IS 鈴ちゃんなう! (キラ)
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クラス対抗戦編
第0話 再会


はじめまして。キラと申します。このたびはこのハーメルンという素晴らしいサイトを作ってくださった有志の方に感謝しながらISの二次創作を書かせていただきました。内容はあらすじに書いてある通り、本編再構成ものです。原作での扱いの良さというものがシャルの半分くらいしかないんじゃないかと思われる鈴ですが、それでも僕は彼女が一番好きです。ツンデレでツインテールで幼馴染って最高だろう……
というわけで、よろしければ読んでもらえるとうれしいです。


 ――IS。正式名称インフィニット・ストラトス。それまでの科学の常識・限界を塵に返したパワードスーツ。当初は宇宙での活動を想定して作られていたが、後に兵器に転用。さらにそこから各国の協議を経て現在はスポーツのための道具として使われている。

 ISが一般社会に与えた影響は大きい。『ISは女性にしか起動できない』、ただそれだけのことで、世界のバランスは変わった。男女平等社会を謳っていた女性たちは、いつしか自らを男よりも上の立場に位置付けるようになった。その考えは瞬く間に世界全体へ広がり――女尊男卑という常識が誕生するまでに、さほど時間はかからなかった。

 当然、それをよしとしない男性は今でもたくさんいる。再び男性の立場を取り戻そうと行動している団体の人たちの口癖は『ああ、男がISを使えさえすればなあ』であるらしい。俺も正直女性が理由もなく偉そうにしている社会は気に食わないので、確かにISを使える男がいればなあ、となんとなく思っていた節はある。

 ――ただし、その考えに注釈を加えるとするなら。

 

「俺は別に、自分がISを使いたいって思ったわけじゃないんだけどなあ……」

 

「む? 何か言ったか、一夏」

 

 いつの間にか心の声が口に出ていたらしい。なんでもない、と隣にいたファースト幼馴染である篠ノ之箒に答え、ひとまずとりとめのない思考を中断させる。

うだうだ考えても、既に起きてしまった事実は変えようがない。織斑一夏が世界で唯一ISを動かせる男で、現在女だらけの学び舎で生活しているというのは、紛れもない現実なのだ。

 

「ねえねえ知ってる織斑くん? 今日2組に転校生がやってくるんだってー」

 

「なんでも中国の代表候補生らしいよー」

 

 入学してからひと月。初めは不安しかなかったが、幸いまわりの女子たちとも打ち解けることができていた。特に数年ぶりの再開を交わした箒と、イギリスの代表候補生であるセシリア・オルコットとは一緒にいる時間も多い。今もこうして、クラスメイトがなにげなく転校生の情報を持ってきてくれている。

 

「へえ、中国か……」

 

 中国といえば、やっぱり思い出すのは『あいつ』のことだ。箒が転校したすぐ後に引っ越してきて、中学時代を一緒にバカやって過ごした、ツインテールのセカンド幼馴染。でも中2の冬に中国に帰ることになって、それでその時――――

 

「――――あ」

 

 しまった、と考える間もない。幼馴染のことを思い返す中で、俺はうかつにも思い出してはいけない光景を頭に浮かべてしまっていた。

 

「あら、今さらわたくしの存在を危ぶんでの転校かしら……って一夏さん? なんだか様子がおかしいようですけれど大丈夫ですの?」

 

 近くにいるセシリアが何か言っているが、その内容が頭に入ってこない。ああ、くそ。だから思い出したくなかったんだ。別に嫌な思い出ってわけじゃない。だけど、ひとたびあの時のことを考えた途端、頭の中がそれでいっぱいになって、まともな思考ができなくなってしまう。もう1年以上たっているのに、いまだにこの症状は治る気配を見せない。友人の五反田弾に言われた通り、俺は相当うぶな人間らしい。

 

「織斑くーん? 顔が赤いけどどうしたのー! ……へんじがない、ただのしかばねのようだ」

 

「うーむ、これは重症だね。なんで急にこうなったのかなあ」

 

「……まさか、中国の代表候補生に心当たりでもあるのか、一夏」

 

「そうなんですの? 一夏さん」

 

 みんなが俺に向かって話しかけてくる。その言葉の意味をわずかに作動している部分の脳で理解して、たっぷり15秒はかけて言葉を返す。

 

「……いや、そうじゃない。ただ中国に知り合いがいて、そいつのことを思い出してただけだ」

 

 そう答えたとき、教室のドアががらり、と動く音がした。外の窓の方を向いていた俺はクラスメイトの誰かが入ってきたのだろうと思って特に気にかけなかったのだが、廊下側に目を向けていた人たちはなんだか様子が変だ。

 

「あんな人1年生にいたっけ……?」

 

「見覚えないけど、でもあの制服は1年だよね」

 

「てことは、もしかして噂の転校生……!?」

 

 そうか、みんな自分たちの知らない生徒が入ってきたから驚いていたのか。おそらく2組に来ることになったという転校生なんだろう。……でも、だったらなんで1組の教室に入って来たんだ?

 

「……ねえ、なんだかあの子、こっち見てない?」

 

 俺の隣にいた女子がこぼした言葉を聞いて、じゃあ俺の近くの誰かの知り合いなんだな、と考える。

 ――後になって思い返せば、俺がこの期に及んでまだ転校生の姿を確認しようとしなかったのは、無意識に本能がその行為を避けようとしていたからなのかもしれない。

 

「……というか、あれは一夏さんを見ているように見えるのですけれど」

 

「え? 俺?」

 

 中国人の知り合い、それも高校生なんて、俺にはひとりしか――――

 

「…………」

 

 まさか、とは思う。だけど実際、教室の入り口あたりからじーっと視線が向けられているのは確かだ。件の転校生は、間違いなく俺に会いに来たのだ。……単に男でISを動かせる俺に興味があって来ただけということも考えられるが、それだけの理由なら転校初日のHRも始まっていない時間にくることはないと思う。だから、たぶん彼女は俺を知っているんだろう。だとしたら、思い当たる人物はただひとり。

 ……振り向くのが正直怖い。だってさっきあのことを思い出したばっかりなんだぞ。その直後に当の本人の顔を1年ぶりに見るなんて、いくらなんでもハードルが高すぎる……!

 だが、それと同時に『あいつの顔を見たい』という気持ちもあった。2つの思いがぶつかり合う中、わずかに勝ったその感情が、徐々に俺の顔を入口の方へ向けていく。

 

「……ああ」

 

 視界に入って来たのは、同年代の女子と比べると小柄の部類に入る女の子。茶髪のツインテールなのは変わっていない。だけどいつも見せていた勝気な瞳は、今は恥ずかしがるように力を失っている。

 ……そう。その転校生は、俺のセカンド幼馴染で、名前は―――

 

「……よ、よう。ひ、久しぶりだな、鈴」

 

「……え、ええ。ひ、久しぶりね、一夏」

 

 どっちも緊張のためか声が裏返っていたが、それでも今ここに、1年ぶりに再会した幼馴染の会話が成立したのだった。




というわけでいきなり原作1巻の鈴転入にあたる話から入りました。次回から一夏たちが中2のころのエピソードに入って、なんで一夏と鈴がこんなにぎこちないのかということを説明していきたいと思います。今回はプロローグ的な話なので文字数も少なめですが、次回からはもっと増やしますので、これからもよろしくお願いします。


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第1話 むかしのおはなし①

この作品のタイトルの元ネタである鏡音リンと凰鈴音って声優さんが同じ下田麻美さんなんですよ。……え? とっくに知ってる?


 俺には幼馴染の女の子が2人いる。1人目は篠ノ之箒という剣道少女で、彼女に関してもたくさんのエピソードがあるのだが、それを話すのはまた別の機会にしよう。

 今回は2人目の幼馴染、凰鈴音について。箒と入れ替わる形で小5の始めに俺の通っていた小学校に転校してきた鈴だが、正直最初は仲が良いとは言えなかった。どのくらい良くなかったのかというと、初対面でいきなりグーで殴られるくらいには険悪だった。まあ、それも今となってはいい思い出……いや、今でもやっぱり痛い思い出だ。

 それでもある時を境に俺たちの関係は180度変わり、以降は仲のいい女友達としていろんなことをやってきた。小5に知り合った人間を幼馴染と言うのはおかしいんじゃないかと言うやつもいるが、それでも鈴は俺にとっての大事な幼馴染のひとりなんだ。

 きっとこれからも、俺は鈴や弾たちと一緒にくだらなくも楽しい日々を過ごしていく。

 

 

 

 ――そう、根拠もなく思っていた、中学2年の秋の日のこと。

 

「……え」

 

 いつものように鈴の両親が経営している中華料理の店で夕飯を済ませて帰宅した後、携帯電話を忘れたことに気づいて再び店の前まで戻ってきた。営業時間は過ぎているため店は閉まっているが、頼めば中に入れてくれるだろう――そんな思考が、一気に吹き飛んだ。

 俺の視界の中。店の前に、鈴が立っている。それだけならば気軽に声をかけて、携帯電話のことを話していただろう。

 だけど、俺が見た鈴の姿は、いつもの元気の塊みたいなソレとは程遠くて。

 

「…………」

 

 ――その目から、涙が溢れ出していた。

 

「……鈴」

 

 思考も何もなく、ほぼ反射的に、気づけば彼女の名前を呼んでいた。その声が届いたらしく、俺の存在に今まで気づいていなかった鈴の肩がビクリと跳ね上がる。

 

「っ! い、いちか……? 」

 

 今まで聞いたこともないようなか細い声で、鈴は俺の名を口にする。

 

 ――その時、どこかから誰かの怒号が耳に入って来た。あたりを見渡して、その声の発信源を見つける。

 

「鈴……」

 

 怒った声は、目の前の店――つまり、凰家から聞こえたものだった。一度注意を向けると、今も中で誰かが言い争うような声が聞こえている。

 

「鈴、お前の親……」

 

 喧嘩してるのか、という言葉を言い切る前に、鈴の体が動いた。自分の家から、そして俺から逃げるように、全速力で走りだす。

 

「あっ、おい鈴!」

 

 いきなりの逃走に一瞬反応が遅れたが、すぐさま俺も駆け出し、鈴を追いかける。どういうことなのか、とにかく事情を聞かないと……!

 

 

 

 

 

 

「……なんで、追いかけてくるのよ」

 

 ――結果として、200メートルほど走った後、俺は公園の中で鈴の腕をつかむことに成功した。普段ならすばしっこい鈴を捕まえるのは至難の業なのに、こんなに早く追いついたということは、やっぱり相当参っているらしい。

 

「……あんな泣き顔見せられて、黙って帰れるわけないだろ」

 

「…………」

 

 いつもの鈴なら『勝手に見たのはそっちでしょ』と減らず口のひとつでも叩いてくるはずだ。それが今は、ただ力なくうつむいて黙ったままでいる。

 

「……話してくれないか」

 

 なんとなく、鈴が泣いていた理由の予測はついていた。そりゃ信じたくないけど、俺の足りない頭で思いつくような理由なんてひとつしかない。ここで事情を尋ねることが、他人様の家の事情に首を突っ込むようなことだというのもわかっている。……それでも俺は、鈴の口から言葉を聞きたかった。少しでも彼女の感情のはけ口になれれば、少しでも彼女の力になれればと、そう思わずにはいられなかった。

 

「…………」

 

 黙ったままの鈴を連れて、公園のベンチに腰掛ける。鈴ももう逃げるつもりはないらしく、そのまま隣に座ってきた。

 

「……うちの両親さ」

 

 ――離婚するかもしれない、と。その言葉を聞いて、予想していたとはいえ、俺は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――もし鈴の両親が離婚すれば、鈴は母親の方に引き取られることになり、まず間違いなく中国に帰ることになると鈴は言った。

 何とかしたかった。……でも、子供の俺に、友達の両親の離婚を止めるなんてこと、できるわけがなかった。親父さんもお母さんも、ちゃんとした理由があって離れようとしているんだろう。詳しい事情も知らない俺が、踏み込んでいい領域じゃない。

 ――結局、俺は無力だった。あの夜以降、鈴はまた元の明るい鈴に戻った。学校でも友達と楽しそうに話しているし、はたから見れば元気そのものだ。でも事情を知っている俺には、鈴がどこか無理をしているようにも見えた。

 ……守りたいものがあるのに、そこに手が届かない。そんな自分が、どうしようもなく情けなく思えた。

 だけど、そこで腐るわけにはいかなかった。力がなくても、まだ年端のいかないガキだったとしても、何か必ずできることがあるはずだ。そう思った俺は、必死に考えて、とても単純な結論に至った。

 

「鈴! 一緒に帰ろうぜ」

 

「あれ、アンタから誘ってくるなんて珍しいわね一夏」

 

「ああ、ちょっと面白そうな店見つけたんだ。だから2人で寄ってみないかって思ってな」

 

「そうなんだ。どんなお店なの?」

 

「それは行ってからのお楽しみだ。ほら行くぞ」

 

「わわっ! ちょっと腕引っ張らないでよ!」

 

 ――結論。鈴と一緒にいる時間を増やす。それが、俺にできる精一杯だった。今まで帰る時間がたまたま同じだった時だけ一緒に下校していたのを、ほぼ毎日に変えた。休み時間も、鈴がひとりでいるときはかなり積極的に話しかけた。休日にも鈴の家に立ち寄る機会が多くなった。当然、クラスのみんなはそんな俺の行動を怪しんだ。特に弾は相当しつこく、別に付き合ってるとかそういうわけじゃないと納得してもらうのに骨が折れた。あいつ曰く、

 

「本当かよ? だって最近のお前と鈴、本物のカップルでも敵わないってくらい長い時間一緒にいるだろ」

 

とのことだ。……確かにそうだと思った。

 

 

 

 

 ――そうして、しばらく日々が過ぎた後のことだった。

 

「それでさ、その時千冬姉が……」

 

 ここ1ヶ月で恒例となった下校時の寄り道。いつものように会話のネタを振るのだが、今日は鈴の様子がおかしい。俺が何か言っても『うん』とか『そう』しか答えてくれないし、足取りも重そうだ。

 

「……鈴? どうかしたのか」

 

「…………」

 

 鈴は何も言ってくれない。ひょっとしてどこか具合でも悪いのだろうか。だとしたら寄り道につき合わせてる場合じゃない。

 

「気分悪いのか? だったら――」

 

「……もう、いいわよ」

 

「え? 」

 

「……もう、無理してあたしに気を遣わなくていいって言ってるのよ」

 

 そう言って鈴は立ち止まり、俺の顔を見つめる。……また、あの時の弱々しい目をしている。

 

「あたしが寂しい思いをしないようにって、アンタがこうしていろいろやってくれてることには感謝してる。実際、あんたと一緒にいる時間が増えたのはうれしかったわ。……けど、もういいの。あたしなんかにこんなにかまってくれなくていい。一夏には一夏の人付き合いってもんがあるでしょ。バイトだってあんなに頑張ってたじゃない」

 

 ……鈴と毎日一緒に帰れるように時間を合わせるということは、必然的に夕方のバイトが不可能になるということだ。まさか『友達が帰る時間が遅くて、それに合わせるので今日は働けません』なんて言うわけにもいかないからな。

だからバイトをやめた。俺の生活パターンを知っていた鈴が、そのことに気づかないはずがない。

 

「……あたしは、一夏の負担になりたくない」

 

 ――ああ、確かに負担になっていないと言えばそれは嘘だ。

 

「だから――」

 

「……だから、そんな悲しそうな顔されて、黙ってはいそうですかって言えるわけないだろ」

 

 鈴はひとつ、勘違いをしている。

 

「え……?」

 

「あんだけ仲のよさそうだった鈴の両親が離婚するのは嫌だ。俺と鈴が会えなくなるのも嫌だ。……けど、一番嫌だったのは、お前が泣いてたことだった」

 

 自分が今、相当恥ずかしいことを言っているのは承知している。でも、今は覚悟を決めて思いの丈を鈴に伝えなければ。

 

「鈴にはいつも元気に笑っていてほしいんだ。あの日の夜みたいに、ひとりで泣いてる姿なんて見たくない。だからさ、俺みたいなやつでも、誰かがそばにいれば少しは辛い気持ちを薄くできるって思ったんだ」

 

「だから、そうしてくれるのはうれしいけど、でも――」

 

「俺が損をしてるって? それは違うぞ。こうして鈴と一緒に話したり、寄り道したり、遊んだりするのがすごく楽しかった。俺も十分得をしていたんだ」

 

 鈴の目が大きく開かれる。俺の言葉に驚いているのだろうか。

 

「い、ちか……」

 

「確かに、俺にとって他の友達やバイトは大事なものだ。……だけど、今はそれ以上に、鈴のことが大切なんだ。だから……その、お前の、そばに……」

 

 ああ、もう限界だ。恥ずかしすぎて声が出ない。というか俺はもう少し言葉を選べないのか。まるで安っぽい昼ドラみたいなセリフしかしゃべれていない気がする。

 

「…………」

 

 鈴は再び黙り込んでいる。俺の気持ちはちゃんと伝わったのだろうか。うつむいているから表情が見えないぞ。

 

「…………ば」

 

 ば?

 

 

「ば、ばっかじゃないのアンタ!! よ、よよよくもそんなは、恥ずかしいセリフを言えるわね! しかも最後照れて言えてないし! そんなに顔赤くされたらこっちまで恥ずかしくなるじゃない、もうっ!! ほんとにもうっ!!!」

 

 うがー! と急に騒ぎ出す鈴。どうしよう、悲しそうな顔はしてないけど、なんか変なスイッチ入れてしまった気がする……

 

「おい、落ち着けって」

 

「落ち着けるわけないでしょ! とにかく、あたし帰るからね!!」

 

 引き留める間もなく、鈴はすたすたと早足で去っていこうとして……10メートルほど離れたところで、急に立ち止まった。

 

「おーい、どうかしたか? 」

 

「一夏。30秒間目を瞑りなさい」

 

「は? いきなり何言って――」

 

「いいからっ!」

 

 距離を離したまま、何やら妙な指示をしてくる鈴。……というか、10メートル離れたまま会話するって結構周りに迷惑な気がする。

 

「……わかったよ。ほら、目瞑ったぞ」

 

 このまま30秒、とりあえず待ってみることにする。

 

 ――10秒。鈴はいったい何してるんだろ。

 

 ――20秒。ああ、退屈だ。

 

 ――25秒。あと5秒。我慢だ俺。

 

 ――30秒。

 

「ほら、30秒経ったぞって冷たっ!?」

 

 急に頬に冷たいものを押し付けられ、思わず一気に目を開く。そうすると当然西日のまぶしさをもろに食らうことになり、一瞬俺の視界には何も映らなくなる。

 

「あは、きれいに引っかかってくれたわね」

 

 さも愉快そうな鈴の声が聞こえる。くそ、これで俺の視力が下がったらどうしてくれようか。

 

「いきなり何するんだ鈴――」

 

 文句の一つでも言おうかと口を開いたとき、視界が元に戻った。

 それと同時に目に入って来たのは。

 

 

 

「……ありがとう、一夏」

 

 八重歯をちらつかせて、満面の笑みを浮かべる鈴の姿だった。……さらに補足しておくと、俺の鼻先10センチという超至近距離で、である。

 

「っ!? 」

 

 心臓が跳ね上がった。当然だ、普段はあまり色気を感じないとはいえ、鈴はかなりの美少女だ。そんなやつの笑顔を、こんな近くで不意打ち気味に見せられたらんだから。

 

「じゃあね」

 

 手を振りながら鈴が今度こそ去っていく。その姿を見えなくなるまで眺めて、深呼吸を数回してようやく体が正常に戻った。

 いつの間にか左手に握っていたジュースの缶を見る。さっき鈴が頬に押し付けてきたものだろう。

 

『ドリアンサイダー』

 

 俺の大嫌いな味のものだった。

 

「鈴のやつめ……」

 

 地味な嫌がらせをしてくるもんだ。……でもまあ、とにかく俺の気持ちは伝わったみたいだから、そこは安心かな。

 

 

 

 

 

 

 それからの鈴は、もう自分にかまうななどということは言ってこなかった。俺の寄り道のネタが尽きてくると、今度は鈴が主導することになり、買い物につき合わされたりすることも多々あった。その時の鈴は本当に楽しそうだったし、俺もそうだったから、問題なんてなかったのだけれども。

 ……その一方で、鈴の両親の仲はどんどん悪い方向に向かっていった。鈴から直接聞いたわけではないが、本人の顔を見ていればなんとなくわかることであった。

 ――そうして、いつしか季節は冬へと移っていた。




はい、というわけで過去編前編です。次回でたぶん終わります。


余談ですが、このハーメルンというサイトはにじファンとアルカディアのいいとこどりをしようというコンセプトらしいですね。アルカディアと言えば、1話あたりの推奨最低文字数が5000文字でしたっけ? 今回のこの話が空白入れて5209文字なので、足りてるか足りてないかってところですね。



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第2話 むかしのおはなし②

もう毎日更新が途絶えた……3日坊主ですらないという体たらく。
ちなみにこの作品は転載ではありません。毎日5時間くらいかけてキーボードに打ち込んでいます。なのでこれからも更新が遅れたりすることがあると思います。

しかしISというジャンルにもたくさんの作者様が投稿していらっしゃいますね。僕も埋もれないように頑張っていきたいです。


 ある日、鈴が学校を休んだ。担任の先生曰く風邪をひいたとのこと。昨日は咳が多かったからもしかしたらと思っていたが、予想通り冬の寒波にやられてしまったらしい。

 

「女房が欠席で落ち込んでるのか? 一夏」

 

「風邪ひいて休んだくらいで何を落ち込むんだ。それと女房じゃない」

 

 相変わらず同じネタでからかってくる弾を軽くあしらいつつ、家に帰ったら電話でもしてみるかー、とおぼろげながらに考える。

 

「ちぇ、反応が薄くなってきたなー」

 

 俺のそっけない態度がお気に召さなかったらしい。俺から視線を外して窓の向こうを眺める弾の様子は、なんだか妙に拗ねてる感じに見えた。……そういえば最近、鈴を優先しすぎてこいつにかまってあげてなかった気がする。

 

「弾、久しぶりに2人でゲーセンにでも行かないか」

 

「っ! お、おう! いいな、久しぶりに行こうぜ!」

 

 さっきまでの態度から一転、二つ返事で快諾した弾。ひょっとして結構さびしがり屋なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「じゃ、また明日な」

 

「ああ」

 

 軽く弾と挨拶をかわした後、ひとりで帰路につく。夕陽もほぼ沈みかけで、少し辺りが薄暗くなってきた。ここの通りは人の数も少ないし、ちょっと薄気味悪い。

 

「たまにはゲーセンで遊びまくるのも楽しいもんだな」

 

 今度は鈴も連れて3人で行ってみるか、などと考えていると、前方から見知った人影が近づいてくるのに気づく。

 

「あら、一夏くんじゃない」

 

「おばさん……こんばんは」

 

 笑顔で声をかけてきた鈴のお母さんに対して、俺もとりあえず笑顔を作って返事をする。だが、内心は複雑だ。鈴から事情を聞いて3ヵ月が経って、そろそろ1月も終わりを迎えようかという時期。はたして凰夫妻の今の状態はどこまで悪くなっているのか。もし離婚するならば、それはいつのことになるのか。 

 聞きたいことは山ほどあった。感情に身を任せて動いていれば、俺は今頃おばさんに詰め寄って思いの限りをぶつけていただろう。

 だがそれはできない。凰家の事情を俺が知っているのはおかしいし、そもそも知るべきことでもない。それを教えた鈴が確実に怒られることになる。さらに言えば、結婚生活というものを知らない俺が何を言ったところで、おばさんにはただの戯言にしか聞こえないだろう――そう考える理性が、ぎりぎりのところで感情が流れ出すのをとどめている。

 

「おばさん。鈴の具合はどうですか? まだ熱とかあるんですか?」

 

「お昼まで寝たら熱もすっかりひいて、今はもうぴんぴんしてるわよ。明日にはいつも通り登校できると思うから」

 

「そうですか、それはよかった」

 

 当たり障りのない会話をするために選んだ話題だったが、これはこれで気になっていたことだったのでひとまず安心する。鈴は普段なかなか病気にかからないぶん、一度体調を崩すと結構長引く傾向があるのだ。でも今回は問題ないらしい。

 

「いつも悪いわねえ、うちの馬鹿娘が世話になって。最近、特に一緒にいてくれてるでしょう」

 

「いえ、礼を言われるようなことじゃないですよ。俺も鈴と一緒にいると楽しいし」

 

「それでもよ。一夏くんは器用だし気も利くし、あの娘の友達にはもったいないくらいよ」

 

 そこでいったん言葉を切った後、おばさんは少しだけ声を小さくしてこう言った。

 

 

「――ほんと、うちの旦那とは大違い」

 

 ――事情を知らなければ、俺はその言葉を冗談と受け取り、軽く聞き流していただろう。普通に解釈すれば、今のおばさんの発言はなにげない軽口に他ならないのだから。

 だが、俺にはそうは思えなかった。うがった見方だと言われればそれまでだが、そこには冗談以外の意味も含まれているのではないか、と感じざるを得なくて。一度そう考えてしまえば、ぎりぎりのところで保たれていた心のバランスが壊れるのはすぐのことで。

 

「……離婚、するんですか」

 

 気がつけば、そんなことを口走ってしまっていた。

 

「…………っ」

 

 言ってすぐに後悔したが、もう遅い。おばさんの表情が驚愕と困惑に染まり、やがて厳しい顔つきになる。……当然だ。俺が知るはずのない話だったうえに、他人に聞かれて気分のいい類のものでもないのだから。

 

「……鈴音から聞いたの? 」

 

 先ほどまでのものとは違う、明らかにとげのある硬い声。……ここまで来た以上、ごまかすのは不可能だ。

 

「……はい。でも、話すように言ったのは俺です。あいつは……鈴は、隠そうとしてました。辛そうな顔、みんなに見せないようにしてました」

 

 すんでのところで平衡を保っていた理性と感情の天秤が崩れていく。もうだめだ、どうやっても口が動くのを止められない。

 

「……離婚、するんですか」

 

 声が震えていることを自覚しながら、今一度核心を突いた問いを投げかける。 ――できれば……いや、なにがなんでも首を横に振ってほしい、そんな問いを。

 おばさんは俺の言葉に顔をしかめてしばらく黙っていたが、結局ため息ひとつとともに答えを口にした。

 

「……ええ。今年の3月、離婚するつもり。だから3年生になったらあの子は中国に帰ることになるわ」

 

「……っ!!」

 

 最悪の答えは、もうすでに決定事項となっていたようだ。頭が一瞬真っ白になり、体中から力が奪われる。

 ――いやだ。そんなのは、いやだ。認めたくない。

 

「離婚しないでください! お願いします!」

 

 遠慮も何もあったもんじゃない、あまりにもストレートな物言い。一縷の希望にすがるように、俺は頭を下げて懇願していた。なんでもいい、これで何かが変わってくれるなら、それがどんなにいいことか――

 

「……ごめんなさいね。一夏くんと鈴音には悪いけど……旦那とよく話し合って決めたことだから」

 

 穏やかな言葉遣いによる、断固とした拒絶。これ以上はかかわるなと、おばさんの目がそう言っているように感じた。――わかっていたことだ。子供の俺が何を言ったって、現実が変化することはない。そんなこと、最初から知っていた。

 

「……なら」

 

 それでも諦めきれない。何か、何か鈴のためにできることはないのか。離婚が避けられない事実なら、せめてその前にあいつが家族と一緒に笑いあえるような、そんな――――

 

 

「なら――みんなで遊園地に行きませんか」

 

「……え?」

 

 ぐちゃぐちゃの思考の中から俺が作り上げた答えに、おばさんはしばし固まっていた。

 

 

 

 

 

 

 あれはいつのことだったか。少なくとも中学に上がる前に、鈴はこんなことを言っていた。

 

『ずーっと前にお父さんとお母さんと一緒に遊園地にいったことがあるんだけど、あれは楽しかったなあ』

 

 そんなあまりにも些細な記憶を引きずり出して、俺は家族で遊園地に行くことを提案したのだった。

 ――そして今、俺たちがいるのは隣町の大きなテーマパーク。

 

「すみません。うちの弟が無理を言ったようで」

 

「いえいえ、そんなことはないですよ」

 

 千冬姉とおばさんが話しているのを聞きながら、俺は鈴とどこをどのように回るか計画中だ。

 

「とりあえず人が多いところは避けて、数をこなす方針で行くか」

 

「そうね。せっかくみんなで来てるんだし、待ってるばかりじゃもったいないわ」

 

 現在俺と一緒にいるのは、鈴とおじさんとおばさん、それに千冬姉だ。本当は凰家だけで家族水入らずな感じにしたかったのだが、夫婦仲が険悪な以上、そうするといつ喧嘩が起きて遊園地から帰ってしまうかもわからない。そう考えた結果、2つの家族が合同で遊ぶという作戦を思いついたので、千冬姉を無理やり引っ張ってきたという次第だ。

 

「……それじゃ、そろそろ動くとしますか」

 

「うん。……ありがと、一夏」

 

 俺にしか聞こえないように礼を言って、鈴は自分の両親のもとへ向かう。……ここに来る計画を立てたことに対する礼なら、今日一日存分に楽しんだ後にすべきだと思うけどな。

 まあいいや。とにかく遊ぼう。そして、鈴に大切な思い出を作ってもらうんだ。

 

 

 

 

 

 

『なら――みんなで遊園地に行きませんか』

 

 娘の友人のいきなりの提案に、鈴音の母は一瞬戸惑った。だが、離婚前の最後の思いで作りにはちょうどいいと考え、さほど時間をかけずに承諾した。帰宅したのち、もはや完全に仲の冷え切った夫にそのことを伝えると、意外なことに2つ返事で了承したのだった。

 

 

「千冬姉、コーヒーカップ回しすぎ」

 

「……思い切り回すのが流儀だと言ったのはお前だろう、一夏」

 

「それでも限度ってものがあるだろ。ほら、鈴の様子をごらんなさい」

 

「……きゅー。星が、星が見えるスター……」

 

「……以後、気をつける」

 

 しゅんとうなだれる千冬の姿に新鮮味を覚える。実際の年齢以上に成熟した雰囲気を持っている彼女だが、意外と子供っぽい一面も持っているらしい。

 続いて自身の娘の方へと視線を移す。今は目を回しているが、先ほどまでは元気にあちこち走り回っていて、中学生とは思えないほどはしゃいでいたのである。

 

「……楽しそうね、鈴音」

 

 隣に立っている夫に向けて、自然と言葉が漏れる。最近は必要最低限のことしか話さなくなっていた彼女にとって、これは十分驚くべきことだった。

 

「ああ、そうだな」

 

 そして、夫がごく自然に返事を返したことも驚きだった。確かに今日だけは娘のためにできるだけ仲良くしようとお互い心がけていたはずだが、それでももっとぎこちないものになると思っていたのに。

 一体なぜだろう、と彼女が思案していると、いつの間にか復活していた鈴音がこちらに駆け寄ってきている。

 

「お父さん、お母さん。次はあれ一緒に乗らない?」

 

 疑問形で聞いてきたにもかかわらず、すでに両親の腕をつかんだ鈴は、答えも聞かずにそのままアトラクションの方へと走り出す。

 

「ちょ、ちょっと鈴音……」

 

「ほら、早くー!」

 

 そう言いながらこちらに振り向いた鈴音が見せた笑顔は、心底楽しそうなもので。

 

「――――あ」

 

 それを見たとき、唐突に昔の光景を思い出した。……いつだったか、初めて家族3人で遊園地に行ったことがあった。その時も、鈴音はまったく同じ表情で、本当に幸せそうに彼女と夫を引っ張りまわしていた。その頃は夫婦仲もまったく悪くなかったので、何に遠慮するということもなく3人で笑いあって――

 

「……ああ」

 

 納得した。なぜ先ほど夫と普通に会話できたのかという疑問が氷解した。きっと頭が思い出す前に、心があの頃へと戻ろうとしていたのだろう。

 隣で同じく鈴音に引っ張られている夫の方を見ると、彼も何かに気づいたような顔をしている。おそらく同じことを考えているのだろう。

 ――夫婦の仲が壊れてしまっていても、それぞれの娘への愛は変わらない。彼女は鈴音のことを大事に思っている。夫と別れた後も、愛娘を大切に育てていくつもりだ。

――だが、それでも。

 離婚するということは、娘が今見せている最高の笑顔を、壊すことになる。それは、はたして許されることなのか。初めて鈴を遊園地に連れて行った時の自分なら、そんなことは絶対に許容しないのではないか。娘を愛していると言っておきながら、何年も過ごすうちに、その想いが薄れてしまっていたのではないのか。

 罪悪感が彼女を襲う。認識が甘かった。離婚は親としてやってはいけない最低なことだと理解したうえで選択したはずの決定が、今になって揺れ始める。

 どちらからともなく、夫と視線が合う。お互いの目が、おそらくこう語っていた。

 ――このままでいいのか、と。

 

 

 

 

 

 

 夕刻になり、閉園のアナウンスが園内に響き渡る。

 ――楽しかった。きっと鈴もそう思ってくれているだろう。おじさんもおばさんも千冬姉も、俺たちに文句ひとつ言わずについてきてくれた。計画の発案者としては、満足のいく結果になったと感じる。

 

「それじゃ、そろそろ帰ろうか」

 

 願わくば、これが鈴にとって大切な記憶になるように――

 

「……鈴音、一夏くん。少し話したいことがあるんだが、いいかな」

 

 そんな折、おじさんが俺と鈴を呼び止める。いったいどうしたのかと思ったが、おじさんの真剣な顔つきを見て、おそらく離婚がらみの話だとわかった。千冬姉をどうしようかと考えたが、空気を察したのかいつの間にかいなくなっていた。我が姉ながら尊敬すべき対応の速さだ。

 とにかく、これで心置きなく話を聞くことができる。

 

「……今日一日、鈴音はとても幸せそうだった」

 

 おじさんが語り始める。隣にはおばさんが立っているし、おそらく2人で話し合ったことが何かあるのだろう。

 

「俺たちは娘を大事にしたいと思っている。……だが離婚するということは、鈴音から今日味わったような幸せを奪うことになる。――それはできないと、俺たちは思った」

 

「っ! じゃあ……」

 

 離婚はなしということに――

 

 

「……それでも、俺たち夫婦は離れなくちゃならない。今のままじゃ、うまくいかないことが多すぎる」

 

「そんな――――!?」

 

 俺と鈴の声が重なる。……結局、何も変えられないのか――!!

 悔しさに唇をかみしめると、口の中に鉄の味が広がってきた。鈴も顔を下に向けて、暗い顔つきになる。

 ――でも、そんな俺たちを見たおじさんは、なぜか穏やかな笑みを浮かべた。

 

「……だが籍を外すわけじゃない。あくまで別居だ」

 

 ……え? それはつまり、どういうことなんだ。

 

「一度離れて、それなりに時間を置いて互いに気持ちの整理がついたら、元の状態に戻るということだ」

 

 ――言葉の意味を理解するまでの間、鈴と一緒に仲良く呆ける。

 

「え、えっと、ということは……」

 

「時間さえおけば、また3人一緒に暮らせるってこと……?」

 

「……ああ。そういうことだ」

 

 おじさんの言葉に、おばさんもうなずいた。

 その瞬間、俺はうれしさと安堵で体中の力が抜けて。

 鈴は、とめどなくあふれる涙を隠そうともせず、大音量でうわんうわん泣いていた。何事かと近くを歩いていた人たちが振り向くが、今は気にしないでおこう。とりあえずは、千冬姉に『もう大丈夫だ』とメールでも送っておくか。

 

 

 

 

 

 

 そして月日は流れて、春休み。

 

「わざわざ見送りに来てくれてありがと」

 

「別に。暇だったしな」

 

 ――結論として、鈴は中国に戻ることになった。理由は単純なもの。別居にあたり、おばさんは中国の実家へ戻ることになっていた。そしておじさんとおばさんを比べた場合、おばさんの方が心配だと判断した鈴は、彼女を支えるために一緒についていくことに決めたのだ。俺としては寂しい限りだが、本人が決めたことなら反対する気にはならない。

 そういうわけで今、中国へと出発しようという鈴とおばさんを、おじさんとともに空港で見送りに来ている。ちなみにおじさんは店を続ける気のようで、早くバイトを雇わなくちゃならんとかぼやいていた。俺も受験勉強が本格化する夏くらいまでは手伝いをしようと考えている。

 

「ま、体に気をつけるんだぞ」

 

「そっちもね。たまには連絡よこしなさいよ」

 

「ああ、わかってる」

 

 しばらく会えなくなるとはいえ、毎日学校で顔を合わせていた仲だ。今さら特に話さなくちゃいけないこともない。

 そうやって他愛もない話をしているうちに、そろそろ搭乗を締め切るというアナウンスが流れる。

 

「そろそろ行かないと。……じゃあ、2人とも元気でね」

 

 おばさんはそう言い残して、搭乗口へ向かって歩き出すが、鈴は動かず立ったままだ。

 

「……ごめん。ちょっと一夏に言い忘れたことがあるから、先に行ってて」

 

 遅れないようにするのよ、と注意して、おばさんは先に向かって行った。

 

「あとお父さん。ちょっとどこかに行っててくれない? 一夏と2人きりで話したいの」

 

「まあ、かまわないが……」

 

 頭に疑問符を浮かべながらも、おじさんはこの場から離れる。これで残ったのは俺と鈴だけになった。

 

「それで鈴、いったい何の話なんだ?」

 

「一夏。10秒間目を瞑りなさい」

 

 ……なんかそれ、前も聞いた気がするんだが。あの時は確か俺の大嫌いなジュースを押し付けてきたんだった。

 

「またいたずらでもするつもりか?」

 

「いいから早くしなさい! 時間がないんだから……」

 

 妙に焦っている鈴。……まあ搭乗までに時間がないのは事実だし、ここは素直に従っておこう。

 

「わかった。ほら、目瞑ったぞ」

 

 このまま10秒。何をしてくるのかわからないので、とりあえず身構えておく。

 

 1秒。2秒。3秒。4秒。5秒。何も起こらない。

 6秒。7秒。8秒。……もう10秒経っちまうぞ?

 9秒。ひょっとしてこのまま何もしないつもりなんじゃないだろうな――

 ――そう思った、直後のことだった。

 

 

 

 

「――――好き」

 

 瞬間、唇に何かが触れた。それは今まで味わったことのないような、柔らかくて温かい、何か得体のしれない感覚のモノ。

 反射的に目が開く。この唇に触れているものは、一体なんなのか――

 

「……んっ」

 

 視界はほぼすべて、鈴の顔に覆われていた。精一杯背伸びして、俺の顔の位置に自らの顔を持ってきた鈴は、そのまま唇を俺の唇に重ねていた。

 

 ――――思考が、全部消し飛んだ。頭の中が真っ白どころかめちゃくちゃにかき回されて、何も考えることができずに、ただ目の前の鈴の顔を見つめることしかできない。

 目を瞑っている鈴の、睫毛の一本一本が確認できる。きれいな肌は、りんごみたいに真っ赤になっている。

 ――ああ。なんか、すごくエロくて、バカみたいに可愛い。

 

「…………」

 

 一瞬にも永遠にも感じられた時間は、鈴が俺から顔を離したことで終わりを告げた。……なんだか名残惜しい。ずっと見ていても飽きないような光景だったのに。

 

「…………」

 

 お互い、何も話さない。というより話せない。鈴の方はどうだか知らないが、俺はいまだに頭がとろんとしていて言葉が出てこない。

 

「……もう一度言っておくわ。アンタのことだから聞き逃してそうだし」

 

 たっぷり時間を置いた後、鈴がようやく口を開いた。

 

「……好きよ」

 

 そうしてそのまま、搭乗口へと走り去って行った。

 

「…………」

 

 その姿が見えなくなり、さらに2分ほど経って、ようやく俺の脳が正常に働き始め――

 

「…………え?」

 

 同時に、今起きた事の重要性に気がついた。

 

「……告白されて、キスされて、もういっぺん告白されて」

 

 な、ななななななななななな――――

 

「なああああああああああああ!!??」

 

 

 

 ――余談だが、おじさんは気になって俺たち2人をこっそり観察していたらしく、俺が正気に戻った後も1時間は石化していた。




というわけでかなり駆け足になりましたが過去編はこれで終了です。というか、12000文字くらいで過去編書きましたけど、やっぱりこれじゃあ描写不足ですよね。でもなかなか本編に入らないのもそれはそれで問題だし……まあ、とりあえず次回から原作1巻の内容に突入です。一夏と鈴が中心ですが、箒やセシリアの出番もちゃんとあります。予定では。

あと今回疑問符・感嘆符の後の空白を全角にしてみました。もし何か意見等あればお知らせください。

では、また次回。


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第3話 2人の距離感

作者の方ならご存知かと思われますが、実はこのサイト、自分の作品に自分で評価を入れることができます。そして僕は自分の作品に10点つけてます。というのも、自分で自分好みの作品を書いているわけですから、それで10点をつけられないような文章になるようなら投稿しちゃダメだという考えだからです。……というのはさっき2分で考えた言い訳です。


 予想だにしなかった場所での、セカンド幼馴染との再会。正直頭の中はいまだに正常な状態ではないが、それでも俺はぎこちないながらも鈴に声をかけて、向こうもそれに応えた。

 

「………」

 

「………」

 

 ――で、一年ぶりに挨拶をかわしたのはいいんだけど、その後互いに言葉がまったく続かない。話すことなんていくらでもあるはずで、事実頭の中には聞きたいことや報告したいことが山のように浮かんでいる。……だというのに、それらを言葉に変換することができないでいる。

 周りのクラスメイト達も、俺たちの間に流れるなんとも形容しがたい空気に呑まれたかのごとく、全員が無言を貫いている。いつも騒がしいはずのIS学園1年1組の教室から放たれる異様な雰囲気につられて、いつの間にやら廊下に他クラスの生徒が集まり始めていた。――まずい。何がまずいのかはわからないが、この状態を放置しておくと後でいろいろ妙なことになる気がする。……たとえば、俺と鈴の間に真実の欠片もない噂がでっちあげられるとか。

 

「おい、お前達。HRの時間だ、さっさと自分の教室に戻れ」

 

 そんな空気を一声で打破してくれたのは、廊下を歩いてやってきた千冬姉だった。さすがのカリスマ(別名恐怖政治)というべきか、廊下に固まっていた生徒たちは文句ひとつ言わず指示に従い、それぞれの教室に戻っていく。

 

「………じゃ」

 

 そして鈴も、聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームの声を残して、1組の教室から出て行った。……結局、何も話せずじまいだったな。

 箒やセシリアをはじめとして、みんな俺に何か聞きたい風な様子だったが、すでに千冬姉が来ているためあきらめたらしい。各自席に座って授業の準備を始めた。次の休み時間は面倒なことになりそうだなあなどと考えつつ、俺もカバンから必要なものを取り出す。……鈴のことは気にかかるが、だからといって授業に手が抜けるような状況ではないのだから。

 

 

 

 そして昼休み。

 

「……なんでこんな大所帯になるんだ」

 

 食堂に向かって歩く俺の後ろには、20名ほどの女子たちが各々雑談しながらついてきていた。この学園に来てから注目されることにはそれなりに慣れたつもりだったが、正直これはかなりキツイ。周りからの好奇の視線が半端じゃない。

 

「一夏さんがあの転校生のことは昼休みに話すと言ったからではありませんか」

 

「さっさと説明しておけばこんなことにはならなかったのにな」

 

 隣を歩くセシリアと箒が不満げに答える。2人とも鈴のことを相当気にしていたらしく、授業中もぼーっとしていて何度も千冬姉に叩かれていた。それだけに、この時間になるまで焦らされたことに多少お怒りのようだ。せめて自分たちにくらいは説明してくれてもよかったのではないか、とその目が語っている。

 ……そうは言ってもな、1人2人に話した時点で結局クラスのみんなに事実が知られ、根掘り葉掘り聞かれることになったであろうことは容易に想像できるだろ。何事も例外を作るのはよくない。話さないと決めたら親しい人にも固く口を閉ざすことが大切なのだ。

 途中に授業をはさんだおかげで、鈴との再会でオーバーフロー気味だった頭も大分冷えている。今なら言葉に詰まることもなく、この大人数を相手に話すことができるだろう――と思っていたのだが。

 

「あっ……い、一夏」

 

 廊下の曲がり角で、渦中の人物と鉢合わせてしまった。……お、落ち着け。まずは深呼吸だ。

 

「……ず、ずいぶんモテてるみたいね」

 

「い、いや、そういうわけじゃない。いつもはこんなに多くないんだけど……俺と鈴の関係について聞きたいからって」

 

 俺の後ろで事の成り行きを見守っている箒たちを見て何やら元気をなくしている鈴に、素直に事情を説明する。よし、とりあえずまともな会話をすることに成功した。

 

「か、関係ってあんた……そんなの、ただの幼馴染に決まってるじゃない」

 

 そうだな。ただの別れ際に唇同士でキスを交わした幼馴染だな……だけど、残念ながら世間一般ではそれを普通の幼馴染と呼ぶのは難しいんだぞ、鈴。ちなみに朝思い出したばかりなので、例のシーンを思い出しても脳はそれなりに働いてくれている。

 

「お、幼馴染だとっ!?」

 

「どういうことなんですの一夏さん!」

 

「そうだよ!」

 

 鈴の幼馴染発言を聞いて、今まで静観していた箒やセシリアたちが説明を要求し始めた。とはいえここは通路で、こんな大人数がいつまでも立ち話をしていていい場所じゃない。さっさと食堂に移動したいところだが、鈴とも話をしなくちゃならないし――

 

「……そういうわけだから、鈴も一緒に来てくれないか。……その、積もる話も、あるだろうし、な」

 

「……う、うん。別にいいけど」

 

 相変わらずぎこちないことこの上ない会話。うーん、早く何とかしたいんだけどなあ。

 

 

 

 ――そもそも、なぜ俺が鈴に対してこのような態度をとってしまうことになっているのかというと、発端は別れ際に鈴がかました行為にある。

 

『……好きよ』

 

 不意打ちのキスに加え、2度にわたる告白。これだけのことをしたのだ、まさか冗談だった、なんてわけはない。鈴は俺のことが男として好きだった――そのことを、俺はあの時初めて知った。

 それからしばらく――というか春休みの間はずっと、俺の頭の中は鈴のことでいっぱいだった。まず最初の2、3日は、一体いつ鈴は自分に惚れたのだろうだとか、惚れている素振りなんて見せていただろうかなどと言ったことをぼーっとしながら考えていた。その後は、じゃあ俺はいったいこれからどうするべきなのかということに論点が移り変わった。

 告白された以上、男らしくきちんと返事を返さなければならないだろう。鈴の連絡先は教えてもらっていたし、手紙でもなんでも気持ちを伝える手段はしっかり用意されていた。だから、俺がやろうと思えばすぐにでもそれを実行することは可能だったのだ。

 ――だが、ここで問題が2つほど浮上した。まずひとつ目は、単純にものすごく気恥ずかしいということ。告白されたことなんて生まれて初めてだし、キスももちろんファーストキスだった。……鈴の方はどうだったんだろう。向こうも初めてのキスで、それを俺なんかにくれたんだろうか。そういうことを考えるとすぐに顔が熱くなって、とても返事の文章を書くなどという作業に入れなかったのだ。

 そして2つ目。こちらの方が問題なのだが――そもそも、俺自身の中で答えが見つからなかったということ。なんとも情けない話だが、俺は自分の気持ちというものを分析することができなかった。確かに鈴はいいやつだ。たまに暴力をふるうこともあるけど、あれで結構面倒見もよかったりするし、何より一緒にいて楽しい。友達として評価するなら文句なしに好きだと答えられるだろう。

 しかし男女の関係ということになると勝手が違う。……恋愛経験が皆無な俺には、そもそも人に恋するというのがどういうものなのかまったくわからない。鈴のことは可愛いと感じるし、できればずっと仲良くしていたいとも思っているが、それははたして恋愛感情なのか、それとも友情の域を出ないものなのか。

 答えが出なかったから、返事を書けなかった。それならそれでその旨を伝えればよかったのかもしれないが、先に言ったような気恥ずかしさと、はっきりとした答えのない返事に意味があるのかという感情が邪魔をして、この1年間鈴に1度も手紙を出すことができなかった。

 そして、手紙をよこさなかったのは向こうも同じだった。鈴の性格から考えて、たとえ俺が返事をしなくても何かしらの近況報告くらいは送ってくるだろうと思っていたのだが……

 ――要するに、俺たちは空港で別れて以来、まったくお互いの状況を知らなかったのである。だからいきなり鈴がIS学園に現れたことに驚いた。まさか1年で中国の代表候補生になっているなんて予想だにしなかったからだ。

 久しぶりに見たあいつの姿は、なんだか色気が増していた。背は大して伸びていないし、本人に言えば怒られるだろうが、胸が大きくなったというわけでもない。それでも、ある程度成長した女性が持っている特有の雰囲気が感じられた。 そんな幼馴染の変化に対する緊張と、いまだに告白の返事をしていない、というかそもそも返事が見つかってすらいない罪悪感とが合わさって、朝から鈴に自然体で話しかけることができないでいるのだった。

 

 

 

 

 

 

 中学2年生の春休みに中国に帰った後の数日間、凰鈴音は一大告白の副作用に苦しんでいた。

 

「――ああっ、言っちゃった言っちゃった言っちゃった~!!」

 

 ――そもそも彼女、元来照れ屋なのである。普段は思ったことをズバズバ言うのだが、いざ他人への好意を示そうということになると急に素直になれなくなるのだ。そのため、これまでは織斑一夏に対する恋慕の情を打ち明けることができないでいた。

 そんな彼女が自身の殻を破ったのは、日本を離れる直前のこと。自分で決めたこととはいえ、しばらく好きな男の子と会えなくなるという寂しさと、自分がいない間にこのモテ男は彼女を作ってしまうのではないかという不安が、彼女に最後の一押しを与え、あの行動に及んだのだった。

 その選択に後悔はない。あのくらいはっきりやらないと、空前絶後の鈍感である一夏に気持ちを伝えることはできないからだ。さすがの彼も、これで凰鈴音という『女の子』を意識せざるをえないだろうと鈴は考えていた。

 ――ただ、その行為が正しかったとしても、それが生む膨大な恥ずかしさが消えるわけではない。なんて大胆なことをしちゃったんだろう、と布団にくるまって意味もなくごろごろと部屋の中を転がっている娘の姿を見て、彼女の母親が本気で心配したというのは余談である。

 そのような症状から回復し、普通の生活が送れるようになった後、鈴は一夏からの手紙を今か今かと待っていた。告白の返事をしろと言ったわけではないが、律儀な面がある一夏のこと、すぐに自身の気持ちを伝えてくれると思っていたのである。振られる可能性も十分にあったが、それでも今まで通り友達として過ごしていれば、再びチャンスが巡ってくることだってあるはずだ。そう考え、一夏の決定を受け入れようとしていたのだが。

 

「――――来ない」

 

 3ヶ月経っても音沙汰がない。告白の返事どころか、近況報告のひとつもよこして来ない。鈴の方からも何も送っていなかったが、それは一夏の気持ちを知らない以上どんな感じの文章を書けばいいのかわからなかったからだ。向こうから手紙が来たらすぐに返事を書くつもりで、彼女は『一夏へ知らせる事柄リスト』みたいな代物まで制作していた。

 

「ま、まあ、もう少し待ったら何か送ってくるわよね。これってあれでしょ? 『焦らしプレイ』ってやつなんでしょ?」

 

 ――さらに3ヶ月後。

 

「………なによ。なんか送ってきなさいよ、ばかぁ」

 

 ……何一つ連絡がないまま、半年が経った。いい加減にしびれを切らした鈴は、どんな文体でもいいから手紙を書こうと思い立ったのだが、そこである考えが頭をよぎった。

 

「――一夏は、もうあたしのことなんてどうでもいいのかな」

 

 ひょっとするとそうなのかもしれない。連絡をよこすにも値しないくらいに思われているのだとしたら、こちらから知らせを送るのもためらわれる。

 ――結局、一夏から便りは来ず、彼女も何もしなかった。1ヶ月ほど前、『ISを使える男』として織斑一夏のことが世界的にニュースに取り上げられるまで、鈴は彼について何も知りえなかったのだ。

 そして今日、彼女は1年ぶりに想い人と再会を果たした。最初に抱いた印象は『かっこよくなった』だった。背は成長期だけあってかなり伸びていたし、体つきも男っぽくなっている。そんな一夏の姿に一種のときめきを覚えながらも、彼女の態度はぎこちなかった。『一夏はもう自分のことをなんとも思っていないかもしれない』という不安が頭から消えなかったからである。

 

 

 

 

 

 

 セシリア・オルコットは、突如現れた一夏の幼馴染だという転校生・凰鈴音を警戒していた。ただでさえ篠ノ之箒という一夏とお近づきになる上での強力なライバルがいるというのに、また幼馴染などという下地を持つ人間が来るなんて彼女にとってはたまったものではない。

 ――だが、今セシリアが抱いている感情は、警戒というよりは困惑だった。

 その原因は、凰鈴音はセカンド幼馴染であるという一夏の説明が終わった後の、件の2人の会話の様子にある。

 

「そ、それにしても、まさか一夏がISに乗れるなんてね。びっくりしたわ、うん、びっくりした」

 

「お、おう。なんか知らないけど乗れたんだよな、うん」

 

「しかも……あー、クラス代表にまでなってるんだっけ?」

 

「……ああ。なんか気がついたらそうなってたんだよな、ははは」

 

「そ、そうなんだ……うん、なんだか一夏らしいわね」

 

「ははは……」

 

 ――まず、どうしてこの2人はここまでカチンコチンに固まって話しているのだろう。久しぶりに会ったからとはいえ、お互いとても幼馴染に対する態度には見えない。

 

「………」

 

「………」

 

「そ、それにしても、まさか一夏がISに乗れるなんてね。びっくりしたわ、うん、びっくりした」

 

「お、おう。なんか知らないけど乗れたんだよな、うん」

 

 ――そして、なぜしばらくすると会話の内容が最初に戻るのか。

 わけがわからない、というのがセシリアの本音だった。凰鈴音に関しては知らないが、一夏が普段はこんな感じの人間でないことはよくわかっている。そうなると、この2人の間には何かがあるということになるのだが……

 

「……とりあえずは、様子を見てみましょうか」

 

「ん? 何か言ったセシリア?」

 

「いえ、なにも」

 

 クラスメイトにそう答えながら、セシリアは中国の代表候補生への対応をひとまず決定したのだった。




というわけで気持ちがすれ違い気味な第3話でした。一夏が変に気を遣ったというか身構えたというか、とにかく手紙を送らなかったことで2人のぎこちない空気ができあがってしまったという感じです。

それと今まで鈴に2人称を「あんた」と書いていましたが、正しくは「アンタ」でした。なので全部訂正しておきました。

次回はできれば明日更新したいです。


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第4話 宣戦布告!

今日の午後2時くらいに間違えて執筆中の第4話を投稿してしまいました。すぐに削除しましたが、そのせいで更新してもいないのに検索結果の前の方に出てしまい、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。


ちなみにその後ほぼ書きあがったところで操作ミスにより文章が消し飛んで書き直す羽目になりました。バチが当たったんだと思います。


「ふう………」

 

 クラス代表決定戦以降、日課となっている放課後のIS訓練を終えた俺は、ピットに戻って一息つく。セシリアに加えて今日から参加することとなった箒に2人がかりでしごき倒されたため、体のあちこちが悲鳴を上げている。

 

「……ま、何も考えずに体を動かすってのもいいことだよな」

 

「一夏。何も考えていないとはどういうことだ」

 

「ああいや、そういう意味じゃないんだ。もちろんISの動かし方とかは考えてたけど、それ以外の悩み事を忘れられてたってこと」

 

 うっかり口に出てしまった言葉を同じピットにいた箒に咎められたので、すぐに弁解しておく。これで納得してくれるだろうと思っていたのだが、なぜだか箒の表情は渋いままだ。

 

「……一夏。悩み事とは、あの凰鈴音のことか」

 

 ……あー。これは墓穴を掘っちまったか。知らずのうちに触れられたくない話題に誘導してしまっていた自分の言葉を後悔するも、すでに後の祭りだ。箒は確信に近いものをもって、俺をじっと見つめている。

 ――箒の推測通り、俺の目下最大の悩み事は鈴に関することだ。さすがにいつまでも今日の朝や昼みたいな態度をとるわけにはいかない。だから、俺のとりあえずの気持ちだけでも鈴に伝えなければならないのだが……正直な話、どう言えばいいのかがわからない。いったいどんな言葉を使えば、今の俺の中途半端な感情を正しく表すことができるのか。それが問題だった。

 さらにいえば、鈴の様子がおかしいことも今の状況に拍車をかけていた。せめてあいつが1年前と同じ言葉遣いや立ち居振る舞いをしてくれたのならよかったのだが、どうやら向こうも向こうで複雑な感情を抱え込んでいるらしい。

 ……とにかく、何とかしなくちゃな。

 

「……まあ、ちょっといろいろあってな。これは俺とあいつの問題だから、箒は気にしないでくれ」

 

 返しの言葉を聞かないうちにピットを出る。どうせ同じ部屋なのだから再び顔を合わせることになるのだが、それでも今はこの話題をさっさと切り上げたかった。

 ――なのに。

 

「あ………一夏」

 

「……鈴」

 

 どうしてピットを出てすぐのところでセカンド幼馴染に出くわしてしまうのだろう。

 

「あ、あの……いつも放課後はここで訓練してるって聞いたから、その……」

 

 様子を見に来たってわけか。鈴のほうから会いに来てくれたのは純粋にうれしいんだが、いかんせん今はタイミングが――

 

「待て一夏! まだ話は終わっていない!」

 

 予想通り、立ち止まっている間に箒が追いついてきてしまっていた。

 

「む、そこにいるのは凰……」

 

 鈴の存在に気づいた箒は一度そちらを見たものの、すぐに視線を俺に向けてきた。『説明しろ』というサインのようだ。

 ――参ったな。告白しただの何しただの、そういう色恋沙汰はおいそれと関係ない人に言いふらしていいもんじゃない。俺はまだ我慢できるが、鈴にとって箒は今日会っただけの赤の他人だ。そんな人間にプライベートを知られるのはたまったもんじゃないだろう。

 

「……その話は後だ。今は部屋に戻ってくれないか、箒」

 

 とりあえず問題を先送りにするために、意図的に語調を強めて箒に語りかける。せっかくの鈴と2人きりで話せる機会なんだ、無駄にはしたくない。

 箒はまだ何か言いたそうだったが、最後にはわかってくれたようで、

 

「……シャワー、先に浴びているぞ」

 

と言い残して、この場を去ってくれた。――サンキュー。この借りは今度返す。

 

「さて、と」

 

 これでようやく鈴に向き合えて――って。

 

「……鈴? どうかしたのか」

 

 俺が箒と話している間に、鈴の纏う雰囲気が変わっていた。うつむいて、ぎこちないというより単純に暗い空気を発している。表情はうかがえないが、元気がないのは確かだ。

 

「………こと」

 

「え?」

 

 言葉が聞き取れなかったため、耳を傾ける。

 

「……シャワー、先に浴びてるって……どういうことなの」

 

「ああ……そのことか。俺、あの篠ノ之箒ってやつとルームメイトなんだ。だから同じシャワーを使ってるってわけ」

 

 隠すようなことでもないので、素直に事実を告げる。……だが、心なしか鈴の周りの空気が一段と暗くなったような気がするのはなぜだろう。

 

「………」

 

「………」

 

 会話が止まる。相変わらず鈴は下を向いたままだし、俺もこの暗い雰囲気にのまれてしまいそうだ。

 ……沈黙が痛い。とにかく、何か話題を――

 

「あ、あのさ」

 

「あたし、部屋に戻るね」

 

「え――?」

 

 俺があっけにとられている間に、鈴は俺から逃げるように走り去っていく。

 ――一瞬、中2の頃の光景が蘇った。店の前で鈴が泣いていたのを俺が偶然見つけて、あの時も鈴は俺から逃げ出したんだっけ。

 違うところがあるとすれば、今の俺には鈴を追いかける体力も気力もないということだった。

 体力は、言わずもがな先ほどの訓練で失われていた。

 そして気力は、今しがた頭に浮かんだある考えによって奪われてしまっていた。

 ――ひょっとして、鈴の態度がぎこちないのは。

 

「……心変わり、したってことか」

 

 1年間も会わず、告白の返事もしなかったような男。それだけで、『鈴はもう俺のことを好きじゃないのかもしれない』と考えるには十分な根拠があると思った。それを否定できるほど、俺は自分に男としての魅力を感じていない。

 そう考えれば、鈴の態度にも説明がつく。自分から告白しておいて、いざ再会したら『あの時のことはなかったことにして』などとは言えないだろう。だから俺にどう接すればいいのかわからなくなっている。

 

「……そう、なのかな」

 

 その通りだとすれば、鈴はそんなことを気にしなくていい。中学生なんて多感な時期だし、似たような例なら世界中にいくらでもあるだろう。むしろこのまま煮え切らない関係が続くことのほうがずっと嫌だ。早く仲直りして、また元の幼馴染の関係に戻れればそれでいい。

 ――ただ、あの時空港で鈴がぶつけてくれた想いが、もう鈴の中にはないのだと、そう思ったとき。

 

 

「……少し、寂しいな」

 

 なんとなく、そう感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――午前6時。枕元に置いてあった時計は、昨晩から一睡もできていない鈴に容赦のない現実を突きつけた。

 ルームメイトのティナ・ハミルトンの様子をうかがうと、昨晩と寸分たがわぬ姿勢ですやすやと眠っていた。……鈴にはそれがうらやましいことこの上ない。

 

「……はあ」

 

 もはや夜に何度繰り返したかわからないため息をつきながら、鈴は思考の海へと沈んでいく。

 ――ファースト幼馴染。一夏はそう呼んでいた気がする。

 鈴が一夏と出会う前に、彼と仲良くしていた少女・篠ノ之箒は、現在一夏と同じ部屋で暮らしているらしい。

 

「……仲、いいのかな」

 

 年頃の男女が同室で生活する以上、互いにある程度は心を許していないとうまくやっていけないだろう。

 

「……あたしも、幼馴染なのに」

 

 ――わからない。

 

「一夏……」

 

 ――一夏のことが、なんにもわからない。

 

「どうして、わからないんだろう……」

 

 ――それは。

 

「……一夏が、なにも話してくれないからだ」

 

 昨日の間ずっと、自分との間に壁を作って、中途半端な態度をとり続けた一夏。その一夏は今、幼馴染の女の子と同じ部屋でぐっすり眠っている。……そう考えると、暗鬱な心の中でふつふつと不満がわきあがってくるのを感じる。

 ――相手との間に壁を作って中途半端な態度をとっていたのは鈴も同じなのだが、寝不足で多少いらいらしている彼女の脳は都合の悪い部分を無視して話を進める。

 

「……だいたい、ファースト幼馴染ってなんなのよ。胸でかいし」

 

 ファーストとかセカンドとか言われると、まるで優劣をつけられているみたいで気に食わない。

 

「小学校の頃に別れた女の子と運命の再会ってどこのラブコメよ……!」

 

 不満はやがて怒りへと変わり、彼女の心に火をともす。

 

「しかも同じ部屋って! なんで? 納得できないわよ!」

 

 最終的にほとんど叫んだ形になっていた鈴の声が耳に響いたのか、ついさっきまで熟睡していたティナの体がびくっと震え、その目が開かれる。

 

「……そうよ。そもそもうじうじしているのはあたしの性に合わない。どうしてこんな簡単なことに早く気づかなかったのかしら……!」

 

「あ、あの……凰さん?」

 

 昨日とはまるで別人のような様子を見せている鈴に、ティナはおずおずと声をかける。

 

「……なに?」

 

「あーいや、どうしたのかなーって思って……」

 

 その質問に、鈴はにやりと口元を歪めて答えた。

 

「宣戦布告することにしたわ。とりあえずは下準備からね」

 

 ――あれは獲物に狙いを定めた猛禽類の表情だったと、後にティナ・ハミルトンは友人に語っている。

 

 

 

 

 

 

 結局、昨夜は鈴のことが気にかかって一睡もできなかった。眠くて眠くて仕方ないのだが、これで眠いから学校休むなんて言ったが最後、今度こそ箒にすべての事情を白状しなければならなくなるだろう。せっかく昨日箒のほうから『近いうちに問題を解決すること、生活に支障をきたさないこと』という条件を守れるなら自分は不干渉を貫くというありがたいお言葉をいただけたというのに、いきなりそれを反故にするのはよくない。

 食堂で箒、セシリアとともに朝食をとり、寝不足なのを悟られないようにしながら教室へ向かう。道中箒が何度か訝しげな視線を向けていたが、なんとか誤魔化した。……というよりは、見逃してもらったという方が正しいのかもしれないが。

 そして、現在1年1組の教室の目の前まで来たのだが。

 

「……なんだか異様に静かですわね」

 

「だな……いつもは学年で1番騒がしいくらいなのに。なんかあったのか?」

 

 セシリアの言った通り、今朝の1組の教室は奇妙なまでの静寂さを保っている。とりあえず中に入ればその理由もわかるだろうと、ドアをガラッと開けると。

 

「――やっと来たわね、一夏!」

 

 昨日の声からは想像もできないような大音量で、鈴が俺の名前を呼んでいた。しかもなぜか俺の席に座っている。……なるほど、こいつがいたから反応に困ってみんな静かにしてたんだな。

 俺およびセシリアと箒があっけにとられている間に、鈴はずかずかとこちらに歩み寄ってくる。

 

「一夏。掲示板のクラス対抗戦の日程表、見た?」

 

「あ、ああ。確か1回戦で俺と当たるのは2組の代表――」

 

「その代表、代わってもらった。だからアンタの相手はあたしってこと」

 

「………はぁ?」

 

 さらっととんでもないことを口にしなかったか、こいつ? いやそもそも、なんで急に態度が昔に戻って――

 

「勝負よ! 勝った方が負けた方に何でもひとつ言うことを聞かせられる! 拒否権はなし!」

 

 戸惑う俺の思考を断ち切るように、鈴はビシッと俺を指さし、そう高らかに宣言する。

 ――それで、俺にもようやく鈴の意図がつかめた。

 

「ま、待ちなさい! あなた勝手にそんなことを決めて――」

 

「……いいぜ。その勝負乗った」

 

「一夏さん!?」

 

 セシリアは鈴を止めようとしていたみたいだけど、その必要はない。むしろこれは俺にとっても十分やる価値のある賭けだ。

 

「決まりね。じゃ」

 

 俺の返事ににやりと不敵な笑みを浮かべた鈴は、もう用は済んだというようにそのまま足早に教室から出て行った。……さて。これでクラス対抗戦、なにがなんでも負けられなくなったな。

 

「一夏さん、本当にかまいませんの? あの人本気でしたわよ? 負けたら何をされるか――」

 

「大丈夫だセシリア。あいつも最低限の良識はあるだろうし、奴隷になれとかは言わないと思うぞ」

 

「で、ですけど……篠ノ之さんはよろしいんですの?」

 

 まだ俺と鈴の勝負に賛成できないセシリアは、同意を得ようと箒に話を振る。

 

「……不干渉だと言ってしまったからな。私からは何も言うことはない。……ただ、やるからにはもちろん勝つつもりでいるんだろうな、一夏?」

 

 ――当然だ。

 

「鈴は本気でぶつかってくる。だから俺も本気で鍛えて、全力で戦う。そして勝つ」

 

 おそらくこれが鈴の思惑だ。言葉だけじゃ気持ちが通じ合わないなら、一度全力でぶつかって、お互いのすべてをさらけ出すのが最も手っ取り早い。そのためのIS勝負だ。……だったら、俺もこれに乗らない手はない。

 

「あいつは代表候補生だ。そう簡単に勝たせてもらえる相手じゃない。IS素人の俺がまともに戦うためには協力してくれる人が必要だ。……だから手伝ってくれないか? セシリア、箒」

 

「……そこまで言われてしまっては、勝負を止める方が無粋ですわね。……ええ、このセシリア・オルコットが、必ず一夏さんを勝利へと導きます」

 

「私もできるだけのことはしよう。剣道もみっちり鍛えてやるからな」

 

 ……よかった。2人が手助けしてくれるならこれほど頼もしいものはない。ISへの理解が深いセシリアと、剣術の心得がある箒。両方から学べるだけのことを学んで、5月下旬の対抗戦を迎えるのが理想的だ。

 

「あ、そうだ」

 

 本気で戦いに備えるつもりなら、必要になるかもしれないものがあったのを思い出した。

 

「セシリア。もし持ってたら貸してほしいものがあるんだけど」

 

「あら、何でしょう?」

 

 俺がそれの名前を口にすると、セシリアはええ、とうなずく。

 

「代表候補生たる者、そのくらいは持っていて当然でしてよ。必要なら今夜にでも貸して差し上げますけど」

 

「ああ、ありがとう」

 

 ……よし。なら大丈夫だ。あとは俺がどれだけ頑張れるか。

 

 ――鈴、負けるつもりはないからな。

 




原作2巻の内容が終わるまで、つまりシャルとラウラが揃うまでは多少駆け足気味で進みます。それ以降は日常話とかも入れていく予定です。

次回の更新は明日か明後日になりそうです。


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第5話 試合開始!

あらすじに原作7巻までやると書いていますが、ひょっとしたらそこまでいかないうちにオリジナル展開に入って〆るかもしれません。


 鈴の宣戦布告から2週間が経った。その間、俺とあいつはほとんど口を聞いていない。とはいっても別に無視しているとかそういうわけではない。廊下で会えば挨拶くらいはする。……まあ、挨拶くらいしかしなかったのも事実だが。俺も鈴も、クラス対抗戦が終わるまでは互いを敵同士だと認識しているから、余計な話をする気はなかった。加えて、そもそも2人の間の根本的な問題が解決したわけでもないので、気楽に話しかけるなんてやろうと思ってもできないのだった。

 まともに中身のある会話をしたのは1回だけ。ある日の休み時間に突然1組にやって来た鈴は、俺を見つけるなりこんなことを言った。

 

『あたしの専用機――甲龍(シェンロン)って名前なんだけど――近接格闘型のパワー重視の機体だから。といっても、アンタのISみたいに遠距離用の武装が一切ないってわけじゃないけどね』

 

 なんでそんなこと教えに来たんだ? と俺が問うと、鈴は肩をすくめながら、

 

『あたしも本当は敵に情報渡すなんて真似したくないわよ。けど、周りが勝手にアンタの白式のこと教えてくれちゃってね。あたしだけ相手の機体の性能知ってるのはフェアじゃないでしょ』

 

なんて答えを返して、そのまま廊下へ出て行った。律儀なことをするもんだと思ったが、それだけ今度の勝負にかける意気込みが大きいということなのだろう。

 そういうわけで、俺も負けられないと気合いを入れ直して、今日までISの訓練を続けてきた。

 そして今日。いつものように授業を終えた後、放課後の訓練のために第3アリーナへ移動する。

 

「では一夏さん。まずは昨日教えた動きの復習から――」

 

「あ、ちょっと待ってくれセシリア。今日は先に箒と手合せをしてみたいんだ。かまわないか?」

 

 いつもと同じ要領で始めようとしたセシリアの言葉を遮って、ひとつ提案をする。こうして俺の方から訓練の内容を申し出ることは初めてだったため、箒もセシリアも少し驚いているようだ。

 

「え、ええ。1回模擬戦をするくらいならかまいませんけど」

 

「私も準備はできているから大丈夫だが……急にどうしたんだ、一夏?」

 

「ああ。ちょっと試したいことがあってな」

 

 

 

 

 

 

 一夏の希望通りに、今日の訓練は箒と一夏の手合せから始まることとなった。彼からそんな意見が出たことに少し驚いていた箒だったが、打鉄を展開し、白式と向き合った今ではすでに目前に迫った勝負のほうに集中している。現在の相手との距離は5メートル。クラス対抗戦での試合開始時の規定位置と同じ間隔を意識してのものである。

 

「準備はよろしいですわね――それでは、始めてください」

 

 セシリアの声が試合開始の合図となり、箒は打鉄の基本装備である刀型近接ブレードを構え、先手必勝とばかりに白式に斬りかかる。対する白式は特に動こうとはせず、唯一の装備である雪片弐型でその一撃を防ぎにくる。

 

 ――ガキィィン!!

 

「――む?」

 

 刀と刀がぶつかり合った瞬間、箒はその感触に違和感を覚えた。だが攻撃の手を休めることはせず、続けて第2撃、第3撃を間髪入れずに叩き込む。

 ISと生身という違いがあるとはいえ、彼女が幼少のころから培ってきた『篠ノ之流』の剣術は十分に威力を発揮している。それ故、スペックで大幅に劣っている一夏の白式相手にも、箒の打鉄は今まで十分に対抗できていたのだった。

 ――だが。

 

「………っ!?」

 

 なんだこれは、と箒は心の中で焦りを覚える。彼女は一撃ごとに刀に込める力を強めていた。その間、白式は一度も攻撃してこようとはせず、ただ襲い掛かる剣撃を受け止めるだけ。戦いの様子を見守るセシリアからすれば、開始直後から箒が攻め続けているように見えるかもしれない。

 しかしそうではない。一撃ごとに威力を上げているはずなのに、一撃ごとに手ごたえがなくなっていく。……まるで、攻撃を見切られて、すべて流されてしまっているような。

 

「くっ! はあああっ!」

 なんとか一発ダメージを与えようと、箒は持てる力すべてを込めて刀を『縦』()に振るう。

 

 ――こんな感覚、一夏相手では初めてだ。つい昨日までは、彼にここまでの技量は備わっていなかったはず。剣道の腕だって、まだまだ鈍ったままだ。

 

 ――なのになぜ、こんな動きができる? これではまるで……

 

「なっ……」

 

 フェイントすら織り込んだ彼女の『横』()薙ぎは、かすかに白式の左腕に触れた。

 だが、所詮かすっただけ。ダメージを受けた様子など微塵もない白式は、回避から一瞬のうちに攻撃へと動作を移し――

 

「ぐぁっ……!」

 

 重い金属音が響いたと感じた時には、すでに打鉄の右手に近接ブレードはなかった。後ろを振り向くと、5メートルほど向こうに今まで箒が使っていた武器が転がっている。

 

「……私の負けだ」

 

 力なく彼女が敗北を口にすると、一夏も刀を降ろし、雪片弐型は待機状態に戻った。

 セシリアの方をうかがうと、あっちもあっちで呆然と目を見開いている。それも当然だと箒は感じる。今までの一夏からは想像もつかないような戦いっぷりを見せられたのだ。平然としているほうがどうかしている。……さらに言えば、先ほどの一夏の動きにはある大きな特徴があったことも、驚愕の理由のひとつだろう。

 

「一夏、今のはいったい……」

 

「ああ。こんなにうまくいくとは思わなかったんだけど――」

 

 ぽつぽつと語られる一夏の答えを聞いて、箒もセシリアも、さらに目を丸くしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――ふむ」

 

 IS学園生徒会室には、2つの人影が椅子に座って向かい合っていた。

 自他ともに認める『IS学園最強』の生徒会長。在校生の中で唯一の『国家代表』である更識楯無は、手にした書類を眺めながら眼前の少女に語りかける。

 

「やっぱり私としては、『凰鈴音は織斑一夏の元カノ説』を推したいんだけどなあ」

 

「……いや、そんなことを私に言われましても」

 

 『こじれた関係』と書かれた扇子を広げる楯無に対して、困ったような表情を見せるのは生徒会副会長・布仏虚である。実際、一度も会話したことのない人間の交友関係について語られてもまともな反応のしようがないのは当然なのだが、この生徒会長はその当たり前のことを気にするような性格ではなかったりする。

 

「1年生の有志の人員から集めた情報によると、2人はこの1ヶ月ほとんどまともに会話せず、互いに訓練に明け暮れる日々。そして今日のクラス対抗戦で雌雄を決する――これはもう確定でしょう。ひょっとすると試合が終わったらヨリを戻しているかもしれないわ」

 

「……とりあえず、あまり出歯亀な行動は慎んだ方がよろしいかと」

 

「出歯亀じゃないわよ。世界で唯一ISを動かせる男の子の情報を集めることは無益じゃないでしょう?」

 

 ……それは正論だが、彼女の場合半分以上自らの興味本位で動いている気がしてならないというのが虚の見解だ。

 

「まあ、とにかく」

 

 わざとらしく言葉を切ったかと思うと、楯無は一度扇子を閉じて、一瞬のうちに再びバッと開く。そして、少しだけトーンを落とした声で、独り言のようにつぶやいた。

 

「――この2ヶ月弱でIS素人クンがどこまで成長したのか、見せてもらうとしますか」

 

 いつ入れ替わったのか、扇子の文字が『お手並み拝見』になっている。そしてその軽い口調とは裏腹に、彼女の顔つきは生徒会長のものに変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 間もなくクラス対抗戦第1試合が始まろうとしている第2アリーナは、いろいろと噂になっている織斑一夏と凰鈴音の勝負を見ようとやって来た生徒たちですでに満席となっていた。それに出遅れたセシリアたちは、現在ピット内にあるリアルタイムモニターから一夏の様子を見守っている。

 

「……結果はどうであれ、この試合が終わった後には根も葉もない噂が消えるといいのですけれど」

 

「まったくだ」

 

 珍しく箒と意見が一致する。彼女たちの言う『根も葉もない噂』とは、もちろん今から試合をする2人のことについてのものだ。

 凰鈴音の転校初日のぎこちない会話の応酬。その翌日の宣戦布告――これだけで、年頃の少女たちの想像力をかきたてるには十二分だったらしい。『2人はかつて命を奪い合った仲』『実は生き別れの兄妹』などなど、様々な憶測が学園中を飛び交った。

 その中で最も支持された予想は『実は昔付き合ってた説』である。正直これはセシリア自身もありえると思っていたのだが、当の一夏本人がはっきりと否定したため真実ではないようだ。

 だが、本人が否定したところでそれを信じようとしない人間もたくさんいるわけで。今でもその噂は流れ続けている。一夏を狙っているセシリアとしては、いつまでも元カノがどうのこうのという話が消えないでいるのは御免こうむる事態だ。なので、この勝負で2人が普通に会話する関係に戻ってくれることを切に願っている次第である。

 

「ねーねーセシリアー。セシリアって織斑くんの訓練ずっと見てたんでしょ? どう、この試合勝てそう?」

 

「篠ノ之さんはどう思う?」

 

 考え事をしているうちに、いつの間にかクラスメイトたちに取り囲まれていた。このトーナメントで優勝したクラスには学食デザートの半年フリーパスが配られることになっているので、一夏の技量に関してはかなり気にしているのだろう。

 

「そうですわね……勝てる可能性はある、といったところかしら」

 

「ああ。うまく波に乗ることができれば、一夏は勝てるだけの力を十分に持っている」

 

「おおー! なんだか頼もしい言葉だ!」

 

 セシリアと箒の言葉を好意的にとらえて舞い上がるクラスメイトたち。確かに、代表候補生相手に『勝機がある』と言ってもらえただけでも喜ばしいことなのかもしれない。

 

――ですけど、そう簡単な話ではないですわね。

 

 いたずらに周りの士気を下げるのも気が引けたので、セシリアは厳しい見解を胸の内にしまう。

 ……絶対に勝てないわけではない。一夏が現在持っている力をすべて引き出すことができれば、おそらく状況は互角か、あるいはそれ以上になるだろう。

 問題は、いかにしてその力を引き出すか。

 

「さすがにアレを安定させるだけの時間はなかったからな……」

 

 セシリアにだけ聞こえるような声で、ぼそりと箒がつぶやく。

 

「ええ……この勝負、序盤の流れでほぼ決まりますわね」

 

 彼女がそううなずいた瞬間、試合開始を告げるブザーが鳴り響いた。

 




というわけで本当に試合開始したところで終わらせました。タイトル詐欺ではないはずです。一応試合は始まりましたから……

一夏が箒を圧倒しちゃってますが、別に一夏最強化計画とかは立てていませんのでご安心を。詳しいことは次回で説明します。



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第6話 進化の兆し

「――で、結構頑張ってたみたいだけど、成果は出たの?」

 

 クラス対抗戦第1試合・1組代表対2組代表。試合開始を目前に迎えたアリーナの観客席は超満員で、大勢に注目されているという事実が嫌でも実感させられる。

 

「……さあな。けど、やれるだけのことはやったつもりだ」

 

 だが、今は周りの視線なんて関係ない。俺が気にするべき対象はただひとつ、眼前に立ち塞がる凰鈴音だけでいい。

 

「そう。そんな言い方するってことは、それなりに自信はあるってわけね」

 

「好きに解釈してくれてかまわないぞ」

 

 勝てる自信ならある。『それなり』などではなく、絶対に勝てるという自信が。

 ……そのくらいの気概でないと、まずこいつとは勝負にならない。なにせ経緯は知らないが1年で代表候補生まで上り詰めたような天才だ。幼馴染としては多少悔しいが、今の段階ではISに関して俺が鈴に勝っているところはほぼないと言っていいだろう。

 ならば、せめて気持ちだけは負けたくない。この勝負にかける思いの強さだけは、鈴に劣っているつもりはない。

 結果を出さなくちゃならない。この試合で、鈴に今の俺の精一杯を見せつけてやる。そして今まで訓練に付き合ってくれた箒やセシリア――あと、千冬姉に報いるためにも、負けるわけにはいかないんだ。

 

『それでは両者、規定の位置まで移動してください』

 

 アナウンスに従い、移動する。鈴までの距離は5メートル。この1ヶ月で散々頭に叩き込んだ距離だ。

 

「……一夏」

 

「なんだ」

 

「本気で行くからね」

 

「……ああ。わかってる」

 

 これ以上、言葉は必要ないだろう。鈴はすでに俺のことを獲物を見るかのような目つきで睨んでいるし、俺の方も思考を戦闘用に切り替えている。

 ……試合開始と同時に突っ込む。単純この上ないが、これが俺の立てた作戦だ。鈴は俺の白式に近接用の武器しかないことを知っているのだから、初っ端から距離をとってくる可能性は十分にある。だがこちらとしてはそれを許すわけにはいかない。常に敵を得物の射程圏内に捉えておくために、奇襲の意味も込めて突進するのは間違った選択ではないはずだ。

 そうしてなんとか主導権を握れば、『あの技』を使える可能性が出てくる。ギャンブルだが、今はそれに賭けるしかない。

 

『それでは両者、試合を開始してください』

 

 ブザーが鳴り響く。この音が切れた瞬間、試合開始だ。

 

 ビイイイイィィ――音が、止まった。

 

 刹那、俺は白式の出せる最高の初速で鈴に突っ込む。同時に雪片弐型を展開し――

 そこで、思考がフリーズした。

 俺の眼前に、すでに甲龍がいる。なぜだ、早すぎる。5メートルの距離を縮めるのに必要な時間は体が覚えているはずなのに。それが狂ったということは、つまり、

 

 ――鈴のやつ、突っ込んできやがったのか

 

 咄嗟に雪片で防御姿勢をとる。青竜刀が振り下ろされるのにギリギリ間に合う。だが駄目だ。もっと遠くに標的がいることを想定して構えていた刀を完全に引き戻すだけの時間がなく、ほぼ柄の部分で受け止める形になってしまった。しかも、こんな無理な体勢じゃ――

 

 ギュイィィン!!

 

 高速回転する鈴の刃。甲龍のパワーに耐え切れず、雪片弐型を支える腕が弾かれたように下にさがってしまう。

 まずい、これじゃ死に体――

 

 ガギィンッ!!

 

「があっ……!」

 

 ……効いた。青竜刀による容赦ない斬撃は、白式にクリーンヒットした。ISの性能上命に関わるということはないが、それでも体の奥にまで響くような重い痛みが襲ってくる。

 

「――はあっ!!」

 

 だが動きを止めるわけにはいかない。もう次の攻撃が迫っている。痛かろうがなんだろうが腕を上げて、なんとしても止めなければ――

 

 

 

 

 

 

「まずいですわね……」

 

 モニターに映し出される一夏と鈴の試合の様子を見ながら、セシリアの表情が険しくなっていく。

 

「ペースを完全に向こうに握られてしまっている。あんな状態では100パーセントの力を出し切るなんて到底不可能だ」

 

 同じく隣で一夏を見守っている箒の口調も厳しい。……それだけ、今の状況は一夏にとって分が悪いものなのだ。

 試合が始まる前から、セシリアも箒も勝負の行方は序盤の攻防次第だと踏んでいた。今の一夏の戦闘スタイルから考えれば、それは必然のことだ。流れに乗れるか乗れないかで、彼の動きのキレは大幅に変わってしまうのである。

 だというのに、開始早々鈴の猛攻に防戦一方。セシリアとしても鈴がいきなり全速力で突っ込んできたのは予想外だった。いかに近接戦闘が得意な機体とはいえ、中距離以上の装備を持たない白式を相手に自ら距離を縮めに行くとは……

 ISでの戦闘において、一夏は圧倒的に経験不足だ。だから自分の予想を超えた行動を起こされると、焦りによってどうしても大きな隙ができてしまう。そしてそれを、代表候補生である人間が見逃すはずはない。

 

「一夏さん……」

 

 ただ、それでも勝負をあきらめたわけではない。いかに彼女自身が慢心していたとはいえ、一夏はかつてセシリアを敗北寸前まで追い込んだ男である。短いながらも訓練を積んだ今なら、手加減なしの鈴相手にも何かやってくれるかもしれない。その期待を、彼女は捨てきることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 ギィンッ!

 

 幾度となく繰り返される剣戟。だが、相対する両者の優劣は火を見るよりも明らかだった。

 

「くそっ……!」

 

 くそ、くそくそくそ……!! 近距離戦なんだ、俺が唯一戦える範囲なんだ。なのに、完全にイニシアチブを握られちまってる。

 ――距離を取ろうとするか、もしくはその場にとどまるかのどちらかだと思っていた。まさか試合開始の瞬間俺の懐に飛び込んでくるなんて。奇襲をかけるつもりが、逆に鈴に不意をつかれてしまった。

 歯車が狂う。このままじゃ何もできずにやられる、何か、なんとか手を打たなければ……

 

「そこっ!」

 

 鈴の一喝とともに、右斜め下から勢いよく振りあげられる青竜刀。その軌道に雪片を合わせるが、あえなく弾かれてしまい、反動で白式の上体が後ろにのけぞる。

 ――そして、再び死に体になる。

 振り上げられた甲龍の刃は、次の瞬間には俺めがけて一直線に襲いかかるだろう。何もしなければ、1秒後には敗北が待っている。一撃くらっただけではシールドエネルギーは切れないが、『零落白夜』を満足に使えるだけの量が残らない。

 

 冗談じゃない。こんなところで終わってたまるか……!

 

 ほぼ無意識に瞬時加速を発動させる。もはややけくその体当たりに近いものだったが、至近距離での急加速に対応が遅れたのか、鈴はその一撃をまともに受け、後方へ飛ばされる。

 

「ぐっ……」

 

 骨が軋むような感覚。明らかに無茶な体勢からの瞬時加速を行ったことで、白式自身もダメージを受けていた。

 それでも距離が開いたことにより、鈴の猛攻がいったん止まった。互いの間隔は約5メートル。試合が始まった時とほぼ同じだ。仕切り直し――とは言えない。俺がエネルギーを減らしすぎている。

 

「はあ、はあ……」

 

 鈴が再び動き出す前に、息遣いをなんとか整える。向こうはまだまだけろりとしているというのに情けない話だ。

 

「一夏」

 

 そんな時、開放回線から鈴の声が聞こえてきた。試合の最中にいったい何の用だ?

 

「アンタさあ、なに焦ってるの?」

 

「……はあ? どういう意味だよ」

 

 呆れたような鈴の声に少々腹が立つ。焦ってるのは当然だろ、あんだけ攻め込まれてたんだから。

 

「そういう意味じゃないわよ」

 

 ……俺の周りにいる人間全員に言いたいことだが、勝手に人の心を読むのはやめてほしい。

 

「あたしが言いたいのはね、アンタの体ががちがちに固まってるってことよ。何をそんなに緊張してるわけ?」

 

 ……緊張? 確かにクラス代表として戦っている今の状況、プレッシャーを感じていてもおかしくはない。けど、俺の頭の中にはそんなこと浮かんでいなかったはずだ。

 ただ、鈴に成長したところを見せようとか、手伝ってくれた箒たちのためにも負けられないとか、そう思っていただけ――あ。

 

「何を気にしてるのか知らないけど、アンタ相当ちぢこまった動きしてる。そんな状態のやつに勝ったって、あたしもうれしくなんかないんだけど」

 

 ……そうか。そういうことか。今になって、ようやく自分が何かをはき違えていることに気づいた。

 結果を出さなければならない。俺と鈴の今後の関係のためにも、箒のためにも、セシリアのためにも、千冬姉のためにも。その思いが前に出すぎたせいで、一番大事なことを忘れてしまっていた。 

 頭のてっぺんから足の裏まで、まっすぐ通った一本の自分らしさ。いくら技術を身につけたところで、己というものを失ってしまえば元も子もない。

 そもそも、その自分らしさを伝え合うというのが、この戦いの最大の目的だったんじゃないか。

 

「……馬鹿だな、俺」

 

 気を静めるように、大きく息を吸って深呼吸をする。……もう大丈夫だ。ここからは、俺らしい戦い方でいく。

 

「鈴」

 

「……なに?」

 

「――行くぞ」

 

 宣言と同時に、雪片弐型を構えて斬りかかる。真正面からの一太刀は当然防がれるが、それでかまわない。ありがたいことに、鈴はこのまま接近戦を続ける気のようだ。

 

「……ふん、やっとまともな顔になってきたじゃない」

 

 刀による斬撃の応酬は、やはり次第に鈴が優位に立ち始める。おそらく基本のスペックだけなら白式は甲龍を上回っているはずなのに、それでも押し負ける。

 だが焦るな。今はただ致命的な一撃をもらわないように耐え凌ぎ、相手の動きを見極めることに集中しろ。そうすれば、必ずチャンスはくるはずだ。

 ……そして、十数回の剣戟の繰り返しの末、それはやってきた。

 ――こちらの刀が下げられた状態での、右肩方向からの袈裟切り。この状況での攻撃の避け方は、容易に『想像』できる……!!

 

「っ!?」

 

 鈴の顔が驚きに染まるのが見える。無理もない、俺の動きが急によくなったのだ。一瞬のうちに青竜刀をかわし、すでに攻撃後の硬直状態にある鈴めがけて雪片弐型による一撃が放たれている。

 

「ちっ……!」

 

 鈴の舌打ちが聞こえたような気がした。今の横薙ぎは、確実に甲龍のシールドエネルギーを削り取った。零落白夜を使っておけばよかったか、と一瞬思うが、所詮は結果論にすぎない。

 それより今は次の攻撃だ。幸い、先ほどの動きで『波』に乗ることができていた。ここからは俺が攻める番だ。

 

「うおおっ!!」

 

 上下左右、四方八方からの流れるような連撃。俺個人の力では到底不可能な動きが、今はきれいにイメージできる。攻守は逆転し、徐々に俺が鈴を押し始めた。

 

「アンタ、その動き、もしかして……」

 

 どうやら鈴は何かに思い当たったらしい。確かに、代表候補生なら気づいて当然なのかもしれないな。

 

「千冬さんの――」

 

 

 

 

 

 

「……模倣、だと?」

 

 2週間ほど前。箒との模擬戦に勝った後、俺は箒とセシリアに事情を説明した。

 

「ああ。この前セシリアにモンド・グロッソの映像入りのDVD借りたろ? あれで千冬姉の暮桜の戦い方を何度も見たんだ。白式と暮桜はよく似てるし、参考になるかと思ってさ」

 

「映像を見ていたのは知っている。私も同じ部屋で暮らしているのだからな」

 

「ですが、それだけでは短期間であそこまで上達した理由には……」

 

 まあ、理由にはならないよな。予想通り、箒もセシリアも納得がいかないようだ。

 

「そこは正直俺も驚いてる。最初は動きを真似するところまでは考えてなかったんだけどさ、ひとりでいる時にちょっと試してみたらこれが案外うまくいってな。次に千冬姉ならどう動くかっていう『イメージの波』にさえ乗れれば、さっきみたいにスムーズな動きができるんだ」

 

 といっても、さっきの模擬戦はうまくいきすぎだったけどな、と付け加えておく。あそこまでイメージがうまくできたのは初めてだし、今後もそう起こることではないと思う。

 

「……姉弟だから、動きが体に馴染みやすかったのだろうか」

 

「遺伝子的な理由……あまり腑に落ちませんが、とりあえずはそういうことにしておきましょう。……とにかく、その技術が試合に役立つことには変わりありませんわね」

 

 ――というわけで、それからはセシリアにISの基本技術を仕込まれながら、『模倣』の練習にも本腰を入れ始めた。その分体への負担は増えたが、おかげで近接戦における模倣はそこそこレベルがあがったと感じている。

 ……ただ、千冬姉の動きを真似ることに抵抗がなかったわけじゃない。あの技はあの人だけのものであってほしいと、昔からそう思っていた。

 だけど、俺は本気で戦うと約束した。強くなりたいのなら、そのための方法があるのなら、手を伸ばしてみるべきだという思いもあった。

 最終的に、俺は後者の思いをとったのだった。

 

 

 

 

 

 

「うわあー、すごいですね織斑くん。たった2ヶ月であそこまで戦えるようになるなんて」

 

 一夏の成長ぶりに山田真耶が感嘆の言葉を漏らしている横で、織斑千冬はモニターから試合の様子を観戦していた。ある時を境に一夏の動きのキレが格段に上がり、一時は鈴を防戦一方にまで追い込んでいたが、現在は五分五分の状態に戻っている。一夏の変化に戸惑っていた鈴がそれに対応し始めたということだろう。

 鈴の適応能力については、特に驚くべきことでもない。中国から選ばれた代表候補生なのだから、敵の戦闘スタイルの変化もきちんと処理できるだけの力を持っていてしかるべきだろう。

 

「………」

 

 だが、一夏の方はどうだろうか。

 別に、自分の動きを真似ていること自体に問題はない。一夏が最近モンド・グロッソの映像を見ていたことは知っている。以前は彼にIS関連のことを知られるのを拒んでいたこともあったが、彼がISを動かし、必然的にISに関わらざるを得なくなった時点で、その気持ちもなくなっていた。

 ――問題なのは、その模倣の完成度だ。

 千冬は自分の弟の力量をよく知っているつもりである。だから、彼が彼女の動きを真似ようとした場合どうなるかの予想もついていた。……その予想よりも、今の白式の動きは圧倒的に良い。彼女の驚きはその一点にある。

 

「………」

 

 思い当たる理由はあるが、確証はない。心の中で何とも形容しがたいもやもやした感覚が広がっていくが、それを表に出すことはせず、彼女はモニターを見つめ続ける。

 

 




戦闘の流れの都合上、甲龍の衝撃砲が出番なしになってしまいました。
初めてまともな戦闘シーンを書いたわけですが、正直あまり自信がありません。何かおかしいところがあれば知らせてもらえるとありがたいです。

次回は鈴の心理描写多めの予定です。というかそろそろ一夏と鈴がいちゃいちゃするシーンが書きたいです……


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第7話 変わらないもの

まだ判断はできませんが、とりあえず今のところは大丈夫そうなので最新話を投稿してみます。


 凰鈴音は、織斑一夏の見せた実力に驚きを禁じ得なかった。ISを使える男として突如世界の話題をさらってからわずか2ヶ月。その短期間で、彼は近接戦なら鈴と互角に戦えるだけの力を身につけていたのだ。

 

「……ふふ」

 

 驚愕の感情は、どういうわけか鈴の中で喜びへと変換されていく。互いに刀をぶつけあっている最中にもかかわらず、思わず口から笑みがこぼれてしまうほどだ。

 

 ――上等。そのくらい常識外れじゃないと、アンタらしくないわよね。

 

 学校でいじめられていた自分を助けてくれた一夏。両親の離婚を止めるきっかけを作ってくれた一夏。いつだって彼は、もう無理だと鈴自身が諦めてしまうようなことを可能にしてきた。本人は『できることをやっただけ』と簡単に言うだろうが、助けられた側からすればそれは奇跡みたいなものなのである。

 そんな彼なら、ISだって使いこなせるようになる。これくらいの成長を見せてこそ織斑一夏だ。妄信的かもしれないが、鈴には自然とそう思えてしまっていた。

 だが、それと勝負とは別の話だ。鈴にも代表候補生としてのプライドがある。好きな男の子だからといって、自分より経験の浅い相手に負けるわけにはいかない。……いや、むしろ好きだからこそ余計に負けたくない。

 

「はあああっ!!」

 

 どのくらい打ち合っていたのか。気がつけば、甲龍のシールドエネルギーは半分以上削られていた。序盤で与えたダメージを考えると、相対する白式のエネルギーはさらに少ないはずだと鈴は予想する。

 一夏の表情をうかがうが、そこに焦りはない。ただ一心に相手を打倒することだけを考えているような、まっすぐな瞳。そこから察するに、彼にはまだ勝利のための策が残っているようだ。

 だが関係ない。何か作戦があるというのなら、それを実行させる前に倒せばいい。

 戦いの中で、鈴は一夏の弱点に気づいていた。彼は世界最強である織斑千冬の動きを模倣しているようだが、当然それは完全ではない。いくら姉弟とはいえ、違う人間である以上真似をしようとすれば必ずどこかに綻びが生じる。彼が千冬の動きを想像するのに多少時間がかかるパターンというものが存在するのだ。そしてそのパターンのひとつを、鈴はすでに見つけている。

 ――ある攻撃の組み合わせで攻めた時、一夏の防御および反撃がわずかに遅れる。その隙をついて衝撃砲『龍咆』を展開、発射。

 砲弾、砲身ともに見えない『龍咆』は甲龍だけが持つオリジナルの第三世代型兵器である。初見の一夏ではまず対処できない。

 方針は決まった。あとはそれを実行するだけだと、鈴が気合いを入れ直したとき。

 ――突然、爆音とともにアリーナ全体が揺れ動いた。

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ……?」

 

 鈴が何かを仕掛けてきそうなのを察知して身構えた瞬間の轟音に、俺も鈴も刀を止め、状況を確認しようとあたりを見回す。

 異常はすぐに確認できた。ステージ中央から、先ほど爆発が起きたことを明確に示す煙が天に伸びている。おそらくアリーナの遮断シールドを何者かがこじ開けた結果だろう。

 

「一夏、早く逃げなさい! アレ相当やばいわよ!」

 

 鈴の切羽詰まった声が聞こえるのと同時に、俺も『それ』の存在を認識する。あの煙の中に正体不明のISがいることを、白式のハイパーセンサーが感知したのだ。……さらに悪いことに、向こうはすでにこちらをロック――つまり、狙いを定めているらしい。

 その事実に、一瞬背筋が凍った。姿の見えない敵ISの攻撃力は、『アリーナのシールドを突き破った』という結果だけで容易に想像できる。……あれは、まずい。

 

「なにぼーっとしてんの一夏! あたしが食い止めておくから、アンタはさっさとここから離れて!」

 

「馬鹿言うな、鈴を放っておいて逃げられるわけないだろ!」

 

 相手が恐ろしい存在だからこそ、ここで鈴をひとりにすることはできない。さっきまでの試合で、俺ほどじゃないにしろ鈴の機体もかなりのダメージを受けているはずだ。

 

「馬鹿はそっちでしょ! エネルギー切れかけの近接戦闘しかできないやつに何ができるって――」

 

 鈴の至極まっとうな言い分は、しかし最後まで続かなかった。

 空間を焼き切る、なんて表現がぴったり当てはまるような高威力の熱線が、ほぼ零距離で向かい合っていた俺たちめがけて襲い掛かる。すんでのところで2人とも回避し、ビームの発生源から距離をとった。

 

「……まだ間に合う。一夏、逃げなさい。戦ったらどうなるかわかったもんじゃないわ」

 

「だから――」

 

 そんなの無理だと答える前に、第2射、第3射と敵の攻撃が連続で放たれる。それによって煙が晴れたおかげで、ようやく相手の姿を肉眼でとらえることができた。

 ――視界に映った未知のISは、とにかく常識とはかけ離れた姿かたちをしていた。2メートルを超える巨体に全身装甲。俺を驚かせるには十分だ。一応声をかけてみたが、返事のひとつも返ってこない。

 

『織斑くん! 凰さん! すぐにアリーナから脱出してください! すぐに先生たちがISで制圧にいきます!』

 

 山田先生からの退却指示が回線越しに聞こえてきた。その張りつめた声から察するに、やはり今の状況は非常に危険なものであるようだ。

 ――だが、それはできない。先生たちのISが来るまでアレを足止めするものがいないと、アリーナの観客席にいる大勢の人たちが攻撃の標的にされるかもしれない。それだけは、絶対に防がないといけない事態だ。

 

「山田先生。俺たちはここで時間を稼ぎます」

 

 はっきりと言い切った後、鈴の方へ振り向く。こちらを見つめるその瞳は、俺の次の言葉を待っているようだった。

 

「鈴。もう一度言うぞ。俺はお前を……大事な幼馴染を危険な場所に置いて、自分だけ逃げることなんてできない」

 

 どんな文句を言われようと、そこだけは譲れない。『守りたいものは守る』――それが俺の信念だから。

 そんな俺の答えを聞いた鈴は、いったい何を思ったのか。一瞬呆けたような表情をしてから、続いて無表情になり。

 

「……ぷっ」

 

 そして、なぜか最後には吹き出しやがった。なんだ、俺は笑われるようなことを言った覚えはないぞ。

 

「ああ、ごめんごめん。別に馬鹿にしてるわけじゃないから。……ただ、アンタは何も変わっていなかったんだなって、そう思っただけ」

 

 そう答えて、鈴はうれしそうに笑う。……よくわからないが、とにかく一緒に戦う許可はもらえたということでいいんだろうか。

 

「もう向こうが待ってくれなさそうだから手短に言うわね。あたしが距離をとって砲撃で牽制するから、アンタはその間に一撃入れなさい。以上」

 

「おい待て、いくらなんでもそれは投げやりすぎ――」

 

 文句を言おうとした時、敵ISがこちらめがけて突っ込んできた。……ああ、確かに悠長に作戦を練る時間はなさそうだな、これは。

 鈴が後方に下がるのを確認しながら突進をかわし、そのまま反撃のために雪片弐型を振るう。まともに攻撃を食らえば終わりという極度の緊張感の中、俺と鈴の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

「ちっ……」

 

 試合前には500以上あったシールドエネルギーは残り100をとうに切っている。もはや一握りだって無駄にできない状況だ。ゆえに、必殺の一撃(零落白夜)を使えるチャンスは一度しかない。

 それがわかっているからこそ、敵の動きをしっかり見極めて狙いを定めようとしているのだが……はっきり言ってしまえば、相当きつい。なにしろ相手の動きが正確すぎるのだ。どれだけ不意をつこうとしても、どれだけ完璧なタイミングでの攻撃を仕掛けても、それらすべてが難なく処理されてしまう。

 

「鈴! いったん下がるからフォロー頼む!」

 

 このままではジリ貧で負ける。加えて厄介なことに、あのISはアリーナ全体に遮断シールドを張っているようだ。これでは先生たちの救援もしばらくは期待できない。

 俺の指示通り、鈴は衝撃砲を数発敵ISに撃ちこむ。その攻撃はすべてあの長い腕によって防がれてしまうが、その間に俺は距離をとり、鈴の近くまで退却する。

 

「なに? いい作戦でも思いついたの?」

 

「……いや。むしろ何も思いつかないから戻ってきた」

 

「やっぱりそうよね……」

 

 鈴の表情は険しい。あちらも打開策には心当たりがないみたいだ。そうだよな、あんな機械みたいに精密な行動をとられちゃ――

 ……待て。機械みたい? いや、もしかして。

 

「鈴。あのIS、人が乗ってないのかもしれないぞ」

 

「はあ!? いきなりわけわかんないこと言うんじゃないわよ」

 

 鈴の反応は当然のものだ。『ISは人が乗らないと動かない』――これは教科書に載っているどころか、社会全体の常識だ。もし無人機などというものが存在するなら、ここまで女尊男卑が進むこともなかったのだから。

 

「根拠はある。今までの戦い、アレの動きは機械みたいに正確だ。常に俺とお前の行動を同等のレベルで観察してるから、不意打ちも食らわないんだと思う」

 

 だが、時には常識を外れた事実が存在するのかもしれない。実際、この世界の誰かが無人機を作れるという可能性はゼロではないはずだ。

 

「……仮に無人機だったとしたら、何か作戦があるの」

 

 鈴も俺の言い分が一理あると感じたらしい。敵が機械そのものであるという仮定の下で話を進めてきた。

 

「ああ。手加減する必要がないなら、零落白夜を全力で撃てる」

 

 そこまで言ってから、回線をプライベート・チャネルに切り替える。今から話す内容を、相手には聞かれたくないからな。

 俺が作戦内容を伝え終えると、鈴は少しの間思案してから口を開く。

 

「ひとつ質問。今アンタが言ったことを実行するには、白式のシールドエネルギーがある程度残ってることが条件なわけだけど……大丈夫なの?」

 

「鈴がちゃんと加減してくれればぎりぎり足りると思うけど」

 

「簡単に言ってくれるわね……」

 

 文句の言葉とは裏腹に、鈴の表情は一転して何やら楽しげなものに変わっている。

 

「けど、その作戦乗った。1発勝負っていうのがわかりやすくていいじゃない」

 

 好戦的な目つきに、恐れを知らないかのような獰猛な笑み。およそ女の子らしい表情からはかけ離れているが、それは紛れもなく『鈴らしい』と言えるものだ。

 

「一夏。お膳立てはきっちりするから、絶対に決めなさい」

 

 そして、俺に寄せる全幅の信頼。……この時になってようやく、俺はある大事なことに気づいた。

 

「……変わらねえな」

 

 さっき鈴が言っていた言葉を、今度は自分が口にする。きっとあいつも、同じことを考えていたんだろう。

 

「? 一夏、今なんか言った?」

 

「いや、なんでもない。……こんな戦い、さっさと終わりにしようぜって言っただけだ」

 

 ――俺たちは、何も変わってなんかいなかった。なのにお互いが勝手に尻込みして、必要のないこじれた関係を作り上げてしまっただけ。後でしっかり話し合えば、きっとすぐに仲直りできるだろう。

 

「そうね。あんなやつ、とっととスクラップにしてやろうじゃない。一夏、用意はいい?」

 

「ああ、ばっちりだ」

 

 セシリアにもプライベート・チャネルで連絡をとった。下準備はこれで完璧だ。

 

 

 

 

 

 

「一夏さんから指示をもらいましたわ!」

 

 それだけ言って、セシリアは急いでアリーナの方へかけ出して行った。残された箒は、いまだアリーナ内部の戦闘を映しているモニターへと目を向ける。そこには、2人並んで正体不明のISと対峙している一夏と鈴の姿があった。

 

「……遠いな」

 

 思わずそんな言葉が口から漏れる。……事実、箒は自身と一夏たちの間に大きな隔たりがあるように感じていた。

 未熟ながらも専用機持ちとして立派に戦っている一夏。そして戦場で彼を支えるセシリアや鈴。対して篠ノ之箒は、その様子をただ見ていることしかできない。もどかしいが、これは変えようのない現実だ。

 

 ――だが、いつかは追いついてやる。

 

 いつの日か必ず一夏の隣に立ってみせると決意した箒は、今の彼女にできる精一杯のこととして、一夏たちの勝利を願う。

 

 

 

 

 

 

「いくぞ!!」

 

 敵ISがビームを放った瞬間、俺は標的めがけて一直線に飛び出す。

 

「飛んでけ一夏!」

 

 同時に白式の背中へ鈴の衝撃砲が放たれる。それが激突した瞬間、俺は瞬時加速を作動させた。

 

「ぐっ……」

 

 砲撃を受けた痛みと、その衝撃砲のエネルギーを取り込むことで限界を超えた加速を行おうとすることによる体への負荷。だがこれを耐えれば……

 

「うおおおっ!!」

 

 一瞬のうちに敵の体に肉迫する。その速度に、奴はまだ対応しきれていない。……チャンスだ。

 これ以上ないタイミングで零落白夜を発動させる。狙いはただひとつ、あの厄介な腕と遮断シールド……!

