ユーノ・スクライア外伝 PARALLEL STORY (重要大事)
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プロローグ
第0話「魔導死神誕生」


 次元世界に、一人の男がいる。

 かつて時空管理局のデータベース『無限書庫』を開拓・整理し、自ら先頭に立って辣腕(らつわん)を振るった伝説の男。

 その男は、遺跡発掘を生業とする放浪の一族スクライア出身でありながら魔法学院で優秀な成績を収め、結界魔導師であり考古学者、そして無限書庫司書長の地位にまで上り詰めた。

 義に厚く命令には忠実、仲間を救う為に負傷も(いと)わず、その為ならば己の命をも賭す。

 更に、敵対した者に対する非情さも持ち合わせ、正々堂々を好みながらも、大義の為ならば自ら手を汚し闇討ちにて敵を(ほふ)り去る事ができる男だ。

 魔導死神。

 彼は魔導師であり敵に死を与える者。

 彼は二つの力で世界の邪悪を(はら)う者。

 そして彼は、次元世界に住まう人々の『絶望』を『希望』へと変える者である。

 まさしく、人々にとっての英雄の典型(テンプレート)とでも言うべき存在。

 

 その魔導死神の名は、ユーノ・スクライア。

 どの時点で彼が『魔導死神』という生き様を受け入れたのか、誰にも解らぬ事だった。

 恐らくは、道を歩み続けるユーノ・スクライア自身にさえも。

 

 これは―――スクライア一族の青年ユーノ・スクライアが、魔導死神となるまでに歩んだ壮大な誕生の物語である。

 

           ≡

 

 我がスクライア一族は遺跡発掘を生業とする放浪の民であり、歴史の足跡を追い求める探究者、言ってみれば考古学者ばかりが集まった遊牧民だ。

 ハインリヒ・スクライア―――それが私に与えられた名である。

 名付けたのは当時の族長であった私の父だ。「いずれ一族を束ねる者になってほしい」という願いを込めて付けたらしい。

 事実、私は亡き父の遺志を継いで(よわい)15の身でスクライア族の族長となった。

 世間一般的に見て、スクライア族は考古学者の共同体(コミュニティ)だと自負しているが、時に「スクライアは貴重な出土品を不当に売買している盗掘団」という根も葉もない噂が立つ事もしばしばある。

 確かに、我々は自らが生きる糧として出土品の一部を転売したりする事もある。だがそれは決して金儲けの為ではない。我々は歴史を食い荒らす盗賊とは違うのだ。

 そんな我々がこれまでに世界各地で発掘した考古学的発見は数知れない。古代ベルカ時代に当時の王族が使っていたとされる貴重な文化財、人が暮らしていない筈の世界で見つけた生物の痕跡、時には危険な古代遺物(ロストロギア)にも遭遇して死の危機に直面した事もある。

 だが、それでも我々は自らの道を―――歴史を探求する道を絶やそうとはしない。

 スクライアとは果て無き歴史へのロマンチズムを追い求めた者達が自然と集まって生じたものに違いないのだから。

 

 私が族長に選ばれてから十余年が経った頃―――・・・。

 ミッドチルダ南部の、とある遺跡調査の過程で、私達が見つけたのは古代の遺物などではなかった。

 生まれて間もない小さな命―――純白の肌に翡翠の瞳、金糸(きんし)の髪とその身に「神性」を宿らせたかの如く愛らしい男の子だった。

 なぜ遺跡の中に赤子がいるのだという疑問もさること、私の関心を引いたのは赤ん坊そのものだった。

 赤ん坊は泣くことも無ければ怖がるでもない。むしろ自らに課せられた状況を楽しんでいるかの如く満面の笑みを浮かべていた。

 私は・・・いや、私達はこの赤ん坊が醸し出す不思議な魅力に心を奪われた。

 誰が何の目的でこんな遺跡の中に赤子を一人放置したのか知らない。並々ならぬ事情があるにせよ、下衆な事情にせよ、このまま赤子を放置するわけにもいかなかった。

 

 私は一族の長としてその赤子を保護し、集落へと連れて帰り皆で育てる事にした。

 赤子に名前を付けるとき、さまざまな案が出た。

 一族の長老的存在は、「信頼厚く、才気あふれる人物になってほしい」という願いを込めて、「イオリ」という名を押した。

 集落の女性で最も魔導の才能に溢れた女性は、「力のあるリーダーになってほしい」という願いを込めて、「オースティン」という名を候補に挙げた。

 他にも、「ベンジャミン」に「ブレイデン」、「カルロス」、「チャールズ」、「ダニエル」、「ドミニク」など候補は色々上がったが、どれもこれもしっくりくるものは無かった。

 結局、一回の寄合では意見がまとまらなかった。まさか名前を決めるだけでこれほど苦労をするとは思いもよらなかった。

 だが、そんな悩みも、ある夜・・・ふとした事で解決した。

 就寝時。微睡の中にあった私の意識へある不思議な声が呼びかけてきた。

 ―――「そなた達にはすまないとは思っている」

 ―――「だが、あの子を任せられるのはそなた達を置いて他ならない」

 ―――「どうかあの子を・・・・・・そなた達の手で育てて欲しい」

 ―――「願わくばあの子に、幸せな未来が訪れる様な名前を与えて欲しい」

 戸惑う私にその声は懇願し語り続けた。

 夢から覚めた私はもう一度寄合を開き、今一度考えた。あの赤子に付ける名前をどうすべきかと。

 私は赤ん坊には「ユーノ」という名を付けるよう進言した。

 この名は光の世界、あるいは結び付けるものの象徴として描かれる異教の女神からとったものだ。ユーノは確かに男の子として生を受けたが、その美しい容姿ゆえに女の子とも見間違えるほどだった。

 そんなあの子に私が名に込めた願いはたったひとつ。「この広い世界で巡り合った生きとし生けるものと繋がっていてほしい」というものだった。

 

 ユーノはすくすくと大きく育った。そして、成長を重ねるごとに彼は私たちを常に驚かせてきた。

 2歳の頃、彼は同年代の子とは比べ物にならないスピードで読み書きが出来るようになった。そればかりか、大人でさえ難解ゆえに手を出しにくく敬遠しがちな古代ベルカ語すらも理解した。

 3歳になると、ユーノは魔法の才能を開花させた。当時、スクライアでも魔法の素養のある子供は少なった為、誰もがあの子の才能に度肝を抜いた。

 4歳になると、ユーノは魔法の才能に磨きをかけるようになった。特に結界や防御・捕縛術などの扱いに長けており、とても幼子とは思えない演算能力を有し大人顔負けの実力を保持していた。ただ一方で、攻撃魔法に関してのみあの子には才能が芽吹いていないらしく、比較的簡単な射撃魔法すら使えず、本人はその事にがっかりしていた。

 5歳の誕生日を迎えて間もなく、私はユーノに高ランク魔導師を多く輩出している事でも有名な魔法学院へ入るよう薦めた。このまま集落にいるだけではあの子の魔法の才能を腐らせるだけだと、思い切って入学を後押しした。

 ちょうど1年が経った頃だった。ユーノは帰ってきた。驚いた事に、あの子は史上最年少の若さで入学し、5年間のカリキュラムを飛び級に次ぐ飛び級を重ね、僅か1年と言う極めて短い期間で学院を首席で卒業してしまったのだ。

 卒業したあの子の魔法はより一段と洗練され、最早スクライアの集落でユーノ以上に魔法の扱いに長けた魔導師はいなくなっていた。しかし、それでもなお攻撃魔法の才能だけは開花しなかったらしい。本人は何よりもそれを悔しがっていた。

 あの子は攻撃魔法が使えない事を酷く嘆いたが、むしろ私達はあの子に攻撃魔法の才能が無い事に安堵していた。ユーノは心が優し過ぎて元来戦いには不向きだった。だからこそ、これからのスクライアの未来を背負って立つべき者に相応しい器を備えていたのだ。それから程なくして、ユーノの中の魔法の才能は尽き果ててしまった。

 

 魔法学院を卒業して間もなく、ユーノは大学で考古学を本格的に学びたいと言い始めた。小さい頃から探究心が旺盛だったあの子なら遅かれ早かれ言い出しそうな科白(せりふ)だと思っていたが、こんなにも早く言い出すとは思わなかった。

 私は嬉しく思った反面、少し戸惑いを抱いた。あまりにも早過ぎる我が子の成熟に正直私たちはまるで付いていけていなかった。だがそれでも、あの子のやりたい事を後押しするのが私たち大人の役目だと思った。少し寂しい思いはしたものの、スクライアの歴史始まって以来のギフテッド―――“神に選ばれし子供”の新たな門出を祝福した。

 大学に入学した当時のユーノの年齢は6歳。彼が入学を果たしたのは、ミッドチルダ地上で最も古い歴史を誇り、現在に至るまで次元世界を幅広い分野でリードしている【アルハンブラナスル大学】だった。政財界から数多くの著名人が多数輩出され、管理局でも有名どころは多い。しかし誰でもすぐにこの学校へ入学できる訳ではない。それこそ、選ばれた本当のエリートだけがこの学び舎に通う事ができ、ユーノは見事それに選ばれた。まさに奇跡の子だった。

 ただ一方で、才能を人より多く持つ子はいつの世も爪弾きにされる。当初ユーノは非凡な才能と年齢の低さ故に周りから浮いており校内でも孤立しがちだった。しかも悪い事に、あの子は思考能力が大人顔負けだった為、同年代で友達と呼べる者がいなかった。

 しかし、周りからの冷ややかな目や友達がいない事にも負けず、ユーノは大学の図書館と尊敬すべき教授の下に足繁く通い、博士号の試験に満点で合格。大学卒業とともに晴れて私たちと同じ土俵―――考古学者の仲間入りを果たしたのだった。

 そして9歳になった時に、私はユーノの実力を鑑みて遺跡発掘の責任者として抜擢。我々からの期待に一心に答えようとした結果、ユーノは古代遺物(ロストロギア)【ジュエルシード】を発掘した。

 

 しかし、この時の私はまだユーノの心の内に燻る思いに気付いていなかった。

 本当にあの子が心から求めているものが何なのか。あの子が抱えている切実な思いが何であったのか・・・・・・それを理解する事が出来なかった。

 

           ◇

 

十一年前―――

新暦065年 3月末

とある異世界 スクライアの集落

 

 ジュエルシードを発掘して集落に戻って来てしばらく経った頃、突然族長からの呼び出しを受けた。何やら緊急の話があるという。

 慌てて族長の元へと向かうと、テントには族長以外の集落の大人たち、それに僕と一緒に発掘調査へ同行してくれた仲間たちが集まっていた。

「ユーノ、おまえに大事な話がある。心して聞くんだ」

 いつになく真剣な眼差しで族長は僕の目を見ながらそう語りかけて来た。

 僕は若干気負った声色で「はい」とだけ答え、おもむろに族長の目の前に座った。

 やがて話す頃合いを見計らった末、族長が話をし出した。その内容は僕にとって些か信じ難い話だった。

「ジュエルシードが・・・!?」

 僕がとある世界の遺跡調査の過程で偶然に発掘したエネルギー結晶体【ジュエルシード】が輸送途中で散らばってしまったという。族長は眉間の皺を深く寄せながら、僕に事故の詳細について語り出した。

「・・・依頼された調査団とジュエルシードを積んだ時空間船が事故か、または何らかの人為的な災害を受け、計21個が管理外世界の97番と思しき場所へと散らばったとの事だ」

 話を聞いた途端、テントの中に集まっていた関係者全員がざわつき始めた。

「何とかしないと・・・」 「あれはユーノが発掘責任者となって初めて見つけた古代遺物(ロストロギア)だ」

「魔法知識の無い人間や動物が間違って使ったら大惨事を招きかねない!」 「だが、我々に何が出来る?!」

「ここは管理局に任せた方がいいんじゃなのか?」

 喧々諤々(けんけんがくがく)とする寄合。気持ちはわからなくもないし、むしろ冷静でいられる事がおかしいとさえ僕も思う。あの小さな石がどれだけ危険な物であるか、発掘した僕が解らない筈も無かった。

 周りが騒然とする中、族長は威厳に満ちた声色で「皆の衆、少し落ち着くのだ!」と一言口にし、この喧騒を瞬く間に鎮めた。

「ここは冷静にきちんと話し合うのだ。これからどうすべきか。ひとひとつを―――「僕が行きます」

 族長の言葉を遮る形で僕は端的にそう呟いた。

「僕が行って、散らばったジュエルシードをぜんぶ探し出します」

 周りからの視線が一斉に僕へと向けられる。族長は凄く険しい表情で僕を見据えていた。

「ユーノ。それはお前のすべきことじゃない」

「ですが族長! 僕があれを発掘したんです!」

「ジュエルシードが散らばったのはおまえの所為じゃない。おまえに何の責任がある?」

 確かに、族長の言う通りだ。僕はジュエルシードを発掘したが、運搬を任せたのは別の組織だ。僕に非が無いと考えるのは至極当たり前の話かもしれない。

 だけど元を正せば、僕があれを発見していなければこんな事にならなかったのかもしれない。僕の心はどうしても今回の一件を単なる事故として片付ける事が出来なかった。いや、片付けちゃいけないとさえ思えてならなかった。

「お願いです族長・・・僕は責任者としてこの事態を放っておけないんです!」

 渋い顔を浮かべたまま僕を見つめる族長を見ながら、何とか食い下がるしかなかった。今まで何度だって僕のわがままを聞いてくれた族長ならきっと今回の事も解ってくれるに違いない、そう思った矢先―――

「ならん!! お前は何も分かっていない!!」

 温厚な性格の族長から飛び出た怒声。恫喝された瞬間、あまりの迫力に僕はたじろぎ、初めて族長への畏怖を抱いた。

「管理されていない世界がどれだけ危険か知っているのか!? ただの好奇心で物を言っている様なら今すぐに子供は(ねぐら)へと戻れ!」

 僕の言葉を真っ向から否定し、突き放す態度。だけど僕にも譲れないものがある。引き下がるわけにはいかなかった。

「族長、僕だって管理外の世界で活動する事がいかに危険な事はわかってるつもりです。だけど僕には魔法が使える。デバイスだって持ってる!」

 そう言いながら、ポケットの中から真紅に輝く丸い宝石状のインテリジェントデバイス【レイジングハート】を取り出した。これを手に入れてから何度かマスター認証を試みたが、どういう訳かレイジングハートは僕をマスターとして認証しなかった。

 だけどそんな些細な事などこの際どうでもいい。最低限ストレージとしての機能さえ備わっていれば散らばったジュエルシードを封印する事が出来るんだ。

「お願いです、僕にやらせてください!」

「ユーノ・・・・・・おまえが優秀な魔導師であることは知っているし、誇りに思ってる。だがおまえはまだ9歳になったばかりの子供なんだぞ?」

 僕の主張は一貫としていた。じっと話を聞いていた族長はどこか悲しそうな表情で僕を見つめてくる。

「子供でも魔法使いなんだ!!」

 痺れを切らし、語気強く僕は周りの大人たちへと言い聞かせた。それは僕にとって初めての「反抗」であり、揺るぎない決意と覚悟の表れだった。

 使える能力があるのにそれを使わずにただじっと指を咥えている事など出来る訳が無い。この手の魔法は人を助ける為にある筈だ。少なくとも僕はそう思っていたし、これからだってその考えは変わる事は無い。

 しかし、族長は僕の言い分に首を縦に振る事は無かった。むしろ哀れみの籠った瞳で僕を見つめてから、僕に背を向け突き放すように言い放った。

「・・・・・・この一件は管理局に一任する。お前はいずれスクライアの未来を背負って立つべき人間である事を忘れるな」

 

 初めて族長と衝突して、初めて僕の意見は聞き流された。

 塒に帰ることが出来なかった僕は一人で悶々としながら、何故族長があのような態度や言葉を僕へと向けたのか、その真意をずっと考えていた。

「まさか、ハインリヒ族長の目の前であんな事を言うなんてね」

 不意に後ろから声を掛けられた。

 そこに立っていたのは、同じ発掘調査に同行していた僕よりも9つ年上の女性で、何かと僕を気に掛けてくれるエルゼ・スクライアだった。

「ジュエルシードを見つけたのは僕だ。単なる好奇心で言ったわけじゃないのに・・・・・・どうして族長はわかってくれないんだ」

「本当は行きたいんでしょ?」

 隣に座った彼女が僕の心の内に秘かに潜む未知への探求心―――本音を突いた質問をするものだから、一瞬返す言葉が浮かばなかった。

「いいユーノ。族長があなたに厳しい事を言ったのは・・・」

「何も分かってない石頭だから?」

「族長も昔あなたと同じだったからよ」

 族長が僕と同じ? それは一体どういう事なのか・・・・・・怪訝な顔を浮かべる僕を見ながら、エルゼはおもむろに語り出した。

「外の世界に心を打たれ、好奇心から集落を飛び出して行ったのよユーノ。それで未知なる世界へ繰り出したの。そして容赦ない現実の厳しさに直面した」

 エルゼの話によれば、当時今の僕よりも少し年齢が上だった族長は親友とともに未知の世界への憧れと旺盛な探究心を糧に、集落からこっそり抜け出して冒険に繰り出したという。

 でも、次元の海を越えた先で待ち受けていたのは過酷な状況だったと言う。

「行く先々で不運な事が相次いでね、やがて海で大波が襲い掛かってきた際、船から落ちた親友を助けようとしたけど、どうすることもできなかったわ」

 はじめて族長の真意を知った。

 親友を助けられなかった事を族長は今でも死ぬほど後悔していて、それゆえに僕をその親友と同じ目に遭わせたくないと思ったのだ。

 この話をした直後、エルゼは僕の目を見ながら諭すようにこう言った。

「人はね、なりたいって思っても、できるって思っても、やるべきじゃないことがある」

 エルゼはとても優しく、愛を持って、その言葉を伝えると静かに立ちあがり僕の元を離れて行った。

 彼女の言葉はひどく正しく、そして、残酷に思えた。

 どうしてそんな本当のことを言うの? そう思わずにいられなかった。

 族長の言うようにスクライアの民から求められ、彼らの幸せのために生きる。望まれ、必要とされて、自分には活躍できる自信もあった。

 でも、「みんな」じゃない。「自分」の心が求めたものは、遥かな次元を超えた先から聞こえてくる。たとえ「やるべきじゃないこと」であろうと、自分で選び、決めたのなら、もうそれはやる道しかないんだ。

 そう思ったからこそ、僕は心の声に従い、レイジングハートとともに単身スクライアの集落を飛び出して異世界渡航を敢行―――散らばったジュエルシードを回収するための旅に発った。

 

 

 このあと、僕は否が応でも思い知らされた。

 自分の無力さを。思い上がりを。非情な現実が突き付ける過酷な試練を乗り越える事の厳しさを、骨の髄に至るまで―――。

 あの頃の僕は大人のような子供に違いなかった。

 思慮分別すらつかず、いたずらに膨れ上がった自信を振りかざし、無茶と無謀をはき違えていたのだから。

 

           ◇

 

 かくして、ジュエルシードを回収する為に地球を訪れたユーノ。そこで彼は一人の少女と運命的な出会いを果たす事は周知の通りである。

 

 それから月日は流れた新暦076年7月、10年に渡る司書生活に自ら終止符を打ち、住み慣れたミッドチルダを離れたユーノは、各地で遺跡発掘を行うかたわら自分の人生について見つめ直すべく旅へと出た。

 旅の最中、ユーノが偶然に発掘したとある結晶物。

 この発掘した物こそ、のちに「悪魔の結晶」と称される古代遺物(ロストロギア)であり―――次元世界、そしてユーノ自身にとって、運命の日となる事を彼は知る由も無かった。

 

           ≡

 

四年前―――

新暦076年 8月

第145観測指定世界 スクライアの集落

 

 いつ以来だろう。僕はスクライアの集落へと里帰りした。

 皆は僕の帰りをとても歓迎してくれた。それ自体は凄く嬉しい事だし、やっぱり家族との時間は大切だと思った。

 だけど、なぜだろう。どこか心に口では言い表せない(わだかま)りのようなものが燻っているような・・・・・・そんな感覚を抱いていた。

 仕事は辞めたが、集落でもやるべき事はたくさんある。今まで家族には迷惑や心配ばかりかけてきたから、この機会に恩返しをしたかった。

 周りが僕に期待の目を向けるように、僕も周りの期待に答える為に頑張った。

 

「よしっと・・・・・・これで大丈夫だろう」

 手始めに雨漏りが収まらないという話を聞いたので、僕が直接見に行ってその原因を調べて対処した。

「とりあえずの応急処置だね。余ってた麻袋にタールをたっぷり塗って貼り付けておいたから、2、3日は持つと思うよ」

「助かったよユーノ。雨漏りがひどくで困ってたところにお前が帰って来てくれて」

「ユーノ、終わったらこっちも手伝ってくれるか?」

「わかった。今行くよ」

 次から次へ引っ切り無しにあちこちから声がかかる。こういうのを地球の言葉で「引っ張りだこ」って、言うんだっけ。前になのはから教えてもらったのを思い出した。

「馬の調子が良くないみたいなの。だから乳の出が悪くて・・・・・・」

「まずは仔馬(こうま)に乳を吸わせて親馬を安心させる事が一番だよ。あとは気候の変化に敏感な馬の為に適切な環境を用意してあげるのも必要だね。あとで馬乳が出し易くなるよう餌も調整してみるよ」

「ありがとうユーノ。立派になったものね」

 舞い込む依頼はどれもそんなに難しい事ではないから、ものの数分で片付けられる。

 幾ばくか物足りない気もするが、今の僕にとって、満足感を得るには十分過ぎるものだった。

 だけどやっぱり、どこかしっくりこない。腑に落ちないのはどうしてだろう・・・・・・。

「おまえはよくやっている」

 気落ちしていた僕を見かねて声をかけてくれたのは、ハインリヒ族長だった。

 族長は以前よりも老けていたが、何の連絡も寄越さずに突然帰って来た僕を叱咤するどころか、穏やかに笑ったのち、温かく迎え入れてくれた。

「おまえが持ち帰った例の結晶物について興味深いことが解った。一緒に来なさい」

 

 僕が集落に戻ったのは、単なる里帰りの為ではなかった。

 自らが発掘した出土品―――古代遺物(ロストロギア)と思しき紫紺の結晶物に違和感を覚え、しかるべき機関へ手渡す前に、一度スクライアの皆でこれを調査したかった。

 スクライア一族は考古学者が集まったその道のプロフェッショナルだ。僕も一応考古学者の端くれだ。皆でこれを調べて歴史に埋もれていた真実に近づきたいと思った。

「炭素年代測定で解析を進めたところ、この小さな結晶物は今からおよそ1万年に造られた物である事が解った」

「1万年前って言ったら・・・・・・次元世界の多くで人類が文明と呼べるものを手にしていなかった頃じゃないですか?」

 そんな大昔に造られた物だとは思わなかった。実際、手にして触った感じだけではどれだけ古いものなのかと言う判別はつけられない。

 僕自身も精々数百年から数千年単位の物だろうとは思っていたが、今回の結果は予想を遥かに上回るものだった。

「だからこそ興味深い。ユーノ、改めて聞くが・・・これをどこで見つけたのだ?」

「数日前、管理外世界で古代遺跡巡りをしていた折にたまたま見つけたんです。これを手にしたとき、僕はこの結晶物から確信にも似た強い力と不安を感じました。おそらく、ジュエルシードと同じあるいはそれ以上の高エネルギーを内包しているのだろうと」

「私たちの元へこれを持ち帰ったおまえの判断は正しかった。これは素人が手を出していい代物じゃない。こんな小さな欠片にこれだけのエネルギー密度と質量・・・・・・紛う事なき古代遺物(ロストロギア)だよ。我々の想像を遥かに超えている」

 計測器のあらゆる数値が「測定不能」という文字を表示させる。

 族長とともに僕は()()()()()()()()()()しかないにも関わらず、極めて高密度のエネルギーを蓄えたそれを凝視。

 このとき、僕の額からは一筋の汗が流れ、足下へと滴り落ちた。

 

 集落から少し離れた場所にある小高い丘で一人考えに耽っていた砌、族長が現れ、穏やかに笑いながら声をかけて来た。

「ユーノ」

 隣に立った族長は、暮れなずむ夕陽を眺めながら、僕に語りかけて来た。

「おまえが突然管理局を辞めて、我々の元へ戻って来たときはさすがに驚いたが、私は嬉しくもあった」

「族長・・・・・・僕は族長や皆が思ってるほど賢くはありませんでした。9歳の頃、単身ジュエルシードを追って故郷を飛び出して地球へと降り立った。でも結局僕一人の力ではどうすることもできなかった」

 自分の失敗談を語りながら、僕は拳をぎゅっと握り返す。

「族長の言う通り外の世界は危険がいっぱいでした。だからあの時、きちんと話を聞いていればよかったのかもしれないと・・・・・・時々思います」

 もしも、あのとき僕が自分の心の声に従わず、族長の言うことを聞いていれば、違う未来が待っていたのかもしれない。

 もしも、あのとき僕がなのはに助けを求める事が無ければ、今ごろ彼女も違う未来を歩んでいたのかもしれない。

 色々と頭の中で考えては見るものの、どれもしっくりこないのはどうしてだろう。そんな僕を見かねて、族長がおもむろに肩に手を乗せ、優しく笑みを浮かべた。

「おまえはスクライア一族の未来なんだユーノ。それは遠い世界や管理局ではなく、ここにある――――――皆の期待に応える時が来たんだ」

 

 その日の夜、なかなか寝付けなかった為、僕は塒を飛び出してひとり集落の外を散歩していた。

 雲一つない、澄んだ空に映える満月は太陽を光源にして夜の世界を明るく照らし出す。周りには月灯りに負けないくらいの星々が煌々としている。

 僕は今日と言う日に浮かぶ月を眺めながら、今までの人生を一度振り返ってみた。

 ―――いつからだっただろう。自分の人生が自分のものでないと思い始めるようになったのは・・・・・・。

 ―――いつからだっただろう。「誰かに選ばれる」よりも、「自分がなにを選んだか」のかが、分からなくなったのは・・・・・・。

 ―――いつからだっただろう。本当にやりたいことがあったはずなのに、それを貫き通すことが難しくなったのは・・・・・・。

「・・・・・・なのは達はすごいや。みんな自分のやりたい事をやれていて」

 自嘲するように僕はボソッと呟いた。

 勿論、考古学者という道も僕がやりたかったことではある。今でもこの仕事は誇りに感じてるし、ライフワークだと自負している。

 だけどそれとこれとはまた何かが違う。決定的に僕の中で何かが欠けているんだ。この空虚感こそ、僕が僕である事をイマイチ自覚できない証拠なのだろう。

「僕は・・・・・・。」

 自分は何者で何を望んでいるのか・・・・・・。どれだけ思考を張り巡らせても、その答えに辿り着く事が出来ないでいた、そのとき。

 

 ドカン―――ッ!!!

 

 唐突なる爆轟(ばくごう)に僕の意識は瞬時に音の方へと向けられる。

「今の音は!?」

 ここからそう遠くない。方角からして、集落の方だ。

 嫌な予感がした。不毛な思考に時間を費やすのを止め、僕はスクライアの集落へと脇目を振らず脱兎の如く駆け出した。

 

 足場の悪い大地を疾走すること数分、僕は信じ難い光景を目の当たりにした。

 ポツリポツリと点在しているスクライアの移動式住居と、その周辺一帯が、おそらく先程の爆発の影響によるものか大火災を引き起こしていた。

「これは・・・・・・!」

 まるで悪い夢を見ているようだった。生まれ育った故郷が、地獄の業火に包まれ、生きとし生ける命を老若男女の区別なく刈り取ろうとしているのだ。

 僕は矢も盾もたまらず炎の中へと飛び込んだ。

 燃え盛る集落のあちこちから悲鳴と叫喚が聞こえてくる。誰もが理性を失い、迫りくる死に気が狂っていた。

(くそ・・・何がどうなっているんだ・・・!?)

 沸々と湧き上がる此度の凄惨な事態に対する疑問。

 自然災害的な要因か、あるいは悪意ある者による人為的な要因か。いずれにせよ、穏やかな事態ではなかった。

 事態を収拾しようにも誰もが冷静さを欠いている。こうした不測の事態でこそ、冷静にとなれ―――そう諌めたところで誰もが素直に聞き入れる事は出来ない。

 爆炎はより一層勢いを増し、有毒ガスが充満するたび、僕も呼吸が苦しくなる。

 すると、幸運なことに顔見知りと出くわした。全身(すす)だらけで所どころの火傷はあったものの、五体満足でいたエルゼ・スクライアが僕の瞳に映った。

「エルゼ!!」

 慌てて彼女の下へと駆けよると、煙を大量に吸った影響で激しく咽返す彼女が僕を見るなり、切羽詰った表情で訴えた。

「ユーノッ・・・・・・ゲッホ、ゲッホ・・・大変なの!! あの結晶物の、ゲッホ・・・エネルギーが急激に増大して・・・」

「なんだって!?」

「ゲッホ!! ゲッホ!! 族長が・・・・・・まだあの中にいるの・・・・・・!!」

 彼女の口から伝え聞かされた由々しき話。

 僕が持ち帰ったあの『古代遺物(ロストロギア)』が突如として暴走を始め、この地獄のような惨状を作り出したとの事だった。

 だとすれば、皆を危険に晒したのは誰か・・・・・・。皆の平穏をぶち壊したのは誰か・・・・・・。それは目の前で苛烈に燃えている火を見るよりも明らかだ。

 気が付くと、僕は脱兎の如く駆け出し、族長の元へ直行した。

「待ってユーノ!! 行ってはダメよ!!」

 制止を求めたエルゼの声が酷く虚しく僕の耳を右から左へと流れていった。

(僕のせいだ・・・・・・。僕があれを持ち帰ったりしなければ、こんな事にはならなかったんだ・・・・・・!!)

 ―――世界はいつだって、こんな筈じゃない事ばかりが起こる。

 悔しいかな、いつぞやクロノが言っていた言葉が今になって身に染みる。

 善悪の区別はともかくとして、僕があの古代遺物(ロストロギア)を持ち帰ってきたことも。図らずもそれが直接の原因となってこの度の悲劇を生み出したのも結果論ではあるが、紛れもない事実だった。

 僕の悪い癖は「自分が関わった出来事が悪い方に傾くと、何かにつけて自分が悪いと思い込んでしまうこと」らしい。らしいというのは、僕自身がそれをはっきりと自覚していないという意味合いが込められている。

 ジュエルシードが散らばった時も、族長が僕のこうしたお門違いな思考を嗜めたことがあったっけ。

 お門違い・・・・・・確かにそうかもしれないが、だからと言って完全に自分のせいだと割り切れる自信が無かった。何より周りに責任の所在を押しつける事が昔から嫌いだった。

 この悪癖を抱えたまま大人になると碌な事にならないな・・・・・・。心中自嘲をするかたわら、族長を救出すべく、調査用の機材が出そろっている炎の渦に包まれた解析用のテントの中へ躊躇なく飛び込んだ。

「族長!! ゲッホ、ゲッホ!! どこです・・・か・・・ゲッホ!!」

 凄まじい熱と摂氏数百度にも達する炎。周りの酸素を奪って激しく燃焼する勢いを止める事は出来ない。

 族長を助ける前に自分が死んでしまっては意味が無い。

 僕は印を結び、結界で自らの周りを球状に覆い囲む。これでひとまず外気温と有毒ガスは遮断できた。

「族長っ!! 今行きます、それまで耐えてください!!」

 そう意気込んだ直後、僕は不思議なものと遭遇した。

 

 燃える炎によって辺り一面灼熱色に染まっていたと思えば、不意に頭上から奇妙な光源が差した。

 恐る恐るその光源に視線を向けたとき、僕の瞳にメビウスの輪を思わせる奇妙な象徴が浮かび上がっていた。

「な、なんだあれは・・・!」

 幻覚でも見ているのかと思ったが、どうやら違っていた。

 不思議な事に、輪を見つめる度に声の様な何かが頭の中に直接流れ込んでくる。

 未知なるものが僕に対して何らかのアクションを起こし、働き掛け、明確な意図を持ってメッセージを送りつけていた。

 このときの出来事を僕は今でも鮮明に覚えている。だけど、それを気にしているだけの心の余裕は当時の僕には持ち合わせていなかった。

 

「族長ッ―――!! どこですかァ―――!!!」

 一刻も早く族長を探すして助け出す。頭の中はそれでいっぱいだった。他の事に気を回す暇など毛頭に無かった。

 魔力を練り、探査魔法を発動させ―――現在位置から族長の居る場所を特定し、位置が絞れると、僕は族長の元へと走った。

 燃える障害物を掻き分け、険しい道のりを進み続けた末、ようやく見つけ出した。瓦礫に埋もれてぐったりと地に体を伏せている族長の姿を。

「族長ッ!!」

 族長にのしかかった瓦礫を退かして意識を確かめると、呼吸は酷く衰弱していた。早く助けなければ命の危険もあった。

「今すぐに助けますからね!」

 急いで治癒の魔法を施そうとしたが、次の瞬間、辛うじて意識を取り戻した族長が僕の手を握り締めてきた。

「族長・・・?」

 訝しむ僕の顔を族長は憂いを帯びた表情で見つめ、延命処置を施そうとする僕に首を横に振ってきた。

「私のことは構うな・・・・・・おまえはゆくのだ・・・・・・」

「馬鹿な・・・・・・あなたを置いて行くなんて出来る訳ありません!」

「行くんだ・・・・・・おまえは特別だ。お前は『神』に選ばれし者なんだ・・・・・・」

「何言ってるんですか!? 気を確り持ってください!」

「どの道わたしはもう助からない・・・・・・スクライアの未来はおまえに託す・・・・・・どんなに遠く離れても、私はずっとおまえのそばにいるさ・・・・・・・・・・・・おまえは私の自慢の息子だ・・・・・・・・・・・・」

「族長・・・・・・。」

 僕と族長に血縁関係は無い。遺伝子レベルでは間違いなく赤の他人だ。

 だが、血は繋がっていなくても家族でいる事は出来る。僕にとって族長は紛れもない家族であり、僕にとっての『父親』と言って差し支えない。

 そして、族長にとっても僕が彼の『息子』であるという認識は不変のものだった。

「ユーノ・・・・・・・・・最後の最期でおまえに言えなかったことがある」

 死の間際、族長・・・もとい父は薄らいでいく意識の中、僕の目をじっと見据え、やがて双眸に涙を浮かべゆっくりと言葉を吐いた。

「おまえを・・・・・・理解したつもりでいて・・・・・・すまなかった・・・・・・」

 溜めていた涙が両頬へと流れ落ちた直後―――僕の腕に抱かれながら、族長は静かに息を引き取った。

「族長? 族長?! 族長! 族長ッ! 族長ッ!! 族長ッ!!!」

 激しく体を揺すり、語気を上げて呼びかけるも、族長が僕の呼びかけに答える事は二度となかった。

 家族を危険に晒したばかりか、父親の命をも奪ってしまうとは――――――。

 ただただ悔しい。自分の無力さが。愚かさが。このやり場の無い遣る瀬無さと、沸々と湧き上がる自分自信への怒りの念。

 この罪は何としても(あがな)わなければならない。これ以上の犠牲は沢山だ。そもそもの発端が僕である以上、後始末をつけるも僕だ。

 動かなくなった族長の遺体を比較的火の勢いが小さい場所へと退かし、火災の原因となった例の紫紺の結晶物へとゆっくりと歩み寄る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、内部から激しい勢いのエネルギーを放出し続けており、飛び出したエネルギーが解放される事で莫大な力が生まれ、周囲を一瞬にして火の海へと変貌させた。

「・・・・・・僕が火種となって起こった事はすべて僕一人で方をつける」

 暴走するエネルギーを抑えるべく、おもむろに右手を翳した僕は、足下と前方に魔法陣を展開し、封印の為の詠唱を行う。

「――――――妙なる響き 光となれ 許されざるものを封印の輪に」

 十一年前、ジュエルシードを封印し損ねた魔法を使う事に多少の戸惑いと抵抗はある。

 ずっと無限書庫にいた為、魔導師としての活動は十年のブランクがあるし、今の僕にはあの頃のような自信も無く、レイジングハートも無く、本当にただ魔法がちょっと使える程度の男でしかない。

 だけど、それでもやるしかないんだ。これは僕に課せられた『罰』なのだから。

古代遺物(ロストロギア)、封印!!」

 練られた翡翠色の魔力が紫紺の結晶全体を膜状バリアで包み込み、暴発を繰り返すエネルギーを内部に閉じ込めようとする。

「!」

 しかし、程なくして僕の魔力は内側から発生する強大なエネルギーによって崩壊を始め、膜には亀裂が生じる。

 ピキピキ・・・・・・パリン。バリアの崩壊と同時に抑えつけられた力が一気に溢れ、僕を丸ごとを呑み込んだ。

「う、うわああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 その際、紫紺の結晶は球状から無数の欠片へと砕け、空高くへと舞い上がるとともにあらゆる場所へと飛散した。

 

           *

 

 あの後、何が起こったのか分からなかった。

 気が付いたとき、僕はとても不思議な事象を経験した。

「あれ?」

 目に映るものすべてが真っ白だった。純粋な白。背景と言うものが何ひとつない、とても奇妙な空間において僕はポツリと佇んでいた。

「なんだ・・・・・・ここは一体・・・・・・」

『やあ』

 突然、目の前から声を掛けられた。

 意識が眼前に向けられると、それまで僕の意識すら認知していなかった奇妙な存在が唐突に現れた。

 それは存在していると言えるモノなのだろうか。安直に譬えるならば、透明人間のようなモノが鎮座している。

 どこか偉そう。されどどこか自分に近いものを感じられる、そんな奇妙な何かが僕を見つめている。

「君は・・・誰なんだ?」

『よくぞ聞いてくれました。僕は君たちが“世界”と呼ぶ存在。あるいは“宇宙”、あるいは“神”、あるいは“真理”、あるいは“全”、あるいは“一”、そして僕は“君”だ』

「何を・・・言って・・・」

『ユーノ君。今日は君に特別なプレゼントを用意したんだ。()()()から君への祝福だよ』

 哲学染みた自己紹介から始まったと思えば、初対面の僕に向かってプレゼントを送りつけると宣言する謎の存在。

 蠱惑(こわく)的な笑みを浮かべるとともに、それは僕にこう語った。

『君はこの先、心で強く願った事はどんな事でも叶えることできる。心の底からそうありたいと願った事である限り。だけど・・・たったひとつ叶えられない願いがある。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後、背後から言い知れぬ物の気配を感じ取った。

『祝福を受け取るがいい。光であり闇である者よ―――」

 言われた後、恐る恐る後ろへと振り返る。僕の後ろには巨大な扉があり、その扉はギギギ・・・という重低音を響かせながら開かれていき―――

 刹那、扉の中から確固たる形状を持たない幾つもの腕や目を持ったモノが現れ、僕の体を絡め取り、扉の中に引き込んだ。

「う、うわあああああああああああああああああああ!!!!」

 抵抗する事も虚しく、僕は訳の分からないまま、誰でもない奴曰く「プレゼント」と称する恐怖体験を味わうこととなった。

「あああああああああああああああああああああ」

 底の見えない空間へと引きずり込まれ、身体の自由が利かない中、かつて経験した事のもの凄い量の情報を直接頭に叩き込まれたような―――そんな感覚に陥った。

「やめろ・・・やめてくれええええええええええええ!!!!!!!!」

 頭が割れそうだった。無限書庫で勤務していたとき、徹夜続きで検索魔法を連続行使する事で似たような経験をした事はある。

 でも、今回のそれはあの時とは比べ物にならない膨大とも言える情報量だった。

「やだぁぁぁ!!! やだぁぁぁぁぁぁ!!!」

 こんな悪質なプレゼントがあってたまるか。あの誰でもない奴は僕に何の恨みがあってこんな事をするんだ?

 だけど、それは僕の勘違いだったと直ぐに気が付いた。

 ふとした瞬間、僕は頭の中に流れ込んでくる情報から唐突に理解した。

 これまでの人生で未だ知り得ずにいた『魔法』の根底にある情報体次元に存在する時間と空間を超越した概念。そしてこれから先の未来に起こり得るビジョンが。

 そして瞬時に僕は悟った。これが“真理”なんだ―――と。

 

           ◇

 

 謎の古代遺物(ロストロギア)の封印に失敗し、未知なる経験をしたユーノが本当の意識を取り戻した時、彼は元いた世界から少し時間を遡った過去の世界―――・・・第97管理外世界「地球」のとある地に辿り着いた。

 そこで彼は、今後の人生を左右するある運命的な者と出会いを果たす。

 

           ≡

 

五年前―――

新暦075年 12月

第97管理外世界「地球」

北海道 ニセコ町 某旅館一室

 

「・・・ん・・・―――あれ・・・ここは・・・?」

 見慣れぬ天井と部屋の様子を見て、不審に感じずにはいられなかった。

 あのとき、古代遺物(ロストロギア)の封印に失敗して光に呑み込まれた筈の僕がどうしてこんな旅館みたいな部屋で寝ているんだ?

 あれだけの爆発に巻き込まれたのだ。傷を負っていても不思議ではない筈なのに、体の痛みはおろか疲労すらなくなっている。

(どうなっているんだ・・・・・・―――まさかこれもあの誰でもない奴のプレゼントなのか?)

 等と思っていると、部屋の襖が開き、僕をこの場へ運んで治療をしてくれた者達が目覚めた僕へと声を掛けてきた。

「おう。ちょうどいいタイミングだな」

「あぁよかった!! 目が覚めたみたいですね!!」

 派手なオレンジ色の髪の男性。そして肩まで伸びたサラサラのロングヘアの美女。おそらく二人は夫婦か恋人なのだろうとは思った。

(もしかして、この二人が僕を介抱してくれたのか・・・・・・)

 怪訝している僕を見、男性はおもむろに近づくと、真剣な眼差しで僕を観察。やがて眉間の皺を緩め柔らかい表情で言って来た。

「後遺症も無いみたいだし、多分大丈夫だろうぜ。俺、こう見えても医者の卵でよ! お前をここまで運んできたんだ」

「じゃあやっぱりあなた方が僕を・・・?」

「ああ。俺は黒崎一護(くろさきいちご)。こっちのは井上織姫(いのうえおりひめ)だ」

「どうも初めまして! え~と・・・とりあえずあなたの名前も聞かせてくれると嬉しいんですけど・・・?」

「あ、はい・・・僕はユーノ。ユーノ・スクライアという者です」

「ユーノ・スクライアか・・・一応聞くけど、お前って男だよな?」

「え!? あぁはい・・・そうですけど・・・」

 何故だろう。この人に悪気は無いのだとは思うのだが、こういう質問をされると無性に腹が立って仕方ない。

 というか、同じ男性から男性ではないのではないかという疑問を持たれること事態が悲しかった。

 どうして僕と言う人間はこうも欠陥ばかりを抱えているのだろうか。ただただ悲嘆するよ。こんな自分自身に―――。

「織姫、アイツ急にどうしちまったんだ? なんか顔色さっきより悪くなってるみたいに見えるんだけどよ・・・」

「一護くん、ひょっとして気に障ること言っちゃったのかも」

 二人が僕を見ながらひそひそと何かを言っていた。

 やがて罰の悪そうな笑みを浮かべた一護さんが、僕の心情を察したらしく、弁明とばかり僕を見ながら言って来た。

「あー、えっと・・・その・・・! なんか気に障ること言ったなら謝るよ! 悪かった! ただあんまりにもお前が綺麗な顔してるもんだからつい!」

 

 グサッ―――!

