ベル君が賢者に憧れるのは間違っているだろうか? (もさま)
しおりを挟む

灰かぶり(ベル)

はじめまして。
ダンまちリヴェリアルートを書いていきたいと思います。
原作は今手元に無いのでアニメや記憶準拠になりますがよろしくお願いします。


「はっ、はっ、はぁっ!」

 

「ブフーッ、ブフー」

 

背後から荒い鼻息と地響きが迫ってくる。

 

「なんでっ!なんで!」

 

迫り来る音の主はミノタウロス。

身の丈は人の三倍程もある筋骨粒々の牛の魔人、15層から現れるそのモンスターは冒険者に訪れる高い壁の一つと言われていて、実際脅威評価も3つ星(最高)。そんな話をエイナさんからダンジョン講習の際に受けたのを思い出した。

間違ってもダンジョンの5層(ここ)で遭遇するような格のモンスターではない筈だ。

ミノタウロスのレベルは2相当と言われている。つまり単独で戦うにはレベル2近い実力が無ければ難しいということだ。

当然駆け出し冒険者の僕如きが敵うはずも無い相手だ。

僕はただただ恥も外聞も無く逃げ惑っていた。

 

「死ぬ、死んじゃうよ!」

 

ミノタウロスは見た目通りの怪力に人型のモンスター故の器用さを持つ恐ろしい相手だが、ミノタウロスの恐ろしさの本質はそこにはない。

何よりも恐ろしいのは賢く、執念深く、素早いというその三点だ。徒党を組んで冒険者を囲んだり、石や岩を投げつけることもあったり、落ちている冒険者の装備を使ってきたり、逃げ出した冒険者を複数の階層に渡って追跡してきたり、とにかく単純な強さ以上に厄介なのだそうだ。

エイナさんの講習を思い出せば出すほどに、酸欠で狭まった視界が真っ黒に染まるような絶望感が襲ってくる。

 

(神様…)

 

ホームで待つ主神(ヘスティア様)の事を思い出す。

どのファミリアにも受け入れて貰えなくて途方に暮れ挫けそうになっていた僕を眷族にしてくれた神さま。

至らない僕を何時だって優しく暖かく迎え入れてくれる朗らかなあの(ひと)に僕はまだ少しも恩を返せてはいない。

 

(諦めちゃダメだ!)

 

挫けそうになる心を奮わせて、真っ暗になりかけていた視界に光を射し込ませる。

 

(それに)

 

お祖父ちゃんも言っていた。英雄たる者はどんな困難でも前を向いて道を切り開く光明を探し、その逆境を成長の糧として偉業を残すのだと。

勿論貧弱なステータスの僕がミノタウロスを倒すなどと言うことは、間違っても起こりはしないし、そもそも間違ってもそれをしようなどと思ってもいけない。

今はただこの脚を前に動かして少しでもミノタウロスから距離を取ることを考えなければいけない。

死んでしまえばそこで全てが終わりだ。

あの何をされても死なずに帰ってきそうな生命力の塊だったお祖父ちゃんですら谷底に落ちて死んでしまってそれで終わり。

遺された僕はお祖父ちゃんというたった一人の家族を失って一人きりになってしまった。

ヘスティア様の家族(けんぞく)は僕しか居ない。僕が死ねばヘスティア様は僕と同じ孤独に苛まれる他無い。

名を成したいという気持ちはある。英雄になるために僕はオラリオ(ダンジョン)にやって来たのだから。

でもそれはきっと今じゃない。

だから僕はこの脚をただひたすらに…

 

「えっ?」

 

誓いを立てたにも関わらず僕の足は止まった。

目の前に岩肌が現れたからだ。

思えば初めての5階層、この階層で僕は碌なマッピングも済んでいなかったのだ。

 

「そんな…」

 

地響きが僕の小さな体を震わせる。

地響きが大きくなってくる度に僕の膝の震えがどんどん大きくなる。

勘違いをしていた。僕は英雄などではないし、その卵ですら無かったのだ。

英雄が化け物を討ち取るその影で墓穴に埋まるただ一人の身体でしかなかったのだ。

 

「ブフゥ」

 

後ろを振り向けば50メートル程手前の曲がり角に角の先が見えた。

 

「ひっ」

 

思わず後退りをした僕の手に岩肌が触れた。

ここが終末。終点。これ以上はない分かり易さでそのことを岩肌は僕に告げる。

 

「ブフッ」

 

牛頭の口角が上がった気がした。

みっともなく生き足掻いた僕を嘲笑っているかのように。それも結局の所僕の心が生み出した被害妄想なのかもしれない。

「ブオオオオオオォォォォォォッ!」

 

雄叫びを上げるとミノタウロスは瞬く間に僕に近付き、手を振り上げた。

 

「うわァァァァァァッ!」

 

両腕で顔を覆い目を瞑った。

これでお終い?お祖父ちゃんが亡くなってからずっとお祖父ちゃんの語ったオラリオにやっと至って、それなのに。

 

(神さま、お祖父ちゃん、エイナさん、ごめんなさい…)

 

せめて、振り上げられたその腕で、苦しまずに死ねますように。僕はそれを祈ることしか出来なかった。

 

「レア・ラーヴァテイン!」

 

ミノタウロスの背後からその言葉が告げられると強烈な爆音が鳴り響いた。

驚いて両腕を下ろし目を開けるとそこには上半身を失ったミノタウロスの身体が立っていた。

 

「む?すまんな少年。加減はしたんだが煤と砂埃と灰まみれになってしまったな」

 

碧玉のような輝く緑髪とその髪色と同じ色の睫毛に縁取られた美しい二つの碧眼。そして同じ色のローブに純白のマント。尖った耳に、ほっそりとした体躯。これ以上はない程の気品を持ったエルフの女の人が僕を見つめていた。

ミノタウロスを一撃で葬る強烈な魔法、それだけの魔法を放っても少しも疲れを感じさせないその立ち居振舞い。間違いない、彼女は僕の田舎にすら名が轟いていた九魔姫(ナイン・ヘル)リヴェリア・リヨス・アールヴその人だろう。

 

(凄く、綺麗だ…)

 

僕は思わず唾を飲み込んだ。こんな美しい人は今までに出会ったことがなかった。ここはダンジョンだって言うのに、まるでその身は森の木漏れ日に照らされているかのようだ。

そう言えば、魔法の詠唱が聞こえなかった。ということは、このリヴェリアさんは僕とミノタウロスの後ろを走って追っていたという事で…

 

(あ、あんな恥ずかしい姿を、ミノタウロスから喚きながら逃げている姿をこの人に見られていた?)

 

途端に顔中が熱くなった。

 

(は、恥ずかしい)

 

恥も外聞もなく逃げ惑って、とは思っていたがあくまで僕は外聞が【ない】とは思って走っていたのだ。

 

「少年よ、大丈夫か?」

 

リヴェリアさんは心配そうに僕に近付いてくる。

僕は思わず…

 

「う、うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

逃げ出してしまったのだ。

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

「なんだあれ?」

 

「煤に灰に、顔中真っ黒じゃねーか」

 

「初心者が初めて魔法を使ってダンジョンの天井でも崩しちまったんじゃねーか?」

 

「ダハハハハッ!ちげぇねぇ」

 

僕は走っていた。

周りから何か言われているような気もするけど、そんな事はどうでもよかった。

 

早く、早く、速く、もっと速く!

 

僕はどうしても彼女の事が一分でも一秒でも早く知りたかった。リヴェリアさんのことを。その為にギルドのもとへ。

「エイナさぁぁーーーーん!!」

僕は尋ね人の姿を見付けて限界まで声を振り絞る。手を振る。

 

「あら?ベル君!」

 

エイナさんも僕に気が付いたみたいだ。

 

「リヴェリア・リヨス・アールヴさんの事を教えてくださぁぁーーーーーい!」

 

自然と顔が綻んでくる。これでリヴェリアさんのことを教えてもらえる。

 

「ん?ちょ!うわぁっ!」

 

エイナさんは僕の顔を見るなり悲鳴を上げて、手に持っていた書類を取りこぼした。一体何故だろうか?

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「ダメじゃないベル君!いきなりダンジョンの5階に潜るだなんて…。いつも言ってるでしょ?冒険者は冒険をしちゃダメだって!」

 

「はい…すみません…」

 

水浴びをしてさっぱりとした僕はエイナさんにお叱りを受けていた。

冒険をするなというのは何もダンジョンに探索に行くなという事ではない。危ない橋を渡ってはいけないという意味だ。

当初僕はこれを勘違いして「え!ダンジョンを探索しちゃいけないんですか!?」と叫んでエイナさんに笑われてしまった。

しかし、今なら言いたいこともよく分かる。実際ミノタウロスの拳が振り上げられた時は神さまとお祖父ちゃんとエイナさんに心の中で謝って楽に死ねるように祈っていたのだから。

 

「でもねベル君、君はすごい幸運なんだよ?ダンジョンに潜り初めてからまだ半月のレベル1の冒険者がミノタウロスに襲われて生きて帰れたんだから!」

 

「はい…」

 

情けなさやら申し訳無さやらで僕は目を伏せた。

一字一句エイナさんの言うとおりだ。

 

「…」

 

「んぁっ!」

 

鼻先を何かが掠めた。

目を開けるとエイナさんの人差し指の先が目に入る。どうやら僕はデコピンならず鼻ピンをされたみたいだ。

 

「ともかくよかったわ。今度から気を付けるんだよ?」

 

「はい」

 

「あと、煤まみれに灰まみれのドロドロのまま街中を突っ切るのもやめようね。せめて顔くらい拭えたでしょ?」

 

「はい!」

 

エイナさんは笑って僕のアホな行動を注意する。少し重くなりかけていた僕の気持ちはそれで軽くなり、思わず元気にかぶりを振りながら返事をした。

エイナさんはいつも上手に僕を諭してくれる。厳しさもあるけど、優しくとても気を使ってくれるいいお姉さんだ。

 

「それでぇ…なんですけど、リヴェリアさんの情報、なんですが…」

 

恥ずかしくなって俯いてしまう。こんなの僕がリヴェリアさんのことどう思ってエイナさんに情報を聞いてるのかバレバレだよね。

 

「なぁにぃ?ベル君たら、もしかして助けてくれたリヴェリア様のことぉ…」

 

悪戯っぽい声でエイナさんはそう聞いてくる。

目を開けないでも分かる。エイナさんはきっと今半目で僕をニヤニヤと見ている事だろう。

 

「いやぁ…そのぉぉ…」

 

「好きになっちゃったのねぇ!」

 

「はぁいっ!」

 

そうなのだ。僕、ベル・クラネルはリヴェリア・リヨス・アールブを好きになってしまったのだ。

あの凛とした佇まいに僕はもうどうしようもないくらいに参ってしまった。

 

「リヴェリア・リヨス・アールブ。ロキ・ファミリアに所属。現在のレベルは6。魔法の腕はこのオラリオで恐らく最強の魔法使いね。ハイエルフ、王族の出身で9つの魔法を自在に操り、並行詠唱も軽々とこなすそうよ。ベル君が逃げていたのにも関わらず追い付くなり魔法でミノタウロスを倒せたのだから間違いないでしょうね。」

 

エイナさんから衝撃の事実が告げられた。なんとリヴェリアさんはエルフのお姫様だったのだ。あの気品溢れる佇まいはやっぱりそういうことなのだろう。

あ、さっきリヴェリア様って言ったのは彼女が王族だからってことか。

 

「神々から与えられた二つ名は9つの魔法を操る姫君。九魔姫(ナイン・ヘル)ね」

 

エイナさんから教えてもらっている情報で、今のところ僕が知らなかった事は一つだけだ。

 

「そのぉ、お姫様だったのには驚きましたけど、それ以外のことは僕でも知ってます。そうじゃなくて、出来れば趣味とか、好きな食べ物とか、あとぉ、そのぉ…」

 

そう、一番最後に聞きたいこと、これが一番重要なことだ。

 

「特定の相手がいるかってこととか?」

 

「そう、そうです!」

 

僕は身を乗り出しエイナさんからの言葉を待つ。

 

 

「んー、今までそういう話は聞いたことないなー。そもそも、リヴェリア様は世界中を旅する事が夢って言ってたし、王族だけどフィアンセが居たとしてもほっぽり出して反故になっちゃってるんじゃないかしら?」

 

なるほど、なるほど。

ん?ちょっと待って、なんだかエイナさんとても詳しいような…

 

「よかった!居ないんですね!ところでエイナさん、そのぉ、つかぬことをお聞きしたいんですが…」

 

「何?ベル君」

 

「もしかして…、リヴェリアさんとエイナさんってお友達なんですか?」

 

エイナさんが目を見開いた。

そんなに驚くような事だろうか。

 

「ベル君って人の機微に疎いところあるからこんなに早く気付くと思ってなかったなぁ。そうねぇ、私の母親とリヴェリア様は仲良しだったから、私もリヴェリア様も知った仲なの。」

 

「エイナさぁん、リヴェリアさんとお友達なら初めに教えてくださいよぉ」

「だってからかったら面白そうだったんだもの。それに、ベル君がドロドロの汚い姿だったからびっくりして書類落としちゃって集めるのも大変だったし、その仕返しよ。でも恋は盲目って言うけど、逆に鋭くなることもあるのね!」

 

エイナさんは口許に手を当てて上品な笑顔を見せた。

こうしてみると、エイナさんもとっても品がいいというかなんというか、エルフってそういうものなんだろうか。

あ、エイナさんはハーフエルフだったっけ。

 

「ん?待ってください、お母さんとリヴェリアさんが仲良しだったんですよね?あれ?リヴェリアさんってエイナさんとそんなに変わらないように見えるけど…あれ?」

 

頭が混乱する。リヴェリアさんは一体何歳なのだろうか。

 

「ふふふ、聞いてみたら?きっととっても怒るわよ」

 

「エイナさぁーん!」

 

「真面目な話、ハーフエルフの私でもヒューマンよりは少し長生きだし、エルフはもっと更に長生きね。そこに来てリヴェリア様はハイエルフなんだから更に長生きでしょうね。」

 

エイナさんの顔がお説教をする時と同じような真面目な物に変わる。

 

「いい、ベル君。リヴェリア様とどうこうってのは現実的にとっても厳しいわ。君は既にヘスティア・ファミリアの眷族で、リヴェリア様はロキ・ファミリアの眷族。前例は沢山あるけど、他のファミリアという事実は間違いなく障害になるわ。それにリヴェリア様は幹部だし、お近づきになるのは色々問題があるの。わかるよね?

しかもリヴェリア様はレベル6の超凄腕冒険者。そんじょそこらの男では釣り合いが取れないの。

それにリヴェリア様はハイエルフの王族で君はヒューマン。エルフ自体他人、特に多種族との接触は消極的だし親しくないと触れることすら強く拒絶される。

仮にお付き合い出来たとしてもハイエルフとヒューマンでは寿命の桁が違うのよ?折り合いを付けるのは物凄く難しい事ね」

 

エイナさんから告げられる事実の一つ一つが僕に矢のように刺さる。

そうなのだ。確かに仲良くなること自体がとても難しい上に仲良くなってもヒューマンの寿命ではリヴェリアさんは必ず()()()()()になる。

僕は遺される気持ちについてよく分かっていると思う。

エイナさんの言う通り、それは本当に大変な問題だ。目頭が熱くなってくる。

 

「えーっと、でもね、そのさっきも言ったけど他のファミリア間での恋愛は前例があるし、種族の違いだって言っておいてなんだけどハーフエルフっていう証拠の私がいるもの。それは絶対に覆せない壁じゃないの」

 

エイナさんは僕を励まそうとそう言ってくれる。

 

「ほら元気出して!今日稼いできた魔石を換金してきなさい」

 

「はぁい」

 

トボトボと歩き出す。

エイナさんは事実しか言ってないけど事実こそが僕を強かに打ちのめすのだ。

 

「換金、お願いします…」

 

「はいよ。1800ヴァリスだ」

 

「ありがとうございます…」

 

1800ヴァリス、間違いなく今までの僕の最高の換金額だ。間違いなく成長はしている。

それでも、その成長が数百ヴァリス分にしかなっていないというのがまた僕を打ちのめした。

 

「じゃあ僕、今日はこれで…」

 

またトボトボと歩き出す。今日はなんだかトボトボ歩いてるか、焦って走っているかの二択ばかりな気がする。

なんだか疲れてしまった。

 

「ベル君?」

 

「ん…」

 

「あのね、女性はやっぱり強くて頼り甲斐のある男の人に魅力を感じるから…めげずに頑張っていればリヴェリア様も強くなったベル君になら振り向いてくれるかもよ?」

 

エイナさんは僕を引き止めて強い男になりなさいと暗に言ってくる。

そうだ。僕は人に助けられたとはいえ困難をなんとか乗り越えて生き延びたのだ。

お祖父ちゃんは言っていた。

 

「英雄は実力も大切だし、努力も大切だけど、運だって良くなきゃダメだ。英雄が英雄に至るまでには大抵自分ではどうにもならない問題とぶち当たる。その時に誰かが手助けしてくれたり、どうにかするための物が見付かるのが英雄って奴なんだ!」

 

と。そしてこうも言っていた。

 

「だがなぁ、運ってのは何もしなけりゃ舞い込んでこない。必死に足掻いた時間稼ぎの先に幸運が舞い込んだり、人助けや親切が幸運を喚んだりするんだ。だからな、ベル。お前が英雄になりたいなら努力して、人に優しくなれ!特に女の子に!」

 

と。

今回の場合僕は前者の足掻くという行為が幸運を喚んだのだ。英雄になれるとはとても言えないけど、英雄を目指す道は未だに途絶えてない。

僕はまだ頑張ってもいいんだ。

 

「はい!」

 

「うん!元気があってよろしい!」

 

「ありがとうございます!」

 

「それにベル君、君がリヴェリア様にお礼をしたいっていうなら、私がリヴェリア様に掛け合ってあげるわ。それなら不自然じゃないでしょ?まさかリヴェリア様と恋人になりたい男の子が居ますなんて紹介は出来ないけど、出会うだけのお膳立てだったらしてあげるんだから」

 

エイナさんから素晴らしい提案をしてくれる。

リヴェリアさんの事を教えてくれただけでなく、こんなに親切にしてくれるだなんてエイナさんは天使なんじゃないだろうか。

 

「あ、ありがとうございます!!!エイナさんはまるで天使みたいです!!」

 

頬が緩むのを止められない。本当に嬉しくて堪らない。

 

「もう!何言ってるのよ!早くヘスティア様の所に帰ってあげなさい!」

 

「はい!本当に本当にありがとうございます!!!エイナさん大好きー!!」

 

「!」

 

僕は全力のダッシュで教会(ホーム)へと向かっていく。

 

「ひゅー、お熱いねぇ」

 

「言いよるのー」

 

「もうベル君たら…天使だなんて…それに大好きとか…。んーでもちょっとあまかったかなぁ…」

 

エイナもまた去っていったベルと同じくらいの破顔を見せていたのだった。

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

「いやっーはぁー!おかえりぃーーー!ベル君!今日は早かったんだねぇ」

 

「はい、ちょっとダンジョンで死にかけちゃって…」

 

最初は隠して安心させようかと思ったけども、神様に嘘は通じない。何か無かったのかと聞かれてしまったら却って神様を心配させてしまう。

だから僕は努めて明るく何でもなかったかのように正直に答えた。

 

「大丈夫かい!?痛くはないかい?君に死なれたらボクはショックだよぅ!」

 

心配そうに神様は僕の身体中をチェックする。

小さいヘスティア様がちょこちょこと僕の周りを動いているのはなんだか微笑ましかった。

 

「大丈夫ですって神様。僕はヘスティア・ファミリア唯一のメンバーですよ。神様を路頭に迷わせたりはしません。」

 

「ふむ、なら大船に乗ったつもりでいるからね。覚悟しといてよ!」

 

「はい」

 

「ところで神様」

 

「ん?なんだいベル君」

 

「僕、ステータスの更新が早くしたくて…」

 

そう。僕は早く強くなりたいし、ならなきゃいけない。その為には今日の頑張りでどれくらい成長したのか、これからどれだけ頑張らなきゃいけないのかを確認しなければいけない。

 

「くー!ベル君もなかなか冒険者らしくなってきたじゃないか!よしきた!ボクに任せな!」

 

そう言って神様は袖捲りをするような仕草をする。

 

(袖、無いんだけどね)

 

神様は何時だってこんな感じでユーモラスというか、面白いのだ。他に入れるファミリアが無かったというのもあるけど、僕はヘスティア様の元に来れて本当によかったと思っている。

 

「それじゃあベル君?早速シャツを脱いでくれるかね!?」

 

何故か手をワキワキさせる神様に従って僕は服を脱ぐ。

 

「それじゃあお願いしますねー」

 

「任されたよ!」

 

そしてうつ伏せになった僕の上に神様が馬乗りになってステータスの書き写しを始めた。

僕のステータスはどうなってるだろうか。上がっているといいな。そう思いながらなんとなく目を瞑った。




エイナさんに言わせてて思いました。
これアイズよりも更に振り向かせるのキツくね?と
あと、このベル君は原作ベル君よりも少し強かになってもらおうかと思います。
それと換金額が若干多いのはベル君が原作より本のほん少しだけ強く書きたいなぁというあれです。
それではまた。


※追記
今ふと小説情報を見たら文字数7777時になっていました。
勿論狙っていたわけではないのでこれは幸先がいい


※更に追記
誤字など訂正していたら文字数減りました。さらば7777。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

命の秘薬(アムリタ)

魔法使いになると言ったな?
あれは嘘だ

いや、嘘ではないです。
でもよくよく自分の考えた設定に立ち返ってみたらどう考えても魔法剣士的なポジションでした。
魔法メインだから魔法使い、ってのはほんとに安直でした。
慎んで訂正致します。


「むむむむむむむむむ」

 

昨日ステータスの更新をした時点では確かにベル君にはスキルは無かった。だというのにどうしたことか、彼の背中にははっきりと()()のスキルが刻まれている。

一つ目のスキルは『憧憬一途』(リアリス・フレーゼ)というものだ。

効果は

 

・早熟する。懸想が続く限り効果持続

・懸想の丈により効果向上。

 

ふむ。つまるところ。

 

(ベル君が誰かに恋をした!!?)

 

これは由々しき事態だ。

僕がベル君とめくるめく禁断の愛を育もうという矢先にこのスキルはまずい。いや、勿論ベル君の成長の為には素晴らしいスキルなんだけどもね。

とにかくこのスキルをベル君に伝えてしまうのは色々な意味でまずいだろう。まず敵に塩を送ることになるし、ベル君はいまいち自己評価が低いから、自分の成長が憧れに比例するなんて分かってしまえば、成長するために憧れているのか、憧れた結果成長したのかがあやふやになってしまい、自分に打算があるのではないかと疑ってしまうだろう。

そうなってしまえば後は坂道を転げ落ちていくかのようにベル君の成長は止まる。それだけは避けなければいけない。

そもそもこのスキルは一切聞いた事が無いレアスキルだ。他の暇をもて余した神々にバレたら一体ベル君にどんな悪戯を仕掛けてくるか分かったもんじゃない。

 

(二つ目のスキルは…)

 

『命の秘薬』(アムリタ)と書いてある。

 

(どれどれ?)

 

スキルの効果は

 

・生命力と精神力の向上。懸想が続く限り効果持続。

・懸想の対象に想われる程効果向上

 

(最悪だ)

 

ボクにはベル君が何に恋をしたのか分かってしまった。

ベル君はどこぞの神か、或いは長命のエルフに恋をしている。最悪というのはこれが神だった場合、既にベル君はその神に魅了を掛けられてしまっている可能性があるからだ。

勿論ボクら超越存在(デウスデア)はこの地上にいる限り、神の権能を振るう事は出来ないが、例えばフレイヤなんてその容貌と瞳だけで数多の男を骨抜きにしてしまう。イシュタルもその色香で惑わしてしまう。

そもそも美の女神に誘惑されるとろくな事が起きない。色々な英雄、色々な神がそのせいで破滅していった。ベル君にはどうあってもそうなってもらっては困るのだ。

 

(ただまぁ…)

 

『憧憬一途』があるところを見ると女神の可能性は低い筈だ。憧れると成長するなんて言うからにはきっとエルフの冒険者なのだろう。

高レベルのエルフの冒険者、となるともう一人しか候補が思い付かない。九魔姫リヴェリア。そいつがボクの恋敵の女狐でほぼ確定だろう。

 

(でもこの『命の秘薬』がある以上、スキルについて完全に黙っているのはまずいかな…)

 

魔法も使えないベル君が魔力のステータスの上がりを見たら必ず不審がる筈だ。黙っていたボクにもベル君の疑いの目は向くことだろう。最悪その不和はファミリアの絆にとって致命的な傷になりかねない。

 

「ねーぇベル君?」

 

「なんです?神様?」

 

ベル君はとてもニコやかに、爽やかに僕に返事をする。

 

「今日は命の危機だったって言ってたじゃないか。君の主神たるこのボクは、唯一のメンバーたる君の危機の詳細を知るべきなんじゃなかろうか」

 

ともかく詳細を聞き出さないことにはどうにもならない。さぁさぁキリキリ吐くんだよ?ベル君。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「それでですね、神さま。なんと!詠唱文を一度も聞くことなく、呪文を聞いた次の時にはミノタウロスの上半身が爆ぜてたんですよ!あれが並行詠唱って奴なんですね!いやぁーー!凄いなぁ…かっこよかったなぁ…」

 

今でもあの碧眼を思い出すと顔が火照ってくる。嗚呼、麗しのエルフの姫君。僕は早くその隣に…、その頂に。

 

「ふーん、そうかい」

 

あれ、反応が薄いなぁ。

 

「でもね、ベル君。リヴェリア嬢はロキのやつのとこの幹部だしエルフなんだ。結婚なんてまず出来ないよ?」

 

「うぐ」

 

そうなのだ。エイナさんにも言われたが、それは茨の道という奴なのだ。

九魔姫の隣に他のファミリアの、それもヒューマンの僕が立つなんていうのは並大抵の事ではない。そんな事は百も承知なのだ。

 

「神さま」

 

「なんだい、ベル君?」

 

「それでも僕は、僕の目指す英雄は姫君の隣に立つ者なんです」

 

これは誓いだ。僕は目指さなければいけないのだ。そんな格好良い頼れる英雄(おのこ)を。

 

「そうかい…そうかい!精々頑張るんだね!ふん!」

 

神様はご立腹みたいだ。確かに、あまりにも険しい道。神様からしてみたら素直に応援できない事だろう。でも心配してくれるのは嬉しい。ヘスティア様は、出会って半月程の僕に対していつも真剣に向き合ってくれる。

「はい。ベル君、ステータスの写し終わったよ」

 

「ありがとうございます。神様」

 

さて、ステータスはどれくらい上がったのだろうか。

 

ベル・クラネル

 

Lv1

 力 :I 82→99

 耐久:l 15

 器用:I 93→99

 敏捷:H 149→189

 魔力:I 0

スキル

※※※※※※

※※※※※※

 

 

えっと、17+6+40で…ステータスアップトータル63!

 

「神さま!僕結構成長してますね!特に敏捷!」

 

「うん。ミノタウロスに追いかけられたからだろうね」

 

魔力は0。

 

「神さま、僕、魔法使えるようになりますかねぇ」

 

「これはボクの勘だけど、ベル君、君はきっと魔法使えるようになると思うよ?」

 

意外な答えだ。僕の魔力は0なのに、ヘスティア様は何だか確信めいた物を持ってるように感じた。

 

「ほんとですか!?」

 

「きっとね、ボクはそう思う」

 

ここまで保証してもらえると僕も気持ちが軽くなる。

 

「そっかー!楽しみだなぁ!あ、神さま、このスキルの欄は!?」

 

そこには空白ではなく掠れた文字らしき物が浮かんでいた。もしかして、僕にもスキルが?

 

「そ、御想像通り君はスキルに目覚めたのさ。ただし、訳あってスキルの事は教えられないよ」

 

「そんなぁ…」

 

「別にボクだって意地悪したい訳じゃないよ?ただ、このスキルは自覚しない方がいいかも知れないんだ。ただ、一つ言えるのは君の成長を促すものと、ボクが魔法を使えるようになると言った根拠だよ」

 

そう言えば確かにスキル欄には二つの読めない文が入っている。僕は一気に二つのスキルを手に入れたのだ!

 

「そうなんですね!よぉーしやる気湧いて来たぞー!」

 

神様が言うからにはきっと知らない方がいいんだろう。気にならないと言うと嘘だが、神様は何時だって僕に対して真剣に向き合ってくれる人だ。

 

「…自分で言っておいてなんだけど、気にならないのかい?」

 

「そりゃ、勿論気になりますけどぉ…、でも神さまの事は信じてますから!」

 

そう、ヘスティア様は信頼できる神様なのだ。

彼女が知らない方が良いと言うならきっと自覚すると効果が薄れたり、不都合が起きてしまうスキルなんだろう。

「ふふふ、ありがとうベル君。ボクは君に信頼してもらえてるみたいで嬉しいよ」

 

「勿論ですよ神さま!僕は誰よりも神さまの事を信じてますから!」

 

「嘘…じゃないみたいだね!ふふふボクは幸せ者だ!さて、そんなベル君にご褒美だ!じゃが丸くんをバイト先から貰ってきたから、たーんと食べるといいさ」

 

「うわぁー!ありがとうございます神さま!」

 

ほくほくの芋の揚げ物じゃが丸くん、塩を振って食べると、甘じょっぱい芋の美味しさが染み渡る。ダンジョンで疲れた僕には最高の食べ物だ。

 

「神さま!早速一緒に食べましょう!」

 

「んー、ボクはちょっと考えなきゃいけないことがあるから後で貰うよ。あ、ご褒美とは言ったけど全部食べたら承知しないんだからね!」

 

「そんな意地汚いことしませんよぉ…」

 

思わず苦笑い。

ともかく、僕はありがたくじゃが丸くんを頂くことにした。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「おめでとうベル君…ついに君にもスキルが現れたんだね…それも二つも」

 

美味しそうにじゃが丸くんを頬張るベル君を横目にそう呟く。

 

「ほんと、下界の子達はボクたち()と違ってどんどん変わっていくんだねぇ…」

 

ただ

 

「でも悔しいよ!他所の女(他人)の手で君が変わってしまったことが!」

 

チラリともう一回ベル君を眺める。姿勢を正してちょこんと座り美味しそうにじゃが丸くんを齧っている。まるでウサギみたいだ。

 

「でもこのスキル…」

 

考えようによっては、憧憬一途も、命の秘薬もボクの役に立つ。ベル君が強くなればこのファミリアも立派に出来るし、アムリタは神であるこのボクとベル君の、無限の命と有限の命の差を少しだけ縮めてくれる素晴らしいスキルだ。

それにこのスキルたちは食い合わせが悪い。命の秘薬が最大限に効果を発揮するときは、憧憬一途の効果が終わりを告げるときだろう。

 

(ずっと黙っていれば…)

 

そう、ずっと黙って途中でこの懸想(おもい)をボクに切り替えるよう上手く誘導すれば、最強の冒険者ベルクラネルとその最愛の(ひと)ヘスティアとして長い時間を共に過ごせるのだ。

 

「ふっふっふ、結局、最後に笑うのはこのボクさ!」

 

一瞬、リヴェリア嬢にも同じ事をいえるんじゃね?とか思ったけど、そんなのは気のせい。そう、気のせいなのさ!

