グラップラーケンイチ (takatsu)
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第1話:転移

(かい)鎬断(しのぎだち)!」

 

終盤に入った、ケンイチと鍛冶摩の決闘。

鍛冶摩の咆哮と共に、彼にとって秘中の秘であった絶技がケンイチに炸裂する。

間もなく全身の気血が絶たれ、ケンイチの身体が細胞レベルで死んでいく。

 

(ダメだ……気を押し戻すことが出来ない)

 

思考、そして五感が失われ、悲鳴をあげる美羽の姿と声が届かなくなったところで、ケンイチの意識は絶たれた。

 

 

 

 

 

*****************

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

 絶たれたはずの意識と五感は突如として戻る。

 ケンイチは慌てて周囲を見渡す。畳が敷かれている広々とした格調高い和室の中央で、ケンイチの身体は布団の中にあった。布団の横には、ミネラルウォーターのペットボトルと空のコップが載せられたお盆がポツンと置かれている。

 

「ここは……梁山泊?」

 

 そう考えたがすぐに違うと気付く。畳と障子は確かに似てはいるが、デザインが梁山泊のものとは微妙に違うし、来客用の布団の質感も異なる。

 とりあえず自分の命が助かった事、感覚からしてこれは夢ではなく現実なのだろうということに安堵するが、しばらくして不安感と薄気味悪さに襲われる。

 ケンイチはおそらく鍛冶摩との決闘に敗れた。それはいい。鍛冶摩は正々堂々とケンイチを倒したのだ。そこで恨み言を言うつもりはない。

 問題は、ケンイチが今もこうして生きていることだ。(かい)鎬断(しのぎだち)でケンイチの肉体は死亡したはず。ギリギリ死んでいなかったとしても、鍛冶摩が死亡確認とトドメを刺さずに帰るなどという都合のいい話があるだろうか?

 ではあの場にいた、しぐれか美羽が助けに入った可能性は?

 果たして決闘を妨害する行為をあの2人がするだろうか。仮にそうだとして、不可解な点はいくつもある。

 ケンイチの身体には、鍛冶摩との闘いで受けた傷が全く無いのだ。鍛冶摩の鎬断は一週間やそこらで治る傷ではない。だとしたら、今はあの戦いからどれだけ時間が経過しているのか? 長期間意識がなかったのなら病院などで手厚い看護を受けていてもいいはずなのだが、このケンイチの扱いは精々、『組手の稽古でダウンしたから寝かせておこう』という程度のものだ。

 それに長い間寝たきりになっていたにしては床ずれや身体の痛み、意識の遠のきなどがまるでない。次々疑問が湧き上がり始めたところで――

 

「おお、気付いたかの。半日近くよく寝取ったわい」

 

 真ん中の障子が開かれ、外から差し込む日差しの中から和服を着たちんちくりんな老人が姿を現す。

ケンイチはその容姿を見て思わず、フレイヤの祖父、久賀舘弾祁を重ねた。だが弾祁と違って目の前の老人からは武術家特有の気配は感じられない。

 

「あの……ここはどこでしょう。僕は一体どうしてここに」

 

 老人は、ケンイチの前までやってくると座布団の上に腰を下ろしケンイチの問いに1つずつ答えていく。

 

「ここはワシの家じゃ。君が家の前で寝っ転がっておったのを、帰宅したワシがたまたま見つけたというわけじゃ。救急車を呼んでもよかったのじゃが――君にちと興味があっての」

 

 そこで言葉を区切って、ケンイチの全身を値踏みするように一瞥する。胸元に「弟子一号」と書かれた道着を着た少年、確かに今のご時世にしては珍しい風体である。

 

「君は武術家に師事していて、君自身も武術を学んでいるのかのう? 体付きも中々悪いくないわい」

 

「あ、はいそうです申し遅れました。僕の名前は白浜兼一、梁山泊という武道場の門下生です。助けていただいてどうもありがとうございます!」

 

 老人は頭を下げるケンイチに、良かったら水を飲みなさいと促しながら顎に手を当て思案する。

 

「ワシの名は徳川光成じゃ。これでも世の武術家に関しては詳しい自負があるのじゃが、梁山泊……聞いたことがないのお。どこにあるのじゃ?」

 

「松江県の松江市ですけど……」

 

 その言葉を聞いた光成は驚いた様子でケンイチの双眸をじっと見つめる。

 

「ケンイチ君といったの。松江市、という場所はともかく松江県などという県はこの世に存在せんよ」

 

「えっ……そんなぁ冗談きついですよ徳川さんってばぁ! あはは……」

 

 ケンイチは大げさに笑ってみせる。梁山泊を知らないのはともかく、都道府県名を知らないということなど有り得ない。最初は冗談かと思ったが、光成の真剣な表情を見て笑いは乾いたものに変わっていく。

 

「ワシの言っていることが本当かどうかはすぐにわかるじゃろう。ケンイチ君や、お主は行き倒れておった。一時的な錯乱状態にあるのやもしれぬ……君の事をもっと詳しく話してみてはくれんかの?」

 

 光成に言われ、ケンイチも現状を少しずつ理解し始める。そう、あまりにも今のシチュエーションは説明がつかない程不可解なのだ。全身から血の気が引いて行くのを感じながらも、ケンイチは時間をかけて自分の履歴、そして"闇"との戦争、鍛冶摩との勝負を最後に意識を失った事、全てを伝える。

 キセルを片手に黙ってそれを聞いていた光成が、懐からスマートフォンを取り出しケンイチに渡す。

 

「もう一度言うが、君の住んでいた場所とやらは無いのじゃ。ちなみに今日は、君が"闇"とやらと戦った次の日じゃよ」

 

 ケンイチは慌てて、スマートフォンのインターネットブラウザアプリを立ち上げて、片っ端から検索をかける。しかし自分の知る街もヒットせず、自宅に電話をかけても未使用番号ということで電話局に飛ばされてしまうだけだった。

 

(そ、そんな……僕の記憶がおかしいのか? いや、それだけは有り得ない。ならばここは僕がいた場所とは別の世界? バカな……でも万が一そうだとしたらどうやって元の世界に!?)

 

 悪夢か何かだと思いたいがさすがに夢と現実の区別くらいはつく。おそらくこれは現実だ。

 愕然とするケンイチの意識を引きつけるように、光成がパンと己の膝をてのひらで叩く。

 

「さてケンイチ君や。困っている所悪いが、いつまでも君をここに置いておくわけにもいくまい。しかし君の話が本当なら、君は戸籍も身寄りもないということになるのう」

 

(あっ、そうか。僕はどうやって美羽さんと合流できるか考えていたけど、今の僕はそんな贅沢を言ってられる状態じゃない。一銭も無い住所不定無職の人間じゃないか!)

 

 ケンイチの表情を見て、彼が自分の立場を自覚し始めた事を察した光成は、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「君は今後について選択をせねばならん。じゃがその前にケンイチ君や、この世界のグラップラー……闘技者と立ち会ってはみんかね?」

 

「ええっ、どうしてです?」

 

「どうしてじゃと? そうか……ケンイチ君には、立ち会うのに理由が必要なのか」

 

 光成はしばらく不思議そうにケンイチを覗き込んでいたが、ニイッと意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 ケンイチの本能が嫌な予感を告げるが、もう遅い。

 

「では、ケンイチ君を救助し休ませてあげたお礼を請求しようかのう。もしお主が立会に勝てばチャラ。断るか負ければ100万いただこうかの」

 

「……100万ウォン?」

 

「円じゃ! 総理大臣ですらそうそう入れないワシの私室に半日も居座って100万円、我ながら甘いのう」

 

 カッカッカッと笑う光成。ケンイチはこの無法な提案に異議を唱えられない。

 

(日頃特A級達人という特殊な思考の方々(マイルドな表現にしたけど)と付き合っている僕だからわかる! 間違いない、この人はやると言ったらやる。口答えをすれば機嫌を損ねて条件が悪化するかもしれない。

 それに助けてもらったのは事実だから、拳でお礼ができるなら受けるべきだ。僕はもう一人前の武術家なのだから!)

 

 ケンイチの表情から怯えと焦りが引いていく。それに気付いた光成は笑うのを止める。

 

「徳川さん、是非立ち会わせてください! あ、でも待ってください。その立ち会う相手って女性ではありませんよね? 僕は女性を殴らない主義なんですので……」

 

「ホッ……君のいた松江市とやらでは女が戦うのか!? 興味深いのお。幸いこちらに生きる闘技者は皆男じゃ」

 ケンイチの真剣な問いに、光成は今一度表情を崩し笑いながら立ち上がり部屋を後にする。

 準備が出来たら来なさい、と光成に告げられたケンイチはしばらくして光成が出ていった所の障子を開ける。梁山泊以上に広大な庭園が、まばゆい日差しの中から視界に現れる。

 

「わっ、なんて広い庭だ!」

 

「良い感想じゃ。さて君には彼と立ち会ってもらおうかの」

 

 庭の中央、光成の隣にその相手はいた。身長180cm程、オールバックの髪型にスーツ姿の若い男性だ。

 

「この屋敷の警備隊長を任されている加納秀明だ、よろしく」

 

「加納や、失礼のないように全力で戦いなさい」

 

「承知しました。白浜君だったかな、後悔することのないように思いっきり来なさい」

 

 余計なことを……。そう心の中で光成に呟きながら、ケンイチは加納と向かい合う。

 自信満々の態度、「かのう」という名字、端正な容姿、何処かの誰かを思い出しながらケンイチは半身に構え、両手を顔の近くまで上げる。

 空手、中国拳法、柔術、ムエタイの技を繰り出すためのケンイチ独自の構えだ。それを見た加納はケンイチと酷似した構えを見せる。

 

(僕と同じ構え? 一体どんな武術なんだ!?)

 

(色々なことが出来る構えだな。彼はトータルファイターなのか?)

 

 お互い疑問を浮かべたところで――

 

「それでは始めいッ!」

 

 光成の野太い声が庭に響き渡る。とうとう始まってしまった。

 意を決したケンイチからジリジリと近づいていく。10Mはあった2人の距離が3M程に。それでも加納は笑顔のまま仕掛けてこない。

 

(リーチでは勝っているのに相手は一向に攻めてこない。スロースターターの僕にとっては助かるけど……)

 

 2Mまで近づいたところで、自分の間合いに入ったと確信したケンイチは攻めに打って出る。

 

「やあっ!」

 

 中国拳法の中段突き、半歩崩拳。みぞおちに向けられた攻撃を加納はあっさりと後ろに下がって回避する。

 追撃を加えんと、ケンイチは更に踏み込む。

 

「悪くない踏み込みだな」

 

 余裕の裏返しともとれるセリフをはきながら、加納はケンイチの攻撃を1つずつ丁寧に対処していく。

 

「トイ! 正拳! 迎門鉄臂!」

 

 かわし、すかし、受け止め、いなす。30秒ほど一方的に続けた攻めが全て潰され、ケンイチは思わず攻撃を止め後ずさる。

 

「ッッ……なんて防御技術だ」

 

(いくら防御に専念しているとはいえ、鍛冶摩や叶翔ですらあった僅かな制空圏の綻びがこの人にはない。

 間違いない、この人の技術は既に弟子レベルじゃない!)

 

 加納は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、ケンイチに攻めを促すように自ら距離を詰める。

 

「こうして敵の構えを正確に真似ると、どんな攻撃が来るか事前にわかるのだよ。私オリジナルの技術だ、原理がわかっていても君が実行することは困難だがね」

 

「くっ……『制空圏』の進化バージョンか!」

 

 流水制空圏とは別のアプローチ方法で、制空圏を独学で発展させた。

 その才能にケンイチは驚かされるが、加納はそれくらい当然だろうという様子で今一歩距離を詰める。

 

「ほう、君はそんなハイカラな呼び方をしているのか。

 ならば私の技は『制空圏』を昇華させた――『明鏡制空圏』とでも名付けようかッッ」

 

 相手は格上。負ければ元いた世界に戻るどころではないペナルティ。

 この世界で目覚めてからわずか30分。白浜兼一、正念場の時。

 

 

 



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第2話:流水制空圏VS明鏡制空圏

 

 

 立ち会いから2分が経過したところでケンイチ、加納共に相手の技量がある程度見えてきた。

 残る重要な情報は1つだけ。

 

(相手の攻撃力(防御力)はどれくらいか!)

 

 ケンイチは必殺の一撃を喰らわぬよう、あえて踏み込みをギリギリで抑えている。

 加納がティーラウィット・コーキンの白神象の領域(ヤン・エラワン)の様な技を持っていたらたまったものではない。

 一方の加納も、刃牙との戦いで相手の耐久力を侮り初弾後の対応を怠ってしまった。

 互いが、互いの苦い経験から攻めきれずにいた。しかしその均衡は破られる。

 

「シッ!」

 

 防御に徹していた加納が、初めて前傾姿勢に変わりケンイチに突っ込んでいく。

 ケンイチに引けを取らない踏み込みで距離を詰め、左拳から矢継ぎ早なジャブを繰り出す。

 数発の攻撃がケンイチの制空圏を安々と突き破り、顔面に次々とヒットしていく。

 

(早っ! でもそんなに痛くない。速度に特化した攻撃か!?)

 

 そう思い顔面へのガードに注意を払ったのもつかの間、フックともアッパーとも言えない右拳の攻撃が脇腹に深々と突き刺さり、ケンイチの表情が歪む。と同時に加納からも笑みが消える。

 

(まるでサンドバッグに打ち込んだみたいだ。白浜君の鍛えられた身体を撃ち抜くにはかなり時間がかかる。ならば……)

 

(また来るかっ! でも僕の攻撃は加納さんに読まれている。手を出せば避けられ、カウンターを浴びる。ならば……)

 

 "明鏡制空圏"!

 

 "流水制空圏第一"!

 

 加納は攻めるのを止め、今一度自分の特技を発動。

 対するケンイチはその間に心を深く沈め、静の気を発動し制空圏を薄皮一枚まで絞り込む。

 両者共に、己が最も頼りにしている静の技を使いギリギリまで間合いを詰める。

 

「ぬうっ……!?」

 

 軒下で観戦する光成が思わず固唾をのむ。2人の距離は既に50cmまで狭まっているのに、両者共に仕掛けない。

 だが光成の目には、存在しないはずの両者の攻撃が軌道となって映っている。

 技撃軌道戦。武術の心得が無い光成であったが、あらゆる強者達の戦いを見続け観察力だけは鍛えられていたため、ぼんやりと見えていた。

 

(見えるぞ、白浜君が攻撃しようとしている軌道が。このジャブもかわすか……右を払ったら、突っ込んでくる気か?)

