やはり俺は青春ラブコメがしたい。 (ルマンド)
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あきらリスタート
突然だが諸君は輪廻転生を信じるだろうか。
人が死に、魂は天へと還り、また現世へと生まれ戻ってくる……。輪廻であり、転生であり、合わせて輪廻転生だ。仏教や東洋哲学なんかでは顕著だろう。
俺、
そしてその考えは、当たっていた。
しかし記憶と人格を引きずり、赤ん坊になるというのは大変奇妙で、奇怪で、貴重な体験だ。
前世で三十後半だった男が母親の乳を吸っているのだ、外見的な問題はないにしろ、個人的には居た堪れなさで死んでしまうところだった。
一年、二年、三年と何事もなくというのは冗談で、俺が生まれてから一年後にめでたく妹が爆誕したが、それでも順調に、快調に、両親から「お前は本当に手がかからないな」等と称賛を頂きつつも俺は成長を重ねた。
前世ではインターネットとゲームの中にしか存在しなかった妹を可愛がり、得られなかった知識を読書によって吸収しつつ、未来に思いを馳せる。
やはり第二の人生、やってみたいことは山ほどあるが、一番は恋だ。
恋、つまりはラブストーリー。
俺の前世での家は自慢ではないが裕福ではなかった。親父に男で一人で育てられ、お金に苦労して生きてきたからか、金に固執して生きていた。
効率よく金を稼ぎ、稼ぎ、稼ぎ……。気づけば三十代。そして呆気なく死だ。中学、高校など遊んだ記憶がない。
そう考えると、普通の家庭に生まれたのが奇跡だと思う。
下手すればどこぞの異世界に飛ばされ、高校生活を送らされ、規律を乱そうものなら天使に殺され、SSSなんて学生組織に所属する運命だったかもしれない。
故に恋だ。
俺は甘酸っぱい青春とやらを味わってみたい。俺……消えるのか……? と思いたくなるような恋をしてみたい。
その為に必要な努力は惜しまない。
クックック……。待っていろバラ色学園生活!
「ふうはははー」
「あぅ?」
舌がうまく回らない高笑いに、妹のいろはが首を傾げた。
001
拝啓諸君。
お元気ですか。
俺は小学生になり、小学校という名の生き地獄に叩き落されました。
張り切った両親にいい学校へと入れてもらったものの、中身は他の学校と大差ないと実感する。
小学生、言葉の響きは可愛らしいが実態は酷いもので、騒ぐ、怒鳴る、走り回る……の数え役満状態だ。
学費の高さが育ちの良さに直結するわけではないと悟った瞬間である。
知識吸収もオチオチ出来ず、安らげる場所は自宅と図書館のみといった具合で、最悪な環境だった。
しかしそれも学級が上がるごとに緩和されて、俺は人類の進化を肌で感じていた。が、同時に人類の闇を見た。
イジメである。
仲間外れ、とは便利な表現で、しかし実際見ればそれはイジメだった。
対象は一人。
小学生だというのに整った顔立ちをし、座る姿勢は育ちの良さを感じさせる少女。
端的に言えば僻みからくる仲間外れだった。
彼女は当然のように弁当は一人で食べるし、帰る時も一人(と言っても彼女の家は裕福らしく、お抱えの運転手がいるのだが)だし、休み時間も図書館で本を読んでいる。勿論一人でだ。
初めのうちは可愛らしいものだと我関せずのスタンスを貫いていたが、遂に事件が起こった。
彼女の外靴が消えたのである。
きれいさっぱり、跡形もなく、まるで初めからないように消えた。
それが起こったのは下校の最中で、奇遇にも下駄箱の割り当てられた位置が近かった俺はその事実が見えてしまった。
彼女は空っぽの下駄箱を見、一瞬悲しそうな顔をすると、そのまま教室へと戻る。俺がチラリと校門付近に目をやると、迎えの車はまだ来てないようだった。
教室に戻る雪ノ下と、クスクス笑うクラスメイト達がすれ違う。
よくやるものだと呆れた。
それと同時にどうしようもないイラつきにも襲われる。
動物園ならぬ小学校での生活、妹いろはという治療薬があったが、抱え込んだストレスの数値は既に限界点まで上り詰めていた。
そして何よりも、イジメられている彼女を見たにも関わらず、スルーしようとした自分自身に腹が立つ。
前世では確かに厄介事を避けて生きてきた。避け、見て見ぬふりをして、助けたって根本的な解決にはならないと言い訳をして生きてきた。
本当は助けたい。
ヒーローに憧れない男はいない。
でも、だってを重ねて生きるのはもう御免だ。
俺は考えるのをやめた。
そうだ。俺は走る。考える前に、走ってしまうことにしたのだ。
002
拝啓諸君。
あれから数年たち、俺も立派な高校生になりました。
中学生活? 聞かないでくれ。いや、聞かないでください。
考える前に走ることにした俺は、四方からくる頼みごとにYESで答えるYESマンと成り果ててしまった。
全部を全部肯定したわけではないが、それでも自分の時間が潰れるほどには奔走した。
お陰でバラ色とは程遠い中学生活だったが、他校との試合や大会に出る機会もあってそれなりに充実した時間を過ごせたと思う。
――がしかし。
その反動か何か知らないが、俺は高校生活が始まって一週間後、孤独に屋上でパンを貪り食っていた。
学校というのは不思議な空間で、人は集まり一種のコロニーを生み出す。それは小、中学校でも変わらない。一人の中心的人物に集って出来上がるモノ、同趣味で集まって構成されるモノ、そしてそれら二つに当てはまらない奴らが集まってできたモノ。俺はそれら三つ、どれにも入れなかった溢れ者だ。
