西住さんの優しいお兄ちゃん (てきとうあき)
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優しいお兄ちゃん
-1-
武部沙織は片手にスーパーの袋を抱えながら小刻みな弾みのある音を立てて西住みほの住むアパートの階段を駆け上がっていた。
普段からコンビニ弁当だとか沙織からすると余り好ましくない食生活を送る彼女を心配して、今日は栄養と温かみがある手料理を作りにやってきたのだ。
本当なら一緒に帰る予定だったのだが、みほは戦車道の隊長としてまだ作業が残っているらしく、鍵だけ預かって先にお邪魔し下拵えや準備などをしておくつもりであったのだ。
「…あれ?」
しかし、彼女の部屋の前にたどり着き、鍵を差しこんで回すと何やら違和感を感じる。
何度か繰り返すとどうやら最初から鍵が開いていたらしいのだ。
普段からおっちょこちょいな所もあるのは知っていたが、流石に女子高生が部屋の鍵をかけ忘れるのは少々不安だなと微かに笑いながら扉を開けて中に入った。
玄関で靴を脱ぎ、リビングに足を踏み入れた時であった。
「……だ、誰!?」
すると其処には座卓の下に体を潜り込ませてゴロりと寝ている男性の姿があった。
年は沙織よりいくつか上…恐らく20過ぎ位だろう。
浅焼けた肌に刈り込んだ髪型の活動的な様相の男であった。
普段の武部沙織あれば「さっきの人、何だかワイルドで格好良かったねー!」とでも会話の種にしていたであろうが、同性の友人の部屋に見知らぬ男性がいたのであれば警戒と不安を感じるのは当然の事であった。
元から起きていたのか、それとも沙織の声で起きたのか、男性はむくりと上半身を起して佐織の方へと向いた。
上体を起こす事によってその男性の長身長と筋肉質な体型がよく解り、その無地のシャツをもこりと浮きあげている筋肉が目に入ると沙織は無意識に後ずさりをした。
「……君は、ひょっとしてみほの友人かな?」
一体どうすればいいのだろうかと混乱していた沙織に男は静かな優しそうな声を発したのだ。
-2-
「みほのお兄さんですか!?」
「ああ、そうだよ。
驚くのは無理も無いかな?昔からよく僕だけはみほとまほに似ていないと言われるからなぁ。
みほとまほは母さん似だけども僕は父さん似なんだ。
尤も、みほは性格の方は父さん似だけどね」
みほの兄と名乗った男性は照れた笑いを浮かべながら頭の後ろをカリカリと掻いた。
なるほど確かに容姿は沙織の知るみほにもまほにも似ていない。
しかし、何となくその朗らかな動作はみほに通じるものが無い気もしなくは無い。
であればみほの父親もこの様な感じなのだろうと沙織は理解した。
「ところでえーと…君は…その袋は?」
「あ、武部沙織です。
えっとみほに料理を作ってあげようと思って」
沙織は簡単にみほの普段の食生活と自分が料理を作ってあげる経緯を説明した。
話を聞き終わると、彼は徐に鼻頭を押えて静かに泣き出したのだ。
「そうか…良かった。みほにも君みたいな親身になってくれる友人ができたんだな」
それを受けて慌てたのは沙織だ。
自主性を重んじる学園艦にて自分と接するのは同世代で同性の人間が殆どだ。
そもそも家族や教師以外で年上の男性と二人きりで話す機会が無いのだ。
ましてや目の前で泣かれるとあってはともかく困るしかなく、戸惑うしかないのだ。
「みほは内向的で受身な子だから…寂しい思いはしていないかと不安だったんだ…」
しかし、大の男がみっともないだとか恥かしいだとかそういう負の感情は湧いてこなかった。
確かにみほは沙織が話しかけるまでは彼が言う通りで、自ら話しかける事ができず、友達ができなくて困っていたのだから。
もしかしたら自分がいなければ切欠がつかめずに、彼の不安どおりに一人寂しい学園生活送っていたのかもしれない。
目の前で良かったと安心して泣く様子は妹を心の其処から心配している良いお兄ちゃんとしか見えなかったのだ。
「安心してください。みぽりん…あ、えっとみほさんは今ではこの学園艦でも有名人ですし人気者ですし…
皆から好かれています!」
「ああ…聞いているよ。戦車道でこの学園艦を救ったんだってな。
それと、構わないから普段から呼んでいる様に呼んでくれ。
妹があだ名で呼ばれているのも…その安心する。
戦車道を嫌っていたと聞いていたが、今ではまた戦車道を好きになってくれたんだな」
「はい!確かに最初は嫌々だったけれども…私もみぽりんと一緒の戦車に乗っているから解りますけど今は戦車道を楽しんでいます!」
「…君も戦車道をしているのか?
