『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第八部「アンデッド・ヴォルケーノ」 (城元太)
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第八拾四話

 穏やかで雄大な景観を誇ってきた美しい成層火山の峰を、脳髄の塊の如き灰白色の泥流が雪崩落ちていた。

 不死山(ふじのやま)はプレート収束三重点(トリプルジャンクション)に位置する大火山であり、噴火の規模も東方大陸でも最大級である。ラハール融雪型火山泥流と称される爆発は、(ふもと)の村々を呑み込み、驚異的な速度で駿河湾まで駆け下りる。泥流下部に潜んでいた灼熱の溶岩が、海水に接すると同時に激しい水蒸気爆発を引き起こし、駿河より伊豆、相模に至る広範囲に激烈な被害をもたらした。

 一方、積雪のない側噴火口の部分からは、流砂噴火と呼ばれる砂粒程度の火山砕屑物が大量噴出し、微細な石英結晶の火山灰(テフラ)を坂東一帯の大気中に撒き散らした。立ち籠める火山灰(テフラ)(もや)に接した人々は、一斉に眼球と呼吸器に痒みと痛みを覚え悶え苦しむ。靄に混入した石英の微細な結晶が鋭い針となり、皮膚や肺胞を突き刺したからである。

 坂東各地に、常世の地とはほど遠い、緩やかな絶望に覆われる地獄絵図が出現する。そして灼熱地獄の側火口では、何処(いずこ)よりか詠唱される真言(マントラ)が、不死の裾野に響いた。

 

――タリツ タボリツ パラボリツ シャヤンメイ シャヤンメイ タララサンタン ラエンビ ソワカ……

 

 濛々と立ち昇る噴煙の中、溶岩色の構造色の煌めきに混じり、紫水晶の刃(クリスタルスパイン)が無数に立ち上がる。林立する刃は、溶岩の輻射光をも乱反射させ、殷々と響く真言(マントラ)聲明(しょうみょう)にあわせて蠢動していた。

 

 

「いいなあ、孝子姉さまはバンブリアンに乗れて」

 石井営所へ向かう帰路の途中、グスタフの庵の中で多岐が憧憬の溜息をつく。良子は(かいな)に抱いた小太郎に乳房を含ませ、複雑な表情を浮かべて娘と白黒の熊型ゾイドを交互に見た。

「営所に戻れば乗せてもらえます。今は外の瘴気に触れてはなりません。此処で大人しく、御簾を上げずに眺めているのですよ」

 はーい、と無邪気に答える多岐の声が、外気から遮断された庵の中で反響する。充満する火山灰(テフラ)の大気の中を、小次郎の率いるゾイドの軍勢は延々と進んで行くのであった。

 武蔵武芝(むさしのたけしば)源経基(みなもとのつねもと)との和睦を成就させるに至らなかったものの、武蔵足立郡に一応の安定を取り戻した小次郎の大毅に、新たに白黒の熊型ゾイドが加わっていた。

 

 去り際に武蔵武芝は、桔梗に対しバンブリアン1機の譲渡を申し出た。

「先の短い身の上です。貴女とはもう、生きて御逢いすることもないでしょう」

 戸惑う桔梗を前に、老郡司は穏やかに微笑む。

「聞けば愛機を失ったばかりとか。私にとっての若き日の償いと思い、(はなむけ)としてこのゾイドをお受け取りください」

 込み上げる何かがある。今の自分が生まれる前に潜んだ記憶が、桔梗の口を告いで詠じていた。

「紫の 一本(ひともと)ゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る――。

 武蔵の衛士さま、もう一度、あの歌を願えますか」

 武芝が頷き、皺枯れた声で朗々と歌い応える。

「――七つ三つ つくり据ゑたる 酒壺に

 さし渡したるひたえの(ひさご)

 南風吹けば 北に(なび)

 北風吹けば 南に靡き

 西風吹けば 東に靡き

 東風吹けば 西に靡き――。

 桔梗様。何卒、何卒、末永く御元気で在らせられることを祈念して居ります」

 皺だらけの掌で柔らかな乙女の手を握り、武芝は滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 

 セントゲイルを失った桔梗は、新たにバンブリアンを得た。精強なゾイドではあるが、安易に石井の軍勢に組み入れることに異議を申し立てる者はいた。

「兵力は充分に満たされて居ります。加えて彼の女は、藤原秀郷の(つわもの)でありました。迂闊に心を許せば、殿や味方の寝首を欠かれるやもしれませぬ」

 真っ先に反対したのは、他ならぬ伊和員経であり、同様に四郎将平も異議を唱えていた。亡き孝子の養父であっても、忠実な老臣の公私を弁えた冷静な諫言である。小次郎にしても員経の心情は痛いほど判る。だが自ずと湧き出る哀憐の感情と、何より孝子そのままの容貌をした桔梗を手放す気持ちにはなれなかった。

「四郎、そして員経。責任は俺が取る。見棄てる事など、俺には出来ん」

 棟梁の言葉に、それ以上反論する者はいなかった。弱きもの、自分を頼って来るものを、小次郎が見捨てる事ができない性分と皆知っていたからだ。

 出立に際し、バンブリアンの操縦席に収まり、武蔵に留まる素振りを見せていた桔梗に村雨ライガーが接近し、小次郎が風防を開きひらりと飛び移った。火山灰(テフラ)漂う大気を避けねばならぬ為、止む無く桔梗はバンブリアンの風防を開け、小次郎を機内に入れた。

「桔梗よ。其方はこれより兵として我が軍勢に加わり、共に下総に向かうぞ」

 狭い操縦席、息が掛かるほど近くに顔がある。

「良いのですか。私は俵藤太の妹にして、あなたを仇と狙った者ですよ」

 小次郎は呵々大笑した。

「俺を討つ気があるのなら、是まで何度も機会はあった筈。其方ほどの手練れが成さなかったのが裏切らぬ証拠。俺は桔梗を信じる。それで良いではないか」

 小次郎の分厚い掌が、桔梗の細い肩を二度三度と叩く。温かく、大きな掌だった。間合いを取ることも、身構えることも出来たのに、なぜか身体が言うことを聞かなかった。掌が触れる度に胸を締め付ける痛みを覚え、熱い何かが溢れ出し、恍惚の中脱力してしまう。

 再生されたばかりの桔梗には、その感情が何かという知識を持ち合わせていなかった。よって

「うん」と肯くのが精一杯だった。

 この時桔梗は、胸の痛みとは別に、自分の身体の節々が不思議と痛むことを感じていた。

 

 海を隔てた東方大陸北島。天空の果てまで伸びる軌道エレベーターのケーブルの地上部分に、見慣れたアースポートの姿は無く、代わって水晶の結晶柱を思わせる巨大な玻璃の建造物が出現していた。大内裏の直上すれすれを浮遊する巨大水晶は、影を地表に落としていない。建造物自体が光学迷彩機能を有し、空と海との景色にとけ込んでいるのだ。建造途中の剥き出しの内部構造物が輪郭を顕しているが、地上を離れれば完全に雲間に消えてしまうはずである。それは水晶型の建造物に乗る者達が地上に永遠に別れを告げ、天空の彼方の〝ソラのヒト〟へと昇華することを示唆していた。

 巨大水晶の周囲を瑠璃色の翼を具えた螺鈿色の天空レドラーが旋回する。やがて加速度を増しと、薄らと水平線上に広がる東方大陸南島の陸影に向け飛び去って行く。

 玻璃や瑠璃の煌びやかな輝きに包まれる都の姿とは対照的に、レドラーが残した航跡(ベーバートレイル)の下には、無数のゾイドの骸が打ち捨てられていた。未だゾイドウィルスに抗するワクチンは普及せず、残骸の数は日に日に増すばかりである。残骸の並ぶ海浜、大内裏より西に延長した波間に、陽射しを反射する微細な機器が揺蕩(たゆた)う。機器より海底へと伸びる紐の奥底、水面下の深海淵に、鋼鉄の巨鯨が停止懸吊(げんちょう)して潜んでいた。

 海上の機器より送られる信号を解析し、艦橋奥で拱手する海賊頭へ報告が為される。

傀儡(ドローン)六号が機体番号を確認、忠平の家司多治助縄(たじのすけただ)のレドラー。スカイフックを旋回、方違えの後に坂東方面へ向かいました〟

「捨て置け。大方御教書(みきょうしょ)を携え将門の元に向かったのだ」

 藤原純友は手にしたタブレット端末と眼前の疑似障壁に映写された映像を見比べ、端末に記された公文書と人物像らしき画像を注視する。

「此奴が貞盛に続いて将門を誣告(ぶこく)した元武蔵介――摂政忠平も、さすがに黙認できなくなった訳だ。

 源経基……思い出したぞ。此奴は俺が坂東に出向いた時、駿河沖のホバーカーゴの甲板にいた男だ。矢鱈と己のゴジュラスギガばかり自慢し、肝心の戦となればさっさと逃げ帰ったとは、見てくれ通りの腰抜けだな」

 出会った時の記憶が余程腹に据え兼ねたのか、純友が海賊大将らしからぬ讒謗(ざんぼう)を洩らす。

「他に、俺が都を離れている間に目立った動きはあったか」

「スカイフック完成を控え、都が騒々しくなっているのは確かです」

 投げ出すようにタブレットを渡された佐伯是基が、端末画面を再度確認する。

「スカイフック、即ちソラシティの浮上に際し、我ら海賊衆の騒擾に加え、武蔵騒乱の東西同時兵火により天上人達は過敏に神経を尖らせています。改定された介の除目に、坂東では軒並み押領使やら追捕師やらの経歴を持つ武官達が就任しているのがその証拠。頭の近縁である上野の藤原尚範(ひさのり)殿の配下にも、押領使だった藤原惟条(これつな)が上野権介(ごんのすけ)として就任したとの報せも届いています」

「伯父貴など呼び捨てにしても構わぬ。ソラに取り入った見苦しい身内だ」

 眉を顰め、不快を露わにして背を向ける純友を気にせず、是基は冷静に続ける。

「加えて、ソラは龍宮と俵藤太を伴って調伏を開始しました。呪詛の狙いは、平将門です」

 純友が無言のまま背中越しに掌を振る。「話を続けろ」の意味である。

「瀬田の唐橋より、所属不明のドラグーンネストがスタトブラスト(休眠状態)を解除され、駿河の不死山に向かいました。密教僧と陰陽師を随伴させ、さらに新たなるバイオゾイドをも搭載して」

〝バイオゾイド〟の言葉に、暫し純友は沈黙する。

「性懲りも無く、龍宮はバイオゾイドを再生したのか。将門によれば、かなり厄介な敵だそうだ。

 是基、今ある情報全てを藤原三辰に託し、ストームソーダージェットで坂東の平将門まで届けさせろ。彼奴に斃れられてはアーミラリア・ブルボーザ生育も達成できぬ。我らは直ぐに日振島に戻るぞ」

 懸吊(げんちょう)を解除したホエールキングは、巻き取られた傀儡装置の纏う微細な水泡を曳き、海底より去って行った。

 

「一足違いでした」

 火山灰(テフラ)を避ける為に密閉された亭の中で、老郡司と乞食僧が茶をたて向かい合っていた。

「純友殿と別れ、再び遊行に身を委ねようとしていた矢先の、不死の噴火です。乞食僧風情が、天地の慣わしを左右できる筈もありませんが、この天災をせめて将門殿にお伝えできれば、六孫王殿との誤解を避けることもできたのではと、後悔すること頻りです」

 茶筅(ちゃせん)を緩やかに揺らし、僧は茶椀を老人の元に置く。

「拙僧の如き青二才が申すべきことではありませんが、武芝殿にとって懐かしい女人との邂逅になられたようですね」

 茶を口元に運び、武芝が短く嘆息する。

「老いた身ゆえ、とうの昔に涙など枯れ果てていたと思ったのですが。年甲斐も無く醜態を晒しました」

 老郡司は幾分羞恥の笑みを浮かべていた。

「不躾ながら、武芝殿に於かれてはまだまだ御壮健の様子。ならば桔梗殿と再会することも叶うのではありませんか」

 一転して、武芝の瞳に深い憂いの色が浮かぶ。

「私が涙を流したのは、私の命が尽きるからでは御座いません。私が代われるならよいものを……」

 武芝はそう告げたまま、未だに降り積もる不死の灰を茫然と見つめていた。

 



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第八拾五話

 大気中に浮遊する微細な煤塵は、波長の短い青色の光を拡散させる。火山灰(テフラ)(くす)む坂東の民は、毎夜鮮血色に染まる月光を仰いでいた。

 相模国、そして甲斐と武蔵の国境近くに位置する内陸の足柄関(あしがらのせき)付近を、大地を這うように滑走する大小二匹の青い竜があった。装甲の端々に黄金色の集光板を備えた竜の中、操縦桿を握る平良文は掌が異常に汗ばむのを覚える。

忠頼(ただより)、物見を頼む」

 良文(よしぶみ)の伝達に応じ、小さい竜が翼を広げ一息に舞い上がった。

〝前方一町付近に排炎光を確認。発見しました、〈赤い竜〉です〟

 足柄関を迂回する間道を掠め疾駆する赤い骸骨竜を、青い飛竜が眼下に捉える。

 後肢の付け根より間断なく噴き出す六基のバーニングジェットの排炎が下草を焦がし、紫水晶の刃が(おぼろ)に浮かぶ。韻々と響く真言の唱名が、紫水晶の刃によって切断される進路の樹木の倒壊音に混じり調(しらべ)を刻んでいく。

〝海賊衆でしょうか〟

「不死山より出現したとの報告だ。いくら神出鬼没の海賊とはいえ内陸から現れるとは考えられぬ。それに三浦の海浜には忠光(だだみつ)のディスペロウを残して来た。海賊の動きあれば報告も来よう。彼奴はそれとは別の厄介な敵に違いない」

〝父上、赤い竜が方向を変えました。凱龍輝に突入して来ます〟

 良文の言葉を遮り、嫡子平忠頼の操るエヴォフライヤー飛行形態が急旋回する。人外未踏の樹海原生林を貫き、赤い竜は驚異的な跳躍力で凱龍輝の進路上に躍り出た。

「なんだこのゾイドは」

 小次郎の伯父、相模国を守護する平良文にとって初めて目にするゾイドであった。前肢に備えた巨大な爪ブレイズハッキングクローをだらりと垂らし、脚部にも同等の大きさのブレイズスパイクを鈍く光らせる。凶悪な口角を目一杯に開き、頭部を左回りにゆっくりと巡らす。頭部から尾部に亘ってずらりと並ぶクリスタルスパインの刃は、狂気を宿す赤い構造色の流体金属装甲〈クリムゾンヘルアーマー〉と対を成し、更には前傾する胸部の中央に、一際巨大な紫水晶の塊が妖しく光る。

 骸骨竜は、赤い月影の下に禍々しい全貌を晒した。

「此奴が良正に貸与され、小次郎と戦ったというバイオゾイドなのか」

 幽鬼の如き(おぞ)ましい咆哮が、足柄関一帯に轟く。真言の唱名は止み、嗤い声にも似た野獣の叫びだけが残る。だらりと垂れたブレイズハッキングクローが、刃を擦る金属音と共に一斉に前を向く。赤い竜が跳ぶ。

「――早い」

 イオンブースターを噴進させ横跳びに回避する凱龍輝を、赤いバイオゾイドの尾部が襲う。(もつ)れ合う青い竜と赤い竜が、唸りを上げて樹海を薙ぎ払い格闘を繰り広げる。赤い竜がしなやかな鞭の如く肢体を張りつめ、尾の先端にあるテイルアックスを振り下ろす。背部マグネッサーウィングを切断されるも、寸での処で凱龍輝本体を回避し、ブースター全開状態で両機の間合いを取る。

「海賊とも、僦馬の党とも違う。これがバイオゾイドの威力なのか」

 これまで戦った事の無い程の素早さと破壊力に、相模の棟梁良文でさえ驚愕の声を洩らす。凱龍輝の頭上から、もう一匹の青い飛竜が飛来した。

〝父上、ユニゾンです〟

「承知、凱龍輝スピードにチェンジマイズするぞ。Zi――」

〝――ユニゾン!〟

 閃光に包まれた瞬間、二匹の青い竜は、六枚の翼を持つ一匹の青い竜へと転身する。

 赤い月だけが、赤と青の竜の死闘を見下ろしていた。

 

「田舎の月は赤いものですな」

 小次郎との会見に臨む多治助縄(たじのすけただ)は、文書台(≒机)から赤い月へと気忙しく視線を移す。台上には、藤原忠平より託された小次郎宛の御教書(みきょうしょ)が載っていた。

「中宮少進(=三等官)殿、御教書を拝見しました。小一条(藤原忠平)様の御心遣い、身に余る次第です」

 小次郎は平伏の姿勢を解かずに応対する。平貞盛と源経基より提出された告訴状にはそれぞれに〝平将門に叛意あり〟と記されており、あからさまな誣告ではあったが〝叛意〟の嫌疑を晴らす為には慎重な姿勢で臨まねばならない。加えて木訥な武士は、摂政忠平に対し、在京時の旧恩を未だに覚えていたのだった。

「唯今坂東の各国衙より解文(げふみ)を取り寄せて居ります。直ぐにも嫌疑は晴れるものと、摂政様にお伝え願いたい」

「承知致した」

 途切れがちな言葉尻が、一刻も早く会見を終えたいという心情を如実に顕わしている。助縄の視線の先にあるのは、赤い月ではなく営所の馬場に駐機した天空レドラーに違いない。

「――国解が揃い次第、追って都へ送付します。少進殿、此度は遥々と田舎まで御足労頂いたこと感謝します」

 威厳を込めて「うむ」と答えた筈だったが、助縄の声は震えていた。

 形ばかりの謝辞を述べ、都人は翌朝を待たず早々に石井の営所を飛び去っていった。螺鈿色の機影が赤い月の黒点と化す様子を見遣りながら、小次郎は太郎貞盛を討ち漏らしたことに複雑な感情を抱いていた。

 幼き日々を共に過ごした竹馬の友の健在に安堵する一方、小次郎の気質を隅々まで知り尽くした従兄貞盛が生き延びている以上、今後の大いなる脅威となって己の前に立ち塞がるのではないかという懸念である。

 不気味な赤い月影を見詰める小次郎の元、伊和員経が駆け寄るのはその直後であった。

 

上野(こうずけ)義父(ちち)上が危篤だ」

 平良兼の第一夫人にして、小次郎の妻良子の生母である陽子より届いた便りには、仏門に入った平良兼が故郷上総の尾形を遠く離れた上野の地で最期を迎えようとしていると短く記されていた。床に臥せった良兼は、頻りに譫言(うわごと)で良子の名を繰り返しているという。良子にとって懐かしい母の文字で『武士の倣い故、致し方の無き事』と書き添えられていたが、それを承知で石井営所に知らせた陽子の想いが読み取れる。

 小次郎が告げた事実に、良子は黙って唇を噛み締めるだけであった。小次郎に嫁いだ時より、既に父と決別したと語っている。

「詮無き事です」

 とだけ呟き、口を噤む。

 良兼は、小次郎にとって宿世の仇となってしまった。だが死期を目前にして娘を想う親心は痛いほど判る。反目していても、良子にとってもやはり実父に一目逢いたいに違いない。唇を固く結び、視線を落としたままの良子を見つめ、やがて小次郎は言い放った。

「上野に参る。義父に会いにいくぞ」

「なりません、仮にも敵となった相手。弟達のダークホーン部隊も未だ健在のはず。ましてや今は国解(こくぜ)が揃うまで迂闊に動けぬ時期です。覚悟は出来ております、あなた様、どうかお考え直しください」

「上野の国衙に解文を受け取りに行く(ついで)だ。それに俺が義父に会いに行くのに何の障りがある。無論、妻子が付き添うのも倣いだ。孫を連れて押しかけてやる、良いな。

 員経、村雨とレインボージャーク、そしてソウルタイガーへのレッゲル補給を頼む。坂上遂高に出立を伝えよ」

 暮夜の石井営所は、時ならぬ喧騒に包まれた。時は一刻を争う。小次郎は高速を誇る疾風ライガーとソウルタイガー、そして良子自身が操るレインボージャークのみを率い、隠密裏に上野に向かう準備を開始した。営所を伊和員経と三郎将頼に任せ、翌朝多岐と小太郎が目覚め次第出発する事となったのだ。

 

 天空レドラーの飛来に加え、夜半からの喧騒より、気付けば桔梗は一晩眠れぬ夜を明かしていた。御簾の隙間より射す光が夜明けを告げている。床より半身を起こした時だった。

(え……)

 躰の関節に違和感を覚える。思い起せばこの数日来、次第に痛みが顕著となっている。いつまでも床に就いている訳にもいかず、桔梗は肌蹴(はだけ)た夜着の裾を直すと、白い両腕を思い切り伸び上げた。

 微睡(まどろみ)が澱む桔梗の鋭い聴覚に、幼い少女の声が飛び込んでくる。

「バンブリアンがいいの!」

 何事かは判らない。だが〝バンブリアン〟の名を告げる声は、同時に桔梗への呼びかけであるに違いない。襦袢(じゅばん)を纏い、伊和員経から渡された薄紫の(あこめ)を羽織ると、桔梗は多岐の声のする方へと向かった。

「孝子姉さまといっしょにいきたい。だから父うえ、おねがいです」

 そこには、小さな体で小次郎に縋り、懇願する多岐の姿があった。

 上野に赴くに当たり、小次郎は多岐と小太郎を如何にしてゾイドに搭乗させるかという案件に悩まされていた。

 レインボージャークに多岐と小太郎は同乗可能である。だが急制動を伴う飛行ゾイドに二人も子どもを搭乗させるのは危険なため、座席幅の関係上小太郎のみとなった。問題は多岐である。村雨ライガーに乗せるのが最適と思えたが、万一地上戦に遭遇した場合、疾風ライガー、将門ライガーへのエヴォルトに少女の身体では耐え難い。ソウルタイガーへの同乗も同様の理由で不適であり、更に残念なことに、俘囚出身で猛々しい容貌の坂上遂高に、未だ多岐は懐いていなかった。ソードウルフに多岐を乗せ、三郎将頼が随伴するのは理想であったが、それでは石井の営所及び下総の守りが手薄となる。多岐は幼心なりの聡明さで、自らバンブリアンと桔梗の随伴を願っていたのだ。

 桔梗の姿が見えた途端、多岐は桔梗に駆け寄り抱き着いた。

「姉さまも行きましょう、じじさまのところへ」

 少女の抱擁など、他愛のない勢いである。だが抱き着かれた桔梗は不意に関節の力が抜け、その場で仰け反るように倒れ込んだ。咄嗟に左掌をついたものの激しく腰を打ち、苦痛に顔を歪めた。

