【THE TRANSCEND-MEN】 -超越せし者達- (タツマゲドン)
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Genesis
西暦19××年


 生物とは何か、それは身近にあるが、その起源や正体を知る者は居ないだろう。因みに、それはまさに宇宙との対極にある存在だ、と私は思う。

 

 宇宙は「無限大」に限りなく近い膨大なエネルギーから生まれ、拡散し、限りなく「無」に近づこうとする。一方で生物は少ない物質とエネルギーの下で生まれ、自らは生き続けようと「無」に抗い「有」を保持する。

 

 だがこの説明では生物は宇宙とは対極の存在だとは言えない。生物が行うのは「有」である自己・種族保存であって、限りない力の増大による「無限大」に近づく訳では無い。「無限大」に近づくと自らを滅ぼすと生物は本能的に知っているからだ。

 

 話は変わるが、現在では深さ1万メートル以上もの深海にある熱水噴出孔が地球の生物誕生における鍵を握っているとされている。熱と圧力によって有機物が合成され、それが複雑に反応して生物が生まれたという説だ。もう一つあって宇宙から飛来して来たウイルスが先ほど言ったタンパク質に繋がり、生物が生まれたというのもある。

 

 話はまた切り替わる。私も一介の生物学者ではあるが、私にとっては生命の起源なんて正直どうでも良い。過去なんて知って何が面白いものか。私が興味のあるのは、即ち未来、これから起こる事。

 

 この世に起こる事は何事にも理由があり、理由には目的が伴う。私の興味はその目的だ。

 

 生物が生まれた最終的な目的とは何か、誰も答えを出した事なんてあるまい。因みに宇宙が生まれた最終的な目的とは何か、こちらも分かるまい。その目的を探す事こそが私の仕事だ。

 

 ではどうやってそれを探しているのか、答えは私の目の前にある。

 

 強化ガラス越しには男が目を瞑って座っている。被験者は男性、身長175センチメートル、体重67キログラム。この男はつい1か月前まで死刑囚だった。それを私は軍をスポンサーに強化兵士開発という名目でこの男を”所有”した。

 

 強化兵士開発は勿論目的の一つであり、協力者の軍隊の目標でもあるわけだが、私の目的はそんな事では無い。

 

 2週間前から脳の神経や血管を刺激・変質させる常人が飲めば間違いなく即死の薬剤を与え続け、脳に直接電気信号を与え組織構造すら大きく変えた。

 

 今日は試験の為に安定剤を飲ませ、観測と拘束を兼ねるケーブルを繋ぎ、マジックミラーと厚さ50センチメートルのコンクリート壁で作られた部屋に閉じ込めている。

 

「準備が完了しました。記録開始します」

「よし、起動させろ」

 

 記録開始と報告した研究員に私が指示を送る。研究員は操作パネルにあった大量のボタンの中から一つだけを、迷わずに押した。

 

 同時に、ガラスの向こうに居る男が目を開け立ち上がる。少なくとも人体制御は出来ているらしい。

 

「異常は無いか?」

「脳波、磁気、神経反応、血管、いずれも誤差範囲内、肉体的にも精神的にも非常に安定しています」

「では活性化させ、様子を見るぞ」

「了解、中和剤投与します」

 

 研究員は私の命令に従って慣れた手つきでパネルを操作する。

 

『グ、ググッ!』

 

 スピーカーに一瞬苦しそうなうめき声が聞こえた。(ガラスや壁は防音構造になってもいるので音は室内のマイクから聞き取られる)多少心配になった私はすぐさま観測員に訊いた。

 

「大丈夫か?」

「一瞬不安定になりましたけど、もう戻りました。恐らく薬剤投与に驚いたのでしょう」

「成程、やはり生物としての感情を取り除くのは少々無理があるのかも知れん」

 

 男は右手で頭を押さえていたが、やがて無表情で手をどけ、平気そうな様子を見せた。

 

「これをご覧下さい、活性度は今までの試作中で一番数値が高いです」

 

【活性度:34倍】

 

 操作者の見るモニターの前に立った私は、そこに書かれてある内容を見るなり満足した。興奮した私は操作者にまたも命じた。

 

「凄いじゃないか! では早速テストしよう。きっと最高傑作が出来るぞ!」

「テスト開始します」

 

 操作者がボタンを押すと、男は後ろにあった一辺1メートルのコンクリート塊の方へ振り向いた。

 

 グシャッ! という豪快な破壊音と同時に、コンクリート塊が跡形も無く完全に砕かれ、そこには男が拳を打ち終えた様に腕を伸ばしていた。

 

「推定エネルギーは84万ジュール以上。次に入りますか?」

「ああ、早くそうしてくれ。良いぞ、予想以上だ!」

 

 私は嬉しくてつい口にしてしまった。

 

 それを余所にまたしてもボタンが押される。

 

 男は歩き始め、やがて立ち止まった。男の目の前には固定銃座があった。調整で亜音速から音速の3倍まで、様々な銃弾を撃てる。

 

「まずは秒速340メートルです」

 

 男と銃座との距離は10メートル。ストレートの野球ボールよりも7倍近く速い銃弾を躱すには、同様にアスリートの7倍以上の動体視力が必要になるだろうし、躱すのにそれ相応のスピードで体を動かさなければならない。

 

 小型拳銃の様な音が鳴る。同時に男の体が横へ大きくスライドした。

 

 後ろの壁を見ると新しい銃痕が出来上がっていた。

 

「速度、約秒速170メートル」

「何だとっ?!」

 

 驚きの余り、私は声を上げていた。秒速170メートルとは音速の半分に迫る速さではないか!

 

 しかし、それ程速く動いたとするなら空気が圧縮された音、即ち衝撃波が起こっても良い筈。だのにスピーカーからは発砲音以外に何も鳴らなかった。

 

 それに、これ程の速さで動くにはどれ程のエネルギーが必要になるか。

 

「推定エネルギーは96万ジュール。こんなエネルギーが出せるのならもはやこれは呼吸によるエネルギーとは全く別物になると思いますね。動体視力もこれは神経伝達物質が全く別物だと考える他ありません」

「……ああ、ひょっとしたらこれが私の求めていた物かも知れん」

 

 炭水化物や脂質を使わず運動するとすればそれは一体何なのか……もしこれが何か新エネルギーの仕業だとすれば大発見ではないか!

 

 考えられるのは空間、またはその空間にある物。私の専門外だが、宇宙空間にはダークエネルギーと呼ばれている物が存在し、それが宇宙の大部分を占めており、空間そのものと云われている。

 

 もしダークエネルギー即ち空間そのものをエネルギーに変換できるのならば、どれ程の技術革新になる事か。少なくとも人類はエネルギーに困る事はない。それどころか膨大なエネルギーで一体どんな事が出来るだろうか。物質創造、宇宙航法、テレポーテーション、タイムトラベル……

 

「ちょっと、博士?」

 

 部下の呼び掛けによって私は我を取り戻した。遠い夢を馳せるのはまだ早い。今は土台を築き上げ、徐々に鋭く尖らせるのだ。

 

「ああすまん、次のがまだだったな。試すぞ」

「分かっていますよ。これ程のエネルギーならもう予想出来る事かも知れませんが」

「確認するのに越した事はない」

 

 私も他の研究員も期待に満ちた中、ボタンが再び押された。

 

 もう一度発砲音がした。が、ガラスの向こうの男は何も変化を見せなかった。よく見れば男の足元には拳銃弾らしき弾頭が転がっていた。

 

「まさか、弾いたのか?!」

「……としか考えられません。映像を確認します」

 

 モニターに映像が流れる。先程銃弾が発射された際のスロー再生映像だ。

 

 銃弾が一直線でゆっくりと男の右肩に向かう。しかし銃弾は突然何か堅い物体にでも当たったかの様に跳ね返され、後は重力に従って落下した。

 

 銃弾はその尖った先端が凹んでいたが、男の方には傷が全く無く、何かに接触したような赤い痕だけが残っていた。

 

 男は”私達”と同じく”人類”である事に変わりは無い。つまりタンパク質で体が構成されているならば銃弾に体を貫かれる筈だ。だがそれが無いという事はこの男は先程も言ったエネルギーとやらで銃弾を受け止めるという荒技すら可能にしているのかも知れない。

 

「凄い……全く負傷無し。精神も非常に安定しています」

「間違いない! これこそ私が求めていた答えを示してくれるに違いない!」

 

 この場に居た研究員達は皆感激していた。私も素晴らしさのあまり跳び上がりそうになった。流石にもう50代も半ばなので無理だったが。

 

「軍も喜ぶでしょうね。強い、速い、堅い、これこそ完璧な兵士ですよ」

「まあ待て、今はまだ実験室段階でしかない。この男を完璧にコントロールするには更なる技術も必要だろう。それに私はここで研究を辞めるつもりはない。まだまだ、私の求めるものが出て来るまでだ」

「ええ、でもこれでも偉大な結果とも言えるでしょう。軍は喜んで更に研究資金を下さる事でしょう」

 

 この時は誰も予想しなかった。喜びは突然変わる。

 

「むっ、何だ?」

 

 突如鳴った警告音に反射的に反応した私。

 

「何故かは分かりませんが、急に脳波が不安定になりました。見て下さいこれを、命令を与えてもいないのにこれだけ活性化しています」

 

 画面に映る各数値の急激な上昇に私は目を疑った。

 

「鎮静剤だ! 電気信号も切れ!」

「今やってます! しかし数値が一向に下がりません!」

 

 私が苛立ちを込めて命令すると、部下も苛立った様に返事する。

 

 不意に低く遠くから響く音が鳴った。同時に部屋の照明が消えた。モニターも黒くなっているのも見ると、恐らくは停電か。

 

 この施設には独自の発電システムが備わっており、通常なら10秒以内で電源が復旧する。

 

 だが、20秒待っても1分待っても照明が灯る事は無かった。発電機に異常でもあったのか?

 

 仕方なく机の下にあった懐中電灯を取り出し、側面のスイッチをスライドさせると、おそるおそるガラスに向けて照らす。

 

 男がこちらを睨んでいた。

 

「電気はどうした?!」

「分かりません。ですが可能性としては……」

『俺だ‼‼‼‼‼』

 

 ガラスの向こう側からくぐもった怒りの声が聞こえた。

 

「こいつ、まさか電気を操って……」

『死ね!』

 

 男が叫んだ瞬間、私達と男とを隔てる強化ガラスが粉々に砕け、破片が私達に襲い掛かる。

 

 腕を掲げ目を瞑り、床に伏せ身を守る。伏せる途中で腕に破片が当たり、所々鋭い痛みを覚えた。

 

 音が無くなり、収まったと思って起き上がる。男はまだ同じ位置から動いていなかった。

 

 男は怒りと同時に何か言いたげな眼差しを送っていた。

 

「お前は何がしたい?」

「こっちの台詞だ!」

 

 男が更に睨み付ける。

 

「ギャッ!」

「ぐあっ!」

 

 後方から炸裂音と同時に部下の悲鳴。再び無音になる。

 

 振り向けば、部下の身体が焦げており、全く動く気配を見せない。操作パネルはショートしているらしく火花を散らしていた。

 

 前に向き直る。

 

「よくも俺をこんな目に合わせやがって!」

「……刑務所でしつこく死にたくないと言っていたのはお前の方だ! それを助けてやったんだぞ! 死なせなかっただけでも感謝しろ!」

「黙れ‼‼‼‼‼」

 

 私の反論を無視する様に、男は雄叫びを上げ、私に向かって手を突き出した。

 

 最初は何も感じなかったが、徐々にそれに気付いた。

 

 体が焼けるように熱い、そう感じて見下ろすと私の服があっという間に燃え広がっていた。

 

「ぐわあああああ‼‼‼‼‼ 焼けるっ!」

 

 火を消そうと手で払ったり床に身を押し付けたりするが所詮焼け石に水、電気が無いなら火災報知器が反応しないし当然散水されない。既に火の玉のなった私はただ死を待つだけ。

 

 意識が朦朧とし、床に倒れてしまった私は、燃える炎の中で確かに警報を聞いた。

 

『……が実行……自爆まで……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦19××年、某国のとある軍研究施設が全壊する爆発事故が起こった。

 

 事件はその軍内部のみだけ知られ、捜索隊は死者以外何も発見出来ず、爆発原因は自爆だと判断した。

 

また、その施設内で行われた研究の証拠も完全に破壊され、全て誰にも知られる事無く一切が秘密のまま破棄された。



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西暦2026年 生

【着陸適正地帯を捕捉 着陸態勢に移行 逆噴射開始】

 

 俺達は今宇宙船の内部に居る。減速する時の燃料噴射音と振動が丈夫な宇宙船の壁から伝わってくる。

 

「いよいよですね」

「ああ、我々はどれ程この瞬間を待ち侘びていた事か」

 

 若いのが船長に対して興奮して言ったのに対し、船長の方は幾らか落ち着いていたがやはり興奮は隠し切れていない。

 

「どうします? 着地した時の音声記録に何を言うか今の内に決めますか?」

「いや、それは足を着けたその時の感覚で言う。名言は生もうとして生まれる物では無い」

 

 俺の言った冗談に、船長はまだ40代前だというのに年配の重みを感じる台詞で返した。

 

「それはともかく、皆さん「任務」をお忘れなく」

 

 一番奥に座る男が言った。そうだ、私達は「任務」の為にこの太陽から2億2790万キロメートルも離れた第4惑星、要するに火星へ来ている訳だ。

 

【着陸:残り30秒】

 

 俺達はどこの国家の宇宙開発機関にも属さない、簡単に言えばある大企業による火星有人探査計画という名目で送られた。

 

 宇宙航法の発展、宇宙移住計画の第一歩、名目は色々あるが、本来の目的はその「任務」を行う為だけにある。

 

「俺めっちゃワクワクして来たぜ。なあお前、火星がハネムーンだとはこの幸せ者め」

 

 同僚の1人が俺を羨ましそうにして言った。

 

「フッフッフ、良いだろう? まあメシは飽き飽きする宇宙食しか無いが」

「だから帰って来て何処かへ行きましょうよ、貴方」

「勿論だよ」

 

 返事をしたのは俺の隣に居る女性、俺の妻だ。俺も彼女も学生時代から宇宙飛行士を目指しており、そして地球から発つ際に俺は結婚指輪を渡した。今まさに宇宙船に乗り込もうとしている時、しかもマスコミの前でだ。彼女は最初恥ずかしそうにしていたが、やがて嬉し泣きをしながら俺に抱き付き、俺達はどれ程の人数が見ているかも分からない前でキスをしてやったぜ。

 

 宇宙船が大きく揺れた。どうやら過去の思いにふけっている間に30秒が経ったらしい。

 

【着陸完了】

 

「皆準備は出来ているな? 常に警戒を怠るなよ」

「了解!」

 

 宇宙服は既に着てある。俺を含む総勢8人はシートから立ち上がると、宇宙船の奥へ歩きだす。やがて左右に4対の等間隔に並んだロッカーの前に立った。

 

【装着開始】

 

 通路を前に壁を背にして立ち、背中にガチャッと質量のある物体が取り付けられたのを感じた。火星の重力下で重さは地球上の40パーセント程になっているので立つときに負担はそれ程無いが、質量が変化する訳では無いので動くのがのろくなる。まあこれは推進剤噴射機だからそれを気にする必要は無いが。

 

 そしてもう1つ、ロボットアームが俺の目の前に伸びてきたかと思うと、それには銃が握られている。軍でも開発されている歩兵携行用の3銃身ガトリングだ。武器としての役割は勿論、低重力下では反動を利用して推進器代わりにする事も可能だ。俺は銃を少々乱雑に受け取り、その銃口を覗き見る。連射武器は子供の頃からのロマンだ。

 

「行くぞ。ハッチを開く」

 

 宇宙服越しに気体の抜ける音。やがて音は消え、宇宙船側面にある重そうな金属製のハッチが開いた。

 

【通信ON】

 

 先頭に立った船長が跳び降り、足を着けた。それに続いて我々も次々と降り立つ。

 

 無音だが、感動は計り知れない。

 

『……これが人類にとっての大きな一歩になるのなら、今までの人類の営みは一体どれ程歩いた事になるのだろうか……長い時だった。やっと人類は隣の惑星に足を着けた……そしてこの一歩からどれだけの道が生まれるのだろうか……』

 

 皆が熱心に口を挟む事なくその言葉を聞いていた。これを伝える電波が地球に届いた時、人類はどんなに嬉しく思うだろう。

 

「お前、火星に来たぞ。バカンスすら出来ない所を選んですまんな」

『良いのよ貴方、私はずっとここへ行きたかった。貴方だってそうでしょ?一番愛している人と共に一番の夢が叶ったもの、もう十分すぎるわ』

「ああ、良かった……次は子供と一緒に行きたいな」

『ふふっ、貴方ったら。私は男の子が欲しいわ』

 

 皆がこの時を望んでいた。俺や妻だってそうだ。

 

『お2人とも、ラブラブなのは良いが地球に帰るまでに船員を増やさないでくれよ』

「ねえよ。まあ生まれたら生まれたでそれは宇宙人の誕生だがな」

 

 笑い合って冗談を言う俺達。気を引き締めて前を向き直した。

 

 どうでも良いが、宇宙空間あるいは地球以外の惑星において妊娠した場合、胎児は適応能力によってその環境に適用しようとする。具体的には重力や宇宙放射線によって地球上とは違った形態の赤ん坊が生まれる可能性がある。要するに地球に帰るまで我慢しろって訳。

 

 話は戻るが、俺達は大地を蹴りながら一歩一歩大きく跳び、「目的地」へ向かう。

 

 着陸地点から15分程歩いた所に、「それ」はあった。

 

『予め知ってはいたが、こうして目の前にするとやっぱでかいんだな』

『スキャンしました。全長100メートル、全幅60メートル、全高40メートル』

 

 俺達の目の前には巨大な構造物があり、それは明らかに人工物である事が分かる。それは人類が俗に言うスペースシャトルの様な形をしていた。

 

 俺達は、地球から火星上に未知なる動きが観測されそれを調べるべく派遣されたのだ。予想はされていたが、本当に宇宙船だとは驚きだ。

 

『これは何だろう? 持ってみたが非常に軽い』

『宇宙船の外壁か? 何の金属だろう?』

 

 仲間の1人が足元に落ちていた破片を拾い、それを見た俺はちょっとした事を思い付いた。

 

「皆、撃つぞ」

 

 俺の通信は聞こえたようで、俺以外の皆が俺の前から下がった。

 

 引き金に掛けている人差し指を曲げ、勢い良く連続する振動の様な反動。

 

 指を引いていたのは0.5秒にも満たない時間。その間に吐き出された銃弾は25発。銃弾が壁にぶつかって土の上に落下したが、壁の方は銃弾が当たって少し凹んだ痕が残っているだけだ。

 

「驚いた、何て堅さだ。一体どんな物質で出来てるんだ?」

 

 仲間が分析器を当ててくれたが、結果は【不明】と出た。これ以上考えても結果は出ないだろう。

 

『おーい、こっちに穴が開いてるぞ』

「入れそうか?」

『いや、まだ狭いが、爆弾を使おう』

 

 通信を送ってきた仲間のレーダーが示す位置へ歩く。確かに言う通り、宇宙船の外壁が歪んでいる所に穴があったが、直径30センチメートル程度しかない。

 

 穴の周囲に仕掛けられた爆弾が爆炎を上げて勢いを周囲に広げた。(爆発する化合物自体に酸素原子が含まれているので爆発には酸素を必要としない)仕掛けた爆薬は敵を殺傷する目的では無いのでそれ程離れなくても宇宙服が破損する事は無いが、代わりに宇宙船の外壁らしき破片が多少こちらに向かって飛んで来たが、特に問題は無かった。(宇宙服は一応「鎧」の役割も備えている)

 

 爆煙が晴れると、穴は直径1.5メートル程に広がっていた。俺達は銃を構えながら警戒を解かず次々と内部へ侵入した。

 

『何かあったら報告しろ』

『了解』

 

 2人ずつ4組に分かれ、宇宙船内を調べ始める。俺は妻と一緒だ。

 

 歩く内、驚くべきものはすぐに見つかった。

 

「すげえなこれ……聞いて驚け、こちらに二足歩行生物らしきものの死体を発見した」

 

 そう、俺の目の前1メートルには我々人間と同じ形をした生物が居た。前足の指が細かい作業に適した細く複雑に曲がる骨格をしており、後足は立ち上がる為に筋肉が発達している。また、体の表面に服らしき繊維物を纏っており、頭以外は全て隠されていた。そして肝心の首から上は……

 

『私達にそっくりね。きっと墜落する時にヘルメットが被れなかったのでしょうね。恐らく火星で生まれたのではなくどこか遠くから来て運悪く死んでしまった……』

「ああ、やっぱりどんな星で生まれた生物でも高等生物は必ずや同じ形態になるのだろうな。どれ程昔なのだろう? 火星は大気が殆どないからこうして形を保ち続けているのか」

『……ん?』

「な、何だ?」

 

 妻が黙り込んで何か発見した様に言った。突然だし未知の状況だから軽くビビるのも無理はない。

 

『さっき何か動かなかった?』

「……ば、馬鹿言え。そんな都合よく寄生虫みたいな奴が俺達の頭にへばり付く訳じゃないんだし……」

『貴方、フラグって言葉知ってる?』

「分かったよ……しかし計測機器に熱源反応も電磁気反応も動的反応も示されなかった……船長、聞こえてますかい?」

 

 俺は心細くなり通信で船長を呼んだ。お化け屋敷とかならまだ良い。何せ何が来るか大体想像が付くからな。しかし宇宙空間は違う。人類は未だに太陽系どころか火星の外側へ足を踏み入れていない。(観測衛星とかは別で太陽系外の遥か遠くを飛んでいる物もあるが)人類が一番恐怖を感じる時は未知に対する想定も付かない事だと俺は思う。

 

『ああ、今そちらに向かおう。他の2組は少し離れた所で待機してくれ』

 

 やがて船長とそのペアが俺と妻の元へ着き、残る四人も俺達の周囲を警戒する様に見張る。

 

『聞いてはいたが、随分と我々に似ているな……』

『確かに生体を示す反応はありませんね』

『どうする?突いてみるか?』

 

 仲間の、特に荒っぽい奴が銃口で生物の体をつついた。が、特に動きも無かった。

 

 俺達4人が様子を観察する中、後方の4人は別な話題を話し合っていた。

 

『これは俺達が発見した物なんだが……』

 

 仲間の1人が手に持っているのは直径15センチメートルの、光を一切反射しない暗黒の球体。

 

『船の後部、恐らくは動力室らしき場所にあった。これもどんな物質で出来ているかは分からなかった。それにこれと同じのがその部屋にまだ大量にある』

『ならそれが動力源である事は確かなんじゃないのか? どんな仕組みで動くのかは分からないが、球状なら圧縮燃料を貯蔵しているんじゃないか? 外壁は非常に丈夫な未知の物質で出来ているから分からないのかも』

『でも変だぞ。燃料を出し入れする開閉部が見当たらない。この物質そもそもが燃料の役割を果たしているのかも知れん』

『だったら……』

 

 通信機越しに行われる議論は結論が出ないらしい。一方で俺達の方も何も分からずにいた。どれだけ調べても生物は動かない。

 

『もう死んでるとしか言えないぞ。確かに動いたのか?』

『いえ、私の気の所為かも……ごめんなさいね、わざわざ巻き込んでしまって』

『気にするな。大丈夫だったみたいだし、調査を続けるぞ』

 

 船長がしゃがみこんだ体勢から立ち上がり、後ろを振り向いた。

 

 船長はふと立ち止まった。

 

『待ってくれ、その光っているのは何だ?』

『へ?』

 

 皆が辺りを見回すがそれらしき物は見当たらない。どこにあるんだ?

 

『違う、お前が持っているその球体だ。光っているじゃないか』



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西暦2026年 死

『ひ、光っている? 私には何も見えませんけど……』

 

 球体を持っている仲間が言う通り、俺からも光っている様には見えない。むしろ光を反射しない輪郭をはっきりとさせない漆黒にしか見えない。

 

『何と綺麗だ……これは何処から持って来た?』

『ええと、船のエンジンルーム的な場所に……』

 

 仲間の言葉は途中で遮られた。船長が話をそっちのけで球体を奪い取ったのだ。まるで非常に価値のある物の様に、例えるなら水晶球を割らない様に注意深く手に取って見ている。

 

 やがて船長は再び後ろを振り向いた。勿論そこには例の生物が横たわっている。

 

 一体どうしたんだ? コールドスリープを利用した宇宙航法によって起きているのは離着陸時だけ、長旅で気が狂った訳ではあるまい。火星独特の放射線が幻覚でも見せているとすればそれこそ全員お終いだ。持病か何かであったとしても火星に行く前に調べられ、あった場合はメンバーから除外される。

 

「船長? どうしたんですか? 顔色が変ですよ」

 

 球体を生物の居る隣の床に置いた船長に問う。その顔は何か探し求める様にも見えた。回答は予想外のものだった。

 

『……いや待て、お前達何も”見え”ないのか?』

「何がです?」

 

 俺達に見えなくて船長だけ見えるってのか?まさか幽霊でもあるまいし。幽霊なら船長の取り憑かれた様な行動も理解できるが、船長はこうして俺達とまともに対面しているから違うだろう。

 

「それで、その球体を持ってどうしたんです?」

『いや……こうしなければならない気がするんだ……誰かに話し掛けられた気がする』

 

 どういう事なんだか、まだ40代前の船長だから歳ボケでも無さそうだし。

 

 ところで床に置かれた球体の方はというと、

 

『何だこれ! 光り始めたぞ?!』

『変です。まるでエネルギー反応が感知できない。いずれの計測器も無を示しています』

 

 俺達にも見える怪しく青黒い輝きを放っていた。しかもよく見れば転がっていた。

 

 球体はやがて倒れている生物へ辿り着き、衣服の上から間接的に触れた。

 

 その瞬間、

 

『――!』

 

 頭の中に直接声が聞こえた。その意味は分からないが、きっとこの生物達が話す言語なのだろう。しかも怒っている様に思えた。

 

『――!』

『うわあっ!』

 

 船長のペアだった男が悲鳴を上げると、声はすぐに途絶えた。見ると生物が何時の間にか立ち上がっており、手は仲間の宇宙服を破り裂いていた。

 

『撃て撃て撃てーーーーー‼‼‼‼‼』

 

 7か所21銃身、銃弾の嵐が生物に向かって襲い掛かる。

 

『――‼‼‼‼‼』

 

 今度の声は怒りよりも苦痛に思えた。体には所々赤い血が滴っており、どうやら殺す事は出来るらしい。

 

『――』

 

 また違う声。今度は明確な意思を持っている。感情なんかでは無く何かを的確に示す思考。

 

 同時に、俺達は皆生物から放射円状に外側へと吹き飛ばされた。

 

「いてて……皆無事か?!」

『大丈夫だ』

『何とかな』

 

 6人からそれぞれ返事が聞こえ、俺は取り敢えず安堵のため息をついた。

 

『何だ今のは?! まるで念力みたいだ!』

 

 俺は何も触れていなかった。少なくとも俺達は射撃をするために距離を取った筈だ。

 

『違う、念力だ!』

 

 船長が断言口調で言い切った。何故そうも自信たっぷりに言えるのか。

 

『何故分かるんです?!』

 

 仲間の一人も俺と同じ事を思ったらしく、船長に尋ねていた。

 

『私には分かる! 理由は説明出来ないが、確かにそうなのだ!』

 

 まるで意味が分からん。理論派の船長がどうしてこうも根拠無しに言えるのか。

 

『私が時間を稼ぐ! お前達は早く逃げろ!』

 

 船長は俺達の有無を聞かずに奴の前へ立ちはだかった。そして掌を奴に向けた。

 

 それとほぼ同時、奴がその身体を後方へ何かに押される様にして吹き飛んだ。

 

 どうなってるんだ?! まさか船長が超能力者だとでもいうのか?! 俺達の疑問を余所に船長は手を前に突きだしたまま、奴は身動きが取れていないらしい。

 

「おい、早く逃げるぞ!」

『でも貴方、船長が……』

「仕方ない事だ、行こう!」

 

 俺の提案に他の5人が従い、慌てながら最初に入ってきた穴へ辿り着くと宇宙船の外へ出た。迷う事なく着陸地点へ向かう。

 

 背中に背負った推進装置をフル活用し、15分で来た道を5分で帰り着いた。

 

「クソッ! 地球へ電波が届くのに時間掛かるから独断でやるしかねえ!てかお前、それ持って来たのかよ!」

『同じ物が沢山あると言っていただろう。生命反応を示さなかった死体が動き始めたのだから、少なくとも害のある物ではない事は確かだ。それどころか我々にとって有益な物かも知れん』

 

 全員が入ったのを確認し、宇宙船のハッチを閉める。そして仲間の1人が俺に例の球体を渡した。

 

 見るからに黒いが、これが死体を蘇らせたなんて見当も付かない。船長が「光っている」と言っていたのも謎だ。

 

 いや待て、船長はあの現象を念力だと断言し、船長自身も明らかに念力を使った。超能力に何か関係あるとでもいうのか?

 

 今はそれを考える時ではない。早くこの惨劇を伝えねば。

 

 宇宙船の通信機に手を伸ばした瞬間、突然起こった。

 

 眩しい閃光、真空中だと言うのに激しい爆音、肌が焼ける感覚……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……しっかり……貴方、しっかりして!」

 

 妻に呼ばれ我を取り戻してふらつきながらも立ち上がった。どうやら閃光から長い時間が経過したらしい。

 

「大変なんだ! 俺達は大丈夫だが、残りの2人が……」

 

 仲間が示した先には床に倒れてピクリとも動かない別の仲間2人。左胸に手を当てたり、瞳孔にライトを当ててみたりしたが、生きている証拠は何一つなかった。また、人工呼吸や心臓マッサージ、電気ショックまで試してみても全く動かなかった。

 

「畜生! 何て残酷なんだ……」

「どう考えてもあの閃光が原因としか考えられないわ」

「アーメン……」

「あの閃光は例の宇宙船の方角だった。まさか……」

 

 高倍率双眼鏡によってその距離の物体を視認する事は可能だ。当然双眼鏡で窓越しに例の宇宙船の方角を見た。

 

 宇宙船は消えていた。それどころか周囲にあった岩、地面はクレーター状に綺麗に消されていた。

 

「しかし、何故俺達だけ助かったんだ?」

 

 死んだ2人だけ、ピンポイントに殺せるなんで爆発じゃあ出来やしない。そもそも爆風で宇宙船自体壊れてるし。放射線の可能性もあるが、それでも俺達は全滅している筈。

 

 あらゆる可能性を考え、検証してみる。有害物質、熱、ウイルス、音波、電磁波、放射線、だがどれも無かった。

 

「少なくとも俺達は無事だって事か? で、これからどうする? 一応俺達の任務はあの宇宙船を調べてくる事だが、もう無くなってしまっては調べようがない」

「もう帰るしかないだろう。まあ収穫がゼロって訳でも無いし、その球体は特に謎だ」

「賛成だ。映像記録も取ったし、何より死んだこいつらを早く供養してやろうぜ。しかし、ごめんな、折角の新婚旅行が……」

「気にしないで良いのよ。私は火星に降り立っただけでも十分嬉しかったわ。早く準備しましょう」

 

 帰ろう。こんな優しい奴が妻でいてくれて良かったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【コールドスリープ:終了 大気圏突入:あと2時間】

 

 プシュー、という解凍音を耳にし、目を開けるがぼんやりとしている。上半身を起こし軽く体を伸ばす。

 

「……さみい……」

 

 現在の冷凍休眠技術はまだ完璧では無い。起きる時にどうしても体温が低く、仕方なく保温シートに包まる。

 

「……フアァ……」

「……おはよう貴方」

「おう」

 

 1人の仲間のあくびと妻の挨拶に、やる気の無かった俺は無愛想な返事をした。

 

 しかしもう1人の仲間がまだ起きてないのか。コールドスリープ解除時間は皆同じな筈なんだけどな。普段なら誰よりも行動が早い奴なんだが、珍しいな。起こしてやるか。

 

「おーい、起きろお。起きないと弁当にから揚げ入れてやらねえ……」

 

 俺はジョークを最後まで言い切る事が出来なかった。俺の様子に気付いて2人も傍に寄って来た。

 

 棺桶サイズの休眠装置、人が出入りする為の上面は開いてなかった。側面のデジタル文字が【解凍:完了 搭乗者:死亡】と表記していた。

 

 おかしいだろ! 寝る前はあんなにピンピンしてたってのに、休眠中に死んだってのか?! ありえない事だ! 冷凍・解凍に誤りがあったのか、休眠中に誤作動があって解凍されたのか……少なくとも安全の為に地球上で何百回と念入りにテストされ、安全確認されたんだ。

 

 休眠装置に異常がないのなら考えられる事は……

 

 俺はその仲間の死体を良く観察した。透視鏡で中身を調べた。しかし僅かな傷も発見されなかった。

 

「後になって死んだんだから放射線の類なんじゃないかしら?」

「確かに一理ある」

 

 が、妻の言う通り放射線だとすれば体の何処かに異常があっても良い筈だ。それでも測定機に掛けてみる、が放射線は無害なレベルだった。

 

 もしや火星で見たあの爆発が関係しているのか?

 

 しかし、俺達はその答えを思い付く事は出来ず、やがて宇宙船は3人の乗組員と3体の死体を乗せ、地球へ帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2026年、世界でも有数の某科学技術開発企業が宇宙船を飛ばし、見事有人火星探査計画に成功した。

 

 到着から地球帰還まで起こった出来事はその企業の上層部によって一般に秘匿され、唯一分かった情報は、乗組員の内2名が火星で死亡、内3名が地球帰還までに死亡、内3名が帰還後2年後に死亡、計8名の乗組員全員が死亡し火星で起こった出来事を知る当事者は一切居なくなった。

 

 またその企業はそれから僅か5年で世界中でも圧倒的な経済力を有するにまで至った。火星から持ち帰った成果によるものだと思われているが、真相は不明。



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西暦2070年 起

 銃の使い方というのはとても簡単だ。銃を正しく持ち、狙いを標的に定め、あとは引き金を引くだけ、たったこの3つを正しくやるだけで敵が殺せる。実に簡単だ。

 

 兵士として鍛えられた俺なら、小は拳銃、大は対物ライフルまで、歩兵が1人で使用する事を前提に設計された武器ならば大抵の物は扱える。銃に不慣れな民間人であっても正しい持ち方なら9ミリ拳銃でも扱える。狩り用のハイパワー拳銃も撃てば肩が脱臼すると言われるが、それは持ち方が間違っているからだ。

 

 引き金を引く、という点に関しては使用者か銃自体の問題だ。

 

 何度も人を殺して来た身であれば引き金を引く事に迷う事は無い。

 

 また、21世紀も残り30年を切った現在では兵器工場が何らかのごく低確率の要因で欠陥品が出来てしまう、などという問題は全く無いと言っても過言では無い。(そもそもそんな欠陥ばかりあれば軍需会社にはクレームが殺到する)要するに引き金を引けば100パーセントの確率で銃弾が飛び出る。

 

 だがここでの問題は、狙いを定める事。これは銃弾を目標に命中させるために一番重要な事だ。針だって急所に突き刺せば一撃で死ぬし、大砲だって狙いを外してしまえば全く意味が無い。俺は自慢では無いが視力は両目とも2.0以上はあるし、格闘で培った動体視力だって自信ある。別に今日に限って体調が優れない訳でも無い。要するに、ナルシスト的に言えば、俺には欠陥は無いという訳だが……

 

 ところで、現在直面している”問題”というのが標的だ。軍務に就いてから今まで十数年、俺は米国陸軍兵士として歩兵は勿論、重機関銃、バイク、大砲、装甲車、戦車、あらゆる敵を相手にしてきたが、どんな相手だって自分の目に捉える事は出来たし、弾を命中させ破壊する事だって可能だった。

 

 だが、

 

『○○大隊被害尊大! 退却する!』

『こちら○○砲兵隊! 敵の座標を教えろ!』

『お前ら! この前線は絶対に……ぐわっ!』

『確認した! 敵は現在前線を突破し……』

 

 味方の通信機が壊れる音がし、ノイズ音だけが聞こえるのみとなった。

 

 前方で前線を支える味方の為に400メートル離れた後方で狙撃支援を行うのが俺の役割だが、ライフルのスコープから見えるのは、何も無い方向へ恐怖に駆り立てられながら小銃を乱射する味方達、戦意を喪失し武器を捨てて逃げ惑う味方達、そして倒れてピクリとも動かない味方達の死体の山。

 

 あっ、今味方の1人が何の前触れも無く投げ飛ばされる様に俯せに倒れた。生の気配を感じない背中には何か太い物体に貫かれた、例えるならば雑な木製又は竹製の槍の様な、刺痕があり、恐らく心臓を一瞬で貫かれたのだろう。

 

 近くで若い新兵がナイフを持ってやけくそに振り回している姿が見える。すると、新兵の胴体が突然血と肉を吹き出し、胸に直径15センチメートルはあろう大穴が空いた。あのサイズの穴や血や肉の吹き出し加減から見るに、恐らく対物ライフル級の銃弾を受けたのかも知れない。

 

 ところで、俺はこの場に居る味方は皆今日この戦闘に派遣され、現地に着いてからまだ1時間も経っていない。にも関わらず、既に数師団級の戦力は半分にまで削ぎ落とされている。

 

 対処するにもその対策し様が無い。理由は簡単、敵が見えないのだ。派遣されてから味方の最初の1人が死ぬまで想像すらしなかった。突然、まるでF1カーにでも正面衝突したかの様な挙動を見せ、その時の衝撃で即死だったのだ。

 

 何なのかは分からない。だが確実にそこにある。

 

『狙撃部隊に告ぐ! 中衛部隊を破られ、そちらに向かっている!』

「マジかよ!」

 

 思わず声を上げていた俺。額が汗でびっしょり濡れていた事に今気付く。

 

 100メートル左方向に離れた所にある戦車隊の戦車1台が突如にして爆発炎上し、炎を吹いて裏返しになった。

 

 あの爆発の仕方だと外側に爆薬を仕掛けたのではなく、内側から爆発が起こったのか。だが操縦員が爆薬を誤爆させた訳でもあるまいし、燃料タンクを撃ち抜くにしてもよっぽどの威力と精度が必要になる。

 

 その爆炎と爆煙の中に向かって、近くに居た兵士たちが銃を乱射する。

 

 おかしいのはどの兵士も恐怖に駆られたかの様に怯えながら撃っている、という事だ。

 

 目視した兵士達は20人程、しかし、次の瞬間恐るべき事が起きた。

 

 一瞬、1秒にも満たない時間、その間に20人余りの兵士たちが無音で銃弾を喰らった様に吹っ飛び、絶命した。

 

 ありえない、何だ今のは?! 何も見えなかったし、何も聞こえなかった。

 

「畜生! 誰か説明してくれ!」

 

 驚き、未知の恐怖に怯えながらも俺は両手に抱えるライフルをフルオートモードにした。スコープから目を離し、状況を把握すべく全体を見渡す。

 

 少し離れた所にあった自走砲が縦方向に180度倒れていた。更にはエンジン部に大きな凹みが見えた。しかし、あの凹み、まるで漫画みたいに誰かが殴ったみたいな手形のある凹みが……

 

 ……誰か? 手形?