 

 僕の心臓を射抜くには十分すぎる破壊力を持った言葉だった。

 聞いた途端、僕の理性は瞬時に吹き飛び、先の事故で元々疲弊していた精神はしばしの間肉体から切り離され、思考も生物としての機能も完全に沈黙した。

「あぁ!! ゆ、ユーノさん!?」

「おいユーノ!! しっかりしろよ!! おぉぉ―――い!!!」

 

           ◇

 

翌日―――

北海道 札幌市 某観光地

 

「ユーノさん、こっちですよ!」

「ほら早く来いよ」

「しけたつらしてんじゃねえぞ! せめて女なのか男なのかハッキリさせてろよ!」

「いやコンさん・・・・・・僕は元々男ですから・・・・・・」

 完全な成り行きではあるが、僕は一護さんと織姫さん、それに人語を解する喋るライオンのぬいぐるみ・コンさんの厚意で北の大地・北海道にて観光旅行をする事になった。

 一護さんと織姫さんは僕より3つ年上で、同じ医大に通う大学生で、卒業を間近に控えた最後の冬休みを利用してこの北海道へ旅行に来ていた。

 僕が一番驚いたのは、二人の特技が「ユウレイ」が視えるという点だった。

 僕ら魔導師は魔法は使えても、幽霊を視たりする力は備わっていない。僕らが使う魔法は地球で言えば「高度に発達した科学」と同じである為、超自然的な力の象徴―――幽霊や超常現象の類を認知し、認識すること事態が的外れた事だった。

 ちなみに、コンさんが人の言葉を話したりするのは超常現象でもなんでもなく、また別の原理らしいが・・・・・・僕にはさっぱり理解出来なかった。

 そんな僕からすればとても奇妙な特技を持つ二人に、どうも妙な具合に親切にしてもらっているはどうしてなのか。

 理由はわからないが、一護さんと言い、織姫さんと言い、気さくに僕へと接してくれる事自体は決して悪く無かった。

 

「はいみそバターラーメンお待ちッー!」

「いただきまーす!! あ~ん・・・・・・。ん~~~、この味想像以上~~~♡ 一護くんも食べてみてみて!!」

「へぇー、どれどれ・・・・・・あん・・・・・・!! おう!! たしかにこれはヤバいな!! ユーノ、こいつヤベーぞ!!」

「そうですね。僕もこんなおいしいラーメンを食べるのは初めてですよ」

 すっかり観光旅行を満喫してしまっているが、僕は生憎地球の路銀が手元にない。それを正直に一護さんに話したところ、彼はあっけらかんに「んな細かい事気にすんなよ。俺らが全部もつからよ!」と、食費まで負担してくれた。

 彼らの菩薩の如く慈悲深い親切心には正直驚いた。なぜ赤の他人にそこまでしてやれるのかと疑問に思う。だからこそ、思い切って尋ねてみた。

「あの・・・一護さん、織姫さん」

「はい?」

「なんだよユーノ、餃子でも食いたいか?」

「そうじゃなくて・・・・・・どうして僕なんかの為にこんなに優しくしてくれるんですか? 怪我を直してくれたことは感謝しています。でも、会って間もない人間・・・それも外国人である僕になぜこれだけ献身的に尽くしてくれるんですか?」

 すると、聞いた二人は顔を見合わると、訝しんだ表情で意外な答えを口にした。

「なんでって・・・・・・んなもん、ほっとけないって思ったからだよ」

「ほっとけないって・・・・・・たったそれだけの理由で?!」

「それだけって、人助けに深い理由とか必要かって俺は思うけどな。だって手が届く距離に助けを求める奴がいたら誰だって助けるだろ? あんとき・・・怪我してたお前を見たときにさ、何だかお前の顔からよ、『助けて欲しい』・・・・・・そう訴えかけていた様な気がしたんだ」

「一護くんって、こんな仏頂面だけどとても優しいんです」

「仏頂面は余計だよ!」

「昔からそうなんですよ。いろんなものを護ってきたから、特に理由とかは考えないんです」

「おい待てよ織姫。その言い方だと俺が普段から何も考えずに突っ走ってるキャラみたいに聞こえるぞ!?」

 人助けに深い理由は要らない・・・・・・。手が届く距離に助けを求める者には誰でも助ける・・・・・・。妙にずっしりと心に響く言葉だった。

 そういえば、なのはに助けてもらったときもこんな感じだったっけ。でもあのときは事情が事情だったし、何より僕らは子供だったんだ。

 なのに、どうしてこの人達はそんな子供染みた理由で・・・・・・いや、理由も無く人を救う事に一切の躊躇を抱かないんだろう。僕にはそれが不思議で仕方なかった。

 

 

 このとき、僕は一護さんの親切心を心底不気味だとも感じていた。

 だが、自らの力に目覚めていない当時の僕にとって、それを理解するまでには至らなかったのである。

 

           ◇

 

 暗く、恐ろしく、陰惨な空気に支配された闇。

 上も、下も、右も、左も全てが真っ暗な世界に、僕は立ち尽くしていた。

 

 ―――「おまえのせいだぞユーノ!」

 ―――「アンタが、なのはを危険な世界に連れ込んだりしなかったら!!」

 ―――「どうして、なのはちゃんがひどい目に遭わないといけないの?!」

 ―――「なのはの体調不良を、おまえは知ってたんだろ!? 何で止めてくれなかったんだ!!」

 ―――「ユーノ、もっと真面な情報はなかったの!?」

 ―――「ユーノくん、私はがっかりやで・・・・・・。」

 ―――「どうして私や皆の期待を裏切るんだユーノ。おまえをそんな風に育てた覚えはない!!」

 僕の耳を(つんざ)き、絶え間なく響く罵詈雑言。

 罵倒から逃れる為、僕は耳を塞ぎ、一寸先も闇の中をひたすらに走り続けた。

 やがて、微かな光を見つけ、僕は縋る様に手を伸ばした。光は、初恋の女性―――高町なのはの姿へと変わった。

「なのは!」

 僕に名を呼ばれ、振り返った彼女は―――

「ユーノ君のせいだよ」

 全身血まみれで虚ろになった眼で、僕を呪うように見つめていた。

 

 

「っ!!」

 悪夢から覚醒し、布団から跳ね起きたとき、ここが旅館の寝室であり、両隣で眠りに就く一護さんと織姫さん、それにコンさんがいる事に安堵した。

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 肩で息をする僕は、全身から冷や汗が止まらなかった。

 時計は朝の4時を示している。昨日は一護さん達の厚意で、北海道観光を満喫した後、お酒を飲んで楽しんでいたっけ。就寝前の記憶を思い出すことで、僕は混乱する頭を落ち着かせようとする。

「なのは・・・・・・・・・僕は今、どんな顔してるのかな?」

 

 気を落ち着かせる為、一度外の空気を吸いに出た。

 真冬の4時台はまだまだ日の入りが遅い。外を照らすのは銀色に輝く月がひとつだけ。僕は誰もいないロビーでポツンと座り、月明かりをボーっと眺めていると、

「ユーノさん」

 耳に入ったやや掠れた女性の声に振り返ると、月明かりに映える亜麻色の髪を靡かせる織姫さんが僕を見つめていた。

「辛そうな顔してますけど、どうかしましたか?」

「あぁ・・・いえ・・・なんでもありません」

 朝早くに起こしてしまった事への罪悪感を感じる僕を憂慮した眼差しで見つめ、織姫さんはそっと僕の隣へと座った。

「悩みがあるなら相談に乗りますよ。こう見えても私、大学ではカウンセリングも勉強してまして、せっかくの機会に美人のナース見習いになんでも言ってみて下さいね! さぁ、洗いざら何でも聞きまっせ!」

「えっと・・・それを断る権利は・・・・・・無さそうですね。むしろ罰が当たりそうだ」

 声色もさること、どこかエイミィさんと同じ雰囲気を感じた。この人になら胸中の蟠りを告白してもいいだろう・・・・・・そう思った僕はおもむろに語り出した。

「あの・・・ものすごく唐突な話ではあるんですけど・・・・・・織姫さんは自分のことが憎くて憎くて仕方ないって感じた事はありますか?」

「そうですね・・・・・・少なくとも、そう思った事が全くなかったという事は無いですね。やっぱり人間誰しも形はともかくどうしても自分のやる事が許せないって思う事は、あると思うんですよ」

「じゃあ・・・・・・自分の勝手で無思慮な判断で誰かに助けを求めた挙句、その人の人生を捻じ曲げてしまったとき、その経験も記憶の一切も全部無かった事にしたいと思ったりしますか?」

「ん~・・・そうですね。これは答えになっているかどうかわからないんですが・・・人って、それが忘れるべき事ならちゃんと忘れてしまうと思います。だって、忘れたいと思う回数が多ければ多いほどむしろその記憶は強く確かなものになっていくと思うんですよ。なら心の奥底・・・本当は忘れちゃいけないことだって思ってるんじゃないですかね」

「・・・それなら僕は、とんでもない人でなしですね」

 自分自身をとにかく嘲笑い、膝の上で拳をぎゅっと強く握りしめ、僕は震える声色で慙愧(ざんき)の念が籠った声色で告白した。

「・・・僕は子供の頃、自分の勝手で無思慮な判断で平凡な少女の運命を変えてしまったんです。たった9歳の女の子が、ある日突然戦場に駆り出されて、そして命を脅かしかねない事故の遠因を作ってしまった。今でも後悔してるんです・・・・・・あのとき、僕がもっと賢い判断をしていればなのはを危険な戦いから遠ざける事が出来たのかもしれないと。でも僕は彼女に縋ってしまった。『助けて欲しい』という声を聞いてくれた、魔法も何も知らないただの女の子を・・・・・・そして・・・・・・その彼女のことさえ真面に見られなくなって、怖くなって、僕は逃げた。つまり僕は・・・・・・この手で魔法使いにした女性のことさえ忘れようとしている人間なんです」

 自分自身への侮蔑と怒気、その他あらゆる負の感情の籠った表情で語った僕自身を、織姫さんは暫し見つめ―――やがて静かに謝罪の言葉を口にした。

「ユーノさん・・・・・・ごめんなさい。カウンセリングしてあげるなんて偉そうなこと言いましたけど、私にはあなたの抱えた重荷を取り除くことも、一緒に背負ってあげる事もできません。だって私は・・・・・・魔法使いじゃないですから」

 当然だ。織姫さんに話したところでどうする事も出来ない。百も承知と知りながら、自分の失敗談を愚痴るはけ口をあなたに求めてしまった。

 嗚呼、本当に僕はどうしようもない人間だよ・・・・・・。そう思っていた矢先、織姫さんは唐突に僕の頭を自分の肩に寄せて来た。

「ユーノさん、あなたの言っている“なのは”って人に対する重さがどれほどなのかはわかりません。でもこれだけはわかります。あなたがそうした・・・そうしなきゃならなかったのは、絶対に無思慮な判断なんかじゃなかったんですよ」

「え?」

「医療の場面でも、自分で判断しなくちゃいけない事がたくさんあるんです。もちろん、何も無かったことになんかできるわけじゃない。でも、自分で判断したからこそ生み出される良い結果や未来が必ずあるんです。あなたはその人を危険な世界に巻き込んでしまった自分の事が憎くて仕方がない、だからその責任を背負う義務があると思ってるみたいですが・・・・・・ユーノさんには同じだけ自分も助ける権利があるんですよ」

「自分を助ける権利? でも・・・・・・でも僕は! 助けてもらった彼女のことを忘れようとしてたんだ! 重荷を、義務を放り捨ててしまったんです!! だから救われる権利なんか―――」

 胸中の叫びを口にした直後、織姫さんはただ優しく僕の頭を引き寄せ、豊満な自分の胸でぎゅっと抱きしめた。

「本当に忘れようとしているなら、そんなに苦しんだりしませんよ。あなたはちゃんと救われるべき人間です。ユーノさんが守り、助けた人がいるって事を思い出してみて下さい。あとはあなたがどちらを選ぶかです」

 僕自身が守り、助けた人がいる・・・?

 わからない。僕はいつも助けられてばかりだった。守ってもらってばかりだった。そんな僕に助けられた人間なんているわけが。

 

 ―――「ユーノ君、いつもありがとう!」

 ―――「ユーノ、ありがとう。」

 ―――「おおきにな。ユーノくん。」

 

 ああそうか・・・・・・忘れていたよ。

 僕はいつの間にか心に鍵をかけて、頑迷固陋に「ありがとう」という言葉を使う機会を逸していた。いや、使うこと事態を恐れていた。

 織姫さんの言う通りだった。こんな僕でも助けた人たちの笑顔が、言葉が、温かさが確かに在ったんだ。

 

           ◇

 

翌日―――

北海道 釧路市 某観光地

 

 織姫さんに悩みを聞いてもらって、大分心が落ち着いた。

 今まで自分を責めてばかりだった自分が馬鹿みたいだ。まぁ、そう言う性分だからきっとまたどこかで自分を責める時が来るとは思う。

 でも、今は止そう。せっかく一護さん達とこうして楽しい時間を過ごしているのだから、今は思い切り楽しもうじゃないか。

「ユーノ。これなんか旨そうじゃねえか?」

「そうですね。僕もそれがいいと思います」

「ねーねー、こっちのもいいと思うよ!」

 現地で知り合った不思議な男女に命を救われ、塞ぎがちだった心を洗われ、こうしてお土産を選んでいる―――本当に実に奇妙で、幸せなひとときだ。

 

 だけど、その幸せな時間を唐突に壊す出来事が起こった。

 突然店の外から暴風でも吹き荒れたような激しい物音がし、周囲の建造物の一部が破壊され、店の外へと転がっていた。

「なんだ!?」

 妙な気配がした。慌てて店の外へと出たとき、信じ難い光景を目の当たりにした。

 周りの建物よりも大きく、重厚感あふれる鎧に包まれ、紅に染まった単眼で眼下の命を見下ろす巨人―――人はそれをポリュペモスと呼んだ。

「なんだ・・・・・・ありゃ・・・!?」

「怪物!?」

「あれは魔導生物ポリュペモス!! だけど、どうしてこんな辺境の世界に―――」

 本来ならばあり得ない光景だった。管理外世界に何の前触れも無くこのような怪物が現れるなどあってはならない事だ。

 おそらく、召喚士がいるのだろう。何の意図を持ってこんな事をしているのか分からない。きっと碌でもない事だとは思うが、今はあれこれ考えるよりも先に、まずこの脅威から周りの人達を護る必要があった。

「一護さん、織姫さん、コンさん。アイツは僕が引きつけますから、ここから離れてください」

「な・・・何言ってやがる!? あんなのに勝てる訳ねえだろ!」

「危険ですユーノさん!」

「おめー殺されちまってもいいのかよ!?」

「こう見えても僕は魔法使いなんですよ。だから、何とかします」

「魔法使いって・・・」

「ユーノさん・・・あの言葉ってもしかして・・・」

 ここまで僕に良くしてくれた事に深く感謝しています。

 一護さん達へほくそ笑んだ僕は、ポリュペモスに石を投げつけ、敵の注意を向けさせてから疾駆―――なるべく人通りの少ない場所へと誘導する。

 ある程度多少暴れても平気なところを選ぶ必要があった。町の被害を最小限に考え、ポイントを絞り、封時結界を展開する。

「これでフィールドには僕とお前だけになった。十年ぶりのブランクを取り戻すのにはちょうどいい相手だ」

 勝てる自信があるかと問われれば、100パーセント「ある」とは言えない。

 だけど、僕が魔導師である以上戦わなければならない。皆を護る為に、自分自身を生かす為に―――。

「チェーンバインド!!」

 魔法陣から幾重もの鎖を解き放ち、目の前で立ち尽くす鈍重な巨人の体を絡め取る。

「広がれ戒めの鎖。捕えて固めろ封鎖の檻。アレスター・・・チェ―――ンッ!!!」

 チェーンを手繰り寄せると同時に爆発を生じさせる、僕が考案した捕縛型封殺魔法【アレスターチェーン】。以前これでなのはに模擬戦で一回だけ勝ったことがある。結界魔導師ならではの攻撃法だ。

「よし、これなら―――」

 しかし、十年のブランクは思ったよりも深刻だった。

 煙が晴れた先に映ったのは、殆ど傷一つ負っていないポリュペモスだった。

「なっ・・・・・・」

 魔法が全く通じていないのが何よりもショックだった。長年司書業務の為だけに魔法を使っていた事がこれほどの痛手を食うとは思いもよらなかった。

 怒りに燃え、鼓膜を震わせる咆哮を上げたポリュペモスは、手にした金棒を勢いよく振り下ろしてきた。

 咄嗟に防御し『捕縛盾(バイディングシールド)』で金棒を封じ込めようとするも、やはり簡単に引き千切られてしまい、怒り狂ったポリュペモスの一撃を真面に受けた。

「ぐああああああああ」

 凄まじい力で吹っ飛ばされ、周囲の建物の外壁に激突した。

 背中に走る強烈な痛みに悶える僕を見据えたポリュペモスが一歩、また一歩と金棒片手に近づいてくる。

(こ、ここまでか・・・・・・・・・)

 死を覚悟し、眼を瞑ろうとした直後―――それは現れた。

 

「ほおおおおおおおおおおおおおお」

 威勢のいい叫びを上げながら、黒い着物に身を包んだ一護さんと思しき人が出刃包丁に良く似た大剣を掲げてポリュペモスへと斬りかかった。

 ポリュペモスは不意を突かれ、右腕を深く斬られ、あまりの痛みに甲高い声を上げる。

(あれは・・・一護さん・・・・・・しかも、あの格好は・・・!?)

「―――月牙天衝(げつがてんしょう)!!」

 技名を唱えた瞬間、手持ちの剣から青白い光が斬撃となって放たれ、ポリュペモスの体を切り裂いた。

 一護さんは僕を護るように大剣を構えて前に立った。

 僕にも分からない力、だけど不思議と()()()()()()()()()()()()。様々な疑問を浮かべながら、僕は目の前の一護さんに問う。

「一護さん・・・・・・あなた・・・」

「!」

 声を聴いた途端、一護さんは目を見開き、驚愕に満ちた顔で僕を凝視する。一体何をそんなに驚いているというのか。

「驚いたな・・・。まさかとは思ってたけど、やっぱり俺の勘違いなんかじゃなかったんだな。()()使()()()()()()姿()()()()()()()なんて思ってもみなかったぜ」

「死神? 一護さん・・・・・・それは何かの冗談ですか?」

「詳しいコトは全部後回しだ。ここは俺に任せろ。お前は俺が護ってやる」

 力強い眼差しで宣言した直後、一護さんは瞬く間にして僕の前から姿を消した。

 刹那、ポリュペモスの懐へ潜り込んだ黒衣の勇者は、勇猛果敢に獰猛なる怪物へと戦いを挑んだ。

(死神ってなんなんだろう・・・・・・少なくとも、一護さんの戦ってるあの姿がそうなんだろう。だとしたら羨ましいな・・・・・・僕にもあんな力があれば・・・・・・)

 強烈な羨望を抱いた。僕にも一護さんと同じ力があれば、こんな惨めな目には合わずに済んだのだろうか。

 だからこそ僕は願ったんだ。強くなりたい。魔法の力も、死神の力も、みんなまとめて欲しいと―――。

 

 そうこうしているうちに、戦いは終盤に差し掛かっていた。

 圧倒的とも言える一護さんの力でポリュペモスは追い詰められ、止めを刺されるのは最早時間の問題だった。

「こいつで終いだ」

 一護さんの体から滲み出す青白く発光する異能の力。魔法でない事は確かだけど、その圧は桁違いに凄かった。

 これで勝負が着いた―――かに思われたとき、予想外の事が起こった。

『うぇぇ―――ん!! ママぁ―――!!』

 僕と一護さんの注意がその声に向けられた。

「「な!!」」

 僕としたことが、結界内に子供が取り残されていた事に気付かなかったなんて・・・・・・これも十年のブランクのツケか。

 だけどその子供がただの子供とも思えなかった。何故だかはわからないが、子供の胸から奇妙な鎖が生えていたのだ。

「しまった!! まだ『(プラス)』が残ってたのか!?」

 一護さんが子供を指して『プラス』と称した理由は定かではなかったが、子供に関心を向けた事で一瞬の隙が生まれた。

 ポリュペモスはその間隙を突き、無防備だった一護さん目掛けて金棒を振り払った。

「ぐあああああああああああ」

「一護さんッ!!」

 僕の前で吹っ飛ばされた一護さん。

 彼は咄嗟に『プラス』と呼んだ子供が被害を受けないように気を配っていた為、打ち所悪く、刀を再び握る事すら困難な状況だった。

 咆哮を上げ、ポリュペモスは進路を一護さんの方へと向ける。

 今の一護さんでは真面に戦うことすら出来ない。このままでは・・・・・・このままでは・・・・・・

 

「やめろっ―――!!」

 もう・・・・・・嫌なんだ。

 僕の目の前で、誰かが傷つくのも、何も出来ずにいることも。全部・・・・・・。

「僕にだって・・・護りたい・・・! こんな僕にだって・・・役に立ちたい! みんなの為に!!」

 心の底からそう強く願ったとき、奇跡は起きた。

 体の奥から急激に力が漲って来たと思えば、僕の目の前に刀の形を翡翠色に輝く高エネルギー体が唐突に現れた。

「なんだ!?」

「この力・・・この光は!」

 おぼろげな意識の中、一護さんが僕の方を見ながら驚愕の顔を浮かべている。

 次の瞬間、ポリュペモスの金棒が一護さん目掛けて振り下ろされそうになった。だが、それを僕が咄嗟に手持ちの刀らしきもので食い止めた。

「ユーノ!!」

「僕はもう迷わない。誰も死なせない。誰も傷つけさせない。この身を賭して、大切なものを護る!! それが僕の―――覚悟だぁぁ!!」

 力強く宣言するや、僕が手に持つそれは明確に『刀』の姿へと変わり始め、それに伴い僕の姿も一護さんとよく似た黒装束へと変化した。

 全身から滾る強大な力。この力は魔力とは違う。もっと根本的なもの―――魂そのものから(ほとばし)る力であると確信した。

 

【挿絵表示】

 

 受け止めていた金棒を力で押し返すと、持っていた刀を両手で握りしめ、大地を力強く蹴って飛び上がる。

「はああああああああああああああ」

 ポリュペモスへ狙いを定め、頭部から一直線に手持ちの刀で斬り伏せた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 どうにか斃す事が出来た。それにしても、僕は一体どうなってしまったんだ? どうして僕の所に刀が現れたんだ?

「いったい・・・・・・この力は・・・・・・?」

「それは死神の力だ」

 戸惑う僕を見かねた一護さんが、端的にそう口にした。

「ユーノ。どうしてお前がそうなっちまったのかは俺にも分からねえ。だが、これだけはハッキリしてる。お前は俺と同じ力に目覚めたんだ」

「一護さんと同じ?」

 そのとき、僕の脳裏にあの夢で見た誰でもない奴が言っていた言葉が思い出した。

 

『君はこの先、心で強く願った事はどんな事でも叶えることできる。心の底からそうありたいと願った事である限り』

 

 僕が心の底から願ったからこそ、この力は発現したのか。だとしてもそんな漫画やお伽噺みたいな話が・・・・・・

 いや、変に考えるのは止そう。とにかく、この手で一護さんを護る事が出来ただけで嬉しかった。

「僕はずっとお荷物だった・・・・・・」

「え」

「挙句に自分で自分の可能性を諦めていました。でも、一護さんやみんなを守りたいと強く思った時・・・僕にも刀が」

「そいつは『斬魄刀(ざんぱくとう)』って言うんだぜ。お前だけの刀だ」

「僕だけの刀・・・・・・か」

 レイジングハートにすらマスター認証されなかった僕に、僕だけの刀が備わった。

 何だかこそばゆい気もするが、気分は最高に心地よかった。

 

           *

 

 あの後、僕たちは互いに互いの秘密を暴露し合った。

 僕が魔法使いであり、異世界からやってきた事。一護さん達からは、死神に纏わるこの世に存在する霊魂の存在を聞かされた。

 そして、僕は一護さんから死神の力を真面に使えるようにしてやるから自分の弟子にならないかという提案を受けた。

 予想だにしていなかった言葉だったが、僕は嬉しくて二つ返事で了承した。

 

           ≡

 

北海道 函館市 函館山

 

 旅の終わりに、函館へと立ち寄った僕たち。展望台の上から臨む夜景は格別であり、この旅行の締め括りには申し分ないものだった。

「一護くん、コンちゃん、ユーノさんも綺麗ですねー」

「そうっすねー」

「どうだユーノ。まだ信じられねーか?」

「一度にいろんなことがあり過ぎて、何から信じたらいいのかよくわかりません。ただ・・・ひとつ分かった事があります。一人になってみて、自分を見つめ直す機会を得た事で・・・僕には僕にしか出来ない事をやるべきなんだって思えるようになったんです」

「ユーノ・・・」

「ユーノさん・・・」

「今の僕にしか出来ない事・・・魔導師であり死神・・・―――『魔導死神』である僕にしか出来ない事をやらなくちゃいけないんです。本当の自分を決められるのは自分だけですから」

 誰かが決めてくれた自分は、自分という存在を認識する際、ひどく楽に確かめることが出来るだろう。

 誰かが決めてくれた自分のまま生きることは、決して悪いことではない。

 だが、そこから更に「自分が選んだんだ」と、心の底から思えとき―――何も怖れず、何にでも挑戦する事が出来る。そんな勇気を、僕は確かに得る事が出来た。

 

 

 

 かくして、次元世界存亡をかけた壮大な抒情詩の幕は切って落とされた。

 ユーノ・スクライアは予言者でも全知全能でもなく、当然ながら己の未来を知る術はない。

 彼は高町なのはのような不屈の心を持ち記録に残る英雄ではなく、

 フェイト・T(テスタロッサ)・ハラオウンのような才能もなく、

 八神はやてのような莫大な魔力もなく、

 クロノ・ハラオウンのような技術もなく、

 シグナムのような経験もなく、

 ヴィータのような気魄もなく、

 シャマルのような治癒能力もなく、

 ザフィーラのように屈強でもない。

 そのように、『何かを目指すにしろ、続けるにしろ、僕に足りない物は数え切れない』と酒の席で自嘲するような彼が持ち合わせる、数少ない資質。

 即ち、人間としての矜持。

 ユーノ・スクライアは、まだ知らない。

 魔導師にしろ、死神にしろ、殆どの者が己の基盤として持ち合わせている、そんなありふれた物を守る為に、自分が世界の命運を背負って戦う事になるなどと。

 

 彼がその現実と向き合う事になるのは、古代遺物(ロストロギア)『アンゴルモア』による暴走事故から僅か数か月後の事だった。

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 著者:成田良悟『BLEACH Can't Fear Your Own World 1』 (集英社・2017




登場人物
ハインリヒ・スクライア(Heinrich Scrya)
声:楠大典
スクライア族の族長で、ユーノにとって父親の様な存在。ユーノの名付け親であり、息子同然に大切に育てて来たが、外の世界へ出て行こうとして親友を失った過去があることから、ジュエルシードが散らばった際に単身回収に出ようとしたユーノをきつく叱るが、ユーノを誰よりも心配してのことだった。
アンゴルモアを持ち帰ったユーノに次の族長になって欲しいという期待を寄せる反面、彼の本心を理解していない自分を恥じていた。死の間際、ユーノにその事を謝罪したのち静かに息を引き取った。
エルゼ・スクライア(Else Scyra)
声:根谷美智子
スクライア族の女性。愛情と思いやりに溢れた芯の強い女性で、ユーノの9つ年上。ユーノとともにジュエルシードを回収を行い、弟のように何かと気に掛けて心配していた。


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魔導虚篇
第11.5話「黒衣の白騎士」


新歴079年 4月22日

第97管理外世界「地球」

東京都 松前町 スクライア商店

 

「ありがとうございます♪ またのお越しをお待ちしてマース」

 

 スクライア商店店主ユーノは、朗らかに笑みを浮かべ客人へ商品を手渡す。

 松前町の一角に店を構えるスクライア商店。駄菓子屋兼雑貨屋という表向きの顔とは裏に、死神絡みの商品も多数取り扱う店舗。その裏の顔としての機能を果たすこの店に足繁く通い詰める常連死神がいた。

 その死神の名は、白鳥礼二。

 護廷十三隊一番隊第三席の地位は尸魂界(ソウル・ソサエティ)の記録に名を残すに足りるものであり、一般隊士達とは明確に一線を画している強者だ。

 本来ならば現世に留まるのではなく、死神の中枢である瀞霊廷の守護に当たるのが真っ当だ。しかしながら、とある諸事情によって白鳥は無期限で現世に駐留する任を仰せ遣っていた。

 白鳥はいつものように店で買い物を済ませ、早々に帰路に就く・・・筈だった。

 だが、今日は事情が異なった様子で一旦立ち止まると、ユーノの方へ振り返り、意外な事を口走った。

「・・・ユーノ店長。貴殿にはいつも世話になっている。礼を言うぞ」

「あらら~、どうしちゃったんですか急に改まって? いつもの白鳥さんだったら・・・『庶民が貴人に良質な品々を献上するのは世の摂理である』とか何とか、ものすごく上から目線でカチンとくるひと言があってもいいのに」

 (ぬし)は日頃からそんな風に私を見ていたのか・・・。心中ショックを受ける白鳥だが、ここは一先ず呑み込む事にした。

 咳払いをしてから、改めてユーノに対して次のように語りかける。

「私の為に日頃より尽くしてくれる事には深く感謝するとともに、この機会にユーノ店長を我が家へと招待しようと思う」

「え? 白鳥さんの自宅・・・ですか?」

「現世で活動するための仮住まいではあるがな。だが居心地は非常に良いところだ。是非ともお土産を持ってくるがいい。良いお土産を持ってくるがいい」

 最後の最後でいつもの白鳥らしい癇に障るひと言を残し、スクライア商店から踵を返し歩き始める。

 ユーノはどこか唖然としながら傍に控えた熊谷金太郎と顔を見合わせる。

「いかがなさいますか店長? 白鳥殿があのような事を言うとは・・・・・・今日か明日は嵐の予感が致します」

 金太郎もユーノ同様に白鳥への心象は案外酷かった。

 それはともかくとして、ユーノは常連ながらこれまで一度たりともプライベートを公開しようとしなかった(ユーノ自身も詮索をしようとしなかった)白鳥が、直々に自宅へ招待すると言われた事に強い興味と関心を抱いた。

「白鳥さんの住まいか・・・・・・まぁ、正直気になってはいたところだよ。ここは日頃ウチの店を利用してもらってるリピーターさんの厚意には答えなきゃね♪」

 

           ◇

 

4月23日―――

東京都 海鳴市

 

 白鳥の伝令神機より転送されてきた住所を確認しながら、ユーノは道なりに沿って住宅街を歩いていた。

「えーっと・・・・・・地図だとこの辺りの筈なんだけど・・・妙だな。この景色何処かで見覚えある光景なんだよなー」

 このときユーノは気付いていなかった。今いる場所が幼少期に僅かだが時を過ごした思い出深い町であり、魔法について理解をする者が住む場所である事を。

「あ、いけない! お土産を忘れてた。あの人お土産ないと機嫌損ねそうだしなー」

 今になってユーノは手土産の持ち合わせが無い事に気付いた。

 正直持っていくか否か迷っていた所だが、少々スケジュールが立て込んでいた為、結局土産を持参する(いとま)を作る事が出来なかった。

 土産が無い事をあとで白鳥がねちねちと言われるのも正直嫌だった。

 悩んだ挙句、ユーノはふと道端に自生していた雑草―――山菜や天ぷら、ハーブティーの材料としても使えるドクダミに目をつけた。

「まぁこの辺の草でいいか。あと小石も少々・・・」

 言わずもがな、小石はユーノから白鳥へのちょっとした嫌がらせだった。

 

 暫くして、ようやく住所と一致するそれらしい一軒家―――もとい、屋敷を発見した。

「えっと・・・これじゃないよなまさか」

 ユーノは自分の瞳で見る物が信じられずにいた。

 目測ではあるが約1100坪という大豪邸が目の前に佇んでいる。白鳥から送られてきた住所を幾度となく確かめるが、間違いなくこの豪邸の場所を指していた。

「なんか見覚えある表札が掲げてあるけど、違うよな」

 英語で『Bannings』と表記された豪奢な表札が既視感を抱かせる。

 既視感の正体を探るべく、ユーノは意を決して恐る恐る玄関のインターフォンを鳴らす。

 

『・・・はい、どちら様でしょうか?』

 ユーノにとって聞き覚えのある声だった。

 声の主は自分と同じ年頃の女性のものであり、恐らくこの屋敷の家主と言っても差し支えないと確信を抱いた。

 ユーノは今のこの複雑な心境をそのまま声に現した声色で家主へと声をかける。

「アリサ、僕だけど・・・」

『え″~~~ユーノぉ!? どうしたの!? ちょっと待って、今開けるから!!』

 予想外の来客に驚いた女性―――アリサ・バニングスは電子ロックされていた格式高い門を開放し、ユーノを招き入れる。

 門を潜ったユーノが久方ぶりに訪れる友人の家に寸分違わず間違いではないと確かめる中、家の扉が勢いよく開かれる。

 出てきたのは9歳の頃からの友人で、今は快活な美女となったアリサが喜々とした表情でユーノを出迎えた。

「何よ―――!! 来るなら電話してよぉ、いつも突然なんだから!!」

「やぁアリサ。その件については謝るよ。えっと・・・一応聞くけど、ここはアリサの家で間違いないんだよね?」

「何言ってんのアンタ? どこからどう見てもそうじゃないの」

「そうだよね・・・イヌもたくさんいるし・・・アリサも目の前にいるし・・・」

 疑い深く念入りに屋敷内を隈なく観察するが、やはり何度見てもここはアリサ・バニングスの家に違いなかった。

(これが白鳥さんの仮住まいだなんて僕は信じないぞ。万が一ここに白鳥さんがいたら信じるしかないけど・・・)

 そう思っていた矢先、奇妙な歌声が聞こえてきた。

 声は庭先にある噴水からだった。まさかと思い振り返ると、アコースティックギターの位置が膝の高さと異様に低い事に微塵も違和感すら抱かず、歌の体を成したものを諳んじる白鳥の姿を発見した。

(いた―――!! なんか歌ってるー! ていうかギターの位置低っ!!)

 白鳥は決してユーノに嘘などついていなかった。だが当初の情報だけでは信用に足りる情報とは判断し難かった。

 ユーノは、改めてこの場に白鳥が居るという事実に驚愕しながら、何事も無く普通に過ごしているアリサに問う。

「あ、アリサ・・・・・・あの人は?」

「あぁアレね。一緒に住んでる白鳥礼二よ」

「な・・・・・・! 一緒に住んでるですと!?」

 聞き捨てならない言葉に動揺を隠し切れなかった。

 そんな折、白鳥がユーノの存在に気づき、膝の高さまで垂れ下がったギターの位置を直す事無く爪弾く仕草だけを強調しながら声をかけてきた。

「おぉユーノ店長、遠路遥々よく来たであるな。弾き語りしながら」

「弾いて無かったですよね!?」

「実は弾けないのだ。今日始めたばかりであってな」

「それなのにそんな誇らしげにぶら下げるんですか!?」

「まったく小さな事に拘泥しおって。不愉快だ」

 言うと、ぶら下げていたギターを持ち上げ、何を血迷ったのか噴水の角に思い切り叩きつけると言う奇行に走った。

「ええい!! ギターなど止めてやる!!」

「もうやめたッー!!」

 どっかのギャグ漫画で見たことある応酬のようなそうで無いような・・・・・・。そんな気持ちを抱くアリサは露骨に苦笑しながらもユーノを来客としてもてなす事にした。

「と、とりあえず入りなさいよ。ていうか白鳥、壊したギターじゃあとでちゃんと片付けなさいよね」

「心配は要らぬぞアリサ嬢。私も責任ある男だ。自分のしたことに対してはしっかりと責任を果たす」

「とか何とか言いながら・・・アンタはいっつも口先ばっかりなんだから」

「それは心外であるな」

 とても自然な会話の流れだった。まるで最初から家族の一員であったかのように、他人行事な感じがしなかった。

(いったい何がどうなっているんだ!? 何ゆえこの二人が接触し、何ゆえ一つ屋根の下で暮らしてるんだ!?)

 ユーノはますますこの二人の関係が気になった。事情を詳しく聞こうと、屋敷内の廊下を歩きながらアリサに問い質す事に。

「アリサ、何がどうあって白鳥さんと一緒に住む事になったわけ?」

「あら? もしかしてユーノの知り合いとか?」

「まぁそんなところ・・・。」

「それについてはあとで話すわ。今お茶を用意するから。鮫島(さめじま)、白鳥にはコーヒーを。あたしとユーノとそれからもう一つ・・・全部で三つの紅茶を部屋まで運んでおいてちょうだい」

「かしこまりました」

(三つ? 僕とアリサで二人しかいないのにどうして三つも紅茶が必要なんだろう・・・?)

 ふとした疑問を抱くユーノだったが、この謎は直ぐに解決する事になる。

 アリサに案内され、屋敷の奥へ向かおうとする中、ユーノは唐突に羽織の裾を引っ張られた。

 足を止めると、白鳥が「待つのだ」と言ってユーノを制止させた。

「ユーノ店長、忘れたとは言わせぬぞ。お土産は持ってきたであろうな」

「あ。やっぱいります?」

「要るに決まっているだろう! タダで我が家に入ろうなんて図々しいにも程があるぞ! 片腹痛いわ」

「我が家じゃないですよね。まぁ、そんなに欲しいならどうぞ」

 言いながら、懐から土産品を入れた巾着袋を取出した。

「ふふふ。こちとらこれだけが楽しみであっ・・・・・・なん・・・だと・・・?!」

 嘗てこれほど想像の斜め上(悪い意味で)を行く土産の品があっただろうか。

 我が目を疑いながら、白鳥は巾着袋から顔を覗かせた雑草と小石の山を見るなり魂が抜けそうになった。

 

「ちょっといくらなんでもアレは無いんじゃないのユーノ?」

「まさかこんな展開になるとは予測して無かったんだよ。白鳥さん、謝りますからそんなへこまないでくださいよ」

「草ってお主・・・・・・石ってお主・・・・・・」

 部屋に通されたユーノはアリサと紅茶を飲むかたわら、コーヒーに口を付けず机に伏して項垂れる白鳥を気の毒に思った。

 貴族出身の白鳥はユーノが持ってきた土産の価値が分からなかった。確かに素人目にもとても土産とは言い難いものであったので、ある程度の同情は買う。

 いよいよ罰が悪くなってきた。ユーノは流石に非があったと自省し、落ち込む白鳥を元気づける為に最大限の譲歩を示す。

「―――わかりましたよ。今回は僕の側に非がありますからね。ではこうしましょう。先月のお品物の購入代金を半額分カードにキャッシュバックと言う事で手打ちにしませんか?」

「素晴らしい提案である! やはり一流の商い師とはそうでなくては困る」

 聞いた瞬間、白鳥の耳がピクッと反応。顔を上げるや嘘のように生気が漲った表情を浮かべ上ずった声を発した。

「ウソみたいに機嫌よくなったわね」

「これだからこの人はめんどくさいんだ」

 二人だけでなく、誰の目から見ても白鳥礼二という男は面倒な性格をしていた。

 ユーノ達の気苦労を知ってた知らずか、白鳥は上品そうにコーヒーを飲みながら、「していかがかな? 我が家の感想は?」と言って来た。

「って! アンタの家じゃないでしょう! 居候の分際で!」

 アリサが白鳥の言い分に猛反発。一方のユーノは「やっぱそうなんだね・・・・・・。」と、何となく読めた展開となった事に安堵感を抱く。

「でも、どうして白鳥さんがアリサの家に居候なんか・・・」

 核心を突くユーノからの質問。アリサは「これには色々と事情があるのよ」と言い、今に至るまでの経緯を詳細に語り始めた。

 

 

 話は数週間前に遡る―――。

 父親が経営する会社の跡取りとして多忙を極める日々を送っていたアリサは、いつものように執事の鮫島が運転する車で帰路へ着こうとしていた。

 しかし、道中にて彼女は謎の(ホロウ)の一団に襲われた。

 いつの頃だったか明確な時期までは不明だが、アリサ・バニングスは最近になって霊魂の存在を認知出来るようになっていた。

 霊魂が視える―――すなわち霊力が多少なりとも備わった事が災いとなり、彼女は(ホロウ)の格好の標的とされた。

 群れを成して一斉に襲い掛かって来た全く同一の姿をした(ホロウ)は、彼女が乗っていた車を襲撃。執事の鮫島に深手を負わせると無抵抗なアリサを喰らわんと迫りかかった。

「く、来るな・・・!! あっち行きなさいよ!!」

 震える声で呼びかけるアリサの言葉などまるで無意味。(ホロウ)は本能のままに標的を狙い、見据えた獲物目掛けて牙を剥く。

(もうダメっ!!)

 死を覚悟しアリサが目を瞑ったその時、月光に映える影が中空より舞い降りるとともに、華麗に(ホロウ)を斬り倒した。

 いつまで経っても痛みが襲ってこない事に不審がったアリサが恐る恐る目を開けた時、眼前には自分を護るように立ち尽くす黒衣の着物―――死覇装に身を包んだ死神・白鳥礼二の姿を捕えた。

「汚れた魂の者達よ。自らの所業によってその身を更なる不浄へと陥れるか。哀れな―――」

 (ホロウ)という境遇そのものを悲嘆するかの如く言動で、白鳥は群れを成す(ホロウ)に向かって突進。手持ちの斬魄刀で次々と敵を斬り伏せ、一匹残らずその命を刈り取った。

 アリサは自分を護ってくれた白鳥を輝かしい眼差しで見つめた。当時の彼女にとって、白鳥は御伽噺(おとぎばなし)に登場する王子様とよく似ていた。

 

 物の数分で状況は終了した。

 全ての(ホロウ)を片付けた白鳥は負傷した鮫島に鬼道による治癒術を施したのち、何事も無く立ち去ろうとした。

「ま、待ってください!!」

「うげっ!!」

 直後、アリサは背中の首根っこ部分を強い力で引っ張り強引に白鳥を差し止めた。

「あ、あの・・・助けてくれてありがとうございます! せめてあなたの名前を・・・聞かせてくれると嬉しいんですけど・・・」

 珍しく照れた様子で語りかけるアリサの仕草が非常に女性らしかった。

 これに対して、白鳥は全く別の意味で驚愕。目の前で紅潮しているアリサの事を凝視した。

「な・・・・・・なんなのだ・・・・・・なにゆえ死神の姿が視える市井(しせい)の者が私の周りにはこうも一度に集まって来るのだぁぁ!!? 霊王様ァ―――!!! 私はなぜこんな目に遭わねばならぬのだぁぁ―――!!!」

 

 

「―――と言う訳で、助けてもらったお礼に家に置いてるってわけ」

「なにその今どきコミケにも無さそうなガール・ミーツ・ボーイ的な展開!? というかアリサ、(ホロウ)に襲われたって本当なの!? どうして黙ってたりしたのさ!?」

「ごめんなさい。本当なら真っ先にユーノやアンタの師匠達に言うべきだったんだけど、いろいろ立て込んでたものだから言う機会がなかったのよ。それにしても驚いたわ。まさか白鳥がユーノの店の常連さんだったとはわね」

「常連などではない。私とユーノ店長は最早主従の関係に等しい」

「その場合誰が主人で従者なんですかね・・・」

 二人のやり取りが妙におかしくアリサは見ていて決して飽きる気がしなかった。

 紅茶をひと口啜り、気分転換にアリサはユーノの仕事について尋ねる。

「ところで、あんた仕事はどうなのよ?」

「僕? 僕は知っての通り気楽にやってるよ。ま、確かな収入源があるお陰で食べる分には困らない程度のお金は入るし、何かとやることも多いから充実した生活を送ってると自負してるよ」

「そう・・・なら良かったじゃない」

「僕の事よりアリサはどうなのさ? やり手女社長だって専らの噂だけど」

「大袈裟よ。私なんかパパの会社を引き継いだばかりの若輩者だし・・・。あぁそうだ。実は今日このあと取引先の人とお茶する事になってて、それで家にたまたまいたんだけど。そしたら予想外な事にアンタが来たのよ」

「そうだったんだ。道理でお茶が三つ必要だったわけか」

 紅茶の数の謎が解けたユーノは、話の流れからこの後もうじきアリサの取引相手が来ることを察し、自分がこの場に長居するべきではないと判断する。

「じゃあ・・・僕はこの辺でお暇した方がいいよね」

「あぁ別にいいわよ。取引先って言っても実際今日は女同士のお茶会と大差ないから同席してても問題ないと思う」

「女同士? という事はこれから来る人も女性って事?」

「えぇ。大道寺トイズコーポレーションの社長令嬢さんよ」

「へぇー、あの一部上場の大企業か。確か最近じゃ玩具だけじゃなくて電子機器やファッションコーディネートも手掛けてるんでしょ?」

「ぜんぶそこの社長令嬢さんの趣味が高じたものなんだって」

「すごいねー。アリサの人脈は」

「あんたほどじゃないわよ」

 等と話をしていた砌、部屋をノックする音とともに鮫島が部屋を訪れ、アリサに来賓の到着を報せた。

「アリサお嬢様、御来賓の方がお見えです」

「ありがとう。通してちょうだい」

 恭しく頭を垂れると、鮫島は本日の正式な来賓である若い女性をアリサの部屋へと通した。

「お待たせていたしました。本日はお招きいただき誠にありがとうございます」

 部屋へ通された直後、アリサ達にぺこりと頭を下げるのは気品あふれる黒髪の美女だった。肩まで伸ばした長く艶のある髪。全体的に気品に満ち溢れたそれは典型的なお嬢様と言って差し支えないものだった。

 その女性のあまりの麗しさと輝かしさに白鳥は忽ち心を奪われ、飲んでいたコーヒーの味さえ忘れてしまった。

(な・・・なんという・・・麗しきことよ・・・・・・)

 一方、白鳥ほどではないがユーノもまた、間近で相対するその女性の容姿や立ち振る舞いを見た瞬間、素直に美しいと感じていた。

(この人が大道寺トイズの社長令嬢さんか・・・・・・噂に違わぬ美人だな。それにしても同じ社長令嬢でもアリサとはえらい違いだな)

 内心割と酷い事を思っていた折、アリサが目の前の取引先相手―――大道寺知世(だいどうじともよ)にユーノ達の事を紹介する。

「大道寺さん、こちらは私の古い友人でユーノ・スクライア。こっちは居候の白鳥礼二です」

「どうも初めまして皆さん。大道寺知世と申します」

 粗相という言葉すら感じさせない完璧なまでの挨拶。

 ユーノは今の格好があまりにTPOに反していると心中猛烈に自省しながら、帽子を脱ぎ、咄嗟に手汗をズボンで拭ってから、大道寺知世に挨拶をする。

「いいえいいえ! こちらこそこのような粗末な格好で大変恐縮です。ユーノ・スクライアです。しがない駄菓子屋の店主をやってます」

「よろしくお願いしますね、ユーノさん。とてもお綺麗な方なんですね」

 屈託ない笑みを浮かべながら知世が何の気なく言い放った一言。ユーノは悪気は無いと知りながらも、どこか納得のいかない様子で微妙そうな顔を浮かべる。

 これを横目で見ながらアリサは一人笑いを堪えるのに必死な様子だった。

 するとそのとき、満を持したとばかりに白鳥が知世の前に出て来ると、紳士然とした態度で知世の手を優しく握りしめ、甘い声で囁いた。

「初めまして美しき姫君。どうかこの私をあなたの眷属(けんぞく)、いや側近に加えて頂きたい所存――――――よしなに」

 チュっと、どこで覚えたとも知れない仕草で知世の手の甲に接吻を落とす。

 刹那、ユーノとアリサはともに脳裏に稲妻の直撃を受けたかの如くショックを受けて絶句。直後にアリサは白鳥の首根っこを掴み、容赦ない鉄拳制裁を喰らわる。

「このバカチンがっ!!」

「ぐっは・・・! な、なにをするのだいきなり!?」

「それはこっちのセリフよ!! 白鳥あんたねぇ! 自分が何してるかわかってんの!? ジョーダンじゃすまされないわよ!! 大道寺さんに・・・ききき・・・キスするなんて・・・・・・莫迦じゃないの!!」

 異様なまでに羞恥心を抱くアリサとは裏腹に、知世は思いのほか動揺しておらず、やや照れた様子で若干頬を赤らめる程度だった。このリアクションの差に傍で窺っていたユーノは疑問符を浮かべる。

 すると、不意に白鳥はアリサの顔を凝視しながら予想外の事を口にした。

「・・・もしかしてアリサ嬢もしてほしいのか?」

「・・・・・・え?」

 意味が解らないという顔を浮かべるアリサ。

 次の瞬間、白鳥は意表を突かれた様子でいる彼女の額に知世にしたのと同じ事をした。

「な・・・・・・!」

「まぁ」

 思わず赤面するユーノと、お嬢様らしいリアクションで驚く知世。

 そして、キスをされたアリサ本人は沸騰した薬缶の如く顔中を真っ赤に染め上げたのち―――発狂した事は言うまでもない。

 

「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

           *

 

午後8時24分―――

東京都 松前町 スクライア商店

 

「そ、それで・・・・・・結局アリサの怒りを買って屋敷を追い出されてしまったと?」

「まったく理不尽なものだ・・・・・・私が一体何をしたと言うのだ・・・・・・!?」

 涙ながらに事の事情を語る白鳥の格好は酷くみすぼらしかった。

 いつも皺ひとつないクリーングの行き届いた白いワイシャツは獣の爪で引っ掻かれた様にあちこち破り去られ、靴すら履いていない。おまけに手には何故か薬缶と何処で拾ったともしれぬイヌを引き連れていた。

 ユーノは深く溜息を吐くと、「セクハラですよね・・・」と、白鳥の自業自得が招いた結果を嗜める。

「妙齢の女性にわいせつ行為を働いたんですから仕方ない事です」

「接吻ぐらいでなぜあそこまで一方的に暴力を振るわれなければならないのだ!? ユーノ店長の友人はどうかしておるぞ!!」

「どうかしてるって・・・そう言う白鳥さんも気違いというか、正気の沙汰の行動ではなかったと思いますけどね」

 淡々と白鳥を諌めるユーノだったが、やがてこの現状に堪え切れなくなったのか、白鳥はみすぼらしい格好で座り込むとユーノに嘆願する。

「頼む! どうか今晩の所はこのみすぼらしいあばら屋に一晩だけでいいから置いてはもらえぬか!? どうかこの私の顔に免じて!」

「それが人にものを頼む態度ですか? どうしましょうかね・・・・・・白鳥さんの場合はタダでとは言えないんですよね~」

「そこをなんとか!! いつも贔屓(ひいき)にしているではないか!!?」

「私からもお願いできないでしょうか店長」

 すると、見かねた金太郎が店の奥より現れ白鳥に救いの手を差し伸べるようユーノへと願い出た。

「確かに白鳥殿は愚かで、世間知らず、おまけに有頂天になりがちではありますが・・・」

「ゴールデンベアーよ・・・私の居る前で堂々と貶めるとはいい度胸であるな」

「ここは何卒寛大な対応を求めます。白鳥殿は鬼太郎のようなどうしようもない男とは違いますゆえ」

「本人が聞いたらなんて言うかな・・・・・・わかったよ。じゃあ、今回は金太郎に免じて特別ですからね」

「す、すまぬ!! この恩は忘れるまで決して忘れぬぞ!!」

「イチイチ癇に障る発言は控えてもらえますか。あと、そのイヌはうちには置けませんからさっさと逃がしてくださいね」

 

