦痛を感じていない訳ではない。

 ただ麻衣の場合、胸から下を欠損と肉体の大部分を喪っている為に麻痺しているのであった。

 残る半身は少し離れた場所に転がっているが、全くとして動かず再接続の見通しが立っていない。

 接続した瞬間に麻痺していた痛みが襲い掛かって来るのだろうなと麻衣は予測し、それまでは精々強がっておこうと思っていた。

 

 

「あの眼が、イブとやらか」

 

 

 苦々しく告げた時、破壊の暴風が止んだ。

 既に立っている者はなく、桃色の少女だけが血膿の泥濘の中央に立っている。

 その少女が、言葉を発した者へと視線を送った。

 少女の眼は、白目も瞳も無かった。

 ただ、昆虫の複眼のような小さな無数の球体が眼球を覆っている。

 正確には、それで眼球が構成されているのだろう。

 

 

「昆虫の眼と同じなら、死角は無さそうだ。それに無数の視界を処理できる演算能力と異常な運動能力に破壊力まで付随されている」

 

 

 淡々とした口調で麻衣は語る。だがその声色には確かな高揚が含まれていた。

 

 

「そしてあれが本気じゃあるまい。となるとこれまでの経験からしても中々の強敵」

 

 

 麻衣の舌が自然と動き、唇を濡らす血膿に触れる。麻衣は舌先で、その苦さと潮臭さを味わっていた。

 

 

「つまり、いい獲物という訳だ」

 

 

 熱に濡れたような声で麻衣は言った。少しして、

 

 

「うわぁ…」

 

「朱音麻衣、君はホントとち狂ってるね。忌憚のない意見てやつっス」

 

 

 という心底からの憐れみとドン引きを示す言葉が杏子とキリカの口から漏れた。

 

 

「つうか獲物って言ったら、現にあたしらはもう仕留められてるだろバァカ」

 

「佐倉杏子、貴様は向上心というものはないのか?これを機に、敗北を明日の糧にするという発想を持つといい」

 

「問題は明日迄生きれるかというところかな」

 

 

 キリカが欠伸をしながら告げた時、肉体の倒れる音が響いた。

 立っている者は、桃色髪の少女だけになっている。

 少女は二つの眼で、その表面をびっしりと覆う複眼で三人の魔法少女を見た。

 次の瞬間には、その身体は宙に浮いていた。

 

 三人の上空に飛翔した少女は既に、左手のクロスボウを構えている。

 桃色の鏃から眩い光が放たれ、杏子とキリカと麻衣と、彼女らから溢れた血膿の湖面を照らした。

 その表面がとぷんと揺れた。桃色少女の無数の眼球が一斉にそちらを見た。

 広がる無数の眼球全てが、銀の一閃を映した。

 放たれようとしていた鏃が粉砕され、桃色の光を撒き散らす。

 光が散乱する中、少女は優雅に弧を描いて飛翔し無音で着地した。

 広がる血膿を踏んでいたが全くの無音であり、僅かな飛沫も上がらなかった。

 

 着地した少女は真っすぐに前を見た。

 標的としていた三人の魔法少女達の前に、長大な斧槍を携えた少年の姿があった。

 少年は髪も衣服も、杏子とキリカと麻衣から溢れた血と膿に塗れていた。

 死の香りを濃厚に纏わせた彼であったが、黒く渦巻く瞳には煮え滾る様な命の輝きが宿っていた。

 その色が移ったかのように、彼の全身が輝いた。

 赤と紫と黒の色に輝き、そして弾けた。

 光が消えた後には、黒髪の少年、ナガレの姿があった。光の残滓が腕や顔に纏わり付いていたが、それも煙を上げて消え去った。

 残滓の形は、縦横に刻まれた傷の形をしていた。

 

 

「感謝しろよ、相棒」

 

 

 からかう口調で杏子が言う。

 

 

「死にかけてたあんたを、今まで匿ってやったんだからさぁ」

 

 

 背中から投げ掛けられる声を、ナガレは無視した。

 正確には、相手が強力に過ぎて他に意識を向けられないのだった。

 それを理解したうえで、杏子は言葉を続けた。

 

 

「なんか貴重な体験したなぁ。あんたの上に乗っかって、流れる血で治してあげるって言うのはさぁ」

 

「正確には治しているのはその魔女だろうけど、まぁあれだ。その、ささいだ」

 

「うむ、なんというか、あれだな」

 

 

 キリカと麻衣も言葉を引き継ぐ。静かな口調だが、欲情の炎がちらついた声だった。

 

 

「腹の中で子供育ててるような感じで、なんか嬉しかった」

 

 

 三人は同時に、全く同じ言葉を紡いだ。

 度し難いにも程がある言葉であった。

 

 

「YEAH!!」

 

 

 異常な言葉に呼応し、感極まったとでも言うような声が上がった。

 

 

「イッツ!ファンタスティィィック!!」

 

 

 叫びと共に光が発生。 

 緑炎のような光であった。

 

 

「アリナ・グレイ、復活アンドTRANSFORM!」

 

『先輩、せめて変身は自分の姿にしてほしいの…』

 

 

 叫ぶアリナ、次いで嘆きのフールガール。

 魔法少女として変身したアリナの手には、長大な柄の大鎌が握られていた。

 焦げ茶色の魔女帽子、胸には大きな赤いリボンに白いフリルのスカート。

 桃色と黒のタイツソックス。そして背中を覆う長いマント。

 ある意味、魔法少女と謂う存在を体現したかのようなファンタジーな外見だった。

 ナガレと対峙する桃色少女、環いろははそちらを見もせずに腕を伸ばした。

 輝く桃色の矢が放たれ、閃光と破壊を撒き散らす。

 

 

 

 

 












ハイラルで遊んでたので大分久々に…
あと書いてる間に悪魔王子が復活したのでよかったよかった


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 一時間前⑤

 黒を帯びた桃色が閃光の如く勢いで疾駆する。

 それに向けて真紅が迫り、携えた十字槍を神速の速さで突き出す。

 手ごたえは無いが、真紅の口には笑みが浮かんだ。

 

 

「はっ、何度も喰らってるんだ。今回は掠りも」

 

 

 紡ぎかけの言葉は、口腔から溢れた赤黒い液体で遮られた。

 左腕は少し前から欠損しているが、先に破壊された右腕や身体の治療は済ませていた。

 それらが再び、環いろはの手によって破壊されていた。

 槍を握る指から肘の辺りまでが赤黒い粘塊となって落下し、右胸から右脇腹にかけても同様に皮膚が融解し骨と内臓を覗かせた。

 傷口から血と膿を吐き出しつつ倒れた杏子を、黒い風が包み込む。

 

 

「やぁ佐倉杏子。身を以て鬼龍おじさんの真似をするとは…おめでとう、君はもう立派なマネモブになった」

 

「長ぇんだよ」

 

 

 疾駆する呉キリカに抱えられながら、血泡と共に杏子は返した。

 

 

「ちょっと痛むよ」

 

 

 そう言うとキリカは、杏子の右胸へと美しい手を捻じ込んだ。

 声にならない悲鳴が杏子の喉を震わせたが、歯にヒビが入るほどに食い縛られ、口内から声が出る事は無かった。

 

 

「はい、終わり」

 

 

 声と共に手が抜かれる。白い手袋は杏子の傷口から溢れた血と体液と膿に塗れていた。

 手を振って手袋を廃すると、すぐに魔法で新品が生成される。

 そして杏子の傷口も綺麗に塞がっていた。僅かな疼痛があったが、それもすぐに消えた。

 

 

「お前…治癒魔法が上手だな」

 

「まぁね。ちょっと人体の構造を勉強してたからかな」

 

 

 得意げに言うキリカに対し、杏子は露骨に顔を顰めた。

 キリカの勉強と治癒魔法が上手な理由が、確実に妊娠するためのものであり、胎児がどうやって胎内で育まれるかの応用であると知っているからだ。

 

 

「普段の治癒魔法はあれだ。壊れた玩具の破損部位をボンドとか接着剤で着けた感じ。とりま動くし外見は直ってるけど、根本が解決してない」

 

 

 抱えていた杏子を放り投げつつキリカは語る。

 着地した瞬間に杏子は走り、キリカと並んで疾駆する。

 

 

「その点、私は勉強の成果とかを発揮して壊れてる原因までちゃんと治しているのだよ。感謝し給え」

 

「あいよ、今度何か奢ってやる。ついでにあいつもちゃちゃっと仕留めてくれねぇか?」

 

 

 視線の先には、結界の中を縦横無尽に移動している環いろはの後ろ姿が見えた。

 走っている間にも距離は見る間に開く。異常に過ぎる速度であった。

 

 

「それが出来ないから困ってるんじゃないか。状況説明をすると、自分達はあの桃色ピンクちゃんに蹴散らされては治し蹴散らされては治しを繰り返している」

 

「あたしらはヒャッハーって突っ込んでって負けるザコキャラかよ」

 

「なんだろうねこのクソ展開」

 

 

 喉奥で杏子が唸る。なんでこんな奴と仲良く会話してるんだろうという思いも幾分か含まれていた。

 

 

「じゃああれだ。状況打破するのに、なんか切り札でも使えよ」

 

「切り札?」

 

 

 首を傾げるキリカ。何言ってるんだコイツ、という感情を隠しもしない視線を杏子に送っている。

 

 

「その右眼の眼帯は飾りかってんだよ」

 

「え、これただの眼帯なんだけど。というか切り札と眼帯の何を比較しようって言うの?脈絡がイミフなんだけど」

 

「その眼帯外したら時間止められるとかなんとかねぇのかよ」

 

「うーん」

 

 

 可憐な声でキリカは唸る。杏子の言葉の意図が全く理解できていないしする気も無いのだった。

 それでも話を打ち切る気にはならなかったので、会話を続けることを選んだ。

 こいつ友達いないからな、という憐れみからのものだった。

 

 

「時間停止系は創作物とかでもたまにあるけど、反動とかのリスクとか、強過ぎると不味いからって技は兎も角本体がクソザコってことがあるからなぁ。そもそも主役向けの能力じゃないし」

 

「じゃあお前にぴったりじゃねぇか。どう見ても外見的に悪役だろ。そもそもお前、速度低下の魔法っていうけど具体的にどんな範囲でどんな効果なのかが分かりにくいんだよ」

 

「なんでディスるのさ…まぁ事実だからしょうがないけど」

 

「あん?」

 

 

 疾走を続けつつ、杏子は怪訝な表情となった。

 

 

「私は基本的に、速度低下の魔法を気分で使ってるからね。正直自分でもよく分からない。割とふわついた感覚でやってる」

 

 

 ふざけた言葉であったが真面目な表情でキリカは言った。本心だと杏子は分かった。

 ついでに、この表情を写真で撮ったら良い値で売れそうだなと思った。

 キリカの事は気に喰わないが、外見の美しさだけは認めている。

 

 

「しかし成程。切り札か…ふむ、ちょっと考えとくよ。ありがとね、佐倉杏子」

 

「…ああ、役に立ったんなら幸い……あ」

 

 

 杏子は言葉を途切れさせた。

 標的としていた存在の背が、一瞬の間に視界から消え失せている。

 キリカも気付いたが、その時には既に目の前に迫っていた。伸ばされた細い両腕の先には、五指を広げた繊手があった。

 右手は杏子を、左手はキリカの顔の側面を目指していた。正確には、外耳を。

 

 

「え、ちょ、これは鼓爆」

 

 

 言葉に出さずに思った時に、頭蓋の中を衝撃が迸った。

 掌底が耳を襲い、外耳を粉砕し鼓膜を粉砕し、更には頭蓋を破壊した。

 杏子とキリカの頭部は一瞬にして赤黒い微塵と化した。

 そして同時に、残る胴体が消滅した。

 環いろはの両眼の無数の複眼が蠢いた。それは、驚きによるものだったのだろうか。

 

 

「魔法ってな、こうやって使うんだよ。分かったか、後輩」

 

「あー、そういえば私は魔法少女歴一年以下のビギナーだったね。その設定忘れてたよ」

 

「少しは黙れ。永遠でも構わないぞ」

 

 

 三つの声がほぼ同時に、環いろはの意識の中に入り込む。

 そして景色が変貌した。

 杏子とキリカに外傷は無く、朱音麻衣も加わり環いろはを囲んでいた。

 杏子が発動させた幻惑魔法は、マギウスの創始者とされた魔法少女さえ欺いていた。

 三者が手にした槍に斧爪に刃が、環いろはの身体に突き立てられた。 

 

 肉を貫く音が響く。

 そして口からは苦鳴と鮮血が溢れた。

 一つではなく、三つの口から。

 

 

「な…」

 

 

 同じ響きを孕んだ声は、杏子と麻衣とキリカの口から発せられていた。

 キリカは杏子へと斧爪を、杏子は麻衣へと十字槍を、麻衣はキリカへと刃を。

 それぞれの胸に突き立てていた。

 得物の着弾の瞬間、環いろはは身を捩ってそれぞれの武具の切っ先を逸らしていた。

 黒茶色のインナーが僅かに切れた程度で、肉体は全くの無傷。

 三人の眼は驚愕に見開かれていた。

 

 

「嘘だろ、これ、弾丸滑り」

 

 

 そう言ったキリカの頭部へと、環いろはの右手による殴打が見舞われた。

 キリカは自分の頭部が爆ぜ割れる、血膿となって溶解する場面を夢想した。

 残る左手は、麻衣と杏子を横薙ぎにすべく一閃を見舞っていた。

 手の軌道からして、二人の上半身は分断されるに違いなかった。

 

 

「wait!!」

 

「させるか!!」

 

 

 二つの咆哮が轟く。

 環いろはの無数の複眼が二つの対象を見た。

 その瞬間には、彼女の身体を二種の衝撃が襲っていた。

 一つは打撃、もう一つは斬撃。

 

 

「しゃぁっ!」

 

 

 魔女帽子にどこかハロウィンの趣を思わせる衣装を纏ったアリナは、いろはの顔面に右膝による蹴りを叩き込んでいた。

 獲物に襲い掛かる、毒蛇のような一撃だった。

 そしてもう一撃、ナガレによる斧槍の斬撃は三人の得物が交差する場所を巧みに裂けて、いろはへと命中している。

 アリナの蹴りは技術による回避を許さず、ナガレの斬撃はいろはの体術を捻じ伏せる技術で放たれていた。

 顔面からは鮮血が噴き上がり、斬撃が叩き込まれた胴体からも滝のように血が溢れる。

 一瞬の動きが止まった隙に、ナガレは杏子と麻衣を抱えて退避した。

 

 同様に、アリナもキリカを抱えて後退する。

 離れた時には、環いろはからの出血は止まっていた。

 破壊した部分も傷口がすうと消え、衣装も完全に復元される。

 対してナガレとアリナは既に満身創痍に近かった。

 ナガレは右眼が潰れ、両手の指先まで血で染まり切っている。

 アリナは左眼が潰れるどころか顔の半分近くが抉られ、骨と肉の断面を晒している。

 

 環いろは一人に対し五人がかりで、先にナガレとアリナが瀕死になり、治癒の間に杏子とキリカと麻衣が戦いを挑む。

 その三人が戦闘が継続出来なくなれば、今度はナガレとアリナが立ち向かう。

 この繰り返しが既に三度は繰り返されている。

 ナガレとアリナの組み合わせなら、いろはとある程度渡り合える。

 だが異常な回復力と単純な強さの前に、圧されているのが事実だった。

 今はまだ戦闘が続けられるが、それが何時まで持つかは分からない。

 状況の打破が急務であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第99話 現在

「環さんっ!!」

 

 

 目覚めた黒江が真っ先に行ったのは、主君の名を叫ぶ事であった。

 

 

「あ、気付かれましたか」

 

 

 上半身を跳ね起こさせた黒江の傍らには、縦膝を着いて座る黒の姿があった。

 魔法少女服を着ているが、肌の部分が見えないくらいに包帯を纏っている。

 

 

「まずは落ち着いてください。黒江さんは」

 

「おぇええ!?」

 

 

 黒の言葉を聞いている最中、黒江の口からは吐しゃ物が吐き出された。

 赤交じりの黄色い液体は、血が滲んだ胃液であった。

 

 

「環さんに上半身を粉砕されて、今作り直し終えたばかりですので」

 

 

 黒江の脳内に黒江の言葉が響く。

 言葉の意味は分からず、ただ音が頭の中で反響する。

 出来たばかりの脳は上手く動いておらず、鼻孔から感じる生臭さと思考が神経を伝わり脳内を伝播する際にも激痛が走る。

 あらゆる感覚が未体験のそれであり、外界からの刺激が全て苦痛として受け取られる。

 ソウルジェムが輝き、次第に痛みが治まっていく。脳と魂の同期が完了したのだった。

 それでもまだ、痛みは引かない。

 

