蓬莱学園の夜桜! (ないしのかみ)
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1、三月の学食横町

元が昔の作品のサルベージ(大体、二十数年くらい前!)ですので、お見苦しい点があるかも知れません。

加筆。
切りの良い所(次章直前)まで加筆しました(約1,500文字)。サブタイトルをつけました。
訂正。
暴虐な夜桜→暴虐な夜風。
変換ミス。手書き原稿を打ち込んで電子化してるのでちょくちょく起こるかも。


〈序〉

 枝を吹き抜ける暴虐な夜風が、己自身の絶叫を生み出す。

 全島の夜桜が悲鳴を上げていた。

 中には根こそぎ大地から引き抜かれたり、或いは耐え切れずに身を二つに折った桜さえあった。

 時ならぬ暴風雨が宇津帆島を襲っていたからだ。

 

 災害は桜に留まらず、それ以外の各所でも起こっていた。殆どの者は心構えがなっておらず、また、備えも充分とは言えなかったのが拍車を掛けている。

 無理も無い。

 本来ならば今日辺りは、気の早い連中が花見でもしている頃である。

 亜熱帯の島とは言え、まだ台風シーズンでもない。

 嵐の原因は、島から離れた沖にあった。

 

            ★        ★        ★

 

 彼は生まれたばかりだった。

 宇津帆島の沖で彼は意味を与えられ、そして同時に誕生した数百の仲間達と共に八方へと散った存在の一つとしてだ。

 遙かな海上に目を向けると、彼の誕生の余波を受けた生誕地が燃え上がり、鋼のきしみを上げて海中に没しつつあった。

 

 台風級の暴風吹き荒れる夜空を高速で飛びながら、彼は己の事に思いを巡らせる。

 何故か自分が何者であり、己にどんな事が可能なのかを彼は知っていた。

 しかし、それはこれからの行動の指針にはならない。

 彼は何をすべきかを判らずに、途方に暮れていた。

 

 ノルマさえこなせば手荒く扱われる事もなく、それなりに幸せな生活を送っていた農奴が、ある日、見知らぬ第三者に解放されて、突然「君達は自由だ。これからは自立して生活するんだ」と言われても、どう行動したら良いのか解らない。

 ロシア革命での話だが、彼の今の状態はそれに似ていた。

 と、彼の感覚が何かを捉えた。

 

『?』

 

 持ち得る感覚の全てで、彼は周囲をスキャンする。

 宇津帆島の一角からだ。

 注意深く観察して行くと、それが彼と同種の存在であるが判る。

 彼が探査した結果、それが力を独自に発揮出来ない存在らしいと判断した。だからこそ、自分を必要としているだと見当を付ける。

 

 正確な位置を探った彼は、それに接触した。

 途端に溢れんばかりの力が流れ込む。彼とは反対方向へと泳ぎ去って行った、あの巨大な『竜』に匹敵する程の力だった。

 

 膨大な力の奔流に満足している彼に、ちりっと僅かに痺れる様な感覚が届いた。

 別の何かだ。

 彼の本質に近い願いを求めている。

 

『求められているなら、応えてやろう』と思う。

 

 彼は刷り込まれた本能に従って行動を開始した。  

 

            ★        ★        ★

 

「このたわけ者!」

 

 鉄扇がうなった。鈍い音と共に額に鋭い衝撃が走る。

 激痛に額を押さえると、生暖かくねっとりした物が指の間から流れ落ちた。

 視界が赤く染まる。

 

「何故、貴様は!」

 

 怒気を孕んだ声で祖父がまくし立てるが、年老いたその叫びの殆どは明瞭ではなく、また、癇癪を起こした老人の言葉自体も同じ事の繰り返しで、理論的とは程遠い代物であった。

 ただ、凄まじい怒りを持っているのが判るだけである。

 

「二度とこの家の敷居を跨ぐ事はならん!」と言ったのだけが、彼の理解出来た言葉の全てであった。

 

『うるさい。なら、ここを出て行けばいいんだろう!』

 

 彼は額を押さえながら、朦朧とした意識のまま考える。

 

『いや、これはベルの音?』

 

 次第にはっきりして行く意識が、その音が祖父の怒声ではなく、目覚まし時計のコールである事を判断した。

 どうやら夢を見ていた様である。しかも、思い出したくもない過去の夢を。

 彼は煎餅布団の中から手を伸ばして、目覚まし時計を止めた。

 

「時間か…」

 

 だが、文句は言えない。自分は委員会所属の宮仕えなのである。

 光る緑の夜光塗料が、現在時刻を午前五時十一分である事を教えてくれる。まだ間に合う。

 あわただしく着替えながら、朝食のコッペパンを口に頬張った途端、歯にガチリと硬い物が当たった。

 

「くそっ、最近のパンはおみくじ入りかよ!」

 

 悪態を付きながらぺっと吐き出す。

 それは大きめのコイン状物体で、ころころと机上を転がって倒れた。

 

「琥珀かな?」

 

 彼はそれをつまみ上げた。内部に昆虫やら植物とかが詰まってはいないが、色と手触りは琥珀にそっくりだ。仮に本物ならば、かなりの価値があるだろうと思われるサイズである。

 ピッピッピッと、今日二度目のアラームが鳴る。

 

「いけねえ、遅刻だ」

 

 彼はそれを持ったまま、礼服の上着を羽織って廊下へと飛び出して行った。

 

            ★        ★        ★

 

 加賀大膳(かが・だいぜん)は、いつの間にここへ来たのか判らなかった。

 暗い部屋であった。

 クリスタルのシャンデリアとか、大理石の暖炉みたいな高価そうな調度品があるのを見ると、戦前の西洋館と言った趣の部屋だった。

 だが、ここは既に人の手を離れてかなり経過していた。埃と蜘蛛の巣に塗れた廃屋である。

 

『ここは何処だ?』

 

 誰かに呼ばれてここへ来た筈であった。

 少なくとも『ここへ来い』と言う、誰かの声に導かれてやって来た筈なのだ。

 

『アールヌーヴォーか?』

 

 家具や調度類をしげしげと見入った時、彼は自分の状態に気が付いた。

 手が透けている。

 幽体なのだ。そう言えば、何処をどう歩いてここへ来たのか言う過去の記憶が、彼からすっぽり抜けていた。

 

『お前が私を呼んだ』

 

 頭の中にそんな声が響いた。同時に光り輝く小さな物が、幽体である筈の加賀の手中へ飛び込んで来た。

 

『応石…』(おうせき)

 

 二年も前に失われたが、以前、彼が所有していた物と同種の石である。

 但し、その応字は、以前所有していた〈人〉とは違い、禍々しい気配を辺りに発散している。

 

『それを使って、もう一度ここへ来のだ。そうすれば、お前の望みも叶えてやろう』

 

 何者か知れない男(だと、加賀は認識した)の声が、再び加賀へメッセージを送る。

 状況を飲み込めていない加賀が、逆に質問を返そうとした時には、既にその存在は加賀との接触を打ち切っていた。

 

 加賀大膳は泊まり込んでいた錬金術研の部室、実験器具の散乱する机に突っ伏した状態で目が覚めた。

 

「夢か」

 

 加賀はアンティークな丸眼鏡を掛け直すと呟いた。

 先程とは違い、今度はちゃんとした肉声である。

 応石召喚の研究に熱中し過ぎて、いつの間にやら眠ってしまったらしい。それであんな応石を手に入れる夢を見たのだろう、と加賀は解釈した。

 そう思いつつ、机の隅に設置した写真立てに視線を走らせる。光沢仕上げのサービス版印画紙には、桜の樹をバックに加賀ともう一人が仲良く収まっていた。

 二年も昔、この学園に来た時に撮った記念写真だ。

 

「私の望みを叶えるか…」

 

 かぶりを振る。

 

「ふふっ、都合の良い夢だな。お笑いだ!」

 

 彼は己の夢に対して笑った。短期間だけ占い研にも属した事もある加賀だが、この手のお告げは余り信用していない。

 だが、その笑いは不意に止まった。

 

「馬鹿な…」

 

 凍り付いた様な表情を浮かべて、錬金術師は右手の拳をそっと開いた。

 そこにあったのは白い、五百円硬貨程の碁石状の物体。

 ひんやりした表面に、〈蛇牙〉の文字が妖しく浮かび上がった。

 

 

〈1、三月の学食横町〉

 

 三月も半ばを過ぎた蓬莱学園。

 例年ならば来る四月の入学式に備え、各クラブの勧誘準備等で色々と忙しい時期である。

 もっとも、学園に於いて正式な入学式は一月であり、四月と九月の入学式はあくまで補助的な物に過ぎないのだが、生徒の大部分を占める本土からの新・転入生が大挙して押し寄せる四月が、入学式の規模も一番大きく、クラブ勧誘期間の本命と見られている。

 

 故に各クラブでも、この四月の勧誘週間にもっとも力を入れるのが普通であった。

 三月のこの時期は、幟やら垂れ幕やらのアトラク用の馬鹿馬鹿しい程巨大な様々な展示物が、そこかしらで目撃される、一種異様な光景が島中に展開されるのが常であった。

 

 しかし、92年のそれは違っていた。

 昨年秋から先月に掛けて、学園を揺るがした〝太守の帰還〟事件の後遺症が大きく、その後片付け手一杯と言った状態だったからである。

 特に〝闇と嵐の七日間〟と呼ばれた超大型の暴風雨は、通信、交通網をずたずたに寸断させ、中央校舎や墨川堤防等の建造物を徹底的に痛めつけていた。

 

 爆沈した移動海上モスク〝神の塔〟へ、大量のエネルギー供給した原発二号炉は点検の為に未だ出力ダウンしたままで、電力はたった一基の原発に頼る片肺状態である。

 あれから一週間は経過したにも関わらずだ。

 

 当然、生産を司る化学部、機械工学研は操業停止に追い込まれていた。

 授業正常化計画は頓挫し、クラブ活動も縮小を余儀なくされている。

 これが今年の宇津帆島であった。

 

            ★        ★        ★

 

 錬金術師は愛用の黒いマントを制服の上に纏った。

 足元には数名の生徒が倒れている。委員会から派遣された下っ端委員達であった。

 錬金術を極めた彼にとって、この程度の連中は赤子同然に手もなく捻れる相手だった。応石を使うまでもない。

 

「ついに横領がばれたな…。しかし、まぁ仕方ないか?」

 

 罪の意識はない。

 元々、加賀が数学研部員だと知った部のお偉方が、面倒な会計作業を押しつけたのが始まりなのだ。

 なら、その立場を利用して何が悪い。

 自分の研究だけにしか頭になく、どんぶり勘定で予算の分配をする錬金術研の連中こそ原因ではないか。

 

『そうとも、貴様は正しい』

 

 謎の声がその意見に同調する。

 

「……詭弁だな」

 

 だが、彼は自分の考えに自嘲した。

 写真立てをポケットにねじ込むと、そのまま自室を後にする。

 二度とここへは戻るつもりはなかった。

 

            ★        ★        ★

 

 放課後、毎度ながら逞しく復興しつつある学食横町の蕎麦屋に、一人の男子生徒が座っていた。

 〝狭山庵〟と言う名前の手打ち蕎麦屋で、手頃な値段の旨い店として昼食時には行列も出来る店である。

 と言っても、三人も座れば満席になってしまう屋台だ。

 

「ふわぁ」

 

 身長派175cmと言った所か。やや細面の顔と細い眉、肩で切り揃えられた黒髪が女性的な雰囲気を醸し出している。額に走る一文字傷が文字通り玉に瑕だが、それでもアイドル研では及第点が付けられるだろう美形が、みっともない欠伸をしていた。

 夕闇迫る時間帯の客は、彼一人だけの様である。

 

「眠そうだな」

 

 葱を切りながら、蕎麦屋のオヤジが声を掛ける。

 

「……二十四時間、三交代制で帳簿とにらめっこだからな。今朝なんて五時起きだぜ」

 

 と美形は答える。肩章にモール無しの略式学園礼服を着用している所から察するに、どこぞの委員会所属なのだと言うのが判る。

 但し、生地は化繊で、しかもどうやら古着っぽい。

 丼の中身も単なるかけ蕎麦。金には恵まれていないと言った感じである。

 

「宮仕えは辛いってか?」

「まだ一年だからな。貧乏暇無し」

 

 彼は欠伸を噛み殺しながら答えた。

 

「お前さんが事務やっているのは、想像出来んなぁ」

 

 とオヤジ。

 

「背に腹は代えられん。それに…金払いは結構良いしね」

 

 後ろ半分は付け足しである。無論、半分不満を持ちながら予算委員会に所属しているのは、それだけが理由ではなかったのであるが。

 とにかく、彼はもう一度欠伸をすると、音を立ててつゆを飲み込んだ。

 

「オヤジ、蕎麦をくれ」

 

 勢い良く暖簾が撥ね除けられて、新たな客が入って来た。

 

「かけでいい」

 

 そう付け足しながら、客は美形の隣に座った。

 隣に並ぶと対照的な感じの男であった。身長は160そこそこ。髪型は短く刈り込まれた体育会系。ぱりっとした制服を着用していた。

 もっとも、食べる品はどちらも同じであったが。

 

「兄さん、見掛けない顔だね」

 

 不意に、その男は予算委員に声を掛けた。

 

「関係なかろう。それに普通、自己紹介って奴は自分から名乗りを上げるもんだ」

 

 ぶしつけな質問を無視したのは、その男が同学年である事を確認した為である。もし、先輩か何かだったら、この口の利き方では只では済まなかっただろう。

 

「おお失礼。僕は山城平太(やましろ・へいた)と言う者だけどね」

「で、何の用だ?」

 

 余りの眠さの為か、それとも生来こう言う感じの口調なのか、彼は面白くもなさそうな感じで、山城と名乗った男を横目で見た。

 

「この男を知らないか?」

 

 山城は胸ポケットから、一枚の写真を撮りだした。

 そこには中肉中背、丸眼鏡を掛けて黒マントを身に付けた、時代錯誤な格好の生徒が写っていた。

 

「三年辰巳組。名前は加賀大膳」

「名前も大仰だな。生憎、知ら…いや、待てよ」

 

 彼は暫く考え込んだ。何処かで見覚えがあったからだ。

 

「この奇天烈な格好じゃないが、会った事がある」

 

 蕎麦が茹で上がった様だ。ごとりと山城の前に丼が置かれる。

 

「どこで?」

 

 蕎麦をすするのも忘れ、山城が身を乗り出した。

 

「あんた公安か? 非常連絡局員か何かだろう」

 

 予算委員は山城の顔を正面から見詰め返しつつ、からかいの笑みを浮かべた。先程までの眠そうな表情は、微塵もない。

 

「そんな事、どうだっていいだろう。事は一刻を争うんだ!」

「凄い剣幕だな。蕎麦が伸びるぞ、早く喰え」

 

 彼は山城を公安委員だと目星を付けた。暫くからかってやろう。

 入学当時、スピッツみたいにギャンギャン吼える興奮委員に、名と顔の事で因縁を付けられた事に根を持っているのだ。

 

「このっ」

「おっと」

 

 繰り出された山城の拳は、予算委員の左の掌に受け止められていた。

 優男である外見に似合わず、喧嘩や武道の心得があるらしい。

 

「何だ?」

 

 山城の目の前には、掌を上に向けた右手が突き出されている。

 

「只で情報をやれるか」

 

 怪訝そうな山城へ、予算委員が言い放つ。

 

「お前、顔の割りにせこいね」

「放っとけ。ここへ来てから赤貧暮らしだ」

 

 ふてくされた様に彼は言った。

 

「あんた名前は?」

「君武南豪(きみたけ・なんごう)」

「本当かよ」

 

 予算委員は緑色の生徒手帳を見せる。嘘みたいだが、名前は本当にそう記されていた。

 

「報酬ね。生憎、俺も貧乏人なんだ」

「蕎麦の種類見てたら大体想像は付くな。じゃあ、情報交換だ。何故、この男を追っている?」

 

 君武は見返りを素早く切り替えてて提示する。

 だが、山城は押し黙った。

 その直後、腹に響く鈍い爆発音と振動が伝わってきた。

 

            ★        ★        ★

 

「ちっ、動いたか!」

 

 そう叫んで、山城平太は慌てて席を立つと走り出した。

 

「喰い逃げだっ! 捕まえてくれ」

 

 蕎麦屋のオヤジが山城の背に罵声を浴びせる。実際、彼は茹で上がった蕎麦を口にしていないのだが、注文したのだから仕方ないだろう。

 

「明日の飯分で手を打とう」

 

 美形とは思えぬせこさであるが、これも激烈な宇津帆の環境で生き残る為に、いつの間にか身に付いた術であった。

 

「おおっ、承知した!」

 

 商談成立である。残った蕎麦つゆを飲み干すと、予算委員は喰い逃げ犯人を追跡する。

 

『加賀先輩が何故、追われる?』

 

 走りながら、彼は考えを巡らせる。

 加賀大膳は彼の所属する手話研の先輩であった。

 手話研に余り熱心に参加してない幽霊部員だし、最近では生活に追われて、委員会活動以外に余裕がない彼だが、そもそも手話研に勧誘されたきっかけが、この加賀と言う男にあった事は否めない。

 実際には何が何だが分からぬ内に、この男に引っ張り込まれたのであるが、それだけに印象がある。

 

 路地裏を抜け、ぱっと視界が広がった。

 既にここは横町よりも、道場やテニスコートのある体育会系クラブ会館に近い。

 その路上に問題の人物は立っていた。

 

 だが、その周囲は筆舌に尽くしがたい惨状であった。

 黒煙を上げて炎上する装甲車。薙ぎ倒された電柱。飴の様にひん曲がった路面電車のレール。そして負傷者の山。

 

「奴らめ、先走りしたな!」

 

 一足先に到着した山城が叫ぶ。

 

「来るな!」

 

 思わず駆け寄ろうとした予算委員に、加賀は鋭い警告を発した。

 

「来るんじゃない。こいつは俺にも支配出来ない。俺が押さえられる間に逃げろ!」

 

 最後の方は絶叫に近かった。

 脂汗を流しながら。黒マントの男は崩れる様にがっくりと片膝を付く。

 

「今だ」

 

 君武は目を疑った。山城の手の中に突然、刀が出現したからだ。

 しかし、そのまま錬金術師へ斬り掛かろうとする小柄な男は、地中から盛り上がって来た何かに跳ね飛ばされた。

 そのまま、敷石の崩れた路面を数メートル滑る。

 低い笑い声が響く。そして、ゆっくりと加賀大膳は立ち上がった。

 

「我が〈蛇牙〉(じゃが)に、そんな物が通用する物か」

 

 それは真に〈牙〉であった。

 黄色っぽい象牙質な白色。そそり立つ鮫の歯状にも並んだ、尖った牙の列。

 地面から現れた奇怪なオブジェの後ろに立つ、薄笑いする黒マントが残酷そうな表情を浮かべて、ゆっくりと二人を指さした。

 

「死ね。権力者の走狗共」

 

 同時に〈牙〉が、地面を引き裂いて前進を開始する。

 

「むっ」

 

 その時、加賀の目の前を白い物が横切った。

 白い球状した光の塊であった。たちまち視界一杯に広がり、今、まさに襲いかからんとする〈牙〉の前にいた二人を包み込む。

 

『何だと』

 

 君武は冗談かと己を疑った。光の中では美少女が何一つ纏わぬ姿で微笑んでいたからだ。

 それは光に飲み込まれた時に知覚したイメージである。対象を目で捉えている訳ではない。余りの眩しさに視覚なんかは全くに立たず、目を閉じていたのだから。

 彼はこれを白昼夢なのかと理解する。

 ついさっきから、何やら信じられない光景を連続して目にしているのである。無理もない。

 

『こいつが白昼夢のトドメか』

 

 気が遠くなる。

 だが、それは白昼夢ではなかった。今まさに到達寸前の牙の前で、光は彼と山城を拾い上げると消失したのである。

 

「ちいっ、味な真似をしおるな」

 

 加賀は球体の消えた空間をじっと睨みながら、誰が聞くまでもなく呟いた。

 

「だが、奴の力ではないな。他の応石使いがまだおるのか……」

 

〈続く〉

 




蓬莱学園関係の用語とかは、読者が既知であるとの前提で書いてますので、不親切ですが、特に説明はしません。

時代が二昔前のお話ですので、もしかしたら判らない単語とかも出てくるかも知れませんが、これも既知であるとしています。
1992年。
携帯電話は普及してないし、ウォークマンが現役です。写真はフィルムで撮るのが当たり前、インターネットなんかパソ通の時代です。
と書くと、「何処の異世界じゃあ」とか思った貴方。いけませんよ。時代が平成になったばかりですからね(笑)。


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2、果林その1

連続投稿です。
ランダムと言ってたから、こう言う事もあります。
改訂前の前話を見た方には唐突に始まるかも知れませんが、あの後、1,500文字程加筆してるので、前話のラスト読んでから読んでね。

改訂。
果林に「かりん」と振り仮名付記。


〈2、果林その1〉

 

 山城平太が意識を取り戻した場所は、すっかり暗くなった森の中であった。

 

「応石の自己防衛機能が働いたのか?」

 

 彼はどうやら少女の姿を見なかった様である。自分が助かった理由をそう納得すると、地形から位置を推測し、ここが鈴奈森である事を判断する。

 そして、上層部に対する連絡を付ける。この点に関して、彼は悲しい程のプロフェッショナルであった。

 

「この役立たずめ、貴様の価値は応石を使える事くらいなのだぞ!」

 

 連絡を取った際に開口一番、携帯無線から怒声が撒き散らされた。

 

「装甲車二台が大破。負傷者が三十二名、いいか三十二名だぞ!

