宗教自治区ダアト。それは、予言に全てを委ねるこの世界において、途方もない権力をもつ名前だ。導師と呼ばれる存在が世界のシナリオを詠み、みんなその通りに行動する。予言に支配された世界、僕はそう思っている。人の感情も、出会いも、生き方も自分で考える事を放棄して、世界を回す歯車になる。そんなものは救いじゃない、ただの呪いだ。
「僕は……」
薄暗い牢獄の中で、一人の少年が呟くように声を出す。腰まで届くほどの黒髪に黒の隻眼、足には囚人用の重しが繋がれている。空っぽの右の眼窩から流れ落ちるのは、影ともつかない何か得体の知れないもの。まだ、片手で数えられるであろう年齢の僕は、トリスタン。トリスタン・ゴットフリート。絶対の狙撃手にして、ダアトが他国に誇る、もう一つの抑止力。
「予言が……そうか、予言が……!」
自分でも分かるほどに、僕の声は怨嗟に満ちていた。強くはを噛みしめながら、ここに繋がれる直前の事を思い出す。僕の好きだったあの人たちが住むこの国。あの人たちが平穏に、幸せな人生を送るためならと、僕は銃を手にとった。数えきれない程の人を手にかけた。僕が泥を被ればいいなら、喜んで引き受けようと思った。そして、とうとう僕の銃口は大切なその人たちへと向いた。
身じろぎ一つしない。まるで死体の様にだらりと垂らされた手は、かすかに震えている。
「あれは、要らない!あんなものは必要ない!」
ダアトの一勢力が反乱を起こした。派閥によるいさかいが表向きの原因らしい。僕は知っている。あの人たちはそんなことをする人たちじゃないと、優しい人たちなんだということを。
看守すらいない牢獄に、僕の叫びだけが響き渡る。
「なら、俺は壊そう。あの人たちのような犠牲を強いる世界は要らない!」
僕はあの人たちを殲滅した。他でもない、あの人たちがそう願ったから。引き金に手を掛ける僕へ、ごめんなさいと謝りながら死んでいったあの人たちが。予言に書いてあったから、反乱を強制された!繁栄の予言にたどり着くための、必要な犠牲としてその命を散らさせた!
「……大詠師モース」
肩で息をしながら、今回の反乱を強制させた怨敵の名前を思い出す。行動の指針は決まった。恨みだけではない、何より、あの素晴らしい人たちの教えだからだ。
「『人はみんなが思っているより、少しだけ強い』」
いつしか口癖となったその言葉。今日まで僕を支えてきてくれた信念。呟いてみると、瞬く間に気分が穏やかになった。
「ああ、なんだ。今までとやることは変わらないじゃないか」
いくら泥をかぶることになろうとも、僕は僕の信じる人間の強さのために予言を消そう。心も決まった。後は手段だけだ。とりあえず今は、体を休めることにしよう。
僕は目を閉じるとすぐに眠りについた。陽光が差し込み、薄汚れた牢獄に眠る彼はまるで一枚の絵画の様に見えた。全てはここから始まる。この、どこか暖かい牢獄から。
・・・
そして、ND2015。あれから13年の月日が流れた。僕は今、戦へと駆り出されている。最初から負け戦と決められている戦争だ。それもダアトの兵は全滅するという予言によって。
「はぁ……」
僕は深くため息をついた。
クソ忌々しい予言が在る限り、人は何度でも繰り返す。一刻も早くこの支配から解放せねばならない。
「しかし、丁度いい共犯者が見つかった」
思い返すのは、神託の盾オラクル騎士団団長のヴァン。従順なふりをしているが、あれはまるで違う。僕と同じだ。
眼帯を外すと、瘴気のような影が右目から漏れる。そして、一瞬の発行の後、コンタミネーション現象により自身に仕込んでいた巨大な銃が現れた。怪銃『フェイルノート』。8メートルを超える銃身に、後方へと延びる七枚の羽根。無数の杭が地面へと突き刺さり固定すると、どれほど離れているかすら分からない戦場へと向かって、引き金を引いた。轟音に伴ったすさまじい衝撃が辺りに響き、すさまじい破壊力を持った弾丸が飛ぶ。
「ふぅ…これでいいかな。いい具合にヴァンに貸しが出来た。やっと接触できる」
狙ったのは、壊滅寸前のキムラスカ軍と、それを追いたてようとするマルクト軍の丁度真ん中。僕の放った弾丸は、寸分の狂いもなく着弾し、小さな地割れを引き起こした。何が起きたのか全く分かっていないマルクト軍は狂乱状態に陥っているが、指揮官が優秀なようで、すでに体制の立て直しを始めている。
「あんなのが敵にいたんじゃあ、キムラスカ軍が壊滅する訳だ」
とはいえ、僕の出番は終わった。ヴァンが率いる神託の盾騎士団が、この隙に撤退を出来ないというのなら、僕の見込み違いだ。他の手段を探すしかなくなる。
「さて、僕は一足先にダアトに帰るとしよう」
『フェイルノート』が光の粒となり、右目へと吸い込まれていく。僕が立ち去った後に残ったのは、衝撃によって不自然に破壊された地面だけだった。
・・・
その後、戦争の後処理に奔走していたヴァンが返ってくるまでに数ヶ月かかった。その間、僕は僕でマルクトへと赴き、皇帝への謁見をしたりしていたので、都合がよかった。
「掛けてくれ。少しばかり、話したいことがある」
「……はい。それでは失礼します」
僕の私室に尋ねてきたヴァンを迎え入れ、座るように促す。ポーカーフェイスを保っているが、内心気が気ではいられないだろう。自慢じゃないが、僕の噂はたいてい黒い。
「まどろっこしいのは好きじゃないんだ。率直に言わせてもらう。僕も君の計画に混ぜろ」
「お言葉ですが、なんの事だか私には分かりかねます」
「腹芸がしたいわけじゃないんだよ」
そう言って、この日のために作成した資料を机の上へ出す。ヴァンの計画についての詳細なデータだ。見る見るうちに顔色が変わるのが見て取れる。
「もう一度言う、僕を計画に混ぜろ。予言は…あれは人類に必要ない」
牢獄でのあの時から、僕は一歩も前に進んでいない。ありったけの憎悪を片方しかない瞳に宿し、ヴァンを見つめる。
「……分かりました。では後日、あらためてお話を伺わせていただきます」
「まあ、待て。これを持っていけ」
立ち上がり、部屋を出ようとするヴァンを引き留め、僕はもう一つの紙の束を取り出す。怪訝そうにこちらを見るヴァンだが、書類に目を通すと、眉根を寄せた。
「僕の資料だ。もちろん極秘扱いだが、どうせ調べるつもりだったんだろう?だがその時間が惜しい。行動を共にするなら、出来るだけ早い方がいい」
「近日中に必ずや」
丁寧な一礼をして、ヴァンは部屋を後にした。最後の表情を見るに、とりあえずは上手くいったと見てよさそうだ。
「ふー肩凝ったぁ。やっぱこういうのは慣れないな」
両手を頭上で組み背伸びをする。条件の一つ目をクリアし、とても上機嫌だ。ポケットから白い手袋を取り出すとはめる。先ほど資料を渡したヴァン以外は知りえない奥の手の一つだ。手をぶらぶらと揺らし軽くストレッチをすると、突然壁を殴り、ぶち抜いた。
「盗み聞きは感心しないな」
目線の先には、金髪を後ろで束ねた女。見覚えはない。
「誰だ、お前は。狙いはヴァンか?それとも僕か?どちらにせよ生かして返す気はないけどね」
無造作に歩いて距離を詰める。手袋が発光し、赤と青、二つの小さな光の玉が発生すると公転する衛星の様に、僕の周りを浮遊し始めた。
「貴様もヴァンも殺してやるッ!予言を知りながら、マルセル・オスローを!私の弟を見殺しにしたお前らだけは!」
捨て鉢になり、激情に駆られて心の内を吐露する女。それは、あの時の僕に酷く重なった。ああ、そうか。この子はまだ、怒りの矛先が定まっていない僕だ。ならば放っておくことは出来ない。結果、何を恨むかは分からないが、知らないままよりはましだろう。
「止めだ。少し来い、特別講義をしてやる」
一触即発の空気は瞬く間に霧散し、女は呆けた顔のまま突っ立ている。何を言ってるのか分からないと言った表情だ。まあ、無理もないとは思うが。
「早くしろ」
「……いったい何を、私は貴様を殺すと言ったはずだが」
「丸腰のままでよく言うもんだ」
「くっ!」
心底悔しそうな顔をしながらこちらを睨みつけてくる。
「良いからついて来いオスロ―。話次第では、この首を君に差し出すことも厭わないぞ」
こうして一人、僕は同志を得た。目的を果たした時に僕の命を差し出すという契約の元に。
・・・
そして再び時は流れ、ND2017。士官候補生としての実地訓練のため、ヴァンの妹のティアがダアトに来た。オスローがリグレットと名を変え、直々に仕込んだらしい。リグレットの専門は銃なのでどうかとも思ったが、実際のところ他の候補生から頭一つ抜きでている。もしかしたら教官は、あいつの天職なのかもしれない。
「トリスタン謡将。準備が整いました」
「分かった」
短く告げると、眼帯を外し『フェイルノート』を顕現させる。その迫力に圧倒され、周囲の人間が息をのむのが分かる。現在、エリートコースまっしぐらな士官候補生へ、僕と言う存在のお披露目をしている。理由は、これがダアトの持つ最大の武力だから。将来の出世が約束されている、彼ら彼女らには知っておいてもらった方がいい。それが忌々しい大詠師モースの決定。今はまだ、逆らう訳にはいかない。
「リグレット奏手。カウントを」
「はい」
怨敵を前に、以前の様に取り乱すこともなく、落ち着いた声音でカウントダウンが始まる。3…2…1…。いつものように引き金を引く。いつぞやの戦争の時とは違って、威力は抑え目だ。見物客がいるところでそんなことしたら、それだけで吹き飛んでいってしまう。
「着弾確認。次弾…はないのか。よし、それじゃあリグレット、僕はもう戻るよ。後で訓練見に行くから、よろしくね」
「……トリスタン謡将」
「はいはい、分かってるって。これにて、超長距離狙撃兵装『フェイルノート』の見学会を終了する。各自、その目で見たことを忘れないように。……忘れると怖ーい教官に怒られちゃうからね」
ジャキ、という音がした。リグレットが自分の銃に手を掛けた音だ。結構目が本気なところがシャレになってない。
「ま、まあそういう事で、僕は次の執務に移るよ。なにか話だある人は、リグレットに言ってくれれば僕と連絡取れるようになってるから」
そう言って眼帯を付けると、僕は逃げ出すようにその場を後にした。殺し殺されそうな、あの出会いから二年ほど経ち、冗談を言えるくらいには打ち解けた訳だが。なぜか以前より僕への発砲回数が増えていたりする。実は酔うと結構アレな人だったのだ。
「何一人でニヤニヤしている。意味が悪いぞ」
振り返ると、赤い長髪をした眉間にしわを寄せた少年、アッシュだ。
「相変わらず君は口調がキツイな。そんなんだから部下が50人しかいないんだよ」
「うるせえ!第一、お前だって30人しかいないだろうが!」
「僕はほら、一応特殊な役職の長だしさ」
「確かに導師守護役が大量にいても困るが…」
導師守護役、僕は現在、そのトップに君臨している。確かに、ダアトの防衛の要である僕は、導師を守ってると言えなくもないが。どう考えてもお飾りだ。
「それで、君がわざわざ世間話のために僕を待ってたとは思えないんだけど。何か用かな?」
「……ヴァンのやつから伝言を頼まれた。妹の事をよく見張っておいてくれ、だそうだ」
アッシュはうんざりと言った顔をした。きっと僕も同じ表情をしている気がする。
「あいつ、アレだな。前から馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど。想像を越えた馬鹿だったんだな」
「同感だ。ここまで妹に甘いとは思わなかった」
互いにため息をつきあう。
「それじゃあ、俺はもう行くぞ」
踵を返すと、すぐにここから立ち去っていくアッシュ。あの伝言の為だけに僕を待つあたり、根はいい奴なのだ。
「さてと…」
気を取り直して、僕は僕の仕事に向かうとしよう。とはいうものの、基本的に特殊任務か、導師守護役の育成、それと雑務しかない。今日は導師守護役、地獄の特別補習訓練。要するに、よくサボる人形士のアニスをお仕置きするための日だ。
「楽しみだなー。なあ、アニス」
鼻歌を歌いながら振り向くと、柱の陰からこちらを除いていたアニスがいた。見る見るうちに顔面蒼白になり、悲鳴を上げながら逃走を試みた。僕の平和な日常は続く。
・・・
訓練の結果ボロボロになったアニスを部下に任せた後、僕は無駄に豪華な装飾のされたドアの前にいた。『フェイルノート』のメンテナンスの道具を貸してもらうため、ディストに会いに来たのだ。
「ディストー居るか?メンテの道具借りに来たぞー」
トントン、とドアを叩くも反応がない。不在なのか。
「仕方ないな…。あいつ、いつ帰ってくるか分かったもんじゃないし、諦めよう」
全ての始まりとなるだろうND2018まで、まだ少し時間がある。今すぐに『フェイルノート』を使わざるおえない事態は起こらないだろう。予定の開いてしまった僕は、とりあえず自室へ戻ることにした。
「やっと戻ってきたか」
「なんでここにいるんだ、リグレット。鍵掛けておいたはずなんだけど」
自室の扉を開けると、リグレットが我が物顔でコーヒーを飲んでいた。
「鍵を入手するくらい容易いことだ」
「いや、難易度を聞いてるわけじゃないです」
「冗談だ。お前に話があってな」
軽く笑いながらそう言っているが、本当に冗談なのか実に怪しい。
「で、話ってなんだ?」
僕が促すと、リグレットは神妙な顔つきをし、語りだした。
「これから先、互いにいつ死ぬとも限らん。その前に腹を割って話がしたい」
少し驚いてしまう。あれからの月日の中で復讐を捨て、未来へと歩き出したリグレットは参加するはずがないと勝手に思い込んでいたからだ。
「まどろっこしいのは性に合わないのでな。単刀直入に言う、私にお前を手伝わせてほしい」
この日、僕とリグレットは本当の意味で同志となった。
・・・
ND2018。運命の歯車は回り始めた。予言によって狂わされた世界を破壊するべく、僕は立ち上がった。痛みを知る者同士傷舐めあっていた、あの暖かな時間はもうおしまい。ここからは身を切りながら進む血の道だ。だがまあ、そんなものは慣れている。さあ、計画を始めよう。
オリ主はヴァン陣営です。
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一話
いつも通りに仕事をしていると、アリエッタが慌てて執務室に駆け込んできた。
「何、導師イオンがいなくなったって?」
「そうなの。イオン様いなくなっちゃった…。ついでにアニスも」
「とりあえず、犯人は分かったも同然な訳だけど」
まいったな。僕の立場的に追跡し、連れ戻さなくちゃならないか。アニスの馬鹿は後でお仕置きだな。
深いため息をつきながら立ち上がり、あらかじめ用意してあった、遠出する旨を書き記した手紙を自分のデスクの上に置いた。
「アリエッタも来るか?」
視界の隅で、不安そうに震えているアリエッタに声を掛ける。
「はい!お願いしますトリスタン!」
「謡将を付けろという言うに」
大げさに呆れた顔を作りながら、微笑みかけた。
「そうと決まれば善は急げだ。支度をして来い、待っててやるから」
僕の言葉を聞いたアリエッタはドアの前まで歩いていくと、ゆっくりと開いた。その先には見覚えのあるカバン。アリエッタのものだ。
「もう準備してあります」
「そうか……」
腰に手を当てて胸を張りながら言うアリエッタ。
普段は大人しい娘なのに、導師イオンが絡むとアニス級の暴走をする。まあいい。ともかく、準備が出来た。速いとこ出発してしまおう。
・・・
そして数日後。導師イオンの足取りを追っていると、エンゲーブの近くで目撃したという情報を手に入れた。
「チーグルの森か、それも一人で。アニスは何やってんだよ」
「イオン様が危ない!トリスタン、早く行こう」
「それもそうか。よし、まずはチーグルの森へ行くとしようか」
アリエッタに急かされつつ、僕たちはチーグルの森へ向かった。しかし、その途中。
「ママの匂いがする」
「なに?」
怪訝そうな顔で、呟くようにアリエッタが言った。しかし、それが本当なら、導師イオンも危ない。
僕は急ぎ眼帯を取り外すと、『フェイルノート』を展開する。
「アリエッタ、森の一番奥だ!急げ!」
突然のことに少し面食らいながらも、一瞬の事。次の瞬間には森の奥目指して駆けだしていた。流石に優秀だ。
「間に合えよ……っ!」
森の奥では、ライガクイーンが今まさに、マルクト軍人の譜術による雷に貫かれようとしている。幸い、あの波長は三年前の戦争で見たことがある。
「三番、セット!」
七枚ある羽のうち、一枚が発光して音素を帯び始める。技の威力、振動数それらを完全にコピーし、相殺させるための弾丸が出来上がる。
「疑似譜術弾・第三音素、シュート!」
トリスタンの放った弾丸は、亜音速で森の奥へと飛んでいった。その着弾を確認するまもなく、全速力でアリエッタを追う。
「どうやら、間に合ったみたいだな」
目的の場所までたどり着くと、そこにはライガクイーンの前に立ちはだかるアリエッタと、それに対峙する四人と一匹がいた。
・・・
マルクト軍人のジェイド・カーティスは焦っていた。イオン様の願いを受けて連れ出すことに成功したものの、チーグルの森へと問題解決のために一人で行ってしまった。それは、まだいい。どうにか被害が出る前に追いつくことが出来た。
「イオン様にダアト式譜術を使わせてしまったのは頭の痛い事態ですか」
眼前の桃色の髪をした少女を見据えながらぼやく。妖獣のアリエッタ。神託の盾騎士団が誇る六神将の一人。幼いながらも、先ほどから隙を一切見せていない。それも、赤毛の少年と栗色の髪の少女の攻撃をしのぎつつだ。剣を振り下ろそうとすれば、回避され。譜術は発動前に潰されている。
「出来る事なら、私も攻撃に回りたいのですが……」
それが出来ない理由はただ一つ。ジェイドの術を相殺した、あの砲撃だ。あれは、以前の戦争でも見たことがある。いくつもの戦艦の障壁をぶち抜いた、マルクト軍にとっては忌避すべきもの。ダアトの守護神、トリスタン・ゴットフリートのものに相違ない。
「ライガクイーンを退治するだけだと思っていましたが、どうやら事は大事になってしまったようですね」
極限の緊張を張り詰めて、いつ来るかも分からない砲撃を警戒しながら、ジェイドは静かに頭を抱えた。
・・・
「なんだお前は!」
突然現れた僕に対して、どこかアッシュに似た赤毛の少年が怒声を浴びせる。間違いない、あれがレプリカのルーク・フォン・ファブレなのだろう。そしてその隣には、見知った顔がある。
「ティア……?お前こんなところで何してるんだ?」
「ト、トリスタン謡将なぜこんなところへ!?」
「僕は、ほら。導師イオンの捜索してたんだけどさ」
ちらり、と目線をイオンへと向けると、罰の悪そうな顔をしている。そう言う意味で言ったわけじゃあないんだけどな…。
「少し待っていただけますか」
眼鏡をかけた男が話しかけてくる。。三年前の戦争以来、僕に事あるごとに嫌がらせを仕掛けてくる性悪だ。ディストとは子供の時からの仲らしい、とディストが言っていた。
「何ですか、死霊使いさん。僕は今から、導師イオンとお話をしなくちゃいけないんで忙しいんですが」
「まあまあ、落ち着いて下さい。せっかちな人は嫌われますよ?」
「嫌われ者なんて今更だし、お互い様だろうに」
「ははは。あなたみたいな化物と同列なんて、常識で物を考えてください」
「お前な……」
口喧嘩では一生勝てない気がする。
「俺を無視すんなよッ!」
しびれを切らしたルークが大声を上げる。今にも跳びかかって来そうだが、まあ問題はないだろう。アルバート流なら、ヴァンとアッシュとの手合せで何回も見ている。
「止めときな。その剣はよく知ってるんだ。君の師匠ならまだしも、君じゃあ僕の相手は出来ないよ」
「ヴァン師匠を知ってるのか!」
予想もしていなかった言葉に、目を見開いて驚くルーク。僕に向けられていた剣は、すでに地面を向いている。
「仕事の同僚だし階級も同じだから、結構話すことも多いんだよ」
さらりと口から嘘が出る。ダアトで働く上での必須技巧だ。あの場所にいる奴らは、師団長クラスとヴァンを除き、権力への執着が半端じゃない。その筆頭が大詠師モースだ。外見通りに相当あくどい。
「そういう事で剣を収めて、この場から立ち去ってもらえると助かるんだけど」
無言のまま導師イオンと僕以外のメンバーを睨んでいるアリエッタが、今にも爆発しそうだ。
「一つ、分からないことがあるのですが」
「なにかな?」
ジェイドの発現に対し、露骨に嫌な顔を作りながら言う。
「なぜ、ライガクイーンを守るのでしょうか?あれは人にあだなす魔物ですよ」
「アリエッタはダアトに来る以前、ホド戦争で両親を亡くして魔物に育てられたんですよ。そしてこのライガクイーンがそうです。この場所がダメなら僕が場所を用意しましょう。幸い、一つ候補地の覚えがある」
「……大変失礼したしました。それならばそちらに一任しましょう」
「助かる」
「いえいえ、貸し一で結構ですよ」
とてもいい笑顔だ。一瞬でも感謝した僕がバカだった。この鬼畜メガネ、腹黒さなら世界一ではなかろうか。
「それと、導師イオン。僕はやることが出来てしまったので、アニスに伝言を頼んでよろしいですか?」
「え、ええ。なんでしょうか?」
突然話しかけられたイオンが狼狽する。
「帰ったら特訓な、とお伝えください」
「分かりました。それで、あの。やはり僕は、ダアトに戻されてしまうのでしょうか…」
俯きながらイオンが言う。
「お顔を上げてください導師イオン。僕はあなたが危険でない限り、行動の制限はしないつもりですよ。それが導師守護役の務めですから」
「それではっ…!」
「導師イオンの目からは強い意志を感じます。僕が止めたところで無駄なのでしょう。一つだけ約束を守っていただけるのならば、何も言いません。この場は非公式ですしね」
一旦言葉を区切り、真剣な顔で見つめる。
「必ず、無事にダアトに戻ってくること、それが条件です。守っていただけますか?」
「はい!」
喜んでいる姿は無邪気な子供にしか見えない。導師イオンの出生を知っている僕としてはやりきれない思いでいっぱいだ。
「それでは行ってください。そろそろアリエッタを押さえておくのも限界です」
「分かりました。それと……、許してくださいアリエッタ。君の家族を危険にさらしてしまいました」
「行ってください、イオン様」
頭を下げるイオンを極力見ないように顔を背けるアリエッタ。憎めたらどんなに楽だろうかという顔をしている。導師イオンとライガクイーン。アリエッタにしてみれば大好きだったもの同士の争いだ。
「みなさん行きましょう。我々がここにいてはライガクイーンも気が気ではないでしょうし」
ジェイドのその言葉に従い、僕とアリエッタ以外の人間はいなくなった。
「じゃあ、僕たちも行こうか。彼女を説得してくれるか?」
「……分かりました」
ようやく安全が確保されたとみると、構えを解いてライガクイーンの方へと駆けて行った。久しぶりの親子の再会を邪魔するのも無粋な話だ。少し外に出てようか。
「あの、トリスタン!」
不意に呼びかけられて振り向くと、深く頭を下げているアリエッタ。
「ママを助けてくれて、ありがとうございました!」
「どういたしまして」
僕は、微笑みながらそう返して、そそくさとその場を後にした。心から頭を下げられるほどに大切なものを持っているアリエッタが、少しだけ昔の自分を思い起こさせたから。
・・・
ライガクイーンを案内したのは、ダアトの近くにある、とある廃村の近くの森。僕が数年前に、貯金を全てつぎ込んで買った土地だ。
「ここで満足してもらえると助かるんだけど」
「大丈夫です。ママも気に入ったって言ってます」
「そうか」
無意識のうちに声が弾んでいたようで、アリエッタが珍しいものを見た、という顔をしている。
「ここは僕の故郷なんだ。今はもう誰もいないけど、それでもこの場所は僕の大切な場所でね。気に入ってもらえたなら良かったよ」
グルル、と喉を鳴らすライガクイーン。言葉は分からなくても、なんとなく気持ちは伝わってきた。僕を育ててくれたあの人たちと同じような暖かさ。きっとこれが親愛というものなんだろう。
「アリエッタ。君は決して、なくしちゃいけないよ」
空を仰ぎながら言うと、アリエッタは静かに頷いた。
・・・
戦艦タルタロス。マルクト軍が誇る最新鋭の軍事艦だ。チーグルの森での一件の後、ルークとティアはジェイドの指示で、この艦に保護されていた。現状の説明と、これからについて話をするためだ。
「そういえば、あのヴァン師匠の仕事仲間とかいう胡散臭いやつ。あいつ何者だったんだ?」
一通りの説明が終わり話がまとまったころ、唐突にルークが口を開いた。
「トリスタン謡将の事?」
「え、えぇ!?あの人来てたんですかぁー!?」
ルークが何かを言い返すよりも先に、アニスが強い反応を示した。顔を青くして冷や汗をかいている。
「そうです。トリスタン謡将からアニスに伝言があるんでした。えっと、『帰ったら特訓な』だそうです」
「あわわ。もう亡命するしかないかもぉ……」
がっくしとうなだれたまま、アニスは動かなくなってしまった。
「アニスの事はしばらく放っておいてあげましょう」
そう言って同情するようにアニスを見つめるティア。実はリグレットに強制され、トリスタンの特訓を受けたことのあるのだ。僅かに顔を青くしている。
「それでは、僭越ながら私が説明いたしましょう」
放置されたルークが怒り出す予兆を感じたジェイドが、それを妨げるように口を開いた。
「トリスタン謡将。フルネームはトリスタン・ゴットフリート。神託の盾騎士団の中でもトップクラスの武勇を誇る人物です。特技は超長距離からの狙撃。いえ、あれはもはや砲撃と言っていいレベルでしょう。正直、狙われたら命がいくつあっても足りません」
「私も実際に見たことがありますが、あれはすごかったです」
「おや、それは羨ましいですね。私は発射後の現場しか見たことがないものですから」
「それで、ヴァン師匠とはどういう関係なんだ?」
話の流れをぶった切ってルークが聞く。
「彼が言った通りの関係で間違いないでしょう。噂によるとトリスタン謡将は、片手で数えられるくらいの年齢の時から神託の盾騎士団に在籍しているという話ですから。ヴァン謡将と階級も同じですし、話をすることはあるでしょう」
「ヴァン師匠と同じ階級!?あんなやつが!?」
「その言い方は失礼よ、ルーク」
純粋に驚いているだけのルークだが、その言葉をどうにも口が悪く感じたティアが諌めにかかる。
「だって、あいつ大したことなさそうだったぜ」
「それは間違いですよルーク。トリスタンはいるだけでダアトを戦火から守ってくれています」
「はあ、なんだそれ?」
「抑止力、と言うやつですね。彼の狙撃はそれだけの脅威となっています。本気を出したら、ダアトから両国の首都を狙えるという冗談もあるくらいですから」
ははは、と笑うジェイドだが目は笑っていない。
「と、話はこの辺にしておきましょうか。後は―――」
ジェイドが何かを言いかけたその時、警報が鳴り響く。
「船橋!どうした?」
素早く状況を確認し、支持を飛ばす。廊下に出ると、鎌のような斧槍を携えた大柄な男が、二人の兵を率いて立っていた。
「ご主人様!」
突然の攻撃に吹き飛ばされるルークと、咄嗟に譜術を発動し、兵を葬るジェイド。しかし、その譜術は男の一撃の前に、届くことなく消え去った。
「……さすがだな。だがここから先は大人しくしてもらおうか」
武器を構えたまま男が言う。
「マルクト帝国軍第三師団長ジェイド・カーティス大佐。いや、死霊使いジェイド」
「これはこれは。私も随分と有名になったものですね」
眼前の男から発せられる威圧感を気にも留めずに、ジェイドは近づいていく。
「トリスタンの狙撃を完全とは言えなくとも防いだ唯一の男だからな。世界中に警戒する人物は多くいるようだ」
「あなたほどではありませんよ。神託の盾騎士団六神将『黒獅子ラルゴ』」
「フ…。いずれ手合せしたいと思っていたが、残念ながら今はイオン様を貰い受けるのが先だ」
「イオン様を渡すわけにはいきませんね」
緊迫した状況下で、二人だけがなんら気後れすることなく会話を続ける。
「おっと!この坊主の首飛ばされたくなかったら動くなよ」
倒れ伏しているルークの首元に刃を当て、人質に取る。そして、もう片方の手には見慣れないキューブ。それを動く事の出来ないジェイドの頭上めがけて放り投げると、光が襲った。
「……ぐう……っ」
ジェイドが床に膝を突き、初めて均衡が崩れる。
「まさか封印術!?」
誰もが動けないその瞬間、ラルゴはとどめを刺すために武器を振りかざし襲い掛かる。その油断を突き、ジェイドはコンタミネーション現象を利用し、右腕の表層部分に微粒子状にして融合させ収納している槍を発現させ迎え撃つ。ラルゴはその突きを躱し、間を取る。
「ミュウ!第五音素を天井に!早く!」
「は、はいですの」
ミュウが天井へと火を吐くと同時に、アニスが動く。イオンの元へ駆けつけるためだ。
「落ち合う場所は分かりますね!」
「大丈夫っ!」
ジェイドは短く言葉を交わすと、ラルゴの前へと立ちふさがる。
「行かせるか!」
慌ててアニスを追おうとするラルゴの足元から、光が発生する。ティアの譜歌だ。ジェイドは動きが取れないラルゴに一足で接近し、腰が抜けて立てないでいるルークの目の前で、ラルゴを刺し貫いた。
・・・
ヴァン指示した予定通りに襲撃を行うために、僕とアリエッタは急ぎタルタロスへと向かっていた。
「っと、どうやらすでに制圧完了してるみたいだな」
「みたいです……」
ようやく追いつくと、停止したタルタロスに導師イオンを連れて近づいて行くリグレットを発見した。何故か、左舷昇降口だけが開いている。露骨に怪しい。リグレットに先に行くように促すと、僕は再び距離を取った。
「僕の出番がなければいいんだけど…」
アリエッタがリグレットと合流し、一瞬だけこちらへと視線を向ける。いざという時の援護を頼む、と口元をかすかに動かし、部下を偵察にやる。扉が開くと、チーグルを持ったルークがいた。第五音素の火を顔面に受け、部下が転げ落ちていくとと同時に、ジェイドが槍を振りかぶりながらリグレットの頭上へと迫っていた。間一髪でバックステップをしそれを躱すと、地面へと突き立てられたはずの槍は消え、ジェイドの手の内へと戻っている。僕の『フェイルノート』と同じ技術だ。
「『フェイルノート』展開」
互いに武器を突き付けあい、膠着状態となっているジェイドとリグレット。戦況を動かすための札は、時間差で出てきたティアだった。しかし、リグレットの姿を見て驚いている隙をアリエッタが突く。結果、リグレットが距離を取り打ち倒す作戦は失敗したかに思われた。その時だった。
「ここで来るか」
僕以外に、息を殺して潜んでいた男が一人いた。リグレットたちの遥か上空から跳びかかり、それに合わせてジェイドがリグレットの喉元に槍を向ける。それを阻止するため、僕は引き金に指を掛ける。
「シュート!」
放たれた弾丸は見事槍へと着弾し、その衝撃でジェイドもろとも弾き飛ばすことに成功した。しかしこれは―――
「しまった、罠だったか!」