           *

 

午前0時過ぎ―――

海鳴市 バニングス家

 

 その日の晩の事だった。

 アリサは就寝中、ある夢に(うな)されていた。

「うぅ・・・・・・。」

 レム睡眠中の彼女が見ている夢はいつも見ている平凡なものとは異なり、明確に悪夢と呼ぶに相応しいものだった。

 どことも知れぬ場所で一人佇んでいたと思えば、周りから悲鳴のようなものが聞こえる。怪訝そうに辺りを見渡すと、そこには何故か白鳥の姿があった。

『白鳥!!』

 どうしてここに? と声を掛けようとした矢先―――白鳥は何者かの手によって傷つけられ、全身から血吹雪を上げ、アリサの目の前で斃された。

 アリサは目の前の光景がただただ信じられなかった。白鳥から流れ出る大量の血液はやがて血溜まりとなり、彼女の足下へと集まった。

『い・・・・・・いやあああああああああああああああああああ!!!!!!』

 

 

「はっ!!」

 バッと飛び起きたとき、アリサはそれが夢であると理解した。

 酷い寝汗をかいたばかりか、体中が強張った様子で小刻みにに震えている。

 先ほど見た悪夢がまるで現実のものになってしまうのではないかと言う強い恐怖感情が如実に体に現れた何よりの証拠であった。

「白鳥・・・・・・・・・まさかね」

 

 あいつに限ってそんな事ないわよね――――――そう願わずにはいられず、アリアはこの後気になって殆ど眠る事が出来なかった。

 

           ◇

 

4月24日―――

東京都 松前町

 

 一晩経ち頭が冷えたアリサは、白鳥に謝る為にスクライア商店へ出向く事にした。

「さすがに昨日はどうかしてたわ。あいつだって悪気があってやった訳じゃないって事はわかってる筈なのに・・・・・・」

 白鳥への罪悪感を募らせつつ、アリサはどうにも昨日見た夢の事が気がかりだった。

「何もないと思うけど・・・・・・べ、別にアイツの事が心配とかそんなんじゃなくて! あたしはただアイツが不憫だなぁーと思ってるだけであって!」

「さっきから人の家の前で何をぶつくさ言ってるの?」

 そのとき、横から声を掛けられたと思えば、ユーノが訝しげにひとり言を呟くアリサの方を凝視していた。

「うぇええええええ!!! ユーノッ!!! いつからそこに!!?」

 いつの間にかユーノの店の前にいた事、彼に唐突に話しかけられた事に驚愕。

 更にアリサは自分の恥ずかしい胸の内を聞かれたのではないかと焦燥―――ユーノの胸ぐらを掴み掛かって尋問する。

「あ、アンタ!! さっきの話聞いてじゃないんでしょうね!! だとしたら今すぐ忘れなさい!! じゃないとどうなるか分かってるんでしょうね!!」

「ど、どうなるんでしょうか・・・・・・」

「知・り・た・い?」

「いえ・・・・・・結構です///」

 魔導死神も真っ青なほどの危機迫る気迫にユーノは勝てる気がしないと、素直に身を引く事にした。

 知り合った時から全く変わる事の無いツンデレ姿勢を貫くアリサだが、それこそが彼女らしいと思いつつ、ユーノは表情を柔らかくすると彼女の考えを見透かした様子で問いかける。

「―――白鳥さんを迎えに来たのかな?」

「は、はぁ!? な、なんでこあたしがアイツなんか・・・!? あたしは大企業の社長よ! こう見えても暇じゃないの!」

「じゃあその忙しい人がこんな真っ昼間に仕事もしないで何してるの?」

「あ、あたしは重役出勤だからいいの!! で、白鳥はどこなの!?」

(結局白鳥さんが目当てなんじゃん・・・ほんとかわいい顔して素直じゃないなー)

 そう思いながら、ユーノはありのままに事実を語る。

「白鳥さんならもう出て行ったよ。昨日の事はさすがに軽率だったと反省した様子だったから、何か手土産でも持って謝りに行くって言ってったよ」

「そ、そう・・・・・・」

 安堵させるつもりがどこか憂いを帯びた表情を浮かべるアリサ。これを見たユーノは不思議に思わざるを得なかった。

「どうしたの? 浮かない顔して。何か心配事でもあるの?」

 すると、少し悩んだ末にユーノにならと話して見るか・・・という気持ちになったアリサは、おもむろに昨夜見た夢の事を話し始めた。

「実はその・・・・・・昨日のさ、あの後嫌な夢を見たのよ。白鳥が私の眼の前で死んじゃう夢・・・・・・」

「そうなんだ・・・」

「ねぇユーノ。白鳥・・・・・・死なないわよね?」

 真剣に白鳥の身を案じるアリサ。彼女の顔から滲み出る不安や恐怖といった感情を読み取ったユーノは、難しい顔を浮かべ率直な事を述べる。

「・・・僕にも何とも言えないよ。確かに、護廷十三隊の第三席ともなればちょっとやそっとの事じゃ倒されないとは思う。でもそれは結局のところ白鳥さん次第だ。彼がこの先任務の過程でいつ命を落とすも限らない。死神っていうのはそう言う仕事なんだ」

「なのは達がそうであるように」

「あぁ・・・・・・」

 いつも大切なものを見守る事しか出来ない事の歯がゆさ。力が無い事の悔しさ。アリサは湧き上がる感情をぎゅっと拳に込めて強く握りしめる。

 プルル・・・。プルル・・・。

「あぁ、ちょっとごめん」

 そのとき、ユーノの携帯電話が鳴った。着信相手は「非通知」となっていた。

「もしもし?」

『こちらはユーノ・スクライアさんの携帯電話で宜しいでしょうか?』

「そうですけど・・・・・・もしかしてその声、大道寺さんですか? どうして僕の携帯電話の番号を?」

 電話の発信者は昨日知り合ったばかりの大道寺知世からだった。

『説明は後ほど致します。とにかく、今直ぐに海鳴総合病院に来てもらえますか? 白鳥さんが・・・白鳥さんが!』

「白鳥さんが!?」

「え!」

 

 このとき、アリサは強い悪寒を抱かずにはいられなかった。

 

           *

 

海鳴市 海鳴総合病院

 

「軽い脳震盪(のうしんとう)で良かったじゃないですか」

「ったく。人騒がせなヤツだ」

「不覚を取ったに過ぎぬ」

 知世からの一報を聞いたユーノは、一護や織姫らを伴い白鳥が搬送された海鳴総合病院へと直ちに向かった。

 血相を変えたアリサが白鳥の容体を確かめると、彼は意外にもケロッとしており、軽い軽症と脳震盪という診断結果に終わった。

 安堵したユーノ達は事の経緯についてを知る知世に話を伺うことにした。

「えっと・・・大道寺さん、でしたよね。どうして白鳥さんがこんな事になったんでしょうか?」

 織姫がおもむろに尋ねると、知世はばつの悪い顔を浮かべる。

「その件についてはこちらに非があります。ここ数日の日差しの強さに当てられてしまい、わたくしの体がフラッとなって横断歩道に倒れた際、車が飛び出してきて・・・そのときたまたま通りかかった白鳥さんが間一髪のところで助けて下さったんです」

「マジでか!? おめぇやるな!」

「見直しましたぞ白鳥殿」

「これくらい当然のことである」

「何が当然のことよ!!」

 そのとき、今まで口を閉ざしてだんまりを決め込んでいたアリサが怪我をした白鳥の胸ぐらを掴みかかって鬼か修羅を宿した顔つきで恫喝する。

「アンタ人にどれだけ心配かければ気が済むのよ!! あたしがどんな思いでアンタの帰りを待っていたのかわかってるの!?」

「ままままま!!! 待ってくれアリサ嬢!! どうかこの通り!!」

 予想だにしなかった展開に白鳥は周章狼狽し、怒り狂った彼女を宥めるのに必死だった。

「おい止せって!」

「アリサ、ここは病院なんだ!」

 見かねた一護とユーノが興奮するアリサを押さえつけ、冷静になるように諌める。

「ご、ごめんなさい! あたしったらつい・・・」

 冷静さを取り戻したアリサは自分のした事を深く反省。

 やがて、彼女が落ち着きを取り戻したのを見計らって、知世が白鳥を弁明する言葉を紡ぎ出した。

「アリサさん。どうか白鳥さんをあまりお叱りにならないでくれませんか? すべてはこの私が招いた事ですので」

「そ、そんな! 大道寺さんは何も悪くなんか・・・・・・!」

「その()()()という呼び方も他人行儀すぎますわ。もっと砕けた口調で、()()と素で呼んでくれませんか? 宜しければ皆さんも」

 笑顔でそう語りかける彼女に、一瞬戸惑っていたアリサやユーノ達だったが、やがて踏ん切りが付いた。

「そ、そうね・・・・・・じゃあ知世。アンタにはいろいろと迷惑かけたわ。本当にごめんなさい!」

「僕からも白鳥さんに成り代わって重ね重ねお詫び致します」

「待ってくれ。何ゆえ主らは謝る必要があるのだ? 私はただ姫君を災いから守ってやったにすぎぬ。つまりこれは私の意志に基づくものであり強制されたものではない」

「この期に及んでおめぇは少しは場の空気を読むとかそれくらい察しろよな・・・・・・」

 と、横で一護がいくら言ったところで白鳥は決してブレない。彼のズレた感性は今に始まった事ではないのだから。

 

 診察が終わった後、アリサは休憩所で一人コーヒーを飲みながら、自分の気持ちを整理していた。

「ふぅ~・・・。」

「おつかれですか?」

 横から知世が声をかけて来た。知世はアリサの横に座ると、彼女の心情を察した様子で自然と話し相手となる。

「なんかね・・・・・・ほっとした反面、ちょっとどうなのかなーって思うところがあって」

「白鳥さんの事ですね?」

「ま。あいつは性格に難はあるけど、根は良い奴なのよ。だけど時々怖くなるんだ・・・・・・あいつがいつの間にか私の知らない遠い場所へ行っちゃうじゃないかって。そう思うと、不安で夜も眠れない。昨日だって夢でアイツが死ぬところを見ちゃうし」

 出会った当初とは打って変わって影を落とすアリサ。

 そんな彼女の表情を窺いながら、知世は微笑しアリサの心を看破した様子で次のように呟いた。

「アリサさんは白鳥さんの事がお好きなんですね」

「え″!? なななななな・・・なに言ってるのよ知世!!? ジョーダンも休み休み言ってよね!! あ、あたしが白鳥を好き? ないないない! あいつはただの居候よ! 第一完全にあたしの好みじゃないし!!!」

「たとえ好みではない殿方でも、人は誰かを好きになるとその人の全てを好きになると言いますわ。アリサさんは今、白鳥さんと一緒にいられる時間をとても愛おしいと感じていらっしゃるのでしょ? ならそれはとても素晴らしい事だと思います。きっと白鳥さんもそんなアリサさんと過ごす時間を同じくらい尊いものと感じていらっしゃるかと思います」

「知世・・・・・・・・・アンタ凄いわね。ひょっとして、知世って魔法使い?」

「いいえ。ですが、魔法使いの大親友とその伴侶でもある殿方とは家族ぐるみのお付き合いをしておりますわ」

 言っている意味はよく分からなかったが、少なくとも知世の笑顔を見た途端、悩んでいた事がまるで嘘のように吹き飛んだ気がした。

 アリサは笑みを浮かべると、「あんたには敵わないわね」と、知世の心の内を見透かす鋭い洞察力に脱帽した。

 やがて、踏ん切りの付いた彼女は飲んでいたコーヒーカップを捨て、おもむろに立ち上がり宣言する。

「あたし、決めたわ。アイツが現世(こっち)にいられる間は付きっきりで面倒見てあげる事にするわ。ちょっと生意気で高飛車だけど、あたしは心が広いからそう言うダメなところも含めてアイツの帰る場所であろうと思う。少しでも白鳥があたしの傍にいて心地良いと感じていられるように―――」

「アリサさん。応援していますわ」

「よし! そうと決まったら即行で今日の仕事終わらせて準備しなきゃね!」

「あら? これからお仕事ですの?」

「大したことないわ。あたしはパーフェクトバイリンガル! 噂の敏腕社長は何もアンタだけじゃないんだからね!」

 意気揚々と口にしながら、アリサは病院を飛び出しそのまま職場へと直行した。

 一人残された知世は、アリサの前向きな姿勢がどことなく自分の親友に通じるものを感じ自分の事のように嬉しくなった。

「・・・・・・今ごろ、さくらちゃんは香港(ほんこん)で李くんと一緒にがんばっていらっしゃるのでしょうか。きっと、がんばっていらっしゃいますわ。だってわたしの大好きなさくらちゃんですから」

 

 願わくば彼女にも幸せが訪れるように――――――・・・・・・・・・。

 

           *

 

 同じ頃、ユーノ達は白鳥の無事を確認したのち帰路に着こうとしていた。

「じゃ白鳥、俺らは帰るわ」

「白鳥さん。いくら死神でも義骸に入ったままで自動車の直撃を受けたら、タダじゃすみませんからね」

「白鳥さんならやりかねないから怖いですねー」

「お主達揃いも揃って私を見下し過ぎだ。きっと今言った言葉をいつか後悔する日が来るであろう」

()えよ。んじゃなー、もう心配させんなよ!」

「一宿一飯の料金はサービスしておきますからねー♪」

 白鳥の大事を祈ってユーノ達は挙って病室を後にした。

「まったく・・・・・・おぉそうだ。これを渡しておかねばならんかったな」

 思い出した様子で、白鳥は足下に置かれた紙袋の中からアリサの為に用意したプレゼントが無事であることを確認する。

 梱包されたものを丁寧に剥がすと、手の平サイズに収まる小さな箱があった。中身を確認し、白鳥は口元を緩め笑みを浮かべた。

「よし・・・・・・。」

 やがて身支度を済ませて病室を発とうとした時だった。白鳥の伝令神機に尸魂界(ソウル・ソサエティ)からの指令が入った。

「指令か・・・。やれやれ私は病み上がりの身なのだがな。つくづく人遣いの荒い組織だ」

 と、組織への愚痴を零しながらベッドからおもむろに立ち上がった次の瞬間―――白鳥は全身に刺すような途轍もなく巨大で禍々しい霊圧と魔力波長を感じ取った。

「なっ・・・・・・。」

 

「「「「―――っ!」」」」

 この霊圧を感じ取ったのは白鳥だけではなかった。

 先に病院を出ていたユーノ達もまた同様に、霊圧と魔力の禍々しさを感じ取った様子で一様に表情を険しい物にさせていた。

「ユーノ」

「ええ。今の霊圧は・・・」

「まさかとは思うけど・・・・・・」

「あぁ。嫌な予感がしてきたぜ」

 手遅れになる前に手を打つ必要があった。

 踵を返して、ユーノ達は霊圧を感じ取った場所へ向かって急行する。

 

 ユーノ達より一足先に現場へと向かっていた白鳥もまた、言い知れぬ不安を抱いた様子で屋根や電柱を飛び越えながら、夕陽に映える海鳴の町を疾走していた。

(嫌な予感がしてならない。この霊圧の揺れ幅・・・・・・(ホロウ)なのか? それとも別の何かか?)

 ―――ドカン! 

 刹那、近くで轟音がしたと思えば、多量の粉塵を上げる何かが白鳥の目に飛び込んだ。

「あれは!」

 慌てて現場へと向かってみたところ、白鳥の目に飛び込んできたのは些か信じ難い光景だった。アリサが以前に倒した筈の(ホロウ)の大軍に追い回されていたのだ。

「アリサ嬢! それにあの(ホロウ)共は・・・・・・先日私が倒した筈の!? 何故再び復活しているのだ!?」

 湧き上がる疑問と警戒心。だがそれ以前に敵が前回と同様にアリサを執拗に付け狙っている理由が分からなかった。

 彼女の危機を救う為、白鳥は切羽詰った様子でアリサの元へと向かった。

 

「きゃああああああああ!!」

 インパラに酷似した大量の(ホロウ)の群れに追われるアリサ。

 何とか逃れようと努力したが、最後の最後で脚を負傷してしまい、完全に逃げ場を失ってしまった。

『はっはー! ようやく観念しやがったな。手間かけさせんじゃねーぜ。バニングス家の御令嬢様よ』

 絶体絶命のアリサへと不気味な声が呼びかける。

 血を流す脚の痛みに堪えながらアリサが前を見れば、(ホロウ)の軍勢を従えその手に錫杖の様な杖を手にした上半身が人間で、下半身はインパラという特徴を持つ魔導虚(ホロウロギア)―――インペラーZXが佇んでいた。

「は、は、は、は、は、あんた・・・あたしに何の用があるわけ!?」

『用だと? そりゃもちろんオメェさんの命を奪う事さ。オレは昔な、オメェのパパが経営する会社で働いてたが・・・社員の若返りとか下らねえ理由の為にリストラされたんだ!  それからオレの人生は転落の一途! 妻にも子供にも見捨てられて自殺した挙句、こんなバケモノの姿になっちまった。だがこれはまたとない好機だ。ある男がオレに力をくれたのさ。オレをこんな目に遭わせた連中や世の中に復讐してやる。その為の(にえ)として先ずはオメェさんの命をいただく! その綺麗な五体をズタズタに引き裂いて、粉々にして、パパのところまで送りつけてやるのさ!! フハハハハハハハハ!!!』

 空いた孔を埋める為に狂気に身を浸し、怒りと憎しみに心を支配されたインペラーZXの姿は見ていて嘆き悲しい物だった。

 アリサは復讐心に捕われた敵が手持ちの杖を用いて発動した召喚魔法によって呼び出される無数のインパラ(ホロウ)にただただ怯え震える。

「い・・・や・・・来ないで・・・・・・・・・///」

 数に物を言わせて圧を加えながら一歩、また一歩と迫りくる恐怖の根源。

 死の恐怖に震えながら、アリサは心の底で彼の名を叫んだ。

(―――白鳥、助けてぇぇぇぇぇぇ!!)

 

 涙越しに心で願いを唱えた直後、奇跡は起こった。

 動けないアリサの腕をインパラ(ホロウ)が掴み掛かった直後、もう一つの手が横から飛び出し、インパラ(ホロウ)の腕を強い力で掴み掛かった。

「その汚れた手を離せ―――」

 凄みのかかった声色で呟く男性。

 アリサが聞き覚えのある声に反応し目を開けると、死覇装姿の白鳥がインパラ(ホロウ)の手からアリサを放し、彼女を護る為に眼前に佇んでいた。

 見間違いなどではなかった。双眸に涙を溜めるアリサを一瞥し、白鳥は目の前のインパラ(ホロウ)の一体を斬魄刀で斬りつける。

「怪我は無いかアリサ嬢?」

「白鳥・・・・・・来てくれたんだ・・・」

 ほっとするアリサとは裏腹に、白鳥は至極穏やかではない様子だった。

 彼はアリサが脚に負った怪我を見るや目を見開き、静かにだが沸々と内側から湧き上がる怒りの炎を燃やし拳をぎゅっと握りしめる。

「主は私が護る。この身に賭けてでも護り抜いてみせる」

 力強い言葉で宣言した白鳥は、アリサを護る為に高位の結界鬼道『鏡門(きょうもん)』を発動させて安全を確保。

 そして、万全準備が調うと前方で控えるインパラ(ホロウ)、それを操る召喚主・インペラーZXを見据え霊圧と魔力を研ぎ澄ませる。

『ほう・・・これはおもしろい。あんたからはオレと同じ力を感じる』

「貴様、魔導虚(ホロウロギア)だな。如何なる理由でもってアリサ嬢に手を出したのか分からぬが、一つだけ重大なミスを犯した。この私の逆鱗に触れたという事だ」

 言うと、白鳥は瞬歩を駆使し夥しい数のインパラ軍団をところ構わずめった切りにし始めた。

 刃に込めた明確なる怒り。その力は普段冷静であるはずの白鳥に過剰とも言うべき力を与え、動きを俊敏にさせ、霊圧をより一層高める。

『やるな! だが―――』

 白鳥の攻撃力を評価しつつ、インペラーZXは手持ちの杖を突き、足元の召喚魔法陣からインパラ(ホロウ)を召喚し数の補充を図る。

 倒した傍から現れるインパラ(ホロウ)の群れ、群れ、群れ。

 圧倒的とも言うべき物量戦を展開する魔導虚(ホロウロギア)の狡猾さに白鳥は苦戦を強いられるが、彼は孤高に戦い続ける。

 アリサは鏡門の効果によって守られながら、結界の外で孤軍奮闘する白鳥をただただ見守る事しか出来なかった。

 倒せど倒せど敵は延々と数を増やし続ける。

 このままでは埒があかない。そう判断した白鳥は、発達した脚力によって高速移動しながら両腕の刃を持つ武器としヒットアンドアウェイな戦法を繰り出すインパラ(ホロウ)を一掃する為、間隙を突くなり斬魄刀を解放する。

 

「―――天地(てんち)にて音色(ねいろ)弾奏(だんそう)させよ、『琴線斬(きんせんざん)』―――」

 

 刹那、解号を唱えた事により白鳥の斬魄刀の形状が著しく変化。

 日本刀の体を成していた形状はエレキギターを彷彿とさせるものへと変わり、白鳥は襲い掛かる敵を殲滅する為、銀色に輝く弦に指先を触れ、霊圧を注ぎ込む。

「―――琴線斬奏楽(きんせんざんそうがく)鼓瓜田(つづみかでん)”―――」

 ギュロローン!! 霊圧を込めた大音量の音色を衝撃波として相手に放つ。

 霊子組成へと干渉して内部崩壊を起こさせる技の効力によって、インパラ(ホロウ)の軍勢は次々と消滅していった。

 しかし、それを嘲笑うかの如く召喚魔法陣より倒したものと全く同一の姿をしたインパラ(ホロウ)が新たに出現。

 白鳥は再び現れたそれを同じ要領で倒すが、そこから先はいたちごっこの応酬だった。

「まだだ!!」

 切羽詰った表情の白鳥は、ユーノから申し訳ない程度に見様見真似で盗み取ったチェーンバインドでインパラ(ホロウ)の動きを封じ込めた。

 逃げる間隙を与える事無く、弦そのものが刃となっている琴線斬で有象無象の敵を斬りつける。

『ハハッ! いつまでそうやって粘っていられるかな! オレの召喚スピード舐めてると痛い目に遭うぜ!』

 無尽蔵とも言うべき恐怖のインパラ(ホロウ)の軍勢。驚異的とも言える増殖スピードは白鳥の体力と霊力、魔力を急激に消耗させ次第に追い詰める。

「ぐああああ!!」

 疲労困憊とする白鳥の隙を突いたインパラ(ホロウ)の強烈な一撃がヒット。吐血した白鳥は地面に激しき叩きつけられる。

「白鳥っ!!」

「大丈夫だ! 私は倒れぬ・・・・・・絶対にな」

 傷だらけになりながらも、必死でアリサを護る為に剣を振り続ける。

 

 ―――面倒なことだ。

 戦いの最中、白鳥は心の中で独白する。

 ―――思慕の情も、親愛の情も、友情も。いずれ離れねばならぬ場所ならば、どれも枷にしかならぬ。死神にはどれも不必要な感情でしかない、そう思っていた。

 戦い続けながら男は思考に耽る。

 ―――私は―――・・・こちらの世界に長く関わりすぎたのかもしれん・・・。

 いつしか血溜まりが出来る程に負った無数の傷。だが、白鳥は決してその手から斬魄刀を手放そうとしなかった。

 ―――だが・・・・・・お陰で見つけられたのだ。命を賭してでも護るべき大切なものを。

 

『ちっ。ほんとしぶとい野郎だ。しょうがねぇ。最期くらい俺が引導を渡してやる』

 言うと、満身創痍の白鳥に見据えたインペラーZXが止めを刺す為、おもむろに杖を振り上げ霊力と魔力を混成させていく。

 強大な合成エネルギーを光線として放つつもりだった。白鳥はこれ以上の抵抗は出来ぬと判断。潔く死を迎えようと、抵抗するのを止めた。

『あばよ死神ッ!!』

「白鳥ィィィィィィィ!!」

(我が生涯に一片の悔いなし・・・・・・とまでは言えんな。せめて、死ぬ前にブルマンのブレンドコーヒーを飲みたかったな)

 

「月牙天衝!!!」

 刹那、インペラーZX目掛けて青白い斬撃が飛来した。

『ぐああああああああ』

 凄まじい威力を誇る高密度の斬撃。白鳥が驚いた様子で目の前を見つめると、身の丈ほどの斬魄刀『斬月』を携えた伝説の死神代行・黒崎一護が立っていた。

「よう! お前にしちゃそのガッツは大したもんだぜ」

「黒崎氏・・・・・・!」

「白鳥さ―――ん! 助けに来てあげましたよ―――ン♪」

 すると、少し遅れる形でユーノが金太郎と織姫らを引き連れ現場へとやってきた。

「ユーノ店長・・・! それにゴールデンベアに織姫殿まで!?」

『ぐうう・・・なんだ貴様らは!?』

「通りすがりの駄菓子屋さ。まったく、ここが死神代行組の島だって事を分かっていないようだね。覚悟はいいよね? 蛆虫が」

 ユーノは強大な力を持つ魔導虚(ホロウロギア)を前にしても決して物怖じしないどころか、それを見下した発言で相手を竦ませる。

「ユーノ、金太郎は左右を頼む! 俺は前方を片付ける。織姫、白鳥とアリサの怪我を頼むぜ」

「「はい(承知)」」

「うん。任せて」

「おっしゃ! じゃ死神代行組の力をこの世間知らずに分からせてやる!」

 口元を緩めた一護は、ユーノと金太郎と協力してインペラーZXが召喚した無数のインパラ(ホロウ)を一掃する為、協力して攻防に当たる。

「月牙天衝!!」

「輝け、晩翠!」

「ダイナミックハリケーン!!!」

 白鳥は織姫の治療を受けながら、自分一人ではどうする事も出来なかった敵が一気に数を減らしていく光景を見ながら心中思った。

(なんという力だ・・・・・・・・・私にもあのような力があれば――――――)

 ただただ悔しかった。彼らと肩を並べる事が出来ぬ未熟な自分の力が。何より、大切なものを無碍に傷つけてしまった事が。

 そんな歯がゆさを抱きながら、白鳥は事の成り行きを固唾を飲んで静観する。

 

「ったく・・・。確かにキリがねぇな」

「いかがなさいますか店長?」

「仕方がない。この技はちょっとえげつないからあまり使いたくなかったんだけど・・・背に腹は代えられないしね」

 倒しても倒しても無限に増え続けるインパラ(ホロウ)に一護達も苦戦を強いられる。この状況を打開すべく、ユーノは秘策を用意していた。

 口角を緩めたユーノは、一切の躊躇無くして晩翠の切っ先で左手の平を斬りつけ、そこから滴り落ちる血を刀身へと付着させた。

「アイツ・・・何するつもりなの?」

 アリサも一瞬怖くなって見守る中、ユーノは血液がべっとりと付いた刀身を地面へと突き刺し―――詠唱を唱え始めた。

「我が血を糧に盟約を交わしたる地獄の亡者共 時は来たれり 全てを(むさぼ)蹂躙(じゅうりん)せよ 愚鈍(ぐどん)なる者に死と恐怖を与えん」

 不吉な呪言(じゅごん)によってユーノの血が地面へと注ぎ込まれ、彼の足下を中心に巨大な召喚陣が展開される。

 

()(ほふ)れ・・・・・・『獄卒晩翠(ごくそつばんすい)』」

 

 地響きがした直後、召喚陣が紅色に強く光り出す。

 そして地面を割って地の獄より招聘(しょうへい)された全身が黒一色で染まった異形の亡者が多数。あまりの異形と異様さにインペラーZXは嘗て経験した事の無い恐怖に戦慄する。

『何だ・・・・・・・・・何だよ一体・・・・・・一体何なんだよこりゃ!?』

「獄卒晩翠―――彼らは僕の血と契約を結んだ忠実な下僕だよ。僕の意のままに手足となって働く。僕が敵と断じた者を塵となるまで追いつめるんだ」

 不敵かつ畏怖の籠った笑みで技の説明をした直後、ユーノは無数に召喚した獄卒に命を下し、眼前に控えたすべてのインパラ(ホロウ)の殲滅を下す。

 獄卒達はユーノの命令に対して忠実だった。インパラ(ホロウ)さながらの数の暴力で目に映る全ての敵を悪魔染みた強さで屠り、断末魔の悲鳴すらも糧としてあらゆる障害を斬り捨てる。

 今迄イニシアティブを得ていて筈のインペラーZXは忽ち追い詰められた気分となり、次第に勝利への自信を殺ぎ落とされていった。

『くっそぉぉ・・・! こんなの聞いてねぇ!! こんな奴らがいるだなんてオレは聞いてねェぞ!! どういう事だよ、ドクタースカリエッティ!!』

「やはりスカリエッティが差し向けた個体だったのか。まったく・・・よくも飽きもせずいろんな種類の魔導虚(ホロウロギア)を作って」

「ユーノ。コイツ留め差しちまっていいか?」

 ほぼインペラーZXに勝ち目はないと踏んだ一護が問いかける。

「いいですよ。敵はもう戦意喪失ですから、これ以上うざったいインパラが召喚される事は無いでしょう。もっとも、召喚したところで獄卒達の餌食にしかなりませんけど」

 言いながら、ユーノは獄卒達の働きによってインパラ(ホロウ)が一匹残らず駆逐された情景を己が目で確認。

 僅かな時間で数百と言う数を殲滅したユーノの能力は驚異的であり、白鳥は未だ目の前の事実を理解し切れていなかった。

『く・・・来るなぁ!! 来るなぁぁぁ!!!』

 死の恐怖に怯えるインペラーZXへとおもむろに歩み寄る一護。その手に持った斬月をゆっくりと振り上げ、斬る事に一切の躊躇無い眼で敵を見定める。

「悪いな。俺は死神代行だから(ホロウ)を斬るのが仕事なんだよ」

 

 バシュン―――・・・。

 

「もう大丈夫ですよ」

「すまなかったである・・・・・・」

 インペラーZXを倒した後、白鳥とアリサは織姫の治癒を受けて事なきを得た。

 だが、白鳥の表情はどこか浮かない。それを気に病んだアリサは、彼を元気づけようといつもの調子で呼びかける。

「なに沈んでるのよアンタは。あたしもアンタもこうして生きてるんだからもっと喜びなさいよ」

「アリサ嬢・・・・・・・・・だが私は主を護れなかった・・・・・・私は自分が不甲斐なくて仕方がない! 私にもっと力があれば、そなたを危険な目に遭わせずに済んだというのに・・・・・・!!」

 力が未熟ゆえに護るべきものを傷つけた。少なくとも今日の戦いは、白鳥の中でその思いが強く心に残る後味の悪い結果となった。

「護ってくれたじゃない」

 白鳥の言い分に対し、傍で聞いていたアリサは穏やかな表情を浮かべると、自責と慙愧(ざんき)の念に捕われる目の前の死神に優しく語った。

「誰が何と言おうと、アンタは私を護ってくれた。一度ならず二度もね」

「アリサがあぁ言ってるんです。白鳥さん、あなたは死神として・・・一人の男として大切な女性を護ったんですよ」

「護った・・・・・・この私が・・・・・・」

 どうにも釈然としないものの、当人や周りからは称賛と激励の言葉が飛び交った。

 白鳥は今日の所は周りの厚意を素直に受け入れて自分を納得させる事にした。

 やがてアリサと面と向き合い真摯な眼差しで呼びかける。

「アリサ嬢――――――主に渡したいものがある」

 

           ◇

 

数日後―――

東京都 東京駅周辺

 

「アリサちゃーん! 遅れてごめーん!」

 休日。アリサは小学校時代からの親友である月村すずかを誘って余暇を楽しむスケジュールを組んだ。

「すずか遅い、5分遅刻よ」

「ごめんなさい。どうしても前髪が決まらなかったものだから」

「まったくアンタって子は。それより早くしないと目当ての物ゲットできなくなるわよ」

「そうだね。じゃあ、行こうか」

「待ってなさい! たとえバーゲンだとしても、人より多く高い商品を勝ち取ってみせるんだから!!」

 これから臨むバーゲンに強い意気込みを見せるアリサを横目で見ながら、すずかはふと彼女の耳に付けられた真新しいピアスの存在に気が付いた。

「あれ? アリサちゃん、そのピアスどうしたの?」

「あぁ、これ? プレゼントされたのよ」

 言いながら、身に付けているピアスに軽く手を添えてから口角を緩め、送り主の名を比ゆ的に表現した。

 

「黒い格好をした白いナイトからね――――――・・・」

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 『BLEACH 2、6巻』 (集英社・2002)




登場人物
大道寺 知世(だいどうじ ともよ)
声:岩男潤子
9月3日生まれ。A型。好きな花は木蓮と桜。好きな色はベージュと白。
23歳。おもちゃ会社「大道寺トイズコーポレーション」の若手社長。伸ばした長い黒髪と色白の肌が特徴。常に「〜ですわ」などのお嬢様口調で話す。おっとりした性格だが思慮深く、歳に見合わぬ落ち着いた一面も見せる。
人の心理を読み取る洞察力が非常に鋭く、アリサの白鳥への恋心にもいち早く気付いている。人を包み込んだり励ましたりする保護者のような側面もある。
鮫島(さめじま)
声:前川建志
バニングス家の執事兼専属運転手で、小学校時代と変わらずアリサの出勤時の送り迎えを行う。






登場魔導虚
インペラーZX
声:村田大志
アリサを追い回していた魔導虚。上半身が人間で、下半身はインパラという姿をしており、生前はアリサの父が経営する会社で働いていたが、リストラに遭って職を失い、家庭も失って自殺した後、スカリエッティの手により魔導虚となった。
バニングス家と自分を陥れた世間への復讐を企てており、行く先々でアリサを追い回して命を奪おうとしていた。
召喚魔法が使え、手持ちの杖を用いてインパラの姿をした眷属虚を多数召喚しそれを従えた集団戦法を取る。白鳥を甚振って追い詰めるが、駆けつけたユーノ達との戦いで敢え無く敗北した。
名前の由来は、皇帝を意味する「emperor」と、レイヨウの一種である「インパラ」から。


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第14.5話「数奇の兎」

 戦場とは常に無数の狂気と同じだけの悲しみが渦巻いている。

 そんな無数の感情によって引き起こされる不毛な戦いに何の意味があるというのか。

 

 少なくとも、私は決して英雄でも守護者などでもない。

 私は・・・・・・ただの人殺しに過ぎなかった。この手で壊す事しかできない愚かで救いようのない男でしかなかった。

 

           ≡

 

数年前―――

とある異世界 とある王国・宮殿

 

「いやよ! あなたと一緒じゃないと・・・いや」

 それは、命を賭した叫びにも聞こえた。

「お願いだから一緒に逃げましょう・・・!」

 屈強で肩幅が二倍近くもある護衛役の男に支えられながら、金髪の美女はすすり泣くような声をあげ続ける。

 美女の口から吐き出されるのは、共存を求める叫び。クーデターによって攻撃を受ける宮殿からの脱出を求める純粋な願いだ。

 しかし護衛の男はそれに耳を貸すことなく、胸元で咽び泣く美女に対して口元を緩め、おもむろに答える。

「私はあなたの父上に雇われたボディーガードです。あなたの父上は王として最後までここに残るという。私が逃げる訳にはいかないのです」

「!」

 その美女―――ジェニーは王宮の王女であり、彼女は数週間前に王である父が雇い入れた護衛役の大男・熊谷金太郎に恋をしていた。

 だからこそ失いたくなかった。たとえ全てを投げ打ってでも彼だけは生きていてほしい―――(こいねが)った末の嘆願も徒労だと一瞬にして解らされた。

 ジェニーは強い覚悟を以って王宮に残ることを決めた金太郎から全てを感じ取り、何を言ったところで無駄であることを理解する。

 

 やがて、激しさを増す攻防の最中、王宮の外に一台のジープが着く。

 ジープに搭乗していた傭兵の男―――ライアットは、切羽詰った表情で建物の中に残っている金太郎へと呼びかける。

「急げG! 反乱軍が1キロに迫ってる!」

 呼びかけた直後、二階のベランダから女性物のスーツケースが降って来た。

 慌てて受け止めるライアット。見上げれば、金太郎が真剣な眼差しで呼びかける。

「―――彼女を頼んだぞ」

 最早一刻の猶予も無い。

 後の事はライアットにすべて託し、自分は宮殿に残り、その役目を全うする。

 ジェニーの輝ける未来を信じ、その背中を押す事こそ与えられた己の責務であると信じて―――。

「さぁ、ゆかれよ」

 言った直後、唇にぷるんと柔らかい何かが僅かに触れた。

 目の前には涙腺が崩壊したジェニーがじっと見つめていた。若干だが吃驚する金太郎に、ジェニーは去り際にひと言。

「死なないで・・・・・・」―――そう呟いた。

 

 

 

 戦場で死ぬのは、私達の筈だった。

 戦場ではよくある話だ。死ななくてもいい人間が死んでしまうなどと言う事は。

 もし、あのときジープに爆薬が積んでいなければ・・・。同盟国の支援がもう少し早ければ・・・。

 言い出したらキリが無い。

 

 結局、彼女を守り切れなかった私自身が最も罪深い男なのだ・・・・・・・・・・・・。

 

           ◇

 

新暦079年 5月5日

第97管理外世界「地球」

東京都 松前町 スクライア商店

 

 ・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・き・・・・・・ん・・・・・・

 ・・・・・・たろ・・・・・・

 ・・・・・・きんたろう・・・・・・

 

―――「金太郎!」

 

「む・・・・・・」

 金太郎は女性とも聞き間違える男の声で目を醒ました。

「ようやく起きたか。ずいぶん寝入ってたみたいだね」

 むっくり体を起こすと、自分よりも二十歳も若い優男―――ユーノ・スクライアの和らいだ表情を見た。

「・・・・・・申し訳ありません店長。勤務中に爆睡してしまうとは。この不始末は割腹にてお詫びを」

「いやいや!! しなくていいよ! 任侠映画じゃないんだから!」

 寝起きに何を言い出すのかと思いきや、実に剣呑(けんのん)とした話である。

 慌てて制止を求めるユーノの声がやけに必死そうだったが、金太郎は依然として不満そうに言及する。

「しかしそれでは私の気がすみません。ならばせめてここは、私のケツを思い切り蹴ってください! この豚野郎と叫びながら!!」

「僕にそんな趣味は無いしする気も無い! とにかく一旦落ち着け!」

 切腹から一転してマゾヒズムに満ち溢れた中年男の性癖を暴露され、ユーノはもう訳がわからなかった。

 何とか金太郎を落ち着かせたユーノの表情は疲労一色だった。

 金太郎は眼鏡の位置を微調整してから、おもむろに先ほどまで見ていた夢について語り出す。

「・・・・・・昔の夢を見ておりました。スクライア商店(ここ)へ来る前、傭兵として世界各地を転々としていた頃の出来事です」

「そっか・・・・・・改めて思うけど、金太郎の経歴は波乱万丈の一言に尽きるよね。元・管理局本局の名誉元帥を務めたほどの男が、フリーの傭兵を経て、今じゃ駄菓子屋の店員やってるんだから」

「あなたに出遭わなければ今の私はありません。私の中での店長への恩義は計り知れません」

「恩義か・・・。金太郎らしいと言えばらしいけど、あんまり堅苦しく考えないで普通に接してくれればそれでいいんだけどね」

「であれば、ここはコミュニケーションの一環として――――――」

 すると、金太郎は再び人一倍固いのが自慢の臀部(でんぶ)を強調するようにユーノの前へと突き出した。

「さぁ店長ぉ、存分にこの私のケツを蹴ってくだされ!! よろしければオプションで鞭やロウソクを付けてもらっても構いません!!」

「だからそれはしないって言っただろう!! ええいめんどくさい!! 居眠りにしてた罰に3丁目の木村さんの家まで配達にでも行ってろ!!」

 柄にもなく大声をあげ怒鳴りつけたユーノの心境は、一重に「めんどくさい」―――この一言に尽きるのであった。

 

 配達を終え、帰路に就く途中、金太郎は何年振りとも言えるタイミングで見た夢の内容に一抹の不安を感じていた。

(今さらあのときの夢を見るなど・・・・・・これは何か災いの予兆なのか)

 決まってこの手の夢を見ると碌な事が起こらない。ある意味で夢は吉凶禍福を占う人間が本能的に備え持つ予言能力である。

 その予言が今、金太郎に天啓を告げようとしていた。考えれば考えるほどに言い知れぬ不安や恐怖、ざわめきが精神を侵そうとする。

「・・・・・・ジェニー・・・・・・私は・・・・・・・・・―――」

 嘗ての任務で守り切れなかった女性の名を口にした瞬間、それは起こった。

「!?」

 刹那、金太郎の瞳に突如―――空から勢いよく降ってくる落下物が飛び込んだ。

「何だ?」

 こんな真昼に隕石でも降って来たのか。いずれにしても穏やかではない状況に金太郎は慌てて落下現場へと向かう。

 

 落下した位置を割り出した金太郎が辿り着いたのは、隣町にあるごく一般的な月極駐車場だった。

「この辺りのはずだが・・・・・・」

 おもむろに辺りを散策しようと駐車場の中へ入った途端―――

「ぬおおおおお!!!」

 何かに躓き、バランスを崩して前に倒れそうになった。

 咄嗟に受け身を取ったので事なきを得た金太郎は、おもむろに後ろを振り返る。

 すると、駐車場の真ん中にポツンとボロキレに(くる)まった何かが放置されていた。

 まさかな・・・・・・。内心ドキドキしながら、恐る恐るボロキレを捲りあげると-――年端もいかない人の姿をしたウサギの顔を持つ少女が倒れていた。

「なんだ・・・・・・これは・・・・・・? 人なのか? 動物なのか?」

 四十数年生きてきた中で、一度たりとも遭遇した事の無い人間とも動物ともつかない珍妙な存在を前に、金太郎はただただ刮目する。

「うぅ・・・・・・」

 そんな折、ボロキレに包まれたウサギ顔の少女の弱り切った声色が耳に飛び込む。

 一大事と判断した金太郎は、矢も盾もたまらず少女を抱きかかえ、ある場所へと向かうのだった

 

           *

 

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

「って・・・なんだよこれ?」

 黒崎一護はリアクションに困り果てていた。

 午後の診療もひと段落つき、ぼちぼち仕事を終えようとしていた砌―――突如として押しかけた金太郎が持ち込んだ謎の患者。

 人とも動物とも言えぬ奇天烈な生物を見せられる中、金太郎は眼鏡の位置を微調整してから一言

「ウサギです―――」と、呟いた。

「ウサギです、じゃねえよ! 真顔で何言ってんだよおまえ!?」

「怪我をしているようなので近くの病院へ搬送致しました」

「うちは人間の患者専門だ!! 動物病院なら他当たれよ!!」

「でもこの子・・・人間のような動物のような・・・・・・パッと見判断つかないよ」

 居合わせた織姫も困惑しながら、ベッドの上で疲労困憊の様子で眠るウサギ顔の少女を心配そうに見つめる。

「ならばこそ一護殿です」

「何んだよその困ったら俺ん家みたいな理屈は!? うちは面倒事を一手に担う何でも屋じゃねえ! 大体こういうのは真っ先にオメーんのところの店長に診てもらうのが筋だろうが!!」

「おお!! これはこれは・・・盲点でしたな」

「盲点でしたじゃねえよ!」

 わざとらしく手をポンと、叩いて見せた仕草が何とも腹立たしくてならなかった。

 

 数十分後―――。

 金太郎からの呼び出しを受けたユーノは、一護の家に着くなり、早速謎のウサギ顔の少女を診察し始めた。

 店から持ち込んだ特殊な精密機器や魔法を駆使して少女の身体を丹念に調べ上げ、そこから得られたデータを吟味し、眉間に皺を寄せる。

「どうですかユーノさん? 何か分かりましたか?」

 様子を見守っていた織姫がおもむろに問いかけると、ユーノは口を開き語り出す。

「ん~~~・・・実に興味深いですね。特にこの四肢の形はまさしく人間とそっくり。いや、人間そのものです!」

「確かに人間と遜色ねーよな。一応同じ哺乳類だし応急処置はしといたが・・・結局のところ、そいつは人間なのか? それとも?」

 医者である一護でも明確な判断や切り分けが難しかった。

 分析の結果得られたデータより、ユーノはある推測について言及する。

「セリアンスロゥプ、所謂“獣人”と言わざるを得ないですね。人間とも動物とも異なる亜人―――それがこの子の正体です」

「亜人って・・・そんなものが本当にいるか!?」

 フィクションや漫画の世界ならともかく、現実にはあり得ないような話に一護や織姫は終始驚愕する。

「動物は種類によって指の数も(ひづめ)の割れ方も違います。なのに・・・この通り指は五本あって、脚は人間と同じ直立二足歩行ができるように進化している。この手足こそ、人間が動物とかけ離れて進化するための大きな要素となったんです。しかし、目の前で横たわっている少女は人間と同じ進化を辿っている! これは考古学的にも生物学的にも本来あり得ないことで・・・!!」

「あのー、ユーノさんちょっとだけトーン。落としませんか?」

「おまえをここへ呼んだのは学術的見解を聞く為じゃねえぞ」

「あ・・・・・・すみませんでした」

 学者としての知的好奇心から来る血がつい騒いでしまった。雄弁に語っていたところを一護と織姫によって制止させられ、ユーノも我に帰り反省する。

 やがて、コンがおもむろにウサギ顔の少女へ近づき、眠る横顔を一瞥してからユーノに問いかける。

「なぁ。こいつがどこから来たかわらかねえのか?」

「恐らくは、地球(ここ)とは異なる次元世界から何らかの理由で流れ着いた・・・“次元漂流者”の可能性が高いです。実際に転移魔法らしき力が発動した痕跡も確認されました。詳しい事はこの子が目を覚まさない分にはわかりませんが」

 どこから来て、何を目的に地球へ現れたのか。

 全てが曖昧模糊でいると、少女を最初に発見した張本人―――金太郎はベッドで眠るそれを凝視する。

 刹那、不意に蘇った過去の映像。

 夢で見た王宮で死に別れたジェニーの悲哀に満ちた表情。その時の顔が妙に頭にこびりついてしまい、気がつくと目の前の少女と面影を重ね合わせ―――奇妙にも胸が締め付けられる思いに駆られる。

「金太郎?」

「どうした? 何考えてんだよ」

「いえ・・・・・・なんでもありません」

 