一応、彼らと合わせる努力をしてはみたがそれでもダメだった。俺はやはり、
そりゃそうだ。
外見は十六歳でも中身は三十代。青春を金に捧げた拝金主義野郎なのだから、人生は一度きりと信じてやまない、青春している、あるいはしようとしている彼らとズレるのは致し方のないことだろう。
妹、いろはとも彼女が中学に入ってからはそことなく距離感が生まれ、念願の高校では孤立する。
まったく、こんな状態でバラ色学生生活など送れるのだろうか。
……いや無理だろう。
どう転んでも無理だ。
数年後にあーもっかい転生しねーかなーとか言ってる情けない自分のビジョンが見えたぞ。
クソ、パン食ってる場合じゃない。なんとかしなければ。
そう思い、残ったパンの欠片を口に放り込んだ時だった。
屋上のドアが開く。姿を見せたのはレディースのスーツの上から白衣を着込んだ女性、平塚静である。ここ、総武高校の国語担当であり、生活指導担当だ。黒髪美人、スタイル良しと至れり尽くせりだが生徒から告白――なんてこともなく。教師から色眼鏡で見られる――こともなく。教壇に立てば口笛が鳴る――こともない。その彼女の姿を見た俺は顔を逸らす。屋上は普段立ち入り禁止。そして彼女は教師。これだけヒントが見えていれば幼稚園児……は難しいな。小学生でもわかるだろう。
「どうも、平塚女史」
「ああ一色。丁度いいところにいた」
胡散臭い芝居のように平塚女史は手を挙げ、憂いた顔を作る。
「屋上の鍵が盗まれてしまったようでな、犯人を捜しているんだ。心当たりはないか?」
「俺です」
無駄な抵抗はしない。カウント十秒前の時限爆弾を前に俺がする行動は解除を試みることではなく辞世の句を詠むことだ。つまり諦める。
制服のポケットから鍵を取り出し、平塚女史に向けて放る。
「ふむ。素直なのは良いことだが罪は罪。罰せられる覚悟はいいか?」
「反省文ですかね」
「……それも良いが、今回は別だ。一色、部活動は?」
「帰宅部」
「よろしい。ならば放課後、特別棟に来るように」
そう言い、彼女は踵を返して屋上を後にする。置いていかれないように俺も立ち上がり、平塚女史の後を追った。
003
総武高校の教室棟、その向かいに建つ特別棟の一角に俺はいた。
特別棟には音楽教室や図書室などが集まっているわけだが、空き教室も多い。
平塚女史が「ここだ」と立ち止まった教室は吊るされたプレートに何も書かれていない、つまりは空き教室だった。
「ここはなんなんです? 掃除をしろとでも?」
若干埃が積もった教室に俺の声が響く。窓を開け、換気を始めつつ教室を見回した。
「まあそうだな。まずは掃除だ。その後は自由にしてくれて構わない」
その言葉に俺は引っ掛かりを覚えた。
「自由にって……。掃除が罰ってわけじゃないんですか?」
「その通り。君には私が顧問を務める部活、奉仕部に入ってもらう。君が部長だ」
「奉仕部……?」
なんだその胡散臭い部活動名は。前世でも聞いたことがないぞ。
そして俺が部長? ホワイ? なぜ?
「この奉仕部は生徒から寄せられる依頼を解決する部活動……だと私は思っている。所謂、お悩み相談室だな。アキラの部屋とでも名付けようか」
「やめてください」
そんな無茶ぶりするような相談室は嫌だ。
「よく考えてみろ。屋上の鍵をくすねた罪が掃除程度で清算されると思えるか?」
「いや全然」
実は内心掃除だけなことに戦慄を覚えてたりしていた。実は平塚女史は女神なのでは? とも。違ったようだが。
まあしかしだ。
いきなりな話ではあったものの、内容は悪くない。
生徒のお悩み解決となれば男子はともかく女子とも触れ合う機会が生まれるということ。むしろ女子は悩みが多いと聞く。これはまたとないチャンスなのかもしれない。
数秒後、俺はため息一つ。
「わかりました。引き受けます」
「よろしい。その素直さに免じて複製した鍵に関しては私は関知せずにおこう。だが、今後の働きによっては没収する」
バレテーラ。俺の内ポケットで鉄の重みが揺れた。
冷汗を流した俺を一瞥し、平塚女史は白衣のポケットから鍵を取り出し、俺に向けて放る。
”教室ーC”とシンプルな文字体で書かれたプレートをぶら下げた鍵は恐らく、多分、いや間違いなくここのモノで、彼女は俺が管理しろと言いたいのだろう。
「どうして複製してるってわかったんです?」
鍵とプレートを繋ぐ紐で輪っかを作り、指を入れてグルグルと回しながら聞いてみた。
「勘だ。君は
「勘のいい女性は嫌いだよ」
「ふむ。では私は君をぶん殴ればいいのかな」
「やめてくださいしんでしまいます」
そこまで繰り広げたところで平塚女史は咳を一つ、場をリセットする。
「君は他の生徒とは違う。違うと思っているのではなく、根本的に何かが違う。だから君も馴染めないとにらんだが?」
「女の勘って怖い」
「ともかく、この部を切っ掛けに君が学校に馴染めることを期待する。鍵は下校時に返却してくれ」
「では、頑張りたまえ」と平塚女史は教室を出ていく。それを見届け、俺は開け放たれた窓辺へと近づいた。
「そう簡単にいくものかよ……」
004