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「それじゃ、行ってきます。神様」

 

神様が起きてしまわないようにコソコソっと告げる。

早朝、まだ日が出てからそう経っていない時間に僕は教会(ホーム)を後にした。

道を歩いているとそこら中のお店が掃除や仕入れ、料理の仕込みなど忙しなく賑やかに動いている。この風景はなんとなく心が暖かくなるから好きだ。

でも早朝、ご飯も食べずに出てきた僕のお腹には料理の仕込みはちょっと辛いものがある。そこら中から甘い匂いやしょっぱい匂い、肉や魚を焼く香ばしい匂いが広がっている。

 

「じゃが丸くん一個残しとけばよかったなぁ…」

 

何処のお店も仕込みの真っ最中だし、残念ながら食べ物を買える場所はない。

お腹が減って力が出ず、モンスターのお腹を満たすことになるなんて笑い話にもならない。今度からは食糧や飲料についてもよく考えてダンジョン探索に出掛けよう。

一先ず今日は早く切り上げるとして、明日は確りとお弁当を準備しよう。

 

「!」

 

寒気がして慌てて辺りを見回す。

今、確かに嫌な視線を感じたような気がした。実際鳥肌が立っていた。

 

「あのぉ…」

 

その声の元に思わず鋭い視線を向ける。

 

「ひ!」

 

そこには給士服を着た灰色の髪をした可愛らしい女の子が居た。

どうやら怯えさせてしまったようだ。

 

「あ、す、すみません!なんだか今嫌な視線を何処かから感じた気がして…」

 

「い、いえ、そういうことならいきなり話し掛けられたらそういう対応しちゃいますよね」

 

そう言って彼女は苦笑いする。

よかった。不躾な視線を女の子に向けてしまうなんて冒険者失格だ。お祖父ちゃんにも叱られてしまうだろう。

 

「この魔石を落としましたよ?」

 

「あれ?全部換金したはずなんだけど…」

 

まぁバックパックの底にでも残ってたんだろう。

とりあえず受け取ってポケットに突っ込む。

 

「すみません。ありがとうございます!親切で声をかけてくれたのにあんな失礼な態度をとってしまって改めてすみませんでした」

 

「そんなに気にしないでいいんですよ、うふふ。ところで、冒険者の方ですよね?こんな朝早くからダンジョンに行かれるんですか?」

 

「ええ、まぁ」

 

そう答えるなり、僕のお腹が大きな音を立てた。

恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

「あらあら、うふふ。お腹、空いてるんですね。それならちょっと待ってて下さいね。」

 

「へ?」

 

そう言うと、彼女は小走りで後ろのお店へと入っていった。おやつでもくれるのだろうか。だとしたら今の僕にはとてもありがたい。

 

「冒険者さん、はいこれ」

 

そう言うと彼女は両手の大きさと丁度同じくらいの包みのお弁当を僕に渡してきた。

 

「大した物ではありませんが」

 

「そんな!悪いですよ!初対面なのにこんな…。それにこれ、あなたの朝ごはんじゃぁ…」

 

ちょっとしたおやつならご厚意に預かろうかと思っていたが、こんな立派なお弁当は受け取れない。

 

「気にしないで下さい。私の方はお店が始まったらまかないがありますから。」

 

そう言って彼女は微笑んだ。

 

「でもぉ…」

 

「その代わり、今夜の夕食は是非当店で!約束ですよぉ?」

 

そう言って前屈みになり人差し指をスッと伸ばして僕の目を真っ直ぐ見る。

 

「ダメ…ですか?」

 

上目遣いに僕を見る瞳はうるうるしている。

そのあまりにも可愛らしい仕草に僕は内心戦慄していた。きっとこの人の頼みを断れるひとはそう居ないだろう。

 

「わ、分かりましたぁ」

 

苦笑しながら、これって営業なのかなぁなんて考える。

 

「うふふふふ、ありがとうございます!」

 

にっこりと目を閉じてお礼を告げる彼女。

なんとなく、全て彼女の思う通りになってるんじゃないかなぁ、なんてことを考えた。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

「はぁ!」

 

ステータスの恩恵は凄まじい。

昨日までの僕では少しモタついていたコボルトとの打ち合いも今日は終始僕が優勢だった。これは昨日ミノタウロスから命からがら逃げてきたという情けない結果の副産物だ。

決して生き足掻くことは無駄じゃない。僕はそう確信した。

 

「グルァ!」

 

コボルトが前のめりになりながら腕を振り上げて僕に突っ込んで来る。その腕には鋭利な爪が光っている。

僕の初心者装備セットとステータスでは守りの薄い部分、例えば肘や膝の裏、首もと、顔などに爪が当たれば致命傷になりうる。だから僕は一撃も貰わず倒すことに努める。

 

「ふっ」

 

袈裟懸けに振り下ろされたコボルトの爪に合わせて短剣を振り上げて刃を当て、そして少しだけ刃を動かして90度から75度ほどの角度に傾ける。

コボルトは腕を振り下ろした勢いを殺せず、僕の身体の方へ全身を突っ込ませてしまい、無防備な首もとが晒される。

 

「やぁ!」

 

僕はそこに気合い一閃、ぶつかる爪の圧力が無くなった短剣を水平に薙いで首を刈る。深くは刃を入れない。血管を断ち失血を狙ったのだ。

 

「キャイン!」

 

コボルトは痛みと自らの血飛沫に思わず両腕で顔と首を覆ってしまう。そうなれば後は簡単だ。

僕は魔石に傷をつけないよう細心の注意を払って胸元を一突きした。

 

「よし!」

 

コボルトは霞となり魔石だけがそこに落ちる。不思議なことに死ねばモンスター達は消えてしまうのに血痕は残る。これがなかなか厄介で、冒険者達の服は買ってからあっという間にダメになってしまうことが多いそうだ。

実際僕も黒色の無地の安いシャツと、丈夫で汚れの目立ちにくいズボンを何着かセットで使い回している。

 

「よいしょっと!」

 

コボルト達が落とした魔石を拾い集めていく。

 

「お!ラッキー!ドロップアイテムだ!」

 

コボルトの鋭い爪が落ちている。稀にダンジョンのモンスターは身体の一部が消えずに残ることがある。

所謂レアアイテムって奴で、物によっては魔石よりも遥かに価値があったりするらしい。

 

「えっ?」

 

背後から岩が砕ける音がする。

振り返るとダンジョンの岩肌からコボルトが10匹程も産み出されているのが見える。

ダンジョンのモンスターの繁殖について、詳しいことが分かっているのは昔ダンジョンを抜け出し野生化した一部の上層モンスターだけだ。ひっきりなしに冒険者が訪れ、討伐を繰り返すこのオラリオのダンジョンでモンスターが絶滅しないのはこの光景に答えがある。

通常のモンスターはそのサイクルが分からないほど短期間に産み出され、階層主などの特別なモンスターは一週間だとか二週間だとか、一ヶ月だとか、そんなサイクルでまた産み落とされる。

 

「どうしようか…」

 

今、逃げればまだコボルトは撒けるだろう。

 

「でも!」

 

これは乗り越えられる困難だ。

ミノタウロスの時とは違う。

 

(それに)

 

僕は夢想する。強くなってリヴェリアさんに誉められる姿を。

 

『ふ、今度は私が助けられるとはな。ありがとうベル』

 

そう言って微笑むリヴェリアさん。

 

「よおし!」

 

ぐんぐんとやる気が湧いて来た。

コボルトなんかに僕は負けない!

 

「やってやりますよおおおおおおぉぉぉ!」

 

叫び、僕は駆け出した。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「ホワァーーーッ!」

 

僕はステータスの書かれた紙を見て思わず叫んだ。

 

「か、神様、トータルアップ200越えってこれ!」

 

200越えの上昇量。つまりは平均40もの値が一気に上がったということだ。勿論上がりに偏りはある。もともと上がりやすかった敏捷が一番上がり、次に耐久、次に力、次に器用、そしてなんと魔力が15も上昇していた。

 

Lv1

 力 :I→H 99→149

耐久:l 15→70

 器用:I→H 99→129

 敏捷:H→G 189→249

 魔力:I 0→15

スキル

※※※※※※

※※※※※※

 

「これが神さまの言っていたスキルの効果なんですね!」

 

物凄い上がり幅だ。昨日までとはとても比べられない。

 

(この分なら、レベルアップだってきっとそう遠くなく出来る筈だ)

 

それになにより、()()の値が伸びたと言うことはきっと僕に魔法の素養があるってことだ。未だに魔法は発現していないけど、将来はきっと魔法を使えるようになる…筈だ。

 

「あーそうさ!スキルの効果なんだよ!ふん!」

 

何故か、神さまはとっても不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「あのー、神さま?」

 

「ベル君、ボクはバイト先の打ち上げに行ってくる。君は一人寂しく豪華な食事でお祝いするといいさ!」

 

神様は怒り肩で小走りに出ていってしまう。

 

「か、神さまぁー!?」

 

何だろう。僕は何かしてしまったんだろうか。

そう言えば今朝お弁当を頂いた店員さんはお店に来て下さいと言っていた。

とりあえず、お弁当のお礼もあるし、一人で食べに行くとしよう。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「冒険者さん!来てくれたんですね!」

 

「ええ、まぁ、お弁当ありがとうございました。とっても美味しかったです」

 

「いいんですよー。こうして来てくれたんですから。」

 

豊穣の女主人。今朝の店員さんの働いているお店にはそんな立て札が立っていた。

お店の前に居ても賑やかな様子と美味しい匂いがよく分かる。きっと繁盛しているのだろう。

 

「自己紹介がまだでしたね!私シル・フローヴァです。」

 

「あはは、僕はベル・クラネルです。それじゃ席まで案内お願いしますねシルさん」

 

「はーい!一名様ごあんなーい」

 

「ニャニャ、手前のカウンター席にどうぞー」

 

猫人(キャットピープル)の人から返事に頷き、シルさんは僕を案内する。

 

「それでよ!サラマンダーウールがカビちまってよぉ!」

 

「ギャハハハハ!手入れしねーからだよ!」

 

「それちゃんと火防いでくれんのか?」

 

「それが不思議でよ。却って燃えにくいんだわ、これが!」

 

「「「ギャハハハハッ!」」」

 

冒険者達がお酒を飲みながら楽しそうに話している。

店の料理は確かにとても美味しそうだ。甘辛い匂いや沢山の香辛料の匂いやジューシーな肉汁の香りなど、普段はなかなか味わえない物の匂いがする。

 

「ミア母さん!今朝の人連れてきたよー!」

 

「わかったよ!シル!たーんと食べさせてやるからね!」

 

鍋を振るう大柄な女主人、ミアさんと呼ばれた人が答える。

 

(な、なるほど。豊穣の女主人ね)

 

何だかとても納得してしまった。

 

「で、ベルさん、何頼みますか?」

 

「えーっと」

 

パスタ300ヴァリス、ドリンク200ヴァリス。

 

(た、高い!)

 

この値段でこれだけ賑わうということはさぞ美味しいのだろうけど、僕のおサイフには少し高級過ぎる。

とはいえ、今朝のお礼もあるし、幸いドロップアイテムのおかげで少しだけ余裕もある。サイドメニューだけというのも失礼だろう。

 

「そ、それじゃあ、ミートパスタとサイダーで…」

 

「はい!ミア母さんミートスパとサイダーお願いします!」

 

「あいよ!」

 

注文を受けるとミアさんは流れるような手付きで料理を作っていく。

 

(ちょっと圧倒されちゃったけど、本当に美味しそうだし、せっかくだから楽しんでいこう)

 

そう思いながら僕は喧騒を眺めて料理の到着を待った。

 

「ベルさん」

 

「はい?」

「今日は本当に来てくれてありがとうございます。どうですか?賑やかで、色んな人が色んな話をしていて面白いでしょう?」

 

「ええ、まぁちょっと人酔いしちゃいそうですけど」

 

「あはは!私、こうして色んな人の色んなところを見ているのが楽しくてこうして働いてるんです。人間観察が趣味って感じです!」

 

「あはは、結構凄いこと言いますね…」

 

なんだか、僕よりも何枚も上手な気がする。やっぱり今朝からシルさんの思い通りに事が運んでいるんじゃないだろうか。

 

「ほら!ミートスパとサイダーだ!」

 

「へっ!?」

 

そこには山のようなパスタがどでんと載っていた。確かにとても美味しそうな匂いがするが、物凄い量だ。

 

「なんだいあんた、冒険者だってのにえらい可愛らしい顔してるねぇ」

 

「ほっといてください…」

 

地味に気にしていることを言われて少し凹みながらパスタを口に放り込む。

すると、肉の豊かな香りの後にトマト、ハーブ、玉ねぎ、ニンニクの風味が広がり、更にそれらの旨味を溶かしこんだようなオリーブオイルと、芯が通っていてかつモチモチなパスタが口の中で一気に弾ける。

比喩とかではなく、今まで生きてきて一番美味しいパスタだった。

 

「うわぁ!美味しいですね!」

 

思わず値段や今までのやり取りを忘れて笑顔になってしまった。確かにこれはこの量でも多分食べきれてしまう美味しさだ。

 

「ふふふ!ミア母さんの料理はすごいんですよ?色んなファミリアが宴会で使うんですから!」

 

「この味なら納得ですねー」

 

うん、これは本当に美味しい。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか!コイツも食べな!」

 

「へ?」

 

ドンっと目の前に置かれたのは大振りな魚を揚げて、何かのソース?餡?をかけた料理だった。

 

「ちょ!頼んでませんけど!」

 

「なーに言ってんだい!若いのに遠慮しなさんな!嬉しいこと言ってくれたし100ヴァリスまけてやるよ!」

 

「これ、今日のオススメなんです」

 

シルさんはにこやかにそう付け足す。

今日のオススメ、今日のオススメ。…850ヴァリス!

 

(えっと、さっき100ヴァリスまけてくれるって言ってたから…)

 

300+200+750で…1250ヴァリス!

 

(つい最近までの1日の稼ぎじゃないか…)

 

せめてこの料理で終わりにしてもらえるようにしよう。

 

「ふふ、ベルさん、楽しんでますか?」

 

「いえ、どっちかというと圧倒されてます」

 

「うふふ、私の今日のお給金も期待できそうです」

 

やはり僕よりもシルさんの方が何枚も上手なようである。

 

「ご予約の団体様ご来店にゃー!」

 

店が急に静かになった。

僕は気になって思わず振り向いた。

 

「あっ!」

 

碧のたなびく長い髪、間違いない、リヴェリアさんだ。

ダンジョンでは薄暗い中でしか見えなかったけど、こうしてお店の明かりに浮き上がる彼女はより美しく見えた。

 

「えれぇベッピンなエルフだなぁ」

 

「バカ!ありゃ九魔姫だ!」

 

「あぁ、やっぱりか!いかにもな雰囲気あるもんなぁ」

 

やっぱり周りからしてもいかにも強そうな人と感じるらしい。僕も一目でそう感じた。

 

「…」

 

「ベルさん?ベルさーん?」

 

リヴェリアさん、見れば見るほど綺麗だ…。

横顔というのは初めて見たけど、まるで白磁の骨董品みたいだ。

 

「さて!みんなダンジョン遠征お疲れさん!今夜は宴や!思う存分飲めぇっ!」

 

主神らしき人が音頭を取り、一斉に杯をぶつける音が響く。

直後乾杯の歓声が轟いた。

 

「驚きました?ロキ・ファミリアさんはうちのお得意さんなんです」

 

「ええ、驚きましたよ」

 

「彼等の主神、ロキ様がいたく気に入られたみたいで」

 

そのロキ様はというと、金髪の綺麗な人、恐らくアイズさんに頭をどつかれていた。

リヴェリアさんは呆れ顔でなにやらロキ様に注意をしている。

 

(じゃあ、ここに来れば…)

 

リヴェリアさんに会える。

そう思うとなんだか、食欲も湧いてきて、僕は目の前のパスタと魚をどんどん食べ進めていくのだった。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「よっしゃー!」

 

料理も食べ終えて、あとはドリンクだけというところでロキ・ファミリアの席から大きな声が聞こえてきた。

 

「そろそろとっておきの笑える話を披露してやるぜ!」

 

「ベート!」

 

リヴェリアさんはベートと呼ばれた狼人(ウェアウルフ)をきつく睨み付けた。

とても嫌な予感がする。

 

「帰る途中で何匹かのミノタウロスを逃しちまっただろ?

最後の一匹、5階層でリヴェリアが始末したんだけどよ、そんで俺、見たんだよ!その時居た、如何にもひょろくせぇ駆け出しのガキがよ、逃げたミノタウロスに追い詰められてよぉ!リヴェリアの魔法で焼けたミノタウロスの灰と煤と、ダンジョンの砂ぼこりで泥遊びした三歳児のガキみてぇに顔中ドロドロのダっせぇ顔になってるのをよ!」

 

(僕の…ことだ)

 

ロキ・ファミリアの面々の多くが笑っている。リヴェリアさんと何人かは、渋い顔をしている。

動悸が止まらない。指先が震える。悔しさが情けなさが、恥ずかしさが、溢れて溢れて。

 

「それでだぜぇ!?その灰かぶりのガキ、リヴェリアを見るなり叫びながらどっかに逃げちまったんだよ!リヴェリアの顔が怖かったんだろうなぁ!ハイエルフのお姫様、灰かぶりのお姫様(シンデレラ)に逃げられちまったのさ!」

 

悔しい。悔しい。悔しい。

僕の情けなさが悔しい。弱さが悔しい。僕の弱さでバカにされたリヴェリアさんの事が悔しい。

 

「なっさけねぇったらねぇぜ!」

 

「いい加減にしろ、ベート。そもそも17階層でミノタウロスを逃したのは我々の不手際だ。恥を知れ。」

 

「アァン!?ゴミをゴミと言って何が悪い!?…あぁそうか!リヴェリアみてぇにこえぇー女じゃなくて、アイズとかティオナだったら灰かぶりも逃げ出さなかったかもなぁ!」

 

「貴様、喧嘩を売っているのか?」

 

僕をバカにされるのはいい。弱いし情けないし、ゴミと詰られようとも彼等からすれば仕方無い。でも、リヴェリアさんをバカにするのは違う筈だ。

 

「待ってください!」

 

「ベルさん!?」

 

「アァン!?」

 

思わず声を出してしまった。頭が真っ白になる。

 

「ぼ、僕がそのときの灰かぶりです!」

 

「ん?ブハハハハハッ!!あの時のガキか!テメェほんとはそんな生っ白い顔してたのか!あんときゃ真っ黒だったから分かんなかったぜ!」

 

周りからまたクスクスと笑い声が聞こえる。

もう恥ずかしさで失神しそうだ。

 

「僕の事はいくら笑っても構いませんから、リヴェリアさんをバカにしないで下さい!命の恩人なんです!」

 

「だったらよぉ!逃げ出さないでちゃんと礼を言えば良かったろうがよぉ!アァン!?」

 

「それは…」

 

「やっぱり顔が怖くて逃げちまったんじゃねーのかぁ?ギャハハハハ!」

 

もう、我慢できない。

 

「て!い!せ!い!してください!」

 

ずんずんベートさんに向かって歩いていく。彼はレベル5の冒険者だと思い出していたが、足は止まらなかった。

 

「テメェ、俺をレベル5だとわかってやってんのか?」

 

「知ってますよ!ベートさんは有名でしょう!?でもレベルとかそんなことどうでもいいんです!リヴェリアさんに謝ってください!」

 

ベートさんは何か考えるような素振りを見せた後、口を開いた。

 

「レベル5だと分かっててタンカ切ってきたご褒美だ。テメェが俺の攻撃を避けるか防ぐか出来たら考えてやるよ!」

 

そう言ってベートさんは指を鳴らした。

 

「お、男に二言はないですね!?」

 

「テメェこそいいのか?骨の一本や二本覚悟しろよ?」

 

僕はなにも言わず構える。

 

「来い!」

 

「…ウラァっ!」

 

瞬間ベートさんの腕が消えた。

速い、速すぎる。

反射的に僕は右腕を胸元に差し込む。

 

「ぐえっ!」

 

直後、凄まじい衝撃と共に僕の身体が宙を舞った。

こんなにも簡単に人間は吹っ飛んでいくのかという他人事の感想を抱きながら、僕の意識は真っ黒に染まっていき、視界が無くなり、そしてもう何も分からなくなった。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「ちっ、酔ってたみてーだ。まさか腕を間に差し込まれるなんてよぉ…」

 

などと抜かしてベートは自分の頭をかいた。

 

「ベート貴様!」

 

「チッ、俺だって駆け出しを本気で殴るほどバカじゃねーよ」

 

見てみれば確かに吹っ飛ばされた少年は腕が痛むのか顔は歪めているが、気絶しているだけだった。

 

「クソが、気絶しちまったが、腕で防がれたのは事実だ、男に二言はねぇ。…リヴェリア、悪かった」

 

バツが悪かったのか、ベートはそっぽを向いてしまった。

しかし、まさか本当にベートを謝らせてしまうとはな。

案外この少年大物かもしれない。

 

「ケッ、酔いが醒めちまった。ちょっと外出るわ」

 

と、ベートは振り返りもせずに外に向かう。

 

「ふむ、フィン」

 

「了解だリヴェリア」

 

フィンに声をかけると、ベートの足を払い転倒させてあっという間に簀巻きにしてしまう。

あまりの早業に声を掛けた自分の方が驚いてしまった。

 

「さて、ベート。悪酔いしてリヴェリアをバカにした挙げ句、駆け出し冒険者に手を挙げ気絶させ、店の食器も割ったんだ。このまま落とし前もつけずに外に出れると思っているのかい?」

 

「クソ、放しやがれ!」

 

「さて、まずはリヴェリア、どうしたらいいと思う?」

 

「吊るせ」

 

「へ?リヴェリア、冗談だろ?」

 

「ふむ、次、ガレスは?」

 

「リヴェリアに賛成じゃな」

 

「次、ティオネ」

 

「逆さ吊りね、団長に迷惑かけて…」

 

「ティオナは?」

 

「あの子、ミノタウロスからは逃げ出しちゃったけど、反省したんだろうね!ベートに立ち向かうなんて勇気あるよね!ちょっとカッコよかったよね!という事でベートには逆さ吊りを提案しまーす」

 

「な、てめぇら一緒になって笑ってたろ!」

 

「はいはいベート、次はアイズだ」

 

「…磔つけ、一時間?」

 

「はは、とぼけた顔で一番重いこと言うよね」

 

「おい、フィン、まさかやらねーよな?」

 

「さて、それはどうだろう。ここはロキに聞いてみようじゃないか」

 

「んー、せやなぁ、ベートを吊るしながらウチらは飯と酒を楽しむ、なんてどや?」

 

「テメェラァァア!」

 

「自業自得だ。反省しろ」

 

情状酌量の余地なしというものだ。

 

「しかし、ふふ」

 

白髪の少年を見る。

腕が痛むのか顔を歪め、額には汗が浮いている。

 

「先の失態はこれで帳消しにしてやろう。…少し嬉しかったぞ」

 

そうしてハンカチで汗を拭ってやり、回復魔法を唱えてやる。

苦しそうな顔は穏やかに変わり、荒かった息も落ち着いたものとなる。

 

「ふむ、かわいい寝顔だな」

 

駆け出しでレベル5に立ち向かったのだ。

正に決死の覚悟と言えるだろう。実力差も考えずというのは短絡的でよろしくないが、恩人がバカにされて許せないという義理堅さは好ましい。

…まぁ、単純に自分のために誰かが身体を張ってくれたというのはそれだけで嬉しいということもある。

 

「さて、シル」

 

一連の流れをポカーンと眺めていた彼女を呼ぶ。

この少年はシルの呼んだ客なのだろう。初めからシルが横についていた。

 

「この少年の勘定なんだが、なんせこの状態だ。詫びを兼ねて私が払おう」

 

「え?ああ!はい!って、ベートさんに払わせないでいいんですか?」

 

「なに、私のために意地を張ってくれたのだ。ご褒美みたいなものだ。ところで、この少年の名前は?」

 

「ああ、自分のために頑張ってくれてちょっと嬉しかったんですね!名前はベル・クラネルさんですよ」

 

「む、シルはどうにも人の機微に鋭すぎるきらいがあるな。わざわざ言うのは悪趣味だぞ。まぁいい、ベル・クラネルか、覚えておく」

 

酔っていたとはいえベートの拳に防御を間に合わせたのだ。なかなか見所のある少年だと思う。

いずれは高レベルまで届くかもしれない。

 

「ベートのバカはこちらでよく躾ておくから、まぁ勘弁してやってくれ。」

 

後ろの方から「チクショウ!おろせー!おろせー!」などと聞こえるが勿論下ろすつもりはない。解散まではあの状態で居て貰おう。私とて割りと本気で怒っているのだ。

「女性に失礼ですよね、ベートさん」

 

ポツリとシルが漏らす。

 

「あぁ、全く」

 

呆れてものが言えない。これからはデリカシーというものを学んで貰いたい。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

「ん…」

 

「あ、起きたんですね!」

 

「あれ…?シルさん…?」

 

僕はどうしたのだろうか、ベートさんに無謀にも突っ掛かって、ぶっ飛ばされた。

そこから全く記憶が無い。どうなったのだろうか。

…というか、シルさんの顔が近い。それに、頭に柔らかい感触が…。

 

「う、うわぁ!し、し、し、し、シルさん?」

 

「はい、シルですよ」

 

にこやかにシルさんは答える。

僕は慌てて身体を起こす。

 

「す、す、す、す、すみません!膝お借りしちゃって、足、痺れてないですか?大丈夫ですか?」

 

耳まで熱い。

恥ずかしい姿を見せた上に介抱されるだなんてとんだ話だ。

 

「…僕、情けないです。力が無いってこんなにも悔しい」

 

自分への怒りで拳が震える。

弱い自分が、弱いままに期待を膨らませていた自分が、許せない。

 

「すみません、シルさん、ありがとうございました!」

 

ダンジョンだ。ダンジョンに行かなきゃ。

弱い自分が弱いままで居るなんて許せない。強く、強くならないと。

 

「あ、ベルさんっ!」

 

呼び止めるシルさんの声にも振り返れない。

脚が、腕が、頭が、ダンジョンを求めている。

僕の弱さが5階層に僕の心を置き去りにして、僕はそこから進めていない。火に飲まれる蛾のように、僕はあの摩天楼の地下へと吸い込まれていく。

涙が止まらない。この涙もまた弱さの証。僕は僕の弱さが憎い。

 

「強く、強くなりたいっ!」

 

銀色の月の下、白兎は駆けていく。

白い光が滴に射し込んでいた。




2話終わりです。
アムリタとはインド神話の不老不死の秘薬で、乳海と呼ばれる海に様々な薬草などをぶちこみ1000年の間撹拌し続けた先に作られた物だそうです。
ダンまちSSを書くにあたって色々な神話を調べましたが、インドがダントツでやばかったです。
数字の桁がともかく多いこと多いこと…インド人が数学に強いと言われるその理由が少し分かった気がします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四大元素(フォースエレメンツ)

正直反省しています…
30000字を越える所でした…。


『自力でここに至るなんて、君はよっぽど強さに拘りがあるんだねぇ』

 

まるで英雄譚の余白、空白の一頁。そんな空間が僕を包んでいる。

どこまでも澄み渡る蒼穹、真下には水の流れ。朝焼けが萌えて僕を照す。空を飛んでいるみたいだ。

 

『まぁいいさ。君にとって、魔法とはなんだい?』

 

「弱い僕を奮い立たせる、剣とは別のもう一つの剣」

 

あの窮地での爆音が、碧の瞳が、僕を奮わせる。

それこそが僕の心象、僕の目指す英雄の原点。

 

『君にとって魔法とはどんなもの?』

 

「冷たく、熱く、速く、氷、風、炎、雷、力の象徴、弱い僕と正反対のもの。」

 

僕にとっての魔法とは、九魔。全てを司る力の証。

 

『君は魔法に何を求めるんだい?』

 

「あの人の隣に立つために、早く、そしてあの人に振り掛かる火の粉を払えるような、そんな力が欲しいんだ」

 

そう、あの人が唱える魔を何者にも邪魔させないような、そんな力が欲しい。

 

『君は欲張りだね』

 

「うん。でもこれが僕だから」

 

これぐらい欲張らないと、僕の目指す英雄にはたどり着かない。あの人の隣にはとても立てない。

だから…。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

『神様、僕、強くなりたいです』

 

そう言ってベル君が血塗れで帰ってきたのは深夜のこと。

敵とも自分のものともつかない血が夥しい量付いていて、はっきり言ってもはや服は使い物にならない。これだけ汚れてしまえばいくら洗っても血生臭さは当分落ちないだろう。

ボクは役得と思いつつ気を失った彼のシャツをハサミで切って手当てをした。あれだけ血塗れで憔悴していたのにベル君の身体には既に瘡蓋が出来ていて、血が止まっていた。これが命の秘薬(アムリタ)の力だろうか。

ステイタスを更新する度に感じる意外にも逞しい少年の背中はいつもよりも更に大きく感じた。

 

「ベル君…」

 

ボクはこの子に何をしてあげられただろうか。何をしてあげられるだろうか。

こんなに頑張り屋の君にボクは神の恩恵(ファルナ)しかあげられていない。ボクはダメな神様だ。ダ女神だ。

ミノタウロスに追い立てられた時からベル君は本当の意味で英雄の道を歩み始めた。少年の憧れはスキルに昇華され、夢見るものから目指すものへと進化を遂げた。

この幼い寝顔の為ならボクはなんでもしてあげたい。けれどその一方でベル君の道を助ける事はベル君から遠ざかる事になるんじゃないかと恐れてしまう。

男の子から男へ。男から英雄(おのこ)へ。

その成長は(ボク)からの独り立ちを意味するんじゃないかと。

 

「ベル君、今日だけはいいよね」

 

痛みも引いたのか穏やかな寝顔を浮かべる君の隣。今日だけはボクがそこを独り占めしてしまってもいい筈だ。誰も咎めないだろう。

ベッドに横たわる君の温もりを今日だけは感じたいんだ。

 

「おやすみベル君」

 

険しい道を脇目も振らず走ろうとする君。そんな君だからこそボクは君が好きだ。

願わくばこの温もりがずっと続けばいい。

ボクの無限の命を、無限の(いとま)を、一瞬の閃光のように輝かせてくれる君の為にボクはボクの出来る事をしたい。

 

「うっ…ぐすっ。ベルくーん!」

 

それでも、その情熱がボクに向かっていないことが悔しくてたまらない。

初心(おぼこ)なボクは、ここに来て漸く分かった。これが恋をするということなのだと。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「「うえええぇぇぇぇっ!?」」

 

神様と声がぴったり揃う。

 

「ま、魔法ですか!?ほんとですか!?」

 

「待て待て待ってベル君!ボクもビックリしてるんだよぅ!」

 

「なんて魔法ですか!?効果は!?詠唱は!?」

 

「落ち着けベル君!いま!今紙に写すから!!」

 

そわそわそわそわ。

意味もなく身体をくねくねとしてしまう。

 

「もう!落ち着けよベル君!一皮剥けて男らしくなったかなとか思ったボクの目が節穴だったよ!まだまだベル君はこどもだね!」

 

神様はどこか嬉しそうにそんな事を言う。

 

「だって魔法ですよ?落ち着けとか言われても落ち着けませんよ!」

 

「はいはい!後少しで終わるからもうちょっと待ってておくれよ」

 

「はい!神さま!」

 

魔法と聞くだけで身体中に力が漲る。

昨晩あれだけ痛め付けた身体になのに殆ど不調を感じない。

 

(病は気からって言うけど、元気になるのも気の持ちようなのかな)

 

待ち遠しくて拳を握ったり開いたりする。

…うん。やっぱり身体は絶好調だ。

 

「さて!出来たよベル君!コイツが更新されたベル君のステイタスだ!」

 

ベル・クラネル

 

Lv1

 力 :H→G 149→205

 耐久:I→H 70 →150

 器用:H 129→195

 敏捷:G→F 249→305

 魔力:I→H 15 →120

 

《魔法》

四大元素(フォースエレメンツ)

・対象に四属性の何れかの性質を任意で付与

・アイス、ファイア、サンダー、ウィンドの四種

・速攻魔法 《エレメントーーー》※属性名

 

《スキル》

※※※※※※

※※※※※※

 

「これが…僕の魔法…」

 

「あぁ、そうさ、おめでとうベル君」

 

「ついに、僕も魔法を…」

 

胸にその事実がじんわりと響く。

 

「ところで神様。これどんな魔法なんでしょうか?」

 

「うーん、あまりボクも魔法に詳しくはないんだけど…。そうだね、多分武器に火を纏わせたり、氷を纏わせたりとかするんじゃないかい?」

 

燃え盛る剣とか、雷の剣とか、そう言うことが出来るんだろうか。

…だとしたらカッコいい!カッコよ過ぎる!

 

「よーし!エレメント…」

 

「わぁーっ!ベル君のバカ!こんなところで魔法使って部屋が燃えたりしたらどうするんだい!?」

 

「あっ!ご、ご、ごめんなさい神さま!」

 

あまりにも迂闊だった。

使ったこともない魔法を屋内で使うだなんて。それこそまた灰かぶりになってもおかしくない。

 

「…すみません神様。僕、浮かれてました」

 

「…分かったならいいんだよ。でもいいかいベル君?冒険者を続ければ、これからも何かしらスキルなり、魔法なりが発現する筈だ。その度にこれじゃあ困るよ!」

 

「…そうですよね。うん!もっと気合いを入れないと!」

 

そう思い自分の両頬を思い切り張る。

 

バチンッ!

