ドラゴンハザード ~Dブラッド~ (アニマル)
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落ちぶれた勇者の末裔

「………こ、こいつがスペンサードラゴン…!!」

 

 とある洞窟を探索していた一団。そのリーダー格と思しき純白の鎧に身を包んだ長く赤い髪の女性が、目の前に佇む巨大な生物を見上げながら、驚愕に染まった言葉を放つ。

 

 しかし、それも無理はない。少なく見積もっても彼女の二十倍以上はありそうな巨体に加え、先ほどこの女性が口にした通り、その生物はドラゴンなのだ。身体を覆う白銀の鱗はある種の神々しさを感じるほどであり、女性の後ろにいた十数名の従者と思しき者達もその威容にすっかり飲み込まれてしまっている。

 

「怯えるなっ!! さっさと陣形を組みなさい、何としてもここで仕留めるわよっ!!!」

 

 しかし、何とかすんでのところで飲み込まれずに耐えた赤髪の女性が、従者達を叱咤しながら指示を出す。すると、表情にこそ恐怖は残っている物の、従者達は即座に気を取り直し、所定の位置に付きながら改めて各々の得物を構えドラゴンと相対する。

 

「…ったく、大の男どもがいちいち動揺するんじゃないわよ。高い金出して面倒見てあげてたんだから、こんな時くらいちょっとはまともに働きなさいよね―――」

 

 などと、後ろの従者達には聞こえない程の小声で愚痴りながら、赤髪の女性は腰に掛けていた華美な装飾が施された剣を抜く。そして、その白刃の切っ先をドラゴンに向けた。

 

「折角苦労して復活したところ悪いんだけど、貴方には再び滅びてもらうわ。そう、かつて貴方を滅ぼした勇者の末裔である、この私…リディエル・マーカスの手によってね!」

 

 赤髪の女性…リディエル・マーカスの大仰な宣言に、しかしドラゴンは微動だにせず、その金色の双眸でじっとリディエルを見つめるだけだ。

 

「フフ…。怯えて声も出ないってところかしら。安心なさいな、せめてもの慈悲として苦しませる事なく一瞬で滅してあげるわ!」

 

 と、言うや否やドラゴンに向かって走り出し、その首を目がけて剣を振りぬこうとするリディエル。しかしその一撃は、鈍い音と共に首を覆う鱗に弾かれてしまった。

 

「な、なんですって…!?」

 

 予想外の結果に両目を限界まで見開くリディエル。後ろにいた従者たちも再び動揺でざわめき始める。

 

「ちょっと! どういう事なの!? 勇者の末裔であるこの私がこの勇者の剣を振るえば、どのような相手でも一撃のもとに切り伏せられるんじゃなかったの!?」

 

「…いや、あの…」「…そ、その筈…ですが…」「わ、我らにもさっぱり…」

 

 若干ヒステリーを起こしながら後ろの従者達に噛みつくリディエルだったが、対する従者達の反応はとても要領を得る物ではなかった。

 

「あああもう!! 従者だけでなく、剣も使えないなんて…! こんなナマクラ剣だと分かっていたのなら、さっさと売り払うべきだったわ…!」

 

 言いながら剣を地面に叩きつけるリディエル。そのぞんざいな剣の扱い方に、従者達は顔を真っ青にしながら次々にリディエルに剣の偉大さとこれを使えるのは貴方しかいないという事を説くが、リディエルは見向きもしない。

 

 その一部始終を先ほどから変わらぬ姿勢と表情で見つめていたドラゴンだったが、その事に気付いたリディエルが額に青筋を立てた。

 

「…何なのその余裕綽々といった態度は? もしかして、かつて自分を貫いた剣が使えなくなっている事に勝利でも確信したのかしら…!?」

 

 言いながら、リディエルは両手をドラゴンに向かって突き出した。瞬間、リディエルの身体からの濃密な魔力が迸る。

 

「おあいにく様ね! 私が真に得意なのは剣術ではなく魔術よっ!! ほら、あんたらもいつまでもそんなナマクラ剣に固執してないで、私を手伝いなさいよ!!」

 

 リディエルの喝に周囲の従者達も慌てて魔術師用の態勢に入る。リディエルにこそ及ばないが、それぞれが放つ魔力もかなりの物だ。

 

「さあ、今度こそ終わりよ! この私を見下したこと、あの世で後悔しなさいなっ!!」

 

 言葉と共に、渾身の魔力を籠めた魔力弾を射出するリディエル。それに合わせて、従者達も全員が同時にリディエルに合わせる様に攻撃魔術を行使する。

 

 そして、それらがドラゴンに着弾した瞬間、大爆発が発生した。ドラゴンがいた空間はかなり広い空間ではあったが、それでも今いるのは洞窟の中なので、下手をしたら崩落するのではないかと思えるほどの規模の爆発だ。

 

「はあっ…はあっ…」

 

 大部分の魔力を使い切り、肩で息をしながらドラゴンのいた個所を見つめるリディエル。しかし、大爆発で発生した煙に視界を遮られ、ドラゴンがどうなったかを確認する事が出来ない。

 

「―――フン。私達の全開の魔術弾をまともに喰らって、無事でいられる筈がないわ。さ、さっさと帰るわよあんた達。帰ったら、まずはこの役立たずな上に私の顔に泥を塗ったナマクラ剣を売り払って、次に」

 

 などと口走りながら、リディエルが地面にある剣を拾おうとしたその時だ。突然煙の中から伸びてきたドラゴンの手が、リディエルが拾うよりも早く剣を掴んでいた。

 

 あまりに唐突な事に従者達は勿論、リディエルすら咄嗟には反応が出来なかった。そして、リディエル達が気を持ち直した時には、収まり始めていた煙の中から姿を現したドラゴンの手中に剣は移ってしまった。

 

「…そ、そんな………」

 

 傷一つ付いてないドラゴンの巨躯を見て、自分の自信を持った一撃が全く効いていない事に愕然とするリディエル。

 

「リディエル様、ここは一度撤退を…!」

 

 そんな中、従者の一人がリディエルに進言する。

 

「―――て、撤退…ですって…? この私に、尻尾を巻いて逃げろっていうの…?」

 

「勇者の剣は奪われ、我らの渾身の魔術も全く効果はありませんでした! これ以上交戦しても勝ち目はありません! どうか、撤退のご判断をっ!!」

 

 怒気をはらんだ表情で進言してきた従者に聞き返すリディエルだったが、続く従者の簡潔な状況分析に押し黙ってしまう。確かに現時点では打つ手なしだ。

 

 悔しそうに歯ぎしりをしながら従者達とドラゴンを順々に見遣るリディエルだったが、

 

「………っ!! …お、憶えてなさいっ! この場で受けた屈辱と恥辱、何倍、何十倍にもして返してあげるから…か、必ず……必ずよ…っ!!」

 

 と、ドラゴンに向かって捨て台詞を吐いてから、脱兎の如く出口に向かって駆けだしてしまった。そして、一拍子おいて、従者達も慌ててその後を追うのだった。

 

 

 

 

 

(…何だったんだあいつらは?)

 

 リディエル達が去った後に、ドラゴンは改めて不思議そうに首を捻る。勇者の末裔などとほざいてはいたが、かつて自分を滅ぼした勇者達と比べるのは失礼なほどに保持していた魔力は微弱だった。まあ、あれでもその辺にいる人間よりかは強力な魔力なのではあろうが…。

 

 加えて、勇者の剣すらまともに扱えていない。あんな体たらくで勇者の末裔などと言われてもとても信用できないし、もし本当だったとしたら他人事とはいえ真顔にならざるを得ない。

 

 ふと、意図せずして己の手中に収まってしまったかつて自分を貫いた剣を見遣るドラゴン。本来なら憎しみが募る筈の物なのだが、あんな貧相な人物にこき使われていたのだとしたら、落ちるところまで落ちぶれたもんだと逆に哀れみすら湧いてくる。

 

 とはいえ、自分を傷つけられる可能性のある剣なので奪ったというだけで、もうドラゴンには人間と戦う気は毛頭なかった。

 

(あの女の言った通り、苦労して何とか復活したのだ。だというのに、弱いくせに異常にしつこくねばる人間の相手など面倒くさくて今更していられん)

 

 はあ…、と溜息を吐きながらそんな事を考えるドラゴン。実を言うと、一度は人間を滅亡寸前まで追い詰めた事はあるのだ。

 

 しかし、寸前まで追い詰めてからが大変だった。どれだけ攻め立てようとも人間どもは次から次へと湧いてきたのだ。一体どこにそんな人数がいたんだと思わず首を傾げるくらいに。

 

 そうこうして攻めあぐねている内に、人間の中から勇者と呼ばれる人外の化け物と、勇者ほどではないにしろそれに近しい者が数人現れ、その勇者達にドラゴンの配下は次々に打倒され、遂にはドラゴンまでをも屠られてしまったという訳だ。

 

(誰にも見咎められず、のんびりと暮らしたいところだが、ここは既にあの女共に場所がばれているからその願いはかなわないだろう。今は復活したばかりで体が上手く動かんから仕方ないが、体が動くようになったらさっさと違う場所に移動するか…)

 

 そう考え、体を丸めて安静の姿勢を取るドラゴン。情けない話だが、先ほどの剣を奪うところも、かなり無理して動いていたのだ。リディエル達はテンパっていて気付かなかったみたいだが、実は勇者の剣を奪う時の手が無理をした代償としてプルプル震えていたのはここだけの話だ。



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虐げられる少女

 掃除用具を手にして廊下を歩く少女がいた。くすんではいるが、それでも微かな輝きを放つ金色の髪。汚れてこそいるが、シミ一つない綺麗な肌。顔立ちはまだ十代前半位の幼さの残る物だが、将来は間違いなく類を見ない美しさになるであろう整ったものだ。

 

 ただ体つきについては、その幼い雰囲気に対して胸元こそそれなりに出ている物の全体的に少し細めだ。もともとそういう体型…という訳ではなく、偏った食事からくる栄養失調故の体型という感じだ。

 

 だが、歩く姿には全くと言っていいほど覇気がない。一切の光を灯さない赤と緑のオッドアイもあり、まるで心の壊れた意思なき人形の様だ。

 

 不意に廊下で二人の使用人と思しき女性とすれ違う。次の瞬間、

 

「酷い匂い。鼻が曲がりそう…」「全く、汚物の分際で屋敷を歩き回らないで欲しいわね…」

 

 自らの鼻を押さえながら露骨に少女に対して不快感を示す二人。しかし、少女の様子から察するに碌に水浴びもさせて貰えていないであろう上に、今まで厠の掃除をしていたのだ。体臭が酷くなるのも当然の事だ。

 

「おい! 邪魔だゴミクズ!!」

 

 唐突に投げかけられる乱暴な言葉。と、同時に少女の背中に衝撃が走る。無様に前のめりに倒れた後に、後ろを振り返る少女。そこには、いかにも悪ガキ…と言った感じの十歳くらいの少年が、舎弟と思しき子供達を連れて足を少女に向かって突き出していた。

 

「はっ! 本当にトロ臭い女だな! そんなだからいつまで経っても役立たずなんだよ!!」

 

 中々立ち上がらない少女に向かって更なる暴言を吐く少年。しかし、それでも少女は反応せず、取り落とした掃除用具を拾いながらゆっくりと立ち上がる。

 

「兄ちゃん! リディエル様達が帰ってきたぜ!!」

 

 その時、廊下の向こうから新たな少年が走って現れ、少女をイジメていた少年に向かって叫ぶ。

 

「うお! マジかよ!? おい、おめえらさっさと行くぞ! そんなウンコほっとけ!!」

 

 全くと言っていいほど反抗しない少女を口々に罵り手を上げていた少年の取り巻き達だったが、少年が廊下のむこうに走り出すと、慌ててその後を追いかけ始めた。

 

 程なくして、廊下の向こう側が騒がしくなる。釣られて少女もその方向へ歩みを進める。

 

 その先には、この屋敷の次女であり、武芸、魔術の両方に秀でた才媛であるリディエル・マーカスがいた。確か今日は、蘇ったばかりの邪悪なドラゴンの討伐に向かった筈だ。勇者の末裔として名を馳せるこの家には、何かとこんな感じの討伐依頼が押し寄せてくるのだ。

 

 戦闘用の鎧を着ているところを見るに、たった今帰還したばかりの様だ。しかし、リディエルの表情は不機嫌そのものだ。彼女は表情が表に出やすいタイプなので、恐らく討伐に失敗でもしたのだろうと推測できる。

 

 そんなリディエルが、ドスドスと荒い足音で少女の方に向かってくる。

 

「邪魔よっ! どきなさいっ!!」

 

 そして、少女を右手ではたき倒すリディエル。移動の邪魔にならないよう廊下の端っこにいたにもかかわらず、明らかにストレス発散の為にそんな行為に出るリディエルには、確かに性格の悪さが滲み出ていた。

 

 再び倒れる少女だったが、そんな少女を気にも留めずリディエルは速足で去ってしまった。

 

「…シデラ、大丈夫?」

 

 リディエルを追ってその従者達や先ほどの少年とその取り巻き達が去っていく中、リディエルの従者の一人が倒れた少女に向かって手を差し出す。

 

 しかし、少女はその手を取らず、ゆっくりと立ち上がった。まるで、お前の助けなどいらん…と言わんばかりだ。その意思を察したのか、従者は所在なさげに差し出した手を引っ込める。

 

「何かゴメンねシデラ。リディエル様、ドラゴンに見下されたと思い込んでてそれで」

 

「…早く追いかけないと怒られるよ」

 

 何とか少女と会話しようとする従者だったが、その涼やかで心地の良い声質から発せられる、さっさと行けとばかりの少女の言葉に従者は落胆する。視線こそ従者の方を向いてはいる少女だが、その双眸は明らかに従者を見ていない。

 

 暫くうな垂れていた従者だったが、やがて今は少女と会話するのは無理と考えたのだろう。心配そうに少女を一瞥だけしてから、リディエルの後を追った。そして、まだやらなければならない事がたんまりと残っている少女も、そんな従者を見送りもせずに従者とは反対側へ歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 リディエルがドラゴン討伐に失敗してから二日が経過した。この日、珍しい事にこの屋敷の主…マーカス三姉妹の長女であるロゼリア・マーカスから少女にお呼びがかかった。

 

 とはいえ、屋敷中…いや、下手をすれば町中から厄介者扱いされている身だ。まず間違いなく碌でもない要件だろう。かといって、行かなければマーカス姉妹の従者達に殴り回された後に強引に引きずり込まれるのが見えているので、行く以外の選択肢はないが。

 

「シデラです」

 

「―――入りなさい」

 

