Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜 (柊悠弥)
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第1章
第1話 『プロローグ』


IFルートです。苦手な方は引き返してくれると……。ピクシブからの転載です。本人です。
ルート分岐は4話後からになってます。ピクシブのがほんの少し投稿ペースは早いかも……?
5話までは週一投稿目指すつもりなんで、よろしくお願いします。

あと綴り間違えてますよー!とか、誤字ありました!とかはそっと報告していただけると


  異常なデータが発見されました。

 

 

  未読のストーリーがあります。

 

 

  始めますか?

 

 

 はい ←

 いいえ

 

                    Now loading…

 

 ◇◆◇

 

「か、は────!?」

 胸を貫くような奇妙な冷たさ。喉元に突っかかったような血液を吐き出すために噎せながら、衛宮士郎はゆっくりと立ち上がる。

「夢、じゃないよな……」

 士郎の記憶が確かなら、自分は見知らぬ男に殺されたはずだった。

 

「────っ、」

 

 嫌でも思い出せる。脳裏に焼き付いている。身体に刻み込まれている。

 真っ赤な槍が自身の胸に突き刺さり、無常にも、自分の命が消えゆく瞬間を士郎は見、同時に感じたのだ。

 夢ではない。足元に広がる自分のモノと思われる血溜まりからそれが理解できた。

 足元がおぼつかない。頭が重い。寒い。

 冬はとんと冷え込むと言われている冬木だが、冬の寒さからくる震えとはまた違うものだった。

 血を流しすぎた。そんなのは馬鹿でもわかる。

 ふらつく足に鞭を打ち、重い頭を抑えつつ、ハッキリしない思考で何故かその血だまりを拭き取り始めた。

 幸い近くの教室にはバケツと雑巾があってくれたし、道具には事欠かない。

 そして、

 

「……なんだ、これ」

 

 床に転がる、月明かりを反射するペンダント。

 ソレを士郎は拾い上げて、学校を後にした。

 

 ───√ ̄ ̄ Interlude

 

「よかったのか、凛」

 自宅でソファに腰掛ける少女、遠坂凛の背後で、ため息交じりの皮肉な呟きが聞こえた。

 特徴的な黒髪のツインテールを揺らしながら振り返ってやると、そこには彼女のサーヴァントが見える。

 サーヴァント、アーチャー。赤い外套と浅黒い肌、真っ白く染まってしまった髪が特徴の憎たらしい男────凛談────だ。

「良いのよ、別に。あそこで放っておいたら寝覚めが悪いし、何より……桜に悪いもの」

 凛の何やら意味深な呟きに、アーチャーは大きくため息を吐く。

 同時に何かをジャラジャラと音をさせながら取り出すと、凛にソレを差し出した。

「どうでもいいが、父の形見くらいは持っておいたらどうだ。どこぞの知らぬヤツに配慮する前に、自分の父親に配慮したまえ」

「あれ、拾ってきてくれてたんだ。……ありがと」

 小さく呟いてからペンダントを受け取り、柔く笑みを浮かべる。

 

 無駄なことをした────そんなこと、凛も理解はしている。

 魔術の世界を生きるうえで、なんらかの命が果ててしまうことはわかりきっている。何も犠牲もなしに生まれるものなどないと、遠坂凛として生きてきたこの十七年間で理解したはずだ。

 

 だというのに、廊下に倒れる彼を見た途端寒気がした。

 廊下に倒れる彼を見た途端、悲しむ彼女を幻視した。

 

 魔が差した、というのは少し違う。助けなくてはいけないという強迫観念に駆られ、気がつけば彼の元に膝をついていたのだ。

 

「こんなのはもう、これっきり」

 

 そう、これっきり。これを最後に、こんなことはあってはいけない。

 私は遠坂家の魔術師なのだから────と。

 

 だいたい、こんなのは心の贅肉だと凛は語る。

 彼を助けたところで、そもそも日常生活に戻れたとしても────

 

「────あ。やば、私……!!」

 

 ◇Interlude out◇

 

 住み慣れた我が家に帰宅した頃には、ひどい目眩も頭痛も、上がって仕方なかった呼吸も元に戻ってくれていた。

 しかし体を支配する疲労感が尋常じゃなく、居間に着いた途端思わず畳へ倒れ込む。

「く、そ……なんだってんだ、今日は……」

 

 学校で目撃した、明らかに人間ではない二人組み。

 見惚れるような戦闘の最中、士郎は物音を立てたせいで見つかり……死んでしまった、はずだ。

 

 天井を睨み付け、ひとり愚痴を漏らす士郎。

 時間はもうすでに深夜の2時を回っている。この時間になれば普段居着いている藤村大河────藤ねえも、普段家事を手伝いに来てくれている間桐桜も既に帰宅し、衛宮邸には士郎だけ。

 むしろ好都合だった。こんなところを二人に見られてしまっては騒がれて仕方がない。

 自分のためを思って騒いでくれるのは嬉しくないワケではないが、体には今何ともないのだから騒がれても仕方ないというか。士郎はフクザツな気持ちである。

「……というか、この破れた服もどうにかしないと」

 自然と、独り言が増える。

 ため息まじりに、憂鬱げに。繰り返されたそれは、

 

「────結界が」

 

 カランカラン、と。乾いた音────この衛宮邸の防犯システムが立てる侵入者の知らせによって、かき消された。

 

 あいつだ。あいつが、また俺を殺しに来たんだ。

 

 そんな予感がして、思わず飛び起きる。近くに転がる大河が放置して帰ったポスターを手に取り、深く呼吸を繰り返す。

 

「────同調(トレース)開始(オン)

 

 背筋に熱い鉛を通していくような感覚。身体が火照っていく。

 これが士郎の知る、魔術回路を生成する方法だった。ほんの少し気を抜けば死ぬ────そんな緊迫感に駆られながら、上がる息を抑え込みつつ、深く、深く。

 

「基本骨子、解明────」

 

 行う魔術は強化。物の構造を理解し、魔力を流し込むことで物の強度や性能を向上させる魔術だ。

 

「構成材質、解明────」

 

 魔力を通し、スキャンをかけるような感覚。

 脳内にポスターの構図が流れてくる。隅から隅まで見通してから、そこへ魔力を流す工程へと移行する。

 

「基本骨子、変更────」

 

 あとひと息。ここのところ、毎晩行なっている鍛錬では成功しなかったものだが。今日は何やら調子が良いらしい。

 

「構成材質、補強────、同調(トレース)終了(オフ)

 

 そっと、強化したポスターを構え直し、前を見据える。これなら、誰が来ても少しはどうにかなるだろう。

 頰を汗が伝った。背中に緊張で寒気が走る。

 士郎には永遠とも取れる数秒。自身の呼吸音と心臓が奏でる、規則的な音だけが今の士郎のすべてだった。

 

「────!!」

 

 わずかな物音。何かが軋むような音と、微量の殺気を感じて士郎は床に転がり込む。

 ついさっきまで士郎がいた畳には赤い槍が突き刺ささり、頬を殺気を孕んだ冬の冷たい風が撫ぜた。

 突き刺さった槍は数時間前に士郎を殺したモノと全く同じ。そう、寸分違わず、同じモノで。

「おまえは……」

「よう、兄ちゃん。気づかれては苦しむだけだろうと気を遣ってやったんだが……にしても奇妙な運命だ。一度殺した相手ともう一度会うコトになるとはなあ」

 槍を振り回す怪しげな男は、結い上げた長髪を揺らしながら親し気に微笑む。

 しかし士郎としては冗談じゃない。一度自分を殺した相手と対面しているなど。重ねて、向こうはもう一度士郎を殺す気でいるのだから。

 思わず、固唾を飲み下す士郎。ここは下手に自分から動き出すのは得策ではない。向こうの出方を見るべきだ────

「せっかく生き返ったトコわりいんだが、ソレも終いだ。じゃあな、兄ちゃん。もしかしたらオマエが七人目(、、、)だったのかもな────」

 相手は完全にこちらの命を取った気でいる。なら、

 

「ら、あ────!!」

 

 槍が心臓を狙って来ることは一度目で既に解っている。鉄と同じまでに強度を増したポスターを槍の軌道に割り込ませてやる。

 瞬間、心臓を狙った槍は逸れ、一瞬の虚をつくことに成功した。代わりに二の腕の肉が持っていかれたが命に比べれば安いものだ。

「……ハ。変わった芸風じゃねえか。どれ、面白い。少し付き合ってやる」

 しかしそんな隙も一瞬のみ。とっくにわかってはいたけれど、相手は人間離れしたようなヤツだ。これしきの事で、倒せるような隙は生まれてくれない。

 相手は完全にやる気だが、正面からぶつかったらそれこそ命がいくつあっても足りない。ここは仕方なく相手に背を向けて、居間から廊下へ駆け出した。

「…………」

 背後で何やらため息を吐いた気配がする。それから、相手が動き始めた気配も。

 諸々は気にしていられない。今は生き延びることだけに集中しろ。

 家の中じゃ圧倒的に不利────迷わず士郎は体で窓を突き破り、庭へと転がり出た。

 同時、振り返りざまに、本能の訴えかけるままポスターを振るう。と、腕には衝撃が走り、あの憎き槍がほんの少し浮き上がるのが見えた。

 それだけでは男の攻撃は防げない。男が右足を上げたのを視認したころには、士郎の腹部には激痛が走り、浮遊感に襲われていた。

 

 痛い、苦しい。

 

 士郎の声にならない苦しみは誰にも届くことなく、無慈悲に、スーパーボールのごとく地面を跳ね、転がされていく。

 土が口の中に入った。じゃりじゃりとした不快感。けど、そんなことを気にしている暇はない。

 

「死にたく、ない────」

 

 ただ、その一心で。士郎は立ち上がり、足を引きずりながら、前に進んでいく。

 気が付けば、士郎は土蔵の扉に手をかけていた。ここに来れば、何かしら武器があるだろうと思ったのだろう。しかし、

 

「────づ、う!!」

 

 その思考こそが命取り。かえって、士郎の命を投げ出しているようなものだ。

 視界に映り込んだ槍を、ポスターを広げることで防ぎ。尻もちをつきながらも壁際まで逃げまどい、そこでようやく、対面する死を見上げた。

 突きつけられているのは圧倒的なまでの質量の死。一度殺された槍の、鋭利な刃先だ。

 赤、赤、どす黒い赤が、記憶に新しい死を彷彿とさせる。

「終わりだ。さっきのは少し驚いたぜ? 魔術はからっきしだが、気転は効くみてえだ」

 

 嫌だ。もうあんなのは嫌だ。

 頭がぐちゃぐちゃになるような感覚。胸を支配する異物感。血を流すことで走る寒気。独り、暗い海に沈んでいくような孤独感。

 

 死にたくない。

 

 全部が全部嫌だった。だいたい、何で俺がこんな目に合わなくちゃならないんだ、と。

 

 俺はまだ、何もしていない。

 

 そうだ、まだ何もしていないじゃないか。切嗣から正義の味方という夢を受け継いで、今まで、何も。

 

「死ぬわけには、いかない。殺されるわけには、いかない……!」

 

 そうだ。それならまだ、死ぬわけにはいかない。殺されるわけにはいかない。

 

「こんなところで、こんな簡単に、ひとを殺すようなヤツに────!!」

 

 喉よ張り裂けろとばかりに吐き出した思い。

 

 途端、手の甲に熱さが宿った。

 

「────なに、七人目のサーヴァントだと!?」

 

 男の動揺した声が聞こえる。同時に周囲に吹きすさぶ、魔力を孕んだ強い風。

 士郎の視界に散る火花。男は吹き飛ばされるような形で土蔵から追い出され、代わりに士郎の目の前へ現れたのは小さな人影だった。

 時代を感じさせる武骨な鎧。兜まで用意されたソレは異彩を放ち、その右手には大きな剣が握られている。

 

「ったく、カビくせェとこだなおい」

 

 鎧の下から声がした。ため息交じりの女性の声だった。でなければ、声変わり前のやんちゃな少年のような。

「君は────」

 士郎の問いかけに応えるように、兜が展開していく。

 その下から現れたのは、金髪の少女で。

 

「オレか? オレは、サーヴァント、セイバー」

 

 セイバーと、名乗った。

 

「おまえが、オレのマスターか?」

 

 ────その日、少年は運命に出会った。

 灼熱に燃え滾る、勇ましく、自信過剰な運命に。

 

 

 Fate/stay night [煌々と輝く王の剣(グリューエン・クラレント)]開幕。



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第2話 『引き分け』

「アンタがオレの、マスターか?」

 

 セイバーと名乗った少女は楽し気な笑みを浮かべながら問いかけ、手を士郎に差し伸べた。

 何も状況が理解できない士郎はとりあえず手を握り、立ち上がる。

「サーヴァント……? マスター? いったい何のことだよ」

「は、何言ってんだ? おいおい、しっかりしてくれよマスター。その手の甲にある令呪がオレのマスターたる証だろ?」

 言われて、自分の左手の甲へと視線を向ける。そこには真っ赤な痣────刺青ともとれるモノが、くっきりと浮かび上がっていた。

 熱さの正体はこれか、なんて納得しつつも、士郎は状況を呑み込みきれない。ますます心当たりがない。何が何だかさっぱりだ。

「ごめん、何が何だか俺にはさっぱりだ」

「はァ!? おま、話が違……あーもう、とりあえずアンタはそこでおとなしくしてろ!! オレはランサーを片付けてくる!!」

 困惑する士郎を他所に、セイバーは土蔵を飛び出した。

 広い庭の真ん中で待ち構える男、ランサーと呼ばれたソイツは、セイバーの姿を見ると不敵に笑みを浮かべる。

「骨がありそうなヤツが出てきたじゃねえか。アンタはセイバーだろ?」

「ああ、オレはセイバー……っつーアンタはランサーだろ。肩慣らしに一戦願いたいんだが、どうだ?」

 好戦的な少女だ。自分より大きな相手にも怯むことなく、むしろ笑みで、自身の剣先をランサーに向けている。

 オオカミのような少女だと士郎は思う。好敵手を見つけたような笑みと、相手を見つめる獰猛な目が特に。

 

「嫌だ、っつってもおまえはかかってくるんだろ?」

「よくわかってるじゃねえか────!!」

 

 瞬間、セイバーが動いた。

 地面の土をまき散らしながらの跳躍。常人の目にはとても追えるものではなく、凄まじい速度に暴風が吹き、士郎は思わずその顔を両手で覆う。

 流石というべきか、ランサーはそれをはっきりと視認していた。セイバーの勢いの乗った、重い一撃をその槍で受け止めて、

「は、なかなかやるなセイバー。その力、そこそこ有名な剣士とお見受けするが?」

「オレが誰であろうと関係ねえ!! 戦場じゃ生きるか死ぬか、それだけだ!!」

 余裕の言葉と共に、今度はランサーがセイバーの腹部を蹴り飛ばした。太い足から放たれる強烈なソレは、セイバーの体を数メートル突き飛ばす。

 思わずたたらを踏むセイバー。その隙を見逃さんと今度は槍の強烈な突き────

「っそ、速え!」

 しかし、アレをモロに喰らうワケにいかない。剣で槍を弾きながら、今度は自ら後退し、距離をとる。

 ついでとばかりに唾を吐き捨てると、悪態をつくように眉間に皺を寄せた。

「思ったように身体が動かない……なんだこれ?」

 違和感に額の汗を拭い、首をかしげるセイバーを、ただ眺めることしか士郎にはできない。

 

 何が起きている? この二人は何者だ?

 

 何もわからない。けれど、このままではセイバーと名乗ったひとりの少女が死んでしまうかもしれない。

「止め、ないと」

 止めないと。目の前で命が失われるのはもうたくさんだ。

 

 だっていうのに、なぜ足が動いてくれないのか。

 

「……くそ」

 足が竦んでいる。踏み出そうとする度、あの時の死が脳裏を過る。

 

 ……情けない。俺は、正義の味方になりたかったんじゃなかったのか。

 

『正義の味方に、なりたかったんだ』

 

 あの月の夜に、悲し気に、遠くを見つめながら呟く切嗣に、代わりに夢を叶えると誓った。

 切嗣に認めてもらいたくて。ただ、切嗣に────

 

「いくぞ、ランサー!!」

 

 戦況は動き出す。

 再び剣を構えなおしたセイバーは、

 

「────はあ!?」

 

 その剣を、ランサーに投げつけた。

 回転しながら勢いよくランサーへと向かっていくセイバーの剣。それを戸惑いながらも槍で上空へと弾き飛ばすと、その後ろから拳を構えたセイバーが飛び出した。

「おら、らららァ────!!」

 一方的に繰り出される拳の雨。寸でのところでランサーは全てを交わし、視界にチラついた足────轟音を立てる回し蹴りを受け止めると苦笑を浮かべ、

 

「なんだ、とんだじゃじゃ馬()だな、おまえ……」

 

 確かに、セイバーの地雷を踏みぬいた。

 

「……あ? おまえ今、オレを女だと言ったか?」

 セイバーの表情が変わる。楽しそうな笑みが、確かな怒りへ。

 丁度頭上へと落下してきた剣を取ると、セイバーの猛攻が再開。しかし今度は、激情に身任せたモノだが。

 

 まずは引っ掴まれた足を払い、首を断つ為の横斬りの一閃。剣先がランサーの首の皮を掠め、ほんの少し血が噴き出す。

 

「────ッ、」

 

 立て続けに、有り余る勢いを乗せ回転斬り。舌打ち交じりに一歩後退したランサーの腹部へ、セイバーは容赦なく突き出すような蹴りを喰らわせた。

 蹴り抜いた足で、大きな一歩。同時にランサーの胴体へと斬り上げを放ち、そこでいよいよランサーは自身の槍で受け止め、純粋な力のみの押し合いが始まる。

「おいマスター、宝具使用の許可をくれ。コイツをここでぶっ殺す」

「ま、待てセイバー!! ここで引き分けってわけには────」

「ぬかせ!!」

 相変わらず憤怒に身を任せたセイバーは、ランサーの物言いに見向きもしない。

「宝、具……? 宝具っていったい何なんだ。お前はいったい何なんだ、セイバー……!?」

「はァ!?」

 何かを求められている。士郎でもそれはわかるのだが、わからないことが多すぎる。

 そんな顎をあんぐりと開けられても困る、と眉間に皺を寄せる士郎。対してランサーは思わず豪快に笑うと、その隙にセイバーを蹴り飛ばし、

「はははは! おもしれえな、おまえら。おまえのマスターも困ってることだ、今回はここでお開きと行こうぜ! じゃあな!!」

「ま、まてランサー!! クソ、逃げ足の速い……」

 戸惑うセイバーを他所に、ランサーは足早に逃げて行ってしまう。あまりの素早さにセイバーも流石に諦めたらしく、頭をぼりぼりと掻きむしりながら、士郎へと歩み寄ってきた。

「……なあマスター。本当に何も知らないのか?」

「ああ。こんなところで嘘を吐いてどうするってんだよ」

 ……士郎を見つめる、セイバーの視線が痛い。そんなムスッとした目で見たって仕方ないだろう、と士郎もむくれてみるが、士郎だってムスッとしたって仕方がないワケで。

 数秒、漂う沈黙。お互いに何も言わずに見つめあったモノだが、先に根負けしたセイバーが長々とため息を吐いた。

「仕方ねえ、イチから説明しといた方がこの先色々と良いんだろうが────」

 不自然なところで区切られたセイバーの言葉。ついでに視線は何やら士郎から逸れ、平家を囲う塀の向こう側を見つめている。

 目は至って真剣に。────が、真剣なのは一瞬。その目は、すぐに新たな獲物を見つけたといわんばかりのモノに変わり、

 

「ゆっくりと話してる暇もない。新手だ、行ってくる」

 

 士郎が止める暇もなく跳び、塀を乗り越え路地に出た。

 呆気にとられたまま、その場に取り残された士郎。状況が飲み込めずに数秒固まってから、思わず頭を抱えて。

 

「自分勝手すぎるだろう、アイツ……!!」

 

 ああもう、なんて唸りながら駆け出す。

 だいたい何も聞かせずにマスターだのなんだの、よくわからない単語ばかり使って。仮にも自分を主人(マスター)だと呼ぶのなら、もっと下手(したて)に出てほしいというもの。

 内心愚痴を漏らしながら必死に足を回していく。何度も転びそうになりながらようやく門を出たところで目撃したのは、セイバーが剣を振り下ろした瞬間であった。

 

「セイバー、やめろ!!」

 

 何かが砕け、地面に散らばる音。相手が息を飲む音。血しぶきが地面に滴り落ちる音────士郎の焦燥を煽るような音の数々に、思わず叫ぶ。

 

「戻って、アーチャー!!」

 

 同時、響いたのは、どこか聞き覚えのある少女の悲鳴まがいな声だった。

 少女の声に従うように、セイバーに斬りつけられた男は粒子と化し、宙へ溶けていく。

 

「ハ。アーチャーを戻したか……そりゃ正解かもしれないが、今じゃ愚策だぜ。何せ、オレが目の前で、こうして剣を構えてるんだからな」

 

 それでもセイバーは止まらない。身構え、数歩後ずさりする少女にもセイバーは歩み寄り、その剣先を向けた。

 面と向かう少女の視線も力強い。あそこまで圧倒的なまでの力を見せつけられても、少女は未だセイバーに対抗する気でいる。

 赤いダッフルコートに、黒のミニスカート、黒髪のツインテールが特徴の少女だ。威嚇の色を乗せたその瞳は青色で、

 

「……遠坂!?」

 

 士郎の、見覚えのある顔をしていた。

 

 ◇◆◇

 

「助かったわ、衛宮くん。止めてくれてありがとう」

 言って、セイバーに襲われていた少女────遠坂凛は、お茶を啜って笑みを浮かべる。しかし、

「……どういたしまして、と言いたいところだけど。怒ってるだろ、遠坂」

 正直、とてつもなく怖い。笑みを浮かべてはいるものの、目が完全に笑っていない。怖い。

 場所は衛宮邸、その居間。長い机を挟んで士郎と凛が向かい合って座るような形だ。セイバーはというと士郎の背後の壁にもたれかかり、膝を立てて座っている。

 鎧は脱いで露出の多い格好へと換装しているものの、未だセイバーから殺気というか、覇気は抜けない。なんというか、まだ凛を警戒しているように士郎には見えた。

「当然よ。貴方のセイバーのおかげ(、、、)で、貴重な令呪を一画使っちゃったんだから。怒りもするわ」

 セイバーを気にかけていれば目の前の凛は怒り気味で。二種類のとんでもない地獄に挟まれている士郎は、自分の家に居るというのに酷く居心地が悪い。

 口元を歪め、思わず口をつぐむ士郎。そんな様子に対する凛は吹き出して、「やーね、」なんて言いながら片手を振った。

「冗談よ、冗談……それで衛宮くん? 貴方、自分が置かれている状況を理解して居ないように見えるのだけど。実際のところはどうなの?」

「理解……してない。まったくもって、何も」

「ああ、そう……」

 ここで嘘をついても仕方ない、と士郎は正直に応えたものだが。凛的には不満足だったらしい。ついでに後ろでセイバーまでもがため息を吐いた気配がした。

「あのね、貴方はある儀式に巻き込まれたの。聖杯戦争っていう魔術師達の儀式にね」

「聖杯、って……」

 聖杯といえば、神話や物語に出て来る万能の願望機と士郎は記憶している。

 何でも叶える、だなんてそんな万能のモノ────架空のものだと思って居たのだが。

「貴方が知ってる聖杯だと思ってたぶん間違いじゃないわ。何でも願いを叶えてくれる万能の願望機……それを求めて、集まった魔術師七人がそれぞれ一騎ずつ、サーヴァントという使い魔を呼び出して戦わせるの。そこにいる貴方のセイバーもソレね」

「使い魔、って風には見えないけど。セイバーも、俺とは何ら変わらない人間に見える」

 言って、士郎は肩越しにセイバーへ視線を向けた。

 自分の髪の先を弄っていたセイバーは遅れて視線を上げると、溜息をついた後に思わず苦笑を漏らす。

「そりゃあオレをそこいらの使い魔の猫やネズミと一緒にされちゃ困るぜ。これでも、オレは時代を生き抜いたひとりの英雄なんだからな」

「英雄……? 英雄っていうと、アーサー王とかシャルルマーニュとかそういう……?」

 一瞬、セイバーの表情が歪んだ。しかしそんなことを気にすることもなく、遠坂の補足が入る。何やら台詞を取られたのが気に入らないのか、ほんの少し拗ねた様子で。

「そ。英雄をこの世に呼び、そして仮の肉体で現界させるの。……まあこの辺の説明は、もっと詳しいヤツに任せたほうがいいかしら」

 言って、凛は立ち上がる。足元に畳んであった上着を手に取ると、

 

「ほら。冬木教会に行くわよ」

 

 廊下へと足を向け、士郎に投げかけた。




兜を被ってないと女の子扱いされてセイバーがブチギレる案件が多すぎる。君冬木にきたらストレスマッハでしょ……みたいな。
予想以上に伸びてびっくりしてます。あまり期待しない程度に続きを待っていてくれると幸いです。


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第3話 『邂逅』

 違和感が隠しきれない。

 自分が学年のアイドル、遠坂凛と一緒に深夜徘徊してるだけでもびっくりなのだ。にも関わらず何処かの国から来た男勝りな美少女まで一緒にとなると、殺されてしまったあたりから夢でも見てるんじゃないかと不安になる。

 思わず、頰をつねる。痛みで目尻に涙が浮かび、隣を歩くセイバーが不審な顔をした辺りで『ああ、これは現実なんだなあ』なんて他人事のように理解した。

「そういえばセイバー、セイバーはその……アーチャーみたいに透明化? できないのか?」

 セイバーからの視線に耐えきれず、質問を投げかけた。

 眉間に薄くしわを寄せていたセイバーは「ああ、」なんで呟いて、

「できないことはねーよ。けど、オレはあんま好きじゃない。なんだ、オレには消えてて欲しい事情でもあるのか?」

 マスターの指示なら従うぜ、とまっすぐに向けられた視線。

 皮肉で言っているわけではない。セイバーは本気で、それはマスターとしての指示かと問うている。

 そのまっすぐな視線に、士郎は苦笑で返す。

「いや、そういうワケじゃない。ただ、その鎧姿で街を歩くのは目立つなーって話さ。こんな時間だし、人通りも少ないから平気だとは思うけど。それに、セイバーが嫌がるコトはなるべくしたくないし」

 警察に見つかったら、なんて思わないことはないが。ちょうど凛は交番などを見事に避けて通り、士郎たちに配慮してくれている。

 万一見つかった時には遠坂がなんとかしてくれるだろう、なんて士郎は丸投げしてみる。

「……あと、俺のことをマスターって呼ぶのは遠慮して欲しい。俺はそんな器じゃないよ」

 続けざまに放たれた士郎の言葉に、セイバーはぽかん、と口を開いた。

 なにやらセイバーとしてはこんなことを言われるのは意外だったらしい。士郎にしてみればセイバーと会話を交わし、『マスター』だなんて呼ばれる度にむず痒さを感じていたものだが。

 なんで考えている士郎を、前を歩く凛が笑った気配がした。いや、確実に笑った。ほんの少し肩が震えたし。

「んじゃー……なんだ。なんて呼べばいい?」

「俺の名前は衛宮士郎って言うんだ。士郎とでも、衛宮とでも好きに呼んでくれ。名乗り遅れてすまない」

 本当なら出会い頭に名乗るべきなのだが、そんな暇は一切なかったし。出会って一時間ほどでようやく名乗るだなんて、奇妙な仲だと士郎は改めて思う。

「エミヤシロー、エミ……んんん」

 数度繰り返し、咳払いを挟んだり。ほんの少し頰を赤らめている辺り少し恥ずかしいんだろうか。士郎はそんなこと微塵も気づいていないけれど。

「じゃあシロー、で。それで満足か?」

「ん、じゃあそれで」

 シロー。外国人の口には難しいのか、ほんの少し間延びした響き。

 恥ずかしくないわけではないけど、マスターと呼ばれるよりマシだなあ、なんて。

 

 むず痒さを覚える会話を繰り返すのち、冬木の大橋が見えてくる。

 

 冬木教会まで、あと少し。……大きな橋を見てセイバーがえらくテンションが上がっていたのは、また別の話。

 

 ◇◆◇

 

「で、冬木の神父さんが聖杯戦争について詳しい、と」

「ええ、ここのエセ(、、)神父が。一応あいつ、聖杯戦争の管理者だから」

 言いながら、教会の扉へ手をかける凛。重たい扉を引き開けると、士郎たちを待ち受けていたのは無音だった。

 祭壇へ真っ直ぐ続く長い廊下。それを挟むように、左右対称に椅子がズラリと並んでいる。

 そして教会を支配するのは静寂だ。張り詰めるような無音は、士郎の心拍をほんの少し加速させる。

 思わず、息を呑む。隣に立つセイバーも士郎と同じく、この雰囲気はあまり得意ではないらしい。士郎とほぼ同時に、息を呑む音が聞こえた。

「……再三の呼びかけに応えぬと思えば、どういう風の吹き回しか……随分と面白い客を連れてきたものだな、凛」

 そして、その静寂を割いたのは男の低い声。

 声の主は、祭壇の前で聖書を片手にこちらを見つめている。

「相変わらず嫌味ね、綺礼。この七人目のマスターはかなり未熟だから、色々教えてやってちょうだい?」

 綺礼と呼ばれた男の底の見えない表情、相手を見透かすような声、その仕草────

 

 ────全てを見て、士郎はコイツが苦手だと理解した。

 

「そうか、君が七人目のマスターか……名をなんという?」

「……士郎だ。衛宮士郎」

「衛宮、士郎……」

 なにやら士郎の名前を復唱し、くつくつと笑い始める綺礼。

 この様子を見てセイバーが拳を握りながら一歩踏み出したが、手を伸ばすかたちで士郎が即座に制止した。

 

『……なんで止める。シローも不快に感じてるんだろ? なら一撃でも殴り飛ばしてやるべきだ』

 

 途端、士郎の脳内に響くセイバーの声。

 凛からここに来る途中に、サーヴァントとマスターは念話という特殊な機能が使えると聞いたものだが。とても奇妙な感覚で、一瞬士郎は戸惑いを覚える。

 どう返したものか。迷った挙句、士郎は首を横に振るだけで応えてやると、

「俺の名前がどうかしたのかよ」

 自分から問いかけを投げ、視線だけでセイバーに手を出すなと指示をした。

「すまない、なんでもないさ。……それで、教えるといっても具体的にどこからというのかね?」

「待った、俺はそもそも聖杯戦争とやらに参加するとは言ってないぞ」

 綺礼からだけでなく、セイバーと凛からまでも士郎に視線が突き刺さる。

 セイバーは目を見開き、何か言いたそうに口をまごつかせているが気にしてはいられない。視線は目の前の、いけ好かない神父に向け続けなければ。

 ほんの少しでも目を離せば、相手に気を許せば、取り返しのつかないところまで入り込まれる気がするのだ。

「……なるほど、これは重症だ。しかし衛宮士郎、良いのかな? 聖杯戦争(コレ)は君の願い────理想にも、通づるものがあると思うのだが」

「────理想」

 理想。衛宮士郎の、理想。

 正義の味方になること────衛宮切嗣の、跡を継ぐことだ。

 しかし、その理想を何故コイツが知っているのか。

「ロクでもない願いを掲げた魔術師が、人を殺すのを躊躇わない魔術師が、願望機をかけてこの街で戦う。この戦争は名ばかりではない。本物の戦争だ。君はそれを見過ごせるのかな……?」

 奥へと響いていくような声。

 戦争。ロクデモナイ願イ。人を殺すのを躊躇わないような、人間たち────。

 

「おいクソ神父。黙って聞いてりゃ偉そうに、なにウチのマスターに吹き込んでやがるんだ、あ?」

 

 そんな思考に、割り込む声があった。

 ふと、視線を声の方へ向ける。声の主であるセイバーは眉間にしわを寄せ、いつの間にか剣を呼び出し、綺礼の眼前へと構えていた。

「確かに聖杯戦争に参加しねえとか、ふざけたこと言ってんなって思わないことはない。けどこのままテメェに任せちゃ、シローが良からぬ方へハメられる気がする。あとはオレが話をすっからテメェはお払い箱だ。じゃあな」

 言って、セイバーが強引に士郎の手を取り歩み出す。ため息を吐く遠坂の横を素通りして、教会の出入り口へ。

「お、おいセイバー……!!」

 士郎の制止の声すら聞かず前へ、前へ進んでいく。

 そんな焦った様子でも士郎は、心の中で綺礼の言葉を反復していた。

「喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

『君の願いは、ようやく叶う』『人を躊躇わず殺すような』

 

『君は、放っておくことができるのかな?』

 

 思い出すのは数年前の大火災。名前を無くし、記憶を無くし、そして衛宮士郎となったあの日のことだった。

 覚えているのは、ただ熱かったことと、たくさんの命が朽ちて行ったこと。そんな中で俺だけが生き残ってしまったのは、きっと何かの間違いだったんだ。

 けれど、間違いだったとしても、俺はまだ生きている。たくさんの命の上に立ち、そして今も生きている。

 まだ何かを果たすはずだった命。果たす直前だった命。何か夢を、目的を、生きる動機を持った命の上に立っている。

 なら俺は、何か果たさなければいけない。この命は切嗣に、他の被害者にもらった命なのだから。

 

『────正義の味方に、なりたかったんだ』

 

 だからあの言葉は、俺にとってとても嬉しいものだった。

 誰かに生きる目的を託してもらえる。誰かに認めてもらえる。他ならぬ、衛宮切嗣に。

 

『なら俺が、代わりになってやるよ。爺さんの夢は────』

 

 ◇Interlude out◇

 

 教会を出て、無音が士郎とセイバーを迎え入れる。

 外も大して教会の中とは変わらないが、教会の中よりはよっぽどマシだった。

 涼しい夜の風を受けながら、セイバーは士郎へと振り返る。

 その眉間にはシワがより、やはりさっきの士郎の言葉を気にしているようだった。

「セイバー」

 何か言われるより先に、士郎がセイバーへ投げかける。口を開きかけたセイバーは面食らい、思わず黙ると視線で話の続きを促した。

「やっぱり、俺は聖杯戦争に参加するよ。協力してくれるか? セイバー」

 士郎に向けられる視線は怪しげだ。しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。掴まれていた腕を振り払い、歩み寄り、距離を詰めるとまっすぐにその目を見つめてやる。

「なんだシロー、あのクソ神父に誑かされたか? 確かにシローが聖杯戦争に参加しねえって言うのは困る。けど、あんな奴の言葉で参加するってのは────」

「違う」

 セイバーの言葉を両断する士郎の言葉。

 確かにあの言葉がなければ聖杯戦争に参加する気にはならかったかもしれない。

 

 けれど、

 

「今起こってる新都でのガス爆発とか、諸々が聖杯戦争のせいだとしたら。俺がランサーにやられたみたいに、何もできないまま死ぬ連中が増えるとしたら……それは、俺が見過ごしていいことじゃない。俺は、正義の味方になりたいんだ」

「正義の、味方……」

 

 目の前で命が踏みにじられるのは耐えられない。あんなにいとも簡単に殺されていいものじゃない。

 

