佐天さんのアトリエ〜時空を超えた錬金術師〜 (更識 連歌)
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学園都市 立志編
1話 2人の出会い


久しぶりに書くので、至らない点がございます。ご指摘頂ければ幸いです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり暗くなった辺りに、佇む白一辺倒な人物。一方通行はその日自分の運勢が良いとテレビの中に映っていた事に疑問を抱いていた。

 

「ーーチッ、相も変わらずこの街はバカしかいねェのか・・・」

 

 ビニール袋を片手に下げ、もう片方の手で杖を持っている彼は自分の首元に手を遣りながらため息混じりに悪態づいた。眼前に広がるのは寝転んだ男達。否、突然現れた彼に完膚なきまでに叩きのめされた数人のスキルアウトであった。彼が住処としている第七学区は彼が以前暗部として行動していた時期にスキルアウトはほぼほぼ壊滅された筈であり、意図的に探そうとしなければ残党などは街を闊歩する余裕もないのだ。それを偶々、学園都市能力序列第1位である一方通行は、自身の嗜好となる飲料物を買った帰り道でそういう輩と遭遇したのだから、壊滅に関わった本人は心底呆れていたのだ。

 

「何やってンだか、俺は・・・」

 

  ーーもうすぐ、冬になる。

 彼の人生はこの数ヶ月で大きく変わった。第1位として学園都市最強の座にいた彼は、少し前までは感じる事もなかった身の肌に感じる寒さに、ふと過去に起きた様々な事を思い出していた。

 上条当麻との邂逅以来、彼の人生から最強という文字は薄れつつある。事実、自身が彼に敗北して以来、何度も命の危機にさらされる場面があった。何せ、今まで負けなしだった彼に多大な影響を与えたのは自身が悪役となった計画で、見事それを打ち破った正義の味方なのである。一方通行にとって、あの計画に対して感じる事はただ一回の説明では到底仕切れないものであった。その時妹達に向けていた感情も、一つだけではなかったし、彼自身、あの実験において感情の制御はついていなかったと今更ながらに感じていたのだ。

 実験に至る理由、妹達を殺すための動機付け、自分の中でどこか、あの実験に対して嘘をつき続けていた。ただ機械のように、無機物のように彼女達を扱えなかった。ただ冷酷に彼女達を殺せなかった。常に自分の中で自分は正しい事をしていると、これは自分が成長するために必要な事だと保険をかけていた。

 --絶対能力進化(レベル6シフト)実験。

 一方通行が願っていた無敵という肩書きを得るためのその実験は、彼の今日に至るまでの悪党という立ち回りの中で、最低と表すのが相応しかった。

 

「ようは、吹っ切れただけなンじゃねェか・・・」

 

 上条当麻(ヒーロー)との接触は、騙し騙しで今まで生きてきた自分に喝を入れる良いきっかけになった。

 勧善懲悪的思考を持つ彼に裁かれることによって、自分の三下加減に気づけたのだ。悪に染まりきれていない自分に、正義とは何かと示してーー

 

「ーーうぅ、こ、怖かっだぁぁあ」

 

 唐突に路地の奥から聞こえる声、その声に一方通行は肩をびくりとさせる。どうやら彼は、いつもの様にスキルアウトが突っかかって来たところに出くわしたわけではなく、偶然致そうとしているところにご相席したらしい。

 目を凝らすと確かに髪飾りをつけたロングヘアの少女が壁を背にして座り込んでいるのが見える。おまけに泣き噦って顔はすごく情けない。一方通行は人助けなんて柄にもない事をしたと思い、この場を立ち去ろうと路地に背を向けた。そんな事はどこかの三下にでも頼ませればいいじゃねえかと。

 

「……あ、あのぉ!」

 

 そんな矢先に声を掛けられた。嗚咽交じりに聞こえたその声はなんとも、自分にとってなんとも目覚めが悪い。助けたくて助けたわけじゃない。ただそいつらが突っかかって来ただけなのだから。構いも無しに杖をつきながら一方通行は歩くが、何歩か歩いた途端、急に一歩先を進めなくなっていた。

 

「……あァ?」

 

「ひっ……ま、待ってください!」

 

不思議に思って首を後ろにやって見れば、少女が一方通行の服の袖を掴んでいたのだ。

 元から愛想は悪いが、尚更不躾に声を出す。それにしたってどうして袖を掴まれたと一瞬一方通行は思うが、杖つきの自分とそうじゃない奴とで比べれば歩く速度はまるで違い、間を簡単に詰められるのは当たり前であった。

 

「ーーありがとうございます。助けてくれて……」

 

 顔を上げてこちら見た少女は、赤く腫らした目をしながらも笑っていた。彼はそんな笑顔を向けられ、慣れてない事に背中がむず痒くなってしまう。一般人なだけに下手に扱えないのが、彼のむず痒さに拍車を掛けさせるのであった。

 

「ったく、そンなもン求めてねェよ。だからさっさと離しやがれ……」

 

「つ、杖つきの人を放ってはおけませんよ。それに荷物だって持ってるし……助けてもらいましたし、尚更見逃せませんよ」

 

 助けられたその彼女、佐天涙子はお人好しであった。一見しても、実際に付き合ってみても近寄りがたい彼に、彼女は思うところはあれど、感謝の意を伝えるべくして彼に近寄った。彼の事を何も知らない彼女からしてみれば、健常者である自分が手助けしないでどうするんだという思考回路はお人好しとしては大変立派なものであった。

 

「さっきまで泣きべそかいてた奴がなに言いやがる……」

 

「そ、それはそれ!これはこれですって!」

 

「何がこれだァ?全く理解出来ねェよ……」

 

 拒絶の意を明確に示している彼だが、目の前にいる彼女はかたや善意の押し売りといったところ。

 暫く、このような押し問答が続いたところ、面倒くさがりの彼が折れる形で纏まった。

 

「クソがつくほど面倒くせえなァおい。ーーチッ、分かった。オマエ、家どこだ?」

 

「えっ?」

 

 突然の問いかけに意味がわからず、といった具合の佐天。少し考え込んだあと、まるでボンっという効果音がなったかのように顔を紅潮させて

 

「だ、ダダダダメですよ!幾ら助けて貰ったとはいえ、礼はお前の家で……果てにはベッドの上でたっぷり払ってもらうからな……なんて出逢ったばかりそんなことぉ!!」

 

「……ったく、なに勘違いしてやがンだァよ。ようはお前の手なんか要らねェって事なだけだ」

 

目の前で茹で蛸のように赤くなっている少女を見て、ロシアでの騒動以来、自分もすっかり色々な人物に絆されたものだなと改めて感じる。それはやはり、打ち止めや黄泉川との出会い。あの黄泉川家に住んでいる事が大きな要因となっているのだろう。ーー家族の愛を知った事が彼を成長させたのだと。

 

「ーーえ、どういう事……」

 

「驚いて漏らすンじゃねェぞ。ちょっくら特等席で学園都市の遊覧飛行と洒落込もうじゃねェか――」

 

 一方通行は首元のチョーカーのスイッチを入れ、手元の杖を格納させると目の前であっけらかんとしている少女を横に抱き、そのまま学園都市第1位の頭脳を誇る演算のもと風を背中に纏わせ、地を蹴った。

 

「らしくねェな……反吐がでる」

表の人間を救った。そしてこうして世話まで焼くことになるとは思ってもみなかった。それに対しての自身へのアイロニーだ。

それでも彼は笑っていた。目の前の少女が見惚れるほどの笑みを浮かべて。



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2話 窓の無いビル

この二人、憎めないです。
パパンは強しですねェ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、アレイスター。聞かせてもらおうか、君はプランの修正はするといえど、自分からプランの崩壊に足を運ぶ人間だとは思えないものでね」

 

「何を言っているんだ、守護天使。それを言うならば、今ここに君がいる方がおかしいのではないか?」

 

 数多のケーブルに繋がれたビーカーの中。弱アルカリ性の培養液で満たされたビーカーのその中で浮いている人間は、そのような問いかけに自身の問いかけで返す。

 その人間の容姿は中性的であり、若者のようにも見え、老人のようにも見え、聖人として映ることもあれば罪人の顔にも見えるのである。見る人にとってはそれぞれ違う印象を受けるだろうというのが普通の人間の評価であろう。

 

「何、これから世界が改変されるのだろう。彼女達に掛かる負担も最小限に留めておいてある。幸い、彼女達の意思としての統括とは話もつけてある。あちらはあちらで、君の懐刀の様子を見守るらしい」

 

 そうか、と短く人間は呟く。人間、アレイスター=クロウリーはつくづく幸薄そうな顔をすることがあるが、この時こそ自分の額に青筋が立っている事を確信していた。幾ら自分が召喚したとはいえ、この存在の自由奔放さには悩まされる事ばかりだ。

 

「しかし、エイワス。君にそのような事を言われるとは思いもしなかったな。君にとって、私のプランに対する思いは分かりえない事だろう?」

 

「そうだな、一介の天使ごときに人間の気持ちは理解することは難しいのだろうが、私がプランの遂行者に興味がある事を忘れたわけではないだろう?」

 

 この次元に明確な形を有していない『存在』エイワスは、かつて彼に法の書の内実を教えたように告げる。守護天使エイワスは本来この世界に存在しない存在なのだ。一方通行が在籍していた暗部『グループ』の『ドラゴン』との接触以来、過去数回現出しただけなのである。本人にとっても自らの意思でこの世界に現出する事自体は望まないものであり、今回現出に至った事も、アレイスターやエイワス両名にとってもあまり喜ばしいものだとは思っていなかった。

 

「なるほど、結果ではなく過程か……何とも傍観者らしい。全く君は一方通行に入れ込むのが好きなようだな」

 

「学園都市統括理事長の君には言われたくない――まあ、時として、同じ在位になった者だ。彼には少しの期待と歓迎の意を混ぜて成長を楽しみにしているだけだよ。何にしろ、上条当麻に入れ込んでいる君には言われたくない」

 

 ビーカーの内側に映るのは学園都市中に蔓延る情報通信の檻の中身。その檻、滞空回線(アンダーライン)の情報をピックアップして映るものであった。夜空に浮かぶ2人の影は、誇りある学園都市第1位である、一方通行とかたや本来釣り合う事のない無能力者の少女、佐天涙子。

 

「……ほほう、聖なる存在としては、覗きはあまり関心しないな。それに男女の逢瀬だ。趣味が悪いぞ?」

 

「――ほざけ堕天使。お前なぞに言われる筋合いはない」

 

「女狐といい、君の命の恩人にだといい。こうどこか人間くささがある部分がたまに出るとは、君にもまだまだ可愛い部分は残っているのだな」

 

 馬鹿にされると腹が立つくらいには人間をやっている。流石は天使といったものか、利用は出来ても理解は出来ないな、と改めて感じつつ、些かの憤りを感じながらも会話の主導権を握られた事にため息をついたアレイスターであった。

 

「しかしここにきてイレギュラーである上条当麻の成長ときたか、プランにどう影響するか分からないのが恐れるところではあるな。案外オティヌスとやらは君にとって最大の敵かもしれないな」

 

「プランに支障はないさ、メインプランとなる一方通行の成長にはイレギュラーである上条当麻の存在はなくてはならない。しかし、上条当麻の成長を手助けするには並みの駒で出来る芸当ではないからな。彼女には存分に働いてもらうとするよ」

 

「なるほど、だが何時ぞやの浜面仕上のようになるやもしれないぞ?」

 

 アレイスターとて、学園都市の全ての事を把握しているわけでない。それを忠実に表すには浜面仕上が良い例だった。本当の意味で無能力者だった彼が、スキルアウト殲滅時からの成長。そしてあの暗部闘争の中を生き残り、結果として学園都市の追っ手を掻い潜りながら第4位を単独撃破し、学園都市相手に交渉までやってのけた男。

 無能力者だからといってこれまでプランに組み込むことは憚られたが、彼の登場は学園都市の深部に多大な影響を与えたのだった。それは統括理事長であるアレイスターが一番理解している事である。

 

「彼の登場は予期していた事だ。少しばかり過程は違うが、修正の範囲内だった。それに今回一方通行を主軸となる佐天涙子に沿わせたプランを思い立ったのも、彼のおかげとも少し言えるのかもな。それを考えれば、上条当麻の件はきっと何とかなるだろう」

 

 きっと、など柄にもない事をいうアレイスター。その言葉を聞いたエイワスは、彼が魔術師として活躍していたかつての日を思い出していた。

 

「君がそのような言い方をするのは驚いた。まるで、奇跡を信じていた頃のようだな」

 

「――そんなものはもうとっくに信じていないが、彼女の可能性には期待していると言おう……」

 

 一方通行の腕の中に収まる彼女は、緊張と少しばかりの熱と憧憬を顔に浮かべていた。無能力者の身にて数々の事件に触れ、第3位と友人関係に至る少女。並みの才覚ではその役割は務まらないだろう。無能力者という枠組みの中では、浜面仕上と同格に至る意外性。アレイスターの学園都市統括理事長としての評価はそこまでのものだった。

 佐天涙子はこのプランにおいての主軸でもあるが、メインプランである一方通行にとっても大きな成長要因とさせるものでもある。これから起きるオティヌスの術式の中で燻っている彼ではない。魔神の策さえ利用するーーそれが目的を持つもの、人間アレイスター=クロウリー。

 

「――今日の科学では到達しえない。かといって魔術では、まず持って要素が違う。それが君がいう錬金術かい?」

 

「ああ、そうだ。以前の魔術師による錬金術(黄金錬成)とは違い、錬金術師としての純然たる錬金術の行使。その系譜からいけば今日の科学が最も要素は近いが、この街には魔術的要素の組み込んだ異物があり過ぎる。考えるだけではまず無理がある」

 

 ――錬金術。等価交換の法則によって、形あるものから別のものが作られる。中世から近代までに、実際にあるとされてきた術。

 しかし、錬金術の歴史は既に途絶えたものであった。それがいつから失われたものになったのかは分からないが、近年錬金術と呼ばれ恐れられているものは皆、魔術的要素が絡んだものとなっているのだ。それはもう錬金術とは呼べるものではなく、それを知っているのは。並みの魔術師では知り得る事ではない。

 

「なるほど、そこで魔神の利用価値が出てくるのか……」

 

「察しが良くて結構だ。今回行われるだろう術式はこのプランにとって都合が良い。そして私が手を加えた『時の砂時計』に加え、座標移動による11次元の干渉によって今回のプランの足がかりは必ずといって成功する」

 

 錬金術の再興とは言わないが、錬金術のある世界から錬金術の術を知る。その役割を担った彼女は、皮肉にも無能力者である佐天涙子であった。

 

「――見せてみろ錬金術師。私に対価という事物をな」

 

 窓の無いこの部屋で人間はくつくつと嗤う。プランのその末にあるものに取り憑かれた人間は、ただ自らが育ててきた胸の内にある炎を垣間見せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




また、アトリエ編開始時には用語やアイテム説明などもこちらの方で後書きに加え入れたいなと思います。

『時の砂時計』
新ロロナのアトリエに登場。トトリとメルル参戦において重要な役割を果たしたアイテムである。元はロロナの師匠である稀代の錬金術師アストリッドが作った、時空を超えることのできる錬金アイテムで、これにより、この2人は未来からやって来た。これを使ってクロスオーバーする作品は多い。


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3話 表裏一体

禁書3期発表ですね。そんな日に投稿できることを嬉しく思います。
一向にアトリエと絡む気なさそうな本文ですが、整合性を持たせて上でやろうとすると、ちょっとお固めになってしまいました。
今回はクロスする上で何が大きく目的として関わってくるのか、それが理解できるかなと思います。
前回2話より、長文になってしまいました。申し訳ございません。

※ 新約6、12巻。超電磁砲12巻を読んでいただけると楽しめるかと思います。


 シャワーから注がれる水は微温湯のようだった。即ちそれは、自分の顔の方が熱を持っている事を意味しており、恥ずかしさや焦がれるような気持ちが熱として形になってしまっているその事に、意識をするのは無理もない。いや、どう足掻いてもしてしまう。佐天涙子は、自身の髪を散漫な気持ちで洗いながら、今日起きた出来事を何度も何度も頭の中で反芻していた。

 

「空、飛んじゃった……」

 

 胸の鼓動は未だに意識せざるを得ないほど早い。その理由は、呟いた事の通りどこか夢うつつのような体験によるものではなく、それで心拍を速くしているわけではない事を彼女も自覚していた。

 それは女の子なら偶に考えるような、願えば近くにあって遠いもの。きっと世の女の子はこんな事に心を躍らせているんだろうと、どこか他人事のように彼女は感じてしまう。多分、自分に起こった事があまりにも現実味がなさ過ぎたからこう思うのかも知れない。

 彼女とて、こんなふわふわとした感情に悩まされるなんて思いもしなかったのだ。これが何かはっきりとは分からないが、ただ一つだけはっきりと分かった思いがあった。

 

「ーー綺麗、だったなぁ……」

 

 燦然と輝く太陽とは違い、何処か深みを持った、夜に浮かぶ科学の街の灯り。空から見下ろしたその夜景は、普段感じるものとは違って見える。それは幼い頃にとにかく凄い能力に夢見てこの街に来た時のように、期待に胸を膨らまさせたあの時の私のように、この街を美しいものだと素直に感じる事ができたのだ。

 別にこの街が嫌いなわけでは無い。かけがえのない親友達と巡り会えたし、学園都市では目まぐるしく技術が進歩し続けていく、常日頃から清濁併せ呑むこの街に住んでいる事はとても楽しいものだし、その事に後悔はしていない。

 

 ただ……

 

 ーーただ綺麗だった、あの人は。

 全身が真っ白で、杖をついた何処か幻想的なあの人は、綺麗だった。あの深紅の瞳には自分の意識が全て持っていかれていたと、そう思う。

  私としては、彼の腕で抱かれていたのは不幸にも幸運だった。間近に彼を見る事が出来たのは嬉しかったけど、それとは逆に、彼に行き場のない熱を持った自分の顔を見られるのが堪らなく恥ずかしかったのだ。

 

「ふぅ……きもちいぃ……」

 

 恥ずかしさがぶり返し、彼がズルい、と彼からしてみればなんともお門違いな事を考えつつ、彼女は髪を洗い終えると身体も洗い終えて、そして湯船に浸かり全身を委ねた。

 今こうしてここにいるのも彼のおかげだと、しみじみ感じる。そう感じる事が出来るのも、今こうしてのんびりとお風呂に入っているからなのかな、とすればそう思えるのはやはり彼のおかげなんだろう、となんだか堂々巡りのように思考が交錯する。

 

「うぁああ……ああもう、うじうじするなぁよーわたしぃ……」

 

 普段と違う感情にふとしたことからどぎまぎしてしまう。親友のスカートは躊躇無く捲る事が出来るのに、いざ自分が矢面に立つとこのザマだ。

 もしこの事が気付かれでもしたらあの花束娘に足を向けて寝る事は出来ないだろう。主に普段の意趣返しとあらんばかりに弄り倒されて。

 

「うーいーはーる〜……こういう時ってどうすりゃいいの……」

 

 とそんな事を考えたか、此処にはいない彼女の名前を呼んでみる。幾分か落ち着いた気がした。彼女の存在は頼もしい。流石風紀委員なだけはあると自分でも訳がわからないまま頷き、湯船から出る。

 お風呂は長めに入る方な佐天だが、此処まで一人で喜怒哀楽を表現しては逆上せるのが目に見えていた。

 佐天は、そのまま火照った身体を軽く水で流すと手早く風呂を出た。

 

「綺麗な月だなぁ……」

 

 濡れた髪は所々が湿るくらいまでには乾かして、着替えを終えた佐天はタオルを首にかけてベランダに繰り出していた。なんとなく余韻に浸りたかったのかもしれない。

 佐天は彼の能力で空を飛んでいた時のことを思い出していた。

 超能力……学園都市の学生ならば、大なり小なり皆この単語に憧れてこの街にやって来たのだろう。かくいう佐天もそのうちの一人である。

 

「…………」

 

 しかし、彼女は選ばれなかった人間だった。能力の発現は各個の努力次第であるとか、自分の才能の問題だと言われているものだが、厳密にはそれは大きく違っていたのだ。浜面仕上が手に入れた学園都市との交渉の鍵。その鍵である『素養格付(パラメーターリスト)』は学園都市の学生の能力開発における一種の定められた運命を示すものだった。それは等しく、カリキュラムを受ける事が出来れば、誰でも超能力が発現するという事を裏付けるもの。

 いわば素養格付は、この街の大半を占めている無能力者を本当の意味で見捨てられた存在であったことを確信付けるものであった。

 

「……羨ましいなぁ。あんな素敵な能力が使えて」

 

 そのような事実を彼女が知るわけではない。だからただ純粋に思ってしまったのだ。目の前でまるで童話に出てくる魔法使いのように振る舞った彼のように能力を使ってみたいと。

 彼女は過去に幻想御手事件を経験した過去がある。それ故、今は無能力者である事にコンプレックスは抱いていないが、望みはする。いつかあの日感じた高揚感をこの手にしてみたいという淡い気持ちを佐天は忘れることが出来ないでいた。

 だからあの時、彼の背中に見えた気流の羽が佐天にはたまらなく綺麗だと思えたのだ。誰かの為に能力を使う姿がとても眩しく見えて、佐天の親友達のように人の為に能力を使うあの姿が。

 

「……、やっぱり、自分も能力者だったら良かったのに」

 

 その時、ふと目頭に熱いものが溜まる気がした。

 

「い、イヤだなぁ……、なんだか今日は妙に涙脆いや……」

 

 11月も末日に迫る。夜の秋風は肌寒く、人を感傷的にさせるようだ。佐天は部屋に戻り、テーブルの上に置いてあった携帯を手に取り、特に考えも無しにチャットアプリを開く。

 もっぱら友達とやるくらいでしかないし、登録されている数もそこまで多いとは言えないのだが、通知が来たら返すくらいの要領でやっているものだった。何人かのメッセージに返信をし、返ってくるのを待つ。

 

「一週間後とか言って、いつ迄待たせる気なんですか……もう」

 

 こう言った私の顔が、ムスッと不服な顔になっている事に気付き、自然と笑いが込み上げた。私をそんな表情にさせる彼女とのトーク履歴を見てみると、やはり会話はとうに一ヶ月前で事切れている。最後に彼女から来た言葉は『一週間後 気が向いたら食べに行くから用意しときなさいって訳よ 二ヒヒ』とだけ……それきり、私がいくら呼びかけても、まるで声が届かないみたいに返信は来なくなった。

 彼女の為に買い溜めていたサバ缶は、未だに消費しきれていない。

 彼女との会話はとても楽しかった。はっきりと年齢は聞いていないけど、多分年上。それでも、語尾に「〜って訳よ」とつける彼女のどこか愛嬌のある喋り方は、中学生に上がりたての私でも年の差を気にする事なく会話をする事が出来た。彼女の事はそれほど知っている訳じゃない。ただ話している内に、仕事先でちょっとの失敗をしただけで上司には殴られたり、同僚にサバ缶の素晴らしさを教えた事では呆れられたりと、半ば愚痴のようにこんな話を聞いたりもしたものだ。しかし、こうは言うがそんな仲間が何より大好きだと彼女は言っていた。

 ある時にはお互いの家族についての話もした。彼女はあまり話したがらなかったが、自分によく似て可愛い妹がいると話してくれた。それに合わせて、私もまだ小さい弟がいると言った。同じ姉として、姉ながらの悩みという話をした時はついつい夜遅くまで会話が続いたものだった。この事に対し、彼女は睡眠不足なんて言ったら先輩に怒られると、なんでこんなに長く会話したんだろうと後悔していたが、私からしてみればその姿は、妹の事をとても大事にしているただの優しいお姉ちゃんであった。あれやこれやと彼女の妹であるフレメアちゃんの事を話していたその姿はとても愛おしそうな顔をしていたと記憶している。

 

「『今どうしているんですか?落ち着いたらでいいんで連絡ください。それと、いつでもウチに来てくれて良いですからね』……っと」

 

 彼女の事を気遣いながら文章を打つ。触れ合った時間は短かったけれど、佐天にとってその時間は、彼女の事を想うには十分すぎるくらいのものだった。

 サバ缶が手に入らずに消沈していた彼女の姿、その姿があまりにも可哀想だった。それを見兼ねた佐天が、親切心から関わりに行ったのだ。それが佐天とフレンダの出会いとなる。

 佐天にとって彼女は、仲良くしたいと思う友人であり、自分を窮地から救ってくれたヒーローであり、それでいて何処か自分とは別の世界に生きているのではないかと思う人物である。

 だから時間が許せば、彼女とは初春のように親友になれていたのではないかと、少なくとも佐天はそう思っている。そして彼女と街角のカフェで待ち合わせをして、服を買いにショッピングモールに行く。彼女の後ろ髪引かれる容姿には何を着せても似合うだろう。そうしてお互いに気に入った洋服を試着をしながら笑い合う、きっと楽しいものだろう。友人として、そう彼女に接したかった。

 そしてまた、ピンチに駆けつけて来てくれた彼女には恩義を感じている。眠らされていたのでその時の状況があまり把握出来ていなかった佐天だったが、拘束されて連れていかれた彼女を助けに来たのはフレンダであった。今日起きた出来事の様に、また彼女も佐天にとって窮地を救ったヒーローなのである。

 しかし、彼女の言動やあの時の血だらけの彼女の姿を思い出すとどうにも感じてしまう。平穏無事な世界に住んでいる私とは違って、常日頃から危険を伴った世界に彼女はいるのだと。

 それを知ってしまったから、彼女から返信がない今が怖い。きっと元気でやっているだろうと思っても、心の片隅でその思いを何処か信じていない自分がいる。最悪の場合を、もしかしてを想像してしまう。

 

「心配、してるんですからね……、フレンダさん」

 

 気づけば身体が震え、口はうまく噛み合わないでいる。それがまた寒さの所為とは言えないでいる自分がいた。

 あの日彼女を待ち続けてから随分と立つ。

 どんどんと暗くなる思考が嫌で私はベッドに横になっていた。今日の自分はいつもの自分とは言い難い。嬉しくなったり悲しくなったり、情緒不安定と言われても仕方がないと素直に思う。

 

「スカート捲るか、初春の……」

 