 

「はあっ!!」

 

 まず右腕と遮断シールドを斬る。そしてわずかに残ったエネルギーをすべて使い零落白夜の維持時間を延長、ぎりぎりのところで左腕も切り落とした。

 ……だがここまでだ。渾身の一撃を放った俺の体勢は隙だらけ。頭突きでも蹴りでも、一発食らえば白式は限界を迎えてしまうだろう。

 もう俺には何もできない。だから――

 

「あとは頼んだ、セシリア」

 

 直後、俺に襲いかかろうとしていたISの体はブルー・ティアーズのレーザーの雨に曝され、力なく地上に落下した。……これで、完全に停止したはずだ。

 

「……ふう」

 

 しばらく経っても敵が動かないことを確認して、ようやく俺たちは安堵の息を漏らす。

 

「ナイスセシリア。完璧なコントロールだった」

 

「当然ですわ。わたくしはイギリス代表候補生、セシリア・オルコットなのですから。……それに、必ず一夏さんを勝利に導くと約束しましたもの」

 

 ……ああ、確かにそんなことを言っていたな。相手は鈴から謎のISにすり替わってしまったが、それでもセシリアは有言実行を果たしたというわけだ。

 

「ふーん。結構やるじゃん、イギリスの代表候補生」

 

 いつの間にか俺の隣にやってきていた鈴が素直な感想を言う。その態度は昔の鈴そのもの。試合が終わって敵対関係がなくなった後も、自然に俺に話しかけている。転校初日のあれがまるで夢であったかのようだ。

 

「……はは」

 

 それがうれしいようなおかしいようなで、思わず笑ってしまう。鈴は一瞬面食らっていたが、すぐに俺の気持ちに気づいたのだろう。釣られて一緒に笑い始めた。

 

「あはははは!」

 

「……あの、一夏さん? 凰さん? 急にどうしましたの?」

 

 小さな笑いが、いつの間にか大笑いに変わる。戸惑っているセシリアには申し訳ないが、今は存分に笑わせてもらいたい。……それが終わったら、今度こそ鈴とちゃんと向き合って話そう。

 




戦闘の展開がほぼ原作のままとなってしまって申し訳ありません。バトル関係でやりたかったことは前回でほぼ済ませてしまっていたので、特にいじるところが見当たりませんでした。強いて言うなら箒がハウリングしなかったくらいです。理由としては、この一夏は原作以上に戦闘面で成長している分多少は安心感があり、同時に箒が自分と一夏たち専用機組との差をはっきり認識したから、という感じです。原作との比較を本文内で描写するのは難しいので、このあとがきで補足させていただきました。

次回、ようやく一夏と鈴の和解です。同時に1巻のエピソードも終了の予定。


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第8話 まずはここから

今回で原作1巻の内容は終了です。


 正体不明のISの乱入によりクラス対抗戦は中止。俺と鈴の勝負も無効ということになった。

 

「はあ……やっと終わった」

 

「根掘り葉掘り聞かれるのは当然だけど、あんなに次から次へと質問攻めしなくてもいいのにね」

 

 侵入者と交戦した俺たちは、あの後アリーナを出るなり先生たちに捕まって、そのまま尋問のようなことをされていた。とどめを刺しただけのセシリアは早々に解放されたのだが、最初から山田先生の言うことも聞かずに戦っていた俺と鈴は3時間以上拘束される羽目になったのだった。現在時刻は午後5時を回っている。

 

「………」

 

 会話が途切れて、しばし無言で廊下を歩く。互いに言いたいことは山ほどあるはずなのに、なかなかタイミングがつかめない。そんな感じの少しきまずい雰囲気だ。

 ……だけど、いつまでもこのままじゃ何も始まらない。ここは男として、話し合うための舞台を整えなければ。

 

「鈴。時間があるなら、ちょっと屋上に行かないか?」

 

「えっ? ……う、うん。別にいいけど」

 

 急に話しかけたから少し驚いていたようだが、鈴も俺の提案を受け入れてくれた。

 

 

 

「――うわ、結構夕陽がまぶしいな」

 屋上へと続く扉を開けると、西日がちょうどこちら側を照らしていた。日陰に鈴を連れて行き、そのまま2人して腰を下ろす。

 ……じゃあ、とりあえず俺の方から話をしよう。

 

「鈴。その……ごめん」

 

「……何に対して謝ってるの?」

 

 鈴の言葉は疑問形だったが、その口調はわかっている答えを確認するようなものだった。

 

「……告白の返事。ずっと伝えられなくて、ごめん」

 

 こればっかりは100パーセント俺に非がある。さっさと答えを出して連絡をとっていれば、1ヶ月もの間じれったい関係が続くこともなかっただろうから。

 

「……っ。そうよ、どうして1年間何も知らせてくれなかったのよ! あたし、ずっと待ってたのに。一夏に伝えたいこと、いっぱいあったのに……!」

 

 怒気を含んだ鈴の声と、その目にうっすら浮かんでいる涙が、俺の胸に深く突き刺さる。俺のしたことが、こいつをこんなに悲しませたんだと思うと、今すぐ自分の顔をぶん殴りたい気持ちになってしまう。

 

「なんにも言ってくれないから、あたしの方から連絡しようともした。けど、アンタが連絡くれないのは、もしかしてあたしのことがもうどうでもよくなっちゃったからなんじゃないかって思って……それで……」

 

「……どうでもいいなんて、そんなことあるわけない。今も昔も、鈴は俺にとって大事な幼馴染だ。……ただ、大事だからこそ、中途半端な返事はしちゃいけないと思った。ちゃんと自分の思いを全部表せるような言葉を用意するべきだって。その答えが、最後まで出てこなくて……本当に、ごめん」

 

 包み隠さず思いを打ち明け、深く頭を下げる。殴られようが蹴られようがかまわない。それだけのことを俺はしてしまっている。

 ……だけど、鈴は怒りをぶつけるようなことはせず、俺の顎に手を当ててクイッと上に向ける。

 

「……ちゃんとした言葉にできなくてもいい。今の一夏の気持ち、伝えられるだけ伝えて」

 

「………!」

 

 ――顔が近い。しかも目を潤ませて頬を上気させている。……空気を読めと言われても仕方ないが、俺はその表情がめちゃくちゃかわいいと感じた。

 ……とにかく、ここまできて何も答えないわけにはいかない。納得のいくものではないけれど、今の俺の精一杯の返事を告げよう。

 

「鈴のことは、もちろん好きだ。一緒にいて楽しいからな。……けど、それが友達としての好きなのか、女の子としての好きなのか、今の俺には判断がつかない」

 

 たとえば、俺は千冬姉のことが好きだ。だけどそれは家族に対する愛情であって、決して恋愛感情などではない。というか、もし恋愛感情だったら俺は越えてはならない一線を越えてしまうことになる。

 では、鈴に対してはどうなのかというと、どうもそれがはっきりしないのだ。千冬姉や箒たちに抱いている感情と似ているところもあれば、何か違うところがあるような気もする。

 

「空港で鈴にキスされた時、すごくドキドキした。たぶんあんなのは生まれて初めてだ。でもそれは、鈴にキスされたからなのか、それとも単純にかわいい女の子にキスされたからなのか。……俺にはそれがわからない」

 

 そこでいったん言葉を止め、溜めを作る。うだうだ言ったけど、結局のところ俺が一番伝えたいのは――

 

「だから、もう少し時間をくれないか? この学園で鈴と一緒に過ごしていくうちに、きっとわかることがあると思うんだ。……それで、自分の中ではっきりした答えが見つかった時に、もう一度改めて返事をさせてほしい」

 

 つまるところ、これは『保留』だ。こんな半端な返事で、果たして鈴は納得してくれるのだろうか。

 おそるおそる鈴の様子をうかがうと、怒っているような呆れているような、よくわからない表情をしている。そのまま何か言うのを待っていたのだが、鈴は無言のままおもむろに右手をあげたかと思うと、ぺしんと俺の頭を軽く叩いてきた。

 

「……えと、なんで叩いたんだ?」

 

「今になるまでそれを言ってくれなかった罰」

 

 そう言って、鈴はしょうがないなあ、というふうに小さく笑う。

 

「その答えで今は十分よ。だけど、いつかはイエスかノーをはっきり決めなさいよね」

 

 ……いつかは、か。それって逆に言えば1年後でも2年後でもいいってことなのかな。

 

「あのさ、鈴。……鈴は、今でも俺のこと好きなのか? 1年も会っていなかったのに……」

 

 時が流れれば、人は変わっていく。それでも鈴は、俺のことを好きでいてくれるんだろうか。今はそうだとしても、将来俺が答えを出す前に心変わりしてしまうこともあるんじゃないだろうか。

 

「……確かに、1年の間にアンタもいろいろ変わってるんだと思う。これから友達として過ごしていけば、そういう変化はたくさん見つかるでしょうね」

 

 だけど、と。鈴は普段のこいつからは想像もできないような穏やかな笑みを浮かべて。

 

「でも、アンタの一番大事なところは変わってないって、今日わかったから。……その根っこの部分が変わらない限り、あたしは一夏のことを大好きなままでい続けるわよ」

 

 そんな、言われたこっちが恥ずかしさで死にそうなことを、臆面もなく語りやがったのだった。

 

「お、お前……」

 

「な、なによ……言っとくけど、本気だからね! 本気!」

 

 ――ああいや、臆面もなく、というのは間違いだった。落ち着いて見てみたら、鈴の顔は背後の夕陽に負けないくらい真っ赤になっていたのだから。

 

 

 

 

 

 

「……どう? 誰か2人が何話してるか聞き取れる人いない?」

 

「さすがにこの距離じゃ無理だよー」

 

「でもこれ以上近づくと身を隠す場所がなくなっちゃうし……」

 

 一夏と鈴が屋上に向かうのを発見した一部の女子たちは、仲間を呼んで現在屋上の入り口あたりで2人の様子をうかがっている。……だが、肝心の話し声を盗み聞きするには位置が離れすぎていた。

 

「……むう。いったいどんな会話をしているのだ」

 

「なんだかいい雰囲気に見えるのはわたくしの勘違いでしょうか……」

 

 その野次馬集団の中に、篠ノ之箒とセシリア・オルコットも混じっていた。凰鈴音というセカンド幼馴染の存在を警戒しているこの2人は、ほかの生徒以上に一夏たちの観察に気合いをいれて臨んでいる。が、さすがに聴力の限界を突破することはできない。

 

「もう付き合っているとは考えがたいが……ん?」

 

「篠ノ之さん? どうかしましたか?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 今、一瞬鈴がこちらを見ていたような気がするが……きっとただの偶然だろうと箒は考える。もし盗み聞きしている人間がいると気づけば、なんらかの反応をするはずだ。しかし鈴は特にあわてた様子も見せず一夏と会話を続けているのだから、大丈夫だろう、と。

 

 

 

 

 

 

「そうか。おばさん、夏ごろに日本に帰ってくるのか」

 

「うん。……いろいろ、気が済んだみたい」

 

 鈴からの報告を聞いて、ほっと胸をなでおろす。本当によかった。また、家族が一緒に暮らせるんだ。鈴もきっとうれしいことだろう。

 

「そいつはよかった。……ところで鈴、ちょっと相談したいことがあるんだけど」

 

「なによ?」

 

「……ほら、なんか噂になってるだろ。俺と鈴が昔付き合ってたとかなんだとか。あれ、どうしたらいいのかって思って……鈴?」

 

 なぜだか俺から露骨に視線をそらす鈴。しかもたいしてうまくもない口笛まで吹いている。……こいつ、なんか隠してるな。

 

「まさか鈴、あの噂を流したのはお前だったりして――」

 

「ばっ!? そ、そんなわけないでしょうが! あたしはただ……あ」

 

「ただ、何をしたんだ」

 

 墓穴を掘った鈴を容赦なく責め立てる。あの噂には俺も辟易しているんだ。さっさと対処法を考えるためにも、真実は知っていた方がいいからな。

 俺の言葉と視線に観念したのか、鈴は素直に過去の出来事を白状し始めた。

 

「あたしがクラス代表を替わってもらおうと思って、前に代表だった子のところに交渉しに行った時のことなんだけど」

 

「……お前、クラス代表を力ずくで奪ったなんてことはないよな?」

 

「そんなことしないわよ! むしろ向こうは代表交代を快く受け入れてくれたし」

 

「へえ、そりゃまたどうして」

 

「……凰さんと織斑くんの秘密の関係の行方をじっくり見守っていきたいからって」

 

 ……2組の前のクラス代表がどんな人かは知らないが、多分出歯亀趣味を持っているんだろう。そうに違いない。

 

「で、お前それになんて答えたんだ」

 

「……いや、あの時はあたしも気が立ってたというか、勢いで行動していたというか、ね?」

 

「言い訳はいいから。鈴は元クラス代表の人になんて答えたんだ」

 

「……期待しておきなさいって」

 

 なんて思わせぶりなことを言ってくれやがったのだろう、この幼馴染は。それじゃあ俺たちの間に何かあったと公言しているようなものだ。……そうなると、噂が広がった原因の半分くらいは鈴にあったというわけか。

 

「お前馬鹿だろ」

 

「馬鹿じゃないわよ! だ、大体、噂が広がったのは一夏にも責任があるんだからっ。アンタが相変わらず天然タラシだから、余計にそういう男女関係の噂が立っちゃうの!」

 

 さすがにそれはむちゃくちゃな理論だろう。というかただの責任のなすりつけだし。

 

「……とにかく、責任とってなんとかしてくれ。俺もできる範囲で手伝うから」

 

「……わかったわよ。誤解を解けばいいんでしょ」

 

 そう言って、鈴は腕を組んで考えごとを始める。ちゃんと噂を消す方法を見つける気になったようだ。

 

「……あ、そうだ」

 

 少したって、何かを思いついたらしい鈴が声を上げる。何やら不穏な笑みを浮かべているが、いったいどんなことを考えているのだろうか。非常に嫌な予感がする。

 

「そこで盗み聞きしてるやつ! 全員出てきなさい!」

 

 屋上の入り口の方へ向いて声を張り上げる鈴。急に何を言い出すんだ、盗み聞きなんて酔狂なことしてるやつがいるわけ……

 

「くっ、やはりばれていたか……!」

 

「不覚ですわ……」

 

「あ、あははははー……」

 

 いたよ、それも大勢。箒にセシリアに、その他見たことのある顔がちらほらと。総勢14名といったところか。

 

「なんで、みんなここに……?」

 

「あたしたちのことが気になったからに決まってるじゃない。わざわざこんなところまでついてきたってことは、積極的に噂を流しているメンバーが紛れ込んでる可能性も高いわね」

 

 なるほど、一理ある。屋上にまで来て覗きをするというのは、それなりに根気とやる気の必要な作業だからな。……実際、1年の集団の中に2年の新聞部副部長がしれっといるし。逆に考えると、ここで誤解を解いておけば、あとはそれが勝手に学園中に広がってあらぬ噂もなくなってくれるかもしれない。

 きっと鈴も同じことを考えていたのだろう。俺に目で合図を送ると、向こうで身構えている女子たちの方へ歩いていく。ついていかない理由もないので、俺も後に続く。

 

「こ、こうなったらやけくそで直接聞くしかないね。凰さんに織斑くん、ぶっちゃけあなたたち2人はどういう関係なのかを簡潔にどうぞ!」

 

 もう逃げも隠れもしない! という感じで直球な質問を投げかける黛先輩。ちゃっかりボイスレコーダーまで用意しているあたり、この人は根っからのジャーナリスト気質なのだろう。

 まあとにかく、これは噂をかき消す絶好のチャンスだ。きちんと否定すれば、さすがの黛先輩でも事実を捏造したりはしないだろうし。

 さて、どう話そうかなと慎重に言葉を選んでいると、鈴が目配せで『任せろ』のサインを送ってきた。そうか、なら鈴に説明してもらおう。

 

「なんだか妙な噂が流れてるみたいだけど、あたしと一夏はただの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもありません。昔付き合ってたとか、今付き合ってるとか、そういうのは全部事実無根の嘘っぱちです」

 

 やれやれ。これでやっと元の平和な日常が帰ってくる。

 

 ガシッ

 

「ん?」

 

 突然、鈴の腕が俺の腕にからみついてきた。いったいなんのつもり――

 

「……今はまだ、だけどね」

 

 …………え。え、え? 

 

「おお~~!!」

 

 女子たちからは割れんばかりの歓声。

 

「い、一夏! 今はまだとはどういうことだ!!」

 

「早急に説明を要求しますわ!!」

 

 ついでに一部からは怒号が飛んできている。鈴の馬鹿、なんでこの局面であんなことを……

 

「って、あれ?」

 

 問い詰めようと思っていた当の本人が、いつの間にか俺の隣から消えている。すぐさま周りを見渡すと、俺に群がる女子生徒の向こう側で、悠々と屋上から出ていくツインテールが一瞬見えた気がした。……あいつは忍者かよ。

 

「ふざけんな! 事態を最大級にややこしくしたまま逃げるんじゃねえ!」

 

 すぐに追いかけようとするが、すでに俺に対する包囲網は完成していて、一寸の逃げ場もない。そして、俺の正面には箒、セシリア、そして黛先輩がでーんと仁王立ちをしている。

 

「一夏」

 

「どういうことか」

 

「説明してほしいね! 記事にするから!」

 

 ……ああ、ちょっと前までの晴れやかな気持ちはなんだったのだろう。鈴と仲直りできて、これからあいつのことをしっかり見ていこうと決意を新たにした矢先にこれだ。さっきの鈴の笑顔とか、もしかして全部夢だったんじゃなかろうか?

 ――でも、これはこれでいいのかもしれない。急に甘酸っぱい青春物語みたいな雰囲気に俺たちがなれるはずもないし、こうやってぎゃーぎゃー騒がしい方がよっぽど心地よくてお似合いだ。

 鈴との関係が元通りになったことで、俺のIS学園での生活は今まで以上にはちゃめちゃなものになるだろう。疲れもどっと増すだろうが、そのぶん楽しいこともたくさん待っているはずだ。

 ……でもやっぱり、俺ひとりが被害をこうむるのは納得いかない。鈴には後できつい仕返しを考えておこう。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、自分の部屋に戻っていた鈴はというと。

 

「ああー、言っちゃった言っちゃった言っちゃった~~!!」

 

 自分の言動を振り返りながら、ベッドの上で悶絶している真っ最中であった。

 

「……ああ、やっぱりこの子変だわ」

 

 同時に、ルームメイトであるティナの鈴に対する評価も決定されたのだった。

 

 




ようやく仲直りしたところで1巻は終了です。

さて、とりあえず物語に一区切りがついたところで、ここまでやった感想や今後の方針、目標について少々語っていきたいと思います。たいしたことは書いていないので、興味のない方は読み飛ばしてもらってかまいません。

この作品を始めようと思った一番の理由は、それはもちろん僕が鈴を好きだからです。原作では(たぶん)箒がメインヒロインなので、じゃあ鈴をメインにしたものを自分で作ってみようと考えたのがきっかけです。その際、他のヒロインについても結構扱いを変えてみました。どんな感じになっているのかは今後の展開でわかるかと思われます。

それである程度プロットを作った後、この新興サイトであるハーメルン様で今まで投稿させていただいたのですが……正直、ここまで評価してもらえるとは思いませんでした。ありがとうございます。お気に入りも300件を軽く越え、たくさんの人が高評価のボタンをクリックしてくれました。特に感想をくれた皆様、大変力になりました。しかし0~2点の低評価もあるので、これからも精進していきたいと思います。

次に今後の方針についてですが、更新スピードは今までとたいして変わりません。2,3日に1話更新していく感じになりそうです。
本編の展開についてですが、まず2巻では原作との大きな変更点があります。3巻ではさらに増えます。4巻は完全に別の話になります。……といった感じで、だんだん原作から離れていくことになる予定です。どうなるかはネタバレなので言えませんが。

最終的な理想は、この作品がセカン党のハーメルン支部になることです。ちょっと高すぎる気もしますが、今のところはそれを目標にしてやっていきたいと思います。あ、もちろん完結させるのは絶対条件です。

それでは、これからもこの作品とお付き合いいただけるとうれしいです。


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学年別トーナメント編
第9話 2人の転校生


前回あと2話日常話をはさんでから2巻の内容に入ると言いましたが、予定を変更して速攻原作2巻に突入します。理由としては、日常話のストーリー構成的にシャルとラウラがいたほうがやりやすいという結論に至り、後回しにしようと考えたからです。


「あれ? 弾、髪伸ばしたんだ。なんかチャラくなったわね」

 

「再会の挨拶もなしにいきなりそれかよ。そっちは相変わらずのツインテールのようで」

 

 今日は6月に入って最初の日曜日。自宅である織斑邸の様子を見に行くついでに、俺は中学からの友人である五反田弾の家を訪ねようと思っていた。その旨をたまたま朝食を一緒にとることになった鈴に伝えると、『そういえば日本に帰ってからまだ弾の顔を見てなかったなあ。というわけであたしも行く』と即断即決、30分で支度を終えて俺とともに学生寮を出たのだった。相変わらず行動が速いやつだなと感心する。

 そういうわけで、軽く自宅のチェックを行い、現在五反田家の裏口で弾と合流したところである。1年ぶりに会った友人2人が仲良く(?)会話しているのを聞きながら、2階の弾の部屋にお邪魔させてもらった。

 

「それにしても、鈴が中国の代表候補生とはねえ。一夏から聞いた時にはたまげたぜ」

 

「まあね。運が良かったってのも結構あるけど」

 

「一夏は言わずもがなだし、なーんか俺だけ平凡に高校生活送ってて取り残されてる感じだな……」

 

 羨ましげに俺と鈴を見る弾。……そうは言うけど、男ひとりがIS学園で日々を過ごすというのもなかなかにきついもんだぞ。最近はだいぶ慣れたけど、元から見知っていた箒や千冬姉がいなかったら最初のひと月で精神的に限界を迎えていたかもしれない。

 

「そんな顔するなって。通う学校が違ったって、俺たちの仲がいいことに変わりはないだろ? 今もこうやって遊びに来てるんだから」

 

「い、一夏。お前ってやつは……」

 

 暗い表情をしていた弾の顔がぱっと輝く。そうそう、中学3年間で積み上げられた友情は、そう易々と崩れ落ちたりはしないものなんだ。

 

「……ま、そんなこと言ってる一夏クンは昨日の夜女子5人に囲まれて人生ゲームに興じてたんだけどね」

 

「一夏許さん」

 

 あれ? 友情崩れ落ちた?

 

「ちょ、ちょっと待て! あれは鈴が俺にやろうって持ちかけてきたんだろ!?」

 

「それがどうかした? 誰の提案でやったにしろ、楽しくなかったわけじゃないでしょう」

 

 ぐっ……確かに時間ぎりぎりになるまで盛り上がっていたのは事実だ。とにかくセシリアが大事な局面で変なマスばかり踏むのが面白くて……いかん、思い出したらまた笑いがこみ上げてきた。

 声は漏れなかったが、おそらく顔がにやついてしまっていたのだろう。弾は冷ややかな視線で俺を見ながら、

 

「それじゃ、さっそくス○ブラでもやるか」

 

と言ってゲーム機を取り出し始めた。こいつ、多分強キャラ使ってぼこぼこにするつもりだな……

 

 

 

 

 

 

 1時間後。単純に好きなキャラを使っていた俺は、強キャラばかり使ってくる弾と鈴にCPUキャラともども蹂躙され続けていた。……まあ、最後の方は弾も怒りが収まったのか、そんなに強くないキャラも使用するようになっていたが。ちなみに鈴は最後までメタ○イト(最強キャラの筆頭)を使っていた。

 

「ちょっと飽きてきたし、そろそろ別のゲームにしないか?」

 

「そうだな」

 

 俺の提案に弾がうなずき、ゲームソフトの入った箱の中を探り始める。

 

「IS/VSなんかがいいんじゃない?」

 

「あれ2人対戦までしかできないだろ。効率が悪い」

 

「あ、そっか」

 

 弾が適当なゲームを探し、俺と鈴がたわいもない会話を交わしていた、そんな時。

 

「お兄! さっきからお昼できたって言ってんじゃん! さっさと食べに――」

 

 弾のひとつ年下の妹・五反田蘭が勢いよく部屋に入ってきた。ショートパンツにタンクトップと、自宅だからかずいぶんとラフな服装をしている。

 

「久しぶりね、蘭」

 

「こんにちは。お邪魔させてもらってるぞ」

 

 蘭に挨拶する俺と鈴。……ところで、鈴はどうしてあんなににやついているんだろう。

 

「い、一夏さん、それに鈴さん……!?」

 

 一方の蘭は驚きで固まってしまっていた。俺よりも鈴のほうを凝視していることから、鈴が中国から帰ってきていたことを知らないとみえる。

 

「それにしても蘭、ずいぶん乱暴にドアを開けるのねえ。格好もそうだけど、もうちょっと女の子らしくしたほうがいいんじゃない?」

 

 笑みを崩さず、妙に甘ったるい猫なで声で話す鈴。……これは明らかに蘭を挑発している。この2人、昔からどうも仲が良くないからなあ。

 

「っ!? ……え、えっと。どうして一夏さんと鈴さんがここにいるんでしょう?」

 

 鈴の言葉にイラッときたからかどうかは定かではないが、混乱状態から復活した蘭は、とりあえず平静を取り戻した様子だ。

 

「ああ、家の様子を見に行ったついでに、ここにも顔出しとこうと思ってさ。それと、弾から聞いてなかったのかもしれないけど、鈴も今はIS学園の生徒なんだ」

 

「ああ、そういえば言ってなかったな」

 

 予想通り、弾は蘭に鈴のことを伝えていなかったようだ。……まあ、いちいち妹に自分の友達のことを話す必要もないだろうから当然かもしれないが。

 

「そういうこと。またよろしくね、蘭」

 

「……はい。こちらこそ」

 

 視線をぶつけ合う女性陣。2人の間に火花が散っているように見えるのは俺の幻覚だろうが、少なくとも『よろしくお願いします』という態度が微塵も見えないことだけは確かだ。

 

「よかったら、一夏さんと鈴さんもお昼どうぞ」

 

「あ、ああ。ありがとう、ならいただくよ」

 

「あたしもご馳走になろうかな」

 

「……じゃあ、そう伝えておきます」

 

 入ってきたときとは違い、ものすごく丁重にドアを扱って、蘭は部屋から出て行った。

 

「あー。これはあとでとばっちり食らうな……」

 

 妹よりヒエラルキーの低い弾ががくりとうなだれる。……のは置いといて、少し気になったことがある。

 

「なあ鈴」

 

「ん、なに?」

 

「蘭にあんなこと言ってたけど、お前も寮の中じゃ俺の部屋のドア乱暴に開けるし格好もラフだよな」

 

「え? そうだっけ」

 

 自分に都合の悪いことはきれいに忘却。相変わらず俺の幼馴染はいい性格をしている。

 

 

 

 

 

 

 昼食はうまかった。弾の家は食堂を経営しており、たまにこうして売れ残りの定食などをタダで食わせてもらえるのだ。俺もいつかはあのレベルの味が出せるくらいの料理スキルを身につけたいと思っている。

 ……で、今は昼食を終えて弾の部屋に戻ってきているのだが。

 

「くっ! この、ちょこまかと……!」

 

「実戦では無理ですが、ゲームでなら負けるつもりはありません……!」

 

 テレビの前で無我夢中にコントローラをガチャガチャ操作している鈴と蘭。現在、各国のISを操って戦う対戦ゲーム『IS/VS』を絶賛プレイ中である。双方とも性能の高い機体を使っており、相手に敵意剥き出しで戦っている。

 

「おい弾、あれ完全に2人の世界に入っちゃってるぞ」

 

「……しゃーねえ、俺たちは携帯ゲーム機で遊ぶか」

 

 なぜテレビがリンランコンビに占拠される事態になったかを思い出す。……ええと、確か昼食の時、いきなり蘭がIS学園を受験することにしたと言い出して、俺たちに『適性試験 判定A』と書かれた紙を見せてきた。そして話の流れで、もし蘭がIS学園に来ることになったらその時は俺が指導するという約束をした。

 そのあとは特に何もなかった気がする。他愛もない話をしながら、弾と蘭の祖父である五反田厳さんお手製の料理をおいしくいただいた。

 ……で、ごちそうさまの挨拶をして席を立とうとした時。

 

「……蘭。暇ならちょっとゲームで対戦しない?」

 

 鈴の提案は唐突なものに思えたが、蘭はまるでその言葉を予期していたかのように間髪入れずにうなずいた。

 

「いいですよ。やりましょうか」

 

 ――そして今の状況に至る。鈴も蘭も、まるでこの勝負に何か大切なものを賭けているかのような熱中ぶり。どうしてこうなったのか。

 

「……やっぱ、俺が原因なのかな」

 

「一夏、お前がこの前やりかけてたド○クエのデータが残ってるけど。やるか?」

 

 ついこぼしてしまったつぶやきは弾には聞こえなかったらしい。ああ、と返事をしながら携帯ゲーム機を受け取り、そのままプレイを始める。弾はまだ別のゲームをやるようだ。

 ――しまった! とか、甘い! などの女子2人の声をBGMにしながら、俺と弾は黙々とゲームを進める。……ふむ、やっぱり作戦を『いのちをだいじに』に変更すべきだろうか。

 

「一夏」

 

「ん?」

 

 えらく小声で弾が話しかけてきたので、ゲーム機を操作する指を止めて耳を傾ける。

 

「……で、鈴とはどうなったんだ?」

 

「ぶっ!!」

 

 ……危ない。飲み物を口に含んでいたら確実に吹き出していた。それくらい、不意打ちの質問だった。

 

「ば、馬鹿、いきなり何言いだすんだよ」

 

 鈴本人が同じ部屋にいるってのに、と文句を言う。向こうが小声で尋ねてきたので、俺からの返事ももちろん小声だ。

 

「大丈夫だって、あいつらゲームに熱中して何も聞こえてないから。……で、どうなんだ? お前から恋愛相談を受けた身としちゃあ結果が気になって仕方ないんだが」

 

 まあ、弾の言うことも一理ある。中2の春休みに鈴に告白された後、新学期になっても俺はそのことを引きずっていた。そんな俺の様子を見かねた弾が何かあったのかと執拗に聞いてきたので、最終的に洗いざらい吐いてしまったのだった。その頃は千冬姉も家にいなかったし、本格的に弾くらいしか頼れる人間がいなかったので、結果的にこいつに相談したのは正解だったと思う。事実、弾といろいろ話し合って多少は心に余裕ができ、おかげで他人から見て明らかに様子が変だと思われることはなくなったからな。

 そういうわけで、世話になった人間として一応事の次第を話す義務はある、と思う。

 

「……俺の気持ちが決まるまで、待ってもらうことにした。だから今のところは幼馴染のままだよ」

 

「ほう、つまり保留か……それなら試しでいっぺん付き合ってみりゃいいのに。それとも何か? 他に好きな女の子がいるのか」

 

「いないぞ」

 

 単純に、男女のつきあいというものは大事に扱わなければならず、軽い気持ちで付き合うもんじゃないと俺が考えているだけだ。別に誰か好きな子がいるわけじゃない。

 

「じゃあ、お前が誰かに好かれてるとか」

 

「………」

 

 それは、その……。

 

「返事がないってことは心当たりがあるんだな?」

 

「……まあ、同じ学年に2人ほど、そうなんじゃないかなーって思ってる人はいる」

 

「……ま、お前が気づくくらいなんだからほぼ確定で間違いないだろ。モテすぎててむかつくから殴っていいか」

 

「それは困る」

 

 拳に息を吹きかけている弾がわりと本気で殴ってきそうだったので、ここはやんわりと流してゲームのプレイに戻る。弾もそれ以上は何も追及してこなかった。

 

 

 

 

 

 

「くっ、思ってたよりやるわね蘭……!」

 

 IS学園への帰り道で、鈴はいまだに今日の対戦の結果を悔やんでいた。俺はほとんど見ていなかったので詳しいことは知らないが、あれだけやって結局勝ち数が同じだったらしい。五反田家を出る時に再戦を約束していたので、近いうちに決着をつけに行くのだろう。

 

「次は俺と弾のことも考えてくれよ。テレビを独占するのはやめなさい」

 

 おかげで昼から夕方までずっとド○クエをやることになった。結果わりといいところまで進んで先が気になるので、弾からゲームソフトを借りている。

 

「わかってるわよ。……それにしても驚いたわ」

 

「蘭のゲームの腕の話はもういいって」

 

「違うわよ。アンタが箒とセシリアの気持ちに気づいてたこと」

 

 ……ああ、そっちか。というかお前、あの会話耳に入ってたのか。俺としてはそっちの方が驚きだ。

 

「……やっぱり、そうなのか?」

 

「周りのみんなもそう言ってるし、あたしの主観でもあれはアンタに惚れてるで間違いないと思うけど」

 

「そうか……」

 

 鈴に告白されて以来、自然と男女の恋愛というものに関心を持つようになった。たとえば、中学で誰が誰のことを好きだとか、誰と誰が付き合い始めたとか。その結果、この1年でそういう方面に関する鈍さは少しは改善されたと思う……たぶん。

 

「ふーん。ま、アンタも成長したってわけね。その分だとあの子の気持ちにも気づいてるの?」

 

「……蘭のことか」

 

「正解」

 

 あの鈍感な一夏がこうなるなんてねー、と他人事みたいに言う鈴。そもそものきっかけはお前にあるんだけどな。

 

「というわけで正解者には賞品を。はい」

 

「え?」

 

 あまりに自然な鈴の動作につられて、つい差し出されたものを受け取ってしまう。いったい何をもらったのか確認しようと自分の右手を見る。

 

「……水族館のチケット?」

 

「そ。今度暇なとき――学年別個人トーナメントが終わってからだけど、一緒に行きましょ」

 

 セリフの後半部分が多少早口になっている鈴。その頬にはかすかに朱が差している。……ええと、その反応から察するに、これは――

 

「……もしかして、デートのお誘いってやつ?」

 

「ばっ、馬鹿! はっきり言わないでよ! 恥ずかしいでしょうが……」

 

 また正解。やったな俺、今日すげえ冴えてる……という冗談は置いといて。

 デート、か。中学の頃にほぼ毎日鈴と放課後2人で遊んでいた時期があったが、あれは今考えればデートのようなものだったのかもしれない。しかし、鈴はどうだか知らないが、少なくとも俺の方は当時そんなことは微塵も意識していなかった。

 だけど今の俺は鈴の気持ちにすでに気づいていて、鈴もそれを知っている。ゆえにこれはれっきとしたデートの誘いだ。以前とは勝手が違う。

 

「……わかった。じゃあトーナメントが終わった次の休みに出かけよう」

 

 そのことをわきまえたうえで、鈴の誘いを受ける。自分の気持ちにちゃんとした答えを出すためにもデートくらいは経験しておかないと駄目だろうし、そういう勘定を抜きにしても鈴と遊びに行くのは楽しみなのだ。

 俺の返事を聞いて、少し不安げだった鈴の表情が笑顔に変わる。それにつられて俺も自分の頬が緩むのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。いつものように千冬姉と山田先生によって1年1組のホームルームが進められていく。話の内容を頭に入れながら、今月末にある個人トーナメントについて思いを馳せる。

 1学年約120名の生徒全員が参加し、頂点目指してしのぎを削る戦い。俺も出る以上は優勝を目指したいが、今のままだと厳しいだろう。まだまだ俺の戦い方には穴が多すぎるし、ISに関する知識も足りていない。1ヶ月でどこまで上達できるかはわからないが、とりあえずはっきりしている弱点は埋めていかないとな。……たとえば、『敵が離れている場合の千冬姉の動きはまだ全然イメージできない』とか。クラス対抗戦までの短期間では近距離戦における模倣の精度を高めるので精一杯だったから、これからはそちらを優先して磨いていこう。

 ――とか考えていると、いつの間にか教室中が騒がしくなっていた。しまった、途中から先生の話を聞いてなかった。周りに聞くと、どうやら転校生がこのクラスに2人もやってくるらしい。……なるほど、それならこの喧噪も納得できる。

 

「失礼します」

 

 その時教室の扉が開き、2人の転校生と思われる人物が入ってきた。ひとりは金髪の白人、もうひとりは銀髪でこちらも白人。ただし銀髪の方は左目に黒い眼帯をつけている。

 

「それじゃあ、自己紹介お願いしますね」

 

 山田先生の言葉にうなずき、まずは金髪の女の子の方が挨拶をする。

 

「シャルロット・デュノアです。フランスから来ました。……あの、僕の日本語は少しおかしいんですけど、できれば気にしないでいただけるとありがたいです。よろしくお願いします」

 

 フランス人か。確かに女子なのに『僕』はおかしいな。何か理由でもあるんだろうか。

 

「かわいい~」

 

「いわゆる僕っ娘でやつかな!」

 

 クラスのみんなの反応はなかなか良好。これならすぐにほかの生徒と仲良くなれるだろう。

 そして2人目の銀髪の子は……デュノアさんの自己紹介が終わっても微動だにせず、俺たち全員を腕組みしたまま見下したような目つきで見ている……というか睨んでいる。体全体からあふれ出る冷たいオーラが教室の雰囲気を異様なものに変えていた。

 

「え、えっと、ボーデヴィッヒさん? 自己紹介の方を……」

 

 山田先生の言葉にも反応なし。

 

「……挨拶をしろ、ラウラ」

 

「はい、教官」

 

 ところが千冬姉の言葉には素直に応じて、軍人さながらの敬礼をする。

 

「ここではそう呼ぶな。もう私は教官ではないし、お前も一般生徒だ。私のことは織斑先生と呼べ」

 

「了解しました」

 

 2人のやりとりに、当然俺たちは全員口をぽかんと開けている。それはそうだろう。あの転校生の対応、完全に軍隊のそれだし。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

「………」

 

 ……しかも、やっと行った自己紹介も一言で終わってるし。いや、自己紹介に関しては俺も人のことは言えないけどさ。

 入学した日のいたたまれない気持ちを思い出して感傷に浸っていると、偶然ボーデヴィッヒと名乗った女の子と目があった。

 

「っ! 貴様が――」

 

 突然速い足取りでずんずんと俺の方に向かってくるラウラ。何か俺に用でもあるのかと思った瞬間。

 

 パァン!

 

 なぜか俺は、初対面の転校生に平手打ちを食らっていた。

 




シャルルではありません。シャルロットです。表記ミスではありません。
ここが原作2巻からの最大の変更点『シャルを最初から女として転入させる』です。なぜこうしたかというと、まず原作の男装作戦に無理がありすぎることがひとつ。そしてもうひとつが、シャルに男装をさせると後の処理に手間取るということです。この物語を終わらせる時には、当然シャルの問題は解決のめどが立つよう持っていくつもりなのですが、シャルを男装させてしまうとその問題解決に話数を割きすぎることになってしまうんです。この作品はあくまで鈴メインなので、さすがにそれはまずいだろう、ということです。あと3つ目の理由は単純に女として入った場合はどんな展開になるかを書いてみたかったからです。

今回原作の場面まんまなところがちょっと多いと感じました(ラウラの自己紹介あたりです)。前述のシャルのことも含め、批判等あると思いますが、それらはできるだけ感想でお伝えくださるとありがたいです。参考にできますので。

では、これからもよろしくお願いします。


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第10話 なんでもない日常

よく感想で「箒やセシリアにもきちんと出番があるのがいい」といったお褒めの言葉をいただいています。僕としては今の調子で普通に物語を作っていれば彼女たちの出番は維持できると思っているので、これからもこんな感じで書いていきたいです。


 今日の午前の授業は2組と合同でのISの実習。いきなり転校生にひっぱたかれたことにはまったく納得がいっていないのだが、授業に遅れるわけにもいかないので足早に教室を出る。女子と一緒に着替えるわけにもいかないので、男の俺はいちいち空いている更衣室に移動しなければならないのだ。

 

「ったく、まだヒリヒリしてるぞ」

 

 あのラウラ・ボーデヴィッヒという少女は自身の名前しか口にしなかったが、おそらくドイツ軍の関係者で間違いないだろう。千冬姉が『教官』として働いていたのは俺の知りうる限りそこしかない。さらにあの様子からすると、千冬姉をかなり慕っているようだが……

 

「……今はさっさと着替えよう」

 

 ラウラのことに関しては、何かの片手間に考えるようなことじゃない。……もしあいつが俺に敵意を向けた理由があの事件にあるのなら、俺はそれにきちんと向き合わなければならないからだ。

 

 

 

 

 

 

 なんとか授業開始に間に合い、すでに整列している1組の集団に加わる。隣に並んでいるのはもうひとりの転校生であるデュノアさんだった。

 

「君が織斑一夏くんだよね。これからよろしくお願いします」

 

「あ、ああ。ご丁寧にどうも。こちらこそよろしく、デュノアさん」

 

 思わずこちらがかしこまってしまうような言葉と態度。同じ白人女性でも、セシリアが『高貴』なら彼女は『清楚』といった感じだ。

 

「シャルロットでいいよ。名前で呼んでもらえたほうが落ち着くし」

 

「そ、そうか? なら俺のことも一夏でいいぞ」

 

「うん、じゃあ一夏で。……いい名前だね」

 

 ……清楚さに加えて、すぐに名前で呼び合えるような親しみやすさも持ち合わせていた。さっきのラウラとの対比で、よけいにシャルロットがいい子に思える。

 

「……相変わらずモテモテね、一夏」

 

 シャルロットと反対側の隣から棘のある声が聞こえてくる。俺は1組の列の右端に並んでいるので、2組の左端の生徒とは隣り合わせになっているわけだ。そしてその生徒とは現在不機嫌そうに腕を組んで俺を見ている鈴である。

 

「別にこれはモテてるわけじゃないだろ。クラスメイト同士仲良くやろうとしているだけだ」

 

「それはわかってるけど……って、アンタそのほっぺたどうしたのよ」

 

 俺の頬の赤みに気づいた鈴が驚く。そっか、今までシャルロットのほうを向いてたから左頬が見えてなかったんだな。

 俺が軽く事情を説明すると、鈴は怒ったような顔になって、

 

「なによそれ? 本当に初対面で平手打ちなんてしたの? だとしたらそのボーデヴィッヒってやつ、何考えてるかわかったもんじゃないわ」

 

と言った。……まあ、それは確かに正論なんだが。

 

「ところで鈴。お前には初対面の俺をグーで殴ったという前科があるんだが」

 

「なっ……!? そ、それは小さいころの話でしょ! ちゃんと謝ったんだから蒸し返さないでよね!」

 

「ははは、わかってるって」

 

 シャルロットと話したことと鈴をからかったことで少しイライラしていた心も晴れた。

 

「これで授業に集中できるな」

 

「そうかそうか。ならまず授業中の私語を慎むところから始めてもらいたいものだな、織斑」

 

「………あ」

 

 ――いつの間にか授業が始まっていたらしい。もはやお馴染みとなった出席簿を構えた千冬姉が俺と鈴の前に仁王立ちしていた。……先生が話している最中にべらべらしゃべっていたのだ。制裁を食らうのは避けられない。

 

「すみませんでした」

 

 鈴ともども謝罪の言葉を口にして、頭に襲ってくるであろう痛みを待っていたのだが……

 

「……ふん」

 

 驚くべきことに、千冬姉は出席簿を持っている腕を下に降ろした。まさか許してもらえたのか?

 

「そうだな。今からお前たちに戦闘の実演をやってもらうことで勘弁しておいてやろう」

 

 そう言って薄ら笑いを浮かべる千冬姉。……どうもろくなことにならない気がすると、俺の第六感が告げていた。

 

 

 

「それではお二人とも、よろしくお願いしますね」

 

 ――千冬姉の指示を要約すると、俺と鈴でタッグを組んで、向こうでISを展開している山田先生と戦えということらしい。

 鈴の説明によると、山田先生が展開しているのは『ラファール・リヴァイヴ』という第2世代の機体で、装備によって格闘や射撃などさまざまなタイプの戦い方ができるそうだ。現在の武装はアサルトライフルなので、射撃タイプで戦ってくるのだろうか。

 

「鈴、2対1だからって油断するなよ」

 

「当然。あの千冬さんの邪悪な笑みを見たら本気を出さざるを得ないわよ」

 

 戦闘開始前に軽く言葉を交わし、鈴のほうも危機感を持っていることを確認する。何しろあの千冬姉が俺たちへの制裁代わりに用意した模擬戦だ。山田先生も普段からは想像もできないような鋭い視線をこちらに飛ばしているし、なんだか釈迦の手の平を意味もなく飛び回る孫悟空になった気分だ。

 ……ただ、そういつもいつも千冬姉の思い通りになるというのも癪に障る。たとえ山田先生に敵わないとしても、せめて一方的にやられるだけの展開にはしたくない。それが俺たち2人の心境だった。

 

「では、はじめ!」

 

 千冬姉の号令で試合が始まる。俺たちの布陣は先日の無人ISとの戦いの時と同じで、白式が前衛で雪片弐型を振るい、甲龍が後ろからサポートするという形だ。

 

「うおっ!」

 

 ライフルの連射をなんとか避ける。一部掠ってしまったが、このくらいならダメージの量も微々たるものだ。……ただ、このままだと刀が届く位置まで踏み込むことができない。

 

「さすがですね織斑くん。では……次はもっと激しくいきます!」

 

 え、それってどういう意味? と思う前に、俺は山田先生の発言の意味を身をもって知ることになった。

 襲いかかる銃弾の雨。数は先ほどと変わらないが、それぞれの弾の軌道が良すぎる。どれかを避けようとすると他のどれかに当たらざるを得なくなる、今の俺には回避不能な攻撃だ。

 しかもそれでいて鈴の衝撃砲も悠々回避し、反撃するだけの余裕もある。……くそ、この人やっぱりすごかったんだな。入学試験で勝手に自滅したのは男の俺と戦い慣れてなかったからなんだろう。この2ヶ月先生として俺と触れ合ったことで、その弱点を克服したわけだ。

 だが今はそんなことよりもどうやって戦うかを考えなければならない。このままだと距離を詰められないままシールドエネルギーが0になる。なら瞬時加速で一気にいく――のも多分通用しない。加速中は方向転換ができないため、銃で狙われても避けることができずにもろに直撃してしまうのだ。だから、まずは先生が俺に攻撃できないような機会を作らなければ――

 

「くっ……なら、これでどうだぁ!!」

 

 ジリ貧の状況にしびれを切らしたのか、鈴は衝撃砲の発射とともに『双天牙月』を全力で投げた。双天牙月は投擲もできる武器なのだが、そうすると次の衝撃砲が撃てるようになるまでの間、甲龍は完全な無防備になってしまう。

 ……言われなくてもわかる。これは賭けだ。

 鈴のすべての武器を使った同時攻撃に対処する過程で、一瞬だけ山田先生は白式への対応を緩める。いかに操縦者が優秀でも、一度に処理できる手数には限りがあるからだ。

 待ちに待ったチャンスを逃さないために、瞬時加速を発動させる。爆発的な勢いでスピードをつけた白式は、一瞬のうちにラファール・リヴァイヴを射程圏内にとらえた。

 山田先生の顔つきが険しくなる。いけると確信した俺は、加速の勢いそのままに雪片を思い切り振り下ろした。

 

「うっ……」

 

 確かな手ごたえとともに、山田先生の体勢が崩れて後ろにのけぞった形になる。よし、このまま――

 

「ば、馬鹿! よけなさい一夏!」

 

 その時、鈴の焦ったような怒号が聞こえてきた。何事かと思い、いったん山田先生から視線を外したところ。

 ――切れ味抜群の双天牙月が、俺の目の前まで迫っていた。……そういえば、あれってブーメランみたいに投げたら返ってくるんだったっけ。本来なら山田先生に当たっていたんだろうけど、俺が今のけ反らせてしまったおかげでそれは叶わぬものとなったみたいだ……って、何やってんだ俺。

 仲間の武器の性質をようやく思い出すも時すでに遅し。双天牙月は白式の胸に直撃し、俺は敵の目の前で決定的な隙を作ってしまう。

 

「織斑くん。うっかりしていちゃだめですよ?」

 

「……はい」

 

 何もできないまま、俺は体勢を戻した山田先生に容赦なく残りのエネルギーを削り取られたのだった。

 

 

 

 

 

 

「まったく、何をやっているんだあいつは……」

 

 模擬戦の一部始終を見届けた箒は、最後に一夏がやらかしたポカに呆れてため息をついていた。周りの生徒は惜しかったねーなどと言っているが、箒からすればあんなのは論外だ。あんなミスをするようではまだまだ――

 

「……と、私も人のことを言える立場じゃないか」

 

 その一夏よりも、現状の箒は実力で下回っている。序盤の貯金を食いつぶして、先日ついに放課後の模擬戦の戦績が逆転してしまった。今は一夏が箒に勝ち越している状態だ。もちろん専用機を持っていない箒が不利なのは確かなのだが、それも含めて強さだと彼女は考えている。もし自分に専用機があったなら、などというのはただのIFにすぎないからだ。

 ――もっと鍛錬を積まなければ。そうしていつか、一夏と肩を並べられるだけの強さを手に入れてみせる。

 確率は非常に低いが、もし今度の個人トーナメントで優勝できれば、箒は一夏に告白するつもりだ。本当は事前に一夏にこの旨を宣言してしまおうと考えていたのだが、ある思いによってその行動は実現しないままになっていた。

 

 ――一夏は、私の気持ちに気づいているのではないか?

 

 照れが先行するせいで一夏に明白な好意はいまだ示せていないのだが、彼と同じ部屋で過ごしていた時期、妙な雰囲気になることが何度かあったのだ。私が何かあって照れていると、一夏も頬をかきながら不自然にそっぽを向く、などということが起きていた。そのあたりから推測するに、彼が箒の恋心を曖昧ながらも自覚している可能性はある。

 ……そうだとすると、告白宣言なんて恥ずかしすぎてできたもんじゃない。

 

「箒さん? 早く移動しないと織斑先生に叱られますわよ?」

 

「あ、ああ。すまない」

 

 考え事はここまで。今はとりあえず授業に集中しようと、箒は気持ちを切り替えた。

 

 

 

 

 

 

「というわけで一夏のぶんの酢豚は没収」

 

 今日の昼休みは屋上で弁当を食べることになっていた。最初に提案したのが箒で、それをたまたま聞いていた鈴とセシリアが参加することになり、さらに昼休みになってシャルロットが一緒に行ってもいいかと尋ねてきたので、結局総勢5人で現在円形に座っている。

 で、箒は弁当、鈴は酢豚、セシリアはサンドイッチを作ってきてくれたのだが……さっきの模擬戦での俺の失態のせいで、鈴は気分を害しているらしい。確かに、2人で千冬姉の鼻を明かしてやろうと臨んだ試合の結果があれじゃなあ……山田先生に『動きはよかったですよ』とフォローはもらったものの、猛反省しなければならない。

 

「……一夏と凰さんはつきあってるの?」

 

 ……シャルロットサン? どうしてそんな疑問がこの場面で浮かんできたのでしょうか。

 

「え、ええと。模擬戦の時に、僕の近くにいた人が『織斑くんと凰さんのラブラブカップルでも勝てないなんて……』って言ってたから……」

 

 ……ああ、そういうことか。その人は冗談で言ってたんだろうけど、転校初日のシャルロットにはそんなことわからないだろうからな。いまだにこの前まで流れていた噂を茶化す人もいるし、この機会にきちんと説明しておくべきだろう。

 

「俺と鈴はただの幼馴染だ。だから別につきあってるわけじゃないぞ」

 

「あ、そうなんだ」

 

「そ、そうね。……一夏、やっぱり酢豚食べていいわよ」

 

 納得するシャルロットと、なぜか態度をころっと変えて酢豚入りのタッパーを渡してくる鈴。……そっぽを向いているけど、顔がにやけるのを必死にこらえてるのはお見通しだからな。もしかしなくても『ラブラブカップル』という単語が気にいったのだろう。

 まあ、鈴の手作りの酢豚が食べられるのはうれしいことだ。ここは何も言わずにありがたくいただくことにしよう。

 

「一夏、私が作ってきたぶんも忘れるな」

 

 箒の弁当は和食中心の本格的なものだ。こちらも非常においしそうである。

 

「一夏さん、わたくしのサンドイッチもどうぞ」

 

 セシリアのは……うん、相変わらず『見た目は』おいしそうだ。だけど多分今回も味の方はおかしなことになっているんだろうな……

 

「うわあ、みんなすごいね。僕はこんなに上手に作れないよ」

 

 俺の前に用意された料理の数々に、シャルロットは感嘆しているようだ。まあ、ぱっと見ただけだと全部素晴らしい出来に見えるからな。

 今度こそセシリアに本当のことを告げようかとも思ったが、一度おいしいと言ってごまかした手前、いまさらまずいですとは話しにくい。やはり今回も胃袋に気合いを入れて食べきるしかないか……などと考えこんでいたせいで、目の前で繰り広げられる会話に対する反応が遅れてしまっていた。

 

「うふふ、よろしければシャルロットさんもおひとついかが?」

 

「え、いいの? それじゃあいただこうかな」

 

「……え?」

 

 事態に気づいた時には、すでにシャルロットがセシリア作のサンドイッチを手に取り、口に入れようとしていた。

 ――もしこの場にフォローのうまい人間がいたなら、シャルロットの運命を変えることができただろう。だが今ここにいるのは、『基本口下手な箒』『思ったことをストレートにしか言えない鈴』『気づいたのが遅れたせいでいまだ混乱している俺』の3人。どうしようもなかった。

 はむ、とシャルロットがサンドイッチを笑顔で頬張るのを呆然と見つめる。ああ、今から数秒後にはあのきれいな笑顔が苦悶の表情に変わってしまうのか……

 

「……うん。おいしいね」

 

 ………は?

 

 鈴と箒と顔を見合わせる。3人とも言いたいことは同じ、『ありえないだろう』だ。しかし、現にシャルロットの笑顔は1ミリたりとも崩れていない。

 

「もうひとついただいてもいいかな?」

 

「気に入ってもらえたようでなによりですわ。かまいませんけど、一夏さんのぶんはちゃんと残しておいてくださいね?」

 

 さらにシャルロットは2個目のサンドイッチに手を伸ばす。その顔に苦痛などの感情は一切現れていない。

 

「ど、どういうことなんだ……?」

 

 試しに俺もひとつ食べてみる。……うん、やっぱりいつもの味だ。事前に覚悟しておかないと食べられない代物だ。

 シャルロットはああいう味が好みなのか? フランスだと基本あんな感じのサンドイッチが出るのか? ……いやいや、さすがにそれはないだろう。

 ――結局、セシリアのサンドイッチは俺とシャルロットが半分ずつわけあう形となった。鈴と箒の料理も残さず食べて、昼食の時間は無事終了した。……まあ、本人がおいしそうに食べていたんだから、問題はないのかもしれないな。

 ……だが。

 

「ごめん、ちょっと食べすぎたみたい。先に戻ってるね」

 

 屋上で談笑している途中で、シャルロットはそう言って校舎の中に戻っていった。……その時点で、嫌な予感はしていた。

 その後、昼休みが終わりに近づいたので、俺たちは午後の授業、つまり午前中に使った訓練機の整備を行うために格納庫に向かった。しかしそこに先に出て行ったはずのシャルロットの姿はなかった。……この時、予感が確信に変わった。

 

「デュノアさん、なんだか顔色が悪いけど大丈夫~?」

 

「う、うん……大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 

 シャルロットは時間ぎりぎりに格納庫にやってきた。その顔はみるからにげっそりしていたが、それでも周りの人に心配をかけまいと笑顔を取り繕っていた。それが俺たちには余計に痛々しく映った。

 ――彼女は、セシリアのサンドイッチをおいしく頬張っていたわけではなかったのだ。単純に周りの空気を察して、我慢して食べていただけ。しかも俺の負担を減らすために2個目、3個目に手を伸ばしてくれた。それがどれだけ困難なことか、わかっていたはずなのに。

 素直に思った。……シャルロット、超いい子だ。

 鈴と箒のほうに顔を向ける。2人ともシャルロットの姿に感動していた。鈴に至っては目尻に涙らしきものが浮かんでいた。

 

「……すまない、シャルロット」

 

 俺が間違っていた。俺の事なかれ主義的な判断が、ひとりの少女を傷つけた。

 俺ひとりが痛い思いをするのなら我慢できる。だけどなんの罪もない人が苦しむのは耐えられない。

 覚悟を決めよう。まだ、遅すぎるということはないはずだ。

 

 ――授業が終わったら、セシリアに本当のことを話そう。

 

 拳を固く握りしめ、俺はできるだけオブラートに包んだ『まずい』の言い方を考え始めた。

 




今回あまり本筋の話が進みませんでした。あんまりぽんぽん話が進むのも落ち着きがないと思ったのと、こういった日常的シーンを書くことでシャルを既存メンバーになじませようという目論見があったためです。前回の水族館のチケット同様、セシリアの料理についても日常話のネタとして種をまいておきました。いずれこれらのイベントは回収します。


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第11話 歪み

お気に入りが400件を超えました。みなさんありがとうございます!
……が、今回短くて4000字弱しかありません。すみません。


「あ」

 

 食堂で夕飯を食べて、ひとりで寮の自室に戻っていた時のこと。思わず足を止めた俺の眼前には、小柄な少女が銀髪をなびかせている。

 

「………」

 

 学園内でもっとも顔を合わせたくない人物であるラウラ・ボーデヴィッヒと、運悪く廊下で鉢合わせてしまった。その鋭い眼光を受けて、俺も自然と顔が強張る。

 他の生徒たちが、俺たちを包む空気を避けるようにして足早に通り過ぎていく。……通路の真ん中でいつまでも睨み合ってるわけにはいかないか。ラウラに言いたいことはあったが、それは今ここで行うべきことではないだろう。

 無言のまま、ラウラの横を通ってその場を立ち去ろうとする。だがそんな俺を引き止めるように、今まで黙っていたラウラが口を開いた。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」

 

 侮蔑と挑発の入り混じった調子の言葉を背に受け、俺は歩調を速めようとしていた足をいったん止める。……くそ、いい感じに煽ってくるな、こいつ。

 

「……お前、なんだって俺を嫌ってるんだ」

 

 ラウラに背を向けたまま、『言いたいこと』を口にする。そっちがけしかけたんだ、ちゃんと質問には答えてもらうぞ。

 

「ふん、そんなことか。わざわざ説明せずとも自覚していると思っていたのだがな」

 

「だいたいの検討はついてる。一応本人の口から答えを聞いておきたいだけだ」

 

「……そうか、ならはっきり言ってやる。貴様は教官の『モンド・グロッソ』2連覇を妨げた。だから、私は貴様の存在を認めない」

 

 ……ああ、やっぱりそのことか。第2回モンド・グロッソの決勝戦。その日によくわからない連中に誘拐された俺を助けるために、千冬姉は試合を棄権した。ラウラは見た感じ千冬姉をかなり慕っているようなので、尊敬できる『教官』の経歴に泥を塗った俺を憎んでいるのだろう。

 俺としても、あの時の自分は情けなかったと自覚している。……いや、あの時だけじゃない。昔からずっと、俺は千冬姉におんぶにだっこの状態のままだ。

 

 ――だけど。

 

「確かにあれは俺が悪かった。……けどな、お前にどう思われていようと、俺はあの人の弟でい続けるつもりだ」

 

「っ!!」

 

 背後からの殺気が一気に膨れ上がる。……が、それも一瞬のこと。すぐに平静を取り戻したらしいラウラは、俺に一言残してそのまま歩き去って行った。

 

「貴様の意見など知ったことではない。……私は私の思うままにやるだけだ」

 

 

 

 

 

 

「一夏、いる?」

 

 部屋に戻ってしばらくした後、ノックとともに聞こえてきたのは意外な人物の声だった。

 

「どうかしたのか? シャルロット」

 

 ドアを開けると、少し困ったような表情をしたシャルロットの姿があった。今日は転校初日だし、俺の部屋に来る前にルームメイトといろいろ話すこともあると思うんだが。

 

「……いや、その。少し居心地が悪くて、部屋から逃げ出してきちゃった」

 

「居心地が悪いって、ルームメイトに問題でもあるのか?」

 

 セシリアのサンドイッチの一件で、シャルロットがかなり性格のいい子だというのはわかっている。そんな彼女が耐えられないような相手って……あ、心当たりがひとりいた。

 

「……ボーデヴィッヒさん、なんにもしゃべってくれなくて」

 

「やっぱりあいつか……」

 

 まあ同じ日に転校してきたんだから同室になるのも当然か。人当たりのいいシャルロットでも、さすがにあの氷の女王には敵わなかったらしい。

 

「事情はわかった。そういうことならゆっくりしていってくれ。もうじき鈴と箒も来ることになってるし、4人いればちょっとしたゲームでもできるだろ」

 

「ありがとう。一夏は優しいんだね」

 

「……いや、そんな大層なことじゃないだろ」

 

 ニコっと笑うシャルロット。その仕草に少しどきりとしたが、悟られないようにして彼女を部屋に招き入れる。

 ――そう時間のたたないうちに再びドアがノックされ、鈴と箒が入ってきた。

 

「あれ、なんでシャルロットがいるの?」

 

「部屋から避難してきたんだってさ」

 

 2人に軽く事情を説明した後、俺は頼んでいたことの結果がどうだったかを尋ねる。

 

「……それで、セシリアはどんな様子だった?」

 

 放課後、俺はセシリアに真実を告げた。足りない脳みそで必死に考え、できるだけ彼女のプライドを傷つけないような言葉を使ったのだが、それでもすべてを聞いたセシリアは顔面蒼白で走り去ってしまったのだった。なので、鈴と箒にセシリアの様子をうかがってきてほしいと頼んでいたのだが……

 

「……明かりもつけずに部屋の隅に座ったまま、なんか壁に向かってぶつぶつつぶやき続けてたけど」

 

「ルームメイトは『あの部屋にいたら私もおかしくなっちゃう』と言って他の部屋に逃げていたな」

 

 ……どうも、想像以上に傷は深いらしい。

 

「なんだか、聞いた感じだと軽くホラーだな、その光景」

 

「実際に見た感じだと完全にホラー映画の1シーンだけどね」

 

 鈴の言葉にさらに不安を煽られる。……うう、やっぱり最初にセシリアの料理を食べた時点で素直に感想を述べるべきだったんだ。下手においしいなんて言ってしまった後に本当のことを告げるのがいかに残酷なことか。いまさらながら後悔の念が押し寄せる。

 

「……ま、明日あたりにあたしからもフォロー入れとくからさ。そんなに落ち込むんじゃないの」

 

「私も、一緒に料理の練習をしないかと持ちかけてみよう」

 

「あんまりできることはないと思うけど、僕も協力するよ」

 

「……ああ、ありがとう」

 

 みんなの優しさが心に染みる。改めて友達って素晴らしいと感じた瞬間だった。

 ――その後は、鈴の持ってきたUNOを4人でプレイして就寝時間まで過ごした。

 

「緑のドロー2! そしてUNO! さあ箒、2枚ドローだ」

 

「そうはいかないぞ。私は赤のドロー2。これで鈴が4枚ドローだ」

 

「甘いわね。ならあたしも赤のドロー2。シャルロット、6枚ドロー」

 

「……ごめんね一夏。ワイルドドロー4で黄色にするよ」

 

「な、なんてことだ……勝利寸前で10枚ドローとは」

 

 結果は俺の惨敗だったが、楽しかったから良しとしよう。他のみんなも笑ってたし、有意義な時間だったと思う。……特に印象的だったのが、シャルロットが鈴みたいに大きく口を開けて笑っていたこと。今日何度か見た彼女の笑顔は清楚なイメージだったので、あんな顔もするんだと少し意外に思った。

 ――でもなんとなく、その笑い方が一番彼女に似合っている気がした。

 

 

 

 

 

 

 夜。シャルロット・デュノアはベッドに横になったまま、今日の出来事を振り返っていた。

 唯一の男性IS操縦者の織斑一夏の実力は、正直あまり高いとは言えなかった。射撃にまったく対応できていなかったし、味方の武器の特性もうっかり忘れてしまっていたようだ。もっとも、数ヶ月前まで自分がISを動かせることを知らなかったのなら当然のことだが。

 ……ただ、一夏と対戦した山田真耶副担任の『織斑くんは勢いをつけると怖いですからね。なので早めに決めさせてもらいました』という発言や、模擬戦を観戦していた生徒たちの『織斑くん調子悪かったみたいだねー』『前はもっとすごかったもんね』などという声から考えると、彼の能力を判断するのは早計すぎるのかもしれない。

 

「……でも、いい人なのは間違いないよね」

 

 転入してきたばかりのシャルロットへの対応を鑑みるに、一夏は親切なタイプの人間なのだと彼女は考えていた。

 ――そんな彼を、自分は騙して利用しようとしている。

 親からの命令とはいえ、自分の行おうとしていることに嫌気がさしたシャルロットは、心に葛藤を抱いたまま徐々に眠りに落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 俺には、幼いころの記憶がほとんどない。

 一番古い記憶は、いつの間にか両親がいなくなってしまった時のもの。目の前が真っ暗になった感覚が襲ってきて、体中から力が抜けて。……とにかく怖くて、怖くて、怖くて。このままずっと暗闇から抜け出せないような気がした。

 

『大丈夫だ』

 

 途方に暮れて泣いていた俺を、誰かが優しく抱きしめた。とても暖かくて、とても力強い。そんな感じがした。

 

『お前は、必ず私が守るから』

 

 

 

 

 

 

「………ん、あ」

 

 時計を見ると、短針がちょうど6のところを指していた。

 ――久しぶりに、小さいころの夢を見た。昨日ラウラにあんなことを言われたからだろうか。

 右腕に付けているガントレットをなんとなく見つめる。これが白式の待機状態であり、俺が念じればいつでも武装を展開できる。

 

「……もう何年前になるんだっけ」

 

 夢の内容を思い出す。

 

『お前は、必ず私が守るから』

 

 あの言葉に、どれだけ救われたか。千冬姉の努力が、どれだけ俺を支えてくれたか。

 ――だから、俺はその姿に憧れた。俺も千冬姉のように、誰かを守れる人間になりたいと願った。自分は守られてきたのだから、その分大切な人たちを守っていく義務がある。そしてそれは、きっと素晴らしいことだと、そう思った。

 

「………」

 

 もう一度ガントレットを見る。これは――白式は、俺が偶然手に入れた『力』だ。どうして俺に扱えるのか、今でも理由はさっぱりわからない。

 でも、そんなことはどうでもいいのかもしれない。重要なのは、この力で大切なものを守れるようになるかもしれないということ。……いや、絶対に守れるようになってみせる。

 決意を新たにして、ベッドから体を起こした。

 

「よし、今日もなんとか頑張ってみるか」

 

 




タイトルの『歪み』が何を指しているのかというのは、まあご想像にお任せします。

鈴の出番が少ないですが、この作品では一夏の『守る』に代表される心の内面にも踏み込んでいくつもりなので、今回はそっちの描写を優先させてもらいました。一応、物語のラストにもかかわる重要な部分なので。



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第12話 理由

帰省中ですが、親の目を避けつつ投稿です。もし見つかったら大爆笑されること間違いなしです。


「はあ~、なるほど。さすが代表候補生だけあって詳しいな、シャルロット」

 

「まあ、長年やってれば知識だけは身につくからね」

 

 シャルロットたちが転入してきた次の日。もはや恒例となった放課後のIS訓練だが、今日はいつもと面子が違っていた。俺から話を聞いたシャルロットが初参加、そしてレギュラーメンバーである鈴、箒、セシリアはお休みだ。昨日の件をまだ引きずっているセシリアは、授業に出席はしていたものの明らかに元気がなく、俺とも顔を合わせようとしなかった。なので、鈴と箒は今彼女のフォローに回っている。2人に任せ切ってしまうのは気が引けたため、最初は俺もセシリアのところに向かおうとしたのだが、

 

『アンタが来るとよけいにややこしくなりそうだから』

 

『セシリアもお前を避けているようだし、今日は私たちに任せておけ』

 

という言葉を受け、こうしてアリーナでISを動かしている。トーナメントまであまり日もないし、少しでも経験を積んでおくのは大切なことだ。

 

「早く相手の射撃をかいくぐれるようにならないとな……」

 

 現在はシャルロットから射撃用武器の特性についてのレクチャーを受けている。フランスの代表候補生である彼女の専用機は『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』といって、様々な武装を状況に応じて使い分けるというテクニカルな機体らしい。そういう事情も相まって、シャルロットのISの装備に関する知識は相当なものだ。

 

「でも驚いたよ。一夏、近接戦はすごく強いんだね」

 

「そ、そうか? ……まあ、そっちはそこそこ上手くなってきた自覚はある」

 

 褒めてもらえるのは素直にうれしい。……実際、セシリアや鈴といった代表候補生たちからもある程度の評価は得ているし、シャルロットの言葉はまるっきりお世辞というわけでもないだろう。

 

「そういえば、さ」

 

 少し気分が浮かれていたので、軽い気持ちで鍛錬からそれた話題を振ってみる。話の内容も、いま思いついただけのものだ。

 

「シャルロットは、どうしてISに乗ろうって思ったんだ?」

 

「えっ?」

 

「いや、代表候補生に選ばれるくらい努力してるってことは、それ相応の理由があるんじゃないかって」

 

 俺の質問に、シャルロットの口がぽかんと開かれる。……そんなに変な話だっただろうか。

 

「うーんとね……デュノアの家はISの開発を行ってるから、僕の場合は適性が高かった時点でISのパイロットになることは決まってたんだ」

 

「あ……そうなのか。そういえば、クラスのみんながデュノア社がどうのこうのって言ってたな」

 

 困ったように笑うシャルロットを見て、申し訳ないことをしたなと感じる。彼女の場合、『乗りたい』じゃなくて『乗らなきゃならない』理由がある。望んでこの道を選んだとは限らないのだ。

 

「ごめん、変なこと聞いちまった」

 

「ううん、謝るようなことじゃないよ。……それに、ISに関わらざるを得なかったのは、一夏だって同じなんじゃないのかな?」

 

 ………あ。

 

「そういやそうだったな」

 

「いや、そういやそうだったって……」

 

「そんな呆れたような顔されても、忘れてたもんは忘れてたんだ」

 

 おかしな偶然でISを起動させてしまい、俺はそのまま自分の意思とは関係なくこの学園に入ることになった。あらゆる国の権力を受けないIS学園という空間にいることで、いろんな研究機関から己の身を守るという意味合いもあったのだが、それでも自分の進もうと思っていた道を曲げられたことに変わりはない。普通、いい気はしないだろう。事実、最初はその通りだった。

 ……だけど、今となっては。

 

「ISに乗りたい理由ができたから、そんなことどうでもよくなったのかもな」

 

「……そうなんだ」

 

 それはよかった、と微笑むシャルロット。俺にはその態度が、どこか無理をしているように感じられた。……やはり、彼女にはまだ『進んでISに乗る理由』がないのだろうか。

 しばしの間、俺もシャルロットも口を開かない時間が続く。

 ――俺には、その答えを用意してやることはできない。なぜなら、それは他の誰でもないシャルロット自身にしか見つけられないものだから。きっと何を言っても的外れなアドバイスになってしまうだろう。……それでも、何か言葉をかけたかった。

 なぜか。……大層な理由なんてない。ただ、今の笑顔を取り繕っているシャルロットの姿が、いつぞやのセカンド幼馴染のそれと重なって見えたから、放っておけないと思っただけ。辛い気持ちを全部ひとりで抱え込んでいるのを、黙ってみていることができなかっただけ。

 

「……きっと、いつか見つかる」

 

「えっ?」

 

 急に俺が話し出したので驚いたらしく、シャルロットが素っ頓狂な声を上げる。

 

「どんな小さなことでもいい。一度理由を見つけられれば、もうそんな顔しなくても済む。……知ってるか? 鈴がISに乗りたいと思った理由なんて、『たまたま判定してもらったら適性Aが出て、もしかしたら将来世界一狙えるんじゃないかという神のお告げが聞こえてきた気がしたから』だぜ。そんくらい無茶苦茶なものでもいいんだから、シャルロットにだって絶対できるはずだ」

 

 結局、俺の口から出てきたのは、よくわからない、アドバイスにも満たない言葉だった。『絶対』できる、なんて無責任にもほどがある。これでは自己満足の域を出ない応援に過ぎないだろう。

 

「……ありがとう、一夏」

 

 それでも、彼女は笑ってくれていた。そうであってほしいという希望が混じっていたからかもしれないが、作り笑いには見えない気がした。

 

 

 

 

 

 

 そうして、あっという間に週が明けた。先週のうちにセシリアもとりあえずは立ち直り、再び俺に指導してくれるようになっていた。

 

『今度は自分で味見をしますから、納得のいくものが作れた時には……また、わたくしの料理を召し上がってくださいな』

 

という条件付きで。もちろんすぐに了承した。そしてすぐに本当のことを言わなかったことを改めて謝罪し、俺たちの仲は元の鞘に納まったのである。

 

 そしてもうひとつの懸案事項、ラウラについてだが……先週の間は、特に何かしてくるということはなかった。俺とたまたま目が合うと睨みつけてくるが、それだけだ。転校してきた日みたいに暴力を振るってはこなかった。できればこのまま、何事も起こらないでほしいと思っていたのだが――

 月曜日の放課後。みんなそれぞれ少し用事があるそうなので、俺はひとりで先に第3アリーナへ来ていた。他にやることも思いつかないので、ひとまず白式を展開し、剣術の型を復習することにした。

 ――思い浮かべるのは、モンド・グロッソの舞台で戦う千冬姉の姿。鋭く、強く、正確に刀を振るい、敵を倒す。そのイメージを俺自身の動きに反映させる。

 

「ふっ、はっ」

 

 一振りごとに神経を研ぎ澄ましていく。まだまだ理想の動きには程遠いが、少しくらいは手ごたえが――

 

「……ふん、所詮は猿真似か」

 

 振り返ると、アリーナの入り口にひとりの少女が立っていた。銀髪と眼帯、そして俺を見下す鋭い眼光。ラウラ・ボーデヴィッヒだ。

 

「何の用だ?」

 

「この1週間、貴様を観察してきた。そして判断した……やはり貴様は教官の弟にふさわしくない」

 

 俺の質問には答えず、ラウラは開口一番に織斑一夏という存在を否定しにかかってきた。

 

「貴様は弱い。そのくせやっていることはあの人の模倣だ。教官の経歴に泥を付けた貴様が、その教官の技を真似るなど……虫唾が走る」

 

 顔を怒りに歪め、俺に対する圧倒的なまでの嫌悪をむき出しにするラウラ。……少し異常だと思った。いったい、何がそこまで彼女を駆り立てているのか。

 

「……それで? 俺を千冬姉の弟だと認めないお前は、どうするつもりなんだ」

 

「決まっている」

 

 そう言って、ラウラはISを展開する。黒を基調にしたデザインの機体――あれが、あいつの専用機なのか。

 雪片弐型を構える。……この先何が起こるかは、考えるまでもないからだ。

 

「叩き潰すだけだ」

 

 白と黒。何の因果か対照的な色を持つ2つの機体が、真っ向からぶつかり合う。

 

 

 

 

 

 

「あ、シャルロット」

 

 用事を終えて一夏の待つアリーナへと向かっていたシャルロットに、背後からよく知っている声がかけられる。

 

「凰さん。そっちも今からアリーナに行くところ?」

 

「そ。一緒に行きましょ」

 

 シャルロットのいるところまで駆けてきた鈴は、そのまま彼女と肩を並べて歩き始める。一夏が一緒にいる時はあったが、この2人だけが同じ空間にいるというのは初めてのことだ。

 

「シャルロット。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「何かな?」

 

 こちらを向いている鈴の表情が心なしか硬い。どんなことを尋ねるつもりなのだろうか。

 

「……一夏のこと、どう思ってる?」

 

「え、一夏? ……えっと、いい人だと思うけど」

 

「そっか。……別に意識してるわけじゃないみたいね」

 

「?」

 

 どうも向こうの意図が分からないが、とりあえず鈴はシャルロットの答えに納得したらしい。どことなく喜んでいるようにも見える。

 

「……そういえば、僕も少し聞きたいことがあったんだ。この前一夏から聞いたんだけど、これって本当のことなの?」

 

 一夏の言っていた『鈴がISに乗りたいと思った理由』の真偽を鈴本人に尋ねてみる。すると鈴はこくんと頷いて、

 

「まあそうね。こう、なんかびびっと来たのよ。『イケるっ!』って」

 

「本当にそれだけなんだ……」

 

 初めてISに乗った時の感覚だけを理由に、凰鈴音という少女は代表候補生にまで上り詰めた。誰かに強制されたというわけでもなく、自分の意思でその道を選んだのだ。……それとは対照的に、シャルロット・デュノアは――。

 

「……なんだか、すごいね」

 

「そう? あたしみたいな人、他にも結構いると思うんだけど。結局、理由なんてものは自分が納得できればどんな些細なものでもいいわけだし。……シャルロット、アンタは最初にISに乗った時、何か感じなかった?」

 

「初めてISに乗った時……?」

 

 ――母親が亡くなって、突然デュノアという大企業に引き取られた。そこで自分がデュノア社の社長の愛人の娘だという事実が明かされた。本妻に嫌われ、冷遇され、辛い日々を過ごしていた。

 ある日ISの適性検査を受けさせられ、結果がよかったためにテストパイロットとして扱われることとなり、そして。

 ……あの時、自分はどんな気持ちだったのか。『どうしてこんなことになってしまったのか』という思いのほかに、何か感じたものはなかったのだろうか。

 

 ――そんな彼女の思考を遮ったのは、今彼女たちが向かっている第3アリーナから聞こえてきた轟音だった。今、あそこには一夏がいるはずだが……

 

「今の音……」

 

「気になるわね。急ぐわよ」

 

 言うが早いか走り出す鈴。シャルロットもそれに従い、2人はアリーナへの道を急ぐのだった。

 




ランキングやアクセス解析が導入され始め、このサイトも着々と進化していますね。管理人様にはただただ感謝です。

シャルロットの持つ弱さ、ラウラの持つ異常さ、今回はこの2つを描写してみました。といってもラウラの方はほとんど説明していませんが。

セシリアの描写については後の番外編で一気に描く予定です。一応真面目な回なので、間にギャグ入れると締まらないかなーと考えました。

次回は一夏VSラウラ、そしてタッグトーナメントの相方決定までいきます。


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第13話 タッグ結成

お気に入りが500件を超えました。読者の皆様、本当にありがとうございます。


 物心がついた時には、すでに父親はいなかった。祖父や祖母、兄弟、姉妹――いわゆる親族と呼ばれる人たちも存在していなかった。

 ただ、わたしの傍には母さんがいて、何人かの友達がいて。それで十分幸せだった。こんな日々がずっと続いていけばいいと、そう思っていた。

 だけど、たったひとりの家族だった母さんが死んでしまった瞬間、わたしの人生は大きく歪んでしまった。わたしの父親だと名乗る人物が現れ、身寄りのないわたしを引き取った。……でも、彼は『愛人の子』であるわたしを娘としては扱わなかった。ただ、自分の会社の発展に役立つための『使える駒』として利用した。

 わたしの役割は、ISのテストパイロット。検査で高い適性が出たのだから、確かに適任なのだと思う。

 

「どうして、こうなっちゃったのかな」

 

 変わらないものなんてないということは、子供ながらに理解はしている。だけど、急に自分がデュノアという大企業の社長の隠し子だと明かされ、愛情のひとつも与えられない環境に放り込まれている現状には耐え切れなかった。

利用されるだけなんて嫌だ。ちゃんとわたしを見てほしい――それでも、逆らう術はどこにもなくて。結局、父親の命令通りに動くしかなかった。

 

 ――初めてISに乗ったとき。僕はどんなことを思ったのだろう。

 

 父の部下の人の指示に従い、気の進まないままISを身につけて。そのまま屋外に出て、デュノア社の私有地で動作の確認をさせられた。

 ……でも、最後に『飛行』の動作を行ったとき。それまで抱いていた暗い感情が、どこかへ消え去ったような気がした。

 ――どうにもできない力に縛られている自分が、空を自由に飛び回っている。手を伸ばしても届くはずのない青い大空に、今なら簡単にたどり着ける気がした。

 それは、今までに味わったことのない感覚で。

 ……できることなら、ずっと感じていたいと思ってしまうものだった。

 

 

 

 

 

 

「このっ……!」

 

 戦闘開始から数十秒。焦ってはいけないと頭では理解しつつも、俺の心は妙にざわつき始めていた。

 

「ふん……」

 

 ラウラがこれまで見せた武器は2つ。両手首から伸びるプラズマの刃と、肩と腰に搭載された合計6つのワイヤーのような剣。特にワイヤーブレードの方はまるで意思を持つかのように器用な動きをするため、相当厄介だ。

 これらに対してたった一本の刀で挑むだけでも困難を極めるのだが、それ以上に俺を不安にさせているのが、先ほどからラウラの表情が1ミリたりとも変化していないことだ。感情の一つも読み取れない無表情。それが彼女の余裕を表しているようで、どうにも不気味に感じられる。開始直後に俺にあっさり接近を許したのも、俺の実力を確かめるために故意に行ったものではないのか。

 

「っ、はああっ!!」

 

 雑念を振り払うように声を上げ、雪片弐型でプラズマ刃を払う。今は余計なことは考えるな。相手がどんな奴だろうと、勝負が始まった以上、俺のやることは千冬姉の技を模倣するだけだ。

 両手両足に巻きつこうとするワイヤーブレードを紙一重でかわし、ここぞとばかりに雪片を振り上げる。まずは一撃与えて、それから――

 

「……よくわかった」

 

 その言葉とともに、ラウラの口元がかすかに吊り上がる。……瞬間、異変は起きた。

 

「なっ……!?」

 

 振り上げた白式の腕が、動かない。まるで存在するはずの勢いを奪われてしまったかのように、体全体が石のように固まってしまっていた。

 

「やはり私の推測した通りだ。貴様は『弱い』」

 

 直後、プラズマ刃による一撃が容赦なく襲ってくる。……痛みと混乱で、論理的な思考ができない。わかるのは、あいつが何かしたことで俺の動きが止められたということだけ。

 

「がっ……」

 

 ワイヤーブレードが体に絡みつき、完全に拘束される。もうこれで俺の負けは決まったようなものだ。……だが、ラウラは攻撃をやめようとはしない。プラズマ刃をしまい、わざわざ素手で俺の体を殴り、そして蹴り続ける。

 鈍い痛みが体全体に行き渡る。このまま攻撃を受け続ければいずれは白式が今の姿を維持できなくなり、もしラウラがそれでも俺をいたぶるのをやめなければ……

 

「一夏!!」

 

 聞きなれた声が聞こえたと思った瞬間、ラウラがワイヤーによる拘束を解き、上空を見上げる。まだなんとか動く体に喝を入れて、俺も彼女の視線の先を追う。

 ――視界に入ったのは、シャルロットがライフルを構え、ラウラに照準を合わせて引き金を引く姿だった。すぐ近くに俺がいるのに、その動きには一切の迷いがない。事実、弾は俺には掠りもせず、回避しようとその場から離れているラウラに向かってのみ降り注いでいるのだから、シャルロットの射撃の腕は相当のものなのだろう。

 

「一夏! 大丈夫!?」

 

 ぐいっと体が引っ張られたかと思うと、そのまま何者かに抱きかかえられる。……何者か、とは言ったが、まあ十中八九さきほどの声の主で間違いないだろう。

 

「鈴……悪い、サンキューな」

 

「しゃべれるくらいには元気みたいね。あともう少し遅かったらと思うとぞっとするわ」

 

 予想通り、俺を運んでくれているのは鈴だった。俺がラウラにやられかけているのを見て、シャルロットともに飛び込んできてくれたようだ。……本当に、助かった。あのままだと間違いなく潰されていた。

 シャルロットの方に目を向けると、武装を入れ替えながら間髪入れずにラウラへの射撃攻撃を続けていた。その勢いは圧巻だが、それでもラウラの機体に傷をつけられていない。さらに、銃弾のいくつかはさっきの俺の体と同じようにその動きを止められている。

 

「AIC……厄介ね」

 

「……鈴、お前あれがなんなのか知ってるのか」

 

「知識の上ではね。でも今は説明してる暇はないわ。アンタをアリーナの外に出したら、あたしもシャルロットに加勢しないと――」

 

 と、鈴が険しい表情で俺に語りかけていたその時、アリーナのピットが開かれた。

 

「そこまでだ!」

 

 アリーナへ入ってきた人物の威厳のある声が響き渡り、ラウラもシャルロットも動きを止め、その女性の方へ目を向ける。いつもと変わらぬスーツ姿でそこに立っていたのは……

 

「千冬姉……」

 

「……思ったより早かったわね。うれしい誤算ってとこかしら」

 

 世界最強の俺の姉、織斑千冬が、生身のまま臆することなくラウラを睨みつけていた。鈴の発言からすると、どうやら誰かに頼んで千冬姉を呼んできてもらったみたいだ。

 

「模擬戦をやるだけなら構わん。だが、すでに抵抗できない相手を害意をもって必要以上に傷つけることは教師として認めるわけにはいかないな」

 

 ラウラは何も言わず、ただ千冬姉を言葉を聞いている。やっぱり千冬姉の言うことにはちゃんと従うみたいだな。

 

「ボーデヴィッヒ。気に入らないものを力のままに捻り潰すのは赤ん坊のやることだ。お前が自分の意見を通したいのなら、どうするべきかをよく考えてみろ」

 

「……了解しました、教官」

 

 肯定の意を示して、ISの展開を解除するラウラ。それを見て、シャルロットの方もラファール・リヴァイヴを待機状態に戻した。

 千冬姉はちらりと俺たちに目を向けてから、宣言するように声を張り上げた。

 

「これより学年別トーナメントまでの私闘を一切禁止する。決着ならそこでつければいい」

 

 

 

 

 

 

 すぐに保健室に運ばれた俺は、そこで自分の身体と白式に異常がないかチェックを受けた。

 

「……とにかく、大事にならなくてなによりだ」

 

「本当に心配しましたのよ?」

 

「ああ。箒もセシリアも、ありがとうな」

 

 アリーナの一件は瞬く間に学園中に広まり、珍しく放課後の部活に顔を出していたらしい箒とセシリアはすぐに俺のところに駆けつけてきてくれていた。2人とも、俺の怪我が軽い打撲で済んだことに心底ほっとしている。……まあ、打撲でも十分痛いんだけどな。最悪のパターンにならなかっただけマシというわけだ。

 

「でも、白式の方は1週間使用禁止か……トーナメントまで約2週間。痛いわね」

 

「一夏は少しでも経験を積まなくちゃいけないのに、それができなくなるのは辛いね」

 

 一方、最初からこの場にいた鈴とシャルロットは、すでに今後の方針に関することに考えが移っている。

 ……先ほど山田先生に白式の状態を確認してもらったところ、そこまで深刻ではないものの、結構なダメージを受けていることが明らかになった。同時に1週間の間白式を展開することを固く禁じられた。下手にダメージを負った状態で無理をさせると、ISが変な方向に成長してしまうらしい。教科書で明確に禁止されているダメージレベルには到達していないが、それでも機体を大事にしたほうがいいという山田先生の判断には文句をつけるところもなかったので、素直にうなずいたのである。

 

「しかし、実際やばいよな……」

 

 鈴とシャルロットの言うとおり、トーナメントを前にして練習できる期間が半分に削られたのは俺にとって相当の痛手だ。他の専用機持ちと比べて明らかにISと触れ合った時間が短いのだから、少しでもISというものに慣れておかないといけないのに。

 白式が使えない間は打鉄を借りてみようかとも思ったが、それだと折角積み上げてきた感覚が狂ってしまうような気がする。あの2つの機体では性能に差がありすぎるからだ。白式のできる動きと、打鉄のできる動きは全く異なっている。

 

「ま、おいおい考えていくか。体のほうは一晩寝ればちゃんと動くようになるだろうし――」

 

 ドドドドドドド……

 

「……なに? この音。なんか地面揺れてるんだけど」

 

 鈴の声に、全員が顔を見合わせる。まるで何かが集団で走っているかのような音はどんどんこちらに近づいていて、それに合わせて地響きも大きくなって……

 

「織斑くん!!」

 

 直後、大量の女子生徒がなだれ込んできた。なんだ、何事だ? 俺に用事があるみたいだけど……

 

「これ読んで!」

 

 一番手前にいた女子が、鼻息を荒くして俺に1枚の紙を渡してくる。内容を確認すると、今月末の学年別トーナメントは2人1組のタッグマッチ方式に変更になったということらしい。ふむふむ、なるほど。タッグか。

 

「って、タッグだと!?」

 

 めちゃくちゃ重大な変更だろ、これ。もっと早く通達するべきなんじゃ……という文句はひとまず置いといて。

トーナメントがタッグ方式になったということを知った人たちが俺のところに来た、ということは。

 

「私と組もう! 織斑くん!!」

 

 女子数十名による大合唱。やっぱりそういうことか――!