 その他の施設にも多大な被害が出たのだ。何の為に貴様を使ってやっていると思うんだ!」

 

 あれだけの被害があったのに死者皆無とは、さすがにタフな蓬莱学園の生徒である。

 

「それは先行した連中の先走りが原因では……」

 

 正論ではあるが、この場合、火に油を注ぐだけである。

 案の定、「口答えは許さん!」とお決まりの返事が返ってく来る。

 

「はい」

 

 豪華な部屋で葉巻から紫煙をゆらしながら、山城に指令を与えた男が再び怒鳴る。

 

「ふん、お前の言う事なぞ、宛てに出来るか!」

 

 かなりヒステリックな性格らしい。

 

「目撃談によると加賀の逃走先は鈴奈森だ。そうだ。お前の近くだ。

 ああ、とにかく探し出してとっとと奴を始末しろ!」

 

 男は荒々しく無線を切った。山城の抗弁する声もあった様だが男は構わなかった。

 

「くそ、使えん奴だ」

 

 そう呟くと慌ただしくチャンネルを切り替えて、別の相手にひとしきり命令を伝えた後、目の前に広がると地図に目を転じた。

 

「これで包囲網は完璧だ」

 

 少なくともそれを口にした男にとって、それは完璧な筈だった。

 地図。と言うには語弊がある。

 大きな硝子張りの壁の向こうにあり、階下の大部屋に設置されている。

 高低の付いた立体的な物で、どちらかと言えば地理模型に近い。

 男からは見下ろせる位置にあり、第二次大戦で防空指揮所に使っていた航空管制地図の様に、数人の女性委員がオペレーター宜しく、地図の周辺で動き回っている。

 大きさは畳三畳にも相当しよう。地図は鈴奈森とその周辺に表しており、森に点在する廃校舎の一つに、赤いピン刺された齣が十重二十重に囲んでいる。

 

「これだけの戦力を投入しているのだ。幾ら強かろうと所詮は一人。今日中に勝負は決しよう」

 

 と呟いている所を見ると、包囲網を形成してるこのピンは文字通り、この男の手齣と言う事になるのか。

 不意にコンコンとノックの音がした。

 

「誰だ?」

「少佐、南の若様がお見えになりました」

 

 秘書役の女性委員の答えに、不機嫌な顔が豹変する。

 

「失礼しますよ。少佐」

 

 男、少佐とは別のかんに触る声が響く。

 

「こ、これは南の若様。よ、ようこそおいで下さいました。

 おいっ、早く席を用意しろ」

 

 扉が開き、現れた人物に少佐は慌てて立ち上がると、米搗きバッタの様に何度も頭を下げた。

 今までの尊大な態度は微塵もない。

 

「お取り込み中でしたか?」

 

 それに対して、少佐は人差し指を軽く横へ振るゼスチャーを示した。

 

「いやいや、大した事はありませんよ。鼠が一匹逃げているだけです」

「それなら、いいのですが…」

 

 端正の顔した若様と呼ばれた男子生徒が、にこやかな笑みを浮かべながら中央へと歩み出た。

 口ではああは言ったものの、正直言うなら、今、来られても少佐にとっては迷惑なのだが、彼は学園でも力を持った上流生徒。無下には出来ぬ大事な客人であった。

 

「貴方のお力添えもあって、無事に案件を処理出来ました。今回はそのお礼を兼ねて…」

 

 彼は社交辞令を述べると、脇に控えている部下らしき金髪の生徒に視線で合図した。

 その生徒は下げていたアタッシュケースを、無言で少佐の秘書に預ける。

 

「開けて構いませんかな?」

「どうぞ」

 

 少佐は秘書へ、開ける様に顎でしゃくって合図する。

 開封された中にあったのは、ぎっしりと詰まった札束だった。円表示ではあるが、正確には日本円ではない。学札と呼ばれる学園内で通用する通貨だ。

 少佐の目が輝く。

 彼の持参したそれは、ビーカーとフラスコが額面に印刷された化学部の物であったからだ。信頼度では園芸部と並ぶ、学内一の価値を持っている。

 

「南様からの謝礼です。お受け取り下さい」

 

 事務的な口調で、淡々と部下が述べた。

 

「いつも済みませんな」

 

 少佐と呼ばれる男は、満面の笑みを浮かべて上流生徒に礼を述べた。

 

「ほう…」

 

 上流生徒は眼下に広がる模型を一瞥すると、部屋の主である公安幹部に問う。

 

「この包囲網からして、ただの鼠ではないでしょう。相手は誰ですか?」

「話せば長くなります。ええと、この島には応石なる物がありまして…」

「応石や月光洞に関する説明は不要です。本土で理事会所有の資料読んでますからね」

 

 彼は片手を上げて、男の説明を遮った。

 

「心外ですね。この南 君主(みなみ・くんしゅ)を無知蒙昧な輩と一緒になされるとは」

「し、失言でした。貴方様がほうr…」

「その単語は禁句です」

「あ、ええと…理事会の再編に関わっているのを、し、失念しておりました」

 

 少佐は眼光に射すくめられる。

 この腰の低さからも、彼らの力関係の強さが判ろうと言う物であろう。

 

「では先を続けて下さい」

 

 彼は先を促した。最近では学園生徒すら余り知られていない応石(無論、動乱組は別であるが、新入生からは、既に眉唾な法螺話扱いされている事も多い)。その事を本土で知ったと豪語する、この南なる上流生徒。恐らくかなりの情報力を持っているのか。

 

「それ程の使い手なら、大袈裟な包囲網も納得できますね」

「若様のお探しになっている〝邪石〟関連である可能性もありまして」

「それは重畳。そうだ、貴方の所にも確か応石使いが居た筈ですね?」

 

 一連の説明を受けた南は、頷きながらも質問する。

 

「貴方が…いえ、若様のお父上が回して下さった男ですな。

 ええ、既に投入済みです。実に優秀な男ですから期待しておりますとも」

 

 少佐は心にもない事を言った。先程、当の本人に対して、役立たずと口汚く罵ったばかりだと言うのにだ。

 

「結構。彼は貴重な戦力ですからね。そこらで調達出来る人材とは訳が違うのをお忘れなく」

 

 言外に〝そう言う男を調達してやったのだから感謝しろ〟、との態度がちらつく物の言い様である。三十路を過ぎた幹部の中に『下手に出ていれば、この若僧め』と言う、殺意にも似たどす黒い感情が膨れ上がる。

 目の前の生徒が、崩壊した現在でも多大な影響力を持つ旧学園理事会関係者でなければ、自分の権力を行使して、公安の重反省房にでもぶち込んでやる所である。

 

 その刹那。ヒュッと音がして冷たい鉄の感触が首筋に当たった。

 南の部下と思しきあの金髪男だった。両刃で細身のナイフを少佐の頸動脈に押し当てている。

 

「ミスター。南様に対するそのような感情は、身を滅ぼしますよ」

「止めなさい。リー」

 

 南が注意すると、リーと呼ばれた部下は手品の様に一瞬で武器を収め、軽く主人へ一礼すると後ろへ控える。

 その身のこなしから見て、化け物揃いの学園でも上位に位置出来るであろう、手練れの暗殺者である事は明らかだ。

 

「部下が失礼しました」

「い、いゃ…」

 

 消え入りそうな声で答える。

 いや、返事を言えたのも奇跡だと行っても良かった。彼にとってリーが少佐だけに聞こえる様に、述べた言葉の衝撃が余りにも大きかったからである。

 

「今回の作戦は、貴方の提案を全面的に取り入れた物だと忘れてはないですね?

 しかも、南様の全面的な援助を受けているのを失念なされていますよ」

 

 そして控える寸前にこう言ったのだ。

 

「その様な態度を取るのであれば、次は遠慮なく殺して差し上げますよ」

 

 無表情に淡々と。しかも、その会話は少佐のみにしか聞こえぬ特殊な方法によってだ。

 

「しかし、少佐。素人の私にも捉えられる殺気は押さえた方がいい」

 

 南の言葉に再度少佐は身震いする。

 

「は…」

 

 脂汗を流しながら少佐が答える。

 

「そうそう、忘れる所でした。この件に関して局長派が動いている可能性があるとの噂はありませんか」

「ジャネットの女狐が、ですか」

「…敢えて名前を出すとは」

 

 南は不快そうな顔をしつつ、冷たい視線を少佐に向けた。

 先に話題に出した人物はまかり間違えば、この公安委員会内の施設であろうが、会話を盗聴可能な相手であるのかも知れない。

 

「は、迂闊でした」

 

 少佐は南がジャネットなる名を耳にしたくない為だ、と理解した。

 あながち的外れではないが、少々、考えが思い至らないのは致命的であると言えよう。

 

「幸いにして、今の所は動きは見られないらしいですが…」

 

 南は心中で『表面上はね』と付け加える。しかし、目の前の男にその程度の洞察力が備わっているのかは、彼の目から見て甚だ疑問であった。

 

            ★        ★        ★

 

 いつの間にか、加賀はとある部屋に居た。

 古くさい調度類の並ぶ、石の壁に囲まれた部屋である。

 ここは何処なのかとか、自分はどうやってここへ来たのかという疑問はない。

 

 途中、自分が自分ではない様な感じだったが、ここは彼の望んだ場所である事には間違いなかった。正確には夢によって毎晩訪れていた見慣れた場所、と言い換えるべきだろうが…。

 

「我が名は錬金術師、加賀大膳だ。夢の中で私を導いた者がここに居るなら、答えてくれ」

 

 答えはない。寒々とした部屋に空しくその声が拡散して行く。

 

「お前がそうなのか。私がやろうとする事は可能なのか?」

 

 再び、加賀は声を発した。

 だが、先程と違うのは、あたかも何者かと会話している様な感じである事だ。

 

「そうか…何?」

 

 やはり加賀に答えるべき声はない。だが、加賀と見えない相手の間には、ちゃんと意志が通じ合っているかの様に見える。

 

「候補が三人いるだと。馬鹿な、応石を扱えるのはここでは俺だけの筈だ!」

 

 何か衝撃的な事を言われたらしい。

 錬金術師の顔に驚愕の色が浮かぶが、次の瞬間、彼は冷静さを取り戻した。

 

「では、残った者に授けると言うのだな?」

 

 加賀大膳は笑いを漏らした。

 

「よかろう。我が望みの為には、この大膳が残りの二人を倒し、必ずやその力を手に入れてやる!」

 

            ★        ★        ★

 

 そこは水蒸気の立ちこめる場所だった。

 目の前の巨大な釜で煮られた大豆が、馴染みの職人の手で次々と運ばれて行く。

 これから発酵の為に菌を混ぜられ、一年程、鞍で寝かせられて醤油となる。古来から受け継がれて来た伝統的な醸造法だ。

 

 もっとも、それは最高級品しか許されぬ贅沢な造りとなってしまっていた。

 もっと安価かつ、短期間に醸造出来る製法が生み出され、一般人が口にする普及品は。醸造所と言うよりも工場と名乗るのに似つかわしい生産設備を経て、何万、何十万リットルも量産されるのである。

 

 彼の一族が代々作っていた醤油も、そんな時代の波には逆らえず、職人芸で作られる製品は僅かになってしまっていた。

 しかし、この伝統に拘っていたら彼の一族は、千葉の田舎で細々と醤油や清酒を造り続けるだけの老舗として終わっていただろう。

 

 近代化による大量生産と宣伝。

 銚子の中堅企業が撮った戦法は、茶の間への殴り込みであった。戦後、急激に普及したTVと言うメディアを利用し、当時としては莫大な宣伝費を掛けて行ったこの戦法は、結果的に大成功を収める事となる。

 

 醤油に味噌や酒と言った醸造製品は、戦前までは大手と言う概念が余り通用しない物だった。

 各地には小規模だが味のある醸造メーカーがあり、それぞれの土地にある小売店に卸されて、その土地で消費される地場産業なのが普通だった。

 

 だが、戦後社会はそれを一変させる。

 社会構造の変化は核家族化を推進させ、TVの発達はコマーシャルリズムを生み出した。

 そして流通システムも個々の商店から、スーパーに代表される大規模な物へと変化したのである。

 

 彼の一族はそれ向きの商品を開発した。

 量り売りではなく、包装されたパック入りの味噌を。

 重い一升瓶ではなく、軽いプラスティック容器の醤油を。

 そして大規模な宣伝作戦。

 本土に住んでいた者なら、必ず耳にしたであろう「お醤油はキッコーナン!」と言う、例のフレーズである。

 

 ライバルメーカーを尻目に、銚子の醸造会社は日本一の醤油のシェアを占める大企業へ、財閥へとのし上がって行き、最近ではその醸造技術を応用しての多角経営に乗り出している。

 醤油や味噌を造っていた田舎会社は、今やバイオテクノロジーなる武器を手にして、世界最先端のハイテク企業の仲間入りと言う訳だ。

 

 キッコーナン財閥の次期総帥。

 それが生まれた時から彼に与えられた肩書きだった。

 それ故、彼は醤油屋の原点を忘れぬ様にと、この歴史に取り残された、昔ながらの醤油造りをする一角に足を運ぶのが日課となっていた。

 

「若!」

 

 彼に気が付いた職人が声を掛けて来る。

 その声に反応して、何人かが慌てて一礼する。中には挨拶をするため、作業を中止してこちらへ駆け寄ってくる者すら居た。

 

「ご苦労。俺に構わず作業を続けてくれ」

「若。弟君様が」

 

 それを聞いた彼は、人だかりの中へ視線を移す。

 

「兄さん」

 

 弟の声。同い年の異母兄弟である。白い歯を見せて笑っている。

 本妻の子である自分が次期総帥になったが、本当ならば弟の方が企業経営に向いてるのではないかと、彼は常々思っている。

 いつもの見慣れた光景。しかし、彼は突然、その違和感に気が付く。

 

「馬鹿な。俺はもう若じゃない」

 

 醸造倉の風景が歪む。

 

「俺は蓬莱学園に来た筈だ」

 

 君武の目の前の光景がブラックアウトした。

 

            ★        ★        ★

 

『…さん』

 

 誰かが呼ぶ声を感じた。身体を揺さぶられている感触もある。

 

『君武さん』

 

 今度は名前が聞こえた。だが、予算委員はそれが自分の名だと気が付くのに、しばらくの時間を要した。

 

『ああ、俺の名前か。

 君武南豪…。学籍番号92-210710で、クラスは一年丙寅…』

 

 心配そうに覗き込む少女の顔が目の前にあった。

 今度はちゃんと制服を着用しているが、明らかに白昼夢の娘と同一の少女であった。

 少し幼さの残る日本的な顔立ちをしているが、さらさらした金の髪や肌の白さから見て外国人の様である。或いはハーフなのかも知れない。

 

『マリーン・吉野(-・よしの)と申します』

 

 名前からしてハーフっぽい彼女は、こちらが質問する前に自己紹介をした。

 まるで、先手を打った様に。

 

「?」

 

 ひらりと花びらが舞うのに気が付く。桜の樹下であった。

 だが、異様な事にその上には天井があった。そして、四方を囲む石の壁には、窓らしき者が見当たらない。

 明らかに屋内と思われる場所、しかも、陽が射さないであろう一室に、桜の樹が満開の花を咲かせているのである。

 

『ここは今では忘れられている、廃校舎の一つです』

 

 加えてマリーンと名乗った少女は、あの場から彼を救い出したのが自分である事を告げる。

 

『私が誰で、何者かと言う問題は後回しにさせて貰えませんか。

 貴方の名前が偽名なのは何故か、と問い詰めるのと同様に』

「それは…」

『ここは悪意の力が強い。だから簡潔に述べさせて頂きます。加賀大膳を救って下さい』

 

 彼女は唐突にこう切り出した。

 

『貴方は応石と呼ばれる存在を知っていますか?』

 

 応石。かつて世界の運命を握った卦を読む道具。

 万能のシミュレーターであり、古代崑崙文明の遺産。

 命令さえすれば、何にでも変化する万能、究極の魔法の石の事である。

 

「いや、知らん」

 

 君武は首を振った。古参生徒が常識だと思っているそれも、彼ら新入生にとっては関係ない事柄に過ぎない。

 歴史は流れて行く。六十年に一度の応石の大量出現。それらを生徒が所持して無数のドラマを生んだ伝説の90年動乱は、遙かな過去の一頁になりつつあったのである。

 

            ★        ★        ★

 

 応石を利用して、特定の応石を捜し出すのは至難の業だ。

 〈捜石〉(そうせき)と呼ばれる特殊な石を使用すれば、レーダーの様に探知対象を発見する事が可能とも噂されるが、山城の持つ応石は、応石分類学では〈常石〉と呼称される一般的な石であり、それ程便利な機能は備わってはいない。

 

 だが、少なくとも応石は万能の道具。闇雲に一人の応石所持者を徒手空拳で探索するよりは、遙かに精度は高い。

 無論、使用に伴う体力の消耗は激しいが。

 

「ここか。厄介な場所だな」

 

 数時間の探索行の後に、彼は鈴奈森に点在する廃校舎群に辿り着いていた。

 目前のこいつは四号廃校舎と称される中型の建物であるが、終戦直前の地殻変動のせいで、地表に出ているのは、僅かに屋根と時計塔に過ぎない。

 山城は懐中電灯を取り出して建物へ向け、廃屋内部へ侵入する為の経路を考える。

 

「何をしている?」

 

 廃校舎の内部に全神経を集中させたのが拙かったのだろう。彼の背後から誰何が浴びせられた。

 

「誰だ?」

 

 振り向いた視線の先には白人女性が居た。

 彫りが深く、どことなく北欧風の雰囲気がある少女だ。山城より背は高く、腰辺りまである柔らかく波打つ髪の毛は、赤毛と片付けるには語弊のある不思議な色彩をしていた。

 桜色とでも言うべき淡い赤色だ。

 

「通りすがりの新体操部員だ」

「新体操部員だって?」

 

 山城の疑問に彼女は鞄の中からリボンを取り出して見せた。

 斬撃武器にもなると評判の新体操部の特製超高張鋼製リボンに違いない。

 

「まだ疑問か? ならレオタードも見せてやろう」

 

 口調こそからかう調子なのだが、彼女はギリシャ彫刻の様に顔の表情一つ変えなかった。本気なのか冗談なのか、判断に苦しむ所である。

 

「…遠慮しておこう」

「そうか」

 

 彼女は開きかけたスポーツバッグのファスナーを閉めた。隙間からチラリと白いレオタードが垣間見れた。

 

「それより、そこは倒壊の危険があるから立ち入り禁止だぞ」

 

 すっと廃校舎を指さす。

 

「判っているさ。でも俺はそこを調べなきゃならないんだ」

 

 山城は唇を噛む。誰が好き好んで入りたいもんか。

 

「理不尽な先輩の命令って奴か?」

「ああ、そんな所だね」

 

 彼女は「ふむ」と呟くと頷いた。

 

「よかろう。この果林(かりん)が手伝ってやるから、安心して中に入るがいい」

 

            ★        ★        ★

 

 マリーンは手短に、応石と言う存在を君武にレクチャーした。

 山城の手に現れた刀や、加賀の命令で現れた牙も応石の力である事も。そして今、その力が邪悪な目的の為に使われつつある事も。

 

「助けてくれた事には感謝する。だがな…」

 

 君武が口を開いた。

 

「だからと言って、その何やら分からん連中と戦う義務は俺にはない」

 

 と君武。当たり前だが醒めた感じである。

 彼は慈善家でもないし、伝説の魔剣を与えられて魔王と戦う勇者でもない。まして応石なる化け物じみた力を扱う相手とは、関わり合いになりたいとは思わない。

 

「加賀先輩を助けろだって?