 

「まだお辛いでしょうから、段階的に優先順位の低い順からお伝えします。まず今週の龍継ぐでは過去最悪レベルの愚弄を超えた愚弄事案が発生しました。説明するのも憚られますので、ご自身で雑誌を買って読んでください」

 

「おぼろぇえええっ!」

 

 

 黒の両肩に手を掛けつつ、黒江は胃液を吐いた。少し背後へと引いて、黒は吐しゃ物を回避した。

 

 

「だから落ち着いてくださいってば」

 

 

 狂乱する黒江の手には魔法少女の剛力が加わっていたが、黒の身体は小動もしない。

 恐らくだが、前者より後者の方が強いのだろう。

 

 

「ここはアリナ・グレイが造った結界の中です。戦闘不能に陥った魔法少女らは自動的にここに転移させられるみたいですね。猿空間ならぬアリナ空間とでも言いましょうか」

 

 

 肩に乗っている黒江の手を取り、彼女を引きずりながら黒は後退していく。

 新しい肉体に慣れてきた黒江の耳に、幾つもの音が聞こえた。

 

 

「現状を説明するよりも、見た方が早いでしょう」

 

 

 身体をくるっと回転させられる黒江。その先には、地面に座る大勢の羽根達がいた。

 彼女らも肉体の再生中であり、手足を繋いだばかりなのか関節の部分には朱色に染まった包帯が見える。

 それでも行儀よく体育座りをし、首を上に傾げてある一点を見据えている。

 それは空中に発生した、巨大なスクリーンであった。

 そして、そこに映っているのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い濁流の如く、破壊された赤血球によりどす黒く染まった血を噴き出しながら、少女の肉体が地面に落下した。

 落下する前にそれは緑色の髪の少女へと激突し、彼女もまた地面に激突させていた。

 胸に大穴が空いたアリナは変身が解け、不審者然とした黒コート姿となって気絶している。

 茫然とした表情でアリナの身体を抱えた緑髪の少女も、数秒後に意識を失った。

 ここしばらくの間に遭遇した惨劇と悲劇の連続に、精神が耐え切れなくなったのである。

 ある光景を目撃したことが、彼女の精神へのトドメとなった。

 そしてその時、こことは違う場所で叫びが上がった。

 

 

『環さん!!』

 

 

 魂が千々と砕けたような叫びを黒江が上げた。

 桃色の髪を、白い肌を、そして肉と骨を黒銀の斧槍が断ち割っていた。

 環いろはの両手は既に断面から血を噴き出しつつ宙を舞っており、そこに新たな鮮血が合流する。

 だが斧の侵攻は、頭頂から鼻筋の中央までで止まっていた。

 傷口の断面から伸びた無数の鋭角が刃に噛み付き、喰い止めていた。

 切り裂かれた傷は、肉の内側に無数の牙を有した異形の口となっていた。

 環いろはの本来の口は薄く開いたままであったが、新たに生じた縦長の口は異形ながらに笑みを浮かべているように見えた。

 

 次の瞬間、朱色の霧が世界を染めた。

 斧を咥えた頭部が斧を喰い千切らんとして高速で動き、斧の主を振り回す。

 血の霧を突き破り、一人の少年が上空に吹き飛ばされた。

 血霧に触れた事で、彼の全身は朱に染まっている。

 だが触れる前から既に、彼の身体は鮮血に彩られていた。

 軽く動かすだけで全身に激痛が走り、その苦痛は常人ならば死ぬか狂うかのどちらかしかないだろう。

 

 

「まだまだァ!!」

 

 

 その状態で彼は叫び、斧槍を振った。

 斧の刃が桃色の光を切り裂き、微細な光へと変えていた。

 血と光に包まれた彼の背で、黒い翼が翻る。

 そして地上から、血の霧を貫き無数の光が放たれた。地表に太陽が発生したかの如く、煌々とした輝きが彼の視界を染め上げる。

 

 

「やるじゃないか」

 

 

 口角が僅かに吊り上がった直後、彼は翼を羽搏かせた。

 黒い流星と化し、無数の光の感隙を縫って下降する。

 瞬き一つするよりも早く地上に至り、同時に斬撃が放たれていた。

 激しい金属音が鳴り響く。

 縦ではなく横薙ぎの一閃は、右手に握られた手のひらほどのサイズの短剣と、左手首に装着されたボウガンによって受け止められていた。

 

 一瞬の硬直の後、双方の得物は離れた。そして間髪入れずに刃の交錯が開始された。

 取り回しのしにくい筈の長大な斧槍の剣捌きは短剣に全く劣らず、小さな刃の威力は巨大な斧に匹敵していた。

 斬撃の交差の最中、環いろははボウガンから魔矢を放つ。片手で斧槍を振り回しつつ、ナガレは残る左手の甲で矢の側面を殴打し軌道を逸らす。

 虚しく流れた矢が地面に触れ、高熱と爆風を撒き散らす。

 一刻たりとも戦闘は止まず、更に激しさを増していく。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第99話 現在②

 荒い息が吐き続けられる。肺はそれ自体が炎と化したような熱を帯び、心臓は今にも破裂しそうなほどに脈動している。

 全身に刻まれた傷からは鼓動の度に血が溢れ、既に幾重にも塗り重ねられた血の層の上を新たな鮮血で濡らす。

 その血の流出と荒い呼吸は、十に達する前に平静に戻った。

 痛みは消えておらず、傷も塞がっていない。ただ、戦いに邪魔だからと精神力で肉体を御しきったのだった。

 

 

「待たせた」

 

 

 ナガレは言った。手に持つ斧槍は無数の傷が入っていた。

 刃の部分は大半が潰れており、錆が浮いていない事を除けば古代の遺跡から発掘された遺物にさえ見える。

 柄を握る指も切断こそされていないが、指の腹や手の甲の肉が大きく抉れている。まるで肉食動物の牙に貪り食われたかのように。

 

 左眼は斬撃で喪い、残っているのは右眼だけ。

 黒く渦巻く視線の先には、黒い衣装を纏った環いろはが立っている。

 満身創痍の彼と異なり、彼女の衣装や身体には一か所の傷や汚れも無い。

 俯いていたいろはは顔を上げ、彼を見た。

 美しい顔の中、双眸だけは無数の粒が連なった昆虫の複眼という異形であった。

 本来の瞳と同じく桃色の輝きを持っている無数の眼球で、いろはもまた彼を見た。

 そして頷いた、と見えた瞬間に二人の姿が消えた。

 

 それ自体が鋭利な刃物のような鋭い金属音と火花が咲き乱れた。

 平坦な場所がほぼ無くなった地面の上で、上空で、異界の至る所で。

 それは一面に咲く桜から、一斉に花弁が散ったかのような光景だった。

 

 背中から黒い翼を生やして飛翔するナガレに対し、魔力を帯びた外套を翼として宙を舞う環いろはが無数の光の矢を放つ。

 飛翔の最中に斧槍が振られ、桃色の光を断ち強引に進路を確保する。

 瞬く間に間合いへと迫り、互いの刃同士が激突する。

 飛行しながら、一秒間に数百回も刃が交差する。

 

 接近戦の最中、桃色の濁流が翻った。

 それは環いろはの毛髪だった。腰のあたりまでの長さの髪は、一瞬にして五メートルも伸びた。

 ナガレの斧槍はいろはの剛力が乗せられた短剣を受け流したばかりで対処が間に合わない。

 迫る桃色の濁流を、ナガレは左手で掴んだ。

 その瞬間に鮮血が散った。

 いろはの髪は、一本一本が鋭利な刃と化していた。

 髪の先端は針と化しており、それが触れたナガレの手は肉を切られて貫かれた。

 だが左手を貫通して彼の首へと向かったそれは、彼の右眼の寸前で停止した。

 黒く渦巻く瞳の先には、血の滴る桃色の髪の毛の先端があった。

 

 血で濡れても美しい色彩のそれを、彼の左手は肉を抉られつつも骨で固定することで強引に止めていた。

 押すか引くか、環いろはが一瞬停滞したのは行動を選択する迷いと彼の取った行動への困惑もあったのだろう。

 その刹那の間に彼は左手を力強く引き、いろはを間合いへと手繰り寄せていた。

 

 いろはが斬撃を見舞う前に、その身体に数十発の殴打と蹴りが叩き込まれた。

 胸や腹は大きく陥没し、上顎には髪の毛を掴んだままのナガレの左拳が突き込まれた。

 左手を切り裂きつつ髪が抜け、いろはは地面へと墜落していった。

 それをナガレは追い、いろはも反転して彼へと向かう。

 再び刃と拳が交差し、血と肉が散る。

 

 今繰り出している斬撃を囮にし、さらに次、さらに次の斬撃で相手を仕留める、というのも囮であり、数十数百手先の刃の交差を見据えた攻防が繰り返される。

 そしてもつれ合いながら地面へと落下し、轟音が鳴り響く。

 異界の地面の破片と粉塵を貫き、二人は距離を取って対峙する。

 これまでの凄まじい戦闘で要した時間は、ナガレが声を掛けてからいろはが応ずるまでから数えて僅かに二分程度。

 

 その二分の間に、異界の地面は皮を剥かれたように至る所の表面が捲れ上がっていた。

 高熱と爆風を伴っての、音速を越えた戦闘の結果である。

 破壊の中央には対峙するナガレといろはの姿があった。

 ナガレの背からは黒翼が消え失せていた。黒い魔力の残滓が、背中の抉れた傷口から立ち昇っている。

 応急処置で閉ざした傷口からも再び出血が始まり、全身を染める紅は更に色を濃くしていた。

 

 対して、粉塵の先に立つ環いろはは全くの無傷。

 衣服に乱れも無く、粉塵や破片の汚れすらない。

 打撲の痕跡も皆無であり、体表を覆うタイツの下には艶やかな皮膚が見えた。

 

 

「がふっ」

 

 

 ナガレは口から血塊を吐いた。

 それは鮮血ではなく、黒々とした毒々しい色の血であった。

 斬撃に乗せられた魔力によって、赤血球が破壊されていたのだった。

 続いて二つ三つと血を吐き、彼の身体が前へと崩れる。

 斧槍を杖にして転倒を防ぐ。そして血を吐きながらも彼の視線は前方から、環いろはから一瞬たりとも離れない。

 吐きかけた血を飲みこみ、彼はこう言った。

 

 

「しんどいな。お互いによ」

 

 

 言い終えた時、環いろはは地面を蹴って跳んでいた。

 振りかぶられた右手には短剣が握られている。

 一瞬の後には、斬撃は終わっていただろう。

 彼の首は宙を舞い、それで終焉となる筈だった。

 だが放たれた一閃は半円を描く前に止まった。

 空中でいろはは痙攣し、地面へと落下した。

 

 即座に立ち上がったが、身体は大きくふらついていた。

 対するナガレも回復しておらず、追撃には移れない。

 右手で短剣を握り締めたまま、左手でいろはは頬に触れた。

 指先が触れた時、艶やかな皮膚に異変が生じた。

 割れたガラスのようにぴしりとヒビが入るや、皮膚は乾いた粘土の如く剥離した。

 左頬から顎先までの皮膚が、一気に崩壊しその中身を晒した。

 

 そこには本来、肉の筋が走っている筈だった。

 だがそこにあったのは、無数の白い蠢きだった。

 腐肉に群がる蛆虫のように、小さな者達が環いろはの肉の下に、いや、それらが肉を模倣して集っていた。

 形状をつぶさに観察したら、それは蚕蛾の幼虫に酷似している事が伺えただろう。

 その幼虫たちは、細い身体を激しく捩っていた。

 捩じられた白い体表が引き裂け、赤い粘液を撒き散らして落下する。

 破壊された幼虫の奥から、無事な幼虫たちが溢れて欠損を補う。

 

 だがすぐにそれらも同様に苦しみ、赤い粘液を散らして死んでいく。

 環いろはに巣くう、イブという存在。

 それは彼女に無尽蔵の再生能力を与え、如何なる負傷も一瞬にして治癒していた。

 だがその仕組み自体が、ナガレによって破壊されていた。

 内側へと浸透するように放った殴打や斬撃により、イブは苛まれ切っていた。

 今の環いろはの肉体の主導権はイブにあり、無数の蚕の幼虫の姿を取ったイブ達は自らの生命の維持に危機を抱いていた。

 恐怖と報復心に突き動かされ、環いろはは再び斬撃を見舞った。

 水平の横薙ぎが少年の姿を切り裂いた、と見えた途端、彼女の右頬に激烈な殴打が見舞われた。

 杖としていた斧槍を基点としてナガレは跳躍し、上空から反撃の一撃を見舞っていたのだった。

 

 頬は陥没し、皮膚は引き裂け内側のものが露出する。

 そこもまた、無数の幼虫で満ちていた。

 皮膚という名の檻を壊され、一斉に幼虫たちが宙に舞う。

 宙を舞いつつ互いの身を絡め、一つの形を成した。

 それは、先端に無数の牙を備えた管蟲だった。外見的には、ヤツメウナギに近い。

 それが攻撃者であるナガレの首に噛み付いた。

 悲鳴が上がった。管蟲の口から、喘鳴のような息が漏れた。

 喉を牙が抉った瞬間、ナガレは管蟲の身体を万力の如く力で握り締めていた。

 一瞬遅ければ、身を捩った管蟲によって彼の首は胴体から千切り離されていただろう。

 

 握り締めた左手に更に力を籠め、ナガレはいろはの体内から溢れた管蟲を引きずり出した。

 環いろはという存在一人分の質量を引き出したあたりで、管蟲の身体は千切れた。

 全て引き摺り出したのではなく、自切したというのを彼は悟った。

 いろはの顔の内側の奥には、まだ無数の蠢きが存在している。

 それが指し示す事としては、環いろはという存在は無数の群体によって構成される異形という事である。

 言うなれば彼女自身が、イブという存在の巣であるとも言えるのだろう。

 そしてその巣は、ナガレと大勢の魔法少女達の苛烈な攻撃によって崩壊の危機に瀕していた。

 

 顔以外の部分、手や脚、タイツに覆われた腹部も皮膚が剥離し蠢く者達が露出し始めた。

 傷は塞がる気配が無く、幼虫たちは血膿を弾けさせながら潰れていく。

 いろはの肉体を乗っ取っているイブの意思は、逃走か戦闘の継続のどちらかを迷った。

 その最中、無数の瞳を有する眼球に、黒銀の刃を持つ斧槍の先端が映った。

 

 

「来い」

 

 

 刃よりも鋭く槍よりも凄愴な表情をしたナガレの、決着を望む一言だった。

 笑っているのでもなく、悲しんでいるのでも、同情しているのでもない。

 ただ一瞬の最中に永劫を思わせる生死の交差の中で生きる、修羅が持つ虚無の表情があった。

 頷きの代わりに、環いろは≒イブは剣戟と光の矢で応えた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第99話 現在③

 鉄と潮の臭いが満ちていた。

 空気分子の一つ一つを汚染し尽くしたような香りであった。

 穢れた空気を、浅い呼吸が微かに揺らしている。

 身体を覆う傷口から溢れる血はほぼ皆無となっている。

 流れ出る分が既に無く、血を全身に送る心臓も弱り切っているからだ。

 鼓動は小さく、呼吸は浅い。恐らく小動物と大差ないだろう。

 それでも、身体に宿る力はまだ残っていた。

 

 ぐしゃりという音が鳴る。

 垂れ下がった右手からは挽肉と血が指の隙間から垂れている。

 溢れた肉片は、当然の結果として地面に落下する。

 落下音は水気を多分に含んでいた。

 当然だろう。落下した場所にも、既に肉片が落下していたからだ。

 

 傷だらけのナガレが立つ周囲、その広範囲に渡って、肉と内臓と骨の破片が散らばっている。

 断面から神経が伸びた手足や砕けた肝臓に引き出された脊柱など、人体を構成する物体が部品として散乱している。

 肉片をよく見れば、微細に蠢いている事が分かった。

 それらを構成しているのは小さな蟲であり、瀕死の蠢きを行っていた。

 

 それもやがて絶え、完全に動きを止めた。

 肉を握り締めていた右手の力が緩む。指の間からは血に染まった桃色の毛髪が落ちた。

 圧縮された肉と骨の隙間から、潰れた眼球が二つ覗いている。

 落下してからほんの僅か間動いていたが、すぐに絶えた。

 眼球の欠片が鏡となって、周囲の光景を映している。

 