「大事無いか!」

 突然の出来事に戸惑い涙ぐむ多岐と倒れた桔梗の元に、小次郎が駆け寄る。

「起き掛けゆえ、立眩みが起こったのだと思います。心配いりません」

 しかし、小次郎の差し伸べた手を掴もうとしても力が入らず、再び桔梗は地面に腰を落とす。小次郎の顔色が変わった。

「其方、脚病(けびょう)(脚気)ではないか」

 小次郎にとって、子飼の戦い、堀越の戦いと立て続けにバイオゾイドに敗北し、孝子を――再生前の桔梗を――失う原因となった忌まわしい病である。嘗ての自分と同じ病の症状を、倒れた桔梗の姿に重ねていたのだ。

「ゾイドは操縦出来るか」

 痛みを堪え肯く。

「俺が脚病に掛かった時、鬼座燐(オリザリン)治療を教えてくれた高木兼弘(たかぎかねひろ)の医療所が上野道中の途中にある。其方は医者に掛かるため、多岐をバンブリアンに乗せて上野へ随伴せよ。出来るか」

「私が多岐様を、ですか」

 幾分痛みが和らぎ、動転した気持ちも落ち着きを取り戻した頃、座り込んだ桔梗の胸に再び多岐が抱き付く。少女なりに、姉と慕う乙女の身体を気遣い勢いを抑えて。

「ありがとうございます。父うえ」

「此度は武蔵への道中と違い、ゾイドは大分揺れるが、我慢できるな」

「はい!」

 いつも通りの快活な返事をすると、多岐は桔梗の手を引き馬場に向かって駆けていく。向かう先にバンブリアンが聳え、馬場の中央には、補給を終えたレインボージャークとソウルタイガー、そして村雨ライガーが待機していた。

 

 足柄関付近で繰り広げられる赤い竜と青い竜との死闘の行方を知らず、小次郎達は上野国へ向け旅立つのであった。

 

 



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第八拾六話

「鬼火とは面妖な」

 純友より小次郎へと託された親書を携えた、藤原三辰(ふじわらのみたつ)の操るストームソーダージェットは、駿河を越えた足柄関上空付近よりの急激な出力低下に苦闘していた。ふと見た翼端ウィングソードの切っ先に、青白い燐光が浮かび上がっている。しかし次第に視界は閉ざされ、翼端さえも雲に遮られていく。

 讃岐の空を自在に舞ってきた手練れの海賊衆の魁師は、積乱雲と見なし突入した雲塊の正体が、実際は高高度上空にまで湧き上がった微細な火山灰(テフラ)の粉塵と察知した。燐光の正体は、ストームソーダージェットの機体との擦れ合いにより発生した静電気による発光現象である。一刻も早く雲塊から脱出する必要を感じた瞬間、鋼鉄の怪鳥の動力が咳き込むように異音を放った。

 火山灰(テフラ)は、吸気口に具された薄手の刃(タービンブレード)に次々と擦過傷を刻んでいるに違いない。やむを得ず動力を停止し、雲塊を抜けるまで滑空飛行を試みる。閉ざされた視界の中、高度計だけが機体の降下を示していく。

 突如として視界が開ける。火山灰(テフラ)の雲塊を抜けたのだ。地表に広がる原生林が赤い月光に浮かぶ。三辰が再び動力に火入れを行おうとした時であった。

「あの閃光、荷電粒子砲か」

 眼下の原生林に、妖しく光る紫水晶と黄金色に煌めく集光板の光が乱舞していた。

 

 巨大な爪ブレイズハッキングクローと尾部に具されたテイルアックスは、キラークローやバイトファングのリーチを遥かに超える。青い竜は、両腕のAZアサルトライフルと4門のビームバルカンの牽制射撃によって、繰り出される赤い竜の鋼鉄の爪を躱していくのがやっとである。格闘戦に特化するバイオゾイドには、対光学兵器戦に特化した凱龍輝では分が悪いと判断した平良文は、膠着状況突破のため、青い竜最大の特徴である攻撃方法を行った。

 飛躍的に機動性を増した凱龍輝スピードは、猛襲するバイオゾイドから驚異的な瞬発力で間合いを取り身構える。凱龍輝脚部の装甲が弾け飛ぶ。細い集光パネルを持つ背部イオンブースターと尾部先端が同時に剥脱し、瞬時に青い飛行ブロックス、飛燕へとチェンジマイズを行う。

「まだだ」

 飛燕は、ウネンラギア同然の形態となり原生林に潜んでいた飛竜エヴォフライヤーの上空を過る。エヴォフライヤーの脚部が飛燕の発する磁力線に導かれ、機体中央のブロックスコアを挟みこんで装着される。

「攻めろ飛燕、樹海の切れ目にまで誘き寄せるのだ」

 自律思考機能を有する青い飛行ブロックスゾイドは、凱龍輝本体に乗る良文の音声指示により効率的な攻撃方法を瞬時に分析した。小型とはいえストライククローと6枚の翼を持ち、凱龍輝両腕にあったアサルトライフル二門を主翼に装備した強化型飛燕が、赤い竜目掛けて突入していく。飛燕は、敵が横殴りに薙ぎ払う巨大な爪を翻弄し、低空を錐揉みで赤い竜の頸部下方に潜り込み、エヴォフライヤーより借り受けた脚部のストライククローで加速を付けて蹴り上げた。翻筋斗(もんどり)打って倒れ込む骸骨竜の彼方、充分に間合いを空けた凱龍輝本体に再び飛燕は合体し、凱龍輝スピードへとユニゾンする。

「荷電粒子砲を撃つ。忠頼、射線上より回避せよ」

 頸部と尾部の装甲板を逆立て、黄金の集光板が輝く。口蓋より迫り出した砲身先端に、次第に光が集中して行く。

 良文は、照準器の中央に映る標的も立ち上がり、凱龍輝同様に前傾姿勢で静止しているのを認識した。

「奴も荷電粒子砲を装備しているのか」

 赤い竜の胸部中央の紫水晶の刃が縦真っ二つに分かれ、中央に砲身らしき装置が出現している。だが荷電粒子砲であるならば、凱龍輝にとっては好都合である。良文は敵が射撃体勢を取ることを構わず、口蓋から充ち満ちた光の奔流を撃ち放った。

 光の速さを、人の視力で追うことなど出来るはずもない。だが良文は驚異的な瞬発力で、荷電粒子砲発射直後の凱龍輝を僅かに逸らした。百戦錬磨の相模武士団の棟梁は、正体の判らない光学兵器に対し、無闇に集光板に頼るべきではないと判断したのだ。

 推察は的確であった。飛来した閃光の衝撃に、機体が激しく揺さぶられる。

「レイ・エナジー・アキュムレーターが作動しない」

 敵の放った閃光は、凱龍輝の右脚部装甲合体ブロックス月甲の最外殻にあたる集光パネルを易々と貫く。機体を僅かに逸らしておかなければ、重大な損傷を受けたに違いない貫通力であった。再度凱龍輝の射線上に捉えていた赤い竜の姿を確認する。そこには、荷電粒子砲の直撃を受け、陽炎を上げて溶解する骸骨竜の姿があった。嗤い声の如き叫びが悲鳴へと変わり、苦悶のまま背筋を弓形に撓らせ、焼き払われた不死樹海の炎の密林に沈んで行く。

〝刻限です。ユニゾンを解除致します〟

 放熱板を閉じ、忠頼のエヴォフライヤーと分離した凱龍輝の中で、良文は被弾した右装甲損傷個所を確認していた。

 敵が撃ってきた光弾は何だったのか。荷電粒子砲やビーム兵器の類の被弾とは、損傷状況が異なっている。凱龍輝が回避できたのも、僅かに荷電粒子砲より射速が遅い武器であったからだ。光より遅いとすれば、一種の運動能力兵器である可能性も否定できない。

〝目標の鎮圧を確認。父上、討ち取りました〟

 飛行し先行して目標の制圧を目視したエヴォフライヤーが報告する。凱龍輝もイオンブースターを噴射し、制圧地点へと向かう。そこには、黒焦げの流体金属装甲と金属骨格を晒す骸骨竜が横たわっていた。その時良文と忠頼は、何処ともなく真言の咒が聞こえて来るのに気付いた。

 

――ノウボウ タリツ ボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンダン オエンビ ソワカ――

 

「此奴、まだ息があるぞ」

 接近した凱龍輝とエヴォフライヤーの眼前で、赤い金属装甲クリムゾンヘルアーマーが漣を立てて蠢いていた。真言(マントラ)を称える(ぬし)の正体を探るべく、凱龍輝集光パネルに動力を逆流させ周囲を照らすと、照らし出された溶岩台地の上で、沈黙した筈の赤い竜が称名に合せ、見る間に再生を遂げていく様子が際立つ。

生物冶金(バイオリーチング)か」

 良文が思わず呟く。

〝父上、バイオリーチングとは如何なる事で〟

山窩(サンカ)の民に伝わる冶金術だ。超高熱性化学合成無機独立栄養生物を利用し、特殊な金属を精錬する技と伝え聞いたことがあるが……此奴め立ち上がるぞ」

 骸骨竜が左腕を支えに半身を起し、緩慢に左脚の膝立てを試みている。ザワザワと流体金属装甲が波紋を描いて這い上り、紫水晶の刃さえも再形成していく。但し平衡感覚の回復は不充分らしく、脚を(もつ)らし右に倒れ込んでいく。

 止めの必要を感じ、凱龍輝が口蓋を開きバイトファングを剥き出しにした時であった。

〝腹部より人が降りてきます〟

 倒れ込んだ竜の胴体部、長大な紫水晶の真下に位置する区画から、古代の土偶にも似た具足を纏う人影が降り立った。搭乗員の離脱と共に、骸骨竜の蠢動も止まる。無機質な仮面を脱いだ下に、やつれ切った兵の顔が見えた。突然、凱龍輝の操作盤に緊急伝が入電する。

「なんだこれは、どういうことだ」

 操作盤の情報画面に、狂ったように文字情報が表示されていく。

 

搭乗者姓名;橘是茂(たちばなのこれもち) 

   除目;相模権介(ごんのすけ)・押領使・追捕官符受領

   赴任;相模国

   乗機;バイオヴォルケーノ

      土魂(つちだま)具足を装着、碓井関より足柄関へ本バイオゾイドを移送。 

最終目的地;上野国衙・守・藤原尚範(ひさのり)

  受領者;上野権介・藤原惟条(これつな)、平将門鎮撫を任とす。

〝バイオヴォルケーノだと! この奇怪なゾイドが、追捕官符を持つ公儀の押領使なのか〟

「抗う意志はなさそうだ。詰問する」

 仮面を脱いだ兵は、既にその場に倒れ込んでいる。疑念を一刻も早く掃いたいが如く、良文は言うと同時に凱龍輝の頭部を下げ、操縦席に備えられていた蕨手(わらびて)刀を手に土偶兵の元に駆け寄るのであった。

 

 高木兼弘(たかぎかねひろ)の療養所は、下野(しもつけ)に近い上野国(こうずけのくに)の入り口に当たる只上(ただかみ)宿に門を構えている。古くは大隅国(おおすみのくに)より渡って来たという医学者は、療養所にも東方大陸最高水準の技術と知識と設備を有していた。優秀な医術の名声を聞きつけ、遠方から訪れる患者も多いが、療養所の門前に、村雨ライガーとソウルタイガー、レインボージャーク、そしてバンブリアンが立ち並ぶ姿はこれまで見られたことのなかった光景であった。

 鼻を衝く消毒薬の臭いと複雑な機器に囲まれた一室。純白の布が敷かれた寝台に、乙女が真白な裸身を晒し横たわっている。

 乙女の瞳は忙しく天井の模様を追っていた。射干玉(ぬばたま)色の髪が小振りな肩と青い乳房にほつれて掛かり、不規則な呼吸に時折胸が波打つ。一本の細い光の帯が、白い素肌の上を頭部から素足の先に向かいゆっくりと動き、やがて爪先を越えて寝台に光の線を落としていく。

〝これにて検査は終りです。衣服を着てくだされ〟

 玻璃の壁の向こう側、乙女の裸身を見下ろしていた白衣の医術者が合図していた。

 

「脚病の兆候は皆無です」

 衣服を纏う乙女と異なる部屋で、小次郎は命の恩人たる医術者からの断定的な言葉を聞き、深い安堵の溜息をつく。

「それを聞き安心しました。私の杞憂でしたか」

 思わず笑みが零れそうになるが、兼弘は未だ表情を崩さず小次郎を見つめている。

「脚病ではありませんが、もっと重篤な病に罹患している。いや、生来のものとも言えるやも知れません。あの乙女は、遺伝的な疾患を持っておられるのです」

 聞き慣れぬ言葉と只ならぬ様子に、小次郎は再度問う。

「遺伝病、とは如何なる病か。それにそれほどまでに悪性のものなのですか」

 兼弘が頷き、手にした資料に目を落とす。

「桔梗様は、ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群と呼ばれる病を患っておられる。手短に申せば、あの方の余命は幾許もありません」

「余命、幾許もない。兼弘殿、それは真の事か。間違いないのか」

「残念ながら、間違いではありません。検査の結果、桔梗様の第一染色体のラミンA遺伝子の異常を確認しました。もって数年、悪くすればあと半年ほどの命と思われます」

 扉の向こう側で、多岐が桔梗に飛び付き歓声をあげている。

「桔梗が、また死ぬ」

 小次郎は火山灰に覆われる如く、視界が白く閉ざされていく幻覚を見ていた。

 

 



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第八拾七話

「プロジェリア症は優性の遺伝病であり、老化が異常に早く進行する病。成人前の子供にありながら、老人にありがちな血流の循環障害や蜜尿(糖尿)病、眼球の白内障などの症状が早々に現れて参ります。脚病に思われた関節痛の症状は、桔梗様の身体が次第に衰えている証なのです。

 但し、プロジェリアの症状にしては、どうにも解せぬことがあります」

「治療の手掛かりになるものか」

 身を乗り出す小次郎を前に、兼弘は無慈悲に首を振る。

「残念ですが治癒の手段はありません。敢えて言うならば、老化を防ぐため安静な生活を送ることを奨める程度です。

 解せぬというのは、この病は幼少期から発病するものであり、身体の発育に著しい遅れが見られるはず。ところが桔梗様の身体に未発達な様子は見られず、寧ろ通常より発育は促進されており、症例と著しく異なっておるのです。

 念のため齢を伺ったのですが〝兄より告げられたことはない〟の一点張りでした。あの年頃の乙女であれば無理からぬことかもしれませんが、診察の支障となるので、できれば本当の齢をお聞きしたかったのですが……」

 説明の途中から、小次郎の脳内では雷鳴が奔っていた。武蔵武芝が語った、紫の君というソラの姫の事である。

〝歳を問うと、紫は不思議なことを申されました。『歳は知らぬ。まだ生まれて間もない』と〟

 武芝の話では、その後紫は急速に老いて行方を眩ましたという。顔貌が桔梗と酷似していたというのも不安に拍車をかける。

「父うえ、かねひろさま、孝子ねえさまのおかげんはいかかでしたか?」

 着替えの仕切り幕を上げ、少し襟元を気にしながら整える桔梗と、その左手を繋いだ多岐が小次郎に寄り添う。

「大丈夫です。お姉さまは疲れがたまっていただけでした。栄養のあるものをたんと食べればよくなります。多岐さまも安心してください」

 だが今は、別の目的を果たさねばならなかった。一刻も早く、良兼の病床に妻良子を連れて行くことだ。兼弘もそれを察し、桔梗に真実を告げるのを避けたのだった。

「兼弘、世話になった。今は旅路を急ぐ身、何かあれば帰路にも立ち寄るとしよう。大事無くてなりよりだった、のう、桔梗よ」

 小次郎は勉めて明るく振舞い、多岐を抱き上げる。歓声を上げる少女とは裏腹に、小次郎の心中の不安は拭い切れない。

 そしてまた、桔梗の表情も強張っていた。小次郎達は知らない。際立って優れた桔梗の聴覚は、壁一枚隔てていようと容易に会話を聞き取れる能力があるということを。

 

 上野国鬼石(おにし)村は、峻険な山脈に囲まれた渓谷にある。仮設された山城(やまじろ)の陣屋奥、知行地を遠く離れた地で、嘗て小次郎と何度も刃を交えた老人が、時代に忘れられ潜んでいた。

 土塀の向こう側に、漆黒の機体のハイブリッドバルカンが屹立している。束ねた銃身の隙間から、山間を縫う様に昇った朝日が、鋼鉄の獣たちの影を長く伸ばしていた。

 剃髪し床に臥した平良兼の身体が、娘良子には酷く縮んで見えていた。

「あなた、良子ですよ。下総から遥々来てくれましたよ」

「お父様、判りますか。良子です。多岐も、小太郎良門も参りました。どうか孫たちの姿を見てやってください」

 枕元に座った良兼の正妻陽子と、小太郎を抱いた良子、不安そうに祖父の顔を覗き込む多岐、そして敷居裏側の回廊に立つ小次郎、遂高、桔梗の姿があった。

 誰の目にも歴然としていた。老父に残された時間は間もなく尽きようとしている。そしてその事実を察し、迎え入れた若い側室である源護(みなもとのまもる)の長女小枝(さえ)は良兼と早々に離縁し、既に実家である常陸へと戻ってしまっていた。

 夜通し駆け抜けた朝露に濡れそぼり、纏った雫を朝日に煌めかす碧い獅子が佇む。背負う大刀ムラサメブレードの峰の上、留まった菫色の孔雀が夜明けを告げて啼いていた。

「レインボージャークの啼声、良子が帰って来たのか」

 薄目を開けた良兼の虹彩は、光を感じられぬ程白く濁っていた。込み上げる嗚咽を呑み込み、娘は父の掌を自分の頬に当てる。

「お元気そうでなによりです。その御様子なれば、すぐに孫たちと戯れることもできましょう。お父様、娘の度重なる不孝をお許しください」

 老いた父の掌は、硬く冷たく痩せ細っていた。良子はその掌を多岐に握らせる。

「じじさまはお病気ですか。多岐はまた遊びたいので、元気になってください」

「おお、良子か。大きゅうなったな。背丈も伸びたようだ。髪の毛も伸びたのう」

「ちがいます、多岐です。母うえではありません」

 良子は黙って首を振り、多岐の言葉を制する。老いた良兼にとって、最早娘と孫の判別も付け難くなっていたのだ。

「良子は女だてらにゾイドが好きだったからのう。

 お前の御転婆ぶりにはほとほと困ったものだった。

 そんなことでは嫁の貰い手もないぞ。

 夫となる者も苦労するであろう」

 か細い声で昔語りをする良兼の口調は、(けだ)し嬉し気であった。良子の頬に一筋の涙が流れる。傍らには、同じように目元を押さえる陽子の姿がある。

「良子、良き妻となり、夫となる坂東武者をしっかりと支えるのだぞ。それこそが坂東に生きる女の生き様だ。判ったな」

「はい」

 多岐の手を握ったまま、良兼は静かに、そして力強く応える。

「小次郎と、末永く幸せにな」

「えっ……」

 多岐の手から良兼の掌が滑り落ちる。事態を察した家人が直ぐに呼吸を確かめるが、既に良兼は事切れた後であった。

 

 天に向けられたままのハイブリッドバルカンの銃身に、喪を示す黒い幟が(ゆわ)えられ風に靡いている。

「平小次郎将門、私達はまだ貴方を許した訳ではない」

 小次郎達の前に、手勢を連れた良子の弟、平公雅(きみまさ)公連(きみつら)がダークホーンを背にして立つ。

「だが父の臨終に姉達を連れて馳せ来てくれたこと、篤く感謝する」

 掛け違った歯車が、姉と弟達とを仇同士にしてしまった。しかしそれは心底憎しみ合うものではなかった。

「下総に戻る前に、伝えておきます。

 相模村岡の良文叔父より報せがありました。駿河の不死山より出現したゾイドが、平将門追捕の為上野に向かったそうです。受領者は上野国追捕使藤原惟条(これつな)

 ゾイドの銘は、〝バイオヴォルケーノ〟」

「またバイオゾイドが現れたのか」

 小次郎の声が僅かに上擦った。子飼、堀越での悪夢の戦いを繰り広げた骸骨竜が、再びに立ち塞がろうとしているのだ。

「良文叔父によれば、バイオヴォルケーノは凱龍輝と交戦し、荷電粒子砲によって撃破され活動を停止。機体より脱出した操縦者を詰問しようとしたが、心身に酷い疲労を負っていて、話す事も適わなかったという。

 身分を示すものが無いか調べた処、正式な追捕官符を所持し、追捕の対象が平将門とわかったそうだ。

 一方、撃破されたと思われたバイオヴォルケーノの機体は、その直後に流体金属装甲の再生を開始し、同時に飛来した突撃揚陸艇ネプチューンによって操縦者共に回収され、上野に向かったとある。バイオゾイドは、貴方や姉上が下総に戻る途中で襲撃する魂胆に違いない。道中、用心されるのが良かろう」

 小次郎は失望と幻滅の余り、自然に口許が緩むのを感じていた。

(ソラの日和見はいつもこうだ)

 嘗て湯袋山で貞盛や良兼を討ち漏らした後、ソラは正式に貞盛追討の追捕官符を発行していた。しかし左馬允貞盛が上洛すると、掌を返して今度は小次郎を追捕するという。

(所詮、坂東の揉め事など眼中にないのだ。あるのは天空より飛来する隕石群の脅威を避けるため、軌道エレベーターを完成させることしかないのだ)

 小次郎の中で何かが弾けた。心の何処かで僅かに繋がっていた絆の様なものが、断ち切れるのを覚えた。

 小次郎の傍らには、父の死を悼み黒い幟を見つめる良子と、老いて死す無常を見据える桔梗の姿があった。

 

【手始めに相模での実戦を試みたものの、あの青い竜、凱龍輝と相模の村岡五郎良文を見くびっておりましたな】

【然れど太元帥法(たいげんのほう)の蘇生力、見事で御座います。バイオヴォルケーノも見る間に再生致しました。出来る事なら、凱龍輝に倒されなければ尚宜しいとは思いましたが】

泰舜(たいしゅん)殿もお疲れであろう。後は我らにお任せくだされ】

【律師の名誉に賭けて挑む御姿は立派ですが、ヴォルケーノの再生を待つ間は孰れにせよ動けませぬぞ】

【無念だが、止むを得まい。此度は一時身を退こう】

【気懸りは、坂東に例の乞食(こつじき)が紛れ込んでおることだ】

【空也、でしたか。醍醐帝由来の猿神を、叡山山窩(サンカ)の技でデッドリーコングへ鍛え直す人脈を持つ遊行とか】

蔵人頭(くろうどのとう)藤原師氏(もろうじ)殿の命を受けて下向したはずか、いつの間にか海賊衆や田舎武者共と意気投合しておる。その乞食が祈祷を妨げることも在り得るのではないか】