一色いろは。つまりは俺の妹の話を知りたいと欲するような層はそもそもこの世には存在しないものと思われるが、しかし仮にまさかそんな特殊な需要があったとしても、俺はいろはについて積極的に話したいとは思わない。大体にして往々、人間には自分の家庭内のあれこれを公に開示したいと望まない傾向があって、俺も決してその例から漏れることはないからだ。
とは言ったものの、では話したくないほどダメな妹なのか? と問われれば俺は問うた奴を淘汰する。くだらない冗談を吐いたことを心底申し訳なく思うが、それほど俺はいろはを認めている。中学三年生にして他者が求める自分を理解し、それに応えているのだから大したものだ。兄としては悪い虫が付きそうで心配なのだが。
しかし心配しているといっても声には出さない。いろはが中学に入学してから一年ほど経った時、いつもべったべたと纏わりついてきた彼女が突然、唐突に俺へのスキンシップを絶ったのである。丁度いろはが髪形やファッションなんかに気を使い始めた頃だ。そこから徐々に交わす言葉が少なくなり、今ではほとんど会話をしない。もっとも、中学生は多感な時期だし、そんなものなのかもしれないと思う自分がどこかにいた。
一番最新の会話と言えば、今朝交わしたおはようの挨拶だ。いろはから返ってきた返事は「……はよ」だったが。一瞬なにかをせかされているのかと勘違いしてしまった。だがそんな妹も一歩外に出ればたちまち今どきゆるふわギャルへと大変身。渾身の笑顔と愛想を振りまき、今日もいろはは輝くのだ。その愛想をお兄さんにも分けておくれ。
「はぁ」
家の玄関を前に小さなため息を吐く。これは家に帰るのが嫌なのではなく、あんなに可愛かった妹との微妙な距離感を嘆くモノでもなく、ただ単に疲れただけだ。同年代数人掛かりでやるはずの教室掃除を一人で完遂、過ごしやすいように机を配置していれば家に帰るころにはため息の一つも出るだろう。
奉仕部、部長。部長という響き自体は惹かれるが、奉仕という部分に酷く反応してしまう。二つ繋ぎ合わせれば奉仕部部長。まるで土日祝日をボランティアに費やすような、それでいてタオルを首に巻き、いい笑顔で町内の皆様方に挨拶をするような、そんな印象を俺は受ける。そしてそんな俺を想像してみると、胡散臭いことこの上ない。周りの連中に知られないよう配慮が必要だろう。
引き受けた以上本気で取り組むが、取り組んでいることをおおっぴらにする気はない。コロニーに住むスペースノイドに話題のネタを提供するほどピエロではないのだ。
「ただいま」
靴を脱ぎ、鞄を玄関に置いてすぐ隣のリビングへと侵入した。喉が渇ききっている。仕事終わりならぬ学業終わりの麦茶と洒落こもう。
「あ」
「ん?」
リビングへ入ると、柑橘系香水の匂いがふわっと鼻を擽り、リビングのテレビ前に置かれたソファの上で寝転がりながら雑誌を読むいろはと目が合う。女性向けのファッション雑誌で口元を隠し、目線だけを俺に向けてきていた。
「……おかえり」
「ただいま」
小さな声にそう返し、冷蔵庫の前へ。扉を開けると、適度に中身が減った現状が目に入る。加えて母親がいないということは買い物にでも行っているのだろう。俺は麦茶が入ったポッドを取り出し、コップに注ぐ。後ろから聞こえてくる雑誌を捲る音を流しながら、それを飲み干した。
冷えた麦茶は喉を通って腹に落ちる。コップをシンクに下げてリビングに戻り、一人掛け用のソファに身を沈める。本来の使用者は未だ仕事中で、帰ってくるのは遅い。
ワイシャツのボタンを適度に開けて大きく欠伸。さすがに疲れた。
ポケットからスマートフォンを取り出し、軽くスイッチを押す。明るく点灯するディスプレイに現在時刻と曜日が浮かび上がる。メッセージ通知がないことを確認して、俺はそれをテーブルに置いた。
時計の針が時間を刻む音といろはが雑誌のページを捲る音以外聞こえないリビングで、ただただボーっとしていると考えてしまうことがある。
仙谷顕彰と一色アキラ。
本物は一体どちらなのだろうか、と。
精神で言えば前者で、肉体的に言えば後者だ。しかし他者から見れば一色アキラ一択であり、仙谷顕彰? 誰それ? 状態なのは言うまでもない。だからこそ俺の中で”ズレ”が生じ、何をしていても心地悪さを感じずにはいられない。
結局のところ、どっちかを決めるのは自分自身だ。だからと言ってじゃあこっちーなんて気楽に決められるものでもない。
ああクソ。
どれもこれもそれも、全部平塚女史が悪い。
違うと思っているのではなく、根本的に違う――。こんなことを言われれば、否が応でも考えてしまう。
これほどぐさりと刺さった言葉はいろはの素っ気ない「……別に」以来だ。
――こんなことは、俺がどちら側なのかなんてのは考えないようにしてきた。中学では考える暇を生まないほど動き回ったし、達成感の裏側に隠し続けてきた。だが、それももう限界だ。人と関わっていくならば、人と付き合っていくならば、……人と恋するならば。俺はこの問題を解決しなければならない。
俺が。
本物なのか、偽物なのか。
「……ねえ」
「うん?」
一人でシリアスムードに突入していると、不意に声を掛けられた。今この時、リビングには俺以外一人しかいないため、必然的に発生源はいろはだ。
ボーっと部屋のどこかを見ていた視線を左斜めに移すと、最初に挨拶を交わした時のようにいろはが雑誌で口元を隠しながら俺を見ていた。
「どうした?」
俺がそう問うと、いろはは視線を逸らす。
あーだの、うーだの、うーんだのと唸り、身を捩り考え込んだ。
なんだ、トイレか?