 

視界が一瞬真っ白になる。

 

「い、いひゃい…」

 

「そ、そりゃあ、力がGになってるからね…」

 

「ほうでした…」

 

「…ベル君、言いたくないけど君はアホなのかい?」

 

「…めんほくないでひゅ」

 

ステイタス更新したては感覚がまるで違う。この感覚のズレは危険だ。間抜けな方法で僕はそれを実感した。

 

「…あー!?そういやベル君、君リヴェリア嬢と昨晩何かあっただろ!?」

 

「へ?あ、いや神様なんでそんなことを…」

 

「それは君のまりょ…ゲフンゲフンッ!君がいきなり傷だらけで帰ってきたからだよ!」

 

「アハハ、やっぱり何かあったんだろうって思っちゃいますよね…」

 

あれを一部始終話すのは恥ずかしすぎる。

特に灰かぶりのお姫様(シンデレラ)なんて自分で口に出したならば僕は自分の首を締め上げたくなってしまう。

 

「言いたく無いなら聞かないけどさ、あんまり心配掛けないでおくれよ?」

 

「…ありがとうございます」

 

こればっかりは僕にだって男の子の意地がある。

出来れば墓穴まで持ち込みたい話だ。

 

「あー!」

 

「なんなんだいベル君!さっきからやかましいよ!」

 

「神さま!僕大事な事忘れてました!行ってきますぅー!」

 

シルさんにも、お店の人にも謝らないと!乱闘騒ぎを起こすなんて僕もすっかり不良の仲間入りだ。慌てて外套を羽織ってドアを開ける。

 

「ちょっ!ベルくーーーん!?」

 

神さまの声が遠ざかっていく。

すみません神様。このご迷惑はいつか必ず埋め合わせします。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「すみませんでした!」

 

「あ、あのベルさん?そんなに謝らないでも…お金ならロキ・ファミリアの方から頂いてますから」

 

豊穣の女主人に着くなり僕はシルさんに土下座せんばかりの勢いで謝罪をした。ちなみに土下座というのは神様曰く、タケミカヅチ様の出身地での最大限の謝罪のポーズらしい。

 

「そうなんですか?それならロキ・ファミリアの方にも後日謝りに行かないと…。まあお金の事はともかく、お店が終わってもシルさんは僕の介抱をしてくれたのに…僕は起きるなりマトモに礼をしないで飛び出しちゃいましたから…」

 

そう、僕がダンジョンに入った時には相当遅い時間だった。当然店の明かりは落ちていた。

そんな中気絶する僕を介抱してくれたシルさんを振り切って僕は駆け出したのだ。

 

「凄く思い詰めてたから心配したけど、いいんです。こうして元気な顔を朝から見せてくれたんですから…」

 

そう言って優しげに微笑むシルさんの目許にはうっすらと隈が見える。

 

「シルさん…」

 

「きちんと顔を出すなんて感心じゃないか!」

 

店の奥からミアさんが顔を出す。

 

「尤も、こんだけシルを心配させて…顔を出さなかったらこっちからけじめを取らせに行くつもり立ったけどね…」

 

「ひぃっ!本当にすみませんでした!」

 

今のは完全に殺気だった。ウォーシャドウに囲まれたその時よりもおっかなかった。

本当にすぐ謝りに来てよかった。

 

「まっすぐ謝りに来てくれたんだからもういいですよ。でも、本当に心配したんですよ?あの後どこに行っちゃったんですか?」

 

「えっと、その、ダンジョンに…」

 

ミアさんもシルさんも面食らったような顔をする。

やっぱり無謀だったろうか。

 

「あっはっは!あんた顔に似合わず男の子してるねぇ!意地を張って向こう見ずに頑張るのは嫌いじゃないよ!」

 

そう言っていつの間にやら僕の隣に来ていたミアさんが背中をバシバシと叩く。

い、痛い。洒落にならない強さだ。

 

「ベルさん!そんな危ないことしないで下さい!あれが最後のお別れになってたら私、本気でベルさんの事恨んでましたからね!」

 

ますます申し訳なくなってくる。口酸っぱく女の子には優しくしろとお祖父ちゃんに言われていたのに、ここのところ悲しませたり迷惑かけたりしてばかりな気がする。

 

「シルの事泣かせたら、あの世に行っても落とし前付けさせるからね…」

 

そのあまりの迫力に僕は全力でかぶりを振る。

 

「もうそんな無茶、しないで下さいね?」

 

上目遣いにシルさんがお願いしてくる。

これを断れる男の子は殆ど居ないと思う。

 

「あの、心配掛けないように頑張ります!」

 

落ちていた肩を張って、胸を張って、足にも力を入れて、そう宣言する。

 

「そういうところが心配なんだけどなぁ…」

 

「はっはっは!真っ直ぐで良いじゃないさシル!」

 

「あ、あはは」

 

豊穣の女主人の女性達は逞しい。僕は心からそう思った。

 

「ところでベルさん?お腹は空きませんか?」

 

「あ、そういえばご飯も食べずに出てきちゃいました。ははは」

 

「そんなベルさんには、はいこれ」

 

シルさんの両手には以前と同じ包みが乗っていた。

 

「そ、そんな悪いです!また貰うなんて!僕何もお返しできてませんから!」

 

「ふふ、それならこのお店をご贔屓してください!私はそれで満足ですから!」

 

「でも」

 

「お腹減ってんだろう?遠慮せずもらっちまいな!ここまでさせて断る方が野暮ってもんだよ」

 

確かにあまりに好意を固辞するのもそれはそれで失礼かもしれない。

 

「…そうですね!それならありがたく!」

 

「はい!貰ってください!」

 

「今日もダンジョン潜るんだろう?さぁ頑張ってきな!」

 

「はい!行ってきます!」

ミアさんに背中を押され、僕は勢いよく店を駆け出した。

身体が軽い。あっという間にお店が遠ざかっていく。

 

「えへへ、行ってきますなんてつい言っちゃったよ」

 

豊穣の女主人。そこにいる女性達は皆、逞しく、温かい。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「エレメント・ウィンド!」

 

僕はダンジョンで早速自分の魔法を試していた。

勿論今回はマジックポーションを持っていないので四層での実験だけども。

聞くところにによると、魔法を使いすぎると精神疲弊(マインドダウン)という状態になり、戦闘の続行はまず不可能に、最悪の場合失神したり、酷使による後遺症が現れたりするらしい。

 

「はぁ!」

 

コボルトの鳩尾に風を纏った刃を突き刺す。

普段の短剣であればコボルトの身体をギリギリ突き抜けるかといったところの刃が、風の刃によって余裕を持って貫通していく。

目視では風の刃先が分かりにくいが、どうやら30セルチ程度はリーチが伸びているようだ。

 

「がふっ!」

 

コボルトが血反吐を吐いて息絶える。

 

「げっ!」

 

しかし霞と消えたコボルトの亡骸から魔石が落ちる様子は無い。

これで6度目。今までよりも遥かに高火力でリーチのある一撃は繊細に操作しないと弱いモンスターの魔石を砕いてしまうのだ。

「うーん…これは思わぬ誤算だなぁ…」

 

ダンジョンに潜って稼ぐのであれば、四大元素の一撃は些か余分な物となってしまう。

 

「でも派手な魔法を使える人は普通に稼いでいるし…」

 

高火力の魔法を唱えられる人であっても、魔石は普通に稼げている。ということは必ず魔石を傷付けない方法がある筈だ。

 

「今まで魔法を纏わせた剣の扱いばかり気を使ってたけど、魔法自体を調整することは出来るのかな?」

 

試しに風を纏わせたままの短剣に、念じてみる。

 

(風よ、伸びろ!)

 

すると、相変わらず刃先は見にくいままだけれども、明らかにさっきまでよりも渦巻く風の量が増えていた。

 

「おっ!これは凄いや!」

 

試しに剣を振り回してみたところ、今度は50セルチ程も刃渡りが伸びているようだ。

明らかに手前で振った刃が岩を削っている。

 

「よし!もうひとつの実験だ!」

 

四大元素の効果は《《対象》》に性質を付与するというものだった。

手許に無い物でもそれは有効なのか。これは今後の戦略を立てる上で重要な事だ。

 

「この剣をそこに刺して…エレメント・ファイア!」

 

すると、刃先が勢いよく燃え上がった。

どうやら手許に無いものでも僕が対象を指定して魔法を唱えれば四大元素は発動するようだ。

 

「これ、凄く便利だなぁ」

 

例えばなんでもないダンジョンの石でも風を纏わせて投げればちょっとしたボウガンの代わりになる。

エレメント・アイスをモンスターの足元で使えば即席の虎ばさみのような効果も期待できる。

 

「それに」

 

少し気だるい気もするけど、感覚的に精神力に余裕を感じる。駆け出しでさしたる魔力もない僕がこれだけ色々試してもこれなんだから、多分この魔法はとても燃費がいい。

 

「でも…」

 

僕の消耗は少なくても、魔法を掛ける対象の消耗は大きい。エレメント・ウィンドを使った剣の表面には今までついていなかった細かい傷が結構な量増えている。

 

「やっぱりちゃんとした武器じゃないとすぐにダメにしちゃうだろうなぁ…」

 

短時間でこれなんだから長期間使用すればどうなるのか分かったものではない。

 

不壊属性(デュランダル)なんて贅沢は言わないから、せめてもう少し質のいい武器があれば…」

 

ゴブニュ・ファミリア作のあらゆる破損を防ぐ特性、不壊属性(デュランダル)。噂によればこれを持つ武器は何億ヴァリスもするそうだ。

勿論そんな額は恐ろしくて値札を見るだけでも卒倒してしまうだろうが、少しはいい武器を持ちたいと改めて思っていた。

こうして魔法を唱えて、初めて僕は装備の重要性と自分の装備の貧弱さを実感したのだ。やはり初心者装備は初心者向けのそれでしかない。

 

「そろそろ装備の更新を考えないと…」

 

痛みの目立つ短剣を眺め、鍔迫り合いの最中に剣が折れる姿を想像し背筋が粟立つ。

僕はやや早めにダンジョンを切り上げることにした。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「あれ?早かったじゃないかベル君」

 

「ただいま神さま。今日は魔法の実験みたいなもんだったので、危なくならないうちに切り上げてきたんですよ」

 

「ほーう?感心だねベル君!魔法に慣れない内は精神疲弊(マインドダウン)しやすいって言うし、あまり無茶はよくないからね」

 

シルさんとの約束もあったし、僕なりにあの無茶は反省している。周りに、特に女性に心配させるのはよくないことだ。

 

「ところで神さま?その格好これからお出かけですか?」

 

「あ、そうそう!朝ベル君が慌てて出てっちゃったから伝えられなかったんだけど、今日から二、三日留守にするからね?」

 

「はい?」

 

「まあまあ、果報は寝て待てだよベル君!ボクが帰ってくる日を楽しみに待っていたまえよ!」

 

そう言って神さまは机の上に立ち、僕に指を指して腰に手を当てた。

シュビッと音が鳴りそうな程切れのよい動きだった。

 

「はあ、よく分からないですけど分かりました。神様が帰ってくるの楽しみにしておきますね」

 

「ぬっふっふっふ。一日千秋の思いで待ってておくれよベル君?」

 

そう言って神様はこれ以上無いくらいのドヤ顔を決めた。

 

(神さまは面白いなぁ…)

 

結局よく分からなかったので、僕はとりあえず思考停止することにした。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「ほっと、ほっと」

 

ボクの好きな中華まんをタッパーにこそこそと、さりとて迅速に詰め込んでいく。

行儀が悪い?貧乏臭い?知るもんか。ボクの懐事情は恥に優るのだ。

 

「もぐもぐ」

 

うん、美味しい。

こんな神々(暇人ども)のパーティー、美味しいものでも食べてないとやってられないのだ。ガネーシャはうるさいし。

 

「こんばんはヘスティア」

 

「うひぃ!」

 

「お邪魔だったかしら?」

 

「…ボク君のこと苦手なんだぁ…」

 

この美の女神フレイヤはとかく底が読めない。腹に一物を抱えているというか、なんというか。

それに長身でグラマラスなせいでボクがより子どもっぽく見られるからそれも気に入らない。

 

「あなたのそういうところ私は好きよ?」

 

「ま、君はまだマシな方だけどね…」

 

フレイヤは腹黒だけど話は分かる方だし、嫌がらせをしたり、バカにしてくることもない。ただただ男癖が悪いのだ。

神々(暇人ども)は話も分からなければ、男癖か女癖が悪い、或いは《《両方》》悪い奴らがゴロゴロいる。

 

「おーーーーーーい!フレイヤ~~~!とドチビ!」

 

「あら、ロキ」

 

そしてコイツが最悪の神ロキだ。

何かと突っ掛かってくるし、チビチビしつこいし、ああ言えばこう言う口の減らない奴なのだ。

 

「何しに来たんだよ、君はぁ…」

 

「何や、理由が無いと来たらアカンのか?」

 

「んがっ!」

 

コイツは本当に癇に触る奴だ。

でも今は聞かなきゃいけないことがある。

 

「そだ!ロキ、君に聞きたいことがあったんだ」

 

「ほう?ドチビがうちにぃ?」

 

上から目線で見下ろしてくる。というか背が負けてるから本当に見下ろされてるんだけども。

本っ当に腹の立つ奴だ。

 

「君のファミリアのハイエルフのお姫様、リヴェリア嬢には付き合っている男や伴侶は居ないのかい?」

 

「どアホゥ!リヴェリアはウチのファミリアのママやぞ?リヴェリアが嫁に行ってもうたら誰があの荒くれどもの面倒見んねん!ウチらの保護者に手を出したら《《八つ裂き》》にしたるわ!」

 

「チッ!」

 

これでベル君に穏便に諦めてもらう方法が無くなってしまった。

 

「ぬぬぬぬぬ!」

 

 

「んぎぎぎぎ!」

 

「あらあら、仲良しなのね」

 

「どこがや!」

 

「どこがぁ!」

 

フレイヤのこう言うところが僕は苦手だ。なんなのさ、この板についたお姉さまキャラは。

 

「そういえばロキ、今日はドレスなのね?」

 

「オウ!何処ぞのドレスも買えん貧乏女神を笑ったろう思てな!」

 

「はん!こいつぁ滑稽だ!」

 

ボクには女性として明確にロキより優っている箇所がある。

言いたい放題言ってくれたんだ。反撃してやる。

 

「ボクを笑いに来て、自分が笑われに来たわけだ」

 

さぁ、ロキ、食らえ!ボクからの必殺の一撃!

 

「なんだい?その、さ・び・し・い胸はぁ!恥ずかしくないのかい!?」

 

「あぁーーー!」

 

ふ、決まった。完璧だ。

ペチャパイ通り越して洗濯板かまな板の君が調子に乗るからさ。

 

「はーっはっはっはっはっは!」

 

完全勝利!誰の目から見ても敗者は明白だ。

 

「こうしたるーーー!」

 

「ふみゅーー!」

 

「ドチビのクセにー!」

 

「ふねはなひはらってひつよふほうひはい!?(胸が無いからって実力行使かい!?)」

 

「うっさいうっさい!このどアホゥ!」

 

待って。痛い。痛いよ。

普通に猛烈に痛いよ。

でも負けてやるもんか。

 

「んぎぎぎぎぎ!」

 

「ふにゅーーー!」

 

負けるもんか!これはボクの聖戦だ!

「きょ、今日はこんぐらいにしといたるー!」

 

「くぉんど会うときはそんな貧相な(もの)ボクの視界に入れるんじゃないぞぉ!」

「さいわぁ!ボケぇ!」

 

地団駄踏みながら帰っていくロキの肩は震えている。

ふっ、ボクとしたことが貧乳(よわいもの)いじめをしてしまったな。

 

「相変わらずねぇヘスティアもロキも…」

 

この落ち着いた声は。

 

「ヘファイストス!」

 

ボクの神友ヘファイストス。とても常識的で、面倒見がよく、頼れる(ひと)

 

「君に会いたかったんだ!」

 

「私に?言っておくけど、もう1ヴァリスだって貸さないからね?」

 

ぐ、ボクがファミリアを作るまで散々迷惑を掛けたせいで物凄く警戒されてる。

 

「失敬な!ボクがそんな神友に物乞いするような神に見えるのかい!?」

 

「よく言うわよ。うちのファミリアに散々居候して、追い出した後もやれ仕事がない、やれお金がない。やれお家がないって泣きついてきたじゃない!」

 

「ぐー!痛いところを!」

 

「うふふっ!」

 

事実なだけに反論出来ない。

でも昔は昔。今は今だ。

そこ、フレイヤ!笑わない!

 

「確かに昔はそうさ。でも!今はボクだってファミリアを持っているんだ!」

 

「そうだったわね、ベル?だったかしら白髪の赤目のヒューマンの子。まぁファミリアが出来て変わる神も多いけど…」

 

お、意外と好感触かもしれない。

いや、そうであろうとそうでなかろうと、ボクはベル君の為、覚悟を決めてきたのだ。

 

「ヘファイストス、ヘスティア、悪いけど私そろそろ失礼するわね」

 

「あら、もう?」

 

「ええ、確かめたいことはもう済んだわ。それに、ここの男は皆食べ飽きちゃったものぉ」

 

「うぇー…」

 

「あー…」

 

そう、これが冗談では無いというのがフレイヤの男癖の分かりやすさだ。

見れば周りに居た男衆はさぁーっと波が引くかのようにまばらになってしまった。

ペアになっていた女性達からしたらたまったもんじゃない。

 

「それで?ヘスティアの頼みって何?内容次第では今後一切縁を切ってもいいのだけど?」

 

「う…じ、実は!ベル君の武器を作って欲しいんだ!」

言い終わって直ぐに、ヘファイストスに今ボクが払える最大の誠意を見せる。

すなわち、ジャパニーズ土下座だ。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「うわぁ…たっかいなぁ…」

 

神様が出ていった後、僕は街に武器を見に行っていた。

自分の武器に限界を感じていたところだったが、値段を見てしまうと現実に引き戻される。

 

(やっぱりまだあの短剣で頑張るしかないかなぁ…)

 

正直に言って、あの短剣では魔法を使わなくともキラーアントなどの硬いモンスターや、コボルトの爪との打ち合いなどを繰り返している内に使い物にならなくなってしまうだろう。

そう分かっていても先立つ物が無い以上、僕に術はない。

 

(魔法をもっと研究して、石やダメになりかけの武器でも戦えるようにしよう…)

 

その為には僕も勉強しなければいけない。

こんなに早く魔法を使えるようになるとは思っていなかったから、ろくに魔法の知識を蓄えてなどいない。

 

(でも、誰に師事すればいいんだろう?)

 

まさか一から十まで全て独学と言うわけには行かないだろう。

エイナさんは知識は豊富だけど、冒険者じゃ無いから実戦に即した使用方法や実際に見てもらってどうこうというのは難しいだろうし。

 

(八方塞がりだなぁ…)

 

「難しい顔をしてどうした?ベル」

 

「ミアハ様!」

 

「武器でも見ていたのか?」

 

「はは、そうなんですけど…僕にはとても手が出ない値段で…」

 

 

ミアハ様は僕の知っている神様の中でも一二を争う人格者の立派な(ひと)だ。

ただ、優しすぎるあまりファミリアは潤っていないとのこと。貧乏なのはうちのファミリアも同じだから何だか親近感を覚える。

 

「なに、ベルならばそのうち手が届くようになるだろうさ」

 

「あはは、ありがとうございます。あれ?ミアハ様は神さまの宴に出ないんですか?」

 

「うむ、声は掛けてもらっていたのだが、なにせ弱小ファミリア故、商品の調合に明け暮れていたのだよ」

 

「大変ですねぇ」

 

宴にも参加せず、黙々と調合をしていたらしい。

僕みたいに冒険以外取り柄の無い子ども一人のファミリアと違い、真面目で勤勉で腕も確かな人のいるファミリアなのに、何故ミアハ様は貧乏なのだろうか。

 

「ふむ、そうだな、ベル、これをやろう」

 

そう言って取り出したのは二つの試験管とその中に入ったポーション。

 

「へ?いやいや、頂けませんよ!そんな!」

 

「なぁに、よき隣人へのゴマすりというものだよ。今後も我がファミリアをご贔屓にな」

 

「…そういうことなら、頂きます。ありがとうございます」

 

ミアハ様は変わらずニコニコ人のよさそうな笑みを浮かべている。

 

「また必ずポーション買いに行きますから!」

 

「そうしてくれるとありがたい。ではな」

 

そう言って肩をポンと叩くと手を振って去ろうとする。

 

「あの!」

 

「ん?なんだベル?まだ何かあったか?」

 

「その、ポーションってみんなに配ってるんですか?」

 

「ふむ、いや流石に親交のあるものだけだよ」

 

「その後、買いに来てくれてますか?」

 

「…マチマチといったところか?」

 

「ミアハ様…」

 

「ははは、そう心配そうにするなベル。そんなに心配なら今度店に顔を出しておくれ」

 

「はい…」

 

やっぱりニコニコと人の良さそうな顔で去っていくミアハ様。

勤勉で腕が良くてもお金がない理由がよくわかった。

ミアハ様はやっぱり優しすぎるんだろう。ナァーザさんの苦労が偲ばれる。

せめて僕だけは足繁く通おう。そう決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「あのね、ヘスティア?いつまでそうしてるのよ」

 

あのパーティーから1日経ったというのに、ヘスティアは私の前からまるで動く気配がない。

こういっては何だがヘスティアは堪え性のない性格でここまで粘るような事は今まで無かったように思う。

 

「あなたにそこに居られると仕事の邪魔なの、気が散るの。分かる?」

 

「…」

 

「…はぁっ」

 

もともと性格は頑固な方だったが、それはあくまで性格の話だ。あの姿勢はそれなりキツイ筈だ。そんな苦行を覚悟無しに長々と出来るような子では無い事は分かっている。

 

「そもそも、その姿勢はなんなの?」

 

「土下座。タケから物を頼むときと、謝るときの奥義だって教えてもらった。」

 

「タケ?」

 

「タケミカヅチ…」

 

「あいつ…」

 

また面倒くさいことをよりにもよってこの子に吹き込んだものだ。

おかげでこちらはそろそろ限界だ。

 

「ねぇ、ヘスティア。どうしてあんたがそこまでするの?教えて頂戴。」

 

「…どうしても、あの子の力になりたいんだ。ベル君は今高く険しい道のりを走ろうとしている。何より、新しく手に入れた力。普通の武器じゃ彼の足を引っ張ってしまうんだ。」

 

「ただ盲目的に力になってあげたい…てことではないのね」

 

「あぁ、ベル君の魔法は四大元素(フォースエレメンツ)って言って、四属性のエンチャントなんだ。」

 

「ちょっと!それ本気?あなたの所の、まだレベル1のヒューマンよね?」

 

ヘスティアのファミリアに入るくらいだ。まず間違いなく先天魔法でもない。もしそんな先天魔法を持っていたならトップクラスのファミリアが放っておかないだろう。ということは後天的に魔法を得たということになる。

事実ならそれは確かに大した逸材だろう。

 

 

「ほんとさ!なんならボクの紐に懸けて誓ってもいい!」

 

「そう…というかその紐ってなんなの?確かにいつも大事そうに身に付けてるけど…」

 

何故だかヘスティアの言葉には妙な説得力があった。

詳細は不明だが確かにあの紐はヘスティアを象徴するものだ。

 

「何って、ボクのアイデンティティーさ!」

 

「はぁ…もういいわ」

 

下手をすれば彼女も知らないのかも知れない。

ただまぁ大事なことは確かだろう。

 

「ヘファイストス、ボクは今朝ベル君の装備を見た。彼の短剣は結構刃こぼれしていて、素人目にもかなり痛んでる。普通の使い方ですらそれなんだ。きっと魔法を掛けて剣を振るえばすぐにでも壊れてしまうと思う。最強の装備なんて贅沢は言わない。せめて彼がエンチャントしても問題ない丈夫な物をこさえて欲しいんだよ…」

 

「もう…私の負けよ。いいわ。あんたの眷族(こども)に武器を打って上げる。」

 

「ヘファイストス!本当かい!?」

 

「そうしないと梃子でも動かないでしょ?それで、得物は何にするの?」

 

神友がここまで情熱を傾けるのは初めての事だ。

それに、私も少しだけその子に興味が湧いてきた。

 

「というか君がわざわざ打ってくれるのかい!?」

 

「当たり前でしょ?私たちの個人的な事情で眷族(こども)たちの仕事は邪魔出来ないわ。それに下界では神の力は使えないからあくまで腕のいい一鍛治士でしかないわよ?」

 

「それでもボクは君が打ってくれるのが一番嬉しいんだ!」

 

こういう子だからついつい世話してしまうのだ。

友達甲斐があるというか…お節介してあげたくなるというか。

 

「それで、結局何を打って欲しいのよ」

 

「一応ベル君はナイフとか短剣を使うんだけど…」

 

「ふーん。その子、敏捷寄りのステイタスなの?」

 

「そうだね!身軽さはなかなかのもんだよ?」

 

「なら、長剣は動きの妨げになって良くないわね。エンチャントを主軸に置くならやっぱり短剣かしらね」

 

両刃のオーソドックスな短剣を思い浮かべる。刃渡りや柄の長さなどは使い慣れているであろう初心者の支給品と近い物が良いだろう。 重心はやや手許寄りにして、遠心力と手先の操作で威力と繊細さを両立出来るようにする。

 

「ナイフじゃだめなのかい?」

 

「あんたね、魔法に慣れないうちにナイフにエンチャントなんて掛けたら十中八九自分の手を傷付けるわよ?それに炎を纏わせたりしたときに自分に影響があるかも分からないじゃない」

 

「た、確かに…」

 

「それに、エンチャントの性質上、リーチの無いものよりも、ある程度長さを稼げる武器の方がいいわ。」

 

自分の武器に振り回されて怪我をするなんてのは駆け出し冒険者ではよく聞く話だ。

扱いを間違えれば相手よりも自分を傷付ける。武器とはそういう物なのだ。

 

「あれ?ならなんで長剣はダメなんだい?」

 

「身軽さって長所を殺しかねないし、慣れない武器でエンチャントなんて使ったら膝だとか爪先だとか、接触の可能性がある場所をボロボロにするわよ?」

 

「なるほど!そういうものなのか!」

 

「それに慣れた武器の方がエンチャントの効果も期待できるはずよ。他の魔法と同じように、イメージが明確なら効果の調整も簡単になるもの。」

 

「ヘファイストス、君はボクとベル君の為にそこまで考えてくれたんだね!?やっぱり君はボクの一番の神友さ!」

 

「はいはい、でもこれはツケよ?何十年、何百年掛かっても必ず返して貰うから」

 

贅沢は言わない。と言われたが私だって中途半端な物を作る気はない。

それなりの値段は覚悟してもらいたい。

 

「うっ…いや!ベル君の為だ!必ず返してみせるよ!」

 

「当然よ。さ、これから早速打ち始めるから、あなたにもしっかり働いてもらうわよ?」

 

「任せてくれよ!…と言いたいところなんだけど、ちょっと足の痺れが取れるまで待ってくれるかい?」

 

「ぷっ、はいはい」

 

生まれたての小鹿の様に足をガクガク震わせるヘスティアに思わず吹き出すと愛用の槌を取り出す。

さて、どんな武器を造ったものか。

 

(そうねぇ…あら?)

 

ふとヘスティアを見て思い付く、今回は万人にとって最高の武器を打つのが目的ではない。彼女の眷族(こども)の為のオーダーメイドだ。

あまり楽をさせるのも良いことではないし、身の丈に合わない強い武器は他人から悪い意味での注目を集めてしまうだろう。

 

(鍛治士からしたら邪道なんだけども…まぁ今回だけはヘスティアに免じて打ってあげましょうか)

 

鍛治士の手を離れて成長する武器。駆け出しに持たせる一級品ならこれが一番だろう。

なまくらになるか、業物になるかはその子次第だし、文字通りの専用装備(オーダーメイド)だから他人にとっては価値がない。

構想が立てば後は鉄と向き合うだけだ。金槌を手に私は炉に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「ひいっ!」

 

運搬用の大型カーゴがガタゴトと揺れた後、低い唸りが聞こえて、僕は尻餅をついた。

もしかしたら探索ファミリアの貴重な装備が、例えば一級装備が見られるかも知れないと近付いた時の事だった。

カーゴからは中身を覗くまでもなくモンスターの気配が感じられる。

 

(モンスター!?こんなところに何故モンスターが?)

 

カーゴの底面に取り付けられた車輪による轍の跡は、明らかにダンジョンの奥から続いている。

つまりこの籠はモンスターをダンジョンから街へと連れていくためのものということだ。

 

「今年もアレの時期か」

 

怪物祭(モンスターフィリア)か。けったいな祭だぜ。」

 

「俺たち冒険者が居るから市井の奴らは平和ボケしちまってるのさ」

 

神の恩恵(ファルナ)が手に入るまでは世界中荒らされてたってのにほんと呑気なこったな」

 

「危なくなければ危険なモンスターもいい娯楽なんだろうよ」

 

近くを通る冒険者達から話が聞こえてくる。

遥かに遠い昔、ダンジョンから溢れるモンスター達が地上に出ては猛威を振るっていたそうだ。

実際オラリオの外にも地上に適応し繁殖しているモンスターが幾らか居て、故郷でもあまり森深くまで立ち入ることは許されていなかった。

 

(モンスターって一体何なんだろう。)

 

ダンジョンの壁から滲み出るように産まれるモンスターを沢山見てきた。

彼らが普通の動物のようにマトモな繁殖をして増えていく様子を僕にはどうしても想像出来ない。

そもそも、魔石を核にモンスターが産まれるならば、なぜ冒険者がせっせと討伐を繰り返し、魔石を山ほど回収してもモンスター達が絶滅しないのだろうか。

少なくとも地上の動物であれば、これだけの人数で日夜狩りを行われたらあっという間に絶滅してしまう。

ダンジョンには新しく魔石を生成する力があるのだろうか。それとも莫大な魔石を保持していて、それを少しずつ掘削している状態なのだろうか。

 

(今まで何も考えていなかったけど…)

 

今までのことを思い返せばこのダンジョンはあまりにも不思議な空間だ。

或いはそれも、レベルが上がり深い階層を探索していくうちに真相が垣間見えてくるのだろうか。

ふと来た道を振り返る。始まりの道の広い空洞が、底無しの虚になっているかのような錯覚を覚えた。

 

「あれ?」

 

ふと、冒険者らしくない服装の女性が目に入った。

 

「エイナさん?」

 

なにやらバインダーを片手に象の顔を象ったエンブレムを身に付けた冒険者と話している。

確か、あれはガネーシャ・ファミリアの証だった筈だ。

 

「そっか、怪物祭(モンスターフィリア)って調教(テイム)を見世物にする祭なんだ。」

 

ガネーシャ・ファミリアは調教(テイム)で有名な大規模のファミリアだ。

先程のカーゴはその為の物で、エイナさんが出張って来ているということは、ギルド公認のもとモンスターの運搬をしていると言うことだろう。

 

「邪魔しちゃ悪いよね」

 

挨拶をしてから地上に上がろうかとも思ったが、整った顔をキリリと引き締めて職員やガネーシャ・ファミリアの団員と打ち合わせをしているエイナさんを見て思い止まった。

プライベートやバベルのカウンターならともかく、それ以外の時に仕事の話を聞いてしまうのはマナー違反と言うものだろう。

 

「頑張ってね、エイナさん」

 

背筋の伸びた後ろ姿に影ながらエールを送り、僕は地上の明かりへと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

神様を見送ってから三日目の朝、今日も教会(ホーム)には僕一人だけしかいなかった。

二人だとやや手狭だった僕らの部屋が妙に広く感じた。

明るく賑やかな神様が居ないと随分部屋の印象が変わるのだなぁと一人納得する。

ただ、一人であってもやることは変わらない。

ダンジョンに潜るために着替えて、軽装の防具を身に付け、バックパックを背負う。毎朝のルーチンを今まで通りに行うだけだ。

 

「よし!今日も頑張ろう」

 

神様が帰ってきたときに、よく頑張ったと思ってもらえるよう真面目に探索をこなす事が今の僕に出来ることだ。

とはいえ数日ぶりに帰って来て部屋がもぬけの殻ではあまりに寂しいので今日は早めに帰ってこよう。

 

「いってきます!」

 

誰も居ないのだけれど、いつもの習慣通り教会(ホーム)に別れを告げると僕は路地裏に飛び出した。

メインストリートまで差し掛かり、人通りが増える。街はどことなくいつもより忙しない雰囲気に包まれている。

そんな様子を眺めながら走っていると、すっかり馴染みになった豊穣の女主人の立て札が見えてくる。

いつもは窓際で大通りを眺めているシルさんは見当たらなかった。

 

「おーい!ちょっと止まるニャ!そこの白髪頭!」

 

不意に声を掛けられ見上げていた視線を下ろすとそこには何かを手に持った猫人(キャットピープル)の女の子が大きく手を振っていた。

勘違いでなければ僕に声を掛けている?