 

 倒れた自走砲の傍にストレートを打ち終わった体勢の……

 

 ……人だ。

 

 身長は俺とそう変わらん、180センチメートル前半か。年齢はまだ若い20代の青年だろう。体格は普通、少々痩せても見えるがそれは鍛えられて引き締まっているからだろう。服装は別に何の変哲も無い軍服、左手にはアサルトライフルらしき銃を抱えていた。少なくとも見た目は人間だというのは確かだ。

 

 オイオイ、冗談だろ?! まさかコイツ1人が師団数個をあっという間に半滅させたってのか?!

 

 俺の疑いを嘲笑う様に、この男は俺の視界から姿を消した。

 

 次の瞬間、俺の9時の方向に居た別の兵士が、巨大な鉄球にぶつかったかの様に軽々と吹っ飛び、後ろにあった装甲車に衝突した。

 

 突如再びあの男が姿を現した。腰に銃を構え、引き金を引いている最中だった。

 

 銃口の向いている方向にあった、先程の兵士がぶつかって停止した装甲車、そのエンジンルーム外壁に銃弾穴が開いた。それも一瞬という時間で数十個も銃痕が……

 

 俺はある事に気付いた。

 

 火薬の点火による発光が見えなかった。

 

 銃声が聞こえなかった。

 

 男が立っている足元には空薬莢が無かった。

 

 俺はあの男が引き金を引き、装甲車のエンジンを貫くのを見た。だが技術が進んだ現代のどんな銃にですら必ずある(レールガンや隠密行動用の銃等は除く)発射光、発射音、空薬莢が無いとはどういう事なんだ?!

 

 もっと良く見たら奴が引き金を引いた時、体が全く動かなかった。

 

 これはつまり反動すらも無い、という事になってしまう。

 

 これが幽霊だったらまだいい。何せ”見え”ないし、”聞こえ”ないし、”無い”からだ。でも俺の目の前で起こっている。まさか今日から今までの出来事が全部夢だってのか?

 

 男は地面を踏み込む動作を見せると、その姿が消えた。

 

 後方で何か柔らかい物が破裂する様な音、例えるなら肉をミンチにする音が連続して鳴った。

 

 嫌な予感がしながら振り向くと、大量の味方の、体の何処かの肉を抉り出された死体が何十もあった。更に、奥には味方1人の胸を、男の腕が貫いていた。

 

 酷い殺され方に吐き気がし、味方の死体達も男の拳によって一部を挽肉にされたと理解した。

 

「落ち着け……落ち着けってんだよ!」

 

 無意識に起こる体の震えを自分に言い聞かせ歯を噛みしめて抑える。

 

 いつも通り、冷静になって相手を見極めろ……十数年の経験が俺へ指令を与えていた。

 

 味方の1人が奇声を上げながら突撃し、男に向かって銃を乱射した。

 

 一方で男は何も動じることなく突っ立っている。

 

「野郎おおおおお‼‼‼‼‼」

 

 マガジン1個分の銃弾が吐き出され終わり、至近距離の男に全弾命中した。

 

 だが、男には血飛沫が飛ぶどころか一滴の血や掠った程度の傷すら付いて無かった。更にはその男が着る服さえ破れ箇所が無かった。

 

 途轍もない防御力だ。音速の3倍ものライフル弾を30発が全く効かないとは。あの調子では重機関銃も効くかどうか……

 

「これ意外と痛いんだよな。ザコには俺から天国行きへの切符を渡してやるってのにしぶてえんだよ!」

 

 無傷の挙句、余裕な台詞まで吐いた。青年らしく男性にしては高めのトーンで、人を馬鹿にするような、見下すような、まるで自分が王か神であるかのような態度だった。

 

「うわあああああ‼‼‼‼‼」

 

 味方が怯えながらナイフを取り出して突進する。ナイフを持つ腕は男の胸に伸び……

 

 ザクッ!

 

 間違いない、鋭い物体が突き刺さる音だ。

 

 しかし、男は何も変わった様子を見せる事なく立っていた。よく見れば、男の胸にはナイフが突き立てられているが、ナイフは服の上から全く動かず切断どころか切り傷さえない。

 

 あのナイフは人体を構成するタンパク質は勿論、純金属や柔らかめの合金でも容易に斬り裂き、鋼鉄は切断までは行かなくとも傷を付けること程度は可能だ。だがそれすら無いとはあの男はどれ程堅い皮膚を持っているというのか……いや、皮膚ではなくあの切れなかった服自体もとんでもない防御力になる……

 

 片や味方の方は、男の手刀が左胸を突き刺していた。

 

 男は嘲笑を浮かべながら手を引き抜き、膝を着いた味方へ唾を吐いた。

 

「……だ……」

「何だ? 聞こえんぞ。」

 

 味方はまだ諦めぬ強い意志を見せるが、相手は余裕の蔑む笑いでそれを吹き飛ばす。

 

「……まだだ……」

「これは驚いた。心臓を貫いてなお俺に刃向かうか。だがお前はもう死体も同然なんだよ。だからさっさと死ね」

「……それはお前もだ!」

「な……」

 

 男が「何だと?」とでも言おうとした次の瞬間、倒れた見方から爆発が起こり、爆風が辺りに広がり爆炎が周囲を包んだ。

 

「危なっ!」

 

 叫びながら俺は咄嗟に地面に伏せ、衝撃と熱風が服を通して肌に伝わってきた。あの味方、新兵らしくまだ実戦には慣れてなかったようだが、まさか自爆するとは。手榴弾かC4爆弾か分からんが、少なくとも決断力が必要だ。俺には妻と今年で10歳の息子と今年で6歳になる娘がいるから、俺は生き延びなければ……ともかくあいつの勇気だけは確かだったな。顔も名前も知らないが、戦闘から帰還した暁には奴にウイスキーでも供えてやろう……無事に返れたらな。

 

 俺は伏せたまま顔を上げる。

 

 爆煙の中に立つ人物が見えてきた……奴だ……まあこうなるだろうとはう薄々分かっていたが。

 

 奴自体は無事らしいが、服は少々焦げており、破れている所もあった。それに男は顔を顰めてもいた。

 

 戦車さえ吹き飛ばす威力の爆薬でも死なんか……だがあの様子だと痛みを感じない訳でもあるまい。

 

 対人銃弾やグレネードは効かんならば何をすべきか、俺は考える。

 

 手はあるんだ。どんな壁だって壊す事が出来る筈。



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西暦2070年 承

 今の所奴は俺を向いていない。気付いていないのか、わざと無視しているのか……だがチャンスはある。

 

 男は既に姿を消し、別の味方を殺しに行っているようだ。

 

 辺りを見回し、死体と瓦礫の中から使えそうな物を探す。

 

 あれ程目に捉えられない移動速度だと動体視力も相当あるだろうから弾速の遅いロケットランチャーや無反動砲の類は使えないだろう。なら至近距離で撃って自爆か、それともAP(撤甲弾)かHE(炸裂弾)の30ミリライフルで迎え撃つか。

 

 爆薬を使うとすれば爆発は全体に広がるから人1人だけを殺すにはエネルギー効率が悪い。だから粘着爆弾かモンロー効果で指向性を持たせるべきだろう。しかしあのスピードだと直撃しそうにないからやはり周囲に爆散する方が良いか……

 

 考えながらも俺は運良く装甲車の残骸から無反動砲と30ミリライフルを見つける事が出来た。

 

 予め弾をセットし、他の物資を捜索する。

 

 それらは大して苦労せずすぐに見つかった。近くの兵員輸送トラックに搭載されていた。

 

「おっしゃあーラッキー。しかしこれ使うの久しぶりだな」

 

 俺が喜んだのも無理はない。

 

 全長2メートル、全身がチタン炭素複合鋼で覆われ、人型をしたそれは特殊重装歩兵用のパワードスーツだ。以前俺はゲリラやテロリストを壊滅させる為にこれに乗り込んだ事があったが、凄かった。というか俺はこれに憧れて軍隊に入ったんだ。重量が数百キログラムもの物体を持ち上げられるし、アサルトライフル弾は受け付けないし。何よりB級映画ごっこが出来るのも良い所だ……今は奴に集中するか。

 

 迷彩柄の軍服を脱ぎ、体にフィットする疲労軽減機能や体温調節機能付きのスーツを着る。新兵時代から愛用の9ミリ拳銃をアンダースーツの上にホルスターごと付け、ようやく本体を装着した。。

 

 この時面倒なのが漫画みたいにスーツが変形してくれる訳じゃないから自分で着なくてはならない。まあパワードスーツ変形とか脱着以外必要ない機能だしな。

 

 重量120キログラム(操縦者含まず)、最大出力20000ワット、最大走行速度時速50キロメートル(操縦者重量80キログラムと仮定)、最大稼働時間6時間、標準装備は右腕に3銃身のガトリング砲と左腕にグレネード連射砲、両腕にワイヤーガン1本ずつ、両肩に軽機関銃1丁ずつ、腰にセラミックス複合炭素鋼の剣、バッテリーが上がって動けなくなった時の為にスーツからの緊急離脱装置や備え付けの拳銃とサブマシンガン付き。(標準外装備は言う必要も無いだろう)

 

 歩兵を守り、歩兵の力を最大限引き出せる。見事な設計だ。だが不完全だ。何故なら、全身を覆う訳だから体のどこが痒い時に掻けないからだ。だから宇宙飛行士は俺が1番尊敬する職業である。宇宙空間で体が痒くなったら真っ先に脱ごうとする俺は間違いなく死ぬって事。

 

「とりあえず武器はこれで良しと……」

 

 問題はこれらをどう使うか。まさかこれらの装備を一気にごり押して使っても倒せまい。

 

 今の所1番男を倒せる候補は30ミリライフルと至近距離の無反動砲だけ。ガトリングやグレネードはせめてもの護身用だ。

 

 味方達が引き付けている間、まだ時間がある。他には無いのか……

 

 少しして見つけたのは同じく対物ライフルやロケット砲ばかりで全く違う物が出て来ない。精々C4や硝安爆薬、手榴弾が良いところだ。その代わり大量にあるので爆薬で囲んだ所へおびき寄せて周囲360度から強力な爆風で押さえつける。下手して見つかったら爆破する前にこちらがやられるかもれないが……

 

 爆薬を瓦礫の中に仕込みながら考え、爆薬に関してはセット完了だ。俺から5メートル前方の開けた場所を中心に半径3メートル以内に等間隔でC4を、そこへ万遍なく硝安を設置した。勿論瓦礫に埋まっているから外側からでは気付かれまい。

 

 問題はどうやってその範囲に誘い込むか。奴が俺に気付いてこちらに向かったとするとあの速さじゃC4のボタンを押す前に殺される。一番良いのは俺がこの爆薬設置範囲内に居る事だが、やっぱ自爆しか無いのかね……

 

 だが俺にはパワードスーツがある。かといって大量の爆薬はおろか当たり所が悪ければ対物ライフルにさえ負けてしまう。

 

 俺は偶々近くに落ちてあったスコップを持ち、地面を掘り始めた。当然爆薬設置内だ。どうでもいいが、どこぞのシューティングゲームではスコップで敵を叩き殺すなんて事が出来るそうだが、実際の軍人の俺から言わせてみれば使い方が間違ってる。第一ヘルメット被れば痛くも痒くもない。スコップは穴を掘ってそこに隠れる為にある。大砲の榴弾が爆発して破片を撒き散らすが、伏せて隠れる程度の窪みがあるだけでそれを防げる。手榴弾を投げ込まれれば御陀仏だが。

 

 パワードスーツの20000ワットという体感し辛い出力(理論上では1トンもの物体を持ち上げるだけの力を出せる)のお蔭で地面を掘るのが楽々、始めてから2分が経って既に縦2メートル、横60センチメートル、深さ15センチメートル、これだけ掘る事が出来た。

 

 あと深さ35センチメートル掘りライフルとロケットを中に入れ込み、自分もその中に入り、粗い大きめの瓦礫と土で自分もろとも埋める。(土だけで埋めると隙間が無くなるので身動きが取れない)外側も爆発を自分が受けないようにする為出来るだけ土と瓦礫で囲み、仕舞いには爆薬を”外壁”の1番外側へ置いた。戦車の爆発反応装甲と同じく外側が爆発する事によって内側の自分は助かるって訳。

 

 土に囲まれ身動きは取れないが、前方は広い範囲が見え、遠くても味方の悲鳴声が聞こえて来たり車両が爆発したりするのが見える。(更にはパワードスーツの知覚強化機能によってはっきりと感知出来る)もっと正確に状況を知る為にライフルのスコープを覗いた。男は丁度踵落としで榴弾砲の砲塔を折っていた所だった。

 

【対象物距離:520メートル 目標:設定・捕捉】

 

 バイザーヘルメットの裏側に表示されるメーター類、その中でも視界左下に映るレーダー、これに着目する。目標を設定して広角カメラだの赤外線センサーだの搭載された観測機器は勿論、ドローンや他の味方の感知情報、果ては観測飛行船・衛星まで、これらを基にその居場所を割り出してくれる優れモノだ。

 

 目標は既に俺達の1個師団を壊滅させ、別な味方を殲滅しているらしい。所々レーダーに味方を示す点が見えるが、それは俺と同じく運よく奴に見つからなかった所為だろう。

 

【目標:600メートル地点を北上中 目標移動速度:1200キロメートル毎時間】

 

「何だって?!」

 

 声はあの男の距離では聞こえなかっただろうが、辺りに響く程大音量だった。大好物のウイスキーを飲んでいる最中だったら高圧洗浄機に負けない位、少々大げさだが勢い良く吐き出していただろう。

 

 俺が驚いたのは「北上中」という単語、ではない。今の所昼3時過ぎ現在では太陽は俺の斜め左後ろに位置している。つまり男は俺から斜め右前へと移動している訳だが、当然俺に近づいている訳では無い。

 

 本題の俺が驚いた事というのは、後半の「時速1200キロメートル」という所だ。何故かというと、まず音の速さが秒速340キロメートル、時速に換えれば1224キロメートル。男はほぼ音速で走る。

 

【目標距離:現在地点から北西へ1600メートル 目標:停止】

 

 レーダー表示が更新されるまで3秒、それまでに移動した距離はジャスト1キロメートル、およそ秒速340メートル、即ち音速。間違いない。

 

 信じられない光景を目の前にした今では、俺はあっさりと事実を受け入れていた。その代わり、俺は奴を仕留める事に集中する。

 

 スコープで覗いて見たが、幸運にも地形の起伏や建物で隠れて見えない、という事はなかった。これまたラッキーだ。かといって今日がツイているかどうかと問われればおれはツイてないと答える。今日見たテレビの星座占いだって最下位だったし。

 

 そんなどうでもいい事を考えている時、レーダーが奴が丁度動きを止めたのを感知した。スコープ越しに見れば奴が笑いながら味方1人に何かを言っているみたいだが、何も聞こえないし読唇術を覚えている訳でも無いが、恐らく何か馬鹿にしているのか何かか。

 

「戦場ではそんな傲慢が命取りになる事を教えてやろう。銃弾もセットで付けてお得だ。オペレーターは一切増員いたしません。」

 

 などと冗談を呟きながら俺は迷わずスコープの標点を男の頭に定めた。パワードスーツ搭載のコンピューターが弾道計算をしてくれるから相手が止まっていればバイザーに表示された標点を合わせて撃つだけ。楽勝だ。

 

 指の手応えが無くなり、重く速い発射音と銃を抱えた体ごと後退する一瞬の圧力。

 

 パワードスーツと周囲を土で固めたお蔭で大した事はなく、体勢を崩さずにスコープから男が見える。

 

 およそ1.5秒後、突然だった。スコープに映る男が急に体をよじらせたかと思うと、弾道は逸れた。つまり躱された。

 

 まさか銃弾が見えたのか?だがあの反応、少なくともダメージにはなるから避けたに違いない。

 

 身を捻った男がスコープ越しにこちらを睨んだ。

 

「あの野郎、まさか俺の位置をはっきりと分かってやがるな! 畜生!」

 

 仕方ない、爆薬で一か八か……

 

『目標一瞬沈黙、攻撃を畳み掛けろ!』

『了解!』

 

 味方の通信を自動的に傍受して聞こえたのは反撃の命令。スコープ越しでも男の奥に居る味方達が一斉に各々の武器を向けた。

 

『対人ライフルは無効だ! 爆発物か対物ライフルを使え!』

『出来るだけ相手の動きを牽制しろ!』

『相棒の仇だクソッタレ!』

 

 通信機越しだと音量は人体に悪影響が出ないレベルにまで抑えてくれるが、気迫が伝わって来る。ありがとよ、会った事も知りもしない同僚達。

 

 奴はとっくに俺の視線の先から消え、見えないが数々の銃弾や砲弾や爆弾を躱しているのだろう。

 

『もうすぐ海岸沖20キロメートルからの海軍による支援攻撃が入る。離れながら奴をこの場に押さえ付けろ。』

 

 またしても今日はラッキーだ。昨日食った中華のフォーチュンクッキーはやっぱり正しかったな。

 

 気を取り直して、

 

 味方の放った手榴弾が男の足元で爆発し、男は爆風で僅かに体勢を崩した。今だ!

 

 考える間も無く直感で引き金を引き、結果を見るべくスコープを凝視する。

 

 今度はバランスが崩された中、上半身を後ろに逸らせていた。その後後ろへ1回転し、足が付くと再び攻撃の嵐を掻い潜るべく動き回る。

 

 全く、どうやったら何の装置も無くて1キロメートル以上離れた俺を正確に認識し、音速の3倍を誇る攻撃すら簡単に避けるのだか。

 

 固いボルトを引く時間が惜しいので、予め弾を込めておいた対物ライフルを1発撃つごとに投げ捨て、残りは3本となってしまった。

 

『支援まで5秒……』

 

 味方は既に砲撃誤差範囲外にいるらしく、後退する動きを見せないが、

 

『4、3……』

 

 男が攻撃に翻弄されて中々移動できないまま、

 

『2、1、弾着!』

 

 突如スコープに映ったのは閃光。勿論爆発による物だ。それから爆風が巻き上げる砂煙……

 

 ドドドドドドドドドド‼‼‼‼‼

 

 閃光から3秒ほど遅れて砲撃が着弾した爆音が1キロメートル離れた俺の耳にも響く。

 

 爆音は1分ほど続き、それで音は止んだ。

 

『誰か奴を確認してくれ!』

『今確認している! ……うわっ!』

『嘘だろ?! あんなん受けてまだ生きてるってのか?!』

『少なくとも目標に目立った外傷は無し! 早く海軍にもう一度援護の要請を……』

 

 味方の告げる声が中断し、代わりに人肉が殴られ弾ける音がスピーカーから忠実に再現された。こういう時だけ綺麗な高画質・高音質は必要ない、むしろ逆効果だ。

 

 元々血飛沫とか爆散とかグロいのに慣れている俺はスピーカーの音を意識から外し、バイザー越しにスコープを、スコープ越しに標的の男を……

 

 ズバン!

 

 引き金を引くと次の一瞬で男の体が大きく横にスライドし、手応えを感じなかった。

 

 味方達は依然と弾幕射撃で男を抑えてくれている。それに、男は1発目を放った時は体を逸らしただけの最低限の動きで銃弾を躱したが、さっきは男は体ごと移動するという無駄の多い動作をした。ならば男には余裕が消えている筈だ。

 

『あと30秒で空軍から戦闘機によるミサイル支援が入るぞ。』

 

 よっしゃあ、これまた頼もしい。何なら戦域核でも出しやがれ。

 

「俺も、せめて1発は当てたいぜ。」

 

 俺は両手に持った武器を対物ライフルから無反動砲に持ち替えた。ちなみにこちらの残りは3発。

 

 無反動砲は通常のロケット砲とは違って反動の代わりに強烈な後方爆風を吹き出し、それによって反動を打ち消している。後方爆風で砂埃が巻き上がって居場所がばれてしまうが、命中精度は良く、現代では1キロメートルも離れた所へ命中させる事も出来る。しかも俺が今使おうとしているのはカウンターマス方式と言って後方爆風によって弾と同じ重さの重量物を吹き飛ばす。これによって後方爆風を減らし砂埃は巻き上がらないから居場所もばれにくい。

 

 弾は熱源誘導装置も画像誘導装置も付いていないから目視で狙いを定めなければならない。

 

 狙いを定めて3連発、共に体が固定される様な圧力。ただ弾速のはこちらからでも目に捉えられる程遅い。大量に発射する訳でもなく、1発1発が特別強力な訳でもないから正直不安だ。

 

「頼むから、当たってくれよ……当たれっての……当たらんかったら飯抜きだぞ!」

 

 などと弾が到達する前途中で独り言を呟くほどに間が空いた。

 

『あと5秒……』

 

 最初のロケット弾が地面に命中した爆発。だが奴が体勢を崩した様子は見られない。

 

 続いてもう1発、今度は男より10メートル程離れた位置に当たった。見るに特に爆風で怯ませる事も出来なかったらしい。

 

 最後の1発、これだけでも当たってくれ……

 

 キーン!

 

 今のは技術的に軽減されたソニックブームの音か。つまり空軍はもう近くに居る訳だ。

 

『爆撃開始!』

 

 スコープばかり覗いていたので気付かなかったが、味方の爆撃機が数機男へ接近し、ミサイルやらロケット弾やら機銃弾やらを投下していた。レーダーも味方機体が男の居る座標のすぐ近く、大体あと200メートル地点まで来ていた。

 

 そんな中、俺の放ったロケットは男より数メートル離れた足元へ着弾し、土を巻き上げた。

 

 男が爆風によって僅かに体が怯むのを視認した。後はやってくれ。

 

 男の身体は爆発の嵐でこちらから見えなくなった。

 

 しかし、驚くべき事は突然訪れた。

 

 ピカッ、とスコープの右上の方で何かが光った。原因を確かめるべくスコープを向ける。

 

「……嘘だろおい?!」

 

 さっきまで俺達の援護をしてくれていた爆撃機が全部爆発四散していた。

 

 まさかあれを撃ち落したとでもいうのか?!

 

 爆撃地点を覆っていた嵐が収まると、奴が銃口を上空、爆撃機が撃墜された所に向けていた。

 

 前世期から戦闘機の材料だったチタン合金は現代において炭素繊維を加えたカーボンチタン合金となっており、硬度・軽さ・耐熱性・ステルス性、全てチタン合金を上回っており、30ミリライフル1発では仕留めるのも難しい。

 

 それを奴はあんなアサルトライフルもどきで、しかも数機も撃墜した。銃弾の威力が高いのか、連続して当てる精度が高いのか。いや、両者だな。

 

 そんな事を考えている間、俺はある事に気付いた。

 

 奴がこっちを見ていた。



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西暦2070年 転

『目標を確認! 幾らか損傷を受けている様ですが異常なく動いています!』

『待て、奴の様子がおかしい。どこか変な方向を向いているぞ。』

 

 味方の通信を余所に、奴は余裕の、人を貶す嘲笑を浮かべていた。

 

 しかも俺に向かって指を指している。それから指を銃の形にし、バン、と撃つようなジェスチャーを見せた。

 

『今笑ったぞあいつ!』

『妙な行動を取りますね……』

 

 撃ってみろ、と誘っているのだろう。

 

「ふざけやがって!」

 

 幾らか理性を失った俺はいきなり対物ライフルの引き金を引いた。

 

 スコープの向こう側の奴は首を曲げて横を向いた。そこにあった瓦礫には大口径の銃弾と思われる銃痕、しかも砂煙が出たばかり。俺が撃ったのに違いあるまい。

 

 次の瞬間、スコープからは男の姿が消えていた。

 

『目標が目の前から消失!』

 

 少し遅れて味方の通信。

 

 来やがれ。例え俺は死んでもお前を絶対に殺す!

 

『……はあっちに……』

『……だ……しろ……』

 

 もはや味方の通信も聞こえない程、俺の気分は高揚していた。

 

 銃の向きを変え、男が真正面から恐ろしい速さで足を動かしつつ突進するのが見えた。こんなのを避けるのは余裕だってか?完全に俺を舐めやがって!

 

「待て待て、相手の思うつぼだ……落ち着けよ、最後の2発ぐらい当ててやろうぜ」

 

 スーーーーーッ、ハァーーーーー、……深呼吸し、気を取り直してスコープを覗き直す。

 

 いや、その前に。俺は銃を手放す代わりに右腕を前に突き出した。

 

 ババババババババババ‼‼‼‼‼

 

 右腕に搭載された3銃身ガトリングが俺の意志に連動して回転を始め、銃弾を秒間50発という驚異的なスピードで吐き出す。

 

 バイザーに映る拡大された映像では、男は大量の銃弾を前に躱す事も防ぐ事もせず、銃弾はそのボディに簡単に弾かれる。

 

 ならもう1丁、今度は左腕も前に出す。

 

 左腕に搭載されたグレネード連射銃が俺の思考を読み取り、毎秒2発のペースで発射される。ガトリングと比べ物にならない程遅い連射速度だが、それを爆発範囲で補っている。

 

 右腕は連続するまるで勢いのある水道みたいに腕が後退するのに対し、左腕は一瞬の間でまるでパンチを受け止める様に強い衝撃によって後退させられる。

 

 ただし、やはり初速が遅いのが駄目か、男は難無くグレネードを避ける。

 

 ならこれでどうだ。

 

 俺の意志に従って、両肩に格納された2丁の軽機関銃がロボットアームによって展開し、撃ち続ける。

 

 両肩を押さえ付けられるが、パワードスーツの重量と出力によって反動はへっちゃらだ。

 

 ただし軽機関銃程度の銃弾も男は受け付けず正面から突破される。

 

【グレネード:残弾無し 軽機関銃:残弾無し ガトリング:残り50発】

 

 左腕と両肩の反動が無くなる。やがてガトリングから発射音が無くなり、モーターの回転音だけが空しく残る。

 

【ガトリング:残弾無し 残り武装:ソード、ワイヤーガン 目標:正面100メートル停止中】

 

 音速で走れるはずの奴がガトリングの弾が無くなる程時間が掛かる訳ではあるい。しかも停止中だとは、じゃあ俺を舐めてる訳か!

 

 いや、逆だ。向こうは俺を甘く見ている。ならこちらが……

 

「来いよ。どうした? ただの人間の俺が怖いってのか?」

 

 俺は寝そべったままライフルを構えながら左手を前に出し、掌を上に、相手に見える様に数回ヒラヒラさせた。向こうが100メートル以上の距離から本当に見えていたならばの話だが。

 

【警告:目標:急速接近 目標:前方10メートルで停止】

 

 レーダーが示した通り、俺の10メートル先に男の姿があった。まさか俺の手に乗っかるってのか?

 

「おいオッサン」

 

 遠くから、恐らくは俺を呼びかける声。

 

「なあ、聞こえてんだろ? 決闘しようぜ」

「……ルールは何だ?」

 

 奴を「範囲内」にさえ入れられれば、俺はそれだけで良い。

 

 男は少しの間黙り込み、挙句ニヤッと笑って口を開いた。

 

「あんたは俺が戦った中でも”普通”の奴らの中では相当強い。だからよお、ここは1つあんたが決めて良いぜ」

「それは本当か?」

「へっへっへっ、これだからオッサンは頑固なんだ。勿論、俺が嘘を付くような奴に見えるか?俺が不利な条件でも構わん」

 

 見えるとも。お前みたいなヘラヘラ笑う若者はな。

 

 でもルールが決められるのはこちらにとってでかい。どうやって誘い出す?……

 

「なら、殺した方が勝ち、ただしハンデとしてお前は武器を使うな」

「これを使わなければ良いんだな?」

「そうだ。良い銃だな」

「おっ、分かる?」

 

 男は俺の要求をあっさり受け入れ、銃をゴミの様に投げ捨てた。

 

「しかし妙な銃だ。弾薬や反動はどうなっている?」

 

「簡単に言えば”俺達”の持つエネルギーを直接銃弾に変換して発射しているから弾薬は必要無いし、銃弾はエネルギーの塊だから反動も無いって訳。まああんたが知っても無意味だがな」

 

 エネルギーを銃弾に変換……一体どんな技術なんだ?

 

現代の歩兵携行装備にレーザー光線や素粒子ビーム、又は歩兵サイズのレールガンやらは開発段階にあっても実用化されていない。それは色々原因があるが、一番はエネルギー効率が悪いからだ。だがエネルギーを直接変換するなんて技術、少なくとも聞いた事が無いし、実在するならもっと世間に広まって世界平和に役立たれても良い筈だ。

 

「それで、他は無いのか?何ならあんたを殺すのには右腕と両足を折られたって出来る。だったらあんたがもっと武器を持って来ても良いんだぜ」

「いや、これだけだ」

「ほう……」

 

 男の目付きが急に鋭くなった気がした。

 

 そういえばこの男こそたった1人で俺の所属師団を滅ぼした張本人である。こいつに沢山の味方が、それも僅かな時間で殺された。そう考えると俺の意識は怒りと恐怖に占められた。

 

 だが考える力は残っている。

 

何か企んでいるのか?しかし爆薬は見えない様に置いているからばれてない筈だ。

 

「で、何時始める? 決闘は12時丁度村の通りのど真ん中で始めるものだろ?」

「若いのに中々センスあるじゃねえか……じゃあこうしよう、今だ!」

 

 我ながらずるい方法で開始の合図を告げ、先手を打った。つもりだった。

 

 即座に銃を目の高さまで持って来て、スコープの中心をを男に合わせ、引き金を引く。

 

 だが、男は体を右に傾け、心臓を狙った銃弾が虚空を貫通した。

 

「そんな程度か?」

「まだだ! さっさと来い!」

 

 挑発しながら俺は最後のライフルを抱えた。

 

 当然今までと同じならばこれも避けられるだろう。勿論俺はその事に手を打っておいた。

 

 銃弾を軽い小口径弾にしておいた。勿論口径が小さくなる分銃口に隙間が開いてしまうが、その分はその隙間を埋める補助発射体(銃口から飛び出た後に分離するのでちゃんと高速が得られる)があり、これにより、音速の3倍が音速の5倍にまで跳ね上がる。

 

 今までとは違って、軽く速い音がパワードスーツの音声表示機能によって高音質で俺の耳に届いた。

 

 反動は今までとは変わらないが、確実に今までとは違うのが俺には分かる。

 

「ぬおっ?!」

 

 男が咄嗟に腕を掲げ、腕は何かに当たった様に僅かに後退した。

 

「へへっ、やっと1発当ててやったぜ。どんなもんだ」

 

 殺しは無理だったが、俺はある種の満足感を覚えていた。

 

 しかし、もう1つやるべき仕事が残っている。

 

 一方、目の前の男はというと、

 

「ふざけてんのかてめえ!」

 

その肢体は無事だが、俺のさっきの呟きの所為か、明らかに怒っていた。強力な能力を持つというのに短気だとはやはり性格は大した事がないらしい。

 

 気付いた時には、男は俺の目の前60センチメートルに居た。

 

「これは殺し合いなんだ、よっ! そんな程度で満足する、なっ!」

 

 男はパワードスーツを装着したままの合計体重200キログラムの俺を、片手で地中から引きずり出して持ち上げ前に放り投げた。

 

 間も無く背中に強い衝撃を感じ、俯せの体勢で停止した。

 

 痛いが、奴はあそこに立ったままだ。後はC4のスイッチを……

 

 リモコンを携えている腰の辺りに手をやろうとした俺だが、途中まで動かしてそこから先が動かない。

 

 見ると、俺の横には既に男が立っており、リモコンに伸ばす俺の手をがっちりと掴んでいた。

 

「どうやら俺を爆弾で囲み、それで俺を殺すつもりだったらしいな。だが相手が悪かったな。ハハハハハ!」

「……お前の言う通りだ。もはや俺の負けだ……」

「やっと認めたか、最初っからオッサンが勝てる訳ねえんだよ。早くくたばれ、このクソで無能でクズで目障りで……」

 

 男は満足そうに俺に暴言を吐き続け、傍らで俺はあるイメージをする。そのイメージをパワードスーツが受け取り、思考通りにパワードスーツが動いてくれる。

 

 小気味良い発射音が2つと、これまた小気味良い反動が両腕に1つずつ。

 

 俺の目は視界に男に向かって飛んで行く2本のワイヤーを確認した。

 

 直後、右のワイヤーは男の足へ、左のワイヤーは男の首へ、それぞれ巻き付き、俺はそれを確認すると勢い良く引っ張った。

 

 力を入れても動かした感触が全く無い。まさか体重までも変化している訳ではあるまいし。

 

 直後、ワイヤーが千切られたのか引っ張る手応えを失った俺は腕を空しく空振らせた。

 

「野郎!」

 

 もはや俺はこいつを殺す事なんかどうでも良い。

 

 俺は考える暇も無く左腕で勢い良く体を起こし、同時に右手で腰の剣を抜く。

 

「うおおおおお‼‼‼‼‼」

 

 奴に一泡吹かせられなければ俺として悔しいだけだ。

 

 雄叫びを上げながら地面を蹴り、右腕を振り出す。

 

 目に映ったのは剣を真横から受け止める男の腕。本当に切れないのか……

 

 そこから先は意識が朦朧として良く分からなかった。

 

 何故なら、突然頭に強い衝撃を受け、そのまま後方に吹き飛ばされてしまった。

 

 不時着した俺は、次に豪快な破砕音を聞いた。

 

 そして俺の肌は風を、つまり外気に触れたのを覚えた。

 

 ヘルメット部が外れ、目の前に居た男がそれを投げ捨てる。

 

「”お前達”はな、何か武器を持たなければ戦えない、そんなザコなんだよ!」

 

 男から罵声を浴びせられ、男が手を俺に向かって突き出す。

 

 突然襲い掛かった激痛に、俺の感覚は一気に鋭さを増した。

 

 男が尖らせた手を突き出し、左肩から先の感覚が無くなった。

 

 男が俺に向かって足を振り下ろすと、両足の付け根に圧力を感じすぐに感覚は無くなった。

 

 意識が回復する代わりに襲い掛かったのは激痛。左腕、右足、左足を千切られた張り裂ける様な痛み。

 

「うあああああ!!!!! ぐっ、ぐわあああああ!!!!!」

 

 我慢できず、情けない悲鳴を上げた俺。

 

 俺は今まで軍人として戦場に赴き、あらゆる傷を負ってきた。例えば銃弾など何発も受けた事があるが、俺の気配りが良かったのか相手が下手だったのか、どれも致命傷には程遠かった。

 

 人体の一部を抉り取られるという傷を負った事のある者など中々居ない筈。

 

俺の友人に片足を失った奴が居たが、そいつは敵の爆弾による物だった。

 

だが問題の俺は、目の前で手足を無理矢理人力で引きちぎられるという残虐かつショッキングかつクレイジーなやられ方だ。何なら今の俺と同じ状況を全世界の五体満足の奴に味わわせてやりたい。

 

「殺して欲しいか?」

 

 男が俺の目の前に、千切った血の滴る俺の腕や足を見せびらかす。

 

「……まっ、たく、だ……おれ、は……ま、まだ……まだだ!」

 

 最後まで奴を殺せは出来なかったが、俺は最後まで抵抗してやる。

 

 何もしないまま死ぬか、馬鹿をやって死ぬか。答えは決まってる。

 

 俺は慣れた動作で、唯一残った右手を腰の位置に持って行き、そこにある硬く重量のある物体を掴む。

 

 腕を前に伸ばし照準を合わせる間も惜しく人差し指を曲げる。

 

 パン!