 メソメソした自分が嫌で、テンパった自分が嫌で、そんな平常心を保てない自分の情けなさ加減に友人にあたる。そんな事をすれば常識とモラルについて問いただされる事間違いない。実際、こういう理由だからといって許してもらおうとは思ってないが、せめて今はこうして逃げていたかった。

 

 ーー弱い自分にサヨナラするために。

 

 

 

 

 

××××

 

 

 時は変わって第十五学区のランドマーク、ダイヤノイド。

 70階層もの高さを誇る六角柱の建物は、構成素材全てが炭素で出来ている事からその名前が付けられている。フロア区分は変わった構造をしており、下層部はショッピングのフロアとなり様々な店舗が軒を連ねている。なおここだけで20階層分あり、アクセスの面でも駅ビルとしての役割を担っているため集客力は他の商業施設の追随を許さぬものである。

 中層部はサービスの区画となっており、メインを張るのはテレビオービットの社屋やスタジオが大部分を占めているが、カフェやレストランの飲食系。映画館やフィットネスクラブのような体感型のサービスも兼ね備え、下層部での買い物後の息抜きに訪れる客も多い。

 上層部は分譲マンションの区画といえば聞こえは悪いが、その強固な構造やセキリュティの面からも含め、契約しているセレブからはその安全性を買われて金庫として使われている。

 その複合商業施設ダイヤノイドの中層部分。外周部の一角に位置するこのカフェでは、既にソファに座る彼女らの喧騒が辺りに響いていた。

 

「だから浜面は、超浜面なんです!!この映画の良さが分からないとは!!オマエ二倍に超チケット代払ってこいよォ。凡人を通り越して超凡人ですかァ!?」

 

 プチプチと血管を切らし、口調がいつもとは違い凶暴性を帯びた、レベル4の『窒素装甲』の能力を持つ絹旗最愛。その口調はとある計画により、一方通行の思考パターンを植え付けられた事から感情の沸点を越えた時起こるものである。

 

「だからもなにも、そんなC級映画に意味を求められることの方がおかしいんだよ!!大体つまらねえもんにつまらねえって評価して何が悪い!!それも一種の権利だろうが!!」

 

 それに対し、至極当然の意見を言う浜面仕上。惚れた女のために世界規模の戦乱の場を渡り歩き、数々の刺客を返り討ちにし、遂には隣に座るレベル5をも撃破した無能力の男。誰が呼ぶかもいざ知らず、世紀末帝王HAMADURAとして名を馳せる彼は、今日も今日とて罵声を浴びせられていた。

 

「うるせぇんだよてめぇら。せっかく人が気持ち良く買い物出来たのによぉ。絹旗はド底辺映画で熱くなりすぎだし、浜面はとにかくウゼェし。お前らこんなトコで問題起こしたら駄目だろうが……」

 

 金額だけでもここいら一辺はぶっ飛んでいるのに、似たような品物を躊躇なくほいほいと買う姿にアイテムの面々を凍りつかせた張本人、麦野沈利。

 学園都市のレベル5序列第4位『原子崩し(メルトダウナー)』である彼女は、『アイテム』のリーダーでもある。世話焼きである一方、彼女の欠点は自己中心的な所でもあったため、何かと問題を起こしがちのなは彼女であるのだが、普段訪れない場所では何かと周囲の目を気にするようではあった。

 

「いやいや、一番の問題はそこで買い物袋が超どっさりになっている麦野だと思うんですが……」

 

「はは……俺はただウザいだけですかそうですか」

 

「むぎの、きぬはた、はまづらも、周りのお客さんの事も考えて」

 

 そして、セレブリティーなこの施設でも相変わらずピンクのジャージでゴーイングマイウェイな滝壺理后。

 仲間を諌める彼女の言葉は、悲しくも彼女らには届かない。しかし、それが当たり前の彼女らであるからにして滝壺がショックを受けることはなかった。

 

 元暗部組織『アイテム』ーー現在は新生『アイテム』として平穏に暮らす面々は、浜面の仕事(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())終わりにここで合流する手筈となり今現在に至る。

 絹旗が不機嫌なまま、もういいですよふーんだ、と言って言い合いが終わるまで、かなりの時間がかかった事は言うまでもない。

 

「しっかしあれね。仕事がなんだって言ってたけど、案外早く終わったわね」

 

 脚を組みながらそういう麦野。彼女は久しぶりの買い物に満足気な顔をしながら、此処へ来る事となった原因の男に目を向けた。

 暗部の解体以降、彼女達の為にも何か真っ当な仕事はないかと探していた浜面。そんな彼に舞い込んだ件の仕事が今回のコンテナ運輸であった。

 

「元々運搬用のリフトがあるから、早く終わるだろうとは思ったけど、まさかこんなに早く終わるとは思わなかったし、俺も驚いたよ」

 

「このダイヤノイドは金が掛かってますからね。上層のマンション区画にはセレブや芸能人が金庫として契約してたりなんだりと、まあ有名ですからねぇ。リフト一つにしても超最先端の技術が積んであるんでしょう」

 

「確かリニアエレベーターだったか、ステファニーさんから聞いたな、そう言えば」

 

 先程まで共に仕事をしていた彼女の事を思い出しながら浜面は言う。言った矢先、恋人の口から知らない女性の名前が出た事に滝壺が少しムッとした顔になった。慌てて、宥めにかかる浜面を他所にして麦野が呟く。

 

「電磁力とは第3位さまさまねぇ、応用力に関してはあのクソガキの能力も舐めたもんじゃねぇな、こりゃ」

 

 視界の端でイチャつくバカップル二人に内心かなりムカついている麦野だが、早く合流出来た分、後で浜面を荷物持ちとしてこき使うと考えれば、それも我慢出来ていた。

 滝壺を選んだ彼だったが、それでも自分の事を気に掛けてくれる。その事を想うだけで麦野は現状満足しているし、何をしても結局は許してくれる彼に対して絶大な信頼を傾けているのだ。

 

「……ん?なんだこんな時に……」

 

 そんな折、携帯に非通知の着信がかかり怪訝に感じた麦野。

 現在は闇から一線を退いているものの、いつかのように学生生活を送ろうという気は麦野には無かった。光の世界に戻るには既に自分の手は血に染まりすぎていたのだ。それは彼女自身強く感じていた事でもあり、何よりも、ある少女の妹、フレメア=セイヴェルンの存在がそれを強く感じさせた。闇の世界に生きていた彼女の姉、彼女の生への執着は妹の存在があったからなのかもしれない。

 だからだろうか、この手で彼女を殺した事は今でも麦野の胸の中に残り続けている。その事実に対しての罪悪感だとか、彼女が居なくなった事に対しての悲哀の気持ちは無い。彼女の墓を訪れた時でさえ、自身の目から涙は流れる事は無かったのだから。我ながら薄情で最低で生きるべき価値も無い女だな、と麦野は思った。

 だが、自分がこれから生きる上で、死んだ彼女の存在が頭から離れる事は一生ないと麦野は分かっていた。哀しみだとか罪の意識だとか、そういう次元に気持ちがあるのではなくて、ただ遣る瀬無い思いが麦野の心を支配していたのだ。あの時、何故彼女を殺してしまったのだろうか。あの時の自分だって、彼女を殺さない選択肢の方が容易に取れていた筈ではないかと。少なくとも、今こうして《新生『アイテム』》として活動している事が、麦野が感じるもしもの可能性を望んでいる事を、審らかに表していたのは明白であった。

 喪ってから気づく事があるーーその気持ちを理解させてくれたのは、皮肉にも自らが手を掛けた彼女であった。

 だから、これからは今ここでお互いを罵りあえる彼女達を大事にする。そのためにはどんな汚い、許されない手を使ってでも良い。

 幾ら罪を犯しても、フレンダを殺した事には変えられない思いを持っている私を、あいつらは許してくれるから。

 

「……あぁ。誰だよ、面倒ごとはもう懲り懲りなんだ……」

 

 学園都市の裏の世界に生活を送っていた事、その上に人との繋がりを極度に嫌がる麦野の携帯には登録されている連絡先の数は少なかった。それに加えて非通知で連絡が来るとなれば、仮にも元暗部組織のリーダーをしていたのだ、十中八九その手の件である事は誰にでも察しがつくものである。出来ることならこの非通知の連絡に対して知らぬ存ぜぬで通したかった。

 だが、苦しくも自分達はこの学園都市に対して、危険分子として相対していた。手に入れてしまった『素養格付(パラメーターリスト)』。この存在がある限り、自分達はいざという時の切り札として、尚且つ保持している事によって交渉権を持つものの、クーデタを起こすほどの効力を持ち合わせていないため歯向かう事は出来ずにいた。

 だとすれば、緊張状態である今現在下手に無視する事は出来ないな、と麦野は思い通話に応答する、努めて嫌そうな声で。

 

『これは面白い変化だ。以前の君ならば無視を決め込むものだと思っていたのだがね』

 

「誰だって聞いてんだろうが。勝手に一人で話を盛り上げてんじゃねえよ」

 

「おやおや、これは失礼した……確かに、今の君はこの状況を楽しめないのだったね」

 

 電話口から聞こえる声に麦野はそこはかとない嫌悪感を感じざるを得無かった。舌打ちで相手の言葉に答えると電話口の人物はこう続いた。

 

「……学園都市統括理事長。こう言ったら分かるかな?麦野沈利」

 

「……この街のトップときたか、で何だよクソ野郎」

 

 あたりはつけていたが、思わぬ伏兵に顔を歪ませる麦野。相手は今まで数々のクソッタレな出来事を統括してきた頂点にいるクソッタレ。それを考えると身構えてしまうのは麦野でなくとも必然であった。

 

「君にバースデープレゼントだ。生憎詳しくは覚えていないが、もうすぐだったろう?君の親御さんには感謝せねばならんね。それと君の同僚にも」

 

「……乙女の柔肌に鳥肌立たせやがって。……困りましたわ、見知らぬ野郎からの贈り物はお断りにしてるもので」

 

 皮肉に皮肉を重ねるのは麦野の得意分野であった。電話口の人間は彼女の言葉になるほどと漏らし、一つ間を置いてこう述べた。

 

()()の部屋の鍵の複製データと指紋データだ。君が嫌と言っても、もう既に転送している」

 

 側頭部を殴られたかのような衝撃。麦野には彼女が一体誰を指しているのか分かっていた。

 

「ーーーーオイ、テメエ」

 

 気がつくと理性の箍が外れかけていた。麦野自身、今自分の顔がどうなっているのか想像出来ないでいる。怒りに顔を歪めているのか、泣きそうなひしゃげた顔になっているのかーーふと、向かいに座る絹旗が心配そうな面立ちでこちら側を見つめていた。

 

「部屋の番号は分かるだろう?折角そこに居るんだ、訪ねるのが友人としての責務なのではないかね?」

 

「冗談も程々にしろよ。……ぶっ殺されてぇのか?」

 

 体は震え、嫌な汗がじとりと背を伝う。しかし、声だけは相手に殺気を感じさせようと努めていた。

「なるほど、鈍ってはいないようだ」と麦野の威圧に押されるばかりか電話口の人間は冷静に呟いていた。

 そして刹那の沈黙の後、人間はこう続いた。

 

「ーー舐めてくれるなよ、……その気になれば貴様みたいな小娘は幾らでも捻り潰せるのだからな」

 

 その時、麦野の片手から携帯端末がするりと落ちた。

 瞬時に背中が叩きつけられる。比喩的な表現ではなく、実際にそのような物理的な現象が起こった。反抗しようと力を入れるものの、逆に力が抜けていく感覚、突然起こる睡魔と共に現れる苦痛。声さえ出せない状況の中、顔を歪にすることしか出来なくなった麦野に浜面がかけ寄ってきた。

 

「お、おい大丈夫か麦野!!どうしたんだよしっかりしろ!!」

 

「ーーーー!!?!」

 

 痛みに耐えられず、浜面の腕を掴み爪を立てて麦野は痛みに抗う。麦野の突然の行動に驚いた浜面だったが、彼女の苦悶に満ちた顔を見た彼は痛みに対する驚きよりも動揺が優ってしまい、自らの腕に食い込む爪の深ささえも気にならなかった。

 

「ーーハァッ!!?」

 

 暫時苦しみに悶えた麦野だったが、突然それに解放され、息を吐く。

 全身から汗が吹き出し、顔には余裕の色は戻る事はない。普段の彼女を知らない者からしてみればその姿は扇情的なものに見えただろう彼女の脱力の程に、安否の声を掛ける彼女達。麦野がその一字一句を認識するのには大分時間がかかる事になったが、それと同時に顔にも段々と色を取り戻していった。

 

「……ごめん、迷惑かけた」

 

 落ち着いて息を整えた彼女が発した言葉は謝罪だった。

 レベル5の彼女が此れ程迄に取り乱す事は普段ない。加えてリーダーである彼女が取り乱してしまえば、何かあった時に急な対応は出来ないだろう。皆に心配をかけた事、少数の組織といえども型を崩された事に対しての謝罪であった。

 

「一体どうしたんですか……麦野が電話してたらいきなりそうなっちゃうんですもん」

 

「でもわたしたちの近くに心理系能力者や念動力系能力者はいなかったみたい。それに、むぎのにそういう能力は効かないし」

 

「麦野……」

 

 各々が心配する中、麦野の顔は穏やかになっていた。心配してくれる仲間がいる、その事にただ嬉しく思えたのだ。

 

「調子に乗るな、ってさ。どうやら向こうがこっちに何か仕掛けたんだんだろうね」

 

「そんな遠距離に干渉する能力なんてあるんですか?」

 

「そうなんじゃない?分かんないけど」

 

 別に遠距離だと限った訳ではないのだが、仮にも相手は学園都市の頂点。レベル5を制御する術くらい持っててもどうという事はないだろう。麦野は軽く絹旗の言葉を遇らうと、ソファから立ち彼女らに告げた。

 

「悪いけど、今日はもう解散。それと滝壺、ちょっと借りる」

 

 さっきまでの事は何も無かったかのように笑顔を見せる麦野。その顔はとある決意によるものだった。

 

 

 

 ××××

 

 

 ダイヤノイド上層部、ただ、だだっ広い廊下を二人の男女が何も会話する事なく歩いていた。

 歩く、ただそれだけなのにいつもより足取りは重い。麦野沈利は何も言わずに後ろを連いて歩く浜面仕上に感謝しながら、目的の場所にただ進んでいた。彼女の隠れ家、彼女が隠したがっていた大切な場所に。

 フレンダ=セイヴェルン。暗部組織『アイテム』正規構成員だった彼女は嘘が下手だった。彼女に隠し事は向かなかったのだろう、それは普段の態度から見て取れた。だから『アイテム』の面々はこのダイヤノイドに彼女が隠れ家として物件を所有している事に感づいていた。

 彼女が頑なに隠れ家の存在を隠したがっていたからこそ指摘は無かったものの事だが。

 その存在に足を踏み入れる。彼女を殺した自分が土足で、彼女が信用と安全で買った彼女の大切な場所に断りもなく。今となってはその断りも入れる事は出来ないが。

 無数にあった両開きの引き戸。この廊下にはそれが端まで続いていて、この中から特定の人物の物件を探し当てる事は簡単ではないのだ。

 

 しかし、

 

「0と9だったら9の方が好き」

 

 唐突に前から聞こえる麦野の声に、浜面はただ彼女の背中を見ているだけだった。

 

「1と8だったら1、2と7だったら7、3と6だったら6、4と5だったら4……悪い癖ね、ホント」

 

 麦野の言葉にふっ、と微笑む浜面。彼女の手前だが笑うのも仕方ない。

 

「ああ、お前や絹旗にしょっちゅう絞られていたもんな。ここだろうよ、多分」

 

 足を止める二人。そこには他と同じ引き戸があるのみ。ただ違うのは上部に掛けられている番号が違う事か。

 

「……麦野、俺がやろうか?お前の能力じゃ物騒だろ」

 

 最硬を誇るカーボン素材でも、電子の粒子砲の前には敵わない。固く閉ざされた扉を前にしても麦野の前には無力なのだが、浜面は彼女の気持ちを汲んでやった。何かとチンピラとして生活していた浜面にとって錠前が付いた扉はただの扉でしかないのだから。

 

「……、大丈夫、鍵は持ってるから」

 

 服のポケットから複製された鍵を取り出す。それと彼女は携帯端末を義手の中に組み込むと難なく鍵を開けた。

 

「広いな……、これが億単位の物件と同じ扱いだっていうのも頷ける。とはいえフレンダの隠れ家か、滝壺はともかく、お前や絹旗にまで隠してったっていうのが気にかかるところだが」

 

 両開きの引き戸の先には、まるで旅館かと思わせるような玄関がまず目に入る。奥を見やるとラウンジのように広いリビングが待ち構えており、小部屋がそれぞれ隣接しているといったところである。それを見て、隠れ家とはいえ此れ程までに生活感がない空間に浜面は驚いていた。彼女の事を考えれば、こんな殺風景な場所は好まない筈である。

 

「私には言えないだろうよ……普段から何考えてるかわかんねぇんだ。信用なんてされてない」

 

「……いや、案外お前には言ったかも知れねえよ。お前が気付かないだけで」

 

 純粋に思った上での言葉だった。

 先に行く、とだけ応えると麦野は中に入って行った。

 彼女の顔は見えなくとも、予想は出来る、きっと表情の一つも変わっていなくとも心で思うことは違うのだ。彼女が努めて平然でいる理由は彼女なりの覚悟かも知れない。何があっても受け止める、フレンダの事から目を背けないと。それならば、手伝ってやる。少なくとも、浜面はそうして麦野の事を見捨てられないでいた。自己満足や、自分勝手な気持ちから来るものではなく、ただ何があっても彼女達の事を守るという気概から来るものだった。

 そんな事をただその場で考えれば、彼女との物理的距離は離れるばかりであった。しっかし住みにくそうだな、と浜面は呟き、麦野の後に続いた。

 

「……一応気をつけろよ。フレンダの隠れ家って事は、爆薬製造プラントやら合成火薬調合場だったりするかも知れねぇしな。もしもの場合を考えて、自爆機構なんかも取り付けてある……」

 

 浜面よりも麦野の方が彼女との付き合いは断然長い。だからだろうか、彼女の思考は嫌でも分かる。お互いの長所や短所が分かるように、彼女の事はなんでも知っていた。そうして皮肉にも、自らの手に掛けた自分が彼女の事を一番理解していた。

 やがてフロア中央の奥に位置する襖の前に立ち止まる麦野。この奥に何かあると確信していた。しかし浜面が言ったようなものは無い。

 断じてそうでは無い。

 浜面の言葉を麦野は遮り、ゆっくりと続ける。

 

「……ある訳ない。アイツは『そういうこと』持ち込まないよ。大切なものや、守りたがっている物の前では、特にね」

 

 麦野の呟きにも近い言葉に、そうか、と短く浜面は応え、それを聞いた麦野は躊躇なく両開きの襖を開けた、

 

「……なんだ、これ」

 

 麦野に言われて理解していたが、彼女の戦闘スタイルを思い出すと予想はしてしまう。しかし、目の前には大掛かりな爆弾でも爆薬製造プラントなるものでもなかった。

 あるのは壁一面に埋め尽くされた箱。そのどれもが包装紙やラッピングで綺麗に包装され、サイズは大小様々であった。

 

「……まさかこれ、全部が全部、誕生日プレゼントだっていうのか。企業のお歳暮みてえになってるぞ」

 

 よく見ればその小さな包装に宛名が書かれているのが見て取れる。それを見て浜面は思う。

 フレンダ=セイヴェルン。

 暗部組織『アイテム』の正規構成員の中でも彼女は一番顔が広い。裏も表も合わせると知り合いの数は4ケタを越えるのだ。ならばこの数のプレゼントにも納得がつく。これが彼女がその信用を買ってまで守りたかったもの。その事実に思わず、馬鹿だな、と呟いていた。

 

「ーーーー」

 

 襖を開けた当人は、何が来てもと身構えていたものの、その異様な光景にただ呆然としていた。闇に染まりきった彼女の大切なもの。それは全て彼女の、自分にとって大切なものだと思っていたのだ。

 ーー違う、そんな訳ない。彼女は何よりも自分が大事で、自分を何よりも優先させていた。そんな彼女が大事にするものの正体が贈り物だとは考えられない。だから、こんなものはまやかしで幻想である筈だと。

 そして気づけば、麦野は力なく座り込んでいた。

 その姿に浜面は勿論気づいていた。風前の灯火のように儚く危なげな彼女。

 それでも放心している彼女に構わず辺りを探り続ける。彼がそうする所以は、ここに来る以前に、自信が実際そうなった場合そう振る舞ってくれと彼女に言われたからだった。しかし、実際に彼女の弱気な姿を目の当たりにするのは堪えるものがある。だから思ってしまう。この先の真実たる所に踏み入れば、彼女はあの時ロシアで自分に見せた時以上の弱さを出してしまうのだろうか、それを彼女は自分自身理解していたのだろうかと、だがそんな不躾な事は聞ける訳がなく、それ以前に浜面は聞きたくもなかった。

 フレンダとの決着をつけるため、浜面はあくまでも見届け人として今回彼女に付いて来ている。だから、彼女がそれに直面する時が来れば、彼は余計な口を挟まないつもりでいた。麦野には、フレンダとの過去に向き合う時間が必要なのではないかと、そう浜面は思っているからである。

 そして同じく麦野も、時には自分を突き放してくれる浜面という存在に頼っていた。彼は必ずそうしてくれるだろうと、浜面なりの優しさに、麦野は甘えていたのである。

 もしかすると、滝壺や絹旗もそうしてくれたかもしれない、そう感じるのも麦野が彼女達を信頼しているからこそである。普段は何も言わないが、彼女達は麦野の苦悩について理解しているのだろう。

 だからこそ、麦野は彼女達を頼る事が出来ないでいた。

 リーダーとして、仲間である彼女達に優しさや気遣いは求めていない。何よりも、彼女達に負い目がある、それは過去の暗部闘争で、私怨のため自分が暴走してしまった事だ。その事が原因で彼女達には迷惑をかけ、結果的に彼女達を傷つけた。だからもうこれ以上、自分が発する苦労に彼女達を巻き込みたくはないと麦野は思っていたのだ。

 

「(それは身勝手な話だぜ、麦野。アイツらだってオマエが心配なんだからよ……)」

 

 その苦悩を、その決断を、浜面は彼女から伝えられずとも理解していた。少なくとも、今この時は麦野の理解者になってやりたかった。

 

 ロシアでの一件以来、いざという時に彼女は弱くなってしまった。

 その一端は、浜面がどんな事が起こっても彼女の事を認め、彼女の味方であり続けると言ったからであった。今まで綯い交ぜになった思いを一人で抱え込んでいた彼女にとって、それは大きな転換の元となったのだろう。そして彼女は『アイテム』に対して素直になったのだ。

 柔和になった麦野に彼女達も心を開き始めている。

 決して分かりやすいものではないがーー良い兆候だった。

 それが続けば表の世界でもきっと彼女達は笑いあえる仲になっているのだろうと思えた。

 そんな在るはずの未来を潰したくはないと、浜面は不覚にも思ってしまった。だからこれくらいのお節介をしても構わないだろう、彼女もそれを拒まないでいるのだから。

 

「カレンダーか。マーカーで丸印をつけてあるところには個人の写真。そりゃ誕生日だわな……」

 

 改めて辺りを見回したところ、無数の箱の山にの片隅にカレンダーがあるのを浜面は見つけた。海の生き物ばかり集めたカレンダーの詳細は呟いたとおりのもの、蛍光マーカーで印がされてある。

 一つ二つの次元ではない。

 むしろ、余りの数の多さに印をしてない日の方が、少ないくらいだ。

 死んでも驚かしてくることばっかとか幽霊かよ、と冗談交じりに毒づきながら浜面はカレンダーをめくる。

 数ヶ月前、ちょうど彼女が居なくなったあの日から更新される事がなかったカレンダーだったが、知り合い全員分の誕生日はあらかじめに書き込まれていたようだった。何枚かめくりながら、そこにあった顔写真を見る。見知った顔も入れば、やはり大半は知らない顔ばかりであった。

 そしてまた何枚かめくっていると、そこで浜面の手が止まる。

 十二月一日。

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 他とは違う蛍光色で点けられたは印は、例え見たくないものでも目に入るものだった。そこに記されてあったのは二つの人物名であった。それが意味するのは誕生日が重なっているという事だが、浜面にとってはそこが問題なわけでは無い。日付の下に貼り付けられている写真はその問題点を明瞭に表していた。

 その目に映るのは、ぎこちない笑みを浮かべる女性だった。滅多にこんな顔を浮かべる事もない彼女、そんな彼女を一体いつ何処で撮ったのだろうか。少なくともそんな表情をする彼女をフレンダは知っている。件の写真に写るのは、浜面にとってもよく知る彼女の写真。浜面の隣で、今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女の事であった。

 対照的にして同じ日付に写っていたのは、日の目を帯びる事のない自分達とは縁のないだろう、快活そうな少女の写真だった。真っ直ぐ下ろしたセミロングの髪型に、太陽がよく似合うといったあどけない表情は、所々に子供っぽさを感じさせる少女の写真は、やはり裏の世界とは関係がなさそうに思わせる。

 

「(……道理で、麦野や絹旗には見せらんねえ訳だ)」

 

 浜面は部屋の中を改めて見回しながらそんな風に小さく呟いた。

 罠もない、武器もない、裏だってない。

 一番無防備なフレンダの影がここにある。

 ここはきっと、フレンダにとって表の顔とも裏の顔とも違う、一番柔らかいものを封じていた場所だったのだろう。例えばフレメアの姉として小綺麗に大きく振る舞う事も、裏稼業として殺しの技を磨く事も必要ない。そんな小さなシェルターだ。

 人には色んな顔がある。

 そのどれもが正解であり、一つとして作り物は存在しない。

 フレンダ=セイヴェルンはおそらく全体を通して人間性を評価すれば、『悪』に属する少女だったのだろう。

 彼女が今まで吹き飛ばしてきたものを考えれば、奪ってきた命を思えば、なんの言い訳だってできないのだろう。

 自分が勝っている時は削り取られていく側の気持ちなんて微塵も考えず、いざ自分が負けそうになった時は命の尊さについて滔々と語り出す。殺す時は楽しんで殺し、殺される時は仲間を売ってでも必死に命乞いをする。そんな自分勝手で都合の良い少女だったのだろう。