 

「待て一夏! 組むなら私とにしないか」

 

「こほん。一夏さん、わたくしと組んでくだされば優勝間違いなしですわよ」

 

「え、えっと……僕も、一夏と組んでみたいかなーって」

 

「一夏! 当然あたしとよね!」

 

 さらに鈴や箒たちまで自分と組めと詰め寄ってきた。ここで『俺は誰とでもいいんだけどなー』なんて言った暁には、血で血を争うことになりかねない勢いだ。

 なので、是が非でも答えを決めなければならないのだが――

 

「……誰と組むかっていわれたら、やっぱりあいつしかいないか」

 

 少しだけ考えて、結論を出す。おそらく、この判断に間違いはないはずだ。

 

「俺は鈴と組むよ」

 

「ええーーっ!?」

 

 当然返ってくるのは『なんで!?』という声の数々。その傍らで鈴がガッツポーズをとっているのを見ながら、俺は自分の考えを説明する。

 

「理由は2つ。まず、俺の白式は近接戦闘しかできない癖のある機体だ。タッグを組むなら相方はそれをフォローできるオールラウンダーが望ましい。で、鈴の甲龍はその条件を満たしてる。2つ目の理由は、俺は1週間白式を起動できないからペアでの連携をとる時間がかなり少ない。そうなると、これまで何度かタッグを組んでそこそこ戦えた鈴を相方に選ぶのがベストなんだ」

 

 山田先生との試合は俺のせいで情けない結果になったが、その前の正体不明のISとの戦闘の時はそれなりに連携もとれた。だから、やはり今回は鈴を選ぶべきだろう。気心も知れているから、いろいろ相談もしやすいしな。

 

「……まあ、そういうことなら」

 

「仕方ないね。正論だし……」

 

 みんなも渋々ながら納得してくれたらしく、そのまま保健室から出て行った。箒やセシリア、シャルロットもうなずいてくれている。

 

「ふふん。アンタもなかなか見る目があるじゃない」

 

 満面の笑みで声をかけてくる鈴。俺に選ばれたことでこんなに喜んでくれるというのは、まあ素直にうれしい。

 

「……やるからには優勝するつもりだぞ、俺は」

 

「当然。アンタの場合、あのボーデヴィッヒにもリベンジしなくちゃいけないしね」

 

 ……ああ、その通りだな。ラウラには、きちんと借りを返さなければならない。あいつが誰と組むのかはわからないが、どうなるにせよ、俺と鈴のタッグで必ず勝ってみせる。

 

「織斑くん、ちょっといいですか?」

 

 再び保健室に来客。今度は山田先生だった。

 

「山田先生、どうかしたんですか?」

 

「はい。織斑先生からの伝言です。少し話があるから、夕食が終わったら自分の部屋で待機しておくように、とのことです」

 

「はあ……わかりました」

 

 千冬姉から話がある、か。タイミング的に考えればラウラのことなんだろうけど……あの2人、昔に何があったんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜のこと。シャルロット・デュノアは自室にて思案にふけっていた。同じ部屋の中には同居人であるラウラ・ボーデヴィッヒもいるが、彼女はいつも通り自分をまったく意に介していない。

 

「……どうするべきなのかな」

 

 意図せずして考えが口からこぼれてしまったが、やはりラウラには何の反応もない。

 ――シャルロット・デュノアは、父親であるデュノア社の社長の指示によりこのIS学園に転入してきた。

 デュノア社は量産機ISのシェアが第3位であるものの、いまだに第三世代型の機体を開発できずにいるため、他国との競争に遅れてしまっている。欧州連合による統合防衛計画『イグニッション・プラン』の次期主力機を決めるトライアルでデュノア社の機体が選ばれなかった場合、フランス政府はデュノア社からISの開発許可を剥奪するつもりらしい。

 つまり、デュノア社が生き残るためには次のトライアルで結果を出すしかない。そのためには、第三世代型のISの開発を急がなければならないのだが、いかんせん時間とデータが足りない。

 そこでシャルロットに下された命令が『世界で唯一のイレギュラーである織斑一夏の機体のデータを最優先、それができなければ他の専用機のデータを盗むこと』だった。つまりデュノア社は、他の国が作り上げたものを利用してでも第三世代型を早急に完成させる、という結論を出したのだ。

もちろん気は進まなかった。しかし、父親の命令に従うことに半ば慣れてしまっていたシャルロットは、IS学園に転校し、指示通りに初日から織斑一夏に友好的な態度をとった。結果としてそれは功を奏し、現在では仲のいいクラスメイトという関係になることができている。

 ……だが、おそらくこれ以上は近づけない。彼女にそう感じさせたのは、彼の周りにいる少女たちの存在だった。彼に好意を寄せ、もっとそばにいたいと願っているであろう彼女たちの間をすり抜けて一夏の心を自分に向けるのは不可能だと思ったのだ。

 放課後、一夏がトーナメントの相方に鈴を選んだことで、シャルロットは計画の遂行を断念した。もともと『友人の機体のデータを売りつける』という行為を嫌っていた彼女にとっては、今日の出来事は踏ん切りをつけるいい機会だったのかもしれない。

 

 ――これでいい。友達を利用するなんてことはしたくない。

 

 だが、そう思いつつも、彼女の心には別の考えがくすぶっていた。

 ……このままいけば、デュノア社は解体されるか、他の企業の傘下に入ることになる。そうなれば、シャルロットもISのパイロットではなくなる。新しくフランスのIS開発を担うことになる企業も、ライバル企業であったデュノアの人間を使いたいとは思わないだろう。

 それで、いいのだろうか。

 鈴に問いかけられたことで、シャルロットは自分が初めてISに乗った時のことを思い出していた。同時に、自分がISに乗りたい理由も見つけた。

本当に近くにあったのだ。近くにありすぎて、今までそれを忘れてしまっていた。

 ――空を自由に飛び回った時の、あの晴れやかな気持ち。それを感じていたいから、幼かった彼女は『またISに乗りたい』と思った。

 その気持ちを、二度と味わえなくなってもいいのだろうか。……それは、やっぱり嫌だ。

 データを盗みたくはない。でもISには乗り続けたい。ならば、どうするべきか。

 

「……結果を出すしかない、か」

 

 簡単な話だ。シャルロット・デュノアという存在を売り込めばいい。このIS学園で実力を見せつければ、デュノア社が倒れた後に彼女を拾ってくれる企業が現れる可能性が出てくる。

 そして、今度の学年別トーナメントは、そのための絶好の機会だ。必ず勝たなければならないし、そのためにできることはしておくべきだ。

 

「………」

 

 ……これは、一夏たちへの裏切りになるのかもしれない。それでも――

 

「ボーデヴィッヒさん」

 

 同居人に声をかける。何かの本を読んでいる彼女は、何の反応も示さない。

 

「大事な話があるんだけど」

 

 そこまで言って、ようやく視線をこちらに向ける。相変わらずの、他人に関心を持たない無表情。その周りすべてを拒絶するような空気に対して、シャルロットは臆することなく次の言葉を告げた。

 

「学年別トーナメント、僕と組んでくれないかな」

 




というわけで1年最強コンビが誕生してしまいました。果たして一夏&鈴コンビはこの2人に勝つことができるのか……なんとか皆様に納得していただけるような展開にしたいです。シャルの心理についてはあまりうまく描写できなかったのですが……


原作との変更点は、タッグの組み合わせの他には千冬についてです。原作だとあんまりラウラについてフォローしてくれなかったので、この作品では少しだけそのあたりを変えるつもりです。

次回はようやく鈴がメインの回になりそうです。


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第14話 恋は盲目

8月後半は更新できないと言ってたような気がしますが、気のせいでした。僕にしては思ったよりも執筆がはかどっているので、今日もこうして最新話を投稿します。


「織斑、いるか」

 

 夕食後に自室で教科書を眺めていると、ノックとともに千冬姉の声が廊下から聞こえてきた。山田先生に伝えてもらった通り、俺に話があるからやって来たようだ。

 

「こんばんは、織斑先生」

 

 無意味に出席簿で叩かれることのないように、きちんと『先生を部屋に招き入れる生徒』としての対応をとる。学園に入って2ヶ月半、ようやくこの距離感にも慣れてきた。それまでに何度制裁を食らったかは……まあ、考えないようにしよう。

 

「今日はお前の姉としてここに来た。だから家にいる時と同じ話し方で構わん」

 

「あ、そうなんだ。じゃあ千冬姉、お茶でも淹れるから適当に座っててくれ」

 

 お許しが出たので、コミュニケーションの型を『弟モード』に変更。自然体で話せるというのはありがたい。この前気まぐれで買った茶葉がなかなかおいしかったから、千冬姉にも飲んでもらって感想を聞いてみよう。

 

「……モンド・グロッソの試合映像か」

 

 机に置いてあったDVDに気づいた千冬姉がつぶやく。……やっぱり、今でも俺がそれを見るのは嫌なんだろうか。クラス対抗戦の後に何も言ってこなかったから、少し気になっていたのだ。まさか、俺が千冬姉の真似をしていることに気づいていないわけはないだろうし。

 

「セシリアに借りたんだ。クラス対抗戦が終わったら返そうと思ってたんだけど、別にこのくらい差し上げますわって言われてそのままもらっちまった」

 

「そうか」

 

「……怒ったりしないのか?」

 

 日本茶を用意しながら会話しているので、千冬姉の表情はうかがえない。だから、俺はおそるおそるながらもストレートに尋ねてみた。

 

「お前が必要だと思ってやったことだ。実際間違った練習方法でもないし、私が怒る理由などないさ」

 

「……そっか」

 

 いつもより少しだけ柔らかい千冬姉の声を聞いて、ほっと胸をなでおろす。本人からの許可も出たし、これで本当に心置きなく模倣ができる。

 

「やるからには、完成度の高い偽物になるよ」

 

 軽口をたたきながら、千冬姉の前に淹れたてのお茶を差し出す。

 

「………」

 

「……千冬姉?」

 

 どうかしたのだろうか。さっきまで普通にしゃべっていた千冬姉は、俺に目を向けたままぽかんと口を開けて固まってしまっている。我が姉のこんな表情を見るのはひょっとすると初めてかもしれない。

 

「俺、何か変なこと言ったか?」

 

「……いや、なんでもない。お前も言うようになったなと感心していただけだ」

 

「なんだよそれ。言っとくけど本気だぞ? 今度のトーナメントだって優勝狙ってるし」

 

「当然のことだ。特にお前は専用機持ちなのだからな。あまり無様な試合は見せてくれるなよ」

 

 ……うん、いつもの自分にも他人にも厳しい千冬姉に戻ったみたいだ。安心安心。

 

「わかったよ。……それで、ここに来た用件はなんなんだ?」

 

「……そうだな。無駄話はここまでにして、本題に入るとしよう」

 

 日本茶を少しすすってから、千冬姉はゆっくりと口を開く。

 

「第2回モンド・グロッソが終わった後、私はドイツ軍で教鞭をとっていた時期がある」

 

「ああ、それは他の先生から聞いたよ。……ラウラとも、その時知り合ったんだよな?」

 

「そうだ。私が指導している内にあいつは次第に頭角をあらわしていき、最終的にはIS専門の部隊の中で頂点に立つまでの力を身につけた」

 

 軍の一部隊のトップ……どうりで強いわけだ。あいつが他の生徒を見下したような態度を取るのも、軍人としての意識があるが故なのか。休み時間にスイーツの話で盛り上がっているような集団は、軍隊とは程遠いだろうし。

 

「だが、私はラウラに教え損ねたことがある」

 

 千冬姉の声のトーンが僅かに下がる。彼女を良く知る人間にしかわからない、珍しく落ち込んでいるサインだ。

 

「ひたすらにIS操縦者としての実力を身につけるよう指導し続けた弊害か、あいつは『力』というものに固執し過ぎている節がある。……言うなれば、それ以外にモノを測る尺度を持たないということだ」

 

 ……そういうことか、と納得する。確かに、今までのラウラの行動を考えると、そう説明されるのが最もしっくりくるような気がする。

 

「私を慕ってくれるのはありがたいことだが、『力』だけが『強さ』だと思っているままでは問題だ。なんとかしたいとは思っているのだが……」

 

 うまくいかないんだな、と、千冬姉の歯切れの悪い話し方から推察する。……まあ、見るからに頑固そうだもんな、あいつ。一度決めたら突っ走ってしまいそうなところは、俺の周りにいる女友達との共通点かもしれない。

 

「だいたいの事情はわかった。教えてくれてありがとう、千冬姉。……だけど、なんで俺に話してくれたんだ?」

 

 今まで自分の仕事のことなどについては一切伝えてこなかったような人が、どういう風の吹き回しなんだろう。

 それに対する千冬姉の回答は、実にあっさりしたものだった。

 

「ラウラがあそこまでやった以上、お前も立派な関係者だ。事実を知っておく権利がある。それだけだ」

 

 いつの間にか湯呑みを空にしていた千冬姉は、そのまま『邪魔したな』と言い残して部屋を出て行った。

 ……まあ、理由はどうであれ、千冬姉が自分自身のことを語ってくれたのはうれしい。ちゃんと俺のことを弟として見てくれていると思えるからだ。

 

「………」

 

 ただ、少し先ほどの話で引っかかっていることがある。ラウラが力こそ強さだと考えていて、圧倒的な力の象徴である千冬姉を慕っているということは理解できたが……

 

「本当に、それだけなのか?」

 

 俺に向けられた、ラウラのあの怒りの表情。あそこまで俺を嫌っているのには、もっと別の要因があるような気がする。

 

「……まあ、今は関係ないのかもしれないな」

 

 ラウラの心の中身なんて、それこそラウラ本人にしかわからない。ついでに言うと、さっき千冬姉の言っていた『強さ』の意味に関しても、今の俺には答えを出せない。だから、『力』を答えだと思っているラウラのことを馬鹿にすることもできない。

 ……だが、あいつに負けられない理由ならある。

 

「さて、宿題やるか」

 

 湯呑みを片付けて、勉強するための準備を始める。今日はちょっと量が多かった気がするので、早めに取りかかることにしよう。間に合わなかった、なんてことになればもれなく頭に手痛い一撃がプレゼントされるしな。

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「シャルロットがボーデヴィッヒと組んだですって!? どういうことよそれ!」

 

「ああ、さっき本人から聞いた……って、息苦しいから襟首つかむのやめろ」

 

 2組にいる鈴に先ほど知った情報を伝えにいくと、予想通りのリアクションが返ってきた。あんまりでかい声を出すもんだから、いまだに耳がキンキンしている。

 俺が割と本気で呼吸困難に陥りかけているのに気づいたのか、鈴は俺の首をぶんぶん振り回すのをやめて手を放す。

 

「ごめん、あんまり驚いたもんだからつい……。それで、なんでそういう事態になってるのよ」

 

「俺も詳しいことは知らない。朝のHR前に『ボーデヴィッヒさんと組むことにしたから』ってシャルロットに言われただけだしな。……冗談には見えなかったけど」

 

「……ずいぶんあっさりしゃべってるけど、アンタ納得できてんの? シャルロットがあのボーデヴィッヒとペアを作ったのよ」

 

 怪訝な表情で俺をにらむ鈴。淡々と事情を説明する俺の態度が気になっているようだ。

 ……そりゃあ俺だって驚いてるし、納得もできていない。だけど――

 

「シャルロットがラウラと組むのは俺も嫌だと思ってる。けど、別にルールに反してるわけでもないから止めるわけにもいかない。……それに、シャルロットにもそうするだけの理由があるんだろうしな」

 

 きっと、シャルロットは『ISに乗る理由』を見つけたんだと思う。そう判断した理由は、彼女が俺にラウラと組むことを告げる時に見せた目が本気だったからだ。俺への申し訳なさなどは一切見えない、何か覚悟を決めたような顔つきだった。普段温厚なシャルロットにそんな表情を見せられた以上、俺には何も返す言葉がなかったのだ。

 

「……まあいいわ。アンタの言うとおり、あたしたちが何を言ったところでペアが変更されるわけじゃないし。それよりはどうやってその2人に勝つかを考えるべきね」

 

 渋々ながらもうなずいた鈴は、話題を試合自体に関することに移す。こういう切り替えが素早いのは鈴の長所のひとつだ。

 

「セシリアは箒と組んだみたいだけど、そっちは気にしなくていいのか?」

 

「箒はアンタが倒せるし、セシリアはあたしがなんとかするから問題なし。……こう言っちゃなんだけど、やっぱり専用機持ちとそれ以外の差はかなり大きいわ。油断するつもりはないけど、あたしとアンタは戦力的にはトップクラスなのよ」

 

 1年生で専用機を持っているのは、俺、鈴、セシリア、シャルロット、そしてラウラの5人。つまり、トーナメントのペアで2人とも専用機持ちなのは俺たちとシャルロット&ラウラだけということになる。……自分で言うのもなんだが、おそらく俺たちは優勝候補なんだろうな。千冬姉に無様な試合を見せるなと言われたのもうなずける。

 

「ちなみに野球で例えるならあたしたちは大学野球、シャルロットたちはプロの球団ってとこかしら」

 

「待て、かなりきつくないかそれ」

 

 ほとんど勝てないって言ってるようなもんじゃないか。……というか、そもそもなんで野球に例えたんだ。

 

「経験の差ってこと。あたしたちと向こうのペアの戦力を表すにはちょうどいいと思うけど」

 

「……たしかに」

 

 実際、今のままだと勝てる道理はない。実力的にはおそらく鈴とシャルロットがどっこいどっこい。だが俺とラウラの間に決定的な戦闘力、そして経験の差がある。

 

「ま、ボーデヴィッヒはチームプレイなんて頭にないだろうし、あたしたちに勝機があるとすれば連携プレイね。だから今すぐにでも練習したいんだけど……白式が使えない、と」

 

「すみません」

 

「アンタのせいじゃないでしょ。とにかく、今日の夜は一夏の部屋で作戦会議。異論はないわね」

 

「ああ、わかった」

 

 反対する理由もないので、素直にうなずく。自分のことが好きな女の子と自室で2人きり、というのは少しどきどきするが、妙なことでも起きない限り互いを変に意識することもないはずだ。そのあたりは、何年も幼馴染の関係を続けているという経験が生きているわけだ。

 そう、妙なことでも起きない限りは……

 

 

 

 

 

 

「さて一夏。あたしがアンタの部屋で見つけたこれはいったいなんでしょう?」

 

「……写真集ですね。いろんな女の人の写真が載ってるやつ」

 

 その日の夜、俺は男として人生最大のピンチを迎えていた。紅茶を淹れている間に、鈴がタンスの裏に隠していた写真集を発見してしまったのだ。これが意味するところは、つまり。

 

「つまり、この本を読めばアンタの趣味が丸わかりってわけよね」

 

「……やめてください、お願いします。中は見ないで、死ぬほど恥ずかしいから」

 

 土下座して懇願するも、鈴の顔はますます愉悦に歪んでいる……のだが、頬がちょっと赤くなってるのはああいう写真集に耐性がないからだろうか。

 

「拒否権はなし。……あれ、なんか角を折ってるページがあるわね」

 

「っ! だ、だめだ鈴! そのページだけは開けないでくれ!!」

 

 それを開けたが最後、どうなることか――

 

「そういうわけにはいかないわ。き、きっちり……アンタの好みのタイプをチェックしてやるんだからっ」

 

 やめてくれ、俺にとってもお前にとっても不利益な結果にしかならないから! ……という必死の説得も空しく、鈴は折り目がついたページを開いてしまった。

 

「………」

 

 鈴の体がぴしりと固まる。視線は開かれた写真集のページに釘付けになっている。……ああ、だから見られたくなかったんだ。だってそのページには――

 

「……え? こ、これって、このページの女の人って……」

 

「……お前にそっくりだろ? ツインテールだし、顔のパーツも似てる。だから弾が俺に見てみろって押し付けてきたんだ。……俺も、鈴が成長したらこんな感じになるのかなって思いながら見てた」

 

「……そ、そう、なんだ。ふーん、へえー。あ、あたしに似てる人を、ね……」

 

 そこで会話が途切れる。……だから嫌だったんだ。あのページを鈴に見られたらこうなることは容易に想像できてたんだから。

 

「………」

 

 鈴は俺の方をちらちら見ながら、自身を守るように腕で体を抱いている。……馬鹿野郎、襲ったりなんて絶対しねえよ。

 ……ともかく、なんとかこの妙な雰囲気を壊さなければ。お互いに相手を意識し過ぎて、まったく会話ができない状態になってしまっている。

 

「そ、そういえば、弾から借りたド○クエのことなんだけどさ」

 

「な、なにかしら」

 

 露骨な話題転換。適当な話のネタになってくれたド○クエに感謝しつつ、俺はぎこちないながらも会話を再開させる。鈴も食いついてきてくれたので、とりあえず場の空気を変えることには成功した。

 ……ただ、ド○クエからゲームの話に向かったせいで、当初の目的であったトーナメントの作戦会議はまったくできずじまいだったのは大きな問題だが。

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりよ弾! 一夏にあんな本渡すなんて!」

 

 自分の部屋に戻った後、鈴は即座に友人である五反田弾に電話をかけ、携帯越しに怒鳴り声をぶつけていた。ルームメイトのティナは何があったのかと驚いている様子だが、今の彼女にとっては知ったことではない。

 

『なんだ、見つかっちまったのか。どうだ、そっくりだったろ』

 

「ええ、確かに似てたわね。でもあたしが聞きたいのは! なんで! 一夏に! あれを貸し付けたのかってことなのよ! おかげで変な雰囲気になっちゃったじゃない!」

 

『うわっ、そんなに大声出すなよ。耳が痛いだろ。……だいたい、変な雰囲気になったんならいいじゃないか。一夏がちゃんとお前のことを女として意識してるってことだろ』

 

「……っ、それは、そうかもしれないけど」

 

 ……弾の言うことには一理ある。一夏が鈴によく似た女性の水着写真などを見ていたということは、多少なりとも彼女のことを『幼馴染』の枠からはみ出して認識していることを意味する……のかもしれない。

 

『だろ? 俺は一夏が鈴のことをちゃんと意識してくれるようにと思ってあの本を渡したんだ。むしろ感謝してほしいくらいだぞ』

 

「……まあ、一応お礼は言っておくわ。でも、ちょっと手段が過激すぎると思うんだけど」

 

『そうか? 俺は別にエロ本でもいいと思ったんだが』

 

「っ!? い、いいわけないでしょうがこの変態! じゃ、じゃあね!」

 

『おい、ちょ――』

 

 弾の返事を待たずに通話終了のボタンを押す。彼女が欲しいならまずその性格を直しなさいよね、などと思いつつ、鈴はベッドにぱたんと倒れこむ。

 

「……意識、してくれてるのかな」

 

 そうだとしたら、たまらなくうれしい。思わず布団を抱きしめながら顔がにやけてしまう。

 

「えへへ……」

 

「……まーた始まった。恋は盲目って言葉を考えた人は天才ね」

 

 同居人の冷め切った声も、盲目少女には一切届かないのであった。

 




写真集のくだりは最初は本当にエロ本にしようかと思っていました。だけどそれはいくらなんでも……と考えなおしました。弾も久しぶりの出番でしたね。電話越しだけど。

次回はシャルロット絡みの描写の補完と、あとは主に勝負に備える一夏と鈴が中心になると思います。


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第15話 決戦へ向けて

今回4000字強と短いですが、今日を逃すと9月10日くらいまで更新できないので投稿しておきます。


「あ、おりむーおはよー」

 

「おはよう、のほほんさん」

 

「今朝はギリギリだねー」

 

「ああ、ちょっと野暮用があって」

 

 学年別トーナメントまで残り1週間。教室に来る前に職員室に寄って山田先生に確認してもらったところ、もう白式を動かしても大丈夫とのお言葉をもらうことができた。これでようやく鈴との連携の訓練を開始できるというわけだ。出遅れた分をきちんと取り戻さないとな。

 

「おはようございます、一夏さん」

 

「おはよう、一夏」

 

 自分の席に向かう途中、セシリアと箒に挨拶される。先ほどまで真面目な顔をして話し合っていたところを見るに、タッグマッチの作戦会議でも開いていたのだろうか。

 

「ああ、おはよう。どうだ、コンビの調子は?」

 

「まずまず形になってきたというところでしょうか。わたくしと箒さんは戦闘タイプが正反対ですから、うまく互いの弱点を補い合えていると思いますわ」

 

「お前はどうなんだ、一夏? 白式の起動許可はもらえたのか」

 

「今朝な。だから本格的な練習はこれからだ」

 

 箒たちも順調に連携を磨いているようだ。この2人、入学当初からは考えられないほど仲良くなったよな。

俺たちも負けないように頑張らねば、と改めて気を引き締めていると、少し離れた席に座っている金髪の少女と偶然目が合った。

 

「シャルロット、おはよう」

 

 彼女の方に歩いていき、朝の挨拶をかわす。

 

「おはよう一夏。今日も雨だね」

 

「梅雨だからな。そろそろこんなじめじめした空気ともおさらばだと思うけど」

 

「そうなんだ。やっぱり国が違うと気候もかなり変わるんだね。フランスにはこんな時期なかったよ」

 

 先日の一件以降も、俺とシャルロットの仲は特に変わっていない。こうして他愛のない会話をしたり、昼食を一緒にとったりすることもある。……まあ、トーナメントが近づいている以上、以前のように鍛錬を見てもらうというわけにはいかないだろうけど。

 

「……ふう」

 

 そろそろ始業のチャイムが鳴るので、席に着いて荷物を取り出す。……とにかく、今日から試合までの7日間が勝負だ。現状で圧倒的な実力を持つシャルロットとラウラに、なんとか勝ちを拾えるまでにはならないと――

 

 

 

 

 

 

 決戦の日まで残り5日となった。放課後を迎え、俺は鈴と一緒に使用可能なアリーナへと向かっている。

 ――一昨日、そして昨日と、放課後に鈴と連携プレーの練習を必死に行った結果。

 

「……ねえ、アンタ連携下手になってない?」

 

「……マジかよ」

 

 ……これっぽっちもうまくいく兆しが見えない。それどころか、鈴に言わせれば俺の動きは退化しているらしい。

 

「結構前に試しで2対2の模擬戦やったことあったでしょ。あの時よりひどいのは間違いないわね」

 

 鈴が言っているのは2週間ほど前の放課後に行った試合のことだろう。たまにはチーム戦でもやってみようかということで、俺、鈴、箒、セシリアで適当に組み合わせを変えながら模擬戦を数回した覚えがある。確かに、言われてみればあの時よりも俺と鈴の息があっていないような気がする。

 

「……とにかく、今は練習を重ねるしかないよな」

 

「それしかないのよね……」

 

 思い通りにいかない現状に2人してため息をつきながら、アリーナへ続くピットに入ると。

 

「お、やっと来た~。さ、早く練習風景を見せてね」

 

「……えっと、どちら様?」

 

 知らない人に声をかけられ、少々面食らう。しかも妙に馴れ馴れしい。制服のリボンの色が黄色なことから、2年生だということはわかるのだが。

 

「その反応はないでしょう。この前のクラス代表が集まった委員会の時は顔を出せなかったけど、入学式ではちゃんと挨拶したのに」

 

 記憶力のない男の子は嫌われるわよ? と本当かどうかわからないことを言う青髪の上級生。そう言われても、入学式の時は周りが全員女という状況に耐え抜くことに全神経を集中していたせいで話も何も聞いてなかったわけで。

 

「一夏、生徒会長の顔くらいは覚えときなさいよ。転校してきたあたしでも知ってるのに」

 

「生徒会長……ああ! そういえば入学式で何かしゃべってた気がするぞ」

 

「そうそう、思い出してくれた? ついでに言うと、フルネームは更識楯無よ。よろしくね、織斑一夏くんに凰鈴音さん」

 

「は、はあ……よろしくお願いします。それで、練習風景を見せてくれっていうのは」

 

 どうして生徒会長が俺と鈴の練習を眺めたがっているのか、その意図がつかめない。トーナメントは学年別だから、2年生の更識さんには1年生のことなんて関係ないだろうし。

 

「言葉の通りだけど? 粋の良さそうな1年生コンビがいるって聞いたから、ちょっと様子を見たくなったの。あ、何かアドバイスできることがあれば言ってあげるから」

 

 アドバイス、か。壁にぶち当たってる俺たちにとってはかなり魅力的な言葉だ。生徒会長はめちゃくちゃ強いという話を聞いたことがあるし、そんな人に練習を見てもらえるのは有益だと思う。

 

「……わかりました。鈴も別にかまわないよな?」

 

「そうね。練習の邪魔されるわけでもないし」

 

「うんうん。話のわかる人はおねーさん好きよ」

 

 そう言うと、更識さんはくすりと笑い、右手に持っていた扇子をばっと開く。そこには『謝謝』という文字がでかでかと書かれていた。……珍しい扇子だな。

 

 

 

 

 

 

「ああっ! だからなんでそこで前に出るのよ!」

 

「す、すまん!」

 

「謝るのはいいからもう1回やるわよ! さっきの位置に戻って」

 

 ……駄目だ。やっぱりうまくいかない。しかも原因は確実に俺にある。鈴の指示は的確なのに、俺がその通りに動けていないのだ。頭では理解しているはずなのに、実際にやろうとするとなぜかミスを連発してしまっている。

 

「……いったん休憩にしましょ」

 

 俺の息が荒くなっているのに気づいたのか、鈴はそう言って地上に降りる。かなりイライラしているのが見て取れるため、ますます申し訳ない気持ちが込み上げてきた。

 

「2人ともお疲れ様。だいたいどんな状態なのかは見せてもらったわ」

 

 ずっと俺たちの動きを観察していた更識さんが声をかけてくる。アリーナ内にいるので、もちろん彼女もISを展開している。水色を基調としたその機体は『ミステリアス・レイディ』という名の専用機らしい。

 

「……それで、更識さん。何かアドバイスとかあります?」

 

 どうしたらいいのか、小さなことでもいいからためになることを教えてもらえるとありがたいのだが……

 

「あるわよ。それもとびっきりのが」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 それは今すぐにも聞きたい、という気持ちに引きずられ、思わず声が大きくなってしまう。鈴もやはり気になるようで、更識さんの発言を聞き取る体勢に入っている。

 更識さんはそんな俺たちの態度を見て満足そうに微笑むと、どこからか取り出した扇子を開きながら口を開いた。

 

「あなたたちではボーデヴィッヒさんたちには勝てません」

 

 開かれた扇子には『無理』という残酷な2文字。……すみませんが、それはアドバイスとは言わないのでは。

 

「それはアドバイスじゃないだろと思ったそこのあなた、人の話は最後まで聞きなさい」

 

 うお、心を読まれた。隣を見ると、鈴もびくりと肩を震わせている。どうやら俺と同じことを考えていたようだ。

 ……と、そんなことより今は更識さんの話を聞かなければ。ああ言ったからには、きちんとしたアドバイスを用意してくれているに違いない。

 

「そもそも、あなたたちはひとつ致命的なミスを犯しています」

 

「ミス?」

 

 俺と鈴の声が重なる。ミス……いったい何を間違えているというのだろうか。

 更識さんはなぜかいたずらっぽい笑みを浮かべながら、その内容を俺たちに告げた。

 

「それは――」

 

 

 

 

 

 

「ナイスアシストでしたわ、箒さん」

 

「ああ。セシリアも、さすがは代表候補生という戦いぶりだったぞ」

 

 学年別トーナメント1日目。1回戦の試合を勝利で飾った箒とセシリアは、ピットに戻って互いをねぎらっていた。連携は好調でミスもなく、試合内容はほぼ完璧と言える。

 

「次はいよいよ一夏さんと鈴さんの試合ですわね」

 

「……そうだな」

 

 ピットに設置してあるモニターが、アリーナに入ってきた選手たちの姿を映す。一方は一夏と鈴。対するは――

 

「いきなり専用機持ち4人が戦うことになるとは……まあ、一夏は喜んでいるのだろうな」

 

「『余計なこと考えずに1回戦でぶつかれるなんてラッキーだ』とか言っているのが簡単に想像できますわ」

 

「まったくだ」

 

 意外とセシリアによる一夏の真似がうまいことに内心驚きながら、箒は再びモニターに視線を戻す。

 1回戦最後のカード。一夏たちの対戦相手は、シャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒのペアだった。

 

 

 

 

 

 

「……それにしても、余計なこと考えずに1回戦でぶつかれるなんてラッキーだよな」

 

「まあね。特にあたしたちの場合は、シャルロットたちに戦い方を事前に見せずに済むって利点があるし」

 

 箒とセシリアの試合が終わり、次は俺たちの出番だ。こちら側のピットに戻ってきたペアと軽く言葉を交わした後、鈴と試合前の最後の確認をする。

 

「わかってるわね? 作戦名は『ガンガンいこうぜ』よ」

 

「大丈夫だ、ちゃんと頭に入ってる。……楯無さんのおかげで、どうにか戦えそうなレベルにまで持ってこれたな」

 

「そうね。あの人を食ったような態度はどうかと思うけど、実際助かったのは事実だし」

 

 ちなみに、俺が楯無さんのことを下の名前で呼んでいる理由は、彼女本人がそうしてほしいと言ってきたためである。上級生を名前呼びするのには少し抵抗があったが、アドバイスをもらった恩もあるので承諾したのだった。

 

「……よし。じゃ、そろそろ行くか」

 

「ええ」

 

 鈴とともにアリーナへ出て、ISを展開する。……今日も頼むぞ、白式。

 観客席を見ると、政府関係者をはじめとするお偉いさんたちが大集合していた。……まあ、そちらはさして気にする必要はない。今注目すべきなのは、反対側のピットから出てきた俺たちの対戦相手のほうだ。

 

「優勝候補のお出ましね」

 

 プライベート・チャネルから聞こえてきた、鈴の茶化すような調子の言葉に小さく笑うことで返事をする。

 ……結局、シャルロットの意図することはわからないままだ。本人が教えてくれないのだから、俺としても知りようがない。

 だけど、今はそんなことは重要じゃない。俺にも、鈴にも、シャルロットにも、ラウラにも、それぞれの戦うための理由がある。……それで十分だ。あとは互いに全力を出して決着をつけるだけでいい。

 

「……勝つわよ」

 

「ああ、当然だ」

 

 規定の位置へとゆっくり移動する。あとは、試合開始を待つだけだ。

 




生徒会長2回目の登場。一夏と接触するのは今回が初めてです。彼女が何考えてるのかは次回あたりで説明します。
箒とセシリアのバトルはカットしました。もともと僕は戦闘描写が苦手なので2戦連続で試合を書こうとすると恐ろしい時間がかかってしまうこと、および書いても箒・セシリアペアが相手を圧倒するだけの展開になるというのがカットの理由です。

次回はいよいよ試合突入。諸事情で数日間執筆できないうえに苦手な戦闘シーン……まあ、できるだけ早めに投稿できるよう頑張ります。2巻の山場ですからね。
果たして「ガンガンいこうぜ」の意味とは……? ドラクエネタは9話からの伏線です。


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第16話 想定外の一撃

だいぶ間隔があきましたが、最新話の更新です。
それと挨拶が遅れてしまいましたが、お気に入り数600件突破に関して読者の皆様に大感謝です。


『それでは各選手、規定の位置についてください』

 

 試合開始を目前にして、それまでざわついていたアリーナの空気が静まりかえる。ギャラリーの注目をその肌で感じながら、シャルロット・デュノアは眼前に立つ対戦相手の姿をじっと見つめている。

 織斑一夏と凰鈴音。自分から近づいていったとはいえ、彼らは転校してきたばかりのシャルロットを快く受け入れ、仲良く接してくれていた。デュノアの家に引き取られて数年、同年代の友人に恵まれなかった彼女にとっては、それはとてもうれしくて、感謝すべきことだった。

 ……だが、今はそんなことを気にしてはいけない。一夏と鈴は、紛うことなき『倒すべき相手』なのだから。

 

「以前、教官がおっしゃったことを覚えているか? 『これより学年別トーナメントまでの私闘を一切禁止する』――」

 

「『決着ならそこでつければいい』、か。……ようやくその時が巡ってきたわけだ」

 

 互いに睨み合いながら言葉を交わすラウラと一夏。詳しい事情は知らないが、この2人にもシャルロットと同じく、戦うための確固とした理由があるのだろう。

 

「シャルロット」

 

 火花を散らす一夏たちの様子を無言で眺めていたところ、同じく口を開いていなかった鈴が声をかけてきた。戦闘前であるがゆえか、その声には普段とは違う重みが感じられる。

 

「悪いけど、勝たせてもらうから」

 

 その言葉を合図にするかのようなタイミングで、試合開始を告げるブザーが鳴り響く。瞬間、誰よりも速く動いたシャルロットは、鈴に照準を合わせてライフルを連射する。すぐさま回避行動をとられたため、数発掠った程度でほとんどダメージは与えられなかったが、それでも鈴の行動を数秒間縛った時点でこの攻撃の目的は十分に達成されている。

 

「……ふん。相変わらず教官の真似事か。無様な芸の域を出ないな」

 

「あいにくと、これしか披露できるようなネタがないもんでな!」

 

 少し離れた場所で、既にラウラと一夏が激突している。彼女の一番の狙いはあくまで織斑一夏を倒すことであり、それさえ邪魔しなければ一緒に戦う上で問題はない。ゆえに、シャルロットが行うべきことは、鈴を一夏から引き離すように誘導することだ。

 

「連携はとらせないよ」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒの実力は1年生の中で間違いなくナンバー1だ。戦力的に劣っていると感じた一夏たちは、まず間違いなくコンビネーションプレイに勝機を見出してくるはず。事実ラウラはシャルロットとの連携の練習をしようともしなかったので、その点は自分たちのチームの明確な穴であるのは間違いない。

 だが、それならば相手に連携など取らせなければいい。1対1の勝負に持ち込んでしまえば、こちら側の弱点はなくなったも同然だからだ。

 高速切替(ラピッド・スイッチ)を駆使して次々と武装を取り替えることで、シャルロットは実質的に弾切れなしの連続攻撃を可能としている。鈴も両手に構えた双天牙月で銃弾を斬り落としつつ衝撃砲で反撃を行ってきているため、状況は拮抗しているようにも見える。しかし、シャルロットは銃弾の軌道を調節することで鈴が一夏から距離を取る方向へ動くように仕向けているのだ。

 

「……ふーん、やっぱり最初からあたしと一夏をバラバラにする魂胆だったわけね」

 

「それが最善の策だからね。タッグマッチの趣旨には反しちゃうけど、僕も本気で勝ちたいと思っているんだ」

 

 だから、相手に100パーセントの力を出させないようにしたまま――

 

「そう。でもこっちも手間が減って助かったわ。アンタが勝手に最高の舞台を整えてくれたから」

 

「……え?」

 

 一瞬、勝負の最中だということも忘れて呆けてしまう。……それだけ、今の鈴の発言はシャルロットの予想の斜め上を行っていたのだ。不敵な笑みを浮かべている分、負け惜しみや狂言にも思えない。

 ……この状況が鈴たちにとって都合がいいものとは到底考えられない。パートナーが遠くに離れてしまっている状態では、連携なんてとれるはずがない。

 なのに彼女は最高の舞台が整ったと言った。それはつまり、単純に考えてしまえば――

 

「連携なんて最初からやろうとも思ってないわ。各々好きに戦ってガンガン行く、そういう作戦だしね」

 

 

 

 

 

 

「……さて、どうなるかしらっと」

 

 トレードマークの扇子をぱたぱたと扇ぎながら、更識楯無はモニター越しに一夏たちの試合の様子を観戦していた。本当のところはアリーナの観客席で直に見たかったのだが、直前まで生徒会関連の雑務が残っていたため出遅れてしまった次第である。他にもたくさんの生徒が、彼女と同じくモニターに映し出される映像に釘付けになっている。

 

「お、一夏くんうまく避けたね~」

 

 AICという強力な武器を持つラウラのシュヴァルツェア・レーゲンに挑む一夏を心の中で応援しながら、楯無は先日の彼らとの会話を思い出していた。

 

 

『簡単に言ってしまえば、織斑一夏くんに連携プレーは期待できません』

 

『……事実ですけど、そこまでばっさり言われると結構辛いです』

 

『そもそも、それを踏まえたうえでなんとかしようと思って練習してるのに……』

 

『違う違う、そういう意味じゃないわ。私が言いたいのは一夏くんが下手ってことじゃなくて、彼の戦い方を考えれば相方とコンビネーションをとるのは良くない策だってこと』

 

『俺の……』

 

『戦い方? それってつまり……ああ!』

 

 首をかしげる一夏とは対照的に、何かに気づいたように手を叩く鈴。

 

『迂闊だったわ……なんでこんな当たり前のことがわかってなかったのかしら』

 

『なんだ? わかったんなら教えてくれよ、鈴』

 

『簡単に言えば、アンタがアメーバ並みの単細胞だってことね』

 

『簡単に言い過ぎな上に意味不明なんだが……つか、アメーバ並みって何気に相当馬鹿にしてないか?』

 

『何よ、そこまで言うならミジンコ並みの単細胞に訂正してあげなくもないわよ』

 

『そんなありがたみのない訂正はいらねえよ! あと、ミジンコは多細胞生物だからな!』

 

『はいはい、夫婦漫才はそこまでにしてね。私が置いてけぼりになっちゃうから』

 

『んなっ……』

 

 楯無が口にした『夫婦漫才』の一言で黙り込む2人。しかもちょっと下を向いて顔を赤らめ、ちらちらと互いの顔色を窺っている。……噂にたがわぬ初々しさ、これは弄りがいがありそうだわ、などと思ったのは秘密である。

 

『話が進まないから私が説明します。一夏くん、キミは織斑先生の現役時代の動きを真似て戦っている。それは間違いないわよね』

 

『は、はい。ち……織斑先生ならこう動くだろうなっていうのをイメージしながらやってます』

 

『本来、ブリュンヒルデ(あの人)の戦闘スタイルは短期間で真似られるようなものじゃない。だけど、キミはまだまだ未完成とはいえ十分使えるレベルにまで仕上げている。それは素晴らしいことなんだけど、逆に言えば模倣を行うだけでいっぱいいっぱいになっちゃってるの』

 

『……ええっと』

 

『だからと言って模倣をやめろというわけじゃないわよ? それは今の一夏くんの最大の武器なんだから。ただ、織斑先生の真似をすることに全神経を集中している脳に連携プレーまで意識させるのは容量オーバーもいいところなのよねえ』

 

『アンタの連携が前より下手になってるのもそのせいね。練習を続けるうちに模倣に対しての集中力が上がったせいで、他のことまで気が回らなくなっちゃったのよ』

 

『なるほど……自分のことなのに全然気づかなかった』

 

 楯無と鈴の解説を聞いて、一夏もようやく自身のウィークポイントに気づいたらしい。そうかそうかと納得したように頷いている。

 

『感心してる場合じゃないわよ。アンタが連携できないことがわかっても、それで試合に勝てるようになるわけじゃないんだから』

 

『む……確かにそうだ。むしろ唯一勝てる要素だと思ってた部分が消滅しただけだよなあ……。更識さん、何か打開策とかってあります?』

 

『そうねえ……』

 

 アドバイスを求める一夏に対し、ニッコリと笑みを浮かべながら楯無は次の言葉を告げたのだった。

 

『一夏くんが1対1でラウラ・ボーデヴィッヒに勝つ。期待値は低いけれど、キミの無限の可能性を信じてみるのもありかもしれないわね』

 

 

 ――そして現在。一夏は楯無のアドバイスとも言えない言葉の通り、ラウラを打倒すべく必死に刀を振るっている。一度AICに捕まってしまえば致命傷は避けられない、まさしくギリギリの戦いだ。

 

「さあ、気合いの見せどころよ、一夏くん」

 

 楯無が一夏と接触した理由は2つある。ひとつは、世界で唯一の男性IS操縦者という色々なところから狙われ得る立場に適応できるだけの、自分自身を守るための力を身につけてもらうための準備だ。今後彼にそのことを指導をする際、前もって交流を持っていた方が事を簡単に運びやすい。生徒会長として、イレギュラーな生徒の手綱をしっかり握っておくことも仕事のひとつなのである。

 そしてもうひとつは、更識楯無という少女の個人的な感情によるものである。

 先月末のクラス対抗戦で、彼女は織斑一夏の戦う姿を初めて目にした。ISに触れて日の浅いはずの少年が、代表候補生を相手に立派に対抗している光景を目の当たりにして、彼女は驚くと同時にこう感じたのだ。

 ――この男は、果たしてどこまで伸びるのか。それを見極めたい、と。

 

 

 

 

 

 

「当たれっ!」

 

 標的めがけて甲龍の砲門から放たれた衝撃砲は、惜しくも紙一重のところで回避される。――試合開始から5分。鈴とシャルロットの戦闘は、いまだ互いに会心の一撃を与えられないままの状態が続いていた。

 

「ま、一筋縄じゃいかないわよね……」

 

 2週間前のシャルロットとラウラの戦いを近くで見た時からわかっていたことだが、彼女の射撃技術と状況判断力はかなりのものだ。でなければ、1対1で圧倒的な強さを誇るAICを巧みに操るラウラを前にして、時間稼ぎなどできるはずがないのだから。正直、今挙げた2つの分野においては、シャルロットは確実に鈴の上をいっていると認めなければならないだろう。

 

「だからって、負けるつもりはさらさらないけど」

 

 2つに分かれていた双天牙月を連結し、次の攻撃の体勢に移る。……この試合における鈴の仕事はただひとつ、シャルロット・デュノアの打倒のみ。ゆえにそれ以外のことは考えない。離れた場所でラウラと戦っているであろう一夏のことも気にしない。

 ……悔しいが、今の鈴ではラウラ・ボーデヴィッヒに勝つことはできない。でかい口を叩く分、彼女の実力はまさしく本物なのだ。

 だからこそ、一夏に彼女の相手を任せた。白式の零落白夜、絶大な威力を持つあの斬撃が当たりさえすれば、勝利を手繰り寄せることも可能だから。

 ……もちろん、ラウラもそこは警戒してくるだろうから、零落白夜をヒットさせるのは至難の業なのは間違いない。ただ、それでも鈴はその可能性に賭けることを選んだ。一夏の成長速度と、彼の『絶対にラウラに勝ってみせる』という気概を信じる。……そう、決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

「くっ……」

 

 緊張感に煽られ、思わず右手の雪片弐型を取りこぼしそうになってしまう。そんな自分に心の中で喝を入れながら、白式とともにラウラ操るシュヴァルツェア・レーゲンに肉迫する。

 

「ちっ、ちょろちょろと目障りな……!」

 

 ラウラの声には苛立ちが含まれているものの、その戦いぶりは冷静そのものだ。遠距離では肩の部分に取りつけられた大型のレールカノン、中距離ではワイヤーブレード、近距離ではワイヤーブレードとプラズマ手刀の合わせ技。……そして、いかなる時でも最優先で警戒すべきAIC――慣性停止能力。特別なエネルギー波を対象に当てることにより、あらゆる物体の動きを止めるというそれは、一度食らえばその後の攻撃をもろに受け、致命傷になりかねないというとんでもない代物だ。

 AICのエネルギー波を飛ばすのは、おそらく右手、左手、そして眼帯をしていない右目の3つ。ここまでの戦いから、おそらくそれ以上は用意されていないと考えていい。

 

「っ、はあっ!」

 

プラズマ手刀を雪片で弾き、シュヴァルツェア・レーゲンの本体を狙う……が、ワイヤーブレードがカウンター気味に放たれようとしているのに気づき、すぐさまその場から離脱、体勢を整える。

 

「やばっ……」

 

 攻撃をかわして息をつく暇もない。すでにラウラの左手がこちらに向けられようとしているのが目に入り、反射的にスラスター翼の推力を急増、加速。すんでのところでAICによる拘束を免れた。

 

「まだ避けるか、貴様……!」

 

 試合開始から何分経ったのかは確認する余裕もないが、とにかく俺はここまでAICを一度も食らっていない。前進、後退、横移動、加速、停止、旋回。白式に備わった高い機動性をフルに使い、エネルギー波のことごとくを回避している。正直、自分でも驚くほどに体が正確に動いている気がする。

 ……だが、それではまだ足りない。AICを避けているだけでは、勝つことはできない。攻撃を、ラウラに零落白夜の一撃を与えない限りは、結局はエネルギー切れで負けることになる。

 というのも、回避できているのはAICだけで、プラズマ刃やワイヤーブレードによる切れ味鋭い攻撃はもう何度か受けてしまっているからだ。すべての攻撃をかわせればそれが一番なのだが、それができない以上、より危険な技だけを避け、残りは甘んじてダメージを食らうしかない。

 一方、俺からの攻撃はラウラに一度も届いていない。というより、そもそも攻撃する機会すらまともに与えられていない。

 

「くそっ……」

 

 ちくしょう。わかってたことだけど、やっぱりこいつ、めちゃくちゃ強い。

 

「悪あがきはここまでだ」

 

 雪片弐型を構えた俺に向けて、ラウラが右手を上げる。AICか、なら――

 

「甘い!」

 

 だが、ラウラの一喝とともに発射されたのはワイヤーブレード。あの野郎、今の右手はフェイクだったのか……!

 その一瞬の認識の齟齬が、決定的な対応の遅れへとつながる。大半のワイヤーは雪片で振り払ったものの、捌ききれなかった2本が右足に巻きつく。直後、ラウラがそのワイヤーを引き寄せたことで、俺の体は完全にバランスを崩してしまった。

 

「終わりだ」

 

 再び両手を突き出すラウラ。間違いない、今度こそAICで俺の体を完全に止めるつもりだ。そうなれば最後、おそらくあのレールキャノンで確実にとどめを刺してくる……!

 

 ――負けるのか?

 

 こんなところで、やられてしまって構わないのか。俺という人間を真っ向から否定してくるようなやつに、何もできずに。……俺を信じて今もシャルロットと戦っている鈴の期待を裏切って、このまま負けて。

 

 ――いいわけ、ないだろうが!

 

「……!!」 

 

 刹那、脳裏にある映像が浮かんできた。純白のISが、己の刀を自由自在に操る姿。……それは一瞬にして消え去り、続いて思考が急激にクリアになった。雑念、混乱といった余分な考えがすべて頭の中から抜け落ち、同時に『今自分がとるべき行動』のイメージがはっきりとわかる。この窮地を打破する方法が、不思議なほど明確に理解できる。

 そのイメージ通りに右腕を動かし、零落白夜を発動させ――

 

 

 

 

 

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒが織斑一夏を過小評価していたのは紛れもない事実だ。2週間前とは比較にならないほどの動きを見せ、彼女の猛攻撃をここまで耐えてきた彼を『偶然ISを動かし専用機をもらっただけの素人』と評して油断していたのは、間違いなくラウラ自身のミスである。

 ただ、それでも彼女は自分の勝ちは揺るがないと思っていた。たとえAICがかわされようとも、シュヴァルツェア・レーゲンの武器はそれだけではない。事実、ここまで彼女は一夏に反撃らしい反撃も許さないまま攻め続け、じわじわとシールドエネルギーを削ってきていた。

 ……そして、今の一連の攻撃で、確実に終わるはずだった。相手の目論見を崩したうえで、避けられないはずのタイミングでAICのエネルギー波を2つ放ったのだ。織斑一夏の実力では、これに対処することは不可能だと、彼女は確信していた。

 だが、しかし。

 

「馬鹿なっ……!?」

 

 白式の持つ刀が光を帯びたかと思うと、次の瞬間には彼女の撃ったエネルギー波が消滅させられていた。確かにあの機体には、『刀に触れたあらゆるエネルギーを消し去る』というワンオフ・アビリティーが備わっているはず。だが、近距離から放たれた見えないエネルギーの線2本にピンポイントで刀を当てられるわけが――

 ……そんな彼女の思考は、右肩に襲いかかってきた衝撃によって遮られた。

 

「な………に?」

 

 気がつけば、ラウラめがけて突き出された白式の刀が、レールカノンごと右肩の装甲を抉り取っていた。同時に絶対防御が発動し、シールドエネルギーが大幅に削り取られる。

 すぐに距離をとろうとするも、まともに一撃を受けたせいで体勢が崩れているために初動が遅れる。その間に、すでに白式は刀を引き、第2撃を放とうとしていた。

 ……間に合わない。自らの機体の性能を良く理解しているラウラだからこそ、次の一撃で自分が敗北することがわかってしまう。

 

「なぜだ……」

 

 ――なぜ、この男がこんな動きをすることができる。刀ひとつでここまで完成度の高い攻撃ができる人間など、それこそ私の知る限り教官しかいない。

 

 ――なぜ、この男が教官の技をここまで模倣できる? こんな男が、あの人の名誉を汚した男が、なぜ……!

 

 ――認められるものか。私の方が強いはずだ、私の方があの人の近くにいるのにふさわしいはずだ、私の方が、私の方が……

 

 ――私の方が、あの人に『なれる』はずだ!

 

 激情が彼女の体を駆け巡る。それに呼応するかのように、シュヴァルツェア・レーゲンの中の何かが胎動し、その姿を変えていく。

 

「あああああっ……!!」

 

 ISの形状変化による激しい痛みに苛まれながら、ラウラは自分という存在が得体のしれないモノに呑まれていくのを感じていた。

 




一夏、謎の覚醒(ちゃんと理由は考えてありますが)。対鈴戦の時もわりとおかしな成長具合を見せていましたが、今回のラウラ戦ではさらにおかしなことをやっています。

そしてラウラはVT発動。次回の冒頭、白式の零落白夜の一振りで決着……みたいなことにはなりません。このタッグマッチで描きたいことは大体次回と次々回に集約されていますので、今回はある意味繋ぎ回です。

そろそろ2巻の話も終わりが見えてきました。プロット的には、タッグマッチまでがこの作品の起承転結の『起』にあたっています。というわけでまだまだ序盤なのですが、きちんと完結できるように頑張りたいです。


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第17話 なにがなんでも

更新遅れて申し訳ありません。戦闘シーンになるといつも以上に文章が浮かばなくなる+大事なシーンなのでいい出来にしたい、という思いがありなかなか執筆が進みませんでした。なので間隔があいたわりには文章が短いです。


「な、なんだ……!?」

 

 ラウラの叫びとともに起きたシュヴァルツェア・レーゲンの突然の変化に、俺は突き出そうとしていた雪片弐型を思わず止めてしまう。

 二次移行……には見えない。いくら俺がISに関して学が浅いといっても、目の前で起きていることの異様さくらいは判断がつく。

 ISの装甲に紫電が走り、徐々にその形を失い、溶ける。そして粘土のようになったそれらは、ラウラの全身を包み込むように再構成されていく。

 最後に、それの右手の部分に刀が構築され――

 

「っ!?」

 

 変形が終わるのとほぼ同時に、俺に向かって斬りかかった。反射的に雪片弐型を攻撃に合わせ、受け止める。襲いかかる衝撃に顔を歪ませながらも、俺は相手の武器の形をはっきりと見定めた。

 

「やっぱり、『雪片』だよな……」

 

 散々映像を目に焼き付けてきたんだ、見間違うはずもない。白式の刀とどことなく似ている敵ISの得物は、千冬姉の暮桜が振るっていた『雪片』そのものだ。

 そして、雪片を手にして息つく暇のない猛攻をしかけるその動作も、まさしく暮桜のそれと同じ。……つまり、『模倣』だ。

 

「上等だ……やってやろうじゃねえか」

 

 ラウラとそのISに何が起きたのかはわからない。だがどんな事情があるにせよ、俺が負けるわけにはいかないということだけは絶対に変わらないんだ。

 

 

 

 

 

 

「何よあれ……」

 

 交戦中だったシャルロットと鈴は、予想だにしなかった事態にしばし呆然としていた。いったいあれはなんなのか――必死に頭の中の知識を掘り出して、シャルロットはひとつの答えにたどり着く。

 

「まさか、VTシステム……? でも、あれは開発も使用も何もかも禁止されているはず……」

 

「……でも、多分それで正解よ。あのIS、完全に千冬さんの動きを真似してる。ボーデヴィッヒの意思で動いていないことだけは確かだわ」

 

 鈴の言葉は正しい。VTシステムとは、過去のモンド・グロッソの部門受賞者(ヴァルキリー)の動きをトレースするシステム。それを使えば、当然あのブリュンヒルデの戦い方を模倣することも可能だ。

 

「でも、どうしてそれがシュヴァルツェア・レーゲンに……?」

 

「さあね。そればっかりはドイツのお偉いさんにでも聞いてみないと。それより今は……一夏! さっさとそこから離れなさい! 試合は中止、というか相手の反則負けよ!」

 

 開放回線で一夏に呼びかける鈴。その直後に、アリーナ全体にも試合中止、および観客の避難を促すアナウンスが流れ始めた。

 

『………』

 

 だが、その声が聞こえているはずの一夏は、何の反応も示さず戦いを続けている。逃げるどころか、時には相手の懐に潜り込もうとまでしているのだ。

 

「一夏、どうしたの? 今のボーデヴィッヒさんはVTシステム、つまり織斑先生の動きを模倣するシステムに取り込まれていて、何をやるかわからない状態なんだ。だから――」

 

 危険だよ、というシャルロットの言葉は、回線越しの一夏の返答によって遮られた。

 

『終わってない』

 

「え?」

 

『まだ、勝負は終わってないんだ』

 

 その答えに、シャルロットは少しの間あっけにとられる。だが、自分の言葉が足りなかったから言わんとすることが伝わらなかったのだと思い直し、改めてより詳しく状況を説明する。

 

「一夏、VTシステムは使用が禁止されているんだよ。それに、今一夏と戦っているISは、もうボーデヴィッヒさんの意思とは関係なく動いている。こんなんじゃ、もう勝負としての形をなしてないことくらいわかるよね?」

 

『………』

 

 ……だが、彼女が何を言おうとも、織斑一夏は一歩も引こうとはしない。今度こそ、シャルロット・デュノアは絶句した。

 

「どうして……」

 

『……ごめん。わがままだってのはわかってる、けどどうしてもここで止まるわけにはいかないんだ。あの時守られるだけだった俺の今の姿を、あいつにはちゃんとわかってもらわなくちゃならないんだよ』

 

「『あの時』……?」

 

「もうやめときなさい、シャルロット。あいつ変なところで頑固だから、ああなったら何言っても聞きやしないわよ」

 

 今まで黙っていた鈴が口を開く。その表情は、怒っているような、笑っているような、とにかくなんだかよくわからないもので。

 

「一夏!! 勝ちなさい! 負けたらハーゲンダッツの大きい方30個おごってもらうんだからね!」

 

 それでも、この少女が一夏を信じているということだけは、不思議なほどはっきりと理解できたのだった。

 

「……わかったよ。でも、本当に危なくなったら何としてでも止めるからね」

 

「それは当然」

 

 最低条件を提示して、シャルロットも一夏の戦いを見守る姿勢に切り替える。

 

「まだ君のことはよくわからないけど……きっとそこに、君の『ISに乗る理由』があるんだよね? 一夏」

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 気がつけば、ラウラは深い闇の中にいた。

 

「あ……」

 

 手足の自由がきかないのを認識するのと同時に、急に視界が開け、彼女の瞳に何かが映りこむ。

 ……それは、織斑一夏が激しい剣戟を繰り広げている光景。そして、その相手は。

 

「私……なのか? 何がどうなって……」

 

 いくら突然の事態に混乱しているとはいえ、優秀なISパイロットであるラウラが事態を把握するまでにさほど時間はかからなかった。

 

「VTシステム、か。私としたことが、気づかなかったとは情けない……」

 

 己の注意力の欠如を責める。……それとともに、ラウラは先ほどの感情を乱していた自分の姿を思い出していた。

 

――私の方が、あの人に『なれる』はずだ!

 

「ああ……そうだったのか」

 

 自分でも驚くほど、すんなりと事実を理解し、受け入れることができる。ラウラ・ボーデヴィッヒが織斑一夏を憎んだのは、彼が織斑千冬の大会2連覇を妨げたからではない。もちろんそれも理由のひとつだが、本当の、一番の原因は――

 

「……私は、うらやましかったんだ」

 

 自分を鍛え、どん底から救ってくれた織斑千冬。そんな彼女に憧れた、もっと近づきたいと感じた。

 

「だから、もっと強くなりたかった。そうすれば、きっと教官は私を見てくれると思ったから」

 

 ゆえに、彼女は織斑一夏を憎んだ。千冬と似た戦い方をする、千冬の近くにいる少年を忌み嫌った。

 

「なぜあんな軟弱な男があの人の傍にいるのか。……気に食わなかった。だから、あの男を倒せば、教官もきっと――そう考えた。……なんのことはない、私はただ甘えていただけだったのだ。もっと自分を見てほしいと」

 

 そして、VTシステムなどというものに取り込まれ、尊敬する千冬のコピーにされる始末だ。織斑一夏を憎む資格など、今の自分にあるはずもないと自嘲するラウラ。

 

「醜いな……この左目と同じだ」

 

 ラウラが一度『失敗作』という烙印を押される原因となった金色の瞳――通称『越海の瞳』。それを自分自身に重ね合わせ、彼女は暗闇の奥深くへ――

 

「………」

 

 その時、今も戦い続けている織斑一夏の表情が目に入った。織斑千冬の動きを完璧にトレースした機体に押されているはずの彼の瞳は、しかし。

 

「こいつ、まだ……」

 

 織斑一夏とこのVTシステムは、同じ対象を模倣している。だが一方は未熟な人間、一方は機械だ。単純に考えれば、彼が模倣の完成度で勝れるはずがない。

にもかかわらず、一夏の目には諦めの色など微塵も見えない。目の前の敵と堂々と対峙し、全力で刀を振るっている。

 その姿に、いつしかラウラの視線は釘付けになっていた。

 

 

 

 

 

 

『一夏!! 勝ちなさい! 負けたらハーゲンダッツの大きい方30個おごってもらうんだからね!』

 

 単純計算で1万円相当か……はは、すげえ出費だ。最近バイトもやってないし、そんな大金払えるわけない。鈴のやつ、それをわかってて言うんだからたちが悪い。

 まったく、そんな約束吹っかけられたら……

 

「ますます負けるわけにはいかねえよな……!」

 

 上段右からの斬撃をしっかりと受け止め、満身の力をこめて弾き返す。そのまま反撃開始……と行きたいところだが、敵も俺の動きを読んでいたのか、瞬時に雪片弐型の軌道から離れると、そのまま白式の背後をとるように移動してくる。

 

「ちっ……」

 

 再び雪片の連撃が襲いかかり、俺は防戦一方に陥る。さっきからこれの繰り返しだ。少しペースを掴みかけても、すぐさまその反撃の芽が摘まれてしまう。完全に後手に回ってしまっているのだ。

 白式のシールドエネルギーも残り少ない。先ほどまでのラウラ戦で大半を使い切ってしまっている。加えて相手は『千冬姉のコピー』と来たもんだ。正直かなり苦しい状況なのは間違いない。

 さっきのAICを打ち消した時のような動きができればいいのだが、あれは俺自身もなぜあそこまで完璧なイメージができたのか不思議なくらいのものだ。当然、今はもうできない。

 

「それでも……」

 

 ――どんなに相手が完成度の高い模倣をしてきたところで、所詮あいつは俺の理想の姿を真似ているだけだ。同じ模倣なら、俺が勝てない道理はない。

 

「証明するんだ」

 

 生まれてこの方、ずっと千冬姉に守られてきた。それはあの誘拐事件の時もそうだし、今だって、まだまだ俺はあの人に迷惑をかけてばっかりだ。

 ……ただ、そんな未熟で馬鹿な俺みたいな人間でも――

 

「少しは前に進んでるんだってことを、きっちり証明してやる」

 

 『大切な人を守りたい』なんて、今の俺が言うんじゃただの戯言になってしまう。だからこそ、俺はここから一歩も二歩も前に向かって踏み出さなきゃならない。

 ……そのために、まずは『織斑一夏』を否定しようとするやつを納得させられるような戦いを見せなくちゃな。ただの意地なのかもしれないが、それでも俺にとっては譲れないことだ。

 

「はあっ!!」

 

 雪片と雪片弐型がぶつかり合い、火花を散らす。続いて互いにほぼ同時に刀を引き、同じ動作で第2撃を放つ。……だが、コンマ1秒だけ向こうの方が速い。

 

「まだだ!」

 

 まだイメージが完璧じゃない。想像しろ、最強の姿を、無敵の剣捌きを。目の前の模倣はあくまで参考にするだけだ。それを『本物』の動きに昇華できれば、絶対に勝てる!

 

「もっと……」

 

……少しずつ、少しずつ。剣戟の衝撃に耐え、再び刀をぶつけ合うたびに敵の動きに対するタイムラグが減っていく。でもまだ届かない。だけど絶対届かせる。

 

「もっと速く!」

 

 

 

 

 

 

「うわ、すご……」

 

 一夏と疑似・暮桜の戦いをシャルロットとともに見守っていた鈴は、本当に無意識のうちにそんな言葉を口から洩らしてしまっていた。……それだけ、あの2つの機体の攻防が凄まじいのだ。

 ほぼ完璧にブリュンヒルデの動きをトレースしているVTシステムに対し、一夏が必死に追いすがる――最初はそうだった。だが、刀を一振りするたびに彼の模倣のレベルがどんどん上がっていき、今ではもうほぼ互角にまでなっている。普通ならあり得ない成長速度なのは間違いないだろう。

 

「……でも時間がないわね。決めるならさっさと決めないと」

 

 もうじき教師たちの乗ったISがアリーナ内に突撃し、VTシステムを発動させたシュヴァルツェア・レーゲンとラウラを止めに入るだろう。そうなれば、一夏の勝負も中途半端な形で終わってしまう。ゆえに、決着をつけるための時間は残りわずか。せっかく一夏のわがままを通したのだから、鈴としてもちゃんとした結果が出なければ満足はできない。

 

「それにしても、あいつってやっぱり重度のシスコンよね。ちょっと妬けてきたわ」

 

 半分冗談、半分本気でそんなことを思う鈴。なにしろ一夏ときたら、連携をとろうとしたとしてもパートナーである彼女の動きが見えていないのだ。いつだって、戦闘中の彼の頭にあるのは姉の戦う姿なのである。

 

「……む、そう考えたらなんかムカついてきた。見てなさいよ一夏、今度の水族館デート、さんざんこき使ってやるんだから」

 

 ……まあ、一夏とのデートをどうしようかという楽しい想像は、この勝負をきちんと見届けてからにするべきだろう。思わずにやけかけていた顔を引き締め、鈴は再び一夏の戦いに集中するのだった。

 

 

 

 

 

 

「………!!」

 

 より速く、より正確に、より力強く――一撃ごとに完成度を増していく織斑一夏の戦闘を、ラウラ・ボーデヴィッヒはずっと見つめていた。

そして、彼女自身が『弱い』と断定した男の動きを、織斑千冬の猿真似だと言い切ったその剣筋を……『美しい』と、そう感じてしまっていた。

 

「私、は……」

 

 それで何が変わるのか。心にぽっかりと開いてしまった大穴が埋まってくれるとでもいうのか――確証なんてあるわけがない。それでもラウラは、もう一度彼と戦いたいと強く思った。未知の可能性を感じさせる男の力を、自分自身の手で確かめたいと。

 ……そうすれば、何か大事なものがつかめるような、そんな気がしたから。

 

「だから、あとは私がやる」

 

 暗闇の中、ラウラは遥か遠くへ手を伸ばす。純白のISをしっかり見据えて、目一杯、ありったけの力を込めて、まっすぐに。

 そんな彼女の願いに応えるかのように、ISのコアが鼓動を打ち始め――

 

 

 

 

 

 

 黒いISの姿が、再び変わる。少女の体を模していた装甲が溶け出し、まるで巻き戻し再生を見ているかのように本来あるべき形に戻っていくのを、俺は食い入るように見つめていた。

 

「………」

 

 やがて現れたのは、ドイツの第三世代機『シュヴァルツェア・レーゲン』と、そのパイロットであるラウラ・ボーデヴィッヒ。……間違いなく、この試合の俺の相手だ。

 

「見苦しい姿を晒してしまったな」

 

 ただ、以前と違っている点が2つある。ひとつは、シュヴァルツェア・レーゲンの装甲がところどころ剥がれてしまっていること。VTシステムとやらから元の姿に戻った弊害なのかもしれない。

 そしてもうひとつは、俺を見るラウラの目に、憎悪といった悪感情が一切感じられないことだ。今彼女が発した言葉にも棘はなく、ある種不思議なほどに穏やかな調子のものだった。

 

「……気にするな。それより、早いところ決着をつけちまおうぜ」

 

「同感だ。そのために私は戻ってきたのだからな」

 

 ラウラがプラズマ手刀を展開するのに合わせて、雪片弐型を構える。……白式のエネルギー残量はあと少し、ラウラの方も機体の外観から考えてこちらとそう大差はないだろう。

 だから、勝負は次の一撃で確実に決まる。

 

「もうちょっとの辛抱だ。頑張ってくれよ、白式」

 

四肢に力を込め、戦う準備を整える。……正真正銘、これが最後の攻防(ファイナル・ラウンド)だ。

 




少し短いのですが、ここで区切っておきたかったので今回はここまでです。次回で決着、そして後処理から2巻の内容終了までいく予定です。

ラウラのVTは解除されました。少々無理があるんじゃないかと思われましたが、装着者の治癒を白式が行っていたことを考えると、ISコアにはまだまだ未知の力が秘められている、つまりこのくらいは可能なはずだと解釈し、こんな展開になりました。なんでこんな面倒な展開にしたのか、とかは次回のあとがきででも説明するつもりです。

更新が遅いため忘れ去られていると思ったので、水族館デートについて鈴の独白で話題に出しておきました。9話で約束しています。たぶん次々回かその次くらいがデート回になるはず……一応最近水族館に行ってきたので準備はばっちりです。

では、また次回も読んでくださるとうれしいです。


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第18話 結末

はじめて1話の長さが1万字を超えました。これを毎回やっている人はマジですごいなと感じるくらいには書くのに時間がかかりました。


「………」

 

 織斑一夏と真正面から向き合ったまま、ラウラは攻撃を仕掛けるべきタイミングを探す。詳しい理屈はわからないが、シュヴァルツェア・レーゲンは彼女の願った通り元の姿を取り戻した。だが、蓄積されたダメージのためか、あるいはVTシステムの弊害によるものか、機体は万全の状態からは程遠い。レールカノンとAICは使用不可、シールドエネルギーも残りわずかとなってしまっている。

 それを踏まえ、冷静に状況を分析したうえで、ラウラは己の全力を出し切るための戦闘の道筋を頭の中で構築する。

 ……すでに、自分自身に対する絶対的なプライドは崩れてしまっている。軍人としての誇りも、一時の激情に呑まれてしまった自分にはもう背負う資格はない。……ゆえに、最後に残ったのは『このまま終わりたくない』という意地だけ。恨みも羨望も関係ない、ただ目の前の相手と戦いたいという純粋な思い。それだけが、今のラウラ・ボーデヴィッヒを奮い立たせるものだった。

 

「行くぞ!」

 

 先に動いたのは一夏だった。唯一の武器である刀を構え、いつでも敵を斬れる体勢のままこちらに突っ込んでくる。だが決して最高速度ではない。攻撃を回避できるように、おそらくは急な方向転換ができるだけの余力を残している。

 

「やはりな」

 

 ラウラがAICを使えないということを一夏は知らない。ならば必然的にそれを警戒したうえでの行動をとるはずだ。まして一撃食らえば終わりの状況、余計に慎重になってもおかしくはない。

 ……そして。そのスピードなら、AICがなくとも捉えられる。

 

「はあっ!」

 

 6つのワイヤーブレードを同時に発射する。そのうち4つが白式の移動できる場所を制限する最適の位置を狙ったものであり、残りの2つで刀を持った右腕を封じるためのものだ。これが決まれば、あとは瞬時加速で対処する時間を与えないまま近づき、プラズマ手刀でとどめを刺すだけ――それは、ラウラが考え得る限りでの最高の戦術だった。

 

 だが。

 

「………っ!」

 

 白式の姿が、一瞬消えたように見えた。だがそれは錯覚――『瞬時加速』を行ったのだ。

 

「うおおおおお!!」

 

 驚く暇は残されていない。叫び声を上げながら、標的は彼女のすぐ近くにまで迫っている。だから、プラズマ手刀を、迎撃のために、振って、速く――

 

「……ここまでか」

 

 ラウラが目にしたのは、届かなかった自分の刃と、彼女のISに最後の一撃を与えた刀。ゼロになったシールドエネルギーは、彼女の敗北を意味していた。

 

「……なぜ、私の攻撃が読めた?」

 

 目の前に立つ一夏に、素直な疑問を投げかける。彼は今、瞬時加速を行うことでラウラのワイヤーブレードが狙う位置から離脱した。しかし、あのタイミングで加速を行うには彼女の動きを予測していなければ不可能なはずだ。事実、ラウラはワイヤーブレードが発射されたのを見てからでは対応が間に合わない距離で攻撃を仕掛けていた。

 そんなラウラの言葉に、一夏はバツが悪そうに小さく笑って、こう答えた。

 

「いや、別にお前が何をするかわかってたわけじゃない。ただ、突っ込んでる途中で思ったんだよ。こいつは強いんだから、下手に小細工したところで敵いっこない。やるなら全速力の一発勝負しかねえって」

 

 ……要は、彼はラウラの動きなど読めてはおらず、ただ何も考えずにあの行動をとっただけらしい。少し拍子抜けするとともに、なぜだか笑いがこみあげてくる。

 

「ふ、ふふ、なんだそれは……つくづく予想外な男だ、お前は。まったく……だが」

 

 そこで言葉を切って、一夏の顔をじっと見つめる。そして何かに納得したかのように、ラウラは静かな声でゆっくりと、彼の名を呼んだ。

 

「お前の勝ちだ。織斑一夏」

 

 

 

 

 

 

「………?」

 

 ラウラが目を覚ますと、そこは保健室のベッドの上だった。……いったいどういう経緯で自分がここにいるのかさっぱり思い出せない。確か、織斑一夏との勝負に負けて、その後――

 

「気がついたか」

 

「っ!? きょ、教官……?」

 

「織斑先生だ。いい加減呼び方くらいは直せ」

 

 ぼーっとしていたせいで、ベッドのそばに置かれた椅子に座っている千冬に気づいていなかったラウラは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。そんな彼女の反応に対して、千冬はややあきれ顔である。

 

「……きょ、織斑先生。それで、私はどうしてこんなところにいるのでしょうか」

 

「覚えていないのか。……まあいい、今日の試合でお前に起きた出来事を、最初から順を追って話す」

 

 千冬の説明は淡々としたものだった。シュヴァルツェア・レーゲンにVTシステムが隠されていたこと。発動条件はさまざまあったが、何より操縦者の願望がトリガーになっていたこと。一度発動すればISの展開を解除するまで元には戻らないはずのVTシステムが、どういうわけか途中で効力を失ったこと。試合終了後、疲れがたまっていたのか、一夏と二、三言葉を交わした直後にラウラが突然眠り込んでしまったこと。

 

「……ご迷惑を、おかけしました」

 

 すべての事情を把握したラウラは、千冬に向かって頭を下げる。今日の試合のことだけではない。先日の一夏との模擬戦をはじめとして、彼や他の生徒たちに対する行き過ぎた態度。今となっては、それが子供のわがままに過ぎなかったことが痛いほどわかってしまう。

 

「まったくだ。だが、私もお前に謝らなくてはならないことがある」

 

「え……?」

 

「お前が私に、そして『力』に固執していたことはわかっていたことだ。本来なら、ドイツ(むこう)にいる間に私が対処していなければならなかった。それを今の今まで何もできず、結局は弟に丸投げするような形になる始末だ」

 

 そう言って、千冬はラウラの頭にぽん、と手を置き。

 

「すまなかったな、ラウラ」

 

 申し訳なさそうに、優しげな微笑を浮かべた。その表情は、ラウラの思い描いていた『強い教官』のものではなく、千冬がドイツにいた時一度だけ見せた『弟のことを語る姉』のそれに近い気がした。

 

「そんなっ……教官に落ち度はありません! すべて私の責任です。教官の指導は完璧で、そのおかげで私は底辺から這い上がることができて……」

 

「だから織斑先生だと……いや、私もファーストネームで呼んでしまっていたか」

 

 ラウラの言葉を制するように口を開いた千冬は、そのまま静かな口調で語りかける。

 

「この際だからはっきり言っておくが、私はお前が思っているような強い人間じゃない。ただ弱いところを隠して、精一杯強がっているだけにすぎない」

 

 ラウラの目が見開かれる。今度こそ、彼女が一度も見たことがないような表情を、織斑千冬は見せていた。

 

「間違いを犯すこともある。自分のしでかした失敗に心が折れそうになる時もある。だから、あまり私を持ち上げすぎるのはやめておけ」

 

 千冬の顔に浮かぶ、儚げな微笑。ラウラにはそれが、彼女が昔何か大きな後悔を味わったことを示しているように思えた。

 

「教官……」

 

「少し話しすぎたな。そろそろ後処理をしている先生方のところに戻るとしよう。おとなしく体を休ませておけよ、ボーデヴィッヒ」

 

 椅子から立ち上がり、扉の方へ歩いていく千冬。その表情に、先ほどまでの弱々しさを感じさせるものは微塵もなかった。いつも通りの、謹厳実直な女性教師の姿だ。

 

「……ああ、ひとつ言い忘れていた」

 

 そのまま部屋を出ていくかと思われたが、ドアノブに手をかけたところで千冬は再びラウラの方へ向き直った。

 

「なんでしょうか」

 

「今の話、くれぐれも他の者には内密に頼む。特に織斑には口が裂けても言うな」

 

「はい、それはもちろんそうしますが……なぜ、と聞いてもよろしいでしょうか」

 

「なに、ただの姉のつまらん意地さ。あの馬鹿弟が一人前に自立するまでは、せめてあいつの前だけでは『世界最強の姉』としてい続けたい。それだけだ」

 

 少し照れの混じった笑みを浮かべ、千冬は保健室から出て行った。残されたラウラはしばし呆然とした後、自分の顔が変に緩んでいることに気づいた。

 

「弱いと判断した男が私に勝ち、絶対的な強さを持つと確信していた教官は弱さを隠しているだけ、か。……はは、これではまるで意味がわからんな」

 

 自らがこれまでの人生で築き上げた価値観が、音を立てて粉々に崩れ落ちていく感覚。……ただ、不思議と悪い気はしなかった。

 

「仕方ない。また一からやり直すしかないか」

 

 

 

 

 

 

「頭が痛え……」

 

「熱が38度もあるんだから当然よ。今日はゆっくり休むことね」

 

 試合終了後、当然のことながら俺たちは先生たちによる事情聴取を受けることとなった。特に人の話を聞かずにラウラと戦っていた俺は大目玉をくらったのだが、まあ全面的にこちらが悪いので仕方がない。で、教師陣に怒られたり状況を説明したりしているうちにだんだん体の調子がおかしくなってきて、解放された後に保健室に寄ってみればこのザマだ。とりあえず薬と冷えピタをもらって、今は自分の部屋のベッドの上で安静にしている。

 

「ま、熱くなったツケが回ってきたってことでしょ」

 

「だな。……ちょっとはしゃぎすぎた」

 

 隣でりんごの皮を剥いている鈴と話しながら、数時間前の試合を振り返る。……一応、今の俺の全力をラウラに見せることはできたと思う。急に眠り込む前までは笑ってくれていたし、少しは俺に対する態度も軟化してくれればいいんだけど。

 試合といえば、結局この騒動によってトーナメントは中止になってしまったらしい。ただし、個人の戦闘データを採るために1回戦だけは行うとのこと。俺たちの試合が1年生の1回戦最終試合だったので、実質今後戦うのは上級生だけということになる。

 

「……よし、我ながらきれいに剥けたわ。あとは切るだけね」

 

 で、なぜか俺の部屋で熱心にりんごを用意している鈴。本人いわく『いっぺん病人にりんごを食べさせてみたかった』らしい。よくわからん。

 しかしまあ手際はそこそこよかった。この前食べた酢豚で十分わかっていたことだが、中学時代と比べると涙が出るほど料理スキルがアップしている。昔は本当にひどかったのだ。今でもはっきりと思い出せる、口の中に広がる鉄の味――

 

「一夏、どうかした? なんかものすごく苦しそうな顔してるけど」

 

「いや、なんでもない。……お、もうりんご切れてるじゃないか。なら早速いただこうかな」

 

 半身を起こし、りんごの乗った皿を受け取る体勢をとる。が、なぜか鈴は俺にそれを渡そうとはせず。

 

「……ほ、ほら、あーん」

 

「……は?」

 

 りんご一切れが刺さったフォークが俺の口元に向けられる。……あの、鈴さん? さすがにそれはちょっと恥ずかしいというか、ハードルが高いというか。

 

「な、なによ。中学の頃は普通にやってたじゃない」

 

「いや、そりゃそうだったかもしれんが、昔と比べて俺もいろいろ考えるようになってるというか」

 

 思い返してみると、たまに鈴が照れくさそうに『あーん』をしてきたことがあった気がする。だけどその時は鈴のことをただの友達としてしか意識してなかったわけで、すでに告白されている今とは状況が違いすぎるだろう。

 

「い、いいから! はい、あーん!」

 

「おまっ、そんな強引に……ええい、こうなりゃやけだ!」

 

 突き出されたフォークの先端ごとりんごを口に入れる。そのままりんごだけ引き抜き、もぐもぐと咀嚼する……うまい。うまいが、目の前で鈴が頬を赤らめて俺の顔をじっと見つめているせいで食べる方に集中できない……!

 

「あーん」

 

 続いて二切れ目。ほぼ同じ動作でぱくりとりんごをいただく。今は極力雑念は捨てろ、俺はただのりんごを食べる機械にすぎないと思え。

 

「あ、あーん……」

 

 三切れ目。……気のせいだろうか、心なしか鈴の声が尻すぼみになっているような。

 

「……あ、あー」

 

 四切れ目に入ろうというところで、ついに『あーん』が途中で止まってしまった。

 

「ね、ねえ……恥ずかしくなってきたから、あとは自分で食べてくれない?」

 

「……ああ。俺もそうしたいと思ってたところだ」

 

 正直こっちも限界だったし、向こうから妥協点を出してくれたのはありがたい。……『あーん』自体はうれしいものだったことは間違いないのだが。

 皿とフォークを受け取り、自分で残りのりんごを頬張っていく。さっきはあやふやだった味の方も、今度ははっきりと感じられた。

 

「このりんごうまいな。どこで買ってきたんだ?」

 

「ルームメイトからのもらい物だから詳しくは知らないけど、結構値が張るものだって言ってたわよ」

 

「なるほど。どうりで上品な味がするわけだ」

 

 確か鈴のルームメイトはアメリカ出身の人だった気がするが、お金持ちだったりするんだろうか。

 ……とまあ、なんだかんだで妙な雰囲気も消え去り、りんごをしゃりしゃりと食べながら他愛のない会話を繰り広げる。その中で、俺は今日の試合のある場面を心の中で思い出していた。

 ラウラがVTシステムを発動させてしまう直前、俺は自分でも信じられないほどの高度な動きをやってのけていた。あの一撃がなければ、白式のシールドエネルギーはゼロにされ、何もできずに負けてしまっていただろう。

 気になっているのは、なぜあんな動きが咄嗟にイメージできたのか。そして、あの瞬間に脳裏に浮かんだ白いISの映像はなんだったのかということだ。最初、俺はあれは白式の姿だと思っていたのだが、よく考えるとどこか外観が違っていたような気がする。見えたのが一瞬だったうえに、映像自体も若干ぼやけていたので、確認しようにも今さら何もできないというのが現状である。

 

「……なんなんだろうな」

 

 開発者の束さんですら理解しきれていないISの全容。まして俺のような素人にとってはなおさら謎だらけに感じられた。

 

 

 

 

 

 

 ラウラとの会話を終え、保健室を出た千冬。そんな彼女を待ち構えていたかのように、目の前にひとりの女子生徒が立っている。

 

「更識、何か私に用でもあるのか?」

 

 更識楯無。IS学園の生徒会長にして、日本の対暗殺用暗殺組織『更識家』の当主。今はISにおけるロシア代表にも就任している重要人物。当然各所へのコネクションも多数保持しているのは間違いない。

 

「いえいえ、そういうわけではありません。私はたまたまここを通りがかっただけです。織斑先生はボーデヴィッヒさんのお見舞いですか?」

 

「見舞いと呼ぶのは間違っているような気もするが、まあそんなところだ」

 

 にこにこと愛想のよい笑顔で語りかけてくる楯無。だが、彼女がこういう態度をとるのは大抵何か大事な目的がある時だということを千冬はこれまでの経験で知っている。

 

「それにしても、今日の試合はすごかったですね。織斑くん、すごくいい動きしてたじゃないですか」

 

「……まだまだ動きにムラが多い。及第点を与えられるレベルではあるが、な」

 

「相変わらず厳しいですねえ。私なんてあんまり上手に戦うものだから素直に感服しちゃってました。特に、VTシステムが発動する直前と、その後の刀捌きとか。……織斑くんって、何か特別なことでもやってたんですか?」

 

 楯無の声のトーンがほんの少しだけ下がる。……やはり『それ』を尋ねに来たか、と、千冬はある程度予想していた結果に小さく息をつく。

 一言ではっきりと言ってしまえば、一夏の戦いぶりは異常なのだ。今まではまだ『筋がいい』で済ますことができていたのだが、さすがに今日の試合での模倣は真に近づきすぎていた。ISに触れて3ヶ月の人間が、見えないAICの線に刀だけを当てたり、暮桜を模倣したVTシステムと互角に打ち合えていたという事実が、楯無の目には信じられないものとして映ったのだろう。

 だからこうして千冬のもとにやって来た。生徒会長として、更識の頭として、できる限りの情報を集めるために。

 

「……さあな。小さいころに剣道をやっていたが、それくらいだ。ただ、昔から意外性だけはある奴だったな」

 

「意外性……ですか」

 

 わずかに眉をひそめる楯無。千冬の用意した答えが、彼女にとって納得できるものではなかったからだろう。

 

「では、私はこれで失礼するぞ」

 

 返答はした。それで十分だとばかりに、千冬は楯無の横を通り過ぎ、職員室への道を歩き始める。

 

「……はい」

 

 これ以上追及するのは無駄だと感じたのか、楯無も会話を諦め、千冬と反対方向へ足を動かす。

 その後ろ姿が見えなくなったところで、千冬は大きなため息をついた。

 

「苦しいごまかし方だな」

 

 もう少しうまい言い訳を考えられないものかと、自分の口下手な部分を恨めしく感じる千冬。……一夏の模倣の完成度の高さには、ある心当たりがあるのだ。

 

 ――白式、いや、白騎士が、彼に力を貸しているのではないか?

 

 裏をとったわけではないが、おそらく白式のコアはかつて千冬が使用していたIS『白騎士』のコアと同じものだと考えられる。

 そして、一夏は千冬の戦い方を模倣した動きをしようとしている。その意思に反応して、コアが何らかの干渉を行っている。すべて推測にすぎないが、彼女の直感はおそらくそれが正しいということを告げていた。

 ……もちろん、今の一夏の実力は彼自身の努力あってこそのものであることも間違いないとは思っているが。

 

「………」

 

 千冬の表情は険しい。それが何を意味しているのかは、他ならぬ彼女自身にしか知りえないことだ。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうだ。一夏、言い忘れてたことがあるんだけど」

 

「ん、なんだ?」

 

 りんごを食べ終わった俺は、再び横になって睡眠の準備に入る。鈴もそれにともない部屋を出ようとしていたのだが、まだ何か話すことが残っていたらしい。

 

「……今日の試合のアンタ。無茶してたけど、かっこよかったわよ」

 

「……ああ、サンキュー」

 

「じゃ、ちゃんと寝て早く元気になりなさいよね」

 

 そう言って邪気のない笑みを浮かべ、鈴は俺の部屋をあとにした。……かっこよかった、ねえ。よくわからないが、なんとなくうれしい。

 

「さて、じゃあしっかり寝るとしますか」

 

 食べて寝るのが熱を下げる一番の薬だというのは古今東西不変の事実だろう。偉大な先人たちに倣い、俺も睡眠をとることにしよう。

 

「……一夏、起きてる?」

 

 そんな時、ドアのノックとともに俺を呼ぶ声が聞こえてきた。この透き通った声は……

 

「シャルロットか? 入ってきてかまわないぞ」

 

「ありがとう」

 

 上体を起こして、部屋に入ってきたシャルロットと視線を合わせる。……少し、元気がなさそうだ。

 

「ごめんね、熱が出てる時に来ちゃって。でも、どうしても一夏に伝えたいことがあったんだ」

 

 俺に伝えたいこと。それはもしかして、タッグマッチの相方にラウラを選んだ理由にも関係のあることなんだろうか。シャルロットの真剣な表情から考えて、とにかく大事な話であることは間違いないと思う。

 

「わかった。話してくれ」

 

 脳みそを真面目モードに切り替えて、話を聞く体勢を整える。

 

「……うん。じゃあ、話すね」

 

 そして、シャルロットはゆっくりと語り始めた。彼女の生まれ、境遇、学園に来た目的。そしてラウラと組んだ理由。部外者の俺にはおよそ話すべきでないことを、しかしはっきりと言葉にして伝えてきた。

 

「……だからね、僕は一夏を利用するために近づいたんだ。あとでそんなことはできないと思い直したにせよ、そこだけは変わらない。だからけじめとして、君にだけは全部話して、謝らなくちゃいけないと思ったんだ。……ごめんなさい」

 

 深々と頭を下げるシャルロット。その姿を、俺は視線をそらすことなくじっと見つめる。

 

「シャルロット……」

 

「……長話につき合わせちゃったね。じゃあ、僕はこれで――」

 

「待てよ」

 

 立ち上がり、部屋から出て行こうとしていたシャルロットを、強い調子の声で呼びとめる。一方的に話をされただけで逃げられても、こっちとしては困るんだ。

 

「りんご、切ってくれないか。さっき鈴が1個置いていったんだ」

 

「……え?」

 

「あ、ひょっとして包丁使うの苦手か? なら……」

 

「い、いや、そんなことはないよ。うん、りんごの皮を剥くくらいならできるから……」

 

「そっか。んじゃ頼む」

 

「う、うん……」

 

 俺の言葉に押され、シャルロットは台所に置かれたりんごと包丁を手に取り、おもむろに皮を剥き始める。手際はかなり良く、あれよあれよという間に皮がなくなり、ちょうど良いサイズに切られたりんごたちが誕生していた。

 

「はい、できたよ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 シャルロットから皿とフォークを受け取り、一切れ目を口にする。

 

「うん、うまい」

 

 さっきも丸1個食べたばかりだが、これだけうまければ2個目も余裕で平らげられそうだ。

 

「シャルロットも食べていいぞ」

 

「え、いいの?」

 

「もちろん。このりんごめちゃくちゃうまいから、友達にも味わってもらいたいんだよ」

 

「………!?」

 

 シャルロットが固まる。おそらく俺が口にした単語に反応して驚いたのだろう。

 

「……僕のこと、まだ友達だと思ってくれてるの?」

 

「やっぱりそういうこと考えてたんだな。本当のこと全部伝えたら、俺がお前のことを嫌うようになるって」

 

 こくりとうなずくシャルロット。なら、その認識が間違いだってことを、はっきり言っておかないとな。

 

「嫌いになんてならない。お前は結局白式のデータを盗まなかった。そして俺はシャルロットがいいやつだってことを知ってるつもりだ。今だって、文句のひとつも言わずにりんごを切ってくれたしな」

 

「一夏……」

 

「だからさ、シャルロットさえよければ、これからも俺の友達でいてくれないか」

 

 俺の言葉を聞いたシャルロットは、しばし黙り込んだ後、満面の笑顔になって。

 

「……うん。こちらこそ、僕の友達でいてくれるととてもうれしいです」

 

 少し目尻に涙を浮かべながら、そう答えてくれた。……うん、これで一件落着――

 

「いや、ちょっと待ってくれ。友達になる条件として、1個教えてほしいことがあるんだけど」

 

「え、なにかな?」

 

 実はシャルロットが転校してきてからずっと気になってることがある。本人が聞くなと言っていたからあえて触れなかったが、この際だ、思い切って聞いてしまおう。

 

「その言葉づかい。どうして男みたいな話し方になっちまったんだ?」

 

「……ああ、そのこと? うーん、あんまり言いたくないことなんだけど……僕に日本語を教えた人が『今日本ではこういう話し方をする女性がモテる』という間違った知識を持ってて、その……」

 

 ……なんだか、予想していたよりもしょっぱい理由だった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

「一夏さん、本当に体調は大丈夫ですの?」

 

「ああ、一晩寝たら熱もすっかりひいた。だから問題ないぞ」

 

 今日の朝食は俺、鈴、箒、セシリア、シャルロットの4人でとっている。シャルロットも問題なくみんなと会話できているみたいだし、とりあえずは一安心といったところか。

 

「篠ノ之さん、その魚おいしそうだね。僕も今度は和食にチャレンジしてみようかな」

 

「それはいいことだ。せっかく日本に来たのだから和食という文化に触れなければな」

 

「中華もお勧めするわ。特に酢豚なんてどう?」

 

 うんうん、仲良きことは美しきかな。これで俺が気にかけるべき問題はあいつのことくらいか。

 

「織斑一夏」

 

「む」

 

 噂をすれば影、とはよく言ったもので、なんとも絶妙のタイミングで、ラウラ・ボーデヴィッヒがこちらに近づいてきた。2週間前、そして昨日の騒動を知っている周りの生徒たちは、彼女の接近にざわつき始める。それは鈴や箒たちも同じで、明らかにラウラを警戒しているのが顔でわかる。

 ……ただ、昨日のあいつの笑顔を間近でみた俺は、ラウラが喧嘩を売りに来たわけではないことがわかっていた。

 

「お前に謝罪と礼を言いに来た」

 

「謝罪と礼?」

 

「お前という存在を勝手に否定し、侮辱したことをすまなく思っている。そして、私に新しい生き方を見つけるきっかけを与えてくれたことに感謝している」

 

 ラウラの言葉はあっさりとしたものだったが、その端々に俺に対する親しみのようなものが感じられる。……どうやら、こっちの問題も解決したようだ。

 

「そうか。なら、これからは仲良くしよう――」

 

 ぜ、と言い切る前に、口が動かなくなった。何事かと思えば、ラウラの唇が俺の唇にいつの間にか覆いかぶさっている。なるほど、これじゃ声が出ないのも当然だな………え?

 

『えええええええええっ!!!』

 

 俺の驚きを代弁するかのように、食堂中が叫び声で満たされる。そりゃそうだ、朝っぱらから予想だにしなかったキスシーンなんて見せられたら大声を出したくもなる。

 

「礼は形にしなければならないと部下に言われてな。その通り、形にさせてもらった」

「な、な、な……」

 

 唇を離したラウラは、臆面もなく言葉を紡いでいく。

 

「これからは、お前をひとりの男として見ていくことにしよう」

 

「な、お前、それは……」

 

「どういう意味よそれえええ!!」

 

 あ、俺がまともに話す前に鈴がラウラにものすごい勢いで食いかかった。

 

「なに!? アンタいつの間に一夏に惚れたの!」

 

「本当にいつなんだ!」

 

「まったく予想がつきませんわ!」

 

 鈴に続いて、箒とセシリアも恐ろしい剣幕でラウラを問いただそうとする。流れに乗れないシャルロットは苦笑いをしているが、俺もあははと笑っていればいいんだろうか。

 

「あはは」

 

「なに笑ってんのよ!!」

 

 鈴に怒鳴られた。だってしょうがないだろ、本当にどういう反応したらいいかわからないんだから。

 

「お前たち、先ほどから何を騒いでいるのだ?」

 

 ラウラが心底不思議そうな表情で尋ねてくる。自分が原因だということには気づいていないのだろうか。

 

「いえ、ですからあなたがいつの間に一夏さんに恋慕の情を寄せるようになっていたのかという話を――」

 

「恋慕の情? そんなものは寄せていないぞ」

 

『……は?』

 

 再び食堂のみんなの声が重なる。俺も同感だ。それなら、いったいどうしてキスなんてしたんだ……?

 

「私はただ、部下に『男はキスをすれば喜ぶ』と言われたからそれを実行しただけなのだが……いやしかし、唇を重ねあうというのは存外恥ずかしいものだな」

 

 オイ、何を吹き込んでるんだこいつの部下は。会うことがあったら30分間説教かましてやりたいくらいだ。

 

「じゃ、じゃあ、一夏をひとりの男として見ると言っていたのはなんなのだ……?」

 

「何かおかしいところがあるか? 教官の弟としてではなく、織斑一夏というひとりの人間として奴を見ていこうという意味なのだが」

 

 ……えーと、つまり。まとめると、ラウラは別に俺のことを好きになったとかそういうことは全然なくて、妙な勘違いでキスをしてしまっただけ?

 

「ま、紛らわしい……まさかこんな形でセカンドキスが奪われるなんて」

 

 ……ほっとしたのもあって、俺の口からは心の中で思ったことがそのままこぼれ出ていた。

 

『………え?』

 

 そして、その言葉の中に言ってはならないワードが混じっていたことに1秒たった後で気づいた。

 

「一夏。セカンドキスとはどういうことだ」

 

「つまり、ファーストキスはすでにどなたかと済ませておいででしたの……?」

 

『どうなの、織斑くん!』

 

「あ、ああいや、それはだな……」

 

 箒、セシリア、そしてその他大勢の女生徒からの視線が突き刺さる。横目でこっそりと『どなたか』の様子をうかがったところ、冷や汗をだらだら流しながらゆっくりと食堂から離脱しようとしている。ちなみに冷や汗をかいているのは俺も同じだったりする。

 

「む? どこに行くのだ、凰鈴音」

 

「ひっ」

 

 事態をまったく理解していないラウラに呼び止められ、思わず悲鳴をあげてしまう鈴。ついでに言っておくと、地面から軽く数センチは飛び上がっていた。

 

「鈴さん……?」

 

 全員の視線が俺から鈴へ移る。さらに挙動不審になる我がセカンド幼馴染。あれはもうごまかしきれる状態じゃないな……

 

「あ、あははは! あ、あたし急用を思い出しちゃった! じゃ、じゃあみなさんごゆっくり!!」

 

「待て、逃げるな!」

 

「完全にクロですわ!」

 

「凰鈴音を捕まえろ!」

 

「教室にいる生徒にも連絡とって!」

 

「包囲網形成よ!」

 

 全速力で逃げ出した鈴を追い、捕獲部隊が動き始めた。……かわいそうだが、この前のクラス対抗戦の時は俺だけがみんなに問い詰められる憂き目にあったのだ。今回はあいつにその苦しみを味わってもらうとしよう。

 

「……あの、一夏? 一夏も、あんまりのんびりできる状況じゃないみたいだけど……」

 

「わかってるさシャルロット。この世界はそう都合よくできていないことくらい、俺だってよくわかってる」

 

 顔を上げれば、そこには捕獲部隊とは別でここに残った大勢の生徒たちが俺を囲んでいるのがよく見える。先頭にいるのは、もちろん新聞部副部長・黛薫子先輩だ。

 

「……あの、今回も記事にしたいのでしょうか」

 

「物わかりがよくて助かるね! さ、織斑くんと凰さんのキスの真実を、どうぞ!」

 

「あ、あははは……」

 

 人間、本当に困ったときは笑うしかなくなるらしい。だとすれば、今がまさにそのときなんだろうなあなどと思いながら、俺はシャルロットとラウラが結構楽しそうに会話しているのを見て現実逃避を試みるのであった。

 




シャルとラウラにはフラグは立たず。まあこれ以上フラグを増やしても処理しきれないので妥当な判断だと思っています。あくまで鈴がメインヒロインですので。

さて、今回で原作2巻の内容が終了となります。ラウラあたりの補完はこの後の番外編でちょろっと行うのですが、ひとまずは終わりです。
でまあ、振り返ってみると……案の定鈴の出番が少なめになってしまいました。シャルとラウラの2人のストーリーを同時進行しなければならなかったとはいえ、これはちょっと痛かったです。次からは修正していきたいポイントのひとつですね。

シャルロットについて。最初から女の子として登場させましたが、彼女の軸は「ISにどうして乗るのか」という点でした。実はここに関して最新話では触れていないのですが、これは後のストーリーでまた掘り下げる機会があるためです。シャルメインのエピソードはまだ終わってなかったりします。

ラウラについて。なんでVT発動させてからまた元に戻したのかについてですが、単純に「模倣対決をやりたい。だけど最後はラウラVS一夏にしたい」という2つの願いを両方取り入れた結果です。勝負自体は一夏が勝ちましたが、本来ならまだまだラウラの方が上だということがうまく表現できていればうれしいです。

千冬について。結局何もやっていないのですが、一夏やラウラ、楯無との会話でちょいちょいおかしな様子を見せています。これは今後の展開に関係しているので詳しい内容は伏せておきます。

箒とセシリアについて。後半出番がほとんどなくて申し訳なく思ってます。出ていない間何をやっていたのかというのは次の番外編で多少補完する予定です

鈴について。随所で一夏といちゃいちゃして、あとはタッグマッチの時に解説役をやっていたくらいでした。ただまあ、ストーリーライン的に一夏と仲良くしているシーンを最低限描いておくのが一番の目的だったので、そこは守れてほっとしています。

一夏について。「細かいことは考えずまっすぐ突き進む」というのを軸にして描いたつもりです。結局彼はラウラの抱えていた問題に対して何の解答も与えていません。ただ自分のわがままのために戦っただけです。しかし、それでもラウラに大きな影響を与えたという感じにしたのですが、いかがだったでしょうか。

自分で振り返った感想としてはこんな感じです。反省点を活かしていきたいと思います。

さて、次回からは番外編をはさみ、そして3巻の内容に入っていくことになります。以前も言ったように、2巻の内容が終了してメインキャラが大体揃ったので、これからは日常回が増えてきます。よってストーリー進行が遅くなりますが、ご了承ください。一応日常回にまったく意味がないということはないので。

では、今後もよろしくお願いします。


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幕間
第19話 あねいもうと


お気に入り登録700件突破しました。ありがとうございます。
0話から始めてるので、今回でちょうど20話目ですね。だからなんだって話ですけど。
今回は番外編的な意味合いもあるので、試験的に箒の一人称で進んでいきます。IS原作では一夏一人称、残りのキャラの視点の時は4巻を除いてすべて三人称で書かれていて、僕もその形式に従っていたのですが、僕の作品は原作以上に視点がころころ変わるので果たしてこのままの形式でいいのかな、と思ったわけです。
これに関して何か意見等あればお伝えくださるとありがたいです。


「それではみなさん、今日習った内容をきちんと復習しておいてくださいね」

 

 4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、ISの戦闘中における武装交換に関する山田先生の説明は次回に持ち越しとなった。

 

「起立。礼」

 

『ありがとうございました!』

 

 今週の週番長に当たっているので、号令の係は私だ。忘れずに仕事(というほどでもないが)をこなし、気持ちを昼休みへと切り替える。

 今日の昼休みはいつもと違う。具体的に何が違うかというと――

 

「い、一夏さん。今日はお弁当を作ってきましたの。ですから……」

 

「えっ……ああそうか、約束してたもんな。じゃ、ありがたくいただくことにしますか」

 

 セシリアと、彼女の料理の練習に付き合った私――篠ノ之箒の努力が報われるかどうかの運命の日であるということだ。

 

「では一夏、いつも通り屋上に行くか」

 

 一夏とセシリアのいる方へ向かいながら声をかける。デュノアも近くにいるので、今日の昼食は4人で食べることになりそうだ。

 

「そうだな……って、あれ、ラウラはどこ行った? さっきまでその辺にいた気がするんだけど」

 

「ボーデヴィッヒさんなら、授業が終わって早々大勢の人に囲まれながら外に連れ出されてたよ」

 

「昨日までとは打って変わって大人気ですわね。朝のボーデヴィッヒさん自身の発言が効いているのでしょうけど」

 

「へえ、そうだったのか。ま、あいつも打ち解けられそうで何よりだな」

 

 デュノアとセシリアの説明を聞き、うんうんとうなずく一夏。昨日まであんなに嫌われていた相手のことにああも喜べるあたり、あいつは根っからのお人よしなんだろう。

 

「仲直りのしるしにラウラと食べるのもアリかと思ってたんだが、いないんじゃしょうがないな。じゃあとりあえず2組に行って鈴を――」

 

「ちなみに、ボーデヴィッヒの腕をいの一番に掴んで連れ去っていたのがその鈴だ。『アンタを日本色に染めてあげるわ!』と言っていた」

 

「あいつ中国人だろ……」

 

「日本にいた時間が長いからだろう。こちらの文化が好きなのだろうな」

 

 ……もっとも、鈴が一番最初にラウラに教え込もうとしている内容はだいたい予想がついている。それはおそらく一夏も同じことだろう。何とも言い難い苦笑いを浮かべているし。

 

「あいつも懲りないよな……まあいいか、そうとわかればさっさと屋上に行こう」

 

 一夏を先頭に、私たちは教室を出て廊下を歩き、階段を昇っていく。その間に、私は今日までのセシリアの料理上達を目指した修行の日々を回想していた。

 

 

 

 

 

 

 事の発端は約3週間前の月曜日、一夏が今まで我慢して食べていたセシリアの料理に関して本当のことを彼女本人に話したことだ。その日の夜、鈴とともにセシリアの部屋を訪れたのだが、その時の様子は普段の彼女からは想像もできないほどひどいものだった。

 

「箒さんや鈴さんはいいですわよね。一夏さんに心からおいしいと言っていただけるお料理が作れるのですから。わたくしなんて、お情けで無理して言ってもらえていただけ。どうせわたくしの料理なんて養豚場の豚の餌にふさわしい代物なのですわ。どうせ、どうせ……」

 

 このようなことを延々誰も聞いていないのに壁に向かってぶつぶつつぶやき続けていたと言えば、セシリアの落ち込みようが理解してもらえるだろうか。

 

「いや、ぶっちゃけ豚も逃げ出すと思うけど……あいたっ」

 

 空気を読まずに残酷な現実を告げようとしていた鈴については、きちんとその頭をぽかりと叩いておいた。なんでもかんでも思ったことを口にするのは良くないことだ。

 ……とにかくこのままではまずいということで、私と鈴はなんとか彼女を元気づける方法を考えることにした。料理が下手なのが原因なのだから最終的にはそこを直せるよう手伝ってやればよいのだが、まずセシリア自身がある程度立ち直らないと料理の指導なんてできたものではないからだ。

 

「こうなったら仕方がないわね。落ち込んでいる人間を励ますための伝家の宝刀を使うことにしましょう」

 

「む? そんなものがあるのか、鈴」

 

 妙に自信ありげな鈴の様子に言い知れぬ不安を覚えながらも、私が素直に内容を尋ね

ると、鈴は大きく胸を張ってこう答えたのだった。

 

「ええ。バッティングセンターに行くわよ」

 

「………は?」

 

 ……これだけ『は?』という言葉が似合う状況は、おそらく私の約16年の人生の中で他になかったと思われる。

 

 

 

 

 

 

「ほら、まだフォームが全然なってないわ! 腰、腰をもっと下げて!」

 

 翌日の放課後。私とセシリアは本当にバッティングセンターに連れてこられていた。どうやら冗談ではなかったらしい。

 

「こ、こうでしょうか……えいっ」

 

「フォームに気を使い過ぎてるわ。最後までボールを見て!」

 

 球速80キロのケージに入ってから30分経つが、いまだセシリアのスイングは素人の私から見てもぎこちなく、バットがボールに当たっていない。それもそのはず、セシリアは今日初めてバットを握ったらしく、最初は持ち手が逆だったりしたのだ。イギリスはそんなに野球が盛んなわけでもないので、そう不思議なことでもないのだが。おそらく基本的なルールも把握していないと思われる。

 私もセシリアの隣のケージで80キロのボールに挑戦しているのだが、たまにまともな打球が飛ぶだけ。それでも鈴のアドバイスがわかりやすいためか、最初よりはいい当たりが出る頻度が増えている気がする。

 

「……セシリア。ちょっと左打席に立ってみて。あ、左打席っていうのは――」

 

「……ええと、つまり立つ位置と左右の手の位置を逆にすればいいのかしら」

 

 鈴の指導は熱心そのもので、最初はいやいややっていたセシリアもだんだん顔つきが真面目になっている。一時的に昨日のショックを忘れられているようだ。

 

「しかし、鈴が野球好きだとは初耳だったぞ」

 

「え、そうだっけ? うーん……確かに今まで言ってなかったか」

 

 少し休憩しようとケージから出て、セシリアのバッティングを眺めている鈴と言葉を交わす。

 初めて会ってから1月以上たつが、彼女が相当コアな野球ファンだということを私は知らなかった。プロ野球観戦が大好きで、自分でプレーするのも楽しいらしい。昨年中国にいた時も日本のプロ野球の情報などはチェックしていたようで、贔屓の球団がまた最下位だったことに大変落ち込んだとのこと。私は剣道一筋であまり野球には興味がないのだが、何年も最下位ばかりが続くチームを応援していてつまらなくはないのだろうか。

 そんなことを思っていると、ケージの方からキィン! という小気味いい音が響いてきた。振り返ると、どうやらセシリアのバットがようやくボールを捉えたようだ。

 

「あ、当たりましたわ!」

 

「やっぱり左打ちの方ができるみたいね……これは意外といけるかも」

 

「何をぶつぶつ言っているんだ?」

 

「うーん? いや、セシリアをうちのチームの貴重な左バッターに育てようかなと」

 

「うちのチーム……?」

 

(うち)の近所の人たちで草野球チーム作ってるのよ。たまに隣町のチームとかと試合してて、面白そうだからあたしも先月の末に入れてもらったってわけ。ちなみに、年に1回千冬さんが最強の助っ人として試合に参加するのがお決まりになってるとか」

 

 でも悲しいことに左打ちがひとりもいないのよね、人材不足だわなどと愚痴らしきものをこぼしながら、鈴は再びセシリアにバッティングフォームの指導をし始める。

 ……本当に野球が好きなんだな、鈴は。私は剣道を『己を鍛えるための競技』だと考えているが、彼女のようなスポーツの楽しみ方もありなのかもしれないな。

 

「さて、私も打つか」

 

 セシリアも元気が出てきたようだし、私も安心して好きにやらせてもらおう。せっかくお金を払って打っているんだ、1球くらいはホームランの的に当ててやろうではないか。

 しかし、昨夜の鈴の提案にはきちんと勝算があったのだな。てっきり自分が行きたいだけかと疑っていたのが恥ずかしい――

 

 キィィン!

 

「やりましたわ! 今の、ほーむらんというものですわよね?」

 

「よくやったわセシリア! これは金塊を掘り当てたわね、西洋人の身体能力万歳! よーし、あたしも久しぶりに120キロかっとばしてくるか!」

 

 ……いや、やっぱり自分が来たかっただけなのかもしれない。ついでに有力な人材を集めたかっただけなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 そんな感じで、とりあえずセシリアの精神状態は標準レベルにまで回復した。なので、あとは彼女に料理の仕方を教えるだけだったのだが……

 

「ああっ、砂糖を入れ過ぎだ!」

 

「どうしてそこでオイスターソースが出てくるんだ!」

 

「馬鹿、ハヤシライスにそんなにケチャップを入れるやつがあるか!」

 

 教えるだけだったのだが……

 

「ど、どうでしょうか……」

 

「だからなぜ味噌汁がこんなに甘くなるんだ……? 私はただ、言われた通りに手を動かすだけでいいと言っているのに」

 

 ……おかしい。ちゃんと教えているはずなのに、もう練習を始めて1週間になるというのに、一向に上達する気配がない。どれだけ注意深くアドバイスしても、必ずどこかで間違いが起こり、結果として見た目は一級、中身は……な一品ができあがってしまう。私がまだ人に教えられるほど料理の腕が上達していないという点を考慮したとしても、およそ理解できない事態だ。

 鈴と話し合ったとき、セシリアの指導を安請け合いしてしまったことを少し後悔する。今からでも遅くはない、彼女に助けを求めるか……?