 約束の時刻きっかりに指定された部屋の扉をノックする少女。返ってきた声には隠しもしない明らかな嫌悪の感情が含まれている。

 

 少女が部屋に入ると、奥に三人の女性が机に座って待ち構えていた。対して正面に眼鏡をかけた見るからにきつそうな女性。その左に表情も気だるげで服装もだらしない色々と軽そうな女性。そして、右にリディエルだ。

 

「貴女と長時間話などしたくないので手短に用件を言います。ドラゴンを抑える為の生贄になりなさい」

 

 部屋に入って早々眼鏡の女性から少女に下される死刑宣告。理由も分からず理解すら許されないあまりに理不尽な仕打ち。しかし、

 

「はい、分かりました」

 

 少女の表情に変化はなく、ただ淡々と返事をするのみ。

 

「…あのさぁ、もうちょっと喜んだらどう? アンタみたいな何の役にも立たないごく潰しが、偉大なマーカスの名を継ぐ私達の役に立てるんだよ?」

 

「薄汚い妾の子には過ぎた役割ね」

 

 そんな少女が気に食わなかったのか、軽そうな女性が不機嫌そうに苦言を漏らし、それにリディエルも同調する。

 

「はあぁ~ぁ…。大体リディエル姉貴がドラゴンをぶっ殺してくれてればこんな面倒な事にならずに済んだのよね~…。あ~これからの事を考えるとメンドクサ~…」

 

「黙れミルアっ! それ以上言ったら如何にアンタでもタダじゃ置かないわよっ!!」

 

 しかし、続く軽そうな女性…ミルアの頭を擦りながらの言葉にリディエルが激昂する。ものすごい勢いで立ち上がり、いまにもミルアに殴りかかりそうなその様子から、まだまだリディエルはドラゴンに対する激しい怒りを心の内に燻ぶらせている様だ。

 

「お~怖い怖い。でも、その直情的でわっかりやすい性格直した方が良いと思うけどね~」

 

 しかしミルアは一切怯まず、更にリディエルを煽る。

 

「こ、このっ…!」

 

 ついにはリディエルは机から身を乗り出し、ミルアに殴りかかろうとした。が、

 

「お止めなさい」

 

 静かに、しかしよく響く声で眼鏡の女性が二人を止める。その威圧的な声色に、リディエルはミルアを睨みながらも席に着いた。

 

「さっすがロゼリア姉貴、大物感出てるぅ~。これも家名の誇りって奴かなぁ~?」

 

 だがミルアは怯まない。今度は眼鏡の女性…ロゼリアに向かって茶化すような言葉をむける。しかし、

 

「プライドのプの字もない俗物に茶化される筋合いはありません。後、こんな脳筋で遊んでいないでさっさとドラゴン対策を立てて下さいませんか? 生贄だけでは根本的解決になっていないのは、常日頃から参謀を自称しているミルアには分かっている筈でしょう? それとも、作戦立案は不可能ですか? なら、貴女も貴女の目の前にいる脳筋と一緒の役立たずですね」

 

 逆にロゼリアにズケズケと毒舌を吐かれてしまい、今度はミルアが歯噛みしてロゼリアを睨み付ける。と、同時に『脳筋』『役立たず』と罵られたリディエルもロゼリアを睨んでいる。どうやらこの姉妹はかなり仲が悪い様だ。

 

「それと」

 

 リディエルとミルアの怒りの視線を難なく受け流しながら、唐突にロベリアは手元にあった片手で持つのが難しそうな程の分厚い本を手に取る。

 

 そして、その本を姉妹の口喧嘩を黙ってみていた少女に向かって投げつけたのだ!

 

 不意を突かれた上に信じられない程の速さで飛んできた本に、少女はまともに反応する事も出来ず額に本が直撃してしまう。帯を使って閉じるタイプの本だったため空気抵抗を殆ど受け無かったのか、少女が後ろに弾き飛ばされてしまったところを見ても、かなりの威力が合った様だ。

 

「下郎の分際でいつまでこの部屋にいるつもりですか? その不愉快な顔は見ているだけで吐き気がするんです。用は済んだのですからさっさと出て行きなさい」

 

 血が流れている額を抑えながら、激痛に呻いている少女に向かって冷徹に言い下すロゼリア。そして、

 

「ほんとにね~。アンタがいると物理的にも臭いし、雰囲気的にも辛気臭くてかなわないのよね~」

 

「その薄汚れた血を床にこぼさないでよ。もしこぼした場合は、アンタの舌で舐めとってもらうわ」

 

 ロゼリアに続き、ミルアとリディエルも嫌らしい笑みを浮かべながら少女を言葉でいたぶる。普段は仲が悪そうな姉妹だが、こういう時だけは息が合うらしい。

 

 ハッキリ言って、立つのも辛いほどの痛みではあったが、このままいつまでも床でもがいていると更なる叱責を喰らいそうだと呻きながらも判断した少女は、必死に立ち上がり額を押さえたままヨロヨロと退室するのだった。



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変わり果てた勇者

 町の入り口を目指して歩く少女。町人とは幾度となくすれ違うが、薄汚れた少女の事を奇異や侮蔑の視線で見下す事はあっても話しかけたりする者は皆無だ。

 

 特に侮蔑や嘲笑の囁きがよく耳に入る。少女自体は屋敷から一歩も出た事が無いにもかかわらずここまで貶められるのを見るに、どうやらマーカス三姉妹…そして既に故人だが三姉妹の父であったディスト・マーカスが少女の事を悪く言っていたのだろう。実質この町はマーカス家が仕切っているので、そういう情報操作は容易い筈だ。何故そんな事をしたのかは謎だが。

 

 程なくして町の入り口に到着した少女。そこには、二日前リディエルに突き飛ばされた時に手を差し伸べてくれたあの従者がいた。

 

「―――シデラ。……その……」

 

 少女の名を口にする従者ではあったが、その後の言葉が続かない。

 

「未練がましいのは男らしくないよ、リン。さっさと私の事は忘れよう?」

 

 何かを喋ろうとしては結局口を開けずに俯く、という行為を繰り返す従者…リンに向かって少女は冷淡に告げる。

 

「…っ! で、でも、俺はまだお前が……!」

 

 それでも何とか食い下がろうと、大きな声で己の気持ちを伝えようとするリンだったが、少女はもう話す事は無いとばかりに視線をリンから外した。

 

「貴方は好きな女の子より権力を選んだ。そして私は今から死にに行く。これでこの問題はお終いだね」

 

 何の感情も籠っていない声でそれだけ言ってから、町を出て行く少女。その後姿を、リンは悔恨の表情でいつまでも見続けるのだった。

 

 

 

 

 

「―――と、いう訳で私はこの場に捧げられました」

 

(…また変なのが来た)

 

 突然現れた人間の少女に、ドラゴンは内心ため息を吐く。なにやら生贄云々などとこの少女は口にしたが、そもそもどういう意味での生贄なのだろうか? 眷属としての生贄ならば、余程酔狂且つ実力を持った者でなければ使えたものではないし、食用としての意味だったとしてもこんなやせ細った人間など不味くて食えたものではない。

 

「どうやってここまで来た? 道中には雑魚だがそれなりの数の魔物がいた筈だが…」

 

「生贄として道中で死なれては困るという事で、魔除けの香をいくつか持たされましたのでそれを使って道中の魔物は回避しました」

 

 ふと疑問に思った事を訪ねるドラゴンに、少女は淡々と答える。

 

 確かに少女の身体からは魔物が嫌がる香りが微かに漂っている。だが、それ以上に、

 

(単純に臭すぎる…!)

 

 あまりに酷い少女から発散される臭いに思わず顔を顰めるドラゴン。恐らく長い間洗われていないであろう少女自身と少女の着ているボロボロの服。そして、臭気を漂わせる汚物が集まる場所ばかりにいたであろう汚れ以外の匂いが合わさり、何とも表現しにくいがとにかく酷い体臭を生み出している。

 

(普通生贄と言えば弱者が強者の機嫌を取るものなのだから、人身御供なら少しでも外面をよく見せるために身を清めるのが普通なのだが…。送り込んだ奴が常識を知らないのか、それともただ単に俺がこんな不浄な物で喜ぶ馬鹿な畜生だとでも思われてるだけなのか…)

 

 と、考え込みかけたドラゴンだったが、今はそんな事より目の前の少女を適当に追い払う方が先だと判断する。どっちみち今のドラゴンに人間など不要なのだ。

 

 何の感情もなくドラゴンを見つめている少女に向かって、ドラゴンはその大きな口を開ける。次の瞬間、ドラゴンの口から激しい炎が少女に向かって襲い掛かった!

 

 一瞬にしてその炎に全身を飲み込まれてしまった少女。だが、

 

「―――………あ、あれ?」

 

 炎が止むと、そこには飲み込まれた筈の少女が火傷一つなく姿を現した。死を覚悟して目を閉じていたのであろう少女は、炎が止んだ後でも自分が生きている事に戸惑った様子を見せる。

 

「とりあえず、お前にこびりついていた汚れや臭いの元は全て焼き払ってやった。後は勝手に……っ!?」

 

 困惑気に自分の身体を見つめている少女に、ドラゴンは今の炎ブレスの効果を簡単に説明した適当に後に追い払う…つもりだった。汚れが取れた後の少女の顔を見るまでは。

 

(…似ている……あの時俺に止めを刺したあの女―――勇者に…)

 

 汚れの全てが取れ、暗い洞窟の中でも希望の光が如く黄金に輝く金色の髪。目、鼻、口という顔を形成するパーツが全て均等且つ可愛く見えるに丁度良い大きさに揃い、肌自体も髪と同じく輝いているかの様な美しさ。総じて人外の…いや、生物として最高級の美しさを醸し出している。

 

 唯一ドラゴンの記憶にある勇者と違う点は、勇者は両目ともに淡い緑色の瞳だったが、目の前の少女は淡い緑と濃い赤というオッドアイだというところ。とはいえ、それ以外は瓜二つと言っても過言ではない。

 

「………?」

 

 ドラゴンにじっと見つめられ、不思議そうに首を傾げる少女だったが、対するドラゴンは深く考え込む。

 

(もし本当にこいつが勇者の生まれ変わりとかそういう類の者なら、まだ力に目覚めていない今の内に始末してしまうのがやはり最善か…? いや、しかし昔ならともかく今は出来れば人間は殺したくない。もしただそっくりなだけで赤の他人だというのなら完全に殺し損だ。…どうしたものか―――)

 

 迷うドラゴンだったが、ふと手元に勇者の剣がある事を思い出した。

 

「…おい、小娘。ちょっとこの剣を持ってみろ」

 

 そう言って、勇者の剣を少女に渡すドラゴン。もし本当に少女が勇者の生まれ変わりなら、少女が剣を持てば勇者の剣は何らかの反応を示す筈だ。反応が無ければ生まれ変わりではないという事。

 

「あ、この剣はリディエル姉さんが良く帯剣していた物ですね。確か、遥か昔に貴方様を貫いた勇者の剣で、常々姉妹の中で一番武芸に優れている自分がこの剣を持つに一番ふさわしいと豪語していました。そういえば、貴方様に奪われたと言っていたましたね」

 

 やはり大した感情を見せずに少女が呟くが、その内容の内のリディエルという言葉にドラゴンが微かに反応する。確か、少し前にここに攻め入ってきた人間達の長らしき人物もそんな名前だったとドラゴンは記憶している。

 

「お前はあの女の関係者なのか?」

 

「―――そうですね。一応半分は同じ血が流れる姉妹です。ただ、リディエル姉さんを含めた上三人は本妻の子だったのに対し、私は下賤な母から生まれた不純な子ですけど…」

 

 ドラゴンの問いに答えながら、只でさえその見た目に反し光を宿して居なかった瞳が、ますます闇に沈んでいく。どうやらかなり複雑な過去がある様だ。尤もドラゴンはそんな過去には興味はないのでこれ以上は聞かないが。

 

「…おい。沈むのはお前の勝手だが、それはこの剣を持ってからにしろ」

 

「あっ…。そ、そうですね。申し訳ありません」

 

 急かすドラゴンに少女は慌てて差し出された剣の柄を両手で掴んだ…その直後だった。

 

 突然剣の刀身が眩いばかりに輝きだす。そしてその輝きはどんどんと強さを増していく。まるで、やっと己の真の主に出会えたと歓喜するように。

 

 更に、その輝きに呼応するかのように少女の身体も輝きだした。

 

「わ、わわ、な、何ですかこれ…!? な、何だか力が湧いて来るような…!?」

 

 あまりに唐突な事に少女は驚きを露わにしている。今まで殆ど感情を見せなかった少女だが、どうやら完全に感情が死んでいた訳では無いみたいだ。

 

 しかし、ドラゴンからしたらたまったものではない。ここまで激しく勇者の剣が反応したという事はもう間違いはない。目の前の少女は勇者の生まれ変わりかそういった類の者だろう。と、同時に力にも覚醒してしまったようなので、まだまだ本調子には程遠いドラゴンには荷が重い相手である事も間違いない。最悪、この場で再び滅せられる危険すらある。

 

(くう…っ! か、確認を優先するあまりついうっかりやってしまった…! 長い間滅せられていたせいか少し日和っていたのかもしれん…。こんな事ならさっさと殺していた方が良かったか…。いやいや、過ぎた事は仕方がない。今はそれよりこの後どうするかだ!)