ジェイドの鋭い目がこちら方向へと向いている。弾道から大体の方向を割り出されたようだ。第二射を警戒しながらも、ジェイドは素早く体勢を立て直しアリエッタを人質に取る。詰みだ。リグレットが大人しく指示に従ってタルタロスに入っていく。仕方ない、僕も従うとしようか。
「まったく、アリエッタ油断しすぎだぞ」
「おや、やっと出てきましたか。あんまり遅いんで待ちくたびれてしまいましたよ」
「良く言うぜ。結構遠くにいたの気づいてたくせによ」
嫌味な笑顔のジェイドを尻目に見ながら、もしもの時のために白い手袋を取り出し、装着する。
「ごめんなさい……トリスタン……」
「帰ったら特訓だな」
申し訳なさそうな顔をするアリエッタに軽い調子の声を掛けて、笑いかける。
「さて、今回はこちらの負けみたいだし、大人しく引こう。アリエッタもいいね?」
「……はい」
「それじゃ、中に入ろうか」
「待ってください!トリスタン謡将!」
アリエッタを引き取り、背を向けて歩き始めようとすると、ティアが僕を呼び止めた。
「あなたが動くということは、大詠師モースの指示なのですか?」
振り返ると、おそるおそるといった表情のティアがいた。そういえば、モース旗下情報部第一小隊だったっけ。
「それに答える権利は僕にはない」
「そんな……」
僕に命令できるのは、僕以上の階級。つまり元帥でもある大詠師モースのみだ。つまりはそういうこと。
「何故ですか!?大詠師モースは予言の成就だけを祈っておられました!」
「そうだな。あいつは予言の成就しか考えちゃいない。今回も、そして―――あの時も」
辺り一帯の空気がピシリと凍った。自分を抑えきれずに、息もできなくなるような殺気をばらまいてしまう。金髪の少年やジェイド以外は顔面蒼白だ。いけない。抑えないと……。
「落ち着けトリスタン」
その言葉と共に、弾丸が僕の頬をかすめる。ようやく正気に戻り、深く深呼吸をする。
「助かったよリグレット。危うく暴走するところだった」
「冗談でもやめてもらいたいな。お前が暴走なんかしたら、間違いなく命がけになる」
「その時は頼むよ」
「フン。言われるまでもない」
何事もなかったように会話する僕とリグレットを見て、呆然とするルークたち。頬の血を拭うと、今の事態を追及される前ににタルタロスへと入った。
・・・
数日後。国境の砦カイツールにて、ルークたちは無事にアニス、そしてヴァンと合流を果たしていた。事の経緯についてジェイドから説明を受けると、自身の立場についての説明を始める。
「……なるほど。事情は分かった。確かに六神将は私の部下だが、彼らは大詠師派でもある。おそらく大詠師モースの命令があったのだろう」
「なるほどねえ」
大体の事情を察したガイが相槌を入れる。
「ヴァン謡将が呼び戻されたのも、マルクト軍からイオン様を奪い返せって事だったのかもな」
「あるいはそうかもしれぬ。先ほどお前たちを襲ったアッシュも六神将だが、奴が動いていることは私も知らなかった」
「じゃあ兄さんは無関係だったっていうの?」
眉間にしわを寄せ、心底困ったという顔をするヴァンと、それを睨みつけるように見るティア。
「いや、部下の動きを把握していなかったという点では無関係ではないな。だが私は大詠師派ではない」
「初耳です、主席総長」
ピクリと反応を示したのはアニスとジェイドだが、どちらも表情はいつもと変わらない。
「じゃあ、トリスタン謡将はどうなの?あの起こり方は普通じゃなかったわ。あの怒りが大詠師モースに向けられたものなのだとしたら、とても大詠師派に付いているとは思えない」
「なに……?」
ヴァンの顔が驚愕に歪む。できれば聞き違いであってほしいといった表情だ。
「お前たち、トリスタンを怒らせたのか。よく無事に済んだものだ」
「おや、あなたもああなった彼を見たことがおありで?」
説明をし終えて以降、黙って話を聞いていたジェイドが、口をはさむ。
「ああ、一年ほど前にな。あの時は私とリグレットで制圧に成功したが、二度は戦いたくない相手だ」
「それほどですか……」
ジェイドは顎に手を当てると、再び思索にふけってしまう。
「……それで、私の質問にはどう答えるつもりなの、兄さん」
僅かに体が震えているティア。先日の恐怖を思い出してしまった結果だ。あれほど濃密な怨嗟の念は、普通受けたことなどないだろう。
「ティア、それは彼の問題だ。彼には目的があり、そのためにあれほどの怒りをのみ込んでまで、神託の盾騎士団に在籍している。私に言えるのはこれだけだ」
「それじゃあ、説明になってないわ!」
「落ち着いて下さいティア。ヴァンの言ってる事にも一理ありますよ。僕も、彼の事は彼の口から聞くのがいいと思います」
「イオン様……」
ティアは弱々しく呟く。
「ともかく私はモース殿とは関係ない。六神将にも余計な事をしないよう命令しておこう。効果のほどは分からぬがな」
その後、キムラスカ領への旅券を受け渡たし、ヴァンは部屋から出て行った。
・・・
次の作戦での出番がない僕とリグレットは、先日ライガクイーンを案内した廃村へと来ていた。今は、村の中央広場にある大きな石碑に向かって、黙祷を捧げている。予言による反乱の後、僕が建てた大きな墓だ。誰が忘れようとも、なくならないように、との願いを込めて。
「今日も、お前の話を聞かせてくれるか?」
黙祷が終わったことを察したリグレットが話しかけてくる。
「それはいいんだけど、正直、もうネタ切れなんだよね。僕が普通の生活をしてたのって五歳くらいまでだし」
「……そうか」
僕の言葉に、心底残念そうな顔をするリグレット。
「そうだな。それじゃあ、今日はジゼルの話を聞かせてよ」
「私の…?特に面白い話はないぞ」
「いいからいいから」
「分かった。あれは―――」
ぬるま湯につかるような心地のいい時間。いったい、後どれだけこんな時間が来るのだろう。そんなことを考えながら、僕は束の間の幸せを味わった。
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二話
ローレライ教団公認の自治区、ケセドニア。ルークたちとアッシュの動きを監視する目的で、僕はこの町に来ていた。
「トリスタン。お前に頼みたい仕事ができた」
話しかけてきたのは、先ほどまでルークたちと行動を共にしていたヴァンだ。気絶したアリエッタを抱えている。
「大体わかってるけど、一応内容を聞かせてもらおうかな」
この町を仕切る商業ギルドのトップであるアスター邸にいるルークたちの会話を、読唇しながら話を聞く。
「アッシュの独断により、ある情報がルークの手に渡ってしまった。それの破棄を頼みたい。死霊使いジェイドならばあるいは、計画にまでたどり着くやもしれぬ。それだけは何があっても防がなくてはならない」
「それにはまったくもって同感だ。それで、なにか作戦はあるのか?」
「いや、なにぶん予定外の出来事なのでな、そちらに一任させてもらう。幸いこの町には、シンクとディストも来ている。協力してことにあたってくれ」
「……あいあいさー」
伝えることを話し終わると、ヴァンは去って行った。
「要するに丸投げって事か」
とりあえず合流しようと思い、二人の捜索を始めると、すでにやる気満々のシンクを発見した。カースロットの発動準備をして待ち伏せしている。
「ということはターゲットはガルディオスの彼、確かガイと言ったっけか……。この分だと僕が出るのは、シンクが失敗した時かな」
この距離だと狙撃に気付かれる可能性もあるし、なによりシンクから邪魔すんなオーラが超出ている。という訳で様子見を決め込んだ僕は、その次に備えて準備を始める事にした。手始めにポケットから白い手袋を取り出し、それを装着する。僕の近接用武器『イゾルデ』だ。隠すほどの物でもないが、使う機会が少ないため切り札と言う位置付けになっている。
「さて、そろそろか」
アスター邸から出てきたルークたちが、キムラスカ兵の報告を聞いている隙を狙って、シンクが飛び出した。危険を察知したティアが声を上げると、ガイは素早く反応し、かすめる程度の傷にとどめた。しかし、その拍子に音譜盤とその解析資料が飛び散る。ガイは咄嗟に解析資料を手元に引き寄せるが、音譜盤はシンクの手の内に収まった。その後、ジェイドの指示が飛び、一目散に船への逃走が始まった。
「これは、シンクの奴ギリギリ間に合わないな」
屋根の上を走って、停船上へと向かう。数分と掛からずにたどり着くと、丁度船が出港したところだった。
「……くっ、逃したか」
後数秒の差で獲物を逃したシンクが悔しそうに呟くと、その上空から、品のない笑い声が響いた。
「ハーッハッハッハッ!ドジを踏みましたね、シンク?」
「あんたか?」
ふわふわと浮遊する椅子に座っているのは、シンクと同じ六神将の一人、死神ディストだ。
「後はこの私に任せなさい。超ウルトラスーパーハイグレードな私の譜業で、あの陰湿なロン毛メガネをぎったぎたの……」
「いるんだろトリスタン。いい加減出てきなよ」
ディストの言葉を完全に無視して僕を呼ぶシンク。参ったな、気づかれてたのか。
「穏身には自身があったんだけどな……」
屋根の上から飛び降りると、頭を掻きながら二人の方へと近寄っていく。
「あんまりボクを舐めないでほしいね。アンタとは何度も組手をやってるんだ、それくらい嫌でも分かるさ。それで、その手袋つけてるってことはアンタが直々に乗り込むって事でいいのかな?」
「ああ、ディストだけだと不安でな。なにせあいつら、曲者揃いだし。よくあんな集団が出来上がったもんだよ。六神将並に濃いよな」
「あなたも十分濃いと思いますが……」
「まったくだね。その言葉、アンタにだけは言われたくない」
心底嫌そうな顔をする二人。この二人の意見が合うところ、初めて見た気がする。
「まあ、ともかく。そういう事なら早く追いましょう。私はともかく、トリスタンは長距離になると厳しいでしょうから」
「そうだな」
僕は、短く言葉を切ると『イゾルデ』の機能を発動させる。右手につけている方が淡く発光し、僕の周りを回る青い球体が現れる。それを確認すると、僕は大海原へと飛び出した。
・・・
海の上に張った氷の道を走る事小一時間。ようやく目視できる距離まで追いついた。
「ディスト。僕が船の動きを止めるから、その間に侵入してくれ」
「分かりました。それではお先に失礼します。あの陰険メガネをとっちめて待っていますよ。ハーッハッハッハッハッハッ!」
「僕の分も残しておけよ!」
船橋のある高さまで上昇していくディスト。僕は僕の仕事をしよう。
「『イゾルデ』」
浮遊する球体を『イゾルデ』をはめた拳で殴ると、数倍もの大きさに膨れ上がり、船底と接触している水を氷へと変えた。
「これでよし」
出力の上限いっぱいだが、どうにかなったようだ。僕は、ディストが残していった予備の椅子に乗ると、甲板へと上がる。
「ハハハッ!油断しましたねえジェイド!」
「差し上げますよ。その書類の内容は、すべて覚えましたから」
全身で喜びを表現してしたり顔なディストと、それを馬鹿にするジェイド。すでに役者はそろっていたらしい。
「少し遅れたか」
そうぼやいて、ディストとジェイドの間に降り立つ。
「トリスタン謡将!?」
目をに開いて驚くアニスとティア。特にアニスのは驚きを通り越して悲鳴に近い。
「ようアニス。わざわざこんなことろまで特別授業に来てやったぞ」
「はうあ!超ありがた迷惑ですぅ~!」
首を左右に振りながらルークの後ろへ移動し隠れる。あいつ、会って数日の人間を盾にしやがった。
「さて、じゃあ始めるか。頼まれてた仕事は、ディストがこなしてくれたみたいだしな」
「導師守護役の教官でもあるという話は聞いていましたが、やはり近接戦闘もこなすようですね」
「そりゃまた厄介な話だな」
油断なくこちらを見据えていたジェイドとガイが武器を構える。続いて、ティアとアニス、そしてルークも臨戦態勢に移行した。
「タルタロスの時のお返しだ。少しだけ僕のカードを見せてやろう。準備はいいかディスト!あの陰険メガネが書類を全部覚えたって言うなら、しこたま殴って記憶ごと消去すればいいさ」
「あなた天才ですか!」
「やれやれ、年配は敬うものだというのに」
戦いの場にふさわしくない軽口を期に、戦闘の幕は開いた。僕は、ディストが用意した巨大ロボ『カイザーディスト』と並び立つ。先陣を切って突っ込んできたルークのブロードソードの腹に強めに拳を入れ、軌道を逸らす。そのまま一歩前に踏み込み体を低くして足を払うと、前のめりに体制を崩したルークの丁度真下にくる。
「ふっ!」
がら空きになった顔を打ち抜こうとすると悪寒がはしる。バックステップでその場を離れた瞬間、足元が発光し岩の塊が出現した。ジェイドの譜術だ。厄介だな、と思う間もなく、追撃。回避した先にはすでに二つの人影があった。
「もらった!」
「こうなったら謡将の記憶、消させてもらいますね!」
先ほどのルークよりも洗練された剣技と、大型な人形『トクナガ』の爪が僕挟み込むようにを襲う。ガイの剣がこちらへと届く前に剣を握る手を狙って蹴りを入れる。顔を歪めて剣を取り落したが、素早く拾い、後方に下がる。アニスの攻撃に巻き込まれないようにするためだ。
「双旋牙!」
がら空きになった僕の背中へと爪が迫る。しかし、アニスの真横からカイザーディストが衝突し吹き飛ばし、その場で停止した。それを踏み台に、持ち直してこちらへと向かって来るルークを飛び越え後方支援に徹していたジェイドの元へと向かう。おそらくこれで、
「ノクターナルライト!」
「いけません、ティア!罠です!」
「もう遅い」
急激に方向転換をし、迂闊にも近づいてきたティアへと接近。咄嗟のガードの上から強烈な拳を叩きこんだ。
「くう……っ!」
そのまま吹き飛び、壁に衝突する寸前でアニスの人形に受け止められる。しかし、片手は潰した。戦闘不能とはいかないが、少なくともこの戦闘中は使えないだろう。それを確認すると、一旦カイザーディストのところまで引く。今の一幕ではこちらの勝利だが、まだ一人の片腕を封じた程度だ。油断はしない。
「驚きましたね。これほどの格闘をこなすとは思ってもいませんでした」
「伊達に導師守護役の長を勤めてるわけじゃないさ。近づかれて何にもできないようじゃ、護衛は務まらない」
「なるほど。それで手のそれはいつ使うのでしょうか?」
手のそれというのはもちろん『イゾルデ』の事だ。なかなか攻めてこないと思ったら、様子見をしてたのか。
「安心していいよ。今日はこれ、使わないつもりだから」
僕のあからさまな挑発に乗ってきたのは、やはりルークだった。激高してこちらへと走ってくる。その少し後方にはガイが、そして挟み撃ちのためにアニスが大きく右回りに移動している。
「ディスト!」
「ええ!」
術士タイプの二人、というよりジェイドをディストに一任し、僕は近接三人を同時に相手どる。ルークが振りかぶった剣の間合いよりさらに近くまで接近し、足を踏みつける。
「いっ!?」
「ここまで近づくと、剣は満足に振れないんだ。覚えておくといい」
そのまま体を前方へと伸ばし、交差しながら肩でルークの顎を打つ。ふらついているうちに襟を取り、刹那に放たれようとしているガイの斬撃に対しての盾に使う。刃はどうにかルークにあたる寸前でピタリと止まった。僕はもう一度先ほどと同じ手を蹴ると、その反動で体を捻るように反転させる。やはり、このタイミングか。
「僕が仕込んだ奇襲の要領が、僕に通じる訳ないだろう!」
眼前に迫る『トクナガ』の拳に、僕は自らの拳で応じる。その結果、お互いの腕ははじかれ、上体が後方に反れる。流れるように『トクナガ』の顔にサマーソルトキックを入れようし、足を引っ込める。その直後、足の軌道上をナイフが横切る。そのまま蹴っていたら、健を切られていたかもしれない。
「二段構えか。今のはいい攻撃だった。六神将クラスじゃなきゃ仕留められてたろう」
「嘘っ!今のを避けるの!?」
「ちょっと謡将バケモノ過ぎですぅ~!」
ディストと交戦中のジェイド以外の全員が、距離を取ってこちらを見る。驚き半分、呆れ半分といった様子だ。
「今度は僕からいかせてもらうよ!」
力強く床を蹴り、一歩で間合いを詰める。狙うのはガイだ。
「ぐっ!」
剣を構え反撃を試みるも、勢いがない。アニスと共に行った奇襲の時に比べたら、止まって見える。これなら容易に躱すことが出来る。
「ガイ!?」
一番驚いたのは本人ではなくルークだ。他の二人よりも長くガイの剣を見てきたからこそ気づけたのだろう。誰よりも早くこちらへと向かって来る。だが間に合わない。
「これで二人目!」
三度、剣を握る手を蹴り穿つ。僕の蹴り同じ場所に三発、暫くはナイフも持てないはずだ。案の定、取り落した剣を拾い上げ、接近してきたルークの喉元に突き付ける。
「これでチェックメイトだ」
「ええ。ただし、あなたたちがですがね」
その言葉と共に、頭上に巨大な水の玉が現れる。
「これはっ!?」
僕が驚きで固まっている隙に、ガイが無事な方の手でルークを抱えて離れる。
「セイントバブル」
水が落下し床から泡が無数に発生すると、カイザーディストと僕に襲い掛かる。キッ、とジェイドの方を睨むと、若干ながら額に汗をかいている。
「大変でしたよ。封印術を掛けられているうえに、戦闘しながらですからね。発動までにかなりの時間を擁してしまいました。が、それだけの甲斐はあったようですね」
泡が完全に僕を包み込む瞬間、『イゾルデ』を発動させる。出したのは第五音素でできた赤い球体。セイントバブルに触れると、轟音を轟かせながら大爆発を起こし、すべての泡を蒸発させた。
「参った。本当に参った。まさか『イゾルデ』を使わされることになるとは……」
下を向き、頭を掻きながら言う。
「封印術食らった状態で上級譜術とか、あんたもよっぽど人外じゃないか」
「……平然と出てきておいてよく言いますね。ディストの様に吹き飛んで行ってくれればいいものを」
尋常ではない熱気を発するに対して、警戒を強める一同。
「そう構えなくてもいい。この場は僕の負けだ、大人しく引くよ」
「どういう心算ですか?」
「どういう心算も何も、僕の目的は資料の破棄だからね。君たちの大体の実力も知れたし、大満足だ」
赤い球体を消し去り、導師イオンの元へと近づいていく。
「導師守護役の長として、導師イオンと少し話がしたいんだけど、どこか部屋を貸してくれないか?」
敵意がないことを示すために、『イゾルデ』を外しポケットへしまう。
「ジェイド、すみませんが先ほどまでいた部屋をお借りします」
「分かりました。彼が本気で暴れたら、今の私たちでは抵抗できそうにありませんしね」
「恩に着ます。ではトリスタン、こちらへ」
普段しないような真剣な顔でジェイドを一瞥すると、イオンの後に続いて部屋まで歩く。部屋に入り、誰もいないことを確認してから話を切り出す。
「導師イオン。話と言うのは他でもない。あなたの体のことです」
その後キムラスカの首都、バチカルに着くまで話は続いた。
・・・
バチカルの港に着くと、早々に出迎えがあった。
「お初にお目にかかります。キムラスカ・ランバルディア王国軍第一師団師団長のゴールドバーグです。この度は無事のご帰国おめでとうございます」
「ごくろう」
「アルマンダイン伯爵より鳩が届きました。マルクトから和平の使者が同行しておられるとか」
その言葉にイオンが一歩前へと進み出る。その隣ではアニスが自慢げに胸を張っている。
「ローレライ教団導師イオンです。マルクト帝国皇帝、ピオニー九世陛下に請われ、親書をお持ちしました。国王インゴベルト六世陛下にお取次ぎ願えますか?」
「無論です。皆様の事はこのセシル将軍が責任を持って城にお連れします」
「セシル少将であります。宜しくお願いいたします」
ゴールドバーグの一歩後ろに控えていた、どこかリグレットに似た雰囲気の女性が口を開く。女性恐怖症のガイは、少し腰が引けている。
「お、いや私は…、ガイといいます。ルーク様の使用人です」
「ローレライ教団神託の盾騎士団情報部第一小隊所属、ティア・グランツ響長であります」
「ローレライ教団神託の盾騎士団導師守護役所属、アニス・タトリン奏長です」
「マルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐です。陛下の名代として参りました」
ガイに続き、ティア、アニス、ジェイドの順で身分を明らかにする。
「貴公があのジェイド・カーティス……!」
「ケセドニア北部の戦いでは、セシル将軍に痛い思いをさせられました」
「御冗談を。……あの方の援護がなければ、私の軍は壊滅していた」
「ほほう、一体どの方なんでしょうねえ?」
ジェイドがいやらしい笑みを浮かべながらこっちをちらちら見ている。嫌がらせをしないと死ぬ病気にでも罹ってるのかこいつは。
「一体何を……?いえ、それでそちらの方は?」
「ローレライ教団神託の盾騎士団導師守護役、トリスタン・ゴットフリート謡将であります。その節はどうも」
「なんとっ!?」
驚きを隠せないゴールドバーグとセシル。セシルに至っては声すら出せない様子だ。僕の顔を知ってるのは、教団の人間と両国のトップくらいなのだ。ジェイドはピオニー九世陛下を脅して聞き出したらしい。
「出来れば内密にお願いいたします。ここにいるのも、導師イオンにお話しがあったからでして」
「え、ええ。もちろんですとも。セシル将軍!」
「はっ!了解であります!」
以前の戦争で手を貸したと言っても、神託の盾騎士団である僕はキムラスカの味方という訳ではない。よって決して敵に回さぬよう、ものすごく気を使われているのだ。少しはルーク一行にも見習ってほしい。
「それでは、私は失礼いたします。ゴールドバーグ将軍、セシル将軍。せっかく面識も出来た事です、いずれまたお会いしましょう」
「はい、喜んで」
堅かった表情を僅かに崩す二人を見てから、僕は次の目的地に向かった。
・・・
「仕事の報告だ。隠れてないで出て来いよ、ヴァン」
ルークたちと別れた後、バチカルのとある廃工場に来ていた。
「聞こう」
僕の声に反応して、錆びついた機械の裏から出てくるヴァン。その表情は心なしか硬い気がする。
「死霊の破棄には成功、ただし内容はすでに死霊使いの頭の中に入っちまってる。お手上げだよ。こればっかりは外部からは消せないからな。まあ、命を取るなら話は別だけど」
「いや、その必要はない。それでは本末転倒だ。マルクト帝国そのものを敵に回しかねん」
「まあ、そうだよな」
ピオニー九世とは僕のことを聞き出せるほどの仲らしいので、彼を殺すということは、当然戦争の覚悟をしなくてはならない。あれと仲良くできる器のデカさが王の資質ってやつなのだろうか。
「あとはそうだな。引き続き死霊使いの話になるんだが、封印術を掛けてなお強いね。『イゾルデ』を使わされたよ」
「それはなんとも……。本人は油断したと言っていたが、ラルゴがやられたのも頷けるな」
指を顎に当て、少し考え込むヴァン。
「まあ、その件はいい。それよりもだ」
顔を上げ、こちらを真剣な顔で見つめてくる。何かあったのだろうか。
「トリスタン。お前、ティアに怪我を負わせたそうではないか」
「ああうん。そんな事だろうとは思ったよ」
一瞬でも真面目に聞こうとした僕が馬鹿だったようだ。目頭を押さえながら首を横に振る。早く次の仕事に行こう。僕は不満げなヴァンから逃げるようにその場を後にした。
・・・
「すでに導師一行は砂漠を越えたとの報告が入った。次は私が打って出る」
「分かってるさ。今回は僕も僕のやり方でいかせてもらう」
「それは頼もしいな」
小高い丘の上で、僕はリグレットと襲撃の打ち合わせとしていた。リグレットたっての希望で、ティアをこちら側に引き入れるためのものだ。
「すまないな。私の我が儘に付きあわせてしまって」
「言いっこ無しだ。あの日から僕たちは一蓮托生って決めただろ」
「そうだったな」
表情を変えていないように見えるが、よく見るとかすかに笑みを作っている。ここ一年一緒に過ごすうちに、ようやく見分けがつくようになったのだ。
「……全部終わって、それでもお互い無事だったらまたここに来ようか」
「ああ、それも悪くないかもな」
沈みゆく夕日に照らされて、ほんの少し、いつもよりも感傷的な気分だ。
「私の魔弾はお前がいて初めて完成する。……だからどうか、いなくならないでくれ。少なくとも、私が生きているうちは」
「約束するよ」
上手く言葉に出来ず、そっけなく答えてしまったが、ちゃんと分かってくれたようだ。僕は眼帯を取り外しリグレットに向かって微笑むと、狙撃場所へと向かって歩き始める。人間の意思と自由を勝ち取るために。
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三話
バチカルを出た直後、ルークたちはイオンを捉えた『鮮血のアッシュ』と『烈風のシンク』に遭遇した。アッシュはルークと全くと言っていいほど同じ顔をしており、全員がその事実に呆然としている間に取り逃がしてしまった。その後、ザオ遺跡にてイオン奪還に成功し、現在砂漠を無事に越えたところだ。
「ちぇっ。師匠には追いつけなさそうだな」
デオ峠に差し掛かったころ、唐突にルークが口を開いた。
「砂漠で寄り道なんかしなけりゃよかった」
「寄り道ってどういう意味……ですか」
あからさまにイオンを蔑ろにした発言に、アニスが食って掛かる。その額にはうっすらと青筋が浮かんでいる。
「寄り道は寄り道だろ。今はイオンがいなくても俺がいれば戦争は起きねーんだし」
「あんた……バカ……?」
「バ、バカだと……!」
普段の猫かぶりは完全になりを潜め、侮蔑の眼差しをルークへと向ける。アニスほど露骨ではないが、他のメンバーもそれぞれ差はあれど負の感情を視線に乗せている。
「ルーク。私も今のは思い上がった発言だと思うわ」
「この平和は、お父様とマルクトの皇帝が、導師に敬意を払っているから成り立っていますのよ。イオンがいなくなれば調停役が存在しなくなりますわ」
やれやれ、と首と振りながら、ティアとナタリアが口をはさむ。あのままだと、アニスが爆発しかねなかったからだ。
「いえ、両国とも僕に敬意を持ってるる訳じゃない。『ユリアの残した予言』が欲しいだけです。本当は僕なんて必要ないんですよ」
イオンが自虐的に笑いながら心の内を吐き出すと、ガイが不満げな顔をして反論する。
「そんな考え方には賛成できないな。イオンには抑止力があるんだ。それがユリアの予言のおかげでもね」
「ですが、抑止力ならばトリスタンがいます」
「俺はそうは思わないけどな。トリスタン謡将の場合は恐れられてるから成り立つ抑止力だ。イオンのそれとは勝手が違うさ」
「ガイ……ありがとうございます」
「なるほどなるほど。みなさん若いですね」
軽く笑いあうガイとイオンに向けて茶々を入れるジェイド。その表情はとても楽しそうだ。
「まあ、大佐。からかうものではありませんわ」
「それは失礼。若者をからかうのは年老いたものの特権のようなものですから」
「それ、トリスタン謡将からも聞かされましたよう」
ようやく機嫌を直し、アニスが話の輪に入ってくる。
「アニス、トリスタン謡将に会った事がおありなんですか!?」
「はうあ!急に大声出さないでよ~」
ナタリアが、興奮した様子でアニスに詰め寄る。ルークがヴァンを見る時に似た、憧れの眼差しをしている。
「ナタリア、少し落ち着いて。それじゃあ、アニスも話が出来ないわよ」
「それもそうですわね…。失礼。少し取り乱してしまいました」
「そういやナタリアはトリスタン謡将のファンだったな。なんでも、以前狙撃を見せてもらった事があるとか……」
こめかみのあたりをポリポリ掻きながら、ガイが思い出したように告げる。
「ええ、あの時のことは今でも鮮明に思い出せますわ。目視できないほどの遥か彼方の海上に浮かぶ族の船を、たった一度の狙撃で機能停止にまで追い込んでおられました。まさに神業でしたわ」
その話を聞いて顔色を悪くするジェイド以外のメンバー。聞かなきゃ良かったと言った表情である。
「私としたことが…。船でバチカルへと向かったのは悪手でしたか」
「だなぁ……」
逃げ場のない海の上で攻撃されていたらひとたまりもなかっただろう。それをしない所を見るに、やはりモースの指示を聞いているわけではなさそうだが。
「どういう事ですガイ?」
「ああ、実は――」
「止まれ!」
山の頂上に差し掛かろうとした時、足元に銃弾が撃ち込まれ、聞き覚えのある声が響いた。
「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」
見上げた先にいたのはリグレット。腰に手を当ててこちらを見下ろしている。
「モース様のご命令です。教官こそどうしてイオン様をさらってセフィロトを回っているんですか!」
モースの名前に僅かに眉をよせたリグレットだが、すぐにいつものポーカーフェイスへと戻った。
「人間の意思と自由を勝ち取るためだ」
「どういう意味ですか……」
初めて聞く教官の自身の強い言葉に困惑するティア。
「この世界は予言に支配されている。何をするのにも予言を詠み、それに従って生きるなどおかしいとは思わないか?」
「予言は人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具にすぎません」
「導師。あなたはそうでも、この世界の多くの人々は予言に頼り、支配されている。その結果があの人だ。バチカルへの船で彼の過去を聞いたならば、容易に否定は出来ないでしょう」
「それは……」
イオンが弱気になったのは、リグレットの視線がキツくなったからではない。船での話を思い出してしまったからだ。彼の口から吐き出された、慟哭にも似た話を。
「……結局のところ、予言に頼るのは楽な生き方なんですよ。もっともユリアの予言以外は曖昧で、読み解くのが大変ですがね」
この場の誰もが予言を否定的に見た事すらない。そんな中で年長のジェイドだけが話を真摯に受け止めていた。
「そういうことだ。この世界は狂っている。誰かが変えなくてはならないのだ」
何かを思い出すように一度目を閉じ、再び開くと視線とティアへと注ぐ。
「ティア……!私たちと共に来なさい」
「私はまだ兄を疑っています。あなたは兄の優秀な副官。兄への疑いが晴れるまでは、あなたの元には戻れません」
「一つ、訂正があるな。私が傅くのはこの世でただ一人。トリスタン謡将のみだ」
「これはまた大胆な発言ですね」
「なんとでも言え、死霊使い。話は終わりだ、ここからは武力を以てお前を止める!」
その言葉と共に、リグレットは戦闘を開始した。
「まずは貴様からだ」
最も厄介な敵であろうジェイドめがけて銃弾を放つも、虚空から槍が現れ容易く弾かれてしまう―――はずだった。
「なん、ですって…!?」
驚愕はジェイドだけではない。なぜなら弾丸を完全に防いだはずのジェイドの肩に穴が空いているのだから。何が起こったのか全く分からない。あの銃撃は小手調べ程度のものだと思っていたのに。
「期待外れだな。まさか最初の一撃で終わるとは思っていなかったぞ」