 でも。

 だけど。

 その冷酷な事実が、ここに眠っていた暖かなものを丸ごと否定できるとは限らない。

 テーブルの端には幾つかのリモコンが並べて置いてあった。持ち手の所にはテキスト付きのカラーテープが貼り付けてある。テレビ、エアコン、レコーダープロジェクタ、カーテン……。その内の一つを手にとって電源を入れると、プレゼントの山だらけの中で唯一空いた壁一面に表計算ソフトのような罫線が映し出されていく。どうやら、それとなく相手の趣味嗜好に合わせて、相手の欲しいものに探りを入れるための調査リストらしい。

 麦野はこの部屋に来た時から相変わらずで、ウンともスンとも言わない。一体何が彼女をそこまでさせているか、それを詮索するのは野暮としか言いようがない。しかし、浜面が動いている以上、この部屋に隠された彼女の柔らかい部分を麦野が知るのは必然なものであった。それは、麦野が自分から動かなくても結局は目的を果たす点については変わらないという事だった。

 

「……()()()()()

 

 麦野は顔を伏せながら独白するようにポツリと呟いた。騒がしいわけがない部屋でのその呟きは、浜面にも勿論聞こえていた。

 理由付けなんか、後からどうとでも言い訳がつく殺し方ではない、感情に左右された突発的なものだった。第一位のように複雑で、難解で、言い訳の余地がある殺し方ではない。

 だが、それでも殺した奴は地獄に落ちる。

 

「……()()()()()()()()()

 

 第一位との共闘時において、彼にそう突き付けたのは麦野だった。

 どんなにテクノロジーが発達しても、心肺が停止した人間と、生きる役目を終えた事が明確になってしまっている人間は別物だ。ひょっとしたら、自分が殺した人間が生き返るかもしれない。そうなれば誰かを殺した罪も帳消しになるかも知れない。それを理解しないで、そんな願望を抱いて生きるなんてふざけるな、と。そんな偽りの復活なんてものに期待して、死者の安息と尊厳を踏み躙られている事にはどうとも思わないのかと。

 以前学園都市暗部が用意したと思われる『フレンダ=セイヴェルンと瓜二つの誰か』から襲撃を受けた。その時に、躊躇なく『原子崩し(メルトダウナー)』で粉砕したのはそのような心情があった。

 それは今も変わらない。

 死んだ人間が都合よく生き返る事は無い。学園都市のテクノロジーならばという淡い期待も持ち合わせていない。あの時、この手で二つに引き裂いた時から、確実にその人間の生涯は終わっている。もしも幾ら変わり者を用意しようと、それはただ限りなく似てるだけのもので、本人とは別の存在である。それは誰かが死んだ時のように、血肉が飛び散り、身体が欠損し、表現しきれない激痛に苦しんで、やがて走馬灯が駆け巡り意識を失う、そのような味わいたくも無い経験を、贋作は絶対に経験していないから。

 痛苦や苦悶に満ちたあの瞬間を、死んだ人間がそれを全て無かったことにして生きていくことは出来ないのだから。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、戸惑ってしまう。義眼にクラックされた時だって、第一位に啖呵切った時だって、『既に終わってしまった事』に対しての気持ちの整理は付いていた。自分が殺した時にどの様な恨み辛みを自分に彼女は言いたかったのか、そんなのは今更知りたくもないーーそう、自分の中では完結していた。

 でも、今回は違う。

 予想がつくそんな在り来たりな感情を知るのではない。

 そんな殺す、殺されるの関係に至る前の。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……だから、知るべきなんだ」

 

 彼女の『未来』を奪っておいて、自分は『今』を生きている。

『過去』に彼女が何を想っていたのか知らないで、自分は『今』を生きていたくはない。

 まして、それを知る機会があるならば、その事実に目を背けてはいけない。誰かに任せるのではなく、自分から真実に辿り着かなければ意味がない。

 見えない何かに縋るように、麦野はリモコンに手をつける。身体は震え、力は入らずに歩く事すらままならない。這って、気を張って、半ば執念でテーブルに辿り着いたのだった。その懸命な麦野の姿に浜面はよくやったな、と心の内で呟いた。

 

『よしよーし、まぁ大丈夫かなぁ?うぉっほん!!佐天!見てるかー!いやいや、ていうか、今流してんだったら結局見てるって訳よ』

 

 麦野がつけたレコーダーには、自画撮りでもしたのかフレンダ自身が映っている。最初の切り口からその内容がビデオレターだという事が伺えた。フレンダがいう佐天という言葉に、先程の写真の少女である事に違いないと浜面は確信する。その子に宛てたものだろう。

 

『それはさておき、誕生日おっめでとーう!あんまりにも時間が無かったから大したものは用意出来てないんだけど、佐天は気にいるかな?まあ、気に入らないでも貰ってよね、二ヒヒ』

 

 結構念入りに調べる癖に何いってんだかと、そんな様子を見て悪態を吐きたくなる浜面。

 それに加えて、飄々といったフレンダを見て、浜面はその相手がやはり年下なのだろうと推測出来た。絹旗に接していたような口調だったからである。しかしながら、彼女のそういう剽軽な一面を見る事が出来るのはなんとも久しぶりだった。

 麦野は口をあんぐりと開けたまま、画面を見ている。浜面からしても緊張してた空気を感じていただけに何処か拍子抜けしていたのだ、しょうがないだろう。

 画面はそのまま続く。

 

『本当は祝いに行きたかったんだけどね〜なんて、やっぱり、誕生日でしょ!!同じ真のサバ愛を持つもの同士、サバケーキなんてのをやってみたかったのよね!!』

 

 なんじゃそのイロモノケーキ、とたまらず浜面は笑っていた。

 同時に彼女の趣味に会う人間がいた事に浜面は驚いていたのであった。

 

『あのさー、ほら。前に言ったでしょ?パワーがゴリラの先輩。丁度佐天と誕生日が重なっちゃっててさ、当日はそっちの方に行く事にしたの。祝いたいって気持ちはおんなじなんだけど、ね。そりゃ怒られてはよくぶん殴られるし佐天ほど優しくはないんだけど、というか結局、佐天は見ず知らずの奴にサバを恵んでやるほど優しすぎるって訳よ』

 

 画面上のフレンダの言葉には心当たりしかない。それにしても、パワーがゴリラというパワーワード、普段から被害を受けている浜面にとって納得の一言だった。

 しかし、それを当人に見られているというのが冷や汗ものであった。きっと、フレンダが生きていたらこの後タダでは済まないだろう。

 生きていたらの話、ではある。

 浜面の位置はモニターからかなり後ろの位置におり、麦野はそれよりも前にいる事で、彼女の表情は浜面には見えなかった。だから、状況ががらりと変わった今、麦野がどのような表情をしているかは浜面は分からなかった。

 

『でもね。付き合いは長いし、色々面倒見てくれるしで私もその先輩の事が大切って訳よ。結局、祝ってやらないと何されるか分かんないし、ボロボロのお人形抱いて寝ないと眠れないくらいに寂しがり屋だから、誰かが祝ってやんないといけないのよね。だって友達少ないし』

 

「……フレンダ」

 

 大切という言葉に、麦野は肩をビクっとさせた。殺した相手に大切だと言われれば、誰しもがそうなるのだろうか。少なくとも、保身の為に麦野を売ったフレンダがそんな体験ことを言うとは麦野も浜面も思えない。

 しかし、画面に映る少女が話す時のその表情は、愛おしさに満ち溢れていた。それが大切という言葉を否定するには難しいものだった。

 

『まあ、それでも佐天の事を蔑ろにしたって訳ではないから。落ち込むでないぞって訳よ。その分、プレゼントは心を込めたから大切に使ってね。それじゃ〜ね!バイバイ!あと、結局近いうちにサバ料理食べに行くって訳よ!!』

 

 そうしてレコーダーに映る少女は消えた。ここ最近は彼女に似た少女の相手をするからか、浜面も麦野も実際に懐かしいと感じることはない。それでも、彼女の一挙一動がこんなに胸に突き刺さるものだとは思っていなかった。失った悲しみに一つ気づく事がある。それはどんなにいい加減に想っていても、関わってしまったからには、人は出会った人の心に残り続けるという事であった。

 彼女の友人との一端を見ただけでも、それを感じてしまう。人はこんなに弱くなる。麦野がそうしてなったように、浜面にも彼女の喪失を実感したことは堪えるものだった。『アイテム』にいるはずの彼女はもういない。どんなに望んでも。

 

「麦野、どうする?」

 

 お互いにそう思っていたのだろう。長い沈黙が続いた。

 浜面のどうするという問いかけは、そんな沈黙に終止符を打つものだった。今現在、フレンダの一部分を知れた麦野の心は穏やかだろう。今から、帰るかと聞けば納得して帰ることも彼女には出来る。

 意を返せば、浜面の問いかけは、()()()()()()()()()()()()()()()()()、という優しいものだった。

 

「……いや、いいよ。片意地はるのはもうやめた」

 

 彼女はその問いかけに対して、漸く受け止めてみせると言った。

 その顔に光が少し戻った気がした。

 

「……そうか、でもよ、きっと、辛いぞ……」

 

 もしも、今から見るものが、優しいものであればあるほど、柔らかいものであればあるほど、彼女の心は辛くなるだろう。

 絶望なんか通り越して、発狂してしまうかも知れない。

 フレンダのそんな優しさが麦野には触れるというのであれば、彼女にそれを触れさせない決意だって浜面には出来た。

 それでも彼女は受け入れると言ったのだ。

 彼女達を守るという決意をした浜面だが、それ以前に彼女達の意思を尊重したい。きっと光を浴びなければいけない彼女達を精一杯応援してやりたいと思う気持ちは、間違ってはいないはずだから。

 

「……うん、でも、あの子の方がもっと辛かっただろうから……」

 

 そう言って、麦野は再度リモコンのボタンを押す。彼女の目尻には既にキラリと光るものが見えた。

 

『じゃかじゃかじゃーん……違うな。じゃかじゃかじゃーん!かな?』

 

 またもや、自画撮りしたフレンダの姿。自身が踊っている映像が幾つも収まっていた。

 どうやら誕生会の余興か何かの練習らしい、と浜面は考えていたが、

 

『じゃが、じゃか、じゃん、じゃーん。よし!結局こっちな訳よ。……へっへへー。麦野のヤツびっくりするかなあー?』

 

「……、」

 

 その屈託のない笑みを見て。

 麦野の事をやいよやいよと言いながら愛おしそうに語る顔を見て。

 これから自分の身に何が起こるかを微塵も感じていない顔を見て。

 浜面は、そっとレコーダーのリモコンを操作した。

 

 ()()()()()()

 

 絶対に麦野には見せたくなかった。もし、別のシチュエーションでこの場を訪れ、この映像を見たら、浜面はここで見た全てを墓場まで持っていく決意をしただろう。

 

「……フレ……ンダ……」

 

 麦野は今まで何があっても流してこなかっただろう涙をダムが決壊したかのように流していた。平穏を手に入れてから、彼女の墓を訪れた時でさえ、麦野は涙を流しはしなかったのだ。きっと、これまでたくさんの場面で我慢をしていたのだろう、それが今、溢れてきても仕方ないのだ。間接的でも彼女の気持ちを知る事が出来たのだから。

 しかし、左目からしか涙は流れない。彼女の身体は幾らあの超人的な体術を繰り出そうと、破滅的な電子砲を出すレベル5といえど、既にボロボロになっているのだ。右目は特殊メイクを用い気づかれることはないが義眼である。だから幾ら脳から信号が送られても涙は出る事はない。

 

「……ぁ、ぁあ、っぐ、……ぁァアアッ!!」

 

 涙に遅れて、声が今度は漏れ出てくる。行き場のなかった思いが、彼女の優しさが方向性を決めて、それを全て吐き出させていく。

 馬鹿だ。最低だ。なんで。あんな。やだ。いやだ。ごめん。痛かったよね。死にたくなんてなかったよね。憎いよね。生きたかったよね。ごめんね。許せないよね。酷い。もう、何もかもが。フレメアに会いたいよね。呪ってるよね。こんな女に殺されて。ああ。泣きたい。死にたい。代わりに死にたい。私なんか。生きる価値もない。今のうのうと生きてる自分がイヤだ。苦しいよね。もっと私を、苦しませてよ。フレンダ。フレンダ。フレンダ。ゴメンね。ホントにゴメンね。

 

「……ンダ、フレ、ンダ……。ッっぐ、ぁあ……」

 

 浜面はそんな彼女の苦しみに寄り添ってやりたかった。けれど、麦野の胸の内に抱えているものは大きすぎた。それをただ呆然と見ているだけで、麦野の肩に置こうとした手は宙を彷徨っている。

 

「……っぐ、ぁっぐ。ごめん、はまづぅら。肩、貸してよ、ッ」

 

 今迄見ることのなかった彼女の最大の弱さに、浜面は拒否する気持ちも湧かなかった。

  片手で彼女の頭を寄せて肩を貸す。麦野、大丈夫だ、と背中をさすってやりながら、暫しの間、浜面は彼女の濁流のように流れる感情の波を沈めてやった。

 

 

 

 

 




フレンダ=セイヴェルン。原作において、死んだことが個性とされている彼女ですが、それに対し、麦野はどう思っているのかというのが主な内容になりました。自分自身稚拙な文章で、麦野の心情を伝えにくいのが、残念なところだなと感じています。
話の進行上、アイテムの面々がダイヤノイドに訪れているのが早くなっております。その時のifという形でも今回の作品は観れるのですが、いやその前に全然クロスしてないですやんって内心思ってます。
アトリエシリーズの事が分からない人でも、とあるの方である程度の目的を決めておいて話を進めていきますので、よろしくお願いいたします。


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4話 案内人

明けましておめでとうございます。
かなり間が空きましたけど、結構覗きに来てたり。
でも日進月歩、暇な時に書けると楽しいです。



 

 

 

 

「貴方のコーヒー、やっぱり疲れた時に飲むのが一番ね」

 

 薄いクリーム色のマグカップを両手の指先で支えながら、ありがとう一方通行、と芳川桔梗(よしかわききょう)は重ねて軽く告げる。一方通行(アクセラレータ)とテーブルを挟み、湯気越しに語る彼女の顔は満足そうなものであった。

 彼女は今しがた日銭を稼ぐために大学で臨時講師をしており、つい先ほど次回の講義で使う資料を作成し終えたところだった。久方振りのデスクワークは体全体に負担を掛けるもので、かなりの疲労が見られた。しかしとて再就職のための道のりは苦痛ではなく、むしろ充実感を感じられるものであった。その充実感からか、この時に飲む一方通行が淹れたコーヒーは一段と美味しく感じる。少なくとも、芳川には彼の厚意が含まれていることも理由の一つだと感じるのに無理はなかった。

 

「……ったく、いいから黙って飲め。で、これ飲ンだらさっさと寝ろ」

 

 時刻は既に夜の十二時を回っていた。一方通行もいち保護者という立場にいる身として、このような時間にわざわざ騒ぎ立てる事もないと芳川の言葉に適当に応じる。以前の彼にはありえないだろう行動だったが芳川は驚きもしなかった。芳川もまた、そんな彼の変化をちゃんと理解している彼の保護者のうちの一人だった。

 

「あら貴方にしては珍しい、もしかして心配してくれているのかしら?」

 

 その上で、彼女は揶揄いの意と少しの愛情を込めて顔をニヤつかせる。

 あの一方通行が、誰かの為にコーヒーを淹れるだけでも物珍しいものだが、更には自分の体調まで心配してくれている。この事実に突っ込んではいられないほど、芳川も目の前にいる人物がただのやさぐれた青年だと思うような素人ではなかった。その気になれば自身が愉快なオブジェになる可能性だってあり得ると理解はしていた。

 言うなれば、彼の成長に賭けてみたというか、しかし突発的に賭けてみたものが自分の命とあらばこんな真似をするような人物はいないだろう。この家の家主とその家族を含めては例外と言えるが。

 それはある種、信頼の裏返しが彼女の言動であって、彼もその信頼を薄々感じとっているからこそこのような行動が出来る。そしてこのようなやりとりを出来る関係が芳川と一方通行の間には成り立っているのだ。

 

「……オイオイ、冗談言う暇があるなら、自分の将来でも心配してみた方がいいんじゃねェか?」

 

 しかし、彼も学園都市最強の座に君臨していたとしても、中身は思春期に差し掛かっている、いち青年なのだ。例えば、無意味に(※意味はある)死にたがったり、自分には秘められた力(学園都市第一位を誇る能力)が内包されていると勘違いをしたり(※実際にある)、親の小言に苛立ちを覚え何かと歯向かってみたり(黒い翼を生やして)と、青年期なら誰しもが訪れるであろうステージに彼もいま存在しているのだ。

 ――やっぱり訂正する。こうは言うが、彼は普通の青年とは程遠い気がする。

 横道に逸れたが、とりもなおさず、かのフロイト学派の精神学者はそのような青年期の事をモラトリアムと名付けた――彼もまた己がアイデンティティを確立しようと四苦八苦している青年なのだ。

 今が大事。鳥籠に収められるべき能力、血塗られた因果を持つ彼にとって、今このような平穏な時期が、どれほど彼に良い影響を与えるかは言うまでもない。その環境を与える立場にいるのは保護者として芳川は当然の立場にいる。だから、彼に対して一人の親として、子にこのような会話を望むのは間違っていない。

 この気持ちが一方通行な想いだったとしても。

 

 そう――芳川桔梗は間違ってはいないはずなのだ。

 

「だっても何も、居候の癖してェ、食費も生活費も払わず胡座かいてるのはオトナとしてどうなンだかな、芳川ァ?」

 

 しかしとて、先ほども言った通り、彼もまた思春期に生きる青年なのだ。それは主として怒りの沸点が低い事を表す。癇に触れることがあったなら、即座に反発してしまうのも無理はない。それが保護者であればそれだけ、相手がとくとくとしていればいるほど尚更の事である。しかし、親というものは常に子供にとって指針たり得る存在であって、子供の多少の反抗程度で親は揺るぐことはない。

 だが裏を返せば、親の背中を見て子は育つという言葉があるように、親の不出来なところも子はまた見てしまうからして、芳川の背中は随分と爛れているのが一方通行には理解出来ていたのだ。なんなら一方通行の方が芳川の分を含めて家族の生活費諸々を黄泉川に支払っているレベルである。

 

「っくあァッ……くっ……、あ、あなたね……」

 

「ハッキリ言うとな、オマエよか愛玩動物の方がまだカネ掛かンねェぞ?」

 

「」

 

 先に生まれるから先生。

 確認のための話だが、芳川が当面の目標として目指しているのは教職に着くことである。先達者として子供に教鞭を振るい、時に愛情を持って接することで人格形成の一端をも担い、時に世の中のなんとやらを教えるのもまた教師の仕事でもある。

 おそらく先生とは子供が親以上に接触することとなる大人なのであろう。

 そう、大人だ。芳川桔梗は『落第防止(スチューデントキーパー)』を目指す大人なのだ。

 しかしながら、『大人として』という一方通行の言葉を諌めることが出来るほど、立派に大人を務めることが出来ていないのが芳川の今の現状だった。

 

「(じ、事実有根過ぎて、ぐうの音も出ないわ……)」

 

 心情が擬音として表層に現れる能力がこの学園都市にあるのならば彼女はまさにレベル5級だろう。見れば、ギクッとでも言わんばかりにカップを持ち上げたまま、芳川の動きが止まっていた。対して、一方通行が見せるのは吊り上がった口角であった。怒りの沸点も低ければ、笑いの沸点も低い。心の内では大声で罵って笑ってやろうかと考えるものだが、先ほどから述べるように打ち止めや番外個体がベッドに就き夜も遅いので、その選択肢は一方通行には選べずにいた。そんな選択肢を選ぶくらいには多少マイルドになった一方通行はというと、愉快なオブジェならぬ無様なニートに、持ちうる限りの侮蔑の表情を笑顔として浮かべていたのであった。

 しかしながら、同じ屋根の下で暮らす前から関係があった彼彼女らが、紆余曲折もありつつこのような言い合いが出来るようになったのだから、人生とは果たして不思議なものである。

 

「し、しかしあれね、愛穂ったら帰ってくるの遅いわね。幾ら休日前だからって、夜遅くまで飲みすぎじゃないかしら……」

 

「都合が悪くなったからって逃げンなよ。まァ、たまにはいいンじゃねェの?家で騒がれるよりはよっぽどマシだしなァ」

 

 ソファーを、――正しくはリビングを根城としている一方通行にとって、家主の酒癖の悪さに付き合わされるのは幾度となく起こってきた事実でしかない。その度に、やれ酒に合う肴を作れだのやれ愚痴を聞けだの疲れたからマッサージしろだの理不尽に曝されてきているのは願いたくもないオマケだ。

 元々の目つきの悪さに加えて死んだ目をしながら、理由が理由に一方通行はそう言ったのであった。

 対しては、自分もそんな黄泉川に幾度となく付き合ったことがあるからか、一方通行の言葉に含まれた悲壮感をなんとなく察知している芳川もそれに続く。

 

「ホント、丸くなったわね貴方。コーヒー中毒者の貴方に言うのは御門違いかもしれないけれど、くれぐれも愛穂みたいな呑んだくれにはならないようにね。あぁ……私も久しぶりに生ビールが飲みたかったわ。もう第3のビールで日々を誤魔化して生きていくのは散々なのよ……」

 

 美味しいお酒が呑みたい、と溜息混じりに言いながらテーブルに突っ伏していく芳川。錆びた歯車に差す潤滑油のように大人にとってアルコールは必要不可欠なものなのだ。

 しかしとて、そんな常識が一方通行に通用する筈もなく、一方通行はさらに傷口に塩を塗るかの如く告げるのだった。

 

「あァ……少なくとも、オマエみたいな無様で滑稽な大人にだけはなりたくねェな……」

 

「それは失礼ね、一方通行。私はただ自分に甘いだけよ……」

 

 抵抗してみせるものの余程自分が惨めなのか、芳川の瞳には一方通行が滲んで見えていた。

 それでも芳川は平生を装うだけの気概はあるらしく、纏わせる雰囲気を物暗く、アンニュイで哀愁を漂わせようとしてくる芳川女史。

 だがしかし、話している内容は形無しである。

 

「芳川……、オマエのその言い草はよォ、あのガキが普段駄々こねてる時となンら変わンねェからな……」

 

「……認めたくないけど、否定できない自分が悲しいわ……」

 

 そう言うと一方通行は背もたれに頭を乗せてため息を吐く。そして芳川はそのまま静かに死んでいた。

 廃れた大人の姿ほど、惨めなものは無い。そんな姿が打ち止めの将来に悪影響を及ぼすかもしれないという事を考えると、危惧の心を抱くのは一方通行でなくとも誰でもそうなってしまうだろう。それにしても、性格は教師を目指していただけに温和。研究職崩れがそうさせているのか化粧っ気は無いが、容姿は彼女の同年代の中では見劣りもしない方だろう。少し残念なところもあるけれども、分別をしっかり弁えられる人間ではある。酒がなんだと喚くくらいなら、とどのつまりそれ相応の男性で引っ掛けて家庭を築いてしまえば良い。家族贔屓目を差し引いても芳川桔梗は女性として立派であり、彼女のような人間ならば結婚を申し願う男性は引く手数多だろうに、と柄でもないが芳川に対する一方通行の評価はそのようなものだった。

 そんな考えがよぎってしまうくらいには、彼にとって芳川は光の道を歩いてほしいと思える数少ない人間だったのだ。

 

「(事実なだけだが、口にする気は起きねェな……)」

 

 普段は邪険に扱っている芳川だが、この数ヶ月家族として暮らしてきた事に嘘偽りはない。あの実験に関わった事で一方通行までとは言わないが、彼女も許されざる業を背負ってしまった。だが同時に彼女があの時妹達にしてやった事がその業を彼に証明するのにはなり得なかった。

 それは芳川自身が自覚している芳川桔梗の本質ーー優しいのではなく甘いという性格が、その矛盾を作り出していたのかもしれない。無論、優しさが無いという訳でもない。そうでなければ、二万体もいる妹達一人一人に名前をつけようなどとは思わないだろうし、複製人形である彼女達の顔を覚えようと躍起になったりはしない。

 ましてや妹達を守るために銃弾を生身に受けることも無かったはずなのだ。

 彼彼女らの経緯は複雑だった。今でこそ自身を悪党だと言い切る一方通行も、根っこから闇に染まっていた訳ではない。

 幼い頃から才能があった彼は否応無しに周囲の大人達によってその人生を歪めさせられてしまったのだ。

 だから今いる妹達も、あの実験の事で安易に彼を責め立てない。もし彼女達に責め立てるべき人格が根付いたとして、それを加味しても結果は同じだろう。

 周囲の大人達に歩む道を一本化され、最強に拘る事でしか己の存在意義を見出せなかった人生。悪に堕ちゆく彼を見て見ぬ振りをしてきたのはやはり大人達だった。無論、妹達がその経緯を理解しているかは定かではない。だがそれでも彼女達が明確な答えを一方通行に示さない事が、彼女達に簡単には断罪されない現状が、一方通行にとって受け入れるしかない苦痛となっていた。

 そしてまた、その優しさとも言えない彼女達の態度からか、一方通行は自身を糾弾しなければ平気ではいられなかった。

 あの時のバックボーンがどうであれ、結局彼女達を踏み台にする決断をしたのは自分なのだと、本来彼女達が問い詰めるべきそれを、一方通行自身が己に示さなければならなかった。

 

「(芳川もアイツらも……、人殺しの俺と住ンでンだ……。ホントは俺に言いてェことぐらいあンだろうによォ……)」

 

 安易に責め立てられるならばどんなに楽になれるのだろうか――それは今の今まで何度も思ったことだ。目的を成すこともなく、道半ばであの実験が終わってしまったから尚更に彼は思うのだろう。