そうか、見えなかったから驚いたよ。
みほは戦車道でも上手くやっているのか…」
「えっと私達あんこうチームって言うんですけど、皆みぽりんが好きですし。
私たちだけじゃなく戦車道全体でもみぽりんは好かれていますし下級生から慕われていますよ」
「そうかぁ…良かった。
本当に良かったなぁ…」
それから二人は様々な話をした。
内容としては彼が日常におけるみほの交友関係を聞き、それを沙織が答えるといったものだ。
秋山優花里という戦車道が大好きでみほに憧れていてまるで可愛い柴犬の様に慕っているだとか。
可愛い一年生のうさぎさんチームに頼れる先輩として懐かれていて、特にリーダーの澤梓には特に尊敬されているだとか。
大洗だけではなく、他校の隊長や生徒もみほを好んでいるだとか。
そういう話をしては一々彼は良かったなぁと零すのだ。
その本当に妹を大事に想っている様子は沙織にますます好感を抱かせた。
「あれ?そういえばこの部屋、鍵はかかってませんでしたか?」
会話が一瞬だけ途切れたので、沙織はふと思い出したように聞いてみた。
と言っても実際には管理人に親族だと話して開けてもらったとかそういうのだと思っていたので本当に疑問に思っていたというよりは、会話を途切れさせない為の話題の一つとしてだしたものだ。
「いや?鍵はかかっていなかったぞ?
だから無用心だなと思ったんだが…そうだ、無用心といえば沙織さんもだぞ」
「え?私もですか?」
「よくよく考えればみほの兄と名乗ったがそれを信用して見ず知らずの男と二人っきりで話していては不味いだろう。
僕が暴漢とかだったらどうするんだ。
沙織さんも可愛い年頃の女の子なんだからもっと用心深くならないと」
「か、可愛い!?
私って可愛いですか!?」
初めて異性に可愛いと褒められた沙織は食らいついた。
いや、今までもそう言われた事もあったが、大半は商店街のおじさんたち…つまり、どちらかというと子供や孫に対するそれであった。
外見も中々整っており、内面も大人の優しさと懐に広さも感じさせるだけあって沙織は今までに無いくらい胸に興奮を抱いてた。
「え?気にするのは其処なのか?
いや、普通に考えて沙織さんは可愛い方だと思うぞ。
それに容姿だけじゃなく友達の為に料理を作ってあげるなんて内面も可愛いと思う」
「やだもー!……可愛いなんて、えへへ」
「いや、えへへじゃなくもっと気をつけないと…」
彼の説教など沙織にはもはや馬耳東風であった。
-3-
「そういえばどうやって学園艦に来たんですか?」
「ああ、僕はちょっと家の仕事の手伝いで海外を飛び回っているんだ。
男だから直接戦車に乗り込んで…といった活動はしないけど他の色々な面では男だってできる事は結構あってね」
なるほど、そういえば日本戦車道連盟の理事長も男性であった。
戦車に乗って試合をするのは女性に限られるが、そういった多方面に対する仕事では男性が活躍する場面も多々あるのだろう。
「海外を飛び回って仕事をしているって…凄い!」
「まぁ主には色んな所に顔を見せて話すだけだけだから大した事はしていないんだけど。
僕の能力というよりは生まれが重要な仕事だし…。
それで日本に帰る機会があって、調べたら偶然この学園艦と近い航路を通る事が解ってね。
それでヘリでお邪魔させてもらったんだ」
そういえばみほからも実家によくヘリで客が来たり、自分もヘリで移動したという話を聞いた事がある。
お金持ちだからか、それとも伝統ある有名な流派の家とはそういうものなのかは解らないが、一般人とはやっぱりスケールが違うなと納得したものだ。