 

(加納さんの攻撃が見えるようになったけど、この距離でも僕の攻撃は相変わらずさばかれる!)

 

 その読み合いは、ノータイムで交互にジェンガを積み上げる高速の共同精密作業のようなもの。長くは続かない。

 

「しまっ!」

 

 ケンイチの読みを縫って、加納のジャブが顔に当たる。

 思わず自分の意志とは別にケンイチが中途半端に繰り出した拳を予期していたかのように、加納が全体重を踏み込んだ縦拳をケンイチの頬へと打ち込む。

 鈍い衝突音が庭に響き渡り、ケンイチの身体は後方へのけぞる。

 

(そう、私が狙っていたのは完璧なタイミングでのカウンター。タイミングさえ合えば、あらゆる相手からダウンを奪うことができる。そして――本番はこれからだッ!)

 

 加納はドリアンに惨敗し、二度までも不法侵入を許し光成の命を危険に晒してしまったあの日から、ある技術を密かに鍛えていた。それは――組み技である。

 

(いかなるタフガイも絞め落としてしまえば無力ッ! いかなる分厚い筋肉に守られた肉体も、関節は脆いッ!

 油断せずに倒れた相手に確実に技をかける、それが私のプランだッ!)

 

 加納の戦術は理にかなっている。もし締め技が綺麗に決まればケンイチを失神させることができただろう。

 だがそんな彼の行動にも一つだけ見落としがあった。

 

「な……なんのおっ!」

 

 完璧に打倒したと思ったケンイチが、踏みとどまったのである。

 

「なっ! 何故倒れない!?」

 

 かつての刃牙でさえも打倒した攻撃が、申し分ないタイミングのカウンターで決まったのに倒せない。加納の表情に初めて動揺が浮かぶがすぐに気を取り直す。

 不用意に接近した加納と堪えたケンイチの身体は密着している。ここまでくっついてしまえばケンイチが攻撃しても威力は激減してしまうからだ。

 落ち着いて距離を取れば問題ない、と後退しようとする加納の腹部にケンイチが両手の指先をくっつける。平たく言うなら小さく前へならえ、の態勢だ。

 

(この密着した状態から何をッ?)

 

 隙とも言えるケンイチの行動を前に、後退を止め関節技をかけようか一瞬選択に迷った加納に――

 

「む――無拍子ッ!」

 

 空手の突き手と引き手、中国拳法のリミッター外し、柔術の自重を威力に上乗せする動き、ムエタイの打ち抜く突き。4つの要素を合わせたノーモーションで繰り出される攻撃。

 ケンイチの命を守り続けた、彼の相棒とも言うべき技が炸裂する。

 

「お……オオオッ!」

 

 クールな加納から初めて放たれる叫び声。確かな手応えを感じたケンイチであったが、

 

「おごっ!」

 

 不意を突かれる形で顔面に閃光の様な衝撃が走り、目から火花が出る。

 思わず後ずさり、何が起きたか状況を確認する。加納は鋭い表情のまま、追撃せずにケンイチの様子を伺っている。

 

(相打ち覚悟のカウンターを食らった!? でも、僕の攻撃は当たったのに加納さんにはダメージが見当たらない。

 まさか防御しながら反撃も決めたのか?)

 

 クリーンヒットすれば、弟子クラスならば大ダメージは避けられない無拍子をあっさり耐えられた上で返り討ちに合った事で、ケンイチは動揺を抑えられずにいる。一方側にいた光成からは、攻防の一部始終が見えていた。

 

(ケンイチ君の無拍子に対し、加納はとっさに制空圏を発動し左手を身体に挟んでおった。

 そして攻撃を受けながら右ストレートでカウンターを合わせる。致命打を避けながら反撃し、ケンイチ君に己の攻撃力への不安を受け付けたのは見事という他あるまい。じゃが……そろそろ気づくかの、ケンイチ君)

 

 光成の見立て通り、ケンイチが違和感にたどり着くまで時間はかからなかった。

 

(僕はこうして回復しつつあるのに、どうして加納さんは攻めて来ない? あのカウンターはさすがに僕も効いていた。あのまま攻め続けられたら危なかったのに……)

 

 ならば理由を確かめなければ、と再び心を沈め流水制空圏を練り上げる。加納と視線が交差し、再び2人の間に技撃軌道戦が発生する。一巡、二巡、三巡と駆け引きが発生したところで加納は小さく汗を流し、ケンイチはその理由を察知する。

 

(加納さんの技撃から左手の攻撃が全く来ない!? そうか、攻めなかったんじゃなくて攻められないんだ。だったらこのチャンスを逃してはいけない!)

 

 頭部へのダメージが治りきっていないのもお構いなしに、おもむろに距離を詰めるケンイチ。加納にとってはまずい展開だった。

 左手でガードしたとはいえ、ボディに受けたダメージを回復するには1分やそこらでは足りない。

 そして直撃した左手のダメージはその比ではない。既に防御にも使えないくらい傷んでいた。

 

「くっ」

 

 加納の蹴りは威力こそあるものの、突きに比べて隙があるので無闇に放てない。

 右腕一本でリードブロウを放ち、その内の一撃がカウンターでケンイチに刺さるがそれでも前進は止まらない。

 

「何故だッ! 何故倒れないッ! 何故止まらないッ!」

 

「僕の拳は大切な人を守るためにある! その人の元に1日でも早く戻るために――負けるわけにはいかないんです!」

 

 ケンイチが完全に接近戦に持ち込んだところで――

 

「山突き! カウ・ロイ! 鳥牛擺頭! ――朽木倒し!」

 

 空手、ムエタイ、中国拳法、柔術の順番で繰り出される連続攻撃技、『最強コンボ一号』が炸裂する。

 

「おおっ……まさかケンイチ君がここまでやるとは!」

 

 光成は決着を確信して身を乗り出す。

 事実、加納の意識は朽木倒しによって後頭部を地面にぶつけられた衝撃で、夢の世界へと旅立っていた。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 ――秀明さん

 

 何ですか? 母上

 

 ――勉学、武道、貴方の生まれ持った才は加納家の歴史の中でも随一です。

 あなたなら目指せるでしょう。我ら一族が代々お使えしてきた徳川家、その守護者に。

 

 私が徳川様を直接お守りできるのでしたら、これ以上の名誉はありません

 

 ――たゆまぬ蓄積を続け……あの方の盾となりなさい。

 

 

 

”アンタホントに地下闘技場のファイターなの? ディフェンスはたしかにうまいけど……”

 

 

 

”ここの警備はまるで役立たずだな。武器も、拳法も使うこと無く制圧できるとは……”

 

 

 

 二度、主の命を危険に晒した。腹を切れと言われてもおかしくない失態だがそれでも母も、主も私を許してくれた。

 しかし今まさに三度目の敗北を喫しようとしている。

 白浜君に限ってそういうことはないだろうが、もし彼が危険な人間だったら――

 もしここで曲者が侵入したなら、私はなんのために――

 

 

 

”僕の拳は大切な人を守るためにある!”

 

 

 

 白浜君の言葉、表情が蘇る。まだまだ発展途上だというのに、立ち塞がるなら、範馬勇次郎様だろうと倒さんといわんばかりの、身の程知らずな眼差しだったな。

 ……そうか、私は当たり前の事を忘れていた。

 私の敗北は、主の死。主の死は私の人生の否定。だから――

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

「私とて光成様を守る盾! たとえ地上最強の生物が相手だろうと負けられんのだッッ!」

 

 加納は確かに気絶していた。だがそれは1秒を切る一瞬の出来事。

 咆哮と共に加納が立ち上がり、ケンイチと光成が驚愕する。ただの辛うじての復活ではない、加納の闘気は倒れる前よりも遥かに増している。ケンイチは直感で加納の身に何が起きたかを察知する。

 

(そんな……この人、自力で静の気を開放した! ダウンして気が開放されるなんて、そんなことありえるのか!?)

 

 大切な人を守る時こそ、力を発揮する武術家。ケンイチと同じタイプかつ、才能で勝る加納だからこそ起きた現象である。

 加納が開放された気に慣れてコントロールが完成してしまえば、ケンイチに勝機はない。

 それをわかっているから、加納が再び明鏡制空圏を築く前にケンイチは最後の攻撃を仕掛ける。

 が、全ての打撃が空を切る様にあっさりと躱される。

 

「!? 明鏡制空圏は発動していないのに……」

 

 ケンイチの連撃を軽やかに捌いていく加納は、自分の身に何が起きたかを理解している。

 

(ふむ、構えずとも白浜君の攻撃パターンが見えるぞ。どうやら今の私は、何もせずとも明鏡制空圏を使っている状態と同じらしい。ならば態勢さえ崩せれば楽に組み技に移行できる!)

 

 ケンイチが繰り出す中段蹴りを皮一枚でかわし、繰り出した渾身の当て身が見事命中――

 

「ぐっ!」

 

 するはずだった。が、ケンイチに当たること無く逆に追撃の攻撃をモロに浴び、加納が再度仰向けに倒れたところで

 

「それまで! 勝負ありじゃ!」

 

『ッッ!?』

 

 光成の鶴の一声が、まだまだ戦う覚悟だった両者の動きを静止させる。何故止めたのか、といった様子の加納に光成が理由を説く。

 

「力の覚醒とアドレナリンの分泌で痛みは感じておらんかったのじゃろうが、既にお主は満身創痍。

 最小限の動きで回避は出来ても、攻撃を当てることはその身体では不可。これ以上は戦えぬ。

 じゃがよき立ち会いじゃった。お主は立派なワシの警備隊長じゃ」

 

「も、勿体無いお言葉です光成様。……白浜君、君のおかげで私は原点に立ち返り強くなれた。今までで一番の誇りある敗北……だ……」

 

 光成の言葉から緊張の糸が切れ、痛みと疲労が一気に押し寄せた加納は再び気を失う。

 この世界にて最初の決闘、今度こそ完全決着

 

 白浜兼一 WIN 100万円の負債回避

 加納秀明 LOSE 静の気の開放修得

 

 続く




とりあえず毎週末投稿目標で。


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第3話:選択-①

 

 決着が確定し、安堵したケンイチがその場にへたり込む。

 

「よ、良かった……」

 

「ケンイチ君……いやケンちゃん、見事な勝利じゃ。約束通り君を介抱した対価は求めん。

 それと君にご褒美じゃ。ある人に会わせてあげよう」

 

 自分の懐刀が敗れたと言うのに心から嬉しそうな光成に、ケンイチもつられて笑う。

 

「次の対戦相手……は勘弁してくださいね」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 加納との仕合から数時間後、光成の私室で豪華な夕食に舌鼓をうちながら、ケンイチは己の世界を今一度説明する。

 光成は時には冗談のように切り返しながらも、ケンイチの話を1つ1つ丁寧に聞き取り受け答えていく。宴もたけなわに入ったところで――

 

「入るよ。あの(武蔵)時以来だね光成」

 

 障子がおもむろに開かれ、月夜の中から熟女――いや光成以上に年老いた老女が無遠慮に足を踏み入れる。

 ケンイチは思わず何者だろうと身構える。奇抜で派手なアクセサリーを身に着けている風体もそうなのだが、この世では大層な地位の人間であるらしい光成に、このような態度を取れる人間はそうそういないはずだ。

 

「徳川寒子……ワシの姉じゃ」

 

 どこか気まずそうな、照れくさそうな様子で光成は答える。

 

「あ、そうなんですか。はじめまして、白浜兼一です」

 

 疑問が解消され頭を下げるケンイチを、寒子はサングラス越しに心底どうでもよさそうに眺めていた。

 が、目の前まで歩み寄ったところで寒子の血相が変わる。

 

「~ッッ! 光成、この子は一体ナニモンだいッッ!」

 

「いや、だからそれを聞くために呼んだんじゃって……」

 

 どうやら光成は、ケンイチの正体を探るために姉である寒子を呼んだらしい。

 しかし寒子の出で立ちは諜報員や情報屋といったものではない。ならば優秀なカウンセラーか? などとケンイチが考えを巡らせていた所で、

 

「光成、一寸席を外しな。この坊やがあまり聞かれたくない話をこれからするからね」

 

 と寒子は言い放ち、空いていた座布団に勢い良く腰を下ろす。それを受けて腰をあげようとした光成をケンイチが制する。

 

「いえ、徳川さんにも聞いてもらって結構です。僕を助けてくれた恩人ですので」

 

「まあ、ケンちゃんがそう言うなら……」

 

 光成が同席を決めた所で、寒子が改めて本題を切り出す。

 

「どこから説明したらいいもんかね……。一応あたしは一端の霊媒師をやってるんだけどさ。

 まず坊や、あんたこの世の人間じゃないね」

 

「は、はいっ……どうしてそれを……」

 

 自称霊媒師などいかにも胡散臭い相手だが、自分の存在自体が一番胡散臭い存在である以上、今更そんな細かいことは気にならなかった。ケンイチはこれまでの経緯を簡潔に説明する。それだけで寒子がおおよその事態を把握するには十分だった。

 

「あんたは別次元の武術家、白浜兼一の残留思念が産んだ霊体、思念体てとこかね。

 こうして実体化しておるケースだけでもそうそう記憶に無いのに、別の場所から迷い着いたなんて前代未聞だね」

 

 口ぶりとは裏腹に、大して驚いているようには見えない様子で寒子が語る。既に目の前のシチュエーションに適応しつつあるのだろうか。

 

「霊体ですか? でもお腹はすきますし、先程仕合で怪我もしましたけど」

 

「そう、お主は不完全な霊体じゃ。生身の肉体と同じ扱いが必要じゃし、それに加えてお主は武術において道半ばに果てた悔いが産んだ霊体。

 次に武術家として悔恨残る思いをした場合、肉体の生死にかかわらず今度こそお主は消滅するかもしれんな」

 

 おもむろに物騒な事を寒子が言い放ち、ケンイチはゴクリとつばを飲む。

 

「消滅って……成仏ですか?」

 

「成仏で済めばこれ程都合のいい話は無いね。

 怨嗟(えんさ)の集合体と成り果て、この世を苦しみ彷徨(さまよ)い続けるか、また別の世界に飛ばされるかもわからんね」

 

「えーッッ! じゃあ加納さんに負けてたら僕は死んでたかもしれないの!? それだけじゃなくて病気とか餓えとかでも死んじゃうの!? こんなのずるいや!」

 

 年頃の少年らしく慌てふためくケンイチに、寒子はため息をつきながらかぶりを振る。

 

「負けて死のうが、別の世界に飛ばされようが「へ」でもない僥倖(ぎょうこう)じゃないか。

 一度完全にくたばったらしい人間がこうして蘇ったんだからね。神の理捻じ曲げといて贅沢言うんじゃないよ」

 