「でもそのためには、俺ひとりの力じゃ無理なんだ。朽ちなくて良い命が枯れるのは、もう嫌だ」

 

 しかしそれはひとりでは無理だ。だから、セイバーに手を差し伸べる。

 

「協力、してくれるか?」

 

 流れで決定した契約を、もう一度。しっかり手を差し伸べて、頭を下げて。

 

「……ま、オレもひとりじゃ聖杯戦争を勝ち抜けねぇ。協力しない理由はねーよ、頭上げてくれ」

 

 言って、セイバーは士郎の手をとる。視線をあげた先には、セイバーの嬉しそうな笑みが待ち受けていた。

 

「よろしく頼むぜ、マスター」

 

 ここでようやく、二人の願いをかけた戦いが始まる。

 そんな二人を、茶化すように眺める人影があった。

「なあんだ、私が貫入しなくても解決するんじゃない。これで私たちは敵同士ね?」

 意地悪げな笑み交じりの、凛の声。対する士郎はほんの少し凛の言葉は不満なようで、唇を尖らせた。

「敵同士って……俺は遠坂と戦うつもりはないぞ?」

「なんでよ。聖杯戦争に参加するんでしょう? それなら敵同士。私のことは、倒さなくちゃならない」

「それこそなんでさ。別に嫌いな相手ならまだしも、俺は遠坂のこと好きだし」

「────────」

 二人のやりとりを聞いて、思わず吹き出すセイバー。まあ無理もない、流れるように告白されたようなものなわけだし。凛が顔を真っ赤にしてわなわなと肩を震わせるのも仕方ない話だ。

 なんとも和やかな、暖かいやりとり。しかし、

 

「ダメだよ、お兄ちゃん。そんな甘いこと言ってちゃ」

 

 そんな空気を、切り裂く声がした。

 あたりに響く、鈴のような少女の声。声の方へと視線を向けると、教会へと上る坂────教会へと続く唯一の道の途中に、声の主はいた。

 

「楽しいことしてるね。私も混ぜてよ」

 

 白い髪を揺らす、ひとりの少女と。

 異彩を放つ、大きな影が。背筋が震えるほどの、大きな影が────。




綺礼も絶対苦手だわな、って話。シロウにも拒否反応起こしてたし……あとセミ様。


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第4話 『動揺、初戦』

「君は────」

 夜風に揺れる白い長髪。怪しく光る赤い瞳。それから、人懐っこい笑みが特徴の少女。

 士郎には心当たりがあった。

 

『早く呼ばなきゃ死んじゃうよ、お兄ちゃん』

 

 つい先日、彼女とは道ですれ違い、意味深なことを言われた記憶がある。

 呼ばなきゃ死んじゃう……あの時は意味がわからない言葉だったが、今ならしっかりとわかる。

 

「君も、マスターだったのか」

「うん、そうだよー。私の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤって呼んでね、シロウ」

 

 シロウ、と訛り気味に、人懐っこそうに呼ぶ声。

 可愛らしいのだが、彼女の背後には異様な影が立っている。威圧と魔力を感じるその影は、サーヴァント。魔術に疎い士郎ですらも理解できる。

 

 ────彼女のサーヴァントは、桁違いだと。

 

 士郎を庇うように立つ、好戦的なセイバーですら相手を警戒し、睨みつけている。いつの間にか兜を被り、剣を握る手には力がこもり、異様なまでもの殺気を放っていた。

「おいシロー、アイツとは知り合いなのか?」

「……いや、一度すれ違っただけだ。面識はない、はず。なのに、なんで名前を知ってるのか……」

 日本のプライバシー管理システムはどうなってるんだ、なんて異論を申し立てたいところだが今はそんな状況ではない。

 小首を傾げる士郎に変わって、隣の凛が鼻で笑い、

「馬鹿ね、衛宮くん。相手だって魔術師よ? マスター候補の名前やら個人情報を何処から持ち出してきてても不思議じゃないわ。私としては、衛宮くんに目をつけていたことの方が意外だけど」

 なんて呑気なことを言いながらも、凛は今もイリヤから逃げ出す方法を探している。

 凛としても、ここでイリヤとまともにやり合うのは得策ではないと判断したらしい。しかしそんなポーズを目の前で取られて、イリヤは黙っているわけがなかった。

「無駄話はもう終わり。少し、残念だけど────」

 

 動き出す。

 空気が、死が、異様な影が。ゆっくりと、音を立てて動き出す。

 リボルバー銃が回転するように。引き金が、徐々に引かれていく感覚。

 

「────やっちゃえ、バーサーカー」

 

 引き金は、そんな簡単な言葉だった。

 弾丸のごとくバーサーカーと呼ばれた影は飛び出し、一瞬で士郎たちとの距離を詰めてくる。

 

「────らァ!!」

 

 セイバーも黙ってはいない。士郎の指示も待たずに飛び出すと、高さの有利を利用してバーサーカーに向かって落下していく。

 瞬間、火花が散った。

 バーサーカーが持っている大きな岩の塊のような剣と、セイバーの剣が激突したのだ。

 セイバーの勢い、そして高低差を利用してすらもバーサーカーはセイバーの剣を難なく受け止めている。

「っそ、この……!」

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

 巨影が吠えた。目の前でその咆哮を喰らったセイバーは表情を歪め、地面を転がりバーサーカーの間合いから抜け出す。

「っるせーんだよ畜生が!!」

 悪態を吐くセイバーに、打撃が降る。寸でのところで回避すると、坂道の脇────そこに生い茂る森の中へと駆け込んだ。

「セイバー!!」

 駆け抜けていくセイバーの背中と、それを追うバーサーカー。

 思わず士郎は叫びながら、どうするべきかと思考を回して。

 迷ってる間に足だけは動いていた。考える前に動き出してしまうのは士郎の悪い癖だと、士郎自身理解している。

「まって、衛宮くん」

 しかし凛は、そんな士郎の行動を許さなかった。

 肩を引っ掴むと振り向かせ、まっすぐに士郎の目を睨みつける。なまじ美人なせいで、迫力は充分だ。

「追いかける気なの? セイバーは貴方を巻き込まないようにって、向こうの道に逸れたのよ?」

「……わかってる。でもそういうワケにいくか……セイバーを放っておけない。この身体がある以上、俺にも何かできることがあるはずだ」

 数歩気圧されつつも、士郎は譲らない。

 睨み合うこと数秒。遠くで剣と剣がぶつかり合う音が聞こえるだけの時間が続き、

「あーもう、わかったわよ。勝手にすれば? でも、私もついて行くことが条件だから! いい?」

 先に耐えかねたのは凛の方だった。仕方ない、とばかりにため息まじりに何度か首を振ると、士郎の背中を蹴飛ばして。

 

 ほら、行くんでしょう? とばかりの視線に駆られ、士郎は森の中へと駆け出した。

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 一撃一撃が重い。

 遮蔽物のない場所で戦っては不利かと思い墓地に逃げ込んだものだが、状況は別に好転してくれなかった。

「っ、づ、あ────!!」

 受け止める度に地面が沈むほどの剣撃。ステータスも大して悪くないセイバーでさえ、受け止め続けるのは困難と言える。

 受け止めた剣を滑らせ、蹴りを交え、ソレを遊ばせることでなんとか誤魔化す。

「せ、ァ!!」

 大きな隙がようやく生まれた。バーサーカーなどと名乗っている癖に、ここまで巧いとは何事か。

 懐に潜り込むと剣を構え、地を抉りながらの斬り上げ。しかし、

 

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

「ン、だと!?」

 

 その斬撃は、鋼鉄に弾かれたようにバーサーカーの身体には通らない。

 腕にまで衝撃が響き渡り、今度はセイバーが隙を生む。それに滑り込ませるように、岩のような大剣がセイバーの身体を貫いた。

「は、ぁ……ッ!」

 なんとか受け身を取りながら、地面を転がって行くセイバー。兜の下に隠された顔は苦痛に歪められている。口の中が血の味がする。

 

 ────これが、聖杯戦争。

 

 一筋縄ではいかない。これが、英霊達の集大成。

 剣を支えに、セイバーは立ち上がる。

 呼吸が荒い。痛みで整えられそうにもない。

 しかし、このまま引き下がるワケにもいかないのだ。この身はかの王の息子だ。こんなところで、負けて引き下がるワケには────

 

「セイバー!!」

 

 沸騰する思考に、士郎の声が響いた。

 落ち着かせてはくれたものだが、彼もかなり肝が座っているものだとセイバーは思う。まあ、こうなる気はしていたのだが。

「シロー……なんで来やがった、帰れ、だとか言わねえよ。そこで見てろ。オレが、どんだけ強い英霊か見せてやるからよ────!!」

 言って、駆け出す。魔力でブーストした脚力にモノを言わせた、一直線の突撃。

 振るわれた剣は再び受け止められ、鍔迫り合いが始まった。今度は何とか力で押し通し、バーサーカーの巨大な剣を、地中に埋め込むことに成功する。

「お、ら、ァ!!」

 埋め込んだ剣を踏み潰し、その勢いで強烈な蹴り。

 

 ────受け止められた。

 

 続けざまに拳を振るい、回転を殺さぬまま剣で斬りつける。

 

 ────躱された。

 

「ちく、しょ……!!」

 その事実が、見抜かれているという事実が、セイバーの心に焦りを生む。

 焦りは剣先に迷いを生む。まるで、あの父(、、、)と対面しているようだった。

 

『そんな剣では、私を斬ることはできまい』

「うるせェェェ!!」

 

 振るう、振るう、振るう。その悉くを躱されて、今度はセイバーが守りに回る番だった。

 躱しざまに振るわれる、巨大な拳。それが胴体を貫き、思わずセイバーはたたらを踏む。

 ふらつきながらも構えた剣は手放さず、第二撃は何とかその剣で受け止めた。

 

「くそ、くそくそくそくそくそ!!」

 

 兜の下から血反吐を吐き出し、セイバーは怒りに声をあげる。

 それでもバーサーカーに剣は届かない。降り注ぐ攻撃は止んでくれない。

 剣が弾かれた。それでも手放さない。構えた剣は遅く、拳は兜にぶち当たった。

 

 脳に響く鈍い音。視界が晴れる。

 

 セイバーが目にしたのは、宙を舞う兜と、迫り来る巨大な剣。

 

 次の瞬間には一瞬視界が暗転し、自分の体が吹き飛ぶ衝撃で意識を取り戻した。

「おいセイバー、だいじょ……」

「見てろ、っつってんだろ……オレは平気だ。まだ戦えんだよ」

 それでもまだ立ち上がる。解けた髪が鬱陶しい。

 霞む視界には、バーサーカー(アイツ)のマスターが見える。あの少女ですらセイバーを見下し、嘲笑っている。

 

 気に食わない。

 

「セイバーって、女の子だったのね」

「それが何だっつーんだよクソガキ。今に見てろ、オレがお前を殺して────」

 

 血反吐を吐き垂らしながらの悪態。しかしその悪態は、

 

「それに、私と同じ。作られた命が、紛い物が……本物になろうと足掻き続けて。無様ね」

 

 イリヤの冷たい言葉に、斬り裂かれた。

 

「何を、いって」

 

 身体が固まる。動き出さない身体が重い。

 気が抜けた。今の一瞬で致命的に隙が生まれた。

 

 マズい。

 

「▃▄▄▟▞▟▜▞▂▇█!!」

 

 今更気付いたところでもう遅い。迫り来るバーサーカーは叫びをあげ、剣を大きく振り上げている。

 

「くそがああああああ!!」

 

 終わりを悟ったその時、

 

 バーサーカーの身体は矢に貫かれ、爆発と共にようやくその膝を地に着いた。

 

 ◇Interlude out◇

 

「くそ、くそくそくそくそくそ!!」

 セイバーの叫びが辺りに響く。

 同時に士郎の胸は、焦燥に支配されていた。

 

 どうする、何かないか。このままじゃ、セイバーが殺されてしまう。

 

「どうにかならないのか、遠坂!!」

「わかってる、少し待ちなさい!!」

 

 歯がゆさを噛みしめる士郎が振り返ると、凛は何やら耳に手を当て誰かと会話している。

 

 ────念話。

 

 ここにはいないアーチャーとおそらく会話しているのだろう。しかしアーチャーはセイバーの攻撃を受けて重症のはずだ。

「いいのか、遠坂……おまえのサーヴァントに無理させて」

「そうするしかないでしょ。それに、本人がこの傷でも状況を打破するくらいならできるって豪語してんの。私のアーチャーを信じなさい」

 途端、辺りに魔力の余波が波となって打ち寄せた。

 遠坂の背後────遥か向こうに、赤い装束を揺らした男が立っている。

 

 構えているのは弓。その手に持っているのは(つるぎ)だ。

 

────I am the bone of my sword(我が骨子は捻れ、狂う)

 

 剣を弓に番える。剣は捻れ、細々く。しかしその威厳は殺されずに、矢へと変換された。

 

偽・螺旋剣(カラドボルグII)

 

 放つ。威圧を感じるほどの魔力と共に、その剣を轟音と共に解き放った。

 矢は剣を振り上げるバーサーカーの巨体にぶち当たり、そして、弾ける。

 

 地を揺らすほどの爆発音。熱さと余波にその身を揺らし、士郎は見た。

 

 敵わないと悟ったセイバーの表情。死を覚悟した、その顔を。

 

 爆炎が薄れ、その中から出てきたのは焼け焦げ、胴体に大きな穴を空けたバーサーカーの姿。

 バーサーカーは地に膝をつき、完璧に沈黙している。

 

「……おいアーチャー。余計なことしてんじゃねえよ!! あのまま行けばオレはアイツを殺せた。手柄を横取りしやがって……!!」

 

 振り返ったセイバーは、激情に任せて剣を握り、奥歯を噛み締めながらづかづかとアーチャーへ歩みを進める。

 無理もない。気持ちはわからないでもない。しかし士郎の胸には、怒りが満ちていた。

 

「セイバー。助けてもらったのにそれはないだろう」

「余計なお世話だって言ってんだ! オレはアイツを倒せた。殺せた、アイツの手なんか要らなかったっつってんだよ!!」

 

 駄々をこねる子供のように。地を踏みしめ、首を振り、解けた髪を揺らしながらセイバーは叫ぶ。

 

「オレは、オレは────」

 

 叫ぶセイバーに向かって、士郎は駆け出す。

 その心を落ち着けるためでも、抱きとめてやるためでもない。

 

「セイバー!!」

 

 士郎はセイバーを突き飛ばすと、死を覚悟しその目を瞑った。

 不思議と、痛みはなかった。ただ自分の足の感覚が消えていくのと、意識が遠のいていくのが怖かっただけ。

 ひたすら手繰り寄せても戻ってこない意識。暗く、暗転していく意識。

 

「おいシロー、シロー!?」

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

 

 士郎が最後に聞いたのは、セイバーの酷く動揺した声と、自分の先に転がって行った下半身が倒れこむ音。

 いつの間にか蘇ったバーサーカーの、勝鬨のような叫び声だった。




……バーサーカーにモーさんの剣通らないんすよね。思ってたよりランクが低くてめちゃくちゃ動揺しながら書いてました。
まぁ結果アーチャーに無理してもらうことに。頑張ったね、アーチャー……。


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第5話 『ご機嫌と、真名と』

 風が吹いていた。

 血の匂いを孕む、ほんの少し悲しげな風。

 見渡す限りの死体の山だった。そこはほんの少し高さがある丘だが、死体が山積みになりさらに高さを強調している。

 そこに、少女が目を見開きながら膝をつく。

 貫かれた腹を抑えながら、必死に命にすがりつくように、手を伸ばして。

 

「父、上────」

 

 届かない。最後に伸ばした手すら、届かない。

 ただ一度くらいは、その身体に触れてみたかった。貴方を守る騎士としてではなく、ただひとりの息子として。

 

『貴公を王とは認めない』『オレを息子だと認めないと言うのか!!』『そう、貴方は▇▇▇の息子────彼を壊すために、この国を、』『オレは、アンタの────』『何でだ、何で認めてくれないんだよ!!』

 

『そうか……オレが円卓の末席である理由が今ようやくわかった…… 』

 

 目を覚ます。鼓膜を揺らす鳥たちの呑気な鳴き声と、瞼を焼く朝日がすごく印象的だった。

 瞼をこすり、体を起こす。身体は倦怠感が支配していて、ほんの少し口の中には血の味が残っている。

 腹の辺りはグズグズにされたように気持ちが悪く、あまりいい目覚めとは言えなかった。

「目は覚めた、衛宮くん?」

 聞きなれた声がする。未だ霞む視界を少しズラしてやると、黒髪のハーフツインテールが不満げに揺れているのが見えた。

「……遠坂?」

「ええ、遠坂凛です。それから貴方のセイバーもいるわよ」

 指をさされ、反対側に視線を向けてやれば不貞腐れているセイバーが見えた。鎧姿ではなく、露出の多いインナー姿の。

 視線が絡んだ途端、セイバーは士郎から目を逸らす。何かやましいことでもあるんだろーか、と小首を傾げたところで、

 

「────あ」

 

 身体が切り裂かれる感覚。徐々に死へと近づいていく意識。

 自分の頰に触れる血だまりの感覚。自分が死の海へと落ちていく感覚を、思い出した。

 

「……どう、思い出した?」

「ああ、思い出した。また死にかけたんだ、俺」

 なんて呑気にのたまう士郎に、凛は大きなため息を吐く。

 そんなやりとりの間にセイバーはいつの間にか士郎の背後に立っていて、苦笑を浮かべる士郎を見下ろしていた。

「……どうかしたか、セイバー?」

 振り返り、見上げ、士郎はセイバーに問いかける。

 ほんの少し泳ぐ視線。しかしここは引けない、とばかりに数秒呼吸を繰り返すと、その場に座り込んで。まっすぐに士郎を見つめながら、セイバーは問いを返した。

「なんであんなことしたんだ」

「セイバーが放って置けなかったからだ」

 即答だった。悩むことなんてない。

 セイバーが死んでしまいそうだから、その身を呈して助けた。飛び出すのに躊躇いなんてものもない。

 目の前で誰かが死ぬのはもう嫌だった。自分の命ひとつで助かるなら、と。

「死にかけたんじゃなく死んだんだぞ、シロー」

「それでもだ。俺はあまりキミを戦わせたくない。ああやって傷ついて、苦しむくらいなら……俺が犠牲になった方がマシだ」

 話は平行線だった。とうとう耐えきれなくなったセイバーは士郎の胸ぐらを引っ掴むと怒鳴りつけるように。

「戦わせたく、ない……? ふざけんな、嘗めてんのか()()()()。オレは、戦うための道具で────!」

「やめなさいセイバー! 貴女が言いたいことも気持ちもわかる、けど衛宮くんは怪我人よ? それに、あのまま衛宮くんが飛び出さなかったら私たちは全員死んでたのも事実なんだから」

 見かねた凛が仲裁に入る。殴りかかる勢いだったセイバーは口元を歪ませ、ゆっくりと士郎の胸ぐらを離し、その場に腰を下ろして大きなため息を吐いた。

「……衛宮くんも、バカなことを言うのはやめて。私はもう学校に行くから、ちゃんとゆっくりしてるのよ?」

 ため息を吐いたのはセイバーだけじゃない。凛までも大きくため息を吐いて、踵を返すと部屋から出て行った。

 ここから先は私が貫入すべき問題じゃない、とばかりに首を大きく横に振る。確かにここからは士郎とセイバーの問題であり、凛が貫入してどうこうしていいものではないだろう。

 凛が消えた部屋に、沈黙が流れる。ため息を吐いたのはセイバーだ。

 呆れているのではない。自分の落ち度も認めているからだ。

 士郎があそこで飛び出したのは正解とは言えない。けれど、同じくらいに、あそこでのセイバーの振る舞いは正しくなかった。

 オレは多くの戦場を乗り越えて来た騎士だ、あの程度で心が揺らぐわけにはいかない、と。セイバーは奥歯を噛み締め、拳を握る。

「……今日はガッコーとやらに行くなよ、シロー。身体が治りきってねえんだから」

 背中を向けて、襖に手をかけた。

 これ以上今の士郎と話しても状況を悪化させるだけだ。そんなことは士郎もわかっているはずなのに、

 

「待ってくれセイバー。俺、出かけたい場所があるんだけど……付き合ってくれないか?」

「……………………はぁ?」

 

 士郎は意外な言葉と共に、士郎は立ち上がり着替えを手に取った。

 

 ◇◆◇

 

 暖かい日差しを受けながら人影が行き来している。

 新都と呼ばれ人々に親しまれているそこには、今は人通りが少ない。仕事中と思われるスーツ姿の青年たちと、学校をサボったらしい制服姿の学生がちらほら見えるくらいだろうか。平日の昼なわけだし、仕方ないと言えば仕方ないんだが。

 

「いやホント……バカだろお前」

「……む。座るなり何なり、早々にバカとは何だ」

 

 そんな新都の一角、カフェのテラス席に士郎とセイバーはいた。

 士郎は制服姿ではなく私服姿。対するセイバーはというと、鎧姿でも鎧の下のインナー姿でもない。

 ニーソックスとデニムのホットパンツに赤いダッフルコート。コートの下には黒いTシャツの襟が覗いていて、一目だけではサーヴァントには到底見えっこない。

 というのも、ここに来る前に士郎がセイバーへのプレゼントとして購入したモノだ。セイバーは戸惑いはしていたものの、何も言わなければ士郎のセンスに決められる、とわかった途端に乗り気になったとかそうでないとか。

「いやいや、バカに決まってんだろホントよ……学校いくなっつったら出かけんのに付き合えとか。マスターとしてこう、外出控えるとかそういう気にはなれねェのかよ?」

「なれない。それに、セイバーも現世を見て回りたいだろ? 鎧のまま外で歩くわけにもいかないからこの買い物は必要だったし、今日は卵のセールでな。おひとりさまひとつまでって条件付きだから、セイバーと出かけると得をする」

「いやそういうコトじゃなくてよ……」

 微妙に会話が噛み合ってない。今日は桜も藤ねえも、朝も夕方も部活があるらしくてな、なんて苦笑する士郎には、マスターとしての自覚は一切と言っていいほどなさそうだ。

 聖杯戦争に参加するマスターとしての自覚。自分は、常に命を狙われてるのだという自覚が足りない。

 しかしまあ、自覚を持ちすぎて引きこもりすぎるのも良くはないのだが。

 ともあれ、

「まあオレも、こうやって色々見て回れたのは嬉しいっちゃ嬉しいんだけども。なんか癪だな……」

「そうだろ? だからその、」

 満更でもないようなセイバーの表情に対し、士郎は口をもごつかせる。

 なんて言っていいのか迷ってるのだろうか。何かを伝えようとしているのはセイバー自身にも伝わっているし、とりあえずは言葉の続きを待ってみた。

 

「……その、なんだ。ここの食事と、その服で機嫌を直してくれ。このままセイバーと上手くいかないってのは、俺としても正直痛い」

 

 待ってみた、のだが。

 

「………………ぶ」

「ぶ?」

「ぶ、ふ……はは、はははは! マジか、マジかよシロー!」

 

 士郎の言葉に、セイバーは思わず吹き出した。

 机をバンバンと手のひらで叩きながら腹を抱えて笑いだしたセイバーと、ひとり困惑する士郎というかなりシュールな図。周りの客も店員も、何やら微笑ましいものを見た、だなんて言いたげな生暖かい目で士郎たちを見つめている。

「……なんで笑うのさ」

「いや、いやだってよ、ひとりの英霊を食いモンと服で(ほだ)そうとするやつとか……っく、ふふふ、初めて聞いたぞ!!」

「ばか、絆そうとしたワケじゃない。これでも一応誠意は込めてだな……」

「わかったわかった、わかったよ。誠意は込めてんのな……オレもシローと険悪ってのは嫌だ。いいぜ、これチャラってことにしよう」

 なんというか馬鹿馬鹿しくなってしまった。怒ってても仕方ないだなんて思う日が来るとは、セイバー自身思わなかっただろう。

 笑いで上がった息を整えつつ、セイバーは目の前のカップを手に取った。

 確か、中身は『チョコレートモカフラペチーノのクリームベース』だったと士郎は記憶している。それからホイップ多めと、チョコレートソースもかけていたはず。それでいて石窯フィローネとアメリカンスコーンまで食べるんだから、よくもまあ甘いものと一緒に食べれるな、なんて感心してしまう。

 

「……それで、だ。セイバー?」

 

 感心しつつも、緊張やら羞恥やらで乾いた唇を抹茶ラテで潤わせる士郎。思った以上に襲ってきた甘さに眉間にしわを寄せつつ、とうとう本題を切り出した。

「教会で言ってたろ、俺に聖杯戦争のこと教えてくれるって。教えてくれ」

「ここでか……んやまあ、怪しい人影は居なさそうだし。別に構いやしねーけども」

 咀嚼していたフィローネを嚥下して、辺りに視線をやるセイバー。魔術師は基本人目につかない夜に活動する、と凛が言っていたし。大丈夫だろ、なんて判断したのかもしれない。

「まずはそうだなあ……ざっくりだけど英霊の話はしたし、次は令呪の話でもすっか」

「……令呪。確か、遠坂もなんか言ってたよな。貴重だとか、なんだとか」

 色々と濃い夜を過ごしすぎてあやふやだが、昨日の夜の出来事だったと記憶している。

 士郎の言葉にセイバーは頷いて、士郎の左手の甲をそっと指さした。

「そこにある、刺青みたいなモンな。それは、オレたち英霊────サーヴァントに絶対服従の命令を下せる権利みたいなモンだ。ソレは三画しかなくて、まあ……三回限定のなんでも言うこと聞く券、みたいな」

「なんともまあふわふわとした……」

「仕方ねえだろ、わかりやすくしたんだから。令呪でくだす命令は明確であればあるほど、効果を強く発揮する。たとえば、この店だけを壊さずに戦え……とかな」

 一瞬苦笑いを浮かべた士郎だったが、セイバーの言葉を聞いていくウチにその表情も引き締まる。

 

『貴重な令呪を一画使っちゃったんだから────』

 

 脳裏をよぎるのは衛宮邸での一幕。凛の怒った表情まで思い出し、思わず口元を歪ませる。

「……悪いことしちまったな、遠坂に。ホントに貴重なんじゃないか」

「あー……別に良いんじゃねえの。本人があんま言ってこないんだから気にすんなってことだろ?」

 なんともまあ無責任な発言だ。ずぞぞ、とフラペチーノを啜りながら言うもんだから余計に。

 セイバーの中ではそれっきり凛の話題は終わってしまったらしく、「それで」なんて前置きをして、

 

「令呪やら英霊(オレたち)を上手く使って他のサーヴァントを倒し、マスターを脱落させ、聖杯を目指すってのがこの戦争の概要だ。ソレを生き抜くに当たって、知っておかなきゃいけない概念が二つある」

 

 士郎の目の前に、二本の指を立てた。

「ひとつは、〝宝具〟の概念。宝具ってのはオレたち英霊の元となる、神話や逸話を具現化した最終兵器。必殺技みたいなモンだ」

「必殺技、か。撃てれば必ず勝てる、みたいな?」

「必ずとは言い難いけど……撃ったからには勝たなくちゃならねえ。なんでかって言うのが、知っておかなきゃならない概念の二つ目になる」

 立てた指の一本を折りたたみ、セイバーは「まあオレにかかれば宝具撃って負けるなんてことあるわけねえんだが」、なんて鼻高々に語る。抹茶ラテを啜る士郎は密かに感心しながら言葉の続きを待ち、

 

「二つ目は真名。その英霊がどこの誰かってコトだ」

 

 放たれた言葉に、士郎は目を見開いた。

 今朝見た夢。あまり心地の良くないものだったそれは、おそらくセイバー自身の人生の全て。ひどく苦く、痛く、血に濡れた人生の全てだ。

「まずオレが誰かって話なんだが────」

「……円卓の騎士、モードレッドだろ?」

 セイバーより先に口を吐いた、セイバーの真名。セイバーの反応はというと軽く目を見開いただけで、

「……なんだ、知ってたのか」

 対して驚くこともなく、つまんねーなんで言いたげに唇を尖らせた。

「知ってた、というより今朝知った。夢で見たんだ……セイバーのこと、色々と」

「夢ときたか。契約してると、そういうことがあんのかもしれないな。別に意外じゃねーよ」

 軽く怒られるか、ほんの少し嫌がられるかなんて身構えたものだが、軽く肩透かしを食らった士郎。

 それっきり、二人の間に数秒の沈黙が続く。なんとなくこれ以上、彼女の人生に踏み込んではいけない気がしたのだ。セイバーもセイバーで、それに関して何も言わないものだから少し気まずい。

 そんな気まずさを感じてか、セイバーが咳払いをひとつ挟む。セイバー自身も同じものを感じていたのか、話を再開した視線は自分の掌に向けられていた。

 

「で、宝具を撃つと真名がバレちまう。武器や逸話の真名を解放することが条件になってるからな。……真名がバレるってのはかなり痛い話だ。有名なヤツであればあるほど、その逸話、神話に弱点なんかが載せられてたらいい的になっちまう」

 

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 

 カフェの店内を、様々な人影が行き来している。

 店員にしても男女と別れ、年齢層も振れ幅が広く。客と言っても、時間を持て余したサラリーマンから育児の大変さを零す母親の集団、エトセトラエトセトラ。

 人の流れが静かに波打つ中、ひとりの女性が足を止めた。

 暖房の風が揺らすのは薄い青色をした長い髪。視線は、窓の外に見えるテラス席だ。

 テラス席には寒さからかあまり人がいない。男女のカップルがひと組と、音楽を聴きながらパソコンのキーボードを打ち込んでいる男がひとりだけ。どうやら、女性はカップルの方を見つめているようだった。

 

「オレが誰かって話なんだが────」

 

 瞬間、女性の口元が笑みに歪む。

 新しいオモチャを見つけた、面白いものを見た、愛おしいものを見た、面白いものを聞いた、愛おしい声を聞いた────様々な感情が入り混じり、複雑化された気味の悪い笑みだ。

「へぇ、騎士モードレッド」

 女性の口は、小さな音で言葉を紡ぐ。

 彼女の名を、決して忘れないように、刻み付けるように。何度か反芻してから、満足そうに頷いて。

 

「可愛い顔をしているのね……楽しめそう」

 

 ほぅ、と熱のこもった息を吐き、途端。

 次の瞬間には、カフェの中から姿を消していた。

 青い髪の女性を見た者は居ない。誰ひとり、唯一人も。

 そこには、ほんの少しの、誰も気づけないほどの僅かな魔力の残滓が漂っていた。

 

 

 

 ◇Interlude out◇




もっと書きたいんですけどパールヴァティ実装とバイトのせいでそれどころじゃない……主に前者……桜あああああああ!!