 

「……やはり、わたくしには料理の才能がないのでしょうか」

 

「………」

 

 思わず『そうなのかもしれないな』という言葉が出てきそうになるのをなんとか食い止める。私自身結果が出ないことにイライラしているのだが、だからといって言っていいことと悪いことがあるだろう。

 しかし、実のところどうすればいいのか。セシリアの料理下手はそれこそ神様が彼女に意地悪をしたとしか考えられない――

 

「……神様?」

 

 その単語が、妙に頭に引っかかった。何か、前にも私は同じようなことを言った覚えが……

 

「……ああ」

 

 思い出した。あれは確か、私が小学……3年生のときだったか。その時の私は『料理のできる女』というものになんとなく憧れていて、ある日自分の手で何かおいしいものを作ってやろうと思い立ったのだ。何を作ろうとしたのかは……忘れてしまった。

 だがまあ、不器用な小学生だった私にはいささか難しい作業だったのだろう。結果は大失敗で、気合いを入れ直して次の週、そのまた次の週にやり直した時も全然うまくいかなかった。

 

『どうかしたのかな、箒ちゃん?』

 

 そんな折のことだった。いつの間にか家に帰ってきていた私の姉、篠ノ之束が台所に入ってきたのだ。

 

『おおーっ、なんとなんと、箒ちゃんが料理!? かわいいなあ、誰のために作ってたの? ひょっとして束さん? だったらうれしいなあ~』

 

『……別に。自分で食べようと思ってただけだ』

 

 本当のところは姉さんに両親、それと一夏に食べてもらいたくて作っていたのだが、機嫌が悪い私は素直に答えることなくそっぽを向いていた。

 

『がーん、ショックだよ~。……あれ、でもこれ、あんまりうまくいってないみたいだねえ』

 

『……そうだ。これで3回目の失敗。しかも全然うまくなってない……きっと神様が意地悪して私が料理をできないようにしたんだ。だから絶対できるわけない』

 

 姉さんのいつもと変わらないのらりくらりとしたしゃべり方が妙に頭にきて、思わずそんなことを口走ってしまっていた。3回失敗したくらいでそんなことを言ったのは、私がまだまだ子供だったからだろう。……まあ、今でも子供だが。

 

『んん~~? それは聞き捨てならないね、箒ちゃん』

 

 だが、そんなふうにやけになっていた私に、姉さんはにっこりと笑って。

 

『この世に不可能なんてことはない。たとえ神様が何をしようと、絶対できないことなんてあるわけない』

 

『……そんなのわからない。証拠がない』

 

『証拠? そんなもの必要ないよ。なんたって、この天才束さんが正しいと信じてるんだからね!』

 

 そう言って、姉さんは私の料理を手伝い始めた。台所で働いている姿など見せたことのない人なのに、私が机に置いていた料理本を凝視しながら作業をしだしたのだ。

 

『箒ちゃん? 手が止まってるよ~』

 

『え? あ、ああ、うん……』

 

 姉さんのペースに引きずられるように、結局私もふてくされていたのを忘れて料理を再開した。……そして、幾度の失敗を重ねながらも、そのたびに姉さんに励まされて、最後には本の通りに完成させることができたのだった。

 あれから引っ越しによって一夏と会えなくなったり、姉さんが失踪したり、両親と離れ離れになったりと散々な目にあったせいで料理などする気もなくなり、この学園で一夏と再会してからあわてて練習し始める羽目になってしまったのは、また別の話である。

 

「セシリア」

 

「はい?」

 

 ……私は、篠ノ之束という人のことがよくわからない。あの人は何を考えているのか、私や両親のことをどう思っているのか。

 だけど――

 

「もう一度やり直そう。心配しなくても、いつかは必ず成功するさ」

 

「で、ですけど……」

 

「『この世に不可能なんてことはない』。だから大丈夫だ、自信を持て」

 

「……ありがとうございます、箒さん」

 

 なんとなく、その言葉だけは信じてみようと思えたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……お、サンドイッチか」

 

「ええ。リベンジという意味もこめて、これに決めましたの」

 

 そして今日、屋上にて成果が問われる時が訪れようとしている。前回一夏がまずいと言った時にセシリアが作ったのがサンドイッチだったので、今回の昼食も同じものを選んだのである。

 

「えっと……じゃあ、いただきます」

 

「はい! どうぞめしあがれ!」

 

「お、おう……けどセシリア、そんなに身を乗り出されると食べにくいというか」

 

「あっ……す、すみません。わたくしとしたことが、少々取り乱してしまったようですわ」

 

 一夏の感想が気になるばかりに顔を近づけすぎていたことに気づいたセシリアは、恥ずかしそうにすごすごと下がり、一夏と距離をとる。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 私とセシリア、そして以前セシリアのサンドイッチの犠牲となったデュノアが見守る中、一夏がゆっくりと卵入りのサンドイッチを口に運び、ぱくりと頬張る。

 そのままもぐもぐと味を確かめるかのように口を動かし、そして……

 

「……うん、うまい」

 

「っ、ほ、本当ですの!? 嘘じゃなくって!?」

 

「本当だ。うまいって胸を張って言えるぞ」

 

「よ、よかった……」

 

 うれしさと安心からか、へなへなと脱力するセシリア。……うん、これで私も肩の荷が下りた。今日のサンドイッチは、私の監視なしにセシリアが作り上げた、正真正銘彼女自身の作品なのだから、もう心配することなど何もない。

 

「ありがとうございます、箒さん。あなたのおかげですわ」

 

「どういたしまして。教え子が試験に合格したみたいで私もうれしいぞ」

 

「じゃあ、今度は僕が篠ノ之さんに弟子入りしてみようかな?」

 

「今回で疲れたからそれは勘弁してくれ」

 

 デュノアは器用そうだから教えるのはずっと楽だろうが、それよりも先に私自身が腕を磨かなければ。少なくとも男の一夏よりは上手くならなければ話にならない。

 

「さ、時間も結構経ってるし、さっさと昼飯済ましちまおうぜ」

 

 その後は適度に4人での会話を楽しみながら、それぞれが空腹を満たし、昼休みの終わりまでのんびりと過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。夕食を終えて自室に戻った私は、携帯電話を片手に数分ほど動けない状態が続いていた。

 ルームメイトである鷹月静寐はいない。だからあの人に電話をかけるなら今が絶好の機会だ。……だというのに、なかなか次の動作に移ることができない。

 

『この世に不可能なんてことはない。たとえ神様が何をしようと、絶対できないことなんてあるわけない』

 

「……よし」

 

 今回は、あの言葉に助けられたんだ。だから久しぶりに、あの人の声が聞きたいと思った。だから……もう一度、話してみよう。

 

 連絡帳の中の『篠ノ之束』の欄を選択。

 

『やあやあやあ! 久しぶりだねぇ! ずっとずーっと待ってたよ!』

 

 コール音が鳴る暇もなく、通話相手の声が――数年ぶりに聞く声が、耳に入ってきた。緊張で体がかちこちに固まるが、それでもなんとか第一声を絞り出す。

 

「……姉さん。その、今度……」

 

『あ、そうそう! 今度束さん、箒ちゃんに会いに行っちゃうよ~』

 

「え……?」

 

 予想だにしていなかった姉さんの言葉に、心臓の鼓動が早まる。

 

『箒ちゃん、もうすぐ誕生日だよね。で、ちょうどその時IS学園の1年生は課外演習で学園の外にいる。だからだから、それはそれは素敵な誕生日プレゼントを持って会いに行くからね!』

 

「誕生日、覚えててくれて……」

 

『モチのロンだよ! 今までなかなか納得のいくプレゼントが用意できなくて送れなかったんだけど、今回はバッチリだよ! なんてたって……あ、やっぱり言うのやーめた。プレゼントの中身は見てのお楽しみ! 焦らしプレイってやつだね』

 

「……ありがとう。姉さん」

 

『はうあっ、箒ちゃんにありがとうって言われた! これは何物にも代え難き幸せだね~。それじゃ、楽しみにしておいてね。ぽちっとな』

 

 ……勝手に通話を切られてしまった。こっちからかけたというのに、ほとんど一方的に話し続けられる形になっていた気がする。

 でも……今の気持ちは、素直に『うれしい』と呼べるものだと思う。

 

「私からも、何か用意しておいたほうがいいかな……」

 

 次に会ったとき、なんて言えばいいのだろうか。そんなことを考えつつ、私はシャワーでも浴びようと思い、おもむろに立ち上がったのだった。

 




ラウラの発言の内容は次回まで持ち越します。
日常回とは言いましたが、本筋の話が進まないとは言っていない……というか、いつの間にか日常回と呼べるものかどうか怪しい話になっていました。
しかし今回は相当重要な回だったと思います。なんといっても

・鈴は野球好き。草野球チームにも入っている
・セシリアは左バッター
・千冬姉は最強の助っ人
・鈴は○○ファン

という設定の大公開を行いましたからね。4つも隠し設定を出すなんて今までの話ではありませんでしたし。鈴が野球ファンなんて設定がなんで出てきたんだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、過去の話で彼女が2球団の対戦成績をスラスラ述べているのが伏線でした。

という冗談は置いといて、今回は束さん初登場回でした。箒が束に歩み寄ろうという姿勢を見せていましたが、束の誕生日プレゼントはもちろんアレなわけで……どうなるかはしばらく先の話になります。

では、次回もよろしくお願いします。


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第20話 ぐだぐだな日常

プロ野球の球団のチーム名をそのまま使っていいかどうかが不明(たぶんアウト)なので、チーム名を出さないことにしました。


「日程表を見ればわかるとは思うが、来月の頭には3日間の校外特別実習期間がある。この授業の目的は――」

 

 千冬姉が朝のホームルームでの連絡事項を伝えている間、俺は今朝ラウラと交わしてしまったキスの感触を思い出していた。仕掛けてきた当人がその行為の重大さを理解していなかったあたり、あれはいったい誰が得したキスだったのだろうか。

 ……いや、そりゃあの女の子特有の柔らかい唇の感覚を味わえたのはうれしかったけどさ。キスなんて、そう易々としていいもんじゃないという貞操観念が俺にはあるわけで。

 

「ああ、それと。クラス代表は今日の昼休みに第2会議室に集まるようにとのことだ。……わかったか? 織斑」

 

「え? あ、はい。大丈夫です。昼休みに第2会議室ですね」

 

 危ない危ない、あやうく話を聞き逃すところだった。もう今朝の騒動を思い出すのはやめよう。もう少しで、鈴とのキスと比べてどうだったかなんて議論が脳内で繰り広げられるところだったし。

 

「では今朝の連絡は以上だ。ホームルームの時間は残っているが、このまま1時限目の授業に――」

 

「少しよろしいでしょうか、きょ……織斑先生」

 

 授業に入ろうとしていた千冬姉の言葉を遮ったのは、今まさにクラスの注目の的となっているラウラだった。この学園の女子は本当に色恋沙汰に目がないらしく、食堂の中で堂々と口づけなど交わせばどうなるかは今さら語る必要もないだろう。

 ただ、ラウラの場合は少し勝手が違ったようで、今朝も俺や鈴に群がった生徒たちは数多くいれど、彼女に『本当に一夏のことは何とも思ってないのか』などと問いただしていたのは箒やセシリアくらいのもので、あとのみんなは周りから眺めるだけで話しかけようとはしなかった。……昨日までのラウラの態度を考えれば至極当然のことではある。一匹狼に不用意に近づいて噛みつかれでもしたら嫌だからな。

 

「なんだ、ボーデヴィッヒ」

 

「この場でクラス全体に言っておきたいことがあります」

 

「……授業開始まで3分ほどある。その間ならどれだけ話しても構わん」

 

「ありがとうございます」

 

 ラウラの発言に、教室を包みこむ空気が硬くなる。今まで他者を見下すような言動をとってきた人間が何を言うつもりなのか、みんな気になっているのだろう。

 俺も同じだ。新しい生き方を見つけるきっかけを俺に与えてもらったとか言っていたが、具体的にあいつが何を考えているのかはまったく教えてもらってない。

 

「まずひとつ。私はISというものに対して、常に真摯に向き合うべきだと考えている。今はスポーツが主な使用用途だが、あれは世界のバランスを簡単に変えることができる強大な力だ。それを扱う者として、ここにいる人間には今以上の努力と覚悟がなければ話にならない。学園に来たその日に抱いたこの思いは、今でも変わっていない」

 

 表情を変えず、淡々と話し続けるラウラ。俺たちを批判する内容の言葉を述べてはいるものの、その目に敵意や侮蔑といったものは感じられない。

 

「だが、そのためにお前たちを見下し、必要以上に関わりを拒絶し、クラスの和を乱したこと。これは紛れもなく私の責任だ。すまなかった」

 

 ラウラが頭を下げる。俺は今朝見た光景だったのでそこまで驚かなかったのだが、食堂にいなかった人たちにはあのラウラが謝ったのがかなり衝撃だったらしい。事実、この瞬間まで静まり返っていたクラスの空気がざわつき始めた。

 

「……正直に言ってしまえば、私はひとつの考え方にとらわれすぎていた。だが、今後は様々な考えや価値観といったものに触れていきたいと思っている。そのために、まずはたくさんのことを知っておきたい。なにぶん閉鎖された空間で生きてきたものでな、他国の文化や慣習、どんな些細なことでもいい。私に教えてくれるととても助かる」

 

 ……なるほど。今までひとつのことしか知らなかったから、いろんなことを学んで吸収したい。新しい生き方を見つけるってそういうことだったんだな。俺もできる限りは協力しよう。

 

「………」

 

 ラウラが話し終わり、教室を沈黙が支配する。おそらくみんな、ラウラの変化に戸惑っているのだろう。何でも教えてくれなんて、まさしくこれまでの彼女と正反対の態度なのだから。

 

「……やはりなかなか受け入れられないか。だが予想はできていた。ここは日本のしきたりに従って私の気持ちが本物だということを証明しよう」

 

 日本のしきたりだって? でもさっき国の文化とか知らないって……待て、何か嫌な予感がする。

 

「知人に聞いたのだが、日本にはこんな言葉があるそうだ。『金は天下の回しもの』。つまり大事なのは金ということだな」

 

 いやまずその引用自体が間違ってるし意味もとんでもないしどこから突っ込めばいいんだこれは……? というかその知人ってラウラにキスをするようそそのかした人と同一人物だろ、絶対。いろいろ文句を言いたいからラウラに会話ができるように取り計らってもらいたいところなんだが。

 

「ゆえに私は金額で誠意を示す。今日から3日間、クラス全員分の食堂のデザート代はすべて私が出そう!」

 

「おおおおおっ!!」

 

「ラウラ最高!」

 

「今日から私とあなたはお友達!」

 

 なぜか最後だけテンションを上げて高らかに宣言するラウラと、それを称賛し、歓喜に沸くクラスのみんな。そういえば、先月のクラス対抗戦が中止になったせいでデザートのフリーパスがご破算になった時、大多数の人間がかなり落ち込んでたよなあ……

 

「いいのか? これで……。つか、あいつそんなに金持ってるのか?」

 

 もともとノリのいいIS学園1年1組のことだ、おそらくこれで間違いなくラウラはみんなに受け入れられるだろう。ただ、このままあいつに日本人に関する間違ったイメージを持たれるのは嫌だ。

 ちらりと教卓の方をうかがうと、クラス全体の高揚に戸惑っている副担任と、呆れたように額に手を当て、ため息をついている担任教師の姿が目に入った。……とりあえず、日本人の名誉は俺が後で守っておくことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。食堂で味噌ラーメン定食を食べて部屋に戻った俺は、特にやることもないのでテレビでプロ野球中継を見ることにした。たまにこうやってひとりでまったり贔屓のチームの試合を観戦するのがひそかな楽しみだったりするわけである。じーっとテレビを眺めたまま、たまに試合展開についてぶつぶつ独り言をつぶやいたりするのがいいのである。

 ……なのに。

 

「ああっ! なんでインコースに投げるのよ、そこは外でしょ外……って、今のがボール!? 今日の審判誰よ、あれはどう見てもストライクでしょうが」

 

「……つまり、ゲッツーとは2つのアウトをワンプレーでとることを表しているのか」

 

「うん、たぶんそういうことだと思う……だよね? セシリア」

 

「わ、わたくしに聞かれましても……箒さん、それで合っているのでしょうか」

 

「ああ、それで間違いないだろうが……私じゃなく一夏か鈴に聞いてくれ。野球に関しては門外漢だ」

 

「………騒がしい」

 

 鈴が不服なプレーにぎゃーぎゃー騒ぎ、ラウラが野球のルールについて質問を重ね、シャルロットセシリア箒の3人娘がわからないながらも一生懸命答えようとする。俺はというと、至福の時を奪われたことに意気消沈し、ぼーっとテレビを眺めている状態だ。

 

「つか、ラウラに野球を布教するのが目的なら鈴の部屋で中継見ればいいじゃねえか」

 

「ティナが見たいドラマがあるって譲ってくれなかったのよ。だから野球中継を見ると予想されたアンタの部屋に来たの。ひとりで見るのが好きなのは知ってるけど、たまにはみんなでわいわい観戦するのもいいじゃない」

 

 でしょ? と自分の意見に同意を求めるように語る鈴。ちなみにその間も視線はしっかりとテレビ画面に向けられている。こら、話すときは人の目をみて話しなさい。いくら今がノーアウト満塁という重要な局面でもな。

 

「はあ……ま、今日は俺が折れるとするか」

 

 試合も4回まで進んでいるし、今さらみんなを追い出すわけにもいかない。ここは割り切って、多人数での野球観戦というものを楽しむ姿勢で行くとしよう。

 ちなみに見ている試合は俺の贔屓のチームVS鈴の贔屓のチーム。現在4回裏、こっちの攻撃中でノーアウト満塁。スコアは0-2で向こうが2点リード。俺としては、この一打同点、長打なら逆転の大チャンス(しかもバッターは3番の強打者)をどうしても活かしてほしいと思っているところだ。

 

「一夏、今はどういう状況なのだ」

 

「ここでヒットが出ると3塁ランナーだけじゃなくて足の速い2塁ランナーまで本塁に帰ってくる可能性が高いんだ。そうなると同点になるだろ? だからここは中盤の山場ってところだな」

 

「それで鈴はこれまで以上に集中して見てるんだね」

 

 今朝の出来事以降、ラウラは俺のことを下の名前で呼ぶようになった。さらに付け加えると、シャルロットもいつの間にか鈴たちのことを名前で呼び捨てするようになっていた。今日の昼休みまでは名字で呼んでいたと記憶しているが、何かあったのだろうか。

 

「踏ん張りなさいよ。ここを抑えないと真のエースにはなれないんだから……」

 

「あ、エースの意味はわたくしにもわかりますわ。チームの中でもっとも優秀なピッチャーのことです」

 

「このピッチャーはここ数年期待されつつもなかなか勝ち星を稼げなかったからな。今年は結構勝ててるし、今日勝てれば――って」

 

 セシリアに解説しているうちに、ボテボテの打球がショートへ転がる。まずい、これはホームゲッツーになっちまうぞ!

 

『これはホームに間に合うか……ああーっと! ショートがボールを弾いた! 1点返しました、そしていまだノーアウト満塁!』

 

「うわっ、何してんのよ……」

 

 捕球直前に少しボールのバウンドが変わったためか、ショートが打球を取り損ね、その間に3塁ランナーがホームイン。鈴には悪いが、素直に喜ばせてもらおう。

 

「これで1点差。外野に飛べば逆転だな。しかも4番だ、今日も勝たせてもらうぜ」

 

「今のがエラーというやつか、初めて見たぞ」

 

「普通に捕れそうなボールでしたのに……」

 

「守備があまり得意ではないのではないか?」

 

「今日はヒットも打ててないみたいだし、調子が悪いんじゃないのかな」

 

 俺の安い挑発はともかく、残りの4人の純粋で悪意のない言葉は鈴の胸にわりとぐさりと突き刺さったみたいだ。ツインテールも心なしか力なく垂れているように見える。ひょっとして本人の感情と連動している……さすがにないな。

 

「ま、まあ今のはちょっとイレギュラーしてたから、選手が100パー悪いわけじゃないのよ。しかもまだ1点リードしてるし」

 

『打ったああ!! これは大きい、文句なし! 右中間スタンド上段まで届く特大の逆転満塁ホームラアアン!!』

 

「………」

 

 あれよあれよという間にこちらの3点リードに切り替わり、絶句する鈴。今の球、内角低めのいいところに決まってたのにな。やっぱりプロの4番はすごい。

 

「これで5-2になったのか。よくわからないが、大勢は決まった気がするな」

 

 「な、何を寝言言ってるのラウラ! まだ5回も攻撃のイニングが残ってる、つまり逆転なんて余裕よ!」

 

 ラウラに必死に言葉を投げかける鈴の魂胆は、おそらく自分と同じ球団のファンを生み出したいというものだろう。昼休みにラウラを拉致したと聞いた時点でそんなところだろうと予想はついていた。

 

「見てなさいよ一夏。 絶対こっちが勝つから」

 

 多分本人も信じきれてないみたいだが、言ったもん勝ちだとでもいうように声高に宣言してきた。

 

「どうだろうな。うちの投手陣は盤石だ、そう簡単に3点リードを手放したりはしないぞ?」

 

 ……しかし、今日の野球の神様はなかなか凰鈴音という少女に優しかったようで。

 

『左中間に打球が伸びて……落ちる! 2塁ランナーホームインで1点返しました!』

 

 5回表、3-5。

 

『フルカウントから第7球……ボールです! フォアボールで同点のランナーが出ました』

 

 7回表、ツーアウトから4番5番がヒットとフォアボールで出塁。スコアは3-5のまま。

 

『ああ~、ここで代打ですね。6番に代打、勝負に出ました』

 

「え、なんでそいつ使うの!? 采配ミスよ、最近調子悪いんだからこんな場面で打てるわけ――」

 

『初球叩いた! 痛烈なライナーが右中間を突き抜けていくー! 2塁ランナーホームイン、サードコーチャー腕を回して1塁ランナーも帰ってくる! バックホームは間に合いません!!』

 

「よっしゃ同点! やっぱり今年は一味違うわ、采配冴えすぎ! 信じたかいがあった……!」

 

「一夏、なんだか鈴の言ってることがさっきからコロコロ変わってる気がするんだけど……」

 

「シャルロット、野球見てるファンなんてたいていそんなもんだ。そのときそのときで思ったままのことを言ってるだけだから。今だってバッターが打ってなかったら鈴はぼろくそに叩いていただろうしな」

 

「要は結果がすべて……プロの世界は厳しいということですわね」

 

「今のは2点タイムリーツーベースというものだな。覚えたぞ」

 

「一打勝ち越しか……ピッチャー交代のようだな。一夏、この選手は良い成績の持ち主なのか?」

 

 ……というか、気がついたら意外とみんな野球観戦にのめりこんでいた。いい感じの点の取り合いになっているのも要因のひとつだろうけど、俺と鈴以外の4人にも野球ファンの適性があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「そういえば一夏、アンタ期末試験のほうは大丈夫なの?」

 

 試合はあれから両チームとも投手陣が踏ん張り、結局5-5の引き分けとなった。時刻はすでに10時をまわっていたので俺以外のメンバーは自分の部屋に戻ろうとしていたのだが、そんな折に鈴が思いついたように口に出した言葉に、俺の体はぴしりと固まってしまった。

 

「あ、ああ……期末試験ね。ああ、うん、一番やばそうなのは英語だな。他のみんなが軒並みできてるし」

 

「外国人も多いし、将来ISに携わるのなら英語くらいは話せたほうがいいだろうしな。他の者の成績がいいのも当然だ」

 

「一夏は昔から英語できないもんね。他の科目はどう?」

 

「あー、あと数学も不安だな。図形問題ができない」

 

「数学ですか……わたくしは得意ですが、向き不向きがはっきりとわかれる教科ですしね。同じ理系科目の物理は大丈夫ですの?」

 

「物理……もちょっとな」

 

 計算はまだいいんだが、答えを導くための式を考える過程がどうにも苦手なんだよな。

 

「じゃあ、国語や社会はできるんだね」

 

「……いや、文系科目は覚えることが多くて」

 

 ISの勉強に時間をとられ過ぎて、世界史とか暗記する暇もなかった。古文単語とかも基本の基本しか頭に入っていない。

 

「ちょっと待ちなさい一夏。アンタそれ、つまり全教科苦手ってことじゃないの」

 

 怪訝な顔つきで俺を見る鈴。失礼な、ちゃんとできる科目だってあるに決まってるだろ。

 

「全教科じゃないぞ。体育は赤点とらない自信がある」

 

「胸張って言われても反応に困るんだけど」

 

「すみませんでした」

 

 やっぱりまずいよなあ。通常の科目の授業数が少ないとはいえ、期末試験で赤点をとると夏休みは補習漬け確定。ここは普通の高校と変わらない。長期休暇ではバイトもしておきたいし、自由な時間を奪われるのは相当きつい。

 

「ISの訓練を頑張るのはいいけど、普通の勉強のほうもちゃんとしておかないとね。何かできることがあれば手伝うよ」

 

「明日は通常授業ですし、わからないことがあれば休み時間にでもどんどん聞いてください」

 

 シャルロットとセシリアのありがたい言葉に感謝しつつ、学業にも身を入れていこうといまさらながら決意したのだった。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 明かりのない、暗闇に支配された部屋に、ひとりの少女がいた。薄汚れたベッドに腰掛け、彼女は身じろぎひとつせずにある映像を見つめている。

 先ほど『仕事』から戻った際に上司から渡された映像端末に保存されていたのは、つい昨日IS学園で行われたトーナメントの中のとある試合の映像であった。

 

「VTシステムか……」

 

 試合中に、ドイツの第三世代型ISの形状が変わる。トレースしたのは、少女もよく知る『ブリュンヒルデ』織斑千冬のIS『暮桜』の動き。

 それに対して、相手の白いISはひとつしかない武器を持って一歩も引かずに剣戟を交わす。

 

「模倣……なるほど。アレの考えつきそうなことだ」

 

 画面から視線を外し、少女はベッドに倒れこむ。ところどころ染みのついた天井を意味もなく眺めながら、彼女はその端正な顔立ちを愉悦に歪める。

 

「面白い。多少は力を持っていた方が、潰し甲斐もあるというものだ」

 

 織斑一夏。その名前を思い浮かべただけで、彼女の心は憎悪と破壊衝動で満たされる。……早く会いたい。会って、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。

 

「エム? ちょっといいかしら」

 

 扉のノックとともに、彼女の上司の声が聞こえてくる。おそらく次の仕事の話を持ってきたのだろうと考え、エムと呼ばれた少女はおもむろに上半身を起こす。

 

「スコールか。入ってかまわないぞ」

 

 この世界で生き残っていくために、まずは自らの所属する『亡国機業』という組織の指示に従う。そして、いつかは……

 

「あら、いつになく上機嫌のようね。さっき渡した試合の映像がそんなに面白かったのかしら、『マドカ』」

 

「ああ、そうだな……とても愉快な気分にさせられた」

 

 黒髪の少女――マドカは、さも嬉しそうにニタリと笑みを浮かべた。

 

 

 




ラウラがクラスのみんなと打ち解けていく過程は本当は今回で全部描写しようと考えていたのですが、野球観戦のシーンが無駄に長くなったこと、次回で初登場させたいキャラが2人ほど出てきたことを踏まえて、2話構成に修正しました。なので次回も似たような感じの話になります。

野球観戦については、その後の成績談義と合わせて、一度こういうぐだぐだな会話シーンを書いておきたかったというのが主な狙いです。どうでもいい会話を入れることで、キャラクターを生きたものにしようという考えがあったのですが……

まあ今回は間違いなく日常回だったと思います。最後に誰か出てきてたけど日常回だったと思います。……本当は18話の最後に入れるつもりだったシーンなのですが、すっかり忘れててこの20話に挿入されました。マドカのキャラが結構原作と食い違ってるのは意識してのものです。

次回はあの娘が初登場です。では、これからもよろしくお願いします。


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第21話 daily life

サブタイトルがどうしても思いつかなかった……
今回で総文字数15万字到達(前書き後書き含む)です。


「織斑くーん、頑張れ―!」

 

 今日は週に1度の通常授業の日で、4時限目の体育の競技はバスケ。クラス30人を5人ずつ6チームに分け、2コート使って順々に試合を行っている最中だ。

 

「織斑くん、パス!」

 

「よしきた!」

 

 相川さんのロングパスをゴール付近で受けた俺は、のほほんさんと櫛灘さんのブロックをかいくぐってシュート。ボールは無事ネットの内側を抜け、2点が追加される。

 

「うわ~、おりむー速いね~」

 

「くっ、7月のサマーデビルと呼ばれた私がこうもあっさりと……」

 

 ここでホイッスルが鳴って試合終了。負けても相変わらずのほほんとしているのほほんさんと、がっくりと膝をついて悔しがる櫛灘さん。ちなみに今日は6月27日である。

 

「織斑くんナイスシュート!」

 

「ああ、ありがとう。相川さんもナイスパスだったよ」

 

 気持ちよくハイタッチを交わす俺と相川さん。体育会系なのだろう、彼女はこういうノリが好きらしい。

 

「ちょっと織斑くんたちのチーム強すぎるよ~」

 

 コートの外からそんな文句が飛んでくるくらいにはうちのチームは強い。ハンドボール部ゆかりの強肩で相川さんがどんどんパスを飛ばし、女子と比べるとかなり身長での利がある俺がシュートを入れる。得点パターンのほとんどがこれで、残りの3人は手堅くディフェンスに回ってくれている。なぜかバスケ部のいない1年1組において、この布陣はなかなかうまく決まっているようだ。

 

「しかし、みんな思った以上に動けるんだな……」

 

 活躍できてはいるものの、女子たちの運動神経の高さには驚いた。男の俺にも普通に食らいついてくるし、さすがはIS学園に入学してきた猛者たちといったところか。

「特に専用機持ちはキレよすぎだろ……」

 

 具体的に挙げるとセシリアとシャルロット。ラウラはうちのチームなんだが……まあ、動きはいいけどちょっと問題がある。

 組み分けの結果同じチームに入っているセシリアとシャルロットは、代表候補生になるための訓練で培った持ち前の身体能力で攻守ともに大活躍。これに中学剣道日本一の箒までいるんだからあっちもあっちですごい戦力だ。次当たるんだがどうするべきか。

 

「いやー、やっぱりスポーツはいいね! 嫌なこと全部忘れられるし。数学とか理科とか古典とか」

 

 俺の隣に座って他チームの試合を眺めていた相川さんが話しかけてくる。彼女も俺と同じく赤点候補四天王のひとりだ。残りの2人は……えーと、誰だったっけ。確か2組に1人、3組に1人いたはず。

 

「だな。けど、真面目な話そろそろ現実と向き合わなきゃならない時期でもある。なにせ期末試験が刻々と」

 

「うわっ! 聞きたくない、その先は聞きたくない!」

 

「迫ってるからな。各科目しっかり復習しないと駄目だ」

 

「拒否してるのに話を続けてきた!? 織斑くん、意外とサディストなんだね……」

 

 勉強ができない者同士波長が合うのか、案外相川さんとの会話が弾む。受験の時はギアを切り替えて猛勉強したかいあって模試でもA判定をとれたのだが、本来俺は学業面での成績はよくないのだ。

 ……そういえば、この人はこの前スポーツ観戦が趣味とか言ってたような。野球観戦にも興味あったりするんだろうか。

 

「くっ、まさか専用機持ちでも幼馴染でもないところから抜け駆けするものが出るとは……」

 

「あとでたっぷり話をうかがわないとね……」

 

 なんだか外野から怖い声が聞こえてくるが、気にしないでおこう。多分被害をこうむるのは相川さんだけだし。

 

「っと、そうこうしているうちにもう出番か」

 

「次はセシリアたちのチームかあ。事実上の決勝戦だね」

 

 前のチームの試合が終わり、再び俺たちが試合をする番だ。コートに出て、向こうのメンツと顔合わせを行う。

 

「一夏さん、手加減はしませんわよ?」

 

「そりゃそうだ、されても困る」

 

 なんだかキャプテンっぽいオーラを放っているセシリアと軽く言葉を交わす。スポーツをするのに邪魔だからだろうか、いつものふわふわな金髪を後ろでくくっている姿はなかなか新鮮だ。

 

「一夏、私は先ほどと同じように動いていればいいのか?」

 

「そうだな。とりあえず近くに来た球を奪ってくれ」

 

「了解した」

 

 ラウラに指示を出したところで試合開始のホイッスルが鳴る。じゃんけんの結果、最初にボールを所持しているのは俺たちのチームだ。

 よし、まずは先手必勝ということでゴールまで一気に攻め上がるか――

 

「甘いっ!」

 

「んなっ!?」

 

 ドリブル中のボールをあっさりセシリアに奪われる。くそ、油断してたわけじゃないけど想像以上に動きが速い。

 

「シャルロットさん!」

 

「任せて!」

 

 いつの間にかノーマークのままこっちのゴール近くまで走っているシャルロット。まずい、ここでパスを決められるとほぼ確実に先取点を取られる……!

 

「させるか!」

 

 だが、セシリアの綺麗なパスをラウラがカット。さすがの反射神経、ドイツ軍人は伊達じゃない。

 

「ボーデヴィッヒさん、トラベリング」

 

「しまった!」

 

 ……ただ、ルールが把握しきれてないんだよなあ。トラベリングなどの基本的なルールは教えて、本人も頭には入れていると思うんだけど、やっぱりそういうのって体に染みこませないとつい反則を犯したりしちゃうんだよな。

 結局ボールは敵にまわり、そのままシャルロットのシュートで2点献上。次こそはと気合いを入れて攻めようとするも。

 

「ここから先は通さんぞ」

 

「右に同じく、ですわ」

 

 俺に対しては箒とセシリアが2人がかりでぴったりマークし、相川さんのパスルートもシャルロットに潰され、残りの2人も運動部所属のためかなり活発に動いている。……きついな、これ。

 

「ボーデヴィッヒさん、ダブルドリブル……」

 

「むっ、またしても……」

 

 ラウラはラウラで、もう何度目かになるミスをやらかしていた。ボール自体はよく拾ってくれるんだけど、その後のプレーのせいで帳消しになってしまっている感じだ。

 

「まずいな……」

 

 このままだと一方的にやられる。だけど、何もできずに負けるのは癪に障る。男としてのなけなしのプライドというやつだ。せめて一矢報いるくらいはしないと……

 

「このっ……ハンドボール部の自称期待の新星である私をなめるなぁ!」

 

 そんな折、相川さんがマークをかいくぐって決死のロングパスを飛ばしてきた。この高さ、パスルートにいるシャルロットには捕れなくても男の俺ならギリギリ届く!

 

「よしっ!」

 

 思い切りジャンプをしてボールを掴むことに成功、着地と同時にゴールに向かってドリブルを開始する……前に、まずは目の前の障害をなんとかしないとな。

 

「こいよ2人とも。正面から突っ切ってやる」

 

「では」

 

「遠慮なく!」

 

 俺のすぐ近くにいた箒とセシリアが、ボールを奪うために突っ込んでくる。即席とは思えないコンビネーションの良さだが、ひょっとして学年別トーナメントでタッグを組んだ経験を活かしていたりするのか。

 

「こっちも行くぞ」

 

 と、いい感じにそれっぽい大見得を切っておいて。

 俺はくるりと回れ右をして、2人に背を向けた格好になる。

 

「なっ……」

 

 後ろから箒の驚いた声が聞こえてくるが、かまわずボールをバックパス。その先にいるのは、猛チャージをかけているラウラだ。

 

「ラウラ! そこから思い切りシュートだ!」

 

「ふんっ!」

 

 ラウラが渾身の力を込めて放ったスリーポイント狙いのシュートは、しかしゴールには入らず、バックボードに当たって跳ね返る。

 

「そんな距離から入るはずがありませんわ!」

 

 俺のラウラへのパスに一瞬面食らっていたセシリアだが、すぐに平静を取り戻してボールを拾いに行く。……だが、シュートが入らないところまではこっちも計算済みだ。

 

「やっと私の出番がめぐってきたー!」

 

 うちのチームの伏兵・谷本さんがすでにボールの落下地点をおさえている。なんのことはない、そういう作戦をあらかじめ決めていただけだ。ラウラと谷本さんを基本いつも同じ横のラインで走らせておいて、俺がラウラにパスを出した場合は谷本さんにこぼれ球の確保を頼む。向こうのディフェンスは俺のマークに数を割いてるぶん手薄だから、彼女がボールを捕れる可能性はそれなりにあると踏んでいたのだ。

 

「えいっ!」

 

 そのまま谷本さんがシュートし、ようやく2点を返すことに成功した。大雑把に立てていた作戦だが、運よく得点につながってくれたのはラッキーだったな。

 

「谷本さんナイスシュート! ラウラと相川さんもよかったぞ!」

 

「くっ……卑怯だぞ一夏! 正面から突っ切ってやると言ったじゃないか!」

 

「箒、お前に素晴らしい言葉を教えてやろう。『敵の発言を鵜呑みにするな』」

 

「多少手段が汚くても、勝てばいいのよ、勝てば!」

 

「その通り!」

 

 俺、谷本さん、相川さんの自身を正当化する言葉の数々に、がっくりとうなだれる箒。納得してくれたようでなによりだ。

 ……なお、試合はその後ぼこぼこにされて大差で敗れましたとさ。

 

 

 

 

 

 

「えーと、この単語はこの訳でいいのか……?」

 

 その日の夜、俺は期末試験を無事突破するためにこれまでの授業の復習を行っていた。なかなかはかどらないが、少しでも点の増加につながっていると信じたい。

 

「……ちょっと休憩するか」

 

 シャーペンを机に置き、気分転換に部屋を出る。何も考えず適当にぶらぶらするのは意外と好きだったりするのだ。ちなみに鈴にはジジくさいと言われた。あいつは俺の趣向に関してなんでもそう言えば許されると思ってる節がある気がする。

 

「あ、おりむーだ。お~い」

 

 後ろから間延びした声が聞こえてきたので振り返ると、案の定のほほんさんがこっちに向かって走ってきていた。しかしのほほんさんの走行速度は通常の人間の歩行速度とほぼ同じなので、立ち止まっている側からするとなかなかにじれったい。

 

「ん? あそこにいるのは……」

 

 のほほんさんは誰かと一緒に歩いていたらしく、向こうには青い髪の女子がひとり立っている。あっちは俺に近づく気はないらしく、その場にとどまったままだ。

 

「あれ~? かんちゃーん。どうしてこっちに来ないの~」

 

 ようやく俺の目の前までたどり着いたのほほんさんが笑顔で呼びかけると、渋々といった様子で歩いてきた。うーん、あの顔誰かに似てるような……

 

「のほほんさん、あの人は?」

 

「えー、おりむー知らないの~? 日本の代表候補生、更識簪おじょうさまだよー」

 

「更識……そうか、楯無さんの妹か」

 

「せいかいなのだっ」

 

 中国やイギリスなどと同様に、日本の代表候補生がこの学園にいることは知っていて、名前もクラスメイトたちに教えてもらっていたのだが、顔を見るのは初めてだ。

 

「………」

 

 無言で俺の顔を見る更識さん。……心なしか眼鏡の向こうの瞳が俺を睨んでいるように思えるのは気のせいだろうか。髪や瞳の色、顔のパーツなどは姉と似ているが、その身に纏う雰囲気は結構違うようだというのが第一印象だった。

 

「あ、はじめまして。織斑一夏です」

 

「……知ってる。この学園であなたの顔と名前を知らない人はいない……」

 

「……そ、そうなんだ。はは、それは光栄だな」

 

「別に褒めたわけじゃない……」

 

「あ……そうですか」

 

 なんだか会話を展開しづらい。のほほんさん、この微妙な空気をなんとかしてくれ。

 

「そういえば~、かんちゃんおりむーに聞きたいことがあるって言ってたよねー」

 

「っ……! 本音……!」

 

 余計なことを言うな、といった感じでのほほんさんを睨む更識さん。だけど非難の目を向けられた当の本人はまったく気にした様子もなくにへらと笑っている。うん、俺の見立てだと彼女は将来大物になるかもしれない。

 

「俺に聞きたいことがあるのか?」

 

「………」

 

「答えられる範囲なら真面目に話すけど」

 

「聞いちゃえ聞いちゃえ~」

 

 俺とのほほんさんの2人がかりの説得に、黙り込んでいた更識さんもついに折れたらしい。観念したように重い口を開いて話し始めた。

 

「……あなた、2日前の試合で、織斑先生の戦い方を真似ていた」

 

「あ、やっぱりわかるもんなんだ」

 

 こくり、と首を縦に振る更識さん。彼女だけじゃなく、試合を見ていた人の大半は俺の模倣に気づいていたらしくて、その影響で昨日今日と何度か先輩方から模擬戦を申し込まれるということもあった。『憧れのブリュンヒルデに近い動きを間近で見て戦ってみたい』とか、そんな理由だったと思う。試験勉強との兼ね合いもあって2戦くらいしかできなかったが、勝ち負け関係なくいろいろ収穫のある試合になった。

 

「そうだな。4月の末あたりからずっと練習してた。おかげで最近はそこそこ上達してきたと思う」

 

「……あなたは、それでいいの?」

 

「え?」

 

「模倣にも限界がある……決して本人を超えることはできない。どれだけ頑張っても、姉の陰にい続けることになってしまう。……それで、満足なの?」

 

 更識さんの問いに、俺は少し面食らう。少しでも力をつけることに夢中で、そんなことは今まで考えもしなかったからだ。

 

「………」

 

 彼女の目は真剣だ。とにかく、俺も今用意できるだけのきちんとした答えを返そう。

 

「俺は……それでもかまわないと思ってる。俺の目標はちふ……織斑先生を超えることじゃなくて、別のところにあるから」

 

「別のところ……?」

 

「他人に言うのは恥ずかしいんだが……まあ、大切なものを守れるだけの力が欲しいとか、そんなところだ」

 

「……そう」

 

 俺の答えに特に表情を変えることもなく、更識さんはそのまま歩いて俺の横を通り過ぎていく。

 

「かんちゃーん、待って~」

 

 のほほんさんも更識さんの後を追って走り出す。……やっぱり足遅い。

 

「……俺、嫌われてるのかな」

 

 なんとなく2人の背中が見えなくなるまで突っ立っていた俺は、誰に問いかけるわけでもないつぶやきを口から洩らしていた。

 

 

 

 

 

 

「一夏、いるか」

 

 部屋に戻って勉強を再開しようと思ったところで、ノックとともにお客さんがやって来た。

 

「ラウラか。入っていいぞ」

 

 俺の返事を聞いてがちゃりとドアを開けて入ってきたラウラは、なぜだか神妙な面持ちをしていた。

 

「どうした? なんかあったのか」

 

「私の部下のひとりが、お前と2人きりで話がしたいと言ってきた」

 

「俺と?」

 

「そうだ」

 

 はて、いったいどういう事情からそんな話になったのか。ラウラの部下といえばドイツ軍の人ということになるだろうし……

 

「ま、とりあえず話してみるけど……俺、ドイツ語も英語もできないぞ?」

 

「心配するな、向こうは日本語を話せる。とりあえず私のISを経由してお前とその者の間に開放回線をつなぐ。その後個人間秘匿通信に切り替えろ。それで私に会話は聞こえなくなる」

 

 言語の問題はなさそうなので、俺はラウラの指示に従ってその部下の人との通信を始めることにした。

 

『はじめまして、織斑一夏。ドイツ軍所属部隊【シュヴァルツェ・ハーゼ】副隊長、クラリッサ・ハルフォーフと申します。クラリッサとお呼びください』

 

『こちらこそはじめまして。織斑一夏です。ええっと、隊長のラウラさんとは、その、最近は仲良くさせてもらっています』

 

 回線越しに聞こえてくる声は大人の女性のものだ。こちらも失礼のないように丁寧な言葉遣いを心がける。

 

『ええ、隊長から話はうかがっています。あなたと戦ったことから、今日のバスケットボールのことまで、それはもうたっぷりと』

 

『え……本当ですか、それ』

 

 ラウラってあんまりそういうことを語らないタイプだと思ってたんだが、意外とおしゃべりだったりするのか。

 

『私も驚いているのです。以前は隊の者ともコミュニケーションを取ろうとしてこなかったあの方が、一昨日感謝の気持ちを表すにはどうしたらよいかなどと突然尋ねてきたのですから』

 

 一昨日というと、あのタッグマッチの日か。確かに、あの試合を境にラウラの態度ががらりと変わったのは事実だ。

 

『……って、ちょっと待ってください。感謝の気持ちって、まさかラウラにキスするように教えたのは』

 

『私です。ああ、でも勘違いしないでくださいね。私は頬にキスすることを想定して話したのであって、まさか唇同士で行うとは夢にも思っていませんでしたので』

 

『そうなんですか……はあ、なるほど』

 

『ところで、隊長のキスの味はいかがでしたか?』

 

『なっ!?』

 

 予想外の問いかけに心臓が飛び上がる。キスの味って、そんなもん言葉にできるほど俺は経験積んでないし……

 

『冗談です。というわけでそろそろ本題に入らせていただきます』

 

『きつい冗談はやめてください……』

 

 笑いを含んだ声で話すクラリッサさん。もしかしてこの人、真面目なように見えて案外いたずら好きなんじゃないだろうか。

 

『ここからは真面目な話です。……といっても、私とあなたの間で交わされる話題といえば大体の予想はつくでしょうが』

 

『……ラウラのこと、ですよね』

 

 そうです、というクラリッサさんの肯定の言葉を聞きながら、俺の部屋の様子をきょろきょろ眺めているラウラを横目で見る。こんな光景、数日前までは絶対にあり得なかったものだ。

 

『隊長は織斑一夏という男のおかげで変われたと言っていました』

 

『え、俺? 千冬姉じゃなくて?』

 

 千冬姉はラウラのことを心配していたようだから、あの試合の後に何か言ってあげて、そのおかげでラウラの態度が軟化したんだと思ってたんだが……

 

『確かにあの方の与えた影響も大きかったとは思われますが、隊長の話を聞く限りは、一番の原因はあなたにあるようです。力がすべてだという価値観を捨て、私をはじめとする部下の者に頼るようになったこと。これは我々にとって非常に喜ばしいことであり、それゆえに私はあなたに感謝しています』

 

『そ……それは、どうも』

 

 なんだかめちゃくちゃ持ち上げられているような気がするが、とりあえず感謝の言葉は素直に受け取っておこう。ラウラにそこまでの影響を与えたとは到底思えないのだが、本人が言っていたというのなら事実なのだろうし。

 

『隊長はあなたに好意を抱いています。残念ながら恋愛感情ではないようですが』

 

『残念なんですか? それって』

 

『恋心だったのなら少女漫画の知識が活かせ……いえ、なんでもありません』

 

 なんか今、クラリッサさんの素の面が一瞬現れていたような。……まあ、深くは突っ込まないでおこう。

 

『とにかく、これからも隊長と懇意にしていただければありがたいと、そういう話です。お願いできるでしょうか』

 

『……はい、それはもちろん』

 

 俺が原因でラウラが変わったというのなら、その変化が彼女にとっていいものとなっていくように、これからも努力していきたい。……それに、そういう堅苦しいことを抜きにしても、あいつが結構面白いやつだってことは昨日今日でわかってるしな。

 

『その言葉を聞けて安心しました。……最後にひとつ、よろしいでしょうか』

 

『なんですか』

 

『隊長は違いましたが、もしあなたが隊長に恋をしているようでしたら、我々黒ウサギ隊が積極的にバックアップいたしますが』

 

 要は、俺がラウラに惚れているのならクラリッサさんたちが全力で応援してくれるということらしい。その気持ち自体はありがたいが、今のところ俺にその気はまったくない。

 

『その必要はありません。ラウラのことは友達だと思っているので』

 

『それは残念……では、また機会があれば』

 

 そんなに俺とラウラの間に恋愛関係を成立させたかったのか、やけに落ち込んだ様子でクラリッサさんは通信を切った。

 

「ラウラ、終わったぞ」

 

「そうか」

 

 本棚に置いてあった漫画をぺらぺらめくっていたラウラは、俺の言葉にうなずいただけで、再び視線を下に落とす。何を話したのかを聞くつもりはないらしい。

 

「………」

 

 あぐらをかいて熱心にバトル漫画を読み進めている様子を、なんとなくぼーっと眺める。

 

「どっちかっていえば、彼女というより妹みたいな感じだな……」

 

「ん? 何か言ったか、一夏」

 

「いや、何でもない。その漫画、よかったら貸してやるけど」

 

「そうか、それはありがたい。以前クラリッサがこういった本を読んでいたのを思い出してな。少し興味を惹かれたのだ」

 

「へえ~。ま、それは俺のおすすめの作品だから結構楽しめると思うぞ」

 

 他愛のない会話を交わしながら、俺はクラリッサさんが冗談で聞いてきた質問の内容をふと思い出していた。

 

 ――ラウラのキスの味、か。(あいつ)のときはどんなことを思ったんだっけ。

 




序盤相川さん、中盤簪、終盤ラウラ&クラリッサメインの3部構成でお送りいたしました。

バスケのシーンについては、ちゃんと専用機持ち以外のクラスメイトとも仲良くやってるよということを示すために挿入。相川さんは可愛いと思います。もちろん僕は鈴が一番好きですが。

簪との初会話は原作よりも大幅に前倒ししました。姉への劣等感と自己嫌悪に苛まれている簪と、劣化千冬になってもいいからと模倣を続ける一夏の関係はどうなっていくのでしょうか。

そして終盤、きれいなクラリッサさん登場。たまに素が出かかっていますが、ほぼ終始敬語でまともな年長者だという印象を一夏は抱いたことでしょう。そして長女千冬、長男一夏、次女ラウラの3姉弟フラグが……? 

今回まさかのメインヒロイン不在で話を進めましたが、次は紛うことなき鈴回です。そろそろ2人の関係を前に進めていきたい今日この頃です。

では、次回もよろしくお願いします。


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第22話 むかしむかしのおはなし①

幕間の章、ラスト2話はサブタイトル通りに回想編です。


「えーと、ここはあれか、補助線引くのか」

 

 土曜日の夕食後、俺は数日前から始めた試験勉強にいそしんでいた。幸い周りに頭がいいやつが多くて、わからないところは聞きに行けばすぐに教えてくれるので、意外となんとかなりそうな気がしてきている。特に授業の要点をまとめたノートを俺のために用意してくれたシャルロットには感謝感謝で足を向けて寝られないくらいだ。俺に近づいたのは父親からの命令だったと言っていたけど、やっぱりいい子なことに変わりはないよな。

 

「……父親、か」

 

 シャルロットはデュノア社の社長の愛人との娘で、母親が亡くなった後父親に引き取られた。だけど父親と彼の本妻は彼女を娘として扱わず、会社の経営のための道具として使ってきた……らしい。シャルロット本人からその話を聞いた時、俺は怒りをこらえるので精一杯だった。自分自身が親に捨てられたという経験から、シャルロットの立場に対する同情が深いものになったからだろう。だから、彼女が父親のことを『あの人』と他人行儀に呼ぶのも当然だと感じていた。

 ……ただ、やっぱり親と子は仲良く一緒にいてほしいという気持ちがあるのも確かだ。子供には親が必要だということは、鈴の両親の離婚騒動の時にはっきりと感じた。

生きているのなら、会える場所にいるのなら、デュノア親子が和解する可能性はわずかにでもあるのかもしれない。もしそうなら――

 

「っと、電話だ」

 

 着信音が耳に入ってきたので思考を一時中断し、机の端に置いてあった携帯電話を手に取る。画面には、『五反田弾』の4文字が映っている。

 

「もしもし」

 

『よう一夏、元気か』

 

「ぼちぼちってところだな。そっちはどうだ?」

 

『こっちも相変わらずだ。今日もじーちゃんに一発殴られた』

 

 五反田家もこの前遊びに行った時と変わらずみんな元気なようだ。家庭内ヒエラルキー最下層にいる弾の姿が容易に想像できる。

 

『それで用件なんだが、明日うちに遊びに来ないか? 面白いゲームが手に入ったんだ。数馬も来るからよ』

 

「あー……悪い。明日は先約があるんだ」

 

『先約?』

 

「ああ。鈴と水族館に行くって約束をしてる」

 

 弾に対しては隠すようなことでもないので、素直に先約の内容を話す。下手にごまかそうとして変な勘違いをされても困るしな。

 

『……お前、それ2人きりで行くのか?』

 

「そうだけど」

 

『ということは、ひょっとするとデートというやつか』

 

「ひょっとしなくてもデートだ」

 

 改めて明日はデートなのだということを意識すると、なんだか気恥ずかしいものがある。ラウラやシャルロット絡みのことでごたごたしてはいたものの、その間もどういう風にデートを進行させるべきなのかということは何度か考えていたのだ。正式なデートは初めてなんだし、気をつけなければならない点は多い。

 

『ふーん、お前もずいぶん色気づいたもんだな。ま、俺はお前ら2人のこと応援してるから』

 

「そう言われてもな……どうもちゃんとした答えが見つからないんだ。改めて自分の人生経験のなさを痛感してる」

 

『その答えを見つけるためのデートだろ。ちょっとでもいいなと思ったら付き合っちまえばいいんだ。時には積極性も大事だぞ』

 

「そんな簡単な問題でもないだろ。付き合うってことは……ほら、将来結婚する相手を選ぶみたいなもんだ。だから、真剣に考えないと」

 

『……お前、いつの時代の人間だよ』

 

 困ったような声で俺に問いかける弾。いつの時代って、お前と同じ年に日本という国で生を受けたわけなんだが。

 

『んなこた知ってるよ。俺が言いたいのはお前の考え方が時代錯誤で堅すぎるってことで……まあいいか。そんだけ大事に考えられてるってことは、鈴もある意味幸せ者だろうし。とにかく、明日は頑張れ。俺から言えることは以上だ』

 

「ああ、サンキューな、弾」

 

 その後は軽く雑談を交わして、10分ほどで通話を切った。時刻は午後10時。明日の準備もあるし、そろそろ勉強を切り上げるか。

 

「それにしても、鈴とデートか……」

 

 あいつとこういう関係になるなんて、初めて会った時からは想像もできないことだと思う。なにせ、初対面でいきなりあんな目に遭わされたんだもんな。

 

 

 

 

 

 

 凰鈴音という少女が中国から転校してきたのは、幼馴染の篠ノ之箒が突然引っ越してしまってから数ヶ月後の、小学5年の春のことだった。クラスが違ったので直接話す機会はなかったのだが、遠目に眺めた限りでは『頭の左右両側から伸びてる髪が印象的なかわいい女の子』という感じだった。

 そのまま1ヶ月たって、クラス替えによるクラスメイトの変化にも慣れてきた頃、どうも例の転校生がいじめられているらしいという噂が俺の耳に入ってきた。日本に来たばかりで言葉がうまく話せないのを馬鹿にした男子数名が、彼女に嫌がらせを行っている、とかなんとか。

 あまり気分のいい話じゃなかった。中国から来て、日本語が上手じゃないってだけでいじめられるなんて馬鹿げている。今は確かな証拠がないから黙ってるけど、もしいじめの現場を見かけたらすぐに割って入るつもりでいた。

 そして、その時は案外早くやって来た。ひとりで下校中、なんとなく普段通らない道を選んだところ、人通りの少ない路地で凰が男子4人に囲まれておびえている場面に出くわしたのだ。

 

「ほらリンリン、笹食えよ笹」

 

「パンダみたいな名前してるんだから当然食えるよなー」

 

「ははは!」

 

 どこで仕入れてきたのか、ご丁寧に実物の笹を手に持っている男子たちの笑い声が妙に鼻につくな――と感じた時には、すでに俺はそいつらに向かって全力疾走を始めていた。そりゃもう、思いっきりぶん殴るつもりで。

 

「うわっ、なんだお前!」

 

「織斑じゃねえか! くそっ……」

 

 結局俺は4人の同級生を相手に大喧嘩をすることになり、気がつけば体のあちこちに痣を作ってしまっていた。それでもなんとか連中を追い払えたのだが……これ、絶対明日先生に怒られるよな。箒の時のように千冬姉に迷惑をかけることになったら、それは嫌だ。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 呆然と俺を見つめていた凰に声をかけ、ゆっくりと歩み寄る。カッとなっていきなり殴りに行ったのはまずかったけど、とりあえずこいつを助けられたのはよかっ――

 

「っ!!」

 

 次の瞬間、凰の右ストレートが俺の左頬を捉えていた。『痛い』と『なんで?』という感情が同時に湧き上がり、しばし思考がフリーズする。

 

「………っ」

 

 俺があっけにとられている間に、凰は走ってその場を去ってしまっていた。……うわ、速いな。

 

「………」

 

 ひとり残された俺は、ここ数分の出来事を時間をかけて冷静に振り返り、結果として。

 

「って、ふざけんな! なんで俺が殴られるんだよ!」

 

 理解できない凰の行為に恩をあだで返されたような気がして、再び頭に血を上らせてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

「――それで、結局そいつらと喧嘩になった。だから、もしかしたらまた千冬姉が学校に呼び出されちゃうかもしれない。……ごめん」

 

 その日の夜。夕食のカレー(それなりに自信作)を一緒に食べながら、俺は千冬姉に夕方の出来事を話した。謝罪の言葉を聞くと、千冬姉はスプーンを皿に置き、

 

「すぐに手が出るのはあまり良くないことだが、お前のやったことは間違いじゃない」

 

 と答えた。つっけんどんな言い方だけど、その顔には微笑が浮かんでいる。

 

「でも、凰のやつわけわかんねえよな。いきなり顔をグーで殴ってきたんだぜ? 信じられないっての。ろくでもないやつだ」

 

 凰に対する怒りは、数時間たってもまだ収まっていなかった。きれいに入った一撃だったようで、いまだに頬がひりひりする。

 

「……お前は、その子のことをろくでもないやつだと考えているのか」

 

「え? そりゃそうだろ」

 

 何を言っているんだと千冬姉を見る。

 

「お前はいきなり乱入して男子たちと喧嘩を始めたのだろう? その光景を見て、彼女は少し気が動転していた可能性がある。お前を殴ったのも、何か理由があってのことなのかもしれない」

 

 諭すような千冬姉の口調に少しむっとなる。――その頃の俺は、とにかく早く成長しようと背伸びしている時期で、子ども扱いされるのがなんとなく嫌だったのだ。

 

「なんだよ、千冬姉はあいつの肩を持つのかよ」

 

「そうは言っていないさ。ただ、まともな会話をしてもいないのに相手がどんな人間が決めつけるのはどうなのかと思っただけだ。……ごちそうさま。おいしかった」

 

「……お粗末さまでした」

 

 まだ言い返したいことがあったのに、『おいしかった』なんて言われたら文句も全部引っ込んでしまう。千冬姉のそういうところがずるいんだ、などと思いつつ、最近ようやく形になってきた自分の料理に満足を覚えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕食が終わって、千冬姉はまた仕事だと言って家を出て行ってしまった。束さんが行方知れずになってから、家を空ける時間がかなり増えた気がする。寂しくないと言えば嘘になるが、仕方のないことだと思う。

 

「48……49……50……っと。よし、腕立て伏せはこんなもんでいいか」

 

 で、ひとり家に残った俺は、日課である夜の運動に励んでいる最中だ。以前千冬姉に『俺も千冬姉みたいに強くなりたい』と言って、『ならまずはもっと筋肉をつけろ』と即座に返されて以降、基本的に毎日休まず行っている。おかげで最近、少し腕が太くなったような気がする……たぶん気がするだけだけど。

 

「まともな会話をしてもいないのに、か……」

 

 腹筋運動に移ろうとしたところで、夕食時のやり取りを思い出す。……確かに、千冬姉の言う通りなのかもしれない。殴られたのが結構ショックだったせいで、勝手に嫌なやつだと判断してしまったけど……何かわけがあったのだとしたら、俺はそれを知りたいと思う。

 

「もう1回話しかけてみるしかないか」

 

 結局それ以外に問題を前に進める方法はない。また殴られるかもしれないが、このままもやもやした感じが心に残るよりはずっとましだ。

 

「日本語がうまくないらしいから、ゆっくり話せばいいのか? いや、世界共通の英語で話した方がいいのかも。……えー、ハロー。ハウアーユー?」

 

 ……英語はやめておくべきかもしれない。仮に向こうが話せたとしても、俺が聞き取れないし口にもできない。

 

 

 

 

 

 

 翌日。意外にも昨日の喧嘩のことは先生に伝わっておらず、俺が怒られるということはなかった。あの男子たちも自分たちのいじめがばれるのを恐れたのかもしれない。人気のない場所だったし、目撃者もいないはずだ。

 

「一夏、お前今日の算数の宿題やったかー?」

 

「……あ」

 

 そういえば、1週間前くらいにどばっとドリルが出されていたような気がする。まずいな、うちのクラスの先生は宿題忘れると怖いから、5時間目の算数の授業までになんとか終わらせないと。

 

「凰に会うのは放課後でいいか」

 

 あいつのことも気にかかるが、自分の宿題も同じくらい大事な優先事項だ。ここは懸命にドリルを解く作業に専念したほうがいいだろう。

 

 

 ――なんとか大量の宿題をさばき切り、迎えた放課後。凰のクラスに行くと、すでにあいつの姿はなかった。うちのクラスの終わりの会がやたらと伸びたから、その間にもう帰ってしまったのだろう。靴箱にも上履きしか入ってなかったし、まず間違いない。

 

「……家に行ってみるか」

 

 確かあいつの両親は中華料理の店を開いていたはず。行ったことはないが、最近スーパーのあたりに新しく店ができたという情報は頭に入っている。今日は千冬姉も帰ってこないらしいし、せっかくだから凰に会うついでに夕食はそこでとることにしよう。

 

「よし」

 

 そうと決まればすぐさま行動。いったん家に帰り、財布にお金を補充してから中華料理屋へと歩を進める。多分自宅から歩いて5分くらいってとこだろう。

 ……そして、もうすぐ目的の店があるであろう場所に着こうというところで。

 

 ぽーん……ぽーん……

 

「ん……?」

 

 ボールか何かが跳ねる音に、なんとなく足を止める。たぶん、あっちの空き地から聞こえてきたんだと思うが……

 

「あれは……」

 

 空き地をのぞいてみると、塀に向かって壁当てをしているひとりの女の子がいた。結構きれいなフォームで軟球を放るたび、頭から生えてる……ツインテールって言うんだっけ、それが揺れてる。こっちに背を向けてるから顔は良く見えないけど、あれは俺が会いに来た人物――凰鈴音本人だ。

 

「おい」

 

 しばらく壁当てを眺めた後、声をかける。ビクン! とその背中が震えて、おそるおそるこっちを振り向く凰。

 

「っ!?」

 

 そこにいるのが俺だと認識した途端、いきなり2,3歩後ろに下がって距離をとってきた。やっぱり警戒されているらしい。

 

「あー、その……そんなに怖がらなくていいんだ。俺は別に、お前に嫌がらせをしようとか、そういうつもりで来たわけじゃないから」

 

「………」

 

 こっちを睨んだまま、凰はますます俺から離れていく。……駄目だ、らちが明かない。

 

「……あ」

 

どうすりゃいいんだと途方に暮れているところで、壁際に落ちている野球のボールと、凰が左手につけているグラブが目に留まった。……これだ。

 

「凰、ちょっと待ってろ。5分くらい」

 

 それだけ言い残して、全力疾走で空き地を出る。あいつが俺の言う通りにその場にとどまっていてくれるかは果てしなく微妙だが、そのときはそのときだ。

 

「こうなったら意地でも会話してやる……!」

 

 目的地は俺の家。そこに置いてあるものを目指して、俺は宿題をやるのに疲れた体にむち打って走り続けた。

 




真面目な話になるとなぜかキーボードを打つ指の動きが遅くなってしまいます。わりとどうでもいいシーンの方が書きやすいのは悲しいです……

前書きにも書きましたが、今回と次回は過去編で、一夏と鈴のなれ初めを書いていきます。次回は鈴視点での回想になります。これが終わったら10話以上前から約束していたデート回がようやくやってきます。

そろそろ大学のほうも忙しくなりそうで更新も遅めになるかもしれませんが、次回からもよろしくお願いします。


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第23話 むかしむかしのおはなし②

幕間最終回です。


「うーん、やっぱり夏だし明るい色の服の方がいいかな……。ねえティナ、アンタはどっちがいいと思う?」

 

「どっちでもいいと思う」

 

「リボンはどうしようかな……あのさティナ」

 

「どうでもいいと思う」

 

「……なによ、もうちょっと真面目に考えてくれてもいいじゃない」

 

 明日の一夏とのデートに着て行く服装を熱心に吟味していた鈴は、意見を聞いても投げやりな答えしか返してくれないティナを恨めしそうに見つめる。対してティナは手元に置いてある袋からお菓子を取り出しつつ、呆れたように肩をすくめた。

 

「……あのね、私があなたの服選びに付き合い始めてからゆうに1時間は経過しているの。しかも20分前あたりからさっき聞かれたことをまた言い出してくるし。リボンの話題はもう3回目なのよ。面倒になって当然だと思わない?」

 

「ううっ……そうだっけ」

 

「すべて嘘偽りのない事実です」

 

 時計を見ると、確かにいつの間にか午後10時をまわっている。ティナが飽きて時代劇を見始めていても仕方のないことだ。

 

「ごめん。どうしてもいろいろ不安になっちゃって……」

 

 別に自分の美的センスにまったく自信がないわけではない。だけど、明日は待ちに待った一夏との両者公認のデートなのだ。相当気負ってしまっている部分もあるし、それゆえ服装の選択にも慎重になってしまうのである。

 

「まあ、鈴の気持ちもわからなくはないけど……どれだけ考えて着飾っても、最後にものを言うのは中身だと思うわよ」

 

「ティナ……そうよね、本当に大事なのは見た目じゃないわよね」

 

「そうそう、だから少しくらい体重が増えてもいいわよねー」

 

「……アンタ今、いろいろと台無しにしたわよ」

 

 せっかくいいこと言ってたのにと苦笑いを浮かべつつ、鈴は気を取り直して明日の準備を再開する。服装はさっき第一候補になっていたものに決定し、続いてバッグに入れる小物の用意に取りかかる。

 

「えっと、確かリップが切れかけてたから新しいのを補充しておかないと……」

 

 クッキーをおいしそうに頬張りながらテレビを見ているティナの傍らで棚を漁っていると、うっかり肘を当てた拍子に何かが床に落ちてきた。

 

「……ああ、これか」

 

 確認すると、それは野球のボールだった。硬球で、白い部分には黒のペンでサインが描かれている。これは彼女が5年前に手に入れたものだ。

 

「考えてみれば、あいつと仲良くなれたのも、ボールとグラブのおかげだったのよね」

 

 なんとはなしに昔の記憶を掘り起こす。小学5年生の春、織斑一夏という男の子と出会った時の、彼女にとって大切な記憶を。

 

 

 

 

 

 

 凰鈴音が日本にやって来たのは、よくある家族の事情というヤツによるものだった。両親が日本で中華料理の店を開くことに決めて、当時10歳だった鈴も彼らと一緒に中国から引っ越すことになったのが12月。実際にこの島国に足を踏み入れたのは3月のことであった。

 新学期を迎え、初めて日本の小学校に通うその日、鈴の頭の中は不安でいっぱいだった。それなりに勉強はしておいたものの、まだ彼女の話す日本語はたどたどしいし、早口でしゃべられたりちょっとでも難しい言葉を使われると意味を理解することができない状態だ。他にも文化の違いや誰一人知り合いがいないという状況など、問題となる要素は山ほどあった。

 

「はい、それじゃあ自己紹介をお願いします」

 

「え、えと、ワタシ、凰鈴音といいマス。ちゅ、ちゅーごくから、きましタ」

 

 担任の先生に転校生として紹介され、黒板に名前を書いてから不慣れな言語を口にする。自分でもカタコトだとはっきり認識できるその話し方に、それぞれの席に着いている生徒たちも不思議そうな顔をする。中にはニヤニヤと笑っている人もいて、少し不快だと鈴は感じた。

 

「凰さんは日本に来たばかりなのでまだ言葉に不自由なところがありますが、みなさん親切に接してあげてくださいね。凰さんも、わからないことがあったらすぐに聞いてね」

 

「は、ハイ……」

 

 これからうまくやっていけるのだろうか。できるだけゆっくりとわかりやすく語りかけようとしてくれる先生に感謝しつつも、鈴の心はますますマイナスの感情で満たされていくのであった。

 ――そして、そんな彼女の不安は的中した。4月の半ばごろから、一部の男子が嫌がらせをしてくるようになったのだった。最初は少しからかう程度だったのが次第にエスカレートしていき、5月に入るころには明確にいじめと言えるレベルにまで達していた。クラスで孤立していた鈴には助けてくれる友達もおらず、いじめも先生のいないところで行われるため、気がつけばどうしようもない状況に立たされてしまっていたのだ。

 

「鈴音、学校はうまくやっていけそうか?」

 

 最後に頼るべきなのは、もちろん彼女の両親だったのだが。

 

「……うん。大丈夫だよ」

 

 店を開けたばかりで経営に四苦八苦している父と母の姿を見ていると、とてもこれ以上厄介ごとを増やすわけにはいかないと感じてしまい、結局何も相談できず、安心させるための嘘の笑顔を作ることしかできないでいた。

 

 そうして月が明け、5月を迎えたある日のこと。

 

「ほらリンリン、笹食えよ笹」

 

「パンダみたいな名前してるんだから当然食えるよなー」

 

 下校途中にに男子4人に囲まれたかと思うと、そのまま人通りの少ない場所に連れてこられ、笹を食えと強要された。

 そんなことできるわけがない。だから彼女は頑なに口を閉じたまま、突きつけられる笹に対して拒絶の態度を貫こうと試みる。

 

「なんだよ、一口くらい別にいいだろ」

 

 だが、男子たちはどうしても引き下がろうとしない。それなりに運動神経には自身のある鈴だが、4人相手ではろくな抵抗をすることもできない。

 

「うぅ……」

 

 ――やっぱり、お父さんとお母さんに相談すればよかったんだ。心配をかけないようになんて、大人ぶった真似なんてするんじゃなかった。

 後悔が胸に押し寄せ、自らの目尻に涙がたまっていくのを鈴が感じた、その時のことだった。

 

「こうなったら無理やり――ぶっ」

 

 リーダークラスらしき男子の頬が、突然現れた誰かによって殴り飛ばされた。予想外の事態に、鈴も男子たちも目を見開く。

 

「うわっ――おまえ!」

 

「――ねえか! くそっ……」

 

 混乱しているせいで男子たちの会話がうまく聞き取れない。わかるのは、いきなり乱入してきた顔も見たこともない男の子が、いじめっ子を相手に喧嘩を始めたことだけ。1対4なので当然不利なはずなのだが、蹴られても突き飛ばされても立ち上がって食い下がる彼に、相手も次第に勢いをそがれていく。

 

「――てろよ!」

 

 最終的に根負けしたのはいじめっ子たちのほうで、4人そろってどこかへ走り去っていった。残った男の子は、腕や脚についた傷痕をひとしきり眺めた後、状況についていけず呆けていた鈴の方に向き直る。

 

「おい――」

 

 頭がこんがらがったままなせいで、こちらに歩み寄ってくる男の子が何を言っているのかがよくわからない。そもそも、なぜ彼はいじめっ子たちに殴りかかったのか――

 その瞬間、鈴の頭に浮かんだ考えは『この子も自分をいじめようとしているのではないか。そのためにあの4人を追い払ったんじゃ……』というものだった。今までクラスのみんなが鈴に対する嫌がらせを見て見ぬふりしてきたのに、顔も見たこともない人が突然助けにやってきてくれるわけがない――それが彼女の出した答えだった。

 

「っ!!」

 

 反射的に出た右手が、男の子の頬に思い切りヒットした。彼がふらついている間に、鈴は力の限り足を速く動かし、その場を離れて自宅に駆け込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後は、特に誰かに絡まれるということもなくまっすぐ家に帰ることができた。

 

「すいませーん! 注文いいですかー」

 

「はい、ただいまうかがいます!」

 

 両親が忙しそうに働いているのを見るとどうしても手伝いたくなるのだが、残念ながら鈴はまだ客の注文を正確に聞き取れる自信がない。それでもなんとかなるとは思うのだが、注文をとるのに手間取ってお客さんに迷惑をかけるわけにもいかないという母親の言葉は正しいと思うし、

 

「子供は遊ぶのが本分なんだから、外に出て好きにしておいで」

 

 そう優しく言われてしまうと、鈴としても引き下がるしかないのだった。

 

「今日も裏の空き地に行こうかな」

 

 店の裏側には小さな空き地があり、鈴はよくそこで時間を過ごしていた。近くに大きな公園があって、他の子供たちはみんなそこに行くため、ここには誰も来ないのだ。

 いつものようにグラブとボールを持って空き地に入り、壁に向かって立つ。野球好きの父親の影響で、彼女自身も中国にいたころからバットとグラブ、ボールに慣れ親しんできた。周りの友達に布教し続けたおかげで、最終的には5人対5人で試合ができるようにまでなっていたのだが、今はその友達も遠く離れた場所にいる。

 

「………」

 

 力を込めて投げ込んだボールは、自分の頭の中で作り上げたストライクゾーンを通過して壁にぶつかる。跳ね返ったボールを拾う作業に、どうしても一抹の寂しさを覚えてしまう。

 

「おい」

 

 不意に背後からかけられた声に振り向くと、昨日彼女が殴った男の子が立っていた。その顔が怒っているように見えて、思わず足が後ろに動いてしまう。

 

「あー、その……そんなに怖がらなくていいんだ。俺は別に、お前に嫌がらせをしようとか、そういうつもりで来たわけじゃないから」

 

 信じられない、と鈴は感じる。何かよくないことを考えているのではないかと、疑う心がどんどん大きくなっていき、自分でも手が付けられない。結果、彼女はますます目の前の少年から距離をとる。

 彼はそんな彼女の様子をしばらく見つめた後、何かを思いついたかのようにぽん、と手を叩いた。

 

「凰、ちょっと待ってろ。5分くらい」

 

 そう言い残して、空き地を勢いよく飛び出していく男の子。突然現れて突然去って行った彼の行動に呆然としていた鈴だが、すぐに気を取り直してどうするべきかを考える。

 ちょっと待ってろと言われたが、別に彼の言うことを素直に聞く必要はない。戻ってきたら何をされるかわからない以上、さっさと家に帰った方が得策だ。

 

「……そうよね。逃げた方がいいわよね」

 

 考えた末に出した結論に従い、鈴は空き地を出ようと歩を進め――

 

「待たせたな!」

 

「っ!?」

 

 その矢先、男の子が5分もたたずして戻ってきた。息を切らしているところを見ると、どうやらずっと走り続けていたらしい。

 逃げるタイミングを失って慌てる鈴だが、彼が左手にグラブをはめているのが目に入り、しばしの間動きを止める。

 

「お前が俺の話を聞くつもりがないんなら……とりあえず、キャッチボールでもしようぜ」

 

「え……?」

 

 思いもしなかった彼の発言に、鈴はまたしても呆気にとられる。どういうことなのか、彼は自分に危害を加えようとしに来たのではないのだろうかと、頭の中で疑念がぐるぐると渦巻く。

 

「ほらいくぞ、それっ」

 

「わ、わわわっ」

 

 鈴の返事を待たずして山なりに放られたボールを、あたふたしながらもなんとか捕球に成功する。

 

「ナイスキャッチ。ほら、こっちに投げてくれ」

 

 笑顔で返球を要求する男の子。どうするべきか迷った挙句、とりあえずこちらも山なりのボールを投げ返した。

 

「ナイスボール。じゃ、次はもう少し速く投げるぞ。……えっと、ビッグスピードボール、オーケー?」

 

「……英語にしなくてイイ」

 

「あ、ああ、そう……まあいいや、ようやくお前のまともに話す声が聞けたし」

 

 そう言って、さっきよりも速い球を放ってくる。……確かに、彼相手にちゃんとした言葉を口にしたのは初めてのことだった。

 

「わ、ワタシも……もうちょっと、速いボール、なげてイイ?」

 

「ん? ああ、いいぞ。というか、思ってたよりずっと日本語上手なんだな、お前」

 

 少しずつ、彼に心を許し始めていることに気づく鈴。日本に来てから毎日あくせく働いている父とは久しくキャッチボールなどできていなかったからかもしれない。

 

「お、いい球投げるなあ。野球、いつからやってるんだ?」

 

「5歳から……」

 

「俺と同じくらいか。中国でも野球って人気なのか?」

 

「……あんまり。ワタシが、みんなに教えタ」

 

「なるほどなあ」

 

 ボールのやり取りを行いながら、鈴は男の子との会話を続ける。ほとんど向こうが話題を出してこちらが答える形になってはいたものの、それでもちゃんと話すことができていた。

 

「最近、千冬姉……姉ちゃんの仕事が忙しいみたいでさ。時々やってたキャッチボールが全然できなくなってたんだよな」

 

「ワタシも、おとうさんがいそがしくて……」

 

「へえ、じゃあ仲間だな。キャッチボールの相手がいないっていう仲間」

 

「……それ、なんだかイヤ」

 

「え、そうか?」

 

 首をかしげる彼の仕草に、自然と笑みがこぼれる。……久しぶりに、本当の意味で笑えた気がした。

 

「……ごめんなさい。きのう、ワタシ、アナタがいじめるんじゃないかとおもって……」

 

 この男の子は最初から、鈴に手を差し伸べようとしてくれていた。なのに疑心暗鬼にとらわれて、その手を払いのけてしまったことに対して、深く頭を下げる。

 

「……なるほど、そういうことか。千冬姉の言った通りだな……ま、過ぎたことだし気にするなよ。それと、昨日の奴らのことだけど。あいつら、このあたりじゃ有名ないじめっ子なんだ。喧嘩が強いし、いろいろと根に持つ性格でもある。クラスのみんなが見て見ぬふりしてたのも、仕返しが怖かったからだと思う。……だから、あんまり日本人のこと、嫌いにならないでくれ」

 

「……うん、わかった。ありがとう」

 

 殴ったことをあっさり許してくれた男の子に感謝しつつ、鈴はこちらに飛んでくるボールをキャッチする。パン、というグラブの乾いた音が心地よい。

 

「よし。じゃあ最後の1球、思いっきり投げてこい。ただしコントロールには気をつけてな」

 

 そう言って、彼は壁を背にしてグラブを構える。一応すっぽ抜けてもいいように配慮してくれているようだ。

 

「思いっきり……っ」

 

 全力で投げた球は少し高く浮いてしまったが、なんとか腕を伸ばした彼のグラブの中に収まった。

 

「これからも、たまにここに来ていいか?」

 

「うん」

 

「ありがとう。改めてよろしく、凰」

 

 笑って右手を差し出してくるのに応えようと、鈴も彼の名前を呼ぼうとするが。

 

「……あ、あの、名前」

 

「ん? ……あ、そういやまだ自己紹介もしてなかったな。ごめんごめん。俺の名前は織斑一夏だ」

 

「お、おるむりゃ……?」

 

 初めて聞く上になんだか難しそうな名字を、鈴はうまく発音することができない。

 

「言いにくいなら一夏でいいぞ」

 

「い、ちか……イチカ……一夏。一夏、ね。よろしくおねがいします」

 

 挨拶をして握手を交わすと、一夏はにっこりと笑ってくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

「うわあ……」

 

「すごいだろ。これが日本のプロ野球なんだ」

 

 1ヶ月後、鈴は一夏に連れられてプロ野球の試合を見に来ていた。一夏が商店街の福引でチケットを2枚当てたため、野球が好きな友人である鈴に白羽の矢が立ったのだった。

 

「すごい人の数ね……」

 

「日曜日だしな。デーゲームでもたくさん見に来る人がいるんだ。……お、あそこが俺たちの席だな。内野だから選手の顔とかもよく見えるだろ」

 

 一夏の案内に従い、指定された席に着く。試合開始まであと30分ほどだが、すでに球場は大勢の観客によってざわめき始めている。このような雰囲気を味わったことのない鈴にとっては、何もかもが目新しく新鮮という状態だ。

 

『お待たせいたしました。それでは、両チームのスターティングメンバ―を発表します』

 

 ウワアアア!! という歓声が球場全体を包み込む。隣の一夏も目を輝かせて電光掲示板のほうを見つめている。

 

「今日はエース同士の投げ合いだからな。きっと盛り上がるぜ」

 

 ――一夏の言葉通り、試合はすごく面白い展開になった。三振を奪いまくるピッチャーと打たせてとるピッチャーの対戦は、両チームとも少ないチャンスを得点につなげ、6回を終わって2対2の同点というスコアになっていた。

 

「さっきのダブルプレーすごかったよなー。鈴もそう思うだろ?」

 

 『呼びやすいから』と使い始めたその呼び方で、一夏は凰鈴音という少女に語りかける。

 

「……うん。本当にすごいわね」

 

 初めて体験した日本のプロ野球観戦というものに、鈴は素直に感動を覚えていた。きっとこれから、もっとこの国のことを好きになれると思う。

 ……そして、彼女にその機会を与えてくれた、この少年のことも。

 

「一夏はどっちのチームが勝つと思う?」

 

「そうだなあ……俺的には――」

 

 ――一夏と一緒にいれば、楽しいことがたくさんあると思う。だからこれからも、ずっと仲良くしていけたらいいな。

 そう願った、快晴の日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

「確かあの試合で、サイン付きのウイニングボールが投げ込まれたのを鈴が捕ったんだよな。あいつ本当に運がいいよな……」

 

 俺なんてホームランボールもウイニングボールも持ってないのに……と愚痴を垂れつつ、明日の準備を整えた俺はベッドにもぐりこむ。

 ……鈴のいじめについては、あいつが日本語をものすごい勢いで習得したこと、それに伴い元来の気の強さが遺憾なく発揮させられたことにより、自然消滅という結末をたどった。なので俺がやったことといえばあいつの初めての日本人の友達になったことだけなのだが、それでも鈴に言わせればいじめを乗り越えられたのは全面的に俺のおかげらしい。まあ、役に立てたのなら光栄なんだけどな。

 

「さて、寝るか」

 

 明日は疲れるだろうし、しっかり睡眠をとっておこう。

 

 

 

 

 

 

 熟睡しているティナをなんとなく観察しながら、ベッドの上で鈴はあることについて考え込んでいた。

 

「……結局あたしって、いつ一夏のこと好きになったんだろ」

 

 キャッチボールして、仲良くなって、一緒に遊んで……どのタイミングで恋心を抱くようになったのか、明確な線引きがまったくできない。

 

「うーん……」

 

 かれこれ5分ほどうなって、最終的に彼女が出した結論は。

 

「ま、いっか。今好きなことには変わりないんだし、それで十分よね」

 

 きっぱり開き直った鈴は、そのまままぶたを閉じて眠りに落ちていくのであった。

 




というわけで幕間の章も終了、次回から新しい章に入っていこうと思います。今回時が過ぎるにつれ鈴の日本語を流暢にしていったつもりですが、うまく書けていたでしょうか。

例によって章の終わりの反省が続くので、どうでもいい方はこの先を読む必要はありません。

この幕間で意識したことといえば、日常っぽい描写を出すということでしょうか。バッティングセンターやみんなでテレビ視聴、バスケやキャッチボールあたりのシーンが一応これにあたります。クラスメイトを数人出したのもそういった雰囲気を作りたかったからです。

ストーリー的には箒と束の会話、ラウラのフォロー、そして一夏と鈴の過去編あたりが本筋に関わる話だったと思います。篠ノ之姉妹に関しては3巻の内容でも必然的に大事な要素になってくるでしょう。

一夏と鈴のなれ初めについてですが、「普通にいじめられてるところを助けて惚れたってことにすればいいじゃないか」と感じた方もいるかと思われます。なんでそうしなかったのかの言い訳をさせていただきますと、まずは上にあげたようにキャッチボールという日常的なシーンを描きたかったことがひとつ。もうひとつは……まあ、キャッチボールや野球観戦というある意味普通の行動が問題解決につながった、という感じにしたかったからです。よくわかんないですね。

さて、次回はようやくデート回。久しぶりに本筋の話が動く予定です。ちなみに本筋とは「一夏と鈴の関係または原作におけるメインストーリー」のことを指します。

では、次回もよろしくお願いします。


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運命の相手編
第24話 いつも通りな2人


今回から新章突入です。


「さて、そろそろ出かけるか」

 

 時刻は午前10時。身だしなみの最終チェックを行い、俺は寮の部屋を後にした。

 鈴との待ち合わせは駅前のショッピングモール入り口に設定している。一緒に寮を出てもよかったのだが、『出る時間をずらして外で落ち合った方がいい』という鈴の意見により、俺が先に出発することになった。

 実際これはいい案だ。5月末の鈴の発言とか6月末の俺と鈴の自爆キス暴露などによって、俺たちの関係に注目している生徒はそれなりにいる。余計な波風を立てないためにも、2人で遊びに行くことがばれないようにするのが賢明な判断である。別々に行動しておけば、よほど目ざとくて勘の鋭い人に出くわしたりしない限りは問題ないだろう。

 

「おはよう一夏くん。少しお話があるんだけど、楯無おねーさんのために時間をとってくれるとうれしいな」

 

 まずい、目ざとくて勘の鋭そうな人に出くわしてしまった。

 

「お、おはようございます楯無さん。でも俺これから出かけるところなんで、申し訳ないですがまだ今度にしてくれるとありがたいかなーと」

 

「そうなんだ。それじゃあ仕方ないわね」

 

「すみません。というわけで……」

 

 できるだけ平静を装って返事を行い、軽く頭を下げながら楯無さんの横を通り過ぎる。危ない危ない、ああいう底の知れないタイプの人にはなんでも見抜かれてしまいそうで本当に困――

 

「デート?」

 

「ひいっ!?」

 

 通り過ぎざまに耳元に吹きかけられた言葉に背筋が凍る。なぜだ、なぜわかったんだ……!?

 

「ふふ、一夏くんのそのわかりやすい反応好きよ」

 

 思わず変な声を出してしまったせいで、周囲にいた女子たちが俺と楯無さんを怪訝そうに見つめている。やばい、このまま楯無さんがばらしでもしたら……なんとしてでも黙っていていただかなければ。

 

「そんなこの世の終わりみたいな顔しないの。心配しなくても、私はこのことを誰かに言いふらしたりはしません」

 

「へ? しないんですか?」

 

「私がそんな人間に見える?」

 

 見えます。

 

「帰ってきたらお話ししましょう、織斑一夏くん」

 

「心を読まれたっ!?」

 

 楯無さんの持つ扇子には『折檻』の2文字が。お話しする気がないことだけはよくわかった。ついでに言うとにっこりと目以外は楽しそうに笑っているのが恐怖を倍増させている。

 

「とまあ、冗談はおいといて」

 

「ああ、冗談だったんですか。よかった」

 

「帰ってきたら結婚しましょう」

 

「えらく唐突なプロポーズですね!」

 

 俺は戦争に赴く雑兵かなにかなんだろうか。

 

「あはは、やっぱり面白いわね、一夏くんは」

 

 愉快そうに笑う楯無さん。まったくこの人は……何を考えてるのか全然わからない。

 

「それじゃあ、最初に言った通り真面目な話があるのも事実だから。また今度ね」

 

「了解しました……」

 

「応援してるわよ♪」

 

 足取り軽く去っていく楯無さん。年下の男をからかうのがそんなに楽しかったのだろうか。……とにかく、気を取り直して駅前に向かうとしよう。

 

 

 

 

 

 

「お、来たか。おーい鈴、こっちだこっち」

 

 待ち合わせ時間の午前11時より5分早く、鈴はショッピングモールの入り口に姿を現した。俺が手を振っているのに気づくと、軽快な足取りでこちらにやってくる。

 

「誰にも見つからなかった?」

 

「悪い、楯無さんに気づかれちまった。他の人には話さないっていう本人の言葉を信じるしかないな」

 

「そう……まあ、あたしが寮を出る時にも異常はなかったし、秘密にしてくれてるみたいね」

 

 作戦の結果を報告しつつ、俺は鈴の服装をそれとなく観察する。肩を露出している……のは制服の時と同じか。お、鈴にしてはわりと珍しく私服でミニスカート穿いてるな。すらっと伸びた脚は相変わらず一級品だと思う。もう一度上半身に目を戻すと、同年代の女性と比べて起伏に欠けるある部位が視界に入り。

 

「ねえ一夏。双天牙月と龍咆、どっちが好みかしら」

 

「生身で食らったらどっちも死ぬから同じだ」

 

 びきりと青筋を立てて拳を握りしめている鈴。どうやらじろじろ見過ぎたせいで俺の失礼な考えを悟られたらしい。今日は他人に心の内をよく読まれる日だな。

 

「鈴」

 

「なによ」

 

 こいつは自分が貧乳であることをかなりコンプレックスとしており、指摘されるとマジでキレてしまうのだ。どのくらい怒るかというのは……被害者1号五反田弾が恐怖に震えながら説明してくれるだろう。今回は直接言葉にしたわけではないので多少おっかない殺人宣言を行うだけにとどまっているが、きちんとフォローを入れておかなければ。

 

「希望はある。かつてライト兄弟が努力の末に空を飛んだように」

 

「ねえ一夏。双天牙月と龍咆、どっちも好みよね」

 

 疑問形から断定に変わってしまった。余計怒らせてしまったようだ。

 

「なんだよ、可能性はあるって言ってるだろ」

 

「アンタの言い分だとあたしの胸が成長するのが人類史上稀にみる奇跡みたいな扱いになってるんだけどこれはどういうことかしら」

 

「………」

 

「沈黙は金ね」

 

「待ってくれ。別にそういう意味で言ったわけじゃない……わけでもないけど。お、俺は別に大きくても小さくても胸ならどっちでもいいから!」

 

 焦った末に飛び出した俺のとんでもない変態発言に、鈴の動きがぴたりと止まる。

 

「……そうなの?」

 

「え、ああ……ぶっちゃけるとそうだ。それが女性の胸ならサイズなんて関係ないと思う」

 

 紛れもない本心なのだが、これは絶対に口に出して話すことじゃない。間違っても女友達の前でカミングアウトする事柄ではない。

 

「……へえ、そうなんだ。一夏は女の胸ならなんにでも興奮する変態なんだ」

 

「ちょっとうれしそうに照れるのをやめてくれ。死にたくなる」

 

 機嫌が直ったのはいいが、代わりに何か大切なものを失ってしまった気がする。

 

「いつまでもここでしゃべってるわけにもいかないし、そろそろ移動しましょ」

 

「ああ……そうだな。まずは昼飯か」

 

 予定としては、いろんな店が揃っているこのショッピングモールで昼食を済ませてから水族館へ向かうことになっている。レストランのエリアは3階だから、まずはエスカレーターに――

 

「どうかしたか?」

 

 歩き出そうとしたところで、鈴が手を前で組んでもじもじとしているのに気づく。怒ったり照れたり忙しいやつだ。

 

「あ……あのさ。手、つながない?」

 

「手?」

 

「そう。……ダメ?」

 

 上目づかいで俺を見つめる鈴。そんな顔をされて断れるはずもないし、別に手をつなぐこと自体に拒否感もない。

 

「いいけど」

 

 とはいえ、もじもじしている鈴と同じく、俺も恥ずかしいことに変わりはないんだけどな。

 

「えっと……右手と左手、どっちを握ればいいんだ?」

 

「ど、どっちでもいいわよ、そんなの」

 

「そっか」

 

 どっちでもいいらしいので、右手を鈴に向けて差し出す。すると、ぎこちない動きで鈴の左手が俺の手に重なってきた。そろそろと感触を確かめるように手を動かしてくるため、こっちはなんだかくすぐったい。

 

「じゃあ、改めて出発するか」

 

「ええ」

 

 互いの手を優しく握り合いながら、俺たちはようやく足を動かし始めた。

 

 

 

 

 

 

 昼飯は相談の結果、蕎麦屋に行って2人で天ぷら+ざるそばをおいしくいただいた。俺のしいたけと鈴のかぼちゃという双方が得するトレードを行ったりもして、文句なしに満足できる昼食だった。

 

「シオマネキって左右のバランス崩したりしないのかしら。すごく不恰好に見えるんだけどなあ」

 

「確かに片方のハサミだけでかいと動きづらそうだな」

 

 そして現在、水族館で様々な水棲生物を観察している。先月新しくオープンしただけあって設備も新しく、ボリュームもあるみたいだ。

 

「あはは、このウツボ一夏にそっくりよ」

 

「ウツボってお前……絶対馬鹿にしてるだろ。どの辺が似てるんだ」

 

「生き様が」

 

「お前はこのウツボの何を知っているんだ」

 

 上機嫌で水槽を見て回る鈴の目は輝いていて、はしゃいでいるのがよくわかる。鈴ほどテンションが高いわけではないが、俺もマンボウや熱帯魚などを眺めていろいろ新しい発見をするのを楽しんでいる。水族館ってたまに来ると本当に面白いんだよな。

 

「あ、この容器に入ってる生き物は触っていいらしいわよ。……うわあ、ヒトデってこんな感触なんだ。ちょっと想像と違うかも」

 

「どれどれ……へえ、もっと柔らかいと思ってたな」

 

 『ふれあいゾーン』なる場所では周りにいた子供たち以上に熱心に生き物のさわり心地を確かめた。

 

「クラゲか……クラゲ型の敵はだいたいのゲームで面倒だから好きじゃないな」

 

「そうだっけ? あたしはタコ系の方が厄介だと思うけど」

 

 実物を前にしてゲームのことを熱く語り合ったりしているうちに、一通り全部の水槽を巡り終える。あとは4時から始まるアザラシのショーを見れば、ほぼ完全制覇ということになる。

 

「3時半か……」

 

「見るんならいい席取りたいし、ちょっと早いけどショーの場所まで行っちゃう?」

 

「そうだな」

 

 鈴と話し合って方針を決め、手をつないで歩き出そうとした時のこと。

 

「うん……? なあ鈴、あの子さっきもあの水槽の側にいなかったか」

 

「へ? そんなこと言われても覚えてないわよ」

 

 鈴はそう言うが、俺の記憶に間違いがなければあそこで水槽に背を向けて座っている小さな男の子は10分くらい前にも同じ場所で同じ体勢でいたはずだ。携帯電話やゲーム機をいじっているのなら問題はないが、そういう素振りも見せていない。何もせず、ただ行き交う人々を不安げに眺めている。

 

「迷子かもしれないな。様子見てくる」

 

「あ、ちょっと一夏?」

 

 男の子に近寄る俺のあとをついてくる鈴。別に俺ひとりでいいんだけどな。

 

「君、ひょっとして迷子?」

 

 できるだけ優しい声を出すように努めながら話しかける。男の子は突然声をかけられたことに驚いていたようだが、最終的に俺の問いにこくりとうなずいた。

 

「お母さん、どっかにいっちゃった……」

 

「それで、ここでずっと待ってたんだ」

 

「うん……」

 

「ここメインの通路からだいぶ外れてるし、母親も見つけづらいでしょうね」

 

 鈴の言う通り、今俺たちがいる場所は人を待つのには適していない。そうなると、どこか目立つ場所に移動した方がいいのだが。

 

「まあ、普通に受付まで戻って放送で呼び出してもらうのが一番だな」

 

「そうね」

 

 最適解がはっきりしている以上、あとはその通りに行動するだけだ。

 

「よし、それじゃあ少し歩こうか。大人の人にお母さんを探してもらおう。きっとすぐに会えるからさ」

 

 男の子を励ましつつ、水族館入り口付近の受付を目指す。まだ30分近くあるし、このくらいしてもアザラシのショーには間に合うだろう。

 

 

 

 

 

 

「どうもありがとうございました」

 

 受付の女性に放送で呼び出してもらったところ、すぐに男の子の母親が走ってやって来た。どうやらもともと近くにいたらしい。事情を聞くと、ものすごい勢いで俺と鈴に頭を下げてきた。

 

「いえ、そんな大したことはやってないので……なあ鈴?」

 

「馬鹿ね、こういう時は下手に謙遜せずに素直にお礼を受け止めればいいのよ」

 

 年上の人に礼を言われて少し戸惑っている俺とは対照的に、鈴は相変わらずというかなんというか、とにかくさばさばしていた。『もらえるもんはもらっとけ』は凰家の家訓のひとつなのだそうだ。

 

「ありがとう! お兄ちゃん、お姉ちゃん」

 

 さっきまで元気のなかった男の子だったが、母親と会えたことで不安が消え去ったのだろう、今ではすっかり覇気を取り戻していた。

 

「ああ。次からは迷子にならないようにするんだぞ」

 

「うん」

 

「それでは、私たちはこれで。本当にありがとうございました」

 

 最後にもう一度礼を言って、母親は男の子を連れて帰っていく。今度は離れ離れにならないように、しっかりとわが子の手を握りしめて。

 

「お母さん、アイスクリーム食べたい!」

 

「駄目よ、おとといも食べたでしょう」

 

「えー! 食べたい食べたいー」

 

「もう……今日は特別よ」

 

「やったー!」

 

 ……そんなやり取りを聞いていると、どういうわけだか心がちくりと痛むような気がした。

 

「一夏、どうかした?」

 

「……なんでもない。それより早く行こうぜ。もたもたしてるとショーが始まっちまう」

 

 時計を見ると3時50分。ここからアザラシの場所までは結構離れているので、急がないと間に合わない可能性がある。

 

「本当だ、急がないとね」

 

 状況を確認した俺たちは、駆け足で目的地へと向かい始める。無事ショーの開始までに到着できればいいのだが……

 

「ねえ一夏。ショーが終わった後の予定なんだけどさ」

 

「終わった後? となると晩飯の話か」

 

 おそらくショーは5時前には終わるだろう。寮の門限を考慮に入れても、夕食を外でとる時間は十分にある。

 

「そ。それで……せっかくだし、ウチで食べることにしない? お母さん、アンタに挨拶したいって言ってたし」

 

「そうか……んじゃ、そうするかな」

 

「決まりね」

 

 俺の答えを聞いて、鈴は満足げに笑う。

 鈴のお母さんが日本に戻ってきたのはちょうど3日前のことだ。俺も久しぶりに会っておきたいと思っていたし、いい機会だろう。

 ……もっとも、とある理由で少しだけ行くのをためらう気持ちがあるのもまた確かなのだが。

 




あれ?デート回なのにあんまりいちゃついてないような……と思った方々。『お家に帰るまでがデート』です。本番はここからです。今回はサブタイ通り「いつも通りの2人」でした。せいぜい手をつないで恥ずかしがってたくらいです。

作中のやりとりでもわかりますが、この作品の鈴は原作ほど貧乳にコンプレックスを抱いていなかったりします。あくまでネタにできる程度のキレ具合です。わりとどうでもいい変更な気もしますが、一応この作品は原作再構成を謳っているので、こういうところも再構成されているのです。

次回、衝撃の展開が待っているかも。では、今後ともよろしくお願いします。


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第25話 転機

3日空いたのに5000字くらいしか書けませんでした。


「いらっしゃい……あら、鈴音と一夏くんじゃない!」

 

 店の戸を開けると、突然の来訪に驚きながらもおばさんが出迎えてくれた。しばらくここには足を運んでいなかったが、店内の様子は特に変わっていない。お客さんもそこそこ入っているし、まだまだ経営面での心配はなさそうだ。

 

「一夏と外で遊んできたから、ついでにここで晩御飯を食べようってことになったのよ」

 

「どうも。えっと、お久しぶりです」

 

「一夏くんとは本当に久しぶりね。背、すごく伸びたんじゃない?」

 

「一応、成長期なんで」

 

 俺と鈴の顔を見れてうれしいのか、おばさんは少しテンションが高い気がする。かくいう俺も、こうしてこの店で働いているおばさんを再び目にすることができて本当にうれしいと感じている。

 

「あれが店長がいつも自慢している娘さんか。俺初めて見たよ」

 

「俺はこの前来た時にも見かけたぞ。かわいい子だよな」

 

「2年前から彼女の姿を見守ってきた俺が断定する。ありゃ将来美人になる」

 

 おばさんに案内されて空いている席に移動する途中、他の男性客の話し声が耳に入ってくる。……鈴のやつ、相変わらず人気みたいだな。中国に戻る前は看板娘として客引きに一役買ってたし、その辺は弾の妹の蘭と同じだ。……あっちはファンクラブみたいなものまで存在しているようだが。

 

「おう、鈴音じゃないか。飯を食いに来たのか?」

 

「あ、お父さん」

 

 メニューを見て注文を考えていると、厨房からおじさんがひょっこり顔を出してきた。鈴を見つけてにこりと微笑むと、続いて俺に視線を移し。

 

「娘はやらんぞ」

 

「いい加減その言葉を俺専用の挨拶にするのやめてもらえませんか」

 

 めっちゃガンを飛ばしてくるおじさん。このやり取りは悲しいことに1年前からずっと続く恒例のものとなってしまっている。

 中学2年の春休み。俺と鈴の別れ際のキスの現場をしっかり目撃していたおじさんは、それ以降俺と会うと必ず『こんにちは』の代わりとばかりに先ほどの言葉をぶつけてくる。その一言の後は鈴の話題が出ない限りは普通に接してくれるのだが、俺が店でバイトしていた時期などはふとした拍子で鈴の話になることも多く、そのたびに睨みつけられるので結構困ったものだった。バイトをやめて受験勉強に専念し始めた夏以降は会うことも少なくなったのだが、時間の経った今になってもおじさんの態度は変わっていないようだ。

 

「うちの愛娘とデートした挙句私に見せつけにくるとはいい度胸だ」

 

「いや、別に見せつけるつもりはまったくないんですけど。ただ近くまで来たからおじさんとおばさんにご挨拶しておこうかと」

 

「両親に挨拶しに来ただと! くっ、まさか結婚まで話が進んでいたとは……!」

 

「そういう挨拶じゃないです!」

 

 面倒くさい。娘が絡むとこの人ものすごく面倒くさい。鈴と一緒に来るとこうなることが容易に予想できたからここで飯を食うのが躊躇われたんだよなあ。

昔はこんな人じゃなかったのに、何が彼を変えたというのか。やっぱり会えない間に子への愛が深まるというのは事実なんだろうか。

 

「お、お父さん……?」

 

「仕事中に何を馬鹿なこと言ってるんだか……」

 

 俺とおじさんのこういった会話を初めて聞いた鈴は戸惑い、おばさんは呆れたようにため息をついている。同居再開の直後に再び別居なんて事態にならないことを祈るばかりだ。

 

「……ふん、まあいい。夕飯を食べに来たなら腹いっぱいになるまでしっかり味わうんだぞ」

 

 ようやく落ち着いてくれたおじさんは、そう言い残して厨房に戻る。……今のやり取りで精神的に疲れたからか、腹の虫の自己主張が激しくなってきた。とっとと注文してたらふく食べてやろう。

 

「一夏、何食べるか決まった?」

 

「ああ、この味噌ラーメンと餃子のセットにする。……あとさ鈴、食べ終わってからなんだが――」

 

 

 

 

 

 

「食べてすぐ後に運動するのはあんまり体に良くないんだけどねえ」

 

「キャッチボールくらいなら大丈夫だろ。久しぶりにやろうぜ」

 

「わかったわよ。あたしもちょうど懐かしいと思ってたところだし」

 

 相変わらずのおいしい中華料理をいただいた後、俺は鈴を連れて店の裏の空き地を訪れていた。よっぽど人気がないのか、この土地は5年前から一切建物が建っていないのである。よって今でも、昔と変わらず2人でちょっとした遊びくらいはできるというわけだ。

 

「……しかし、まさかお父さんとアンタがあんな関係になってるとは思わなかったわ」

 

「俺は態度を変えてるつもりはないんだけどな。おじさんが過敏になりすぎてるだけだ」

 

 本当、普段は気のいい大人の男なのに、そこだけが悔やまれる。

 

『おじさん、グラブ借りていいですか? ちょっとキャッチボールしたくなっちゃって』

 

『キャッチボールか。いいぞ、好きに使ってくれ。……ところで一夏くん、キャッチボールついでにうちの草野球チームに入らないか。深刻な若手不足なんだ』

 

『はは、俺じゃ足引っ張りそうなんでやめときます。若手なら鈴がいるでしょ』

 

『鈴音以外むさ苦しいおっさんばかりなんだがな……』

 

『まあ、次の試合の応援には行きますよ』

 

 以上が先ほどグラブを貸してもらう際に行われた会話である。こっちがおじさんの本来の姿だということを補足しておく。

 

「よし、それじゃ投げるぞ」

 

「オーケー」

 

 左手にグラブをはめて、鈴に向けて第1球を投じる。軽く放られた山なりの軟球は、そのまま鈴のグラブにポスリと収まった。

 

「アンタとこうしてキャッチボールするのも1年ぶりね」

 

「そうだな」

 

 両者のグラブ間で球を行き来させながら、鈴と他愛のない話を繰り広げる。時刻は午後6時半。夏の空もようやく暗くなり始め、東から昇ってきた満月が顔をのぞかせている。

 

「初めてお前とまともに話した時も、俺たちここでキャッチボールしてたんだよな」

 

「そうそう。確かアンタ、あたしに気を遣ってへたくそな英語使おうとしてたわよね」

 

「あったあった、そんなこと。あの時は英語なんて全然知らなかったのにな。ま、今になっても自信があるってわけじゃないが」

 

「期末試験、大丈夫なんでしょうね」

 

「最大限の努力はいたします」

 

「なーんか不安を煽られる言い方ね……」

 

 ジト目で睨んでくる鈴。ちなみに実際のところは、周りの人たちの頼もしいサポートのおかげで意外となんとかなるんじゃないかという希望が見えている。今の段階だと少なくとも相川さんよりはできるようになっているはずだ。

 

「ま、補習だけは避けてみせるさ」

 

 少し強めに返球する。慣れてきたし、もうちょっと球速を上げてもいいだろう。

 

「お父さんも言ってたけど、草野球の試合に出てみない? アンタ運動神経いいんだし、結構イケると思うわ」

 

「そうか? けど俺送球が安定しないぞ」

 

「あたし含めてみんなわりとエラーするから大丈夫よ。次の試合はセシリアも出るし」

 

「は? セシリア? いつの間にそんな話になったんだ」

 

 この前テレビでプロ野球観戦した時、ルールを懸命に覚えようとしていたのは記憶に新しいが……あいつ野球できるのか?