 その内の一つに、無数の肉片が群島のように浮かぶ只中に立つ少女の姿を映していた。

 黒と桃色の衣装は血に濡れていた。首から上が存在せず、まだ動きを止めていない心臓の鼓動に合わせて血が噴き出している。

 その姿が霞んだ。首無しの環いろはの身体が動き、短刀を振っていた。

 今のナガレは左手が無く、斧槍も消えている。

 迫る斬撃を前に、ナガレは受けも後退もしなかった。

 次の瞬間には、彼の姿はいろはの背後にあった。

 

 いろはの胸から腹までが縦一列に裂け、鮮血を上げていた。

 垂れ下がったナガレの手は、蠢く肉片を握っていた。

 鮮やかな桃色の腸はびくびくと動き、瀕死の蛇を思わせた。

 ナガレがそれを棄てるのと、いろはが動くのは同時だった。

 報復の刃が翻り、空中に鮮血の華を咲かせた。

 

 後退したナガレの顔の黒く渦巻く双眸は、横一文字に切り裂かれていた。

 振り切られた刃が戻る前に、ナガレの裏拳がいろはの背中を撃ち抜いた。

 華奢な背中が陥没し、胸の側からは折れた肋骨が飛び出した。

 いろはの後ろ蹴りがナガレの顔を掠め、親指大の肉を抉った。

 

 その身体が反転し、肉片が並ぶ地面へと激突する。

 足首を握ったナガレによる振り回しにより、いろはの華奢な肉体が壊れた人形のように大きく歪む。

 首の断面や胸と腹を繋ぐ傷からも大量の血が吐き出される。

 衝撃によって手の指は全てあらぬ方向に曲がり、骨が飛び出している。

 その傷口が激しく蠢く。皮膚が引き裂け、血飛沫が跳ねる。

 腹の傷の同様に蠢き、肉の中から幼虫たちが溢れて身体を絡ませる。

 

 地面を殴打し跳ね上がったいろはの身体は、皮膚を血液で濡らしながらも破壊された箇所が修復されていた。

 喪失していた頭部も、一瞬だけ蟲達の蠢きを晒しつつも即座に皮膚で覆われ毛髪が生え、完全に修復された。

 無数の小さな瞳が敷き詰められた眼球が盲目の仇敵を捉えた瞬間、再生し終えたばかりの頭部は再び破壊された。

 左半分が強烈な回し蹴りを受け、血と肉と骨が散った。再生すべくイブ達が動いた瞬間、膝蹴りが細い顎を撃ち抜いた。

 半分ほどに圧搾された頭部へと、落雷のような拳が落ちる。熟れた柿が地面に落下したかのように、環いろはの頭部は砕け散った。

 

 再びの崩壊、からの再生。距離を取りつつクロスボウが放たれ、ナガレの動きを牽制する。

 今の彼は完全に全盲の状態だったが、散らばった肉片を踏んだ際の音や振動、距離を隔てたのであれば遠距離攻撃が来るとの読みから攻撃を回避していた。

 イブの本能は疑問に彩られていた。

 相手は間違いなく瀕死。

 だがしかし、技の威力と切れは増し、手強さが刻一刻と上がっている。

 異形の存在であるイブをして、彼の存在は異常にしか思えなかった。

 死に瀕し、刻一刻と命は削れていく。だがその度に力を増している。

 死に近付くたびに力を増す。

 そんな存在など恐怖以外の何物でもない。

 そしてこれは、力を増すというよりも別のものに思えた。 

 

 例えばそう、まるで、別の何かに変わっていくような。

 ぞわりと恐怖が全てのイブに伝染し、文字通り細胞が怯えに彩られた時、背後へと跳ぼうとしたイブ、即ち環いろはの身体を背後から何者かが抱き締めた。

 

 

「フレンズ!!」

 

 

 声と口調でそれが誰か分かった。

 イブをして、嫌悪感を感じずにはいられない存在だった。

 振り払おうとした時、イブの意識は闇に沈んだ。

 その刹那に、自分に目掛けて伸びる五指が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「excellent…」

 

 

 欲情の響きを帯びた、濡れそぼった声が響く。

 口から鮮血を吐きつつ、アリナ・グレイは恍惚とした声を出していた。

 環いろはを抱き締めたアリナの背からは、血塗れの腕が生えていた。

 腕の先の五指は、白く蠢く塊を握り締めている。

 環いろはへと肉薄したナガレの手刀がいろはの胸を貫き、更にはアリナの胴体を抜けて心臓を抉り出していた。

 

 

「…お前」

 

 

 消え入りそうな声でナガレが呟く。流れる血も枯れ、心臓は辛うじて動いているが故の瀕死の声だった。

 ナガレが貫いた環いろはの胸の傷は、赤い肉で出来ていた。

 そこには一匹のイブもいない。体内のイブは全て、彼女の心臓となっていた。

 いろはの眼はナガレを見ていた。敵愾心と哀しさと、そして罪悪感が複雑に入り混じった色を有した彼女の眼は、健常な形を取り戻していた。

 ナガレの攻撃は、イブを破壊する為のものだった。

 イブの意識を乗っ取り、体内の深くにイブを宿したのは、彼からの攻撃から守る為だったのだろうか。

 同時に、彼がそこに狙いを定めていたのは分かっていた筈だろう。

 この行動を彼女に選択させたのは、これ以上の破壊を止める為か。

 

 心臓を形成するイブ達は、必死の抵抗を開始した。小さな牙を生やした口で、彼の指に喰らい付く。

 だが幾ら肉を抉り、骨を削ってもその手は離れなかった。

 そして手に力が籠っていく。最後に残った力がイブを圧搾する。

 一呼吸する時間があれば、彼はイブを握り潰していただろう。

 

 だがその前に、桃色の帯が彼の腕を覆った。

 それは膨大な量と長さとなった環いろはの毛髪だった。

 蚕が吐く糸のように、それは止め処なく溢れ、広い空間を覆った。

 眼を切り裂かれた彼は、首を少し動かした。

 眼が見えない筈であるが、視線の先に何がいるのか彼には分かっていた。

 彼は口を少し動かした。声は出なかった。出す力もとうに失われていたからだ。

 

 そしてその姿も、桃色の奔流の中に消えた。

 後には、巨大な桃色の塊が残った。

 蚕の繭によく似ていた。

 

 それが形成された時、咆哮とも嗚咽ともつかない叫びが響いた。

 絶望に満ちた叫びであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第100話 闇が燃え行く中で

 そこは薄暗さに満ちた場所だった。

 その中で、赤々と燃え盛る炎があった。

 焚火程度の大きさの炎を挟んで、二人の少女が体育すわりをして向き合っている。

 向き合っていると言ったが、両者の視線は炎に向かっていた。

 その真紅と黄水晶の視線が交わるよりも先に、真紅の少女が口を開いた。

 

 

「漸くひと段落着いたか」

 

 

 佐倉杏子の声は、拭い難い疲労感に満ちていた。

 

 

「そうなるかな。指揮やら段取りやら、色々とお疲れ。君をちょっと見直したよ」

 

 

 黄水晶の瞳を炎から前へと移しながら呉キリカは言った。

 炎に照らされた美しい顔には、普段の自然体な嘲弄さと少しの敬意の色が見えた。

 二人の魔法少女は共に普段の私服姿となっていた。

 この服を着るのも久々な気がすると、二人は口にはしないが同じ事を思っていた。

 

 

「一応これでも年長者らしいからな。ま、イキりたかったんだろうさ」

 

「素直でよろしい。君がそれでいいんならそれでいいさ」

 

 

 キリカの言葉に杏子は小さく鼻を鳴らした。

 慰めや労りで返されたら反論をしていたのだろうが、同意されたとなると返事に詰まる。

 しばしの間、火が燃える音だけが続いた。

 当然の事象ではあるが、時間の経過に連れて可燃物は消耗し、火の勢いと大きさは低下してゆく。

 

 

「おっと、そろそろ火種を追加しないと」

 

 

 キリカは傍らへと繊手を伸ばす。

 美しい手が何かを摘まむ。

 

 

「ほいっとな」

 

 

 眼の前にある炎へと直接くべず、キリカはそれを放り投げた。

 魔法少女の剛力によって高々と飛び上がり、やがて落下し炎の中へと墜落した。

 

 無数の火花を上げて炎の中に投ぜられたのは、黒い衣装を纏った少女の上半身。

 顔の輪郭も目鼻立も唇も、形を構成する全てが美の結晶のような美しさを放っている。

 その形は、呉キリカに酷似、どころか全くとして同じ形をしていた。

 それが炎によって焙られ、焦げて燃えていく。

 

 

「これが本当の荼毘に付したよ、というヤツだな」

 

 

 炎によってじわじわと燃えていく自分の姿を、氷点下の永久凍土のような瞳で見ながらキリカは吐き捨てた。

 形が崩壊する様ですら、呉キリカは美しかった。

 

 

「一応説明しておくとだね」

 

 

 キリカの言葉に杏子は頷いた。

 彼女曰くの「説明」を、杏子は既に十回は聞いている。

 最初の時は一応仲間だからと話を許可した。

 二回目はもう聞いたと言ったが無視された。

 それ以降はもう諦めているので許可し続けた。

 だがキリカがこれから語る話には、全くとして慣れなかった。

 

 

「これらはあのクソゲス腐れ緑女の作品集だよ」

 

 

 炎が靡き、キリカの背後を照らす。

 彼女の背後には、高々と積み上げられた人体があった。

 その全ては、呉キリカの姿をしていた。

 普段の魔法少女衣装を着たもの、夏の制服のような私服姿のもの、猫耳の意匠が施されたニット帽を被った冬服姿のものなどのキリカ達がそこにいた。

 全てが安らかな表情を浮かべて眼を閉じている。

 作品というからには造形物であるのだろうが、無機物で作ったとは思えない精巧さだった。

 なので、つまり。

 

 

「あの女は、私から剥ぎ取った血と肉と骨で私を再構成したのさ。そこに置いてあるのは」

 

 

 キリカはそこで口を閉ざした。炎に照らされるキリカの顔には、背後に積み上げられた複製達の浮かべたそれとは相反する安らぎとは無縁の苦痛に満ちた表情が浮かんでいる。

 

 

「あいつの、夜のお友達なんだってさ」

 

「………」

 

 

 杏子は無言を貫いた。

 それは初めて聞く言葉であり、そして聞きたくも無い事柄であった。

 

 

「あの女がこれを使って何をしてたのかは………知りたくも無いけどなんとなく分かるんだ。匂いとかで」

 

 

 嫌悪感が滲むキリカの小さな声に、落下音が覆い被さる。

 彼女曰くの「アリナの夜のお友達」を、まとめて三体炎に放り込んだのだった。

 先にくべられていたものと同じく、美しく崩壊しながら三体のキリカが燃えていく。

 

 

「多分これ、あれだ。ピンセットで少しずつ、少しずつ私から剥ぎ取っていったのでつくったやつだよ。あれはしんどかったな」

 

「……」

 

 

 杏子は無言である。叫びたくなる気持ちを必死に抑え、キリカの話を聞いている。

 

 

「あ、その顔」

 

「…んだよ。別にビビっちゃいねぇよ」

 

 

 言った後で杏子は無駄な一言だったと後悔した。

 キリカは僅かに微笑んだが、それについての言及は無かった。 

 杏子としては何か言ってくれた方が、リアルファイトへの口火となり会話を終わらせられるので歓迎していたのだが。

 キリカはそれも見越したらしい。相性の悪い二人であった。

 

 

「これだけの数をそんなクソ丁寧でちんたらとした方法で素材集めして作ったんなら、時間が幾らあっても足りないと思ったでしょ」

 

「…ああ、そういえば」

 

 

 少し落ち着いて考えると、確かに妙だった。

 一度に採取できる素材はミリ単位の大きさで、それも丁寧に行ったと被害者本人が言っている。

 確かに途方も無い時間が掛かるのは明らかであるが、作品の数は数十体を超えている。

 

 

「そこがあのクソ女の厄介なとこでね。あいつの魔法は結界生成ってのは言ったよね」

 

「ああ」

 

 

 杏子は頷く。実際、今二人がいる空間はアリナが生成した異界であり、現世ではキリカの部屋の中である。

 

 

「あいつ、私を解体する中で私の魔法を解析しちゃってさぁ」

 

 

 そこまで聞いて察しがついた。杏子の背骨を怖気が貫く。

 思わず浮かんだ恐怖の表情から、キリカも杏子が気付いたことを察した。

 

 

「うん、そう。時間の概念が希薄な世界を作って、その中で延々と私を壊し続けたんだよ。どのくらいの時間かは…想像にお任せするよ」

 

 

 杏子は言葉を返せなかった。

 普段のキリカなら、経過した時間や破壊された回数を正確に答えるだろう。

 膨大な数を突き付ける事で、聞き手の心に傷を刻むために。

 それをキリカは放棄している。どれだけの数の凌辱と時間が経過したのか、杏子には想像もつかず、そして考えたくも無かった。

 

 

「それで」

 

 

 恐怖から逃げる為、杏子は言葉を紡ぐ。

 意思の矛先は、自身の依存の対象であった。

 だが口を開きながら、それは自身を傷付ける諸刃の刃である事も察していた。

 

 

「あいつは今、そんなクソゲス女と一緒にいるって事だよな」

 

 

 頷き、かけてキリカは動作を止めた。

 認めたくは無く、認めてはならず、しかしそれは事実以外の何物でもないと分かっていた。

 自らから作り出された美しき複製達が焼けていくのを、キリカは黄水晶の瞳で眺めていた。

 火花が爆ぜる音が、解体の最中で聞こえた、あの女の哄笑と嬌声に聞こえてならなかった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第100話 闇が燃え行く中で②

「あいつがやってきた事で一番つらかった事?それ聞くって佐倉杏子、君は結構ドSだね」

 

 

 性癖的にはマゾいくせに、とキリカは付け加えた。

 杏子は何も訪ねておらず、黙って聞いている。

 真紅の眼の視線の先には、炎の中で燃え行くキリカ達の残骸が映っている。

 今喋っているこの美しい悪魔もこういう風にしてやろう、とでも思っているのかもしれない。

 

 

「そこまで必死に聞くなら応えよう。とはいえ順位付けはあいつを評価するみたいで嫌だから、今ぱっと思い付いた奴ね」

 

 

 そう言ってキリカは手を伸ばし、手首から黒い爪を生やした。

 普段と異なり、数は一本で形状は歪曲していない直線状の爪だった。

 それを用いて、キリカは火種を掻き混ぜ始めた。

 自分の肉体から造られた模倣体達の眼窩を爪で貫き、口を横一文字に切り裂いたりと容赦がない。

 以前本人が言っていたように、自分以外の自分は全て敵とでも言うように。

 

 

「まず拘束した私の首に、薄っすらと切り込みを入れてだね。こう、首の真ん中あたりから真横につつーっと一周させて」

 

 

 火種の一つでそれを再現しよう、としてキリカは動きを止めた。

 爪の切っ先はキリカの複製の首に僅かに埋まったのみだった。

 しばしの間、火が弾ける音が続いた。

 キリカの複製から滴る脂が燃え、甘い香りが周囲に漂う。

 動きが再開されたのは、その芳香が辺りに満ちた時だった。

 

 

「で…それから傷口の隙間…肉と皮の間の指先を埋めて、ゆっくりと中に入ってきて…ああ、もうまどろっこしいな」

 

 

 ちょっと待ってて、と言ってキリカは立ち上がり、背後の堆積物へと向かった。

 五メートルほどの高さになるほどに、美しい造形の人体が折り重ねられていた。

 アリナ・グレイ作の呉キリカの模倣体達である。

 これでもない、あれでもないと言いながら、キリカは自分自身を掻き分けていく。

 

 杏子はこの場から逃げ出したかったが、全身に纏わり付く速度低下からは逃げられそうにないとして大人しくその場で待っていた。

 視線を落とし、火種とされているキリカの複製達が燃えるのを見ている。

 肉は焼け落ち骨を晒しているものの、それでも美しいと思えてしまう。

 アリナが執着する理由がほんの少しだけ、分かったような気がした。

 最初にキリカと戦い、そして焼き尽くした際に、杏子も燃え行くキリカを美しいと思ったが故に。

 そう自覚している事が、杏子の気力を萎えさせていた。

 振り払おうとすれば、速度低下も強引に引き剥がせただろうがどうにもその気にならなかった。

 

 

 

「おまたせ」

 

「待ってねぇよ」

 

 

 それでも探し物を終えたキリカの言葉に、そう返す程度には杏子の気力も弱ってはいなかった。

 発音した際、杏子は舌と喉奥に渇きを覚えた。

 相当に時間が経過していたらしい。

 文句の一つも言ってやろうと再び喉を振わせようとした。

 だがその気丈さは

 

 

「じゃーん」

 

 