沙織が妙な所で感心しているとふとみほの部屋にあるボコの置時計が目に入った。
「あ、いけない!料理の準備をしないと」
そういうと彼も腕時計を確認してこう言った。
「おっと、もうこんな時間か。
そろそろ僕も行かなくちゃ」
「え?みぽりんに会っていかないんですか?」
「そうしたかったんだけど、予定が詰っていてね。
少しでも会えるかなと思ったけれど、どうやら都合が合わなかったようだね」
そんな折角、お兄さんが心配してきてくれたのに…
そう沙織が残念そうな悲しそうな様子を見せていると、彼がポンと頭に手を載せて軽く撫でた。
「そう悲しそうな顔をしないでくれ。
不安だったけれども君からみほの様子を聞いて安心したし、君がみほの友人である事も本当に嬉しかったよ。
今日は会えなかったけどしばらく日本にはいるしまた会う機会もあるだろうしな」
そう言うと彼は「ありがとう」と「これからもみほの友人でいてくれ」と最後に言い残すと静かに部屋から出て行った。
残された沙織は静かに先ほどまで大きく包み込むような手が置かれていた場所を触り、残された暖かみを感じていた…。
-4-
「あ、おかえり!みぽりん!」
開始が遅れたので下準備だけではなく、料理が完成した所で丁度よくみほが帰ってきた。
外はすっかり暗くなっており、雨が降り出して少々空から音が聞こえてきた頃であった。
突然の悪天候にみほと彼が心配であったが、少なくともみほは本格的に振り出す前に帰ってこれた様で、然程濡れていなかったので沙織は安心した。
「ただいま沙織さん。
わぁ!いい匂い!」
「ほらほら、丁度良くできたから座って座って」
「あ、並べるの手伝うよ」
そうして二人でお皿に盛って、机に並べて二人で「いただきます」をした。
「うん!美味しいよ!沙織さん!」
「ふふふ、今日の私は女子力が高いから!
料理も高まる女子力によって美味しくなってるんだよ!」
「あ、今日は沙織さん凄く機嫌がいいよね。
何か嬉しい事でもあったの?」
「えへへ、実は素敵な出会いがあってね…!」
「沙織さんに!?」
みほは心底驚くように言った。
唯でさえこの学園艦では年頃の男性は少ない。
勿論そういった出会いが皆無な訳ではないが、あの沙織が妄想ではなく実際にそういう機会に恵まれるとは思ってもいなかったのだ。
しかし、彼女にとって大事で大切な友人である。
その友人に素敵な出会いがあったと聞いてみほは嬉しく思ったのだ。
その様子を感じ取ったのか沙織も嬉しくなり、そして少々もったいぶった言い回しをした。
「うふふーーこれもみぽりんが鍵をかけ忘れていたおかげかな?
駄目だよ、みぽりん。女の子の一人暮らしなんだからちゃんと用心しないと」
「―――え?私、鍵かけたけど?」
箸を持ちながら首をかしげて不思議な様子なみほを見て、沙織も首をかしげた。
「かけ忘れたんじゃなくて?」
「ううん、そんな事は絶対に無いよ。
だって私、階段下りてから不安になってわざわざ上りなおして確認したもの」
外では雨がますます強くなってきた。
遠くから聞こえる微かな音は徐々に近づいてきた。
「え?え?だってみぽりんのお兄さんが」
「お兄さん!?私に?
私にお兄ちゃんなんていないよ!」
沙織は先ほどまで話していた男性の事を思い浮かべる。
優しそうな笑顔で、妹に友達ができたと喜んでいた彼の姿を。
「だ、だって…みぽりんのお兄さんだって
海外から帰ってきたって」
「やめてよ!そんな冗談、たちが悪すぎるよ…!