 

 乾いてあっさりした軽い発砲音。

 

 確認しようにも力が入らず首が曲がらなかった。

 

「まだ懲りねえのかよクソ野郎! さっさと俺に殺されろ!」

 

 ああ、もう俺に出来る事は何も無い。

 

 妻と息子と娘よ、戦場に立ってから覚悟して来た事だが、お前達を残して先に逝ってしまう俺を許してくれ。

 

 味方の姿は周囲には見当たらない。通信機を剥がされて情報が無いが、きっと対策を練るべく一時撤退したのだろうか。こんな時だけは頼りないぜ……

 

「あんたのその銃も良いことだけは認めてやろう。結構古いタイプ、オーストリア製の9ミリプラスチック拳銃か。カスタムが効いて良いよなそれ。俺は生憎45口径派だがな」

「……あ、た、り……かんつう、する、から、な……」

「まあ俺には傷を付ける事さえ出来んが」

 

 男が勝ち誇ったように言うと、俺の拳銃を手中から奪い取り、俺に銃口を向けた。

 

「これで死ねるならお前も本望だろう。ほんの少しの時間だったが、久し振りムカついたぜ。これで清々する」

「……あ、あ……」

 

 俺は目を瞑った。

 

「あばよ」

 

 あばよ、皆……



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西暦2070年 結

 死ぬ覚悟は出来ている。だから後は向こうが引き金を引くのを待つだけだ。

 

 だが、拳銃の発砲音は、いつまで経ってもしなかった。

 

「……気の所為か……」

 

 目を開ける気力も無く、男が何か呟いたのが聞こえるだけだ。

 

「いや、違う!」

 

 何が違うのか、俺には果たして分からない。

 

「……ハメやがったなてめえ! どうりで俺を誘って来た訳だ畜生!」

 

 確かに俺は爆弾を仕掛けた地点へ誘おうとしたが失敗した。一体何を言っている?

 

 グゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼

 

 その時、突如鳴った轟音、地震、瞼に遮られても分かる閃光。

 

 俺は成すがままに飛ばされるだけ。

 

 堅い地面の上を転がされる。

 

 一瞬が数時間にも感じられた。

 

 まだ止まらない。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 やがてそれらは収まり、静寂が流れた。

 

 俺は好奇心と義務感に駆られ無意識的に目を開けた。

 

 目の前に居た男は消えていた。

 

 代わりに、少し離れた所に巨大なクレーターが出来上がっていた。

 

 クレーターの表面は何かに溶かされた様に熱気を帯びているのが見える。

 

「……きえた、の、か……」

 

 俺の問いに誰も答えてくれない。

 

 俺は仰向けになり、昼下がりの空を見上げた。

 

 太陽と青い空が見えるだけ。

 

 だがそこにある。

 

 聞いた事があるぞ、軍が人工衛星による戦術レーザー砲を開発していたそうだ。

 

 奴の速さでは狙いが定まらないから、俺が引き付けている間に照準し撃ってくれたという訳か。

 

 偶然俺には命中しなかったのが何たる幸運。やっぱし今日はツイてるな。

 

「……が……が、ははは、はは、は……は……」

 

 俺は勝利の高笑いをしたが、弱々しい声は俺のみに響くだけ。俺の強運もここまでかな……

 

 やがて、俺の意識は永遠なる漆黒に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「映像が回復します」

 

 司令部の白いノイズだらけのモニターがパッと切り替わった。

 

 画面に映るのは瓦礫と荒れ果てた住宅地と、中央に大きく存在するクレーター。

 

「周囲に動的反応はありません。目標は沈黙、いえ、消滅しました」

 

 コンピューターを操作するオペレーターの報告を聞き、中心のデスクに立つ指揮官らしい高齢の男性がホッと安堵を着いた。

 

「ようし、待機命令解除、出動させていた兵員を向かわせ様子を調べさせろ。しかし高速移動体、それも人間程度の大きさの目標には照準が合い難いという衛星レーザー砲の弱点を、あの1人の名前も分からぬ兵士が引き付けてくれたお蔭で何とかなったものだ……」

「言っておきますが、私は最後まで衛星兵器の使用は反対でしたがな」

 

 反論するのは隣の補佐官らしき30代の男性。

 

「仕方あるまい。あのままでは更に大量の兵士が殺されていた。それもあのたった1人の人物の所為で、だ」

「上層部にはどう伝えます? まさかたった1人の人間相手に衛星レーザー砲を使用したなどととても言えませんでしょう」

「常識的に考えてはそうだ。だがこの出来事が常識だと思えるか? データも取ってあるし、それを説明に使えば良い」

「ですが……」

「問題は今まででは無い、”これ”が何なのか、それを突き止めなければならぬ」

「はい」

 

 反論しようと口を紡ぎかけた補佐官だが、指揮官に先を越されては言いようがなかった。

 

「まあこれでこの一件は終わったって事でしょうかね……」

 

 突如、何の前触れもなく警報音が鳴った。

 

「何事だ?!」

 

 反射的に指揮官が驚いた様に問う。

 

「……そんな、嘘だ……あ、失礼しましたっ。何と言いますか、その、こちらを……」

 

 口ごもった様な言い方をしたオペレーターがモニターを示す。

 

 衛星兵器の状態を示すモニターには【撃墜】の文字が大きく示されていた。

 

「どうなってる?! あの衛星の位置は他のどの軍にすら知られていないのだぞ!」

 

 指揮官は怒鳴りながら机を叩いた。

 

「少将、落ち着いてください。もしやさっきの射撃で逆探知され衛星の居場所がばれたのでは……」

「落ち着いていられるものか! 馬鹿を言うな! 射撃から2分半も経たずに場所を特定され撃墜される、いくら何でも早過ぎる!」

「確かに、逆探知してからミサイルで撃ち落としたとすればもっと時間が掛かるでしょうし、砲撃ではそもそも大気圏外射撃は届きませんし……」

 

 結論が出ない所へオペレーターが話に割って入った。

 

「待って下さい、成層圏観測飛行船から見た地上のさっきの男が消滅した地点の近くです。これをご覧下さい。」

 

 別の衛星からの映像が大画面に流れた。

 画面の真ん中には、見知らぬ男がこちらを向いて銃を構えていた。

 

「何だ奴は? まさか新手か?!」

「それじゃあ衛星兵器はひょっとしてあの男が……」

 

 補佐官が言い終わる前に、画面の中の男は引き金を引いていた。

 

 そして数秒後、画面は突如ブラックアウトした。

 

「……これで決まりだな」

「……はい……」

「……か、観測飛行船も撃墜された事を確認!」

「そんな事は分かっている」

 

 オペレーターがモニターを慌て見した報告に対し、指揮官が苛立った声で答えた。

 

 直後、外部から、具体的には出動中の師団からの連絡が入った。

『こちら○○師団! 司令部へ報告! 現在突然現れた別のターゲットと交戦中! 人型ですが先程の男と同じく強力な力を持っています!』

「そうか……」

 

 指揮官は諦めた様に呟きながら再び拳を机に叩きつけた。

『小隊長! あれは!』

『2人居るぞ!』

『いやあそこにも、4人だ!』

『違う、もっと……』

 

 兵士達の声は突如ノイズに変わる。

 

「何という事だ。あんなのがまだ存在してるだと?!」

 

 周波数が同調した兵士達の通信を聞き、指揮官は恐ろしさに体を震わせた。

 

『撤退だ! 撤退しろ!』

『化け物めえ! 死ねえ!』

『駄目だ! 追い付かれた!』

 

 爆発音のBGMの中で肉の裂かれるSEが聞こえると、司令部の人間は皆顔を顰めた。

 

「海軍と空軍はどうした! まだ援護が入らんのか!」

「それが、海軍と空軍も謎の勢力と交戦中だとの事です。これも恐らくは……」

 

 思わず頭をがっくりと下げた指揮官。

 

「それで、「奴ら」について何か分かっている事は?」

 

 代わりに補佐官が尋ねる。

 

「はい……敵の数は陸軍が戦闘中のが少なくとも8体、海軍が交戦中なのは12体という情報です。空軍は現在地上と海上に分かれそれぞれを援護中。どの「人物」も例外無くやはり強力な力を持っているそうです」

 

 それを聞いた補佐官は怒りそうになるのを堪え、拳を握り締めた。

 

 次の瞬間、

 

『第一級警告! 敵の侵略を受けています!』

 

 施設内の警報と共に合成音声が敵襲を知らせた。しかも第一級警告は敵が内部まで侵入してこちらが追い詰められているという事だ。

 

 ガコン!

 

 警告を予兆にしたかの様に、タイミング良く重い無機質の物体が大きく響く音がしたかと思うと、指揮官の丁度真後ろにあった金属製の扉が大きく凹み、壁から外れ、倒れた。

 

「ああ、神よ……我々に勝ち目なんて始めから無かったんだ……」

 

 指揮官はあっさりと現実を容認した。

 

「本部へ連絡。敵の指揮官を発見。抹殺します。」

「……我々に勝ち目なんて無かったんだ……」

「……核だ! 核を要請……」

 

 若い男の声を聞き、指揮官、補佐官、及び司令室内の人物は皆2度と目を覚ます事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2070年某日、フランス国ノルマンディー地方にて米仏連合軍が謎の勢力によって壊滅され、最終的に戦域核が使用され勢力は壊滅されたものと思われた。

 

 またアジア・中東での発展途上国同士での小規模な戦争が行われていた事も重なり、この事件によって間接的ではあるが世界中に波乱が呼び起こされ、後の「第三次世界大戦」が勃発した。



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21世紀

 西暦2000年。

 

「貴方達に集まってもらったのは他でも無い。人類は、地球は今、様々な危機に直面している。しかし人類は気付いていない。自分達が自らを滅ぼしている事を。だから我々の様な存在が必要なのだ。基礎理論から先端技術まで、分野・国籍を問わずあらゆる専門家を集めたのはその為だ。人類を救うには人類より優れた存在が必要なのだ。今ここに、「世界救済組織」を設立する」

 

 「世界救済組織」は当事者達以外からは一切秘密裏にされ、国際社会の裏で暗躍し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2045年。

 

「教授、始めましょう」

「うむ、観測開始だ」

 

 目の前にあるのは巨大で厳重そうなパイプらしき円筒形のものが横たわっており、よく見れば僅かにカーブを描いている。その直径は20メートルにも達するだろう。

 

「量子加速器稼働開始」

 

 ゴウン、と低音が辺り一帯に響いた。研究者達は驚きもせず、暫くは待っていた。

 

「何か変化はないか?」

「今の所はただ加速中の素粒子によるエネルギー反応だけですね。まだこれからでしょう」

「ああ、ちと気が短かったかもしれんな」

 

 何十分と時間が経ったが、研究者たちは依然として持ち場に着いたまま変化が起こるのを待っていた。

 

「……来ました! 例の反応です!」

「おおっ!」

 

 研究者達が一斉にモニターを見る。

 

「やはり同じです。素粒子が存在するのは観測されている筈なのに、質量・弱い相互作用・電磁気・強い相互作用、どの力も検出されません」

「ではこれに信号パターンエネルギーを与えろ」

 

 操作盤の前に座る研究者が指示通りにコンピューターを操作する。

 

 今度は待つ必要が無かった。

 

「素粒子の存在が消失! 代わりに熱エネルギーが検出されました!」

「よし、今回はこれで終了だ。皆良くやったぞ。今日は私の奢りだ」

 

 轟音は止み、研究者達はそれぞれの持ち場から離れた。

 

「あとは検証を重ねて結果を確かめるだけですね」

「そうだな……それ自体は存在するのに何も「無い」、だがさっきの様に少なくとも熱エネルギーには変化する事は確かめられた。もしこれが他のエネルギーにも変化するのならば、きっと人類に繁栄をもたらしてくれるに違いない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2050年。

 

「「エネリオン」が検出されました」

「では測定しろ」

 

 画面を見る科学者やオペレーター達。彼らが見ているのは地表から数十万キロメートルも離れた地中から送られてくる映像だ。

 

「測定完了。間違いありません、火星で発見された球体と同じ構造をしています」

「やはり地球にも存在したのか」

「しかし非常に微量です。これを集めて精練するにはどれ程手間とエネルギーが必要になる事でしょうね……」

「これが将来人類にとって膨大な利益を生み出してくれるとは思いもしないな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2060年。

 

「テストを行います」

 

 研究者たちが観察するのは周囲をコンクリートと強化ガラスで囲んだ部屋の中に居る1人の男。

 

 その人物は正面にあった一辺2メートルのコンクリート塊へ歩み寄る。次の瞬間、コンクリート塊は破壊音がすると同時にその半分の体積が粉々に砕けた。

 

 対照的にコンクリートより遥かに軟らかいタンパク質で出来ている筈の拳には異常が見られなかった。

 

 次は高速ライフルの様な発砲音がし、それとほぼ同時にその人物の身体が大きく横へスライドした。

 

 男に傷は無かった。代わりに男の後方にある壁に銃弾がめり込んでいた。

 

 今度は人物の前にレーザーガンらしき装置が現れ、案の定レーザーが発射された。発射口の直線上に居た人物に命中する。

 

 しかし、人体どころかあらゆる物質を切断する筈のレーザーは、男の体に穴を開けるどころか火傷痕さえ作れなかった。

 

「攻撃、速度、防御、エネルギー量、知覚処理、全て予想以上です」

 

 もはや「彼ら」に喜びなどなかった。「目的」の為、結果を出す、それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2060年、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン島。

 

 突如謎の大爆発が起き、当時ニューヨーク市の人口1200万人に対し実に600万人が死亡した。

 

 何者の仕業かは不明。また核反応による放射線や対消滅によるニュートリノも検出されず、質量のエネルギー転換によるものだと結論付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2070年。

 

「以上の結果から「トランセンド・マン」の能力行使におけるエネルギー源は「エネリオン」と判明、また「ユニバーシウム」の構成物質や「エネリオン」を含む全ての素粒子やダークエネルギー、ダークマターは「インフォーミオン」によって構成されていると考えます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2100年。

 

「必要な条件は揃った。国家に代わって我々が人類を管理する時が来た。我々が所謂神という存在、いや、我々こそが人間や神を超える存在なのだ。人類を絶対に破滅させてはならない。必ずその時が来るまで。ここに「地球管理組織」を設立する」

 

 「第三次世界大戦」で滅びた諸国家に代わって「地球管理組織」が人類の統制を行いはじめた。また翌年から西暦を廃止し、「地球暦」を開始した。



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Category 0 : Birth
0 : Escape


 逃げろ。とにかく走れ。

 

 逃げるにはどのようにすれば良いのか、ただ足を動かして地面を蹴る事しか分からない。

 

 どこへ逃げたら良いのか、出口はおろかここは何処なのかすらも分からない。

 

 何から逃げているのか、後ろを向けば追って来る奴らが見えるが彼らの事は何も知らない。

 

 どうして逃げているのか、分からないが、捕まりたくない。ただそれだけ。

 

 逃げなければならない。

 

 壁・床・天井が全て白い廊下を駆け抜ける最中、曲がり角で彼らの仲間の1人に遭遇した。皆同じ服装なので奴らが同じ所属である事は分かる。

 

 黒い上下の防弾・防刃スーツに包まれた兵士、いや、特殊部隊と思われる格好をした人物。顔はバイザーヘルメットに覆われて見えない。銃等の武器は持っているらしいが発砲はして来なかった。自分を捕える事が目的らしい。

 

 正面から自分に向かってジャブを放ち続けてストレート、自分は両腕を咄嗟に頭の高さまで持って行きガードした。

 

 相手が腕を引こうとするよりも速く、相手の腕を左手で掴み、一瞬止まった所へ右手で側頭部へ拳を打ち付けた。相手は軽く吹っ飛び、倒れると起き上がらなかった。

 

 今度は追って来た奴が後ろから自分を羽交い絞めにし、他の仲間が正面から棒状の物体を突き出した。

 

 足を踏み付け自分を拘束する力が抜けるのを感じると、地面に着けた足を軸に体を回転させ相手を回した。バチっと火花の音が聞こえ、更に相手の力が抜けた。棒状の物体はスタンバトンか。

 

 担いだ人体を投げ捨て、スタンバトンを持つ奴が自分の頭を突き刺す様に出してくるのが見える。

 

 バトンを持つ右腕の手首を左手で受け止め、更に来る左フックを正面から腕で掴み取った。

 

 繰り出される膝蹴りを右肘で受け止め、相手の真っ直ぐな左手首を一気に折り曲げる事で相手が痛がる素振りを見せた。

 

 振り向くと後方から来ていた別の仲間3人が同じくスタンバトンを自分へ突き刺そうとしていた。

 

 ……遅い?

 

 自分は慌てる事無く、突き出されるバトンを持つ手を3連続蹴りでその手から弾き落とした。

 

 自分を抑えていた奴の右腕を両手で掴み、後ろへ投げ飛ばす。後方に居た1人に当たって倒れた。

 

 残り2人が自分を挟む様に位置取る。右方の連続パンチを腕で左右に交互に逸らし、左方の前蹴りを左手で受け止めた。

 

 右方の奴が更にパンチを放ち自分を左方へ追いやる。勝利を確信した右方が自分へストレートを放った。

 

 咄嗟に左方の受け止めている足を引っ張り、頭を下げる。右方のパンチが左方の顔面へ命中した。

 

 そこを逃さず、自分は右足で右方の膝を蹴り折り、更に左方の頭部へ右足を綺麗に当て吹っ飛んだ。

 

 膝の痛みに負けた右方はひざまずき、自分は後ろへやった右足を反動と合わせて曲げ戻し、その勢いを合わせて相手の顎へ膝蹴りを決めた。相手は後頭部から壁へ叩きつけられ、動く気配を見せなかった。

 

 シュパッ!

 

 空を裂く破裂音と同時に自分の肩に何かが突き刺さったのを感じた。針状の物体は血管に刺さっており、直感的に素早く引き抜いた。恐らく捕獲用の麻酔弾だろう。

 

 後方に銃を構えた大量の人影があった。黒く塗られた金属質の表面は一切表情と人の気配を感じさせない。人型兵士ロボットである事は一目見て分かった。

 

 素早く移動し廊下の曲がり角を盾に次々と迫り来る弾丸を防ぐ。こちらへ来る前へ逃げ切らなければ……

 

 今度は正面に3体、ロボットが待ち構えていた。次の分岐路はその丁度後ろ。

 

 少ない方がずっと良い、そう判断し体を前方へ加速させる。当然向こうは銃を構える。

 

 妙だな……自分がそう思ったのも無理はない。

 

 見える。

 

 銃弾の軌道に合わせて体をスライドさせ捻る。銃弾は体ギリギリを掠めて後方へ飛んで行った。

 

 横に広くばら撒かれた銃弾に対し斜め前方へ跳び上がって避け、着地時に地面を転がって一気に距離を詰める。

 

 低姿勢の自分を狙った銃弾に対し体の正面からの表面積を出来る限り小さくしてスライディングする。遂にロボット達の足元へ辿り着いた。

 

 真ん中のロボットの足元へ滑り込みながら蹴りを決めバランスを崩す。

 

 起き上がりながら左方へローキックを決め地面へ倒し、右方が銃を向ける。

 

 次の瞬間、視界が揺らいだ様に思えた。銃弾が遅く見える。

 

 自分の胸へ刺さろうとしている銃弾を横から手で掴み取り次第捨てた。

 

 自分でやった事なのに驚いていた。しかし状況を打破する方が先だ。

 

 銃を構えたままのロボットへ突進し、勢いを乗せたブローを腹部へ決め、破砕音が聞こえた。

 

 改めて見ても金属で出来ている筈のロボットのボディは割れ、内部の機関部が覗き見えた。

 

 不意に足を引っ張られる感触。倒れていたロボットが足を掴んだのだろう。

 

 対策すべく掴まれた方とは反対側の足を倒れているロボットへ振り下ろした。潰れる音と同時に火花が散り、そのロボットは動かなくなった。

 

 続けて正面のロボットが殴り掛かって来るのを確認し、ストレートを頭を傾けて避け、カウンターへもう一回装甲の破れた部分へ拳を叩き入れる。こちらも火花を散らしてがっくりと倒れた。

 

 最後の1体が後ろから銃を構えていた。引き金が引かれ、針状の麻酔弾が発射される。

 

 迫り来る銃弾に対し体を後ろへ逸らした。倒れ際に銃弾が自分の胸の上を掠めたのを感じた。

 

 後方に倒れながら後ろへ回転し、丁度あった壁に足を着ける。折り曲げた足を勢い良く伸ばし、突進しながらナックルをロボットの顔面に決めた。

 

 頭を抉られたロボットが動かなくなるのを確認し、自分が来た道から足音が聞こえて来た。

 

 勝てない、そう思い交差点を曲がり走行を再開する。

 

 廊下の途中で人間やロボットが飛び出して来たが、大半は振り切り、しつこく付いて来たり掴んだりしたのは撃退した。

 

 これなら逃げられるかも……

 

「お前は逃げられない」

 

 自分の考えを拒否した様な声。自分に掛けられたものだということはすぐに分かった。何故なら声の主は自分の正面に堂々と立っていたから。

 

 自分よりも頭一個分大きい男性が1人、その引き締まっているが大柄な身体は行く手を遮るのに十分過ぎた。横にある筈の通路の隙間が無い様に感じた。

 

 次の瞬間、5メートルもあった距離が一気にゼロとなり、男は右ボディブローを放っている最中だった。

 

 直感的に腕を腹の所へ持って行き、どうにか肘付近で受け止めた。しかし、

 

 強い!

 

 受け止めるだけでも威力は抑えられず、そのまま後ろに吹き飛ばされ背中から不時着した。

 

 後ろを見れば他の兵士やロボット達が集まっていたが、自分を捕えようとはせず、あの男に一任している様だ。

 

 余程あの男が強いのか……しかし他に手段は無い。

 

 手を着いて反動で素早く起き上がり、次なる攻撃に備えようと身構えた。その時既に男の姿は自分の正面1メートルの距離にあった。

 

 慌てながらも男の両腕から繰り出される連続撃を躱し、両腕で抑え込んでいる隙に前蹴りを放った。

 

 しかし、蹴りは男の手によって阻まれ、掴まれる。勢い良く引かれ、出した足の付け根に強い衝撃を感じた。

 

 自分の腰に手刀を当てた男は、自分がよろめくのを見ると足ごと自分を持ち上げ、真横にあった硬く白い壁に叩きつけた。

 

 背中に柔らかみも存在しない感触がし、更に前方からパンチの嵐が襲う。

 

 腕を必死に動かして防御を試みるが、それを上回る速さで拳がガードをすり抜け自分に命中してしまう。

 

 自分からは見えないが、直径2メートルにも及ぶクレーターが壁に形成されていた。

 

 負けてはいられない。

 

 自分を奮い立たせ、今にも自分を殴ろうとしている拳を両手で受け取った。伸びた腕の先にある肩に一発手刀を当て、男が腕を放しながら一瞬後退した。

 

 その隙を逃さず、自分の両手を勢い良く前後に回転させ、威力は無いが多数の拳を浴びせる。男はあらゆる角度から来るそれらを冷静に払い除けてみせる。

 

 だが相手が防御しようと後退しているのが分かる。それを知り、一気に攻めに転じようとした。

 

「確かに強いし、技もある」

 

 相手が何か自分に向かって喋って来た。何が言いたいのだ。

 

「だが……」

 

 男の右腕が今までよりも格段に速く動いた。男の腕が光った様に見えた気がした。

 

 腕をかざして攻撃を防ぐが、男は自分の腕を掴んで離さなかった。

 

「お前と俺とでは根本が違う」

 

 男の掌が光り、輝きは自分の身体へ流れ込んだのが見えた。次の瞬間、体が揺さぶられる様な感覚を覚え、力が抜ける。

 

「アンダーソン、やはり見込み違いか……」

 

 倒れた自分へ何か言う男だったが、次第に何も聞こえなくなった。瞼も重くなり、視界が塞がれた。後は皮膚に張り付く床の感触……やがてそれも消えた。

 

 ただこの世界が嫌なだけなのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「支援ありがとうございます」

「いつもサンキューな、ハン」

『ああ、ただし30分程度しか持たないから気を付けろよ。』

 

 茂みの中で通信とやり取りする声の内、前者はまだ20代前の少女という感じがし、後者は落ち着いた20代後半の雰囲気を漂わせていた。

 

「はい、分かってます」

「土産はあまり期待しないでくれよ。帰ったら一杯やろうや」

『リョウ、安いフラグは回収されやすいから言わんでくれ』

 

 通信機越しの声は冗談と分かっていながらも不安そうに言った。それを見かねたので、

 

「じゃあ二杯ならどうだ?」

『いや、どうだ? じゃねえよ。数的な問題じゃないぞ』

「リョウさん、任務前だから集中しましょうよ」

 

 と冗談を更に効かせようとしたが2人から叩かれる始末だった。

 

「ほら、お前の所為でアンジュちゃんにも怒られたじゃないか。」

『知るか! お前は何で何時も空気を読まないんだ?』

「というかちゃん付け止めて下さいよ!」

 

 しつこくジョークを繰り返しても打開策にはならず、2人に叩かれる始末。ので今は集中する事にしようか、と気を引き締めた。

 

『それじゃあ始めるぞ。30分経ったら攻撃するからそれまで脱出しておけよ』

 

 通信が切れ、2人は腕時計のタイマーを残り30分に設定した。そして2つの影は目の前1キロメートル先にある建物へ向かって走り出した。



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1 : Rescue

 少年を捕えた男は近くの兵士に気絶した少年を預けた。そして歩み寄って来た中年の男性に報告した。

 

「中佐、捕えました。ついでに起きない様に薬を打っておきましたよ」

「ご苦労だった。しかし、覚醒したのか?」

「いえ、まだその途中段階に当たる所でしょうね。手応えもそれ程ありませんでしたし。お蔭で被害は少なく済みましたが……ところで制御は効いて無かったのですか?」

「いや、「チップ」は埋め込み済みだ。それに反抗したのだからまだ調整は必要だろうな」

「それにしても、何故精神があんなに不安定状態を起こし、逃走という行動を取ったのか……」

「……うむ、記憶は無い筈だというのに不思議な事だ」

 

 中佐と呼ばれた人物、その額に一滴の冷汗が流れていた事は誰も気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を駆ける一つの姿。

 

 その姿に監視カメラのレンズが向けられるが、別に気にする事ではない。少なくともあと20分は。

 

 仲間の一人が遠隔でこの施設内のシステムコンピューターを操作し、例えば監視カメラが姿を写しても映像記録には残らないし、その他監視・警報システムを切ってもらっている。

 

 それでも”彼女”は気を緩めない。少しでも役に立ちたい。彼女、この施設に忍び込む前に仲間からアンジュと呼ばれた少女、の思考は緊張と願望で埋められていた。

 

 彼女の任務の一つは”可能な限り”この施設が持つ機密を盗み集める事。外側からハッキングしてくれる仲間が言うには外部から侵入出来ない独自の回線や紙媒体による機密は調べられないとの事らしい。

 

”可能な限り”とは、この施設を一斉攻撃する予定であるからで、遠隔操作が解除されて侵入がばれると思われる時間までがこの任務の終了時間であり、攻撃開始時間でもある。

 

 また、同時に攻撃し易くする為にもこの施設内に爆薬を設置するという任務もある。というか本命はこちらだ。

 

(流石ハンさんですね。お蔭で任務が捗りそうです)

 

 監視システムがダウンしているとはいえ、内部の人員等に見つかれば意味が無い。一応走っても足音が出来るだけ抑えられる靴を履き、服装も動作によって生じる音を最小限に留められる特殊なものではあるが、透明でも光学迷彩でもないので視認されるリスクが一番大きい。

 

 それでも彼女は運良く誰かに遭遇する事は無かった。というか

誰も見当たらないので寧ろ不審に思った程だ。

 

(どうして誰も居ないんだろう? 少しぐらいそこら辺を歩いている人が居てもいいのに……)

 

 そう考える中、彼女は数々のドアを出入りし(鍵が掛かっているものは解除ツールを使用した)、それっぽい情報媒体をかき集める。しかし一見パッとしないものばかりで重要機密と思われる物は無かった。当然爆薬の設置も忘れない。

 

(今の所爆弾は順調ね。良い情報が手に入ればもっと良いんだけど……)

 

「お前に与える物は此処には無い」

 

 自分の考えに対して回答がなされた。声のしたのは後ろ、慌てて振り向き、姿を確認しながら後ろへ飛び退いた。

 

 身長185センチメートル前後、横に広がる長めの茶髪と青い目、恐らく金属複合カーボン製のプレートアーマーを全身に纏い、存在感を見せつけるかの如く堂々と立っていた。

 

「存在を隠し切れていなかったぞ。まだ若く経験が足りない。何より、俺より出来が悪い事だ」

 

(そんな、いつも注意していたのに……)

 

 腕時計は爆破まで残り5分である事を示していた。戦う以外に手段は無いと判断し、構える。

 

「大人しくするつもりは無いらしいな。良いだろう」

 

(こうなったら……)

 

 少女は決心して素早くベルトに仕込んでいた通信機を取り、早口で言った。

 

「リョウさん、ばれました! 爆破します!」

『ちょっ、おまっ……』

 

 通信機越しの仲間が返事し終える前に彼女は爆弾に繋がるリモコンのボタンを押し終えていた。

 

「なぬ……」

 

 突如施設内を振動と轟音が襲い、廊下の奥から爆炎が見えた。

 

 男は咄嗟に身を守るべく姿勢を低くし腕を胸の前で交差した。爆風で体が僅かに揺れ動き、爆炎がチリチリと熱を伝え、残った粉塵が視界を塞いだ。

 

防御体勢を解き、塵に視界を奪われている中、男は見回していた。まるでそこにある物が見えているかの様に。

 

「……自爆と見せ掛け、「障壁」を自分の外側へ広く展開し、爆発に巻き込まれず逃走……不意を突かれたとはいえ考えも「能力」も中々だ。いや、突発的なアイデアだろうか」

 

 男が感心して呟く最中で施設内は侵入者の存在を告げる警報が鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もうバレちまったのか?! やべえな……』

「ごめんなさい、不注意でした……」

 

 耳に当てた通信機から聞こえる驚き声に少女は謝った。

 

『今は気にすんな。でも爆弾は仕掛け終えたんだろ? じゃあ予定より少し早く脱出すりゃ良い』

「はい、ありがとうございます」

『そういやハンには言っておいたか?』

「あ、しまった」

『オッケー、俺が伝えるぜ。その代わり後でコーヒーでも奢ってくれよ』

 

 少女は二度も感謝し、通信が切れると駆け始めた。もうドジはこりごりだった。

 

 途中で施設内の人員やロボットに遭遇したが、彼女の前には無意味に等しかった。銃弾は効かず、目に捉えられないスピードで走り、邪魔であれば軽々と吹き飛ばされる。

 

 先程彼女の気配を察知した男やそれと「同じ」奴に遭遇しない限り、順調に進んで味方達がこの施設を思い切り攻撃出来る筈だ。いや、進めなければならない。少女は使命感に囚われていた。

 

『アンジュリーナ、話は聞いたよ。予定より5分早める、それで大丈夫かい?』

「大丈夫です! ハンさんありがとうございます。」

 

 仲間からの通信に合わせ、腕時計のタイマーを5分早めた。

 

 実質妨害者は居ないし、出口への行き方もきちんと分かっている。しかし、彼女は足を止めた。

 

 彼女は目的を達成しなければならない時、もしもその行為によって人命が失われるなら、彼女は間違いなく命を助ける行動を選択する。

 

 今まさに、目の前に名も知らず気絶している少年が横たわっている、それだけで彼女の疾走を止めるには十分だった。

 

「大丈夫?!」

 

 傍に寄り、生きている事を確認する。心拍はあったが、触っても体が冷たいし、反応もなくだらりとしていた。

 

(助けなきゃ!)

 

 彼の正体なんて関係ない、困っている人を助ける事に理由なんて要らない、かつて教わった事が彼女へと無意識に命令を下していた。

 

 少女より少しだけ高い程度の身長の少年をおぶり、全速力で走る。

 

 腕時計は残り20秒を示していた。しかし今のペースでは良い方に見積もっても出口へ到達するまで30秒掛かるだろう。

 

『アンジュちゃん大丈夫か?!』

「今、あとちょっと……」

 

 心配して仲間から通信が掛かって来た。どうやら向こうは既に脱出完了らしい。今は自分をちゃん付けされた事に黙っていた。

 

(早く……速く……!)

 

 その時だった。

 

 ガクン、と体が急に動いた。自分の意志ではない事は明らかだった。

 

 背中越しで見えないが、少年の身体が一瞬光った様に見えた。彼が力を与えてくれたのだろうか?

 

 自分でも驚くべきスピードを得た少女はそのまま施設の出口を飛び出し、大地を駆ける。腕時計は丁度残り0秒だった。

 

「撃って下さい!」

 

 通信機に叫び、言い終わったのとほぼ同時、少女の正面に見える山々からオレンジ色の微弱なフラッシュが大量に見えた。

 

 少女は走る事を止めず、後方の施設から爆発が起きても振り返らなかった。

 

 助ける、その一心のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にすみません!」

「そう気に掛けなくて良いよ、結果的に攻撃は成功して壊滅状態に持って行くことが出来た。君の設置した爆弾もあっての事だ。それに中々重要な機密も持って来たみたいだし」

 

 背中まである黒髪を揺らしながら頭を下げる少女と、それに合わせて首を横に振っているのは坊主頭を少し伸ばした程度の短髪の男性。

 

 黒髪の少女の名はアンジュリーナ・フジタ、17歳。肌は白く、顔は目鼻立ちが北欧系に近いが日系要素もあってか平均的な白人よりは鼻が低いし目つきも柔らかいだろう。黒目と黒髪は見方や光の当たり方次第では濃い灰色にも見える。身長は160センチメートル前半。日本人女性としては至って普通の身長だが、白人としては低いと言わざるを得ない。

 

 彼女は「敵」の研究施設へ侵入した事をばらしてしまった事(彼女の考えでは)を悔やんでいたのだ。だが目の前の男性はそれを許すと言っている。が彼女はまだ自分が悪いと思い込んでいる。

 

 男性の方の名前はハン・ヤンテイ、26歳。中国人と韓国人のハーフでいかにも東アジア人という顔立ちだ。身長175センチメートルは東アジアでも割りと高めではある。短髪の印象でそれらしく武術が出来そうな雰囲気も醸し出している。

 

「落ち着いてアンジュリーナ、でも彼は無事なんだろう? それは紛れも無く君が助けたいと思ってした行動であり、彼を助ける事が出来た。君が望んでやった事が君の「人を助けたい」と言う願いを叶えたんだよ」

「ハンもそう言ってるし、いい加減立ち直れよアンジュちゃん」

 

 と横から別の声が介入して来たのは不意だった。アンジュリーナは反射的に振り返り、

 

「もう、何時になったらちゃん付け止めるんですか」

「死ぬまで、いいや死んでも言う。だってかわいいやん」

 

 声の主はリョウ・フロイト・エドワーズ、28歳。赤系統に近い茶目茶髪が目立ち、茶髪は肩に掛かる程長い。日系の名前が入っているとはいえ日本人らしき外観的特徴は見当たらない。身長187センチメートルという大柄さは北欧系基準でも高い方に位置する筈だ。多少ボサボサな髪や髭は大雑把な性格を表していた。

 

「酷いですう……」

 

 アンジュリーナはわざと頬を膨らませるという子供じみた行動を見せた。彼女はアンジュという愛称を気に入ってはいたが、子供扱いされるのが何となく気に食わなかったのだ。(かといって子供らしい行為をするのもどうかと思うが)

 

「すまんすまん……でアンジュちゃんが連れて来た奴だが、見に行くか? ハンも、来てくれよ」

 

 リョウに連れられ、2人は簡素な布のドームで覆われたテントの内部へ入った。

 

 ところで彼らが今居るのは独立行動用師団が仮設した移動基地である。彼らは「本部」の直接の命令は受けず、殆どの場合その師団長の命令によって行動する特殊師団だった。

 

 数時間前に行われた研究施設強襲もこの師団長独断の作戦だ。そして反撃されぬようひっそりと去る。

 

 話は戻る。3人はアンジュリーナがその施設内で助けたという少年が横たわる粗末なベッドの前まで来ていた。

 

 青がかった黒い髪、表情どころか動作すら垣間見せない顔。見ただけではまるで生きているのかすら分からない。皮膚に触れても最小限の熱しか感じず、脈はあれど2秒に1回という非常に遅いペースだった。

 

「本当に生きてるのか?」

「リョウ、不吉な事は言わんでくれ」

 

 少なくとも死を告げる証拠は何一つ無い。かと言って生きているとしても非常に弱々しい。

 

「大丈夫なんですか? チャックさん」

「詳しい事は言えないね。体内に生体活動を抑える薬は中和し終えた。しかし不思議な事に、数時間診ただけでは、この、所謂昏睡状態から良い方へも悪い方へも動かなかった。何かを待っているんだろうか、まるで彼自身が目を覚ます機会を窺っているみたいだよ」

「待っている、ですか……」

 

 アンジュリーナの質問に答えたチャックと呼ばれた男性、彼はチャック・ストーン、42歳。師団内で内科外科問わず医師を”主な”生業としている。彼は更に付け加えた。

 

「それと、「チップ」が見つかった。早く摘出しなければ」

「それってこちらの居場所がばれてるって事じゃないですか?!」

「そう慌てる事でも無い。「チップ」は生体電気によって動くが、出力が低ければ電波を発する範囲は限られる。こちらから接近するか向こう側から接近されるかしない限りは大丈夫な筈だ」

「でも今こちらの居場所がばれていたら……」

「悲観的になるな若者よ。まあ確実な事は言えないがね……手術はすぐ行うとするよ。手伝ってくれんか、メスと麻酔を。どんな医師や手術ロボットより早く正確に執刀出来るのは私くらいしか居ないだろう」

 

 アンジュリーナはそのチャックの冗談と思われる台詞を決して過言だとは思わなかった。何故なら、彼女達は「超越」しているのだから。

 



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2 : Sleeping

 兵士達が生存安否の報告をしている傍らで、2人が会話を交わしていた。

 

「申し訳ありません、実力差で油断していた私の完全な誤算でした」

「そう謝るな。私にとってはどうでも良い事だ」

 

 頭を下げるのはアンジュリーナを捕え損ねた男。興味無さそうに返事をしたのは中佐と呼ばれた男性。

 