そう思い自分を指差して立ち止まると女の子は大きく頷いた。

 

「ちょっとこっちに来てくれニャー!」

 

シルさんに貰った包みはもう返している。

呼ばれる理由に心当たりは無いが、言われるがまま女の子のもとに行く。

 

「おはようございます。いきなり呼びつけて悪かったニャ。」

 

「ぁ、おはようございます。いえ、それはいいんですけど、どうかしたんですか?」

 

ペコリと愛らしく頭を下げる店員さんにつられてこちらも頭を下げる。

態度とは裏腹に意外にも洗練された動きのように感じられた。

きっとミアさんに鍛えられたのだろう。

 

「ちょっと頼まれてほしいことがあるんだニャ」

 

そう言って紫色の可愛いらしい袋を渡してくる。

口金のついたその布袋は近頃流行しているらしいがま口財布だ。その名の通り丸々と膨らんだ蛙のような形をしている。

 

「こいつをおっちょこちょいのシルに届けて欲しいんだニャー」

 

なんとなく話が見えてきた。

どうやらシルさんはお財布を忘れて出てきてしまったらしい。

 

「アーニャ、人に物を頼むならきちんと説明しなさい。クラネルさんもそれでは困ってしまう」

 

金髪の綺麗なエルフの店員さんがテラスから歩いてくる。

 

「リューは細かいニャ。白髪頭もなんとなく察しはついてる筈だニャ」

 

「えーと、シルさんがお財布を忘れて出掛けちゃったのかなってくらいしか…」

 

リューと呼ばれた店員さんは感心したように頷いた。

 

「アーニャの乱暴な説明でそれだけ分かるのなら感心です」

 

「リューは一言多いんだニャ。まぁ概ね合ってるニャ。店番サボって祭に行ったシルに財布を届けてあげて欲しいんだニャ」

 

そういえば昨日は怪物祭(モンスターフィリア)のために捕獲されたモンスターのカーゴを見た。

なるほど、あれは今日の話だったのか。

 

「シルさん出店とか結構好きそうですもんね」

 

「白髪頭はなかなか話の分かるやつだニャア。リューも爪の垢を煎じて飲んだ方がいいニャ」

 

そう言われたリューさんは鋭い視線でアーニャさんを射ぬく。

当の本人は口笛を吹きながらそっぽを向いている。背後から伸びている彼女の尻尾もあわせて同じ向きに流れている。

尻尾というのは意識の向いてる方向に動くものなのだろうか。

それにしても、ミアさん程では無いが一瞬身震いしてしまいそうになるほどの目力だった。豊穣の女主人が荒くれものの冒険者相手に女性だけで商売を出来る理由を感じる。

 

「あははは、それで、シルさんは非番ってことですか?」

 

「クラネルさんは本当に察しが良いですね。そうです。私たちと違ってシルは住み込みの店員じゃありませんから、休暇を取ることもあるのです」

 

僕が道を通るときはいつも見掛けるからてっきり毎日居るのかと思っていたが、そんなこともないらしい。

 

「とは言ってもシルは大体店に居るけどニャ。」

 

「あ、やっぱりそうなんですね?」

 

人間観察が趣味と言い切る彼女にとって豊穣の女主人は理想の職場だろう。

冒険者達はただでさえ個性豊かなのに、あの店はロキ・ファミリアのようなトップクラスの人からボクみたいな木っ端まで集まるのだ。

人間観察なんて趣味はないけれど、僕だってついつい周りの声に耳をそばだてて会話を聞いてしまったりもする。

 

「ミャー達だって祭に行きたかったニャ。でもかーちゃんがダメって言うニャ。だからシルがお土産買ってくれるって言ってたのに財布を忘れたままルンルン気分で祭に出掛けちゃったんだニャ。」

 

「あはは…」

 

シルさんは抜け目無い人だと思っていたけども、案外抜けた所もあるらしい。

 

「闘技場へは東のメインストリートから行けます。既に人波が出来ているでしょうからそれに付いていけば迷わず行けるでしょう。」

 

「シルが出てからそう時間は経ってないから急げば追い付ける筈だニャ、ついでに白髪頭もお土産買ってきてくれたらミャーは嬉しいニャ」

 

「…」

 

再びリューさんが咎めるように鋭い視線をアーニャさんに向ける。

陽気なアーニャさんと真面目なシルさん、二人はある意味息が合っている。

 

「…分かりました。この間の事もありますし、探してきますね。そうだ、バックパックを預かってもらってもいいですか?走る時に邪魔ですし。そんなことは絶対しないですけど、仮にも他人のお金を預かるわけですから僕の荷物も預けておけば持ち逃げの心配は無くなりますし」

 

「白髪頭も大概真面目だニャー。心配しニャくてもそこは信じてるニャ。」

 

「でも混雑してるならスリとかも居るかも知れませんし」

 

こうした祭の時ほど盗みは活発になると聞く。

冒険者になってから多少鋭くなったものの、僕は持ち物がいつの間にか無くなっている事を後になって気付くタイプだ。

 

「…クラネルさん、心配しなくてもあなたがスリにあったと言うならば私は信じます。きっとシルも信じます。ですがバックパックが邪魔になるかもしれないのは確かですから、荷物は預かっておきましょう」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいです。それじゃあ僕の荷物をお願いしますね」

 

差し出されたリューさんの右手にバックパックを手渡すと僕は再び駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

東のメインストリートに接する喫茶店の二階。木目調で統一された暖かな室内に朝日が差し込んでいた。

ロキのお気に入りだという待ち合わせ場所のこの店は、なかなか居心地のいい場所だった。

ロキが気に入る理由も分かるというものだ。

予約席が窓際というのもまた悪くない。通行人の獣人やドワーフ、エルフなどを一人一人眺めていれば、中には面白い魂を持つものもいる。

 

「や、もう着いとったんか、待たせたか?」

 

「いいえ、まだ来たばかりよ、ロキ」

 

そう言ってヒラヒラと手を振りながらロキは近付いてくる。

パーティーで黒曜石のような素敵なドレス着ていたときとは打って変わって、くたびれたシャツに黒いパンツというラフな格好だった。

昼間のカフェとはいえ、まるで男性のような格好だ。

 

「あら、あのドレス似合っていたのに、またそんな男の子みたいな格好してるのね」

 

「けっ、巨乳(持てるもの)にはこの気持ちは分からんのや」

 

そう言って彼女は自分の胸元に視線を落とし、次に私のローブで隠れた胸元をまじまじと見つめた。

この間ヘスティアに言われたことがなかなか堪えたらしい。

 

「そう邪険にしないで頂戴。あの真っ黒なドレス、本当に素敵だったわよ?」

 

「そ、そうか?まぁドチビは見る目がないからな!いや、フレイヤはやっぱよう分かっとるわ!ナッハッハッハ!」

 

すっかり上機嫌になったロキはカラカラと小気味良く笑う。

良くも悪くも切り替えが早いのがこの女神の長所だろう。

 

「あ、ウチまだ朝飯食ってないねん。ここで済ませてええか?」

 

「えぇ」

 

「店員はん!いつものサンドイッチ頼むでー!」

 

「かしこまりましたー!」

 

よっぽど通っているのか間髪入れずに奥に居た店員が反応する。

 

「なかなかうまいんやでー?」

 

「私はもう朝餉を頂いたから遠慮しとくわ」

 

そうかそうか、とさして気にするでもなくロキは席につく。

 

「で、何時になったらその子を紹介してくれるのかしら」

 

「なんや、紹介なんているんか?」

 

「ええ、一応初対面だもの」

 

そうして端整な顔立ちの金髪の少女に目を見やる。

見事な細工物のような均整の取れた美しい細面の中でもその金眼は特に際立っている。その一方でその美しい目だけが唯一美しさとは別に、眠たい子どものような愛らしさを貌作っており、どこがアンバランスな印象を与える。

腰に提げられた細身の剣と、その美しい姿は一目見ただけではとても結び付かない。

 

「はじめまして…」

 

小鳥の嘴のような口許が僅かばかり動く。

どことなくたどたどしい印象を与える言葉遣いは美の女神たる私から見てもとても愛らしい。

 

「ロキが惚れ込む理由も良く分かるわ。とっても可愛らしいし、それだけじゃないもの。」

 

女であろうと、私に褒められれば大抵の物は破顔するか、或いは赤面する。

乏しい表情そのままにぺこりと頭を下げる彼女の様子を見れば、ロキが惚れ込む理由も分かろうと言うものだ。

 

「当たり前やろ!ウチらの自慢のお姫様なんやから!」

 

そう言ってロキは満面の笑みを浮かべる。

自分の眷族に対する暖かな眼差しと、天界での破天荒な素振りを比べてその変わりように感心する。

 

「なぜここに剣姫を連れてきたのか聞いてもいいかしら。私の前にお気に入りの子を連れてくるのはあまり気の進むことじゃないでしょう?」

 

「そらぁ、今日は祭やからな!この後のアイズたんとのデートのためや!」

 

鼻息荒くそう宣言する。

 

「…てのもあるけども、まぁ遠征終わったばかりやし、ほっとくとダンジョンにフラフラ行ってまうこの子のブレーキ役を買って出た訳や」

 

そう言ってロキは剣姫の頭をポンポンと叩き、脇腹をつつく。

剣姫はバツが悪そうに視線を下げてされるがままにしている。

本当に変われば変わるものだ。あのロキが子どものお守りを買って出るなど昔では考えられなかった。

 

「んで、今度は何をやらかすつもりや」

 

先程の人の好い笑顔を浮かべていた姿とは一転、天界でのロキを思い起こさせる鋭い視線を向けてくる。

懐かしい姿だ。この底冷えするような気迫こそがロキらしい。とはいえそれもファミリアへの心配から向けて来ているのだろうから、やはり昔のロキとはまた違う。

謂わば子を守る母親の苛烈さみたいなものだ。

 

「あら、人聞きの悪い」

 

「とぼけんなや。興味ない言うてた宴に顔を出してみたり、ちょろちょろ人に話を聞いて回ってるそうやんか。なんぞけったいな事を企んどるやろ」

 

一切の言い訳を許さない。そうロキの目が語っている。

気が付けばその気迫に気圧されたのかカフェのテーブルは空席ばかりになっている。

 

「また諍いの種を撒いて下界の子らを巻き込もうってんならウチにも考えがある」

 

「そんなんじゃないわよ…ただ、ちょっと素敵な子が居たものだからね」

 

月明かりの下、唇を噛み思い詰めてバベルへと駆け抜ける少年の顔を思い出し恍惚とする。

 

「つまり、どこぞのファミリアの子供を気に入った。そう言う事やな」

 

「ええ」

 

「で、どんな奴や。素直に白状しとるっちゅうことはウチのモンではないんやろ?」

 

普段の飄々とした様子からは想像もつかないが、ロキは天界きっての食わせ者(トリックスター)

この手の駆け引きにおける要点は誰よりもよく理解しているのだろう。こちらが一を言えば十を悟ってくる。

 

「そうね。ロキにはあまり関係のない子よ。弱々しくて、私やあなたのファミリアの子ども達とは比べることも出来ない。でも、誰よりも透き通っていて、見たことの無い色をしていたわ」

 

そう、だから目を奪われた。

あの弱々しい少年に見惚れた。

 

「見付けたのは本当に偶然のことよ。たまたま街を眺めていた時に視界に入ったの。ふふ、言葉にしてみるとまるで生娘みたいね」

 

そう、ほんの偶然から起きた幸運だ。

 

「あの時もこんな風に見下ろしていたの。」

 

そう言って陽光に照らされる眩しい大通りを眺める。

そして、そこに件の少年が駆け抜けていく姿が認められた。

不意に息を飲み、呼吸が止まる。

 

「―――」

 

陽の光が彼の髪を照らし、銀色の輝きを見せている。

そう、ほんの偶然の出来事。

 

「…ごめんなさい。急用が出来たわ」

 

「はぁっ?なんやねん一体」

 

怪物祭(モンスターフィリア)というお誂えの舞台に役者(ベル・クラネル)が現れた。

役者()が輝ける舞台を整えるのが裏方()の仕事というもの。その手の演出に関しては私にも一家言があるのだ。

 

「少し迷惑を掛けるかも知れないけど、ごめんなさいね」

 

そう言って私はカフェを後にする。

 

「はぁ?ちょ、待てや!」

 

引き留める声に目もくれず、少年の通った大通りの後を辿る。

どうすれば彼がもっと輝くだろうかとそればかりを私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「出来たわ。後はあんたがこの剣に神聖文字(ヒエログリフ)を刻むだけよ」

 

「こ、これがボクとベル君の愛の結晶…」

 

ベル君が普段使っている短剣よりも、少しばかり細身な漆黒の刃がうっすらと輝いている。

フレイヤが以前身に付けていた黒真珠のネックレスのような本物の輝き。普段使っている安物とは違って素晴らしい業物のそれに見えた。

 

「その言い方やめなさいよ。あんた生娘でしょうが。」

 

「そ、そんなの分かってらい!」

 

付き合いの長いヘファイストスはボクの男っ気の無さをよく知っている。

天界に居た頃は下界で三大処女神だなんだ言われた事もあるが、当のボクは世界中にボクの恋愛事情が知れていることに赤面したものだ。

 

「嬉しいのは分かるけど、神聖文字(ヒエログリフ)を刻まなければ、ただのなまくらよ?さっさとやっちゃいなさい」

 

「よーし!」

 

僅かに波紋が浮かんでいる刀身に指を当てて横に滑らせていく。刀身はヒンヤリと冷たく、ちょっと前まで赤く煮えたぎっていたミスリルと同じ物だとはとても思えず不思議な感覚だった。

 

「これでこの剣にはステイタスが生まれた。この剣はあんたの眷族(子ども)と同じで生きていると言ってもいいわ。装備者と同じく、経験値(エクセリア)を積んで育っていく。全く、こんなの鍛治士からしたら邪道も良いところだわ」

 

そう言われてボクはなんだか短剣が愛しく思え、そっと撫でた。

相変わらず冷たい金属の感触だったけれども、ボクにはそれがどことなく、温かいものに感じられた。

 

「あんたの神の恩恵(ファルナ)が刻まれているから眷族以外にはガラクタと変わらない。これなら武器を理由に狙われる危険も殆ど無いはずよ」

 

「す、凄いよヘファイストス!そこまで考えていたなんて!君は天才だ!」

 

嬉しさのあまり思わず剣を抱えたまま跳び跳ねる。

これがボクらの新しい力。これ以上無いほどの最高の武器だ。

 

「まぁでも、もうひとつの仕掛けを仕込むのは楽しかったわ。」

 

「もうひとつの仕掛け?」

 

「エンチャントに補正を入れる効果よ。これもステイタスの上昇に伴って補正が強くなるわ。ヘスティアはもともと竈と聖火を司る神だから特に火のエンチャントには格別の効果が出る筈よ」

 

この短剣にはボクの神の血(イコル)と髪の毛が使われている。従ってボク自身の神性に色濃く影響を受けているそうだ。

 

「言っておくけど、その武器の代金は借金(ローン)だからね。びた一文だってまけないんだから。」

 

「分かってる分かってる!」

 

「お金に関しては追々細かく説明するわ。ところであんたその剣の名前はどうするの?」

 

大切な事を忘れていた。

ベル君のことだ、目を輝かせながらコイツの名前を聞いてくるに違いない。

 

「ラブソードとかどうだろうか!?」

 

「仮にも私の銘を入れてるんだからそんなダサい名前やめてちょうだい!そうね、コレはあんただけの剣としか形容しようもないし、『神の懐刀(ヘスティアブレイド)』って所かしら」

 

ボクの名前を冠した剣でベル君が戦う姿を想像する。

…うん!これ以上無い名前だ。ある意味ボクもベル君の隣に立って戦えるのだ。

 

「本当にありがとうヘファイストス!悪いけど早速ベル君に渡しに行っても構わないよね?」

 

「あんた随分無茶したんだから、渡したらしっかり休みなさいよ?」

 

返事の代わりにヘファイストスにひらひらと手を振ると、ヘスティアブレイドを風呂敷に包んで僕は駆け出した。

身体は物凄く疲れているはずなのに心はどこまでも軽い。

今の時間ならベル君はダンジョン行っている筈だが、今日は怪物祭(モンスターフィリア)。オラリオにきて短いベル君のことだ。気になって祭を覗きに行っているだろう。

ウキウキ気分で祭を巡るベル君にこの武器を渡せばきっと更に喜んでボクの事を褒め称えてくれるに違いない。

今からそれが楽しみでならない。

バベルを駆け下りていく。ふもとには常に馬車が控えている筈だから、まずは祭の方に馬を走らせて貰うのがいいだろう。

 

「へーい!タクシー!」

 

「あい!」

 

「東のメインストリートまでお願いしよう!」

 

「へへ、承りました女神様!お目当てはやっぱ怪物祭(モンスターフィリア)ですかい?」

 

「ああ、御者君!悪いけれどなるべく急ぎでお願いするよ!」

 

先回りしておかなければベル君とすれ違ってしまうかもしれない。

会場まで行って会えないというのは避けたい所だ。そこまでしておいて結局ホームで手渡しなんてのは笑い話にもならない。

 

「へい!承知しやした女神様!」

 

闘技場に近付けば近付く程に道の混雑は悪化していく。

それでも御者君が気を使って脇道や小道を通り、なんとか東のメインストリートにあと一歩の所までたどり着く。

所がここでついに道は人で飽和し、馬車の通る余裕が無くなってしまった。

 

「すみませんねぇ女神様。どうやらここまでが限界みたいです」

 

「いやいや!どうもありがとう!なかなかの腕前だったよ!」

 

「へへ!そいつぁどうも!あ、そこの裏道通れば楽にメインストリートに着きますぜ!ちょっと暗いけども」

 

「助かるよ!で、お代は幾らだい?」

 

「90ヴァリスになりまさぁ」

 

財布の巾着をひっくり返す。

ひーふーみーよー…よし、足りてる。

 

「お釣りはいらないよ!残りは君へのチップだ」

 

「え、余りは1ヴァリスだけなんですが…」

 

1ヴァリスでもチップはチップだ。

細かいことを気にしても仕方がないので駆け出す。背後から哀れみの視線を感じた気がするが、それもやはり細かいことなので気にしない。

 

「あら?ヘスティア?」

 

「ん?」

 

目の前に全身黒づくめのローブ女が現れる。

とはいえこの男を惑わす魔性の声は間違えようがない。

 

「フレイヤかい?」

 

こちらを見やったローブの隙間から美しい銀髪と、ふっくらとした艶っぽい赤々とした唇が見える。

 

「えぇ、奇遇ね」

 

「なんだってまたそんな盗人みたいな格好してるんだい?」

 

「ぬ、盗人?違うわよ、失礼しちゃうわ!ほら、私も怪物祭(モンスターフィリア)に用があるんだけども、なんせこの人混みでしょう?私が素顔で出歩いたらどうなることやら」

 

「あー、なるほど…」

 

確かにこの人通りの中でフレイヤが堂々出歩いてしまうと下手したら道行く男達の間で暴動が起きかねない。

そう考えるとフレイヤの奴もなかなか苦労しているのかもしれない。

 

「美の女神ってのも大変だねぇ。あ、所で白髪に赤目のヒューマンの男の子を見なかったかい?こう、兎みたいな子なんだけど!」

 

背格好はこれくらいで、優しい顔をしていて、と身振り手振りで説明をする。

フレイヤは少し考える素振りを見せたあと、思い付いたかのような顔をしてこう告げた。

 

「さっき東の大通りに行くのを見た気がするわ。多分このまま道を行けば会えるんじゃないかしら?」

 

「ほんとかい!?ありがとう!ボクは先を急がせてもらうよ!」

 

そう言って手を振り駆け出す。背に負った風呂敷の中身を出来るだけ早くベル君に見せたかった。

 

「待っててくれよ?ベル君!君の神さまが今行くからね!」

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「ベルくーーーーーん!」

 

「神さま!?」

 

ここ数日見掛けなかった神様が大きな風呂敷を背負って手を振りながら駆けてくる。

 

「神さま!?どうしたんですかその風呂敷!まさか夜逃げ!?」

 

今が朝だという事は置いておいて、うちの台所事情を知るだけに本気で心配になる。

まさか、数日居なかったのはよその神様に借金していたからじゃあ…。

 

「ベル君のアホーーー!!!んなわけあるかい!これは君へのプレゼントさ!」

 

神様は僕の発言に綺麗にズッコケた後にツッコミを入れてくる。

よかった…。どうやらそう言う事ではないらしい。

 

「すみません神さま…。あ、そうだ!プレゼントを持ってきてくれたんですか?ありがとうございます!」

 

「ふふん!開けてみてのお楽しみってやつさ!まぁでも開けるのは落ち着いてからにしようか!」

 

そう言って神様は腕を組んでくる。

僕の腕にやわやわとした感触が二つ。

 

「か、か、か、か、か、神さま!?」

 

「ベル君とデート!ベル君とデート!」

 

嬉しそうに小躍りする神様。

いけない、いけない。流される所だった

 

「その!僕お使い頼まれてて…シルさんにお財布届けないと!」

 

「ふーん、じゃあ一緒に探そうじゃないか!」

 

そう言って前にずんずん歩き出した神様の足は、明らかに屋台に向かっている。そして甘い匂いのする屋台の前で止まると、おもむろにピースサインを作っていた。

 

「クレープを二つ!支払いは後ろの男の子がするから」

 

「か、神様!?」

 

神様はちゃんと話を聞いていたのだろうか。

まずまっすぐ向かうべき闘技場ではなく、屋台に向かってしまうとは。僕は財布を取り出して屋台のおじさんに二人分の料金を手渡す。

 

「さ、ベル君!ボクのクレープを受け取りたまえ!」

 

「あはは、払ったの僕ですけどネ…」

 

「細かいことは気にしない気にしない!」

 

受け取り一口。甘さが広がる。

 

「まぁ聞けよベル君。ボクだってなんの考えもなしって訳じゃない。闘技場に入るなら入場料が要るから君の探し人も闘技場に付いたら引き返す筈だ。」

 

「なるほど!そう言うことだったんですね!」

 

「あぁ、だから素直にボクとのんびり行こうじゃないか!」

 

「そう言う事でしたら。」

 

別に僕も神様と出店を回るのが嫌という訳ではない。

むしろ楽しそうだとも思っていたが、それよりもシルさんが気に掛かっていた。

だが神様の言うとおり、シルさんを待つしかないというのならゆっくり道楽に付き合うのもいいだろう。

 

「次はジャガ丸くん食べようぜ!」

 

神様にあーんされかけたりあーんしたりしながらクレープは食べ終わった。

神様は僕にほっぺのクリーム取ってくれと言ってみたり、僕をからかって楽しんでいるご様子だ。

ジャガ丸くんの屋台はもう少し闘技場に近い位置にある。或いは今度こそシルさんも見つかるかもしれない。

 

「ねえベル君、君の探している人って女の子だよね?」

 

「はい、灰色がかった髪と同じような瞳の色をしたヒューマンの女の子です。背は…もしかしたら僕より高いかも…」

 

「…ふーん、するとあれかい?スタイル抜群の美女ってことかい?」

 

「どっちかというと可愛い系なような…」

 

ふとシルさんの上目遣いを思い出す。

…小悪魔系?ふとそんな言葉が思い付いた。

 

「…ベル君って、結構抜け目無い奴だよね…」

 

「ど、どういう意味ですか?」

 

なんだか盛大に勘違いされているような気がする。

神様はこちらに不機嫌な視線をじーっと送ってきているが、心当たりの無い僕にはどうすることも出来なかった。

 

「…悲鳴?」

 

「ベル君?どうしたんだい?」

 

不意に立ち止まった僕に不審がり、神様が怪訝な目を僕に向ける。

もう一度周囲の音に耳を立てる。それからすぐに大通り中に聞こえる大音声が響き渡った。

 

「モンスターだああああああああああああ!!!!」

 

不意に喧騒が止まり、皆が息を呑む。数瞬後、闘技場に続くメインストリートの奥から咆哮が鳴り響く。

途端、民衆の喧騒は先程までの平和なものから悲鳴と怒号に変わった。

石畳の道を強かに鉄で打ち付ける音がする。

奥からは、純白の体毛を纏った霊長類がその屈強な身体に鎖を巻き付かせて歩いてきていた。石畳を打ち付ける鉄の音はかの獣を繋ぎ止める為の枷だったものだろう。

 

「シルバーバック…!」

 

ミノタウロス程ではないが、その威容は今まで戦ってきたモンスターを遥かに超える。

実際、今の到達階層よりもずっと深いところに居るモンスターで、到底僕に倒せるとは思えない。

 

「ぐるるるるっ…」

 

唸りを上げた獣が視線を上げる。

…こっちを見ている?

 

「ねぇ、ベル君、気のせいかな?アイツ、こっちを見ているような」

 

僕も冒険者だ。この視線には見覚えがある。

明らかに獲物を見付けた時の目だ。この視線を向けてきた後に、決まって彼等は舌なめずりをして襲い掛かってくる。

 

「そのまさかです!神さま走って!」

 

僕はヘスティア様の手を取り全速力で駆け出す。

人通りの多い場所はダメだ。怪我人が出てしまうし、シルバーバックの巨駆から逃れるなら狭い道の方が良いだろう。

 

「路地裏を行きます!」

 

「分かったよベル君!」

 

日中だと言うのに薄暗い道を持てる全力を持って走り抜ける。

途中足場の悪い場所は神様を抱き抱えて、何処へ向かえばいいのか、今どこに居るかも分からずに走る。

方角で言えば南東のメインストリート側の路地裏に入ったので、その間のどこかしらだということだけは分かる。

依然として気配は後ろから迫ってきており、予断は許されない。

 

「しまった!」

 

大通り程ではないが開けた道に出てしまう。

脇道までは少なく見積もって50メドルは距離がある。これでは間違いなくシルバーバックに追い付かれてしまうだろう。

 

 

「神さま!物陰に隠れてください!迎撃します!」

 

そう宣言して腰に提げた短剣を抜く。

 

(あんな奴、僕にやれるのか?いや、やるしかない!)

 

「エレメント・ウィンド!」

 

短剣を構えて魔法を唱える。風が刃を覆い、キィキィと甲高い音を上げる。

 

(来るなら来い!)

 

僕は来た道を振り返り、その奥を睨み付けた。

 

「ベル君ダメだ!後ろだ!」

 

「えっ!?」

 

シルバーバックは建物の影を利用して背後から飛び掛かってきていた。

轡のようなものを咥えた口が大きく開かれ、丸太のような右腕を思い切り引き絞っている。

 

「うわぁぁぁ!」

 

咄嗟に前転を二連続し、その場を離脱する。

途端、背後から爆音と砕けた石畳が飛んでくる。僕は頭を両腕で覆い、飛礫から守ると即座に横転して立ち上がった。

 

「はぁっはぁっ」

 

まだ余裕のあった心肺が一瞬で限界近くまで達する。

動悸が治まらず、自分の心臓の音がうるさい。

改めてシルバーバックと正面から向き合う。体格だけで言えばミノタウロスを凌駕する。身のこなしに至ってはミノタウロスをも上回る。

白銀の毛に覆われた身体には鉄の胸当てが、頭には片眼が隠れたはちがねのような兜が付いている。

 

(死角は左目!)

 

息も心臓も落ち着かぬままにシルバーバックの左回りに駆け出す。僅かな勝機はそこにしかない。

 

「はあああああぁぁぁぁ!」

 

風を纏った刃を勢いそのままに振り抜く。

左足に浅くは無い傷を刻む。

意表を衝かれたシルバーバックは苦悶の声を上げて滅茶苦茶に腕を振り回す。

二歩下がり、腕の射程から逃れて、遅れてやってくる鎖の鞭を大縄跳びの要領で跳び越えてから、もう一度懐に潜り込む。

 

「グルアアアアァァァッ!」

 

鷲掴みにしようとする腕を姿勢を低くしてすり抜け、両手に持ち替えた短剣を突き出す。

腕の勢いに身体を引っ張られたシルバーバックの姿勢が僅かに前に傾く。

 

(まずい!)

 

気が付いた時には既に遅く、僕の腕は勢いよく前に突き出されていた。

シルバーバックの胸当てに短剣が当たる硬い感触と金属を引っ掻く嫌な音が聞こえたと同時に、短剣はその刃を失った。

刃こぼれしていた脆い剣はその衝撃に耐えられなかったのだ。

 

「がぁっ!」

 

一瞬呆然としてしまった僕の隙を見逃すはずも無く、シルバーバックはその豪腕を横凪ぎに振るっていた。

なんとか丸め込んだ膝と肘を通り越してその衝撃が伝わり、僕は家屋の壁まで吹き飛ばされた。

 

「エレメント・アイス!」

 

背骨が軋み、身体がバラバラになりそうな苦痛に耐えると首だけを純白の魔猿に向ける。

追撃を加えようと走り出したシルバーバックの足元に転がる石に息も絶え絶えになんとかエンチャントを掛ける。

逆方向に伸びたつららがシルバーバックの足の裏を貫いた。

 

「グギャァァァアッ!」

 

たまらず足を抱えたシルバーバックを尻目に僕は神様まで駆け出して再び抱え上げると逃走を図る。

神様は事ここに至っても大事に風呂敷を背負っている。

正直邪魔だがここで口論している時間はない。

 

「大丈夫かい!ベル君!?」

 

「なんとか!」

 

再びの逃走劇。

いつの間にかシルバーバックに追いやられ近付いていた脇道に急いで身を滑り込ませる。

どれほど時間を稼げたかは分からないが、もう少し逃げ続ければ他のファミリアの救援が望める筈だ。

死に体の身体に鞭を打って先へ先へと無我夢中に脚を動かす。

 

「…っ!ダメだベル君!こっちは!」

 

細い路地を抜けると、目の前に壁から不自然に迫り出した正方形の家屋とクモの巣のように放射状に伸びる無秩序な階段が現れた。

猥雑に並んだ家屋の上に更に家屋が立ち並び、本来長屋だった筈の家屋がまるでアパートメントのような様相を晒している。

オラリオの貧民街にしてもう一つの迷宮(ダンジョン)

 

「ダイダロス通り…っ!」

 

三次元的に家屋を伝い、追跡を掛けるシルバーバックを相手取るのにこの道を行くのはあまりにも無謀だ。

何時袋小路にぶち当たり追い詰められるかも分からない。

 

「ガアァァァァァァァッ!!」

 

先ほどの反撃に怒り狂ったシルバーバックの咆哮がすぐそこまで迫っている。

もはや退路はこの道の他に残されていない。

抱え上げていた神様を下ろすと手を引き再び目の前のパースの狂った区画へと駆け出した。

背後の咆哮に悲鳴が上がり、それが伝搬すると家屋の扉という扉、窓という窓がバタンバタンと次々に閉じていく。

招かれざる客、という言葉が不意に頭に浮かんで消えた。

 

「神様!そこ曲がります!」

 

くねりにくねった道に神様の手を引き分け入る。

不意にその手が離れ、神様が尻餅をついた。

 

(しまった!)

 

既に神様は限界だったのだ。

立ち上がろうとしても膝が笑い、ももが引きつり、手が震えている。

一般人と殆ど変わらない神様の身体ではこの逃走劇はあまりにも過酷に過ぎた。

 

(どうしよう!どうすれば!)

 

不意に冷たい空気の流れを足許に感じる。

すぐ真横、階段を下ったに鉄門が見える。

 

(しめた!水路だ!)

 

神様をおぶさり、石畳の階段を降り、不用意にも南京錠が外れた錆びだらけの鉄門をこじ開ける。

そうして中に身を滑らせ、水路の脇のヌメヌメとした石に申し訳無く思いながらも神様を座らせ、自分も腰かけた。

 

「神様、僕が囮になります」

 

ずっと考えていたことだ。

或いは僕一人であれば、他の冒険者の応援まで時間を稼げるかも知れない。シルバーバックは神様を狙ってはいるが、降り掛かる火の粉があれば必ず排除しに掛かっている。

 

「ダメだ!ベル君!今の君では無理だよ!」

 

そう、言われなくても分かっている。

万全の状態ならともかく、この状態では間違いなくシルバーバックにやられて息絶える。

それでも、この小さな女神が助かるのであればそれでよかった。

 

(…っ!)

 

不意に悪寒が走る。

シルバーバックに追われる中一つだけ恐怖と哀れみ以外の視線が僕を捉えている事には気付いていた。

水路に入って他の視線が無くなった分、その無遠慮で舐め回すような視線が一際強く感じられるようになったのだ。

これはシルバーバックの物ではない。あれは神様だけを見ている。

 

「…ここでステイタスを更新する。ベル君、君がアイツを退治するんだ。他に道は無い。ボクははっきり言って体力の限界だ。仮にベル君が囮になって時間を稼いでも、ボクは此処から遠くに行くことも出来ない。それに、ダイダロス通りにすぐに救援が来るなんてこともあり得ない。」

 

無情な宣告。

僕の命を使っても神様は助けられないという事実に愕然とする。

 

「顔を上げてくれ!まだ希望はある。ボクの風呂敷を開くんだ!」

 

言われるままに包みを開く。

そこには立派な鞘に納まった短剣が一つ入っていた。

 

「ソイツはヘファイストスに頼み込んで造って貰った君のための一振り。名は神の懐刀(ヘスティアブレイド)。君のステイタスに比例して切れ味が上がっていくんだ。ほんとはもっとちゃんとした所で渡したかったけど、そうも言ってられない」

 

鞘から剣を抜く。黒色の輝きが瞬いた。

 

「さあベル君、背中を出してくれ!」

 

慌てて防具を取り去り、背中を晒すと、すかさず神様が手を添えた。

 

「…よし!このステイタスならきっと奴にも刃は届く!さぁ、反撃の時間だ!」

 

「はい!」

 

ステイタスの恩恵か、身体の痛みや疲れが幾らかマシになる。

腰に提げていた短剣の鞘を神の懐刀(ヘスティアブレイド)に取り替えて駆け出した。

水路の鉄門を開けて、狭い路地に躍り出ると、既にシルバーバックは15メドル程の距離に居た。

 

「グヴゥゥーッ!」

 

シルバーバックはつららの刺さった足を引き摺りながら、こちらを親の敵を見るかのように睨み付ける。

必死にヘスティア様を追い掛けるシルバーバックにとって、僕は目の上のたん瘤のような物なのだろう。

 

「グガアァァァァァッ!」

 

憤怒の形相で右腕を振り回し、辺りの物を鎖でズタズタにしながら、シルバーバックは突進する。

 

(まずは、胸当ての革紐!)

 

二歩踏み込んで、鎖を跳び避け、一歩下がり、シルバーバックの拳を頭をスウェイさせて避ける。再び二歩踏み込んでしゃがみ込み、蛙跳びの要領で跳ね上がる。

 

「ハァッ!」

 

左肩の革紐を断ち切る。

宙に浮いた僕の身体を砕かんと腰を絞りながら魔猿が拳を振り上げる。

両の爪先を揃え、拳の接地面を全て足先に集中させる。

途端、大砲で撃ち出されかの様に僕の身体は宙に高く舞い上がった。

空に押し出される感覚に内臓がグラグラと揺れ動き、吐き気と眩暈を覚えるが、男の意地でそれを堪える。

10メドルは浮き上がったかという所で家屋から伸びる洗濯紐を左手掴み、そのままそれを軸に一回転し地面に向けて自分の身体を撃ち出す。

肩の骨が軋む音が聞こえる。或いは関節が外れてしまったのかもしれない。

それでも構いはしない。折れたっていい。全力で振り抜くのみ。

 

「グギャオオオオォォォォォォッ!!」

 

今までの咆哮じみた苦悶の鳴き声とは違う命を磨り減らされた故の絶叫。

右肩の革紐から膝までを勢いのまま斬り抜ける。

胸当てを失ったシルバーバックの身体から相当な量の血が吹き出す。右腕は辛うじて繋がっているだけの状態で、隆々とした上腕はだらりと垂れて力無い。

瞳には確かな恐怖が窺える。

 

「エレメント・ファイア」

 

呟くように、唱えると、黒剣は煌々と燃え盛る。

今までの赤い炎を通り越して、蒼蒼とした稲光のような輝きが陽炎を造り出す。

そして、踏み込む。

 

瞬間、精神(こころ)が身体に置いてかれるような錯覚を覚えた。

 

気が付けば僕の腕はシルバーバックの胸元から生えたかのように伸びていた。

魔猿が血を吐く。吐き出した血を頭から被る。視界が真っ赤に染まる。

違う。吐血は目にまで掛かっていない。真っ赤に染まっていたのは目の前で燃え上がり灰になっていくシルバーバックの亡骸だった。

 

(勝った?)