「うぅ・・・・・・」

 満を持して、ウサギ顔の少女の意識が回復し目を覚ました。

「あっ。気がついた!」

 目を輝かせ、織姫が眠りから目覚めた少女を見る。

 すぐさまユーノは目覚めたばかりの少女に対し、ゆっくりと問いかける。

「君、僕の言葉がわかるかい?」

「はい・・・・・・あなたは? ・・・・・・ここはどこですか?」

「僕はユーノ・スクライア。ここは病院だよ」

「はじめまして。黒崎織姫です」

「黒崎一護だ。よろしくな」

「コンさまと呼んでくれー!」

 何も知らない少女の目と耳から次々と真新しい情報が入り込む。

 周りをしばし見渡した少女は、恐る恐るユーノ達を見ながら気になる事を尋ねる。

「あの・・・・・・もしかしてあなた達がわたしを・・・助けてくれたんですか?」

「いや。助けたのはここにいる熊谷金太郎だよ」

 ユーノは少女の命を救った相手を紹介する。

 ムッと、顔を近づける金太郎。だがこの顔があまりにも怖かった。

「ひいいいぃいいいィ!!!」

 強面の金太郎の顔に果てしない恐怖を抱いた末、少女はベッドから飛び出すなり壁の方まで後退する。

 傍で様子を見ていたユーノ達は、ショックの余り言葉も無く硬直する金太郎を窺いながら小声で会話をする。

「まぁ初対面、しかも寝起きであの顔はキツイよな」

「気持ちはわからなくもないんだけどねー」

「金太郎もそんなガッカリしないで。顔の怖さは今に始まったことじゃないんだし」

「・・・・・・・・・・・・」

 根は優しくとも、決して万人受けする顔ではない事は自明の理である。

 ただ、それを露骨なまでに面に出されると精神的に受けるダメージは大きい。金太郎の場合も例外ではなかった。

 やがて、見かねた織姫が壁の隅で縮こまった少女から名前を聞き出す。

「なまえ・・・言えるかな?」

「ウルティマ・・・・・・」

 若干恐怖に震えた声で自らの名を告げたウルティマに、一護は確信を突いた問いをする。

「ウルティマ。ここに来るまでに何があったか覚えてるか?」

「ごめんなさい・・・・・・・・・わからない。思い出そうとすると頭に靄みたいなものがかかって、思い出せない」

 肝心な事は何ひとつ情報として持っていない―――否、正確には何らかの要因で記憶が封印されていた。

 困り果てた一護はユーノに対し、「これからどうするよ?」と、率直に投げかける。

「まず第一として、早急にこの子を元いた世界に戻してあげる事ですね。何しろこんな姿をしていますからね。いつ騒ぎになってもおかしくありません」

「でもユーノさん、この子がどこから来たのかわかるんですか?」

「それは僕にもわかりません。でも、この子は自分の()()()()()()()()()()()()()()。頭の中のイメージさえ読み取れれば、あとはどうにでもなります」

 そう言うと、ユーノはウルティマに近づき破顔一笑。

「ちょっとだけごめんね」―――そう言った瞬間、ユーノは自分の額とウルティマの額をおもむろに重ね合わせた。

「ななな・・・なにを・・・///」

 突然の異性からの行為にウルティマは顔を赤らめずにはいられない。

 ユーノは彼女の心情を組みつつも、ぶつぶつと呪文のような物を唱え続け、足下にはミッド式の魔法陣を展開する。

 一護達が訝しげに見守っていると、ユーノは作業を終え、ウルティマと重ねていた額をゆっくりと離した。

「なるほど。わかりました―――」

「何したんだオメー?」

「『リコール』と言う精神干渉系の魔法でこの子の記憶の一部を読み取ったんです。この子が元いた世界の事がおおよそわかりました。早速《幻魔の扉》で向かいましょう」

「恋次達を送り出したあのデッカイ変な扉か?」

「さすがはユーノさん! ウルティマちゃん、もう安心して。私たちが必ずあなたをお家まで送り届けてあげるから」

「みなさん・・・・・・ありがとう・・・・・・ほんとうに、ありがとう」

「よし! そうと決まったら早速出発だ・・・・・・ぐっほ!!」

「おめーが仕切るな!」

 意気揚々と張り切り、リーダーシップを主張するコンだったが、いつもの調子で一護が制裁と称して堂々と踏みつけた。

 

           *

 

某所 某会議室

 

 薄暗い空間に投影される映像。

 映像にはユーノ達によって保護されたウルティマの姿が映し出されており、会議に参加していた者の多くが頭を悩ませる。

「・・・逃亡した例の子どもはまだ見つからんのかね?」

 やがて痺れを切らした様子で、目薬を差して強いリアクションをとった一人の男が言葉を発した。

「申し訳ありませんドクター・プロスペクト。目下全力で捜索中ですが、いまだその行方については・・・」

 幹部達は芳しくない状況にただ申し訳なさそうに顔を下に向けるばかり。

 この嘆かわしい現実に心底悲嘆したドクター・プロ空くとと呼ばれた男は、集めた幹部達に対し警告を発した。

「・・・つい先ほど我々の最大手スポンサーからの連絡があったよ。我がダーク・リユニオンからも1、2名ほど幹部に引き抜きする予定でいるという。だが今回の失態が知られたら、話が白紙に戻るばかりか投資を打ち切られるのは必定」

 

「一刻も早くあの子ウサギを見つけ出し生け捕りにするのだ」

 

           *

 

『惑星アニマトロス』

 

 地球とは別の星系に属するその惑星には【アニマロイド】と呼ばれる獣人がいた。

 アニマロイドは、人間と同等の進化を遂げた様々な種類の動物のことであり、極めて高度なテクノロジーと文明を発展させ、平和な暮らしを送っていた。

 

           ≡

 

惑星アニマトロス

市街地中央部 アーバンシティー

 

 ユーノ達は『幻魔の扉』を使い、ウルティマの生まれ故郷である惑星アニマトロスへとやって来た。

 そこで、彼らが見たのは想像を絶する光景だった。

 見事に街が破壊され焦土と化した大地が寒々と広がり、嘗て楽園と称された街並は当時の見る影も無くなっていった。

「これは・・・・・・!」

「ウソ!!」

「誰がこんな事を!?」

「ひどい!」

 ユーノがリコールで読み取った記憶では、少なくとも眼前の地獄の如く悲惨な光景は垣間見れなかった。

 自然災害―――とは言い難い、侵攻の痕跡を伺わせる破壊の様。

 一行は襲撃され、瓦礫の山が広がる街中を移動しながら、ウルティマの同種族がいないかを捜索する。

 探索魔法を発動させたユーノを固唾を飲んで見守る一護達。

 数分後、探索魔法の継続を中断したユーノは険しい表情を浮かべ、一護達に対し申し訳なさそうに首を横に振る。

 受け入れ難い事ではあるが、少なくとも街には生存者と呼べる者は誰一人残ってはいなかった。

 その事実を知った直後、悲痛に歪むウルティマの表情が一変した。

「ううううぅぅ・・・・・・!!! あああぁあああぁぁぁ・・・・・・!!」

「ウルティマちゃん!!」

「どうした!?」

 唐突に頭を押さえ、苦痛に声をあげるウルティマを憂慮する。

 直後、ウルティマは頭痛に耐えながら脳裏に思い浮かんだビジョン―――記憶の奥底に封じられていた思い出したくない光景が次々と鮮明に蘇った。

「は!! そうだ――――――わたし、思い出した!」

「思い出したって、何をだ?」

「逃げてきたんだ、わたし・・・・・・アイツから!」

「アイツら?」

 訝しむ一護達にウルティマはおもむろに語り始める。

「・・・・・・平和な日々を送っていたわたしたちの前に突然、『ダーク・リユニオン』と名乗る連中が現れて、わたしたちを攻めてきたの。彼らはまるでハンティングゲームをするように、わたしたちを捕えて行った」

「それで?」

「彼らは言っていたわ。自分達の目的は超能力者による世界征服と生物の淘汰だと・・・・・・彼らは人工的に超能力者を作り出すことができて、より素質の高い者を一流の兵士“クオークス”として育てるんだって・・・・・・わたしは素質のある者として組織に気に入られていたけど、他の皆が犠牲になっていく様を見ながら毎日を送るのは生きた心地がしなかった・・・・・・」

「だから組織からの脱走を図って地球まで転移して逃げてきたと」

「そして、強い恐怖のあまり記憶を脳の奥底に封印していたというわけか」

 概ねの事情は理解した。

 ウルティマが置かれた状況はユーノ達が思ったよりも深刻で、かなりきな臭い話だった。

「・・・ユーノ。ウルティマ達を捕えたダーク・リユニオンとやらの事を調べよう。街の連中も奴らに捕えられてる筈だからな」

「ええ。しかし、敵の正体がハッキリしない以上くれぐれも慎重に。連絡は密に取り合いましょう」

 

 ダーク・リユニオンの襲撃を受けた廃墟の街に散らばるユーノ達。

 各々が情報収集に勤しむ中、金太郎は故郷に帰還して早々居場所を失ってしまったウルティマのそばについていた。

「・・・・・・・・・・・・」

 変わり果てた故郷。ダーク・リユニオンによって連れさられ、過酷な実験の犠牲になった仲間の事を思い出すたび、ウルティマの心は閉めつけられる。

 双眸に溜まった雫が一滴、また一滴瓦礫を伝って零れ落ちる。そんな少女の心情を汲み取った金太郎は、おもむろにハンカチをそっと差し出した。

「さぁ。拭きなさい」

「金太郎さん・・・・・・・・・ありがとうございます」

 ハンカチで涙を拭うウルティマに金太郎は更に言葉を紡ぐ。

「君達には同情するよ。ダーク・リユニオンの行為は決して許されぬことだ。我々は君やここの人達の生活を踏み躙った奴らを必ずや見つけ出し殲滅する。もっとも、それが最良の選択であるかは眉唾物だが」

 正義感の強い金太郎からすれば腸が煮えくり返るような話である。

 一刻も早くダーク・リユニオンの拠点を見つけ出し壊滅させてやりたいと強く願う反面、殲滅の先にアニマロイドであるウルティマにとって、より明るい未来が待っている訳でもない。

 復讐の果てに何も得られない虚無。これほど空虚で無意味な話はない。

 苦悶に満ちた表情でいる金太郎だったが、不意にウルティマが声をかけて来た。

「ねぇ、金太郎さん・・・・・・これからどうすればいいのかな? わたし、お父さんもお母さんもアイツらに殺されちゃったから一人なんだよね。街もこんなありさまだし、正直お先真っ暗だよ。何もかも終わりだよ・・・・・・」

 当たり前の幸せを突如として奪われ、理不尽な運命という名の渦に巻き込まれた数奇な少女の瞳は悲嘆と諦観に満ちていた。

 希望という言葉を失いかけているウルティマを見、金太郎は彼女の摩耗し切った心に少しでも活を入れようと激励を送る。

「今は辛い時かもしれない。だが、いつまでも辛くはない。君自身が希望を捨てぬ限りいつか必ず幸せになれる」

「ほんとうに?」

「ああ。もしも君の幸せを踏み躙ろうとする輩が現れたときは、そのときは私が必ず鉄槌を下してやろう。心配はいらん。我々が何とかする。この命に代えてでも、君は私が護る―――必ずだ」

 確かな根拠があるわけでもないのに、その言葉はとても力強かった。

 当初、強面な金太郎に子供ゆえの恐怖心を抱いていたが、ウルティマは直に彼の肌と触れ合う事でその優しさを理解する。

「・・・・・・うん・・・・・・ありがとう///」

 ポロポロと零れ落ちる涙。今度のそれは悲しみから来るものではなく、金太郎という一縷の希望を見出せた事に対する歓喜だった。

 ピピピ・・・。

「すまない。少し席を外すよ」

 ユーノからの一報を受け、金太郎はウルティマのそばを離れる。ウルティマも少し安心したのか、少し気を休めた直後―――。

『見つけましたよ』

 背後から聞こえた身の毛も凍りつく不気味な声に両の耳がピンと立つ。

 振り返る前に後ろから強い力で押さえつけられ、気がつくと―――黄金の甲冑姿の騎士を彷彿とさせる異形の怪人によって身動きを封じられた。

「!?」

 敵の接近に気付いた金太郎は涙目で救いを求めるウルティマと、口元を力づくで押さえつけている敵の存在に目が行った。

『あまりドクターや我々の世話を焼かせないでもらいたいですねー。さぁ、私と一緒に帰りましょう』

「ん・・・・・・んん・・・・・・!!」

 ウルティマの危機に、金太郎は愛機《アックスオーガ・カタストロフ》を即起動させ、脱兎の如く彼女の元へと疾駆する。

「ウルティマには指一本手は触れさせぬ!」

 力いっぱい(まさかり)を振り上げ、ウルティマを捕えた敵目掛けて強烈な一撃を叩き込む。

 瓦礫が粉々に砕け散り多量の粉塵が巻き上がる。

 しかし、何の手応えも感じなかった。見れば、敵はおろかウルティマの姿も忽然と消失していた。

「・・・消え・・・・・・た・・・!?」

 

           *

 

 秘密結社ダーク・リユニオンにおいて、ドクター・プロスペクトと呼ばれる男の存在は極めて重要かつ際立っていた。

 口調こそ穏やかだが、残忍かつ傲慢な性格。研究の為には一切の手段を選ばない。

 ただ自らの欲望に対し直向きに生き続けた結果、彼は超能力の覚醒に必要な要素として、 “苦痛を強いる事が能力覚醒への糸口の1つ”だという考えを見出した。

 拷問じみた方法で超能力を目覚めさせる「覚醒実験」を行う事で、次元世界で初めて人工的に超能力者を作り出す事に成功した。

 その高い功績ゆえにダーク・リユニオンらの幹部と同等あるいはそれ以上の地位を得るばかりか、スポンサーからも厚遇を受けていた。

 現在、彼はダーク・リユニオンの最大スポンサーである次元世界屈指のある財団から来た使者との対談に臨んでいた。

「過去様々な世界で生物実験を繰り返してきましたが、このような事例は未だかつて報告がありません」

 白い詰襟服に身を包んだ男―――加頭順(かずじゅん)は手元の報告書を見ながら、書かれた内容に終始強い興味を抱いた。

 加頭の言葉を聞き、プロスペクトは「実に興味深い話だ」と同意し、紅茶をひと口啜ってからおもむろに語り出す。

「人間と同程度に進化した動物たちをクオークス素体としたとき、どれほどの力を手に入れるのか。あの子ウサギは言わば私にとって夢の塊なのだ」

「では、ここはあなたの夢の手助けにひとつ私から贈り物を」

 すると加頭は持ち込んだジュラルミンケースの中からある物を取り出し、プロスペクトの前に置いた。

「それは?」

 物珍しくプロスペクトが見つめる先には、透明なクリアケースに胸に孔の空いた白い仮面に覆われた小さな生命体が収められていた。

「私どもの数ある投資先のひとつからスポンサー特権で得たものです。是非有効に使って頂きたい」

 

           *

 

ダーク・リユニオン 秘密のアジト

 

 連れ去られたウルティマが発する超能力の波導を追い、ユーノ達はアーバンシティー郊外にある森林地帯へと向かった。

 しばらくして、森の奥に秘かに建造されたダーク・リユニオンの施設へと通じる入口を発見した。

 茂みに隠れ、入口の前に立った黒いスーツに身を包んだ割腹のいい守衛の二人をじっと観察しながら侵入の方法を模索する。

「入口にごついのが立ってるな」

「どうしますか?」

「ここは僕に任せてください。ちょうど試してみたい新魔法があるんです」

 ユーノは魔法陣を展開―――両手には淡く翡翠に輝く鞭状の魔力エネルギーを形成する。

「ホイップバインド!」

 練られた魔力を鞭として振るい、入口で番を張った二人の男の脚を絡め取る。

 予想外の出来事に守衛は訳も分からぬまま脚に絡まったバインドに引きずられ、ユーノの元まで手繰り寄せられる。

「悪いね」

 一言口にし、ユーノは守衛の首元にトンと、手刀を叩き込み昏倒させた。

「お見事です店長。実に鮮やかでした」

「それにしてもいろんな魔法の使い方があるんですねー」

「一般的なバインドをアレンジしただけですが、攻守ともに使えるという点ではメリットがあります」

「相変わらずおまえは魔法といい鬼道といい、創意工夫の天才だぜ・・・まったく」

 ユーノの鮮やかな手口、もとい手際の良さは既に一護達には見慣れたものだったが、なお自然と称賛の言葉が漏れ出てしまう。

 改めて入口付近を見渡すと、幸いな事に建物の中から人が出てくる様子は無かった。

「よし。誰もいませんね」

「でもこの人数で本当に切り抜けられるのかよ?」

「大丈夫ですよ。ちゃんと頭数は揃っていますから」

 そう言ってユーノは何か企んでいる様子でコンの事を笑顔で見つめた。

 

「へ?」

 しばらくして、コンは自分の置かれている状況に大いに戸惑った。

 普段のぬいぐるみ姿から一変。ユーノが事前に用意していた【ケータイ用義骸】を身に纏い、黒いスーツに身を包んだ人間の姿へと変わっていた。

「って!! オレもやるのかよ!?」

「つーかどこに義骸忍ばせてたんだよおまえ・・・」

「以前、浦原さんから頂いたものを亜空間内に隠し持っていたんです。こんな時でもないとコンさんがバトルで輝ける機会なんてありませんからね♪」

「嬉しいような悲しいようなオレとしてはメッチャクチャ複雑な気持ちなんだけど!!」

 正直言ってコンは今回の突入作戦に乗り気ではなかった。

 だが、そんな気持ちひとつ許さないと言わんばかり―――金太郎は強面の顔をコンの目元まで近づけ圧力を加える。

「コン殿・・・・・・ウルティマを助ける為に何卒ご協力を」

「ひいいいぃ!!! わわわわ、わかった、わかった!! やるよ!! やればいいんだろう!!」

「よし! んじゃ突入するぜ!」

 一護の掛け声を合図に、ユーノ達はダーク・リユニオンのアジトへと乗り込んだ。

 

「とりあえずこれでしばらくは大丈夫。先へ進みましょう」

 基地内への突入と同時に、ユーノ達は各所に仕掛けられた監視カメラを破壊し、敵に自分達の動きを掴みにくくした。

 目視で確認できる監視カメラを全て潰しアジトの奥へ邁進する。

 すると、突き当りに差し掛かった折―――ダーク・リユニオンのメンバーと思しき全身黒タイツの男と出くわした。

「ん? 何者だ・・・」

 訝しむ構成員。

 次の瞬間、金太郎は前に飛び出し右の剛腕をもって相手の首を鷲塚み、壁にめり込むだけの力で押さえ込む。

「おいおい殺す気かよ?!」

「金太郎、気持ちはわかるけどもう少し加減して。ウルティマの監禁場所を聞き出せないよ」

 コンやユーノが諌める中、ウルティマ救出に躍起になる金太郎は逸る気持ちから、やや拷問染みた尋問を強要する。

「ウサギの子供を攫ってきただろ? 我々に居場所を教えろ」

「こ・・・子供は・・・地下・・・です・・・!」

 泡が吹くほど恐怖に怯えあがる男から得られた証言を信じ、金太郎は男を解放。

 解放された途端、男はぐったりと倒れ込んだ。

「ここからは時間との勝負になる。別々にウルティマを探そう・・・」

「一護さんは織姫さんと。僕はコンさんと。金太郎は一人になるけど、平気かい?」

「むしろ好都合です。店長達の前で自省の利かなくなった我が身の醜態を見せるのは心が痛みます。今の私はとにかく余裕が無いのです」

「余裕が無いねえ・・・」

「確かに、今のを見せられればな・・・・・・」

 本人たっての希望もあり、ユーノ達は金太郎単独での行動を認め、各々に分かれてウルティマの捜索を開始する事にした。

 

           *

 

同施設内 ドクター・プロスペクトの実験室

 

「おかえり。ウルティマ」

 黄金の騎士によって連れ去られたウルティマの眼前で立ち尽くし、薄ら笑いを浮かべる男―――ドクター・プロスペクト。

「あ・・・・・・あなたは・・・・・・」

 プロスペクトに見つめられるや、ウルティマの額や手足から条件反射の如く発汗が噴き出る。全身の力が忽ち抜け落ち、彼女の本能はこの男の危険性を大音声で警告していた。

「どうした。随分と辛そうな顔をしているね」

 一見穏やかな表情と口調で語りかけるも、ウルティマの肝は今この瞬間も押し潰されそうだった。

 プロスペクトは足が竦んで一歩も動けない彼女の元へ一歩ずつ近づく。

「残念ながら、君は私からは逃れられない。私こそ“究極の監視者”なのだからね」

「!」

 気がつくと、ウルティマの意識にいつの間にか潜り込んだプロスペクトによって下顎に手を添えられていた。

「君は特別だ。私の夢だ。そんな君だからこそ、この力は相応しい―――」

 手持ちのジュラルミンケースを開き、プロスペクトが取り出したのは加頭によって持ち込まれた生物型融合機デバイス・幼生虚(ラーバ・ホロウ)だった。

 幼生虚(ラーバ・ホロウ)が醸し出す不気味さ。露骨に顔を引き攣るウルティマを喜々として見つめながら、プロスペクトは幼生虚(ラーバ・ホロウ)を鷲掴む。

「さぁ。私の夢の為に更なる進化を遂げるのだ。超能力兵士クオークスとして、その身を委ねよ」

「いや・・・・・・いや・・・・・・」

 

 ―――金太郎さん・・・・・・助けて・・・・・・!

 

           *

 

同施設内 地下1階

 

 ユーノとコンはペアを組み、ウルティマの監禁場所を捜索しながら真っ白な廊下を真っ直ぐ歩いていた。

 と、そのとき―――ユーノはふと立ち止まり、前方から複数の人の気配を感じ取った。

「コンさん、誰か来ますね」

「え!? やべえじゃねーか!! どっか隠れねーと!!」

 露骨に焦りを露わにするコンとは裏腹に、ユーノには確かな勝算があった。

 しばらくして、前方にある扉の向こうから黒いタイツ姿の男女複数が一斉にぞろぞろと出て来た。

 その際構成員は眼前に佇む黒いスーツ姿の男こと、コンの姿を怪訝に見つめた。

「侵入者・・・かと思ったら守衛係じゃねぇか」

「何をうろついてるんだ?」

「あぁちょっとな。迷っちまったんだ。オレは方向音痴でな」

 言いながら、何事も無かったように構成員の前を横切ろうとする。

「止まれ。お前、偽物だな」

 しかし、現実はそれほど優しくも無ければ甘くも無かった。すぐさま異変に気付いた構成員全員の疑念に満ちた瞳がコンへと向けられる。

 コンはその場に立ち止まり―――おもむろに後ろを振り返るや、彼らの神経を逆撫でしかねない不敵な笑みを浮かべ言って来た。

「このオレと勝負しろや・・・・・・三下ァ!!」

 あからさまに挑発され、憤った構成員は一斉に超能力を発動させた。

 幸い彼ら一人一人の超能力は幹部とは比べ物にならないほど微弱だったが、その力が合わされば大きな力となる。

 コンは自分へと向けられる金縛りの波導に耐えながら、なお余裕に満ちた笑みを崩さなかった。

(一人一人は雑魚でも力を合わせれば中々。並の人間じゃ脱出できねぇ締め付けだ。だがやっぱり・・・)

 目を見開き、コンは自力で波導を打ち破った。

 構成員が挙って驚愕し攻撃の隙が生まれた瞬間、コンは一気に駆け出す。

「雑魚臭きついぜ!」

 敵を正面から叩くべく《下部強化型(アンダーポッド)》の改造魂魄(モッド・ソウル)として与えられた能力を如何なく発揮し、特化された四肢の力で対峙した敵全てを蹴り倒す。

 敵が倒されると、オプティックハイドで姿を隠していたユーノが現れ、コンの活躍を褒め称える。

「いやー、お見事です。コンさん♪」

「へっ。このオレを誰だと思ってやがる! King Of NewYork!! 略してK・O・Nさまだ!!」

「自分に嘘を付くのは止めましょうね。虚しくなるだけですから」

「見つけたぞ侵入者!」

 すると、騒ぎを聞きつけた他の構成員が有象無象と集まり、気がつくとユーノ達を完全に包囲していた。

「おいやべえーぞ! ユーノ、どうにかしろよ!」

「仕方ありませんね」

 臆病風に吹かれたコンに代わって、おもむろにユーノが前に出る。

「なんだ貴様・・・女かぁ!?」

 安い挑発だ。そう思いながらも、ユーノは内心自分の容姿を指して女性と判断した敵の言動に苛立ちを募らせる。

「やれやれ。君たちは揃いも揃って外見に惑わされ過ぎなんだよ。だから見たくもない幻を見る事になる」

 それがユーノからの最後通告だった。

 刹那、居合わせた構成員は予期せぬ光景にたちまち目を疑った。

 何の前触れも無くユーノの顔がドロドロに溶け始め、肉が抉れると皮脂によって隠されていた骨が見え始めたのだ。

 それだけじゃない。ユーノ以外の他の人間、あまつさえ自分の体でさえも同じ現象に見舞われ始めた。

「う・・・うわあああぁぁぁ!!!」

 彼らは現実にはあり得ない恐怖によってたちまち精神を破壊され、やがて恐怖の余り仲間同士で攻撃を開始した。

 ユーノは状況が分からず呆気にとられるコンを連れ、何事も無かったかのように彼らの前から立ち去る事にした。

「お、おい・・・おまえ何やったんだよ?」

「“夢焦(ゆめじ)らせ”―――と言いましてね、晩翠の能力で相手の五感を狂わせる幻を見せたんです。当面彼らは悪夢のような幻に苦しむ羽目になる」

「まるで『鏡花水月(きょうかすいげつ)』みたいな能力だな」

「完全催眠には程遠いですよ。もしも藍染惣右介(あいぜんそうすけ)がこの場にいたら、僕の能力なんて鼻で笑っていたところです」

 

           *

 

同施設内 地下4階

 

 大破壊熊(マッドベアー)―――今からおよそ三十年以上前、次元世界にその名を轟かせた一人の大魔導師を称えた言葉である。

 金色に輝く防護服を纏い、身の丈を超える鉞をもって敵戦力を一切合財圧倒する絶大な力。その力を持って敵は畏怖を抱き、味方は信頼を置いた。

 熊谷金太郎―――彼こそが大破壊熊(マッドベアー)の異名を持つ男である。

 だが、彼はこの二つ名を嫌っている。彼にとってこの名は破壊のみで何者をも守れぬ不名誉極まりない自分の本質を的確に突いて皮肉だと思っている。

 その金太郎は今、当初からあまり好んでいなかった大破壊熊(マッドベアー)の称号を自ら拝命し、その化身と化していた。

 目的の為ならば手段を問わず、立ち塞がる敵は完膚無きまでに制圧する。彼自身が口にしていた通り、今の彼には相手に気を使う余裕など無かったのである。

 手当たり次第に施設を破壊しながら、攫われたウルティマの場所を捜索するかたわら―――金太郎の眼にある光景が映し出された。

 思わず目を見開いた先、薄暗い部屋の奥にこれでもかと敷き詰められた鉄のケージ。中を覗くとウルティマと同種族のアニマロイドが粗末にぎゅうぎゅうに狭いケージに押し込まれていた。

 皆沈痛な表情を浮かべ酷くやつれている。老若男女問わず関係なく、彼らはウルティマ同様にダーク・リユニオンらによって拉致され、超能力覚醒の実験台とされた者達であると直ぐに分かった。

「何という惨い事を・・・・・・待っていてくだされ。今すぐ私がそこから救い出してみせる」

 ケージの破壊を試みようと一歩前に出た直後、金太郎は背後に刺すような冷たい殺気を感じ取った。

 

 グサッ―――。

 

「が・・・・・・」

 背中越しに腹部を貫く鋭い感覚。見れば斧状の何かが貫通しており、ポタポタと真っ赤な血が滴り落ちていた。

「なん・・・だ・・・・・・これは・・・・・・」

 恐る恐る後ろを振り返ると、兎に似た仮面をつけた胸に孔の空いた怪物・魔導虚(ホロウロギア)が立ち尽くしており、切れ味鋭い斧状の武器に変化させた右腕で金太郎を貫いていた。

 ―――「遅かったな。侵入者」

 ―――「貴様が探していた子ウサギは目の前にいる」

 どこからともなく聞こえてきたプロスペクトの声。

 彼が告げるのはあまりにも残酷な現実。

 金太郎は息を飲み、視界に映る魔導虚(ホロウロギア)こそ、必死に探している相手―――ウルティマである事を否が応でも理解する。

『侵入者発見・・・・・・排除します・・・・・・』

 機械的に唱えた直後、魔導虚(ホロウロギア)・アルミラージュは超能力と混ざり合った独特の霊圧を放出させ、標的の排除の為に行動を開始した。

 

           *

 

同施設内 地下2階

 

「あぁ!? 居るはずの檻にいなかった!? っざけんなよ! ここまで連れて来いっつただろうが!」

 形相を浮かべる一護は撃退した構成員を尻に敷きながら、いつにも増して強い口調で構成員の一人を怒鳴りつける。

「で、ですから自分が見に行ったときには既に脱出したか連れ出された形跡がありまして・・・」

「ホラ吹いてんならブッ飛ばすぞオラー!!」

「ひいぃぃぃ!! す、すみません!! すぐ探して来まーす!!」

 あまりの迫力に怖れを成した構成員は一護の前から足早に立ち去るように失踪したウルティマを探しに行った。

「さっすが一護くん! 現役時代を彷彿とさせるね♪」

「あのな・・・俺はそもそもヤンキーだった覚えは一度たりともねー。心理学的にこの手の格下相手にはこういうのが一番効果的なんだよ」

 性質の悪い冗談を言って来た織姫を諌めた直後、ここへ来るまでに倒した構成員の一人が一瞬の隙を突いて織姫を人質にとった。

「油断したな・・・隙ありだ!」

 首元に超能力で作られたナイフを突き付けられる織姫。

 一護は織姫を人質にとった構成員を睨み付ける、のではなくどこか哀れんだ様子で見つめていた。

「はははは・・・どうだ? 女を人質に取られちゃ手も足もでねーだろ」

「別に俺は手も足も出すつもりはねえ。見誤ったのはおめーだよ」

 諭すように一護が言った直後。

「はっ!」

 構成員の腕を掴みかかると、織姫は中学時代からの親友に教わった空手で以て構成員を返り討ちにした。

「ふぅー。びっくりした」

「先行くぞ」

 何事も無かったように一護と織姫はアジトの奥へと進み、いなくなったウルティマの捜索を続行する。

 

           *

 

同施設内 地下3階

 

 ユーノとコンは蛆虫の如く湧いて出る敵を制圧しながら奥を目指した。

 そして、アジト内を移動し続けること十数分―――前方にとりわけ頑丈そうな扉を発見する。

「おい。あの扉・・・」

「ええ。あの中に何かありそうですね」

 他のどの扉よりも厳重なセキュリティによって守られていた。

 二人はこの扉の向こうにダーク・リユニオンの重要機密があると睨み、早速中へ入ろうと一歩踏み出した、次の瞬間―――。

「! コンさん!」

 殺気を感じ、ユーノは咄嗟にバリアを張ってコンと自分の身を守った直後―――猛烈な勢いで廊下の壁を伝って灼熱の炎が襲い掛かった。

「のおあああぁぁぁあああ!」

 思わず悲鳴をあげるコンはユーノのバリアによって事無きを得たが、その恐怖は確かに彼の心身に刻まれた。

「火傷してないか? へへへ。これが本物のパイロキネシス・・・発火能力だ」

(なんかやべーのきた・・・!)

 額に傷を負った髪を逆立てた、ひょろ長い体躯の男は自らの超能力―――パイロキネシスによってあらゆるものを燃やし尽くす。

 コンは明らかに気の触れた相手に言い知れぬ不安を抱く一方、ユーノは燃え盛る炎の中でも至って平気そうな目の前の敵・スティーヴンを凝視する。

「侵入者は五人って聞いていたが、数が足りねーな。まぁいいさ・・・待ってろ。今すぐ俺が灰にしてやる」

 右手を翳した瞬間、スティーヴンの発火能力によって生み出された大火力放射が正面から飛んできた。

 ユーノはより強固に張ったバリアでスティーヴンの火炎を防ぐが、その表情にいつものような余裕は伺えなかった。

(僕のバリアなら大丈夫だ、とでも思ってんだろ!)

 ユーノの心の声を想定しながら、スティーヴンはバリアを張るのに集中しているユーノの隙を突き、真横へ移動し攻撃を繰り出す。

「ちっ」

 ユーノは咄嗟に体を捻って炎とスティーヴンの物理攻撃から我が身とコンを守る。

 だが、これこそが敵の狙いだった。防御を張っている間、ユーノはスティーヴンへの攻撃が制限され防戦一方と化す。スティーヴンは巧みに地形と自身の能力を駆使してバリアを張ったユーノを狭い炎の中に閉じ込め身動きを封じ込める。

 現在、ユーノとコンはバリアの中で猛烈な熱さに襲われている。その様を見ながらスティーヴンは大いに笑っていた。

「けけけけけけっ。バリア内は超高温サウナ状態になる! 呼吸をすれば肺が焼ける程のな! 素人が陥りやすい凡ミスだ!」

「素人はお前だ・・・」

「威勢がいいな。だが反撃するには一度バリアを解除しなければいけない。その瞬間お前は火達磨! このままでは蒸し焼きだ! つまりもう勝負は着いている。後は焼け死ぬか俺に服従を誓うか・・・」

「やってみろ・・・」

 一際凄んだ声でスティーヴンを煽り立てるユーノ。

 炎の中で聞こえたそれを負け惜しみや妄言と捕えたスティーヴンは、勝利を確信した様子で火力を最大限に発揮―――ユーノとコンをバリアごと蒸し焼きにする。

「バカが! ベソかいても許してやーらねー! つっても涙も枯れるか! この熱気じゃなぁ! けけけけけけ!!」

 このとき、スティーヴンは自分の言動が大いなるフラグである事に気付いていなかった。

 疑いなく自身の勝利を確信した次の瞬間―――目の前の炎に異変が生じ、不意に自分へと向かって襲い掛かって来た。

「ぶああああああああああああああああああ!」

 地獄の業火に体を焼かれるが如く、球状に形成された炎の壁に苦しみ喘ぐ。

 そんなスティーヴンの様子を外から、服に付いた煤を払いながらユーノはコンとともに無傷の姿で眺めていた。

「あ~ぁ、バリア切り替えた時ちょっと服が燃えちゃったか。確かに魔法で攻撃と防御は同時にできない。だったら火元をバリアで包むだけだ・・・って。もう聞いてないか」

「やかましいから解除してやれよ」

 敵ながらスティーヴンに哀れみを抱いたコンに催促され、ユーノはスティーヴンを覆う炎のバリアを解除した。

 バリアが解除されると、全身黒焦げとなったスティーヴンを視認。殆ど意識が飛びかかっていながら、彼は未だ足を動かし歩き出そうとする。

「驚いたなぁ。その火傷でまだ動けるなんて。パイロキネシストは体組織も熱に耐性があるのかな」

 純粋にスティーヴンの体質に興味を抱く一方で、ユーノは黒焦げになりながらも歩み寄って来る敵の額に指を添え、軽くデコピンを叩き込む。

 デコピンで止めを刺されたスティーヴンは前方に倒れ、完全に沈黙。自らの炎の餌食となったパイロキネシストの姿は見る影も無かった。

「ま、応用力のなさは重大な欠陥だね。僕の勝ちだ―――」

 高い応用力によって急場を脱した後、ユーノとコンは重要な秘密が隠されていると思われる例の扉をこじ開け、おもむろに中へと入る。

 暗い部屋の中を捜索すると、二人はある物を発見した。

「おや? おやおやおや? こいつは何かすげーの見つけちまったみてぇだな」

 見つけたのは人が入るくらいのカプセル状の大掛かりな装置。覗き窓から中を見てみると、大量の血痕が付着した実験器具が多数あった。

「なんだこりゃ? 拷問じみた器具も見えるが・・・」

「超能力の発現を促す為に、どの程度まで苦痛に耐えられるかを捕えた獣人達を文字通りモルモットにして実験していたんでしょうね」

「ふーん・・・いい線いってるじゃねぇか。でもまそんな辛い思いしても数人がかりで金縛りしかできないんじゃ、やっぱり才能(ギフト)の世界だってわけだ。だったら地道に筋トレに励んだ方が効率いいわな」

 そんな所感を抱いた折、二人はこの施設に侵入してから初めて感じる巨大な霊圧を捕捉―――挙って目を見開いた。

「なんだ・・・このヤベー霊圧は?!」

「この感覚・・・・・・魔導虚(ホロウロギア)か?」

 誰よりも魔導虚(ホロウロギア)との実戦経験を積んでいるユーノだからこそ瞬時に理解する。肌で感じている禍々しい霊圧の魄動は紛れも無く魔導虚(ホロウロギア)のものだった。

 その魔導虚(ホロウロギア)が今、見知った魔力保有者と激しい衝突を繰り広げている事も判った。

「まさか・・・・・・金太郎が!?」

 

           *

 

同施設内 地下4階

 

『排除します―――』

 魔導虚(ホロウロギア)・アルミラージュへと変貌を遂げたウルティマは、激しく困惑する金太郎に対し容赦ない攻撃を繰り返した。

 両手を切れ味鋭い斧に変化させた「パオフー」の力を使い、金太郎を攻撃するだけに飽き足らず、自身を軸に竜巻のように回転し、両手のパオフーで周囲の物を根こそぎ切断する「アシパトラヴァナ」という技を披露する。

 加えて、元来備え持つ超能力者としての素質を如何なく発揮。超然たるサイキックパワーで金太郎を終始圧倒する。

 金太郎はアルミラージュから向けられる怒涛の如く攻撃に堪え続けた。

 全身至るところを切り刻まれ、血が滴り落ちるも、彼は未だ目の前の敵がウルティマであるという事実を受け入れられずにいた。

「・・・・・・本当にウルティマなのか?」

 相手がウルティマである以上、無暗に力を振るって傷つける訳にはいかなかった。

 その躊躇いが命取りとなる。分かっていながらも、やはり金太郎は手持ちのアックオーガを振るう事ができずにいた。

『排除―――』

 淡々と忠実な命令を実行しようとするマシンの如く、アルミラージュは強力な金縛りで金太郎を封じ込めてから、パオフーを用いて止めを刺そうと一気に接近。

三天結盾(さんてんけっしゅん)! 私は拒絶する!」

 間一髪のところで、金太郎の前方に張られた逆三角形状の防御膜がアルミラージュの攻撃を防いだ。

「ほおおおおお」

 それと同時に織姫とともに駆け付けた一護が斬月を振り下ろし、アルミラージュを攻撃。両手のパオフーを斬り落とした。

「金太郎さん!」

「ったく。一人で暴走してねーか冷や冷やしたぜ。大丈夫か?」

「一護殿・・・織姫殿・・・」

 九死に一生を得た金太郎。

 ちょうどそのとき、ユーノとコンの二人も金太郎の危機へと参上した。

「一護さん!」

「おぉー! マジで魔導虚(ホロウロギア)だったぜ!」

「ったく。一体何がどうなってやがんだ?」

 状況がイマイチ飲み込めない一護がアルミラージュを凝視すると、斬り落とした腕はいつの間にか超速再生能力によって復活していた。

「月牙天衝―――!!」

 より強力な一撃を食らわそうと刃先から巨大な斬月を飛ばす。

 地面を伝って飛来する斬撃。アルミラージュは体を超能力によって破面(アランカル)が持つ外皮「鋼皮(イエロ)」並に硬質化させ、襲い掛かる衝撃を耐え忍ぶ。

「おやめください! あれは・・・あれはウルティマなのです!」

「え!?」

「なんだって?」

 金太郎によって語られた衝撃の事実に一同は耳を疑った。

「だったらなおの事だ。あいつがウルティマなら、魔導虚(ホロウロギア)の成分を斬魄刀で浄化すれば元に戻るはずだ!」

 救うべき相手だからこそ手は抜かず、全身全霊の力で助けるという強い意思を示した一護は、斬月を握りしめ今一度攻撃を加えようとした。

 だが、次の瞬間―――真横から飛んできた衝撃によって攻撃を阻まれた。

「!?」

 攻撃が飛んできた方向に目を転じれば、ステッキを持った黄金の甲冑を纏った怪人が立っていた。

『そんなことをすれば、子ウサギは消えてなくなりますよ』

「なんだおまえ? どういう意味だよ!?」

 意味不明な言葉を口にした怪人に語気強く問いかける一護。

 すると、怪人の口からユーノ達が予想だにしなかった衝撃的な内容が飛び出した。

『体が弱く成長し切っていない子供が幼生虚(ホロウロギア)と融合した場合、幼生虚(ホロウロギア)側の支配権が強くなり、やがて『融合事故』によって周囲を巻き込みながら自滅の道を辿る。魔導虚(ホロウロギア)の成分を浄化すれば、魂と共に肉体も消滅する。助かる道はない』

「そんな・・・・・・」

「マジかよ」

 この事実が本当ならば、ウルティマの死は避けられない。

 惨いとしか言いようがない話に声を詰まらせるユーノ達。そして、金太郎は決して承服しかねる内容に激昂する。

「貴様・・・ウルティマの体に何をしたぁ―――!!!」

 怒りを露わに全身の魔力エネルギーを爆発させ、超高速でこの状況を見て笑っているかのような振る舞いを取る怪人の元へと飛び込んだ。

「止すんだ金太郎!」

「ダイナミックスラッシュ!」

 ユーノの制止を振り切り、渾身の一撃を振るう金太郎。

 直後、金太郎の瞳に映ったのは信じ難い光景だった。アックスオーガの刃は寸でのところで怪人の首元でピタリと静止し、どれだけ力を入れてもそれ以上動こうとはしなかったのだ。

「なんだと?」

『その程度の力では私に傷を負わせることはできませんよ』

 上から見下ろすような物言いをした怪人は金太郎の体に軽く手を添えてから、ポンと前に押し出した。

「ぐああああああ」

 金太郎の肉体に尋常ならざる衝撃が伝わった。今迄経験した事のない力で前に押し出されて壁に激突。ユーノ達はあり得ない光景に目を疑った。

『後は任せますよ。アルミラージュ』

 言うと、怪人は雲の様にその場から消失する。

『敵・・・排除します』

 殲滅の任を負ったアルミラージュは機械的な口調で淡々とした言葉を紡ぐとともに、鋭く光るパオフーで眼前の敵を全て排除しようと動き出す。

 最早ウルティマの自我は完全に(ホロウ)によって食われたものと判断したユーノと一護は、苦い顔を浮かべながら互いに斬魄刀を構え、自己防衛の為に剣を振るおうとする。

「お待ちくだされ!!」

 しかし、頑なにこれを良しとしない男が二人を制止させる。

 金太郎は織姫とコンに気遣われながら、ボロボロになった体を引きずり、アルミラージュに刃を向ける二人の前に立ち塞がる。そればかりか武器を向けるアルミラージュをまるで庇うかの様に背を向けた。

 思わず困惑するユーノと一護。

 金太郎の瞳を見れば、その本気と覚悟が嫌というほど伝わってくる。彼はどんなことがあってもアルミラージュを・・・・・・ウルティマを救おうとしていた。

 

『! アァアアア・・・・・・』

 彼の熱意が伝わったのか、アルミラージュの様子が急変した。

 突如として頭を抱えて苦しみ出すとその場に倒れ、自身を傷つける事も厭わず金太郎達へ攻撃しようとする行為そのものを自制しようとする。

「どうなってるんだ?」

魔導虚(ホロウロギア)にされたら自我は無くなる筈だ・・・なのに、金太郎を傷つけまいとして自分を傷つけてる」

 精神を食われながらも、最後まで金太郎を護る為に(ホロウ)の力に抗おうとするウルティマの姿に胸が強く絞めつけられる。

 このまま黙っていられるはずも無かった。何も出来ぬままウルティマを死なせるのは自分の矜持に反する事だと思い、一縷の望みを抱いてユーノに聞いてみた。

「店長・・・彼女は、ウルティマは本当に助からないんですか?」

「・・・・・・・・・」

 問いかける金太郎。ユーノは顔を伏せ、終始だんまりを決め込んだ。

「わかりました・・・・・・ならばせめて、この手で彼女を元の姿に戻してやりたいのです。どうかお力添えを願います。お願いいたします!!」

 本当の願いが叶えられぬのなら、怪物なったウルティマを本来の姿で見送りたい―――それが金太郎のせめてもの贖罪だった。

「・・・・・・・・・・・・わかった」

 長い沈黙の末、金太郎の気持ちを汲んだユーノは懐に手を入れ、一本の魔力カートリッジを取り出した。

「これは斬魄刀の成分を抽出して作った特殊なカートリッジだ。これを使って攻撃すれば、魔導虚(ホロウロギア)の成分を浄化できる」

 いつかこんな時が来るかもしれない―――そう思って早くに備えていた物がこんな形で使う羽目になるとはユーノ自身も思っていなかった。

「感謝痛み入ります・・・・・・――――――」

 気持ちを汲んでくれた事への感謝の意を述べ、金太郎はユーノから渡されたカートリッジをアックスオーガへと装填。斬魄刀の成分を抽出した魔力エネルギーを全身に隈なく行き渡らせる。

『アァアアア・・・・・・アァァアァアアア・・・・・・』

 苦しみ喘ぐその声は金太郎に助けを求めているかのようだった。

 アルミラージュに狙いを定めると、金太郎は脱兎の如く駆け出し―――金色に輝く刃でアルミラージュの体を切り裂いた。

 

「―――ダイナミックチョップ―――」

 

 固唾を飲んで見守るユーノ達。金太郎も暫くの間は静止を保つ。

 直後、アルミラージュの顔を覆っていた仮面が剥がれ落ち、元の姿に戻ったウルティマが目の前に倒れ込んだ。

「ウルティマ!!」

 金太郎は直ちにウルティマを抱きかかえ、霊子分解に伴い全身から淡い光を放つ彼女へと呼びかける。

「ウルティマ・・・・・・しっかりするんだ」

 すると、呼びかけに答えようと間もなく命の灯が尽きようとしているウルティマが申し訳なさそうに弱々しい声を発した。

「金太郎さん・・・ごめんなさい・・・・・・あなたにせっかく助けてもらったのに・・・」

「何も言うな。今は喋らなくていい」

「わたしと出会わなければ・・・・・・こんな辛い思いをしなくて済んだのに・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」

「馬鹿な事を言うな。私は・・・・・・君に出遭えて、最高に幸せだった」

「! ・・・・・・ありがとう・・・・・・///」

 故郷を襲われ、人生を狂わされ、挙句に魔導虚(ホロウロギア)とされた人生を内心これ以上ない数奇と悲嘆していたウルティマだったが、最後の最後でその考えが変わった。

 自分の最期を看取ってくる心優しい男の腕に抱かれながら、消滅を迎えられるのならば決して自分は不幸ではない。

 むしろ、自分は恵まれていたのだと実感―――歓喜の涙を流し、霊子となった肉体は天に向かってゆっくりと昇って行った。

 腕の中にあった温もりが消失したのに伴い、金太郎は途方もない空虚感に襲われ、言葉を発する事さえできなくなった。

 ユーノが気にかけて顔を覗くと、眼鏡をかけたままこれまで見た中でも特に悲しそうに咽び泣く金太郎の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 その後、ユーノ達の活躍により秘密結社『ダーク・リユニオン』は壊滅となった。