 あの力に対抗しろだって?

 他人に頼る前に、あんたがやりゃいい事だろう!」

 

 理不尽な役割は御免だ。とばかりに彼は叫んだ。

 

『出来ないのです』

 

 マリーンは悲しそうに首を振った。

 

『それに私が貴方達を助けた事によって、既に貴方は邪悪なる存在に目を付けられてしまっているのです』

「出来ない? これだけの力を持っているのにか…」

 

 その言葉を遮る様に、彼女は顔を伏せながら呟く。

 

『ここは悪意ある力の影響が強すぎて、私の力は消されてしまう』

 

 それと同時に彼女の輪郭が揺らぎ、全体がぼやけ始める。

 君武が駆け寄った時には、既に身体を通して背景の桜が見えるまで薄れていた。

 

『幸い、貴方は応石を受け入れる素地があります。

 何故か、行石(ぎょうせき)を持っていましたから…』

「待て!」

 

 だが、一瞬遅く、彼女は大気中に融ける様に消えてしまっていた。

 

『それを…使っ…』

 

 か細い最後の言葉とほぼ同時に、小さな石が君武の掌に出現した。

 しかし、マリーンが続けて何を伝えたかったのか、予算委員には聞き取る事が出来なかった。

 平たい白い石。

 〈人〉…石にはくっきりと、その文字が浮かんでいた。

 

〈続く〉




応石が出て参りました。
前話で君武が囓った琥珀状の物は〈行石〉です。
こいつを所持していたからこそ、マリーンに選ばれたってのが災難ですな。

君武南豪は、勿論偽名です。
一寸前、学園の超有名人に彼の名と酷似した奴が居て…。
つーか、そんな名前で学園に来るなよって突っ込みがありますが、きゃんきゃん公安委員(仮にK田君としておこう)に吼えられたのも、無論この名のせいです。

ちなみに君武は、あの生活指導委員会とはなーんも関係ありません(笑)。


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3、果林その2

と言う訳で、第三回目。
全七回予定の半分近くまで、ようやく来ました。

しかし、昔の原稿って読みにくいなぁ。
電子的に保存してたら、ファイル読み込みだけで簡単なんだけど、いちいち写すのが面倒臭い。
当時の文の誤字脱字やら、変な表現とかを改訂しつつ書いてるから、半分新作みたいな物なんですけどね。


〈3、果林その2〉

 

 足元に巨大な球体があった。

 錬金術師はそれが何なのか判っていた。恐らく、加賀をここへと呼び寄せた存在の力の源。

 だが、直接、それに触れる危険性を犯す事は出来ない。

 それは何者かの思惟に支配されているからだ。触れた途端、加賀はその存在に取り込まれ、単なる操り人形と化してしまうと予想出来た。

 

「錬金術研の極秘文書で出回っていたそれだろう。恐らくだが…」

 

 呟くと、加賀は踵を返して球体より離れた。

 

「余計な事を考えるな? ふふ、お前さんを裏切りはしないさ」

 

 ことりと写真立てを机に立てる。

 

「今の所、我の望みはあんたを支配する事じゃない。

 それに…あんたを自在に扱いきれるか、自信がないのでね」

 

 寒々とした部屋に、加賀の独り言が響く。

 

「ああ、市子(いちこ)率いる、非公認の研究会があんたと対決していた事かね。

 知っているさ。以前、あんたを利用しようとして自滅した連中がいるって事も当然ね」

 

 その途端、空間からばしっと光が飛んだ。

 通常なら、生命に関わる程の高圧電流である。

 

「うおっ」

 

 が、加賀は少し呻いただけで、命に別状はないらしい。

 

「短気な奴だな。護符がなかったら死んでいるぞ」

 

 顔を歪めながら、彼は球体へと振り返った。

 

「心配するな。仕事はちゃんとやるさ。

 言ったろう。我が望みの為なら、神にも悪魔でも魂を売るってね」

 

 加賀は写真立てを一瞥すると、物言わぬ誰かに向かって言い放った。

 

            ★        ★        ★

 

「やばいな」

 

 果林が呟いた。

 

「それもかなりだ。いつ崩壊するかも知れない」

 

 廃校舎の階段を降りる彼女は、ぱらぱらと落ちてくる得体の知れぬゴミを不快そうに払う。

 

「別に付いて来てくれと頼んだ訳じゃないぞ」

 

 先行する山城が、その呟きに答える。

 

「当然だろう。これは私の好奇心だ。それに客観的な事実を述べただけだ」

「あ、そう」

 

 この奇妙なコンビはこんな調子で会話を交わしつつ、廃校舎の深部へと足を踏み入れていた。

 

「こっちだ」

 

 応石の教えてくれる感覚を頼りに、山城が前方の瓦礫を指さす。

 

「ん、手伝おう」

「こう言う時は、あんたが居て助かるな」

 

 瓦礫に埋まった壁面の抜け穴を掘り当てるのに、二人がかりで約五分の時間を浪費する。

 再び、懐中電灯一本だけを頼りの探索が続く。

 

「随分深いな。目的地はまだなのか?」

 

 と果林。階数にして既に二階分は降りている。

 

「判らんよ。何しろ人捜しだからな」

 

 一面が発光苔に覆われた壁面を撫でながら、山城は果林の方を振り向く。

 

「にしては順調だな…。もしかして応石か?」

 

 相変わらず表情を変えずに尋ねる果林。

 出てきた単語に意外な顔をしつつ、山城が彼女を見詰め返した。

 

「ああ、古参生徒が言ってるあれか。まさか。90年に応石は全て封印されたって話じゃないか」

「新たな使い手が、最近、増えている事は知っているぞ」

「小休止しよう」

 

 山城はそれに答えずに、懐中電灯を消すとそのまま座り込んだ。

 幸い、発光苔の為に辺りはうっすらと明るい。

 

「賛成だ」

 

 果林も山城の隣に座る。

 脚を横へ組む、いわゆる女の子座りなのが、山城にとって意外だった。

 

「応石って言うのは、万能の道具とも言われる魔法の石だろう。

 あ、それは美味そうだな。私にも分けろ」

 

 山城がポケットから出したビスケットを半分分捕ると、彼女はもごもご口を動かす。

 

「しょれはこぉんろん文明のひさんで…うん、飲み込んだ。

 どんな作用でそうなるかは知らないが、とにかく究極の道具として生まれたらしい。

 持ち主の意志によって、何にでも変化する。つまり、拳銃になれと命令すれば拳銃に。化け物になれと命令すれば応石獣(おうせきじゅう)と言う名の形態に変化する。

 90年動乱以前はこの学園で広く出回ったんだけど、それも90年12月19日の応石封印で、全ての石は姿を消した。以上、おしまい」

 

 と彼女の披露した説明は的を射ていたが、いささか乱暴であった。

 

「へぇ、果林は物知りなんだな」

 

 山城は果林以上の詳しい説明も可能であったのだが、そうなると必然的に月光洞やら八仙の話を持ち出さなくてはならなくなる。

 そこまで説明する気力は、今の彼にはない。

 

「私はと党だからな」

「ああ、成る程ね」

 

 と党とは幽霊塔を占拠し、応石研究を専らとする謎の同好会だ。

 もっとも、単なる屑屋ではないかとも囁かれては居るのだが。

 

「山城が探している君武とか言う奴、応石持ちなのか?」

「ああ」

 

 任務の性格上、加賀の名前は出す訳には行かない。

 代わりと言っては何だが、山城が蕎麦屋で出会ったふざけた名前の男を果林には加賀の代わりに教えてある。

 

「名前からしてSS(生活指導委員会)か。厄介だな」

 

 かつてクーデターを起こした生活指導委員会。通称、SSは現在の蓬莱学園では悪の象徴である。

 果林の言葉に山城は肩をすくめる。

 

「いや、動乱じゃ、SS相手に戦ったって話だ。

 クラスは三年辰巳組。90年1月転入。錬金術研、手話研、占い研所属。錬金術研じゃ中堅部員って話だけど、腕は部長に匹敵するとか。だが、部での地位や名誉には無関心」

「そんな男が、何故、部員のお前に追われる立場になったんだ?」

 

 山城の偽りの肩書きは、錬金術研部員である。

 

「部費の着服。それに応石だよ。

 どんな方法を使ったのかは知らないが、奴は応石を呼び出す事に成功したんだ。つまり、応石封印以来、初めての応石所有者って訳だ。

 で、応石使いとして危険人物扱い」

「お前も隠す必要は無かろう?」

 

 果林は山城の瞳を見ながら言葉を続ける。

 

「認めたくないのは分かる。うちもつい最近、一悶着起こしたばかりだからな」

 

 これは先日に巷を騒がせた〝謎の仮面〟事件の事だろう。

 応石絡みとは少し違うが、似た系統の事件である事は間違いない。学生騎士の仮面。そのマスクの下の怪人は今も正体不明である。

 

「君武ってのが、封印後、初の応石所持者って訳じゃない。公表されてはいないものの、学園には既に何人もの応石所有者がいる。

 知ってる限りでは、魔導書研の部長。始源の友代表。最近ではマフディー党の党首。

 また、密かに所持している一般生徒もかなりの数に上る」

 

 まるで、彼が応石使いであるのを見抜いている様に「そうだろう。山城」と同意を求めてくる。

 

「そうだとしても、公表はしないだろうよ」

「当たり前だな。権力者…代表は公安か?

 は、一般生徒が従順に飼い慣らされ、権力者の思い通りに動くのを望むから、潜在的な危険因子はなるべく取り除きたい。

 巡回班や銃士隊やらの武装団体の締め付けとか、学防軍の規模縮小を画策しているのは知っての通り。潜在的な武器である魔導の類いも同様だ。当然、応石も然り。

 で、ここに錬金術研で応石使いが居る。彼は確たる地位も金も知名度もなく、要するに学園に対する影響力もない、ただの一般生徒だ」

 

 果林の声が低くなる。

 

「公安は考える。素晴らしい生贄だ。他の応石使いに対しての警告と牽制に丁度良い。

 応石を使うと捕まえてしまうぞ。命が惜しいなら、それらを使わずに学園生活を続けろってね。

 罪状なんかはでっち上げりゃいい。SS残党とか何かにすりゃ、一般生徒は拍手喝采。

 そして世論は応石使いは全員危険人物で、錬金術研を筆頭に神秘学系クラブは、悪の巣窟ってイメージが形成されるって寸法になる」

 

 果林の言葉に、一瞬、この小柄な男が身震いする様に見えたのは気のせいか。

 

「今の話は仮説に過ぎないけどね」

 

 無論、桜色の髪をした少女は、最後にこう付け加えるのを忘れなかった。

 

「大胆で、面白い仮説だね」

「だろう。しかし、そんな危険な男を捜して来いとは、山城の先輩は鬼の様な奴なのだな」

「鬼ね…」

 

 言葉が濁る。

 

「悪魔と言い直した方が良いな。いや、そんな甘い奴じゃないかも知れない」

 

            ★        ★        ★

 

 非常連絡局の内部資料に目を通した南は、軽い笑みを浮かべながら自家用車の背もたれに身体を預けた。

 

「〝邪石〟…求める者は破滅すると言われる力、か」

 

 防弾装備を念入りに施した白塗りのリムジンは、学園中央部を軽快に飛ばして行く。

 その中の主人は自嘲気味な呟きを漏らす。

 

「破滅とは大袈裟な。たかが弱小の一非公認団体が戦った記録です。信憑性も疑わしい代物ではありませんか。南様」

 

 リーが冷静に意見を述べる。

 

「そんな記録しか用意出来ぬ、あの男は無能者です」

「手厳しいね。だが、邪石の件に関しては信用出来る報告ではないかな。

 少なくとも、これを調査したのは奴ではないからね」

 

 美少年はそう言いながら、指で報告書の表紙を弾いた。

 

「は。仰る通りですが、しかし、南様。弱気は禁物です」

「だがな、リー。やれやれ、一筋縄では行かぬ相手の様だよ」

 

 報告書にあったのは海外に拠点を持ち、鮫島や酒橋時代からSSと深い繋がりがある団体と、学園のある非公認団体との一連の抗争事件だった。

 あのトゥーレ協会の後裔とも噂されるSS残党は、オカルト的な力を有しており、封印された応石の力に目を付け、幾つかの事件を引き起こしていた。

 

 学園史の表には決して出ないだろう類いの話だ。

 学園史の裏で密かに行われた抗争であるし、事件の詳細は当事者の厳重な機密保持が図られ、今後も決して白日の下に曝される事はあるまい。

 

 ある一つの応石を巡る戦い。

 崑崙文明期に破棄された巨大応石。能力だけならば、学園太守を自称するカダフィーの有する古代応石にも匹敵する程のパワーを持った存在があった。

 しかし、破棄された出来損ないであるかの石は、応石封印後に与えられた心を持てなかったのである。

 石は応石に均等に与えられた心を求めたが、その前に心なる物自体が理解出来なかった。石は自問自答を繰り返し、結果としてある性質を持つに至った。

 

 心を持つ者を取り込み、自らの心の代用とする。

 かくして石は、強い願望や欲望を持つ者の前に現れて、その力をその者達に貸す事を行った。

 欲望は邪念の方が強い。また、欲望が叶うとなると人は際限なく、その欲望をエスカレートして行く。その結果、石の所持者は例外なく石の力に魅せられ、限界を超えた力を行使して自滅して行ったのである。

 

 故に非公認団体(確か、神道・術法研究会とか言った)の間では、その石を〝邪石〟と称し、発見しても決して触れぬ様に注意を促していた。

 

「だが、力は力だ。利用出来ぬ訳は無いよ」

 

 南は自信を込めて言った。

 

「私は兄さんとは違う。自分の心に押し潰されたりはしない」

 

            ★        ★        ★

 

 桜の樹が生えていたあの部屋から一歩外へ出ると、そこは迷宮構造と言っても良かった。

 しかも、こここは何等かの理由で、建物自体が陥没したらしい。

 外に通じる扉や窓があっても、その開いた向こう側は黒々とした土の壁なのである。

 つまり、生半可な方法では、この場所からの脱出は叶わぬと言う事だ。

 

 唯一の救いは壁や天井に生えた発光性の苔で、お陰で漆黒の闇に閉ざされた中を歩き回る事だけは、どうにかならずに済んでいた。

 とは言え、薄明るい燐光である。視界はせいぜい五メートルと言った所だろうか?

 

「くそっ、水虫になりそうだ」

 

 君武が悪態を付くのも無理は無い。靴底にじっとりとした湿気がこもり、動かす度に不快な音を立てているのだ。

 

『何で、こんな苦労をしなければならないのだろう?』

 

 君武は自問自答しながら、発見した階段を降りる。

 建物の構造が変であった。廊下の両端に階段が設置されているのだが、上から下へ行く事は可能でも、そのまま続けて別の階へは行けない一方通行なのだ。

 続けて下へ行く、または上がる為には廊下の端から端まで歩いて、別の階段を用いなければならない。不便極まりなく、動線が明らかに変なのである。

 

「この建物の設計者は馬鹿か?」

 

 罵りの言葉を口にしながら、彼は今までの経緯を思い出す。

 千葉の祖父と大喧嘩して家出同然に飛び出し、実家から遠く離れた。いや、行政上は隣の都道府県なんだけど、この島へとやって来た過去だ。

 

 南海の孤島である地理条件。金さえ払えば、無論多額の金は必要だが、偽名であっても入学可能なシステムが、彼にとって魅力だったからである。

 

『今考えれば、一発でバレるふざけた偽名だけどな』

 

 ブローカーが彼に与えた偽名は〝君武南豪〟であった。島の外から来た人間には問題なく通る名前だが、蓬莱学園では明らかに偽名と判る名前であった。

 何故なら、90年動乱で滅んだ(とされる)凶悪な生活指導委員会。通称SSを率いた極悪人、南豪君武なる男の名を、逆さまにしただけの代物だからだ。

 

 今の学園でこんな名前を名乗る奴は、余程の命知らずか、全身の隅々までSS思想(ファラオゲーム理論)の染み込んだSS残党か、もしくはその両方を兼ねた奴のいずれかである。

 

 来蓬して「しまった」と思っても後の祭り。

 今更、別の偽造書類を作るだけの資金もなく、まして、入学金やら授業料を君武名義で振り込んでしまったからには、腹をくくるしかなかった。

 

 ちなみに南豪とか言う奴、顔が微妙に君武と似ているのだ。額にあった黒子が、君武の場合は一文字傷になっているのを除けば、かなり酷似している。

 彼は『ブローカーもこの顔を見て、君武南豪とか名付けやがったな』と推測しているのだが、真相は闇の中である。

 

『じじいの奴と喧嘩さえしなかったら、こんな変テコな島へ来る事もなく、こうして地底を彷徨う事もなかったのにな』

 

 だが、それが無理であったのは当人が一番良く知っている。

 自分はあの家に残る資格がなかったのだ。

 

「あれは、明かりか」

 

 疑いつつも、思わず口からその言葉が漏れる。

 彷徨い続けて、主観ではかなりの時間が経っている。行っても行っても似た様な光景だったのに、ようやく変化が訪れたのだ。

 前方より、光苔とは異なる光源が近づいてくる。

 

「加賀先輩?」

 

 尋ねつつも、彼は問答無用の攻撃を予想して、あらかじめ愛用の木刀〝夜叉女〟(やしゃめ)を竹刀袋から取り出すと構えていた。

 不意にその光がすいっと横手へ消えた。

 

「!」

 

 ぴりぴりとした殺気を感じる。触覚が建物が揺れる感覚を伝えてくる同時に、何かを破壊する音が耳に飛び込んでくる。

 

『光は俺から見て、教室側へ移動した。となると…』

 

 答えは決まっていた。来るのだ!