 とおどけた様子で言ったキリカが左右の手で掲げたものを見た時に砕け散った。

 

 

「あの変態の力作二つ。とくとご覧あれ」

 

 

 酷薄な笑みを浮かべるキリカ。

 掲げられた両手からはそれぞれ一本ずつの黒爪が伸びていた。

 正確には鎖状に連ねられた爪、キリカ曰くの「ドリルワーム」という形状にされた得物である。

 本来は敵を内外から切り刻み、見るも無残な姿へと変貌させる殺戮兵器。

 それが二つの作品を貫き宙吊りにさせている。

 一つは呉キリカであり、もう一つは。

 

 

「この変態、私より身長高いってのに案外軽いね。もっと鍛えるか食べるかした方が良さそうな気がする。死ねばいいのに」

 

 

 この作品を作り上げた存在である、アリナ・グレイであった。

 キリカとアリナは共に裸体であり、両者の口からは触手爪の歪曲した先端が抜け出ていた。

 絞首刑台に掛けられた罪人と、捌かれようとしている鮟鱇。その両方を合わせたような有様だった。

 キリカの眼球は抉られ、両眼は赤黒い孔となっている。

 その表情は絶望に沈んだ亡者のそれであったが、対するアリナは同じく眼球を抉られていながら恍惚の極みに達しているかのような笑みを浮かべていた。

 

 

「ねぇねぇ佐倉杏子。これらを見て何かに気付かないかな?はいじゃあ今から五を数えるから応えてね。いーちにーのさんしーごーっと」

 

 

 虫の死体を弄ぶように、掲げた二つを揺らして早口で言い切るキリカであった。

 速度低下は今も続いており、杏子は顔を背ける事は出来ずにその陰惨な光景を見せ続けさせられていた。

 そして彼女は違和感に気付いた。

 その表情を読み取り、キリカは微笑んだ。

 

 

「御明察だよ、佐倉杏子。これがさっき言ったグロ作業の成果さ」

 

 

 杏子の思考が硬直し、そして再び動き出す。

 拘束したキリカの首に切り込みを入れ、肉と皮の間に直接指を入れてゆっくりと引き剥がす。

 想像するだけで、自分の皮膚の下で無数の蟲が蠢くかのような嫌悪感と痒みに襲われる。

 だが、それだけではない。

 キリカとアリナから感じた違和感、それは。

 

 

「あいつったら、私から剥ぎ取った皮膚を自分の身体に被せたんだよ。それで、私にも同じようにして自分の皮を被せた。嫌がるマギモブ達を脅して、手や刃物で自分の皮膚を引き剥がさせてね。その間ずっと、あいつは笑いくさってたよ」

 

 

 聞きたくも無いにも程がある、嫌すぎる事象であった。

 告げたキリカが、それに対して恐怖感の欠片も見せずにただ過去の事実を語るだけの淡々な口調であるというのも悍ましかった。

 恐らく作品を探している間に、過去の恐怖を克服、というかどうでもよくなったのだろう。

 そもそも、自分を解体した相手を罵倒しつつも行動を共にできる時点で狂っている。

 ここ最近、キリカはまともになってきていた思った杏子だが、それは違うと再認識できた。

 双樹達やアリナ・グレイといった規格外の変態達との遭遇で感覚が麻痺していただけであり、こいつも大概に過ぎているのだった。 

 狂っているとか壊れているとか、そういった定義を無意味にするかのような、既成概念を根本から破壊し尽くす何かである。

 

 

「あいつの体温が残っている生皮…あれを肉が剥き出しになった身体に重ねられた時は、もう最悪を超えた最悪の気分だったね。こう言っちゃなんだけど、強姦被害者の気持ちが少し分かった気がするよ」

 

「…そうか」

 

 

 実際強姦みたいなもんどころかもっと酷いじゃねえか、と口にしなかったことを、杏子は内心で自分を褒めていた。

 何かしらの自己肯定をしなければ、この狂気に耐えられそうになかったからだ。

 

 

「あの寒くて痒くて痛くて乾いて潤んだ感触、あれは表現しがたいな。筆舌に尽くしがたいって表現の意味、あの時に分かったよ」

 

 

 感慨深そうにキリカは言う。

 触手の先では、二つの肉体が小さく揺れている。

 盆の窪を貫いて口から抜けている触手の先端が振動によって眼窩に至り、更に肉の内側へと穿孔し頭部から抜ける。

 そして自重を支えきれなくなり、触手は頭部を切断し肉体が落下する。

 キリカとアリナの肉体は共に炎の中に落ち、重なり合いながら燃えていった。

 落下の際に触手が乱舞し、二つの肉体は一瞬にして細切れにされていた。

 それだからか、二つの肉体はよく燃えた。一気に倍近くに膨れ上がった炎がキリカと杏子を照らす。

 

 

「ああ、なるほどな」

 

 

 杏子が口を開く。

 速度低下の重さはあったが、杏子はそれを強引に拭い去っていた。

 燃え盛る炎が、彼女の中の紅い魔力と共鳴したのだろうか。

 

 

「お前、あいつがいなくて寂しいのか」

 

 

 呉キリカをじっと見据え、佐倉杏子はそう言い切った。

 あいつとはこれまで何度もキリカが使った言葉であるが、指す対象が別であるのは言うまでも無い。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第100話 闇が燃え行く中で③

「んー………」

 

 

 あいつと会えなくて寂しいのか、と指摘されたキリカは喉を鳴らした。

 喉の震えだけであるというのに、青白い月光を浴びた清水が滴るような美しい音であった。

 

 

「その心は?」

 

「…言うのは嫌だけど、お前」

 

「成長したね、佐倉杏子」

 

「……あん?」

 

「今までだったら私からの問い掛けに言葉詰まらせてたじゃないか。今は少しだけ間が合ったけど、自分の意見を言おうとしてる」

 

 

 にやついた、それでいて下品な雰囲気は微塵も見せずにキリカは美しい笑みを杏子に向けた。

 対する杏子は喉奥で少し唸りを上げた。

 会話の主導権を握ろうとしたのに逆に奪われたことが癇に障ったようだ。負けてられるかと杏子は思った。

 

 

「話を戻すけど…お前、あいつの子供を産みたいんだろ」

 

「うん。子孫残したい」

 

 

 キリカが断言した。

 この願望は以前、キリカによって強制的に記憶を共有されたせいで垣間見せられたので杏子の言葉も問い掛けではなく再確認に過ぎなかった。

 

 

「それで、その番う相手がいなくなってるから寂しがってるのかなと」

 

「それは否定しないけど、それがクソゲスアリナに解体されてグロ作品造られたっていう私の悲しい過去と何の関係があるのさ」

 

「…それはだな」

 

「じれったいぞ佐倉杏子。面倒だから一気に言い給え」

 

「…じゃあ言うぞ。お前、あの女に……臓物抉り抜かれたんだろ?」

 

「うむ。お腹掻っ捌かれて子宮抉られて刃物で切り刻まれてから握り潰されたよ」

 

 

 言葉を選んだ杏子であったが、キリカはそんな事は何処吹く風で部位名を断言しつつ頷く。

 最悪どころではない事象は杏子を嫌悪感に沈ませ、彼女は胃液がせり上がってくる感覚を味わいつつ次の言葉を紡いだ。

 

 

「お前が子供を産みたいのって、それされたから生き物…女としての本能が働いたから、とかじゃねえの?」

 

 

 苦渋の表情で言い終えた杏子を、キリカは拍手で迎えた。

 

 

「成程、面白い説だね。ここにクソゲスゴミカスアリナがいたら、君を呉キリカ研究会の副次席としてネオマギウスのナンバー2に指名した可能性があると思われるかもしれない」

 

 

 豊満な胸を圧し潰しながら腕組をし、眼を閉じながらキリカは頷く。

 開いた眼には興味の光が滲み、黄水晶の瞳は話の続きを促していた。

 

 

「だからお前、あいつと番いたいって思ったんじゃねえの。壊される前に自分の複製残しとこうってさ」

 

「妙な言い回しするね。成程、本能からの衝動か」

 

「ああ。そうでもねぇとお前があいつを好きになる理由が分からねぇ。割と唐突な方向転換だったじゃねえか」

 

「そう?私は最初の最初を除いて、いや、最初から君や友人とは友好的な関係を築いてたじゃないか」

 

「お前、それ本気で言ってんの?」

 

 

 猜疑心の塊となった視線を杏子はキリカに送った。

 対するキリカの眼には何が起きているか分からないといった風の光が宿る。

 

 

「え、いや、ちょっと佐倉杏子。私は友人を最初っから友人って言ってるじゃないか」

 

「お前、あたしら殺そうとしてたろ」

 

「あ、うん。まぁそれには訳があってね。聞く?」

 

「いやいい。興味ねぇ。話を逸らすな」

 

「うーん…」

 

 

 キリカは首を傾げていた。そして思考を開始する。

 

 

「(弱ったなぁ…佐倉杏子ってば話が通じなさすぎるよぉ)」

 

 

 思考の中、キリカは両手で頭を抱えて苦悩していた。

 キリカとしては、最初から今に至るまでナガレや杏子と敵対したという自覚は全く無い。

 とはいえ態度としてはどうだったかなと思い出を辿ると、確かに常識からちょっと離れていたなと実感していた。

 しかしその常識からの乖離というのは、時間を問わずに廃教会に訪問したことが多かったとか事前に来訪の連絡をしておけばよかったという類のものであり、暴力的な事象については特に考えられていなかった。

 それでもキリカなりに話をどうにかして進めようと考えていた。

 そして閃いた。

 

 

「それを、言うならさぁ」

 

「あ?」

 

 

 杏子が反応したのを見て、やっぱこいつちょろいなとキリカは思った。

 

 

「君の方こそ不自然だろ。友人を保護して同居を許したってのに、つい最近まで一方的に嫌ってたじゃないか。顔見ただけで罵詈雑言を吐いて、すぐ殺そうとしてただろ?」

 

「………」

 

 

 話を逸らすな、と言わせないためにキリカは一気に捲し立てた。

 言葉を挟む隙間も無く、事実を突きつけられた杏子は沈黙した。

 

 

「…色々あったからだよ。ていうか、人を好きになるのに理由が必要か?」

 

「それだよ」

 

 

 その声は杏子の顔の前で生じた。

 顔同士が薄紙一枚程度の距離を隔てた場所に、キリカが急接近していた。

 速度低下は既に無い。それなのに杏子をして、接近の前触れも動きも見えなかった。

 キリカの声に伴われた甘い香りが、自分の脳髄を痺れさせて蕩けさせる感覚を杏子は味わった。

 

 

「『なんで』『どうして』よりも今の方が大事なのさ」

 

「…確かにね」

 

 

 顔を動かさずに杏子は返す。

 僅かに唇を動かすだけで、唇同士が触れそうな距離。

 キリカも杏子の息を嗅いだ。

 歯磨きはちゃんとするようになったんだな、とキリカは思った。

 

 

「ま、こんなところで手打ちとしておこうか」

 

 

 そう言ってキリカは背後に飛んだ。

 緩慢で、優雅な動きだった。

 

 

「こんな感じで、ちょくちょく暇潰しするのも悪くないと思うよ。俗な言い方をすればコイバナってやつさ」

 

「…まぁな」

 

 

 引っ掛かるものがあるが、杏子も話に乗ることにした。

 喪失感を少しは埋めてくれるだろうと思ったからだ。 

 また一方で、話した後で余計に喪失の穴は広がるだろうと思いつつ。

 そう思っていると、ふと気になった事があった。

 

 

「そういえば、朱音の奴は何やってんだ?」

 

「ん?ああ…」

 

 

 キリカが記憶を辿る。

 ついでに「こいつ、朱音麻衣の事そう呼ぶんだ。新発見」などと思っていた。

 

 

「飢えと渇きが鎮まらないから、ミラーズを練り歩いてコピー魔法少女や魔女に使い魔、あとミラーモンスターっぽい連中を虐殺しに行くんだってさ」

 

「練り歩いて、ってことはあのチビとバケツ帽子も一緒か」

 

「よく気付いたね。うん、そうそう。正しい意味での練り歩きだよ。ついでにかごめちゃんも一緒に行くんだって。死の記録が沢山書けるからとかなんとかで」

 

「落ち着きのねぇ奴らだな」

 

「全くだよ」

 

 

 互いにそう言いながら、内心では先を越されたと二人は思っていた。

 会話することで自分を宥めてはいたが、何かに破壊衝動を叩きつけたいと思っていたのも事実であったからである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第101話 朱色の想い

 鮮やかな桃色の臓物が弾け、くすんだ灰色を帯びた薄桃色の脳髄が砕け散る。

 血の沙幕が空気を染め、赤い豪雨となって地面に降り注ぐ。

 一面の鏡である筈の地面は、既に鏡の輝きよりも血や肉の紅や破壊された臓物や人体によって覆われていた。

 

 

「はは…ははははは!」

 

 

 少女の哄笑が地面に広がる血の湖面を震わせた。

 そして湖面を踏み荒らし、肉や骨の破片を蹴散らしながら疾駆する。

 走りながら振るわれる刃が、鏡の世界の魔法少女達を容赦なく切り刻む。

 鏡の少女達は身構えた途端ないしは接近に気付かないままに胴体を横薙ぎに切断され、空中で更に細かく刻まれる。

 原型が分からないほどに切断された少女の死体が地面に散らばり、それは更に赤の湖面を跳ねさせつつ踏み潰された。

 

 

「残ってるのは貴様たちか」

 

 

 声の主は朱音麻衣であった。

 白と紫を基調とした衣装も朱に染まり、顔も血で濡れている。血に濡れた唇が紡ぐ言葉も朱に彩られているように聞こえた。

 

 

「言っておくが、何処へ逃げても無駄だからさっさと来い」

 

 

 右手に握った刃を前方に向けて突き付けながら麻衣は言った。

 血で全身を染めながらも、その刃には一滴の血も着かずに白銀の輝きを放っていた。

 切っ先が縦に揺れ、来訪を促している。声の先には人影は見えない。

 麻衣の声は、鏡の結界の奥の闇の中へと向けられていた。

 闇の奥で、二つの気配が生じた。その瞬間には、朱音麻衣は走っていた。

 

 

「変わった武器だな」

 

 

 気配の主へと瞬時に肉薄した麻衣は、その者の得物を見てそう言った。

 

 

「拝借するぞ」

 

 

 宙に浮いたそれを、麻衣は左手で掴んだ。肉薄した瞬間に刃が放たれ、相手の手首を切断していた。

 手首が握る柄を掴むと、麻衣はそれを振り下ろした。

 それは炎の色を帯びた扇だった。折り畳まれたそれの柄を、麻衣はその所持者の顔に叩きつけていた。

 それを一瞬の間に何度も何度も繰り返す。一撃毎に顔の形が変わり、頬が削げ落ち歯が顎ごと砕け散る。

 中華風の軽装な衣装を纏った少女の顔は、元の顔の原型もなく破壊されていた。

 その肉体が、頭の天辺から足の爪先まで一気に圧搾されたのは次の瞬間であった。

 

 巨大、というのも馬鹿々々しくなるほどのサイズの超巨大なハンマーが振り下ろされていた。

 二階建ての建物に匹敵する大きさの得物の一撃は地面を揺るがし、槌の直径の数倍の範囲に罅を入れた。

 巨大な槌を振り下ろしたのは、小さな二つの角を生やした帽子を被った金髪の少女だった。

 

 

「遅い」

 

 

 その声が、その少女が聞いた最後の声だった。

 最期の音は、ぼぎゃりとでもいうような形容しがたい音だった。

 金髪の少女の首が、頭頂部に突き落とされた拳によって胴体に埋まり、急激な膨張に耐えきれなくなった胸部が弾け飛ぶ音だった。

 渦巻く腸の上に潰れた顔を乗せた状態で、上半身の大半を喪った少女は二歩三歩と歩いてから地面に崩れ落ちた。

 地面との接触前に、その身体を麻衣は蹴り飛ばした。

 血飛沫と内臓を散らしながら飛ぶ少女の肉体の先には、麻衣に向けて殺到する鏡の魔法少女達の姿があった。

 麻衣はその場で腰を落とし、腰の鞘に戻していた愛刀の柄に手を掛けた。

 そして魔法少女達が金髪少女の遺骸を邪魔者として斬り払おうとした時に、麻衣は一閃を放った。

 

 

「虚空斬破」

 

 

 言い終えるのと凛とした鍔鳴り音が鳴るのは同時であり、それに遅れて落下音が続いた。

 三十メートルの距離はあったというのに、麻衣に向けて殺到していた魔法少女らは胴体を両断されていた。

 麻衣の魔法は刃の距離の延長であったが、それは空間を切断する力へと変異しており距離を無視した斬撃を放つことを可能としていた。

 しかしながら、今の一撃の威力は異常であった。

 