 しかしこの事件で彼らが得たものは無いに等しく、それ以上に幼くして奪われた尊い命の重さを否が応でも痛感させられた。

 

 また、ドクター・プロスペクトは加頭の手回しによって組織からの脱走を図ると、今回の一件で得られたデータを元に超常現象能力の発現を増幅させる画期的な細胞を造り出す事に成功。

 念願だった超能力兵士【クオークス】を完成させた事など―――このとき、ユーノ達は知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 『BLEACH 3巻』 (集英社・2002)

原作:久保帯人 著者:成田良悟『BLEACH Can't Fear Your Own World 1』 (集英社・2017)




登場人物
ウルティマ
声:鈴木真仁
アニマトロス出身のウサギの少女。高い超能力の素養を持つ事からドクター・プロスペクトに狙われていた。
記憶を一時失った状態で地球に現れ金太郎に保護されるが、ユートピア・ドーパントによって連れ去られ、魔導虚「アルミラージュ」の姿へと変貌する。自我を失い金太郎へと襲い掛かるが、金太郎によって幼生虚と分離する。元々体が未成熟だった事から魂魄の消滅は避けられず、最期は金太郎の腕に抱かれ別れを告げて消滅した。
スティーヴン
声:勝杏里
ダーク・リユニオンの幹部。パイロキネシスの使い手。髪を逆立てた、ひょろ長い体躯の男。一護、金太郎と別れ単独行動していたユーノを凄まじい火力で襲うも、火元である自分自身をバリアで包まれ、大火傷を負い敗れる。
名前の由来は、パイロキネシスという言葉を最初に用いたとされる作家のスティーヴン・キングから。



登場魔導虚
アルミラージュ
声:鈴木真仁
アニマロイドの子供であるウルティマがドクター・プロスペクトの手によって、幼生虚と融合して誕生した魔導虚。
兎に似た姿をしており、アルミラージュの出現が確認された事より人間だけでなく動物(獣人)も魔導虚化する事が明白になった。
両手を切れ味鋭い斧に変化させる「パオフー」の力を使い、体を超能力によって破面が持つ外皮「鋼皮(イエロ)」並に硬質化させたり、超速再生能力に優れ瞬時にダメージを回復する事が出来る。さらに自身を軸に竜巻のように回転し、両手の宝斧で周囲の物をすべて切断する「アシパトラヴァナ」という技を使用する。
ユートピア・ドーパントによって連れ去られた後に無理矢理幼生虚と融合させられ、自我を失った状態で金太郎と戦った。戦いの最中、必死で我に返ろうと虚の力に抵抗し、最期は金太郎のダイナミックチョップを受けた末に元の姿に戻った。
名前の由来は、インド洋に浮かぶとされる島、ジャジラト・アル=ティニン島に棲息すると言われる角の生えたウサギに似た動物から。


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第17.5話「無残帳」

五年前―――

新暦074年 10月

第97管理外世界「地球」

東京都板橋区 帝京大学 医学部

 

「ほ~ら急がないと!」

 高校卒業後、都内の医大に進学した一護は恋人の織姫に連れられてある講義に参加すべく人の波に乗って教室へ向かう。

「なんせ日本の整形外科を牽引すると言われた順天堂大の教授の講義なんだから」

「わーった、わーったから。そんなに引っ張んなって」

 進行方向には自分達と同じく目当ての講義に参加する予定の学生の群れがぞろぞろと続く。何が彼らをそこまで突き動かすのか当時の一護にはよく分からなかった。

 到着した時には既に階段教室いっぱい多くの学生達が埋め尽くしており、一護達は完全に出遅れた。

「うわぁ! もういっぱいだー。さすがは順大のスター教授だねー」

「そのスターとやらがどうしてこの大学に?」

「んー、詳しいことは知らないけど・・・でも私たちラッキーだよ。こんな機会滅多にないことだもん」

 やがて、講義室の扉が開かれ―――中に入ってきたのは、フランケンシュタインのような強面の男だった。

 想像していたイメージとかけ離れた容姿に学生達がショックを抱く一方、順天堂大学医学部付属順天堂医院からやってきた講師、百目鬼遥(どうめきはるか)は学生達に挨拶をする。

「初めまして。今日から隔週ではありますがこの大学で講義をすることになった百目鬼です。この講義では整形外科の観点から義肢について深く知ってほしいと思っている。今日学んだ事を是非とも君達の今後に生かせるよう僕も精一杯務めさせてもらうよ」

 強面な外観とは裏腹に実に人当たりのよさそうな印象。学生達は直ぐに警戒心を解いて、彼の講義に聞き入った。

 事実、百目鬼は噂に違わぬ優秀な男だった。学生一人一人の質問にも丁寧に答え、医者としてあるべき姿について熱く説き、若き医学生達にエールを送る。そんな姿にいつしか一護も次第に心を動かされていった。

「すごい先生だね。あんなに熱心になって患者さんの為に自分の知識を役立てようとしてるんだからね」

「ああ―――そうだな」

 

           ◇

 

五年後―――

第97管理外世界「地球」

東京都 空座本町 中心街

 

「どわおぇあああぁあぁああ! 巻き込まれたーッ! 巻き込まれたよ俺達!」

 4月中旬、夕暮れ時の空座町。

 人気の無い路地裏を走りながら、つい数分前まで休日を満喫していた男―――浅野啓吾(あさのけいご)が涙声を周囲に響かせていた。

 すると、その隣を並走しながら、ポーカーフェイスの青年―――小島水色(こじまみずいろ)が声をかける。

「静かにしなよ啓吾。叫んだ分だけ体力が無駄になるよ?」

「あのさ、あのさ! 毎回思うんだけど、なんでお前いっつもいっつもこういう状況で焦らないの!?」

「前にも言ったかもしれないけど、焦ってもどうしようもないからかだよ」

 水色は走る速度は緩めぬまま、チラリと背後に目を向けた。

 彼の視線の先にはナマケモノのような形状をした巨大な異形―――魔導虚(ホロウロギア)・ヨミテリウムがこちらに迫っており、不快な軋みを上げながら爪を振り上げている。

 浅野啓吾と小島水色は黒崎一護の高校時代の級友であり、一護の高い霊力に当てられたことで知らず知らずのうちに幽霊や(ホロウ)、そして死神といった霊的な事象に対して感覚がかなり敏感になっていた。

 それにより何度か命の危険に遭遇した事もあり、命の危険に晒された事もあった。しかしそれでも二人は一護との関係を断とうという気持ちは毛頭無かった。

 そんな二人だったが、現在ヨミテリウムが直接命を狙っているのは啓吾と水色ではない。

 ヨミテリウムが己の爪で切り裂こうとしているのは、啓吾達から僅かに後ろを走っている死覇装姿の男だった。

「ひえぇええぇえッ! だ、誰か私を助けてくれー! 金ならいくらでも出す! だから早く助けておくれー! 誰かー!」

 啓吾と同じくらいの涙声でそう叫ぶ死神は、斬魄刀を始解する余裕すら与えられずにヨミテリウムから逃げ続ける。

 

 死神であり魔法の力を持つ彼―――白鳥礼二は、たまたま現在の自分よりも強い魔導虚(ホロウロギア)と出くわしてしまい、慌てて逃げる最中に裏路地を歩いていた啓吾達を巻き込んでしまう形となった。

 啓吾達も白鳥の存在はチラチラ見えていたし、名前ぐらいは織姫達から聞いて知ってはいたが、特にこちらから関わる事はしなかった。

 ところがこの魔導死神は、啓吾達も呆れるくらい頼りならない存在だった。現世の魂魄を守護する筈の死神の為体(ていたらく)振りは深刻なものだった。

 斬魄刀を抜く代わりに尸魂界(ソウル・ソサエティ)で流通している貨幣をばら撒き逃げている白鳥を見て、啓吾は悲鳴を大きくし、一方の水色は『このペースだと、浦原さんのお店まで逃げきれるかな・・・・・・』などと冷静に考えていた。

 だが、その思考は途中で停止する事となった。

 路地裏に響く、威勢の良い男性の大声によって。

「なにやってんだよ! てめーはぁッ!」

 声の主―――ビルの屋上から飛び降りた男性の影を見て、啓吾達は彼が高校時代の級友で空座町を守護する死神代行だという事を確認した。

 ―――マジでいいタイミングだったぜー、一護ッ!!

 ―――来ると思っていたよ、一護。

 死覇装を靡かせながら、落下の勢いに合わせて出刃包丁の形に変形した斬魄刀・斬月を思い切り振り下ろす一護。

 激しい衝撃が、周囲の路地を地震のように震わせた。

 ナマケモノ型の巨大魔導虚(ホロウロギア)は粉々に砕け散り、斬魄刀の力でその霊子が浄化され、元となった素体―――肥満という言葉を顕著に示した不健康な体格の男が解放される。

 ヨミテリウムの正体が人間だった事に啓吾は驚きの表情を向け、水色は『へえー、あの怪物って人間だったのか』と冷静に状況を把握していた。

 その一方で、魔導虚(ホロウロギア)が浄化された事に安堵した白鳥は、一護を見て声をかける。

「助かったである黒崎氏・・・・・・実に見事な働きぶりだったぞ」

「おめーが働けボケッ!」

 白鳥に背中を向ける形で地面に着地した一護は、そのまま背後に跳躍して肩口で相手に激突する。

 偶然なのか故意なのか、ルチャドールのトペ・デ・レベルサの形で白鳥を地面に転がした後、追い打ちを掛けるようにその身体に関節技を掛ける。

「なんでてめーはいつもいつもそうなんだよ! ちったー死神らしくしたらどうなんだよ!」

「アタタタタ! 取れちゃう取れちゃう! 違うのだ黒崎氏! 私だってやればできる男なのだ!」

「だったらいつもやればいい話だろうが! ちったー俺やユーノの気持ちも考えてみやがれ!!」

 そんなコントめいたやり取りをしている二人を見て、ようやく危機を乗り越えたのだと実感し、啓吾は大きく息を吐き出した。

「ひゅー・・・・・・助かったぜ。一護、マジでサンキューな!」

「おめーこそ、少しは巻き込まれないように注意しろよな。水色も悪かったな。せっかくの休日に」

「全然。むしろ退屈な休日にちょうどいいくらいの刺激だったよ」

「退屈な休日!? っていうか水色、いくらなんでも俺のいる前でその言い方はなくない!? つーか一護も一護で俺とこいつの扱いが違いすぎるんですけど!?」

 啓吾は高校時代の級友二人から向けられる辛辣なコメントにショックを受ける。まるで斬魄刀の切っ先で自分の心臓を貫かんとばかりに。

「ったく、なんでおめーみたいな腰抜け成金野郎が一番隊の席官なんだ? 京楽さんの人事もいよいよトチ狂ってきやがったな」

「失礼なことを言うでない! 私は実力で選ばれたのだ! 京楽隊長は院生時代から私の死神としての実力を高く買っておったからな」

 白鳥の地位を本気で疑う一護に、白鳥が猛反論をする。

 そんな二人を見かねたのか、口論を中断させるために啓吾は話を逸らす事にしたようだ。

「ていうかさ、一護が無事に来たから気にしてなかったけどよ。あの(ホロウ)・・・だったっけ? なんだってあれの中から人が出てきたんだ・・・・・・」

「確かに、あんなのは僕も初めて見たね。一護・・・あれって本当にただの(ホロウ)なの?」

 巻き込まれた被害者である啓吾と水色の問いに、一護が険しい表情で答える。

「あれは魔導虚(ホロウロギア)、つってな。普通の(ホロウ)とは少し事情が違うんだ。詳しいことはこれからあれを調べてみねーとわからねーけどな」

 そう言うと、一護はメガテリウムとなって暴れ回っていた男を一瞥。

 やがて気絶している男ごと、一護は詳しい調査の為にスクライア商店へと向かった。

 

           ◇

 

4月22日―――

東京都 空座本町 中心街

 

「ふぁ~」

「一護くん、疲れてる?」

 休診日。一護と夫婦水入らず商店街を歩いていた織姫は、ここ数日欠伸ばかり掻いている一護の体調を懸念する。

「あぁ。ちょっとな。さすがにこう立て続けに(ホロウ)魔導虚(ホロウロギア)が出たんじゃたまんねーぜ。こっちは一応医者って立場だからな。学生時代とは訳が違うぜ」

「あまり無理しないでね。辛かったらいつでも私に言って」

「ありがとう織姫。気持ちだけで十分嬉しいよ」

 思えば織姫とも十年近く同じ道を歩んでいるのだと感慨深くなる。

 初めて出会ったのは高校時代。たまたま死神・朽木ルキアから託された死神の力で(ホロウ)となった織姫の兄・(そら)と戦ったのがきかっけだった。

 以来、尸魂界(ソウル・ソサエティ)での死神との戦い始まり―――破面(アランカル)完現術者(フルブリンガー)滅却師(クインシー)との死闘を乗り越え番いになる事を選んだ。

 何かを護る為に死神として生きる道を決めた一護だったが、気づかないところで一番護られているのじゃ自分だということを織姫の言葉で再認識させられる。

 

「あいたっ!」

 不意に一護達の目に車椅子で移動中に転倒する男性の姿が映った。

 二人はすぐさま転倒した男性の元へ駆け足で近づき安否を気遣う。

「だいじょうぶですか?」

「体起こしますね」

「すまないね・・・」

 おもむろに声をかけ、車椅子ごと男性を起こしたとき、一護はあまりにも意外過ぎる人物の姿に目を見開きた。

 五年前、医学生時代の恩師・百目鬼遥が両手足を失った姿で目の前に現れたのだ。

「百目鬼先生!」

 歓喜の声を漏らす一護とは対照的に、百目鬼は当初きょとんとしたままだった。

「ご無沙汰しています先生。黒崎です・・・黒崎一護です」

「その派手な頭髪は・・・・・・!」

 

 落ち着いた所で一護達は百目鬼との再会を祝して、積もる話をしようと近くの喫茶店へ立ち寄った。一護達はここ数年の出来事を和やかに語り合い、百目鬼も彼らとの会話を心から楽しんでいた。

「そうか。君はお父さんの後を継いで開業医に」

「高校時代の悪友が院長やってる病院でちょうど研修期間が終わった頃だったんっすけど・・・親父が急に『あとの事はオマエに任せる!!』とかなんとかテキトーなこと言って海外に行っちまうもんで、半ば強引に後を継ぐ形になっちゃいました」

 医師免許取得後、現在の空座総合病院院長を務める石田雨竜(いしだうりゅう)の父・竜弦(りゅうけん)の計らいで研修医として勤務していた一護は、唐突に父・一心から実家である病院の経営権を譲渡されたのを機に若干25歳の若さで開業医となった。高い志を持って本格的な医師の歩もうとしていた矢先のことだった。

「なるほど。君もいろいろ苦労をしているようだね」

「俺なんかより先生の方が大変だと思うぜ」

「差し支えなければなんですけど・・・百目鬼先生、その体は?」

 両手両足が欠損し、車椅子となった百目鬼を見ながら恐る恐る尋ねる織姫。問われた百目鬼は、自嘲した笑みを浮かべ答える。

「車の事故でね、見ての通りすべて持っていかれた。お陰でメスも捨てる事になったよ。だが幸いにも若い頃に取った杵柄かこんな私を快く迎え入れてくれる大学があってね。今はそこで非常勤講師をしてなんとか食い繋いでる」

 ありのままに事実を口にする百目鬼を見ながら、一護と織姫はどこか憂慮した様子で表情を曇らせる。

「そうだ。良かったら、今度二人で研究室に遊びに来てくれ。いつでも歓迎するよ」

 

           ◇

 

4月24日―――

東京都 某医療大学 百目鬼研究室

 

「織姫君、バッテリーを入れてくれないか」

「はい」

 百目鬼の誘いを受けた二人は空いた時間を利用し、彼が勤務する大学の研究室へ足を運んだ。彼は現在も専門である整形外科の分野で義肢の開発をメインとした研究を続けていた。

「これが最新型の筋電義手・・・」

 百目鬼が普段の義肢に代わって身に着けている筋電義手と呼ばれる物を珍しそうに見つめる織姫。

「共同開発の企業スタッフがこれ一つで高級スポーツカーが買えると言ってたな」

「えっ!?」

 予想に反して高額な義肢の価格に織姫は吃驚し声をあげ、安易に触れようとした自身の行動を顧みる。

「そして日常使うには最低でも1、2年の訓練が必要だが、日本ではそういった医療施設は僅かに二つしかない。コストの面もあるし、実用化はまだまだ先だろう。やはり今は骨と筋肉で動かす能動義手のほうが圧倒的だ」

「ですが、この義手は長期間の訓練が必要な上、素早い連続動作には不向きでは?」

 筋電義手から能動義手に付け替える手伝いをしながら、一護が率直な所感を口にする。

 それを聞くや、百目鬼は「何~? よしよし見てなさい」と言って、二人に特技を見せてくれた。

「わっ! すごーい♪」

 感嘆の声をあげる織姫は一護とともに、両手の能動義手を器用に扱い、華麗にお手玉を披露する百目鬼の姿に目を輝かせた。

 得意満面にお手玉をやってのけた百目鬼は二人に自らの腕に嵌められた義手にまつわるエピソードを語ってくれた

「片手を失ったとある子供がいてね。その子のために開発をしたんだが、単純な動きはできても繊細な動きがね。それがクリアできれば、通常の人間と変わらない動作が可能になるのだが・・・」

「もし、そんな義肢が完成すれば患者が元の生活に戻れるかもしれない」

「希望を失わないで済むね!」

「ああ・・・それができればね」

 百目鬼は自分で語った事の難しさを何よりも痛感していた。だからこそ、彼は今の閉鎖的な医療環境を危惧し暗い表情を浮かべるのだった。

 

 一護達の帰りを見送ろうと研究室を出たとき、外は生憎の雨だった。

 学生の多くが居なくなった事でシーンと静まり返ったキャンパス内を歩いていた折、唐突に一護が呟いた。

「先生は強いですね」

「え」

「手足を失っても医師であることを諦めず、こうして研究を続けている」

「そうでもないさ・・・・・・よく考えるんだ。あのとき車に乗らなければ、ってね」

 一護達が卒業した翌年、百目鬼は今日のように雨が降っている夜道を車で走っていた。当時、彼は大切な患者の手術があり予定の時間が差し迫っていた。だが不幸な事に車のブレーキが故障していたのが災いし、結果として百目鬼は両手両足を失う羽目になった。

「あの一瞬で色々なものを失った。ここの教授に声をかけてもらうまで、そのまま山に引き籠ろうかとも思った」

 失意だった百目鬼は過ぎた事をいつまでも気に病んでも仕方がないと割り切り、前向きに新たな人生を歩もうと今の仕事を受け入れた。

「だがすべてが無駄ではなかったと思ってる。こうして君らにも会えて・・・」

 と、一護に話をしていたときだった。ふと外に目を向ければ一人の女性が傘を差したまま立ち尽くしていた。

 女性は百目鬼を優しい眼差しで見つめながら、おもむろに歩み寄ってきた。

「美雪くん!」

 

「ねーねー、一護くん。あの女の人だれかなー?」

「やめろよ織姫。人の恋路に首ツッコむのは」

 親密な関係に思える百目鬼と彼の幼馴染の女性―――小泉美雪(こいずみみゆき)の話をする様を一護達は柱の陰から静かに見守る。

 すると、美雪の口からある言葉が聞こえてきた。

「遥くん、私たち結婚しましょう」

「けけけけけ、けっ・・・こ・・・!」

 結婚という単語に織姫が必要以上に取り乱し、たちまち顔中が赤面。

 一方の百目鬼は彼女からの逆プロポーズを受け、嬉しく思う反面、胸につかえた思いから素直になれずにいた。

「美雪くん・・・やめてくれないか。もうすべてが事故に遭う前とは違うんだ。帰ってくれ。そして二度と僕の前に来ないでほしい」

「嫌よ」

「美雪くん!?」

「分かってるの、あなたが私のことを思って離れようとしていること。でもあなたは間違ってるわ。あなたがそばにいてくれるだけで私は幸せなの。だから諦めない。遥くんが来るなって言われても何度でも来るわ」

 双眸から透き通るような雫が零れ落ち、百目鬼の心は揺れ動く。遠目から見ていた織姫はもらい泣きをしてしまう。

「・・・・・・忘れていたよ。君が見かけによらず強情だったことを」

「はい」

 昔から百目鬼は彼女の涙には弱かった。何よりこんな体になってでも一緒にいたいと言ってくれた彼女の言葉が何よりも嬉しかった。

 おもむろに義手となった右手を差し出す百目鬼に美雪も自分の右手を差し出し、手を取り合った。

「おめでとうございます!」

 水を差すように聞こえてきた織姫の声。歓喜の涙を流す彼女の隣で一護も朗らかな表情を浮かべていた。

「ほんとうによかったー!」

「お二人を祝福します」

「君たち・・・まったく、お節介なものだな」

 などと口にしながら顔ははにかんでおり、四人の周りには終始穏やか空気が満ちていた。

 

 やがて雨は降り止み、日も暮れた頃合い―――織姫が美雪とともに帰路に就いてからも一護と百目鬼は大学に残っていた。

「良かったんですか? 美雪さんを送って行かなくて」

「僕の決心が鈍らないうちと思ってね」

「決心?」

 発言の意味に戸惑う一護。

 すると、百目鬼は研究室に戻るなり机にしまっていたある物を取り出した。

「先生・・・それは?」

「僕の人生を取り戻す研究だ。美雪くんには僕と一緒にいる事で引け目を感じさせたくないんだ」

「! これは・・・」

 一護が見たのは、今まで全く見た事の無い義肢の図面だった。

 いや、それは義肢という範疇を大きく超えていた。言ってみれば身体の構造を丸ごと組み替えるような設計図に近かった。

「義肢の機構を直接体に埋め込む図面だ。筋肉や骨の動きが直接義手や義足に伝わるようになる。僕はこの手術を成功させ失った手足を取り戻す。そして外科医としての自分を取り戻す」

「先生・・・でもこんな大手術誰が?」

「順大に蛭魔(ひるま)という親友の外科医がいる。やがては順大のトップに立つ腕を持つ男だ。僕はもう一度外科医として、たくさんの患者の命を救いたい。これは僕の人生最大の賭けなんだ!」

 

           ◇

 

4月26日―――

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「黒崎くん、君はここで待っていてくれたまえ」

「はい」

 かつての古巣へ向かって行く百目鬼の背中を見送り、一護は病院の外で吉報が返ってくることを期待する。

「先生・・・・・・」

 

「百目鬼、お前本気か?」

 医学生時代からの同期にして百目鬼の親友・蛭魔は百目鬼自身の口から語られた前代未聞の手術内容に驚愕。椅子から立ち上がり、デスクに広げられた持ち込まれた図面を凝視する。

「僕はいつでも正気だ。パイプやワイヤーを通し、肩甲骨に直接繋げ、複雑な動きを可能にし、電極を埋め込む事で補助する指も使えるようにするんだ。蛭魔くん、君の技術ならできるはずだろう。これで事故に遭う前と遜色ない医療を行うことができる。僕はどうしても外科医に戻りたいんだ!」

 ブラインド越しに僅かに入る陽の光。

 純粋な眼差しで訴えかける百目鬼の瞳に思わず目を逸らし、蛭魔は苦い顔できっぱりと告げる。

「無理だ・・・」

「な・・・・・・何故だ!?」

「やるとなるととんでもない手術になるし、感染症の危険も大きい」

「それは承知の上だ! だが―――」

「これは手術というよりただの()()()()だ! こんなリスクしかない手術誰もやらんよ。俺だってな」

「そんな・・・・・・この手術を頼めるのは君しかいないんだ! 医学生の時代からの親友だろ!?」

 藁にも縋る思いで蛭魔へ懇願する百目鬼。残された一縷の望みを失いたくないと全身全霊で訴える必死そうな彼の姿が蛭魔には正直鬱陶しかった。

「いい加減にしろ!」

 ゆえに冷たく突き放し、百目鬼が抱く淡い展望を断ち切ろうとする。

「こんな手術に手を出し失敗でもしたら俺の医師生命も終わりだ。悪いが帰ってくれ」

 突き放した際の衝撃によって、机に零れ落ちたコーヒーが百目鬼持参の図面に染み渡る。

 

「そんな・・・・・・!」

 望みが絶たれた事を告げられた一護は、百目鬼とともに近場の公園にいた。

 夕暮れ時の公園には自分と百目鬼だけ。その百目鬼はひどく消沈した様子だった。

「ムリも無いさ。リスクが高すぎる。だが、蛭魔くんのほかには・・・・・・」

 残された選択肢があるとすれば一つ。義手となった自分の腕を見ながら、何を思ってか百目鬼は「ならばいっそ、この手で・・・!」と、口にする。

「ムチャだ! 危険すぎる!」

「承知の上さ! でもするしかない!」

「けど先生!」

「だってそうだろ!? 僕は外科医なんだ! 僕から外科医をとったら何が残る!?」

 たとえ手足を失っても医者であり続けようと志を高く持つ百目鬼の言葉は、一護の心を突き動かすには十分だった。

 彼を助けたい。そう思った一護は意を決し大胆な提案を持ち掛ける。

「だったら先生。俺に・・・俺にやらせてくれ!」

「な・・・何を言っている!?」

「こんな成りしてっけど俺だって医者なんだ。俺は俺なりに医者として色んな手術をしてきた。アフリカで医療ボランティアに参加した時は、爆弾が今にも降って来そうな状況で手術をした事もあった」

「だが君は分かっているのか? もしも手術が失敗したらそのときは・・・」

「俺だってこの腕を奪われたら同じことを思うはずだ! だから先生やらせてくれ! 先生の手術を!」

 若い一護の未来を案じる百目鬼だったが、それでも一護の意志は金剛石のように固く揺ぎ無いものだった。

 

           ◇

 

5月2日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

 一世一代の大手術の日がやってきた。

 執刀医の一護は患者として今まさに麻酔が掛けられそうになっている百目鬼の言葉を真摯に聞いていた。

「ここから先は引き返しは利かない。私は私を救うために君自身の未来を奪うかもしれない。それでもいいんだね?」

「はい」

 躊躇や迷いの感情は一切無い澄んだ瞳に安堵したのか、百目鬼はそのまま麻酔によって意識が完全に沈黙。

 やがて、一護は今回の手術の助手として付けたユーノに申し訳なさそうに話しかける。

「悪いなユーノ・・・・・・俺のわがままに付き合わせちまって」

「師匠の頼み事の一つや二つなんでもありません。それに、もしもこの患者さんが一護さんで僕が一護さんと同じ立場だったとしたら・・・・・・きっと同じことをしていましたよ」

「そうか―――・・・」

 愛弟子も自分と同じ思いを抱いてくれる事を何よりも嬉しく思う。

 口角を僅かに上げた一護は、深呼吸で気持ちを整え、手術用の手袋をしっかりと嵌めてから目の前の患者―――百目鬼遥と向き合う。

「切開する場所は最低限に収め、骨にドリルで穴を開けてパイプを通していく――――――術式開始!」

 覚悟を決め、一護はユーノからメスを受け取った。

(先生、必ずこの手術成功させてみせる。ここからは孤独な戦いだ・・・・・・だが俺は必ず!)

 自分を信じて身を委ねた百目鬼の願いを叶える為、一護は背中を向けた彼の身体にメスを入れる。

「まずは左下腿断端部(だんたんぶ)を切開し術野を広げる」

 できるだけスピーディーに。それでいて正確に。患者自身の負担も考慮しながら一護は今日まで行ってきたシミュレーションを思い出しながらメスを振るう。

「次は右脚だ」

 いつだってそうだ。誰かを救う為に孤独な戦いを強いられてきた。そのたびに一護は誰よりも強く逞しく成長してきた。

 助手を務めるユーノはその事を如実に実感した様子だった。彼は目の前で起こっている奇跡のような出来事に目を見開くとともに、研ぎ澄まされた感覚で百目鬼に施術する一護を横で見る。

(一護さん・・・・・・あなたはいつだって護る為に戦い続けている。死神として、医師として、一人の人間として。自らの手で大切なものの命を救う為に)

 

 そして、五時間に渡る手術の末―――見事に一護は全てをやり切った。

 術後ユーノや織姫の助力もあり、百目鬼は僅か一週間という短い期間でリハビリを終え、見事職場復帰を果たした。

 

           ◇

 

5月10日―――

東京都 某医療大学

 

「今日の司法解剖誰が?」

「さぁ。特別な講師がやるって聞いたけど」

 司法解剖の講義を受ける医学生が期待に胸膨らませる中、手術室に現れたのは車椅子に乗った手術衣姿の百目鬼だった。

「わぁ!? な、なんじゃ?」

 学生だけでなく司法解剖を依頼し同席していた刑事も思わず驚く外観―――百目鬼は義手のパーツとしてメスや鉗子などの手術器具を格納していた。

「それでは検死を始めます」

「では助手を」

「いりません」

 一人でやって見せる、そう伝えた百目鬼は手慣れた様子で目の前の遺体にメスを入れ、検死を開始した。

 誰もが息を飲む。両手足を完全に失った筈の百目鬼が四肢を失う以前と遜色ない医療行為を行っていることに。

「ここからは特殊義肢を使います。これは第三第四の手として使うことが可能です」

 折り畳まれていた特殊義肢を展開し、足りない部分を補う。その姿はさながらロボットを彷彿とさせるものだった。

 少し、いやかなり異様な光景だった。

 だが周りからの目など気にも留めず、百目鬼は与えられた仕事を着実にこなしていく。

「これは・・・扼痕(やっこん)ですね。自分の爪でひっかいた痕だ。それと紐状のアザの方向からみて殺人に間違いありません・・・」

 

 この司法解剖が話題を呼んだ。

 吉報は直ぐに百目鬼の元へと届けられた。

「美雪くん! やったぞ! 手術の依頼が来たんだ! しかも僕が失職した順天堂大からの招待だ!」

「おめでとう遥くん」

「外科医としての再出発だ。必ずこの手で患者を治してみせる。そうしたらすぐに式を」

「うん・・・」

 

 ある者にとっての吉報。それは一方である者には悪報を意味する。

 百目鬼の外科医復帰を快く思わない蛭魔は同僚の鯖目(さばめ)多野(たの)教授らとともにこの由々しき事態を憂慮していた。

「かつてのホープがご帰還か」

「新義手で行った検死が話題になったとかで」

「あいつ余計なことを・・・」

「厄介だね」

「多野教授、何とかならないのか?」

「そうですねぇ」

 

           ◇

 

5月12日―――

東京都 松前町 スクライア商店

 

「一護さん。あなたが以前店に運び込んできた男性の調査結果が出ました。とんでもないものを見つけました」

「とんでもないもの?」

 店の地下にある研究室で、ユーノは一護に調査結果を見せた。

 巨大なスクリーンに表示されたのは素体となった男性から採取したミトコンドリアだった。怪訝する一護が凝視すると、ユーノは最新鋭の魔導電子顕微鏡の精度を上げていき、やがて分解能が1兆分の1―――ピコメートル単位に達したとき、それはあった。

 思わず目を見開く一護。ウニの幼生体として知られるプルテウス状に形成された三角形の未知なる物質がミトコンドリアに取り付いていた。

「こいつです。このピコメートル級の物質が身体に寄生していたんです」

「なんなんだいったい?」

「これこそ、あらゆる生物を(ホロウ)または魔導虚(ホロウロギア)に変貌させ、あるいは魂魄自殺へと誘う諸悪の根源。スカリエッティ一派は完全体となった魔導虚(ホロウロギア)で非物質粒子レギオンを含んだこの物質・・・『(ホロウ)化因子』を苗床として利用し、地上の文明を丸ごと滅ぼすつもりです。言うならば・・・・・・“虚焉(ホロウズ・デマイズ)”!!」

虚焉(ホロウズ・デマイズ)・・・だと?!」

 言葉が意味するものは想像するだけで背筋が凍り付く。ユーノの口から語られたのは、これまで不透明だったジェイル・スカリエッティが魔導虚(ホロウロギア)を使って為そうとする最終目標そのものだった。

「生物のマイナス思念をエネルギーにして成長する魔導虚(ホロウロギア)の体内に蓄積された無数の(ホロウ)化因子が完成した時、それは放出され―――同タイプの細胞で構成された生物全てに取り付く。そうなれば、あらゆる生物が幼生体も含めすべて滅びを迎える事になります」

 

           ◇

 

5月13日―――

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「どういうことですか? 手術がキャンセルって!?」

 順大を訪れた百目鬼は地獄に叩き落された感覚に陥った。

 多野によって告げられた衝撃の話―――二週間後に控えた手術が突如取りやめとなってしまったのだ。

「誰かが手術に反対を?」

「患者だよ」

 多野が懐から取り出し見せたのは、術後初めて行った司法解剖時の様子を克明に写した写真が数枚。

「どこからか手に入れたそうだ。こんな()()()()()()()()に手術されるのが怖くなったそうだよ」

 聞いた瞬間、百目鬼は絶望に打ちひしがれ―――目の前の景色が真っ暗となった。

 

「先生・・・またきっとチャンスがあります!」

「いや・・・医学会は閉鎖的な世界だ。外科医として受け入れてくれる病院はもうない」

「そんな!」

 彼を助けるために手術をした一護だったが、その行為が患者自身の口から無駄だったと突き付けられる。

「だがこれで諦めがついたよ。美雪くんには申し訳ないが・・・」

「先生・・・」

「蛭魔くんに挨拶をしてくる。気まずいまま別れたくないからね。君は先に帰ってくれたまえ」

 覇気の無くなった声で一護を突き放し、百目鬼は背を向けた。

 

 だが、この後百目鬼を待ち受けていたのは知られざる真実。

 そしてそのことが彼自身を復讐鬼へと変貌させるとは彼自身も思ってもいなかった―――・・・。

 

           ◇

 

5月16日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

「百目鬼先生の執刀が中止になった!?」

 一護から聞いた話に耳を疑う織姫。彼女以上にショックを受けている一護は浮かない顔で昼食のカレーを食べ進める。

「でも、検死解剖時の写真が患者に送られたって誰がそんなことを!?」

「普通なら考えられないっすよねー」

 同席していたコンも明らかにおかしいと思った。

「ひどい・・・ひどいすぎる。あんなに一生懸命準備してたのに」

「織姫・・・・・・」

 ショックなのは自分だけではなかった。織姫にとっても百目鬼は紛れもなく恩師である事を一護は再認識する。

「先生・・・ショックを受けてるだろうな」

「そりゃ手術がドタキャンになったんっすからねー」

「二人とも心配いらねーよ。先生には美雪さんがついてる」

 

 そう思ってカレーを口に運ぼうとしたとき、家のチャイムが鳴った。

 織姫が玄関を開けると、妙齢の女性―――小泉美雪がどこか焦ったような顔つきで立っていた。

「美雪さん?」

「あの・・・遥く、いえ。百目鬼先生は?」

 なぜ彼女がそんなことを聞くのか。不審がりながら、一護と織姫は百目鬼の行方を尋ねてきた彼女へ正直に話をする。

「えっと・・・私たちはてっきり美雪さんのところだとばかり」

「いいえ。手術の準備で当分戻れないと連絡があったきりで・・・」

「もしかして知らないんですか? 先生の執刀が中止になったこと」

「ええッ!?」

「もうずいぶん前ですが」

「捜さなきゃ・・・あの人を捜さなきゃ・・・」

 取り乱し動揺する彼女。落ち着かせようと織姫が詳しく事情を聴くことに。

「落ち着いて、何があったんですか?」

「手術の後に挙げるはずだった結婚式場がキャンセルされていたの。遥くん、戻らないつもりかもしれない!」

「・・・・・・・・・」

 嫌な予感がした。一護は百目鬼の身に何かが起きたことを直感する。

 

           *

 

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「多野教授が行方不明? 確かヨーロッパでシンポジウムがあると」

 百目鬼の失踪と並行して蛭魔の身の回りでも不穏な事態が勃発。同僚の多野が三日前から行方が分からなくなったのだ。

「成田に向かったままそれっきりらしい。ヨーロッパにいるとばかり思っていたんだがね」

「あの多野教授が、約束をすっぽかして三日もなんて・・・」

 

『ここでニュースをお伝えします。先日、転落炎上した車ですが・・・焼死体となった運転手の身元はまだ確認できていません。焼け残った残骸から車は白のフォードア、イタリア製のセダンと判断しており・・・』

 何の気なく流れてきたテレビのニュース。それを聞いた直後、蛭魔は何かに気づいた様子で鯖目の方を見る

「たしか多野教授の車は・・・」

「セダンだ」

「多野教授は歯科の診察を受けてましたね? 警察に行ってきます」

 

           *

 

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

 行方不明となった百目鬼。診療室の机で一人彼の行きそうな場所を模索する一護に織姫が近づく。

「美雪さんはどうした?」

「心当たりを探すって」

 すると、一護は椅子から立ち上がり白衣を脱いで出かける準備を始めた。

「一護。どこ行くんだよ?」

「順天堂大病院」

 僅かな可能性を信じて一護は彼の古巣に何か失踪のヒントがあるかもしれないと思い、順天堂大学病院へ向かうことにした。

 

           *

 

東京都 世田谷区 高級住宅街

 

 警察へ向かった蛭魔の情報提供により、多野は三日前に事故で死亡していたことが判明。しかしこれにはいくつか不可解な点があった。

 車内で焼死体の姿になって発見された多野の右腕は事故の際に切断されていたが、警察の必死の捜索にもかかわらずその部分だけが見つからず、何よりナンバープレートも剥がされていた。

 これらの事から警察は多野の車に第三者が同乗しており、その同乗していた者の犯行とみて捜査を開始。

 蛭魔は帰路に就く途中、今回の出来事を不審に感じていた。

(やはり多野教授だったか。しかし何で右腕が・・・)

 明らかに不自然な死を遂げた多野。消えた右腕とナンバープレート。それが意味するものは不明だが、少なくとも内心穏やかではいられない。

 自宅へ戻り、鍵をかけて戸締りをしようとした瞬間―――ガっと、強い力で何かが扉を押さえつけた。

「ハッ!」

 何事かと思い隙間を覗き込むと、いつもとは比べ物にならない怖い表情でこちらを見つめる百目鬼が立っていた。

「やぁ・・・蛭魔教授。少し話があるんだ」

 

 一先ず百目鬼を自宅へ招き入れた蛭魔。晩酌用の酒をグラスに注ぐかたわら、車椅子ではなく義足なった百目鬼に率直な疑問を尋ねる。

「・・・車椅子はどうしたんだ?」

「義足にしたんだ。アタッチメントを交換することで二足歩行もできるんだ。使い方にコツがいるけどね」

「そ、そうか・・・・・・なんだ聞きたいことって?」

「僕自身の事故のことだ」

 問われた直後、一瞬顔つきが変化した蛭魔だったが直ぐに平静を装う。

「なんで今更そんな事を・・・」

「実は僕はあの事故のことをよく知らないんだ。考えたくもないし、知ろうともしなかった」

「俺だって知らないさ」

「いや。君ほどあの事故について知っている人はいないんじゃないのか? 亡くなった多野教授のように」

「! なんで多野教授が死んだと知っている? まだ発表になっていないはずだ。まさか・・・お前がやったのか?」

「・・・・・・あの日、執刀の中止を告げられて僕は打ちのめされた。やっと手にした再出発の機会を失ったんだからな。その運命を甘んじて受けようと思っていたんだ。病院に戻り、お前と多野の会話を聞くまではな・・・」

 段々と声が低くなり、口調が粗悪になる。言い知れぬ雰囲気を醸し出す百目鬼に蛭魔はかつて経験したことのない恐怖を覚える。

「事故の衝撃で切断された多野の腕はまるで天啓のように思えたよ。お前からはそうだな・・・左手をもらおうか」

「はぁぁぁ!!!」

 別人のように眼光鋭く睨みつけられた瞬間―――百目鬼の姿は異形の怪物へ変貌を遂げた。機械の脚を持ち、左腕には鋭利な刀、そして鬼神の如く白い仮面で覆われる。

 百目鬼遥は魔導虚(ホロウロギア)・ベファレンとなって身に着けた魔法の力でチェーンバインドを形成。蛭魔の首に引っ掛ける。

『さあ話してもらおう。俺の事故の真実を!』

「がぁぁ・・・・・・た・・・すけ・・・!」

 

 午後7時過ぎ―――。

 百目鬼の行方を追って順大病院を訪れた一護は最も居場所を知っていそうな蛭魔とコンタクトを試みる為、病院関係者から聞いた彼の住所へやってきた。

「静かな町だな。さすがは都内でも有数の高級住宅街ってところか」

 地図アプリで何度も蛭魔の自宅の住所を確認。あたりをきょろきょろと見渡す。

「確かにこっちの方向の筈なんだけど・・・」

 

「ぐああああああああああああ」

 

 絹を裂くような女の悲鳴―――とは言い難い、艶に欠けた男の叫喚が高級住宅街一帯へ響き渡った。

「なんだ今のは!?」

 ただ事ではない。そう思った一護は悲鳴の聞こえた方へ足を動かす。

 しばらくして、近くの公園の噴水近くで左腕を失い夥しい血を流す変わり果てた蛭魔の姿を発見した。

 一護は目の前の凄惨な出来事に驚きながら、すぐさま蛭魔の元へ駆け寄った。

「ひでー出血だ! しかも左腕が・・・ない!? よく見たらこの男・・・蛭魔教授じゃねーか!?」

 急いで病院に運ぼうとしたが、出血の度合いから運ぶ途中で失血死すると判断。

 逡巡した末、一護は鞄の中から持ち合わせの手術器具を使い血管結紮(けっさつ)による止血を前提とした応急処置に取り掛かる

(兎に角上腕動脈を見つけて縛る。そうすれば失血死には至らねー。くそ・・・出血が酷くて見えねー! けど俺は・・・・・・)

 目の前で死に呑まれそうな患者を死なせたくない。消え欠けている命の灯を何としても守りたい。一護は無我夢中で事にあたる。

 孤軍奮闘すること数分。辛うじて血管の結紮に成功した一護は、直ちに蛭魔を空座総合病院へと搬送した。

 

           *

 

東京都 大田区 田園調布

 

 逃げる。逃げる。逃げる。

 鯖目は逃げ続けていた。背後から執拗に迫る死神の化身から。

 だが、死神は決して狙った獲物を逃がさない。恐怖に脚が竦む鯖目の元に現れたのは―――百目鬼遥の皮を被った魔導虚(ホロウロギア)・ベファレン。

「ゆ・・・許してくれ・・・俺のせいじゃない・・・頼む・・・俺にできることがあれば何でもする!」

『では手足を返してくれ』

「そ、そんなこと不可能だァ!」

『いや・・・そこにあるだろう』

 研ぎ澄まされた左腕の刀。その波紋に映る死の恐怖に顔を歪める鯖目を薄ら笑うベファレン。

 恐怖に耐え切れず背中を向けて疾走する鯖目に狙いを定めた、次の瞬間―――ベファレンの凶刃が鯖目の肉を斬り裂いた。

「ああ・・・」

 気が付くと、綺麗な切断面で自分の左脚と体が分離。骨を断った際の想像絶する痛みを鯖目は身をもって経験する。

「ぎゃあああああああああああ!」

 体中の力が一気に抜け落ちるような感覚だった。ベファレンは切断した鯖目の左脚を回収すると、静かに獲物の前から立ち去った。

 

           ◇

 

5月18日―――

空座本町駅前 空座総合病院

 

「ん・・・・・・ここは?」

「ようやく目が覚めたか。蛭魔先生」

 目を覚ました蛭魔は見知らぬ天井を見つめ、その後周りの様子を確認。真っ白なベッドと部屋の雰囲気から病院である事を察し、近くには執刀を担当した外科医で空座総合病院院長―――石田雨竜(いしだうりゅう)が立っていた。

「ここは病院だよ。腕を斬られ、失血死寸前のところを運び込まれてきたんだ」

「腕?」

 ふと思い出した。慌てて左腕を確認すると、そこにあるはずの腕が無くなっていた。

「腕・・・俺の腕、俺の腕が!」

 悪い夢を見ていたとばかり思っていた蛭魔は否が応でも現実を突きつけられる。狼狽する蛭魔に石田は冷静に問いかける。

「一体何があったんです? しっかりしてくれ。あんたが三日間眠っている間に同僚の鯖目教授が亡くなったんだ」

「あ・・・あぁぁぁああああ・・・!! あいつだ・・・あいつがやったんだ! あの怪物がやったんだ!?」

「怪物? なんだその怪物というのは?」

「片腕に日本刀、金属の脚、胸に孔の空いた白い仮面で覆われた・・・!」

「なんだって?!」

 次の瞬間、蛭魔の精神に住み着いた悪鬼―――百目鬼遥こと、ベファレンの姿が瞳の奥に映し出された。

 

「百目鬼だああああああああっ!」

 

           *

 

5月20日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

「蛭魔教授の証言によると、一連の犯行は全て百目鬼先生の仕業だそうだ。順天大病院での執刀を邪魔された事を恨んでの犯行だとね」

「そ、そんな・・・」

 あまりにもショッキングな話に同席していた美雪は言葉を失う。

 一護と織姫は石田とユーノの話を真摯に聞きながらこの痛ましい事件の全容について少しずつ理解し始める。

「ユーノ君の協力で、多野教授が司法解剖時の写真を患者に送ったという裏が取れた。蛭魔ら内神田院長派が百目鬼先生を追い出したのは間違いない」

「なんでそんなことを?」

「所謂『白い巨塔』と言うヤツですね。百目鬼先生を招待したのは反院長派でして、蛭魔達は百目鬼先生が順天大に返り咲くことで反院長派の勢いに弾みがつくことを警戒したんです」

「そして百目鬼先生はその事実を知って犯行に及んだらしい。しかも、悪い事に彼はその身を魔導虚(ホロウロギア)と化している」

「そんな!」

「いや、もっと何かあるはずだ。蛭魔達は何か隠してる!」

「ともかく。今は彼がこれ以上罪を重ねる前に何とか食い止めなければなりません」

(先生・・・いったい今どこにいるんだよ)

 魔導虚(ホロウロギア)化した百目鬼の行方は未だ知れない。

 しかし、一護はふと以前百目鬼の研究室を訪れた際に彼が口にした事を思い出す。

「山・・・・・・もしかして先生はそこに!」

「その話なら心当たりがあるわ。たしか、古い御堂があると聞いたことがあるの」

 美雪から裏が取れた。一護はたった一つの可能性に懸けることにした。

 

           *

 

東京都 御岳山

 

 その山中にひっそりと佇む、古びた小さな御堂。

 暗雲が立ち込め、ゲリラ豪雨に見舞われる。一護は一歩ずつ歩を進め、刺すような霊圧漂う御堂の中へ足を踏み入れる。

 ひっそりと静まり返っている境内。天井からは幾つもの義手がまるでもぎ取られた腕のようにぶら下がっていた。

 刹那、近くで落雷が起こると、一護は反射する雷の光に映った探し人の姿を目撃する。

「!」

 再会した百目鬼の代わり様に一護は衝撃を受けた。

 人としての姿を放棄し、完全にその身を外道の怪物へと堕とした姿は居たたまれない。同じ道を目指していたはずの彼は、今や終わりなき悪夢の道を歩む復讐の悪鬼と化していたのだ。