「トイレなら空いてるぞ」
「ち、ちがわいっ!」
「古い言い方だな。昭和の子供か」
国語の勉強で得た知識か?
「ドラえもんでのび太君が言ってた」
漫画かよ。
お前一応今年受験生だろうが。
「大丈夫。きっと受かる」
希望に満ち満ちているな。
「まあ、お前は要領がいいから心配はしてないけどさ。なにかあったら言えよ。抹殺してやる」
「なにを!?」
「妹をイジメる不届き者」
「いやイジメられてないし……。これでもわたし、上手くやってるんだから」
「知ってる」
明るく、愛想よく、男女隔てなく接する。それは確かに、間違いなく人の理想像だが、同時に僻みの対象に成り得る。理想こそを嫌う、もしくは悪とする人間が少ないにせよこの世にはいるのだ。そしてそれは案外身近に存在し得る。
だから俺はこの外面の良い妹が心配だった。人は勘違いし、自分勝手な行動をとる生き物だ。いつか悲惨な事件に巻き込まれるのではと内心恐恐としていた。
「助けてほしいことがあったら遠慮なく言え。兄妹だし、世界征服以外なら力を貸してやるよ」
「逆に世界征服以外ならなんでも手伝ってくれるんだ……」
「勿論」と俺は不敵に笑った。
兄とはそういうものだし、そうあるべきだと思ってる。
「お前は知らないだろうけど、俺はお前を愛してるんだぜ。愛する妹の為ならなんだってやってやるさ」
「もしかしてそんな発言外でしてないよね?」
「してほしいのか?」
「ま、さ、か~~」
言って、いろはは手に持っていた雑誌を投げつけてきた。危ねえ、なにすんだ。雑誌は一見無害だが、実のところ角っこはタンスの角に匹敵するほど痛いのだ。取り方を間違えればあら不思議、どこでもタンスの角に足の小指をぶつけた痛みを味わう羽目になる。上手い具合に背表紙をキャッチし、俺は表紙に目を落とした。
春から決める、必殺女子服。
随分と物騒なタイトルだ。
今どきのファッション雑誌はどこもこうなのだろうか? それとも我が妹のチョイスがおかしいのか。
パラパラと捲ると、実に女子女子している女の子たちがあれやこれやとポーズをとっている。
「どれが好き?」
「うぉっ」
いつの間にか背後に回っていたいろはに驚く。つい大型犬の鳴き声みたいな声をあげてしまった。
というか今の俺にあまり近寄らないでほしいな。埃っぽいだろうし。
「音もなく背後に立つな。ニンジャか、お前は……。それと、あんまり今の俺に近寄るなよ――」
埃っぽいから。と続けようとした時、後ろで物が落ちる音がした。視線をそちらへ向けてみると、地面に可愛い柄のスマホが落ちている。言うまでもなく、いろはの物だ。
「おい、対ショックカバーってわけじゃないんだからもっと大事に――」
俺がそう言おうと顔を上げた時、そこにはこの世の終わりみたいな表情を浮かべたいろはがいた。え、なにその魔女堕ち寸前の美樹さやかみたいな顔は。
「……近づくなって」
「え、ああ……。今俺埃っぽいから」
放課後掃除してたんだよ、大掃除レベルの。と付け加えると、いろははまた表情を変える。いつも通りの顔だ。
「……そっか。そうだよね。そうに決まってる」
俺が掃除罰くらうのはどうやらいろはによって決められていたらしい。お前はいつ総武高校を影から牛耳るようになったんだ。
落ち着いたのか髪を撫でおろし、スマホを拾って「で?」といろはは聞いてきた。
会話の続きをしたいらしい。俺は雑誌を広げなおして曖昧な返事をした。
身近に香る香水に悪くない、そう思いながら俺は雑誌に目を落とした。
所謂テスト
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あきらリスタート 其之弐
005
一度義務教育を終えている人間にとって、そして同じことを二度言われるのが嫌いな俺にとって、高校生活の授業というのは大変苦痛だ。なまじ、記憶力が良いばかりに教師に罪はないけれど、どうも授業中にピリッと来てしまう。本当に教師に罪はないけれど。
だからこそ一日の授業日程が全て消化されれば、ため息の一つも出てしまう。やっと終わった、と。だがそれでは俺の高校生としての一日は終わらない。これから奉仕部での仕事が待っているのだ。最も、この高校に迷える子羊が一匹もいないのであれば仕事もなにもないのだが。
鞄を背負い、人気が無い特別棟の廊下を歩く。
昨日見たばかりの教室の引き戸を見、俺は思わずあっ、と声を洩らした。
鍵を持っていない。
返却してから取りに行っていないのだ。
どうしようもない虚脱感が俺を襲うが、まだ職員室に行くのは早い。昨日の俺のうっかりを信じることにしたのだ。
鍵をかけ忘れて――。
いる。
九割ほどの割合で俺を襲うはずだったドアロックの音は聞こえず、呆気なくその扉は動いた。同時に向かい風が俺の頬を撫でる。どうやら鍵をかけ忘れた挙句、窓すら閉めていかなかったらしい。流石の事態に俺もドン引きだ。こんな迂闊さではテロリストが窓から侵入し、授業中に学校を占拠してしまうかも……なんてのは中学生時代の妄想だ。実に懐かしい。