 同時に側面の壁をぶち破って、緑色の光に包まれた巨大な何かが突っ込んで来た。

 

「やはりな」

 

 彼は愛刀〝夜叉女〟を構えると、ひどく冷静に呟いた。

 

            ★        ★        ★

 

「これは?」

 

 君武が感じていた振動と音を、山城もほぼ同時に感じ取っていた。

 素早く反応し、果林が問う前に既に走り出していた。

 幾つ目かの廊下を曲がった山城は思わず目を疑った。緑色の燐光を放ちながら、大蛇にも似た胴体がうねっていたからだ。

 

「何だ?」

 

 太さはおよそ五十センチはある。鱗はなく、濡れたかの様にテカテカ光るキチン質の胴体からは、無数の脚が蠢いていた。

 全長、五メートルはあろう大百足だ。

 と説明したって、「非常識の塊みたいな蓬莱学園じゃ、さして珍しくもないモンスターだな」とか、知ったかぶりする様な奴らもきっと居るに違いない。

 だが、山城にとってみれば「なら、目の前に現れたこいつと直接対決して見ろ」と文句の一つも言いたくなる心境だ。

 そして、がちがちと鳴らす巨大な顎と対峙する男には見覚えがあった。

 黒光りする木刀を手にした予算委員。

 

「君武か!」

 

 予算委員は答えなかった。いや、答えられなかったと言っても良い。

 

「でりゃぁあああ」

 

 気合いと共に鋭い突きが怪物の腹部に決まった。

 彼の習得している南一刀流剣法の一つ〝目刺し突き〟である。一番柔らかいと思われる腹部の継ぎ目を貫く一撃だ。

 激痛に大百足が身体を捻り、辺りに生臭い緑の体液が飛ぶ。

 

「くそっ〝夜叉女〟が」

 

 だが、当の本人は悔しそうな顔を見せて後退する。

 目論見は成功したのだが、今度は愛刀が突き刺さったまま抜けなくなってしまったのだ。君武にとってこの一撃は、結果的には武器を失った事によるマイナス面の方が多いと言える。

 

「やりたくはなかったが」

 

 駆け寄る山城の前で、君武の手に刀が実体化した。

 

『奴も応石使いだと』

 

 山城はその瞳に、はっきりと〈人〉と言う応字を捉えていた。

 応石が持つ意味を表す、表面に浮かぶ漢字。非公式に応字と呼ばれるそれは、行石以上の応石所持者でもなければ、読む事は出来ない。

 

『一番、基本的な応石だが…』 

 

 目にした光景に驚きながら、それでも密偵は思考を巡らせ、分析する。

 基本とされる〈天〉〈地〉〈人〉の三種類の応石は、応石が多数の種類に分化される前のスタンダードな応石である。との説がある。

 大正時代に出現した応石は、事実、この三種類しか存在しなかった。

 

「くそっ」

 

 悪態を付きながら、君武は手の中に出現させた刀を振るった。それは一見、彼の愛刀である〝夜叉女〟そっくりであった。

 違うのは木刀でありながら、真剣同様の機能を有しているらしい事である。

 薙ぎ払う様に見舞った一撃を受けて、大百足の身体にぱっくりと傷が開き、脚の数本が切断される。

 

『〈人〉…。画数こそ弱いが、意味が意味だ』

 

 応石は漢字で表されるその一文字が重大な要素になり、その力は応字の画数の多さに比例すると言われている。

 例えば、〈走〉と言う応石はやたらと走りたがり、その意味を持つ物体、例えば靴へと変化したり、マラソン等のサポートするのに最も威力を発揮する。

 

『となると、君武の応石は文字通りか?』

 

 確かに最弱の〈一〉に続いて、〈人〉は二画しかない。だが、人と言う意味はその画数を覆せるだけのパワーを発揮出来る可能性もある。

 

 そんな考えを山城が巡らしている時、バターでも斬るみたいに、大百足の硬い殻に包まれた胴体が呆気なく、二枚に卸された。

 大百足は暫く暴れていたが、燐光が急速に薄れると動かなくなった。

 

「使い魔か?」

 

 見る見る萎んで行くその姿を目にして、山城が疑問を口に出した。

 やがてその姿は、体長十センチ程度の百足になってしまった。

 

「山城平太。貴様、何故此処に居る?」

 

 ぴたり。まだ緑色に塗れている黒檀の木刀が首筋に当たられた。

 

「先輩を追ってきたな」

「御名答」

 

 バンザイポーズで回答する。ここで斬られてはたまらない。

 

「そいつがお前の追っていた男か?」

 

 不意に横合いから女の声がした。予算委員は『何だ?』と言った表情で、彼女を一瞥する。

 山城と比較すると身長は高い。

 北欧系の整った顔立ちではあるが、紫色した吊り目気味の瞳が惜しくもミスマッチであった。

 良く言えばきりっと引き締まった顔だが、悪く言えば良く出来た彫刻を連想させる冷たさが滲み出ている。

 それより目立つのは軽くウェーブの掛かったロングヘアである。ピンク色と言う、彼が初めて見る不思議な色をしていた。

 

『こいつはキタキツネって所だな』

 

 果林を見た君武の感想だ。美人だがどことなく冷たい、意地悪な雰囲気を持った女性だというのが、彼の抱いた第一印象である。

 

「君武南豪だな?」

「俺の捜している男じゃないよ」

 

 果林と山城の声が交差する。

 

「応石使いには違いあるまい」

「まぁね」

「となると、お前の探している人物は奴の言っている先輩とやらか?」

「おい、二人の世界で会話をするな」

 

 君武が怒鳴る。

 

「私の名は果林。通りすがりの新体操部員だ」

「何言ってるんだ。こいつは」

 

 真面目な顔で自己紹介するが、ふざけてるとしか思えない。

 何で通りすがりの新体操部員が、こんな廃校舎の中にわざわざやって来ているのか。

 

「気にするな。俺にも良く、判らない女だ」

「まぁいい。それよりも公安が先輩に何の用があるのか、今度こそはっきりと答えて貰おう」

 

 君武は山城に問う。

 

「お察しの通り、俺は君の先輩たる加賀大膳の所在を突き止め、とっ捕まえる為に活動しているのは事実だよ。

 でも俺は錬金術研から派遣されたトラブルシューターで、君が考えている様な公安委員じゃないよ。と言っても…、その顔は信用していないみたいだね」

「当たり前だ」

 

 山城は肩をすくめる。

 

「本当に公安委員だったら、どんなに嬉しかっただろうな」

 

 山城の呟きに、今度は果林が意外そうな顔をした。

 

「とにかく、加賀の追跡に俺が任命されたと言う事実は認めよう。

 加賀は部の予算をおよそ二年分着服していたと言う、実に羨ましい事をしてた。被害総額はおよそ八桁寸前に達しているらしい」

 

 君武が刀を引いた。

 

「おや、切り捨て御免じゃないのかい?」

「何処の巡回班だ。それに木刀で斬る訳にも行くまい」

 

 おどけた口調で言う山城に対して、予算委員はそう答えたのだった。

 

〈続く〉




学生騎士の仮面。
まだ、『~秘密』のタイムスリップ前ですが、既にO∴O∴Lが暗躍してます。
神道・術法研究会。
92年当時は設立一年目。この頃は公式クラブではなく非公認団体です。
と党。
実は書いてる自分も、この団体の実態は良くは知りません。廃品回収業者みたいな事がメインであるとも言われてますけど…。


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4、赤く光る巨石

第四弾です。
取りあえず、此処が中間点になります。

亀甲男は野田ですが、キッコーナンは銚子です。
ハイテクなモデルになった企業はあっちの方なので。
昔はドイツ製のB型凸電とかでお醤油を運んでたんでしょう。ポールぐるぐる(今はビューゲルだけど)。


〈4、赤く光る巨石〉

 

「やられたか…」

 

 自身が生み出した使い魔が消滅した途端、ひどく陰気な声で錬金術師は呟いた。

 

「まぁいい。これで奴が応石使いと言う事だけは、はっきりしたと言う訳だ。

 …そうと判ればやり方はある」

 

 加賀は黒い外套を翻し、つかつかと写真立てに近付く。

 

「全てはお前を取り戻す為だ。その理由だけに俺は生きている」

 

 錬金術研の会計を着服し、マフディー党に接近して極秘資料を漁り、そして禁断の知識を持った東方図書館騎士団(O∴O∴L)に接触した事も、全てはその為だった。

 

「使い魔如きでは役に立たぬなら…」

 

 無人部屋に加賀の声だけが虚ろに響く。

 

「この加賀自身が、奴らの相手になれば良いだけの事だ」

 

 力が欲しかった。誰にも負けぬ絶対の力が。

 俗物と言われても良い。その力を有する事によって望みを叶える事が出来るなら、どんな罵詈雑言を浴びせられても構わない。

 彼はそう決心していた筈だった。

 

『それでいい。最強の錬金術師よ』

 

 そんな彼に囁き掛ける声があった。

 少しずつ歪みが発生している事に、彼自身は気が付いていない。

 しかし、今の加賀は目的を叶える為のみに目を奪われていた。

 

            ★        ★        ★

 

 人数こそ増えたものの、状況が変わっているとは言い難い。

 

「俺はその応石とやらの力は欲しくないし、そんな訳も判らん石っころの為に、わざわざ苦労する気にはなれん」

 

 と主張する君武であったが、賛同は得られなかった。

 唯一の望みは、山城らがやって来た道を逆に辿れば外へ出られる可能性だが、当然、これは山城が反対したし、果林も君武の意見には同意しなかった。

 

「あんたも応石を使っている癖に…」

「馬鹿言え、俺がか?」

 

 山城がため息をつく。

 

「それに多分、逆に辿っても外へは簡単に出られないと思うよ」

「ふむ、何故だ?」

 

 武器となるリボンをスティック付ける作業を中断して、果林が顔を上げる。

 

「お宅の本拠地も幽霊塔と同じさ」

 

 説明する山城。

 幽霊塔とは学園に数ある建造物でも、その性質の異常さでトップクラスの建物である。

 和洋折衷三階建て、文字通り、幽霊等の心霊現象が多発するミステリースポットである。

 

 記録では島に忽然と姿を現したとされ、一体いつ誰が建てたのかも不明ならば、放火されても翌日には元通りになる、不可思議な性質も相まって、学園の不思議三大建造物の一つ羅数えられている(残る二つは旧図書館とあかずの校舎だが、これに呪いの図書館と理科系クラブ会館を加えて、五大建造物とする説もある)。

 

「強大な応石と錬金術師絡みなんだ。此処の内部構造が一定だったら、苦労しないよ」

 

 現在、果林の所属する非公認団体〝と党〟に不法占拠され、その本拠地と自称されているが、その党員ですら、完璧にその性質を理解しているとは言い難い。

 何故なら、幽霊塔は内部が刻々と変化する為に、その構造を把握するのが不可能な建物であるからだ。

 この島で魔導やら応石に関わった建築物は、大抵、この手の性質を帯びていると思った方が良いのかも知れない。

 

「幸い、幽霊塔や旧図書館と違って、ここの怪異の原因は判明している。それを絶てば良いと言う事か」

「おいっ、それは先輩を倒すって意味か?」

 

 その果林の言葉に反応したのは君武だった。

 

「場合によっては、だ。無論、流血を避けて無力化出来ればベストであるのは言うまでもない」

 

 彼女は冷めた口調で答えると、金属製のリボンをぱしっと伸ばした。

 

「いずれにせよ、障害は排除せねばならんさ」

 

 山城も断言した。

 

「他人事と思ってやがるな、貴様ら」

「しっ!」

 

 会話を中断し、山城が指さした先には、赤い、明らかに人工的な光がぽつりと光っている。

 

「目的地って奴か?」

 

 君武は携帯している道具を慎重に確かめる。

 竹刀袋と木刀。生徒証。メモと筆記用具。使い切りのレンズ付きフィルム。中身の軽い財布。ポケット版の特製地図。手話の教本。

 

『ちっ、無いよりはマシか』

 

 その中から、彼は投擲用の閃光弾を選び出した。

 彼の所属する会計監査局員が逃走用に使う装備で、一見、手榴弾にそっくりだが、強烈な光と大量の煙を出すだけで、殺傷力は皆無である。

 

「気を付けろ」

 

 片手を挙げて果林の注意に答えると、警戒しつつ、赤い光へ向かってゆっくりと近づく。

 部屋の扉から赤い光は洩れていた。それが如何なる部屋なのかを示す表示は、長年の放置によって消えかけている。

 

『一年乙卯組、特別教室?』

 

 消えかけている文字を何とか読み取る。

 掲げてあるクラス名はそうなっていた。特別教室とはなっているが、理科室や音楽室と言った類いではない、通常の教室だろう。

 

 君武は此処が最深部であると確信した。

 建物こそ変遷を重ねているが、学園校舎の学級配置は戦前からの伝統に従っている。

 干支毎に同じクラス名を積み重ね、上の階が上級生のクラスになると言う仕組みである。

 現在の校舎一階は職員室などに充てられているが、例外はある物の、当時の旧校舎にはそれがない。となると、一年生クラスの此処が建物の一階に相当する筈である。

 

 古典的な引き戸式の扉に手を掛ける。その僅かに開いた隙間から、赤い光が洩れている。

 

「!」

 

 扉をそっと開いた君武は息を呑んだ。

 赤く染まった教室の中心に、巨大な球体がめり込んでいる。

 大きさは優に三メートルを超えよう。それが木製の床と天井に埋没する形で、自身が赤い光を放っているのである。

 

「中南米か何処だかに、こんな感じの巨石があったらしいけど…」

 

 天井突き破り、床にめり込んでいる状況から考えれば、オブジェとして建設当初に置かれたとは考えづらい。

 遺跡に目のない考古学マニアでも、此処へ石を持ち込む者好きが居るとも思えない。第一、普通に運んだのではなく、設置状況から、空間転移して現れたとしか思えない形である。

 となると……。

 

「応石と言う代物か?」

 

 単純に大きさイコール応石のパワーだと、換算出来るか出来ないのか、君武には解らぬが、さっき託された〈人〉の大きさと比較すると、とてつもなく巨大な応石ではないか!

 警戒しつつ室内へと足を踏み入れ、そいつの周りをぐるりと一周する。

 

「こいつは粗悪品か」

 

 球体の表面は粗雑で、決してなめらかとは言い難い。少なくとも彼の持つ応石は、琥珀色の象牙質でごつごつはしていない。

 

『それに触れてはなりません!』

 

 聞き覚えのある声が、彼の脳裏に響く。

 

「マリーン!」

 

 君武は叫んだ。何処かに例の幻影(霊体?)が浮かんでないか、思わず周囲を見回す。

 

「マリーンだって、マリーン・吉野か?」

 

 山城の声。

 

「何、誰だと…」

 

 唯一、その声に反応しなかった果林の問いが反響する。

 

『その石に触れてはなりません。貴方が貴方で居たいのなら』

「意味が分からん。ちゃんと説明しろ」

「何だと…。そうか、こいつが〝邪石〟か!」

 

 どうやらその声が聞こえているのが、自分以外であるのだと果林は理解する。

 

『〝応石通信〟か。応石所有者間で意志を伝える特殊な通信法…』

 

 彼女は冷静に分析する。応石そのものの意志。或いは何処かに応石を所持した第三者が存在し、目の前の二人に語りかけているのだ。

 

「しまった。加賀が!」

 

 はっとなった山城が顔を上げた一瞬後、幾本もの白い牙が床を突き破って出現した。

 それは君武らが、地上で目にした物と同じである。

 積木を崩したみたいに、足元がガラガラと大規模な崩壊を始める。あっという間の出来事で回避は不可能だった。

 

「奇襲とは卑怯なっ」

「くそっ」

「きゃあああああ」

 

 怒声や悲鳴を上げながら、三人はそのまま奈落の底へと引き込まれて行く。

 

            ★        ★        ★

 

「ジャネットが動いてるだと、確かか?」

 

 少佐は報告に目を剥いた。

 

「女狐め…とうとう…」

 

 公式には封印以来「応石なぞ存在しない」と言う宣伝を行って、一般生徒にその存在を忘れさせ、極秘裏に応石絡みの事件を処理して、危険な応石技術を人知れず完全に掌握し管理する。

 それが公安委員会の方針であった。

 増えつつある応石所有者に対しては、噂という形で加賀の悲惨な最期を流し、所持しているのを公表させるのを躊躇わせ(使用に関してもだが)、秘密保持の牽制とする。

 

 無論、あの〝太守の帰還〟事件が起こった現段階では、応石の存在を生徒から完全に忘れ去らせるのは無理だろう。

 応石が身近な存在であった動乱当時の状況を記憶している在校生も、未だ数は多いのだ。

 

 だが、学園の人的流入の推移は不動の物では無い。入学や卒業という形で、新旧の入れ替わりは毎年確実に起きている。

 学園有名人として何年も留年している古参生徒がクローズアップされる事が多いが、それらは全体から見れば少数派であり、割合にすれば一割にも満たない。数年もすれば大半の生徒が新しい世代となるだろう。

 

 嵐の様な90年動乱を知らず、八仙や月光洞すら単なる伝説。現実とは関係ないお伽話と化してしまうだろう世代に。

 公的に応石技術を否定し、そして密かにそれを独占するのは、学園権力者達が画策する新世代に向けての長期対策なのだ。

 

「こちらの動きに気が付いたと言う事か」

 

 少佐は上層部の意向を受けて、応石関連の技術を秘匿、独占する任務に就いている男だった。

 だが、彼はその技術や情報の一切をリークする事によって、莫大な利益を得ている獅子身中の虫なのである。

 

「如何します?」

「ジャネットの奴が局長配下の子飼いと言う事は確実だ。こちらと若や加賀との関係の尻尾を掴ませぬ事が肝要になる。私も行く」

 

 指示を求める部下に対して、少佐は眼鏡を掛け直しながら言い放った。

 

「はっ」

 

 言外に含まれている意味を理解して、部下は敬礼もそこそこに室外へと去って行く。

 少佐はデスクの引き出しを開け、鋼とポリマーから成る灰色の塊を机上に無造作に取り出した。

 グロック17。9ミリパラベラム弾を腹一杯飲み込んだ拳銃だ。日本では余り知られていないが、彼はオーストリアからいち早く、この最新式の拳銃を取り寄せていた。

 性能も折り紙付き。しかし、元々はシャベルや白物家電の部品を作っていたメーカーが設計した変な経歴を持った銃だ。

 

「特に、若君と私の関係を知られる訳にはいかん」

 

 弾倉を銃把へ押し込む。

 

「ジャネットめ。こちらに気が付かなければ長生きが出来た物を…」

 

 その声には後退させたスライドが戻る音さながらの、冷たい響きを帯びていた。

 

            ★        ★        ★

 

 地底の更に下に君武らは居た。

 せせらぎの音。僅かな光に反射して鏡の様に光る帯が彼らを取り囲んでいた。

 

「奇跡的に助かったと思ったら、寒中水泳かよ」

 

 滴をぽたぽた落としながら、君武が立ち上がった。

 

「生暖かい下水や熱湯温泉でなくて、ラッキーだと思うべきだな」

 

 呟きながら地下水の湧き出た地底の川のほとりに立つ果林。

 下が水で助かったとは一概に言えない。何故なら、学園の地下には巨大下水道があって、その成分は毒に近い汚染水だとも噂されている。

 火山島であるから温泉も出ているが、その源泉は完璧に熱湯だとの話なので、そのどちらかに当たっていたら、まず生きていなかったろう。

 

 幸い、普通の地下水で寒中水泳だとぼやく君武に反して、水温はそれ程冷たくはないが、それでも温水とまでは行かない。

 