間桐桜のことに関しちゃもう筆者は病気レベルなので。HF映画めちゃくちゃ待ってました。

最近色々な方が誤字を訂正してくれて助かってます……ホントありがとうございます。気付かなすぎる


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第6話 『戦わせない、その理由』

『協力、してくれるか?』

 自身の手を差し出しながら、士郎が言った言葉。

 あの時、あの瞬間、士郎とセイバーの聖杯戦争が始まった。

 

「聖杯戦争ってのは────」

 

 しかし早々に、士郎の決意は揺らいでいる。

 抹茶ラテを飲みながら、士郎は眉間に皺を寄せて。吐いた溜息はラテに反射して、暖かい空気が返ってきた。

 

『俺は君を、あまり戦わせたくない』

 

 起き抜けのアレは寝ぼけていたわけでも、冗談で言ったつもりもない。

 怖くなってしまったのだ。目の前で彼女が傷つき、奥歯を噛みしめる様を見ているだけで、心が痛んだ。

 自分から頼んでおいてなにを、と思われても仕方がない。しかし、嫌なものは嫌なんだから仕方ないだろうと士郎は思考の泥沼にハマっていく。むしろ、士郎自身が一番困惑しているほどだった。

 セイバーの言葉を聞くに、どうやら士郎だけではこの聖杯戦争を勝ち抜くことは難しいらしい。自分だけで聖杯をロクなことに使わない連中を止めて、どうにかできるならその方がいいと思う。

 けれど士郎は、勝てない戦いに進んで挑むほど無謀ではなかった。だからせめて、自分が戦う術を得るまでは、と。

 

『戦わせたく、ない……?』

 

 ……違う。理由はそれだけじゃない。

 戦わせたくない。そう告げられた、セイバーの表情は、

 

『貴公を王とは認めない』

 

 夢で見た、自分の父親であるアーサー王に突き放された時の表情と酷似していたのだ。

 戦わせない。その事実が、彼女を壊してしまうような気がして。

 

 彼女を戦わせたくはない。

 彼女を悲しませたくない。

 

 しかし、聖杯戦争を勝ち抜くには彼女の力が必要だ。

 

 士郎の心に、蟠りが生まれていく。

 思考の中にどろり、どろりと。どす黒く、粘っこい泥が、溢れていく────。

 

 ◇◆◇

 

 両手にぶら下げられた買い物袋を見下ろして、士郎は満足げに笑みを浮かべた。

 場所はいつもの商店街、マウント深山。陽も沈み始め、士郎とセイバー以外にも買い物にきた沢山の人影が見て取れる。

「にしてもやるなあ、シロー」

 唐突に投げかけられた言葉に、士郎は小首を傾げた。

 何のことかわかってない様子にセイバーは大判焼きを咀嚼しながら、士郎の様子に苦笑を浮かべる。嚥下するまでの数秒、沈黙が続いて、

「いやさ。回復手段まで用意してるとはやるなって話だよ。アイツ────トーサカ? も気づいてなかったみたいだぜ?」

「ああ」

 言われて、思わず士郎は間抜けに声をあげた。

 

 回復手段というのは昨夜のことだろう。

 

 両断された体。意識が遠のいていく感覚。血が抜けていく寒気。

 死という強大な海に、体が引きずられていくようだった。抗うことはできず、四肢は寒気と痺れを覚えて、とうとう抵抗することまで辞めてしまう。

 アレは確かに死を感じさせるものだった。体を真っ二つに両断されて、生きている人間が居てたまるか。……いや、そう考えている士郎自身がそれでいて生きているイレギュラーなのだが。

 セイバーと凛が言っていたことは事実だ。なら、何故生き延びているのか────

「俺は何も自分の体にしてないよ。そういうセイバーの方こそ、俺の体になにかしてくれたんじゃないのか?」

 本気で心当たりのない士郎は、隣を歩くセイバーへと問いを返した。

 無理もない。士郎は魔術師と呼ばれる存在ではあるのだが、その重要な魔術がからっきしだ。唯一思い当たるモノといえば士郎の父親、衛宮切嗣にあるのだが、切嗣本人が『魔術は怪我や病気を治せるほど万能ではない』と公言していたし、その可能性は潰れてしまう。

 対するセイバーは抱え込んだ紙袋から大判焼き────士郎が邪道だと言ってやまないクリーム味────を取り出して、

「いや。無自覚のウチになんかしてるなら別だけど、オレはなんもしてないはずだぜ? だとしたら尚のこと謎だな……」

 卵などが入った買い物袋を持ち直してから、眉間にしわを寄せながら小首を傾げる。

 とうとう謎は迷宮入りしてしまった。こうなれば知識皆無の士郎ではどうにもできまい。

 再び続く沈黙。セイバーは満足げに大判焼きを頬張っているし、話しかけるのは無粋というものだろう。

 

「────────」

 

 士郎たちの足音、ビニール袋が擦れる音────それから、沢山の人達の楽しそうな声が暖かく響く。

 平和な街並みだった。この街で魔術師同士の殺し合いが繰り広げられていると言われても、なまじ信じきれない程に。

 そこを歩く士郎とセイバーは、周りの人にはどう見えているだろうか。

 兄妹、恋人、はたまた夫婦か。

 この二人を、戦場を駆け抜けるための協力関係だとは思うまい。

 

 ……それほどに、セイバーは普通の女の子なのだ。

 

『オレのことは家族には隠しといた方がいい。シローの家族……フジネエ? がいる間はどっかに身を隠したりしてるから。よろしく頼むぜ』

『待った、じゃあ夕飯なんかはどうするんだ?』

『夕飯て……いやまあ食うけど。そのあとでひとりで食うから、取っといてくれ』

 

 カフェでの会話の終いに、セイバーから放たれた言葉。その言葉に士郎は、未だに引っかかりを覚えていた。

 美味しそうに大判焼きを咀嚼する姿を見て、余計にその引っかかりは膨らんでいって。

 

「そう、だよな。そんなのダメだよな」

 

 ひとり呟き、心を新たに。

 何やら頭の上にクエスチョンマークを浮かべているセイバーを他所に、士郎は帰路を急いだ。

 

 ◇◆◇

 

 場所は変わって衛宮邸。時間は陽も沈み、壁にかかった時計は夜七時を指している。

 鼻腔をくすぐるのは夕餉の柔らかな香りだ。食卓に並んでいるソレは心なしか豪華な気がする。どれも士郎の自信作であり、鼻を高くして今日は頑張ったと言える品々だろう。しかし、

 

「えっと、そういうことだから……」

 

 居間に満ちるのは痛いほどの沈黙であった。

 そこに居るのは士郎以外に、桜と藤ねえ。それから、隠しておくべきだと言われていたセイバーまでもが畳に腰を下ろしていた。

 桜と藤ねえの視線はセイバーに突き刺さり、セイバーは少し困ったようにちらりと、士郎に視線をくれている。

 正直一番居心地が悪いのは士郎であった。士郎本人が言い出したものの、まさか無言が返ってくるとは思っていなかったらしい。

 もう二分ほど経っただろうか。士郎が桜たちに、「切嗣を頼って日本に来たセイバーだ。これからウチで少しの間世話することになったから、よろしくな」だなんて、軽く紹介して────それからというものの、まあ無言が痛い痛い。あのハイテンションタイガーですら、黙りこくって夕餉に手をつけないほどだ。

 

「……し、」

 

 とうとう口を開く冬木の虎。藤ねえの目元は陰り、うまく表情が読み取れない。

 士郎がちょうど聞き返そうとしたところで、

 

「士郎が不良娘に取られちゃったー!!!!!!」

「────っ、!」

 

 ……何かが爆発したようだった。

 まさしく先程の沈黙は、嵐の前の静けさというものだったのだろう。一気に爆発した藤ねえは丁寧に食器を机の上からどけてやると、一転して豪快に机の上に足を立てる。

 同時にセイバーを睨みつけて、ついでとばかりに指を突き刺した。

「大体この子は誰なの、誰なの、誰なのよお!」

「言ったじゃないか……セイバーだよ、セイバー。切嗣の友人の娘みたいで、切嗣を頼りに外国からはるばるここに来たんだ。無下に帰すワケにいかないだろ?」

 未だ治らない耳鳴りに眉間にしわを寄せながら、士郎は先と同じ言葉を復唱する。

 大きなため息を吐きながら、ぼりぼりと頭を掻き毟る士郎。まあ、この反応は予想していたものだ。

 対する胡座をかいて座っているセイバーは、士郎と同じく頭をかきむしりながら口元を歪めていた。

 当然だろう。士郎はあろうことか、セイバーに相談すらせずにコレを決行したワケで。反応に困るのも仕方がない。

 怒鳴られるくらいは覚悟していたのだが、意外なことにセイバーは大人しく藤ねえを見上げ、度々士郎へ視線を向けている。……怒っている気配も、ない。

「大体、貴女自身も何か言ったらどうなの……えっと、せいば……セイバー? ちゃん?」

 セイバーへ投げられる質問。ちらりと向けられていた程度だった士郎への視線はとうとうしっかりと見つめるようなものに変わり、士郎は居心地悪そうに唸りを上げる。

 それから軽く手を合わせて、話を合わせてくれ、とばかりの視線を返した。察してくれたのか、そうでないのか。どちらだとしても、ここのセイバーの行動に全てがかかっている。

「……そうだ、オレは」

「オレ……?」

「……わたしは、私はキリツグをアテに日本に来た。父上────の姉さんが、もしも私が死ぬようなことがあれば、日本の切嗣を頼りなさい、って言ってたもんだからな」

 言って、仕方ない、とばかりに大きなため息を吐くセイバー。

 対して藤ねえは一瞬面食らった後、士郎に視線を向ける。視線は『本当なの?』と士郎に問いかけていて、ほんの少し罪悪感があるが士郎はここで頷く他ない。

 これが丸く収まる方法なのだ。士郎としてはセイバーをひとりで置いておくのは気に入らないし、何より聖杯戦争以外に(これ以上)隠し事をしておくのは耐えられなかった。

 押し通せたのか、藤ねえは口元を歪ませて、眉間を指で揉んでいる。

 しかしその隣の桜が、士郎にとって気がかりであった。

 セイバーが紹介されてから一言も口を開いていない。ただひたすら俯き、腿の上で組んだ自分の指を眺めているだけだ。

「……わかりました、認めましょう」

 士郎が桜へ声をかけようとしたのと同時。藤ねえが渋々頷いた。

 机の上から足をどかし、退けた食器を元の定位置に戻しながら。ぷりぷりと頰を膨らました藤ねえは、「だけど」なんて前置きをしながら、桜の肩を抱いて、

「セイバーちゃんは、寝るのは私と一緒。今晩は桜ちゃんも泊まらせるのが条件。良いわね?」

「……え?」

 予想だにしていなかった条件に、士郎は思わず面食らう。

 面食らっているのは士郎だけではない。桜までもが困惑する中、藤ねえだけが納得したように大盛りのご飯をかき込み始めた。

 それ以来特にこれといった問題はなく、夕飯はゆったりと進んでいく。

 士郎だけが小首を傾げて、食事に集中できぬまま。

 

 ◇◆◇

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 熱い鉄の棒を脊髄に突き刺していくような感覚。

 喘ぐような呼吸。呼吸までもが熱を孕み、閉じた瞼、その裏側が赤く染まっていく。

 一歩間違えば死へと突き落とされるような作業だ。絡まった蜘蛛の糸を一本一本、慎重に解いていくような────

 

「基本骨子、解明」

 

 余計な思考を削ぎ落とすにはこれが一番だった。物の構造を理解し、隙間に魔力を流し込んでいくことだけに集中する。

 

「構成材質、解明」

 

 物質のスキャンを終えた。あとは魔力を流し込むだけ。

 ここが一番の気の張りどころだ。ここで失敗しては、全てがパーに────

 

「ダメなのはソレじゃねえか?」

 

 思考を遮断する声がした。

 身体に溢れていた熱が引き、どっと疲労が押し寄せる。上がった息をそのままに振り返ると、着物に身を包んだセイバーの姿があった。

 昔、切嗣が着ていたものだろう。男用の紺色の着物の上に、今日士郎に買ってもらった赤いダッフルコートを羽織っている。

 首にはバスタオルが下げられていて、上気した肌とまだ濡れている髪から、風呂上がりだということが見て取れた。「少しセイバーちゃんと話をするから」、なんて食事後に藤ねえに連れて行かれたものだが、ようやく解放されたらしい。

「……悪い、邪魔したか?」

「いや、良い。セイバーには、なんか見えたらしいし……なんでこんな時間に、こんなとこに?」

 何故かわからぬまま士郎はセイバーから視線を逸らし、問いを投げかける。

 場所は土蔵、時刻は丁度日付が変わった頃だ。

 こんな夜更けに土蔵に来るのは、士郎くらいしかいない。それに風呂上がりにこんな寒いところに来たら風邪をひく────なんて言葉は、士郎の口から何故か出ることはなかった。

 顔が熱い。まだ『強化』の魔術の鍛錬が足りないらしい。

 そんな思考をひとりでに繰り返す士郎を他所に、セイバーは、

「んや、たいがーが『次は桜ちゃんをお風呂に行かせるから、覗かないように士郎を見張っといて!』っつーもんだから」

「たいがー……ああ、藤ねえか」

 タイガー、と。冬木の虎、なんて呼ばれる藤ねえとしては、苦手な呼ばれ方だったと士郎は記憶している。

 どうりで屋敷に藤ねえの怒号が響き渡るわけだ。もっと別の呼び方にしなさい、と叫んでいた藤ねえに、士郎はひとり手を合わせた。

「覗きなんてしないけど……で、何がダメだって?」

 藤ねえのことは横道において、再び問いを起こす。

 セイバーには何か、士郎に見えていないものが見えたらしい。もしかしたら何か改善点が見えるかもしれない、と。

 

「……や、上手くは言えねーんだけど」

 

 なんて思ったんだが、出鼻を挫かれ、思わず肩を落とす士郎。

 しかしセイバーは顎に指を添えて、何やら熱心に思考して、

 

「……オレの知ってる連中は、そんな苦しそうに魔法や魔術を使ったりしなくて。ソレがなんつか、こう……異常に見えた。だから思わず声かけたんだ」

 

 ゆっくりと、自身の考えを吐き出していく。

 苦しそうに使わない。魔術とはなんらかの代償と引き換えに、現象を起こすものだと士郎は教わったものだが。

 魔術は苦しく、痛いもの。そう認識していた士郎としては、盲点だった。

「……それは俺の鍛錬が足りないからだと思うけど、なんだ。貴重な意見を聞けた」

「そか? 力になれたんなら良かった。そのまま続けろよ、オレが見といてやる」

 言って、セイバーは床に腰を下ろそうと膝を曲げる。しかし士郎は即座に立ち上がって。

「いや、もう今日は寝る。寝るからな。いい、大丈夫だ」

 まくし立てるように言い放つと、セイバーの横を早足で過ぎ去っていく。

 どのみち今日はこれ以上無理だと思っていたものだが、何故かあのままセイバーと居たら、士郎の中で何かが壊れてしまう気がして。

 何故かわからぬ動揺を抱えたまま、士郎は足早に自室へ逃げ帰っていく。

 

「……なんだ?」

 

 土蔵に取り残された、着物の下の生足を露出させたセイバーは、ひとり困惑の声をあげて。

 士郎の悩みが余計に追加されたとか、そうでないとか。




日間ランキング2位頂いてたみたいです……ありがとうございました。緊張で吐きそうでした。19年生きて来て初めて鼻からカレー吹き出しました


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第7話 『言い方』

やらかしたやらかした。間違えて8話の内容先に投稿してました。まずい。


 衛宮士郎の朝は早い。

 朝起きて、筋トレをして、シャワーを浴びて朝食の準備に取り掛かる。高校生の朝にしてはほんの少しハードなこの一連が、士郎の日課である。

 

「……うわ、ホントに傷ひとつ残ってないな」

 

 昨日サボってしまったぶんも、と。いつもより多めに身体を痛めつけて、シャワーを浴びる前に、鏡に映る自身の姿を見ながらのひと言だ。

 士郎の言う通り、身体には傷跡ひとつ残っていない。あれだけ盛大に身体を裂かれたのに、既に傷も残っていないとなるとほんの少し不気味さを覚える。

 自分の自覚のない、未知の力。いったいこんな常識外れなモノ、どこから────

「やめだ、やめだ。考えたってわからないんだから」

 言って、手早くシャワーを済ませる。

 服を着替えて居間に入った頃には、既にキッチンから野菜を切る軽やかな音が聞こえてきていた。

「……む。出遅れちまったか」

 覗き込んだキッチンには、見慣れたエプロン姿の桜の後ろ姿が見える。

 トントントン、と小気味のいい音と共に、髪が揺れ動く。

 制服にエプロンというなかなか特徴的な格好だが、士郎といえど流石に見慣れた光景である。

 桜が衛宮邸(ここ)に料理を作りに来るようになって、かなりの月日が経過した。

 最初はおにぎりすらもロクに握れなかったのに成長したものだ、と。思わず士郎の口角が緩んだ。

「────、」

 しかしそんなだらしない口角も、桜の背後から覗き込んだ朝食のラインナップに、思わず引き締まるのだが。

 桜は洋食、士郎は和食を得意としていて、食卓に並ぶ料理でその日、どちらが担当したかはすぐにわかるようになっている。

 しかし『朝はご飯じゃないとダメだ』という士郎と藤ねえの希望により、朝食に洋食────食パンなど────が並ぶ機会はあまり多くない。

 桜の方もよく頑張ってくれていて、今日も例外なく朝食は和へと偏っているのだが、

「……苦手だと言う和食ですらここまで到達したか」

 料理を教えた身としても、台所を任される身としてもほんの少し危機感を覚える士郎である。

 士郎の呟きを聞いて、桜は頭だけで振り返ると、口角を上げてにやりとした笑みを浮かべる。

 俗に言うどや顔であり、したり顔であり、追いつく日も近いですよ、という顔だった。

「おはようございます、先輩」

「……おはよう、桜。今朝は任せちゃって悪いな」

 この際嬉しそうな顔には苦笑だけで応えておいて。侘びを交えながらエプロンを巻きつける士郎。

 漂う朝食の匂いに思わず腹を鳴らし、桜がクスリと笑うような一幕があって、

「いいんです。昨晩、『シローの夕飯は格別だった!』って、セイバーさんに自慢されてしまいましたから。わたしも頑張らないとなあ、って思ったんです」

「ああ、それで……でも完全に任せた、ってワケにいかない。まだ汁物が途中だろ? こっちは俺に任せて、桜は休んじまってくれ」

 桜の手からおたまを受け取り、既に切られた味噌汁の具を見下ろした。

 いくら出遅れたとはいえ、準備を完全に任せきりにできるほど士郎の肝は座っていない。

 だいいち、習慣を逃してしまっては生活のリズムが崩れる────とは士郎の弁だ。長いこと繰り返して来たことなら、なおの事。

「はい、わかりました。じゃあわたしは皿を並べて、休ませてもらいますね」

 言って、桜は積み重ねた食器を両手に居間に向かう。

 

 ……にしても、セイバーとの微妙な空気は解決したようだ。

 なによりなにより、なんて胸を撫で下ろす士郎。この家は士郎の拠り所であり、帰るべき場所だ。なるべくそんなところで諍いなんて起こして欲しくないワケで。

 

 士郎が笑顔を浮かべたところで、ピンポーン、とインターホンの甲高い音が邸に響く。

 この時間で丁寧にインターホンを鳴らす来客者といえば、桜か藤ねえのところの兄さん方くらいしかいないと士郎は記憶している。

 しかし桜は居間でテレビを見ているのが横目に見えるし、藤村の兄さんたちも特に用はないだろう、とも。

「わたし、出て来ますね」

「じゃあ、頼んだ」

 首をひねる士郎を他所に、足取り軽やかに桜は廊下へと出て行く。

 もしかしたら新聞の勧誘かもしれない。だとしたら、士郎が出るより桜が出た方が断然良い。

 なにせ、こと新聞の勧誘の相手に関しては桜が巧いのなんの。すっぱりとした断り方で、士郎にできないことをやってのける。ついでに笑顔も、少し怖い。

「……あれ。つい最近、同じような感じの笑顔を見た気が」

 脳裏をよぎる、何やらやたらと赤い像。思い出してはいけないと、そっと蓋をする。

「じゃなくて。新聞の勧誘を断ってるにしては随分と遅いな」

 もしかしたら意外と粘り強いのかもしれない。

 コトコトと煮立ってきた鍋の火を止めて、腰にエプロンを巻きつけたまま、士郎も廊下へ足を向ける。と、

「おーい、桜。新聞ならいりませんって────」

 そこで目にしたのは、今日もやけに赤い格好をした遠坂凛と、桜が睨み合っている現場だった。

 

 ◇◆◇

 

「……遠、坂」

 あまりの驚きに、掠れた声で凛の名前を呼ぶ。

 対した凛は桜から視線を外すと、浮かべたのはいつも通りの笑みで。

「おはよう、衛宮くん」

 桜との間に漂う険悪ムードはそのままだが、いつも通りこの上ない笑みであった。

「えっと、どうしたんだ? なんか、やけにピリピリしてるけど」

「どうした、って。簡単な話よ? 桜に、もうここには来ないで(、、、、、、、、、、)って言ってるの」

「……どういう、ことだよ」

 士郎の頰がこわばった。思わず耳を疑ったが、士郎の聞き間違いということもなさそうで。

 凛は至って本気の様子だ。隣の桜の表情は見えないが、あまり見たいとは思えない。

「どういう、って聞かれてもねえ。そのままの意味だし、衛宮くんなら私の言ってる意味、わかるでしょ?」

 はあ、とため息混じりの言葉。

 わからないことはない。確かに凛の言う通りだと思うし、士郎だって凛と同じ気持ちだ。けれど、と。

「でもそんな────」

「そんな言い方することねーだろ」

 放たれた士郎の言葉は、眠そうな、バッサリとした物言いに切り捨てられた。

 声の主は士郎と桜の間を割いて前に出る、着物姿のセイバーだ。

 寝ぼけ眼を擦りながら、ボサボサの頭をそのままに。しかし向ける眼光は変わらず鋭く、遠坂の目の奥を見据えている。

「貴女には関係ない話でしょ、セイバー?」

「いやいや、関係なくなんかねえよ。オレと桜はもうトモダチだからな」

 セイバーに突きつけられていた鋭い視線が、士郎に向けられる。

 

 なんでこの子が桜の前に出てきてるワケ、と言いたげな視線だ。しかも友達って、とも。

 ここは何も言わないのが正解だと士郎は思わず口を強く閉じ、視線を逸らす。

 

「友達ねえ……でもセイバー、貴女だって私が言いたいことがわからないワケじゃないでしょう?」

「まあなあ、トーサカは単純だしな。サクラに対して気遣いと、愛情と……それから罪悪感? が向けられてることくれーわかるよ」

「────は?」

 

 なんて目を逸らしてるうちに状況は一転。士郎には何が起こったのかわからないが、何やら凛はセイバーに不意な方向へと押しやられたらしい。

 微かに見えるセイバーの頰が悪趣味な笑みに歪んでいる。……嗚呼、これはなんと言うか。悪魔と悪魔のスーパー大戦というか。士郎が口を出せることじゃない。

 凛の頰が真っ赤に染まる。口元は何か言葉を紡ごうとパクパクと開閉されているが、「な、な、な、……」なんてハッキリしない言葉しか出てきてくれないご様子。

 そんな凛を見てしまっては、セイバーの反応なんてわかりきっている。

「やぁっぱそうか。最初っから聞いてたけどおかしいと思ったんだよ。トーサカの言葉にゃ針があるくせに、いちいちその先が丸っこい。悪者になりきれない悪者っつーか?」

「────ぁ、ぅ」

 今士郎たちは珍しいものを目撃している。

 学校のアイドル、あかいあくまこと遠坂凛が言い負かされている姿だ。流石はサーヴァントと言うべきか、口撃(、、)も一級品らしく、遠坂は反論を挟む余地もない。

「べっつに無理に悪者ぶる必要ねーべよ。それとも、それじゃ自分のキャラに合わねーってか?」

「う、うるさいわね、そんなの────」

 ようやく激昂しかけた凛。しかし、

 

「わかってるんなら、自分が悪者になった方が後腐れなくていいとかくだらねーこと考えんのはやめろよ」

 

 これもまた、セイバーの口撃にバッサリと切り捨てられた。

「その考えじゃつらいだけだ。ンなに自分の首絞めて気持ちいいかよ? つらくて苦しいのが楽しくて仕方ねえか?」

「────、────」

 思わず、おし黙る凛。

 これは誰がどう見てもセイバーの完勝だろう。だからこそ、それがわかっているからこそ、凛はなにも反論できないし、反論することはない。

「……それにここにはオレもいる。いざっつー時は守ってやるし、傷つけさせるようなヘマはしねーよ。サクラとシローのメシ、食べ比べてェしな!!」

 最後には空気までも断ち切り、切り替えてしまう。

 セイバーの本音は一番最後のソレだろうか。しかしこの場の空気を、丸く収めてしまった。

 凛も仕方ないとばかりにため息を吐いて、言い負かされたことを認めている。

 桜は目を見開きながら何やら凛を見つめているが、不満を覚えている様子はない。

 ……しかし、

 

「……なんで俺だけ置いてけぼりなんだ?」

 

 ただひとり、士郎を除いて。

 周りに置いてけぼりを食らって不満げな士郎の呟きに、誰も応えてくれることはなかったとか────。



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第2章
第8話 『満面の笑み』


長らくお待たせしました。待ってくれてな人がいたなら、ですが……少し遅くなってしまいました。やる気がどうも出なくて。
またお願いしますね


 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 全てがうまく行かない。気に入らない。気に入らない、気に入らない。

 魔術の家系が気に入らない。自分の両親が気に入らない。僕の才能に気づいてくれないあの人が気に入らない。

 

「くそ、くそ、くそ、くそ……!!」

 

 目の前で壁にもたれかかり、顔を俯かせる女の腹に蹴りを入れながら。冷たい冷たい、コンクリートで作られた部屋に、水っぽい音と怒号が響く。

 

『おまえでは荷が勝ちすぎるかのぅ……』

 

 冷たい目と共に言い放たれた言葉。

 

 ────気に入らない。

 

 気に入らない、気に入らない、気に入らない、気に入らない。アイツもアイツもアイツもアイツもアイツもアイツも、どいつもこいつも気に入らない。

 なんで僕の思い通りにならないんだ気持ち悪い。なんで誰も恨んでないんだ気持ち悪い。なんで自分のこと馬鹿にされて怒らないんだよなんで誰も彼もの頼みごと容易く受けんだよなんであんなことしてんだよなんで僕より上手いのに、才能あんのにあんな簡単に諦めるんだ気持ち悪い。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い────!!

 

 蹴る、殴る、殴る、殴る、蹴る。女は抵抗しなかった。コイツは良い道具だ。だから、僕が利用してやらなくちゃいけない。

 

「僕が、コイツを一番うまく使えるんだよ……」

 

 積もり積もった憎しみが、吐き気が、憎悪が、その全てが。支えを失ったドミノのように崩れ込み、覆っていく。

 

 真っ黒、真っ黒。僕の視界は、真っ黒に染まっていた。

 

 ◇Interlude out◇

 

 部屋に響くのは、食器が奏でる和やかな音。

「桜、醤油とって」

「はい、遠坂先輩」

「……え、それショーユつけんのかよ……オレ、マヨネーズで食っちまった」

「あ、いえ。それはマヨネーズでも────」

 そして玄関での一件とは正反対とまで言える、これまた和やかな朝食の会話だ。

 机を囲う形で凛に士郎、桜とセイバーが腰を下ろして居て、士郎以外の面々は楽しそうに笑みを浮かべている。

 この際、普段いない何処かの誰かさんが当たり前のように座り込んでいるのは何も言うまい。しかし、複雑な表情を隠しきれないのも事実。

 とはいえ、士郎とて不満はないのだ。学年のアイドル遠坂凛が自分の家で朝食をつまんでいる────そんなのは男子全員の共通の夢だろうし、朝食の量だって凛ひとりが混ざったところで問題はない。

 ……問題は今はここに居ない〝冬木の虎〟がどういう反応をするか、だ。

 

「おはよー諸君! 今日の朝食係は桜ちゃんだねー?」

 

 噂をすればなんとやら。なんでこんな遅くまで寝てるんだ、とか匂いだけで誰が作ったか当てられる謎の嗅覚だとかはこの際置いておいて。士郎は息を呑み、必死に衝撃に備えておく。

「おはようございます、藤村先生」

「うん、おはよー。こんなところで会うなんて奇遇だね遠坂さん」

「そうですね。ここでお会いするのは初めてでしょうか」

 自然な流れでいつもの定位置、桜の隣に腰を下ろす冬木の猛獣こと藤ねえ。

 一拍の沈黙。机の上の茶碗を手に取り、白米を掻き込もうとしたところで、

 

「なんで増えてるんじゃああああ!?」

 

 茶碗が宙を舞った。

 奇跡的に白米は茶碗から溢れることなく、何回転か宙で錐揉(きりも)み回転を披露したあと藤ねえの手の上に華麗に着地。のちに勢いよく机の上に叩きつけられ、災難な茶碗に士郎は思わず目を瞑り両手を合わせた。

「どういうこと、説明しなさい士郎!」

「あら、藤村先生。先生は今私と話してる途中だったと思ったんですが……」

「ぐっ……」

 士郎に視線を向けた途端、死角からの口撃と刺すような視線に思わず口ごもる藤ねえ。

 

 ……士郎は知っている。故に士郎は茶碗に合わせた掌をそのままに、弱りきって悪魔の前で猫のようにまでなってしまった虎に同情するのだ。

 

 こうなってしまえばもう、話の流れは凛の土俵へと傾いていく。

 ひとを手玉に取るような話術(士郎談)、そしてそれを感じ取らせないひとの良い笑顔(士郎談)のツーコンボ。これが決まってしまっては、自分のペースへ巻き戻すのは誰だって難しいと言うものだ。

 

「大変ねえ、遠坂さん……士郎、おかわり」

 

 例に違わずすっかり藤ねえは丸め込まれてしまったのだった。

 差し出した茶碗を受け取りながら、苦笑を浮かべる士郎。凛が憤る虎にでっち上げたのは、

 

「今自宅の全面改装をしていまして……困っていたところに、衛宮くんが助け舟を出してくれたんです。よければウチを使ってくれ、って……もしかしたらしばらく世話になってしまうかもしれません」

 

 というもの。正直よくできた理由だが、士郎は思わず最後の一文に眉をひそめる。

 これからしばらく世話になってしまうかもしれません……? セイバーがうちに住んでいるだけでも内心一杯一杯なのに、コイツは何を言っているんだ? と。

 正直士郎自身、そんなことは聞いていない。凛が言うからには何かしら理由はあるんだろうが、きっとセイバーにされたことの仕返しだろう。ヤケに口元を悪魔のような笑みに歪ませていたし。

「士郎も遠坂さんに変なことしちゃダメよー?」

「……何言ってるんだ。遠坂に手を出したら、明日の俺はどうなってるかわからない」

「衛宮くん?」

 笑みの奥に隠れる鋭い視線が士郎に刺さる。

 士郎は『学校の人気者に手を出してしまっては背中を刺されかねない』と言う意味で言ったのだが、なにやら誤解を招いてしまったらしい。

 釈然としないまま食事は進んで行く。何事もなく、平和に。

 

 ゆっくりと、歯車が回り出す────。

 

 ◇◆◇

 

「ホント、えらい目にあった……」

 誰に愚痴る訳でもなく、教室の机に突っ伏す士郎。当然のごとく、士郎の声に応えるものは居ない。

 セイバーはといえば、なにやらやることがあるということで士郎たちとは別行動。

 セイバーを置いて士郎、桜、凛の三人で登校してきたワケなのだが────、

「どうした、衛宮。やけに疲れ果てているが」

 そんな士郎の声に、遅れながらに応える影があった。

 机から半身を起こし、ほんの少し視線を動かしてやれば、友人の柳洞(りゅうどう) 一成(いっせい)の姿が見える。

 気難しそうな表情と、いつものメガネは健在。周りから堅物イケメン生徒会長と尊敬されつつ、近寄りがたいとも言われるいつもの一成だ。

「一成……聞いてくれ。今朝、桜と遠坂と登校してきてな?」

「……ふむ。間桐の妹さんはともあれ、そこに遠坂とは珍しい組み合わせだな。何故あの女狐と一緒にいるのか、と問いかけたいところだが。まずは衛宮の話を聞くとしよう」

「……助かる」

 何やら一成と凛の間にはただならぬ因縁が存在するらしく。凛のことには少し突っかかられるかと思ったが、士郎の疲労困憊っぷりに遠慮したらしい。正直すごく助かるところ。

「ほら……桜ですら美人で視線を集めるだろ? それに追加で遠坂だぞ、遠坂。歩くだけで胃がすり減るみたいだった」

「……成る程。同情する」

 遠坂凛は羨望の眼差しの的。そんな人間と歩いていれば、どういう目で見られるかはいうまでもあるまい。

 それだけではなく、言ってしまえば両手に花だ。士郎の胃に穴が空いたとておかしくはないだろう。

 せめてもの慰めの気持ちか一成は士郎の机の上に黒飴を置くと、士郎の席を去っていく。

 時計をちらりと見てやれば、もうそろそろ担任の藤ねえが駆け込んでくる時間だった。

 また昼にな、なんて一成と会話を交わしつつ、チャイムの甲高い音を聞く。

 同時にいつも通り荒々しく開かれる教室の引き戸。その扉を潜るのは藤ねえと、

 

「………………は?」

 

 その後ろに、信じられない影を見た。

 

「はいはーい、今日から急遽、このクラスに新しい仲間が加わることになりました!」

 

 開いた窓から流れ込む風に揺れる金髪。楽しそうに歪められた口元と、ほんの少しツリ目気味な青い瞳。

 

「じゃあ、自己紹介を」

 

 なんかもう色々なことがすっとんで、

 

赤木(あかぎ) 聖刃(せいば)だ。今日からヨロシク頼むぜ!」

「はああああああ!?」

 

 周りの目も気にせずに、士郎は思わず立ち上がる。

 黒板の前で満面の笑みを浮かべるのは、まごうことなきセイバーであった。



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第9話 『嚙み締める歯、握る拳』

「待った待った待った、これはどういうことだよ藤ねえにセイバー……っ!?」

 戸惑うばかりの士郎の声が、人影のない廊下に響く。

 対したセイバーと藤ねえは満面の笑みであり、してやったりとでも言いたげだ。

「他にやることがあるって、こういうコトだったのかよ……」

「そ、聖刃(せいば)ちゃんったら学校を経験したことないっていうんだもの。そんなこと言われちゃったら、即手続きなんて終わらせちゃうわよ」

 聞くに、どうやら書類だけは昨日の夜に全て記入は終わっていたらしく。後は色々な手続き────主に藤村組の力を利用した半ば強引な入学許可だろう────を済ませるだけだった、と。

 制服の用意もすぐに終わったし、今日から士郎のクラスに仲間入り、という塩梅だ。

 頭痛に思わず士郎は眉間を抑え、大きくため息を吐く。

「……セイバーがそうしたい、って言ったのか?」

 そして最後の問いだと言いたげに、士郎はセイバーを見つめて。

 自分のスカートの裾を摘んで下の黒い短パンの調子を確かめていたセイバーはゆっくりと視線をあげ、頰を染めた。

 何故か視線がこそばゆい。ほんの少しだけ言葉を発するだけなのに。

 

 ────ここにきてから、こんなことばっかりだ。

 

 経験したことないことばかりで、セイバーの気を狂わせる。でも不思議と嫌ではなくて。

 

「……そうしたいって、言った。あんまりにもタイガーが学校でのシローのこと、楽しそうに語るもんだから。オレも行ってみたいな、って」

 

 顔が熱くなる。自分の顔が赤く染まっていくのが自分でもわかる。

 そんなセイバーを見つめる士郎の顔は微笑ましげで────。

 

「……そっか。じゃあ、俺はなにも言えないな」

 

 言って、頷いた士郎の肩は仕方ない、と言いたげにすくめられて。諦めたように片目を瞑った。

 そんな士郎の返事に、藤ねえも満足げに頷いて教室へ帰っていく。

 

 元より、士郎に拒否権などなかったのだ。やると決めて、全ての段取りを終わらせた彼女は誰にも止めることができない。

 それに、

 

「……ありがとな、藤ねえ」

 

 彼女の行動は、だいたい士郎のことを思っているが故に。

 今回もきっと、セイバーが衛宮邸に馴染みやすいように、と気を効かせた結果であろう。何も考えていないように見えて、よくよく色々と考え、何かと見ているものなのだ。あの野生の虎は。

 恥ずかしげに髪先をいじるセイバーの背中を、士郎が優しく押してやる。

 まだ顔が赤いままのセイバーは教室の引き戸をくぐり、藤ねえと何やら話を始めた。

 

「いやあ、前途多難だなあ……」

 

 この先に聖杯戦争以外に、色々な困難が待ち受けているのは見なくてもわかるほど。学園生活まで忙しくなるとは思っても見なかった。

 

 華やかな日常生活。自分には不釣り合い(、、、、、)なソレに頭を掻きながら、歩みを進める。

 

「やあ、衛宮じゃないか」

 

 そんな背中に、声を投げかける影があった。

 

 ◇◆◇

 

「……慎二」

 その影を士郎はよく知っている。

 中学生の頃からの付き合いだ。友人、というより腐れ縁というのが相応しい。

 青い、癖の強い髪。周りから評判のいい顔と、なかなかに良いスタイル。

 よくモテるのだが、常に浮かべているような不機嫌な表情が玉に瑕────それが士郎の、慎二の評価であった。しかし今の慎二は偉く機嫌が良く、ヘラヘラとした笑みを浮かべている。

「おい慎二、遅刻だぞ。もうとっくにチャイムは鳴ってる」

 引き戸へ向けていた足先を歩み寄ってきた慎二に向けた。同時に放った咎めるような言葉にも慎二は小さくため息を吐くだけで、

 

「何そんなくだらないコト言ってるんだよ。……それより衛宮、おまえもマスターになったんだろ?」

 

 耳を疑うような一言を放った。

 思わず目を見開き、士郎の思考が停止する。

 辺りを満たすのは沈黙で、教室の向こうの声の重なりすらも、今の士郎には聞こえない。

「……誰から聞いたんだ」

「そんなことどうだっていいだろ? それより衛宮、話があるんだ。場所変えようぜ」

「────────」

 誰から聞いたのか答えるつもりはないらしい。

 おまえも、ということは慎二自身もマスターだと言っているようなモノだ。

 正直そんなことを言われてしまっては授業を受けてる暇はない。

 静かに引き戸を閉めて、慎二の背中についていく。

「いいじゃない衛宮。話がわかるってのは助かるね、ホントに」

 廊下からどう移動したのか。そんなことは覚えていない。

 慎二の背中を追いかける最中、士郎は気が気ではなかった。

 

 間桐慎二が魔術師だった────つまり、まだ正体がわからないマスターの中に、妹である間桐桜がいる可能性がある。

 巻き込まれているのか、自分から望んでなったのか────それはまた、別の話として。

 