「た、確かにこれは奇跡的なチャンスなのかも……」

 

「さてケンちゃん、これからの君の人生についてそろそろ選択の時間じゃ」

 

 ケンイチが落ち着きを取り戻した所で、静観を貫いていた光成が口を開く。

 確かにいつまでも先の事を考えないわけにはいかない。ここに光成の好意で泊めてもらえるのも今日だけだ。

 

「1つ目、行政機関に行ってワシらにした話と同じ事を言ってみること。これはお勧めせんがの」

 

 光成に言われなくてもそれがまずい事くらいケンイチでもわかる。精々役所か警察署で笑われて追い返されるか、精神病院を紹介されるのが関の山だろう。

 

「2つ目、記憶喪失の人間として名乗り出て、自立支援ホームなどの福祉支援を受けながら生活すること」

 

 まあ、これが一番まともな選択肢か。少なくとも明日は警察の留置場で食事くらいは出してもらえるだろう。などと考えるケンイチに、光成が最後の選択を提案する。

 

「3つ目、闘技者として生きる」

 

 ケンイチに緊張が走る。武術を学んでいる以上、その技能を活かして生きていくということは道理にかなってはいる。

 だが寒子の言うことが事実なら、勝負に負けただけで死ぬ恐怖が常に付きまとう。そして問題はそれだけではない。

 

「でも徳川さん、闘技者になるにしても、明日どう食いつないでいくかをどうにかしないことには。国の保護を受けて職を探すという意味では2つ目の選択肢と変わらない気が……」

 

 それまで無表情だった光成が、ここにきて初めてニイッと満面の笑顔を見せる。

 

「ワシがこの世界ではちと名の知れた格闘技のプロモーター、ということは話したが実はそれだけではない。

 とある非公開の地下闘技場を運営しておる。その闘技場はこの世界で最高峰レベルじゃ。

 そこで勝ち続ければ、表の格闘技で勝つよりも遥かに素晴らしい収入と地位が手に入るわい」

 

「勝てばそんなに凄い賞金が出るんですか!?」

 

「いや、そこでのファイトマネー自体はノーギャラじゃ。

 じゃがケンちゃんが闘技者として生きたいというのなら、ここで出会ったのも何かの縁。

 地下闘技者としてワシと専属契約するなら、三食の食事と寝床の確保、学び舎に通う金の前貸しくらいはしてやっても良いぞ」

 

「い、いいんですか! 僕が戦っても!?」

 

 破格の条件を提示されケンイチは思わず身を乗り出すが、光成の話はそこで終わらない。

 

「お主が辛勝した加納は最下位ランクとはいえ地下闘技場のファイターじゃ。勝ったお主にチャンスを与えてもバチは当たらんじゃろう。

 じゃがケンちゃんには、この世界での戦績や最強の格闘家に育てられた血族といった、信用できる肩書もバックボーンも無い。

 つまりワシの特別扱いによる気まぐれ采配じゃ。お主が無残な結果を残せば、ワシの信用にも傷がつくというわけじゃ」

 

 3本の指を突き出しながら、厳格な声色でケンイチに告げる。

 

「まずは三連勝。ワシが用意する3人の地下闘技者に勝つ事じゃ。無論、3人とも加納よりは確実に格上じゃぞ。

 もっとも、お主が加納を覚醒させてしまったからには現時点ではどうかはわからんがの」

 

「3回も勝たないといけないんですか!」

 

「それは前提条件じゃぞ。3人に勝って初めて、ワシが近々行おうと思っている地下イベントへの参加を認めるつもりじゃ。

 そのイベントでまともな結果を残せなければ、即座に契約は抹消させてもらい違約金も払ってもらう」

 

 その違約金とやらがとんでもない額であろうことは、危うく100万円を負担させられかけて思い知っている。

 技術だけなら弟子クラスを超えていた加納、それよりも強い相手に3連勝出来なければ破滅。

 勝ったところでその先のイベントで待ち受けているであろう、さらなる強者達に惨敗しても破滅。

 そして死のリスク――あらゆる恐ろしい要素がケンイチの頭の中を巡っていく。

 

「ふん、ケチくさい話だね。面白そうだし気長にそのユーレー坊やを育てりゃいいじゃないか」

 

 寒子に他人事のように口を挟まれ、光成が困ったように制する。

 

「さ、寒子は黙っててくれ。話はそれだけではないわい。ワシにとって強者とは、戦いを見届けるのは神聖なものじゃ。

 もしケンちゃんが闘技者として勝ち続けワシを愉しませるなら、徳川家の力をもってお主の記憶を戻す、あるいは元の居場所に戻れるように協力するのもやぶさかではない」

 

 元の世界に戻す――そんな手伝いが一個人にそう簡単に出来るものか。

 そんな疑念をケンイチから吹き飛ばす、確固たる自信が光成の眼差し、声色から放たれる。

 目の前の老人はやるといったらやるのだろう。戦闘力は違えど、その佇まいはまるで梁山泊の師匠を彷彿とさせていた。

 

「こういうでかい決断はすぐ決められるもんじゃない。明日の朝まで待ってやんな」

 

 部外者なりに寒子が気を利かせてくれた、が今のケンイチにその気遣いは必要なかった。

 

「いいえやりますッッ!」

 

 開き直りでも破れかぶれでもない。心から出た言葉だった。光成も少しだけ驚いた。

 ケンイチなら応じるとは思っていたが、即答は完全に予想外だった。

 

「敗北すれば全てを失うだけでは済まぬかもしれん。死よりも重い出来事が待ち受けておるのかもしれんのじゃぞ?」

 

「僕は武術によって死に、そして転生しています。ならば一度もらったチャンスを武にささげてみようと思います。

 それに元の世界に戻れる可能性が僅かでもあるなら、その機会を逃すつもりはありません。どうか、僕にチャンスを」

 

 ほんの僅かの間だけ、光成は呆けていた。輝かしい笑顔と強い眼差しを見せるケンイチと、この世で地上最強の生物である親子が少し被って見えたからだ。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 数年ぶり、いや10年ぶり以上かもしれない。光成と寒子が2人きりで肩を並べこうしてゆっくりと話し合うのは。

 ケンイチを寝室に案内した後、屋敷の軒下で月を眺めながら光成が少年の頃に戻ったような笑い声をあげる。

 

「ヒッヒッヒッ。よくもまあベラベラとあんな脅し文句が出たもんじゃ。ケンちゃんビビっとったぞい」

 

「あの坊やが下手な負け方したら、死んで悪霊になる可能性があるってのは嘘じゃないよ。

 あんたこそ脅しの演技も中々サマになっとったよ。もっともあの子には要らん発破じゃったがな」

 

 寒子の切り返しに、光成は心外そうな表情を浮かべる。

 

「ケンちゃんが一般人として生きるならどうなろうがワシの知る所では無いし、結果を出せないなら放り出すのも本心じゃぞ。

 異世界から来た人間に興味がないわけではないが、ワシにとっては強者の方が重要じゃからな。

 しかし良く思い切って決断したもんじゃ」

 

「驚くことでもないね。大切な人間や親兄弟と再会することを諦めて、この世界で息吸って飯食ってクソ垂れ流して寿命迎えるのはあの坊やにとって死も同然だったってだけのことさ」

 

 坊やが折れるまではキッチリ見届けてやんな、と付け加え寒子は返事を待つこと無く屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 白浜兼一 地下闘技場の正闘技者の資格ゲット




今まで小説書く時はずっとテキストファイルのバイト数で大体の書く量測ってたけどここは文字数カウントしてくれるのね。
毎週きっちり更新するならだいたい5000文字くらいがベストかな。


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第4話:説明不要

 八王子駅からバスで15分。田舎と言っても良い、街外れにある一軒家でケンイチの朝が始まる。

 

「おはようございます大家さん! 朝ごはんありがとうございました」

 

「おはようケンイチ君。いいのよ、徳川さんからお給金は前もってもらってるから」

 

 自室で食べた朝食の食器を片付けに、母屋の台所に入った制服姿のケンイチと和服姿の中年女性が挨拶を交わす。

 松本絹代、ケンイチが今下宿しているこの家の持ち主だ。

 かつて格闘家だった夫を亡くし娘と2人で暮らしている未亡人。それしか知らないがケンイチもそれ以上を詮索していない。

 絹代も、ケンイチが訳ありの武闘家だということしか光成から知らされていないし、それ以上知るつもりもない。

 

「ケンイチ君、そろそろ行きましょうか」

 

「はい、梢江さん!」

 

 母屋の外から呼ばれ、ケンイチは表に出る。

 外でケンイチを制服姿の少女が待っている。絹代の一人娘、松本梢江だ。

 風林寺美羽ほど飛び抜けてはいないものの、人並み以上には優れた容姿を持っている彼女は、聞くところによれば交際相手がいるとのこと。

 その相手こそ、ケンイチが住んでいる部屋に前住んでいた住人にして、地下闘技場の現王者、範馬刃牙その人。光成いわく、この世界で最強の生物の一人らしい。

 梢江は出会ったばかりの下宿人であるケンイチに良くしてくれていて、ケンイチからの梢江への好感度も高い。

 こうして学校にも一緒に通っているし、困ったことがあれば話も聞いてくれる。

 通学路も半分が過ぎたところで、隣を歩いていた梢江がふと口を開く。

 

「差し支えなければ教えてほしいのだけれど、ケンイチ君はどうして武術をやっているの?」

 

「と、いいますと?」

 

 梢江の彼氏の刃牙は武術家だが、本人はあまり武術には理解も関心もないらしい。現に梢江との会話で武術に関する話題も今初めて出た。

 

「私が見てきた格闘家の人は、力自慢や強さ比べが大好きな、地上最強を夢見る人達だった。でもここ数日ケンイチ君と一緒に暮らしてて、あなたはどうもそんな風には見えなかったから」

 

 誰もが見て見ぬふりをする悪人をこの拳で倒し、そして大切な人達を守れるようになるために。

 そう言いかけてケンイチは言葉を飲み込む。本心ではあるが、今のケンイチにとっては半分本当で半分嘘だ。

 

「今は言えません……。でもいつか本当の事を話すので、良ければその時に」

 

「そう、なら必要以上に詮索はしないよ」

 

 ケンイチの表情から何かを察した梢江が打ち切ったことでその話題は終わり、あとは学校に着くまでとりとめのない雑談が続いた。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 ケンイチがこの世界にやってきてから4日目を迎える学園生活も、特に何事もなく過ぎようとしていた。元々この学校の治安は相当悪かったらしいのだが、トラブルというトラブルは今のところ起きてない。

 それもそのはず、例の範馬刃牙もこの学校の生徒なのだ(最近は不登校気味だが)。

 

 ”学校内で揉め事を起こせば刃牙が黙っていない”

 

 いつからかそんな噂が校内で流れ、ツッパリ達も理不尽な弱い者いじめだけは控えるようになったらしい。

 その逸話だけで、未だ出会っておらず顔すら知らない刃牙がどれ程の存在かを思い知らされる。刃牙が一体どんな人間かを想像しながら、ホームルームを終えたケンイチは学校を出て帰路に着く。だがその足取りは今までで一番重い。

 

「とうとう仕合の日が来ちゃったよ……」

 

 今日はケンイチがこの世界にやってきてから一週間。例の地下闘技場でデビューする日だ。だが決して準備万端と言える状態ではない。

 ケンイチはここ数日、加納との戦いで受けたダメージの回復と、新しい生活の準備と適応に費やしていた。

 梁山泊でやっていた毎日の基礎訓練も二割程度しか行っておらず、その他は最低限の走り込みと筋トレ、柔軟体操程度しかしていない。

 おまけに今回は、今までと違い対戦相手のスタイルも不明であり対策も建てられず、三頭竜戦の様に美羽が助太刀してくれるわけでもなければ、流水制空圏の様に長老が秘伝の技を授けてくれるわけでもない。

 傾向と事前対策が全く使えないのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、これからは白浜兼一という武術家が培ってきた純粋な力量、対応力、応用力が試される事になるだろう。

 気づけば、地下闘技場のスタッフから事前に指示されていた待ち合わせ場所に到着していた。

 人気の少ない住宅地の一角で、風景には到底似合わない黒塗りの高級車と男性が待ち構えている。

 

「お待ちしておりました、白浜兼一様ですね」

 

「は、はいっ!」

 

 タキシードを着こなしいかにも使用人といった、かっちりとした風体の中年男性が笑顔で丁寧に車の扉を開ける。

 

「どうぞ、ご乗車ください。これより闘技場へご案内いたします。

 私、本日から白浜様の専属送迎者兼スタッフとなります宝田と申します。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 覚悟を決めて車に乗ったケンイチは、緊張からか目的地へとたどり着くまで一言も宝田と言葉をかわさなかった。宝田の方は、許される範囲であらゆる質問に答える準備ができていたが、ケンイチの方から話しかけてこなかったので特に話題を振ること無く無言で運転に徹していた。

 連れてこられたのは『東京ドーム』。ケンイチの世界にも存在する有名な建造物だ。

 小さい頃に野球を観に行ったことがあるな、などと考えている間にどんどん宝田に先導され進んでいく。

 ドーム内に入り、関係者以外立ち入り禁止区域を通り、エレベーターに乗り地下6階へと降りていき、葵の紋所が刻まれた仰々しい扉を抜け、選手用の控室へと案内される。

 ドームの地下にある秘密空間の存在に一々驚いてる余裕はケンイチには無い。

 あと2時間程で、自分の命運を決める戦いが始まろうとしているのだから。

 

「白浜様」

 

「は、はいっ! 何ですか!?」

 

 学生服から普段の稽古着への着替えもとっくに済ませ、試合開始予定時刻が3分前に迫ろうとしていた所で、部屋の隅で直立不動のまま待機していた宝田がおもむろに口を開く。

 

「恐れながら申し上げます。待機中の様子を見させていただきましたが、相当気負いすぎに見えますな」

 

「ど、どうしても恐怖が先行してしまって……」

 

 専属スタッフはあくまで要望通りのサポートをするのが仕事であって、自らケンイチの調子を慮って助ける義務はない。だが宝田には、デビュー戦を迎えた闘技者にだけ助け舟を出す気まぐれ癖があった。

 

「10年以上この地下闘技場で、色々な闘技者を見てきました。

 確かに『今の』白浜様の実力は、地下の猛者に遅れを取っているかもしれません。

 ですが御老公の、優れた闘技者を見出す力は人後に落ちません。王者が相手ならともかく、今日の対戦相手ならマッチングのシステム上、白浜様に勝算は十分にございます。どうかご自分とご老公、そして育ててくれた師の力を信じて御覧なさい」

 

 出過ぎた真似をしました、と付け加え宝田は頭を下げるとそれ以上は何も喋らなくなる。が、ケンイチにとっては十分な激励であった。

 

(相手は格上で敗北は死。そうか、元の世界で何度も経験してきたことじゃないか。僕が今までやってきたこととなんら変わりない)

 

 表情から強張りが解け、筋肉から緊張がほぐれていく。ベストコンディションには遠いが、それでもケンイチの身体は元の調子を取り戻しつつあった。観客たちの歓声と思わしき声が室内に届く度に、ビクついていたケンイチの姿はもうそこにはない。

 

「ありがとうございます宝田さん。おかげでだいぶ楽になりました。行ってきます!」

 

 最後の軽いストレッチを終え、笑顔で控室を後にするケンイチを見届けた宝田は、垂れていた頭をあげる。

 

(別に白浜少年の肩を持ったわけではない。お互いが力を出しきれない仕合ほど、私にとって無味乾燥なものはないというだけのこと。私が関与できるのはここまで、後は彼自身の勝負になるだろう――)

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 地下闘技場では、本来前座となる仕合が1日に2つ3つ組まれ最後にメインイベントとなる。

 今日の試合に、最上級リーグとなるメインの仕合は組まれていないが、それでも観戦している観客の数は普段に見劣りしていない。

 皆噂を聞きつけているのだ。今宵、徳川光成が特別に参戦させた新人闘技者がデビューするという情報を。しかもチャンピオン以来の高校生ファイターという事で、関心は更に高まっている。

 

「残す所、最後のエキシビションマッチとなりました。まずはチャレンジャーの入場だ!」

 

 実況の声を聞いて、通路で待機していたケンイチが覚悟を決め闘技場に足を踏み入れる。

周囲を壁に囲まれた闘技場が視界に入る。トールと戦った時の地獄土俵に似ているが、広さは段違いだ。

 ケンイチの姿を見た観客達が一際大きな歓声をあげる。

 新たに誕生したグラップラーへの祝福か、小柄な身体で戦場に足を踏み入れた勇気あるファイターへのリスペクトか、はたまた凄惨な殺戮ショーの生贄に送る期待か――

 

「白虎の方角! 本日が闘技場デビュー戦となります白浜兼一17歳!