 

 内心冷や汗を浮かべながら、まだまだ動かし辛い身体で目の前の少女に対して身構えるドラゴン。だが、

 

「―――あ、あの、私はやはり食べられてしまうのでしょうか?」

 

 持っていた剣を丁寧に地面に置き、ドラゴンに向かってそんな事を聞く少女。

 

「…戦うつもりではいるな。本調子ではないとはいえ、こんな所で滅せられたくはないからな」

 

「―――はあ…? 一体誰が貴方様を滅するのですか? ここには誰もいませんが…」

 

 不思議そうに辺りをキョロキョロと見回しながらドラゴンに訊ねる少女。その表情を見る限り、冗談などではなく本気で言っている様だ。

 

「寝ぼけるな。勇者の剣に適合した貴様以外誰がこの俺を滅せられるというのだ」

 

「私? いえ、私は生贄としてここに捧げられただけですので…。それに、私如きが貴方様に歯向かったところで虫けらの如く縊り殺されるのがオチだと思いますが…」

 

 警戒しながら少女を指摘するドラゴンだが、当の少女は真顔で自分に勝ち目はないと口にする。

 

「…貴様は今、勇者の力に目覚めた自覚は無いのか?」

 

「何らかの力が漲ってくるのは感じますが、そんな付け焼刃で貴方様に勝てるとは到底思えないのですが…?」

 

 ドラゴンの質問に、しかし少女は疑問形で返す。どうやら、少女はドラゴンはその昔この世界を荒しまわった頃の力…つまり全盛期の力を変わらず保持していると勘違いしている様だ。実際は、当時の五分の一程度の力しか出せず、全回復にはまだまだ時間が掛かりそうなのだが。

 

「―――生きて帰りたくないのか?」

 

 不意にドラゴンの口から出た言葉。何故なら、昔勇者とその一行と戦った時、彼女とその仲間達は口々に誓いを立てていたのだ。勝って、そして全員必ず生きて帰るぞ! と。だが…、

 

「…生きて帰ったところで、私を待ってくれる人なんていません」

 

 何の感情もなくそう呟いた少女。その、ドラゴンの記憶の中にいる勇者とあまりに違い過ぎる少女の姿に、ドラゴンは警戒する事も忘れて少女を見つめ続けるのだった。



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ドラゴンの血

 少女がドラゴンの住処にやってきてから二週間が経過した。その間、少女…名はシデラというらしい…は身の回りの世話に食事の用意にと甲斐甲斐しくドラゴンに尽くしていた。

 

 ドラゴンの方も満更ではないようで、最初の方こそ警戒心を中々解こうとはしなかったが、今では身の回りの世話についてはシデラに任せっきりになっている。流石に食事の方は、何を入れられるか分からないという事で警戒の心は残っているが。

 

 だが、そろそろシデラと分かれ今度こそ独りになろうとドラゴンは考えていた。もともと復活する前からそのつもりでいたし、体の方も不自由なく動かせる程度には回復してきた。

 

 なにより、いつまでもこの場にいると面倒毎に巻き込まれるのは目に見えている。先日もあのリディエルとかいう人間の放った密偵らしき者がこの住処を探りに来ていた。密偵本人は気づかれていないつもりだったのだろうが、ドラゴンにはバレバレだったのだ。

 

 恐らく、近日中に再びここを襲撃する為の確認として派遣されたのだろうが、実を言うと問題はそこではない。

 

 この密偵についてはシデラも気づいていたのだが、あろう事か彼女はドラゴンに仇なす者としてこの密偵を躊躇いなく殺そうとしたのだ。

 

 勇者として目覚めてからのシデラの成長は恐ろしいものがあり、既にこの洞窟に稀に発生する突然変異の魔物”ストーンゴーレム”をたったの一撃で倒せる程にまでなっている。そんな彼女だからこそ、もうその辺の人間の密偵など歯牙にもかけず嬲り殺せるだろう。

 

 勿論、人間の殺生をよしとしなくなってしまったドラゴンは慌てて止めに入ったのだが、同族の…しかも同じ場所に住んでいたであろう者を一切迷うことなく殺そうとするとは相当な壊れっぷりだ。

 

 ドラゴンは酔狂な者は人間だろうがそれ以外の種族だろうが好む傾向にあるが、精神的に壊れている者は必要としていない。組織としても破綻のきっかけになる可能性が一番高い種だし、個人としてもむやみやたらに厄介ごとを持ってくる面倒な人物になるのが分かり切っているからだ。

 

 そのシデラは今、背中に勇者の剣を担いだままドラゴンの身体を枕に眠っている。その安らかな寝顔を見るにドラゴンに全幅の信頼を寄せている様だ。一体何に於いてそこまで信頼されたのかドラゴンには一切分からないが。

 

 とにかく、こんな厄介な人間をいつまでも傍に置いておくつもりは無い。故に、シデラの寝顔を見つめながら、ドラゴンはどうやって彼女と分かれようかと思案し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 翌日、そろそろこの場を立つ事とシデラと別れる旨を伝えたドラゴン。だが、

 

「嫌です! 貴方様と別れたくありませんっ!!!」

 

 シデラからの激しい拒否の言葉。そしてそのままドラゴンの顔にしがみついてくる。

 

「別にもう俺に纏わりつく必要も無いだろう。たとえ元の場所に帰れなかったとしても、既にお前は勇者としての力を得たんだ。人間の世界に戻りその力を使えば、富も名声も望むままだぞ?」

 

「人間は私に酷い事しかしてきませんでした。そんなところに戻りたくはないし、そんな者達から与えられる富や名声など今の私には必要ありませんっ!!」

 

 何とかシデラを説得しようとするドラゴンだったが、滅多に表情を変えないシデラが悲し気にそう叫ぶさまを見るに、彼女の意思も相当固い様だ。

 

(…出来ればこの方法は使いたくなかったが、仕方ないか)

 

 そんなシデラを見て、ドラゴンはある決意をする。そして、シデラの頬を舌で一舐めしてから口を開いた。

 

「…分かった。そこまで言うのならお前にも一緒に付いてきてもらおう」

 

 ドラゴンから許可を貰えた事で、一転して満面の笑みを見せるシデラ。こんな笑顔を見せるのはこの場所に来てから初めての事だ。それほど嬉しかったのだろう。

 

「ただし! 一つだけ条件がある」

 

 そんな中言葉を続けるドラゴン。

 

「お前は、俺の”血”についての言い伝えは聞いた事があるか?」

 

「…スペンサードラゴンの”血”。それは何物にも代えがたい劇薬であり毒物。しかし、その凄絶なる猛毒に耐えた者には神が如き”力”が与えられるだろう…というものだった筈」

 

「そうだ。そして、ここまで言えば俺の言う条件も分かるな?」

 

「―――その”血”に耐えて見せろ、という事ですね?」

 

 冷や汗を垂らしながら答えるシデラにドラゴンはコクリと頷く。そして、右手の指先をシデラの前に差し出した。

 

「お前の持つ勇者の剣なら俺の鱗も切り裂けるはずだ。その剣で俺の指に切り傷を付け、そこから出てくる俺の”血”を飲むがいい」

 

 ドラゴンの言葉にシデラは困惑気に視線をドラゴンに向ける。恐らく、ドラゴンに傷をつけるという行為が恐れ多いのだろう。

 

 しかし、ドラゴンから構わん、やれ…という視線が返ってきた事で、シデラの意思も固まったみたいだ。背中に担いでいた勇者の剣を右手に掴み、多少躊躇いながらも一気にドラゴンの指を切り裂く。

 

「…っ」

 

「ドラゴン様っ!」

 

 伝説にまで謳われたドラゴンの鱗をあっさり切り裂けた事にシデラは驚いていた様だが、ドラゴンが痛苦による微かな呻き声を上げると心配そうにドラゴンに詰め寄る。

 

「…気にするな。それより、さっさと俺の”血”を飲め」

 

 ドラゴンの言葉を受けて、シデラは視線を今しがた自分が切った個所に向ける。そこには、ドラゴンの”血”と思しき微かな赤が混じったどす黒い体液が滲み出ていた。

 

 その体液を一定量掬い取ったシデラは、何の躊躇いもなくその体液を一気に飲み干す。

 

「―――………? 味もしないし、何も起こりませんが…?」

 

 しかし、教えられた言い伝えに反し何も起こらない事にシデルは不思議そうに口を開きながらドラゴンに視線を向けた…その時だった。

 

 突然、シデラの右腕が燃え始めたのだ!

 

「なっ…!? あ、熱……っ!!?」

 

 あまりに唐突な事に、シデラは驚愕しながら必死に炎を消そうと右腕を左腕で払う。だが、明らかに通常の炎と違う漆黒の炎は、消えるどころがどんどんとシデラの身体を覆い始めていく。程なくして、シデラは全身を漆黒の炎に覆われてしまった。

 

「うあ、あ、熱い…っ! ぎ、あ、あああああっ!!!」

 

 漆黒の炎に焼き尽くされ、もだえ苦しむシデラ。そして、そんなシデラをじっと見つめるドラゴン。

 

 実は、言い伝えには二つの嘘があったのだ。一つは、飲んだ者を襲うのは毒などではなく、覆いつくした物が消し炭になるまで消える事が無い漆黒の炎である事。

 

 そして、もう一つは力など手に入らない事。ドラゴンが血を分け与えたのはこれで五度目となるが、そのいずれもが漆黒の炎に耐えられず絶命した。故に、実際に力が手に入るかどうかは確認できていないのだが、少なくともドラゴン自身はそんな物は手に入らないと思っている。

 

 そう、ドラゴンはここでシデラを殺す事にしたのだ。シデラが生きているとドラゴンに面倒毎が転がり込んでくるであろう事は想像に難くないが、何故かそれに加えて、彼女を生かしていると世界そのものが危ない気がドラゴンにはしたのだ。

 

 ドラゴンも昔は世界中で戦っていたが、それはあくまで人間のみを滅ぼすための戦いだ。世界が滅亡してしまうのは、今のドラゴンは勿論、例え昔のままだったとしても望む事ではない。

 

「……あ……が、が……ド………ド……ゴ…………様……」

 

 しかし、漆黒の炎におおわれて三分近くが経過したにもかかわらず、シデラはいまだ息絶えていない、どころか倒れてすらいない。文字通りその身を焦がしながら、それでも右手をドラゴンに向けて伸ばしてくる。

 

(信じられん! 俺の知っている中でも一番耐えた奴で二十秒ちょっとだというのに、なんという耐久力だ…!)

 

 余りのしぶとさに流石にドラゴンの背に冷たいものが過る。だが、どうやら右手を伸ばしたのが最後の余力だった様だ。その手がドラゴンに触れる前に、遂にシデラは地面に倒れてしまった。と、同時に常時小さく輝いていた勇者の剣も、その輝きを失ってしまう。

 

 念のため、漆黒の炎が消えた後に、真っ黒になったシデラ”だったもの”の心臓付近に手を置いて確認してみるが、完全に止まっている。

 

(まさか…とは思ったが、どうやらこと切れたようだな。全く、最後の最後まで脅かしてくれる)

 

 シデラの死に内心安堵するドラゴン。中々倒れなかったシデラに、まさか耐えきられてしまうのかと最悪の事態すら脳裏を過っていたのだ。

 

 さて、もうここに用はない。そう判断したドラゴンは転移魔法で洞窟の外に一瞬で移動する。そして、視認阻害魔法を己に掛けながら、真夜中の空をその巨体で駆け抜けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ああ、お待ちくださいドラゴン様。私は、私はまだ生きています。

 

 どんどん…どんどんドラゴン様がここから離れていく。直ぐに追いかけたいけど、心臓すら止まっているこの体は全く動いてくれない。

 

 でも…大丈夫。ドラゴン様の”血”を分けて頂いたおかげか、何処にいようとドラゴン様の場所が手に取るようにわかる。身体さえ動くようになれば、即座に、すぐにでも、一瞬にしてドラゴン様の下へ向かえる。

 

 だから、寂しいけど今は身体が回復するまでの我慢の時。少しだけお待ちくださいねドラゴン様。動けるようになり次第、貴方様の下へ馳せ参じ―――。

 

「ちょっと!! あの畜生は何処へ行ったのよっ!!!?」

 

 ―――? この声は………リディエル姉さん?

 

「は、はっ! 恐らくどこか別の場所へ移動したのかと…」

 

「…ちっ、逃げられたか」

 

 体中を焼き尽くされた私だが、唯一使える耳を使って姉さん達の会話を聞き取ろうとする。そんな私の胸に、誰かの手が置かれた。

 

「リディエル様っ! この黒こげの人間ですが、まだ微かに生きておりますぞ!」

 

 そう言って、私の体に触れていた誰かは姉さんを呼ぶ。言われてみれば、心臓が微かに鼓動を打ち始めていた。この調子なら、回復できるのもそう時間はかからないかもしれない。

 

「……こいつ、もしかしてシデラじゃない?」

 

「……い、言われてみれば確かに」

 

「シ、シデラ………っ!」

 

 あまり興味なさそうな姉さんの声と、少しくぐもった従者らしき者の声。そして、その後に聞こえた悲痛な叫び。最後のはもしかしてリンかな? リンも来てたんだ。

 

「そうだ! こいつならあの畜生がどこに向かったか分かるかもしれないわね。そうと決まれば一旦こいつを連れて町に帰るわよ」

 

 ―――さっきから姉さんが口にしている畜生とは、もしかしてドラゴン様の事なのだろうか?

 

「お、リディエル様! シデラの背中に勇者の剣がありますぞ!」

 

「ふん、慌てて逃げて持っていくのを忘れたってところかしら? 見てなさいよあの畜生! 新しい根城を見つけ次第、今度こそぶち殺してあげるわ! 勿論、前に受けた雪辱を何十倍にも返した後でねっ!!」

 

 ―――ドラゴン様を………ぶち殺す?

 

「さあ、用意はできた? ならさっさと帰るわよ」

 

 この姉さんの言葉の直後、誰かに私は担がれる。どうやら私を連れて町に戻る様だが、丁度良い。私も町に用が出来たところなのだ。

 

 ドラゴン様、申し訳ありませんが、そちらへ向かうのは少し遅れそうです。



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勇者の町の滅亡

 リディエルがシデラを町に連れ帰ってから一日が経過した。その間、シデラはマーカス家の屋敷にある部屋の一つに軟禁された状態だった。

 

 一応治療…らしきものは施されていたが、全身に火傷の薬を塗って包帯でぐるぐる巻きにするというそこはかとなく投げやり感の漂う処置だった。とはいえ、脈こそ微かに打ってはいたものの、全身が黒こげで少なくとも外見はどうみても致命傷にしか見えないのだ。こんなものを直せと言われてもどこから手を施せばいいのかわからない…というのが正直なところだろう。

 

 故に、リディエルは勿論他の二人の姉妹も半ば諦めてはいたのだ。シデラの様子をずっと窺わせていた従者から報告が入るまでは。

 

「…はあ? もう意識を取り戻してるですって?」

 

「はっ! と、とにかく来て頂けますか!?」

 

 訝し気に従者の報告を確認するリディエルだったが、どうやら従者も困惑しているらしく、声が上ずっている。

 

「はいはい…。今行くから、大の男がいちいち取り乱してるんじゃないわよ鬱陶しい…」

 

 言葉通りに従者を鬱陶しそうに見つめながら、リディエルは今まで弄っていた勇者の剣を腰の鞘に収め、椅子から立ち上がった。

 

 

 

 

 

 果たして、従者の報告通りにシデラは既に意識を取り戻し、部屋の隅に座り込んでいた。

 

「へえー。ホントにもう意識が戻ってたんだ。羽虫みたいに生き汚いわねアンタ。まあ、お似合いだけど」

 

 そんなシデラの目の前にまで歩み寄り、嫌らしい笑みを浮かべながら流れる様に罵倒の言葉を口にするリディエル。

 

 対するシデラは、唯一包帯に巻かれていない両目を話しかけてきたリディエルに向ける。

 