【御心配召さるな。遊行などに然したる力などあるまいて。さて、序列からすれば、次なる祈祷は拙僧にてあろうか。怨敵は上野に入った。

 エヴォルトシステムを有するゾイド、村雨ライガーめ。大威徳法(だいいとくほう)によって見事調伏(ちょうぶく)を成し遂げて見せようぞ】

浄蔵(じょうぞう)殿、台密に先んじるのは(いささ)か無礼では】

尊意(そんい)様や明達(みょうたつ)殿の手を煩わすほどでも御座いませぬ。不死のヴォルケーノの威徳、存分に田舎者共に味あわせてやりましょう。

 祈祷を始める。護摩壇の準備を頼みまする】

【ここで我らが意地を張るのも見苦しいではないか。浄蔵殿の大威徳明王の咒、篤と拝見しよう】

 新たな真言の咒が堂宇の中に唱えられ、韻々と響き亘った。

――オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ――

 護摩壇に炎が燃え上がる。

 遠く離れた坂東の地で、赤い骸骨竜の鼓動が甦っていた。

 

 



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第八拾八話

 上野の国府は、鬼石(おにし)より北上した盆地の中央、群馬郡宮鍋(みやなべ)に位置する。常陸や上総と同様、親王任国(ソラの皇族による遙任(ようにん)支配)であり、実質的な国司は、藤原純友の伯父にして介の位にある藤原尚範(ひさのり)の職務となっている。今回の小次郎達の旅には、上野国衙に立ち寄り武蔵騒動の件での叛意を否定する解文(げふみ)を受け取る目的もあった。だが既に追捕官符が発行され、調伏の為の幣帛使(へいはくし)(咒を行う僧、若しくは行者)まで任じられている以上、必要性は薄くなっている。桔梗の身体のことを想えば、一刻も早く下総石井(いわい)に戻りたいと心が揺れる。

 だが一方で、朝令暮改の裁定を繰り返すソラに対しては、少しでも潔白を示す証書を残し、杓子定規の言い逃れをする必要もある。鬼石から宮鍋までは下総に向かう間道の途中でありゾイドへの負担も少ない。幸いなことに桔梗の病状は安定しており、バンブリアンの操縦席で多岐と戯れる姿を遠目に見れば、健やかで仲の良い歳の離れた姉妹にしか見えない。良子と小太郎のみを先に帰すことも考えられたが、レインボージャーク単機で行動させることに、小次郎は激しい不安を感じていた。

〝将門殿、突撃揚陸艇ネプチューンの飛来を如何に思いますか〟

 村雨ライガーに揺られ上野国衙に向かう小次郎に、並走するソウルタイガーの坂上遂高(さかのうえのかつたか)が問う。

〝真壁、服織の戦にて、バイオゾイドの胎内より出でた土魂とは異なり、バイオヴォルケーノなるバイオゾイドは生身の人が操っていた、加えてそれを上野権介(ごんのすけ)が受領している。

 ネプチューンがいるということは、近くにドラグーンネスト本体が潜んでいる筈。あの巨体を何処に潜めているのかと〟

「気になるのはそれだけではない。ドラグーンネスト級の要塞型ゾイドを派遣する以上、相応の人物が指揮を執っていると考えるべきだ。坂東の山野に精通し、俺の素性も良く知り、尚且つ都の討伐隊を率いることの出来る者とは」

〝左様な都合の良い武将など、今の都に居りますでしょうか〟

「居る」

 坂上遂高からの返信に暫しの間が空く。小次郎の言うその人物が誰か推察できたからである。

〝将門殿、宿世の仇とはいえ、御自重くだされよ〟

「判っている」

 判っている、と口に出した小次郎の喉は、異様に渇き切っていた。

 

 上野と越前の境より流れ出でて、下野、常陸、下総に至る坂東の大河、利根。群馬郡に程近いその濫流に、泥濘に塗れた巨大な塊が滞留していた。

 耕作地を持たず家舟(えふね)と呼ばれる船に住む河川や海浜を漂泊する水上生活者は、眼前を移動する巨体に思わず声を上げた。

「中州が、動いている」

 澱みの中に浮かぶ幾何的な造形は、畿内に散在する古代帝の陵墓を偲ばせる。しかし巨大な塊は流れに遡って緩慢に移動している。外皮に纏った泥濘を隠れ蓑にして澱んだ流れの中に半身を浸す。時折水面から浮上する大木の如き歩脚が、塊が数多くの肢を持つ巨大喇蛄(ざりがに)ゾイドであることを想起させる。しかし逆巻く利根の濁流に漂泊民の家舟は木の葉同然に翻弄され、濁流と巨大さ故にそのゾイドの全景を見渡せる者はいなかった。

 格納庫内に韻々と動力音が響く。見上げる先には、漆黒に塗られたライガー(ゼロ)の機体と、その具足(チェインジングアーマー)群が所狭しと積み込まれていた。

「皮肉なものだ。亡き父国香より譲り受け、宮仕えの為に帝に献上したお前と、この様な形で再会するとは」

 (うずくま)って結束帯に固定されたままの虚無の獅子(ライガーゼロ)は、僅かに動く頭部を振って応える。双眸には物悲し気な光が宿っていた。

大和天国(やまとのあまくに)の作であるこのライガー零小鴉丸(こからすまる)と、帝より下賜された具足(チェインジングアーマー)唐皮(からかわ)で、果たしてどこまで小次郎の村雨ライガーに敵うのだろうか」

 零の拡張性は確かに村雨ライガーを上回る。だがそれだけだ。機体性能からすれば、ライガー零を凌駕する機動性と火力を有したブラストルタイガーを、エヴォルトを成し遂げた疾風ライガーは殊も無げに切り刻んだ。結城法城寺から奇襲をかけた良正のアイスブレーザーを一刀両断にした将門ライガーは更に強力である。余程精強なゾイドと操縦者でなければ、小次郎に太刀打ちできないことは己自身が一番思い知らされている。

「貞盛殿、平将門がそんなに恐いのか」

 必要以上の大声が響く。振り返れば、古代の土偶の如き具足を纏った兵が、太郎貞盛の背後から近寄って来ていた。

(われ)のゾイドであれば将門など恐れるに足りぬ。蘇生も成し遂げた折り、早速上陸し、彼奴の村雨ライガーとやらを討ち取りましょうぞ」

惟条(これつな)殿、バイオヴォルケーノは既に一度凱龍輝に敗れている。小次郎は良文叔父よりも強敵です。機体性能を過信しては、勝てる戦も勝てません。

 加えて貴公は、バイオゾイドが如何に得体の知れない代物なのかを御存知か。俵藤太の(はかりごと)に乗せられ、貸与されたバイオゾイドの大群を差し向けた常陸水守の良正(よしまさ)叔父は、湯袋の戦い途中で流体金属装甲が崩壊し小次郎に大敗を喫した。貴公が操縦している最中に同じ事態が起こらないという保証は無いのです」

 貞盛の言葉に、藤原惟条(これつな)(にわ)かに無言となり、忠告に応えることなく貞盛の脇を素通りする。忌々し気に舌打ちをすると、ライガーゼロ同様に結束帯に固定されたバイオヴォルケーノの腹部搭乗席に吸い込まれていった。

 

 到着した上野国衙は、小次郎の参内に介の藤原尚範(ひさのり)が正式に応じることはなく、事前に(したた)めてあった解文を門前で手渡しただけで交渉を終えた。小次郎にしてみれば、虚礼による時間の浪費を極力避けたかった為、上野介の無礼な対応さえ寧ろ好都合であった。

 辟易したのは、門前で待ち構えていた住民達の歓迎であった。

「将門様、どうか、坂東を束ねてくだされ」

「不死山の灰が降り積もって、今年の作付けは全滅です。何卒将門様のお口添えで、租調の減免を(すけ)様にお願いくださいませんか」

「未だに野盗が蔓延(はびこ)っています。国衙は何の策もしてくれません。その白い虎ゾイドの方をここに残し、どうか我らをお守りください」

 村雨ライガーとムラサメソードの峰に留まるレインボージャーク、ソウルタイガーとバンブリアンは身動きも取れない程に群衆に囲まれた。

 民を重んじ、民を愛する小次郎であったが、群衆が口々に唱える訴えを聞く間に言い知れぬ違和感を抱いていた。

 この者達は、時の為政者を頼り、自ら何かを成し遂げようと考えていない。普段より見知った下総の民であれば、小次郎を慕って集まってくれるのもわかる。だがこの者達は、一度として顔を見たこともなかった平将門という剛の者に(あやか)ろうと集まっている。

 不利となれば負け戦の時の伴類の如く、掌返して散会するだろう。

 一抹の虚しさを抱き、遠く広がる赤城山の山裾を風防越しに見据えた刹那、小次郎は赤城山の麓を流れる利根の濫流より浮上する陵墓の如き巨体を捉えた。

〝ドラグーンネストが現れました〟

 逸早く異常を感知し、坂上遂高はソウルタイガーを身構えさせる。小次郎達の動きに気付いた群衆は、最初は何人かが利根の河原を指差し、そしてその先に横たわる巨大な陵墓がゾイドと知ると、途端に悲鳴を上げ蜘蛛(グランチュラ)の子を散らすが如く門前より去って行く。

「レインボージャークは国衙の裏へ行け。バンブリアンは地上からの攻撃に備えレインボージャークを援護。遂高、奴の(はさみ)が開いていくのが判るか」

〝見えます、あれがネプチューンに相違ありません〟

 巨大喇蛄(ざりがに)型ゾイドの鋏脚(きょうきゃく)が上下に分かれ、内部より赤く蠢く異形のゾイドが姿を現す。

「バイオメガラプトル――否――あれが、バイオヴォルケーノか」

 全身に紫水晶の剣を纏い胸部バイオゾイドコアを赤く明滅させ、クリムゾンヘルアーマーの赤い構造色で全身覆われた骸骨竜が、またも小次郎の前に立ち塞がったのだ。

市井(しせい)で戦は出来ぬ、利根の河原まで突っ切るぞ」

〝承知〟

 村雨ライガーは村雨ブレードを逆立て疾駆する。

 ソウルタイガーは前肢ソウルバクナウを剥き出しにして村雨ライガーに続く。

 赤い竜は頭部をゆっくりと右回りに巡らせると、禍々しい嗤い声を響かせ、脚部付け根のバーニングジェットを噴き上げ碧い獅子と白虎に向かい突入していった。

 

――オン アク ウン――

 設けられた三角炉の護摩壇に紅蓮の焔が燃え上がる。血の色を想わす赤黒い袈裟を纏った僧が頻りに人形(ひとがた)を焔に投げ入れる。

 数は百八。

 人形に記された名は〝平将門〟。

 怨敵となる名を書き入れた憑代を火中に投入しつつ、大威徳明王の真言と印を切り跡形も残さず焼き尽くす。次第に減って行く人形の間に、丹(硫化水銀)で彩られた鉄製の小振りな武具が並べられていた。

――オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ――

 鉄粉が火の粉を舞い上げ護摩壇を照らす。

――怨敵、調伏――

 赤い骸骨竜に模した焔が護摩壇に燃え上がっていた。

 



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第八拾九話

 利根川沿いに点在する田畑を踏み躙り、百姓宅を吹き飛ばし、進路上の屋敷森も薙ぎ倒しながら、バイオヴォルケーノは肉薄してきた。

 河原を目指して右寄りに身体を傾ける村雨ライガーの行く手を、赤い骸骨竜が遮る。振り下ろされるブレイズハッキングクローと、跳ね上がるムラサメブレードが切り結び火花を散らす。重心低く四肢を踏み締める村雨ライガーが競り勝ち、ヴォルケーノの鉤爪は弾かれた。僅かに仰け反る瞬間を狙い、碧い獅子が前肢のストライクレーザークローを横殴りに叩き込む。だが次の瞬間、赤い竜の姿が掻き消えた。

〝上です〟

 ソウルタイガーの遂高が絶叫する。回避のため横殴りの勢いを借り、ムラサメブレードを突き立てたまま横転した。天空より降り注ぐブレイズスパイク。再び竜の爪がムラサメブレードと火花を散らし、押し返された反動を利用し空中で一回転すると、互いに体勢を整え睨み合う。

 小次郎の予想は完全に裏切られていた。

――上野権介たる者が操るゾイドが、牒も送らず矢合わせもせず、況してや領地領民を害してまで戦うことはないだろう――

 だが敵は知行地が荒れることなど歯牙にもかけず、只管に小次郎達を狙って来たのだ。

 ヴォルケーノは頭部を緩慢に巡らせ両腕ごと鉤爪を突き出した。村雨ライガーの頭部を襲う素振りで、切っ先を向けていたムラサメブレードを頑強に抑え込む。白刃を掴んだ骸骨竜の身体が僅かに宙吊りになった直後、間髪入れずブレイズスパイクを頭部操縦席に叩き込む。

「見せかけか」

 村雨ライガー頭部のカウルブレードが一斉に逆立ち、辛うじて脚部の鉤爪を刎ね返す。しかし赤い骸骨竜は碧い獅子の抗いを嘲笑うかの如く、ブースターの加速を伴う重い足蹴りで村雨ライガーを投げ飛ばした。

 激しい振動に小次郎の顔が歪む。悲鳴のような軋みを上げて、村雨ライガーは横臥した。

 無防備に脇腹を晒す碧い獅子に、赤い竜が止めの一撃を加えようと接近する。間隙に、白虎が強引に割り込んだ。ソウルバグナウとブレイズハッキングクローが噛みあい、ヴォルケーノとソウルタイガーの押し合いの構えとなって留まる。

〝将門殿、早く、早く立ち上がってくれ。長くは持たぬ〟

 村雨ライガーの身を起こした小次郎は、碧い獅子の全身が田圃の泥濘で塗れていることに気付いた。踏み(にじ)られた稲穂が哀れに絡まり、掘り返された耕地は無残に下土(したつち)を露呈している。

――これ以上田畑を荒らすことは許せぬ――

 小次郎の怒りが頂点に達した。

「将門ライガー!」

 霰石色の輝きを纏い、無限なる力を有する獅子が降臨した。

 

 ドラグーンネストの艦橋で映し出される映像に、二振の太刀を(かざ)す煌めく獅子が現れた。平貞盛にとってエヴォルトを見るのは三度目だった。一度目は結城の夜襲、二度目は他田真樹を失った信州千曲川の戦い。エヴォルトの度に村雨ライガーは卓越した戦闘力を発揮し、仇為すゾイドを悉く打ち破って来た。

「小次郎よ、その強さが己を滅ぼすことにまだ気付かぬのか」

 竹馬の友であり父の仇、そして数多くの部下を殺された。それでもまだ小次郎を心底から責める気持ちに成らないのは、自分自身の未練なのかと自問する。

小鴉丸(こがらすまる)唐皮(からかわ)を背部射出口に移動せよ。私も出撃する」

 貞盛は映像に背を向け、惑溺を断ち切るかの如く格納庫へと続く扉に消えて行った。

 

 小次郎はヴォルケーノの背後に朧気(おぼろけ)に浮かぶ、憤怒の明王の姿を捉えていた。六面六臂六足(ろくめんろっぴろくそく)にして髑髏の瓔珞(ようらく)をかけ水牛に乗り、手には剣、弓、棍棒などの凶悪な武具を構えている。聞き取れぬものの、遥か遠くで唱えられる真言が耳朶の奥で韻韻と反響している。紛れもなく、呪詛が小次郎自身を狙っているのだ。

――神が悪を守るのであれば、俺は迷わず神を討つ――

 霰石色の獅子は、組みあったままのソウルタイガーとバイオヴォルケーノに向け突貫していた。小次郎の呼吸を読んだ遂高が絶妙の間合いでソウルバグナウを解く。勢いを削がれ前傾姿勢で白虎のレーザーネストに斬り込む赤い竜の腕に、将門ライガーのムゲンブレードが振り下ろされた。玻璃の飛び散る音が響き、利根の水面に紫水晶の破片が飛散する。

〝リーオの太刀を防いだだと!〟

 ヴォルケーノ上腕より生えた紫水晶の角、クリスタルスパインは、ムゲンブレードの斬撃に破砕されたが、白刃がクリムゾンヘルアーマーに達することはなかった。爆裂装甲(リアクティブアーマー)、クリスタルスパインは流体金属装甲への直接の斬撃を防ぐ鎧となっていたのである。数十に亘ってずらりと並ぶ紫水晶の峰を全て打ち砕くのは容易ではない。

「ここは俺がやる。遂高はドラグーンネストからの増援を防げ」

〝ネプチューンは隔壁を閉じました。増援はおりません〟

 疾駆する将門ライガーの風防より、遂高の言葉を確かめるべく僅かに振り向いた。小次郎の眼にも隔壁を閉鎖し防御態勢を整える巨大喇蛄の姿が映る。子飼や堀越での戦と異なり、単機出撃の独断専行なのだ。小次郎がドラグーンネストに心を奪われた一瞬の隙を突き、これまで目にした事の無い閃光が飛来していた。

 光圧が大気を切り裂き、衝撃波が将門ライガーに迫る。バイオヴォルケーノ胸部より突き出た紫水晶の峰が分かれ、露出した銃身から赤黒い蛇の如き光の帯が延々と伸びていた。小次郎は天賦の才により、寸での処で赤黒い光を回避する。だが閃光が伸びる先に、薄紅色の集光板を輝かすソウルタイガーが残されていた。

「逃げろ遂高、それは荷電粒子砲ではない」

 咄嗟に集光板が閃光を無力化できないのを看破する。しかし、白虎に身を(かわ)す猶予はなく、赤黒い毒蛇が薄紅色の集光板に殺到して行った。

 粉塵を撒き散らし、ソウルタイガーが水飛沫(みずしぶき)を上げて叩き付けられる。立ち上る蒸気の壁の奥に、レーザーネストから伸びるエネルギーチューブを荒々しく切断され、右の集光板が醜く(えぐ)られた白虎が横たわっていた。

「遂高!」

 小次郎の問い掛けに応えは無く、利根の流れが白虎と同じ色の波涛を立てるばかりであった。

 許さぬ。

 ヴォルケーノは小次郎の逆鱗に触れてしまった。

 獅子が獰猛な叫びを上げる。双眸に怒りを湛え、バイオヴォルケーノを中心に緩やかな歩調で回転を始めた。

 河岸丘陵から河原へ、そして川面へ。揺蕩(たゆた)う流れの飛沫を散らし、霰石色の煌めきが赤い骸骨竜を閉じ込めていく。獅子の動きの変化に、当初首を巡らし睥睨していた竜が獅子の影に向けテイルアックスを叩き込む。緩慢に歩む獅子の影は、しかし竜の凶悪な斧を素通りさせ、虚空を刻む響きを残しただけだった。影は次第に数を増し、七色の幻影となって竜を取り囲んで行く。

 取り囲む獅子の群れから強烈な斬撃がヴォルケーノ頭部に打ち込まれる。三つのクリスタルスパインが同時に崩壊し、竜は堪らず二三歩身を退く。後退した機体の反対側から同様の斬撃が放たれ、後肢付け根のバーニングジェットと腰中央の紫水晶が飛散した。

 クリムゾンヘルアーマーに次々と刀傷が刻まれていく。取り囲む円環の中心から逃れようと、ブレイズハッキングクローを振り上げ獅子の影に斬り込んでも、次の瞬間死角方向から鋭い斬撃が加えられる。バイオヴォルケーノはその度によろめき紫水晶の峰を失う。

 度重なる斬撃に紫水晶の峰が砕かれ、ヴォルケーノは見窄(みすぼ)らしい姿に成り果てていく。美しくも冷徹な戦いの一部始終を、周囲の百姓衆は固唾を呑んで見守っていた。傍から見れば、それは虹色の檻に閉じ込められ(もてあそ)ばれる哀れな獣であった。苦し紛れに前屈姿勢となり、胸の紫水晶より銃身が突出し光を宿す。しかし将門ライガーは斬撃を情け容赦なく叩き込み続ける。

 竜は狙いを定めぬまま、虹色の壁に閃光を放った。

 メタルZiの鎧が光を拡散させる。大輪の菊花が花弁を散らし、赤黒い帯は黄橙色の火花と化して利根の河原と川面に乱れ飛ぶ。大地を穿(うが)ち、屋敷森を焼き払い、下草を焦がす燎原の炎となって燃え広がり、炎の中央で悲痛な咆哮を上げる骸骨竜の首が(もた)げていた。

 虹色の旋風となった将門ライガーの白刃が一斉に振り下ろされた。流体金属装甲が鮮血が(ほとばし)るように飛び散る。

 将門ライガーの歩みが停まり、再び影が一つとなった時、バイオヴォルケーノは骨格だけの文字通り骸骨となって立尽くしていた。

 赤い流体の飛沫に塗れ、二振の太刀に竜の表皮を纏う将門ライガーは鬼神さながらの容貌であった。だが容貌とは裏腹に、小次郎の呼吸は穏やかな脈動を取り戻していた。

 蛮勇に任せた野盗の如き襲撃とはいえ、操るは公儀上野権介だ。ここで息の根を止めるのは簡単だが、後の申し開きに面倒が掛かる。既に将門ライガーの威力を示すこともできた、そして。

〝思わぬ不覚を取りました。面目次第も御座らぬ〟

 飛び込んできた声から、遂高の無事を確認出来たからでもあった。

 怒りの昇華と共にエヴォルトが解除され、再び碧い獅子へと姿を戻す。ムラサメソードを背部に戻し、満身創痍で(うずくま)る竜を見下ろしていた時であった。

 頭上に翼を持つ黒い獅子が現れた。

 そのゾイドに見覚えがあった。石田荘で叔父平国香(たいらのくにか)が自慢げに語った記憶が呼び起される。貞盛が左馬允(さまのじょう)就任に際し、ソラに献上したと聞いた漆黒のライガー零である。

「太郎なのか」

 国香が供した具足(チェインジングアーマー)に翼を持つ鎧など無い。だが紛れもなく貞盛だとわかる。戦を終えてから飛来する鮮やかな手際、ドラグーンネストを率いる武将、そして零。

 一瞬であった。村雨の前に翼を(すぼ)めて着地したかと思うと、(うずくま)る竜の骸を四肢と顎とで抱え込み、目にも留まらぬ早さでドラグーンネストの潜む方向へ飛び去っていく。

「お前はいつもそうだ。正面から衝突するのを避け俺を嘲笑うのだ」

 村雨の跳躍力では空を舞う零に達し難く、小次郎は無為に歯噛みをして蒼空を見上げるほか手立ては無い。

「太郎貞盛、お前は、お前という奴は……」

 その具足がソラより下賜された唐皮、鳳凰(フェニックス)と小次郎が知るのは、後の事である。

 