 身長は165cmで体重は54kg、小柄で知られているチャンプよりも更に軽いッ!」

 

 どんな相手だろうと全力で戦う、ケンイチが心に決めたその覚悟は――

 

「そして対するは玄武の方角!」

 

 ケンイチの登場時を遥かに超えるボリュームの歓声の中、対面の通路から現れたレスラー姿の男を見て、一瞬で揺らぐこととなった。

 

「デカァァァァァいッ説明不要! 240cm! 310kg! 巨漢プロレスラー、アンドレアス・リーガンだ!」

 

 アパチャイ、長老、鍔鳴りの紀伊陽炎――あらゆる巨大なファイターを見てきたケンイチだが、リーガンと呼ばれたその男は彼らが比較にならない程の巨大な体躯を手にしていた。

 

「な、なんじゃこりゃー! しかもさ、さ、さ300キロぉ!?」

 

 口を開けてマヌケな表情でリーガンを見上げるケンイチの横で、よく見知った顔が客席から姿を見せる。

 

「ホッホッホ、いいリアクションじゃケンちゃんや。わざわざ呼びつけた甲斐があったわい」

 

「武器の使用以外すべてを――」

 

「ちょっとタイーム! 徳川さん!? この世界の人ってこんなに大きな人が当たり前にいるんですか!?」

 

 審判を務める坊主の声を制して、ケンイチが思わず光成の所に詰め寄る。

 

「いーや、このリーガン選手はワシが見てきた中でも一番のデカブツじゃよ」

 

「って、そんな人をなんでいきなり僕のデビュー戦にぶつけるんですか! こんなのひどいやい!」

 

 光成の立場も忘れて恥も外聞もなくクレームを入れるケンイチであったが、光成が平然と切り替えした一言ですぐに押し黙ることになる。

 

「リーガンは加納よりも二回り以上は強い。じゃがそれでもここのチャンピオン……刃牙はお主と同い年の頃に、リーガンを秒殺しとるぞ」

 

「えっ……」

 

「ケンちゃんや、ワシはお主を悠長に育てる程お人好しではない。それにここでつまずいているようでは、お主が元の世界に戻る助けを得られるようになるのは夢の夢じゃぞ」

 

「おーい、いつまでお喋りしてんだいボウズ」

 

 闘技場の中央ではリーガンが、仁王立ちのままニヤニヤしながら待ち受けている。それを見たケンイチは確かな恐怖を覚えながらも、一歩一歩距離を詰め真正面に立つ。

 何のために宝田から激励をもらったのか、ここで逃げてしまっては何の意味もない。

 

「そうじゃ、戦って、勝って己の人生を勝ち取れ」

 

 光成の呟きはケンイチには聞こえていない。だがもう覚悟は定まっている。リーガンもケンイチの表情を見てそれを理解した。

 

「ククク、どうやらハラは決めたみてえだなボウズ。俺の姿を見て逃げ出さなかった事は褒めてやるぜ」

 

 リーガンは完全にケンイチをナメている。身体能力の差を考えれば当然だろう。だがそれはケンイチにとっては望ましい展開でもある。相手が油断してくれれば勝ち目は増すというもの。

 

「武器の使用以外すべてを認めます。両者、元の位置に」

 

 審判が気を取り直して場を取り仕切る。ケンイチはリーガンに背を向け、闘技場の隅まで歩きながらかつて師匠の一人と交わしたやりとりを思い返す。

 

”ケンイチ。武術において身長、リーチ、体重は重要な意味を持つ。同等くらいの技量を持っていた場合、デカいヤツってのはそれだけで優位に立てちまう。

 俺やアパチャイ、ジジイがその例だな。その点おめーの身体能力は決して有利とはいえねえ。よっていくつかの巨漢対策をおめーに教えておくぜ”

 

「身長80cm差、体重に至っては約五倍差ッッ! 本来ならこのようなマッチメイクは許されませんッ!

 しかしこの地下闘技場では全てがまかり通ります! そしてこれ程の体格差があっても大きい方が必ず勝つとは限らないのです! 始まるのはリーガンの一方的な公開処刑か、それとも白浜が奇跡を見せるか! いよいよ仕合が――」

 

『始めッッ!』

 

 実況の声に被さった試合開始の合図とともに、ケンイチは全力で後方へ踏み込みながら反転する。

 

(巨漢対策その1、接近戦を挑んでリーチのディスアドバンテージを消す!)

 

 リーガンは油断しているはず。この奇襲は十中八九成功するはずだったが、風を切る轟音と共に眼前に迫っていたリーガンのジャブが、作戦の失敗を告げていた。

 

「うわっ!」

 

 避けながら思わずガードを固めて中間距離で足を止めるケンイチを見て、リーガンは得意気に鼻を鳴らす。

 

「ボウズ、おめーと同じ事をチャンプにやられてたから警戒していて良かったぜ。

 俺相手にインファイトを挑むその度胸は認めてやるが、踏み込みはチャンプに比べたら大分おせーな!」

 

 続けて数発のジャブがケンイチを襲う。とっさに制空圏を発動してクリーンヒットを避けるケンイチだったが、既に全身は恐怖から来る冷や汗に塗れていた。

 

(これがジャブ!? 一発一発が弟子クラスの大技に匹敵する迫力だ! 不用意に踏み込んで当たればまずい……どうする!?)




親子喧嘩の梢江はかわいかった。


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第5話:第一戦

 

 

 

 リーガンはひたすら、中距離で前かがみになりながらジャブをケンイチの顔面めがけて打ち続ける。

 事は単純、パワーでリーガンが圧勝している以上、一発でも攻撃が当たれば勝負はほぼ決まる。ならばノーモーションで矢継ぎ早に打て、高い命中率が期待できるジャブ一択というわけだ。

 ケンイチにとっては苦しい展開だ。ジャブのスピードこそそこまで早くはないが、威力は加納の数倍以上。加納の時に使った特攻戦法も使えない。

 

(失敗すれば一巻の終わりだけど、これしかない!)

 

 スロースターターであるケンイチにとっては難易度の高い大技、切り札の一つを早くも切るハメになるが、他に選択肢はない。

 心を沈め制空圏を薄皮一枚まで絞込み、相手の流れに合わせる流水制空圏。そこから次の階層に移行し、相手と一つになる。

 

"流水制空圏第二段階"!

 

 ジャブの弾幕に対し、防戦一方だったケンイチが少しずつ前進を始める。

 第一段階では、リーガンの攻撃の流れに合わせ、ジャブを全て皮一枚で見切る事は出来ても距離を詰めていく事ができなかった。

 だがリーガンの動きと完全に一体化した今となっては、ジャブと同時のタイミングで動き接近することができていた。

 

(この小僧……俺の動きに合わせて勝手に避けやがる!

 しかも更に接近だと? ロングレンジで器用に距離感を測れそうなタイプには見えねえが、だからといって俺にインファイトを挑む気か!?)

 

「おおっと白浜、まるで風圧で舞うシャボン玉のようにリーガンの攻撃をかわして近寄る! だがそこは危険地帯だぞッッ!」

 

 まさに実況の言う通り。巨漢対策の一つである、距離を取って深追いしないという戦術とは真逆である。

 いい度胸だ、と吐き捨てながらリーガンは一歩前に出てあえて距離を潰す。超接近戦なら回避もクソもないという発想だ。

 そしてそれはケンイチも同じ。同時に前に出ながら、小さく両手を前に突き出し、リーガンの下腹部に当てる。

 その行動の真意を測りかねたリーガンが一瞬だけ動きを止めると同時に――

 

「無拍子ッ!」

 

「ぐおッ!」

 

 空手、中国拳法、柔術、ムエタイの要訣を合わせた突きを炸裂させる。

 

「おおっ……あれは加納に大ダメージを与えた技! ケンちゃんの必殺技じゃ!」

 

 後方へと吹っ飛ぶリーガンの巨体。あまりにも派手なオープニングヒットに観客達が歓声をあげ、唯一無拍子の存在、威力を知っている光成も嬉しそうに反応する。

 だがその盛り上がりはこの直後、更に高潮することになる。

 

「やるなボウズ……」

 

 今まで戦ってきた対戦相手をその打たれ強さで戦慄させてきたケンイチが、今度は逆に驚かされる番になる。

 ケンイチが打ち込んだ場所は、丹田と呼ばれるへそ下の人体急所だ。しかも片手とは言えガードした加納と違い、完全に無防備な状態で打ち込まれたにも関わらず、リーガンは微笑みを携えながら倒れていた巨体を起こす。

 

「うっ!? 効いてない!?」

 

 かつて逆鬼に連れて行かれた地下闘技場で戦った、処刑人と名乗る巨漢も、YOMIのコーキンや叶翔も、無拍子が直撃してダメージを与えられなかった相手など存在しなかったのだが今回はまるで通用していない。驚愕するケンイチだが、理由は単純だ。

 1つは、今までの対戦相手とリーガンの体重、筋力が桁違いだったこと。

 そしてもう1つ、リーガンは無拍子の打撃を予測できてはいなかったが、警戒は解かずに腹筋の強張りは保ち続けていたことだ。

 

「わざわざMr.徳川に呼ばれて久々に日本まで来てみりゃこんな小僧を用意されて、最初はどうしたもんかと思ったが……。中々楽しめそうじゃねえか」

 

 そう言うやいなや、ケンイチの返事を待たずしてリーガンは再び拳の弾幕を放つ。

 その速度は先程の比ではない。流水制空圏第二段階を解除していたケンイチの腕に数発の拳が刺さり、それだけでケンイチの身体が後方にズレる。

 

(くっ……この人のパンチには気の鍛錬が無いのに、重さはとんでもない! もしこの人が気のコントロールを覚えたらどれだけ強くなるんだ!?)

 

リーガンの――いや、この世界のグラップラーのポテンシャルに戦慄を感じながらも、ケンイチは再び心を沈めて流水制空圏を練り上げる。そしてリーガンの流れを読むべく、彼と視線を交わして思考を読み取る。

 

(心の声が聞こえてくる。これは期待と歓喜! この人は本気を出したがっている。全力を解き放つ機会が無かったんだ。

 でも妙だ。徳川さんの話だとリーガンさんは僕でもまだ勝ち目が無くはないレベルなんだよな。

 だったらもっと強くて本気を出せる相手はいっぱいいるはずなのに……)

 

 リーガンの思考から浮かび上がった違和感を考察している余裕はケンイチにはない。

 流水制空圏第二段階が一瞬でも解除されれば、リーガンの猛攻を回避しきるのは難しいだろう。

 

(ラチがあかない……逆鬼師匠から教わった巨漢対策その3、『相手の指を狙った末端攻撃』は今の僕にはハイレベル過ぎて無理だ。こうなったら――巨漢対策その4だ!)