 

「ふむ。調子が良いな」

 

 

 始末した魔法少女らの元へ歩み寄り、麻衣はそう呟いた。

 

 

「日ごろの鍛錬が実を結んだか。我ながら感慨深い」

 

 

 血と肉の海の上を歩き、魔法少女の肉の断面を覗き込む。

 肉と内臓、そして骨の断面は磨き抜かれたように滑らかな面を見せ、形も崩れていなかった。

 

 

「絶好調というやつだろうか。しかし何故、こんなに冴えているのだろうか」

 

 

 麻衣は首を傾げた。そのまま数分が経過した。

 

 

「ああ、そうか」

 

 

 再び口を開いた麻衣が放ったその声は、ひどく澄み切っていた。

 その顔に浮かぶのは、朝の光のような爽やかな笑顔。

 

 

「君がいないから、私は、こんなにも」

 

 

 そこで言葉は断ち切られ、代わりに麻衣の口からは鮮血が溢れた。

 麻衣の豊満な胸の中央から、白銀の刃が生えていた。その形状は、麻衣の持つ得物とよく似ていた。即ち、日本刀に。

 

 

「……良い太刀だ」

 

 

 血泡を口から噴きつつ、麻衣は背後に視線を送ってそう言った。

 紫を帯びた赤色の髪の少女が、背後から麻衣を刺し貫いていた。

 和の趣を持った衣装は、系統こそ異なれど麻衣と似通った部分があった。

 そして麻衣へ向け、複数の魔法少女達が周囲から殺到していった。

 既にこと切れた者達を踏み砕きながら、麻衣へと向けて己の得物を振り翳す。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第101話 朱色の想い②

「…あの、いいんですか…?」

 

 

 魔法のメモ帳にこれも魔法で作ったペンを走らせていた佐鳥かごめは、その動きを止めて尋ねた。

 質問の矛先は童話風の衣装と軍服風の衣装を纏った二人、佐木京と人見リナである。

 

 

「…ええ。これが麻衣の希望です」

 

「…麻衣ちゃんがそう決めたのなら、私も文句はないよ」

 

「…そう、ですか…」

 

 

 怯えたように体を震わせ、かごめは再びペンを走らせ始めた。

 かごめ、京、リナの三人は今、麻衣から距離を置いた場所にいた。

 地層のように堆積した鏡の傾斜によって出来た小高い丘の上から、麻衣の様子を見守っている。

 三人の周囲には複製魔法少女達の残骸が転がっているが、その数は三十体ほどであり、今は襲撃が絶えている。

 

 その理由は三人が視線を送る場所にあった。

 そこには雲霞もかくやといった数の魔法少女達がいた。

 槍に短刀に刀にと、変わったところでは十手やチャクラムなどといったものもあった。

 それらを携えた魔法少女らは、ある場所を目指して殺到していた。

 

 刃の先では武者風の衣装が切り裂かれ、肌が切り刻まれて鮮血と肉、骨と内臓が散っている。

 切断された肉や骨には銀色の魔力が纏わり付いていた。

 それが輝いた刹那、崩壊した肉体が衣装諸共に完全に復元する。

 それは落下して割れた鏡が、それを記録した映像を巻き戻すことで元に戻るかのような光景だった。

 これは鏡の世界自体の魔力か、或いは

 

 一瞬の内に切り刻まれ、また戻してが繰り返される。

 呻き声や悲鳴どころか、呼吸の一つもないままに朱音麻衣は切り刻まれ続けていた。

 

 

「あの、繰り返すようなんですが…いいんですか?」

 

 

 再びかごめは尋ねた。今度は手を休めていない。

 魔法少女のアーカイブ化が彼女の願いであり、掛け替えのない趣味であるからだ。

 手を止めないのは、これが朱音麻衣という存在の最期の記録になると本能的に悟っている為か。

 とはいえその眼に宿る光には欲望の色は無く、純粋な心配だけがある。

 彼女自身もこの行為を止められないのだろう。願いとは呪いに等しい。

 その呪いの中に毎もいる。それが分かっているからこそ、リナも京も止めることなく、そもそも止められないのであった。

 ただ歯を食い縛り、見守る事しか出来はしない。

 

 

 

 

 

 

「は、はは、ははは」

 

 

 切り刻まれる口で、舌で、喉で、朱音麻衣は嗤っていた。

 眼球は破裂と断裂、溶解を繰り返しながら再生していたが、血が拭われる間もなく視界は真紅に染まっていた。

 破壊に伴う感覚は痛みだけであるのだが、彼女の意識は別のものを感じていた。

 数は少ないが、愛する者と戦った時の感覚が肉体が損壊した際に蘇るのであった。

 肉体を破壊される際の衝撃で麻衣の身体は常に揺れているのだが、それとは別の、麻衣自身の震えも見えた。

 肉体の損壊によって性的な快楽を得ているようだった。

 背骨が割れようが脳が切り刻まれようが、幾ら血が流れようが、下腹部に籠る熱量は下がらない。

 

 

「あ」

 

 

 頭頂から喉の真ん中まで切り裂かれた麻衣は、そう呟いた。

 口からの血泡と共に漏れた呟きは、気付きによるものだった。

 

 

「これは……違う」

 

 

 これは痛みであり破壊であるが、彼から齎されるものでは無い。

 現象としては同じでも、その根源が違うのであれば意味が無い。

 彼との戦いを愛情表現として見ていた。

 性行為に等しいか、或いはさらに尊いものへと。

 だが、これは違う。

 しかし自分はそこに彼の存在を見出し、快楽と幸福を感じていた。

 全ては錯覚である事に眼を背け、ただ身体を差し出していた。

 麻衣の体温と高揚感は急速に低下していった。

 

 

「これでは…まるで」

 

 

 自慰、そして強姦。群がられている現状を鑑みて正確に言えば、輪姦。

 そう認識したとき、麻衣の思考は爆ぜ割れた。

 

 

「-----------------------------!!!!」

 

 

 血と破壊された内臓と共に、麻衣の口からは声にならない声が放たれた。

 それは咆哮ではなく悲鳴であった。

 恐怖と嫌悪感に染まった声を吐き出しながら、麻衣は視線を落とした。

 自分から見たのではなく、背後から首を切られたために前に倒れたのだった。

 

 傾いた麻衣の視線は、自らの胸を貫く日本刀を握る者の顔に注がれた。

 前髪に隠れ、目元は分からないが、口は半月の笑みを刻んでいた。

 和の趣を持った外見と、自分と同じ系統の武器。

 麻衣の脳裏には、その少女が自分の生き写しに見えた。

 そう思った瞬間、恐怖は憎悪によって焼却された。

 

 

「ぐぁぁあああ!!!」

 

 

 獰悪な叫びと共に、麻衣は前に進んだ。

 胸の傷は拡大し、傷口からは刻まれた心臓が零れた。

 口からは大量の出血が溢れた。堰を切った濁流のようなそれは、口が耳まで裂けたからだった。

 倍ほどに拡大した口で、麻衣は赤紫髪の少女の頭部に噛り付いた。

 大型猛獣並みの咀嚼力の前では、人間の頭蓋骨も熟れた果実と変わらない。

 一口で半分が齧り取られ、次の一口で喉の半ばまでが飲み込まれた。

 不思議なのは、齧り取られた後は喉が動くものの、麻衣は細首のままであり肉が広がらないことだった。

 齧り取った瞬間、肉体が魔力に変換されているのである。

 

 その間も、複製魔法少女たちの猛攻は終わらない。

 巨大な槍が、剣が、あるいは殴打が麻衣を貫く。

 だがそれらは柄や腕の半ばまでが麻衣に埋没しつつも、切っ先は彼女から抜け出なかった。

 腕も武具も麻衣の肉体に飲み込まれていた。

 

 いつの間にか、麻衣の全身に刻まれていた傷はすべて消えていた。

 腕や武具を引き抜こうとするも、それらは麻衣へと埋まっていく。

 手を放そうとするも、手は武具の柄に張り付いて離れない。

 やがてもたれかかるようにして、魔法少女らは麻衣の体へと密着する。

 麻衣に触れた肌や衣服が蕩け、彼女の中へと溶けていく。

 麻衣に触れていなくても、麻衣に接触している魔法少女らに触れた魔法少女たちも同じように他のものに吸着し、肉を溶かされていく。

 

 

「…失せろ」

 

 

 少女たちがこの声を聴いたとき、大量の血と肉が飛散した。

 血肉の飛散の後に、鮮血の豪雨が降り注ぐ。

 その中央に、朱音麻衣が立っている。右手には愛刀が握られ、真っすぐに前を向いている。

 鮮血の雨が降り注ぐ中で、刀身には一滴の血も付着していなかった。

 

 

「……はは」

 

 

 乾いた笑いが麻衣の口から洩れた。その瞬間、複数の魔法少女たちの首が飛んでいた。

 彼女らと麻衣の距離は、三十メートルは離れていた。

 彼女らの背後に出現した麻衣の背後には、陽炎のような揺らめきがあった。

 空間を切り裂き、魔法少女らの背後と繋いだのである。

 それだけなら以前も行っていた。だが、今は。

 

 

「ははは、ははははは!」

 

 

 哄笑と共に麻衣は刃を振るう。そのたびに魔法少女らは肉片に変えられ、反撃が来る前に麻衣の姿は次元の狭間へと消える。

 その次の瞬間には魔法少女らの背後や死角に現れ、何もさせないままに非情の刃で切り刻む。

 一時たりとも同じ場所に留まらず、奇襲に奇襲を重ねていく。

 かと思えば、麻衣の存在に気付いた魔法少女の群れへと真っ向から向かっていき、剣戟を重ねた末に頭頂から股間までを縦の一閃で両断する。

 地獄の門が開かれたように、血と内臓が左右に分かれる。その奥にいる麻衣は、小刻みに歯を震わせながら笑っていた。

 そして、双眸からは止め処なく涙が流れていた。

 麻衣は笑いながら泣いていた。

 

 笑っているのは自分の力が高まっているのを感じ、その力を存分に奮えていることへの歓喜から。

 泣いているのは、複製魔法少女たちから与えられた痛みと暴虐を愛する者に重ねてしまっていたことから。

 それを己の弱さと認識し、そこから無力感を感じていた。

 

 そして愛する者に対してこの力を振るえないことに、彼を殺害できないことへの悲しみに耐えきれずに泣いていた。

 これが異常な感情であることを認識しつつ、それでも止められない自分自身に対し、彼女は自分を嘲笑し、そして嘆いているのであった。

 彼女の暴虐は留まるところを知らず、死山血河は際限なく拡大していく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第102話 平穏なる時

「………」

 

 

 佐倉杏子は沈黙していた。

 上半身は机に突っ伏し、両手は轢殺された蛇のように前に伸びている。

 足長の椅子から垂れた両足もぷらぷらと揺れ、完全に弛緩しきっていた。

 眠ってはいないのだが、いつから起きているのかもわからない。

 とりあえず、意識というものを自覚したのは今であった。

 半開きの口からは唾液が垂れ、顔を動かそうとした際には違和感を覚えた。

 垂れ流された唾液が頬と机の間で固まり、接着させられていたのだった。

 引き剝がす気も起きず、杏子はそのままぼーっとしていた。

 

 

「…キリカのやつ、どこ行った…?」

 

 

 ぼんやりとした口調でつぶやく杏子。

 それが功を奏したのか、彼女の脳は休む前のことを少しずつ思い出していった。

 途端に胃袋が蠕動し、胃液が口内に満ちた。

 咄嗟に口を閉じたために漏れ出すことはなかったが、逆流した胃液は鼻の方にも回っていた。

 

 

「…最悪」

 

 

 極限まで濃くした酢のような酸味の液体を飲み終えた杏子はそう呟いた。

 脳裏に浮かぶのは、どう言語化していいのか分からないほどの、凄惨無比な光景。

 それをどう表現したらいいのか分からず、人類には未だに言語化が不可能としか思えないそれらは、呉キリカを素材として造られていたことだけが分かった。

 アリナが製作した残虐アートは全て処分した筈だったが、また新たに、更に残虐さを増したものたちがそれも大量に発見されたのだった。

 嫌な予感がしたキリカがアリナの寝室を隈なく捜索し、ベッドの下に感じた空間の綻びに爪を立てた瞬間に異界の入り口が開き、その中に所狭しと作品たちが並んでいたのだった。

 そのあまりの異常さに、大抵の異常さなら慣れている筈のネオマギウスの構成員達すら絶句して立ちすくみ、当の本人であるキリカは表情や感情が漂白されていた。

 顔を見たはずなのだが、それを思い出すことはできなかった。

 ただ、美しいものをみたとしか分からない。脳が理解を拒絶しているのかもしれない。

 そういえば、記憶が絶えているのはそのあたりからだった。

 

 

「…寝る」

 

 

 欠落した記憶を探ろうとし、脳が心を壊す前に杏子は逃げることを決意した。

 目を閉じて心を無にするように努める。次に目が覚めた時、何も感じておらず覚えていない事が彼女の望みだった。

 だがしかし、その願いは叶わなかった。

 目を閉じた数瞬後、意識は虚無への墜落から引き上げられた。

 それを成したのは、悪夢を消し去るほどの美味なる香りであった。

 

 

「はい、どーぞ!」

 

 

 快活な声が耳朶を打つ前に、杏子は跳ね起きていた。

 突っ伏していたテーブルは十数人が並んで座れるほどの広さであったが、その上に所狭しと様々な料理が並んでいる。

 香ばしい匂いを立てているのは、程よく焼けた飴色の肌の豚の丸焼きであり、濃厚なクリームの香りを漂わせているのは深皿に山と盛られたカルボナーラスパゲティであり、みずみずしい野菜が添えられているのは切り分けられた断面から血が滴るレアに焼かれたステーキだった。

 数十種類の香辛料を絶妙の配分で混ぜられたカレー、一粒一粒に至るまで黄金色の卵でコーティングされた炒飯、野性味あふれる赤い断面を見せて並べられているのは薄切りにされた鴨のローストだろう。

 

 

「…おはよう」

 

 

 視覚と嗅覚と胃袋を刺激する、大量の食物からの誘惑を振り払い、杏子は言葉を口にした。

 テーブルの反対側には、私服姿のかずみがいた。椅子の背もたれには、つい今しがたまで着用されていたであろうエプロンが掛けられている。

 杏子の挨拶ににかっと笑うと、かずみは両手を合わせ「いただきます」と元気に叫ぶと食事を始めた。

 少し遅れて杏子もそれに倣い、食事を開始する。

 フォークで刺しただけで焼き加減が絶妙だと確信させられたステーキを口に含んで咀嚼した瞬間、杏子の目じりには涙が浮かんだ。

 ゆっくりと噛んでから飲み、少し待ってから今度はスプーンに持ち替えて炒飯を口に運んだ。

 卵の甘さとまろやかさ、炒められた米の香ばしさが口内で弾ける逸品だった。

 飲み込んだ後、杏子は小さなため息を吐いた。湧き上がる満足感によって、行き場のなくなった感情が息として漏れ出したのであった。

 

 そのまま二人は会話をすることなく食事に没頭した。

 冷めやすいものから優先的に摂取し、可能な限りゆっくりと食事を楽しんだ。

 飲み物として添えられている牛乳やオレンジジュースにソーダ水で喉を潤しつつ、様々な味を賞味する。

 普段争うようにして食事、というよりも食餌に勤しむ杏子としては珍しい姿だった。

 

 

「ええっと…ごめんね、杏子」

 

「ん…?」

 

 

 食事の余韻を楽しんでいると、かずみから声が掛けられた。意を決したような響きがあった。杏子はすぐにぴんときた。

 

 

「気にすんなよ。相手が相手だ」

 

 

 事も無げに杏子は言う。暴走した環いろはとの戦闘の際に、彼女が前線に出てこなかった事についてである。

 

 

「怪我して動けなくなった奴らを運んだりしてたのはお前だろ。その後も療養食作ったり、怪我の手当てしてやったじゃねえか。立派に仕事してたんだから、そんな顔すんな」

 

 

 ゆっくりと、だが言葉の合間をほぼ開けずに杏子は言った。

 かずみの反論を許さず、させたくないが故に。

 かずみも何かを言おうとしたが、

 

 

「ありがと」

 

 

 と寂しげに微笑んで告げた。

 

 

「でも、ちょっと問題かも」

 

「キリカから聞いてるよ。変身が上手くできなくなったんだっけ?」

 

「うん。多分だけど」

 

「あの変態…じゃ分からねぇな、変態が多すぎる。胎にジェム貯めこんでる犀好きな変態でいいや。そいつのせいにしとけ」

 