『帰れ』

「百目鬼先生・・・・・・」

『帰ってくれ。でないと俺は君をも傷つけてしまうかもしれない』

 魔導虚(ホロウロギア)化してなお人間としての自我を僅かに残し、その残った自我で以って一護を引き返させようとする様が尚のこと辛い。

 刃を突き付けられた一護は普段にも増して皺の寄った表情で問いかける。

「何があったんです? 手足を失っても前向きに患者のために医療に尽くそうとしていた先生を俺は誇りに思っていた。そんな先生がどうして魔導虚(ホロウロギア)なんかに成り下がっちまうんだ!?」

『ふふふふ・・・・・・ははははははは』

 唐突に笑い出すベファレン。怪訝する一護を見ながら彼は言葉を紡ぐ。

『そうだな。必死に乗り越えようとしていたよ。何も知らず、手足を失った事さえ自分の所為だと思い込んで・・・・・・だがそうじゃなかった!』

「え?」

『あいつらが奪ったんだ。俺の身体を・・・人生を! すべての夢を!』

 迅雷が再び御堂近くの森に落ちる。一護は神経がささくれた彼に恐る恐る問う。

「何をしたんだよ? 蛭魔達は先生に!?」

『あの日、君と別れて病院に向かった俺は蛭魔達が俺を追い出したのだと知った。それを問い質そうと多野の車に乗った・・・』

 

 

「教えてください!! どうして僕の再起を邪魔したのか? どうして僕が・・・順天大に戻ってはいけなかったのか!?」

 激しい雨が降りしきる断崖絶壁の道を猛スピードで走行する車内―――百目鬼は必死にハンドルを握りしめる多野に怖い顔で詰問。

 すると、多野は百目鬼に怯えながら赤裸々に告白した。

「怖かったんだ!  お前の事故の件がばれるんじゃないかと・・・・・・!!」

 

 

「まさかあいつらが先生の事故に!?」

『あのあと、俺と多野を乗せた車は崖から落ちた。そして気が付くと俺はこの姿となっていた。そして奴の切断された手が俺に復讐を決意させた。奪われた手足を奪い返せとね・・・・・・。それから俺は蛭魔を問い詰め、ついに事故の真実を知ったんだ』

 事故の際、滅びかけた百目鬼の肉体は偶然にも機人四天王の一人―――クアットロによって回収され、幼生虚(ラーバ・ホロウ)との融合によって魔導虚(ホロウロギア)化し、その後彼は復讐の為に身に着けた能力を用いて人間の姿へ戻り、自分を陥れた者達へ刃を向けたのだった。

 険しい表情を浮かべる一護を見ながら、ベファレンは事故の真相をおもむろに語り始めた。

『当時――-医局を制する最大派閥は蛭魔達が属する内神田副院長派で、内神田がすんなり院長になり蛭魔らもそのままポストを上っていくと見られていた。ところが理事長の不正経理が発覚したことですべてが白紙に戻され・・・大学のイメージを立て直す為に改革派の蛯名副院長が急遽次期院長候補として浮かび上がってきたんだ。こうして内神田副院長と蛯名副院長の熾烈な選挙戦が始まった。醜い争いだったよ・・・だが情勢は蛯名副院長の絶対優勢。ついに内神田達は実力行使に出ようとしたんだ』

「実力行使?」

 

 

「こうなったら蛯名の失態を図るしかない。何か方法は無いか?」

 ホテルの一室に集まり、内神田は同席していた蛭魔と鯖目、多野らに案を募る。

「ヤツは明後日、財務大臣の手術を控えています。そこでミスをやらかせば・・・」

「しかし、大臣の身に何か起これば病院の責任になります」

「いや。大臣のスケジュールは分刻みですからね。送れて手術が流れるだけで十分な失態になる。蛯名はいま兄の手術で伊豆にいます。そこから戻れないようにすればいいだけです」

 

 

『俺はそのとき、蛯名副院長から直々に助手を頼まれて伊豆に同行していた。蛭魔達はその旅館に車の整備士を潜伏させ、車を故障させることで大臣の手術への到着を遅らせようとした。だがそこで思わぬ事に副院長が突然体調を崩した。俺は副院長の代わりに大臣の手術へ向かうために車を走らせた。蛭魔が言うには車が動かなくなるように細工を頼んだそうだが・・・何かの手違いでブレーキに細工をしていたんだ』

「莫迦な! そんな事の為に・・・そんな事の為に先生が?」

『結局・・・蛯名副院長は脳出血で亡くなった。何もしなくても院長の座は内神田に渡っていたんだ。そして俺だけがすべてを奪われた! 俺は大学病院の権威なんてどうでもよかった。ただ患者を治したい・・・患者を治すため手術がしたかっただけなんだ!』

 胸が張り裂けそうだった。腐敗した医学界の闇によって人生を狂わされた百目鬼に一護はなんと声をかければ良いのだろう。もしも百目鬼と同じ立場に立たされた時、自分もまた復讐鬼と化していたかもしれない。

「奴らは裁かれるべきだ。だが先生がこれ以上罪を重ねるなんて・・・。こんな事したって誰も報われねえ! 美雪さんは今でもずっと先生の帰りを・・・」

『それ以上言うな!』

 怒声を放ち、左腕と一体化した刀を一護へ突きつける。

『俺は自分の方法で奴らを裁く。もう引き返せないんだ』

「先生・・・・・・」

『その邪魔立てをするなら、たとえ君でも容赦しない。俺は・・・・・・本気なんだ』

 頻々と鳴り響く雷鳴。稲光に反射するベファレンの朱色に光る殺気に満ちた瞳には復讐の二文字しか浮かんでいない。

 最早言葉ではどうすることもできない。明確な覚悟を持って実力行使に出る必要が迫られる中、一護が出した結論は―――

「・・・・・・先生の覚悟はよくわかったぜ」

 おもむろに懐に忍ばせていた「死神代行戦闘許可証」こと、代行証を取り出し、その力で以って死神化。

 一護は背中に帯びた斬月を構えてベファレンと対峙する。

「俺も覚悟を決めるぜ。俺は死神として、魔導虚(ホロウロギア)になった先生を―――斬る」

 

 刹那、両者は滾る霊圧を一気に解放させる。

 突進と同時に手持ちの刀と刀を交わらせる。それによって異質な霊圧同士の接触に伴う大爆発が発生。御堂は吹っ飛び、二人は雨降りしきる外へと飛び出した。

「ほおおおおおおお」

 豪雨に身体を濡らしながら一護は斬魄刀を振るう。

 ベファレンは一護が繰り出す一太刀一太刀を左腕と一体化した刀で受け止め、身に着けた多彩な魔法スキルで翻弄しつつ、優勢を獲得する。

『どうした? その程度の覚悟で俺を止められると思っていたのか?』

 未だ迷いのあるように思える一護の刃。ベファレンは霊圧と魔力を研ぎ澄ませたエネルギーを斬撃に乗せ、一護目掛けて放つ。

「ぐあああ」

 斬撃を受け、叩きつけられるように地面へ激突。

 ちょうど現場へ駆け付けた織姫とユーノが発見したとき、一護の身体は死覇装ともどもボロボロだった。

「あなた!!」

「一護さん!!」

 満身創痍の一護と頭上で立ち尽くすベファレンを見、ユーノは直ぐに魔法を発動させようと呪文を唱える。

「妙なる響き、光となれ!!」

 

「やめろユーノぉ!!!」

 森中へ響き渡る甲高い声。

 呪文の詠唱をやめたユーノに一護は斬月を杖代わりにして立ち上がると、肩で息をしながら懇願する。

「・・・今回オメーは引っ込んでろ。俺一人でやる。オマエは織姫が巻き込まれねーようにしてくれ」

「一護さん・・・」

「・・・たのむ・・・手ェ出さないでくれ。これは、俺の戦いだ。」

 それは他を寄せ付けない力強い言葉だった。

 ユーノは変わり果てた恩師を救済する為に覚悟を持って刃を振るい戦う一護の姿を、幼馴染の女性の姿と重ね合わせる。

 子供の頃にも同じようなことがあった。窮地に陥った幼馴染を助けようとした折、彼女―――高町なのははフェイトとの戦いに水を差されるのを良しとしなかった。

 当事者同士の決闘に部外者が口を出すのは許されない。ユーノは一護の誇りを踏み躙らない為に潔く引き下がる事を受け入れる。

 そうして再び刃を取った一護はベファレンと向き合う。

 決して目を背けない。嘗ての恩師だった男の成れの果てである眼前の怪物を見据え、血の滲む手の中に握りしめた斬月の柄を強く握りしめる。

 次の瞬間、瞬歩で前に出るや一護は斬月を振り下ろす。ベファレンも自己加速術式によって一護へ接近。左腕と同化した刃を振るう。

 カキン―――。鋭い金属音が幾度となく衝突する。

 激しい雷雨の中で交わされ合う刃と刃。ユーノは織姫を結界内で保護しながら戦況を静観。しかし内心穏やかではいられなかった。

(一護さん――――――・・・!)

 刃を交わすたびに傷ついていく一護の姿が居たたまれない。何より見ているのが辛かった。堕ちた師の魂と対峙し、断腸の思いで戦うことを決めた彼を黙って見ていることがユーノには身を引き裂かるように辛かった。

 今すぐにでも助けに行きたい。そうすれば自分の力で彼を護ることができる。

(ダメだ・・・手を出しちゃダメなんだ!!)

 しかし、ユーノはゆめゆめ手を出そうとはしない。ここで手を出せば師の誇りを無視する事になる。死神代行・黒崎一護の尊厳を侵害する行為だけは決してあってはならないことなのだ。

(僕が手を出して勝ったところで・・・一護さんは決して喜びはしない! 何よりこれは誇りを守るための戦いだ・・・僕なんかが・・・手を出しちゃいけないんだ・・・!)

 今の自分ができることはただひとえに一護の勝利を信じることのみ。

 そして、目には見えぬ神にひとしお強く切実な願いを祈祷することばかり。

「・・・死ぬな・・・! ・・・・・・一護さん・・・・・・ッ!!」

 

 雷鳴轟き、篠突く雨が体に刺さる。

 血も涙も何もかもを洗い流す雨の中、ボロボロの黒衣に身を包む男・黒崎一護と同じく満身創痍の魔導虚(ホロウロギア)・ベファレンは向き合っている。

『はっ、はっ、はっ、どうした。刃が鈍っているぞ。そんな剣じゃ俺は殺せない』

「はっ、はっ、はっ、俺は死神だ。そして医者だ。あんたが(ホロウ)である限り俺はたとえ恩師でも斬るしかない。だだ・・・・・・医者として俺は最後まで患者のために寄り添う!」

 死神としての誇り。医者としての誇り。相反する二つの誇りを背負い、一護が背中に抱えたのはどちらも『守る』ことへの強い執念だった。

 それを聞いた直後、ベファレンの口元が若干嬉しそうに吊り上がった気がした。

 次の瞬間―――ベファレンが刃を携え全速力で突進。一護の首筋目掛けて豪快に刃を突き立てた。

 しかしながら、刃は首筋に当たるや何か固いものに阻まれたかのようにピタリと止まった。見れば一護の頸動脈付近に特殊な筋が浮かび上がっていた。

 かつての霊王護神大戦にて一護が自分の中に眠りし滅却師(クインシー)の力に覚醒した際に発現した滅却師(クインシー)特有の防御術『静血装(ブルート・ヴェーネ)』。それによって破面(アランカル)鋼皮(イエロ)並に硬質化した皮膚の前では通常の刃は取らない。

 一護は呆気にとられるベファレンの一瞬の間隙を突き―――振り上げた斬月を豪快に力強く、振り下ろす。

 

 ドン――――――

 

 ついに戦いの終止符が打たれた。

 身の丈を超える巨大な刀で頭から斬られたベファレンは沈黙。一護の前でぐったりと倒れこむとそのまま動かなくなった。

「は――――っ。は―――っ。は―――・・・っ」

 最早立っていることさえ限界に近かった。

 熾烈を極める戦いを制した途端、一護は全ての力を使い果たした様子で膝を突きぐったりと前に倒れこむ。

「あなた!!」

「一護さん!!」

 織姫とユーノが雨に身体を濡らしながら一護へ駆け寄る。

 二人の声に気づいた一護は辛うじて意識を保ちながら疲労困憊ながら笑顔を取り繕った。

「・・・よォ。悪かったな・・・・・・ユーノにも迷惑かけちまって」

「・・・・・・馬鹿言わないで下さいよ・・・僕にもっと迷惑かけろって言ってるのは・・・あなたじゃないですか」

「・・・そうだったか・・・・・・へへ・・・・・・」

 ほどなくして、斬月に斬られた事で魔導虚(ホロウロギア)化が解けた百目鬼が元の姿へと戻る。

 だが悲しい事かな。彼は既に絶命しており、残された最後の生命エネルギーも魔導虚(ホロウロギア)化の際に使い果たしてしまった。

 一護はこの世に綺麗な亡骸を残して昇天した百目鬼の身体をそっと抱きかかえる。

「先生・・・・・・!」

 ピクリとも動かない。こんな筈じゃなかったと後悔したところで何も意味はない。沈痛な面持ちの一護を見ながら、ユーノは言葉を紡ぐ。

「・・・確かにこの人は被害者です。医学界は管理局に負けず劣らず権威主義に塗れた魔窟です。百目鬼先生はただそんな世界に真っ向から立ち向かっただけです」

「・・・ゴメンな・・・俺・・・医者の癖に先生を助けてやれなかった・・・・・・・・・」

 零れ落ちる涙が雨と一緒に冷たくなった百目鬼の頬へ伝わる。

 織姫は悔しくて小刻みに体を震わす一護を勇気づけようと、肩に手を当て和やかな表情で呼びかける。

「・・・・・・一護くんは、立派に務めを果たしたよ。一護くんがいなかったら、先生の魂は永遠に救われることはなかった。だから、胸を張って」

 その言葉で幾分気持ちが楽になった。

 一護は今の今に至るまで自分を見続けてくれた師に精一杯の敬意を表し、穏やかに笑いかける。

「・・・先生、ありがとうございました・・・!」

 

           ◇

 

5月26日―――

東京都 某寺院

 

 都内にあるとある寺院でしめやかに行われた故・百目鬼遥の葬儀。

 葬儀に参列した一護と織姫は墓石に百目鬼の遺品として残った義肢を備える美雪とともに手を合わせる。

 そして心中、一護は百目鬼を破滅へと追い込んだ医学界の腐敗と医者としての使命について自問自答し続ける。

(派閥、金、くだらないプライド、確かに今の大学病院は腐ってやがる。患者を助けないで何の医者だ!)

 拳を強く握りしめる一護。

 やがて、踵を返し織姫達に背を向け元来た道を戻り始める。

(一護くん・・・・・・)

 彼の背中が語るもの―――織姫は機敏にそれを理解し、それゆえに胸が張り裂けそうだった。

 

 

 ―――「それでも俺たちは・・・俺たち医者は、メスを取らなきゃならないんだ」

 ―――「たとえ明日には虐殺の王になろうとも、医者はその命に為にメスを振るう」

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 『BLEACH 3巻』 (集英社・2002)

原作:久保帯人 著者:成田良悟『BLEACH Can't Fear Your Own World 1』 (集英社・2017)

 

 

用語解説

※ルチャドール=スペイン語でプロレスを意味するルチャリブレの選手で、男性を指すときの言葉。




登場人物
百目鬼 遥(どうめき はるか)
声:山寺宏一
元順天堂大学の外科医で一護の恩師。フランケンシュタインの怪物のようないかつい顔をしているが、根は善良。交通事故で四肢を失って職を追われる。両手足には自身が開発した義肢を装着している。幼馴染の小泉美雪という恋人がいる。
外科医として再起するため、手術器具を格納した特殊義肢とそれを自在に操作する機器を開発し、それらを自身に組み込み、これを用いた司法解剖をやり遂げる。しかし、機械仕掛けの人間に手術をされることを怖れた患者にその後の手術の予定をキャンセルされ、再起の道を絶たれる。その直後、かつての事故の原因が人為的なものだったことを知り、憤慨。多野を問い詰めた際に転落事故に巻き込まれ、死にかけていた所をクアットロに目を付けられ魔導虚化。事件の関係者への復讐を決意すると、事件の真相を知る蛭魔の左腕を切断し、多野と鯖目を死に至らしめた。
一護との壮絶な死闘の末に敗北。魔導虚化が解かれた時には既に魂は肉体から抜け落ちており、その亡骸は一護らによって回収され、都内の寺院で葬儀が挙げられ、形見の義手も墓に添えられた。
小泉 美雪(こいずみ みゆき)
声:桑島法子
遥の幼馴染であり婚約者。事故で両手足を失った遥との結婚を控えていたが、蛭魔達に外科医としての再起を邪魔された事に怒り、遥が魔導虚となってしまった事で全てがご破算となった。葬儀の際には形見の義手を彼の墓前に供える。
蛭魔(ひるま)
声:諏訪部順一
順天堂大学の外科医で百目鬼の学生時代からの友人。現在の内神田院長の派閥として大学病院の権威を得るために百目鬼を陥れた張本人。
事故の真相を確かめる為に現れた百目鬼に詰問され、魔導虚化した百目鬼によって左腕を落とされる自業自得の結果を招いた。
多野(たの)
声:間島淳司
順天堂大学教授。外科医としての再起を図る百目鬼の手術を妨害する為、百目鬼が行った司法解剖時の写真を彼が担当するはずだった患者へ送りつけた。その後、事故の真相を確かめようと車へ乗り込んだ百目鬼に詰問され、操作を誤り崖下へ転落し焼死体となって発見された。
鯖目(さばめ)
声:平川大輔
順天堂大学教授。多野・蛭魔とともに帝都大学病院の内神田派閥に属する。百目鬼が大学病院に戻ることで権威失墜を恐れ蛭魔と多野とともに百目鬼の再起を邪魔した。そのことが仇となり、魔導虚となった百目鬼に恨みを買われてしまい、左脚を斬られた際の大量失血で死亡した。
内神田(うちかんだ)
声:井上和彦
順天堂大学院長。副院長だった当時、改革派の蛯名副院長と熾烈な派閥争いを繰り広げ、劣勢を翻るために同じ派閥だった蛭魔らと共謀して蛯名を陥れようとし、結果として百目鬼が四肢を失う遠因を作った。



登場魔導虚
ヨミテリウム
空座町に出現したナマケモノのような外観をした魔導虚。肥満体系の男性を素体とした融合型の魔導虚でだが戦闘力はさほど高くなく、一護によって一撃で倒された。
のちに素体となった男性のミトコンドリアからピコメートルサイズの虚化因子が見つかったことにより、ユーノはスカリエッティの狙いが全地上の生物を虚または魔導虚化する「虚焉」であると突き止めた。
名前の由来は、南アメリカ大陸に生息していた巨大なナマケモノの近縁属である「メガテリウム」から。
ベファレン
声:山寺宏一
かつて順天堂大学の派閥争いに巻き込まれて手足を失った百目鬼遥が幼生虚と融合して誕生した魔導虚。
機械の脚を持ち、左腕には鋭利な刀、鬼の如く仮面で覆われた姿をしている。純粋な復讐心を糧としている為、戦闘能力は非常に高く、外科医としての再起を奪った蛭魔達を次々と襲う。
左腕に装着された刀から魔力と霊力の斬撃を飛ばし攻撃する「鏖斬り(スコップアウト)」や自分の姿をかたどり、相手の油断を誘う「身体転写(トレース)」という技を使う。
魔導虚化して間もないことから自我が完全に喪失する前の一護に立ち退くよう言うが断られ、死神としての覚悟を決めた一護と一進一退の攻防の末、滅却師の防御術「静血装」を用いた一護に隙を突かれ、最期は斬月によって斬り伏せられた。
名前の由来は、ドイツ語で「襲う(災害・恐怖など)」を意味する「befallen」から。


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第20.5話「ディアブロス・ホリデー」

 悪魔、堕天使、妖魔―――・・・・・・。

 三大勢力と称される闇の種族が群雄割拠し、一年のほとんどを黒い厚雲がかぶさる世界《ノワール》。

 はぐれ悪魔・カルヴァドスの名を知らぬ者などこのノワールの地にはいない。

 それは、闇の生き物が蠢く魔界に巣食う恐怖と残酷の代名詞。

 

 カルヴァドス―――ノワール全土に狂気を撒き散らし、すべての闇の生き物達の生き血を啜り、自らの楽天地を建設する野望を抱く。

 カルヴァドスには腹心の四天王有り。

 パンデモニウム・ルドガー・バグラス・テルアビブ。四人の『暗黒大元帥』、東西南北の大陸を攻める。

 

 だがそこに一人の魔王が打倒カルヴァドスを旗に掲げ立ちあがる。

 魔王ヴァンデイン・ベリアル―――仲間達と共に西のルドガー軍を迫る。

 さらに北のパンデモニウム、南のテルアビブを倒し、魔王を筆頭とした悪魔と堕天使、妖魔の連合軍団、大陸の果てに居を構えるカルヴァドス城に攻め入る。

 

 戦いは熾烈を極めたが、やがて魔王軍はカルヴァドス率いる異形のテロ集団「カルヴァドス派」の一掃に成功する。

 およそ一年にも渡るテロ集団との戦いに終止符が打たれ、ヴァンデイン・ベリアルはノワール全土に念願の【パクス・ディアブロ】を実現させた。

 

 

 

 それから間もなく―――魔王は異界より現れた《翡翠の魔導死神》と出会った。

 

           ≡

 

新歴079年 5月30日

第97管理外世界「地球」

東京都 松前町 スクライア商店

 

『都内で相次いでいる連続路上強盗事件ですが・・・・・・未だ犯人は捕まっておらず、付近の防犯カメラにはそれらしき人物も映っていないことから警察の捜査は難航しています―――』

 テレビから流れる報道を耳に入れながら、ユーノは様々な事を並行して行っていた。

 帳簿の計算から論文の作成、果ては新型カートリッジの改良など多岐に渡る事柄を備え持った極めて精度の高い並列処理(マルチタスク)によってこなす。

 二つ以上のことを同時に思考・進行させるマルチタスクは戦闘魔導師において必須のスキルであり好むと好まざるとに関わらず身につけなければならない技術である。

 だが、人間の脳はコンピューターと異なり同時に行う作業が増えるとともにその処理能力は著しく低下し、十分なパフォーマンスを発揮できなくなる。ゆえに魔導師の多くは処理軽減の為のデバイスを使用する。

 しかし、ユーノは一般的な魔導師のようにマルチタスクにおけるパフォーマンスレベルの低下が殆ど見られない。デバイスを必要としないのもそういった点が挙げられる為であり、何事も彼は自力でこなしてしまうのである。

「これでよしっと・・・・・・あとはマギオン自動反応炉の調節さえすれば」

 作業に取り掛かってから数時間と経たないうちに課題を終えようとしていた矢先、店の外からドンドン、と戸を叩く音がした。

「あ、はーい! 今行きまーす」

 呼ばれたユーノが来店者を出迎えるべく戸を開いたとき、そこに立ち尽くしていたのは――――――。

 

「ふははははは!!!!! 元気だったか我が心の友よ!!! ヴァンデイン・ベリアルが遥々ノワールより尋ねてきたぞ!!!」

 白皙(はくせき)の中性的な容姿、黒と紅色のツートンカラーで構成された重力を無視した独特の髪型、革の赤いロングコートに身を包んだ男はユーノを前に両手を広げ最高潮に達したテンションで笑いあげる。

 見た瞬間、ユーノは茫然とした表情で眼前の男を見―――しばらくしてから現実を拒否するかのように、店の戸をおもむろに閉め始める。

 その行動を目の当たりにするや、尋ね人―――ヴァンデイン・ベリアルは焦燥を滲みだし、戸の間に脚を挟みユーノの行動を制止させようとする。

「ま、待ってくれ!! なぜ急に扉を閉めるのだ!!! ユーノ!?」

「いきなり過ぎるんだよ!! 来るなら来るって事前に連絡したらどうなんだ、ディアブロス・ブラッドヴァンデイン・ベリアル!!」

「そこは“ヴァン”でいい!! サプライズなんだよユーノ!! なんでもいいからこの扉を開けてくれ心の友よ!!!」

 

 店先での一悶着を経て、ユーノは地球とは異なる世界・ノワールで魔王として君臨する友人を自宅兼店へと迎え入れる。

 茶の間にてヴァンデインは出された番茶をおもむろに啜り、舌先より伝わる独特の風味と苦みを好意的に捕らえる。

「うむ。これが()()()()()という飲み物か。なるほど・・・実に興味深い」

 独特なイントネーションで番茶を飲み進めるヴァンデインを見ながら、ユーノはやや気の緩んだ表情で語りかける。

「やれやれ・・・一国の魔王様が遠路遥々この辺境の異世界までご足労なことだよ。それにしても何だいその格好は? いま5月だよ。季節感ってものを考えなかったのかい?」

 改めてユーノは季節感を度外視したヴァンデインの格好を指摘。これを受け、本人は自信に満ちた表情で語りかける。

「フフフ・・・大事なのは外見ではなく機能性だ。このコートは私が無意識に垂れ流す魔の波動を完全にシャットアウトしてくれる優れものでな。人間達が私の波動に充てられおかしくならない様に細心の注意が払われている」

「なるほど。で、今日は単なる休暇ってわけじゃないんだろ?」

「そのとおりだ。今日はお前に会うとともにこの世界の文化を見学しにきた。そしてここで見て感じた事を帰ってからノワールでも活かすつもりなのだ」

「つまりは視察旅行というわけだ。前にノワールを訪問してからずいぶん経つけど、今はどんな感じなの?」

「やるべき事は山積しているさ。ただ、手付かずだった領地の開拓とインフラの整備、異なる部族同士による和平調停は極めて順調に進んでいる」

「そう言えば前の和平交渉ではとんだ目に遭わされたよね。カルヴァドス・・・だっけか? ノワール史上最悪のはぐれ悪魔の息のかかった残党と堕天使のお陰で一時はどうなるかと思ったよ」

「あのとき・・・・・・暴走した私を必死で止めようとしてくれたお前には感謝してもし切れないよ。改めて良い友を持ったと実感している」

「こそばゆい言葉だね。ま、嬉しいっちゃ嬉しいけど」

 魔王とそれにまつわる同時の記憶を思い返しながら、ユーノは表情金を緩め―――やがておもむろに立ち上がる。

「わかったよ。今日は僕がヴァンを町まで案内する。これからのノワールの国作りに少しでも役立てるよう協力する。行きたい場所のリクエストがあれば何でも言ってよ」

「では、お言葉に甘えさせてもらう」

 

「ユーノ・・・・・・ひとまず腹を満たしたい。私を旨い食事処に連れてってくれ」

 

           *

 

松前市 商店街 そば処閻魔

 

「へい、お待ち!」

 ヴァンデインのリクエストに答え、ユーノは行きつけの蕎麦屋へ連れてきた。

 ユーノの目の前でヴァンデインは熱々のかつ丼を慣れない箸を使って夢中でかぶりつく。

「うまい!! ユーノ、この獣肉に穀類を纏わせ高温の油に浸し、鳥類の卵をぐちゃぐちゃにしてそれを上にかけ、魚汁もってそれをさらに加熱したこの食べ物はなんだ!?」

「身も蓋もない質問をありがとう。かつ丼と言ってね、この国じゃ一般的な食べ物だよ」

「カツ・ドゥーンか! なるほど力強い響きだ。興味深い・・・・・・よし決めたぞ。これを我が国の国民食としよう!」

「大袈裟だな。まぁ気に入ってもらえたのならいいけどさ・・・ひとつ言わせてくれるかい? かつ丼であってカツ・ドゥーンじゃないからね」

「細かい事は気にするな。カツ・ドゥーン・・・・・・ノワールへ帰還したら真っ先にこれを全土にも広く伝えていかなければ」

(かつ丼よりもっと美味しい食べ物他にもあるんだけどなー。ま、本人が気に入ってるみたいだしいいか)

 心の中で思いながら、ユーノは温かい目でかつ丼を貪るヴァンデインを見守った。

 

「ふぅー。満腹だ」

 小一時間後、食事を終えた二人は店を出る。

 たらふく平らげた事を顕著に表すヴァンデインの膨れた腹を見、ユーノはやや呆れた様子で呟いた。

「やれやれ・・・・・・かつ丼だけで六杯も食べれるなんて。いい魔王が聞いて呆れる」

「なぜ呆れる必要がある? 美味いものは腹いっぱい食べたいと思うのが自然だろう」

「そうだね。その悪魔染みた欲望こそ魔王と呼ぶのにふさわしいよね」

 欲望に忠実でありながら他人に迷惑をかける事を好まないヴァンデインの魔王らしからぬ態度。当初こそ困惑していたユーノだったが、今となっては羨望にも似た感情を抱くようになった。

 その魔王をふと見れば、まるで子供のように目の前から次々と飛び込む目新しいものに瞳を輝かせていた。何より彼が強烈に驚き感動したのは、天上の青空と真上から燦燦と照り付ける太陽だった。

「それにしてもこの世界の空は美しいな。こんなにも明るい空を私は見た事がない。ノワールではいつだって赤黒く淀んでいるからな」

 ノワールでは何百年もの間―――太陽というものがほとんど顔を出さず、極夜に近い気候が大陸全土を支配している。ゆえに鮮やかな春夏秋冬を彩る地球の気候そのものに衝撃を抱いたのだ。

 すると、ユーノが不意に疑問に感じたことをヴァンデインに問いかける。

「今さらだけどさ・・・悪魔が太陽の下で肌を晒しても問題ないの?」

 悪魔=闇の世界の住人というイメージが強いため、ユーノはコートを着ているとはいえ直に紫外線と太陽光を浴び続けるヴァンデインの体を気遣った。

「愚問だな。私のような純潔の上位悪魔ともなればどの世界のどの環境にも即時適用できるようになっている。よって、紫外線などと言うものに私の肌が侵されるという心配は無いのだ」

「世の女性が聞いたら泣いて羨ましがるような話だね」

「そういうお前の肌も綺麗じゃないか。一体どうやってスキンケアをしてるんだ?」

 男性とは思えぬきめ細かい肌を持つユーノを逆に問い質すヴァンデイン。これに対し、当人は「単に家に籠りがちなだけだよ。」、と自虐的に答える。

「さてと・・・・・・お腹も膨れたことだし、ぼちぼち都内を見学するとしよう。どこに行きたい?」

「ん~・・・、色々あって目移りするな。成る丈おもしろそうな場所がいいのだが・・・・・・お!」

 ふと周りを見渡していた砌、ヴァンデインの瞳に映った建物。

 見た瞬間に強い興味を抱いた様子の彼は眼前に佇む施設を指さしながらユーノへ問い質す。

「ユーノ! あれはなんだ!?」

 ヴァンデインの指さす方に目を転じれば、ボウリングのピンを模した巨大なオブジェが特徴的な大型施設があった。

「アラウンドワンだよ。簡単にいうとアミューズメント施設かな」

「アミューズメント施設! それはいい。ちょうど食後の運動がてら体を動かしたいと思っていた所だ。よし。ここへ入ろう!」

「え!? ヴァン、それ本気で言ってる?」

「そうだが・・・なんだその微妙な反応は? 男同士で入るのに何か不都合でもあるのか?」

「いやそういうわけじゃないんだけど・・・・・・ただ何となく気が引けると言うか」

「ふむ。お前も意外と小心者のようだな。そんなことでは好きな女子をモノにするなど一生かかっても出来んぞ」

「大きなお世話だよ! だいたいなんで急にそう言う話になるんだよ!」

「はははは。まったくお前と言う奴は相も変わらず奥手みたいだな。実に分かりやすい。よし・・・ここは私が一肌脱ごう。奥手なお前を鍛え直してやる。付いてこい!」

「あ、ちょっと!! ヴァン!! 言い忘れたけど、ここは『リア充』と呼ばれる若者が多く集まる場所であって・・・・・・ちょっとぉぉぉ―――!!」

 気乗りしないユーノの制止を振り切り、ヴァンデインはやや強引にユーノの手を引っ張り意気揚々と店内へと入っていった。

 

           *

 

東京都内 アラウンドワン

 

 土曜日の昼間ということもあり、店内は多くの若者が溢れていた。

 店に入ったユーノ達は十代から二十代を中心とする客層の目から見ても非常に浮いており、やや不審がられた目で見られていた。

「ほう。いろいろあるんだなー」

「あぁそうだね」

 周りからの痛い視線にも動じないヴァンデインとは裏腹に、こうなる事を予期していた為、ユーノは居心地悪そうに表情が強張らせる。

(かぁ~~~完全に場違いなところ来ちゃったよー。なんで男二人こんなリア充御用達施設に入らなきゃならないんだよ)

 入る前からユーノの中でのアラウンドワンの曲解されたイメージも先行していたが、いずれにしても自分が好んで来るような場所ではないことは明白だった。

「よし決めた。ユーノ、まずはこのボウ・リーングとやらからやってみよう」

「ボウ・リーングじゃなくてボウリングだからね。ノワールの発音はいろいろと訛りすぎだろ」

「細かいことは気にするな。さぁ受付に行くぞ!」

 

 言われるがままボウリング場へやってきたユーノ。

 受付の為に列に並んでいた折、ふとヴァンデインが近くで幸せそうにしている一組のカップルを発見―――その際女性の服装に目を光らせる。

「ユーノ。あの女子だが・・・」

「え?」

「あの服、洗濯を失敗したようだな」

「失敗って?」

「見てみろ。襟元が伸び切ってブラジャーのホッグが見えているではないか。あんな格好を男の前で平然と晒すなどどうかしているぞ」

 率直に思ったことを口にするヴァンデイン。

 聞いた瞬間、ユーノは正しいようでズレた事を指摘した魔王の発言に唖然。気恥ずかしそうに頬をやや紅潮させ、誤解の無いように説明する。

「あのねヴァン・・・あれはオフショルダーっていって元々ネックラインが大きく開いているんだ。それに肩から見えてるのは見せブラだから別段問題ない」

「な・・・・・・なんだと・・・・・・あれは他人にわざと見せるために着用する事を許容したこの世界独自のファッションだというのか?!」

 つい大声をあげて吃驚するヴァンデイン。周りの目が一斉に向けられると、ユーノはこの上もなく恥ずかしい心地となる。

「ヴぁ、ヴァン! 人前でそんな大きな声で何言ってるんだ!? 見られてるよ僕ら!」

「うむ・・・実に興味深い。やはりこの世界は素晴らしいぞ!! そう思わんかユーノ!!」

「わかったから!! だから少しは僕の立場もわかってくれ!!」

 一重にユーノがヴァンデインに求めたのはひとつ―――「空気を読んでほしい」というある種無理な願いだった。

 

 受付を終えゲームで使用する球を選んでいた時だった。ヴァンデインはボウリングの球を持ちながら何故か神妙な面持ちで沈黙を貫いている。

 不思議に思うユーノだったが、不意に彼の方から質問が飛んできた

「この遊びは・・・・・・この球を転がしてあのピンを倒すのか?」

「そうだよ」

「やはりそうだったか。地球人は何と恐ろしい遊びを考えるんだ!!」

「恐ろしいって何が?」

「だってそうじゃないか!! タマを転がすんだぞ!? 男の勲章ともあろうべきものをよもやピンを倒す為に転がすなど・・・明らかに普通ではない!! どんな時でもタマは大切にするべきだ。あとで嫁に慰めてもらう男がこの世界にはどれくらいいるか知らんがな!」

「お前の中の球転がしのイメージはどうなってるんだ!? ほとんど睾丸(・・)の話しかしてないじゃないか!!」

 まさかこのような猥談になるとはさすがのユーノも思っていなかった。

 兎に角、ヴァンデインにはボウリングの間違ったイメージを払拭してもらうしかなかった。

 ユーノはボウリング初心者の彼にもわかりやすく実演。一回の投球でストライクを取って見せてから説明を交える。

「とまぁこんな感じに最終的により多くのピンを倒した方が勝ちね。1ゲームで10本のピンを全て倒すとストライクとなる」

「なるほど。よし!」

 ゲームのルールを概ね理解し、ヴァンデインは選りすぐった球を持つとおもむろにレーンの前に立つ。

 呼吸を整え、ユーノの投球法を真似て手に力を入れる。

「とりゃああ」

 と、声をあげたのが重大な誤りだった。

 結果として脚に余計な力が加わり、ヴァンデインは体勢を崩すやレーンの上を転がった。

「のあああああ」

「ヴァン!?」

 滑った際に手元から離れた球と自身の睾丸が思い切るぶつかった。その想像を絶する痛みによってヴァンデインの顔から忽ち血の気が引いた。

「ヴァン、だいじょうぶかい?」

「あぁ・・・・・・これくらい・・・・・・なんともないぞ・・・・・・///」

 明らかにやせ我慢をする魔王の姿が痛々しかった。

(この男は・・・ほんとうにノワールを統べる魔王なのか?)

 魔王であっても所詮は男。その痛みは世界共通である事をユーノは知るとともに、目の前の男が魔王であるということを心底疑った。

 

 二人はその後、目ぼしいアトラクションを一通り楽しんだ。

 ヴァンデインは様々な失敗と経験を重ねていきながら、誰よりもこの施設を満喫した様子だった。

「ユーノ! ここはスゴく楽しいな! 是非ともノワールにも同じ施設を作って家族や大勢の悪魔や魔族を楽しませてやりたい」

「それはそれは・・・楽しんでもらえて良かったよ」

「にしても不思議なものだな。武芸の稽古でもここまで高揚したことは無かったのに、何故こんなにも心が湧き立つのだろうか」

 疑念を抱くヴァンデインの問いかけに、ユーノは達観した意見を述べる。

「義務や責任感から解放されて自発的にやるかの違いじゃないかな。魔王としてではなく友人同士でこうして談笑しながらね」

「なるほど。確かにそれは言えてるな。よし! ならばもっとこの施設を楽しもうじゃないか!」

「でもスポーツアトラクション系の目ぼしい所は大体・・・」

「何を言っている。むしろ本番はここからだ。これを見ろ!!」

 そう言うと、ヴァンデインはユーノに館内の見取り図を見せ―――この時とばかりにとっておきのものを嬉々として見せる。

「プールがあるじゃないか!!」

「へ?」

 一瞬呆けてしまったユーノだったが、この後否が応でも非情な現実と向き合わされる事となる。

 

           *

 

アラウンドワン別館 屋内プール施設

 

 結局水着をレンタルし本館の隣に建造された屋内プール場へとやってきたユーノ達。

 屋内プールだというのに、ユーノは人目を酷く気にした様子で帽子と羽織だけは常に着込んでヴァンデインの到着を待ち続ける。

(僕はさっきから何をしているのだろう。何が悲しくて男同士二人きりでプールに来ているのだろうか)

 周りを見れば家族連れよりも若いカップルばかり目に付く。ユーノからすれば居心地の良い空間と言えず気が引けてしまう。

「はぁ・・・・・・独身男には肩身が狭い。いっそのこと女性として生まれた方が良かったのかな・・・・・・」

「待たせてなユーノ。着替えに手間取ってしまった」

 本気で生まれた性別について思い悩んでいたユーノの元へ性別はおろか細かい事を一切気にしない男、もとい悪魔が満面の笑みで現れた。

「ん? 何を困った顔をしているのだ?」

「いやね・・・自分の性別についていろいろとね」

 言っている意味がイマイチ分かりかねたものの、ヴァンデインは純粋に今まで経験したことのないプールの広さに驚きを抱く。

「しかし驚いたな。こんな屋内にこれだけ壮大なプールがあるとは流石に思わなかった。我が家でもこうはいかんぞ」

「ここは公共施設だからね。私有地のプールとは訳が違う」

「時にユーノ。なぜ上着を脱ごうとしない? 裸を見られるのがそんなに嫌か?」

「ある意味では正解だよ。ちょっとこう言う人目の多い場所では都合が悪いんだ。ていうか前に一緒に風呂に入ったんだから知ってるだろう。僕の背中には・・・」

「あぁそうだったな! しかしアレくらいの()()()()なら誰でもしているだろう」

「公共施設っていうのはいろいろとうるさいんだよ。それに、僕のはタトゥーじゃない。好きで刻んでるわけじゃないんだ」

「冗談だよユーノ。まぁ何にせよ、お前はまだまだ女々しい。男ならもっと堂々と振る舞えばいい。そんなんだからいつまで経っても奥手のままなんだ」

「だから大きなお世話なんだよ! 悪かったな女っぽくて・・・・・・僕だって本気で気にしてるんだ」

 事あるごとに女々しさを痛感させられるユーノ。そんな彼に更なる追い打ちがかかる。

 

「へーい。彼女!」

「オレらと遊ばなーい?」

 ユーノの外見から女と勘違いした若い男二人が声をかけてきた。

 顔を見なくてもこの手の男の事は概ね予想がつく。派手に髪を染めてピアスをつけているチャラ男の軽はずみな言動に、ユーノは振り返るなり鬼面を向ける。

「誰が女だって・・・・・・あぁ?」

「「ひやあぁぁぁああああああああああああああ!」」

 女性とばかりに思っていたチャラ男達の悲鳴が響き渡る。

 男であると思い知らされ、なおかつヤクザ顔負けの形相で睨みつけられた瞬間、命を惜しむかのように彼らは即時撤退を決め込んだ。

「ったく・・・どいつもこいつも人のこと馬鹿にして!」

 かたわらで先ほどのやり取りを見ていたヴァンデインもユーノが色々苦労している事を暗に理解し、内心同情を寄せる。

 何とか彼の機嫌を直してやろうと辺りを見渡していた折、ふと瞳にプールではしゃぐ一組のカップルの姿が映った。

 楽しそうに水をかきあっている男女。それを見たヴァンデインはユーノに提案する。

「どうだろうユーノ。あれでもやって日頃のストレスを発散しないか?」

「その提案は全力で却下させてもらう! ヴァンは無意識に独身男の傷口を抉るのが好きと見れるねー。あ~あ、これだから既婚者は嫌なんだ。どいつもこいつも独身者を蔑んだり哀れんだ目で見てさ!」

「わ、悪かった。私が悪かったよ。そんな風にささくれないでくれ!」

 機嫌を直してもらうはずが余計にこじらせてしまった事を猛省。

 何とかしなければとより注意深く周りを見渡す。すると今度は飛び込み台が見えたのを見、ヴァンデインはパっと閃いた。

「あれなんか面白そうだぞ。ちょっと行ってみるか?」

「あれって・・・・・・飛び込み台じゃないか! 危ないよ」

「そうか。ならお前はここで見ていろ。私一人で行ってくる」

「いや、人の話聞いてた? 危ないんだってば!」

「心配はいらん。何かあったらすべて私の責任だ。お前が気負う事などない」

「あ! ヴァン!」

 ユーノの制止を振り切り、ヴァンデインは一人で飛び込み台へと向かった。

 飛び込み台を利用する者は早々に居ない。ゆえに自然と利用者の視線がヴァンデインへと向けられる。

(果てしなく嫌な予感しかない・・・・・・)

 ユーノの憂慮が最高潮に達した瞬間―――

「いーくぞー!! とう!!」

 助走をつけると飛び込み台に脚をかけ、勢いよく飛び降りる。

 直後、ユーノの懸念は的中―――強い力で水に体を叩きつけられたヴァンデインの体は水に浮かんだまま暫し動くことはなかった。

「あぁ・・・・・・もろ腹打ちしちゃったよ」

 

「べええええええええええええ!」

 盛大に飛び込みに失敗した結果、ヴァンデインはユーノの元へ戻ってくるなり昼食にがっつり食べたカツ丼を全て戻すという醜態を晒す羽目になった。

 バケツに吐しゃ物を入れる魔王の隣で、ユーノはほとほと呆れていた。

「やれやれ・・・。腹打ちした挙句に昼間食べたかつ丼を戻すのはやめてほしいよ」

「私としたことが・・・不覚だった・・・///」

「こんなこと言うのも申し訳ないけど・・・本当にヴァンって魔王なの? ど天然キャラ前面に押されてもこっちもリアクションに困るんだよね」

「失敬な男だな・・・・・・私はこう見えてもベリアル家第999代当主にして・・・・・・ヴぇええええええええええええええ!」

 少なくとも、ユーノの中での魔王は人前で嘔吐するイメージは無かった。

 ありとあらゆる事で期待を裏切る結果を伴う魔王を甲斐甲斐しく世話をする魔法使い、もとい魔導死神とは何なのか・・・・・・内心そう思っていると、またしても耳元から痛い言葉が聞こえてきた。

 

「おねーさん一人? 俺らと遊ばない?」

 聞いた瞬間、ユーノは露骨に形相を浮かべ怒りの炎を燃やす。

「だーかーら・・・・・・おどれらぁ今が何世紀なのか知ってるのかオラァ!?」

 振り返るなりドスの利いた声で驚かせたつもりだったが、視線の先には誰もいなかった。

「あれ・・・・・・僕じゃない?」

「あっちみたいだぞ・・・」

 げっそりとしたヴァンデインが指さす方を注視。

 すると、意外過ぎる人物を目の当たりにした。若い男達にナンパされていたのは紫のビキニ姿を披露する幼馴染の女性―――月村すずかだった。

「すずか!?」

「ユーノ君!」

 困り果てていたすずかにとって地獄で仏とでもいうシチュエーションだった。

 ユーノを見つけるや駆け足で近づき、縋るように彼の腕にしがみ付く。この行動にユーノは思わずきょとんとする。

「えと・・・そこの青髪の美人さんや」

「なんですか金髪の美人さん?」

 親し気な二人の関係を見た男達は白けた様子で立ち去って行った。

 安堵したすずかは溜息を吐く。その直後、ユーノは気恥ずかしそうに咳払いをする。

「す・・・すずか。そろそろいいかな?」

「え?」

 言われて、すずかは自分の行動を顧みる。

 ユーノの腕にしがみついた際、彼女は自分の豊満な胸をユーノの腕に惜しげもなく当てていたことに今更ながら気が付いた。

 奥手なユーノからすれば嬉し恥ずかしいシチュエーション。そしてすずかにとっても羞恥心を隠し切れない事だった。

「うわあああ!!! ご、ごめんなさい!! 迷惑だったよね!!」

「い、いや。別にすずかが困ってるなら仕方ないけど・・・///」

 どこかぎこちない二人の会話が初々しさを醸し出す。

 すると、傍で見ていたヴァンデインはユーノを見―――下卑た笑みを浮かべながら下顎に手を添えていた。

「な、なんだよその顔は!? 違うからね! すずかとは別にそういう関係じゃなくて、ただの幼馴染であって!!」

「いや~、てっきり奥手だとばかり思っていたのだが・・・・・・なんだ。お前もやることはきちんとやってるんじゃないか」

「だから誤解なんだよ!! 少しは人の話をきちんと聞け!!」

「えっと・・・ユーノ君、この人は?」

 素性を知らないすずかがおもむろに尋ねると、ヴァンデイン自らすずかに対し魔王としての礼節を踏まえた自己紹介をする。

「お初にお目にかかる。私はディアブロス・ブラッドヴァンデイン・ベリアル―――ユーノの友だちだ」

「そうなんですか。初めまして、月村すずかです。同じくユーノ君の友だちです。でもできればその・・・・・・///」

 と、唐突に赤面したすずかはユーノの方を一瞥。

 怪訝そうにすずかを見るユーノだったが、彼女は気恥ずかしそう目を逸らすと、しばらく目を合わせようとはしなかった。

 

 その後、プールから出た三人は休憩スペースで飲み物を飲みながら話をする。

「ごめんなさい。事情が事情とはいえユーノ君に迷惑を掛けちゃって」

「別にいいよ。それよりすずかはどうしてここに?」

「あ、そうだった! 実はファリン達と一緒に来たんだけど・・・途中ではぐれちゃって。あの子とてもおっちょこちょいだから心配なんだ」

 日本の基幹産業―――重工業・月村建設の跡取り娘であるすずかには専属のメイドがおり、彼女はその一人であるファリン・K・エーアリヒカイトの事を心配していた。

 話を聞いたユーノ達は顔を見合わせ―――やがて柔らかい表情を浮かべてからすずかに言う。

「ならば我々も一緒に探そう。そのファリンというメイドも一緒に君を探されてると思うし・・・」

「え!? そ、それは嬉しいですけど・・・ユーノ君やヴァンさんのご迷惑じゃ?」

「別に僕ら急ぐ予定もないし。すずかも心配でしょ?」

「ユーノ君・・・・・・ありがとう!」

 他人想いなユーノの性格にすずかは心から感謝を抱く。同時にそんな彼のそばに居られる事をこの上ない幸運と捕らえた。

 

 ―――ドカーン!!!