「施設の軍事能力は大幅に削られたが、襲撃で壊された研究成果はほんの一部に過ぎない。侵入者はこの施設の表層しか漁っていないらしい。しかし……」

 

 中佐は一旦間を置いた。話す事を少し整理する為か。

 

「しかしだ、侵入者は「アンダーソン」を盗み去った。アレクソン君、これがどういう事だと考えるか?」

 

 中佐と呼ばれる男は静かに、見様では冷酷に責める様な口調で尋ねた。アレクソンと呼ばれた男はその態度に動じず訊かれた事に答えるべく考え、少し経って口を開いた。

 

「まさか奴らが「計画」に感づいているのでしょうか? しかし、あの研究の記録は外部に漏れ出ない、極秘媒体を使っている筈……」

「その通り、直通回線で侵入された訳でもあるまい。「お前達」の中にはきっとステルス能力が使える者も居るかも知れない」

「それでも「エネリオン」や「インフォーミオン」の存在に変化は無いですから「私達」が気付くでしょう」

「……この話は一旦置こう。結論が出ない、本題に入ろう」

 

 中佐は近くにあったコップの中の水を半分程飲むと、別の話題を持ち掛けた。

 

「ところでお前は「アンダーソン」についてどこまで知っている?」

「……奴が最初の「成功例」だという事位でしょうか。しかし何故元の「能力値」が低い者を実験に選んだのですか?」

「知っての通り「トランセンド・マン」は何故か複製の困難さがあって分化し終えた細胞からではIPS細胞が作れない。被験者が持つ卵子や精子を直接操作するという原始的な方法でしか増殖が出来ない。それに細胞分裂開始から胎児へ成長させる段階でも何故かしら異変が起きてしまう」

 

 中佐は一旦休み、一呼吸置いて再び話し出した。中佐の口調は感情が無かった。

 

「お前の言う通り「アンダーソン」は最初の成功例だ。出来れば成功した要因を調べたいし、薬で昏睡状態にしているとはいえこれ以上「計画」に関与した事を知られたら不味い。「アレクソンEX級特殊戦力」へ命じる。施設を襲った「反乱軍」分子を一掃し、「アンダーソン」を奪還もしくは破壊せよ。その他戦力は幾らでも用意して良い。用意の際には私から上層部に報告しておこう」

「了解」

 

 中佐の長話とは反対に、短く返事したアレクソンと呼ばれる男は振り向き、指をポキポキ鳴らしながら何処かへ歩いて行った。

 

 一方、中佐はハアー、とため息をつき、コップに入った残りの水を全部飲み切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか分かったぞ!」

 

 医療テント内に大声が広がった。

 

「ストーン先生、怪我人が居るのでちょっと静かに……」

「ああすまん。ところで外で待たせているリョウ達を呼んで来てくれんか?」

「分かりました」

 

 チャックは表面では部下に謝っていても、自分が発見した事に驚いていた。

 

 部下に命じた通り、3人がすぐに来た。

 

「チャックさん、大声出してどうしたんですか? 彼は無事なんですか?」

 

 一番最初に部屋に入って来たアンジュリーナが他2人を代表して尋ねた。

 

「勿論手術は成功したとも。摘出成功だ」

 

 チャックが指し示した先の台の上にあった金属トレーの上には、体液が付いた手術道具、そしてマイクロチップがあった。

 

「だが面白い事が分かったのだ。何だと思う?」

 

 この医師はまるで生徒に対する口調で訊き返した。3人はそれぞれ首を振って否定の言葉を述べ、チャックが口を開いた。

 

「彼は、まるで生まれたての胎児なんだ」

 

 言葉の意味が分からず、黙ったままの3人。リョウが一番早く言葉を返した。

 

「じゃあこいつは妊娠何年目なんだ? こいつを生んだ母親は大変だろうなあ」

「全く、冗談の絶えない奴だ」

「でも一体どういう事なんです? 彼はこれだけ、少なくとも十数年間は胎盤の中に居たという事ですか?」

 

 リョウの疑問をハンが代わりに問う。チャックは考える間も無く質問に答えた。

 

「色々調べてみたのだが、彼の細胞分裂回数を示すテロメアは少なくとも15年分細胞分裂を続けて来た事は判明している。しかし、成長している筈なのに身体的な老化が全く無いのだ。それに、彼の消化器官中に入っていた液体が、羊水と同じ物質で出来ていた。更に液体には未知の有機物まで確認された。私が思うに、彼は体外受精によって誕生し、その後何らかの設備によって促成培養されたのだと思う」

 

 説明は3人共黙って聞き、説明が終わっても暫くは黙ったままだった。(尚、アンジュリーナは話の半分が分からなかった)

 

「「管理軍」は何を考えてるのかサッパリだな……」

「こんな話聞いた事も無い。もしこれが極秘研究の一部だとすれば……アンジュリーナ、これは思わぬ収穫かも知れない」

「ええっ、本当ですか?」

 

 リョウが呟く中、ハンの嬉しそうな声に釣られ、アンジュリーナも声を上げる。

 

「まあ今は何とも言えないが……彼のゲノムはどこまで調べていますか?」

「まだ詳しい事は分からん、ここには良い設備も無いしな。ハン、本部にもっと言ってやってくれ……で、時間は後2時間程掛かるだろう」

「分かりました」

 

 チャックは愚痴混じりに答え、ハンは答えを聞くとアンジュリーナへ次なる質問をした。

 

「アンジュリーナ、彼について何か変わった所は無かったか?」

「へっ?……」

 

 少女らしい抜けた声が聞こえた直後、短い沈黙が流れる。再び動いたのは3秒後だった。

 

「私が脱出しようとした時、彼が光った様に見えました。ひょっとすると彼は「トランセンド・マン」なのかも知れません」

「成程、そうか……参考になった」

 

 ハンは感謝の念を表すと、1人考え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「チップ」の反応が消えました。摘出されたと思われます」

「だが場所は分かった筈だ。攻撃を開始せよ」

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番先に医療テントから出たリョウは大きく背伸びした。時計に目をやると既に深夜2時を過ぎていた。後ろをハンが出て来る。尚、アンジュリーナはテントに残ったままだ。

 

「あーあ、やっと寝れる。酒も飲みてえし」

「気を抜くなよリョウ。「管理軍」の力は底知れない。この場所がばれて攻め込まれるかも知れないから油断するな」

「分かってるぜ」

 

 親指を立ててみせたリョウは笑っていたが、目つきは真剣だった。

 

 シュタッ

 

 リョウ達の正面を何かが横切って行った。その存在は目の前を通らなければ分からなかっただろう。

 

「ん? どうしたトレバー……」

 

 トレバーと呼ばれたのは当然先程横切った男性を指す。既に数メートル離れている今、顔は見えないが黒髪と前進を覆う黒い伸縮素材の軍服が特徴的だった。トレバーは訊かれても答えず、何処かへ走り去るだけだ。

 

「行ってみようぜ。あいつが考えも無く動く筈が無い」

「賛成だ」

 

 リョウ達が走って追い付く中、トレバーがちらと後ろを見た。そして言葉を発した。

 

「助かる」

「良いって事よ、でもどうしたんだ?」

「後だ」

 

 トレバーは最小限で返事をした。すると突然立ち止まった。

 

 背中のリュックから何か金属製の物体を次々と取り出した。どれも形が違っていて、一体何なのかは分からないだろう。

 

 だがトレバーは慣れた手つきで物体を動かし早回しの様に組み立てた。何時の間にかトレバーが握っていたのはライフル型の銃だった。

 

「まさか敵襲か?!」

「確信は持てん。研ぎ澄まして気付いた。」

 

 ハンの台詞にきちんと返事はするもののトレバーは前を向いたままだった。横側からは夜の僅かな明かりでも分かる彫りの深い男性だった。

 

 トレバー=マホメット=イマーム、31歳。名前からでも分かる通りイスラム系の混血。リョウよりも少し大柄で身長190センチメートルにまで迫る。

 

 引き金に掛けられた指が動いた。銃口と思われる所からは何も発射するのが「見え」なかった。火薬の音も発光も、空薬莢も反動も無い。

 

 恐らく、いや確実に「普通の人間」からすれば何もしていないと思うだろう。しかし、リョウとハンは銃口から細長い針状の「銃弾」が発射されたのを「感じ」取った。

 

 「銃弾」は斜め上へ飛び、3秒後、

 

 ピカッ、と上空で何かが光った。遠くて見え難いが、リョウ達には発光に照らされて爆発塵が見えた。

 

「ナイス」

「早く知らせるぞ!」

 

 リョウが親指を上げ、ハンが敵襲である事を知らせに行った。トレバーは依然としてその場に立ったままだ。

 

「敵はまだ15キロメートル先だ」

 

 2人にそう言い残すと、引き金を更に引く。それも連続で。その度に空中で爆発が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵士達は思わず驚いた。

 

 何せ発射した砲弾が何の前触れも無く着弾前に爆発したのだから。着弾まで残り10キロメートル地点、残り3分の2もある所で撃ち落された。

 

「砲撃防がれました」

「分かっている。砲戦は無駄だ。直ちに歩兵隊と機甲隊を出撃させろ」

「了解」

 

 アレクソンは部下に命じると指をポキポキ鳴らしながら戦闘指揮車から出た。出る途中で机の上にあったサブマシンガン型の銃を2丁、腰のホルスターに収めるのを忘れなかった。

 

「泥棒共を皆殺しにして来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チャックさん、彼はあとどれ位で目を覚ますんでしょうか」

 

 そう訊いたアンジュリーナの顔は申し訳ななそうな表情だった。訊かれたチャックはそんな事は気にせず自分の口調で話した。

 

「分からん。死ぬ事は無いだろうが、昏睡状態が覚めるのは分からんよ。1日後かも知れんし、1年後かも知れぬ……そう暗い顔になるな」

「はい。でも……」

「それ以上言うな。物事は明るく考えろ」

「先生、こちらを手伝って下さい」

「今行く。アンジュリーナ少し待っとれよ」

 

 遮蔽布の奥から聞こえた声に答えたチャックはマスクを付けゴム手袋をはめて向こう側へ行った。

 

 アンジュリーナが椅子に座る丁度前には彼女が助けた少年が横たわっている。その顔は表情すらなく冷酷さが感じられた。

 

「戦争には勝ちたい。でも誰も傷つけたくない……だから貴方を助けた」

 

 少年に呼びかける様に呟くが、当然彼は全く動じない。それでも喋るのを止めなかった。

 

「もう人が死ぬのは嫌。敵も、味方も、皆打ち解け合えれば良いのに……」

 

 それが不可能な事は彼女自身が分かっている事だ。少年はまるで話を無視する様に眠り続けている。

 

 不意に、ビーッ、と敵襲を伝える警報音が鳴った。(基地内だけ聞こえ、基地外には殆ど聞こえない)

 

 バタバタと多数の足音、ガチャガチャと武器を準備する音、呼び掛けを行う大声。

 

(きっと彼を狙って来たんだわ! 待ってて!)

 

 使命感に動かされ、アンジュリーナは医療テントから勢い良く飛び出した。

 



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3 : Warfare

 リョウが両手に抱えたライトマシンガン型の銃。引き金を引くだけで音も光も無く敵が怯み倒れる。大量の敵兵の死体がリョウの通った跡を示していた。

 

 よく見れば敵兵はリョウが向けた銃口の直線上に当たる所で血を吹き出し肉体が弾け飛ぶ。もっとも、「普通の人間」には気付く筈も無いが。

 

 しかし、リョウには視覚的に「感じ」取っていた。銃口から秒間100発の勢いで「銃弾」が発射され、敵兵達に命中して吹き飛ばすのが「見え」た。

 

 銃弾に当たれば例外なく誰もが被弾したその部位を失い、脳や内臓に命中すれば即死、腕や足等末端部分であっても出血多量やショックで死ぬ。

 

 銃弾が発射される度、つまり0.01秒に1回のペースで、銃の向く方向を生きている敵兵の方向を向く様に細かく変える。敵兵に1発だけ当てれば良いので条件が整ってさえいれば1秒に最大10体の死体を生み出せる。(実戦ではそう楽な条件は揃わないが。)

 

 負けじと敵兵も装備の常備しているアサルトライフルやグレネードで応戦するが、銃弾は当たってもその肉体に弾かれ、擲弾は当たる前に避けられる。それでも恐れず対面しているのだからそこだけは評価できよう。

 

 歩兵を圧倒し、余裕があるリョウは他の事にも気付く。100メートル程前方から殺意を感じ取った。

 

 全高4.5メートル、重量12.5トン、チタン鋼で出来た全身、端的に言えば箱型の操縦席から手足が伸びた形状、(人型だが首が無い)、二足歩行型戦車(足で立つが高機動時には足に取りつけらたタイヤで走行する)だ。二足歩行戦車はリョウに向けて両腕に装備した30ミリマシンガンを向け、引き金が引かれた。

 

 音速の3倍、秒間10発、リョウは驚きもしなかった。それどころか詰まらなさそうな表情でのろのろ飛んで来る銃弾を見る。言うまでも無いが彼にとっての出来事だ。当たれば戦車の外壁に穴を開ける事も出来る銃弾は、リョウが体をスライドさせて簡単に躱された。

 

 接近しながら今度はリョウが銃口を向けた。引き金を引こうとしたが、途中で止めた。

 

 対面していた二足歩行戦車から予兆も無しに火花が散り、その腕と足がだらしなく垂れ下がり、動かなくなったからだ。

 

 正確にはリョウには「予兆」が見えていた。イメージ的には後方から光弾が発射され、それが二足歩行戦車に命中、そして倒れた。

 

「サンキュー、ハン」

「集中しろよ。どうやら俺達を食い止めに来たらしい」

 

 後ろに居たハンへと簡潔に礼を述べたリョウ。対するハンは目の前に立つ2つの人影を指して注意した。

 

 どちらもリョウ達と同じ20代に見える。片方は片手にナイフを、もう片方は両手に槍を、それぞれ持ち構えていた。

 

 一方、リョウは右手に刃渡り75センチメートルの湾曲した片手剣を、ハンは何も持たず素手で構える。

 

 地面の四か所が蹴られ、空中の2か所で衝突が起こった。

 

 リョウの剣が長さ1.8メートルもある槍を受け止め、ハンの掌がナイフを握る腕の軌道を逸らした。

 

 周囲に居た他の敵兵や味方兵は彼らを置いてそれぞれで交戦し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵味方双方の兵士達が一斉に引き金を引く。機関銃や戦車や装甲車、二足歩行戦車も同じだ。

 

 数では明らかに攻めて来た「敵」側の方が勝っていた。それでもアンジュリーナが率いる「味方」側が戦況を有利にしていた。

 

 人数はおよそ敵対味方で300人対200人、それぞれ中隊程度の規模だが人数差は大きい。それに機甲兵器もその分差もある。

 

 それでもアンジュリーナ・フジタという一人の少女の存在が戦況を大きく変えていた。

 

 味方の銃弾や砲弾は敵へ命中し、次々と数を減らす。だがその逆はなかった。

 

 敵の攻撃はこちら側に届かなかった。正確には攻撃が届く前に、銃弾であれば突然止まり、砲弾や爆弾なら飛翔中に爆発する。

 

 敵側からは見えないが、味方側からは見えない壁が爆風を押し止めている光景が見える。

 

 落ち着いて、自分のしたい事を頭ではっきりと念じる。今ならば敵の攻撃を受け止める。そうするとアンジュリーナは自分から「何か」が放たれるのを感じた。まるで自分の中に存在する隠された力が湧き上がる様な、そんな感覚だった。

 

 自分から半球状に発射された「何か」は敵の放った銃弾や砲弾へ衝突し、銃弾の持つ速度をゼロにし、砲弾の信管に刺激を与え、爆風が味方側へ広がるのを防いだ。

 

 攻撃を無力化された敵達はもはや蜂の巣も同然、味方達があっという間に制圧した。

 

「よっしゃあ! 次へ行こう!」

 

 味方兵の一人が気分を高揚させて言った。一種の油断ではあるが、他の皆の士気は上がる。

 

 敵側が全滅なのに対し、味方の負傷・死傷兵は無し。短時間で済ませたので兵士達の疲労も少なく、心配は弾薬残りだけだがそれも今は気にする程でも無い。

 

「皆さん無事ですか?」

「いつも通り、皆大丈夫だ。毎回感謝する」

 

 アンジュリーナが念の為呼びかけたが、無用だった。

 

 喜ぶべき状況の中、それでもアンジュリーナは悲しみを胸に秘めていた。酷い死体姿の敵兵を見ると憂鬱な表情になった。

 

(出来ればこの人達も助けてあげたい……でも今の事を考えても仕方ない。未来へ繋げなきゃ!)

 

 首を横に振ってロングヘアをたなびかせながら、弱気を自分で打ち払ったアンジュリーナは先頭の味方達に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拳を前に突き出す。それだけで敵兵達が簡単に身を破裂させる。

 

 蹴りを前に繰り出す。それだけで敵の戦闘車両が壊れる。

 

 実質それだけやっているアレクソンは退屈に思っていた。この調子では後方の味方兵達に何もさせないで良いだろう。だから自分単独と残り全員と戦力を分けた。

 

 対物ライフル弾を片目に避けながら走って一気に接近し、敵兵の胸に指を突き刺す。当然敵兵は心臓を貫かれて即死だ。

 

 足元に投げられた手榴弾を視界に認めると斜め上に跳び上がり、1回転して着地地点に居る敵兵を降下キックで頭を潰した。脳が弾け飛ぶ様は彼にとって見慣れた光景だから忌む事も無い。

 

 離れた所に居る戦車が砲塔を吹く。ほぼ同時にアレクソンが腰にある銃を一瞬で取り、狙いを定めず直感的に向け、引き金を引く。

 

 砲弾がアレクソンと戦車の中間の距離で爆発した。彼には銃口から「銃弾」が砲弾の中心に命中したのが「見え」ていた。

 

 地面を蹴って加速し始めてから1秒にも満たない時間、それだけで戦車の正面から5メートルまで距離を縮めていた。

 

 車体の下に潜り込み、スライディングしながら後方へ抜け出る。地面を踏ん張り急ブレーキを掛けて止まり、今度は反対側へ走る。

 

 走行の勢いを乗せたパンチが戦車の後方にあるエンジンルームに当たる部分に命中し、戦車は動かなくなった。

 

「仲間の仇だ!」

 

 右方向から彼を怒鳴る声、振り向くと三脚に固定されたガトリング砲を向けた敵兵が憎しみを込めた眼差しで睨んでいた。

 

「死ねえ!」

 

 自棄になった敵兵は引き金を引き、秒間50発という恐るべきペースで銃弾が吐き出される。アレクソンは全く動じなかった。常人なら痛みを感じず命を引き取るという銃弾の逆風に逆らって歩き、ついに目の前までたどり着いた。

 

 ガトリングの方も弾を失って虚しい回転音が聞こえる。アレクソンの姿が目の前にある事に気付いた敵兵は表情を憎しみから恐怖へ一変。

 

 次の瞬間、敵兵の意識は暗闇に包まれた。アレクソン視点だと自分の手刀が敵兵の首を切り飛ばした。

 

 一段落着いた彼はやれやれ、と腕を組み、他の味方達の戦況を知る為に通信機を取り出した。

 

「こちらポール・アレクソン。こちらの損害を教えろ。相手の確定している勢力もだ」

『了解、指揮官殿。「反乱軍」勢力は約5000。こちらの勢力は最初7000だったのが既に6000まで減っております。機甲勢力に関しては……』

 

 会話が途切れた。

 

 通信不良でも電波妨害でも無く、原因は通信機の故障によるものだった。何故分かったかというと、彼が手にしていた通信機が突如にして砕け散ったからだ。

 

 ポール・アレクソンはその直前、身を後ろに引いていた。前方から向けられる殺意に気付いたのだ。自分は攻撃に当たらずに済んだが、結果的に通信機が壊れたという訳だ。

 

「ステルス能力か。俺には及ばないが見事だ」

「身体技能だ。「能力」はまた別だ」

「ほう面白い」

 

 ポールよりも少し背が高い男性。肌の浅黒さや彫りの深さは間違いなく中東系だ。そしてこの男こそがトレバーだった。(当然互いに名前は知らない)

 

 3メートルの距離を取り、トレバーが左半身を前に拳を顎の高さに掲げる。一方でポールは右半身を引いた所は同じだが、右手は顎を左手は腹を守っている。

 

 トレバーが右手を後ろに引きながら距離を詰める。ポールが同時に左足を前に出した。

 

 前蹴りを左手で叩き落としたトレバーは曲げた右腕を勢い良く伸ばした。それをポールが左掌で正面から掴み止める。

 

 ポールは左足を地面に着けるとその足を軸に右足で上段回し蹴りを繰り出した。

 

 トレバーは首を後ろに曲げて簡単に蹴りを避けた。躱されたがポールは空振りから勢いを増加させ、今度は下段へ回し蹴りを放つ。

 

 次なる蹴りを自分の右ローキックで防いだトレバーは、左足をポールの頭に向けて蹴り出す。

 

 自分の頭を狙った蹴りを両手で受け取ったポールはそのまま掴んだ腕を回し、相手を回転させると手を離した。

 

 きりもみ回転したトレバーはまだ落ち着きを保っている。回転を利用して勢いを乗せた回し蹴りを仕掛ける。

 

 投げられた相手から反撃が来ると思っていなかったポールは慌てて体を後ろに引く。トレバーは蹴りを空ぶらせたが身体を異常回転させながらも無事に着地した。

 

「成程、他の奴らとは違って手応えがある。良い勝負が出来そうだ」

 

 ポールは無表情のままだったが口調からは楽しさが聞こえる。

 

「……」

 

 対するトレバーは無表情なのは同じだが言葉が無い。内に潜めた意志が読み取れない。

 

 沈黙。

 

 先にトレバーが動いた。しかしポールは動かなかった。

 

 本能的に危険を察知したトレバーは左へ向くと腕を体の前に構える。銃弾が連続して襲い掛かって来たのが見え、腕を連続して動かし銃弾を防ぐ。

 

「どうやら何か袖の下に隠しているな」

 

 銃弾を撃って来たサブマシンガン型の銃を持った人物が尋ねた。

 

 トレバーは破れた袖を引き裂いて即席ノースリーブを作り、両腕に装着された黒く硬そうな籠手を見せた。

 

「良い武器だな……この男の相手がお前の役目だ」

「了解」

 

 ポールは無表情のままトレバーへ関心を向けていると思われる台詞を吐いた。銃弾を撃って来た人物は顔を覆うステルス素材マスクの上からポールに返事した。

 

(違う)

 

 トレバーは察知していた。

 

 自分の背後から長さ1メートルにもなる刃が首目掛けて飛んで来たのだ。体勢を低くして避け、足元へ蹴りを入れようとする。

 

(届かない)

 

 そう判断したトレバーはスライディングの体勢から前に出した左足を右上に突き上げた。

 

 ガキン、と金属同士が打ち合う音。トレバーの脛に装着された「アーマー」は”2本目”の刃を防いだ。

 

 改めて刃を振って来た人物を見ると、こちらも先程銃をぶっ放して来た人物と同じく顔が仮面に隠されていた。その人物は受け止められた方とは反対側、つまり右手に握った剣を頭から振り下ろす。

 

 左足で受け止めている剣を振り払い、体を捻って起こしながら次なる刃を躱し、相手の顔面にジャブを決めた。それ以上は追撃を行わず間合いを取るトレバー。

 

 気付けばポール・アレクソンの姿は消えていた。代わりに銃を撃って来た人物が両手に剣を握っていた。

 

「指揮班へ報告。そちらに「トランセンド・マン」が1人向かった。「能力値」は少なくとも50を超えるだろう。近接戦闘が得意なタイプだ」

 

 返答が聞こえ始める前より耳に当てた通信ユニットを素早く片付けたトレバー。

 

 こうしてトレバーはたった独りで4本の刃を相手にする事となった。

 



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4 : Ally

 頭に向かって突き出された槍を剣で上に逸らしたリョウは、剣を相手の横っ腹へ叩きつける。だが攻撃は素早く引き戻された槍の柄に受け止められた。

 

 リョウの頭を狙った振り下ろしを槍の中央部で受け止め横に受け流され、胸に向かって繰り出される槍先を横から剣で叩いて軌道を逸らした。

 

 リョウがまたも剣を横に振り、槍に受け止められる。だがそれだけで終わらなかった。

 

 槍に固定された剣を今度は同じ右手で逆手に持って、抑えていた槍から刀身を引いて反対側へ抜け出し、そのまま突きを放つ。

 

 突きは変わらず槍に受け止められるが、今度は右手に握った剣を投げ飛ばすように左手に持ち替えたリョウ。その左手で相手の身体の中心へと剣を突き出す。

 

 斬撃を受け止める為に出した槍の柄をリョウの右手が掴んだ。槍が自由を失っている所へリョウが剣先を胸に向かって突き出す。

 

 槍はリョウの腕と相手の腕が絡め合う様に引っ張り合って互いを譲らない。リョウが出した剣はそれを持つ腕を掴まれ動かなくなった。

 

 対峙した状態から一変、リョウは剣を故意にその場で落とした。

 

 意識を集中し、自分の体表から「エネルギー」が流れ込んでくるのを感じる。思考を込める、自分がこれからする事を。

 

 「エネルギー」は体表から脳へ集められ、”作り変える”。その「エネルギー」は脳から出力器官、この場合は掌へ向けて流れる。

 

 掌に集められた「エネルギー」はそこから一気に発射される。

 

 「エネルギー」は「見え」ない。「聞こえ」ない。「嗅げ」ない。「味わえ」ない。「触れ」られない。

 

 だが「感じる」事は出来る。現にリョウは自分が吸収し変換しこれから発射する「エネルギー」を認識していた。

 

 吸収時間0.5秒、1発のみ、発射する際の「弾速」は秒速3400メートル、物質に命中した時に熱エネルギーへ変換するように変えられた。

 

 至近距離で発射された「エネルギー」は相手の体の中心目掛けて勢い良く発射、するつもりだった。

 

 相手がリョウの行動を察知したのか、掴んだ手首を更に外側へ逸らした。「エネルギー」は何処か離れた所へ飛んで行った。

 

 次の瞬間、リョウの掌の延直線上にあった敵の装甲車が爆発、内部の機関部が壊れたのかそれ以上動かなくなった。

 

「これでどうだ!」

 

 リョウがニヤリと笑いながら勝利に近い声で言った。対峙していた男は突然槍と共にリョウから手を離した。声にびびった訳では無い。

 

 リョウの肘から先を見れば分かる事だが、空気が”揺らいでいた”。熱によって加熱された空気の屈折率が代わり、それが外側へ流れる事によって陽炎の様に見えるのだ。つまり相手はこの灼熱から逃れる為に離れた訳だ。

 

 相手はリョウの足元に置かれた槍と剣を一目見たが、無理と判断してすぐに視線を戻した。

 

 左右の掌が相手に向けられる。掌から大量の「エネルギー」の弾丸が放出される。

 

「逃げんなよっ!」

 

 後方へ下がりながら弾丸を避ける相手、それを許さないリョウは接近しながら弾丸をばら撒く。狙いを決めない、所謂乱射だが、

 

 その差は大きかった。リョウはあっという間に逃げる相手へ追い付き、「エネルギー」の弾丸を数発命中させる。

 

 怯んだのを確認したので至近距離まで近づいたリョウはその顔面に横蹴りをヒットさせる。追撃に首へ手刀を思いっきり当て、腹部へ大量のブローを当てる。

 

 倒れかけた相手の首を右手で乱雑に掴み、「エネルギー」を一気に送り込む。

 

 次の瞬間、相手の首が熱による水蒸気爆発で、電子レンジに入れた卵の様に爆散し、頭が弾け飛んだ。胴体はぐったりと倒れ、二度と動く事は無かった。

 

「あの野郎、意外としぶとかったな。まあせいせいしたぜ」

「そんな呟く暇があったらさっさと次行って働いてくれよ! トレバーのお蔭で不意打ちを防げたのは良いもの戦力差が大きいんだよ!」

 

 ハンがまだナイフを持つ男と格闘を繰り広げていた。リョウは詰まらなさそうにそれを見る。

 

「ハイハイ、行けば良いんだろ? でもお前も気を付けろよ」

「もうすぐ片付く、大丈夫だ。そちらもな」

「ああ。俺は戻ってくるぜ」

 

 リョウは笑顔で親指を立てた。それをハンに見せたまま何処かへと走り去った。方向から見て多分前線だろう。ハンも親指を立て返し、気を取り直して相手に集中する。

 

 まず右手のナイフを持つ腕が突き出される。ハンは右手首を右拳で殴り逸らした。

 

 次にナイフを痛みと同時に捨てた相手から、4連続で拳が飛んで来る。ハンの腕が交互に右、左、右、左、と逸らした。

 

 今度はハンが拳を連続して繰り出す。腕の回転を利用して出しては戻し、相手に攻撃の隙を与えない。

 

 腕を胸の前に掲げて防御する敵だが、ハンの拳がその隙間をすり抜け、顎に一発決めた。

 

 まだ際限なく拳を叩き続け、次は首の側部へ手刀を叩きつけ、ローキックで相手の膝を蹴りバランスを崩す。

 

 倒れそうになっても倒れずしぶとさを見せる敵。それをハンは腕の隙間を掻い潜って威力を犠牲に確実に攻撃を決める。その腕の動きは中国でも広東系の拳法に近いだろう。

 

相手がパンチを放とうとするのに対し、丁度その肩に1発拳を入れ、相手の攻撃は中断された。敵がキックを出そうとすると、その根元の腰に1発横蹴りを決め、相手の攻撃を強制終了させた。

 

 攻撃を受け続けてよろめいた相手は残った力を振り絞ってハンに掴み掛かった。

 

 ハンの左手が相手の右手に捕まれ、ハンの右手が相手の左手を掴んで固定する。

 

 体表から吸収、脳へ送って変換、掌から放出。リョウの時と同じ。

 

 ただし違うものがある。

 

 放出された「エネルギー」はそのまま相手の腕に直撃。相手は突如自分を襲った衝撃に驚いた。

 

 掴んでいた右手はすぐ離したから良いものの、掴まれた左手は全く動かない。痺れるような衝撃は徐々に残った力を奪う。

 

 ハンが表情を一変、力を込めた。

 

 バチッ! と弾ける音、同時に火花。それが暫く続いた。

 

 大量の電流を受けて接触面を焦がされ、電気ショックで静かに命を引き取った。

 

 ちなみにハンはこの「電子操作」を利用し、あらゆる電子機器や複雑なコンピューターに電気信号を送る事で操る事も可能だ。数時間前に見せたとある施設のシステムの一時的ハックも彼がこの能力を活用したものだ。ハンはまさに身近にも戦闘にも利用できる万能な「能力」を持っているのだ。

 

 倒れた死体から掴んだ手を離し、息を整えながらハンは耳に装着した通信機に手をやった。

 

「こちらハンだ。今から防衛に向かう」

 

 何処か慌てている様を見せる早口で言い終えると、すぐさま何処かへ走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左右から攻めて来る人物の連続して繰り出される斬撃を、左右の腕に装着された籠手で防ぐ。

 

 トレバーは合計4本の剣を相手に防戦一方だった。しかし策が無い訳では無かった。

 

 右方の右手に握られた剣を持つ腕を掴み、腕の籠手でもう片方の剣を防いだ。掴んだ剣を利用して左方の敵の両方の剣を防いだ。空いている左拳を左方の胸に決め、後方に吹き飛ばした。

 

 右方が塞がれた左の剣を引き戻し、下からトレバーの腹部へ向かって突き出す。

 

 左籠手で腹目掛けて来る斬撃を防いだトレバー。もう一度引き戻そうとする腕を左手で掴み、自分の両腕を開く事で相手の両腕を無理矢理交差させた。

 

 両腕を止められた状況を打開しようと相手は前蹴りを放つ。しかし蹴りはトレバーが放った踵落としに打ち落とされ、振り下ろす足はそのまま相手の足を踏み付けた。

 

 トレバーが横へ目をやると先程吹き飛ばした相手が剣を振りかざそうとしていた。右の脛当てで振り下ろされる刃を蹴り止め、そのまま右足を横に振って同じ脛当てで横から迫る刃を蹴り払った。

 

 右足を後方へやって地に着けるとその足へ体重を掛ける。掴んで動きを封じた方を後方へ投げ飛ばした。

 

 引き離して連携を封じればトレバーはもはや余裕だった。

 

 トレバーが突き出された刃を正面からその横面を両手で止めた。同時にミドルキックを相手の腰に命中させると、相手が吹き飛ばされるのと同時に相手の手から剣を奪い取った。

 

 別の方が戻って来て、同じく2本の刃を振るう。しかし今度は勝手が違った。

 

 トレバーが持つ1本の刃が器用に攻防を同時に行い、防御に押されてしまう。更にトレバーの刃に気を取られた所為で足元が疎かになっていた。不意に左脛に衝撃を感じるとそのまま左膝を地面に着けてしまった。

 

 別な敵が後ろからトレバーを突き刺そうと突進している。トレバーは跪いた男の肩を両手で押し、1メートルばかり跳び上がる。男の肩を支えに前方へ1回転しながら反対側へ。

 

 着地する直前、トレバーは縦方向の回転を利用して後方の敵の背中にキックを決め飛ばした。突進して来た男が慌てて刃を引っ込めるが、仲間との衝突を防ぐ事は出来なかった。

 

 着地したトレバーは後ろで止まった敵2人の元へ駆け込み、彼から見て手前の方に右手で振り下ろしパンチを発射する。

 

 間一髪で相手が掌で拳を受け取り、もう片方がトレバーへ起き上がりながらミドルキックを放つ。トレバーはそれを左の拳で迎え撃つ。

 

 トレバーが思考を左右の籠手に送った。オン・オフというだけの単純なパターン、そのお蔭で一瞬の内に素早く切り替える事が出来る……今の様に。

 

 右の籠手から長さ20センチメートルの刃が腕に沿って飛び出し、拳骨を掴む掌を貫いた。左の籠手から腕に沿って突き出した同じ長さの刃が迫り来る足を突き刺した。

 

 痛みで手と足をそれぞれ引っ込める敵達。声は出なかったが表情の歪みは隠し切れていなかった。容赦なくトレバーが襲う。

 

 2人の頭を両手でそれぞれぐいと掴み、2つの頭を胸の前でぶつけた。そこへ刃が付いたままの籠手を叩きつける。

 

 グサッ、と子気味良い音と同時に2つの命がこの世を去った。

 

 頭に突き刺さった刃を引き抜き、トレバーは表情一つ変えずに前を向いた。

 

 離れた所についさっき倒した敵達と同じ格好をした者が5人も居た。それぞれ例外なく2本の剣を……

 

(どうやら俺の邪魔をするのが目的らしい……)

 

 突進する10の足音、風を切る10の刃。トレバーは何も動かなかった。

 

 トレバーの姿が揺らいだ、様に見えた。

 

 かと思ったらシュタッ、と地面を軽く蹴り、先頭の2人へ急接近したトレバーはその腹部へ左右の拳をそれぞれに叩きつけた。しかし、籠手には刃が付いていなかった。既に格納されていたのだろうが、何故わざわざ武器を隠したのか。

 

 トレバーは拳が敵の表面に触れると同時に思念を送った。体表から脳そして腕を経由し手に、ゼロ距離で発射された。接触瞬間の僅かな出来事だ。

 

 トレバーに触れた2人の人物は二つの出来事に驚いた。一つ目は目の前の男が一瞬で目と鼻の先に移動していた事。2人はトレバーの速さに付いて来れて無かったのだ。

 

 そしてもう一つ、何の変哲も無い様に思われたボディブローを喰らった瞬間の事だった。パンチ自体の衝撃は当然あったが、攻撃を受ける立場の彼らにとって余計なものがあった。

 

 体が動かない。疲労でも麻痺でも無く、誰かに掴まれて固定された訳でも無い。自分の意志で体が動かせなかった。

 

 ほんの一瞬の事だけの出来事。それでも効果は絶大だった。

 

 動作不能になったのは意識的に動かす筋肉だけでなく、無意識的に脳が操作する器官を含む。バランス器官を一時的に止められただけで2人は成す術も無く地面に寝転がってしまった。

 

 続けてトレバーは残る3人の攻撃を避け、打撃を的確に命中させた。具体的には、1人目の飛び蹴りを体を半歩横に移動して避けそこへラリアットを決める。2人目のストレートを頭だけ傾けて躱しながらカウンターのストレートを顔面にめり込ませる。3人目の回し蹴りを体勢を低くして避けながら腹に回し蹴りをヒットさせる。

 

 例外なくそれぞれ相手に触れた手足に「エネルギー」を送り込み放出していた。その度に地面に人体が倒れる。

 

 起き上がろうとする5人を容赦なく、籠手から生えた刃が5人の左胸を貫通した。

 

 死体に目もくれず、トレバーはその場から姿を消した。戦闘中に感じた疑問を残しながら。

 

(妙だった。全員が”同じ”だった。人物としての違いはある筈だのに「本質」がまるで同じだった。「標準」に比べて劣る様でもあった……)

 

 移動しながらトレバーはこの事を後で報告すると決心した。

 



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5 : Surround

「前に出過ぎるなよ! 危なかったら下がれ!」

 

 仮説基地の防衛線に立つ中隊長らしき人物。彼らの前には即席で作られた土嚢が防弾壁の役割を果たしている。

 

「負傷者を寄こしてくれ」

 

 チャックが運ばれて来た味方の兵士達を眺め見る。誰も致命傷では無かったが傷が痛々しい。頬っておけば出血多量で死ぬ者も居るだろう。

 

「待っておれ。少々痛みはあるが、すぐ治る」

 

 チャックは下腹部に被弾し激痛でうずくまる兵士のその傷に左手を当てながら、右手に持ったピンセットを入れて血の付いた弾丸を取り出した。

 