 何故なら、最終的には彼は最強に届かなかったから。

 自分でも最強なんてありはしないのではないかと実験に疑問を抱いていたから。それなのにあの実験を受けて、受け続けた結果引き返せない段階まで実験を進めてしまったから。

 そんな自分に嘘をつき続けて行っていたあの実験をなによりも許せないでいたのは一方通行自身だった。

 一方通行が改めて見ると、芳川は勿体ぶるようにコーヒーを啜っていた。何故そのように勿体ぶるのだろうか、コーヒーが美味いからなのか、それとも一方通行との会話に浸っていたいからなのか、少なくとも一方通行が彼女の行動を理解することはなかった。

 

「……さっきのコトだけどよォ、アレが思ったコト全てってワケじゃねェよ……」

 

 目の前にいる彼女は嘘をつくことがない人間だ。自分とはまるで生き方が違う。自分に都合の良い言葉を並べ立てずとも、自分の力で新しい道を歩いていける人間だ。自分とは違う人間。

 自分よりか芳川桔梗は立派な人間だというのに、芳川はそれを勘違いしている。その認識を正すために一方通行は口を開く。

 そう、伝えてないことがある。言いたい事を言いたくなった。それだけの理由で一方通行は彼女に対して言葉を掛けていた。

 そんな行動を起こせるくらいには、彼の成長は彼自身が気づかないが確かに始まっている。少しずつ、ゆっくりと。

 何故だか分からないむず痒さを感じてか一方通行は天井を見上げながら呟く。

 

「……オマエのその生き方はワルかねェもンだと思う。自分にウソをつくこともねェ。……大したモンだ」

 

 つくづく自分のコミュニケーション能力の無さを疎ましく思う。一方通行にとって言葉というものは暗部で請け負っていた仕事よりも面倒なものらしい。ため息が漏れてしまうのが形となって表れていた。

 

「ありがとうね、そう言ってくれて嬉しいわ」

 

 また、芳川にとってもあの実験は忘れ難いものであった。

 情を抱き、妹達に優しさを分け隔てなく与えようとする姿勢。それが自身に、只ならずあの実験に対する罪悪感を生んでいたのだ。

 きっと、第三者からあの実験に待ったをかけられれば、彼女は潔く計画を壊す手助けをしただろう。

 自分に甘かった。彼女は誰かに判断を委ねることで見たくないものから目を逸らし、芳川は自分を保っていたのだろう。それが彼女の自己防衛の方法だった。中止になればそれで良いが、続くのであればそれに従うしかない。

 

「でもね、ああ言ったけど自分に甘いことが最近嫌になってきたの、私」

 

 あの当時、彼女には何かを背負うということが出来なかった。

 彼女は自分では行動を起こすことが出来なかった。

 自分で選んだ道を彼女は歩くことが出来なかった。

 自分から行動を起こせる人間はそう多くない、だから仕方がない。

 そう言い訳出来てしまう。

 だがそれは自らの意思で傍観者に成り下がった事と同義なのではないか。

 

「――この生き方はそんなに褒められたものじゃない。一方通行、自分に正直になるっていう事は必ずしも良い結果を生むとは限らないわ。悩み性の貴方には理解し難いだろうけど、正直になった人の大半は楽な結末に逃げようとするもの。そうね、ソースは我が身可愛さであの子達を切り捨てた私」

 

 故に一方通行の言葉に芳川は否定しなければならなかった。

 一方通行と違い直接彼女達に手を掛けたわけではないけれど、実質彼より先に彼女達を殺す事を決めてしまったのは芳川自身だ。

 だから、あの時のことだけは認めてはならない、あの時の自分の甘さは彼女達を救おうとする意志を放棄させてしまったから。

 

「芳川、オマエ……」

 

 自嘲気味に紡いだ芳川の言葉に一方通行は顔を歪めるばかりだった。

 以前ならば思うこともなかったかもしれないが、芳川は一方通行のこのような表情があまり好きではない。揶揄いが原因で困り果てた顔は好きだが、今のように優しさが垣間見える――憐れみにも似た彼の泣き出しそうな顔はどうにも芳川は好きになれないのだ。

 

「あら、ホントに珍しいコト続きなのかもしれないわね……。もしかして貴方、本気で私を()()()()()()()()()()のかしら?」

 

 彼女らしくない上目遣いは彼には大分効いたらしい。一方通行は呆気にとられ、ここに番外個体がいれば堪らず彼女は笑い転げていただろうと芳川は思う。

 

「もう……冗談よ」

 

 生憎とボケ続けられるのも好きじゃないからと芳川は手を振るって一方通行をたしなめる。

 そうしながら、この子も随分と弱い顔を見せるようになったのね、と今は何処かで酔いどれているだろう友人に心の内で芳川は報告をした。彼の成長が見れたのだ。黄泉川もそれを聞けばきっと嬉しく思うはずなのだから。

 

「ふふっ……だから、愛穂はともかく、くれぐれも()()()()()大人にはならないように気をつけなさい」

 

 誰かに未来を任せてしまうような。そんな意志の弱い人間。

 彼はそんな人間にはならないと信じることが出来るから言える言葉なのだろう。自分の手で妹達の平穏を守り抜くと誓った彼ならば、もう既に道を違える事はないだろうと確信できるのだ。

 だから、マグカップを片手に芳川はおちゃらけた口調で楽しそうにそう笑う。

 一人の青年に託すには言葉が足りないだろうささやかな願い。

 芳川の思っていることが一方通行に伝わったかは分からない。だが自分を卑下しているに一方通行には芳川のその姿がとても誇らしげで大きく見えた。

 

「クカカッ……自分で言うのかよ。否定はしねェがな」

 

「あのね、そこは普通『オマエは十分立派な大人だよォ』とかお世辞を言うところでしょう。社会に出たら嫌でも身につけるべきスキルの一つなのよ?」

 

「……なンだそのきめェ喋り方は……、つゥか、いままでロクに働きもしなかったよォなヤツに、社会の在り方を言われる筋合いはねェよォ……」

 

 首元を掻きながら、気怠げに一方通行は応える。それに対して芳川は、泣きどころを攻められ笑っているしかなかった。

 

「それにな……」

 

 何気無い会話だった。だから、得てして口は動いてしまう。

 だが、すんでのところで言いかけた言葉は喉元で止まる。以前ならば言葉なんて吐いて捨てるような意味しか持ち合わせていなかった一方通行だったが、今では一方通行にとって、言葉がもたらす意味は大きく変わっていた。それは自身が言葉によってどれだけ救われたか、奇しくもそれを身に感じていたからである。

 

「あら?それに……どうしたのかしら?」

 

 一方通行が吐露しかけた言葉におもむろに問いかける芳川。

 向けてくる表情は一方通行には眩しいと思えるものだった。そんな表情に対して言い続けようとした言葉は彼女の問いに相応しいものではない。

 心配や迷惑をかけるのは不本意だ。闇に染まってしまった自分を気にかける彼女達には日毎後ろめたさばかりが募っていく。彼女らとの関係が安易に切れるものならばどれほど良かっただろうか、それならば何も気負う事なく自分の身を滅ぼしていけるのにと思ってしまう。

 

「……いや、なンでもねェ」

 

 これ以上は話すことはないと、一方通行は芳川との視線を切った。

 丸くなったのは認めるが、こんな風に辛気臭いことを考えてしまうくらいには最近の行動はらしくない続きだった。

 例えば、以前は気にすることもなかったが、ここ最近は意識的に裏路地に目を向けたりしている自分がいる。暗部解体後、裏路地特有の歪な雰囲気というものはめっきりと感じなくなったものだが、逆にスキルアウト紛いの輩が彷徨くようになった。

 暗部解体はそもそも、この街の巨悪を無くすため、ひいてはこの街の治安向上の意図を図ってのことだ。

 束の間の平穏だからこそ、そのように思えてしまうのかもしれない。学園都市に居る以上、例え護るべきものに仄暗いものが寄らなかろうが、安全であるとは言い切れないのだから仕方がない。

 

「そう……」

 

 マグカップから手を離し、芳川はそのままのスタンスで手の甲に顎を乗せる。依然として顔は朗らかな顔をしたままだった。

 

「……オイ、人の顔勝手に見といて……どこがそンなに可笑しいンだよ」

 

「いいえ、可笑しいところなんて無いに決まってるじゃない。それに貴方の顔はいつ見ても素敵だから見ているだけよ。それとも、単純に見られるのが恥ずかしいのかしら?」

 

 芳川の愚直なまでのその言葉に、クセェセリフだな、としか一方通行は返すことが出来なかった。

 今まで人と呼べるものから向けられた表情は、一貫して自身の顔色を伺うためのものだった。その中で、一人の人間として存在を求められたことは一切なく、常に求められたのは自身の能力の価値だった。

 だから一方通行にとって表情とは、何かを求めるための手段という認識でしかない。打ち止めにしてもそうだ。少女の見せる表情にはいつも対価を支払っていた。幸い彼女が示す要求の商品価値は低く、それに対価を返すことにそれほど困ったことは無い。

 表情には対価を。それが殺しであっても、施しであっても受けた表情には何らかの対処はする。

 それが一方通行にとっては当然のことなのだ。

 しかし今、芳川が見せる表情が一体自分に何を求めているのか、一方通行には分からないでいた。その全てを見透かすような表情に、一体自分はどう対価を支払えばいいのだと。

 そう思い悩む一方通行の表情は相変わらずぶっきらぼうで太々しい。頬杖をついた彼の姿が芳川にはそう見えたし、芳川でなくともそう思うのは無理はない。

 しかしその姿が、何を考え何を思っているのか、それとなく理解することが出来るのは、彼と寝食を共にしていた家族だから分かることだった。

 

「ねぇ、一方通行」

 

 だから芳川は一方通行に対してこのように優しく微笑んでいられるのだ。

 いつまでも自分に甘い人間だったら、彼に今、こんな風に声をかけることは出来なかったのだろう。気にはかけるが、彼のことは自分では手に負えないと最初から両手を上げていたのかもしれない。

 しかし、今は違う。

 彼がどんな人間かはもう知っている。

 一見、人を寄せ付けない態度をしているが、その実、相手を誰よりも思いやれる人間だということを知っている。

 普段は一蹴してしまうが、押しに弱いことも知っている。

 家族に対して、過剰なまでの気遣いと優しさを持ち合わせていることを知っている。

 自分が犯した罪にちゃんと向き合える人間だと知っている。

 そんな彼だからこそ、芳川はなんとか側に立ってやりたいと思えるのだ。

 自身が持てる優しさで芳川は語りかける。

 一方通行は彼女にとって家族であると同時に、些細なことでつまづいてしまうような悩み足掻く青年―― 彼女にとって初めての向き合うべき教え子ともなっていた。

 

「あなたは見せないようにしてるのかもしれないけど、私達家族はね、あなたの良いところ、たくさん知ってるのよ?あなたが優しい子だってことは愛穂はちゃんと気づいてるし、いつもは憎まれ口を叩いてるけど番外個体もあなたの良いところを言えるはず。それに、あなたが一番隠したがってる相手だろうけど、あの子だってもちろん貴方の優しさや良いところをちゃんと知ってるわ……」

 

 面食らうなんて久しぶりのことだな、と一方通行は可笑しくも客観的にそんなことを思う。

 しかし、表情こそ突っぱねた態度のままだったが、内心では冷や汗をかいてもおかしくないほどに一方通行は心揺さぶられていた。

 それこそ、芳川の口からこんな説教が飛び出してくるとは思わなかったからだ。

 

「……きっと、あなたは今、変化をしている途中なのね。自分の心がふとしたことで揺らいでしまうことに悩んでいる。何事も拒絶してしまう昔のあなたと、変化を受け入れようとしていく今のあなたとで激しい葛藤があるのでしょう。……あなたのこれまでの境遇は図り知れないものだし、とても辛いものだと思うの。だから、拒絶することでしか自分を守ることが出来なかったあの時の自分、昔のあなたの在り方を一概には否定することは私には出来ない。でも、今この変化だけは拒絶しないで欲しい……それはあなたの未来を、ひいては妹達(あの子達)を拒絶してしまうことと同じことになってしまうから」

 

 効率と合理性の追求の成れの果てが研究者という道を示すのなら、彼女もその末端に位置するだろう。研究職を捨て、教師という道を志した彼女にはいくつもの課題がある。それを克服するためには彼女の中に存在する常識を一回改めなければならないのだ。余裕や無駄の意義を理解し、よしとする考えがなければ、生徒に面と向かい合うことは出来るのだろうか。教え子に試験で満点を取らせることは出来るかも知れないが、それ以外のことは殊更何も出来ない人間にしてしまうのではないか。彼女の気質から考えて、彼女の教師像というものが、そのようなものしか浮かばないのは考え過ぎなのだろうか。いや、きっと誰しもが思うことなのだと思う。

 

 ――確かに()()()そのような気持ちを抱いていた。

 だが、今の芳川の言葉がそれらを証明するには程遠いものだと一方通行は感じてしまう。

 

「(芳川に黄泉川……、俺はオマエらみてえな人間にはなりたくてもなれねえンだよ。俺が殺したアイツらに、アイツらから幸福を願う権利さえ奪っちまった俺が、オマエらみたいな立派な人間になるのは、ましてや幸せになろうとするなンて無理な話なンだよ……)」

 

 こんなことを言ってしまえば、目の前の人物は一体どのような表情を浮かべるのだろうか。悲しみに顔を歪めるのか呆れて澄ました顔をするのか、それとも、変わらずに笑顔を向けるのもしれない。

 しかし、どのような結果としても、彼女に良い思いを与えることはないのだろう。

 だから。

 深く深く、先ほど出掛かった言葉を咀嚼する。血肉の味よりも苦く感じるのは、きっと己の業の深さが理由だろう。その業に気づけたのは、上条当麻--自身がヒーローと呼ぶ少年に出逢ってからのことだ。

 そのヒーローに憧れたのはつい最近までの事だった。自分を倒し、こんがらがったあの実験を綺麗に解決していった男。立ち塞がったのは自分。殴られたのも自分だったが、不思議とヒーローにしてやられてみれば苛立ちなどはなく、自分の中でもすぐに精算出来ていた。

 敵を寄せ付けない強さから、何かを守れる強さを欲し始めたのもこの時がきっかけだったのだろう。

 そうして、流れるままにヒーローに憧れた。

 それと同時に自分はそんな善人という柄ではない事も知っていた。

 ならば、目的の為なら手段を選ばない悪党になろうと心に決めた。

 だが、悪党という立ち回りは自分には必要なかったと漸く気づいた。今でも悪党らしくという気持ちは若干あるが、悪党である必要性を感じなくなった。

 純粋に守りたい、届かない想いをしたのは幾度となくある。影から守るなんて、そんな大仰な事は自分には出来ないと悟った。

 悪党でいる限り、憎しみの連鎖は続く。それがいつ打ち止め達に降りかかるのかは起こってからしか分からない。

 だから、悪党へのこだわりも捨てた。その時存外気持ちが軽くなった事に、自身の囚われやすい気質に吐き気がしてきたものだと一方通行はかつてのことを振り返る。

 

「……そォだな」

 

 そうして今、新たに思うことがある。

 何故そう思うのかは分からない。今までの自分では絶対にありえないことだとは理解していた。

 いつも自分一人で面倒事は背負ってきた。いつか降りかかる面倒な火の粉も自分で振り払えばいい。自分は学園都市が誇るクソッタレの第一位なのだからそれは出来て当たり前のこと。

 しかし、誰かに頼らない為の言い訳を考えるよりも早く、口からは情けない嘆きの声が出てしまっていた。

 一方通行はポツポツと、攻撃性などまるで感じさせない声色で続ける。

 

「――いつか……いつか、悩みに悩ンで、どうしようもなくなって、それでも分からなきゃならねェ事があった時、オマエらのことを頼るかもしれねェ」

 

 言いながら頭の中は真白に染まっていく。口から勝手に出る言葉は己が認めたくない部分。自分の弱さから出るものだとははっきりと分かっていたのだが、今更口を閉じる気にもなれずにいる。それに今ではそんな自分が不思議と嫌いにはなれなかった。

 ――だが、認められない。

 言いたいことは分かる。これから家族に向き合わなければならないとも思う。それが結果として幸せへの道筋になるのではないかと感じている。

 しかし、先ほども言ったように自分にはその幸せを享受する資格があるとは到底思えないのだ。

 きっと、一方通行が変わろうとすることを彼らの家族は拒絶することはない。

 しかし彼はまだ、しがらみを無くしたこの現状を密かに受け入れられないでいた。

 

「そン時はァ、多分……迷惑掛ける」

 

「……ええ、もちろん。存分に掛けなさい」

 

 自身の頼みに清々しい顔で応じる芳川を見て一方通行は、本当にらしくねェ、と呟きながら頭に手を遣った。少しは気が紛れるかと思ってした行動、それでも一方通行は感じていた歯痒さを紛らわすことは出来なかった。

 

「(オレはいったい、どうありたいンだか……)」

 

 インターホンが部屋に響いた時は、歯痒さが抜け始めちょうど一方通行が自身の存在の在りように考え出した時だった。

 

「多分愛穂ね、やっと帰って来たのかしら。一方通行、迎えてあげて頂戴」

 

「……あァ、ガキ共が起きたらメンドくせェからな。見越して静かにさせる……」

 

 思考の波に飲まれる手前。こうなれば、下手をしたら二時間三時間は考え込み出す事がある。自分の悪癖とこの部屋の主人の迎えなら、必然的にも後者を選ぶだろう。

 大体、いつも連れて呑んでる輩はメガネを掛けた後輩アンチスキルだか、同じ高校の教師だか言ってたよな、と一方通行は黄泉川に迷惑を掛けられている人物を想像し、扉を開ける。

 

「あっ……、夜分遅くにごめんなさいね。黄泉川さん、ウチの小萌が相当付き合わせたみたいでなんだか申し訳ないわ」

 

 案の定、酒気を漂わせながら当人達はいたわけであるが、改めて目を疑う。

 いつなん時も年中ジャージ女にかたやどう見ても幼稚園児にしか見えない少女。以前にもこの幼稚園児は見たことはあるが、こいつが酒を飲むとは信じられないというのが至極真っ当な感想なのだが、一方通行にとって問題はそれだけではなかった。

 

「それと、案の定迎えに来たはいいけど二人とも呑みつぶれちゃったみたいで三半規管に負担がかかるから安易に能力も使えないし……よかったらこの小さい方、泊めてあげてもらえるかしら?ウチで預かってもいいんだけど、小萌のアパートじゃ遠いから、とりあえず黄泉川先生の家まで来てみたワケなんだけど……」

 

 聴き覚えのある声から、なんとも申し訳なさそうな意思が伝わって来た。

 呑んだくれ二人を抱えるのはやはり大変なのだろう。此処まで黄泉川を抱えて来てくれた人物は息も絶え絶えになりながら状況説明をしている。その様子を見ていて、一方通行はその役割が自分ではなくて良かったと思うばかりだ。

 以前として、ゆっくりと肩で呼吸するその人物は一方通行の存在に未だ気付いていない。気道を確保する為に下を向いているのだから無理もないだろう。

 ()()()()()()()()()()()を一方通行は目を細めてじっくりと見つめる。

 ロングの紅い髪を肩のところで揃えて二つに結んでいるところに一方通行は妙な懐かしさを感じていた。このような髪型をする人間に一方通行は大分心当たりがある。

 酔いつぶれた大人達に肩を回し、間で板挟みになっていたのは彼にとっても見知った人物だった。

 

「おい、結標……オマエなンでこンなとこにいやがンだ?」

 

 なまじドスが効いた声ではあったが、一方通行当人としてはそれは恐る恐る問いかけたつもりだ。

 声や髪型はそうとはいえど、本人であるかの確証は一方通行は持つことが出来なかったのだ。

 それにギギギと、蛇に睨まれた蛙のように首をもたげる人物。結標疑惑があった結標本人である。

 黄泉川が年中ジャージなのに対して、さながら彼女は年中露出狂のサラシ。一方通行が二人の人物のそれぞれ抱いてる外見の印象を的確に表現するならこうだろうが、結標に対してはどうにもその()()()()()()()()()()()()()

 彼女は、羽織っているロングコートの下に、あの逆説的に肌色を象徴するサラシは何処に行ったといったというように厚手の白いセーターを着込んでおり、下には膝下まである紺のフレアスカートをそつなく着こなしていたのだ。彼女が顔を上げた瞬間、不覚にも一方通行は大人びていて綺麗だ、などと思ってしまった。当然といえば当然である。なにせ一方通行の周りにはお洒落をする女性などいないのだ。仕方ない。

 だがそんな免疫がない一方通行にしてみれば、普通の服を着ている彼女に、目を疑ってしまう自分は果たして間違っているのだろうか、いやそんなことはないはずだとしばらく自問自答を繰り返してしまうのも無理はなかった。

 それほどまでの衝撃が一方通行には訪れていた。

 そう、目の前にいる彼女は、最早代名詞である露出狂の片鱗をも示すことのないような格好をしていたのだ。

 

「…………あら、一方通行。ええと、そうね。こういう時は何て言えばいいのかしら?」

 

「…………そうだな、不幸だァ〜とかで良いンじゃねェかァ?」

 

 かくして、元同僚との久し振りの再会である。

 

 

 

 ××××

 

 

 程なくして、黄泉川愛穂(よみかわあいほ)月詠小萌(つくよみこもえ)の両名を黄泉川の自室に叩き込み介抱を終えた一方通行は更なる問題に直面していた。この時芳川が「夜更かしし過ぎないようにね」とさも空気を読んだかのように、要らぬ世話を掛けて自室に戻っていった事を一方通行は呪いに呪っていた。

 

「……、あァ、メンドくせェ……」

 

 口にはするが、音となっては響かない独り言となってその言葉は消えた。

 彼がそう思うのには、眼の前でしおらしくしている赤毛の態度が今まで見た事もないようなものだったからなのかもしれない。

座標移動(ムーブポイント)』――結標淡希(むすじめあわき)

 一方通行にとって最早説明するのが億劫になってくるほど、彼女との関係は只ならないものであった。

 その顔に拳を叩き込んだ男と叩き込まれた女。計画を潰し、潰された間柄。同じ暗部組織の構成員。ロリコンとショタコン。痴女とウルトラマン。

 そして呑兵衛同士の居候。

 何ヶ月ぶりかに分かる新事実にただただ辟易するしかないのは、一方通行だけでなく、結標とて同じ事だろう。何故そう分かるのだと聞かれれば、出会った時に見せた彼女の顔が何とも形容し難いものとなっていたのが何よりの証拠となっていた。

 

「ありがとう、一方通行。わざわざ飲み物まで出して貰っちゃって」

 

「いや、黄泉川が迷惑掛けたみてェだし、一応知らねェ顔では無ェからな」

 

 此処まで黄泉川を連れてきてくれた義理、じゃあな、の一言とともに門前払いする訳にも行かないのが社会というものか、一方通行も多少の常識と良識を兼ね備えるようになったので、結標に今しがた丁重におもてなしをしている最中なのだ。彼女が言った飲み物というのもそうだ。

 口に合うか分かンねェけど、との言葉とともに出したソレ。

 不健康そうな見た目をしている番外個体用に一方通行が以前作った野菜ベースのスムージーは、どうやら結標のお気に召したらしい。不味そうな顔をしていない事に少し肩の力が抜けたというべきか、一方通行とてこのような展開は緊張せざるをえない。仲間といえども、お互いの腹の探り合いは否が応でもしてしまうのが、裏の世界に身を置いていた者の考え方としては至極当たり前のこと。

 それが起因して相手の好物を知ってしまうのも副次効果と言えるのだろうか、結標が健康志向で野菜を好んで食べていた事を咄嗟に思い出して、そこからスムージーを出した一方通行の選択は、結標の反応を見る限り間違っていなかったのだろう。

 とにかく、自身でも気付かない内に一方通行は気を遣っていたのだ。それが不気味だと思う結標も別に不思議ではない。だから両者の間に何とも知れぬ緊張感が漂っていたのは素人でも感じ取る事が出来るだろう。

 

「それにしても、まさか黄泉川先生の所に居候してたのが、貴方だとは思わなかったわ……」

 

「俺もニ五〇年法の完成形かも知れない奴と一緒に暮らしてるっつうオマエに驚きを隠せねェよォ……」

 

 お互いの居住地が今まで分からなかったのも、この二人にとっては当然のことだった。

『グループ』として活動していた頃は、結標のみならず、不必要にお互いの事を話さないでいた。それは確かに、あの暗部組織の理念が、信頼しあう仲間で結束されたというよりかは、各々が学園都市に守るべき者を人質に取られていたからこその利害の一致、という関係であったからだろう。

 雑談という事はあっても、無闇矢鱈に自身の情報を提示するはずもなかったのだ。

 しかしそれも。

 今となっては過去の事。学園都市に蔓延る暗部組織は一方通行の交渉により解体され、裏の生活を余儀なくされていた人間も解放された。

 結標淡希もその恩恵を受ける一人であった。少年院に送られていた仲間は解放され、表の世界で自由を享受している。そして自身もまた、暗部というしがらみから解放され、平穏無事な生活を送っていた。

 

「(そういう意味でも、ありがとう。会うことが出来たら、ちゃんと伝えなきゃって思ってたのよね)」

 

 ストローでスムージーを吸いながら内心そんなことを結標は呟いた。その感謝が口に出来たならばそれはとても良いことなのだが、唐突な再会にしてお互いの雰囲気が探り合いという感じで気不味い中、そんなことを言えるほど、結標は肝が据わった人間ではなかった。

 何よりも、そのことを口にする勇気より気恥ずかしさが上回っているのが現状としては一番の要因なのだが、その気恥ずかしさの理由には彼女はまだ、気づくことはない。

 

「まさかな……」

 

 今まで張りつめていた空気もだいぶ薄れてきていた中、安堵の声と共に一方通行が一言口に漏らした。以前ならば、シリアスに立ち込めるような一言でしかなかったのだが、そのような空気感になることはない。ひとえにスムージー様々、お互いの保護者のだらしなさ様々である。

 

「えっと、何かしら?もしかして何か付いてたりする?」

 

 ただただ見られていた。見られているだけなら別に気にする必要もないのだが、彼女の過去振り返ってみても一方通行が呆れたような真剣味も感じられる表情でまじまじと見てきたことはそうなかった。

 口を中々開けない彼に、それとも髪の毛がはねてたのかしらと自身の頭をさする結標。

 

「……そうじゃねェ。ただ、もう会うことはねェと思ってた。オマエらにはな……」

 