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第九拾話

【無念でしたな浄蔵殿。大威徳法を以てしても、将門調伏を成し得ること叶わぬとは。やはりここは拙僧の大元帥法にて再度祈祷を行いましょうぞ】

【急き立てるものではない。泰舜殿、あれは権介惟条が迂闊であった故に仕損じたこと。ドラグーンネストとの連携を充分に行っておれば、小勢の将門を仕留められたものを】

【左様。然れど恐らく将門も増援を呼び備えを構えておるであろう。最早ヴォルケーノに零を加えただけでは敵うまい】

【さすれば手勢を加えましょう。下野には藤原秀郷が龍宮より貸与されたバイオゾイドが温存されておるはず】

【俵藤太め、知らぬ顔をしてまんまとバイオゾイドをせしめておったか。早速御教書(みきょうしょ)を送りドラグーンネストと合流させようぞ。

 では、藤太のバイオゾイドは土魂に任せるとして、ヴォルケーノの乗り手は如何に】

【武蔵守に百済王貞連(くだらのこにきしさだつら)を任じた際、同時に武蔵権介に赴任した小野諸輿(おののもろおき)を命じておる。さて次に何方が咒を唱えるかだが】

【では次なる祈祷、尊意様の不動明王法先んじ四天王法での調伏をお許し願えますか】

【良かろう。律と天台を併せる加持に期待しよう。皆も相違無いな】

【……天台座主の尊意様に意見する者などおりません。では明達阿闍羅、これより所作に入ります。まずはヴォルケーノの強化より執り行う】

 護摩壇を降りる浄蔵の貌には、ありありと不満の表情が残る。袈裟を仰々しく振り上げる明達の手印が次々と組み直され、同時に四つの咒が唱えられる。

 

――オン ベイシラマンダヤ ソワカ――

 

――オン ヂリタラシタラ ララ ハラマダノウ ソワカ――

 

――オン ビロダキシャ ウン――

 

――オン ビロバキシャ ナギャ ジハタ エイ ソワカ――

 

 遠く離れた坂東で、四つのコアの胎動が始まっていた。

 

 黄金の鬣を逆立て、碧い獅子が疾駆する。主の感情の昂ぶりが、そのままゾイドに伝わっている。操縦桿を握る小次郎の奥歯は、言い知れぬ悔しさの為に噛み締められ、眉間には理不尽な宿世を心底より呪う怨嗟の皺が寄せられていた。

「なぜ桔梗ばかりがこんな仕打ちを……」

 小次郎の血を吐くような恨み言を聞いたのは、その場で共に疾駆する村雨ライガーのみであった。

 村雨ライガーが単独行動を行っていたのは、小次郎が如何にしても再訪しなければならない場所があったからだった。上野への往路で桔梗を診察し、持ってあと数年、悪くすれば半年の命と診断した医師高木兼弘の診療所である。義父良兼の危篤を慮り、急ぎ診療所を後にしたものの、兼弘は他にもまだ桔梗の症状について調べると約束をしてくれていた。

 桔梗が生き延びる手立てが見つかるのであればどの様な手段も厭わない。

 幸いにして、ソウルタイガーの損傷は集光板二枚に留まり、歩行に支障を及ぼすことはなかった。加えてバイオヴォルケーノの暗躍を察知した伊和員経が、営所の守りを藤原玄明のランスタッグ部隊に委任し、合流の為デッドリーコングで向かっているとの報せも受け取っている。そして何より、事情を知る良子が小次郎に懇願していた。

――桔梗殿を助ける方法が見つかっているかもしれません。私たちは大丈夫です。傷ついたあの赤い竜もすぐには襲って来ないでしょう。あなた様だけでも兼弘様の元へ行き、治療の教えを請いて来てください、お願いします――

 良子の言葉に肯き、小次郎が一縷の望みを賭け、手勢を離れ療養所のある只上に単機にて向かったのはその日の朝であった。

 半日ほど走り続け、上野只上の診療所に到着したのは、間もなく日が頂点に達しようとする頃である。太陽を縦断する軌道ケーブルの影を遠望しつつ、呼吸荒々しく現れた小次郎を見て、兼弘は食事を摂るとの理由を付けて一旦診療を区切り、小次郎を他に傍耳を立てる者のいない狭い部屋に通すのであった。

 薬の臭いが鼻を突く部屋で、小次郎は幾つかの読み取れない書類を提示された。兼弘が重苦しい表情を浮かべているという様子だけで、事態が好転していないことだけは判った。

「遺伝子検査を精緻に続けた結果、信じられぬことが判りました。桔梗様の染色体は、ディプロイド(2n)に非ずトリプロイド(3n)、有態(ありてい)に申せば、通常のヒトの肉体の五割増(ごわりまし)を持って産まれてきた。故に、プロジェリア症に罹患していながらも身体の成長に支障なく生きて来られたのです」

 徐に口火を切ったが、その高名な医師が何を説明しているのか到底理解はできなかった。

「専門的な用語を使う事、お許しください。しかしこれは到底信じられぬ症例なのです。

 あの女人は、成長を促進させるためミューテーターと呼ばれる突然変異の発生率が異常に高い個体として産み出された可能性が高く、それも人為的に調整され、単為生殖(アポミクシス)によって己の細胞を増殖、培養された形跡まであります。但しその代償として、桔梗様は子を宿すことができぬ肉体なのです。

 機械生命体ゾイドの場合、コアの増殖によって大量培養する技術は、(いにしえ)のオーガノイドシステムより伝わっております。しかしそれをヒトに適応させる技術を持つ連中。

 龍宮ディガルドを措いて、私は他に存じ上げません」

「また龍宮なのか」

 紫の君にせよ、桔梗の前にせよ、生命を弄ぶが如き龍宮の振舞いに、ぶつけ様の無い怒りが小次郎の中で込み上げる。そして背後に見え隠れするソラ、天上人の姿と、その手先となり暗躍する俵藤太への怒りの炎が燃え上がっていた。

 

 小次郎の帰還を待ちつつ移動する良子達のゾイド群が、上野と武蔵、そして常陸との国境に差し掛かっていた頃。間道を進むバンブリアンの前に、梢を越える小山の如き黒い猩々が現れていた。

「デッドリーコング、かずつねさんだ!」

 桔梗の膝の上、目敏くデッドリーコングを見つけた多岐が歓声を上げる。無垢な笑顔を浮かべる少女の瞳を見つめ、桔梗は〝以前の自分〟の養父と名乗った上兵のゾイドを凝視していた。

 あれから膝の痛みや脱力感は小康状態となり、目のかすみなども和らいでいる。或いはあの医師の言葉は幻聴ではなかったかと、半ば願いを込めた想いを巡らすバンブリアンの操縦席の中、伊和員経からの伝文がバンブリアンとレインボージャーク及びソウルタイガーに一斉に送られた。

〝災難でしたな遂高殿。奥方様も多岐様もお怪我はありませぬか〟

 敢えて最も気掛かりな者の名を呼ばぬことが、律義な武士の不器用さである。

〝桔梗殿もお元気ですよ〟

 気を利かせた良子が、レインボージャークから返信する。〝それは僥倖〟と短く往信し、〝ところで〟と続ける。

〝客人を伴っております〟

 デッドリーコングの巨体に隠れていた大型ゾイドが、四肢を踏み締め小次郎達の前に姿を現した。

「エレファンダー? エレファンダーでしょ、はじめてみた。大っきいはなと耳、コマンダータイプだ……」

 目を輝かせ身を乗り出す多岐越しに、桔梗も見覚えある藍色の象型ゾイドを見つめる。

(あのゾイドは、確か狭服山で見た興世王という武蔵権守の機体)

 真っ先に自分を〝孝子〟と呼んだ武官である。郡司武蔵武芝との諍いは収まり、武蔵国衙に登庁している筈の人物が、何故この辺鄙な国境に現れたかを訝しむ。丁度その時、機体幅程度しかない間道を走り抜けて来た村雨ライガーが小枝《こえだ》を纏いながら到着合流していた。

 

 火山灰避けに張られた陣幕の中、小次郎達は興世王を囲み、事と次第の経過を聞かされていた。

「思うに敗走して上洛した源経基が、有りもせぬ事をソラにつらつら訴えたに相違ない。

 任期途中の上総介を解任され、新たに百済王貞連(さだつら)が武蔵守に赴任したのだが、私とは姻婭(いんあ)の仲であるにも関わらず、最初から足立郡での一件を持ち出し私の国庁への着座を拒みおった。最初から将門殿との繋がりを疑ってのことであろうが無礼千万である。

 どうにも腹に据え兼ね、下総石井の営所に伺おうと出立した矢先、員経殿のデッドリーコングを眺望した。訊けば将門殿は上野よりの帰路とのこと。旧交を温めるのも一興と、急ぎ参じた次第である」

 一方的に捲し立てる興世王を尻目に、相変わらず弁が立つ方だと、その場にいた者全てが感じていた。

「用心なされ将門殿。同時に赴任した権介の小野諸輿(おののもろおき)という御仁、先の武蔵国小野牧(おののまき)別当にして、武勇の一族である。

 私が掴んだ報せによれば、なにやら下野の俵藤太より荷が届き、加えて見慣れぬ翼を持つ黒獅子まで飛来したと聞く」

 滔々と語られる興世王の不満話に、幾分辟易として話半分で受け流していた小次郎の表情が急激に強張る。

「太郎貞盛だ」

 興世王への返答ではない。加えて告げられた俵藤太の名が更なる緊張を漲らせる。

「殿、バイオヴォルケーノと翼を持つ零に加え、藤太が暗躍しているとすれば」

「貞盛が赤い竜の骸をわざわざ持ち去ったのは、あの骸にまだ利用価値があるということだ。良文叔父の凱龍輝との戦いからも、赤い竜は再度甦ってくると考えるべきだろう。

 この国境地帯は国衙の眼の届かぬ絶好の奇襲場所。一刻も早く村雨や疾風の優速を生かせる平地まで急ぐぞ」

 貞盛との決着を一刻も早く付けたい。だが良子や桔梗、小太郎と多岐を背負った状態で複数のバイオゾイドに襲撃されれば、先の利根河原での戦のようにはいかない。デッドリーコングを加えたところで絶対的優位は保てない。小次郎はじりじりと焦る気持ちを抑えつつ、愛機に向かい駆け出していた。

 村雨ライガーを前にして、小次郎は呼び止められた。

「殿、あの場ではお伝えできなかったことがあります」

 小走りで並走する伊和員経が、幾分声を潜めて近づく。

「藤原純友殿よりの使者、藤原三辰という方が、ストームソーダージェットにて殿の御不在中に来訪されました。ソラの動き、龍宮の動き、そして咒を唱える奉幣使の情報です。摂政忠平は、殿を見限っているのではとの純友殿の書簡を伴って」

「純友殿からとな」

 村雨ライガーの鬣に攀じ登る小次郎が手を止め、員経に振り向く。

「であれば尚更営所に戻り、書簡の内容を確認せねばなるまい。急ぐぞ員経」

 承知、の声を背後に聞きながら、小次郎は僅かな悔悟の念を抱いていた。

 見限られたか。

 既に小次郎の中で、ソラへの期待は地に落ちている。だが、藤原忠平という名と、それに繋がる蔵人頭藤原師氏を思い出すと、若き日に仕えた旧恩を、今は懐かしく感じられた。

 平将門追討の為、四匹の赤い竜が迫っていることを知らずに。

 

 



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第九拾壱話

 石井営所へ急ぐ小次郎達の一行であったが、下野から常陸に差し掛かった頃より、手負いのソウルタイガーが、目立って遅れるようになっていた。下総の国境(くにざかい)まで目前というのに、白虎は疲れ切った老虎のように息も絶え絶えに歩んで行く。やがて前脚二本同時に(つまづ)き、前のめりになって地表に倒れ込む。行軍を停止し、ソウルタイガーの元に駆け寄った小次郎は、白虎の装甲に広がる(おぞ)ましい紋様を目にする。原因は明らかであった。

「ゾイドウィルスに罹患している」

 バイオヴォルケーノによって破壊された部分を中心に、赤い斑点が同心円状に装甲を蝕み繁殖している。金属の鎧を持つとはいえ、ゾイドも生命体である。傷が癒えぬ機体には過酷な行軍を続けたため、ウィルスに対する抵抗力が低下し感染したと推察された。踏破してきた地域は源護(みなもとのまもる)の所領(現時点で実質上平将門が制圧)であり、つまりゾイドウィルスが猛威を振るっている伝染地帯でもある。

「面目次第も無い」

 頻りに己の失態を詫びる坂上遂高に、同伴者となった興世王が殊も無げに声を上げた。

「ワクチンなら、然るべき施設さえ整えば合成できますぞ」

 一斉に振り向く視線にたじろぐが、直ぐさま興世王は得意気に語り出す。

「国衙のゾイドは危急の事態に備え、大抵ワクチンプログラムは備えておるものなのだ。このエレファンダーとて例外ではないが、他のゾイドとなると若干の書き換えを施さねばならず、このような場所では書き換えも接種も不能である。ソウルタイガーをこれ以上動かさぬようコアを休眠状態にさせ、グスタフなどで牽引するのが良かろう。営所であれば一通りの施設は整う筈だが、迎えを頼むこと叶わぬか」

 周囲を一瞥する興世王の問いに、いち早く良子が名乗り出た。

「ここは既に下総の地。レインボージャークで石井に向かい、急ぎ迎えを遣しましょう。黒い翼を持つ獅子ならば、レインボージャークであれば幾らでも対処できますし、万が一、また空飛ぶバイオゾイドが現れるやもしれませんので、文屋好立殿のサビンガと、四郎様のナイトワイズにも迎えに来てくれるようお声がけしましょう。いかがですか」

 それまで単独飛行を恐れていた小次郎も、良子の言葉に納得し頷く。

「頼む」

「はい」

 大地に伏す白虎を見下ろし、程なくして良子と小太郎良門を乗せたレインボージャークが羽ばたいていった。

 

 ウィルスへの罹患を防ぐため、村雨ライガーなど他のゾイドはソウルタイガーから適度な距離を置いた場所に留まり、コアの活動を停止されたソウルタイガーを隔離状態にしていた。(うずくま)る白虎の損傷個所を見上げ、小次郎が呟く。

「この傷、員経は如何に思う」

「荷電粒子砲による損傷ではありませぬな。レーザーや火薬、通常の運動能力弾による破壊とも異なります。強靭な抵抗力を持つソウルタイガーがウィルスに罹患したことからも、何らかの生体兵器である可能性もあるものかと。敵は未だ得体の知れない〝バイオ〟ゾイドですので」

 小次郎の記憶に刻まれた赤黒い光の帯。それは閃光というには程遠い、どす黒い光沢を帯びた光であった。同じ光を将門ライガーも浴びているが、七色に分身し高速で疾走していた将門ライガーの霰石色の装甲は光を弾き無傷であった。無限なる力を宿す村雨ライガーの究極態であればこそ、と考えれば済むことではあるが、攻撃を弾かれた以上、敵は――太郎貞盛は――それを上回る攻撃法で挑んで来るに違いない。

 ゾイドらしき足音が小次郎の耳朶を打つ。静寂を破り、バンブリアンが低木を掻き分け小次郎達の前に現れた。

「敵が来ます、数は5」

 操縦席より身を乗り出した桔梗と、その背中に必死に捉まる多岐の姿が見える。小次郎は即座に愛機に向かって駆け出し、それを追って伊和員経、そしてバンブリアンが続く。小次郎は走りながら怨嗟の独言を吐く。

「こんな時に敵とは。5匹ともヴォルケーノなのか」

「1匹はヴォルケーノ、残り3匹は、(あしおと)からしてバイオメガラプトルです」

 頭上遥かのバンブリアン操縦席から、桔梗の張り上げた声が降る。

「バイオメガラプトル、まだ生き残っていたか。――其方、跫で聞き分けられるのか」

「詳しい事は後です。それより最後の1匹は空を飛んでいる。あの黒獅子の音によく似ているが、風を切る音から純粋な鳥形ゾイドらしい。レインボージャークを追っているのかもしれない」

 間もなく村雨ライガーの操縦席に収まり、伊和員経がデッドリーコングを起動させるのを脇目で見ながら、小次郎は桔梗に驚異的な聴力があることを悟った。

(であれば、医療所の衝立(ついたて)越しの兼弘との会話も聞かれたということか)

 己の過酷な宿命を、桔梗が既に察知していたことに気付くのであった。

 

諸輿(もろおき)、何故に我を追って来た」

 異質なバイオゾイドの胎内より、人の姿が露出しているのは異様である。

「基より権守の任を投げ打ち、野に下った咎は許されざるべきこと。守貞連(さだつら)様の命により、速やかに都に戻りなされ」

 小次郎達がゾイドで駆けつけた時、そこにヴォルケーノの腹部搭乗席を開き、土魂によく似た具足頭部を脱いで素顔を晒す兵がいた。

〝殿、あの時の機体です〟

「ああ、そのようだ」

 クリムゾンヘルアーマーは以前同様に回復し、紫水晶の刃も生え揃っている。だが流体金属装甲の端々には僅かに刀傷が残り、将門ライガーの激しい斬撃に晒された痕跡を刻み込んでいた。不思議なことに、不自然に右のブレイズハッキングクローを振り上げている。背後に3匹のメガラプトルらしき竜が(うずくま)るが、その姿は以前の機体と大きく異なっていた。

「其方の指図は受けぬ。我は将門殿と共に下総に参る」

 興世王もまたエレファンダーに搭乗し、頭部装甲を開放しながら応じている。

「それなる平将門は、公儀による追捕状を受けた謀反人である。武蔵守百済王様の命に逆らい、謀反人の元に(はし)る以上、貴公も追捕の対象となることを知った上でのお返事か」

「これは異なことを申される。将門殿こそ坂東の覇者、(まこと)の坂東武者なるぞ。そのバイオゾイドとて、嘗て将門殿に倒された死に損ないであろう。虚仮威(こけおど)しなど通用せぬ。さっさと潔く武蔵国衙に戻られるがよかろう」

 興世王は、小次郎を後ろ盾にして横柄に振る舞う姿が露骨であった。ヴォルケーノに乗る小野諸興は動じることなく、寧ろ思惑通りという口調で言い放つ。

「宜しかろう興世王殿。貴公の(はかりごと)がよう判った。

 平将門、念のために尋ねる。お前は興世王を我らに渡す心算は無いか」

「無い」

 即答であった。

 窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)に入れば猟師も殺さず。

 小次郎の義侠心がまた、彼を窮地に導いて行くのである。

「相分かった。談判は決裂した。これ以上容赦はしない。ソラ、小一条院忠平様の命により、興世王ならび平小次郎将門を討つ」

 振り上げていた右のブレイズハッキングクローを緩慢に大地に突き刺すと、爪の先に結えていた包みが解かれ、中から開戦を示す(ちょう)が現れた。操縦席の装甲を閉じ、一斉に骸骨竜が立ち上がる。

 嗤い声の如き雄叫びを上げる骸骨竜達の色は、全て灼熱の溶岩色に彩られていた。

 村雨ライガーの前に、バイオヴォルケーノ、そして同じく溶岩色をした3匹の真っ赤なバイオメガラプトルが立ち塞がった。

 

 レインボージャークの最大速度を以てすれば、石井の営所まで幾許(いくばく)も無い。しかし、幼子小太郎を抱いたままの高速飛行は躊躇われる。味方の制圧圏内という安堵もあり、良子はソウルタイガーの窮状も暫し忘れ、穏やかな蒼空の飛行を楽しんでいた。

「お前が飛んでくれたのは、小次郎兄さまと契りを結ぶ約束をした時でしたね」

 レインボージャークの狭い操縦席の中、想い人の温かい胸に包まれ、互いの一生を寄り添い分かち合おうと決意してから幾星霜が過ぎ去った。孝子、彩、そして桔梗と、何人かの女性が、夫の側を通り過ぎて行ったが、愛するひとは只管に妻である自分を愛し続けていてくれる。婚儀に反対し、営所で言い争った父良兼ももうこの世にはいない。末期の水を取れたのは、せめてもの罪滅ぼしとなれただろう。ふと想い出に涙ぐむ母の顔を、小太郎が不思議そうに見上げていた。

「大丈夫ですよ、ほら、石井が見えてきました」

 館の上空に、離陸直後のサビンガとナイトワイズが出迎えている。

「好立殿、それに四郎様、お迎えありがとうございます」

 声を出したところで届くことはないが、良子は嬉しげに手を振った。

「ここが、私の住いなのだから」

 レインボージャークが次第に高度を下げ、降下体勢に移行していた時である。眼前を黒い烈風が切り裂き、忽ちナイトワイズを巻き込み落下させた。

「何が起きたの!」

 菫色の孔雀が悲鳴を上げ降下体勢を解除する。フェザーカッターを羽ばたかせ、その場に留まり周囲を見渡す先、良子は見慣れない黒い猛禽ゾイドを発見した。

「あの翼、あの時の黒い獅子と同じ物。まさか、太郎貞盛のゾイド」

 レインボージャークの前にも、零とのユニゾンを解除した飛行ブロックス、貞盛の操る黒い鳳凰(ブラックフェニックス)が立ち塞がっていた。

 



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第九拾弐話

 石井営所上空を、菫色の孔雀と黒い鳳凰が激しく縺れ合い螺旋を描く。

 空戦性能は拮抗していた。だが小太郎良門を庇いレインボージャークの急制動を利かせられない良子は、貞盛の操るブラックフェニックスに次第に追い詰められていく。

 サビンガが果敢にフェニックスに挑むが、偵察能力に特化した小型飛行ブロックスでは、純粋な空戦型ゾイド相手には荷が重すぎた。

「好立殿!」

 小さなモモンガ型ゾイドは、フェニックスの翼が巻き起こす衝撃波に煽られ成す術もなく失速、仰向けとなって落下していく。

 抑制してはいるものの、レインボージャークの断続的な急加速によって小太郎は恐怖し、火のついたように泣き続けている。

「許して。でもあなたは平小次郎将門の嫡子、今は耐えるのよ」

 目尻に悔しさと怒りの涙を湛え、良子は幼い我が子を顧みる。(さかのぼ)れば、共に高望王の後裔たる桓武平氏。小次郎も良子も、そして太郎貞盛も従兄妹同士である。だが同じ血統とはいえ、貞盛は自分とも夫小次郎とも大きく異なり、厭らしい迄に狡猾であることを呪う。孝子を見殺しにし、乗機としたゾイドを見捨て、将門ライガーに敵わぬと見れば脆弱な妻子を付け狙う。理に叶った策と言ってしまえばそれまでだが、そこには荒々しくも朴訥な坂東武者たる誇りが見えない。

「こんなことが前にもありました。あの時は空飛ぶバイオゾイドに不覚を取ったけど、今度は絶対に諦めない。貞盛、あなたなんかに!」

 良子の言葉とは裏腹に、後方から追い縋るブラックフェニックス腹部のチャージングミサイルは、確実にレインボージャークを捕捉していた。

 