ねぇ沙織さん…さっきから何の話をしているの?」
そんな馬鹿な。
彼は明らかに身内のそれの様な情報を知っていた。
西住家やみほの周囲に関して詳しすぎた。
だから沙織も信用していた。
混乱し、心の其処からなんとも言えぬ恐怖を感じてきた沙織はしどろもどろに今日この部屋で出会った男性について語った。
「知らない…そんな人知らないよ……」
もはや二人とも一切箸は進んでいなかった。
先ほどまで頬を赤く染めていた沙織の顔は今度は真っ青になっていた。
いや、沙織だけではない。
みほも顔から血の気が引き、体を僅かに震わせていた。
思い返せば…その時は気にならなかったがこの部屋に入った時、僅かにベッドの布団が乱れていた気がした。
タンスの引き出しが僅かに開いていた気がした。
洗面室のドアが閉まっていなかった気がした。
畳まれていた洗濯物に乱れがあった気がした
洗おうとしていた食器の内、箸やスプーンといったものが皿の数に対して多くの数がシンクにあった気がした。
―――予想外の沙織だけ先に部屋に入り、そしてみほが何時帰ってくるか不確定だったから…。
もし…もしも、普段どおりにみほだけ帰っていたら……。
色んな事を話してしまった。
みほの普段の生活や交友関係等も。
先ほどまで、暖かみを感じていた頭を撫でられた箇所は、今では何だか粘り気を感じる気がした。
外では勢いを増した雨が窓を大きな音を立てて叩いている。
ピカリと輝いた次の瞬間、大きな音を立ててゴロゴロと雷が鳴った。
-了-
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君は誰と
雰囲気は前話と違ってコミカルほのぼのです
これ以降もまた続くかは未定です。
-1-
「という訳で皆気をつけてねー」
戦車道履修者が集まる前で会長である角谷杏が長い連絡事項を締めくくった。
その言葉だけ見ると何時ものように軽い様に見えるが、その表情は何時にも増して真剣であった。
それは発言者である杏だけの様子ではなかった。
拝聴者達も怖がっていたり、当事者である西住みほの事を心配していたり気遣っていたり、中には怒気すらも見せる者など多種多様であるが、共通項として誰一人とてこの話を軽んじているものはいなかった。
それもそうである。
広大とはいえ海上に浮かぶ閉鎖空間であるこの学園艦に不審者がいる。
それも我等が敬愛すべき隊長である西住みほが被害者とあれば他人事だと構える事のできる者などこの場にいる筈がなかった。
-2-
あれからしばし震えながら抱き合っていた二人は、数分経って我に返ると直ぐに行動を起こした。
と言ってもまだ混乱していたのか、みほが最初に連絡したのは警察ではなく秋山優花里にであった。
敬愛すべきみほから着信が来たからなのか、ワンコールも鳴り終わりすらしない内に優花里が電話に出る。
すると物事を説明すると言う事に関しては(戦車に乗っていない時でも)簡潔明瞭であるみほにしては珍しく要領を得ない会話に優花里は戸惑いを禁じえなかった。
だがそれもみほの「優花里さん助けて!」という言葉にこれは単なる異常事態では済まず、何らかの緊急事態という事を理解するまでの話で、優花里はその頭脳を明敏に働かせ、泣き声すら聞こえてくるみほを宥めすかして状況を聞きだした。
一通り状況を理解すると優花里は珍しく憤りと怒りを感じ、その上でみほの心中を察するとまるで自分の事の様に悲しんだ。
兎も角もみほが今悲しんで怖がっている。
そして自分に助けを求めている。
聞けば警察等に連絡する前にいの一番に自分に連絡してくれたそうだ。
選択としてはまず最初に警察に通報するのが一番正しいのだろう。
だが、それでも優花里は混乱してる時に、つまり無我夢中であった時にあの西住みほが最初に自分を頼ってくれた事が何よりも嬉しかった。
何が何でもこの信頼には応えねばなるまい!