 すると驚くべきことに、左手が当てられた傷がたちまち塞がった。傷痕は見えるくらいに残っているが、兵士に痛みは残っていなかった。体を動かしても何も支障は無かった。

 

「有難うございます」

 

 兵士が驚いた様に傷痕を見ながら感謝を述べた。

 

「これが仕事だからな。違和感は無いか」

「大丈夫です。動けますよ」

 

 まるで負傷した事が無かったかの様に兵士は武器を取ると防衛線へ復帰し、銃弾を敵に見舞うのだった。

 

 チャックは次々と運ばれる兵士達の傷痕に手を当ててはそれを治し、戦線に復帰させる。撃っても撃っても相手が減らないのは弾薬不足や死者が出ない限りは敵にとってまさに鉄壁。

 

 手を当てる、この行為こそ一番重要だ。仕組みはリョウやハンが手から熱や電気へ変換する「エネルギー」を放ったのと同じ。

 

 この医師の体表から脳へ、脳から腕、掌へ、そして傷口へ。ここでの「エネルギー」は簡単に言うと、当たった部分のタンパク質を作り変え、損傷した組織を修復する。

 

 人工的なタンパク質の合成は複雑で手間が掛かる筈なのだが、それをこの男は意志を込めて手を当てるだけの僅かな事で複雑な工程をいとも容易く行う。

 

 こんな「超越した」能力を持っているからこそ彼が軍医という役割を担っている理由でもある。

 

「トレバーさんから報告がありました。「トランセンド・マン」が一体こちらに向かっています。「能力値」50以上はあるそうです」

 

「何っ? 前線はどうした?」

「前線は拮抗状態が続いていますが、混戦の中を抜けられた様です。この事と関係してるのか、我々と対峙していた敵隊が離脱し始めています」

 

「誰か向かっているか?」

「ハンさんが支援に向かっています」

 

 チャックは頭を捻った。彼の「有機物合成」という「能力」は医療には最適かも知れないが戦闘には不向きだと言える。(爆発物を合成する方法もあるが、その合成に使われるエネルギーで直接攻撃した方が効率は断然良い)それでも彼はテーブルに治療器具とごちゃ混ぜに置いていたアサルトライフル型の銃を抱えた。

 

「仕方ないが、私が行って来る。済まないがお前達は別の隊の支援に入ってくれ」

「了解、任せました!」

 

 返事に頷いたチャック。そして中年に見合わないダッシュで土嚢のバリケードから飛び出し、銃弾の飛び交う戦場の中を駆け巡る。

 

「ハン、挟み撃ちだ」

『分かりましたよ』

 

 チャックは通信機越しに仲間の声を聞きながら、前方百数十メートル先に普通とはかけ離れた存在を発見した。歩兵を触れるだけで殺し、戦車や装甲車を重いパンチで動かなくする存在を。

 

 だが次の瞬間、その姿はチャック達の挟撃を察知した様に彼から見て左方向へ大きく方向転換・加速・移動した。

 

「速い?!」

『しまった……まだ追いますよ』

「勿論だとも」

 

 足を止め急ブレーキしながらチャック達も方向転換する。ハンとの距離も数メートルにまで近づいており、2人は並走し始めた。年齢の若いハンがすぐにチャックを越したが。

 

「お先に行きますよ」

「そうしとくれ、ご覧の通り走るのは慣れてないんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンジュリーナは味方達を守る事に懸命だった。

 

 「障壁」は最前線の兵士から正面10メートルの距離に張り巡らされている。それはアンジュリーナが、体表、脳、掌、対象空間、と「エネルギー」を送っている結果に過ぎない。

 

 敵からの攻撃を受け付けず味方の攻撃は通す。「障壁」によって圧倒的な差が生まれていた。「超越した者」を1人連れた味方側のこの1個中隊はほぼ無傷で敵側の1個中隊を全滅にまで追いやった。

 

「大丈夫ですか?」

「怪我人ゼロ、機体も皆損傷無しですよ」

「良かった……」

 

 仲間達が無事と聞いて胸をなで下ろしたアンジュリーナ。味方の兵士達はやる気に溢れ、疲れを感じさせない。

 

 彼女が一番嫌なのは仲間が傷付き、死ぬ事。それを防ぐためならばアンジュリーナは自分の命に代える覚悟もある。彼女が発生させ味方を覆う「障壁」は彼女の望みを実現されるのに最適だ。

 

 だがこの「障壁」は相手側から来る攻撃を認識する必要があり、認識出来なければそのまま通り過ぎる。また、銃弾なら止めるか逸らすだけで良いし、砲弾や爆弾なら内部の信管に刺激を与える、こうする事で大抵の汎用兵器は防げる。「障壁」はガスや閃光、爆音も防ぐ効果があり、常人とはかけ離れた知覚能力を持つ彼女にとってはこれらを防ぐ事も出来る。認識さえすれば彼女自身のエネルギーを越えない限り何でも防げるのである。

 

 しかし、このエネルギーを越えればどうなるのか。または攻撃を認識出来なかったら。

 

 認識は曖昧だった。完全に不意を突かれ、「障壁」を発動させるのに時間が掛かった。

 

 一方、「それ」は自分の進行方向の反対側に掛かった圧力に対し、正面から対抗し、圧倒的な「力」でねじ伏せ「障壁」を突破した。

 

 次に見たのは味方の歩兵の胸を貫く1本の腕。二度と目を覚ますまい。

 

 腕を辿って見るその顔はアンジュリーナにとって見覚えがあった。

 

 彼女より頭一個分かそれ以上背が高く、戦闘用のプレートアーマーを身に着け、獲物を仕留める猛禽類の様な冷酷な目付き。間違いない、アンジュリーナが数時間前ある施設に潜入した際に遭遇した男性。

 

「逃げて下さいっ‼‼‼‼‼」

 

 少女は大声で叫んだ。彼女にとって最悪の事態が起きない為に。子供らしさが若干残る声に従って大勢が向きを変え、一目散に走り出した。

 

 しかし、音速を超える、常人には目に見えぬスピードで襲い掛かる「超越した」男相手に逃げられる筈も無かった。足音やタイヤやキャタピラ、どれもあの男の前には無意味だった。超速で歩兵や戦闘車両をなぎ倒す様は鷹や鷲が獲物を狩るのとはかけ離れている。街を襲う怪獣と言っても過言では無いだろう。

 

 怪獣に対抗できるのは怪獣しか居まい。アンジュリーナもその「怪獣」という存在である事に変わりは無い。だが、坑道採掘の為に開発されたダイナマイトが人を殺す為に使われたのと同じ様に、この「怪獣」としての力も何か役に立つ。使い方の問題である事は彼女が既に理解している。

 

 男に向けて両手を突き出した。作用するのは男の身体。運動エネルギーを中和し、相対速度をゼロにしようとする。

 

(お願い、止まって!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(何だ?)

 

 ポール・アレクソンは体の違和感に思わず足を止めた。

 

(念動力系の能力か、何処だ?……)

 

 違和感の発信源はすぐに見つかった。10時の方向に見覚えのある黒いロングヘアーの少女が自分に向かって手を伸ばしていた。

 

(あの時の小娘か。あの時爆風を防いだのもこの能力だろう。「アンダーソン」を連れ去ったのも奴の仕業か)

 

 ポールにとってはちょっとした邪魔が入ったに過ぎない。彼は「対象」を自分自身に向けた。体表から取り入れた「エネルギー」を脳で作り変え、体表から放出。

 

 自分を抑制していた念動力が取り払われるとポールは再び動き出そうとする。

 

 自由を取り戻したはいいが、敵の歩兵がこちらに携行ミサイルの弾頭を向けていた。だが慌てない。冷静に相手がその引き金を引くより前に腰のサブマシンガンを抜き、こちらが引き金を引いていた。

 

 果たしてミサイルを撃とうとしていた敵兵は自分が死ぬ事に気付いただろうか。音速の10倍、しかも常人には見えない「銃弾」が発射機の内部のミサイルに命中し、爆発して死んだ、という事を。

 

 爆発は広がって周囲の歩兵にまで及び、吹き飛ばした。

 

 次は重機関銃がポールから4時の方向で弾を吐き出し始める。

 

 振り向いて銃弾を身に受ける。しかし、人体を引き裂き鉄板やコンクリートを容易く貫く筈の銃弾は彼の身に傷一つ付けない。

 

 飛翔物の発生源は装甲車。更にその上部に取り付けられたグレネード連装砲が火を噴いた。

 

 音速を超えるスピードで動けるポールはそれ以下の弾速の擲弾を躱せない筈がなかった。呆気無く装甲車の懐まで接近し、エンジンのある車体後部へと拳を叩き込む。

 

 外観に大きな凹みが出来た装甲車は内部の機関部まで潰され、動作不能。ポールは1メートル程ジャンプした後、装甲車の側面を両足で蹴る。

 

 装甲車が横方向に倒れ、そこに居合わせた歩兵2人が巻き込まれ潰された。方やポールの方は反作用で反対方向へ移動し、次なる獲物を求め濶歩する。

 

(ここまでは簡単な仕事だ。早く全滅させ……)

 

「させない!」

 

 今まで無視していた少女の声がポールの考えに反するように言った。

 

 再び自分を拘束する「力」。動こうとしてもそれに反抗される。

 

 しかし同じ人物が放つのだから同じく打ち破るのは可能な筈だ。だから余裕に思っていただけに不意打ちは効果的だった。

 

「ハイヤッ!」

 

 アジア人のものと思われる掛け声と同時にポールは後頭部に感じた強い衝撃で前方へ飛ばされた。

 

 ダメージはあったが動作に支障はない、地面を転がって受け身を取りながら判断した。起き上がって振り向く。

 

 彼の後頭部に衝撃を与えた張本人と思われる人物が左足を上げて立っていた。やはり声が示す通リアジア風の外見の男だった。

 

「今やっと来たぞお!」

 

 今度は中年男性の、疲れた様にも聞こえる掛け声。その方向から大量の銃弾が……

 

 音速の10倍程度の銃弾ではポールに命中しなかった。それも1秒間に何十発という連射速度でも。

 

 相手が銃弾を発射するのを止めると、その顔を確認。中年の白人で戦いに不慣れという感じがする。

 

「ハン、お前早すぎないか?」

「先生が戦闘に不向きなのは貴方自身で分かっているでしょう」

「だからといってしなくちゃならん事だ。人員が足りないから仕方あるまい」

「まあそうなんですがね……」

「それに戦う医者など評判が悪いに決まってる」

「その話は忘れて下さい」

 

 青年の方は既にマーシャルアーツ風の構えをしていた。中年の方は仕方ない、と手を振ってぎこちなく正面にいるポールに立ち向かった。会話の通りこちらは戦闘に慣れてなさそうだった。

 

「アンジュリーナ、奴の事で何か分ったことは無いか?」

「ええっと……確か私の集中させた中和障壁を破りました。能力なのか、それだけ強力なのかは分りませんけど……」

「十分だよ。なら後者だな。トレバーからは「能力値」が50を超えていると推定していた」

 

 少女の報告に青年が考えを伝えた。残りの中年男性が続けて言う。

 

「若者達よ、前衛は任せたぞ。私は後衛しか出来なくて済まんが、気をつけて掛かれよ」

「分かってます!」

 

 少女が真剣に答え、同じく真剣な顔でポールから目を離さない。4方から囲まれたポールは表情を浮かべなかったが、内心面白がっていた。

 

(3対1か……面白い!)

 

 ポールが殺し損ねた兵士達が退散する中、「超越した者達」は睨み合っていた。



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6 : Birth

 何処かに横たわっている。

 

 眩しい……目が開かない。

 

 騒音……はっきりと聞こえない、意味を持たないノイズの様な音。

 

 何なのか分からないが、匂いがする。不快ではない。

 

 腕に何か触れている。手探りで探し当てようとする。

 

「……ゴホッ!」

 

 息を吸った途端、大きく咳き込んだ。空気は埃っぽくはないが、まるで息をする事に慣れていないかの様だ。

 

 それをきっかけに、全てが明瞭になった。

 

 首を動かして見えたのは簡素な医療室らしき部屋。

 

「負傷者を運んで来たぞ!」

「今そっちへ行く!」

「早くしてくれ、血が止まらないんだ……」

「大丈夫だ、助けてやるからよ!」

 

 医療室は混乱状態だ。次々と負傷者が運ばれ、医療スタッフ達が休む暇なく勤しむ。

 

「ストーン先生はどうしたんです?」

「相手の「トランセンド・マン」と交戦中だと。切羽詰まっているんだとさ」

「それにしても施設は崩壊させたってのに、どうして奴らここまで戦力があるんだ?」

 

 遠くからは微かに大砲の発射音や爆発音が聞こえる。

 

 匂の源は分からないが、匂いからしてどうやら消毒薬によるものらしい。

 

 腕の違和感の原因も判明した。腕の皮膚を針が突き刺し、針は細いチューブに繋がっており、チューブを辿ると点滴パックが見えた。

 

 躊躇なく針を引き抜く。多少痛みはあったがどうでも良い。

 

 後はベッドから起き上がり……

 

「おい、君、待ってくれ!」

 

 自分を呼び止める声だと分かったのはその人物が自分の正面に来たからだ。起きようとする自分を寝かせようとする。

 

「まだ安静にするんだ。昏睡状態だったし、無理に動くと……」

 

 それでも自分は忠告を無視し、立ち上がった。呼び止めた男はそれでも自分を止めようとする。

 

「やめろ」

「でも君……」

 

 制止する手を振り払い、逃げるようにその場を去る自分。だが同時に何かをしなければならない気分だった。

 

 割と近くから銃砲撃が耳に入って来る。何だろう。

 

「あそこだ、止めてくれ!」

 

 先程の看護要因の男性が自分を指さして言った。近くにいた兵士と思われる人物らが自分へ走って来る。あっという間に3人の兵士達が自分の周囲を囲んだ。

 

「おとなしくしてくれ、悪い様にはしない。頼むよ」

 

 前方の兵士が言ったその言葉に偽りは無い。だが自分は拒否していた。

 

 次の瞬間、自分は地面を一蹴りしたかと思うと、3人の包囲から抜け出していた。後方で聞こえた狼狽。

 

 行かなければならない気がする。嫌な予感と言うべきか。

 

 知りたい、何が起きているのか、自分は知らない。

 

「あの少年さては、「トランセンド・マン」か!」

 

 他人の言う事など意識の外。行きたい、その一念のみ。

 

 やがてテントの外へと足を踏み出し……

 

 身震いした。

 

 広い、何があるんだ?

 

 反射的に涙が出てきそうになった。

 

 “それ”が何なのか、自分には分からなかった。

 

 外に出て一歩ずつ歩く度にその感覚がこみ上げてくる。

 

 だが戸惑っている暇は無い。

 

 何かが”見えた”気がした。強い発光だ。

 

 周囲のあらゆる場所に散在し、まるでそれぞれの光が争い対立し合っている様に見えた。光は強弱や色まで、どれも違って”見える”。

 

 その中で一番近い場所で対立している4つの光。3つと1つに分かれているが、数で劣っている筈の1つがその強さで勝っていた。

 

 この光は何なのか。そもそも光なのだろうか。疑問だ。

 

 知りたい。だが進もうとすると体が震える。

 

 進みたいのに止まってしまう。自分の体が自分の意思を拒否している。

 

 進み始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンはポールからの正面蹴りを受けた衝撃で地面に叩き付けられた。

 

 受け身を取って起き上がったハンは視界の右端に銃を乱射するチャックの姿を捉えていた。

 

 アサルトライフル型の銃は1秒で100発の銃弾をばら撒く。しかしポールには命中しない。間もなくチャックは腹に拳を叩き付けられ、後方に吹き飛ばされた。

 

 ポールは続いて丁度チャックの反対側に居たアンジュリーナ目がけて突進する。

 

「2人とも準備してください!」

 

 アンジュリーナが叫んだ。既に起き上がっているハンも、地面を背に付けているチャックも、その言葉に同意した。

 

 アンジュリーナが両手を前に突き出し、ハンが右手を突き出しながら駆け寄り、チャックが銃口を向け引き金を引く。

 

 ポールはまず自分の進行を妨げる不可視の圧力に行動を妨げられた。

 

 抜け出す事は可能だが、今回は時間に余裕が無い。後方から迫る銃弾を捕捉し避けようとしても体が追い付かない。

 

 チャックからの掃射に対し正面から見える体の表面積を最小限にする為、飛び上がり体の向きを地面と平行にした。

 

 それでも避け切れず、腕に衝撃を感じながら痛みに耐える。チャックの銃弾に意識を傾けていた。

 

 気を取られていたので、ポールから見て3時の方向に居るハンが、銃も使わず掌から「弾」を発射した事を察知するのが遅れた。気付いた時には仕方なく腕を振り払って「弾」を防いだ。

 

 ハンの「能力」は「電気操作」。空間から吸収した「エネルギー」を「弾」に変換して掌から射出し、その「弾」は命中した物体に対し電気エネルギーを発生させる。

 

 痺れる感覚と同時にポールの体はただでさえ身動きが不自由な空中で一瞬硬直した。

 

 それを見たアンジュリーナが更に両手に力を込め、表情も幾分真面目に見えた。接近中だったハンは右足で地面を踏み、左足を横に大きく突き出す。チャックはまだ引き金から指を放していない。

 

 固定されたポールへウエイトの乗ったキックが炸裂。銃弾が申し訳程度に命中する。

 

 吹き飛び地面を転がされるポール。3人は表情を緩めない。

 

「……済まんが、やはり私は要るのか?」

「2人だったらこんなに上手くは行きませんよ」

 

 チャックがそう言ったのは接近戦闘が殆ど出来ず射撃にしてもそれ程精度が良いとは言えない、という自虐的なものではあったが、ハンは間接的ではあるがそれを否定した。

 

「でもこれなら勝てるかもしれませんね」

「まだ早い、相手はまだ手の内を隠している。まだ油断しちゃ駄目だ」

「で、ですね……」

 

 安心して言ったアンジュリーナだが、ハンに厳しめに(アンジュリーナ視点)言われて自分のドジな面を思いながら気を引き締めた。

 

 丁度起き上がったポールの方へ振り向く3人。体中砂埃にまみれた姿でもその表情には余裕が読み取れた。冷酷な、相手を昆虫や小動物の様に観察する目。

 

「……」

 

 しかし何時までも何かを仕掛けてくる様子がない。何か考えているのだろうか?

 

「一体どうした?」

「……」

 

 ハンが沈黙を破ったが、返事は無し。不審がって手を出そうとしなかった。アンジュリーナも同様に攻撃する気になれず、チャックに至っては首や関節を曲げてストレッチしていた。

 

「……そこの小娘が我々の研究所からある少年を誘拐した、そうだろう」

 

 ポールの指はアンジュリーナを指していた。当然3人には思い当たりがある。やはりあの少年が目的だったのか、3人は確信した。

 

「ああ知ってるとも。妙な少年だったぞ。成長しているのに老化レベルは胎児と同じ。一体どういう事だ?」

「お前達は知る必要が無い」

 

 チャックが質問に答え、その後の呟きを一蹴された。

 

「奴を引き渡せ。そうすれば我々は引き上げる」

 

 その条件にハンとチャックは迷った。あの少年を引き渡すだけで犠牲は抑えられる。だが、ハンは相手の機密として、チャックは研究対象として、興味があるものをそう簡単に捨てられない。

 

 しかし、条件に乗るか乗るまいかの判断を表明したのはアンジュリーナだった。彼女に迷いは無かった。

 

「彼を渡したりなんかしないわ!」

「……理由を聞こう」

 

 ハンとチャック、そしてポールが一瞬驚いた顔をした。ハンとチャックはどうしようか戸惑ったが、ポールはすぐに表情を戻した。

 

「彼が可哀想だからよ!」

 

 ポールは呆れた顔をしたが、アンジュリーナの話は続く。

 

「あんな昏睡状態にさせるまで大量の麻酔を使って、しかも私が彼に初めて会った時は床にまるで捨てられたように横たわっていたのよ! 一体彼に何をしているの? 私は誰かが苦しむのは見たくない!」

「駄目か……」

 

 今のはアンジュリーナの意見に対する返事ではなく、単なる独り言。交渉が無理なら力ずくで奪うまでだ。

 

 次の瞬間、ポールの姿がアンジュリーナの視界から消えた。チャックも殆ど見えなかった。何とか見えたハンでも反応するのに間に合わなかった。

 

 アンジュリーナは足元に衝撃を感じるとそのまま地面に仰向けに倒された。次に彼女は背中を踏まれ、彼女が自慢の長い髪の毛を引っ張られた。

 

「クソッ!」(何だ今のは?! いくらなんでも早過ぎる!)

「私には何が起きたのかさっぱりだ……」

 

 ハンが何時もと違って荒い口調で叫び、心の中で驚いていた。チャックの方は一瞬で何が起こったのか戸惑いを隠し切れていなかった。

 

「奴は何処だ」

「……」

 

 返事が返って来ないと見るや否や、ポールが左手に握る細長い物体の束をもっと引っ張る。

 

「いやあああああ‼‼‼‼‼」

「俺が右手の指をこの小娘に突き立てているのが見えるな? 誰か言わんと指が小娘の心臓を止める。言え」

 

 ハンが仕方なく言おうと口を開きかけた。しかし、言う事は出来なかった。

 

 ポールの視線は、少なくとも3人の内誰かを向いてはいなかった。その視線は丁度ハンとチャックの間。目の焦点から見ると距離はもっと遠いだろう。

 

 何を見ているのか、疑問を解消すべく後ろへ目をやった2人。

 

 噂をすれば、と言ったところか。今まさに話題にしていた少年だった。

 

 真夜中のキャンプや兵士達の照明や月明りに照らされ、黒い髪と瞳が青く輝いている様に見えた。

 

 ガウンの様な白い病人着、紫外線を浴びた事のない白い肌、足元が覚束ない弱々しい立ち方、何より目は眩しそうに閉じ気味だった。

 

「アンダーソン……」

 

 ポールが呟いた直後、彼はアンジュリーナを無造作に放しハンとチャックの間を通り過ぎていた。

 

 一番早く反応したハンはその後ろを追い掛け、遅れたチャックは銃口を向け、アンジュリーナは倒れたまま両手を前に突き出す。

 

 しかし、3人の行動はどれも間に合わなかった。ポールの手がアンダーソンと呼ばれた少年に下された。

 

 猛獣の様に突き出された指が少年の側頭部へヒット。少年はそのまま成す術もなく脱力したように倒れた。

 

「止めて!」

 

 最初に食って掛かったのはアンジュリーナ。

 

「せめてあと一人誰か来てくれれば……今は食い止めるしかありませんね」

「私が頼りなくて悪かったな。だがやれることはするさ」

 

 ハンとチャックもそれに続く。

 

 地面に倒れた少年はほんの少しだけ瞼を開いていた。何かを求めていた。

 



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7 : Invisible

「ヒャッハー!」

 

 前線の中で1人だけ大声で笑いながら敵兵達を圧倒する存在が1つ。その名をリョウ・エドワーズ。ミドルネームはフロイト。

 

 敵兵をサンドバッグみたいに殴ったり、静止した的みたいに銃弾を次々と浴びせたり、奇声を上げながらストレス発散の如く暴れまわる様は気が狂っていると言われても無理はない。

 

 とはいえリョウは四六時中こうも荒くれている訳ではない。彼は前述の通りストレス発散をしている。

 

「てめえらの所為で折角仕事終わりの酒飲もうと思っても飲めねえじゃんかよ! おまけに超過労働だぜバカヤロー!」

 

 愚痴を吐き叫びながら一番目立つリョウだが、彼は敵軍の撃退に最も貢献していると言っても良い。

 

 最前線で暴れ回る事でまず味方達の負担や損害を減らす。次に大声を上げる事で敵の注意を逸らし、これも味方達の負担減に繋がる。そもそもリョウ自体が「特殊な存在」なのでそれすらも敵を集中させる効果を持つ。そもそも彼の役割が陽動だった。

 

(ハン、お前らの手助けは出来そうにないかも知れないが、頑張ってくれ。俺も頑張るからよ)

 

 彼は見かけでは笑いながらも中身は真面目に考えていた。

 

 前方に居る3体の二足歩行戦車がそれぞれの腕に抱える機関銃をリョウ目がけて掃射。

 

 リョウは音速の3倍を誇る対物ライフル弾を体の動きだけで躱す。それも何十発と、ミスなく。彼にとっては慣れた余裕の動作だった。

 

 一瞬で中間の1体へ自分の銃の照準を定め、引き金を引く。しかし、銃弾は全く異なっていた。

 

 今までは対人用の一秒に100発と連射を重視したものだった(それでも十分に対物用には使えるが)。しかし、人間より大きな機械を相手取る為の銃弾に切り替わっていた。

 

 具体的には、弾速は今までとは変わらず音速の10倍。しかし、連射速度は1秒にたったの2発。その代わり、銃弾一発当たりの威力は比べ物にならない。連射速度が50分の1だから威力は実に50倍にも上る。

 

 こんな銃弾(砲弾と言っても差し支えないだろう)は現在の技術でも火薬と金属弾による仕組みでは生み出せない。

 

 速過ぎて操縦者には何が起きたのか分からなかったに違いない。リョウからは狙いを定めた操縦席に穴が開き、操縦者もろとも二足歩行戦車背部のエンジンや燃料タンクまで貫き、爆発したのを確認した。

 

 同じ銃弾をあと2発、隣の二足歩行戦車にも命中させ、爆発四散。

 

 ため息をつく暇もなく、耳にバババババ、というプロペラの羽音を聞き取る。

 

 振り向くまでもなくその正体は知っている。ティルトローター式(2基の角度可変メインプロペラが機体の左右に付いている)兵装ヘリコプター。どうでもいいがメインローター1基のみの軍用ヘリコプターは50年前にはほぼ廃れている。

 

 ヘリコプターは左右の羽根を飛行機の様に前にして飛んでいる。側面の開閉部に居る兵士、そしてヘリに固定された重機関銃。そのうえヘリ下部に取り付けられた対地ミサイルやロケット弾が火を噴く。

 

 リョウが跳び、先程まで彼が立っていた地面は銃痕や爆発による焦げやクレーターが出来上がった。

 

「通じねえよ! 俺を倒したけりゃ原爆でも用意しな!」

 

 跳び上がった勢いで銃弾が飛び交う中ヘリへ距離を詰め、その機体の外壁に足を着けた。

 

 折り畳んだ足を一気に伸ばし、ヘリが前方へ揺らぐ。リョウは反動で反対側へ。

 

 彼の目の前には1台の戦車。言うまでもなく敵のものだ。

 

 重力加速を上乗せしたスピードで頭より高く上げた右足を着地と同時に振り下ろす。

 

 戦車の豪快な破砕音と同時に、後方で宙から爆発音。

 

 上部を大きく抉られ動作不能の戦車を確認しながら、後方のヘリが爆炎を上げながら墜落したのが見えた。

 

「ナイスだぜ、誰かさん」

 

 今のはロケットランチャーによる爆炎か何かだろうと見当は付いている。どちらにせよ撃墜した事に変わりはない。味方兵が居る方向へ親指を立てて見せたが、誰なのかは分からない。

 

「さあて、もっと来やがれ……」

 

 呟きながら別の敵戦車に向けて走り出そうとした。

 

 しかし、リョウは途中で足を止めた。目標の戦車が突然爆発したのだ。

 

 爆発寸前、リョウは戦車のエンジンを貫く様に穴が開いたのが見えていた。

 

「俺の獲物を横取りすんなよ」

『いいや、俺の獲物だった。空対地攻撃とあらばこの俺にお任せありだ』

「宣伝するくらいならさっさと手伝え」

『今さっき邪魔すんなとか言ってたじゃねえか』

「記憶に無いな」

 

 リョウの発言に合わせて耳の通信機から返事が来る。若く強みのある青年の声だ。

 

 予想外の事が起きてもリョウは手あたり次第という感じで敵戦力を削っていく。時々、敵の機甲車両に大穴が穿たれる。

 

「よく来てくれたな」

『まあな、偶々近くを「飛んで」たもんでね。リョウ、調子はどうだ?』

「最悪だ。くつろぎの時間を邪魔された。レックス、お前の方は?」

『まあまあかな。今そっちへ「降りる」ぜ』

 

 通信が切れて間もなく、上空から大量の銃弾が降り注ぎ始めた。死角からの攻撃に敵兵達は成す術もなく撃たれ死ぬだけだった。

 

 敵が上空に意識を向けるや否や、リョウがそれを許さない。隙を見せた敵兵はたちまちリョウの餌食になった。

 

 数秒後、バコーン! という隕石でも落ちたかの様な音と共にリョウの目の前にあった戦車が押し潰された。

 

 衝撃音がした所を見れば、リョウと同じかそれより年下に見える青年の屈んで着地した姿があった。

 

「待ったか?」

「遅えよ、最初っからお前も来てれば良かったんだよ」

 

 愚痴を吐きながらもリョウの顔は友との再開を喜ぶように笑っていた。2人は一瞬で近づき、ハイタッチをした。

 

 レックス・フィッシュバーン、23歳。身長はリョウより僅かに低く、184センチメートル。ラテン系の黒髪の白人だ。口調はリョウと似て軽いが、見た目はそれとは対照的に整っている。

 

「前線へようこそ」

「前線? そんなもの海辺まで押してやろう」

「よっしゃあ。それじゃあ皆、聞いてるか?」

『どうしました?』

 

 リョウが通信機を付け、味方の兵士の一人から返事が来た。

 

「半分は前線から離脱して他の援護に当たってくれ。まあ俺達2人でも足りん事は無いだろうが、念の為だ」

 

 返事も聞かずリョウ達は通信機を切ると改めて正面を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……頭が痛い。

 

 まだ側頭部に受けた打撃のダメージから回復し切れていないらしい。冷たい砂の上に置かれた自分の体が思う様に動かない。

 

 首を動かして辛うじて見えたのは……

 

 「見え」ない。

 

 何があるのかは見当が付く。先程そこに居た四人がこの場に居る。だが見えないのだ。

 

 動きが速すぎる。存在は分かっても何をしているのかは分からない。

 

 一瞬、ドカッという衝撃音。同時に視界からはっきりしたものが見えた。

 

 吹き飛ばされ、地面に足を着けてブレーキを掛けて停止する真剣な表情の青年。起き上がり、地面を蹴る。青年の姿が見えなくなった。

 

 何が起きている?

 

 どうやったら「分かる」?

 

「喰らえ!」

 

 何も分からない状態の中からはっきりと男性の叫びを聞いた。そしてまた「止まった」。

 

 銃を前に向けるいかにも不味そうな顔をした推定40代の男性。そして、その銃口の延直線上を避ける様な体勢にしながらその男性の胸にブロー気味のパンチを当てるのは先程自分へ打撃を与えた張本人である若い男性。

 

 この男性は表情を変えずに怯んだ次に下段回し蹴りで中年男性のバランスを崩し、アッパーで宙に浮かせた。

 

 身動きが取れない中年男性へと跳び上がりつつ連続蹴りを決める。そして一番高い位置に達した時、若い男性が一回転して勢いを付け、その回転を蹴りに繋げて目の前の相手に叩き付けようとする。

 

「チャックさん!」

 

 今度は少女の心配する声。その方向を振り向くと、月明りに照らされて輝く長い髪が目に入った。

 

 その表情は、他の3人とは明らかに異なっていた。迷っていた。戦場に居るというのに虫すら殺せなさそうな、優しい顔だった。

 

 自分には彼女が嫌々この戦闘に参加している様に思われた。

 

 ところで、少女は中年男性に向かって名前と思われる言葉を発したかと思うと、空中の二人に向かって両手を突き出した。

 

 若い男性が今にも蹴りを放とうとしている時、その男の回転が遅くなった。まるであの少女が何かを手から何かを発して止めた……

 

 何か?

 

 少女の手を見る。「何か」が見えた。

 

 起き上がってテントから出た時、同じものを見た。光っているように見える「何か」。何なのか分からない。

 

 その光の筋を辿って見る。何故か回し蹴りの勢いが落ちた男へ向かっていた。あの光が止めたのだ。そう「感じ」た。

 

 状況はまだ回転速度の落ちた男のキックは中年男性に命中しない。そこへもう一つ人の気配を「感じ」た。

 

 地面から跳び上がり、蹴りを出す最中の男へ向けて蹴り上げが炸裂した。

 

 「見え」ない筈のものが「視え」た。いや、「感じ」取った。

 

 やがて3人はそれぞれ体勢を整えて着地し、少女の方も向けていた手を戻した。

 

「危なかった……済まんな若者達よ」

「ハンさん、誰か動ける人は居ないんですか?」

「まだ皆苦戦中だね。リョウは相変わらず先頭で頑張ってくれているし、トレバーは敵の戦力を割いてくれている。先程レックスが来てくれたのは良いが一番危うい前線の方に行ってる」

「せめてあと1人誰か居てくれれば良いのだがな……」

 

 3人の会話だ。

 

 一方、3人を相手にしている1人の男は、無表情のままそこに立っている。所謂棒立ち状態に見えるが、それは余裕の為だろう。

 

 男が一瞬こちらを向いた……が、すぐに無視する様に視線を逸らした。自分を放っておいても問題無いと判断したのか。今は起きているこちらに手を出すつもりはないらしいが……

 

 すると、この1人と向き合っていた3人の内の少女が相手の一瞬の視線に気付いたらしく、こちらを向いた。

 

 先程の1人の男性とは確実に違う、視線だった。自分を受け入れ差し伸べるような……

 

 変わらず身体は動かない。それでも動きたい。

 

 辛うじて手を前に出す事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンジュリーナは相手の男がチラッと横を向いた気がした。だから若年的な好奇心に釣られて彼女もその方角へ視線を向ける事となった。

 

 さっきの少年が、砂に身を伏せながら朦朧とした定まらない視線で何かを見ている。

 

 何かを求めているのか。動きたいのに動けない。砂まみれの病人着を着た挙句真っ白な肌と霞んだ眼が弱々しさを物語っている。

 

(早く助けてあげたいのに……)

 

 相手の男がそうさせない。それどころかその少年を更に傷付ける。

 

 傷付いているのが老若男女問わずそして敵であったとしてもアンジュリーナの心は動く。

 

 少年が、その重力で今にも垂れ下がりそうな手をこちらに伸ばした。

 

(苦しんでいるの?)

 

 アンジュリーナは完全に気を取られていた。

 

 視野の端に「エネルギー」が、そう感知した瞬間既に手遅れだった。振り向いた時、隣のチャックが殴られる光景が見えた。

 

 チャックを挟んで反対側のハンが咄嗟に反撃を試みる。両腕を手数重視で素早く自在に動かし、あらゆる角度からの攻撃を可能とする。

 

 相手はそれをも上回る速さでハンの攻撃を確実に防ぎ、威力に重点を置いた攻撃でハンの攻撃を巻き込み不発させながらハンの余裕を削る。

 

 ハンも負けじと握った拳を平手に変え、逸らして防御し、相手の腕を自分の腕に絡める。

 

 引き離そうとする相手だが抜けない。その体勢で前蹴りを放つが、ハンの膝に阻まれる。

 

 相手が出した足を素早く畳んだかと思うと踵をハンの膝裏に入れ込み絡ませる。そのまま足を後ろに引き、ハンを引っ掛け倒そうとする。

 

 投げられる途中で体勢を変え、綺麗に着地したハン。絡めたままの両手で体を支え、地面を一蹴りして両足蹴りを繰り出した。

 

「ぬうっ!」

 

 不意に出た相手の男の声は驚きよりも掛け声に近かった。直後、ハンの全力を注いだ蹴りが男の胸にクリーンヒット。

 

 だがどういう訳か、蹴りを真正面から受けた男の上半身が僅かに後ろに逸れるだけ。それ以上は何も起こらなかった。

 

 対するハンの方はというと、まるで堅い壁を蹴った様に反動で大きく後方に飛んだ。当の本人であるハンは勿論、その光景を見ていたアンジュリーナも驚きと疑問を隠し切れなかった。

 

 味方から突き放され、呆然としていたアンジュリーナ。彼女に向かって相手の男が右手を熊手にして勢い良く繰り出す。

 

 少女は突然の早すぎる出来事に何も出来ず、ただその場に身を任せるしかなかった。

 

 しかし、何も起こらなかった。いや、起こさせなかったのだ。

 

 次の瞬間、アンジュリーナの目の前には彼女とほぼ同じ身長の少年が立っていた。そして、その弱々しく細い両手は相手の拳を正面から受け止めていた。

 

「「視え」た」



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8 : Convergence

「何がだ?」

「”それ”がだ」

 

 次の瞬間、ポールは阻まれた右手を十数センチメートルばかり引き戻すと再び同じ所へ打ち付ける。少年の方は同じく攻撃を掌で受け止めようとする。

 

 接触。少年はしっかり受け止めたにも関わらず、後方へ大きく吹き飛んだ。その様子は大質量のトラックに跳ね飛ばされる人間か。

 

 予期出来なかった少年はそのまま背中から地面に不時着。取り残されたアンジュリーナ。

 

 ポールは1メートルの距離に居るアンジュリーナを見詰め、動かない。

 

「何故俺に向かって来ない?」

「……」

 

 アンジュリーナは言えなかった。例え敵でも命を奪う事は彼女の望む事ではない。だからこそ戦闘においては味方の防御を行う役割しか担えない。

 

「ならば……ぬおっ?!」

 

 手を下そうとしたポールは結局行動を想定通りに終わらせる事が出来なかった。彼は突然上体を後ろへ反らした。

 

 その体を掠める軌道で銃弾が通り過ぎた。その様子はアンジュリーナにも見えた。

 

(……あの男、まさか全員片付けたとでもいうのか?)