「んー…それもあるのかもだけど、私の設計ミスかなにかだと思う」

 

「……プレイアデスか」

 

 

 忌々しさを隠そうともせずに杏子は吐き捨てる。

 幸福で満ちていた胃袋に、さっそく苦々しいものが忍び寄り始めていた。

 

 

「私の心臓って、魔女から採取したのを組み合わせて作ったんだって。凄くない?」

 

「本人に言うのもなんだけど、何考えてたんだろうなあいつら」

 

 

 そこで杏子は疑問を覚えた。

 その事実は杏子はニコから聞いて知っている。だが、何故かずみが知っているのかと。

 

 

「あ、ちなみにこれはクロエって人から聞いたんだよね。プレイアデスと業務提携してたみたいで、事情に詳しかったみたい」

 

「何でそのこと、そいつはお前に話したんだ?」

 

「ええとね、話しかけられて、空の色とか好きな花とかを聞かれた後に急に言われたの」

 

 

 杏子は少し考え結論を出した。所謂コミュ障ってやつだなと。

 かずみは不安げな、いや、心配そうな顔をしていた。

 

「話しかけてきてくれたのは嬉しいんだけど…あの人、ちょっと距離感詰めすぎてる感じがあってちょっと心配」

 

「そうか。ついでに、そいつ今どこにいる?」

 

 

 努めて殺気を抑えながら杏子は言った。だが抑えたといっても殺意の量が大きすぎており、隠蔽には程遠かった。

 一応の仲直りはしたとはいえ、内臓を抉り出しあった仲でもある。

 

 

「少し前に出て行ったよ。あと別に私は怒ってないから大丈夫。一緒に連れていかれたくろって人からも土下座されて謝られたし」

 

「…分かったよ」

 

 

 杏子は両手を掲げて手のひらを見せた。

 お礼参りはしないという意思表示である。

 少なくとも、今は。

 

 

「でも不調だってんなら、今度あたしとキリカでプレイアデスに乗り込んで」

 

「いいよ、別に」

 

 

 杏子の言葉にかずみが声を過らせた。

 杏子は口を閉じた。大きな声でも鋭い口調でもないが、その声はひどく冷たかったからだ。

 

 

「私は失敗作みたいだし、もうあそこには戻りたくないし関わりたくない。これは自分の問題だから、私が自分で解決したい」

 

 

 かずみはそう言い切った。

 少ししてから

 

 

「そうか。でも治す手伝いくらいはさせろよな」

 

 

 と言った。

 かずみは歯を見せて笑い返した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 聖団

 休日の昼下がり、場所はあすなろ市の一角にある優雅な造形の建物。

 普段であれば、そこは大勢の人々が集う場所であったが本日の来館者は六名の少女達のみだった。

 その場所の名は「アンジェリカベアーズ」。

 集う面々の名は「プレイアデス聖団」。あすなろで活動する、六人の魔法少女達。

 周囲に並ぶ無数のテディベア達に見守られるようにして、広い室内の中央で円を描いて並んでいた。

 

 

「現状を確認しましょう」

 

 

 口火を切ったのは白を基調とした、修道女を思わせる衣装の少女。御崎海香である。

 

 

「今朝、かずみが…ミチルが機能を停止したわ」

 

 

 ほかの五人は沈黙でその言葉を迎えた。

 照明を落とされた薄暗い室内の闇は、一層の濃さを増したようだった。

 

 

「詳しく…教えて」

 

 

 少しの間をおいてから、乗馬服を思わせる衣装の少女が言った。

 声の震えを嚙み殺しての声であったが、その震えは仕留めきるには至っておらず、声に含まれた動揺には誰もが気付いていた。

 

 

「そうだよ海香。カオルも、サキの質問にちゃんと教えて」

 

 

 乗馬服の少女、浅海サキの言葉に追従するような発言をしたのは、露出度が極めて高い衣装を纏った少女。

 視線の先にいるのは白とオレンジの、体に張り付いた運動服然とした衣装をした少女、牧カオルであり、攻撃的な視線で彼女を睨む桃色服の少女は若葉みらいという名前であった。

 

 

「みらいちゃん、今は二人の話を黙って聞きましょう」

 

 

 今にも海香とカオルに嚙みつきそうな、獰猛な意思を隠そうともしないみらいを窘めたのは宇佐木里美。

 胸元を大胆に開いたドレスに、猫耳を思わせるヘッドセットが印象的な少女だった。

 落ち着いた声が効いたのか、みらいも唸り声を喉の震わせ程度に鎮めた。

 

 

「………」

 

 

 それらの様子を、神那ニコは黙って見つめていた。

 普段は額に乗せられている飛行眼鏡が着用されているのは、精神的な動揺の表れか。

 

 

「今朝がた…朝練帰りに、いつもみたいにかずみが…ミチルが朝食を作ってくれてたんだ」

 

「取り分けて、いただきますって手を合わせた瞬間に」

 

「こうなっちゃった、ってワケだねぇ」

 

 

 カオルと海香が語り、ニコが引き継いだ。

 伸ばした手の先で、細長の透明な円柱が出現した。

 魔力で生成された長さ三十センチほどのそれの中身は液体で満たされ、その中で人形大の大きさの裸体の少女が眠っていた。

 二人の話の通りに、二つの手のひらは重なり合う寸前で停止している。

 

 

「完璧、だったはずじゃ?」

 

 

 必死という言葉が似合いそうな、サキの声だった。

 口を食いしばったみらいの、歯がきしむ音が声に続いた。

 しかしどうも、みらいの反応は眠り姫への義憤というよりも、サキに向けられている感が強い。

 事実そのとおりであり、みらいはサキが悲しんでいることに悲しみ、彼女にそんな感情を与えている相手に対して怒っていた。

 その矛先は、先に言葉を紡いだ三人である。

 

 

「脱走したかずみシリーズのNo.13…このミチルの双子のかずみは、ミチルが持つはずだった魔女の因子の大半を肩代わりした」

 

 

 水中の少女を眺めながら、ニコは淡々と呟いた。

 

 

「だからこの子は、魔女でも魔法少女でもなく人間として生きていた。生きていけるはずだった」

 

 

 海香が俯き、嘆きを発する。

 カオルは言葉を発せず、垂れさがらせた腕の先の拳を握りしめていた。床から発せられる水音は、指先が掌の皮膚を突き破った出血によるものだった。

 指の先は皮膚を貫き、肉を穿孔して骨に触れた。

 

 

「で、また失敗しちゃったと」

 

 

 声は控えめだが、みらいはギロリとした睨みを効かせ弁明をする三人を見据えた。

 みらいの声には、小さな破砕音が続いていた。カオルの力に骨が耐え切れずに圧壊したのだった。

 

 

「これから、どうするつもりだ」

 

 

 サキもまた言葉を続けた。静かだが、沈黙を許さないという意思が込められていた。

 

 

「眠り姫を目覚めさせる。なんとしてでもだ」

 

 

 ニコはそう断言した。それ以外の返事など口にできず、そして誰もが聞きたくなかった。

 

 

「ところで、なのだけど」

 

 

 少し間を置き、里美が口を開いた。

 全員の視線が彼女へと向かった。

 その様子に一瞬里美は怯んだが、このまま黙るのも空気が悪いとして覚悟を決めた。

 

 

「今聞くことなのかは、ちょっと悪いかもだけど…今回のかずみちゃんが、上手くいったのはどうしてなの…?」

 

 

 みらいとサキは、一斉にニコと海香とカオルを見た。

 かずみの蘇生に携わっているのは主にこの三人だからである。

 

 

「それは、さっき言った双子で造ったからでもあるよ」

 

「…からでも?」

 

 

 ニコの言い回しにサキは妙なものを感じた。ニコもそのつもりで言っていた。

 

 

「かずみの命は魔女の力で維持している。でもそれだと、生命力の差で人間としての部分が負ける」

 

 

 言い終えると、ニコはポケットから何かを取り出した。

 それは小さな瓶であった。

 

 

「だから、人間としての生命力を補った。これを使ってね」

 

 

 左右に軽く振られた小瓶の中では、液体に浸った眼球が揺れている。

 異常な光景だが、それを見る面々の視線に恐怖の色はない。

 あるのは、黒い瞳の眼球に対する疑問である。

 

 

「それ、何?眼ん玉なのは分かるけど」

 

 

 苛立ちを込めてみらいが問う。結論を先延ばしにされ、長い話に付き合わされていることが本当に嫌なのだろう。

 

 

「双樹さんらが持って帰ってきた生体サンプルだよ。本人らは綺麗な宝石ってことで喜んでたけど、解析したらいろいろと興味深くてね」

 

「…なるほど」

 

「アイツか……!!」

 

 

 サキには察しがつき、みらいはその瞳の色を思い出した。交戦した相手だからである。

 美しいが、禍々しい渦を巻いた瞳は肉体から離れた後もまったくとして変わっていない。

 

 

「きもちわる」

 

 

 みらいは吐き捨てた。同時に悪寒が背中に走る。

 

 

「っておいおいおいおい、ちょっと待て」

 

「かずみに……ミチルに……」

 

 

 みらいは狼狽し、サキの眼光には困惑と怒りが滲む。

 

 

「うむ。これから得られたデータは、大分役に立ったと思えるよ」

 

 

 ニコは前に進みながらそう言った。

 おそらく、いや、確実にサキからの報復が来るだろうと予測していた。

 なので位置を前にずらし、報復の余波から海香とカオルを遠ざける事にしたのだった。

 なんの罪滅ぼしにもならず、さらには報復の対象には残りの二人も入っているだろうと思ってはいたが。

 

 だがその時、闇が下りた室内に一筋の光が差した。

 ギイイという軋み音が、全員の耳朶に届いた。

 報復への一歩を踏み出そうとしていたサキは動きを止めた。

 サキを止めるか自分も加わるかで悩んでいたみらいは光と音の先を見た。同時に、みらいの脳裏には疑問が渦巻いていた。

 

 アンジェリカベアーズには今、施設全体に認識阻害の魔法を掛けている。

 通る人々には、さらには大半の魔法少女にもこの建物を認識できず、扉も開けることはできなくしている筈であった。

 それが今、開いている。

 そんな事が出来るのは、並外れた力の魔法少女でなければありえない。

 思いつく対象は多くはないが、そのどれもがろくでもない連中ばかりだった。ろくでもない、という表現では到底足りず、どれであっても「最悪」という言葉が似あう怪物どもしか思い当たらない。

 

 

 

 

 

「お邪魔しますでございます」

 

 

 その声を聞いたプレイアデスの面々は言葉を失い、呼吸さえも途絶した。 

 特徴的な丁寧な喋り方は、その者が最悪の中の最悪であると示していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 聖団②

「お邪魔…しますで…ござい…います…」

 

 

 全身の力を使い、アンジェリカベアーズの扉を開きながら、その少女は言った。

 赤紫の着物を纏った華奢な体つきであったが、その胸元は豊満だった。

 腰から垂れさがる青の帯や細い肩、豊かな胸を揺らせつつ、少女は扉を開け、生じた隙間に身を滑らせるようにして室内へと入り込んだ。

 隙間からの光が絶え、再び室内には闇が降りる。

 室内の音は絶えていた。ただ一つ、入室者である少女の荒い息を除いて。

 両手を膝小僧につけ、上体を曲げて酸素を貪っている。

 その様子を、プレイアデス聖団の面々は黙って見ていた。

 

 彼女らの誰もが、先ほどの光景を信じられなかった。

 扉は高度な隠蔽魔法で隠しており、更には魔法によって、物理的な重量も数十トンは下らない重さとしていたためだ。

 それも重量は開こうとする力に対して反抗し、センチ単位で上昇するように設定されている。

 それを苦も無くとまではいかなくとも、力で押し広げるとは。

 自分たちとは根本的に性能が異なるとしか思えなかった。

 

 怪物を見る目で、プレイアデス達はその少女を見ていた。

 視線に宿る感情は、疑念に不愉快さ、そして怒り。

 だが最も色濃いものは、恐怖であった。

 

 

『殺すか』

 

『殺そう』

 

『殺す』

 

『殺しましょう』

 

『今なら』

 

『殺せる』

 

 

 プレイアデスの面々はそう思念を交わした。

 プレイアデス聖団は魔法少女システムの否定を理念として自らに課している集団である。

 故に行動は過激とはいえ、魔法少女の命は奪わない事が第一前提であった。

 

 それがその理念を放棄し、殺害一択の意思を交わしていた。

 しかしながら、魔力はまだ行使されてはいない。

 行動を抑止しているのは、殺意の衝動さえ抑えつける恐怖。

 

 

「ああ、すみません、三度目ですが…お邪魔しますでございます」

 

 

 入室より約三分、ようやく少女は顔を上げた。

 その顔は、白い仮面で覆われていた。

 目の位置には二つの穴があるが、それは黒い空洞にも黒く塗りつぶされているようにも見えた。

 少なくとも、その穴からは少女の目は伺えなかった。

 底無しの深い孔。

 見つめていれば、魂を引きずり込まれそうな。

 地獄の門。

 

 そんな思いがプレイアデス達を襲った。

 

 

「御機嫌よう、天音さん方。息災のようでなによりだ」

 

 

 サキが笑顔で語りかけた。

 舌の根の近く、舌の淵を奥歯で嚙み潰す事の痛みで強引に恐怖を拭っていた。

 乾いていた舌も血に濡れたことで滑らかさを取り戻していた。

 

 

「こちらこそ。プレイアデス聖団の方々もお元気そうで、こちらとしてもうれしい限りでございます」

 

『ねー』

 

「ねー」

 

 

 天音と呼ばれた少女からは、二つの声がした。

 一つの声は仮面の裏にあるであろう口からの肉声。もう一つは、いつの間にか左手に握られていた笛からの思念。

 嫌悪感や吐き気が顔に出ることを、プレイアデス達は必死に堪えていた。直情的な思考のみらいでさえも、それは同じであった。

 

 声を発したのは天音月夜と天音月咲。

 仮面を付けているのが月夜であり、笛の姿となっているのが月咲。プレイアデス達はそう認識している。

 故にサキは、彼女らを複数形で呼んだのだった。

 

 

「それで、今日は何用かな?自分たちに出来ることがあれば、同盟者として協力は惜しまない」

 

 

 親しみを込めて、少なくともそう聞こえるようにサキは言った。

 危険な発言であるとはサキも理解しているのだが、誰もそれを責める気はしなかった。

 何よりも危険なのは、この天音姉妹だからである。

 

 マギウス司法局。

 マギウスの理念にそぐわない行動・非行動を取った・取らなかった魔法少女らを捕獲・拷問し、粛正する懲罰部隊。

 そのリーダーが天音姉妹である。

 どう出るか、と面々は体は動かさずとも心で身構えていた。

 

 

「それは嬉しいのでございます!」

 

 

 歓喜の声と、乾いた音が響いた。後者の音は、月夜が両手を重ねた音だった。喜びに感極まったように手を合わせ、体を震わせている。

 

 

「私共は今とても困っておりまして、それは本当に助かるのでございます。他のメンバーを代表して、心からの感謝の意を表します」

 

 

 そう言って、月夜は深々と頭を下げた。

 長い丈の髪型が、頭部の後を追って波を打ち、赤い髪の先端が床へと激突した。

 その間抜けな様子と、必死ともとれる御礼の態度に、プレイアデス達は緊張の糸がわずかに緩むのを感じていた。

 

 

「ところで、他の人らはどうしてるんだい?お仕事?」

 

 

 リラックスした様子でニコが問う。気が緩んだのではなく、探りを入れる為に。

 

 

「御機嫌よう、ニコさん。実は今日は一種のレクリエーションの日なのでございます」

 

「福利厚生がしっかりしてるということだね。感心するよ」

 

 

 言葉通りの意味として、ニコは月夜の言葉を受け取らなかった。

 この連中が獲物を狩る事について、きわめて真面目に取り組んでいると知っているからだ。

 謝罪の言葉を喉が枯れるまで泣き叫ぶ相手を、自身も謝罪しながら容赦なく断罪する場面をニコは見たことがあった。

 

 

「左様でございます!」

 

 

 大きな声、叫びに至るほどの声量だった。

 笛を用いる魔法少女であるためか、体格の割に肺活量が尋常でないのだろう。

 

 

「最近は漫画の感想や考察を語り合ったりなどもしているのでございます」

 

「漫画…」

 

 

 カオルが思わず呟いた。彼女はすぐに口を閉ざしたが、失言ではないだろうと思った。

 現状、マギウスと自分たちは敵対はしていないのだから。

 これを切っ掛けに会話して仲良くなり、少しは恐怖を減らしたいという心境を誰が責められよう。

 

 