 無言の移動時間が終わり、たどり着いたのは非常階段、その踊り場だった。一階と二階の間のそこに、二人は静かに佇んでいる。

 各教室ではもう出席を取り終わり、そろそろ授業が始まる頃だろうか。

「で、話ってのは────」

「待った、慎二。桜は聖杯戦争に参加してるのか? 話をする前に、それだけ聞かせろ」

 慎二の声をぶった斬るように、士郎は質問を投げつける。

 同時、慎二の表情が笑顔から不機嫌そうなソレへと歪み果てた。桜の話をされたのが不快なのか、話を切られたのが気に入らないのか。

 どちらにしろ慎二は溜息を吐き、士郎を真っ直ぐに睨みつける。

「今桜は関係ないだろ」

「関係なくない、重要な話だ。それを聞かされるまで、俺は慎二の話を聞かないぞ」

 数秒、睨み合うだけの沈黙。

 先に根をあげたのは慎二の方だった。諦めきったように舌打ちをしてから、士郎から目を逸らし、つまらなそうにポケットへ両手を突っ込んで、

「桜は聖杯戦争とは関係ない。そもそも魔術師の家系ってのは、魔術を長男、長女にしか継承しないモノなんだよ」

「────、────そうか、よかった」

 吐き捨てられた言葉に、士郎は胸を撫で下ろす。

 正直不安だったのだ。万が一にでも、桜が聖杯戦争に巻き込まれていたとして。

 

 自分の手で、桜を殺めなければならなかったのかもしれない、なんて。

 

 たとえ身近な人間だとしても、悪を成すならその手で殺めなければいけないと士郎は理解している。

 いくら悪いことをしたと言っても、自分の知り合いを……家族を殺すというのは、士郎としても避けたいことだ。

 無論、目の前にいる友人も例外ではない。

「それで衛宮、話ってのは、僕と協力しないかって話なんだ」

 眉間を抑え、大きなため息を吐いている士郎に、立て続けに慎二は言葉を投げた。

「協力か」

「そう、協定関係。僕もこの聖杯戦争に参加するのは不本意でさ、強い敵ばかりで僕ひとりで倒せる気もしないし。一緒に戦うってのは悪い話じゃないと思うぜ?」

 なるほど、確かに慎二の言っていることは正しい。

 魔術師というものを多く知らない士郎としても、魅力的な提案だとは思う。が、

「面倒な奴は多いからさ。特にあの遠坂とか、二人で天狗になってる鼻を叩き折ってやろうぜ?」

 途端、慎二から飛び出した名前に、士郎の気は一転する。

「遠坂を、倒す」

「そうだよ。あのお高く溜まってるあの女が気に入らない……だから手始めに倒してやろうってワケ。衛宮も気に入らないだろ? 遠坂のことがさ」

「断る」

 即答だった。

 考える間もない。なんてったって士郎は、凛に借りがある。

 聖杯戦争に巻き込まれ、状況を理解するために教会に連れて行ってもらって。それだけじゃなく、士郎の看病までしてもらった。

 この借りを、遠坂凛の聖杯戦争退場だなんて形で、返すわけにはいかない。

 対して、慎二は目を見開き、じっと士郎を見つめているだけ。

 

 ────信じられない。

 

 慎二の目が、そう語っている。

 士郎が慎二の頼みを断るだなんて想像していなかったんだろう。

 しかし士郎は思わず小首を傾げて、慎二へ背中を向けて。

 

「遠坂には借りがあるんだ。遠坂を倒すことが目的なら、慎二の頼みは呑めない。もうそろそろ戻らないとまずいから、先行くぞ」

 

 これ以上話すことはない、とばかりに。

 非常階段に残されたのは、奥歯を噛み締め、両手を強く握りしめて。

 そこにはもういない、士郎の背中を睨みつける、慎二の姿だけだった。




慎二だけに信じられない、ってか。


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第10話 『獅子の子、苦味を覚える』

 意外なもので、セイバーは授業中ものすごく静かだった。

 真面目に黒板とノートを交互に見やり、手を動かしてはまた交互に黒板とノートに視線が動く。

 授業前にほんの少し心配になり声をかけた士郎だが、彼女の「安心しろって!」はなんの根拠もない自信ではなかったらしい。

 なんてセイバーを見つめながら、微笑ましげに笑みを浮かべる士郎。しかし、そんな気分にもいつまでも浸っていられない。

 ほんの少しセイバーから視線を移せば、そこには空席の慎二の席がある。

 もう一限もそろそろ終わる頃だ。だというのに慎二はあれ以来姿を現さず、士郎の焦燥感を掻き立てる。

 

「……またアイツ、何かしてるんじゃなかろーな」

 

 慎二は少し怒りっぽく、その怒りを何処かにぶつける癖がある。それを士郎が直したり、咎めたりするのはいつものことで。

 何故かはわからないが、あの時慎二は激怒していたように見えた。

 士郎としてはなんでもないようなこと。が、慎二にとってはそうではなくて。

 

『……ふざけるなよ』

 

 士郎の背中に投げかけられた、消え入るような声。未だ脳裏にこびりつき、響くソレに士郎は小首を傾げる。

 同時に、無機質なチャイムの音が響いた。どうやら物思いにふけっているあいだに、授業は終わってしまったらしい。

 解放感の声に包まれる中、士郎は静かに伸びをする。背中から小気味の良い音が聞こえてきて、思わず小さくため息をついた。

 セイバーも疲れ始めた頃だろう、なんて。様子を見てやろうと視線をくれたところで、

 

「やいやいやい赤木 聖刃とやら!」

 

 何やら絡まれているセイバーを見た。

「……あ? ああ、おう。どした?」

「どした、じゃねー! おまえなあ、キャラ被りしてんだよ!!」

「……キャラ、かぶり?」

 

 絡んだ甲高い声の主の名は蒔寺(まきでら) (かえで)

 陸上部所属、男勝りの口調とバカとばかと馬鹿が特徴の、黒豹やらマキジやらと呼ばれる浅黒い肌をした同学年の生徒だ。

 蒔寺は肩で風を切りながら、ぐんぐんとセイバーとの距離を詰めていく。対してセイバーは微妙な表情を浮かべながら、小首を傾げるだけだ。

「いろんなヤツと話してんのを聞いたけどよー! 男勝りな口調、振る舞いッ! 被ってることこの上なくとてもアタシは困っている!!!」

「……赤木嬢はバカ属性は持ち合わせていないようだが」

「ちょっとガヤは静かにな!!!」

 ……背後に引き連れた陸上部の仲間、氷室(ひむろ) (かね)に茶々を入れられながらだからか、それらしい歩き方は全然様になっていない。

 ちなみに氷室の隣にはいつも一緒にいる仲間の三枝(さえぐさ) 由紀香(ゆきか)の姿も。確か全員隣のクラスだったと士郎自身記憶しているが、まぁよくやるものだ。

 どうやら士郎のクラスに転校生が来たと聞きつけ、張り込みに。挙句自分とキャラ被りしているのが発覚、そして文句に来たという塩梅らしい。

「え、えーと……困らせたのは悪かったと思ってる」

「アタシは謝ってほしいワケじゃねー!」

 それにしてもこの黒豹よく吠える吠える。

 戸惑うセイバーに構わず、とうとう二人の距離は蒔寺の歩幅にして残り二歩、というところまで詰められてしまう。

 蒔寺の後ろで手を合わせ、苦笑いを浮かべている蒔寺の連れ二人と、それを見てため息を吐くセイバー。この感じでは出ていく必要もないだろうと上げ掛けた腰を下ろす士郎だが、

 

「アタシと勝負しろ、赤木 聖刃!!」

 

 ……何やら思った以上に、めんどくさいことに発展してしまった。

 

 ◇◆◇

 

 蒔寺がセイバーに提案した勝負はこうだった。

 

「廊下の端から端まで走る! 早かったほうの勝ちで、敗者は明日から口調に気をつけるように!」

 

 ……なんともまあ蒔寺らしく、馬鹿らしい勝負法。

 ちなみに各教室には半ば巻き込まれた士郎その他数名の男子が少しの間廊下に出ないように、と忠告して回ったため怪我の心配はないだろう。教師陣ですら、『また蒔寺のバカが始まった』と苦笑いを浮かべていたあたりもう手遅れというべきか。

 一応士郎はセイバーに加減をするようにと伝えてある。はてさて、これがどう響くのか。

 勝負の合図を務めるのは三枝。普段陸上部のマネージャーを務めているからか、やけに慣れた様子だ。

 その三枝の目の前に、各々構えた二人が並んでいる。蒔寺はクラウチングスタートの構え。セイバーは何もすることなく、ただただまっすぐと。

 

「ハ! この調子じゃアタシの圧勝だな。わりーなトーシロ相手に! でも女にゃ負けられない勝負があるってもんよ!!」

 

 下ろした腰を振りながら何やら騒ぎ立てる黒豹。それに対してもセイバーは何も言わず、ゴール地点を見つめるだけで。騒ぎ立てる見物客の声をバックに、三枝の手が上がる。

 

「それでは位置について、よーい────」

 

 そして声と同時、僅かにセイバーは右足を下げて、

 

「────どん!」

 

 一瞬の出来事であった。

 まず廊下に響いたは上履きが床に擦れる音。

 遅れて髪が揺れるほどの風が吹き、一瞬で、目の前を『金』が過ぎ去っていく。

 跳んだ、とでも表現するべきであろうか。いや、走っているのだろう。しかし一瞬の出来事すぎて、士郎には性格に判断できない。

 士郎の目測で二百五十メートル以上あるであろう廊下を、ものの4秒ほどで駆け抜けたのだ。

 

「……な」

 

 上がった声は誰のものか。

 勝負相手である蒔寺か、士郎か、見物客か。はたまた、全員のものか。

 

「なんじゃありゃあ!?」

 

 セイバーが加減を間違えたと振り返った頃にはもう遅い。

 各教室からは馬鹿にならないほどの歓声が上がり、静かに蒔寺は膝から廊下に崩れ落ちる。

 

「ちょっと何あれ!? 陸上部に来てもらわなきゃ!」

「いーや是非女バスに!」

「バレー部に!」

「バド部でしょ!」

 

 その後の二人と言ったら、もう扱いの差が雲泥の差と言うべきか。

 周りに人だかりを作るセイバーに対し、氷室にそっと肩に手を置かれる蒔寺。

 

「うそやーん……」

「キャラが崩れているぞ、マキジ」

 

 蒔寺の悲壮感漂う声と歓声が漂う中、

 

 遠坂凛だけは、その状況を引きつった笑みで見つめていた。

 

 ◇◆◇

 

「何を考えてるのよホントに……」

 そして時間は飛んで昼休み。場所は屋上で、呆れた声をあげたのは当たり前と言うべきか、凛である。

 対面で、購買で買ったパンを広げているセイバーは気まずげに凛から目を逸らし、既に頬張ったパンを咀嚼している。

「何考えてるのよホントに」

「き、聞こえなかったワケじゃない。マキデラのヤツが、勝負だって言うから、こう……」

 つい、なんて頭をかくセイバーに、ぽっかレモンのボトルを両手で握りながら凛は大きく溜息を吐く。

 ちなみに例の勝負にかけられていた口調云々の件はナシということになった。セイバーの慈悲というか、単にめんどくさかったというか。

 蒔寺は『神か!!』なんて騒ぎ立て、すっかり二人は意気投合してしまったらしい。

 そもそも仲良くなれそうな二人組ではあったし。競い合うライバルとして、友人として、二人は仲良くなれるだろう。

「あんな公衆の面前で魔力行使だなんて、魔術協会に見つかったらなんて言われるか……」

「……ああ、やっぱりあの速さは魔力が関係してたのか」

 ここにきて初めて、士郎が口を開く。

 微量ながら魔力の気配を感じていたし、あんなのを素の肉体でやられてしまっては士郎としてもたまったもんじゃない。

「そ。多分あれは、魔力解放────だと思う。セイバー自身のポテンシャルは悪いわけじゃないけれど、素の肉体じゃあんな動きはできないわ。走り出す瞬間にだけ、僅かに魔力をぶっ放して、その勢いと強化された筋力で駆け抜けたって感じかしら」

 さすが最優の英霊ね、なんて。遠坂は渋い顔をしながらサンドウィッチを咀嚼する。

「そのセイバーも、私の手に来るはずだったのに……なんでこんな魔術もからっきしのへっぽこ魔術師のところになんて……」

「聞き捨てならん。誰がへっぽこか」

 軽い反論を交えるものの、士郎は強く否定できない。

 使える魔術と言っても強化の魔術くらいだ。そんな状態の自分を魔術師だなんて言えるほど、士郎の肝は座っていない。だいたい、昨日のアレだって────

 

「ああ、そうだ。遠坂、昨日の俺の異常な回復力について何か知らないか?」

 

 自分の思考のおかげで疑問が再び浮上する。

 セイバーと買い物したその日のうちに、『なんか自分で治ってったぜ?』なんて軽い様子でセイバーから聞いたのだが、士郎には一切心当たりがない。

 故に士郎は凛へと問いを投げた。そんな士郎に返ってきたのは、

 

「…………はぁ」

 

 今日何度目かもうわからない、凛の大きな溜息だった。

「なんだよ遠坂。おかしなこと言ったか、俺?」

「言った。言ったわよ。なんでそんな敵になるかもしれない私に、無警戒でいられるワケ?」

 まるでわけがわからない、と凛は頭痛に思わず眉間を抑える。

 いやしかし、士郎としては疑問で仕方がないのだ。自分の中によくわからない力が潜んでるだなんて、不気味で仕方ない。

「仕方ないだろ。わからないものはわからないんだ」

「……あっそ、貴方にわからないなら私にもわからないわよー」

「……ううむ、そうか。なら仕方ない」

 遠坂にわからないなら、と士郎は箸で生姜焼きを摘み、口の中に放り込む。

 不気味で仕方ないが、しばらくは諦める他ない。何が起こっているのかわからないが、しばらく戦う分には────

 

「……ちょっと」

 

 士郎の思考を、凛の冷たい声が遮る。

 視線を弁当箱から上げてやれば、凛の声と同じく冷たい視線と、士郎の視線が絡み合った。

「今、くだらないコト考えたでしょ」

「くだらなくなんかない。この力があれば、俺だってサーヴァントと────」

「それがくだらないって言ってるの」

 冷たい声音のまま、バッサリと凛は士郎の言葉を叩き斬る。

 士郎としては疑問で仕方がなかった。別に自分がくたばったところで、凛にはなんの関係もないだろうに。

 自分の身が犠牲になったくらいで、誰かが傷つかなくて済むならそうするべきだ。自分の身体はそのためにある。

 

 誰かのために生きるよう。あの火災(、、、、)でたったひとり生き延びてしまったからには、犠牲になった人たちのためにも、誰かのためにこの身は使わなくちゃならないはずだ。

 

 何より、そう生きなければ、正義として生きなければ、切嗣には────

 

「……リンには同意だぜシロー。オレもあの力を過信しすぎんのは賛成できない」

 

 セイバーまでも、士郎にまっすぐに、冷たい声音で言い捨てる。

「言ったはずだぜマスター。オレは戦うためにここに呼ばれた。その使命を取り上げるってのは、たとえマスターでも許されたコトじゃない」

「違う、俺はセイバーと一緒に戦えるって言ってるんだ。別に、セイバーの仕事をとるわけじゃない」

 一度言い合って、一応士郎は理解している。

 そもそもセイバーを戦わせないなんて、士郎にはできないのだ。一度あんな表情を見せられてしまっては、そんなコト────。

 だから士郎はせめて、隣に並ばせてくれ、と。目の前で女の子が戦っているのに、自分だけ何もしないなんてことできっこないのだから。

 見つめ合う二人は互いに譲らない。無言だけが数秒続き、

「……あーやめやめ。この話はやめだ。飯がマズくなる」

 先に折れたのはセイバーだった。このままではラチがあかないと判断したのか、パンにかぶりつく事で話を無理やり終わらせる。

 パンを咀嚼しながら、難しい顔をして。ボリボリと不満げにセイバーは頭をかいて、眉間に皺を寄せる。

 

「……これじゃあタイガーに申し訳ねえじゃんか」

 

 消え入りそうな、セイバーの声。

 その声は吹き荒ぶ冬の風にかき消され、誰の耳にも届かない。

 セイバーの口の中にはパンの味と、理由がわからない苦味が広がっていた。




とうとう10話です。なんか記念すべき話のはずなのに、無理やり終わらせたような終わり方になってしまった。雑に感じたりつまらなかったらごめんなさい。
なんか書き始めたらやめどきがわからなくて……とりあえずモーさんの複雑な表情で〆。
彼女の言葉の意味は、もう少し先で。距離が縮まっているような、そうじゃないような……なんかこの二人は書いてて自分でもどかしい。


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第11話 『憤怒、赤色』

ここからヘヴンズフィールのネタバレも含まれます。なんの因果かちょうどよく映画やってますし、新鮮な気持ちで映画を楽しみたい方はあまりこの先の内容を読むのはオススメできないです……


 食事はとても静かなものだった。

 各々が自分の弁当などを口に放り込み、静かに咀嚼する。

 屋上が冷えるから、というのもあるからだろうか。交わされる会話は皆無に等しく、誰も口を開かない。

 そも、士郎は食事中によく喋る方ではないのだ。普段は騒ぎたがりの藤ねえに合わせて口を開き、会話を交わしている感は否めない。セイバーも何やら渋い顔をしながら食事を進めるばかりだ。

 三人の間に、冷たい風が吹き抜ける。

 風を撫ぜる冷たい風。前髪が上がり、鼻先が寒さにほんの少し痛みを覚える。

 

「さむ……じゃあ私、もう行くから」

 

 とうとう寒さに根を上げたか、凛はサンドウィッチの最後のひとくちを放り込むと、スカートをはたきながら立ち上がる。

 士郎が何か口を挟む前に早々と歩いて行ってしまい、急いでご飯をかきこんで。

 

「ま、待てって遠坂!」

 

 黙り込むセイバーの手を取り、凛の後を追いかけた。

 

 ◇◆◇

 

 士郎が凛の背中に追いついたのは、屋上からの階段、その踊り場にたどり着いたところだった。

 息を切らし、困惑するセイバーを他所に、士郎は凛の背中へ問いかける。

「遠坂、寒いのはわかるけど別において行かなくったって……」

 肩を上下させながら、凛の真横で膝に手をつく士郎。問いかけながら凛の横顔を見上げると、その表情はひどく強張っていて。

 

「……遠坂?」

 

 同時に廊下に響いた、パァン、という乾いた音に、士郎の胸に焦燥が駆けた。

 思わず目を見開き、ゆっくりと視線を動かす士郎。

 凛が見つめている先へ。ゆっくり、ゆっくり。

 

「────、────────」

 

 そこで見たのは、地面に倒れ伏し、頰を抑える桜の姿と。

 まさしく今掌を振り抜いた後の、間桐慎二であった。

 

「慎二、おまえ……!!」

 

 焦燥に変わり、士郎の胸に怒りが満ちる。

 いつのまにか拳は強く握られていた。

 いつのまにか歩は前へと進んでいた。

 許さない。許せない。許してはいけない。

 づかづかと足音を立てながら、振り返る慎二へ歩み寄り、その胸ぐらを引っ掴んで、

 

「自分の妹に手を出すなんて……何やってるんだよ、慎二」

 

 そのまま壁に叩きつけ、至近距離で睨みつける。

 ここまで誰かに殺意を覚えたのは初めてだった。今にも首を締め付け、骨を折ってやりたいような衝動にまで駆られてしまう程に。

「何って、おまえこそ何やってるんだよ衛宮。他人(ヒト)の家の事情に口出すとかさ」

 慎二もまた好戦的であった。士郎の言葉を聞こうともせず、真正面から睨み返すだけ。

 慎二は悪気を覚えていない。その事実がさらに士郎の怒りを駆り立てる。

 思わず片腕を振りかぶり、慎二の頰に狙いを定めて、

 

「やめてください先輩!!」

 

 桜の悲痛な叫びに、無理やり正気に戻された。

「……桜」

「良いんです、先輩。わたしが悪いんです。わたしが、全部……」

「桜は何も悪くないだろう。桜はそんな、なにか悪いことをする子じゃ────」

 

「違うんです、先輩!! わたしはそんないい子なんかじゃない!!」

 

 遮られた。士郎の言葉が、桜の、悲痛な叫びに。

 桜がここまで感情的になるのは珍しい。それも、その言葉が、士郎に向けられているだなんて。

 あまりの驚愕に士郎は慎二の胸ぐらから手を離し、なにも言えずに慎二から距離をとる。

 視界の隅には笑顔を浮かべている慎二がいる。

 まるで、『正しいのは僕なんだ』と、嘲笑わんばかりの。

「さ、くら……」

「ほら言ったじゃないか! 何も知らないまま、無知をひけらかして他人の事情に踏み込むからこうなる! 全部全部全部、僕が正しいんだ。僕は、コイツを、しつけてただけなんだからさあ!!」

 慎二の笑い声が喧しい。頭にガンガン響いてくる。

 でもそれ以上に、

 

『わたしはそんないい子なんかじゃない!!』

 

 桜の叫びが、離れてくれない。

 

「だからいつも言ってるじゃないか。僕は正しいことを言ってるだけだ。おまえらは間違ってるって決めつけて、僕を否定して、踏みにじって、粗末にしてるだけだ。いつか痛い目を見るぜ、僕を信じておけばよかった、ってな!!」

「なにを、」

「何を? 遠坂、今更僕に『なにを』って問いかけたのか? 今まで一言も言葉を聞かなかった僕に。今まで一言も信じなかった僕に。才能がないと吐き捨て、踏みにじってきた僕に!!」

 慎二の口が回る。彼をここまで駆り立てているのは怒りか、優越感か────はたまた、心の奥底に潜んでいる別の何かかもしれない。

 

 士郎は慎二の言葉に何も応えることができない。

 

 ────慎二が正しい? 桜が、何か悪いことをしてるというのか?

 叩かれても仕方ないと、罵られても仕方ないと言われるほどの?

 

「僕が一番だって気づかないおまえらが悪い。なんで僕の思い通りに全部進んでいかないんだ。いつだって、何処だって、僕は、」

 

 唾を飛ばしながら叫ぶ慎二。

 その慎二の言葉を、士郎と凛の代わりに止めたのは、

 

「うるせぇよ。ガタガタガタガタ、少しは静かにできねぇのかってんだ」

 

 ここまでだんまりを決めていた、セイバーの冷たい言葉だった。

 いつのまにか士郎を庇うように前に出ていたセイバーは、慎二を睨みつけながら壁を殴りつける。

 相当苛立っているようだった。舌打ち混じりに向けられている慎二への視線は、殺意さえ紛れ込んでいるほどに。

 

「は、はははは……僕に口答えしようっていうのか、オマエ」

「────、────」

 

 慎二の言葉に、セイバーは何も答えない。

 その背中は、士郎にどうするか、何をするべきか問いかけているようだった。

 

「そうか、そうか、そうかよ。じゃあわかった、僕を馬鹿にするとどうなるか────思い知らせてやる!!」

 

 しかしその答えが士郎の口をつく前に、状況は急速に転がっていく。

 怒りの表情と同時に慎二が取り出したのは一冊の本。茶色い革の表紙の、手のひらに収まるほど小さな本だ。

 そしてその本からは、魔力の波動。

 

「まずい、衛宮くん、慎二を!」

 

 遠坂の叫びももう遅く、

 

「やれ、ライダー!!」

 

 慎二の叫びと同時に、地獄は広々と展開してしまった。

 赤々と、黒々と、艶めかしく、生臭く、血が全てを塗り尽くす、地獄が。




長らくお待たせしてしまったかもしれない。慎二を信じない方が悪い、もかかってますね。
コンセレでオーズドライバー発売ですって!嬉しい!でも関係ねぇ!
投稿が遅れたのは若干のスランプと某FGOのせいです。なんか色々忙しかった。セイレム胃もたれする……しかし面白い。悔しい。
俺もあんな話が書けるようになればいいな、と思う次第でした。


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第12話 『紫の、』

 広がる。広まる。広がっていく。

 ソレは生み出された、張り付くような粘っこい空気と、薄い膜。徐々に広がっていく地獄では、その場で呼吸をすることすら許されない。

 視界が歪む。膝が折れる。喘ぐように掠れる呼吸を繰り返し、視線をあげると慎二の歪んだ笑みが待っていた。

 

「▇▇▇█、▇▇▇」

 

 何を言ってるのか聞き取れない。聞こえてくるのは自分の呼吸と、幕が広がっていくべとり、べとりという悪寒を誘う音。

 苦しくて苦しくて仕方がなくて、短く呼吸を繰り返しながら階段を転がり落ちていく。この地獄にたった一筋の救いを求めて、廊下の窓を震える手でこじ開けた。

 

 ────死ねば、楽になれるだろうか。

 

 一瞬の気の迷いでその身を乗り出し、四階から身体を落とそうとしたところで、

 

「しっかりしなさい、衛宮くん!」

「歯ァ食いしばれマスター!」

 

 乾いた音。頰を貫く激痛。2人の叫び声で、我に返った。

 

 廊下に倒れ込み、大きく息を吐きながら立ち上がる。

 吐き気はいまだに身体にこもって出て行ってくれない。けれど、戦意と気力だけはなんとか持ち直した。

 

「……悪い、なんとか持ち直した。なんだよ、これ」

「慎二のサーヴァントの仕業みたい。あれ見て」

 

 士郎が開けた窓から軽く身を乗り出し、グラウンドを指さす凛。指先に視線を向けると、グラウンドの中心にソイツはいた。

 黒を基調とした外装を身にまとい、魔力を孕んだ風が紫色の長い髪を揺らしている。

 身長はかなり高く、短い丈のスカートから白く長い足が覗いていた。

 

「アイツがサーヴァントか。どうするマスター、ヤツはオレがやるしかねェよな?」

「待ってくれセイバー。……遠坂、アーチャーを呼ぶことはできないのか?」

「おい待てよマスター。オレひとりでやれるっつの! アーチャーの野郎なんていらねー!!」

 

 がなりたてるセイバーを尻目に、何やら眉間に指を添える凛。数秒間があって悩ましげに唸り声をあげると、大きく首を横に振る。

 

「……ダメ。この結界、マスターとサーヴァントの通信まで遮断するみたい。何度も試してるんだけど通じないわ」

「だから言ってんだろ、オレだけで充分だって。行くからなマスター!」

「待った、セイバー!!」

 

 セイバーは士郎の制止を聞かずに、窓から外に飛び出していった。

 グラウンドで何かと何かが衝突し、砂埃が舞う。立て続けに金属と金属がぶつかり合うような甲高い音が響きだし、士郎は思わず自分の無力さに口元を歪めた。

 

「そんな顔をしたって、あそこに行ったところで貴方には何もできないわよ」

「……わかってる」

 

 拳を握り締める。

 また戦わせてしまった。止められなかった。セイバー(あの子)に、また。

 口の中に苦味が満ちる。吐き出される息が重たい。

 きっとこの重みは、苦味は、自身を戒めるモノだろう。

 

「そんな顔をするくらいなら、せめて今は私たちで出来ることを考えなさい。後悔も反省もその後よ。……それに、セイバーなら大丈夫。あの子ならなんとかしてくれるはず」

 

 自分のサーヴァントを信用なさい、と。士郎の肩を柔く叩き、二人は背後へ振り返る。

 その先には未だ踊り場に佇む慎二の姿。表情は陰って見えないが、おそらく良い表情をしていないことは確かだろう。

 

「……この結界を止めろ、慎二」

「はぁ? 調子にのるなよ、衛宮。なんで僕がオマエの言うことなんて聞かなくちゃならないんだよ」

 

 ────嗚呼、やはり悪気を感じていない。

 普段鍛えていて、魔術の心得がある士郎ですらこれだ。何も知らない一般人なら、魔力を吸い取られすぎて虫の息と言っても過言ではないだろう。

 目を瞑る。瞼の裏に甦るのはあの大火災。士郎を襲った地獄のソレだ。

 覚えているのは誰かが死んでいったことと、誰も助けられなかったこと。

 助けを求める声を無視して、乗り越えて、たくさんの命の上に今の士郎は居る。

 もうたくさんのひとを失いたくない。手が届くのなら、全員助けないと。

 今度こそ、間違えないために。衛宮切嗣(セイギノミカタ)に、辿り着くために。

 

「……最後の警告だ。結界を止めろ、慎二」

「何度言われても答えは変わらないよ。オマエの、言うことなんて、聞くつもりは、ない」

 

 ゆっくりと、士郎の怒りを煽るように吐き捨てる慎二。

 

 ……瞼を上げる。慎二の隣には苦しそうに、浅い呼吸を繰り返す桜の姿がある。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 士郎の怒りを堪えた自身へ語りかける詠唱を口火に、戦況は動き出す。

 まずは目の前の人間から。間桐桜から、助け出す。

 

 ◇◆◇

 

 窓枠から飛び出し、赤い雷を纏いながら換装。ついさっきまで制服姿だったセイバーは、すぐさま鎧姿へと移り変わる。

 

「ど、ぉ、らァ!!」

 

 そして愛用の剣を、飛び出した勢い全てを乗せて目の前の女に叩き込んだ。

 辺りに響く鈍い金属音。砂煙を巻き起こすほどの衝撃。

 ……手応えはある。しかしまだ、仕留めきれていない。

 

「は、やるじゃねェか!」

 

 砂煙が晴れた。セイバーの視線の先には、紫髪の女が鎖を連ねた杭を交差させ、セイバーの剣を受け止めているのが見える。

 

「……てめーはキャスターか?」

「いいえ、ライダーです。私に魔術は使えないので」

「随分と余裕じゃねえか!!」

 

 律儀に応える紫が身の女、ライダーに舌打ちを交えながら、その身体に蹴りを食らわせてやる。

 ……いや、後ろに軽く跳ぶことで勢いを去なされた。手応えはない。

 見たところステータス値はあまり高くない。しかしセイバーのあの一撃を受け止め、蹴りにまで対応する反応速度────おそらくその全てはこの結界の恩恵だろう。

 

「結界を止めれば余裕ってわけかよ。簡単じゃねぇか、な!」

 

 地を蹴り、稼がれた距離を一瞬で無に変える。魔力放出で強化されたソレは、常人には瞬間移動にも見えるだろう。

 しかしライダーは、隠された目でソレを捉えている。背中に走る寒気と、肌がピリつくほどの殺気で、セイバーにはソレが理解できた。

 剣を振るう。ごう、と音を立てながら空気を切り裂く第一閃。ライダーはそれを身を僅かに傾けることで躱してみせる。

 

「ッ、ソ!」

 

 躱された剣。その勢いを殺さずにセイバーは宙で身を翻し、そのまま踵をライダーの脳天へ落とす。

 今度は直撃。……いや、違う。今度は腕で受け止め、去なされた。

 勢いが思わぬ方向へ流されたたらを踏むセイバー。その腹に、ライダーの膝が炸裂した。

 

「っづ────!」

 

 後ろへ吹き飛び、地面を跳ねながら受け身を取るしかない。身体の節々へ走る痛みに苛立ちは加速し、セイバーはここに来てようやく理解する。

 

「やりづれェ……オレまでなにかと吸い取られてんのか、これ」

 

 とはいえ、ほんの少し身体が怠いくらいだ。

 が、それに加えてライダーの身のこなし。短期決戦を基本戦法に置くセイバーには、少し厳しい相手かもしれない。

 

「ならとっととぶっ放して決着を……」

「奇遇ですね。私も同じことを考えていました」

 

 セイバーの声に被るライダーの呟き。気づけば、ライダーは吹き飛んだはずのセイバーのすぐ近くにいた。

 

 ぞわり、と、再び粟立つ肌。頰を撫ぜる殺気。辺りを満たす、結界なんかよりも色濃く、吐き気がするほどの魔力。

 

「っべ────!!」




慎二が結界を止めるつもりがないのなら、もちろん士郎は抵抗するで。────拳で。

……なんて、古いか。もうあけましておめでとうからかなり経ちましたね……いや、何かと忙しかったんです。許してください。
色々頑張って書いて2800文字……次はもう少し長く書けたらいいなぁ、と思います。次はなるべく早く、待っていてくれてる人がいるのなら待たせないように。頑張ります。


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第13話 『イチバン』

 強化の魔術。それが士郎が唯一使いこなせる魔術であり、士郎の魔術の全てである。

 

全行程(トレース)完了(オフ)

 

 強化した、魔力を纏った拳を構えて、荒げた息を整える士郎。

 思いの外気持ちは落ち着いている。未だに少し身体は怠いがそれも気にするほどでもない。

 まるで身体のスイッチ全てが切り替わったようだった。目の前の敵を、間桐慎二を、ただただ倒す為だけに全神経が集中している。

 

「……遠坂、援護頼む」

 

 一言だけ背後の遠坂に投げると走り出す。階段の上にいる分、慎二の方が立地的に有利だ────が、そんなことを気にしている暇はない。

 一刻も早くあの顔に拳をねじ込んでやらなければいけない。一刻も早くあの悪行を止めなければいけない。一刻も早く、早く、早く。

 

『喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う』

 

 いつだか聞いた神父の声が士郎の背中を押していた。反響するその声が、士郎の殺意を駆り立てている。

 

「────、────」

 

 士郎の殺意に一瞬息を飲むのがわかった。慎二は士郎に恐怖を抱いている。

 

 なら、

 

「行くぞ、慎二。歯食いしばれ」

 

 せめてもの情けに。冷たく吐き捨てて、もう三段先ほどに居る慎二へ、拳を構えた。

 

「……ッ、調子にのるなよ、衛宮!!」

 

 同時、手のひらに乗せた本を音を立てて開き、慎二の足元に魔力が舞う。

 その魔力は形を成し、黒い影へと変貌を遂げる。影には紫に変色した陽の光を受けて、怪しく輝いていて。

 

「……、……!」

 

 受けてはマズいと後ろに飛び退いた頃には遅かった。

 士郎が飛び退いた数秒差で、影は士郎をめがけて走り出す。

 身体で受けるわけにはいかない。影を受け止めようと強化した右腕を突き出して、

 

「づ、ぅ、っ……!!」

 

 じゅく、と、強化した右腕ですら、その影は容易く切り裂いた。

 骨に異物がぶち当たる感覚。衝撃は身体中を駆け抜けて、痛みに頭が揺さぶられる。

 

 遅れてやってくる浮遊感。落下して行くという恐怖。

 

 とりあえず右腕の痛みは無視をして、顔をしかめながら受け身をとった。

 無残に床を転がり、壁に背中がぶち当たる。

 しかしそんな士郎には容赦なく、影の第二波が迫っていた。

 

 再び差し出そうとした右腕には力が入らない。肉がぱっくりと割れて、血が滲んだそこからは骨がこちらを覗き込んでいた。

 

 ────ダメだ、間に合わない。

 

 なら、動かない腕を犠牲にすれば良い。最小の犠牲で済むならそれに越したことはないだろう。

 廊下に転がろうと体を丸める。しかし動かない右腕は出遅れて、影はすぐそこまで迫って来た。

 

 切断される。そう覚悟を決めたところで、

 

「ちょっと、何勝手に諦めてるのよ────!!」

 

 寸前で音を立てて割れる影。遅れてやってくるのは、何かが音を立てて過ぎ去る轟音だった。

 

「……? 別に諦めてたわけじゃない。右腕(この程度)で済むなら儲けものだろ」

「……何言ってんのよ。もっと自分を大事にしなさいよ!!」

 

 何ヲ言ッテルノカ本気デ理解デキナイ。

 

 思わず小首を傾げると、何かに感づいた凛は静かに息を飲む。

 いや、飲み込んだのは息ではなく沢山の言葉だろう。今はソレを吐き出す時間なんてない。

 背中に士郎を庇うように、慎二の目の前へ立ち塞がる凛。しかし士郎は納得がいかなかったようで、ノロノロと立ち上がると、凛の肩をひっ摑んだ。

 

「おい、遠坂。おまえが前に出るのは違うだろ」

「何も違くないでしょう。深手を負ってるんだから大人しくしてなさい」

 

 凛も譲ることはない。今も士郎の足元には夥しいほどの血液が滴り落ちていて、このままではマズいことが一目でわかる。

 が、それでも士郎は止まらない。止まれない。止まってくれない。

 右腕がダメなら次は左腕を使えばいいだけ。呼吸を整えながら再び強化の魔術を行おうとして、

 

「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!! さっさと二人して死んじまえってんだよ!!」

 

 叫びながら慎二が本を掲げる。同時に辺りに轟音が響き、

 

「────へ?」

 

 見覚えのある剣が、慎二の手元の本を巻き込み、壁に突き刺さった。

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 砂煙が舞う。目の前には怪しい文様が蠢き、セイバーは即座にその脅威性を理解した。

 肌が粟立つ。脳内では警告音が頭痛がするほどに鳴り響き、どうにかしろと本能が訴えかけている。

 

「っべ────!!」

 

 流石にこれをまともに受ければ死んでしまう。これはおそらく、彼女の────ライダーの、もうひとつの宝具。

 

「……一瞬で、楽にしてあげます」

 

 ライダーの構えが変わる。背中を丸め、姿勢は低く。膨大な魔力は杭の鎖まで巻き上げて、ジャラジャラと不気味な音を立てていた。

 

 デカいのが、くる。

 

「お、」

 

 そう察したのと同時に、セイバーは再び強く地を蹴り、跳んだ。

 他から見れば何の得策もない、何の考えもない愚かな突進。だが、

 

「らァ!!」

 

 すぐさまライダーの襟首を空いた手で引っ掴み、そのまま力任せに校舎へとぶん投げる。

 動揺したライダーは反応することができず、為すがままに校舎の壁を突き抜けた。

 それを見送ることなく、追いかけるように跳ぶセイバー。たまたまそこは、士郎たちの戦場のど真ん中だった。

 

「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!! さっさと二人して死んじまえってんだよ!!」

 

 そして、慎二の叫びを聞く。

 小さな舌打ち。セイバーの眉間には皺がより、深く、怒りを絞り出すようなような溜息を吐き出して。

 

 右手に携えた長剣を、本を目掛けて投げつけた。

 

 ◇Interlude out◇

 

 なんでみんなそんな目で僕を見るんだ。憐れむなよ。蔑むなよ。そんな目で僕を見るな。

 僕は普通に生きてきただけだ。僕はいつも通り頑張ってきただけだ。普通に、周りがするように頑張ってきただけなのに。

 なんで全てが空回る。なんで世界は、僕から全てを奪っていく? 平気な顔して、僕が求めたものを掻っ攫っていくんだ。

 

『……兄さん』

 

 うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。

 気持ち悪い。同情されるのはおまえの方だろう。なんでこの僕が、おまえにそんな顔をされなくちゃいけないんだ。

 

『だから言ったじゃないですか。先輩は、兄さんには協力しないって』

 

 うるさい。黙れよ。

 なんで僕の思い通りにいかないんだ。なんで僕がイチバンじゃないんだ。

 

 ……そうだよ。なんで、なんで僕がこんなところに居なくちゃいけない?