誰も動けない中、そのままジェイドに駆け寄り傷を負った肩に蹴りを叩きこむ。
「ぐ……ぅ……」
苦悶の声を漏らしながらも、自分から吹き飛ぶことで負傷を最小限に抑え離脱する。一番強いであろうジェイドがいともたやすく敗れた。その事実を前に、リグレットの実力を知らないティア以外の人間が一瞬止まる。
「次はお前だ」
ルークに銃口を向けると、ガイはすぐさま庇うように前にでる。だが無意味だ。
「レイジレーザー」
銃口から発射されたのは一直線に伸びる青白い光線。直撃する寸前、ガイは光線に背を向けルークを抱えると横へと飛んだ。背中にそこそこのダメージを負ったものの、戦闘に支障はないようだ。
「教官!」
叫びながらすでに近くまで接近していたティアが跳びかかる。ナイフを銃で受け止め、力ずくで弾き返すと両手に構えた銃を放った。
「捉えましたわ!」
意識から外れた場所から構えた銃を打ち抜く完璧な一射が放たれ、リグレットに迫る。
「なっ!?」
リグレットはその矢を気にも留めずに背を向け、アニスの迎撃を行う。しかし、驚いたのはそこではない。なんと当たる寸前、銃弾が矢を打ち抜いたのだ。
「ナタリア!」
「遅い!」
アニスの奇襲を軽くいなし、体を反転させるとナタリアへ銃撃を行う。距離があるため完全に回避したはずだったが、魔弾はナタリアの弓を打ち抜き、破壊した。
「それではもう使い物にならんだろう。これで残りは四人。そろそろ観念したらどうだ?」
「それは遠慮させていただきます」
「まだ動けたか。存外しぶといやつだな」
「これくらいで根を上げるようなら、死霊使いなどと呼ばれたりはしませんよ」
「だが、すでに戦闘能力はほぼ削いだ。今さら起き上がってきたところで何ができる」
ジェイドを睨みつけながら両手を伸ばし、銃を突きつけるリグレット。
「みなさん聞いて下さい。敵は一人ではありません!」
「大佐……?一体何を」
リグレットに警戒しながらも辺りを探るが、もちろん誰もいない。ジェイドは訝しむティアたちへ、ある事実を告げようとするが、その鼻先を銃弾が掠める。リグレットは発砲していないにも関わらずだ。
「その通り、よくぞ見破ったな。だからと言ってどうなるという訳でもないがな。わたしたちの魔弾は躱すことなど敵わん代物だ」
「トリスタン謡将かっ!」
ティアに治療譜術を掛けてもらいながらガイが言う。
「ちょっとシャレになってないくらいピンチですう~!」
「教官一人でも手一杯なのに……」
「それでは続けようか」
相手の言葉を悉く無視し、再びジェイドを仕留めるために襲い掛かる。引き金を引くと無数の弾丸が射出され、その全てがどこからともなく飛んでくる弾丸に当たりその軌道を変える。それが幾度も繰り返され、まるで蛇のようにジェイドを取り囲む。
「タービュランス」
突風が巻き起こり、全ての弾丸を巻き上げる。
「躱せないならば、防いでしまえばいいだけの話。確かに呆れた絶技ですが、無敵という訳ではありませんから」
「ならこれならどうする」
リグレットは銃口を真上に向け、七発の弾丸を射出する。それを合図に彼方から飛んでくる弾丸が目視できるほどの大きさに変化した。
「ファクス・カエレスティス。トリスタンが名前を付けた数少ない技の一つだ。耐えれるものならば、耐えてみせろ」
直径10メートルほどの大きさの白い光の玉が、流れ星の様に降り注ぐ。地獄のような光景だ。
「おいおい。こりゃまずいんじゃねえか」
「みんな早く、こっちに!」
慌ててティアが譜歌を歌い始め、着弾ギリギリで第二音素譜歌フォースフィールドが完成する。流星が地を削るその最中、リグレットは平然とティアたちのいる方角へと歩みを進めていた。そして、フォースフィールドを眼前に捉えると、再び上空に向けて発砲する。
「これでチェックだ」
無数の流星に混じり飛んできた、特大の弾丸がフォースフィールドにぶち当たり。互いに消滅する。
「これは、超振動ですか!」
まったく同一の振動数を持つ音素が干渉しあうことで、ありとあらゆるものを分解し再構築する。それが強固な防壁であろうと関係ない。防壁はすでに無くなり、未だ降り注ぎ続ける流星がルークたちをのみ込んだ。
「終わりだな」
リグレットはそう呟きながら土煙が晴れるのを待つ。出てきた人影は五つ。
「限界まで力を出し切ったか」
「おかげて助かりました。後でお礼を言わせてもらいましょう」
全身ボロボロではあるが、重症は肩を打ち抜かれているジェイド一人だ。ティアが無茶をしてもう一度フォースフィールドを展開した結果だった。
「当の本人がこれでは説得は出来そうにないか。今日のところは引かせてもらおう」
安らかな顔で気絶しているティアの顔を一瞥すると、リグレットはその場を後にした。
・・・
アグゼリュス崩落の報は世界中を駆け巡った。まばゆい光と共に、都市一つがすっぽりと抜け落ちたのだ。両国とも、相手の国が持つ最新兵器を疑ったため、ホド戦争の時よりも数段上の緊張状態に陥った。いつ戦争が始まってもおかしくない状況だ。
「ここも異常はない。さて、次はケテルブルクか」
各地の様子を見て回れ、という任務を仰せつかった僕は現在、音機関都市ベルケンドにいた。
「どうやら無駄足にはならなかったようだな」
「その声は、アッシュか?」
振り向くとそこにはルークとティア、そしてガイを除くメンバーと共にアッシュがいた。厳しい目でこちらを睨みつけている。
「どうした、苦虫をかみつぶしたような顔をして。アッシュはいつものことだが導師イオンには似合いませんよ」
「うるせぇ!そんな事より答えろ。いったいここで何をしている。ヴァンの指示か」
「大声出すなっての。話せることは話してやるよ」
「では洗いざらいはいてもらうとしましょうか」
ニヤニヤと笑いながらジェイドが言う。僕の言葉を完全無視である。早くも頭が痛くなってきた。
「まあいいや。それで聞きたい事ってのはなんだ?」
「お前とヴァンの計画についてにきまってるだろうが」
「それは本人から直接聞け、僕が勝手に話していいものではないからな」
僕の声から軽い様子が消え去り、緊張したアニスとナタリアが身構える。
「それでは、あなた自身のことで一つ。なぜヴァン謡将に協力しているのですか?」
「……大体の思想はリグレットからも聞いたろう。それに加えて、僕は予言を心底恨んでいるからな。消すためならどんなことでもすると決めたのさ」
思い出されるのは僕の生き方を決めたあの日の出来事。今では誰も覚えてないような小さな反乱の話だ。
「決められた場所に決められたように歩んでいく。それは生きていないのと変わりない。人間が人間である強さを手に入れるためならば、僕は喜んで逆賊の汚名を被ろう。数えきれないほどの屍を積み重ね、その果てにある真の未来に届くまで、僕は決して立ち止まらない」
一人一人順番に目を合わせる。しかし、真っ向から視線を返すことが出来たのは、アッシュとジェイドの二人だけだ。後の二人は、人の本気の言葉に向き合うにはまだ経験が足りないようだ。
「……お前の考えは分かった。計画とやらについて聞き出せないこともな」
「ああ」
相も変わらずこちらを睨みつけている視線には、敵意に混じり僅かに敬意が感じ取れる。
「だがそれは俺には関係のない話だ。立ちはだかるなら切り捨てる」
「それでいい。居場所を失った境遇は似ていても、相いれないのならぶつかるのは道理だからな」
ふう、と息を吐き重苦しい雰囲気を霧散させると、イオンの方を見る。
「導師イオン。そんな顔をしないで下さい。僕が恨んでいるのは予言だけです。貴方個人の人徳には尊敬の念を覚えているほどですよ」
苦しそうな顔のイオンへと柔らかい言葉を掛けて、軽く笑みを作る。
「やれやれ、私からも聞いておきたいことがあったのですが、どうやらそうタイミングを逃してしまったようですね」
「欲張りな奴め。これでも結構話してやったほうなんだぞ」
「トリスタン謡将の真面目なとこ、初めて見ましたぁ~!」
「アニース。少し黙ってようか」
ニコニコと余所行きの笑顔に切り替えると、アニスに近づき頭を鷲掴みにする。導師守護役では上官への無礼は体罰上等。と言っても僕以外は全員横並びなのでアニスやアリエッタのような問題児を躾けるための決まりである。
「それで、そちらの御嬢さんはナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア様で相違ないですよね?改めまして、私はトリスタン・ゴットフリート謡将であります。以後、お見知りおきを」
「えっ、ええ。こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
あからさまに取り乱すナタリア。不審に思い首をかしげていると、ジェイドが耳元で僕のファンだということを教えてくれた。最後に物好きな人もいた物です、余計な事とか言いやがったが。
「そういえば以前、バチカルからの狙撃をしたことがありましたっけ」
「覚えておいでなのですか?」
「誰かに見られながらというのは稀なものですからね。記憶にも残っていますよ」
社交辞令だ。実は今までの全ての銃撃を記憶している、なんて言ったらジェイドにねちねちと嫌味を言われかねない。
「教団の人間以外に『フェイルノート』を見せたのは、後にも先にもあの一件しかありませんので」
「私たちは撃たれる側ですからねえ」
「あんたは嫌味しか言えねえのか!」
つい興奮してしまって、掴んでいるアニスから嫌な音が鳴った。……まあ、大丈夫だろ。アニス結構頑丈だし。
「じゃあ、そろそろ僕は行こうかな。ヴァンの手がかりを探すなら、君たちの目的地はワイヨン鏡窟だろうし」
「さっさと行っちまいやがれ」
悪態をつくアッシュに苦笑して、僕はベルケンドを後にした。
・・・
「ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」
「なっ!?」
ルークたちの到着を今か今かと心待ちにしていたガイに向けて、禁忌の言葉が投げかけられる。かつて、目的のために捨て去った名前わ告げられ、首元にナイフを突きつけられているような錯覚に陥る。
「別段知っていてもおかしくないだろう。僕は君が生まれた時くらいから、教団で銃を握っていたんだ」
「トリスタン謡将……」
剣に掛けていた手を放し、僕の方へと向き直る。僕の手にある白い手袋を見て、抵抗は無意味だと悟った。というか話をするために悟らせた。
「理解が早くて助かるよ。少しだけ聞いておきたいことがあってね」
「吐かせたい事、の間違いじゃないのか?」
「そう警戒するな。確かに僕と君は相いれないかもしれないが、復讐者という一点においてのみ同類だ」
「あんたと同類とは畏れ多いな。俺は町一つ崩落させるほどではないんでね」
崩落した町とは無論、アグゼリュスの事だ。あの場で散ったたくさんの人の命を目の当たりにしたのだろう。ガイからは肌を突き刺すような怒りを感じる。
「復讐に貴賤は存在しない。その悉くが劣悪な負の連鎖を生む地獄への道だ。一度踏み入れれば、もう戻ることは出来ない」
「……それで結局あんたは何が言いたいんだ」
「簡単な話さ。君にはまだ引き返せる場所があるだろう。僕の様に無様な負け犬に堕ちる前に、もう一度だけその是非を考えてみろ」
ガイは驚いた様子でこちらを見ている。きっと今の僕は酷い顔をしているのだろう。
「復讐に取りつかれた君にとって、良くも悪くも純真なルークは最後の救いになってくれるかもしれない。それを忘れるな」
「……覚えておこう」
やりきれないといってるように顔を顰め、ガイは短くそう言った。
・・・
それからしばらく、時折ガイと互いの過去についての話をしていると、待ち人が到着した。魔界にあるユリアシティから上ってきたティアとルークだ。髪が短くなっていた事よりも、顔つきが以前と比べ物にならないほど成長していたため、一瞬誰だか分からなかったが。まさに見違えた、というやつだ。
「ようやくお出ましかよ。待ちくたびれたぜ、ルーク」
「ホントだよ。ガイと無駄に打ち解けちまったぞ」
「あんたは黙ってろって。それよりルーク、髪を切ったのか。いいじゃん。さっぱりしててさ」
「ガイ、それにトリスタン!?」
再会の嬉しさよりも、僕の存在への驚きが勝っているようでその場に立ち止まってしまった。
「僕の事は気にしなくていい。先に再開の挨拶を済ませろよ。話はその後だ」
「言われなくてもそうさせてもらうさ。な、ルーク」
ガイに話を振られるものの、アッシュと会い自身がレプリカであると知ったルークは黙り込んでしまう。
「あん?どうした?」
「……お、俺……、ルークじゃないから……」
「おーい、お前までアッシュみてえなこと言うなっつーの」
「でも、俺レプリカで……」
震える声で言うルークに対し、ガイはそんな事と切って捨てる。
「いいじゃねえか。あっちはルークって呼ばれるのを嫌がってんだ。貰っちまえよ」
「貰えって……。お前、相変わらずだな」
「そっちは随分卑屈になっちまったな」
「卑屈だと!」
呆れたように言うガイに対してルークが少しカチンとする。
「卑屈だよ。今更名前なんて何でもいいだろ。せっかく待っててやったんだから、もうちょっと嬉しそうな顔しろって」
名前なんてどうでもいい。その一言は、存在そのものを否定されたと思っていたルークの胸に大きく響いた。
「……うん。ありがとう」
「ルークがありがとうだって……!?」
未だかつてないほどにガイが驚く。僕に名前を言われた時でもこんなに驚かなかったぞ……。そんなことを考えていると、ティアが前に進み出て、ガイはそれに合わせて飛びのいた。それを見て二人とも呆れた顔をしている。
「さて、そろそろ僕の話に移ってもいいかな?」
オチも付いたことだし頃合いを見て口を開く。
「ユリアシティに行ったんなら、予言の事を聞いたはずだ。そしてこの世界がどれほど狂っているかも、お前たちはその目と耳で知っただろう」
「ああ。確かに聞いたさ。ヴァン師匠が俺を利用したことも、なにもかも!」
「ならば、お前の進むべき道は三つだ。ヴァンを恨むか、自分を恨むか、それともこの狂った世界を恨むか」
「それは……!?」
僕の目的に感づいたティアが声を上げる。
「そうだ。君たちが予言を恨み世界を壊す大罪人になる道を選ぶというのなら、こちらに来い」
ガイもティアも口を噤むなか、ルークの言葉だけが響いた。
「俺は―――」
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四話
戦争を止めるためにダアトへと戻ったイオンは、ナタリア諸共モースに捉えられてしまった。助け出すための戦力はルーク、ガイ、ティア、ジェイド、そしてたった今合流したアニスで五人だ。
「アニス、とりあえずイオン様奪還のための戦力は整えました。お二人はどうされています?」
「イオン様とナタリアは、教会の地下にある神託の盾本部に連れていかれましたっ!」
「勝手に入っていいモンなのか?」
基本的にあまり知識を持たないルークが首を捻りながら、ティアに目で疑問を訴える。
「教会の中だけならね。でも地下の神託の盾本部は、神託の盾の人間しか入れないわ……」
「侵入方法はないのか?なんとしてでも二人を助けないと本当に戦争が始まっちまう」
「っていうかぁ、もう始まりそうだけど」
「ティア。第七譜石が偽物だったという報告はまだしていませんよね」
顎に手を当て、考え込んでいたジェイドが口を開く。どうやら何かしらの手段を思いついたようだ。
「はい」
と言いながらティアが小さくうなずく。
「私たちを第七譜石発見の証人として本部へ連れて行くことはできませんか?」
「わかりました。自治省の詠師トリトハイムに願い出てみます」
「その必要はないよ」
不意の声に五人全員が顔を向けると、数時間前まで話していた顔があった。トリスタンである。
「僕が許可を出しておくから、さっさと導師イオンとナタリア王女を助け出してくるといい」
そう言って、手に持っていた木札をこちらへ向かって放り投げた。
「どういうつもりですか?」
「いやなに、チーグルの森であんたに借りがあったからな。それにモースの野郎が困るならやる価値はある」
モースの名前を出すとき、トリスタンはあからさまに顔を顰めた。誰が見ても分かるような嫌悪の表情だ。
「使う使わないはそっちの自由だけど、これで借りは返したよ。予言の事を知ってなお僕の前に立ちはだかる君たちは正式に僕の敵になった。だから―――」
「だから、今のうちに借りを返しておく、とそういう事ですか?」
「相変わらず理解が早いな、死霊使い。それじゃあ、僕は任務があるんだ。これで失礼させてもらおうか」
「何の任務か聞いても?」
ジェイドがトリスタンの手にある白い手袋『イゾルデ』を見ながら聞く。わざわざこの時期に武装して行く任務。流石に見過ごせないのだろう。
「あんたが考えてるような任務じゃないよ。全力での戦いに備えての腕ならしがてらに、イニスタ湿原に出現する大型魔物を討伐してくるだけさ」
「アレを一人でですか……。あなたも本気のようですね」
「そう言ったろ?」
トリスタンはこちらを挑発するような笑みを浮かべると、そのまま去って行った。
「謡将の本気ってまじやばですぅ…」
「だよな。あの人は未だに底が見えないぜ。船での時も、本気とは程遠いみたいだったし」
「なんにせよ、今はイオン様とナタリアの救援を急ぎましょう。時間を掛けていると戦争が起きてしまいますからね」
ジェイドの鶴の一声で一同は神託の盾本部へと向けて歩き出した。
・・・
「イオン!ナタリア!無事か?」
「……ルーク……ですわよね?」
「アッシュじゃなくて悪かったな」
「誰もそんなこと言ってませんわ!」
神託の盾本部にて、ルークはイオンとナタリアを無事発見することが出来た。
「イオン様、大丈夫ですか?怪我は?」
「平気です。皆さんも、わざわざ来てくださってありがとうございます」
「今回の軟禁事件は、トリスタン謡将が関わっていたんですか?」
きょろきょろと部屋を見回していたティアが聞く。ティアとアニスは、というか神託の盾に在籍するものならば大抵の人間が、この部屋を何度か見たことがあった。何を隠そうトリスタン謡将の執務室だ。
「いいえ。この部屋は彼がしばらく任務で出るため使わない、と言っていたためモースが監禁場所に選んだようです」
「あの……それで、脱出する方法を探っているうちにこんなものが」
申し訳なさそうにある机の上に置いてあった、ある書類をこちらに手渡してくるナタリア。大佐がそれを受け取り、ぺらぺらと目を通すと、途端に厳しい表情になった。
「これは……なるほど。イオン様はこのことを?」
「はい。バチカルへ向かう船の中で直接聞きました」
「一体なんなんだ?」
会話の意味がまるで分からない四人は、お互いに目を合わせて首を捻る。
「この書類に書かれているのは、トリスタン謡将の過去です。それも彼自身の手でまとめられたね」
「ええっ!?」
まさかの事態に取り乱す四人。まさか本人の部屋からそんなものが出てくるとは思いもしなかったからだ。
「参りましたね。こんな形で彼の過去を知ることになるとは、露ほども思っていませんでした」
「確かに。それを読んでしまった以上、ただ敵として戦うのは私には出来ませんわ……」
トリスタンの過去を知らない四人は、それが毒と知りながらも書類に手を伸ばすのと止められなかった。それは好奇心ではなく、本気でぶつかり合うために必要だと思ったから。書類の内容はこうだ。
『トリスタン・ゴットフリート。ダアト郊外の村に拾われた孤児。ローレライ教団の敬虔な信徒の村リオネスで育てられ、その類い稀なる才能を見出した大詠師モースによって神託の盾騎士団に幼くして入団。初陣のホド戦争ではその才能をいかんなく発揮し、予言の成就に大きく貢献した。当時の年齢は実に七歳。』
「七歳って……」
七歳という年齢に思うところがあるルークが呟く。資料はまだ続く。
『そしてその直後、リオネス村が反乱を企て殲滅される、という予言に基づきも大詠師モースはこれを無実の罪でをでっち上げ皆殺しにさせる。任務に充てられたのはトリスタン少年だった。これにより、リオネス村の人々は反乱を起こさざるおえなくなる。他でもない、村のみんなが愛して育ててきたトリスタンが人質となってしまったからだ。村人たちは泣きわめくトリスタンに向かって、殺してくれと、君にならいい、これでいいんだ、と優しく笑いかけながらその命を散らせていった。その後、予言の成就は成ったと喜び勇むものが大詠師モースに襲い掛かるも、返り討ちにあい、牢獄へと幽閉される』
資料はここで途切れている。
「……彼がモースの名前をあそこまで嫌悪するのも頷けますね。予言と並んで、最も憎い相手でしょうから」
「ベルケンドで会った時から鬼気迫るものを感じて気圧されてしまいましたが、この話が本当だとしたら納得がいきますわね」
「謡将。両親を大切にしろよってよく言って来てくれてました……」
みんなが口々に感想を言い合う中、ティアは一言も発することが出来ずに立ち尽くしてしまっていた。大詠師モースの部下として仕えていただけに、この情報はあまりに酷だ。
「ティア……」
「大丈夫よ。そんなことより今は脱出に専念しましょう」
余裕を失くした声でそう言うと、部屋から出ていってしまった。
「しばらく放っておいてやろうぜ。信じてたもんが嘘だった気持ちは、ルークにもよく分かるだろ?」
「……そう、だな」
それっきり会話は途切れ、第四譜石まで逃走を開始した。
・・・
じめじめとした湿原を歩いていると、ラフレスの花を見つけた。どうやらここが境界線のようだ。眼帯を外し、『イゾルデ』を装着すると手の骨を鳴らしながら更に奥へと向けて歩を進める。足元はさらにぬかるみ、肌に張り付くような空気が湿原特有の臭いを乗せて漂ってくる。そして、
「さっそくお出ましか」
泥をはね上げ、湿原に住む怪物『ベヒモス』がその姿を現した。こちらを発見すると地を揺るがすほど大きな咆哮をあげ、跳びかかるために四肢をかがめた。
「『イゾルデ』!第二から第五まで解放だ!」
その言葉と共に僕の周囲に四つの球体が浮かぶ。茶、緑、青、赤。それぞれ名称を『テッラ』、『ウェントゥス』、『アクア』、『イグニス』。第二、第三、第四、第五音素の球体。僕が普段、狙撃の時に使っている弾丸と威力を除けば、ほぼ同じものだ。
「グオオォォオ!」
一直線へとこちら目掛けて突っ込んでくるベヒモスの足元で、『イグニス』を爆発させ泥を巻き上げる。僕が『アクア』を殴りつけると、泥の壁を貫通し瞬時に凍りつかせた。ベヒモスがこちらを目視できない状態を作り上ると、思いっきり高く飛び上がった。
「まずは一発!」
泥氷の壁を突き抜けてきたベヒモスの背中目掛けて、手元にある残り二つの球体を打ち込む。鎌鼬のような旋風が巻き起こり僅かに背中の肉をそぎ落とすと、その一点目掛けて岩石の槍が降り注ぐ。
「グアアアァァァァ!」
しかし、それでも怯まずに自由落下してくる僕を見据えて待ち構えている。襲い掛かる爪を手元に引き寄せた『イグニス』で打ち払うと、そのままベヒモスの顔面に着地し、無防備なを渾身の拳で貫いた。
先ほどとは打って変わった悲鳴のような咆哮を発しながら、大きく首を振り僕を振り落すと後ろへ下がった。
「所詮は魔物だな。御しやすいぜ!」
ベヒモスが一度のバックステップで確保した距離はおよそ十メートル。その尋常じゃない脚力が、今は命取りだ。
「『フェイルノート』!」
一瞬のうちに巨大な銃が展開され、その銃口はベヒモスの目と鼻の先に突き付けられた。
「五番、六番セット!ぶっ飛べ!」
引き金を絞ると白黒を織り交ぜたような弾丸が放たれ、避けようと考える暇すら与えずにベヒモスをのみ込んだ。
「なっ!?」
しかし、必殺の心算で放った一撃を受けてなお、怪物は健在だった。弾丸を受けた反動を利用し、一足で間合いを詰めるとこちらの顔を吹き飛ばすように巨大な腕を振るう。咄嗟に銃身を上空に向け、溜め無しで放てる最大出力の一撃を放ってから、急いで『フェイルノート』を収納する。反動で地面に大きな負荷がかかり陥没する。僕の頭上ギリギリを爪が通過し、偶然にも僕が腹の下へと潜り込んだ。チャンスだ。
「エレメントゥム!」
四つの球体が一本の矢のように集まり回転する。解き放たれたそれはベヒモスの腹を貫くと、背中へと抜ける前に停止し。
「ソール・パルウム」
僕が力強く拳を握りしめるのに連動して、大爆発を引き起こした。まるでそこに小型の太陽があるかのような熱が辺り一面を覆い。爆風が収まった時には、見渡す限りの焦土と化し、その中心には巨大な骨だけとなったベヒモスが立っていた。
「流石に死んだか」
目の前の骨を注意深く観察しながら言葉を漏らす。髪は熱の余波でプスプスと焦げ付いてはいるものの、目立った傷は受けていない。強いて言うならば、服が燃えてしまいったので、上半身裸のままどこかで服を調達しなければならないことくらいか。なかなかの精神的ダメージになるだろう。
「まあ、教訓となる物はあったしよしとするか」
僕は『イゾルデ』を外すと、その場と後にした。想定よりも時間をかけてしまった。とりあえずケセドニアに行こう。砂漠ならこの格好も多少は不自然ではないだろう。
・・・
ケセドニアに向かう途中。砂漠のオアシスに赤い長髪がいた。アッシュだ。しっかりと普段通りの服を着用している。あれものすごく暑いのに。
「そんな服装で砂漠にいたりしたら倒れるぞ、アッシュ」
「誰だお前は。気安く話しかけるんじゃねぇ」
「君、ホントに口悪いよな。仮にも上官に向かってその発言はないだろ」
「なんだと?」
僕が呆れたような顔をしていると、アッシュはじっくりとこちらの顔を見つめ、唐突に目を見開いた。
「お前、……トリスタンかっ!?」
「なんだそりゃ。どこからどう見ても僕は僕だろ」
「いや、それはない。あのクソ長い髪はどうした?」
「さっきまで戦ってた魔物が意外と強敵でさ、全力で戦ったら燃えちゃったんだよね。ついでに服も」
懐から服の燃えカスを取り出して見せると、アッシュにしては珍しく顔を引き攣らせて笑っている。
「そういう訳で、上半身裸でもそんなに違和感がない砂漠の方に来たんだけどさ。そしたら偶然にも見知った顔があったから声かけてみたって訳。誰か待ち人でも来るのか?」
「お前には関係ない。それよりも答えろ!ヴァンのやつは次にどこを崩落させようとしている?」
先ほどまでとは一転して、キツイ目つきで僕を睨む。手は剣の柄にかかり、いつでも切りかかれるような状態だ。
「僕は知らないね。そもそもヴァンの中での僕の役割は、手に負えないような事態が起きた時に武力で解決するための力さ。細かい計画は君以外の六神将とヴァンが進めてる」
二人以外誰もいないオアシスで、ただ向かい合いながら時間だけが過ぎていく。緊迫した空気が流れ、砂漠の暑さも相まってたらり、と汗が垂れる。
「……嘘では無いようだな」
「当然」
何を持ってそう結論付けたのか、僕には分からないが、アッシュは剣から手を放してそっぽを向いた。
「まあ、待てって。敵だってことには変わりないけども、話しちゃいけないなんて決まりはないぜ。一応、同僚だしな」
「断る。馴れ合いはゴメンだ」
「………指切り」
ピクリと反応した。どうやら当たりのようだ。
「約束、将来、誕生日―――」
「やめろォ!」
振り返ったアッシュは額に青筋立てて、ぜいぜいと肩で息をしている。
「てめぇ!なぜそれを知ってる!?」
「昔、どこぞの王族の護衛任務に派遣されたことがあってね。具体的に言うと今から十年くらい前の話なんだけど」
「ぐっ……!」
「いやなに、わざとじゃないんだけどほら、聞こえちゃったものは仕方ないよねぇ」
口角が自然と吊り上る。アニスの補習をしている時と同じ気分だ。とても楽しい。少しだけあの陰険メガネの気持ちが分かった気がする。
「分かった。談笑でもなんでもしてやるからその話はやめろ!」
「そうかそうか。それは良かった。悪いね、脅したみたいになっちゃって」
「どう聞いても脅しだろうが!」
ここ最近、いじられることの方が多かったので、ご満悦だ。
「それで、話ってのはなんだ?」
「真面目な話だが、いいか?」
「ああ」
僕は短くなった髪を掻き揚げてアッシュを見据える。
「僕も、ヴァンも、そしてルークも、道は違えど自らの道を選んだ。それじゃあアッシュ。君はいつまでそのままでいるつもりだ?」
騒音を振りまく砂嵐の中でも、僕の言葉はしっかりとアッシュに突き刺さった。
「俺は―――」
・・・
「さて、それじゃあ僕はケセドニアに向かうよ。君の待ち人は来たようだし、満足のいく会話もできた」
「とっとと行っちまいやがれ」
フン、と顔を背けるアッシュを尻目に、僕はケセドニアへと向かって歩き始める。去り際にルーク一行とすれ違ったが、誰一人として気づくことはなかった。そんなに変わったのか。
「いい機会だ。導師イオンをさらって話をするとしようか」
あいつらが焦ってないってことは、自らの意思で導師イオンはダアトに戻った可能性が高い。なんてことを考えてるうちに、神託の盾騎士団の一団を見つけた。導師イオンを連れている。幸いなことにモース本人はいないようだった。
「止まれ!」
突然かけられた声に、神託の盾の兵士たちは無言のまま武器を構える。こちらの次の言葉を待っているようだ。僕は眼帯を外し、『フェイルノート』を展開させる。これが、僕であるという一番の証明となるからだ。
「ローレライ教団神託の盾騎士団導師守護役、トリスタンだ。任務の帰りにたまたま見かけてな、導師守護役の長として同行しようと思うが、構わないだろう?」
「しかし……モース様のご命令で」
「彼なら大丈夫です」
『フェイルノート』を戻し、眼帯を付けていると導師イオンが口を開いた。
「導師イオンがそう仰るのなら。トリスタン謡将、先ほどの無礼をお許しください」
「いいさ。君たちは職務を全うしてるだけなんだから。むしろ褒めてやりたいくらいだよ」
薄く笑ってそう言うと、光栄ですと敬礼して僕と導師イオンから少し離れた。良くできた部下だな。引き抜きたいくらいだ。
「トリスタン、まずは一つ謝らなければいけないことがあります」
「導師イオンにしては珍しいですね。一体どのような事をしでかしたのでしょうか」
「そ、それは……」
表面上取り繕ってはいるが、内心心臓バクバクだ。ここが砂漠で良かった、吹き出る冷や汗もどうにか誤魔化しが効く。
「モースに監禁された時、あなたの執務室に入れられてしまいまして。脱出のために部屋を探っていたら、書類が……」
「……ああ、なるほど。そういうことですか。確かにいい知らせではありませんが、それは導師イオンの責任ではありませんよ。あなたは戦争を一刻も早く止めたかっただけなのでしょう?」
「ですが……」
申し訳なさそうにしゅんと項垂れてしまう導師イオン。
「そうですね。それなら一つ質問に答えてください。それで帳消しとしましょう。個人的な話ですから、答えて誰かに迷惑がかかるという訳でもないです。安心してください」
付け加えるように言った僕の言葉にほっとすると、いつもの優しげな顔に戻り、僕の言葉を待つ。オリジナルとは大違いだ。あれはあれで素晴らしい人間だったが、今の導師イオンは導師という役割において、オリジナルをはるかに凌駕していると思う。