 

 攻撃の一瞬の合間を縫って、ケンイチが再び前に出ながらスライディングする。それに気付いたリーガンが体制を変えるより早く、ケンイチは横回転の体重移動でスピードと自重を乗せながらリーガンの右足に蹴りを入れる。

 

「しゃがみ回し蹴り!」

 

 格闘ゲームなどではよく採用されるしゃがみ攻撃であるが、実際の戦闘において頭部を極端に下げる行動はリスクが高く精々限られた奇襲でしか使えない。

 リーガンの体重ならそれほど素早いキックは飛んでこないだろうという、ケンイチの仮説に基づいたギャンブルは――

 

「ゲフゥ!」

 

 体制を崩しているケンイチの肋に、リーガンが勢い良く左足のつま先から蹴り入れた事で失敗に終わる。

 

「リーガンのトーキーックッッ! 小学生が大人に食らわせても有効となるこの技を、体重約6倍のリーガンが炸裂させたッ! 白浜がサッカーボールの様に吹き飛んだが、大丈夫か!?」

 

 闘技場の壁に叩きつけられたケンイチへの悲鳴と、破壊撃を愉しむ歓声が交じる客席の最前列。光成の隣の席に一人の中年男がいた。格闘家としてはとうに引退してもおかしくない年齢の男だが、全身からは強烈な武の臭いを放っている。

 

「少年の狙いは間違っていなかった。体重300kgを支えるリーガンの足には尋常ではない負担がかかっている。そこを蹴るまでは良かったが……」

 

「リーガンの鍛え方がそこらの巨漢とはレベルが違った、といったところかの本部よ」

 

 光成と本部が言葉を交わす間に、リーガンが壁際で倒れているケンイチの側から壁の上へとよじ登る。

 

「悪くねぇ蹴りだったが、俺を倒すにはちと威力不足だったな。そして、これでお前もおしめえよ」

 

 というやいなや壁の上からジャンプし、起き上がろうとしているケンイチの胸に膝を落とす。

 鈍い嫌な衝突音と共に、ケンイチの口から鮮血が飛び散る。

 

「ぐああっ!」

 

「決まったーッッ! 体重310kgのニードロップが炸裂! ボクシングスタイルで戦っていたリーガンが急遽プロレスの大技を成功させた! これは深刻なダメージかッ!」

 

 審判の坊主が、仕合を止めるべきか近寄りきる前にケンイチは身を起こす。

 

(くっ、危ない。TKOされたらおしまいだ。それにしても、筋肉の締め上げと硬気功が無かったら病院送りは確実だった。

 ボクサーのハンドスピードに、プロレスラーの破壊力を兼ね備えてる……)

 

「おおっ? 膝に残った感触がいやに硬いのが気になっていたが、まさか立ち上がるとはな」

 

 ケンイチの回復を待つほどリーガンもお人好しではない。立ち上がったはいいものの、ダメージから防御もままならないケンイチの胸骨にワンツーブローが炸裂し、逆サイドの壁へと吹き飛ばされる。

 確実に敗北へと進んでいるケンイチだったが、それでも倒れない。いつの間にか再発動していた流水制空圏状態のまま、リーガンを見据える。

 

「はぁ……はぁ……。リーガンさん……あなた、本気を出せる相手がいなかったんですよね? 良くも悪くも(、、、、、、)

 

「何ぃ?」

 

 追撃を試みようとしたリーガンは中途半端な距離で立ち止まる。ケンイチが放った言葉に、耳を傾けたくなったからだ。

 

「あなたが戦った相手は弱いか強すぎるかのどっちかで、思う存分力を出し切れるちょうどいい相手がいなかったんじゃないですか? 僕には遠慮せず本当の全力を見せてください」

 

「ッッ……」

 

 的中していた。プロレス界も、ボクシング界も、対戦相手を壊してしまうリーガンのフルパワーを認めなかった。

 だが、地下闘技場はその逆だった。リーガンがフルパワーを出し切る前に秒殺してしまう猛者達の祭典だったのだ。

 唯一、範馬刃牙だけはリーガンを真正面から受け止めてくれた。あの甘美の時間は二度と手に入らない夢だと思っていたが、こうして今一度リーガンの前に訪れた事で自然と笑みが溢れる。

 

「ボウズ……いや白浜。お前、男だな。頼むから――」

 

 死ぬんじゃねえぞ

 

「来るぞケンちゃん!」

 

 光成の視線の前で、リーガンが巨体を疾走らせケンイチへと迫る。狙いは助走して体重を乗せた状態での全力の右ストレート。

 現在のケンイチでは防ぎきれるレベルではない攻撃が襲いかかるが、ケンイチはその場から動かない。

 

(動くことも満足にいかない満身創痍状態。相手の火力は僕よりも遥かに上。

 そんな状態だからこそ――僕にも勝ち目がある!)

 

 拳がケンイチの顔面に触れる。と同時に命中を確信したリーガンがダメ押しの踏み込みを決める。

 が、更にそれと同じタイミングでケンイチは拳の真正面にあった顔面を少しだけ横にズラした。

 勢い良く掠った拳が左頬と耳を切り裂くが、十分なダメージは与えられないまま通過していき、そして完全に踏み込んでしまったリーガンは、止まること無くケンイチの身体と衝突――

 

「"退歩掌破"!」

 

 すること無く、いつの間にかケンイチが繰り出していた右掌に触れ、反対方向へと吹き飛ばされる。

 

「ごあッ!」

 

 今まさに攻撃を加えていたはずの、300kgを超える巨体が逆方向へと宙を舞い、観客達が唖然とする。

 当のリーガンに至ってはわけがわからずパニック状態だ。更にケンイチの掌が食い込んだのがみぞおちだった事で、苦痛とダメージも襲いかかる。

 

「なんとっ! 白浜に突っ込んだはずのリーガンがふっ飛ばされた! 達人渋川の合気とも違うカウンターだッッ!」

 

「ど、どうなっとるんじゃ本部よ!」

 

「リーガンとぶつかる直前、少年は一歩後退しながら右腕を突き出していた。

 その結果、右掌に激突した際にリーガンの突進力がそのまま跳ね返ったようですな。一歩間違えればそのまま少年は病院送りだっただろうに、ようやりますわ」

 

 どんな修行をしてたのかそそられますな、と呟きながら呑気に本部が解説する間にリーガンは倒れた身を起こし始めていた。

 

(腹っ! 殴られた!?

 いや、俺の全パワーがそのままカウンターで俺に跳ね返った? こいつ、これを狙うために俺の本気を誘ったのか!? だが……)

 

 確かに効いたが、KOを奪うほどではない。リーガンは間もなく立ち上がるが、瞬間的な呼吸困難から素早い動きができなくなった事で、次のケンイチの攻撃に対し後手に回る事になる。

 

「空中カウロイ!」

 

 この試合で初めてケンイチは大きく跳躍する。リーガンの予想を上回る、強靭な足腰から繰り出される飛翔が身長差を一瞬で埋め、油断したリーガンの顎へとヒザ蹴りを成功させる。

 

「がっ!」

 

 打顎で脳が揺さぶられ思わず膝をつく。立ち上がるまでには数秒かかるだろう。だからケンイチはその残り時間に全てを賭けるしかなかった。

 リーガンの鼻下にケンイチの両手の先が添えられる。狙いはリーガンにも、観客達にすらも明らかだった。後は――術者の覚悟だけ。

 

(この突きを人の顔に打ち込むのは初めてだ。たとえ殺さなかったとしても、僕の中で一つの一線を越えることになる。

 でも打つんだ! 生き残るために! 強敵の力に敬意を払うために!)

 

「~~~!」

 

 危機を察したリーガンが、何かを叫びながら破れかぶれの拳を繰り出す。体重が乗り切ってはいない攻撃だが、顔面に当たれば無事では済まないだろう。

 これが両者最後の一撃。

 

「無拍子ッッ!」

 

 先に構えたものの、発動までタイムラグがある本日二度目の無拍子。

 タメはないものの、後から繰り出したリーガンのストレート。

 両者の顔面に同時に当たり、そして同じタイミングで後方へと吹き飛ばされる。

 

「ぐうっ……」

 

 ケンイチは累積されたダメージから、満身創痍の状態で尻もちをつく。追撃をもらえば今度こそ戦闘不能になるだろう。

 だからこの戦いは――

 

「勝負ありッッ!」

 

 鼻下の人体急所へ決意の無拍子を叩き込み、リーガンの意識を完璧に刈り取ることに成功したケンイチの勝利だった。

 

 

 

 白浜兼一 WIN 新大会出場まで、あと2勝

 アンドレアス・リーガン LOSE 

 



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第6話:再会-①

「シャアッ!」

 

 今日も地下闘技場に、グラップラーの獰猛な叫び声が木霊する。

 声の主、キックボクシング統一王者、ロブ・ロビンソンの手足から繰り出される攻撃を、ケンイチは前羽の構えで慎重に捌いていく。

 だがそれでもノーダメージというわけにはいかず、手足と身体無数の箇所に軽くはない痛みを蓄えている。

 

(加納さんより力強くて、リーガンさんよりも速い! 蹴りとパンチのコンビネーションも手強い! だけど――)

 

「流水制空圏!」

 

「オッ!?」

 

 連撃を皮一枚で躱しあっという間に距離を詰め、

 

「山突き! カウ・ロイ! 鳥牛擺頭! ――朽木倒し!」

 

 『最強コンボ一号』を成立させる。体重、体格共にロブが圧倒しているが、気の鍛錬はリーガンと同様行っていない。静の気を発動しているケンイチの打撃の前には、耐えられずに沈んでしまう。

 

(何故かわからないが、僕はこの世界に流れ着いた時よりも確実に一回り強くなっている!

 特別なトレーニングをしているわけでもないのに、一体どうしてだ……?)

 

「勝負有りっ!」

 

 審判の掛け声、遅れて観客達の歓声。

 この試合でケンイチの戦績は4勝0敗。偶然は三回も四回も続くことはない以上、もう誰もがケンイチの実力を疑わない。

 新たな地下闘技場のスター候補を、その場にいる誰もが讃えていた。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

「アンドレアス・リーガン、チャモアン、ジャガッタ・シャーマン、ロブ・ロビンソン――。

 まさかケンちゃんがここまで余裕で勝ち上がるとは思わなかったわい」

 

 ロブとの試合翌日、光成邸の私室へと呼び出されたケンイチが光成の他人事のようなセリフに噛み付く。

 

「余裕!? 冗談じゃないですよ! チャモアンさんやジャガッタさんの前蹴りをボディに食らった日はご飯がまともに食べられなかったですし、リーガンさんからもらったダメージなんて、一週間は引かなかったんですよ!

 しかも三勝で合格なら、ロビンソンさんとの戦い余計じゃないッスか!?」

 

 ケンイチのクレームを、光成は暖簾に腕押しといった様子で受け答える。

 ケンイチがこの世界に来てから約一ヶ月。光成とは、梁山泊の師匠程とはいえないまでもある程度打ち解けられていた。

 

「甘いぞケンちゃん! 三勝しろとは言ったが三勝で終わりとは言っとらんぞ。じゃが、ここまで頑張ったケンちゃんにはワシも個人的にご褒美を用意せんといかんな」

 

「えっ!」

 

 褒美、と言われケンイチの顔色が輝く。世界有数の権力者である光成の褒美なら相当期待できるだろう。

 

「用意するにはしばし時間がかかるの……その間にケンちゃんはここに行きなさい」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 光成から渡された紙に書かれている住所へと専属送迎者の宝田に運んでもらった先は、都内の街中にそびえ立つ大きめのビルだった。建物の正面には道着姿の男が虎へ手刀を振り下ろす豪快な絵が一面に張られている。

 

「ここがあの『神心会空手』の総本部かぁ……」

 

 ケンイチは建物の中に入り、光成から貰った書状を受付の男性に渡す。

 しばらく電話でやりとりした男性に、丁寧な口調で最上階へ行くよう伝えられエレベーターで建物を登る。降りた先の目の前には大きな練成道場があり、その中央には空手着姿の大型な青年が直立したままケンイチを待ち構えていた。

 

「ようこそ。神心会、現館長の愚地克己です」

 

「ど、どうも。白浜兼一です」

 

「君が最近地下闘技場にご老公が招き入れた、若きグラップラーか。一度会ってみたかった」

 

「こちらこそ、あの史上最強の範馬一族が認めているという、神心会の愚地さんに会えるなんて光栄です」

 

 光成から幾度となく聞かされている。門下生100万人を抱える世界最大の格闘集団、神心会空手を取り仕切っている愚地親子はこの世界でもトップクラスの闘技者だと。

 事実ケンイチもその通りだと感じていた。空手の師である逆鬼に匹敵する恵まれた体躯に加え、重く靭やかに洗練された静の気を放っている。少なくとも現時点のケンイチよりは格闘家として遙か先にいる存在だと言えるだろう。

 だが何よりも、克己の容姿でケンイチの注目を一際引くものがある。

 

「愚地さん、その腕は武器使いか何かとの決闘で……?」

 

 肩口から完全に欠損している己の右腕があった部分を見て、克己はああこれかと思い出したようにつぶやく。

 

「ん? これは親友との素手の決闘で持ってかれただけだよ。

 といっても俺の腕の肉は、その前に俺が放った突きの威力に耐えきれず既に爆散してたから、もがれなくても大して変わらなかったけどね」

 

「と、友達にやられたんすか……」

 

 ハハハ、と朗らかに笑う克己にケンイチはただただ話のスケールに圧倒させられる。

 師であるアパチャイや逆鬼の力を持ってすれば、ただの人間の腕は木の枝の如くもげるかもしれないが、克己程鍛えられた実力者の腕を奪うとなると話は変わってくる。

 

「ところで白浜君がうちの加藤や末堂……それに我が弟(、、、)と立ち会ったらどうなるか興味深いな」

 

 神心会を支えるTOP5の猛者達の事は光成から幾度と聞かされている。

 神の拳、愚地独歩。

 空手界の最終兵器、愚地克己。

 身体スペックだけなら克己に引けを取らない、末堂厚。

 実戦空手の雄、加藤清澄。

 そして――愚地独歩が新たに取った2人目の養子。神心会に入り、たった半年で愚地親子に次ぐNo3まで登り詰めた天才児がいる、と。

 

「おっ、噂をすれば弟が来たな」

 

 と克己が呟いた時、ケンイチの背後でエレベーターが開く音がする。後ろを振り返ったその先に、1人の少年が道場へと足を踏み入れていた。

 

「えっ」

 

 その姿を見て言葉を失うケンイチを、きょとんとした目で見ながら少年は2人の前までやってくる。

 

「おっす兄貴。お客さん来てんの?」

 

 克己が紹介をするより早く、ケンイチが立ち上がる。甘いマスク(トール談)に青みがかった長髪、左目の下に刻まれた翼の形を模したアザ。この男を見間違えるはずがない。

 

「しょ……翔ッッ! 叶翔!? どうしてここにっ!」

 

 ケンイチ達と対峙していた殺人拳の弟子集団『YOMI』のリーダー、スパルナとの再会だった。

 突然の再会に言葉を失うケンイチであったが、翔の方は怪訝な表情を浮かべる。

 

「確かに俺は翔だが……叶って何のことだ? 俺の名前は愚地翔だ。それに俺はあんたの事は知らねえぞ?」

 

「くっ……」

 

(別人? いやそんなことはない。姿はともかく、武術家だけが持てるの気の性質までも一緒だ。でも少しだけ違う。この叶翔からは、殺人拳の人間が持つ暗さや危うさ、闇の気配が感じられない。

 だったら……この世界の、パラレルワールドの翔ってことか!?)

 

「……翔、彼は白浜兼一という地下闘技場の武術家だ。もしかしてかつての知り合いじゃないか? お前、親父に拾われる前の記憶が無いんだろ?(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)

 

 頭がパニックになり状況の整理が追いつかないケンイチであったが、克己が放った一言で少しだけ開け始めた。

 

(記憶が無い……? じゃあ翔も、元の世界からこっちの世界に流れついて、僕とは違い記憶を失ったって可能性があるってことか?)