 

胸が燃え上がるように熱い。心臓の音がうるさい。

 

(僕が、勝った?)

 

「ウオオオオォォォォォォッ!」

 

僕の喉からは悲鳴とも雄叫びともつかない絶叫が次々に漏れ出てくる。

目頭が熱い。指先が熱い。掌が熱い。爪先が、丹田が身体が精神(こころ)が熱い。

家屋の窓が次々と開いていき、人々が何処からともなく、拍手を始める。

指笛の甲高い音が鳴り響く。僕は勝利したのだ。

 

「神さま!僕は、僕はやりました!」

 

主神のもとへ、勝利を引っ提げて帰ろうと、僕は走り出す。

水路に降りる階段まで差し掛かると、ヘスティア様が鉄門の前でそのか細い身体を石畳に投げ出していた。

 

「神さまっ!!」

 

慌てて駆け寄る。力無く閉じられた両の瞼は何処となく落ち窪んでいるように見える。

泣袋の下は、はっきりと隈によって黒く象られている。

呼吸が弱々しい。

 

「しっかりしてください!」

 

慌てて神さまを抱えあげ、医者を探すために走り出す。

 

「大通りの道はこっちだ!頑張れ坊主!」

 

不意に声が掛かる。頭を上げると、こちらを覗き込む中年の男が片手は道を指差し、片手で親指を立てていた。

 

「ありがとうございます!」

 

窓から覗き込む人達がマスゲームのように次々と僕の行くべき道を指し示してくれる。

不安で塗り潰されそうだった心に力強い言葉が掛けられる。

 

(神さま!みんなが僕たちを助けてくれます!祝福してくれます!)

 

その姿は正に貧民街を駆け抜ける英雄だった。

民衆が皆諸手を叩き、彼を力強く送り出した。




ちなみに最終ステイタスですが

ベル・クラネル

Lv1
 力 :E 450
 耐久:G 290
 器用:F 350
 敏捷:E 480
 魔力:G 220

《魔法》
四大元素(フォースエレメンツ)
・対象に四属性の何れかの性質を任意で付与
・アイス、ファイア、サンダー、ウィンドの四種
・速攻魔法 《エレメントーーー》※属性名

《スキル》
情景一途(リアリスフレーゼ)
・早熟する。懸想が続く限り効果持続
・懸想の丈により効果向上。

命の秘薬(アムリタ)
・生命力と精神力の向上。懸想が続く限り効果持続。
・懸想の対象に想われる程効果向上

となっています。
長々と、本当に長々と本文が続いておりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
流石に今後はもう少し字数を絞っていこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔導書(グリモア)

期間が物凄く空いてしまい申し訳ありません…。
全部繁忙期が悪いんや…繁忙期が。

ところで、三話目で物凄い数のお気に入りと評価を頂きありがとうございます。
多分二話までの十倍以上のお気に入り数になったのでは無いかと思います。
正直一週間ぐらい経って小説情報を見てから自分の拙い創作がここまで評価されてると気付いて震えました。

しばらく繁忙期は続きますのでまた投稿間隔が空いてしまうかも分かりませんが、気長に付き合って頂けると幸いです。


シルバーバックを倒した後は非常に忙しかった。下手をしたら討伐そのものよりも大変だったかも知れない。

 

神様を東のメインストリートのお医者様に見せたところ、過労と寝不足との診断で、一日安静にすれば問題ないとの事だった。

ほっと一息つく間もなく、自分のポケットの膨らみの中にシルさんの財布が入っていることを思い出して慌てて駆け出した。モンスター騒ぎでまばらになった人々の中をくまなく探し、シルさんの影を見付ける。

一息つく間もなく駆け出したもんだから、シルバーバックの吐いた血で僕の頭髪は真っ赤に染まっていた。それを見たシルさんが卒倒してしまい、今度はシルさんの介抱をする羽目になってしまう。

そこを通りがかったエイナさんに絶叫され、慌てて手拭いを渡される。

事情を聞かれ事の顛末を話したところ猛烈なお説教を受けること30分。

その間に起きたシルさんに謝られた後は一緒に豊穣の女主人に向かい、バックパックを回収し、その後水浴びをして漸く帰路に着いた。

 

「つ、疲れた。死ぬ…」

 

オラリオに来てから、いや、人生でこれほどハードな日は一度もなかったと断言できる。

ベートさんにのされて飛び出した日だって負傷のせいで気を失ってしまったけどもこれ程ではなかった。

約束を守る。周りの人に配慮をする。お祖父ちゃん以外の家族が居らず、そのお祖父ちゃんも亡くなってしまっていた僕は、それがとても疲れる事なのだとここに来て実感した。

教会(ホーム)に向かう足取りがどうしようもなく重い。通いなれた路地が普段の倍以上の距離に感じられる。

 

「あ、あと少し…」

 

やっと見えた拠点を頼りに萎びきった気力をなんとか絞り出す。持ち上がらない足がズリズリと砂利を擦る音が聞こえる。

 

「着いたぁ…」

 

もたれ掛かるように扉を開け、バネを失ったグニャグニャの流体のような足を地下へ向ける。

階段を下り、ベッドの目の前まで辿り着くと僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「あぁ、嗚呼…」

 

なんと尊い。なんと美しい。

身の丈を遥かに上回る怪物を相手に大立ち回りを繰り広げた少年を思い出す。

身体中が微熱に包まれ、まるで王子様の閨に呼び出された村娘の様な心地で自分の身体をきつく抱き締める。

今はまだ取るに足らない少年が健気にも心を奮わせて繰り出した弱者の一撃(バンプ・オブ・チキン)

それは紛れもない大器の片鱗だった。

 

「ヘスティアには妬けるけれど、迷惑を掛けてしまったものね」

 

ついつい姫君のように抱き抱えられるヘスティアに嫉妬の目線を送ってしまった。

流石にシルバーバックをけしかけた自分がヘスティアを恨むのは筋違いと言うものだが、それでもやはり羨ましいものは恨めしいのだ。

 

「今はお姫様の役を譲って上げるわ」

 

愛らしい少年の腕が私の身体を抱き上げる所を想像する。

それだけで甘い痺れが身体に走る。

でも、まだ足りない。その瞬間は彼が偽りなく英雄に至った時に迎えたい。

 

「でも、あの子に甘えられるのも良いわよねぇ…」

 

膝を貸し、幼子をあやすように頭を撫でて愛でてやるのもまた魅力的だ。

私という女に溺れて欲しい。蕩けてほしい。

 

「いずれにしても、もっともっと輝いて貰わないとね…。ねぇ、オッタル?貴方にはあの子がどう見えるの?」

 

「…光るものはあります」

 

やや考え込むように目を閉じた後、屈強な獣人はそう答える。ただ、そこには幾ばくかの迷いも感じた。

 

「…何か含みがある言い方ね?」

 

「いえ…。あの少年は間違いなく、一駆けで周りの塵芥を置き去りにしていく資質があります。しかし、冒険の本質は結局己に打ち克つこと。今はまだ野を誰よりも早く駆け抜ける兎のそれでしかありません」

 

「つまり貴方はこう言いたいのね。成長著しいけれども、まだ殻を破るには至っていない、と」

 

「…はい」

 

「まだ、様子見をした方が良いってことね」

 

「貴方が目を掛けた少年です。そう遠からず機は熟すでしょう」

 

確信めいたものを感じさせる表情でオッタルが頷く。

 

「少し妬けるわね。こんなに夢中で見ているのに、なんだか私より貴方の方がずっと彼のことを理解っているみたい。やっぱり同じ男の子だからかしら?」

 

そう言って頬を膨らませると、岩のような身体が少し縮こまり、バンダナの上の猪耳が申し訳無さそうに垂れた。

 

「…出過ぎた事を言いました。」

 

「いいのよ、オッタル。貴方の言いたいこともよく分かるわ。急いては事を仕損じるとも言うものね。でも、そうね、あの子を磨くやり方も、その時期も次は貴方に任せようかしら」

 

「お戯れを…」

 

「あら、本気よ?やっぱり男の子を鍛えるなら男の方がいいのかしらって思ったの」

 

「自分は武人、戦う以外に能がありません。荒事以外のやり方は知りませんが、それでもよろしいのであればこの手を貴方のために振るいましょう」

 

そう言ってオッタルはその隆々とした胸元に手をやった。まるで誓いを立てているかの様なその立ち姿に笑みがこぼれる。この堅物はきっと、手を抜かずにきっちりと恐ろしい試練をこさえてしまうだろう。

 

「オッタルは本当に真面目ね。」

 

「いえ…」

 

今まで何度となく繰り返したやりとりを行う。実際オッタルは真面目が服を着たような(おとこ)だ。

世を知らず野を駆けずる少年が愛しいように、大木のように実直で揺るぎないこの獣人の事もまた愛しい。

 

「あぁ、私、とても幸せだわ」

 

そう言って微笑みかけると、巌のような猛者(おうじゃ)の顔は本当に少しばかりだけ緩んでいた。

こういうところが可愛いのよね。と、一人ごちるのだった。

 

「でも、ただ黙って待ってるっていうのも退屈だわ。少し手助けをしてあげましょうか」

 

そうして棚に立て掛けられた純白の装丁が施された本を手に取る。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

翌日のこと、シルバーバックとの激戦の疲れが取れていなかった僕はダンジョンに潜らずに、懐かしき始まりの地に来ていた。まあ、懐かしきと言ってもまだ一月も経っていないのだけども。

相変わらずの草臥れた看板に古ぼけた店構えの書店、この場所で僕は神様の眷族となったのだ。

 

「お、ヘスティアちゃんとこの子じゃないか!久しぶりだね!」

 

書店の奥から豊かな白髭を蓄えた店主さんが現れる。

 

「お久しぶりです。神様にいつも良くしていただいてありがとうございます」

 

店主さんにぺこりと頭を下げる。

貧乏だった神様は、暇潰しの為に度々こちらのお店に立ち寄っていたそうだ。

 

「なに、構わんよ!ヘスティアちゃんが居れば店も華やぐってもんだ。それより今日はどんな本を探しに来たんだい?」

 

「ちょっと魔法について勉強しようと思って」

 

「そういう事なら魔法について書かれた本が一階の右奥の棚に揃ってるよ。それと、買ってくれたら二階で読んでもいいからね」

 

「ありがとうございます」

 

雑多に見える店内だけれども、店主さんは何処に何があるのかよく分かっているようだった。

感心しながら奥の棚まで進むと上から順に目を滑らせていく。

一番上の段には何やらかなり専門的な内容の本が並んでいた。一番左の本の背表紙には『魔法の使用における精神力の消耗 その数値化への試み』と書かれている。

手に取ってパラパラと頁を捲ると、双子のエルフの冒険者の魔力を同じに揃え、同じ魔法を何回使わせてその結果何回目に限界を迎えたかという実験が書かれていた。

その後、その結果をもとに複雑な計算式を用いてなんらかの数値を弾き出している。

 

「む、難し過ぎる…」

 

英雄譚ばかり読み漁っていた僕では逆立ちをしても理解の出来ない内容だった。

この段に並んでいる物は自分にはあまりに厳しいと思い、次の段を見る。

並んでいるタイトルは上段よりも分かりやすく、また本の厚みも全て上段の半分程だった。

ふと、一冊の本に目が留まる。『魔法学入門』とシンプルなタイトルのその本を手に取る。

 

「なになに?」

 

目次の冒頭にはこのように書いてある。

 

【魔法と言うと冒険者はとかく攻撃魔法と治癒魔法ばかり思い浮かべるが、魔法とは奥深く多岐に渡る物である。諸君ら冒険者の啓蒙に当たってこの本がその一助となれば幸いである。】

 

「…」

 

はっきり言って図星だった。1頁目から僕のというよりも冒険者のことが見透かされている。

やはり冒険者ならば強大な魔法や、死を遠ざける治癒にばかり目が向いてしまう部分がある。しかしそれが魔法の全てではないということらしい。

目次には続いて種類別の索引が書かれている。順に、攻撃魔法、治癒魔法、強化魔法、付与魔法、変身魔法、召喚魔法、特殊な魔法、呪詛。

 

「変身魔法なんてあるんだ」

 

索引からその項を開く。

 

【自身や相手に肉体的な変容をもたらす魔法、或いは物を変容させる魔法など、物質的な変容をもたらす魔法に限りこれに分類される。強化魔法や付与魔法の中には結果として似た効力を持つものがあるが、全く異なるプロセスによって引き起こされる為、この項には記載しない。】

 

「へー、同じような効果でもまた別物なんだ」

 

強化した結果器が変容するか、変容した器が強化に繋がるのか。つまり、卵が先か鶏が先か、みたいな話だろう。

多くの冒険者にとってその順番に大きな意味は無く、また僕にとしてもやはり大して興味は持てなかった。

その後の内容を軽く読み飛ばしていると、実例の欄が現れる。変身魔法というだけあって、他の人間に化けたり、一時的に物になったり、中にはドラゴンに化けたなんて物もあるらしい。

物の変容については錬金術が最初に挙げられていた。卑金属を貴金属に変えたり、水を別の液体に変えたり、なかなか便利そうな魔法だ。

 

「ほう?その棚の前に居るということは魔法の勉強か?感心だ」

 

ふと、背後から鈴鳴りのような美しい声が聴こえた。

 

「私のファミリアのやんちゃ共にも見習って欲しいものだ」

 

忘れる筈がない。この声は。

 

「り、りりりりり?」

 

「り?」

 

「リヴェリアさぁぁぁぁん!?」

 

豊かな緑髪、女神に迫る美貌、凛として落ち着いた声。

そこにはこの寂れた書店に似つかわしくないハイエルフの姫君、リヴェリア・リヨス・アールヴその人が居た。

思わず絶叫してしまう。

 

「驚いたのは分かるが、ここは書店だ。あまりうるさくするなよ」

 

「あ、へ?あ!す、すみません…」

 

恥ずかしさと申し訳無さで縮こまる。リヴェリアさんの後ろで店主さんが何事かと覗き込んでいた。店主さんに向けて頭を下げる。

 

「なに、私も急に声を掛けて悪かった。この間の事もある、こんな場所で会えば無理もないだろう」

 

そう言って微笑んだリヴェリアさんがこちらに近付いてくる。

ダンジョンと、豊穣の女主人。そのどちらもが薄暗い中での出会いだった為、初めてはっきりとその姿を見る。

白磁のような肌には瑞々しい輝き、名工の彫刻のような完成された輪郭、秀麗としか表現しようの無い眉目。

日の光の許で見るのはまた格別だった。

 

「さて、先日はベートが失礼した。アレも普段は不器用ながら優しさのある奴なのだが、あの日はかなり酔っていたようだ」

 

「そ、そんな!こちらこそ突っ掛かった上にお金まで出して頂いたそうで…すみませんでした」

 

まさか頭を下げられるとは思っておらず恐縮してしまう。

 

「なに、迷惑料だ。気にすることはない」

 

「いえ、そんな訳には…」

 

「いや、手加減していたとはいえレベル5の拳だ。君が死んでいてもおかしくはなかった。ましてベートは酔っていたしな」

 

そう、確かにベートさんの拳はまるで消えたように見えた。たまたま腕が出ただけで、運が悪ければ死んでいたかもしれない。

そう思うと背筋が寒くなる。

 

「…分かりました。リヴェリアさんにそう言って頂けるなら」

 

「それで良い。さて、ベルよ。書店で会ったのも何かの縁だ。もし勉強したいと言うならば私が件の詫びも兼ねて色々と教えてやろうと思うのだが」

 

心なしかウキウキとした様子でリヴェリアさんが尋ねてくる。

誰かに師事したいと思っていた僕としては願っても無いことだった。

とても嬉しいお誘いだがそれよりも気になることがある。

 

「あれ?リヴェリアさん僕の名前知ってるんですか?」

 

少なくとも名乗った記憶は無い。いや、もしかしたらベートさんにのされて記憶が飛んでいるだけかも知れない。

 

「シルに聞いたんだ。名前も分からなければ詫びも出来ないだろう?」

 

「なるほど、所でリヴェリアさんはなんでここに?」

 

こう言ってはなんだけど、この書店は一級冒険者の立ち寄る場所とは到底思えない。

しかしこの棚の前に居る僕を見て、一目で魔法の勉強をしている事を察したということは通い慣れているのだろう。

 

「ここは私のお気に入りでな。なかなか落ち着くだろう?」

 

確かに華やかさとは程遠いが、古い本が放つ独特の甘い香りと静かな空気が疲れた身体を癒してくれる気もする。

なるほど、ちょっとした穴場という事だろうか。

 

「そうですね、静かで店主さんもいい人ですもんね」

 

「ああ、人の多い場所は何かと五月蝿いしな。それにこの店は時々面白い掘り出し物があるんだ。それで、勉強はどうする?」

 

「あ、是非お願いします!」

 

リヴェリアさんは頷くと僕の後ろの棚から何冊か本を取り出して店主さんに向き直った。

 

「この本を買う。2階を借りるぞ」

 

「はいよ。好きに使っていいよ」

 

「ではベルよ、基礎的な話から教えよう。2階の書庫で見てやろう。所で文具は持っているか?」

 

「いえ、持ってないです」

 

「ペンと手帳というのは何かと役に立つ。今後はバックパックに一つ入れておくと良いだろう。では店主よ、このノートと鉛筆と手帳も借りるぞ。御代は後で払う」

 

「はいよ」

 

リヴェリアさんは先のとがった木の棒と、小鳥の刺繍があしらわれた小綺麗な手帳と、緑の表紙の『ジャパニカ学習帳』と書かれたノートを入り口近くのカウンターの上からヒョイと持ち出す。

 

「あれ?その棒はなんですか?」

 

「鉛筆と言って、木の筒に炭を詰め込んで固めたものだ。これならインク要らずで持ち歩くには丁度いい」

 

今まで筆記具と言えば小さな筆か羽ペンしか見たことがなかったが、どうやらこれは筆記具らしい。

確かに墨やインクを一々取り出して物を書くのは大変だ。

 

「へー、そんな便利なペンがあるんですか。あ、でもあの、僕今日はあまり持ち合わせが…」

 

「気にするな、私が出してやろう」

 

「いやいや流石にそれは悪いですよ!」

 

ただでさえ豊穣の女主人の代金を払っていただいたのに、この上本とノートと手帳とペンまで買って貰ってはあまりにも申し訳ない。

 

「先生から生徒へのプレゼントだ。近頃ファミリアの団員は私から授業を受けるのを嫌がっててな。少し寂しかったんだ。」

 

「はぁ、そうなんですか…。でも、やっぱり悪いですよ」

 

「なに、たっぷり勉強の成果を見せて貰えればそれでいい」

 

これ以上断るのも失礼かと思い礼を述べる。

リヴェリアさんと勉強出来るのは嬉しいけれど、団員が嫌がる授業、という言葉に一抹の不安を感じた。

 

「あのー、なんで嫌がられたんでしょうか」

 

「曰く、厳しすぎるとのことでな。全く、あの程度で音を上げるとは嘆かわしい」

 

嫌な予感は確信となった。

間違いない。これはダンジョン講習の時のエイナさんと同じスパルタ教育だ。

僕は息を飲み身構え覚悟を決めると、階段を昇るリヴェリアさんの後ろ姿を追った。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、正午になったな。そろそろ休憩にしよう」

 

二階の書庫は相変わらず本棚でみっちりと囲われており、その僅かな隙間に仕舞われていた折り畳みの小さな机とクッションを広げて僕らは勉強していた。

書店に入ったのが八時頃で、リヴェリアさんの授業が始まったのが八時半頃。途中5分の小休止はあったものの、ほぼぶっ通しで3時間以上の強行軍だった。

リヴェリアさんの授業で特徴的だったのは、疑問が少しでもあると必ず質問をするよう言い付けられたことと、最後に自分なりに教わった事を口頭でまとめる作業があること。

リヴェリアさん曰く、人に理解できるように口頭で述べられて初めて知識が身に付いたと言えるのだそうだ。

おかげで何が分からないのか、何が分かるのかを自分の中で整理するのが大変だった。

普段勉強し慣れていない僕にとって、頭をここまで使うことは少なく、ましてやあまりにも長い時間だったので、少し頭がクラクラしている。

 

「わ、分かりました…」

 

「ベルはオラリオの外から最近来たのか?」

 

「はい。まだ一月くらいですね」

 

「なるほどな」

 

ふっと笑ってリヴェリアさんの視線が訂正が幾つも入ったノートに行く。顔が熱くなる。

自覚はあったが、こうも自分の無知さをはっきり目の当たりにするのは少し辛いものがあった。

 

「恥じることは無い。誰だって始めはそんなものだよ」

 

「そうですか?リヴェリアさんにこんな赤点だらけの時期があったとは思えないんですけど…」

 

「いや、私は王族だったからな。宮付きの厳しい家庭教師が居て、毎日もっと沢山訂正を入れられていたよ」

 

そう言って懐かしそうに笑う姿は意外なものだった。

誰にでも苦労はあるという事だろう。

 

「王族というしがらみは御免だったが、知識を詰め込んでくれた事には感謝している」

 

「長いこと勉強漬けにされた事を恨めしく思ったりしないんですか?」

 

勉強にそれほど興味が無かった僕にとってはそれが疑問だ。

机に縛られたりしたら1日持たずに家出してしまうだろう。

 

「ハイエルフという種族の人生には長い猶予があるからな。多少時間を潰されてもなんてことはない」

 

そう。ハイエルフには長い長い寿命がある。

20そこそこに見えるリヴェリアさんもエイナさんのお母さんの友達なのだ。少なく見積もってもロキ・ファミリアの団長のフィンさんと同じくらいの歳なのだろう。

と、ここで気付いたがフィンさんも有り得ないぐらい若く見える。

神の恩恵(ファルナ)には老化を防ぐ力でもあるのただろうか。

 

「うーん、てことはリヴェリアさんの青春はこれからって事ですか?」

 

「くっ、はははっ!面白い事を言うなベル!なるほど、青春か。そういう考え方もあるか」

 

プッと吹き出した後にとても愉快そうにリヴェリアさんが笑う。僕、何か可笑しいことを言っただろうか。

 

「ロキにはママなどと呼ばれたりもするが、振り返って見ると私の人生というのは王族の責務に追われていたか、ダンジョンに潜っていたかのどちらかだ。知識ばかり持った頭でっかちと言ってもいい。いつか普通の若者のような気ままな経験をするというのも悪くないかも知れないな」

 

衝撃的な告白。

 

(つまりリヴェリアさんは今まで一度も恋人がいなかった!?)

 

なんだか僕の理解と彼女の言っていることにはニュアンスの相違がある気もするが、間違ってもいない気がする。

それは青天の霹靂とでも言うべき話だった。

胸が高鳴る。リヴェリアさんを射止めれば僕が初めての恋人に?

 

「っと、人生は長くとも一日は有限だ。昼食を摂りに行こう」

 

「そうですね。ご飯どうしましょうか?」

 

「この辺りに私の行き付けの喫茶がある。そこの紅茶とサンドイッチのセットがなかなか美味しい。それと…」

 

少し迷うように言い淀むと、リヴェリアさんが後ろを向いた。

 

「…ケーキがとても美味しくてな。私が甘いもの好きなのは団員達には内緒だぞ?こんな少女らしい趣味が知れたらからかわれる。」

「いえ、そんな!僕も甘いもの好きですから!」

 

「ん、そうか」

 

その長い耳はほんのり赤く染まって見えた。

リヴェリアさんの意外な可愛らしい一面を知られたことがとても嬉しかった。

ましてや団員達も知らない秘密という甘い響きに僕はなんだかいけない優越感のようなものを感じた。

同じファミリアでないことにも思わぬメリットがあるとは新しい発見だ。

 

「店はこの書店の向かいだ。行こう」

 

そう言ってそのまま振り返りもせずリヴェリアさんは歩き出した。

とてもクールに見えるから分かりにくいが、意外と照れ屋なのかも知れない。

 

「店主よ、幾らになる?」

 

「えーと、本と、ノートと、鉛筆と、手帳と…合計4000ヴァリスになるね」

 

「分かった。この後また戻るから2階はそのままにして貰えるか?」

 

「いいよ、どうせそんなに客は来ないからな、はっはっは」

 

リヴェリアさんが支払いを済ませた後、店主さんはそう言って豪快に笑うと僕達を見送った。

向かいの店と言われたので視線を正面に向ける。こじんまりとした焦茶色の木目調の外観のお店が見える。

屋根は少しくすんだ朱色で、これが焦げ茶色の木目と合わさって高級な家具のような印象を与える。

 

「いい雰囲気だろう?」

 

「はい!とっても大人っぽい感じのお店ですね」

 

「ああ、隠れ家のような趣が気に入っている」

 

そう言って店の扉をリヴェリアさんが開くと、内装が見えた。

外観と同じく木目調で統一された店内だが、外の焦げ茶色とは違い、赤みがかった少し明るい茶色が生木のような印象を与えた。

 

「なんだか外と中が樹皮とその中身みたいで、木をくり貫いてお店を作ったみたいですね」

 

「よく分かっているじゃないか。森を出たとはいえ、やはりハイエルフは森の民。こうした造りは落ち着ける」

 

「くすんだ赤色の屋根も秋の葉っぱみたいですね」

 

「ああ、風情があるだろう?」

 

嬉しそうにリヴェリアさんが笑う。

身近にこういう話をする相手が少ないのかもしれない。

今日は思いがけず色々な話を聞けた。まさかこんな事になるなんて思っていなかった。

疲れを無視してダンジョンに強行せずに本当に良かったと思う。

 

「マスター、いつものセットで頼む。ベルはどうする?」

 

「初めてなので同じものでお願いします」

 

「ではいつものセットを二つだ」

 

「畏まりました」

 

綺麗に整えられた口髭が特徴的な優しそうなヒューマンのマスターが丁寧に礼をする。

白い襟シャツに蝶ネクタイを着け、真っ黒なベストを上から着ているためか、一流の執事のように見えた。

優雅な手付きで年季の入った銀製のティーポットにお湯を注ぐ。それを一度捨て、茶葉を入れ再びお湯が注がれると豊かな香りが広がっていく。

 

「わぁ…いい香りですねぇ」

 

「マスターの淹れる紅茶はとても美味しいからな。期待して待つといい」

 

待つこと数分。角砂糖の入った小瓶と、ミルクの入った小さな水差しのような陶器の器と、真っ白な陶器のティーカップとスプーンが机に並んだ。

リヴェリアさんは角砂糖を二つ入れてティーカップをスプーンでゆるゆると混ぜる。

僕は角砂糖を一つ入れてミルクを少し垂らして一口飲む。

 

「美味しいですね」

 

「そうだろう?」

 

「僕、こういう喫茶に行ったことがないので、こんな美味しい紅茶初めて飲みました」

 

思い返すと、今まで安い茶葉を適当に買って特に準備もせず、そのまま沸かして砂糖やミルクで誤魔化して飲んでいた気がする。

ちゃんと準備をするとここまで香り高いものになるのかと驚きだった。

 

「あ、リヴェリアさん。勉強の続きって訳じゃないんですけど、魔法とかスキルってどうして発現するんでしょうか?」

 

「諸説はあるが、一番説得力のあるものはその者の資質や思念、経験がステイタスとして反映されるというものだな」

 

「資質や思念や経験?」

 

「例えば、エルフという種族は総じて魔力の伸びがよく、多くの者が魔法を自然と覚えていく」

 

確かに魔法の名手と呼ばれる人はエルフに圧倒的に多い。実際オラリオ一と呼ばれる目の前のリヴェリアさんもハイエルフの王族だ。

 

「これが資質。次に思念だが、これはその人の性格や、夢や、望むものがスキルや魔法になって現れるということだ。例えば…そうだな、ティオネは知っているか?」

 

怒蛇(ヨルムンガンド)のティオネさんですよね?」

 

「ああ。ティオネは団長のフィンに惚れていてな、他所の女が近付くと本気で怒る嫉妬深い女なんだが」

 

「?」

 

「覚えた魔法が束縛魔法という、な。ふふふ」

 

「な、なるほど…」

 

絶対に逃がさない。物にしてやるという気合いが魔法に表れているということだろう。

口許に手を当てて笑うリヴェリアさんはどうなのだろうか、嫉妬などするのだろうかとふと考えた。

 

「さて、三つ目の経験だが、これはつまるところ本人が多く経験したものや、強い印象を覚えたことがスキルや魔法へと昇華される」

 

「鍛冶師とか調合とかそういう物ですか?」

 

「そうだな。その他にも特定の種類のモンスターを多く狩ることで、そのモンスターに対して強い補正を得るスキルが発現する、なんてこともある」

 

「なるほど…」

 

「冒険者はステイタスを秘匿しないといけない」と皆が口を揃える理由がよく分かった。単純に力量や弱点がばれてしまうだけでなく、スキルや魔法を見られることで自身の本質を他人に悟られかねない。そんなのは誰だって避けたいだろう。

 

「お待たせしました」

 

と、話が一段落ついたところでサンドイッチが来た。

挟んであるものはトマトとベーコンとレタスでオーソドックスなそれだった。

 

「いただきます」

 

早速一口齧る。うっすらと茶色くなった表面はサクサクと、小気味の良い音を立てて崩れ、中からフワフワモッチリとしたパンの甘味が溢れる。トマトの瑞々しい水分、レタスのシャッキリとした歯触り、ベーコンのジューシーな肉汁と適度な塩気、それらが絶妙なバランスでハーモニーを奏でる。

これは絶品だ。

 

「すっごく美味しいですねぇ」

 

「ああ、いつもこれを頼んでるんだ」

 

満足気に頷きながらリヴェリアさんもその小さな口で啄むように一口食べる。

美人がご飯を美味しそうに食べる様子というのは、とても絵になる。僕はその口許から視線を外せなかった。

じーっと眺めていると不意にリヴェリアさんが口を開いた。

 

「ところでベル。どうして勉強をしようと思ったんだ?教えている様子からすると、あまり勉強が好きではなかったのだろう?」

 

「実は僕も最近魔法を覚えたので、それで」

 

本当はリヴェリアさんに憧れてというのが一番の理由だったが、それは流石に言えなかった。

 

「ほう?どんな魔法なんだ?」

 

「えっと、詠唱式の無い魔法で氷、炎、雷、風の四属性の付与魔法(エンチャント)です」

 

先程の授業で覚えた詠唱式という言葉を使いながら説明すると、リヴェリアさんは大きく目を見開いた。

そしてこちらをじーっと探るように見てくる。

 

「驚いた。随分特殊な魔法を覚えたものだ」

 

「そうなんですか?」

 

「通常、魔法というのは詠唱式を唱える必要がある。アイズのエアリアルのように非常に短い詠唱式の魔法はあるが、一切詠唱式がないというのはまず聞いたことがない」

 

「え!?詠唱式が無い魔法ってリヴェリアさんですら他に知らないんですか!?」

 

オラリオの外から来た僕にとって、魔法とはそれほど馴染みの無いものだった。まさか自分の魔法がそれほど変わり種だとは思ってもみなかったのだ。

 

「ああ、加えて詠唱式が無いにも関わらず破格の効果だ。間違いなく超レア魔法だろう。間違っても他所の冒険者にも神にも知られないように気を付けろ。どんなちょっかいを掛けられるか分かったものではない」

 

「は、はい!」

 

険しい目付きで忠告される。

僕としても悪目立ちしてしまうのは避けたいところだ。

 

「なに、自分で言いふらさなければそうそうばれたりはしないさ」

 

安心しろ。と、そう言うように目付きを和らげる。

ロキ様がリヴェリアさんをママと呼ぶ理由も分かる気がする。リヴェリアさんには人を安心させる包容力のような物がある。

 

「はぁー…ありがとうございます。僕、そんなに変わった魔法だなんて自覚ありませんでした」

 

「オラリオの外から来たのならば無理もない。これから気を付ければいいのだから気にするな。さて、いい加減サンドイッチを食べてしまおうか」

 

「あ、そうですね!」

 

促され慌ててサンドイッチを頬張る。

ついついダンジョン探索のくせで残りのサンドイッチを口一杯に詰め込んでしまう。ソロパーティーの僕はダンジョンでのんびり出来る時間が少ないので早食いが基本なのだ。

 

「こらこら、そんなに慌てて食べることもないだろう」

 

「んぐ、ん。すみません、ついダンジョン探索のくせで…」

 

全て飲み込んでから喋り出す。

短い時間だけど、口に物を入れたまま喋るという品の無い行いをすれば、リヴェリアさんの顰蹙を間違いなく買うだろうという確信があった。

 

「ふふ、なんだか生徒というよりも手の掛かる弟が出来たような感じだ」

 

リヴェリアお姉さん。いや、お姉様?むしろ姉上?