 村雨ライガー、デッドリーコング、バンブリアンに対し、溶岩色のバイオメガラプトル3匹が躍りかかった。2匹がヒートハッキングクローを振り上げ迫り、後衛の1匹は口腔から豪雨の如くヘルファイアーを撃ち放つ。大地に堆積した火山灰が舞い上がり、視界を閉ざされた小次郎達のゾイドの前に、硝煙の壁を切り裂き凶悪な爪が現れる。構えたムラサメブレードが火花を散らすが、直後に激しい衝撃が村雨ライガーの頭部を襲った。硝煙の中に紫水晶の峰が光る。

「連携攻撃か」

 視界の利かない中、ヴォルケーノがブレイズハッキングクローを叩き込んだのだ。棟梁たる小次郎を着実に仕留めるためメガラプトルと連携し、デッドリーコングの援護を掻い潜り、驚異的な瞬発力で接近していた。咄嗟に逆立てたカウルブレードによって頭部操縦席への直撃こそ食い止められたが、金色の鬣の一部が刃毀れを起こしている。視界が晴れた頃、メガラプトル3匹は正三角形を描いて等距離に位置し、三角形の重心に小次郎達のゾイドを捉えていた。3匹同時にヘルファイアーを放ち、ヒートスパイクによる攻撃を代わる代わる仕掛け、反撃の(いとま)を与えず元の位置へ戻って行く。

 小次郎は以前のメガラプトルに比べ、格段に俊敏さが増していることを知った。ヴォルケーノが不気味な静寂を以て再度襲撃する機会を窺っている。

 速さで翻弄するのであれば、速さで勝負する。

 緋色の獅子が硝煙の壁を突き破り降臨した。

 

「はやてライガーだ!」

 バイオゾイドの猛攻に委縮していた多岐が、エヴォルトによって出現した緋色の獅子を見た途端に生気を取り戻した。バンブリアンはセイリュウサーベルによってメガラプトルの攻撃を辛うじて受け流していたが、依然戦況は不利なままである。

(こんな時に)

 戦闘の最中、桔梗は視界が次第に白濁して行くことを覚えていた。己の身体の劣化が進行している証しである。

〝桔梗、二足歩行形態とせよ〟

 デッドリーコングから届いた伊和員経の声が何を意図するかは直感で判る。背中合わせに立つ二機のゾイドが死角を補い合い、その周囲を高速で駆け巡る疾風ライガーは、文字通り硝煙の壁を斬り掃っていった。煌めくハヤテブースターより散布されるHYT粒子が火山灰を鎮め視界を開いていく。

 一刻も早く、この窮地を脱せねばならない。

 小次郎が叫ぶ。

「将門ライガー!」

 緋色から霰石色へ。二振の大刀を備える獅子が新たに降臨し、恰もその瞬間を待ち望んでいた如く、紫水晶の峰を輝かせて6基のバーニングジェットを噴き上げた赤い竜が突入した。

 一方、三角形の頂点を結んだ竜は一斉に移動し、死の猩々の背後で身構えるバンブリアンのみに殺到した。驚異的な瞬発力はデッドリーコングの棺桶から迫り出す稼働肢さえ追いつかなかった。

「あつい!」

 強化されたヘルファイアー焼夷弾の炎がバンブリアンを包み込む。悲鳴を上げる多岐を抱きかかえ、桔梗は焦点の定まらない瞳を正面に凝らす。白濁する視界の中、獰猛な竜の咢《あぎと》が、嗤い声を立てて迫っていた。

 

 炎に包まれるバンブリアンを前に、小次郎は怒りを込めた渾身のムラサメブレイカーでバイオヴォルケーノに斬りかかった。

 冷たく乾いた音色が戦場に響く。

「馬鹿な」

 利根の河原で戦った時には、メタルZi製の太刀の斬撃によって次々と破砕し、本体のクリムゾンヘルアーマーを庇ったクリスタルスパインが、ムラサメブレイカーの攻撃を砕けることなく受け止めたのだ。

 バイオヴォルケーノの口角が、ブレイズキラーバイトを光らせ嗤った様に見えた。先端にテイルアックスを備えた尾部が唸りを上げて将門ライガーを打ち据える。

「此奴、不死身(アンデッド)か」

 勝ち誇ったように右回りに頸を巡らすのは、以前のヴォルケーノの仕種に等しい。しかし赤い不死の竜は、着実にその戦闘能力を強化していた。

 此度の戦いは長引くやも知れぬ。だがそれでは多岐と桔梗が危うい。

 決着を急ぐ小次郎は、将門ライガーの二振の太刀を翼として広げ、一気に勝負を付けようと臨む。だが決戦の行方は、思わぬ形で幕切れとなる。

 

「あついよぉ、あついよぉ……」

 バンブリアンの中で熱さに苦しむ少女の声が響く。同時に桔梗の苦悶も続く。

《自分を姉として慕ってくれるこの多岐だけでも助けたい、でもどうすれば》

 縋りつく少女を覆い隠し蹲る桔梗は、背後で湧き上がる陀羅尼の詠唱を耳にした。

 

 怛姪他(たにゃた)

 晡律儞(ほりに)

 曼奴喇剃(まんどらてい)

 独虎(どっこ)・独虎・独虎。

 耶跋蘇利瑜(やばつそらゆ)

 阿婆婆薩底(あばばさち)

 耶跋旃達囉(やばせんだら)

 調怛底(じょうたち)

 多跋達(たばだ)

 洛叉(らくしゃ)

 (まん)

 嘽荼(たんだ) 鉢唎訶藍(はりからん) 矩嚕(くろ)

 莎訶(そわか)

 怛姪他(たにゃた)

 嗢篅里(うんたり)

 質里(しつり)・質里。

 嗢篅羅(うんたら)

 篅羅喃(たらなん)

 繕覩(ぜんと)

 繕覩(ぜんと)

 嗢篅里(うんたり)

 虎嚕(ころ)

 莎訶(そわか)

 

 桔梗の朧気な視界に、梵語の記された帯を螺旋を描いて解いて行く死の猩々の姿が映る。劫火の中、封印武装バーンナックルハリケーンの八振の刃を剥き出しにするデッドリーコングが浮かび上がった。

「あれは私が、前の私が解いた封印。お止めくださいお父様」

 無我夢中で、伊和員経を父と叫んでいた。

 その呼び名を待ち望んでいた筈の、員経からの応えは無かった。

 

【なんだあのコングは。金光明経の陀羅尼を詠唱しているではないか】

――ナウマクサマンダボダナン ベイシラマンダヤ ソワカ――

【金光明経は四天王を守護とするもの。明達殿の四天王法では調伏できぬぞ】

――ナウマクサマンダボダナン ヂリタラシタラ ララ ハラマダノウ ソワカ――

【空也め、遊行の立場を利用しこの様な絡繰りを仕込んでおったとは】

――ナウマクサマンダボダナン ビロダキシャ ウン――

【構わぬ、祈祷を続けさせよ。強化再生されたバイオヴォルケーノとバイオメガラプトルであれば平将門を倒せぬ筈がない】

――ナウマクサマンダボダナン ビロバキシャ ナギャ ジハタ エイ ソワカ――

【言い争っても詮無き事。絶やさず祈祷を続けよ】

 

 小次郎は鬼神となったデッドリーコングに戦慄した。

 嘗て堀越の戦に於いて孝子を乗せたまま暴走し、バイオゾイドの群れを蹴散らした姿である。だが操縦者など顧みず、野獣の本能に任せて暴走したことにより孝子の肉体は満身創痍となり、結果として貞盛の伴類に嬲り殺しにされたのだ。

 忠臣伊和員経も無事では済まない。されど暴走を止める手立てもない。手当たり次第に破壊し尽くす狂気の猩々の惨禍より逃れるため、将門ライガーは距離を置いて見据える他に方法はなかった。

 双眸に狂気を宿し、デッドリーコングは猛り狂う。

 韻々と響く陀羅尼を称え、赤い竜の群れに突進する。三角陣形を描くメガラプトルは、炎に包まれ倒れ込んだバンブリアンより標的を変え、ヘルファイアーの豪雨をデッドリーコングに降り注ぐ。

 焼夷弾が死の猩々を包み込んでいた。

 

「桔梗、多岐、無事か」

 攻撃目標から外れたバンブリアンに将門ライガーが駆け寄り、懸命に土を掘り起し燃え盛る焼夷弾の炎の鎮火を試みる。坂東平野に網目状に広がる無数の地下水系が幸いし、湿った土がバンブリアンに注がれ、みるみる内に白黒の愛らしい機体色に戻っていった。

 泥塗れで、湿った土から立ち昇る蒸気を纏いつつ、バンブリアンが立ち上がる。

「大事無いか」

〝こわかった。でも、孝子ねえさまといっしょだったから、こわくなかった〟

 操縦席から多岐の健気な声が伝わる。

〝戦況は一体どうなっているの。デッドリーコングは、員経様は?〟

 桔梗の悲痛な叫びも届いてきた。胸騒ぎを覚え、小次郎は娘に問い掛ける。

「多岐よ、桔梗――孝子は何をしている」

〝へんな方を見てる。おかしいよ、かずつねさんの方を見ていない〟

「まさか、(めしい)たか」

 桔梗はその時既に、光を失っていた。

 

 



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第九拾参話

 レインボージャークに追い縋るブラックフェニックスの腹部より、チャージングミサイルが撃ち放たれた。絶大な破壊力を有する灰色の猟犬は、緩やかな初速より炎を噴き、迷わず菫色の孔雀を狙い飛翔する。レインボージャークがどれほど必死に機体を翻しても、その都度進路を変えて嘲笑うかの様に追尾し続けて行く。

「一矢報いなければ、諦める事なんてできない」

 慚愧の言葉が、良子の口を告いで出た時であった。

 チャージングミサイルが真っ二つに切断され、飛散した。

 黒く尾を曳く爆煙の上を、鳳凰とは別の黒い翼が舞っている。レインボージャークの通信回線に、音声が飛び込んできた。

〝海賊衆魁師がひとり藤原三辰(みたつ)、ストームソーダージェットにて只今見参〟

 剃刀の如き刃を持つ翼竜が、レインボージャークとブラックフェニックスの間に飛来したのだ。

〝藤原純友の命により、平将門殿に助太刀致す〟

 それは、ソラと龍宮の動きを伝える為、小次郎の不在中に石井営所に飛来していた客人、藤原純友よりの使者であった。役目を果たし伊予日振島へと向かったものの、帰路の途中で石井の危急を聞きつけ急遽反転、迎撃の為に舞い戻って来たのである。

 名乗るが早いか、翼竜は黒い鳳凰に猛然と襲いかかった。

 頭部のトップソード、両翼のウィングソードを展開し、全身刃となって背部エンジンポッドのターボブーストを全開にする。ブラックフェニックスに反撃の暇を与えず、擦れ違いざまに右脚と右翼を鮮やかに切断し、返す刀で左翼の一部も切断した。マグネッサーウィングの機能を著しく削がれた鳳凰は、一瞬にして先程の執拗な追撃はおろか、飛行するのがやっとという状態に陥る。

「海賊衆の三辰様、どうか、どうかお待ちください」

 状況を理解した良子が、再度攻撃を挑もうとする翼竜に向け通信回線を開いた。

〝奥方、御無事か〟

「はい、お礼は後程。考えがあります。後方に回ってください」

 良子の願いに、速度を落としたストームソーダージェットの黒い翼がレインボージャークの背後に移動する。ブラックフェニックスを見下ろす形で、フェザーカッターを羽ばたかせレインボージャークが空中に留まる。

「小次郎将門の妻を見縊るな!」

 孔雀の尾羽が扇を開いた。

 眩い閃光が、気息奄々のブラックフェニックスに降り注ぐ。ゾイドの機能を失わせるレインボージャーク最大の武器パラクライズの、良子の怒りを込めた一撃であった。

 完全に機能を麻痺され、質量の塊と化した黒い鳳凰は、石井営所から少し離れた雑木林に直線を曳き落下して行った。

〝猛者は平将門のみに非ず〟と、先にアクアコングで純友と共に下向した魁師紀秋茂(きのあきしげ)が語ったことを思い返し、成り行きを見守っていた三辰は革めて驚嘆していた。

〝坂東は、女も猛々しい〟と。

 その後、石井勢によって落下地点が捜索されたが、残されていたのはブラックフェニックスの残骸だけであり、太郎貞盛の姿は消えていた。捜索中、メガレオンが現れたとの報告があり、貞盛はまたもや乗機ゾイドを見捨て、俵藤太(たわらのとうた)配下の手引きによって落ち延びたと推察された。

 

 

 陀羅尼の詠唱は続いていた。

 

 怛姪他(たにゃた)

 訶哩(かり)訶哩儞(かりに)

 遮哩(しゃり)遮哩儞(しゃりに)

 羯喇摩儞(からまに)

 僧羯喇摩儞(そうからまに)

 三婆山儞(さんばさんに)

 

 包まれた炎の壁を突き破り、デッドリーコングが現れる。装甲の一部が熔け落ち、全身に地獄の業火の衣を纏った灼熱の幽鬼と化している。

 

 噡跋儞(たんばに)

 悉耶婆儞(しつやばに)

 謨漢儞(もかんに)

 砕闍歩陛(しじゃぶへい)

 莎訶(そわか)

 

 灼熱に(たぎ)る八振のシザーハンドを腰溜めに、驚異的な速度で突進する。執拗にヘルファイアーを撃ち続けていた赤い竜に肉迫し、防御の構えも取らせず強引に刃を振り下ろした。

 赤い流体金属装甲の飛沫を撒き散らし、頭部を捥ぎ取られた骸が大地に倒れ込む。血糊を思わせるバイオゾイドの体液が、シザーハンドからぼたぼたと滴り落ちていた。

 人が操るゾイドであれば、今のデッドリーコングと戦う事を回避し、将門ライガー同様に間合いを取るか、或いは一時の撤退も考えた筈である。だが土魂の乗るゾイドは怯えを知らない。仲間の無残な亡骸も顧みず、遮二無二猩々の背後から相次いで跳躍し襲いかかる。1匹の鉤爪が猩々の棺に達しようとした刹那、赤い竜は原型を留めぬ程滅茶苦茶に切り刻まれていた。飛び散る破片の渦の中心に、棺桶より六臂の稼働肢を生やす阿修羅の如きデッドリーコングの姿があった。

「やめろ員経、お前も機体も持たぬ。止めるのだ」

 小次郎が叫んだところで、デッドリーコング内の伊和員経に届く気配はない。傍らで、バンブリアンが確固とした足取りで立ち上がったのも気付かずに。

 デッドリーコングとバイオゾイドとの死闘を見守る中、小次郎は奇妙な現象に気付いた。溶解したデッドリーコングの装甲が再生されていくのだ。ゾイドには本来自然治癒力が備わっているが、通常のゾイドがこれほど急速に再生するなど聞いたことが無い。

 

 嚕嚕(ろろ)・嚕嚕。

 主嚕(しゅろ)・主嚕。

 杜嚕婆(とろば)・杜嚕婆。

 (しゃ)・捨・捨設者(しゃせつしゃ)

 

 思い返せば、先のバイオヴォルケーノと将門ライガーとの戦闘で、デッドリーコングが暴走状態と化した途端、それまで幾分押し気味に闘っていたヴォルケーノが突如標的を変えてコングへ攻撃を開始したことも謎であった。メガラプトルがバンブリアンの止めを刺さず攻撃の矛先を変えたのも、デッドリーコングが引き寄せたように思える。

 小次郎が抱く謎など意に介せず、殆どの装甲を再生させた死の猩々は、荒々しいドラミングを打ち鳴らしていた。

 

【直ちに四天王法を止めさせよ】

【尊意様、(にわ)かに何を(おっしゃ)られる。未だ祈祷は続いております。ここで止めては元も子もございませぬ】

【判らぬのか。見よ、あの山窩(サンカ)のゾイドが再生していく様相を】

【あれは――確かに、装甲の再生が為されておりますが。それと何の関わりが】

【まだ判らぬか。彼奴は金光明王経(こんこうみょうおうきょう)の咒で治癒しておるのだ。四天王法での祈祷を行えば、量子転送(クウォンタム・テレポーテーション)された物質が敵を救済してしまうのだぞ。更には、同じ四天王を守護とするゾイド同士が惹きつけ合い、平将門を狙わず、(いたずら)に山窩のゾイドと潰しあうこととなる。四天王を奉ずるまで、これまでなぜヴォルケーノ単機の出陣だったかを忘れたか】

【しかし尊意様、祈祷を止めてしまえば〝不死の力〟もまた絶えてしまいます】

【搭乗者は新たに任じればよい。少しでも平将門の兵力を削ぐため、このままヴォルケーノらには自力で戦ってもらう。

 護摩を焚くのを止めよ。量子転送装置を停止させるのだ】

 

 嗤い声と詠唱が重なる死闘は、次第にデッドリーコングがバイオゾイドを圧倒し始めていた。バーンナックルハリケーンが流体金属装甲を切り裂いた時、小次郎はまた新たな現象を見留めた。クリムゾンヘルアーマーが凝固せず、低粘性の溶岩の如く装甲の表面から液体が流出していたのだ。

 最後の1匹となったバイオメガラプトルは、傷痕から体液が漏れるのも顧みず、液体を撒き散らしながら死の猩々へと挑む。

 一方ヴォルケーノは姿勢を落とし、胸部紫水晶の峰が割れ銃身を露出させ、赤黒い閃光を放つ構えとなっていた。

 小次郎は暴走するデッドリーコングとの間合いが充分にあることを確認し、再度ヴォルケーノと刃を交えんとして跳躍した。謎の光線発射には溜めの間があり、将門ライガーの俊敏さであれば充分に発射を阻止できる筈だった。

 予想に反し、閃光は溜めも無しに放たれた。しかしその曳光は弱々しく、デッドリーコングに達することなく途中で霧散する。

虚仮威(こけおど)しか」

 直後に将門ライガーが斬撃をクリスタルスパインに叩き込んだ。

 先程の戦闘とは異なり、紫水晶は玻璃(はり)細工同然に砕け散った。ヴォルケーノのクリスタルスパインの付け根からも体液が漏出している。敵は明らかに脆弱化していた。

 やれる。

 一気呵成に勝負をかけようとした将門ライガーの脇から、陀羅尼を詠唱する猩々が割り込んだ。

 

 婆嚕伐底(ばろばち)

 鞞提哂枳(びていきき)

 頻陀鞞哩儞(びんたびりに)

 阿蜜哩底枳(あみりきち)

 薄虎主愈(ばこしゅゆ)

 薄虎主愈(ばこしゅゆ)

 莎訶(そわか)

 

 腕の先には引き千切られたバイオメガラプトルの頭部が突き刺さり、未だ双眸に狂気の光を宿している。デッドリーコングは、自分の獲物を横取りされるのを阻止せんと乱入したのだ。バイオヴォルケーノもまた、惹き合う様に猩々と対峙し、将門ライガーに無防備に背中を晒す。

 小次郎は、どちらかが斃れるまで続く死闘を傍観する他なかった。

 ブレイズハッキングクローとバーンナックルハリケーンが斬り結び火花を散らす。悲鳴を上げたのは脆弱化したバイオヴォルケーノであった。巨大な鉤爪は左腕の付け根ごと捥ぎ取られ、破片の一部がシザーハンドに突き刺さったまま回転する。死の猩々は怯んだ竜の頸部を左腕で掴み、右腕のパイルバンカーを胴体に密着させると、轟音を上げて竜の腹部に打ち込んだ。

 1発、2発、3発。

 機体にパイルバンカーの切先が穿かれる度に、血潮となってクリムゾンヘルアーマーが飛散する。ヴォルケーノは苦し紛れにテイルアックスをコングに振り下ろした。ヘルズマスクが砕け、再生された装甲に亀裂が入っても、猩々はパイルバンカーを打ち込み続けた。

 このままでは員経が、そしてヴォルケーノに搭乗する小野諸興をも殺してしまう。

 小次郎は叶わぬと知りつつも、将門ライガーの風防を開放し叫ぶ。

「経員、鎮まれ、鎮まるのだ」

 暴走は一向に止まる気配もない。既にヴォルケーノは骨格を砕かれ、左足を引き千切られて横たわっている。それでも、デッドリーコングは執拗にヴォルケーノの躰を踏み付け、切り裂き、襤褸屑となっても突き刺し続けている。

 レッゲルが切れるまで傍観するほかないのか。一刻も早く、内部の伊和員経を救い出さねば生命に関わるというのに。

「このままでは……」

 長らく仕えてきてくれた忠臣を失う無念に、小次郎が臍を噛んだ時であった。

「お止めくださいお父様」

 土に塗れたバンブリアンが、将門ライガーとデッドリーコングの間に立ち塞がった。開放した操縦席の中、多岐を抱えた桔梗が立ち上がり、暴走する猩々の前に立つ。

「桔梗、何をする。(めしい)たのではないのか」

 小次郎も将門ライガーの搭乗席より声を張り上げる。桔梗は構わずに、凛として叫び続けていた。

「お父様は、そんな戦い方をする武者ではありませんでした。どうか気を鎮め、正気に戻ってください」

「かずつねさん、孝子ねえさまが泣いてるよ。孝子ねえさまを泣かせちゃだめだよ」

 臆することなく、多岐も桔梗と声を揃える。

 デッドリーコングが無慈悲に左腕をバンブリアンに向ける。小次郎は覚悟した。

「許せ、員経」

 ムラサメブレイカーとムゲンブレードを交叉させ、迫るデッドリーコング目掛けて攻撃態勢を取る。迷っている暇はない。暴走した猩々を止めるには、最早ゾイドコアを貫くしかない。

 轟音を立てて回転するバーンナックルハリケーンが、バンブリアンの搭乗席に迫る。回転する旋風に、桔梗の束ねた射干玉色の髪が靡く。

「お父様、娘の願いを聞き届けてください」

 切っ先がバンブリアンの鼻先に達し、跳躍した将門ライガーのムゲンブレードがデッドリーコングの胸元を切断する寸前だった。

 陀羅尼の詠唱が途絶えた。双眸に宿っていた狂気の光が消える。

「戻ったか!」

 ムゲンブレードは既にデッドリーコングの胸部装甲に達し、僅かに刀傷を刻むが、瞬時に刃を下に向け棟(刀の横)を当て、胴体切断を回避する。関節をだらりと下げた死の猩々は、ムゲンブレードに押され、四肢を投げ出し仰向けに倒れた。

 舞い上がった火山灰が晴れた時、一人は既に光を失っているにも関わらず、バンブリアンの操縦席で真直ぐ前を見つめる姉妹の姿があった。

「デッドリーコング、ねちゃったよ」

「みんな疲れたのよ。だからみんなで、少しお休みしましょう」

「うん」

 多岐を抱いたまま、桔梗もまた操縦席に倒れ込んでいた。

 程なくして、何処にどうやって隠れていたかわからないエレファンダーが現れ、興世王が戦闘の勝利を労う。

 石井営所からソウルタイガー回収の為のグスタフが到着したのは、ほぼ同時刻のことであった。

 