 口をまごつかせていたのは言葉を選んでいたのだろう。それでもトゲのある言葉だと思うかもしれないが、その言葉だけで、それ以前に今日出会ってこれまでの一方通行の態度を見ていれば分かることだった。

 もうあの時の彼ではない。

 彼もまた暗部から解放された、大切なモノを守り切れたのだと結標にはそう実感出来た。

 

「……少なくとも、私は貴方に会いたかったわ」

 

 一方通行の言葉の端々に心にチクと刺すような寂しさを感じてしまう、顔も俯きがちに、彼がどんな表情をするのか怖くなり、だから直視したくないとも思う。それよりも、ずっと思い続けていたことを口に出したから、このようになってしまったのだろう。

 

「会う必要なンかねェだろ……。利用し、利用される。それだけだった筈だ、俺たちの関係は」

 

「それでもよ。……あの時互いに、命を預け合った仲間であったことは事実でしょ」

 

 一方通行の否定的な言葉の数々に結標は胸が締め付けられるような想いであった。確かに一方通行が言っていることは間違っていない。イリーガルな暗部組織は馴れ合いによって出来るものではない。『グループ』はそれが顕著に表れていた暗部組織だ。トレーラーハウスの車内に流れていたギスギスした空気感、あそこを居心地が良いと思うものはいたらそれは精神的被虐主義者か、空気の読めないアホかのどっちかだ。

 

「そうか結標……」

 

 一方通行の声色の変化に結標自身もまた顔を上げた。

『ドラゴン』との接触。学園都市の最奥地と言っても過言ではない機密に触れたあの日。結標自身はなす術なく倒れた。その最中、崩れ落ちる視界の中で結標が見たのは単身『ドラゴン』と向かい合う一方通行だった。もしかしてと言わなくても、その不可思議に殺されていたかもしれない。抵抗する暇もなく、命を刈り取られていたに違いない。それでも生還することが出来ていたのはあそこで立ち向かった一方通行のお陰なのだろう。

 気が付くと全てが終わっていた。

 気が付かないうちに暗部は解体されていた。

 あの日救えなかった『仲間(あの子達)』は救われていて。

 あの日守りたかった『仲間(グループ)』を守れなかった。

 共通して、守りたいものがあった『仲間』。

 その内自分だけはあの『仲間』に『守るべきもの』を助けられた。

 感謝してもしきれない。そんな『仲間』は今でも結標の誇りになっている。

 そしてあの時、芽生えた感情は今でも心に刻み付いている。

『グループ』は結標淡希にとって大切な守りたいと思える『仲間』なのだ。

 だから、また会いたい。此処にいる残虐で頼りになる第一位だけでなく、誰よりも冷静な似非ヤンキーに、いつも澄まし顔が鼻に付く仮面男にも。

 

「ア、一方通行……」

 

 分かってくれたのね、と目尻に涙を浮かべつつ結標は笑顔を崩さぬように一方通行に声掛けた。

 それを踏まえて、一方通行は結標の辿々しい声に呆れながらこう告げたのだった。

 

「分かった……、ひょっとしてオマエ、ショタコン拗らせすぎて馬鹿になっちまったンだな。……否定する必要ねェ、別に卑下するこたァねェ。昔のよしみっつうのかァ、理解してやるぜェ……」

 

「あ、貴方どどどこから発展したらそんな話になるっていうのよ!?つーか、寧ろ自分だけの現実が拡張されて能力が上がるまであるわぁ!!」

 

「あァ、分かってる分かってる……。理解されないのはさぞかし辛かったンだろうなァ……」

 

「絶対ナニも分かってないわよね!!?」

 

 もうなによなによ凄い恥ずかしいんだけど、と必死な結標を横目にしつつ、一方通行は軽く彼女をあしらった。

 

「ハ、らしくねェ……」

 

 背もたれに腕をもたげながら出てきた言葉は案の定、自分を否定する言葉だった。

 裏の繋がりがあった結標とまでも、こうして馬鹿さ加減満載な会話が出来てしまう。彼にとっては大きな変化だった。それを理解しているのもまた平穏な生活とやらのお陰だろう。

 

「なァ、結標……」

 

「ふん……揶揄いなら受け付けないわよ」

 

 興奮気味な結標に、一方通行は落ち着いたトーンで声をかけた。

 一方通行も黄泉川を送ってくれた手前、少々やりすぎたと反省している。これでも。

 

「ったく、そォじゃねェよ」

 

 椅子から立ち上がり、結標のすぐ真横まで来ると彼はただ、こっち向け、とだけ言って座っている彼女を見下ろした。

 

『もー、アナタったら!こんなにおしゃました女性を前にして感想を言わないのは男として最低な行為なんじゃないの?とミサカはミサカは機嫌を損ねているけどアナタに褒め言葉をかけてもらったら実はどうでもよくなるんだよと教授してみる!!』

 

 平穏な生活の中で築いた想い出の数々。

 この想い出を築けたのは少なくともあのクソッタレな暗部の中でも生き残ることが出来たからだ。認めたくはないが事実。『グループ』のあのメンツ以外で生き残ることが出来たかと言われれば難しかっただろう。互いに礼を言ったことはない。クソッタレ同士で張り合う札なんてないと思っていた。

 だが、今こうして偶然に結標淡希と遭遇し、互いの近況を報告をし、気を遣いながら、他愛も無い話をしていて、そうしている中で、込み上げて来るものが一方通行にはあった。

 ヒーローに憧れていたあの感覚とは違う。

 悪党であることに矜持を持ち合わせていた時とはまた違う。

 ロシアで打ち止めに心中を吐露したように、情けなくても心に充足感が湧く、あの時と似たようなものが。

 ()()()()()は詳しくは分からない、正直自分でも自分を今こうして突き動かしているものが何なのかが分からないでいる。それでも、心の奥底でしたいと思っていることに一方通行は自分の制御を委ねてみたのだ。

 

「服……似合ってるな。オマエはスタイルが良いからなンでも映えンのかもォしンねェけど、いつもと雰囲気違って単純にキレイだなと思うわ……」

 

「――な、なに急に言い出すの」

 

 何をするのか分からないまま傍に来た一方通行に、結標はただ彼の顔を見上げるだけだった。一方通行の手が彼女の頬に伸びる。

 一度はその顔にあろうことか拳を捻りこんで入れた一方通行だが、結標の顔にそれが痕になって残っているようには見えなかった。

 今更ながら酷いことをしたと思う、責任を取れと言われれば是非も言えないだろう。

 しかし、後遺症も見る影はなく、以前よりも美しく見えるのは何故だろう。手を伸ばしたくなる。光に生きる人間とは違い、彼女は闇に属していた人間だ。彼にとって手の届きやすい位置にいる人間であるのに間違いない。

 だから自然と手を伸ばしていた。別に滅茶苦茶にしてやりたい訳じゃない。打ち止め達はいつか自分の手元を離れ巣立ちする日が来る。光に生きていてほしい少女達が自分といつまでも同じ場所にいるのは好ましくないから。――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 代わりに、なんて吐き気がする言葉だと思う。代替品模造品欠陥品。

妹達(シスターズ)』は目的は違えど彼女達は『(御坂美琴)』の代わりに造られて、『(御坂美琴)』の代わりに死んでいった。殺した張本人の吐くザマではないが、反吐が出る。

 

「あ、アア、一方通行!!?」

 

「――チッ、」

 

 逃げ場をなくした彼女の言葉で我に帰る。結標の頬には既に自分の手が触れていた。

 自分は今、()()()()()()()()()()

 アイツらの代わりに、自分を裏切らないかもしれない結標を傍に置こうとしたのではないか。

 ()()の甘さに漬け込むように、彼女の甘さに漬け込もうとしていた。

 別に同じクソッタレの大貧民、上を見上げる事さえ許されない間柄なんだから良いじゃねえか。共に堕ちたらさぞ楽な事だろう。

 この考え方も平穏な生活が生んだ自身の膿なのだろう。余裕の無い暗部生活の方が幾らか自分を追い込めたはずだ。孤高孤独を目指していたってすぐに他人を巻き込みたがる精神。能力が幾ら強くても、自身の心の弱さは浮き彫りになるばかり。

 ――ああ、確かに一方通行だな。身勝手って意味ではお似合いだ。

 

「……だ、大丈夫貴方?」

 

「――あァ、特にはなァ」

 

 眼にかかる前髪を取り敢えず痛覚の身に任せるまま引っ張る。ホルモンバランスの乱れで随分と感じていなかった『()()()()()』も能力の弱まりで少なからず感じるようにはなった。このようなことも多くはないが、無いとは言えない。『妹達』を見て、『保護者』を見て、そのようなことはあり得ない。ただどうしようもない底辺にいる奴らを見てそんな気分になる。裏路地に出向くようになったのも、自分を肯定してくれるクソッタレに出逢うために赴いているのかもしれない。先程までの言い分とは全く正反対の方便だ。

 

「……クソがァ、なンなンだよコレは……」

 

 自身に襲い来るこの感覚は一体なんだというのだ。言い知れない虚無感。ドクドクと跳ね上がる全身の脈動。思考の離脱感。目の前にいる人間に縋り付きたくなる衝動が今、一方通行の全てを支配せんとしていた。

 

「キャッ――、ってぇ、アアァ一方通行。ホントにどうしたの!?」

 

 気付けば、一方通行は結標にまたもや手を肩に掛け、非力な筈の彼は能力も使わずに彼女を抱き寄せていた。ガッシリと離さないように。

 

「――――、ッツ。分かンねェよ!!結標ェ、ただオマエを」

 

 自分でも何を言ってるのか分からない。ただ一方通行は自分の本能に抗うことなく、彼女に想いを伝えようとしていた。

 

 ――――パシャ。

 

 学園都市では随分と聞き慣れなくなったアナログチックな機械音がリビングに響き渡る。それと同時に二人の足元にスルリと正方形の紙が滑りこんできた。抱き締められて動けないままでいたが、ご存知早い安い上手いでお馴染み『座標移動(ムーブポイント)』を使い結標はその紙を手元に転移させた。最初はただ白い紙の筈だったのだが、徐々にそれは色付いていき、形を帯びていき、それはそれはなるほどむふふ、先程までの二人の光景を写していた。

 

「念写ダイエット、想い出と共に痩せルンです。既にレトロな商品だけど、一石二鳥とは正にこのこと――うん、良い商品ね」

 

 部屋に入っていった筈の芳川桔梗が週刊誌の記者が如く此方を見て親指を立てていた。それはもう、子の微笑ましい光景を見る顔で。

 

「私はね、ダイエットするのが目的だから写真は要らないのよね〜。あぁ、丁度良いところに居るじゃないお二人さんー。写真は貴方達に差し上げるわぁ!それではね、チャオ〜」

 

 態々身振り手振り一々オーバーなリアクションで即興の猿芝居を打つと芳川はそのまま流れるように自室に潜っていった。ドアを閉めたところで大笑いをする声が漏れたあたり、彼女は良い性格をしているかもしれない。

 

「ア、アハハ!アハハハッハ!!見てよぉ!一方通行!!私の周りにランドセルを背負った天使が迎えに来たわ〜〜、」

 

「――――ごめン、結標さン。冷静になりィました。思春期のリビドーってヤツだと思いますゥ。許してくださィ」

 

 キャラも外聞も最早関係ない、各々が誰に弁明しているのかは分からない。ただこの二人はただ身に降りかかる災厄を振り払うために自己逃避をしていたのだろうか、それは本人達にしか分からないのだろう。

 

 ――――ピピッ。

 

 続け様に響いたのは携帯のメール着信だった。逃げる先の場が増えたのは二人同じだった。それぞれが自身の端末を開き、内容を確認する。二人共が顔に苦い表情を浮かべるが、今はそれが救いでもあったので、屈折した気持ちにもなるだろう。ヨッシャともサイテーとも言えない気持ち悪い状態だ。

 

「学園都市統括理事からね……暗部は解体って聞いたけど?」

 

「――あァ知らねェよ?ま、オレらは唯一全員が残存してンだ、有事の時は駆り出されもすンだろ。活動休止ってトコだ。でも、くだらねェコト押し付けられンのには変わりねェわなァ。メンドくせェ」

 

「まぁ、抱き合うより「ホントごめンなさい……」もういいわ……」

 

 

 同僚と再会し、このように『グループ』が動き出す。

 ここから物語は交差し始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し冗長なので文字数減らして展開を詰めたい。
あとバーチャロンの体験版プレイしました。良いですね。
あわきんはイイぞ。芳川さんマジバイプレイヤー。
次回は一方先生!お楽しみに


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5話 既視感

とある科学の一方通行に出てくる登場人物、キャラとして面白い子ばっかりで自分は好きです。
今回は割と短めで、うん、収まってるかな。
次回は多分、うん、長くなると思う。


 

 

 

 

 

 

 

 

 人混みがまだまだ少なくない夜の街を駆ける足音が二つ。前にただ前に走ることだけを、可能な限り急いで走る人物が二人、波間を縫うようにして、するすると人垣を抜けていく。その二人の人物をが通り過ぎて行くのを見て、振り返らない人物はそう少なくなかった。

 綺麗な金髪、外国人の人かしら、良いスタイルだねぇ、ふっは甘いでぇボクには片方の子は左目の下にある泣き黒子がとぉってもチャーミングなんが見えるし後ろの子なんかアレ絶対ゾンビっ娘やってぇボクの眼に狂いはないんや、など二人の容姿を褒める声はそれでも彼女達の耳に届くことなく都会の喧騒に消えて行く。特に先を行く少女に関しては、()()()()()()()()()()聞き耳など立てられなかった。

 

「急いでくれ!!間に合わないかもしれない!!」

 

 黒いフード付きマントをたなびかせ、そして叫びながら遮二無二走る人物、息を荒げながらも走る速度を落とさずにいたのは状況が状況なため仕方のないことだった。

 それに続く少女もまたそれなりの速度を出して走っているが、表情こそ至って冷静、強いて言えば真顔である。そして彼女はただ目の前の人物を残念そうに、残念な人物をただ残念だなぁと思いながら視線を送っていた。出来ることならこの様に走り回って無駄に身体を動かしてしまうのは避けたかった。ただ二人の関係は主従にあり、彼女は従属している立場の方だ、故に主の命令には逆らうことが出来ない。別に自身の意見を聞き入れてくれはするだろうが、向こう見ずな彼女は今現在残念な理由で聴覚をシャットダウンしている状態だ。

 クライアントの情報を見てすぐさま、今回その依頼に関わる少女に危険が迫っている――と、()()()()()()()()

 要は今こうして夜の街を駆け回っているのは彼女の()()()()が原因なのだ。

 

「――ご主人様(アドナイ)、話を聞い「禍斗(かと)、話は後にしよう!今は取り敢えず、彼女を見つけるのが先だ」」

 

 少女は前を走る人物に追走しながら、このような時はどの様にしたら良いのでしょうか、と()()()()()()()で、意思を体外に表す行動――即ち呟くという行為をしてみた。

 かと

「誰かが危険に陥ると知っていて、見過ごすわけにはいかないだろう!待っててくれ!!今、助けに行くからな!!」

 

ご主人様(アドナイ)。お願いですから話を聞いて下さい」

 

 虚しくも彼女のお願いは届くことはない。

 そして目の前の人物が倒れるまで、この様なやり取りが続くのであった。

 やはり学園都市では、日常茶飯事のことである。

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 学園都市の朝は早い。それは技術力の向上とともに、無人で賄えるシステムが増えた事が何よりの原因だろう。学生の街と言われながらも、その学生の暮らしぶりは多種多様だ。登校するから朝に家を出るというよりは、何かをするために朝に家を出かけるということも十分あって良い。

 むしろ夜は学生寮で門限を決められているところもそりゃあるので、夜は眠りが早いというのも学園都市の一つの特性ともいえるのだ。

 そう、学園都市は東日本にありながら、その技術力や先進性、独自のシステムから治外法権を許された、いわば一つの独立国家といってもおかしくはない。その中でも特筆すべきはまさに総人口ニ三〇万人の内、八割が学生としてそこで生活をし日々を営みながら、勉学の他に能力開発という独自のカリキュラムを組み、能力者を育てているという点だろう。

 発火能力に水操作、風力使いに空間転移など様々に、子供達は皆、超能力という夢を見てこの学園都市を訪れる。

 

「……ハッ、まさか学園都市に来てワタシ、家計に優しい能力者になれるなんて思ってなかったよ。……トホホ」

 

 佐天涙子は今、事を終えて帰宅途中にある。鳥の囀りを聴きながら、朝の眩しさに打たれながら寮の廊下を粛々と歩いていた。

 佐天がこの様に歩くのにも所以がある。

 一言で片付けるならば、これもまた学園都市の一つの形態と言えよう。

 学生それぞれには奨学金という形で月に一度生活費が支給され、その上限は能力の強度(レベル)によって決められる。無論、強度(レベル)が高ければ高いほど、支給額は高くなる。言うまでもないことだが、無能力者の佐天は底辺にある。

 

「まあ、それでも家賃に授業料もタダって事に目を瞑れば、ねぇ……。いやでも御坂さんとか絶対もっと貰ってるんだろうなぁ……」

 

 佐天にとって、今まで謎に包まれていた『上の上限』とやらも()()()()()()()()()のこれでもまだ抑え気味の金銭感覚からしてつぶさに伺えていた。それに比べれば『仄暗い水の底』である佐天の支給額は雀の涙でしかない。……現実は非情である。

 そんな奨学金のシステムで資金運営は大丈夫なのか学園都市。

 だが例え、二〇億もの信奉者を擁する十字教宗派が攻めて来たりはたまた世界大戦に陥ったりしても、異常的な大熱波が襲って来て電気・ガス・水道などのライフラインを構築する都市インフラが全て停止したりしても、案外なんとかなってしまうのがこの街の逞しいところだ。

 勿論、学園都市にも経済は存在する。区画によって、商業施設は軒を連ねて日夜色んな学生とwin-winな関係で商売を続けている。需要と供給。マーケティングのやり易さはいざ知らず、狙う層を学生にターゲットを絞れるために、物によっては極端に物価が安かったり極端に物価が高かったりと、そんなこの都市の経済の回り方には飽きがこない。ひとえに外部企業との都市単位での企業提携によって成せる業だろう。それが理由になり、スーパーのタイムセールなどは秋名の豆腐屋よろしく、値段をキワのキワまで攻める所も多い。

 そして能力者『節約上手(マネーロンダリング)』の佐天涙子は、朝早くに起きたために悩まされることになった寝呆眼を擦りながら、件のタイムセールでの今日の戦利品を改めて確認した。

 

「第四学区の早朝開店セール。食品関連の学区なだけあってなんでもかんでも揃ってて、いやまさか今日に限って、その難易度ドーバー海峡を渡るが如しとも呼ばれた激戦区を戦い抜き、余剰分の松阪牛くいだおれセットが手に入るなんて思ってもみなかったぜ!!」

 

 特上A5ランクという肉の中の解脱者、MATSUSAKA。まさしくそれがこの肉なのだ。しかもこれがこれだけ入っていて二九八〇円也。苦学生のおつとめ品しては歓喜せずにはいられないだろう。

 

「それではチョットご拝見〜♪」

 

 この喜びを噛みしめるため、佐天は両手に携えたスーパーのレジ袋を厳かに置く。このレジ袋も使い様によっては使えるため、後々ボロ雑巾のように酷使させてもらうのだが、今はそれよりも()()()()で頭の隅々がいっぱいなのだ。まるで割れ物を扱うかの様に佐天はお肉様を袋から取り出した。

 

「……、お、おおぉ……」

 

 丁重に包まれた長方形の木箱。包装紙にはただ大きく松阪牛とだけ書かれている。手に入れるまでの苦難の数々。そのせいか、佐天には木箱の木目調の境目が七色に光り輝いているように見えた。忘れてはならないのはこれでもまだこの木箱一つがセットの内の一つでしかないということだ。

 佐天は思わずその木箱に頬擦りをし、撫で回し、熱い口づけをし、ついでに初春という名前を付けた。スカートは捲れない。

 この休日のいつもなら、自分は惰眠をただ貪っているだろう時間帯だけに、今日この僥倖に佐天は静かに涙した。食事は誰かと一緒にするのに限るが、今だけはこう言える。

 

「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……そうこの牛さんだけは特にね」

 

 ん。お前、アニメで女子連中(おなごれんちゅう)でキャッキャウフフな鍋パーティーしてたのはなんやねん?ハハッ、涙子記憶にないなぁ……。

 まあ、そんなこんなで自室の前についた佐天は、両手に袋を抱えながらも鍵を取り出し慣れた手つきで自分の部屋の扉を開けた。

 

「ただいま〜って、誰も居ないよね」

 

 両手が塞がっているのを理由にして屈むことなく、靴を器用に脱いでいく。行儀が悪いと母親に怒られそうだが今だけは勘弁してと、申し訳なく片目を瞑り今ここにいない母親に謝っておいた。

 ほんの少し前までは、家に帰ると家族がいて、弟が玄関まで迎えに来てくれたりしていたものだなぁと、そんな事を考えれば一人暮らしの寂寥感がしみじみ襲ってくる。そうそう――、そして台所にいる母親にその日の晩御飯の献立を聞いて、心踊らせ身体をワクワクさせたり、自分も母親の料理の手伝いをしたりしたものだった。

 とても……懐かしい思い出だ。反対されながらもこの街に来て、今日のこの日まで生活をして来た。夢に憧れて挫折して、それでもまだまだ諦めてはいなかったりする。辛い思い出もあったけど結局は楽しい思い出の方が多かった。

 

 そして何よりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もしもこれから自分が未だに能力に目覚める事がなかったとしても、後ろめたい事はない、家族にはこれが一番の誇りだと言う事が出来るだろう。

 

「――ひゃう!?ななななに?」

 

 半ば感傷に浸りかけていたところを壁を叩いたような重たい衝撃音とともに佐天は素っ頓狂な声をあげつつハッと現実に引き戻された。

 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。朝一番は心臓に悪いって、などと当人は心の叫びをあげるのだが、所構わず親友のスカート捲りをする佐天の方が余程タチが悪い。これに懲りたら二度としないで下さい、とどこからか声が聞こえるような感じもするのだが、逡巡の末に佐天は気にする必要はないなと結論づけた。その後に聞こえる、酷いです〜というこだまはきっと空耳だろう。

 

「…………」

 

 音をたてることもなく戸棚を開けて、今まで何かとお世話になってきた護身用の金属バットにそっと手を掛けた。

 それ以前に何か()()()()がする。佐天の第六感がエマージェンシーコールを自身の体内に巡らせた。

 何故そのようなサインを感じたのか、それは自身の言動にある。今こうして老兵のように戦果を打ち立てて帰って来た自分。手には普段お目にかかれない牛肉とそれを調理するためだけに買って来た材料。これを入手するために二週間前から作戦計画を練り、今日この日の肉を味わうためだけに体重の減量を図って来た。会話が好きな自分ですら、友達との話題の種にするのにこの話題は避け、選んで来なかったのだ。そしてそんな目的のためなら非道になることも出来た泥臭い自分を讃え、今しがた労っている。勝ち取った事実に浮かれ、既に満足感を手にしている状況なのだ。

 

「……いやいや、ホントに誰も居ないよね!居ないですよねぇ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()。そうはいっても多少なりとも自分が行使したこの計画性の前には実力という単語がついてもおかしくはないと思う。だが結局は人間、運という星のもとに生まれているのだ。今自分がこうして存在しているのも一億分の確率の中から選ばれた存在ゆえのことだ。何が母数かって、そりゃナニだよ。うら若き乙女に言わせんなよ恥ずかしい。

 

 先ほどの言葉に呼応するかのように、またもやドンという音が響いた。佐天も先ほどとは違った意味で心臓の鼓動を早くさせていた。危機感というヤツである。

 

 兎に角、ここまで幸運が続いているというのも何やら寒気が感じるものだと、今更ながら佐天は思ってしまう。古今東西……下げては上げる、上げては下げるというのが物語の(つね)だ。その道理に従えば、佐天は今、上がっていると受け取れる。そう、上がりに上がっている。

 実際ただ単に喜んでいればいい話だが、今までの行動、自分の驕り。高ぶる気持ちに、目前にした到達点。それらを踏まえて、本来受け容れるべき幸運におののきながら佐天はある一つの境地にたどり着いた。

 

 あ、コレ……()()()()()()わ。と。

 

 音の発信地はもう聞くまでもなく佐天は理解していた。ベランダだと。窓の向こう側にいる()()もこちらの存在に気づいたのか、連続して窓を叩き、その存在を示すかのように音を響かせた。

 それに対し、佐天の方で連続して頭の中から浮かび上がって出て来たのはこれからありつくはずの調理された松阪牛達、一種の走馬灯であった。

 

「……いや、まだ早いぞ私!道に迷ったとか降りられなくなったとか、そういう天文学的な確率に掛ければ、ワンチャンあるかもしれないじゃん!!」

 

 可能性はゼロではない。何やら意味の分からないわずかな望みにかけて恐る恐るベランダまで近づく佐天。何故なら未来は自分で変えていくものだと知っている、少なくともそう思うのには、佐天はそう言う人間に()()()()()()今まで関わって来たからだ。

 しかし一つ、佐天涙子は失念していた。これは未来の話ではなく、フラグというものが関わって来ているのだと。

 フラグというものはたてるものではなくたつもの。一見偶然を装うソレだが、最近では()()()()()という必然の上でフラグというものは成り立っている。だから如何に偶然フラグを踏んだと理解していても、訪れる()()()()()である結果は変えられないのである。

 

 カーテンでベランダのその先を見ることは出来ない。窓の前まで行き、深く深呼吸をする。今からこの窓を開ける、僅かな望みに期待して……だが、佐天はこれが無駄な努力だと知る由もない。

 

 そう……大前提として、『()()()()()()()()()()』といえばベランダに関して一つの()()()()()が存在する。

 

ご主人様(アドナイ)……ほら、起きて下さい。家主の人間が戻られました」

 

 案の定ベランダを開けると二人の人物がいた。()()()()という聞き慣れない単語を発する人物は薄い茶髪のセミロングヘアが特徴的な人物だ。スッとした目鼻立ちからして佐天よりかは幾らか年齢が上に見える。その人物はベランダの柵にだらんとぶら下がったもう一方の人物の背中を心配そうにしきりにさすっている。