「僕からの質問は、そう難しいことではありません。あなたは、導師イオンではなく、イオンとして生きる気はあるか、という話です」
「な、何を言ってるんですかトリスタン!僕は……僕は……っ!」
朗らかな笑顔は一瞬で崩れ去った。僕の言葉がナイフの様に導師イオンの心の深い部分に突き刺さる。正直、見てられないがここで引くわけにはいかない。導師イオンのためという名の、僕の自己満足の為に。
「あなたの出生も何もかも知った上での発言です。そうですね……僕と初めて会った時の事を覚えていますか?」
「『あなたの未来をあなたが選んだ時、僕はあなたの友となり力を貸しましょう』。ええ、覚えています。僕が初めて聞いたあなたの言葉ですから」
「このままのペースでダアト式譜術を使うならば、その命は長くないでしょう。選択の時です」
「ですが……僕がここで降りてしまったらあなたは―――」
「リグレット以外は知らない事ですが、僕は第七音素も扱うことが出来ます。最悪の場合、この身を差し出して計画を遂行する覚悟もあります」
導師イオンは何も言えなくなってしまう。どうやら、この場で答えを出すのは無理なようだ。
「導師イオン。願わくばその命が尽きる前に、あなたのことをイオンと呼べることを祈っています」
僕は一度目を伏せ、かつて、あの人たちに向けた時と同じ笑顔をイオンへと向けた。予言の妄執にとらわれることなく、心から人の幸福を願える人間が、これからの世界にはきっと必要になる。そう思った。
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五話
キムラスカ・ランバルディア王国玉座の間。普段は荘厳な雰囲気を醸し出すこの場も、今では見る影もなくなっていた。原因はそう、ナタリア王女が王家の血を引いていないという真実が、モースにより白日の下に晒されたからだ。
「逆賊め!まだ生きておったか!」
モースがその妄執に駆られた顔を、醜くゆがませて声を張り上げる。
「お父様!私は本当にお父様の娘ではないと仰いますの!?」
泣き出しそうな顔をして吐き出された言葉は、普段のナタリアからは考えられないようなヒステリックな声音だ。モースの言葉など簡単に消し去ってしまうほどに、心を打つ。
「そ……それは……。わしとて信じとうは……」
「殿下の乳母が証言した。お前は亡き王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘メリル。そうだな?」
「……はい。本物のナタリア様は死産でございました。しかし、王妃様はお心が弱っておいででした。そこで私は数日早く誕生しておりました、我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」
ナタリアの叫びに揺らぐインゴベルトに楔を打ち込むように、残酷な事実を突きつける。
「……そ、それは本当ですの、ばあや」
小さなころから世話になっていた乳母の言葉に、ナタリアの瞳が絶望に曇った。
「今更見苦しいぞ、メリル。おまえはアグゼリュスに向かう途中、自分が本当の王女でないことを知り、実の両親と引き裂かれた恨みからアグゼリュス消滅に加担した」
「ち、違います!そのようなこと……!」
「叔父上!本気ですか!そんな話を本気で信じているんですか!」
取って付けたような動機をもっともらしく語るモースからナタリアを守るように、ルークが一歩前に出てインゴベルトを見据える。
「わしとて信じとうはない!だが……これの言う場所から、嬰児の遺骨が発掘されたのだ!」
「も、もしそれが本当でも、ナタリアはあなたの娘として育てられたんだ!第一、有りもしない罪で罰せられるなんておかしい!」
信じてきたものが全て嘘だった。その辛さを誰よりも知っているルークだからこその言葉だ。しかし、その言葉も今のインゴベルトには届かない。深くナタリアを愛しているがゆえの絶望。世界全てが色彩を失ったように見えていることだろう。そして、その顔を確認したモースはダメ押しの一言を告げる。
「他人事のような口振りですな。貴公もここで死ぬのですよ。アグゼリュス消滅の首謀者として」
「……そちらの死を以て、我々はマルクトに再度宣戦布告する」
「あの二人を殺せ!」
下品に口角を釣り上げると、モースは命令を下した。視線の先にはディストとラルゴ。二人が行動を起こす前に、ルークたちはその場から駆け出そうとしたが、目の前に赤い長髪の男が現れた。アッシュだ。
「アッシュ!ちょうどいい!そいつらを捕まえなさい!」
「せっかく牢から出してやったのにこんなところで何してやがる!さっさと逃げろ!」
ディストの言葉を無視し、ルークの真横を駆け抜けると庇うように立ちはだかる。
「きーっ!裏切り者!」
「……ガタガタうるせえよ。おまえだってヴァンを裏切ってモースに情報を流してるだろうが。それに、今回の事はトリスタンの命令だ。ラルゴの過去をこんな形で利用したことに相当お冠みたいだったぜ」
聞くことができたのはそこまでだった。玉座の間に衛兵がなだれ込み始め、ルークたちは急いでその場を離脱した。城を飛び出すと、一目散にバチカルの外を目指す。
「ええい!待て!逆賊ども!」
町中に降りてくると同時に罵声を浴びせながら衛兵が迫る。がその衛兵とルークたちの間に市民が割り込み、壁を作る。十七年の積み重ねが生んだ冗談のような出来事。それは、コンプレックスにより、誰よりも王族足らんとしたナタリアだけが持つ、市民との絆の証だった。自分が傷つくのも恐れずに衛兵に立ち向かっていく市民は口々に言う。
「ナタリア様をお守りしろ!」
「今こそ恩を返す時だ!」
「血筋なんか関係ない!」
その一言一言がルークたちの背中を強く後押しする。
「待て!その者は王女の名を騙った大罪人だ!即刻捉えて引き渡せ!」
兵士を引連れて現れたゴールドバーグが怒鳴りつけるように大声を上げる。例にもれず、市民に囲まれたゴールドバーグだが、在ろうことか、その剣を市民へと向けた。その時だった。
「あんた、正気かよ。剣を取ったのは何のためだ?」
突如黒髪短髪の青年が現れ、その剣を蒸発させた。一瞬戸惑ったルークたちだったが、その手にある白い手袋を見て気が付いた。
「トリスタン謡将!?」
「ん……。ああそうか、短くなってからは会ってなかったっけ?」
「っていうか完全に別人じゃん!?」
「細かいことは次会った時だ。今は早くここから立ち去れ。僕はディストにキツイ説教をしないといけないからね」
そう言って見せた背中からは、確かに怒気が感じられた。モースの時とは違い、憎悪こそないがそれでも息をのむほどの圧迫感だ。
「ここから南西に行くと、イニスタ湿原がある。そこを通れ、今なら通りやすくなってるはずだ」
そう言い残すと駆け出し始め、市民を襲う衛兵をなぎ倒しながら城の方へと昇って行った。
「とにかく急ぎましょう!彼の言うとおりイニスタ湿原が唯一の道と言ってもいいでしょうから。封鎖されてしまってはどうしようもなくなってしまいます」
後ろ髪引かれる思いの中、ルークたちは湿原へと走った。
「アッシュは大丈夫でしょうか……」
イニスタ湿原まであと少しというところで、ナタリアが唐突に口を開いた。
「きっと大丈夫よ。あのトリスタン謡将も向かったようだし」
「確かに。ものすごい威圧感だったしな」
「ですね。流石の私もディストに同情を禁じ得ませんよ」
「お前ら、あの人の事なんだと思ってんだよ……」
話の流れでとりあえず突っ込むルークだが、本人も遠い目をしている。想起すればするほど、人外にしか思えない。過去の交戦も運よく向こうが引いてくれたに過ぎない。実質、二戦二敗だ。
「おかしいですね」
みんなが苦い顔で思い出に浸っているとジェイドが呟いた。
「どうかしたんですか大佐ぁ?」
「私の記憶が確かならば、この花はラフレス言って、湿原にある魔物を閉じ込めておく為に植えられたものです」
「ですが、まだ湿原には入ってませんのよ?空気もジメジメしておりませんし」
「ええ。ですからおかしいのです。歩いた時間から鑑みるに、すでに湿原へと入っていなければなりません」
確かによくよく見れば、先ほどよりも草が生い茂っている気がしなくもない。が、湿原かと聞かれたら違うだろう。ナタリアの言うとおり、キツイ湿気を感じない。
「……注意して進もう」
ルークの一言に全員が頷き、さらに奥へと進んでいった。しかし、奥へ向かえば向かうほどに温度が上がり、緑は減っていく。やがて、湿原の中心あたりだと思われる場所に差し掛かると、それはあった。
「なにこれ!?辺り一面焼け野原になっちゃってるじゃん!」
「何かあったのかしら……?」
その一帯は湿原と言うより、荒野と言った方が適切なほどに破壊されていた。その中心となる場所に佇む魔物の白骨といい、とにかく異常だらけだ。
「以前、ダアトでトリスタン謡将と会った時の事を覚えていますか?彼は、ここに住む魔物を討伐しに行く。と言ってました。おそらくこれが彼の本気と言うやつなのでしょう。船上で使おうとしないのも納得の話ですね」
やれやれ、と首を横に振るジェイドと、唖然としながら辺りを見渡すその他のメンバー。この日、トリスタンはパーティ内において正式に人外として扱うことが決定した。
・・・
事を終えた僕は、再びダアトへと帰ってきていた。当たり前のように自室に行こうとしたら、衛兵に取り囲まれてさんざんな思いをしたが。まあ、それは髪を燃やしてしまった僕の自業自得なのでしょうがない。
「あの日のことを思いだすな」
僕が自室のドアを開けると、そこにはいつかと同じようにリグレットがコーヒーを飲んでいた。
「そう言う趣向だ馬鹿者。たまにはこういうのも悪くはないだろう」
「……そうだな。ありがとう。少し気が楽になったよ」
「礼など要らん。それよりもっとよく顔を見せてくれ。随分と様変わりしたようだからな」
今しがた淹れたコーヒーを机の対面に置くと指を指す。とっとと座れとのことだ。
僕はいつものように微笑みながら席へと着いた。
「確かに、僕の顔をまじまじと見る機会は狙撃の時しかないからね。普段は眼帯ごと髪で隠してたし」
「だから私だけの特権のようなものだったのだが、こうなってしまっては仕方があるまい。言い寄ってくる輩が増えないことを祈るばかりだ」
普段絶対に言わない類いの言葉だ。冗談めかして言ってはいるが、あまり目は笑っていない気がする。
「相変わらず、すさまじいまでの公私の切り替えだな。とても僕には真似できないぞ、ぞれ」
「そんなに難しいことではない。そもそも私はお前に出会うまで、『私』の部分などほとんど持たなかったくらいだからな」
「それを威張るように言うのは、どうかと思うんだけど……」
「……それもそうか」
意外と抜けてるリグレットを見ていると。思わず頬が緩む。
「ジゼル。この後の予定は?」
「墓参りにでも行こうかと思ってな、お前もだろう?トリスタン」
「参ったな。全部お見通しって訳か」
照れくさくなって、苦笑しながらガシガシと頭を掻く。
「っと、その前に一仕事入ったみたいだ。少し待っててくれ。部屋は自由に使って構わない」
「言われるまでもない」
「そいつは結構」
コーヒーを啜るリグレットを尻目に軽口をたたきながら、名残惜しくも部屋の外に出ると、僕の部下の一人がこちらに向かって走ってきていた。
「トリスタン謡将!アリエッタが!」
「ああ、分かってる。街の方で騒ぎが起こっているがここからでも分かる」
「宜しくお願いいたします。どうかあの子を止めてあげてください」
「任せておいてくれ。僕の部下同士のいざこざだ。仲介役にはもってこいだろう」
僕は、きれいな敬礼を掲げる部下に背を向けて、喧騒の中心へと向かって急いだ。
「アニスなんて大嫌い!私のイオン様を取ったくせに!」
「イオン様!危ない!」
広場へと躍り出た僕が見たのは、アリエッタの操る魔物から導師イオンを守るために、その身を盾にしようとしているアニスの母親の姿だった。咄嗟の判断で魔物の放つ電撃との間に腕を割り込ませ、霧散させる。少々の火傷を負ったが、大丈夫なようだ。
「アリエッタ。少し頭を冷やしなさい」
すでにジェイドに取り押さえられているアリエッタに向かってそう告げる。
「あ、あっ、トリスタン!ごめんなさい……っ!」
怪我もそのままにゆっくりと近づく僕へ向けて、青い顔をしながら謝るアリエッタ。
「これくらいなんてことないさ。それよりも、しっかり反省しろよ?僕だから良かったものの、他の人に当たったりしたら一大事だ」
子供をあやすように頭の上にポンと手を乗せると、何事もなかったかのように振る舞う。
「この場は僕が収めるから、君たちはそうだな、一旦アニスの両親の部屋にでも戻るといい。少し、時間が欲しい人もいるみたいだしね」
ちらりと向けた視線の先には、苦悶の表情を浮かべて座り込んでしまったガイ。何かを思い出してしまったのだろう。
「しかし、あなたの腕も迅速な治療が必要でしょう」
「まあね。だけどこの場を収めるのは僕の仕事だ。なんたって導師守護役の長なんだからね」
「私が残りますわ」
頑なに譲らないでいる僕に対し、ナタリアが声を上げて駆け寄ってくる。有無を言わせぬ勢いだ。
「……それじゃあ、お願いしていいかな?動きながらになると思うけど」
「もちろんですわ」
泣き出しそうなアリエッタを部下に任せると、僕は事態を収拾すべく動き出す。とはいっても僕が唯一の怪我人のようで、想像よりもすんなりと事が運んだ。
「あの、バチカルでは助けて下さり、ありがとうございました」
大体の事が片付き、首をコキコキと鳴らしていると、ナタリアから声がかかる。
「お礼なんかいいさ。あれは僕の方にもやる意味があったからね」
「それでも助けていただいたことに変わりありませんわ」
「なるほど。未来の王女様に貸しが出来るとは、僕もなかなかに運がいい」
「わ、わたくしは……」
「偽物だってか?」
それっきり俯いて黙り込んでしまう。それじゃあ、困る。
「君さ、ルークの事どう思ってるんだ?」
僕はあてつけの様にふう、とため息をついてから口を開く。
「あいつはレプリカ。アッシュの偽物だ。だから価値はないのか?」
「それは……」
「君の言ってるのはそういう事なんだよ。偽物が、本物を越えちゃいけないなんて道理はないんだ。大事にしてきたものなら、そこに真贋の区別はないだろ」
おもむろにナタリアに近づき、指でトンと額を叩く。一瞬、驚いたような顔をしたナタリアだったが、すぐにいつもの元気そうな笑顔に戻った。
「重ね重ねありがとうございます。わたくし、大切なことを忘れていたようですわ」
「ならいい。僕は教官職でもあるんでね。君みたいな前途有望な若者がつぶれそうなのを、放っておけない性質なのさ」
「あなたのような上官を持てて、アニスは幸せ者ですわね」
「だといいんだけどね……」
傷一つなくなった腕を見ながら、拳を開閉する。うん、問題なし。もう完治したみたいだ。
「……だからこそ納得できませんわ。あなたは恨みだけで行動するには、優しすぎます。わたくしには、未だにわたくしたちの知らない何かがあるのでは、と思えてしょうがないのです」
ナタリアは、そう言いながら先ほどとは打って変わった、強いまなざしを僕に向けてくる。
「………………予言は、いつまで続くと思う?」
「いつまで、ですか?」
「悪いけど、今の僕に言えるのはこれだけだ。君もそろそろ行くといい。怪我の治療ありがとうね」
僕はそう言い残すと、私室へと向けて足を進めた。やることが出来てしまったが、今日だけはリグレットとの墓参りに使おう。そう心に決めた。
・・・
「と、言うことですの」
礼拝堂でガイの過去の記憶を聞いた後、話題は先ほどナタリアがトリスタンから聞いた言葉へと移っていた。
「予言がいつまで続くか、ですか」
「そんな事、考えたこともありませんでした」
「てゆーか。それが普通でしょ!」
「それを普通だと言ってしまう人ばかりだから、ヴァンたちは動いてるんだろ」
みんなが口々に意見を言い合う最中、ジェイドだけが難しい顔で黙り込んでしまっていた。いつもとは明らかに違う余裕のない表情だ。
「僕も考えた事すらありませんでした。生まれた時から予言は存在しましたから。空気と同じようなものです」
「謡将に直接聞ければ早いんだけど、リグレット奏手とどっか行っちゃったみたいだしぃ~」
「きっと聞いても話してもらえないと思いますわ。今の僕に話せるのはここまでだ、と仰ってましたもの」
「だよなぁ……。結局何も分からず仕舞いか」
「そうでもありませんよ」
顎先に手を当てながらジェイドが言う。
「本当ですか、大佐!?」
「ええ。ですが確証が持てないうちは話すつもりはありませんよ。混乱させるだけですからね」
「それは僕にもですか、ジェイド?」
「イオン様でも、です。私の想像通りなら、事態はさらに大事になりかねませんから」
「マジかよ……」
もうすでに世界規模の大事になっているにもかかわらず、さらにこれ以上があるという。
「ですが、トリスタン謡将たちはその事実を知って立ち向かおうとしていますわ。ならばわたくしたちも立ち向かわなくてはなりません」
「良いことを言いますね、ナタリア。彼と話せたことはあなたにとってプラスに働いたようでなによりです」
いつも通り、ジェイドの一言で締め、ルークたちは次の目的地へと向かうのだった。
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六話
マルクト帝国帝都グランコクマ。水の都とも言われるきれいなこの町に僕は来ていた。というのも、先日キムラスカで何をしていたのかを報告するためだ。一応これでも、立場ある人間なので、いろいろとしがらみが多い。正直、気が重い。なにせ、これから謁見する相手は、ジェイド、ディストと幼少を共にしたと言うピオニー陛下だ。キムラスカのインゴベルト陛下と比べて、圧倒的にこちらの方が厄介な相手である。
「おい、そこの怪しいやつ。止まれ!」
「またか………」
髪が短くなってからというもの、どの町でも確実と言っていいほどに衛兵に声を抱えられる。眼帯がいけないのだろうか。
「僕はローレライ教団の者だ」
「なに……?」
あからさまに訝しむ視線を受ける。
「それを証明するものはあるのか?ないなら―――」
「ゼーゼマン参謀総長に確認を取ってくれ。彼とは顔見知りだ」
「……そこで待ってろ!」
言葉を遮られて憤慨した彼は、数人の部下に僕を見張らせると肩を怒らせながら去って行った。残された部下が申し訳なさそうにこちらを見てくる。とても気まずい。
「あー君たちも大変だね」
どうにか声を絞り出し、愛想笑いを浮かべながら、ゼーゼマン参謀総長の到着を待った。そして数分後。
「お待たせして申し訳ない」
「いや、大丈夫ですよ。こちらこそ突然で申し訳ない」
「それで……」
案の定、僕が誰だか分かっていないのだろう。困惑している。
「先日の魔物討伐任務の際、髪が焼けてしまいましてね」
そう言いながら眼帯を少しずらすと、ゼーゼマン参謀総長は目を見開いて敬礼した。
「失礼しました。早急に陛下の元へご案内いたします」
「ありがとうございます」
僕は、呆然とする兵士たちにご苦労様と言って、ゼーゼマン参謀総長の後ろについて行った。
「では。私はここで」
「はい」
玉座の間の扉の前で別れると、僕が身だしなみを軽く整え中に入る。キムラスカとは違い、荘厳さではなくその装飾の美しさに目を奪われるような部屋。この部屋自体が芸術品のようなものだ。
「よく来たな。お前がバチカルに乗り込んだって聞いた時には、度肝を抜かれたぞ。戦争でも始まるのかと思ったくらいだ」
「いや、微塵も冗談になってないから」
愉快そうに笑うピオニー。流石にジェイドを御するだけあってとんでもない男だ。……いい意味でも悪い意味でも。
「それで、本当のところはどうなんだ?報告によるとかなり怒ってたって話だが、何があった?多分、今日はその報告に来たんだろ」
「それだけじゃないけどな。まあいい、まずはその話からにするか」
お互いに真剣な表情へと切り替わり、僕は報告を始める。
「バチカルの件は、完全に僕の独断だ。あんたの幼馴染のサフィール君が、ちょっと見逃せないことをしたもんだからお灸をすえてやった」
「あいつもご愁傷様だな。話を聞く限りお前の説教は相当きついって噂だぜ」
「ディストは頭のいいバカの典型だからな。根は優しいやつなんだが周りを見てない」
「流石に教官職に就いてるやつだ。よく見てる」
「皇帝陛下に褒められるとは、僕もなかなかに捨てたもんじゃないらしい」
普通なら一発で斬首ものの不敬だが、僕は目の前のこの人から直々に敬語禁止の命令を受けている。四年ほど前、ピオニーが即位した時に謁見し、それ以来えらく気に入られてしまったのだ。曰く、お前くらいぶっ飛んでるやつは初めて見た、らしい。こっちのセリフだ。
「それで、あいつ、一体何をしでかしたんだ?」
「ラルゴの傷を利用した作戦を実行したんだよ。僕個人の怒りもあるけど、そんなことされたら組織が崩壊しちゃうだろ」
思い出すだけで、呆れたようにため息が漏れる。
「報告は以上。それよりも、例の約束について確認しに来た。実のところ、今日の訪問はそっちが本命だ」
途端にピオニーの放つ雰囲気が厳しいものへと変貌する。
「考え直すつもりはないのか?」
「有り得ない。すでに采は投げられた。嬉しいことに、後を任せるに足る後続も育って来てるみたいだ」
脳裏に浮かぶのは、もちろんルークたち一行の事だ。特に、ルークは文句のつけようがないほどに素晴らしい。本人は、レプリカだと自分を卑下しているきらいがあるが、あの足掻こうとする強さは人間そのものだ。
「俺には、お前を糾弾する資格なんかないぞ」
「それでも決断を下せるあんただからこそ、僕は頼むんだ」
「……お前もジェイドに劣らないくらい性悪だな」
「恨んでくれて構わないよ」
疲れたように目頭を押さえるピオニーに対し、僕は莞爾として笑う。
「俺としては、お前のような部下が欲しかったんだがな」
彼にしては珍しく力のない笑顔だ。光栄な話だが、そんな未来が来ることはありえない。
「残念。今からジェイドをすれば矯正いいんじゃないか?来世あたりにはきれいなジェイドになってるだろ」
「それはそれで見てみたい気もするが、正直気持ち悪いな」
豪気に笑うピオニーに、僕はナタリアとはまた違った形の王の器を見た。やはり、彼もまた、僕の思い描く未来に必要になる人間だ。
「ああ、そうだ。新しくブウサギが増えたんだが、お前の名前貰っていいか?」
「いいぞ。その代わり、ダアトに来るたびにブウサギ料理を出す命令を下しといてやる」
ヴァンの知らない僕のもう一人の共犯者との語らいは、この後ルークたちがここを訪れるギリギリまで続いた。
・・・
「今帰ったぞ、ヴァン」
「随分遅かったな。何かトラブルでもあったか?」
「トラブルと言うほどの事じゃない。また不審人物として連行されかけただけの話だ。そんな事より次の指令を寄越せ。僕は忙しいんだ」
「やれやれ、せっかちな奴め」
ヴァンはふっ、と笑うと懐からある書状を取り出してこちらに手渡す。それも、三枚も。暗躍している六神将が動かせない分、表立った仕事をほぼ全て僕がこなしているためだ。
「その三つのうちの一つは緊急の案件だ。崩落したルグニカ大陸のエンゲーブには、両軍の将軍がいる。両方に顔が知れているお前には、仲介役と称して、周辺の調査を頼みたい」
「ん。そういう事なら僕が一番の適任だ。瘴気がわき出てるところに行こうとするようなお偉いさんは、そうそういないだろうし」
「そういう事だ。押し付けるようで悪いがな」
「そういう事はいいっこ無しだぜ。僕は、僕が思い描く未来のためにあんたの計画に乗ったんだ」
自嘲するように笑うと、ヴァンに背を向ける。
「事が終われば僕は死ぬだろう。お前もただでは済まない。そんなこと承知の上で今、ここに立ってるんだ。違うか?」
「……そうだったな。許せ、下らん事を口走った」
「聞かなかったことにしといてやるよ」
僕は満足げに頷くと、その場を去ろうとする。が、その時。
「少し待て、まだ聞きたい事がある」
「……なんだよ」
とてつもなく嫌な予感がする。具体的に言うとバチカルの廃工場の時と同じような感じだ。
「アグゼリュス崩落の直前にティアが―――」
その言葉を最後まで聞く前に、僕は元エンゲーブの場所へと向けて走り去っていった。
・・・
「ダアト条約を忘れたか!捕虜の扱いもまともに出来ない屑共め!」
ルークたちがエンゲーブへと入ると、罵声が聞こえた。声の主はセシル少将だ。
「うるさい!キムラスカ軍の奴らは、黙って地面に落ちた残飯でも食ってりゃいいんだよ!」
「貴様!」
激高してマルクト兵に襲い掛かろうとするセシルの腕を、騒ぎを聞きつけて来たフリングスが掴む。
「は、放せ!」
「そうはいきません。彼は私の部下です」
「マルクト軍は最低限の礼儀すら知らないのか!その兵は我々の食べ物を床に投げ捨て、這いつくばって食べろと言ったのだぞ!」
「それでも、彼は私の部下です」
苦々しい顔をしたフリングスはそれでも凛とした声でセシルに言う。
「ディラック!その者をハイデスの営倉に連れて行け」
フリングスの指示に従い、暴言を吐いた兵は喚きながらその場から連れ去られていった。
「セシル将軍。私の部下が失礼しました。部下の失態は私の責任です。どうかお許し頂きたい」
怒りで我を忘れていたセシルが我に返り、腕を掴まれたままだということに気が付くと、赤面する。始めは不思議がっていたフリングスだが、次第に状況を理解すると彼もまた赤面してしまう。
「も、もう結構だ」
慌てて腕を振りほどき去ろうとすると、あたりに突風が巻き起こる。
「な、なんだ!?」
事態を静観していたルークだったが、突然の事態に大声を上げる。一同の警戒とは裏腹に風はだんだんと弱くなっていき、止んだ時にはその中心には原因となった男が立っていた。
「初めてにしては上手くいったか」
・・・
ヴァンから逃亡した僕は、外殻大地にぽっかりと空いた大穴の前にいた。手には『イゾルデ』を装着しており、足元には緑の球体が浮遊している。これに乗って降りて行こうというのだ。我ながら馬鹿な行動だとは思うが、ヴァンが移動手段を用意しなかった以上、こうするしかない。
「行くか……」
周囲に暴風を展開させ防壁の代わりとすると、僕は満を持して降下を始めた。ほとんど自由落下のような速度で落ちてゆく。
「『ウェントゥス』!」
体が押しつぶされないよう、少しずつ速度を緩める。空に魔物の影はなく、万事順調に事は進んだ。
「初めてにしては上手くいったか」
着地の衝撃を殺すために、少しばかり制御が甘くなってしまったが。土煙が晴れると、付近には警戒した様子で僕を取り囲んでいる人間がいた。
「待て待て、僕は怪しいものじゃない」
「怪しい人ほどそう言うんですよ」
「うるさいよ、陰険メガネが。と言うよりお前たちとは髪が短くなってから会ったろうが」
「これは失礼大変しました。神託の盾に、衛兵に捕まった謡将がいたという話を聞いたものですから」
こいつ、知ってやがった。情報源は考えるまでもない。ジェイドの横で下手糞な口笛を吹きながら顔を逸らしているアニスだろう。減俸してやろうか。
「それで、いったい何の用なんだ。とうとう直接潰しに来たか?」
挨拶代りの一幕が終わると、ガイが剣に手を掛けながら聞いてくる。つられて状況が呑み込めていないセシルとフリングスまでもが身構えてしまう。
「あんたたちがここにいたのは偶然だ。僕は、仲介役が必要になるだろうと思ってここに来たまで」
「仲介役……、失礼ですが、あなたは一体?」
「以前にも似たようなやり取りがあったような気がしますが、まあ、いいでしょう」
僕は咳払いをし、喉を整える。
「ローレライ教団神託の盾騎士団導師守護役、トリスタン・ゴットフリート謡将であります。以後、お見知りおきを」
そう言って丁寧に一礼する。
「こ、これはトリスタン謡将でしたか。失礼をお許しください」
「そんなにあらたまらなくても大丈夫ですよ。では私は、広場の方に待機してますので。話が纏まったら来てください」
そう言い残し、広場の方へと向かった。そして、数時間後。
「で、なんであんたたちが来るわけ?」
僕の前へと現れたのは、両軍の将軍ではなくルーク一行だった。半ばこうなる予感はあったが。頭が痛い。
「つれないですねえ。実は、アニスが先日のお礼をどうしても言いたいと申しまして」
「ちょっ、大佐ぁ!?」
「まあ、アニスったら。それならそうとわたくしたちにも相談してくださればいいのに」
「ナタリア、あれはそういう意味じゃないと思うぞ……」
「あんたたち集まるといつもコント始めるよな」
目の前で繰り広げられる寸劇に、思わず突っ込みを入れてしまった。
「ですが、あながち冗談でもないですよ。口には出していませんが、先ほどからそわそわしていましたから」
「ああ、それは俺も思ったな」
「はうあ!?アニスちゃん一生の不覚!」
「あななたち、ふざけてないでさっさとカイツールに向かいましょう」
あなたたちに僕が入っているのかいないのか、小一時間ほど問い詰めたいところだったが、ぐっと飲み込んでアルビオールへと半強制的に乗り込んだ。言い換えるならば、連行された。
・・・
「あのさ。前回会った時に僕言わなかったっけ?今の僕に話せるのはここまでだって」
アルマンダイン伯爵に会うためにカイツールへと向かっているアルビオールの中で、僕はこらえきれずに口を開いた。
「分かってるよ。だけど、腑に落ちない事があるんだ」
「……言ってみな」
「あんたが俺たちを殺そうと思えばいつでも出来るのに、なんでやらないのかって話だよ」
言いにくそうなルークを庇うように、ガイが横から口をはさむ。
「兄さんから話を聞きましたが、トリスタン謡将の行動からは矛盾を感じます。全てをレプリカに置き換えるのならば、私たちを生かしておくのは無意味です」
「意味ならあるね。これは僕の信念と君たちの信念のぶつかり合いだ。そんな決着は認めない」
それっきり黙り込んで何も答えないでいる僕へ、ジェイドが目を鋭くしながら言葉を投げかける。
「……あなたのような目をした人々を私は幾度となく見たことがあります。あなた、事を成し遂げたら死ぬつもりでしょう」
「よく分かったな。流石は軍人だ」
ジェイドを除くメンバーの顔が驚愕に歪む。ジェイドの質問も、それに即答した僕も、信じられないと言った顔だ。
「馬鹿な事を。そんなものはただの自己満足です」
「だから、僕は自らを逆賊と言ったんだよ。その結末が死なのは承知したうえでな」
「予言を誰よりも嫌うあなたたちが、誰よりも予言に縛られている。そんなものは悲劇でしかない!」
いつものポーカーフェイスは消え去り。吐き出すように言葉をぶつけてくるジェイド。ここまで感情を出すのは初めて見た気がする。
「……失礼。少々取り乱してしまいました」
「大佐………」
心配そうな顔をするアニスに視線を向け大丈夫ですよ、と言うと、再び僕の方へと向き直る。