「さて、着替えがあれば良いのだが…」

 

 やはり発光苔の類いが生えている為、全くの暗黒ではない。果林が周囲を一瞥して、水面に漂う自分のスポーツバッグを拾い上げた。

 

「レオタードは遠慮するよ」

 

 スポーツバッグをまさぐる彼女に対して、山城が即答する。

 

「馬鹿者。頼まれたって乙女のレオタを貸すもんか。それ、タオルなら貸してやる」

「そいつは有り難いな」

 

 意外に素直に君武がスポーツタオルを受け取ると身体を拭き始める。制服の水分を両手で絞った後、着衣のまま、果林もごそごそとレオタードに着替え始めている。

 

「おい、タオルを…」

 

 君武は「返すぞ」と最後まで言えなかった。

 振り向きもせず、果林が伸ばした手が自分の胸部にタッチしたからである。

 

「お前、おn…」

 

 今度は果林が最後まで喋れなかった。伸びて来た君武の左手で口を塞がれたのだ。

 

「大声を出すな」

 

 と予算委員。 果林は何とか口の自由を確保すると抗議した。

 

「だが、胸があったぞ」

「幻だ」

「馬鹿言うな!」

 

 彼女の手は、さっき確かに双丘の手応えを感じていた。

 

「俺は男だ。男ではなくてはならねぇんだ」

「訳ありだな?」

 

 複雑な表情の君武に、果林は尋問監査ながらの視線を返す。

 

「どうかしたのかい?」

 

 山城がひょいと割り込んで来た。

 

「いや、かなり広い空洞だな。と。

 下が地下水脈でなかったら、叩き付けられてお陀仏だった」

 

 上を見上げながら君武が呟く。棒読みで、明らかに誤魔化しだなと果林は思う。

 

「生きてたら困るから、踏まれたカエルの様にぺしゃんこになって欲しかったのだがな」

 

 良く通る声が響いた。君武らにとっては聞き覚えのある声である。

 

「加賀大膳!」

 

 果林が振り向き様に叫ぶが、君武には違和感が生まれる。

 確か、この女は加賀とは初対面な筈だ。特別教室の時も崩壊に巻き込まれた際に、加賀の姿は直接目にはしていない。

 なのに『何故、先輩だと判る?』

 

「公安委員会の回し者めらに、気安く我が名を呼んで貰いたくはないな」

 

 加賀は少し離れた小高い岩の上、丁度、彼らを見下ろす形で立っていた。

 

「貴様らの持つ応石の保護機能か。それとも、単に偶然なのか…。

 まぁいい、今度こそは最期を迎えさせてやろう」

 

 傲慢に言い放つ。

 

「どうしたんですか。こんな事をして先輩らしくない」

 

 君武の問いに加賀は少し顔を歪める。

 

「君武…南豪。そしてマリーン。何故、君がそこにいる?」

 

 果林には意味が分からない。だが、加賀や君武、そして山城さえも、彼女の目に見えぬ〝何か〟を感じ取っている雰囲気があった。

 位置は君武の前方。その場所に〝何か〟が存在し、果林以外の全員がその対象へ向けて視線を集中しているのだ。

 

『加賀君』

 

 その空間にはマリーン・吉野が現れていた。

 どうやら像が上手く固定出来ず、彼女は蜃気楼の様に細かく震えてぶれている。色彩も不安定で今にも消失しそうである。

 

『負けては駄目。自分を取り戻して』

 

 マリーンの思念波が、果林以外の脳裏に飛び込んで来る。

 

「俺は…俺は、マリーン」

 

 加賀の額と言わず、頬と言わず、顔の全てから脂汗が噴き出した。

 がくがくと足が震え、目はただマリーンの姿一点に集中する。

 

『お願い』

「駄目だ。駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だっ!」

 

 錬金術師はいきなり頭を抱え込んで絶叫した。今までの尊大な態度は微塵もない。

 

「俺はマリーンを甦らせるんだっ、俺はマリーンをォォォォォ!」

『ちっ』

 

 果林以外の者には、今まで居なかった誰かが舌打ちしたのが判った。

 

「先輩!」

 

 次の瞬間、加賀の背中から、例の白い牙が実体化して飛び出した。

 

『あああーっ』

 

 応石〈蛇牙〉の一撃を受けて、マリーンの幻影は簡単に引き裂かれて消失する。

 

「野郎」

 

 山城平太が加賀に襲いかかる。

 幸い、応石の攻撃対象が山城でなかった為か、以前とは比較にならぬ容易さで錬金術師に接近するのに成功した。

 自分の応石〈為〉(い)を発動し、ビーム状の光条として一撃を加える。

 

 見事に加賀大膳を仕留めたかに見えたその攻撃は、しかし、加賀の黒い外套を貫いたに過ぎなかった。

 山城の攻撃に弾き飛ばされたのだろうか、古ぼけた木製の写真立てが君武の前に落下して音を立てる。

 

「愚か者め」

 

 常人とは思えぬ動きで、錬金術師が宙へ飛び上がっていた。

 先程放った応石が、象牙で出来た長い槍となって再び彼の手に戻りつつある。山城が迎撃態勢を取るが、加賀の攻撃の方が早かった。

 

「がっ!」

 

 しゅんと白い槍が伸びて山城の身体に突き刺さっていた。

 吐血しながら倒れる小柄な身体。

 

「喰らえ、クラッカーだ!」

 

 薄闇を何十万曙光もの強烈な光が制圧した。

 会計監査局の隠語であるクラッカー、つまり、君武の投擲した閃光弾が炸裂したのだ。持続時間はほんの数秒だが、殆ど光のないこの状態でまともに正視してしまったのならば、数分間は視覚が役に立たなくなる筈だった。

 

「逃げろ!」

 

 意外にも君武らにそう命令したのは、顔を手で押さえてうずくまる錬金術師であった。

 

「俺の押さえが効いている内に、心にマリーンの願いが届いている間に行け、君武!」

 

 それは路上で警告を発した時の、そして、君武が良く知る手話研の先輩だった頃の加賀であった。

 

「何だと…、一体、貴様は?」

「果林っ」

 

 彼女の質問は、 逃走を促す君武の声に中断される。

 確かに時間は無い。この状態から回復した圧倒的な加賀の力の前では、応石を持たぬ果林が何の役に立とうか?

 

『甘いな。私も…』

 

 一瞬、別の手を考えた彼女だが、その考えを振り払うと山城に肩を貸す。

 額に傷を持つ予算委員と新体操部員の少女は、動けなくなった山城を伴って地下水脈の暗がりへと消えていった。

 

「…対決しようとする度に逃げ回るとはな。あれが我以外の候補者とはとても思えぬよ」

 

 ややあって、侮蔑の色を浮かべた錬金術師はそう吐き捨てた。

 加賀の回復は思いの外早かった。だが、それでも君武らはもう彼の前から姿を消していた。

 

「今に解る?」

 

 加賀はチラリと後ろを見て言った。

 上層の教室から落下した様々な瓦礫に混じって、その辺りだけがほんのり赤く発光していた。

 めり込む形で半分埋まり、更に残骸を上から被っていた為に目立たなかったが、間違いなく例の巨石であった。

 特別教室の崩壊と共に一緒に落下したのであろう。

 

「ふむ、まぁいい。また足を伸ばして出向いてやれば済む事だ」

 

 冷ややかな表情を崩さず、彼は球体へそう語りかけた。

 

            ★        ★        ★

 

 加賀が謎の存在と会話を交わしていた同時期、君武らはと言うと、当然、そんな悠長な状態ではなかった。

 出来るだけ離れた所、安全が確保可能だろうと判断出来る場所まで逃げて、それから手当を行う。それが君武らが選択可能な選択肢であった。

 

 幸いなのか不幸なのか、地下水脈沿いの下流は十五分と進まない内に終点となった。

 轟音を立てて落下する、落差の見当も付かない巨大な滝壺が彼らの行く手を遮ったのだった。

 

「くそっ、出血が止まらない!」

 

 いつもの果林らしくない悲鳴に近い声が上がる。

 実際、山城の傷はまだ生きているのが不思議と言っても差し支えない程の重傷だった。

 自らのブラウスを切り裂いて作った包帯程度では、出血を抑える事は出来ても止血にまでは至らない。

 

「君…武」

「喋るな」

 

 身体を起こそうとする山城を君武が止め様とするが、それに果林が割って入る。

 

「好きにさせてやれ。それが彼の望みだ」

 

 そう君武に告げると、彼女は突然、自分のスカートを引き裂き始める。

 すると、小さな注射器とアンプルが魔法の様に彼女の手中に現れた。スカートの内側に縫い込まれていたのだろうか。どちらも割れない様に強化プラと金属で形成されている。

 

「モルヒネだ。残念ながら他の薬はない」

 

 本格的な治療を受けても助かるかどうかは疑わしい。果林の職業柄、もう十中、八九、この男は助からないだろうと感じていたからだ。

 

「優しいね。ジャネット・カーリン」

 

 下に着込んだレオタード姿で、もう着物としては役に立たなくなった制服の残骸を丸めていた果林は、その言葉に硬直した。

 

「な…」

 

 山城は微かに笑いを浮かべると、地面を顎でしゃくる。

 

「悪い…さっき、見えちまった」

 

 彼女の革張りの黒い手帳が転がっている。包帯を作る際に内ポケットから堕としたのか。

 

「そうか…」

 

 桜色の髪を持つ少女は、ただそれだけを言って手帳を回収した。

 

「しっかりしろ。傷は浅いぞ」

 

 ハンカチを濡らしてきた君武が山城を励ました。

 

「馬鹿言え…。これで助かれば、俺は…化け物だ」

 

 本人の言う通り、腹部は槍によって刺し貫かれ黄色い物が見えている。素人が見ても瀕死の重傷であると判る傷だった。

 

「死ぬ前に…伝えておきたい。応石の使い方は…」

「いいから、喋るな」

 

 しかし、山城は君武の言葉に首を振った。

 

「頼むから言わせてくれ。伝えぬまま…、死ぬのは嫌だ」

 

 その声には有無を言わせぬ重みがあった。

 

「俺は…正確に言えば生徒じゃ…ない。学籍を持たない…幽霊だ」

「幽霊?」

「ああ…正確には…元生徒。

 何故なら…俺は過去、武装SS第12機動大隊…の一員…だったか…らだ」

「SSだって!」

 

 驚愕する予算委員に山城は笑う。

 

「驚くなよ。お前の名の方が…よっぽどSSっぽい…じゃないか」

「偽学生だと?」

 

 山城は頷いた。彼は最後の力を振り絞る様に、君武へ次々と自分の境遇を伝えていった。

 彼は二年前、後に6・4内戦と呼ばれるクーデターでの生活指導委員会敗北によって、学園での学籍を失った事。

 そのような境遇の生徒を集め、学園で生活させてやる代わり、色々と汚い裏仕事を請け負わされる身になった事。

 

 既に自分は6・4内戦で死亡している事になっていて、本名その他も消されている事。

 そして内戦組だけではなく、本土や海外からも連れて来られた偽学生はかなりの数に上る事。

 

「そう…、今の俺は…仮の姿の一つ…か、すぎない。

 俺を使う奴の命令…つで、危険な任務へ…り出される…な」

 

 よろよろと彼は手を伸ばした。

 

「今回は…ある公安幹部の…頼で、あの〝〈邪石〉〟を捜…」

 

 そこまで言った時、山城は「げはっ」と吐血した。

 慌てて背中をさすった時、君武は彼の身体の体温がすっかりと冷たくなっている事に気が付く。

 

「俺の…〈為〉をやる。お前の〈人〉だ…けじゃ、奴の持つ複合応石には…敵わないが。二つなら…もしかすると…」

「山城っ!」

「その名を言うなよ。ああ…目の前が暗い。俺の…俺の本当…名は…摩耶(まや)…や…ま…」

 

 力は急速に失われた。

 唐突に、まるで尽きる寸前の蝋燭の灯火が、消える前に最後の輝きを出し尽くした様に。

 同時に力尽きた山城の手から、君武の中へ彼の持つ応石が入り込んだ。

 

「畜生っ」

 

 山城平太は、本当の名を明かす事無く世を去った。

 

「感動的だが実に臭い三文芝居だ。まぁ、これで一人は脱落した」

 

 ぱちぱちと無味乾燥な拍手。それと共に現れたのは加賀大膳。

 仲間の亡骸の瞳を閉じさせると、無言のまま、君武南豪は声の主へ振り向いた。

 

「果林、山城を頼む」

 

 遺体を果林に託すと、君武はすっと立ち上がった。

 

「応石は二つ共、お前が所持している様だな。君武君。いや、南君と呼ぶべきかな?」

 

 だが、君武の表情は変わらない。

 

「この私の前では隠し事は無駄だぞ。私は今、心をも読めるのだからな。

 知っているぞ。お前の生い立ちから何から、今、私を殺してやりたいと憎悪している事すらも」

 

 加賀大膳は勝ち誇った顔で言った。手話研でのあの面影は既に無い。

 

「南 君子(みなみ・くんし)、我が下僕となれ。

 さすれば、貴様の望み叶えてやっても良いぞ。私はお前の性別を変化させる方法すら熟知しているのだからな」

 

 その言葉に、予算委員の眉がぴくりと反応した。

 だが、君武は迷いを振り切って、体内に眠る応石に命令した。

 

「応石!」

 

 その叫びに応じて、君武の手に黒い木刀が出現する。魔法の石、万能で究極の道具である応石の力が発動したのである。

 

『南だと』

 

 その名前を耳にした果林は、別の事に思い当たっていた。

 

「女が物騒な物を振り回すのではない。チャンスをやろう。さぁ、我が軍門へ下れ」

 

 呼びかけを無視するかの様に、一気に跳躍すると、君武は加賀へ向かって斬り掛かった。

 応石によって肉体面も補佐されているのだろう。重力を利用し、落下する全体重の力を込めた捨て身の剣である。

 

「君子(くんし)ではなく、君子(きみこ)で居たいのかね?」

 

 加賀には余裕があった。

 剣が到達寸前、「無駄だ」の声と共に床から出現した無数の牙が、君武の一撃を受け止めていた。

 応石獣の仕業である。

 攻撃をあっさり防がれた彼は、凄い勢いで弾き飛ばされる。

 

 応石は画数が多ければ、多い程、力が強くなって行く。

 同じ応石とは言え、所詮は〈人〉は二画。九画の〈為〉を足したとしても十一画と、合計十五画の〈蛇牙〉とでは力の差があるのだ。

 

「あうっ」

 

 加賀の放った応石獣の衝撃波をもろに食らった君武は、短い悲鳴を上げて水面へと落下した。

 既に応石で出来た刀も消え失せている。

 

「暫く、頭を冷やすが良い」

「君武っ!」

 

 果林の叫びを遠くに聞きながら、予算委員は地下に流れる大河の濁流に呑み込まれ、あっと言う間に滝壺の下へと流されて行った。

 

〈続く〉




山城死す。
この当時は『艦〇れ』が無かったので、ミリオタは加賀だの、山城や摩耶だのと旧軍艦名を密かに名付けて喜んでましたね。
判る人は判ってくれって奴。まさか、加賀って言うと巫女装束もどきを着た弓道お姉さんキャラになっちまうとは、当時思ってなかったよ。

これらが軍艦名だと気が付く人が増えたのは、恐らく『エヴァ〇ゲリオン』辺りからかな?
でも天城だ土佐だ、笠置や伊吹だのの未成艦の名を付けたり、鵜来や千鳥みたいな小艦艇。音羽に常磐の様な明治艦艇の名を付けると案外、皆判らないんですよね。

駆逐艦未満、またはWW2艦艇以外はメジャーでないから、お勧めの命名法ですぞ(笑)。

どうでも良い裏設定。
加賀と言えば、加賀大膳は『蓬莱学園イベントファイル』(1994年、新紀元社刊)に登場した5月期担当のファルディン・加賀先生と遠い親戚と言う、訳の分からん裏設定があったりします。


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5、決戦

『蓬莱学園の夜桜』をお届けします。
やー、大分空いてしまった。
『エロエロンナ』シリーズが本命なので、次はいつになるのやら…。
一応、原稿は最後まで完成してるんですけどね(笑)。


〈5、決戦〉

 

 地上の公安部隊は活動を開始した。

 少佐の包囲網から抽出した部隊の一部は、既に廃校舎へ向かっている筈であった。

 

「これで、何とかなると思いたい物だが…さて」

 

 神経質そうにトントンと指で机を突きながら、非常連絡局の専用指揮車両で少佐は呟いた。

 子飼いの部隊を全て投入しての総力戦である。

 前々から自分の尻尾を掴もうと嗅ぎ回るジャネット諸共、この事件に関わった一切の者を抹殺する予定であった。

 

 後腐れが無い様に、南から借り受けた山城すらその対象である。

 南ヘの言い訳は何とでもなろう。

 少佐にしても南にせよ、山城は駒であり、所詮は使い捨ての偽学生に過ぎない。

 

「問題はジャネット・カーリンだ」

 

 非常連絡局長に忠誠を誓い、しかも、任務に忠実な小娘。

 古参の局員ある少佐にしてみれば、動乱も知らぬ新参者の上に出世街道を順風満帆に進んで来ているのが気に入らなかった。

 

 事実を言えば、果林が優秀な人間で、出世したのも全ては結果に過ぎないのだが、それだけでは他人は納得せぬ事もある。

 それは彼女の実力を、素直に認める事が出来ぬ種類の人間だ。

 それを認めたならば、自分が無能であると同じと短絡思考に陥るタイプの人種である。

 

「自ら動いたのが運の尽きだったな。地上へは帰還させんぞ」

 

 サディスティックに口を釣り上げて、少佐は低く笑い出していた。

 少佐の見通しが甘かったと思い知らされるのは、それから僅か一時間後の事である。

 

            ★        ★        ★

 

 さて、その果林である。

 

「ほほぅ、君は非常連絡局員か」

 

 彼女は薄紫の瞳で、きっ、と加賀を睨み付けると唇を噛む。

 

「にしてもは、実に艶めかしい姿だ。

 最近の公安委員は粋な趣向を凝らしているのだね」

「お褒め頂いて大変光栄だ。自分でもこのコスチュームは気に入っている衣装の一つだ」

 

 レオタード姿の少女は皮肉っぽく礼を返した。

 

「残念だよ。美人薄命と言う格言を実行に移さねばならないのを…」

 

 加賀は、オペラ俳優並みの大袈裟なゼスチャーを交えて述べ続ける。

 

「…何しろ、君は計画の員数外なのだよ。

 今、我が望みを成就する為に必要な人材は、南君、おっと、君達流に言うならば君武君か、

 彼女だけなのだ。ジャネット・カーリン大尉」

 

 果林は左手で桜色の髪を掻き上げ、右手で超高張鋼製のリボンを取り出して正面へ突き付ける。

 

「君の価値は、君武君を引っかける為の餌。まぁ、囮役と言った所でしかないのだよ」

「言ってくれるな」

 

 手首の動きに合わせて、蛍光ピンクの色鮮やかなリボンが舞い始める。

 

「…それはともかく、美人と言ってくれた事には感謝するぞ。

 そんなおべんちゃらを言う奴は、今まで近付いて来なかったのでな」

「おやおや、お世辞だとでも思ったのかな。瞳がきつめなのが、少々難ありだがね」

 

 舌打ちする果林。

 心が読めると豪語した錬金術師の言葉は、はったりでは無かった様だ。

 自分の一番コンプレックスだった所を突いて来る。

 プロポーションも顔立ちも整った、いわゆる欧州系モデル系美少女ではあるのだが、この瞳の為に果林は近づき難い女性として、ずっと他人から敬遠されていたからだ。

 