 

「……お、お……」

 

 その人物はプルプルと震えながら気力を振り絞っているのだろう、佐天の方を見るために懸命に顔を上げた。それから窺い知れるのは、珠のような肌と金色の髪を持った佐天と同じ年頃だろうと思われる少女だった。セミロングの彼女と比べるとツインテールというのも相まって顔にやや幼さを残しながら、それでも何故か少女の左目の下の泣き黒子には扇情的なものを感じてしまう。胸が柵に突っかえているが、一瞬見ただけでも佐天には見えてしまった。自身の()()と比べても見ても、どう見ても負けたと思えるサイズを。

 

「……い、言わないでそれ以上」

 

 何故だろう、佐天には()()()()()()()()()()()が理解出来ていた。

 普通は何故、他人の家のベランダに人が居るんだろうとか、何故に二人もと思うものだが。既に脳の支配領域を別のことに考えるのに精一杯な佐天にはそんなことが浮かぶわけもなく、いや、いやぁと訪れる絶望に恐怖するしかなかったのだ。

 

 こうして、フラグというものは着実に回収されていく。特にベランダでの()()()()()には大変注意していただきたい。冷蔵庫の中身のチェックを怠ると凄く大変なことになる。それだけは伝えたいことだと、佐天は静かに崩れ落ちていった。

 

「……おなかへった」

 

「突然の事で申し訳なく思うのですが、ご主人様(アドナイ)に何か、食べ物を恵んで頂けないでしょうか?」

 

 そう言った少女の名前は、エステル=ローゼンタール。

 それに付き従う者の名は禍斗。

 

 佐天涙子の日常に今、大きな変化が訪れようとしていた。

 

「や、やっぱり、不幸だ……」

 

 その日、優しい佐天涙子は己の汚さを嗤いながら、牛さんとお別れしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ベランダが出会いの始まりだってかまちーは言ってた。
天然おバカのエステルさんにその世話役の禍斗さんの登場です。
色々な思惑があって登場しているキャラ達、今回登場するにあたっての設定やら相関図的な説明は登場しきったら纏めたいと思います。

それでは既存の情報を。

エステル=ローゼンタール
とある科学の一方通行にて登場。死霊術を専門とする魔術師でローゼンタール家の23代当主。容姿は左目の下に泣きボクロがある金髪といったところ。
一方通行が病院に入院した一ヶ月の間に現れた少女。
『DA』という組織に追われながらも、事件の人質である打ち止め救出に奔走したりとお人好しからか向こう見ずな性格をしている。打ち止めが関わっていたために一方通行と協力関係に、事件を解決した。その後一方通行の元を去った。
また、ファミレスのドリンクバーで何故かすぶ濡れになり、下着姿を見られても平然としていたりと、一方通行からも「世間知らず」と称されるほどのズレた感覚の持ち主である。因みにナイスバディ。

禍斗(かと)
とある科学の一方通行にて登場。
エステルの死霊術による術式で、人皮挟美の死体にある霊的回路を閉じるために憑依させた『薔薇渓谷家参式(ローゼンタール サードナンバー)』のナンバリングを持つ擬似魂魄。悪霊の内に入るが、主人である、エステルには忠実的。エステルのことをご主人様(アドナイ)と呼ぶ。
魔術的な加護があるのか、腕力や脚力、果てには嗅覚と五感は常人のものを遥かに凌駕するものとなっている。
本来であれば、事件が終わり次第術式を解除する予定だったが、何故か継続して主人のサポートを続けている。
会話をする時はですます調の機械的な喋り方をする。
肉体の保持者である人皮挟美の肉体のため、こちらもまたナイスバディ。人皮挟美自体は高校一年生であった。


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6話 めぐり逢い

偶像通行のエステルちゃんが可愛いすぎる。
これだけは、ハッキリと伝えたかった。


 

 

 

 

 

 山路は別に登ってないけど、こう考えた。

 

 智に働けば角が立つ。

 

 情に棹させば流される。

 

 意地を通せば窮屈だ。

 

 とかく人の世は住みにくい。

 

 佐天は激怒したかった。

 必ずかの肥酒大肉を食さねばならなかったと涙した。佐天には純真無垢な表情に対しての怒り方が分からぬ。佐天は学園都市の学生である。その街の都市伝説を愛し、初春のスカートを捲って暮らしてきた。けれども食欲に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明佐天は寮の自室を出発し、第五、第一学区を越え、そんなに離れてはいない此この第四学区の市にやって来た。佐天には今は父も、母も無い。イイなぁと思ってる人が最近出来たけど、恋人もない。人生悲しく、一人暮しだ。無論、結婚式なんか縁もない。佐天は、私欲のため、花嫁衣装なんか見向きもせず、御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。目的の物をゲットして、それから特に何もなく寮に帰ってきた。佐天には食べたいものがあった。松阪牛である。それは今朝の第四学区の市で、一つだけの限定品をしている。その牛を、これから食すつもりだったのだ。その味を愉しむために久しく脂を摂取していなかったのだから、調理していくのが楽しみであった。家に帰ったのちに佐天は、これまでのことを怪しく思った。フラグが立っている。もう既にこの肉は自分のものなのは当たり前だが、けれども、なんだか、持ち前の貧乏性ばかりでは無く、ベランダからする音が、やけに寂しい。のんきな佐天も、だんだん不安になって来た。戸を開け、暫時は驚きもしたが、ベランダに掛かっている少女をつかまえて、何かあったのか、二時間前に起床した時は、小鳥がそこで歌をうたって、君達はいなかったはずだが、と質問した。若い少女は、首を振る気力もなく答えなかった。すぐに片割れの元気な方に向き、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。茶髪セミロングの方は答えなかった。理由が恥ずかしいので、と。

 堪らず佐天は両の手で茶髪セミロングの乳を揉みしだきながら質問を重ねた。今月は果実の月かと思い違えるほどだ。

 茶髪セミロングはあたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「ご主人様はおなかがへっています」

「なぜおなかがへるのだ」

「今の今まで走っていたから、というのですが、私はそんなにおなかがへっていません」

「たくさん走ったのか?」

「はい、はじめは地上を、それから地下のアーケード街を、それからビルの谷間を飛び越えながら今まで走ってきました」

「おどろいた。身体強化の能力者か?」

「いいえ、そうではありません。ですが、この身一つのまま、ご主人様を抱えてやってきました。このごろ、ご主人様にイイように使われているのではないかと思い始めてきましたが、ただ、ご主人様であることには変わりありませんから、彼女の言った通り走っていたのです。肉体も酷使しすぎました。供物がないと肉体を再生出来ません」

 聞いて、佐天は情に流されてしまった。彼女の方こそ可哀想な子だと思ったのだ。そしてまた、松阪牛を独り占めしようとした、智に働いた自分を情けなく思った。

「呆れた娘だ、腹を空かせてはおけぬ」

 佐天は、根は優しい娘であった。肉にとらわれていたものの、己の本質を見誤らなかったのだ。買い物を、背負ったままで、のそのそ台所に入っていった。

 佐天は二人に有りっ丈の肉を振る舞った。このような悲劇があってはなるものかと、意地を通していては、いつか自分に後悔が残ると、そう思っての行動だった。

 二人は眼前に出された皿の数々に「学園都市にはイイ人がいっぱいいるな、感謝する! いただきます」とむしゃぶりついた。まるで童女のようなその食べっぷりは佐天の邪悪な心を浄化させるのに十分だった。

「我々を助けていただきありがとうございます、佐天涙子」茶髪セミロングに一瞬笑顔が浮かんだような気がした。そして「一緒に食べましょう、家主の方に食べてもらわないと私は供物を頂くことが出来ないです」

 その笑顔に佐天は告げる。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と食事をする資格さえ無いのだ。殴れ」その真摯な言葉に茶髪セミロングは全てを察したような顔で首肯き、腕に唸りをつける。

 

「ちょ、ちょっと待て禍斗! まず、一体なんでそんなことになっているのか分からないし、第一、すぐに殴ろうとするな!!」

 

 それを見た童顔金髪ツインテは止めようとするも、部屋いっぱいに音高く頬を殴る音は鳴り響いた。佐天は軽く気絶した。

 

 

 佐天が起きた時には半刻が立っていた。

「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、私の心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、私をも仲間に入れてくれまいか。どうか、私の願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」起きた直後、左頬に立派な紅葉をつけて佐天は涙を流す。

「ええ、勿論です。もう殆んどお肉は残っていないようですが」

 それに対し茶髪セミロングは佐天を抱擁で受け入れる。

「え……なんだその目は!? もしかして、食べちゃいけなかったのか? 」少女は既に口元を拭きながらそんなことを言っている。

 見れば、あれほどあった皿には殆んど肉が残っていない。茶髪セミロングに眼を向ければ、首を横に振っている。

 

「うう、すまなかった……私が不甲斐ないばかりに。おいしかったから、つい……」しゅんとした金髪ツインテは今にも泣きそうな声で弁明している。

 

 それを見て叱ろうと思う気にもなれず、この怒りの矛先は何処へむければいいのかと、なんて、自分の心の黒く荒んだことだろうと、この世の中の不条理さ生き辛さに、佐天は酷く赤面した。

 

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 

 暗部組織の隠れ家は往々にして様々なものだ。簡便に高級マンションの一室を借りきることもあれば、業務用冷凍室に偽装したものもある。その道に従えば割と容易に物件を見つけることは出来るが、暗部組織としては隠れ家は替えが効くものが良い。予備に幾つも隠れ家を押さえておくことも多々あるのが常だろう。

 だが、個人での隠れ家はもとより、常日頃生活を共にする間柄でもない『グループ』のメンバーにとっては隠れ家に執着することもなく、結果的にはその隠密性が採られることになる。

 

「対抗する暗部組織がなくなった今、あまり気にする必要もないんですが……」

 

 人通りの少ない繁華街の路肩に停められている『隠れ家』が視界に移り、男はため息をついた。ため息をつく姿さえサマになる……との表現がマッチしてしまう爽やか美男子な彼だが、その容姿……正確には彼自身の容姿ではない。これには理由がある。

 学園都市には“海原光貴(うなばらみつき)”と呼ばれる人間が二人存在する。

 一人は常盤台学園理事長の孫である能力者。

 一人はアステカの結社に属していた経歴をもつ魔術師。

 

「あはは、それにしたって胃が痛い……」

 

 今しばらくストレスに見舞われている彼は後者の“海原光貴”である。

 彼は前者の姿を魔術により借りているだけの存在であるが、彼自身、使い勝手が良いこの姿が気に入っており、なんとなく元の姿に戻れないでいた。口調も今となっては自然に“海原光貴”のものが口について出てくるようになってきており、その姿勢は最早、どこぞのドッペルゲンガークラスのものだと言っても過言ではない。

 そんな彼のもう一つの顔が『グループ』であった。

 自身の大切な存在を人質にとられ、解放までのその期間、仲間として互いに協力するという利害関係。その関係に於いて纏まっていた彼らの中で、彼の大切な存在は想い人であった。危険なことに彼女を巻き込みたくはない。だから彼女を影から守る。

 だというのに。

 

「御坂さん……あなた幾らなんでも自分から首を突っ込みすぎですよ。百歩譲って、あの方を追いかけにロシアに行くのは良いとしましょう。だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、なんなんですかあなたっていう人は……」

 

 近頃、自分の存在意義を見失うばかりか、守る対象が二人も増えた彼は、想い人の奇行凶行行き当たりばったりな性格に胃を痛くしていたのだ。

 そしてまた、各々がちゃんと大切な者を守ってきた『グループ』に対しても、想い人のアグレッシブさに合わせる顔がなくなっていた。

 

「しかしまあ、あれだけの事をしていたとしても、僕にとってはこちらに来てからの数少ない信頼できる仲間なんでしょうか……意外と積もる話もしたくなるっていうんですかね……」

 

 学園都市に一泡吹かせる事を共通理念に『グループ』があった。

『グループ』の誰もが信頼せずとも互いを信用していた。相利共生。持ちつ持たれつ。ギブアンドテイク。守るべき者の存在を。守れるだけの力があるから惜しむことなく協力する。

 その助け合いの中で、信用が信頼に変わっていくのも当然のことだった。

 

「それを自覚したのもつい最近……ただ、自分だけの片想いだったらかなり恥ずかしいんでしょうけど……」

 

 信頼にまで段階を飛び越えてしまってるのは自分だけなのだろうか……そうだとしたら酷い笑い話だ。

 弱味を見せる、恥ずかしい、堪え難いことだろう。

 だが、あの『仲間達』には求めてしまいたい。

 

「いつか、このことを……打ち明けよう。絶対に……」

 

 キャンピングカーの入口扉に手を掛ける。

 自分のために停められた……そのことが、少なくとも自分が『グループ』の一員であるということをはっきりと理解させる。

 ステップを登りながら、懐かしい顔を見る。その中でキッチンスペースに持たれ掛かったサングラスの彼が口を開け、

 

「よう、元気にやってるようで何よりだ。また会えて嬉しいぜ。同じ妹を持つ身としてもな」

 

 ああこちらこそ。ショチトルが増えて、妹の扱いとやらを勉強するのにお世話になるかもしれません。

 

 今度はファッション誌を流し見していた、いつものようにサラシを巻く彼女がこっちを向いて、

 

「……久し振りね。良かったわ、貴方がいないとこの二人と世間話が持たないの。とにかく、お帰りなさい」

 

 ……ただいま、と言えばいいんでしょうか。しかし、紅一点はなかなか大変なんでしょうね。微力ですが、喜んでお手伝いさせていただきます。

 

 そして奥には、備え付けの椅子にどっしりと構えたアルビノの彼がが缶コーヒーを片手に啜りながら、

 

「随分と見ねェ間に腑抜けた顔をするようになったなァ……オマエ。知らなかったンなら教えといてやるけどよォ……俺の能力は生憎守るには向いてねェ能力なンだわ。……生きてェンなら覚えとけ」

 

 ええ、知っていますとも。そんな貴方に助けられて現在があるんです。単身で『グループ』の目的を成し遂げて下さったこと、決して忘れはしません。それと……逆にこれからはアンタのことも守ってやりますよ。勿論……コイツらも。命を賭しても守ってやろうと思える仲間ですから。

 

 時間はそれほど経っていないというのに、いつもの面々に変な懐かしさを掻き立てられる。ここで、共に企てたことは間違いなく悪に染まっていて汚いものであった。しかし、それを認識しながらも、共に過ごしたこの人達との日々を美化してしまう。

 ――期待しているのだろうか。彼らとの関係に一歩進んだ物を求めようと。

 それならば。

 彼らが許すならば、これからの日々を大切にしていきたい。

 

「皆さん、お久しぶりです。“海原光貴”……

 ……いや、“エツァリ”としてまた皆さんに会えて光栄です」

 

 薄っぺらい笑顔を浮かべながら“海原光貴”は笑っていた。板に付いたこの表情も、いつかこの『仲間達』にアステカの青年としての笑顔を向けられることが出来ればいいなと願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 アイテム御用達のいつものファミレスでは、今日も今日とて我が物顏で角の席を占領する彼女達の姿があった。ただしいつもとは様子がどうやらおかしいようで、ウェイトレスさんはアレアレといった表情で彼女達のことを見守っていた。

 

「……い、一体全体何からツッコミを入れたら良いのか、超分かりかねますよ、これ……」

 

 それもそのはず、向かいの席に座る三人の修羅場を見てか、いかにも居心地が悪そうに生クリーム滴るパンケーキをフォークでぐじゅぐじゅと弄んでいた絹旗最愛。彼女はテーブルを挟んで真正面にいる少年に先ほどからなんとかしてくれという救難信号を送られているのだが、触らぬ神に祟りなしといった視線でその助けてコールを蹴っていた。

 

「(何でだよ!! どうして助けてくれねぇんだよ絹旗さぁん!? こんな状況とはいえ、一歩間違えばオレ死んじゃうよ?? 死んじゃうんですよ!?)」

 

 堪らずこのように視線だけで言葉を送り続ける彼に対して、彼女も止むを得ない形で視線での会話を続ける。

 

「(……ったく、知りませんよ!! 大体わざわざ死地に飛び込む戦士が何処にいるって言うんですか、私はそんな無謀な人間ではないんで無理です助けられないです自分で何とかして下さい)」

 

「(いやいやいや自分で出来たら頼んでねぇっての! それにもう頼れるのはお前だけなんだって、だって下手打てば一触即発どころからオレの場合、一触即死なんですよ!? )」

 

「(だから嫌なんですって超言ってるでしょうがァァ!! 第一、麦野のそんな『マジモン構ってにゃぁにゃぁモード』なんて私だってこれまで見たことないんですから!! あの日何があったかのか知りませんけど、そんな事態を招いたのは紛れも無い浜面自身何ですから、それこそ自分で超解決して下さいよ!! )」

 

「(いやまぁ……何となく思い当たる節はあるけどもよ……)」

 

 あの日、とは言わずもがなダイヤノイドでの一件のことである。

 あの日を境にして、麦野が何となく浜面に甘えるようになったのだ。

 あーやっぱり、と言いながら微妙な表情を浮かべる浜面に対して絹旗は徐々に青筋を立てていく。

 

「(やっぱりテメェの仕業なんじゃねェかこのスケコマシ野郎ォ!! もォ知らねェ、腕の一本くらいくれてやりやがれェ!! 麦野とオソロイで超良かったじゃねェかよォ!?)」

 

 視線だけでこのような口調になったと思わせてしまうくらいに絹旗の怒りは目に見えた。ただでさえ死に体の浜面だったが、これ以上火種を増やすと最早跡形も残らないような気がして、啖呵を切る……無論表情と視線だけで。

 

「(……クソっ!!こうなりゃヤケだ、お前のC級映画巡りに幾らでも付き合ってやるから助けてくれぇ!! )」

 

「(――、何ィ?)」

 

 彼女にとってはあまりにもな、その甘言に魅了されたのか、次第に落ち着きを取り戻す絹旗。

 最後には仕方ないですね、と折り合いを付けて渋々浜面の要求に応えようと絹旗は麦野に向きなおり。

 

「あのですね麦「なんか言ったかにゃ〜ん? もし邪魔するなら手が滑って消し炭にしちゃいそうかも」野のためにドリンクバーでも行って来ますねー。なーに浜面はそこでゆっくりしてて下さいよー、日頃の労りを込めて代わりに行って来てあげますからっ!」

 

「……アイツ、逃げやがった……」

 

 期待は虚しく、絹旗はそのままドリンクバーへと旅立って行ってしまった。何か凄い逞しさを見せつけられた浜面は上げて落とされたような気分で嘆息をする。

 

「(ああ……分かっていたさ)」

 

 幾ら愛する恋人の為とはいえ、最先端科学の全てでその身を狙われ、凍える大地と硝煙に塗れた戦場を駆け抜け、加えてキチガイストーカーゴリラに追われ、それでもそんな全ての負け戦に必死に喰らい付いてジョーカーを突きつけて来たとしても、結局彼はこの女達に良いように使われる運命でしかないのかもしれない。

 分かっていることだが、彼はそれでも現状に立ち向かわねばならなかった。

 

「そのですね……。麦野さん、いい加減離れてくれませんかね。右腕に感じる幸せな感触は男として受け入れたいものなんだが、さっきからそのせいで左腕の血の流れが止まっていることはアナタご存知?」

 

 むにむに、と腕に感じるその感触は言わずもがな、男の夢の塊である。愛しさと切なさと心強さと、ということもあれば男としての過ちもあるかもしれない。こんなに押し付けられれば迷ってしまうのも男の性。

 しかし逆サイドには、三度目どころか初犯の浮気だって許してくれない愛しの彼女の存在がキリキリと腕を締め上げている。そんな両サイド共にジキルとハイドのような存在を従えつつも、笑っていられるのはもはや慣れだと言ってのける男は浜面仕上だ。

 

「……やだ……」

 

 言外にヤメテクレという視線を送る泣きっ面仕上だったが、その意思表示も虚しく代わりに麦野が返したのは、ぎゅーっと、腕の力を強めるという行為であった。加えて全身で浜面の腕を抱きしめるような形になってしまっているのだから、彼女の豊満でハリのある双丘が浜面の腕に更に押し付けられてしまっている。

 

「なんだよその無駄に色々なところが瑞々しく見える乙女街道前進中ですみたいな反応はァ!! もう誰かこの子止めて!?」

 

「はまづら……、そう言いながら鼻の下をだらしなく伸ばしているのはなんなのかな? それと全く引き離そうとしていないあたり本当に放す気があるのかも怪しいよね??」

 

 今迄沈黙を貫いていた生妻滝壺は嫉妬に嫉妬を重ねて、浜面の腕をミシミシと人が鳴らしてはいけないような音を立てながら抱きしめていた。以前彼女はバスストップの標識を片手で持ち上げ振り回そうとしていたことから、素の怪力さ加減では絹旗と比べ物にならないくらいの力の強さがあるのかもなぁと他人事のような気持ちで、浜面は愛しの彼女のことを眺めていた。あえて言うが、勿論彼女の幸せの塊も浜面は感じていた。

 

「――いいい痛いです滝壺さん! と、というか貴方達は俺が逆らえないこと知ってますよねぇ!? それに鼻の下なんか伸ばしてない! 伸ばすならバニー姿じゃないと俺は伸びんぞッ!!」

 

 無罪放免の仕方がそんな宣言となってしまうのが浜面であるからして、彼女達は軽蔑の意を込めてスッと腕を放した。

 

「まぁ、案の定放してくれたか。いや、それはそれで少し傷つくな……分かっていたことだけどよ」

 

「うん、残念だけど……そんなはまづらは応援出来ない。でも、それ以外のことなら応援するよ」

 

 言いながらサムズアップする彼女に、どことなく寂しさを覚える浜面仕上であった。

 

「……つーかそんなドギツイ趣味にしか反応出来ないのはどうなんだよ男として」

 

 さっきまでのことは何だったのかと言わせぬ物言いで復調した麦野が怪訝な表情を浮かべる。彼女がいつものように戻ってくれたことを少し安心しながら浜面は嘆く。

 

「いや……ね、男にはこれだけは譲れないってものがあるんですよ。別に理解されなくったっていいさ……」

 

 彼にしては物憂げな表情を見せつつ、それを無視しながら二人は席に着き直す。これもまたアイテムの日常といえば日常であった。男はいつも敷居が高い。

 

「……それはもとより、絹旗は一体どうしたんだアイツ?」

 

 女には理解出来ないイタイ趣味を持つ男という、レッテルを貼らている状況から脱するべく浜面はドリンクバーに行ったにしてはやけに遅い絹旗を話題にする。

 

「さー、どうしたんだろう? あ、きぬはたって案外凝り性だから、いろんなフレーバーを作って楽しんでるのかも?」

 

「まあでも保守的だから自分にはしないよね。するとしたら浜面かにゃーん?」

 

「……ははっ、よくお仲間のことをご存知で。でもよ、ひょっとしたら普段俺に行かせてる分、ドリンクバーに慣れてなくて頭から水浸しなんてことありえるかもな?」

 

 二人の素朴な答えに、悪戯をする前の少年の如き表情を浮かべながら言いのける浜面。

 

「……ったく、幾らアイツでも、んなこたねーよ」

 

 そうは否定しながらも顔を緩ませながら麦野は告げる。何はともあれ、彼女にとっての幸せの形が今この『アイテム』というものなのだ。

 

 

「……それが超あるんですよ……悔しいことにっ!」

 

 

「――ッッ!? 言ったそばから、なんだよその海外のB級ホラー映画みたいな登場の仕方はぁ」

 

「いや、前フリがあったんで……」

 

「そんなメタいことは言わないでよろしくない??」

 

 ふっと現れた件の絹旗は、何と浜面の言った行動通りに水浸しになっていた。彼女は不服そうに顔を俯かせながら告げる。

 初めて見る人間を三人も伴って。

 

「す、すまない!! 学園都市の技術には慣れてなくて、また前のように爆発させてしまったんだ。うう〜」

 

「ご主人、そのような言い訳をせずに今は相手の方に誠意を見せるのが最善かと」

 

「だ、だがな禍斗〜」

 

「だがもヘチマもありません」

 

 何やら漫才のように言い合う二人の少女。片方は特に見慣れない異邦の装束を纏っており、機械には慣れていないと言うのも頷ける。その言葉に対して絹旗が肩をワナワナ震わせているようだが、浜面は言わぬが仏だと思って口を閉ざしていた。

 

「あはは……、本当にごめんなさい。私がもっと注意して見ておけばこの人も濡れることがなくて良かったんですけど」

 

 申し訳なさげに腰を折るもうひとりの少女。彼女もまた被害を食らったようで、前髪が額に張り付くほど全身が濡れに濡れている。

 そんな風に、四人とも一体どうやったらそんなにびしょびしょになるんだというような濡れ方をしており、幸いにも淡い色合いの服装を着ている彼女らは水浸しの恩恵を十分に被っているといえよう。

 だから、浜面は特に透けた服のその先に釘付けになってしまった。

 

 

 ――なるほど、富嶽百景とはこのことか。

 

 

 

「何まじまじと見てんだよ浜面!!テメェはとりあえず目を閉じとけっ!!」

 

 

 

 寸前、浜面の視界は拳で覆われることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り出したトレーラーハウスの中では既に今回の目的や取り巻く状況が話し合われていた。

 

「意味が分かンねェな……別の位相だか、世界の終焉だか、これもまた『グレムリン』とかいうヤツらの仕業なんだな?」

 

「そうよ、第三次世界大戦以上のことが今まさに起きてるって言われても正直信じらんないわよ」

 

 しかしながら、いつもなら滞りなく進行するブリーフィングも、今回の件に関してはどうにも魔術関連の話題が多いため、一方通行と結標はお手上げだという風に聞き流すばかりであった。

 

「……あのな、一応言うが、本来であれば俺はイギリスに駆り出されて魔術師とドンパチやり合ってる状況にあってるはずなんだぞ? こう、もう少し、興味関心を持ってもらわないと説明する気にもなれないんだが……」

 

「そうですよ。科学サイドのあなた方には理解出来ないでしょうが、もし『グレムリン』が『槍』を完成させれば、一体どのような効果を世界に及ぼすかは分かりませんが、間違いなく地球が滅亡するほどの力を得てしまうのは確かなんです。そう、他人事どころじゃないのは確かなんですが……」