「あなたは必ず私たちが止めて差し上げましょう。私たちが勝ったあかつきには、一生マルクト軍で雑用です」
「やっぱり怖いな、あんたは。ついつい話し過ぎてしまいそうだよ」
「お礼は現金の出世払いでいいですよ」
「いや、今返してやるよ。教える気はなかったんだが、あんたと本音でぶつかるのはこれが最初で最後かもしれないしな」
そう言って、僕は手持ちの紙に、ある位置の座標を書き出す。
「あんたの過去に決着をつけるための情報だ。僕の思惑通り、事が終わる前にケリを付けてしまえ」
「まさか……っ!?………あなたの考えを認めたわけではありませんが、お礼だけは言っておきましょう。もっとも、あなたのことですから、僕のためにやったことだ。とか言うんでしょうが」
僕の行動が完全に読まれていた。死霊使い恐るべし。
「あの……」
声を掛けていいのか戸惑っていたルークたちを代表して、ティアが恐る恐る声を掛けてくる。そういえばずっと放置してしまっていた。
「緊張しなくてもいいよ。こっちの話は終わったからね。詳しい話が聞きたきゃ、後で陰険メガネにでも聞きな。きっと教えてくれないだろうが」
「いやですねえ。私はこう見えてもおしゃべりですから、在ることないこと話してしまいそうです。例えば―――あなたの部屋にリグレット奏手が入り浸ってる事とか」
ピシリと音を立てて空気が凍った。このメガネ、マジか。
「まあまあ!そうでしたの。わたくし、僭越ながら応援させていただきますわ!」
「きょ、教官が……教官が……」
「ちっ。優良物件には早めにつば付けておくべきでしたぁ」
女性陣の三者三様な反応を前に、僕は乾いた笑みを浮かべる事しかできなかった。
ジェイドを除いた男性陣二人の同情の視線が心にしみる。
「な、な、ななな、なぜ知ってる!?」
「陛下があなたの名前を付けたブウサギの番に、リグレットと言う名前を付けようとしていたものですから。それに以前見せてもらった技は、赤の他人同士に出来るような代物ではありません」
「分かった。分かったからもうそれ以上言うな」
「ここからが楽しいところなのですが、仕方ありませんね。私からの話はここまでにしておきましょうか」
心から楽しそうな声を出すジェイドと、好奇の視線が五人分。僕はこの後、カイツールに付くまでの間、地獄のような質問攻めにあったのだった。
・・・
薄暗い教会の中、鋭敏になった聴覚にはカツンカツン、と近づく足音がよく聞こえる。
「珍しいじゃないか。アンタがこんなところにいるなんて」
「シンクか」
月明かりに照らされながら出てきたのは、シンクだった。顔を隠すための仮面が鈍く輝いている。
「少し、寝れなくってさ。ここにいれば誰かしらが話し相手になってくれる気がしたからね。どうやら僕の予想は大当たりだったみたいだ」
「勘弁してよね。仲良くお話なんてボクの柄じゃない。ボクとアンタは対話よりも組手してる時間の方が長いんだからさ」
「まあ、今日くらいはいいじゃないか。お互い、いつ死ぬかも分からない仲だろう」
「それこそ、まさかだ。ボクは自分の為にも、アンタの為にも、あいつらなんかに負けたりしない」
舐めないでよね、と聞こえてきそうな視線を浴びる。仮面越しでもはっきりと分かる、強い意志だ。
「前にアンタ言ったじゃないか。予言がなくなった世界で、自由に生きてみろってさ。初めてだったよ。模造品の出来損ないにそんなこと言って来る物好きは。だから、一度だけいう事を聞いてやろうと思ったんだ」
「ああ」
僕はシンクの独白に相槌を入れる。
「自由なんてもんがどれだけ高尚なのかは知らないけど、知らないまま嘆くのも無様だからね。意地でもその日まで生き抜いてやるさ。この腐った世界が少しでも変わってくれるのなら、足掻いてでも見る価値はありそうだ」
「やっぱり君は人間だよ、シンク。僕が命を懸けて未来を切り開くに値する人間だ。胸を張って戦って来いよ」
「……アンタも人が悪いね。叱咤激励はもう少し上手くやってほしいもんだ」
「部下に問題児が多くてね、僕も苦労してるのさ」
僕はシンクに近づくと、拳を突きだした。
「たまにはこういうもの悪くないだろ?」
「フン」
差し出された拳に自分の拳をコツン、と合わせるとシンクは口元で笑みを浮かべながら去って行った。
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七話
地核内部。周囲が眩しいほどに光り輝くその場所で、シンクはルークたちと相対していた。すでにその四肢には力がなく、片膝を突いてしまっている。
「お……おまえ……」
いつもつけている仮面が外れると、そこには見知った顔があった。
「嘘……イオン様が……二人!?」
「……ぐっ」
あまりにも似すぎている顔を恥じるように隠そうとするも、呻き声を上げる事しかできない。
「やっぱり……。あなたも導師のレプリカなのですね」
「おい!あなたも……ってどういうことだ!」
「……はい。僕は導師イオンの七番目―――最後のレプリカですから」
衝撃的な事実に予想していたジェイド以外のメンバーが目を見開く。
「レプリカ!?おまえが!?」
「ええ、あの時、オリジナルのイオンは病で死に直面していた。でも、後継ぎがいなかったので、モースとヴァンがフォミクリーを使用したんです」
「……お前は、一番オリジナルに近い能力を持っていた。ボクたち屑と違ってね」
沈黙を保っていたシンクが静かに口を開く。その瞳には憎悪がありありと浮かんでいた。
「そんな……屑だなんて……」
「屑さ。能力が劣化していたから、生きながらにしてザレッホ火山の火口に投げ捨てられたんだ。ゴミなんだよ……。代用品にすらならないレプリカなんて……」
「……そんな!レプリカだろうと、俺たちは確かに生きているのに」
「必要とされてるレプリカの御託は聞きたくないね」
震える手足を無理やり押さえつけながら立ち上がると、ルークを睨む。
「だけどね。そんなゴミに話しかけてくる奇特な奴もいたんだよ。予言が消えた世界で、本当に自由に生きてみろ、ってね。鼻で笑うような話さ。代用品にすらなれなかったガラクタのボクに自由だなんて滑稽だ。だけど―――」
もう立てるはずがない手足に力が入る。憎悪しか映さなかった瞳に強い意志が宿る。
「その言葉は、ボクの心に酷く響いた。そこが地獄でも構わない。一目でいいから、アイツの望む世界を見てみたいと思ったんだ」
歯を食いしばり、再び構えを取ったシンク。
「構えなよ。ボクは早いとこあんたたちを倒して、地上に戻らないといけないんだ」
「ダメです!それ以上続けては体が持ちません!」
「引っ込んでな導師イオン。アンタそうやって大事な時に、なにも選べずに朽ちていくといい」
その言葉と共に、ルークたちへと向けて目にも止まらぬ速さで駆け寄る。顔面へのフェイントの直後回し蹴りを放ち吹き飛ばすと。丁度全員の真ん中に立つ。
「代用品ですらない、ボクはただの肉塊として生まれた。そんなことを考えて、毎日毎日、気が狂いそうなほどに予言を恨んだよ。ようやく解放されるんだ。邪魔ななんかさせてたまるもんか」
「それでも……それでも、俺たちは師匠を止める!」
己の信念を掛けた第二幕が幕を開けた。
・・・
リオネスにある僕の家には今、重傷を負った三人の手当てをしていた。ラルゴ、アリエッタ、リグレットだ。ロニール雪山で、ルーク一行と交戦した際、その衝撃により引き起こされた雪崩に巻き込まれたのだ。
「全く、命が助かったから良かったものを……」
「面目ない。事ここに至って、床に伏せることになろうとはな」
「本当だよ。アリエッタが起きたらちゃんとお礼を言っとくんだぞ」
「分かっている」
ラルゴとは少し離れた場所で、ライガたちに囲まれながら安らかな寝息を立てているアリエッタを見る。
「本当によくやってくれたよ。所詮は傷の舐めあいかもしれないけど、僕はあんたにも死んでほしくはないからな」
「……お前がそれを言うのか」
目を細めて僕の方を見るラルゴ。迫力のある顔つきがさらに凶悪になっている。
「やっぱり分かるか?」
「分かってないのは、ディストとアリエッタくらいだろうよ。誰しもが口に出さんだけだ」
僕は、あはは、と愛想笑いのような笑みを浮かべながら窓際に立つ。
「僕がやっていることは、決して許されていい行為じゃない。下種と罵られてしかるべきだ」
「…………」
吐き出される言葉を、何も言わずに受け止めてくれるラルゴ。今の僕にはとてもありがたい。
「殺すだけ殺しといて、今度は生かすために泥を被ろうとしている。実に醜悪だよ」
激情に駆られるままに、壁を殴りつけようとして、その手を掴まれる。
「ジゼル……」
「もうやめてくれ。見てる方が苦しくなる……」
いつの間にか起きだしていたリグレットだ。目じりにうっすらと涙をため、震える声を絞り出す。
「ごめん。少し、弱気になってたみたいだ」
暫くそのまま固まってから、僕は腕から力を抜くとリグレットの方へと向き直る。
「君を泣かせるなんて、僕は本当にどうしようもない奴だなあ……」
苦笑しながら、流れる涙を指で拭う。
「いいさ。お前が馬鹿なのは出会った時に知っている」
「……ありがとう」
軽くリグレットを軽く抱きしめ、ありったけの思いを込めてささやく。
「それじゃあ、ちょっと行ってくる。安心して養生してなよ」
「ああ。言われるまでもない」
いつもと変わらない会話をして、僕はアブソーブゲートへと向かった。もう二度と、へこたれる事はないと誓おう。僕の背を押してくれた彼女の為にも。
・・・
「止まれ」
アブソーブゲート最奥の手前、ヴァンの演奏する曲を聞きながら、僕はルークたちを出迎えた。その手にはすでに『イゾルデ』を付け眼帯も外している。戦闘準備は万全ではないが、万端だ。
「やはり、あなたも来ましたか」
「当たり前だろう。なれ合ってはいたものの、僕たちは敵同士だ。この局面で引っ込んでなんていられないさ」
今までの柔和なものと違い、全てを拒絶するような声音。導師守護役としてではなく、軍人としての表情だ。
「お互い相いれないのはすでに分かってるはずだ、さっさと剣を取れ。その悉くを打倒し、這いつくばらせてやろう」
「話し合う気は毛頭ないってか……」
「みんな!来るわよ!」
腰を低くかがめ目標を定めると、僕ははじかれるように地を駆けた。その動きは船の時よりも数段早く、タイミングを外されたアニスの人形の爪も、ガイとルークの剣も空を切る。
「させませんよ」
油断なく構えていたジェイドの槍が足元へと突き刺さる。わずかにスピードが落ち、その合間を狙うように弓とナイフによる攻撃が来た。後方に宙返りしながら躱すと、やはりそこには人形がいた。そのままの勢いで人形の頭に蹴りを入れ、着地すると、体を捻りうつぶせに倒れた人形の上にいるアニスを狙う。
「させるか!」
「囮だ」
僕の放ったけりはその軌道を変え、ルークの剣を握る拳へと直撃した。以前、ガイに取った戦法と同じものだ。
「ふっ!」
蹴りが放たれた瞬間から、動き出していたガイが眼前まで迫る。それと同時にナタリアの第二射が僕を襲う。姿勢を低くし、体を大きく右へとずらす。顔へと迫るガイの一閃にあえて近づき、頬を切られながらも躱す。それと同時に左手は飛んできた矢を掴みとり、勢いを殺さずにガイの脇腹へと突き立てる。剣を振り切ってしまったので回避は不可能だ。
「ガイ!ちょっと我慢して!」
アニスがうつぶせに倒れた状態の人形の腕だけを伸ばして、ガイを吹き飛ばす。矢を握った勢いに任せて一回転すると、ルークの手にもう一撃蹴りをお見舞いして、そのまま吹き飛ばす。そして静止した瞬間、待ってましたとばかりに譜術が放たれた。
「エナジーブラスト!」
ピンポイントな初級譜術が僕を襲う。予備動作もほとんどないように見えた。下手な上級譜術よりも厄介かもしれない。
「『テッラ』」
僕の声と共に『イゾルデ』が発光し、茶色の球体が生み出される。それは出現するや否やストン、と地面に落ちると僕の周囲にドーム状の岩の壁を作った。大きさは倒れているアニスを除く全員がギリギリ入らない程度。これだけの大きさがあれば適当に売っても当たることはない。いくら細かい制御の効く術だろうが、対象が見えなければ当てられないと言うことだ。
「『イグニス』」
新たに現れたのは赤い球体。どうせ、このままここに籠っている訳にもいかない。壁が出来てからこの判断を下すまでわずか数秒。僕の頭上へと到達した『イグニス』は爆発を起こし、土を巻き上げ煙幕を作った。
「行け!」
握ったままだった矢をナタリアに投げ返すと、ジェイドへ向けてスタートを切る。土煙の舞う中互いに視線が合い、獰猛な笑みを浮かべる。あいつなら必ず対応してくる、というある意味信頼に似た感情。
「イグニートプリズン!」
「『イグニス』!」
足元から出てきて僕を包み込もうとする炎の牢獄。その陣の中心目掛けて、こちらも同じような物をぶつけ相殺する。陽炎が出来るほどに燃えたぎる火炎を一切無視。止まることなど一切考えていない、お互いに。
「瞬迅槍」
炎の壁を突き破り、正確にジェイドの槍が僕の喉元を狙う。
「『アクア』」
これで三つ目。青の球体から氷で出来た鎖が伸び、寸前のところで槍を絡みつき、その動きを止める。その瞬間、僕はジェイドの鳩尾に渾身の拳を放つ。
「風塵皇旋衝」
いつの間にか消していた槍を、先ほどとは逆の手で持ち大技を繰り出す。が、僕の方が早い。鳩尾に一撃を入れ、苦悶の表情をするジェイドを確認する間もなく、僕は『イグニス』と『アクア』を衝突させる。発生した小さな爆発は殺傷能力こそあまりないものの、人を吹き飛ばすには十分だ。
「バニシングソ――きゃあ!」
未だに無傷のティアが着地の隙を突くように攻撃を繰り出す。しかし、その足物から巨大な岩の剣が現れ薙ぎ払う。ナタリアに矢を投げると同時に地面に潜航させていた『テッラ』だ。
「ティア!」
吹き飛ばされたティアとルークとガイが、ジェイドをアニスが受け止める。これで最初と同じく対峙したような形になる。とはいえ、うち半分には先頭に支障が出る程度のダメージは負わせた。
「ぐっ、強い……!」
「謡将。船の時の比じゃないですぅ」
「当たり前だ。本気で潰すと言っただろうが」
首に手を当て、左右に揺らして骨を鳴らしながら僕は言った。
「死霊使いを含めても、僕に比べれば実戦経験が違いすぎる。昨日今日覚悟を決めたひよっこが受け止められるほど、僕の信念は安くないぞ」
「あなたも兄さんも、どうしてそれしか道がないと決めつけるの!?オリジナルを全部消してまで、成し遂げなくちゃならないことなんかある訳ないわ!」
自らの傷に治療を施しながら、ティアが叫んだ。それに追従するようにガイも口を開く。
「確かにこの世界は歪んでいるのかもしれないけどよ。あんたの作ろうとしてるレプリカ世界は歪んでないと言えるのか」
「そうは言わない。確かに歪んでいる可能性もある。だけど、確実に今よりはましだ。いつの日か、人は人の業により滅びるだろう。だけど、予言に導かれた結果そうなる事を僕は絶対に認めない」
「滅びも栄も人間の意思によるものであるべきだ、とあなたはそう言いたいのですか」
「ああ。僕は人間が予言なんてものに頼らなくても生きていけると信じている。葛藤し、苦悩し、それでも前に進み続ける。その意志の放つ輝きこそ、僕が勝ち取ろうとしている本当の意味での自由というものだ」
すっと目を細めると、少しだけ昔を思い出す。それは人間の尊さを教えてくれた人々言葉。
「『人はみんなが思っているより、少しだけ強い』。良い言葉だろ?僕の根幹にあるのはこれさ。だから、僕は負けない」
有無を言わさずに言い放ち、返答を受ける前に構えを取る。
「『ウェントゥス』」
『イゾルデ』が発光し、現れた球体は緑。これで四つ目。地水火風を従え、ベヒモスを倒した時と同じ状態になった。
「ここを通りたいのなら、僕の理想を粉砕して先に進め」
「……行きますっ!」
隙を見せずに悠然とたたずむ僕へと向かって、一斉に駆け寄る。『ウェンティス』を操り、左右両方から振り翳される剣を受け止めると、自身はもう一人の前衛、アニスの迎撃を行う。途中、飛んでくる矢を当然のように自由に浮遊している球体が撃ち落とし、一対一の状況を作り出した。
「爪連龍牙昇!」
「沈め」
襲い掛かる爪の嵐をすべて紙一重で避け、その合間にカウンターで拳を叩きこむ。総数十を超える打撃は人形の体制を容易に崩した。が、とどめの一撃を放つ前にその場を離脱すると、やはりと言うべきか轟音を轟かせて、地を裂く譜術が発動した。
「『イグニス』!」
「このタイミングでも躱しますか……っ!」
間髪入れず標的をジェイドに変更し、背後で爆発させた『イグニス』の爆風に乗って襲い掛かる。左の手で顔面を狙ったアッパーを放ち、それを防御させて槍を封じる。そのまま膝を跳ね上げガードを吹き飛ばすと、衝撃でのけぞったジェイドの足を払う。
「砕けろ!」
その他のメンバーによる妨害を意に介さず、真下にいるジェイドの腕を踏みつけ、破壊する。しかし、その手を砕かれながらも目には闘志が揺るぎなく。
「消えなさい!」
「『ルーメン』!『テネブラエ』!」
咄嗟に出したのは、第一音素と第六音素の球体。全ての球体を防御に回す。そうしなければやられるほどの大技だ。急いでジェイドから離れて周りを把握する。
「ミスティック・ケージ!」
虚空にはいつの間にか展開された無数の魔方陣が浮かんでおり、僕を中心に尋常ではない譜力だ辺りを包む。発動する寸前、どうにか手元に戻した六つの球体に命令を下した。僕の弾丸すら通さない、絶対防御の技だ。
「アダマース!」
荒れ狂う力の奔流が襲い掛かり、まばゆい光が広がる。まるで、音も景色も全て消し去られてしまったようだ。そんな光景がしばらく続き――
「正直、終わったかと思ったよ」
ピシピシと音を立てて強固な金剛石のような殻を破り、僕は話しかける。
「そんな!?あれを食らって無事なのか!?」
「そうでもない。本当にギリギリだったさ。後ほんの少しで僕は致命傷を負っていただろう」
「人はそれを完全に防いだというのですよ。まったく自信を無くしますねえ」
こんな時でもペースを崩さずに皮肉を言うジェイド。自分を律する精神力は僕の遥かに上だ。
「……六つ出して戦ったのは、片手で数えるくらいしかないんだ」
そう言って、僕の周りを浮遊する球体を自由に操って見せる。
「加減は一切できない。死にたくないなら早急に立ち去れ」
誰一人として口には出さないが、その目を見れば分かる。そんな気は微塵もないのだと。
「冥土の土産だ。僕の力を見せてやる」
バックステップをし距離を取る。僕の体から空気が振動するような譜力が放出されると同時に、六つの球体は背後に集まり高速で回転を始める。
「廻れ廻れ世の理よ。其の法を以て、我が敵悉く灰燼と帰せ」
「詠唱!?」
「ここに来て譜術ですか!」
「マグナ・コンケプトゥス」
六つの球体が混じり合い、六色のまばゆい輝きを放つ剣となる。僕はその剣を手に取ると、ルークたちに向けて一振り。すさまじいエネルギーを内包した六色の虹が剣より放たれ、放射状に全てをのみ込んでいく。通過した後は新しく床が敷かれたように真っ平になり、塵一つ残していない。
「うおおおおおおぉぉぉ!」
そんな中一か所、ルークたちが固まってた場所だけが虹の寝食を免れている。いや、抗っているというべきか。ルークの周囲に展開されれいる超振動が原因だ。
「レイディアント・ハウル!」
完全に相殺、とまではいかなかったが、僕の渾身の一振りは負傷を与える程度にまで減衰されてしまった。
「まさか耐えられるとは思わなかったな。それで、続きはどうする?」
声に一切の感情をこめずに、僕は言い放った。
・・・
すでに壊滅状態と言っていいルークたちは、地に伏しながらも諦めていなかった。とはいえ、まともにやりあって勝てる相手とも思えない。
「みなさん、聞いて下さい」
「大佐、何か策がおありで?」
「策、とは言えないようなものですが……」
ジェイドは難しい顔をしてメガネを上げながら答える。
「彼も化物じみているとはいえ人間です。その譜力の総量には限りがあるはずです。私の攻撃を防ぐのに一回、先ほどので二回目。すでに二回もの大技を繰り出しているということになる」
「譜力切れを狙うんですか?しかし、トリスタン謡将がそんなミスを……」
「しないでしょうね。しかし、それは平常時ならです」
「あんた、……まさか!?」
「軽蔑してもらって構いませんよ。恨まれるのには慣れてますから」
目を見開くガイ。作戦の内容を理解したのだ。それも、とびっきり非道な。
「大佐ぁ……」
アニスが泣きそうな声を出す。
「……あなたたちは迎撃の準備を。彼の暴走、とやらがどれほどのものなのか、分かりませんから」
そう言って一歩前へ出る。一瞬だけその顔が歯を食いしばっているように見えた。
「少し、言いたいことがあるのですが」
「……なんだ?」
「あなたの行為についてですよ」
「…………」
全員が息をのむ。唯一にして最悪の一手だからだ。
「予言に縛られて、人を殺すあなたの行為は」
「やめろ……」
ジェイドの声が震えている。そんな気がするような弱々しい声だ。
「まるで―――モースのそれと同じです」
目を伏せながら吐き捨てるように言い放った。
「『フェイルノート』オォォ!」
喉が焼き切れんばかりの慟哭が響き、怪銃『フェイルノート』が展開された。七本ある羽のうち六本が光り輝き、四方八方へと極大の銃撃が放たれる。近づこうとすれば、右手に一体化した銃を鈍器の様に扱い薙ぎ払う。その荒々しさは、まるで修羅。加減もなく、その場全てを破壊しつくす鬼神に見えた。
「ガァアアァァァアァアァ!」
憎悪に曇った瞳は普段の彼から想像できないほどに凶悪で、それだけで息が出来なくなりそうだ。しかし、攻撃は大雑把になり避けるだけならば、そう難しくはない。そして、その時は何の前触れもなく訪れた。
「あ……、ああ……」
突如、紐の切れた人形のように崩れ落ち、そのまま動かなくなる。こちらの狙い通り、譜力が切れたのだ。
「……ごめんなさい」
その言葉は一体誰のものだったのか。胸の中をかき乱す罪悪感に苛まれながら、ルークたちはその場を後にした。
・・・
「さんざん人に生きろとか言っといて、アンタが落ちてきちゃ世話ないね。トリスタン」
「ここは……」
聞き覚えのある声に目を覚ます。地面がなく、漂うように僕は浮いていた。
「目を覚ましたか」
「ヴァン、それにシンク」
「気絶しているうちに落ちてきたアンタには、状況の説明が必要かな?」
「……頼む」
痛む頭を抑えながら、シンクの方を見る。
「知ってる事を説明するのは無駄になる。お前はどのあたりまで覚えてるのだ」
「暴走させられて、無様に倒れ込んだところまでだな」
「……なるほどね。アンタがまっとうな方法で倒されるとは思ってなかったけど、そういう事か。意外にやるじゃないかあいつら」
口調は軽いが、その声には少なからず怒気が感じ取れた。その証拠に、眉間にしわが寄っている。初めて見たかもしれない。普段は仮面をつけているからかもしれないが。
「そこまで記憶が確かならば話は早い。お前を倒した後、奴らは私をも打倒したのだ」
「……あんた、レプリカがどうのとか言って舐めてかかったろ」
「……そして私は、そのまま地核へと落ちてきて今に至る、という訳だ」
分かりやすい反応だ。やはりヴァンの野郎大一番で慢心しやがったらしい。あとで説教だな。
「ってことは、やっぱりここは地核なのか。ずいぶんと不思議な場所だな」
「アンタの意味不明な狙撃程じゃあないよ」
「まったくだな」
何故か六神将もヴァンも、僕を貶める時だけは異常に息が合う。以前、ディストとヴァンがそれをやった時には度肝を抜かれたものだ。
「まあ、いいや。とりあえずは地上に帰ろうよ。そんで、アリエッタのフェレス島あたりでシンク復活パーティーでも開催しよう」
「お断りだね。って言ってもアンタは聞かないんだろうけどさ」
僕の提案に対し、シンクは呆れたように笑っている。
「じゃあ、早く帰ろうか。リグレットたちにこれ以上心配をかけるのも嫌だしね」
あらためて言うまでもなく、僕たちは地上へと向けて移動を始めた。言葉て確認なんか取らなくても、その意志は揺るぎないと知っていたからだ。
「次は……負けない」
ゆっくりと浮上していく最中、僕は誰にも聞こえないような小さな声で、そう呟いた。
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八話
ヴァンとルークたちの戦いから一か月ほどの月日が流れた。世界は様変わりしてしまったが、極めて平和な日常だった。まあ、それまでの道のりが厳しすぎたこともあるが。そんなある日の事、みんなからの手紙をもらったルークは、久しぶりに会いに行くとこにした。これより、物語の第二幕が幕を開ける。
・・・
「ローレライの鍵を渡してもらいましょうか」
「……断る」
手紙をくれた、ティア、アニス、ガイと合流し、シュレーの丘にあるパッセージリングまでたどり着いた時、会話する声が聞こえた。声の主は、膝をついているアッシュと、銃を突き付けているリグレットだ。
「教官!?」
予想だにしなかった再開にティアが驚きの声を上げる。ちらり、とリグレットの視線がアッシュから外れた瞬間、二人は同時に動き出していた。リグレットを左右から挟み込むように振るう。しかし、リグレットはその攻撃を後方宙返りで躱すと、着地と同時にティアの持つナイフを撃ち落とした。
「反応が遅いな、ティア。予想外の事態にも対応できるよう、体に覚えさせろと教えたはずだ」
「教官……生きていらしたんですか……」
「あの雪崩で生きてるなんて……」
ヴァンと戦う前のロニール雪山での雪崩の事だ。ルークたちは運よく助かったが、死んでいてもおかしくなかった。
「アリエッタの魔物たちに救われてな。その後、トリスタンの治療のおかげでどうにか取り留めた。その負傷のせいで、ここ一番にあの人の傍にいることが出来なかったのは悔やまれるがな」
ばっさばっさと大きな羽音がリグレットの上空に現れる。アリエッタの仲間の鳥型魔物だ。
「だが世界は我らに味方している。今度こそ私たちの望む世界を実現する!」
「……やらせるかよ」
「アッシュ。次はローレライの鍵を渡してもらうぞ」
そう言い残すとリグレットは魔物と一緒に飛び去って行った。去り際の視線には彼女にしては珍しく、嚇怒しているように見えた。
「教官たちが生きていたなんて……。それならやっぱり、あの人たちは兄さんのレプリカ大地計画を引き継ぐつもりなのかしら……」
「……案外、復讐かもしれないぜ。俺たちはトリスタン謡将を……」
ガイが剣に当てていた手を放して言う。その表情は暗い。ヴァンを倒した後、トリスタンとの戦闘現場は崩落してしまっていたからだ。
「いや、おそらく奴も生きている。それどころか、六神将全員が生きている可能性もある」
「……おかしいわ。シンクは地核に落ちて行ったのよ。それが生きているのなら……兄さんだって……」
「俺はトリスタンも地核に落下したと思っている。死体も発見されていないからな」
その事実はルークたちの胸中を複雑にした。トリスタンは敵ではあれど、確かに高潔な人物だと知っているからだ。それに拍車をかけて、最後に見た姿への罪悪感もある。それは、喜びとも悲しみともまた違う、言い表すことのできない感情だった。
「まさか師匠が生きてる可能性があるから、地核の事を調べてたのか?」
「……呑気なモンだな」
重い沈黙を破ったルークの言葉をアッシュが切り捨てる。
「お前があの時ローレライと繋がっていれば……。いや、俺が音素化してるってだけか」
「待てよアッシュ!お前何言ってんだ」
自分だけが納得するように、意味深長な事を言って去ろうとするアッシュを引き留めるルーク。
「あの時って、ローレライの解放してくれって声の事か?あれってどういう意味だったんだ?」
「声の通りだ。ローレライは閉じ込められたんだよ」
「閉じ込められた?どこに?」
その質問に対し、僅かに忌々しそうな表情をするが、何も答えない。
「閉じ込められると、なんか問題でもあるの?」
先ほどまで黙り込んでいたアニスが、話の切り口を変える。アニスがトリスタンに教えてもらった知恵の一つだ。
「……世界中の第七音素の総量が減る。すると、その分を取り戻そうとプラネットストームが活性化して、大量の第七音素を生み出す。早い話が瘴気の復活だ」
「それってマジヤバじゃん!?」
聞いたアニスも予想してなかったほどの事態に目を見開く。
「なあ、アッシュ。ローレライはどこに閉じ込められたんだよ!」
「……ローレライが言っていただろう。よく思い出すんだな。そうでなくとも俺は、お前の尻拭いをやらされてるんだ!これ以上俺に面倒をかけるな。役立たずのレプリカが!」
「そんな言い方しなくたっていいだろ!」
「うるせえ!」
事態の深刻さを把握したルークが焦りの声を上げるも、アッシュの強い拒絶の言葉に一蹴されてしまう。頭に血が上ったアッシュは、ガイの呼びかけにも答えず去って行ってしまった。
「ローレライの事。教官のやっている事。とにかく分からない事が多すぎるわ」
「分からないなら、分かる奴に聞けばいいさ。アッシュを追いかけよう。怪我もしてたみたいだし、まだセントビナーあたりに行けば捕まえられるかもしれない」
ガイのその一言により、次にどう動くかが決まった。
・・・
その後、ジェイド、ナタリアと合流したルークたちは、予言についての会議を提案するために、ダアトへと向かった。その最中、ティアが体調を崩し、イオンの部屋へと運び込まれた。顔色はすこぶる悪い。立っているだけでも辛そうだ。
「イオン様!大変です!」
暫く席を外していたアニスが唐突に現れる。
「アニス。どこへ行ってたんです」
「それが、外が大変なんです!」
「外がどうしたんだ?」
ルークが首をかしげて問いかける。その質問を待ってましたと言わんばかりに、大声を張り上げる。
「瘴気がバーンと出てきてマジヤバですよぅ!イオン様!来てください!」
身振り手振りで大げさに伝え終わると、返事も聞かずにイオンを連れて行ってしまった。
「私たちも行きましょう!」
それが、瘴気に侵されているティアの言葉だったからこそ、ルークたちはティアを連れて行くことに決めた。
「なんだ!?」
ガイが驚きの声を上げる。階下へと降りると、すでに無数の神託の盾兵に包囲されていた。
「動くな」
「リグレット教官!」
振り向くと、そこにいたのは凛とした雰囲気で双銃を構えたリグレットだった。
「これは何の真似だ!?」
「こちらの計画に沿った行動をとっているまでの話だ。それに、ローレライの鍵のについても聞きたいことがある。大人しくしていてもらうぞ」
そう言った瞬間だった。突然ライガが現れ、神託の盾兵をなぎ倒した。それに気を取られている隙を突こうと、ティアはリグレットに向けてナイフを投擲した。しかし、それも見切られてしまう。
「投げに移る動作が遅いと言っただろう!同じ間違いを二度犯すな」
「……くっ」
その時、アリエッタが出てきてルークたちとリグレットの間に割り込んだ。
「……イオン様に何をさせるの。リグレット」
「アリエッタ!そこをどきなさい!