 両目以外はすべて包帯に巻かれているシデラの姿はかなり異様で、まるで死体が動いている様に見える。そこはかとなく狂気を感じる光を孕むシデラのオッドアイが、その異様をさらに引き立てており、リディエルに付いてきていた従者はシデラを見て完全に恐怖で震えあがっていた。

 

 しかし、流石に他人の情けない態度に文句を言うだけあって、この様な状態のシデラを前にしても、リディエルの態度は一切変わらない。

 

「ちょっと! ビビってないで、さっさと大広間にロゼリア姉とミルアを呼んできなさいよ! これからこの羽虫を尋問して畜生の居場所を吐かせるんだから!」

 

 部屋の外で恐怖に体を震わせながら待機していた従者に、リディエルは大声で指示を出す。すると、従者はハッとした感じで顔を上げた後、慌てて廊下を走って行ってしまった。

 

 従者に指示を出した後、おもむろにリディエルはシデラの胸倉を掴みシデラの顔を己の顔の目の前にまで無理矢理引き寄せる。

 

「…へえ。アンタそんな目付きできたんだ。最近魔物の討伐依頼が少なくて鬱憤が溜まってたから、尋問するついでにちょっと痛めつけてあげようかしら…」

 

 明らかにリディエルを敵意を持って睨んでいるシデラに、リディエルは嗜虐的な笑みを浮かべながらそんな事を口にするのだった。

 

 

 

 

 

 大広間には既にロゼリアとミルアが席に着いており、更にロゼリアの横にはあのシデラの背中を蹴飛ばした少年がいた。

 

「いいゼット? どうしてもというから同席させたけど、あの薄汚い小娘と会話したという汚名を着せられてしまうから、絶対に口を利いちゃだめよ」

 

「分かってるって母上! 俺は母上がカッコよく仕事をしてるのを見たいだけで、あんな臭い奴と話なんかしたくないからさ!」

 

 顰め面で隣にいる少年…ゼットに注意を促すロゼリア。対するゼットは純真な笑みを浮かべながらロゼリアの注意を素直に受け入れる。

 

「いや~、ゼットはいい子だね~。もうちょっと大きくなったら、このミルアお姉さんがいろいろな権謀術数とかも教えてあげるから、楽しみにしててね~」

 

「私の息子につまらない事を教えようとするのは止めてもらえるかしら? この子は清く正しく育てますので、貴女の卑屈な知識など必要ありません」

 

 次にミルアがゼットに話しかけるが、ゼットが反応する前にロゼリアがミルアとゼットの間に割って入る。

 

「大丈夫だよ母上! 俺はいつか母上に変わりこの町を支配しなけりゃいけないんだぜ? 悪い事の一つや二つ覚えてねえで支配者が務まるかってんだ!」

 

「―――あらあら、少し前まで甘えんぼさんだったのに、いつの間にか頼もしい事言うようになっちゃって…」

 

 ミルアの言葉に不快そうに顔を歪めていたロゼリアだったが、直後のゼットの宣言に相好を崩しながらゼットを愛おしそうに抱きしめ、ゼットも嬉しそうにロゼリアに抱き付く。

 

 一方、目の前で家族愛を見させられているミルアは、胸糞悪そうに舌打ちをしながら顔を背けた。どうやらミルアは、自分がゼットに関わろうとして嫌がるロゼリアを見たかっただけの様だ。

 

 と、その時不意に大広間の扉が開く。

 

「ほら、さっさと入んなさい」

 

 そして、リディエルが後ろにいたシデラを強引に前へ突き出す。

 

「リディエル、部屋に入る前にノックくらいしなさい。ゼットが真似するでしょ」

 

「それに、何でそんなに従者を連れてきてるの~?」

 

 リディエルの礼儀を欠いた行動にロゼリアは苦言を呈し、リディエルがシデラ以外に従者達も連れて来た事にミルアが不思議そうに訊ねる。

 

「この羽虫、町に戻ってきてからちょっと態度が生意気なのよ。だから、自分の立場を体に分からせてやろうかと思ってね」

 

 ミルアの問いに対するリディエルの答えに、ロゼリアとミルア、ゼットは視線をシデラに向ける。

 

「………成程。確かに生意気な目ですね」

 

「全身包帯ぐるぐる巻きとかいうダッサイ格好でイキられてもね~。嘲笑しかこみ上げてこないんですけど~?」

 

「うっぜ、マジうっぜ! 一回ぶっ殺してやろうか!?」

 

 敵意満々のシデラの視線に、ロゼリアは不快そうに顔を歪め、ミルアとゼットはせせら笑いながらシデラを煽る。その参人の反応に気をよくしたのか、リディエルも気分良さそうに笑いながら自分の席に座る。

 

「さて、いつも通り用件は手短に済ませましょう。スペンサードラゴンは何処にいったのですか? 知っている事は洗いざらい吐いてもらいますよ」

 

 そう言いながら、ロゼリアは従者達に目配せをする。すると、大広間の入り口で控えていた十数人の従者達が一斉にシデラに向かって身構える。シデラの異様な姿に若干及び腰になっている者もいたが、人数で圧倒しているうえに、武芸に秀でたリディエルもいるので問題は無いと判断したのだろう。

 

「言う必要はありません。何故なら、この場にいる全員が私に皆殺しにされるのですから」

 

 しかし、客観的には圧倒的に不利に見えるシデラから発せられた言葉に、ロゼリア、ミルア、リディエル、ゼットは勿論、シデラの背後にいた従者達も即座に反応する事が出来ない。

 

「リディエル姉さん。それ、私の剣なので返してもらいますね」

 

 呆気にとられている室内の全員を尻目に、リディエルが腰に差している勇者の剣に右手をかざすシデラ。

 

「―――。吐き気がするから私を姉と呼ぶのは止めなさい。あと、これは私の様な強く高貴な者のみが使える剣なのよ。アンタみたいな下賤な輩に使いこなせる訳が」

 

「姉貴っ!」

 

 指名された事で一番早く我を取り戻したリディエルがシデラを見下そうとしたが、その言葉を発し切る前にミルアが目を見開きながらリディエルの腰を指差す。

 

 その指差された箇所にリディエルと他の者達も視線を移す。そこには、今まで見た事もないほどに輝いている勇者の剣の姿があった。

 

「こ、これは…!?」

 

 驚愕の声を発するロゼリア。と同時に、勇者の剣はリディエルの腰に差していた鞘から姿を消し、次の瞬間にはシデラの右手に収まっていた。

 

「あ、こ、この…っ! 図に乗るなっ!!」

 

 勇者の剣を奪われた事で、一瞬だけ固まってしまったリディエルだったが、即座に気を取り直し、壁に飾ってあった直剣を両手で掴み取り、その勢いのままシデラに一気に詰め寄り、剣でシデラの胴を薙ぎ払った。

 

 流石、周囲に武芸に秀でていると言われるだけあり、その一連の動作は素早く隙が無かった。故に、誰もがこの一撃でシデラは死んだと思った…のだが。

 

 唐突に何かが地面に落ちる音が響く。シデラ以外の全員がそこに視線を向けると、先ほどリディエルが振るった直剣が落ちていた。そして、その柄には前腕の中辺りから切断された右手と左手が…。

 

「うわああああっ!!? わ、私の腕…私のう、腕が……あ、ああ………っ!!」

 

 直後に響くリディエルの悲鳴。見ると、リディエルの両腕…その前腕の中辺りが綺麗に切り落とされている。

 

「あの程度の一撃にも反応できないなんて…。よくもまあそんなザマで、ドラゴン様を討伐しようなどと粋がれたもんだね、リディエル姉さん?」

 

 切断された両腕を庇い蹲るリディエルを見下ろしながら、挑発的な言葉をリディエルに向けるシデラ。

 

「…っ! な、何をしているのですか貴方達っ! さ、さっさとその小娘を取り押さえなさいっ!」

 

 場が危うくなっている事をいち早く察し、ロゼリアがシデラの後ろにいる従者に指示を出す。

 

 だが、次の瞬間だった。十数人いた従者の内、とりわけシデラの近くにいた三人の従者の首が、突然胴体から転がり落ちたのだ。その数瞬後、首から上をなくした胴体もゆっくりと地面にくずおれる。

 

「ひ、ひいいっ!!?」「なんだよ、一体何が起こってるんだっ!!?」

 

 あまりに衝撃的な出来事の連続に、従者達はパニックを起こし始めた。

 

「私の動きが目で追えないのに私に勝てる訳がないでしょう? 貴方達が今死にたくないと思うのなら、少しの間そこでじっとしていて下さい」

 

 そんな従者達を威圧的に睨みながら脅しをかけるシデラ。その異様な格好もあり、従者全員が即座に首を縦に振ったのは言うまでもない。

 

「お、おい、ふざけんなっ! さっさとそのウンコをボコボコにしちまえよぉ!!」

 

 手のひらを返す様にシデラの言いなりになる従者達に、ゼットが大声で喚き散らすが、従者達は怯えた表情でロゼリア達を見るのみで一切動こうとはしない。

 

「待って待って! 私は降参するから殺さないで下さい~!」

 

 その時だった。突然ミルアが椅子から凄い勢いで立ち上がり、その勢いのままシデラの前で土下座をしながらの降参宣言を行ったのだ。

 

「…ミルアッ! 貴女ふざけるのもいい加減に…!」

 

「いや~、何で親父がシデラに勇者の剣を近づけるなって言ってたのかがやっと分かりましたよ~! そりゃ~体裁を何より気にしていたあのクソ親父なら、妾の子が勇者様の生まれ変わりだったなんて口が裂けても言えないですもんね~! アハ、アハハハハ~」

 

 ミルアの行動を一喝しようとしたロゼリアだったが、ミルアはその言葉を掻き消す様に大声で一気にまくしたて、最後に愛想笑いを浮かべるミルア。

 

「…ゆ、勇者様の生まれ変わり…だって?」「あの下民が…? そんな馬鹿な…」「とはいえ、確かに勇者の剣が反応している」「それに、あのリディエル様を一瞬で倒したし…」

 

 そして、ミルアの言葉に従者達の間に再び動揺が走り始める。

 

「―――ふ、ふざけるなっ! み、認めない…! 勇者の名を受け継ぐのは私…なんだっ!」

 

 そんな中、痛みに耐えながらもリディエルが懸命に主張するが、

 

「お前こそふざけんなよクソ雑魚~。実際に勇者の剣がシデラ様に反応してる以上、シデラ様が勇者の生まれ変わりに決まってんじゃん」

 

 ミルアが下卑た笑みを浮かべながらリディエルを扱き下ろす。そして、改めてシデラに向かって土下座をし始めるミルア。

 

「今までシデラ様に向かってひどい仕打ちをしてきたのですから、タダで助けてくれなんてそんな都合の良い事は言いません~。厠掃除でも下の世話でもキツイ体罰でもなんでも受けます~。で、ですから、なにとぞ命ばかりはお、お助けを…」

 

 そして始まるミルアの命乞い。状況が悪いとみるや即座に掌を返す判断力、今まで見下していた相手の名をすぐさま敬称付きで呼ぶ程に自分を押し殺せる柔軟さ、あまつさえシデラを持ち上げられるだけ持ち上げようとする話術は、流石策士を自称するだけはあると言ったところか。人間としては完全にクズだが。

 

「…そうですね。ミルア姉さんがあの剣でロゼリア姉さんとゼットを殺せば、考えなくもないですよ?」

 

「なっ…!?」「ひっ…!?」

 

 ミルアの命乞いに対して、先ほどリディエルが使った直剣を指差しながらシデラが出した提案に、ロゼリアとゼットの顔が引きつる。

 

「はぁ~いわっかりました~! いや~、私もこいつらちょ~っとムカついてたんで、丁度良いですよ~!」

 

 だが、そんな二人に反しノリノリで答えるミルア。剣の柄辺りに纏わりついていたリディエルの両腕を目障りそうにその辺に蹴っ飛ばした後、剣を持ってロゼリア親子に近づいていく。

 

「や、止めなさいミルアッ! あ、貴女には誇りという物が無いのですかっ!!?」

 

 そんなミルアを必死に止めようとするロゼリアだったが、

 

「ね~よそんなもん。つ~訳で私が生き残る為に死ね」

 

 驚くほどに冷たい表情でロゼリアの言葉を切って捨てるミルア。と、共に何のためらいもなくロゼリアの胸部を剣で貫いた。

 

「がっ!? あっ……。―――ゼット……逃げなさい………に、逃げ……な…………」

 

「母上っ!? 母上っ!!!」

 

 懸命にゼットに逃走を促しながら絶命するロゼリア。そして、動かなくなったロゼリアの身体を必死に揺さぶり、涙を流しながらロゼリアを呼ぶゼット。その顔は絶望感に溢れている。

 

「……はぁっ……はぁっ……! ひ、ひへへ…。に、逃がすかってのよこのクソガキが~」

 

 荒い息を吐き、奇妙な笑いを浮かべながら、ロゼリアにしがみつくゼットに剣を突き付けるミルア。目付きもかなり怪しくなっているところを見るに、己の行った凶行に悪い意味で酔っている様だ。

 

「ひっ!? ミルアさん、やめて! やめべひゅっ!?」

 

 可愛そうなほどに震え、怯えながら首を左右に激しく振るゼットだったが、そんな程度では今のミルアは止められない。制止の言葉を口にする途中で首を斬られてしまう。

 

 そして、少しの間斬られた首を抑えながら悶え苦しんでいたが、程なくして絶命してしまった。

 

「……っ………はあっ! はっ、ははは、うへはっははっ! こ、殺してやったわ! 目障りな糞虫共をやっと私の前から排除したわ!!」

 

 ゼットも殺したことで、完全にキテしまったのか、狂ったように笑い始めるミルア。だが、

 

「…フン、たかが身内二人殺したくらいで壊れちゃうなんて、案外小心者ね。ミルア」

 

 そんなミルアを未だに己の両腕を庇いながらも嘲笑うリディエル。

 

「あら~? じゃあ次はリディエル姉貴が死んでみる~? 流石に両の腕が使えなくなった姉貴なんて敵じゃないよ~?」

 

「笑わせないで。アンタなんか両腕が無くったって捻じ伏せてやるわよ」

 

「相変わらず口だけは減らないね~。シデラ様、こいつも殺しちゃっていいですよね~?」

 

 敵意剥き出しの会話をしながらお互いに構えるミルアとリディエル。その様子は、とても血を分けた姉妹達とは思えない。既にミルアに殺されたロゼリアとゼットも加えて、まさに地獄絵図だ。

 

 ところが、そんな剣呑な雰囲気の中不意に指を弾く音が聞こえた。

 

 次の瞬間、いきなりミルアとリディエルの身体を漆黒の炎が包み込んでしまったのだ!