 

 必死に足掻いて、踠いて、他人を蹴落としてまで登ってきたはずなのに。

 

 なんで僕が、イチバンじゃないんだよ────!!




筆は乗るのに文字数が増えない。おかしい。
早いこと更新できました。書けるうちはポンポン投げます


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第14話 『上には上がいる』

 壁に空いた大穴。すぐ近くの教室の入り口前には、慎二のサーヴァント────ライダーがうずくまっているのが見える。

 

「セイバー!」

 

 剣を投げ捨てたままの姿勢でつまらなそうな表情を浮かべるセイバー。そのままの勢いで唾を吐き捨てながら、気だるげに士郎に片手を挙げた。

 

「無事かマスター。ちょっと待ってろ、今終わらせてくるから」

 

 視界の隅で慎二の本が炭になっていくのが見える。

 青白い炎と、その炎が立てる音。ソレを聞きながら、慎二は強く拳を握りしめた。

 

「なんだよ。やっぱおまえ、ライダーの本来の(、、、)マスターじゃなかったんだな。最初からあの本を狙ってりゃよかっただけじゃねぇか……クソ。どーりでアイツ、物足りねェワケだよ」

 

 普通なら自分の宝具を発動して、自分の有利な状況を作っておいてあんな弱いわけはない、とセイバーは語る。

 反応は少し遅れていたし、力も弱いわけではないが強いわけでもない。おそらく本来のマスターに従えていたならセイバーの突進ですら躱されていただろうし、おそらくこの結界も士郎たちですら五分と保たないだろう。

 

「……本来のマスターじゃない? どういうことだよ」

「そのままの意味よ。さっきまで慎二が持っていた本は、言ってしまえば令呪のようなモノ。あれがなくなってしまえばライダーは慎二に従う理由はないの。……結界も無理やり張らされていたんでしょうね、ほら」

 

 呆れたように小さく溜息を漏らす凛。その言葉とほぼ同時に、あたりに満ちていた結界が解けていく。

 呼吸が段々楽になっていくのがわかる。慎二の横でへたり込んでいる桜もいくらか顔色が良くなり始め、士郎はほっと胸を撫で下ろした。

 

「おい、何してくれてるんだよこのクソ女! これじゃ……これじゃあ僕は、僕は……!!!」

「どうするマスター。コイツ、殺すか?」

 

 唾を飛ばしながら怒鳴る慎二を他所に、セイバーは淡白に士郎に問いかける。

 どうでもいい、と言った様子だ。ライダーからも興味がなくなって、慎二のことなどもはやどうでもいい。生きていたとしても、死んでいたとしても。

 

 しかしセイバーの問いに、士郎は静かに首を横に振る。

 

「いや、殺さなくていい。生きて罪を償うべきだ」

「────、ッ。おい衛宮、情けのつもりか。生かしておけばまた僕はお前を殺しにいくぞ……僕はお前より優秀なマスターなんだからな。おい桜、もう一度令呪を出せ!!」

 

 青筋を立てながら呼吸を荒く、がなりたてる慎二。

 とうとう慎二は足元の桜の胸ぐらをつかみ、間近で桜を睨みつけ始めた。

 

「いや、です」

「……いや、だと? おい桜。この僕に刃向かうって言うのかよ……は、はは。いいぜ。一度衛宮にも見てもらうか? おまえを、今ここで、衛宮の目の前で犯して────」

 

 拳を構え、桜が強く目を瞑る。

 慣れたように、いつものことだと言わんばかりに。自分が耐えればこの場は丸く収まるのだから、と。

 乾いた音が辺りに響く。しかしそれは桜の頰に拳が捻じ込まれた音ではなく、

 

「そろそろ喧しいぞ、オマエ」

 

 振るわれようとした拳が、セイバーに引っ掴まれた音だった。

 

「黙って聞いてりゃピーピーピーピー喚きやがって。おまえはオレとシローに負けたんだよ。大人しく敗者は敗者らしく負けを認めて黙ったらどうだ?」

「負け……敗……僕はまだ負けてない! こんな奴に負けてたまるか!! だいたいサーヴァントが悪かったんだ、僕は何も、いつも────一番だった、はずなのに」

 

 鈍い音が辺りに響く。遅れて何かが倒れこむ音も。

 振り抜かれたセイバーの拳と、その先に倒れこむ慎二の姿。慎二は信じられないとでも言いたげな表情で、憤ったセイバーを見上げていた。

 

「テメェの負けをサーヴァントのせいにしてンじゃねぇよ。だいたいなんだ、さっきから聞いてりゃ『僕が一番』だの『僕の方が優秀』だの、『こんな奴に負けるはずがない』だとか……ふざけたことばっか並べてんじゃねーぞ」

 

 桜がされたのと同じように、座り込む慎二の胸ぐらを掴み、持ち上げることで無理やり立たせて。壁に強く叩きつけ、真っ直ぐに慎二の目を睨みつける。

 

「そんなのは全部言い訳だ。結果はもう出てんだろ。オマエはシローに負けた。オレのマスターに、オマエ自身の実力不足で負けたんだ」

 

 否定は許さない。英霊を侮辱することは許されない。

 彼らは、彼女らは世界や歴史を救った英雄たちだ。それを『弱い』などと貶す権利が何処にあろうか。

 

「僕が一番だ、僕が一番優秀だって。ふざけんじゃねェぞ。自分の下ばかり見下ろして、見下して、馬鹿にしてばっかな奴がテッペンでたまるかよ。そんな成長意欲もクソもねぇ野郎が!」

 

 何も言い返せない。何も言い返すことができない。

 全て事実だ。慎二は今まで、自分の下にいると思っている人間を蔑み、見下ろして、足蹴にして唾を吐き捨て笑い者にしてきた。

 下ばかり見ていた。見下ろしていた。だからこそ追い越して行った者達に気づけない。

 そしてたまに上を見ては、妬ましいと毒を吐くだけ。故に成長はしないし、周りから見れば滑稽なのだろう。

 

『大人になったら、父上みたいな────』

 

 ひたすら憧れの人の背中を追いかけ、ただただ上に上り詰めたセイバー(モードレッド)だからこそ。ひたすら上を目指した人間を見てきた円卓の騎士だからこそ、不快で、滑稽で仕方がない。

 

「……世の中、そんなに甘いと思うなよ」

 

 ◇◆◇

 

 部屋には沈みかけた、茜色の日差しが差し込んでいた。

 衛宮邸へ帰宅してから、早いこと20分程の時間が経過している。すっかり見慣れた居間にいるのは士郎、凛、桜にセイバー。凛曰く追加でアーチャーが居るらしいのだが、士郎には視認できなかった。

 慎二の一件があってから、冬木教会に連絡して────それから生徒全員が病院に搬送されるのを見守って、今に至る。

 慎二はといえば、セイバーのあのひと言を聞いてから、何処かへ走り去ってしまった。

 

『……世の中、そんなに甘いと思うなよ』

 

 セイバーのあのひと言にはなかなかの重みがあった。流石の慎二にもなにか思うところがあったらしい。

 あれからずっと、居間では沈黙が続いている。士郎の怪我へ応急処置を施した時に、ほんの数回桜と士郎の間に会話が交わされたくらいだろうか。応急処置と言っても、家に着いた頃には士郎の傷は殆ど処置が必要ないまでに回復していたのだが。

 

「……で、桜」

 

 沈黙を破ったのは凛の一声だった。

 各々視線をあげ、凛にソレが集まっていく。 話の水を向けられた桜が、ほんの少し息を飲んだ音が聞こえて来た。

 

「……はい」

「桜が本当のライダーのマスターってコトでいいの?」

 

 何の前置きもない、凛らしいハッキリとした問いかけ。

 ソレを受けて桜は凛から逃げるように視線を逸らし、唇を噛み締めながら小さく頷く。

 

「……やっぱりね」

「待ってくれ遠坂。桜がマスター……? 桜からどころか、慎二からですら魔力だなんてモノは感じられなかったぞ」

 

 ひとり納得する凛に、士郎が疑問を被せて投げる。

 士郎は桜と慎二と、凛以上に関わって来た自信がある。だというのに、そんな自分に気づけないはずがない、と。

 

 桜がライダーを粒子化させ、撤退させた。そんな現実を見たとしても、士郎には未だに信じられない。

 

「あら、意外ね衛宮くん。魔術に関してはからっきしなのに、魔力の感知はできるんだ?」

「……揶揄うなよ。俺は真面目に聞いてるんだ」

 

 ぱちくり、なんて擬音がつくほどの大袈裟な瞬きと、揶揄うような凛の視線。

 ……またペースを乱されている。そう自覚しても、士郎は何故か凛との会話で主導権を握ることはできないみたいだ。

 

「ふふ、ごめんってば。……そうねえ、慎二に関しては、おそらく『才能がなかったから』感じられなかったんでしょう。魔術なんてちっともできないはずだもの、アイツ。間桐の家系には、殆どもう魔術回路は残っていないから」

「だったら、なんで桜は……?」

 

 絞りきったような士郎の問い。

 辺りの時間が止まったようだった。何か、踏み込んではいけないことに踏み込んでいる気がする。

 

 長年触れなかった疑問へと、ゆっくりと、手を伸ばしていくイメージ。

 

 ────繰り返される慎二から桜への虐待。暴力。

 

『どうでもいいだろ、そんなこと』

 

 長年誤魔化されて来た、その理由。

 

「簡単よ。桜が、間桐の家の子じゃないから。もとは遠坂(ウチ)の子だったんだから、マスター適正くらいあって当然よ」

 

 その理由の片鱗に、士郎の指先が、触れた気がした。




冷静に考えてとんでもないネタバレである。


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第15話 『遠坂と間桐』

「……桜が、遠坂の?」

「そ。桜は、私の実の妹」

 

 困惑する士郎に対して、何でもないことのように言ってのける凛。

 鸚鵡(おうむ)返しのごとく聴き返してくる士郎に呆れたように、凛は大きく首を振って。

 

「いい、衛宮くん? 魔術師の家系は基本、長男────ないし、長女にしか魔術のことは教えないものなの。弟、妹に産まれた子は自分の家系が魔術師のソレだって知らない子が多いくらいには、ね」

「だったら尚のこと何で桜なんだよ。そこで魔術を覚えなくちゃならないのは慎二のハズだろ」

「……違うのよ。だからこそ、尚のこと桜なの」

 

 再び辺りに沈黙が満ちる。

 凛の視線は、俯きながら自分の震える掌を見つめる桜へ。まるで、私から話していいの? と問いかけているような。

 桜はその視線に何も応えない。その沈黙を肯定と取ったのか凛は口を開いて、その吐露を再開した。

 

「魔術師の家系は長男長女にしか魔術を継承できない。だから二人目が産まれた時に、他所の家系に里子に出すことがあるの。魔術回路を失ってしまった家系や、何の関係もない……ごく普通の家庭に」

 

 それが桜だった、と。……士郎の知らない、魔術師の世界だ。

 残酷な話だと士郎は思う。せっかく姉妹に、兄弟に産まれたのに、その仲を引き裂かれてしまうだなんて。

 だが同情は許されない。その当人が、凛が、その話を平然としているのなら。乗り越えたと言っているのなら、同情なんてするのは失礼というものだろう。

 

「桜は魔術回路が途切れてしまった間桐の家に里子に出された。遠坂の子供として産まれたのに、その才能を────魔術回路を無下にするのは勿体無いから、ってね。まあ私の妹なんだから、才能に恵まれてて当然なんだから」

 

 ね、桜。なんて、再び話の水は桜へと向く。

 桜の表情は見えない。変わらず俯き、肩が小さく震えているのだけは周りからも見ることができた。

 そんな桜へ助け舟を出すことは士郎にはできない。士郎にとっては、言い方こそ悪いが他人事だ。その当事者でもない士郎に、口を挟む権利はないだろうから……と。

 

 しかし、

 

「黙り込んでても何も変わらねーぞ、サクラ。なんか言いたいことあるんだろ?」

 

 意外なことにそんな桜へ助け舟を出したのは、ここに来て初めて口を開いたセイバーであった。

 セイバーの言葉に、桜の視線が弾けるように上がる。その言葉の主へ、セイバーのまっすぐな目へ、桜の視線は絡み合った。

 

「……言いたい、こと」

「そう、言いたいこと。たぶんリンはそれを理解してこうして話を振ってんだろ。……我慢せず、ちゃんと話した方がいい」

 

 桜の背中を押すような、セイバーの力強くも優しい言葉。

 相手への気遣いが見て取れる。普段の荒い気性からは、想像もできない様子だ。これがつい数時間前まで、慎二に掴みかかっていた人間と同じとは思えない。

 

 対して桜は、何度か口を開いては閉じてを繰り返し。まるで喘ぐように、助けを求めるように。

 どう話していいのか、何を話せばいいのか、迷い続けるように。

 

「わたし、は」

 

 深く息を吸い、とうとう桜は言の葉を紡ぐ。

 重く、長く、深く、まとめ上げるように。言葉をまとめながら、

 

「……わたしは遠坂先輩の言う通り、間桐の家で魔術師として育て上げられました。でも……わたしには、才能なんてものは全くなくて。間桐の家にきてから真っ先に強いられたのは、虫が蠢く蔵へと投げ込まれることでした」

 

 ようやく桜の口から飛び出したのは、全く予想もできなかった酷く重く、苦しい事実だった。

 

 息を呑む音が聞こえる。目を見開く気配がする。

 それは士郎のものだけではない。凛も、セイバーでさえ。驚きを隠しきれずに、何も応えることはできず、静かに桜の言葉の続きを待った。

 

「……つらかった。痛かった。気持ち悪かった。『死にたい』なんてことを思うのも毎日のことだった。髪色も、瞳の色も、魔術回路も体の構造さえも全て『遠坂』のものから『間桐』のものに代えられて(、、、、、)……助けを求めても、嫌だって言っても、お爺様は『その方が良いモノが仕上がるんだ』って笑うんです」

 

 強く拳を握る。

 あの日々を思い返すと吐き気がする。寒気がする。体中にナニカが這いずり回る感覚を思い出す。

 桜の視線はここには向いていない。きっと、過去のつらかった、忌々しい日々へと向いているのだろう。

 

「……わたしが魔術師だって、聖杯戦争のマスターだって黙っていてごめんなさい。でもわたし、先輩を敵視していたワケじゃ……騙していたわけじゃ、ないんです」

 

 ここにきて、ようやく桜の視線と士郎の視線が絡み合う。

 その瞳は、今にも泣きそうなくらいに潤んでいた。

 

「先輩はそんなわたしの毎日に差し込んだ唯一の光だった。唯一の希望だった……! ここにいる間はつらいことも忘れられて……つらくて痛いことでしかなかった食事を、初めて美味しいって……楽しいって感じたんです。わたしが魔術師だと打ち明けてしまえば、この暖かい場所がわたしから遠ざかってしまうんじゃないかって、そう思って────先輩が毎晩、ひとつ間違えれば死んでしまうような特訓をしているのも知っていたのに、話せずにいたんです」

 

 呼吸をおいて、「だから」、と。桜は強く拳を握り締める。

 流れた涙を拭うこともせず、必死に、訴えかけるように。

 

「だからわたしは、先輩が思うほど良い子なんかじゃない。自分が可愛くて、痛くてつらい日々に戻るのが嫌で、先輩の危険を見て見ぬ振りをして、こんな日々に浸っていた悪い子なんです。自分が可愛いだけの……悪い子、なんです」

 

『違うんです、先輩!! わたしはそんないい子なんかじゃない!!』

 

 今になってあの時の、桜の悲痛な叫びが士郎の脳裏に蘇る。

 

 あの叫びはおそらく、士郎に隠し事をしていた後ろめたさから来たものだろう。……いや、それ以外にも沢山の感情が込められているはずだ。

 それこそ士郎にも、凛にも想像できないほどに。沢山、暗く、どす黒い何かが。

 桜の身体は声と同様に震えている。言ってしまった、という恐怖からだろうか。

 士郎は視線を絡めたまま、長く溜息を吐く。それは呆れの色ではなく、

 

「なんだ、よかった。桜が俺のことを嫌いなワケじゃないんだな。俺と桜は敵じゃないんだろ?」

 

 よかった、と。薄い笑みを浮かべながらのモノだった。

 声音までもが安心しきったように暖かく。桜の不安を、優しく包み込む。

 

「……せん、ぱい?」

「まったく。桜が魔術師だった……それだけで俺は、桜を嫌ったり追い出したりしないよ。あの鍛錬が一歩間違えば死ぬ、なんてものだったのは知らなかったけどさ。それは自業自得だし、何よりそれくらいじゃないと鍛錬にならない」

 

 セイバーが士郎の後ろで何やら不満げに表情をゆがめた気がしたが、それはそれ。

 

「……だからさ、そんなに震えることないんだよ。怖がることはないんだよ、桜」

 

 ◇◆◇

 

「怖がることはないんだよ、桜」

 

 その言葉を背中に、凛は居間を後にする。

 その両手は強く握りしめられていて。足先はどうやら、玄関へと向いているようだった。

 

『……どうかしたのかね、マスター?』

 

 頭に響く声がする。自分のサーヴァントの、聞き慣れた声だ。

 しかしその声からは嫌味らしい色は聞こえてこない。どうやら本当に凛のことを案じているようだった。

 

「……知らなかった」

『……?』

「知らなかったのよ。私、桜がそんな目にあってたなんて」

 

 静かな怒りに、奥歯を噛みしめる。

 今すぐにでも握りしめた拳で、壁を貫きそうな勢いだった。背中からでもわかるほどの、尋常じゃない怒り。それが向けられている先は無力だった自分か、はたまた。

 

「私、勝手に私がつらい思いをすればそれだけ桜が楽できてると思ってた。……でも違ったんだ。実際は私なんかよりもっと苦労してて────私、衛宮くんと話している桜の笑顔が全てだと思って、安心しきって。ホントにバカだ。バカだった。私の苦労は無駄だったんだ」

 

 繰り返し自虐を交えながら、自分の頭を掻き毟る凛。

 とうとう衛宮邸の玄関へたどり着いたところで、

 

「……それは違うぞ、凛」

 

 目の前に見慣れた外套────真っ赤な、凛とよく似たソレが現れた。

 

 視線を少し上げれば、アーチャーの鋭い視線と絡み合う。ここまでアーチャーが憤っているのは初めて見た、なんて凛は思いつつ。

 

「……違うって、何がよ?」

「君の苦労は無駄ではないし、それに……確かに彼女も苦労していたかもしれない。が、君の苦労は決して軽いものでも他の人間に劣るものでもないだろう。そう自分を卑下するな」

 

 凛の問いかけに、アーチャーはそっとその手を凛の肩に乗せて。その怒りの割に、そっと凛に言い聞かせた。

 思わず目を見開き、アーチャーの顔を見つめる凛。

 

「……なんだね、その顔は」

「いや、意外だった。貴方も、そんな気の利いた台詞が言えるんだなって」

 

 失礼な、とばかりにアーチャーの眉間に皺が寄る。あまりにも子供らしいその表情がおかしくて、

 

「はは、ごめんってアーチャー。……わかった、もう少し私、自分のことを大事にしてみる」

 

 吹き出しながら、アーチャーの手を取った。

 

「……で、アーチャー。今日ライダー戦サボった分、しっかり働いてもらうから。私、行きたいところがあるの」




最初の構想ではここまでが14話だったんで、勢いで書き上げてしまいました。意外に書けてびっくり。
……にしてもモーさんのおかげで円滑に人間関係が進んでいく……びっくりである。


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第16話 『怒り、そして』

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 夜の帳が下りていた。

 あたりは暗闇に染まり、そこは────柳洞寺は、昼とは違う雰囲気をその身に包んでいる。

 昼は落ち着いた、冬にしては暖かい日差しを受ける落ち着いた雰囲気。

 そして夜は何処か不気味な、張りつめるような雰囲気を。

 

「……はぁ」

 

 そんな境内に、寒そうに手のひらに息を吹きかける影があった。

 地味な灰色のロングスカートに、夜闇に紛れるような紺のインナー。そしてその上から長袖のジージャンを羽織った女性だ。

 彼女は淡い水色の髪を揺らしながら、何かを待つように山門を見つめている。

 

 彼女の吐く息と、寒さを紛らわすような足踏みの音。風で木の葉が掠れ奏でる音が数分続いて、

 

宗一郎(そういちろう)様!」

 

 彼女の顔に、満面の笑みの花が咲く。待ち人が現れたようだった。

 宗一郎と呼ばれた男は彼女に気づき、ほんの少し眉をあげるだけで反応を示す。

 それだけで、彼女は十分だった。満面の笑みを浮かべながら宗一郎へと駆け寄り、今にもその胸に飛び込もうと両腕を広げ、

 

「────、────」

 

 その胸から飛び出した鋭利な剣先と思われる何か。飛び散る血飛沫に、その歩みを止めた。

 

 理解ができない。理解が追いつかない。意味がわからない。

 

 何故、彼の、胸から、剣が、飛び出しているのか。

 

 異常を察して普段の装いへ換装した頃には既に遅く、上空には無数の剣が煌めいていて。

 

 流れ星のように降り注ぐ剣に、抵抗もできずに串刺にされて行く。

 

「あ、が、ぅ、づ、ああ、ああああああ!」

 

 腕、足、胸、足、腕、胸、胸、胸、胸。

 肺が裂けた。足が貫かれた。健が切れる。血が口から溢れた。ごぷ、と音を立てて口から生臭いものが吐き出され悲鳴さえも堰き止められる。

 

「ご、ぶ、」

 

 苦しい。殺してくれ。痛みで意識が浮上して、途切れ、引っ張り戻される。痛い。痛いなんて思う余裕すらない。

 

 無様に夏の日差しに焼かれるミミズのようにうねりながら、必死に命を繋ぎとめ、

 

「ふは、ふはははははは!」

 

 彼女は、キャスターは、最後にやかましい笑い声を聞いた。

 

 ◇Interlude out◇

 

「そういえば、桜」

 食器を洗いながら、隣で皿の水分を拭き取る桜へと問いを投げる。

 桜は士郎の声を聞くと作業を止めて、小首を傾げ。士郎の方へと向き直ることで、言葉の続きを待った。

 

「ライダーの容態はどうだ?」

「ライダー、ですか」

 

 横目で桜を見やりながら、ぽつり、と。学校での一幕を思い浮かべつつ、士郎も作業の手を止める。

 ちなみにセイバーは居間でくつろぎテレビを見ていて、大きな欠伸を漏らした声が聞こえてきた。

 問いを受けた桜は数秒ほど考え込むと、淡く笑みを浮かべて、

 

「だいぶ良くなったみたいです。まだ回復には時間がかかるみたいですけど……心配をかけてごめんなさい、って言ってました」

 

 ライダーの代わりに、と軽く頭を下げながら。

 ならよかった、なんて士郎はそっと胸をなで下ろす。

 今後一緒に行動して行くのなら、ライダーは貴重な戦力だ。失うワケにはいかない。

 それに、桜のサーヴァントならあんな後味の悪い別れかたは違う、と士郎は思うのだ。ちゃんと桜と共に戦い、別れるべきだ、と。

 

「先輩だって、怪我をしているんですから。ちゃんと休んでなくちゃダメなんですからね」

 

 言いながら、桜の視線が士郎の腕に巻かれた包帯へと向いた。

 桜は夕飯を作ると言い出した時も、洗い物を買って出た時も休んでいるように言ったのだが。なんだかんだで押し切られ、桜にも手伝ってもらう、なんて条件付きで押し切られてしまった。

 桜としてはライダーも心配だが、それ以上に士郎のことも心配なのだ。怪我をしても無茶をしてしまう無謀さも、

 

「もうすっかり良いよ。ほとんど痛みもないくらいだ」

 

 その異常なまでの、回復速度も。

 本人に聞いてもわからない、というところが正直一番怖い。何か大事なものを代償にしている気がして。

 

「……でも先輩、すぐ無理も無茶もしちゃうんですから。目が離せないです、わたし」

「そ、そんなに危なっかしいかな、俺?」

「はい、とても。だからこそ、遠坂先輩と協定を組もうって話をしようと思ったんですけど……」

 

 桜の視線は、ここにはいない凛の背中へ。

 夕飯前から姿を見せない、自分の姉を見つめながら。

 

「……どこに行っちゃったんだろう、姉さん」

 

 未だ呼べていない愛称で、彼女を呼んだ。

 

 ◇◆◇

 

「……これのどこが、魔術工房よ」

 

 ぎり、と辺りに歯を噛みしめる音が響いた。

 共に吐き出された声は怒りを孕み、堪えきれなかった怒りは、拳によって地にぶつけられた。

 

 声の主、凛の目の前に広がるのは一種の地獄。

 

 間桐の屋敷の地下に位置する場所。そこに設けられたその部屋には、大きな穴が空けられていて。

 穴の中に蠢く無数の蟲、蟲、蟲。それら全てからは微量に魔力を感じる。

 

「……アーチャー」

「なんだね、マスター」

 

 背後の自分のサーヴァントへと。振り返りもせず、怒りのままに。

 

「こんな場所、ぶっ壊して」




章別けました。この話は第2章の終わり、第3章への導入ってことで短めです……次から着々と終わりに向かって行くんで、投稿は早くできたらなぁって思ってます。目指せ週一投稿


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第3章
第17話 『ちょっとした認識の違い』


 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 まだ何もできていない。まだ何もしていない。

 愛する人を失って、体の大部分を失って、血液を垂れ流しながら、境内を這いずって進んでいく。

 

「ぁ、っ、ゔ────!!」

 

 口から漏れるのは呪詛だった。この場に居ない、誰かへ向けられた呪いのソレ。届くことのない、恨みの塊。

 吐き出す度に意識が浮上する。今私を無理矢理にでも動かしているのは、怒りそのものだった。

 愛しいヒトの亡骸へ。這いずりながら、ゆっくりと進んでいく。

 

 殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺してやる。

 

 出なければ気が済まない。あいつの顔を引き裂いて、突き刺して、刺して、刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して────

 

「は。なかなかに無様な姿よな」

 

 ふと、声がした。今は冬だというのに、虫の声の幻聴を覚えた。

 

「だ、れ」

 

 掠れた声で問いを投げる。絞り出された問いは、風にでも飛ばされてしまいそうだった。

 

「……名乗るつもりはない。貴様、力が欲しかろう?」

 

 しかしその問いは届いて居たようで、何処からか聞こえてくる声は私に問いを返した。

 

 ────欲しい。欲しいに決まっている。

 

 ヤツを殺す力が。この戦いを生き抜く力が。私は、こんな所で、こんな結末を迎えていいモノじゃない。

 

 言葉がうまく紡げない。必死に奥歯を噛み締めて、なんとか頷くことで返事をするのがやっとだった。

 

 声の主にとってはそれだけで十分だったらしく。

 

「……アレは衛宮の小僧に取られてしまったようだし、貴様を代替品として使っても構うまい。喜ぶといい、貴様は再び力を手に入れる」

 

 何かが這いずる音がする。私以外の何かが、這いずって、

 

「せいぜい儂のために身を骨にして働くんじゃな」

 

 身体に、何か、なにかが、

 

 ◇Interlude out◇

 

 屋敷に固定電話の、けたたましい着信音が鳴り響く。

 

「はいはい、今出ますよー、と」

 

 時間は丁度朝食の準備中。エプロン姿の士郎がパタパタと慌ただしく、手の水分を拭き取りながら駆けていく。

 そのままの勢いで受話器を取ると耳に当てて、

 

『士郎ーー!!!!!!!!』

 

 殴りつけられるようなどでかい声に、即受話器を遠ざけた。

 

「……なんだよ、藤ねえ」

『入院生活1日目にして苦痛だよ士郎ー! ご飯は薄味だし検査の注射は痛いし、もうお姉ちゃん帰りたい……』

 

 電話の主は冬木の虎、大河である。

 この前のライダーの一件があり、学校にいた生徒は半分ほどが病院へと搬送された。大河もその中のひとりというわけだ。

 ちなみにもう半数は電話の向こうの大河と同じくぴんしゃんしているそうな。

 

「そんなこと言ったって、ちゃんと身体は診てもらえよな。中身のことは診てもらわなくちゃわからないんだから……ついでに年甲斐なく喚き倒すその性格も治してもらえ」

『あー、ひどいんだー! 士郎ったら寂しがってるんだろうなあって思って電話してあげたのに……お姉ちゃん悲しいよぅ』

 

 ……この様子だと身体に異常はなさそうだ。密かに心配はしていたのか、相手に悟られぬよう静かに胸をなでおろす士郎。

 しかし、表向きは校舎内でのガス爆発とされているが、原因が原因だ。しっかり診てもらった方がいいに決まっている。ここで甘やかして帰って来させるわけにはいかないし、心を鬼にする士郎である。

 

 他にも何度か会話を繰り返し、大河を宥めながら電話を切る。内容は主に『学校は休みになってるけど、だらけすぎないようにね!』だとかそんな内容ばかりだった。

 急に日常に引き戻されたみたいで、思わず笑みが漏れる。変わりない誰かが、身近にいてくれてよかった、と。

 

「今の電話はタイガーか?」

 

 なんて小さくため息を吐く士郎の背後に現れる影。あくび交じりに片手を上げつつ、ボサボサの頭を掻き毟るのはセイバーだ。

 セイバーは士郎のお下がりの着物を身にまといつつ、目尻には涙を溜め込んでいる。

 

「ああ。思ったより元気そうで安心してたところだよ。……おはよう、セイバー。よく眠れたか?」

「ん? おう、もう十分すぎるくらいにな。本来睡眠は必要ねーんだがな、こうして霊体化せずに休息をとるってのも悪かねー」

 

 うんうん、と頷きながらのセイバーのひと言。何やら新しい現世の楽しみ方を見つけられたようで微笑ましい。つい昨日も士郎と桜の料理を美味い美味いと食べていたし、思ったより満喫できているらしい。

 

「ん、よし。じゃあ朝飯にしようか。もうすぐできるぞー」

「よっしゃ! さっさとメシにしようぜー!!」

 

 言いながら急かすように士郎の背中を両手で押すセイバーと、苦笑いをしながらされるがままに居間へと足を向ける士郎。そこで、

 

「………………遠坂?」

 

 なにやら、信じられないものを見た。

 ボサボサのハーフツインテールと死んだ魚のような、ひとを二人は殺していそうな目。それから赤を基調としたいつもの装いを身にまとったのは、他ならぬ遠坂凛……の、はずだ。

 

「……おはよう、衛宮くん。衛宮邸の朝は早いのね」

「うちに帰ってきてたのか、遠坂。……えっと、そろそろ朝飯だぞ」

 

 ドスの効いた掠れた声でいつも通りに声をかけてくるものだから、質問はいろいろあるのに、面食らいながらもいつも通りの調子で返事を返してしまう。

 凛は錆び付いたロボットのような動作で頷きを返すと、居間へゆるりと入っていった。

 

「……意外だな。遠坂、朝に弱かったなんて」

「まあ完璧な奴なんていねーってこったろ……可愛げがあっていいんじゃねェの」

 

 凛の新たな側面を見つけ、微笑ましげな笑みを浮かべる二人なのだった。

 

 ◇◆◇

 

「さて。腹も膨れたことだし、真面目な話をしましょうか」

 

 朝食も平らげ、食後のお茶を啜っていたところで。いつもの調子を取り戻した凛が手を合わせながら切り出した。

 

「昨日の夜、私は柳洞寺に行ってきたの」

「……柳洞寺って、なんでさ?」

 

 思わず小首を傾げる士郎に、凛は小さくため息を吐く。

 

「……そんな顔したって仕方ないだろ。俺は何も知らないんだし」

 

 ほとんどオヤジ────切嗣は、魔術のことを教えてくれなかったし。自分が使える魔術以外はからっきしの素人と言っても大袈裟ではない。

 