 

 とにかくヤベーぞと熱弁する魔術サイドの土御門、エツァリ、もとい海原の両名であったが、説明するものの、その表情は自身でも納得がいかないというように不服そうだ。

 

「けどよォ……聞けば今回はその『グレムリン』を潰しに行くわけでもねェ、かと言って俺達は世界の終焉を止める手助けをしに行くワケでもねェンだろ? 」

 

「ああ、やれ世界が滅ぶと騒いではいるが、それと今回の件とは全く関係が無いな……」

 

「そうですね……呼び出された時は、てっきり僕達も『グレムリン』殲滅に駆り出される事になったのかと思っていましたよ」

 

 例え学園都市に居るとは言えども、常日頃から魔術の界隈にアンテナを張っている二人だからこそ、各国が手を取って『グレムリン』殲滅に力を入れているという中で幾ら外の問題とはいえ学園都市がとった対応に二人は疑問を抱いていたのだ。

 仮にもこちらには、条件付きではあるが無類の力を誇る第一位に加え、魔術のエキスパートが二人、そして最強の空間移動能力者が居る組織だ。あの『グレムリン』に対しても有効打足りうる戦力としては申し分ないものだと確信があった。海原の言う通り、この戦力を保持しているからこそ『グループ』が駆り出されても不思議ではないのだが。

 

「だが上の判断じゃあ、今回はあの()鹿()だけで事足りるらしいじゃねェか……」

 

「それに世界は必ず救われるっていう見立てもある……とんだ茶番よね?」

 

 基本学園都市の上層部とやらを信用していない『グループ』のこの二人でさえ、与えられた情報を元に今回の件にはなんとかなるだろうという、人任せな考えに至っている。

 

 まあなんというか、そうは問屋が卸さないとは良く言ったもので、頭を悩ますのは単純に馬鹿げた資料が原因だ。

 

「統括理事全員が、上条当麻が『グレムリン』のボスであるオティヌスを籠絡して味方に引き入れてしまうだろうという見解をあげている……故に今回の件は問題なし。学園都市も『グレムリン』殲滅の体裁だけは保つようにシナリオを進行すること……一体なんなんですかね、これは……」

 

 最早読んでいるのが億劫になってくるといった呆れ顔で、海原は書類に目を通す。

 統括理事長認と押された判子の書類はそうそう無い。むしろこれが、先を見通しているとされる学園都市統括理事長直々に作成した書類なのであれば、尚更に頭が痛くなってくるものだった。

 

「いやいや、いつもの如く、敵味方関係なくフラグを建てるのは良いとしようぜ上やん。だけど何がどうあったら世界を破滅させようとするボスをギャルゲーのヒロインのように落とす羽目になるんだにゃー。それにだ!! 理事全員って親船最中までこんなくだらない見立てを立てているっていうのか!? そもそもなんでアレイスターはこんな馬鹿な書類なんか作ろうと思ったんだ!? もう一周回って信憑性が高くなってきたっていうかなんていうか、頭痛が痛いぜい……」

 

 そして件の上条当麻の隣人はというと、仮にも学園都市のトップが作った、『上条当麻ならそういうことがあってもなんかあり得そう』と思える書類に、案の定ツッコミキャラとしてこのことを捌くか、『グループ』の面前に冷酷なリーダー格として振る舞うか、その二点の間で、そりゃもうキャラはブレにブレてこんな状態になってしまっていた。

 

「ほらね」

 

 結標はそんな思惑逡巡の折ふし四つん這いで思考を停止してしまった土御門を見てそれだけ言うと、コールスローのサラダを鞄から出して食べ始めてしまった。

 

「久し振りに会ってみてアレですが、もう以前のような殺伐とした感じが恋しいですよ、自分は……」

 

「……まァ、言いたいことは分かるぜェ……」

 

 土御門崩壊を発端に、あのギスギスとした胃の痛くなるような雰囲気は既に無くなってしまっていた。案の定ツッコミ担当がこのような事態に陥ってしまうなら、以前の重苦しい鉛のような居心地の悪さの方が断然やり易いと、一方通行と海原は静かに頷きあう。

 

「……しっかし、表の人間を連れてくるのが仕事とは、暗部組織も落ちたものよね」

 

 共感している二人に馬鹿馬鹿しそうな目を送り、今度は別のドレッシングを振りながら結標がつまらなそうに呟く。

 

「コイツか……」

 

 机の上に置かれた資料にはターゲットの情報が載っていた。

 その人物の名は佐天涙子、その人物像を見ると更に目を疑う。能力は無能力。容姿も年齢も普通の中学生女子。特筆すべき事項も空欄で、暗部が関わるほどの人物とはまるで思えない。

 それが今回のターゲットの情報であり、今回の仕事の目的も、本人に接触した後、指定のポイントまで移送後、上層部からのサポート要員に合流し、座標移動により別の位相に転送とだけ記されている。

 

「それだけが仕事じゃないのは上層部の動きを見ていれば感じ取れるんですが、与えられた仕事がこの程度なのは確かに不思議なんですよね……」

 

 明らかに闇を知らないだろうターゲットの少女。対して仕事の詳細な部分は隠されている秘匿性。それら対極的な情報がもたらすものは不安だ。闇に限りなく近いグレーゾーンに身を置くブローカーならともかく、一体何をどうしたら表の人間が学園都市の最奥の暗部に身を拘束される羽目になるのか、闇にずぶずぶに浸ってしまっている彼ら『グループ』でも理解に及ばないのだ。

 かつて、自分達が『ドラゴン』に接触を図った時以上の危険が待ち構えているのかも知れない……と、土御門を除いた三人がそれぞれ重苦しく唸る。

 

「……別の位相ってワードも気になるところだが……、つまるところ、今回の仕事と何が関連しているのかが一番の問題点だな。……ったく、どうもキナ臭い」

 

「あら、復活するの早いじゃない……」

 

 むくりと起き上がり、ずれたサングラスをクイッと持ち上げる土御門。彼はどうやら、クールなリーダーになることを選んだらしい。

 

「つーかよォ、俺と結標にとっては大前提に魔術のマの字さえも分かりゃしねェンだ。そこら辺詳しく懇切丁寧に説明してくれねェと理解する気になれねェよ」

 

 そう言って、テーブルに足を乗せて踏ん反りかえる第一位。それに同調して、そうよー私も分からないとだけ簡単に言ってくれる座標移動にも青筋を立てつつ、土御門は口を開いた。

 

「……魔術世界における位相とは、宗教・神話で概念に於ける異世界のことを表すものだ。天国と地獄。ヴァルハラにオリンポス。六道に黄泉に冥界に。ユグドラシルやティティカカ湖。なんて言ったように、様々な異形の存在が住まうところとされている世界と言ったら分かりやすいか」

 

「そんなの誰だって聞いたことあるわよ。だけど言われたって別にそんなものありもしな――」

 

「――ああ、お前らにとってはオカルトの類で処理出来るが、俺ら魔術師には切っても切れない縁っつうのが確かに存在しちまうわけなんだよ。なあ、アステカの魔術師さん?」

 

 結標の言葉を遮って、土御門はその言葉を待ってたと言いたげに舞台役者ばりな声で疑問に応じてしまう。

 

「ええ、これら異世界の法則を強引に用い、超自然現象を引き起こし、その時産まれた『火花』を制御することによって魔術師は魔術を行使しているんです。だから一概にこのオカルトの要素が、科学的根拠が無いものだとしても否定するには難しい……実際に魔術を見ているあなた方ならこのことも分かるでしょう?」

 

 その上で説明の一手を担った海原も嬉々とした表情で言いのけた。

 二人の試すような口振りに、結標も諦めの意を顔に見せて続く。

 

「まあ、確かにあなたのその『槍』や『変装』だとかを見てしまうと、科学の側面からじゃあ抗議しようにもないわよね」

 

 土御門、海原の魔術の説明に心ならずも相槌を打つ結標。彼女が頷くための理由は確かにあった。

 海原が武器として用いる黒曜石のナイフにしても、相手を欺く変装技術にしろ、毛色の違ったそれぞれの異能は科学の観点から彼を能力者として見なすには不可能なものである。

 現状、学園都市では能力者は一つの能力しか操れず、二種以上の超能力を操る多重能力者の存在は実現不可能とされている。

 黒曜石のナイフの技は簡単に見て摩擦係数の値を無にするものか念動力と見なせるにしろ、変装に至ってはもはや肉体変化のそれか特殊な光学操作でしかありえない。

 つまりは、彼の異能は一つの能力の応用という言葉では説明不能。

 結標が言うように、もし海原を能力者の括りに収めてしまえば彼は二種以上の能力を操れる多重能力者ということになってしまい説明がつかないのだ。

 

「それこそ魔術なんてもんは、あくまでこの世の物理現象を否定する結果に産まれた副産物でしかない。だが逆にこうも言える……魔術が存在することが位相の存在を証明していると」

 

「目に見えないですが、現実とこれら異世界は確かに繋がっていると言えます。そうでなければ、僕達は魔術なんか使えてませんから」

 

 異世界……科学の視点から言わせてみれば到底信じられる話ではないのだが、そんな二人の言い分には何処か納得出来てしまう。魔術というものに間接的に、一方通行にしてみれば直接的に関わってきたこともある。結標も一方通行も彼らの話を噛み砕いて、柔軟な解釈をそれぞれ述べる。

 

「……法則ったァな、そう言われりゃ反射が逸れやがることにも道理はつくがァ……」

 

「つまり……学園都市で言う『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』が貴方達で言う『位相』に当たるのかもね」

 

「そうかもな。ただ違うのは、それが一個人に影響を及ぼすか……あるいは世界全体に影響を及ぼすか、その違いが能力者と魔術師の違いだろう」

 

 個人の脳で全てを完結させられる超能力者。世界の本質を利用し、それを力に変える魔術師。それらの違いが小さな違いとみなせるのは、実際に能力者としても魔術師としても、どちらの人生も経験をしている土御門だからこそ言い退けてしまえるのだろう。

 

「自分達では拙い説明だったとは思いますが、お二人とも理解出来ましたでしょうか?」

 

 相変わらずの薄ら寒い笑顔を浮かべながら海原は問いかけた。

 それに対し二人は当然の如く答えを返す。

 

 

「そうね……ハッキリとは分からないけど、私の能力よりかは不便だってことは理解出来たわ」

 

 

「それは俺もなァ……つゥか別に、魔術だろうとなンだろうとブッ潰すことには変わンねェンだろォ? 簡単なコトじゃねェか、聞くまでもねェ……」

 

 

 その態度は才能のある人間として当然の態度だった。才能の無いものこそ魔術師を目指すとはよく言ったもので、彼らの自負心はそんな魔術師になど負ける気はさらさら無いと言ったものだ。

 

「まったく、言うに事を欠いてみればそれか……」

 

「ええ、本当に信じられませんね……」

 

 超能力者二人の調子が良さに土御門と海原は互いに苦笑いを浮かべる他無かった。

 

 

「……上等だ二人とも、何が起きるのか分からんが、この『グループ』で負ける気はしねぇよ」

 

 

 ブリーフィングが終わる。それ以降の言葉は必要ない。

 言葉にせずとも信頼の名は強固なものとして出来上がっているだろうと、各々が理解していたからだ。

 悩みに悩んで、意見のすれ違いが起こり、時にはぶつかり合って……そんな関係性は自分達には必要が無い。共通の目的があれば十分だ。

 学園都市にしてやられるわけにはいかない。

 そのためにも、この仕事は終わらせてやる。

 着実と準備は進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔面にパンチをもらったとして、人間は帳尻よく気絶するのだろうかと聞かれれば、答えは多分こうだろう。

 

「うん……絶対ない」

 

 通路脇の待合スペースに腰掛けながら、恨み節たらたらで呟く。

 案の定ラッキースケベに遭遇し、怒った女子に殴られて気絶するなんていう典型的ラノベ展開にもつれ込む器量が自分には到底ないことを自覚した。そんな意味での呟きでもあった。

 そんなこんなで女子勢にボックス席からほっぽり出された浜面仕上は、目に出来た青痣を、ドリンクバーにあった氷で簡素ながらも氷嚢を作ることによってアイシングをすることに成功していた。

 

「何が成功だよ……そもそも青タンが出来ちまうシチュエーションの方が間違いなんだよ……、あークッソ痛ぇ……」

 

 一緒にプロレスやKー1の試合中継を観戦することもあって、やはりというか想像通りというか、麦野沈利の右ストレートは期待を裏切らない重さがあった。

 

「それどころじゃないんだよなぁ……」

 

 ジンジンと響く眼球の圧迫感に苛立ちながら、嘆いてばかりも仕方ないので浜面仕上は先ほど絹旗と共に現れた三人について考える。

 

「あのクールな子と弄り甲斐のありそうな子、あの二人は置いとくにしても、最後の子は……フレンダの友達だよな……多分……」

 

 三人の中でも控え目にしていた黒いセミロングの髪の少女。

 先日、麦野と共にフレンダの部屋を訪れた時、彼女は確かにカレンダーにその顔写真を連ねていた。名前もしっかり書き込んであったことと、その快活そうな容姿がフレンダの交友関係の意外性を垣間見たきっかけでもあったこと、しかもその少女宛てと思われるフレンダのビデオレターも見てしまった。

 それに何より。

 

「麦野と誕生日が一緒じゃあな……まあ、忘れにくいっつーか……忘れられねぇよな」

 

 十二月一日

 

 その日の日付に貼られていた顔写真は二つ。

 それが麦野沈利と佐天涙子だった。

 フレンダにとっては麦野と彼女もどちらとも大切な友人だったのだろう。念入りなチェックリストに包装されたプレゼント。余興の練習におまけにビデオレター。まるでと言えば失礼だが、あのフレンダに女の子のような可愛らしい一面があった事実に今更ながら驚かされたものだった。

 

「アイツは……そのことを知ってしまえばどうなる?」

 

 視界には先ほどまでの喧騒はなんだったのか、あのボックス席では同じ女子同士愉しげに会話をしている姿が見える。

 経緯は知らないが、日陰にいた『アイテム』の彼女達が、些細な形でもこうして光に触れることが出来るのは微笑ましいもので、彼としても望む形ではあった。だが、あの少女がフレンダの友人であるとなれば、麦野にとってそれは息苦しいものとなってしまうだろう。何せ少女にとって友人を殺した仇敵となってしまうのだから。

 麦野は悲しみの淵にありながら、自責の念に駆られながらも、彼女の死に向き合い、償いの在り方を考え、折り合いをつけている。

 麦野はそのことを決して周りにはそれを悟らせない。本当は誰よりも泣きたいはずなのに。

 

「フレンダ……、やっぱりお前の残した物はトンデモねぇ爆弾だったみたいだな……」

 

 だから、もしその状況に陥ってしまえば、麦野は進んで悪役を買って出てしまうような気がしてしまう。麦野はそれが償いだと言わんばかりに、責められるべき相手、フレンダの友人達に非難の的とされることを選ぶのだろう。

 確かにフレンダを殺したことは、麦野の犯してしまった許されざる罪だ。だが、その一言で解決するのは麦野にとって酷なものだと思えてしまう。ただでさえ足掻き苦しむ麦野に、火に油を注ぐような形で、あの少女が麦野に咎め立ててしまえばと考えると、麦野は遂には壊れてしまうような気さえしてしまうのだ。

 浜面は『アイテム』のリーダーである彼女のそんな姿など見たくはなかった。

 

「幸いにもカレンダーを見てたのは俺ひとり……顔も知らないはずだから、何事もなく女子会やらを楽しんでくれるといいんだがな……」

 

 杞憂であればいいんだがと心あらずに囁く浜面を他所にして、テーブル席では、既に麦野の能力により電子レンジの要領で服を乾かされた四人を交えてガールズトークに楽しく花を咲かせていた。

 

 

「女子が集まればナニをする?」

 

 

 自己紹介もあらかた完了したところで、話題転換を図った佐天涙子。その瞳は妙にギラついている。

 

 

「超恋バナでしょうか……」

 

 

 それに相槌を打つ形で、こちらもまた瞳をギラつかせている絹旗最愛。

 

「「その通りッ!」」

 

 意図することを互いに感じあったのか、手のひらを固く握り合う二人。どちらも恋に恋する中学生ならではの現象だった。

 

「バカだ。さっきまで頭から水を被ってキレかけてた奴とは思えねぇほどバカだよ、絹旗テメェ……」

 

「ええ、私のご主人様の責任ではありますが、なぜこのような事態になったのか理解に欠けます……」

 

 その姿を見て冷静に対処せざるを得ない形で突っ込むのは麦野と禍斗。

 

「……きぬはたとさてんも仲良くなったみたい?」

 

「ああ、そうみたいだ滝壺! やっぱり学園都市の人は優しい人ばっかりだなぁ!」

 

 そして若干空気が読めない天然ぽわぽわ系女子の滝壺とエステルの二人。

 

 意外にも、『アイテム』の面々と奇遇が合う三人は、はやくもこうして溶け込みを果たしていた。初対面とは思えないほどにしっくりくるペアが出来上がるのは勿論、そういえば佐天も、つい先ほどまでは後の二人と邂逅したばかりなのを忘れてはならない。

 三人がファミレスに訪れたのは、勝手に出された食材を平らげてしまったエステルの佐天への謝罪の意を込めたものでもあったのだが、紆余曲折して今に至るというわけだ。

 

「まあまあ、やっぱり女子が仲良くなるならこの手の話が一番って言うじゃないですか。それに何より盛り上がりますし……」

 

「そうですよ麦野。普段浜面なんかが近くにいるせいでこの手の話は避けてきた分、こっちも超溜まってるもんが色々あるわけですよ」

 

「は、はぁ……いやそんなのよく分からないわよ……」

 

 ズイズイっと顔を近づけて来る二人に気圧される麦野。それを見た二人は互いに息を合わせて頷きあう。

 

「チッ、やっぱ野郎に惚れているせいか……この感覚が分からねぇときたか」

 

「なるほど……確かにそれなら仕方がないとも言えるかも……」

 

「ちなみに佐天、さっきの浜面はそこの滝壺と付き合ってるんですぜぇ」

 

「ええっ、ということは爛れに爛れた三角関係!? どこの昼ドラですかそれは!!」

 

「あのな……テメェら良い加減にしろよ?」

 

 麦野は青筋を立てながら勝手気ままに盛り上がる佐天と絹旗を笑顔で黙らせると、二人は一旦、借りてきた猫のように勢いを落ち着かせる。

 しかし、彼女らはまだ諦めていなかった。

 

「となると……」

 

「ターゲットは後二人……」

 

 獲物を切り替えて即座に行動する辺り、彼女達は狡猾なハンターとして十分な素質を蓄えていると言えるだろう。

 

「エステルさんと、禍斗さん」

 

「あなた達に超決めました」

 

 指を鳴らしてカッコよく決めた姿に本人達は満足気なようだが、それに麦野と禍斗は呆れた目線で二人を見つめる。

 

「……生憎ですが、私にはご主人様をお護りするだけで手一杯ですので……」

 

 聞かれる言葉を予想して、禍斗は即座に断りの言葉を入れた。

 実は死体の禍斗だが、そんな彼女でもジト目で対応している辺り想像してほしい。この二人ははいま猛烈にウザい状態にあるのだ。

 

「くっ、中々手強い……」

 

「そ、それじゃあエステルは、誰か好きな人とかいないんですか?」

 

 苦悶の表情を浮かべながらも僅かな望みに掛ける少女達。そんな表情を浮かべるくらいならやめれば良いだけの話なのだが、そうはいかないのがお年頃の女の子なのだ。他人の甘い蜜で己の欲望を満たす、それが彼女達の生態。

 

「ん? 好きな人か……そうだな、好きな人ならたくさんいるぞ! 」

 

 満面の笑みで答えるエステル。その言葉は疑問に対する答えとは幾分か違うもので、質問した少女達の表情は少し引き攣ったものとなってしまった。

 

「特に、以前学園都市に訪れた時にお世話になった人達にはみんな好きになった。これがまた良い人ばかりでな、今回再び訪れた理由もその人達に会うためでもあるんだ。」

 

「へ、へぇ〜そうなんですか……」

 

「……それはまた立派なことで」

 

 天真爛漫の笑みでそう言う彼女に、少女達の表情はさらに翳りを見せる。思わぬ答えに、自分達の心の穢さが浮き彫りになって出てくるようで居た堪れないのだ。

 

「……はぁ、アンタら良い加減にしたら? 」

 

「む、麦野、いいえここまで来たら超引けませんよ……」

 

「そうですよ麦野さん……、こうは言ってますが、どこか桃色なオーラを女の子なら隠し持ってるものなんですよ絶対に……」

 

「……桃色のジャージなら、いま着てるよ?」

 

「……あの、そのような話ではないかと……」

 

 滝壺も滝壺でその我が道を征く精神に、各々を圧倒させていた。

 だがそれ以上に彼女の力を知ることとなった。

 

「うーん、じゃあ、えすてるは今、その好きな人の中で恋人になりたい男の人とかいるのかな?」

 

 その力は凄まじく、周りが気付けば、滝壺はエステルにど直球な質問をぶつけていたのだ。

 まさかのキラーパスにパクパクと口をあぐねる佐天と絹旗。

 それ以上に、麦野は顔を蒼褪めて戦慄していた、

 

「(こ、コイツ……この肝の据わりかたが、浜面の心を段々と掴んでいったのね……)」

 

 ぬぽっとしたままの表情の滝壺に恐れを抱く麦野。強敵の強敵たる所以を垣間見たといった内心であった、

 

「こ、恋人!? 」

 

 意外や意外、その言葉を受けて、不覚にもエステルは恩人である、この街に生きる一人の男性の姿を思い浮かべてしまった。

 

「……先生」

 

 尊敬する人の名前を呟くだけで、エステルは何故だか胸がキュッと苦しくなった。

 

「私は、先生のことを……」

 

 DAから始まったあの事件。その後あの人とは道を違えたはずだった。あの人の言うままに中途半端な自分が闇に関わるべきではないと袂を分かって、二、三ヶ月が経ってからというものの、月日の流れとともに言い知れない感情が募るのをエステルは確かに感じていた。

 それを滝壺に問い正されて、ようやく分かったのかも知れない。

 

「これが、恋……なのか……」

 

 バクバク、と本人に会いさえしていないのに心臓の鼓動が早まるのを感じる。明確に意識した途端、周りの目が明らかに好奇の目でこちらを見ていることを理解し、彼女は恥ずかしさのあまり、顔を埋めたい気持ちに陥ってしまった。

 

「あうぅ……す、すまないが、その、まだ、そういうのは、よく分からないんだ……」

 

 たどたどしく告げるエステルに女子陣はドギマギとさせられるばかりであった、しかしただ一人を除いて。

 

「そっか、ごめんね、えすてる」

 

 茹でダコのように顔を真っ赤にさせて唸るエステル。その反応が、果たして実は相手がいるのかいないのか、どう捉えていいものか周囲に期待させつつ、自らが流れを断ち切るようにのほほんとした顔で滝壺は謝った。

 

「……ご主人様」

 

 そんなやりとりをジッと見つめていた禍斗もご主人様であるエステルを心配して、ふと呟く。

 

「滝壺……、彼氏持ちはやっぱり違うというかなんというか……超驚きました」

 

「あはは、私もなんだか少し顔が赤くなっちゃったな……滝壺さんにもドキドキしちゃいましたし……」

 

 今更ながらに口を開く主犯の二人も、もう懲り懲りだとこれ以上の追求はなしにしたようだった。

 そんな中、机をダンと叩き、勢い良く立ち上がる人物が一人。

 

 

「――ああ、忘れてしまっていた! こんなことをしている場合じゃないじゃないか!!」

 

 

 会話も一段落ついたと思わせた最中、徐々に冷静さを取り戻したエステルが突然声をあげたのだ。

 

「ど、どうしたんですか、そんないきなり超大声をあげて」

 

 エステルの突然の行動に驚いて転倒し、頭をさすりながら絹旗が聞く。

 

「佐天……私は貴方を助けに来たんだ。このままでは『グループ』という組織に貴方は連れて行かれてしまうことになるっ!!」

 

「……へっ?」

 

 ついさっきまで、ベランダにぶら下がっていた少女のそんなあり得ない一言にひょうきんな顔をしてしまう佐天。

 彼女の日常はこうして崩れ去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ××××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲を警戒しながら、一行は薄暗い裏路地を早歩きで進んでいく。先ほどまで見せたファミレスでの緩やかな笑みも、今では誰もが険しいものと変わってしまっている。

 

「お、おい麦野!! 一体全体どうしたって言うんだ!? いきなり仕事モード突入で逃げるぞ、なんて言われる俺の気持ちにもなってみろよ……」

 

「うるせぇよ、こちとらただいま頭の中で逃走経路のルート構築に必死なんだ。文句言うくらいなら、あのクソヘタレの第一位にでも言いな。……今回はアイツが敵みたいなんだよ、チクショウ」

 

 苛立ちが隠せずに、麦野は文字通り歯噛みしていた。しかし思考は冷静に冴え渡り、目的地までの最短距離、かつ追われにくい道筋を考え立てるには心にまだ十分なゆとりがあることはまだ認識出来る。そんな心持ちである。

 

「マジかよ……そりゃ……」

 

 逃げ道、そう言うワードが麦野から出てくるのにも驚いたのだが、それ以上に危険な存在が麦野の言葉から語られていたことに息を呑む浜面。

 

「…………そりゃそうか」

 

 一団を先導する麦野の後ろで話を聞いている浜面は、絶句したままに背後に付き随う少女達を見た。絹旗や滝壺は慣れだろうが気丈な態度でいるが、特に件の少女は不安なのだろうか、目線をキョロキョロと動かし、今のこの状況に対応するだけでいっぱいいっぱいという感じだ。

 こう見れば麦野が苛立つのもその筈、状況は最悪と言ってもいいだろう。

 エステルの情報では今回の敵は『グループ』で、彼女らと一緒に連れだっていたフレンダの友人、佐天涙子がどうやらターゲットとして狙われているらしい。まず、その佐天が狙われているのも不明だが、暗部が壊滅したとも聞いたのに『グループ』が何故活動を続けているのかも分からない。