 

 ケンイチと翔に、元の世界で死んでいるという共通点がある。死が転移のトリガーと考えれば仮説としては十分成り立つだろう。

 

「……兄貴、わりいがちょっと二人きりにしてくれないか?」

 

 しばらくケンイチを無言で眺めていた翔からの頼みを受け、克己は何かを察したのかすぐに道場を後にする。完全に克己の気配が消えたのを確認してから、翔は先程より明らかに険しい表情を見せる。

 

「さて……まずは俺の話からだ。俺は聞いての通り過去の記憶がない。

 道で行き倒れていた所を、ここの創設者である愚地独歩に拾われたんだ。俺に高い武術の適性があることを知った義父は、俺を養子に招き入れここで育ててくれたというわけだ。で、一体ナニモンだお前は?」

 

「僕も、一ヶ月前に道で行き倒れていた所を徳川光成さんに拾われたんだ。記憶は失ってないけどね。僕のことが全くわからないのか?」

 

「いや、お前と対峙して名前を聞かされた時に、お前が武術家白浜兼一だというのは理解できた。叶翔という名前もどこか懐かしい響きがある……。

 知りたいのはお前の立ち位置だ。どうやら俺達はあまり仲良くなかったらしいな?」

 

 記憶はなくとも、本能的な敵対心や嫌悪感が翔に纏わりついているのだろう。ケンイチもそれを否定はしない。

 

「仲良くない、というか敵同士だったんだ僕達は」

 

「穏やかじゃねーな。流派か何かの対立か?」

 

「そんな甘いもんじゃない。お前は、人を殺す事を生業とする『殺人拳』の弟子だった。

 僕は逆に拳で人を救う事を生活としている『活人拳』の弟子だ」

 

 話半分に聞いていた翔の表情は、殺人拳というワードを聞いて曇る。

 

「……俺も武術家である以上、試合で戦う時は手加減しねーし、時には不慮の事故も起きることだって受け入れている。だがさすがに自らの意思で相手を殺すまで戦う気は俺にはねえ。

 もしお前の言っていることが事実なら、俺は人殺しってことか?」

 

 はっきり言ってケンイチは翔の事が苦手だし、断じて好きではない。だが自分が殺人者だという事実を突き付けられた翔の様子を見て、さすがに気の毒に思わずにはいられなかった。

 

「僕は直接お前が手を下している所を見たことはないが、かつてお前には何度か殺されかけた事もあるしその可能性は高いだろうな」

 

 チッ、と翔が小さく舌打ちする。まだケンイチの言葉が受け入れられないのだろう。

 

「お前が嘘を言っているようには見えないが、やはり信じられねえな。それに殺人拳なんていうヤバい連中がいるならとっくに親父や徳川の御老公が対処しているだろ?」

 

「そこらへんの説明もしたいし、お互いのためにお前の協力も欲しいところだけど……おそらくこれから話す内容はもっと信じられないものだと思う。それより――」

 

 一瞬黙っていようと思ったが、ケンイチはその名前を出すことに決めた。この男は恋敵であるが、ここで隠すのは男としてフェアではない。それに、記憶が更に戻る望みもある。

 

「『風林寺美羽』という少女を憶えているか?」

 

「っ……!?」

 

 翔の表情が、誰が見ても明らかな程に豹変する。ケンイチを憶えている以上、美羽を思い出せるのは当然の結果だろう。

 

「そうだ……思い出した。風林寺美羽、大切な俺の片翼だッ!」

 

 どうして彼女を今まで忘れていたのか。己を恥ながらも次々再生される記憶を前に、翔はケンイチをキッと見据える。

 

「何故かは忘れたが俺はお前に、『美羽を守れ』と頼んだはずだ。彼女は今どうしている!?」

 

 当然、想定していた疑問がぶつけられる。ここで嘘をつく理由はない。ケンイチは真摯に受け答える。

 

「わからない、今ここにはいないんだ。詳しい説明はできないが、今美羽さんがどうなっているかがわからないのは僕の落ち度だ。弁解の余地もない」

 

 死んでいる、無事ではない、ではなくわからない。曖昧な言葉を渡された翔の雰囲気が一変する。

 

「白浜兼一、構えろ」

 

「な、何をするつもりだ?」

 

「いいから構えろ。お前の実力を見せてもらう。ただの組手をするだけだ心配するな」

 

 真剣勝負ならまだしも、ただの組手なら問題はないはず。気持ちが落ち着かないまま、ケンイチは言われるがままに距離を取り構える。

 

(流水制空圏はいきなりは無理でも、制空圏は作っておかなきゃ……)

 

 深呼吸して精神を整え、静の気を発動し自身の周りに制空圏を張り巡らせる。叶翔との距離は6~7M、何があっても対応できる距離から――

 

「行くぞ」

 

 翔の合図が、試合の開始を告げる。




チャモアンさん、ジャガッタさん丸々カットで申し訳ありません。
本作ではムエタイにも必ず見せ場があるはずです、多分


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第7話:史上最強の師匠

 翔の合図に合わせ、ケンイチは一度瞬きをした。

 目を瞑って開くだけの、その隙とも言えぬ刹那の合間に、翔の身体は道場から雲散していた。

 

(えっ、消え――!?)

 

「一本」

 

 何が起きたかわからぬ間に、ケンイチの左首筋に冷やりとする感触が走り無機質な声が聞こえる。翔がケンイチの真横に現れ、指の先端を首に当てていた。もし翔が本気なら、首に貫手刺さり致命傷となっていただろう。文句のない決着だった。

 

(つ、強い! 翔の強さは知ってたけど、いくらなんでも強すぎだろこれは!)

 

 ケンイチの脳裏に、一人の人物が浮かんでいた。それはかつてYOMIに所属していた小頃音リミという少女。

 彼女が禁断の奥義、『静動轟一』を使ったその僅かの間は、動の気の完全開放に成功した美羽を実力で完全に凌駕していた。達人級やほぼ達人レベルの妙手の使い手を除くなら、彼女こそがケンイチが今まで見てきた中では最速の格闘家だったと言える。

 今の叶翔、いや愚地翔は『静動轟一』も無しにリミと同等くらいに速い。

 そして翔はリミの様なスピード特化のファイターではなく、オールラウンダーだ。つまり他の身体的要素もスピードと同レベルということに理論上はなる。

 ケンイチや美羽、他の才能あふれる弟子クラスと比較しても、成長速度があまりにも早すぎる異常事態だ。

 

「この程度か……俺が美羽を託した男はこの程度だったのか」

 

 怒り、呆れ、失望、あらゆる感情を顔に浮かべながら翔は手を引っ込める。

 

「これで格付けがはっきりした――と言いたいところだが。これは俺がいきなり仕掛けた勝負だしな。お前がもしも、真剣勝負で本当の力を発揮する尻上がり野郎なら、シチュエーション次第じゃもうちょっとマシになる可能性も否めないか」

 

 翔は意味深な言葉を吐きながら、その次に放たれる言葉を待ち構えるケンイチの胸ぐらをつかむ。

 

「もうすぐ地下闘技場で、一大イベントが行われるらしいな。お前がそれに出られない雑魚なら論外だが、もし参加するなら俺と戦え」

 

「お、お前も出るのか……?」

 

「ああ。万が一お前がそこで俺に勝つか、直接戦わずとも俺より優れた成績を納めたなら『お前の言うこと』とやらを全て信じて、お前の手助けをしてやろうじゃないか。

 だがお前が負けた時は、俺に完全服従してもらおう。武人として文句はあるまい?」

 

(服従って、そんなことになったら僕はもう美羽さんと……。でも)

 

 ケンイチは小さく笑い、そして翔の手を勢い良く振り払う。

 

「望むところだな。僕もお前とは決着をつけたかったところだ」

 

「ほう、思わせぶりな事を言うじゃないか? なら話は早い。とっとと帰って死ぬ気でトレーニングするんだな。

 俺も色々聞かされて正直少し混乱している。一人にさせろ」

 

 翔に言われるまでもなく、ケンイチはそれ以上言葉を交わさず道場を後にする。

 確かにケンイチはかつて叶翔に勝った事がある。だがそれは試合形式での話で、もしあれが実戦ならばケンイチは数回殺されていたはずだ。本当の意味で、翔とケンイチには勝ち負けがはっきりついていない。

 何の因果か死の果に異世界にたどり着き、数奇な運命から再会した二人。

 次が、決着の時。

 

「ふふ、どうしてか桁違いに強くなった叶翔と決闘か。こうなったら――」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

「助けてドラ◯も~~ん!」

 

「わっ、なんじゃケンちゃん藪から棒に!」

 

 翌日、光成邸に押しかけ困惑する光成の身体に恥も外聞もなく縋り付くケンイチの姿があった。

 もし光成の私兵がいれば触れる前に引き剥がされただろうが、私室には二人しかおらずシュールな様相が成立している。

 

「神心会っすよ! 神心会の叶……じゃなかった愚地翔! あいつに絡まれて、今度の地下闘技場のイベントで戦うハメになったんです!」

 

「ほほ、彼に会わせる目的もあったんじゃ。ケンちゃんの良きライバルになるかと思ってな」

 

 ひっつくケンイチをようやくひっぺがしながら笑う光成であったが、その笑顔はすぐに消えることになる。

 

「それがですね、あの愚地翔、あいつは僕と同じ世界からやってきた人間です」

 

「……なんじゃと?」

 

「翔も断片的にですが僕の事を憶えていました。それにあいつも、僕がいた世界で死んでいたはずなんです」

 

 状況証拠もここまで揃えば偶然では済まされない。光成もケンイチを99%信じてはいたが、ここまでの人生で積み上げた常識という名の偏見が、最後の1%に待ったをかけていた。だがそれもたった今完全に消え去った。

 

「彼には真実を話したのか?」

 

「いえ、その前から大分混乱していたので肝心の部分は伏せて話しました。

 それでですね。僕が叶翔に負けたら多分僕は消滅するんですけど。でも翔も僕と同じ思念体なら、僕が勝ったらあっちが消えるんじゃないかと思って」

 

「自分が消える覚悟はあっても、相手を消す覚悟はまだ無いといったところかの?」

 

 ケンイチの不安そうな表情を見て、光成は彼の心中を察する。自分よりも先に相手を心配するケンイチらしい悩みであったが、二人共死を保留にしてもらっている状態である以上、ワガママを言える立場ではないのも事実だ。

 

「僕達の世界の人間同士で戦えば、消えずに済むなんて都合いいことがあれば……?」

 

 そこでケンイチは言葉を止め、ふと宙を見上げる。その表情はみるみるうちに曇っていく。

 

「ん? どうしたんじゃ?」

 

「と、徳川さん。ここに物凄い強大な気配が近づいてます!」

 

 元の世界で多くの達人と遭遇したその経験が告げている。マスタークラス、それもかなり高位なレベルに位置する者がこの徳川邸にたどり着き、あまつさえその者は気配を隠そうとしていない。

 今までケンイチが会ってきた達人は強大な気を掌握し、ある者は身体に押しとどめ、ある者は気配を殺してたが、その者はそんな行為すら無意味と言わんばかりに、暴風の様に己の気を周囲に放っている。

 

「おっ、もうこんな時間か。心配せんでもええ、ワシがケンちゃんのために呼んだんじゃぞ」

 

 光成は慌てること無く上機嫌な様子だ。光成が呼んだということは少なくとも敵襲というわけではなさそうだ。ケンイチも少しだけ落ち着きを取り戻したところで――

 

「来おったの。この地球上で――いや、この世の歴史上で最強の生物のお出ましじゃ」

 

 その時、ぐにゃりと一枚の障子がドロドロになる。少なくともケンイチにはそう見えた。

 その障子には、2メートルを超えるであろう大きな黒い影が写り込んでいる。

 

「わわ……空間が歪んでるぅー!?」

 

 慌てふためくケンイチの前で、障子は静かに開かれる。

 中から現れたその男は、周囲の空気を陽炎の様に捻じ曲げながら悠然と室内を歩いてくる。

 同じ人間とは思えない顔貌、天を衝く怒髪、服の上からでもわかるこの世界で見た誰よりも鍛え上げられた肢体。

 だがケンイチが何より異様に感じたのは、男の気であった。

 

(なんだこの気は!? 静の気? 動の気? 

 僕に対して好意を持っているのか、敵意を持っているのか、何も感じていないのか、それすらわからない。

 強大過ぎて何も読み取れない!)

 

「紹介しよう、ケンちゃん。この男こそが最強の生物、『範馬勇次郎』じゃ」

 

「こ、この人があの……」

 

 圧倒されて言葉を失うケンイチを気にも留めない様子で、勇次郎と呼ばれた男は光成の隣の空いている座布団に腰を下ろす。

 

「外にいる警備の男、前よりもマシになったものだ。子犬から中型犬程度には化けたか」

 

「む、加納の事か。ここにいるケンちゃんと試合をしてから変わったんじゃ!」

 

 自慢気な光成の言葉を聞き、勇次郎は始めてケンイチを視界に入れる。

 ただ目が合った、それだけでケンイチは自身の身体能力、思考、はたまた本人すら知らない体内の情報すらも一瞬で読み取られたような感覚を覚える。

 

「は、はじめまして! 白浜兼一です!」

 

「……貴様の事は光成から多少は聞いている。貴様、普通ではないな(、、、、、、、)?」

 

 その言葉はケンイチではなく、光成を驚愕させる。光成はケンイチの紹介こそしたものの、別の世界からやってきた事はまだ勇次郎には話していなかったのだ。

 

「わ、わかるのか勇次郎よ!?」

 

「強さの話ではない。貴様の身に纏う気の"性質"が俺達のものとは根本的に異なる」

 

(そこまでわかるのか!? とりあえず、この人に隠し事や偽り言は自殺行為だ! 本当の事を話さないと)

 

「信じられないかもしれませんが、僕はこことは異なる世界で死んだ駆け出しの武術家です。死後、この世界に転移して再び生き返ったんです」

 

「光成、宮本武蔵(この前)の様に貴様の仕業か?」

 

「まさか……いくらワシでも異世界には手が出せんわ!」

 

 ケンイチ、そして手をブンブン横に振りながら必死で否定する光成が嘘をついているわけではない事を見抜いた勇次郎は、ようやく事態を理解し始める。

 

「ふん、さすがの俺も少々耳を疑ったが……俺を呼んで一体どうする気だ? この小僧と立ち会えってか?」

 

「それはムリムリムリムリカタツムリです!」

 

 今度はケンイチが正座のまま後ろに1メートル程スライドし、首と手を左右に全力で振って、戦意がない事をアピールする。

 

「いやのう、異世界から急にこっちの世界に送られて色々困ってるケンちゃんに、勇次郎が武術家の先輩として良きアドバイスをしてやって欲しくての?」

 

「そんなもの、別に俺でなくともよかろう」

 

 そこから先は己の言葉でなくては意味がない。訝しがる勇次郎に、ケンイチが自ら思いを口にする。

 

「僕は、こちらの世界でも武術家として生きることにしました。

 でも僕はずっと元の世界で師匠に教わって来たんです。お恥ずかしい話、まだ未熟な僕が師匠無しで強くなれるかわからなくて」

 

 くだらん悩みだと言わんばかりに、勇次郎は鼻で一笑する。

 

「俺が呼ばれた理由に納得はいった。だが俺が貴様を助ける理由がどこにある? 貴様は俺に何ができる?