「そうね、そうだったわ。……柳洞寺はこの街でも随一の霊地なの。『あまりにもマナが濃すぎて後継者育成に支障を来す』って遠坂(ウチ)のご先祖様が本拠地を置けなかったほどにね」

「……それだけマナが濃ければ、マスターが潜むには格好の場ってコトか」

「そ」

 

 士郎なりに凛の言葉を咀嚼して、返る言葉に凛が短く頷く、と言った一幕だ。

 魔術を行使するのに、周りに漂う魔力(マナ)は多い方が良いに越したことはない。ソレが多いければ多いほど、より高度な魔術を使えるものだ。

 しかし士郎の言葉に凛は頷きつつも、渋い顔をしたままで。

 

「……どうかしたんですか、遠坂先輩?」

「うーん、そう。マスターが潜むには十分だと思うし、マスターに出くわす覚悟くらいはして言ったんだけど……」

 

 はぁ、と大きなため息をついてから。首を横に振りつつ、

 

終わってた(、、、、、)のよ、既に」

「……終わってた?」

 

 何やら悩ましげに、ゆっくりと、言葉を吐き出した。

 

「そう、終わってたの。私が行った頃には、柳洞寺には何かが交戦した跡しか残っていなかった。……しかも、二箇所も」

「二箇所……?」

「そう、二箇所。おそらく、元からそこにいたサーヴァント二騎が侵入者を迎え撃った、という形でしょうね。柳洞寺には協力関係のマスターがいたっていえば納得がいく……んだけど、その残された跡っていうのが曲者でね」

 

 言葉をまとめるような沈黙。凛自身、なんと言うべきか迷っているのだろう。

 時計の針の音がやけに耳につく。セイバーの退屈そうな欠伸の声がした。

 今日何度目かわからないため息を吐いてから、凛は「あくまで私の予想なんだけど」と前置きをして、

 

「無数の何かが刺さったような跡が残されていたのよ。アーチャー曰く、ソレは剣が刺さった跡と言っていたんだけど……そんな攻撃をするようなサーヴァントは、今回居ないはずなのよ」

 

 ソレを聞いた士郎が、思わず生唾を呑み下す。

 

 今回脱落した二騎を除いても、凛と士郎はサーヴァント全員の顔を知っている。それから戦法も。

 あの夜家にいたセイバーとライダー、それから凛と一緒にいたアーチャーを除いても、そういう攻撃を仕掛けてくるようなサーヴァントはいなかったはずだ。

 

「戦闘の跡のうち一箇所は、刃物と刃物のぶつかり合いの後完結……残されたもう一箇所────その無数の剣の跡が残されてた跡は、まるで一方的に虐殺されたようだった、というのが私のアーチャーの見解。そんなに有効的な攻撃法なら、ランサーにしろバーサーカーにしろ最初から使ってくると思うのよ」

「それが誰かの宝具ってコトはないのか?」

「……それが真名解放による攻撃なら、衛宮邸(ここ)まで魔力の余波が届くはずです。それならライダーか、セイバーさんが気づいて報告してくれると思います」

 

 確かに、と頷きながら昨日の夜を思い出す。

 昨日の夜は平和なものだった。夕飯を済ませた後にも特に異常はなかったし、誰もソレを感知することはなかった。

 

 ────この街に、この聖杯戦争に、何かイレギュラーが混ざりこんでいる。

 

 あの日戦ったバーサーカー。未だに恐怖の象徴として脳裏に焼き付いているソレと、今明らかになったイレギュラー要素。

 セイバーを過小評価するわけではないが、とても士郎達だけで太刀打ちできるものではないと思う。

 

 なら、尚のこと。

 

「なあ、遠坂。俺たち協定を結ばないか? 桜とはもう話はついてる。桜も、俺と同じ気持ちだ」

 

 息を吐きながら、ゆっくりと。今度は士郎が提案する番だった。

 士郎としてはそれなりに決心して提案したのだが。

 

「え、なに。私流れでそういう関係になってたと思ったんだけど……違うの?」

 

 なんともまあ、返ってきたのは間抜けな返事だった。




これ補足いるなぁとおもってしまったので……。
柳洞寺の一件は、突然現れたギルが宗一郎を背中から刺し、後に剣の雨にてキャスターを殺し、反応が遅れた小次郎が迎え撃った、という形です。3度ほど打ち合って負けてしまいました。
これの前の話書くまで忘れてたんですけど、遠坂と士郎が協定関係になった描写入れ忘れてたんですよね……もしかしたらどこかでぽろっと書いてるかも知らないけど。確認した限りではなかったはず。ということでこんな形になってしまいました、ごめんなさい。


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第18話 『崩壊。始まり』

「そらァ!」

 

 セイバーの豪快な掛け声とともに、カキーン、なんて。小気味のいい音が辺りに響く。

 

「な、に……」

「ふははは、この『ばってぃんぐせんたー』ってのも大したことねェなシロー!」

 

 そう、ここはバッティングセンター。野球少年もそうでない者も愛用している、新都の娯楽スペースのひとつだ。

 セイバーの利用しているスペースは、確か130キロ設定だったはず。にも関わらず飛んでくる球の(ことごと)くを芯でとらえ、前へとかっ飛ばしている。

 ちなみに隣の士郎は120キロ設定のスペースで、バカバカ気持ちよく打つセイバーに度肝を抜かれていたところだ。

 

「……楽しそうね、2人とも」

「そうですね」

 

 そんな二人をスペース外から眺める、桜と凛。微笑ましげに笑みを浮かべるその姿は、さながら二人の親……ないし、姉のようであった。

 

 何故四人がこんなところにいるのか説明するとすれば、時は二時間ほど前に遡る。

 

「さて、じゃあ私たちは無事協力関係になったワケだし……親睦を深めるためにデートと行きましょう!」

 

 そんな凛のひと言から始まった。

 戸惑う士郎を他所に話はトントン拍子で進んで行き、気がつけば外へ。凛と桜合作の弁当を片手に、新都へと駆り出された、という塩梅だ。

 

 まずは服屋。セイバーの着せ替えタイムが始まり、女性服専門店で士郎は異様な気恥ずかしさを覚えたり。

 クレーンゲームでやけに力が弱いアームに凛が激怒し、必死になだめる一幕があり。

 ペットショップで、

 

「……衛宮くんはペット、飼わないの?」

「まあウチにはとびっきり大きなのがいるからなあ」

「……ふふ、そうですね。大きくて、頼もしくて、とても強いトラさんが」

「あー、そういうことな。ぶふ、確かに」

 

 なんて会話を交わしたり、と。

 楽しむ四人の姿は、聖杯戦争なんて物騒な戦いに身を置いている人間ではなく────普通の、年頃の少年少女達のような。

 現に士郎達は、この瞬間だけは聖杯戦争のことを忘れていたし。本気で、心の底から楽しんでいた。

 そう、心の底から。今までにない程に。

 

「あの、遠坂先輩」

 

 そして時は戻り、バッティングセンター。ふと、桜が、無意識に零してしまったように名前を呼ぶ。

 

「……姉さんって、呼んでもいいですか?」

 

 失った時間を取り戻すように。空白を埋めていくように、そっと。

 隣に立つ凛の表情は見えない。恥ずかしくて、見ることが出来なかった。

 沈黙が続く。士郎とセイバーがバッド振る音だけが響いて。

 

「……むしろなんでいままで呼んでくれなかったのよ、ばか」

 

 とうとう飛び出した言葉に、桜の頰が真っ赤に染まった。

 

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 楽しかった。今までにないほどに、聖杯戦争なんて使命を忘れてしまうほどに。

 けれど、胸が高鳴る度に黒い思考が脳裏をよぎる。

 

 俺は/わたしは、本当にこんなところにいていい人間なのかと。

 

 ひどく歪で、ギザギザな心で考える。考える度に足元が、地面が抜け落ちて、平穏から転がり落ちてしまうような幻覚を覚える。

 

 俺が笑顔になるなんて/わたしが彼女を姉さんと呼ぶなんて

 

 そんな幸せ、許されるのだろうか、と。

 

 考える度に黒い思考が脳裏をよぎる。後ろ向きな思考が満ちていく。

 

 きっと、平穏は何かの前触れだ。平穏に浸り、退廃していくだなんて、きっと、

 

 この世界が/聖杯が、許さない。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

「腹減った!」

 

 そんなセイバーのひと言で、一同は昼食へ。雲ひとつない晴天、ピクニック日和だ、ということで、士郎達は冬木大橋付近の広場へと来ていた。

 辺りには草原が広がり、目の前には流れの緩やかな川。弁当を広げるには最高の立地といえよう。

 ブルーシートを広げて、桜と凛の手製の弁当────サンドウィッチが詰め込まれたそれを広げ、各々腰を下ろして。真っ先にセイバーがそれを手に取り頬張った。

 

「んめー……! 本来腹は空かねェはずなんだけどな、身体動かした後の飯は美味えわ」

 

 士郎達が利用したバッティングセンターは二百円で二十球。それを三回も打ちっぱなしでいれば、飯も美味いのなんの。

 士郎も無言でソレを頬張り、家から持ってきた紅茶で喉を潤す。空腹に染みる辛味がたまらなかった。

 

「ふふ、姉さんの味付け、先輩は気に入ってくれたみたいですね」

「ん……む、遠坂が作ったのか、これ」

 

 満足そうに頷く凛に、士郎は目を見開きながら手元のサンドウィッチを見つめる。

 確かに中華風な味付けと言っても良いもので、何処となく凛らしさを感じる。

 そんな士郎に対し、セイバーは桜が凛を『姉さん』と呼んだことが驚きだったらしい。何やらニヤニヤと微笑ましげな視線を送ると、桜の頰が赤く染まった。

 

「あら、士郎は桜に何も言わないの? 私のこと、姉さんって呼んだコト」

「ちょ、ちょっと姉さん……! 揶揄わないでください、恥ずかしいんですから……」

 

 とは言っても敬語は抜けないようで。いつもの調子で返す桜に、さらに凛は意地の悪い笑みを浮かべる。

 そんな微笑ましい光景を眺めながら士郎は口に頬張ったぶんを嚥下して、

 

「いや、何も言わないよ。ソレが本来の姉妹のあり方なんだから、なんの違和感もないし」

 

 何気なく、さらりと、そんなことを言ってのけた。

 そういうとこだぞ、と言いたげなセイバーの視線が痛い。しかし士郎とて今の発言には何の意図もないのだ。二人の頰がさらに赤く染まったのは自分のせいではない、と。

 

 和やかな時間が流れていく。

 何気ない話を繰り返して。これまでどんなことがあったのか、去年の体育祭は、文化祭は。色々な昔話に浸りつつ、時は緩やかに流れていく。

 

「またこうして、出かけられる機会があれば良いですね」

 

 桜が何気なく、ポロリと漏らした言葉。心の底からの本心。

 全員の視線が桜に向く。桜は自分の足を見つめるように俯いていて、その言葉を、この幸せを、必死に噛みしめるような。

 

「当たり前だろ。こんな戦い終わらせて、またみんなで────」

 

 そんな幸せを、ぶち壊すように、

 

「呑気なものね。吐き気がするわ」

 

 ソイツは、現れた。

 

「桜!!」

 

 叫ぶ。喉を振り絞り、凛が、必死に、形相を変えて。

 咄嗟に跳び、手を伸ばし、桜の身体を何処でもいいから掴もうと。

 

 

 

 

 

 

 しかしそんな抵抗も、虚しく。

 

 

 

 

 

 

「せん、ぱ────」

 

 

 

 

 

 

 現れた影の腕が、桜の背中を貫いた。




2500文字……薄っぺらいなぁ。次はもっと書けるはず……


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第19話 『約束』

「桜!!」

 

 叫んだ声は届かない。時すでに遅し、とはこの事だろう。

 桜の口から吐き出される血液。背中からぶち抜かれた腕は桜の胸から飛び出して、指先に掴んだ何かを見せつけている。

 

「何しやがる、てめえ────!!」

 

 士郎の激昂を聞き、セイバーが稲妻を纏いながら跳ぶ。

 その両手にはいつもの長剣。振るわれたソレは影をすり抜け、きち、きちきち、と、影だったものは気味の悪い音を立てた。

 

「……蟲?」

 

 そう、蟲。凛が思わずつぶやいた通り、辺りに散らばるソレは蟲であった。

 凛が間桐の工房で見たものと同じ。全く同じソレが、再び影の形を成す。

 漆黒のローブに身を包んだ隻腕の女性だ。右腕があるであろう位置からはどす黒い魔術があふれ出ていて、気味の悪さに拍車をかけている。

 そして唯一残された手、その指先には光を反射する、黄金の何か。

 

 解放された桜は膝からその場に崩れ落ち、すぐさま士郎が桜を受け止めた。

 呼吸はまだある。出血量も、思ったより酷くはない。

 

「……だいじょうぶです、先輩……お爺様に仕込まれた蟲が、わたしのことを、生き永らえさせて……」

「わかった、もう喋るな桜。すぐに終わらせる」

 

 皮肉な話だ。昨日怒りを覚えた間桐の人間に、大切な人が生かされているなど。

 

「あら、まだ死んでいないの? まあいいわ。私の目的はもう済んだのだから」

 

 女の言葉が士郎の怒りを煽る。凛までもが音を立てながら歯を噛み締めて、密かに指の間へ宝石を構えた。

 

「そんなおもちゃ(、、、、)じゃあ私のことは倒せないわよ?」

「なあに、やって見なくちゃわからないじゃない。随分と自分の実力に自信があるのね」

 

 軽口を交わしながらも、凛は静かに女を睨みつける。

 膨大な魔力。そして、このただならぬ存在感。これは────

 

「……マスター。コイツ、サーヴァントだ」

「コイツが……!?」

 

 セイバーの呟きに、士郎が思わず声を上げる。

 そう、サーヴァントだ。放つ気配も、魔力も、紛れのないサーヴァント。

 

「……やっぱりそうなんだ。でも貴女は何者? 私は貴女のコトなんて知らない。知らない顔の英霊は、昨日の晩に全員脱落したはずなんだけど」

「ふふ、そうでしょうね。だって私、昨日の晩には一度死んだんですもの。地獄の底から這い上がってきたの」

 

 言いながら、フードを自ら脱ぐ女。

 その下から現れたのは、半分肉の削げた醜い顔。抉れた顔の肉からは無数の虫が飛び出し、きぃきぃと不快な声を上げている。

 頰の肉はこけ落ち、痩せ細り、肌の色は青白く────まるで死人が無理やり動かされているような。

 

「……はは、まるで『生きる死人(リビングデッド)』じゃない」

「そうよ? 私の身体は半分以上が死滅している。生きた屍、だなんて言われても仕方がない」

 

 否定をしない。何もかもが足りていない顔で、女は楽しげな笑みを浮かべた。

 

「私はね、蘇ってでもしなくちゃいけない事があったのよ。これが、その第一段階」

 

 高笑いを交えながら、女は左手を高々と掲げて。

 

 その腕を、自らの身体に突き刺した。

 

 刹那、膨大な魔力の余波が辺りへと広がり、その女の体中の蟲が、歓声をあげるように鳴き叫ぶ。

 喉がヒリヒリと痛む。肺が荒く呼吸を繰り返し恐怖を訴える。体中から脂汗が飛び出して、逃げろと警告を鳴らしている。

 

 足が、恐怖で、動いて、くれない。

 

 なまじ魔力を感じる事ができるのが仇となった。だからこそ、感じられるからこそ、この恐怖を理解できる。

 コイツに歯向かってはいけない。立ち向かってはいけない。背中を向けては、一瞬で殺されてしまう、と。

 

「ふふ、ははははは!! とうとう、とうとう手に入れた!! これが、これこそが────私を勝利へ導く力。聖杯の、力……!!」

 

 崩壊していく。崩れ去っていく音が聞こえる。

 平和が、平穏が、何もかも、全部、音を立てて。

 

 満足気に口よ裂けろとばかりに笑顔を浮かべる女の手のひらが士郎達へと向けられた。

 途端、手のひらから溢れ出すのは魔力の本流。どす黒い、先日の結界などとは比べものにすらならない凶悪なソレが、球体を象って行く────

 

「マズい」

 

 短く呟いたセイバーは士郎の元へと駆け寄って。その目の前へ、庇うように立ちはだかる。

 

「何考えてるんだセイバー、あんなの受けたら消し飛ぶぞ!!」

「うるせェ、ここでシローを失うよりはマシなんだよ!! 大人しく護られてろ!!」

 

 と言っても何をすればいいのかわからない。あんな膨大な魔力、どうすればいいのか。

 どうにもできない絶望感。太刀打ちできない。そんな状況へと助け舟を出したのは、

 

「アレが放たれる前に逃走を図ります。シロウ、準備を」

 

 ここにきて初めて口を開いたライダーだった。

 

「ライダー!?」

「……驚いてる暇はありません。私の宝具を使いましょう……アレなら、追いつかれることはないはず」

 

 驚愕する凛へと、ライダーは静かに言葉を並べて。今にも放たれそうな魔弾へと視線を向ける。

 

「隙を作れればベストなんですが……」

「了解した。その役割、私が引き受けよう」

 

 状況は加速して行く。この場にいる全員が生きることに縋り、次から次へと動き出す。

 ライダーの声に応えたのはアーチャーだ。言いながら、アーチャーは弓を(つがえ)、女の足元へ狙いを定めて。

 

「それではセイバーは霊体化を────シロウはサクラを連れてこちらへ。リンも、早く」

 

 考えるよりも先に体が動いていた。死にたくない、その一心で。

 渋い表情を浮かべながらもセイバーはすぐさま霊体化。士郎は桜を抱え、ライダーの元へと駆け寄る。

 

 瞬間、アーチャーの矢によって女の足元が爆ぜ、その体勢が崩れた。

 

 一瞬の隙。しかし、この戦場では大きな隙だ。

 

騎英の手綱(ベルレフォーン)────!!」

 

 ◇◆◇

 

 沈み行く陽の光。部屋へと差し込む日差しが夜の訪れを告げ、ほんの少しの物寂しさが胸を満たす。

 衛宮邸の別館の一室。普段は使われていない客室へ士郎はいた。

 その腕には寝息を立てる桜が抱えられている。

 

 数時間前には、あんなに幸せな笑顔を浮かべていたのに。

 

 静かに眠る桜だが、定期的に何かに苦しむように呻き声を上げている。それを見る度、聞く度、士郎の胸が痛むのだ。

 

『士郎、僕はね。正義の味方になりたかったんだ』

 

 父親から、切嗣から受け継いだ理想(ユメ)。みんなを助けたい、みんなを笑顔にしたいという、果たされなかった願いだ。

 

「……何が、正義の味方だよ」

 

 間に合わなかった。あの時、あの瞬間、となりに桜は居たはずなのに。

 あのサーヴァントの反抗に抵抗できず、あのサーヴァントに太刀打ちできず────無様に逃げ帰ってきた。

 

 これの、どこが正義の味方なのだろうか。

 

 ゆっくりと、感情を噛み締めながら、桜をベッドに下ろしてやる。

 

「……先輩?」

「……起こしちまったか、桜」

 

 薄っすらと目を開いた桜が、掠れた声で士郎を呼ぶ。

 同時に手を伸ばすと、士郎の頰をゆっくりと、愛おしむように撫でた。

 

「難しい顔してますよ、先輩。何かを必死に噛み殺してるみたいで」

 

 頰を暖かさが包み込む。こみ上げた感情を甘やかに溶かして行く。

 何も心配することはない。誰も責めることはない、と。子供を甘やかす母親のように。

 

「……あんなに楽しかったのにな、って思ってたんだ。なんで桜だけがこんな目に遭わなくちゃいけないんだ」

 

 自然と、溢れ出るように言葉は士郎の口から流れ出ていた。

 士郎の吐露に、桜は薄く笑みを浮かべてから。悩ましげに眉間へ皺を寄せて、

 

「違うんです。わたしは今まで悪い子だったから……だから、バチが当たったんだろうなあって」

 

 言いながら、首を静かに横に振る。

 

「違う。そうじゃない、そうじゃないんだよ、桜」

 

 桜は何も悪くないのに。どうして桜はこんなに、自分の事を責めるのか。

 きっとこれは桜なりの逃避なんだろう。自分がつらいことへの、たったひとつの逃げる手段。

 誰も責めることができないから、誰かを責めることができないから、誰が悪いのかわからないから。自分が悪いんだと結論づけることで、無理やり自分の中で消化する。

 

 だから、だからこそ。士郎は桜に、違うんだと、言葉を投げるのだ。

 誰かが桜に、間違っているコトを教えてやらなければ。

 

「桜は何も悪くない。むしろ、桜はたくさんつらい思いをしてきたはずだ。……だからこそ、桜は報われなくちゃいけない。頑張った分、ちゃんと見返りが返ってこないなんて嘘だ。そんなの、絶対に認めちゃいけない」

 

 いつのまにか士郎は桜の手のひらを強く握りしめていた。

 自分の無力感を噛みしめるように。悔しさも、嘆きも、間違っているんだと主張する気持ちも、全部を込めて。

 

「……先輩は、わたしが悪くないって言ってくれるんですか?」

「ああ、桜は何も悪くない。桜は、たくさん頑張ったんだよ」

 

 士郎の必死な言葉を受けて、桜は口元に薄い笑みを浮かべながら。

 まっすぐと、士郎の目を覗き込む。沢山の感情が揺れる、士郎の瞳を。

 

「じゃあ、先輩。ひとつだけ……ワガママ、言っていいですか?」

「ああ、聞く。桜のためになるんなら、わがままなんてお安い御用だ」

「……よかった。じゃあ、先輩。全部が終わったら、またみんなで────先輩と、姉さんと、セイバーさんとライダーさんと、アーチャーさんで……みんなで、また出かけたいです。幸せな時間を、今度はちゃんと噛みしめたいなあ、って」

 

 おそらく生まれて初めての、間桐桜の小さなワガママ。

 他の人にとっては何でもないような、幸せの1ページを求める桜の言葉に、

 

「……わかった。約束しよう」

 

 士郎が静かに頷くと、それっきり、桜は再び眠りについた。

 

 ここに再び、士郎が負けられない理由が増えて。

 

 士郎の視線は、明日の敵へと向けられた。




今日も更新です。やる気があって書けるうちにゴリゴリ書いていきます。
これ捉え方によっては桜の死亡フラグと取れてしまうんではなかろーか……ノーコメントを貫き通しますがね!


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第20話 『泥棒猫』

 桜がしっかりと眠りについたのを確認してから、士郎の足は居間へと向く。

 今頃セイバーたちも疲れを癒し、今後のことについて話し合っている頃だろう。それなら早く話に参加しなければ、と、士郎の足は自然と早足になった。

 

「……すまない、遅れた」

 

 居間の襖を開けると、セイバーたちの視線が一気に士郎へと集まる。何やらアーチャーの姿が見えないようだが、桜を除いて全員が机を囲って座っている。

 

「別にいいのよ。桜は?」

「桜は寝てるよ。そりゃもう気持ちよさそうに」

「……そう、よかった」

 

 士郎の言葉に、凛はほっと胸を撫で下ろす。表面上は冷静に取り繕ってこそはいたが、凛にとって桜は実の妹だ。心配じゃないワケがない。

 それこそ、士郎以上に気が気でなかっただろう。

 

「それで、話はどうなった?」

 

 周りに倣って、いつもの定位置へと腰を下ろして問いを投げる士郎。

 その問いに応えたのは士郎の目の前にお茶の入った湯呑みを差し出した凛だった。

 

「あのサーヴァント────キャスターには私たちだけではきっと敵わない。桜もしばらくは戦えないでしょうし……だから、アインツベルンに協力を仰ぐコトにしたわ」

「アインツベルンに?」

 

 今でも脳裏に焼き付いている。

 あの凄まじいサーヴァントと、殺意をまとった白い少女。

 確かに彼女らと協力までこぎ着ければ心強い……が、

 

「あの子、何処にいるのかわからないだろ。あれ以来姿を見てないし……」

 

 そう、何処にいるのかがわからない。それが問題だ。

 

「それなら問題ないわ。私のアーチャーが、郊外の森に城を見つけたの。九割あの子はそこにいるでしょう」

「城……? そんなものがあったのか」

 

 長いこと冬木に住んでいる士郎だが、そんな話は聞いたことがない。

 しかし、あからさまに怪しい場所だ。そこにアインツベルンの少女────イリヤが居る、というのは間違いでもないだろう。

 

「状況を話せば協力もしてくれるでしょうし……まあ問題は、そうねえ……」

 

 言いながら、悩ましげに指が顎に添えられて。凛の視線は、ライダーへと向けられた。

 

「桜の中から取り出されたのが何なのか、ってところなんだけど。ライダーは、アレが何か知ってる?」

 

 桜の中から取り出された、陽の光を反射して黄金に輝く何か。

 アレを体に取り込んだ途端、キャスターの様子は一変した。アレが原因なのはわかるが、重要なのはそれがなんなのか────。

 問題はそこだろう。何なのかわからなければ、対策も取りようがない。

 

 一瞬、ライダーの瞳が迷うように揺れる。ここで自分が口にしていい事実なのか、と。

 この事実は桜にとって重要なことのはずだ。だからこそ、桜本人の口からではないと。

 

 けれど、同時に桜のことを思っているからこそ、早く事態を終わらせなくてはならない。黙っていては状況は好転しないから。

 

「あれは、間桐臓硯(ぞうけん)の手によって桜の身に埋め込まれた、聖杯のカケラです」

 

 内心桜に手を合わせながら、いつか話してくれたその事実を吐露する。

 あの時の桜の悲しいげな表情を覚えている。日々蟲蔵へ放り込まれるのは、聖杯を体に馴染ませるためだ、と。

 

「聖杯の、カケラ……?!」

「はい。前回の聖杯戦争は、とある参加者のサーヴァントの宝具によって、聖杯が破壊されることで幕を下ろしたと聞いています。……きっと、その時に採取したのでしょう」

 

 桜の身にソレを埋め込むことで何をしようと考えていたのか、桜の身になんてことをしてくれてるんだ────色々な怒りと疑問が浮上するが、とりあえずソレは押し殺して。

 

「つまりアイツ、聖杯と直接パスが繋がったってコト……!?」

 

 頭を抱えながら、思わず叫びをあげる凛。頭を抱えるのも無理はない。

 

 即ち士郎たちは、聖杯と同等の魔力量(チカラ)を持ったサーヴァントを相手に、戦わなければならないのだから。

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 唐突に、自分の中から力が抜けていくのを感じた。

 

「……なあに、これ」

 

 理解ができない。こんなこと聞いていない。

 順調にサーヴァントが退場し、自分の体へ魔力が貯蔵された。ソレは別にいい。

 しかしその魔力が、急に誰かに引きずり出されたのだ。

 

「お嬢様、如何なさいましたか?」

「……この街に、泥棒猫が現れたみたい。気に入らないわ」

 

 背後からかかった声に振り向くこともなく応え、小さくため息をひとつ。

 バーサーカーの調子も上々だ。めんどくさいことになる前に、動き出さなければいけないだろうか。

 踵を返し、体の調子を確かめながら。玄関へと向かおうとしたところで、

 

「セラ、そろそろ私も出るわ。その泥棒猫を退治して────」

「▂▅▇▇▇█▂▇!!」

 

 声を遮るように、バーサーカーの声がした。

 遅れてやってくる地響きと、寒気がするほどの魔力の波動。

 

「……あら。向こうの方からわざわざ来てくれたみたい」

 

 ◇Interlude out◇




すこぶる短い。そしてまたさらっとネタバレ。
次は書く内容が濃いので、時間がかかるかもしれないです。ガッデム。二日くらい待ってくれると嬉しいです


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第21話 『別に、』

 イリヤが城のホール────バーサーカーを待機させていたそこに着いた時には、既にその姿はあった。

 趣味の悪い、所々が裂けた黒いローブ。風でソレが靡き、ちらりと覗く病的なまでに白い肌と、痛々しい隻腕。

 纏う魔力は尋常ではない。まさしく、聖杯のソレ────。

 

「あら、お出迎え? 呑気なものね」

 

 女は失った右手を流暢に挙げながら、イリヤへと軽く挨拶を飛ばす。

 まるで見知った顔に会ったように。余裕に満ちた様子で、ほんの少し腹が立つ。

 視線をバーサーカーにやれば、彼は自慢の剣を握ったまま女を睨みつけている。どうやらバーサーカーでもコレに積極的に殴りかかるのは難しかったらしい。

 それも当然だ。肌で感じるほどの魔力量の違いを見せつけられ、コレに喧嘩を売れるのは一般人か、よっぽどのバカだけだろう。

 

「何をしに来たの?」

「聖杯戦争に参加している人間が、こんな辺鄙なところに来たらすることなんてひとつでしょう?」

 

 イリヤは冷静に問いを投げながら、一段、一段とゆっくり階段を降りていく。

 

「貴女のバーサーカーを、頂きに(、、、)きたの」

 

 同時、女は動き出した。

 突如足元に広がる魔法陣。

 

 常人なら描き上げるのに三日半はかかるであろうほどのソレは一瞬で組み上がり、世界の理へと語りかける。

 マナが組み上がる。攻撃的な無数の魔弾へと変貌を遂げ、その矛先がバーサーカーへと向いた。

 

「させないわ!」

 

 イリヤとてそこで黙っているわけがない。自慢の髪の毛を一本抜き取り、ソレに魔力を流し込んでやる。

 自分の体の一部から使い魔を生み出す技術だ。

 

 術式名を、天使の詩(エルゲンリート)。自立浮遊砲台の小型の使い魔だ。

 

 鳥の形をしたソレは指示を受けると(つるぎ)へと姿を変えて、女をめがけて駆けていく。

 しかし剣は女の身体に直撃した途端、虚しく砕け散った。

 

「……対魔力!?」

 

 言ってからすぐに違うと首を振る。違う、あれば対魔力ではない。

 

 その身に余る魔力(オド)をぶつけて、相殺────否、ねじ伏せたのだ。

 

「……ふふ、余計なことはせずにそこで見ていることね」

 

 階段を降りきったところでイリヤの歩みは止まってしまう。

 ここから先に踏み入れても、これではバーサーカーの足を引っ張ってしまうだけ。

 自分のアシストは何も、期待できない。

 

 だってこのサーヴァントには、マスターの姿すら見えないのだから。

 

 ◇◆◇

 

 爆発音が辺りに響く。目の前に立ち上がる火柱と、頰を撫ぜて行く熱風。遅れて地響きがやってきて、

 

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

 

 その叫びに、士郎達は身を強張らせた。

 

「もしかして、先越された……!?」

 

 舌打ち混じりに爪を噛み唸る凛と、生唾を飲みくだしながらその言葉に頷く士郎。

 今こうしてる間にも、あの不気味な魔力を感じる。凛の言葉は間違いではないだろう。

 セイバーまでも表情が強ばり、剣を握った両手にはいつも以上に力がこもっている。

 まるで肉食獣に対面した気分だった。士郎達全員に、緊張が走っている。

 

「……これは桜を置いてきて正解だったわね」

 

 衛宮邸で眠っている妹を思い浮かべ、思わず苦笑いを浮かべる凛。

 アインツベルンの城へ行く準備を終えたのがつい一時間ほど前。

 ちょうど目が覚めた桜は士郎達に自分も連れて行って欲しいと言わないわけがなく。なんとか言い聞かせて、ライダーに任せて衛宮邸へと置いてきたのだ。

 

『桜、貴女が今行っても足を引っ張ってしまうだけです。今は静かに休みましょう』

 

 桜を諭すように紡がれたライダーの言葉。

 それを聞いた桜の表情が忘れられない。唇を噛み締め、小さく肩を震わせたあの姿が脳裏から離れてくれない。

 

「……早く、終わらせないと」

 

 思わず漏れた士郎の呟きに、凛とセイバーが静かに頷きを返して。

 駆け出す。不気味な、吐き気がするまでの魔力の源へと。木々を掻き分けながら徐々に近づいて行く。

 

「ったく気持ちわりィぜ、この感じ……趣味が悪い」

 

 先頭を走るセイバーの言葉に誰も応えは返さず、静かに頷くだけだった。

 それも無理はない。数時間前に、怯えすら感じさせた魔力を感じながら。自ら、その魔力の根源へと向かって走っているのだから。

 自分を奮い立たせ、吐き気を抑えながら、足を必死に回すだけで精一杯。

 

 永遠にまで感じたアインツベルン城までの道のり。ようやくたどり着いた城はあちこちから火の手が上がり、沈みかけの夕焼けに赤く染め上げられていた。

 半ば崩れつつある入り口から士郎達は城へと転がり込み、そして、

 

「バーサーカー!!」

 

 少女の、悲痛な声を聞いた。

 

 目の前には血まみれの巨人と、薄気味悪い笑顔を浮かべる女。

 巨人の足元には、巨体を覆うような()が蠢いていて。その足へ無数の腕が絡みつき、沼へと引きずり込んで行く。

 

「私のバーサーカーに、何をするの……!」

 

 イリヤの叫びに、女は応えない。気味の悪い笑顔を浮かべ、イリヤへとローブの下から視線をやるだけ。

 

 そこでただ見ていろ、と。何もできない無力さを噛み締めながら、自分のサーヴァントが敗北するところを、見ていることしか許されない。

 

「▂▅▇▇▇█、▇▇▇────」

 

 振り払っても振り払っても、無数の腕は絡みつく。まるでそれらはバーサーカーの体から、抵抗する力までも奪っているような。

 

 勇しく立っていたはずの身体は、自慢の剣を体を支える杖としか使うことはできず。ゆっくりと、足元の沼へと沈んで行く。

 

「ばー、さー……」

 

 イリヤの声は届かない。巨人の瞳からは光が消えた。

 巨人は最後にその口元に、淡い笑みを浮かべて。

 

 とぷん、と。虚しい音を立てて、全てを持っていかれた。

 

「────ッ、」

 

 言葉が出ない。声が出ない。喉元で全てが堰きとめられ、発言も、叫ぶことも、何もかもが許されない。

 あんなに苦戦したはずのバーサーカーが、一瞬で。抵抗も許されず、あの身体に傷をつけることも許されず、敗れたのか。

 

「……あら、ボウヤたち。こんなところまでご苦労様……けれど、覗き見はいけないわね」

 

 とうとうその視線が、力の矛先が、傍観していた士郎たちへと向いた。

 足が動かない。視線を向けられただけで、言葉を投げられただけで、戦意まで抉り取られた気分だ。

 

 ────逃げないと。

 

 頭の中で警告が鳴り響いている。今ここで自分が立ち向かってもバーサーカーのように無力に取り込まれるだけだ。

 

「士郎、ここは一旦引いて……」

 

 そんなのはわかってる。わかってるはずなのに。

 

「士郎!?」

 

 動かなかったはずの足は、震えていた足は、必死に、前へと一歩踏み出していた。

 

「助けないと」

 

 その一心で、必死に足を回す。

 

 逃げなくちゃいけないことはわかってる。敵わないことなんてわかりきっている。

 

 でもここで逃げれば、次はイリヤがあの女の餌食になる。それが士郎は、たまらなく許せなかった。

 

 駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。

 

「────同調(トレース)開始(オン)

 