 

 ポールの視線の先には、ライフルを構えたトレバーがスコープでこちらの様子を窺いながら銃口を向けていた。

 

「……味方の残存状態を教えろ」

『現在こちらの戦力は半減しています。ですが相手の損害は3分の1にも満たないでしょう』

「お前達は先に撤退しろ。私は後で行く」

『了解』

 

 通信が切れため息をつくポール。それは諦め、ではなく面倒さだった。

 

 周囲にちらちら見える敵兵達は皆撤退を始めたらしく慌ただしく後退している。

 

「良くも「奴ら」を全員片付けたものだ。その点は称賛しよう」

「大した戦力ではない、俺の足止めが目的だったのだろう。やはりあの少年が目的か」

 

 ポールの心が籠っておらず抑揚のない褒めの言葉に、トレバーが見通すように言った。二人はまだ地面に背を着けている少年を見た。

 

「なら破壊するまでだ!」

「むっ?!」

 

 ポールが地面を蹴り体を後方に移動させながら右手を体の後ろへ折り曲げ、トレバーがそれを追おうとする。ポールがアンジュリーナを通り越し、トレバーは未だにポールが今さっき立っていた所にさえ届いていない。

 

 アンジュリーナがワンテンポ遅れて追跡すべく振り返り、懇願する様に手を伸ばす。だがその速度はポールに到底追い付かない。

 

 ハンが側面から阻止しようと動いていたが、それでもスピードに違いがあり過ぎた。

 

(止まって!)

 

 その少女の願いに応えたかのように、

 

「止まれえいー!」

 

 ハンの反対側から大量の銃弾。

 

 ポールはそんな事態を予想しておらず、咄嗟に腕で頭部を守り立ち止まるしか方法はなかった。

 

 立ち止まったポールを直ちにアンジュリーナ、ハン、トレバーが囲んだ。

 

「やっとまともな出番が来たらしい。しかしやっと命中とは……」

 

 と呟くのは離れた位置に居たチャック。言うまでもなくさっきの銃弾は彼が放ったものだ。それにアンジュリーナだけが会釈程度に礼をした。

 

「どうする? お前は勝てん、そうだろう」

「確かに、味方は殆ど撤退したし、お前達四人相手では歯が立たないだろう。」

 

 トレバーが尋ねたのに対し、ポールはその内容をあっさり認めた。だがポールはまだ何か言いたげな顔をしていた。

 

「だが、お前達など目的の範疇ではない」

 

 次の瞬間、4人の視界に映る敵の姿が揺らいで見えた。そして目の前から消えた。

 

(速過ぎる?!)

 

 慌てて少年の方を向く。1番目に反応したトレバーと2番目に反応したハンが追いかける。3番目に反応したアンジュリーナが手を向け、4番目に反応したチャックが銃を向け引き金を引く。

 

 ポールがまだ倒れている少年に向かって拳をナックル気味に振り下ろす。

 

 ガコッ! 効果音にすればそんな何か物が潰れた音だ。

 

 起きかけていた少年が一瞬にして地面に伏した。ポールが少年へ突き出した拳を引き、通り過ぎ去る。

 

 アンジュリーナが出した手が脱力し垂れ下がった。トレバーとハンが少年に駆け寄る。チャックが銃を下ろしその場に座り込んだ。

 

「……頭蓋骨の右半分にヒビが入っている。脳のダメージも大きいだろうな」

 

 トレバーが見透かしたように言った。触れても調べた動作もなしに、だが他の3人は本当であると知っている。

 

 少女は目を涙で滲ませながら少年の元に来るとその場で座り込んだ。長い髪が少年の顔に掛かりそうだ。

 

「お願い、生きていて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポールが爆破された研究施設の非常事態用仮設テントに戻ると、中佐が椅子に座って待っていた。

 

「兵士達は撤退させたそうだな」

「戦力は思った以上でした。こちらがこれ以上用意するのは難しいでしょう。ですが「アンダーソン」に関しては捕獲こそ出来ませんでしたが、脳に損傷を与える事は出来ました」

「まあそう立ってないで座れ」

 

 中佐は興味なさそうに言うと、手で自分の正面にある椅子を勧めポールはそれに従う事にした。話は再開する。

 

「……では「アンダーソン」は始末したのか?」

「いえ、覚醒状態と思われる兆候にありましたので、確実に仕留めたかどうかは分かりません」

「そうか……ならば次の機会を狙おう」

「と仰いますと?」

「次の制圧作戦だ。奴らもそう遠くまでは行かないだろう。行先など見当が付く奴らが仮拠点としていた地点から半径200キロメートル圏内を中心に調べろ」

「了解。分かれば掃討作戦という事ですね」

「そういう事だ。「アンダーソン」の確認はついでとして行えば良いだろう。今回は相手を把握出来ていなかったとはいえ必要程度の戦力だったが、次ならばもっと用意出来る。それでだ……」

 

 2人の会話はまだ続く。2人は椅子から体を前に傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、生存者は確認完了したらしいぜ」

「では引き上げる準備をしよう。ベースキャンプを片付けるぞ」

 

 リョウの発言に対してハンが味方の兵士達に指示を与えた。闇夜を照らすライトを頼りに、慌ただしく動き始める者、マイペースに動き回る者、それぞれが行動を開始する。

 

「しかし、来てくれて助かったよレックス」

「いえいえ、俺だけしか近くに居なかったものですから」

「謙遜しなくて良いよ。君のお陰で敵が撤退を早めたし」

 

 ハンの褒めにレックスが頭に手をやりながらリョウの時とは打って変わって礼儀正しく答えた。

 

「そういえばアンジュちゃんは?」

 

 リョウが訊く。

 

「終わってからずっと自分の任された部隊の死んだ仲間達を弔っているよ。今は例の少年の所に居る筈だ」

「一応聞いたが、敵の目的はそいつだったんだろ?」

「らしいね。あの少年は今脳に衝撃を受けて意識不明だ。だが、もし彼が「トランセンド・マン」ならば、また起きる筈だ」

「そん時に詳しい事を訊こうってか」

 

 まあね、と答えたハンは兵士達に混じって片付けを始めた。リョウは嫌そうな顔で参加せず逃げたが。一方でレックスは去るリョウを見ながら、仕方ないな、という顔をしてハンに加わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「言っておくがここは教会ではないぞ。私は医者であって死者を蘇生する神官ではないのだぞ」

「違う。今詳しい分析が出来るのは貴方しか居ない」

 

 チャックがトレバーに向かって冗談を交えて言うと、トレバーの方は真面目な顔を変えず応じる。

 

「分析かね、分かった。しかし、こんな気味の悪いのをよく持って来たな。最近の若者はどんどん過激になるのか?」

 

 チャックが吐き気を示す様に口に手を当てたのも当然だろう。何故なら、トレバーは先程この医療テントに平然と生々しい傷跡の付いた死体を抱えて入って来た。しかも、死体は頭と胴体が離れ離れになっている特典付きだ。腕や足程度の肉体欠損は流石に軍医であるチャックは平気だが、こう慣れていない惨い死体を見れば誰だって気持ち悪く思う。

 

「「トランセンド・マン」にしては標準よりも劣るし実戦向きとは思えない奴らだった。俺はこいつらに足止めを喰らった。一人一人の実力は大したことが無いが、集団で対「トランセンド・マン」に関してはかなりのものだった。これと同じ奴があと15体も居たが、それらの死体は全部焼失した」

 

 長い話にチャックは平手を前に出して中断させた。

 

「要するにこいつを調べてくれって事だろうが、待ってくれ。「焼失」だって?」

「死んでから死体が突然発火して止める間もなく全部燃えた。だが、この死体だけは脳と身体が繋がっていない。脳からの命令によって発火が起こったのかも知れない」

「成程……」

「それと他の同じ奴らを「視た」のだが、奴らは「同じ」だった。身体的特徴に多少の違いはあっても精神の区別が付かなかった」

 

 体から切り離された頭を見ながらチャックは吐き気を我慢しながら考えた。

 

「……こんな話は聞いた事もない。トレバー、こりゃお手柄かも知れんぞ。あの「管理軍」の施設は特に「トランセンド・マン」に関する研究を行っているとは噂に聞いた。その一部の可能性が高いだろう」

「それはあの少年もそうだろう」

「だな」

 

 ベッドに横たわる少年を目線で示して言ったトレバー。少年は幾らか顔色が良くなった気もするが、顔が動いていない。呼吸も実質的にゼロだ。

 

「しかし、アンジュリーナのやらも看護熱心だな。ナース服を着せてやったらまさしく天使だろうな」

 

 トレバーはチャックのジョークを無視し、少年とそれに付き添う少女の姿を暫く眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンジュリーナはまだ少年の傍に寄り添っている。

 

「ごめんね、私のせいでこんな目に合わせてしまって……」

 

 その罪悪感は少年の容体が良くなっても悪化しても消えないだろう。彼が目覚めたら彼はどう思うだろうか……

 

 頭蓋骨骨折はチャック医師の「物質合成」によって新しい骨を生み出し動いても支障がないまでに治っている。だが無傷の身体であっても脳のは必ずしも治る保証がない。脳細胞は本来増殖機能が無いからだ。作り変えるなどしたらとんでもない事になる。

 

 少年の顔は動いていない筈だが、彼女には彼が怒っている様に思えた。

 

 あの時、彼を助けるべきだったのか。自分の信条に反した事までも考えてしまっていた。

 

「でも今は、治って欲しい。私の事をどう思っているかなんていい。貴方が無事なら……」

 

 俯きながら彼女は左手に違和感を覚えた。長い髪で視界が邪魔され見えなかったのをどける。

 

 アンジュリーナがベッドの端に置いていた手に、誰かの手が置かれていた。

 

 手は他でもない、少年の肩から伸びていた。そして、半分だけ開いた目が太陽でも見るかのようにこちらを覗いていた。

 



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Category 1 : Recognition
1 : Infant


 眩しい。目が開かない。何故眩しいんだ。

 

 何も見えない。手探りで辺りを調べる。

 

 すぐに何か柔らかい触感がした。それが人の手である事は見なくても分かった。

 

 こちらに合わせて向こうが手を握り返した。

 

 誰なんだ? 顔が見たい。だが見えない。

 

「どうして眩しいんだ?」

 

 握られた手から困惑が読み取れた。

 

「えっと、眩しいの?」

 

 答えた声はまだ20代以下であろう少女のものだ。きっと彼女にとっては普通の明るさなのだろう。

 

「そうだ」

 

 そう答える。眩しくて良く見えなくても相手の動きは大体分かる。何かを探して見まわしている様だ。

 

「これでどう?」

 

 少女が自分の顔に何かを覆い被せた。それがタオルである事は見るまでもない。これで目への刺激は丁度良くなった。

 

「何故手を握っている」

 

 そうだ、何故放さない? それに、あまり良い気分ではない。

 

「えっ? あっ、ごめんなさい……」

 

 別に悪く言っているつもりでは無いのだが、何故か彼女は戸惑いながら謝った。手は直ちに解放された。

 

 まだ知りたい事は沢山ある。

 

「ここは何処だ?」

「医療テントよ。まだじっとしてて、貴方頭を強く打たれたのよ」

 

 医療テント、一度起きた時と同じ所か。頭を強く殴られたのは覚えている。あの時は速過ぎて何が起こっているか良く分からなかった。

 

 いや、そう訊いたつもりじゃない。

 

「外は乾燥した砂地みたいだった。何処に位置している?」

「い、位置?」

 

 困った様に言った少女から答えは返って来なかった。代わりに大人の男性の声が答えたのだ。

 

「カルフォルニアの砂漠地帯だ。」

 

 砂漠、何故そんな所に?

 

「説明してやりたいのは山々なんだが、話すべき事は山ほどあるし、その前に色々やらなければならない事もある。少年、お前もまだ起きたばかりで体が辛いだろう。だから今は休めよ。医者としての命令だぞ」

「……分かった」

 

 滲んだ涙はまだ引かなかった。

 

「貴方は誰?」

 

 今度は先程の少女の声。自分への問いだという事は明らかだ。

 

「私はアンジュリーナ・フジタ。アンジュとも呼ばれているわ。」

 

 誰か……名前……確か……頭が痛い。

 

 いや、思い出した。というより何かが教えてくれた気がした。

 

「……アダム……それが名前だ……多分……」

 

 確信のない声だが、相手からは不信感を読み取れなかった。

 

「アダム、良い名前ね。」

 

 そうなのか? いや待て、名前はこの際分かったとしよう。だが、それ以外は……

 

「何も分からない……」

 

 こうして少なくとも対話する為の知識はある。しかし自分に関する事が分からない。自分の手が安心を求めて無意識に意味のない動きをする。

 

「何も覚えていないの?」

「……自分は誰なんだ?」

 

 息が苦しい。耳にも入っていなかったノイズが煩い。眩しさが欲しい。教えてくれ。

 

 その時、何かが触れた。忙しく動く右手を抑えた。

 

 息が戻った。静かになった。光を浴びてもいないのに明るかった。

 

「大丈夫、落ち着いて」

 

 何の説得力も無かった。だが自分でも心拍が下がったのが分かった。何故なんだ?

 

「貴方を助けてあげるわ。今はまだ思い出せないかもしれないけど、少しずつで良いわ」

 

 左手でタオルを取った。

 

 見えた。眩しい……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンジュリーナは目を閉じた少年に多少崩れた毛布を掛けなおしてやった。

 

「寝たみたいです」

「そのようだな。やはり私の考えは間違ってはいない様だ」

「考え、ですか?」

 

 少女に訊かれたチャックは得意げに語り始めた。

 

「前に言ったろうが、この少年は所謂出産間もない赤ん坊と同じだって事だ。さっきの行動を見るだけでも分かる。外界と繋がる為の知識はあっても、実際に今まで外界なんかと関わりを持たなかったに違いない」

 

 チャックの得意な口調は次第に真面目さに変容していた。

 

「あの子は記憶が無いって言ってました。きっとその事も関係するんでしょうか?」

「記憶喪失だってのは私も聞いた。しかし人格的なものは記憶を失っても残るのだよ。記憶は電気信号だが、人格というのは大きくは成長過程の環境に左右される。要するに記憶と人格は別物なのだ。つまりあの少年は記憶が無いどころか人格を形成する機会が一切無かったという訳だが……」

 

 話を一旦止めたチャック。自分が言いたい事ばかり言っているのでアンジュリーナがついて行けているのか確かめる為だ。それを察知したアンジュリーナは、大丈夫、と頷く。チャックが頷き返して再び口を開いた。

 

「で、あの少年についてだが、先程彼の遺伝配列を調べた結果が出た。戦闘中でも電源が切れなくて良かったよ」

 

 発言後、チャックは少年の横たわるベッドの隣にある椅子に座った。表示された机の上にあるコンピューターのLED画面を指さして言う。アンジュリーナがチャックの傍に立って見る。

 

「遺伝子配列の結果で分かったのが、彼が「トランセンド・マン」であるという事だ」

「やっぱりそうだったんですか?」

「そうじゃなきゃ説明出来ん事もあるだろう。しかし、興味深い所もあった。これを見てくれ」

 

 視線ポインタによって画面に表示された二重螺旋の構造物が動く。チャックが指を指したところで動きは止まった。

 

「この部分だ。分かるか?」

「ええっとー……」

 

 少女の困惑した反応も無理はない。素人にいきなり専門知識を教えたってどうせ覚えない。

 

「済まん、説明する。生物のDNAが4種類の塩基対からなるのは知っているだろう」

「はい、アデニン、グアニン、シトシン、チミンでしたっけ……それで、これのどこが興味深いんですか?」

 

 アンジュリーナは画面を見てもさっぱり分からなかった。そこでチャックが指を目を素早く動かして何回かクリック音が鳴った。

 

 新たに表示された6種類の画像。物質の構造を示す立体CGだ。

 

「この右4つは生物なら皆持っている塩基対だが、問題はこの左2つだ……」

 

 チャックは何故か間を置いた。気分が高ぶっているというかこれから言う事に緊張している感じだった。

 

「未知の構造物だよ。残念ながらDNAの塩基対は性質が決まっているのを利用して検査するから、条件に当てはまらないこれらがどんな構造かは分からないがね」

「……それじゃあ、彼はそのDNAの所為で何か異常でもあるんでしょうか……」

「可能性は否定出来ないね。まあここにある装置では分からんよ。帰ったら詳しく調べられる」

「そうですね……あっ、皆さんもう撤収準備しているみたいですよ」

「おおそうか。話に夢中になっていたな」

 

 話は一旦終わり、椅子から立ち上がるチャック。アンジュリーナは既に手伝いに入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テント片付け終わりました。他ももうすぐ終わります」

「そのようだな。皆、ご苦労。早く帰ってゆっくり休もう」

 

 ハンが気を緩めて兵士達に向かって言う。兵士達は「終わった」だの「疲れた」だの言いながらそれぞれの車両に乗り込む。

 

「しかしレックス、君も良くやってくれた」

「いえいえ、なんのこれしき。スピード出動なら俺にお任せありです。そういやリョウはどうしたんです?」

 

 手を横に振ったレックス。ついでにという感じでハンに訊いた。

 

「さあね、まだストレス発散足りてないだろうし……まあ先に帰ってるんじゃない?」

「あいつらしいや。さて、俺達も帰りましょうや」

「そうだな」

 

 後ろを見ればもうすぐ顔を出す朝日に照らされて、もうすぐ片づけが終わりそうな兵士達の姿が見えた。

 

「ハン、言っておきたい事がある」

 

 第三の声、レックスやハンよりも年配で落ち着きがある。そして明確な意思がある。不思議と抑揚は無かった。

 

「勿論だ。君が自分から言ってくれるのは正しい事だと信じている」

 

 トレバーの表情は固く簡単に変わりそうになかった。その雰囲気に影響されて2人まで難しい顔になる。

 

「ハン、考えてみろ。敵基地を奇襲し大打撃を与える筈だった。だがこちらが襲撃された時、相手は少なくともこちらの戦力を上回っている程残っていた。どういう事か分かるか?」

「……まだ何か隠されているとでも言うのかい? それじゃあこの作戦は……」

「責めるつもりは無いのだが、まだ秘密が多く残っている筈だ。あの少年や俺が持ってきた死体だってそうだろう」

 

 トレバーの無機質な断言はただ現実を伝えるだけ。ハンは頭を押さえていた。

 

「これは失敗だな……2か月も前から練ったというのに、入念に調べたつもりだったのに……犠牲者をこんなに出す上にまだ判明していないことがこれだけ出るとは……」

「自分を責めないで下さいや、ハン師団長」

 

 独り言で押し潰されるハンを見かねて、慰めようとレックスが声を掛ける。

 

「それにこれから気を緩めてもなるまい。帰還しても奴らはあの少年を狙いに来る筈だ」

「……ああ、まだ分からない事が沢山だ……もっと念入りに調べないと……」

 

 ハンが独り言の様に言う。上司の迷った様を見かねたレックスが声を掛けた。

 

「いや、もう念入りに調べたんでしょう。敵の機密管理は少なくとも俺達を内部の深い所に入れさせないだけの防諜技術があるって事でしょうよ。でもハンさんならきっと火の壁だって破れる事も出来ますよ」

「……いや、外部から侵入して調べた時にシステムの全容は既に分かってはいるんだ」

「と言うと?」

「恐らく向こうでは外部との関係を持たない独立したシステム回線を持っているに違いない。それも自分が調べたよりも大規模にね。外部からの侵入が出来ない以上どうやって調べるか……」

 

 具体的に言ったハンの顔は悩みが幾分消えている様に見えた。

 

「それって無理じゃないっすか?」

「違うんだ。カイルやドニーの力を借りたいと思っている」

「ああー、カイルなら障害物お構いなしだし……でもドニーさんのはどうなんでしょう?」

「彼は言っていたよ。必要な時が来れば分かる、って」

「あの人らしい言い方ですね」

 

 レックスが笑いながら答え、ハンの表情は更に和らいだ。ちなみにトレバーは話に加わる意思を表明する代わりに、腕を組んで少し離れた車両にもたれ掛かっていた。

 

「さて、帰ろう。リョウも言っていたな。明日の事は明日考えれば良い、って。まああいつが単に面倒臭がりってだけだが」

「もうお腹ペコペコです。朝食は焼き立てのタコスでも食いに行きましょうよ」

「賛成。ポークのタコスなんてどうだい? 激辛にして、あとフレンチのコーヒーも一緒にね」

「韓国人の嗜好は分かりませんわ。第一朝だってのに濃すぎません?」

「それが丁度良いんだ。高級な日本牛よりも安上がりなアメリカンポークの方が僕にとってはご馳走だ。脂身がたまらないのさ。食にこそ刺激が必要だ」

 

 二人は笑いながらジープの運転席と助手席に座り、ジープは発進し既に走行中の車両の群れに加わった。

 



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2 : Calm

「チキンタコス3つだ。1つは唐辛子3倍にしてくれ」

「あいよ。仕事は大変だったかねリョウ」

「おう、お陰さまで。別に元気だ。そっちこそどうなん? あっあとコーヒーも3杯、こっちも1つは濃く淹れてくれ」

「オッケイ。最近かね、変わらんよ。でもそう安心出来ない世の中だからなあ……」

「働いた後で嫌なフラグ言うなよ」

「すまんすまん」

 

 リョウが通りに面したカウンター席から頬杖をつきながら後ろを見渡した。

 

 朝日に照らされたロサンゼルス郊外。通りには飲食店が並び、賑わいを見せている。

 

 太陽はロッキー山脈から八割方顔を出した所だ。リョウからはテーブルを正面にすると右側にある。

 

 遠くを見れば都市の中心部にあるビルが見える。せいぜい60メートル程度だろうが。

 

 第三次世界大戦によって世界の重要都市の殆どは破壊され、戦争が終わって西暦が廃止され、それから17年後の「地球暦」0017年現在となる。アメリカ合衆国は戦争が始まった西暦2070年から真っ先にあらゆる国家の敵となり、崩壊を余儀なくされた。経済的理由、宗教的理由、何であれアメリカ合衆国は主に発展途上国、中南米国家、イスラム教国家、多数から爆弾やミサイルを浴びせられた。

 

 メキシコ国境に近かったカルフォルニアは真っ先に攻撃を受け崩壊した。しかし、アメリカ合衆国に敵意が向けられなくなる程衰退すると、州規模の経済圏の上で大戦終結前から再建が進んだ。あの中途半端な高層ビルも一応復興が進んだ証なのだ。

 

「浮かない顔してどうした?」

「取っておいてくれたみたいで助かるよリョウ」

 

 ぼんやりと見渡していたリョウに声が2つ掛けられ、目の前のメキシコ料理店に引き戻された。

 

「よう、チキンタコスとコーヒーにしといたぜ。ハン、お前の分は両方とも濃くしてもらった」

「どうも。僕はポークが良かったんだけどね」

「てかリョウ、途中で抜け出しやがって大変だったんだぞ」

 

 声の主達である、ハンがお礼と独り言を述べ、レックスが軽く顔をしかめた。リョウはそれぞれの反応を見せる2人にタコスとコーヒーを手渡した。

 

「どいつもこいつも働け働け言うくせに何もくれねえんだよ。産業革命からブラック企業って何で無くならねえんだよ」

「さあ。言っておくが「僕ら」は法に従った企業なんかではない、法から外れた「組織」だ。その事は分かっているだろう」

「おう……何でアジア人はこんな説教が好きなんだ?」

 

 リョウは話を聞く気が無い様に返事し、愚痴を冗談を利かせて呟いた。

 

「ほれ、出来たぞ」

「サンキューおじさん。ここのタコスは良いっすね、特にこのサルサに入ってるアボカドが良いんですよ。あと焼き方も最高」

「分かっているなレックス」

「でもこれ、何か辛過ぎだと思いますが……」

「そこは好みだ。生まれつきでね」

「そうか? あんまり物足りないぞ。いつもよりマイルドじゃないですか?」

 

 レックスの意見といがみ合ったのはハン。2人は頭をひねって自分のをもう一度一齧りする。

 

「……やっぱ辛い。てか痛いし涙出て来た」

「……やっぱ辛くない。店長、唐辛子をもっとくれ」

 

 レックスは口直しに、ハンは唐辛子が来る僅かな合間に、それぞれのコーヒーを一口含んだ。リョウがニヤリと笑った。

 

「苦っ!」

「薄っ!」

「ハハハハハ!」

 

 予想を超える苦味で口の中の液体を吐き出したのはレックス。期待していたより薄くて驚いて思わず一気に飲み込みむせたのがハン。そして、それらを予め起こるのが分かっていた様に笑い出すリョウ。店長はリョウを呆れ顔で見ながらため息をついた。

 

「またお前か……」

「へへっ、まさかそのまま食うとは思わなかったぜ」

「てめえ、後でなんか奢れよー」

「分かった分かった。昼飯は俺の代だ」

「全く、昔から変わらんなお前は」

「まあ、お前らはもっと楽しめよ。そうじゃなきゃ生きてられるか」

「お前は何時も能天気で良いよな……」

 

 リョウは三人から呆れの視線を送られても笑顔を崩さなかった。3人も過ぎた事だ、とリョウに加わって笑った。

 

「ところで、他の皆は元気か? あのアンジュとかいう可愛い女の子が居たろう」

「アンジュリーナは良くやってますよ。ただ今は元気無さそうですが……」

 

 ハンの沈みがちな返答に店主も声を落とした。

 

「……なら今度会った時伝えてやってくれ、今度来たらタコスでもトトポスでもブリトーでも何か一つタダで食わせてやる、と」

「良いなあー。じゃあ俺も超過労働だから何かくれ」

「お前は敬語というのを知らんのか? それにさっきは元気と言ってなかったか?」

「さあ、健忘症でね……ハア、分かったよ」

 

 店主のしかめ面を見たリョウは諦めた。店長は笑いながら鼻をフンとならし、店の厨房奥に調理する為か姿を隠した。

 

 少しの間、リョウはタコスを完食し、ハンとレックスは持っているのを交換して食べている途中だ。ハンは何故か首を曲げて骨を鳴らしていたが。

 

「で、ハン、何か言いたい事でもあるのか?」

「良く分かったね」

「これでも7年の付き合いだろ?」

 

 リョウからの提言でハンが意外感を覚えた。レックスも「良く分かるな」と表情に出していた。レックスは3人の中で一番年下であり、2人との関係もそう長くはなかった。

 

「……例の少年がまた起きたそうだ」

「本当か?」

「言葉は話せる。歩きも可能だ。チャック先生によればやはり「トランセンド・マン」だそうだ。今は先生とアンジュリーナが付き添っているってさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

 チャックはベッドから起き上がり、スリッパを履かずに裸足で床に立った少年に言った。

 

「問題無い」

 

 短く告げた少年。その反応は前に起きた時とはかけ離れていた。

 

 静か過ぎる。それが率直なチャックの感想だった。

 

(どういう事だ?)

 

 チャック自身は起き上がる前の彼の様子を「赤子」と評していた。しかし今は違う。

 

 アダムと名乗ったその少年の、何かを見透かす様な視線は医者も不振がる。まるでチャックの姿が目に入っていないかのように。

 

「……何を見てるんだ?」

「……全てを見たい。知りたい」

 

 アンジュリーナとの接触を見た時、この少年は確かに未知の状況に置かれた子供の様な反応を見せた。

 

 だが今は穏やか。老人の様に強い感情が見えない。いや、起きてからの無表情から何も変わらない様子を見れば彼に感情があるのかすら疑わしい。

 

(これじゃあ別人だぞ……一体どうなっている? それに未知の状況にこれ程驚かない奴など居るのか?)

 

「1つ訊きたい」

「ん、何だ?」

 

 唐突に声を掛けられたチャックは思わず跳び上がりそうになった。一切の感情を見せない顔から突然何か言われたら驚くに決まっている。人によっては怒っていると思うかも知れない。

 

「何時になったら教えるのだ?」

「あ、ああ、今君に異常が無いか調べ終わったところだ。特に身体的な異常は無かった。精神も安定している様だしな」

 

 チャックは精神状態を「普通」とは言わずに「安定」と言って誤魔化した。感情の起伏が無いのなら安定とは言えるが、人間としてはどうなのか……

 

 少年の動作に無駄は無い。たまに瞬きをしながらチャックを見詰めていた。凝視というよりその周囲全体を見通す目付き。

 

「自分は誰だ?」

 

 またも前触れ無しに少年の唇から言葉が飛び出た。2回目なので最初よりも驚かなかったが、間が中途半端に開いてから突然の問いなのでびっくりする事に変わりは無かった。

 

「少年、自分で名はアダムだと言っていたそうだな」

「そうだ」

 

 必要最低限の返事。それ以上は何も読み取れない。

 

「……で、少年、お前自身が分かる事は他に無いんだな?」

「そうだ……」

 

 はっきりしない口調だった。更に少年の視線が斜めを向いた。

 

「……戦場であの男に殴られ、それ以前の記憶が分からない」

 

 チャックも自分がハンとアンジュリーナと協力してすら不利状況だったあの指揮官らしきプレートアーマーの男は覚えている。

 

「少年、あの男は君を探しているらしかった。というかあの男は君が目的だと言っていたんだ」

 

 チャックが一旦言葉を止めたのは少年の反応を見る為だった。だが少年は立ったまま動じず、話の続きを聞きたいらしい。

 

「研究施設で君を助け出したアンジュリーナは、君が酷い扱いをされているのではないかと言っていた。思い当たる節は無いだろうか?」

「無いな」

 

 一言で一蹴されたチャックはうーむ、と困った表情で首を傾げた。

 

「……だが少年、記憶というのは決して消えるものではない。記憶とは箱だ。箱に記憶を出し入れするんだ。記憶を失うというのは、その箱が開かないだけの事。開けるきっかけは必ずある筈だ」

「思い出せるのか?」

「どれぐらい掛かるかは分からないがな」

 

 丁度その時、部屋の廊下に面したドアが静かに開いた。

 

「チャックさん、彼は……あっ、もう大丈夫なんですね」

 

 入って来たのはアンジュリーナ。少年がベッドから立ち上がっているのを見ると嬉しそうに言った。

 

「丁度良かった、どうか少年をトレバーの所へ連れて行ってやってくれんか?」

「分かりました。ねえ、ちゃんと歩ける?」

「大丈夫だ」

 

 少年がアンジュリーナの元へ歩き寄る事で発言を証明した。

 

「少年、今から君に合わせる人物は君が求めている答えを教えてくれるかも知れない。だが話が分かりにくいかも知れんから気を付けろよ」

「……分かった」

 

 少年は少し間を置いてから短く答えた。アンジュリーナがドアを開け部屋から出る様に促すのに合わせ、振り向きもせずに出て行った。

 



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3 : Doubt

 廊下を歩きながら少年は考え事をしていた。

 

 この建物は医療施設かと思ったが、少し違うらしい。少年の前方を歩くアンジュリーナという少女によればこの都市の中心部に位置する20階建ての建物は彼女達が所属する「組織」の支部だという。その「組織」とは何か訊くと彼女は「これから会う人が教えてくれるわ」と言った。

 

 窓からは荒れた大地に建つ数々の建築物が、離れた場所には古い自然式農業地帯、更に遠くには廃墟や荒地が……まるで一度文明が崩壊し、その上で再建が行われている様だ。

 

「あっそうだ」

 

 思考は少女の明るい声によって目の前に引き戻された。少女は振り向いて少年の方へ向く。少年は釣られて立ち止まった。

 

「もう聞いたと思うけど、私はアンジュリーナ・フジタ。これから色々私も教える事あると思うから、改めてよろしくね」

「分かった」

 

 返事されてアンジュリーナが少し黙ったのは、少年の反応があまりにも薄情だったからに違いない。それでも少女は気を取り直して言った。

 

「……アダム・アンダーソン、それが貴方の名前なんでしょ?」

「そうらしい」

「……貴方の事はアダムって呼んで良い?」

「良いだろう」

「……じゃあ私の事はアンジュって呼んで」

「分かった」

 

 少女は少年に優しく接する為に親しく話し掛けているが、少年は表情一つ変えず、聞き手によっては冷酷に返す。

 

(……やっぱり怒ってるのかな?)「……アダム、貴方に言っておきたい事があるの」

「何だ?」

 

 アンジュリーナは明るい表情から一変、悲しみと言うべきか、申し訳なさを帯びた。

 

「私は、貴方を助けてあげたかった。苦しそうな貴方を見てそう思ったの……でもそれが貴方を傷つけてしまう事になって……ごめんなさい!」

 

 アダムはどうすれば良いのか分からず、頭を深く下げた少女相手に立ち尽くしたままだった。手を差し伸べも突き放しもしない。

 

(何故謝っている?)