 力を貸して欲しくば、俺を動かしてみろ」

 

 全くもって正論だ。だがケンイチとて多くの達人と過ごしてきた身。勇次郎の言動、性格からどう切り返せばいいか、ある程度の確証が頭の中にある。

 

「僕がこの世界の地下闘技者として大成すれば、光成さんは僕を元の世界に戻す手伝いをしてくれるとのことです。

 確証はありません。でも、僕のいた世界とこの世界を行き来できる方法がわかれば、勇次郎さんは強い人達と戦うことができます。特に僕の師匠達は本当に強いです! 皆、勇次郎さんと同等以上かもしれません!」

 

 最強である己以上の武術家がいるかもしれない。光成はその情報に勇次郎が食らいつくと思ったが、反応したのは別の部分だった。

 

「貴様今、師匠"達"と言ったな? 師は一人ではないのか?」

 

「はい! 毎日5人の師匠にローテーションで教わってました! 僕のライバルの翔ってやつは、確か10人くらいに教わってたような……」

 

 少し。ほんの少しだけ、地上最強の生物と呼ばれた男は、戦闘力では己の1%未満である少年の言葉に驚いた様子を見せ、くつくつと低い笑い声をあげる。付き合いの長い光成ですら滅多に見れない、貴重な一瞬であった。

 

「別世界の武術家か。話半分に聞いていたが、なかなかどうしてそそられたわ」

 

 ケンイチ本人、あるいはケンイチの師匠達に興味が湧いたのか。

 好感触と取れなくもない勇次郎の発言に、光成とケンイチは手応えを感じる。だが、次に勇次郎が放った一言に、二人は驚愕することになる。

 

「三十分だ」

 

「は、はい?」

 

「朧気とはいえ、この俺に夢を見させた褒美だ。今から三十分の間、この俺が貴様の『最強の師匠』となってやろう。

 師が居なければ何も出来ぬ貴様のために、師としてあらゆる稽古をつけ、あらゆる問いに答えてやる。さあ何でも言うが良い小僧。いや、『最強の弟子』ケンイチよ」

 

 この世界に史上最強の師匠と、史上最強の弟子が生まれた瞬間だった。




ケンイチと勇次郎の絡みが書きたくて仕方なかった


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第8話:範馬勇次郎と白浜兼一

 

 あの勇次郎が30分とはいえ他人の師となる。光成が息を呑んで見守る中、ケンイチはまずは勢い良く頭を下げる。

 

「ありがとうございます範馬さん。いや範馬師匠!」

 

「フッ」

 

(あっ、ちょっと笑ったわい!)

 

 師匠と呼ばれ悪い気はしない様子の勇次郎を見て、光成も顔には出さずに心の中でほくそ笑む。

 

「では師匠、早速ですが先程僕が気にしていた質問です。

 30分後には僕達は他人になるわけですが、この先師匠が居なくても、師匠ほどとは言わなくてもこの世界で強くなることはできるでしょうか?」

 

 最初の問いはシンプルにして、重要なものだ。どう答えるかによって勇次郎の指導者としての資質が問われるだろう。

 勇次郎はしばしケンイチと無言で視線を交わし、大木のように逞しく発達した自身の腕を突き出す。

 

「ケンイチよ、貴様己の拳が信じられぬか? ここまで共に生き抜いた脚が、身体が、細胞が師無しでは大成せんと思っているのか?」

 

 ケンイチは咄嗟に否定しようとしたが、すんでのところで言葉を飲み込む。

 偽証やその場しのぎのゴマカシは師への侮辱となる。たとえ軽蔑されようと、本心を話すのが誠意だ。

 

「正直、自信がありません。今まで出会ってきた武術家は、僕より才能がある人達ばかりで、僕は人一倍の反復練習と師匠につきっきりで技を叩き込んでようやく他の人達に対抗できるようになったんです」

 

 この地上で最高峰の武の才能を持つ勇次郎にとって、才能が無いという問題はまさに対極、無関係の悩みと言っていいだろう。そして勇次郎本人が、範馬の血こそが生物界の頂点と考えている血統至上主義と来ている。

 最強だからこそ最も難しい質問を勇次郎がどう受け答えるか、光成は思わず手に汗握り次の言葉を待つ。

 

「才能など無くとも強くなる事は可能だ。俺が全て教えてやる」

 

 あっさりと、何の躊躇もせずに勇次郎はそう言い放ち、光成とケンイチをまたも驚愕させる。

 

(エーーーーーッッ! 本当に出来るのか勇次郎ォ!?)

 

「ヒントだけ出したり考えさせたりとかじゃなくて、全部教えてくださるんですか!」

 

 ケンイチの言葉に勇次郎は当然だ、と呟きながら光成からお猪口に注いでもらった日本酒を煽る。

 

「『答えを教えず自分で考える力をつけさせる』。自分に指導力があると勘違いしている凡夫が、如何にも思い付きそうな浅はかな考えよ。かつての貴様の師は貴様に考えさせたか? そんな事をせずひたすら修行を叩き込んだだろう」

 

「そ、そういえば確かに……」

 

 考える暇も無く、拷問のようなカリキュラムのトレーニングを叩き込まれた地獄の日々がケンイチの脳裏をよぎっていく。

 

「師が貴様の才能の無さを埋めるというのなら、この世界で師を見つければいいだけのこと。俺を僅かの間とはいえ師にしたようにな」

 

「はぁ……でもそんなに都合よく僕に教えてくれる人を見つけられるでしょうか? 今の僕ではあんまり高い月謝も払えませんし」

 

「師とはそのような不便なものではない。場所、時間、人間、動物、昆虫、無生物を問わず師は貴様の前に常にいる。森羅万象、あらゆるものを師と崇め学べば良い。それを見つけられぬのは、貴様の目が不完全だからだ」

 

 勇次郎の言葉に、思わずケンイチが全く意図を読み取れずきょとんとする。人生経験豊富な光成の方はどこかピンと来ている様子だが。

 

「……目が不完全……とんちですか?」

 

「比喩ではない。ただ見て、ただ聞き、ただ触り、ただ嗅ぐだけでは、人間が本来備えている感覚器の真なる役割、その半分も引き出していないということ。

 貴様と才能ある者の差は、身体能力だけではなく五感もだ。筋肉を鍛えねば強くならぬように、五感も鍛えねばその真価を発揮できぬ。

 天才と呼ばれる者達は、無意識の内に五感を鍛えている。あるいは他人に言われずとも五感の重要性を理解している」

 

「では五感を鍛えると、どうなるんでしょうか……」

 

「他人の手を借りずとも、高等な武術の妙技を誤らずに取り入れられるようになるだろう。一流の画家が手本を見ただけで精密な模倣絵を描けるようにな」

 

 勇次郎の言っている事が事実なら、ケンイチも五感を鍛える事で、翔に負けぬスピードで強くなれるかもしれない。それに元の世界に戻っても師匠達の指導の負担を減らせる事になる。ケンイチにとっては目からウロコの話だが、当然浮かぶ疑問もある。

 

「それではどうやって五感を鍛えればいいのですか? 鍛え上がるまでの間は、どの様に修行をすればいいのでしょう」

 

「遊べ」

 

「はい?」

 

 勇次郎が一言だけ放った言葉に、ケンイチは思わず聞き返す。どんな厳しい特訓も覚悟しているケンイチにとっては想定外の返しだった。

 

「強くなりたければ遊べと言っているのだ。貴様が元の世界で質の高い修行をしているのは、身体を見ればわかる。

 そして貴様自身にもその自負があるのだろうが、俺からすればサボっているのと大して変わらん」

 

(えーっ! あれだけの地獄の特訓をサボり扱いって……梁山泊の師匠達が優しく見えてくるぞ!?)

 

 あからさまにショックを受けた表情を見せるケンイチに一々フォローを入れること無く、勇次郎が言葉を続ける。

 

「女、賭け事、ナイトクラブ、酒、スポーツ、ゲーム、芸術、アウトドアレジャー。あらゆる物事に挑み欲望を開放し、本能を満たせ。

 禁欲の果てに得られる物などタカが知れているわ」

 

 何の根拠も無い発言だが、勇次郎の強力な自我から生み出される、反論を許さぬ"圧"が込められた事により、偉人の名言に見劣りせぬ力が込められケンイチに届く。

 

(はっ……そういえば師匠達も修行の傍ら、自分の好きなことや趣味は欠かさなかった。

 馬師父が欲望に忠実なのも、意味はあったんだろうか。表面しか見てなかった僕が浅はかだったのか!?

 とにかく、強くなるために遊ぶというのは完全に盲点だった……)

 

「でも、僕はナイトクラブや賭け事で遊ぶっていわれてものもよくわからないからなあ……そうか、遊びの師匠を見つければいいんですね!」

 

 少しは開けてきたケンイチに対し、勇次郎もまんざらではない表情で相打ちをうつ。

 かつての勇次郎からは想像もつかない、穏やかな表情だ。

 

「そうだ。繁華街でバカ騒ぎをしながらうろつく若者でも何でも構わん、学べるものから何でも学べ。……話が少々脱線したな。本筋の修行方法に話を戻そう」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

「そろそろ30分が経つな。俺はもう帰るぜ」

 

 時間いっぱいになったということは、あれから勇次郎に20分以上は修行の手ほどきを受けたのだろう。

 だがケンイチにとってはあっという間だった。

 人生で数えるほどしか食べられない高級料理を食す際、一口一口噛みしめて味わうように、勇次郎の言葉を堪能していた。

 

「あ、ありがとうございました範馬師匠!」

 

「"地上最強の弟子"ケンイチよ、師匠命令だ。光成が催す大会で、獅子に化けてこい」

 

 頭を下げるケンイチに対して背を向け、振り返ること無くそう呟くと勇次郎は障子の外へ去っていく。

 と同時に部屋の空気が弛緩した様な感覚を覚え、ケンイチが脱力する。

 

「ふう、緊張した。僕は地上最強の生物とずっと言葉をかわしていたのか……」

 

 抜け落ちていく興奮と高揚感の余韻に浸りながらも、ケンイチはハッと我に返り光成の方へ駆け寄る。

 

「徳川さん、ありがとうございます! 最高のご褒美でした! それと、ご褒美ついでにお願いがあります」

 

 真剣な表情で頼み事をするケンイチの言葉を光成は聞き届け、そして人を食ったようないつもの笑顔で宙を見上げる。

 

「いつかは頼まれると思っとったが、案外遅かったのお。さてどうしたものかの……」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

「もう届いたよ、本当に便利な世の中なんだな今は」

 

 光成邸から帰った後、梢江に教えてもらいインターネットショッピングでケンイチが注文した商品は、翌日には松本家に特急便で届いていた。

 ダンボールで無駄に厳重な包装をされた荷をトレーニングルームに運び込み、中身を取り出す。

 PC専用メーカー製の安価なデスクトップパソコン一式と、今流行りの格安タブレットだ。

 現代っ子だけあってケンイチは手早く端末のセットアップを済ませ、松本家に通っているwifiに繋げる。

 

「さあ、見るぞ……」

 

 意を決して、光成に頼み込んで貸してもらった一枚のDVDをパソコンにセットして中身を再生する。モニタに映し出されたのは――

 

『最高だ――最高の夜だ』

 

『君たちのいる場所は三千年前に通過しているッッ!』

 

『兄さん これ……最後の技です』

 

 地下闘技場で行われた有名な試合、その全てを記録した映像だった。

 

「す、すごい……」

 

 実戦の映像、それは見る側にとっては武術家の奥義や技の宝庫であり、撮られる側とっては、己の生命線や弱点を曝け出す危険なものである。

「このDVDの存在を誰にも明かしてはいけない。発覚した場合は全ての責任を負うこと」

 を条件に光成から貸してもらった、秘中の秘のアイテムだった。だがこうでもしなければ、今度の大会で勝ち上がることは困難だ。それほどまでにケンイチも追い詰められていた。

 

「人の試合を映像で見て学ぶのなんて、初めてだよなあ……」

 

 こうして見ていると、自分に習える技とそうでない技の違いがよくわかる。

 たとえば、ジャック・ハンマーの噛み付き攻撃。これはケンイチの咬筋力ではとてもじゃないが再現できない。

 そして、渋川剛気の合気道。練習するにはあまりにも時間が短すぎる。

 自分のスペックの範囲内て、なおかつ大会までに習得でき、なおかつ実戦で通用しそうな技、それを手に入れなければ翔には絶対に勝てないだろう。

 

「見つけた……この地下闘技場で使われた『3つの技』に絞って、重点的に練習しよう。そして、僕が今まで手に入れた技も昇華させなければならない!」

 

 この世界に来てからは、肉体トレーニングと既存技の稽古をしていたので、身体能力的な練磨度合いで言えば元いた世界の時よりも鍛えられている。

 だが、梁山泊で行っていた技の修行は全くしてなかったのでこちらは完全に停滞していたのだ。まずはその遅れを取り戻さなければならない。そのためにケンイチはまず、以下のトレーニングプランを自分で打ち立てた。

 

 DVDで技を見る→タブレットで技を練習している所を撮影する→DVDとタブレットを同時に再生し、フォームのズレを確認する→最初に戻る

 

このルーチンをAとし、イメージトレーニングに徹底した瞑想時間をB、そしてトレーニングから完全に外れた勉強や遊びなどの自由時間をCとする。

 

 Aを15分、Bを5分、Cを10分の30分ローテーションを12回繰り返し、1日6時間の技のトレーニングを行う。

 学校には光成の口添えで特別休学をもらっているので、毎日繰り返すことができる。大会まであと一ヶ月、180時間の技の修行時間を確保できたことになる。これなら光明が見えてきた。

 

「範馬師匠は『文明の利器』を駆使しろ、使えるものは何でも使えと言っていた。

 梁山泊の師匠がつきっきりで技を教えられない今、DVDとタブレットのカメラが僕の師匠だ!」

 

 フォームが間違っていても、気の運用がデタラメでも、誰も指摘してくれる相手はない。

 ひたすら物言わぬ機械と協力して技を開発する孤独な時間。しかしケンイチは、師匠の手から離れ独り立ちしようとしている自分に、そしてこの時間に悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 拳銃を放ったような炸裂音が、神心会本館の第一修練場に響き渡る。およそ格闘技の稽古場には相応しくない音であるが、武術家の手によって紛れもなく素手で放たれた技によるものである。

 技を放った張本人、愚地翔が満足そうな表情で構えを解き顔の汗を拭う。

 

「どーよ。克己兄貴のマッハ突き、練習で成功させられるようになってきたぜ」

 

 足の親指2箇所から生まれたエネルギーを全身10箇所の関節を経由し徐々に加速させてゆき、最終到達点の拳に至る時にはマッハを超える。自身の代名詞でもある『音速拳』を再現された愚地克己は、悔しがる素振りも見せずに穏やかな笑顔のまま、それに応じる。

 

「翔、マッハ突きを一週間でそこまで磨き上げるとは大したものだ。

 だがな……範馬刃牙はそのマッハ突きを見たその日に再現し、実戦の場で使用したぞ」

 

 その言葉を聞いた翔は目を丸くさせながら、ヒュウと口笛を吹く。

 

「へーっ、噂には聞いてたけどやっぱヤバいね範馬一族! 本当に人間かよ? 異星人かなんかじゃねーの?」

 

「そう萎縮するな。あの一族が異常過ぎるだけでお前も十分――」

 

 克己が自分なりにしようとしたフォローは、

 

 "パヒュンッ"

 

 修練場を突き抜け周辺のビルにまで響き渡る、先程よりも大きな炸裂音にかき消される。

 

「俺もいきなりこいつから練習したからなあ、やっぱり土台から少しずつやんなきゃダメだね」

 

 初期型のマッハ突きの原理に指関節の加速、そして人体最重量部位の頭部の重量を乗せ、師である人越拳から学んだ螺旋式の貫手を翔が放っていた。

 

「ッッ……!」

(マッハ突き第二段階……そのサーベルマッハにねじりを加えた"サーベルねじりマッハ"ッッ!? まさか、独学で思いついたというのか!?)