 

「ぎ、ぎぃあああっ!? あつ…熱いっ!?」「う…が……っ!? こ、これはっ!?」

 

 漆黒の炎による痛苦に苛まれながらも音がした方向に視線を向けるミルアとリディエル。そこには、二人に向かって右の親指と中指を突き出しているシデラの姿があった。

 

「姉妹喧嘩を見れば少しは今までの鬱憤もはれるかと思ったんですけどね…。余りの醜さに逆にイライラしてきちゃいました。だから、二人とももう死んでいいですよ」

 

 無慈悲な判断を下すシデラだったが、その言葉を言い終わる時には既にミルアもリディエルも一切の原形をとどめない消し炭と化していた。

 

「…さて、と。残った人達を殺して回りましょうか」

 

「へっ!? ちょ、ちょっと待ってくれ!! さっき邪魔さえしなければ殺さないって…!」

 

 殺害宣言をしながら残った従者達に視線を向けるシデラに、従者の一人が悲鳴に近い程の上ずった声で確認を取るが、

 

「ん? そんな事言いましたっけ?」

 

 と、心底不思議そうに言葉を返すシデラ。別に相手をおちょくっているとかではなく、本気で分かっていないようで、人差し指を顎に当てて「んー…?」と考え込んでいる。

 

「ほ、ほら! あのロゼリアさ…ロゼリアが俺達に貴女を取り押さえろと指示を出した時ですよ!!」

 

 そんなシデラに向かって、必死に声を掛ける従者の一人。その甲斐があったのか、ややあってからシデラは何かを思い出したかの様に右手で左手のひらを叩く。

 

「もしかして、今死にたくなければ…っていうくだりですか? 言っておきますが、これは即座に死にたくなければって意味ですよ? その更に前に皆殺し宣言をしてるんですから、遅かれ早かれ全員殺すつもりだったに決まってるじゃないですか」

 

「そ、そんな…っ!!?」

 

「シデラ!!」

 

 シデラの返答に愕然とする従者達だったが、不意にその中から一人の男が声を上げる。

 

「…どうしたのリン? 言っておくけど、死にたくないなんて命乞いは聞かないよ?」

 

 絶望に打ちひしがれる従者達の一番前に出てきた男…リンに、しかしシデラは表情を変えずにキッパリと言い放つと同時に、ゆっくりとリンに向かって歩いていく。

 

「頼むっ! もう止めてくれっ! あの四人を殺した時点で君の復讐は終了したはずだろ!? 君を裏切った俺も許せないというのなら、この場で殺せばいい! だから、これ以上無関係な人々を巻き込むのはやめてくれっ!!」

 

 リンの必死の説得に、リンの目の前にまで来ていたシデラの動きが止まる。そのオッドアイは、リンの思考を窺うかのようにじっとリンの双眸に注がれている。

 

「君は勇者の生まれ変わりなんだっ! 一度はあの悪逆非道のスペンサードラゴンに焼き殺され、でも勇者として復活した!!」

 

 しかし、続くリンの説得を聞いているうち、スペンサードラゴンの名前が出た瞬間シデラの目の色が変わった。

 

「あのドラゴンを倒せるのは君しかいないっ! だから、こんな無意味な事はもう終わりに…っ!?」

 

 そして、リンの説得が終わる前に、シデラはリンの胸を切り裂いてしまう。

 

「がはっ…、シ、シデラ……な、なんで……?」

 

「生きたまま町に帰るか、それとも共に暮らすか。初めて私に意思のある生物として問うたドラゴン様が悪逆非道? 私からすれば、私を裏切った貴方や、私を壊れた人形みたいに扱っていた姉さん達や、この町の人達の方が余程悪逆非道に見えたのに?」

 

 地面に倒れながらも、決死の表情でシデラに問うリンだったが、逆にシデラに問い返されリンは勿論その後ろにいた従者達も返答に詰まってしまう。

 

「それに、リンも後ろの人達も少し勘違いしてるよ」

 

 シデラの問いかけに一度は顔を伏せてしまったリンと従者達だったが、続くシデラの言葉に再び顔を上げ視線をシデラに合わせる。

 

「確かに復讐の気持ちも無い事は無いけど、今の私はスペンサードラゴンの眷属となったの。そして、貴方達を含むこの町はドラゴン様を討滅しようとしている。敬愛する主に逆らう者は殺すのみ。分かった?」

 

「…っ……そ、そんな………そ………ん…な…………ぐ…ふっ……」

 

 微かな笑みを浮かべながら話すシデラを見上げながら、リンは失意のどん底のうちに絶命してしまった。

 

「さて、結構時間を取られちゃったからさっさと町にいる人間共を皆殺しにして、ドラゴン様を追いかけないといけないね! ちゃっちゃとやっちゃいますか!」

 

 そんなリンを尻目に、シデラはやけに軽い声で喋りながら、残った従者達の方へと向き直るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、かつての勇者とその仲間の一人であった賢者が草分けし、発展させていった由緒ある町『ヒロウェイズ』は、地図上から姿を消す事となった。



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ダークエルフの少女

「―――と、言うのが事の顛末です」

 

 地面に正座し、柔らかい笑みを浮かべながら勇者の町を滅ぼしてきた事をドラゴンを見上げながら報告するシデラ。対するドラゴンはシデラを見下ろしながら開いた口が塞がらない。

 

 そもそも、この新しいねぐらにシデラが乗り込んできた事…いや、それ以前にシデラが生きていた事がまず寝耳に水だったのだ。勇者の剣の時のうっかりを反省し、しっかり心臓が止まっているかも確認したというのに。

 

 どうやら、ドラゴンの血をその身に宿す事で人外の生命力と更なる力を手に入れてしまった様だ。これで、スペンサードラゴンの血に含まれる猛毒…というか、漆黒の炎に耐える事が出来れば、強力な力と不死に近い生命力を得られる事が証明された訳だ。ドラゴンにとっては悲報以外の何物でもないが。

 

 勇者の力に加え、銀色の破壊神とまで言われたスペンサードラゴンの力をも取り込んでしまったシデラ。残念ながら、まだ昔の四分の一程度までしか回復していないドラゴンでは恐らくもう太刀打ちできないであろう。…いや、正直に言うと完全に回復したとしても勝てるかは怪しいところだ。

 

 こんな常識外れに付き纏われるというだけでも面倒極まりないというのに、既に行動を…それも特大中の特大な問題行動を起こしているのがドラゴンの心労に更なる拍車をかける。

 

 勇者の町が滅んだことは恐らくもう広域に伝わっているだろう。全世界に伝わるのも時間の問題だ。そして、以前の住処に討伐隊の様な物が来ていた以上、勇者の町の近くでスペンサードラゴンが復活した事も周知の事実として認識されている筈。

 

 この二つの情報を合わせれば、誰もが『勇者の町はスペンサードラゴンに滅ぼされた』という答えに辿り着くのは自明の理だ。となると当然、人間達は今まで以上に行方不明となったスペンサードラゴンを探しだして始末しようとしてくるだろう。

 

 一応、今の住処はとある樹海の奥深く…秘境と呼ばれる場所なので、そう簡単には見つからないとは思うが、目的の為なら手段は選ばない人間達からいつまでも姿を隠せるとも思えない。下手をしたらこの樹海そのものを焼き払われる可能性すらあるのだから。

 

「いた、いたたた…! い、いい加減離さぬかこの痴れ者がっ!」

 

 その時、不意にシデラの下から女性の声と思しき悲鳴が上がる。見ると、シデラの下には俯けに強引に寝かされながら、シデラに腕をキメられている褐色の肌の見た目はシデラと同年齢くらいの少女がいた。

 

「もう暴れない? じゃあ離すけど」

 

「戯言を! オズオール様に近づく人間は全て始末するうううぃぎぃい!?」

 

 シデラの問いに反抗的な態度を示す少女だったが、言葉を言い終わる前にシデラに更にきつく腕をキメられてしまい悲鳴を上げる。

 

「じゃあ駄目。落ち着くまではこのままだよ」

 

「うぐぐぎぎ…! お、おのれ! なんなのじゃこの人間はっ!? 身体能力で全く勝てん上に、妾の催眠幻惑術が全く通用せんとは…! に、人間如きに……地べたを舐めさせられるとは……っっ!!!」

 

「…よく見ろパウム。今お前が相手をしているのは、あの勇者の生まれ変わりだ」

 

 腕をキメられている痛みと、まるで歯が立たない悔しさからか涙を流し顔を顰める褐色の少女に、ドラゴンが微かな諦念を感じる口調で褐色の少女に話しかける。

 

 ドラゴンの言葉を聞いた褐色の少女は、驚愕の表情を浮かべながらシデラの顔に視線を向ける。そして、その表情は見る見るうちに凍り付いてしまった。

 

「分かったか? 残念ながら、お前ではこの小娘には勝ち目がない。今は大人しくしているんだ」

 

「―――っ!? う、で、ですが!」

 

 ドラゴンの制止に、しかし褐色の少女はハッと我に返り何か反論をしようとするが、

 

「黙れ。貴様はこの俺に指図をする気か?」

 

 声量こそ変わらなかったが、語気が一気に強まったドラゴンの台詞に、褐色の少女は口惜しそうに顔を地面にうずめる。

 

「…シデラ、パウムを離してやってくれ」

 

 褐色の少女が動かなくなったのを見て、シデラに抗う気が無くなったと見たドラゴンがシデラに懇願する。そして、その懇願を聞いたシデラは微笑を浮かべながら頷き、ゆっくりと褐色の少女に行っていた戒めを解いた。

 

「ドラゴン様、この少女は?」

 

「…俺が人間達と争っていた頃の俺の配下で、パウムという名のダークエルフだ。四天王と呼ばれた、俺の配下の中でも選りすぐりの四人の猛者がいたのだが、その中でも筆頭に挙げられるほどの実力者でもある。まあ、今回は相手が悪すぎたのだがな」

 

「…へ? ドラゴン様が人間と戦っていた頃って、この…パウムさん…? は今何歳なんですか?」

 

「詳しくは知らんが、まあ甘く見積もっても千歳は下らんだろうな」

 

「へええ…。ダークエルフに限らずエルフ族は長生きって知識では知っていたんですけど、そんなに長い間生きていても外見は若いままなんですね…」

 

 ドラゴンの解説にシデラは感心した様な表情で言葉を漏らしたが、不意に首を傾げ、

 

「…でも、そんなに長生きしている割には落ち着きが無いですね。私がこの近くに来た瞬間に、有無を言わさず襲い掛かってきましたし」

 

 と率直な疑問を口にする。

 

 この事に付いてはドラゴンも少し疑問に思っていたのだ。ドラゴンの記憶の中のパウムはもっと冷静沈着な部下であり、少なくとも相手の力量も量らずにむやみに襲い掛かるような者ではなかった。

 

 少し嫌な予感がしたドラゴンが、その事について褐色の少女…パウムに問い質そうとしたその時だった。

 

「な、なに…? あれ…」

 

 ドラゴン、シデラ、パウムの三人の耳に飛び込んでくる女性の驚愕した感じの声。全員が一斉に声の方を向くと、そこには身の丈ほどの杖を持った修道女らしき女性が真っすぐドラゴンを見つめていた。更に、その周囲にも三人位の人間が…。

 

「人間!? 馬鹿な、何故こんな所に…!?」

 

「へっ! こりゃ楽しそうな相手じゃあねえか! このドラゴンを狩れば、また俺達の名が上がるぜっ!」

 

 吃驚するドラゴンの言葉と、修道女の隣にいた巨大な剣を持った重装備の男の気合の声がはもる。

 

「人語を解するドラゴン…。かなり上位のドラゴンね、間違いなく強敵よ」

 

「全員油断するなよ! 俺とソダックが前衛を務めるから、二ドリーは補助、デーネは攻撃魔術で援護を頼む!」

 

 ローブを深くかぶった女性の進言を受け、精悍な顔つきの青年が重装備の男、修道女、ローブを着た女性に指示を出しながら重装備の男と共に剣を持ち前に出てくる。そして、その後ろで修道女とローブを着た女性もドラゴンたちに向かって構える。どうやら、完全にやる気の様だ。

 

 しかし、次の瞬間。

 

「ドラゴン様に歯向かう人達は死んで」

 

 そう言うや否や、一瞬にして男二人との間合いを詰めるシデラ。その速さたるや、ドラゴンですら反応が間に合わなかった程だ。

 

「シデラ、殺すなっ!」

 

 慌ててシデラに指示を出すドラゴンだったが、その時にはもうシデラの剣は二人の男の胴体を横に真っ二つにし終わった後だった。

 

「ええい、お前も人の事を言えん程に落ち着きがないではないか! パウム! 残った二人から情報を聞き出したい、いけるか!?」

 

「お任せ下されオズオール様!」

 

 シデラの即断を愚痴るドラゴンではあったが、すぐさまパウムに指示を出す。すると、先ほどまで落ち込んでいた筈のパウムはやたら張り切った声を上げながら、残った女性二人に向かって右手を向けた。

 

「―――愚かな人間どもよ、わが主に向かって頭を垂れよ…」

 

 そして、未だに状況を理解し切れていない様子の女性二人に命令を下すパウム。すると、どういう訳か二人の女性は構えを解き、ドラゴンに向かって歩き出したではないか。

 

「…へ、へ!? か、体が勝手に…!」「体が言う事を聞かない…! こ、これは…?」

 

 あまりに唐突な出来事の連続に、女性二人は困惑と恐怖からか上ずった声を上げる。

 

「うははははっ! 我が名はパウム・スメレイト!! スペンサードラゴン・オズオール様の第一筆頭配下にして催眠幻惑術の使い手! 妾の手に掛かれば、人間など千いようが万いようが等しく妾の…そしてオズオール様の忠実な操り人形になるしかないのだっ!」

 

 ドラゴンの目の前にまで移動し、訳も分からぬままドラゴンに向かって頭を下げる二人の女性を見て、パウムは高笑いを上げながら上機嫌に名乗りを上げる。シデラには全く通じなかった術がこの二人にはちゃんと効いた事、何より、ドラゴンに期待されたことが余程嬉しかったのだろう。

 

「…私には全然通じませんでしたけどね」

 

「―――そう言えば、あの頃の勇者たちにも最終的には跳ねのけられていたな」

 

 しかし、直後にパウムにかかるシデラとドラゴンの無慈悲な言葉。

 

「う、うるさいうるさいっ! 貴様が常識はずれなだけだ生意気な人間めっ! オズオール様も過去の古傷を抉らんで下されっ!!」

 

 一転して、涙目になりながらシデラとドラゴンに向かって怒鳴るパウム。そのコロコロ変わる表情は、ドラゴンの記憶の中にいる冷静沈着なパウムとはあまりにかけ離れた姿だった。