 

「海の日に試合があるから、それまでに外野を守れる程度の守備は身につけさせる予定」

 

「間に合うのか、それ」

 

「要領はいいし、なんとかなるんじゃない?」

 

「ふーん……」

 

 まあ頑張れ、としか言いようがない。セシリアが野球を学んでいる間に俺は英数国理社を学ばなければならないので、手伝うこともできなさそうだ。

 

「うまくいくといいな」

 

「ちゃんと応援に来なさいよね。アンタがいればセシリアも張り切って活躍しそうだし」

 

「了解」

 

 おじさんに言った通り、応援には行くつもりだ。しっかり鈴とセシリアの雄姿をこの目に焼き付けさせてもらおう。

 

「………」

 

 そこで会話の流れが止まり、しばらくの間無言でのキャッチボールが続く。グラブとボールが生み出す乾いた音が、夜の空き地に響き渡る。

 

「……ねえ、一夏」

 

「ん?」

 

「……水族館で、あの迷子の子とお母さんが帰る時、変な顔してたでしょう」

 

「……変な顔ってなんだよ」

 

「具体的に言うと、たぶん寂しそうな顔をしてたと思うけど。違った?」

 

 俺にそう尋ねる鈴の声は、少し硬かった。さっきまでの沈黙は、これを言うか言うまいか迷っていたということなのだろう。

 

「……よく見てるな」

 

「そりゃあ、アンタの顔はいつも念入りに観察してる……じゃなくて」

 

 今のは好きな人の顔だから注意して見ているという意味なのか。だとしたら照れるな。

 

「あの時、何を考えてたの?」

 

 心配してくれているのが伝わってくる鈴の言葉。そんなふうに言われると、俺も正直に白状するしか選択肢がなくなってしまう。

 

「家族って、いいもんだなって」

 

 俺の言わんとすることを理解した鈴がはっと息を呑むが、かまわずに話を続ける。せっかく気遣ってくれたんだ、きちんと俺の気持ちを言葉にしておきたい。

 

「子供が親に甘えて、迷子になって迷惑かけて。怒られたりもするけど、最後にはちゃんと優しく、大切にしてもらえる。そういうの、いいなあって思ったんだ」

 

「一夏……」

 

「別に、自分が置かれてる環境に不満があるわけじゃない。千冬姉は俺を大事に守ってきてくれたし、仲のいい友達だってたくさんいる。だから俺は十分幸せだ。……けど、たまに考えちまうんだよ。もし、今も両親がそばにいたらどうなんだろうって」

 

 自分でも欲張りだと思う。これだけ周りに恵まれているのにもかかわらず、まだいなくなった親という存在を求めているなんて。……隣の芝生は青いってやつなのかな。

ひとまず言うべきことを言い終えたので、鈴にボールをゆっくりと投げ返す。それを受け取ったあいつはそのまましばらく動かず、なぜかボールと俺の顔を交互に見比べている。

 

「……だったらさ」

 

 どのくらい経ったろうか、ようやく意を決したように鈴が口を開く。

 

「だったら、自分で作ればいいじゃない。……その、結婚とかすれば……あ、でも違うのよ! あたしを選べってことじゃなくて、誰とでもいいから奥さんもらって、子供産めば……いや、でもやっぱりできればあたしをお嫁さんにって何言ってんのあたしはー!?」

 

 勝手にしゃべって勝手に恥ずかしいセリフを口にして勝手に頭を抱えているその姿に、思わず頬が緩んでしまった。

 同時に、鈴の優しさが深く心に染みるのを感じる。俺の話を聞いて、なんとか元気づけてやろうと考えて、うまく形にならない言葉を必死に伝えようとしてくれたんだろう。

 そう思うと、今もうんうんうなっているこいつの姿が、とてもかわいらしいものに見えてきて。

 

「ああ……そっか。そうだったのか」

 

 

 

 

 

 

 一夏の独白を聞いて、鈴の胸の中は切なさであふれそうになっていた。

 彼女の家族は、1年という時間を経て無事元の形に戻った。そのきっかけを与えてくれたのは紛れもなく一夏なのに、その一夏自身は両親のいないことに寂しさを感じているままだ。そう考えると申し訳なくて、なんとかしてあげたいという気持ちで頭がいっぱいになる。

 しかし、結局口から出たのは支離滅裂な言葉だけ。こういう時に上手なことを言えない自分の不器用さに、鈴はどうしようもなく腹を立てていた。

 

「はは、俺まだ高1だぞ? 結婚なんて先のこと過ぎて想像もつかねえよ。第一、それじゃ俺が親になってるじゃないか」

 

「そ、そうよね。ごめん、変なこと言っちゃって」

 

 茶化すような一夏の態度に合わせて、鈴も苦笑いを浮かべる。次こそは、ちゃんと一夏を元気づけられるようなことを言おうと考えつつ――

 

「……けど、それもいいのかもしれないな」

 

 不意に一夏が発したつぶやきに、一瞬思考が停止した。

 

「一夏……?」

 

「ほら、早くボール渡してくれ」

 

「え? あ、うん」

 

 言われるがままにボールを放る。そのせいで、尋ねるタイミングを逸してしまった。

 

「よし、じゃあ今度は俺の番だな」

 

 ゆったりとしたフォームをとり、投球動作に入った一夏の右手からボールが離れる。

 

「あのさ、鈴」

 

 ほぼ同時に、一夏は鈴に語りかけてきた。それはいつもと変わらない、幼馴染に対する軽い調子の話し方で。

 

 

「……俺、お前のこと好きだ」

 

 

 ――瞬間。世界が、止まったような気がした。

 




というわけでついに告白です。一夏の心情は当然次回で補足します。

「よし、じゃあ今度は俺の番だな」という一夏のセリフは「よし、じゃあ今度は俺の(告白する)番だな」という意味でもあったり。今回地の分がちょっと少なくなってしまったような気がしますが、ある程度は意識してのものです。キャッチボールしかやってないので、会話中心に進めたほうがいいと考えました。

誰かを選ぶということはそれ以外の誰かを選ばないということ。次回はそのあたりに関連した話になる予定です。

では、次回もよろしくお願いします。


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第26話 恋人同士

大学の授業も本格的になってきたので、今後は週1~2更新になりそうです。

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読者の皆様、本当にありがとうございます。


「あの……鈴? 大丈夫か?」

 

「……うん」

 

「なんか目の焦点が定まってないように見えるんだが」

 

「……うん」

 

「俺の話、ちゃんと聞いてるか?」

 

「……うん」

 

「お前、胸小さいよな」

 

「……うん」

 

「……ダメだ、完全に上の空になってる。とりあえず寮に連れて帰るか――」

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 凰鈴音が目を覚ますと、そこはIS学園学生寮の自室であった。自分の体がベッドの上にあることを確認した彼女は、はて、と首をかしげる。というのも、昨晩寝床に入った記憶が――いや、それどころか夕食をとったあたりから後の出来事が頭の中からすっぽりと抜け落ちているのだ。

 

「まさかこの歳でもうボケが始まったなんてことはないでしょうね……えっと」

 

 枕元の時計が午前5時半という早朝の時刻を示しているのをちらりと眺めつつ、鈴は昨日何があったかを思い出そうとする。

 昨日は一夏とデートで、水族館に行ってたくさんの生き物を見て楽しんだ。その後は両親が経営している店に足を運んで晩御飯を食べた。しばらく見ないうちに父親と一夏の関係がおかしな方向にこじれていたことを知り、少し戸惑ったのを覚えている。

 そして夕食後、一夏の提案で裏の空き地でキャッチボールをすることになって――

 

「キャッチボールを、して……」

 

『あのさ、鈴。……俺、お前のこと好きだ』

 

「………!!」

 

 告白された。大好きな、織斑一夏という男の子に。

 それを思い出した瞬間、鈴はベッドから跳ね起きて部屋を飛び出す。

 

「ん~? どうしたの鈴……」

 

 ルームメイトの寝ぼけた声が聞こえた気がしたが、反応する余裕がない。全力疾走で廊下を駆け抜け、今まで何度も訪れた部屋のドアの前までたどり着く。

 

「一夏! 中に入れなさい!」

 

 ドンドンとドアを叩いて呼びかけるも、なかなか返事が返ってこない。どうやらまだ眠っているようだ。

 

「ああ、じれったい……!」

 

 こっちはこんなに胸がドキドキしているのに、のんきに眠っているとはどういう了見だ、という自分でも理不尽だと思える怒りがふつふつと湧き上がる。ISを部分展開してドアを吹っ飛ばしてやろうかという危険な思考が一瞬頭をよぎったが、理性がその凶行に及ぶのをなんとか押しとどめていた。

 

「……鈴? どうしたんだ、こんな朝っぱらから」

 

「やっと起きた! ほら、早く鍵開けて!」

 

「なんだよ急に……てか、まだ5時半じゃねえか。周りの部屋の人に悪いから静かにしてくれ」

 

「うっ」

 

 ドア越しに聞こえる一夏の落ち着いた声に頭を冷やされ、鈴は今さらながら自分がはた迷惑な行動をとっていたことに気づく。早朝からドアを叩いて大声を出すなんてことをしていれば、一夏以外の人間の安眠を妨げてしまうのは間違いない。

 

「ご、ごめん……」

 

「俺に謝ることでもないけどな。まあいいや、とにかく入れよ」

 

 がちゃりと扉が開き、一夏が顔をのぞかせる。寝起きだからだろうか、あくびをしながら鈴に手招きをする彼は、いつもよりもふわふわした雰囲気でなんだか子供っぽく見えた。

 

「あ、あのさっ」

 

 部屋の中に入った鈴は、早速一夏に聞きたかったことを尋ねる。

 

「あ、あたし……昨日アンタに好きだって言われた気がするんだけど。その、これって現実に起きたことなの? あたしの夢とか妄想の類の代物だったりしない?」

 

 つまるところ、鈴は自分の記憶に自信が持てなかったのである。本当にそんな、彼女にとっての理想の出来事が起きたのかどうか。

だから一目散に一夏のもとへ駆け込み、真相を確かめにきたのだが。

 

「……はあ。なんだかすごく混乱してるみたいだけど……確かに俺は、昨日の夜にお前に告白したぞ。で、その後何を言っても壊れた機械みたいに『うん』しか返事をしなくなっちまったお前を連れて部屋まで送って、残りの処理はハミルトンさんにお願いしたんだ」

 

 少し照れが入った笑みを浮かべながら彼が発した言葉を聞いた途端、自らの顔が急激に熱くなるのを感じる。きっと昨晩は今の比じゃないくらいの衝撃を受けて、そのせいで脳がオーバーヒートを起こして機能を停止してしまっていたのだろう。

 

「ほ、本当に? 嘘じゃない?」

 

「本当だ」

 

「本当に、本当に、事実なのよね?」

 

「……あんまり言ってると怒るぞ。人が覚悟を決めて自分の気持ちを伝えたってのに、そう疑うなよ」

 

 怒ると言いながらも、一夏は優しげな表情で鈴に語りかける。それを見て、鈴はようやく不安を捨て去ることができた。

 

「……でも、どうしてあたしのことを?」

 

 クラス対抗戦が終わった後、一夏は言っていた。『自分の鈴に対する気持ちがよくわからない』と。だから、その答えが出るきっかけが今までにあったということになる。それがなんなのか気になって、彼女はそんなことを尋ねていた。

 

「どういう経緯で、か……」

 

 頭をかきながら、一夏は恥ずかしそうに少しうつむく。やや間を置いた後、彼はゆっくりと己の心情を吐露してくれた。

 

「自分の気持ちに気づいたきっかけは、ラウラとのキスだったんだ」

 

「ラウラとの、キス?」

 

「そう。あの時いきなりラウラにキスされて、正直に言うとうれしかった……待て、そんなに怖い顔するなよ」

 

無意識に握りしめられた鈴の右拳を見た一夏の額に冷や汗が流れる。

 

「……あたしを好きになった理由を話してるのよね? ラウラじゃなくて」

 

「そうだ、だから話を最後まで聞いてくれ。……確かにラウラとのキスはうれしかった。だけどさ、ファーストキスの時とは感じたことが違ったんだよ」

 

 ファーストキス、という単語に鈴の体がぴくっと反応する。一夏のファーストキスは去年の春、その相手は。

 

「……鈴にキスされた時はさ、『終わるのがなんだか名残惜しい』って思ったんだ。それだけじゃない、エロいとかなんとか、邪念がかなり湧いてきてた。そういうのが、ラウラの時にはなかったんだ。どっちもかわいい女の子からの不意打ちのキスだったのに、はっきりした違いがあった。それで考えたんだ、俺にとって鈴は特別な存在なのかもしれないって」

 

 一夏の言葉を聞くうちに、収まりかけていた胸の鼓動が再び激しくなる。

 

「自分の想いがはっきりわかったのは昨日のキャッチボールの時だ。……一緒にいてすごく楽しい女の子。口は悪いけど、なんだかんだで面倒見のいいところも気に入ってる。……そして、たまに見せる照れたり恥ずかしがってる姿がとてもかわいい。鈴のそういう『女の子らしさ』を、もっともっと知りたい、見てみたい。そう感じた。これはきっと、好きってことなんだと思う」

 

「……そ、そうなんだ。女の子らしさか……」

 

 ――どうしよう。めちゃくちゃうれしい。

 

 思わず目尻に涙が浮かんでしまう。今すぐ天に向かって叫びたいレベルで喜んでいる鈴だが、先ほど騒音を立ててしまったという反省を踏まえ、雄たけびをあげるのは自制している状態である。

 

「じゃ、じゃあ……これであたしたち、両想いってことになるのよね」

 

「そうだな」

 

「だったら……これからは彼氏彼女の関係になるのよね」

 

「……ああ」

 

 当たり前のことを確認するだけで、気恥ずかしさがこみあげてくる。向こうもそれは同じようで、顔を赤らめて視線を鈴からそらしていた。

 

「ねえ、一夏」

 

 でも、その恥ずかしいという気持ちさえも今の鈴には心地よくて。

 

「……キス、してくれない?」

 

 だから、今までなら絶対に言えないようなら大胆なセリフも、戸惑うことなく口にすることができた。

 

「き、キス……か」

 

「うん。一夏のほうからされたこと、ないから……してほしい」

 

「……恋人同士、だもんな。わかった」

 

 一夏がこくりとうなずくのを見て、鈴はゆっくりと目を閉じる。唇をつい、と突き出し、キスを受け入れる体勢に――

 

 ガチャリ

 

「一夏、何やら騒がしいがどうかしたのか」

 

「駄目だよラウラ、入る時はちゃんとノックしない……と……」

 

 突然部屋に入ってきたラウラとシャルロットが、今まさに唇を重ね合わせようとしていた鈴と一夏を視界に入れて……場の空気が凍りついた。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

 しばらくの間、気まずいなんてもんじゃない沈黙が続き――

 

「し、失礼しました!」

 

 引きつった笑みを浮かべたシャルロットは、ラウラの腕を掴んでそのまま部屋から出て行った。

 

「どうしたのだシャルロット。私は一夏に話が」

 

「空気を読もうラウラ! これからあの2人は幸せなキスをして、抱きしめあって、それから――」

 

「お願いだから廊下でそんな話をするのはやめてくれ!!」

 

 扉越しから聞こえてきたシャルロットの話の内容に危険なものを感じ取った鈴たちは、すぐさま彼女の確保に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「……まあ、その。俺たち、付き合うことになりました」

 

「でも節度は守るから。シャルロットが想像してるようなことは決していたしません」

 

「べ、別に、僕も本気で2人が朝からえっちなことするって考えてたわけじゃないんだよ? ただ、いきなりあんな場面に出くわしたから驚いちゃって……」

 

「寝起きのキスは口臭が鼻につくから気をつけた方がいい……と、この前クラリッサが言っていたな」

 

 2人を部屋に連れ戻した後、俺と鈴は簡単に事情を説明した。変な誤解を与えたまま帰すわけにはいかないからだ。……それにしても、クラリッサさんは相変わらずラウラにいろんなことを教えているみたいだな。今回は正しい知識だけど。

 

「とにかく、一夏も鈴もおめでとう。僕は2人のこと、お似合いのカップルだと思うよ」

 

「私はよくわからないが、当人たちが望んだのならきっといいことなのだろうな」

 

「……ありがとう、2人とも」

 

 そう言ってもらえると本当にうれしい。ちらりと鈴の様子をうかがうと、照れくさそうに笑っているのが目に入った。起きてすぐここに来たからか、いつもと違って彼女の髪は結われていない。ストレートに伸ばしたら意外と髪長いんだな、これは新たな発見だ。

 

「……えっと、2人が付き合ってることは他の人には秘密にしたほうがいいのかな」

 

「そうだな……俺は別にかまわないんだけど」

 

「……あたしは、もう少し心の準備が必要。だから、隠してもらえるのなら助かるわ」

 

「わかった。というわけでラウラも、このことは他言無用だよ」

 

「誰にも言わなければいいのだろう? 任せておけ、拷問されようとも口を割ることはない」

 

 とりあえず、俺たちの関係はしばらく口外禁止ということになった。鈴の決心がつくのがいつになるのかはわからないが、それまではばれないように気をつけよう。

 ただ……

 

「でもね、一夏。余計なおせっかいかもしれないけど、セシリアと箒には早めに伝えるべきだと僕は思うよ」

 

「……ああ、わかってる」

 

 あの2人が、俺のことを好きだと思ってくれているのなら。

 きちんと話をつけるのが、筋ってもんだと俺は思う。

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、噂好きの多いこの学園で秘密を守るミッションが始まったわけだが。

 

「織斑くん、昨日凰さんと門限ギリギリまで出かけてたみたいだけど」

 

「デートだったんだよね? どう、何か進展あったの?」

 

 1時限目の後の休み時間。クラスのみんなからの質問攻めというなかなかの難関にいきなりぶち当たってしまった。

 やっぱり夜に鈴と一緒に寮に戻ったのはまずかったか。本当は行きと同じく帰る時間も2人でずらそうと考えていたのだが、俺が告白した後鈴の思考回路が停止してしまったため、手を引いて連れ帰る以外の行動がとれなかったのだ。そのため、俺たちがデートしていたというのはすでに周知の事実となっているらしい。

 

「進展なんてないって。だいたいデートって言うけどさ、俺と鈴は小学校の頃から結構いろんなところに遊びに行ってたんだ。昨日のもそれの延長線で、友達と出かけた以上の何かは存在してないし」

 

「そうなんですの?」

 

「どうにも話し方が怪しいな」

 

 セシリアと箒は俺の説明に懐疑的だ。できるだけ平静を装って嘘をついているのだが、やっぱり付き合いが深い人間にはばれるものなのか。2人ともジト目で俺に鋭い視線を向け続けている。……俺、あんまり演技得意な方じゃないしなあ。

 

「む? 鈴ではないか」

 

 俺を中心とした集まりに対して我関せずを貫いていたラウラの声に振り向くと、教室のドア付近に確かに鈴が立っているのが見えた。なんだかきょろきょろしていて挙動不審だが、何かあったのだろうか。

 

「鈴、どうかしたのか」

 

 10分しかない休み時間に1組に来るのは珍しいなと思いつつ声をかけると、鈴はなぜか両手をもじもじさせながら俺の方に近寄ってきて。

 

「別に用事があるわけじゃないんだけど……急に、どうしても一夏の顔が見たくなって。……迷惑だった?」

 

 頬を赤らめ、上目遣いでそんなことをのたまった。

 

「………」

 

 なんて可愛らしいことを言ってくるんだ、こいつは。一瞬頭が真っ白になったぞ。

 

「ほーう……?」

 

「進展なんてなかった、ねえ……」

 

 まずい、谷本さんたちの好奇の視線が一層強くなってきた。このままここにいると危険だ、だから……

 

「あ! そういえば鈴とシャルロットにちょっと話したいことがあるんだった。というわけで2人とも廊下に出てくれないか」

 

「え、え?」

 

「ぼ、僕も?」

 

 唐突な俺の言葉に面食らっている鈴の手を引いて教室を飛び出す。すまないシャルロット、カモフラージュのために一緒に出てきてくれ!

 

「ちょっと一夏、どこ行くの?」

 

「人目につかない場所」

 

「休み時間が終わるまでには教室に戻らせてほしいな」

 

 俺の意思をくみ取り、きちんとついてきてくれたシャルロットは本当にいい子だと思う。お礼として今度何かおごることにしよう。

 

「ここなら人も来ないよな……」

 

 2階の空き教室に入ったところで、鈴に対するお説教を始めることにした。

 

「鈴。俺たちが付き合ってることは隠す方向で話は決まってたよな。なのにあんなこと教室で言ったらどう考えてもまずいだろ」

 

「そ、それはそうだけど……でもしょうがないじゃない。授業受けてたら無性に一夏に会いたくなって、我慢できなくなっちゃったんだから……」

 

「な……」

 

 しゅん、とうなだれる鈴。なんだこれ、こいつこんなにしおらしかったっけ。こいつこんなに愛らしかったっけ?

 

「鈴は本当に一夏のことが好きなんだね」

 

 しょうがないなあ、と笑うシャルロットはなんだかお姉さんみたいだ。……休み時間も残り少ないし、とりあえず教室に戻るか。鈴にいろいろ言いたいことはあったが……あんなうれしいこと真顔で言われたら、文句を口にする気も失せてしまった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

「セシリア、いるか」

 

 ノックをしながら部屋の中に向かって呼びかける。少し時間を置いて、目的の人物が扉を開けてくれた。

 

「一夏さん、どうかいたしましたの?」

 

「……大事な話があるんだ。少し時間もらえるか?」

 

「ええ。かまいませんわ」

 

「ありがとう」

 

 許可をもらえたので、そのままセシリアを連れて屋外へ出る。他人に聞かれたくない類の話をするため、人気のない場所を選んだのだ。

 

「わざわざ外に出るなんて、よほど大事な内緒話なのかしら」

 

「まあ、そんなところだ」

 

 一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。ふと空を見上げると、ほぼ丸の形をした月が夜を明るく照らしていた。

 

「……俺、鈴と付き合うことにしたんだ」

 

 そして、伝えたかったことを口にする。鈴にも事前に相談して、セシリアには本当のことを話すと決めたのである。

 

「……そうですの」

 

「……驚かないんだな」

 

 少し意外だった。俺の言葉を聞いた後も、セシリアは微笑を崩さず落ち着いた態度のままだ。

 

「今日の一夏さんと鈴さんの様子を見て、薄々そんな気はしていましたから」

 

「……やっぱりわかるもんなのか」

 

「鈴さんは一夏さんに熱っぽい視線を送っていましたし、一夏さんの方もそんな鈴さんを愛おしそうに見つめていたのですもの。それなりにあなたたちと親しくしている人ならすぐにわかりますわ」

 

「俺たち、そんなにいつもと違ってたか?」

 

「ええ、それはもう」

 

「うへえ」

 

 そこまでわかりやすい好き好きオーラを放ってたということに愕然とする。昼食の時も放課後の訓練の時も、極めて冷静に行動したつもりだったのに……

 

「……そういえば、わたくしも一夏さんにお話ししたいことがありましたの」

 

 そう言って、セシリアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「一夏さん。月がきれいですわね」

 

「……? 確かにきれいだけど、それがどうかしたか?」

 

 セシリアの言いたいことが掴めずに少し戸惑っていると、彼女は困ったように笑い、小さくため息をついた。

 

「日本の方なら、今の言葉の意味くらいは教養として知っていてほしかったのですけれど」

 

「………?」

 

 教養? 『月がきれいですわね』って、日本人なら隠された意味がわかって当然なのか? ……よく考えよう。えー、月がきれいですね。月がきれい……あ。

 

「わ、悪い! 今わかった。俺って本当にデリカシーに欠けてるよな……」

 

「いえ、かまいませんわ。やはりこういうことは、ちゃんとストレートな言葉にして伝えるべきですもの。……一夏さんの答えはわかっていますけれど、わたくしなりの『けじめ』として、言わせてください」

 

「……わかった」

 

 顔つきと、緩んだ頭を引き締める。セシリアの次の言葉を、しっかりと受け止めるために。

 

「……わたくしは、一夏さんのことが好きです。男性の強さを見せてくれたあなたを、ずっとお慕いしていました」

 

「……そうか」

 

「……驚きませんのね」

 

「結構前から、なんとなくそうじゃないかなって思ってたから」

 

「そうでしたの……恥ずかしいですわね、隠しているつもりでしたのに」

 

「お互い、隠し事には向いてないな」

 

 まったくですわ、と笑うセシリア。その目尻に、何か光るものが見えた気がした。

 

「あなたは鈴さんを選びました。ですから、わたくしから言いたいことはひとつだけです」

 

「……それは?」

 

 俺が尋ねると、セシリアは腰に手を当てる彼女特有のポーズをとり、軽くウインクをする。

 

「一夏さんは、もっともっと強くなれる。このセシリア・オルコットが保証いたしますわ。ですから……あなたのこれからの姿を、友達として近くで見守らせていただけるなら、わたくしとってもうれしいです」

 

「……もちろんだ。これからもいろいろ教えてくれると助かる」

 

 ……こんなことを言ったら、鈴には怒られてしまうのかもしれないけど。

 月明かりに照らされたセシリアの笑顔は、すごくきれいだと、素直にそう思った。

 




シャルロットはフォロー上手ないい子だと思います。ラウラは天然入ってて可愛いです。

今回は一夏の心情とデレてる鈴、そしてセシリアの告白でした。文学はよくわからないですけど、そんな僕でも夏目漱石のセンスはなんかすごいと感じています。

次回は箒さんとか会長とかそのあたりの話になる予定です。臨海学校出発は次々回くらいになるかな……

では、今後もよろしくお願いします。


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第27話 違和感と妹とキスの味

評価がめっちゃ下がってると思ったら、この前運営様がおっしゃっていた0,10評価のリセットが行われただけのようですね。ISの平均評価トップ10から滑り落ちてしまいましたが、さほど気にせずこれからもまったりと更新していきます。


「篠ノ之さん? どうかしたの、さっきから心ここにあらずって感じだけど」

 

 ルームメイトの鷹月静寐に声をかけられたことで、ベッドに腰掛けたまま虚空を見つめていた箒はハッと我に返る。

 

「……いや、なんでもない」

 

「そうは見えないけれど……。織斑くんに何か言われた?」

 

 30分ほど前、箒と静寐の部屋にやって来た一夏が、『大事な話がある』と言って箒を連れ出した。その後部屋に戻ってきた彼女の様子がおかしいことを、静寐は心配してくれているようだ。

 

「気遣ってくれるのはうれしいが、本当になんでもないんだ。一夏にはISのことを少し聞かれただけだしな」

 

「なら、いいんだけど……」

 

 腑に落ちないという表情をしながらも、静寐はそれ以上の追及は行わなかった。ほっと息をつく箒だが、同時に自分のことを思ってくれている相手に嘘をついてしまったことへの罪悪感がこみあげてくる。

 

「なぜだ……」

 

 静寐が用事で部屋を出て行ったのを確認してから、ぽつりと独り言を口から漏らす。

 

『そうか……やはり、鈴とそういう仲になっていたのだな』

 

 先ほどの、一夏との会話を思い出す。彼が箒に伝えたことは、『凰鈴音と付き合い始めた』という内容のものだった。

 

『ああ。まだ学校のみんなには秘密にしてるんだけど……箒やセシリアには、ちゃんと話しておきたくて』

 

 そう語る一夏の表情はあまり冴えない。まるで、何か後ろめたいことがあるような。

 それを見て、箒は彼が自分の恋心に気づいていたことを悟った。

 

『そんな顔をするな。お前は当たり前のことをしただけだ。選べる人間はひとりで、そして私やセシリアではなく鈴を選んだ。何も悪いことはしていない』

 

『箒……ありがとう。……その、俺、うれしかったんだ。小さいころに仲の良かった女の子が、今でも俺のことをそういう風に思ってくれていたこと』

 

『そうか。……鈴のこと、大事にするんだぞ』

 

 ――結果として、篠ノ之箒の初恋は終わった。明確に、はっきりとした形で、幕を閉じた。ずっと胸に抱き続けてきた想いは、報われなかったのだ。

 ……だというのに。

 

「なぜ、これだけしか涙が流れない……?」

 

 もし一夏に振られたら、一晩中泣き続けるだろうと箒は常々考えていた。自分の一夏に対する感情は、それくらい大きなものだと自負していたのである。

 だが実際は違った。確かに一夏と話し終えて、彼が立ち去った後に目からあふれ出るものはあったが、5分経って部屋に戻るころには止まってしまっていた。静寐にも彼女が涙を流していたことは気づかれていないだろう。

 おかしいと思った。ずっと想い続けていたはずなのに。家族と離れ離れになり、政府の監視下という縛られた環境で生きてきて、やっとここで幼馴染に再会できた。だから絶対に、心の支えにしてきた彼への気持ちを成就させようとしてきたのに。それを諦めるという状況になって、この程度の悲しみしか感じないなんて。

 

「……いや、待て」

 

 ――そもそも、どうして簡単に諦めるなんて考えられるのだろう?

 

「8年、抱き続けた気持ちなのだぞ」

 

 小学1年生の時から、実家の道場に通ってきた一夏。最初はお世辞にも仲がいいとはいえない関係だったが、いろんな出来事を経験するうち、気づけば彼のことばかり見るようになって。転校した後も、暇なときにはいつも一夏のことを思い出していた。

 依存しすぎていることは自分でもわかっていた。それでも箒は、いつかまた会えることを信じて、ずっと……

 

「どうしてしまったんだ、私は……?」

 

 強烈な違和感。こんなはずじゃないのにと、自分の心が信じられなくなる。おかしい、間違っている、そんな思いばかりがこみあげてきて……それでも、涙は流れない。

 心の整理ができない。自分の中で決着をつけなければ、一夏と鈴に向き合うことすらままならない。

 

「もう、ぐちゃぐちゃだ……」

 

 結局、彼女は消え入るような声でそうつぶやくことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「箒とセシリアに、話してきた。……2人とも、あんまり驚いてなかったな」

 

「……そっか。やっぱりごまかせてなかったってことね」

 

 自室に戻ると、時刻は午後8時を迎えようとしていた。鈴を部屋に招き入れ、事の次第を説明すると、彼女は少しバツの悪そうな顔を見せた。

 

「クラスのみんなにも勘付かれてるかもしれない」

 

 というかめっちゃ怪しまれてた。

 

「うーん、参った……全然決心がついてないのに」

 

 俺たちが付き合っているということをカミングアウトするのはまだ無理らしい。……でも、今日の休み時間みたいなことやってたら隠す気なんて実はないんじゃないのかとちょっとだけ疑いたくなる。

 

「ま、これから授業の合間に来るときはテキトーな理由をでっちあげるべきだな」

 

「……そうする」

 

 こくんとうなずく鈴。昼休みになるまで会いに来ないという選択肢はないようだ。

 

「ま、『急に顔が見たくなった』なんて言われて悪い気はしなかったぜ」

 

「……バカ。自分でも恥ずかしいと思ってるんだから蒸し返すんじゃないわよ」

 

 照れているのか、うつむいて蚊の鳴くような声で文句を言ってくる。……やばい、かわいい。俺もすっかりこいつの照れ顔の魅力にはまってしまったようだ。このままだとわざと困らせるようなことを言って彼女が赤面するのを楽しむちょっとしたサディストになってしまうかもしれん。

 

「悪い悪い。ちょっとした冗談だ」

 

「ダメ、許してあげない」

 

 つん、とそっぽを向く鈴。どうやらへそを曲げてしまったらしい。

 

「そう言うなよ。どうしたら許してくれるんだ?」

 

 俺がそう口にすると、鈴は下を向いていた顔をこちらに向けると、真顔でずい、と乗り出してきた。

 

「……朝の続き、してくれたら」

 

「え……それって、キスのことか」

 

 火照った顔で首を縦に振る鈴。どうやら正解らしい。今朝は途中でラウラとシャルロットが部屋に入ってきてうやむやになってしまっていたのだが、俺も早いところ仕切り直しを行いたいと考えていたからちょうどいい。

 

「わかった。それじゃ、いくぞ」

 

「うん……」

 

 鈴の目が閉じられる。深呼吸をしてから、俺はゆっくりと彼女の小さな唇に自分の唇を近づける。バクバクしすぎて破裂しそうな心臓の鼓動だけが耳に響く中、俺は――

 

 

コンコン

 

「一夏くん、いるー? 昨日言った通りお話をしに来たんだけど、時間あるかしら?」

 

「………」

 

 ……楯無さん、空気読んでください。

 

 

 

 

 

 

「なんだかさっき鈴音ちゃんから殺意の波動を感じたのだけれど……私、何か悪いことした?」

 

「あー、あれですね。多分その青い髪が気に障ったんじゃないでしょうか」

 

「え、今さら? 初対面の時そんな素振り微塵も見せてなかったでしょう?」

 

「最近かき氷のブルーハワイ食べて腹壊してましたからね。先輩のブルーハワイを見て嫌な記憶が刺激されたんじゃないかと」

 

「髪の毛をブルーハワイって言われたのは初めてよ」

 

 楯無さんの後について行っている道中のこと。まさか口づけを交わす直前でしたなんて説明するわけにもいかないので、彼女には即興で考えた偽ストーリーを話しておいた。ちなみに鈴が腹を下したのは本当だ。

 

「まあいいわ。とにかく私の部屋にどうぞ」

 

「お邪魔します」

 

 連れてこられた先は、学生寮の2階、つまり2年生のフロアにある楯無さんの自室だった。ルームメイトは外出中らしく、部屋の中には俺たち2人しかいない。

 

「とりあえず飲む物出すから座って待っててね」

 

「あ、いえ、おかまいなく」

 

「遠慮しなくてもいいわよ」

 

 屈託のない笑みを浮かべる楯無さん。それじゃあ、ご厚意に甘えさせてもらうとするか。

 

「コーヒーと青汁と日本茶と青汁と青汁、どれが飲みたい?」

 

「待ってください、なんで選択肢の過半数が青汁なんですか」

 

「この前青汁を大量に衝動買いしちゃったんだけど、おいしくないし味に飽きるしで処分に困ってるのよねえ」

 

「つまり俺に飲ませて少しでも量を減らそうとしているわけですね」

 

「正解♪」

 

 笑顔に騙された俺が馬鹿だった。やっぱりこの人は何考えてるかわかったもんじゃない。

 

「じゃあコーヒーで」

 

「コーヒー味の青汁ね」

 

「それも青汁だったんですか!?」

 

「ちなみに日本茶は本物の日本茶でした、残念」

 

 くそ、なんかクジを外したみたいで悔しいぞ。

 ……結局日本茶を出してもらえたのだが、負けた気分で飲むお茶はいつもよりもほろ苦く感じた。

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ本題に入らせてもらいます」

 

「あ、そういえば話があるって言ってましたっけ」

 

 お茶を飲んで互いに一服したところで、楯無さんが話を切り出す。わざわざ俺を部屋まで連れてきたんだから、きっと大事な内容なのだろう。

 

「本音ちゃんから聞いたんだけど、簪ちゃんと会ったんですって?」

 

「ええ、まあ……というか、先輩ってのほほん……布仏さんと知り合いだったんですか」

 

「知り合いも何も幼馴染だし……という話はまた今度にして。それで、簪ちゃんのことなんだけど」

 

 更識簪。今俺の目の前にいる生徒会長・更識楯無さんの妹で、日本の代表候補生。何日か前に1度だけ寮の廊下で話したことがある。

 

「あの子がキミに聞きたいことを聞いたっていうのは本当?」

 

「……そうですね。布仏さんと俺がけしかけて渋々って感じでしたけど」

 

 ――絶対に本物に届かない模倣なんてことを続けていていいのか。

彼女の問いはそんな感じのものだった。俺が自分なりに考えて出した答えに、あの子は納得してくれたのだろうか。あれ以降会っていないのでなんとも言えない。

 

「そう……あの簪ちゃんが、ね」

 

 小さくうなずく楯無さんの表情は、どことなくうれしさと寂しさが入り混じった複雑なものに見えた。……いったい、何を考えているのだろうか。

 

「一夏くん」

 

「はい」

 

「お願いがあるの」

 

 赤い瞳が、真っ直ぐに俺を見据える。いつもとはまったく違った楯無さんの雰囲気に、思わず背筋が伸びていた。

 

「私の妹のこと、少しだけでいいから気にかけてくれないかな。廊下で会ったらちょこっと声をかける程度でいいから」

 

「……どういうことですか?」

 

 素直に思ったことを口にすると、楯無さんはきまりの悪そうな顔をして、少し声のトーンを下げて語り始める。

 

「あの子、私にコンプレックスみたいなものを抱いてて……その、いろいろと焦っちゃってるのよ。用意されるはずだった専用機もまだできていないし」

 

「専用機ができていない?」

 

「ええ。倉持技研が白式の開発と改造に熱をあげているせいでね」

 

 思わぬところで俺につながってきた。更識さんが専用機を持てていないのは、元をたどれば織斑一夏という人間に原因があるということだ。

 

「もちろんそのことで一夏くんを責めるつもりはないわよ。簪ちゃんのことをお願いするのも、別に専用機絡みのことが理由じゃない」

 

「……じゃあ、その理由っていうのは」

 

「……一夏くんなら、あの子にいい影響を与えてくれるかなって思ったから」

 

 どうしてそう思ったのか。俺が尋ねる前に、楯無さんは自ら答えを口にする。

 

「簪ちゃんはね、昔から人づきあいが苦手なのよ。だから必要以上に他人に関わろうとしない。心を開くのは幼馴染の本音ちゃんにくらいかな」

 

「……先輩には?」

 

「残念ながら、ね」

 

 やはり姉妹仲がよくないようだ。こんな元気のない楯無さんの声、初めて聞いた。

 

「……そんなあの子が、キミには言葉を投げかけた。本音ちゃんや一夏くんにけしかけられたからだとしても、最後には自分の意志で他人であるキミに質問をしたのよ。……これが理由。なんとなくわかってもらえた?」

 

 つまり、この人は俺が妹さんにとってある程度特別な存在だと考えている、ということなのだろう。そんな気はまったくしないが、他ならぬ彼女の姉が言うのだからあながち間違いではないのかもしれない。

 

「そうですね。どうして俺に頼んだのかっていう疑問は解決しました」

 

 あとはこの頼みごとを受けるか受けないかだけど……

 

「……なんとか、やってみます」

 

「っ! ありがとう、一夏くん!」

 

 更識さんがどういう意図であんなことを聞いてきたのかも気になるし、こんなに真摯にお願いしてきた楯無さんの思いを無碍にしたくもない。だから、断る理由は存在しなかった。

 

「お礼になるかどうかはわからないけれど、これからたまに一夏くんのIS訓練を手伝うことにするわ」

 

「お願いします」

 

 こうして等価交換が成立。俺は更識簪さんに接触してみることになったのだった。

 

 

 

 

 

 

「……おかえりなさい」

 

 部屋に戻ると、鈴が本棚に置いてあった漫画を読み漁っていた。顔を見ただけではっきりとわかるくらいのご機嫌斜めっぷりである。悪気はないとはいえ、2回もキスを邪魔されたのが堪えているのだろう。

 

「留守番させちまって悪かったな。30分も暇だったろ?」

 

「別に、漫画読んでたから平気よ。アンタが帰ってくるまで待つって言ったのもあたしだし、謝られる筋合いはないわ」

 

「いやいや、それでもお礼くらいはしないとな」

 

 そう言って、俺は拗ねている鈴に近づき。

 

「ほら、朝の続きだ」

 

 自分でも驚くくらい自然な動作で、彼女の唇を奪っていた。

 

「っ!?」

 

 鈴の体がピン、と硬直する。まるで電流が走ったみたいだなと思いつつ、柔らかな唇の感触を堪能……する前に恥ずかしさが限界を迎え、顔を離してしまった。

 

「ぷはっ……い、いきなりしてこないでよ! 心臓止まるかと思ったじゃない!」

 

「すまん。でも悠長にやってたらまた誰かがやってくるかもしれないし」

 

 ゆでだこのように真っ赤になっている鈴を見て、多分俺も同じようになってるんだろうなと予想する。……とにかく、顔も体もめちゃくちゃ熱い。

 

「で、どうだった? 俺からしたキスの感想は」

 

「……不意打ちだったし、すぐに唇離しちゃったから、全然感じがつかめなかった」

 

「お前、それもしかしてもう1回やり直せと要求してるのか」

 

「……一夏は、嫌なの?」

 

 嫌じゃないです、はい。

 

「んじゃ、仕切り直しの1回、いくぞ」

 

「うん」

 

 2度あることは3度ある……にはならなかったようで。

 俺たちはその後、誰にも横槍を入れられることなく唇を重ね合わせることができたのだった。

 




箒に関してはしばらく問題のある状態が続く予定です。彼女はこの作品においてもかなり大事なキャラクターなので、丁寧に描いていきたいと思っています。

楯無さんのお話とは簪のことでした。原作と同じ感じでお願いを受けた一夏ですが、彼女との関係もしばらく決着に時間がかかりそうです。

鈴とのいちゃいちゃはどんな感じで書けばいいのかよくわからないです。今回はこんな感じでしたが、次はもっと薄味になったり濃い味になったりするかもしれません。

では、次回もよろしくお願いします。

わりとどうでもいいですけど、ブルーハワイって僕の地元ではハワイアンブルーと呼んでいました。なんか関東圏はブルーハワイが多いと聞いたのでそっちに合わせたのですが、実際はどうなのでしょうか。


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第28話 姉の思い

プロ野球観戦に熱中しすぎて日曜に更新するはずが火曜にまで伸びてしまいました。


「はい、次は一夏の番だよ」

 

「くっ、ここにきてAのダブルか……パスだ」

 

「わたくしもパスですわ」

 

「2はここまでで3枚出ているからな……私も手がない、パスだ」

 

 7月6日。今日はIS学園の外に出て行われる3日間の実習の1日目で、俺たち1年生はクラスごとに用意された4台のバスで目的地へ向かっている最中だ。朝からバスに揺られていると途中で眠っちまうかもなーと考えていたのだが、こうして近くの席の女子たちと大富豪に熱中している間はその心配もなさそうである。

 

「じゃあ場が流れて僕からだね。はい、ジョーカー」

 

「やっぱりシャルロットが持ってたのか……!」

 

「スペードの3は先ほど出ていましたし、誰も対抗できませんわね」

 

「そして4のダブル。これであがりだね」

 

 ちなみに大富豪のメンバーは、俺、セシリア、ラウラ、シャルロットの4人。通路を挟んで1列に並んだ座席に座っている俺たちは、真ん中の補助座席の上にトランプカードを出し合っている。

 

「シャルロットが勝ったからラウラは都落ちで大貧民だな」

 

「構わんさ。金がなくとも生き延びる術はきちんと持ち合わせている」

 

 なんだかズレた発言をしながら手札を公開するラウラ。ふむ、4枚目の2はあいつが持ってたのか。

 場が流れて俺の番。残っているのは俺とセシリアだけだ。

 

「とりあえず2位に入って富豪をキープするか」

 

「あら、そう簡単にはいきませんわよ? わたくしはあと3枚、一夏さんはまだ6枚残っているのですから」

 

 ふふん、と得意げな様子のセシリア。だけど俺の心に不安はない。絶対勝てるという確信があるからだ。

 

「セシリア。その残り3枚のうち、2枚は4だな?」

 

 びくっとセシリアの体が硬直する。どうやら図星らしい。

 

「ど、どうしてそんなことがわかりますの?」

 

「そりゃあ、今まで4は2枚しか出てないからな。俺が持ってないんだからお前が持っているので確定だろ」

 

「ちゃんとチェックしていましたのね……」

 

「勝負の基本だからな」

 

 俺の手札は5,6,9が2枚ずつ。そんなわけで、めでたく一方的に札を出し続けて2位に滑り込むことができた。

 

「楽しそうだねおりむー。次は私とかなりんもいれてほしいな~」

 

 と、ここで後ろの席から飛び入り参加の要求が。顔は見えないけれど話し方で声の主がのほほんさんであることはすぐにわかった。

 

「よし、じゃあ次は6人でやるか」

 

「そうだね」

 

 隣に座っているシャルロットと協力して全員に札を配り、準備を整える。……その途中で、なんとはなしに後ろのほうの席に座っているある人物が視界に入った。

 

「箒……」

 

 数日前――俺が鈴と付き合い始めたことを伝えた次の日から、箒の様子はおかしいままだ。話しかけても上の空だし、それに加えてどことなく俺を遠ざけようとしているのが感じられる。今も俺からもっとも離れた席に座って、窓の外をぼーっと眺めている姿が確認できる。

 明日は箒の誕生日だっていうのに、本人があの様子じゃ祝うのも難しそうだ。だから、できれば今日中になんとかしておきたいのだが……どうすればいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 それから1時間ほど経って、バスは海辺の旅館に到着した。女将さんに全員であいさつした後、各人が割り振られた部屋へ自分の荷物を運んでいく。

 

「それじゃあ、3日間よろしくお願いします。織斑先生」

 

「ああ。羽目を外しすぎるなよ、織斑」

 

 唯一の男である俺は、様々な事情が考慮された結果、千冬姉と同じ部屋で生活することになった。確かに、抑止力たるわが姉がいれば万にひとつも間違いが起こることはないと言い切れる。

 

「さて、早速浜辺に繰り出すか」

 

 実習1日目は終日自由時間なので、生徒はみんな海で遊びまくることだろう。俺もその例にもれず、千冬姉と別れて男子更衣室へ向かい、ちゃちゃっと着替えて夏の青空の下に飛び出した。

 

「おお……」

 

 浜にはすでに多くの女子がいて、それぞれ海で泳いだりビーチで遊んだりしている。もちろんみんな水着姿なわけで、こういう刺激的な光景を目にできる男は俺だけなのだと考えると少し優越感を感じる。

 

「……眼福だな」

 

「何が眼福よ、このエロオヤジ」

 

 背後からの聞きなれた声に振り向くと、予想通りツインテールの幼馴染――もとい、俺の彼女がむすっとした表情で仁王立ちしていた。

 オレンジを基調としたタンキニタイプの水着は、活発な女の子である鈴にとてもよく映えているように見える。……惚気になってしまうが、やっぱり他の子よりもかわいい。

 

「鈴。その水着、すげー似合ってる」

 

「んなっ……ま、真顔でそんなこと言うんじゃないわよ! 他の女の子見て鼻の下伸ばしてたくせに」

 

「それはまあ、悪いと思ってるけど男の性だし……でも、俺は鈴が一番きれいだと思うぞ」

 

「はぅ……」

 

 素直に感じたことを口にすると、鈴は奇妙なうめき声をあげてうつむいてしまう。どうやら照れているらしい。

 

「アンタってホントに、女殺しというかなんというか……もう怒る気も失せちゃったわ。ほら、早く泳ぎに行きましょ」

 

 俺の手をとって砂浜を走り出す鈴。どうやら機嫌を直してくれたようだ。さあ、久しぶりにこいつと水泳勝負でもやろうかな。

 

「ちょっと待ったあ!」

 

「織斑くんと凰さん、私たちとビーチバレーやらない?」

 

「今日こそ7月のサマーデビルの本領発揮よ!」

 

 声をかけてきたのは谷本さんと相川さんと櫛灘さんだった。さらに彼女らの背後にはラウラとシャルロットの姿も確認できる。

 

「ビーチバレーか、面白そうだな」

 

「そうね、やりましょう」

 

 2つ返事で承諾する俺と鈴。そうと決まればチーム分けだが……7人、奇数だな。

 

「それじゃあ最初は僕が抜けようか?」

 

「その必要はないわ。一夏がひとりで2人分動くから」

 

 おい鈴、勝手に俺を過労死させようとするんじゃない。

 

「だって一夏は『ビーチバレーの魔王』の弟だし」

 

「確かに千冬姉は魔王だけど俺の実力とは関係ないだろ」

 

「む、教官はビーチバレーが得意なのか」

 

「魔王かあ。サマーデビルの私とどっちが上なのかな」

 

 鈴の話に食いつく一同。やっぱり千冬姉はみんなの注目の的なんだなと改めて実感させられる。

 

「千冬さんは恐ろしいわよ? あの到底人間とは思えない身体能力をフルに使って繰り出される殺人サーブと必滅スパイクがどれだけの罪のない人間をなぎ倒していったのか……血も涙もあったもんじゃないわ」

 

 調子に乗って事実に脚色を加えて語り始める鈴。会話を盛り上げるエンターテイナーとしての能力は評価するが、そういうことをしていると――

 

「ほう、ずいぶん楽しそうな話をしているな? 凰」

 

 ほら、地獄耳の魔王がやって来た。

 

「ひっ……お、織斑先生」

 

 油の足りないロボットのようなガチガチの動きで、鈴は背後に立つ千冬姉の方に振り向く。俺が選んだ黒の水着を身に着けている千冬姉は色気たっぷりで、俺やラウラ、櫛灘さんたちはその姿にしばし見惚れてしまう。……鈴はガクガク震えてるけど。

 

「ビーチバレーの人数が足りないのなら私が入ろう。これで4対4にできるな」

 

 憧れの千冬姉と遊べるということでテンションの上がる一同(正反対の態度をとっているのが約1名)。あれよあれよという間にチーム分けが進行していき、結果。

 

『俺・鈴・ラウラ・櫛灘さん』VS『千冬姉・シャルロット・相川さん・谷本さん』

 

 こんな感じになった。

 

「なんで千冬さんと同じチームになれないのよ……集中攻撃食らうの確定じゃない」

 

「諦めろ。大魔王からは逃げられない」

 

 先ほどの失言に対する報復を受けると予測している鈴はガクリと膝を落とす。……まあ、俺としては千冬姉もそこまで執拗に仕返しするほど子供じゃないと内心思っている。純粋にビーチバレーを楽しみたいだけだろう、多分。

 

「ボーデヴィッヒさん、ビーチバレーのルールはわかってる?」

 

「シャルロットに教えてもらったから問題ない。要は相手の陣地にボールを落とせばよいのだろう?」

 

「うん、まあ遊びだしだいたい理解できれば大丈夫だね」

 

 櫛灘さんと普通に会話できているのを見て、ラウラもすっかりクラスに溶け込んだなと改めて感じる。転校当初の高圧的で周りを拒絶していた態度を考えると、本当にいい方向に変わってくれた。

 

「俺のサーブからでいいか?」

 

 全員準備ができたようなので、そろそろ試合を始めよう。たまたまボールを持っていた俺がサーブを放ち、ゲームスタート。初っ端ということもあってあまり力を入れなかったこともあり、ボールはゆっくりと相手側のコートへ飛んでいく。

 

「それっ」

 

「織斑先生、パスです!」

 

 シャルロットがサーブを受け、続いて相川さんがボールを高く上げる。そして――

 

「ふっ」

 

 ズドン、と。およそビーチバレーで出るとは思えないような重い音とともに、矢のようなスパイクが襲いかかる……思いっきり鈴めがけて。

 

「うわあっ!?」

 

 素っ頓狂な声を出しながら攻撃を回避する鈴……っておい、よけちゃダメだろ。

 

「いきなりあんなの来たら誰だって反射で自己防衛に走るわよ!」

 

 俺の責めるような視線に気づいたのか、砂浜に落ちたボールを拾い上げつつ必死に反論してきた。若干涙目になっているあたり、本気で怖かったらしい。確かに、俺があいつの立場でも思わずよけちまってたかもしれないな。

 

「さすが教官だ。ビーチバレーをする姿も美しい」

 

「くっ、まさか7月のサマーデビルを超えるものが現れようとは……」

 

 愛する教官に惚れ直していたり、早くも敗北を認めたりしているわがチームメイト。ここから先の展開に不安しかない。

 ……ところが、その後の試合運びは俺の想像とは異なるものになった。

 

「ラウラ、頼んだ!」

 

「任せろ!」

 

 俺のパスからのラウラのスパイクは見事に相手コートに突き刺さる。千冬姉が本気を出せば必ず拾えたボールだ。どうやらちゃんと手加減してくれているようで、今の以外でも100パーセントの力を発揮せずに行われるプレーが多い。

 ……まあ、多いと言ったからには例外があるわけで。

 

「はっ」

 

「ああっ……! また返せなかった……」

 

 どうも千冬姉、鈴のいる方に向かって撃つスパイクだけは全力でやるつもりらしい。普通スパイクは誰もいないところを狙うものなんだが、明らかにひとりの人間への集中砲火を続けている。

 

「うーん……」

 

 おかしいな。仮にさっきの鈴の誇張されたトークに多少腹を立てていたとしても、あんな露骨な真似するなんて千冬姉らしくない。せいぜい殺人スパイクを1回撃ってビビらせるくらいで、仕返しを長引かせるタイプじゃないと思うんだが……

 

「鈴、大丈夫か?」

 

 またもボールを拾えず、地面に手をついて意気消沈しているように見える鈴に一声かける。

 

「ふ、ふふ、うふふ……」

 

 不気味な笑みを浮かべながらふらふらと立ち上がるのを見て、頭でも打ったんじゃないかと少し心配になる。

 

「ふふふ、久しぶりにキレてしまったわ」

 

「いや、お前わりと頻繁にキレてるような」

 

「何がビーチバレーの魔王よ。こうなったら意地でも止めてみせる」

 

 あっさりツッコミがスル―されて寂しいが、ここに来てさっきまで千冬姉に恐れおののいていた鈴のやる気が回復するとはどういう風の吹き回しか。

 

「いずれは越えなくちゃならない壁なんだから……あとついでに、あの自己主張の激しい胸部に腹が立ってきたわ」

 

 なんだか不純な動機が混ざっていたが気にしない方向でいこう。

 

「それっ」

 

 谷本さんのサーブでプレーが再開される。現在のスコアは7対9で向こうがリード。10点先取なので、こちらはもう1点もやれない状況だ。

 

「ほいっと」

 

 サーブを受けた俺が前方にボールを送り、それをラウラが垂直に弾く。

 

「ふんっ!」

 

 間髪入れず櫛灘さんが鋭いスパイクを放った。今までで最もスムーズにいった連携で点をもぎ取れるかと思われたが、ギリギリのところで飛び込んできたシャルロットにボールを拾われる。さすがはフォロー上手、ポジショニングもうまい。

 

「先生、お願いします!」

 

 相川さんがパスを出し、千冬姉の体が躍動する。おそらく今回も鈴のいるあたりに撃ってくるはずだ。

 

 ――バァンッ!!

 

 相変わらずボールが破裂しないのが不思議なくらいの音を立てながら襲い掛かってくるスパイクに、鈴は真っ向から立ち向かう。

「うおおおっ!」

 

 ギュルギュルと唸りをあげるボールに腕を弾き飛ばされそうになりながらも、乾坤一擲とばかりに叫びをあげ。

 

「とりゃあ!!」

 

まさに執念。ISの試合の時並みに気合いの入った声とともに、鈴は千冬姉の一撃を弾き返した。その際、ボールに凄まじい回転が加わり――

 

「あ」

 

 気づいた時には、急カーブを描いたボールが俺の顔面めがけてものすごい勢いで――

 

「ぶっ!?」

 

 

 

 

 

 

『ははは、そりゃあ災難だったな。いくらビーチバレー用のボールとはいえ痛かったろ?』

 

「笑い事じゃないんだけどな……防具なしで竹刀を食らうくらいの激痛だったぞ」

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、時刻はそろそろ午後9時になろうかというところ。夕食と風呂を済ませた俺は、千冬姉がいる自分の部屋から出て弾と携帯で話していた。

 

『それで? 晴れて彼女ができた一夏クンは、これから朝まで夜の語らいを楽しんだりするのか』

 

「無理だな。なんせ部屋の相方が千冬姉だ。夜にこっそり抜け出すとかどうあがいても許されないだろ」

 

『ふーん、なるほどな』

 

「ま、もともとそんなことするつもりもなかったけど」

 

 そもそも千冬姉の存在関係なしに、徹夜で彼女と……その、いちゃいちゃする、という行為はあまり良いものではないと思っている。世間一般でよく言われる『バカップル』に当てはまるような行動は気が進まないのだ。何事も節度をもって臨むのが俺の隠れたポリシーだったりする。

 

『俺の予想だと、お前と鈴はそのうちバカップル化すると踏んでるんだけどなあ』

 

「そうなのか?」

 

『お前、基本的にくそ真面目なタイプだろ。そういうやつは行くところまで一直線に行く可能性があるってことだ。付け加えると数馬も同意見だった』

 

 どうも友人にはそんなふうに考えられているらしい。その通りにならないよう気をつけねば。

 ……とまあ、バカップルの話題はこの辺で終わりにしておいて。

 

「ところで弾。……蘭の様子は?」

 

『……やっぱり用件はそれか』

 

「ああ」

 

 数日前、俺は蘭に電話をかけた。セシリアや箒に伝えたことと同じ内容を、彼女にも話したのだ。ちなみに、弾に鈴と付き合うことになったということを報告したのはその後で、『なんで俺への知らせが後回しなんだよ』と軽く文句を言われたのは記憶に新しい。

 電話越しに蘭の泣く声を聞いたあの日からしばらく経って、今はどんな様子なのか。それが気になって、こうして旅館から弾に連絡したわけだ。

 

「まだ落ち込んでる素振りを見せる時もあるけど、だいたい立ち直ったと思うぞ。今日は久しぶりに俺を怒鳴りつけに来たしな」

 

「……そうか、よかった」

 

 どうやら心配なさそうだと思い、俺は一安心とばかりに息をつく。

 ……これで、当面の問題は箒に関することだけに絞られた。昼間に海で遊んでいた時も俺から距離をとってひたすら遠泳してたし、早くなんとかしないとな。

 

 

 

 

 

 

「まさか千冬さんと同じ部屋だなんて……夜中に遊びに行こうと思ってたのに」

 

 ぶつぶつと不平を垂れながら廊下を歩く鈴。浴衣姿の彼女が向かう場所は、先日念願叶って付き合うことになった一夏の部屋。千冬がいる以上室内で2人きりになることはできないが、それなら旅館の外に出て一緒に夜風でも浴びようかと考えた次第である。

 

「一夏、いる?」

 

 部屋の前までたどり着き、浴衣が乱れていないか念入りにチェック。それからノックをして、一夏の名前を呼ぶ。

 

「織斑なら今は部屋にいないが」

 

 ややあって扉が開き、顔を出したのは千冬だった。彼女も浴衣を着ていて、お風呂上りなのか髪が少し濡れている。その姿が妙に色気を醸し出していて、鈴は素直にうらやましいと感じた。

 

「そうですか。じゃあ出直します」

 

「待て」

 

 一礼をして回れ右を行ったところ、背後から呼び止める声がかかる。

 

「どうせすぐに戻ってくる。それまでこの部屋で待っていたらどうだ」

 

「え……?」

 

「というか待っていろ。ちょうどお前と話しておきたいことがあったんだ」

 

 千冬の有無を言わさぬ提案に流されるまま、織斑姉弟の部屋に足を踏み入れる。端の方に置かれているテレビからは、今日の出来事を淡々と振り返るニュースキャスターの声が聞こえてくる。

 

「そこのソファーにでも座れ」

 

「あ、はい」

 

 近くにあったソファーに腰掛け、鈴は大きく深呼吸をする。千冬と2人きりという状況からくる緊張をほぐすためだ。

 凰鈴音は織斑千冬が苦手である。いつからか、と思い返してみると初対面の時までさかのぼる。彼女の本能が『この人には敵わない』と告げているのだ。

 

「え、えっと。織斑先生、お話っていうのは……」

 

「ああ、そうだったな。では単刀直入に聞くとしよう」

 

 テレビを眺めていた千冬がリモコンの電源ボタンに手を触れる。途端に部屋が静まりかえり、鈴の緊張感もさらに増していく。

 

「……お前、私の弟と付き合っているな?」

 

 ど真ん中直球150キロ、いきなり核心を突く質問だった。心臓が飛び出すかと思うほど驚いた鈴は、しかし背筋を伸ばして千冬の問いに答える。

 

「はい。この前の日曜日から、お付き合いさせていただいています」

 

「……そうか」

 

 千冬の返事は短く、どんな感情を抱いているのかを察することができない。

 

「あの……織斑先生は、反対なんですか」

 

 気分はダンジョン最下層でボスとご対面した勇者である。半ばヤケになりながら、鈴は千冬に思い切って尋ねてみた。

 

「別に付き合うだけなら何も言わないさ。どこの馬の骨とも知らないようなやつならともかく、お前のことは小さいころから知っていることだしな。あの馬鹿のどこに惚れたのかは理解できないが」

 

 『付き合うだけなら』。その言葉に込められた意味が、鈴にはなんとなくわかったような気がした。

 

「ただ、お前が将来それ以上のことを望むのであれば、その時は私も簡単に認めるわけにはいかないな」

 

 にやりと唇の端を吊り上げて、千冬は不敵に笑う。

 つまり、もし鈴と一夏が恋人よりさらに進んだ関係――つまり『夫婦』になることを決意した場合は、この姉の反対を受けることになるということ。

 

「……どうしたら、認めてもらえるんですか?」

 

「おいおい、気が早すぎるんじゃないのか? お前たちはまだ学生だ。加えて専用機持ちという立場も考えて行動しなければならない。どれだけお前が努力したところで、あと数年は決して首を縦に振るつもりはない」

 

 どのみちあいつが18歳になるまでは籍を入れられないしな、と付け加える千冬。確かにその通りなのだが、それでも鈴としてはできるだけ早く許可をもらいたくてしょうがないという気持ちがある。

 好きな人と結婚して、同じ家に住んで、子供を産んで、大事に育てて。まだ曖昧にしか想像できないことではあるが、それは月並みながらも凰鈴音という少女の夢なのである。

 

「どうしても条件を知りたいという顔だな」

 

 鈴の意図が伝わったのか、千冬の目つきがやや細くなる。

 

「仕方がない。ならいくつかあるうちのひとつだけ教えてやろう」

 

 そう言って、彼女はゆっくりとその『条件』を告げる。

 

「あいつは危なっかしいところがあるからな。それを支えられるだけの強さを持て。……最低でも、私のスパイクをきちんと返せるくらいのな」

 

 悪戯っぽい笑みとともに放たれた千冬の言葉。それを聞いて、鈴は昼の彼女の行動に隠された意味をはっきり理解した。

 鈴に対してだけ執拗な攻撃を繰り返していたのは、彼女なりの試練のようなものだったのだろう。一夏が欲しいのなら、このボールを返すくらいの意地と強さを見せろ、と。

 不器用なやり方だと鈴は思う。だが、その不器用さゆえに千冬が弟のことを真摯に考えていることがよりはっきりとわかるような気もした。

 

「……本当に、一夏のことを大事にしてるんですね」

 

 一夏に関することには素直じゃない千冬のことだ。きっとこの言葉も否定するんだろうなと思いつつ、鈴は小さく笑いながら語りかける。

 ……だが、予想に反して千冬は首を縦に振り。

 

「当然だ。私の大切な弟なのだから」

 

 慈愛に満ちた表情で、初めて鈴に対して本音をこぼしてくれたのだった。

 




ちょっと駆け足ですが臨海学校1日目まで終了です。次回はいよいよ天災ウサギさんやらあれやらそれやらが登場します。結構真面目な話になる予定です。

千冬が最後に本音をこぼしたのは、鈴をある程度は認めているから、みたいな感じです。

では、次回もよろしくお願いします。


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第29話 紅椿

切りどころの関係で今回ちょっと短めです。


「朝ご飯は鮭の塩焼きか。うまそうだな」

 

 一晩明けて迎えた臨海学校2日目の朝。1日目の夕食と同じく大広間で朝食をとることになっていた俺たちIS学園の生徒は、それぞれが好きな席に座って談笑しながら食事を楽しんでいた。

 

「ふわぁ……」

 

「眠そうだな、ラウラ」

 

 味噌汁をすすりつつ、隣に座っているラウラに声をかける。先ほどからあくびを連発しており目も半開き、完全に寝不足と見受けられる。意外と朝に弱いタイプなのか、それとも昨日はしゃぎすぎたのが原因なのか。

 ちなみに好きな席といっても、クラスごとに大まかな配置は決まっていたので、2組の鈴と一緒に食べることは残念ながら叶わなかった。なので、俺の周りにいるのはラウラをはじめとする1組の女子たちだ。

 

「ふわ~あ……」

 

「相川さんも眠そうだね。昨日海で遊び過ぎたとか?」

 

「うーん、それもあるけど……多分、普通に寝不足が原因だと思う」

 

 そう言って、向かいの席にいるラウラにぺこりと小さく頭を下げる相川さん。何か謝らなければいけないことでもやったのだろうか。

 

「私、ボーデヴィッヒさんと同じ部屋だったからさ、いい機会だと思ってIS絡みでわからないことをいろいろ教えてもらってたんだよ。それで、なんだかんだで消灯した後までこっそり続けてたから睡眠時間が減っちゃって。ごめんねボーデヴィッヒさん」

 

「気にするな。多少睡眠が少なかろうが私は問題ない」

 

「でも、明らかに眠そうだし……」

 

「訓練の時にはしっかり切り替えるさ」

 

 ……へえ。2人で夜中にそんなことしてたのか。布団に入って10秒で意識が飛んだ俺とは大違いだ。

 

「相川さん、真面目なんだな」

 

「そんなことないよ。ただ、この前ボーデヴィッヒさんに言われた通り、もう少し真剣に取り組んでみようかなって思っただけ」

 

 というと……学年別トーナメントの翌日のあれのことだろうか。

 

『私はISというものに対して、常に真摯に向き合うべきだと考えている。今はスポーツが主な使用用途だが、あれは世界のバランスを簡単に変えることができる強大な力だ。それを扱う者として、ここにいる人間には今以上の努力と覚悟がなければ話にならない』

 

「皆に促したのは私だからな。気概のある者の手伝いくらいはするべきだろう?」

 

 鮭の骨を取り出す作業を行いながら、ラウラはにやりと口元を歪める。

 

「ありがとう。そんなふうに言われたら、今日の訓練は頑張るしかないよね」

 

「広い空間でISを操縦できるいい機会だ。きちんとものにしておけ」

 

「はい、師匠!」

 

「師匠ではない、隊長と呼べ」

 

「はい、隊長!」

 

 なぜ隊長呼びを強制させるのかはわからないが、俺は2人の会話を見ていてなんとなくうれしい気持ちになっていた。ラウラのあの時の心からの言葉が、ちゃんとみんなに届いていたことが改めて認識できたからかもしれない。

 

「俺も頑張らないとな」

 

 もっと模倣の精度を上げられるよう、今日の訓練も気合い入れていこう。

 

 

 

 

 

 

 ISの運用のために用意されたビーチに、朝食を終えた生徒たちが続々集まってくる。昨日羽を伸ばした分、今日は朝から晩までみっちり授業の予定が詰め込まれているため、ISスーツを着ている女子たちの面持ちもやる気に満ちたものになっていた。

 

「全クラス点呼は済んだな。ではこれよりISの装備試験を行う」

 

 生徒全員が集まったことを確認した千冬姉が指示を出し、あらかじめ決められていた班ごとに振り分けられた作業を開始する。

 俺は専用機持ちなので、本来なら鈴やセシリアたちと同じく機体に用意された専用パーツを試すことになるのだが……この白式、拡張領域というものが空いていないらしく、後付け装備を追加することが不可能なのだ。ゆえに俺には千冬姉のマンツーマン指導という鬼の特別メニューが実行されるらしい。

 

 ずどどどど……

 

「うん?」

 

 何やら向こうからものすごい勢いで近づいてくる人の姿が……って、あれは。

 

「ちーちゃ~ん!!」

 

 ……束さんだ。箒のお姉さんにして、世の中にISという存在を生み出した張本人。世界の誰もが認める天才科学者は、現在行方不明ということになっていたはずだが、まさかこんなところに現れるなんて。

 ああいや、この人に『まさか』が通用しないのは昔からわかってたことではあるんだけど。

 

「うそ、あれがISを開発したっていう……?」

 

「生で見られるなんて思いもしなかったよ……」

 

 束さんの突然の登場に驚き、ざわめく女生徒一同。ちなみにその間当の本人は千冬姉にじゃれつこうとしてアイアンクローをもらっていた。本当に、昔と全然変わっていない。

 

「ちーちゃんの愛が重いよ……もっと優しくしてくれると束さんはうれしいな」

 

「なにが愛だ馬鹿。それよりさっさと用件を済ませたらどうだ」

 

「はっ、そうだった! これはうっかりだねえ。じゃあ……いた! おーい箒ちゃ~ん!」

 

 大声で10メートルほど離れたところにいた箒を呼ぶ束さん。箒もそれに応えて、ゆっくりと2人のもとに歩いていく。途中で一瞬俺と目があったが、すぐに逸らされてしまった。

 

「……どうも、お久しぶりです」

 

「うんうん! ほんっとーに久しぶりに会えたね、箒ちゃん!」

 

 妹の顔を見ることができてはしゃぐ姉と、そんな姉を言葉少なに見つめる妹。対照的な2人は、間違いなく血のつながった姉妹なのである。

 妹LOVEな束さんはもちろんだが、箒のほうも向こうを嫌がっている節は見受けられない。4月のはじめに姉を敬遠するかのような発言をしていたのだが、この様子だと問答無用に拒絶、という感じではないようで一安心だ。

 

「早速だけど、予告通り箒ちゃんにバースデープレゼントを用意してきたんだよ、ぶいぶい!」

 

 そうか、今日は7月7日で箒の誕生日だからな。姉である束さんはそれをお祝いしようとここまでやって来――

 

 空から、何かが降ってきた。

 

 落下による衝撃で砂煙がたちこめる中、その金属の塊の外面を覆っていた壁が四方に倒れる。そして現れたのは……紅い、IS?

 

「ね、姉さん。これは……?」

 

「見ての通り、箒ちゃん専用の現状最高スペックを誇るIS『紅椿』だよ! これが私からのプレゼントなのだよん♪」

 

『………』

 

 生徒および教師一同、絶句。無理もない、妹の誕生日に専用機プレゼントするって、そりゃIS作った人なら十分できることだけど……ぶっちゃけ予想外過ぎて驚くしかない。箒だって口をぽかんと開けて呆然としている。

 

「………」

 

 唯一千冬姉だけはさして動じることもなく、品定めするかのように『紅椿』を見つめている。もしかして、プレゼントの中身を事前に把握していたのだろうか。

 

「さあさあ箒ちゃん、束さんがソッコーでフィッティングとパーソナライズをするから――」

 

「ごめんなさい。私は、これを受け取ることができない」

 

「……え?」

 

 消え入るような声で箒がぽつりとこぼした言葉に、俺たち全員は耳を疑った。

 

 

 

 

 

 

「受け取れない? どうして箒ちゃん? ……あ、さては束さんの腕を疑ってるねえ? ちっちっち、心配ご無用。この紅椿は安心安全束印のパーフェクトな一品だから、なーんにも怖がらずに使ってくれて――」

 

「そうじゃない!」

 

 繰り返し紅椿の使用を勧めてくる束に対して、箒は思わず声を荒げてしまう。それだけ、今の彼女の心は不安定な状態だった。

 

「そうじゃ、ないんです……」

 

 怒っているわけじゃないということを示すために、さっきよりも丁寧に言い直す。眼前の束はそんな妹の反応が解せないといった表情をしており、一方千冬は腕を組んだままじっと様子をうかがっている。近くにいる副担任の山田真耶は、先ほどからずっとおろおろしっ放しだ。

 

「どうして? 箒ちゃん」

 

 束の発する声色が変わった。いつものふざけた空気はなくなり、真面目に箒に答えを問うているのだ。

 

「……私は、あれを使うに足る力も信念も持ち合わせていない」

 

 篠ノ之束は紛れもなく天才だ。そのことを、妹である箒は痛いほど承知している。

 そんな束が作り上げた、最高スペックを持つという専用機。彼女がそう言うのだから、紅椿は間違いなくどの機体よりも優れたISなのだ。そんな大それた力を扱えるほど、箒は己が修練を積んだと言い張ることができない。

 そしてもうひとつ……信念。

 今まで箒が、何のためにISの訓練を続けてきたのか。一番の理由は、『一夏と肩を並べられるようになるため』だった。白式という専用機を手に入れ、めきめきと力をつけていく一夏と、彼の周りにいる高い実力を持った代表候補生たち。いつかあの場所に自分も到達しようと、そう強く思い続けて努力してきたのだ。

 

 ――胸を張って一夏の隣に立てた時、告白しよう。

 

 ……だが、一夏は鈴を選んだ。今からありったけの想いを伝えたとしても、彼がこちらに振り向くということはないだろう。

 だから、今の篠ノ之箒にはISの高みを目指す目的が失われてしまっていた。

 

「あの紅椿に、私は釣り合わない」

 

「……それってさ、今決めつけちゃうもんなの?」

 

 不意に背後からかけられた声に振り向くと、そこに立っていたのは。

 

「鈴……」

 

「あれに釣り合わないって、そんなの当然でしょ。稀代の天才のお手製品よ? それに対して本当に釣り合う人間なんて、それこそISパイロットの頂点、ブリュンヒルデくらいしかいないわ」

 

 両腕を腰に当てて、鈴はちらりと千冬のほうに目を向ける。……確かに、束の作品に真の意味で釣り合うことができるのは、最強の戦士の称号を持つ彼女くらいなものだ。

 

「だから、今の段階で釣り合わないのは問題じゃない。あれに乗って訓練積んで、最終的に機体に見合うだけの実力を身につけられればそれでいいのよ」

 

「し、しかし……」

 

 鈴の言うことには一理ある。だが、それを肯定したとしても、まだ信念がないという問題が残ってしまう。

 

「はあ……やっぱり真面目よね、箒って。要するにね、あたしは『とりあえず挑戦してみろ』って言いたいわけ」

 

 投げやりといえば投げやりな鈴の意見。だが、彼女は真剣な表情で箒に語りかける。

 

「実際問題として、専用機持ちはいろいろ大変だとは思う。たくさんの人の中から選ばれた数少ない『力』を持った存在なんだから、面倒事に巻き込まれることだってあるかもしれないわ」

 

 でも、と。鈴は小さく首を横に振って、『専用機持ち』としての言葉を紡いでいく。

 

「だからこそ……ってのは違うかもしれないけど。専用機に乗ることで、新しく見えてくることもあるのよ。アンタの言う信念ってやつも、その中にあるかもしれない。あたしだって大事なことが何個かわかったし、一夏も似たようなこと言ってたしね」

 

「一夏も……?」

 

「ま、確かに鈴の言う通りだな」

 

 いつの間にか、一夏が箒たちの近くにまで歩み寄ってきていた。ここ数日の間は箒の方から距離をとろうとしていたので、こうして面と向かって話を聞くのはずいぶん久しぶりのような気がする。

 

「箒はさ、十分すごいと思うぜ。お前が今まで放課後のIS鍛錬頑張ってきたのは俺がよく知ってる。芯も強いし、きっと専用機を持っても大丈夫だ……って、俺に言われても全然安心できないか」

 

 ――芯が強い? 私が? はは、それは見当違いもいいところだぞ一夏。剣道の大会でも、自分の力に酔って怒りのままに竹刀を振るったような人間だ。

 ……だけど、お前や鈴が、そこまで言うのなら。

 

「……わかった。とりあえず、一度だけ試してみる」

 

 信じてみようと、箒は思ったのだった。

 

「おおっ、箒ちゃんがやる気になってくれた! うれしいねえ、姉冥利に尽きるねえ。それに、さすがいっくんいいこと言うね! あと誰だか知らないけどそっちのツインテールも。おっぱいはすごく小さいけど」

 

「箒、アンタのお姉さん殴っていいかしら」

 

「さっきまで珍しくいい感じのこと言ってたんだから最後の最後で台無しにするなよ」

 

 額に青筋を立てて拳を握りしめている鈴をなだめる一夏。そんな2人の姿を、やはりお似合いだと箒は感じた。

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 ――すごい。ただ、それだけだった。

 束の手による調整が終わり、いよいよ紅椿を身に纏った箒。空中に浮かびあがり、右手の『雨月』、左手の『空裂』という名の2本の刀を振るった時、彼女は初めて味わう感触に心を震わせていた。

 

「訓練機とは次元が違う。これが、紅椿の力……」

 

 パワー、スピード、装備、その他すべてが途方もないレベルに到達している。こんな高性能の機体を、束は箒に贈ろうとしているのだ。

 さきほどは、いきなり専用機を渡されたことで戸惑いの感情が大きく出てしまっていたが……姉が自分のためにISを作ってくれたこと自体は、とてもうれしい。

 

「見えるかもしれない」

 

 知らず知らずのうちに、刀を握る手に力がこもる。

 

「この紅椿となら、何かを見つけられるかもしれない」

 

 一夏への気持ちに関する疑問の答えは、今もまったくわからないままだ。自分の心が自分で理解できないのは本当に辛い。

 だけど、今はとりあえずこれに挑んでみようと、箒は決意した。

 




紅椿に乗るだけで1話使う作品があるらしい。まさか福音までいかないとは思わなかった……いや、ならあと3000字くらい追加しろって話なんですが、前書きにも書いた通りこのあたりでしか話の切りどころがなかったんです。

ラウラ隊長のISレッスン。今後も受講者が増えるかもしれません。
鈴に関してはなんかしゃべらせすぎたので最後にオチをつけときました。貧乳ネタが最近多い気もしますが原作でもここはおっぱいの話してたから許してください。

では、次回もよろしくお願いします。


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第30話 騒乱と沈黙

お久しぶりです。更新間隔が空いてしまい本当に申し訳ありませんでした。なんとかぎりぎり予告通りに最新話投稿です。


『……スコールか。何の用だ? 与えられたノルマはこなしたはずだが』

 

『ええ。それはもちろんわかっているわ、エム。あなたがそつなく働いてくれたことも、早く帰ってひと眠りしたいと思っていることも、私はちゃんと知っている』

 

『ならさっさと用件を話せ。察しの通り、私は眠いんだ』

 

 人気のない裏路地を歩く黒髪の少女――マドカは、そう言って足元に転がっていた小石をなんとはなしに蹴り上げる。

 『言う』とはいっても、彼女の口はまったく開かれていない。プライベート・チャネルで通信を行っているため、言葉は頭に思い浮かべるだけで相手に伝えられるのだ。

 

『あなたは本当に眠るのが好きね。すぐ寝てしまうくせに寝起きは最悪だもの。いつだったかしら、朝早くにあなたを起こしに行った時の寝ぼけた顔は――』

 

『切るぞ』

 

『冷たい反応ね』

 

『くだらん話は聞きたくないと言ったはずだ』

 

『そう。なら、お望み通り本題に入ろうかしら』

 

 ようやく用件を話す気になったらしいスコールに対して、マドカは小さくため息をつく。どうして自分はこんな面倒な女のもとで生活しているのか……この疑問は1日1回は必ず彼女の脳内に湧き上がっている。

 そのたびに、マドカはわかりきった答えを己に返すのだ。……『あの女が私の命を握っているから』、と。

 体内に埋め込まれたナノマシンのせいで、自らの居場所も、体の調子も、何もかもがスコールに伝えられてしまう。それだけならまだいいが、そのナノマシンはスイッチひとつで簡単にマドカの命を奪うことができるのだからたちが悪い。最初にこの話を聞かされた時には、『ああ。科学も随分と進歩したものだな』などと暢気なことを考えたものである。

 

『ちょうどあなたがいい場所にいるようだから、少し残業をしてもらいたいのだけれど』

 

『……サービス残業か?』

 

『ご褒美は用意してあるわ。あなたの大好き(だいきらい)なあの子に会えるかもしれないという、大きな大きな報酬を、ね』

 

『……ほう?』

 

 その言葉を聞いた瞬間、眠気で半開きになっていたマドカの目が大きく開かれ、口元が妖しく歪む――

 

 

 

 

 

 

「お、織斑先生!!」

 

 俺たちが紅椿を操る箒の姿を見上げていた最中、突然山田先生が大慌てで千冬姉のもとに駆け寄ってきた。どうやらただことではないらしく、山田先生から何らかの報告を受けた千冬姉の表情はかなり険しくなっている。

 

「どうしたんだ?」

 

「さあ……」

 

 しまいには手話(しかも一般に使われる種類のものではない)まで使い始めた2人を遠巻きに眺めながら、隣に立っている鈴ともども首をかしげていると。

 

「全員、注目!」

 

 話を終えたらしい千冬姉の声がビーチに響き渡り、生徒はみんなそちらに向き直る。箒もすでに紅椿を待機状態に戻して集団に加わっていた。少しだけうれしそうな顔をしているように見えるのは、俺の見間違いじゃないと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 先ほどの千冬姉の話を簡潔にまとめるとこうだ。今から教員は特殊任務に取りかかるから稼働テストは中止。生徒は全員旅館へ戻って一歩も外に出るな。ただし専用機持ちは私について来い――いつも以上に有無を言わさぬ厳格な声で伝えられたその内容に、俺は言い知れぬ不安を覚えた。

 そして今、指示通りに大広間に集まった専用機持ち5人――間違えた、箒も入ったから6人だ――は、千冬姉から何が起きたのかを詳しく聞いているのだが。

 

「軍用ISが、暴走……?」

 

「そうだ。今から50分後、その機体『銀の福音』がここの近くの空域を通過する。これに対処するのが我々に課せられた任務だ」

 

 まだいまいち事態を把握できていない俺がぽろりとこぼした言葉にうなずき、千冬姉は先ほど述べたことをもう一度説明する。2回言われて、ようやく何が起きているのかが呑み込めてきた。

 銀の福音とかいうISは今も超音速飛行を続けているらしく、それに接触するためには同程度の速度を持った機体が必要だ。学園に用意されている訓練機ではスペックが足りない。だからこうして専用機持ちが集められたんだろう……多分。でも、俺の白式には高速機動用の装備はなかった気がする。

 

「しかし……」

 

 代表候補生たちや千冬姉、山田先生らが先ほどから粛々と交わしている話の内容が難解でついていけそうもない。俺が一を理解しようとしている間に話が三くらい進んでしまっているのだ。

 それは俺と同じく代表候補生でない箒も同じなようで、あちらも会話に参加することができていない。……こういうところで、俺や箒と鈴たちの経験・知識の差を痛感させられる。

 

「早く追いつかないとな……」

 

 などと、改めて己の未熟さというものを恥じていたところ。

 

「………」

 

 いつの間にか、みんなの視線が俺に集まっている。……しまった、余計なことを考えていたせいで少しの間話を聞くのを忘れていた。そのせいで状況がまったく掴めない――

 

「一夏。白式の状態は万全か?」

 

「……え?」

 

 ラウラの口からいきなり飛び出したその言葉に、俺はなんとも間抜けな返事をしてしまった。

 

 

 

 

 

 

「まさか、一番経験の浅い俺たちが作戦の要になるなんてな……」

 

「あの千冬さんが決めたことだ。これが最も成功する確率が高いのだろう」

 

 午前11時半。再び砂浜に出た俺と箒は、各々の専用機の状態の最終確認を行っていた。

 作戦の指示を出す千冬姉と山田先生を除く教師陣はすでに空域、海域の封鎖に向かっている。あとは、肝心かなめの銀の福音と交戦する人間が行動を開始するだけ。

 その大役を、俺たち2人が担うことになったのだ。一撃必殺の零落白夜を持つ白式と、高速機動が可能な『前代未聞の第四世代型』紅椿。操縦者はともかくとして、機体の性能的には今回の作戦、つまり『敵を見つけたら速攻で倒すこと』に適している。

 俺の仕事は実に単純。紅椿の上に乗せてもらって福音に接近、そして一発でかいのをぶちかます。……口で言うだけなら簡単だが、果たしてうまくやることができるのだろうか。

 

「……緊張してきたな」

 

「……そうか」

 

 昨日まで俺を避けていた箒だが、今はちゃんと言葉を交わしてくれている。それ自体は喜ばしいことに違いないのだが、プラスの感情を押しつぶすほどの重圧が両肩に強くのしかかっているような、そんな感覚を覚えてしまう。

 ……これは実戦だ。これまで学園でやってきた訓練や模擬戦とは違う。いつ不測の事態が起きるかもわからないし、失敗すればそれだけ状況は悪化する。

 それでも俺が戦うことを選んだのは、自分がやらなければ他の人に負担がかかることがわかっていたから。……たとえばの話だが、俺の役目を鈴が代行することになったりしたら、その状況を我慢できる自信はない。大切な人、守るべき人を戦場に向かわせて自分は傍観するなんてことは、俺の信念に反するのだ。

 

「大丈夫なのか、箒? まだ紅椿をもらってから3時間くらいしか経ってないのに、いきなりこんなことになって」

 

「確かに経験不足は否めないが、適任だと言われたからにはそれに応えるだけだ。最低限、お前を目的地に届ける役目は果たしてみせる」

 

「……すげえな、お前。やっぱり肝が据わってるよ」

 

 春から白式と付き合ってる俺がびくびくしてるっていうのに、箒はいつもと変わらないように見える。

 そんな彼女の姿を見て素直に抱いた感想を口にすると、箒はなぜかため息をついて、

 

「……なるほど。本当に緊張しているようだな、一夏」

 

 と返してきた。いったいどういうことだ?

 

「今の私を見て『いつもと変わらない』だの『肝が据わってる』だの言えること自体がおかしい、という意味だ。もう一度私の顔をよく見てみろ」

 

「はあ……わかった」

 

 言われるがまま、箒の顔をじっと見つめる。じっくりと、目、鼻、口、眉、その他顔についているパーツのひとつひとつを念入りに観察していく。……うん、贔屓とか抜きにしても美人の部類に入るな。

 

「……あまりじろじろ見るな。恥ずかしい」

 

「いや、お前が見ろって言ったんだろ」

 

 頬を染めて照れられても困る……が、なんとなく箒の言いたいことがわかった気がする。

 

「……よく見たら、顔引きつってるな。箒」

 

 というか、一度意識したら箒の立ち居振る舞いのいたるところに緊張が表れているのがはっきりと見て取れる。表情だけではなく、体の動きも堅い。これに今まで気づかなかったなんて、俺はよっぽど心の余裕を失ってしまっているらしい。

 

「私だって緊張しているんだ。今まで使ってきた打鉄とは全く違う専用機を与えられて、大して慣れてもいない状態で実戦に向かう……不安がないわけがないだろう」

 

「……そうだよな。ごめん、無神経なこと言っちまって」

 

「それは気にしなくてもいいが……そうだな。悪いと思っているのなら、必ず銀の福音を止めてみせろ。この作戦を成功させることができれば、私も少し自信がつくからな」

 

「わかった。お前のデビュー戦、きっちり勝利で飾ってやるよ」

 

 最後は互いに口元を緩め、軽い感じで言葉を交わしたところで、千冬姉から準備ができたかどうか尋ねる通信が入ってきた。

 

「……よし」

 

 さっきのやり取りのおかげで、いい感じに緊張が和らいだ気がする。だが当然、『必要な緊張』というものが存在するのも確かだ。今から俺たちが行うのは遊びでも訓練でもない、正真正銘の戦いなのだから。

 箒の身に危険が及んだら必ず守る。そう胸に誓って、俺は白式を展開し、紅椿の背中に乗った。

 

『では、作戦開始』

 

 千冬姉の合図と同時に、白式を乗せた紅椿が、突風とともに夏の青空へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 指令室代わりとなっている大広間では、千冬と真耶に加えて、一夏と箒以外の専用機組が待機していた。何か予想外の事態が起きた際に、迅速な対応を行うためである。

 その中のひとりである凰鈴音は、作戦の最終確認を一夏たちとともに通信で行っている千冬の姿を背後からぼんやり眺めていた。

 

「鈴、どうかしたの?」

 

 そんな彼女の様子が気に留まったのか、近くにいたシャルロットが不思議そうに声をかけてくる。

 

「ううん……別に、なんでもない」

 

「一夏と箒のことが、心配?」

 

 なんでもないと答えたのに、シャルロットは鈴の心の内を正確に読み取って返事を返してくる。だから、最初はごまかそうとした鈴も、素直に気持ちを話すことに決めた。

 

「……うん。すごく心配。あたしの甲龍が高速機動を行えるんなら、今からでも箒の代わりに出撃したいくらいよ」

 

「そっか……でも、きっと大丈夫。あの2人を信じようよ、ね?」

 

 ――本当に、そう信じることができたらどんなに楽なことだろう。

 

 以前の鈴なら、シャルロットの言う通り作戦の成功を信じることができていたはずだ。『一夏ならきっと大丈夫』――小学生のころから、彼女は一夏の強さを知っていて、それを信じ続けてきたのだから。

 ……だが、今はその行為ができなくなってしまっている。彼に対して、絶対的な信頼感を持てないのだ。

 なぜか、と問われても、鈴は明確な答えを持ち合わせてはいない。ただ、もしかすると原因は一夏と付き合い始めたことにあるのではないかとなんとなく感じていた。

 長年の想いが実り、初恋の少年と結ばれることになって。

 今までよりいっそう彼との距離が短くなり、間近でその横顔を眺めているうちに。

 ……ひょっとすると、臆病になってしまったのかもしれない。絶対に失いたくないがゆえに、彼のことを信じられなくなってしまったのではないだろうか。

 

「一夏、箒……」

 

 誰にも聞こえないような小さな声で、鈴は戦いに赴く2人の名を呼ぶ。願うことなら、自身の胸にくすぶる不安が杞憂で終わってくれますようにと、心の底から祈りながら。

 

 

 

 

 

 

「……気持ちのいいものじゃ、ありませんね」

 

 一夏と箒が銀の福音を目指して空へ飛び出したのを確認した真耶がぽつりとこぼした一言に、隣にいた千冬が反応する。

 

「何がだ?」

 

「機体の性能の問題とはいえ、子供たちを戦いに赴かせなければならないなんて……私が代わりに行ければ、どんなにいいことかと思ったんです」

 

「……まったくだ」

 

 千冬自身も、心の中で真耶と同じことを考えていたところだ。もし自分に福音の速度についていける機体があるのなら、今すぐ一夏と箒を呼び戻して戦場に向かってやる。無いものねだりをしても仕方ないとわかってはいるが、それでもそんな考えが頭の中をもたげるのを止めることができずにいる。

 ……加えて、もし今回の騒動の原因が、千冬の想像通りのものであるとしたら。

 

「だが、とにかく今はあの2人にやってもらうしかない」

 

 一夏たちを心配する真耶と、そして自分自身に言い聞かせるように答える千冬。真耶も彼女の言葉にうなずき、戦況の確認に戻ろうとして――

 

「えっ……?」

 

「なんだと……!」

 

 空域を封鎖している教員のひとりから入ってきた通信の内容に、千冬も真耶も、一瞬言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

「あれだ!」

 

「あと10秒で目標に追いつく! 一夏、準備しろ!」

 

 凄まじいまでの速度で飛行を行う紅椿(とその上に乗っている白式)が福音の背後をとるまでに、さして時間はかからなかった。倒すべき相手が視界に入ったことで、雪片弐型を握る両手に自然と力がこもる。

 勝負は最初の一撃。敵がこちらに気づき対処する前に、零落白夜を叩き込む。エネルギー保有量がかなり多いらしい福音相手に長期戦は禁物だと、出撃前に千冬姉から伝えられているのだ。

 

「あと5秒……」

 

 落ち着け。無駄な力は抜き、確実にあの銀白のISに攻撃を当てるんだ……!

 

「………っ!!」

 

 ――今だ。ワンオフアビリティー・零落白夜を開放し、紅椿から飛び出した俺は、そのまま福音めがけて突きの体勢に入る。

 だが次の瞬間、銀の機体が180度回転し、真正面から白式を迎え撃つ形をとってきた。

 

「当たれええ!!」

 

 一度様子を見る、という選択肢はとらない。途中で気づかれたとはいえ、俺の刀と目標の距離はあとわずか。初撃という最大のチャンスをみすみす逃す手はないはずだ。

 シールドエネルギーを無視して莫大なダメージを与える零落白夜。福音のパイロットのことを考えて100パーセントの威力を出しているわけではないが、それでも敵の動きを止めるには十分すぎる一撃が、まっすぐ福音に……

 

「なにっ!?」

 

 命中する、と確信していた必殺の技は、福音が上体をしなやかに後ろにそらしたことで、あえなく空を切った。

 マジかよ、と思わず口から言葉がこぼれてしまう。当然だ、今の回避は半端な動きじゃない。あと一瞬でも動きが遅れていれば、俺の攻撃は当たっていた。あそこしかない、という最適のタイミングで、それしかない、という最適の行動を福音はとったのだ。

 

「くそっ……」

 

 反撃の隙を与えるわけにはいかない。すぐに雪片弐型を引き、第二撃を放つ――避けられる。

 

「待て一夏、闇雲に当てようとするな!」

 

 第三撃――失敗。

 

「一夏! 人の話を」

 

「……闇雲じゃない」

 

 プライベート・チャネルで箒にそれだけ伝えてから、俺は次の一撃のために雪片を振りかぶる。

 ……ここまでの3回の攻撃を、福音はそれぞれ上体そらし、体の回転、そしてバックステップでかわしてきた。そのいずれも、零落白夜を数ミリ単位の緻密な動きで免れている。

回避は必要最低限。おそらくそれは、すぐに次の行動をとれるようにするため。

 

「なら……」

 

 今の福音を動かしているのは、操縦者ではなく暴走した機械だ。ゆえに、思考パターンは不変のはず。……すなわち、裏をかくことが可能。

 

「これで、どうだ!」

 

 右斜め上から左斜め下へ、対角線上の軌道で刀を振り下ろそうとする。そうすると、福音は予想通り『必要最低限』のバックステップをとり始める――ここだ!

 

「うおおおっ!!」

 

 発動させるのは、今まで何度もお世話になってきた『瞬時加速』。後ろに退がる相手に対し、もう一歩踏み込むために備えられた白式の技。

 敵が回避行動に入る瞬間に、必殺の刀を動かしながら一気に加速。タイミングが早すぎればバックステップ以外の避け方をとられるし、遅すぎれば刀を下ろしきってから福音に突撃することになってしまう。つまり、少しのミスも許されない。

 ――いつだったか、たまたま放課後のIS訓練を見ていた千冬姉に言われたことがある。

 

『確かに白式はエネルギーの消耗が激しい。零落白夜はもちろん、瞬時加速も使い過ぎると致命傷だ。だが……だからこそ、使うべき時は思い切り使え。持っているカードをいかに迷わず使えるかが、どんな勝負においても重要なことだ』

 

 その時の俺は、あまりにエネルギー食いな白式の性能を考えて、技の発動に慎重になりすぎていた。それを見て、千冬姉は適切なアドバイスをくれたというわけだ。

 『カードは使うべき時に思い切り使う』。零落白夜の4連続使用と瞬時加速は確かにきついが、勝算があるなら迷う必要はない。

 だから、今こそ加速を――

 

『織斑! 篠ノ之! 南南東に注意しろ!』

 

「え……?」

 

 いきなり千冬姉からの通信が入ってくる。しかもこの焦り様、今までこんな千冬姉の声聞いたこと……

 

「っ!!」

 

 次の瞬間、千冬姉の言った南南東からレーザーが襲いかかる。すんでところで回避したが、直前の警告を聞いていなければ間違いなく直撃していた。

 目の前の福音のことが頭から抜け落ち、思わず銃撃が飛んできた方向に視線をやってしまう。

 

「………」

 

 そこには、一機のISがあった。その手にはライフルが握られ、周りにはセシリアのブルー・ティアーズと同じようなビットが浮かんでいる。

 操縦者の顔は、見えない。口元以外はバイザーに覆われていて、わかるのは肌の色がアジア系ということくらいか。

 

「……織斑、一夏」

 

 俺の名を呼ぶ、正体不明の少女。

 

「……誰なんだ、お前」

 

すると、唯一見えている彼女の唇の形が、ニヤリと薄気味悪く歪み。

 

「ひとつ、手合わせ願おうか」

 

 ――爆発的に膨れ上がった殺気に、俺の体は凍りついた。

 

「一夏、よけろ!」

 

 少女のBTライフルから放たれたビームを、かろうじて避ける。向こうは俺を倒すつもりだ。ここは俺も応戦して、その間箒に福音を任せるしかない。

 

「箒!」

 

「わかっている!」

 

 俺の意思をくみ取ってくれたようで、箒はすでに俺への攻撃を行おうとしていた福音の前に立ち塞がり、二刀流の構えをとっている。

 

「お前、何者なんだ。あの銀の福音は暴走している。あっちの相手しなくちゃならないから、退いてもらえると助かるんだが」

 

「無理だな」

 

 一応やってみた説得もやはり無駄。俺に残された選択肢はひとつ、この得体の知れない少女と戦うことだけだ。

 

「うおおおっ!」

 

 相手はセシリアと同じく銃撃タイプの機体を操っている。とにかく近距離戦に持ち込んで、俺の間合いにしなければ。

 

「………」

 

 無言のまま、BTライフルからビームが飛び出す。だがまだ距離が詰まっていないのが幸いだ。避ける時間は十分にとれる。

 落ち着いて攻撃をかわし、まずは近くにあるビットを落と――

 

「がっ……!?」

 

 白式を襲う衝撃。……なんでだ。なんで、避けたはずのビームが右肩に?

 

「ふん……」

 

 戸惑う俺を鼻で笑い、今度は4機のビットを使って攻撃してくる少女。そのどれもが、まるで意思を持っているかのように、俺を四方から狙ってくる。

 

「ちくしょう!」

 

 きりきり舞いになりながらも、直撃だけは食らわないようにする。……逆に言うと、それしかできない。まるで、セシリアとのクラス代表決定戦の時に戻ったみたいだ。あの時よりもずっと白式を扱えるようになっているはずなのに。

 

「っ!!」

 

 また来た。BTライフルからのビームが、俺に目がけて一直線に突っ込んでくる。今度こそ、完全に回避して――

 

「ぐぁっ……」

 

 さっきのシーンを再生したかのように、再びビームの直撃を受ける俺。……間違いない、これは。

 

「ビームが、曲がってる……」

 

「……織斑千冬の模倣か」

 

 愕然としている俺に向かって、少女は再び言葉を投げかける。

 

「確かに、貴様らしいといえば貴様らしい。だが」

 

 まるで、俺のことをとてもよく知っているかのような口調で語り、そして。

 

「それでは、私には届かない」

 

 次の瞬間、『本物の攻撃』が襲いかかってきた。6機のビットを自在に操り、自らはBTライフルから容赦のないビームの連撃を浴びせてくる。しかも、その狙いは驚くべきほど正確で。

 

「ぐっ……がはっ……!!」

 

 痛い、痛い、痛い痛い痛い……!

 

「思った以上に歯応えがないな。もう少し足掻いてくるかと思ったが」

 

 ……避けようがない。敵の一撃一撃が白式のシールドエネルギーを削っていき、それとともに俺自身の体に伝わってくる痛みも増してくる。まずい、機体が、危険域に……

 

「痛いか?」

 

 ……なんなんだ、こいつ。なんでこんな、粘つくような、気味の悪い声を出すことができるんだ。

 

「ISの絶対防御は完全ではない。こうしていたぶっていれば、操縦者ひとりを殺すなど造作もないことだ」

 

 少女の言葉が、異常なほど胸に食い込んでくる。……痛みで、まともな思考が、できない。

 

「わかるか? ISは、貴様のような能無しが使うには大きすぎる力だということが」

 

 冷たい汗が、体中から噴き出してくる。体が、心が、眼前の少女をこれでもかというほど拒絶している。

 

「だから」

 

 く、そ……なんにも、抵抗できない――

 

「消えろ、出来損ない」

 

 ……爆音とともに、今までに味わったことのない痛みが駆け巡る。

 その瞬間、俺の体の一切が、その役割を放棄した。

 何も見えない。

 何も考えられない。

 何も感じられない。

 

「一夏っ――!!」

 

 ……それでも。最後に、幼馴染が俺を呼ぶ声が、聞こえた気がした。

 




というわけでマドカ無双な回でした。福音の扱いがぞんざいになってしまったのは謝ります。
原作と経緯は違うものの、一夏はここで撃墜されてしまいました。まあ痛い目を見てからの復活というのは王道ですので、こんな感じになりました。

次回の内容は……いろいろあるので秘密です。

では、また次回。


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第31話 強さの在り処

最近SAOを一気読みして、やっぱり剣や刀にはロマンがあるよなあなどと改めて実感しました。


 背後で響いた爆音を耳にして、福音と交戦していた箒は思わず後ろを振り返ってしまう。

 

「………か」

 

 彼女の視界に映ったのは、あちこち装甲が剥がれ、黒い煙を上げながら力なく海に落下していく白式――織斑一夏の姿だった。

 

「一夏あああ!!」

 

 嘘だ、と。

 目の前の現実を否定したいという思いが、箒の心を覆い尽くす。

 

 ――そんなはずはない。あの一夏が負けるなんて。あいつは、学園に侵入してきた正体不明のISを倒したではないか。学年最強と噂されたドイツの代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒにも勝ったではないか。なのに……

 

 この瞬間。篠ノ之箒の思考からは、先ほどまで自分が戦っていた敵の存在がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 

「La……♪」

 

 機械音声に気づいた時には、すでに銀の福音が砲門をすべてこちらに向けていて。

 

「ぁ……」

 

 まともな声を出す暇もなく、紅椿が一斉射撃の的にされる――

 その、直前に。

 

「なっ……!?」

 

 福音の顔面に、一筋のレーザーが突き刺さった。箒が撃ったものではない。今の攻撃は、彼女の背後にいるはずの機体から飛んできたのだ。

 

「……狙いを誤ったか」

 

 オープン・チャネルから聞こえてきた言葉は、『箒を狙ったのに誤って福音に攻撃を当ててしまった』という意味なのか。そんなことは、箒にわかるはずもない。

 だが、その淡々とした少女の声を聞いた瞬間――彼女の中で、何かが弾けた。

 

「シールドエネルギー、一定量まで減少。撤退を選択」

 

 本来のターゲットである銀の福音が何か言っているが、そんなものはすべて無視する。気にする余裕……いや、気にしようという考えすら、今の箒の中には消え失せていた。

 

「貴様……」

 

 ギリギリと奥歯を噛みしめる彼女の目に映っているのは、青いISを操る顔の見えないパイロットのみ。

 ――こいつが。この女が、一夏を……!!

 

「貴様アアア!!!」

 

 両手の刀『雨月』と『空裂』を壊れんばかりに握りしめ、咆哮しながら一直線に突っ込む。防御のことも、残りわずかになっていたエネルギーのことも、箒の内側からあふれ出る黒い感情にすべて押しつぶされる。

 それはまさしく、理性の喪失だった。

 

 ――斬ってやる。倒してやる。壊してやる!