 

 少女は頭を下げたままで動かない。

 

「何故そうするのだ?」

「だって、酷い目に遭って怒っているでしょう……」

「どうでも良い事だ」

 

 アダムの発言にアンジュリーナは思わず顔を上げた。

 

「ぼんやりしているが、アンジュリーナ、君は戦場で不思議な顔をしていた。今のそれと似ている」

「へっ?」

「いや、何でもない」

 

 言われた事が分からず、拍子抜けた声を上げた少女。一方、少年は混乱した様に頭を振ると話題を打ち切った。

 

 少女は歩き始めたアダムを見るや、自分が先導する役割を思い出して慌ててアダムを追い越した。

 

 沈黙が流れる。先に破ったのはアダムだった。

 

「……アンジュリーナ」

「アンジュ、で良いわよ」

「……アンジュ、自分には知らない事がある。君の分かる範囲で構わない。自分が頼んだ時で良い、教えてくれ」

「分かったわ」

 

 またも無表情なアダムだったが、アンジュリーナの方は愛称で名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、それとも頼まれたのが嬉しいのか、とにかく笑顔で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあハン、あの例の少年はどうしたんだ?」

 

 朝食を満喫し、ロサンゼルスの下町を歩きながらリョウが問い掛けた。

 

「実はトレバーに任せている」

「えっ? トレバーの奴に?!」

 

 リョウは本当に驚いたような、まるで冷水を浴びた様にショックというか驚愕の声を出した。それと同時に3人の足並みが止まった。

 

「トレバーさんって自分から何かを話す事ってめったにないですよね?」

 

 レックスは驚きと疑いを同時に顔に出していた。

 

「そうだ、そのトレバーがだよ。実は彼から頼まれたんだ。あの少年に何かを見出したのか……」

「あいつは何も喋らんからずっとコミュ障と思ってたが……」

「それにトレバーさんが動くときって何か大事な時ですよね? 俺何か嫌な予感するんですが……」

「同感だレックス。こりゃ傘でも持っておけば良かったかな」

 

 リョウが雲一つ無い晴天を眺めながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋上の転落防止柵に手を掛けていたトレバーは後ろの気配に気付くと振り向き、空調設備の動作音に混じって丁度ドアの開く音を耳にした。

 

「トレバーさんの話は難しいけど、頑張って」

「あの人物か」

「そう。私はここで待ってるから」

 

 先に扉を開けた少女は扉の元に立ったまま動かず、後から出て来た少年は真っ直ぐ前に進み始めた。

 

 少年はヘリポートマークを横断し、トレバーの隣へ立った。

 

「アダム・アンダーソンか」

「そうだ」

「待っていた。チャックかアンジュリーナから聞いただろうが、俺はトレバー=マホメット=イマーム。お前に教えるべき事を教える」

「教えてくれ」

 

 そう言われたトレバーは手すりに掛けていた手を放し、身体をアダムと向き合わせた。

 

「……」

「……」

「……それは疑問だ。感じた事が府に落ちない、起こった出来事が信じられない。そうだろう」

「ああ」

 

 何が疑問なのか、少年はそれを理解していた。

 

「お前が疑問に思ったのは、「真実」だ。普通の人間には「疑問」にすら思わない。だがお前の様に「疑問」を持つ者が稀に居る。「疑問」を持った者だけが「真実」を知る。だからお前には「真実」を教える権利がある……何を感じた?」

 

 アダムは少ない僅かな記憶を思い起こし、昨日医療テントで起きてから戦場に出た事、そして感じた事を思い出した。

 

 少年にとっては不思議としか言いようがない出来事だった。例えるなら光の筋が、「見え」ない筈のものが「視え」た。否、「感じ」た。あの輝きはそれを操る人物に途轍もない力を与えた。

 

「「あれ」は何だ? 「あれ」によって力が得られたとしか思えない。「あれ」を認識した瞬間、全てが「視え」た」

 

 表情に変化は無かったが、その声は「知りたい」という強さがあった。

 

「説明するより実際にやった方が早い。これを見ろ」

 

 トレバーは右手を前に出し、掌を少年の頭に向けた。”普通の人間”にはそれだけにしか見えなかったに違いない。

 

 だが、アダムには見えていた。いや、感じていたのだ。

 

 トレバーの掌に纏う輝き。

 

「これだ、あの時これと同じものを見た。分かる」

「やはり、間違いない」

 

 何が間違いないのか、それを言わずにトレバーは掌に力を込めた。

 

 輝きはアダムの顔面に向かって飛んだ。発射された、とでも言うべきか。

 

 少年に命中し、輝きは少年の身体の中に吸収された。

 

 次の瞬間、突然の感覚がアダムを襲った。

 

 視界が眩む。耳が痛い。皮膚に何か触れる。流れ込んでくる。

 

 たった一瞬の出来事だ。

 

 しかし、終わっても尚心臓の鼓動が自分にも分かる程速くなっていた。

 

「……今のは?」

「軽い幻覚だ。あの「光」を操り調整し、お前に作用させた結果だ。「光」が分かるならお前も操れる可能性がある」

「今の幻覚も使えるのか?」

「いや、人によって違う。俺の場合は今の様に幻覚を人に見せる。お前の「能力」は何なのかはお前が答えを探せ」

「どうやって行う?」

 

 そう訊かれたトレバーは自分が居た位置から2歩だけ下がり、言った。

 

「まずは覚えろ。俺に攻撃を当ててみろ。やり方は分かるな」

 

 右手を平手にして体の前に出したトレバー。

 

「格闘なら分かる」

 

 対するアダムは、左半身を前に重心を後ろに、右拳で顎をガードし左拳を胸の高さに。

 

「来い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンダーソンはロサンゼルスの「反乱軍」のこのビルに居る様です」

「ご苦労。早速戦力の確認をしろ」

 

 ポール・アレクソンはオペレーターの操作するモニターを見ながら、大して礼の気持ちも込めずに次の命令を出した。

 

 丁度そのタイミングで指令室のスライド式ドアがスーッ、と開く音が聞こえた。

 

「アレクソン君、仕事熱心なのは結構だ。今はどんなだ?」

「中佐、はい、たった今アンダーソンの居場所を特定しました」

「良し。それとアレクソン君、私から提案があるが良いか?」

「勿論です」

 

 表情を変えぬポール。中佐は言う前に目だけをチラチラと横に動かした。何か迷いでもあるのだろうか。

 

「実はだな、前から計画していた掃討計画は別の機会にして、少数によるアンダーソンの奪還もしくは破壊計画にしようかと思ったのだ。奴らもこの前で随分と警戒しているだろうからな。向こうだって戦力も揃えるだろうし、こちらは前回の損失が予想以上に大きかったし侮れん。だから潜入工作ならどうかと思ってな」

「成程。ですが、アンダーソンは「覚醒」している可能性もありますし、」

「ステルス能力を持つ者に行かせる。それと「変圧器」だ。もう実質的に成功段階にあるだろう」

「はい、成功はまだ3機だけですが」

「3人も居れば十分だろう。おい君、早速手配してくれ」

「了解です」

 

 中佐に命じられたオペレーターは嫌な顔もせず黙々と作業に向かった。

 

 そして中佐は安堵のため息をつくと指令室から出て行った。

 



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4 : Believe

「ハン、今大丈夫か?」

 

 そう言ってビルの真ん中の階にある1つの部屋に入って来たのはチャックだった。

 

「良いですよ。僕も今ここに来たばっかりです」

「そうか、なら早速聞いてくれ」

 

 この軍医は面白い事を見つけたかの様に喋り始めた。(チャック自身にとっての面白みだが)

 

「まずはこれを見てくれ」

 

 鞄から取り出したノートパソコンを開き、スリープモードにしていたのかすぐに画面が現れた。

 

 画面には幾つか画像が表示されていた。それを見るとハンは不安げに首に手を当てた。

 

「ええとこれは……」

「トレバーがあの戦闘で見つけ、持って来た死体だ。DNAを調べたら「トランセンド・マン」だった」

 

 チャックが何気なく指さす写真は、胴体とそれから切られた首だった。

 

「それで、何か特異点でも?」

「そうだ」

 

 短く答え、画面中のマウスカーソルがせわしなく動く。

 

「血液中にこれだけ大量の薬剤が含まれていた。普通の人間が飲めば一発でアウトなものだ。頭部からは外科手術痕があった。透視してみたらこれだ」

 

 薬剤量を示すグラフ画面から脳のスキャン画像と思しきCG切り替わった。前頭葉の1か所に直径1センチメートル程度の黒い領域が見える。

 

「この黒いのは何です? 脳の損傷個所ですか?」

「いいや、トレバーは見事首だけ切断してそれ以外は何もしとらん。これは金属反応を示している」

「金属? ……コンピューターでも埋め込んでいるのですか?」

「ご名答。あとトレバーから得た情報なんだが、トレバーの奴あとこれと同じ奴を15体も葬ったそうだ。そしてそのどれも一般的な「トランセンド・マン」に劣るものだったという。しかも他の死体は勝手に燃え消えたそうだ。それは証拠隠滅だろうな」

「足止めされたとは聞きましたが、これだったんですね。ですがコンピューターは何に? 制御にでも?」

「それもあるだろう。しかしこれを見てくれ」

 

 チャックが鞄から何か小さいものを取り出した。掌に包まれて見えない。

 

 それを机の上に置き、説明し始める医師。1平方センチメートルのコンピューターチップであるのは間違いない。

 

「これがその脳に埋め込まれていたものだ。生体電気によって動き、脳の働きを活性化させるのが主な使用目的らしい。他にもテレパシー通信やらデータ記録やらの機能もあるらしいが、大方はそれだな」

「じゃあ先生はこの人物が「予備」だと考えるんですか?」

「その通り。人数では「我々」なんかより10倍以上も居ると言われているからな。戦闘能力を引き上げる事で貴重な戦力の代わりとでもするつもりなのだろうな」

「うーむ……これ正直言って侵入して得た情報なんかよりよっぽど凄いですよ」

「同感だ。これじゃあ骨折り損だな……ああ、別にお前を責めているつもりは無いぞ、「指揮官」殿。相手が悪かったなあれは」

「分かってますよ。これで次の作戦の目途だって立ちますし」

 

 申し訳無さそうに言ったチャックに対し、ハンの声は明るかった。

 

「私からは以上だ。他に何かあるか?」

「大丈夫ですよ。あっ、そういえばトレバーはどうでしょうかね? 少年も心配ですよ」

「さあ、我々が心配する必要は無いんじゃないか?」

「しかしトレバーは何も言ってくれないんですがね……」

 

 2人は天井を、正確にはビルの屋上を想像しながら見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5メートル後ろに吹き飛ばされたアダムは背中が地面に着くと後ろに転がり、そのまま立ち上がった。

 

(速い)

 

 少年の5メートル前方に居るトレバーが右手だけを前に出して、来い、とジェスチャーした。

 

(どうやったら速くなれる?)

 

 アダムは地面を駆け距離を一気に詰める、と同時に後ろに折り畳んだ右腕を突き出した。

 

 トレバーの右手に簡単に逸らされる。それでも反撃させる暇を与えぬよう、両腕はまるで車輪の如く勢い良く回転し次々とパンチを繰り出す。

 

(どうやったら当たる?)

 

 右フック、左ボディブロー、右裏拳、左肘、左半身を前にした勢いで右回し蹴り、左回し蹴り、更に回転を利用した右裏拳。どれも防がれた。

 

 今度はトレバーが左手でアダムが伸ばした右腕を掴む。

 

 アダムが次に左手を伸ばそうとする。それよりも先にトレバーが右拳を、アダムの伸びた肘に力強く打ち付けた。

 

 肘が曲がってしまう事で手元が狂い、出している最中のパンチが鈍る。トレバーの右手が威力を失ったアダムの左腕を止め、そして左掌で腹部を強く押した。

 

 アダムは吹き飛ばされている最中、空中で後ろに1回転して着地。丁度ヘリポートマークの円周の縁だった。

 

(どうやったら追い付く?)

 

 そう考えた時は既にトレバーはアダムの目の前2メートルにまで接近していた。それを認識した途端、慌てて両腕で顔を覆う。

 

 今度はトレバーが連続攻撃を浴びせる番だった。アダムには反撃の隙が全く無い。

 

 どうにかストレートを両手で受け取ったアダム。姿勢を低くし、後ろを向きつつ相手の腕を自分の肩に掛け、体重を掛けて投げ飛ばす。

 

 少年に投げられたトレバーは華麗に宙を舞い反対側に着地した。そこへアダムの跳び蹴りが襲い掛かる。

 

 床から1.5メートル空中に留まっているアダムは一発目が防がれても次々と両足を交互に蹴り出す。

 

 少年は自分の右キックが相手の腕に逸らされ、無防備になった自分の腰に向かって掌が打たれるとこれまでにない衝撃を感じた。

 

 吹き飛ばされ背中から不時着した時、自分は反対側のヘリポートマークの端にまで飛ばされていた。

 

(どうやったら避けられる?)

 

 歩み寄る二者。

 

(どうやったら同じ事が出来る?)

 

 既に互いの距離は3メートルも無かった。

 

(どうやったら勝てる?)

 

 少年の目に映る大人の上半身が突如動いた。反射的に頭をガード。

 

 しかし、トレバーの綺麗なフォームの横蹴りがアダムの胸を捉えていた。

 

「……」

「……」

 

 2人は黙ったまま顔を見合わせている。蹴りは寸止めだった。

 

 トレバーが口を開く事なく蹴りを戻し、ようやく言葉を発した。

 

「何故当たらないと思う? 何故防げないと思う? 何故勝てないと思う?」

 

 まるでアダムの考えを見通している様だ。

 

「動きが速過ぎる」

 

 余裕のある大人の口調に、子供は息が上がっていた。

 

「確かに、お前にとっては俺の動きは速いだろう。だが、俺にとっては当たり前に出来る事だ。その違いは何か」

 

 アダムは答えられなかった。

 

「信じろ」

「……何をだ?」

「お前自身をだ。お前はまだこの世界を疑っている。だから何事も考える」

 

 意味が分からなかった。

 

「考えるな」

「……考えずにどうやれば良い?」

「感じろ」

「……何を感じ取れば良い?」

「それはじき分かる。そうだと分かる瞬間が来る」

「……そうすれば勝てるのか? あの様に速くなれるのか?」

「それは少し違う」

 

 想定外の返答にアダムが黙った。

 

「お前が辿り着けるのは俺ではない、お前だ。まだ疑っているだろう」

「ああ、信じられない」

「「それ」はそこにある。「それ」が本当に分かった時お前は信じる」

 

 断言。トレバーは自分の台詞に絶対の自信を持っている、そう思われた。

 

「まだやるぞ。俺を討て」

 

 それを聞き構え直したアダムの顔はどこか晴れていた。表情は動いていない、が、何かが違う。

 

 屋上のドアの傍から、少年を見てそれに何となく気付いたアンジュリーナは嬉しそうにほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストーン医師との面談を終えたハンは同じビルの別な部屋に移動していた。

 

 窓は無くLED電球だけが部屋を照らしている。扉は廊下に面する一枚だけ。小規模な会議室程度の広さだった。

 

 この部屋の最後にあるモニターを見ている。

 

「ドニー、忙しい時にすまんな」

『構わんさ、大事な要件なのだろう』

 

 モニターに映ったのはやや大柄な黒人男性。その中でも肌の色と対照的な銀髪と、人類には稀な紫色の瞳は印象に残る。

 

「じゃあ早速言おう。昨日「管理軍」の基地に侵入・強襲する計画を実行した時だが……」

『予め知ってはいる』

「相手の戦力が予想の倍以上に多かった。調べても出て来なかった機密を多く隠していた。簡単に言えば失敗だ」

『それで、どうした? 要件を言ってくれ』

 

 画面の人物の声は冷たいが、ハンを非難する様子も無い。

 

「詳しい情報はデータを送る。今ここで言いたいのは戦力の追加を要請したい。向こうの戦力は未知数だ。向こうが近々攻めてくる可能性も少なくはない」

『良し、「私達」から送ろう。南太平洋は管理軍の手は回って来ないだろうし多少時間は掛かるにせよ確実に送り届けられる』

「感謝する。でも今でなくて良いんだ。こちらに回す分を準備万端で用意してくれれば良いだけだ。向こう側をかえって警戒させるだろうし」

『では何かあれば言ってくれ』

「そうするよ。それじゃあ……」

 

 ハンは分かれの挨拶をしようとし、話を終えようとした。のだが、阻止された。

 

『ハン、何か言いたい事でもあるのか?』

 

 2秒の間が開いた。そしてハンは頷きながら従った。

 

「送ったデータにもあると思うが、「管理軍」の施設からある少年を拾ったんだ。記憶は無いが、向こうの機密に関わっているかも知れない。実を言えば今度予想される「管理軍」の攻撃は彼が原因で起こる可能性もある」

『……それでも、お前はその少年を見捨てないんだな?』

「ああ」

『お前はその少年を信じているのだな?』

「そうだ」

『知る事は罪ではない、だが注意しろよ。私にはこれだけしか言えぬが』

「分かっているさ。任せてくれ」

 

 ハンは爽やかな笑顔で答えた。頷いたドニーの冷たい表情も和らいだ気がした。

 



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5 : Mission

「アレクソン指揮官、到着致しました」

「良く来た。話は既に聞いていると思う」

 

 ポールの前には3人の人物が立っていた。

 

 まず左の人物、背が高く、少なくともポールの5センチメートル以上はあり、体格もがっちりしている。七三に分けられた暗い茶髪とサングラスがボディガードの様な印象を与える男性だった。

 

 次に右の人物、一番目に入るのは肩まで掛かる明るめの茶髪に赤いメッシュ。女性でありこの中では1番若くあり小柄だが、その顔つきは「舐めるな」と主張していた。

 

 最後に真ん中の人物、人相が全く読めない黒一色のフルフェイスヘルメットを被り、服や靴や手袋まで黒に統一されており、肌が一切見えない。そして癖なのか手をポケットに突っ込んでいる。

 

 ポールは興味無さげ3人に目をやり、自分の後ろのモニターへ向き直すと説明を始めた。

 

「お前達へ命じるのはアンダーソンの奪還もしくは破壊。現在この「反乱軍」が管理する建物に居る。データは既に読んだな? 向こうの「トランセンド・マン」に関する情報もあるからもう一度見直しておけ」

「はい」

 

 ヘルメットの人物が低い声で代表して言った。本当に正面を向いているのかすら疑わしかったが。

 

「それとお前達に渡す物がある。わざわざ集まってもらったのはその為だ」

 

 ポールはモニターの横に並べていたブレスレットらしき物を3つ取り、それらをそれぞれに渡す。これに質問したのは金髪赤メッシュの女性だった。

 

「これは何です?」

「「変圧器」だ。最近実用レベルにまで開発が進んでな。少数人数作戦には持って来いだろう」

「もう完成したのですか?」

「その3つだけはな。やはり生産にコストが掛かるのは仕方ないだろう」

 

 3人は揃ってこれを腕ではなく首に巻き付けた。

 

「別に疑うつもりは無いのですが、性能は確かでしょうね」

「個人差によるが、「活性率」はおおよそ2倍にまで跳ね上がる。だが持続使用は禁物だ、負担が大きい。主に断続使用か失敗時の逃走用だけにしろ」

 

 ヘルメットの男の質問にポールは丁寧に答えた。

 

「出来るだけこの作戦は向こうに知られない事を優先に行動する事だ。掃討作戦も更に延期せざるを得なくなるだろうし向こうは更に防衛力を付けるだろう」

「分かっています」

 

 3人はヘルメット男を先頭にして部屋から出て行き、大柄なボディガード風の男がドアを閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「500だ。500賭ける」

「強気だな。良いぜ、やろう」

 

 答えたリョウはドアを開け、”乗り”込む。

 

「1マイルで良いんだろ?」

「勿論だ。作戦があるんでね」

 

 そう言った相手の男も”乗り”込んだ。リョウと同じかそれ以下の年齢だろう。

 

 ところで、リョウが”乗った”のは、長さ4.4メートル、幅1.7メートル、高さ1.3メートルのクーペ型ガソリン乗用車。黒い車体と細い目の様なヘッドライトと大きなリアウイングが特徴的なこのスポーツカーは100年以上も昔に生産が終了しているものだ。

 

 相手のも同じく、水素燃料自動車が一般的な現代においては全く普及していない1世紀以上前の旧式の自動車だ。

 

 ボディはCG設計とカーボン材料による大型3Dプリンタで再現し、元のものより強度があって軽量な車体が作る事が可能だ。

 

 エンジンは耐熱性を考えて鋼鉄製、これは3Dプリンタでは作れないが鋳造の際の形を作るのにおいてCGや3Dプリンタは使われる。

 

 ボンネット内は自分達でプログラムを書き換えた燃料噴射制御装置やキャパシタ(電気二重層コンデンサの事)等、時代違いな物多数で埋められている。

 

 自動車の構造は100年前から基本的に変わっていない。リョウはクラッチを踏みながらエンジンを噴かせた。回転数を示すメーターが毎分6000回転を示し、マフラーから人口石油(不純物を一切含まないので排ガスはクリーン)を燃焼した事による二酸化炭素と水蒸気を吐き出し、ブオオン、と空気を震わせる。

 

 相手も競う様にエンジンを鳴らす。リョウの車より若干音が高いのはターボによるものか。(一応リョウの車はターボ付きだが……)

 

 乾いた土の上に不愛想に引かれた線に沿って2台が車の先頭を合わせ、止まる。主に若者で構成された観衆の中、1人の若い女性が2つの車の前に現れた。

 

「2人とも、準備は出来てる?」

「オーケイ!」

「当然だ!」

 

 女は長い金髪を後ろに撫でながらもう片方の手で両者を指さした。

 

「レディ!」

 

 女が右手を高々と上げる。エンジンの回転が一定になる。

 

「ゴー!」

 

 女が腕を下ろした。クラッチから足を放す。座り心地の良いバケットシートに押し付けられる感覚。

 

 あっという間に7000回転に達し、ギアを1段上げる。緩くなった加速が増した。

 

 続けて3段階目。隣の車とはまだ並んだままだ。段々と景色が速くなる。

 

 戦争からまだ残る廃墟群を走り抜け、スタートから200メートル目にある最初の交差点が見えた。観衆と赤い三角コーンが右に曲がれと示している。するとリョウの右に居る男が言った。

 

「悪いが今日は俺が勝つぞ!」

 

 そう言うと相手はハンドルを押す様に体を前傾させた。バシューン! というニトログリセリン燃焼音と同時に一気に加速した。

 

「んな無茶な! 負けてられるかよ」

 

 リョウはブレーキを踏んで減速し3速から2速へ、迫り来るカーブに対してハンドルを右に回す。

 

 ギギギギギ! とタイヤと地面が擦れ合う摩擦音。車の向きを変えコーナーからの脱出加速を同時に行えるドリフト走行だ。

 

 リョウが曲がり終えた時には相手は10メートル先を走っていた。

 

 2速、3速、4速。だが距離は一向に縮まらないどころか少しずつ突き放されている。

 

 前のコーナーから200メートル先にあるコーナーが見えた。

 

 バシューン!

 

「クソッ! 四駆にツインターボにスピード出過ぎだっての。おまけに序盤ニトロなんて贅沢過ぎるぜ!」

 

 相手の車が90度のカーブをギュンと曲がる。ドリフトではないがタイヤ痕が出来上がる。

 

 4速から3速、コーナーを抜け、アクセルを力強く踏み込む。

 

 ここから直線400メートル先に折り返し地点があり、そこをUターンすれば来た道を辿って出発地点にまで行けばゴールとなる。

 

「俺が貰うね!」

「いいや、今回も俺だ!」

 

 相手の強気な発言と同時に車体が急加速した。リョウも強く言い返し、ハンドルに付いているニトロ噴射ボタンを押す。体がシートに引っ張られる感覚が更に増した。

 

 リョウの車の先頭が相手の車の後部まで達した。

 

 両者がギアを5速にまで上げた。両方ともこれが最大ギアである。スピードメーターはもうすぐで時速200キロメートルに達する事を示していた。

 

「速え?!」

「二駆舐めんな!」

 

 2台の先頭が並んだ。中間の折り返し地点を示すカラーコーンが見えた。

 

 カラーコーンは左に曲がるというルールを予め決めていた。そして、リョウの車は右側に、相手の車は左側に位置している。

 

「俺の勝ちも同然だぜ! カーブじゃあ四駆最強だ!」

「まだ終わってないぞ!」

 

 リョウが強く反抗する。言った次の瞬間にはリョウはハンドルを思い切り左に回していた。当然左には相手が居たままだ。

 

「危なっ?!」

「これがドリフトだぜ!」

 

 相手は減速し、インコースを滑る。反対にリョウはスピードを維持したままアウトコースから攻める。

 

 180度のターン。観衆の歓声。あと半マイル。

 

 コーナーから抜けた時2台は並んでいた。

 

 最短距離を重視した相手はギアを低くし再び加速し始める。速度維持を重視したリョウは保ったスピードのまま突き進む。

 

「どうした? カーブじゃ負けないんだよな?」

「何を、これからだっての!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大柄なサングラスの男は、ヘアピンカーブを曲がった2台の車を見て歓声を上げる若者達を眺めるなり、呆れてため息を吐いた。

 

(戦争だというのに警戒心が無さ過ぎる。まるでパーティ会場だな。これじゃあ仕事が楽過ぎて話にならん)

 

 群衆から離れ、どこかへ歩き出す男。しかし、それに目を向けた人物は誰一人居なかった。

 

(聞こえるか? 作戦開始だ)

『了解』

『分かった』

 

 念じると頭に2つの声が入って来る。耳に取り付けられたテレパシー型通信機によるものだ。装着者の思考を読み、暗号化した電波を他の通信機に送る。

 

(では予定通りに行こう)

『任せた』

『さっさと済ませよう』

 

 歩いている男はやがて視界に高層ビルを捉えた。

 

 その遥か遠くに位置する目標のビルに向かって手を伸ばした。何かを開いた掌から送っている様に。

 

「させねえよ!」

 

 若い男性の声が上空から聞こえた。同時に跳び退く。

 

 地面にクレーターが出来上がった。その中心部には飛び降りた直後の姿の青年があった。

 

「ロスにようこそ。パスポート見せな」

(気付かれたか。若いが相当の手練れと見た。飛行能力持ちか?)

「コラ、無視すんなよ。ロスから地獄へ観光案内してやるぜ」

 

 心の中で感心したサングラスの男は冷静さを保ったままだ。立ちはだかる青年、レックス・フィッシュバーンも冗談を交える程余裕を見せていた。

 

(まあこれで2人の仕事が捗るだろう)



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6 : Inhibition

 少年の腕が次々と相手の大人に向かって繰り出される。それを上回る速さで大人は片手で逸らす。

 

 大人の腕が少年の腕に絡み、手繰り寄せる。

 

「当てようとするな、当てろ」

 

 トレバーの助言にアダムが顔を引き締める。

 

(もっと速く。まだだ)

 

 アダムが1歩踏み出す。トレバーが1歩下がる。

 

 拳の連撃と共に少年の足が動き、大人を後ろのフェンスにまで追い詰めた。

 

 トレバーが今まで動かさなかった左手でフックを放つ。

 

(見えた)

 

 右腕でフックをガードし、左半身を前に捻る。上体を後ろに逸らし、体重の乗った横蹴りがトレバーの胸に伸びる。

 

 しかし、トレバーの右腕が正面から蹴りを防いでいた。

 

「遅い!」

 

 トレバーの右足が1歩前に動き、右半身が前に突き出る。それを瞬時に察知したアダムは両腕を胸の前に持って行きガードしようとする。

 

 腕が達する前に拳がアダムの胸を抉った。衝撃に耐え切れずアダムは脱力し膝まずいた。

 

「ハア、ハア……」

「……休憩だ。それ以上は休んでからにしよう」

 

 そう言ったトレバー。すると屋上の端に立っていたアンジュリーナが何かを持って駆け付けた。

 

「水とタオル持って来ました。アダム君も使って」

「気が利く」

 

 大して汗もかいていないトレバーは無愛想とも言える返事をすると2つを奪い取る様に手の中に収めた。それでもアンジュリーナは慣れているのか嫌な顔をしなかったが。

 

 疲労で四つん這い状態のアダムは右手だけ前に出すと、柔らかい布の感触を認め顔に持ってくる。

 

「……水も頼む」

「はいこれ。大丈夫?」

 

 アダムはやっとコンクリートの床の上に座ったがまだ息が上がっている。そして水筒を受け取った途端がぶ飲みし始める。

 

(いいや、まだ速くなれる筈だ)

 

 考え事をし始めたアダムは自然と顔を俯かせ、それがアンジュリーナを心配させる事となったのだろう。少なくとも少女には少年が落ち込んでいる様に見えた。

 

「本当に大丈夫なの?」

「ああ」

 

 その発言と顔に歪みは無い。アンジュリーナは話題を変えた。

 

「難しい?」

「そうだな」

「私も、最初は全然だったわ」

「……どうやって出来た?」

「私は、人を助けたい、「力」を使うときはそう思うの。貴方の願いは何? それを強く思えばきっと上手く行くわ」

 

 助言を送るアンジュリーナの表情はどこか大人びていた。人の役に立ちたい、という思いもあるのだろう。

 

「願い……」(……知りたいんだ)

「アダム君の助けになれば良いかなーって思ったんだけど……」

 

 またしてもアダムが黙り込んだのでアンジュリーナは訊く。

 

「いや、助かる」

「それなら良かった」

 

 しかしアンジュリーナは違和感を覚えていた。

 

 彼の抑揚の無い声や無表情は普段他人と接する時とかけ離れているものだ。しかも訊かれた事だけにしか答えない。彼女にとってはロボットと会話している感覚だった。

 

 だから少年から彼女に話し掛けたのは心外だった。

 

「アンジュ」

「えっ、な、何?」

 

 少女の愛称は紛れもなくアンジュリーナに掛けられたもの。少女は驚いて戸惑いを見せた。

 

「君は自分を救ってくれたし、自分の要望にも応えてくれた。だから……何と言うべきか……」

 

 アダムは迷っていた。言うべき言葉を知らなかった。

 

 それを察したアンジュリーナは手を差し伸べた。

 

「ありがとう、だよ」

 

 少年の迷いが消えた。

 

「助けてもらった時、感謝する時、ありがとう、って言うんだよ」

「そうなのか……ありがとう」

 

 腑に落ちない表情だったが、アダムの顔は何か新しい発見をした様だった。

 

「どういたしまして」

 

 そしてお礼を言われたアンジュリーナは笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日中の新ロサンゼルス市の中に潜む2つの影。

 

「ブラウンがやってくれたお陰で随分助かるわね」

「だな」

 

 物足りなさそうに飽き飽きした表情の金髪メッシュの女性に、最短で言い返したヘルメットの男。

 

 彼らの目の前にそびえ立つビル、彼らはお構いなしに中へと入る。

 

 外や内部に居る警備員らしき人物達は彼らに注目どころかチラ見もしない。”普通の人間”にとって彼らは”存在しない”も同然だった。彼らが奇抜な外見でも音を立てて歩いてもだれも見向きもしない。

 

「じゃああたし達も作戦通りにしよう」

「分かっている」

 

 そして非常階段を上る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金髪メッシュの女性はある階に達するとその廊下に出た。

 

 建物の職員達が廊下を行き来している中、派手な彼女の外見は目立つ筈だが、誰も彼女を見ない。

 

「楽な仕事ねえー。まっ、そんな思った所で誰か来るんだろうけど」

 

 荒い口調の独り言はすれ違った人々の耳に届きもしない。これこそ彼女の能力「認識阻害」である。

 

 進む内に人が少なくなり、やがて人一人すら居なくなった。

 

 ちなみにその能力は生物の五感にしか作用しない。「能力」の行使は「エネルギー」を由来とする為、ある種の人物には気付かれる可能性もある。

 

 だから仲間の1人が外部から「エネルギー」となる物を送り、妨害している。それが市郊外に居る大柄なサングラスの男の役割である。

 

 所謂ジャミングだが、ノイズがあっても完全に誤魔化せる訳ではない。どれだけうるさい音楽が鳴っている中で囁いても声を発した事は事実に変わりない。

 

 メイン演奏の中に含まれている小さなパーカッションは聞こうと思えば聞こえる。それと同じ原理で”意味”を持った「エネルギー」を感知する事は可能だ。たった今この女性の前に現れた人物の様に。

 

 何の予兆も無く繰り出された両足蹴りに女性は成す術も無く吹き飛ばされた。

 

 女性の方は空中で体勢を整え、廊下に見事着地した。

 

「あたしに不意打ちするなんて良い度胸ね。それに女を蹴り飛ばすなんて男としてどうかと思うけど」

「関係無い。問題はその理由だ」

 

 両足蹴りから着地した男性、ハン・ヤンテイは女の文句に耳を貸す暇も無く構える。

 

「そういう理屈付ける男って嫌い」

「僕はそういった大して考えないのが好きではない」

 

 女の方も構える、と思った矢先、女は床を蹴った。

 

 正面からのタックルを受け止め、床に押さえつけようとするハン。

 

 上半身をガクン、と下にずらされた女はその勢いと体の柔軟さを活かし、後ろ脚を後ろから上を辿り、そしてハンの頭に向かって振り下ろされる。

 

 すかさず手を放したハンは両腕を交差させてブロック。同時に前方からの圧力が消えた。

 

 女が蹴り足を戻し前方へスライディング。ハンも前方に跳び回転しつつそれを躱す。

 

 距離が離れたのを機にハンは耳に当てたヘッドフォンマイク型の通信機に手を当て、言った。

 

「警報だ。侵入されている」

 

 しかし、聞こえて来たのは意味を持たないノイズのみ。

 

「無駄よ。ついでにあたしの”領域”で何をしようと外部には伝わらないわ」

(ジャミングか。ステルス系の能力か。発信源はどこだ?)

 

 空間に存在する不自然な「エネルギー」はすぐに発見した。しかし、何処から来ているのかは分からない。

 

(複数の方向からの妨害だろうか)

 

 廊下には2人以外誰も居ない。外へ出せば街がパニックになるし、一般人に被害が出るかも知れない。それは相手の女もこれ以上広まるのが不味いと感じているに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レックスはノイズしか聞こえない通信機を投げ捨てると愚痴った。

 

「何でこんな良い仕事してる時に限って……お前の仕業か!」

 

 返事の代わりにサングラスの男から「エネルギー」の塊が飛来してきた。

 

 空中へ飛び、回避するレックス。そして空中に留まったまま停止した。

 

(飛行能力? 念動力系か?)

「こいつを喰らいな!」

 

 軽機関銃型の銃を背中から取り出したレックスは空中から銃弾の雨を降らせる。

 

 相手も躱しながらPDW型の銃を1丁右手に持つと上空に向かって引き金を引く。

 

 その光景は銃弾の見えない”普通の人間”から見れば何もないのに躱す仕草を見せるのだから奇妙だろう。(そもそも人が何の装置も無く空中を自在に飛び回っている時点で奇妙だが)

 

 空中を飛び体を錐もみ回転させながら銃弾を撃っては躱すレックスの姿はまさしく戦闘機だろう。

 

「避けんなよっ!」

 

 指を引き金から外し、掛け声と共にレックスが左手を相手に差し出す。掌に「エネルギー」が集められる。

 

 「エネルギー」は変化し、周囲の空気を一点に集中させる。外側から見れば高圧の空気はレンズの様に見えるだろう。

 

 空気塊が相手に向かって飛ぶ。相手の男が軌道を見切り、横に体をスライドさせる。

 

 地面に当たった空気塊は弾け、周囲に空気分子を拡散させる。その圧力は直撃を避けたサングラスの男のバランスを一瞬だが崩した。

 

 銃を持ち直し、一瞬の隙を突いて銃弾を大量に飛ばす。それも1秒に100発というペースでだ。

 

 それを相手は崩れた体勢から地面を転がり、器用に避けてみせた。銃口から銃弾をお返しに送りながら接近する。こちらも秒間100発。

 

 レックスも自身の「気体操作」によって自信を空中で方向転換し、追い掛ける男に正面から迎い撃つ。

 

 互いに銃弾を避け、そして正面衝突した。

 

「負けねえよ!」

 

 「空気操作」で衝突後もなお自分を加速する。双方へのダメージは同等だったが、吹っ飛ばされたのは相手だけ。

 

 岩に背中を叩かれた男だが、平気としか思えない無表情のまま立ち上がる。レックスは「マジかよ」と呟いた。

 

 レックスもまた「エネルギー」を「感じる」事が出来る。通信妨害するそれらの流れを辿り、”発信源の一つ”がこの男である事を突き止めていた。

 

(妨害とは汚ねえや。認識阻害や他の所からの妨害もあるみたいだな。しかし、リョウの奴まだ遊んでんのかよ!)

 



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7 : Recognition

「何か来る」

「ふえっ?」

 

 休憩中、トレバーが放った台詞により、アンジュリーナが思わず間の抜けた声を発した。

 

「2人とも此処に居ろ。アンジュリーナ、アダムを頼む」

「えっ、ちょっと、何が……」

 

 起きているんですか、と続けようとして少女は断念した。トレバーは既にドアを開け階下に繋がる階段を降りていた。

 

 だが何が起こっているのかは大体想定が付いた。

 

(きっと「反乱軍」ね。だとすればまたアダム君が目的ね……)

 

 あの時対峙した「管理軍」の指揮官らしき男が目に浮かんだ。

 

(私が守らなきゃ!)

 

 アンジュリーナは強い使命感に囚われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャミングは維持されています。逆探知の兆候はまだありません。ブラウンとガルシアは既に妨害に入られたそうですが、計画自体は外部には知られていない模様。テイラーも向こうの1体に気付かれた様です」

「うむ、優秀な「トランセンド・マン」だな。我々の想定外だ……計画を少し変更する。もう1体出すぞ」

「ですがこれ以外は……」

「一応俺から用意している。強化措置を受けた「予備軍」を1体、隠密行動特化型だ」

 

 ポールの隣には何時の間にか彼より一回り小柄な人物が立っていた。

 

 素顔はフードに隠れて見えない。この人物もまた、表情を変えない。そして身体的特徴がこれといって無かった。

 

「現在アンダーソンはこの建物の屋上に留まったまま動きません。すぐ近くに「トランセンド・マン」が1体居ます」

 

 モニターの3D画像を見ながらオペレーターが報告する。

 

「並みの「トランセンド・マン」どころか戦闘特化型にも劣るだろうが、アンダーソンのみを殺すならば十分だろう。それに……」

 

 ポールは画像隣のグラフの数値や信号パターンを見ながら言った。

 

「もう一体の相手があの”小娘”なら楽勝だ」

 

 部下達はポールのその発言の意味を理解出来なかった。

 

 何時の間にかポールの隣に居たフードの人物が姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレバーは廊下の向こう側から歩いてくる人物を見るなり立ち止まった。

 

「見事なものだな。俺とお前だけ外部から隔離しているという訳か」

「こちらこそ、俺を見抜けた事には称えよう」

 

 バイザーヘルメットの男がトレバーから3メートルの間隔を空けて立ち止まる。コートのポケットに手を突っ込んだまま動かない。

 

 トレバーは相手から「エネルギー」が絶えず流れ、自分と相手の周囲の空間を包んでいるのに感付いていた。これも「認識阻害」である事に変わりはない。

 

「もし奴を渡すのなら引き下がっても良い」

「断る」

 

 ガキン!