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世界の現状

 パウムの術によりあらゆる事に抵抗が出来なくなっている二人の女性…修道女の方が二ドリーで、ローブを着ている方がデーネという名前らしい…に、ドラゴンは次々と質問をぶつける。その結果、現状がかなり不味い事が判明した。

 

 まず、この二人が現在拠点とする国家であるシカイドルフ王国により、既に今ドラゴンのいる樹海…メディウムの樹海の大半は管理されているという事だ。ドラゴンの記憶が確かなら、昔のメディウムの樹海は人間は勿論、並みのエルフやドワーフ等ではたちまち方向感覚がマヒし、そのまま餓死してしまう死の森、無限回郎とまで言われていた人跡未踏の難所だった筈なのだが。

 

 そしてその管理を完璧なものにするために、王国の兵士を始め傭兵や冒険者などを雇い樹海を開拓させているそうだ。二ドリーやデーネ、そしてシデラが殺した二人の男…重装備の方がソダックで精悍な顔つきの方がカーリウスという名前だったらしい…も、開拓の報酬に釣られて来国した冒険者のパーティだそうだ。

 

 更に不味いのがその報酬内容だ。”金”という人間達の間でのみ通用する通貨が大量に配布されるのは勿論だが、それに加え、樹海の奥地に目撃情報が上がった”ダークエルフ”を隷属する権利ももらえる…という内容だ。

 

 報酬になるという事は、それだけ希少価値があるという事だ。つまり、ダークエルフという種の絶対数が大幅に減少しているのだろう。

 

 加えて、隷属出来るという事は最早ダークエルフという種族に、人間に抗う力がないという事も示している。本来なら、訓練された人間の兵士が十人束になってかかっても、特に訓練していない素のダークエルフすら倒せない。

 

 恐らく、今もその基礎的な実力差自体は変わっていないのだろうが、人間の圧倒的な繁殖力をもってしての人海戦術を用いられれば、基礎的な不利など物ともせず蹂躙されてしまうのだろう。

 

 そして、どうやらこの絶対数の不足はダークエルフのみに留まらないそうだ。二ドリーとデーネに質問している時にパウムが補足説明をしてくれたのだが、それによるとエルフ、ドワーフ、ホビット、オークの四種はその数を昔の十分の一近くにまで減らし、ドラゴン、エンジェル、セイレーン、サイキック、ライカンの五種に至っては、絶滅危惧種として逆に人間に保護…という名目で隷属させられる立場にいるらしい。

 

 これらの種族は、全てその昔スペンサードラゴンと共に人間と戦った種族だ。それが今では、抗う事すら許されずに隷属させられている。どうやら、もうこの世界は人間の一種勝ちになっている様だ。

 

「オズオール様を知らぬダークエルフの子供たちの中には、このような状況に各種族をおいやったオズオール様を、自分勝手な弱者と憎み蔑む者までいるそうです。本当に嘆かわしい事です…」

 

 沈痛な面持ちでそう漏らすパウム。という事は、スペンサードラゴンは若い世代には人間に限らずほぼすべての種族から忌避されていると考えて相違ないという事だろう。

 

「…あの、ずっと気になっていたんですけど、オズオールというのはドラゴン様のお名前ですか?」

 

 そんな中、不意にシデラがドラゴンとパウムに向かって質問する。

 

「そうだ。既に俺一体しかいないとはいえ、スペンサードラゴンというのはあくまでドラゴンの一種であり、俺自身の名はオズオール・ウィスカという名だ」

 

「オ、オズオール様っ! なにも、こんな人間どもにオズオール様の家名までお教えする必要は」

 

「別に隠す事もあるまい。それに、ウィスカの家名はもう何千年も前に埋もれている。今更昔の資料を掘り返したところで、ウィスカの名前など出る筈も無し。昔の大戦の時にすら、俺はこの家名を一番信頼していたパウム以外には名乗っていないのだからな」

 

 ドラゴン…オズオールの名乗りにパウムが慌てて止めようとするが、どこか遠い目をしながらパウムを窘めるオズオール。その姿には少し哀愁が漂っている。

 

「…い、一番信頼……。えへ、えへへ………」

 

 そして、一番信頼しているというオズオールの言葉に、パウムもまた嬉しそうに顔を綻ばせていた。

 

「―――あの」

 

 そんな二人を見てシデラがオズオールに向かって再び何かを聞こうとしたのだが、

 

「思い出したっ! オズオールと言えば、遥か昔数多の種族を率いて人間達を滅亡寸前にまで追い込んだというドラゴンの名前だっ!」

 

「え…っ!?」

 

 シデラの言葉を遮って、デーネがオズオールを指差しながら大声で指摘する。その指摘にデーネの隣にいた二ドリーも驚愕の視線をオズオールに向けた。

 

「だったらどうだというのだ人間。あと、気安くオズオール様の名を口にするな」

 

 直後、パウムが不機嫌そうにデーネと二ドリーを威嚇する。その姿にはかなりの威圧感があり、この二人を震え上がらせるには十分なものだ。先ほどまで子供の様に表情が変化していたのであまり分からなかったが、やはりオズオールの配下筆頭の称号は伊達ではないという事だろう。

 

「く…っ! せ、せめて魔術を使えればこの窮地を脱出できる可能性があるというのに、まるで自分の身体ではないかの様に身体も魔力もコントロールできない…!」

 

 パウムの威嚇を受け、デーネは必死に身体を動かそうしている様だが、その意に反してデーネの身体は微かに震えるのみで一向に動く気配がない。そしてそれは二ドリーも同じらしく、デーネ同様必死にもがいている様だ。

 

「ド…オズオール様、この二人どうするんですか?」

 

「…む、そうだな。せっかく生け捕りにしたのだから、何か利用できないかと考えているのだが…」

 

 そんな二人を冷ややかに見つめていたシデラだったが、不意に二人に背を向けオズオールに二人の処遇を尋ねる。しかし、どうやらオズオールもその処遇についてまだ考えている最中だ。と、その時だった。

 

「…そ、その背中に背負っている剣…。も、もしや貴女は…!?」

 

 シデラが背中に担いでいる剣を見た二ドリーが、先ほどのデーネにも負けない程の大声で驚嘆の声を上げながら、食い入る様にシデラの顔を凝視する。

 

「お答えくださいっ! もしや貴女は希望の町『ヒロウェイズ』の生き残りではありませんか!? いえ、その剣…勇者の剣をお持ちという事は、勇者の末裔であるマーカス家ゆかりの方では…!?」

 

「…あれが勇者の剣? …ホントなの二ドリー?」

 

「間違いありません! 小さい頃に父上に『ヒロウェイズ』に連れて行ってもらった時に、一度だけですが見た事があります! お願いします、貴女の…貴女のお名前をお聞かせくださいっ!!」

 

 怪訝そうに眉をひそめるデーネを尻目に、必死にシデラの名前を聞き出そうと懇願してくる二ドリー。対するシデラは、オズオールに視線で名乗って良いか問いかけ、少しの思案の後オズオールも頷いた。

 

「―――シデラ・マーカス」

 

「ああ、やはりマーカス家の方! スペンサードラゴン復活の報を受け間もなく滅ぼされてしまった『ヒロウェイズ』…町の全てが灰となっていて、勇者の末裔であるマーカス家の生存も絶望的だと思われていたのですが、まだ神は我らを見捨ててはいなかったのです!!」

 

 シデラが名乗った途端、感極まったように声を張り上げる二ドリー。身体さえ自由に動くのなら、今にも天に向かって祈りを捧げそうな勢いだ。

 

「シデラ様! どうか私達を貴女様のお仲間にお加え下さい! 貴女様がいてくれればこの窮地も脱出できましょう! そして、共にスペンサードラゴンを打倒し」

 

「うるさい。それ以上その煩わしい口を開くようなら、この剣をその口に叩き込むよ」

 

 興奮しながらシデラに向かって捲し立てる二ドリーだったが、その言葉を遮るようにシデラが感情の無い声色で二ドリーを一喝し、尚且つ剣を背中の鞘から引き抜きニドリーの口の真ん前に突き付ける。

 

「………シ、シデラ様?」

 

「勘違いしないで。あの町は私が私の独断で滅ぼしたの。今の私の主であるオズオール様に逆らおうとしていたんだから、当然だよね?」

 

 シデラの行動が理解できないのか、頓狂な声でシデラの名を呼ぶ二ドリーに、シデラは冷淡な表情のまま『ヒロウェイズ』の一件と自分の現状を二ドリーに告げる。

 

「―――シ、シデラ様が『ヒロウェイズ』を…? な、何を言って」

 

 シデラの言動に、二ドリーはますます混乱していく。しかしシデラは容赦しない。

 

「勇者の末裔である事に増長した姉たちと、その従者達は私がこの剣で切り殺したし、残った町の住人は、漆黒の火種を町の要所数か所に植え込んでからの一斉着火で、一気に焼き払ったの。一時間くらい燃やし続けてたから、生き残りなんていないと思うけどね」

 

「…漆黒の炎? ハッ、馬鹿な…。あの宵闇(よいやみ)の力を使いこなせるのはオズオール様だけだぞ。勇者とはいえ…いや、勇者だからこそ性質が真逆の宵闇の力は操れない筈だ!」

 

 シデラの残酷な告白に、真っ青な顔色で呆然と佇む二ドリー。代わりに、今度はパウムが嘲笑を浮かべながらシデラの言葉を指摘する。だが、

 

「そんなの知らないよ。オズオール様の血を飲んだから出来るようになったんじゃないの?」

 

「―――………な……なん、だと…?」

 

 パウムを横目で見ながらのあっけらかんとしたシデラの返答。しかし、その単純な内容はパウムに多大な衝撃を与えるには十分な内容だったようで、途端に身体を大きく震わせながら、かすれた声を上げるパウム。

 

 そして、体と同じく震える右手でシデラを指差しながら、パウムは視線をオズオールに向けた。

 

「オ、オズオール様……。まさか……まさかこの小娘……オズオール様の”血死(けっし)の試練”を……の、乗り越えた……の、ですか?」

 

 大量の冷や汗を垂らしながらのパウムの質問に、オズオールも一滴の冷や汗を垂らしながらもゆっくりと首を縦に振り、

 

「―――完全に想定外だった」

 

 と付け加える。

 

「馬鹿な…馬鹿なっ! あの試練に挑んだのは妾の記憶では三人! いずれも完全に生物の範疇を逸脱した者どもでしたが、誰一人として十秒も持たなかった正に決死の試練なのですぞっ!?」

 

「俺の記憶では更に二人増えた五人だが、それでも二十秒が限界だった。だが、信じられない事にシデラはこの試練を三分近く耐えきったのだ」

 

「…さ、三分…? まさか…な、何かの間違いでは」

 

「俺が目の前で見ていたのに間違いも何もあると思うか?」

 

 オズオールの肯定に、過去の事例まで持ち出して必死に噛みつくパウムだったが、その事例を大幅に上回る記録を出された上に、パウムが最も信頼するオズオールに確認したと言われてしまえば、もうパウムは絶句するしかない。

 

 その時、不意にシデラは二ドリーに突き付けていた剣を背中の鞘にしまい、オズオールの巨体に自分の身体を擦りつけ始める。

 

「オズオール様の血を飲んだことにより、私はオズオール様の眷属となった。今ならどこにオズオール様がいようと手に取るようにわかる。まさしく一心同体…オズオール様、一生お慕いしております―――」

 

 少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、それでもご満悦な表情でそう宣言するシデラ。その様子に、デーネと二ドリーは絶望の表情を、オズオールもなんとも言えない微妙な雰囲気を醸し出し、

 

「くっ…! ば、化け物め……っ!!」

 

 唯一シデラに悪態を吐くパウムだったが、その歪んだ表情からしてシデラに委縮しているのは明らかであった。



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迷える子羊

「お前たちに相談がある」

 

 その日の夜、シデラがオズオールの身体を枕に寝静まった後、オズオールが未だに捕らえている二ドリーとデーネに話しかける。

 

「…何でしょうか?」

 

 オズオールの言葉に、二ドリーは硬い口調で答え、デーネも無口のまま睨むようにオズオールに視線を向ける。

 

「シデラをお前たちの国へ送り返してやって欲しい。正直、こんな厄介な人間に付き纏われたら面倒くさくてかなわんのだ」

 

「厄介な人物にしてしまったのは貴方じゃないの? 血を与えて眷属にまでしようとしたんでしょ?」

 

 心中を吐露するオズオールだったが、即座にデーネに突っ込まれてしまう。

 

「いや、眷属にするつもりなどさらさらなく、完全に殺すつもりで血を与えたのだ。”血死の試練”の事はさっき聞いていただろ? 眷属云々は上手く血を飲ませるための言い訳だな」

 

「殺すつもり…。やはりそれは貴方の仇敵だからですか?」

 

 微かな悔恨が見て取れるオズオールの言葉。しかし、その言葉に反応した二ドリーが険しい表情でオズオールを問い質してくる。

 

「身の危険を感じたというのもある。しかし、それ以上にシデラを生かしたままにしておくと、この世界そのものが危うくなってしまう気がしたのだ」

 

「かつて世界を敵に回した者の台詞とは思えないわね」

 

 オズオールの言い分にデーネがわずかながらの嘲笑を込めた言葉をぶつけるが、

 

「寝ぼけるな人間。オズオール様が敵に回したのはあくまでお前たち人間だけだ。そもそも、本当にオズオール様が世界を敵に回したのなら、博愛を尊ぶエルフやホビット、エンジェルがオズオール様の味方などする訳なかろう。人間=世界とは、本当に人間とは高慢な種族だな」

 

 直後に露骨に不満をあらわにしたパウムから反論が入る。

 

「…少なくとも、今は他の種族を全て下に置いている人間が=世界だと思うけど?」

 

「…っ。そ、それは…」

 

 しかし、続くデーネの更なる反論に、パウムは悔しそうに口をつぐんでしまった。こういう時、冷静ながらもダークエルフの誇りと共に言い返すのがオズオールの知っているパウムだ。それが出来ないという事は、それほどまでにダークエルフを含む他種族が衰えているのだと、オズオールは改めて実感する。

 

「…世界云々の話は今ここで話し合っていても埒があかないと思うので、一旦置いておきましょう」

 

 そんな二人の言い合いを見ていた二ドリーが唐突に会話に割って入る。デーネはそんな二ドリーを見て頷き、パウムは鋭い視線をデーネから二ドリーに移して何かを言おうとしたのだが、オズオールがそれを止める。オズオールも、この話は幾らしたところで平行線だと判断したからだ。

 