「そうなのです!対象年齢は私たちの年代よりは少し上ですが、最近私たちがハマっている格闘漫画は先の読めない展開、緻密なデッサンに昨今の事情を反映した素晴らしい内容で」

 

『月夜ちゃん!』

 

 

 言葉を遮り、笛から強い思念が発せられた。

 

 

「はひっ!?でございま」

 

『その話題はアウト!それ以上はいけないよ!』

 

「そ、そうでございました。ネタバレは厳禁でございます」

 

『…んん…そうだね。うん、そうそう』

 

 

 狼狽する月夜、不承不承という風に認める笛、もとい月咲。

 プレイアデスの中の何人かは、月咲の態度の原因が分かっている。

 その漫画には心当たりがあり、確かに滅茶苦茶な展開が練り進んでいるが、それでもここ最近の内容の危険さは口に出すのも憚られるからだ。

 あの内容で何故、普通に流通させられているのかが理解できなかった。

 一方で、これも僅かにだが天音姉妹を見る目が少し変わってきていた。

 

 片方は肉体ではないとはいえ、天音姉妹は普通の姉妹のように会話し、娯楽も享受している。

 確かに話に聞き、実際に目撃した残虐性は否定しようもないが、それは彼女らと敵対した場合のみである。

 警戒は必要だが、必要以上は不要である。

 

 彼女らは少しずつそう思いつつあった。

 思えば、自分たちも褒められた立場ではない。

 自分たちの所業を知った者がいれば、唾棄されてもおかしくはない。

 対してマギウス司法局らは、曲がりなりにも組織のため、魔法少女の秩序のために日夜戦っている。

 そこは見習うべき美点ではないか。そう思えさえした。

 

 

「ああー…ちょっと、いいかな?」

 

「それにしても『あの男』とは一体何者で…ああ、申し訳ありません。何用でしょうか、ニコさん」

 

 

 月咲と会話していた月夜はニコへと顔を向けた。相変わらず白い仮面を被っているが、好きな漫画を語る事の楽しさが仮面越しに滲んでいるような気がした。

 

 

「今日はレクリエーション、ということだけど、一体何用だったのかな?私たちが手伝えることっていうのは?」

 

「あ!申し訳ございません、遅れておりました!」

 

 

 慌てて月夜は頭を垂れた。先ほどのように長い髪が大きく揺れ、前へと大きく靡いた。

 ざっと広がった赤い髪の奥で、仮面の口元に笛が接するのがサキには見えた。

 その瞬間、彼女は肺が凍り付いたような感覚を覚えた。今まで感じたことのない悪寒であった。

 

 

「皆、下がれ!!」

 

 

 叫んだサキの後頭部を、温かい何かが触れた。

 その熱は頭部だけに留まらず、背に腰に、尻にまで達していた。

 そして彼女の鼻孔は、いや、この室内全体にある香りが漂い始めた。それはすぐに、むせ返るほどの濃度に変わった。

 足の下を、冷え行く熱が広がっていく。

 サキは前を見ていた。

 正面には月夜がいる。その隣に、金の縁取りがされた大盾が突き立っていた。

 盾の正面装甲は開け放たれていた。

 開かれた装甲の奥には闇が広がっている。闇の奥からは、男と女の悲鳴に叫びが雷雨のように鳴り響いている。

 だがそれを、プレイアデスの誰もが認識しなかった。彼女らの意識は、盾の奥の闇から伸びた無数の細い鎖に注がれていた。

 そしてもう一つ、周囲に飾られているテディベアを囲うガラスケースに反射している、背後の光景に。

 

 びょっという音が鳴ると同時に、鎖は闇の奥へと引き戻された。

 戻る寸前、その先端が生物の尾のように大きく震えた。鎖の端は、人差し指を曲げたくらいの大きさの鈎爪となっていた。

 震えと同時に、そこに付着していたものが弾き飛ばされた。

 そのいくつかがサキの体へと命中した。

 それは眼球であり、耳であり、頭皮であり、手の甲の皮であり、声帯であり、指であり、骨であり、小脳の断片であり、肝臓の欠片だった。

 人間の破片は、プレイアデスの全員に激突していた。

 彼女らはよろめきもせず、いや、できずに肉片を受け止めた。その材料となった一人を除いて。

 

 

「……さ、とみ…?」

 

 

 カオルが震えながら口を開いた。血飛沫と肉片にまみれたガラスケースには、轢死体のような何かが反射していた。

 仰向けに倒れ、体の正面の皮膚と肉をはぎ取られ、骨と内臓と脳髄を露出している人体が見えた。

 考えるまでもなかった。一瞬で展開された鈎付きの鎖が里美の全身に突き立ち、悲鳴を上げる前に引かれ、全身を無惨に引き裂いたのだった。

 その有様は、まるで。

 

 

「あーあ、まるで雨の日に轢かれたカエルさんみたい」

 

 

 いつの間にか、盾の隣には紫色の髪の少女が立っていた。

 

 

「あんまり見ちゃダメだよ、スズネちゃん。御飯がマズくなっちゃうから」

 

 

 露出の高いドレスを纏った少女は、傍らの小柄な銀髪の少女へと語りかけた。

 「マリトッツォ」というプリントがされたシャツを纏い、短パンを履いた少女だった。その眼はうつろであり、口からは水でも吐いているかのように大量の唾液が垂れている。

 その首には刺だらけの首輪が嵌められ、首輪から伸びた鎖の端は紫髪の少女の手に握られていた。

 

 

「…はぁ!?」

 

 

 みらいが顔の血肉を拭いもせずに叫ぶ。

 既に大剣を握り、切っ先を天音姉妹へと向けている。

 その剣が、握っている腕ごと背後へと吹き飛ばされたのは次の瞬間だった。

 

 

「がぁっ!?」

 

「ぐ…!」

 

 

 二つの苦鳴。一つはみらいであり、もう一つはカオルであった。

 カオルは右腕を抑え、膝をついていた。左手で抑えられた右腕は、血が噴き出す場所の周囲が金属の光沢で輝いていた。

 彼女の魔法、カピターノ・ポテンザによる肉体の硬化によるものである。

 離れた手の奥では、腕が断裂寸前になるほどに、肘の肉が大きく抉れているのが見えた。

 ニコはカオルとみらいへと治癒魔法を放ち、原因を探した。すぐに見つかった。

 

 月夜の背後、猟師風の衣装を纏った仮面の少女がいた。携えた猟銃の銃口からは一筋の煙が立ち昇っている。

 その隣には、銀の衣装の銀髪少女が寄り添うように立っている。

 よく見れば、その二人は手を繋いでいるようだった。

 

 

「さて、遅くなりましたが質問に応えさせていただくでございます」

 

 

 月夜は丁寧に詫びつつ言葉を紡いだ。

 だがそれは、応答が遅れた事についての謝罪であった。

 

 

「貴女方へのお願いなのですが、貴女方には我々の糧となっていただきたく思います」

 

 

 とても真摯に、丁寧に、心を込めて月夜は言った。

 

 

『ウチ…私からもお願いします。プレイアデス聖団の力が、どうしても必要なの』

 

 

 月咲もまた、片割れと同じ気持ちを込めてそう言った。

 

 

「そうそう、そういうことってわけ」

 

 

 二人とは対照的に、紫の少女は頭を下げつつぞんざいな言葉使いだった。

 

 

「あとうっさい。ちょっとお黙りよ」

 

 

 そう言って、彼女は展開されていた盾の装甲を蹴った。

 盾が閉じ、同時に中から響いてくる悲鳴も絶えた。

 

 

「じゃ、そういうことだから」

 

「華々莉さん、そういう態度は失礼でございます」

 

『そうそう!礼儀礼節は大事だよ!』

 

「はいはーい。反省してまーす」

 

 

 カガリと呼ばれた少女は深々と頭を下げた。しかし下げた先で、彼女はプレイアデス達をそっと見上げていた。

 そして声には出さずに口を動かした。

 

 

コノ

 

ヒトデナシドモ

 

 

相手に見えるように、彼女はそう言っていた。

それはプレイアデス達の胸に疼痛を与える言葉だった。先手を打たれ、負傷者を出したこともあるが、彼女らは反撃に移れなかった。

 

 

「それでは、大変お待たせいたしました」

 

 

 重ね重ね申し訳ありませんと、月夜は言った。

 そしてプレイアデスではなく、背後と傍らの同胞らへと顔を向けた。

 

 

「それでは、本日も張り切って参りましょう!」

 

『みんな、無茶はしないでね!』

 

 

 指導者二人の声にカガリは「はいはい」と答え、大盾の少女は盾の裏で頷いた。

 スズネはうつろな視線のままの呆けた表情であり、残る二人は頷きすらしなかった。

 ただ銀髪の少女は、猟師の少女の手をより強く握ったようだった。

 

 

「ではプレイアデスの皆々様!僭越ながら、我々が存分にお相手させていただくのでございます!手加減のお気遣いは無用でございます!」

 

 

 誇り高い意志を携え、天音月夜は高らかに叫んだ。

 

 

「狂ってやがる」

 

 

 ぼそりとニコは呟いた。

 その呟きを塗りつぶすが如く、熱線と雷撃が空間に轟く。

 

 プレイアデス聖団と、マギウス司法局。

 光と爆風の中、双方の魔法少女らが激突した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 聖団③

「急げニコ!今は可能な限り退却だ!」

 

「そろそろ諦めて欲しいんだけどねぇ」

 

 

 宙に身を躍らせ、高速で落下しながらサキとニコは言葉を交わす。

 広い空間を落ちていく二人の身体からは、逆向きに降り注ぐ驟雨のように朱線が上方へと流れていた。

 ニコは右手を喪い、サキは脇腹を抉られていた。サキが右手で抑えた傷口からは、赤紫色に変色した内臓の一部が見えた。

 痛みに歯を食いしばるサキ。対するニコは横顔に警戒感を張り巡らせつつ、自らの負傷に対しての感慨は希薄だった。

 

 

「ヒトデナシ、か」

 

「………」

 

 

 ニコの呟きに、サキは返す言葉が見当たらなかった。

 聞こえなかったフリを選択をしたことを、サキは恥と感じていた。

 だが罪悪感に心を苛まれる前に、彼女らの両足は地面に触れた。視線の先には四方を壁で囲まれた回廊が続いている。

 生じた衝撃を魔力で殺し、即座に疾走に移る。だが。

 

 

「不味い」

 

「…ああ」

 

 

 最初に感じたのは、進路の先を照らす赤の光。

 それは照明ではなく、彼女らの背後から放たれたものだった。そして光に次いで、熱が二人の背に触れた。

 触れた瞬間には心地よいとさえ感じられた熱量が、魔法の衣を焼いて背の肉と溶け合わすほどの高熱へと即座に変わった。

 

 

「サキ!」

 

「止まるな!!逃げるぞ!!」

 

 

 叫びと同時にサキとニコはそれぞれみらいとカオルによって抱擁された。

 後方から飛来した二人は前衛魔法少女の身体能力で床を蹴り、一気に前へと跳躍する。

 

 

「海香!」

 

「分かってる!」

 

 既にニコより先にカオルに抱えられていた海香が魔力を行使する。

 迫る熱量に対し、海香は魔力の障壁を生み出し熱の大半を遮断した。

 轟々と迫る炎は回廊の壁面を爛れさせ、溶け崩らせていく。熱に追いつかれる寸前、視界の先に光が見えた。

 七つの光が散りばめられた、古城の門を思わせる造形の魔力の扉であった。

 

 

「開け!!」

 

 

 サキが叫ぶと、扉は左右に開き次の瞬間には即座に閉じた。

 僅かな時間の隙間を縫って、プレイアデス達はその中へと飛び込んだ。閉じる直前に入り込んだ僅かな熱が、それでも膨大な熱量を持ってプレイアデス達を覆う障壁を炎の舌先でちらりと舐めた。

 障壁はそれによって破壊され、彼女らは床面へと落下した。

 

 

「…ぐぅ」

 

「サキを傷つけたりなんてするもんか」

 

 

 保護した者たちを庇いながら、自身は床に身を打ち付けつつもみらいとカオルは倒れなかった。

 

 

「ありがとう、みら…」

 

 

 みらいへと顔を向けたサキの顔に、熱い何かが落下した。それは彼女の鼻筋を通り、唇の谷間へと触れて床に落ちた。

 

 

「ああ、ごめんサキ…顔を汚しちゃって」

 

 

 済まなそうに告げたみらいの左目は、周囲の肉ごと大きく抉られていた。削られた肉と骨の奥には、熱で焙られて変色した脳の一部さえ見えた。

 

 

「クソ…あいつら……」

 

 

 カオルが憤怒に満ちた声を漏らすが、それ以降の言葉は紡がれなかった。

 口から吐き出された大量の血液が、言葉と呼吸を途絶させた。

 カオルの背中には縦横に斬線が入っていた。傷は長く深いが、吐血の量に対して傷からの出血は少なかった。

 傷は赤ではなく黒と灰色になっていた。切られた瞬間、焼かれて炭化したのである。

 凄まじい切れ味の刃が、異常な高温を帯びて防御に秀でた魔法少女を切り刻んだのだった。

 

 

「あいつらじゃなくて、この子はスズネちゃんなんだけど」

 

 

 不満に満ちた声は空間の奥からだった。

 ここはプレイアデスの本拠地の中の部屋の一つ。

 最近発生した大破壊の修繕の為、不要物や加工用の魔道具、修理予定の破損物を集積した場所だった。

 部屋の奥に積まれた様々な物体の山の上、紫髪の少女がいた。

 

 その傍らには首に悪趣味な首輪を嵌めた、Tシャツと短パン姿の銀髪の少女が立っている。

 華奢な体格の少女は、その身体には不釣り合いなほどの巨大な武具を細い五指で掴んでいた。

 それはカッターナイフを彷彿とさせる形状の、刃部分を赤熱化させた大剣だった。

 刃が孕んだ熱量によって刃の近くでは空気が揺らぎ、プレイアデスの視界に映る二人の姿を悪霊めいた姿に揺らめかせていた。

 

 

「…どうにも納得いかない組み合わせというか展開だなぁ」

 

 

 見上げながらニコが呟く。それが聞こえたらしく、紫髪少女、カガリは口の両端を吊り上げた。可憐な悪鬼の笑みだった。

 

 

「それ、君らが言う?」

 

「…うむ」

 

 

 会話をしつつ、プレイアデス達は治癒魔法を発動させる。

 何故自分たちの本拠地で、この連中が自由に活動できているのか。

 その疑問を振り払うように努めていた。マギウス司法局の連中が化け物揃いなのは分かっていたからだ。

 だがしかし、新たな疑問が浮かぶ。傷を負わされても虚無感を表情に張り付かせていたニコの顔に、初めて演技以外の感情の揺らぎが生まれた。

 

 

「待て。今、なんて言った?」

 

 

 動揺するニコの傍ら、堆積物の一角が弾け飛んだ。治癒を終えたプレイアデス達は床を蹴って跳んだ。

 それは瞬時の反応であり、一跳びで十分に破片の範囲から抜け出たはずだった。だが。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

 

 退避であってもサキの前に出ていたみらいの身体が、苦痛の呻きと共に空中で動きを拘束されていた。

 彼女の手足、肩に腹に首に頬にと鎖付きの鈎爪が突き刺さっている。それは、少し前に見た光景の再現だった。

 

 

「こん畜生が!!」

 

 

 鎖が引かれるよりも早く、みらいは大剣を召喚し手首を回して刃を旋回。鎖が切断され、みらいは肉体の破断を防いでいた。

 

 

「おいそこの!!盾の裏に隠れてるんじゃねぇ!!腐れ陰キャ!!」

 

 

 血まみれのみらいは血泡を飛ばしながら叫ぶ。

 掲げられた大剣の切っ先は、展開した装甲の内側から鎖を伸ばしている大盾へと向けられていた。

 直後、轟音が鳴り響く。振り切られた大剣の刃の上で、魔の弾丸が弾けていた。

 

 

「二度も食らうかボゲェ!!」

 

 

 叫ぶみらいの視線の先には、猟銃を構えた仮面の少女がいた。

 その姿に違和感を覚えた直後、金属音が鳴り響く。

 

 

「させるか!」

 

 

 サキの叫び。

 みらいを背後から急襲した大鎌の柄を、サキは手にした鞭で絡め取っていた。

 動きを止められた鎌の持ち主、白い仮面の銀髪の少女は無造作に腕を振るった。それだけでサキの身体は吹き飛び、鞭は千々と引き千切られた。

 

 

「なんて馬力だ」

 

 

 空中で姿勢制御し、着地するサキ。その傍らには既にみらいも追従している。

 

 

「でも、それだけじゃないよね」

 