 冷たい薄紫色(アメジスト)の瞳。

 色も相まって、他者を見下す様なきつい瞳が人に果林を誤解させる。ぞっとする様な冷たい視線と見做され、それは高慢にして冷酷な印象を他人へ与えてしまう。

 余りにも完成され、整いすぎた顔の造形がそれを助長し、幼少時の人見知りする内向的な性格が、それに輪を掛けた。

 親しい友人は出来ず、物心付いた時からいつも孤独だった。

 

 果林は『この悪人みたいな瞳が無ければ、もっと明るい人生を歩めただろうに』と常々思っている。学園で一番の憎まれ役である非常連絡局へ属したのも『どうせ悪役にしかみられないなら、いっそ』と言う、半ば自暴自棄に近い行動の末だった。

 あくまでIFだが、もし動乱前に入学していたら、あの生活指導委員会、しかも武装SSに所属していたのかも知れない。

 

『嫌な事実を思い出させてくれる』

「ふふふ…」

 

 その心を読んだのだろう、加賀が含み笑いを漏らした。

 

「貴様は何故、マリーンとやらを甦らせるのだ?」

「何?」

 

 突然、違う話題を振られて、錬金術師は困惑の表情を作る。

 

「せめて、その理由を聞かせて欲しいと思ってな」

 

 勝ち目が無いなら機会を窺え。

 どんな方法を使用しても、隙を突いて逆転をはかれ。

 自分で編み出した自己流の戦術であるが、現在、果林が質問しているのも、そんな手法に沿った時間稼ぎである。

 

「マリーン…だと?」

 

 加賀はその名前を噛み締める様に呟いた。

 

「先刻、貴様はそう叫んだではないか」

 

 果林はその語尾が疑問形になっているのに気が付き、訝る様に問いを続ける。

 

「そう言えば、そんな事が目的だったか」

 

 加賀の言葉は素っ気ない。

 

「な…に?」

 

 新体操部員は絶句した。

 

「貴様の恋人なのだろう!」

 

 少なくとも、彼女の調べた資料ではそうなっていた筈だ。

 

「そうだったかな?」

 

 目の前の男は、まるで他人事みたいに答える。

 

「マリーン・吉野は…貴様の恋人だった。違うのか!」

「それは事実だろうな。確かに…」

 

 加賀大膳は言葉を切ると、鼠をいたぶる猫の目付きで果林を凝視した。

 自分の言葉の反応を、楽しんでいるかの様に。

 

「…そう言う記憶はある」

 

 錬金術師は悪魔に似た笑いを浮かべた。

 

「貴様、応石に…」

 

 非常連絡局大尉は一つの事実に思い当たった。

 先月のとある事件、無論、応石絡みの事件ファイルを調べている時に分かった事だ。

 

「心を支配されているのか?!」

 

 封印後の応石は人間に使役される便利な道具では無く、独立した存在でもある。

 故に応石の力が強ければ、共生している宿主の精神を逆に乗っ取る可能性があるらしい。

 資料の中には、応石に宿主が支配されるケースが記述されていたのだ。

 

「お喋りが過ぎた。お仲間と合流されても困る」

 

 鈍い音を伴って洞窟が揺れ、頭上からパラパラと岩や土が落下した。

 明らかに爆発物による振動だった。誰かが上で戦闘でもしているのか?

 

「そろそろ行くぞ」

 

 言うが早いが、黒い外套をばさりと鳴らして加賀が飛びかかって来た。

 コウモリにも似た俊敏な空中機動である。

 

「くっ!」

 

 果林の方も戦闘隊形を解いていた訳ではない。

 八の字を描いて回していたリボンを一直線に錬金術師へと放つ。熟練者が使えば、鉄骨をも切断すると言う恐るべき武器である。

 

「やったか!」

 

 快哉の声を上げる彼女の後ろに、加賀が立っていた。

 

「甘いな」

 

 果林の捉えたそれは残像に過ぎなかったのである。

 錬金術師は彼女の首筋に触れると、弾ける様な音と共に小さな閃光を発した。

 

「お前には価値がある。まだ、囮としてのな」

 

 桜色の長い髪を広げながら倒れて行く少女を見詰めながら、加賀大膳は感情の無い声をその背中へ投げかけた。

 

「その前に、雑魚共を片付けておく必要があるか」

 

 加賀は果林を抱き抱えると、瞬時に転移してその場を去った。

 

            ★        ★        ★

 

 地上の公安部隊は騒然とし始めた。

 

「どう言う事だ」

 

 指揮車両内の少佐が問い返す。

 

「既に第一班の連絡が途絶えました。現在、我々も交戦中!」

 

 軍用の有線電話を通じて、現場で発生している各種の音が響く。

 すなわち、銃声や爆発音。それに部下がやられて行く断末魔の絶叫だ。

 

「後退を。撤退命令を!」

 

 その要請で、少佐ははっとして我に返る。

 

「いかん、いかんぞ。ここでジャネットを仕留めるのだ。それでも貴様らは私の部下か!」

 

 受話器を抱え込む様にして、彼らの上司は吼えた。

 

「わぁぁぁぁぁ!」

 

 答えは無く、ただ悲鳴が聞こえただけだった。

 その後は、ガリガリ鳴る雑音の他はただの静寂。

 

「突入部隊が全滅だと…?」

 

 少佐は受話器を取ったままの姿勢で顔面蒼白となる。

 彼の持つ手勢の半分近くが消滅したのだ。

 

「馬鹿な。そんな馬鹿な。あそこは旧図書館や幽霊塔ではないのだぞ」

 

 重装備で固めた特殊部隊で、対抗出来るとの認識が少佐にはあった。

 相手が魔導を使用するとしても、無名の一錬金術師。

 学園中央部で起こった例の不手際も、油断した結果だと判断したのだが、これは何だ?

 

「仮に応石使いにしても強すぎる。じ、冗談では無いぞ」

 

 応石の情報をリークしていたにしては、少佐の応石に対する認識は甘かった。

 八仙級の人間や学園太守から見たら、いや、神道・術法研究会の代表級の応石絡み事件関係者の目から見たって、甘過ぎると言っても良かった。

 あくまで委員会センターで陰謀を巡らすデスクワーク向きの人材で、状況を正しく掴んで動く現場の人間では無かったのだ。

 果林の様に、加賀と言う人物が如何なる男で、どんな才能を持っているかと言う相手に対する研究や分析も、恐らくしてはおるまい。

 

『このままでは山城を捕らえたジャネットは、私と若様との関係を白状させた後に、私を失脚させるだろう。ええぃ、どうする?』

「少佐。指示を」

「うるさいっ」

 

 少佐は部下を怒鳴りつけると憤然と席を立った。

 

『あの錬金術師に両者がやられる幸運は、確実性が期待出来ぬ分、リスクが大きすぎる。

 かと言って、くそっ、私が動くしか無いのか!』

 

 暫く考えた後、「これ以上の損害は出せん」と少佐は待機命令を出す。

 優柔不断かも知れぬが、まずは妥当な線だろう

 

            ★        ★        ★

 

 遠雷にも似た音を耳にして、ジャネット・果林は目を覚ました。

 のろのろと周囲を見回す。

 

『教会かな』

 

 相変わらず暗い部屋だった。

 黒板や大量の机、椅子が放置されている所を見ると教室だと思われるが、それらの様式が古臭いながらも優雅なアールヌーヴォーである為、果林の感覚では教室と言うよりも、故郷の教会にあった集会場にも思えた。

 かなり広い。だが、どことなく見覚えがあった。

 

『あの特別教室?』

 

 頭を左右に振ると、立ち上がろうと足に力を込める。

 そろそろと中腰まで立ち上がったが、まだ麻痺の影響が抜けていなかったのだろう。ぐらりと揺れて、後ろへ倒れかかった。

 壁に背中からぶつかる。

 

 経年劣化により脆くなっていたのか、石積みなのにも関わらず、それは果林の身体を支え切れずにがらがらと崩れた。

 彼女は再び床に倒れ伏す事になる。

 背中の痛みを我慢しながら、仰向けの目に飛び込んだ光景をぼんやりと眺める。

 

『非現実的な光景だ…』

 

 と果林が思うのも無理は無い。

 地下の暗闇にほんのり発光する巨木。

 石壁に囲まれてそそり立ち、時折、ひらひらと花びらを散らして行く。

 そんな幻想的な部屋に彼女は居たからだ。

 

 偶然、果林が壁を突き崩した隣の部屋。

 そこは君武が最初に目を覚ました部屋であるが、無論、彼女が知る訳も無い。

 

『夢だな。夢』

 

 手足が拘束されていない事を確認して、彼女はますますそう確信した。

 幾ら加賀が素人でも、果林を拘束せずに放っておく訳は無いからだ。

 この部屋から出られない様に出入り口が閉鎖されているにせよ、公安委員、しかも非常連絡局員を自由にさせておいて、加賀に何か得になる事があるとも思えない。

 

『もっとも、相手は応石使いか。

 私に逃げられない絶対的な自信でもあるかも知れんな』

 

 ぎこちなく身を起こして、そっと座り直す。

 幸い、壁と一緒に倒れ込んだので怪我は無い。背中が壁を崩さなかったら、瓦礫が上から落下して来て、頭に傷でも出来ていた所だ。

 

「!」

 

 爪先に何か感じた。

 

「あ…」

 

 果林は慌てて左右を確認した。

 未知の感覚が彼女に接触したからである。

 心の琴線に触れる想い。繊細な、それでいて強い意志。

 悲しいかな、果林は神秘学や宗教学には疎く、それに基づく各種術法を扱える訳でもない普通の人間であった。

 無論、応石を所有している訳でもない。

 

 それが何かを踏んでいるのだと気が付く。

 サイズ的にはそんなに大きな物では無いが、平たい硬質の何かだった。

 レオタードに併せて布と薄い革で出来た新体操用のシューズに履き替えた為、踏んだ物体がそんな感じの物だと把握出来る。

 足をどけて、それの正体を見極める。

 

「珊瑚?」

 

 思わず口に出してしまう。

 そうとも見える。偏平で表面は白い碁石にも似てすべすべしているが、色は果林の髪の色を連想させる、淡い桜色であった。

 いつの間にか、遠雷は鳴り止んでいた。

 

            ★        ★        ★

 

「終わったか…」

 

 加賀の使い魔や応石獣が作り出した惨劇の舞台に立った加賀は、素直な感想を述べていた。

 ノクトビジョンやら、対戦車火器やらで武装した者の成れの果てがあちこちに転がっている。

 

「最精鋭だった様だな…」

 

 装備の一部を手にとって感想を述べる加賀。

 パンツァーファウスト3。後に名付けられる名だが、後方にカウンターマスを飛ばし、閉所でも運用可能なこのドイツ製の対戦車火器はまだ実験段階だった筈だ。

 6・4内戦の頃に、覚えたくなかったのに覚えてしまった無駄知識であるのを思い出し、錬金術師は苦笑する。

 

「錆び臭いな」

 

 錆の匂いでは無く、それは血液に含まれる鉄分の匂いだ。公安委員会の特殊武装治安部隊メンバーが流した血の臭いであった。

 

「君武君かな?」

 

 気配を感じて彼は振り向いた。

 

「ああ」

 

 よれよれの礼服を着た予算委員がそこに居た。

 

「私に従う気は決まったのかね。いや…」

 

 加賀は楽しそうに指を突き付ける。

 

「その顔は、反抗する気だね。読心せずとも判るよ」

 

 言いつつも、半身になって攻撃に備える。

 

「加賀先輩。マリーンの…」

 

 ばさりと外套を鳴らす。

 

「動揺させても無駄だ。もう動じたりはせんよ」

 

 君武の言葉を、錬金術師は最後まで言わせなかった。

 最初に知った頃とは違う。

 かと言って、横町で再び会ったあの時とも、地下で三度目に彼を逃がしてくれた、あの加賀でもない。

 何かに取り憑かれ、その欲望のみに全てを捧げている何かだ。

 

「場所を変えよう。君とて果林君の安否が気になろうからね」

 

 低い詠唱が紡ぎ出される。

 

「そいつはどうも」

 

 一瞬の後、二人の姿はその場から転移していた。

 

            ★        ★        ★

 

 果林は呆然としながら、中央にある桜の樹にもたれかかっていた。

 

『そうなのか…』

 

 ファイルでは決して判らぬ背景事情が、全て氷解していた。

 

『山城がそれを私に託して、マリーンの事を教えたかったのか』

 

 彼女の瞳には半透明な少女がはっきりと映っていた。

 見上げれば、この夜桜と重なる様にして眠る様に浮かんでいる。

 

『解った。出来るだけの努力はする』

 

 金髪の少女は寝顔のまま、僅かに顔をほころばせる。

 その時だった。大音響と共に果林の空けた穴から爆風が吹き込んできたのは。

 

「君武か!」

 

 新体操部員は叫ぶと、戦場となっているであろう部屋へと身を翻した。

 

            ★        ★        ★

 

「勝てると思うのかね!」

 

 錬金術師は勝ち誇った顔で言い放つと、電撃を放って来た。

 加賀の選んだ決戦場。

 それは床の半分は陥没し、冷たい風が吹き上げて来るアールヌーヴォー風の部屋であった。

 加賀が初めて訪れ、先程まで果林が監禁されていた部屋。

 果林の推察通り、此処は一度彼らが訪れ、そして地底へ落とされたあの特別教室である。

 

「ウェルダンステーキにはなりたくないんでね」

 

 ひらりと躱した紫電が机を破壊する。

 避けなければ、多分、黒焦げの消し炭になりかねない圧倒的な電圧だ。

 

「成る程、だが…」

 

 愛刀〝夜叉女〟を片手に対峙する予算委員を睨んで、加賀は嬉しそうに呟いた。

 

「どれだけ逃げ回れるかな?」

「吠ざくな!」

 

 再度の攻撃。火の玉が君武を襲う。

 黒檀の木刀がバットみたいにそれを薙ぎ払うが、その火球は木刀に触れた途端に爆発した。

 たまらず、吹き飛ばされる君武。

 

「わはははは、火球を自ら叩くとはな!」

 

 魔導に詳しければ、それが比較的ポピュラーな攻撃魔法であるのが判っただろうが、君武は生憎素人である。

 弾着と共に爆発するタイプの広範囲攻撃を自分から叩いてしまった。

 

「くそぉ…」

 

 滅茶苦茶に調度品を壊しながら、叩き付けられてしまった君武だったが、罵りの言葉を呟きながら、残骸の中より幽鬼の如く立ち上がる。

 服装は焼け焦げ、腕や足には夥しい出血があった。

 木刀も焼け、中の鉄心が剥き出しになっている。

 

「む?」

 

 圧倒的な優位で、彼を追い詰めている筈の加賀の表情が少し険しくなる。

 

「君武君。何の真似だね」

「真似とは、何だって?」

 

 問いに対して、予算委員は不敵な笑いを見せる。

 

「君武か!」

 

 女性の問いが重なった。

 見ると、崩れた壁に出来た穴からレオタードを着込んだ少女が身を乗り出している。

 

「役者が揃ったな。

 さぁ、加賀大膳である誰か、勝負を続けようぜ」

 

 加賀は挑発する君武から、間合いを取る為に僅かに後退する。

 原因は相手の持つ木刀だった。

 最初に加賀の使い魔を倒した時も、二度目に自分へ斬り掛かった時も、君武の持つ木刀は応石を変化させた物であった。

 応石刀であれば、物理的な力で刀身が焼け焦げる筈はないのだ。

 

『何を考えている』

 

 錬金術師は訝った。

 応石を使用せずに勝負に出た理由が分からない。

 

『応石を使わずに勝てるとでも思っているのか?』

 

 読心を試みるが、前と違って上手く読み取れない。

 どうやら君武の所持する応石が、ジャミング(妨害)をしているらしい。

 応石との関係が強まると、宿主の危険を防護する為に応石が自主的に発動する事例が多々あるが、これもその一つなのだろうと推測する。

 

「先輩。いや、先輩に取り憑いた〈蛇牙〉」

 

 君武がずいっと一歩前へ出る。

 

「マリーンの復活を餌に、先輩を乗っ取った貴様らを先輩から追い出してやる」

「ほほぅ、方法でもあるのかな?」

 

 加賀はせせら笑った。

 

「応石が私を乗っ取ったと言う訳ではないぞ。

 応石は我が心の奥底にある願望を、引き出してやったに過ぎぬ」

「俺の知る先輩は貴様じゃ無い」

「だろうな」

 

 錬金術師は頷いた。

 

「だが、今の私も私の側面なのだよ」

「側面だと?」

 

 加賀は目を閉じて笑う。

 

「そう、君にも君の側面がある様にだ。

 違うとは言わせんぞ。君武南豪(きみたけ・なんごう)。いやさ南 君子(みなみ・くんし)!」

 

 加賀は、黒いマントをばっと両手で広げる。

 

「そうとも、君が常に抱いている願望だ。

 君はこう思っ事がある筈だ。弟と祖父さえ居なかったならと。

 この手で排除しておけば、そうしたらこんな境遇になる筈は無かったと!」

「貴様ぁ!」

 

 彼の叫びを理解する為に、時間をやや戻さねばなるまい。

 

〈続く〉




グロックの時もそうでしたが、物語の年代は1992年な為、今ではポピュラーな装備が最新鋭扱いになってます。
92年当時、グロックはごく一部のマニアが注目してただけですし、パンツァーファウスト3はドイツ軍採用前(この年に制式採用されてますが)ですからね。自衛隊はまだ、マットバズーカ…じゃなくてM20を抱えていた頃です。


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6、夜桜

ラストスパートです。
本編はこれにて終了。最後はエピローグになります。


〈6、夜桜〉

 

 その時、南 君子はゆらゆらと漂う浮遊感に目を覚ました。

 視界が赤く染まっている。

 

『?』

 

 奇妙な既視感を感じる。

 それが以前、実家で祖父に受けた鉄扇の一撃により、額を割られた事に思い当たるまで、数瞬の時を要した。

 

 南 君子は千葉に本拠を持つ、とある企業グループの次期総帥であった。

 日本の家庭なら何処にでもある発酵食品。醤油や味噌を扱う老舗であり、多角経営化により、世界的な大企業となったった会社、南発酵産…。いや、今は愛称のキッコーナン財閥の方が通りが良いだろう。

 その御曹司であった。

 

 現総帥の跡継ぎとして幼き頃から勉学と武道に励み、帝王への道を歩んで来た彼の悲劇は、十六歳の秋に起こった。

 体調を崩して精密検査の結果、彼は男性ではないと判明したからだ。

 

 仮性半陰陽。

 外見的には男性の様な生殖器を持って生まれ、ホルモンバランスが崩れた為、女性としての特徴が出ないまま育ってしまった人間である。

 性染色体的にはXX(ダブルエックス)。

 つまり女性であり、両性具有の真性半陰陽とは区別される。だが、祖父にとってそんな事はどうでも良かった。

 総帥は男子が継ぐ。これが財閥の掟であったからである。

 よって次期総帥候補は、君子にとって異母兄弟に当たる弟に優先権が移る事となったからだ。

 

 君子は直系。だが、弟は敵対するライバル社(キッコーナンが吸収合併してしまったので現存しない)の家系から受け入れた後妻の連れ子で、南家の血は一滴も引いていない。

 総帥である祖父から見れば、これは耐えがたい屈辱に違いなかった。

 

 君子が女性であったのは、祖父にとって裏切り行為以外の何者でもない。

 自室に君子を呼び付けた祖父は、彼を罵り、挙げ句の果てに鉄扇で叩いたのである。

 視界が真っ赤に染まり…そう、生暖かい鮮血が流れ落ち、目に流れ込んで視界を赤く染め上げているのだった。

 