「イオン様に第七譜石の予言を読み直しさせるって本当なの!?」
アリエッタが悲鳴のような声を上げる。
「そんなことをしたら、体の弱いイオン様は死んじゃう!アリエッタ……そんなの許せない!」
緊迫した空気が流れる。リグレットは目で信じろ、と訴えかけているが感情に流されてしまっているアリエッタにそれは通じなかった。
「ルーク!イオン様はアニスがここの教会にあるセフィロトに連れて行った」
「アニスが!?」
「アリエッタ!裏切るの!?」
その言葉に全員が驚きを隠せなかった。もっとも、驚いた部分は人それぞれだが。
「ルーク!例の隠し通路へと行きましょう。たしかにアニスの様子はおかしかった」
「分かった。アリエッタ、ありがとう!」
去っていく途中、かすかに二人の会話が聞こえた。
「そ――どいて、――エッタ。―――――がすでに手を打って――。イオン様を―――つもりな――無い―」
「嘘!だっ――トリス――は――音素―――ないもん!」
振り返らずに、ジェイドの言う例の隠し通路がある図書館へと急ぐ。幸いなことに、配備されていた神託の盾兵はルークたちを取り囲んでいたので全てだったようで、すんなりと目的の場所までたどり着くことが出来た。
「待て!」
ルークの視線の先にはいるのは、モースとイオン。そして、アニスだった。
「ルーク!」
「どうしてここにモースがいるんだ!それにアニス、これは一体どういう事なんだ?」
「……それは……」
「ぬう、こんなに早く追って来るとは……。忌々しいやつらめ!アニス!ここは任せたぞ!裏切ればオリバーたちのことは分かってるな?」
ビクン、と肩を揺らすアニスを置いてモースは先に進んでいった。
「おい、アニス!オリバーさんたちがどうしたって言うんだ?」
「うるさいな!私はもともとモース様にイオン様のことを連絡するのが仕事なの!」
親の名前を出され、癇癪を起こした子供の様にぬいぐるみを投げつけると走り去って行ってしまった。
「追いかけましょう!」
確認するようにジェイドが声に出したが、すでにみんな走り出していた。しかし、その奥にある転移するための陣はすでに輝きを失っており、まんまと逃がした形になってしまった。
「おい、これを見てくれ」
一同頭を悩ませていると、アニスが投げた人形を持っていたガイが何かに気付いた。手紙だ。
「ザレッホ火山の噴火口からセフィロトにつながる道あり。ごめんなさい。だってさ」
少しの沈黙ののちに、ルークたちはザレッホ火山へと向かった。その胸裏にあるのは、ほのかな信頼だった。
・・・
ダアトを一望できる第四石碑の近くにある小高い丘、その上で僕はその時を待っていた。第七譜石を詠み、大量に第七音素を失ったイオンに回復弾を撃ち込むためだ。すでにロックは外してあり、『フェイルノート』最後の羽がまばゆい輝きを放っている。
「こうもアクシデント続きだと嫌になるね……。思いのほか早く僕の生存があちらさんにばれることになりそうだ」
銃口はザレッホ火山に向けたままだが、ダアトの教会で何が起きたのかくらいは把握している。
「ラルゴ。あんたに隠密はきついだろうけど、頼んでいいか?僕の銃弾の着弾は目くらましにはもってこいだろ」
「怪我の手当ての礼をするいい機会だ。見事やり遂げてみせようではないか」
ラルゴの方を向く余裕はないが、愉快そうに笑ってるのが目に浮かぶようだ。
「それでは、俺は急ぎ向かうとしよう。お前の相棒も、もうすぐ来るようだしな」
「……なんで分かった?」
「それだけそわそわしてて、ばれないとでも思ったのか」
ああ、どうやら僕のポーカーフェイスはアニスと同レベルらしい。今度、本格的にリグレットから教わろうかな。などと、そんなことを考えているうちに、ラルゴは行ってしまった。それから暫く時が経ち。
「トリスタン……すまない。しくじった」
それとほぼ同時、申し訳なさそうな顔をしたリグレットが僕の元へ到着した。多少の手傷がそのままなのは、何よりも先にここに来たからだ。
「大丈夫。さっき、ラルゴに行ってもらったよ。そんな事よりも、早く傷の手当てをしよう。跡が残ったりしたら大変だ」
「……すまない」
ただ一言の謝罪をすると自らの治療に入る。今は優しさが逆にしみるのかもしれない。そう思わせるような、表情と声音だ。
「少しだけ肩の力を抜きなよ。僕は、あいつらが僕にしたことを怒ってなんてないんだからさ」
「だが……いや、お前がそう言うのならそうしよう。ただし、今度奴らと相対する時は私も一緒だ。あのような思いは二度と御免だからな」
「あはは。それは僕からもお願いするよ。僕がふがいないばっかりに、随分と心配を掛けちゃったみたいだからね――っと」
どうやら、ルークたちがモースに追いついたようだ。
「ジゼル。もうそろそろ打ち込む。衝撃に備えてくれ」
「了解した」
僕は幾人もがイオンを囲む中、その合間を縫うように狙いを定める。
「回復弾・第七音素、シュート!」
何色とも取れないような弾丸が放たれ、天を突くように高々と昇る。そこから目標へと向けて一直線に飛ぶ。山も溶岩も関係ない。それら全てを貫いてイオンを打ち抜いた。その瞬間、目が眩むほどの閃光が奔り、収まった時にはすでにイオンはいなかった。ラルゴが上手くやってくれたのだろう。
「万事オーケーだ。上手くいったよ」
「報告などしなくとも、お前が的を外さないことくらい知っている。全く、いつみても凄いを通り越して不可思議だな、お前の狙撃は」
「……やっぱりみんなそう思ってるのか」
ため息をつきながら『フェイルノート』を戻す。僕は、イオンとラルゴの到着までの間、リグレットの治療へと勤しんだ。
・・・
事態の取集が付いた後、ルークたちはダアトの、パメラたちの部屋へと戻ってきていた。
「アリエッタ様!動いてはお怪我に触ります!」
そんなパメラの静止を振りほどくと、アニスの頬にビンタを放った。
「……見捨てた!アニスはイオン様を見捨てたんだ!」
「お待ちください!アニスは私どもがモース様に捕らわれたために……」
「パパは黙ってて!」
口を挟もうとした両親に向かってアニスが一喝し、黙らせる。
「そうだよ……だから何?根暗ッタ!」
「もう、アニスにイオン様を任せておくのは我慢できない!アリエッタはアニスに決闘を申し込む」
「……受けて立ってあげるよ!」
双方ともに、決してひかない。パメラの言葉も今は届かない。
「アリエッタはアニスの事なんか大嫌いだけど!それでもアニスが頼ってくれば助けてあげようって、トリスタンに頼んだ!それなのに……」
「あんた……」
あまりに予想外な言葉にアニスは、睨むのも忘れて呆然とする。ルークたちだってそうだ。そんなことを考えてるだなんて思っていなかったのだ。
「イオン様は昔のイオン様じゃないけど……、それでもアリエッタは良かったもん!何も覚えてなくても、もう一度頑張ろうって思ったのに!」
「知っていたのか!?」
「アリエッタは小さい時からイオン様とずっと一緒……。知らない訳ない」
そう言って辛そうに顔を俯け、再び上げた時には強い感情が乗っていた。怒りだ。嫌っていても、アリエッタはアニスの事を信じていたのだ。しかし、その歪な信頼は容易く裏切られた。
「急いでトリスタンが治療をしたけど、イオン様は……っ!」
アリエッタは滅多に見せない強い口調でアニスに詰め寄っていく。
「アニスはアリエッタとトリスタン、そしてイオン様の信用も裏切った。決闘に負けたら、二度と顔を見せないで」
あらためてイオンの信頼を裏切ったと言われて相当に堪えたアニスは、何も言い返せないままにアリエッタの言葉を受ける。
「……決闘の仲介人が決まるまで、首を洗って待ってて」
最後にそう言い残し、アリエッタは扉を開けて部屋から出て行ってしまう。残されたのは重い沈黙だけだった。
・・・
「具合はどうだ、イオン」
ラルゴが攫ってきたイオンは、とりあえずリオネスへと運んだ。アリエッタもここに来るだろうから、とても都合がいいのだ。
「トリスタン……やはり生きていたんですね」
「僕はそう簡単には死ねないんでな。自分は自分でありたいと決めた君の事を、イオンって呼ぶ約束もしてたし」
「あなたは……。ありがとう、ございます」
うっすらと涙を浮かべて微笑むイオン。そこまで喜んでもらえるとは光栄な話だ。だが、それは置いといてやらなくてはならないことがある。
「イオン。瘴気を僕に移せ。速くしないと君の命が危ない」
「できません。それではトリスタンが死んでしまう」
「僕は大丈夫だ」
と言って眼帯を外す。そうすると、いつも通りに瘴気が眼窩より漏れ出してくる。初めて見たイオンは相当に驚いている様子だ。
「僕の狙撃の練習は魔界でやっててね。そのうちに瘴気と結合し、体が適応してしまったのさ。あんまりたくさんだと流石の僕も死んじゃうけど、その程度なら許容量だよ」
何でもない事の様に、大げさに手を上げて鼻で笑う。
「それに、僕たちはもう友達だろ。あんまり遠慮するのもどうかと思うぞ。まあ、シンクと見分け突かなくなるから敬語を辞めろとは言わないけどさ」
「友達……そう、ですか。これが……ああ、いいものですね。ルークとはまた違った感じです。それでは―――お願いしてもいいでしょうか。結構辛いです」
「了解。そっちのタイミングで流してくれればいいよ」
僕はそう言って目をつぶると手を差し出した。イオンはその手を何も言わずにつかみ、自らの内の瘴気を流し込んでくる。これくらいなら余裕だ。短時間なら魔界の海で水泳できるくらいの耐性は持っている。というやせ我慢。そうでもしなくては地味に辛いのだ。
「終わりました。体調は大丈夫ですか?」
「ちょっと重い風邪を引いた感じだ。まあ、暫く休んでれば治るだろ」
「風邪ですか……。トリスタンは本当にびっくり箱のような人ですね」
「暫く見ない間に結構言うようになったね君」
イオンは不思議そうにこちらを見て首をかしげている。そう言えばアニスといた時から天然っぽかったなこいつは。
「それじゃあ、今の状況を説明したいんだけ――」
「イオン様!」
僕の言葉を遮って僕の家のドアをぶち破りやがったのは、アリエッタだ。いてもたってもいられなくなって全力でここに向かってきたらしい。
「アリエッタ。もう治療は終わったから、暫く二人で話してなさい」
そう言って、僕の材料になりそうな木を探しに行くことにした。あの二人には、会話が必要だと思ったから。
「まったく、お優しいことだね」
家から少し離れた森の中で声を掛けられた。声の主は木の上に立っているシンクだ。すでにいつもの仮面は着けていない。
「そう言うなって、今に始まった事じゃないだろう?」
「……それを自分で言うあたり、やっぱりアンタは甘いね。いつか派手に損を食うよ」
「僕が甘いのは、それでもいいと思った奴にだけさ。したがって、後悔なんてないのだ!」
わはは、とシンクの懸念を笑い飛ばすと、呆れられてしまう。まあ、そういう反応をするだろうとは思っていたけど。
「それで、十中八九アンタの生存が奴らに知れたようだけど。いつ挨拶に行くんだい?」
「あー……任せるよ。僕の代わりに怒ってくれるのは嬉しいけど、意趣返しはやり過ぎないようにね、シンク」
「話が分かるじゃないか」
にい、と口元をゆがめるとシンクは木から飛び降りて次の任務へと向かった。あの笑顔は確実にエグイ事をするつもりだろう。
「とりあえず今は体を休めよう。思ったよりも怠いや」
僕はそう呟くと先ほどまでシンクが立っていた木の根元にもたれかかる。家は暫く空きそうにないし、ここで良いや。そう思って目を閉じると、すぐに眠りへと落ちてしまった。
「馬鹿者、こんなところで寝て体調を崩したらどうする」
そんな声が聞こえた気がして、頬に柔らかい感触を感じた。余談だが、リグレットもこのまま寝てしまい、目を覚ました時双方恥ずかしくて目も見れないような状態になったのでした。
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九話
予言を詠む者がいる、と言う噂を耳にしたルークたちは、ケセドニアへとやってきていた。
「さあ、予言を求めるものは僕と共に来い。そこで予言を与えよう!」
演説のような、いや煽動するような大仰な言い方だ。それに、この声には聞き覚えがあった。
「嘘が本当になっちまったな」
ガイの漏らした呟きを聞きながら、人だかりの中心へと近づいて行く。
「待ちなさい!ローレライ教団は予言の詠み上げを中断しています!その予言士は偽物です!」
ざわざわとしている民衆の声が次第にやみ、男の声だけが響く。
「これは心外だね、アニス。これから予言を詠むのはローレライ教団の予言士じゃない。モース『様』が導師となって新たに開かれた、新生ローレライ教団の予言士だよ」
「イオン様……じゃない…。アンタは……まさか……」
「シンク……やはり生きていたのか!?」
イオンと瓜二つの顔、同じ声。そこにいたのは六神将、烈風のシンクその人だった。
「やれやれ。これで六神将は全員生存確定ですか。こうなると、ヴァンがローレライを取り込み生きているというのも事実でしょうね」
「ボクだけじゃないよ。トリスタンの奴だってピンピンしてるさ。君たちには最悪に近い知らせかもね」
トリスタン。その名を聞いてルークたちの間に緊張が増す。彼に対して、恨まれて当然だろうと思うに足ることをしたからだ。
「あはははは。そんなに愉快な顔をしてもらえるなら、話した甲斐があったよ。ねえ、そう思わないかい?裏切り者さん」
「……私は好きでモースの言いなりになってた訳じゃない!」
シンクの挑発にまんまと乗せられ、アニスは大声を張り上げる。
「好きでやってたわけじゃなければ、何をやってもいいの?」
「……それは……っ!」
「フン……。さあ、邪魔が入ってしまったが、予言を望むものは着いて来い」
「待ちなさい!」
震える声を抑えながらも、アニスが静止に入る。しかし、民衆は止まらない。予言中毒と言ってもいいほどに予言に侵された人々は、もはや予言を捨てる事など出来ないのだ。
「アニス。ここは見逃してください。あなたなら分かってくれますね」
「……イ……オン……様」
シンクが発したその言葉は、二年間一緒にいたアニスですら、本物だと勘違いしてしまうほどのものだった。
「あははははは!先にこういう手に出たのはそっちが先じゃないか。そんな目でボクを見ないでほしいねえ。なんだったら―――譜力切れまで暴走してみたら?」
効きすぎた皮肉はルークたち全員に深く突き刺さる。何も言い返せない。それほどまでにトリスタン謡将という人物は大きかった。
「ボクも暇じゃないからアイツの意趣返しはこの辺にしておくよ。それじゃあね、元導師守護役さん」
そう言い残すと、シンクは大勢の市民を連れて去って行く。
「アニス……」
「大丈夫!アイツとイオン様は違うもん。それに、謡将に酷いことしたのはホントの事だしね」
空元気なことがありありと見て取れる。その笑顔は痛々しくて目を逸らしてしまいそうなほどだ。
「アニス。気休めかもしれませんが、トリスタン謡将が本気で私たちを恨んでいたならば、すでに狙撃されて木端微塵になっていると思いますよ」
「そうだぜ。それに信用を失ったって言うんなら取り戻せばいいだけの話だろ。良い手本も近くにいることだしな」
「ガイ……。大佐ぁ……」
掛けられる暖かい言葉に感極まって、アニスは今にも泣きだしてしまいそうだ。
「よーし、アニスちゃん頑張っちゃうもんね!アリエッタをコテンパンにして、もう一度イオン様に会って、それで謝る。そう決めた!」
「まあ、アニスらしい。わたくし、微力ながらお手伝いさせていただきますわ」
「私もよ。それに、今のあなた、とってもいい顔してるわ」
ふふ、と微笑みながら言うナタリアとティア。そして、みんなの視線がルークへと集まる。
「えっと、その。お、俺も精一杯手伝うぜ?」
緊張のあまりたどたどしく、というよりグダグダになってしまった。
「あははははは!ル、ルークってばダサぁ~!」
「う、うるせえ!突然そんな事言われてもなあ!」
「まあ、いいじゃありませんか。締まらない感じがルークらしいです」
結果的に暗い雰囲気は吹き飛び、いつも通りの暖かい雰囲気が戻ってきた。今は、それだけで良しとしよう。そんな気持ちが感じられるような笑顔だった。
・・・
燦々と輝く太陽。青い海。そして廃墟。
「今度はトリスタンが鬼です!」
「分かった、分かったから一回休憩にしよう。耐久レースみたいになってるぞ、これ」
僕は今、アリエッタの故郷でもあるフェレス島に来ていた。イオンに暫くの休息が必要だと診断されたので、その間にトレーニングをすることにしたのだ。まあ、結局やってることは全力での鬼ごっこなのだが。
「んで、何を悩んでるんだアリエッタ?」
「……なんのことですか……?」
「恍けても無駄だ。僕は、君が教団に来た時から知ってるからね」
わざわざ誰もいないこの島に来た目的がこれだ。本人は隠してるつもりだろうが、僕には通じない。なにせ十年近く面倒を見てきたんだから。
「……トリスタン……前のイオン様と同じ目をしてます……。その目の後、イオン様は死んじゃった……」
僕の真剣なまなざしに観念したようで、途切れ途切れに語りだす。
「アリエッタはトリスタンとは本当の家族じゃないけど……トリスタンは家族みたいにしてくれて、だから!だから……いなくなっちゃうのは嫌です……」
「…………参ったな。アリエッタも気づいてたのか」
十年近くってのはお互い様だったらしい。僕は目頭を軽く揉む。柄にもなく感極まってしまったみたいだ。
「確かに僕は、全部が終わったら死ぬと思う」
死ぬ、と言う単語にアリエッタの方がビクンと揺れる。
「それでもアリエッタは、僕の言った事とか教えた事とか忘れないでくれるだろう?」
「当たり前です!」
「ならいいんだ。六神将のみんなやイオン。それに今まで僕がお節介を焼いてきた人たちが、僕の中にある何かの欠片を持っていてくれるなら、それはとても幸せな事なんだよ。陳腐な言葉だけど、もしも僕がいなくなっても、僕は生き続けてることになるからね」
涙を流すアリエッタの頭を優しくなでながら、あやすように言う。こんな風にするのも、何年振りだろうか。
「それに、僕は絶対に死ぬって訳じゃないよ。計画が成れば、その先には予言に縛られていない未来、絶対なんて存在しない未来があるんだからさ」
そう言って両手を大きく広げる。少々大げさな気もするが、そんな未来がもう、すぐそこにあると思うと自然にそうなってしまった。
「負けちゃいけない理由が増えました……」
アリエッタは精一杯笑みを作って小さな声でそう言った。その時だった。
「その声は……!」
「アニス……!」
真の悪いことにルークたちが現れた。そして、そのまま二人のにらみ合いへと発展してしまう。
「よお、あんたたち、久しぶりだな。まさかここで会うことになるとは思ってなかったぞ」
「こちらとしては、あまり出会いたくはなかったのですがね」
「やめろやめろ。そういう罪悪感とかは僕にはいらないから。そもそもあの戦いの敗北は、偏に僕の未熟が生んだ結果だ」
僕はうんざりとしたように手を払う。
「それで、ここには何の用で?あんまり踏み荒らして欲しくはない場所なんだけど」
「どういう意味だ?」
「ここは―――」
「ここはアリエッタの大切な場所!アニスなんかが来ていい場所じゃないんだから!」
説明しようとするが、その声を遮るようにアリエッタの声が響く。それを聞いたルークたちは怪訝そうな顔をしている。
「フェレス島が大切な場所だって?どういうことなんだ」
一同を代表してガイが問いかける。
「ここは……。アリエッタが生まれた街だから。アリエッタの家族はみんな洪水で死んじゃって、アリエッタのことはライガママたちが助けてくれた。ずっと寂しかったけど、ある日ヴァン総長が来てアリエッタを仲間にしてくれたの。沈みかけてたフェレス島をこうやって浮き上がらせて、アリエッタのための船にしてくれた」
そこまで言うと、ちらりと僕の方を見る。
「ヴァン総長も六神将のみんなも、トリスタンも何度も遊びに来てくれた。それに、前のイオン様だってヴァン総長に協力してたもん」
「まあ、そういう訳だ。手早く用事を済ませたら、早急に退散してもらおうか」
これ以上ヒートアップしてしまう前に口をはさむ。このままいくと、ここで決闘になりかねない。
「アリエッタ」
「はい……」
僕の呼びかけでようやく頭が冷えたアリエッタはしゅんとしながら返事をする。そしてそのまま、ライガにまたがって去って行った。
「さて……」
アリエッタを見送った後、僕はルークたちに向き直る。
「あらためまして、久しぶり、と言っておこうか」
「本当に生きてたんだな、アンタ」
「ああ。あんたらが放置していくもんだから、気絶してる間に地核まで落ちちまったがな」
「おやおや、嫌味を言うとはあなたらしくもありませんね。地核に落ちた時に頭でも打ったんでしょうか」
「嫌味で済ましてやってんだよ!」
だめだ。やはりあの陰険メガネの方が数段上手だ。嫌味も皮肉も通じやしない。ついでに嫌味で済ましてやろうという、僕の慮りも通じなかった。
「あ、いつもの謡将だ」
「そうみたいですわね。もう、わたくし共とは口もきいてもらえないかと思ってましたが、変わりありませんようで」
ナタリアとアニスがそう言うと、他のメンバーも一斉に緊張を解いた。我ながら舐められかたが凄い。
「あんたたちとはまた会うことになると思うから、この場では僕の用事を優先させてもらうけど。いいよね?」
僕が頭を掻きながら言うと、アニス以外の全員が察してくれたように頷く。
「アニース。ご使命ですよ。観念してお話してきなさい」
「はうあ!?」
アニスは振り返って逃げようとするも、逃走経路はすでにルークとティアによって塞がれていた。
「行こうか」
僕はあたふたするアニスの首根っこを摑まえると、掴み上げ適当な建物に向かった。
「とりあえずこの書類にサインしろ」
そう言って懐から一枚の紙を取り出し、アニスに突き付ける。
「これって……ええ!?マジですか謡将!?」
「ああ、アリエッタが言ってただろ。いつでもこうできるように準備はしてあったのさ」
「そう、ですかぁ~。……あはは、馬鹿みたい。自分だけが不幸で、自分だけが誰にも頼れなくて、自分だけが辛くて、そう思って……そんな訳ないのになぁ~」
掠れた声で紡がれるのは、深い後悔の言葉。人前では決して見せる事のない涙は、自責の表れ。あの牢獄での僕を思い出す。
「アニス。君は、まだ大丈夫さ。僕と違って取り返しがつかない訳じゃない」
アリエッタの時とは少し違う。ゆっくりと諭すように、アニスの頭をなでてやる。せめて今だけは年相応に、それが終われば飛び立っていけるように、と思いを込めて。
「落ち着いたか?」
僕の服が涙でびしょびしょになって、ようやくアニスは泣き止んだ。
「はい……」
一気に冷静になったためか、ほんのり頬が赤くなる。
「うぐぐ。このアニスちゃんが泣き顔を見せてしまうとは……」
「……もう大丈夫そうだな」
あっという間に元のアニスへと戻っていた。切り替えが早すぎて一瞬めまいがしたほどだ。
「それじゃあ、さっさとサインしな。それで借金は全額返済完了だ」
僕が用意した書類は、言うまでもなく借金の肩代わりのための書類だ。リオネス村を買って以降、特に使うこともなかったので貯めていたので、お金は結構余っているのである。
「……謡将。そのサインちょっとだけ待ってほしいです」
「なに……?」
「アリエッタと戦って、ゴメンって謝って。そんで、その後じゃないと、それを受け取る資格なんかない」
はっきりとした口調と力のある瞳。どうやら一皮むけてくれたようだ。
「アニス。今、君は見事に僕の信頼に答えてくれたよ」
「謡将ってば。そんなに優しくされたらまた泣いちゃいますよぅ!」
僕とアニスは少しの間だけ、予言も立場もしがらみも、そんな全てを忘れて笑いあったのだった。
・・・
決闘はチーグルの森で。ルークたちは立会人のラルゴからそう告げられた。その役目はトリスタンが務めるだろうと思っていたので多少驚きはしたが、確かめなくてはならないこともあったので都合がよかった。ナタリアの本当の父バダックが、今は黒獅子ラルゴと名前を変えているという情報を得たからだ。そして今。
「アリエッタまだ負けてないもん!負けられないもん……」
ルークたちの前には、負傷した魔獣共々どうにか立ち上がるアリエッタの姿があった。もはや勝負は決まったと言ってもいい。それでも諦めないのは重々承知。そういう戦いなのだと、お互いに知っているから。
「受けて立ってあげるよ」
そう言ってアニスは『トクナガ』を元に戻して地面に降り立つ。
「ルークたちは手を出さないで。これは私の戦いだから」
振り返ることなく言い放ち、真っ直ぐにアリエッタの元へと進んでいく。
「アリエッタは、アニスにだけは負けない!」
ピシッと音を立てながらアリエッタのビンタがアニスの頬を打つ。
「私だって、アンタにだけは負けない!」
返事を返すようにアニスのビンタがアリエッタの頬を打つ。
「誰にも頼れないような人にイオン様は渡さない!」
「誰かに頼りっぱなしの奴に言われたくない!」
「イオン様を裏切ったくせに!」
「イオン様に捨てられたくせに!」
「バカ!」
「根暗!」
まるで、子供の喧嘩の様な罵声を浴びせあいながら、順番にビンタを放つ。意地も矜持も思いも願いも全部を込めたものだ。軽いはずがない。何度目だっただろうか。数えきれないほど痛々しい音が響き渡っていた。
「アリエッタは……アニスには…負け……トリス、タン……」
もはや紡がれる言葉はうわごとの様だ。
「アリエッタ……、アンタの事は大嫌いだったけど、だけど……だけど……ごめんね……」
崩れ落ちるアリエッタを抱き留めながらアニスは言った。
「……ここまでだな」
ルークたちと同様に沈黙を保っていたラルゴが声を上げる。
「トリスタンから、必ず連れて帰ってくれと頼まれててな、邪魔をするならば相手になるが……どうやらその必要はなさそうだな」
「……うん……」
「この地図の場所に行くといい。イオン様はその廃村にいる。行くのは構わんが、くれぐれも荒らしてくれるなよ」
アニスに手渡された紙には、ダアトからそう遠くない位置の座標が書いてあった。そして、伝えるべきことは伝えたとばかりに、アリエッタを抱えて立ち去ろうとする。
「待ってくれ!お前に聞きたいことがあるんだ、バダック」
「……その名はとっくに捨てたよ。妻の眠るバチカルの海にな」
やはり。もはや口に出すまでもない。ルークはロニール雪山で拾ったペンダントをラルゴに向かって放る。
「なるほど。お前が拾っていたのか。どうりでトリスタンにも見つけられないはずだ」
「名乗らないのか?」
「名乗ってどうなる。敵は敵それだけのことだ。坊主は甘いな」
今度こそ立ち去るために、踵を返す。
「次に会う時はお前たちを殺す時だ」
振り返らずにそう言うと、そのまま姿を消した。
「ルーク。どういうことですの?」
一人だけ置いてきぼりを食らったナタリアが訝しんだ声を上げた。
「ごめん。今は話せないんだ」
「……それなら、いつかは話してくださいますのね」
「……ああ。必ず」
「……さあ、ぼんやりしている訳にはいかないぜ。予言会議のためにユリアシティに行って。その後、イオンのところに行くんだろ?」
軽い調子で言ったガイの一言で、ルークたちは次の目的地へと動き出した。
・・・
「おかえり。急いでアリエッタをそこに寝かせてくれ。リグレットが治療する」
「分かった」
フェレス島のにある、とある家で僕とリグレットは二人が来るのを待ち構えていた。勝つにせよ、負けるにせよ、無事ではないからだ。
「リグレット、ここは任せるよ」
「ああ。見たところ、傷は多くあるが致命傷は無いようだ。これなら私一人でも平気だろう」
「じゃあ、外に出ようか、ラルゴ」
僕はそう言って、顎で外に出るように合図を送る。
「……人の事にまで気をまわし過ぎるのは、お前の悪癖だな」
「悪癖じゃない性分と言うやつだ。さあ、諦めてとっとと外に出る」
返事も聞かずにドアを開けて外にでる。背後にはやれやれ、と言いながらも付いてくるラルゴ。バタン、と音を立ててドアが閉まり、そのまま静寂に包まれる。
「死のうとしてる奴ってのは、はたから見たらこんなにも分かりやすいものなんだな」
「ようやく理解したか」
「ああ、少し反省してるところだ」
自分がそうしているつもりはないけど、纏っている雰囲気に天と地ほどの差がある。それが、なんとなく分かってしまうのだ。
「ここで口論したところで平行線になるのは、僕自身が一番よく分かってる。だから、これを読んでくれ」
「…………」
僕の手から書類を受け取ると、無言のまま受け取り目を通す。だんだんと顔つきが厳しくなっていくのが分かる。そうさせてしまうに足る内容だからだ。
「トリスタン!お前は、俺がこんなものを認めると思っていたのか!」
「思ってないから今まで秘密にしてたんじゃないか」
書類の内容は、僕がピオニーと交わした密約。計画が失敗したときの為の保険についてだ。
「計画が失敗したら僕は死ぬ。成功すれば、もしかしたら僕の死は必要ないかもしれない。だから死ぬ気で戦って、必ず生きて帰ってこい、ラルゴ。他でもない僕のために」
「ふ……ふふ、ふははははは!シンクも言ってたが、お前は本当に激励が下手だな。―――ああ、任せておけ。俺のため、そして他でもないお前のために戦って来るとしよう」
「……ありがとう」
それから、アリエッタの処置が終わるまでの間、特に会話もなく時間が過ぎた。しかしその沈黙は不快ではなく、なんとも言葉で表現しづらい一時だった。
お盆は私用でまとまった時間が取れないので、次回は少し遅くなると思います。と言ってもいつもに比べてなので、そこまで遅くはならない予定です。
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十話
「結局、お前の言った通りになっちまったな」
ダアトの教会。ステンドグラス越しの陽光を浴びながら、ピオニーは自嘲するように言った。呟くのでもなく、大声でもない声は、間違いなく僕に対する呼びかけだった。
「……気が付いていたのか」
「お前なら来ると予想していただけさ。これでも物事を見通す目は良いと自負しているからな。まあ、お前の行動が分かりやすいというのもあるが」
「その言葉、最近よく言われる気がするよ……」
僕は、物陰からカツンと分かりやすいように足音をたててピオニーの元まで移動する。自分の足音がどこか物悲しく聞こえるのは気のせいだろうか。
「今日は、最後の挨拶に来たんだ」
別れの言葉を、いつものように気負うことなく口にする。
「だろうな。残念なことに、どう転ぶにせよもうこうして会うことは出来なさそうだ」
「分かってるなら話は早いね。当初の予定通りに、僕は今から過去に決着を……大詠師モースを殺しに行く」
「……そうか。若者たちが死ににいくようなのは嫌いなんだがな……」
「止められない自分の無力を恨みなよ。僕もそうやって生きてきた」