 

 手に携えた大剣を一瞥し、みらいが言った。弾丸を弾いた刃には亀裂が入り、着弾箇所が抉られている。 

 短い交戦時間の中、みらいとサキは海香とカオル、そしてニコから引き離されていた。

 並ぶ二人の前に、銀髪と銃使いの少女がゆっくりとにじり寄っていく。

 

 

「さっさとこいつらを倒して」

 

「海香達と合流しよう」

 

 

 言葉を交わしつつ、サキは離れた場所にいる海香達の方を見た。途端に、その眼が愕然と開かれた。

 それが隙となったのだろう。

 その一瞬の間に、サキの腹部の肉が弾けた。銃使いの少女が一気に間合いを詰め、猟銃の先に装着された銃剣でサキの腹を抉ったのだった。

 

「な…」

 

「サキ!」

 

 みらいが叫びながらサキを突き刺している銃使いへと刃を振るう。振り下ろされた大剣はそこに割って入った銀髪少女の鎌で受け止められた。

 銀の破片が轟音と共に空中に散華する。大剣を受け止めたのは鎌の刃ではなく、魔力で仮初の生命を与えられた植物で出来た鎌の柄だった。

 その植物の柄が、分厚く重い大剣を砕け散らせていた。翻った鎌はみらいの右肩から左脇腹へと切っ先を抜けさせる。肺と心臓を破壊されたみらいの口からは血の塊が吐き出され、少女の白い仮面を赤く染める。

 銀髪少女は鎌をみらいの体内に突き刺したまま、彼女の腹を蹴り飛ばした。体内の鎌が内側からみらいを切り裂き、彼女の肉体を両断寸前に至らせる。

 

 また同時に、銃使いは銃口をサキの体内に突き刺したままに引き金を引いた。

 灼熱の弾丸がサキの内臓の大半を破壊し、背中の肉を大量に弾き飛ばしつつサキを背後へと吹き飛ばした。

 サキとみらいはほぼ同時に落下し、苦痛の声と傷口からの鮮血を溢れさせた。

 だがこの時に至っても、サキは先ほど見た光景の事が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 苦痛の中、再び視線を戻す。

 そこには先ほどと変わらない光景が広がっていた。

 

 海香を守るように彼女の前に立つカオル。

 その胸からは、血に濡れた槍穂が突き出ていた。胸に突き刺さるのではなく、背中から胸へと抜けた槍。

 その柄を握るのは、カオルの背後に立つ海香であった。苦痛に満ちた表情で愕然と振り向くカオルへと、海香は涼やかな微笑を向けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 聖団④

 視界が深紅に染まる。喉からは鮮血がせりあがって気道を塞ぎ、呼吸困難による筆舌に尽くしがたい苦痛がカオルを襲う。

 背中を貫き、胸の中央を破って突き出た菱形の槍穂には抉り取られた太い血管が張り付いていた。

 その槍の形状は、「見たことはない」が「見覚えがあった」。

 カオルがそれを見た瞬間、堰を切ったかのように胸からは血の濁流が溢れ出す。

 苦痛の中、カオルは強引に顔を動かした。真っ赤に染まった視界が背後へ流れる。

 

 

「お前…は…」

 

 

 そこにいたのは海香であり、カオルを貫く槍も彼女が握っている。そして「何故」ではなく「お前」とカオルは言った。

 

 

「さて、察しがついているのでは?」

 

 

 海香は半月の笑みを浮かべた顔で答えた。眼鏡の奥にある眼光には嘲弄の色。

 海香はカオルを蹴り飛ばし、槍を強引に引き抜こうとした。槍はびくともしなかった。

 

 

「ああ、カピターノ・ポテンザか」

 

 

 海香は分かり切ってたとばかりに、退屈そのものの声で言った。

 

 

「そうだよ!!」

 

 

 血を吐きながら、カオルは背後へと左の裏拳を放った。

 拳から肘までが黒く変わり、その強度は魔法少女の武具を弾く程となる。

 攻撃に用いられるのなら、魔女を肉片に変えるのも容易いことだった。

 それが。

 

 

「な…」

 

 

 目の前で起きた現象に、カオルは愕然と目を見開く。驚きにより苦痛さえも一瞬忘却せざるを得なかった。

 海香はカオルの裏拳を、縦に掲げた肘で受けた。

 本来ならその防御は無意味であり、腕は粉砕され、続く肩や首も血の霧に変わった筈だった。

 その必殺の一撃は海香の肘の肉と骨を軋ませた程度に留まった。

 さらにその上、カオルの拳から肘までを薄く覆った装甲ががひび割れて剥離し、割れた土塊のように飛散していた。

 剥離した装甲の下には、剝き出しになった桃色の筋繊維が見えた。

 

 

「受けれたけどきっついね。さすがは力の牧カオル」

 

 

 そう言った海香の姿は、常とは異なっていた。

 普段の修道女じみたものではあったが、配色がやや異なり、身軽さが増したような姿に変わっている。

 それはカオルにとって見覚えがあり、そしてあってはならない姿のはずだった。

 

 

「じゃ、チャオ」

 

 

 痺れをとるついでなのか、別れの挨拶として手を振りながら海香は言った。

 視界が闇に包まれ、意識が消える寸前、カオルには笛の旋律が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、ありがとさん。リーダー様」

 

 

 海香の声に、肉が潰れる音が続いた。

 意識が絶えたカオルの肉体を海香が投げ捨て、壁に激突して壊れた肉体が発した音だった。

 

 

「何から何まで、おんぶにだっこですまないねぇ。感謝してるよ」

 

「いえいえ!当然のことをしたまででございます!」

 

 

 海香は月夜に感謝を述べ、月夜は謙遜しつつも誇らしげに胸を張っていた。先ほどまで曲を奏でられるのに用いられた二連の笛が、大事そうに両手で握られている。

 

 

「んじゃ、私は用事を済ませるよ」

 

「了解でございます。私も用がありますので外させていただきます」

 

 

 ん、と頷き、海香は瓦礫の散らばる室内を歩く。広い室内の中では爆風に爆炎、衝撃に怒号に悲鳴が飛び交っているが彼女の足取りは軽やかだった。

 少し歩いた先で歩を止める。靴のつま先が、潮臭い液体に触れて水音を奏でた。

 気にせず歩みを進めていく。その中で、彼女の姿が変わっていった。

 衣服が風に流れる砂のように掻き消えていき、それと同時に皮膚の質感や身長、肉付も変わっていく。

 一歩進む間に、海香は別の姿へと変わっていた。

 丸い帽子を被った、上着とスカートが統一された黒い衣装。体表に張り付いたタイツもまた黒だった。

 そして、その顔は。

 

 

「やぁ、久々だね。生きてる?」

 

 

 その少女は、瓦礫の中に横たわる少女へと、神那ニコへと話しかけた。

 ニコの身体に手足はなく、肩の付け根や足の付け根からは大量の血が流れていた。切断であれば手足が転がっているはずだが、それも見当たらなかった。

 それぞれの肉の断面はささくれ立ち、まるで爆発でもしたかのようだった。

 

 

「ああ、生きてるみたいでよかったよ」

 

「き……みは…」

 

 

 黒衣の少女は安堵の声を出した。ニコの声は震えていた。

 

 

「やぁオリジナル。会いたかったよ」

 

 

 その少女は、ニコへとほほ笑んだ。対するニコは、引き攣った表情で硬直していた。

 相反する表情だが、二人は全く同じ形の顔だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 聖団⑤

 投擲された肉体が壁面に激突し、骨が砕けて肉を突き破って露出する。白い壁面に赤黒い血潮の花を咲かし、牧カオルは地面へと落下した。

 その様子を、海のように青い目が見つめていた。

 

 

「カオル!!」

 

 

 悲痛な声で少女が叫ぶ。前に出ようとするが、全身に巻き付いた鎖によって阻まれる。

 しかしそれでも、肉と骨を軋ませようとも海香は必死に拘束に抗っていた。より深く鎖が喰いこむだけの、無駄な抵抗と知りつつも。

 暴れる海香の背に、柔らかな手がそっと触れた。

 

 

「御崎海香さん、少し落ち着くのでございます」

 

「天音月夜…どの口が!」

 

 

 暴れる海香に対し、身を屈めて傍らに寄り添った月夜は心底からの心配を伴って声を掛けていた。

 

 

「申し訳ございません。手荒な真似であることは私たちも理解しております」

 

 

 仮面の顔で頭を垂れる月夜。

 声の背後では、絶え間ない水音。何かを切断しようとし、何度も刃を前後させている音だった。

 音の音源は、黒衣を纏った少女の背の奥から聞こえた。

 

 

「貴女との入れ替わりはカンナさんの提案ですが、それをサポートしたのは私達でございます。彼女は何も悪くないのです。恨むなら私を」

 

『月夜ちゃんだけじゃないよ!ウチのこともだよ!』

 

 

 心底からの謝罪を述べる天音姉妹。

 声に被さる音は、ごきごき、べきべき、ぐちゃぐちゃという音になっていた。

 そしてぶぢん、という音を最後に音は絶えた。

 屈んでいた黒衣の少女は立ち上がり、右手を高く掲げた。

 血まみれの手は、虚無そのものとなった表情のニコの髪を掴んでいた。首の根元で切断された彼女の首から滴る血を、黒衣の少女は喜悦の表情で顔に浴びている。

 共に血に濡れた二つの顔は、表情は異なれど完全に同一のものだった。

 

 

「ハハハハハ!はぁははははは!ははははは!」

 

 

 吊り下げた首を左右に揺らしながら、カンナは哄笑を放ち続ける。

 ニコの首は肉を削ぎ落とされたのちに、首の骨を強引に引き千切られていた。首の断面は醜く抉れ、揺れるたびに血と髄液をまき散らす。

 桃色の舌を口外に出し、カンナはそれを美味そうに飲んでいた。頬に霞む陶然とした色は、性的な快感のそれにも見えた。

 必死に歯を食いしばり、海香は悲鳴を堪えていた。

 終末の未来を予見し先手を打って封じた怨念の少女の邪悪さは、認識したつもりであっても海香の理解を超えていた。

 

 

「ところでなのですが、海香さん」

 

 

 月夜の声に海香は身を震わせた。彼女の声は、眼の前の惨劇が存在していないかのような平穏さであったからだ。

 

 

「一つお願いがあるのです」

 

「…いいわ」

 

「え!?」

 

『まだ何も言ってないよ!?』

 

「言わなくても分かってるわ」

 

 

 狼狽する天音姉妹に、海香は毅然とした声で返した。

 自分はこれから死ぬのだろう。ならばもう何も怖がることなどないと覚悟を決めていた。

 

 

「こういうのはちゃんと聞いていた方がよいのでございます!」

 

『そのせいで、ウチらは契約で痛い目を見たんだから!』

 

 

 必死に力説する天音姉妹であった。片方は肉体が無いが、姉の方からは鬼気迫る心配さが伺えた。

 

 

「…じゃあ、聞くわ。私に何をさせたいの」

 

 

 海香の言葉に、月夜はほっと一息を吐いた。

 

 

「それではお願いなのですが、記録をしていただきたいのでございます」

 

「……はい?」

 

「記録です。今のこのご様子の」

 

 

 心を込めて月夜は言う。そこに嘘偽りはない。

 だが、その意味が海香には理解できなかった。

 今この時、周囲では惨劇が繰り広げられている。

 サキとみらいのふたりは、銀髪少女と銃使いと戦闘をしているが、みらいの怒号は聞こえてもサキの声は聞こえずかすかな呼吸音しか聞こえない。

 

 銃撃の回数に対して、弾丸を弾く音よりも肉と骨が砕かれる音の方が多い。

 銃撃が止むと、次いで大鎌の風切り音が鳴る。

 みらいが怒号と共に大剣で迎撃するが、左腕で負傷したサキを抱え、その上銃撃によって肉と骨を削がれた右腕では弾き返すどころか肉体の両断を防ぐ程度が限界だった。

 弾かれた大剣はみらいへ刃の側面を激突させ、彼女の肋骨と内臓を圧し潰し、小柄な体躯を吹き飛ばした。

 瓦礫を背中で砕きながら、血と肉を散らしながらみらいは転がる。その中でもサキを必死になって庇っていた。

 今のサキは腹部を撃ち抜かれ、腹と背中に大穴が開いていた。両腕はあるが、両手は手首から先が辛うじて指の面影がある肉と皮となって干物のように垂れさがっている。

 脚部も膝から下は大鎌で切断され、機動力を完全に失っていた。みらいがサキを守れなければ、数秒たりとも生きられるか分からない状況だった。

 血か肉か、壊れた内臓か。そのどれかでありそのどれでもある赤黒い塊を吐いて立ち上がったみらいは、傍らに気配を感じ即座に大剣を突き付けた。

 激戦により、切っ先も側面も歪み切った大剣の先には、瓦礫に座る紫髪の少女がいた。

 

 

「あ、大丈夫だよ。私らは見てるだけだから。加勢もしないし助けもしないから人畜無害な平和な存在だから」

 

 

 ほほ笑むカガリ。表情はそのままに、瞳には氷の輝きがあった。感情移入を拒絶する、人形のような眼だった。

 その傍らには、口から唾液を垂れ流して立ち尽くしているスズネがいた。

 

 

「スズネちゃんに危害を加えなければ、ね」

 

「っぅうっ……!」

 

 

 カガリがウインクしたと同時に、みらいは地面を蹴った。

 空いた空間を魔弾が抜ける。カガリは手にした鎖を軽く振るい、弾丸を弾いて消した。

 当たる弾道ではなかったので、単なる気まぐれか遊びだろう。あくびを一つかくと、カガリはまた退屈そうに下方を眺め始めた。

 みらいと銃使い、銀髪少女の戦闘は既に戦いではなく素振りや壁打ちに近い状態になっていた。弾を当てようと思っておらず、また鎌で切ろうとしてるわけでもない。

 嬲り殺しというものですらなかった。

 

 

「がはぁ…はぁ……はぁ……」

 

 

 血を吐きながら剣を振るうみらい。既に大剣は折れ、柄の根元から先が少し残っている程度となっている。

 対峙する二人は距離を取りつつも、獲物の切っ先を下げていた。

 今攻撃すれば一瞬で決着がつくというのに、動く気配は全くない。

 

 

「ええ、そうです。あの記録をお願いしたいのです」

 

「………」

 

 

 月夜の言葉に海香は黙っている。言葉の意味を探ろうとしていた。

 だがどう考えてもそれは、言葉の意味通りにしか思えなかった。

 

 

「我々の今後の為に、戦闘の記録を残しておきたいのです。そうすればお仲間の皆様方も今後は安全安心に任務の遂行が出来るのでございます」

 

 

 こいつ国語下手だなと海香は内心で舌打ちした。要約をすれば

 

 

「…自分たちが今後、安定して狩りが出来るために、私に、私の仲間が狩られる様子を、記録しろと」

 

 

 言葉が途切れ途切れになっているのは、余りの怒りと馬鹿馬鹿しさによるためだった。

 

 

「あ、左様です。その通りでございます」

 

「断る」

 

「じゃあさよなら」

 

 

 声が聞こえた瞬間、海香の視界は闇の中へと閉ざされた。

 頭の中いっぱいに、肉と骨が潰れる音が鳴り響いて、消えた。

 

 

「え、ちょ、カンナさん」

 

 

 慌てながら月夜は振り返る。その身体は、肉片と血飛沫に塗れていた。

 

 

「まだ交渉の余地があったのでございます!」

 

『そうだよ!こんなのあんまりだよ!』

 

「時間の無駄だし、会話させてると逆転されるかもだろう?」

 

 

 天音姉妹からの抗議にも、カンナは、聖カンナは平然としていた。

 その首には、ニコの生首がペンダントのようにされてぶら下がっている。

 眼球を抉り抜いてそこに彼女の髪を通し、そのまま自分の首に巻いている。

 刳り貫かれた眼球は釘で舌に突き刺されて止められていた。

 

 

「んー…咄嗟に使ったけど、やっぱ魔法って便利だね。魔法少女最高。魔法少女に栄光あれ」

 

 

 もっと命を大事にするべき、などと抗議を続ける天音姉妹を無視し、カンナは自らが呼び出した構造物を手でぽんぽんと叩きながら感慨深げに眺めていた。

 

 

「これもある意味原作再現ってやつかな。オリジナルはどう思う?」

 

 

 カンナはニコの首を左右に揺らして問いかけるが、答えはない。

 カンナが魔法で生み出し、そして海香の身体を完全に圧搾して破壊したのは、一軒の建物だった。

 海香の血と肉で汚されていたが、その入り口の看板には「HAIR SALON SEA FRAGRANCE」の文字が刻まれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。