 あの時と同じだ。

 

『ああ、山城が亡くなって…加賀先輩が現れて、俺が吹き飛ばされて』

 

 地面に打ち付けられた時、あの時の古傷と同じ様に額が割れたのである。

 

『ここは?』

 

 ようやく頭がはっきりし、漂っている現在位置が水中だと気が付いた時、君子はぎょっとして辺りを見回した。

 

『大丈夫。応石には使用者の身体を保護する機能があります。

 現在、水中での生存が可能な様に調整されています』

 

 頭に声が響く。

 マリーンが語りかけていた声と酷似してはいるが、それよりも無機質な女声である。

 

『〈為〉の応石か?』

『そうです。前所有者の最後の意志に従って、貴女の元へとやって参りました』

 

 〈為〉は答えた。

 

『教えてくれ、加賀先輩の応石を倒す方法を』

『…残念ながら、加賀大膳の所持する応石〈蛇牙〉には画数の差もあって、私単体では対抗は不可能です』

『駄目なのか?』

『はい。スペックを考えればその結論に至ってしまいます。ただ…』

 

 暫しの沈黙があった。

 

『ただ?』

『…前所有者が即席が編み出した対抗手段がありますが、リスクが高すぎます』

『山城が考えたのなら、かなり有効な方法だろう』

『しかし、危険です。我々自身も、いえ、かつて応石を産み出した崑崙人すら、未だそれを試みた者は皆無です。全く未知の方法なのですが…』

 

 その思考波には、明らかに不安と怯えが見えていた。

 

『やるしかあるまい。勝てる光明がそれしかないのならな』

 

 〈為〉と言うより、自分自身を納得させる為に君武はそう呟いた。

 

            ★        ★        ★

 

 さて、時は対決時まで進む。

 加賀は君武に語りかけていた。

 

「そうだろう。何故、自分がこんな島へ来なければならない。

 何故、自分がこんな苦労をしなければならない。

 あの時、選択を間違えていなければ、自分は違う人生を歩めた筈だとな!」

 

 加賀大膳は大きく口を開けて狂笑していた。

 

「そうとも、私もそうだ。

 加賀が後悔を重ねて行った抑圧の下で、私は生まれ、そして育って行ったのだよ。

 何故、いつまでも死んでしまったマリーンの為に苦しまねばならないのだ。とね」

「潜在下の人格か?」

 

 果林がぼそりと呟いた。

 

「応石がそんな私の心を解放してくれた。今では私が加賀だ。

 神に感謝して、やれなかった本来の人生を歩んでやる!」

「加賀先輩は、そんな人間じゃない」

 

 殴りかかる予算委員を、闘牛士の様に避けながら加賀は続ける。

 

「いや、これが本来の私だよ。マリーン・吉野に出会うまでの、錬金の研究一筋に生きていた本当の私の姿さ」

 

 空中で姿勢を立て直し、眼下の君武らを見下しながら笑う。

 

「お前が加賀だと思っていた男は、マリーンと付き合い出してからの後天的な性格に過ぎん」

 

 その手から電撃が飛ぶ。

 

「恋だの愛だのとか言う世俗的な感情に溺れ、錬金術師の誇りを忘れたな!」

 

 電撃が目標から逸れたのを確認して、次の呪文の準備へと入る。

 

「それの何処が悪い!」

 

 これは果林だ。だが、加賀は「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「彼女に気に入られる様にと言う下衆な下心で、マリーンの所属していた占い研や、手話研にまで入部したのだぞ」

 

 侮蔑の色を浮かべて吐き捨てる。

 

「加賀はそうして、本来の性格である私を永遠に封じ込めたのだ。

 あまつさえ、マリーンが内戦で死んだ責任は自分にあると思い込み、それを償う為に無駄な努力を重ねて来たのだよ」

 

 ヒトラーの演説を思わせる大袈裟な身振りを交えながら、錬金術師は更に言葉を継ぐ。

 

「何と愚かな!

 逃避行の最中に戦闘機の墜落に遭い、その爆発から自分を庇い、犠牲になったのも自分のせいだと思い込むとは」

 

 錬金術師の頭上に、再び火球が形成される。

 しかも、さっきよりもサイズは明らかに大きい。

 

「ぬぉぉぉーっ!」

 

 その気合いと共に、ぶんと加賀の腕が振り下ろされる。

 頭上で膨らんだ火球はそれに呼応して、指し示す方向へ速度を上げて突き進んだ。

 無論、その先には君武が居る。

 先程とは比較にならぬ大爆発が起きた。建物自体が振動し、爆煙が立ち込める。

 

「愚か者の最後だ。全く、我に従えば…何っ?」

 

 冷笑する加賀の顔色が変わる。

 

『応石の反応が無い?』

 

 少なくとも、二つの反応が出る筈だった。

 この廃校舎全体が結界となっている為、宿主を失った応石も野良応石化して何処かへ飛び去る事は出来ない。

 必ず新たな宿主に、つまり、応石を使う前提条件となる石、行石を所持した者へ引き寄せられる筈なのだ。

 山城死亡の際に、君武にその石が渡った様に加賀へとだ。

 

「生きてるんだよ」

「!」

 

 煙の向こうから、南 君子の声がした。

 

「そうそう、死んでたまるか」

 

 煙が晴れて、ゆっくり視界が開けてくる。

 青白く光を発する桜の樹のお陰で、室内は明るさを増していた。

 爆発で隣との壁が全て崩れて、本来は隣室であったあの部屋とひと続きとなったである。

 

「下らんっ!」

 

 君武が一喝した。

 

「本来の性格だと?

 ごちゃごちゃとヌカしやがって、人ってのは成長するんだ。昔のままじゃあり得ないんだよ!」

 

 ボロボロになった上着の内ポケットから木製の写真立てを取り出して、加賀に突き付ける。

 

「昔に戻りたいとは思わんでも無いさ。

 だが、葬り去った亡霊みたいな俺が、今の俺を押しのけるなんざ御免だね。

 先輩だって同じだ。マリーンの為に変わって行った先輩こそが、今の本当の先輩なんだ。

 消えやがれ、この過去の亡霊め!」

 

 写真立ての中に映るのは、マリーンと加賀のスナップ写真だ。

 

「貴様は先輩の心を利用している応石だ。先輩の心をねじ曲げているだけのな。

 でなけりゃ、先輩が命を張って俺を助けてくれるもんか」

 

 写真と君武の声に刺激されて、加賀の心に動揺が走った。

 

「うぉぉぉぉぉー!」

 

 錬金術師が絶叫する。

 禍々しい赤い光が彼の後方に満ちたと思うと、地底に開いた穴からあの球体が浮かび上がった。

 

「〝邪石〟!」

「そうだ」

 

 果林の声に君武が頷く。

 

「こいつが…」

 

 果林とて上級公安委員の端くれである。

 今回の事件探索に当たっては、機密資料を始めとする報告書には目を通している。

 

「石自体は心を持たぬ為に善悪を判断する訳もない。

 それは単なるパワーソースに過ぎない。だから、あれは先輩の心を、本来は潜在下の暗黒面を助長したのだと思う」

 

 君武が指摘する。

 本来は山城が持っていた知識を、〈為〉の応石を通じて知った物である。

 

「だが、あれは厄介だぞ」

 

 出来損ないとは言え、応石値だけを見るなら古代応石にも匹敵する代物だ。

 古代応石が引き起こした、先の〝太守の帰還〟事件を思い起こせば、とてつなく厄介な相手だと言うのは判ろう。

 

「果林は下がっていろ」

 

 君武南豪は心を集中した。

 

「まだ、先輩は心を〝邪石〟に預けちゃいない」

 

            ★        ★        ★

 

『俺は…俺は誰だ?』

 

 錬金術師の頭の中は混乱していた。

 

『俺は加賀だ。加賀大膳だ』

 

 本当に?

 

『私は加賀大膳だ!』

 

 どっちの?

 

『マリーン・吉野を、俺は俺のマリーンを…』

『止せ、止めろ。私は偉大なる錬金術師だ』

 

 私が俺を制止しようとする。

 

『誰だ、お前は。…俺じゃ無い。俺はマリーンを忘れたりはしない』

『止めろ』

『マリーンを甦らせる為に、俺は…』

『止めろ!』

 

 加賀は頭を押さえてのたうち回った。

 

『加賀君』

 

 君武の背後に立つ桜の巨木に、手を組んでこちらを見詰めるマリーンの姿が重なる。

 その中心に〈休〉の応字。

 錬金術師は理解した。あれは応石で出来た物なのだ。

 そしてあの桜はマリーン・吉野の性格をコピーしている。

 

「うぉぉぉぉっ、〈蛇牙〉ーっ!」

 

 獣じみた声が応石獣を呼び出し、それは君武へと一直線に突き進む。

 

「応石!」

 

 白い牙状のそれが到達する寸前、君武の応石もまた、黒い木刀となって発動していた。

 

「ぐぅぅ!」

 

 木刀が牙の塊の様な応石獣を受け止める。

 勢いがある分、向こうの方が有利な筈だが、それでも君武の刀はその突進を防いでいる。

 

「馬鹿な!」

 

 驚愕の叫びが加賀から上がる。

 

「何故、応石値の低いあれで、受け止められる?!」

 

 シールドの様な力場で応石獣は押しやられた。

 象牙質の蛇体がずるずると滑って、数メートル後退する。

 

「それは〈偽〉なのか」

 

 桜色の髪を持つ娘が発した問いに、君武と対峙するそれは改めて予算委員の持つ〝夜叉女〟を凝視した。

 応石によって得られる感覚を変換する。

 赤外線や紫外線。更にオーラすら探知出来るモードから、応石を探知するそれを選択すると、君武の刀の中に応字が見えた。

 〈偽〉。

 〈人〉と〈為〉を融合させた複合応石である。

 

『〈偽〉だと、それは』

 

 その声は錬金術師その物ではあるが、肉声では無く思考波で、しかも声を発したのは錬金獣であった。

 

「貴様か!」

 

 予算委員は、加賀大膳を支配しようとする者の正体を見極めた。

 〈蛇牙〉が恐怖に震えたのが判った。

 慌てて後退しようとする牙の集合体に向かって、上段から斬り下ろした後に返す刀で下段から斬り上げると言う、南一刀流の必殺剣〝もろみ返し〟が炸裂する。

 

『がぁぁぁぁ!』

 

 応石獣が弾けた。

 同時に背後に浮かんでいたあの〝邪石〟も、大音響を伴って破裂したかに見えた。

 強烈な赤い光と、蛍火にも似た青い光が混ざり合い、光の洪水を撒き散らした。

 少なくとも君武南豪は、意識を失う前にそんな光景を目に収めた記憶がある。

 

            ★        ★        ★

 

 全ては加賀の元に現れた、応石〈蛇牙〉が起こした事であった。

 応石も単体で心を持つ独立した存在だ。

 人間が全て画一では無い様に、応石自体の持つ心も善悪様々である。

 応石の心。それはまだ幼く、経験不足の幼児に等しいレベルに過ぎない。

 そう、心を与えられたあの日から、最大でも僅か二年しか経過していないのだから。

 

 通常の応石はその性質上、自分を構成する応字の意味によって左右される。

 前序した通り、〈暴〉の応石がやたら乱暴なのも、〈走〉の応石が走りたがるのも、最初に刷り込まれた前提条件、アーキタイプとして自分の意味を忠実に再現しようと言う本能なのだ。

 心を与えられた応石であっても、これらの応字に左右され、意味に己が引きづられ性質はまだまだ治っていない。いわば、鋳型から出来上がったばかりの画一的な性格から、ようやく一歩を踏み出した段階なのだ。

 

 経験を積んで自我を成長させて行けば、本質には左右されるだろうが、それらの性質は薄くなるに違いない。

 例え、同一の応石であっても、双子が年月を重ねると全く別の人格に育つ様に。

 

『太守の持つ巨大応石から生まれたばかりの〈蛇〉は、まだ本質に囚われたままでした』

 

 マリーンがゆっくりと語り出す。

 

『彼が何処で〈牙〉を取り込んだのかは判りません。しかし、蛇の本質、人々が抱く蛇と言う意味を持って、加賀君の悪しき心を解放せんとした事は確かです』

 

 エデンの楽園。禁断とされる知恵の実を食べる様にそそのかす蛇。

 錬金術のシンボルの一つ。とぐろを巻いて自らの尻尾を咥えるウロボロス。

 破壊と再生。永遠の象徴。それが蛇。

 

『かの〝邪石〟が力を貸す者は人間とは限りません。

 心を持つ者であれば分け隔て無く、そのパワーを与えます』

「地縛霊に引き寄せられて、その力を行使した事もあると聞くがな」

 

 果林の言葉を聞き流しながら、マリーンは続ける。

 

『そう、最初に〝邪石〟と接触した〈蛇〉は、次に自分の力を発揮してくれるだろう禁断の知識を持つ宿主を探し出しました。

 それが、たまたま行石を持っていた加賀君だったのです』

「そうして加賀に取り憑いて、少しずつ精神を侵食して行ったのか」

 

 僅かに呻いて、君武が目を覚ました。

 

「桜…」

 

 発光している桜を見上げて呟く。すぐ側には横座りをしたジャネット・果林が彼を君武を見詰め、幽体のマリーンが浮かんでいた。

 

「無茶をする奴だな」

 

 果林かそっと頬を突く。

 

「〈偽〉と言えば、応石でも最凶と言われる〝傷石〟だぞ。そんな代物を使うとはな」

 

 傷石(しょうせき)とは〝応石を傷付け、使用不能にしてしまう〟と言われる特殊な応石であり、本物はかの第一生徒官、南豪君武が所有していたとされるが、応石封印以来行方不明だ。

 

「厳密に言えば、ありゃイミテーションに過ぎんよ。

 どうあがいても、短時間しか効力が保てん…な」

 

 上半身を起こす。応石を使用するには体力を消耗するのが普通だが、あのイミテーションを作用させるだけで、今まで以上に憔悴しているのが自分でも分かる。

 

『それでも危ない事に変わりはありませんよ』

 

 マリーンが警告した。

 応石は決して便利な魔法の道具では無い。応石とその所有者は一種の共生関係にあり、応石に強力な使用を強いれば強いる程、その代償として生命力を消耗する。

 最終的には所持者の死に至るまで、消耗を強制する場合すらあるのだ。

 

『あの〝邪石〟で身を滅ぼした者達の大半が、限度を超えた応石の使用による自滅だったのですから』

「承知の上だったよ」

「死ぬ寸前だったのに、強がりを言う奴だな」

 

 果林が会話に割って入る。

 こつん、と頭を小突くとマリーンの方を見て微笑む。

 

「お前、マリーンの存在が…?」

 

 君武が驚いて、マリーンと果林の両方を見比べた。

 

「ああ。これを山城から貰ったからな」

 

 平たい紅珊瑚状の円盤を取り出す。

 予算委員が最初に入手した琥珀の円盤とは種類が違うが、それは行石であった。

 応石値0の、単体では何の役にも立たない空っぽの石だが、応石を所持するに当たって必要とされる基本の石である。

 〈木〉〈火〉〈土〉〈金〉〈水〉(もく、か、ど、ごん、すい)の五行に対応した種類があり、君武の所有石には〈土〉。果林のそれには〈火〉の応字が浮かぶ。

 

『貴方の〈為〉と同じく、彼の遺志でした』

「山城は、やっぱり天才だったのかも知れないな」

 

 擬似傷石を作成するアイディアは、元はと言えば山城の発案だった。

 後の事を考えて、君武と果林それぞれに応石と行石を託したのだろうか。

 

「そうだ。先輩は?」

 

 君武の問いに女性二人は顔を見合わせた。

 

『生きてはいます』

「おいっ、それはどう言う意味だ?」

 

 君武は傍らの果林に血相を変えて問いかける。

 

「重傷だ。熱線を全身に浴びたのだ」

 

 彼女は視線でその位置を示した。

 桜の樹の根元辺り、加賀はそこに横たわる形で眠っていた。

 

「〝邪石〟の暴走に巻き込まれたのだ」

 

 破裂にも似たその力の解放。

 君武は応石の自己防衛本能が働き、果林もまた、マリーンの作った障壁によって護られた。

 だが、君武の攻撃で応石を強制分離された錬金術師は、至近距離からその力をまともに受けてしまったのである。

 

「それでも〝邪石〟や〈蛇牙〉は滅んだ訳じゃあるまい。新たな宿主を求めて。一時的に飛び去っただけだろう」

「そんな事はどうでもいい。助かるのか?」

 

 答えは沈黙であった。

 

『私にそれを言わせるのですか?』

 

 マリーンの幻影が、小さな肩を震わせながら呟いた。

 

「ああ、マリーン…」

 

 桜の根元から苦しそうな声が上がった。

 

『加賀君』

 

 ふわりと金髪の少女が彼に近付く。

 

「捜したよ…こんな所に居たんだね」

『墜落の爆発で、私の身体は四散しちゃったけど、私の心は〈休〉が復元してくれたの』

「そうか…」

 

 動乱当時、加賀とマリーンが共に所有していた応石は〈人〉。

 そして彼女は〈木〉行であった。

 加賀は青白く光る桜を見上げながら呟く。

 

「〈人〉と〈木〉か。マリーンは桜が好きだったからね」

 

 小さく首を縦に振りながら、幽体のマリーンが涙をこぼす。

 

「泣くなよ。君が俺を突き飛ばしてくれなければ、ここで君と再会する事も無かったんだからね」

 

 これでいいんだと加賀は思う。

 多分、自分はマリーンに謝罪する為に研究を続けていたのだ。応石の力を借り、反魂させた精神を応石人として甦らせるた為にだ。

 課程と結果は違えども、彼はマリーンと再会出来たのだから。

 

「君武、いや、南か?」

 

 次に加賀は予算委員の方を向いた。

 

「迷惑を掛けたな…すまん」

 

 その時だった。第三者のだみ声が響いたのは。

 

「ジャネット!」

 

 君武が振り返ると、そこには非常連絡局(GESTACO)の制服を着て拳銃を手にした神経質そうな男が立っていた。

 

「くっ!」

 

 反射的に白いレオタードが回避行動を取る。

 

「無駄です」

 

 引き金へ掛かる指に力が込められる。

 

『止めてぇぇ!』

 

 9ミリパラベラムの乾いた音が木霊した。

 

『嫌ぁぁぁぁ!』

 

 だが、スローモーションの様にゆっくりと倒れたのは果林ではなかった。

 不意に立ち上がって果林の壁となった加賀の長身である。

 

「ちっ、ま、まぁいい。

 どうせ応石使いも、この事件に関わった連中も全て抹殺せねばならないのですからな」

 

 半狂乱となって泣き叫ぶマリーンの横で、少佐が冷たく言い放つ。

 応石を持たぬ者は、石の表面に浮かび出る応字を始めとする、応石の発する各種の現象を知覚する事は殆ど無い。

 当然、少佐は応石の力を使って意志を伝えるマリーンを感じる事は無かったのだ。

 

「貴様…」

 

 睨み付ける女公安委員に対して、少佐は無慈悲に銃を向けた。

 

「応石使いは二人。一人は加賀大膳」

 

 倒れている錬金術師を一瞥する。

 

「もう一人は、どうやら貴方の様ですね。さぁ、〝邪石〟は何処ですか?