「そりゃまた随分と辛い生き方だな」
お互いに軽口をたたき合っているが、ピオニーの声にはいつものような覇気を感じられない。ルークの一件が相当堪えたようだ。
「予言は歪みをものともしない、そう言っておいただろうが」
『ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって街と共に消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。』ユリアの予言の一節だ。決して阻むことのできない呪いと言い換えてもいい。
「アグゼリュスが無理なら、レムの塔へ。それがだめでも、何かしらの偶然が奇跡的に重なり必ず予言は成就する。目に見えない怪物のようだろう?」
「良い例えだな。さしづめお前たちは怪物を退治するために立ち上がった英雄と言ったところか」
「問題発言にもほどがある」
僕の心遣いに皮肉で返してくるあたり、やはりジェイドと同類だ。実に気に入らない。が、今のやり取りで少しは気分もまぎれたらしい。先ほどよりは表情から険が取れた気がする。
「事が事だけに、どちらが悪などという明確な定義は存在しないだろうよ。俺から見れば国民を害するお前たちは紛れもない悪だが、国民の目には命を掛けて世界を救った正義に映るかもしれん。それこそ、語り継がれる英雄譚の主人公のようにな」
「僕自身の願いを崇高と言うつもりはないけど、そんなものに価値を感じるほどに落ちぶれてもいないさ。……願わくば僕の挺身を最後に、一切合財の決着を。そんな程度の些細な願いだよ」
「だが世界はその些細な願いすら飲み込もうとしているぞ。俺の決定、世界の異常、ルークたちの行動。その全てが不気味なほどに噛み合ってお前たちを阻む。なるほど呪いだ……俺は、さっきルークに死んでくれと告げた時、初めてこの世界が怖いと心底震えたよ」
ああ、それは身に染みるほどによく分かる。なぜならそれは、僕も何度も感じた絶望。どす黒い世界の悪意をまざまざと見せつけられた証拠だからだ。
「それでもあんたは前に進むんだろう?眩しくて、暖かくはないけれど日の当たる道をただひたすらに」
僕は出来るだけ嫌そうな表情を作り、ピオニーの反応を待たずにその場を去った。こいつとの別れはそんなもので、いやそんなものの方がいい。人を救うと息巻いて、真実人を救うものがピオニーだとすれば、僕は正反対の存在。ならばこそ、この別れ方はこの上なく妥当というものだろう。
・・・
アブソーブゲート。過去にトリスタンと拳を交えたこの場所で、ラルゴとルークたちは鎬を削っていた。
「ぬるい!この程度で俺を止められると思うなよ!」
ラルゴの振るう鎌の暴威はすさまじく、振れた物を塵芥へと変えてゆく。まるで全てを飲み込む嵐のようだ。
「火竜爪!」
「エリアルレイザー!」
その名に恥じない炎爪の一撃をナタリアの矢が相殺する。この戦いに掛ける思いは、ラルゴにだって負けていない。言葉のない親と子の対話。袂を分かち、道を違え、それでも通じ合うとしたらこの戦いの中で、そんな思いが普段を超える力を引き出している。
「……ラルゴ」
「俺は勝ってくると約束したのだ。その誓いを無下に扱ってくれるなよ」
「俺たちは同じように予言から離れようとしているじゃないか!」
剣と鎌が火花を散らし、その信念が口から吐き出される。
「違うな。俺たちはこの腐った世界を根底から覆そうとしている。やり直しを願ったお前たちとは相いれないのだ」
「この世界は腐ってなどいません……」
「いいや、間違いなく腐っている。寝ても覚めても予言予言。挙句の果てには、さぞ高潔であっただろう少年の未来を飲み込み、狂わせた。お前たちも知っているだろう」
「待て。狂わせた、だと……?」
「そうさ。まさかヴァンの、いや俺たちの計画が上等な神経のまま為せると本気で思っていたのか?」
ラルゴの闘志に満ちていた顔が憎悪に歪む。
「そんな!謡将は狂ってなんか……」
「憎悪に、嫉妬に、欲に、愛に、戦いに。狂ってるものにしか分からぬものが在るんだよ。俺たち六神将にはよく分かるぞ。あいつは優しく狂っている。アニス、お前の借金の件、お節介などと言うレベルではないことぐらい分かっているだろう」
「……それは……」
「そういうことだ。本人は気づいていないだろうが、トリスタンは紛れもなく壊れている。お前たちもそれぞれ心当たりがあるだろう?」
全員が沈痛な表情を浮かべる中、ルークだけは違った。それでも信念を貫こうとする意思こそが、トリスタンに対する敬意だと、他でもない本人から教わったから。ならば、狂っていようがいまいが、そんなものは関係ない。
「良い目だな坊主。それでこそ俺も全力で相手をする甲斐があるというもの」
「俺は、俺たちは選んだんだ。レムの塔で!」
その言葉と共に、ラルゴへと向かって剣を振るう。それを真正面から受け止めたラルゴは驚いた。踏み込みの速さも切りつける膂力も確実に先ほどよりも上だ。そしてその事実は、ラルゴの中に流れる血をこれでもかと言うほどに滾らせた。
「……楽しませてくれる!」
黒獅子は獰猛な牙をむき出しにして、感嘆の叫びを上げた。
・・・
きっと今の僕は鬼気迫る表情をしているのだろう。そんなことを考えながら『イゾルデ』を手に装着する。
「僕の言葉が通じてるとも思えないが一応聞いてやる。どんな気分だ?」
「すこあを……!ひゃははははは!すこあがすこあ……!おまえはああ!ひゃは!すこあをまもるために……!」
「……そうかよ。クソ野郎が」
僕は眼前の化け物に向かってそう吐き捨てる。第七音素の影響で自我が崩壊しかけていても、こいつは微塵も変わらない。もともとこの姿だったと言われたほうがしっくりくるほどだ。
「ひゃはははは!またはんらんとは……ひゃはは!ああ!すこあすこあすこあすこあ……!」
「あれからもう十年以上経つ。長いようであっという間だったよ」
なけなしの理性で喚くモースを無視し、独白を始める。
「なんとも不思議な気分だ。喜びも、怒りもこれといってない。普段とそう変わらない気がするよ」
僕の声は、聞くに堪えない狂った声よりもさらに空しく響き渡る。
「本当はもう、復讐なんかどうでもいいんだ。怨嗟が消えたわけでもないけど、僕にとってそれよりも大事なものが出来たから」
あと僅かでお互いの射程距離に届くだろう。
「だからあんたは、ただ、計画の障害として死ね。小難しい理由なんかない。ただ死ぬのさ。あんたがそうしてきたように」
「ゆるさぬぞ……!ひゃ!ひゃはは!どくぼうにいれてやる……ひゃはははは!」
意思を押し付け合うように、成立していない会話。それを皮切りに、戦闘が始まった。
「出し惜しみはしない」
その言葉と共に六つの球体が現れ、混ざり合う。虫けらのようにモースを殺すと宣言した以上、この戦いに手間をかける気はない。
「マグナ・コンケプトゥス」
六色の剣が手に収まり、振るわれる。
「ひゃは!」
虹の極光。その一薙ぎをモースは膨大な第七音素で完全に防ぐ。ルークの超振動とは違い完全な力技でだ。
「ロックを外した僕に譜力の総量で勝負を挑むほどにイカれたのか?」
何度も何度も、ただひたすらに剣を振るう。それだけでいい。そのたびに目も眩むような虹が放たれて、あたりを蹂躙する。
「――――」
音はすべて消えモースの不快な笑い声も、もはや耳には入ってこない。何も知らない人がこの光景を見たならば、さぞ神秘的に見える事だろう。
「…………」
一体どれほど時間がたったのか。それすら分からないほどになってようやくモースの底が見えてきた。放たれる音素の量が極端に落ちたのだ。それを察した僕は、少しずつ前へと進み距離を詰めていく。
「……もう終わりか?」
「ひゃ……は……」
「そうか。では死ね」
地に伏すモースの首元を一閃しようとしたその時、再び音素が息を吹き返した。
「なっ!?」
予言への執着か、はたまた他の何かなのかは分からないが、とにかく蝋燭の最後の様に今までを超える力で僕の持つ剣を天高く弾きあげた。それと同時にその巨体を
撥ね起こして渾身に一撃を僕へと叩き込む。
「がっ……!」
かろうじて躱すことに成功したが、手足が動かない。ああやはり。口では何と言っていようとも、僕の心は乱れていたようだ。そんなことを考えている最中、回転しながら落下してきた剣は、背後から僕の心臓を突き刺した。
・・・
「な、なんだ!今のは!?」
プラネットストームを止めるため、ラジエイトゲートへと到着したばかりのルークたちの耳に尋常ではない破壊音が届いた。
「下の方からのようですね」
「とにかく行ってみましょう!」
先手を打たれてしまったのかと焦る一同は、駆け足で下方へと降りていく。その途中、何かの液体がナタリアの頬へと落ちた。
「雨……?」
「雨だって……?ここはもうラジエイトゲート内部だぜ」
「いえ、違います。これは――」
「これ血だよ!」
ジェイドの言葉を遮るようにアニスが叫んだ。今もまばらに落ちてくる液体はあまりにも異常だった。魔界にレプリカ、ローレライ。さまざまな異常を体験してきたが、血の雨などというものは比喩の中だけの話だろう、今の今までそう思っていたのだ。
「どちらにせよ行くしかないんだ。急いで降りちまおうぜ」
「そうね。私もそれに賛成だわ」
そして、最下層。
「ああ……あんたたち。もう来たのか」
そこには、服はボロボロに破れ、全身血まみれで立ち尽くしているトリスタンがいた。
・・・
「ああ……あんたたち。もう来たのか」
全身から滴る血を気にも留めずに声を掛ける。全身が軋むように痛い。
「ご覧の通り、モースは――ってあれ、溶けちまったか。まあ、いいか」
「……そうですか。あなたはモースを」
「計画に沿ったまでの話だ。私怨がないとは言わないがね」
あくまでも飄々と、いつもと変わらないように言ってのける。正直、特に何かを感じている訳でもない。こんなものか、といったところだ。
「やっぱり復讐なんてものはやるもんじゃないな。先達たちが、空しいだけだ、とか言った理由がよく分かるよ」
自分の血で真っ赤に染まった髪を掻き揚げて、ガイを見据える。
「これで僕の仕事は残り僅か。エルドラントであんたたちを迎え撃つくらいだ。ゆっくり会話するのはこれで最後になるだろうな」
話を切り出しにくそうにしているので、それとなく助け船を出す。というか、僕自身も最後にもう一度話をしたいと思ってたので好都合だ。
「確かにそれも悪くありませんが、まずはその血をどうにかしてもらえませんか?私はそんな格好の人と仲良く話せるほど変人ではありませんので」
「大佐の言い方はアレですけど、確かに目のやり場に困りますぅ~!」
「……思いっきり見てるじゃねーか」
顔を覆った指の隙間から、目を爛々と輝かせているアニスにルークのツッコミが入る。気にしてなかったが、上着は服の体を為していないほどにボロボロだ。いつぞやの湿原の時を思い出す。
「もっともな話なんだけど、勘弁してくれないか。ここまで負傷するとは思ってなかったから、着替えは持ってきてないんだ」
「負傷!?じゃあ、その血は返り血じゃなくて……」
「そういうこと。この怪我に関しては自業自得なんだけどね」
「何を呑気な事を言っているのですか!急いで治療いたしませんと!」
顔を青くしながらも駆け寄ってきて、回復術を発動させるナタリア。僕は敵だろうに、と思わず苦笑してしまう。
「それにしても、一体どうやったら自分の血で雨を降らせられるんだよ」
「きっと被虐趣味でもあるのでしょう」
「そんな趣味あってたまるか!」
大声を出すと同時に傷口から血はピュッと吹き出す。興奮しすぎると死にかねない。いや、興奮させられて殺されかねないと言った方が適切か。
「なあティア、被虐趣味ってなんだ?」
「ええっ!?ル、ルークは知らなくていいことよ!」
ふと耳を澄ますとあらぬところに飛び火もしているあたり、性質の悪さが窺えよう。
「これで、だいたいの傷は塞げましたわ。残念ながら失った血は譜術ではどうにもできませんが……」
「十分だ。ありがとうナタリア」
「―――………!」
「どうした?」
特に変わったことをしたつもりはなかったんだが。
「いえ、よく考えたら名前で呼ばれたのは初めてな気がしまして。ベルケンドで会った時は仰々しく様付けでしたし」
「よくよく考えてみれば、名前で呼ばれたことないの大佐とナタリアだけな気もするな」
「そうですわ!わたくし、大佐と同列に扱われてるのではと内心気が気じゃありませんでしたもの」
「酷い言われようですねえ」
「あんた自業自得って言葉知ってるか?」
僕だけではなく、ジェイド以外の全員が呆れた顔をしている。なんだこの一体感は。僕、溶け込み過ぎだろう。
「ナタリアの件は別に他意があった訳じゃないから安心していいよ。死霊使いの方は意図的にやってるけどね」
「それを聞いて安心しましたわ」
「ナタリアも結構黒い気が……」
「アニス。それ以上は言っちゃいけないわ」
ルークとの会話から復帰したティアがアニスの口を塞ぐ。
「まあまあ、今はその話題は置いておきましょう。丁度いじり甲斐のある人もいますし、たっぷりと情報を搾り取って差し上げますよ」
「本当にぶれないよなあんた。流石ディストと友達やってるだけあるね」
「心外ですね。私はそんな洟垂れと友達をやるほどに物好きじゃありませんよ」
顔ではにっこりと笑っているジェイドだが、その目は欠片も笑っていない。本気で怒り出す一歩手前のようだ。これほどまでに友達関係を否定されるディストが可哀相でならない。
「ていうかまだ聞きたいことがあったのか。もう大方の事は知ったのかと思ってたんだけど」
「そうですね。星の記憶のことも、あなたたちの目的も知りました。ですが、何故あなたが死にゆく目をしているのか、それが分からないのです」
弛緩していた空気は再び張り詰め、全員がしっかりと僕を見つめている。話すまで諦める気はないのだろう。
「……レプリカの世界になったとして、オリジナルを鏖殺した罪が無くなるわけではない。秩序を望むなら、責任者は裁かれなくてはならないだろ?」
そこまでで、ジェイドとティアは気が付いたらしく目を見開く。
「幸い、僕はヴァンよりも古株で、持つ権力もほぼ同じ。ついでにモース亡き者にした実行犯でもある。これほどの適役はいないと思わないか?」
「なんでそんなに冷静でられるんだ……!?」
終始落ち着いた口調で語る僕に向かってルークが叫ぶ。
「俺は……考えただけで手が震えて!あれだけ大丈夫だって自分に言い聞かせても怖かった!怖かったんだ……」
「ルーク……」
レムの塔での出来事が相当堪えたのだろう。今も穴が空きそうなほどに見つめている手のひらは震えている。
「あんたたちは本当に敵に甘いな。そこが美徳でもあるんだろうが」
「あなたに影響されたのですよ。この長い旅の間、拳を交え、言葉を交えた。要するに、私たちはあなたを認めているのですよ。ただ一人の人間としてね」
いろいろ言いたいことはあったが、思考するよりも早く口が動く。きっと、僕以外の全員も思ってることに違いない。すなわち、
「…………あんた人の事褒めることが出来たのか」
「心外ですねえ。私にだって畏敬の心くらいありますよ。……ほんのちょっぴりですが」
「大佐もしかして照れてます?」
「アニース。後でお仕置きが必要なようですね」
非常に珍しいものをみた。アニスが失言でお仕置きされるのはいつもの事だが、ジェイドからお褒めの言葉をいただいたのは初めてだ。……何かよからぬことが起こる前兆かもしれない。
「もしも、何かが少しでも変わっていれば、僕たちもあんたたちも同じテーブルを囲んで食事でもしていたかもな」
「今からでも――」
「遅い。気持ちは嬉しいけど、遅いんだよ。あんたたちもレムの塔の一件で身に染みただろう。予言は決して覆らない。それが忌々しいこの世界の理なんだよ」
「でも、ルークはこうして生きてるわ!」
いやな考えを振り払うようにティアが叫ぶ。
「そうだ。ルークは幸運なことに生きている。だが、次の何かが起こる前に予言を消し去らなくては再びその命を削ることになるだろう」
「もう、そんなことはさせねえよ……」
「レプリカ一万人の命で救ったこの世界が滅びるとしてもか?」
極論だが、正論でもある。僕は、ルークが消滅した地点が現時点で鉱山都市でなくとも、近い未来に奇跡的に資源が見つかり鉱山都市へと変貌する可能性すらあると思っている。それほどまでに予言は絶対だ。
「例えば誰かを愛したとして、それが決められていたからだなんて納得できるか?例えば誰かが死んだとして、それが運命だったと言われて引き下がれるか?僕は嫌だね。この美しく悪辣な世界で、どんなに悪人だろうがどんなに偉い奴だろうが獣だろうが魔物だろうが虫だろうが、各々が各々の意思で無様に懸命に自堕落に生きていてほしいんだ」
「なら、もしも俺たちが予言を覆せたなら。お前は止まってくれるのか……?」
「そうだな……。だがもう遅い。弱い僕たちはそれを信じられなかった。すでに屍の山の上にいる。手遅れだ」
ルークたちとの距離が本当に遠くに感じる。皮肉なことに、僕が目指した人々は僕とは違う道を行く。分かっていたことだった。
「結局のところ、僕は弱いから逸脱するほどにこの身を練り上げ、弱いから予言があることが許せないのさ。全てを知って、なお折れないあんたたちの事も、眩しくてたまらない」
今の僕はそれはそれは醜いことだろう。あろうことか敵へと向けて羨望の眼差しを向けているのだから。それを自覚しているところが、醜悪さ更に拍車をかけている。気合を入れていないと情けなさで涙が出そうだ。
「それでも……そうだな。僕を突き動かすもっとわかりやすいモノがある」
「それは、なんなんだ……?」
「僕を一番近くで支えてくれた人に、予言の無くなった世界で言ってあげたいんだ」
目を閉じると思い返される暖かな思い出。あまり多くはないけれど、間違いなく僕の宝物だ。
「好きだ、と。僕は僕の意思で君の事を愛しているんだ、と伝えたいんだ」
胸の内に秘めていた些細な願い。本人にすら伝たて事のない思いは、いつの間にかどんな思いよりも大きくなっていった。
「さんざん人を殺しといて何様だと思うだろうけどね。やっと、今まで生きてきてやっとなんだ。物心ついた時には失われてしまった何かを取り戻せそうな、そんな気がするから」
だから、僕は止まれないんだ。そう言ってのけた。いつの間にか自己嫌悪の波は消え、凛と胸を張っている。
「ま、そういうことだ。少し話し込み過ぎちゃったみたいだし、僕はもう行くよ」
やはり言葉にすると違うもので、僕の顔はきっと、この上なく晴れやかなものだったろう。
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十一話
栄光の大地エルドラント。ヴァンとガイの故郷でもあるボドのレプリカ。この島に上陸したルークたちへの出迎えたのは、聞き覚えのある悪態だった。
「あんまり遅いからもう来ないかと思ったよ」
「シンク……」
イオンと同じ顔同じ声だが、アニスに動揺はない。その目に映るの光は目の前の存在を理解したいと、ただそれだけを願っている。
「少し見ない間に、随分と不愉快な目をするようになったもんだね。まったくトリスタンも余計な事してくれる」
「アンタもどうしても引く気はないって言うの……?」
「当たり前のことを聞かないでくれるかな。それとも何?ボクが改心でもしてアンタ達をこのまま通すのがお望み?だとしたら傲慢も甚だしいね」
「アンタが予言を恨んでるのも知ってる。でも、それならなおさら予言に捕らわれてるのは間違ってるよ!」
どちらも一歩も譲らない。意地と意地、信念と信念のぶつかり合い。視線同士が火花を散らすように交差する。シンクが不愉快と称した理由がこれだ。相手をするためには自身をさらけ出し、ぶつからなければならない程の強い目。まるで、彼の知るトリスタンのような。厄介なことこの上ない。
「いいだろう。無駄話をするつもりなんてなかったけど、そういう事なら受けて立ってあげるよ」
心なしかシンクの声に苛立ちが混ざる。
「あんたたちがトリスタンの真似事をしたいって言うんなら、ここで折ってあげるよ。あいつと同じくらい深い絶望に飲まれた事のない奴の言葉なんか、ボクの存在よりも価値がない」
「自分に価値がないですか……なるほど、それがあなたの原点なのですね」
「そうだよ。ボクが一度は捨てられたことも知ってるだろう。結局のところ、誰にとってどんな価値があるかでそいつの役割が決まる。そこのレプリカがアッシュの代わりにちやほやされたようにね」
ぐっ、と言葉に詰まるルーク。事実を突かれて、思うように反論が出ない。
「七番目には導師イオンとしての役割があった。ならボクの役割はいったいなんだ。生まれて死ぬことがボクの役割だったのか。ばかばかしい。そんなものの価値は一体なんだ?」
その問いの答えを誰一人として持ちえない。この世でただ一人の境遇を持つシンクのみが回答を出すことが出来る命題だからだ。
「……フン。ここで黙るってことは所詮は真似事だね。もういいや。とっとと死んじゃいなよ」
「結局こうなるのか……」
「分かっていたことでしょう」
空気が一瞬で張り詰め、その場にいる全員が戦闘態勢に入った。
「劣化しているとはいえ、導師と同じ第七音素の力。本気で戦えば、アンタたちもただでは済まない!」
自らの胸の前で拳と手のひらを合わせるシンク。その力の解放に、周囲の大地が悲鳴を上げる。
「ボクはボクに価値をくれたアイツの世界を見てみたいんだ。その為の障害になるアンタたちは、ここで消えてもらおうかぁっ!」
普段のシンクからは考えられないような感情の発露。誰よりも空っぽだった故に、誰よりもトリスタンの理想に憧れを抱く少年は、生まれて初めての感情の赴くままに駆け出した。
・・・
「あらためて時間をもらうと緊張するね。なんだか新鮮な気分だ」
「初めて会った時からしたら考えられないな。あの時のお前はもっと冷たかったぞ。それこそ、私が生を諦めそうになるほどに」
長い長い階段の上で、僕はリグレットと談笑している。その手にはすでに『イゾルデ』と『フェイルノート』が装着されており、ほのぼのとした雰囲気と非常にミスマッチだ。
「そんな顔をするな。私は今のお前の方が何倍もいい。それこそ命がけで共に歩んでいこうと思えるほどに」
僕のかすかな表情の変化に気が付いたのか、それとなく慰めを入れてくれる。本当に僕には過ぎた相棒だと思う。
「僕がいい方向に変わったとしたら、それは間違いなく君のおかげだよ、ジゼル」
「それは光栄な話だが、私はお前の中にあったものを引き出したに過ぎないよ。その優しさはもともとお前が持っていたのさ、トリスタン。だからこそ、私はお前に仕えたいと思ったのだ」
「……ああ、そうだな。確かに僕は全てを失った時に、自分を隠した。そうでもしないと辛すぎたんだ、大事なものが無くなってしまうのが」
悲痛な言葉とは裏腹に、僕の声音は穏やかで。そうしてくれた目の前の彼女がたまらなく愛おしかった。
「―――……その顔は初めて見たな。これまでのどんな顔よりも一番見たかった顔だ」
そう言ってリグレットは僕の頬をなぞるように手を当てる。まるで宝物を扱うように、決して壊れてしまわないよう慎重に慎重に触れてくれる。ああ、この瞬間が永遠に続けばいいのに。
「ジゼル。全てが終わったら、君に伝えたいことがあるんだ」
何かの決意があった訳でもなく、僕の口は自然とその言葉を紡いでいた。
「やっとか。まったく、甲斐性無しと言われても仕方ないぞ」
やれやれと、呆れた口調を保とうとしているが、その表情はとてもやわらかだ。
「柄にもなくモチベーションが上がってしまうではないか」
「僕もだ。じゃあ、手早く排除を開始しようか。人の恋路を邪魔するヤツはなんとやらってね」
二人同時に階段の下へと目を向けると、丁度ルークたちが到達したところだった。シンクを打倒したことで、また一つ強くなった意志を感じる。いや、原因はそれだけではなさそうだ。
「アッシュが死んだか……?」
ぼそりと、憶測を呟くと、ルークたち全員が意表を突かれたように驚く。その反応は、たとえ口では何も言わなかったとしても、事実を物語っていた。アッシュは死んだのだという事実を。
「……どうして分かったんだ?」
「ただ何となく、あいつの気配を感じたんだ。そうか、やっぱりそうなっちまったのか。あの馬鹿は自分を貫き通したんだな」
「どうして!どうしてみんな死に急いでしまうのですか!生きてさえいればいつかきっと―――」
「黙りなさい、ナタリア。それは彼らと、それにアッシュに対する侮辱です」
「大佐……」
取り乱すナタリアを諌めたのは、なんとジェイドだった。誰かのために怒れる、それはかつてからしたら考えられないような出来事。この旅路で育んだ成長の証だ。
「いつだって、ひな鳥の巣立ちは複雑な気分だよ」
「生憎、私にはあなたのように教官職は向いていませんので、その気持ちは分かりませんが」
「退役後でもいいから、一度やってみるといい。今のあんたならきっとうまくいくさ、ジェイド」
唐突に僕の口から出た、自らの名前。それに込められた意味を、聡明なジェイドは寸分の狂いもなく理解する。
「そう、でしたか。人のことを散々に言っておいて、あなたの方が余程人が悪いではありませんか」
「使い古された言葉だけどな、人に言われてそうなるようじゃ意味がない。覚えておくといい」
「ええ、確かに。こんな時に言うのも場違いですが、ありがとうございます。欲を言えば、一度あなたとは肩を並べてみたかったですね」
「冗談。あんたがいれば僕なんかいらないだろ」
緊迫した雰囲気は変わらないし、相対している事実も変わらない。それでも、敵に塩を送ってしまうのは、僕が異常なのだろう。
「……ジゼル」
「ああ」
僕の言葉に一歩後ろに控えていたリグレットが前に出る。それに呼応するようにティアも歩を進めた。
「教官……。教官も星の記憶は消し去るべきだと言うんですか?」
「もちろんだ。星の記憶が人の未来を決定するのなら、人の意思は何のためにある?私は、私の感情が星の記憶に踊らされているなど、絶対に認めない。人の意思は、人にゆだねられているべきだ」
「そのために……オリジナルの世界が消滅しても、ですか」
辺りに響くのは二人の声だけ。それ以外の全員は、その小さな背中を固唾をのんで見守っている。
「そうだ。事は一刻を争う。躊躇いは即、全ての滅びへと繋がりかねない。誰かがやらなくてはならない」
「オリジナルの世界に、教官はほんの少しの未練もないんですか!あなたにとって、大切なものは何一つ残っていないんですか!」
「……一つの未練もないものなど、恐らくいないだろう。人は必ず何かに執着する。私が、私を再び立ち上がらせて前に進む力をくれたトリスタンに傅いているようにな」
そこまでで言葉を切ると、ちらりと僕を見て微笑みかける。
「ティア、最後の教えを授けよう」
これで話は終わりだとばかりにその双銃を抜き放つ。
「人は……誰かの為でなくてはその命を懸けられない。少なくとも、私はそう。私は、愛した人の為にこの命を使いたいと思った。それが私の意思」
そうして師弟は会話の幕をおろし、今度こそ戦闘へと移行する。
「ジゼル。ロックの解除を」
「了解した。さあ、起きろ。『イズー』!」
その言葉に呼応したのは『フェイルノート』。七枚目の羽根が光り輝き、僕の体から、譜力があふれる。ロックの解除も施行もリグレットにしかできないという、少々歪かもしれないが最上の信頼の形だ。
「前回はふがいない負け方をしたが、これでその心配はないね。この状態なら三日くらい撃ち続けることもできるよ」
「……あんたホントに人間か?」
「その意見には大変同感です。しかし、やることに変わりはないでしょう」
「そうだ……俺たちはそのためにここまで来た!」
「そうこなくっちゃな!」
長い階段を駆け上がり、僕とリグレットの元へと来たルークたちを出迎えるように眼光が射抜く。
「挨拶代わりだ。受けきって見せろよ」
合図は『フェイルノート』の一時収納。僕とリグレットは同時に駆け出し、それぞれ標的へと向かう。一番厄介なジェイドを筆頭に、ナタリア、アニスが僕の獲物。
「これ以上は!」
「通しませんわ!」
ジェイドへと一直線で向かう僕へ無数の矢と、その間を縫うように動くアニスの人形が迫る。そう来るのならば、同じ土俵で返り討ちにしてこそ意味があるというもの、受けて立とう。
「『イゾルデ』」
その言葉により現れた球体は七つ。新たにロック解除により使用可能となった第七音素の球体が増えている。七つ出しての戦闘は、正真正銘これが初めてだが不思議と違和感はないようだ。
「爪竜烈濤打!」
ナタリアに警戒を注ぎつつ、アニスから放たれた一撃を受け流す。流れるような連打の一つ一つを丁寧に払い、最後の一撃を力強く弾いて隙を作った。もちろん大技を打ち込むブラフである。しかし、罠だと分かっていても対応せざるおえない。僕の放つ大技は、かすっただけで致命傷の恐れすらあるからだ。
「はうあ!?まじやばっ!」
「エレメントゥム」
「スターストローク!」
溜めの段階があると看過したナタリアが、刹那と待たずに飛び上がり矢を放つ。僕を穿とうとする正確無比な軌道。しかし、それは僕にとっては容易に予測できる軌道でもある。
「ソール―――」
「させませんよ」
ああ、分かっていたよ。あんたはいつだって最善のタイミングで仕掛けてくるんだ。音もなく眼前に迫っていたのは、ジェイドの投擲した槍だった。寸分たがえることもなくピタリと額に狙いを定められている。
「『ルーメン』」
光球が槍を弾きその進行を妨げ、同時に膨張、破裂した。太陽と比べてもなお強烈な光が包む。
「パルウム」
収束した第二から第五までの音素を、おおよそジェイドがいたであろう方向に発射する。それで十分。放たれた小型の太陽から放たれる熱線は、咄嗟に防げるほどに生易しくはない、はずだった。
「相手の技を完全に破るというのは、存外に気分のいいものですね」
「……天才め」
「お褒めにあずかり光栄です」
口元に笑みをたたえながら出てきたジェイド。僕の狙撃が神業と言われるならば、こいつが今しがたやったことも、間違いなくその域に達しているだろう。
「技を盗まれただなんて、そういうのは武術の話だと思ってたんだけどな」
「あなたの技を防ぐには、相殺する以外にいい案を思いつかなかったもので」
「それをいい案だと真面目に言えるのはあんたぐらいだ」
やはり、厄介だ。間違いなくこのパーティの中核はジェイド。援護、攻撃、防御。回復を除いた全てをこなすオールラウンダー。さらに、初見なはずの僕の技を完全にコピーし相殺させるほどの天才。
「『ソヌス』!」
反応を示したのは第七音素の球体。発した命令通りに僕の体の芯を打ち抜き、そのまま離脱させる。
「ジゼル!援護に回る!」
「了解した」
七つの球体をリグレットの元へと送り込み。僕は『フェイルノート』を展開して真上に向けた。
「ファクス・カエレスティス!」