「シデラ様を私達が引き取った後、貴方達はどうするのですか? スペンサードラゴンが生きているという情報がある限り、貴方達の下には数々の刺客が人間の手によって送られてくると思いますよ? 隠れるにしても、最早人間の手が入っていない土地など殆どありませんし…」

 

「…そこまで人間の侵攻は進んでいるのか?」

 

「ええ。恐らく、貴方の想像を遥かに上回っていると思いますわ」

 

 オズオールの疑問にキッパリと断言する二ドリー。そして、この二ドリーの言葉にパウムが歯噛みしながらも反応しないところを見るに、恐らく二ドリーの言っている事は真実なのだろう。

 

 シデラを二ドリーたちに預けた後、再び身を隠すつもりでいたオズオール。当然何か所か身を隠せそうな場所の目安は付けていたのだが、この様子ではどこに行っても完全には身を隠せそうもない。

 

「それにこの子、貴方が何処にいようと分かるって言ってたじゃない。なら、この子がいる限り何処に隠れようが無駄だと思うけど」

 

 そこに駄目押しとばかりにデーネがシデラを指差しながらオズオールに言う。そして、その事を失念していたオズオールはデーネの言葉にハッとしながら視線をシデラに向けた。そう、シデラがいる限り、オズオールは世間から身を隠す事などできないのだ。

 

 低い呻き声を上げるオズオール。何も知らない者が見れば、恐怖に震え上がる事請け合いの恐ろしい形相だが、事情を知っている者から見れば、困り果てているのは明らかだ。と、その時だった。

 

「…もし行く当てがないのなら、貴方も王国に来ますか?」

 

「ニ、二ドリー!!?」

 

「な、き、貴様…!?」

 

 二ドリーから発せられる唐突かつ大胆な誘い。直後、デーネは信じられないようなものを見る目で、パウムは敵意満々の目で二ドリーを見つめながら声を張り上げた。

 

「ちょ、ちょっとアンタ何考えてんのよ!? 本気で言ってんの!?」

 

「勿論本気です。ドラゴンが保護対象に入っているのはデーネも知っていますよね?」

 

「規模が全然違うわよっ! 今目の前にいるのはあのスペンサードラゴンよ!? 徒党を組めば何とかなるその辺のドラゴンとは格が違い過ぎるわ!」

 

「格が違うからこそこうやって会話が出来ます。そして、意思疎通が出来るのなら王国に住まうドラゴンたちの様に、人間社会に溶け込む事もできるでしょう」

 

「共存と安寧を求める今のドラゴンと、その昔人間を滅ぼそうとしたドラゴンを一緒くたにするなっ! それに、奴らは反抗しても勝てないと分かっているから反抗しないだけでしょ! 悪の首魁であるスペンサードラゴンが王国に来たと知れば、奴等どんな謀反を起こすか分かったもんじゃないわ!」

 

 言い合いを続ける二ドリーとデーネだったが、ここで一旦二ドリーが言葉を切る。それを納得したと見たデーネは一時は興奮で立ち上がらせていた己の身体を座らせた。のだが…。

 

「…昔のスペンサードラゴンならそうなのでしょう。ですが、私は今のスペンサードラゴンにはそういう悪意があるようには見えないのです」

 

「…っ!? ア、アンタ何を言って」

 

 二ドリーの言葉に再びいきりたとうとしたデーネだったが、それを二ドリーは左手で制する。そして、そのまま右手の人差し指をある方向に向けた。そこには二つの簡素な墓があった。

 

「あの二人…ソダックとカーリウスを弔う時間をわざわざ与えてくれました。他の命を僅かにでも丁重に扱おうとする意思のある者は、少なくとも悪ではないと私は思います」

 

 そう言って、デーネを宥めようとする二ドリー。そう、オズオールはデーネと二ドリーの二人に仲間を弔う時間と自由を与えていたのだ。今も、動くだけなら自由にできる程度にパウムに術の効きを弱めさせている。とは言っても、ここから逃げ出したり魔術を使う自由は与えていないが。

 

「…そ、そんなもの、人間にへつらう為の事前準備じゃ」

 

「口の利き方に気を付けろ人間…! 何故オズオール様が貴様らの様な下等生物にへつらわねばならんのだ…!! それ以上舐めた口を利くというのなら、この場でひき肉にしてやるぞ…!!!」

 

 しかし、尚も二ドリーに反論しようとするデーネだったが、その論はパウムのありったけの殺気と怒気を含んだ言葉に掻き消されてしまう。その怒り方は尋常ではなく、目は血走り歯ぎしりが聞こえるほどに歯噛みし、顔は真っ赤に染まり、青くなるほどに握りしめられた拳からは血が出ている程だ。それほどまでにデーネの言葉はパウムの気に障ったのだろう。

 

「…うあっ!?」「…がっ!?」

 

 その怒りに呼応するかのように、突然二ドリーとデーネは自分の身体を抑えながら地面に蹲り苦しみ始める。パウムの怒りにより術が暴走し、その影響下にある二人の身体に深刻な悪影響を及ぼしているのだ。

 

「落ち着けパウム。ここでこいつらを殺すのは簡単だが、それでは現状が何も変わらん」

 

「はあっ…はあっ…。―――っ…はい……」

 

 このままではパウムが二人を殺してしまうと判断したオズオールがパウムを止める。すると、怒りと興奮で少し息切れしていたパウムだったが、すぐに落ち着きを取り戻し始めた。と、同時に苦しそうにもがいていた二人も、少しずつ落ち着きを取り戻す。

 

「確かに、今更幾らでもうじゃうじゃと湧いてくる人間などと戦う気などおきん。だがいよいよとなったのなら、人間などに媚びへつらうくらいなら、最後まで戦うつもりだ」

 

 そうして、まだ荒い息を吐いているデーネにオズオールはハッキリと言い返す。その姿には、確かな誇りと威厳が漂っており、それを感じたからこそデーネもそれ以上は何も言わなかった。

 

「…そもそも、なぜ貴方は復活したのですか? 再び人間と戦う為ですか?」

 

「蘇ったのは俺の意思ではない。不死という厄介な体質の所為で完全に死ぬことが出来んだけだ」

 

 息を整え終わった二ドリーの質問に、オズオールも淡々と答える。その中の『不死』という言葉にデーネは驚きに目を見開くが、二ドリーは考え込むように俯いてしまう。

 

「大体、人間と戦ったというのも最初は俺の意思ではなかった。他の種族共に祭り上げられて仕方なくだ。まあ、増長し始めていた人間が目障りだったというのもあるにはあるがな…」

 

 更に言葉を続けた後、オズオールは一つ溜息を吐く。見ると、何故かパウムも少し申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「それでは、貴方自身の意思という物は…?」

 

「俺自身…か。そんな物久しく考えた事が無かった。まあ、恐らく何もないからだろうな」

 

 再度のニドリーの質問に、オズオールは言葉を漏らす。その自嘲気味な言い方には、確かな空虚を感じさせる何かがあった。

 

 そうして、少しの間沈黙が場を覆ったが、不意に二ドリーがオズオールを見上げて口を開いた。

 

「貴方ほどの存在でも…いえ、貴方ほどの存在だからこその袋小路に今貴方はいるのですね。お任せ下さい、私がその迷いから貴方を救い出して見せましょう」

 

「…は?」「…な?」

 

 突然の突拍子もない二ドリーの言葉に、デーネとパウムは頓狂な声を上げ、オズオールも声こそ出さなかったが呆けたように口を開けている。

 

「…いやいや落ち着きなさいよ二ドリー。相手はあのスペンサードラゴンよ? アンタ一人にいったい何ができるっていうのよ?」

 

「私はシスターです。主の教えに従い、迷える子羊には道を指し示すのが私の使命。そこに生命の大小など関係ありませんわ」

 

「たかが一人の人間如きがオズオール様を救うだと!? 戯言を…出来る訳なかろうが!」

 

「出来るか出来ないかは問題ではありません。迷える子羊だと判断した以上はやるのです」

 

 デーネは戸惑い気味に、パウムは先ほどまでではないにしろ激怒しながら二ドリーに詰め寄るが、それらを二ドリーは涼しげな顔でいなして見せる。

 

「スペンサードラゴンたるこの俺を救う、か…。成程、確かに人間はだいぶ高慢になったと見える」

 

 次いで、オズオールが二ドリーを睨みながら威圧的な物言いをする。そこから発せられる威圧感は、余波だけでデーネを硬直させ、パウムですら顔を顰めてしまう程だ。だが、

 

「高慢でなければ他を救うなどできませんわ。それは、我らの主を見れば一目瞭然です」

 

 その威圧感を一身に受けている筈の二ドリーは、冷や汗を大量に流し顔を青ざめさせながらも、涼やかな笑みを浮かべてオズオールの瞳を見つめながら言い切って見せた。

 

 そうして、暫く視線を交差させていたオズオールと二ドリーだったが、

 

「―――ククッ、クハハハハッ! 面白い、気に入ったぞ人間! よかろう、そこまで言うのならこの俺を貴様の思う”救った”状態にして見せろ!」

 

「ご期待に添えますよう、奮闘いたしますわ」

 

 心底愉快そうに笑いながら二ドリーに命じるオズオールに、二ドリーも表情を涼やかな笑みから変えずに言葉を返すのだった。



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姿の理由

「起きろ! 起きろシデラ!!」

 

「…う……う、うん…?」

 

 ぐっすりと眠っていたシデラに掛かるオズオールの声。その、太く力強い声色にシデラの意識は深い眠りからゆっくりと覚醒していく。

 

 そして、まずシデラが気付いたのは、昨晩はオズオールの身体を枕にして眠っていた筈なのだが、いつの間にか地べたに寝そべっていた事。そして、

 

「…起きたか。早速だが出立の準備をしろ」

 

 そうシデラに指示を出す目の前の人物。銀色の短髪に、男か女か判別がつかないが幼く可愛らしい顔立ち。背丈もシデラより少し低く、見た目の年齢は十代前半と言ったところだ。

 

 当然、シデラはこんな人物は知らない。そして、今までのシデラならこんな正体不明の人物の指示など絶対に聞きはしないだろう。

 

「―――分かりました」

 

 しかし、シデラは不気味なほどにあっさりと銀髪の人物の指示を受け入れた。

 

「やけに素直だな。もっと反発されるかと思ったが…」

 

 そんなシデラを不思議そうに眺める銀髪の人物。その幼く儚い見た目に対して、声質はかなり低く重い。対するシデラは微笑を浮かべながら口を開いた。

 

「オズオール様に反発なんてしませんよ」

 

「…なんだ、もうバレているのか」

 

 シデラの言葉に、銀髪の人物…オズオールはつまらなさそうに呟く。

 

「姿形は変わっても、オズオール様の雰囲気はそのままですからね。それに、昨日も言いましたが私とオズオール様は一心同体になったのです。たとえどの様な状態だろうと、私がオズオール様を見間違えるなどありえません」

 

「………。やれやれ、本当にとんでもない奴が眷属になった物だ」

 

 変わらず微笑を湛えたまま、自信満々に言い切るシデラ。その様子にオズオールも苦笑を漏らす。

 

「ですが、なぜその様な貧相な姿に…? 人に化けた理由自体は、人間の町か都市に赴く為に目立たない様にする配慮だと想像できるのですが…」

 

 不意に笑みを消し、真顔でオズオールにそう尋ねるシデラ。声色から、心底不思議そうにしているのがひしひしと伝わってくる。

 

「ニドリーの奴に見繕って貰ったのだが、変か?」

 

「変…というか、オズオール様には合っていないというか…」

 

「ふぅむ、合っていないか…。しかし、俺からしたら人間などその殆どが貧相の極致にしか映らんから、この姿が貧相と言われてもイマイチピンとこないな…」

 

 シデラからの問いに、しかしオズオールも困惑しながら己の姿を何度も見直す。先ほど口にした通り、オズオールからすれば人間などどれも似たり寄ったりだ。故に、自分に合っていないと言われてもどのような姿が自分に合っているのかなど見当もつかない。

 

 一方、シデラは不服そうに頬を少し膨らませていた。どうやら、オズオールのこの姿が気に入らないようだ。

 

「二ドリーって、昨日殺しそこねた四人パーティーの内の一人でしたよね? 私が何故オズオール様をその様な姿にしてしまったのかを聞いてきます。今、何処にいますか?」

 

「朝食の準備の為に一時出掛けている。デーネとパウムも一緒だ…そのうち戻ってくるだろう。しかし、一体何をそんなに怒っているんだ? そんなにこの姿が気に入らないのか?」

 

「…だって、オズオール様のお姿はもっと威厳のある渋い方が良いにきまってるもん…。なんだって、こんな幼さの残る線の細い少年の様なお姿に…。もし下らない理由だったら絶対に許さない…」

 

 微かな殺気すら感じる視線で周囲を見回すシデラに、二ドリー達の居場所を教えるオズオール。その際、やたらに怒っているシデラにその理由を問い質すが、シデラは明確には答えずブツブツと呟くのみだ。しかし、今二ドリーに危害を加えられるのはオズオールとしても困るので、

 

「…聞くのは構わんが、頼むから脅すまでで止めてくれよ。絶対にそれ以上はするな」

 

 と、釘をさすのだった。

 

 

 

 

 

 結局、オズオールはニドリーの提案に従い、シカイドルフ王国に赴く事に決めた。パウムからの反対はあった物の、現在の情勢を他人の情報だけでなく己の目で確かめてみた方が良いと考えたのだ。

 

 と、同時にシデラのお目付け役を二ドリーに頼まれたというのもある。シカイドルフ王国自体は広大な領域を持つ強国だが、その首都リグラドの広さはヒロウェイズより少し広い程度なのだそうだ。つまり、ヒロウェイズを一夜で焼き尽くしたシデラがその気になれば、リグラドもヒロウェイズの二の舞になってしまう可能性があるという事だ。そうならない為の役割なのだろう。

 

 とはいえ、シデラをここまで厄介な人物にしてしまった一因はオズオールにもあるし、どちらにしろシデラにオズオールと離れる意思がない以上は面倒を見ざるをえない。また暴走からの凶行に走られて、一番困るのは間違いなくオズオールなのだから…。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで朝食を終えて、準備も手短に早速シカイドルフ王国へと歩を進める一行。オズオールの右に未だ不機嫌そうなシデラ、左にそこはかとなくご機嫌なニドリー、その後ろを警戒顔のパウムとデーネがついて来るという様子だ。

 

「シデラ、まだ怒っているのか? 理由ならニドリーから聞いただろう?」

 

「………別に怒ってません」

 

 微かに頬を膨らませているシデラに声を掛けるオズオールだったが、返って来たのは明らかに不機嫌そうな否定。勿論、朝のオズオールの容姿についての事を未だに引きずっているのだ。