 答えなさい」

 

 銃口を果林に固定したまま、少佐は予算委員へ目を走らせた。

 

「このむかつく野郎は、誰だ?」

 

 汚物でも見る様な視線を少佐に送りながら、君武は果林に問うた。

 

「非常連絡局特殊治安部隊の少佐殿だ。

 名前は…口が汚れるから、言いたくも無い」

 

 心底嫌悪した口調で、ジャネット・果林大尉は答えた。

 

「ふん。君は山城の報告だと君武南豪とか言いましたね。

 ふざけた名前だ。私のセンスに合いませんな」

 

 二人は完全に少佐の言葉を無視した。

 

「成る程、こいつが山城の上に居た奴か」

「恐らく、間違いあるまい」

「御名答です。そう言えば、山城はどうしましたか?」

 

 少佐は山城が足りないのを認めると、その安否を同僚に問う。

 

「彼は亡くなったよ」

 

 君武のその返答に、少佐は笑みを浮かべる。

 

「それは結構。秘密を知る者が減りましたからね」

 

 その言葉にはまるで人間味が感じられなかった。

 

「私もその対象なのだろう?」

 

 果林の問いに、少佐が肩をすくめる。

 

「貴女が私の事を嗅ぎ回る様な真似をせねば、もう少し長生き出来たんですがね」

 

 少佐の手に収まったグロック17が火を噴いた。

 その銃弾は全弾、非常連絡局のライバルに命中した筈だった。

 通常ならばだ。

 

「効かないぞ」

 

 だが、予想に反して彼女は無事だった。

 

「馬鹿な」

 

 焦った少佐が再び乱射する。再度の銃撃が降り注ぐが…。

 

「それで?」

 

 果林がレオタードの腰に手を当てて、背筋も凍り付きそうな薄紫の瞳が少佐を睨む。

 

「本当に防弾だとでも言うのか?!」

 

 少佐はパニックに陥った。

 学園新体操部のレオタードは、銃弾をも弾き返す衝撃耐久性を有すると噂されているが、それは真実だったのか?

 

「お前には判るまい」

 

 と果林。

 彼女を護る様にしてマリーン、この場合は応石〈休〉であるが、それが衝壁を張ったのである。

 

『…許さない』

 

 マリーンが怨嗟に満ちた呟きを漏らした。

 怒りに身を震わせる様にざわっと、桜の枝葉が揺れて、花びらが乱舞する。

 

「な、何だ」

 

 マリーンの姿を感じられぬ少佐も、後ろの巨木の異常は察知出来る様だ。

 銃口を桜の樹に定めて発砲しようとするが、多量の裝弾数を誇る彼の拳銃も流石に弾切れだった。

 

 何本もの枝が凄まじい速度で伸びた。

 枝は少佐をすくい上げると、そのままスコップから土を放り投げる様に投げ捨てた。

 少佐の身体は、まず優雅に吊り下がったアールヌーヴォー調の照明器具にぶつかって硝子を砕いた後に、勢い良く天井に激突した。

 

 リバウンドしたその身体は、次に重力に引かれて大地を目指す。

 その落下する先には、奈落の底へ通じる例の大穴が口を開けている。

 キラキラした硝子の破片を纏って、少佐は悲鳴も上げずに暗黒へと引き込まれていった。

 

「先輩!」

 

 駆け寄る君武と果林。

 

「操られていたにせよ、多数の人間を殺めてしまったからには責任を取らねばならない。

 …違うか?」

 

 苦しい息の下、加賀が口を開く。

 

「終わりにしよう。マリーン」

 

 こくんと金髪の少女は小さく頷き、先刻同様、桜の枝が伸びて加賀の身体を包み込む。

 同時に桜の枝が、残りの両者の身体をも拘束した。

 

「何の真似だ」

 

 予算委員が抗議する。

 

『加賀君と私の望みです。

 此処は封印します。この校舎は永遠に…』

 

 厳かにマリーンが宣言すると君武と果林を掴んだ枝が伸び、強制的に彼らを廃校舎の外へと連れ出そうとする。

 

「おい」

 

 建物が揺れ始めた。

 視界の隅でマリーンと加賀が抱き合いながら、こちらへ手を振るのが見えたが、がらがらと落ちてくる瓦礫が邪魔で良く確認出来ない。

 

「くそっ、三流ファンタジー映画のラストじゃあるまいし」

「私は〝ジャックと豆の木〟を連想したぞ」

 

 罵る君武と、どことなく醒めた果林の言葉も空しく、果林の言葉通りジャックと豆の木の如く、桜の枝は凄まじい勢いで地上へ伸びて行き、地上に出た時点で二人は有無を言わさず外へと放り出された。

 

「先輩っ!」

 

 廃校舎が崩壊して行く。

 

『さようなら…。そして、ありがとう』

 

 微笑みを浮かべるマリーンの姿と思考波が微かに響き渡った。そして、それを最後に四号廃校舎は完全に地中へ姿を没していた。

 

 跡には、君武らを地上へと導いた一本の桜だけが残された。

 

〈続く〉




全く関係ない裏話。

君武南豪はTRPG『蓬莱学園』(旧版)でのNPCでした。
決め台詞は「ふん、下らん!」
実は君武。破勢天輝氏の直筆イラスト付きキャラシートなんて物も存在します。

ジャネット・果林も別のシナリオのNPC。
昔、彼らは『自由の旗』のPBMにも登場した事があります(笑)。


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7、終幕

はい、これで完結です。
しかし、昔の手書きから書き写すのはしんどかったよ。
あ、タイトルに蓬莱らしく、『~夜桜!』と!を追加してみました。
ついでに果林のサービス用に、タグ『レオタード』も追加だ。

それにしても『蓬莱学園』ってジャンル、もう少し増えないですかねぇ。
って、笛吹きで蓬莱学園で連載完結させた奴って、もしかして自分が最初かーい(笑)。


〈7、終幕〉

 

 地上三十階建ての近代的な美しいビルディング。

 そこに蓬莱学園の中枢である委員会センターがある。その一室、だが、華麗とは程遠い場所にそのオフィスはある。

 曲がりなりにも一般生徒が関わる地上部分と違い、関係者以外立ち入り禁止の地下部分は一般生徒には謎の空間だろうし、まともな神経を持った連中ならば、関わり合いを持ちたくないに違いない。

 

 通称〝白い壁の向こう側〟とも呼ばれる特別取調室の近く、公安委員会非常連絡局(GESTACO)の本部である。

 木製に見える扉の内部に、内装は豪華だが照明はスポットのみの陰気な部屋がある。

 

「入ります」

 

 ノックと共に女性の声が響き、扉を開いて長身の公安委員がファイルを片手に入室して来た。

 それはタイトスカートと礼服に身を固めた女性だった。

 やや吊り目気味の紫の瞳が整い過ぎた顔の造形と相まって、どことなく近付き難く、冷たい印象を与えるが、美人には違いない。

 彼女は腰まで伸びた桜色の長い髪を揺らしながら、デスクの前まで歩み出て敬礼する。

 

「局長、ジャネット・カーリン大尉出頭しました」

「いよっ、待ってたよ。ああ、副局長、君は帰って良いよ、てね!」

 

 室内に居た三人の内、副局長と呼ばれた男が顔をしかめる。

 

「それは命令ですか?」

「うんっ、命令だよ。あっ、君はこれからのお楽しみを邪魔したいのかなぁ~、

 よっ、出刃亀君と呼んであげよう♪」

 

 どこかの無責任艦長ばりの、馬鹿丸出しの軽い口調で局長なる男がおちょくりまくる。

 

「結構です。局長はもう少し真面目に執務して下さいっ!」

 

 副局長と呼ばれた小柄な男子委員は、それでも敬礼だけは忘れない。

 その容姿は中学生にしか見えないが、四角四面な律儀な奴だ。

 彼は彼女と入れ替わりに退出する。ばんと乱暴にドアを閉めたのが苦笑を誘う。

 

 完全に副局長が退出したのを確認した部屋の主は、椅子を回してゆっくりと彼女の方を向く。

 背は低く、小太りでニキビ面。

 片目はぼさぼさの髪の毛で覆われていて、さながらゲゲゲの鬼太郎の様である。

 

「また、副局長。いえ、中佐が何か難癖を?」

 

 彼女が心配そうに口を開く。

 外見に反して、その声色は優しそうなソプラノであった。

 

「ジャネット少佐、そんな用件で私は君を呼んだ訳ではない」

 

 局長の声は先程とは打って変わった重々しい声だった。

 どうも、あの軽いノリは演技であったらしい。

 

「少佐?」

 

 訝る彼女に、局長は引き出しから辞令を取り出した。

 

「今日からの君の階級だ。さ、報告したまえ」

 

 彼女はいきなりしゃがみ込むと床に片膝を着き、片腕を胸の前に当てて臣下の礼を取った。

 別にそうやれと目の前の男に強制された訳ではない。彼女なりの忠誠の証であった。

 

「錬金術師、加賀大膳は応石の所持に成功。

 治安部隊を中心とした追撃隊を振り切り、四号廃校舎に逃げ込みましたが、一部の局員は更にこれを追って加賀と対決。共に相打ちになった模様です。

 詳細はこれに」

 

 彼女はファイルをまさぐると、局長に報告書を差し出した。

 

「ふむ。応石使いが相手では苦戦もしよう。

 しかし、治安部隊が壊滅か」

 

 局長が呟く。

 

「動乱を生き延びた猛者も、少なからず居たとの話でしたが…」

 

 暗記したファイルの情報を説明する彼女に、非常連絡局長はひらひらと手を振った。

 

「応石相手に無手で勝つのは困難だよ。それは私が良く知っている」

 

 AIO(学園諜報局)局長を兼ね、6・4内戦では第三生徒官を歴任した男は断言した。

 彼女は局長が動乱時、強力な〈滞〉の応石を所持していた事に思い当たった。その経験から来る言葉なのであろう。

 

「加賀の遺体は回収したのかね?」

「四号廃校舎陥没の為、残念ながら…。彼の死は確認済みですが」

 

 一応、事後確認として小型重機を持ち込んで発掘を試みたが、応石による物と思われる不可視の障壁に阻まれて、手も足も出せなかった旨も報告する。

 

「それから、少佐が機密をリークしていた相手は判明したのかな」

 

 彼女は顔を上げた。その相手とは、この頃、蓬莱学園の上流生徒の間で密かに話題が上がる男子生徒である。

 彼がどうも今回の事件の黒幕らしい。

 加賀大膳が、応石の呼び出しを可能にさせる秘術を成功させる結果になったのも、元を辿れば、原因はその男が錬金術研に流した膨大な裏資金なのである。

 

「一年甲子組の生徒で、本土のある財閥の次期当主です。

 発酵食品。醤油、味噌、酒を扱う醸造の最大手ですが、その発酵技術を元手に薬品や化学、近頃ではバイオテクノロジー方面でも業績を上げています。

 恐らく、ほうらい会系でしょう…、名前は…」

「彼が離修委員長に接触しているとの話は?」

 

 報告途中の彼女の言を遮って、彼は尋ねた。

 

「は? 副局長は何も言われなかったのですか?」

 

 局長は苦笑しながら、愛用のオイルライターの被帽を弄ぶ。

 

「委員長殿の腰巾着の彼が、私に報告すると思うのかね?」

 

 その言葉に彼女は唇を噛んだ。

 

「やはり中佐は、局長の追い落としを…」

 

 公安委員会に於ける、離修竜之介委員長の名前は絶対と言って良い。

 彼にはそれだけの実力があり、カリスマも絶大と言う事である。

 だが、非常連絡局長は離修委員長の配下とはやや立場を異にする。どちらかと言えば、配下ではなく、対等な同盟者と言った関係に近い。

 これが公安委員長に心酔し、忠誠を誓うグローリアや副局長辺りとは違う点であろう。

 

 中佐が離修委員長の子飼いであり、腹心である事は、公安のみならず、少しでも学園の政治に関心があるならば、良く知られた事実である。

 その中佐を副局長として非常連絡局に送り込んだのは、離修委員長が如何に局長を警戒しているかの表れなのだ。

 監視役として、そして機会があれば非常連絡局から現局長を追い落とす為、虎視眈々と目を光らせている獅子身中の虫なのだ。

 少なくとも、彼女はそう理解している。

 

「いきり立つな、ジャネット君。君らしくもない」

「申し訳ありません」

 

 思わず身を翻して、副局長室に殴り込もうかと思いかけた彼女に対して、局長は冷静な声でそれを制した。

 

「来年には委員長殿は、此処のポストを中佐に任せるつもりらしいがね」

 

 公安活動の全てを握りたい離修委員長にとって、九十年動乱の結果によるとは言え、自分の完全支配下に無い部下と言う存在は、邪魔者と言って良いのかも知れぬ。

 

「しかし、私にはAIOの方もある。そうそう公安の椅子を明け渡しはせんよ。

 まぁ、布石はやっておいた。君も今日からAIOに移籍して貰うよ」

「え…私がAIO局員ですか?」

 

 公安委員会学園情報局(AIO)。

 米国のCIAや旧ソ連KGBにも匹敵すると噂される、蓬莱学園の諜報機関である。

 AIOはエリートだ。自分がなれるとは思っていなかった彼女は呆然とする。

 

「辞令を良く見てみなさい。当面はGESTACOとの二足草鞋だがね」

「お見苦しい所を見せて申し訳ありません」

 

 局長の言葉に、彼女は真っ赤になってうつむいた。

 

「では、報告を続けたまえ」

 

 ジャネット・果林は報告を続けたが、その何処にもマリーンや君武の名前が出る事は無かった。

 

            ★        ★        ★

 

 南国の宇津帆島は、三月と言っても桜が満開だ。

 君武南豪は宇津帆ソメイヨシノが咲く、恵比寿山の中腹に寝転び、淵内湾から来る潮風を身体に受けながら、移り変わる雲を眺め続けていた。

 

「不景気な顔をしているな」

 

 聞き覚えのある声がして、薄紫の瞳がひょいと顔を覗き込む。

 

「相変わらずの貧乏生活な毎日だからな」

 

 君武は身を起こすと、身体を捻って果林の方を向いた。

 

「まずは伝える事がある」

 

 そう言うと、彼女は呼吸を整えた。

 

「生命が惜しくば、山城の言っていた偽学生の件を誰にも話すな」

 

 果林はわざと事務的に述べて、そのまま隣に腰を下ろした。

 

『山城の件は、上層部に封殺されたと言う事か』

 

 彫刻の様な果林の横顔を眺めながら、君武はそう推察した。

 

「警告だ。それなりの中堅だと自負していた私すら知らなかった、上層部のトップシークレットだからな」

 

 自分の昇進も、その為の口止め料を兼ねていると思う。

 

「まだ、お前を捕らえたくはない」

 

 言い終えると彼女は、抱えていた紙を君武に差し出した。

 

「ん?」

 

 古い蓬莱タイムズのコピーだ。

 日付は1990年6月4日。

 

「内戦当日の物だ。印刷所が使えなかった為に、コピーで作った号外に近い」

「午前11時45分頃、ナパーム弾を搭載した武装SS航空団のF4戦闘機が学食横町に墜落。

 未確認情報によれば…宮城君子副部長他、手話研部員の殆どが死亡した模様?」

 

 片手で別の紙束を差し出す果林。

 

「後の追跡調査で判明した死亡者一覧だ。

 …マリーン・吉野の名もある」

 

 果林の手にある黄ばんだ紙束が音を立てると共に、桜色の髪の毛が花びら混じりの潮風を受けて、大きく膨らむ。

 

「彼らも山城と同じ、内戦の犠牲者なのか」

 

 それを受けて、眼下に広がる平和その物そうな学園を果林が指さした。

 

「桜の樹が春に花を咲かせるのは、『根元に死体が埋まっているからだ』と、うちの局長が言っていた」

 

 乱れた髪の毛を手で押さえる。

 その眼前を彼女の髪と同じ色の花びらが横切った。

 

「それは闇に埋もれ、花を咲かせて朽ちて行く。

 だが、人々はその事実を知ろうともせずに、美しい花しか見ない。今回の事件も当事者以外、誰にも知られないままに朽ちて行き、無くなってしまうのだろう」

 

 この手話研部員達の様に…。

 君武は無言のまま、あの写真立てを取り出してことりと置いた。

 

「果林」

 

 不意に話題を変える。

 

「そうやって横座りしていると、おしとやかに見えるぞ」

 

 君武の指摘に、彼女はちょっと顔を赤らめる。

 

「え、あ…、そ、そうか?」

 

 その反応は意外だった。

 暗い雰囲気を吹き飛ばす為にからかったのであり、てっきり怒り出すと予想していたのだが。

 沈黙。

 話題が続かずに、暫く、予定に反して無言の時間が流れる。

 

「なぁ、俺らの行動は正しかったんだろうか?」

「?」

「少なくとも、加賀先輩にはまだ息があった。

 背中一面が重度の火傷で、弾丸で腹部に致命的な傷を負っていても、だ」

 

 公安委員は小首を傾げると口を開いた。

 

「それが加賀の望みだった。としか言えないな。

 お前の応石を使えば、マリーンの妨害を排除して、お前は加賀を救えたのかも知れん」

 

 確かにそれは可能であっただろう。

 

「しかし、加賀はマリーンに抱かれて本当に安らぎを得たんだ。

 本人がそれで納得しているのに、他人が口出す問題ではなかろう」

 

 果林はそっけなく言う。

 

「生きて罪を償う事が、先輩の採るべき道だと力説したかった。

 以前の俺なら、安易に死を選んだ先輩を卑怯者と罵ったろう。だが…」

 

 青空を見上げながら、予算委員は自嘲気味に続けた。

 

「地下で、俺自身がそんな事言える資格のある奴じゃないと気が付いちまったからな」

 

 どんな理屈を付けたって、他人はともかく自分には嘘は付けない。

 それに〝邪石〟の誘いに心が動いたのも事実だった。

 拒絶はしたものの、自分の身体を『男性にしてやる』との呼びかけは、麻薬の様な甘美な申し出であったのは否定出来ない。

 

「違う人生を歩めた筈だって想いがない訳じゃ無い。

 奴に指摘された通り、俺も心の奥底で先輩の引き出された暗黒面があるだろうし、一歩間違えば、そんな心に支配されてたんだ。

 結局、俺はそんな御大層に先輩を説教出来る人間じゃない」

 

 自分も逃げた人間だった。

 弟と角突き合わせる事を避け、家族のしがらみを断ち切って宇津帆島へと逃げて来た卑怯者だった。

 

「悩みの無い人間なんぞ、居ないって話だ。君武」

「ん?」

「御大層な奴って、ツラか!」

 

 からかいを込めて、果林が頬を指で弾いた。

 

「あっ、こいつ!」

 

 逆襲せんとした君武の指は、すっと立ち上がった果林に肩すかしを喰わされた。

 

「悩む事がある分、それが生きている証なのだと思うべきだな」

 

 笑いながら果林が言う。

 それはマリーン最後の微笑みに似ていた。

 

「待て!」

 

 君武はその笑顔を追いかける。『いい笑顔だ』と思いながら。

 

 遠ざかって行くそんな二人を、写真立ての中のカップルが微笑んで見守っていた。

 そして、今年もマリーンが好きな桜吹雪が舞う。

 

〈FIN〉




どうでも良い裏設定。

偽生徒問題。
この一ヶ月後に「朝比奈事件」が発生し、この二級生徒問題が発覚します。
山城は無論、二級生徒です。果林たちはそれを早めに知ってしまったのです。
傷石。
公式には〈偽〉と言う傷石は存在しません。
応石すら騙してしまう、まさにニセな訳です。
局長。
F君です。私的にはへーすけ君と呼んでました。
彼が無責任艦長風なのはオリジナル。本当にこんな性格なのかは不明。
中佐。
K君です(笑)。スピッツみたいな人として有名ですね。
手話研への墜落事件。
これは史実です。亡くなった方のご冥福をお祈り致します。


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