優花里はまず警察に連絡するように言い、そして武部沙織と一緒に家に泊まりに来るように薦めた。
優花里の家は学園艦に家族ごと住居を構えているので成人男性である父親がいるからだ。
そして、こんな時間に外を移動するのは危険だから、警察が来るまでの間に自分が迎えに行くとも言った。
これに仰天したのは電話先のみほである。
一瞬はこの危険な状況に駆けつけてくれようとしてくれた優花里の頼もしさにドキリとしたが、直ぐに冷静になってその行為の危険性に気づいた。
夜に外をみほが出歩くのが危険ならば、優花里が夜に迎えに来てくれるのも同様ではないか。
「駄目だよ!」
反射的に叫んだが優花里も負けじとコレクションから不審者対策となる装備を用意していくし、父親に同伴してもらい車を出してもらうと言った。
それなら確かに危険性はかなり少ない。
しかし、私事で優花里だけではなくその親にまでこんな時間に迷惑をかけるのかと思うと逡巡するのも確かであった。
だが優花里は
「緊急事態ですしそんな事言ってられませんよ。それに父も迷惑だとは思いません」
と押し切った。
実際、幾つかの偶然が重なったから無事なのであって、もし何時も通りみほが一人で帰宅していたらどうなっていた事か。
元々は頭の回転が良く状況分析能力に優れるみほである。
優花里と会話して少しずつだが落ち着きと冷静さを取り戻すと危機的状況にある事と優花里の提案に聞くべき点が多々あるのは認めざるを得ない事であった。
「…ありがとう。でも気をつけてね?」
そう理解するとみほは優花里の提案を受け入れた。
そうして会話が終了すると優花里の行動は機を見るに敏であるという表現そのものであった。
まず下に赴き父である秋山淳五郎に事情を話し車を出してもらうよう願った。
果たして優花里の言う様に淳五郎は快く聞き入れた。
「そ、それは大変だ!急がなきゃ!」
いや、むしろ優花里以上の必死さであったと言えるかもしれない。
何せ家に優花里の友人が初めて尋ねてきた時も混乱しながらも何とか歓迎しようと喜びを露にした程である。
その後も度々家に遊びにくるが、その度にどの子も多種多様ではあるが行儀良く礼儀正しく気持ちの良い子である。
何よりもその子達と娘の優花里は傍目から見ても仲が非常に良い事が解り、優花里が本当に楽しそうなのだ。
そして特に家でこの頃良く学校の事を楽しそうに話してくれる優花里の会話の中で出てくるのが件の西住みほである。
優花里はよく彼女がどれだけ凄いのか、どれだけ尊敬しているのかを話し、そして最後に今の私があるのもこんなに学校が楽しいのも全て西住殿のおかげだと締めくくるのだ。
娘にこんなに明るい笑顔を浮かべさせてくれた彼女に淳五郎は強い感謝を感じていた、
そんな娘の友人が卑劣で凶悪な犯罪者に危うく被害にあったかもしれず、そして今も怯えていると聞けば幾らでも協力を惜しまぬつもりだった。
例え深夜であろうと車を出す程度の事などいくらでもするし、幾らでも家に泊まっていけばいいのだ。
これは話を聞いていた妻である秋山好子も同様であった。
そうして父親に話をつけると準備をしてくると言って優花里は二階の自室に戻った。
他人には一見乱雑に物が積み込まれている様に見えるコレクションが詰まった押入れから目的の物を一切迷うことなく選んで外に出し、手早く着込み装備すると一階に戻って同じく簡単に準備が終っていた父と車に乗り込んだ。
そして優花里達が既に警察が到着しているみほの部屋に到着すると、みほは警察の指導の下で(現場検証をするので動かしてよい物 持っていい物を区別する為)着替えだけを用意した。
部屋にあったものは歯ブラシ等の洗面器具や下着類等をはじめとして多くの物をもう使う気には慣れなかった。
故に必要最低限の物すらも用意できなかったので、途中でコンビニに寄って必要なものを揃えてから優花里の家に向かったのだ。
「いらっしゃい、みほちゃん大丈夫?