 

「……ふん」

 

 己の中の獰猛さを余すことなく解き放った箒の一撃は、しかし。

 

「我を忘れて敵討ち。少しばかり聞こえはいいが、そんな攻撃では私を斬ることなど不可能だ」

 

 青いISの持つBTライフル、およびビットから放たれたビーム、レーザーが、紅椿の両手と胸に正確にヒットする。衝撃に襲われるとともに、箒の突撃の勢いも失われてしまった。

 

「君らしくもないな。篠ノ之箒」

 

「なに……?」

 

 少女が口にした言葉によって、沸騰していた箒の頭が急速に冷やされる。まるで、向こうがこちらをよく知っているかのような彼女の話し方に、強烈な違和感を覚えたためだ。

 

「私に攻撃を仕掛ける前に、まず下に落ちたお仲間を助けた方が賢いと思うが?」

 

「………っ!」

 

 ひょうひょうと語られるその言葉に、間違いはない。今やるべきことは大ダメージを受けたまま冷たい海に放り込まれた一夏を引き上げることだと、冷静さをいくらか取り戻した箒は理解した。

 ……だが、もし眼前の敵を無視して一夏のもとに向かおうとすれば、背後から撃たれる可能性も――

 

「警戒するのも当然だが、私はこれ以上手を出すつもりはない。そろそろ君達の味方が目の色を変えてやってくるだろうし、ここらで離脱させてもらうとしよう」

 

 そんな言葉を残して、少女は本当にこの場から去っていこうとする。無防備に箒に背中を向けているのは、絶対に不意打ちを食らわないという自信の表れなのか。

 

「……私では、到底敵わない」

 

 先ほどからの戦いぶりを見て、箒ははっきりとそれを認識する。あの少女は、とてつもなく強い。

 だから、今は小さくなっていく彼女の背中を追うことよりも。

 

「一夏……!」

 

 無事を祈りながら、幼馴染を助けに向かうことを何より優先させるべきだ。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ベッドの上で眠り続けている一夏の姿を、鈴と箒は無言で見つめていた。

学園の教員による封鎖を破ったIS――イギリスの第三世代型であり、セシリアのブルー・ティアーズに続くBT2号機、その名も『サイレント・ゼフィルス』。イギリス国家からなんらかの手段で手に入れたと思われるその機体を操る正体不明のパイロットが、銀の福音と交戦中だった白式を撃墜してから、すでに2時間以上が経過していた。

 

「一夏……」

 

 シールドエネルギーが尽きた状態で攻撃を受け続けた結果、一夏の体は甚大なダメージを被ることとなった。それでも彼が命を繋ぎ止めているのは、ISに備わった『操縦者に危機が迫った場合、エネルギーをすべて費やして死なないように保護する』という機能のためだ。

 ただし、同時に操縦者の体はISに深い干渉を受けることになる。それゆえに、機体、つまり白式が回復しない限り一夏も目を覚まさない。

 

「鈴……すまない」

 

「……アンタ、それもう10回目よ」

 

 部屋の中に置いてあった丸椅子にそれぞれ腰を下ろしている2人は、およそ15分ぶりに口を開いた。

 

「そうは言うが、私がもっとうまく立ち回れていれば、一夏は……こんなことには」

 

「……わからないようならもう一度言うわ。こいつが傷だらけになったのは、絶対に箒のせいなんかじゃない。アンタは必死に一夏を海から引っ張り出して、先生たちと一緒にここまで連れ帰ってきてくれた。だからあたしはアンタを恨まないし、むしろ感謝してる」

 

「……すまない。余計な言葉だった」

 

 自分を責める箒の言動を、鈴は何度でも否定してやるつもりだった。彼女が初の実戦で十分に戦ってくれたことは、戦況を詳しく確認していた千冬の話からわかっている。……ただ、予想外の乱入があり、さらにその乱入者が相当な手慣れだった。それだけのことだ。サイレント・ゼフィルスと交戦した2人の教員の弁を聞く限り、もしあの場に箒の代わりに鈴がいたとしてもどうしようもなかったのはほぼ間違いない。

 ……とまあ、今でこそ冷静な判断ができている鈴だが、昏睡状態の一夏が運び込まれた時はそれはもうひどかった。

 あちこちに火傷の跡が見える彼の姿を目にした瞬間、自らの悪い予感が現実のものとなってしまったことに愕然とし、体中から力が抜けてしまったのだ。

 千冬や真耶から命に別状はないと説明された後も、しばらくの間は体中の震えを抑えることができなかった。

 ――このまま、一夏が遠いところにいってしまったらどうしよう。

 ISの絶対防御を信用していないわけではないが、それでも言い知れぬ不安が心を支配する。

 湧き上がる恐怖とようやく折り合いをつけたのは、一夏が手当を受け始めてからたっぷり1時間たった後のことだ。そのころにはとっくに千冬から『全員、次の指示があるまで待機していろ。ただしオルコットは高速戦闘用のパッケージを量子変換(インストール)しておけ』という旨の指示が出されていて、それ以降鈴は一夏の寝顔をずっと見守っている。

 

「……それにしても」

 

 自分の想像以上に、凰鈴音という人間は脆かったのだと自覚する。中学3年生の1年間に行われた訓練で、『専用機持ち』がどのようなことを意味するのかは十分理解できていたはずだった。自分や一夏、セシリアたちには戦うための力があり、今回のように実戦に投入されるケースも十分ありうるということ。そしてその結果、大きな傷を負うこともあるのだということを、頭の中ではわかっているつもりだった。

 ……結局、それは『つもり』に過ぎなかったのだ。いかに大切な人間であるといっても、一夏が重傷を負ったことでここまで精神が不安定になってしまったのは、覚悟が足りない証拠なのだと鈴は思う。実際、一夏にとって彼女以上に近しい存在である千冬は、彼の身を案じるような表情を見せこそすれ、取り乱す様子はなかったのだから。

 

「……鈴。少し、私の話に付き合ってくれないか」

 

 鈴が己の心と向き合っていると、不意に箒が静かに語りかけてきた。どうやら今度は謝罪の言葉ではないらしい。

 

「……いいわよ。どうぞ」

 

「すまない」

 

 さっきからすまないばかりね、という指摘は声に出さず、鈴は箒の言葉に耳を傾ける。

 

「……私が剣道をやっているのは知っているか?」

 

「もちろん。一夏から話は聞いてたし、今も部活に参加してるのをたまに見かけるし」

 

「そうか。……では、私が剣道を行う理由は知っているか」

 

「……知らないわね。好きだから、とは違うの?」

 

 鈴が素直に感じたことを口にすると、箒はゆっくりと首を横に振る。

 

「確かにそういう側面もあるが、一番の目的ではないのだ。……まあ、いちいち尋ねなくてもお前が答えを知らないことはわかっていた。なにせ、誰にも話したことがないからな」

 

 じゃあなんで聞いたのよ、と思わず突っ込みたくなるのをぐっとこらえる鈴。今現在2人の間に広がっている真面目な雰囲気を壊すのがはばかられたというのが主な理由である。

 

「私は……己を律するために剣道――剣術を続けてきた。極限の緊張感の中でとるべき行動を見極め、強すぎず弱すぎない最適な力で刀を振るう。それは心を鍛えるものであり、私は自分の中の凶暴さを抑えるために、竹刀を何百何千と振り続けてきた」

 

 だけど、と。視線を一夏に向けた箒の顔に、悔しさと無念の感情が表れる。

 

「……一夏がやられた時、頭の中が真っ黒に染まってしまった。一夏を海から引き上げることも、当初の目標である福音のことも忘れて、私はサイレント・ゼフィルスを叩き斬ろうと突っ込んだ。怒りや憎しみに囚われて、力を振るうことしか考えられなくなっていたんだ」

 

 いつしか箒の両拳は強く握られ、その体は小刻みに震えていた。きっと彼女は自分が許せないのだろう――そう鈴が推測するのは実に容易なことだった。

 一夏をフォローしきれなかっただけでなく、ずっと続けてきた心の制御もままならなかった。そんな自分自身の姿に、箒は深い憤りを感じているようだ。

 

「結局、敵の言葉に諭されて正気に戻る始末だ。本当に……どうしようもない愚か者だ、私は」

 

「……大事な人が傷つけられたら、あたしだってキレて周りが見えなくなるかもしれないわ。だから、箒がとった行動は、ある意味当然のものだと思う。それでも、冷静に気持ちをコントロールしなくちゃいけないのは正論だけど……努力し続ければ、いつかはきっとそうなれるわよ」

 

「ああ……ありがとう。……必ず、強くなってみせる」

 

 自身に言い聞かせるように言葉を発する箒に、鈴は自分と近しいものを感じとっていた。

 鈴も箒も、自分の中の脆さ、弱さを痛感し、もっと強くなりたいと思っている。それは正しいことだし、これからどうあっても向き合わなければならない試練のようなものである。

 しかしそう考えれば考えるほど、鈴の頭の中ではとある疑問が大きく膨らんでいく。

 

 ――だけど。『強い』って、具体的にどういうものなんだろう?

 

 『強さを持て』と昨晩千冬は言っていた。あの人は、その答えを知っているのだろうか。そんなことを考えつつ、鈴はまだまだ目を覚ます気配のない少年の寝顔を眺める作業に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「ねえ」

 

 気がつけば、俺の目の前には小さな女の子が立っていた。白い髪に白いワンピース。紅い瞳が、俺の呆けた顔をじっと見つめている。

 あの正体不明の少女とISにメッタメタにされ、白式とともに海にまっさかさまに落ちたはずの俺は、現在どこかもわからない砂浜にいる。……何が起きたのか、さっぱり状況がつかめない。

 

「ねえ、聞いてる?」

 

「え? あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事してて」

 

 少し語気を強めた女の子の言葉に、反射的に頭を下げる。……とその時、もしかしてこの子なら俺がどうしてこんなところにいるのか知っているかもしれないという考えが頭に浮かんだ。

 

「あのさ……俺、ここに来るまでの記憶がすっぽり抜け落ちてるんだけど。君、何か知らない?」

 

 思い立ったら即行動は鈴の十八番だが、今回は俺が実行させてもらうことにする。思い切って眼前の女の子に尋ねてみると、彼女はにこりと笑い。

 

「その前に、私の質問に答えてほしいな」

 

 と返してきた。ふむ……話に付き合ってあげれば向こうも情報提供してくれると、そういうことだろうか。

 

「ああ、いいぜ」

 

 特に問題もないのでうなずくと、白い女の子は喜びを表すかのようにぴょん、と跳ねて――その表情から、笑顔が消えた。

 

「ねえ、力は欲しい? 何物にも屈しない、何物をも凌駕する、強い力」

 

 見た目からはとても想像できないような大人びた口ぶりで、彼女は俺にそんなことを問うてきた。砂浜に押し寄せる波のざあざあという音が、妙に耳に響いてくる。

 ……同時に、先ほど『あいつ』が俺に向けた言葉の数々も、頭の中で明瞭に再生された。

 

「……わからない」

 

「……それは、どうして?」

 

 俺の出した曖昧な答えに、女の子は目を細める。どうしてと言われても、それは……

 

『ISの絶対防御は完全ではない。こうしていたぶっていれば、操縦者ひとりを殺すなど造作もないことだ』

 

 あの少女の言葉が、確かな重みをもって蘇る。

 

『わかるか? ISは、貴様のような能無しが使うには大きすぎる力だということが』

 

 ……それは一方的な言い分だが、ある部分では確かに的を射たものだった。

 ISの力は絶大だ。俺はそれを、自分がISによって傷つけられることではっきりと実感した。アレは人を殺せる力だと、頭ではなく心で知ることとなった。

 今回のような実戦では、当然互いの力を全力でぶつけあうことになる。大きすぎる力は時に相手に深い傷を負わせ、最悪――

 

「……怖いんだ。未熟な俺がやぶれかぶれで振るった力が、誰かを傷つけてしまうのが」

 

 これまで何食わぬ顔で白式を動かしてきて何を今さら、と思われるかもしれない。それでも俺は、まさしく『今さらになって』恐怖を感じていた。

 

「なら、力はいらないの?」

 

「……いや、それも違う。大切なものを守れるだけの力を手に入れたいっていうのは、俺の昔からの目標なんだ」

 

「……じゃあ、どっちなの」

 

 一段と細められた紅い瞳が、品定めでもするかのように俺を凝視する。

 ……本当に、どっちなんだろうな。力は欲しい、でもそれが怖い。2つの相反する考えは平行線をたどり、どちらも折れてくれそうにない。

 

「……少し、考えさせてくれ」

 

 そう言ってから、俺は砂浜にゆっくりと腰を下ろす。服が汚れるのを一瞬考慮したが、結局まあいいかという結論に至った。

 俺の行動を見て、女の子も隣にちょこんと体育座りをしてきた。俺が視線を向けているのに気づくと、彼女は微笑を浮かべて俺を見つめ返す。

 

「さ。じっくり考えて答えを出してね」

 

 その言葉に従い、俺は海の向こうの水平線を眺めながら、とりとめのない思考の海に沈んでいった。

 




マドカの言動についてはいろいろぼかしている部分が多いですが、その辺はおいおいと事情を明かしていくつもりです。
「強いってなんなのか」と言えば某ボクシング漫画が頭に浮かんできます。……最近、というかかなり前から読んでないですけど。難しいテーマですが、一応自分なりの解答を用意するつもりでいます。

精神世界で女の子と対話する一夏。いろいろ迷っていますが、これがどういう結果につながるのか。

では、次回もよろしくお願いします。


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第32話 失われた刃

しばらく真面目っぽい話が続きます。


「ご苦労様、エム」

 

 仕事を終えたマドカが自室に帰ってきたところ、部屋の中で待機していたスコールからいきなりのねぎらいの言葉が飛んできた。それに対して気のない返事をしながら、彼女は相変わらず弾力性に欠ける自身のベッドに腰を下ろす。

 

「わざわざ私の部屋で待っているとは律儀だな」

 

「ええ。私の個人的な興味も含めて、少し聞きたいことがあるから」

 

 そう言って椅子からベッドの上に移動し、マドカと肩が触れ合う位置に座るスコール。

 

「聞きたいこと? 奴を太平洋の真ん中に突き落としたのが気に障ったか?」

 

 そんなスコールから自然な動作で距離をとりつつ、マドカは先刻の戦闘内容を思い返す。

 

「それについては気にしていないわ。あなたには『ISを使った人殺しはしない』と誓わせているけれど、あの程度のダメージで専用機が操縦者の命を手放すはずがないもの」

 

 ふふ、と艶やかな微笑を浮かべる上司の姿になんとなく不快感を覚える。彼女がこの表情を浮かべると、たいてい相手の心に土足で踏み込むような発言をしてくるのだ。

 

「それで、どうだった? 織斑一夏と戦った感想は」

 

「以前お前に見せられた映像の中の奴と変わらん――いや、反射速度は向上していたか。短期間での成長具合にはなかなかのものがあるが……それでも取るに足らない戦力だ。私には遠く及ばない」

 

「そう」

 

「『織斑一夏という不確定要素の実力を調査する』。それがお前の目的だったな。確認しておくが……本当にそのためだけに私を出したのか?」

 

「さて、どうかしらね」

 

「……ふん、まあいい」

 

 相変わらず内の読めない態度をとるスコールに対し、マドカは軽く舌打ちをする。ここで深く追求できるような権力は彼女にないし、そのつもりもない。ゆえに、これ以上の質問は控えることにした。

 

「物わかりのいい人間は好きよ。……そうそう、篠ノ之箒と会った感想はどうだったかしら?」

 

「………」

 

 ――無言のまま、マドカはスコールを睨みつける。そんな彼女の反応を喜ぶかのように、長い金色の髪がゆらゆらと揺れる。

 

「どうしたの? 随分と怖い顔をしているけれど」

 

「貴様に答える義理はない」

 

「つれないわね」

 

「元よりそういう性格だ」

 

 言葉を重ねるごとに、黒い瞳に剣呑な光が宿っていく。その完全な拒絶に相対しても、スコールの笑顔は崩れない。

 『個人的な興味』とはこのことだったのだろうとマドカは思う。亡国機業の人間として織斑一夏と戦った感想を尋ねてきた彼女は今、篠ノ之箒と『会った』感想を求めているのだ。おそらく……いや間違いなく、マドカの心が揺れる様を愉しむために。端正な容姿の裏側に意地の悪さが隠されているのを、マドカは嫌というほど知っている。

 

「……仕方ないわね。そこまで嫌がるなら、もう無理には聞かないわ。お疲れ様、今日はもう休んで頂戴」

 

 残念そうな顔を見せながら、ねぎらいの言葉を残してスコールは部屋から出て行った。

 

「……魔女め」

 

 上司の背中が見えなくなったのを確認してから、マドカはおもむろにベッドに横たわる。同時に、少し煽られただけで思わず悪態をついてしまった自分自身に子供っぽさを感じるのだった。

 

「ふう……」

 

 疲れた、眠い。脳から発せられる信号に素直に従い、彼女はゆっくりと目蓋を閉じる。

 

『貴様アアア!!!』

 

「………」

 

 ……目蓋の裏に、篠ノ之箒の姿が映る。織斑一夏を撃墜したマドカに対し、彼女は怒り狂った表情で――

 

「だからどうした」

 

 ――関係ない。彼女にどんな顔をされようと、織斑マドカには何の関係もない。

 

「アレは、私の敵となりうる人間。ただそれだけの話だ」

 

 篠ノ之箒。ISの開発者である天災・篠ノ之束の妹。そして、織斑一夏に近しい少女。マドカにとって彼女はそれ以上でもそれ以下でもない存在……の、はずなのだ。

 

 

 

 

 

 

「みんな、戦いに行くみたいだよ」

 

「え……」

 

 どこかもわからない砂浜に腰を下ろしていた俺は、隣にいる白髪の女の子の言葉にハッとする。

 

「みんなって、鈴や箒たちのことか」

 

 こくり、と首が縦に振られる。なぜそんなことを知っているのか、彼女は本当のことを言っているのか。様々な疑問が浮かんでくるが、今はすべて気にしない。より正確に言えば、気にする余裕がない。

 

「どこへ行くの?」

 

 跳ねるように勢いよく立ち上がった俺を見上げながら、紅い瞳の女の子が尋ねてくる。対して俺は、一切迷うことなく返事をかえす。

 

「決まってるだろ。俺も戦いに行くんだ。だから教えてくれ。ここはどこなのか、どうすればみんなのいる場所に向かえるのか」

 

「……大切な人を守るために、戦うの?」

 

「ああ、そうだ」

 

 俺がそう言うと、彼女は物憂げに目を伏せ、静かに右手を差し出し、俺のズボンの裾を掴んだ。

 

「あなたは大切な人を守ろうとしている。……でも、あなたは敵の命も守ろうとしている。あなたに本物の殺意を向けてくる人間ですら、守ろうとしている」

 

「それは……それは、そうだろ。たとえ相手がめちゃくちゃ悪い奴だったとしても、殺していい理由になんてならないんだから」

 

「……ごまかしの答えは聞いていないよ」

 

 ごまかしだって? いったいこの子は何を言っているのだろうか。それより、俺は早くみんなのところに行かなきゃならないのに……!

 

「どうしても、自分のココロと向き合おうとしないんだね」

 

 女の子は立ち上がり、俺の顔をじっと見つめる。自分よりずっと小さいはずの彼女の纏う雰囲気に圧倒され、文句のひとつでも言おうとしていた口が動きを止めてしまっていた。

 

「なぜ、あなたは『守る』ことにこだわるの?」

 

「……それが、小さいころからの理想だからだ」

 

「なぜ、『守る』ことが理想なの?」

 

「昔から、俺はずっと大切な人に守られてきた。だからいつかは、俺が守る側になりたいって。それはきっといいことだって、そう思ったから」

 

「なぜ?」

 

「なぜって、何が」

 

「なぜ――」

 

 と、今まで流暢に話していた女の子の言葉が不自然に途切れる。

 

「どうかしたのか」

 

「……これ以上は、わたしの言語機能の有効範囲を逸脱してしまうの。あなたたち人間の複雑な感情を、人間用の言葉で表現するには、まだまだ成長不足ってことだよ」

 

 あなたたち人間? 人間用の言葉? それじゃまるで、自分が人間じゃないみたいな……

 

「君は、いったい……?」

 

「私にはあなたの歪みを治すことができない。……答えは、あなた自身が見つけなくちゃいけない」

 

 ああくそ、勝手に話を進めるなよ! こっちは全然理解が追いつかないってのに!

 

「そのための力を、ひとまずあなたにあげる。……でも、ちゃんとココロに決着をつけるまでは――」

 

 彼女の姿が、次第に薄れていく。何が起きているのか、俺が会話しているこの子は何者なのか。すでに思考回路はショート寸前で、ただ呆然と白いワンピースの少女が消え行く様を見届けることしかできなくて。

 

「『これ』は、おあずけね」

 

 

 

 

 

 

「おい、ちょっと待ってくれ!」

 

 女の子が消える寸前、やっとの思いで腕を伸ばすことができた、その結果。

 

「ひぅっ……!?」

 

 視界に入ってきたのは、どこかの部屋の天井の模様。なぜか俺はベッドの上で横になっていて、精一杯伸ばした右手から、何やら妙に暖かな感触が伝わってきていた。

 

 さすさす……ふにゅっ

 

「ぃぅ……あっ……」

 

 ……なるほど。どうやら俺は夢を見ていたらしい。そして眠りから覚めた今、こうしてわずかに膨らみを感じられる触り心地のよい物体の上に手を置いているわけだ。ついでに言うと、先ほどから耳に入ってくる悲鳴のようなか細い声を聞いていると変な気分になってくる。見慣れたツインテールがびくっと揺れているのを眺めながら、俺はひとつの結論を導き出した。

 

「そうか、俺は鈴の胸を揉んでしまっていたのか」

 

 死刑確定じゃないか……!

 ようやく状況を把握したところで、俺は自分がしでかしたことのヤバさ加減をはっきりと認識する。

 

「す、すみません許してくださいなんでもしますから!」

 

「あ、アンタねえ……! 目覚めて早々、なにやっちゃってくれてるのかしら……!!」

 

 瞬時に手をひっこめ、思いつく限りの謝罪の言葉を並べるものの、鈴の口からは怒りに震えた声が漏れていて――

 

「本当に、予想もしてなかったことされたせいで……」

 

 ……いや、何か様子がおかしい。声が震えているのは確かだが、これは怒っているからというよりも。

 

「せっかく、アンタが起きた時に笑っていられるように心の準備してたのに。全部、吹き飛んじゃったじゃない、もう……!」

 

 俺を叱る鈴の目から、大粒の涙が零れ落ちる。今まで我慢していたものを吐き出すかのように、彼女は嗚咽を漏らして泣いていた。

 

「……ごめん。心配、かけちまったな」

 

 シーツに顔を押し付けている鈴の頭をそっと撫でて、もう一度謝る。目が覚めた俺を見て感情を爆発させてしまうほどに、こいつは俺という人間を大切に想ってくれている。それが、たまらなくうれしかった。

 

「本当に、本当に心配したんだから……! あんな傷だらけの姿で運ばれてきて、包帯だってあちこちに巻かれて……」

 

 そこまで言って、鈴は何かに気づいたかのように顔を上げた。泣いていたせいで少し充血しているその瞳は、俺の体を不思議そうに見つめている。

 

「……一夏。体、痛くないの?」

 

「え? 別に、どこも痛いところはないけど」

 

 思ったままに答えてから、俺も自身の発言のおかしな点に気づいた。

 いくら白式に守ってもらっていたとはいえ、あれだけの集中砲火に曝されたのだ。もちろん体へのダメージもただではすまなかっただろうことは容易に予測できるし、事実鈴が本気で心配していたのだから俺の怪我はそれなりに重いものだったはずだ。

 

「鈴。今日は7月7日……だよな?」

 

「ええ。今は7月7日の午後3時20分。アンタがサイレント・ゼフィルスに負けてから、まだ4時間も経っていないわ」

 

 意識が戻るだけなら問題はない。だけど、たった数時間で負傷による痛みが完全に消えているのは少し異常な気がする。

 

「ちょっと体に触るわよ」

 

 軽く断りを入れてから、俺の腕や肩、背中に優しく手を当てる鈴。包帯がぐるぐるに巻かれている部分に触れられても、痛みが全身を駆け抜けるということはまったくなかった。

 

「……じゃあ、これは?」

 

 ばしん、と背中を平手で叩かれる。

 

「当然ながらちょっと痛いぞ」

 

「てことは、痛覚が麻痺してるってわけでもないみたいね。うーん……」

 

 顎に手を当てて考え込む鈴と同様に、俺も頭の中でいろいろと思考を巡らせてみる。……が、特に何かがひらめくということはなかった。

 

「とりあえず、千冬さんやみんなに一夏が目を覚ましたって伝えてくるわ。ちょうど召集かけられたところだったし」

 

「悪い、頼んだ」

 

 じゃ、と言い残して部屋を出ていく鈴の後ろ姿を見送った後、俺は手首につけられているブレスレット――白式の待機形態に視線を移した。

 

「召集ってことは……やっぱりもう一度戦いに行くってことなのか」

 

 ――に教えてもらった通りだな。

 

「……あれ?」

 

 ……俺、誰に『みんなが戦いに向かうこと』を教えられたんだっけ。さっきまでずっと、夢とは思えないような夢の中でその誰かと一緒にいた気がするんだが……顔も声も思い出せない。

 

「夢の内容って、本当にすぐ忘れちまうんだよなあ」

 

 何か大事な話をしたような……しかし、記憶にもやがかかっているようで肝心なことは何も出てきそうにない。

 まあ、これについては後回しにしよう。今は、他に懸念すべき事柄が存在しているのだから。

 

 

 

 

 

 

「全員集まったな」

 

 前回の作戦失敗から4時間以上が経ち、時刻は午後4時に差し掛かろうとしている。

遡ること20分前、ようやく専用機持ちの一夏を除く5人に作戦室に集合しろという命令が出された。その直後に一夏の意識が回復し、しかも戦いで負った傷も治っているという報せが鈴から伝えられたことで少しごたごたがあり、作戦会議の開始が遅れる形となったのだ。

 全員が全員緊張した面持ちを保っている中、千冬がスクリーンを操作しながら説明を始める。

 

「ここから距離30キロの地点で銀の福音が超音速移動を中止し、その場に留まり続けているのを確認した。おそらく長時間の移動および先ほどの戦闘で減らしたエネルギーの回復を行っているものと推測される。この機を逃す手はないという意見によって、これよりもう一度我々が目標の捕獲にあたることとなった」

 

 淡々と告げられる作戦内容を頭に入れながら、箒はごくりと唾をのんだ。……今度こそ必ず成功させなければならないと、自分で自分にプレッシャーをかける。

 

「今回は専用機持ち全員が出動、福音の速度が本格的な高速域に突入する前にエネルギーを削り取ってもらう。教員は訓練機を用いて、外部からの侵入に対処する」

 

 『外部からの侵入』。その言葉を聞いて、一同の表情がさらに引き締まる。千冬が指しているのが、4時間前に突如として現れ、一夏を撃墜した『サイレント・ゼフィルス』のことなのは明白だからだ。2度目も戦場に乱入してくると決まったわけではないが、警戒が必須な存在であるのは間違いない。

 

「私も打鉄を使って出る。山田先生、戦況の確認と指示をよろしく頼む」

 

「は、はい!」

 

 前回は作戦室で全体の様子を見守っていた千冬も、今度はあの難敵の妨害を阻止するために教師陣の部隊に加わるようだ。

これは素直に頼もしいと箒は感じる。使う機体は劣っていても、かつて世界最強と謳われたブリュンヒルデの技術をもってすれば、ゼフィルスを食い止めることは十分可能なはずだ。

 

「……落ち着け」

 

 緊張で萎縮してしまいそうな体に喝を入れ、心を奮い立たせる。2度目の負けは、もう許されない。絶対に勝つのだと、箒は自身に何度も言い聞かせていた。

 ……そして、無事作戦を成功させたあかつきには。

 

「姉さん……」

 

 先ほどから姿が見えないが、きっと篠ノ之束はこの近くのどこかにいるだろう。戦いが終わって、最低限紅椿を扱えるという自信が持てたなら……あの姉と、きちんと向き合ってみようと箒は決意していた。

 ……自らの中の弱さ、脆さ、黒い感情。それらを乗り越えるためにも、今は前に進むしかないのだ。

 

「作戦開始は10分後だ。各自、準備に取りかかれ」

 

『はい!』

 

 6人揃って気合いの入った返事をした後、箒はある人物のもとへ歩み寄り、気にかかっていることを尋ねた。

 

「一夏、本当に大丈夫なのか? まだ目が覚めたばかりだというのに……」

 

 ……やはりというべきか。意識を取り戻した一夏は、千冬に自分ももう一度戦わせてくれと頼みこんだらしい。その結果として彼がこの場にいるということは、指揮官である彼の姉が許可を出したことになる。

 

「大丈夫だ。体の方は一切問題ないって言われたしな」

 

「そうか……搭乗者の体の治療まで行うとは、ISというのは本当に底が知れない代物なのだな。……だが一夏、今の白式で、お前は戦えるのか?」

 

 箒の問いに、一瞬だけ一夏は困ったような顔をする。だがすぐに微笑を浮かべると、

 

「さっき白式を起動させて、機体の性能は確認できたからな。みんなのサポートくらいはできるはずだ」

 

 と答えた。若干の不安は残るものの、箒はその言葉を信じることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 箒が立ち去った後、俺は思わず拳を強く握りしめていた。

 確かに彼女の言う通り、ここに来ての白式の変化は相当な痛手だ。訓練を積む時間があればいいのだが、ないものねだりをしても仕方がないのはよくわかっている。

 

「……頼むぞ、白式」

 

 それでも、俺は戦うという選択肢を選ぶしかない。どれだけ問題があっても、最初から答えは決まっているのだ。

 

 ――なぜ?

 

 ――みんなを、守りたいから。

 

 誰かに問いを投げかけられたような気がして、心の中で返事をする。同時に俺は、先ほど白式の状態を確認した際の山田先生とのやり取りを思い出していた。

 

『白式のスペックが大幅に変化しています。おそらく、なんらかの要因で第二形態移行(セカンド・シフト)を行ったんだと思うんですけど……』

 

『第二形態移行? つまり、白式がパワーアップしたってことですか』

 

『……いえ。確かに普通の第二形態移行はそうなのですが……ないんです』

 

 俺の質問に答える山田先生は、自分自身の出した結論に納得がいかない様子だった。

 

『どこを探しても……ワンオフ・アビリティーの表示がないんです』

 

『え……?』

 

 ――零落白夜の消失。それは、俺の最大の武器の消滅を意味していた。

 




というわけで白式のアイデンティティの9割が消え去りました。こんな展開にして大丈夫なんだろうか……? 読者の皆様に受け入れてもらえるか不安です。でも、物語の途中で必殺技を失う主人公って構図は好きなんですよね。

一夏と白式の会話はうやむやな結果に。今はこれが限界です。まあ、おかげで一夏は鈴のちっぱいを触ることができたわけですが。

マドカとスコールの会話を書いているとなぜかスコールがどんどんSになっていく不思議。とはいえちゃんと抑えてはいますが。今回のやり取りでマドカの心情について少しだけ説明はできたと思っています。

次回は福音戦・リトライ。3巻の内容は後2話ほどで終了する予定です。

では、次回もよろしくお願いします。


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第33話 偽りの復活

どーも最近ぐだってる感じがします。更新速度が落ちてるのも理由のひとつなのでしょうが……もう少し展開に起伏をつけたいものです。


「ではもう一度、作戦内容の大まかな確認を行う」

 

 千冬姉の指示から5分後。それぞれの専用機の出撃準備を整えた俺たちは、屋外の砂浜にてラウラの話を聞いていた。作戦室から俺たちに命令を出すのは山田先生だが、前線において俺たちを指揮する役割、つまりリーダーを担っているのは彼女である。

 

「最初に銀の福音に対して私が遠距離砲撃を行う。それに反応した奴が私へ接近したところで、待機している5機が攻撃。そのまま目標を撃破する。福音の操縦者を確保しなければならないことは留意しておけ」

 

 顔は覆われていて見えなかったものの、銀の福音の中にはあれを本来操縦するはずのパイロットがいることは間違いない。彼女は今も突然の暴走を起こした福音に捕らわれ続けているわけで、福音を止める際に誤ってその人に取り返しのつかないダメージを与えないように気をつけなければならない。

 

「役割分担については、私が後方からの大型砲撃、セシリアが機動力を活かした移動射撃で攻める。加えて近距離で直接福音を叩くのが箒と鈴だ。そして、残りの2人には反撃を受けるリスクの高い近距離戦での防御に回ってもらう。シャルロットは箒、一夏は鈴の機体をそれぞれ守れ。以上だ」

 

 ラウラの言葉を受け、改めて自分に充てられた役割というものをしっかり脳に刻み込む。俺がやるべきは、鈴が攻撃に集中できるようにフォローをすること。今までのように刀を振り回して敵を斬るわけではないのだ。

 

「一夏。何度も聞いて悪いんだけど……本当に、大丈夫なの?」

 

 傍にいる鈴が、目に心配の色を浮かべながら尋ねてくる。彼女のこの日4度目の『大丈夫なの』は、つい先ほど目覚めたばかりの俺の体のことはもちろん、突然第二形態移行(セカンド・シフト)を迎えた白式を扱えるのかということも指している。

 ワンオフアビリティーである零落白夜は、文字通りの意味で俺の必殺技で、かつ生命線だった。それが使えなくなってしまったのは、正直言ってかなり困る。

 

「大丈夫だ。確かにデメリットも大きいけど、第二形態移行が悪いことだらけの結果を生んでるってわけでもないんだしさ」

 

 鈴を、そして自分自身を安心させるために、俺は笑顔を作って彼女の頭を軽く撫でる。くすぐったそうにしながら頬を染める鈴の反応はとてもかわいらしく、こんな緊迫した時だというのに心に癒しを与えてくれた。

 

「ば、ばか、いきなりセクハラ紛いのことしないでよ」

 

「頭を撫でるのはスキンシップの範囲内だろ」

 

「……まったく。でも、あんまり無理はするんじゃないわよ」

 

「……ああ。それは千冬姉にも釘を刺されてる」

 

 何度も頭を下げてお願いした結果、千冬姉は俺が出撃することを承諾してくれた。我儘を通したぶん、また撃墜されて大怪我を負うなどということは許されない。

 

「戦闘前に女とじゃれつく余裕があるなら、どうやら大丈夫らしいな」

 

 不意に背後からかけられた声に振り向くと、鈴の頭の上に置かれている俺の右手をじーっと見つめているラウラの姿が目に入った。

 緊張感に欠けた行動をしてしまったのかもしれないと判断した俺はすぐさま右手を引っ込める。が、腕を組んだままニヤリと笑っているところを鑑みるに、ラウラは俺を咎めるつもりではないようだ。

 

「別に皮肉を言ったわけではない。前回の失敗を意識し過ぎて硬くなっているのではないかと心配していたのだが、その様子だと問題はなさそうだと思っただけだ」

 

 とはいえ適度な緊張を保っておくことも重要だがな、と補足した後、彼女は俺と、俺の手首に巻いてある白いブレスレットを交互に見やる。

 

「他の者から散々言われていることだろうが、私からも一応伝えておくぞ」

 

「……無茶や無理をしすぎるな、か」

 

「その通りだ。機体の変化に慣れていないこと、つい先ほどまでダメージが原因で眠っていたこと。それを頭に入れておけ」

 

 ……第二形態移行を果たした白式は、はっきり言って以前とは別物な性能を持つ機体になっている。だから、俺は今から実質初めて乗るISで実戦に挑むことになるわけだ。『手に入れて間もないISで戦う』のは紅椿を操る箒も同じなのだが、俺とあいつとの間には大きな経験の差が存在している。今まで訓練機を用いて様々な動作の訓練を行ってきた箒と、白式専用の一撃必殺のための動きだけを鍛えてきた俺では、新しい戦い方に対する適応力が違いすぎるのが実情だ。ラウラの言う通り、俺はそのことを考えて無茶な戦い方は控えなければならないだろう。

 

「わかってる」

 

「ならいい。……それともうひとつ、お前に言っておきたいことがある」

 

「もうひとつ?」

 

「お前は、自分自身の意志で戦場に向かうことを選んだ。周りが止めようとする中、危険な道を選択したのだ。そのことを忘れるなよ」

 

「……ああ。それはもちろん」

 

 ……自分で決めた道なのだから、やれるだけのことは全力でやれ。与えられた役割は必ずこなせと、彼女はそう言っているのだろう。

 俺の役割はただひとつ、鈴と甲龍を敵の攻撃から守ること。

 

「必ず、守ってみせる」

 

 

 

 

 

 

 海中に息を潜め、銀の福音へ奇襲をかける準備を整える。

 作戦はすでに開始され、今頃上空ではラウラとセシリア、そしてシャルロットが福音に射撃で確実にダメージを与えているはずだ。

 そして、水の中に隠れている俺、鈴、箒の役目は――

 

「今っ!! 飛び出して退路塞ぐわよ!」

 

 1対3の状況で逃走という選択肢をとった福音の周りを取り囲み、離脱させないようにすることである。

 

「よし、逃げ道なくしたぞ!」

 

「あとは……」

 

「倒すだけね!」

 

 続いて箒が福音に接近戦を仕掛けるべく突っ込み、鈴は中距離からの衝撃砲による砲撃体勢に移る。

 今回の衝撃砲は火力に特化したタイプで、砲門が2つから4つに増え、さらに一撃一撃の重み、速度も増している。そのぶん『砲弾が見えない』という本来の持ち味は消え去り、炎に包まれた弾は赤く染まり、その存在を強く主張している。

 だが、弾丸が見えようが見えまいが、避けられない状況に相手を追い込んでしまえば攻撃は当たるのだ。

 

「いっけええ!!」

 

 箒が2本の刀で福音の動きを牽制している隙に、甲龍から威力十分の衝撃砲が発射される。攻撃するタイミングを知っていた箒はすぐさまそこから離れ、残された銀色のISに砲撃の雨が降り注いだ。

 これで終わってくれ、と心の底から願う。

 

「『銀の鐘』最大稼働――開始」

 

 しかし、非情にも福音はまだ止まらない。逃げることを中止したらしいそのISは、頭部から伸びる翼を目一杯広げ、全砲門からエネルギー弾を撃ち出してきた。主な標的は、比較的福音から近い位置にいる紅椿と甲龍だ。

 

「一夏!」

 

「任せろ!」

 

 箒のもとへ防御パッケージで強固なシールドを装備しているシャルロットが駆けつけるのを確認しつつ、俺は鈴に襲いかかる弾丸の雨の前に立ちはだかり、左手に持った大きな盾を構える。

 

「どう? 耐えられそう?」

 

「今は9割方の攻撃をカットできてるけど、いつまでもはもたないだろうな」

 

 盾越しに伝わってくる衝撃の強さを考慮して、鈴の問いに返事をする。やはり軍用ISの性能は半端じゃない、といったところか。

 第二形態移行によって白式に新たに与えられた装備のひとつが、現在進行形で使用しているこの純白の盾だ。シャルロットが普段使っている盾よりもひと回り以上大きいそれは、ISのほぼ全体を隠すのに十分なサイズを誇っている。

 もうひとつ追加された装備が、左肩の部分についている荷電粒子砲である。が、これは今は極力使わないようにしている。ISによる補助があるとはいえ、射撃にまったく慣れていない俺が味方の多いこの状況でそれをぶっ放すのは危険だと全員が判断したためだ。うっかり仲間に当てたりすれば大惨事だし、これは当然の意見だろう。

 

「盾が破られる前にこっちから突っ込むぞ」

 

「エネルギーの余裕は?」

 

「問題ない」

 

 手早く会話を済ませ行動を決定。背中のスラスターの出力を上げ、後ろに鈴を従えて中央突破を試みる。エネルギー弾の雨という向かい風に逆らって進むぶんエネルギーの消費は大きいが、おそらく今の白式にとってはそこまで負担にはならないはずだ。

 ――第二形態移行による変化のひとつに、機体に蓄えられるエネルギー総量の上昇というものがあった。エネルギーを食いまくる零落白夜の喪失とあわせて、どうやら俺の白式は短期決戦型から持久型に様変わりしたらしい。

 

「あと少し……」

 

 ラウラとセシリアの援護射撃が挟み撃ちの形をとっていることで、福音本体の動きはほぼ封じられている。だから、俺たちが前に進みさえすれば距離は確実に詰まる。

 残り距離300メートル、200メートル、100メートル……!

 

「よし!」

 

 十分接近したところで、白式の陰から甲龍が飛び出す。当然敵のエネルギー弾に曝されることになるが、その時間はあまりにも短く、ISのシールドエネルギーを削りきるにはまったく足りない。

 

「一夏、下がって!」

 

 鈴の指示を受け、その場から後退する。その瞬間、衝撃砲による赤い弾丸が唸りを上げて福音へと放たれ始めた。あれの巻き添えを食らえばひとたまりもないだろう。

 いよいよ標的を鈴ひとりに絞った福音の連射攻撃を、同じく衝撃砲の連射で一部相殺しながら……ついに、甲龍に装備された青竜刀『双天牙月』が銀の福音のマルチスラスターの片翼を断ち切った。

 

「もう一丁!」

 

 勢いに乗じてもう片方の翼も一気に奪おうとする鈴。だが福音の立ち直りも早い。スラスターを一部失ったことで崩した体勢を一瞬で整え、振り下ろされる双天牙月を白刃取りの要領で受け止めた。

 

「なっ……!」

 

 鈴の瞳が驚愕の色に染まり、時を同じくして福音の砲門が鈍く光り始める。そして、その時にはすでに俺は瞬時加速を発動させていた。

 

「うおおお!!」

 

 右手に握る雪片弐型を振り上げる。これが間に合えば福音のマルチスラスターを完全に破壊できる。間に合わなければ、鈴がやられる……!

 

「ぜああっ!!」

 

 届け、という俺の必死の叫びを神様が聞きとめてくれたのだろうか。

 今まさに福音の凶弾が至近距離の鈴に向かって発射されようかというタイミングで、白式の刀が福音を捉え、残った頭部のスラスターを破壊した。

 翼の喪失により完全にバランスを崩した福音の砲門からエネルギー弾が放たれるが、それらはすべて狙いを外して虚空へ消えていく。

 

「やった……!」

 

 ゆらり、と力なく落下していく銀の福音。武器を失ったと同時にエネルギーも尽きたのだろうか。

ともあれ、もはや福音に俺たちをどうにかできるだけの力は残っていない。戦いが終わったことにほっと息をつき、俺は福音の操縦者を助けるために海に落ちていく銀の機体に手を伸ばそうとし――

 

「………!!」

 

 ……違う。こいつは、まだ終わっていない。フルフェイス型のバイザーには何も映っていないはずなのに、まるで強烈な殺意を向けられたかのように背筋が凍りつく。

 

「な、何よこれ……」

 

 俺の抱いた悪い予感が正しいことを示すかのように、死に体になったはずの福音は体のあちこちから閃光を散らし、どこか産声に似たような機械音をそこら中に響かせる。

 

「………」

 

 無言のまま、福音の肩がぴくりと震える。

 

「――っ!」

 

 刹那、『やばい』という感覚が全身を駆け抜けた。もしあいつがまだ動けるなら、何かが原因で戦闘を続行することができるなら、その標的は……すぐ近くにいる、俺だ。

 

「そこから離れろ一夏! あれは『第二形態移行』だ!」

 

 切羽詰まったラウラの叫びが聞こえた気がするが、反応するだけの余裕はない。彼女の言葉が終わる前に、息を吹き返した福音が猛加速で俺の眼前にまで迫ってきていたからだ。

 

「くそ……」

 

 雪片弐型を構え、俺は今度こそ敵の動きを止めるために……

 

 何を、撃つんだ?

 

 一瞬の思考の停止。急接近する敵の存在に焦ったためか、俺の脳は『零落白夜で斬る』という選択を行おうとしてしまった。だが、その答えは当然不適。これまで俺の手にあった最強の切り札は、すでにどこかへ消えてしまっているのだから。

 ……そして、致命的な隙が生まれる。

 

「があっ……」

 

 加速の勢いそのままに、福音の蹴りが腹に直撃する。絶対防御越しに鈍い痛みが襲いかかり、俺は否応なしによろめいてしまった。

 

「敵機Aの対処を最優先。攻撃レベルを最大に」

 

 無機質な声がそう言ったかと思うと、福音の体のいたるところからエネルギーの翼が装甲を破って生えてきた。その数はゆうに30を超え、さらにそこから無数のエネルギー弾が白式を破壊せんと降り注ぐ。

 声を上げる暇もなく、俺は咄嗟に左手の盾を突き出し、なんとか攻撃を防ぎきろうと試みる。

 

「ぐっ、この……!!」

 

 だが、それはすぐに無駄なあがきだとわかった。最初に盾を使った時とは比べ物にならない量の弾丸が際限なく襲ってくる状況の中、俺の唯一の防御手段はあっという間に耐久値を減らしていき――

 

「一夏!!」

 

 誰かが俺の名前を呼んだその瞬間、盾を貫通したエネルギー弾の威力に吹き飛ばされた俺と白式は、激しい痛みとともに海へと沈みこんだ。意識が飛びそうになるところをなんとかこらえて動こうとするものの、残り25パーセントを切ったシールドエネルギーの表示を見て体がすくんでしまう。むしろまだ4分の1も残っていることを喜ぶべきなのかもしれないが、それでも今の攻撃で一気に6割削られたのは痛すぎる。

 ……どうする。どうすればいい? 敵は瞬時加速を使う上に全身からエネルギー弾を連射可能。仮にそれを乗り切り接近できたとしても、零落白夜がない以上一撃当てるだけでは勝負は決まらない。福音の体に何度か斬撃を当てる間に向こうからの攻撃をまともに食らえば、今度こそエネルギー切れで行動できなくなってしまう。

 

「くそっ!」

 

 答えが出ない。自分がどうするべきか、その答えが。

 それでもとりあえず海面から顔を出した俺は、戦況を確認するために空を見上げる。

 

「………!!」

 

 視界に映ったのは、恐ろしいまでの機動力と攻撃力を兼ね備えた銀の福音・第二形態が、戦場を支配し暴れまわる姿だった。鈴たちも連携をとって必死に立ち向かおうとしているが、セシリア、ラウラ、シャルロットの射撃は命中せず、なんとか接近戦に持ち込もうとしている鈴と箒は致命傷を受けないようにするので精一杯に見える。

 ……福音を止める手段は思いつかない。だが、はっきりわかることがひとつだけある。

 ――このままだと、全員やられる。

 

「悩む暇なんてない……」

 

 無茶をするな、と言われた。

 与えられた役割は全力でこなせ、とも言われた。

 俺の役割……鈴を、守ること。

 ……そうだ、守るんだ。守りたいんだ。守らなければならないんだ。

 それができないのなら。

 

 ――シンダホウガ、マシダ。

 

 パチン、と。頭の中で、何かが切り替わる音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

「うっ!」

 

 衝撃砲をエネルギー弾で相殺しながら接近してきた福音が甲龍の右腕を蹴り上げ、操縦者の鈴にも痺れるような痛みが伝わってくる。

 さらに悪いことに、今の衝撃で右手に握った双天牙月が飛ばされてしまった。

 

「しまった――!」

 

 衝撃砲は今しがた限界まで連射を終えたばかり。近接用武器も手元から失われてしまっている。そして、目の前には無表情でこちらを見つめる銀色のIS。

 

――詰みだ。

 

 頭の中で組み上げられた結論に彼女が絶望していた、その時のことだった。

 

「うおおオオッ――!!」

 

 今まで聞いたこともないような雄叫びを上げながら、白式――織斑一夏が、瞬時加速で突っ込んできた。右手には雪片弐型、そして左手には、ついさっき鈴の手を離れた双天牙月が握られている。

 福音に勝るとも劣らない速度を持ったまま斬りかかる一夏に、福音も少しだけ対処が遅れたようだ。振り下ろされた雪片弐型を片腕で受け止めざるを得なくなり、装甲の一部が破壊される。

 

「鈴! お前の刀、借りるぞ!」

 

「え? わ、わかった!」

 

 鬼気迫る表情の一夏に圧倒され、言われるがままに鈴は双天牙月の使用許諾(アンロック)を行う。通常、あるISの装備を他のISが使用することはできないが、その装備の所有者が使用許諾を出せばその縛りを消すことができるのだ。

 

「らあああっ!!」

 

 白式の左手にある双天牙月の刃が高速回転を始める。これで、今だけあの刀は一夏の得物になったはずだ。

 

「俺がなんとかこいつの動きを止める。みんなはそのタイミングで一斉攻撃をかける準備をしてくれ!」

 

「なっ……馬鹿! ひとりで福音の相手なんてできるわけが――」

 

 反論しようとした鈴の唇の動きが、思わず途中で止まってしまう。なぜなら……

 

「なんで、相手できてるのよ……」

 

 

 

 

 

 

「おおおおっ!」

 

 刃の部分が大きい双天牙月で襲いかかるエネルギー弾の一部を弾き飛ばし、一部は回避する。それでも多少は弾丸を機体に受けてしまうが、この程度は気にしていられない。

 

「ちっ……」

 

 間髪入れずに雪片弐型を振り下ろすものの、すんでのところで回避される。最初の戦闘で使ったフェイクももはや通用しそうにない。

 

「まだ……こっからだ!」

 

 相手の動きが心なしかスローに見える。エネルギー弾の弾道を予測し、避けるだけの時間をとることができる。脳がスパークしているかのような感覚が続いている間、俺の反射速度、思考能力は極限にまで研ぎ澄まされていた。

 これと同じような状態を、俺は以前に1度だけ経験している。先月末の学年別トーナメント1回戦での、ラウラのAICを打ち消したあの瞬間。今度はそれが、ある程度の時間持続しているのだ。

 

「つっ……!」

 

 なぜこんなことが起きているのか、その理由はわからない。ただ、先ほどから継続的に襲ってくる鋭い頭痛は、今の俺が何かしらの限界を超えてしまっているのだろうということを予測させた。

 とにかく、今はそんなことはどうでもいい。俺がやるべきなのは、福音に一発入れて動きを止め、とどめの一撃につなげる役目を果たすことだ。

 

「くっ……」

 

 だが、なかなかその機会を作ることができない。最初こそ奇襲の勢いを保ってほぼ互角に渡り合えていたものの、現在は少しずつ押されている状況だ。これでは相手に隙を生み出すのはかなり難しい。

 エネルギーは瞬時加速を使ったこともあって残り10パーセントほど。こちらも余裕があるとはとても言えない。

 

「はああっ!!」

 

 そんな折、別方向から福音に2本の刀が襲いかかる。惜しくも当たらなかったが、それでも福音の攻撃を受けかけていた俺のダメージを減らす結果にはなった。

 

「箒!」

 

「私も加勢する! 2人でなんとか隙を作るぞ!」

 

「おう!」

 

 箒が加わったことで手数が倍になり、徐々に体勢を持ち直していく。エネルギーは、残り7パーセント。

 

「焦るな……!」

 

 心を乱せば、それに引きずられて思考も遅くなる。そうなれば、もう勝ち目はない。

 ……残りエネルギー、3パーセント。

 

「箒!」

 

「よし!」

 

 エネルギー残量、2パーセント。福音が見せた小さな隙を広げるために、俺と箒は息を合わせて4本の刀を同時に振り下ろす。

 

 エネルギー、残り1パーセント。

 

「今だ!」

 

 4つの斬撃のうち、双天牙月の刃が福音の胴体にヒット。その結果、俺たちの勝利への道筋がついに完成した。

 

「撃て!!」

 

 ラウラの一声と同時に放たれるは、『シュヴァルツェア・レーゲン』、『ブルー・ティアーズ』、『ラファール・リヴァイヴ』、『甲龍』の4機による1点集中砲撃。ひとつひとつが強大な威力を持つ攻撃が、防御も回避も取れない福音を容赦なく飲み込んだ。

 

「………」

 

 今度こそ、銀の福音は完全に停止した。装甲が具現維持限界に達しかけているようで、操縦者を包みこむ装甲がすでに消えかかっている。

 

「ふう……」

 

 よかった……みんなを、守ることができた。

操縦者を箒が無事抱きかかえたのを確認して、俺は大きく安堵の息をつく。シールドエネルギーはぎりぎり1パーセント残っているが、いつゼロになるかわかったもんじゃないので誰かに乗せて帰ってもらうことにしよう。

 

 ――何はともあれ、こうして銀の福音の暴走事件は幕を閉じたのだった。

 




なんとか福音を撃破することができました。またまた一夏がおかしな能力を発揮していますがこれについては今後の展開のどこかで説明される時が来ます。
白式のスペックについてもそのうち劇中で詳しく話すつもりです。ポリゴンZがポリゴン2になった感じといえばわかりやすいかもしれません。
次回でようやく原作3巻の内容が終了です。ちなみに章タイトルの「運命の相手」って鈴だけのことを指しているわけではなかったりします。

しばらく出番のなかった束とかその他もろもろのイベントを次回で処理しきれるのかちょっと不安ですが、今後もよろしくお願いします。


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第34話 新たな火種

今回でこの章は終了です。「3」章の終わりが「34」話か……いえ、なんでもありません。


「ん~、んー、んむう~……」

 

 月明かりが照らす海の色は、何物をも飲み込んでしまいそうな深い青。それに引きずられて、というわけではないのだが、空中に映し出されたディスプレイを眺める篠ノ之束の心中は少しブルーの様相を呈していた。夜風を背に浴びつつ、彼女はめったに行うことのない『ため息をつく』という動作を実行に移していた。

 

「あんまりうまくいかなかったかなあ~。箒ちゃんと紅椿のワンオフ・アビリティーは発現しなかったし、白式は――」

 

「白式の第二形態移行が不服か?」

 

「不服って言い方は正しくないね。白式に限らず、私はあらゆるISの進化を歓迎する主義なんだよ、ちーちゃん」

 

「そうだろうな。子供の成長を喜ばない親はいない」

 

 背後の暗闇から突然現れ、束の独り言に割って入ってきた千冬に対して、彼女は一切驚いた様子を見せない。千冬が自分に会いに来るだろうということは予測できていたからだ。

 

「束さんはISの生みの親だからねえ。だから白式が次のステージへ進んだこともうれしいっちゃうれしんだけど……予想と違う方向に子供が成長しちゃったってーところかな」

 

「ほう、お前にしては珍しくあてが外れたというところか」

 

「ちーちゃんだって想定外だったんじゃないの~? ISが自身の持ち味を殺すような進化を遂げるなんてさ」

 

「……まあ、それはそうだな」

 

 うんうん、と千冬の返事に大きくうなずく束。自分の意見に親友が同意してくれたことが喜ばしいようだ。

 

「ところでちーちゃん。少し聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「何だ」

 

「あのツインテール、いっくんとアレな関係なの?」

 

「ツインテール……凰鈴音のことか」

 

「名前なんて知らないし興味もないよ。ほら、中国の第三世代型に乗ってたあいつのこと」

 

「ならやはり鈴音で正解だ。お前の言う『アレな関係』が何を指しているかは知らんが、あの2人の関係はいわゆる恋人同士というやつに当てはまるな」

 

「むう、やっぱりそうだったのかあ」

 

 後ろに立っている千冬には顔を向けないまま、束はがっくりと肩を落とす。落ち込むのも当然で、彼女は自らの妹と一夏がくっつくことを望んでいたのだ。

 

「白式の変化の方向性も、もしかするとそのあたりと何かしら関係があるのかもねえ。うーん、それにしても残念だなあ。箒ちゃんといっくん、絶対お似合いバカップルになれると思ったんだけど……思い通りにいかないことが多くて辛いです、しょぼーんだよ」

 

「だからといって、人の恋愛沙汰に首を突っ込むような真似はするなよ」

 

 釘を刺すような千冬の言葉。その口ぶりから、彼女が2人の交際を認めていることは容易に読み取れた。

 

「そうでさあねえ。ちーちゃんが賛成してるなら、私も今のところは放っておこうかな」

 

「永久に放っておけ。お前が関わると碌なことにならん」

 

「あはは、ひどいなあ」

 

 まるで疫病神であるかのような言われように、束はしばし楽しげに笑う。とりあえずは自分で言った通り、一夏と例のツインテールには干渉しないことを心の中で決定した。

 

「ま、それはそうとして」

 

 ひとしきり笑った後、束はちらりと背後に目を向け、いつもの凛とした表情で佇んでいる千冬の姿を視界に入れる。

 

「ちーちゃんも、私に聞きたいことがあってここに来たんだよね? それってなに?」

 

 軽い調子で、何気ない風に口に出した言葉はしかし、千冬の顔つきを厳しいものにさせる。それを見て、束は彼女が何を尋ねに来たのか、改めて確信を得ることができた。

 

「……今日、白式と紅椿を襲撃したサイレント・ゼフィルスの操縦者。あれは――」

 

「あれは何者なのか教えろ、だね。他ならぬちーちゃんからのお願いだから、もちろん教えてあげたいところなんだけど……知らないものは教えようがないんだよねえ」

 

 白式とサイレント・ゼフィルスの戦闘映像は持っているし、束なりにあのパイロットの正体を明らかにしようともした。だがその試みは失敗。うまい具合に捲かれてしまい、彼女がどこへ帰っていったのかもつかめずじまいだったのだ。

 

「束さんは天才だけど、何でも知ってるわけじゃないのだよ」

 

「……そうか」

 

 小さなため息が千冬の口から漏れる。頼みの綱が断たれて、どうすればいいのか困っているような、そんな表情。彼女にしてはとてもレアな感情表現だ。

 

「でもね、ちーちゃん」

 

 しかし、束の返答はまだ終わってはいない。今まで腰掛けていた岬の柵からひょいっと飛び降り、黒いスーツを身に着けている親友のもとへ歩み寄っていく。

 

「あの操縦者がなんなのか、今あるだけの情報で推測することはできるよ。そしてその推測の内容は、ちーちゃんが出した予想と一致している」

 

「……まるで私が何を考えているかわかっているような口ぶりだな」

 

「だってそうでしょ? 箒ちゃんやいっくんからあの子に関する話を聞いたんだと思うけど、そこからちーちゃんは『そういう』予測を立てた。だから、わざわざ私のところにやって来たんだよね?」

 

 ニコリと笑う束に対し、千冬はその通りだと首を縦に振った。その反応に、彼女はますます頬を緩めていく。

 

「私たち2人が同じ考えにたどり着いたってことは、きっとそれは真実なんだと束さんは信じているよ」

 

「およそ科学者らしくない考え方だな。根拠も何もあったものではない」

 

「ロジックだけに縛られてちゃつまんないよ~?」

 

 難しい顔をしている千冬に対し、笑みを崩さぬままに語りかける束。月の光に照らされるその表情は、無邪気な子供のそれととてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

「………」

 

 全国各地に存在し、いまや日本人の生活とは切っても切り離せないものにまでなったコンビニエンスストア。そのコンビニのとある一店舗にて、マドカは見知った顔とばったり出くわしていた。

 

「なんでてめえがここにいるんだ、エム」

 

「缶コーヒーのまとめ買いに来ただけだ。私にだってそのくらいの自由はあるだろう? オータム」

 

「呼び捨てにすんじゃねえって何度言ったらわかるんだ」

 

「さてな」

 

「ちっ……相変わらずいけ好かない女だ」

 

 ぶつぶつ悪態をつきながらお菓子コーナーへ向かっていくオータム――マドカの仕事仲間にしてスコールの『彼女』である――を尻目に、マドカは飲み物が置かれている一角まで足を進める。そして手慣れた動作で棚にある缶コーヒーを10本ほど左手の籠に放り込み。

 

「………」

 

 そこで、籠の中のコーヒー缶に『砂糖たっぷり』と書かれていることに気づいた。彼女はいつもブラックを好んで飲んでおり、つまるところうっかり手に取る缶を間違えてしまったというわけだ。

 

「まったく……どうかしている」

 

 苦々しげに独り言をつぶやき、マドカは籠に入れた缶コーヒーを棚に戻し、今度こそお目当ての品をその手につかんだ。

 

「……やはり、確かめてみるしかないか」

 

 彼女が不注意な行動を行ってしまった原因は、今日の昼からずっと思考の片隅にあることが引っかかり続けており、時たまそのことを考えて上の空な状態になってしまっているからだ。

 何日か経てば多少は収まるだろうが、それでも根本的な問題を解決しなければ心の不安要素を取り除くことはできない。

 ならば、そのための行動を起こすしかない。

 

――篠ノ之箒が銀の福音にやられそうになっていた、あの瞬間。自分は、彼女を助けるために福音を撃った。誤射などでは断じてない。自らの意思で、狙い通りに引き金を引いたのだ。……なぜ、そのようなことをしたのか?

 

 答えを出すために、折り合いをつけるために、マドカは『動く』ことを決意した。

 

 

 

 

 

 

「で、本当に体はなんともないわけね?」

 

「大丈夫だって。ラウラの時みたいに熱が出たりすることもなかったし。見ての通りピンピンしてるぞ」

 

 銀の福音の暴走を止め、無事作戦終了を迎えたIS学園専用機持ち一同。夕食時にはほかの生徒たちに何があったのかしつこく聞かれたが、重要機密なので話すわけにもいかず、のらりくらりとかわしつつ戦闘で消費したカロリーの補給に精を出したのだった。

 そしてその後、鈴は一夏と千冬の部屋を訪問。千冬がたまたまいなかったので、今は一夏と部屋で2人きりである。手際よく出されたコーヒー入りのカップを手に取りつつ、彼女はテーブル越しに向かい合って座る少年の手元に目を向ける。

 

「相変わらず砂糖の量は多いのね」

 

「ん? ああ、苦いのはあんまり好みじゃないからな。そっちのコーヒーは要求通り砂糖少なめにしたけど、どうだ?」

 

「ちょうどいいわよ。あたしの味覚は大人だから」

 

「俺の舌が子供レベルだと遠まわしに言ってるのか」

 

「べっつにー。でも自分から言い出すってことは自覚があるんじゃないの」

 

「むっ……」

 

 口を尖らせて何やら反論したげな様子を見せる一夏だが、結局その気は失せたようで黙ってコーヒーを飲み始めた。しばしの間、お互いがコップを傾けるだけの静寂な時間が2人の間に流れていく。

 

「……アンタって、つくづく規格外よね。傷は治るわ、あたしの武器使って福音相手に大立ち回りを披露するわ」

 

 先に口を開いたのは鈴のほうだった。中身が残っているコップをテーブルに置き、一夏の顔を見つめながら、半ば呆れたような声で語りかける。

 

「俺っていうより白式が優秀なんだと思うけどな。怪我を治してくれたのもそうだし、異常に感覚が冴えてたのもなんかやってくれたんじゃないのか? 本当にいいやつだよ、こいつは」

 

 一夏の言葉を聞いて、鈴は改めてISの底の知れなさについて思いを馳せる。約10年前に突如として現れた、今までの兵器の常識を覆すパワードスーツ。いったいどれだけの可能性の広がりを持っているのか、彼女には見当もつかない。

 そして同時に、どうしてかわからないが鈴の胸にむかむかとした気持ちが湧き上がってきた。今の一夏の発言に、どこか無意識のうちに気に障るような箇所があったのだろうか。

 

「はあ……あれだけ無茶するなって言ったのに、結局めちゃくちゃなことやるんだから。あたしがやられそうなところを助けてくれたのは感謝してるけど、無理したことについてはまだちょっぴり怒ってるのよ」

 

「……ごめん」

 

 素直に頭を下げる一夏を見て、鈴はしまった、と感じる。彼は戦闘終了直後にもきちんと無茶したことについて謝罪を入れていたのだから、これ以上その話題で責める必要はなかったのだ。

 

「……もういいわよ。こっちこそ、掘り返しちゃってごめん」

 

「いや、それは全然問題ねえよ。それだけ鈴が俺のこと心配してくれてたってことだし」

 

「……ありがと」

 

 重い空気になるような話は終わりにしようと思い、何か他愛のない話題で一夏をからかってやろうと頭を切り替えようとした鈴だったが。

 

「でも、もしまた今日みたいな状況になったら、きっと俺は同じように無茶をすると思う」

 

「え……?」

 

 一夏の口から飛び出した言葉に、思わず動きが止まってしまう。

 

「鈴が危ないって思った時、頭の中の考えとかみんなに言われたこととか全部吹っ飛んじまって、気づいたら福音目がけて全速力で突っ込んでた。……だから、たとえ俺の体や白式に不安なところがあったとしても、大事な人がピンチになったらまた何も考えずに動くんじゃないかって」

 

「アンタ……」

 

「……俺、馬鹿だからな。学習できるか、正直怪しい」

 

 そう言って、ばつが悪そうに苦笑を浮かべる一夏。

 大切なものを守るために、恐れを抱かず戦えること。そして彼の大切なものの中に自らが含まれていること――本来なら、少しだけ喜んでしまう場面かもしれない。やっぱりコイツは芯が強い人間だと、少しだけ感心してもいい状況かもしれない。

 実際、そういうプラスの考えが浮かばなかったわけではない。

しかしそれと同時に、鈴は自分の心が嫌にざわついていることに気づいた。今の一夏の発言から、言い知れぬ不安と危うさを感じとったのだ。

 ……加えて、先ほど自身がなぜか苛立ちを覚えたことの原因もなんとなく悟ることができた。

 鈴は、あの戦いに関することを語る一夏の妙に軽い口ぶりから、今彼女が思い浮かべている疑念と同種のものを直感的に感じとっていたのだろう。

 

 ――一夏は、自分自身のことを軽視し過ぎているのではないか?

 

 今までずっと信頼し続けてきた少年に対して生まれたその感情は、彼女の心を戸惑わせる。

 けれどもそれは少しの間の出来事だった。直後に一夏のクラスメイトたちが数人わいわい騒ぎながら部屋に押しかけてきたことで、鈴の思考は遮られる形となったのだ。

 

「織斑先生がいないと聞いて飛んできたよー!」

 

「鬼の居ぬ間に人生ゲームやろうよ、織斑くん」

 

「凰さんも一緒にするよね?」

 

 昨日のビーチバレーで見た覚えのある面子が、鈴と一夏に催促をかける。

 

「せっかく誘われたんだし、喜んで参加させてもらうとするか」

 

「そうね」

 

 ……こうして、臨海学校最後の夜は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

「ここにもいないか……」

 

 昼間の激しい戦闘が夢だったのではないかとさえ感じられるほどの、物静かで暗い夜。月の光を頼りに、箒は辺りを見回しながら海沿いの道を歩いていた。

 

「……やはり携帯電話に頼るべきだろうか」

 

 彼女の姉である篠ノ之束を探すために、夕食後に旅館を抜け出してから15分が経っている。福音との戦いを終えた後、『ちゃんと直接向き合って話をしよう』と意気込んだまではよかったものの、治療やら教師陣への報告やらを行っているうちに途中まで作戦室にいた束は姿を消してしまい、結果夜になってもまともな言葉を交わす機会が持てないでいた。

 なぜ最初から携帯を使わなかったのかというと、『電話で居場所を聞いたらそのついでに2,3言葉を交わして、それきりで満足して結局会うのをためらってしまうような気がしたから』という、なんとも臆病な考えが原因だったりする。

 しかし裏を返せば、それだけ箒にとって束と向き合うのは勇気のいる行動なのだ。……それでも、いつの間にか心の中で距離を置くようになってしまった姉に、もう一度近づいてみることを彼女は選択した。自分に専用機をくれたこと、おかげで強大な敵を相手にしてなんとか戦えたこと、それらに対する感謝とともに、何かを話すことができればいいなと、そう思っていた。

 

「――しかし、お前も懲りない奴だな」

 

 ふと耳に入ってきた女性の声に、箒はぴたりと足を止める。見れば、少し離れたところに人影が2つあり、今の声はその2人の片方が発したもののようだった。

 そして、箒はあの2人組が誰なのかを知っている。話し声が聞こえる距離なのだから、彼女たちの顔もそれなりにはっきりと認識することができていた。

 

「姉さんに、千冬さん……」

 

 こっそりと物陰に隠れ、2人の様子をうかがう。ようやく目的の人物を見つけたのだからこのまま近寄る、という選択肢もあるにはあったのだが、禁止されている夜間の外出を実行中の彼女としては、我らがクラス担任の前に堂々と出ていきたくはないのである。待機状態の紅椿は旅館を出た時から潜伏モードにしていたので、近くにいることを勘付かれる心配はないだろうと箒は考える。

 

「うん? 懲りないってどういうこと? 私は日々進歩し続けるデキる女だよ、ちーちゃん」

 

「同じような目的のために同じような手を2度も使う人間を、懲りない奴と評することに問題はないだろう」

 

 いつも通りのマイペースな口調の束と対照的に、千冬の声にはどこか刺が感じられる。いったい何の話をしているのかと、箒は自らの聴覚に意識を集中させる。

 

「1度目は10年前のことだ。自分の作り上げた作品を世界に認めさせるために、お前は12ヶ国の軍事コンピューターにハッキングをかけ、自作自演の大事件を起こした。世間一般ではこれを『白騎士事件』と呼んでいるが、中身はただの茶番にすぎない」

 

「!?」

 

 千冬が淡々と告げた言葉の内容に、箒は驚きのあまり声を上げてしまいそうになる。

 

「(白騎士事件が、自作自演だと……!?)」

 

 そんなことがあり得るのか。確かに束なら、技術的にもそれが可能なのかもしれない。だが、まさか――

 

「そして2度目は今日だ」

 

 箒が会話を盗み聞きしていることに気づいていない千冬は、さらに束に対して語りを続ける。

 ――今日。白騎士事件と同じような自作自演を、姉が行った。

 そこまで理解した箒は、自分が異常なまでの冷や汗をかいていることに気づく。

 ……予想できてしまったのだ。束が何をしたのか、そしてその目的はなんだったのか。

 

「自らの作り上げた最高機能を持つ機体を大切な妹に渡したお前は、彼女のデビューの舞台を用意するために、丁度良い障害として軍用ISを意図的に暴走させた」

 

「そうストレートに言われちゃうと、ごまかしようもないよねえ」

 

 ……そして今、彼女の予感が正しいことが証明されてしまった。

 

「ハア……ハア……」

 

 呼吸が荒くなる。心臓の動悸が、不自然なほどに速まる。

 

「なら、今日の出来事は、全部……」

 

 紅椿や皆とともに戦い、勝利を収めたことで、箒はほんの少しだけ自分に自信が持てるようになっていた。

 だが、そのきっかけとなった福音の暴走も、それによって一夏があんなひどい目に遭ったのも、すべて――

 

「私のために、姉さんがやったこと」

 

 残酷なまでにはっきりと突きつけられた事実。それを口にした瞬間、箒は姿が見られることも気にせずに走り出していた。……この場から、逃げ出したのだ。

 

 

 

 

 

 

「箒……!?」

 

 近くの茂みががさりと揺れたことに気づいた千冬が振り向くと、こちらの会話を聞いていたらしい箒が全速力で離れていく姿が視界に映った。

 

「まずいな……」

 

 彼女が身を潜めていることに気づかなかった自分の迂闊さを呪う千冬。逃げ出した様子を見るに、今の話の内容が筒抜けだったのは間違いない。

 

「ねえ、ちーちゃん」

 

 すぐに後を追いかけようと足に力を込めた瞬間、束が静かな調子でぽつりと言葉をこぼした。

 

「私は、いっくんの意思を尊重するつもりだよ」

 

 ……彼女がどういう意図でそれを言ったのか、千冬には完全に理解することはできなかった。発言内容だけを脳に記憶し、束のほうを見ずに箒が去って行った方向へ走り出す。

 

「………」

 

 しばらく進んだところで、千冬は木の側でうずくまっている箒を発見した。

 

「……箒」

 

 本人相手には久しく使っていなかったその呼び名で、彼女に声をかける。顔をひざにうずめているため、表情を読み取ることはできない。

 

「……知っていたんですか。全部、最初から」

 

 返ってきたのは、主語も目的語も欠けた疑問文。それでも今回は、彼女が震える声で何を言わんとしているのかが容易に理解できる。

 

「白騎士事件の真相を知ったのは、それが起きてから半月ほどたった後だ。だから私も、束の掌の上で踊らされていた人間のひとり……いや、見方によればもっとも愚かな人間だった。福音の暴走については、予想はついていたが確信はなかった。だからお前たちを戦場に向かわせるという判断をとらざるを得なかった。……本当に束が仕組んだことだったとしても、私が箒を出さないことを決めたところで、奴が福音を止めるという確証がなかったというのもある」

 

「……そう、ですか」

 

 それだけ言って、箒はしばらくの間黙り込む。千冬も彼女に従い、身じろぎひとつせずにその姿を見守る。

 

「……もう一度、仲良くなれると思ったんです」

 

 やがて、ゆっくりと顔を上げた箒がぽつぽつと心情を吐露し始めた。

 

「姉さんは、私のことを大切に思ってくれてる。だから、私の方から歩み寄ろうとすれば、また昔みたいにあの人の前で笑うことができるって……そう、思ってたんです」

 

「………」

 

「……だけど、わからなくなってしまいました。姉さんが、何を考えてるのか……あんな大規模な事件を起こしたり、一夏たちを危ない目に遭わせるようなことをしたり。……私には理解できないし、どう接すればいいのかも全然わからない……! 教えてください千冬さん。あの人は、いったい何を……」

 

 彼女の瞳から、一筋の涙が流れ落ちていく。突然信じられないような真実を知ってしまい、感情がコントロールできなくなっているのだろう。

 

「……私にも、あいつの心の内は読めない。ただ、何か大事を起こそうとしているのなら、止めさせるつもりではある。私は、世界を変える事件を起こした当事者のひとりだからな。その責任をとる義務がある」

 

「………」

 

 今度は、何も返事は返ってこない。黙りこくった彼女は、ずっと俯いたまま地面を見つめている。

 ――そうしてそのまま、5分ほど経ったとき。

 

「……無断外出をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 それだけ言い残して、箒はおぼつかない足取りで旅館に戻ろうとする。その様子を不安に思った千冬は、彼女の隣を歩きながら帰路についたのだった。

 

 

 

 

 

 

「箒……おい、箒っ」

 

「……ん。あ、ああ、一夏か。何か私に用か?」

 

 翌日。臨海学校最後の行事であるISおよび装備の片付けを生徒全員で行っていた間も、箒はずっと上の空だった。理由はもちろん、昨夜の出来事がいまだ尾を引いているため。

 ……新たな一歩を踏み出せるはずだったのに、終わってみれば今まで以上に姉のことが理解できなくなってしまった。そんな思いが心を支配して、移動用のバスに乗り込んだ後も座席でぼーっとしていたところ、一夏が彼女に声をかけたのだ。

 

「これから仲のいいメンバーで写真撮ろうと思ってるんだ。箒も来ないか?」

 

「いや、今は少し、そんな気分では……」

 

「いいから来いよ。早くしないとバスの出発時刻になっちまう」

 

「うわっ、待て一夏、私は……」

 

 腕を引っ張られ、少々強引にバスの外に連れ出される。

 

「おそーい! 箒を連れてくるのに何分かかってるのよ」

 

「悪い悪い」

 

 そのまま旅館の前まで行くと、鈴やセシリア、シャルロット、ラウラといったお馴染みのメンバーが2人の到着を待っていた。

 

「最後に写真を撮ろうなんて、一夏さんも粋な心がおありですのね」

 

「そうだね。きっといい想い出になるよ」

 

「小さいころから千冬姉にそういう教育されてきたからな。記念写真を撮る癖がついちまってるんだ」

 

 セシリアやシャルロットと談笑しつつ、一夏はカメラの設定を調整している。それをぼんやり眺めながらも、やはり箒の思考は自らの姉に関することへ向かってしまう。

 

「よーし、準備完了。あとは誰かにシャッター押してもらうだけ――」

 

「あ~。おりむーたちが記念写真撮ってる~」

 

「いいなー。ねえねえ、私たちも入っていい?」

 

 とここで、周りを歩いていた1組のクラスメイトたちがこちらに目をつけ、仲間に入れてほしいと頼んできた。

 

「ん? ああ、別にいいけど」

 

「やった!」

 

「あ、じゃあ私も入ります!」

 

「わたしも!」

 

「いっそ1組全員の集合写真にしようと提案してみる!」

 

「ちょっと! 2組の人間もいるんだけど!」

 

 あれよあれよという間にかなりの人数が集まり、本当に1年1組(+α)の集合写真が撮れそうな状況になってしまった。

 

「……ま、多い分には歓迎だよな。あ、織斑先生! ちょっとシャッター押してもらえませんか?」

 

 近くを通りがかった千冬を一夏が呼び止め、カメラの使い方を説明する。いいだろう、と小さく頷いた千冬は、生徒たち全員がフレームに収まるような位置を探し始めた。

 

「あ、山ちゃんちょうどいいところに!」

 

「ささ、入った入った!」

 

「え、ええっ!? わ、私もですか?」

 

 途中でさらにひとり増えたが、どうやら問題なく位置取りができたようだ。カメラを構えた千冬は、シャッターを切ろうと人差し指をボタンの上に置き――

 

「………」

 

 が、なぜかそこでいったん動きを止め、彼女はカメラを降ろしてしまった。続いてつかつかとこちらに歩み寄って来たかと思うと、箒の目の前で足を止めた。

 

「篠ノ之、表情が硬いぞ」

 

「あ、は、はい」

 

 昨夜のことを知る千冬は、箒が心ここに在らずな状態であることを見抜いたのだろう。名指しで柔らかい表情をしろと指令を飛ばしてきた。

 

「……それと」

 

 しかし、彼女の言葉はそれだけではなかった。箒の耳元に唇を近づけ、ささやくように語りかける。

 

「いろいろ考えることもあるだろうが……今は、笑っておけ」

 

 そう言って、千冬は他の生徒たちのほうへ目をやる。

 

「で、期末試験に向けての勉強ははかどってるの?」

 

「わー言わないで! それ言わないで! なんか織斑くんが最近勉強してるらしくて本格的にヤバいと感じ始めてるから!」

 

「おりむー、今日の夜は楽しみだね~」

 

「そうだな。つっても、俺たちはあくまでおもてなしする側だけどな」

 

「ねえねえ、夏休みの予定なんだけどさ、8月の頭ヒマ?」

 

「あー……暇だね、暇。なんにもないね。どっか遊びに行く?」

 

 ……皆が皆、楽しそうに会話を繰り広げている。その光景を見ていると、箒も少しだけ心の重荷が軽くなったような気がして。

 

「……ありがとうございます」

 

 自然な笑顔を、作ることができたのだった。

 

「よし。では改めて撮るぞ。全員カメラのほうに目を向けろ」

 

 カシャッ、という音とともに、カメラのフラッシュが明るく輝く。それを2,3度繰り返した後、全員バスに向かって急いで歩き始めたのだった。

 バスの出発予定時刻まで、あと7分。

 3日間に及んだ臨海学校も、もうすぐ終わりだ。

 




章の最終話はどうしても文字数が増えてしまいます。まあ増えるといってもこの作品における相対的な評価における話であって、他の作品と比べると全然多くないのですが。

以下、いつものように章終わりの反省タイムです。

第3章は亡国企業のキャラを出したり、箒にスポットを当てたりするなど、今までとは違う感じの展開になったと思います。その結果、自分でもどこか迷走しかけてる感じが否めないのですが、次回からまた日常回でペースを取り戻していくつもりです。
各キャラの扱いについて。

一夏について。撃墜されたり、なんか危なっかしい思考をしてたりと、今回はあんまりいいところがありませんでした。でも主人公なので最後の最後にはちゃんと活躍させる予定です。

鈴について。正直何もやってません……これについては、まあいろいろあるので割愛します。つ、次の章ではちゃんと出番多いはずだから……

箒について。いろいろ心を痛めるような出来事に苛まれていました。マドカにも気にかけられている様子の彼女の未来はどうなるのか。最後のシーンで彼女が笑えたのは「辛い時でもみんなが笑ってる時に笑っとけ笑っとけ」という千冬の理論をなんとなく理解したためです。

セシリア・シャルロット・ラウラについて。ほとんどモブ程度の出番しか与えられなかったことをこの場で謝罪させていただきます。それでもラウラはわりとセリフ多かったほうかな……?

千冬・束について。この2人は……なんとも言い難いですね。

マドカについて。もはや原作とは別人です(最初からでしたけど)。一夏に執着しているっぽいだけではなく、箒のことも考えています。この子はこれからも敵キャラとして出番があります。

時間がないのでいつもよりも簡易的な反省になりました。次章は夏休みの出来事が主な内容となります。ほぼオリジナルのストーリーの連続になるかな……

では、次回からもよろしくお願いします。


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夏のひととき編
第35話 1日遅れのバースデーパーティー


今回から第4章突入です。

余談ですが、ヱヴァQ観に行きました。ついでに旧劇も見直しました。どちらにもそれぞれの良さがあっていいなあと改めて実感した次第です。あとアスカかわいい。特に惣流のほう。


「……どういうことだ、一夏」

 

 戸惑い半分、怒り半分を含んだ声で俺の名前を呼ぶのは、ポニーテールがトレードマークの剣道少女・篠ノ之箒だ。俺の隣に立っている彼女は、目の前にそびえる食堂に続く扉を親の敵でも見るかのように睨みつけていた。

 

「どういうことも何も、お前の誕生日パーティーをやるってことは2週間くらい前にちゃんと言っておいただろ。つっても、昨日は福音との戦いで疲れてるだろうからってことで1日遅れになりはしたけど」

 

「確かにその話は覚えている……が」

 

 何やら気に食わないことがあるらしい箒は、拳をわなわなと震わせながら食堂の扉と俺とを交互に眺めている。うーん、早く中に入ってもらわないと困るんだけどなあ。

 

「だったら何も問題はないだろ。ほら、みんな待ってるからさっさと行こうぜ」

 

「だから、その『みんな』が問題だと言っているのだ。なぜ私の誕生日をクラス全員で祝うことになったのか、わかりやすく手短に説明しろ」

 

「みんなのノリがいいから」

 

「わかりやすく手短だが納得がいかない理由だ……」

 

 がっくりと肩を落とす箒。パーティーといっても、俺や鈴といった馴染みのメンバーだけでひっそりと行うことを望んでいたようだ……まあ、知ってたけど。

 

「俺もこんな大人数でやるつもりはなかったんだ。けど知らない間に話が大きくなっててな」

 

「知らない間って、そんな無責任な……!」

 

「お前たち、いつまでそんなところに突っ立っているつもりだ」

 

 なかなか足を動かそうとしない箒を説得しようとしていたところ、ガラッと扉が開かれて食堂からラウラが出てきた。

 

「食堂を使える時間も限られているのだ。早く入れ」

 

「ま、待て、引っ張るな!」

 

 ぐいぐいと箒が中へ引きずり込まれるのに続いて、俺もようやく扉をくぐることができた。……たまには、ラウラのような強引さを持つことも大事だな。

 

『篠ノ之さん、お誕生日おめでとー!!』

 

 食堂に足を踏み入れた瞬間、たくさんのクラッカーの炸裂音とともに、クラスメイト(プラスα)たちの声が重なって聞こえてきた。

 

「ほら箒、主役はあそこの席に座ってね」

 

「い、いや、その……」

 

 いきなりの大音量に肩をびくっと震わせた箒は、案内役のシャルロットに促されても声をどもらせて恥ずかしそうにうつむいているだけ。予想通りだが、やはりだいぶ戸惑ってしまっているらしい。

 

「箒」

 

「い、一夏。やはり私にはこのような場は……」

 

 わずかな希望に縋るように俺を見る彼女に対して、とりあえず言えるだけのことを言っておく。

 

「多分、みんなお前と仲良くなりたいんだよ」

 

「……なに?」

 

「箒、普段教室で俺やシャルロットたち以外とあんまり話さないだろ? うちのクラスって連帯感みたいなもんが強いから、みんなお前とも話してみたいと思ってるんだ」

 

 あくまで俺の推測だけどな、と断りを入れることは忘れない。実際、全員が全員そう考えているわけではないだろう。たとえば向こうでのほほんさんと談笑している青髪の生徒会長なんかはまずクラスどころか学年が違うわけだし。あの人は絶対『何か面白そうだから』とかそういう理由で来たに違いない。

 ただ、みんながここに集まった動機の中で多数を占めているのが『箒と親しくなりたい』というものであることは確かだろう。

 

「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、多分そのうち慣れると思う。だから、今日は俺たちのノリにつきあってくれないか?」

 

「……まあ、ここまで準備されて帰るのは申し訳ない……な」

 

 まだ困っているような様子は見せているものの、それでも箒は小さく頷いてくれた。傍らにいるシャルロットとラウラも、その反応を見て微笑を浮かべる。

 

「さ! じゃあ1時間くらいだけど、みんなで箒の誕生日を祝うとしますか!」

 

 

 

 

 

 

「で、一夏くんと鈴ちゃんはつきあってるんだよね?」

 

 どうしてこの話題になったんだ……

 

「せっかくクラスのみんなでこういう場を持てたんだし、そろそろはっきりさせたほうがいいんじゃないかなーって、私は思うわけです」

 

「まるで自分がクラスの一員であるかのような言い方してますけど、楯無さんは2年生の先輩ですからね」

 

「ふふ、そんなことはどうでもいいじゃない」

 

 いろんな人と会話するにつれてだんだんと場の空気に馴染み始めた箒の姿を見届けてから、俺は食堂の中を適当に巡回し始めた。その際、鈴が楯無さん含む女子数名に囲まれていたのが目に留まり、声をかけたらこの始末だ。

 

「というか、これ箒の誕生日会なんだから箒と話してあげてくださいよ」

 

 おお、ナイスフォローだ鈴。正論な上にこの状況をなんとかできる理想的な返しだ。

 

「私としても、あの篠ノ之博士の妹さんとは是非ともお近づきになりたいんだけどねえ。今は人がたくさん群がってるし、もう少し経って篠ノ之さんの隣が空いたら行ってみるつもりよ。だからそれまでの間は仲のいい後輩ちゃんと戯れようかと思って」

 

「……仲のいい?」

 

「そこに疑問符をつけるのはひどいと思うの、鈴ちゃん。廊下で会ったらいつも会話が弾んでるじゃない」

 

「あたしには会長にからかわれて遊ばれた記憶しかないんですけど」

 

「そうだったかしら?」

 

 おどけた表情で鈴の非難を含んだ視線を受け流す楯無さん。やっぱり鈴もあの人に弄ばれてたのか……俺も日常的に被害を受けてるから、あいつの気持ちはよくわかる。

 

「それで、結局のところはどうなの? これから先、私以外にも尋ねてくる人はいるでしょうから、今吐いちゃったほうが楽だと思うけど」

 

「……その考え方って、俺たちがつきあってること前提で成り立つものですよね」

 

「そうね」

 

 仮にここで俺と鈴はただの幼馴染だと答えたとする。しかしその場合、今後俺たちが仲良くしているところを見た誰かが『そろそろつきあい始めたんじゃないの?』と定期的に聞いてくる可能性があるわけだ。つまり、楯無さんの質問に答えるメリットがない。

 逆につきあってると答えた場合は、そこで話題が終了するのでこれからその類の質問を受けることはなくなるだろう。楯無さんが口にした言葉はこちらのパターンにしか当てはまらない。

 要は、この人は俺たちの関係をほぼ決めつけているのだ。あとは本人の言質をとればいいだけ、といったところなんだと思う。

 

「………」

 

 ちらっと鈴に目配せをすると、しぶしぶながらこくりと首を縦に振ってきた。……一応GOサインも出たわけだし、正直に白状することにしよう。

 

「俺と鈴は10日くらい前からつきあってます、はい」

 

『おお~!』

 

 楯無さんが満足げに微笑み、周りを囲っていた女子は喜んでいるような驚いているようなよくわからない声を上げる。俺たち2人はというと、そんなみんなの反応が恥ずかしくてしばらく下を向いていることしかできなかった。

 

「おめでとう。幼馴染が学園で再会してそのまま恋に落ちるなんて、まるで漫画みたいね」

 

「は、はあ……ありがとうございます。……でも、どうして俺たちがつきあってるって予想できたんですか?」

 

 俺が尋ねると、楯無さんたちは一瞬ぽかんと口をあけ、そして意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「いいの? その質問に答えちゃうと、あまりの刺激に一夏くんはともかく鈴ちゃんのほうは自動的に食堂から全速力で飛び出すことになるけど」

 

「本人の意思と関係なく飛び出すんですか」

 

「まさか。あたしに限って多少何か言われたところでそんな行動をとるわけないわ……たぶん」

 

 微妙に自信に欠ける鈴の態度に不安を覚えるも、結局俺は好奇心に負けて話の続きを促してしまった。

 

「いいのね? なら言っちゃうけど、ぶっちゃけてしまえばここ最近のあなたたちの様子を見ていれば丸わかりです」

 

「……どうしてですか?」

 

「だって、2人ともピンク色のオーラを出しすぎてるもの。距離近いし、お互いの顔を見てよく笑い合ってるし」

 

 ……マジか。というか、この人学年違うのになんでこんなに俺たちの様子に詳しいんだ。

 

「一夏くんは鈴ちゃんに優しい視線を送りすぎ。保護欲をかき立てられるのはよくわかるけどね。あと、鈴ちゃんのほうも目がとろけすぎ。一夏くんに対する想いがあふれ出てるわよ。……そういう2人を見ていたら、その辺の小学生でも『この人たちはラブラブなんだなあ』と簡単に想像できます」

 

「………あ、うあ」

 

 隣を見ると、壊れた機械のようにうめき声をあげている鈴の顔が真っ赤になっていることが確認できた。

 

「り、鈴? 大丈夫か――」

 

「うわあああ……!!」

 

 いろんなものに耐えられなくなってしまったらしい俺の彼女は、ドダダダと食堂を駆け抜け、ものすごい勢いで扉を開けて外に出て行ってしまった。

 

「ね? 私の言った通りになったでしょう」

 

「……そうですね。正直俺もこの場から立ち去りたいくらいです」

 

 とにかく恥ずかしい。今の楯無さんの話が本当だとすれば、俺たち2人は一目見ただけでつきあっていることがわかる『バカップル』に近い存在に足を踏み入れかけていることになる。以前、バカップルの素質があると弾に言われた時にはそんなわけないだろと軽く流せていたのに、まさか第三者視点でそんなことになっているとは……

 鈴が飛び出してなかったら俺も同じことをしていたところだ。『一方が熱くなるともう一方の心はある程度冷める』という理論と同様、あいつが感情を爆発させてくれたおかげでこっちが落ち着けただけにすぎない。

 

「うふふ、そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だと思うわよ? ……それと、はいこれ」

 

「はい?」

 

 何気ない感じで先輩が差し出したものを、つい反射的に手で受け取ってしまう。

 

「……映画のチケットですよね、これ」

 

「知り合いにもらったんだけど、最近忙しくてなかなか行く機会がないのよねえ。ちょうど2枚あるから、今日質問に答えてくれたお礼として一夏くんと鈴ちゃんにあげるわ」

 

「いいんですか?」

 

「このまま私が持ってても宝の持ち腐れですもの。映画のジャンルも恋愛じゃなくて王道のコメディものだし、つきあい始めたばかりのカップルには適当だというのが私の見解よ」

 

 確かに、できたてほやほやのカップルがいきなり恋愛映画なんかを見に行くとあまりに純愛な描写にあてられて変な空気になってしまう、という話をどこかで聞いたことがあるような気がする。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 人をからかうことも多くてマイペースな先輩だけれど、こういう気前のいいところがあるから生徒会長として学園の生徒をまとめることができるのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

「……一夏」

 

 あっという間にパーティーも終わり、そろそろ頭も冷えたであろう鈴の部屋にでも顔を出そうかと考えていたところ、不意に背後からよく知っている声が耳に入ってきた。

 

「どうした箒? 他のみんなと一緒に帰らなかったのか」

 

「誘われはしたが、一夏と少し話したいことがあると言って断った」

 

 現在、食堂に残っているのは俺と箒の2人だけ。ぼーっと考え事をしていたらいつの間にか10分ほど経過してしまっていたようだ。もうじきここは閉まってしまうので、ぼちぼち外に出なければならない。

 

「そっか。それで、話ってなんだ」

 

「ああ。今日は、その……ありがとう。大勢の人に祝ってもらえて、うれしかった」

 

「それはなによりだ」

 

 話が勝手に大きくなったとはいえ、パーティーが開かれる発端を作ったのは俺だ。だから、箒に楽しんでもらえなければきちんと謝らなければいけないと思っていたのだが、その心配はなさそうだ。さっきプレゼントとして渡したくまのぬいぐるみも喜んでくれていたみたいだし、作戦としては大成功だったと言える。

 

「これからは、お前たち以外とも仲良くできるよう努力していこうと思う」

 

「応援してるぞ」

 

 クラスのみんなの思いはちゃんと通じたみたいだ。箒も少し口下手なだけで周りを嫌っているわけではないし、すぐにいろんな人と親しくなることができるだろう。

 

「うむ。……ところで、先ほどから何か物思いに耽っていたようだが?」

 

「いや。ちょっと悩ましい事柄にどう対処していくか考えてただけだ」

 

「悩ましい事柄? ひょっとして期末試験のことか」

 

「まあ、それもひとつだな」

 

 今日が7月8日で、期末試験開始が7月12日。しかも5教科を2日間で行うというなかなかのハードスケジュールだ。筆記試験が終わった後は数日間通常の授業が続いて、18日にISの実技試験が実施され、翌日の19日から夏休みに突入する予定となっている。

 友達の助けを借りつつ試験勉強に励んではいるものの、やはりちゃんとした成績を収められるかどうかはギリギリのところだと思う。特に最後に受けることになる英語は、どうにか俺の知っている英単語が出てくれと祈るしかない。

 以上がひとつめの懸案事項であり、もうひとつは。

 

「もうひとつは、白式の装備についてだ」

 

「そのことか……」

 

 俺の専用機である白式の『進化』の代償として、ワンオフ・アビリティー――零落白夜が失われてしまった。……ただ、その代わりに大量の拡張領域が出現したのだ。今まで零落白夜に割かれていたぶんが、一気に解放されたかのように。

 もっとも、第二形態に移行したISは装備をそのままにワンオフ・アビリティーを習得するらしいので、仮に零落白夜が残っていても以前のように容量は食わなかったのかもしれない。……つまり、第一形態の時点でワンオフ・アビリティーを搭載していたからこその異常な容量だったという可能性が十分にあるということだ。

 

「多分、倉持技研の人と相談しながらやっていくことになると思う」

 

「そうか。大変だろうが、頑張ってくれ。何かできることがあれば、私も手伝う」

 

「サンキュー。箒のほうも、なんか困ったこととかあればいつでも相談に乗るからな」

 

「……ああ。今は、まだ大丈夫だ」

 

 ……? 今、少しだけ妙に反応が遅れたような。

 

「そろそろ部屋に戻るぞ、一夏。もう時間だ」

 

 壁にかかっている時計に目をやると、すでに閉鎖時間を1分ほど過ぎてしまっていた。もうじき用務員が食堂の扉に鍵をかけに来ることだろう。

 

「そうだな。明日も朝から授業だし、早めに寝て合宿の疲れをとっとくか」

 

「それがいい」

 

 他愛のない会話を続けながら、俺と箒は1年生の部屋が並ぶ区画へと続く通路を歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、ティナ」

 

「なに?」

 

「あたしと一夏がつきあってるって、知ってた?」

 

「え? そりゃまあ、教えられなくてもわかるくらいの空気をまき散らしてたから……」

 

「やっぱりそうなんだ……あぅ」

 

 楯無の言葉に羞恥心が極限まで刺激された結果、鈴は箒の誕生日会を抜け出して自室にまで戻ってきてしまっていた。パーティーが始まったばかりの時に祝いの言葉とプレゼントは渡していたので、最低限果たすべき役割はすでに終えている。ゆえに彼女は食堂に戻るという選択を放棄し、現在ベッドにもぐりこんで鼻から上だけを外に出していた。心が落ち着くまではこの状態のままでいるつもりである。

 

「もしかして、隠してるつもりだったの?」

 

「……うん」

 

「あれで? あんなに甘い感じの雰囲気出しておいて?」

 

「……うん」

 

「そうだったんだ……それで、誰かにそのことを指摘されて落ち込んでるの?」

 

「……うん」

 

「……前から思ってたんだけど、織斑くん関連のことで恥ずかしがってる時の鈴って小動物みたいでかわいいわね」

 

「うう……」

 

 ティナの言葉に言い返すこともできず、鈴は悶々とした気持ちを手元にあった枕をぎゅっと抱きしめることで発散させようと試みる。

 

「でもまあ、ある意味いいことじゃない」

 

「え?」

 

「隠そうとしても隠しきれないほど仲がいいってことでしょ、裏を返せば。それって、カップルとしては理想的なんじゃないの?」

 

「………」

 

 ……それも、そうかもしれない。

 枕に込めていた力がふわっと抜ける。その後、鈴はしばらくの間虚空を眺めつつ思索にふけり。

 

「……そうよね。いいこと、よね」

 

 頬がほんのり火照るのを感じながら、再び枕をぎゅーっと抱きしめるのであった。

 

「……まあ、あんまりいちゃいちゃやりすぎると私の精神衛生上よろしくないから、ほどほどにね?」

 




原作を見直した限りでは夏休み開始近辺のスケジュールは詳しく描かれてなかったはずなので、自分で勝手に想像しました。もしどこかに記述があった場合は申し訳ありません。

第4章の1話目は箒の誕生日会と交際関係のカミングアウトでした。加えて白式の状態についても少しだけ補足を入れています。当面は空いた容量を何で埋めるかを一夏は考えていくことになるでしょう。もちろん倉持技研とも協力しますし、それと関連してあのキャラとも……

夏休み編は前半は日常回が大半を占めると思われます。後半? 秘密です。

では、次回もよろしくお願いします。


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第36話 倉持技研と草野球

今回オリキャラひとり投入してます。できるだけ原作にいるキャラだけで話を進めたかったのですが、役割上やむを得ず出すことになりました。


問3 古期造山帯に属する山脈では、主な地下資源として(ア)が産出される。一般的に古期造山帯は新期造山帯よりも標高が低いが、(イ)山脈は例外的に標高7000m級の山が連なっている。

 

(1)(ア)に当てはまる単語を入れよ。

(2)(イ)に当てはまる単語を以下の①~④から選べ。

 ①アパラチア ②天山 ③ドラケンスバーグ ④ウラル

 

「………」

 

 ……この期末試験、もらった!

 

 

 

 

 

 

「ええっと、確かこの辺に来てるはずだけど……」

 

 ISの実技授業や放課後の自主訓練などのために、この学園内には複数のアリーナが設置されている。各アリーナの隣には整備室なるものがあり、そこでは名前の通りISの整備が日常的に行われているらしい。らしい、というのは、恥ずかしながら俺は1学期も終わりかけの7月13日になって初めてこの部屋に足を踏み入れるからである。

 

「本当は白式の調整とかしなきゃいけなかったんだろうけどな……」

 

 以前も鈴やセシリアあたりに専用機のケアはしておいた方がいいとアドバイスされていたのだが、馬鹿の一つ覚えに雪片弐型を振っているうちに時間が経ち、結局今になるまでここに来ないままで済ませてしまっていた。

 機体も第二形態に移行したことだし、いい加減ちゃんと整備をしようと決心して、今はとある人と第2アリーナの整備室前で待ち合わせということになっているのだが……

 

「君が、織斑一夏くん?」

 

「え? あ、はい、そうですけど」

 

 後ろから声をかけられたので振り向くと、黒いスーツをビシッと着こなした女の人が俺に向かって立っていた。歳は、山田先生より少し上くらいだろうか。短めに切り揃えられた茶色の髪が、活発な雰囲気を感じさせる。

 

「よかった。そうだよね、この学園の男子生徒は君しかいないんだから間違えようがないよね」

 

「あ、ひょっとして倉持技研の……」

 

「遅れてごめんなさい。私、倉持技研の立花葵(たちばなあおい)と申します」

 

 予想通り、この人が俺の待っていた人物だったようだ。自己紹介をしながら頭を軽く下げるあちらに合わせて、俺も改めて挨拶をしておく。

 

「はじめまして、織斑一夏です。今日はよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。ごめんね、こっちの都合で急な予定を組み上げちゃって。さっきまで期末試験をやってたんでしょう?」

 

「はい、なんとか赤点は免れたと思います」

 

 山田先生から『白式の第二形態移行に伴い、新たにデータ収集と機体の調整を行いたい』という倉持技研側の意見が伝えられたのが4日前。確かに向こうが示してきた日程はそこそこ急なものではあったが、俺としても試験が終わり次第すぐにでも白式の整備に取りかかりたいと考えていたのでむしろ大歓迎だったというのが素直な感想だ。

 

「さて、それじゃ早速機体を見せてもらおうかな」

 

「わかりました」

 

 整備室の中に入り、適当なスペースを確保して白式を展開する。

 

「これが進化した白式か……データの方も見せてくれる?」

 

「あ、はい」

 

 先ほどまでのフランクな態度は鳴りを潜め、立花さんは真剣な眼差しで、俺の体を包み込む白式と、細かなデータが表示されている空中投影ディスプレイを交互に見つめる。さすがに試験終了直後なので他の生徒もおらず、立花さんが足を動かす音だけが整備室に響き渡っていた。

 

「……こんなところか。うん、もう待機状態に戻して大丈夫よ」

 

「はい。……それで、何かわかりましたか?」

 

 言ってから、自分の質問が言葉足らずなことに気づいてあわてて付け足そうとする。が、その前に俺の意図を察してくれたのか、立花さんは首を横に振ってから口を開いた。

 

「零落白夜のことね。残念ながら、私が確認しても白式のデータの中にその名前を見つけることはできなかったわ。今のところはワンオフ・アビリティーが消滅した理由も検討がつかないっていうのが正直な答え」

 

「そうですか……」

 

 プロの研究者ならもしや、と期待していたのだが、やはり零落白夜は諦めた方がいいみたいだ。戦い方を今までのものから大幅に変更しなければならないのはきついけれど、この際仕方がない。

 

「織斑くんは、人間がどうやってISを動かしているかは知ってる?」

 

 右手に持っていたバッグからノートパソコンを取り出す作業の片手間に、立花さんはふと思いついたようにそんなことを尋ねてきた。

 

「ええっと……確か、ISのコアと操縦者の意識をシンクロさせるんですよね。どういう仕組みでそれをやってるのかは覚えてないですけど」

 

「そうそう。そのコアと人間のシンクロが重要なのよ。シンクロ率が高ければ高いほど、操縦者の行動選択に対する機体のレスポンスが速くなる。加速や停止、第三世代型の兵器の発動……そして何より空中での細かな動き。これらをタイムラグなしで行えるのとそうでないのとでは大違いなのはわかるわよね?」

 

 それは以前から知っていることなので、特に疑問を抱くこともなく頷く。立花さんはカタカタとキーボードに何やら打ちこみながら、話を先に進める。

 

「で、ある人がどれだけISとシンクロしやすいかを表したデータが『IS適性』なんだけど……実はこの値、個人的にはあまり信用してないのよね」

 

「え? どうしてですか?」

 

「あくまであれは大雑把な指標に過ぎないからよ。確かに『全体的に見た場合におけるISへの適合能力』も大事だけど、それ以上に操縦者と個々のコアとの相性の方がシンクロ率に与える影響が大きいだろうっていうのが私の持論」

 

「相性……」

 

 つまり、IS適性というのは期末試験における平均点みたいなものということなんだろうか。たとえば、全教科80点の人と、他の教科は30点だけど数学だけ90点をとれる人がいたとする。もちろん平均点は前者の方が高いけど、この2人に数学の能力を必要とする仕事を与えた場合、力を発揮するのは後者だ。なぜなら、その人と数学の相性がいいから。

 

「とはいっても、いちいち特定の人間と特定のコアの相性を調べるなんてことは時間もコストもかかり過ぎるから、結局のところIS適性を参考にするしかないのが現状ね。……話を戻すけど、戦闘において重要なファクターであるシンクロ率は、操縦者と機体が経験を積み重ねることによって徐々に増加していくの。これは授業で習ったと思うけど」

 

「ああ……はい、多分そんなことを聞いたような気がします」

 

 この学園に入学したばかりの右も左もわからなかった時期の授業で、山田先生がそれらしきことを言っていたのをなんとなく覚えている。付け加えると、教科書の最初の方のページにも同じ内容が書かれていたはずだ。

 

「機体が操縦者に慣れていき、それに合わせて自己進化を遂げていく。もっともわかりやすい例が、織斑くんも経験した『二次移行(セカンド・シフト)』。これを経験することで、ISはワンオフ・アビリティーという特殊技能を獲得する可能性も出てくる。二次移行を満たす条件の全貌はいまだ不明のままだけど、少なくとも高いシンクロ率を有することが必要なのは間違いないわ」

 

「はあ……」

 

 立花さんの言っていることは理解できる。ただ、この話の着地点――彼女が俺に何を伝えたいのかがまだつかめない。

 

「この白式、最初に大まかな案を出したのは私だったの」

 

「えっ……そうなんですか!?」

 

 とすると、この人が俺の専用機の生みの親ってことになるのか。

 

「ワンオフ・アビリティーを第一形態から使えるような機体を作りたい……今思えば一発ネタみたいな動機でいろいろ考えを練り始めたのよね。操縦者とのシンクロ率を高めやすいISを作れば、もしかするとワンオフ・アビリティーを早い段階で発現させられるかもしれないとか、そういう感じのことをたくさん思案した。でも結局計画は頓挫して、廃棄処分にされかかったところで篠ノ之博士が完成させちゃったんだけど」

 

 あの人やっぱりすごいよねー、とため息をつく立花さん。しかし俺からすれば、新たなIS開発の立案なんてやってるこの人も十分すごいの範疇に入ると思う。

 

「博士がどういう技術で白式に零落白夜を与えたのかはわからない。でも、私の予想ではやはりシンクロという概念がキーになってる気がする。……ずいぶん回りくどいしゃべり方をしちゃったけど、今から私なりに君へのアドバイスを送ります」

 

 人差し指をぴん、と立てて、立花さんはパソコンの画面から目を離し、俺の顔をじっと見つめる。

 

「二次移行を果たしたことからもわかるように、織斑くんと白式のシンクロ率はかなり高いところまで来ているわ。なのにワンオフ・アビリティーは消えてしまった。それを取り戻せるかどうか、保証はできないけれど……大事なのは、もっとあの子に歩み寄ることだと思うの」

 

「あの子って、白式のことですか」

 

「そう。君と白式は間違いなく相性がいい。そしてこれからもっと伸びる可能性があると私は信じてる。だから、これまで以上に自分の機体を理解することに努めてほしいの。それこそ唯一無二の相棒のように、ね。私も学生時代、そうしたらシンクロ率が向上したし」

 

 さらりと話に出されたが、どうやら立花さんはこの学園のOGのようだ。ISに関わる仕事をしているのだから当然のことなのかもしれないが、今の発言内容からすると専用機持ちでもあったらしい。

 

「ISは生きている。それを肝に銘じて、心を開いてあげてね」

 

「心を開く……いまいち感覚がつかめないですけど、とりあえずやってみます」

 

「よろしい。長話につき合わせちゃってごめんね。研究職なんてものに就いてるとどうしてもぐだぐだしゃべるのが癖になって……」

 

「いえ、俺も勉強になったんで全然大丈夫ですよ」

 

 フォローでもなんでもなく、事実俺はそのように感じていた。まだまだISに関してはひよっこの身としては、役に立ちそうなことはどんどん吸収していきたいと思っているからだ。

 

「ふふ、ありがとう。じゃあ前置きはここまでにして、白式の装備について考えていこうか。何か希望する武器のタイプとかあるかな?」

 

「ええと……あの、片手で扱える銃みたいなのが欲しいとは思ってるんですけど。できれば連射がきくようなやつ」

 

「了解。その条件に見合うものの中でウチが出せるのは……っと、これなんかどうかな」

 

 はい、とノートパソコンのディスプレイを俺に見せてくる立花さん。そういえば、空中投影型のディスプレイとか使わないんだろうか。

 

「あ、ひょっとして私が古い型のノーパソ使ってるのを気にしてる? だったらただの個人的趣味に過ぎないから放っておいて大丈夫よ。画面を空中に表示できる方が便利なのはわかってるんだけど、私としては昔ながらの画面付きのパソコンの重量感みたいなのが好きなのよね。なんだか技術の塊に触れてるような感じがするから」

 

「へえ、そうなんですか」

 

 共感できるかどうかは別として、彼女にも彼女なりのこだわりがあるということなのだろう。

 気を取り直して、ディスプレイに映っている装備のデータに目を通す。連射可能な弾の数は30、大きさ的にもちゃんと片手で持てる程度。それで、名前は――

 

「………」

 

 その時、整備室のドアがバシュッと開く音が聞こえてきた。反射的に出入り口の方に顔を向けると、ひとりの女子生徒が少し驚いたような顔をして俺たち2人を見ている姿が目に入った。まさか先客がいるとは思っていなかった、ってところだろうか。

 さらに補足すると、俺はあの女子が誰だか知っているし、1度だけ言葉を交わしたこともある。髪の色は姉のそれと全く同じの水色で、しかし纏っている雰囲気は天上天下唯我独尊な生徒会長とは正反対の部類に入る、彼女の名は。

 

「更識――」

 

「簪ちゃんじゃない! 久しぶりねえ、元気にしてた?」

 

 『できれば妹とコミュニケーションをとってほしい』という楯無さんのお願い通りに声をかけようとしたところ、立花さんに先を越される形となってしまった。しかもめちゃくちゃ親しげに近寄ってるし。

 

「立花さん……どうして、ここに……?」

 

「織斑一夏くんの専用機の整備を担当することになったの。……本当にごめんね、ウチのバカ上司が簪ちゃんの専用機の開発を中止するなんてことやらかして。あの頑固オヤジ、本気で何考えてるんだか……」

 

「いえ……私は、別に気にしてませんから」

 

 更識さんは日本の代表候補生で、彼女の専用機を作っていたのが倉持技研だった。しかし『世界で唯一ISを動かせる男』である俺の専用機が白式に決まったことで、更識さんの専用機に充てられていた人員がすべて白式担当にまわされてしまったらしい。そして現在、更識さんは未完成の機体を独力で使えるレベルにまで仕上げようと頑張っている――以上が彼女の姉から教えてもらった情報だ。……正直、彼女に対して申し訳ないという気持ちは確かに存在する。

 

「おっと、電話だ。ちょっと失礼」

 

 更識さんとの会話をいったん止めて、通話に応じる立花さん。

 

「ええ、ええ……えっ、それ本当ですか!?」

 

 最初は無表情で電話の相手と話していた彼女だったが、だんだんとその顔つきが喜びを表したものへと変わっていく。

 

「はい、ありがとうございます。ちょうど本人が目の前にいるので、直接伝えておきます」

 

 お礼の言葉を最後に、立花さんは携帯を耳から離し、再び更識さんへと向き直る。

 

「簪ちゃん、あなたの専用機の開発を再開するって連絡が来たわ!」

 

「えっ……」

 

 いきなりの展開に、少し離れたところで会話を聞いていた俺は驚きを隠せない。朗報なのは間違いないが、なんだって急に……

 

「織斑くんの専用機に割いてる人員の6割をそっちにまわすそうよ。まったく、今までしつこく頼み込んだ甲斐があったわ~」

 

「………」

 

 立花さんは以前から更識さんのことを気にかけていたらしく、開発再開の報を受けてうきうきしているのが俺の目からも見ても明らかだ。

 ……だが当事者である更識さんは、対照的に無表情で、うれしがっている様子も見せていない。

 

「……私の専用機は、私ひとりで組み上げると決めたので」

 

「……え?」

 

 更識さんの発した言葉に、喜んでいた立花さんの表情がぴしりと固まる。そりゃそうだ、わざわざここで彼女が協力を断るなんてこと、予想できるはずがない。

 

「ちょっと、簪ちゃん……」

 

 引き止めようとする立花さんの呼びかけを振り切って、更識さんは暗い表情のまま整備室を出て行った。俺たちがいなければ、おそらくここで専用機を完成させるための作業を行うつもりだったのだろう。期末試験が終わってすぐに取りかかろうとしていたのだから、彼女のやる気は相当なものだと予測はつく。

 

「どうして……」

 

「……どうしても、自分だけの力で機体を完成させたい理由があるのかもしれません」

 

 呆然と立ち尽くしている立花さんの隣に歩み寄り、彼女のつぶやきに言葉を返す。

 

「織斑くん……」

 

「でも、どうして急に更識さんの専用機に人員を割けるようになったんですか?」

 

「……白式が第二形態に移行した際に、後付武装(イコライザ)を受け付けるようになったのが理由でしょうね。それまでは空いてない拡張領域(パスロット)をどうにかこじ開けようだとか、文句のつけようがないレベルで完成された装甲を改良しようだとか、とにかく『篠ノ之束が完成させた機体』に手を加えて『倉持技研の機体』にしようとお偉いさんが必死だったのよ。それに成功すれば、織斑一夏の専用機を開発した企業だということを気兼ねなくアピールすることができるから」

 

 残念ながら改良の余地は残されてなかったんだけどね、と肩をすくめる立花さん。……というか、そういう裏側の事情をぺらぺらしゃべっていいものなんだろうか。

 

「織斑くんが勝手に言いふらさないことを信じて説明してるのよ。……まあ、どうせ一部のマスコミにはもう知れ渡ってることでしょうけど」

 

 うわ、ぶっちゃけた。あと今何気に俺の心が読まれたぞ。

 

「白式に武装を追加する、つまり手を加えることが容易に可能になった今、放置していた簪ちゃんの機体を完成させるだけの余裕ができたってところかしら」

 

「なるほど……」

 

 なんとなく事情はわかった。白式の変化が、間接的に更識さんにも影響を与えていたんだな。

 だが、彼女本人が倉持技研の誘いを拒むとなると、結局状況は変わらないわけだ。

 ……とりあえず、楯無さんに聞いてみよう。彼女がひとりで専用機を組み上げることにこだわる理由に、何か心当たりはないか、と。

 

 

 

 

 

 

「うーん、今日は絶好の野球日和ね!」

 

「日本の夏は本当に暑いですわね……わたくし最後まできちんと動けるかしら」

 

 今日は7月19日。全校生徒が待ちに待った夏休み初日で、さらに海の日である。

 前々からこの日に鈴とセシリアが草野球の試合に出るという話を聞いていた俺は、箒やラウラ、シャルロットとともに、鈴の家の近所のグラウンドにまで応援のため足を運んでいた。

 

「おう、誰かと思ったら織斑さんとこの坊主じゃねえか!」

 

「えらい美人な子ばっかりはべらせてるなあ。羨ましい……」

 

「で、誰が本命なんだ?」

 

「ははは……俺のことはお気になさらず、試合前の練習頑張ってください」

 

 到着するなり、知り合いのお兄さんやおじさんたちから声をかけられまくる。……まあ、贔屓なしに可愛いの部類に入る女の子を何人も連れて来たら反応が大きいのも当然か。しかも複数人白人が混じってるしな。

 

「あ、あはは……美人だなんて、少し照れるね」

 

「そうだな……」

 

「そうか? というよりそもそも私は美人なのか?」

 

 観戦組の女子たちは三者三様の反応。試合に出る2人は、すでにユニフォームを着て練習を始めようとしている。

 

「おはよう一夏くん」

 

「あ、どうも。おはようございます」

 

 鈴のお父さんに声をかけられたので、こちらも軽く頭を下げる。

 今日の試合は『地区内の草野球好きが集まったチーム』対『隣地区の草野球好きが集まったチーム』で、鈴たちが入る前者のチームのキャプテンがこの人だ。確か、ポジションはピッチャーだったはず。

 

「今日はどんなオーダーになってるんですか?」

 

 鈴とセシリアの打順とポジションが気になったので尋ねると、おじさんは妙ににこやかな笑顔で1枚の紙を手渡してきた。

 

「メンバー表ですか。ありがとうございます」

 

 1番から9番まで、選手の名前とポジションが書かれた紙を眺めて、俺は本日のスターティングメンバ―を確認した。

 

『1番 センター 三浦義一』

 

 1番はパン屋の店主の三浦さんか。足速いし、妥当なところだな。

 

『2番 セカンド 凰鈴音』

 

 うわ、鈴は2番かよ。期待されてるみたいだけど大丈夫なのか?