リヴェリアさんと姉という組み合わせは、なんだかとても甘美な響きな気がしたが、これは開いてはいけない扉のような気がする。

 

「そんな!リヴェリアさんをお姉さんだなんて恐れ多いですよ!」

 

「…ん、お姉さん、お姉さん…か。お姉さんというのも新鮮な響きだな。悪くないな。むしろママなどと言われるよりもずっといい…」

 

なんだかむしろリヴェリアさんの開いてはいけない扉を開けてしまった気がする。

何やら瞼を閉じて音の響きを反芻するように確かめている。

 

「…こほん!失礼した。なんでもないぞ?」

 

「い、いえ」

 

と、ここで何やら気まずくなりそうな雰囲気のところにマスターがケーキを持ってきた。凄く良いタイミングだ。

 

「ケーキで御座います」

 

コトリと置かれた皿の上にはココット皿とケーキが乗っている。木苺かなにかを煮詰めたソースだろうか。甘酸っぱい匂いがする。

 

「私はまだサンドイッチが残っているから先に食べるといい。美味しいぞ?」

 

そう言ったリヴェリアさんだったが、心なしか少しだけサンドイッチを食べるスピードが上がっている。

よっぽどケーキを食べたいのだろうか。そういうところは見た目の年齢相応の女の子らしく、可愛らしい。

 

「じゃあお先に頂きますね」

 

ココット皿のソースを掛け、フォークでケーキを切って一口食べる。すると想像通り木苺の甘酸っぱさと、やわやわのチーズのような濃厚な食感と、爽やかな甘味が口に広がる。

初めて食べるケーキだ。ケーキというからには小麦粉で練った焼き菓子を想像していた。

 

「美味しいだろう?これは生クリームにヨーグルトを混ぜ、それを温めて寝かせた後に水分を布で濾して作るんだそうだ」

 

「そんなケーキがあったんですね。確かにクリーミーなチーズみたいで変わった美味しさです」

 

このまろやかな美味しさは確かに癖になる。

今度神様に買っていってあげようと思い、マスターに尋ねる。

 

「すみませーーん!マスター!このケーキって買って持って帰ったりできますか?」

 

「そうですね、お持ち帰り用の器は無いのでそちらで用意していただけるなら大丈夫ですよ。でも日持ちするようなものでも無いですし、暑い日には結構溶けてしまうと思うので、氷か何かと一緒に詰め込んだ方がよろしいかと」

 

「なるほど」

 

「あとはそうですね、お皿を敷いて薄い紙などでケーキを包んだ上で運べば形も崩れないかと」

 

「あー、確かに柔らかいですもんね。ありがとうございます 」

 

「お持ち帰りでしたらワンホールまるまるお渡しすることも出来ますから、そうすれば形も崩れにくいでしょう」

 

「沢山あった方が神様も喜びそうだし、今度来たらそれをお願いしますね」

 

「畏まりました」

 

どうやら問題ないらしいので、今度小さな包みを持ってここに訪ねてみよう。温度に関してはエレメント・アイスを使えばなんとかなるだろう。

と、考えているうちにケーキが無くなってしまう。美味しくてついついパクパクと食べてしまった。

ふとリヴェリアさんのお皿を見るときれいさっぱりケーキが無くなっていた。フォークが器に当たる音は全然聞こえなかったがいつの間に食べ終わってしまったんだろうか。

その僕の視線に気付いたのかリヴェリアさんが口を開いた

 

「はしたないとは思わないでくれよ。これでも甘味に目の無い女性の一人なんだ」

 

「いえ、そんな事全く思わないですよ。美味しいですもんね。でも、全然音がしなかったからいつの間に食べたのかなぁと」

 

「これでも元はハイエルフの王族だからな。銀食器の扱いならオラリオ一上手い自信がある」

 

つまり、僕がマスターを呼んで話しかけている間に音も立てずに上品にパクパク食べていたらしい。

そう言って胸を張るリヴェリアさんが少し可笑しかった。

 

(リヴェリアさんってしっかり者だけどちょっと抜けてるとこというか、天然なところがあるよね)

 

知らなければ、テーブルマナーを誇っている目の前の美人がレベル6等とは誰も思わないだろう。

 

「さて、そろそろ休憩もいいだろう。勉強を再開するとしようか…と思っていたのだが。ベル、午後の時間はその魔法を見せてくれないか?」

 

興味津々と言った様子でリヴェリアさんが聞いてくる。

正直座学に疲れていた僕としてもそれはありがたい申し出だった。

 

「分かりました。でもどうしましょうか?ダンジョンに行きますか?」

 

「いや、今日は市壁で軽く見せてくれるだけでいい。」

 

今日は、ということはまた教えてくれるとということだろうか。

そうだったらいいなと思い、尋ねてみる。

 

「今日はってことはまた勉強見てくれるんですか?」

 

「あぁ、次の遠征までは時折見てやろう。…宿題も出すからちゃんとやってくるようにな」

 

「あ、あはは…」

 

「意地悪でそうしようと言うわけではない。何を集中して覚えれば効率がいいのか、どのように考えれば身に付くのか、そう言ったことは必ず今後の人生で役に立つ筈だ。もちろんダンジョンの攻略にもな」

 

元より断るつもりは無かったが、そう言われれば俄然やる気も出るというもの。

 

「さて、書店に荷物を取りに行くか」

 

「はい!あ、ここの支払いは僕に任せてください!書店のお礼です!」

 

手持ちが少ないと言っても流石にランチの分を出せないほどではない。

それに、女の子と二人きりでご飯を食べる、これはデートみたいなものと言っても過言ではないだろう。

お祖父ちゃんも男は甲斐性が大事だと言っていたし。

 

「だが、手持ちが少ないと…。いや、そう言うならその言葉に甘えるとしよう」

 

リヴェリアさんは男の子の矜持を理解してくれたのか財布をしまう。

二人合わせて値段は1600ヴァリス、一人あたり800ヴァリスということ。とりあえず手持ちのお金でも問題はなかった。この内容でこの値段はとてもリーズナブルだ。

勿論ランチタイムということで多少割安になっての事ではあるが。

 

「では、行こうか」

 

「はい!」

 

優雅に歩くリヴェリアさんの後ろに着いていく。

三尺下がって師の影踏まず。そんな言葉を思い出した。

その言葉に倣い、僕は先生となってくれたリヴェリアさんの影を踏まないよう少し離れた所から着いていった。

別にリヴェリアさんからいい匂いがするからつい鼻を効かせてしまうとか、近くだとチラチラ見てしまうとかそんな事ではない。…筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「ほらよ!報酬だ、ありがたく受け取りな!」

 

「ちょっと待ってください!約束は今回の冒険の一割半ですよ!」

 

男が投げ渡した袋の重さは明らかに軽かった。

恐らく全体の一割程度のヴァリスしかない。

 

「あぁん?一割の契約だろ?お前が聞き間違えたんじゃねーのか?」

 

「そんなことありません!約束は守ってください!」

 

「ちっ!そんなに言うなら渡してやろうか?」

 

そう言って男は先程の袋をしまった右の懐を探り、そして袋と短剣を取り出した。

 

「ただし、治療費で報酬はゼロになっちまうだろうけどなぁ!」

 

「うっ、分かりました。一割で良いです…」

 

「分かりゃいいのよ分かりゃ!それじゃあお前ら、これからパーっと呑みにでも行こうか!」

 

「おっいいねぇ」

 

「早く麦酒が飲みてぇなぁ」

 

高笑いを上げて、三人組は今日の稼ぎの使い道を話しながら去っていく。

こんなことは日常茶飯事で、むしろ今回は一割だけでもきちんと支払われた分マシな方だった。

 

「これだから冒険者は…」

 

悔しさから足下に落ちていた小石を蹴る。

悪態をついても仕方無いと思っても、命懸けでサポートをしてこれではどうやっても苛立ちが治まらない。

リトルヴァリスタの矢を5本使ったから収支は若干のプラス程度。あの冒険者達は大した腕では無かったのでこれが無ければ怪我をしていただろう。

 

「ダンジョンでは調子のいいこと言ってたくせに…」

 

自分の危機を救われたリーダーは「これは報酬にも色付けないとな!」等とほざいていた癖に、結果がこれだ。

これが冒険者の付ける色だとでも言うのだろうか?恩を仇で返すのが冒険者の礼儀とでも言うのだろうか?

そう思ってもどうにもならないので、トボトボと下宿先まで歩いていく。

 

「よーう、リリルカじゃねーか」

 

「へっへっへ、今日の酒代ゲットだな」

 

もうすぐ下宿に着くというところ。下卑た声が聞こえる。

泣きっ面に蜂とはこの事か、ソーマ・ファミリアの同僚が二人、いや、同僚などとは呼びたくない屑が現れる。

直ぐ様身体の向きを反転させ駆け出す。

 

「待て!金蔓!」

 

「逃がさねぇからな!」

 

パルゥムの歩幅ではまともに競走していてはすぐに捕まってしまう。

小ささを生かして人混みの間を縫っていく。

 

「クソ!チビの癖にすばしっこいな!」

 

「見失っちまうぞ!急げ!」

 

息が上がってくるけど、それでも止まるなんて選択肢は無い。

半日掛けて稼いだお金をあんな奴らに奪われる訳にはいかない。

脇道に入ろうとしたところで衝撃が走り、尻餅を着いた。

 

「あうっ!」

 

「あいた!」

 

見上げると、そこには白髪に赤い眼をした兎のようなヒューマンの少年が立っている。

なんて、間の悪い。

 

「君、大丈夫?」

 

ヒューマンが手を差し出して来るがそれどころではない。

足音はすぐ背後まで迫っている。

 

「クソパルゥムめ!手間掛けさせやがって」

 

「やっと追い付いたぜ」

 

真面目に探索をしていないせいだろうか。低ステイタスのパルゥム一人追い詰めるのに彼らは息が上がっている。

とはいえ、それでもマトモな得物を持たず、戦闘もろくにしたことがないリリにとっては致命的な相手だ。

二人はどちらも長剣を手にしている。

 

「おい、そこのガキ!さっさとソイツをこっちに渡しな」

 

「痛ぇ目を見ねぇ内にな」

 

悔しさに涙が出てくる。

こうして今日のリリの苦労は全て水の泡になるのだ。これも何度目か分からない。

 

「…君、アイツらに捕まりたくないんだよね?」

 

目の前のヒューマンは険しい顔でそう尋ねてくる。

藁にもすがる思いでその問いに頭を振る。どうか助けてくれますように、と。

 

「…下がってて。どういう事情か分かりませんが、泣いてる女の子を差し出すなんて、そんな事僕には出来ない!」

 

優しそうな顔を引き締め、そのヒューマンは団員の二人にそう啖呵を切る。

助けてほしいとは思ったが、まさか本当に助けてくれるとは思っていなかったので、目を見開く。

そして言われるがまま少年の後ろに後ずさった。

 

「あんだぁ?紳士気取りかテメェ!」

 

「お前をぶっ倒してから連れてくんでもいいんだぞ!」

 

いくら楽して人から金を毟り取っている屑とはいえ、それなりに、経験を積んでいる冒険者。ましてそれが二人掛かりなのにこの如何にも新参らしい少年で相手が勤まるとは思えなかった。

見ず知らずの人を犠牲にして、その上捕まるくらいならまだ素直にお金を渡した方がマシだ。

 

「冒険者様!お逃げ下さい!」

 

「ダメだよ!君は泣いてるじゃないか!放ってはおけない!」

 

そう言って少年は短剣を鞘から抜く。

その漆黒の刀身は傷ひとつ無く、とても初心者が振り回すような代物には見えなかった。

 

(まずい!)

 

これでは素直にリリが奴らに着いていったとしても、彼が無事に奴らから解放される事は無くなってしまった。

初心者が持っている上等な装備など絶好の獲物だ。

 

「クックック、てめぇ良いもん持ってんじゃねーか?」

 

「お子様には勿体ねぇ業物だ。俺達がありがたく貰ってやるよ!」

 

そう言って団員二人は一斉に駆け出した。

長剣を高く掲げて、少年に押し掛ける。

 

(リリの、リリのせいで…)

 

数秒後に訪れる凄惨な光景を直視したくなくて目を閉じる。

金属の擦れ合う甲高い音が響いた。

 

(リリが、リリが悪いんですか?リリが弱くて狡くて、それがいけないんですか?こんな、無関係な、親切にしてくれる人が傷付いてしまうのも、リリが悪いんですか?)

 

自問しても答えは無い。ただただ、どうしてこうなってしまうんだろうとそればかりが胸に浮かんでは消える。

助かりたいとそう思ってしまった事が、それ自体が罪だと言うなら、どうやって生きればいいのだろうか。

 

(…?)

 

少年の悲鳴が聞こえて来ない。

恐る恐る目を開けると、そこには想像もしなかった光景が広がっていた。

少年は二人の長剣を短剣一本で受け、鍔迫り合いの末、それを押し返しまでしていた。

 

「エレメント・アイス!」

 

体勢を崩した男の一人の靴が氷で地面に縫い付けられると、少年はもう一方の男が取り落としそうになっている長剣に向けて短剣を振り上げた。

そのまま男の手から長剣は離れ、民家の壁に突き刺さる。

気弱そうな少年は二人を相手取って起きながら息も上げず、男達を睨み付けている。

 

「貴様ら!何をしている!」

 

突然怒鳴り声が脇道に響く。

男達の奥を見ると、緑髪のエルフがこちらに走ってきている。

 

(九魔姫(ナイン・ヘル)!?)

 

その特徴的な容貌をこのオラリオで知らないものは居ない。レベル6にしてオラリオ最強の魔法使い、リヴェリア・リヨス・アールヴその人だった。

 

「ひ、ひぃ!九魔姫(ナイン・ヘル)だ!」

 

「てことはあのガキ、ロキ・ファミリアかよ!チクショウ!エンブレムが無ぇから気付かなかったぜ!」

 

悲鳴を上げ、二人は脱兎の如く駆け出す。

いつの間にやら足を固めていた氷は溶けていたようだ。

 

「ベル、怪我はないか?」

 

「リヴェリアさん!僕は大丈夫ですけど、この子を…」

 

そう言われ、自分の身体を見る。

逃げることに夢中で全く気付かなかったが、ローブの至るところが解れており、擦り傷が出来ていた。指先も倒れた衝撃で血が出ている。

 

「いっ!」

 

起き上がろうとすると足首を挫いたのか力が入らない。

これではこの場を立ち去ることも出来ない。

 

「大きい怪我は無いようだが、足首を痛めているな。少し待っていろ」

 

そう言うと九魔姫(ナイン・ヘル)が杖を手に詠唱を唱え始める。

 

「…我が名はアールヴ!-フィル・エルディス!-」

 

ぼんやりとした緑色の淡い光を纏った手が翳されると、途端に身体中の痛みが無くなっていく。

 

「リヴェリアさん、ありがとうございます」

 

「気にするな。冷静だとはよく言われるが、傷付いた少女をそのままにするような冷酷な人間(エルフ)になったつもりはないさ」

 

ホッとした様子で少年がこちらを見ている。

どうしてここまでこの人は良くしてくれるのだろうか。疑問はあるが、ともかく礼を言わなければいけない。

 

「ヒューマンの冒険者様、リヴェリア様、リリを助けて頂いてありがとうございます」

 

地に伏せって頭を垂れる。

これでも足りない程の恩義をこの人たちからは受けている。

 

「わわわ、頭を上げてよパルゥムさん!そんな事したら髪の毛汚れちゃうってば!」

 

「そうだな、ベルに同感だ。顔を上げてくれ」

 

少年の非常に慌てた声が聞こえる。

見ず知らずの人間を助けて面倒事に巻き込まれたというのに、不平を言うどころか相手の髪の毛を気にしている。どれだけお人好しなのだろうか。

 

「で、ですが!リリのせいで冒険者様は危ない目に…」

 

「いいから!女の子を助けるのは当然の事だし、顔を上げてくれないと困っちゃうから、ね?」

 

そう言われて漸く顔を上げる。

少年はこちらを安心させようと柔らかい笑みを浮かべている。

 

「このご恩は絶対に忘れません。ロキ・ファミリアの冒険者様」

 

そう言うと、リヴェリア様と冒険者様顔を見合わせておかしそうに笑い出した。何故だろうか?

 

「ベル、いつからロキ・ファミリアに入ったんだ?」

 

「からかわないで下さいよ、リヴェリアさん!えっと、僕はヘスティア・ファミリアってところのベル、ベルクラネルって言うんだ。君の名前は?」

 

ヘスティア・ファミリア、聞いたことの無いファミリアだった。恐らく新興のファミリアだろう。

自身のファミリアの名前を出すかどうか少し迷ったが、恩人に嘘を吐くのも憚られたため、素直に名乗ることにする。

 

「リリルカ、リリルカアーデです。ソーマ・ファミリアに所属しています」

 

ファミリアの名前を出したところでリヴェリア様の眉が僅かに動いた。

 

(また…ですか)

 

このファミリアにいるせいで、助けて貰った相手に名乗ることですらためらってしまうし、実際こうして警戒されてしまう。

この影はどこまでリリの人生について回るのだろうか。

 

「えっと、リリルカさん?」

 

「リリで結構です。ベル様」

 

「ならリリもベルで十分だよ」

 

「いえ、ベル様は冒険者様ですから、サポーターのリリは様付けするのが当然なんです」

 

これは自分なりの線引き、ここを譲るつもりはない。

冒険者と自分の間には明確な違いがある。それを忘れることは出来ない。

 

「でも…。うーん…まぁいいか。リリはこれから予定とかあるの?」

 

「いえ、特には…」

 

「なら僕らと一緒に来ない?ほら、あの人たちや仲間がまだこの辺に居るかもしれないしさ。ほとぼりが冷めるまでは一人にならない方がいいと思うんだ。それに…」

 

ベル様がちらりとリヴェリア様を横目に見る。

 

「気にするなベル。私と一緒に居る事が噂になれば、手を出しにくくなる。そうだろう?」

 

「はい…。なんだか利用するみたいで心苦しいですけど…」

 

「誰が傷付くわけでもない。なに、この名も魔除けの鈴くらいの役割にはなるだろう」

 

どうしてここまで親切にしてくれるのだろうか。疑問に思わずにはいられなかった。

 

「どうして、どうしてこんなに親切にしてくれるんですか!?リリは見ず知らずの他人ですよ!?」

 

「どうしてって言われても…うーん」

 

首を捻って悩んだ後に、ベル様はポツポツと喋り出した。

 

「オラリオに来たばっかりの時、どこのファミリアに行っても門前払いでさ、不安で苦しくて仕方無かった時に僕の神様は手を差し伸べてくれたんだ。それなら、そのファミリアのメンバーの僕だって、不安な人に手を差し伸べないと、神様に顔向け出来ない。これは僕の個人的な理由の人助けなんだ。だからリリは気にしないでもいい」

 

言いたいことはよく分かる。確かにベル様に庇って貰って、本当に救われたと感じた。他人にもそうしてあげたいとも思う。

だからと言って、普通同じように手を差し伸べられるだろうか?自分が同じ立場ならまず無理だ。

ベル様は何でもないように言っているが、とんでもない。天然記念物レベルのお人好しだ。

 

「ほら、涙を拭いてよ。そしたら、一緒に行こう?」

 

ベル様がバックパックを開けて簡素なハンカチを取り出す。

震える手で受け取って涙を拭う。拭っても拭ってもじわじわと水が滲んでいく。

 

「ヒックッ、グスッ」

 

いつまでも泣いてなんかいられない。

そう思っても次々と溢れてくる物を止められなかった。

 

「仕方無い。ベル、いつまでもこんな路地裏で泣かせておくのもよくない。負ぶってやるといい」

 

「そうですね。服も汚れちゃいますし。さぁ、リリ、掴まって」

 

差し出された手を握ると、思いの外力強く起こされ、そのまま背負われる。

あまり大きくない少年の背中は誰よりも大きく見えた。

 

「市壁まで少し距離があるが大丈夫か?途中で代わってもいいぞ?」

 

「大丈夫ですよ。リリは軽いからへっちゃらです!」

 

思えば両親にもこんな風におんぶをして貰った事など無かった。イシュタル・ファミリアに売られるよりはずっとマシだったかも知れないけれど、それでも地獄のような日々だった。

両親の背中というのはこういう感じなのだろうか。

 

(ベル様…)

 

思わずその暖かい背中をきつく抱き締める。

 

「顔が赤いぞ?」

 

「放っておいて下さい…」

 

背中越しからでも耳が真っ赤になっているのが分かる。

こんな、女の子にちょっと触れるだけで赤面してしまうような人が厳つい悪漢からリリを助けてくれた。

そう思うと心がじんわりと温かくなる。

 

(せめて今だけでもこの幸運を喜んでもいいですよね?)

 

一歩進む事にゆらゆら揺れる身体が気持ちいい。ベル様の真っ白な髪の毛がふわふわと風に揺れ、それが顔に当たるのが心地良い。

そんな時間が15分ほど続いて、市壁に辿り着いた。

 

(あっ…)

 

背中から降ろされ、何故かもどかしい気持ちが湧き上がる。幼子のようにしがみついていたい衝動を抑え、姿勢を正して頭を下げる。

 

「重ね重ね、本当にありがとうございます。ベル様、リヴェリア様、このご恩はいつか必ず」

 

「本当にいいのに…でも、それじゃ気が済まないって言うなら今度僕のサポーターをお願いしてもいいかな?丁度探してたんだよね」

 

「ベル様は、本当にそんなことで良いんですか?」

 

「うん」

 

「分かりました。必ずベル様のお手伝いをさせて頂きます」

 

リヴェリア様に向き直ると、こちらが口を開くよりも早く答えが返ってくる。

 

「身体を張ったのも、ハンカチを渡したのも背中を貸したのもベル一人。私は怪我の治療をしただけで、せいぜいポーションの代わりを務めたくらいだ。何もいらない」

 

バッサリと反論の余地の無い答えだった。

或いはソーマファミリアの団員と関わりを持ちたく無いと言う事かもしれない。

 

「…別にファミリアの事が理由ではない。そう気を落とすな。本当に大したことをしたと思っていないだけだ」

 

ベル様に聞こえないよう配慮してくれたのか、リリの肩を叩き耳元でそう囁かれた。

どうしてソーマ・ファミリアにはこんな人が全く居ないのだろうか。理由が分かっていてもつい不平を言いたくなってしまう。

そう言えば気になることが一つあった。

 

「あの、何故市壁に来たんですか?」

 

オラリオ一帯を囲う巨大な壁を前にして疑問に思う。

あの壁に登ればオラリオを見渡せるし、外の景色も綺麗だし、風も気持ちいい。とはいえ良いところと言えばそれだけで、その他にはこれといった物は何もない。

 

「ちょっと魔法を見てもらうためにね」

 

「街中で魔法をやたらと使わせるのも問題だからな」

 

どうやらベル様の魔法をリヴェリア様に見てもらうのが目的だったらしい。

そう言えばあの時も団員の男の足を氷で固めていた。あれがベル様の魔法なのだろうか。

 

「でも、ただ見てるだけじゃリリも退屈だよね…」

 

「いえ、お構い無く。こうしてゆっくり出来るのも久しぶりですから」

 

市壁の階段を登りながら思う。こうして誰にも怯えずに景色を楽しもうと思ったのなんていつ振りだろうかと。

下宿に居ても、いつソーマ・ファミリアの団員が来るか、騙した冒険者が復讐に来るかと警戒して、心の休まる時なんて殆ど無かった。

近場で見知った顔を見る度に、荷物をまとめて夜逃げの様に宿を転々とする生活。せめてもの救いはスキルのおかげでどんな荷物でも一回で持ち出せたことか。

毎日、昼間も出歩いている筈なのに、久しぶりに日の光を浴びたような気がする。

そんなことを考えていると、気付けば階段は後一段になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

一通り僕の四大元素(フォースエレメンツ)を見せたところ、リヴェリアさんは不意にこう言った。

 

『同時にエンチャントを掛けれるか?』

 

今まで使い分けることしか考えていなかった僕にとってその発想はまさに目から鱗といった感じだった。

試しに風と雷を同時に剣に掛けたところ、エンチャントは変質し、まるで雷雲のように激しく雷が渦巻いた。

炎と雷を混ぜると光線のような刀身が現れ、氷と風を混ぜれば触れた物を瞬時に氷らせる冷気の刃が、氷と雷を混ぜれば剣を振った際に乱反射する雷が投げ槍のように遠くまで飛んでいった。

ただ、氷と炎を混ぜたときは、刀身を水が覆うのみで、触ってみてもペチャぺちゃと波紋をたてるだけだった。とても使えそうに無い。

 

「思い付きで言ってみただけだったのだが…本当に出来てしまうとはな」

 

「ベル様!凄いです!とても駆け出しの冒険者とは思えません!」

 

リリはのんびりすると言いながら、結局ずっと僕の魔法を見ていた。

ぴょんぴょんと小さな身体を跳ねさせながら僕の事を誉めてくれるもんだから、嬉しくなってついつい次は、この次はと魔法を使ってしまった。

途中で気付いたが、二種類の組み合わせを使ったときの消耗は一種類の時とは段違いに重く、普段ならばなんて事のない使用回数にも関わらず、僕は限界を感じていた。

 

「こ、これ、滅茶苦茶疲れますね…」

 

思わず地べたに尻餅をつく。

大して身体は使っていないが、息も上がってしまった。

 

「…すまない。途中で疲労には気付いていたが止めるのをためらってしまった」

 

「すみません…リリもついつい夢中で…」

 

軽く見せるだけだからと、ダンジョンを避けたリヴェリアさんだったが、結局僕の疲労はダンジョンに潜ったときに匹敵していた。

しょんぼりとする二人。とはいえ、僕としては新発見を嬉しく思っており、むしろ感謝していた。

 

「へっちゃら…とは行かないですけど、僕の魔法にこんな使い方があるって分かって良かったです。リリも一緒に喜んでくれてありがとう」

 

ちょっとスパルタだけど、リヴェリアさんに先生をしてもらって本当に良かった。まさか初日からこんな発見が出来るとは。

それに、自分が嬉しいときに一緒に喜んでくれる人がいるというのはやっぱりありがたいことだ。初めて魔法を使ったときはダンジョンで一人だったので、誰も誉めてくれないのが少し寂しかった。

 

「ベル様はきっと今に有名になりますよ!リリには分かります!」

 

落ち込んでいた気分もすっかり良くなったのか、リリはキラキラとした大きな栗色の瞳でこちらを見てくる。

神様よりも小さなその身体と、栗色の髪も相まって可愛らしい栗鼠とかハムスターとか、そう言う小動物のような印象だ。

今まで散々灰かぶりだのガキだの頼りないだの言われてきて誉められなれていない僕はなんだかその瞳を直視できなかった。

 

「はは、買い被りすぎだよ…」

 

そう、ミノタウロスから逃げ出して、まだたった十日くらい。確かに僕は魔法を覚えた。ステイタスの上がりだって良い方だと思う。

でもレベル1だ。ミノタウロスから逃げ出したあの日の僕はまだまだここにいる。

 

「いや、ベートに言われた事を気にしているなら忘れろ。才能はある、私が保証する。」

 

「それは…。勿論気にしてますけど、それだけじゃ…」

 

ベートさんに馬鹿にされたのは確かに堪えたけれども、それはおまけのようなものだ。

結局は無様に逃げ出した僕自身を許せないのが一番のしこりになっている。雪辱を晴らし、禊を終えて初めて僕は進める。そんな予感がある。

 

「…まぁ、私にだって言いたいことは分かる。越えなければいけない壁を越えて、そうして私達冒険者は初めてレベルが上がる。そう言う事だろう?」

 

黙って頷く。レベル6の冒険者になるということは、つまりこういった壁を幾つも乗り越えてきたということ。

リヴェリアさんもまた、身が千切れる程の悔しさに悶える事があったのかもしれない。

 

「とはいえ、それは今ではない。さぁ、今日はお開きだ。ベル、宿題はちゃんとこなしておくように」

 

「…はいぃ」

 

リヴェリアさんから出された宿題の量は目が点になるような多さだった。頑張らないとと思っても気が滅入って溜息が出てくるレベルだ。

でも、これをこなしていけばいつかはリヴェリアさんにも近付けると言うならば、やるしかない。

 

「あの、ベル様…」

 

「勿論帰りも一緒に行こう。リリが大丈夫だってとこまで送るよ」

 

当然だ。そうしないとわざわざここまで連れてきた意味がない。

 

「無論、私も付き合おう」

 

市壁には気持ちのよい風が吹いている。

そのそよぎに少し名残惜しく思いながら僕はリリの後ろに着いていく。

とても小さな背中、こうしてゆっくりするのも久しぶりだと言っていた。先ほどの男二人を思い出す。この小さな背中にいつもあんな重しが付いて回っているのだろうか。

リリが言った冒険者様という言葉の冷たい響きがそれを現実だと伝えているような気がした。

 

「ベル様?明日はダンジョンに行かれるのでしょうか?」

 

「え?あ、うん。明日は行くつもりだよ。」

 

「でしたら早速リリがお供させて頂いてもよろしいでしょうか?待ち合わせは噴水広場でどうでしょう」

 

「噴水広場だよね?よーし、初パーティー探索だけどよろしくねリリ」

 

そう言うとリリは鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くさせた。

 

「ベル様今までずっとソロだったんですか?」

 

「あはは…団員一人の零細ファミリアだからね」

 

「お一人でダンジョンに潜っていたのによくもまぁ…」

 

「ああ、驚きだ。確かに確かに前に見たときも一人だったが、まさかパーティーを組んだことがないとはな」

 

そんなにおかしなことだろうか。レベル1の冒険者と好んでパーティーを、それも他所のファミリアの冒険者と組む人など滅多に居ない。

僕がソロでダンジョンを潜るのはある意味自然な事だと思っていた。

 

「ベル様、普通はパーティーも組んだことのない初心者がレベル1とはいえ冒険者二人組を撃退するなんてあり得ないんですよ?助けられておいてなんですが、こんな無茶は今後控えてくださいね」

 

「あ、あはははは…。考えるより先に身体が動くタイプだから、つい」

 

「戦い方も全て我流と言うわけか…。今度アイズに声を掛けておこう、得物が違うから師匠と言うわけには行かないだろうが、体さばきだけでも教わると良い。それに、魔法もアイズのエアリアルの方が参考になるだろう」

 

「ほ、ほんとですか!?」

 

剣姫に九魔姫(ナイン・ヘル)が先生をしてくれるって、僕はどれだけ贅沢なのだろうか。

このオラリオにもこれほど幸運な冒険者はそう居ないんではないだろうか。

 

「まぁ受けるかどうかはアイズ次第だ。とはいえ私としてはアイズにとっても良いきっかけになると思っているんだがな」

 

「きっかけ、ですか?」

 

「まぁ、こっちの話だ。特訓をしていれば或いはアイズから話をすることもあるだろう。いずれにせよ当人の預かり知らぬ所で話すことではなかったな。」

 

僕はそうですかと相槌を打ちそれ以上聞くのは止めた。

それから色々とリリとリヴェリアさんにオラリオに来てからの事を聞かれ答えながら大通りへと向かっていく。途中何度か目を丸くされ、どうも自分は非常識な事を繰り返していたようだと自覚させられる。

そしてリリとリヴェリアさんと別れた頃にはお医者様に神様を迎えに来るよう言われていた時間近くになっていたのでそのまま迎えに行く。

 

僕はバックパックから手帳と鉛筆を取り出し、早速三日後に取り付けたリヴェリアさんの約束と、リリとの明日の初パーティー探索の予定を書き込んでいく。

なるほど、手元に書き込む物があるというのは安心だ。それに、さっきのエンチャントの組み合わせによって起きる変化も書き込んでいたので、後で落ち着いて使い方について考えることも出来る。

僕は手帳の有用性に感心すると、再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「むむむむっ」

 

ヘファイストスに徹夜で頼み込んでそのままベル君に会いに行ったボクは、シルバーバックとの逃避行に耐え切れず、疲労困憊で倒れたらしい。

目覚めたときはベッドの上で、まさかベル君も怪我をしたのではないかと大慌てで医者に確認をした。

医者の話では、ベル君は血まみれだったが目立った怪我も無く、ボクを運んだ後慌てて出掛けていったそうだ。

そんなこんなでベル君の迎えを待って、その後一緒に帰った後に異変が起きた。

 

「ベル君が勉強しているっ…!」

 

そう、ベル君は帰るなりおもむろにノートと本を取り出して、勉強を始めたのだ。

かれこれ一時間程だろうか、時々鉛筆をナイフで削りながら熱心に机に向き合っている。

ベル君の向上心は事は嬉しい。しかし、それが勉強となると、どうにも嫌な予感が拭えない。

 

「ねぇ、ベル君?勉強もいいけど、せっかくシルバーバックを一人で倒したんだ。ステイタスの確認をしないかい?」

 

「あ、そうですね!確かにステイタスは気になります!」

 

「ささ、机に座ってないで早くベッドに横になりなよ!」

 

ベル君は頷き、シャツを脱いでベッドに俯せになる。

ボクは予感が外れる事を祈りながら背中に指を這わせた。

 

「こ、これは…」

 

思わず両手をベッドにつき項垂れてしまう。

嫌な予感は的中した。間違いなくこのベル君の変貌っぷりにはリヴェリア嬢が関わっている。

憧憬一途(リアリスフレーゼ)命の秘薬(アムリタ)の相乗効果がどれ程恐ろしいのかボクは思い知る。

 

 

ベル・クラネル

 

Lv1

 力 :E 450→D 550

 耐久:G 290→F 390

 器用:F 350→E 430

 敏捷:E 480→C 610

 魔力:G 220→E 480

 

《魔法》

四大元素(フォースエレメンツ)

・対象に四属性の何れかの性質を任意で付与

・アイス、ファイア、サンダー、ウィンドの四種

・速攻魔法 《エレメントーーー》※属性名

 

《スキル》

情景一途(リアリスフレーゼ)