怖い思いして可哀相に……もう大丈夫だから安心してね」
家に着き、秋山好子から歓迎と労りの言葉をかけられると今までは努めて平静であろうとしたが、安全地帯に着いたという安心感と好子の優しさがぷつりと張り詰めていたみほの緊張の糸をきらし、力が抜けた様に膝を突くと、疲れと理不尽さと恐怖を外に押し出すように童の様にみほは泣いた。
怖かった……怖かったよお……と泣き続けるみほを好子はもう大丈夫よと繰り返しながらそっと抱いて頭を撫で続けた。
そうして一先ずゆっくりしなさいとお風呂を勧められ、沙織と一緒に暖かい湯船に人心地落ち着いた後に優花里の部屋で3人で寝る事になった。
最初はベッドの他に布団が二枚敷かれ、誰がベッドに寝るかを譲り合い押し付けあったが、しばらくしてからみほの「怖いし寂しいから一緒に寝てほしいな……」の発言からみほを中心に川の字になる事で決着はついた。
自分に抱きつく様に寝るみほに優花里はまともに寝る事ができないまま朝を迎える事になったのは余談である。
ちなみにその反対側ではみほの背中に沙織がくっついていた。
-3-
そういった前日の状況を角谷杏が注意事項として戦車道履修者に伝えられたのだ。
無論、戦車道履修者だけではなく全校生徒にも伝えられているが、まだこの段階では概要だけであり、不審者の背格好等が伝えられて下校の際などは一人にならない様に等の注意喚起が行われているだけであった。
故に戦車道履修者には詳細を伝えておこうという意図の下でこの説明会があったのだ。
……そう、まだ男は捕まっていないのだ。
昨日から依然として航海を続けている学園艦はまだ港に接舷していない。
いや、そもそも接舷してもその出入りは非常に厳しく管理されている。
何せ女子校の学園艦なのだ。
その閉鎖空間に無闇矢鱈に男性を入れるわけには行かない。
無論、巨大な生活空間と社会を維持する為にはどうしても男性が必要になってくる。
だがそれだって優花里の父親の様に妻帯者に限定され、独身男性はいない。
どうしても必要な特殊な技術職や専門職に限ってはこの限りではないが、そういった人物は事前に素行の調査や精神鑑定等の審査が必要となる。
ほぼ独立組織とは言えども、学園艦は船である。
当然ながら船舶法によって国籍登録され、その船舶は国内法の適用範囲内である。
故に学園艦にも警察組織は当然ながら配置されているが、それも可能な限り婦人警官で構成されている。
つまり、男性の照会は迅速かつ簡単に行われるのだが件の不審者の容貌を照らし合わせてもそんな乗員はいなかった。
故に外部からの侵入者となるが、前述したように学園艦への出入りは厳しくチェックされている。
外部からの搬入等の業者が船倉まで入る事は当然ながらあるが、そこから船内部への通路は少なく、搬出入後は潜んでいないから厳しくチェックされる。
どこから侵入してきたのか全くの不明なのだ。
だがこれだけは確実である。
その男はまだこの船の中にいるのだ。
「……それで、西住隊長は何処に住むんでしょうか?」
杏の説明が終わった後に、手を挙げて質問をしたのはウサギさんチームの隊長である澤梓であった。
これを聞いて優花里は「……ずっと私の所でいいですのに」と呟いたが、それは叶わなかった。
実際、みほとしても一つの家庭にずっと甘えるのは責任感の強い彼女にはどうしても申し訳ないという気持ちが強く遠慮したかったのだ。
無論、優花里は当然としてその両親も社交辞令等では無く、本心からずっと家にいても構わないと思っていた。
父である淳五郎は娘の恩人であり大事な友人であるが故に、母である好子はあの日に自分の胸の中で泣いた女の子を心配するが故に。
「流石に西住ちゃんも一つの御家族がある家に居候させて貰うのは気が引けて居心地が悪いでしょー」
しかし、朝に会長に事情を話した時(と言っても既に会長は学園艦で起きた事だから知っていたが)にそう水を向けて待ったをかけたのは角谷杏であった。
向けられたみほは確かにそうですね…と頷いたものだから優花里は必死に遠慮しなくて良い。私も親も気にしないと強固に主張したが
「勿論、私も秋山ちゃんの御家族がそう思っているって事は解るよ。
でもここで問題なのは西住ちゃんがどう思うかなんだよねぇ。
どれだけ向こうが構わないって思っていても遠慮しちゃうのが西住ちゃんでしょ?
まぁ、それが西住ちゃんの良い所なんだとは思うけどねぇ」
と弁が立つ事では誰も敵わない会長にやりこまれてしまった。
尤も、朝はここで話が終っていたので肝心のみほが何処に住むかまでは決まっていないと優花里は思っていたが……
「西住ちゃんには私の部屋に泊まってもらうよー」
「「「なっ!?」」」
会長の発言に対して異口同音の叫び声が響いた。
「……汚いですよ会長殿!」
黙っていられなかったのは当然ながら優花里であった。
折角、毎日一緒にみほと生活するという夢の様な状況が来そうだったのに、それを邪魔した当の本人がそれを得ようとしているのだから無理もないと言えるだろう。
「いやいや、別に私は私欲で言っている訳じゃないよ。
ほら、戦車道履修者の特典で言った高級学生寮への入寮って話覚えている?