極大の光球が打ち上げられ、遥か上空で無数に分裂し星となって降り注ぐその中で、唯一リグレットだけが自由に動く。その身の周りに七つの球体を従えて、まるで踊るように優雅に舞っている。もちろん、球体を操作しているのは僕だが、そう思わせないほどに完璧だ。
「一気に決めさせてもらおう」
リグレットが無作為にばらまいた弾丸の一つ一つが、以前とは比べ物にならないほどに威力を上げる。彼女の周りを浮遊する球体を通過した弾丸が、それぞれ通過した球体の特性を得るのだ。その威力はまさに魔弾と言うにふさわしい。
「みなさん。少し時間を稼いでください!」
「ジゼル!何が来ても防いでみせる!安心して叩き潰してくれ!」
降り注ぐ光の中でしっかりと、間には何も存在しないかのようにジェイドと視線がぶつかる。互いにやってみろと言わんばかりの表情。
「ふふ。信頼には答えなくてはな」
褒めてもらった子供の様に嬉しそうに、そう呟くリグレット。音を立てて構え直した銃にも譜力がこもるのが見て取れる。
「そちらの対抗策が発動する前に、決着を付けさせてもらう」
今も降り注ぐ流星をかろうじて防いでいるルークたちにとっては、死刑宣告も等しい一言。その双銃から吐き出される手数のすべてが、トリスタンの一撃に匹敵するのだから悪夢と言っていいだろう。
「ティア、ナタリア!協力してくれ。三人の全力をぶつけてジェイドの策まで凌ぐ!」
「分かりましたわ!」
「こっちも準備オーケーよ!」
ガイの提案に一も二もなく乗っかると決めたティアとナタリア。防御にルークの全力を使って消耗させるのは愚策。それが全員の意思だった。
「光の欠片よ、敵を討て」
「譜の欠片よ、私の意思に従い、力となりなさい!」
「神速の斬り、見切れるか?」
「穢れなき風、我に仇なす者を包み込まん」
三人の間に極限まで緊張が高まり、その一瞬を決して逃すまいと張り詰める。タイミングを逃したら全員お陀仏間違いないだろう。
「プリズム・バレット!」
ただの弾丸の一発が、降り注ぐ流星と比べても遜色ない威力へと変貌する。
「閃覇…瞬連刃!」
「イノセント・シャイン!」
ティアの作り出した光により減衰された弾丸を、ガイの剣閃が撃ち落としていく。
「ナタリア!」
「ノーブル・ロアー!」
最後に双銃から繰り出された七色のレーザーを、ナタリアの全力を持って迎撃する。明らかに力負けをしているが、それでも僅かにレーザーの進行方向を狂わせ、被害はガイたち三人の疲弊のみに収まった。
「無数の流星よ、彼の地より来たれ!」
「くっ……!」
時間切れだ。ジェイドの準備が整い動き出す。紡がれる詠唱から感じる力からは、僕が放つ流星と似通ったものだということが分かる。
「メテオスォーム!」
虚空より現れるのは隕石の群。数では劣るそれらだが、僕の流星を確実に相殺していく。
「はっ!あんた本当に性格悪いな!」
「先ほど申し上げたじゃありませんか。相殺くらいしか思いつきませんでした、とね」
ルークたちの動きに制限がなくなった以上、リグレットは一人で五人を相手にしなければならない。波状攻撃によりリグレットは常に気を張らなければならないという事。今は持っているが、長引けば流石に不利になるだろう。
「荒れ狂う殺劇の宴!」
ああ、ほら。やはり決めに来た。見逃すほど甘くないのも分かっていた。
「ジゼル、ここは僕が。君はいったん下がって準備して。最後の奥の手を切る」
「……了解した」
再び『フェイルノート』を収納。『イゾルデ』は準備のためリグレットの元へ。よって、僕は培った技量のみで暴風のような連撃を乗り切らなければならない。過去類を見ないほどに感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。思考だけが加速したように、目に映る景色はスローになった。
「殺劇舞荒拳!」
後だしで繰り出しているはずの僕の連撃は、あまりにも早い反応速度のせいでラグを認識できない。かつて、アッシュとルークが同じ技をぶつけ合った時の様に、鏡写しな僕とアニス。
「教官越えはならずだな、アニス!」
「やっぱり謡将ってばバケモノ過ぎですう!」
襲い掛かる爪を凌ぎ切ると同時に、背後から僕の心臓を虹色の剣が貫いた。
「……いいタイミングだ」
「こういうのは、これっきりにしてほしいものだな。最悪な感触だ」
一瞬唖然とするルークたちだが、すぐにそれを押しとどめて僕から距離を取る。異様な行為だが、必ず何らかの意味があるはずだ。人として、敵として、ある種の信頼のような直感がルークたちを突き動かていた。
「ぐっ……!」
ドクン、と心臓が鳴る。この場の全員に聞こえるのではないか、と言うほどに大きな音だ。虹の剣は僕の体内へと吸収され、力の奔流が荒れ狂う。血管は避け、血飛沫は天高くまで巻き上げられ、ほとばしる譜力により空中で静止した。
「これが……、間違いなく、僕の全力だ」
あふれ出る圧倒的な威圧感とは似つかわしくない、息も絶え絶えな僕の声。
「本当に感服するよ。アンタと知り合えたのは、きっと俺にとってかけがえのない財産になる」
なにか神聖なものを見るような目で全員が僕を見つめる中、口火を切ったのは、ガイだ。敵意は薄れ、敬服の念に満ちた目をしている。
「ええ、わたくしも光栄に思います。理想は違えど、その在り方は確かに偉大と呼ぶにふさわしいものですわ」
続いたのはナタリア。いつか、自分もその域へと行けるのだろうか。そんな羨望に満ちた目を。
「私は……助けられてばっかで、まだ何も返せてないけど。謡将が私にしてくれたように、誰かを導けるようになりたいです!」
涙を流しながらも、輝くような笑顔をしたのはアニス。その目から伝わるのは、強い感謝。
「多くを語るのは野暮ですね。私からは一言。あなたは、私を第二の恩師と言ってもいいほどに導いてくれました。ありがとうございます」
いつもの皮肉は成りを潜め、初めてかもしれない感謝の言葉を述べるジェイド。深い親愛の情をその目に込めて。
「きっと、教官の気持ちも謡将の気持ちも、今の私のは完全に理解できてはいないと思います。それでも……私はあなたたちの教え子で良かった。そう思います」
訓練の時を思い出すような凛とした表情。その双眸にありったけの慈愛を携えてティアは言う。そして―――
「俺は……レプリカで、だけどそんな俺を誰よりも信じてくれてたのは、きっとあなたなんだと思う。本当に大事なことは、自分の意思なんだと俺に教えてくれた。それに報いるために俺は……俺はあなたを倒して先に進みます!」
剣を構え、言い放ったルークの瞳にはこの上なく強い意志。見入ってしまいそうなほどに美しい。
「ジゼル。これで最後だ。存分に踊ろうか」
「ああ。お前の望むままに」
膨大な譜力のほとんどをつぎ込んだ一撃を、上空へと打ち上げる。
「『イゾルデ』の生み出す球体は、僕の弾丸と同じものなんだ」
無数にはじけた弾丸は、未だに浮遊し続けている血飛沫と同じように、ピタリと静止する。目は真っ赤に充血し、全身から吹き出る血はさらに勢いを増していく。
「さあ、終幕の始まりだ」
まるでタクトを振るように『フェイルノート』を振り翳し、呼応して幾千の流星は軌道を変える。それは、魔弾と言う名の舞台だった。全身を蝕む痛みを意に介さず、数えきれない弾丸全てを手足の様に操っている。星々は、ルークたち全員から決められた行動以外の選択肢を奪っていく。
「主役は彼女で、脚本は僕。誰一人として邪魔することは許さない」
幾度となくリグレットの銃弾が掠め、次第に理解が追いつく。舞うようにその双銃をうならせているリグレットだが、狙いを付けていない。どこも狙っていない以上、どこを防御すればいいのかを読むことが出来ないのだ。
「脚本とはよく言ったものですね……っ!」
縦横無尽に襲い掛かる流星を自分たちがかろうじて回避し、安全地帯だと思っていたそのスペースは、リグレットの攻撃範囲に収まっている。つまり、本当に彼女は踊っているだけで、その弾丸は敵に確実に当たるのだ。どれほどに心を通わせていればそのような事が可能なのか見当もつかないし、それが自分たちに可能だなどと露ほども考えられなかった。
「撃てば当たる状況を強制的に作り出す。それが魔弾と呼ばれるに足る私たちの最後の切り札だ。私たちの思いも、絆も、この命さえも乗せた」
彼女と共に戦える。それはなんと誇らしいのか。出来るのならば、永遠に続けていたい。しかし、舞台である以上、やはり幕引きは絶対なのだ。
「ぐっ……!」
異常な負荷に耐え切れなくなった体がついに限界を超える。口からおびただしい量の血をまき散らし、血涙が流れ出した。
「トリスタン……!」
何秒なのか、何分なのか。いったいどれだけの時間が経ったのかすらはっきりしない。だが、リグレットも相手もまだ止まっていないのだ。ならば、僕もまだ倒れる訳にはいかないだろう。
「ジゼル。最後の閉めだ。あと少しだけ力を貸してくれ」
「ああ……、ああ!元より言われるまでもなく、私はお前と共にある!」
もはや目はかすみ、良くは見えないが、きっと彼女は微笑んでくれているのだろう。それだけで、僕は頑張れる。
「万雷の喝采をここに!」
その言葉を合図に、リグレットは僕の隣へ。空巡る無数の星々は再び収束し、僕たち二人の前に還る。出来上がったのは、金色に輝く一本の矢と、それを打ち出すための竪琴を模した形の弓。
「プラウディテ・アクタ・エスト・ファーブラ!」
二人の声が重なり合い放たれたその矢は、余力の一滴さえも残さずつぎ込んだ、名前の通りに終幕の一矢。
「響け、集え!全てを滅する刃と化せ!」
そして、ああやはり、彼らは真正面から受けて立つ。
「ロスト・フォン・ドライブ!」
拮抗は一瞬。互いに食い合うようにぶつかったそれらだが、僅かに勝っていたのは、ルークの放った光の剣の方だった。とはいえ、こちらへ届く前に消滅してしまうほどに紙一重の差であったが。
「まさか……、出力勝負で負けるとは……思わなかったな」
閃光が過ぎ去り、先ほどの射撃ですでに力を使い果たして昏倒したリグレットを抱きかかえながら言う。
「さっきのあれは、アッシュが力を貸したのか……?」
「ああ。俺の……俺の中にいるアッシュがくれた力だ」
「そうか……。機械仕掛けの神は君たちを主役に選んだのか…………」
意識が遠のく。
「後は……任せたぞ、ヴァン」
最後の力を振り絞って、僕は全てをヴァンへと託した。きっと聞こえていると、答えてくれると信じて。
・・・
有り得ないはずの夢を見た。僕が壊したあの村で、祝杯を挙げる夢。シンクとアッシュは仏頂面で、ディストはそんな二人をからかって。アリエッタがヴァンとラルゴに遊んでもらって、そんな様子を僕とリグレットが見守っている。なんて、優しい夢。
「トリスタン」
何の前触れもなく、アッシュが僕の名前を呼ぶ。
「俺は……お前とは別の道を選んだ」
世界は止まり、動くものは僕とアッシュだけ。
「それでも俺は、お前が夢見たこの空間は嫌いじゃなかった」
うっすらと体が透けていく。これでお別れなのだと分かってしまう。
「さよならだ」
「待っ――」
伸ばした手はなのも掴むことは叶わずに空を切る。
「ふむ。次は私の番と言う事か」
「……ヴァン」
「すまない……。お前の想像の通りだ。私は勝てなかった」
沈痛な面持ちのまま目を伏せる。
「何故、別れの言葉を言う時間が与えられたのかは見当もつかない。もしかしたら、私は私を模倣しただけのお前の夢なのかもしれん」
「だとしたら、謝るのは僕の方だな。心の底では計画の失敗を信じてたなんてのは、笑えないぞ」
「そうか……そうだな。まったくもってふがいない。これではルークの事をレプリカなどど呼んでいた自分が滑稽に思えてならん」
欠けた楽園はすでに消え去り、真っ黒な空間に残ったのは僕とヴァンの二人だけ。
「一足先に逝って待ってな。きっとそう時間を掛けずに後を追うことになる」
「やはりお前は暗躍に向かんようだな」
「なんだと?」
「時間切れだ。お前は死ぬべきではないよ、トリスタン。お前に出会えたのは、私の人生の中で、最後の幸運だった」
何かを聞こうと口を開くが、声が出ない。手も足も真っ黒に染まり、だんだんと境目が分からなくなって――
「泣かないでくれ、トリスタン……」
ああ。やはり夢だった。目を開くと、愛しい人が心配そうに顔を歪めている。
「夢を……夢を見たんだ……。アッシュとヴァンの奴がさ、律儀にお別れを……だから僕は……僕はっ」
ポタポタと頬を伝った涙が落ちた。そんな僕をリグレットは何も言わずに抱きしめてくれる。
「大丈夫。私はお前を死なせたりはしない。だから今は、少しだけ休みなさい」
再び意識が遠のいていく直前、慈愛に満ちたリグレットの声を聞いた気がした。
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エピローグ
その日は暑い日だった。太陽が燦々と輝くグランコクマ。その城にある独房で、トリスタンは刑の執行を待っていた。文面はこうだ。『権力を傘に世界を滅亡へと追いやろうとした大罪人』。僕の要求そのままにしてくれたのは、ピオニーの温情なのだろう。これで、僕以下の階級の奴らは、無罪放免などとうまいことはいかないが、命だけは助かる。そう言う契約。
「お久しぶりですね」
誰一人寄り付かないはずの牢獄に、声が響く。
「あんたたちも忙しいはずだと思ったんだけどな」
「あなたが処刑されるだなんて聞いて黙っていられるほど、私たちは恩知らずではないという事ですよ」
視線を上げると、そこにはルークを除いた五人の顔。
「ピオニーを怒ってやるなよ。この契約は、脅しで無理やり結ばせたんだ」
「それで、納得しろって?随分と安く見られたもんだぜ」
口調が刺々しいのはガイだけじゃない。多かれ少なかれ、僕の置かれた現状に怒りを感じているようだ。
「あなたは、それで満足できますの……?」
「心の底から満足出来る奴なんか、きっといないよ。でも、僕は託したから、託すことが出来たから。これ以上を望むのはきっと罰が当たってしまう」
「罰が当たったっていいじゃんよ!私……まだ、ちゃんとお礼もしてないよぉ……」
アニスは鉄格子を両手でつかみながら、崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。頭をなでるために手を伸ばそうとするが、重しのせいで動かすことが出来ない。
「あなたもルークも勝手だわ。残された人たちはこんなにも苦しいって言うのに……」
声音こそ冷静そのものだが、かすかに手が震えている。本当に優しい子だ。リグレットが自慢するのも頷ける。
「あんたたちは僕が認めた後続だ。世界を頼む」
「……意思は固いようですね」
無言のままに目で答える。此度は敗残兵と言えど、その心は折れていない。僕は、目の前の語民を含む僕の教え子や同士を世に残せた。ならばいい。まだ負けてないと胸を張って言おう。
「ここは一度引きましょう。ですが覚えておいてください。常識が壊れ、新たにスタートしなければならない今こそ、あなたのような人が必要なのです」
そう言い残し、ジェイドたちは去って行く。薄暗い牢獄にほんの少しだけ暖かい光がさした気がした。
・・・
数日後、再び僕への訪問があった。
「今度は君か。こんなとこ見られたら大変だろうに……」
「問題ありませんよ。ボクはすでに導師じゃありませんから」
どういう経緯でここにいるのか、それは十中八九ジェイドの仕業だろう。そもそも、あの村にいて情報が入るとも思えないし。
「不思議と懐かしいですね。あなたがボクをボクにしてくれてから、まだそれほど時間が経っていないというのに。世界が―――」
「世界がこんなにも輝いて見えるからでしょうか?」
「……ええ、そうです。ボクは分かりやすかったですか?」
「いや。僕もそれを知ってるだけさ。だからこそ、命を掛けてまでそれを目指したんだ……」
近いようで、その実果てしなく遠い。予言を知ったその日から、僕の内より失われてしまったもの。
「そう、ですか。ああ、これがそうなのですね。思った通りだ。あなたの目指した理想はこんなにも暖かい。流石はボクの友達です」
「なかなか言うようになったじゃないか、イオン」
「あなたのおかげですよ、トリスタン。鳥籠の中で朽ちるしかなかったボクに、あなたは生きる意味を教えてくれた。感謝してもしきれません」
ついつい魅入ってしまいそうな微笑みは、その深い慈愛の表れ。一枚の絵画に収めておきたいほどに素晴らしい。
「ボクはこれから少しでも多くの人々に、あなたの理想を知ってもらえるようにするつもりです」
「……イオン、それは――」
「止めようとしても無駄ですよ。ボクはあなたがボクにしてくれたように、死ぬしかないあなたを解き放ちましょう」
まただ。冷たいはずの牢獄が、また少しだけ暖かく感じる。
「実はボク、欲張りなんですよ。友達がいなくなるだなんて、そんなの嫌なんです」
目尻いっぱいの涙をたたえながら、イオンは牢獄を後にした。
・・・
「ですから、私は薔薇だと何度言っても広まらないのは……ちょっと、私の話を聞いているのですか、トリスタン!」
「はいはい、分かってるって。ジェイドが悪いジェイドが悪い」
「そうです!あの陰険ロン毛眼鏡は、盟友である私を在ろうことか投獄するなど。ぐぬぬ、思い返すだけではらわたが煮えくり返りそうですよ!」
そういう訳で、今日の本問者はディストだ。レプリカネビリムの一件の際に捕まり、そのまま投獄されてしまったらしい。何故、投獄されているのにここにいるのかは一向に謎なのだが。
「ふむ。まあ、その話は少し置いておきましょうか」
「そうしてくれると大いに助かる」
一対一で延々と愚痴を聞かされるのは精神衛生上、非常によくない。特に、文字通り手も足も出ない現状では武力によるストップも出来ないので、正直言って地獄だ。勘弁してください。
「なんか引っかかる言い方ですが、まあいいでしょう。それでは一通目。これはタトリン夫妻からですね。要約するとありがとうございましたと書いてあります。続いて二通目は――」
「待て待て待て待て。なんだそれは。手紙の要約とか初めて聞いたぞ」
「そうですか?私は手紙など嗜みませんので分かりませんが」
要約したらありがとうだけになる手紙もアレだが、ディストの方もなかなかに残念だった。こいつ、手紙貰ったことないのか……。
「しかし、そうなると全部読み上げるのは骨が折れそうですね。導師守護役だけでも約三十通ありますし」
「それは破棄していいぞ。あいつら昨日ここに来た」
ついでに言えば騒ぐだけ騒いで帰って行き、挙句の果てに史上初の牢獄出入り禁止を食らったらしい。僕はどこで指導を間違えてしまったのだろうか。
「では、次はアリエッタからの手紙ですね。えー、『トリスタンへ。アリエッタは元気です。今は、ライガママたちやイオン様と一緒に、リオネスの村で過ごしています。たまに訪ねてくるアニスが邪魔だけど、イオン様が喜ぶので我慢することにしました。今日は暖かくて気持ちがいいです。いつかまた、トリスタンと――』…………」
「どうした、ディスト?」
「……いえ。あなたは自分の価値についてもっとよく知るべきでしょうね」
そう言って眼前に突き付けられた手紙は、途中から滲んで読めなくなっていた。こんなものを見せられては馬鹿でも分かる。
「なあ、ディスト。僕の選択は間違ってるのかな……?」
「凡夫を何人導いただとか、私はそんなものに興味はありません。ですが、あなたは死ぬべきではないとは思いますよ」
「……そう、か」
かつて全てを失った時の、あの牢獄とはまるで違う。毎日のように誰かが訪ねてくる。毎日のように手紙が届く。毎日のように、心が温かくなる。それらは、僕があの日から手に入れた何かが、確実にあったのだと教えてくれた。
・・・
カツン、カツンと、誰もが寝静まったような夜遅くに足音が響く。未だ姿は見えないが、僕にはなんとなく見当が付いていた。
「まさか、皇帝陛下がお忍びで会いに来るとはね」
「悪いな。これでも体面上囚人と会うのはあまり良くないんだ」
「それもそうか」
月明かりに照らされてようやく顔を見せたピオニーは、いつも通りに不敵に笑っていた。
「それで。あんたが来たってことは、日取りが決まったって事でいいのかな?」
「俺は、一国の皇帝としてお前を殺さねばならん」
会話がかみ合っていない、と言うよりも、ピオニーが強引に話の流れをぶった切った。口元には変わらず笑みこそ湛えているが、その目は真剣そのものだ。
「俺とネフリーの事は知っているだろう。予言によって引き裂かれた悲恋、まあ、よくあるありきたりな話だ」
かつて、ピオニーはジェイドの妹であるネフリーと言う女性と恋仲だった。しかし、予言は時期皇帝にピオニーを選び、その身分の差などから破局を余儀なくされたのだ。
「あの時、予言は俺にとっても絶対で、それが普通なんだと思ってた。だから、これはしょうがないことなのだと諦めた。その結果が未練たらたらで未だに一人身なんかやってるこの様だ」
表情から余裕が消え、本当に素顔のまま独白を続ける。
「前にお前のことを英雄と称したのを覚えてるか?」
「……ああ」
「あれは半分以上本音だった。予言に抗う事も、たった一人の惚れた女ために命を懸けるのも、俺には出来なかったことだ。絵本を読む子供のように、俺は心底お前に憧れていたんだよ」
信じられないような言葉が牢獄に響く。今までそんなそぶり見せたこともなかったのに、その目から伝わる憧憬の光が、嘘をついてるとは微塵も思わせなかった。
「だからこそ、俺はお前の意思を尊重する」
そう言って、いつの間にか戻ってきていた余裕のある笑みを浮かべると、踵を返して牢獄から出て行った。
「……まったく。俺の知り合いには優しい人が多過ぎる」
今も僕を照らす月明かりを見上げながら、僕は穏やかに呟いた。
・・・
そうしてとうとうその日が来た。
「トリスタン・ゴットフリート。前へ出ろ」
衛兵の指示に従い、観衆の中心にそびえる処刑台へと昇る。酷く緩慢な動きは、未だにエルドラントの時の無茶が癒えていないことと、この光景を目に焼き付けているからだ。見知った顔も多くあり、その全てが涙を流してくれている。他でもない僕のために。ギシギシと軋む木の段差を上り終えると、そこにはやはり、一番会いたかった人がいて。
「暫く見ないうちに少しやつれたな、トリスタン」
「君は相変わらず綺麗だな、ジゼル」
数えきれないほど大勢の前で堂々と、トリスタンの私室で話すように何の気負いもなく言葉を交わす。何十、いや百は越えていようか。数えるのもおっくうなほどの人が集うこの場所から、僕とリグレットの会話以外の音が消える。
「なんだろうな。いろいろ言いたいことがあったはずなのに、上手く言葉が出てこないや」
「私もだ。会えてうれしいだとか、そんな断片的な言葉しか思いつかない。この胸を満たす感情を、余すことなくお前に伝えたいというのにな」
処刑台の上で語らう二人はあまりにも場違いで、現実味がないというのに、その光景は人々の心を震わせた。
「初めて会ってから、三年くらいか。あの時は、こんな関係になるだなんて思ってもみなかった」
「そうだな……。あの時の私は、お前を敵としてしか見ていなかった。そうすることで自分を保っていたんだ。だが、お前はそんな私を孤独から救い上げてくれた」
「それは僕の方も同じさ。君がいなければ今の僕は存在しないだろう」
出会いから現在までをなぞるように語る。その一つ一つがかけがえのないものだから――ああ、僕が選ぶべきは。
「あの牢獄にいる間に、たくさんの人とたくさんの事を話したよ」
「そのようだな。ほんの少し、顔つきが和らいだように感じる」
「僕は選んだ。頼んでいいかな?」
軽い用事を頼むように、何処までも平静な声で僕は言った。
「お前ならばそうしてくれると信じていたよ、トリスタン」
そうして、リグレットはその双銃を構え――
「愛している」
僕にしか聞こえないような声でそう呟くと引き金を引いた。耳をつんざく銃声が響き、僕は遠くなる意識の中、僕は彼女の微笑みを見た。
・・・
あの時の夢の続きを見ていた。真っ黒になり、自分とその他の区別のつかなくなる夢。アッシュやヴァンに別れを告げられた後、起きるまでの刹那に見た暗闇。
「アリエッタ。そ――私の場所で―。離れ――い」
「いや――。リグレット―――も一緒だもん。今日―アリエッタがも―――す!」
声が響く。
「や――れ、気持ちは――――でもな――少々大人気ないぞ、リグレット」
「そう言ってくれるな。トリスタンが目を覚―――時、一番最――見るのは私であって―――んだ」
「あなた。なんだか――が変わってませんか?」
初めはところどころ欠落していたが、段々はっきりと聞こえるようになっていく。
「なるほど、これが噂に聞く修羅場と言うやつですね!」
「……こんなのがボクと同じオリジナルから出来たと思うと、頭が痛いね」
賑やかな喧騒に押されるように、急速に世界が色づいていく。
「今回は譲らないぞ。返事を聞くのが待ち遠しいんだ。ようやく……ようやく心を決めてくれたようだからな―――だから、そろそろ起きたらどうだ、トリスタン」
「碌な治療もしないで牢獄に入ったんで、まだ体中ボロボロなんだ」
ゆっくりと目を開く。日差しが眩しく目に染みるが、そんな事よりも一刻も早くその光景を見たいという強い思いに突き動かされる。なにより、これは夢ではないのだという実感が欲しかったのだ。
「トリスタン!」
必死の思いで上体を起こした僕を目掛けてアリエッタが飛びついてくる。全身が悲鳴を上げるが、それでも負の感情など一片たりとも持たなかった。
「心配をかけたね」
「本当です!でも……ちゃんと帰ってきてくれたから、撫でるだけで許してあげます」
「それはありがたい」
そう言って膝の上に乗っかってきたアリエッタの頭を、要望通りに撫でてやる。
「一応大体の経緯は理解してるつもりなんだけど、説明を頼んでもいいかな?」
「そうですね。いったいどこから話せばいいものか……。シンクとラルゴがエルドラントからあなたを運び出した後、あなたは自発的にピオニーに捕まりました。ですが、その時にはすでに、こうできるように下準備はしていたんですよ」
そうなのか、と視線をラルゴに送ると、ラルゴは目でリグレットに聞けと促してきた。
「私は、大切なものを二度失ってしまうほどに愚か者ではないということだ」
厳しい口調とは裏腹に、その声と表情はとても優しい。
「その後は―――」
「その後はアンタも知っての通りさ。トリスタン・ゴットフリートは死んだ、大勢の前で銃殺されてね。そういうシナリオの茶番を打ったんだよ」
ディストの言葉を遮って、シンクが説明を始める。
「モースは死んだ。ヴァンも死んだ。元導師様にはアンタとの約束で手を出せない。予言が滅亡をもたらすと知った今、現存する教団員で最も多くを知っているアンタは貴重な存在。そう言ってリグレットが契約を取り付けておいたのさ」
ああ、なるほど。だからピオニーの奴は僕とリグレットの関係を知っていたのか。
「その契約の―――」
「その契約の内容と言うのがな、ピオニー六世の直属として身を粉にすることなのだ。幸い、お前をいう存在が予言に対する警鐘となってくれていたようで、交渉は滞りなく結ばれた」
またも遮られるディストの声。今度はラルゴが口を開いた。
「第七音素を消すことはもはや叶わん願いだ。が、それで諦めきれるほど俺の願いは安くはない。この世界を滅ぼそうとした我々がこの世界を救うために動くというのは実に滑稽だが、予言の成就を防ぐ可能性になるのなら、それもまた一興だと思わんか?」
これは、ルークが示してくれた奇跡。あいつは世界だけではなく、予言は覆らないと絶望していた僕たちを引き上げてくれた。ならば報いなければならないだろう。
「それでですね―――……それでですね。差し当たってすべきことは二つ。これからの方針を考える事。それと、トリスタン、リグレット、それとシンクにラルゴの四人は新しい名前が必要ですかね」
台詞を取られるのを見越して言葉を切ったが、そういう時に限って誰も口を挟んでこない。余程恥ずかしかったのか、顔が赤くなっている。
「聞いて下さい、トリスタン。シンクなんかイゾルデにしようとしてたんですよ!女性名詞なので流石に止めましたけど」
「……一遍アンタとはきっちり話をしなくちゃいけないと思ってたんだ。表にでなよ、七番目」
「……シンク。照れてる……?」
とても珍しいものをみたというように目を見開いて、アリエッタが言う。
「シンクは放っておくとして、俺とリグレットは元より偽名。問題はお前だな。何か候補は無いのか?」
「……タントリスとか?」
「もういい、分かった。誰にでも得意不得意はあるからな。後で私と一緒に考えよう」
議論を始めることなく却下されてしまった。同情の視線が痛い。それはそれとして、現状の確認も終わったことだしそろそろ頃合いだろう。
「少しどいてくれるかい、アリエッタ」
「はい!」
元気な返事と共に僕の膝から降りると、次に僕がとる行動を知ってたように手を差し出してくれる。
「ありがとう」
親しみを込めてそう言いながら、小さなその手を取って立ち上がる。手助けはここまで。後は僕一人でやらなければならない。
「ジゼル」
万感の思いを込めてその名前を呼ぶ。予言は絶対ではないと、僕たちは知った。どんなに小さな亀裂だろうが、人はその意志で星の記憶に抗えることを示した。ならば、もう我慢することなどできはしない。
「君に伝えたいことがあるんだ」
一歩、また一歩と彼女に近づいていく。軋む体で鈍重に、それでも歩みを辞めない僕を、何も言わずに見守っていてくれる。いつだって彼女はそうしてくれた。ふがいない僕の隣で、倒れてしまわないように支えてくれた。ああ、こんなにも愛しい。
「僕は君を愛している」
短く、しかしすべての思いを乗せて僕は、彼女の唇に触れるようなキスをした。
「こんなにも嬉しいものなのだな……。他に何もいらないと思えるほどに、幸せだ。ありがとう、トリスタン」
「お礼を言うのは僕の方さ。君がいてくれて、本当に良かった」
流れる涙も、その微笑みも、これまでのどんな時よりも美しい。僕はこの瞬間を、生涯忘れることはないだろう。
「ジゼル。これからもずっと僕を支えてくれるかい?」
「お前がそう望む限り、いつまででもそうしよう」
どんな道を歩んでいくとしても、隣には彼女がいてくれる。それなら僕は大丈夫だ。あの時、あの人たちと共に失った輝きも暖かさも、全部彼女が与えてくれる。
「さあ、手始めに何をしようか」
陽光は僕たちの行く末を祝福するように降り注ぐ。だから今は、少しだけ休憩するとしよう。再び立ち上がり、剣を取るその日まで。なに、今度は予言なんかに負けはしないさ。僕の信じた人の意思は、予言よりも強いと知ることが出来たのだから。
ということで完結です。
最後までお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。
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