 

 刹那、ユーノ達の耳に突如鳴り響く爆発音。

 地面を伝わる猛烈な振動にバランスを崩しかける中、彼らが見たのは爆煙をあげて崩れ落ちる陸橋だった。

「なんだあれは・・・!?」

「一体どうなってるの?」

 ユーノとすずかが不審に思っていたとき―――ヴァンデインの瞳に信じ難いものが映った。

「!」

 煙の中から風を切り裂き現れる飛翔体。

 目を凝らすと、美しい容姿の少年の背中にコウモリと酷似した悪魔特有の翼が生えており、不遜な笑みを浮かべて眼下の大地を見下ろしていた。

「フフフ・・・・・・これはこれは大魔王ヴァンデイン・ベリアル様。その説はどうも。ボクの顔覚えてるよね?」

「ば、馬鹿な!! なぜ貴様が・・・・・!?」

 見間違いかと一瞬思ったヴァンデイン。だが、それは幻でも人違いでも無かった。

 紛れも無く人々に恐怖を植え付けているのは嘗てヴァンデインによって滅ぼされた筈のはぐれ悪魔―――カルヴァドスだったのだ。

「カルヴァドス、生きていたのか!?」

「あいつが、カルヴァドス!」

 話には伺っていたユーノもその姿を実際に見るのは初めてだった。

 目を見開き天上に佇むカルヴァドスをヴァンデインは険しい表情で見上げるのに対し、カルヴァドスは終始不敵な笑みを浮かべていた。

「何故だ・・・・・・私の魔剣は確かに貴様の心臓を貫いたはずだ!?」

「そうだよね~。なんでボクはここにいるんだろうね?」

 とぼけた態度を取るカルヴァドスに苛立ちを募らせるヴァンデイン。

 すると、不意にユーノがある事に気が付き頭上のカルヴァドスに問いかける。

「そこに隠れているのは君のトモダチかい? 隠れてないで出てきなよ。僕から言わせれば、もう少し霊圧を抑えるよう躾けるべきだね」

 ユーノに指摘され、カルヴァドスの背後で姿を魔法で隠していたもう一人の援軍がおもむろに姿を現す。

 外見はキンシコウの姿に様々な怪物のパーツを掛け合わせたような姿の魔導虚(ホロウロギア)・スグリーがいた。

「なんなの・・・あれ・・・!?」

 すずかは初めて見る魔導虚(ホロウロギア)のおどろおどろしい姿に終始口元を抑え恐怖する。

「その魔導虚(ホロウロギア)はどうした?」

 眼光鋭く問いかけるユーノに、カルヴァドスは飄々とした態度で答える。

「これかい? 魔王との戦いで受けた傷を癒す為にバグラスとこの世界まで流れ、ぷらぷらしていたら紫色の髪の女がオモシロそうなのを持ってたからそれを奪ったんだ。で、それをバグラスに使ったらこうなったってわけ!」

「まさか・・・自分の部下を!?」

「カルヴァドス貴様っ!!」

 仲間の命すらも玩具のように弄んでしまうその心は残虐非道。だがカルヴァドスにとっては些細なことであり、彼にとって享楽の一部でしかなかった。

「カルヴァドス、用があるのはこの私の筈だ! 何故この世界に危害を及ぼす!?」

 頭上のはぐれ悪魔へ怒号を放つ魔王。

 すると、その言葉を聞いたはぐれ悪魔から返ってきたのは信じ難いものだった。

「どうして・・・だって? 魔王様はボクがどういう悪魔なのかを嫌というほど知ってる筈だよ。ボクの目的はいつだって一つさ。世界に狂気と絶望をまき散らすこと! そしてボクは今度こそ野望を成就させるんだよ。生き物の悲鳴と叫喚が絶えることのない暗黒郷(ディストピア)を作るんだ!!」

 生き延びたカルヴァドスの口から語られた背筋も凍りつくような野望―――ノワールで実現できなかった事を地球でそっくりそのまま実現させる気でいた。

 ユーノとすずかは目を見開き呆然と立ち尽くす。そしてヴァンデインは明確に怒りの籠った眼差しでカルヴァドスを見、拳を握り締める。

「そんなことのために・・・そんなことのために・・・私の友だちやこの世界の人々の生活を脅かすなどとは・・・・・・断じて許さん!!」

 刹那、ヴァンデインの全身から紅色に帯びた魔の波動が一気に解放される。

 魔法陣を展開し、亜空間から【魔剣ディスカリバー】を召喚し、背中には左右6枚、合計12枚から成る黒い翼を広げ―――空へ舞い上がる。

「カルヴァドス。今度こそ貴様の根を止める」

「はっ・・・おもしろいね!! いいよ、この前の続きと行こうや!!」

 向かい合った二人の悪魔は刺すような魔の波動を解き放ちけん制。

 やがて、両者はタイミングを見計らうと一斉に飛び出し、空の上で文字通りの死闘を開始した。

「きゃああああああああ!」

 膨大なエネルギーの衝突に伴う余波が周囲に拡散。その被害からすずかを守る為、ユーノは彼女を抱きかかえ安全圏へと避難する。

「だいじょうぶ?」

「うん・・・ユーノ君、ありがとう」

「それにしてもカルヴァドスの奴、好き勝手なことばかりしてくれる。ヴァンの言う通り・・・最低な悪魔みたいだな」

 ヴァンデインの事も気がかかりだが、カルヴァドスが連れていた魔導虚(ホロウロギア)の事も気になるユーノはおもむろに両手の掌を回転させるように擦り合わせると、何もない所から斬魄刀を取り出した。

 始解した晩翠を手にユーノはすずかに一声かける。

「すずか。すぐに戻ってくるから絶対にここから動かないで」

「ユーノ君! ダメだよ!」

 すずかの制止も空しく、ユーノは己の果たすべき役目を全うする為―――魔王と同じ戦場(そら)へと上がった。

 

 空に浮かび上がる紫色の巨大魔法陣。

 その魔法陣を通じて降り注ぐ破壊の驟雨に晒される町に飛び交う悲鳴、叫び、その他様々な声という声。

 カルヴァドスにとって人間の発する悲鳴は何よりも心地よい音楽だった。

「フハハハハハハハハハ!! 魔王ヴァンデイン・ベリアルに敗北して以来の破壊の味! まさかこれほどの美味とは!」

「ダークネススラッシュ!」

 宙ぶらりんとなって町を破壊するカルヴァドスに狙いを定め、ヴァンデインは手持ちの魔剣にため込み増幅させた斬撃のエネルギーをX字状に放つ。

 飛来する斬撃を素早い動きで躱し、カルヴァドスは亜空間から身の丈を遥に超える大型の【魔戦斧アドラメレク】を取り出し、魔剣に対抗する。

 両者一歩も引かずに空中で衝突を繰り返す。現役の魔王の力がはぐれ悪魔の力と拮抗し合うという由々しき事態にヴァンデインは苦い表情を浮かべる。

「カルヴァドス貴様、この世界でどうやってこれほどまでの魔力を!?」

「フフフハハハハ。魔王ともあろう者がそんな簡単なことにも気づかないとはね。君が魔王だっていう事実に本気で疑念を抱いちゃうよ」

 鍔迫り合いを中断し、カルヴァドスは魔力補給の種明かしをする。

「なぜ瀕死の状態だったボクがこの世界で魔力を回復できたのか。その答えは単純にしてひとつ・・・・・・人間の負の感情を糧にしているから」

「なんだと?」

「ノワールにはいつの頃か人間っていう生き物が一人もいなくなってしまったから知らないのも無理はないかもね。絶望、恐怖、悲しみ・・・・・・極限状態に追い込まれた人間の負の感情からボクら悪魔は上質な魔力を吸収できるのさ。だから闇夜に紛れて強盗行為して少しずつ力を蓄えていった。人間は精神ともに脆い。この姿になってちょっと襲っただけですぐチビっちゃう。それがボクら悪魔の魔力の元になる。ふふ・・・・・・フハハハハハハ」

「貴様、どこまでも下種め!」

 事あるごとに怒りを助長するカルヴァドスの言葉。

 内側から沸々と湧いてくる怒りを刃に乗せ―――ヴァンデインは眼前のはぐれ悪魔へと斬りかかる。

 

双児晩翠(ふたごばんすい)―――」

 二人の悪魔が死闘を繰り広げるかたわら、翡翠の魔導死神ユーノ・スクライアは魔導虚(ホロウロギア)・スグリーを一人で相手にしていた。

 本体から出現するもう一本の刀を持ち、二刀流となったユーノはスグリーと高高度での衝突を繰り返す。

 カルヴァドスが自らの部下だった悪魔を元にして生み出されたスグリーの潜在能力はこれまでユーノが相手にしてきたどの魔導虚(ホロウロギア)よりも強力で、敵から向けられる攻撃を二本の刀で受け止め険しい表情を浮かべる。

(思ったよりも手強いな。早くこいつを倒してヴァンの援護に回らないと!)

 しかし、一瞬の思考が命取りとなる。

 敵の瞳が不気味に光った次の瞬間―――如意棒を彷彿とさせる武器【ヴァナラ】を操るスグリーの強烈な一撃が間隙を突いたユーノの腹部を直撃。

「ぐあああぁぁぁあああ」

「ユーノっ!!」

 友のピンチを瞬時に悟り、ヴァンデインはユーノを救う為にカルヴァドスから離れる。

 敵に背を向け戦線を離脱した魔王の行動を軽はずみだと思いつつ、カルヴァドスは不敵に笑みを浮かべる。

 

 真昼の空から人が落ちてくるという異常事態に周囲は騒然。

 ユーノはビル壁にめり込んだ状態から、おもむろに体を起こし―――苦虫を踏み潰したよう表情を浮かべる。

「ち・・・・・・なめた真似してくれるよあの魔導虚(ホロウロギア)

「ユーノ!!」

 ちょうどそこへ、ヴァンデインが人目を憚ることなく空から降りてきた。

「怪我はないか!?」

「問題ない。それよりカルヴァドスから離れて良かったの?」

「彼の言う通りだよ。魔王ヴァンデイン・ベリアル」

 頭上を見上れば、カルヴァドスはスグリーを伴い空の上から語りかける。

「味方を気遣うあまり敵に背を向けるなんて愚の骨頂。ボクが相手じゃなかったら真っ先に死んでいた所だ」

「たとえそうだとしても、私は私の友だちを決して見捨てたりはしない。ユーノが私を見捨てなかったように。私は最後までユーノの味方だ」

「ヴァン・・・・・・」

「それに私としてもこの世界が壊れるのは忍びない。ここには私の知らないこと、楽しいこと、興味の尽きないものが数多くある。貴様のつまらぬ狂気や欲望の糧となるなど断じてあってはならぬ!」

 たとえ住む世界が違っても、はぐれ悪魔の凶行によって平和に暮らす人々や町が壊れていくなどゆめゆめ見たくはない。自分が目指す平和な世―――パクス・ディアブロの実現の為にはヴァンデインは命を懸けて戦う事を決意する。

「やれやれ・・・相も変わらず甘い男だよ。その甘さが君自身とお友だちの命、そしてこの世界の命運を分かつものだということを自覚してほしいね」

 パチンと指を鳴らした瞬間、カルヴァドスが魔法陣より召喚したのはいつの間にか捕らわれの身となったすずかだった。

「「な・・・!」」

 我が目を疑う二人にカルヴァドスは嬉々として口にする。

「フフフ・・・この()から恐怖と絶望のエネルギーをたっぷりともらって! 君らのその歪んだ顔を拝ませてもらうとするよ!!」

「すずか!!」

「カルヴァドス、まさかすずか殿を!!」

「フフフ・・・若さとは罪だね。些細なことで人に絶望し、悲しみを増大させるとは!」

 すずかから得られる絶望、悲しみ、負の感情から得られる上質な魔力を吸収―――カルヴァドスはより強大となった力でユーノ達に襲い掛かる。

「逃げるぞ!」

 負傷したユーノを抱きかかえヴァンデインは即座に飛翔。

 カルヴァドスは飛んで逃げる魔王をスグリーとともに追いかけ、後ろから魔力の光弾を乱れ撃つ。

「しかも! 特定の負の感情はとても御しやすい!」

 にたりと笑い、紫色に輝く閃光を発射。射線上に存在するヴァンデインの翼を射抜く。

「ぐあああああ」

「ヴァン!!」

 飛翔能力を奪われ高所から落下する。

 咄嗟にユーノはホールディングネットを張って地面との衝突からヴァンデインを守る。

「だいじょうぶかい?」

「すまない・・・・・・ユーノ・・・・・・」

 刹那、二人の体にバインドらしきものが絡みつく。

「なんだ!?」

「これは、ストラグルバインドか!」

 スグリーが使用したストラグルバインドで身動きを封じられ、強化魔法を打ち消された二人は逃げる手段を失う。

 さらに、正面に回り込んだスグリーが放つ虚閃(セロ)の一撃を受け―――二人は勢いよく吹き飛ばされる。

「「ぐあああああああ」」

 虚閃(セロ)の一撃を受け、ビル壁に深く体がめり込む。

 カルヴァドスは捕らえたすずかから魔力を吸収し続けるかたわら、容易に傷つく二人に些か落胆し始める。

「弱いなー。これが嘗てこのボクを追い詰めた魔王ヴァンデイン・ベリアルか・・・なんだか興ざめだよ。おい、あとはお前の好きにしていいよ」

 すっかり興が削がれたカルヴァドスはスグリーに止めを刺すよう命令。

 絶体絶命のピンチに追い詰められるヴァンデイン。

 と、そのとき―――ユーノが額から汗を拭きだしながらヴァンデインの手を握りしめる。

「ヴァン・・・捕まってて」

 刹那、ユーノの足元に翡翠の魔法陣が展開。強制転移魔法によって二人は辛うじて戦線を離脱する。

「へぇー。空間転移ができる術も持ち合わせているとは。なかなか興味深い人間だよ・・・・・・でも、ボクからは決して逃げられない」

 

           *

 

松前町 松前駅周辺

 

 強制転移で何とかカルヴァドスから離れることに成功したユーノだったが、これまでに蓄積されたダメージで既に息も切れ切れ。

 人目が付かない場所を選んで転移したつもりが座長軸を誤り、駅前の公衆街道に出てしまった。

 しかし、当人はそれを気にしているだけの余力があまり残っていない。ヴァンデインも状況はユーノとほとんど変わらなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・かなり危ない状況だよ」

「くそ。何とか魔力供給の元であるすずか殿をカルヴァドスから引き離れねば・・・「おい、なんだあれ!!」

 直後、人々の驚愕に満ちた声を聴き状況を察して天を見上げる。

 案の定、注目の的となったカルヴァドスがすずかを脇に抱きかかえながら眼下のユーノ達を見下ろしていた。

「すずか!」

 声高に叫んだ瞬間、カルヴァドスの手から放たれた光線がユーノの胸を貫通。

 (ホロウ)のように体の中心に空いた孔から血が噴き出す。ユーノは自身に起きた出来事に驚く間もなく、そのまま力なく倒れる。

「ユーノ・・・・・・ユーノぉぉぉ!!!」

「ユーノ・・・・・・くん・・・・・・?」

 ヴァンデインの叫びによって意識を取り戻したすずかが瞳に光を入れたとき―――見えてきたものは。

「!!」

 目覚めた直後、彼女が目撃したのは胸を貫かれ、夥しい血を流して屍と化して倒れるユーノの変わり果てた姿だった。

「ユーノ君ッツ!!!」

 目を背けたくなる凄惨で絶望的な情景にすずかは涙し悲痛な叫びをあげる。

 カルヴァドスはまるで頑是ない子供の如く、自らが手にかけた相手を見ながら声高に笑いあげる。

「フハハハハハハ!! 魔王ヴァンデイン・ベリアルよ、君の甘さが招いた結果がこれだよ! 君の大事なものを目の前で壊してやったよ! あぁそうだ・・・ついでにこれも壊しちゃえ」

 悪魔染みた笑みを浮かべた途端、カルヴァドスはその手に抱えていたすずかを用済みとばかり無造作に放り投げる。

「きゃああああああ」

「すずか殿!!」

 放たれたすずかを助ける為、傷んだ体に鞭打ち―――ヴァンデインは全力疾走。間一髪のところでキャッチする。

「魔王よ!! 今ここにボクは宣言する!! ここを最初の暗黒郷(ディストピア)として最後まで破壊の音と絶望の叫びで美しいコーラスを奏でてあげるよ!!」

「やめろぉ!!! カルヴァドス!!!」

 魔王の悲痛な叫びを聞き、カルヴァドスはよりそそられた様子で、ひと際歪んだ笑みを浮かべ―――

「いい声だ」

 と言って、天空に無数に出現させた魔法陣から衝撃波を放ち、眼下の建物から高架に至るまで全てを徹底的に破壊する。

 人々は突然の事態に悲鳴を上げて逃げ惑う。

 ヴァンデインは自分に向かって落ちてくる破壊された高架の破片からすずかを守ろうと翼を折り畳む。

 魔王に守られながら、すずかはカルヴァドスによって倒されたユーノの事を考え―――相貌に涙を溜める。

(ユーノ君・・・・・・助けて!!)

 切実なる願いが一滴の涙となって零れ落ちる。

 

 崩れた高架が勢いよく降り注ぐ。

 豪快に破壊された高架下を見ながら中空を舞うカルヴァドス。当初こそ不敵に笑っていたが、すぐさま周囲の異変に気が付き顔色を変える。

「!? まさか・・・・・・」

 猛烈な()()のような感覚に襲われる。カルヴァドスは自身の手が小刻みに震えているのを確かめる。

 この寒気はいわば生物が備え持つ危機察知能力が伝えるもの。ひと言で言えば主に対する防衛本能からくる感情―――“恐怖”である。

 同じ頃、ヴァンデインもカルヴァドスと似た感覚を抱きながらいつまで立っても真上からの重さが加わらない事を不思議に思い、恐る恐る翼を広げる。

 直後、彼はすずかとともに信じ難い光景を目の当たりにし唖然とした。

 崩壊した高架は寸でのところで停止しており、その他の物体も同様に重力を無視した静止状態を保っていた。

「―――これは・・・・・・」

 現実離れした状況に却ってリアクションに困り果てていた折、二人の耳に聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。

 

「まったく――――――・・・はぐれ悪魔ってのはとことん始末が悪い。まさかあんなふざけた奴に()()()()()()()()()()()()()()

 言いながら、崩れた高架や建物を魔力で押さえつける男―――目元や腕などに黒い鱗のようなアザが現れた銀髪のユーノが右手を翳し立ち尽くす。

「ユーノ・・・か・・・!」

「ユーノ君! よかった・・・生きてる///」

「馬鹿な!! 確かにあのときボクは君の心臓を射抜いた! 人間如きが生きてる筈がない!」

 何事も無かったかの如く胸に空いた孔は綺麗に塞がり、悠然と立ち尽くすユーノの生存を本気で疑い動揺を隠し切れないカルヴァドス。

 すると、先ほどまでとは明らかに雰囲気の異なるユーノが口元を緩めるなりカルヴァドスの疑問に答える。

「確かに・・・・・・あのとき一度は死んださ。だが、生憎と今の()はただの人間ではない―――そう、今の俺は翡翠の魔導死神だ」

 言うや、フィンガースナップによってユーノは周囲20キロ圏内に対し封時結界を実施。被害を最小限に抑えるための準備を整える。

「ユーノ君、なにしたの?」

「魔力結界を張った。これで誰にも迷惑かけず存分に戦える」

 すずかの不安を取り除き、魔力で抑えつけていた高架をそっと元の場所へ下ろす。

 少し汗を掻き、安堵した様子で溜息を吐くと―――ユーノは身を呈してすずかを守ろうとしたヴァンデインに感謝の言葉をかける。

「すまないヴァン。すずかを守ってくれて」

「いや。当然の事をしたまでだ。お前こそ、本当に大丈夫なのか?」

 著しく変化したユーノの外見とそれが醸し出す禍々しい霊圧を肌で感じ、憂慮したヴァンデインが恐る恐る問いかける。

 すると、ユーノはやや威圧感を抱かせるものの純粋な笑みを浮かべる。

「俺の事は気にするな。それより、これ以上奴の思い通りにはさせない。早々に決着をつけるぞ」

「ああ――――――そうだな」

 ユーノの言葉に同意した途端、ヴァンデインの全身から無意識に抑えられていた魔の力が解放され、今までとは比べ物にならない殺気だったものへ変化する。

「“滅びの力(ルイン・フォース)”か・・・・・・!」

 魔王自身が醸し出す雰囲気と周囲へと広がる魔の波動、そして背後に浮かぶ人型のオーラを見、カルヴァドスは確信を抱く。

 この力こそ魔王だけが持つ理屈に関係なく全てを滅ぼすとされる力―――【ルイン・フォース】であると。

「ユーノ君・・・・・・あの!」

 いつもとは口調も雰囲気も大きく異なるユーノに戸惑うすずかだったが、そんな彼女に対しユーノは強壮型の結界を張り、やがて申し訳なさそうに呼びかける。

「・・・すまない。できれば今の俺の姿をすずかにはあまり見せたくないんだ」

 いつにも増して低い声で懇願した際、ユーノの目線はすずかの方を向いていなかった。彼自身も今の容姿を幼馴染の前に見せるのは本意ではなかった。

 すずかは当惑しつつも彼の言葉を聞き入れることにした。

 彼女が自身の願いを聞き入れた事に深い感謝をするとともに、ユーノは改めて頭上に佇むカルヴァドスに対し、斬魄刀を突きつける。

「―――はぐれ悪魔カルヴァドス。お前のふざけた蛮行もここまでだ。お前はどうしようもなく愚かで独りよがりな悪魔だ。そして心から感謝する。()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()事を後悔させてやる!」

「―――いくぞ、ユーノ!」

 その合図を皮切りにユーノは魔王と勢いよく大地を離れる。

 空中において両者はカルヴァドスへと衝突。すずかは戦況を結界の中から静観し、只管に二人の勝利を祈る事しかできなかった。

「ユーノ君・・・ヴァンさん・・・・絶対に勝って」

 

「ベリアルスラッシャー!」

 12枚ある翼から放たれる紅色に輝くエネルギー体を、無数の手裏剣として撃ち出すヴァンデイン。

 全身の肌を切り裂き、鋭い痛みを伴う魔王の攻撃を受けるカルヴァドスはどこか嬉しそうに口元を歪める。

「“規格外悪魔(アブノーマル・デビル)”の神髄たる滅亡の力(ルイン・フォース)・・・・・・ヘヘヘヘヘ、そうだよ。そうこなくっちゃ。ボクだって本気の君を倒さないと勝った気がしない。いいよ。ここからはボクも全力を出させてもらう!!」

 100パーセントに近い力を解放したヴァンデインに対する敬意とばかり、それまで弄びがちたった態度を改め、カルヴァドスは目の前の獲物を屠る為に全身全霊の力で臨む。

 強大な力と力をぶつけ合う悪魔同士の死闘のかたわら、同じく異能の力を解放したユーノは魔導虚(ホロウロギア)スグリーと対峙していた。

 

 真正面から飛んでくるスグリーの虚閃(セロ)

 だが、ユーノは防御の構えを敢えて取らない。取らずとも今の彼にはどのような攻撃も無意味だと悟っていたからだ。

 爆煙が晴れた先、スグリーが見たのは鬼のような形相で自身を見据える全身無傷で立ち尽くすユーノだった。

「お前の命運もここで尽きる」

 次の瞬間、スグリーの足元の影から無数の黒い鎖が伸びて来て―――全身を貫きながら縛り付ける。

 捕縛に成功したユーノは、シャマルが使う「旅の鏡」に似せた黒ずんだ亜空間の中へおもむろに手を突っ込んだ。

「“奪魂十界封神(だっこんじゅっかいふうじん)”」

 亜空間より現れるユーノの腕がスグリーの体内に入り込む。

 生々しい叫喚を発しながら、肉体から強制的に素体となった悪魔ルドガーの魂が強い力で抜き取られる。

 ユーノは抜き取った魂をすかさず晩翠で斬り捨てる。それにより、魂を抜き取られた魔導虚(ホロウロギア)の肉体はたままち腐食し、砂となって消滅した。

 

「ヘヘヘヘヘ! ハハハハハハ!」

 未だ衝突を繰り返す魔王とはぐれ悪魔。

 一瞬の隙を突いたカルヴァドスの仕掛けた羽根型爆弾がヴァンデインを襲撃。周囲に凄まじい爆風と衝撃が広がった。

「フハハハハハハ。残念でしたー! ボクはここまで八割の力しか出していないんだよー!  フハハハハハ」

「何がそんなにおかしい?」

 声に反応し勢いよく振り返るカルヴァドス。

 背後には紙一重でヴァンデインを窮地から救ったユーノが立ち尽くしていた。

「・・・一度攻撃を加えた相手に対して気を抜きすぎなんだよお前は。『残心』という武道の言葉を知らないのか?」

「き、君は・・・・・・!」

「お前の魔導虚(おもちゃ)は俺が斃した。残るはお前だけだ・・・カルヴァドス」

「くっ・・・まだだ!」

 魔戦斧アドラメレクを振りかざし怒涛の衝撃波を作り出す。

 ユーノはヴァンデインとともに攻撃を避けると、二人がかりでカルヴァドス目掛けて突進する。

「うおおおおおおおお!」

 自分のペースが崩れ始めたことにカルヴァドスは露骨なまでに焦り、攻撃の手が単調なものへ変化する。

 ヴァンデインは飛来するカルヴァドスの魔力光弾を弾き、すかさずユーノが前に出て赤銅色に燃え滾る晩翠の刀身から業火を放つ。

 

「―――()けろ、分荼離晩翠(ぶんだりばんすい)!」

 

 カルヴァドスを対象に周囲を焼き焦がす大爆炎が発生。

 地獄の業火に呑まれたカルヴァドスは辛うじてその熱量に耐えるも、一気に体力と魔力を削られたが―――何故か興奮した様子だった。

「へへ・・・今のはさすがに効いたね。その刀の力かな? イイもの持ってるよ。ボクもほしいなー」

「お前には無理だ。暗黒系最強にして最悪の斬魄刀『晩翠』はこの俺・・・・・・翡翠の魔導死神ユーノ・スクライアにしか操れない」

 

 グサッ―――!

 唐突だった。

 カルヴァドスは身体を貫く鋭い感触に目をも開いた。

 恐る恐る腹部を見れば、漆黒に染まった刃が確かに背中から突き刺さっていた。

「・・・な・・・何だ・・・これは・・・!?」

 吐血するカルヴァドス。険しい顔で自らに気づかれる事なく離れた場所から攻撃を仕掛けた相手―――ユーノに対し問いかける。

「“闇討晩翠・縛魄鬼(ばくはくき)”―――お前の魂は今、俺が完全に掌握した。最早指一本自分の意思で動かすことはできない」。

 はぐれ悪魔の束縛に成功した直後、動けないカルヴァドスの前にこれまで見たことのない形相を浮かべるヴァンデインが瞬時に移動する。

「あ・・・あれ・・・・・・こんなの聞いてない・・・///」

 嘗て経験したことのない恐怖に額から汗が噴き出るカルヴァドス。

 普段滅多に怒りを面に出さない魔王の本気の怒りを目の当たりにした身体は竦み、全身の筋肉が萎縮する。

「・・・なぁユーノ。こいつどうしたらいいと思う?」

「そうだな。とりあえず、町を滅茶苦茶にした罰を与えるというのは?」

「賛成だ。あとユーノやその友だちを傷つけた事に対しても相応の罰を与えんとな。何せ私は魔王だ。魔王たるもの規律を乱す悪魔には制裁を下すこともまた使命なのでな」

「や・・・やめてよ・・・・・・わかったよ・・・ボクの負けでいいよ・・・・・・だからやめようよ!!」

「この期に及んで命乞いとは見苦しいぞ。貴様も悪魔の端くれならば、潔く覚悟を決めることだ」

 静かに口にした魔王は右拳を構え―――魔法陣を複数展開しながら、眼前のカルヴァドスに向けて拳撃を与える。

「歯を食いしばれ――――――」

 瞬間、結界を破壊しかねないほどの強大な魔力爆発が発生。カルヴァドスはヴァンデインの一撃によって遠い異界の彼方へと殴り飛ばされた。

 

「あの・・・今更こんなことを聞くのもおかしな気がするんですが・・・ヴァンさんはその・・・なんなんですか?」

 戦いが終わった後、すずかから向けられる質問にやや羞恥心を抱いた様子のヴァンデイン。

 逡巡した末、下手な嘘をつくことはせず赤裸々に告白した。

「いやー・・・改めて聞かれると恥ずかしいんだが、私は余所の世界で魔王をやらせてもらっている」

 魔王という単語をどう捕らえられるか内心不安だったが、すずかの反応は当初想定していた「怖い」といったものではなく「疑い」そのものに思えてならなかった。

「あ・・・やっぱり信じていないか!?」

「そ、そんなことないですよ! こう見えても私も9歳の頃から魔法使いやってるお友だちがいますし、現にユーノ君だって」

「確かにそれもそうだ。だけど正直この男は魔王として如何なものかと思うんだ。かつ丼くらいで大喜びするわ、ボウリングを卑猥なスポーツと勘違いするわ」

「駄菓子屋を営んでる魔導死神に言われたくないぞ」

「でも今日はほんとにごめんね。すずかを危険な目に合わせちゃって」

「ううん。私は信じてるもん。ユーノ君のこと」

 頬を紅潮させながら自分を信じると口にしたすずかの反応を見―――やや気恥ずかしいもののユーノは彼女の言葉に笑みを浮かべる。

「さて・・・最後の後始末と行くとしようか」

 壊れた高架や周囲の建物などを見ながら、ヴァンデインはおもむろに手を翳す。

「いいのかいヴァン?」

「たとえどんな言い訳をしたところで我々の世界の者がこちら側の世界に迷惑をかけたことは変わりない。支配者たるものその責任は負わねばならん」

 きっぱりと口にし、魔力を練りあげ―――魔王はカルヴァドスとの戦いで破壊された建造物のすべて元通りに復元するのだった。

 

           ◇

 

5月31日―――

松前町 スクライア商店 地下訓練場

 

 ノワールへ帰還するヴァンデインを見送る為、ユーノは店の地下に設置されたあらゆる世界と繋がるゲート―――《幻魔の扉》の前に立つ。

「世話になったな」

「こっちこそ色々ありがとう」

 固く握手を交わす。二人は今回の件を通じてより深く繋がれた事を実感し合った。

「ところでカルヴァドスの事だけど・・・」

 気がかりなのは消えたはぐれ悪魔の事。一抹の不安を抱えるユーノにヴァンデインは難しい表情で答える。

「あのとき、私の魔力で此処とは異なる世界の彼方へと飛ばしてやった。だが奴のことだ。ハイエナのように死肉を啜ってでもしぶとく生き延びているやもしれぬ」

「できればあまり考えたくない話だけどね」

「だが私は今回の件でひとつ確信した」

 そう口にした魔王の言葉に耳を傾けるユーノ。やがて、ヴァンデインはおもむろに語り出す。

「戦場において戦士は常に孤独だ。だが、私はあのとき確かに温もりを感じた。ユーノ・・・・・・お前ほど心強い者はいない。お前がいたから安心して戦えたんだ」

「っ!!」

 その言葉を聞き、ユーノは目を見開き、はっとする。

 

 ―――「ユーノくん、いつもわたしと一緒にいてくれて守っててくれたよね」

 ―――「だから戦えるんだよ。背中がいつもあったかいから」

 

 今は華麗さと強さを兼ね備えた女性がまだ少女だった頃、同じく少年だったユーノに放った言葉。

 随分と昔の事だが、今でも彼の心の中で大事にしてある思い出。

 ヴァンデインはユーノの反応を見、「今こそ一歩を生み出すべきだ」と、心の中で思いながら―――本人には敢えて言葉は送らないことにした。

 おもむろに背を向け、自分が与えた幻魔の扉を潜り―――暗闇の向こうに消えながらユーノに最後の言葉を贈る。

「今度は私の世界へ来い。むろん、ユーノの友だちや家族も大歓迎だ。魔王として、家族ともども心から歓迎する」

 やがて完全に姿が見えなくなり、開かれた扉はゆっくりと閉まる。

 ヴァンデインがノワールへと帰還したのを見送った後、ユーノは沈黙の中で自問自答する。

 ―――「僕は一体、いつまで彼女から目を背け続けるのだろう。」

 今はもう、少女と共に戦ったあの日のようにはいかない。

 分かりきっているのに、それを自覚したのももう随分と前なのに、やはり寂寥を覚える。

 彼女は既に自分の手を借りず、歩き出しているのだ。

 だけどそれでも、この手で彼女を守りたい。彼女に降りかかるあらゆる災厄から彼女とその身の回りの幸せを守りたい。

 そんな呟きは誰にも聞こえる事無く暗闇に消えていく。

 だがいい加減、彼女に目を背け続けることにも自分の臆病さにもうんざりしていた。

 臆病な自分を変える為には、覚悟を決めるしかない。

 もう二度と、大切なものを見失わない為に――――――ユーノは決心する。

「―――ヴァン、お前のお陰で決心がついた」

 

「僕はもう、彼女から逃げることも目を背けることからきっぱり卒業するよ」

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 『BLEACH 26、43巻』 (集英社・2007、2010)




登場人物
ヴァンデイン・ベリアル
声:梅原裕一郎
20代相当の外見(年齢不詳)。魔界ノワールを統治する魔王であり、上級悪魔「ベリアル家」の現当主。全体で3割しかいない純潔悪魔の一人。黒と紅色のツートンカラーで構成された重力を無視した独特の髪型した白皙の中性的な容姿の男性。一人称は「私」。
本名は「ディアブロス・ブラッドヴァンデイン・オブ・ザ・ベリアル(Diablos Blood Vandein of the Belial)」と名前が長すぎるため、普段は「ヴァン」と略称で呼ぶよう促している
ベリアル家の魔力に加え、「滅びの力(ルイン・フォース)」と呼ばれる強力な力を持つ。あまりに他者とは違う桁違いの能力を持つイレギュラーな存在ゆえに、周囲から「規格外悪魔(アブノーマル・デビル)」と呼ばれており、本人はこの仇名を好んでいない。
細かいことを気にしない豪放磊落な性格。悪魔に対しては純潔悪魔も混血悪魔も等しく慈しみは深く、不戦と平和、繁栄を良しとし、自らが「友だち」と認めた者は、種族の垣根を超えた友好関係を築いている。
カルヴァドス
声:園崎未恵
嘗て「カルヴァドス派」と称される異能のテロリスト集団を率いてノワールを手中に収めようとしたはぐれ悪魔。一人称は「ボク」。
見た目はあどけない雰囲気の美少年だが、外見とは裏腹に自らの欲望を満たす事を目的に人間ばかりか仲間の悪魔すらも騙し、たらしこみ、搾取し利用する外道にして鬼畜。子供のような無邪気さと残酷さを併せ持ち、命を軽視する発言が多く、遊びのように相手を手に掛ける。非常に計算高く人心掌握術と洞察力に長けており、笑顔の裏に残忍で凶悪な裏の顔と狡猾な本性を持つ。



登場魔導虚
スグリー
はぐれ悪魔カルヴァドスが暗黒大元帥であるルドガーを素体に、ウーノから奪った幼生虚と融合させ誕生させた魔導虚。
キンシコウの外見に様々な怪物のパーツを掛け合わせたような姿をしている。
魔力が高い悪魔を素体としている為、戦闘力はこれまでユーノが戦ってきた中でもトップクラスの実力を持つ。
使用する技も実に多彩であり「ストラグルバインド」や「オプティックハイド」を始め、如意棒型の武器「ヴァナラ」を用いて攻撃したり、更には虚閃を放って攻撃するなどして当初はユーノだけでなくヴァンデインも苦しめた。
その後はユーノが解放した能力によって捕らえられ、最期は肉体から魂を抜き取られ、晩翠で斬られた事で消滅の道をたどった。
名前の由来は、インドの叙事詩『ラーマヤーナ』に登場する猿の王の一体である「スグリーヴァ」から。


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第25.5話「法の復讐者」

新暦079年 6月2日

第1管理世界「ミッドチルダ」

ミッドチルダ中央8区 高級住宅街

 

 午後11時過ぎ―――。

 夜も更け多くの人が眠りに誘われる丑三つ時。ロールス・ロイス製の車種を思わせる一台の高級車が帰路に向かって走行していた。

 運転しているのは時空管理局地上本部勤務のバッカス・ダルフーン少将―――現地上本部大将フィリップ・レオンハルトやレジアス・ゲイズ元中将と並ぶミッド有数の強硬派の代表であり、地上では希少な魔導師ランクAAA+を保有する現場叩き上げの実力派である。

 いつものように一日の業務を終え、静謐な住宅街を走っていた折―――ヘッドライドが怪しげな影が映し出した。

 疑問に思いおもむろに車を止める。車から降り、前方に見えるものに目を細めると、ブラウンのレザーコートを身に纏った人物が立ち尽くしていた。

 天秤を逆さにしたものに剣を突き刺したデザインの仮面で顔を覆い隠した人物はバッカスを凝視。バッカスはたただならぬ殺気を撒き散らしながらヘビの如く狙いを見据えた目前の敵から一秒たりとも目を離さず牽制する。

『時空管理局地上本部少将・・・・・・バッカス・ダルフーンだな?』

「何者だ?」

『咎を背負いし罪人よ。法の裁きは逃れても、我が裁きの鉄槌からは決して逃れられぬ―――ここで滅ぶべし!!』

「フン・・・。魔導師資格を有する管理局高官ばかりを狙う殺人鬼とは貴様のことか。だが―――」

 明確となった敵の目的。標的とされながらもバッカスは気負うどころか、むしろ好都合だと思った。

「相手が悪かったな!」

 強気な口調で言うと、両腕にガントレットと腕輪型のアームドデバイスを装備。力強く両拳を合わせることで足元に青白く輝くベルカ式魔法陣が出現。

 魔法陣の出現とともに拳を勢いよく大地へと振り下ろす。その瞬間、範囲型の拘束錠が地上から怒涛の如く現れる。

 ザフィーラが得意とする「鋼の軛」と酷似した性質を持つバッカスの拘束魔法は前方数十メートルに達し、対峙した謎の人物の動きを捕捉しようとする。

 だが、相手は奇妙な高速移動術を心得ており、足元に8×8のチェスボードのようなマスが浮かんだと思えば、予備動作が一切無い不規則な動きで迫りくる高速錠を回避する。

(はや)い! だがぁ!」

 敵の力量を冷静に分析しつつ、次なる魔法を即座に発動させる。

 バッカスの足元から伸びる鎖型の拘束魔法・チェーンバインドは接近する敵に絡みつこうとするが、あと少しというところで捕らえ損ねる。

「ならばぁ!!」

 意地でも捕らえたかったバッカスは奥の手を披露する。敵の全方位を強固な魔力防壁で覆った直後に挟み撃ち。回避行為自体を無意味なものへと変えた。

「・・・フン。他愛もない」

 自らの魔法で敵を捕らえた事を誇らしく思いながら、武装を解除し、おもむろに防壁の元へ近づいて行った―――次の瞬間。

 勢いよく防御壁が突き破られ、敵の右腕がバッカスの頭を鷲掴みにした。

「な・・・なんだとぉ?」

『眠れ。永久(とわ)に―――』

 刹那、断末魔の悲鳴が高級住宅街に響き渡った。

 

 数時間後、通報を受けた管理局員がバッカスを発見した時には既に息を引き取っており、夥しい血痕があたりに飛散した凄惨な姿にされていたと言う。

 

           ◇

 

 機人四天王による首都クラナガン制圧及び魔導虚(ホロウロギア)・ジャガンノートによって引き起こされた一連のテロ事件が翡翠の魔導死神ユーノ・スクライアと機動六課の手によって解決された。

 リンカーエクストリーマーの使用後、機動六課メンバーは最先端医療設備が整った本局の医療施設へと搬送された。

 

           ≡

 

6月8日―――

次元空間 時空管理局本局 医療施設

 

 ユーノによる応急措置を受け、高町なのはを始めとする六課前線メンバー及び阿散井恋次以下民間協力者を含む計19名は【iPS再生カプセル】と呼ばれる治療用カプルセルの中で深い眠りに就いていた。このカプセルは戦いで負傷した箇所を修復し、切断された腕や足を10分程度で完治させることができる最先端の医療器具で、数年前に導入されたばかりのものだ。

 しかし、元を正せばその設計と開発を担ったのは他でもない天才魔工エンジニアとして名を馳せるアニュラス・ジェイドこと、ユーノ・スクライアその人だった。

 そんなカプセルに入ったなのは達の事を四六時中不安そうに見守る一人の少女がいた。

 少女の名は高町ヴィヴィオ。なのはの養女であり、幼生虚(ラーバ・ホロウ)プラン化に伴うクラナガン制圧の際に現場に居合わせた当事者の一人だ。

「なのはママ・・・」

 戦いで傷を負った母の痛ましい姿を目に焼き付けるヴィヴィオ。史上最強と謳われる究極兵器【リンカーエクストリーマー】の副作用で急激に肌が荒れ、老化したなのはは彼女の見慣れた美しい母の姿とは程遠い。だが紛れも無く世界でただ一人の母親である事に違いなどなかった。

 いつ意識が戻るともわからない母や他のメンバーの容態をガラス越しに見つめていたときだった。不意に部屋の扉が開く音がした。

「やぁヴィヴィオ。来てたんだね」

 振り返れば―――作務衣に羽織、帽子という独特の服装に身を包んだ優男が歩み寄ってきた。ヴィヴィオにとっては四年振りに再会する人物、ユーノだった。

「ユーノさん・・・おひさしぶりです!」

 外見は変わってもヴィヴィオはユーノである事を即座に理解し、ペコリと丁寧にお辞儀をした。

「うん、ほんとうに久しぶりだね。こうしてきみと面と向かって話すのは」

 ユーノは四年の間にすっかり成長した少女に対し朗らかに笑いかける。

「思えば最初にヴィヴィオと出会ったのはもう4年前なんだよなー。あれはそう・・・・・・僕がまだ無限書庫で働いていたとき、なのはに連れられてきた小さな女の子、それがきみだった」

「はい・・・あのころはずいぶん小っちゃかったですけど」

 やや気恥ずかしそうに頬を掻きながらはにかむヴィヴィオ。その隣でユーノは更に言葉を続ける。

「感慨深いものだよ。いつも不安そうにしてなのはにべったりくっついていた女の子が、今や立派なストライクアーツ格闘家だなんて」

「そ、そんなことないですよ! わたしなんてまだまだ駆け出しの新米ですし、わたしなんかよりすごい人はたくさんいます!」

「ははは。そういう謙虚なところはなのはそっくりだよ。通ってる学校も格式高いからどこに出しても恥ずかしくはないしね」

 他愛もない話もそこそこに―――やがてヴィヴィオは話題を自分の事からなのはへと移し、改まった様子でユーノに尋ねる。

「ユーノさん・・・・・・なのはママや他のみんなは目を覚ますんでしょうか?」

 真剣な表情で問い質すヴィヴィオ。いたいけな少女の問いにユーノは即答せず、やや言葉を詰まらせた様子だった。

 しばらくして、ユーノは難しい表情でヴィヴィオに厳しい現実を理解してもらおうと率直な言葉を吐く。

「・・・リンカーエクストリーマーは諸刃の剣だ。使用者に絶大な力をもたらす代償に急速な細胞分裂の結果、母体の老化促進を促す。現状、僕の造った装置に入れている事でゆっくりとだが回復には向かっている。あとはなのはたちの生命力と意志の強さに任せるしかない」

「ユーノさん。あの!」

 すると、何を思ったのかヴィヴィオが突然大きな声をあげた。怪訝そうにするユーノにヴィヴィオは訴えかける。

「ママはこの4年間、ずっとユーノさんのことを想っていたんです! わたしの前ではいつも気丈に振るまっていたけど、ほんとうはすごく寂しかったんです! いちばん大好きな人と一緒にいられないのは!!」

「・・・・・・!」

 聞いた瞬間、ユーノは大きく目も見開いた。

 驚愕を露にするユーノを前に、ヴィヴィオは自分が格闘技を始めたきっかけについて話し始める。

「・・・・・・ここだけの話、わたしが格闘技をはじめたのはひとえにママを護りたかったからなんです。JS事件でわたしが『ゆりかごの聖王』となったとき、ママは自分のことを顧みずに助けてくれて、わたしを受け入れてくれた。そのとき思ったんです・・・いつかママを護れるくらい強くなりたいって。でも、今のわたしじゃまだなのはママを護れない」

 拳をぎゅっと握りしめる少女の歯がゆさが如実に伝わってきた。やがて、ヴィヴィオはユーノの目を真剣に見つめながら懇願する。

「ユーノさん、おねがいです! ママを護ってもらえませんか?」

「え。」

「ユーノさんはなのはママの魔法のお師匠さんなんですよね? ユーノさんがそばにいてくれるだけでママは護られるんです! 今回みたいなテロだけじゃない。ただ隣にいてくれるだけでいんです! 今のママにはユーノさんが必要なんです! おねがいです、どうかママを護ってください! これ以上ママのあんな寂しそうな表情を見たくないんです!」

 四年間、娘として誰よりも高町なのはを見続けてきたヴィヴィオだからこそわかる彼女の真意。

 ヴィヴィオにとって「高町なのは」は希望の象徴。世界中の誰よりも幸せになってほしいと心から願う存在。そんな大きな存在を唯一護れる男が目の前にいる。ヴィヴィオは深々と頭を下げ続け一途に嘆願し続ける。

 なのは顔負けの、いやなのは譲りの一途さだった。かつてそんな一途な少女によって命を救われたユーノはヴィヴィオの行動と思いに心を動かされ、やがておもむろに彼女の肩に手を当てた。

 ヴィヴィオが顔を上げると、ユーノは優しい表情を向けながらおもむろに言葉を紡ぐ。

「わかったよ。ヴィヴィオにそこまで言われちゃ無碍にはできない」

「それじゃあ!」

 聞いた瞬間、ヴィヴィオの顔がぱっと明るくなった。嬉々とする少女に穏やかに笑いかけながら、ユーノは心中燻っていたの思いの丈をさらけ出す。

「それにねヴィヴィオ。正直なところ僕もいい加減己の怯懦(きょうだ)を恥じていてところだ。なのはが目を覚ました暁にはすべてを受け入れるよ。僕自身が抱える彼女への気持ちを伝えてね―――」