 

 衝突したのはトレバーの右籠手と相手がポケットから出した物体。”2人の間だけ”に金属音が鳴り響いた。

 

 トレバーの左籠手が更に相手が突き出した左手を防ぎ、今度はこちら側から4連続で殴る。

 

 ヘルメットの男がトレバーからの最初から最後の打撃を受け止め終えると、1歩下がり左手に握った物体を投げ飛ばした。

 

 腕に装着された籠手で飛翔物をガードし、それを取ろうとする。

 

 しかし物体はどういう訳か、まるで意思を持った様に動き、投射点だった男へ戻ろうとする。

 

 相手が戻って来た物体を受け取る。物体は剃刀サイズのナイフだった。良く見るとナイフの柄には細いワイヤーが繋がっており、ワイヤーは相手の袖の中へ伸びていた。

 

(だが暗器は俺も同じだ)

 

 相手が両方の手に握ったナイフを素早く振るい、トレバーの籠手が次々とそれらを伏せぐ。そしてタイミングを見つけた。

 

 相手が右手を振り出したと同時に自分も右手でその腕に向かって拳を放つ。

 

 「エネルギー」が籠手に流れ、刃が突き出し……

 

 手応えが無かった。

 

 籠手から伸び出た刃は確かに相手の腕に真っ直ぐと突き出され、刺さる筈だった、のだが何か滑らかな感触にツルリと逸らされて不発に終わる。

 

 引き下がったトレバーは原因を探るべく、先程突き出した相手の腕を凝視した。

 

 袖に隠れて見えないが、「視え」ている。腕に纏わり付く性質を変換された「エネルギー」が見える。まるでコイルを腕に巻いている様だ。

 

(あのワイヤー、腕に巻いて防御にも使えるのか。自在な伸縮も可能と見た……巻かれているのは腕だけだな)

 

 沈黙が流れ、動かぬまま隙を探り合う二者。トレバーの目は確かにバイザーの奥にある瞳を「感じ」ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンジュ、「管理軍」とは何だ? 疑問に思っていた言葉だ」

(や、やっぱりトレバーさん全然教えてなかったんだ……)「……まあ良いわ、私が教えるね」

 

 トレバーに屋上から動くなと命じられてから危険も”感じず”、暇だと思ったのか知りたいからなのかアダムが会話のきっかけを作った。

 

 アンジュリーナは仕方ないなあ、と思いながら話す事を整理すべく考えた挙句話し始めた。

 

「……「管理軍」というのはね、人間の完全管理社会を達成しようとしている組織なの。本当は「地球管理組織」と言ってその頭文字から「EMO」(Earth Management Organization)とも呼ばれているわ。組織自体は百年以上前から存在したらしいけど。第三次世界大戦は管理軍によって引き起こされたとも言われているわ」

「第三次世界大戦?」

 

 訊かれた少女は一瞬戸惑った。彼女には第三次世界大戦は誰もが知っているという先入観があったからだ。

 

「……えっと、30年程前に起こった世界的な戦争なんだけど、その時は90億人も居た世界人口がそれから30年後に終わるまで10億人にまで減ったの。管理軍は戦争を起こした事によって世界を混乱させ、再建を兼ねて管理社会を作ろうとしたという事なの」

 

 話について行けているのか確かめる為、一旦区切る。

 

「では何故管理しようとするんだ?」

「そう言うと思ったわ。管理軍の主張によれば人類を破滅させない様に徹底した社会を作り上げるのが目的らしいの。でも管理軍は人道を無視した政策ばかりで……」

「例えば?」

「えーっと……支配のために人々にコンピューターチップを埋め込んで感情を抑制したり行動を制限したり、娯楽や芸術や宗教とかを禁止したり……人が人じゃないみたいでとても受け入れられないわ。しかも逆らえば鎮圧され人格を改造させられる、でもそんなの耐えられない、だから私達は「反乱軍」を結成し立ち上がったの。人として生きる為にね」

「それが君達か」

「そうよ。私思うの。人は笑ったり泣いたりするからこそ人なのに、楽しみも悲しみも無いなんて人じゃない。ただのロボットと同じよ」

 

 突然アダムの意識は視界から自分の脳内に移った。

 

 無機質な施設・廊下・人員・ロボット、それらから逃げる。

 

 逃げるのは自分。しかし逆らえなかった。

 

 それ以上は分からなかったが、アダムには十分だった。

 

 少年が抱いたのは激しい共感に他ならない。自由を押さえつける存在が嫌だった。そんな気がする。

 

「……自分も同じ考えだアンジュ」

「そ、そうなの?」

 

 予想外の答えにアンジュリーナが訊き返していた。

 

「……自分は逃げ出したかった……管理軍から逃げていたのを思い出した。だが奴らは許さなかった……」

 

 アダムが痛そうに頭を押さえる。アンジュリーナが駆け寄る。

 

「無理しないで!」

「大丈夫だ……」

 

 この時アダムは自分の記憶を探るべく思い出そうと集中し、アンジュリーナはアダムを心配してそれだけに気を掛けていた。だから屋上に足を踏み入れた人物に気付かなかった。

 

 その存在は他3人の協力者が敵を引き付けているのを良い事に、ビルの壁をよじ登った。この存在は自身の「認識阻害」という能力によって他人にはその存在を一切知られずに目的地たるビルの屋上まで辿り着いた。

 

 見えているのに見えていない、それは「認識阻害」無しでもあり得る事だ。人が背景の中から一つの物だけを見詰める時、その人には背景が認識出来るだろうか。

 

 要するに「認識阻害」は阻害させる対象を意識させないように「背景」にする、という訳だ。

 

 しかし、注目するきっかけさえあれば対象は「背景」から抜け出して「一点」となる……今が丁度まさにその時だった。

 

 不意にアンジュリーナは背中に強い衝撃を感じた。途端に前に飛ばされてしまう。

 

「ひゃっ!」

 

 少女らしい声で悲鳴を上げ、体の正面から地面に落ち、腕を体の前にやって顔が地面に着かない様にし不時着した。痛みは引き、立ち上がり振り向く。

 

 その時には既にアダムが謎の人物に羽交い絞めにされていた。フードに隠れて素顔が見えない。相手の右手に握るナイフはアダムの首に突き立てられ、左手に握る拳銃はアンジュリーナに向いていた。

 

「……い、一体アダム君をどうするつもりなの?!」

「俺が命じられたのはアンダーソンの奪還もしくは破壊。こちらは出来れば奪還で済ませる事を望んでいる。だがいざとなれば破壊も認められている」

「や、止めて!」

「ならば差し渡せ」

 

 アンジュリーナは言い返せなくて黙り込んでしまった。

 

(そんな、アダム君を助けたいのに……渡してしまったらきっと酷い目に……でも断れば今殺されてしまう……)

 

 少女が迷い固まる中、少年の方に迷いは無かった。

 

(抜け出そう)

 

 そう考えている時には既にアダムは左足で地面を蹴っていた。

 

 上体を後ろに逸らす事でナイフから離れ、羽交い絞めされている腕を支点に縦に回転し、拘束から外れた。

 

 “目標物”の思いがけない行動に不意を突かれた人物は手を離してしまい、”目標”から振り下ろされるオーバーヘッドキックを、両腕を交差させガードした。

 

 蹴りのダメージは無かったが勢いを殺し切れず後退する。アダムは蹴りを放った後体の回転を持続し左足から着地した。

 

(情報と違う。「覚醒」はまだと聞いていたが……)「どうやらお前が逆らうか」

 

 相手は左手の銃をサッとアダムに向け、引き金を引く。

 

(分かる)

 

 少年は音速の10倍で迫り来る”不可視”の弾丸を”感じて”いた。認識よりも先に体が動き、頭を貫く軌道だったそれはアダムの左方に逸れていた。

 

(やはり「覚醒」している)

(勝てる。いや、勝つんだ)

 

 状況の急変によってオロオロしているアンジュリーナを他所に2人が向き合った。

 



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8 : Change

 コーヒーを飲み好きな医学雑誌を読みながらチャックはビルの一室のクッションの効いた椅子の上でくつろいでいた。

 

「実に平和なものだな。つい夜中まで戦闘があったなんて嘘みたいに静かだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(実に大変なものだな。常に気を緩められない……そういえばチャック先生は「顕微視」は出来ても距離が離れれば探知能力に適性が無かったんだった……)

 

 心の中で感嘆しながらでもハンは一切気を緩めなかった。表情にすら出ていないだろう。

 

 それは相手の女性も同じだった。

 

(この男かなり厄介だわね……あとブラウンとテイラーは上手くやってるか……)

 

 咄嗟にハンが指を尖らせた手を次々と叩き付ける。女が慌てて両腕を交互に回して防御する。

 

「言っとくけど、あたし悪いけど北派なんだよね。勝負は蹴りで決まるからさ」

「いいや、手の技が七、足の技が三、だ。無駄なく最小限な拳こそが勝つ」

「うるさい!」

 

 体勢を低くし、連撃から逃れた女はそのまま右足で下段回し蹴りを放つ。だがハンは後ろに1歩下がるだけでそれを躱した。

 

 回転の勢いを上げると同時に蹴りを更に放つ。それをハンは体を逸らしたり後ろに下がるだけで的確に避けてみせる。

 

 右回転の左回し蹴りを屈んで避けたハンは左回転の右回し蹴りを女の背中に決めた。よろけた女は壁に手を着き、すぐに戻ると攻撃を再開する。

 

 指によって急所を狙った連撃をハンは最小限の腕の動きで防ぐと同時に、攻防一体の動きで相手の行動を抑え込んでいた。

 

 時々足元を狙った蹴りは腰を落として踏ん張る体勢になる事で受けてもバランスを崩さず平然と立っていられる。

 

 拳を打っては引き戻し打っては引き戻しを繰り返す。

 

 女の右腕を左手で下に払い、右手を腹に突き出す。女が拳を防ごうと左手を右にやって防ぐ。この時女の両腕は交差し、内側の右腕がもう片方に抑えられ動かない状態だった。

 

 しまった、と思った時にはハンの左フックが女の側頭部を捉えていた。

 

 痛みに耐えながら後退し、十分に距離を取ったところで向き合った。

 

「クソッ!」(こうなったら使うしか……)

 

 女性らしくない叫びを上げる中、内心では追い詰められていた。巻き付けられている首輪を意識し、「エネルギー」を流し込んだ。

 

 その変化はハンにも見えた。ファッションと思われていたので気にもしなかった首輪が突然「エネルギー」を帯びた。同時に女が空間から吸収する「エネルギー」がその勢いを増した。

 

(あの首輪、「エネリオン」吸収を活性化させるのか?! 管理軍が開発中と噂には聞いた事はあるが……)

 

 一方で女は思念送信通信機を使い、

 

(あたしはこれ以上無理。先に使う)

『了解』

『分かった。では少しでも攪乱させろ』

 

 通信を終えると目の前の相手目がけて突進した。

 

 踏み込みの度に床が割れ足跡が出来る。完全に不意を突かれたハンに向かって正面から衝突する。

 

 衝撃を受け止められずハンは後ろに吹き飛ばされてしまう。体勢を整えようとした矢先、背中に堅い感触、後ろにあった壁が壊れた。

 

 壁を突き破りビルの外に飛び出してしまったハン。自分が出て来た壁の破れ痕から女が飛び出した。

 

 落下するハンに追い付いた女は更に降下キックを命中させ、一体となってコンクリートの地面へ向かって落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数回のレースを終えたリョウは賭け金を受け取り皆に見せびらかした後、のんびりしようかとあてもなく歩き始める。

 

「リョウ、後で昼飯食いに行かねえ? あ、金は勿論勝者が払うって事で」

「えー? 敗者が勝者に奢ってもらうなんて言い度胸だな」

「良いだろ別に、たかが2000ドルの内の僅かだろう」

「……まあ良いけど。後「軍」の仲間にも奢る約束したんだよな」

 

 どうでも良いが、地球暦0017年現在の貨幣は管理軍でも反乱軍でもドルを使用する。元々西暦2030年代から50年代にかけて経済的グローバル化が飛躍し、関税廃止や経済格差減少等あらゆる出来事を起こした。貨幣統一化もその一つに当たる。ちなみに1ドルの価値は地球暦に入ってから調整され、西暦2000年初頭と物価が同等になっている。

 

「そういやお前最近の軍での調子はどうだ? 活躍してるか?」

「まあな。上司がうるさいけど。ストレス発散に管理軍の前線部隊をぶっ壊してやった」

「ハハハ、お前らしいや。程々にな。しかし良いよなあ、音速で走れる力とか俺も持ってみたいぜ」

「そうでもない。こんな力あるだけ不便だぜ?」

「例えば?」

「そうだな……俺がレースする時車のスピードが物足りなくなっちまうんだ」

 

 リョウの冗談に先程まで車を並べ競争していた2人は笑い合っていた。

 

「ところでお前、レックスはどうした? 一緒に来てただろ?」

「ぬっ? ……本当だ、何時の間に。まあ良いや、どうせ来るだろう」

 

 これでこの話題を打ち切ろうとしたその時、廃墟群を駆け抜ける存在が一つ。

 

 音速を超えるスピードのそれをリョウだけがその目に捉えていた。

 

「わりい、メシまで少し掛かりそうだ」

「ふぁっ?」

 

 そう言い残すとリョウは地面を蹴り、1秒後には隣に居た人物の視界から消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空中で大きく旋回しつつ銃弾を避けながらレックスは右手を出した。

 

 掌から「エネルギー」の放出。「エネルギー」が空間中の空気に触れ、反応する。的確な方向性を持った運動エネルギーが大量の空気分子に与えられ、風が巻き起こる。

 

 風は細い刃となってサングラスの男を襲う。男が避けようと体をスライドさせるが、鋭い気流は男の服を引き裂いた。

 

 空気はレックスに操られ、その勢いや量を増やす。次々と男に切り傷を作り上げる。

 

「喰らいな木偶の坊!」

 

 掛け声と同時にレックスが銃の引き金を引く。動きを制限された相手へ次々と命中する。

 

 それでも相手の男はサングラスの裏に隠れた顔を余裕を持っている様に歪ませもしない。

 

「全然痛がってないじゃねえかお前」

(まだ使うには惜しいな)

 

 男は攻撃を喰らいながらもレックスに向かって銃を乱射し、レックスが飛行しながらそれを避ける。

 

 不意に男が跳び上がり、レックスへ右足で膝蹴りを仕掛ける。対するレックスは相手に対し向かい風を起こし、更には銃を乱射する。

 

 銃弾を喰らっても相手は痛覚に表情を変えない。蹴りの体勢のまま逆風の中を逆らってみせる。

 

 サングラスの奥の瞳がギラっと睨んだ。その時は既に互いの距離は1メートルを切っていた。

 

 右膝を後ろに戻し、代わりの左足を突き出す。意表を突かれたレックスは頭に一撃を喰らわされた。

 

 背中から固まった砂の上に落下し、相手がスタッ、と軽く平気そうに着地した。

 

 レックスに追撃を掛けようと相手が距離を詰める。抵抗すべくレックスは地を背にしたままで蹴りを放とうとした。

 

 だがその必要は無くなった。相手が急に立ち止まったのだ。

 

 直後、男の顔を鋭い物体が掠めた。顔に切り傷を作り、サングラスが取れ落ちた。

 

「レックス、大丈夫か?」

 

 中性的な喋り方だが、その声は紛れもなく女性のものだった。いや、声だけでなく容姿も完全に女性だ。

 

「クラウディア?」

「如何にも。妙に意図的な「エネリオン」がこの辺り一帯に感じられたものでね」

 

 クラウディアと呼ばれた女性は長い銀髪を風に揺らし、サングラスの男に突き出した細身のサーベルを引き戻し、レックス側へ引き下がった。

 

 本名クラウディア・リンドホルム、25歳。女性としては高く身長175センチメートル。銀髪や白い肌、シャープな顔立ちは北欧系だろう。腕を組んだ様はどこか高慢というか自信家の様なイメージがある。

 

「おーい! 待てったら!」

「あの馬鹿やっと来たか……」

 

 レックスはこちらへ駆け寄るリョウの声を聞いた直後、呆れるクラウディアを見てやれやれ、と手を振った。

 

「全く、何処で油を売ってたんだお前は!」

「るせえ! 2000ドルも手に入ったんだよ!」

「お前は遊ぶ事しか考えないのか!」

「お前だって何時も俺を叱りやがって!」

「二人とも黙れよ!!!!!」

 

 いがみ合う二者の間をレックスが割って入って更に大声でなだめた。

 

「ほらリョウ、レックスはお前よりずっと信用出来るぞ。見た目は整っているし、お前より話は分かるし聞き分けも良いし、何よりメリハリが付いている」

「知るか。俺にはギラギラした銀髪に長身で傲慢な胸のでけえ女の方が態度悪くて信用出来ないね」

 

 パシン、と平手がリョウの頭を突っ込んだ。

 

「デリカシーの一つも無いのかお前は!」

「お前だって……」

「もう良いから!!!!!」

 

 またしてもレックスは大声で怒鳴る羽目になった。

 

「それよりあの敵をどうするかだろう」

「たった1人じゃん。それにお前1人だけでも十分じゃね?」

「油断はならんぞ2人とも」

 

 サングラスの取れた男は髪色と同じ茶色い目で3人を観察している。サングラスの裏にある顔はこれといった特徴も無かった。

 

(これ以上は厳しいな、使おう)

 

 装着した首輪に手を触れる。長身の男は自分の体に無理矢理「エネルギー」が吸い寄せられる感覚を味わっていた。

 

「何……」

 

 何だ、とクラウディアが言い掛けたその時、

 

 相手が途轍もないスピードで突進し体当たり。1か所に集まった3人がバラバラの方向へに吹き飛ばされた。

 

 予想していなかった出来事に3人とも驚愕の表情を浮かべる。

 

 それぞれが地面に足を着けた時、大柄な男は猛スピードで逃走していた。

 

「俺が追う!」

「任せた!」

 

 走るスピードにジェット気流を重ね、追跡を始めるレックス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人相をフードで隠した暗殺者に対し、アダムは右半身を前に右拳を胸の高さに上げる。左半身は何もしておらず自然のまま。

 

 相手は唐突に左手の拳銃を向け、引き金を引き銃弾を発射する。音速の10倍、1秒で50発。

 

 常人にはそもそも目に留まる事も無い筈の銃弾をアダムは「感じ」ていた。その動きに合わせ体をスライドさせる。それだけで銃撃が避けられた。

 

 アダムは地面を蹴って後退していた自身を逆に方向転換し、向かって来る銃弾を着実に避けながら一気に距離を詰めた。

 

(分かる)

 

 駆け込みをプラスした真っ直ぐな裏拳気味のジャブが相手の顔面にクリーンヒットした。

 

 よろめき3歩下がった相手は銃を服の下に隠し、ナイフを持つ右手を体の前に掲げた。近寄り、刃を上下左右へ振り回す。

 

 それをアダムは相手の手首を掌で押さえて全て防いだ。

 

 少年の頭部を狙ったフック気味の刺突に対し、左拳を相手のナイフを持つ方の肩に叩き付け、腕が引っ込められる。

 

 向こうが右腕を出せば左拳で打ち止め、左腕は右拳で、右足を出して来れば左足で蹴り止め、左足は右蹴りで。

 

 打ってくる前に止める。しかも上腕や腿は重要な腱や筋肉があり、打ち込まれる痛みもある。暗殺者がフードの中で瞬きをしたのが見えた。

 

 暗殺者は苦し紛れにサマーソルトキックを繰り出す。突然だったがアダムは上体を後ろに倒して避けた。

 

 相手は宙返りと同時に後退し、足を地に着けた時点で拳銃を左手に持っていた。

 

 観戦していたアンジュリーナは変化に気付いていた。

 

「勝っている。でも……」

 

 目の前の戦闘を傍観しているアンジュリーナは、”今まで”はアダムが敵対する人物に負けないか心配だった。(手助けもせず傍観していたのは、いざとなった時に「中和」で相手の動きを止めようと思っていたからである。また、「中和」の際にアダムの動きを止めてしまう懸念もあった)

 

 だが今は考えが180度違っていた。アダムが暗殺者を殺す側に見えた。正確に相手の動きを読み、確実に攻撃を加える。無表情が一層怖く見えた。

 

 残酷さに満ち、慈悲が存在しない。例え命を奪おうとする相手でもアンジュリーナは気が気でなかった。

 

(殺さないで……)

 

 そんな少女の思惑を他所に、アダムは向かって来る銃弾を躱しながら呆気なく相手のすぐ傍まで辿り着いていた。

 

 正面からのナイフを持つ手を左前蹴りで弾き、手からナイフが落ちる。それをアダムは手に取った。

 

 目にも留まらぬスピードで前進したアダムは、その手に握るナイフを相手の左胸に突き刺していた。

 



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Inexplicable

 心臓からナイフを引き抜いたアダムはすぐさま刃を下腹部、首、そして額へ、リズム良く突き刺した。

 

 抵抗が無くなり、意思を失った暗殺者は重力のままに地面に伏した。

 

(終わりか、呆気ない)

 

 アダムは死体に目もくれず振り返った。

 

 その姿こそこの場唯一の観戦者にとってはショックな出来事だった。

 

(そんな、嘘……)

 

 何故死を忌まないのか、それが彼女には不可解だった。

 

「どうして殺したの……」

 

 返事はすぐに来た。

 

「なら何故殺さないという選択が出来る?」

「……だって、人が苦しむのは見たくない」

 

 その不合理な回答こそ少年には不可解だった。

 

「損害を考えないのか? ではアンジュ、君なら殺さずにどうするつもりだ?」

「それは……捕らえて捕虜に……」

 

 言い切る直前、死体が謎の発光をした。注目した途端、光が激しさを増幅する。

 

 アダムが飛び退き、アンジュリーナが両腕を顔にかざし、2人を熱と閃光が襲う。空気が急激に加熱された事による衝撃波が広がり、発光は止んだ。

 

 次に2人が確認したのは、暗殺者の死体が消え、死体があった場所では熱によって床が溶けていた事だ。

 

「……まさか、自爆?」

「だろう。捕虜にする意味も無かった。被害を被る可能性もあっただろう。しかしトレバーはどうしたのか。さっきから”感じ”ない」

 

 話題を捨て去ったアダムに対し、アンジュリーナは落ち込んでいた。何故彼はここまで残酷になれるのだろう、と……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの壁を突き破って飛ばされた挙句、蹴りまで喰らってコンクリートへ叩き付けられたハン。痛みに耐えながら起き上がると、既に敵対していた女性の姿を見失っていた。

 

 周囲を見る限り、破って出て来たビルと墜落した地点以外には街は無傷だった。

 

(退散か。あの首の装置、どうやら断続的な使用しか出来ないか身体への負荷が大きいのか、恐らく逃走用だと見た)

 

 市街地のど真ん中に出来たクレーターから出て来ると、集まって騒いでいる民衆達をどうしようかと片手で側頭部を押さえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てオラー!」

 

 地面を蹴る反作用による加速と、空気を操る事によるジェット機の如き加速を合わせ、早速逃走する男へ追い付いた。

 

 気流を操り、自分の加速ではなく相手の正面から逃げる反対方向へ突風を起こす。

 

 空気の壁に阻まれた男が足を止めた。レックスは逃さず多数の方向から空気の刃を切り付ける。

 

 しかし、男はその刃を正面からぶつかり、ねじ伏せた。傷が無かった。

 

 アサルトライフル型の銃で更に追撃するが、相手は怯む気配を見せない。それどころかレックスに向かって突進し出した。

 

 速過ぎて痛みよりも驚愕の方が大きかっただろう。レックスが認識した次の瞬間、相手は彼に膝蹴りを決め、それを感じた直後、投げられ地面に勢い良く叩き付けられた。

 

「何だ?!」

 

 痛みを忘れてレックスは驚き声を出した。相手は無視して逃走を再開し、やがて見えなくなった。レックスとクラウディアが走り着いたのはその直前だった。

 

「大丈夫か?」

「何とか」

「何だ今の? 恐ろしく速かったぜ。さっきと全然違う」

「分からん。だがあの首に付いていた輪っかからエネリオンを感じた」

 

 クラウディアの心配に無事である事を伝え、リョウの質問に自分の考えを述べた。

 

「さて、ハンにどう言おう……」

「待て、お前も一緒だ!」

 

 クラウディアは振り向き逃げようとするリョウの襟をぐいと掴んだ。

 

「ふざけんな! 折角の休みだってのにまたかよ!」

 

 レックスがため息をつき、クラウディアは腕を組んで唸った。

 

「分かったよ! 俺も行けば良いんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガルシア、ブラウン、共に離脱。派遣した「予備軍」も生体信号が途絶えました」

 

 ポールは指令室で部下の報告にも腕を組んだまま黙っていた。

 

「……もはやアンダーソンが覚醒したとしか思えん。テイラーはどうした?」

「現在足止めを受けている様です」

「繋げられるか?」

「出来ます」

 

 オペレーターが肯定と同時に通信を立ち上げた。ポールが即刻マイクの前に立つ。

 

「テイラー、作戦中止だが、アンダーソンはお前の丁度上に居る。お前に離脱を命じる代わりに覚醒の確認をしろ」

『了解』

 

 さて、とマイクから顔を遠ざけ、考え事をし始めた。

 

「アレクソン君どうかね?」

 

 丁度中佐が室内に入って来た。

 

「失敗です。アンダーソンは十中八九で覚醒したものだと思われます。現在生存者を撤退させています」

「そうか、残念だ……別に君を責めるつもりは無いが……」

 

 中佐は悩む様に頭を押さえた。

 

「中佐、別にアンダーソン無しでも「成功」の分析は可能です」

「……それは分かっている。まあ、実物があれば分析に手間が掛からんと思ってな……」

 

 ポールには納得出来る答えだったが、中佐はどこかぎこちない言い方だった。

 

(中佐は何故ここまでしてアンダーソンに拘るんだ? 今は摘出されていても「チップ」を埋めてあったのなら持ち出されたと分かった時点で自爆を命じる事だって出来た筈だ……いや、俺の考え過ぎか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレバーはヘルメットと黒い服装に隠れた相手の変化を見切った。もっともこの変化は一般人には全く分からないのだが。

 

(「エネリオン」の量が増えた? 首に何か隠れているな。一種の増幅装置といった所か)

 

 行動も予想外だった。ヘルメットの人物は突如床を蹴ると跳び上がり、天井を突き破って外へ大穴を空ける。

 

 不味い、と思った時にはトレバーもそれを追っていた。ただ、相手の方が圧倒的に速かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アダムがトレバーの気配が消えた事に気付き、アンジュリーナがアダムの残酷性を考え込んでいた頃、

 

 堅い床が破れる音。咄嗟に振り向いた2人。人相をヘルメットと黒い衣装で隠した人物の登場は突発的で2人に考える暇さえ与えなかった。

 

 ヘルメットの人物は姿を現すとすぐさま服の下から剃刀サイズのナイフを持ち、アダムに向かって投げた。

 

 途轍もないスピードで向かって来るそれを、アダムは避けようとしたが、

 

(速過ぎる!)

 

 信じるか否かの以前に認識が追い付かない。体を横へスライドさせても刃は突き刺さって……

 

 次の瞬間、飛翔するナイフが目に見えた。明らかに遅くなったのが分かった。

 

 何故かと疑問よりも、今は回避行動を続ける。ナイフはアダムの頬ギリギリを通過した。

 

 今度はトレバーが床に開いた穴から飛び出した。するとヘルメットの人物はナイフ投げの体勢から腕を引き戻した。

 

 アダム向かって飛んでいたナイフが来たのとは逆方向に戻り、ナイフは相手の手に戻った。

 

 そしてヘルメットから何か意味ありげな視線を送ると、その人物は圧倒的な速さで屋上から姿を消した。

 

「無事か?」

「ああ」

「ごめんなさい、私はあんまり……」

 

 大人からの質問に少年は無事を伝えたが、少女は苦しみの混じった声で答えた。

 

 アンジュリーナはアダムに右手を向けていた。そしてもう片方の左手は、彼女自身の下腹部から溢れる血を押さえていた。

 

「アダム君は、無事?」

「そうだが」

「良かった……」

 

 傷付きながら安心した様に言った少女は地面に崩れた。

 

「チャック。屋上に来い」

 

 通信機を耳に当て早口で言ったトレバー、返事は聞かなかった。

 

(まさかもう1本投げられていたのか? まるで分からなかった……それよりもだ)「あのナイフ、君が減速させたのか?」

「そうよ」

「何故自分を助けたんだ? 君自身の事はどうでも良いのか?」

「私が人を、貴方を、アダム君を助けたいからよ」

 

 少年に訴え掛ける様な言い方だった。納得出来なかった。不可解だった。何も理屈が無いのが分からない。

 

 丁度その時、チャックが慌ただしく階段から走って屋上に辿り着き、そしてアンジュリーナの負傷箇所に手を当て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アンダーソンから一定以上のエネリオンを感知』

「ご苦労、戻って来い……申し訳ありません中佐、また失敗です」

「そう気にするな。私の我侭みたいなものだ」

 

 中佐、正確にはポール・アレクソンから中佐と呼ばれている人物、は残り1人が離脱し、少数によるアンダーソン奪還作戦が完全失敗したと知ると、落胆の表情を浮かべた。そして彼は1人で部屋から出た。

 

 廊下には誰も居ない。このまま自分の部署に戻るとしようと足を動かした。

 

 中佐、文字通り階級は中佐だが、ある事情で彼は時に少将並みの権力を発揮する。この作戦も彼がポールに命じたものだ。

 

 本名、クリストファー・ディック。45歳。身長は175センチメートル、と白人にしては低い方の部類に入る。生まれつきの派手で年に合わない赤毛が悩みだが、短くしているだけで彼には染める選択肢は無いらしい。

 

 クリストファーは2つの事を考えていた。1つは逃げる様に足早に移動する事。そしてもう1つ。

 

(覚醒した……じゃあ”アダム”は目覚めたのか? ならば反抗的な行動も理解出来るが、まだ説明不足だ……)

 

 廊下には彼以外誰も居なかった。

 



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Paticipation

 新素粒子「エネリオン」、それは西暦2050年代かそれ以前、管理軍が発見されたと言われている。

 

 名前の由来は、それがあらゆるエネルギーへ自在に変化出来る、という性質を持つ故だ。

 

 宇宙空間のどこにでも存在し、それ自体に質量は無く、エネリオン自体がエネルギーを持っている訳でもない。

 

 だが、「変換」する事で条件に合わせて他のエネルギーに変換可能だし、法則を当てはめるにおいて概念的な質量は存在する。

 

「まあその話は面倒だし、先端分野だからすぐに理解するのは難しいだろうし、後にしておいて、ここまでは分かったかい?」

「分かった」

 

 ハンの説明にアダムは頷き答えた。

 

 アダムが屋上で暗殺者と戦いを繰り広げた時から1時間と少し。あの戦闘後、アンジュリーナはチャックに治療されて即座に回復し、アダムはトレバーから「良くやった」と言われた。そしてトレバーから目の前に居るハン・ヤンテイという人物を紹介され、この東洋人からあらゆる事を教わっている。

 

「そして、エネリオンは”普通の人間”には感じる事なんて出来ない。でも稀にそれを感じる事が出来る人物が居る」

「自分もそうなのか」

「その通り。エネリオンを感知し、更にはそれを吸収し変換しエネルギーに変える、それが出来るのが”僕ら”「トランセンド・マン」だ」

「エネルギーへ変換……具体的にはどうやるんだ?」

 

 トランセンド・マンは「能力」を行使する時、自動的に空間からエネリオンを吸収する。体表で吸収したエネリオンは脳へ集まり、そこで構造情報を変換する。ただし、変換されたエネリオンはこの時点では、まだエネルギーではない。変換されたエネリオンは作用させる身体の部位や神経の末端部へ送られる。

 

「ここがちょっと面倒だけど、分かりにくかったら言ってくれ」

 

 ハンはそう告げるとアダムが頷くのを確認し、話を再開した。

 

 トランセンド・マンがエネリオンを使用するに当たって、大きく分けて5つの能力がある。速筋力増大、遅筋力増大、身体耐久力増大、神経速度増大、そして「特殊能力」。ちなみにこれらを数値評価し、トランセンド・マンとしての能力をも測定する。

 

 前者4つは脳で変換されたエネリオンを各身体部位に送り、意識的・無意識的両方の場合で発動できる。具体的に変換するのは出力増大、負荷軽減に対する主には運動エネルギーとその他だ。

 

 そして後者一つ、先に言っておけばこれは個人によって内容が変わる。エネリオンを熱に変えたり電気に変えたり、被りはあるが十人十色とでも言うべきだろう。何故そういった特殊能力が決まるのかは分かってはいないが。

 

 話を戻せば、特殊能力は他とは違って意識的に行う能力であり、また行使する場合はエネリオンを手や足といった神経末端部に送り、そこから体外に放出。そして放出したエネリオンを作用させる対象に当てる事でエネルギーに変換される。

 

「と、こんな感じだけど……」

「武器を使っている者も居たが、あれもエネリオンによって強化したりしているのか?」

「ああ、何も無ければ決まった形のエネルギーにしか変換出来ない。その欠点を補うのが”僕達”の専用武器だ」

 

 すると東洋人は何処からか銃を取り出し、見せるなり少年に持たせた。

 

「この銃は使用者から送られたパターンを持たないエネリオンを吸収すると、この内部に組み込まれた特殊回路によって「銃弾」に変換する」

「銃弾?」

「具体的には、ある量のエネリオンをある速度で発射し、命中した物体を破壊するエネルギーを与える。エネリオンの加速自体にエネリオンを消費するから弾速を上げても威力は損なわれるし、下げて威力を上げても当たらない」

「待ってくれ、加速にまたエネリオンを消費する、という事だが、質量は存在しないのではなかったのか?」

 

 ハンが困った様に頭を掻いた。

 

「そこが面倒な所なんだ……簡単に言えば「疑似質量」なるものがあって、それが運動エネルギーの法則に当てはまるんだよ……済まないが、これ以上は難しいからストップさせてくれ。その内専門家にでも説明してもらうよ」

「分かった」

「ええと……エネリオンやトランセンド・マンに関する認識はこれ位で良いと思うけど、質問はあるかい?」

 

 アダムは間を空けず即返答した。

 

「トランセンド・マンと普通の人間は何が違う?」

「良い所に気付くね。これも不明な箇所が多いが、エネリオンを感知・操作出来る以外には大した違いは無いんだ。外見は見ての通り普通の人間と同じだし、DNAだって0.002パーセント以下の違いしか見つかっていない。身体・器官・組織・細胞の構造だって違いは無いんだ。強いて言うなら、DNAのほんの少しの違いがトランセンド・マンとしての能力を持っていると考えられているけど、詳しくは今も解明されていない」

「そうか……科学は物事を次々と解決するが、それと同時に疑問を作り出している様だな」

「良い事を言うね。僕には、科学の研究が最終的に何処へ行き着くなんて想像も付かない……」

 

 話が逸れているのでハンはここらで戻す事した。

 

「アダム、僕達反乱軍の事は簡単にアンジュリーナが説明したと言っていた。どの程度の認識だ?」

「……地球管理組織の管理社会化を阻止する、と」

「もう少し深く言えば、僕らが管理社会化を恐れている一番の要因は、人類が精神活動を行えない事だ。管理社会は確かに合理的で安全ではある。でも進歩が全く起こらない。人類は不安定になる事で成長し、発展する。それは動物なら必ず生まれ持つ精神に起因している。でも精神は時に人類を滅ぼしかけた事すらある。それを踏まえて管理社会を実現しようとしているんだろうけど……」

 

 ハンは言葉を切った。

 

「ここからが大事だ。特に人類が持つ精神は人類自身の長所であり、短所である。短所を無くすのは良いが、それと引き換えに人類は長所を失ってしまう。物事は何でも表裏一体だ。二つのどちらかが突出しても欠けも成り立たない。ならば精神を持たない人間は人間と言えるのだろうか」

 

 少年はきょとんとしていた。その一方で聞き入っていた。

 

「……これは僕ら反乱軍を生んだ人物の言った言葉だよ。これこそ僕らに人間が人間たる理由だと思う。僕だって人間が人間らしくあるべきには精神が不可欠だと思う。「人間」として「生きる」事、これが僕らの目的だと思ってくれ」

「人間として生きる……」

 

 アダムの意識が現実から遠のいた。

 

 無機質な白い廊下を走っている。

 

 逃げたい。だが追われる。

 

 逆らう。だが鎮圧される。

 

 この間はほぼ一瞬。現実に戻った。その時、アダムはハンの意見を受け入れていた。共感していた。

 

「大丈夫かい?」

 

 黙っていたアダムの顔色を窺っていたハンが訊いた。アダムは無言で頷き、肯定を示した。

 

「アダム・アンダーソン、君に訊きたい。この考えを理解出来るかい?」

「ああ、出来る。受け入れられる」

「そして頼みたい、アダム・アンダーソン。どうか僕ら反乱軍に加わり、協力してくれるだろうか? その代わり、僕ら自身君の助けになりたい」

 

 ハンは友好的な態度を変えていなかったが、口調は緩やかさが抜け引き締まっていた。

 

「協力したい……自分は管理軍から逃げたかった。何故か覚えている。自分の意思を管理軍は拒絶した……だが、反乱軍は違う。自分を受け入れてくれている」

(逃げていた……アンジュリーナは廊下に捨てられた様に横たわっていたと言っていたが、恐らくこれか)「……アダム、この先厳しい事は避けられないだろう。それでも僕らに加わってくれるかい?」

「勿論だ」

 

 ハンが椅子から立ち上がり、アダムに向かって右手を差し出した。アダムも立ち、同じく右手でハンの手を握る。握手する。

 

 アダムの心の半分は晴れていた。しかしもう半分は疑問に曇らせていた。その様子を外側から判断する事は出来ない。

 

(どうして自分は逃げたかったんだ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アダムがハンと共にビルの一室から出て来ると、廊下には見慣れた人物達の姿があった。

 

「おっ、話済んだか。その調子だと良い事でもあったか」

 

 ハンに親しく話し掛けたボサボサな茶髪で体格の良い男性は、隣のアダムへ目をやった。

 

「俺はリョウ・エドワーズ。なあ、これ食うか?」

 

 リョウは初対面でもフレンドリーに話し掛け、手に持っていた紙の包みを、アダムの有無を言わせる前に渡した。

 

「スペアリブ、美味えぞ。特に脂肪が良いんだ。直火だから油が適度に落ちてるし、焦げも良い。女のケツみたいなもんだ、大き過ぎても小さ過ぎてもダメで……」

 

 リョウの語りはここで中断された。背後からチョップがリョウの頭を叩いた。

 

「誰の尻だって?」

「別にお前のとは言ってない。お前はなんでそんなデケえんだよ」

 

 リョウは後ろから自分を叩いた銀髪長身の女性の体つきを見ながら言い返した。服の上からでも分かる大きさの胸と尻、引き締まったウエスト、そして……バシッ!

 

「お前は何で何時もそんな事ばかり考える? そうしないと生きていけないのか?」

「少しは加減しろよ。ジョークは生きがいだぜ。呼吸しなきゃ生きていけないのと同じだ」

「かといって初対面の者に冗談、しかも下ネタなんて言うか? ついでにセクハラだぞ」

 

 口論する2人を呆然と見守るその他。その中の1人の少女がアダムへ寄って来た。

 

「あの銀髪の人はクラウディアさんだよ。何時もリョウさんとあんな感じなの」

「……」

 

 アンジュリーナが説明するが、アダムは何も言わない。目に映る風景に呆れているのか、それとも違うのかは分からないが。

 

 喧嘩する2人に黒髪の白人が疲れてやる気無さそうに仲裁に入った。

 

「2人ともまたしょうもない事で揉めるなよ。夫婦喧嘩は人前でやらんでくれや」

「「誰が夫婦だ!」」

 

 ところが冗談を利かせた台詞は2人を止めるどころか黒髪の白人をも喧嘩に巻き込んだ。

 

「あの人がレックスさん。毎回3人はあんな感じだけど……」

「……」

「レックス、本当に毎度ご苦労さんとしか言えないよ……」

 

 アンジュリーナが何時もの事の様に呆れて言い、アダムはまたも黙っている。その隣で嘆いたのはハン。

 

「本当はもっと居るけど、他は今の所不在かな。そういやストーン先生やトレバーも居ないけどまあ良いや。改めて紹介しよう、これが”僕ら”だ」

「……」

 

 ハンがアダムへ言うが、アダムはまだ口を開かない。

 

 気付けば口論していた3人は、知らぬ間に笑い合っていた。

 

「……大丈夫、私達は必ずアダム君を受け入れるから」

 

 アンジュリーナに言われたが何も言わなかったアダム。しかし固い表情が幾らか和らいだ様に見えた。

 

「それより、食えよスペアリブ。ブリトーもあるぞ。俺が全部金出したぜ」

「あっ、さっきまで金払いたくないとか言ってたクセに」

 

 リョウが提案し、クラウディアが乗っかる。アダムは言われた通り渡された包みの中の肉を齧った。

 

「美味い」

 

 連鎖反応の如く肉を食い続けるアダム。それを見て一番嬉しそうだったのはアンジュリーナだった。



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