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第九拾四話

 幾多の傷痕を残し、小次郎は上野(こうずけ)への旅を終えた。

 デッドリーコングは各関節部に暴走による歪みを残し、バンブリアンは装甲に煤けた焦げ痕を残している。レインボージャーク、サビンガ、ナイトワイズは、ブラックフェニックスとの空中戦で受けた破損個所の修復作業中である。

「ワクチンプログラムは投入した。あとはコアの活性に頼るのみですな」

 エレファンダーから伸びるケーブルを接続し終えた興世王が、白い装甲を軽く叩く。ソウルタイガーは、ゾイドウィルスに冒された赤い発疹は消え去ったものの、剥き出しとなった集光板の補修を残している。

 ゾイドの修理と点検作業の喧騒に包まれる石井営所の馬場の奥で、一か所だけ異質な空間が広がっていた。

「さて、あれの始末は如何にするのかのお」

 小次郎と興世王の見上げる先、両腕を引き千切られ、クリムゾンヘルアーマーとクリスタルスパインの殆どを失い、再度骨格のみとなって回収された、バイオヴォルケーノの骸が横たわっていた。

 

「藤原三辰殿が、これを俺に」

 掌程の大きさの長方形の薄い板が、営所不在中の報告を受けようとした小次郎に三郎将頼から渡された。

 その機械には見覚えがあった。小次郎が初めて上洛した際のホバーカーゴの甲板で、旅の日記を(つらつら)と書き連ねていた歌人、紀貫之(きのつらゆき)の所持していたタブレットという装置である。

「私も使い(こな)すには至っておりませぬ。何やら〝漁師暗号〟とか申して、遠く離れた純友殿と、ソラに探られることなく連絡を取り合えるとか。それにしても、なぜ漁師が暗号を使うのやら」

「〝猟師〟? 野生ゾイドでも捕まえるのか?」

 三郎は、四郎将平より一通り「量子(クウォンタム)」の概念の説明を受けていたものの理解に至らず、小次郎の問いを早々に遮った。

「詳しくは四郎に聞いて下され。

 解文(げふみ)の件です。下総と下野、そして兄者の受け取ってきた上野の分を合わせてこれで三通揃った。だが此度の一件により武蔵国衙から取得するのは困難だろう」

 卓上には、各国衙からの解文が広げられている。小次郎は書面を確認した。

「常陸の分はどうした」

「面倒なことに、別件で移牒(いちょう)(=高位の官職同士が送る公文書)を送ってきている。介の藤原維幾(これちか)名義で、玄明(はるあき)殿を引き渡せというものだ」

 解文とは別の公文書が、三郎によって並べられる。

「彼奴め、また揉め事を起こしたか」

「玄明殿が予てより、不動倉を襲って備蓄米を庶民に分け与えていたのは知っていると思うが、今回は折からの不死噴火による被害により大規模な開放を行ったため、維幾叔父も流石に見逃すことが出来なくなったのだろう」

 常陸介藤原維幾は小次郎の父良持(よしもち)の妹の夫で、小次郎や三郎の叔父にあたる。親王任国の常陸国で、実質的に国司の役割である介の職を重任し、不可分無く公務を勤め上げていた。これまでも乱行を繰り返す土豪藤原玄明に手を焼いてきたが、小次郎の件もあり今回は強い態度で臨んできたのだ。

「添文には、既に追捕状もソラより受け取っているとある」

「奴が大人しく捕縛されると思うか」

 三郎が深い溜息をつく。

「それに、確かに粗暴な奴だが、これまでも何度も奴のランスタッグ部隊には世話にもなってきた。容易く公儀に引き渡すことなど出来ぬ」

「国衙もそれを見越して条件を提示してきている。『玄明殿の追訴を避けたくば、バイオヴォルケーノの残骸を差し出せ』と」

「ヴォルケーノの残骸を、だと」

 思わず言葉を繰り返した後、小次郎は維幾名義の公文書を見返す。

「あの奇怪な屍など、幾らでも呉れてやる。だがあれを再度闘いに利用できる者は、坂東に於いては一人しかおらぬ。決着を付ける為にも、その申し出、甘んじて受けさせてもらう」

 唇を噛みしめる小次郎の脳裏に、宿世の仇となった竹馬の友の影が過ぎる。渇望するのは、是まで何度も嘲笑うように消え去った者との戦いに終止符を打つことであった。

 

 上野行の損害はゾイドに留まらず、営所の多くの者も傷を負っていた。

 ブラックフェニックスの衝撃波によって負傷した四郎将平と文屋好立。

 四肢全てに添え木を当てられ、寝台に横臥する伊和能員。

 傍らには、白濁し定まらぬ視点で養父を介抱する桔梗。その周りには、姉の目となって甲斐甲斐しく手伝いをする多岐があった。

 病床での四郎将頼が、高木兼弘からの診断書を食い入るように見入っていた。プロジェリア症、トリプロイド、ミューテーター。目にしたことのない言葉が羅列し、己の浅学を悟るとともに、探求心が止め処なく湧き上がって来る。

「何がかいてあるのですか」

 多岐が表情を読み取っていることに気付き、慌てて笑顔を繕う。

「この手紙には難しい言葉が沢山書いてあって、なかなか読めなかったのです」

「四郎にいさまにもわからないことがあるの?」

「勿論です。世の中はわからないことだらけです。だから学ぶことは大切なのですよ。多岐さんも沢山学ばないとなりませんね」

「はぁい」

 勢いよく挙手をした後、突然ある寝台に横たわる人物を見て、多岐は声を潜めて尋ねた。

「四郎にいさま、あのおじさんはだれですか?」

 多岐の視線の先には、呆けた表情のまま廃人のように空を見上げる、武蔵権介と呼ばれた者の抜け殻が横たわっていた。

 

【やはり、小野諸興も平将門討伐は果たせなかったか】

【まさか、デッドリーコングが金光明経の咒を扱うとは思い及ばなかったのう】

【最早猶予はない。奉幣師に任ぜられた天台座主の威信に賭け、次の祈祷は不動明王法にて行う】

【我らに異存は御座いませぬ。然れど尊意様、バイオヴォルケーノは未だ将門の手中にあります。次なる搭乗者も定まってはおりませぬ】

【将門は坂東の各国衙より武蔵騒擾弁明の解文を受け取っていたとの報告が届いておる。謀反人と認定されていても、ソラと正面より事を構える器量は持ち合わせておらぬようだ】

【ならば追捕状をちらつかせ、小一条の大臣(藤原忠平)の名を出せば大人しく差し出すに違いない。残るは次なる搭乗者だ。いっそこの機に平貞盛に操らせては如何か】

【左馬允の分際で、あの田舎武者は言を左右にし決して土魂の具足を纏おうとはせぬ曲者だ。他に御し易い武者は居らぬか】

【ならば常陸介の子、藤原為憲(ためのり)がおる。父の蔭子によって取り立てられただけの凡庸な武者だ】

【成程聞かぬ名だ。であればこそ適任であろう。至急貞盛に命じ、為憲とやらにヴォルケーノへの搭乗を任ずるよう伝えさせよ。護摩壇の量子転送装置の作動準備、不動明王の慈救呪(じくしゅ)を唱える】

【仰せのままに】

――ノウマク サンマンダ バザラダン センダンマカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カン マン――

 最強と呼ばれる降魔の咒が、韻々と堂宇に響き渡った。

 

 療養所で、多岐が仰々しく何かを思い出したような仕草をした。

「そうだ、これから小太郎のおせわもしなくちゃ。孝子ねえさま、すこしはなれるけどだいじょうぶですよね」

 寝台で半身を起こしていた桔梗の腰に、華奢な両腕を一度巻き付け抱きつき、慌ただしく病室を後にして行く。

「行ってらっしゃい」

 桔梗が出ていく多岐の方を向き手を振る。多岐が去った後、桔梗は四郎の視線が己の背中に投げかけられているのが見えるかのように、白濁した瞳を向け、静かに告げた。

「この身体の余命が残り少ないのは存じています。所詮肉体は心の入れ物、私は何度でも蘇ります。あのバイオヴォルケーノの如く」

「何を言うのです」

 四郎はそこまで言って絶句した。兼弘の診断書に、同様の記述を目にしていたからである。

〝情報の量子転送〟。量子の絡み合いを利用した、蛋白質の有機記憶媒体への情報転送。その実験体の開発を、過去に龍宮(ディガルド)が完成させていたという。

「私は光を失いました。ですが四郎様がどの様なお顔をしているか解ります。視覚を閉ざされたからこそ、見えてくるものもあるのです」

 四郎は息を呑んだ。その口調は、嘗て孝子と呼ばれた桔梗とも、そしてあどけなさを残す今の桔梗とも違った、穏やかで老練な語り口である。

「まさか……今まで繰り返し蓄積されてきた〝桔梗の前〟の記憶全てを取り戻したのか」

 桔梗は静かに肯いていた。

 



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第九拾五話

「〝桔梗の前〟と呼ばれた貴女が何度も蘇ってきたということは、純友殿の使者三辰殿よりお聞きしています」

 小次郎達を前に、包帯を巻いた四郎将平と、盲た瞳を見開き座る桔梗がある。

「貴女が再生された孝子殿であることも、顔貌より自明でした。しかし先刻私に語った話、とても信じられません」

 動揺し声を詰まらせる四郎の様子を汲み取った桔梗が、穏やかに語り出す。

「これは私が申すべきこと。小次郎様、そして奥方様を含めた営所の皆様にも、贖罪の意を込めお話しします。

 私は兄秀郷の放った透破です。ここに居る私が見聞きした事全て、下野の兄の元に届いています。私という肉体を介して、情報が量子転送されているのです」

 その場に居合わせた者が一斉に息を呑んだ。桔梗は透破。棟梁としての小次郎の脳裏に、伊和経員と四郎が桔梗を戦列に加えるのを反対された事が過るが、予測された事態でもあったことと、〝情報の量子転送〟の概念を理解できていないことも幸いし、四郎程の驚きには至らなかった。

輪廻転生(リーンカーネーション)を繰り返す〝桔梗の前〟の記憶は、小次郎様の受け取ったタブレット同様に、肉体が滅ぶと共に下野に転送され、次の〝桔梗の前〟の経験として累積されて来ました。群盗として暗躍していたのも、ゾイドでの実戦経験を獲得するため。これまでの〝私〟は、そうやって強くなってきたのです。

 ところがこの〝私〟は、平将門への透破として送り込む為、ミューテーターとして急成長させ作り上げられた個体であり、視覚の他に鋭敏な聴覚をも備え製造されました。全ては平将門の動向を探るため、プロジェリア症という副作用を背負ってまでも」

 桔梗の語る真実に、小次郎がこれまで抱いてきた幾つかの謎が次第に氷解していった。

一、セントゲイルを炎上させてまで、桔梗を石井の営所に寄宿させたこと。

二、隠密裏に発った筈の上野行を、貞盛率いるバイオヴォルケーノが執拗に追ってきたこと。

「遡れば、最初の私は幼き日、下野で秀郷の父、下野大掾(しもつけのだいじょう)藤原村雄(ふじわらのむらお)様に拾われました。孤児となった理由はわかりません。戦か、流行り病か、肉親を失った原因を知るには、幼過ぎました。最初の私と秀郷様は、真の兄妹の如く過ごしました。その頃の齢の差は僅かでしたから」

三、既に(しじゅう)を越える年の差となったものの、元を質せば確かに兄妹と呼べる間柄であった。

「ある時村雄様は、私だけを連れて京に出仕しました。私を依憑(よりわら)として龍宮に差し出すことが目的だったのか、それとも村雄様の気まぐれだったかもわかりません。

 それから私は、何度も死にました」

 壮絶な話であった。修羅の道を歩んできた桔梗はしかし、眉一つ歪めず淡々と語り続ける。

「私は肉体がゾイドの操縦に耐えられず死ぬ度に、新たな器の〝桔梗の前〟として製造され、より強靭になっていきました。

 武蔵武芝様が若き日に出会ったという〝紫の君〟は、謂わば私の試作品。ただ、いつの頃にそう呼ばれていたかは、死に過ぎて忘れてしまいました」

 戦慄する言葉が耳朶を打つ。『死に過ぎて忘れた』。

「バイオゾイド達を操っていた土魂(つちだま)は、前の前までの私の戦闘経験を元に調整され量産化された物。ですから小次郎様の戦い方を知らず、水守勢のバイオゾイド達は悉く将門ライガーに敗れ去りました。

 しかしヴォルケーノは違います。今の小次郎様の、今の将門ライガーの戦い方を、今の私の五感を通して学び、強化されてきたのです」

四、武蔵武芝と俵藤太の年齢は近い。〝紫の君〟が桔梗と同一であれば辻褄も合う。

五、クリスタルスパインが強化され、将門ライガーの太刀さえ防いだことも納得できる。

「これまで私の肉体という有機物を利用し、量子化した情報を送っていました。ですが龍宮は禁断の技に手を付けました。人の身体を、量子転送の受信体として利用したのです」

「バイオヴォルケーノのクリムゾンヘルアーマー再生の原理ですね」

 漸く言葉を取り戻した四郎に、桔梗が頷く。

「バイオヴォルケーノが人による操縦を必要としたのは、量子転送の依憑(よりわら)として、ヒトの脳髄が必要だったから。私とは逆に、送るのではなく送られた、それは情報などでなく、実体を持った流体金属装甲を量子転送させたのです。

 しかし実体転送は装置に多大な負荷がかかります。有機受信体となった操縦者達が一様に廃人と化してしまった理由がそれです」

六、病床に横たわる小野諸興に回復の兆候は見られない。原因は脳機能の障害であった。

「ミューテーターとして急造された為、どうやら私にはこれまでの〝桔梗の前〟としての記憶が逆流してしまったらしい。記憶の獲得は、『できそこない』として製造された私へのせめてもの手向けでしょう。

 但し、こうして過去を語っている事実もまた、兄に筒抜けになっています。恐らく兄は、全力を挙げて私の破壊を謀るはず。メガレオンが隠密裏に屋敷を襲撃すれば、皆様も無事では済まないでしょう。

 であれば私は、成しうる限りの情報を明かし、この営所を去ります。今の私が死ねば、また新たな〝桔梗の前〟として製造されるだけのこと。悲しむべきことではありません。

 残念ですが、記憶と思い出は消去されているでしょうけれど」

 

「『できそこない』とは何ですか!」

 突然声を荒げたのは、奥に控えていた良子であった。

「平小次郎将門の家人として、己を蔑む言動は慎みなさい」

「良子、どうしたのだ……」

 振り向く小次郎に、頬から涙を流す妻の顔が映り、坂東に名を轟かす武士(もののふ)も思わず口を噤んでいた。

「貴女が何度蘇ろうとも、今生きてそこにいる桔梗殿は貴女お一人です。掛け替えのない人間を失うことが、残された者にとってどれほど悲しいか、お分かりですか」

「堀越の渡のことで御座いますか」

 それは、孝子と呼ばれた桔梗の最期を示していた。

「そんなことを言っているのではありません」

 良子は嗚咽を堪え、声を枯らして訴える。

「きっと貴女は、自分が産まれた理由を知り、愕然としているだけです。

 仮に秀郷殿の透破として生まれようとも、貴女はこれまで多岐や小太郎の姉として、小次郎将門の上兵として、そしてまた、伊和員経の娘として生きてきたではありませんか。

 産まれたこと、生きることなどに意味などありません。

 意味を求めるために生きるのです。

 例え僅かとはいえ、貴女は残された命を最後まで小次郎将門の家人として、そして私の娘として、生きねばなりません」

 母として、女として、そして小次郎の妻としての、良子の真心を込めた叫びであった。

 

「――私が愛した(ひと)に、愛された(ひと)のお言葉、心に滲みました」

 長い沈黙を破り、桔梗が呟いた。

「私は小次郎様に出会えたことと同じくらい、良子様と出会えたこと、幸せに感じます」

 桔梗の白濁する瞳からも、一筋の涙が流れる。

「生きてみます。可能な限り、生き残ってみます。この身体がある限り、次の〝桔梗の前〟は産まれません。それ故に、私を抹殺しようと兄の追っ手が攻め寄せてくるかも知れませんが……」

「家臣を守るのは棟梁の務めだ」

 小次郎が力強く言い放った。

「藤原秀郷であろうが、龍宮であろうが、国衙であろうが、平小次郎将門が受けて立つ。

 桔梗は護ってみせる。玄明も渡さぬ。そして、バイオヴォルケーノは呉れてやる。

 三郎、多治経明と五郎将平に伝えよ。村雨ライガーに加え、ソードウルフ、ディバイソン、そし藤原玄茂殿のランスタッグ部隊を引き連れ、グスタフにヴォルケーノの骸を轢かせ、早速常陸国衙に出立する」

「承知」

 出陣に備え騒然とする営所の中、良子と桔梗が互いに肩を寄せ合って咽び泣く姿を、小次郎は見て見ぬ振りをしていた。

 

 下野の国境付近で、時ならぬ震動が鳴り響く。不死山に続く浅間山の噴火を恐れた住人は、各々に空を仰ぎ見た。

 蒼空に伸びるのは、軌道エレベーターのケーブルのみ。浅間山の噴火もない。だが震動は着実に振幅を増し、倒壊を恐れた人々は次々と家屋から飛び出して行く。

「竜だ」

 外に飛び出した住人の見たものは、長大な頸と尾を持ち、全身に山嵐の如き武装を備えた巨大竜脚類型ゾイドの姿であった。

「こっちもだ」

「あの山向こうにもいるぞ」

 竜は4匹を数えた。

「土蜘蛛退治に、秀郷様が使われたという地震竜だ」

 住民の一人が呟く。

 水鬼、金鬼、風鬼、隠形鬼。龍宮からの請いを受け、常陸国衙に平将門征伐に向かうセイスモサウルスの威容であった。

 

 



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第九拾六話

 日振島は、南東より北西にかけて斜めに書かれた〝W〟の文字に似た形をしている。〝W〟の北西の入り江、島の凡そ三割強を占める部分を、夕日に染まったような黄金の靄が覆っていた。

 日振島が伊予宇和島から臨んだ場合、水平線の向こう側に位置することにより、追捕使の目を逃れることができた。

 それは異常な光景であった。靄は潮風に吹かれる度に表面に漣の紋様を刻み靡き、決して千切れることはなかったのだ。

 豊後水道を抜ける船舶から見ればしかし、遠目にも異常は歴然だった。

「いなげな(奇妙な)。きない(黄色い)繭、しょう(とても)でかい繭玉げや!」

 幾人もの船頭が、異口同音に叫んだ。

「海賊衆は、化け物を育てているのでや?」

 金色に輝く巨大な繭は、瀬戸の波濤に同調し脈動する。日の光に外皮が透け、繭の皺に沿って畳まれた翼の骨格が盛り上がる。胎児の如く頭部を俯かす金属生命体の胚は、脈々と鼓動を刻んでいる。生き物とも構造物とも呼べる巨軀は、周囲の島々を圧倒していた。

 公儀に海賊衆の動きを告げる者は現れなかった。ソラの権威はそれ程まで失墜していたのである。

〝W〟の南東端、瀬戸の海に張り出した日振島の岬の上から、拱手した海賊衆の魁師が睨んでいる。視線の先には、蠢動する影の頭部があった。

「あとどれくらいだ」

「追捕海賊使が強化され、バックミンスターフラーレンの獲得量が減少しています。外装は半月もすればスタトブラスト状態を終え羽化しますが、擬装を完了するには更に半月ほどかかります」

「間に合うのか」

 暫く逡巡した後、佐伯是基は言葉を選びつつ応えた。

「カーボンナノチューブの不足はありますが、サークゲノムによる代謝は順調で、外骨格となるプロトタキシーテスの剛性キチン組成は問題ありません。ですが最大の課題は、主機関の神経接続が未設定なことです。リゾモーフ(菌糸)をシナプス代りに利用できましたが、巨体故にマニューバ全般に於ける副交感神神経系の情報処理能力に余裕がありません。前人未踏のゾイド超個体ゆえ、有り体に申せば私にも確信は持てぬのです」

「打開策はあるのだろう。お前の考えを言え」

 純友が蒼空に目を向け、伸び上がる軌道エレベーターのケーブルの先端を追う。是基が意を決っして告げた。

「ヒトの頭脳を加えることです」

「そうか」

 意見を聞くと、純友は伸び上げた首をゆっくりと落とし、足元にあったタブレットを掴み画面操作を行った。

「将門が、常陸の国府に強訴するそうだ」

「謀反ですか!」

 海賊の頭目は、苦笑いしつつ首を横に振る。

「坂東武者は朴訥過ぎる。未だ摂政忠平に忠義を感じているようでは謀反など起こせまい。将門には頼らぬ。これは俺の仕事だ」

 画面に文書表示が成されたままのタブレットを是基に手渡すと、再び繭で蠢く影を睨む。

「アーミラリア・ブルボーザ、いや、〝アーカディア〟。嘗てヘリックの都を火の海と化した怪物を模した貴様を駆り、護るべき価値もないこの惑星(ほし)を、やはり俺は護るべきなのか」

 唐突に水平線に水柱が屹立した。日に数回発生する、最早珍しくもなくなった三尺程の隕石の海上落下である。

「是基、文明を滅ぼした天変地異を『神々の怒り』と呼ぶのは大いなる皮肉とは思わぬか。名付けた奴はさぞかし現世を恨んでいたのだろう。

 だが俺は神と名がつくものは大嫌いだ」

 海賊の視線の先に、黄金の繭と、水蒸気爆発による濛々とした白煙が、瀬戸の内海に照り返され浮かび上がっていた。

 

 

 石岡の常陸国衙に向かった小次郎の兵力は小規模なものであった。石井営所からの編制は以下の通りである。

 村雨ライガー(平将門;指揮、棟梁)

 ソードウルフ(平将頼;上兵)

 ディバイソン(多治経明;上兵 平将文;兵)

 ランスタッグ(藤原玄茂;従類)

 ランスタッグ量産型(兵、従類)×5 

 グスタフ(郎党が交代で操縦、荷台にはバイオヴォルケーノの残骸を積載)

 

 伊和員経のデッドリーコング、坂上遂高のソウルタイガー、桔梗のバンブリアンを欠き、追捕の対象者である藤原玄明も随伴できない。また、文屋好立のサビンガも伴わず、乃ちワイツタイガーへのユニゾンを成すことも叶わない。