 

 思いついたとしても、その習得難易度はマッハ突きは勿論、サーベルマッハをも超える。それを誰にも教わらずにたった一週間は、範馬刃牙でも出来るかわからない。

 

(親父がどこからか連れてきた時から思っていたが……こいつ底が見えない! もしかしたら、翔はピクルや武蔵と同じく、闘いの神によって送り込まれた、範馬一族に並びうる存在なのか!?)

 

 

 そして――大会の日が迫る。




勇次郎書きたくてしょうがなかったのに
いざ肝心の勇次郎書こうとしたら俺の力で描写できるかわかんなくなって真っ白になって草
書くこと纏まったけど勉強サボッてたから次の更新は1ヶ月後くらいかなあ
週2週3で更新できる人達やばない?


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9話

 

 緊張で活性化してない胃に構う事なく、ケンイチは栄養価の高い好物を口に詰め込む。

 戦いの前に少しでも影響は補給しておきたいし、これが最後の晩餐になるかもしれないからだ。

 

「食器は洗っておくから、戻って休んでいていいよ」

 

「はい、何から何までありがとうございます」

 

 リクエストした食事を作ってくれたこの家の主である松本絹代に頭を下げ、ケンイチは食卓を後にする。

 いつも使っているトレーニングでひっそりと食べても良かったが、己とかつての使用者達の体臭が充満しているあの部屋で食べるよりは、こちらで食べたほうがいいだろうという絹代のはからいであった。

 二時間ほど休憩と瞑想を繰り返していた頃、梢江に勧められて買った新品のスマートフォンに着信が入る。

 

「お迎えにあがりました、白浜様」

 

 ケンイチの専属送迎主である宝田からの電話を受け、試合用の道着に着替え家の外に出る。

 午後五時を過ぎ、日が落ちつつある郊外の一軒家に似合わぬ黒塗りのリムジンの横で、宝田が直立不動で待機していた。

 

「参りますか」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 後部座席に座ったところで、宝田はいつものように車を出さずに車の外からアイマスクをケンイチに手渡す。

 

「白浜様、本日は移動中にこれの着用をお願いします。これは光成様からの指示でございます」

 

「えっ……これは? これから地下闘技場に行くんじゃないんですか?」

 

「申し訳ありません、私からは何も申し上げられません。不便な思いをさせてしまいますが、ご容赦ください」

 

 怪訝な表情で宝田を見返すが、しばらくして素直に従い自分の視界を塞ぐ。

 一瞬、誘拐か? と思ったが、今のケンイチは精々行方不明になっても問題ない利点がある程度でさらう価値など全く無いはずだ。ならばここは大人しく言う通りにするべきだろう。

 これから地下闘技場イベントが始まる。1ヶ月の修行期間はあっという間に過ぎてしまったが、ケンイチはある程度の手応えを己に感じている。

 梁山泊の師匠につきっきりで技を見てもらった今までと違い、範馬勇次郎の修行運用法だけをヒントに、自力で新たなる技を手にした。という事実がケンイチにもたらしたものは大きい。

 その自信も、ケンイチが目隠しという想定外の事態をすんなり受け入れた事に少なからず起因しているかもしれない。

 車を出す際、宝田が呟く。

 

「私から申し上げられるのはただ一言……生き残ってください」

 

「……は、はい!」

 

 

 

 

 

 1時間、いや2時間くらいは経っただろうか。宝田の声がうとうとしていたケンイチを覚醒させる。

 

「白浜様、お待たせしました。目隠しは外してもらって結構です」

 

 視界が自由になったケンイチは周囲を見回す。既に日は落ち、外は暗闇に包まれている。

 

「宝田さん? ここ、後楽園じゃないですよね……?」

 

「はい。ですがここが今回大会となる場所です。どうぞ」

 

 宝田がリムジンのドアを開け、下車を促す。外に出たケンイチの頬を生ぬるい風が撫で、耳を虫の鳴き声が奏でる。

 ケンイチの目の前に簡単な車止めの金属パイプが置かれたゲートが。その奥には暗闇の中に無数の木々がそびえ立っている。

 

「これは公園……だよな?」

 

 子供の頃、家族に連れられて行った巨大な森林公園によく似ている。宝田から渡された「20」と書かれた小さなナンバープレートを服に縫い付け、ゲートを通り、ケンイチは歩道を抜け森林地帯を慎重に奥へと進んでいく。

 

「選手諸君、聞こえるかの?」

 

 しばらく歩き入り口が大分遠ざかったところで、唐突に声が聞こえた光成の声がケンイチの歩みを止める。

 声質やボリュームからして、どこかから拡声器を通して話しているのだろう。

  

「これより地下闘技場大会を始める。だが諸君、ご察しの通りそこは地下闘技場ではない。

 都内にある森林公園の一つを貸し切らせてもらった。直径1km強の広さを持つこの公園全体が戦場じゃ!」

 

 光成の言葉を聞きながら、ケンイチは己の置かれた現状把握に努め始める。

 夜の広大な隔離ステージでの戦闘と聞いて、かつてYOMIと遊園地で戦った時の事を思い出す。状況は似ているが、照明は公園のほうが比にならない程に暗い。この暗さは確実に戦闘に影響するだろう。

 

「諸君らの視界内には誰もいないからわからんじゃろうが、今ここにいるファイターは24名。自分以外の全員が戦闘不能になった時点でその者の勝利となる!

 生き残るためなら、手を組むも良し、その場にある物を武器として使うも良し、不意打ちも良し。闘いの最中に乱入するも良し、じゃ」

 

 バトルロイヤル形式、それはケンイチにとって大きなメリットとデメリットが混在するものだ。

 ケンイチはバトルロイヤル形式の戦いを一度もしたことがない。この経験不足は確実に影響するだろう。

 だがこのルールなら、ケンイチは無傷のまま叶翔、いや愚地翔と戦える可能性がかなり出てくる。もしこれがトーナメント形式だったなら、1回戦で翔と当たるという偶然でも起きない限り成立し得ないことだ。

 

「ただし注意点が2つある。まず1つ目、逃げ隠れは限度をわきまえるように。

 多人数に襲われ逃げる、などはともかくこちらがあまりにも悪質とみなした場合はその場で失格、更に地下闘技場での地位も危うくなると思いなさい。無論、公園の外に出ても失格となる。諸君らの居場所や行動は赤外線カメラと、渡したナンバープレートに付けられたセンサーにより完全に筒抜けとなっている」

 

 これは妥当、いや当然のルールか。皆が隠れて人数が減るのを待っては、戦いが成り立たなくなる。

 

「そして2つ目、こちらが脱落、戦闘不能とみなした選手に追撃を加えるのもダメじゃ。以上のルールを犯さなければ何でもあり! それでは諸君……準備はええかの?」

 

「っ、もう始まるのか!」

 

 既に必要な情報は伝えられたはずだが、心の準備がまだできていない。だが、そんなケンイチの想いが汲み取られるはずもなく、

 

「それでは……始めィ!」

 

 あっさりと戦いは始まった。一瞬、強烈な殺気、敵意が周囲の暗闇から己に放たれたような感覚に陥ったが、すぐにケンイチはそれを錯覚だと切り捨て、冷静な思考を試みる。

 

「落ち着くんだ……僕が取る行動は限られている」

 

1:戦闘を極力避けて叶翔を探す

2:目立たない場所に隠れる

3:手当たり次第に戦う

4:拠点を設けて来た相手を迎え撃つ

 

 3はまずない。2を選んでも光成を失望させてしまうだけだろう。となれば、翔と戦うには後は1しかない。だが問題は、翔がどこにいるかだ。こればっかりは運に頼るしか無い。

 

「公園の端っこと中央……翔の性格なら中央へ行きそうか? 僕も中央に言ってみるか……」

 

 その時、事態は急変する。

 

「ぐおッ!」

 

「……22番、アンドレアス・リーガン。脱落じゃ!」

 

 近くから聞こえた野太い悲鳴の数秒後、光成のアナウンスが最初の犠牲者を告げる。かつて地下闘技場で死闘を繰り広げたリーガンの脱落に驚くケンイチであったが、それ以上にもっと驚くことがあった。

 

「えっ……リーガンさん? いくらなんでも早すぎる……」

 

 まだ戦いが始まって1分も経過していない。つまりほんの数十秒でリーガンの位置を捕捉してから秒殺をやってのけた人間が存在することになる。

 そして、悲鳴からリーガンの位置はそう遠いわけではなくケンイチとリーガンの選手番号は2つ違いだった。もし、番号順に選手の初期位置が設定されているとしたら――

 

「こ、ここの周辺はなんだがヤバイ気がするぞ」

 

 直感から、ケンイチは早々に中央への移動を決意する。小走りで森林地帯を抜け、キャッチボールやテニスの壁打ち用の高い壁がそびえ立つ広場へと躍り出たところで、

 

「おっ、獲物はっけーん。って、ガキじゃんかよ」

 

「……おそらくこいつが地下闘技場の新顔、白浜兼一だ」

 

 二人の男達と対面する。片方は、ケンイチをガキ呼ばわり出来る筋合いが無いくらい若い。おそらく高校生くらいか。もう一人はリーガンほどではないが十分に大柄と呼べる恵まれた体格を持つ、スキンヘッドの男。どちらもケンイチの知らぬ顔だ。

 二人から放たれる気の力強さから想像するにケンイチより格下という可能性はほぼ無いだろう。

 二人はケンイチとの距離を詰めていくが、お互いを警戒している様子はまるでない。明らかに手を組んでいる立ち回りと言えるだろう。

 

「うわぁ……数が減るまで協力するつもりだよこの人達……」

 

 すぐに元来た森林地帯へ逃げ込もうと考えたケンイチであったが、踏みとどまる。元々ここへは、リーガンを秒殺した謎の猛者から逃れるために来たのだ。この男達がリーガンを倒したのならともかく、もし別人だった場合、引き返してこの男達と謎の敵、両方に挟まれる事となったら生還は難しいだろう。

 

(この人達から逃げつつ、翔がいる可能性に賭けて公園の中央へと行く、それがベストだ。そして一つだけ、この場面を乗り切る策が浮かんだ。漫画で読んだ作戦が通用するかわからないけど、やるしかない!)

 

 決断と同時に、ケンイチは森林地帯から離れ、壁の方へと行く。まずはいつ敵が襲ってくるかわからない森林地帯を背にするリスクを解消するためであった。

 

「おいおい逃げる気か? でもそっちは壁だぜ」

 

 すぐに男達の追撃を受けケンイチは背中に壁、正面に男達二人という最悪のポジションに追い込まれる。だがそれこそがケンイチの狙いだった。二人の一瞬の虚を突くために神経を集中するには、後方を警戒する必要のない壁際が必要だった。

 

「くそっ……奥のもう一人もあなた達の味方か!?」

 

「なにぃ……?」

 

 ケンイチの言葉を聞き男達の顔色が変わる。自分達の背後に誰かがいる、という情報を無視しないわけにはいかない。この戦いがバトルロイヤルだという前提があるから成り立つ、ケンイチの駆け引きだった。

 だが男達はその言葉に明らかな反応こそ見せたものの、ケンイチから視線を外す事はなかった。

 

(そんな、どうして振り向かないんだ? 僕の言葉がハッタリかどうか確かめるために、どちらか一人くらいは振り向くべきだろ! まさか嘘だと見抜かれたのか!?)

 

 想定外の出来事に色々と考えを巡らすケンイチであったが、現実はそれ以上に最悪だった。

 

奇妙(、、)だな」

 

 誰もいないはずの暗闇から声が聞こえる。

 

「私は完全に気配を消していたはず。どうして私が隠れていると見抜いた? ただのカマかけならともかく……気付いていたのだとしたらそれは奇妙だ」

 

 闇からゆらりと男が現れ、手前の二人の間を抜けケンイチの前に立つ。戦闘において不利となるであろう長髪と、幽霊のような静かな気が特徴的な男だった。

 

(な、なんだこの人。気があまりにも静か過ぎる……こんな気、達人でも見たことがないぞ?)

 

「参ったね、私は奇妙が苦手なのだよ。部下達に経験を積ませるために静観するつもりだったが……眼の前の奇妙を摘むためには私が直接戦うしか無いのか」

 

 ケンイチを見ているような見ていないような、うつろな瞳の男がつぶやいた言葉でケンイチは全てを理解する。この3人は生き残るために手を組んでいるのではない。最初から完全なチームとして参加しているのだ。

 

(しまっ……こんなことってあるのか!?)

 

 気付いた時にはもう遅い。逃げ場は無く、正面には敵はケンイチと同格以上と思わしき二人と、更に上と思わしき男が。

 考えるまでもない、絶望的な状況だ。ケンイチは既に間違いなく詰んでいるといって良いだろう。

 

「――1対3でパーティか。よければ私も混ぜてくれないか?」

 

 ケンイチがありきたりな主人公であったら、の話だが

 

 

 

 

 

 




松江名先生新連載始まりましたね。
ケンイチ2では無かったみたいですが。


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