 言うと、ガラス越しにユーノはiPS再生カプセルの中で眠る幼馴染に目を向け、その回復を心から願った。

 

           *

 

 その頃、機人四天王によるテロ事件解決後も依然続く魔導師資格を持つ管理局高官ばかりを狙った連続殺人事件について、本局総務統括官リンディ・ハラオウンの元へ報告が入った。

 

           ≡

 

同施設内 本局運用部

 

「“非道の徒(イリーガル)”、ですか?」

 それが連続殺人事件の首魁を指す名である事を告げたのは本局統幕議長を務める「伝説の三提督」の一人、ミゼット・クローベルだった。

「素性がわからないから警防部ではその残虐非道な所業からそう呼んでいるわ」

 クローベルの隣にはリンディの親友である本局人事部のレティ・ロウランが付き添っており、話の補足を行う。

「目的も不明にして神出鬼没。逆さ天秤に剣が刺さったデザインの仮面で顔を隠しているということしか情報が無いのが現状よ。魔導師ランクを保有する管理局高官ばかり本局内でも5人。ミッド国内だと10人が被害に遭っているわ」

「5日前にはダルフーン坊や・・・・・・ダルフーン少将も殺害されているわ」

 クローベルの発した言葉を耳にした瞬間、リンディは些か信じ難い表情を浮かべ聞き返す。

「ダルフーン少将が、ですか!? 彼は地上本部でも指折りの実力者で魔法戦格闘の第一人者では!?」

 レティは深く険しい顔で「それだけ危険人物ということよ」と釘を刺してから、改めて注意喚起する。

「悪いことは言わないわ。護衛を増やしてしばらく大人しくしていた方がいいわ。これは親友としての頼みでもあるの。次に狙われるのはあなたかもしれないのだから」

 数年ほど前まで次元航行部隊の艦長を務めていたリンディも魔導師資格を有する高官である事から、レティは強い懸念を示していた。

 重い空気が漂い用意されたコーヒーにすら手を出しづらい中、リンディらは厳しい状況にただただ溜息を吐くばかりだった。

「・・・・・・ユーノ君が魔導虚(ホロウロギア)事件に終止符を打ったと思えば、次は管理局を狙った連続殺人が起こるなんて。ほんとうに、今の世界はかつてないほど不安定で混沌としているわ」

「クロノ君やフェイトちゃんはとても動かせる状態ではないし・・・・・・かといって運用部としても他の武装局員を直ぐに配置できる余裕なんて」

「ほんとうに頭が痛いわね」

 

「なにやらお困りの様ですね」

 困り果てる三人だったが、不意に横から聞き慣れない男の声が聞こえてきた。

 声のする方へ目を向ければ―――理知的な相貌で眼鏡をかけた若々しい男が三人を見て不敵に笑っていた。

 男はおもむろに近づき、いぶかしむ三人に自らの素性を明かす。

「お初にお目にかかります。クローベル統幕議長。ハラオウン統括官。ロウラン提督。私は司法管理部のアストライアー・スカイラインと申します」

「アストライアー・スカイライン?」

 その名前に聞き覚えがあった。暫し沈黙した三人だったが、やがてはっと思い出した様子でリンディとレティの二人が目の前の男―――アストライアー・スカイラインを吃驚した表情で見つめる。

「もしかしてあなたは、局で開かれた魔法刀剣競技会の連続チャンピョンで、執務官になってわずか数年で司法管理部局長に上り詰めた・・・・・・あの!」

「そんな有名人がどうして?」

 その筋では有名な人物がこんな場所で暇を持て余しているとは思えなかった。

 疑問に駆られるリンディ達を見ながら、アストライアーは「偶然通りかかったらお三方の話が聞こえてきまして。失礼ながら立ち聞きしてしまいました」と、端的に答え近くのソファーへ腰を下ろす。

 やがて彼はリンディ達を前にして、ある交渉を持ち掛けてきた。

「どうでしょう、ここはひとつビジネスライクで話を進めませんか?」

「ビジネス、ですか?」疑問符を浮かべるクローベルに対し、アストライアーは不敵に笑い、具体的な話を進める。

「管理局全体が慢性的な人手不足であることは周知の事です。ジェイル・スカリエッティとその一味が引き起こした一連のテロ騒動で各部署が四方八方と後始末に追われる中、今回の連続殺人事件に人員を割く余裕などどこにもない。そこで今回、我々司法管理部に捜査の全権を委ねてほしいのです」

「司法管理部が直々に?」

「しかし、あなた方は捜査権をお持ちではないはずでは?」

 管理局において捜査権及び逮捕権を認められているのは、有事では武装隊や機動部隊などの実働部隊を除けば単独では執務官だけであり、それ以外で捜査権と逮捕権を認められている部署は原則として存在しない。

 当然の疑問を抱えるリンディらを見ながら、内心笑いがこみ上げそうだったアストライアーは無知な彼女達に説明する。

「これは意外や意外。あなた方ともあろう方々がご存じありませんでしたか。司法管理部には『特別司法捜査員任命制度』というものがあります。主として国家権力たる管理局員の装備や能力では対処できない事案、ないしは対処が困難な場面を想定し特定の分野や知識、経験則を持つ民間協力者を特別に捜査員として活用するというものです。すなわち、司法管理部局長によって特別に許可された第三者に対し捜査及び逮捕権を委ねることができるのです」

「「「っ!」」」

 驚愕の事実に三人は挙って耳を疑った。

 彼女達のリアクションを見て好感触を得られたアストライアーは、ここから畳みかけるように交渉を進める。

「本来ならこの手の捜査は本局警防部ないしは執務官が処理する案件ですが・・・・・・事情が事情ですからね。捜査の全体指揮と人員の選出は我々司法管理部で進めたいのですが、いかかでしょう?」

「「「・・・・・・・・・」」」

 決して悪くない話ではある。だが、三人の目から見たアストライアーは腹に一物を抱えていそうで信用に欠ける。何より、本局としても正規の捜査権を持たない他部署に借りを作るという面子の立たない話は出来れば避けたいところだった。

 彼女らの反応からこうなる事はあらかじめ想定していた。アストライアーはそれを分かったうえで右脚を組み、慇懃無礼な態度を取り続ける。

「一応、こちらとしては手間賃や捜査代行などあわせて5000万G(ギルト)くらいで手を打とうかと・・・・・・」

「ご、5000万G(ギルト)って!」あまりにも法外な金額に動揺するリンディ。

「ずいぶんと吹っ掛けてきたわね」レティに至ってはそれがさも当然の如くといった風に自分達を見下すアストライアーの高慢さに驚きを通り越して不快感すら覚える。

 対して、アストライアー自身はふてぶてしい面構えを崩さず更に続ける。

「どうか勘違いなさらないでください。私はただ管理局のメンツを守りたいだけです。JS事件で明るみとなった局の腐敗を払拭し、『正義』の建前を護る為なら5000万なんて安いものです。それに、今の状況を考えればあなた方には他に選択肢など無いと思いますが」

「あなたって人は・・・・・・!」

 我慢の限界に達し、レティが身を乗り出そうとした直後―――それを制したのは沈黙を保っていたクローベルだった。

 やがて彼女は重い沈黙を破り、アストライアーの条件を飲むことを承諾した。

「わかりました・・・・・・それで引き受けます」

「ミゼット提督!?」

 聞き違いではないかと思った。驚愕を露にするリンディとレティの反応を横目に、アストライアーは口元を緩める。

「すばらしい。英断に感謝いたします、クローベル幕僚議長殿。これを機に我々とも仲良くやっていきたいものですね」

 思い通りに相手を言いくるめる事ができた。大満足の結果にアストライアーは嬉々として三人の元から立ち去った。

「正気なんですか!? あんな悪魔染みた要求を甘んじて受け入れるなんて?」

 今回のクローベルの判断を疑問視し糾弾するレティ。

「たとえそうだとしても、彼の言う通り私たちには他に選択肢がないことは紛れも無い事実よ」

 厳しい表情でクローベルは受け入れざるを得ない状況だとレティやリンディに説明する。聞いた直後、レティとリンディは互いに顔を見合った。

「・・・・・・噂通りの切れ者のようね。そして、ここぞとばかり相手の弱みにつけこむ・・・・・・まるでハイエナだわ」

「ユーノ君もそうだけど、彼もまたなるべくならば敵に回したくない人物だわ」

 

           ◇

 

6月9日―――

第1管理世界「ミッドチルダ」

ミッドチルダ中央 司法管理部局長室

 

『特別司法捜査員制度』のもと、アストライアー・スカイラインは今回の事件解決の為、民間から一人の人間を招聘(しょうへい)した。

『局長。お連れしました』

「そうか。通せ」

 部下から待ちかねていた人物が到着したことを知らされ、趣味の一人チェスを中断する。やがて前方の扉が開かれ、入ってきたのは今を時めく人物―――翡翠の魔導死神ユーノ・スクライアだった。

 アストライアーはユーノの顔を見るや、口元を吊り上げ、ほくそ笑む。

「久しぶりだな・・・ユーノ。おまえもずいぶんと出世したな」

「ご無沙汰しています、アストライアーさん」

「まぁ立ち話もなんだ。座れよ」

 接客用のソファーへ互いに腰を下ろした二人。互いに面と向き合って話すのは数年振りの事だった。

「しかし先日のテレビの記者会見を見て驚いたぞ。おまえが例の魔導虚(ホロウロギア)なる怪物を倒した翡翠の魔導死神で、天才エンジニア“アニュラス・ジェイド”の正体だったなんてな」

 そう呟きながら、アストライアーは淹れたてのコーヒーを味わいつつ、昔の思い出を掘り下げる。

「思えば昔から、おまえは他の連中とは違いあらゆる面で突出していた。同じ大学に通い、7歳にして考古学の博士号を取得したばかりかそのまま1年も立たずして首席で大学を卒業しちまうくらいだ。同じ釜の飯を食った兄貴分としては鼻が高い」

 あまり滅多な事では人を高く評価しないアストライアーもユーノだけは例外だった。

 その一方で、ユーノは数年振りに会ったアストライアーに違和感を覚えながら、高級品が所狭し置かれた部屋の内装を見て率直な所感を呟いた。

「豪華な部屋ですね・・・しばらく見ないうちに羽振りが良くなりましたね」

「悪いか?」

 気分を害したようにアストライアーはコーヒーカップをコースターへ置くと、眉間に皺を寄せながらユーノを鋭い眼光で睨みつける。

「いえ。ただ、昔に比べるとずいぶん変わったと思いましてね」

 失言だった事を理解しつつも、アストライアーから向けられる反応にユーノは若干の戸惑いを抱いた。

「フン、オレがどう生きようがオレの勝手だ。おまえには関係ないだろ」

 そう言ってソファーから立ち上がったアストライアー。すると、ユーノはふと思い出した様子で別な話題について触れた。

「ところで、奥さんはその後お元気ですか?」

 問いかけられたアストライアーはユーノを一瞥し、しばらく間を置いてから背中越しに答える。

「死んだよ。」

「え・・・・・・」

 聞いた瞬間、ユーノは呆気に取られた様子で声を漏らした。

「オレの事はいいだろう。それより、今日ここへおまえを呼んだのは他でもない。特別司法捜査員としてオレたちに協力してほしいんだ」

「僕が、特別司法捜査員・・・ですか!?」

「『非道の徒(イリーガル)』なる管理局高官ばかりを狙った連続殺人鬼の話は既に耳に入っている筈だ。有力な手掛かりはなく、足取りもまるで掴めていない。本局でも相当に頭を悩ませている。おまえには我々とともにこの事件の犯人を突き止めてもらいたい」

「それは構いませんが・・・なぜ僕なんですか? あなたは元執務官。捜査能力にかけては僕よりもずっと洗練されているし、何より僕が捜査員として手伝うような事なんですか?」

「確かに、そう考えるのは無理もない。しかしなユーノ・・・・・・よく考えてほしい。非道の徒(イリーガル)は管理局の追跡さえ逃れるほどの手練れだ。オレが現役の執務官だったとして、そいつを100パーセント捕らえられるという保証はない。何より我々には情報が少なすぎる」

 客観的な事実を踏まえた理路整然とした見解を述べつつ、アストライアーはユーノの方へ振り返る。

「おまえの経歴についてはよく知っているつもりだ。だからこそ、捜査には多くの情報が必要だ。情報集めにおいておまえの右に出る者はいないとオレは確信している。引き受けてくれるだろう・・・・・・ユーノ」

 やや脅迫染みた物言いでユーノに迫る。アストライアーは彼が決して自分の頼みを断らない事を熟知しており終始不敵な笑みを浮かべる。

 ユーノは逡巡し、悩んだ末にアストライアーからの依頼を了承する。

「――――――わかりました。他ならぬアストライアーさんの頼みです。僕にできることなら」

「そうこなくっちゃな! おまえには期待しているんだ。あぁ、そうだ・・・・・・捜査員として働いてもらうからには報酬を与えないとな。これはささやかながらオレからの前払いだ。遠慮なく受け取れ」

 言うと、アストライアーは約束手形として額面100万G(ギルト)の小切手をユーノへと渡した。

 気前よく大金を渡されたユーノだったが、貰った直後より終始複雑な心境を抱え、渋い顔を浮かべるばかりだった。

 

           ≒

 

十七年前―――

アルハンブラナスル大学 クラナガンキャンパス

 

「――――――君がアルハンブラ始まって以来の天才児。ユーノ・スクライアかい?」

 

 6歳にしてミッドチルダ有数のエリート大学に合格したユーノ。その非凡な才能ゆえに話し相手も無く、同年代で友人と呼べる者は一人としていなかった。

 講義が始まるまでのあいだ窓際の席で黙々と本を読んでいたとき、唐突に横から声を掛けられた。

「・・・えっと、あなたは?」

 困惑するユーノに声の主―――アストライアー・スカイラインは、朗らかに笑いながら自己紹介をする。

「オレはアストライアー。きみの一期上で、同じ授業を取ってるんだ。わからないことがあったら何でも聞いてくれ」

 

 ―――アストライアーさんは大学時代の僕の先輩だった。

 ―――同年代で話し相手となれる友だちもおらず、慣れない都会で戸惑ってばかりだった僕にいろいろ教えてくれた。

 ―――兄弟のいない僕にとって、アストライアーさんは兄にも等しい存在だった。

 

 大学生活にも慣れ始めたある日、ユーノがアストライアーに誘われ大学の有名なゼミナールが主催するパーティーに出席した時の事だった。

「バカ野郎、オレは金のために執務官になるんじゃない!! 社会的に困ってる人々をだなァ・・・・・・」

 酒が回り酩酊状態となったアストライアーは仲間達に雄弁に自らの夢について語りだした。しかし、彼の酒癖の悪さは仲間内では知れ渡っており、周りは口々に―――「やれやれ、またスカイラインの青臭い独演会が始まったよ」「酔うとすぐこれだ」と言って、内心呆れていた。

「おい誰が青臭いだとォ!? おまえらがそんなんだからな・・・!」

「まァまァ。アストライアーさん、少し落ち着いて。」

「ユーノぉ!! オレは酔ってなんかいないぞぉ!!」

 誰も酔ったアストライアーを止める者がいないので、幼いユーノがいつも仲裁に入っては落ち着かせるのがいつしか名物となった。

 

 ―――アストライアーさんは大学時代から僕でも気負うほど、正義感の強いヒューマニストだった。

 ―――そして、僕が卒業して数年が経過して、無限書庫の司書長兼考古学者としてミッド地上で活動の幅を広げていた頃、執務官になったアストライアーさんと再会した。

 ―――そのとき彼は若い女性を伴っていた。

 

「紹介するよユーノ、女房のエレンだ」

「初めまして」

 軽く会釈するエレンと名乗るアストライアーの妻はとても人当たりの良い人物で、初対面のユーノも好感を持った。

「こいつもオレたちの同業者でね。今は二人で一緒の職場で仕事をしているんだ」

「私たち、ポリシーが同じなんです」

「金にならない事件や裁判ばかりやってるけど、毎日とても充実してるよ。こいつはオレの最高のパートナーさ! 女房がいるから頑張れるんだ」

 

 ―――そう言った時のアストライアーさんと奥さんの幸せそうな顔は、いまだって忘れはしない。

 ―――僕は心から二人の幸せを祝福し、いつまでも末永くその関係が続いてほしいと切に願っていたんだ。

 

           ≒

 

6月10日―――

次元空間 時空管理局本局 医療施設

 

 ユーノは、iPS再生カプセルで眠り続けるなのはや仲間の容態をガラス越しに見つめるかたわら、考えるのは数年のあいだに180度別の人間へと変わってしまったアストライアーの事ばかり。

 再会したときの雰囲気や言動を思い返しては、気にかかるのはアストライアーの妻・エレンが既に他界していたという事実に関する事だった。

 

            ―――『奥さん、お元気ですか?』―――

              ―――『死んだよ。』―――

 

                  死んだよ・・・・・・

 

(何故、奥さんは死んだんだ? 何があの人をあんな風に変えたんだ・・・・・・)

 パートナーの喪失という大きな節目。確かに、人が変わるきっかけとしては十分かもしれない。しかし、それだけが原因であるとは到底思えなかった。

 そんな時だった。ちょうど部屋の扉が開かれ、誰よりも早く戦いの傷を癒やしたスクライア商店副店長・熊谷金太郎がユーノの元を訪れた。

「金太郎。身体の方はだいじょうぶなのかい?」

「はい、おかげさまで。店長にもご迷惑をおかけいたしました」

「迷惑だなんて思っちゃいないよ。こんな僕のわがままにお前や浦太郎、鬼太郎は最後まで付いてきてくれた。感謝してもし切れないくらいだ」

 と、感慨深く謝意を露わにするユーノ。

 ユーノをサングラス越しに見つめる金太郎は、彼が醸し出す雰囲気から逸早くその心労に気が付いた。

「何やらお疲れのご様子ですな」

「え。ああ・・・・・・少しトラブルがあってね」

「話をお伺いしても差し支えはありませんか?」

 本来ならば特別司法捜査員としての守秘義務を護るべきところだが、金太郎になら話してやってもいいと思った。

「実は・・・・・・」と口火を切ったユーノは、今回の事件について包み隠さず説明した。

 

「私が寝ているあいだにそのようなことが・・・・・・」

「しかしわからない。なぜ相手は管理局員、それも魔導師資格を保有する高官ばかりを狙っているんだ? 管理局が標的なら無差別に局員を襲えばいい。魔導師資格を保有する局員はそう簡単には殺せない。将校クラスともなればなおのこと」

「・・・その資格が問題なのではないでしょうか?」

 この発言はやがて、今回の連続殺人事件解決において一石を投じる結果となった。金太郎は怪訝するユーノに主観に基づく一つの見解を述べた。

「管理局は未だ魔法至上主義が罷り通っているのが現状。魔導師資格を持つということはすなわち、高い地位と権力を約束される。莫大な報酬と様々な特権、これを羨む者は多いでしょう。しかも・・・“魔導師よ大衆のためにあれ”。古来より真理の探究者だった魔導師が管理局発足以後、国家資格を得た途端に局の人間兵器に変わる。かの『ヴェーダの内戦』以来、管理局に恨みを持つ者はいくらでもおりますからな」

「・・・・・・・・・」

 かつての武装隊名誉元帥から向けられる言葉の重み。それはユーノの心にズシンと響くものだった。

 ピピピ・・・。

 険しい表情で今後について思案を巡らせていた折、ユーノの元へ司法管理部からの通信が入った。

「はい、ユーノです・・・・・・・・・えッ!?」

 

           *

 

午後19時9分―――

ミッドチルダ中央23区 オフィス街

 

 一報を受け、ユーノは直ちにアストライアーの下へ直行した。

 現場へ到着すると、辺りは物々しい雰囲気に包まれ騒然としていた。地上部隊や救護隊、さらには司法管理部の関係者が一堂に会し現場検証に当たっていた。

 人混みを掻き別け、ユーノがアストライアーのそばへ近寄ったとき、彼は手負いの身で、襲撃時に受けたであろう傷が左腕のあちこちに見受けられ、担架の上であおむけになっていた。

「アストライアーさん、だいじょうぶですか?!」

 焦燥を滲みだすユーノにアストライアーは無理に作った笑みを浮かべ「どうってことないさ」と強がった。

「しかしオレも焼きが回ったな。非道の徒(イリーガル)を捕らえようとしてこのざまとは」

非道の徒(イリーガル)を見たんですか? 誰なんですか!?」

「残念ながらオレも正体まではわからなかった。やつめ闇に紛れてこそこそ動き回るもんだから、姿形をほとんど見れていない・・・・・・その代わり有力な情報を手に入れることができた」

 そう言って懐からアストライアーが取り出したのは黒い手帳。彼はおもむろにユーノへと手渡した。

「中を見てみろ。おまえもぶっ魂消るようなことが書いてある」

 言われてユーノは手帳の中身を改める。

「これは!!」

 手帳には信じ難い事が書き綴られていた。そこには現在の管理局ヒエラルキーの頂点、もしくはそこに近いポジションを獲得している上層部達が犯してきた犯罪歴の数々が事細かく記されていた。いわば、その手帳こそ管理局がひた隠しにしている汚職や不正のすべてが網羅された『パンドラの箱』とも言うべきものだった。

 驚愕のあまり声を失うユーノを凝視しながら、アストライアーは手帳の正体について教えた。

「《カルネ・デファンデュ》―――・・・“禁断の手帳”さ。見ての通りその手帳には管理局のお偉方がしでかしてきた不正や悪事、ありとあらゆる犯罪の記録と名簿が克明に記されている。複製ではあるが本物となんら遜色は無い」

「つまり非道の徒(イリーガル)のこれまでの犯行はすべて、この手帳に記録されているリストに則って襲撃を繰り返してきたものだと?」

「そう考えるのは妥当だろう。だがわからないことがひとつ。カルネ・デファンデュに記されているのは何も管理局員ばかりじゃない。政治家や法律家、他にも今の世界を動かす政財界の重鎮共の名前がびっしりとある。なのに犯人が襲っているのは一貫して魔導師資格を持つ管理局員ばかり・・・・・・これはどういうことだと思う?」

 アストライアーの疑問を受けた途端、ユーノは渋い顔つきのまま沈黙。

 彼の表情を見て、何か気づいているという事を暗に悟ったアストライアーは、「おまえなら何か知っているんじゃないのか?」と、おもむろに問いかけた。

 しばらくして、ユーノは重い口を開き、バツの悪そうな顔で話し出す。

「・・・その襲撃者があくまで魔導師資格を持つ管理局員だけ標的とするならば。たどり着く答えはひとつです」

「管理局の・・・内部の人間の仕業か?」

「僕の推察が正しければ、非道の徒(イリーガル)の行動原理は一貫して管理局の魔導師に強い怨恨を抱いていること。しかもその実力は元執務官のアストライアーさんに手傷を負わせるほどの手練れです」

 言うと、ユーノは拳をぎゅっと握りしめ決意を込めた様子で口にする。

「いずれにしてもこれ以上奴の凶行を見過ごすわけにはいきません。必ず見つけ出して、檻の中にぶち込んでやりますよ」

 それを聞いた後、安堵しつつもどこか複雑な心境でアストライアーは「・・・・・・オレもそうしてほしいよ」と、静かに呟いた。

 

 午後20時過ぎ―――。

 アストライアーと別れ、ユーノは先日の一件があったとは思えぬほど静寂に包まれたミッドチルダの街並みを高台から眺めながら、ひとり思案に暮れていた。

 アストライアーとの再会以来、さまざまな違和感や不審点や疑惑が湯水の如く湧き上がってくる。

 

            ―――『オレもそうしてほしいよ』―――

 

(あなたは変わってしまった、アストライアーさん・・・・・・本当に変わってしまった・・・・・・理想主義者だったあなたが・・・・・・・・・・・・・・・なぜ・・・・・・?)

 疑念が次第に確信へと変わり始める中、ユーノはアストライアーから拝借した黒革の手帳―――カルネ・デファンデュを手に取った。

(こんなものをどこで手に入れたんだろう・・・・・・・・・いや、違うな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうまでしてなぜ復讐に固執するのか・・・・・・・・・)

 このとき既に、ユーノは薄々とだがこの事件の真相にたどり着こうとしていた。襲撃者の目星も九分九厘見当が付いていた。

 問題は“非道の徒(イリーガル)”がどんな経緯で魔導師資格を持つ管理局上層部を標的としているのかという事。その答えを知る為に、ユーノはある人物にコンタクトを取る事にした。

 映像通信で特定の番号を呼び出す。しばらくして、その人物―――本局査察部査察官ヴェロッサ・アコースに繋がった。

『こちらヴェロッサ・アコースです』

「・・・・・・ご無沙汰しています、アコース査察官。ユーノです」

『え!? ほんとうにユーノ先生なんですか!?』

 突然のユーノからの連絡に驚愕し柄にもなく戸惑いを抱くヴェロッサとは対照的に、ユーノは単刀直入に用件を伝える。

「実は折り入って頼みたいことがあるんです。火急の件でして」

『先生が僕に、ですか? わかりました。それで何を調べればいいのでしょうか?』

「司法管理部局長アストライアー・スカイライン氏の亡き妻・エレン氏の死因と彼女が死の間際まで関わっていた裁判の記録を、大至急調べてほしいんです」

 

           ◇

 

6月11日―――

ミッドチルダ南部9区 アルテナ

 

「ひぃぃぃい!!」

 迫りくる死の恐怖に失禁寸前の魔導師資格を有する管理局本局幕僚長を務める中年男性。目の前には殺意剥き出しで仁王立ちをする襲撃者―――非道の徒(イリーガル)が睨みを利かせており、一歩たりとも逃げ出す隙が無かった。

「た・・・頼む! 金ならやる! 私の財産はすべてくれてやる!! だから命だけは!!」

『命乞いか・・・。人間ってのはどこまでも醜いな。最高だよ。オレはおまえのような人間が大好きだぁ』

 皮肉を込めてそう言うと、右手に抱えた細身の剣を振り上げ、前方の標的の息の根を止めようとする。

『死して己の罪を贖え―――』

「う・・・うあああああああああああああああ!!!」

 艶の無い悲鳴が屋敷中に響き渡り、凶剣が振り下ろされそうになった―――次の瞬間。

 

「チェーンバインド!」

 翡翠に輝く魔法の鎖が非道の徒(イリーガル)の剣へと絡みつく。

 鎖の先を辿ると、現場へ駆けつけたユーノが立ち尽くしており、間一髪のところで局員の命を救う結果となった。

「早く逃げてください!」

 窮地を脱した局員は思うように下半身に力が入らず、悲鳴を発しながら床を這って自室を飛び出した。

『オレの邪魔をするな』

 ユーノの干渉によって標的を仕留め損ねた事に癇癪を抱き、非道の徒(イリーガル)は足元にチェスボードの如く特殊なマスを展開すると、【イリーガル・ムーブ】という特殊な瞬間移動能力を駆使してユーノへと急接近。

 咄嗟に仕込み杖で非道の徒(イリーガル)の剣を受け止めると、ユーノは狭い屋内から広々とした中庭へ飛び出し、戦闘フィールドを確保する。

 中庭に出るや非道の徒(イリーガル)はユーノを襲撃するのに執着。不規則な高速移動術とフェンシングのような独特な剣術を披露する。

 魔導死神化したユーノにとってこの程度の攻撃を受け止めることは造作もない事だった。だがしかし、このときユーノの心は大きくかき乱されていた。その原因は他でもない対峙した敵・非道の徒(イリーガル)そのものにあったからだ。

「もうよしてください! やめてください!」

 いたたまれなくなったユーノは思わず声を荒らげ襲撃をやめるよう敵に懇願する。そんなユーノの願いなど一切無視して、非道の徒(イリーガル)はひたすら攻撃を繰り返す。

 沈痛な表情を浮かべ、ユーノは振り下ろされる敵の剣を手持ちの杖で受け止める。捌いて距離を取った後、切実に目の前の相手に訴える。

「お願いです。こんなことはもう終わりにしましょう! アストライアーさん!」

 名前を言われた瞬間、仮面で顔を覆い隠していた非道の徒(イリーガル)は自らの正体を暴露する。

 仮面を外すと、司法管理部局長―――アストライアー・スカイラインは眉間に皺を寄せながらユーノを凝視する

「やはり気づいてしまったんだな・・・・・・」

「なぜです? 誰よりも正義感が強く、法の下の平等を信じてきたあなたがどうしてこんな事を!?」

 未だに信じられない事実を受け止めることが難しいユーノ。

 そんな彼から向けられる言葉を耳にした途端、アストライアーは口元を歪め皮肉たっぷりに笑みをこぼす。

「フフフフフフ・・・・・・法の下の平等、か。悪いがそんなものはただの幻想だよ。アレ以来、オレはもう法律なんか信じちゃいないんだよ!」

「やはりそうですか。あなたがそんな風に変わってしまったのは・・・・・・4年前の奥さんの死。奥さんは・・・・・・レイプされたそうですね。依頼主の局魔導師に。しかも、告訴したがレイプは認められなかった」

「・・・・・・・・・・・・調べたのか。」鋭い眼光でユーノへ問いかける。

「ええ、知り合いの伝手を辿って当時の裁判記録を読ませてもらいました」

「だったら・・・・・・・・・なぜ強姦罪が成立しなかったかもわかってるだろ?」

「奥さんが事件のあとも、その魔導師の男に依頼された仕事をやめないで続けていたから・・・・・・それを裁判所は相手に対して好意があったと判断したんです」

「その通りさ。仕事を通じて親密になり、相手を受け入れる意思があった、とな・・・・・・」

 小刻みに肩を震わせながら、当時の屈辱的な過去を思い出す。そのたびに湧き上がる途方もない怒りと悲しみ、絶望が・・・・・・アストライアーの精神を大きくかき乱し、ついには声を荒らげる。

「ふざけるなっ!! 女房は・・・・・・・・・・・・エレンはそんな女じゃないぞ!! その男に依頼された仕事というのはささいな金銭トラブルだったんだ! だが、その件に関してはその男が騙されているのは明白だった。そこには明らかに加害者と被害者が存在している・・・・・・だからエレンはその加害者の罪を見過ごせなかったんだ。弱者を救いたい・・・・・・罪を憎んで人を憎まず・・・・・・理想に忠実に生き抜こうとした・・・・・・たとえ自分の感情を裏切ってでも・・・・・・・・・なのに・・・・・・なのに『法』は・・・・・・・・・あいつのそんな思いを打ち砕いたんだ!」

 嗚咽しながら声を発するアストライアーの双眸から零れ落ちる悔し涙。なによりも彼が悔しかったのは、自分と妻が信じた『法』が何の力も発揮されず、正義を踏みにじったという事だった。

「週刊誌やマスコミの連中は連日のようにおもしろおかしく袋叩きにした! エレンは依頼主と寝るあばずれ女執務官とな・・・・・・そんなバッシングを受け続け、遂に耐えきれずに自殺したんだ・・・・・・・・・オレがどんなにあいつを信じても、結局守りきれなかった!! 法は究極の善意を信じた人間を否定し、罪を犯した者に何の罰も与えなかったんだ!!」

 酒の席以外でここまで感情的な態度をとったアストライアーを見たのは初めてだった。何も言えず口籠るユーノにアストライアーは語気強く主張する。

「ユーノ! それが『法』ってやつだよ! オレやエレンが人を救い、正義を執行すると信じていた『法』ってやつの正体さ!」

「だから復讐なんですか? “非道の徒(イリーガル)”となり、カルネ・デファンデュに記された法では裁けない者たちへ・・・―――」

 問いかけるユーノに、アストライアーは口元を歪めると、隠していた胸元を大きく開いて見せた。見れば体の中心部にはぽっかりと空いた孔があった。

 ユーノはハッとした表情を浮かべ確信した。人の姿こそ保っていれども、アストライアーは復讐を果たす為に何らかの方法で“魔導虚(ホロウロギア)”になったのだと。

「おまえの言う通りだよ・・・ユーノ。オレはこの世界を支配する『法』に復讐してやるんだ! 何の役にも立たない法律とそれを都合のいいように利用し、弱者を虐げ、のうのうと生きる愚かな連中にな!!」

 自らの目的を声高に叫びあげたとき、アストライアーは狂気に支配された笑みを浮かべ嬉々として語りかける。

「やつらの最期はそれはそれは惨めだったよ。目も当てられないほどにな。とても魔導師資格を有する者とは思えない弱々しい口ぶりで、仕舞いには大抵こういうんだ・・・・・・金ならある。いくらでも払うから見逃してくれってよ」

「アストライアーさん・・・・・・」

「フン・・・・・・ときにユーノ。おまえはどこでオレが犯人であることを見抜いた?」

 用意周到に事を運んできたつもりでいたアストライアーの正体を、ユーノはたった数日の間に看破してしまった。その理由について、ユーノは彼の目をじっと見ながらおもむろに話した。

「あなたの左腕の防御創(ぼうぎょそう)を見て不自然だと思いましてね。以前、医療事務に関する書物を読んだとき、本物と偽装した防御創の違いについて書かれていたのを思い出しました。あなたは自分が犯人であることを周囲に気づかれまいと自らを傷つけ、わざと容疑者から外れようとした。しかしそれが却って僕の中のあなたへの疑惑を確信へと導いてしまったんです」

「なるほど。防御創か・・・・・・本当に怖いくらいよく見ているよ」

 畏怖と尊敬の念が籠った言葉を口にし、アストライアーはユーノの洞察力に脱帽する。

「これ以上あなたの凶行は見過ごすわけにはいきません。自首してください。あなたの復讐はここで終わりだ」

「終わってなどいないさ。なにも」

 手持ちの剣をユーノへと突きつけ、紅玉色をした禍々しい魔力と霊圧が入り混じった力をあからさまに放出しながら口にする。

「法は人を救わない。法律がある限り、人は幸福を得る機会を失う。そのために悪魔に魂を売った。オレこそが法の復讐者“非道の徒(イリーガル)”だ!」

「アストライアーさんッ!」

 ユーノの説得も空しくアストライアーの攻撃は再開された。

 イリーガル・ムーブと組み合わせた魔法による斬撃。さらには執務官時代に培った様々な魔法スキル駆使した多彩な攻撃は戦いを躊躇うユーノを少しずつ追い詰めていく。

「やめてください! もうやめるんだ!」

 訴えかけるユーノの左頬に鋭い痛みが走る。アストライアーの刃によって切られた箇所から血が滴り落ちる。

「腐った果実はさっさと取り除くべきなんだ。ユーノ、この世界にとっての腐った果実は他ならぬ管理局とそれを支える法なんだ!」

 攻撃を躊躇しがちなユーノに剣を突き立てアストライアーは宣言する。

「これ以上オレの邪魔をするならおまえから始末する」

「あなたの言う通り・・・『法は人を救えない』・・・・・・・・・・・・僕もそう思いますよ。だからこそ・・・人を救えるのは人だけなんです」

 きっぱりと口にした直後、ユーノは斬魄刀を始解―――覚悟の籠った瞳で眼前の敵・非道の徒(イリーガル)を見据え言う。

「僕は・・・自らが正しいと思う信念の為に、この命を捧げる! たとえどれほど恨まれようと、どれほど傷つこうと、僕は僕のやり方であなたを救ってみせる!」

「お前の正しさは他人を追い詰める。いつかきっとその報いを受けるぞ」

 

 カキン―――!

 刹那に勃発する激しい攻防。

 片や復讐を果たそうとする者。片や復讐を止めようとする者。

 翡翠の魔導死神ユーノ・スクライアにとって、非道の徒(イリーガル)―――アストライアー・スカイラインは過去例にない強敵として立ち塞がった。

 人の姿を保っているとはいえ、今のアストライアーは紛れも無く魔導虚(ホロウロギア)と化している人外の存在。元々備わっている魔導師としてのスペックに上乗せされた(ホロウ)の力は彼に大きな力を与える事となった。それは魔導死神化したユーノでさえ手を焼くほど厄介な力だった。

 イリーガル・ムーブを用いて背後からユーノに奇襲を仕掛ける事など造作もなく、さらには【昇格(プロモーション)】と呼ばれる能力でユーノの強さをコピーし、並行して彼の戦闘力を数値化し不正に操作する【細分数値(レイティング)】を発揮。この力を用いる事で非道の徒(イリーガル)は一見不利に思えるユーノとの戦いを有利に推し進めることが出来た。

「はああああああああ」

 だが、非道の徒(イリーガル)の卑劣な戦法にもユーノは決して屈しなかった。

 どれほど自分が傷つき、痛みを覚えようと大地に膝を突くことはしない。心に誓った己の信念を貫くために、我武者羅なまで一途に剣を振るい続ける。

 その思いの強さが大きくなるにつれ、非道の徒(イリーガル)との戦いの流れも次第にユーノ側へと傾き始めた。驚異的ともいえるその力に驚きを通り越して恐怖すら感じつつ、アストライアーは率直にユーノへ問いかける。

「人を救うのは人だけと言ったな? オレをよく見ろよ! 人の姿をしたバケモノだぞ! それでもおまえはオレを救うのか、ユーノぉ!!」

 声高に問うアストライアーに対しユーノは・・・・・・

「救いますよ。あなたが何と言おうと僕は・・・・・・・・・必ず。罪を憎んで人を憎まず・・・・・・かつてのあなたがポリシーとした事を今この場で僕が実現してみせる!」

「やれるものならやってみろぉぉおおお!!」

 どこまでも自分とは正反対で、清廉潔白なその生き方が羨ましくもあり同時にとても憎らしく思った。

 崇高な理想を掲げて戦うユーノをこれ以上見たくたかった。苦しい現実から逃避し人ならざる者に身をやつした自分自身とその行為を正当化する為には、ユーノ・スクライアという存在は邪魔だった。

「おおおおおおおお!!!」

 これ以上の問答も争闘も必要ない。決着をつける為に、アストライアーは止めの一撃を仕掛ける。

 

 バシュン―――。

 

 鋭い斬撃が双方ほぼ同時に繰り出された。

 数秒の沈黙の末、アストライアーの手持ちの剣先が二つに折れ―――彼自身もユーノの放った一撃によって斬り伏せられた。

「・・・・・・やっぱりおまえは天才だよ・・・・・・・・・そして・・・・・・オレの見込みに間違いは・・・なか・・・った・・・」

 満足げな表情を浮かべながら、最後まで言葉を発することもままならず気を失った。

 ユーノは静かに剣を納めてからアストライアーへと近づき、胸の孔が塞がっているのを確認。魔導虚(ホロウロギア)化が解かれた彼の腕を静かに持ち上げ、手錠を嵌めた。

 

「5時2分―――アストライアー・スカイライン、現行犯逮捕(現逮)!」

 

           ◇

 

 特別司法捜査員ユーノ・スクライアの手によって、ミッドチルダを震撼させた局員魔導師連続殺人事件の犯人・非道の徒(イリーガル)こと、元・管理局司法管理部局長アストライアー・スカイラインは逮捕された。

 

 アストライアーの逮捕から数日後、高町なのはとの和解を経たユーノはアストライアーが収監されているレゾナ中央拘置所へ赴いた。

 

           ≡

 

6月17日―――

ミッドチルダ東端部 レゾナ東中央拘置所

 

 レゾナ東中央拘置所は、重大事件の容疑者を収監する目的で設置された。取材攻勢を避けつつ、万が一の逃走や襲撃が遭った際の被害を想定した結果、都心から離れた辺鄙(へんぴ)な土地に建設されたのは無理からぬ事だった。

「こちらです」

 刑務官に案内され、ユーノが分厚い壁で囲まれた円形の檻の前に立ったとき、部屋の中央には魔法が使えない様に特殊な鎮静衣(ちんせいい)に身体を包まれ両手両足を固定されたアストライアーがいた。

さらに彼の口を覆っている戒具を見た途端、ユーノは驚きのあまり目を疑った。

防声具(ぼうせいぐ)・・・!! 禁止されたはずじゃあ・・・・・・」

「特定留置人指定の申し出が来ています。医師承諾の下、自殺を防ぐ為の措置です」

 命を絶つ事も辞さないアストライアーの心境に胸が締め付けられる。

 刑務官の許可を経て、二人きりとなったユーノはアストライアーの正面に座り込み、おもむろに語り掛ける。

「・・・・・・・・・アストライアーさん。やはり何度考えてもおかしいんです。普通の人なら、まず愛する人を死に追いやった原因・・・・・・つまり犯人を憎んで、その犯人に復讐しようとする。でもあなたはそうじゃなかった。犯人ではなく『法』そのものに刃を向けたのは理解していたからなんですよ。“殺人によって得られる苦痛からの解放など存在しない”と。あなたは己の良心の呵責に苦しんでいた。だからこそあなたは僕を特別司法捜査員として選んだんだ。自分では抑えきれない狂気と凶行を僕に止めてほしかった。違いますか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 口を塞がれ、念話さえできないアストライアーから返ってくる言葉はない。

 それを承知のうえで、ユーノは彼に消えない心の傷を負わせた例のレイプ事件について言及する。

「・・・・・・・・・アストライアーさん。レイプ事件の加害者がその後どうなったか知ってますか?」

 ぴくっと、アストライアーの眉が僅かに吊り上がった。

「あなたの言いたいことを当ててみましょうか。『知るか、そんなこと!! どうせどこかでのうのうと暮らしてるんだろうよ!』・・・・・・って」

 彼の心の内を見透かしたユーノは、おもむろに口にする。

「自首・・・・・・・・・したんですよ」

(!・・・・・・・・・何だと?)

 聞いた瞬間、思わず目を見開くアストライアー。ユーノはさらに続ける。

「上申書にこう書いてあったんです。女執務官さんの筋の通った行動に、自分のしたことの愚かさを思い知らされ自責の念に耐えきれず、と・・・・・・・・・アストライアーさん・・・・・・あなたや奥さんの理想主義も満更ではなかったのかもしれませんよ」

(そんな・・・・・・・・・)

 思ってもいなかった結末にアストライアーはショックを隠し切れなかった。

「『人を救うのは人だけ』・・・・・・アストライアーさん。まさしく奥さんの生き方そのものだったんですよ」

 ゆっくりと腰を上げたユーノは、茫然自失と化すアストライアーの方を一瞥し、彼がこれからの人生でしっかりと罪を償っていけるよう無言のエールを送り―――静かに牢の前から立ち去った。

 ポタ、ポタ・・・・・・。

 ようやく自分の愚かさに気づかされたアストライアーは、ただただ悔しくて、悲しくて、声を押し殺し止め処ない涙を流した。体中の水分が一滴も残らぬくらい。

 

 拘置所を後にしたユーノは、アストライアー経由で手に入れたカルネ・デファンデュを手にしながらある決意を固める。

(「法は人を救えない」・・・・・・確かにその通りだ。だからこそ、法が人を救うんじゃない。「人が人を救う」んです)

 心中そう呟いた後、カルネ・デファンデュを懐へとしまい、再び歩き出す。

(あなたの意志と無念は―――僕が引き継ぎます)

 

 

 

 アストライアーが志した理想を実現すべく、カルネ・デファンデュに記された情報を盾に奔走の末、ユーノはのちにある資格を得る。

 

       ―――【特別検察官(とくべつけんさつかん)】―――

 

 それはユーノ・スクライアだけが持つ唯一の司法捜査権。

 表向きは縦割り組織としての管理局が抱える慢性的な人手不足を補うために設けられた執務官制度の延長。

 しかしその実、ユーノ・スクライアが掲げる崇高なるひとつの『正義』を果たす為の確固たる力である。

 

       ―――『法は人を救えない、人を救うのは人だけ』―――

 

 二度とアストライアー・スカイラインの様な悲劇を繰り返さない為、ユーノ・スクライアは果てなき茨の道を進むこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:三塚蘭 国友やすゆき著『OUT LOW 1巻』 (小学館・1999)

原作:小森陽一 作画:藤堂裕『S -最後の警官- 9巻』 (小学館・2013)

 

用語解説

※1 鎮静衣=身体を包んで動けないようにするもの。暴行または自殺のおそれのある在監者に対して、その防止のために用いることができる。

※2 防声具=監獄、留置場で用いられる戒具の一種で、口をおおって声を出せないようにするもの。




登場人物
アストライアー・スカイライン
声:津田健次郎
37歳。時空管理局司法管理部局長。魔法術式・ミッド及び近代ベルカ式/魔導師ランク・陸戦AA+、魔力光は紅玉色。
ユーノの大学時代の先輩で、年の離れたユーノにとっては兄の様に慕っていた人物。司法管理部局長に就任する以前は優秀な執務官であり、大学卒業後にユーノと再会した時にはエレン(声:大橋彩香)という伴侶を伴っていた。ミッドチルダで起こった魔導師ランク保有の管理局員襲撃事件の解決を求めて6年ぶりにユーノと再会する。かつては正義感が強く実直な性格で、「法の下を平等」を強く信じていたが、ある時点より法律を一切信用せず、それを利用して金だけを無心する拝金主義者になった。ユーノの事は弟同然のようにかわいがっていた事から、ユーノの行動や素行などをよく熟知している。
実は彼こそが謎の襲撃事件の犯人「非道の徒(イリーガル)」であり、妻を自殺へと追いやった法律に強い恨みを抱き、その法律の網を掻い潜って私腹を肥やす管理局への復讐のため暗躍していた張本人。どこからか手に入れたカルネ・デファンデュに記録されたリストに記載された魔導師資格を有する管理局上層部を次々と襲撃する。真実を知ったユーノに対しては、愛憎入り混じった複雑な感情を抱きながら戦うが、敗北。逮捕後にユーノから妻をレイプした犯人がその後自首したことを知り、牢の中でこれまでの自分の行いを後悔しながら涙を流した。
名前の由来は、ギリシア神話に登場する女神で正義の神格化であるディケー女神と同一視された「アストライアー」から。



登場魔導虚
「非道の徒(イリーガル)」
声:津田健次郎
人間に極めて近い姿を持ちながら、虚の特徴である胸に空いた孔を持つ魔導虚。その正体は時空管理局司法管理部長官のアストライアー・スカイライン。
魔導師資格を保有する管理局上層部を殺して回る連続殺人犯で、「非道の徒(イリーガル)」の名は管理局がその残虐非道な所業より通称としてつけたもの。逆さ天秤に剣が刺さったデザインの仮面で素顔を覆っているが、自由に取り外すことが出来る。正義を執行する力と信じてきた現行の法律制度の限界と、それを食い物にする者達への恨みから、法律を憎み、管理局上層部を殺して回る。
戦闘能力は作中でも高いレベルにある。元は、管理局で開かれた魔法刀剣競技会で連続チャンピョンになる実力を持つ屈指の執務官であったため、多彩で並外れた魔法スキルを持つ。加えて、魔導虚化後に会得したチェスボードのような8×8マスの座標を足元に出現させ、座標を指定し自在に移動できる「イリーガル・ムーブ」という能力を駆使し、相手の後ろを取り奇襲する「詰駒(スキュア)」を得意とする。さらに相手の強さをコピーする「昇格(プロモーション)」と相手の戦闘力を数値化して不正に操作する「細分数値(レイティング)」によるコンボ技が存在する。
名前の由来は、英語で違法の、不法のという意味の「illegal」から。


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