懐かしさに頬を緩ませながらも、教室内に入る。昨日片づけた教室の中は俺流にアレンジされていて、使われていなかった机と椅子を中央を空けて黒板側、ロッカー側に並べている。丁度向き合う形で置かれたそれは、こうしてみるとなにか対戦中のように見えなくもないが、別の意図があった。
ロッカー側は俺が座る席。つまり依頼される側。
黒板側は迷える子羊たちの席。つまり依頼する側。
座る席が多い気がするが、そこは気にしないでおこう。
そして、既に客がいるようだった。
窓辺の席に座る黒髪の少女。背筋を伸ばした座り方は育ちの良さを感じさせ、本に落とす瞳は宝石のように美しい。風になびくカーテンと、差し込む日光で、それはさながら一枚の絵画のようだった。
ひどく
「あら、来たのね」
「ああ、来た」
ドアを閉め、近くの机に放って彼女の目の前の席に腰掛ける。これでは俺が依頼者だが、あくまでも配置はそうあればいいなと思っていただけで、そこまでのこだわりはない。
しかし、どうやらこの高校は俺が思っている以上に仔羊が多いらしい。発足一日目にして一人目とは。確かに出会いはほしいが、こんな調子で毎日来られたらそれはそれで困る。
「それでお悩みは?」
「……そう。そうよね」
問いに対して、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。残念そうな、悲しそうな、見ていてなにか失言しただろうかと考え込んでしまうような顔を、した。ここに第三者がいたならば、間違いなく俺が悪者にされるだろう。
「いえ、なんでもないわ。相談はこれよ」
言って、彼女は自分の携帯を取り出して机の上に置いた。見に来いと?
立ち上がり、近づいてから携帯を拝借する。ディスプレイに表示されていたのは一枚の写真で、写されていたのは他人の携帯画面だった。所謂メールの確認画面であり、差出人、受取人、件名が写されている。
差し出し人は名前表示ではなく、アドレス表示。ドメインは有名な会員登録すれば使える無料のモノで、受取人は名前表示。件名は――。
「雪ノ下雪乃は金で男を買っている」
「……まったく、低俗ね」
「チェーンメールか」
「そう。私以外のクラスメイトに送られ始めてるらしいわ」
携帯を机に置き、鬱陶しそうに窓の外を見る彼女を見、今回の依頼を把握した。
「チェーンメールの犯人を捜せばいいんだな?」
「ええ、頼めるかしら」
契約完了、依頼受諾である。俺は手立てを考えつつ、気になったことを聞いてみた。
「犯人。探し出してどうする?」
「無論、二度とこんなことが起きないよう徹底的に、叩き、潰す」
ワァーオ、可憐な容姿から想像を絶する憤怒を感じる。
どうやらクールを装っているものの、内心かなりキレているらしい。
「まあ、俺は探し出すだけだ。犯人を煮ようと焼こうと潰そうと、それはお前の――」
「雪乃」
「ん?」
「雪ノ下雪乃。私の名前よ。お前なんて、言わないで」
それは懇願――のようだった。見つめ合う瞳は揺れていて、そんな彼女、雪ノ下を見ていると俺まで変な気持ちになってくる。思わず、「ああ」と返事をしてしまった。
「やっているね、少年少女」
雪ノ下との間に流れる微妙な空気を、教室のドアを開けた平塚女史が吹き飛ばす。
「平塚女史。暇ですね」
「開口一番それか? まあいい。もう話は済んだのか?」
俺の代わりに雪ノ下が「ええ」と涼しげに答えた。それを聞いた平塚女史は満足そうな顔で「よろしい」とハニカムと、
「分かっているとは思うが、彼女が奉仕部の依頼人第一号だ。しっかり働き給えよ、一色」
その働きで生徒が叩き潰されそうなんですが。
そう言いたくなる口を閉じ、俺は適当に返事をした。
「奉仕部……?」
言って、首を傾げる雪ノ下に向き合い俺は口を開く。
「平塚女史の中にだけ存在する架空部活動だ。人間、孤独に飢えると架空生物ならぬ架空部活を生み出してしまうのさ」
「お、それは喧嘩を売っているのか? 言っておくが私は強いぞ」
平塚静、アラサー。未だ独り身。
「孤独云々はともかく、架空の部活動なのは納得ね。聞いたこともないし、そもそも部活動は五人以上から認定されるもの。所属しているのが貴方だけなのだから成立するはずがない」
「……なんで所属が俺だけだってわかるんだ?」
「……ひみつよ」
雪ノ下の笑みはそれはそれは美しく、見ただけで思春期男子の脳内に薔薇の花びらが舞い散ること間違いなしだが、当の俺はカエルを睨む蛇、獲物を捉えたライオンのような悪寒をその笑顔から感じ取った。
いや、気のせいだろう。たぶん。
窓が開いているし、そのせいに決まっている。
「一色、君の言葉を肯定するのは癪だが、その通りだ。この部活は公には存在していない。だが私はこの部活動が今の総武高校に必要だと考えている。理解と賛同を得られるかどうかは別としてな」
「個人の裁量で空き教室まで使って……。バレたら不味いのでは?」
「はっはっは、当たり前だろう。だからこそ慎重に、慎ましく、まるで駅裏の寂れた個人経営本屋のような活動を期待する」
爺さんが店番してそう。
「わかりましたよ。じゃあ、期待に沿って慎ましく、チェーンメールを流した生徒を叩き潰すとします」
「素晴らしくなにもわかってないな、君は」
平塚女史の冷えた声が教室に響いた。
006