 戦力を著しく欠いた編制からしても、小次郎が最初から国衙と事を構えるつもりなどなかったのは明白である。予想外だったのは、道中で浮動民の伴類が次々参集し、最終的に千を超える大毅へと膨れ上がってしまったことだった。坂東に名を轟かす平将門の陣に従い、あわよくば戦果の一部を得ようとする不逞の輩が加わってしまったのが、後の禍根の種となる。

 一方、小次郎の率いる軍勢が常陸国衙に接近して来るという報せは、たちどころに国司藤原維幾(これちか)の知るところとなった。甥とは言え既に大きく立場を変えてしまった小次郎に叔父維幾は震え上がり、近隣より集められるだけのゾイドを掻き集め、国府の門外に溢れるほどの、凡そ三千に及ぶ兵を召集する。召集に呼応した軍勢の中には、時流を詠むのに長けた藤原秀郷のセイスモサウルスも含まれていた。秀郷が早々に増援を出立させた理由は、一つにセイスモサウルスの移動速度の遅さによるものがある。そしてもう一つの理由は、後に明らかとなる。

「俵藤太の増援はまだ到着せぬのか!」

 烏帽子の隙間から、維幾は白髪混じりの頭皮を掻き毟っていた。維幾の傍らで、全身に真っ赤な大鎧を纏った嫡子藤原為憲(ためのり)が、煌びやかな直刀を握り締め諫める。

「父上、これだけの軍勢が集結しているのです。恐れることなどありません」

 だが其の声も、幾分上擦っている。

「維幾様も為憲殿も落ち着いてください」

 二人の前に、狩衣姿の細面の武士が控えていた。生来の雅な風体でありながらも、度重なる敗北により鬼気迫る威圧感を醸し出している。

「これが落ち着いていられようか。あの将門が来るのだぞ、貴君とて一度として敵わなかった将門が、軍勢を率いて来るのだぞ」

「小次郎はいきなり襲って来るような奴ではありません。まずは私にお任せください。為憲殿も、バイオヴォルケーノの到着までは年長者たる私に従ってくださるよう願います」

 立ち上がった為憲は、大鎧の直垂(ひたたれ)を翻し、大仰に貞盛を見下ろした。

「甚だ不本意だが、従兄殿の面目を潰すのも失敬であろう。甘んじて其の申し出お受けしよう」

(見てくればかりの青二才が。バイオゾイドに乗ったとて、貴様など小次郎に手も足も出まい)

 貞盛は心の中で舌打ちしていた。

(かたじけな)く存じます。この平太郎貞盛、命を賭けて国司殿をお守り致します」

「うむ、頼んだぞ」

 空々しい威厳に背を向け鼻で笑い、貞盛は拝殿を後にした。

 国府より信田流海(霞ヶ浦)に繋がる恋瀬川の中州に、川幅を遥かに超える巨大喇蛄(ざりがに)が停泊していた。貞盛の合図により胴体中央の格納庫が開き、射出台に固定された漆黒の獅子が現れる。

 獅子の頭部操縦席へ続く連絡階段を登りつつ、貞盛は憂いと哀れみを込めた囁きを漏らしていた。

「小次郎、お前はもう終わりだ」

 幾つもの機械音に包まれ艦内に融け込み、囁きを聞き取った者は誰一人としていなかった。

 零の操縦席に収まった貞盛は、操作盤に並んだ具足の選択肢の一つを指定する。

「インストレーションシステムコール、パンツァー」

 己自身を奮い立たせる為、声を高らかに張り上げる。呼称と同時に十数本の稼働肢が一斉に漆黒の獅子を覆った。纏っていた零の具足を外し、代わって重武装の火器を備えた具足が次々と装着されていく。

 ドラグーンネスト中央格納庫の射出口が再び開くと、二門のハイブリッドキャノンを背負い、身体中に無数のマイクロミサイルポッドを装備した漆黒の獅子、ライガー零パンツァーが顕現していた。

 

 



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第九拾七話

 グスタフの荷台に無造作に積載された残骸は原型を留めず、再生可能とは到底思えない。小次郎は残骸を常陸国司に引き渡すと同時、その目前で十七門突撃砲により焼却処分を行う心積もりであった。

 これ以上人の魂を喰うゾイドを跳梁跋扈させるわけにはいかない。そして堂々と、共に戦ってきた藤原玄明に対する追捕状撤回を要求する。腐敗しているとは言え、筋道立てれば公儀にも和解の道があると信じて。

 常陸国府の建物が見えると同時、五郎将文の報せが飛び込む。

〝兄上、大軍が国府を取り囲んでいます〟

 陣頭指揮をしていたディバイソンより告げられた状況は、小次郎を幻滅させるに足る光景であった。

「叔父上は、小勢で参じた俺がそんなに恐ろしいのか」

 国府の回廊を覆い隠す程、ゾイドの群れが寄り集まっている。官牧より召集された量産型ランスタッグ。寺社の警固職より呼び寄せたであろうコマンドウルフ、ケーニッヒウルフ、シャドーフォックス。伴類特有の小型ブロックスであるジーニアスウルフやレオブレイズ。赤い装甲がぼろぼろになった、嘗て石田荘平国香の配下であったと思われるレッドホーンの機体まで散見された。

 軍勢の中に、全身に無数の小型誘導弾頭(マイクロホーミングミサイル)を纏う漆黒の獅子がある。見間違うことはない、太郎貞盛の乗るライガー零のパンツァー形態である。国府を取り囲む陣形の奥、決して前面に出ず、さりとてこれ見よがしに機体を露呈させているのは挑発とも取れる。予測はしていたが、再度不敵な零の機体を眼前に晒されると、小次郎は脳幹が沸騰するような怒りを抱いていた。

〝兄者、いくらなんでも村雨ライガー単機で抜け出すのは危険だ〟

 狡猾な貞盛の術中に嵌められたと理解はしていても、激情を抑えることが出来なかった。三郎の制止も聞かず、小次郎は正面に進み出て、村雨ライガーの風防を跳ね上げ名乗りを挙げた。

「下総石井・陸奥鎮守府前将軍・従五位下・故平良持が嫡子、平小次郎将門。常陸介藤原維幾殿の移牒に応じ参上した。直に維幾叔父と談判がしたい。これでは府内正殿(本庁)に進入することもできぬ。何卒国司殿との目通りを願う」

 豪胆な小次郎の宣言に、烏合の国府軍はあからさまに動揺する。

 程なくして、軍勢の中ほどを掻き分けフィラソードが現れた。バラッツと呼ばれるカミキリムシ型ブロックスゾイドである。剥き出しの操縦席には、煌びやかな大鎧を纏った若者が乗っている。

「将門よ、軍を率いて参内するとは無礼であろう」

 本来であれば軍を構えている以上自らも名乗りを以て応じるべきなのだが、フィラソードに乗る若者は道義を弁えず一方的に「無礼」と罵る。虚勢を張っているためか、膝が小刻みに震えていたが。

「バイオヴォルケーノを持参したことは褒めてやろう。だが軍を率いて来る必要はあるまい」

 二の句が告げず唖然となった。己が側に大軍を構えておきながら、相手を責めたのだ。加えて、近隣には未だ僦馬(しゅうま)の党が蔓延(はびこ)り、野盗の類も徘徊している。グスタフのみで国衙に赴けば、立ち処に襲撃の標的になるのが自明だが、名乗りを挙げない若者は己の絶対の(ことわり)を盾に、小次郎の無礼ばかりを責め立てている。

「もう宜しかろう為憲殿。まずは移牒の名義人である維幾殿を願う」

 従弟の素性を知る小次郎の、素気無く返した言葉が、虚勢を張り続けていた藤原為憲の琴線に触れたらしい。

「父の名代としての私を蔑ろにするのか! 話にならぬ。戦の牒を送る。さっさと矢合わせの準備をせよ!」

〝話にならぬ〟とは何方が言う科白だ、と小次郎は舌打ちする。そして最初から仕組まれていた謀略を嗅ぎ取っていた。早々と為憲が激高したのは、貞盛が相手の未熟さに付け込み何かを吹き込んでいたからに相違ない。

 だが談判に応じないのであれば、相応の対処をするまでであった。

「経明、五郎、手筈通りだ」

 グスタフから牽引台が外され、国府軍の前に取り残される。石井勢の陣形の正面に鋼鉄の猛牛が四肢を踏み締め、頭部のツインクラッシャーホーンを振り翳すと、盛り上がった背中の砲身に光が宿った。

〝メガロマックスを放ちます、参りますぞ五郎殿〟

〝承知しました〟

 ディバイソンの照準に、バイオヴォルケーノの残骸が捕らえられた。

 狙い定めた突撃砲が唸りを上げる。十七の閃光が集束し、集束した閃光が再び拡散する。拡散した劫火は、忌むべきバイオゾイドの残骸を灰燼へ昇華させようと殺到した。

〝前方から多数の熱源、残骸方向へ零距離射撃。誘導弾頭だ〟

 三郎の声は、連鎖する炸裂音によってかき消された。

 信じ難い光景であった。バイオヴォルケーノの残骸に殺到したメガロマックスの閃光が、無数に飛来した弾頭によって全て相殺されたのだ。国府の前殿に、全身から陽炎を揺らめかせる獅子がある。

 バーニング・ビッグ・バン。

 二基四門のハイブリッドキャノン、背部・胴体・尾部に装備された四十二もの小型誘導弾頭(マイクロホーミングミサイル)、加えて三連装榴弾砲(グレネードランチャー)と二門の機関砲(バルカンポッド)が、零パンツァーより一斉に放たれていた。全弾撃ち尽くし、赤熱化した具足を強制排除する零と、硝煙に紛れヴォルケーノの残骸に乗り込む藤原為憲の姿が見留められた。

「それに乗ってはならぬ!」

 声を枯らして叫んだところで、従う筈もない。胸部操縦席に為憲が滑り込むと同時に、ヴォルケーノの残骸が妖しい光を放った。量子転送を行う不動明王の一字咒が響く。

――ノウマク サンマンダ バザラダン カン――

 クリムゾンヘルアーマーが渦を巻いて再生を開始する。千切れていた四肢が引き寄せられ、胴体に繋がり脈動する。

 小次郎はムラサメブレードを展開し、ヴォルケーノを討たんと跳躍した。

(完全再生までには若干の猶予があるはず。再生途上で徹底的に切断し、搭乗した為憲を引き摺り出せば済むこと)

 白刃を煌めかせ、ヴォルケーノの間合いに踏み込んだ瞬間、小次郎は大気を切り裂く光が迫る気配を察し、咄嗟に身を躱した。地磁気によって僅かに弧を描く閃光が、絹糸の如き眩い光を放つ。地表に達した瞬間、激しい爆炎を上げて地表を焼き払った。

超集束荷電粒子(ゼネバス)砲、セイスモサウルスです〟

 ディバイソンの後方警戒席より五郎が叫ぶ。 

「俵藤太の増援か」

 遥か遠方に、長大な頸と尾、山嵐の如き武装を備えた地震竜の姿が霞んで見える。光芒は正確に村雨ライガーの周囲に飛来し、小次郎の行く手を遮った。

 切断されたままのヴォルケーノの頭部の双眸に不気味な光が宿る。顎を使って胴体頚部に這い寄ると、流動化したクリムゾンヘルアーマーが触手の伸ばして縺れ合い、見る間に接続を完了させた。両手、両足、両肩、そして背中に、無数の紫水晶クリスタルスパインが一斉に生え揃い、ブレイズハッキングクローが以前にも増して凶悪な輝きを放つ。

「手遅れだったか」

 僅かに首を左に傾け巡らせ、またもや赤い骸骨竜が復活を遂げていた。

 

「メガレオンより報告、隠形鬼(いんぎょうき)共が将門と接触しました」

 派遣したセイスモサウルスの機体名を唱え、藤原千晴が駆け寄り片膝を付く。張り詰めた(いしゆみ)の矢が離れ、巻藁(まきわら)の的の中央に突き刺さった。剥き出しの左肩より上気した汗が昇り、秀郷は老齢でありながら衰えを見せない隆々とした肉体を晒していた。

「桔梗が随伴しておらぬ為、情報収集に遅れが生じました」

「捨て置け。間もなく尽きる命、新たな器に魂が還れば良いだけのこと」

 秀郷は鏃の先端を僅かに舐めて二の矢を番えていた。

「今更だが、セイスモサウルス四匹は惜しいことをした」

 千晴が父の言葉に怪訝な顔をする。

「仰せの意味が解せません。隠形鬼や金鬼は土蜘蛛退治に名を馳せた手練れの地震竜。幾ら将門が精強とは申せ、国府軍と合力すれば、容易く成敗されるはず」

 弦を離れた二の矢は巻藁の的より逸れ、(あづち)に孔を穿つ。

「奴等では将門に勝てぬ。それに儂が鬼どもを送ったのは、将門を討つ為ではなく、討たれる為だと判らぬか」

 未だに訝しむ千晴を顧みず、秀郷は無言で射場を後にする。周囲を圧する気迫に、問うことが出来ず残された千晴に、的場から矢を抜いていた下人の悲鳴が聞こえた。

「騒々しいぞ。何事だ」

 狼狽する下人が指差す先、黒鉄(くろがね)色の蟲が頭部を貫かれ蠢いていた。秀郷が穿った垜の鏃に、毒々しい朱色の肢の大百足が体液を滴らせ躰をくねらせている。何処から紛れ込んだのか、大きさは人の掌、太さは指を越える程であった。

「皮肉なものだ、蜈蚣に百足が湧くとは」

 山間より吹き降ろす風が千晴の頬を打つ。矢道から望む那須連峰が、艦の移動に伴い緩く揺れている。広大で平坦な甲板の一角に矢射場(やいりば)が設けられ、対角線上の甲板の端に濃紅の獅子エナジーライガーの駐機している姿が小さく霞んで見える。地上を遥かに望む高さの幾何学模様が描かれた平面に、荒涼とした空っ風が吹き抜けていく。

 超巨大航空母艦・蜈蚣型ゾイド要塞〝アースロプラウネ〟は、無数の歩脚を波打たせ、下野三毳山(みかもやま)の麓に全貌を現していた。

 

 



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第九拾八話

――ノウマク サンマンダ バザラダン センダンマカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カン マン――

【如何した泰舜殿、尊意様の祈祷中だぞ】

【御無礼承知の上で奏上仕った。火急の報告がある。不死山の内部に異常が現れたのだ】

【噴火は小康状態に移行している。間もなく此度の噴火も収まるであろう。わざわざそれを言いに来たのか】

【その様な事を申しているのではない。内部に超高熱のゾイドコア反応がある。熱量から推測して要塞型ゾイド級、それもホエールキングを凌駕するほどの規模なのだ】

【まことか。溶岩の中で生きられるゾイドなど、デススティンガー以来聞いたことがないぞ】

【浄蔵殿の言う通りである。真・オーガノイド以外で溶岩の中で生存できるゾイドなどおらぬ。泰舜殿の話は常軌を逸しておる】

【そのオーガノイドシステムを搭載するゾイドであるとすれば、如何(いかが)する】

【御坊は何を言いたいのだ。よもや北天竺の黄金竜の伝承ではあるまいな】

(むべ)なるかな。空海和尚が召喚した〈善如竜王(ぜんにょりゅうおう)〉のことである】

【台密(※天台密教)の我らが東密(※真言密教)の伝承など軽々しく口にすべきではない。加えて不死山内部でのゾイドコア反応と、何の因果があると言うのだ】

【拙僧は気付いたのだ。北天竺とは西域、つまり西方大陸北エウロペを示すのではないかと。北エウロペの神々の(オリンポス)火山の中、培養中に山体崩壊を起こすほどの爆発を遂げたゾイドの名はご存じであろう。空海和尚が召喚したという黄金竜とは、機獣化が間に合わなかったオーガノイドシステム搭載のゾイドコアが、不死山に遺棄されたことを示しておったのだ。

『死竜』と『不死』山。

 附合するとは思えぬか】

【世迷言も大概にせよ。善如竜王が死竜であるなど、牽強附会(けんきょうふかい)に過ぎぬわ】

【クリムゾンヘルアーマーを精錬するパイロディクティウムやパイロバキュラム等の超好熱性科学合成無機独立栄養生物もまた、溶岩の坩堝に於いて増殖する生命体である】

【突然何を申す。バイオリーチングを行う流体金属細胞のRNAを書き換える為に利用した古細菌に過ぎぬ、ゾイドとは程遠いではないか】

【明達殿、クリムゾンヘルアーマーは流体金属装甲細胞をヘイフリック限界を越えて維持するため、古細菌にテロメラーゼを混入してある。思うに、流体金属細胞が不死山の風穴に流出し、眠っていたコアを活性化させたのではないか。

 最初に拙僧が太元帥法(たいげんのほう)での祈祷を奉じた際から、既にヴォルケーノとは別のコアの脈動を感じていた。皆気付いておられたか、炊いた護摩の量が異様に消費され続けていたことを】

【量子転送された物質が、死竜成長の糧となっているというのか】

【左様に考えるのが妥当である。彼奴は目覚めておる。テロメラーゼを含んだ流体金属装甲を纏う、最大最強最悪の死竜が】

【信じられぬ】

【信じられん】

【信じられぬぞ】

【もはや将門どころではない。至急、ソラに奏上し小一条忠平様にギルドラゴンの御出陣を進言する。一刻の猶予もならぬ、早々に尊意様に将門を調伏してもらわねばならぬのだ】

 

――ノウマク サラバ タタギャティ ビヤサルバ タタラタ センダ マカロシャナ ケン ギャキ ギャキ サルバビキナン ウン タラタ カン マン――

 

 凶悪な鉤爪と鎬を削る三郎のソードウルフが悲鳴を上げる。

〝兄者、此奴また手強くなっているぞ。ダブルハックソードでは支えきれぬ〟

 前肢に装備した二連装衝撃砲(ショックキャノン)の連続射撃によって辛うじて引き離すが、剣狼のエレクトロンハッカーが空を向き防御態勢をとれない間隙目掛け、バイオヴォルケーノのブレイズハッキングクローが振り上げられる。

 丹色の狼と赤い竜の間に、鋼鉄の猛牛が突入した。鈍く光る超硬角の先端が、剥き出しのバイオゾイドコアを貫く寸前、ヴォルケーノは驚異的な反応速度により空中高く舞い上がった。バーニングジェットを噴出し四肢を広げ、天空を舞う姿は猛禽そのものであった。

 ディバイソンは後肢を曲げ、空中の標的目掛け火砲の豪雨を注ぐが、赤い竜は他愛なく砲撃を躱し着地する。 

〝十七門突撃砲では狙いがつかぬ、再度超硬角で攻める〟

 突入姿勢をとる猛牛を、碧い獅子が制した。

「伊和員経の機体がメガラプトルに超硬角ごと切断されたことを忘れたか。ディバイソンでは分が悪い、経明たちは一旦後衛に下がり、伴類を引き連れセイスモサウルスを討て。ここは俺がやる」

 小次郎の言葉に従い、ディバイソンは村雨ライガーの背後より、群がる国府軍を蹴散らし、北に位置する地震竜隠形鬼(いんぎょうき)に向かう。直後にムラサメブレードを中段に構えた村雨ライガーとバイオヴォルケーノが跳躍し斬り結んだ。

 甲高い金属音を轟かし互いに跳び退く。碧い獅子の太刀と赤い竜の鉤爪との剣撃は互角であり、間合いを取って睨み合う。その時石井勢の後裔から、リーオの角と槍とを翳す白き鹿の群れが現れた。

〝ランスタッグのスラスターランスとブレイカーホーンであれば暫しは持ちこたえられる。その間にエヴォルトを〟

「忝い」

 小次郎が叫ぶ。

「疾風ライガー!」

 炎の繭に包まれた碧い獅子は、瞬時に緋色の獅子へ変化していた。

 

 バイオヴォルケーノの戦闘力は桁違いに向上していた。敏捷性、腕力、跳躍力、剛性。孰れも以前のそれと比較にならない。妖しい輝きを増したクリスタルスパインはリーオの刃を撥ね返し、クリムゾンヘルアーマーへの斬撃を完璧に防いでいる。国府防衛にかき集められたシャドーフォックスがヴォルケーノに接近し、牽制の為のレーザー徹甲バルカンを放とうと身構えた時だった。

 横一閃にブレイズハッキングクローが薙ぎ払われ、哀れなシャドーフォックスは胴体ごと真っ二つに切り裂かれる。狂気に憑かれた赤い竜は敵味方見境なく襲いかかったのだ。恐れを成し後退する国府のゾイド群を尻目に、勇猛果敢に白い鹿が挑む。ブレイカーホーンを真正面に構え、左右より赤い竜を挟み込まんと突進する二機のランスタッグを、バイオヴォルケーノはまたも驚異的な跳躍で躱していた。着地直後にスラスターランスの衝撃を払い除け、腰を屈めてブレイカーホーンを掻い潜り、冷徹に頸を切り落とし二機のランスタッグを葬っていた。

「待たせた、玄茂」

 藤原玄茂のランスタッグの脇に緋色の獅子が並ぶ。

「あとは任せろ。(ぬし)はセイスモサウルスを頼む」

〝承知した〟

 言葉途中でムラサメディバイダーを翳しブレイズハッキングクローを受け止めると、ランスタッグはそれぞれに伴類を率いて、残る地震竜へと向かっていった。

 最初から最強の将門ライガーにエヴォルトするのを避けたのは、ゼネバス砲による超長距離砲撃を封じるため、敢えてバイオヴォルケーノの囮となるのが狙いであった。ヴォルケーノと組み合えばゼネバス砲は撃てない。疾風ライガーは優速を生かし、ディバイソンやランスタッグがセイスモサウルスの潜む場所まで到達する時間を稼ぎ出し、多治経明や藤原玄茂が地震竜達を葬る事を託したのである。

 一方で小次郎は、ムラサメナイフをヴォルケーノの爪と斬り結びながら、奇妙な既視感に苛まれていた。

――ノウマク サマンダ バサラナン タラタ アボギャ センダ マカロシャナ……

「この戦い方は――」

 若年にして初陣の藤原為憲の動きとは思えない。バイオヴォルケーノは明らかに別の意識に支配され操られている。

……ソワタヤ タラマヤ ウン タラタ カン マン――

「――桔梗のものだ」

 赤い竜の動きは、嘗て都の洛外で村雨ライガーと刃を交えたロードゲイルと酷似していた。

「為憲の心身を媒介とし、桔梗の技をヴォルケーノに送り込んだというのか」

 機体の強化に加え、輪廻転生を繰り返し培われた桔梗の技が小次郎を襲う。頼みの疾風ライガーの俊敏さも、今のヴォルケーノには抗い難く、次第に圧されていく。

「せめて多治経明がセイスモサウルスに到達するまで」

 HYTブースターを最大出力で稼働させながら、小次郎はヴォルケーノと付かず離れずの距離を保つ。数回目の方向転換で、小次郎は疾風ライガーの風防越しに奇怪な光景を目にしていた。