 工程なんて踏んでる暇はない。ありったけの魔力を脚に流して、一心不乱に駆けていく────

 

「全行程、省略。魔力放出(ブースト)……!!」

 

 いつか見たセイバーの、魔力放出のソレ。

 悲鳴をあげる脚なんて後回しだ。どうせこの身体は、放っておいても治ってくれる。

 足がもつれながらも、イリヤの目の前へと転がり込み、その小さすぎる体を抱えて。

 

「逃げるぞ、遠坂、セイバー!!」

「ったく、勝手なマスターだよ!!」

 

 再び踵を返し、入り口へ向かって駆けていく。が、

 

「そのまま逃すと思ったの?」

 

 そんなこと、許されるわけがなかった。

 突如放たれた魔弾によって、城の入り口は倒壊し。砂煙をあげながら、士郎たちの行く手を阻む。

 

「……このまま、逃してくれるワケないわよね」

「ええ、その通り。アナタたちもここで私の餌になってもらおうかしら」

 

 女の隻腕は士郎たちへ。悪態をつきながら凛は打開策を探すが、この場を無傷で逃げ切る手段なんてありやしない。

 宝石魔術(自分の力)が通用しないのはわかってる。万が一入り口の瓦礫を突破できたとしても、背中を向ければ女はすぐさまその無防備な背中を撃ち抜くだろう。

 立ち向かっても敵わないことなんてわかりきっている。

 

「ったく、どうしたらいいのよ……!」

 

 考えろ。頭を回せ。隣の士郎はアテにできない。この場は、自分がどうにかしないと────

 

「そんなのは簡単だ、マスター」

 

 とめどなく溢れる、凛の思考。

 

 ひたすらに回り続けたソレを、聞き慣れた声が堰き止めた。

 

 凛たちの目の前へ、庇うように現れた赤い外套。大きな背中は呆れを放ち、その両手にはいつもの夫婦剣が握られている。

 

「……アー、チャー?」

 

 躊躇うような一瞬の間。しかしその背中は、弱音なんて許さない。

 肩越しに、一瞬アーチャーの視線が凛へ突き刺さる。

 

 この場では、それだけで十分だった。

 

「……アーチャー、私たちが逃げるだけの時間を稼いで」

「遠坂、それって……」

 

 士郎が言いたいこともわかる。無理もない。

 

 相手は聖杯と直接パスが繋がったような馬鹿げたサーヴァントだ。

 敵うはずがない。それがわかっていて『時間を稼げ』だなんて、自分たちのために『死ね』と命じているようなもの。

 

 ────けれど、今はソレ以外手はない。

 

「セイバーだって一緒に戦えば、勝ち目だって……」

「……シロー、ダメだ。ソレは良くねェ」

 

 士郎の言葉を、セイバーが冷たく吐き捨てた言葉で斬り捨てる。

 それ以上言うことは許されない。その言葉は、その続きは、アーチャーという男の────ひとりの戦士の決意を踏みにじることになる。

 

 静かに宝石を握りしめ、俯きながら震えを押し殺す凛。セイバーまでもが唇を噛み締めて、その戦況へと背中を向けて。

 

「何を負ける前提で話を進めているのかね、君たちは」

 

 しかしそんな中で、アーチャーだけはその瞳に戦意を宿していた。

 

「時間を稼ぐのはいいが────別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 敵わぬ相手とわかっていても。決して、その戦意は失わない。

 

「────、────」

 

 俯いていた凛の視線が跳ね上がる。

 視線は再びアーチャーの背中へ。そして肩越しに向けられた、いつもの視線と絡み合う。

 

 ────ああ、この男には敵わない。

 

 心の底からこの男を呼び出してよかった、と。改めて思った瞬間だった。

 

「さあ、行け。ぐずぐずしている暇はないはずだ」

「ええ。頼んだわよ、アーチャー!」

 

 手に握った宝石を瓦礫に投げつけて、その瓦礫を吹き飛ばす。砂煙の中へと凛とセイバーが駆け出しても、士郎はその場を動けずにいた。

 

「何をしている、小僧。さっさと後を追いかけろ。……決して、その子を離すな」

「……ああ」

 

 何故かその背中に、何かを感じたのだ。何か、自分の中に流れ込んでくるような。

 

 アーチャーの言葉に背中を押され、遅れてようやく士郎も駆け出して。

 

「────I am the bone of my sword(身体は、剣で出来ている)

 

 アーチャーが唱えたその一節で、

 

 士郎の中で、何かが切り替わる音がした。




このシーン、書きたくて仕方なかったんです……。城に向かおう、ってくだりを挟めばよかったと死ぬほど後悔。違和感はないはず。……はず。


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第22話 『我が麗しき父への反逆』

「────I am the bone of my sword(身体は、剣で出来ている)

 

 世界に語りかける詠唱の一節。他人が聞いても意味を成しそうにない、魔術の一節。

 それを聞いて女は首を傾げて、可笑しそうに笑った。

 

「まだ戦意を失ってないのは尊敬するわ。……まあ、貴方を倒した後でも追いつけるでしょうし」

 

 女の余裕は揺らがない。確かに戦力差は歴然だ。だが、

 

「……私の出身の国では、『窮鼠猫を噛む』という諺があってな」

 

 だからこそ、足元を掬いやすい。

 

Steel is my body and fire is my blood(血潮は鉄で、心は硝子)

 

I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗)

 

Unknown to Death(ただの一度も敗走はなく、)

 

Nor known to Life(ただの一度も理解されない)

 

 不思議と呼吸は落ち着いていた。心音もゆったりと、ゆっくりと。

 焦りも恐怖もない。きっと、ここで死ぬものだとなんとなく理解して、受け入れているのだろう。

 

「……私が相手するまでもなさそうね」

 

 痛々しい隻腕がかざされた。

 アーチャーの目の前に、バーサーカーを飲み込んだものと同じ沼が広がり。蠢くそこから、巨大な腕が飛び出した。

 

「これは、」

 

 這いずり出てきたのはついさっき飲み込まれた巨人。巨人の体には赤い紋様が刻まれ、先ほどのものとは違うと主張している。

 

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

 

 巨人が叫びをあげる。人々の恐怖を煽るように、自身の戦意を、殺意を高めるように。

 

Have withstood pain to create many weapons(彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う)

 

 けれど、アーチャーは詠唱を止めない。

 

Yet, those hands will never hold anything(故に、その生涯に意味はなく、)

 

 コレはおそらく、敵の足止めには最善の手。

 コレこそが、アーチャーの最強最大の宝具。

 

So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS(その身体はきっと、無限の剣で出来ていた)

 

 正義を掲げ生涯を進み、ただの一度の勝利もなく、ただの一度の理解もされなかった男の心象風景。

 

 物寂しく、同情すらもされることがない────世界の英雄の、悲しき世界の全てだ。

 

 ◇◆◇

 

 頭が痛い。体が作りかえられていくような感覚。体の中に、何かが流れ込んでくる。

 

「っは、ぁ、っ、は────」

 

 抱えているはずの少女の重さを感じない。壊れたはずの足から痛みを感じない。

 僅かに感じる地響きと、荒くて苦しい呼吸音。もう止まれと主張を繰り返す肺の動きだけが、今の士郎の全てだった。

 

『救われた!』『ありがとう!』『助かったよ!』『君は命の恩人だ!』『君は英雄だ!』

 

 聞いたことない賛美の声が頭に響く。

 

『……ロクでもない』『死んでしまえ』『何を考えてるかわからない』『君が全部悪いんだよ』

 

 聞いたことない侮辱が頭に響く。

 

 ────なんだ、これ。

 

 頭が痛い。体が熱い。何かが塗り替えられて行く。自分の身体じゃないみたいだ。

 

「▇ろう、▇▇▇▇」

 

 何かが聞こえてきた。聞き慣れたはずの声。しかし、何を言ってるかわからない。理解できない。全てが理解を拒んでいた。これ以上何かを身体に、頭に詰め込まれることが耐えられない。

 

「シロー!!」

 

 ふと、全身に衝撃が駆け抜けた。

 気がつけば目の前には地面が広がっていて、手のひらには土がこびりついている。

 

「おい、大丈夫かシロー」

「……あ、ああ? 俺、今どうなったんだ?」

「……突然コイツを下ろしたと思ったらその場に倒れこんだんだよ」

 

 少し視線を動かせば、心配そうに見下ろす凛とイリヤの姿。セイバーに至ってはやや戸惑いの表情を浮かべながら、士郎の前で手を差し伸べている。

 

「……悪い、セイバー。あれからどれくらい走ってた?」

「十五分くらいだ。あと十分も走れば森の出口に着くっつってたぜ」

 

 セイバーの手を借りて、なんとかその場に立ち上がる。

 ひどい頭痛だ。頭が重い。……いや、重いのは頭だけじゃなく、体全体。

 ガンガンと何かに身体の内側から殴りつけられるような感覚が、逃げてくれない。

 

「……遠坂、俺を置いて先に行ってくれ」

 

 これでは走り出せるのに時間がかかる。息を整えながら士郎は諦めの表情を浮かべ、再びその場に腰を下ろそうとして、

 

「何言ってんの。私のアーチャーの勇姿を無駄にするつもり?」

 

 その腕を強く引っ掴まれ、無理矢理その場に立たされた。

 

「そんなの絶対に許さないから。これ以上、誰もかけずにここから帰るの。貴方をこの場においていけば、絶対あとから後悔する!」

「遠坂……」

 

 真っ直ぐに士郎へ向けられた凛の視線。その瞳には涙が浮かび、ゆらゆらと揺れている。

 正直凛も一杯一杯なのだ。自分のサーヴァントにあのような命令を下してなお、自分の仲間を失うなど。

 

「悪かった、遠坂。時間はかかるだろうけど、俺も一緒に────」

「シロー、リン! 伏せろ!!」

 

 進むしかない、と一歩を踏み出して。思い頭を揺さぶると、再び地面に倒れこむ。

 今度はセイバーの突進によって。何が起きたのか理解しきる前に、何かと何かが激突するような鈍い音と、遅れてやってきた衝撃が落ち葉を舞わせた。

 

「▃▄▄▟▞▟▜▞▂▇█!!」

 

 士郎達の真後ろで上がるあの叫び。絶望と恐怖と死の気配を感じさせる、死神の咆哮。

 

「……!? もう追いつかれた?!」

 

 視線の先ではセイバーが巨大な岩のような剣を受け止めて、なんとか巨人の突進を押しとどめている。

 巨人の後ろにはあの女の姿が見えた。

 

「ごきげんよう、思ったより時間がかかってしまったわ」

 

 隻腕をひらひらと振りながら、相変わらず趣味の悪い笑みをこちらへ向けてくる。

 しかし会話を交わしてる余裕なんてない。正直、さっき以上のピンチと言える。

 士郎はロクに動けず、セイバーも巨人の剣を受け止めたまま動けず。士郎と女たちの距離でさえ、そう遠く離れているわけではない。

 

 となれば、選択肢はひとつ。

 

「……ああ、そう。貴女のアーチャーには驚かされたわ。この英霊『ヘラクレス』を6回も殺してみせるなんて」

 

 獣のように荒く呼吸を繰り返す巨人の背中を、やわく撫でながら。

 

「まぁ、結果として容易く死んでいったのだけれど。無様だったわ」

 

 女は、凛────いや、その場の全員の逆鱗に触れた。

 

 この瞬間、逃げの一手は消え失せる。これはおそらく女の計算のうち。こんな安い挑発、乗らないのが正解なんだろうが、

 

「なあマスター。コイツ、ぶっ飛ばしていいよな」

「当然だ。頼んだぞ、セイバー」

 

 仲間を侮辱されて、黙っていられるほどセイバーの心は広くない。

 

 同時、セイバーは巨人の剣を高く弾き、後ろに跳んで距離をとる。

 

 これは逃げの一手ではない。

 セイバーの足先は地を抉り、見慣れた赤い雷を纏いながら土と葉、全てを撒き散らし、前へ。

 

「ど、ら、ぁ!!」

 

 勢いと魔力、全てを込めた雷撃を纏った一撃。

 あたりに魔力の余波が迸り、思わず士郎は両腕で顔を覆った。

 

 セイバーの一撃は巨人の鋼鉄のような身体へ。しかし剣は弾かれ、巨人の身体には傷ひとつつけられない。

 

 叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。

 

 岩のような剣を躱し、大きな拳を掻い潜り、大木の様な足から繰り出される蹴りを躱し────何度も、何度も。

 

 だというのに、何度何度繰り返しても、セイバーの攻撃は弾かれるだけだった。

 

「あら、何度やっても無駄ではなくって?」

「うるせェ!!」

 

 女の揶揄うような言葉に即座に悪態を返したが、正直なところ否定はできない。

 相手はイリヤがマスターだった時に比べて、本能に任せた攻撃をしてくる。いくらか躱しやすく、去なしやすいがこちらの攻撃が通じないことは事実だ。

 

「……マスター、宝具をぶっ放す。構わないか?」

 

 なら、今まで試していなかった一撃を試すしかない。

 英霊の真名を解放して放つ、逸話を込めた最強最大の一撃。

 

 それならあの鋼鉄の身体も、あるいは。

 

 セイバーの兜が音を立てて分離(パージ)して、ゆっくりと鎧に格納されていく。

 

 背中越しに投げられたセイバーの言葉に、戦況を見守るしかなかった士郎は静かに頷いて。

 

「……ああ、わかった。ぶっ込んでやれ」

「よし。じゃあマスター、オレに令呪をくれ。今のマスターの状態じゃ、魔力を持ってかれんのはだいぶキツイだろ」

 

 必ず決める、と。セイバーは肩越しに視線を送り薄い笑みを浮かべた。

 左手を掲げる。そこに在るのは英霊ヘの絶対命令権。魔力の塊であり、マスターの証。それが、三画。

 結ばれた紐を解くように、ゆっくりとその端を引っ張るイメージ。左手の甲に熱が走り、その熱を、

 

「令呪を以て命ず!! セイバー、宝具をぶっ放せ!!」

 

 放つ。

 熱は魔力の波となり、士郎を中心に広がっていく。

 

「────ふ、ぅ」

 

 同時にセイバーの身体には魔力が満ちた。

 熱を持つ程の膨大な魔力。これが、令呪の力。

 

 ────これなら気持ちよくぶっ放せそうだ。

 

 令呪によって告げられた使命を胸に。両手で握ったその剣を、天に掲げる。

 

「これこそは我が父を屠し邪剣。怒りを込めた魂の咆哮」

 

 剣に雷が落ちた。セイバーの象徴とも言える、真っ赤な落雷だ。

 剣はそれを纏い、主人の指示を今か今かと待ち焦がれている。

 

麗しき(クラレント)ッ! 我が父への反逆(ブラッドアーサー)!!」

 

 振り下ろす。轟音を立てる雷を、父へ込めた憎しみの全てを力に変えて、巨人を目掛けて振り下ろす。

 辺りの木々が吹き飛ぶ音がする。雷が葉を焼き、生物へ死を突きつける。

 

「▂▅▇▇▇█▂▇!!」

 

 やがて雷は巨人へと襲い掛かり、そして────。




兜被ってる、みたいな描写してなかったけどきっと読んでくれてる人は無意識に兜を被せてくれてると思ってます(現実逃避)とりあえず宝具を撃つところまで来れた……ここまで随分長かった気がします。ここまで読んでくれてありがとうございます、本当に。
詠唱の改行直したいんですけど直らない……困る……



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第23話 『選定の剣』

 直撃する。爆音をたて、邪剣は怒りを叫びながら。雷が巨人を塗りつぶす。

 

「やったか────!?」

 

 辺りに残されたのは虚しく木霊する破壊音と、剣を振り下ろし、口元を一文字に結ぶセイバーの姿。そして、

 

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」

 

 土煙に紛れながらも、まだ終わっていないと叫ぶ巨人の姿だった。

 士郎たちの表情が驚愕に浮かび、同時に思い出す。

 あの日、あの夜、初めてこの巨人と────バーサーカーと戦ったときのことを。

 アーチャーの一撃は確かに炸裂した。身体に大穴を開け、膝をついたバーサーカーを視認したはずだ。

 だと言うのに再び巨人は立ち上がり、傷などなかったとでも言わんばかりにその大剣を振るっていた。

 

 そして、数分前の女の言葉。

 

『この英霊『ヘラクレス』を六回も殺してみせるなんて────』

 

 何度殺しても死なない巨人。その力の正体は、

 

「あはははは! 無様ねぇ! 令呪を使ってまで宝具を撃っても一回しか(、、)バーサーカーを殺せないだなんて!! まだ宝具は五回残ってるわよ?」

 

 バーサーカーの宝具。英霊ヘラクレスの神話の再現である。

 

 士郎たちに動揺と困惑、絶望が走る。

 セイバーの剣が通じず、宝具を放つことでようやく一度殺すことができた────それが、あと五回。

 

「……ふざけるなよ」

 

 そしてその絶望に、恐怖に、悔しさに、今度はセイバーが吠えた。

 そう。宝具とは英霊の神話、人生そのものの再現。

 それが効かなかったなど、自分の人生自体を否定されているようなものだ。

 

 自分の想いを込めて放つ宝具なのだから、なおのこと。

 

「ふざけんな、ふざけんなよ……!!」

 

 怒りに任せてセイバーが跳んだ。巨人ではなく未だ嘲笑う女へ斬りかかろうと、剣を振りかぶって。

 

「セイバー!!」

 

 士郎の声は届かない。怒りに染まった思考は殺意の背中を押し、勢いよくその剣を振り下ろす。

 しかし剣は女の体をすり抜ける。目の前に舞うのは血飛沫じゃなく、女と同じように、嘲笑うように鳴く虫たちだ。

 そのきぃきぃと喧しい声たちが、セイバーの怒りを駆り立てていく。

 

「く、そ、くそ……くそ、くそ!!」

 

 ひたすらに呪詛を吐く。殺意に任せて剣を振るう。

 セイバーの剣はあたらない。何度振るってもセイバーの焦りと焦燥と怒りと憎しみが増していくだけ。

 

 それがわかっていて、女は、

 

「そんな偽物だらけの剣(、、、、、、、)じゃあ私は斬れないわよ、裏切りの騎士モードレッドさん?」

 

 わざとらしく、セイバーの地雷を踏み抜いた。

 

「……は?」

「だってそうでしょう。何もかも貴女(、、)は偽物だらけ。その身体も、剣技も、自分のものではない────違くて?」

 

 セイバーの思考に生まれる一瞬の空白。

 その一瞬は、この戦場ではあまりにも長すぎた。

 

「が、は……!」

 

 セイバーの体に、巨人の膝が炸裂する。

 成すすべもなくくの字にひん曲がったセイバーは宙へと舞い上がり、巨人はその巨体に似合わぬ豪速で、追撃のためにセイバーとの距離を潰していく。

 

 剣が慈悲もなく、加減なしにセイバーの身体へ振り下ろされた。

 

 一瞬暗転する意識。しかし地へと叩きつけられた勢いで即座に意識は現実に引き戻され、その口から大量の血反吐を吐き出した。

 

「ぐ、ぅ……」

 

 視界がぐらつく。思考がはっきりしない。

 ガンガンと頭の内側から叩きつけられるような頭痛と耳鳴りの中、

 

「にせ、もの、なんて……」

 

 女に放たれた〝偽物〟という蔑称が、離れてくれなかった。

 

「▂▅▇▇▇█!!」

 

 死を呼ぶ叫び声が聞こえる。轟音を立てて岩のような剣が迫ってくる。

 

 セイバーはやっと立ち上がり、受け止めようと剣を構えて────

 

「セイバー!!」

 

 ▇▇▇▇なヒトの、声を聞いた。

 

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 

「父上はすごいな……!」

 

 小さい頃からあの人の背中を見つめ続けていた。

 小さな頃からオレは、あの人の隣に並ぶものだと言われ続けていた。

 

 そのための努力は惜しまなかったし、血反吐を吐くような鍛錬にも、あの人への憧れがあったから耐えられた。

 目標はあの人。常に仮想の敵は父上であり、その父上を倒し得ることでようやくあの人に認められるものだと、ずっとそう思っていた。

 

 憧れの人を模範するのは当然だ。

 

 剣の持ち方、立ち振る舞い、結果的に行き着いたスタイルは違えど、最初はあの人の真似事から入ったんだ。

 幸運なことに、自分の身体能力や才能はすべて、あの人の写し身と言っても過言ではないほどに似ていたし。

 

 これが親子なのだと、オレは誇らしく思っていた。あの人の息子なんだって胸を張って言える要素だったのに。

 

『そんな偽物だらけの剣じゃ私は斬れないわよ』

 

 ────違う。

 

『貴公を王とは認めない』

 

 ────違う、こんなはずじゃ。

 

 オレはただ、父上に認めてもらいたかっただけなのに。

 ただただ息子と、そう認めて欲しいだけだったのに。

 

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

 

 鎧がへしゃげた音が聞こえた。

 危なっかしい子だとは士郎もバーサーカーと戦ったあの日から思ってはいたのだ。

 彼女は、セイバーは、極端に誰かに負けることを恐れている。自分の力が通用しないと言う事実が許せないのだ。

 それはおそらく、自分の身が憧れの存在の写し身故に。

 恐れていたことが起こってしまった。逆上したセイバーはただあの巨人に吹き飛ばされ、宙を舞うしかない。

 

「士郎、なんとかしないとセイバーが……!」

 

 思考がぼんやりとしている。体のあちこちが悲鳴をあげていて、踏み出した一歩が重くてたまらなかった。

 でも無意識のうちに、士郎は、もう一歩。

 

「……遠坂、イリヤを頼む」

 

 気がつけば走り出していた。

 

 ────またこれだ。助けなければ、という強迫観念に背中を押され、自分の体が勝手に動き出している。

 

 目の前で誰かが涙を流すのは耐えられない。もう目の前で誰かを失うのはウンザリだった。自分が何もできないのも、何も行動に移せないのももう嫌だ。

 

 何より、あの弓兵の背中が、脳裏から離れてくれない。

 

 あの姿は、きっと、自分の理想の終着点────

 

I am the bone of my sword(身体は、剣で出来ている)

 

 紡ぐ。彼の最後の言葉を、何気なく、自身に語りかけるように。

 あの一節は自分の魔術を使用する前の自己暗示に似ていた。何故か、そんな気がして。

 

 その一節に反応したように、体中に熱が迸る。体のあちこちが急速的に活性化して、何処から引っ張り出したのかもわからない程の魔力が駆け巡っていく。

 まるで、身体のあちこちが魔術回路に作り変えられていくような。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 目の前に一瞬、剣の丘の幻覚が見えた。

 それが何かはわからない。けれど、今はそれに縋り付くしかないだろう。

 その丘から、剣をたった一本、引き抜いてくるイメージ────

 

投影(トレース)終了(オフ)

 

 これは投影魔術。模造品を量産する、あの男の行き着いた先。

 

 衛宮士郎の、行き着く先だ。

 

 無意識のうちに投影した剣は、巨人が今振るわんと構えたソレと同じ。不思議と重さは感じず、むしろ剣が勝手に動いているような。

 

「セイバー!!」

 

 叫んで、その剣を振るう。振り下ろされたソレの勢いを殺すように、思いっきり。

 

「づ────」

 

 弾き返すことはできなかった。歴然な力の差に士郎は歯を噛みしめるしかない。

 勢いに耐え切れずに右腕がへしゃげた音がする。でもそんなのは関係ない。幸い、その軌道はセイバーから逸れてくれた。

 

再度(トレース)投影(オン)────!!」

 

 休めている暇などない。一瞬の間ですら無駄にするな。セイバーを助け、この巨人を倒すためには、呼吸の隙すら与えてはいけない。

 

 再度投影を始める。目の前に広がる剣の丘、そのイメージに手を伸ばすように。

 

 セイバーの宝具は通じなかった。なら、自身の知る中で一番の、最強の剣を模造する。

 

 彼女がずっと追い求めてきた、最強のひと振りを。

 

 夢で何度も見た。彼女が思い焦がれるその剣。父が王となるために引き抜いた、あの剣を。

 

 一切の手抜きは許されない。慎重に、しかし素早く。その剣を生み出していく。

 

 創造の理念を鑑定し、

 

 基本となる骨子を想定し、

 

 構成された材質を複製し、

 

 制作に及ぶ技術を模倣し、

 

 成長に至る経験に共感し、

 

 蓄積された年月を再現し、

 

 あらゆる工程を凌駕し尽くし────

 

投影(トレース)終了(オフ)……ッ!!」

 

 ここに、幻想を結び剣と成す。

 

「づぁ!!」

 

 投影したその黄金の剣。選定の剣を振るい、巨人の剣を弾き飛ばした。

 身体は勝手に動き出す。剣がその利用者の動きを、経験を記憶しているのだ。

 士郎はそれをなぞるだけでいい。全ての巨人の攻撃を去なしていく。

 

 けれど、

 

「▃▄▄▟▞▟▜▞▂▇█!!」

 

 それも長くは続かない。力が抜け切った左手から、巨人のひと振りによって剣が弾き飛ばされた。

 それも当然だ。士郎がなぞっていたのはひとりの英霊の記憶と、その技術。

 一般人が長時間振るえるものではない。

 弾かれた剣が地に突き刺さる。手を伸ばしても間に合わない、絶望的な距離。

 

「まず────」

 

 致命的な空白。あまりにも死を感じるような、大きな隙。

 

 その中で、

 

「借りるぜ、シロー」

 

 セイバーが、突き刺さった剣を引き抜いた。

 

「ら、ぁ!!」

 

 抜き取ったままの勢いを殺さぬ一撃。刃が嘘のように巨人の肉を斬り、辺りに血液を撒き散らす。

 

「真名、解放────使わせてもらうぜ、父上」

 

 剣を構える。両手でしっかりと握り、その刃先を巨人の胸へ。

 

勝利すべき黄金の剣(カリバーン)────!!」

 

 そしてその刃先から、眩いまでの黄金の光が、放たれた。




はい。前回のあとがきに追記で月曜あげるよーとか言ってたけど今日中にあげてしまいました。……追記消しとこ。また今回も勢いで駆け抜けてしまった。
モーさんがカリバーンを撃てた理由とか、士郎の中に埋まっている聖遺物だとか。その辺は自己解釈設定になってしまうんですが、次回かその次にやるつもりです。とりあえずは、今回はここまで。


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第24話 『涙の意味』

 光の柱が炸裂する。

 剣を振りかぶったまま動きを停止した巨人は確かにその活動を停止して、思いの外静かに両膝を地へと下ろした。

 瞳から光を失い、胸に大穴を空けた巨人は、もう二度と叫びを上げることはないだろう。

 何かに囚われたような、苦しそうな叫びを。

 

 巨人の粒子化が始まる。水色の、終わりを告げる寒々しいモノだった。

 

 日が沈みきって、空に広がるのは夜の帳と、淡く存在を主張する星々。その中に溶け込むように、巨人────バーサーカーだったモノは、空へ運ばれていく。

 

「……お疲れ様、バーサーカー」

 

 イリヤはその亡骸に、静かに、ほんの少し寂しそうに声をかけて。

 

 その後ろの女へと、鋭い視線を向けた。

 

「……バーサーカーを倒された、ところで……私だけでも、アナタたちは、」

 

 その視線を受けて悪態を返す女は、何処か様子がおかしかった。

 繰り返す呼吸は酷く浅く、何か痛みを堪えるようにその隻腕で胸を抑え込み。脂汗を流しながら背中を丸めていて、弱り切っているような。

 今ここで押し通せば倒せる。そう思わせるほどに弱々しいのだが、満身創痍なのは士郎達も同じ。手を出せずに、ただその様子を警戒しながら見ているしかない。

 

「く、ぁ……っ、くそ……! またアナタ達を殺しにいくから……覚えてなさいよ……!」

 

 捨て言葉のように吐きながら、女は一瞬で何処かへ消え去る。聖杯の魔力を駆使した瞬間移動だろうか。

 女が消えても、緊張は抜けきらない。数分沈黙だけが続き、それでようやく全員警戒態勢を説いた。

 

「……見逃されたのかしら」

 

 そんな凛の気の抜けたひと言を聞いて、一同は首を傾げて。

 何が何だかわからないまま、とりあえず脅威は去ったのだった。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 そこからというものの、記憶が抜け落ちていてハッキリしない。

 覚えていることはしきりにセイバーが心配そうにこちらへ視線を向けていたことと、イリヤと凛が何か真剣な話をしていたこと。

 それから帰宅してすぐに、布団に倒れ込んで眠ってしまったこと。

 朧げな頭で夕飯はどうしよう、とか気の抜けたことを考えているうちに気がつけば夢の中へと落ちていた。

 

 また、夢を見た。彼女の夢。

 憧れの背中を追いかける、騎士の夢だ。

 

 びっくりするほど、彼女は憧れのひと────父の背中しか見ていなかった。生まれたその瞬間から、ずっと、父のことだけを見てただひたすらに走り続けていた。

 正直好感が持てる。何かの目標のために直向きに走るその姿は、とても魅力的だった。

 

 けれど彼女は自分自身(そんなコト)以上に、自分の父が魅力的だったのだろう。

 

 あの黄金の剣。選定の剣を振るう度肌が栗立つ。民を思うその目もとても魅力的で。

 

『貴公を王とは認めない』

 

 だというのに、いったいどこで間違えたのか。

 その間違いが理解できないのは、きっと……俺も彼女と▇▇だからなんだろうか。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

 意外なことに、目が覚めた士郎に襲ったのは異様な気だるさだけだった。

 正直アレだけの無理をすればあちこちが痛くてたまらないとか、立ち上がれないだとかそれくらいは覚悟していたのに。

 あんなに壮大にへしゃげた右腕も元に戻っていて、自分の身体にほんの少し気味悪さを覚える。

 

「……む」

 

 ここまで自身の身体の調子を見直して、鼻孔をくすぐったのは芳ばしい香り。この匂いはベーコンが焼ける匂いだろうか。

 たぶん、朝食の用意をしてくれているのは桜だろう。調子は元に戻ったのか、だとか諸々気になることはあるが、とりあえず立ち上がり寝巻きから着替えると廊下に出る。

 

「……お。おはよう、シロー」

 

 ちょうど部屋を出たところで、ばったりセイバーと出くわした。

 口元をもごつかせながら、何やら気まずそうに。上目遣いで士郎を見上げている。

 もはや着慣れた士郎のお下がりの着物、その襟を正して。

 

「昨日は、」

「悪い、セイバー。もしかしてちょうど呼びに着たところだったか?」

 

 何かを言おうとしたところで、士郎の言葉に遮られた。

 これはきっと意図的ではない。セイバーの声量が、嘘みたいに頼りなくて。士郎の耳に届きすらしなかった……ただ、それだけ。

 静かに頷くと、小さく溜息をつくセイバー。なにやら仕切り直すように溜息を吐いて、

 

「ああ。リンたちが待ってる」

 

 結局、言おうとした何かは諦めた末に飲み下された。

 何気ない会話を交わしながら、廊下をいつも通りに歩んでいく。

 ぎし、ぎし、と床が軋む音が心地いい。差し込む日差しも柔らかく、気持ちいい朝と言えるだろう。

 しかし今の襖を開けて待ち受けていたのは、

 

「……揃ったわね。さて、話をしましょう」

 

 イリヤに桜と凛。その表情は引き締まり、真剣そのもので。

 暖かく、平和な朝からかけ離れた話が、始まる。

 

 ◇◆◇

 

 朝食が運ばれてくる。お盆を持った桜に、「任せちゃって悪いな」なんて謝罪を挟みつつ。渡された皿には、士郎の予想通りベーコンエッグが乗せられていた。

 

「……で、話っていうのは?」

 

 続けて渡されたトーストの皿を机に置きつつ、凛に視線とともに問いを投げる。

 

「朝食を食べながらするような話ではないけれど……時間が惜しいし、ごめんなさいね。話っていうのは今後のことについてよ」

「今後のこと……キャスターのこと、か」

「まあ、そういうコトになるわね。頼りにしていたバーサーカーも、あのキャスターもどきにやられちゃったし……」

 

 思わず渋い顔をする凛。しかし、仕方ないことと言えるだろう。

 バーサーカーがあの女に負ける瞬間を士郎達は目撃した。

 アレは戦闘ではなく、食事に近いものだった。それはおそらく士郎だけの認識ではなく、あの場にいた全員の認識だ。

 目の前を飛ぶ蚊が鬱陶しくて叩き潰した。刺されるのが嫌で、痒いのなんてごめんだから叩き潰した。

 生きていくのに必要だから殺した。自分の糧にするために、必要だから食した────。きっと、そんな何でもないようなこと。

 しかしそんな中でも、イリヤだけは未だに納得していないようだった。

 イリヤは桜から皿を受け取り、視線を俯かせて。

 

「……気に入らないわ。本当なら、バーサーカーはあんなヤツには負けないのに」

 

 唇を尖らせ、重く、深いため息を吐く。

 きっと、イリヤとバーサーカーの間にも深い絆があったはずだ。セイバーと士郎と同じように、他のだれにも負けない、深い絆が。

 付き合ってきた相棒が負けるのは悔しいことだろう。それはきっと、凛も同じで。

 イリヤの瞳に込められた感情は、凛がアーチャーに『足止めをしろ』と命じた時と同じものであった。

 

 居間に沈黙が満ちる。時計の針が進む音と、トーストを咀嚼する音。紅茶を呷る音だけが続いて、

 

「……じゃあ、イリヤ」

 

 一番最初に口を開いたのは、士郎だった。

 イリヤは黙々と食事を続け、視線はその皿に向いたまま。誰も口を開かずに、士郎の言葉の続きを待っている。

 

「俺たちに、協力してくれないか?」

「……協力?」

 

 ゆるゆるとイリヤの視線が上がる。

 迷いが孕んだ視線は士郎へと、助けを求めるように、問いを投げるように、向けられた。

 

『私がここに居ていいの?』

 

 行き場を無くした、少女の問いかけ。

 数時間前に凛にそう問いを投げた時、凛には『士郎次第ね』と一蹴されてしまった。

 今のイリヤに居場所はない。家も、相棒も、一緒に暮らしてきた仲間さえも無くなってしまった。

 そんなイリヤに今、士郎が優しく手を差し伸べている。

 部屋に響いた溜息は凛のもの。やっぱりこうなるのね、なんて言いたげな呆れきったものだった。

 

「そうだ、協力。俺たちだけじゃ、あのキャスターに勝てるとは思えない。それに、今イリヤを見捨てることなんて……俺にはできないよ」

 

 言って、士郎は淡い笑みを浮かべて。

 

「────────」

 

 その笑顔に、イリヤは。

 いつかの父親の笑顔を、幻視した。

 不器用で、優しくて、でもほんの少し影のある、大好きで大好きで堪らなかった笑顔を。

 

「……もう、そんなんじゃこの戦い、生き残っていけないんだから」

 

 涙が溢れ出す。いくら拭っても拭っても溢れ出るソレ。その涙の意味が、今のイリヤには理解できなかった。

 

 けれど、

 

「……ありがとう、シロウ」

 

 この心に満ちる暖かい何かは、案外悪くない。

 

 ◇◆◇

 

「さて、ようやく〝これからの話〟ができるかしら?」

「う……揶揄わないでよリン!!」

「泣き虫イリヤに凄まれても怖くないわー、可愛らしい」

 