くれぐれも頼む、とそう言い残して平塚女史は職員室へと帰っていった。どうやら、様子を見に来ただけらしい。閉じられた教室のドアを一瞥して、俺は雪ノ下へと向き直った。
「とりあえず、クラスメイトのことを教えてくれ」
「それは名前ということかしら? それとも群れた羊のようなグループのこと? あるいは両方?」
「両方」
そうね、と雪ノ下は少しの間黙る。
「私のクラスで目立ったグループは一つしかないわ。藤沢真紀、という生徒を中心にしたグループね。大体四、五人で固まっているわ」
「最初にメールを受け取った奴はわかるか?」
「いいえ。でも彼女のグループの人間は全員が受け取っているみたい。私を見る目がとても不愉快だったから」
「……つかぬ事を聞くけど雪ノ下。お前友達は?」
「その話をするにはまず友達の定義を形にするところから始めなければならないのだけれど」
いないらしい。
「いないわけではないわ。決めつけはやめて頂戴」
「ナチュラルに心を読んだな……。いるの?」
「……貴方こそ」
ヒューっと風が俺と雪ノ下の間を通り抜ける。この教室に入る時に感じた風と同じのはずだが、どこか冷たく感じた。
「……やめよう。この話題のダメージは計り知れない」
「……同感よ。それで、このチェーンメールを送り始めた元凶は藤沢真紀なのかしら?」
「可能性は高い、が。証拠がない。雪ノ下は普段通り生活を続けてくれ。俺が周りを探ってみよう」
「相手は電脳世界の住人よ? どう調べるの?」
電脳世界。カッコいいな、ロックマンみたいで。
「送り主はフリーのメールアドレスを使っているけど、
送られた人間を調べ上げ、共通の人間を探せば自ずと答えは出る。
単純だが、一番効果的だ。冷静に考えれば証拠としてのパンチが弱いが、自分が完璧な犯行をしたと思い込んでいる人間ほど小さな証拠がよく効く。それが高校生ならば猶更だ。突き止め、突きつけ、追及すればあっさりと崩れるだろう。
「期待しているわ」
「任せろ」
方針が決まったところで、俺は気になっていた疑問を雪ノ下に投げかけてみた。
最初に会話した時の、複雑そうな表情のことについてだ。
「……」
雪ノ下の信じられない、と言いたげな瞳が俺を貫く。
「……信じられないわ」
どうやら本当に信じられないと思っていたらしい。
「忘れているならまだしも、それを追及してくるなんて」
忘れている? 俺が?
うーん、と頭を捻って記憶の残滓を追う。背筋が伸びた着席姿勢、読書好き、そして
あ。
「もしかして小学校一緒だった?」
「ええ」
「……もしかしてイジメられてた?」
「ええ」
「……もしかしてもしかして、俺助けた?」
「ええ、そう」
「あの時の女の子かぁ――……!」
懐かしい、ひどく懐かしい思いが体中を駆け巡り、同時に俺は忘れていた申し訳なさで雪ノ下から視線を逸らした。言い訳をさせてもらえるならば、小学校の頃に行ったイジメ解消は俺の記憶から一刻も早く消し去りたいモノ(今思い出すと恥ずかしすぎる言動をした)で、加えていろはの親離れならぬ俺離れ(通称いろはショック)によって忘却の彼方へと吹っ飛んでいたのだ。中学生時代忙しかったのも要因の一つだろう。
しかし、そう考えてみてみると、確かにあの頃の女の子を成長させれば今のような雪ノ下になる。
……どうやら胸は過去のままのようだが。
「とても不愉快な視線を感じるのだけれど」
「すまん」
謝る。俺はよく言えば素直で、悪く言えば諦めが良いのだ。
と、そこで俺は教室に備え付けられた時計を見上げる。そろそろ帰宅するには良い時分だ。窓の外も暗くなってきたことだし、帰るとしよう。
立ち上がり、窓を閉めて鞄を拾いに行く。俺、そして時計を見た雪ノ下も猫のブックカバーが付いた本を鞄へとしまい込み、席を立った。
「鍵は私が持っているわ」
「だろうな」
雪ノ下がついてくる足音を聞きながら答える。先に廊下へ出ると、彼女が手際よく施錠し向き直り、
「また、来てもいいかしら」
と言いながら鍵を渡してきた。俺はそれを受け取り、
「勿論」
と軽く笑う。丁度、一人では広すぎると思っていたところだ。物静かで、美しい彼女が来てくれるというのは大変助かる。
俺の返事を聞いた雪ノ下は嬉しそうに微笑むと、
「ありがとう」
そう告げた。その笑顔が記憶の奥深くで埋もれていた小学校時代の彼女の笑みと重なり、当時を思い出した俺はむず痒くなってろくな返事もせず、歩き出す。
静かな特別棟の廊下に二人分の足音が響き渡り、新たな予感を俺に告げていた。
キリが良いので投稿
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あきらリスタート 其之参
007
翌日。
雪ノ下に宣言した通り、俺は彼女が所属する国際教養科に探りを入れた。
流石、普通科とは違って英語と文化理解力に力を入れている学科だけあってとっつきにくい、あるいは変人らしき人間が多く見られたが、それでも訊いたことや噂なんかについては気軽に、気さくに、やや分かりづらい言い回しで教えてくれた。
そうして分かった事実は二つ。
一つ、雪ノ下に関するチェーンメールは彼女が所属するクラス内でしか回っていなかったこと。