 それにしたってあの暗部抗争を構成員の一人も欠けることなく生き抜いた『グループ』の戦力の大きさにも頭が痛くなると、浜面は心の中で舌打つばかりだった。

 それは何より、学園都市超能力者序列第一位である一方通行の存在である。彼が、顔見知りだからといって、ゆめゆめ見逃してくれる人物ではないことを浜面は知っていたのだ。

 今まで、その彼が味方であるシチュエーションが多かっただけに、味方であれば頼もしい、されど一方通行が敵に回れば、自分達がどれほどの大立ち回りをしなければならないのかは、はっきりと想像がついてしまう。

 それにこちらは『アイテム』だけでなく、戦闘力がいかほどなのか未知数な少女が三人もいる現状。はっきり言って無理は出来ない。

 それだけに状況が最悪と言ってもいいものだと理解できていたのだ。

 

「クソッ、暗部は無くなったって言うんじゃないのか? 一体何がどうなってやがる?」

 

「知らねーよ、あの金髪が言うにはあの忌々しいビルまで逃げ切ればなんとかなるみたいらしいけど、はっきり言ってそれも胡散臭いっつーの。統括理事会直下の暗部が動いているのに、統括理事長のお膝下に逃げ込めば安全とか、もうワケ分かんないわよ……」

 

「……なんだそりゃ。――というか、今まで統括理事会を敵に回してた俺達がそんなのに関わる必要あるのかよ。麦野、はっきり言って危ない橋なのは重々承知だろう? なんでわざわざあの子達を助けようと行動してんだよお前……」

 

 目の前に困った人間がいるならば助けてやりたいと思うのが一般道徳的観念だろうが、浜面にとって一番大事なことは『アイテム』である彼女達の安全を確保することそれだけである。

 彼の主人公としての特性は広くない、彼女達を守るためなら、浜面は他を幾らでも切り捨てる覚悟があった。

 今は麦野がそれを良しとしないので、現状は彼女達の身を案じてはいるが、浜面にはそれが最低限のやれることでしかない。

 だから浜面は問いかける。

 

「おい麦野しっかりしろ……俺だって暗部の手に掛かる子を見て放っておくのは気に食わないさ……、でも丸ごと救い出してみせるなんて妄言は吐けない、俺は『誰かさん』みたいにお人好しじゃないんだよ」

 

 後ろに続く彼女らを憚って囁く浜面の言葉に、麦野はふと立ち止まった。立ち止まった麦野の顔には迷いが見えるのを浜面は確かに悟った。

 そもそも、エステルの言葉に反応して、今こうして『グループ』の手から逃れようと即座に行動に移しているのには、麦野の即断があったが故だ。それは彼女のリーダー気質に皆がつられている状態でもままある。彼女が揺らげば、後ろの彼女達は途方に暮れるだろう。

 第一、さっきまで初対面だった人間を助けようとするほど、麦野は善性に溢れた人間ではないはずだ。例え平穏無事に暮らしている機会に溺れて、少しは心に変化があったので助けてみようと思います……、そんなリスクにまみれた決断をする人物ではないのだ、麦野沈利という人間は。

 浜面はそんな、らしくない行動をする麦野に揺さぶりをかけた。

 

「なあ……一方通行なら理解してくれるはずだ。何が目的かは知らないが、表の人間にアイツは絶対に手を出さない。ロシアの時も俺が早とちりしちまって喧嘩売っちまったけど、滝壺を助けるために行動してくれたんだ。だから、きっと手荒なことはしないと約束してくれるはずだって……」

 

 麦野の肩に手を掛け、言外に諦めてくれと浜面は強く願う。

 それらを理解した上で半ば誘導尋問のように彼女の心に漬け込んだのだ。今自分が行っている行動が余程クズなものなんだろうなとヤケになって他人事のようにも浜面は考えてみるが、これが自分にとっては最良の選択なのだとあえて自分に言い聞かせる。

 地面を固く踏みしめるのは、自分の不甲斐なさ、自分の弱さが原因だとはっきり自覚しているから。

 

「――浜面、分かってるよ。滝壺や絹旗……あたしらを思ってそう言ってくれるのは分かってんだよ。アンタは、多くは守れないって言うんでしょ……そんなの、分かってる……」

 

 麦野の表情は、迷いから苦痛の色へと変わっていた。どんどんと威勢を無くすその声色は、彼女の弱さを浮き彫りにして、それがまた彼女の心を壊していく。

 

「……それなら、麦野……」

 

 分かってるならどうして、先に続くはずのその言葉は口から出せなかった。

 麦野は手で目元を隠すようにして言葉を続ける。

 

「……その言葉に甘えようとしてる自分がいるっていうのも、分かってんだよばかやろう……」

 

 声が、僅かに震えていた。麦野自身また自分の弱さというものを自覚していたからだろう。単純に立ち向かえば負け戦。自分の力が些細なものだとは理解していた。

 しかし、それもすぐに止む。彼女はそれ以上に自分に強くあろうとするのだ。

 

「だけどね……見捨てられるワケがないのよ。あの子、フレンダの友達なんでしょ。私が奪ったフレンダの、ねぇ?」

 

 少し濡れた目尻を拭いながら、黒いセミロングの髪の少女を見る麦野。そして、最近なんだか涙脆くなっちゃった、とお茶目に言いながらも切り替えて、

 

「ならさ、私はこの命を犠牲にしてでもあの子を守らなきゃいけないのよ。フレンダの大切なものが友達だって言うんなら、誰一人勝手に死なせたりなんか出来ないよ」

 

 一連の言葉を言って重荷がなくなったのか、憑き物が落ちたような顔をした麦野に浜面はしばらく驚きを隠せなかった。

 

「……麦野、お前、知ってた、のか?」

 

 言葉を選ぶのに困り果てた様子で口を動かす浜面。

 

「当たり前。最初に見たビデオレターの子の名前を忘れるわけがないでしょ。それに私……あの後で全部の子の名前と顔写真も覚えたから……第一それに付き合ってくれたのアンタでしょうが浜面」

 

 狼狽する浜面に麦野はぎこちない笑みでそう言いのけた。

 彼女はフレンダの大切なものに向き合う覚悟を決め、見事折れることなくそれらに向き合いきったのだ。

 浜面はそういえば、と言いながら空の辺りを見上げたものの、その時分のことの記憶が朧げになっていたことを思い出す。

 側からみた麦野が怪訝な顔で口を開き、

 

「そういえばアンタ……所々寝掛けてたんだか……」

 

 ガッカリしたと視線で睨まれながら、浜面は麦野に言い訳を応え返す。

 

「いやあ、あの時はほら、連日仕事に駆り出されてたしさ? ちょっとあの寝やすそうな畳があれば誰でも眠たくなるのは必然的なものじゃないかい、って一応俺は弁明したいんだけど無理そうだなすいませんでした……」

 

「別にいいっつの……それよか、滝壺がさっきからコッチ見て鬼のような形相で凄んできてんだけど、なんとかしてくんない?」

 

 麦野の言葉に従い、首を向けると、ダーンッ、ダーンッ、ととても女の子とは思えない重量のある足音を響かせながらこちらに向かってくるピンクのジャージが浜面には見えた。

 

「はーまーづーらー? 最近ふれめあにうつつを抜かし掛けていたと思えば、今度はむぎのと良い雰囲気になっているのは私に何か不満でもあるっていうことなのかな? これって当てつけなのかな? ねえ、聞いてもいいよね!? 私恋人なんだから!!」

 

 そのまま浜面は肩を掴まれて前後に思い切りよく振られ、ぐわんぐわんと頭をシェイクされ、滝壺に折檻されるハメとなった。

 自業自得といえば自業自得なのだが、これもまたアイテムのよくある光景だろう。

 

 

 今の一連の騒動の後、全員が麦野の周りに息を整えながら集まってくる。荒事に慣れていない佐天がいるためか、全員の付いて来るペースがバラバラだったのだ。

 そして、ようやく追いつくと、渦中にいながらも状況がよく掴めていない例の少女が口を開く。

 

「はぁはぁ……、あのー、一体私が狙われることになった、理由ってどういうことなんでしょうか?」

 

「あー、それさっき聞かれたからパス……」

 

「ひ、ひどくないですかそれ!!?」

 

 その下りはもうやったからと、麦野から雑な扱いを受けた佐天は怒りのままに声を荒げて抗議するのだが、見事にスルーされるだけだった。

 

「まあ、佐天。何があってもアンタのことは絶対守る、それだけは約束するから安心しなさい」

 

「は、はあ……」

 

 背中をポンポンと叩かれ、態度をコロッと変えて優しくなった麦野に気まずくなる佐天。

 麦野の佐天を見る目がまるで兄弟を見るような暖かいものだったからか、このように戸惑ってしまうのだった。

 まあ、戸惑いは佐天だけでなく、『アイテム』の面々にも広がりを見せたようで、絹旗は「アイテム唯一の妹ポジを奪われた?」と驚いているようである。多分違うと思う。

 

「むむ。そうだぞ、佐天。私も禍斗も力になるからな! 」

 

「いや、その体勢で言われても説得力に欠けるっていうか〜」

 

 麦野の言葉に反応してか、負けじと対抗するエステル。だが禍斗に背負われながら言うエステルの言葉には、佐天の言葉通り説得力のカケラもない。強いて言うならば禍斗さんの力で十分です、と佐天は心の中で告げるのだった。

 

「仕方ないよな、こんなんじゃ見捨てられねぇわ……」

 

 雰囲気が良い。この少女を守り抜ける、そんな雰囲気がする。

 先ほどまで、切り捨てるべきか否か迷っていたけれど、麦野が守ると決断したならば自分はその意思を尊重したい。絹旗や滝壺もそう思っているから、ここまで付いて来たのだ。

 結束を肌で感じた浜面は、先頭に立ち、改めて確認するように皆に告げる。

 

「ああ……ここにいる誰もが、アンタを見捨てたりはしないから安心しろよ。それにだ。第一、向こうはこっちに『アイテム』がいることを知らないだろうしな。そこを上手くつけば、返り討ちにすることも可能なんじゃないか……」

 

 それは、今まで、追いかけられる側を幾度と無く経験してきた浜面だからこそ言えることなのかもしれない。無能力というハンデを背負いながら、異能やトンデモ科学にこの身一つで対処し、生き抜いてこられたのだから、今回もきっと大丈夫。

 そんな気がしていた。

 だが、一瞬にして期待は外れることなった。

 

 

「――甘いな、残念ながら、そうはいかないのが暗部組織って奴だろう?」

 

 

 そんな展開は許さないと、背後からサングラスを掛けた金髪の男が絶望の呼び声となって姿を見せた。

 

「おはようさん、元暗部組織『アイテム』のみなさま。生憎とオマエさん達が既に関わっているのは承知済みだ」

 

誰一人として気づくことが出来なかった。

何もかも見透かされていた。

一同が戦慄した表情で男を見る中、その視線を十分に感じた男は口元を若干歪めて語りかける。

 

「とりあえずは、ベタで汚ったない交渉術から始めようか」

 

唐突に現れ、そう言った男は、笑みすら浮かべる余裕そうな表情を見せながら、その場に居た浜面に鋭い蹴りを叩き込む。

 

「クソッ――がぁッ」

 

事態も飲み込めないまま浜面は地面に倒れ伏せてしまう。そして男は倒れた浜面の肘を後ろ手に回して強く踏みつけ、手早く拘束の体勢に持っていった。

 

「動いてくれるなよ、新人。動けば首を折っちまうからな……」

 

数秒にして人質にされた浜面。

 

背中刺す刃(Fallere825)。暗部は裏切り欺き、なんでもござれ……少し平和に浸ってたからってオマエ達――ちょっとばかしタルんでるんじゃないか?」

 

 

 そうしてニヒルに笑いかける男。

 元暗部組織同士の対決が、今まさに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




佐天さんとアイテムとグループとエステル禍斗。
ようやく、入り乱れていく感じになってきました。
次はバトル、それこそ一応の終わりが目に見えてきた形となってきました。
地の文が安定しないので、描写は段々と少なくしていこうと思います。

また暇になりましたらゆっくり書き出します。


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行間

 味気のないフラットなコンピュータが所狭しと並び、ケーブルまたはチューブが至る所から張り巡らされている空間。一人の人間が、その身に背負った宿命を果たす仮初めの場所でもあったその場所に、一匹の来訪者が姿を見せる。

 

『良ければ相談に乗ろうか?』

 

 甘ったるい紫煙を燻らせ、ダンディな声が陰鬱な空間に静かに渡る。来訪者のものだった。

 

「何を……路に迷う青少年と勘違いされては困るぞ?」

 

 薄暗い密室に灯る葉巻の灯りを見ながら、対してこの部屋の主は告げる。

 

『人に言えない悩みは、溜まっては終ぞ毒になり、身体を蝕むことになるだろう……』

 

「……そうとは限らないが」

 

『だとしてもだ。一介の友として君の身を案じているのだよ』

 

 湿った鼻先からまたも紫煙を吐き出す来訪者。その言葉があまりにも直情的であったのか、ビーカーの中に浮かぶ人間は眉間を寄せることもなく、培養液の中でため息を吐く。

 持ち合わせているはずの知性から出るとはとても思えない一言だった。打算でも利己的でもない、言葉通りの意味で訴えかけてくる。

 来訪者はそんな男だった。

 

「勝手にしろ、とは言えないのが痛いところか……君とも長い付き合いになる」

 

 そう言うと人間は少し表情を緩ませた。

 お互いに感じさせる禍々としたオーラも幾分か和らいだ気がした。

 

『それでよろしい。お互いに歳を取った()()()()、片意地を張る必要もない』

 

「『人同士』とのところはあえて触れないでおくが。君も随分と説教癖がつくようになったものだな……流石は『先生』と呼ばれるだけはある」

 

『そんな立派なものではないさ……ただ彼女は見てて放って置けない危うさがあるだけだよ。それこそ、私の目を引こうと、あえて過激な言葉を選ぶ節があるくらいには、手の掛かる子だ』

 

 バックパックから伸ばしたアームで葉巻を口から離すと、来訪者はやれやれと言わんばかりにそう言った。言いながら、何処か優しさを感じさせる雰囲気を擡げたことに、話題に上がる彼女は、彼にとってそれほどの存在であるとありありと感じられた。

 

「なら、今この場に君が居て良いものなのかね? 何をしでかすか分からんのだろうに」

 

 大事にしている……とは言わずとも分かるが人間は敢えて聞く。

 このように「揶揄ってやろう」などという態度になろうと思えるくらいには、彼は来訪者のことを、信用足り得る男だと認めていたのだ。

 

『……こう見えても付き合いは結構大事にする方でね。酒と煙草が分かる人間は一入(ひとしお)だと考えているのだよ。それに彼女もこの事に対して理解があるし、今日は控えてくれているのさ。いや、実に素晴らしい『生徒』を持った……』

 

 そして来訪者もまた、この人間を認めていた。

 両者のそれはもはや無意識的に感じるもので、ただ何時ぞやに培ったのか明瞭ではないとだけは分かっていた。

 だけに、普段は誰にも見せない隙を見せ、油断をこの時だけはしてしまう。それもまた意識の範疇を超えたものだった。

 

「ほほう」

 

『おっと、つい口が……』

 

 先ほどの彼の言葉を、彼の『生徒』が聞けば卒倒してしまうだろう。

 それくらいに彼は、彼女を決して甘やかすことなく、けれども自分を超えた存在になるよう期待の気持ちを胸に隠し、彼女が驕らぬようにぞんざいな態度をよそおって彼女の教育に努めていた。

 そして『生徒』である彼女もまた、彼の本心を知ってか知らぬか堰を切ることなく成長を見せてくれるのだから、彼にとってそれは嬉しいことに変わらない。むしろそんな自身を師と仰ぎ、尊敬の念を抱いてくれる存在に彼は感謝の気持ちすらあったのだろう。

 

「……認めたな」

 

 気の緩みがもたらした。その隠すべき本心をポロリと自身の前で口にしたのだった。

 試みが成功したことに、人間はにやりと笑う。

 

『これは一本取られた』

 

 そんな心の内をついつい引き出されたと、来訪者は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。だが、表情とは裏腹に、素直に敗けを認めたようだった。

 お互いの腹の探り合い。例えその底がどす暗くどろどろとしたものであろうとも、腹の探り合いなしにはこの黒幕(フィクサー)の友人は務まらないと来訪者は知っていたからだ。

 

「ク、クハハッ――いや、私の敗けだ。相も変わらず、君はその気にさせるのが上手い……」

 

 そしてまたこの黒幕も、一介の駒というには事の顛末を知り過ぎている友人のことを大いに評価していた。

 無感情にこの街を操る人間も、この男の前では何をしても、結局は行き着く先はいつもこうだと笑うのだ。

 

「なるほど……では()()()()()呑み明かすに限るな」

 

 堅物、真面目、ダンディな声音から紡がれる言葉は一見、そういう実直な印象を抱かせる。しかしながら、()()()()()()()()()()()()()意味としては、それはもはや突っ込まざるを得ない要領の話となってしまうのが悲しいところか。

 

「まったく、『犬』は君だけだろう……」

 

 人間は半開きの眼でそれを冗談半分で言っているのか訝しむようにして来訪者を見る。

 

『ああ、唯一の芸にと言葉遊びを仕込まされたのさ、ワン』

 

「その吠え方……呆れるほど棒読みだよ、この犬畜生」

 

 どうやら人間が思ったことは杞憂ではなかったようで、本人が認める通り冗談らしい。

 厳かな口調さえ崩して、彼は友人を貶した。そうではないとこの男のくだらない猿回しに付き合わされる羽目になると思ったのが理由だろう。

 いつまでもボケとツッコミの関係で話を進めるのは嫌いだったという。

 

「……しかし、生憎で悪いが私はここから出られないのでな」

 

 だから、言外に私もそういうノリで行こうと、いたずらをする前の実行犯のような口調、表情で人間は眉を寄せた。

 

『ハハハ、私も盃なんぞこの手では持てんよ……いや、正しくは脚なんだがな』

 

 来訪者も負けじと、腰を落ち着けながら片腕をひょこっと前に差し出す。見る人が見れば、「お手」と呼ばれるその行為はその来訪者の身体的性質を端的に表していた。

 

「言わなくとも意味は十分に通じているというのに……」

 

『なんだと言うのかね? 身体をはったジョークだとすれば、これはまさしく宴会芸なんかにはぴったりだと思うんだが……』

 

 何処までもふざけ続けるこの駄犬を見て、今ならば、犬公方(いぬくぼう)と蔑んでも良いような気がすると密かに人間は思いながら、首を微かに振りふっと割り切る。それこそ、考えるだけ無駄なのだ。

 今まで逆さに浮いていた人間は突如として、その向きを重力に従ったものに変えた。

 それが意味することとは何か……。

 

「まあ、お互いに方法が無い訳ではない」

 

『だな』

 

 ビーカーからの中から溶け出すようにして人間は外に顕現し、来訪者はアームを自在に伸ばして葉巻をアッシュトレイににじりつけた。

 人間は先まで着衣していた緑の手術着から一変、ゆったりとした鈍い寒色の甚平へと様変わりを遂げていた。勿論ビーカーの容器に浸っていたアルカリ性の液体などその身に一雫さえつけることなく。来訪者もアッシュトレイを背中にある四次元の空間に片付けて、今度は代わりに一つの酒瓶と自分と目の前の相手の分のお猪口を取り出した。見れば、口には既に犬用のビーフジャーキーが咥えられている。

 そしてそのまま、両者は無言のままに酒を注いで一気に煽った。

 

 互いに瓶を猪口へと傾けながら、静々とした雰囲気が暫くの間続くと、先に口を開けたのはやはり人間の方だった。

 

「……すまないな、本当に……、こんな役割を君にさせる事になるとは……」

 

 言いながら、酒が入った器に映るのは自身の顔だった。先ほどまでとは違う酷く憔悴しきった顔で、もはや生気をなくした浮浪者のような自分に、人間は自嘲の笑みを浮かべた。

 

『早々にそれか、別に良いのだよ……この街に生きる者のためならば、そして私の破滅が彼女の成長に繋がるならば……、弟子はいつか師を超えなければならん……』

 

 口元をペロリと舐めながら、感慨深く頷く来訪者。

 犠牲なくして目的は果たせない。圧倒的な力を持つものでも、時に切り捨てなければいけないものがある。『奴ら』は同様に莫大な力を保持し、頂上からこの人間を嘲笑っている。並一通りではない事柄だ。一体誰が予想した、一体彼の『計画(プラン)』の過程にはどこまで邪魔が入るのだ。

計画(プラン)』は、もはや彼の持てる全てをぶつけなければいけないほどに深刻なダメージを負っていた。だが、裏を返せば元通り。それだけのことで彼の目的は達成に再度足を向けることが出来るようになる。

 

「……同じじゃないか……あの時と」

 

 しかし、人間はその度に運命を呪う。最善とされる『計画(プラン)』の道半ばで、失った者達が現れてはその度に慟哭の声をあげるのだ。

 

『人生とは、時に苦いものだよ。甘く出来ているわけじゃない』

 

 そして来訪者はその人間を諭すように厳かな口調で語りかけた。

 今回は、その生贄がたまたまこの来訪者であっただけ。目の前の人間の秘奥をバックパックに宿す彼は、それを重々理解した上で人間と酒を酌み交わしているのだ。

 

「……ああ、理解している」

 

『それなら何故君は足掻く? 頭の中では整理がついていると言うが、君がそこまで取り乱すのに理由はないはずだ』

 

 目的を思い出せ、と来訪者は人間に冷酷な事実を突きつけた。狼狽える目の前の人物に慰めの言葉をかけてやるほど、彼は甘くはない。

 

「……そうだったな、なんと言われようと私は止まらない。今まで踏み台にしてきたこの街の子供達の為にも、()()()()()()()()()()()()()()()()の為にも、私は決して止まれやしない」

 

 人間は目が醒めたという表情で宣言する。

 世界を救おうとしたために、世界に最愛の娘の命を奪われた。

 そんな残酷な世界のルールに爪弾きにされた娘の死を知って、そこから人間は外道非道の修羅の道へと歩み始めたのだ。

 今更、止まることはできない。

 

『……苦さを受け入れるのが大人だとしたら、君はまだまだ子供だな』

 

 いつもの調子を取り戻した人間に、来訪者は薄い笑みを浮かべながらそう言った。

 

「ああ、それで『計画(プラン)』が完遂されるなら足掻いてみせるさ。恥も外聞も名声も富も私には必要ない……、並みならぬ数の失敗をも糧にしてみせよう。昔は世界の為に無情になれたが、今は私は私の欲の為なら非道にだってなれる心構えでいる……」

 

 半分は自分に対する暗示の言葉だった。あの日の決意から、この想いを忘れたことも、変えようなどと思ったこともない。

 

「ただな……、その道を歩むと決めてしまっても、罪の意識から逃げるようなことだけは、私はしたくない……」

 

 人間は鬼や悪魔にでもなれた。それこそ彼は願えば()()()()()()()()()()()だった。だが、彼は『人間』を貫いた。己の歩む道を変えず、世界に叛旗を翻すことこそに焦点を置いて生きてきた。

 そうして今のように呟いた言葉こそ、彼が、自分が自分を人間たらしめんとさせている理由なのだろう――

 

『……ふっ。そうか』

 

 来訪者はそんな彼の言葉に、呆れたようにも、感心したようにも呟いた。

 

『君の時折見せるそういう人間臭い部分にたらし込まれたんだったな――私は』

 

 ――しかし、言えるとすれば、それが『人間』である彼の弱点だった。

 だが同時に来訪者は、自分は彼のそんなところに惹かれていったのだろうと他人事のように自己分析を下していた。

 

『……ロマンという信念を、好悪という生き様を、私は私が見定めたことを覆すつもりはない。それぞれを心から愛して貫き通し、生きていくだけだ』

 

 そうして来訪者は独白するかのように語り始めた。

 それは常日頃から自分が口にするぼやきのようなものでもあった。

 だが確かに、彼の根底に根ざすものは言葉通り、ロマンと好悪なのだ。そこに嘘偽りの性質は感じられることはない。百パーセントの真実としてそこにある。

 

『だから、そうまでしても世界に抗い続ける君の人生を、私は肯定してやりたいと思っている。その為なら論理や道徳なんてかなぐり捨てても良い……』

 

 ロマンと好悪、どちらも生活や社会の中ではうまく折り合いをつけていく為に排他されていくものだろう。そこで無理を通せば、人は回る輪の中に溶け込んでいくことは不可能だ。

 

『確かに善悪で言えば君の歩む道は愚かなほどに悪と断言出来る。だが好悪で言えばどうしようもなく好ましいしな、君のその決意は』

 

 しかし来訪者は自分を貫き通した。

 

『周りからなんと言われようと、自身で間違いを自覚し悩みながらも、歩みを止めない君のその生き様に、私は私自身が信じるロマンの在り方を垣間見たのだよ』

 

 自分が信じるものを、自分に沸き立つ感情を彼は何よりとした。先ほど彼自身が人間に告げた言葉を持ち出すなら、無論彼もダメな大人に入るのだろう。

 だが、彼は決して自分にブレることなく生きていきたいと願ったのだ。

 

『だから、君は私を駒にして進め……、それでこそ、私が見込んだ友人なのだから、なあ()()()()()()……』

 

 それが来訪者である人語を喋るゴールデンレトリバー、()()()()であった。

 

「……本当に説教が上手くなったな、君は。まさか人生の内に、犬に諭されるなんて思わなかったよ」

 

 人間はその銀色にたなびく長髪をかきあげながら、苦笑する。

 

「ああ……、本当に良い友人を持ったよ……私は」

 

『人間』アレイスター=クロウリー。

 男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見えるその姿で、在りし日と同じように、奇妙な喋る大型犬と盃を交わす。

 

 

 

 

「乾杯」

 

『ああ、乾杯だ』

 

 

来訪者と人間。

 脳幹とアレイスターはまた静かに酌をとりあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




案外1場面で字数が掛かりましたので本家風に行間として投稿……(汗)
新約15巻の前にはこんな二人もあったんだろうか、などと考えてみました。楽しんでいただけたなら幸いです。
一応今の所全話、段落字下げを使ってみてはいるんですが、個人的に見やすいか見にくいか気になるので、教えていただけならありがたいなーと。
では、また次のお話で。


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