・早熟する。懸想が続く限り効果持続

・懸想の丈により効果向上。

 

命の秘薬(アムリタ)

・生命力と精神力の向上。懸想が続く限り効果持続。

・懸想の対象に想われる程効果向上

 

 

最早このアビリティはレベルアップ目前の冒険者と言ってもいい高さだ。何より、魔力の伸びがあまりにも異常だ。

命の秘薬(アムリタ)の性質を考えるなら、リヴェリア嬢と親しくなったというのは間違いないだろう。

どの程度親しくなったのかは基準が無いから分からないけれど、少なくとも普通に話すような仲にはなってしまったのだろう。

 

「ベル君の浮気者!」

 

「あいたっ!」

 

剥き出しの背中に思い切りビンタを食らわせる。

八つ当たりだとは分かっていても、ボクの寝ている間にリヴェリア嬢とよろしくやっていたと思うと腹も立つのだ。

 

「勉強なんかいきなり始めちゃってさ、どうせリヴェリア嬢に唆されたんだろう?」

 

「そ、唆すって…。魔法を覚えたから勉強しようと思ったら偶然リヴェリアさんに会って勉強を見てもらっただけですよ」

 

「それに…くんくんっ。君の背中から女の子の匂いがするんだよ!なんだいなんだい!リヴェリア嬢をおんぶでもしたのかい!?」

 

自分で言っておいてなんだが、それは違う気がする。ベル君の背中からするのは焼き菓子のような少し甘い匂いだ。

リヴェリア嬢のイメージとは合わない。もっとちんまりとした可愛らしい、大人になりかけの女の子って感じの匂いだ。

 

「ち、違いますよ!そんな恐れ多い!街で助けたパルゥムの女の子が歩けそうに無かったからおぶっただけですってば!」

 

それはそれで由々しき事態だ。またベル君に近付く女の子が一人増えてしまうではないか。

ここのところベル君はどうも他所の女の子からちょっかいを頻繁に掛けられているような気がする。

 

「ほーう?それで背中をぎゅーっと抱き締められてベル君の背中にたっぷり匂いを付けて行ったわけかい。君にはボクという(ひと)が居るじゃないか!」

 

他所の女の匂いを消してやろうとベル君の背中に思い切り抱きつく。無論、ボクの大きな胸を押し付けながら。

 

「かかかかか、神さま?はな、離れてくださいっ!」

 

ベル君は顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がる。

ボクはベッドに尻餅をついたが、このベル君の初心な反応が楽しかったので満足だ。

 

「神さま!ステイタス!」

 

そう、ステイタスの更新の最中だった。すっかり忘れていた。

とはいえ、この異常な成長振りを紙に残してしまうのは少し不味い気がする。

 

「ベル君、今日は口頭で君のステイタスを伝えようと思う。ボクにも少し思うところがあってね」

 

そうして、先ほど見たステイタスをベル君に告げる。

ベル君は心底驚いているようだ。

 

「いいかいベル君?君のステイタスの成長は異常だ。ボクはそれほど他の冒険者の事に詳しくないけど、それでもこんなに成長の早い子なんていないと思う。君のステイタスを他人に知られるのはなるべく避けてくれ」

 

「それは…そうですよね。僕、今日リヴェリアさんにも釘を刺されたんです。僕の魔法は相当特殊だからおいそれと知られちゃいけないって」

 

「…今の話を聞く限り、リヴェリア嬢は信用出来るし、君の価値をよく分かっている。悔しいけど、ボクは君に着いていけない。他人に任せるのは業腹だけど、リヴェリア嬢によく教わるといいさ」

 

何より、これからヘファイストスに作って貰った神の懐刀(ヘスティアブレイド)のローンもある。

ボクは多分、ますますベル君に構ってあげられる時間が無くなっていく。抜けたところのあるベル君が騙されたり、利用されたりしないか心配なのだ。

恋の戦いはともかく、レベル6の冒険者とベル君という組み合わせならばある意味利害関係の外にあると安心は出来る。

 

「ありがとうございます!神さま!」

 

親からお付き合いの許しを得たかのように喜ぶベル君。

悔しくて仕方無いが、ベル君が居なくなってしまったり、潰されたりしてしまったら、悔しいではすまない。

断腸の思いでここは送り出すしかないのだ。

 

「そう言えば神様、この剣で炎のエンチャントを使うと何故か強力になるんですけど、なんでだか知ってますか?」

 

「…ベル君、ボクがもともと何を司る神だったか知っているかい?」

 

「あ、あはは…実は全然…」

 

「不っ勉強だよ!ボクのことは全部知らなきゃダメなんだからね!ボクの司る物は竈と聖火!つまり火の神様みたいなもんなのさ!」

 

そう、ボクはかつて竈と聖火を司り、様々な人々から信仰されていた。

こう見えて神格で言えば、相当上位の神なのだ。…今の有り様では我ながら説得力に欠けるとは思うけども。

 

「あと、…これはあんまり思い出したくないんだけど、ボクは全ての孤児の保護者とも呼ばれていたんだ」

 

「凄く立派じゃないですか!どうして思い出したくないんですか?」

 

「…なまじ信仰があったもんだから、それを利用する不届き者もいる。ボクが孤児に加護を与えるほどに人々は孤児を作り出すことを躊躇しなくなった。ボクは、結果として孤児を増やしちゃったんだ…」

 

「神さま…」

 

「それにボクは恋人も作ったことないんだぞ!なのになんでみんなのお母さんにならなきゃいけないんだい!おかしいじゃないか!」

 

「あはは…」

 

お母さんどころか万年生娘だとか言われていたボクにこんな役割があったのは絶対おかしい。

今でもそう思わずにはいられない。

 

「まぁそれは置いておこう。ベル君、ボクはね、君が炎のエンチャントを使ったときに、煌々と輝くそれを見て思ったのさ。君こそがボクの聖火の担い手だとね。そう燃え続ける尽きない聖火(ウェスタ)の主だと」

 

ボクはベル君の燃えるような深紅の目を真っ直ぐ見る。

 

「だからベル君、君は何処までも遠くまで、自分の目指す理想へと走り続けておくれ。聖火の担い手はいつだって走者だ。君の走りがきっとこの街にも明かりを灯していく。その為ならボクはどんな応援だってしてあげるから」

 

「神さまが応援してくれる限り、僕はいくらでも頑張ります!これからもよろしくお願いします!」

 

そう言ってベル君はベッドの上で三つ指をついて頭を下げた。

この素直な性格こそが、彼の最大の長所だ。だからボクも気持ちよく彼を応援できる。

でも、この性格って歳上キラーな気もする。やっぱり油断は禁物だ。

 

「まぁ流石にもう一回ヘファイストスに武器を作ってもらうとか、そういうのは無理だけどね」

 

「さ、流石にそんな贅沢を言うつもりはありませんよ」

 

「さあさあ、そろそろベル君も勉強に戻らないと。所で、今は何を勉強しているんだい?」

 

「今は魔法の基礎知識ですね」

 

「ふーん、今日はどれくらいやるつもりなんだい?」

 

「えっと、リヴェリアさんの宿題はこれ一冊の内容について自分なりに纏めることって言ってたので、大体三分の一くらいですかね」

 

「そりゃまた随分スパルタだね…」

 

「はい…」

 

その後ベル君は黙々と勉強をし続けた。

ボクは二時間ほどで眠くなり、ベル君が机にかじりつく姿を見ながら微睡みに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

リリを助けた翌朝、僕は豊穣の女主人に来ていた。

結局シルさんにお財布を渡すのは随分遅くなってしまったし、そのお詫びをと考えての事だ。

 

「おはようございます!」

 

勢いよく挨拶をすると、シルさんが小走りでこちらに来る。手にはまた可愛らしい包みが乗っている。

 

「おはようございますベルさん!来てくれたんですね?」

 

「お財布遅くなっちゃったことシルさんにちゃんと謝らないとと思って。お昼のお弁当のお礼も兼ねて、これ、よかったらもらってください」

 

実は早朝、僕はリヴェリアさんに教えてもらった喫茶店のマスターにケーキを売って貰いに行っていたのだ。

お店は準備中だったが、快くマスターは了承してくれた。

流石にワンホールではなく、1ピースだけど。

 

「これなんですか?」

 

「ケーキです。美味しいですよ?」

 

「わぁー!ありがとうございます!お返しになるかどうか分からないですけど、今日もお昼のお弁当をどうぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

こちらもきちんとお返しを持っていけば、気持ちよく相手の好意を受け取れる。

ここ最近はそれを実感するばかりだ。

僕はバックパックに包みを仕舞い込んだ。

 

「あれ?ベルさんって手帳なんて持ってましたか?」

 

バックパックの中身が見えたのか、シルさんが尋ねてくる。

 

「最近勉強を始めて、それで普段からメモを取るようにしたんですよ」

 

「偉いですねぇ。あ、そうだ!それなら良いものがありますよ!」

 

そう言ってシルさんはなにやらカウンターの奥から一冊の本を取り出してきた。

 

「ゴブリンでも分かる現代魔法?」

 

「いつの間にかお店に置いてあった本なんですけど、一向に持ち主が現れないのでミア母さんがそろそろ捨てようって言ってたんですよ。でも綺麗な本だし、勿体無いですよね」

 

確かにその本は純白の装丁に筆記体でタイトルが書かれた立派な本だった。

これを捨てるのは躊躇われる。

 

「だからベルさんが貰ってくれたら丁度良いなぁって。流石にお客さんの持ち物を店員が貰うわけにも行きませんから」

 

「はぁ、そういうことなら頂きますね」

 

分厚い本だったので少し重かったが、バックパックに詰め込む。なんだか辞書と手帳を持ち歩く学生さんみたいだななんて思ったりもした。

 

「それじゃあ、僕はそろそろ」

 

「はい!頑張って下さいね」

 

手をフリフリと振るシルさんを背に、僕は待ち合わせの噴水広場まで走った。

少しバックパックが重かったが、気になる程ではない。

じゃが丸くんの美味しそうな匂いやら、串焼きのタレのジュウジュウと焦げる良い香りだとか、ここはいつも美味しそうな匂いがする。

くんくんと鼻を立てて走っているうちに気が付けば噴水広場の近くまで来ていた。

 

「あれ?リリはどこだろ?」

 

栗色の髪のパルゥムなんて、分かりやすい筈だが辺りを見渡してもそれらしき姿はない。

と、そこにフードを被った女の子が近付いてきた。可愛らしい耳がフードからはみ出ており、耳の形からシアンスロープの女の子だと分かる。

 

「ベル様、おはようございます」

 

「おはようございます…ってリリ?」

「どうかされましたか?ベル様」

 

「どうかされましたかって、リリはパルゥムだったよね?」

 

そう、待ち合わせをしていた、リリは昨日は間違いなくパルゥムの女の子だったはずだ。

それが何故頭から耳が生えているのだろうか。

いや、僕はそれを可能にする物を知っていた筈だ。確か、昨日読んだ本の中に書いてあった。

 

「そうか!変身魔法か!」

 

「当たりです」

 

そう言ってリリは背を見せる。そこにはショートパンツの上からふわふわとした尻尾がのぞいていた。とても触り心地が良さそうだ。

 

「このように、リリは他種族に化けることが出来ます。とはいえ、体格が変わるわけでは無いのでヒューマンには化けられません。パルゥムとサイズ以外はあまり変わりませんから」

 

「へー、凄いね。これ、本物なの?」

 

思わずリリの頭から生える栗色のふさふさとした耳を撫でてみる。これは想像通り素晴らしい撫で心地だ。

 

「ヒャンッ!ベル様、耳は敏感なんです!なにも言わずに触らないで下さい!」

 

リリは小さく悲鳴を上げるとコチラをジロリと睨んできた。

 

「ご、ご、ごめん!その耳が気持ち良さそうでつい…」

 

「別に触ってもいいですけど、必ず声を掛けて下さいね?」

 

特に怒っているわけでも無いのか、リリはあっさり許してくれる。

ただし、次は怒りますと目が語っていた。

 

「それで、なんで変装なんてしてるの?」

 

「昨日の今日ですからね。何処にあの人達が居るのか分かりませんから」

 

そう言えばそうだった。

リリは昨日二人の冒険者に追い掛けられていた。身を隠すのは当然の事だろう。

 

「ですからリリの事は今日初めて会ったサポーターと言うことにしておいて下さいね」

 

「うん。わかったよ」

 

変身魔法を覚えている。それも変装程度のものと言う事。それはつまりリヴェリアさんの言っていたスキルや魔法の発現する理由から考えるなら、リリは前からこうやって冒険者に追い掛けられて集られていたと言うことだろうか。

この小さな身体に遠慮なく寄生する冒険者達を想像すると胸がズキズキと痛んだ。

 

「ではではベル様、早速行きましょうか」

 

「よーし!よろしくねリリ!」

 

「はい!よろしくお願いしますベル様!」

 

頭を横に振って思考を切り替える。

そうだとしても、むしろそうだとすれば僕がこの子の力になればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「ベル様!左後方5メドルに二匹、キラーアントです!」

 

「了解!」

 

リリの言葉に頷き、身体を反転させてキラーアントまで駆け、その首の節を風を纏った刃で二匹同時に切り裂く。

以前よりも魔法のコツが分かり、エンチャントの範囲も瞬時に1メドル程に広げられるようになった為、こういった複数を相手取った攻撃も容易くなっていた。

今回のダンジョン探索は非常に順調だ。

神様に頂いた神の懐刀(ヘスティアブレイド)もさることながら、リリの的確なアドバイスのおかげでここ七階層まで一度もダメージらしいダメージを受けることが無かった。

まるで上から見下ろしているかのように、周囲の情報を僕に伝えてくれるリリは素晴らしい指揮官のようだった。

 

「流石ですベル様。ここまでまともな攻撃を一度も食らわずにダンジョンを進めるなんて、とても一月そこらの冒険者とは思えません」

 

「いやいや、リリのおかげだよ。周囲の状況をリリが伝えてくれるおかげで、まるで背中にも目があるみたいに戦えたよ」

 

実際リリは本当に注意深い。

僕の警戒をすり抜けてきたモンスターを全て気付き僕に伝えてくれた。

サポーターである必要があるのか、と疑問に思うほどその警戒能力は洗練されている。

勿論実際はそう簡単にはいかないのだが。

 

「ところで、そちらの短剣も凄いですよね。こう言っては何ですけど、ベル様が手に入れられるような値段の代物では無いのでは?」

 

「やっぱり分かっちゃうかな?実はこれヘファイストス様に打って貰った剣なんだ。ただヘスティア様の神の恩恵(ファルナ)が刻まれているから今のところ僕にしか使えないんだよね」

 

「ああ、ベル様のファミリアはベル様しか眷族が居ないって言ってましたもんね。でも武器に神の恩恵(ファルナ)を刻むなんてこと出来るんですね。知りませんでした」

 

「僕も他に知らないから珍しいのかもね」

 

僕も男の子だし、武器については憧れて色々調べたりもする。

けれど僕と同じような武器というのは聞いたことがない。他に無いのか、或いはその性質故ファミリア内の争いの火種になりかねないと持ち主に秘匿されているのか。

 

「そうかも知れませんね」

 

「ところでリリ、それ、重くないの?」

 

ここまで順調にモンスターを狩り続けてきたせいか、リリのバックパックは魔石でパンパンに膨れ上がっている。

その大きさたるや座り込んだリリの身体がスッポリ覆い隠せる程だ。

 

「ちょっとしたスキルがありまして。リリは荷物が重くてもへっちゃらなんです!」

 

「そうなの?力持ちになるとか?」

 

「それだったらサポーターなんてやってませんよ。リリのスキルは荷物を持っている時に補正が入るだけです」

 

「そっか。リリ、やっぱり君は…」

 

ダンジョン探索前にリリの魔法を聞いてから感じていた疑念が確信に変わった。間違いなくリリはずっと昨日の連中みたいな人達に苦しめられて来たんだろう。

そうでなかったら、非力なパルゥムの女の子がどうして重い荷物を運ぶためのスキルなんて発現するだろうか。

 

「ベル様?」

 

「あぁ、いや、なんでもないよ!」

 

いずれにせよ出掛ける前に決意したように、僕はリリの力になる。それだけのことだ。

これまでの経験(スキル)がどうあれ、僕はリリの力になりたい。何故そう思うのか、実のところ僕自身よく分かっていない。

ただ、きっとリリが寂しそうで苦しそうだったから、そう思うのだ。

 

「それよりそろそろ良い頃合いだし、お昼御飯食べよっか」

 

これ以上考えるとダンジョン探索に集中出来なくなりそうだ。そう思った僕は取り敢えずシルさんから頂いたお弁当を食べることにした。

バックパックから包みを取り出し、中のランチボックスの留め金を外す。

普段から小物の色合いなどに気を使っているシルさんらしく、レタスの緑、トマトの赤、卵の黄色やハムの茶色など彩り豊かなサンドイッチが食欲をそそる。

 

「うわぁ美味しそうですね!頂いてもいいんですか?」

 

「パーティーなんだから当然だよ!って言っても貰い物なんだけどね」

 

「そうなんですか?でもありがとうございます!」

 

持ってきたのは僕だけど、これを用意してくれたのはシルさんだ。だから感謝されるのは少し申し訳無く感じる。

とはいえ、パーティーを組んでるのに僕一人だけ美味しいものを食べるというのはやっぱり何か違うと思う。分け合って食べるというのは間違っていない筈だ。

 

「リリはどれがいい?」

 

「それではそのトマトとレタスの入ったものを」

 

リリにサンドイッチを手渡すと僕は卵のサンドイッチを取り出した。

一口齧る。すると見た目からは分からなかったが卵の中に解した魚の切り身とピクルスの刻んだ物が丁寧に混ぜられていた。

ふにふにとした卵の食感と、シャキシャキとしたピクルスの酸味が口に快く、魚の切り身の青臭さもその酸味のおかげか一切感じなかった。

今まで食べたことの無い具だったが、意外にもこれらの組み合わせは非常に相性が良かった。

しかしシルさんは毎朝これを作っているのだろうか?食べる度に思うが、料理の上手な人にとっては、これだけ手間の掛かってそうな物も手軽に作れてしまうものなのだろうか。

 

「美味しいですねぇ。このお弁当どうしたんですか?」

 

「ちょっと馴染みのお店の店員さんに頂いたんだよ」

 

「…女性の店員さんですか?」

 

「そうだけど?」

 

「なるほど…」

 

何やらリリはジト目でこちらを見ている。何か問題でもあっただろうか。

 

「どうしたの?」

 

「いえ、なんでも」

 

そう言ってそっぽを向いてしまった。どうにも女心と言うものは僕には難しい。

美味しい昼食だが、ダンジョン内でのんびりと食べる時間はない。手早く残りのサンドイッチをリリと食べ、再び探索を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「「25000ヴァリス!!?」」

 

探索から戻ってきたリリとベル様はその換金額にお互い目を大きく見開いた。

 

「べ、ベル様!凄いですよこれは!」

 

「す、凄い!こんなの初めてだ!」

 

「レベル1の五人組のパーティーが1日かけてようやく稼げる金額ですよ!ベル様凄すぎです!まして今日は日が落ちる前に探索を切り上げたというのに!」

 

「これもリリのおかげだよ!」

 

実際そんじょそこらの冒険者達とベル様の動きは全く別物だった。何度かレベル2の冒険者についていったこともあるが、それに匹敵する働きをベル様はしていた。

納得と言えば納得だけど、実際に換金額を目の当たりにすると驚く他無い。

 

「馬鹿言っちゃいけませんよ!リリはせいぜい3回リトルバリスタを撃ったくらいで、後は全てベル様のお力です!つまりお一人で五人分の働きをしていたんですよ!?」

 

「いやぁ、兎も煽てりゃ木に登るって言うじゃない!?それだよ多分」

 

「ベル様がなに言ってるのか全然分かりませんけど、ともかく凄いですよ!ベル様天才です!」

 

興奮してつい捲し立ててしまうが、実際駆け出し冒険者がこれほど出来るということは、天才的と言って過言は無いだろう。

なるほど、あの追い剥ぎまがいの二人組なんかでは敵わないわけだ。

 

「ほ、誉めすぎだよ!」

 

「いーえ!ベル様は自覚すべきです!これだけの事をして、今回は結局まともに攻撃も食らっていません!せいぜい擦り傷くらいしか無いでしょう?」

 

「よ、よく見てるね?多分何度かいいのを貰ったように見えた場面もあったと思うけど?」

 

「リリは冒険者の実力はありませんが、それでも長いことサポーターとして働いています。手傷を負ったかどうかくらい分かります!ベル様はいずれも武器や防具でいなしていました」

 

そう、彼の身のこなしは頭抜けていた。どのような体勢であっても敵からの攻撃に対して反応して回避や防御を取っていたし、何度か宙返りしながら着地の間にモンスターの首を刈るという離れ業もこなしていた。

 

「でも、そのせいでそろそろ防具が限界かも…」

 

「確かにそろそろ替え時に見えますね。いつ壊れてもおかしくないように見えます。今度アドバイザーの方に相談してみては?」

 

「エイナさんに相談か…。確かにそれはいいかも!ありがとうリリ」

 

「いえいえ、ベル様がご無事で居て貰わないとリリも困りますから」

 

ベル様の装備を見やる。初めて会ったときに駆け出しと判断した理由の一つだ。

彼の防具はギルドから支給品。とはいっても返済義務があるから事実上のローンだけども。

それはつまりダンジョンに潜るに当たっての最低限の防具でしかなく、せいぜい三階層程度で普通は卒業する装備品だ。

それで七階層まで余裕でこなせるベル様の実力は間違いなく駆け出しを逸脱している。

 

「しかし、よくもまあそんな装備であそこまで戦えたものです」

 

「あはは…やっぱりそうだよね。たまにダンジョン内で会う冒険者の人はもっと立派な装備してるから自分でもどうなんだろうとは思っていたんだよね」

 

きっとその冒険者は内心驚いていた事だろう。こんな装備の冒険者がここまでやれるのかと。

ベル様はなんというか、無自覚に凄いことをするので心臓に非常に悪い。

 

「それじゃあリリ、はいこれ報酬ね」

 

手渡された袋は重かった。

明らかに換金額の半分程度は入っている。

 

「ベル様!?こんなに頂けませんよ!第一、これはリリの恩返しも兼ねてのサポートですよ!?」

 

「なに言ってるのさリリ。僕は普段10000ヴァリスも行かないくらいしか稼げてなかったんだよ?リリのおかげで普段の倍くらいは稼げたよ。だからそれで報酬は十分だよ」

 

「ですが!これでは助けて頂いた上にリリがご褒美まで貰ったような物です!」

 

袋の中身を確認すると12500ヴァリス、つまり今回の報酬の丁度半分が入っている。

普段の稼ぎだと数日、悪くすれば一週間は掛かる大金だ。

素直に受け取れと言われても、はいそうですかと頷けるような物ではない。

 

「僕はずっと一人でダンジョンを探索していたから…リリが居てくれることが本当に嬉しいんだ。ダンジョンでうまくモンスターを倒しても誰も見ていてくれない。神様はいつも誉めてくれるけど、それでもやっぱりダンジョンに一緒に行ける訳では無いからね」

 

「ですが…」

 

「うーん、それでも気になるって言うならこの後書店に行くのに付き合ってよ」

 

「書店…ですか?」

 

「うん。そこの店主さんがいい人で、勉強のスペースを貸してくれるんだ」

 

「なぜリリも一緒に?」

 

「リリは色々詳しいからさ、分からないことがあったら聞けそうじゃない」

 

そんなとてもお礼とは言えないような内容の頼みをベル様は提案した。

そんなことで恩に報いることが出来るとは思えないが、それでもここで押し問答するよりはきっとベル様にとってもありがたいだろう。

 

「そんなことで恩を返せるとは思いませんが…分かりました。一緒に行きましょうか」

 

「ありがとうリリ!そしたら僕についてきて!」

 

そう言ってベル様はゆっくりと歩き出す。

小柄なリリの事を考えてか、その足取りはのんびりしている。ダンジョンでの俊敏さを思えば気を使っていることは明らかだ。

たった二日間だけのベル様との付き合いはリリの価値観を根底からひっくり返した。冒険者というくくりではなく、人というくくりで人を見る必要があると重い知らされる。

それでも冒険者は嫌いだ。でもベル様を冒険者というだけで拒絶するのはあまりにも愚かな事だ。

 

「ベル様!日が暮れるまでそう時間もありませんし、急いで行きましょう!」

 

ベル様の背中を追い越し、振り返る。

面食らったような顔をした後に、頷いてベル様も駆け出す。

 

「うん!」

 

こんな楽しい時間がずっと続けばいい。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

書店に着いた後、店主さんはやはり快く二階を貸してくれた。

僕は仕舞ってある机とクッションを引っ張りだし、リリと対面して座った。

パルゥムの小ささは座ってもなお実感出来る。リリの頭はこの状態でも見下ろす位置にあった。

 

「それでベル様、何のお勉強をするんですか?」

 

「魔法の勉強をね。それと、ダンジョンや冒険者についてとか、オラリオの常識とか、そういうことをリリに聞きたくてさ」

 

リリと話をする度に、いやリヴェリアさんと話をする時も、むしろ他の冒険者と話をする度に僕は僕が非常識なんだと実感させられる。

当たり前と言えば当たり前。僕はここオラリオに来て一月位なのだから。

でもそれが無知を正当化する理由にはならないし、今後冒険者として活躍するなら知識も蓄えないといけない。

 

「それはいい心掛けです。それにリリに聞くのも正解でしょう。リリは生まれたときからオラリオに居ますし、サポーターという職業柄、冒険者の事情についても少し詳しいと思います」

 

「流石リリは頼りになるなぁ。取り敢えず、まずはサポーターについて詳しく教えて貰っていい?僕はあまりサポーターについて知らないけど、リリの視野の広さなら冒険者にもなれる思うんだけど。」

 

下手をしたら僕よりよっぽど役に立つのでは無いかとさえ思う。周りの冒険者のことはあまり知らないが、あれだけ注意深い人はあまりいない筈だ。

きっと多数戦になるパーティーでこそリリの能力は輝くと思う。

 

「リリは戦闘能力が皆無ですからね」

 

「リトルバリスタだっけ?あのちっちゃい弩で助けてくれたよね?」

 

「あれは上層だから通用するんです。それに多く出回っているような品でも無いので矢が高い上に、あまり補給も効きません」

 

「なるほどねぇ」

 

リトルバリスタの腕前はなかなかの物だったと思うが、それだけではやはり火力に乏しいらしい。

なるほど、冒険者は身一つ武器一つでもある程度戦えないと厳しいということか。

 

「なかなか難しいんだね。後はリリはスキルもあるし、サポーターとして優秀だと思うんだけど、報酬に凄い驚いてたよね。相場とかってもっと低いの?」

 

「そうですね。まず、大前提としてサポーターというのはソロ冒険者とはあまりパーティーを組みません。なので二人組の時の相場というのはありません」

 

「へー、そうなんだ?」

 

「リリはまだ自衛の手段がある分マシな方ですけど、サポーターというのは冒険者の才能が無いからサポーターなんです。ですから冒険者に身を守って貰える可能性が低くなる二人組パーティーというのは普通は組みません」

 

「なるほど」

 

これは初耳だった。

通りでサポーターを探そうと思っても上手く行かない訳だ。確かに僕一人に命を預けるのは不安だろう。

 

「ですから基本二人組以上の冒険者に限りサポーターは付きます。相場は一割から二割と言ったところでしょうか?前も言いましたけど、5人組で25000ヴァリス位なので、報酬は平均して2000~4000ヴァリスって所です」

 

「そっか…確かにそれなら12500ヴァリスってのは破格なんだね」

 

「そういう事です」

 

リリの話からすると、12500ヴァリスは一週間分の稼ぎに近い金額らしい。

それなら確かにリリがご褒美と言ったのも頷ける。

とはいえ、やっぱりリリも一緒に冒険をしたのだから、この報酬は正当な対価だろう。なにせ僕の知らなかった稼ぎやすい食糧庫(パントリー)や、休むのに適した場所などをリリが教えてくれたおかげで今までよりも遥かに効率よく探索をすることが出来たのだから。

 

「でもリリのスキルだったらかなり需要もありそうだよね?言ってみれば人間カーゴみたいなものじゃない」

 

「人間カーゴとはまた微妙な例えですね…。まぁ質問に答えますと、リリのような非戦闘員(サポーター)を連れて深い階層まで行くのは危険なので、レベル1の冒険者以外には基本需要が無いんです。そもそも深い階層の魔石は質がいいので、そこまであくせく集めなくてもかなりの金額になりますからね」

 

「なるほど」

 

「それに…」

 

「それに?」

 

「リリは目立ちたくないんです。理由は言わなくても分かりますよね?」

 

リリを追っていた二人組を思い出す。

あの二人組がリリの噂を聞いたらどうするか。簡単に想像がついた。

 

「うん。分かったよ」

 

だが、だからこそリリは日向、つまり堂々と表に立った方がいい筈だ。

あんな強盗紛いの輩はリリが日陰に居るからこそリリを食い物に出来るのだ。

 

(これはちょっと考えないと)

 

リリが真っ当な道を行けば行くほど、彼らは手を出し難くなる筈だ。

 

「ところでベル様、そろそろ勉強した方がいいのでは?」

 

「そうだった!」

 

バックパックからノートと鉛筆と本を取り出す。

 

「ゴブリンでも分かる現代魔法?」

 

「え?あぁ、間違えた。こっちじゃないや」

 

もう一度バックパックから本を取り出す。

机に出ている本も読もうとは思っていたが、今はその時ではない。

 

「僕が読むのはこっちだよ」

 

「読まないのに持ち歩いてるんですか?」

 

「今日行く途中に貰ったんだよね」

 

「そういうことですか」

 

そういえば何時もよりも少しバックパックが重かった。入っていた事などすっかり忘れていたけども。

 

「僕が勉強しているのをずっと見てるのも退屈だろうし、良かったらその本でも読んで待っててよ。質問があったら聞くからさ」

 

「そうですね。ではお言葉に甘えましょう」

 

そう言ってリリはパラパラと本を捲り出す。

 

「えーっと、『魔法とは興味である。後天系にこと限って言えばこの要素は肝要だ。何事に関心を抱き、認め、憎み、憧れ、嘆き、崇め、誓い、渇望するか。引き鉄は常に己の中に介在する。『神の恩恵(ファルナ)』は常に己の心を白日のもとに抉り出す』ですか…。また随分読み物的な書き方ですね。読解本なのに」

 

「あはは。確かに」

 

「あれ…。なんだか眠く…」

 

「リリ?」

 

本を読み始めたリリは急に船を漕ぎ出したと思ったらそのまま机に突っ伏してしまった。よほど疲れていたんだろうか。

 

「うーん、質問したいことはまだあったけど、起こすのも悪いしね…。寝ててもらおう」

 

リリの小さな身体に僕の上着を掛けると、再び机と向き合う。残り二日でなんとしても宿題をこなさなければ。

リヴェリアさんに失望されるのだけはごめんだ。

 

「ん?ベルではないか。連日書店に来るとは気合い十分だな」

 

「え?リ、リヴェリアさん!?」

 

その鈴鳴りのような美しい声に瞬時に反応して頭を起こすと、そこには僕の想い人が居た。

確かに書店に行けばリヴェリアさんと会えるかも知れないとは思ったが、本当に実現するとは夢にも思わなかった。

 

(やっぱり人助けしたら良いことあるんだね!お祖父ちゃん!)