 

『3番 キャッチャー 大村栄治』

 

 3番はチームに数少ない20代の大村さん。若いし力もあるから打ってくれそうだ。

 

『4番 ショート 織斑一夏』

 

 4番は俺か。チームの主砲とは責任重大だな。ちゃんと塁に出たランナーをホームに帰さないと――

 

「いやいやいやいや」

 

 ちょっと待て。なんで応援要員がスタメンに名を連ねているんだ。これはきっと何かの間違いだ、ちゃんと指摘してあげないと。

 

「はは、おじさん4番のとこ間違ってますよ。織斑一夏とか書いてますけど」

 

「間違っていないがどうかしたのか?」

 

「………へ?」

 

 この時間抜けな声を出した俺の感性は決して間違ってないと思う。

 

「一夏くん。君は肩が強かったな?」

 

「いや、別に強くは」

 

「強かったな?」

 

「……言われてみれば、強かったかもしれません」

 

「そうかそうか。ついでにバッティングにもパンチ力があったね?」

 

「いやあ、さすがにそれは……」

 

「長距離打者だったね?」

 

「……ひょっとしたら、ホームランアーチストだったかもしれません」

 

「よし! じゃあ4番ショートに適任だな」

 

 ごり押された。おじさんの発する異様な圧迫感のせいでごり押された。

 

「今日はもともとメンバーの集まりが悪かったうえに、1時間前に吉原が足を痛めてしまってね……君が入らなければ9人揃わないんだ」

 

 だからって、なぜ俺に4番ショートなんて難しい役割をさせようとするのか。9番レフトのセシリアと同じように下位打線に置いてくれればまだましなのに……

 

「ユニフォームは用意してるから、頼んだぞ」

 

「……わかりました」

 

 ……やるしかないか。もしチームの足を引っ張りまくるようなことになったら、その時は俺を選んだおじさんが悪い。そういう開き直りの精神をもって、なんとか頑張ってみるとしよう。

 なんだかんだで、草野球自体は好きだしな、俺。

 




というわけで倉持技研の研究者として立花葵というオリキャラが登場しました。名前の由来は特にありません。実況パワフルプロ野球とか関係ありません。
ISコアとのシンクロあたりの話、および倉持技研の事情などはすべて僕の勝手な想像です。この作品内ではこの設定で進めることにします。一応、一夏のIS適性がBなのに二次移行がめちゃくちゃ早かった理由のようなものになればと考えています。
簪関連のことを放置して草野球へと話が進んでいますが、ちゃんと7月13日から7月19日の間に起きたイベントは存在します。描写を後回しにするだけなのでご了承ください。

鈴の打順とポジションに関してはそれぞれ真面目に考えて決めたのですが、改めて見直すと打順も2、ポジションもセカンド。すべてはセカンド幼馴染のセカンドに収束してしまうのか……?

次回は野球の試合です。はたして一夏は戦犯を回避することができるのか。

感想・ご意見等あればお気軽にお伝えください。
では、次回もよろしくお願いします。


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第37話 ボールの行方は

間隔が空いてしまいましたが、今年最後の投稿です。


『よろしくお願いしまーす!』

 

 現在時刻は午前10時。両チームともに整列して向かい合い、元気よく挨拶を行う。

 

「いいかみんな。ここ5戦、ウチは向こうのチームに負けっぱなしだ。今日は思わぬけが人も出てしまっているが、その分新戦力も加わってくれた。というわけで、今度こそ連敗を止めよう」

 

『うっす!』

 

 鈴の親父さんの言葉で気合いを入れた俺たちは、初回の守備に備えてそれぞれグラウンドの所定の位置に散らばっていく。こちらのチームは後攻なので、まずは相手の攻撃をきちんと凌がないとな。

 

「……えっと。1回の表、東地区チームの攻撃は……1番ライト、山口さん。……こ、こんな感じでいいんでしょうか」

 

「いいよいいよ、最高! 金髪の美人さんにウグイス嬢やってもらえるなんて夢にも思わなかったなあ」

 

「僕に打順が回った時もよろしく頼むよ、シャルロットちゃん」

 

「は、はい。頑張ります」

 

 成り行きでウグイス嬢に抜擢されたシャルロットが、メガホンを片手にバッターの名前を読み上げる。ただそれだけの行為でテンションが上がりまくってる敵チームの選手たちの気持ちはわからないでもない。美声だしな、あいつ。

 

「一夏、エラーするんじゃないわよ」

 

「無茶言うなよ。野球の試合なんて中3の体育以来だぞ? そもそも草野球なんだからエラーの1つや2つは大目に見てくれ」

 

「情けないわねえ。こういう時は見栄を張ってでも『任せとけ!』とか男らしいこと言えないの?」

 

「俺はできないことは口にしないリアリストなんだ」

 

「ヘタレ」

 

「なんとでも言え」

 

「巨乳巫女コス好き」

 

「お前見たのか!? 俺が念入りに隠していたあの本を見たのか!?」

 

「ほら、試合始まるからおしゃべりはここまで」

 

 ぐっ……かなり肝心なところで会話を切られた。弾から借りた分を含めて俺の部屋に封印された7冊のエロ本のうちどこまで発見されているのか非常に気にかかる……!

 

「プレイボール!」

 

「っと、いかんいかん。今は守備に集中しないと」

 

 審判の声に気を引き締められ、ピッチャー(鈴の親父さん)とバッターの動きに意識を集中する。……できれば、俺の方向にボールが来ませんように。

 

 

 

 

 

 

「1回の裏、西地区チームの攻撃は……1番センター、三浦さん」

 

 結局1回の表は三振、セカンドゴロ、センターフライの3者凡退で終了。幸いにもショートに打球は飛んでこなかった。

 そして今はうちのチームの攻撃。とりあえず先制点が欲しいところだが……

 

「球速いな、あのピッチャー。120キロ出てるんじゃないのか?」

 

「あら、120キロならわたくしバッティングセンターでそこそこ打てるようになりましたわよ?」

 

 ベンチに座って相手の投手のピッチングを観察しつつ、隣のセシリアと言葉を交わす。バッターボックスでは先頭バッターの三浦さん(27)がキャッチャーフライに倒れたところだ。入れ替わりで打席に立つのは、2番セカンド凰鈴音。

 

「それがだなセシリア。残念ながらバッティングセンターの120キロと――」

 

 キィン!

 

「……初球をヒットにしやがった」

 

 確かに真ん中あたりの甘いコースに入った球だったのだが、あの速球をいきなりライト前に弾き返せるのは鈴の思いきりの良さゆえなのだろうか。

 

「さすが鈴さんですわね」

 

 続いて3番の大村さんが一二塁間の深いところに転がるセカンドゴロを打ち、一塁ランナーの鈴はセカンドへ。ツーアウト二塁という先制のチャンスで、俺の初打席が回ってきた。

 

「4番ショート、織斑さん。……一夏、頑張ってね」

 

 ウグイス嬢からもエールをもらい、右のバッターボックスに足を踏み入れる。

 

「よし……」

 

 ここまでの投球内容から考えると、このピッチャーは球のスピードはあるけどコントロールがそこまでよくない。変化球としてカーブも投げているが、それも狙ったところに来ている印象は感じられない。

 

「ストライク! 2ボール2ストライク」

 

なら、基本的にはバットを振らず、真ん中に来たストレートを思い切り叩けばなんとか鈴をホームに帰せるか――

 

「ストライク、バッターアウト! チェンジ」

 

 ………。

 

「せめてバットを振りなさいよ」

 

「すまん」

 

 二塁からベンチに戻ってきた鈴に痛い一言を浴びながら、俺はグラブを手に取って2回表の守備につくのだった。

 

「バットを持つのが久しぶりだったとはいえ、1度くらいはスイングするべきだったか……」

 

 ――その後も、試合は着々と進行していき。

 

「な、なぜ? どうしてわたくしのバットはボールに掠りもしませんの?」

 

「セシリア。言い忘れていたが……バッティングセンターの120キロと人が投げる120キロは全然違うんだ」

 

「な、なんですって!?」

 

 ――3回裏のセシリアの第1打席の結果、空振り三振。

 

「うわ、しまった!」

 

 直後の4回表、ツーアウト三塁からのショートゴロを俺が弾いてしまい、痛恨のタイムリーエラーで1点を先制される。

 

「あちゃあ……でも今のは打球の勢いが強かったししょうがないわ。だからそんなに申し訳なさそうな顔するんじゃないの」

 

「鈴……サンキューな」

 

「まあこのまま負けたら点差のぶんだけ一夏の体をバットで叩くことになってるけど」

 

「どこのジャ○アンだよ!?」

 

 金属バットでそんなことされたら普通にシャレにならん。この世界はマンガじゃないんだぞ?

 

「……っと、ほいっ」

 

 続くバッターの打ったボールはセンター前へ抜けるかと思われたが、鈴が飛びついてグラブに収め、急いで二塁ベースに入った俺めがけてトスしてフォースアウト。打球を見てからの判断が速いからだろう、鈴の守備範囲は俺よりも相当広い。

 

「さすがだな」

 

「もっと褒めてもいいのよ?」

 

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らす鈴を見ているとなんとなくからかいたい気分になった。

 

「可愛いな」

 

「んなっ……!? い、いきなり何言って」

 

「いや、あそこにいる三毛猫、無性に愛くるしいと思って」

 

「えっ……?」

 

 俺の言葉の真意に気づいた鈴の顔が、みるみるうちに照れと羞恥によって赤みを帯びていく。付き合い始めて3週間、ようやくうぶな俺でもこの手のジョークが飛ばせるようになって満足満足だ。

 

「あ、アンタわざとややこしい言い回ししたわね!」

 

「え、なんのことだ?」

 

「……後で覚えときなさいよ」

 

 ドスのきいた低い声を残してベンチに帰っていく鈴。少し仕返しが怖いが、多少のリスクをよしとしなければイタズラなんてものは行えないのだ。

 

 

 

 

 

 

「7回の裏、西地区チームの攻撃は……9番レフト、オルコットさん」

 

「気づけばもう最終回……そろそろわたくしも塁に出なければ」

 

 ルールによって試合は7回までとなっており、現在のスコアは3対1。この回の攻撃で2点以上取らなければこちらの負けが決まってしまうという厳しい状況だ。

 

「セシリア、とにかくバットに当てれば何か起きるわ!」

 

「頑張れセシリアちゃん!」

 

「先頭バッターが出るのは大きいぞー」

 

 ベンチの声援を受けながら左打席に入るセシリアの瞳は激しく燃えている……ような気がする。さっきの回に彼女の落球で相手に3点目を献上してしまったということもあり、絶対に打つという気合いが俺にまでひしひしと伝わってきていた。

 

「ふっ!」

 

 1ボール1ストライクからの3球目、セシリアの鋭いスイングが外角低めのストレートを捉えた。

 

「まずい」

 

 訂正。捉えたというより当たっただけだ。バットに弾かれたボールは勢いを失い、三塁線上をボテボテと転がっていく。

 

「走れセシリア! 全速力だ!」

 

「言われずとも!」

 

 一瞬打ち取られたかに見えた当たりだったが、弱いゴロになったのが幸いした。サードが急いで捕球して一塁に送球するも、それよりわずかに速くセシリアの足がベースを踏んでいたため、見事内野安打で出塁成功だ。

 

「一塁に近いところに立っていたのが勝因だな」

 

 ウグイス嬢のシャルロットの隣で腕を組んでいるラウラの言う通り、今のはセシリアが左打席にいたのが大きかった。もし彼女が右バッターだったらベースから遠い分一塁到達が遅れてしまい、アウトになっていただろう。

 ……などということを考えているうちに、次のバッターの三浦さんが三振に倒れていた。相手のピッチャー、ランナー出してからが強いんだよな。事実、ここまでのイニングもチャンスを作るところまではできても結局点が取れないという展開が大半を占めている。

 

「2番セカンド、凰鈴音さん」

 

 一死一塁で迎える打者は、今日2打数1安打1四球と調子のよい鈴。ここであいつがチャンスを広げるようなことがあると、いい場面でクリーンナップに打順がまわることになる。……とはいえ、4番が大穴の俺なのが問題だが。

 

「くそっ……」

 

 2ストライクからファールで粘る鈴に対し、投手の息遣いが荒くなっていく。ランナーを出してるぶん球数は多くなってるし、そろそろスタミナが切れてきたのだと思う。

 

「ボール! フォアボール!」

 

「よしっ」

 

 審判の判定に小さくガッツポーズをとり、鈴は一塁へと小走りで到達する。これで同点のランナーが塁に出たことになった。

 このまま3番の大村さんがホームランでも打ってくれれば逆転サヨナラだが、おそらくそううまくはいかないだろう。結局、チャンスで俺に打順がまわってくるのはほぼ間違いない。

 

「これまでの3打席である程度は球を見られるようになりはしたが……」

 

 今までの自分のスイングと投手の球筋を思い返す。全打席凡退してはいるが、回を重ねるごとに内容は良くなっていると言えるはずだ。

 

「うおっ!?」

 

 ピッチャーの投じたカーブがすっぽ抜け、キャッチャーミットのはるか上を通過する。このワイルドピッチの間にランナーがそれぞれ進塁し、一死二、三塁という一打同点の大チャンスを迎えた。

 

「それでも投手交代はなしか」

 

 向こうはエースと心中するつもりらしく、この局面でも続投する様子。正直ここで見たこともない投手に代えられると打てる気がしないのでこちらとしてもありがたい限りだ。

 

 キィン!

 

『おおっ!』

 

 大村さんのバットから響いた快音に一同ざわめくが、打球はもうひと伸びがなくライトの深いところでキャッチされてしまう。

 それでも三塁ランナーのセシリアがタッチアップで本塁へ突入し1点追加、さらに二塁ランナーの鈴も好スタートを切った甲斐あって三塁を陥れた。

 

「一夏くん」

 

 大きく息をついてから打席に向かおうとした時、5番バッターである鈴の親父さんに声をかけられた。

 

「下手にフォアボール狙いなんて真似はしなくていい。自分が決めるという気持ちで思い切り振ってこい」

 

「俺が決めるって……それ、ホームラン打てってことですか」

 

「そうだ。ウチの娘とつきあうつもりならそのくらいやってもらわないと困る」

 

「……気づいてたんですか」

 

「見ればわかるさ」

 

 にべもなく答えるおじさんの口ぶりから、本当に俺たち2人の関係は一目で看破できるくらいわかりやすいものだったのだと理解する。確かに、クラスのみんなにもバレバレだったしな……。

 

「まあ、やれるだけはやってみます」

 

 そう言って俺は背を向け、右バッターボックスに歩いていく。

 

「4番ショート、織斑くん」

 

「打て一夏! 全打席ヒットなしでは情けないぞ!」

 

「この前テレビで見た140キロに比べれば120キロなどわけないはずだ」

 

「おう、あんだけ黄色い声援もらってるんだから絶対打てよ坊主!」

 

 箒やラウラ、チームメイトのおじさんやお兄さんたちから応援(多少嫉妬が混じっているような気がしたが)を受けながら、2回だけ素振りを行い、スイングの感触を確かめる。

 

「ストライク!」

 

 1球目は低めギリギリのストレート。コントロールが乱れて偶然いいところに入ったのか、それとも――

 

「ボール!」

 

 2球目もストレートで、内角高めに外れて判定はボール。

 

「ただ、いいコースだったよな……」

 

 最終回にきて衰えていたボールの球威も戻っているし、コントロールも普通にいい。あとひとつアウトをとればあちらの勝ちという状況。おそらく残っている底力を俺との勝負に出し切るつもりなのだろう。

 

「ファール!」

 

 3球目は高めのボール球に手が出てしまい、打球は一塁ベースの右側を抜けていく。

 これで1ボール2ストライク、追い込まれた形になる。……だが、不思議と焦りはない。

 

「ファール!」

 

 4球目は予想通り、俺が1度もバットに当てていないカーブで決めに来た。それをなんとかカットし、ゲームセットまで時間を引き延ばす。

 

「ファール!」

 

 正直ストライクとボールの判定に自信がないので、ここからは明らかに外れたボール以外にはすべて手を出すつもりだ。その中で、甘いコースに来た球をかっ飛ばせれば文句なし。

 

「ファール!」

 

「ふう……」

 

 ここまで粘れているのは、もちろん投げられたボールに対しての反応が研ぎ澄まされてきているからだと思う。野球をわりと頻繁にやっていた時ですら、ここまで鋭い感覚は感じられなかった。

 こういう場面で成果が出るのはなんとも言えないが、これは今年に入ってからのISの訓練の賜物なのだろう。セシリアの複数のビットによる容赦ない攻撃やらシャルロットの多彩な射撃に曝されてきたことで、物を目で追う力が高められたのは確かだろう。

 

「ま、なんでもいいか」

 

 理由や要因はこの際関係ない。今この打席で結果を出すことができればそれでいい。なにせ……

 

 ――キイィン!!

 

 親父さんにあんなこと言われて、ホームラン打たないわけにはいかないからな。

 

 

 

 

 

 

「……涼しいな」

 

 雲ひとつない夜空では、半月のほかにたくさんの星々がおのおのの輝きを見せていた。真夏なだけあって気温自体は高いものの、夜風が心地よい程度に強く吹いているので問題はない。

 

「そういや、中学の時に天体観測やったよなあ。……確か、あの辺にあるのが夏の大三角だったか」

 

「アンタどっち向いてんのよ。夏の大三角形はあっちでしょ」

 

「勝手に現れて人の独り言に割って入るなよ」

 

「だったらツッコミどころのある独り言を口にしないでよ」

 

 いつの間にか俺と同じく店の外に出てきていた鈴と、いつものように他愛もない会話を繰り広げる。

背後の中華料理店の中では今日の試合の祝勝パーティーと称してチームのメンバー+応援メンバーによるどんちゃん騒ぎが続けられているだろうが、少しの間だけそこから抜け出したくなったというわけだ。

 

「もっとテンション上げたらどう? ちゃんとあの場面で打てたんだから」

 

「打ったには打ったが運のいいポテンヒットって結果じゃなあ。結局試合を決めたのは次のおじさんのホームランだし。俺も同点打を放ちはしたけど、その前のエラーで余計に失った1点分でプラマイゼロだろ」

 

「何言ってんの。そんなわけないじゃない」

 

 俺の言葉を聞いた鈴は、ニヤリと笑みを浮かべてそれを否定する。

 

「第1打席と第3打席でチャンス潰したぶん、評価はマイナス方向に行ってるに決まってるでしょ」

 

「ああ……そうかよ」

 

 一瞬だけ褒めてくれるのかと期待した俺が馬鹿だった。

 

「ひょっとして今、あたしが褒めてくれるのかもとか思ってた?」

 

「流れ的にそうかなと思いはした」

 

「そ。じゃあ、昼にからかわれた件に関しての仕返しは一応成功かしらね」

 

 スッキリしたあ、とつぶやく鈴の表情は本当にうれしそうで、ずっと俺に報復するタイミングを見計らっていたであろうことが容易に想像できた。……こんな小さな仕返しにそこまで気合いを入れていたのかと考えると、なんだか無性にこいつが可愛いやつに思えてきた。

 

「さっき、お前の父さんに釘を刺された」

 

「お父さんに? なんて?」

 

「ポテンヒットはぎりぎり及第点。交際は許可するが、娘を泣かせたら二度と朝日を拝めると思うなと脅された」

 

「……あたしのお父さん、そんなに過激な人だったかな」

 

「愛されてる証拠だろ。素直に喜んどけ」

 

 互いに苦笑を浮かべながらも、きちんと俺たちの関係を許してもらえたことに安心する。節度さえ守れば、今後も反対されはしないだろう。

 

「………」

 

 悩みの種がひとつ消えたと感じると同時に、いまだ解決の糸口が見えてこない別の悩みが改めて頭の中で持ち上がってきた。それについて考え込んでいるうちに、自然と俺の口から言葉が出てこなくなってしまう。

 

「どうしたの? 浮かない顔して」

 

 そんな俺の様子を見て、鈴が心配そうに声をかけてくる。……その優しさを帯びた声色を聞いたことで、少しだけ彼女に甘えたくなってしまった。

 

「ちょっとだけ、つまらない話につきあってくれるか」

 

 軽く前置きをしてから、今まで心の中で溜めこんでいた思いを少しずつ吐露していく。

 

「銀の福音の暴走騒ぎがあった時、俺がよくわからないやつが乗ったサイレント・ゼフィルスにやられたって話は覚えてるか?」

 

「ええ、もちろん」

 

「そいつの容赦ない攻撃を食らって、死ぬほどの痛みっていうのを生まれて初めて感じた気がする。……それで思ったんだ。俺が操縦しているISという代物は、こんな風に他人に大きな傷を負わせることができてしまう。……下手すりゃ人の命だって奪いかねない、とんでもない力を持ったものなんだって」

 

 今さらな話なんだけどな、と補足して、もう少しだけ言葉を続けることにする。

 

「スポーツの範囲内で試合を行うだけなら全然大丈夫だ。だけど、もしまたこの間のような実戦になった時……迷わずに全力の攻撃を相手に叩き込めるのか、正直よくわからない」

 

 福音との戦いの時は、途中で頭がスパークしたせいでそこまで考えが回らなかった。ただ必死に刀を振ることだけに集中し続け、気づけば作戦は終了していたのだ。……だからその日の夜、再び自分が振るった力について思案せずにはいられなかった。

 

「……怖いんだろうな、俺は」

 

 目的語が欠けた発言を最後に、語りを止めて夜空を見上げる。先ほど鈴が教えてくれた方角に目を向けると、なるほど確かに本物の夏の大三角形がそこに存在していた。

 

「………」

 

 俺を見つめたまま、鈴は難しい顔をして押し黙ったままでいる。急に暗い話をしてしまって、さぞかし迷惑をかけてしまったことだろうと今さらながらに反省する。

 

「店に戻ろうぜ。あんまり長い間抜けてると怪しまれるかもしれない」

 

「……わかった」

 

 空気を変えるために祝勝パーティーの中へ再び身を投じることを選択した俺は、足早に店内へと歩を進める。鈴は俺に向かって何か言おうとしていたようだが、結局こくんとうなずいて俺の後に続いて歩き始めるのだった。

 




本当はもっと野球の描写を凝ろうかと思っていたのですが、プロ野球が終了してから時間が経ちすぎたせいでモチベーションが低下、結果このような中途半端な出来になってしまいました。

ちなみにいろいろ考えた結果、この作品は残り14話でエピローグまでいくことになりました。その後番外編みたいな話は入りますが、とりあえず51話で最終回の予定です。

そういえば、IS再起動計画なるものが進行中のようですね。最新刊が出るのなら非常にうれしいです。新しいイラストにも徐々に慣れていきたいと思います。

では、来年もよろしくお願いします。


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第38話 更識簪

2月の後半まで更新できないと言っていましたが、空いた時間にちょびちょび書いていたらキリのいいところまでいったので投稿することにしました。


「おっす。今日も頑張ってるんだな、更識さん」

 

 ――またこの男か。

 8月に入って1週間。陽射しがますます厳しくなっている今日この頃、更識簪はひとりの男子の存在に頭を悩ませていた。

 

「………」

 

 整備室に入ってくるなり馴れ馴れしく声をかけてきた彼に対し、彼女はいつものように無言でコミュニケーションの拒否を示す。

 

「まあそう冷たくしないでくれよ。今日はちょっと聞きたいことがあるんだ」

 

 夏休みに入って以降、彼から話しかけられる機会が明らかに増えていた。ほとんどの場合、整備室で専用機の調整を行っている簪のもとに現れた彼が、友達に対する挨拶のような感じで何かを言ってくる。

今までなら、簪が返事をしない時点でその日における彼からの接触は終わっていたのだが、今回は少し勝手が違うようだ。ディスプレイをあちこち触っている彼女の近くに腰を下ろした少年――織斑一夏は、ペラペラと手に持っていた教科書のページをめくり始める。

 

「ほら。教科書のこの辺に書かれてることなんだけどさ」

 

「……質問があるのなら、私じゃなくて他の人に聞けばいい。……立花さんとか」

 

 彼に対して言葉を返すのはいつ以来だろうか。おそらく初めて会った6月下旬のあの日の他には、まともに会話したことはなかった気がする。

 

「立花さんは他の仕事で今日は来れないんだ」

 

「……なら、代表候補生の人たちに」

 

「鈴もラウラも他のみんなも帰省中だ」

 

「先生に……」

 

「職員室ってなんか行きづらいよな」

 

「……最後のは、理由になってない」

 

「いや、共感できないか? 学生にとって職員室の扉がすごく大きく感じるあの現象。わからないことがあれば先生に聞けばいいのにわざわざ友達に聞こうとしてその友達も説明できなくて余計に回り道する羽目になったりしたこととか、ない?」

 

「………見せて」

 

 妙に実感のこもった一夏の話に共感はできないものの、これ以上拒否していても面倒な会話が続くだけだと考え始めた簪は、渋々ながら彼の依頼を受けることに決めた。

 

「ありがとう。ここなんだが……」

 

「……これ、授業の内容よりも進んだところ……」

 

 入学時、織斑一夏がISに関する知識をまったく持っていなかったという噂は他クラスの生徒である簪の耳にも届いている。それゆえ、その一夏が教科書の後半部分にあたる箇所についての質問をしてきたことに少し驚いたのである。

 

「そうなんだけど、予習も兼ねて教科書をざーっと読んでた時に引っかかったんだよ。一応、疑問に感じたことは早めに解決しておいた方がいいと思って」

 

「……そう」

 

 代表候補生として、簪は授業で習っている部分以上の知識を当然持っている。そして、彼が今尋ねてきた箇所は彼女自身も以前につまづいたところだった。悩んでも納得がいかず、気分転換に趣味のヒーローアニメ鑑賞を挟んだ後、しばらくしてようやく理解できたと記憶している。

 ……なので少しだけ、親近感のようなものが湧いていた。

 

「ここは――」

 

 教科書の別のページを指し示したりしつつ、手短に解説を行う。口下手な自分の説明が果たしてうまく伝わるのかと若干不安に思っていた簪だが、一通り話を聞き終わった一夏は心底納得がいったという風な表情をしてくれたので、その心配は杞憂だったらしい。

 

「なるほど、そういうことだったのか! サンキュー更識さん、おかげで疑問が解けた」

 

「そう……なら」

 

「ところで、倉持技研に協力してもらう気にはなったか?」

 

 話は終わり、と言おうとしたところで、一夏に先手を打たれてしまった。

 

「………」

 

 彼がそのことについてずっと話したがっていたのは、容易に予測できる。倉持技研の社員である立花葵から専用機の開発の凍結解除を伝えられたあの日に一夏もその場にいたし、彼からの接触が増えたのもその日以降であるからだ。

 だからこそ、簪は今まで一夏が話しかけてきてもほとんど相手にしてこなかった。その話題を切り出されて、話がややこしくなるのは避けたいと考えていた。

 

「あなたには、関係ない……」

 

 それだけ言って、彼女は一夏から距離をとろうとする。

 

「ちょっと待てって。もう少しだけこっちの話を聞いてくれ」

 

「……どうして、そこまで私に関わろうとするの」

 

 普通ここまで冷たい反応をとられれば諦めるはずなのに、めげる様子も見せない彼に対して問いかける。葵に頼まれたからなのか、それとも――

 

「……君のお姉さんに頼まれたからだ」

 

 それは、簪が最も聞きたくなかった答えであった。

 あの姉が……完璧な姉が、無能の自分に情けをかけて、こんな根回しを行っている。そう思うだけで、簪の心に深く根付いた劣等感が胸を締め付ける。

 

「もう、私に話しかけないで」

 

 出していた機材を片付け、この部屋から出て行こうと簪は考えた。これ以上、彼と一緒にいるのは耐えられそうもない。

 

「そんなに、楯無さんの下にいることが嫌なのか?」

 

「……っ」

 

 心の傷を抉り出すような一言に、彼女は思わず一夏を睨みつける。彼が姉から頼まれて自分と関わろうとしていると聞いた時点で予想はしていたが、やはり目の前の少年は簪たちの姉妹事情について多少は知っているらしい。

 

「……あなたに答える義務はない」

 

「その通りだ。更識さんが部外者の俺に話さなくちゃならないことなんて何ひとつない」

 

「だったら――」

 

「だから俺は、君の好意に賭けてる」

 

「………」

 

 好意?と、簪は思わず口をぽかんと開けてしまった。

 彼女は織斑一夏に対して好意などはひとかけらも持ち合わせていないし、そう思わせるような態度をとった覚えもない。ゆえに、彼に心を許して本心を打ち明けようなんてことは考えもしていないのだ。……いったい、一夏は何を期待しているのだろうか。

 

「もちろん、自分が更識さんと仲がいいとか、そういう思い上がりはない。でもこうして話していれば、もしかしたら君が情けをかけてくれる可能性も一応はある」

 

「……その可能性はない」

 

「これでも往生際は悪い方なんだ。やれるだけのことはやらせてくれ」

 

 そう言って、一夏は真っ直ぐに簪の顔を見据える。

 ……実際のところ、これ以上彼の行動に付き合う必要はまったくなかった。やれるだけのことをやらせてあげる義理もない。このまま一夏を無視して部屋から出て行けば、それでこの話は終わりだ。

 

「………」

 

 だが、どういうわけか簪は律儀に一夏の話を耳に入れることを選択した。なぜ、と聞かれても答えは出ない。自分の判断に根拠を求めてみても、確かなものは何も見つかりはしない。

 ……それこそ、彼の言う『情け』で話だけは聞いてやろうと考えてしまったのか。

 あるいは……何かを、期待していたのか。

 

「この前、俺に聞いたよな。絶対に姉を超えることができない模倣を続けて、姉の陰にずっとい続けることになって、それでいいのかって。あの時は更識さんの質問の意図がいまいちつかめなかったんだが、今ならなんとなくわかる。楯無さんを姉に持つ君は、同じく織斑千冬という優秀な姉を持つ俺に自分自身を重ねていた。違うか?」

 

 一夏の言うことは事実だ。更識楯無と織斑千冬は2人とも遠い雲のような存在であり、彼女たちの下にいる自分と一夏は似ているのかもしれないと思っていた。

 だから尋ねた。自分と似た立場の人間が、どんな感情を、考えを持ち合わせているのかを。もしかすると、彼の答え如何によっては自身の心が楽になるかもしれないという、淡い期待を抱いて。

 だが――

 

「あなたと私は違う……私は、あなたのようにはなれない」

 

「それは当たり前だ。一から十まで完璧に同じ人間なんて存在しない。だから、更識さんが楯無さんへのコンプレックスを感じないような生き方をすることができないと言っても、俺は不思議には思わない。姉に対する考えなんて、それこそ千も万もパターンがあるもんだしな」

 

「………」

 

 余計な一言を晒してしまったことに、簪は今さらながら後悔を覚える。自分の心の内を教えるような言葉は、相手のさらなる追撃を呼び起こすものだとわかっていたはずなのに。

 

「さっきはああ言ったけど、俺と千冬姉の関係と更識さんと先輩の関係だって違うところは多い。俺は千冬姉と歳が離れてるし性別も違うけど、更識さんはそうじゃないだろ? 歳がひとつ違いで同性だと、俺が考えもしないような複雑な事柄だって出てきてるのかもしれない」

 

「……だから言った。私とあなたは違うと」

 

「その通りだな」

 

 ……いったい、彼は何を言おうとしているのか。自分たちが似ていないという結論に達した以上、赤の他人同然である一夏が簪に伝えられることなんてないはずなのに。

 

「ところでだ」

 

「……なに」

 

「俺と君、ISで戦ったらどっちが強い?」

 

「………?」

 

 唐突な話題転換に戸惑う簪だが、ここでも部屋から立ち去るという選択はとらず、しばしの思考の後に返事を返した。

 

「……それは、あなたが勝つと思う」

 

 6月末のタッグトーナメントでの試合を見る限り、一夏操る白式の強さはかなりのものだと推測される。

 

「俺も当然そうだと思う」

 

「……喧嘩、売ってるの」

 

「そうじゃない。俺は更識さんの実力を知っているわけじゃないが、それでも専用機を持っていない同い年の人間に負けたりしないくらいの自信はあるってだけだ」

 

 きっぱりと言い切る一夏の瞳が、簪の瞳をしっかりと捉える。それによって、彼女は彼の話が最も大事なところに差し掛かっているらしいことを察した。

 

「初めて会った時のあの質問。あれは、半分は更識さん自身に向けられたものだったんじゃないのか?」

 

「……どういう意味」

 

「君の言う通り、誰かの模倣をしていてもその誰かを超えることはできない。……なら、姉のやったことを真似して独りで専用機を完成させようとするのも同じじゃないのか」

 

「……っ!」

 

 詭弁だと反論しようとして……簪には、それができなかった。

 なぜなら、彼女自身の心の中に、一夏の言った考えと同じものが潜んでいることに気づいてしまったから。ちっとも思う通りにいかない日々の作業の中で、『意地を張ってひとりでやり切ることに意味はあるのか』と弱音を吐きそうになったことが何度かあったのは、紛れもない事実だったのだ。

 

「だって……そうするしか、ないから」

 

 弱い自分が表に出てくる。

 心の鎧が、無理やりに剥がされた。

 

「私には、それしか思いつかなかった。あの人の……姉さんの幻影を払うには、専用機を自分で組み上げなければいけない」

 

 気づけば、簪は溜めこんでいた思いを次々と口にし始めていた。一度堰を切ってしまった感情を制御する術は、今の彼女にはない。

 

「でも、どれだけ頑張っても前に進まなくて。こんなことをしていて何になるんだって気持ちが少しずつ出てきて……でも、他にどうしようもなかった。何をすればいいのかが見えてこないから、私は今やっていることを続けるしかなかった」

 

「……更識さん」

 

 一夏の呼びかけにより、ようやく簪の言葉が止まる。その時にはすでに、彼女は多くのことを打ち明けすぎていた。激しい後悔に苛まれ、ここから逃げ出す気力すらもすぐには湧いてこなかった。

 そんな簪に対して、一夏は小さく笑ってある提案を持ちかけてきた。

 

「やっぱり、更識さんには専用機が必要だ」

 

「え……?」

 

「何も見えないのなら、見渡せる場所にまで自分を押し上げるしかないだろ。さっきも言ったけど、専用機がなければきっと君は俺にも勝てない。そんなんであの楯無さんに追いつく方法なんてわかるはずがない。だからこそ、まずはあの人と同じ土俵の上に立つ必要があるんじゃないかと俺は思う」

 

 そう言って、彼は手首についているブレスレットを簪の顔の前にまで持ってくる。

 

「俺も一度はあの生徒会長の鼻を明かしてやりたいと思ってたんだ。練習相手ならいくらでも付き合うから、一緒に頑張ってみないか?」

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、立花さん」

 

 簪と過去最長の会話を行った翌日。整備室に入ると、すでに立花さんが来ていて白式の調整の準備を始めていた。

 

「おはよう織斑くん。もうすぐで白式も完璧に整備できると思うから、今日も頑張っていきましょう」

 

「はい」

 

 ニュー白式の完成は近いらしく、俺も自然とわくわくした気持ちが湧いてくる。早いところ操作技術を磨いて、機体にふさわしい乗り手にならないとな。

 

「そう言えば、昨日簪ちゃんに仕掛けてみるって話はどうなったの?」

 

「ああ……一応俺が言いたいことは全部伝えました。結局最後は無言で立ち去られちゃったんですけど……もしあれでも更識さんの考えが変わらないんだったら、俺からの説得はもう諦めます」

 

 なんせ1週間言葉を考えに考えた結果の話し合いだったのだ。あれ以上頑張れと言われても正直難しいというものである。

 

「……そっか。まあとりあえず、今は白式のほうを片付けちゃおうか」

 

「わかりまし――」

 

 俺がうなずいたのと、整備室のドアが開く音がしたのはほぼ同時だった。

 

「………」

 

 部屋に入ってきた少女――更識さんは、そのまま迷うことなく俺たちのところへと一直線に歩いてくる。

 

「簪ちゃん……?」

 

 そして俺の目の前で立ち止まった彼女は、2,3度深呼吸をした後、意を決したようにこう言い放った。

 

「あなたに騙されてみることにした」

 

「え?」

 

 俺の間抜けな声には反応せず、続いて立花さんのほうに向きなおって一礼。

 

「身勝手で申し訳ありません。……もう一度、私の専用機を作っていただけないでしょうか」

 

 その言葉に、俺はあんぐりと口を開け、立花さんは満面の笑みを浮かべて更識さんの両手をとった。

 

「ありがとう簪ちゃん! もう一度、私たちと一緒にやっていきましょう!」

 

「……は、はい」

 

 更識さんの冗談……なわけないよな。ということは、昨日の説得に効果があったってことか。何も言わずに部屋を出て行かれたから拒絶されたのかと思ってたんだが、とにかくうまくいったようでなによりだ。

 

「昨日も言ったけど、機体が完成したら練習相手にくらいはなれると思うから、なんか手伝えることがあったら言ってくれ」

 

 こくり、と遠慮がちにうなずく更識さん。それを見て、なんとなく俺の顔からは笑みがこぼれていた。

 




鈴は里帰り中なので、この間に更識姉妹との絡みを消化していきます。とはいえメインヒロインの出番がないのもあれなので次回は鈴が出てくるシーンもあります。

実は少し前からエロ文章に挑戦してみようかと考えていて、この「鈴ちゃんなう!」で一夏と鈴がそういうことする関係になったら18禁版のほうにそれ系の話を投稿してみることを検討中です。……が、脳内で少し文章を想像してみるだけでかなり難しいです。

まあ、もちろんこっちの本筋の話を完結させることを最優先で行っていくつもりですけどね。

では、次回もよろしくお願いします(次は今度こそ2月後半になりそうです)。


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第39話 真夏の夜の再会

書けない書けないと思っていたら意外と書く時間があった……というよりいつも以上に空いた時間で集中して書いた結果、本日更新できることとなりました。まあ、更新が予告より遅れるよりは予告より早い方がまだましですよね。

そして前回のあとがきで「今回は更識姉妹の回で鈴の出番もちょっとある」とか言ってましたけどミスです。時系列的に先に解決すべきイベントがあったので、今回はそっちの描写を進めました。


「あ、おりむーだ。おーい」

 

 学生寮の自室から廊下に出たところで、不意にのほほんさんから声をかけられた。軽く手を挙げてそれに応えると、彼女はトタトタとこちらに向かって駆け寄ってきた。……相変わらずめっちゃ遅いけど。

 

「聞いたよ~。最近、かんちゃんと仲良くしてるんだってー?」

 

「かんちゃんって更識さんのことだっけか。仲良くっていうとズレてる気がするが、まあ一緒にいる時間は増えたな」

 

 更識さんが倉持技研に専用機の完成を依頼して以来、立花さんは俺と彼女の両方の専用機の整備を担当することになっていた。その立花さんという共通の人物の存在や、更識さんに説教まがいのことを偉そうに垂れたことに関する責任感みたいなものもあって、ここ1週間彼女の姿を見る回数がかなり増えたという次第である。

 

「ところで、その話は誰に聞いたんだ? 誰かが噂してたとか?」

 

「かんちゃん本人からだよー。最近妙に元気な理由を探ってみたらー、全部吐いてくれたのだっ」

 

 そう語るのほほんさんの顔は、いつにもましてのほほんとしており、なんだかうれしそうに見える。

 そう言えば、楯無さんに聞いた話だと、更識さんはクラスで孤立気味だったらしいな。更識さんに俺という新しい話し相手ができたことを、のほほんさんは友達として素直に喜んでいるのだろう。

 

「りんりんの居ぬ間にかんちゃんに浮気とか、考えてたりしてー」

 

「勝手にドロドロの昼ドラみたいな展開にするな。やましい気持ちなんてこれっぽっちもないぞ」

 

「さすがおりむー、紳士だね~」

 

「島国が生んだ紳士オブ紳士とは俺のことだ……っと、そろそろ出ないと遅れそうだな。悪い、のほほんさん。俺これから行くところがあるから」

 

 腕時計で時刻を確認した俺は、冗談を途中で切り上げて軽く頭を下げる。

 

「行くところ?」

 

「ああ。俺の実家の近くの神社で、夏祭りがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 篠ノ之神社では毎年この時期にお盆祭りが催され、その中で神社の人間による神楽舞が行われるのが通例だ。

 

「ふう……」

 

 数年ぶりにこの町に戻ってきて、これまた数年ぶりの神楽を今しがた終えた篠ノ之箒は、なんとか役目を果たしたことに安堵しつつ、境内の近くでお守り販売の手伝いに取りかかろうとしていた。

 

「………」

 

 舞をしている間は、雑念を捨てた清らかな心でいられたような気がする。

 そしてそれを終えた今、箒は再び自らの抱える悩みを頭に浮かべ始めていた。

 

 ――ずっと好きだった男の子が他の女の子と付き合うことになったのに、不思議なほどに悲しみが湧いてこなかった自身の感情への戸惑い。

 ――白騎士事件や銀の福音の騒動を意図的に引き起こすなどというおよそ理解できない行動をとり続けている、実の姉への複雑な思い。

 

 普段は騒がしくも楽しい周りの人間のおかげであまり思い出さずにいられた事柄。だが、思い返さなかったからといってそれ自体が消滅したわけではないのだ。

 

「ちょっとよろしいか」

 

「あっ、はい。お守りはひとつ500円です」

 

 お客さんに話しかけられたことで、自分の世界に入り込みかけた思考が現実に引き戻される。

 ……今は、神社の巫女として働いている最中だ。余計なことを考えて迷惑をかけることがないようにしなければ。

 そう思い直し、仕事に集中すると決意した箒は目の前のお客さんにしっかりと向き合う。

 

「………え」

 

 ――その女性客の顔を見た途端、箒は思わず間の抜けた声をこぼしていた。あまりの驚きに、しばらくの間呼吸をするのも忘れてしまう。

 

「そうだな……なら、交通安全のお守りでももらっておこうか」

 

 歳は見たところ箒と同じくらい。黒い髪は肩に届くか届かないかくらいの長さで、吸い込まれそうになる魅力を持った黒い瞳がこちらを見つめている。

 この顔は――

 

「……千冬、さん?」

 

「……どうかしたのか? 私が、何か失礼なことでもしたのだろうか」

 

「あ、ああいえ、違うんです。その、知り合いの昔の姿にあまりにも似ていたので、驚いてしまって……」

 

 浴衣などの着飾った格好ではなく、白いシャツにデニムという簡素な服装で祭りに来ていたその少女は、まさしく高校生の頃の織斑千冬に瓜二つだった。思わず自分が小学生の頃にタイムスリップしたのではないか、などという馬鹿げた想像が一瞬浮かんだほどである。

 

「なるほど。世の中には自分と同じ顔の人間が3人いるという話もあるくらいだし、そういう珍しいことも起こりうるのだろうな」

 

「本当に驚きました……えっと、交通安全のお守りでよろしかったでしょうか」

 

「ああ。それで頼む」

 

 少女から500円玉を受け取り、箒は用意されていたお守りから『交通安全』と書かれたものをひとつ取り出して手渡した。

 

「ありがとうございました」

 

「ご利益のありそうなお守りをもらえてうれしいよ。……ところで、不躾な頼みがあるのだが、聞いてもらえないだろうか」

 

「頼み、ですか」

 

「恥ずかしい話だが、祭りというものの楽しみ方がよくわからなくてね。今も人の波に流されるままふらふら歩いて、気づいたら境内まで来ていた、という状況なんだ」

 

「はあ……」

 

「そこでだ。君さえよければ、私に祭りを案内してもらえないだろうか」

 

「……そ、それは」

 

 予想の範囲外であった少女のお願いを聞いて、箒は少し戸惑ってしまう。

 

「無理を言っているのは承知だ。だが、私もそろそろこういった祭りに慣れておきたいんだ。見たところ年齢も近そうだし、君に一緒に来てもらえれば、と思ったんだ」

 

 そう言って、彼女は困ったように笑う。

 箒としては、この千冬似の少女を案内することはやぶさかでもなかった。お願いされて放っておくのも酷というものだし、知り合いにそっくりな人間と出会ったのも何かの縁だと感じる気持ちもあったためだ。

 だが、今はお守り販売というれっきとした仕事の最中であり、持ち場を離れるわけにはいかないのも事実なのだ。

 

「あら? 箒ちゃん、どうかしたの?」

 

 そんな折、近くを通りかかった箒の叔母・雪子が声をかけてきた。彼女は悩んでいる様子の箒を見てから、その隣にいる黒髪の少女に視線を移し。

 

「……そちらの方は?」

 

 箒と同じように、雪子も千冬の姿を連想したのだろう。目を大きく見開いて、まじまじと少女を見つめている。

 

「叔母さん、実は――」

 

 箒がこれまでのいきさつを説明したところ、雪子は少しの逡巡の後にうなずき、そして柔和な笑みを浮かべた。

 

「箒ちゃん。ここは私が受け持つから、あなたはその子の案内をしてもらえるかしら? せっかくこの神社のお祭りに来てくれたんだから、思いっきり楽しんでもらいたいし、ね」

 

 確かに、彼女がこの場を担当してくれれば問題は解決する。これによって、箒が少女の依頼を断る理由はなくなった。

 

「……わかりました」

 

「ありがとうございます」

 

 雪子の提案にうなずく箒と、頭を下げる黒髪の少女。

 

「では、早速ですが移動しましょう」

 

「よろしく頼むよ。……それと、祭りの案内は巫女の業務管轄外だろう? なら、私に対して敬語を使う必要はもうない」

 

「……そう、ですか?」

 

「正直なところ、あまり敬語を使われるのに慣れていないから、普通に話してもらえた方がありがたいというのが本音だ」

 

「わかった。では改めて、移動するぞ」

 

 

 

 

 

 

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。私は篠ノ之箒だ。あなたは?」

 

「……マドカだ」

 

「マドカ……それは名前か? 名字はなんだ」

 

「名字で呼ばれるのは好きじゃない。だから最初から教えないことにさせてもらおう」

 

「なんだそれは……?」

 

 とりあえずの自己紹介を終えた箒とマドカは、適当に屋台を巡って食べたり遊んだりと『祭りの楽しみ』を消化していく。

 

「祭りの楽しみ方がわからないと言っていたな。ということは、来たのが初めてなのか?」

 

「いや、小さい頃に行ったことはあると思うのだが……なにぶんその頃の記憶が曖昧でね。ほとんど何も覚えていなかった。だから、実質的に初めてというのが正解かもしれないな」

 

「そうか……はむっ」

 

 フランクフルトを頬張りながら、箒はマドカと話をしつつ人混みの中を歩く。本来箒は他人とのコミュニケーションが苦手な方の部類に入っており、初対面の人間とはなかなか会話が続かないのだが、不思議なことにマドカについては例外であった。千冬に似ているからだろうか、話すことにあまり抵抗を感じないのだ。

 ……先ほどそれとなく探った結果、どうやらマドカは織斑の家の親戚というわけでもないらしいことを箒はつかんでいた。いろいろと謎めいた人物だというのが、現在の彼女に対する評価である。

 

「ということは、先ほどの金魚すくいの結果は才能あってのものということか」

 

「ああ、あれか。てっきり破れやすい網を使っていると思ったのだが、店の方も難易度を低めに設定していたらしい」

 

「……それは、2匹目をすくう途中で網が破れた私を馬鹿にしていると受け取っていいのか?」

 

「気を落とすことはない。誰にでも向き不向きはある」

 

「き、気を落としてなどいないっ」

 

 箒がぷい、とそっぽを向くと、マドカの口からくくっと笑い声が漏れた。

 

「な、何がおかしい」

 

「いや、すまない。……君は魅力的な女性だと、そう思ってね」

 

「んなっ!? な、なな何を言うんだいきなり!」

 

 同性からの言葉とはいえ、魅力的などという褒め方をされたことがない箒は、マドカの発言に顔を赤らめる。

 

「冗談ではないぞ。君の容姿や仕草には目を惹かれるところがある。あくまで私見ではあるが、学校でも異性に人気だったりするのではないか?」

 

「馬鹿なことを言うな。小学校でも中学校でもそんなことは一度も感じていないし、そもそも今は男子がひとりしかいない学園に通っている」

 

「男子がひとりしかいない? ……ああ、君はIS学園に在籍しているのか」

 

「……よくわかったな」

 

「男子がいないならともかく、中途半端にひとりだけいるような学校。その情報だけでほとんど答えは決まっているようなものだろう」

 

 言われてみればその通りだ、と納得する箒。織斑一夏のようなイレギュラーな存在が現れない限り、女子だらけの学園に男子ひとりを放り込むなんて非常識なことは行われたりしないものだ。

 

「しかしそうなると、ひとりだけしかいない男はなかなか大変だな。他の生徒たちにとっては唯一の学園内の身近な異性だ。注目されることも多々あるだろう」

 

「そうだな。あいつはいつもあちこち引っ張りまわされている気がする。……人気もあるようだしな」

 

 箒の声のトーンが下がった意味を、マドカは見抜いたのだろうか。

 

「……君も、その『彼』のことが?」

 

 彼女は箒の目をしっかり見据え、鋭い問いを投げかけてきた。

 

「………」

 

 普段の自分なら、あわてて否定するところだろうと箒は考える。

 だが、そんな彼女に『ごまかしてはいけない』と感じさせる何かを、隣を歩く少女は持っているようだった。

 

「……そう、だな。私もその男のことが好きだ。だが、もう振り切らなければならない時が来ている」

 

「………」

 

 ここに来て、マドカは初めて驚きの感情を顔に出した。少し大きく開かれた目が、言葉の続きを促している。

 

「あいつには……もう、恋人がいるんだ。そして、あいつも、相手の女子も、お互いの想いを裏切るような人間ではない。だから――」

 

「未練を断ち切らねばならない、か」

 

 箒の言葉を途中で引き継ぎ、マドカは虚空を見上げる。

 ……本当に、妙なものだと箒は思う。いくら千冬とそっくりでも、今日初めて出会った相手にここまで自分の心を曝け出すなんて、普通はあり得ないことだ。

 

「すまない。辛くなるような話をさせてしまったな。だが、私も箒のことについてよく知りたかったんだ」

 

「謝るようなことではない。私にはお前の質問に答えない選択肢もあったんだ。それを自分から話したのだから、私自身の責任だ」

 

 そう言って、箒はあたりの屋台をきょろきょろと見渡す。何か面白そうなゲームでもやって、この暗い空気を払いのけようと考えたためだ。

 

「箒」

 

 隣で鳴っていた足音が、不意にやんだ。

 

「どうかしたのか?」

 

 マドカに合わせて箒も立ち止まり、彼女の方へ顔を向ける。

 すると、彼女は一度ふう、と息をついた後、ささやくような声で、

 

 

「なら、私が君の恋人になるというのはどうだ」

 

 一切おふざけを感じさせない表情で、そんなことを口にした。

 

「――っ」

 

 冗談とはとても思えない発言に、箒の思考は正常な働きを失ってしまう。

 

「お、お前、いったい何を……」

 

 マドカの瞳から、目を逸らすことができない。まるで金縛りに遭ったかのように固まっている箒に向かって、マドカはその身を近づけて――

 

「……なんてね」

 

「……は?」

 

「私は同性愛者ではない」

 

 からかうような調子の言葉を聞いて、ようやく箒の混乱しきった脳がひとつの答えにたどり着いた。

 

「だ、だましたな!!」

 

「なかなかに迫真の演技だっただろう? 君の可愛らしい反応が見られて私はうれしいよ」

 

「お、お前~!」

 

 くっくっく、と満足げに笑うマドカに対して、いいように弄ばれた箒が顔を真っ赤にして文句を言おうとしたその時。

 

「おーい! 箒―!」

 

 道の向こうから、よく知っている少年の声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 祭りに来て神楽舞を観賞した俺は、その後箒と話そうと思ってあいつの姿を探していた。途中で雪子おばさんに会って聞いた話によると、どうやら今は女の子と一緒に出店をまわっているらしい。周りが騒がしくて気づかないのか、携帯にかけても出ないので、あてもなく屋台をめぐってポニーテール少女を見つけようとしたのだが。

 

「やーっと見つけた……」

 

 かれこれ数十分かけて、ようやく向こうに箒の姿を発見した。隣を歩いているのは、おそらく話に聞いた女の子のことだろう。

 

「おーい! 箒―!」

 

 箒に呼びかけながら駆け寄った俺は、その少女の顔を見て驚愕した。おばさんから聞いてはいたが、本当に高校生時代の千冬姉にそっくりだ。弟の俺が言うんだからまず間違いない。

 

「一夏! お前、祭りに来ていたのか」

 

「まあな。それで箒、そっちの人は……」

 

「千冬さんに似ているだろう? 名前はマドカだ」

 

 マドカ、か。

 名前を知ったところで、挨拶をするべくもう一度彼女の方へ目を向け――

 

 その瞬間、猛烈な悪寒が体中を駆け巡った。

 

「はじめまして。マドカ、という者だ。箒には祭りの楽しみ方を教わっていたのだが――」

 

 ……なぜだ。なぜ、この少女に対してここまで大きな警戒心を抱いているんだ。

 なぜ、体が自然に距離をとろうと後ずさっているんだ……?

 

「……ほう? 気づいたか、貴様」

 

 ――その発言で、俺はすべてを理解した。

 

「箒! そいつから離れろ!」

 

「なっ……」

 

 言うが早いか、俺は箒の腕を引っ張って自らの背後にまで移動させる。その間も、マドカから一瞬たりとも視線を外してはいない。

 

「一夏、いきなり何をする!」

 

「箒、こいつは……こいつは」

 

「織斑一夏を海に突き落とした、サイレント・ゼフィルスの操縦者」

 

 俺の言葉より先に、マドカが自分から正体を明かした。ちらりと箒の表情をうかがうと、信じられないといった様子で目を見開いている。

 

「そ、そんな……まさか」

 

 箒の声が震えている。そのことが、俺の奴に対する怒りを増幅させた。

 

「お前、箒に何をした!」

 

「安心しろ。何も危害は加えていない。先ほど言った通り、私はただ祭りを案内してもらっていただけだ」

 

「目的はなんだ。何が狙いで箒に近づいた」

 

「狙い? ふふ、さてな。篠ノ之箒と一緒に花火を見ようと思っていた、というのはどうだ」

 

「ふざけんな!」

 

 口元を歪めて俺の問いをのらりくらりとかわすマドカに対して、ふつふつと負の感情が昂ぶっていく。

 

「そう警戒するな。今日はお前たちと戦うつもりはない。……おっと、そういえば目的があると言えばあったな」

 

「なに?」

 

「篠ノ之箒」

 

 箒の名を呼んだかと思うと、マドカはあるものを右手に持ってこちらに近づいてきた。

 

「なんだそれは」

 

「見ればわかるだろう、織斑一夏。これが爆弾に見えるか?」

 

「………」

 

 それでも、警戒を解くわけにはいかない。あいつが何をしてきても対応できるように、神経を研ぎ澄まして――

 

「篠ノ之箒。これは君に返しておく」

 

 不意に手に持っていたソレが放り投げられ、放物線を描いて箒のもとへ落ちていく。

 

「箒! 迂闊に触るな!」

 

 ……しかし、俺の意思とは裏腹に、箒はマドカの投げたものを受け取っていた。そしてそれをまじまじと見つめ、再び信じられないといった表情を顔に出した。

 

「マドカ、お前は……いったい」

 

「用も済んだことだ。私はこれで失礼する」

 

 消え入るような箒の呼びかけには応えず、マドカは踵を返してこの場を立ち去ろうとする。

 

「待て!」

 

「追ってくるのは構わないが」

 

 それに続いて駈け出そうとした俺を牽制するように、奴は背中を向けたまま言葉を発した。

 

「……その場合、命の保証はしない」

 

 ――俺の足は、気づけば動かせなくなっていた。マドカの放った猛烈な殺気に、体がすくんでしまったのだ。

 

「ああ、ひとつ言い忘れていた。先ほどの君の舞は、なかなかに美しかったな」

 

 

 

 

 

 

「箒。本当にあいつには何もされていないんだな」

 

「ああ……傷つけられたり、そういうことは一切されていない」

 

「そうか……」

 

 マドカが人混みの中へ消えて行った数分後。ようやく極度の緊張状態から解放された俺は、箒の体に異常はないか確認をとっていた。

 

「……一夏」

 

「なんだ」

 

「お前は、これを覚えているか」

 

 そう言って箒が差し出したのは、先ほどマドカが投げ渡してきたものだった。

 

「……かんざしだよな、それ。覚えているかってどういうことなんだ?」

 

「やはり忘れてしまっているか……もう何年も前のことだから、それが当然ではあるんだが」

 

 黒を基調として、花形の飾りが取り付けられているそのかんざしを見つめながら、箒は驚くべきことを口にした。

 

「これは、私が昔大切にしていたかんざしだ。小学3年生の時に失くして以来、ずっと行方知れずだったものだ」

 

「……ちょっと待て。じゃあ、なんでそれをあいつが持っていたんだ」

 

「わからない……。もしかすると私の持っていたかんざしそのものではないのかもしれないが……デザインは、完全に同じだ」

 

 もしこれが箒が失くしたかんざしであるならば、マドカは箒が小学3年生のころに失くしたものを拾っていて、かつそれの所有者が箒であると知っていたことになる。

 仮に本物でなかったとしても、あいつは箒が大切にしていたかんざしのデザインと、箒がそれを失くしていたというのを把握していたことになる。

 ……つまりどちらにせよ、あいつは箒の小学生時代を知っていることになる。

 

「どういうことなんだ……?」

 

 わけがわからない。あの時俺を倒したパイロットは昔の千冬姉そっくりで、しかも箒のことを知っているだと?

 

「くそっ」

 

 苛立ちのこもった俺の声に、応えるものは何もなかった。

 




というわけで今回はマドカと箒のお話でした。果たしてマドカの発言はどこまでが本当なのか……?

次回こそ更識姉妹のターンです。鈴ちゃんも帰ってきます。

では、次回もよろしくお願いします。


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第40話 夏の終わりの

実に3週間ぶりの更新となりました。
ちょっと構成を変更した結果、今回で第4章最終回です。


「………」

 

 窓から眺める月は、完全な円から少しだけ欠けた形で、夜の空を明るく照らしていた。

 

「はあ……」

 

 その『一部が欠けている』という要素からあることを連想した鈴は、大きなため息をついて床に敷かれた布団に寝転がる。

 

「一夏、何してるのかな」

 

 中国の東海岸と日本ではさほど時差はないので、向こうも夜だということはわかる。漫画でも読んでるのか、それとも真面目にISの勉強をしているのか。あるいは……誰か、学園にいる女の子と遊んだりしているとか。

 

「いやいや、さすがに妬んだりはしないわよ? 他の子と少しでも仲良くするのなんて許さないとか、いくらなんでも独占欲強すぎだし」

 

 いったい自分は誰に向かって弁明しているのかと疑問を抱く鈴の手は、自然と携帯電話の方に伸びていた。

 

「ふ、不安になったとかじゃないのよ。単純に、あいつが何してるのかについて知的好奇心が刺激されただけだから。それに、彼女が彼氏に電話するのに大した理由はいらないし?」

 

 ……母方の祖父母の家に来てから、もうじき5日が経つ。その間、一夏と会話したのは向こうから電話がかかってきた時の1度きり。あと2日ほどで学園に戻る予定とはいえ、彼が恋しい気持ちにだんだんと抑えがきかなくなり始めていた。

 ならこちらから電話すればいい。今この瞬間に限らず、鈴は何度もそう考えたのだが……

 

『……怖いんだろうな、俺は』

 

 そのたびに、野球の試合をした日の夜の一夏の言葉が思い起こされ、携帯をいじる手が止まってしまう。

 

「………」

 

 あの時の一夏の、弱々しい顔つきと迷いのあった瞳。

 ……悩んでいる彼に対して、自分はどのように接してあげればいいのか。

 近くにいる時は、その答えがわからないままになんとなくといった感じで、今まで通りの付き合いを続けてきた。

 だが、電話をかけなければコミュニケーションをとれないという状況に置かれた今は、どうしてもそのことが気にかかってしまう。

 

「1年前と、同じね」

 

 昨年中国にいた1年間、一夏に対する接し方を測りかねて手紙を出せずじまいだったことを思い出した鈴は、自身がその頃から前に進んでいない気がして、深いため息をこぼしてしまう。

 

「鈴音、ちょっといい?」

 

 鈴が諦めて携帯を床に放り投げたのと、廊下から母の声が聞こえてきたのはほぼ同時のことだった。

 

「うん、大丈夫」

 

 布団から半身を起こしつつ適当に返事をすると、ガチャリと扉を開けて寝間着姿の母が入ってくる。

 

「明日のことなんだけど……どうしたのあんた、そんな泣きそうな顔して」

 

「え……?」

 

 慌てて自分の顔をぺたぺたと触るが、残念ながらどんな表情をしているか鑑みることはできなかった。

 

「何か悩み事? 母さんでよければ、相談に乗るけど」

 

「……別に、なんでもないの。ちょっとうたた寝してたら、怖い夢見ちゃっただけ」

 

「そうなの?」

 

「そうなの」

 

 顔を見られないように体の向きを変え、鈴は背後の母に向かってそう告げる。彼女に相談するべきか、相談するにしてもどう話すべきか、それがまだわからなかったからだ。

 そんな娘の様子を見た母は、黙って彼女の隣に腰を下ろす。

 

「……鈴音。私は、いろいろふがいない母親だけれど、それでもあんたを15年以上見続けてきたのよ。だから、娘が今本当に悩んでいるってことも、見たらなんとなくわかってしまう」

 

「………」

 

「何で悩んでいるのか、までははっきりわからないけど……もしかして、一夏くんのこと?」

 

 その言葉に、思わず鈴の体はびくっと反応してしまう。

 

「……なんで、わかったの」

 

「……女の勘?」

 

 つまり、なんとなくで当てられてしまったらしい。

 

「……その、ね。ちょっと、一夏にどう接していけばいいのかわからなくなっちゃって」

 

 見抜かれてしまったので、言葉を選んで掻い摘んで事情を説明する鈴。端折りすぎて曖昧な内容になっていることはわかっていたが、かといって一夏の悩みなどといったものを勝手に話していいものかと思ったがゆえの行動であった。

 

「そうねえ……正直、それだけ言われても2人の間に何があったのかは全然わからないけど」

 

 困ったような笑みを浮かべ、母はしばしの間、うーんと腕を組んで何かを考え込む姿勢をとる。

 

「やっぱり、女の人にとって一番大事なことっていうのは共通してると思うわ」

 

「一番……大事なこと? それって……」

 

「受け入れることよ」

 

「受け入れること?」

 

 その短い単語が何を示しているのか、鈴にはいまいちつかみとることができない。

 

「そう。男はなんだかんだ悩んだり傷ついたり暴走したりする生き物だからねえ。そういうのをしっかり後ろから受け止めて、支えてやることが女の役目だと思う。……って、少し前まで旦那と別居してた私が言えるセリフでもないんだけどね」

 

 でもね、と。

 母は鈴の頭にぽんと手を置き、慈愛に満ちた表情を浮かべる。

 

「世間では女の方が強くなったなんて言ってるけど、やっぱりいざという時に頼りになるのは男なのよ。だから、鈴音がちゃんと支えてあげれば、一夏くんはきっとそれに応えてくれるわ」

 

 それは、一度夫と離れたからこそ見えてきたものなのだろうか。

 一瞬そんなことを考えた鈴だが、すぐにどうでもいいことかと首を振る。大事なのは母が語った言葉そのものであり、それが生まれた経緯なんて大した問題ではないのだ。

 

「……ありがとう、お母さん。あたしも、少し考えてみる」

 

 他者から教えられた考えを、すぐに理解し自分のものとすることはできない。しかし、それはきっと、鈴自身の答えを見つけるための助けとなってくれるに違いない。

 

「受け入れる、か……」

 

「……いつの間にか、あんたも女になったのねえ」

 

「え? 何か言った?」

 

「ううん、何も」

 

 

 

 

 

 

「やっほー一夏くん。元気してる?」

 

「あ、楯無さん。どもです」

 

 風呂上りにジュースでも飲もうかと廊下に出たところ、ちょうどそこを通りがかった楯無さんと出くわした。

 

「どこかに行くところ?」

 

「ええ。ちょっと自販機でジュースを買おうかと」

 

「そうなの。私もついて行っていいかしら? 少しキミと話したいこともあるし」

 

「はい、それはいいですけど……」

 

「決まりね」

 

 2人して近くの自動販売機まで移動し、各々好きな飲み物を購入する。そのまま楯無さんがベンチに腰かけたので、俺もならって隣に座った。

 

「あ、一夏くんメロンジュース飲むんだ。それ、ちょっと甘すぎると思わない?」

 

「そうですか? 俺はちょうどいいと思うんですが……甘党だからかな」

 

「なるほど。私はコーヒーはブラック派だし、単純に味覚の違いってことね」

 

 そういう楯無さんが飲んでいるのは……青汁だった。

 

「いやー、部屋に貯めてたぶんは頑張って飲みきったんだけどね。その頃には毎日青汁を飲まないと物足りない体になっちゃって」

 

「はあ……まあ、健康にはいいんで問題ないですよね」

 

「そうね。心なしか最近体のキレもいいし、胸も大きくなった気がするし」

 

「後者は関係ないような……って」

 

 何の脈絡もなく胸をそらして『伸び』の姿勢をとり始める楯無さん。そんなことしたら胸のラインが強調されて……

 

「一夏くん、顔が赤いわよ~?」

 

「か、からかわないで下さいよ!」

 

「キミが青汁の効能を信じないから実際に見てもらおうと思っただけよ。……そうだ、鈴ちゃんに勧めてみたらどうかしら。一夏くん、どう? 胸を大きくしたくないかって聞いてみない?」

 

「そんなこと言った日には俺があいつに殺されます」

 

 貧乳とは、毎日牛乳飲んでるとかこっそり自分で胸を揉んでバストアップを図ってるとか、そんな涙ぐましい努力を重ねても改善の兆しが見えないあいつのコンプレックスだ。下手に刺激するとめちゃくちゃ噛みつかれるのはわかりきっている。

 

「そう? それは残念ね。……と、本題を話すのをすっかり忘れていたわ。一夏くんと話しているとすぐ話題が逸れちゃうのはなぜかしら」

 

「先輩が勝手にどうでもいい話を始めるからだと思います」

 

「手厳しいわね……こほん。それじゃあ、ちょっと真面目な話をさせてもらうけれど」

 

 咳払いを合図に、楯無さんの顔つきが憂いを帯びたものに変わる。それだけで、彼女が何を話そうとしているかがだいたい把握できた。

 

「最近、簪ちゃんとよく一緒にいるみたいだけど……どんな様子? 元気そう?」

 

 学園最強と呼ばれ、いつも飄々としている生徒会長が、唯一不安げな姿を見せる時。予想通り、先輩は妹の簪さんのことについて尋ねてきた。

 

「……そうですね。俺が見た限りですけど、毎日専用機の完成に向けて頑張ってるみたいです。倉持技研の人ともうまくやってるようだし」

 

「そう……それなら、よかったわ」

 

 俺の答えを聞いて、心底うれしそうに笑う楯無さん。本当に妹を大事に思っているんだということが、嫌でも伝わってくる。

 

「楯無さん」

 

 本当は、確証の持てないことを軽はずみに言うべきではない。それが相手にとって重要なことであるならば、なおさらだ。

 だけど、先輩の顔を見ていると……どうしても、言いたくなってしまった。そうなってほしいという願望、すなわち俺自身の希望的観測を、この人に伝えたいと思った。

 

「いつになるかはわからないですけど……きっと、簪さんはあなたと向き合ってくれると思います。……いつか、きっと」

 

「……きっと?」

 

「本当は、絶対って言いたいんですけど。簪さんの気持ちを、俺が全部把握しきれるなんてことはないので」

 

「それもそうね。……でも、きっとで十分よ」

 

 青汁を飲み干した楯無さんは勢いよくベンチから立ち上がると、くるりと回って俺の方に向き直る。

 

「ありがとう。元気、出たわ」

 

 そう言ってにこりと笑った彼女の姿は、とても魅力的に思えた。

 

 

 

 

 

 

 力になってあげたいと思った。

 一夏が苦しんでいるのなら、迷わず助けてやりたいと思った。

 昔自分が助けられたように、今度は自分が――

 

「……とか思ってたのに、まさか帰って早々浮気していたという事実を突きつけられるとは」

 

「してないからな。さっきも言った通り、簪さんとは専用機絡みで一緒になる機会が多かっただけだ」

 

「本当に?」

 

「本当だっての。そんなに俺が信用ならないか?」

 

 一夏の眉間に少ししわが寄るのを見て、鈴はこのあたりで追及するのをやめておこうと考える。別に本気で一夏を疑っていたわけではなく、久しぶりに会えたからいじってやろうと思っただけなのだ。

 

「冗談よ冗談。本当に浮気してたなんて思ってないから」

 

「ほんとかよ」

 

「だってマジでクロだと判断したら殺傷するし」

 

「恐ろしいな!?」

 

 ちなみに現在、鈴と一夏は織斑邸の1階にある居間でくつろいでいる最中である。鈴が学園に戻ってきたのは昨晩のことだったのだが、その時一夏が『1週間ぶりだし、2人きりの時間をとるのはどうだ』と提案したため、家主のいない一軒家にお邪魔することとなったのである。……彼のストレートな物言いに思わず赤面してしまったのは、鈴の記憶に新しい。

 

「……それより、昨日言ってたマドカってやつのことだけど」

 

 彼女が不在の間、一夏の周りで起きた大きな出来事は2つ。ひとつは4組の代表である更識簪に関することで、もうひとつが今話題に出した『サイレント・ゼフィルスの操縦者』と再会したということだ。

 

「確認するけど、千冬さんにはちゃんと話したのよね?」

 

「ああ。千冬姉には俺と箒で詳しく説明した。あとはセシリア、ラウラ、シャルロット……福音戦に参加していたメンバーには教えてある」

 

「妥当なところね」

 

 あまり言いふらすような内容でもないし、気心の知れた人間にだけ話したので十分だろう。

 

「……でも、不思議というか、わけわかんないわよね。箒の話が本当なら、そいつは昔の箒……下手したらアンタのことも知ってるかもしれない。本当に子どものころ会った覚えとかないの?」

 

「ない……と思う。あんだけ千冬姉とそっくりな顔つきだったら、嫌でも頭に残るだろうし」

 

「そうは言っても、顔なんてお金かければいくらでも変えられないことはないわけだし……性格、とかも厳しいか。人間、5年もあればキャラ変えるのも難しくないしね。ひょっとしたら小学生のころ、気弱な同級生として箒の近くにいたのかもしれない」

 

「かもな……でも、なんかそういうのとは違う気がするんだ。……くそ、もどかしいな」

 

「一夏……」

 

 鈴がいないうちに、彼の悩み事はまたひとつ増えてしまったようだ。それに対して何もしてやれないというのは、恋人としてもやり切れないと感じる。

 せめて、今は何かフォローの言葉をかけてあげられれば。

 

「か、考え過ぎるのもよくないし、ゲームでもしない?」

 

「……あ?」

 

 盛大に言葉の選択を誤ったのではないかと、言った瞬間彼女は後悔した。

 

「いや、あのね? いろいろ悩むのも大事だとは思うんだけど、少し肩の力を抜くのもどうかなっていうか」

 

 額に流れる汗を感じながら、あたふたと意味のない身振り手振りを行う鈴。

 

「……はは、それもそうだな。せっかく俺の家まで来たんだし、めいっぱい遊ぶとしますか」

 

「え?」

 

「え、じゃないだろ。お前がゲームするって言い出したんだ、配線つなぐの手伝ってくれ」

 

「あ、うん……」

 

 棚からゲーム機の本体をがさごそと取り出し始める一夏。果たして自分の発言はちゃんとフォローになっていたのかと首をかしげる鈴だったが――

 

「……サンキュ。気ぃ遣ってくれて」

 

 ……少しだけ、意味はあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 昼ごろに自宅に着いてからは、鈴と一緒に取り憑かれたかのようにゲームのプレイに明け暮れた。積んでいたRPGのボス戦を相談しながら攻略したり、格ゲー中にいつの間にか相手のコントローラ操作の妨害が始まってぐんずほぐれつの醜い争いが繰り広げられたり……とにかく、楽しかったのは間違いない。

 だからまあ、時間を忘れて夜まで騒いでいたこと自体に悔いはない。悔いはないのだが……

 

「雨、大降りになってるわね」

 

「大降りというか土砂降りだな。風もすごいし」

 

 窓に叩きつけられている雨粒を眺めながら、俺と鈴はそろってため息をつく。昼までは普通に晴れていたんだけどなあ。

 

『続いてのニュースです。関東地方上空を通過中の大型低気圧はゆっくりとした速度で北上中。明日未明まで非常に強い雨と風が続きますので、外出はお控えください』

 

 テレビでニュース番組を見てさらにがっくり。インターネットで調べたところ学園に戻るための電車も運行を見合わせているようで、つまるところ俺たちは寮に帰れないらしい。

 

「一夏、携帯鳴ってる」

 

「お、本当だ」

 

 机に置いてあった携帯を手に取って画面を見ると、『千冬姉』の3文字が表示されている。

 

「もしもし」

 

「一夏、今どこにいる」

 

「ごめん、鈴と一緒に自宅で足止め食らってる。朝に天気予報見るのを忘れてたんだ」

 

「まったく。寮の部屋にいないからもしやとは思っていたが……」

 

 電話越しに千冬姉のため息が聞こえてきて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「だがまあ、家にいるのなら都合がいい。今日のところはそこに泊まっていけ」

 

「でも、外泊の申請が……」

 

「交通機関が止まっているのだから仕方ないだろう。手続きは私の方でやっておく」

 

「……ありがとう、千冬姉」

 

「ああ。……ただし、鈴音と2人きりだからといって羽目を外しすぎるなよ?」

 

「んなっ……」

 

 プツッ、と通話が切れる。

 

「千冬さん、なんて言ってた?」

 

「え? あ、ああ、仕方ないから今夜はここにいろってさ。外泊の申請もなんとかしてくれるって」

 

「そっか。じゃあ泊まらせてもらうわね」

 

「ああ……」

 

 くそ、千冬姉が余計なこと言ったせいで変に意識しちまう。

 落ち着け、彼女と2人でお泊りといっても相手は幼馴染の鈴だぞ? いつも通りに過ごして、いつも通りに眠って朝を迎えるだけでいいんだ。

 見ろ、鈴なんて早速ソファーでくつろいでいて緊張のかけらも感じられない――

 

「一夏とお泊り一夏とお泊り一夏とお泊り一夏とお泊り一夏とお泊り一夏とお泊り一夏とお泊り……っ!」

 

 なんか呪詛のようなつぶやきが聞こえてくるが、きっと気のせいだろう。

 

「とりあえず夕食のことを考えよう」

 

 もともと夕食はここで食べるつもりだったから、昼に食材は買っておいたはず。鈴もいるし、手伝ってもらえばさほど調理に時間はかからないだろう。

 

 ゴロゴロゴロ……ドカーン!

 

「うお、結構近いな……」

 

 ピカッと外が光ったかと思うと、ほとんど間を置かずに雷の大音量が耳に響いてきた。少しびっくりしたが、さすがにこの歳にもなって雷で取り乱すようなことはない。

 

「……で、なんでお前はさっきから俺の腰にしがみついているんだ」

 

 雷が落ちた瞬間、ソファーから飛び上がって背後から抱きついてきた鈴は、がたがたと恐怖におびえる小動物のように震えていた。

 

「だ、だだだって! ドカンって、あんなに近くに落ちたのよ!?」

 

「ああー……そういえばお前、雷駄目だったっけ」

 

 ゴロゴロゴロ……

 

「ひうっ……!」

 

「しょうがないな。夕飯は俺ひとりで作るから、雷の方はなんとか我慢し――」

 

 このまましがみつかれていてもらちが明かないので、やんわりとなだめようとした矢先のことだった。

 ……かなり近いところに一発落ちたと感じた瞬間、部屋の明かりがすべて消えた。

 

「停電かよ……」

 

「ちょ、ちょっと一夏! 何も見えないけどそばにいるんでしょうね! あたしを放ってどこか行ったりしてないわよね!?」

 

「お前が今一生懸命抱きついてるのは誰の体だと思ってるんだ」

 

 ドカーン!!

 

「ひゃわっ!? ま、真っ暗だから余計に怖い~!」

 

「お、おい馬鹿暴れるな。俺までバランス崩すって……痛っ!」

 

 冷静さを欠いた鈴を抑えつけようとするうちに体勢がおかしなことになり、そのまま床に倒れこんでしまう。

 そして同時に、電気系統全般が仕事を再開した。

 

「思ったより回復が早かった……な……」

 

 視界が元に戻ったことに安堵した俺は――現在の状況を認識した途端、思わず固まってしまった。

 

「あ、いち……か……!?」

 

 床に仰向けに転がっている鈴の体に覆いかぶさるように、俺の体が馬乗りの体勢をとっている。倒れた拍子にそうなったのか、鈴のスカートはめくれてパンツが見えそうになっており、さらに服のボタンが外れて胸元が……

 

「お、お……」

 

 落ち着け俺。まずは鈴から視線を外して、それからゆっくりと距離をとるんだ。

 

「………」

 

 だが、体が言うことを聞いてくれない。目は相変わらず鈴の四肢に釘付けな上、心なしか互いの顔の距離が近づき始めたような気さえする。

 くそ、こうなったら鈴の方が飛び起きてくれるのを待つしか……

 

「……ん」

 

 なに目を閉じて受け入れる体勢とっちゃってくれてるんだこいつは! 違うだろ、頼むから拒否してくれよ!

 

『鈴音と2人きりだからといって羽目を外しすぎるなよ?』

 

「だ、駄目だ。それだけは駄目だ」

 

 越えてはならない一線がある。仮に今欲望に身を任せたとして、キスだけで済む保証がどこにもない。

 ……誰か、なんでもいいから俺の意識をこいつから逸らしてくれ――

 

『チャラララ~♪』

 

 それは、神の与えた救いであったのだろうか。机で揺れる俺の携帯が、メールの受信を知らせていた。

 

「うおおっ!」

 

 残った理性を振り絞って携帯に飛びつき、受信メール一覧を開く。

 初見のアドレスから送られてきたメールには、以下のことが記されていた。

 

『こんばんは、更識簪です。これ、私の携帯のメールアドレスなので、登録しておいてくれるとうれしいです』

 

「………」

 

 ほどなくして、再び携帯が音楽を鳴らしながら震える。

 

『さっきのメールは本音が勝手に送ったものだから、気にしないで』

 

「………」

 

 

 

 

 

 

「とんでもないことをしてくれた……」

 

「そうかな~? おりむーとアドレス交換するくらいなんの問題もないと思うけどー」

 

「あなたにとってはそうでも、私にとっては全然違う」

 

 油断している隙に本音に携帯を奪われ勝手にメールを書いて送信されてしまった簪は、恨めしげに加害者ののほほんとした顔を睨む。訂正のメールはきちんと送ったものの、彼に自分のアドレスを知られてしまったこと自体が問題なのである。

 

「あ、おりむーから返信来たみたいだね~」

 

 ブルブルと振動する簪の携帯を見て、本音が楽しそうに笑う。そんな彼女の様子にため息をつきながら、簪は送られてきたメールの内容をチェックする。

 

「………」

 

「かんちゃん、なんて書いてあるのー」

 

「……よくわからないけど、『ありがとう』と15回連続で打ちこまれている」

 

「へえ~。おりむーよっぽどうれしかったんだねー」

 

「……そうなの? 何か違う気がするんだけど……」

 

 

 

 

 

 

 夕食、入浴と危なげなく切り抜け、残るは寝床を用意して眠るだけとなった。

 

「……で、なんで同じ部屋で寝ることになってるんだ」

 

「だって、雷怖いし……」

 

 最初は許可をもらって鈴には千冬姉の部屋で寝てもらおうと考えていたのだが、駄々をこねられて結局俺の部屋で2人とも寝る羽目になってしまった。

 

「まあいいけどな。とりあえず、鈴はベッド使ってくれ。俺は布団出してそれ使うから」

 

「いいの?」

 

「寝心地がいい方を客に使わせるのが礼儀ってもんだろ」

 

 押し入れにしまっていた布団を引っ張り出し、ぱぱっと準備を整える。停電の時のアレのせいで無駄に疲れが溜まったことだし、早いところ横になって眠ってしまおう。

 

「さっきも聞いたけど、服はそれで大丈夫か? 俺の余ったジャージしかなかったわけだが」

 

「ちょっとぶかぶかだけど問題ないわ。寝るだけだしね」

 

「そうか。ならいい」

 

 適当に言葉を交わしつつ、各々が寝床に入ったところで電気を消す。外は相変わらずの大雨で、ザーザーという音が部屋の中まで響いていた。

 

「一夏」

 

「なんだ」

 

「今度は、ウチに泊まりに来なさいよ。お父さんもお母さんも喜んでくれると思うから」

 

「それもいいかもな……ふぁ」

 

 思ったよりも早く眠気が襲ってきた。このぶんだと、今夜はぐっすり眠れそうだ。

 

 

 

 

 

 

「……一夏。もう、寝ちゃった?」

 

 明かりが消されてから5分。鈴の呼びかけに、一夏はすでに応じなくなっていた。

 

「………」

 

 何度か名前を呼んで彼が完全に眠りに落ちていることを確認した彼女は、音を立てないよう気をつけつつ、そっとベッドから体を動かす。

 

「ちょっと、口が開いてる」

 

 一夏を起こさないよう細心の注意を払って、あどけない寝顔がじっくり見られる位置に腰を下ろす。

 

「……好きよ」

 

 頬に軽く行った口づけには、鈴のありったけの想いが込められていた。

 

「お休み、一夏」

 




変更点→更識姉妹の最終イベントを最終回後の番外編に移行

いろいろ考えなおしたところ、夏休み中に片を付けるのが少し難しいと感じられたことと、次回から最終章に入るため彼女らの話を挟む余地がないことを考慮した結果です。ころころ予定変えてしまって本当に申し訳ありません。

今回で4章の夏休み編は終わりなのですが、特に書くこともないのでいつもの反省っぽい文章は省略させていただきます。強いて書くことがあるとすればマドカについてですが、詳しく語ったらネタバレになりますし。
とにもかくにも次回から最終章です。あと10話くらいで終わりです。よろしくお願いします。


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「オリムライチカ」編
第41話 動き出す影


ついに最終章突入!……ですが、今回4500字と少し短いです。


 夏休みも終わり、IS学園では2学期初の実戦訓練が行われていた。

 

「背後への警戒が薄いですわよ、一夏さん!」

 

「くっ……」

 

 1年1組と2組の合同授業において、千冬姉に模範演技をしろと指名されたのは俺とセシリアだった。

 試合開始からいくばくか経ち、白式のエネルギーは半分近くにまで差し掛かっている。ブルー・ティアーズの方もそのくらいまでダメージを受けていてほしいのだが、果たして実際はどうなのだろうか。

 

「らあっ!」

 

 俺の背中を狙っていた2機のビットに対応するべく盾を構え、同時に右手に握っていた雪片弐型を粒子化させる。代わりに呼び出すのは、倉持技研に用意してもらった小型ライフル『紫電』だ。

 

「近接用武器を捨てた……やはり、以前の白式とはまったくの別物ですわね」

 

 セシリアまでの距離は遠く、ビットによる牽制をかいくぐって懐に潜り込むのは現時点では困難。一応、瞬時加速を駆使すればダメージ覚悟で特攻することはできるだろうが、その作戦が有効なのは一撃で戦況をひっくり返せる零落白夜があってこそである。ぼろぼろになってまで近距離に持ち込んで、相手に浴びせることができるのが何の変哲もない斬撃では話にならない。

そう判断した俺は、1ヶ月の間練習を重ねてきた、銃による遠距離射撃へと攻撃の手段を切り替える。

 

「ですが、まだまだ精度が足りませんわ!」

 

「んなことこっちもよくわかってるっての!」

 

 刀を使った動きに関しては、過去の剣道の経験および千冬姉の模倣がかなり有効に利用できていた。ゆえに、自分でも驚くくらい上達が速かった。

 だが射撃は違う。縁日でコルク銃を扱ったくらいしかその手の経験がない俺にとって、銃とは完全に未知の代物なのだ。弾丸の軌道の把握、目標までの到達時間の瞬時の判断

――そういった射撃の勘は、短期間で簡単に身につくものではない。

 

「けど……」

 

 このままじゃ、あいつには勝てない。

 

「負けられねえ」

 

 いつの間にか、俺はブルー・ティアーズを通して別の機体と相対していた。

 セシリアと同じくBT兵器を使い、彼女以上に6機のビットを巧みに扱う、千冬姉にそっくりのあの少女。

 

「うおおっ!」

 

 サイレント・ゼフィルスを倒すためには、もっともっと強くならなければ……!

 

 

 

 

 

 

「……はあ」

 

 模擬戦が終わり、生徒たちはグループごとに分かれて各々訓練機を動かし始める。俺をはじめとする専用機組は、グループの長として適当なアドバイスを送る役割を与えられている。

 

「織斑くん、どう?」

 

「ああ、いい感じだ。うまいじゃないか、空中での姿勢制御」

 

「これでも隊長にいろいろ教えてもらってるからね~」

 

 くるくると得意げにその場で回転している相川さんの姿は、見ていてなんだか微笑ましい。ちなみに彼女の言う隊長とはラウラのことである。シュヴァルツェ・ハーゼ日本支部が着々とその規模を拡大しているというのはどうやら本当らしい。

 

「一夏さん」

 

「っと、セシリアじゃないか。どうかしたのか?」

 

「少し、お話ししておきたいことがありまして」

 

「いいけど……持ち場を離れて大丈夫なのか?」

 

 俺がそう尋ねると、セシリアはちらりと自身のグループの方に視線を向ける。

 

「皆さん理解力が高いようなので、ちょっとの間シャルロットさんに2グループ分お願いしていますの。……織斑先生には内緒ですわよ」

 

「……そんな危ない橋渡らなくても、授業の後とか、いくらでも話す機会はあるだろ?」

 

「それも考えましたけど、一夏さんの悩んでいる姿を見ていると、できるだけ早くに伝えておきたいと思いまして」

 

 ……俺、そんなに感情が顔に出ちまってたのか? 確かにセシリアとの勝負に負けて、いろいろ課題点が浮き彫りになっていたのは事実だが。

 

「今の一夏さんは、少し焦り過ぎているのではありませんこと?」

 

「焦り過ぎてる? そうか?」

 

「ええ。先ほどの試合、途中から模擬戦ということを忘れていたでしょう」

 

「………」

 

 その通りだった。あまりにマドカのことを意識し過ぎるあまり、最終的にはかなり危険な動きを行おうとするところまで思考が過激になってしまっていた。その前に白式のシールドエネルギーが底をついたので、結局何事もなく終わったのは幸いだろう。

 

「……悪い」

 

「わたくしに謝る必要はありませんわ。鬼気迫る表情の相手と戦うことで、本番さながらの空気も味わえましたし」

 

 その言葉に、少しだけ心が救われた気がした。なんだかんだで、やっぱり俺は周りの人間に恵まれているんだと実感する。

 

「ですから……あまり、自分を追い込み過ぎないようにしてくださいね。わたくしはまだビームの軌道を変えることはできませんが、それでもサイレント・ゼフィルス戦を想定した場合の練習相手くらいにはなれます。困ったことがあれば、いつでも相談なさってください」

 

「……ああ。ありがとう、セシリア」

 

 お前のおかげで、結構元気が出てきたよ。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、アンタのクラス、学園祭は何やる予定なの?」

 

 その日の昼食は、前日の約束通りに鈴と2人きりだった。普段は箒たちと一緒にわいわい騒ぎながら食べているのだが、たまにはこういうのもいいだろうというのが俺たちの共通の見解だ。

 

「メイド喫茶。俺はたったひとりの執事役」

 

「ふーん、やっぱり喫茶店で織斑一夏って要素を押し出すつもりか。隣のクラスにとっては大打撃なんだけどなあ」

 

「そっちは何やるんだ?」

 

「中華喫茶。どうにかして1組で合同でやれないかしらね……アンタを半日借りられればそれだけで繁盛しそうだけど」

 

 俺はマスコットか何かか、と言いたくなったが、おそらく鈴の言っていることは事実なので黙っておくことにした。

 

「ま、せっかくの祭りなんだからお互い頑張ろうぜ」

 

「そうね。ところで一夏、あたしの作ったお弁当はどう?」

 

 ビッと鈴が指さしたのは、俺が両手に抱えている黒い弁当箱。これは先ほどこいつからお昼ご飯としていただいたものなのだ。

 

「うん、うまいぞ。特に酢豚が」

 

「そっか、よかった」

 

 満足げな表情の鈴は、そのまま手元の弁当箱の中にあった卵焼きをぱくりと頬張る。

 

「そっちはどうだ? 俺の弁当、まずくないか」

 

 鈴の作った弁当を俺がいただいているのと同じく、あいつは俺が今朝こしらえた弁当を食べている。お互いがお互いのために料理を作って交換しよう、というのが今日の昼食の一番の目的であったのだ。あっちは中華風の料理で固めてくることが予想されたので、こっちは和風っぽくまとめてみたのだが。

 

「おいしいわよ。この卵焼きなんか甘さが絶妙ね」

 

「そりゃどうも」

 

 良い評価をもらえたので、ほっと胸をなでおろす。最近、あまり自分で何かを作ったりとかしてなかったからな。

 

「こうやって屋上でお弁当食べられるのも、あと2ヶ月くらいか」

 

「さすがに寒い屋外に出て昼食をとる気にはならないもんね」

 

 今はまだまだ残暑が厳しい時期だが、いずれは紅葉の季節がやってきて気温も下がっていくだろう。海外出身の生徒の中には、日本の急な気候の変化に戸惑う人もいるかもしれない。

 

「ねえ、一夏」

 

 白ご飯の最後のひとかけらを口に運んだところで、鈴が神妙な面持ちで話しかけてきた。

 

「ちょっと聞きたいんだけど……アンタって、どんな髪型が好きなの?」

 

「髪型? なんでいきなりそんなこと聞いてくるんだ」

 

「べ、別にいいでしょ! なんか不都合なことがあるわけでもないんだし」

 

「それはそうだが……」

 

 何かの雑誌に影響でもされたのだろうか。結構な真剣な様子で俺の顔を見つめている。

 ……正直、髪型に好みとかは特にない。だから、ここは鈴に最も似合うものを答えることにしよう。

 

「……やっぱり、ツインテールかな。少なくとも、鈴はその髪型してる時が一番可愛いと思うぞ」

 

「なっ……ば、馬鹿ね。あたしに似合ってるとかどうとか、そんなことは今聞いてないのに……不意打ちもいいとこだわ」

 

 ぶつぶつ言いながら顔を赤らめる鈴。……やっぱり、こいつは『美しい』というより『可愛い』系の女の子だよな。だからこそツインテールがよく映えるんだと思う。

 ……ただ、もし彼女が大人になって、色気とか艶やかさとかが増してきたとしたら――

 

「その時は、髪をおろしてみるのもいいのかもしれないな」

 

 そんなこんなで、昼休みの時間は他愛のない会話の中であっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

「悪いわね。くつろいでいたところをわざわざ呼び出してしまって」

 

 とあるのホテルの豪華な一室で、スコールはひとりの少女と向き合っていた。彼女を見つめる2つの瞳は、その少女の相変わらずの不遜な態度を隠そうともしていない。

 

「お前がそう言う時は決まって面倒事を押し付けてくるとわかってはいるが……まあ、話は聞かせてもらおうか」

 

「……エム、てめえいつになったら目上の人間に対する敬意ってモンが――」

 

「いいのよ、オータム。この娘のそういうところ、私はむしろ好んでいるから」

 

「チッ……」

 

 脇に立つ女性、オータムを片手で制しながら、スコールはエム――マドカに語りかける。

 

「話といっても簡単なものよ。しばらくの間、あなたの好きなように行動することを許可しようと思っただけ」

 

「……なに?」

 

 いつもはなかなか驚きの感情を見せないマドカが、黒色の瞳をわずかに揺らす。その反応を面白がるように、スコールは柔和な笑みを浮かべた。

 

「そろそろ、あなたとしても決着をつけておきたいのではないの? 織斑一夏に……あなたの、過去に」

 

「………」

 

 無言のまま、マドカは相手を射殺すような目つきで睨み続ける。おそらく、目の前の女性が何を考えているのかを探ろうとしているのだろう。

 

「……本当に、私の好きなようにしていいんだな」

 

「ええ。……ああ、でもひとつだけ補足させてもらおうかしら。もし、あまりにも私たちに不利益を被らせるような行動をとった場合は、少し処遇を考えさせてもらうわ」

 

「身勝手な女だ。それでは好き勝手に動けるとは言えないな」

 

「そう厳しいことを言わないで頂戴。長年私に従ってきてくれたあなたに対して報いてあげたいのは本心なのよ? ただ、私にも『亡国機業』の一員としての立場があるというだけ」

 

 ニコニコと、スコールは一瞬たりとも笑顔を崩さない。

 マドカはなおも逡巡していたようだが、最後にはこくりと頷き、

 

「ならば、勝手にさせてもらおう」

 

 そう言い残して、スコールの部屋を後にした。

 

「……さて、どうするつもりなのかしら」

 

「おいスコール。どういうつもりだ? あいつにわざわざ自由を与えてやる必要なんてどこにもねえだろ」

 

 不満げな様子のオータムは、マドカが出て行くやいなやスコールを問い詰める。もともとあの無愛想な少女を毛嫌いしていることもあり、彼女のこの反応はスコールも十分予想できていた。

 ゆえに何ひとつ動じることもなく、諭すような口調で言葉を紡ぐ。

 

「ねえオータム。あなたは、私が念には念を押すタイプだということをよく知っているでしょう?」

 

「ああ、それはそうだが……」

 

「だからこそ、大きな作戦を実行する前に試すことにしたのよ」

 

 今度の笑みは、ニコニコなどという可愛らしげなものではなかった。

 

「エムは確かに優秀な人材だけれど、同時に私たちにとっての『傷口』になり得る存在でもある。……致命傷になる前に、切り落とすかどうか今一度ふるいにかけてみる、というのもいいとは思わない?」

 

 妖艶、という表現がぴったり当てはまるようなスコールの表情が何を意味しているのか。それは彼女自身にしか知り得ぬことである。

 




自らのネーミングセンスのなさに軽く辟易しているところです。
鈴とのほのぼの(?)シーンは、今後こういうシーンがほとんどなくなるであろうことを考えたうえで挿入しました。

では、次回もよろしくお願いします。


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第42話 秘密

更新遅れて申し訳ありません。
リアルが忙しかったわけではなく、WBCに熱中したりしていたらいつの間にか時間が経ってしまっていたという次第です。


「……やはり、ここらが潮時なのかもしれないな」

 

 IS学園の生徒全員が一丸となって準備を進めてきた学園祭まで、あと1日。自らの担当する1年1組がなんとかメイド喫茶の用意を整えたことを確認した千冬は、現在学園の正門前まで足を運んでいた。

 残念なことに、彼女はこれから出張で明日の夜まで帰ってこられないのである。よって、折角の学園祭を見て回ることは不可能ということになっている。

 

「………」

 

 空はもう暗くなっており、満月がその存在を強く主張している。それをぼんやりと眺めながら、彼女は深くため息をついた。

 学園祭を見られないのがあまりに辛い、というわけではない。……少しだけ、ほんの少しだけ弟に接客してもらうことに興味は湧いていたものの、すでに諦めはついている。

 

『もしもし』

 

「一夏か」

 

『どうしたんだ千冬姉、電話してくるなんて珍しい』

 

 意を決して携帯を取り出し、おそらく寮の部屋でくつろいでいるであろう弟に電話をかける。

 

「……一夏。先ほど教室でも話した通り、私は今から学園を離れる」

 

『ああ。千冬姉に俺たちの喫茶店見てもらえないのは残念だけど、頑張るよ』

 

「それでだ。……帰ったら、お前に大事な話がある」

 

『大事な話?』

 

「そうだ。……大事な、話だ」

 

 予定より早いが、『マドカ』なる人物が現れた以上、悠長に構えている時間はあまりない。

 ……ずっと秘密にしてきたこと。それを一夏に打ち明ける時がやって来たのだと、千冬は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 いよいよやって来た学園祭当日。

 朝から午後1時まで執事としてお客様を満足させるべく働いていた俺だったが、先ほど鷹月さんから約1時間の休憩をもらったので、今は1組の教室を後にして廊下を歩いているところだ。

 

「ふう……やっぱ接客は神経使うなあ」

 

 鈴の親父さんのところでバイトしてた時以来だもんな。いろいろ気をつけなければいけない部分が多いし、IS学園での祭りということで外国人もたくさんいて緊張した。3日くらい前から接客に最低限必要な英会話を練習するよう指示されていたので、まったくオーダーが取れないということはなかったのだが。

 それでもたまにお客さんが何言ってるか聞き取れなかったため、その時は恥を忍んでクラスメイトに助けを求めたのだった。特に複数回フォローしてくれたシャルロットには感謝、感謝である。

 

「とりあえず、その辺ぶらぶらしてみるか」

 

 疲れていることもあって、特定の店に入ってみるという気にはなれなかった。

 校舎1階をぐるっと見回った後、外の空気を吸うために玄関から屋外に出る。

 

「普通の学校より屋台は少ないみたいだな」

 

 いろんな施設があるぶん、屋内に使用可能な部屋が多いからだろうか。よく学祭で通りに並んでいる出店のようなものはあまりなく、あちこちにまばらに点在しているだけのように見える。

 その中のひとつで500mlペットボトルのジュースを買って、人通りの少ないところで適当に腰を下ろした。

 

「……あんまりうまくないな、これ」

 

 飲んだことのない物が目に入ったので購入してみたのだが、結果は見事に外れに終わってしまった。

 

「やべ、なんか眠くなってきたな」

 

 昨日あまり寝てなかったのが原因か、はたまた9月中旬のぽかぽかとした陽気のせいか。学園祭の真っ最中に、俺はひとり昼寝を始めそうになっていた。

 ……まあ、少しの間仮眠をとるくらいならありか。時間通りに店に戻れるように携帯のアラームを設定して、起きられなかった場合のことを考えて箒あたりに俺が寝ている場所を記したメールでも送っておけば――

 

「お疲れのようだな? 織斑一夏」

 

 ……そんな暢気な思考は、背後からかけられた声によって一瞬にして消え去った。

 当然だ。今の声は、ここ数週間俺を悩ませ続けている、あの――

 

「お前……マドカ!」

 

「敵意に満ちた表情だな。うれしい限りだ」

 

 振り返って視界に入ったのは、学生の頃の千冬姉そっくりの容姿を持ったひとりの少女。

 

「何の用だ」

 

「少し付き合ってもらうぞ。ついて来い」

 

「はいそうですかって従うほど馬鹿じゃないぞ、俺は」

 

 謎だらけの彼女だが、ひとつだけ間違いないと言えるのは、俺たちの味方ではないということだ。警戒するのは当たり前で、素直について行ったら何が起こるかわからない。

 

「ククッ……確かに、お前に私の指示に従う義務はない」

 

 唇の端をつり上げ、マドカは俺に対して嘲笑を浮かべる。

 

「だが、残念ながらお前に選択肢は存在しない」

 

「なんだと?」

 

「簡単な話だ。お前が抵抗するなら、私はISを展開して周辺を爆撃する」

 

「な……!」

 

 なんの躊躇もなく、少女は脅しの言葉を言い放つ。……ただのハッタリではないと、俺の直感が警鐘を鳴らしていた。

 

「助けを呼んでも同じことだ。プライベート・チャネルを使用すれば私に気づかれずに通信できるだろうが……お前も、下手なリスクは負いたくないだろう?」

 

「くっ……」

 

 こっそり楯無さんあたりに連絡を入れて、うまくマドカを抑え込むことができればベストだが……もし失敗すれば、大勢の人に被害が及ぶことになる。

 ……今は、こいつに従うしかない。

 

「わかった。ついて行く」

 

「理解できたようだな。ならば、早速向かうとしよう」

 

「……どこへ、連れて行くつもりなんだ?」

 

 質問することは禁じられていないので、俺は率直な疑問を彼女にぶつけた。

 それを受けて、マドカは無表情のまま、おもむろにある方向を指さす。

 

「第6アリーナ……?」

 

 

 

 

 

 

 ――さて、これはちょっとまずいことになったかしら。

 

 心の中の弱音を表に出さないようにして、更識楯無は目の前の金髪の女性に対して微笑を浮かべる。

 

「あら、笑えるなんて随分と余裕があるようね? 生徒会長さん」

 

「さあ、どうかしらね? ところで、私としては早く道を開けてもらいたいのだけれど、スコール」

 

 笑顔というのは不思議なものだ。『笑うべき時』に出る笑いは楽しい印象を与えるのに対し、『笑うべきでない時』に浮かべられる笑みは不気味以外の何物でもない。

 それがわかっているから、楯無は余裕がなくとも笑みを崩さない。つけこむ隙を与えてはならない人間……今相対しているのは、間違いなくそういう人種であるのだ。

 

「残念だけれど、あなたの要求には従えないわ。可愛い部下の一世一代の告白を、私も助けてあげたいのよ」

 

「告白……ですって?」

 

 今現在、一夏と亡国機業の人間が一緒に行動していることは、侵入者を警戒して一夏の様子に注意していた楯無も把握している。だからこそ彼女は彼を助けようと動こうとしているのであり、そんな彼女を足止めするためにスコールは現れたのだろう。

 だが、告白とはどういう意味なのか。こちらを困惑させるための狂言なのか、それとも――

 

「……いえ、そんなことは関係ないわ。どういう事情があろうと、私は一夏くんのもとへ向かう」

 

 楯無とスコールがいるのは、学園内の一般開放されていないエリア。ゆえに、辺りを行き交う人はまったくいない。

 

「更識の当主と言っても、まだまだ子供ね。血の気が多いわ」

 

 『ミステリアス・レイディ』を展開する楯無に合わせるように、スコールも自らの身体にISの装甲を纏っていく。

 ……一筋縄でいく相手ではないことは、楯無にも予想がついていた。この戦闘は、間違いなく長引く、と。

 

「……気は進まないけど、他の子に頼るしかないわね」

 

 もっとも頼りになる人物――織斑千冬は、不在である。

 

 

 

 

 

 

「この1ヶ月の間、さぞ私のことについて頭を悩ませたことだろう」

 

 第6アリーナに入るなり、移動中は終始無言だったマドカが口を開いた。

 

「なぜ私がこのような容姿をしているのか。なぜ私が篠ノ之箒のかんざしを持っていたのか。……お前に十分考えさせたところで、解答を与えてやろうと思ってな」

 

「なに……?」

 

 教えてくれるっていうのか? こいつの正体を、こいつ自身が。

 俺の驚いた反応を見て満足したのか、マドカは口元を歪ませ、笑顔を作る。

 

「ただし――」

 

 そして、ゆっくりと右腕を上げ。

 

「お前を、少しいたぶってからだ」

 

 一瞬でISを展開し、銃口を俺に向けた。

 

「!!」

 

 こちらが慌てて白式を呼び出したのと同時に、BTライフルからビームが放たれる。

 だが、それは俺を避けるように軌道を変え、後方の壁にぶつかるのみに終わった。

 

「反応速度はなかなかのものか。これならわざわざ弾道を曲げずとも、貴様自身で処理できていただろうな」

 

「てめえ……!」

 

 今のは俺の力量を測るためのお試しの一発だったようだ。そんなお遊びが実行可能なほど、マドカには俺に対して余裕があるってことなんだろう。

 

「けど、やるしかねえ」

 

 ここ数日は、セシリアに対してかなり肉迫した試合運びが行えるようになっていた。9月の頭の頃と比べて、俺が新しい白式をよりうまく扱えるのは間違いない。

 だが、相手はそのセシリアよりも格上。勝てる見込みがあるかどうかは、正直あまり考えたくない。

 それでもこういう状況に陥った以上、逃げることはできない。背を向ければマドカが一般人に何をするか、わかったもんじゃないからだ。

 

「うおおっ!」

 

 右手に雪片弐型、左手に盾を構え、マドカの操るサイレント・ゼフィルスとの距離を詰めようと試みる。向こうが射撃を得意としている以上、懐に潜り込まなければ勝機は見えない。

 

「ほう……随分大きな盾だな」

 

 俺の特攻にも、マドカは大して驚いた様子を見せない。それも当然だ。あいつの曲がるビームを使えば、盾の届かない白式の背後に攻撃を当てることは造作もないのだから。

 だが、俺としては攻撃の来る方向が絞られるだけでも相当ありがたい。

 

「らあっ!」

 

 ビームの直撃をなんとか避けつつ、右手の武器を小型ライフル『紫電』に切り替え、短い間隔でマドカ目がけて弾丸を何発も放つ。以前は近接オンリーだった白式の遠距離攻撃に少しでも怯んでくれれば、その隙をついて瞬時加速で突っ込める可能性もあるのだが……

 

「銃も扱えるようになったか。もっとも、小細工の域は出ないようだが」

 

 そううまくいくはずもなく、ムカつくくらいに相手は落ち着き払っていた。防御用のシールドビットを展開し、紫電の弾丸をすべて止めたマドカは、俺に対して不敵な笑みを向ける。

 

「さて、そちらの攻撃は終わりのようだが……ならば、次はこちらから攻めさせてもらおう」

 

 地上近辺にいる俺に対して、上空からBTビームの嵐が降り注ぐ。

 ここはひとまず、盾を構えてやり過ごすしか……

 

『盾を捨て、突っ込むべきだ』

 

 ――盾を粒子化し、左手に雪片弐型を再展開する。そして、被弾覚悟でマドカのところまで特攻して――

 

「ぐあっ……くっ!」

 

 案の定、サイレント・ゼフィルスにたどり着くまでに白式の勢いが完全に殺され、再び地面にまで押し戻されてしまった。

 

「くそ……なんで今、俺は突っ込むなんて馬鹿な真似をしたんだ?」

 

 直前まで盾を駆使して防御することを考えていたはずなのに、急に変な思考が割り込んできた結果、ダメージを負うだけの行動に出てしまった。

 

「今度こそ、盾を構えて――」

 

 再度盾を呼び出し、マドカのいる方に構えようとした。

 ……構えようとした、はずだった。

 

「な……!?」

 

 動かない。左腕が、鉛のように重い。

 

『動くな』

 

 またさっきの変な思考が……くそ、なんだよこれ、なんなんだよ!