二つ、雪ノ下は既に一部の人間を魅了していたということ。
後者の説明は省くとして、一つ目の情報で俺は大方、八割、藤沢真紀が今回の事件の首謀者であると判断した。出回っているチェーンメールを受け取った生徒たちに見せてくれないか、と頼み込んだところ躊躇や戸惑い、驚愕の色を見せなかったからだ。まるで、雑誌を見せるような気軽さでメール画面を見せてくれた。つい数週間前まで中学生だった子供が、自分の悪事を追跡する男に驚かない、あるいは戸惑わないはずがない。過酷、または凄惨なトラウマがあったり、幼いころから役者を目指して猛特訓していたりした場合を除いて。
送られた生徒たちの共通の人物が藤沢真紀だった、というのも判断材料だ。動機は色々と思いつくが、今は割愛しよう。
授業終わりの放課後、昼とは打って変わってやや暗い青空が晴れ渡っている下の屋上で、俺は一人の女子と対峙していた。
現状、最も疑わしい藤沢真紀だ。勘違いされないように言っておくが、俺が呼び出したわけではない。そんな大胆さは持ち合わせていないし、そんなことをしたらあっという間にクラス中の話題を引っさらってしまう。彼女もそれを考慮してか、靴箱に一通の手紙を入れて俺を呼び出した。一瞬ラブレターと勘違いしたとか、心拍数が幾らか上昇したとか、周りの目を気にしたとか、そんなことは一切ない。ホントに。
フェンスに寄りかかる藤沢に、俺は「で?」と切り出す。
呼び出された理由についてはチェーンメールの件八割、告白一割、その他俺の考えが及ばない話一割だ。
「……チェーンメールのこと、聞きまわってるって聞いたんだけど? どうして?」
「雪ノ下に解決を頼まれたから」
俺の言葉に藤沢は反応する。大きな挙動はないが、目線が不自然に動き、髪を撫で始めた。どうやら小心者タイプらしい。行動はするが、揺るがぬ信念はなく、ちょっとした揺さぶりにも反応してしまう。
「もう終わりにしよう。人の噂も七十五日だ。メールの送信がなくなって、お前自身が話題を出さなければこの件は終わる」
「私がやったみたいに言わないで!」
「頼むよ藤沢。俺に追い詰めさせないでくれ」
「……なによ、あんたも結局雪ノ下に好かれたいだけのくせに。どいつもこいつも雪ノ下雪ノ下って……!」
俺が得た情報の中に、藤沢真紀が中学生時代から付き合っていた男が雪ノ下に惚れ込んで破局した、というものがあった。今回の件もそれに由来するものなのだろう。雪ノ下に仕返しがしたい、見返したい、自分の方が優れているということ証明したい……。どんな感情があったかは定かではないが、そんな彼女が思いついた方法がチェーンメールだったのだ。
手軽に、手っ取り早く、着実に雪ノ下をクラスから孤立させる方法。孤立させることで、グループに囲まれている自分と比べて優越感にでも浸るつもりだったのか……。だが、誤算があった。そもそも雪ノ下が孤立気味だったことだ。
容姿端麗、頭脳明晰、お淑やかで、気品に溢れていた雪ノ下は既にクラスで近寄りがたい存在として扱われていた。その様はまるで小学校時代から変わっていなかったが、それは置いておく。
更に誤算だったのは彼女、雪ノ下は自分に敵対する者には容赦がなかったこと。それが例え根も葉もないチェーンメールだったとしても、敵対と見なして徹底的に排除しようとする。
だからこそ俺は藤沢真紀とこうして屋上で相対していた。雪ノ下に任せれば間違いなく、絶対に、見るのも聞くのも嫌になるようなエグイ追及をすることに相違なかったからだ。
「諦めろ、藤沢。お前は雪ノ下には勝てない」
「なっ……!」
「深く考えすぎだ。所詮高校生活の三年間、勝てない人間と一緒ってだけで、大学生になって、いつか社会人になれば笑い話になる。あんなすげー奴がいたんだってさ」
そしてその頃には。
雪ノ下雪乃の名前など――顔など、忘れているのだろう。
それでいい。いいはずだ。そもそもこんなことに暗い感情を抱くことが本来的に間違っている。
「なによ、それ……」
「お前だって分かってるんだろう? 認めたくないってだけで」
「それは……」
「俺が最終ラインなんだよ。ここから先は地獄だぞ」
雪ノ下が出張ってくれば、うんざりするような理詰めが待っている。そんなことをされれば大抵の人間は、ましてや雪ノ下を嫌う藤沢がそんなことをされれば、鬱、不登校、最悪のケースもあり得る。考えすぎなのかもしれないが、人間とは儚くも脆い生き物なのだ。身体的な意味でも、
行動には責任が付いて回る。俺の制止を振り切って藤沢が雪ノ下に挑んだのならば、例え最悪のケースに陥ってもそれは藤沢の責任だ。俺は同情しないし、気にかけもしない、当然の結果だと斬り捨てるだろう。しかし今、もしも俺の行動でそれらが未然に防げるのならば、俺は行動する。行動すると、決めたのだ。数年前、悲しそうな顔をして教室に戻る幼い雪ノ下雪乃を見てしまったあの瞬間から。
「どうするかは任せる。警告はしたからな」
「……」
沈黙を保つ藤沢を見、俺は屋上のドアノブを捻る。と、そこで疑問がわき上がった。
「どうやって屋上に入ったんだ? ここ立ち入り禁止だろ?」
まさか俺のように鍵をパクってきたのか?