私、あそこに住んでるんだよねー。
つまりオートロックもあってセキュリティは万全って事だよ」
私欲は無いと言っているが、その表情を見る限り誰が見えても嘘であった。
「いやー、一人暮らしだったから西住ちゃんも気楽でしょ?
遠慮はしなくてもいいんだよー?
私には西住ちゃんには返しても返しても返しきれないくらい感謝しているんだからねー。
だからこの程度はバンバン頼ってよー!
あ、一人暮らしだったと言っても広いから窮屈な思いはさせないからそこは大丈夫だよ。
……それに防音性も高いから安心して…」
「待ったー!」
そこに声を挙げたのはカバさんチームの隊長であるエルヴィンである。
「確かに高級学生寮であるからセキュリティは良いだろう!
しかし、所詮はソフトウェアの領域だ。
ソフトウェアがどんなに良くてもハードウェア次第ではシステムは幾らでも欠陥を生む!
結局の所、会長の所は一人暮らしなのだから女子二人では建物のセキュリティがどんなに良くても不安だ!」
それに珍しくぐっと唸ったのは杏であった。
「……じゃあどうするのさ?
対案も無しに反対されても困るんだよねー」
「対案ならある!」
自信満々に言い切ったエルヴィンは続けて言った。
「私達の家に住めばいい!
私達の家は四人でシェアしているからな!
西住隊長もいれれば五人なのだからこれは不審者といえども迂闊に侵入できまい!」
そう宣言するエルヴィンに残りの三人の歴女はおおー!と歓声を上げた。
「流石は我らの車長だ!」
「よく言った!」
「やるじゃないか!」
それに対して声を上げたのは最初に質問した澤梓だ。
「ま、待ってください!それならウチの方が良いです!
こっちは六人ですよ!六人!
そっちの1.5倍安心です!」
後はなし崩しであった。
人数で言えばチーム毎に一つの住居に住んでいる方が多い。
アリクイさんチームは家で一緒にゲームをして不満を紛らわせよう。不審者が来ても力には自信があるから西住隊長を守るよと眼鏡を外したねこにゃーがみほの手を取りながら宣言をし、
レオポンさんチームはこっちにはこんな事もあろうかと用意しておいた独自の防犯装置と不審者対策グッズがあるよ。登下校は全部車で送り迎えするから私の助手席に乗ってくれないかなと誘い、
アヒルさんチームは朝のジョギングで一緒にしている自分達が一番傍にいられるぞー!あと根性で西住隊長を不審者から守るぞー!はい!キャプテン!と熱く円陣を組み、
カモさんチームは数なら我ら百の風紀委員が西住隊長を守って風紀を正すわ!と騒いだ。
それを見ながらみほ以外のあんこうの四人はそっと目配せを交わすと黙ってうなづいた。
「…しばらくの間、五人で住みませんか?」
「……そうだね、私の部屋でも五人なんとか寝れなくも無いし」
「私も父と母に許可を貰ってきます!絶対に!」
「……良い案だ。
西住さんに起こしてもらうと何故か普段より良く起きれるからな。
遅刻も減るからそどこも反対しない筈だ。
させないけどな」
みぽりん(西住さん)(みほさん)(西住殿)は自分達の大切な仲間なのだ。
だから自分達が守るべきなのだと彼女達は戦いに加わって行った。
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こうして彼女達の戦いは当事者の「皆さん落ち着いてください!」「喧嘩しないでくださいー!」「私の為に争わないでくださいー!」という制止の声を受け流してしばらく続いた。
その戦いは当事者がふええと泣き出すまで続き、泣き出すとぴたりと止まった。
その後、折衷案として「同じ箇所に留まり続けると防犯上よろしくない」という納得できるんだかできないんだかあやふやな理屈によって一定期間ごとに住む場所を変更するという案が採用され、一端の落ち着きを見せた。
しかし、彼女達は知らない。
遠い九州から大事な妹と娘に起きた事を知った二人の母娘が一時的に連れ戻すために大洗に訪れようとしている事を……。
-了-
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