 

その反応にリヴェリアさんはクスリと笑うと、人差し指を縦に伸ばし、口許に持っていった。

必然、僕の視線はリヴェリアさんの唇に吸い込まれる。薄く、形と色艶のいい薄桃色の可憐な二片から目が離せない。

 

「こら、ベル。毎度驚くつもりか?書店は静かに、だ」

 

「あはは、スミマセン…」

 

謝りつつ、僕はリヴェリアさんの唇から相変わらず目を離せていなかった。

今までご飯を食べている時にしかよく見ていなかったが、一声発する度になんと美しく動くことだろうか。

品があるとか、上品だとか、高貴だとかっていうのはリヴェリアさんを形容するために作られた言葉なのではないだろうか。なんてバカな事を考える。

 

「昨日のサポーターも一緒か。探索はどうだった?上手くいったか?」

 

「はい、リリは凄いんですよ!危機感知能力というかなんというか、物凄く注意深くて。おかげで何度か助けられました」

 

ダンジョンでのことを思い出す。

僕は他の冒険者やサポーターをよく知らないが、きっとリリは一流のサポーターだと自信を持って言えた。

 

「それは良かったな。しばらく彼女と一緒に冒険すると良い。きっと成長出来る」

 

「勿論です!リリが居ると大助かりですから」

 

そう、僕は今日の冒険でこれからもリリとパーティーを組もうと決意していた。

リリの為にも僕の為にも、多分それは良いことだと思う。

 

「しかし、気持ち良さそうに寝ているな。よっぽど疲れていたのだろう」

 

「そうですね。よく考えると襲われたのも昨日の今日の話ですからね」

 

僕ももう少し配慮した方が良かったろうか。

リリの疲労が大きいことは察することが出来た筈だ。

 

「まぁ、こういう時は誰かと居た方が元気が出るだろう。特にベルは短い付き合いでもすぐ分かるほど素直で明るいのだから尚更な」

 

「…そんな分かりやすいですか?」

 

「ああ、だが安心しろ。それは君の長所だ」

 

面と向かって言われるととても恥ずかしい。

僕は思わずリヴェリアさんの目から視線を逸らした。

 

「さて、寝ているところ悪いが、このままでは本にシワが入ってしまう。枕代わりになるものと入れ替えよう」

 

「そうですね。クッションはまだあった筈なので僕取ってきますね」

 

「頼んだ」

 

僕は立ち上がり本棚の隙間に手を入れる。

クッションはあと二つ、丁度リヴェリアさんの分とリリの枕の分がある。

 

「こ、これは…!」

 

「どうかしましたか?」

 

「彼女は疲れて眠ったのではない。これは魔導書(グリモア)だ!」

 

「え、えーーーーーーーー!?」

 

その日最大級の驚きが訪れる。

昨日のリヴェリアさんの勉強中の話の中で僕はその言葉を聞いていた。

曰く、神秘と魔道の二つのスキルを修めている冒険者だけが執筆することの出来る魔法強制発現アイテム。

その値段たるや、ヘファイストス・ファミリアやゴブニュ・ファミリアの一級装備に匹敵する値段。

つまるところ下っ端冒険者では一生懸かっても購入出来ないほどの高価な代物。

 

「どうやってこんなものを…」

 

「その、僕が豊穣の女主人で要らない落とし物だって貰って…リリにそれを読むのを薦めて…」

 

「…そうか」

 

気まずい沈黙が場を支配する。

冷や汗が止まらない。

本当にどうしようもないことに人が直面すると、頭が真っ白になり、視界が眩むのだと僕は初めて思い知った。出来れば知りたくなかった。

 

「どうしてこんなことに…」

 

遠く、バベルの中で机を思い切り叩く音が響いていた。

それはベルクラネルの預かり知るところではなかったが。




はい。やってしまいました。
戦闘員リリルカアーデの誕生です。
魔法についてはもう考えていますが、詠唱文や効果の細かい部分をどう詰めていこうか。
悩ましいところです。

主に昼休憩中に執筆していたせいかごはんの描写ばかり気合いが入っています。
自分で見返してこれはグルメ小説なのか?と思ってしまいました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

肥溜の花(リリルカ)

大変に…大変に申し訳御座いません…。
仕事とプライベートと余裕を無くしている内に再開する気力とタイミングを完全に失っていました。
テキストが吹っ飛び、プロット設定その他諸々電子の彼方へ旅立ったのでかなり時間は掛かりそうですがまた折を見て更新出来たらと思います…。











「リリにとって、魔法は逃げ道です。生き残る為の知恵です」

 

「道具、きっと道具です。でも…」

 

許されるならば

 

「恩を返せるような…強さが欲しいんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた私はリヴェリア様とベル様の話を聞き血の気が引くのを感じていた。

動悸は止まらず、冷や汗が流れ落ちる。

 

「ベ、ベ、ベル様!なんてものを読ませるんですか!」

 

「ゴメン!ゴメンよリリ!全部僕の責任だから!」

 

ベル様は蒼白な顔面のまま頭を下げる。

その肩も手も、足も可哀想な位に震えている。

 

「何かあったとしても僕が必ず責任を取るから!」

 

震えながらも強い眼差しで私を確りと見据えるベル様に私は何も言えなくなる。

それはそうだ。ベル様にとっても貰っただけの本。こんなことになるとは分かっていた筈もない。

 

「…もういいです。ベル様が悪いわけでは無いですから。それより状況を整理しましょう。まず、ベル様は馴染みのお店で捨てられる所だった本を貰ったんでしたね」

 

「うん」

 

ということは持ち主が取りに来た様子もないということだ。

これ程高価な代物をそもそも飲食店の机に出すだろうか?いつ汚れるとも分からないのに。

まして置き去りにして帰るなんて事もあるだろうか。

 

「それが魔導書(グリモア)だとは店員さんもベルさんもご存知無かった、ですよね?」

 

「そうだね」

 

「ということはお店で持ち主が誰かに自慢していた、ということも無さそうですね。飲食店に魔導書(グリモア)を持ち込む理由なんて仲間や友達に自慢する以外には考え難いですし、もし自慢していたなら店員さんの耳にも必ず入る筈です」

 

言ってしまえばこの本を持ち歩くというのは、金塊を持ち歩くような物だ。

誰かに自慢したいのでなければ普通そんな危ない事はしないだろう。

実際私も財産の殆どを貸金庫に預けている。

 

「なるほど。そんな考え僕には浮かばなかったよ」

 

「本来有り得ない出来事なんですから、それなりに理由はある物ですよ。ベル様はその辺り鈍そうですけど」

 

「あ、あははは…自覚あります…」

 

そうしてションボリと項垂れるベル様。

少し可哀想だけども、こんなに心臓に悪い目に合ったのだから少しくらい意地悪をしても許されるだろう。

 

「となると、落とし物という線は薄そうですね…。何者かが意図的に置いていったか、或いは処分したかったのか…」

 

「そんなことってあるの?こんな価値のあるものを」

 

「何かしらの曰く付きだとか、盗品だとか、誰かに使わせて脅すつもりだったとか、まぁ理由は色々思い付きますけど、恐らくそういった理由ではないかと。リヴェリア様はどう思いますか?」

 

黙って考え込んでいた様子のリヴェリア様に意見を求める。恐らく同じような事を考えていたのではないだろうか。

 

「丁度私もそんなところだろうと考えていた。しかし、脅すつもりで置いていくというのは無いだろうな。魔導書(グリモア)と対価に誰かを脅すのであれば、より確実な方法を取るだろう。これを手に入れられる冒険者であればベル相手にこんな迂遠な手段を取る筈もない」

 

それは確かにその通りだ。

第一このやり方ではベル様以外の誰が魔導書(グリモア)を受けとることになるか分かったものではない。

ベル様が魔導書(グリモア)を手に入れることになったのはたまたま朝その店に寄ったからだ。

そんな不確実な方法でベル様を脅す理由も、失礼ながら価値も無いだろう。

 

「確かにその通りですね。となると事件は迷宮入りとなりますね」

 

「そうなるな。まぁ、本当にただ魔導書(グリモア)を忘れていった粗忽者の可能性も僅かにあるが」

 

「えーっとつまりどう言うことなんでしょうか?」

 

「それはですね」

 

「当分心配する必要は無いって事だ」

 

それを聞きベル様は半泣きになりながらほっとした様子を浮かべている。

強張っていた肩はすっかり力が抜けて震えも治まっている。

本当に感情豊かというか、表情豊かな人だ。

 

「まぁ切り替えていきましょう。とってもラッキーだった、と言うことにしておきませんか?」

 

「うん、そうだね。はぁ…、よかったぁ…。」

 

まるで演劇の役者のように胸に手を当てて安堵する様子に思わず吹き出してしまう。

 

「でも、そしたらリリはすぐにステイタス更新して貰った方がいいんじゃない?」

 

「そう…ですね」

 

すっかり忘れていた。魔導書(グリモア)で魔法を覚えても、リリのファミリアではそれを手にするハードルが非常に高い。

団長ザニスの許可が無ければソーマ様に伺いを立てることすら困難なのだ。

ステイタスを更新するならば間違いなく何万、それどころか二桁以上の対価を要求されるかもしれない。

 

「リリ?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

とはいえ、次探索に行くときにリリが魔法を覚えていなければベル様は不審がるだろう。

それをなんて説明する?時間が取れなかった、別の用事があった?

次回だけならいい。その次は?その次の次は?

 

(もう、隠すのも辛いです。面倒です。この際話してしまいましょうか)

 

ベル様とリヴェリア様から離れてしまえばそれも悩む必要は無いのかもしれない。ただ、それは僅かに残った希望を今度こそ粉々に砕いてしまうように思えてならなかった。

ここで縁を切ってこの先自分はこの泥濘から足を動かせるようには思えないのだ。

たった二日間だけの付き合い。言ってしまえばそれだけのこと。だけど、たったそれだけの時間が、市壁に囲まれた牢獄のようなこの(オラリオ)で燦然と輝いて見えた。

ベル様一人だったならば打ち明けるのも躊躇われたが、ここにはリヴェリア様も居る。

強者に縋り付く打算的な弱者の行い、我ながら情けなくなる。

それでも、もう嘘で身を固めるのは限界だとずっと感じていた。

自分が壊れてしまうと、ずっとそう思っていた。

 

「…ベル様、リヴェリア様、無関係のお二人にこのようなお話をすることをお許し下さい。リリはもう疲れてしまいました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、これまで如何に野良犬の如く、いや溝鼠のように生きてきたのか、そしてこれからもそれが続いていくであろう事を吐き出していく。

次から次へ、取り繕うことも出来ずに濁流のように自分の口から流れていく言葉を他人事のように俯瞰する自分がいる。

 

(そうか、こんなにも、こんなにもリリは言葉を溜め込んでたんですね…。自分のことなのに、それすら分からなかったんですね…)

 

神酒(ソーマ)に呑まれた両親の腐った腹から生まれたのが私、そして私もまたそんな両親を使い捨てた掃き溜めのようなソーマファミリアでしか生きられないこの(オラリオ)の業を煮詰めたような存在だ。

所詮蛙の子は蛙と言うことなのか。

きっと、自分はずっと誰かに聞いて欲しかったんだ。

 

「リリ…」

 

「…」

 

ベル様は心配そうに私の名前を呟き、いかにも悲しみでいっぱいと分かるような顔をする。

なぜ2日ばかり一緒に居ただけの人間にここまで情を向けられるのか、それが私には不思議で仕方なかった。

 

「とまぁ、リリの身の上はそんな感じなんです。…話したら少しすっきりしました」

 

「すっきりなんて、そんな…リリ、気付いてないの?」

 

「?」

 

「そうやって自分を騙しているうちに、本当の事が分からなくなってしまったのだな」

 

そう言ってリヴェリア様はなにやら浅葱色の布らしきものを取り出した。

よく見るとそれは高級そうなハンカチで、何やら透明がかって光沢を帯びた浅葱色の布地に金糸で小さな刺繍が施され、端は清潔そうな白色のレースで縁取られていた。

上品ながらフリルのようなレースがどこか可愛らしい印象を与える一品だ。

お姫様のような可愛らしさというのがリヴェリア様とあまり結びつかず、少し意外だったが、髪や服と似た色味のそれはとてもよく似合っていた。

 

(して、このリヴェリア様らしいような、らしくないようなハンカチはなぜ取り出されたのでしょうか?)

 

「リリルカ、話がある」

 

「話…ですか?」

 

それとその手に持ったハンカチはどのような繋がりがあるのだろうか?

私には想像が出来なかった。

 

「まぁ、老婆心みたいなものだよ」

 

「はぁ…?」

 

「他人は自分の鏡という言葉があるだろう」

 

「はい…そうですね」

 

「だがな、これは真っ赤な嘘なんだよ」

 

そう言ってリヴェリア様は私の目許をそっとハンカチで拭った。

浅葱色の布地にしっとりと濃紺の水玉が表れる。

拭われて初めて気が付いた、自分は泣いていたんだ。

 

「どうしたって悪人はいる。恩に仇を返す不届き者も世には多い。一方でこの坩堝のなか、肥溜めから芽生える美しい草花を私は知っている。環境は一要因ではあるがそれが全てではないし、周囲の環境が必ずしも自身の不徳を起因とするわけでもない」

 

「…」

 

「リリルカ、爛れた土にあってもなお花は咲くんだ。お前は強かだ、まだ根腐れはしていないよ」

 

リヴェリア様が目許を拭った手をそのまま上に持ち上げる。

反射的に目を伏せる。頭の近くに手が上げられるのは殴られる合図だからだ。

勿論そんなことをこの人はしない、分かっていても身が竦むのを止められない。そんな身体が憎かった。

 

「あっ…」

 

ふわりと髪を撫で付ける風のような、そんな初めての感触、今私はきっと頭を撫でられたのだ。

恐る恐る目を開けるとリヴェリア様の切れ長の目を縁取った若草色の睫毛が優しげに伏せっていた。

あの鋭い眦との差に頭が混乱する。

 

「リリルカ、お前が望むならば私は南瓜の馬車を拵えよう。舞台(パーティー)までは連れて行ってやろう」

 

「リヴェリア様…?」

 

「ただ、その先でガラスの靴を得られるかはお前の勇気次第だ」

 

伏せられた睫毛が上がるとそこにはやや悪戯めいた光を宿した碧玉が現れた。上げられた口角からは「出来るのか?」と。いやむしろ「出来るだろう?」と問い掛けているようにも見えた。

そうして淡々とした口調で続けた。

 

「望むならばフィンと交渉する場を設けてやろう。如何に話すか、全てはリリルカ、お前次第だ」

 

「はい!?」

 

涙も全て引っ込んだ。

突飛な出来事を晴天の霹靂とよく言うけれど、それどころではなく雨粒が逆流するレベルだ。

 

「リヴェリア様!そのようなこと!?」

 

「なに、魔導書(グリモア)を読んだのだ。スキルも持っているし、魔法も二種目の発現は確定している。贔屓目無しでもそう悪くない人員だよ」

 

「えっと…、つまり、どういうこと?」

 

ベル様は話を掴めず頭一杯にはてなを浮かべているようだ。

その姿にリヴェリア様と顔を見合わせて吹き出してしまった。

 

自分は、リリルカ・アーデは生涯この時を忘れないだろう。

お人好しの白兎と、深緑の貴人のその姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はかなり内容が短くてすみません…。
これから頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇気(ブレイブ)

なんとかコツコツ書き進めてます。

おかげさまで合計10万字を超えました。
卒論2本分書いたと思うとなかなか感慨深いですね。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリルカが誤って魔導書(グリモア)を読んでしまって数日後の事、私はロキとフィンに先日の出来事について順を追って話していた。

今この場には私を含めたこの三人しかいないが、それはロキに人払いを頼んだからだ。この話を他のものに聞かれるのは具合が良くない、特にティオネに聞かれれば面倒極まりない結果が待っているだろう。

 

「…とそんなところだ。そこでこのリリルカについて、お前達に相談した訳だ」

 

①例の灰被りの少年(ベル・クラネル)と本屋で再会し、以後彼に時折講義の場を設けていたこと。

②その縁で偶然リリルカを助けたこと。

③そのリリルカが誤ってベルが持っていた魔導書(グリモア)を読んだこと。

④その後リリルカから身の上話を聞いたこと。

⑤私としてはリリルカをソーマファミリアから引き抜きたいと思っていること。

上記の5点をなるべく簡潔に二人に伝える。ロキにしろフィンにしろ、ここまでそれなりに長い付き合いもある。このような話だが二人は途中で口を挟むことはしなかった。

 

「…リヴェリア、今回はどういう風の吹き回しだい?君らしくないな」

 

話し終えた結果としては、おおよそ二人とも予想通りの反応、つまるところ渋い顔をしている。よりにもよってあのソーマファミリアだ。当然の事だろう。

 

「そらまぁリヴェリアはうちらのママやし、光るもんのある子を見掛けて勧誘するのはかまへんよ?せやけどな、両親ともに根っからのソーマファミリアの子ってのは正直頂けんで?」

 

魔導書(グリモア)を読んだといったけれど、将来的にでもいいが、戦力として期待出来そうなのかい?」

 

「そこは五分といった所だな。彼女は力を欲していたから何かしら攻撃が出来る魔法を得る可能性は高いとは思うが、それが有用なものかはステータスを更新しなければ判断出来ないだろう。」

 

ロキはその細い目で値踏みをするようにこちらを覗き込む。勿論これまでの信頼はあるが、それとファミリアの運営に関わる事は別問題なので無条件に受け入れられるよりもこの疑い深い眼差しは好ましい。

一方フィンの目線の方は疑いというよりも、ならばなぜそんなことを言い出すのか理解できない、というような色が強いだろうか。

 

「…戦闘面で言えば指揮系統のスキルに目覚める可能性は高いと踏んでいる。ベルの話を聞く限り、戦闘能力の無い状態でダンジョンに潜り、生存に神経を割き続けた為か非常に目端が効くようだ。彼女の指示を受けることで背中に目が生えたようだと話していた。自衛の手段が少なかった為、他者への指示にも慣れているのだろう。加えて境遇故か口も良く回る。」

 

「なるほど、確かにそれは稀有な才能だ。僕が直接指揮を取れないときも少なくないし、深層の攻略時にはどうしても攻略班と待機班に分かれる事になるからね。とはいえその才能が発揮されるのはいつになるか分からない話だ。それは君にも分かっているだろう?」

 

私達のファミリアは攻略陣の一丁目一番地だ。私とてその自負はある。故にフィンが言いたいことも良く分かる。我々に必要な戦力足り得るのか?という疑問は当然のものだ。

分かってはいるが、今回に限っては私が注視したい部分はそこにない。

 

「短期的なメリットはほぼ皆無。長期的に見ても必ず戦力になるとは言い切れない。加えてソーマファミリアの団員だ。我ながららしくないと、確かにそう思う。だがリリルカはこのファミリアに欠けている資質を補ってくれる人材になり得ると考えている」

 

「資質…ね。ソーマファミリアの子がかい?」

 

「ウチらに欠けているもん…ね」

 

二人の目線がより険しくなる。

それも無理の無いことだろう。私が逆の立場でもやはりこのような目を向けた事だろうから。

他のファミリアの人材に自分達のファミリアに無い長所がある、ましてやそれがソーマファミリアとなれば目線は険しくならざるを得ないだろう。ソーマファミリアは酒造を除けば取り柄らしいものが見当たらないゴロツキファミリアと言っても過言ではないのだから。もっとも、その酒造についても主神のソーマがやっていることなので、こと団員に関しては長所を上げる方が困難かもしれない。

 

「悪く言えば生き汚さや生への執着、良く言えば慎重さや苦境にあっても命を投げ出さない覚悟だ。このファミリアではアイズやベート、ティオネ達姉妹といい命知らずな者が多い。だからこそ強くなれた面も大きいが、泥を啜る覚悟もまた備えるべきだろう」

 

「まぁ…、生き急いでる面は否定出来んなぁ…」

 

「だけどリヴェリア、それは冒険者としての資質とも言えないかな?…アイズに関してはリヴェリアの言う覚悟をもっと持たないと危ないかもしれないけどね」

 

「そうだ。私から、いやファミリアの誰から見てもアイズの有り様は危うい。敵を討つ、強くなる、それも結構なことだが、ファミリアはその名の通り家族のような共同体だ。時には周りの団員達の為に自分を省みなければいけない」

 

ファミリアは家族のような共同体、これは偽らざる本音だ。若い団員達のことはどうにも歳の離れた弟や妹、或いは姪や甥のように感じてしまう。

特にアイズに対してのそれは他の団員達に対するものよりも更に強い自覚もある。

 

「せやけどなぁ、コソ泥なんぞウチの家族にはいらんで?」

 

「あぁ、ロキの言う通り僕もこのファミリアに"溝鼠"は求めていない。僕は英雄(ヒーロー)でなくてはいけない。勇者(ブレイバー)でなければいけない。君も知っているだろう?」

 

睨み付けるような目線をフィンが向けてくる。彼の野望の為には不要な瑕疵は無いに越したことはないのだ。当然その要因になり得るものもなるべく排除したいと望んでいる。

だとしても女性に向けるそれでは無いだろうと文句の一つも言いたくなるが。

 

「いや、掃き溜め(ソーマファミリア)にあってもリリルカは腐っていない。溝鼠ではなくもっと気高い小動物さ。あそこまで忍耐強いのはなかなか稀有なことだと思う」

 

「…なんや、めっちゃ高評価やんか。採点の厳しいリヴェリアが珍しいな」

 

「その根拠を聞いてもいいかい?」

 

不意にフィンの視線が玩具を見付けた子どものような輝きを持つ。なだらかに垂れた眦が僅かに開かれた為だ。

容姿と相まって、何か悪戯をなそうとする悪童のようにも見える。

 

「そうだな、まずあれだけ劣悪な環境にあってもまだ諦めていないことだ。両親が神酒(ソーマ)に呑まれて、ファミリアの団員からは悪意ばかり向けられ、助けてくれた老夫婦にもソーマファミリアのせいで見捨てられ、それでもなお生き抜こうとするのは並大抵のことではない。復讐しようという気概すら失せるものが大半だろう」

 

リリルカから聞かされた境遇は悲惨の一言だ。子どもらしい幸せな時間というものとはあまりにも距離がある。神酒(ソーマ)の代金として売春宿(イシュタルファミリア)に売られなかったのは幸運だったと力無く笑いながら、なおあれだけ気丈に振る舞える者はそうそういないだろう。

 

「そしてこれらの事情を話せる相手がずっといなかった事も話しぶりから窺えた。一度でも話したことのある内容というものは自然と以前の流れをなぞるか、または頭の中で整理し推敲してから話すものだが、彼女は自分の口から出てくる言葉にも驚いている様子だった。物心ついてからずっと一人きりで自分を守り続けられるというのは心の強さと言えないか?」

 

フィンは顎に手を添えて、目を閉じる。その後親指の様子を確かめるように口許に親指を添えた。親指の脇から見えた口角が僅かに上がったように見える。

 

「…うん、続けてくれリヴェリア」

 

恐らくは何らかの疼きを親指に感じているのだろう。

それが何なのかは、僅かに上がった口角が答えというところか。

ここまでは思った通りにいっている。南瓜の馬車を拵えてやるといった手前、フィンの興味を勝ち取るのは私の仕事だ。約束を違えることは矜持に反する。

 

「リリルカは強い子だ。これだけの事を己のなかで抱え続けられるものはそう多くない」

 

彼女は助けを乞うのではなく、不義理を嫌った為に事情を話した。内に抱えたものに耐えられなくなったという側面も大きいだろうが。

だが、そうなるまでリリルカはその小さい身体で抱え続けてきた。

雑踏で踏みにじられた草が、しんしんと続く厳冬を越えた先で春風に花を芽吹かせるように、リリルカはきっかけ次第で化けるだろう。私はそこに可能性を見た。

 

「そもそも事情を話したのも魔導書(グリモア)を読んだせいだ。同情を買おうという意図のものではない。現状、リリルカはステータスを更新出来ないから、このままでは魔法を覚えることはない。だがそれをベルは心配するだろう。なぜ魔法を覚えないのか?そうなれば必ずベルはその先の事情に立ち入ろうとする。だから私が同席している時にリリルカは事情を打ち明けた。九魔姫(ナインヘル)の私が対応するならばベルが必要以上に危険に踏み込むことも無いだろうと。話し出すまでに何度もベルを見て、私を見て考えていた」

 

「はぁ、なるほどなぁ。確かにそら大したもんや。そんだけいっぱいいっぱいな中で、拙いなり人に気遣えるんは貴重かもな」

 

「…」

 

腹の中は決まっているのだろう。フィンはもはや親指を確かめることもなく楽しげに目を瞑っている。

さて、仕上げに掛かろう。

 

「なによりいじらしいだろう?老婆心も湧くというものだ」

 

「ふっ、リヴェリアが言うと説得力があるね」

 

「放っておけ。貴様も40を越えているだろうが。…なぁフィン、英雄(ヒーロー)の演出には、相応しいお姫様(ヒロイン)が必要だと思わないか?お誂え向け、彼女は小人(パルゥム)だ」

 

フィンは何も答えず、しかしもはや隠すこともなく笑みを浮かべていた。

その小さな背中に小人(パルゥム)全体の重すぎる希望を背負ったフィン、他人の悪意を抱えきれないほどにバックパックとともに背負ったリリルカ、対照的なようで何処か二人とも似ている部分がある。

 

「あー、なるほどなぁ。こら、話をするのは三人でってのも納得や。ガレスが酒飲んでティオネに溢したらえらいこっちゃやで…」

 

ロキはその場面を想像して身震いをした。私もその場面を想像すると頭を抱えたくなるので無理からぬことだ。

下手をすればファミリアの拠点がティオネの暴走で潰れかねない。

 

「さて、お膳立ては済んだが…」

 

約束通り南瓜の馬車は拵えた。この先はリリルカ次第だ。勇者(フィン・ディムナ)の前で勇気を示せるかどうか。何も出来なければそれまで。私の見込み違いだったということだろう。

だが実のところそれほど心配はしていなかった。目は口ほどにものを語る。リリルカの目には奥に輝く亜麻色の光が宿っていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…で?君は何処の誰でベル君の何なんだい?返答次第じゃ訴訟も辞さない覚悟だよボクはぁ!」

 

小人(パルゥム)である私と比べてもさして背の高さが変わらない小さな女神様が腕組みをして仁王立ちで凄んでいる。迫力は残念なことに全く無いと言っていいだろう。

ただ一点だけ、私とは主張の大きさが全く異なる部分がある。これがトランジスタグラマーというものなのか、交差した両腕が半ばその胸に乗っている。これだけは凄い迫力だった。着ている純白のワンピースも私が着たならば恐らく前側の裾だけ随分余ってマタニティウェアのようになるだろう。

 

(胸囲の格差です…)

 

内心ぐぬぬと思いつつ表情を取り繕い深く一礼をする。

 

「あなたがヘスティア様ですね。わたくしはリリルカ・アーデと申します。どうぞよろしくお願い致します」

 

「あ、これはご丁寧にどうもベル君の主神のヘスティア…、って違わい!礼儀正しいのは感心だけど、今そこは重要じゃないんだよ!」

 

優しくて面白い神様とはベル様が仰っていたが、なるほど確かにからかい甲斐のありそうな神様だった。ノリツッコミの動きのキレは完全に広場の大道芸人のそれだ。

 

「神様、アレですよ。前に言っていた小人(パルゥム)のサポーターの女の子ですよ」

 

「まぁそれは薄々分かっていたとも。そこじゃなくて、なんでそのサポーター君が()()()()()()()()()()に来ているのかって聞いているんだよ!」

 

頬をハムスターのように膨らます姿は何とも庇護欲を誘う愛らしい姿だ。ベル様は何とも思わないのだろうか?不思議だ。慣れというものは恐ろしい。

 

「愛の巣って…。じゃなくて神様、それには色々事情がありまして…。実はダンジョンの帰りにリリの宿まで送ってたんですけど、リリの部屋の前に柄の悪い人達が居てですね…」

 

「そういう訳でしてベル様のご厚意でこちらに連れてきて頂いたんです」

 

ベル様は帰りしな自分のファミリアの拠点(ホーム)に来るよう提案してきた。実際この時間帯にソーマファミリアの目を盗みながら宿を取るのは非常に骨の折れる作業だった為渡りに船ではあった。

改めて部屋を見渡す。ベル様は汚いところでも良ければ是非来てくれと言っていたが、確かにこれはかなり散らかっている。そもそも廃教会の隠し部屋?なので拠点(ホーム)にする前は全く整備がされていなかったのだろう。廃墟一歩手前という様相だ。

 

「ベル君、優しいのは結構だけどそもそもどういう事情でそうなってるのかとか把握してるのかい?この子が悪いかも知れないよ?」

 

「そこは勿論僕も分かっています。事情も知ってますし、近日中に解決出来るかも知れないんです。でもそれまでリリの安全は確保してあげたいんです」

 

あの後、リヴェリア様に近日中に招待状は出すからそれまでは自分で何とかして見せろ、との言葉を頂いた。勿論ベル様もその場に同席していた。

頭のはてなが消えないベル様にリヴェリア様の発言の意図を説明すると、「準備が整うまでは一緒に」とダンジョンへの誘いを受けた。おかげで金銭的には幾らか余裕が出来ていた。

止せばいいのにベル様はとんだお人好しである。一人にさせるのを良くないと考えたのだろう。おかげで今回も助けられたので感謝の一念しかない。

 

「いやまぁ、そこまで考えてるならボクも文句は無いけども…」

 

「女の子を夜に、しかも危ないかも知れないのに放り出すなんて男らしくないじゃないですか。神様、ここは僕の顔を立てると思って…」

 

「図々しいお願いとは思いますが、どうかよろしくお願い致します。勿論泊めて頂く以上リリに出来ることは何でも致しますから」

 

「若い女の子が何でもなんて軽々しく言うもんじゃないぜ全く!サポーター君も家事くらい出来るんだろう?泊まっている間は家事をこなすこと、あまり長居せず解決すること。これを守れるなら仕方無いから置いといてあげるよ。」

 

ヘスティア様はそこまで一息で言い切ると再び仁王立ちになり目を吊り上げた。

 

「たぁだぁしぃ!ベル君に色目使ったら即刻叩き出すからね!!」

 

「ちょっともう!神様、恥ずかしいですよ!」

 

実のところ、私はベル様に助けられた時に生まれて初めて異性への好意と言うものを意識した。

吊り橋効果かも知れない、それでもこうやって手を差し伸べてくれる男なんてこれ迄一人も居なかったのだ。まして冒険者なんて十把一絡げに最低な連中だと信じていたのだから。

今でもベル様の人のよさはとても好ましいとは思っている。

 

(でも、アレを見せられてしまいますとね…)

 

ベル様と出会いたったの一週間ほど。この短い間だけでも、ベル様の朱色の瞳はいつも九魔姫(ナインヘル)リヴェリア様の居る方に漂って輝いていた。どれだけ鈍感でもあの姿を見せられれば、彼がどの様な想いを深緑の貴人に寄せているのか理解しないものは居ないだろう。

 

(まぁ、いいんです。リリには過ぎた人ですから…)

 

初恋と失恋は二つで一つ、と昔から言われてきた理由も分かるというものだ。とはいえ一週間で失恋する者もそう多くはないと思うけれども。

 

「ご安心をヘスティア様」

 

声を掛けながら右手で小さく手招きをする。

ヘスティア様は怪訝な顔をしながらもこちらに近付いてくる。目の前まで来たヘスティア様に私は耳打ちをする

 

『リヴェリア様への態度を見てベル様に挑戦しようと思うほどリリは自信過剰ではありません』

 

『なぁにぃ!?やっっっっぱりリヴェリア嬢にぞっこんなのかいベル君は!?』

 

『そりゃあもう、あっちにリヴェリア様が行けば顔があっちに向き、そっちにリヴェリア様が行けばそっちを向き、手を動かそうもんなら穴の空きそうな目線を指先に向けてますよ』

 

『ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬぬ、おのれリヴェリア嬢めぇ…』

 

百面相をしながら小声で叫び小さく地団駄を踏むというなんとも器用な怒りを現しながら歯軋りをするヘスティア様に思わず吹き出す。一通り怒りを露にしたあとにヘスティア様はこちらに向き直った。

 

『…とりあえず君がベル君に何もするつもりが無いことは分かったよ。君から嘘の気配は感じないからね。…なぁ、サポーター君、ちょーっと相談なんだけどぉ』

 

『…リヴェリア様のベル様に対する様子を教えて欲しいんですか?』

 

『いや!ほんと君は話が早いね!気が利くよ!…で、どうなんだい?』

 

『そうですね…、弟?弟子?生徒?そんな感じの目線だったと思います。多分見込みのある若者だって思ってるんじゃないですかね』

 

『貴重な情報ありがとう!いや、助かったよ!』

 

満面の笑みで私の手を握るヘスティア様に面食らう。ソーマファミリアしか知らない私からするとここまで距離感の近い神様も居るのかと驚いてしまう。

なお、ここまでのやり取りは全て小声のため、ベル様は何の話か分からずこちらを見ながら怪訝な顔をしていたが、ヘスティア様と手を取り合っているのを見て笑顔を綻ばせた。

 

「なんだかよく分かんないけど、神様もリリもすぐ仲良しになれたみたいですね!よかったです!」

 

考えても分からないものは分からない、とりあえず二人とも仲良しに見えるので嬉しい。ベル様の表情からはそんな感じの事が読み取れた。

何ともまぁ、何処までいっても毒気の無い人だなと笑えてくる。

 

「そうだね、ベル君。ボクは結構このサポーター君を気に入ったよ。しっかりしてるし、彼女がついてるならベル君を外に安心して送り出せそうだね!」

 

「はい!リリはしっかり者なのでいつも助かってます!…ってあれ?もしかして心配させるほど僕ってうっかりしてました?」

 

「ハハハ!ベル君もようやく自覚が出てきたみたいだね!」

 

「酷いですよぉ神様ぁ」

 

漫才のようなやり取りに吹き出してしまう。思えばベル様の周りにはいつも明るい空気が流れている。私もこれまでの人生で一番笑っているかもしれない。

こういう人を人たらしとでも言うのだろうか。

こんな風にファミリアで笑いあえるのならば、そんな冒険者ならば、私もこうはならずに済んだかも知れない。

 

「改めて、短い間ですがお世話になります」

 

私は頭を下げ、そして覚悟を決める。

 

(勇気を示す、それも勇者(ブレイバー)に。リヴェリア様も、そしてこれから話をするフィン様も、リリに戦力としての期待を掛けている訳はありません。他のメリットだってろくに用意出来ません。ならば私に求められているのは…)

 

自分の掌を見下ろす。皹に血豆、細かな古傷が満遍なく残っていて、指先と付根の皮が厚ぼったくなっていることが一目で分かる。庇護無しに生き残るにはあらゆる雑用をこなさなければいけないからと、酷使された私の手はきっと同世代の女の子達に比べて凄く醜い。けれどもこれが唯一の武器だ。泥を啜って這いずって、なお足掻いた生き様そのものだ。

 

(必死に生きること、しぶとさ、リリが示せるとすればこれだけです。これだけが私の勇気(ブレイブ)です)

 

 

 

後に、庇護無き者の母(クレイドル)と称された小人(パルゥム)の聖母はこの時から歩みを始める。

炉の神(ヘスティア)がもたらした聖火(ベルクラネル)は確かに少女の闇夜に輝き、道を示したのだ。

 




お察しの方も多いかと思われますが、リリはヘスティアファミリアとは、別の道で活躍させる予定です。
お待たせさせた分頑張って更新していきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。