「……横の窓から。鍵、壊れてるの」
そう言われ、俺はチラッと出入り口の横側に顔を覗かせる。確かに丁度人一人分くらいが通れそうな横窓がついてる。
なるほど。細い女子ならば通れそうだ。帰る時はドアに鍵を掛け、また窓から校舎に侵入するわけか。藤沢が唸りながら窓を通り抜けようとしている光景を想像して笑いそうになるが、それを堪えて屋上を後にした。
008
「それで結局、藤沢が折れた訳か」
翌日の放課後に奉仕部部室、という扱いの教室に事の顛末を聞きに来た平塚女史はそう言った。
「ええ。メールの送信はなくなって、雪ノ下の話題を避けるようになった。いずれ全て過去になる」
「犯人捜しだけを望んでいた雪ノ下からはなにか言われなかったかね?」
「特になにも。二度とこんなことが起きないとは言い切れませんけど、そこは人間の善性を信じましょう」
そう、なにも言われなかった。
雪ノ下がこの一件に対して望んでいたことは、犯人を探し出し、徹底的に潰すことによって二度とあんな事態に発展しないようにする土壌消毒じみたことだった。俺もそのことを重々承知していたし、だからこそ事後報告の際に小言の一つでも言われるかと思ったのだが、返されたのは涼しげな、いつものトーンでの、「そう」だけで、他にはなにも言われなかったのである。
「……善性、善性か。君が信じているのは人間の善性ではなく、諦念じゃないのかね」
平塚女史の言葉に、俺は硬直した。まるで心臓を鷲掴みにされたような緊縛感が全身を襲う。
「今回の一件で確信したよ。君は諦めこそが人間の本質だと、
……人生とは折り合いの積み重ねである。
折り、折られ、折り折られ。そうやって人の道は成り立つ。降すか、降されるかだ。勝つか負けるか、と言ってもいい。仙谷顕彰は降し続けてきた。その為にどうすればいいかを考え、人の心の隙間に入り込み、悪魔じみた手法で人を操った。
行き場のない怒りと、どうしようもない虚無感が俺を襲う。
変わりたいと、一度目とは違う人生をと決めておきながら、結局のところ俺は繰り返し始めている。
「一色、変われ」
「え?」
「君が今の自分がダメだと思えるならば、変われる。その為の奉仕部であり、その為の私だ。最も、君が諦念こそ人間の真理だと本気で思っているならば私から言うことはなにもない。個人的には悲しい価値観だと思うがね」
机に腰掛けた平塚女史は言い終わると、俺の答えを待つように黙った。
一秒、五秒、十秒。俺は息を吸い込み、彼女の目を見る。
「俺は、変わりたい」
そうだ。暗い過去はもういらない。俺は俺の現実を生きる。
「然らば奉仕部を続けたまえ。人と関わり、人を知り、人を想え。それがきっと、君を良い方向へ導いてくれるだろう。なあに、心配するな。もし変われなかったらその時は盛大に笑ってやろう」
「……いやな教師だ」
でも。
だけども。
「君は一人じゃない。忘れるな」
こんな美人に笑ってもらえるならば、それはそれで悪くない。
だから恐れず前に進もう。
理由を付けて助けなかった前世を見限り、理由を考えずに助けようと決めたかつてのように。
なあに、大丈夫だ。
もし失敗したならばその時は、このアラサーの悪教師と一緒に大笑いすればいい。
数年後のことは分からないけれど、精一杯やった結果ダメだったのなら、きっと、いや間違いなく俺は心の底から笑えるだろう。
きっと、それだけのことなのだ。
次話予告
雪ノ下雪乃から寄せられた一件を無事解決したアキラは、またも雪ノ下雪乃から依頼を受ける。
その依頼内容は「事故にあった総武高生に謝りたい」というもので――?
――青春は、過ち無しでは過ごせない。
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