 

 ニドリー曰く、確かに似合っているのはシデラの言う通りの容姿だが、ただでさえ威厳と誇りを持つオズオールがその様な完璧な姿をしていては、街中で目立って仕方がない…という理由で今の姿の方がいいと提案したそうだ。

 

 確かに今はオズオールもあまり目立ちたくないので、目立たなくて済むならそちらの方がいい。が、残念ながらこれだけではシデラを納得させることが出来なかった。

 

 だが、ここに更にニドリーが付け加える。そんな目立つ姿では悪い女がハエのように寄って来る…と。オズオール自身が人間を殺すのを忌避している以上、貴女も堂々と殺す事は出来ない。なら、こういう女が近づいてくるのは避けるべきではないか…? と。

 

 これにはシデラも「…っ!?」と言葉を詰まらせる。そう、シデラの理想のオズオール像は渋くカッコよく威厳に満ちているが、これをその辺の有象無象の女共が放っておく訳がない。

 

「いたずらに威光を振りまいては、どのような輩が近づいて来るのかわかったものではありません。オズオール様の真のお姿を知っているのは私達だけでよいではありませんか…。ね、シデラ様」

 

「……………………。オズオール様がそれで良いと言うなら…」

 

 慈愛の笑みを浮かべてシデラを説得するニドリーに、シデラはオズオールを一瞥し、彼が頷いたのを確認したのち、渋々といった感じで首を縦に振った…と言うのが、朝食時の出来事だ。

 

「ふん…。あの化け物の機嫌を損ねれば即座に殺されるかもしれんと言うのに、よくもまああんな口八丁でごまかしとおせたものだ」

 

「なんだかんだ言って、ニドリーの奴結構肝が据わってるからね…」

 

 シデラの機嫌を何とか直そうと頑張るオズオールを笑顔で見つめるニドリーを睨みながら吐き捨てる様に口を開くパウムに、デーネも溜め息と共に言葉を紡ぐ。

 

「自分の性癖を満たすために命を賭けるとは、酔狂なのか只の馬鹿なのか…」

 

「あ、やっぱりわかる?」

 

「舐めるな。今の姿のオズオール様をみるあの怪しい目つきを見れば、奴が”そういう性癖”を持っていることくらいわかる。あの小娘は騙せても、妾の目はごまかせん。はっ、悪い女か。明らかに奴の事ではないか。一丁前に修道服など着おって、猶更質が悪いわ」

 

 ぶつぶつと文句を言い続けるパウムに、しかしデーネもこの辺りはニドリーの悪い癖と認識しているのか、特に反論する事は無かった。



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勇者と二人の従者

 オズオールの容姿に一悶着あったものの、移動自体はスムーズに行う事が出来た。数日後には既に一行はシカイドルフ王国の首都リグラド…に最も近い町、ミトヘアの宿屋にたどり着く。

 

 しかし、問題はここからだ。オズオールとシデラ、そしてパウムをどうやって首都に馴染ませるか。更に、ニドリーとデーネの二人と組んでいた男達…ソダックとカーリウスの死因も説明する必要があるそうだ。

 

 まずオズオールだが、彼については今のままで名前も変えずによいとデーネが言う。スペンサードラゴンと言う存在こそ、今でも少し知識がある者なら気づくだろうが、その本名など誰も知る由がないだろう…と言うのがデーネの見解だ。

 

「知識の魔人と言われたこの私すら知らなかった物に、他の者がたどり着けるとは思えないわ」

 

「デーネは魔術学院を首席で卒業したエリートなのですよ。そして今も、貪欲に知識を求めていますわ」

 

 自慢げにふんぞり返るデーネだが、オズオールは不安げに、シデラとパウムは冷めた目でそんなデーネを見遣る。その空気にいたたまれなくなったらしいニドリーがフォローを入れる。

 

 続いてシデラだが、彼女については知っている人がいるかもしれないとデーネは言う。特に、背中に担いでいる勇者の剣が殊更目を引くのだ。事実、ニドリーも初見時にこの剣を見てシデラを認識していた。

 

「シデラ様、その剣は」

 

「離さないよ。これは私の物」

 

 何かを聞こうとしたデーネだったが、その言葉にかぶせる様にシデラはキッパリと言い放つ。残念ながら彼女から剣を引き離す事はまず不可能だろう。

 

 次にパウムだが、ダークエルフを象徴するその黒い肌は間違いなく注目の的だとデーネは断言した。考えるまでもなく、心無い奴ら共にその希少性を買われ狙われる…と。

 

「ふんっ!! だからどうしたというのじゃ!? その様な下賤な愚か者、皆殺しにしてくれるわっ!!」

 

 地団駄を踏んで怒りをまき散らすパウムだが、そんな事をされて困るのはオズオールだ。腕を振り回すパウムを宥めながら、どうしたものかと思考を巡らせる。

 

「三つの問題を具体的に提示してみたところで、私に一つ案があるのだけど…聞いて頂けるかしら?」

 

 そんな折、これまで説明を続けていたデーネが再び口を開く。そして…。

 

 

 

 

 

 翌日、シデラを中心に左右をニドリーとデーネで固め、その後ろにオズオールとパウムが続くという並びでシカイドルフの正門前に立つ。

 

「ニドリー殿、デーネ殿! ご無事でよかった! そして…」

 

 正門近くの駐屯所と思しき場所から衛兵らしき武装した人物が二人ほど出てくる。ニドリーとデーネの二人に安堵の言葉をかけた後、姿勢を正しシデラに向き直った。

 

「勇者シデラ様、そしてその従者のお二方。どうぞこちらへ…」

 

 恭しくシデラ達に頭を下げた後、駐屯所の方へと手導きをする衛兵達。それに従い、シデラとオズオール、パウムの三人は駐屯所の中へと歩を進める。

 

「ようこそシデラ殿。デーネから聞いているとは思うが私の名はミズリー、この国の軍…その中将を任されている者だ。早速で申し訳ないが、勇者の剣を見せて頂けるか?」

 

 中にいたのは一人の老人。とはいえ、大柄で軍服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体に、全てを射抜くような鋭い眼差しは、老いてなお盛んであることをうかがわせる。

 

 その老人…ミズリーからの、不躾ともとれる注文に、しかしシデラは黙って輝く剣を引き抜き、ミズリーの前にその威光をかざしてみせる。

 

「おお…なんという…。あれは間違いなく勇者の剣! そして、この輝きはまさしく勇者の威光! 剣に選ばれし者のみが放てる希望の光! ―――しかし、皮肉なものだ…。グランツの正統な娘達ではなく、売女(ばいた)の血が混じった下賤の子と嫌われていた者が勇者の生まれ変わりだったとは…」

 

「…貴女はお父さんを知っているの?」

 

 いたたまれない様子で言葉を絞り出すミズリーに、シデラは若干表情を険しくして聞くが、ミズリーは「うむ…」と頷くのみでそれ以上を話そうとしない。

 

「はあ…。ま、どうでもいいや。それと、これが例の物」

 

 そんなミズリーに一つため息を吐いてから、言葉通りにどうでも良さそうな態度と共に、懐から銀色に輝く六角形の何かを取り出した。

 

「…こ、これがかの大悪…スペンサードラゴンの鱗…か。禍々しくも美しい…」

 

「これを研究すれば、かの強大な竜に対抗できる策ができるかもしれない。そして、もし竜の情報があればすぐに私に知らせて欲しい。私も探すけどやはり少数では限界があるから。今回は惜しくも逃がしたけど、次こそは必ず仕留めて見せる。復活したばかりで当時の力を取り戻せていない今こそチャンスだから」

 

 怪しく輝く銀の鱗に魅入られているミズリーに、無表情で一気にまくし立てるシデラ。不意にやられた事とその勢いに押され、ミズリーは「あ、うむ…」と頷く事しか出来ない。

 

「…とはいえ、故郷を滅ぼされてからここまで強行軍できたから、私も従者たちもさすがに疲れた。暫くはここで休ませてほしい」

 

「む、承知した。このリグラドが誇る一流ホテル…『エル・リグラド』のラグジュアリーフロアを貸し切りにしてあるので、そこで疲れを癒すとよいだろう。おい、案内してやれ」

 

 ミズリーの指示に傍にいた一人の兵が「はっ!」と返事し、シデラ達を連れて駐屯所を出ていく。

 

「ふん…。随分と態度のでかい小娘ですな。勇者の家系というのは強さばかり磨いて、教養は身に付けさせてはおらぬのか?」

 

 シデラ達が出て行ったあと、ミズリーの後ろに控えていた男が忌々しそうに言葉を吐き出す。

 

「仕方あるまい…。あの子については礼儀作法を教わる機会がなかったのだ。その分、何か不手際があれば我々が教えるしかないだろう…」

 

 対して、ミズリーは悲し気にそう言うと共に、シデラ達が出て行った出入口をいつまでも憐憫の瞳で見つめていた。

 

 

 

 

 

「全く! なぜ妾がこの小娘の従者なんぞ演じなければならんのじゃ!!」

 

『エル・リグラド』のラグジュアリーフロア内にて、シデラの従者の一人に化けていたパウムが怒り心頭といった感じで怒鳴り散らしていた。

 

「押さえろパウム。これも今の世界を観察するためだ」

 

「そうだよ。私だってオズオール様を悪しざまになんか言いたくないけど我慢してるんだから」

 

 そんなパウムにもう一人の従者として化けていたオズオールは、真剣な表情で短い言葉で訴え、シデラは冷めた口調でオズオールに同調する。

 

 そう、これがデーネの発案した策…つまり、勇者とその関係者なら疑われる事はなく、また、如何に希少なダークエルフと言えど勇者の従者をしているとあればそう簡単には出だし出来まい…という二重の策なのだ。

 

 また、例の二人…ソダックとカーリウスの死因もスペンサードラゴンと戦った上での戦死とデーネは報告したらしい。つまり、樹海の探索中に偶然にもかのヒロウェイズを滅ぼし姿をくらましたスペンサードラゴンと遭遇、懸命に戦うも前衛だったソダックとカーリウスが殺され、進退窮まった所にドラゴンを追ってやってきたシデラ達が加勢し、辛くも難を逃れた…という流れにしたそうだ。

 

 不意に、コンコンと扉を叩く音。シデラが入っていいと伝えると、扉が開くと共に件のデーネがニドリーを伴って部屋の中に入って来る。

 

「どうやら、上手くいったみたいね」

 

「ああ、貴様が話を通してくれていたおかげで概ね想定した流れ通りになっている。感謝する」

 

 オズオールの礼の言葉に、デーネはふふーん…と言わんばかりに得意満面だ。そう、そもそもここまで上手く言ったのは、デーネがミズリーと個人的なコネを持っていたのが大きいと言える。成程、学園を首席卒業したエリート…というのもがぜん真実味を帯びてきた。

 

「不可解じゃな…。なぜ我らを助ける? そこのニドリーとやらはオズオール様を救うなどと言う妄言をほざいておるが、貴様が我らを助ける道理など無かろう」

 

「道理ならあるわよ! 貴方達の話を聞かせて欲しいの!!」

 

 そんなニドリーに言葉通りに怪訝そうに眉根を寄せるパウムに、しかしニドリーは瞳を輝かせてグイっとパウムとオズオールの二人との間を詰めてくる。

 

「は、話じゃと…?」

 

「そう、正確にはかつてのスペンサードラゴン率いる異種族連合軍と人間達の大戦中の話! 人間側の話はもう腐るほど聞いたし本も読んだけど、連合軍…それもその親玉と腹心の部下から見た大戦の話は間違いなく新鮮だわ! どうしても…どうしても聞きたい!!」

 

「近いっ!! 離れんか鬱陶しい…っ……っっ!! ち、ちからつよっ……な、何じゃこ奴はっ!?」

 

 デーネの大声に僅かに怯みながらも聞き返すパウムに、デーネは更に顔を近づけながら力説する。その際あまりにも近づかれたために、その顔を掴んで離そうとしたパウムだが、予想外に動かないデーネに掴んだ腕をブルブル振るわせながら驚愕の声を出すパウム。

 

「未知の知識の事となると人が変わりますからねデーネは…」

 

 苦笑交じりにそう呟くニドリー。そして、身体能力はダークエルフであるパウムの方が数倍上の筈なのに互角の押し合いを演じるデーネに、オズオールもほう…と微かに感心の息を漏らしていた。

 

 が、ここでオズオールが「知識か…」と小さく口を開くと、おもむろにパウムとデーネの争いを冷めた目で見つめていたシデラに向き直る。

 

「シデラ、一つ聞くがお前は礼儀作法の様な物は教わっていないのか?」

 

「…いえ、私はそのような物は一切教わっておりません」

 

 真面目な顔で聞くオズオールに、シデラは質問の意図が掴めない様で少し不安げに返事をする。

 

「分かった。ならば今からお前には礼儀作法の知識を習ってもらう」

 

「な、何故…その様な物を?」

 

「あのミズリーと言う男との会見時の態度。あれでは駄目だ。あんな無礼な態度ではいらぬ人心を呼び寄せ、最悪俺やパウムの事がばれてしまう」

 

「ですが私は勇者です! スペンサードラゴンを討滅できるのは私しかいません! なら、他の人間どもは私に頭を下げるのが道理ではないのですか!?」

 

「道理だけで人は動かん。それは人間も同じはずだ。事実、今お前は俺の道理に反対しているではないか」

 

 オズオールの提案から始まる言い合い。勢いはオズオールにある様だが、シデラも不服そうに俯いている辺り簡単に折れそうにはない。

 

「まあまあ、それくらいにしておきましょうオズオール様」

 

 と、ここでパウムから声がかかる。助かった、とばかりにシデラはパウムの方へ向く。のだが、

 

「礼儀も覚えられぬ阿呆にその提案は酷と言う物。そういう役目はこの妾にお任せを…」

 

「なっ…!?」

 

 続くパウムの言葉にシデラの表情は即座に怒りへと様変わりする。

 

「まあ、そういう訳でお前はそんなもの覚えなくてよいぞ。せいぜいオズオール様の顔に泥を塗りながら足を引っ張り続けるがよいわ」

 

「ばっ、馬鹿にするなっ!! そ、そんなものすぐに覚えてやるっ! オズオール様のあしをひっぱったりなんかするもんかっ!!!」

 

 更なるパウムの挑発に、シデラは怒髪天を衝く様子で両手を真上に上げて怒鳴る。

 

「…パウム、助かった」

 

「いえ、お役に立てたなら光栄です」

 

 そんなシデラに聞こえないように礼を言うオズオールに、パウムもニコッと笑って答える。その様子を見ていたニドリーとデーネは「まあ…」「へえ…」と微かな驚きの声を漏らしていた。



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