 ようやくイリヤも落ち着きを取り戻し、目を赤く腫らしながら凛へと猫のようにふしゃー、なんて威嚇をしながら。ようやく話題は本筋へと帰還する。

 ここまで時間にして十分ほどだろうか。仕方ないな、なんて言いたげな笑みを浮かべ、凛が片目を瞑りながら小さく溜息を吐いて。

 

「さて、今度こそ本題。これからのことについてと────」

 

 視線が、士郎へと突き刺さる。

 

「その士郎の異様なまでもの回復力と、おそらく(、、、、)本来自分のモノではないであろう宝具を、セイバーが使えた理由の話、かしら」

 




イリヤスフィール が 仲間に なった !▼

このまま続いてもだらだらと書き続けるだけになってしまうので、ぶった切らせてもらいました。……なんか、なんか今回は出来がえらくイマイチな気がする。そんなのを投稿するなって話なんですが……。
もしこの話を完走したとして、コミケとかで本にするって言ったら買ってくれる人とか居るんですかね……?勿論加筆とかして。需要があるようなら考えたいです……


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第25話 『半端者、疑問』

「俺の回復力……その理由がわかったのか!?」

「ええ。わかった、というより……イリヤスフィールが知っていた、の方が正しいかしら」

 長らく疑問だった、士郎の異常なまでもの回復能力。自分の知らないところで発動していた何か。

 それをイリヤは知っていたらしい。思わず士郎はイリヤへと、期待の視線を向ける。

 これでようやく理由がわかる。何を引き換えにして回復していたのか────何が起こっていたのか。それを理解すれば、今後も戦いに使っていけるだろう。

 士郎の……いや、その場の全員の視線を一身に受け、イリヤは小さく溜息を吐く。

 それはイリヤの話の、開始の合図だった。

「……まずは、第四次聖杯戦争の話からしなくちゃいけないわ。今行われている聖杯戦争の、ひとつ前に行われた聖杯戦争────十年前に行われた、ソレを」

「……十年、前の」

 イリヤの言葉を反復するように、凛が小さく呟いた。

 十年前の聖杯戦争。きっと凛も、何かしらの関係があるのだろう。

「そう。十年前、ここ、冬木を舞台に第四次聖杯戦争は行われた。勝者はセイバーのサーヴァントと、そのマスター。でも勝者のそのマスターは、聖杯を手に入れる直前に、セイバーの宝具によって聖杯を破壊したわ」

「……なんでよ。聖杯を手に入れたくて、そのマスターは聖杯戦争に参加してたんじゃないの?」

「それは順番に話すから、少し黙ってて」

 さっきの揶揄いの仕返しだろうか。イリヤは半目で凛を見つめつつ、その言葉を一蹴。そして話を再開した。

 

「そのマスターは、私とシロウの父親……衛宮(えみや) 切嗣(きりつぐ)。そしてサーヴァントの真名は、アーサー・ペンドラゴン」

「────────」

 

 息を呑む音がする。その主は士郎と、セイバー。

 イリヤから放たれたその名前は、二人に縁の深い人間の名前だった。

「キリツグは私たち……アインツベルンに雇われて、ひとりのマスターとして聖杯戦争に参加したの。それで、セイバーを召喚するときにある触媒が使用された。それが、エクスカリバーの鞘」

 エクスカリバーの鞘。アーサー王伝説に登場するアイテムのひとつだ。

 泉の精霊によって生み出された聖剣の鞘。

 

「その鞘は伝説通り持ち主の老化を停滞させて、傷を治す能力があったの。セイバー────アーサー王が近くにいれば、すぐさま傷は回復されたって。それがたぶん……シロウに埋め込まれてるんじゃないかな、って」

「……待って、イリヤ。それはおかしくない? その話が本当なら、セイバーじゃなくアーサー王がいなければその鞘は発動しないはずよ?」

 

 そう。あくまでもエクスカリバーの鞘は、アーサー王の宝具にあたるもの。その効果が発動する条件としては、アーサー王がこの場に居なければいけないはずだ。

 イリヤは静かに、凛の言葉に頷きを返し。そして、

 

「そうね。アーサー王が存在しなくとも、少しは回復能力が発動したらしいけど……シロウのアレは異常すぎる。本来発動しないはずの回復能力────でもこの場に、今の冬木に、アーサー王の霊基(、、、、、、、)が存在するとしたら、話は別よ」

 

 今度は視線が、セイバーに突き刺さった。

 

「アーサー王の、霊基が……!?」

 

 驚愕の声を上げる一同。しかしその中で、イリヤとセイバーだけが、静かに見つめあっている。

 

「……モードレッドはアーサー王の息子。でも確かに息子かもしれないけれど……彼女の正体はモルガンによって生み出された、アーサー王のクローンのようなもの。いわば、アーサー王の写し身。そうよね?」

 

 イリヤの言葉に、セイバーが歯を噛みしめる音が聞こえた。ついでに拳も強く握られて、眉間に深く皺が寄る。

 

「……そうだ。オレは確かに、アーサー王の息子として生み出された。けど実際はクローン人間……ホムンクルスだったんだよ。皮肉な話だ」

「それできっと聖杯が誤作動を起こしたんでしょう。本来呼び出されるはずのアーサー王ではなく、その全く同じといっても過言ではない身体の……貴女が呼び出された。アーサー王の霊基として、モードレッドの霊基として、半端な状態の貴女が。それならあの宝具を使った理由も頷ける」

 

 それが士郎の身体で起こっていた、異常な回復能力の正体。

 複雑な人間関係が絡み起こる、能力だった。

 

「それからキリツグが聖杯を破壊した理由、だったかしら。……それはね、冬木の聖杯が壊れているからよ」

「……壊れてるって、どういうことだよ」

 

 思わず士郎が疑問を投げる。

 自分の追いかけてきた背中、衛宮切嗣────彼は正義の味方になりたいという願いを掲げていた。

 叶えたい願いなどいくらでもあっただろう。しかしそれを放棄してでも聖杯を破壊した理由が、気になって仕方がない。

 イリヤは一度目を伏せてから、ゆっくりと桜に視線を向けて。

 

「サクラは薄々気づいているかも知れないけれど、冬木の聖杯は普通じゃないわ。とあるサーヴァントに────いいえ、悪魔に汚染されているの」

 

 桜は静かに頷くと、複雑な感情に口元を歪めた。

 身に覚えがありすぎる。自分の体は聖杯と繋がっていて、度々何者かの思考と怒りが流れ込んでくることがあった。

 

『死ね、死ね、死ね、殺す。オレハオマエタチヲ許サナイ────』

 

 これが何かはわからない。けれど、この聖杯が普通じゃないことはわかっていた。

 

「その悪魔の名前は『この世全ての悪(アンリマユ)』────第三次聖杯戦争でアインツベルンが呼び出したサーヴァント。どういうワケかそのサーヴァントが未だに聖杯に居座って、汚染している。きっとあのキャスターは、彼の影響を受けてしまっているんでしょうね」

 

 あの女の異様なまでもの殺意と、身体を半分壊してでも聖杯を手に入れようとする執着心。

 元から聖杯への執着、世界(だれか)への復讐心はあったんだろうが、『この世全ての悪』によってソレが煽られているのだろう。

 

「その汚染によって、今の聖杯には願いを叶える機能はない。ソレに気づいたキリツグは、聖杯を破壊して────溢れ出た魔力は、大災害を引き起こした。十年前の、あの大火災を」

 

 この地についてようやく気づくなんて、間抜けな話よね、だなんて大きなため息を吐き出すイリヤ。

 

「……十年前の、大火災?」

 

 しかし士郎の耳には、そんな声は届いてなかった。

 聞いてきた全ての事柄が飛んでいく。頭から、ゆっくり抜け落ちていくように。

 自分が全てを失ったあの火災。たくさんの人が死んで、たくさんのものが焼けて、煤に変わっていく絶望感。

 今でも夢に見る。頰を撫ぜる熱い風と、喉を焼くような熱気。全てを、鮮明に覚えている。

 そして、その場から助けてくれた、切嗣の表情でさえも。

 あの場から助け出してくれた彼には、いくら感謝してもしたりない。

 あの火災をまさか、彼自身が起こしたなどと────

 

「悪い、少しだけ……ひとりにしてくれないか」

 

 詰め込まれた情報を整理しきれず、士郎は思わず居間を後にした。

 

 ◇◆◇

 

 逃げた先はいつもの土蔵。冷えた空気と埃くささが、士郎にとっては酷く落ち着く。

 しかし冷静さは取り戻せない。ひたすら思考が回っていく。

 

 衛宮士郎(じぶん)の人生を作り上げてくれた人間が、▇▇士郎(じぶん)の人生を焼き壊した人間だなんて。

 

「……なんだってんだよ」

 

 この胸に満ちる気持ちはなんなんだろう。何と言い表せば良いのだろう。

 ひたすら思考は回っても、答えに行き着いてくれない。

 今、シロウ(じぶん)は、何を思っているのか。

 

「……シロー」

 

 背後から声がかかる。肩越しに振り返ってみれば、土蔵の入り口に見えるのはセイバーの姿。

 何やら視線を逸らしつつ、頭をボリボリと掻きむしっているのが見える。

 

「なんだ、邪魔する敵ならオレが叩ッ斬ってやる。だからその、余計なことは考えずに居ればいい。シローは前だけ見ていてくれりゃいいよ」

 

 セイバーなりの、心配しての言葉だろう。しかし士郎から返ってきた言葉は、

 

「その話なんだけどさ、セイバー。俺にはもう、君を戦わせることはできない」

 

 ちっとも、予想なんてしていなかったもので。

 

「…………は?」

 

 思わず困惑の声をあげたセイバーの表情は、士郎は見ることができなかった。




長いセリフが多い……説明回だから仕方ないけども。なんとか書き上げました。これが士郎とセイバーの一件の全貌です。
ご都合設定なんで、嫌いな方も多いかもしれないです……あとアポクリファなんかのネタバレも含んでますねこれ。ごめんなさい!!!!また次回!!!


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第4章
第26話 『痛みと、』


「……何言ってんだよ、シロー」

 理解できなかった。何を言ってるのか、全く。

 セイバーは目を見開いて、士郎の背中を見つめるしかない。

 こちらに視線すら向けてくれない、彼の背中を。何故かその背中に、自分の父親を幻視した。

 士郎は深くため息を吐いて。ゆっくりと、首を横に振る。

 

「……もう無理だ。見てられないんだよ。ああやって、傷ついていくキミなんて」

 

 思い返すのは二度のバーサーカーとの戦闘。

 取り乱し、剣を振るわれ、傷ついていくセイバーの姿だ。

 アレを見る度に士郎の心が締め付けられる。自分の無力に腹が立つ。

 

 こんなに普通の女の子が、楽しそうに笑える女の子が、ああやって傷ついて良いワケない。

 

 生涯自分の父親に認められるためだけに戦い、報われることのなかった彼女が。

「……ンなこと言ったって、士郎はオレなしじゃ戦えないだろ」

「そんなコトない。俺だって、戦うための術を手に入れた」

「────、────ッ」

 息を飲む。

 戦う術────ソレはきっと、バーサーカー戦で見せた投影魔術のことを言っているのだろう。

 それから、とうとう正体が露わになった回復能力のことも。

 

 そう。士郎はなまじ戦える能力を手に入れてしまったのだ。

 

 それならもう、セイバーを無理に戦わせる理由はないのだ、と。

 何も言葉が出ない。出てきてくれない。

 身体は鉛を流し込まれたかのように重く、熱く。言うことを聞いてくれず、等々拳を強く握るしかなかった。

 喉に言葉が突っ掛かる。吐き出せるのは苦しげな唸り声だけ。

 耐えきれない。ダメだ、もう、

 

「……勝手にしろ」

 

 その場にいることが耐えきれなくて。捨て台詞のように残して、セイバーは土蔵を飛び出す。

 外の冷たい空気に触れて、ようやく身体が思うように動いてくれた。

 逃げるように庭を走り抜け、息を切らしながら。衛宮邸から逃げ出そうとしたところで、

 

「何処へ行くのですか、セイバー」

 

 背後から名を呼ばれ、立ち止まる。

 振り返ることなどできない。今の表情を、誰かに見せることなど出来なかった。

 

「知らねえよ」

「……そうですか。この後、私たちは冬木の教会に行くつもりです。貴女の気が向けば、どうか」

 

 気が向けばな、なんて。そんな皮肉も口から出てくれることはなく。

 ライダーの言葉を無視して、アテもなく駆け出した。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 よかった。これで良かったんだ。

 彼女が傷つくのは耐えられない。彼女はもっと、幸せにならなくちゃいけないはずなんだ。

 彼女が傷つかずに済むのなら、俺が傷つくのなんて安いもので。その傷が癒えるというのなら、彼女のためにいくらでも傷つこう。

 

 与えられたこの力はきっと、誰かの傷を肩代わりするために与えられた力だ。

 与えられたこの力はきっと、誰かの前に盾として立つために与えられた力だ。

 

「……そうすればきっと、近づけるだろーか」

 

 思い浮かべるのは、憧れた背中。正義の味方────その姿だ。

 

 しかしその背中も、イリヤの話を聞いてから、陰って上手く、見えてくれない。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

「あ、っ、ぐ、う、づ……!!」

 

 痛い、痛い、痛い、痛い。全身が張り裂けるように痛み、呼吸すらもままならない。

 蹲り、声を漏らすことしかできなかった。痛む全身を抑え込み、その場に転がることしか許されない。

 場所は新都の何処か。自分がどこに居るかすら定かではない。

 呼吸が浅い。痛い。口元からはだらしなく唾液が垂れ流され、痛みを堪えるために地面に頭を叩きつける。

 

「痛いか。それが貴様の願いを叶えるための代償だ」

 

 声がする。姿が見えない。いや、姿を視認しようとできないが正しいか。

 常に視線は地面に向いて、重たく、上へ向うとしてくれすらしない。

 

「その痛みを乗り越えれば、貴様の願いが……」

 

 ああ、鬱陶しい。やかましい。声すらも自身に痛みを与え、これ以上聞きたくないと、全身が悲鳴を上げている。

 

「うる、ざい」

 

 ようやく声を上げた。苦しさを押しとどめ、苦痛を伝えるために、声を。

 魔力の沼を広げていく。サーヴァントすら飲み込む、底なしのソレを。

 

 驚愕に息を呑む音が聞こえた。まさか牙を剥かれるとは思いもしなかったんだろう。

 あまりにも鬱陶しかった声を。その主を。ゆっくりと、ゆっくりと飲み込んでいく。

 何より腹が減っていた。痛みと同時に空腹が襲ってきて、耐えきれなかった。

 

 痛くて痛くて/腹が減って

 死にたくて、/産まれたくて、

 

 たまらなかった。

 

 そんな様子を、満足そうに見下ろす影があった。

 冬の淡い日差しを受けて、金色に輝く髪の持ち主。

 その男は口元を楽しそうな笑みに歪めて、耐えきれなかったのか笑いながら肩を揺する。

 

「くく、無様よな。自身の欲を剥き出しにして、ここまで醜く変わり果てるとは」

 

 これだから聖杯戦争(コレ)は面白い、と。

 男の笑い声と、女の痛みを堪える悲鳴が、辺りに響き渡る────。




毎度のことながら最新章の導入なので短めです。なんか導入は長々とかけない病気みたいで……今回もありがとうございました


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第27話 『歪な』

 アテもなく歩いていく。

 自分のよくわからない感情から逃げるように。胸のモヤモヤをどこかへ消すために。寒空の下、着物とつっかけという寒々しい格好で、ひたすらに。

 何処に行きたいのか。何処にいくべきなのか。そんなのはわからない。ただ、逃げ出したかった。逃げたい。その一心で。

 

「……クソッ」

 

 悪態をついた相手は何処かの誰かではなく、おそらく自分自身。

 おかしくなってしまった、自分自身にだろう。

 

 気づけばセイバーは冬木の大病院へとたどり着いていた。

 誰かに導かれることなく、ただ、なんとなく。

 車通りの多い駐車場を抜けて、とりあえず、と入り口付近のベンチへと腰を下ろす。

 少し離れた先には自販機と喫煙スペースが見える。平日の昼だというのにそこそこの人影が見え、思わず眉間にシワが寄った。

 

「……聖杯戦争の、被害者か?」

 

 見れば、何やら住職らしき人影がちらほらと見える。凛によると、柳洞寺の住職たちが、暴走したキャスターの魂喰いの被害にあったらしい。

 魂ぐいを受けてから暫くは抜け殻のようになってしまうはずだが、既にあそこまで動けるようになるとは。流石と言うべきか。

 そんなことを考えながら、なんともなしに住職達の団欒を眺めていると、その中にひとり見覚えのある人影が見えた。

 調子のいい笑顔と、短く切り分けられた栗色の毛。その性格が現れているように、笑ったり、怒ったりするたびにその髪はふわふわと揺れている。

 

「……タイガー?」

 

 その名は藤村大河。衛宮士郎の姉貴分であり、セイバーもよく見知った存在で。

 

「あら、セイバーちゃんじゃない! こんなところでなにしてるのー?」

 

 そういえば被害者達はみんなここに運び込まれたんだっけ、なんて。今更ながらに、凛から得た情報を思い出したのだった。

 

 ◇◆◇

 

「ちょっと士郎!」

 

 土蔵での一件があり、居間に戻った士郎へと真っ先に浴びせられたのは凛の怒鳴り声だった。

 凛の後ろでは桜が不安げな表情を浮かべて、士郎のことを上目で見つめている。

 

「……どうしたんだよ、遠坂。そんな形相で」

「どうしたもこうしたもないわよ。アンタ、今になってセイバーと喧嘩とかなに考えてるの?」

 

 ああ、なんて呑気に頷きを返す士郎。もうここまで広がっているとは思わなかったらしい。

 そんな態度に呆れがさしたのか、凛は大きく溜息を吐いて、

 

「全く。それで、セイバーになんて言ったワケ?」

「セイバーには戦わせられないって言った」

 

 士郎から帰ってきた言葉に、その表情が引きつった。

 

「……呆れた。本気で言ってるの?」

「本気だよ。セイバーが傷つくのは見てられない。それに、俺にだって戦う術はできた。遠坂の足は引っ張らないはずだ」

 

 これは何を言っても無駄だ。引きつった笑みをそのままに凛は首を横に振り、眉間にそっと指を添える。

 数秒そのまま頭痛を殺すように眉間を揉んだ後、凛は溜息混じりに。

 

「……まあいいわ。とりあえず次の目標は教会だし、どうにかできないか相談をするだけだし。危険はないだろうから……ただ、非常事態には令呪を使ってセイバーを呼び出すように。良いわね」

 

 まくし立てるように言い捨てると、士郎の脇を抜けて自室へとドカドカと向かって行った。

 居間に取り残されたのは桜と士郎。二人の間には気まずげな沈黙が流れ、なんとも言えずに黙り込むしかない。

 士郎は指先で頰を掻きながら。何か言うべきか、なんて迷ったまま気まずさに唸り声をあげていると、

 

「先輩」

 

 沈黙を取り去ったのは桜の声。同時に士郎の右手首が桜の両手に包まれ、ぎゅっと強く握られた。

 揺れる視線は真っ直ぐに。士郎の目を貫いている。

 桜、なんて名前を呼ぶことも許されない。

 士郎はまっすぐに見つめ返し、ただ、面を食らって口を噤むしかなかった。

 

「先輩が、セイバーさんが傷つくのが嫌だって言うのと同じくらいに……わたしも先輩が傷つくのは、嫌です」

「────、────」

 

 目を見開く。予想外の言葉だった。

 桜はさらに強く、士郎の手首を握りしめる。逃がさないと、言わんばかりに。

 

「わたし、嫌です……先輩がボロボロになって行くのは耐えられない。兄さんと戦ったあの時も、平気で片腕を犠牲にして」

「……あれは、そうするしかなかったんだ」

 

 そう。そうするしかなかった。アレが一番、あの状況をいい方向に持っていける方法だったはずだ。

 嘘は言っていない。凛も桜も、大切な人が誰も傷つかないためには。誰かが傷つくことが決まっているのなら、その席を自分が代わってやるのが一番いい方法のはずなんだ。

 士郎はそう信じてやまない。それなのに、

 

「違うんです。そうじゃないんですよ、先輩」

 

 桜は首を大きく振りながら、士郎の言葉を、その思考を否定する。

 

「そうじゃないんです……姉さんも言ってました。先輩は、いつか誰かのために全てを投げ出してしまいそうで怖いって。わたしもそう思うんです。先輩はいつか、自分の命ですら……誰かに、『はいどうぞ』ってあげちゃいそうで……すごく、怖くて」

 

 見てられない。誰かのために傷ついて行く、その様子が。

 嫌で嫌でたまらない。士郎が桜には無事であってほしいと思うように、桜も士郎には無事であってほしい。

 だから、あんな力を士郎に与えた聖杯が憎かった。正直奪い去ってしまいたかった。けれど、

 

『士郎は正義の味方になりたいって、小さい頃から言っててねー?』

 

 いつだか聞いた大河の言葉が離れてくれない。これが士郎の思う正義の形だとしたら、自分に奪うことができるのだろうか────と。

 

 正義の味方(生き甲斐)を失った士郎は、どうなってしまうのか。

 

 考えれば考えるほど怖くなる。士郎の心のほとんどを埋め尽くしているのはおそらく正義(ソレ)だろう。ソレを失ってしまった士郎は、空っぽになってしまう気がして。

 

「ああ、わかってるよ桜。……心配かけてごめんな?」

 

 嘘です、先輩はわかってません。わたしのそばに居てください。

 そんな簡単な言葉すら、士郎にかけることはできないのだ。

 

 笑み浮かべた士郎に。何も、言葉が出てくれないのだ。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 戦わせることはできない。

 自分の主人にそう告げられ、ひどく腹が立ったのは事実だ。

 けれど、それ以上によくわからない感情が満ちた。父上に拒絶された時のものとは違う。まったく、別のもの。

 正直ああ言われた時に首を叩き斬ってやればよかった。危害を加えるな、なんて令呪は課せられていない。

 あんな無防備な背中だ。叩き斬るのは簡単な話だろうに、どうして。

 

 答えの出ない問いを繰り返す。思考をぐるぐると疑問がかき回す。

 

 答えが出ない。出てくれない。わからない。きっと、その答えをタイガーなら出してくれると信じて、無意識に病院へと逃げ込んだのかもしれない。

 

 弱くなったなぁ、弱くなったよ。……こんなにオレの心は、弱いものだったか。

 

『だってそうでしょう。何もかも貴女

 は偽物だらけ。その身体も、剣技も、自分のものではない────』

 

 あんなやすい挑発で、心を乱すほどに弱い人間だっただろうか。

 

 わからない、わからない、わからない────。

 

 

 ◇Interlude out◇




そういえばこれの次の章でこの話終わりますって話ししましたっけ(した気がする)とうとう最終戦です。士郎の歪な心はやはり気味が悪い……そういうところも好きなんですけど。
好きな子を苛めたくなってしまう病気。モーさんと士郎を苛めてしまう。仕方ないことだと思います。作家病的な。


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第28話 『応え』

 視界の先では洗濯物が揺れている。

 それらはこの病院で使われているベッドのシーツたち。今日は雲も少なく、日差しもそこそこに暖かくて。洗濯物を干すにはちょうど良い。

 セイバーと大河は、病院の屋上へ来ていた。

 二人の他に人影は見えない。

 

「それで、どうかしたの? セイバーちゃん」

 

 声がやけに響く。セイバーの不安を甘やかに溶かす様に。

 

「……何かあったように見えるか?」

「見える。だってセイバーちゃん、いつもに比べて元気ないもの」

 

 屋上の隅に腰を下ろす二人。大河は俯くセイバーの表情を覗き込み、困った様に笑みを浮かべていた。

 

「……士郎と何かあった?」

 

 息がつまる。言葉も堰きとめられ、うまく吐き出すことができない。

 図星だ。図星だった。何もかもこの人はお見通しで、何かを隠し通すことはできそうにない。

 きっと今の表情からも、色々なことを読み取られてしまっているのだろう。

 しかし大河は次の言葉を紡がない。セイバーの口からはっきりと聞きたいのだろう。大切な話なのだから、自分の推測だけで話は進めたくない、と。

 

「……ちょっと、喧嘩した」

 

 喧嘩と表現していいのかはわからない。けれど、彼とぶつかり合ったのは事実だし、別に嘘をついたわけじゃない。

 

 ────あれは喧嘩なのだろうか。

 

 生涯、喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかった。喧嘩というのは仲のいい人間同士がすることだ。

 彼と自分自身は、そこまで仲がいいモノだったのだろうか、と。

 

「……そっかぁ、士郎は気難しいからね。迷惑かけてごめんね?」

「ば、別にタイガーが謝るコトじゃない!」

 

 頭を下げる大河に、ぶんぶん、とセイバーは首を横に振る。

 そう、謝ることない。謝ることないんだ。むしろ、

 

「……謝るのは、オレの方なのに」

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 あれは、セイバーが初めて衛宮邸で過ごした日のこと。

 少し話がある、なんて大河に呼び出されて。着物を手渡されながら、大河は満面の笑みを浮かべて、

 

「セイバーちゃん、かなり強いでしょ?」

 

 なんて。開口一番に大河はそう言ったのだった。

 警戒をしなかったわけではない。けれど、大河はセイバーに単純な好意を向けていて。思わず、面食らいながら頷いたのを覚えている。

 

「……どうしてわかったんだ?」

「私も一応、剣道の有段者だから。足の運びとかでなんとなくわかるものでしょ?」

 

 言われて、納得したように頷く。

 それから数秒沈黙が続いて。大河はゆっくりと視線をあげて、セイバーの瞳を、真っ直ぐに覗き込む。

 

「こんなこと、初対面のアナタに頼むことじゃないかもしれないけど。士郎のこと、よろしく頼んでいい?」

 

 大河の瞳は揺れていた。その瞳に宿る感情は恐らく、情けなさだとかそういった類だろう。

 

「士郎ね、すごく危なっかしいの。昔から切嗣さんの────父親の夢を追いかけて、ひたすら前に進んでて。自分のことも顧みず、前しか見てなくて」

 

 恐らく今、彼女が見つめているのはセイバーではない。自分の弟分の、離れていく背中。

 

「……守ってくれる人が必要だなあ、って思ってたの。でもきっと、その役割は私じゃない。私ができることは、士郎を『おかえり』って、迎え入れてあげることくらいだろうから」

 

 もう手の届かない、士郎の背中だ。

 その瞳があまりにも悲しそうで、あまりにも無力で、情けなくて、

 

「……わかった。オレがちゃんと守る。だから、安心してくれ」

 

 思わず頷き、笑みを漏らしたのだった。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

 そして時間は現在に戻る。

 謝らなくちゃいけない。士郎は自分が守ると約束したのに。あそこでセイバーは、何も言い返すことができなかった。

 自分が戦うと言った士郎に、何も。

 

「……士郎のこと、嫌いになっちゃった?」

「そんなこと────」

 

 ない、とは言い切れない。だって初めてなんだ。誰かにこんな感情を抱き、もやもやと頭を抱えて歩き回ることなんて一度もなかった。

 全ては剣で解決して来た、自分には、一度も。

 

「……悪いけど、オレにはわからない。なにも、わからないんだ」

 

 だから有耶無耶な応えを返すしかない。俯き、口元を複雑な感情に歪めることしか、許されない。

 

 だから、

 

「……そっか。セイバーちゃんは、優しいね」

 

 何もわからないからこそ。大河のその言葉に、何も返すことができなかった。

 

 ◇◆◇

 

 暖かな日差しを受けながら、ひたすら歩みを進めていく。

 士郎の目の前では凛と桜、イリヤが歩いているのが見える。士郎にはわからないが、恐らくライダーもそこに居るんだろう。

 家を出てからひたすら沈黙が続いていた。桜と凛とは、あれ以来会話を交わせていない。

 異様な気まずさが流れている。

 

『違うんですよ。そうじゃないんです、先輩』

 

 あの困ったような笑顔を見てから、桜の顔を直視できずにいる。もやもやと胸を支配する何かに、応えを出せずにいる。

 

 ────あの時俺は、何と応えるべきだったのか。

 

 何度問いかけてもわからない。それはきっと、士郎が自分のことを考えるのが苦手だからだ。

 この疑問だって、『怒られたから』ではなく『怒らせてしまったから』という、相手への思いから発生しているものなのだから。

 何故怒らせてしまったのか。そう考えているウチはきっと、士郎に応えは出せっこない。

 いつの間にか、一同は教会への上り坂に着いていた。

 心臓破りだなんて冬木の市民に呼ばれている坂。ソレを会話も交わさず、静かに歩んでいく。

 人影は見えない。もともと人通りが多い場所ではないのだが、沈黙が続いている士郎には酷く痛かった。

 

 一歩、一歩と歩みを進めていく。そして教会が見えて来たところで、

 

「……冗談はやめてよね」

 

 凛が、その歩みを止めた。

 

 教会へ続く一本道。花壇を両端に添えたそこには、三人の人影が見える。

 ひとりは憎たらしい笑みを浮かべたあの神父。意味深な行動をとり、士郎とセイバーの逆鱗を逆なでしたそいつ。

 そしてその隣には、

 

「何でランサーがここに居るのよ」

 

 赤い、死を彷彿とさせる長槍を携えた男。長髪を風に揺らし、退屈そうにため息を吐く男の姿。

 

 士郎を一度殺した男、ランサーの姿だった。




藤ねえはこういう事を言いそうだなって思って……何となく、藤ねえは切嗣の姿を士郎の背中に重ねてそうだな、なんて思いました。まる。


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第29話 『意外な再会』

「何でランサーが、ここに居るのよ」

 

 凛の驚愕の声を聞いて、待ち受けていた神父は笑みを浮かべる。

 深淵を覗いているような心地にさせる、深く、暗く、黒い笑み。その裏側にはどんな想いが隠れているのか。

 神父は────綺礼は、態とらしく自分の胸に手を当てて。聖書の一節でも語るように、緩やかに口を開いた。

 

「何故、だなんてつまらない事を聞くものだ。私の隣にランサー()がいる。そもすれば、答えはひとつだろう?」

「……そう。アンタも、聖杯戦争の参加者だったってワケ」

 

 凛としては、一切予想していなかったわけではない。

 ランサーとの戦いで、マスターは一切姿を見せなかった。アーチャーの目を以てしても、視認することすらできなかったのだ。

 マスターが攻撃されないように姿を隠す、というのはわかる。けれど、一切気配も感じないほどに遠くで自身のサーヴァントへ指示を出す────出さなければいけない、その理由。

 

 マスターとして、顔を出すわけにはいかない人間。

 

「最後まで姿を隠して、高みの見物を決めて。キャスターにあたふたしている私たちを面白おかしく見物してた……アンタらしいわ」

 

 協力を仰ぎに来たはずが、敵の手中に飛び込んでいたというコトだ。

 

 マズい。ここは相手の領土……加えて、相手は言峰綺礼だ。アイツは数で押し通して勝てるような相手じゃない。

 許されるのは逃げの一手、それだけ────

 

「尻尾を巻いて逃げ出すか、雑種。下郎でも下郎なりに(オレ)を楽しませてはどうだ?」

 

 その一手すらも、許されない。

 ここに来てひと言も言葉を発しなかったもうひとつの人影……金髪の男が指を鳴らすと、何もなかったはずの空間から無数の剣が飛び出した。

 ソレは士郎たちの頰を掠め、その真後ろに被弾する。

 これはまるで、自分の射程距離をアピールでもしているかのような。

 

 逃げればどうなるかわかっているな? と。無言の威圧をかけられているようだった。

 

 それだけではない。状況はさらに悪い方向へと一転した。

 おそらく今攻撃を放った金髪の男もサーヴァントだ。どういう理由かはわからない……けれど今ここに八騎目の、イレギュラーな存在が存在する。

 言峰綺礼とサーヴァント二騎。こちらの戦力はサーヴァント一騎とマスターが三人。一見有利に見えるが、綺礼の戦闘能力を考えると絶望的だ。

 

「……で、一応聞いておくけど。キャスター討伐のために、力を貸す気はないの?」

 

 念のために、と。ここに来た本来の目的を問いかける。

 何やら相手は敵意をむき出しにしているが、協力できれば心強いことには変わりない。

 

「残念だが、凛。私は『アレ』の誕生を望んでいる……故に、キミたちは些か邪魔すぎる」

 

 しかしそんな問いかけは、無慈悲に叩き落とされた。

 戦況が動き出す。金髪の男が片手を挙げると、大量の剣が男の背後に顔を出す。

 その数五十と少し。大量の剣は各々が士郎たちに狙いを定め、主人の指示を今か今かと待ち望んでいる────。

 

「士郎、令呪を使ってセイバーを……」

「悪い遠坂、ランサーは任せた」

 

 即座に士郎が凛の言葉を振り切り、駆け出す。

 戸惑う暇すら許されない。士郎は凛たちの目の前へと駆け出ると同時に、

 

投影(トレース)開始(オン)────!!」

 

 自身を魔術師へと変えるスイッチを叩き下ろす。

 士郎にはわかってしまった。アレは桁違いだと。アレに敵うのは自分だけだと。

 アイツが放つ剣の全ては、全てが等しく宝具であり────絶対無敵の一本。ソレを、

 

工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)……!! 全投影、連続層写(ソードバレルフルオープン)!!」

 

 視認する全てを複写し、生成し、放たれた原物(オリジナル)目掛けて即座に放ち、相殺する────!!

 

 轟音を立てて剣と剣はぶつかり合い、弾き合い、宙を舞う。いくらかの剣は構造の理念が手薄だったのか、受け止めきれなかった剣が士郎の体を掠めていく。

 

「ほう? なかなか面白い術を使うではないか。どれ、少し遊んでやる」

 

 再び男が指を鳴らすと、背後に無数の剣先が姿を現した。

 まるで底無しだ。同じ数を生成した士郎は疲労の色を隠せないというのに、男は一切、息切れすらもしていない。

 

投影(トレース)開始(オン)────!!!」

 

 ◇◆◇

 

 結局理解はできなかった。

 病院を出て、再び当てもなくセイバーはフラフラと歩き回って。挙句にたどり着いたのは小さな公園だった。

 公園には人影はひとりも見えない。そこにはセイバーだけがベンチに腰を下ろし、空をひたすらに眺めているだけ。

 

「シローの、こと」

 

 言葉にすればするほど理解できない。彼のことを考えると、胸の内に何か靄がかかることだけはこの数時間で充分に理解できた。

 胸が締め付けられるような。自分は今、彼を、士郎をどう思っているのか────。

 

「……おまえ、衛宮のトコの」

 

 そんなセイバーの思考を、何処かで聞いた声が遮った。

 視線を空から公園の入口へと移すと、何処かで見た憎たらしい顔が見える。

 

「……誰だっけおまえ」

「失礼なやつだな。……間桐慎二だよ、名前くらい覚えろ」

 




うーん、短い。なんかちょっとしたスランプが来てたのと、ちょっと新人賞に小説出そうと思ってて。そっちの方が忙しかったり。
たぶん次の話もそんな感じになります……すんません


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