 まだ視界に残っていたランスタッグ部隊に率いられる伴類のゾイドが、突如として最後尾から次々と燃え上がっている。遠景から判るのは、虚空より落雷の如き白い閃光が発せられ、その度にコマンドウルフやレオブレイズが黒焦げになって斃れていく様子だった。

 小次郎はバイオヴォルケーノとは別の殺気が戦場を駆け巡っているのを察知した。光学迷彩で姿を消し、消音装置によって戦場の喧騒に紛れているが、因縁ある跫は忘れようもない。

「ライガー零、太郎だ」

 小次郎の呟きに応じたかの如く、炎上したコマンドウルフの硝煙の奥、幽鬼の如く透き通る輪郭を浮かび上がらせるゾイドがある。機体両脇に雷光を纏う獅子、先にパンツァーの具足を排除した後、また新たな具足を纏った闇の獣王〝イクス〟であった。

 小次郎は疾風ライガーで追撃する衝動に駆られるが、状況がそれを許さない。逆上するほど、狂おしいほどに貞盛との決着を望む一方、過剰な迄に強化されたバイオヴォルケーノとの闘いによって、武士(もののふ)としての小次郎の意識は研ぎ澄まされていた。

「五郎、聞こえるか。光学迷彩で姿を消したゾイドが追撃してくる。GPS三次元電探(3Dレーダーシステム)を作動させ、敵影を把握し部隊に送信せよ」

〝了解しました兄上〟

 雑音混じりの往信を受け取ると、小次郎は唇を大仰に舐めて操縦桿を握り直す。

「太郎、お前との決着は後回しだ」

 棟梁として、惣領として小次郎は成長していた。疾風ライガーの機体が輝く。

「将門……ライガー!」

 虹の壁を越え、霰石色の獅子が降臨した。

 



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第九拾九話

 常陸国衙に遠雷が轟く。不死山噴火に伴い発生した火山雷の雲が、気流に運ばれ坂東の地を覆っていた。

 天空を埋める密雲の下、(ほとばし)る稲妻の如く獅子と竜とが鬩ぎ合う。鉤爪と白刃、紫水晶の輝きと白銀の鬣、灼熱の溶岩と螺鈿の色彩が、雷光を閃かせ激突を繰り返していた。

 ヴォルケーノは鉤爪とクリスタルスパインの峰を巧みに使い分け、将門ライガーの二振の太刀を悉く跳ね除ける。鍔迫(つばぜ)り合いの隙を衝いて襲う脚部の鉤爪ブレイズスパイクとテイルアックスを躱しつつ、小次郎は言い知れぬ(もどか)さを感じていた。明らかに此方の攻撃を見切って立ち回る動きは〝今の〟桔梗の経験が還元されている。老獪な秀郷は、心の深層に小次郎への想いを秘めていた桔梗を利用し、想い人の一挙手一投足まで捉え得るのを予見した上で透破として送り込んだ。ゆえに、桔梗の見詰めていた小次郎の仕草を忠実に倣うヴォルケーノに、恰も己自身と格闘するが如き焦燥に駆られたのだ。

 遠景に、伴類のゾイドが矢継ぎ早に斃れ、算を乱して敗走する様子が覗える。貞盛の操る闇の獣王イクスは的確に――そしてこれ見よがしに――石井の軍勢を切り崩し、小次郎の心を掻き乱そうとしている。小次郎の気質をよく知る竹馬の友だからこそ採る戦術である。

「三郎、五郎と共に行け」

 小次郎は敢えて、三郎将頼のソードウルフに貞盛追撃を命じた。

〝承知した。こそこそ闇討ちをする敵を討つ。兄者も無事でいてくれ〟

 竹馬の友以上に気脈を通ずる歳近い舎弟は、兄を信じ、兄の言葉に従い、丹色の狼を空間に潜む敵に向けた。五郎の名を唱えたことが、ディバイソンから送られるGPS三次元電探(3Dレーダーシステム)による探知を頼りに敵を討て、との真意を察して。

 既に国衙への強訴の目的は霧散し、本格的な戦の様相を呈している。小次郎は避け難い宿星の巡りを覚悟した。

 赤い竜と決着をつける。

 (あるじ)の名を持ち、(あるじ)の思いを悟った霰石色の獅子が、低く雄々しい唸り声を以て応える。

「頼むぞ、将門ライガー」

 小次郎もまた、声に出して応えていた。

 人馬一体ならぬ人ゾイド一体、それは藤原為憲の心身を依憑(よりわら)とし、生贄として稼働するヴォルケーノとは著しく異なる。将門ライガーから湧き上がる闘志と、操縦桿に伝わる温もりとが重なり、更なる〝無限なる力〟を解放し始めていく。

 将門ライガーが七色に輝き、猛烈な速さで分身を始める。ヴォルケーノは見知った技として蹲踞(そんきょ)し、胸部にある紫水晶の峰を構えた。峰が割れ、砲身が現れる。獅子より衝き出される無数の太刀の斬撃を目にも留まらぬ速さで受け流し、七色に分身した獅子の影全てに向かい、薙ぎ払うべく赤黒い閃光を撃ち放った。

 閃光の射線上から影は消え、射撃の死角となる背後に再び七色の獅子が現れる。将門ライガーの機動性もまた、飛躍的に向上していた。幻影を反対側に残し、本体を移動する技を得ていたのだ。

 だが目標を失った赤黒い閃光は国衙周囲の名田に降り注ぎ、繁る稲穂の漣を焼き尽くす。闘争意識の塊と化した竜は敵を斃すことのみに執着し、周囲に被害の及ぶことなど歯牙にもかけない。必殺の攻撃を躱されたにも関わらず、竜は戸惑うことなく二射目の発射体勢を整え虹色の影を追う。

 振り向きざまに放つ閃光を弾き飛ばし、七色の影が一斉に斬撃を叩き込んだ瞬間であった。竜と獅子との周囲を、再び集束荷電粒子砲の衝撃が飛来した。小次郎は藤原秀郷のもう一つの真意を悟る。目障りなバイオゾイド・ヴォルケーノを、平将門ごと消滅させ、公儀の威を借り坂東に覇を成すつもりなのだ。

 四方から注がれる荷電粒子の砲撃が、将門ライガーの進路を遮る。そして荷電粒子の炎に焼かれようとも、構わず鉤爪を突き立て襲い来るヴォルケーノの捨て身の連携攻撃に、主と一体となった将門ライガーさえ圧され気味となる。

(経明、五郎、玄茂たちのセイスモサウルス制圧はまだなのか)

 四匹の地震竜を葬るのが容易ではないことも判っている。それでも四方同時攻撃では支えきれない。ほぼ無差別に飛来する荷電粒子砲は、国衙の回廊を突き破り、幾つもの棟をも炎上させ、立ち昇る黒煙が更なる雷雲を招いていく。虹色の獅子は、雷鳴とゼネバス砲と鉤爪の鈍色の輝きに囲まれた。

 ふと見た国衙の壁に、凭れ掛かる小さな体が見えた。足元に黒焦げの亡骸が横たわる。焼け出された子供が、母親だったらしき物体にすがる惨たらしい光景であった。

 獅子の背後から一閃の砲撃が飛来するのを察知する。南に位置するセイスモサウルス水鬼のゼネバス砲である。今閃光を避ければ確実に、子供は荷電粒子の奔流に呑まれ蒸発する。しかし回避しなければ、獅子は確実に直撃を被る。

 動けなかった。小次郎は心中で叫んでいた。

(ライガーよ、済まぬ)

 

 眼前に白いゾイドが割り込み、飛来した荷電粒子の閃光全てを吸い込んだ。吸い込んだエネルギーを放出し、集光版が薄紅色に輝く。

「レイ・エナジー・アキュムレーター……ソウルタイガー、遂高か」

〝遅くなり申した将門殿〟

〝御無事でしたか小次郎様〟

「桔梗まで」

 白黒の愛らしいパンダ型ゾイドも伴っている。

「バンブリアン、盲た其方が如何にして此処に」

〝わたしもいっしょだよ〟

「多岐!」

 図らずも戦場で、小次郎は愛娘の声を聞いた。

〝母うえもレインボージャークでたたかってるよ〟

「遂高、これは一体どういうことだ」

 未だに集光版を薄紅色に光らせる白虎が寄り添う。見遣れば、ヴォルケーノの動きが停止していた。ソウルタイガーによって守られた将門ライガーと異なり、西から撃ち込まれたセイスモサウルス金鬼のゼネバス砲を浴び、右半身に広範囲の焼け焦げが刻まれ活動を停止し、僅かな時間的猶予を得られていた。

〝奥方様は仰せられました。

 修理を終えたソウルタイガーが陣に加わった程度で、上兵である員経殿のデッドリーコングや好立殿のサビンガを欠く以上、万一(いくさ)となれば石井勢の劣勢は必然。

『坂東の女は戦場に立つことを恐れぬ』と申され、御自身はレインボージャークで出撃、桔梗殿には多岐様を伴わせ、『孝子の眼となり父を助けよ』と命じられました。

 奥方様は今頃、再びパラクライズの威力を見せつけんと、多治経明殿と共に勇んで地震竜征伐に赴いている頃です〟

「馬鹿者どもめ……」

 言った後、小次郎は目頭が熱くなるのを覚えていた。

――ノウマク サンマンダ バザラダン センダンマカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カン マン――

 赤い竜が恐るべき回復力で再生し立ち上がる。クリムゾンヘルアーマーは赤い構造色を復活させ、クリスタルスパインの峰も生え揃う。小次郎はしかし、周囲の変化に気づいた。

 ゼネバス砲が止んでいる。

 それこそが、良子たちが死力を尽くした証であった。完全撃破は敵わぬものの、セイスモサウルスの超長距離射撃を妨げる戦闘行動は可能である。無数の小口径機銃弾幕など撥ね返す重装甲のディバイソンが地震竜本体に突入、横倒しとなり晒した腹部荷電粒子インティークファンを超硬角で貫く。更に戦陣に加わった良子のレインボージャークがパラクライズを放ち、セイスモサウルス隠形鬼の砲撃を沈黙させたのだ。同様の攻撃は西に構えるセイスモサウルスにもランスタッグ部隊によって展開され、程なく金鬼の砲撃も停止させた。残る二匹の地震竜も敵への近接戦闘態勢を取り、無防備に長距離射撃を行うことは出来なくなった。

 百万の味方を得た小次郎は、再びヴォルケーノに対峙する。

「坂東武者の誇りとゾイド乗りの名誉にかけ、バイオヴォルケーノを倒す」

 将門ライガーは竜に向かい、一直線に突入した瞬間だった。

 

 小次郎の視界が暗転する。否、視界ではない。意識が闇に包まれる感覚である。

 覚えがある。〝無限なる力〟を得た時だ。

 闇の中に立ち昇る紫雲の上、マグネーザーを回転させる雷神マッドサンダーと、反荷電粒子シールド上に立つ貴人の姿が垣間見えた。

 精神空間に、厳粛な声が響く。

〝平将門、汝と汝の今の村雨ライガーでは、あのバイオゾイドに完全な止めは倒せぬ。倒したところで地獄の亡者の如く、何度でもまた蘇るであろう〟

 あの時と同じ声だった。

「火雷天神、では如何にすれば、あのバイオヴォルケーノを永遠の眠りに就かせることができるのですか」

 小次郎の心の叫びが、清浄な空間に木霊する。

〝よいか平将門。此度に限り、汝に我の技を委ねよう〟

〝コジロウ、オレノカタナヲテンニムケロ〟

 それは将門ライガーの声であった。

「刀を天に向ける、ムラサメブレイカーとムゲンブレードのことだな」

〝ソウダ、ニホントモダ。ソレダケデ、オレハマタツヨクナル。ムゲンナルチカラガ、オレタチヲツヨクスル〟

「俺たちを、だな」

 

 暗転していた視界が再び復帰する。瞬きする程の時間が経過していた。小次郎は獅子の言葉に従い、二振の太刀を上段十字に構える。雷光閃く密雲の下、獰猛な赤い竜がバーニングジェットを噴射し迫って来る。

 雷光が獅子を打ち、将門ライガーが青白い光に包まれた。

 加速を増す将門ライガーに雷霆が宿り、全身に稲妻を纏って疾駆する。恰も地上に顕現した火雷天神の如く。

「お前に俺は倒せない。なぜなら、ゾイドは心で動かすからだ」

 将門ライガーは(いかづち)となった。

 



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第百話

 将門ライガーのエヴォルトは、見る者誰しもを唖然とさせた。

 巨大な二振の太刀、ムラサメブレイカーとムゲンブレードは収縮し、前肢付け根に装着され緋色の獅子へと変化していく。速力にこそ長けているものの、将門ライガーの攻撃力に及ばない疾風ライガーへと戻ってしまったのである。石井の郎党衆にとって、最強形態である将門ライガーでさえ倒せないバイオヴォルケーノを、疾風ライガーが対抗し得るのかという疑念が一斉に湧く。ところが事態は更に急転し、前肢付け根のムラサメナイフとムラサメディバイダーは一振の太刀へと集束し、機体も碧色へと変化する。そこに在るのは最も見知った基本形態、村雨ライガーそのものであった。

〝なぜ村雨ライガーに戻ってしまわれたのだ〟

 ソウルタイガーの中、忘れた様に飛来するゼネバス砲を吸収しながら、国衙護衛の軍勢と闘う遂高の音声がバンブリアンの操縦席に伝わった。

「将門ライガー形態が解除されたのですか? レッゲルが尽きたのでしょうか」

 光を失った桔梗が遂高に質す。

〝否、依然動きは衰えておらぬ。寧ろ動きは良い。だが何故に殿は、エヴォルトを解除したのだ〟

「ちがうよ」

 幼くも、凜とした声が響く。

「エヴォルトはつづいてるよ。あれはいつものむらさめライガーじゃなくて、べつのむらさめライガーなんだよ」

 桔梗の背中越しに前方を見つめる多岐の声であった。

「父うえもむらさめも、もっともっとつよくなっている。まるでカミナリさまがいっしょになったように」

 一点の曇りも無い幼き瞳は、碧き獅子の輝く黄金の鬣を見つめていた。

 

 リーオの太刀に雷霆が(みなぎ)る。

 小次郎は感じていた。二振ではなく、一振のムラサメブレードにこそ確然たる力が宿る。そして無限なる力を得るには、疾風ライガーでも将門ライガーでもなく、村雨ライガーでなければならないことを。永き時、永き時代を坂東で過ごしてきた碧き獅子は、混沌より産まれ出でた異物であるバイオゾイドを前に、更なる無限の力を解放しようとしていた。

「刀が緑色に光ってる、父うえのむらさめライガーが怒っているんだ」

 それは正に、真・叢雨(ムラサメ)ライガーとも呼べるゾイドであった。

 獅子は獰猛な獣と化し、赤い骸骨竜から放たれる赤黒い閃光の奔流は機体表面に達することがない。雷光を纏うムラサメブレードの刃が跳ね上がり、中段に構えた位置で真っ向勝負を挑んでいた。

――ノウマク サラバタタギャテイギャク サラバボケイビャク サラバタ タラタ センダマカロシャダ ケンギャキ ヒャキ サラバビキンナン ウン タラタ カン マン――

【バイオ粒子砲を全て弾くとは、あの碧い獅子は如何様な細工が施されているのだ】

【エネルギーシールドの類ではない、彼奴にはそのような機能はないはず】

――ノウマク サマンダ バサラナン タラタ アボギャ センダ マカロシャナ ソワタヤ ウン タラタヤ タラマヤ ウン タラタ カン マン――

【あれは〈スーパーキャビテーション〉だ。空気の壁を繭の如く形成し、気体の濃密によってバイオ粒子砲の弾道を偏向している。本来ウォディックの有する能力を、いつの間に彼奴は会得したというのだ】

――ノウマク サンマンダ バザラダン センダンマカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カン マン――

(たてがみ)だ。あの金色の鬣が、荷電粒子を吸収し太刀に供給している。エヴォルトを解除したのはその為に違いない】

【祈祷をお止めください尊意様。ビームスマッシャーの如く太刀に大気中の静電気を帯電させ、荷電粒子の刃として居ります】

【あの斬撃をコアに喰らえば、さしものバイオヴォルケーノも一溜りも無い。尊意様が危うい。ハイゼンベルグ・コンペンテーター(量子転送装置)緊急停止、転送物質の逆流を防げ】

――ノウマク サンマンダ バザラダン カン――

【尊意様、至急護摩壇より脱出を。尊意様、尊意様!】

 直後、特徴的な三角形配置の調伏炉より噴き出した焔が、祈祷を続ける尊意を呑み込み護摩壇を焼き尽くしたのを、小次郎は知ることはない。

 

 勝敗は一瞬で決着した。

 右のブレイズハッキングクローは黄金の鬣に深く傷を刻んだが、左の爪はムラサメブレードの切っ先を防ぎきれず圧し折られていた。雷を帯びる刃の先端は、竜の胸で黄橙色に光るバイオゾイドコアを真直ぐに貫いている。慟哭を呻らせ、叢雨(ムラサメ)ライガーが再度バイオゾイドコアへと刃先を押し込む。末期の足掻きの痙攣を残し、赤い骸骨竜は頽れた。

 流体金属装甲が赤い液体となってボタボタと流れ、露わとなった骨格の関節が全て崩れ落ち、落下と同時に陶器の様に砕けていく。

「多岐様、バイオヴォルケーノは如何に」

「とけちゃったよ、ぜんぶ、全部……」

 大鎧を纏う藤原為憲の躰が投げ出され、赤い液体に塗れ残されていた。

 

 玄茂達の迎撃により、精度を落としたゼネバス砲が無差別に降り注いだ常陸国府は、本殿は元より、国分寺たる総社さえも劫火に包まれた。加えて被害を拡大させたのは、国府防衛の為に寄せ集めた伴類に含まれていた無頼の輩が、炎上の混乱に乗じ略奪行為を行ったからである。

 府中は猖獗を極めた。長年に亘って蓄財された宝物は散り散りとなり、煌びやかな絹布も条坊に撒き散らかされていく。数十数百と昇る黒煙は珍財を焼き、瑠璃を鏤めた蒔絵箱も、金銀で彫金された式典用のゾイド強化外装甲も持ち去られ、宛ら亡者の群れが溢れる地獄絵図であった。

 不死のバイオヴォルケーノを撃ち破り、呼吸も荒く暫く焦点の定まらなかった小次郎の視界に、次第に周囲の光景が映ってきた。

 惨状は、朴訥な坂東武者を戦慄させた。

 府中の至る所で、国衙に匿われていた雅やかな装束を纏う女人を数人の無頼漢が取り囲み、俄かに衣服を剥ぎ取り裸身を露わにする。下卑た嗤いと共に、代わる代わるに身を重ねている。

 人の醜さの極みを見た小次郎の、怒りが瞬時に沸騰した。操縦席脇に備えた蕨手刀を手にし、村雨ライガーの頭部から跳び降りる。一町ばかりを疾駆すると、容赦なく無頼漢共に斬りかかった。

 字句に形容し難い悲鳴が上がる。首と左腕が、残りの躯より切り離された肉片となって飛び散る。不意を突かれた無頼の伴類は、そこに激しい殺気を放つ武者の姿を見た。

 何かを叫んでいたが、聞き取れなかった。手にする鍛え抜かれたリーオの蕨手刀が、血飛沫をあげ生身の肉体を次々と切断した。

 これ程激しい怒りを感じたのは生まれて初めてであったかも知れない。小次郎の脳裏には、弄ばれ引き裂かれたあの時の桔梗の姿が重なっていた。

 数人とも数十人とも知れぬ無頼漢を斬り捨てた後、逃げ去るその背中を呆然と眺めていた。

「怪我は、ないか」

 泥に塗れ地を這い仰ぎ見る女人の素肌には、所々に引き摺られた傷が刻まれていた。頬を伝う涙の筋が焔に照り返され、血を流しているかのようであった。怯えにより言葉を失い只管に震える。視線は定まらず、差し伸べた手に縋ろうともしない。虚ろな視線の先に同様に凌辱された数人の女官の人影がある。皆等しく怯え震えていた。

 人は人に対し、どこまでも残酷になれることを知る。

 その時女人の呻きとは別の慟哭を、路上の塊から耳にした。

 (うずくま)った塊は、紫衣を剥ぎ取られた定額寺(じょうがくじ)(=国より特別の資格を与えられた寺院)の僧尼であった。女人同様国府の奥に匿われていたであろう宗教者も、無差別に略奪の対象となっていた。

「将門だ。将門によって常陸国府は奈落に落ちた。平将門によって地獄と化したのだ」

 譫言(うわごと)の様に呟いた僧尼の言葉は、小次郎の心を突き刺した。

(これが俺の成したことなのか)

 血塗れの蕨手刀を手に辺りを見回す。遠方に長大な頸を持つ地震竜が蠢き、丹色の狼は虚空から撃ち出される雷撃と闘っている。統率を失い次々と斃れていく烏合のゾイド群と共に、明らかに国府の棟を破壊し略奪行為を行っている伴類のゾイド群も見受ける。

 正しくそれは地獄であった。

 修羅へ導いた張本人が、他でもなく己自身であったことに、再び戦慄した。

 

 無限とも一瞬とも思える(とき)が過ぎる。

 頭上を菫色の翼が覆う気配がした。

「あなた様」

「良子か。いつ来た」

 背後から妻の声がする。レインボージャークが舞い降りたことも気づかぬ程、小次郎の五感は閉塞していたのであった。

「赤き竜の退治を終え、御無事であったこと、何より安堵致しました。

 ですが、あなた様にはまだ為すべきことが残っております。

 地震竜の討伐、そして貞盛との決着も。この女人たちの面倒はお任せください。女には女の役割がございます。どうか村雨ライガーにお戻りください」

「……村雨ライガー」

 無意識に伸びた腕が蕨手刀の血を拭う。刀身を鞘に収め見上げる先、金色の鬣を逆立てる碧き獅子の姿があった。己の分身とも呼べるゾイドは、小次郎を気遣い見守っていた。

 茫然としている猶予はない。

 俺には俺の役割がある。平小次郎将門、坂東下総の武士の棟梁として為すべき俺の役割が。

「良子、そして村雨ライガーよ、俺は俺の為すべきことをする。

 悩むのも悔やむのもその後だ」

「御武運を」

〝オマエ、ソレデイイ〟

 良子に続き、村雨ライガーの声が聞こえた気がした。

 頭部を下げた獅子の操縦席に駆け登り、小次郎は再び前を見る。

「秀郷、貞盛。決着を付ける」

 咆哮する碧き獅子に、不死山の火映が浮かび上がる。

 

 宿世の敵を求め、村雨ライガーが坂東の野を疾駆していった。

 

 

           第八部「アンデッド・ヴォルケーノ」了

 

 



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