 

「動け、動け、動け、動け……!!」

 

 頭の中で鳴り響く声を打ち消したいがために、何度も何度も繰り返し叫ぶ。

 だが動かない。左腕どころか、いつの間にか全身が言うことを聞かなくなってしまっていた。

 

「……ふむ。思った以上に干渉しやすいな、貴様は」

 

 そこで初めて、俺はマドカの攻撃が止んでいることに気づいた。

 

「やはり機体との親和性が高いがゆえの現象か……」

 

「……何言ってるんだ、お前。俺にいったい何をしたんだ」

 

 顔だけは動かせたので、精一杯彼女を睨みつけながら言葉を紡ぐ。状況からいって、こいつが何かしたせいで体が動かなくなったのは間違いない。

 

「答える義理はないな。……これ以上攻撃すれば意識を失いかねないことだし、そろそろ貴様で遊ぶのは終わりにしておこうか」

 

 ISを解除こそしないが、戦闘はここまでだとばかりにマドカはBTライフルを粒子化させ、ゆっくりと俺に近づいてくる。……最初に言っていた、あいつの正体について教えてやるという、あの話をするつもりなのだろうか。

 

「織斑一夏。貴様、小さい頃の記憶が曖昧だろう?」

 

「……それが、どうしたっていうんだ」

 

「思い出がある程度鮮明になり始めるのが、小学1年生の時に篠ノ之箒と出会ったあたりからではないか? さらに言えば、記憶がかなりはっきりとしてくるのは小学3年生の9月ごろからのはずだ」

 

「………!」

 

 当たっている。年はともかく、月なんて他人に話したことすらないのに。

 

「なんで、お前がそれを……」

 

「図星のようだな。天災の篠ノ之束博士と言えども、専門外の脳科学では完璧にことを運ぶことができなかったらしい」

 

 束さん? どうしてここであの人の名前が出てくるんだ。

 

「喜ばしいよ。今までのうのうと生きてきた貴様に、真実を突きつけてやる日をどれだけ待ったことか」

 

 本当にうれしそうに、マドカは気持ち悪いほどきれいな笑顔を俺に向ける。

 

「なぜ篠ノ之束の名前が出てきたのか、と思っているだろう? 単純な話だ。貴様の記憶に齟齬が生じないように手を加えたのが彼女だからだよ」

 

「な……に……?」

 

 全身に悪寒が走る。こいつは、いったい、何を。

 

「7年前の9月27日、9歳の誕生日を迎えた織斑一夏は誘拐された。織斑千冬はなんとか彼を取り戻そうとしたが、結局戻ってきたのは彼ではなく、織斑一夏のクローンだった」

 

「は……?」

 

 心臓を直接鷲づかみにされたような、ぞっとする感覚。

 ……俺が、クローンだってのか? 馬鹿馬鹿しい、そんなことあるわけ――

 

「………」

 

 否定できない。そんなことあり得ないと思っているはずなのに、はっきり違うと言い切ることができない。

 

「本物の織斑一夏など、もうこの世にはいない」

 

 頭がぐちゃぐちゃになっている俺を嘲るように、マドカはさらなる『真実』を告げてきた。

 

「ひとりは出来損ないのクローン。そしてもうひとり、本当の織斑一夏だった人間は……男であることを捨てさせられた」

 

「……ま、さか」

 

「貴様は私の模造品だ」

 

 ――頭の中が、真っ白になった。

 




今回だいぶ話が動きました。ここから最終回までは一直線に進めていきたいと思います。

では、次回もよろしくお願いします。


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第43話 ニセモノ

AGPの鈴ちゃん高すぎる……いや、AGPなんだから当然っちゃ当然なんですが。


「ちょっとどいて!」

 

「すまない、急いでいるんだ!」

 

 人混みを押しのけ、鈴と箒は第6アリーナまでの道を一目散に駆け抜ける。

 

「一夏……!」

 

 たまたま2人で一緒にいた時に、楯無からプライベート・チャネルによる通信が入ってきたのが5分前のこと。本来校則で禁じられているはずの『ISの一部機能の使用』を行ってきた生徒会長に疑問を抱いた鈴たちだったが、話を聞き終えた瞬間にはすでに体が動き出していた。

 走って、走って……人がまばらになってきたところで、ようやく目的地がはっきりと視界に入る。

 

「はあ、はあ……」

 

 息は乱れているが、そんな些細なことは気にしていられない。目配せだけで互いの意図を理解した鈴と箒は、それぞれの専用機を呼び出し、そのままアリーナ内部のピットを経由して中央のステージへ突入した。

 

「一夏っ!」

 

 最初に見えたのは、白式を身に纏った一夏が呆然と空を見上げている姿。そしてその視線の先、数メートル上空のところで、イギリスの第三世代型が悠然と浮かんでいた。他にISはいないところを見るに、別の場所にいたセシリアたちはまだ到着していないようだと鈴は判断する。

 

「マドカ……!」

 

 隣で『雨月』を構えた箒が、戸惑いを含んだ声でサイレント・ゼフィルスの操縦者に呼びかける。話に聞いた通り、確かに彼女の顔立ちは千冬のそれによく似ていた。

 

「……お前たちか。この男の危機にすぐさま駆けつける気概は立派なものだが、一足遅かったようだな」

 

 鈴と箒の存在に気づいたマドカは、慌てる様子もなく2人の方へと視線を向ける。

 

「なんですって……?」

 

 彼女の発言に言い知れぬ不安を抱いた鈴は、そこで初めて一夏の様子がおかしいことに気づく。

 

「一夏……?」

 

 まず、今この場に味方が2人加わったということに気づいていない。鈴と箒には一瞥もくれず、虚ろなその目は焦点が定まっていないように思えた。

 

「どういうことだよ」

 

 オープン・チャネルから、一夏の生気の抜けたような声が聞こえてきた。ただごとではないと感じた鈴は、すぐさま彼のもとへ向かおうとして。

 

「俺がお前のクローンって、どういうことだよ」

 

 その言葉に、思わず体が固まってしまった。

 

「は……?」

 

「クローン……だと?」

 

 発言の意味が理解できず、鈴も箒も呆けたように一夏と……そしてマドカを見つめる。

 

「どういうことも何も、先ほど話した通りの意味だ。もともと織斑一夏として生きていたのはこの私で、貴様はそのコピーにすぎない。それだけのことだ」

 

 淡々と、まるでそれが事実であるかのように答えるマドカ。

 そんな彼女の言葉を否定するために、鈴は声を張り上げる。

 

「何馬鹿なこと言ってんのよ! そんなデタラメ、信じるわけ――」

 

「デタラメだという証拠がどこにある? 凰鈴音」

 

 こちらを小馬鹿にしたような口調で、マドカは鈴に語りかける。

 

「アンタ、あたしの名前……」

 

「知っていても不思議ではないだろう。仮にも君は代表候補生、加えて織斑一夏の近くにいる人間だ。……まあ、君は何も気にする必要はない。私が偽物にとって代わられたのは9歳のころだ。ゆえに、今まで君が接してきたのは最初から最後までそこの出来損ないだよ」

 

 鈴が一夏と出会ったのは小学5年生のはじめ、つまり10歳の時。マドカの言うことが本当なら、彼女と鈴はこれが初対面ということになるのだろうか。

 だが――

 

「待て。だとしたら、マドカ……お前は……そんな、そんなことが本当に……?」

 

 途切れ途切れの言葉が、箒がどれだけ混乱しているのかをはっきりと示していた。

 彼女が一夏と出会ったのは小学1年生のころ、別れたのは4年生の終わりだと鈴は一夏から聞かされている。つまりそれは、箒が知っている織斑一夏が2人存在するということ。

 

「とても信じられない、といった反応だな」

 

 顔面蒼白な箒を見て目を細めつつ、マドカは再び一夏へと視線を移す。

 

「だが、事実だ」

 

 その時、異変が起きた。

 

「な、なんだ。なんだよこれ……」

 

 一言漏らしただけであとは黙り込んでいた一夏が、急に何かに怯えるかのように後ずさりを始める。

 

「知らない、俺はこんなの、知らない」

 

「一夏! ねえ一夏ってば!」

 

 今度こそ一夏のもとまでたどり着いた鈴は、そこで彼の異常な様子に背筋を凍らせる。はっきり見える体の部位は顔だけだが、流れる汗の量が尋常ではない。頬は引きつり、瞳はこれ以上ないほど恐怖の色を浮かべている。

 

「アンタ、一夏に何をした!」

 

「忘れさせられていた記憶を掘り返してやっているだけだ。都合のいいことに、私にはそれができるだけの力がある」

 

「なっ……」

 

 そんなことが可能なのか、という疑念が脳裏をよぎるが、今気にかけるべきは一夏が苦しんでいるという事実だ。手段を問うている場合ではない。

 

「今すぐやめなさい!」

 

「無理だな。私は奴の苦しむ姿を見るためにここまで来た。これはささやかな復讐ということだ」

 

「知らない。俺は、ああ、あ……」

 

 これが、ここまで一夏を追い込むのが『ささやかな』復讐だと、マドカは表情を変えることなく言い切った。

 

「……やめなさいよ。一夏は、こいつは何も知らなかったんでしょう? 確かにアンタにとっては許せない相手かもしれないけど、だからって!」

 

 彼の怯える姿を見ているうちに、鈴の心にはふつふつと怒りの感情が湧いてきていた。

 マドカの言葉が真実で、ここにいる一夏がクローンだとしても……一夏自身は、何の自覚も持っていなかったはずだ。夏休みにマドカの存在に戸惑っていた様子に嘘偽りは見受けられなかったし、今この場で事実を突きつけられて混乱しているのが何よりの証拠だ。

 事情をすべて把握したわけではない。むしろわからないことだらけだが、それでも鈴はなんとかしてマドカを止めなければならないと考えていた。

 真に責められるべきは何も知らなかった一夏ではなく、こんな状況を作り出した連中のはず。だというのに、これ以上彼を苦しめるというなら、それは――

 

「八つ当たり、とでも言うつもりか」

 

 鈴の考えを見透かしたかのように、マドカは彼女の言葉を途中で遮る。

 

「く、くくっ……ハハハ」

 

 そして何がおかしいのか、くぐもった笑い声がその口から漏れだした。

 

「君の言う通りだよ、凰鈴音。これは紛れもない八つ当たりだ。だがそれがどうした? あいにくと私は悪人でな、今さらそんなことに罪の意識を感じたりなどしない」

 

 無表情だったマドカの顔つきが愉悦に歪む。狂気さえも感じられる彼女の笑みに寒気を覚え、鈴は思わず後退する。

 

「私を誘拐した組織の正体はいまだ不明。ゆえに復讐しようにもそのやり方がわからない。だからといって、感情のはけ口を用意しないわけにもいかなかった。なぜ私がこんな劣悪な環境に置かれなければならないのか、なぜ女になる以外に生きる道が残されていなかったのか! ……だから見える対象を憎むことにした。そうしなければ、何かを悪とみなさなければ、自分を保っていられなかったからだ。織斑一夏は私の生きる原動力であり、同時にこの世で最も忌むべき存在なのだよ」

 

「………っ」

 

 マドカの意思の大きさが、ひしひしと感じられる。これほどまで強い悪意に、鈴は相対したことがなかった。

 だが、いつまでも気圧されていてはいけない。隣で苦しむ少年を、これ以上放っておくことはできないのだ。

 

「やめなさい」

 

「止めようと思うのなら、実力行使に出ることだな」

 

「っ! やめろって、言って――」

 

 もう限界だと、双天牙月を取り出した鈴が空中に飛び出そうとした時だった。

 

「やめろっ!!」

 

 オープン・チャネル越しに飛び込んできたその叫びに、鈴だけでなくマドカも硬直した。

 

「もう、やめてくれ……!」

 

 声の主は、先ほどから呆然と立ち尽くしていた箒だった。拳を握りしめ、今にも泣き出しそうな表情でマドカを見上げている。

 

「………」

 

 しばし、2人の視線が交錯する。

そのうちに、鈴の背後から大きな音が近づいてきた。

 

「一夏さん!」

 

「無事か!」

 

 振り返ると、すでにISを展開したセシリア、ラウラ、シャルロットがステージに乗り込んできたところだった。3人の視線は一夏、鈴、箒と動いていき……最後に、侵入者であるマドカを捉える。

 

「……興醒めだな」

 

 瞬間、サイレント・ゼフィルスは上昇を始め、BTライフルと6機のビットをある1点に向ける。

 

「まずい!」

 

 いち早く反応したラウラの声で、鈴もマドカの狙いに気づく。彼女の射撃の標的はアリーナのシールドバリヤー。そこに強引に穴を開けて逃亡するつもりなのだ。

 逃がすわけにはいかないと、龍咆に意識を集中させて砲撃を放とうとする。

 

「え……?」

 

 だが、撃てなかった。一刻を争う事態だというのに、一瞬『撃つべきでない』という不可解な思考が頭に浮かんでしまったのだ。

 そして、それはラウラたちも同じようだった。全員唖然とした表情で、武器を構えたまま動きが止まっている。

 ……ワンテンポの攻撃の遅れは、侵入者の逃走を許すには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 それは、今まで見たこともない映像だった。

 まだ小学校中学年くらいの体つきをした俺が、裸のまま知らない大人たちに囲まれている。……いや、2人だけは知っている人間だった。白衣に身を包んだ男と女は、記憶の奥底に眠る両親の姿と一致していた。

 やがて俺は小さな部屋に移され、そして――

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか太陽は沈んで、代わりに満月が夜空に昇っていた。

 

「………」

 

 気がつけば、俺は保健室のベッドの上に寝かされていた。マドカと会って、話を聞かされて、証拠とばかりに知らない記憶を見せつけられて……その後のことは、よく覚えていない。

 

「目が、覚めたか」

 

 顔を横に向けると、椅子に座った千冬姉が俺を見つめていた。

 

「1時間ほど前に学園に戻ってきた。それまでこの部屋には箒や鈴音たちがいたのだが、私ひとりにさせてもらえるよう頼んだ」

 

「……どうして」

 

「昨日伝えた通り、大切な話があるからだ」

 

 そういえば、そんなことを言っていた気がする。

 昨晩の電話でのやり取りを思い出して、そして気づいた。今、このタイミングで話を切り出すということは、つまりその内容は。

 

「……千冬姉は、知ってたのか? 俺が、本物の織斑一夏じゃないってこと」

 

 何時間か眠ったからか、不思議と思考は落ち着いている。だけどそれとは裏腹に、俺が発した声は呆れるくらいに震えていた。

 その問いに、千冬姉は一度目を伏せてから、

 

「知っていた」

 

 はっきりと、答えを口にした。

 

「私たちの両親は、科学者……それもかなり過激な思考を持った人たちだった。私が生まれたころはそうでもなかったようだが、時が経つにつれ次第に生物研究に没頭していき、恐らく法に触れるような人体実験も何度か行った」

 

 淡々と過去を語る千冬姉。俺にはそれが、どこか感情を押し殺しているように感じられた。

 

「ある時彼らは、女性の遺伝子から男性のクローンを作り出そうという試みを始めた。なぜそんな考えに至ったのかまでは把握していないが、とにかくその結果生まれたのが織斑一夏という赤ん坊だった」

 

 ……ということは、本物の織斑一夏も模造品だったのか。

 俺は、コピーのコピーという存在にすぎないのか。

 

 

 

 

 

 

「弟が自分の遺伝子から作られたことは聞かされていたが、私はそれを気にすることはなかった。大事な弟として、一夏に接し続けた」

 

 ――なんと説明すればいいのだろう。

 

「10年前、両親は突然私たちの前から姿を消した。理由はわからない。ただひとつ、これからは2人で生きていかなければならないという現実だけがはっきりと突きつけられた」

 

 なんと謝ればいいのだろう。

 

「束と知り合い、やつがISを誕生させた。私も一連の騒動に一枚噛んでいたのだが、何より優先させたのは弟の存在だった。……その、つもりだった」

 

 ずっと、目の前の少年をだまし続けてきた。

 

「7年前、両親に関する情報が私の耳に入った。ISは女性にしか扱えないと言われているが、本当にその定義が正しいかどうかはわからない。女性の遺伝子から作られた存在ならば、あるいはISを動かせるかもしれない。それを確かめるために、彼らと彼らの仲間が一夏のクローンを作って実験台にしようとしている――端的に説明すれば、そういった内容の話だった。『これ以上、両親に非道徳的な真似はさせたくない』……安っぽい正義感に乗せられて、私は彼らを止めるために動いたんだ」

 

 まだ、懺悔の言葉を口にすることはできない。一度感情を表に出せば、きっと止まらなくなってしまう。すべてを語り終えるまでは、なんとか抑えていなければならないと、千冬は自らに何度も言い聞かせる。

 

「おそらく、両親たちとは別の組織が意図的に情報を流したのだろう。束の手を借りて私が研究所に乗り込み一夏のクローンを助け出している間に、自宅にいたはずの弟が忽然と姿を消していた。罠にはめられたと気づいた時、私は目の前が真っ暗になったように感じた」

 

 ベッドの上の一夏の顔を、直視することができなくなってきた。

 

「私がISを使って研究所に乗り込んだ際の騒動の中で、いつの間にか両親は命を落としていた。不可解な死に方だったが、真実を明らかにすることはできなかった」

 

 あれも、一夏を誘拐した組織の手によるものなのか。今となっては確かめる手段はない。

 

「私が研究所から連れ帰った一夏には、本物の一夏の記憶が詰め込まれていた。おそらく容易に記憶のバックアップが取れるよう、両親が前もって一夏の脳に細工を施していたのだろう。まだ生まれたばかりのはずの少年は、自分が知らないうちに何者かに誘拐され、それを姉である私が助けてくれたのだと信じ込んでいた」

 

 罪の意識に押し潰されそうになりながらも、千冬は口を動かし続ける。それが、彼女に課せられた絶対の義務であるから。

 

「もし彼がクローンであるという事実を突きつければ、幼い彼の精神は崩壊してしまう恐れがある。束にそう指摘された私は、悩んだ末に彼の織斑一夏としての記憶を保持していくという結論を出した。後になって不審がられないように、研究所での出来事に関する記憶を消し、そして彼は私の弟になった」

 

 これまでずっとひた隠しにしてきたことを打ち明けた千冬は、そのまま深く頭を下げる。

 

「お前が高校を卒業したら……すべてを受け入れられる年頃になったら、本当のことを話すつもりだった。それが、こんな形で知られてしまうなんて……すまなかった」

 

 ぽろりとこぼれた謝罪の言葉。それと同時に、溜めこんでいた感情がせきを切ってあふれ出す。

 

「すまない、すまない……! 全部、私が愚かだったからだ。もっと早く、お前に事実を伝えるべきだった! 恐れている場合ではなかった……。そのせいで、お前にこんな辛い思いをさせてしまった。本当に……ごめん」

 

 涙を流す資格が、今の自分にあるのだろうか。そう思いつつも、千冬の目からはとめどなく透明の液体が流れ続ける。

 

「……ひとつだけ、言い訳をさせてくれ。私は確かにお前が本物の織斑一夏ではないことを知っていたが……それでも、お前を本物の弟だと思っているのは本当だ。これだけは信じて欲しい」

 

「……そうか」

 

 千冬の話を聞き終えた一夏は、消え入るような声でそうつぶやいた。

 

「……そうか」

 

 姉を見つめる弟の表情は、どこまでも無機質なもので。

 一夏が今、何を思い、何を感じているのか。千冬には、それを読みとる術はなかった。

 




ここにきて後書きに特に書くことがなくなるという事態。

とりあえず、次回もよろしくお願いします。


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第44話 苦悩と覚悟

「入ってかまわないかしら。エム」

 

「鍵は開いている。勝手にしろ」

 

 IS学園の学園祭から一夜明けた朝。自室のベッドで横になっていたマドカのもとに、彼女の上司が訪ねてきた。

 

「気分はどう?」

 

「別に。いつも通りだ」

 

「それは少し拍子抜けね」

 

 ベッドの空いたスペースに腰掛け、スコールはマドカに笑いかける。彼女のこういう笑顔を嫌っているマドカは、寝転がった体勢のまま視線を合わせない。

 

「自分のクローンに現実を突きつけて、少しは愉悦に浸っているのかと思っていたのだけれど……何か気に入らないことでもあったのかしら。そもそも、中途半端に痛めつけただけであの場から離脱したのはなぜ?」

 

「ただの気まぐれだ。奴を再起不能にするなら、一度時間を置いてたっぷり苦しんでもらってからの方がいいと思った。それだけだ」

 

「メインディッシュは最後にとっておく、という考え方ね。まあいいわ、この件に関して私は深入りするつもりはない。……あなたの表情が冴えないのは、気にかかるところだけど」

 

「話は終わりか? ならさっさと出て行け。私はもう一眠りする」

 

「そう急かすものじゃないわよ」

 

 スコールの手がマドカの腰辺りに伸ばされ、そのまま彼女の体を撫でまわす。

 手つきに性的な何かを感じたマドカは、不快な感情を隠そうともせずにその手を払いのけた。

 

「気分転換だと思って、ひとつ仕事を頼みたいの」

 

「内容は」

 

「ちょっとアメリカまで飛んでもらって、基地に収納された『銀の福音』を奪ってくるだけの簡単な作業よ」

 

「とても簡単だとは思えんがな。あれだけの騒ぎを起こした機体だ、今でも警備には念を入れているだろう」

 

「そうでしょうね」

 

 マドカの言葉に頷きつつも、スコールは楽しそうな笑みを崩さない。

 

「だけどエム、あなたにとっては十分可能なことでしょう? あなたのサイレント・ゼフィルスのワンオフ・アビリティーは、略奪と逃走に適した代物なのだから」

 

 

 

 

 

 

 学園祭の翌日は、午前中いっぱいを使って生徒全員で片づけを行うことになっている。

 

「それじゃあ、やっぱり一夏は出てきてないのね」

 

「ああ。体のほうに傷はなかったから、もう自分の部屋に戻っているようだが……」

 

 クラスメイトの目を盗んでこっそり2組の教室を抜け出した鈴は、1組にいた箒から一夏に関する話を聞いていた。

 

「そっか……」

 

 アリーナでの一件以降、鈴は一夏と言葉を交わしていない。心配で心配で仕方なく、今すぐにでも声を聞きたいのは事実なのだが、状況が状況ゆえ強引に会いに行ってかまわないものかと尻込みしてしまうのだ。

 

 マドカが逃亡してすぐ、彼は意識を失ってしまった。その後彼を保健室に運び、たまたまそこにいた山田真耶に事情を説明した――クローン絡みの話だけは伏せておいたが。

 しばらくの間は皆で一夏の意識が戻るのを待っていたのだが、夜になって千冬が出張から帰ってくると全員席を外してくれと頼まれてしまった。最初は抵抗しようとしていた鈴だったが、千冬のあまりに悲痛な表情を見ては何も言うことができなかった。

 ……福音事件の際に一夏が重傷を負った時でさえ、彼女はあそこまで感情をあらわにはしていなかった。そうなると、やはり千冬は以前からあのことを知って――

 

「あ、いたいた。篠ノ之さん、凰さん。少しお話があるので来てください」

 

「山田先生」

 

 教室の出入り口付近でひらひらと手を振っている真耶の後ろには、セシリアやシャルロット、ラウラといったいつもの面子が揃っていた。

 

 

 

 

 

 

 真耶の先導で、一同は職員室に移動した。

 

「まずはこれです。とりあえずいろいろと調べ終わったので、皆さんにお返しします」

 

 そう言って彼女が取り出したのは、ブレスレットやペンダントなどの小物類――これらはすべて鈴たちの専用機の待機状態である。昨日の騒動の後、検査を行うために白式を含めてすべて真耶に預けたのだ。

 

「それで先生。どこかおかしなところとかはありませんでしたか?」

 

 シャルロットのした質問は、5人全員が答えを求めているものでもあった。

 そもそも、白式以外は戦闘を行っていないのになぜ検査を頼んだのか。その理由は、マドカが離脱するときに彼女たちが感じた思考の違和感の原因を調べるためである。

 あの時、箒を除く4人は間違いなくマドカを攻撃しようとしていた。にもかかわらず、全員が『攻撃するべきでない』と一瞬考えてしまい、反応の遅れにつながった。考えられる原因としては、やはりマドカが何かを行ったということなのだが――

 

「結論から言うと、検査した6つのISのコアすべてに、なんらかの干渉を受けた痕跡が残っていました」

 

「干渉?」

 

「はい。具体的に何が原因なのかまでは突き止められなかったんですけど、細かいデータが書き換えられていたのは間違いありません。特に白式は他に比べて異常が多かったです。ただ、こちらで修正を行っておきましたし、コアには自己修復機能も備わっているので今後問題が起こることはないと思います」

 

 真耶の説明を聞いて、鈴は改めて昨日の出来事を思い返す。

 マドカは、一夏の忘れていた記憶を掘り起こしているのだと言っていた。あれも、思考にノイズを発生させる現象の応用なのだろうか。

 

「あくまで推測ですが、コアへの干渉がマドカという人の所持するサイレント・ゼフィルスのワンオフ・アビリティーなのではないかと私は考えています。コアに異常を与えることで、コアとシンクロしている操縦者の思考を阻害しているのかもしれません」

 

 そうなると、マドカのサイレント・ゼフィルスはすでに第二形態移行を経験していることになる。その結果手に入れたのが相手への精神干渉能力なのだとしたら、これほど厄介なことはない。

 

「とにかく、このことについては他の先生方ともよく話し合ってみます。詳しいことがわかればまた伝えますね」

 

 普段の頼りない雰囲気はどこにもなく、今の真剣な表情をしている真耶は元国家代表候補生としての風格を十分に漂わせていた。

 揃って彼女に一礼し、5人は職員室をあとにする。

 

「とりあえず、疑問はひとつ解決したわけだが」

 

 扉が閉まったところで、ラウラが鈴と箒に視線を向けた。

 

「お前たち、何か隠し事をしていないか」

 

 彼女らしい直球の内容の質問に、セシリアとシャルロットは首をかしげ、箒は神妙な面持ちになる。自分がどんな顔をしているかはわからないが、おそらく鈴も箒と同じような表情をしているだろう。

 

「隠し事? どういう意味ですの、ラウラさん」

 

「そのままの意味だ。昨日から思っていたことだが、『マドカ』の名が出るたびに箒も鈴も妙な反応をしている。それで、2人は私たちの知らない何かを知っているのではないかと考えた。アリーナにたどり着いたのも早かったしな」

 

 ラウラの追及に、鈴は箒と顔を見合わせる。……ここですべてを説明してしまうという選択は、やはり独断で行っていいものではない。

 

「教えてくれ。私の知らないところで何が起こった? 昨晩、教官はなぜあれほど憔悴しきっていたのだ?」

 

「……あたしたちの口からは答えられない。当の本人である一夏が話すまで、待っててくれないかしら」

 

 ラウラの紅い瞳を真っ向から受け止め、鈴ははっきりとそう言い切った。今は、これしか言えないと判断したためだ。

 

「……そうか。そう言われては、こちらとしても待つしかないな」

 

「ごめん」

 

「なぜ謝る? 一夏を想っての行動なのだろう、何も問題はない」

 

「それより、早く片付けに戻ろうよ」

 

「あまり長い間抜けていると怒られてしまいますわ」

 

 ラウラもセシリアもシャルロットも、それ以上は何も尋ねてこなかった。

 鈴はもう一度箒と見合わせ、互いに小さな笑みを浮かべた。一夏も自分たちもいい友達を持ったものだと、そう思ったのだ。

 そして、前を歩く3人に続いて1年生の教室に戻ろうとしたのだが。

 

「凰、篠ノ之。ここにいたか」

 

 聞きなれた声が背後からしたので、5人とも一斉に後ろに振り返る。

 

「ちふ……織斑先生。どうかしたんですか」

 

「2人に話がある。少し時間をとらせることになるが、大丈夫か」

 

 箒の問いに、千冬はいつもの引き締まった表情で用件を説明する。ただどこか無理をしているように見えるのは、鈴の思い過ごしだろうか。

 

「それじゃあ、僕たちは先に戻ってるから」

 

 先ほどの会話と合わせて空気を察したのだろう。シャルロットたちは足早にこの場から離れていった。

 

「わかりました。話を聞きます」

 

「私も問題ありません」

 

「ここでは誰かに聞かれる可能性がある。寮の私の部屋まで来てもらうぞ」

 

 鈴と箒がうなずき、3人は学生寮まで移動する。

 

 ……そして、そこで2人は一夏に関する話を千冬から打ち明けられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 あれから、何日経ったのだろう。

 3日か、それとも4日か。そのあたりだと思うのだが、どうにもはっきりとしない。ずっと部屋にこもって、座ったままほとんど何もしていないのだから、ある意味それも当然かもしれない。

 

「あ……?」

 

 ヴーヴーと、近くの床に置いてあった携帯が震えだす。どうやらメールを受信したらしい。

 おもむろに携帯に手を伸ばし、画面を開く。

 

9/17 17:32

From 更識簪

Sub 大丈夫?

よくわからないけど、何

日も学園を休んでいるみ

たいだから

あと、打鉄弐式は無事完

成しました

 

「……まさか、簪さんからメールが来るとは」

 

 少し驚きながらも、受信日時をもう一度確認する。学園祭が13日だったから、4日経ったというのが正解らしい。

 この4日間、俺は部屋から一歩も外に出ていない。ひとりになりたいと、そう思ったからだ。ここが一人部屋で本当に良かった。

 

 ヴー、ヴー

 

「またか」

 

9/17 17:35

From ラウラ・ボーデヴィッヒ

Sub

何度も言うが、食事だけ

はしっかりとるようにし

ろ。体を大切にな。食べ

たいものがあれば持って

行ってやる。

 

「今度はラウラからか」

 

 同じような内容のメールを毎日受け取っているような気がする。それだけ、俺のことを心配してくれているのだろう。

 ラウラだけじゃない。セシリアやシャルロット、楯無さんやクラスメイトの人たちからも複数のメールを受け取っている。今メールを送ってくれた簪さんも含め、たくさんの人が俺という人間を気にかけてくれている。……俺みたいな、どうしようもない人間を。

 

「偽物なんだよ」

 

 俺は、織斑一夏のクローンだ。だけど、それが問題なんじゃない。ただ遺伝子が同じというだけなら、なんとか受け入れることだってできたかもしれない。

 

「借り物なんだよ」

 

 ――お前は、必ず私が守るから。

 

 俺の中にある、最も古い記憶。両親がいなくなって泣いていた俺を優しく抱きしめてくれた、千冬姉の暖かさ。

 それは、俺の原点。俺が『守る』ことを目指すようになった、最大の理由。

 ……だけど、それは俺の記憶じゃない。本物の一夏のものだ。

 

「作り物なんだよ」

 

 俺を形作ったものは、俺の中には存在しない。他人の記憶をもとにして、勝手に理想を追い続けていただけにすぎない。

 

「何もないんだよ」

 

 そもそも、それは本当に理想だったのか?

 俺が織斑一夏であるための、防衛本能のようなものだったんじゃないのか?

 始まりの記憶がそれだったから、執着し、失わないために『守る』ことを目標にしたのではないのか?

 

「俺は」

 

 不安だ。

 

「クローンで」

 

 心がざわつく。

 

「他人の夢を追いかけていただけの」

 

 落ち着かない。

 

「空っぽな、人間なんだよ」

 

 俺は、なんなんだ?

 

 

 

 

 

 

「すまないな。こんなところに呼び出してしまって」

 

「いいのよ。あたしもちょうど、箒と話したいと思ってたし」

 

 放課後の屋上で、鈴と箒は一緒に夕陽を眺めていた。

 

「もう、4日も経つのか」

 

「あいつ、ちゃんとご飯食べてるのかしら」

 

 話すことは、もちろん一夏について。マドカと千冬から真実を知らされて以降、2人とも彼とコミュニケーションをとれていない。何と言っていいのかわからず、メールも送れていないのだ。

 

「食堂にもまったく顔を出していないらしいが……部屋に食糧はあるのだろうか」

 

「一応、普段から一夏には衝動買いしておいしくなかったカップめんとかお菓子とか押しつけてるから食べるものには困らないと思うけど」

 

「……そうなのか」

 

 鈴の発言に少し毒気を抜かれた様子の箒だったが、すぐに物憂げな表情に戻って口を開く。

 

「一夏がクローンだという話を聞いた時は、本当に驚いた。信じられないと思った。だけどひとつだけ、納得のいくことがあったんだ」

 

「納得のいくこと? どういうことよ、それ」

 

「お前と一夏がつきあい始めた時のことだ。私は失恋したことを悲しみながらも、どこか冷静だった。予想していた以上に、早く諦めがついたんだ。……あれはもしかすると、心のどこかで違和感を感じていたからかもしれない。小学生の頃には気づけなかった、入れ替わる前の一夏と入れ替わった後の一夏の違いを、無意識に感じていたのだろうかと、今になって思い始めたんだ」

 

「自分が好きになった男の子と違う人だったから、諦められたってこと?」

 

「そういうことになる」

 

 そこまで言って、箒はフッと自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

「もっとも、気づけたのはすべてを教えられた後だったのだがな」

 

 自分がもっと早くに真実にたどり着いていれば、こんな状況にはならなかったかもしれない。箒の言葉には、そのような言外の意味が込められているように感じられた。

 

「なあ、鈴。私は、どうしたらいいのだろうな?」

 

「………」

 

「……いや、すまない。お前に聞くようなことではなかった。こればかりは、私自身が答えを出さなければならないことだ」

 

「そうね。アンタとあたしは違うもの。自分がどうすべきかは、自分で決めなくちゃいけない」

 

 箒の話を聞いて、鈴はあることに思い至った。

 

「同じことよね。あたしがすることは、あたし自身が決めなきゃならない」

 

 鈴も箒も一夏も千冬も、みんな違う立場で今の状況を見つめているはずだ。だからこそ、自分がどうするべきかは自分にしかわからない。

 

「だったら」

 

 IS学園に来た当初のことを思い出す。一夏と再会したところまでは良かったものの、そこからお互い勝手な思い違いをして、臆病になって、元の関係に戻るまでに時間を要してしまった。

 ……もう、あの時と同じ過ちは繰り返したくない。

 

「あたし、行ってくるわ」

 

「行ってくる? どこにだ」

 

「決まってるでしょ」

 

 自分勝手な行動だと思われるかもしれない。だが、それでも決めたのだ。今、自分がやるべきことを。

 幼馴染として、彼女として。

 

「あいつを、ひっぱたいてでも部屋の外に連れ出すのよ」

 

 勝気な笑みとともに、鈴は箒に堂々と宣言した。

 




今回は伏線回収回というかなんというか、とにかくそんな感じでした。
一夏と鈴のカップリングが成立した時に箒が感じた違和感の正体。マドカのワンオフ。一夏の守ることへの執着。このあたりは前々から描写するだけしておいて放り出していたので……

マドカのワンオフについては、つまり

マドカの脳→ゼフィルスのコア→相手ISのコア→相手の脳
って風に干渉を与えるという感じです。ぶっちゃけ干渉の程度によってはチートもいいところなのですが、まあそのあたりは追々と。

あと、メールに関しては携帯電話の画面を想像して読んでくださるとありがたいです。どのキャラがどんな雰囲気のメールを打つのかは想像の広がるところではありますが、ラウラは確実に句読点をきっちり入れた文章を書くと思います。

では、次回もよろしくお願いします。


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第45話 いつだって強引

エイプリルフールですけど、特に嘘が思いつかない。つくづく自分がつまらない人間だと痛感させられます。


「……腹へったな」

 

 何もしないで部屋に閉じこもっていても、1日1回は食事をとらないと腹の虫が鳴くのをやめてくれないことを、この4日間で俺は学んだ。

 時計を確認すると午後7時をまわったところ。閉め切っているカーテンをちらりとめくると、太陽はとっくに地平線の向こうに沈んでいた。

 

「何か食うか」

 

 おもむろに立ち上がり、食糧を収納している棚の前まで移動する。中には、鈴にいらないからと押し付けられたカップめんやら菓子類やらが所狭しと詰め込まれていた。

 昔から、あいつには一目見てうまそうだと感じた商品を大量購入する癖がある。だが結構な確率で本人の口に合わないものを引き当てるので、そういう時は余ったぶんを無理やり俺に渡してくるのだ。

 

『ただであげるんだから別にいいでしょ? いいからありがたく受け取りなさいよ』

 

 なんとも勝手な言い分だが、そのおかげでこうして部屋の中に食べ物が貯まっているのも事実。今回はあいつの強引さに感謝するべきなのかもしれない。

 

「激辛ぺヤングにするか」

 

 これなら自然と水を大量摂取するから、腹もふくれるだろう。

 真っ赤なパッケージのカップやきそばを取り出し、熱湯を注いで3分。流しに湯を捨ててソースその他を混ぜ込めば完成。実に簡単である。

 

「いただきます」

 

 箸を手に取り、まずは一口。

 

「辛っ」

 

 うまいけど辛すぎる。以前に弾や鈴からそんな感想を聞いていたが、まったくもってその通りだ。2,3口食べたところでコップの水が空になってしまった。

 

「やべ、辛すぎて涙出てきた」

 

 食べ物を残すのは礼儀に反するので、全部食べきる以外に選択肢はない。結構な苦行だが、まあ致し方あるまい。

 

「………」

 

 ――暢気なもんだな。

 

 心の中から、暗い声が聞こえてくる。俺に現実を突きつけようとする容赦のない声が、頭の中で反芻する。

 

「いくらなんでも辛すぎるだろ、これ」

 

 それを無視するように、やきそばをすすり続ける。あわよくば、辛さで頭が麻痺してくれないものかと無茶苦茶な期待を抱きながら。

 そうして思考を逸らしていないと、またさっきみたいに余計なことを考えてしまう。

 ……俺は、必死に現実から逃げていた。

 

 コンコン

 

 そんな時、部屋の扉をノックする音がした。2,3日前はセシリアやラウラたちが何度か訪ねてきていたのだが、毎度部屋に入れるのを拒んでいるうちに誰も来なくなっていた。ひとりになりたいという俺の気持ちを察してくれたのだろう。

 では今、ドアを鳴らしているのは誰なのか。

 

「一夏。中にいるわよね」

 

「………」

 

 彼女の声を聞くのは、ずいぶん久しぶりな気がした。ついこの間までは、いつも俺の近くで騒がしく響いていたというのに。

 

「……鈴か」

 

「そうよ。中に入るから鍵開けて」

 

 この数日間、鈴からは電話もメールも来ていない。そんなあいつが部屋の前まで足を運んでいるということは、何かしら面と向かって言いたいことがあるのだろうが……今の俺には、鈴と顔を合わせるだけの勇気がなかった。

 

「悪いけど、今はひとりにさせてくれないか」

 

 扉越しに、拒絶の言葉を投げかける。これまで訪ねてきた人は、この一言で素直に引き下がってくれていた。

 

「ああ、悪いけどアンタに拒否権はないわよ」

 

 予想外の返事が返ってくるとともに、ドアのロックががちゃりと音を立てて解除される。

 

「うわ、無精ひげ。完全にひきこもりニートの外見になってるわね」

 

「お前、どうやって」

 

「寮監から鍵借りてきた。以上」

 

 寮監……千冬姉か。

 驚く暇もなくずかずかと部屋に入り込んできた鈴は、そのままどかっと床に腰を下ろした。

 

「……強引だな。お前」

 

「アンタは十分知ってるでしょう。あとアグレッシブと言いなさい。響きがいいから」

 

「確かに、そうかもな」

 

『勝負よ! 勝った方が負けた方に何でもひとつ言うことを聞かせられる! 拒否権はなし!』

 

『一夏!! 勝ちなさい! 負けたらハーゲンダッツの大きい方30個おごってもらうんだからね!』

 

 昔から、お前は強引なやつだった。よく、覚えているよ。

 

「……で。なんであたしの方を見ようとしないのよ」

 

「言ったろ。今はひとりでいたいんだ。誰とも関わりたくないんだよ」

 

 鈴の顔から目をそむけ、少し語気を強めて話す。どうにか、これで諦めてもらえないだろうか。

 

「へえ、そうなの。それで? アンタはいつまで部屋にひきこもったままでいるつもりなのかしら?」

 

 だが俺の意思も虚しく、鈴は立ち去るどころかさらに俺の心に踏み込んできた。

 

「自分がマドカのクローンだから落ち込んでるの? 正直、あたしからしたら少し羨ましいくらいなのよね。千冬さんもあいつもあれだけ強いんだから、クローンのアンタもISの才能あるの確定じゃない」

 

「……そういう問題じゃ、ないだろ」

 

「じゃあどういう問題だっていうのよ。記憶を埋め込まれただかなんだか知らないけど、そんな昔のことを引きずっても仕方ないでしょうが。むしろ前向きにとらえる方が精神的にいいと思うけど?」

 

 昔のこと? 引きずっても仕方ない? ……そんな簡単に処理できることなら、俺だってこんなことになってないんだよ。

 沸々と湧いてくる黒い感情。それを知ってか知らずか、鈴は変わらず俺に捲し立てる。

 

「アンタ、結局怖いだけでしょう? 自分がクローンだってこと。マドカに憎まれていること。現実が恐ろしいから、こうしてひとりになって逃げようとしている」

 

「……やめろよ」

 

 うるさい。それ以上しゃべるな。

 

「何日もくよくよして、いろんな人に迷惑かけて。学校だっていつまでサボる気? 小さいことを気にしてないで、さっさと切り替えなさいってのがわから――」

 

「やめろって言ってるだろ!!」

 

 気づけば、反射的に鈴の胸倉をつかんでいた。怒りの感情そのままに、彼女の顔を睨みつける。

 

「お前に……お前に何がわかるんだよ! 偽物の俺の気持ちが、わかるはずないだろ!」

 

 溜めこんでいたものを吐き出すように、言葉が次々と口をついて出てくる。

 

「最初の記憶が、俺のはじまりが他人のものだって言われたんだぞ? 今まで信じてきたものが全部偽物で、全部崩れ落ちたんだ。空っぽなんだよ、今の俺は! なのに――」

 

 なおも怒りをぶつけようとして、俺は。

 

「……やっと、話してくれたわね。アンタの気持ち」

 

 鈴の口から漏れた言葉に、熱くなっていた頭が一気に冷えた。

 胸倉をつかまれたままの鈴は、口の端をつりあげて、そして。

 

 ――思い切り、俺の顔面に右ストレートを叩き込んだ。

 

「がっ……!?」

 

 手加減なしの一撃を受けて、体が床に倒れこむ。口の中では鉄の味が広がり始め、頭は今も少しくらくらする。

 

「何す――」

 

「バカ」

 

 今度は俺が胸倉をつかまれる番だった。

 横になっていた体を無理やり起こされ、視界に鈴の顔が入ってくる。

 

「バカ、バカバカバカバカ! 大バカ!! 二度と自分を空っぽだなんて言うな!」

 

 怒っていた。今まで見てきた中でも一番と言っていいくらい、鈴の表情から怒りが滲み出していた。

 

「千冬さんから、アンタの生まれに関する話は詳しく聞いたわ。だから、アンタの9歳までの記憶が他人の物だってことも知ってる。そしてアンタがそのことでどれだけ苦しんでるのかも、さっきの言葉で理解したつもり」

 

 でも、彼女の顔に表れているのは決して怒りだけではなかった。

 

「一夏が『みんなを守る』ことを夢にしてたのも知ってる。銀の福音にあたしがやられそうになった時も、必死に守ってくれたもんね。……その、守るって夢を目指すようになったきっかけは、マドカの記憶の方にあったのよね?」

 

「……そうだ。だから俺は」

 

「でも、だからってアンタの行動すべてがあいつの借り物になるとは思わない。だって、アンタとあいつは違う人間だもの」

 

「なに……?」

 

 俺の胸倉をつかむ鈴の腕は、小刻みに震えていた。

 

「確かに記憶は偽物かもしれない。でもね、その記憶からアンタが感じたことは、間違いなくアンタ自身のもののはずよ。そして、アンタが生まれてからやってきたこと。学校行って、勉強して、遊んで……あたしと友達になってくれて、お父さんとお母さんの離婚を止めてくれて、あたしの彼氏になってくれた。これは全部、一夏自身が選んだこと」

 

 本当に、そうなのだろうか。俺には確証が持てない。

 

「あたしが保証する。『織斑一夏』をずっと見てきたあたしがはっきり言ってあげる。アンタは空っぽなんかじゃない。……何もないようなやつに、あたしが惚れると思う? あんまり見損なわないでよ」

 

 怒っているはずの鈴の顔は、いつの間にか涙に濡れていた。

 俺のために、泣いてくれていた。

 

「始まりが何かなんて関係ない。今ここにいるアンタは、馬鹿で鈍感で女たらしで、そのくせいざって時には頼りになる、世界でただひとりの、かけがえのない、あたしの大好きな――」

 

 鈴の言葉は、最後まで続かなかった。

 すべてを聞き終える前に、俺が彼女の唇を塞いでしまったから。話を聞いているうちに、どうしても彼女に触れたくなってしまったから。

 

「………っ」

 

 キスをしながら、鈴の体を強く抱きしめる。その体温が、俺にはとても暖かく感じられた。

 

「……バカ。最後までちゃんと言わせなさいよ」

 

「ごめん」

 

 数十秒たって、ようやく俺は唇を離す。……鈴に触れたことで、少しだけ心を落ち着かせることができた。

 

「俺、怖いんだ。俺は本当に俺なのかって。自信が持てないんだ」

 

 心の中の不安を、素直に吐露する。気づけば俺は、彼女に救いを求めていた。

 

「たとえ世界中の人がアンタを偽物だと言っても、あたしはそれを絶対に否定してみせる。アンタは織斑一夏だって、胸を張って言えばいいのよ」

 

 そう言って、鈴は笑顔を見せてくれた。

 彼女の腕が俺の腰にまわされ、再び抱き合う形になる。

 ぬくもりが全身に伝わり、俺の目からは理由もわからず涙がこぼれていた。

 

「鈴」

 

 お前が、そう言ってくれるなら。怒鳴り散らしながら、必死に、強引に俺の手を引っ張ってくれるなら。ずっと俺を見てきてくれたお前が、俺を織斑一夏だと信じてくれるなら。

 

「俺、頑張るから」

 もう一度、立ち上がれるかもしれない。

 

「だから……今日は、このまま甘えさせてくれ」

 

「……うん」

 

 どちらからともなく、唇を重ねあう。冷え切った体が、それだけで熱を帯びたような気がする。

 ……今だけは、何も考えずにこの甘さに浸っていたいと、そう思った。

 

 

 

 

 

 

「――か。一夏。朝よ」

 

「ん……」

 

 目が覚めると、視界に入ってきたのは天井……ではなく女の子の顔だった。

 

「鈴」

 

「朝ご飯どうする? いきなりアンタが食堂に顔出したらすごい騒ぎになりそうだし、あたしが適当に取ってこようか?」

 

 そうか、昨日は鈴と一緒に寝たんだった。とても暖かかったのをよく覚えている。

 

「それもそうだな。悪いけど、頼めるか」

 

「りょーかい」

 

 昨晩の雰囲気が嘘のように、鈴の様子は元気そのものだった。そんないつも通りのこいつの態度が、今はとてもありがたい。

 

「ありがとうな。規則破ってまで一緒にいてくれて」

 

 寮の規則に、男子の部屋に女子を泊めてはならないという旨のきまりがはっきりと記載されていたはずだ。

 

「一夏が元気になってくれるなら、そのくらいの規則はいくらでも破ってやるわよ。……まあ? 一晩一緒に寝て、キスくらいしかされなかったのは少し予想外だったけど?」

 

「なっ!? ば、馬鹿。さすがに寮の部屋で一線越えるわけにはいかないだろ!」

 

「確かにね。そこまでしちゃったら千冬さんにどれだけひどい目に遭わされるかわかったもんじゃないし」

 

 冗談よ、とくすくす笑う鈴。……参ったな。昨夜の出来事を経て、こいつの何気ない仕種ひとつひとつにドキッとするようになっている気がする。簡単に言うと、惚れ状態からベタ惚れ状態に移行してしまったらしい。

 

「……あたしは、あのまま奪われちゃってもよかったんだけどね」

 

「え? 今なんか言ったか?」

 

「ううん、何も。じゃ、食堂行ってくるわね」

 

 一言言い残して、鈴は駆け足で部屋を出て行った。

 足音が聞こえなくなったところで、俺は大きくため息をつく。

 

「馬鹿。聞こえてるっての」

 

 あんなセリフ聞かされたせいで、体が変に火照っている。

 とりあえず、しばらくはうっかり性欲を爆発させてしまわないよう注意を払わなければならないだろう。

 

「って、暢気なもんだな。俺も」

 

 この状況で、色恋について頭を悩ませているなんてな。

 だけどもちろん、現実から目を逸らすつもりはない。

 

「勝つしかないよな。あいつに」

 

 越えなければならない壁がある。俺を憎んでいる、本物の織斑一夏だった人間。

 あいつとの決着なしに、俺は前には進めない。

 

「まずは、千冬姉に詳しい話を聞いて――」

 

 ドドドドド……

 

「ん?」

 

 地響きとともに、何かがこちらに近づいてきている。というかこのパターン、前にもあったような――

 

『織斑くん!!』

 

「のわあっ!?」

 

 案の定、大量になだれ込んでくる女子生徒たち。ほとんどが1年生だが、ちらほらと上級生用のリボンをつけている人も見受けられる。

 

「織斑くん、もう大丈夫なの?」

 

「どこか体とか悪くしてない?」

 

「元気ですか! 元気なんですか!」

 

「ごめん一夏、バレちゃった」

 

 次々に質問を浴びせてくる女子たちに紛れて、鈴が両手を合わせてごめんなさいのポーズをとっていた。

 

「ま、待ってくれみんな。そんな一気に話されても困るって」

 

「4日も外に出ないでご飯はどうしてたの?」

 

「まさか水だけとか?」

 

「というか無精ひげ生えててなんだかワイルドだね!」

 

 俺の制止の言葉も届かず、騒ぎはどんどん大きく……って、まだ人数が増えるのかよ!?

 

「ま、まあ、それだけアンタが愛されてるってことでいいんじゃない?」

 

「いや、確かにそうかもしれんがお前も笑ってないで事態の収拾のために動いてくれ!」

 

 苦笑いを浮かべている鈴に向かって叫びながら、俺はなんとかこの場を静めようと思考をめぐらせ始める。

 

「あーもう、本当にうちの学園の生徒はアグレッシブでしょうがないな……ははっ」

 

 頭を抱えながらも、なぜか俺の口からは笑いがこぼれてしまっていた。

 




彼氏が落ち込んでいるときに全力パンチを叩きこむ、これぞ暴力系ヒロイン……というのは冗談です。ただ、鈴は言葉よりも先に手が出るというのは多分事実なはず。でも愛ゆえだから可愛いね。

この作品においては、織斑一夏という存在の絶対的な肯定を行えるのは鈴しかいないです。

今回の話で、僕の理想とする一夏と鈴のカップリング上の関係っぽいものが大体描写できたのではないかと思います。詳しく語りたいのはやまやまですが、それは物語を完結させてからの方がいいと思うので今回はやめておきます。あくまで僕という個人の理想なので、受け付けないという人には申し訳ありませんとしか言えません。

では、次回もよろしくお願いします。


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第46話 反撃の狼煙

今さらな話題ですけど、ISアニメ2期やるみたいですね。花澤さんがうっかりもらしちゃったとかなんとか。
これを聞いて、また動く鈴ちゃんが見られるんだ!とか喜んでいたのですが。

4巻のプール→多分カット
5巻→チャイナ服とシンデレラだけ
6巻→一夏と出かけられるはずだったのに上司の妨害。戦闘はセシリアメイン。
7巻→

あれ、ぶっちぎりで出番なくないですか?わりとマジでチャイナしか希望がないんですが……空気ヒロインまったなし?


 朝っぱらから大量の女子たちが部屋に押しかけてくるというハプニングはあったものの、俺はその日、久しぶりに学園に登校した。廊下や教室でもかなりの回数声をかけられたが、もう大丈夫だとはっきり返事をしておいた。

 

「やっぱり4日もサボったのはでかいよなあ。知らない間に授業が進んじまってる」

 

「それなら、あとで昨日までのぶんのノート貸そうか?」

 

「いいのか? サンキューシャルロット」

 

「お安い御用だよ」

 

 そして現在、いつもの5人と一緒に食堂で昼食をとっているところだ。……いつもの、とは言ったが、こうして誰かと楽しく飯を食べるのは久しぶりな気がする。

 

「どうやら、本当に大丈夫そうだな」

 

「やはり鈴さんのおかげですの?」

 

 ラウラとセシリアも、午前中の俺の様子を見て安心してくれたようだ。声にも安堵の色が感じられる。

 

「ああ……なんとか立ち直れたってところだ。みんな、心配してくれてありがとうな」

 

 他人との接触を拒んでいた俺に対して、諦めずにメールを送ってきてくれたことは本当にうれしかった。あとで楯無さんや簪さんにも直接お礼を言いに行かないとな。

 

「……一夏」

 

 と、ここで今まで黙っていた箒が意を決したように俺に話しかけてきた。

 

「どうした、箒」

 

「少し話したいことがある。放課後、2人きりになれる時間を作ってもらえないだろうか」

 

「2人きり?」

 

「そうだ」

 

 真剣な顔つきでお願いされては、断る理由もない。

 箒が何について話そうとしているのかは見当がつくし、それを聞くことに対する恐怖はもちろん存在する。だけど、遅かれ早かれ聞かなければならない話だ。

 

「わかった。けど、先に鈴と一緒に千冬姉に会いに行く約束を取り付けてるんだ。だから、話すのはその後にしてくれないか」

 

「千冬さんと……?」

 

 俺の言葉に、鈴を除く4人が驚いたような表情になる。

 

「本当はあたしが行く必要はないんだけどね。いわゆる付き添いってやつ」

 

 鈴の補足はまさしくその通りである。今の俺には、まだ彼女の助けが必要だ。

 

「そうか。なら、用事が済んだら私の部屋に来てくれ」

 

「了解だ」

 

 千冬姉の話を聞いて、それから箒の話を聞く。心に堪えることもあるかもしれないが、それに向き合うことが俺の意思であり、義務でもあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 そして、迎えた放課後。

 

「……なあ、トイレ行ってきていいか」

 

「ついさっき行ったところでしょ。却下よ却下。ここまで来て逃げることは許されないわ」

 

「それはそうなんだけどさ。やっぱり尻込みしてしまうというか」

 

 俺と鈴の眼前には、寮の中の千冬姉の部屋につながるドアが厳然とそびえ立っている。実際は何の変哲のない扉があるだけのはずなのだが、少なくとも俺の目には『そびえ立っている』ように見えた。

 ……情けない話だが、まだすべてを完全に振り切ることができたわけではないらしい。

 

「大丈夫よ」

 

 立ち往生している俺の手を、鈴がぎゅっと握ってきた。そこから伝わる体温によって、昨夜の出来事を思い出す。

 

「よし」

 

 後押しを受けて、ようやくドアをノックすることに成功する。

 

「織斑先生。いらっしゃいますか」

 

「……入れ」

 

 許可を得て部屋に足を踏み入れると、千冬姉が2人分の椅子を用意して待っていた。

 

「座ってくれ。それと、もう敬語を使う必要はない」

 

 机の上に紅茶入りのティーカップを並べた後、千冬姉も残った椅子に腰を下ろす。

 

「千冬姉」

 

 準備が整ったところで、腹をくくって話を切り出す。つないだままの鈴の手が、背中を押してくれている気がした。

 

「俺がどういう経緯で生まれて、どうやって育ってきたのかはわかった。それでさ、あいつ……本物の一夏について、何か知ってることはないのか?」

 

 喉がカラカラに渇くような感覚。

 自分からこの話に踏み込むのには、やっぱり怖い。だが現実を見ると決めた以上、いつまでも受け身のままでいるわけにはいかないのだ。

 俺の質問に一瞬目を見開いた千冬姉だったが、すぐに何かを悟ったような顔つきになると、俺と鈴を交互に見ながら口を開いた。

 

「つい最近まで、あいつの消息については完全に不明のままだった。生きているのかどうかさえわからなかった。……転機が訪れたのは、銀の福音の暴走事件の時だ」

 

 福音事件――臨海学校中に起きた、軍用ISの暴走だ。あの日俺は初めてマドカと出会い、完膚なきまでに叩きのめされた。

 

「確証があったわけではない。むしろ『そんなことがありえるのか』という思いの方が強かった。だがお前と箒からサイレント・ゼフィルスのパイロットに関する話を聞いた時、もしやと感じたのは事実だ。束も同じようなことを言っていた」

 

「束さんも?」

 

「やつは私よりも確信を持っている様子だったがな。それが正しかったのだと認識したのは、お前から夏祭りでの一件を伝えられた時のことだった。その時から、近いうちにお前にすべてを話そうと機会をうかがっていたのだが……臆病な私は、何かが壊れてしまうことを恐れてなかなか言い出せなかった。本当に、すまなかった」

 

「もういいよ。終わったことなんだし、千冬姉が俺のことを想ってやってくれたことなんだから。それより、ちゃんと話してくれてありがとう」

 

 目を伏せる千冬姉に、偽らざる本心からの言葉を投げかける。俺を守るために行ってきたことを、責めるつもりは最初からない。

 

「ということは、マドカについて知ってることは」

 

「現在『亡国機業』という組織に所属している可能性が高い、ということだけだ。あいつが学園に現れたのと同時刻に、更識楯無が組織の他の人間と戦闘を行っている。各国のISを強奪している集団の一員であるなら、イギリスの第三世代型を所有しているのも納得がいく」

 

 鈴の言葉を引き継ぐようにして、千冬姉は説明を続ける。『亡国機業』というのは、かなり以前から活動を行っているとされる影の組織で、世界各地で生産されたISを奪っているらしい。それを使って何をたくらんでいるのかは、いまだ明らかになっていないようだ。

 

「私が把握しているのは以上だ。あいつが今までどうやって生きてきたのか、どんなことを考えているのか、どれほどの実力を持っているのか。すべてわからないままだ」

 

「そうか……」

 

 千冬姉は無表情を装おうとしているようだが、辛そうな様子を隠すことはできていなかった。けれどそれは仕方のないことだ。千冬姉にとってマドカは大切な家族のはずで、そいつが女になって亡国機業に所属しているなんて聞いたら落ち込むのも当然だと思う。

 

「もうひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

 

「なんだ」

 

 俺ができることと言えば、何があるだろう。さっきみたいにお礼を言う以外に、何をしてやれるだろう。

 

「俺がISを動かせるのは……その、やっぱり、女の人の遺伝子から作られたクローンだからなのか?」

 

 答えを見つけるためにも、今はできるだけ多くのことを知りたい。

 

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える」

 

「どういうことだ?」

 

「お前が白式を起動できるのは、確かに私の遺伝子による影響だろう。私が最初に触れたISのコア、つまり白騎士のコアが、今は白式のコアとして私と似た存在であるお前を受け入れている。これが私の考えだ」

 

「……ちょっと待ってくれ。白式のコアって、白騎士のやつがそのまま使われてるのか」

 

「知らなかったわ……。白騎士に乗っていたのが千冬さんだったって説は信じてたけど、そのコアがすぐ近くにあったなんて」

 

 初めて聞いた事実に驚き、鈴と顔を見合わせる。10年ほど前に世界を震撼させたISが、形を変えて俺の相棒になっているなんて思いもしなかった。

 

「一夏。お前は白式以外のISを起動させたことがあるか」

 

「白式以外? えっと、受験の時に偶然動かしちまったのと、そのあと日を改めて試験ってことで模擬戦やったのと……その2回だけだな」

 

「その2回はおそらく束の仕業によるものだ。ゆえに、お前が白式以外の機体を動かした回数はゼロということになる」

 

「……え? 束さんの?」

 

 なんだか、さっきからとんでもないことを次々とカミングアウトされている気がする。もし受験の時の一件が束さんの手によるものだとしたら、俺がIS学園に入る羽目になったのも。

 

「何を考えているのかは理解できないが、お前をIS学園の生徒という立場に仕立て上げた張本人はあの馬鹿だということだ」

 

「マジかよ……」

 

 本当に、なんでそんなことをしたんだあの人は。俺が白式を動かせるだろうという確証があったってことなのか。

 

「おそらくだが、仮に訓練機を動かそうとしても、お前には不可能だと考えられる。だとすれば、マドカという女性が生まれてしまったことにも一応の説明がつく」

 

「っ! それってつまり――」

 

「ISに乗れるようになるために、女になったってことですか!?」

 

「……あまり考えたくはないが、可能性としては最も高い。誰の手によって行われたのかまではわからないにしてもだ」

 

 鈴の言葉に、千冬姉は苦虫をかみつぶしたような表情でうなずく。

 

『本当の織斑一夏だった人間は……男であることを捨てさせられた』

 

 福音事件の時と学園祭の時に、あいつが俺に向けてきた憎悪の感情。あれほどまでの悪意をぶつけられたのは、生まれて初めてだ。

 マドカが俺を殺したいほど憎んでいるのは間違いないだろう。あいつがいるはずだった居場所に陣取り、今まで何も知らずに生きてきたのだから。

 

「………」

 

「一夏、大丈夫か」

 

「顔色、よくないわよ」

 

 黙り込んでしまった俺を不安に思ったのか、千冬姉と鈴が心配そうに声をかけてきた。

 

「大丈夫だ。ちょっと頭の中を整理してただけだから」

 

 昨日までのネガティブ全開の状態に比べれば、今は健康そのものと言っていい。いろいろ考えることはあるが、2人を安心させるために笑顔を作る。

 

「……そう」

 

 手を握る力が、少し強くなった。ちょっぴり痛みを感じるくらいに。

 

「一夏。もうひとつ、白式についてお前に伝えておきたいことがある」

 

 その声で、つながれた手に向いていた視線を千冬姉の方に戻す。あっちから話を始めるのは、今日この場においては初めてのことだ。

 

「白式のワンオフ・アビリティー、つまり零落白夜に関してのことだが……ああいや、違うな。あれは正確にはワンオフ・アビリティーではないのかもしれないのだった」

 

「……は?」

 

 どうやら、口をあんぐり開けてしまう展開はまだまだ続くらしい。

 

 

 

 

 

 

「鈴音」

 

 話し合いが終わって2人が部屋を出ようとしたところで、千冬が鈴を引き止めた。IS学園に転入して以降プライベートで会うことがほとんどなかったので、下の名前で呼ばれたのはかなり久しぶりのことである。

 

「すまないが、少し残っていてくれないか」

 

「あ、はい。いいですけど」

 

「じゃあ、俺は箒のところに行ってくる」

 

 一夏が立ち去り、鈴は再び椅子に腰を下ろす。こうして千冬と2人で向き合うのは、臨海学校の初日の夜以来だ。

 

「この間も、私とお前の2人きりで話したことがあったな」

 

 向こうも同じことを考えていたらしく、あの時の話題を持ち出してきた。

 

「あの夜、私が言ったことを覚えているか」

 

「ええと……一夏と結婚したいのなら、あいつを支えられるだけの強さを持て、でしたっけ」

 

 交わされた言葉の数々から、最も印象に残っていたセリフを抜き出して答える。今思えば、あの発言の裏には一夏の出生に関する千冬の不安も含まれていたのだと鈴には感じられた。いつか彼が本当のことを知らされた時、しっかり支えてあげられるような人間がそばにいてほしいという願いの表れだったのだろう。

 

「そうだ。そしてお前は、今回のことであいつを救ってくれた。そばにいる者として、あいつを支えてくれた。本当に感謝している。ありがとう」

 

「あ、ありが……!? い、いやいや、あたしなんてちょっと一夏の部屋に乗り込んで怒鳴っちゃっただけで、あいつが立ち直ったのはあいつ自身の力といいますか、その」

 

 『苦手な人間』である千冬に礼を言われるのは初めてのことで、しかも頭まで下げられたことで鈴は困惑してしまう。

 

「謙遜するな。一夏を立ち直らせたのは、間違いなく彼女であるお前の助けがあってこそだ。先ほども、あいつの心を落ち着かせるためにずっと手を握ってやっていただろう」

 

「それは、確かにそうですけど」

 

「素直に礼を言わせてくれ。お前は、私にできないことをやってくれたんだ」

 

「……じゃあ、素直にお礼を受け取っておきます」

 

 もしかすると、千冬は鈴を一夏の将来の伴侶として認めてくれたのかもしれない。少なくとも、彼女の出した『条件のひとつ』をクリアしたのだと認識されているのは間違いないと考えられる。

 多少論理が飛躍しているような気もしながら、鈴は内心喜びの感情が湧き上がってきて。

 

「とはいえ、男子の部屋に泊まるという規則違反を犯した罪は消えないが」

 

「え」

 

 続く一言で、一気に頭に冷や水をぶっかけられた。

 

「あ、あはは……ご存知でしたか」

 

「もちろん、お前にやましい考えがなかったのは理解している。だが、ここでお咎めなしにしては事情を知らない生徒たちにしめしがつかないのもまた事実だ。今度どこかの店で食事をおごるから、おとなしく罰則を受けてくれ」

 

「……はい」

 

 今朝がた、一夏のためなら規則くらい破ってやるとは言ったが、それでもやはり罰を受けないに越したことはないのだ。

 落胆しながら、鈴は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「それで、話ってなんなんだ?」

 

 千冬姉の部屋を出た俺は、その足で箒の部屋を訪れ、現在彼女と2人きりで屋上にいた。部屋にはルームメイトである鷹月さんがいたため、箒が場所を変えようと提案したのだ。

 

「う、うむ……鈴が覚悟を決めたのだから、私もいい加減はっきりした態度をとらねばならないと思ってな」

 

 夕陽をバックにして、箒は俺に向き合う。視線は、真っ直ぐ俺の目を捉えていた。

 

「私の初恋の相手は、確かにお前じゃない」

 

 その言葉に、思わず目を逸らしてしまいそうになる。

 箒が初めて仲良くなった男の子――高校生になっても恋い慕っていた織斑一夏は、俺じゃない。わかっていたことではあるが、こうして声に出されると余計にそれを痛感させられる。

 

「だが一夏、これだけは知っておいてくれ。私はお前のことも大好きだ。異性としての恋愛感情とかではなく、子供の頃、そしてこの半年間をともに過ごしてきた、大切な仲間として」

 

「箒……」

 

「ずっとお前自身を見ることができていなかった私に、こんなことを言う資格はないのかもしれない。でも、それでも、私は――」

 

「そんなことねえよ」

 

 今にも泣きだしそうな顔になっている箒を見ていられず、彼女の体を強く抱き寄せる。

 

「資格がないなんて、そんなこと全然ない。ありがとう、箒。今の言葉、すげーうれしかった」

 

「いちかぁ……」

 

 箒の中にも、ちゃんと『俺』が存在していた。その事実だけで、十二分に喜ばしいことだ。

 

「箒」

 

 同時に、俺の中でひとつの踏ん切りがついた。

 今朝も考えたことだが、他人に聞かせるのはこれが初めて。

 

「俺、次はあいつに勝ってみせる」

 

 あいつを知っている箒の前で宣言することで、もう後戻りができないように自分を追い込む。

 

「そのために、白式のワンオフ・アビリティーを完成させてみせる」

 

 これは、絶対に逃げられない戦いだ。

 




鈴ちゃんは持ち上げた後オチをつけてあげないとなんとなく落ち着きません。なぜだろう。
今回はつなぎ回としての役割が強いです。次回もこんな感じになりそうです。

感想等あれば気軽に書き込んでください。喜びます。
では、次回もよろしくお願いします。


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第47話 2人の一夏

終わりが見えてきたけど、同時に春休みの終わりも見えてきた……このままだと最後の最後で更新ペースが落ちることになりそうです。


「10月1日。キャノンボール・ファストまで、あと3日か」

 

 パソコンのウインドウ右下のデジタル時計の表示が0:00に切り替わり、新しい1日が始まる。

 自室で書類作成を行っていた千冬は、キーボードを叩く手を止めて手元にあったコーヒーを一口すすった。

 

「今さら中止にしたいなどという希望が通るわけもないな」

 

 学園祭で起きた騒動の後処理を考慮するという形で、本来なら9月末に行われるはずだったキャノンボール・ファストの開催は1週間延期された。

 だがそれが精一杯。各国政府の目がある以上、大会そのものを中止することは叶わず、3日後には臨海地区の市営アリーナに生徒たちが集まることになる。

 当日の会場は一般人にも開放される。さらに学園の外に出るとなれば、それを好機ととらえてよくない動きを企む連中が出てくる可能性は十分にある。

 たとえば、それは亡国機業――とりわけその中の、織斑一夏を狙う人物。

 

「一夏……」

 

 千冬の頭に浮かぶのは、彼女の知る2人の弟の姿。片方には、7年前から直接会うことはできていない。

 彼が生きていたこと自体は、素直にうれしいと思う。だがそれと等しく、彼女の心には大きなダメージが与えられた。……彼を苦しめ、復讐に駆り立てたのは、他ならぬ自分の過ちが原因だと、そう考えたからだ。

 7年前のあの日、一夏をひとりにしなければ――

 

「悔やむだけでは、何も変わらないか」

 

 自嘲気味に笑い、千冬は再び思考をキャノンボール・ファストについてへと戻す。

 とにかく、現状最優先で警戒しなければならないのは一夏の身の安全だ。狙われているのがはっきりしている以上、やはりなんとか理由をでっちあげて大会に参加させないようにするのが――

 

 そこまで彼女が考えた時、机の上に置いてあった携帯が震えはじめた。

 画面に表示された名前を見て、千冬の表情がわずかに強張る。

 

「このタイミングでか……」

 

 果たして今度は何をやらかそうとしているのか。大きく息をついてから、千冬は携帯の『応答』ボタンを押した。

 

「何の用だ、束」

 

「やあやあちーちゃん、久しぶりだねえ。声が聞きたかったよ~」

 

「私は別に聞きたくなかったが?」

 

「もう、ちーちゃんは相変わらずのツンデレさんだなあ」

 

「……用件があるなら早くしろ。私も忙しいんだ」

 

 電話に出るなりハイテンションで語りかけてくる束に辟易しながら、千冬は適当に言葉を返していく。

 

「つれないなー。せっかく束さんがいっくんのことで『私にいい考えがある!』って言おうと思ったのに」

 

「何?」

 

 その発言で、千冬の表情がさらに硬くなる。

 

「どこまで知っている」

 

「ちーちゃんが知ってることは全部知ってるんじゃないかな~」

 

 どうやって、と聞くのは野暮な話だ。彼女が知っていると言うなら、本当に知っている。それが事実なのだから。

 

「それで、いい考えとはどういうことだ。今度は何を企んでいる」

 

「企んでるとは失礼な。前にも言ったけど、私はいっくんの意思を尊重するつもりってだけだよ、ぶいぶい」

 

「一夏の意思、だと?」

 

「そうだよ」

 

 ふざけた口調だった束の声が、少しだけ真面目な色を帯びたものに変わる。

 

「どのみち、女の子になっちゃった方のいっくんを助けるためには私の力が必要だよ。いっくん同士が白黒つけるためにも、私の案に乗っかるのが得策だと思うけど」

 

 

 

 

 

 

「はあ、はあ……」

 

「今日はここまでだな。アリーナの使用時間いっぱいだ」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンを操るラウラが地上に降りるのに従い、俺もゆっくりと地面に白式の足をつけた。

 

「ありがとうなラウラ。貴重な時間を割いてくれて」

 

「他の皆も同じことをやっているのだ。むしろ私だけしないのは逆に不公平になってしまう」

 

 ここ2週間、俺は日替わりでいろんな人にISの指導を受けていた。鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、楯無さん、そして千冬姉。同時に、そのメンバーには俺の生まれのことも正直に話した。みんな驚いていたが、最終的には俺のことを今までと変わらない扱いで受け入れてくれたのだった。

 

「しかし一夏。無理に私たちの動きを真似ようとする必要はやはりないのではないか? お前にはお前の戦闘スタイルというものがあるのだから、下手を打ってそれを崩してしまうと後々面倒なことになるぞ」

 

「それはわかってるつもりだ。けど、今はとにかくいろんな動きを見て、少しでもいいから頭に叩き込んでおきたい」

 

「……まあ、実際にそれで手応えを感じられているようだからな。余計な世話だったか」

 

 納得した様子でうなずくラウラ。彼女がそう言うということは、俺の動きが確かに成長している証だ。千冬姉に教えてもらったワンオフ・アビリティーの方も、結構様になってきた気がする。

 

「夕飯はおごるから一緒に行こうぜ。何が食べたい?」

 

「今日は酢豚が食べたい気分だ」

 

「なんだ、鈴に影響されでもしたのか?」

 

「そうかもしれないな。明日はラーメンと餃子にでもするか」

 

 冗談めいた笑みを浮かべているのを見て、俺は思わず吹き出してしまった。

 

「な、なんだ。何がそんなにおかしい」

 

「いや、悪い。転入してきた時と比べて、本当に変わったなと思ってさ」

 

 初対面でビンタされて、とんでもないやつが来たもんだと感じたのが懐かしい。あのころの敵対関係から今のようになるとは考えもしていなかった。もちろん、これはいい意味での誤算だ。

 

「そうだな。お前のおかげだ、一夏」

 

「そりゃどうも」

 

「私はお前のことが好きだ」

 

「そりゃどうも……って、ええっ!?」

 

「恋愛感情ではないから安心しろ」

 

「そ、そうだよな。びっくりしたあ」

 

 ラウラにまで惚れられたら、俺どんだけモテてるんだってことになるしな。さすがにこれ以上増えるなんてことはありえないだろう。

 

「お前のことが好きだから……急にいなくなったりは、絶対にするな」

 

「……ラウラ」

 

 すがるように俺を見つめる瞳には、心配の色が浮かんでいた。

 

「当たり前だろ」

 

 だから、俺は胸を張ってその言葉に応える。

 

「俺もラウラのことは好きだからな。妹みたいに思ってるし」

 

「そうか、なら安心……いや待て、私が妹というのは納得いかん。どう考えてもお前が弟だろう」

 

 一瞬浮かんだ笑顔を崩して、不満げに口をすぼめるラウラ。そういう仕草が妹っぽいと言ったら怒るんだろうな。

 

「あいにくとこれ以上姉はいらないんだ。とびきり厳しいのがひとりいるからな」

 

 

 

 

 

 

 今日の放課後も、箒は学園から出てあてもなく街中を歩きまわっていた。

 2週間前から続けているこの行動の目的はただひとつ。もう一度マドカ――一夏と会うこと。それだけのために、彼女は疲れも気にせず常に足を動かし続けていた。もしかすれば外出中のマドカに出会えるかもしれないという、小さすぎる望みにすがりながら。

 

「だが、こうするしかないだろう」

 

 無駄だ、諦めろという心の声を打ち消すように、箒の口からつぶやきが漏れる。

 探し人がこの近辺にいるという保証はない。それでも、彼女と話がしたいという思いは、止めることができなかった。

 このままだと、2人の一夏は必ず戦うことになる。マドカは一夏を憎んでいるし、一夏の方も次は負けないと言っていた。

 だが、戦わなくて済むならそれが一番いいと箒は考えていた。2人にこれ以上傷つけあってほしくないから、そうなる前になんとかしたい。それが彼女の行動原理である。

 

「神社の方に行ってみるか」

 

 マドカと夏祭りを一緒にめぐった、篠ノ之神社に足を運ぶ。もしそこでも見つからなければ、今日の捜索はここで打ちきりだ。

 だが、鳥居が見えるところまで来たところで、箒はそこに人影があることに気づいた。

 

「まさか……!」

 

 足に無理を言わせて、全力でその人影に向かって駆けていく。距離を詰める中で、箒はそこにいるのが自身の目当ての人物だと確信した。

 

「――一夏!」

 

 叫び声に振り返ったマドカは、箒がそこにいることが信じられないといった様子で呆然としていた。

 

「……参ったな。興味本位でここを訪ねるべきではなかった」

 

「一夏。よかった……会えてよかった。ずっと、探していたんだ」

 

「私はもう織斑一夏ではない。その名はあの出来損ないのものだ」

 

 息を切らしながら語りかける箒に対して、平静を取り戻したマドカは淡々とした口調で答える。

 

「そんな……でも、私のことはちゃんと覚えていてくれたじゃないか。このかんざしだって!」

 

 ポケットに入れていたかんざしを取り出した箒は、マドカに向けてそれを突き出す。

 

「私がこれを失くした時、お前は一緒に探してくれた。結局あの時は見つからずじまいだったが、お前はその後もひとりで諦めずに探して、見つけてくれた。そうなんだろう?」

 

 7年前に見つけた他人のかんざしなど、捨ててしまっていてもおかしくない。なのに、マドカは夏休みのあの日まで大きな傷もつけずにそれを保管し、わざわざ持ち主に返すことまで行った。

 彼女の中には、きっとまだ一夏が生きている。そう思ってしまっても、仕方がないのではないだろうか。

 

「夏祭りの時もそうだ。あの時お前が言ってくれたことが、全部嘘とは思えない」

 

『ご利益のありそうなお守りをもらえてうれしいよ』

 

『君は魅力的な女性だと、そう思ってね』

 

『なら、私が君の恋人になるというのはどうだ』

 

『狙い? ふふ、さてな。篠ノ之箒と一緒に花火を見ようと思っていた、というのはどうだ』

 

『先ほどの君の舞は、なかなかに美しかったな』

 

 どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。それを教えてほしいと箒は願う。

 

「ずっと何も知らずにいた私に、こんなことを言う資格がないのはわかっている。だけど、それでも言わせてくれ。……また、昔みたいにやり直すことはできないのか」

 

 そして何より、彼女はマドカが自分や千冬のそばに戻ってくることを望んでいた。

 

「………」

 

 必死の表情で思いをぶつける箒を無言で見つめていたマドカは、しばらくたって大きなため息をついた。

 

「どうやら、はっきり言わないとわからないらしいな」

 

 声のトーンが下がり、箒を睨みつける。

 

「俺は、お前を切り捨てたんだよ。箒」

 

「一夏……?」

 

「考えてもみろ。俺が奴の前に現れ奴がクローンであることを告げれば、それが遅かれ早かれお前に知られ、お前を傷つけることになるのはわかりきっていたんだぞ」

 

 その言葉はマドカのものではなく、紛れもなく織斑一夏としてのものだった。

 

「にもかかわらず、俺は自らの復讐のためにそれを行った。わかるか? 俺はお前の心よりも、俺自身の醜い欲望を優先したんだ」

 

「それは! ……そうなのかもしれないが、だが!」

 

「箒。お前が愛する織斑一夏は誰のことだ? 今IS学園にいる男か、あるいは記憶の中の小学生の男の子か。もし後者なら、そんな人間はもうこの世には存在しないんだよ」

 

 そう吐き捨てるように言うとマドカは踵を返し、足早に神社から去ろうとする。

 

「ま、待て!」

 

「話は終わりだ。これ以上食い下がるようなら、私も君に危害を加えなければならなくなる」

 

 明確な拒絶だった。話し方をマドカのそれに戻した彼女は、箒の言葉に応じることはなかった。

 

「一夏……!」

 

 遠ざかる背中を見つめながら、箒はがくりと膝をつく。脚が疲労を訴え、立ち上がることを拒否していた。

 

「それでも、私は……」

 

 ――お前を、諦めきれない。

 

 

 

 

 

 

「珍しいな。千冬姉が俺の部屋に来るなんて」

 

 風呂に入ってさっぱりした後部屋で少しのんびりしていると、控えめなノックの音が扉から聞こえてきた。応対したところ千冬姉だったので、早速部屋に入れてお茶を準備している最中だ。

 

「お前に、聞いておきたいことがあったんだ」

 

「聞いておきたいこと?」

 

 日本茶を出しながら、千冬姉の言葉を反復する。わざわざ部屋に来たということは、誰にも聞かれたくない話である可能性が高い。

 

「単刀直入に言うぞ。お前は、あいつ……マドカを、どうしたいと考えている?」

 

「どうしたい? 悪い、ちょっと質問の意図がつかめないんだが」

 

「……例えばだが、憎いから痛い目に遭わせてやりたいとか、そういうことだ」

 

 つまり、俺がマドカのことをどう思っているか、あいつに対して何を望んでいるかを尋ねてるってことでいいんだろうか。

 

「それはだな……」

 

不安げな表情の千冬姉を見て、はたして思っていることをそのまま口にしていいものかと少し悩む。

 

「正直に答えてくれ」

 

 ……まあ、誤魔化したところで仕方のないことではあるか。

 

「そりゃあもちろん、次に戦う機会があったら絶対勝ちたいさ。今まで好き放題やられた分、3倍返しくらいで」

 

「そうか……」

 

「で、その後は千冬姉と箒の目の前に引きずり出す。俺がやることはそれだけかな」

 

 その言葉に、千冬姉の表情がしばし固まる。

 

「……それだけか」

 

「ああ、それだけ。あとは煮るなり焼くなり2人に任せるよ」

 

 あいつは千冬姉の弟で、箒の幼馴染だ。どう処分するかは、あいつに近しい人に決めてもらうのが一番だろう。

 俺自身がこの戦いに求めているところは、また別の部分だしな。

 

「約束する。俺はあいつに必ず勝つ。勝って、あいつをもう一度千冬姉に会わせてみせる」

 

「そうか」

 

 2回目の『そうか』は、先ほどとは違い少し力がこもったものだった。

 

「一夏」

 

 弱々しげな顔つきは消え、千冬姉はいつもの毅然とした表情を俺に向ける。

 

「大事な話がある。束から聞かされた話だ」

 




一気に2週間飛ばして10月の頭まで持ってきました。一夏の誕生日をスルーしていますがそれについては後々補足します。
余談ですが、僕は鈴の次にラウラが好きです。

では、次回もよろしくお願いします。


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第48話 決戦

 10月3日、午後8時。

 翌日にキャノンボール・ファストが控えているなか、俺は訓練の疲れを癒すべく部屋でごろごろとしていた。

 明日はいよいよ本番。今日まで、やれるだけのことは全力でやってきたつもりだ。それが実を結ぶかどうか、正念場が目前まで迫ってきている。

 

「うーん、腕枕って想像してたほど気持ちよくないわね」

 

「もうちょっと腕の太い男のなら違うかもしれないけどな。とりあえずそろそろ頭どけてくれ、腕しびれてきた」

 

「それじゃああたしの枕がなくなるじゃない」

 

「ソファーにクッションあるだろ。好きに使ってくれ」

 

 ごろごろしているとは言ったが、部屋にいるのは俺だけではない。1人用にしては無駄に大きいふかふかベッドの上では、鈴が俺の腕を使って、いわゆる腕枕というやつの感触を確かめていた。勝手に人の腕を枕代わりにして文句を垂れるあたりが、こいつの性格をよく表していると思う。

 

「ベッドから動きたくない」

 

「俺も動きたくない」

 

「じゃあ誰がクッション取りに行くのよ」

 

「さあな」

 

 なんて中身のないぐうたらな会話なのだろう……などと考えていると、急に鈴がもぞもぞと動き始めた。

 

「お、おい」

 

「何よ。枕がないんだから仕方ないじゃない。というわけで」

 

 鈴の頭が右腕から離れ、今度は俺の胸にぽすんと置かれた。髪からほのかに香るシャンプーの甘い匂いが鼻をくすぐり、まずいことに邪な気持ちが徐々に芽生えてきた。

 

「あ、胸枕のほうがずっといいわね。うん……」

 

 どうやら俺の胸板の感触が気に入ったらしい。少し頬に朱が差しているのは、こいつも俺と同じく恥ずかしさを感じているためだろう。

 

「胸枕ねえ」

 

 確か、前に弾が『彼女ができたらやってもらいたいことベスト10』に挙げていた憶えがある。曰く、女性の弾力ある胸に頭を預けるという行為にこの上ない憧れがあるとかなんとか。

 

「………」

 

 弾力のある胸、か。

 

「一夏。何か失礼なこと考えてない?」

 

「いや全然」

 

 さっきまで胸枕のおかげでとろんとしていた鈴の目つきが、一瞬のうちに冷たいものに変わる。相変わらず特定の部位への視線に対する反応が異常に敏感だ。

 

「そ。ならいいけど」

 

 俺が特に焦るような反応を見せなかったので、鈴もそれ以上追及することはしなかった。

 ……そんなに気にしなくても、胸のサイズなんて大した問題じゃないと思うんだがな。男がナニの大きさにこだわるのと同じようなものなのだろうか。

 

「………」

 

「………」

 

 その後しばらく、時計の針の音と互いの息遣いだけが聞こえる時間が過ぎていく。

 だが、俺も鈴も眠くなることはなく、意識ははっきりとしていた。

 

「鈴。ちょっと話があるんだけど、いいか」

 

 天井へやっていた視線を鈴の方に向けて、先ほどからずっと言いたかった言葉を口にする。

 

「なに?」

 

 鈴もこちらに目を向け、俺の顔をじっと見つめる。真面目な話だということを悟ってくれたようだ。

 

「あの日からずっと、いろんなことを考えてきた。考えて……ようやくわかった。俺の目指すべきもの、理想ってやつが」

 

 だから、一番初めにお前に聞いてほしい。俺に立ち直る力をくれた、大切な人に。

 

「……それは?」

 

「俺は――」

 

 答えを告げる。

 すると鈴は心底うれしそうにうなずいて、

 

「そっか。いいんじゃない、それ」

 

 笑顔で、俺の言葉を肯定してくれた。

 

 

 

 

 

 

 10月4日、日曜日。キャノンボール・ファストが開催されている臨海地区のアリーナでは、大歓声の中IS学園2年生によるレースが行われていた。

 次に始まる1年生の専用機組のレースに備えて、俺たちは舞台裏のピットの中で待機中だ。

 

「ふう」

 

 緊張をほぐすための深呼吸も、今はあまり意味をなさない。この状況で胸の鼓動が早まるのを抑えろというのが無理な話だ。

 

「一夏」

 

 名前を呼ばれたので振りむくと、箒が不安げな顔つきで俺を見ていた。

 

「やはり、戦わなければならないのだろうか。……私では、あいつを止めることはできなかった」

 

 誰のことを言っているのかというのは、もちろんすぐにわかった。

 

「きっと、俺とあいつははっきり決着つけないといけないんだ。お互い、そうしないと気が済まないんだろうな」

 

「だが! ……いや、すまない」

 

 何かを言おうとした箒は、言葉を途中で引っ込めて力なくうつむく。

 

「わかっているんだ。これはお前たち2人の問題で、それぞれに譲れない何かがある。だから、私がみっともなく止めようとするべきではないと。……それでも、心配なんだ」

 

「箒……」

 

「女々しいな。千冬さんも鈴も、他のみんなも覚悟を決めているというのに、私だけがいつまでもこの体たらくだ。この調子では――」

 

「任せとけ」

 

 箒の言葉を遮って、彼女の両肩に手をぽん、と置く。すでに2人ともISを展開済みなので、実際に出た音は『ぽん』どころか『ガシャン』だったが。

 

「約束する」

 

 箒が誰よりも辛い立場にいるのは、よくわかっているつもりだ。クローンの俺を本物だと信じて、マドカの存在などまったく知らずに生きてきたことへの罪悪感と後悔。そして、自分のよく知る人間同士が本気で戦うのを見守らなければならないことのやりきれなさ。こんなの、女々しい態度をとって当然だ。

 だから、俺がちゃんと宣言してやる。少しでも、箒の不安を和らげることができるように。

 

「必ず、あいつを連れて戻ってくるから」

 

 うつむいていた箒の顔が上がり、俺の目をしっかりとらえる。

 

「だから、お前も力を貸してくれ。今日は頼んだ」

 

「……ああ」

 

 不敵な笑顔というものを作ってみせた俺に対して、箒も少しだけ笑って応えてくれた。

 

「一夏、箒。そろそろあたしたちの出番よ」

 

「おう」

 

 箒と話しているうちに、2年生のレースが終わっていたらしい。ピットの中まで聞こえていた歓声も、今は止んでいる。

 

「ん」

 

 山田先生の指示に従ってスタート地点まで移動する際、鈴が右手をグーの形にして突き出してきた。

 

「なんだ?」

 

「あたしにも約束しなさい。シンプルに『勝つ』でいいから」

 

「……わかった。絶対に勝つ。約束する」

 

 俺も左手を出し、ガシャンという音とともに鈴と拳を突き合わせる。

 

「さ、行くか」

 

「そうね」

 

 それ以上のやりとりは必要ない。たった一言の約束だけで、俺たち2人には十分だ。

 

 

 

 

 

 

『エム。そろそろお願いできるかしら』

 

「……了解」

 

 一息ついて、アリーナ内部に姿を潜めていたマドカはサイレント・ゼフィルスを展開する。

 

「行くぞ」

 

 隣で待機していた『銀の福音の操縦者』に一声かける。先日彼女がアメリカ軍基地から強奪したその機体を動かしているのは、最近スコールが組織内の他のグループから引き抜いてきた女性である。が、マドカは彼女の名前を覚えていないので『福音の操縦者』としか呼ぶことができない。

 

「………」

 

 レースが行われているであろうステージへ向けて、一直線に飛ぶマドカと福音。

 前回織斑一夏の前に現れたのはマドカ自身の意思だったが、今回は違う。スコールの作戦の実行部隊として、アリーナを襲撃する役を与えらえただけにすぎない。

 ゆえに、今日のマドカは彼に対する復讐というものにはさほど重きを置いていない。

 

「今日のところは、ではあるが」

 

 キャノンボール・ファストのコースの上空に出たマドカは、そのまま流れるような動作でトップを走るシュヴァルツェア・レーゲンとラファール・リヴァイヴに向けてBTビームを放つ。

 

「む……」

 

 不意をつく一撃だったはずだが、意外にも2機とも狙撃を回避し、上空へ視線を向けてきた。

 すぐにあちらからの攻撃の対処方法を頭に巡らせるマドカだったが、次の瞬間それが必要ないことを知る。

 

「何……!?」

 

 レーゲンもラファールも、攻撃を仕掛けたマドカではなく少し離れた場所にいた福音目がけて移動している。それも2機だけではない。レースに参加していた他のISも、次々と同じ標的を狙って戦闘を開始していた。

 さすがに妙だと感じるマドカ。まず第一に、向こう側の対処が速すぎる。さらに、最初に銃撃を行ったサイレント・ゼフィルスを無視して銀の福音へと向かったのもおかしい。

 

「スコール。どうやら状況が――」

 

 アリーナのどこかで戦況を観察しているはずの上司に連絡をとろうとしたところで、マドカはあることに気づいた。

 

「……く、くくくっ」

 

 唖然とすると同時に、こらえきれない笑いが口から漏れだす。混乱していた思考が、急速に平常時のものに戻っていくのを感じる。

 

「なるほど。私達はまんまと貴様らの罠にはめられたということか」

 

 いつの間にか目の前に現れていた、純白のISに向かって言葉を投げかける。

 

「ああ。今日の本番のために、こっちは精一杯練習を積んできた」

 

 答えたのは、白式のパイロットである『世界で唯一ISを動かせる男』――マドカのクローン、織斑一夏。

 

「ここじゃ他のISもたくさんいるし狭いだろ。よかったら海にでも出ないか?」

 

 アリーナのすぐ近くに広がる太平洋を指さし、一夏は好戦的な笑みを浮かべる。

 

「まさか、そちらから舞台を整えてくれるとはな」

 

 またとない1対1の勝負の機会に、マドカは心を躍らせる。

 

「いいだろう。今日で私の復讐も完成だ」

 

 

 

 

 

 

「おいスコール、いったいどうなってやがるんだ? エムたちと通信が繋がらねえ」

 

 謎のIS乱入による観客の避難の波に巻き込まれたスコールは、現在オータムとともにアリーナ内部の通路に立っていた。彼女たち以外に観客席にいた人間はすでに避難を終えており、周りには人っ子ひとり見当たらない。

 

「ジャミングね。何者かによって通信が妨害されているわ」

 

「はあ!? なんだそれ、いったいどこのどいつが……」

 

 わめくオータムから意識を離し、スコールは現状の整理に頭を働かせる。

 途中で抜け出しはしたものの、避難する観客に押されたせいで観客席からは追い出されてしまった。ジャミングを受けているため、戦闘の状況を把握するためにはもう一度観客席に戻って直接目にしなければならない。

 だが――

 

「お客様。こんなところで何をしていらっしゃるのでしょう?」

 

 おどけた声が、背後からスコールの耳に入ってきた。

 

「当然、私達への対処も考えているわよね」

 

 納得したように頷きながら、スコールはゆっくりと振り返る。声の主は最初からわかっているのだ。つい3週間前、IS学園でその声を聞いているから。

 

「お久しぶり、生徒会長さん」

 

 更識楯無。ロシア代表にしてIS学園の生徒会長である少女が、スコールとオータムの道を塞ぐように立っていた。

 そして、彼女の隣にもうひとり。こちらはすでに第二世代のIS・打鉄を身に纏っている。

 

「驚いた。まさかあの織斑千冬にまで出てきてもらえるなんてね」

 

「喜んでもらえて光栄だ」

 

 かつて世界最強と謳われた存在までもが現れたことに、スコールは少しだけ困ったような笑みを見せる。

 

「おいスコール! なに冷静にしてんだよ、お前!」

 

「そっちの人の言う通りね。ちょっと落ち着き過ぎじゃない? あなた」

 

 焦るオータムと、からかうような口調で話しかけてくる楯無。

 

「冷静なのはあなた達も同じでしょう? 観客の避難も、アリーナの人間が妙に迅速に行っていた。そう……まるで、今日この時間に襲撃があることがわかっていたかのように」

 

「うふふ、それはどうかしらね」

 

 不敵に笑い、楯無は彼女の専用機を展開する。ロシア代表の操る機体である以上、高性能なのは間違いないだろう。

 

「オータム。残念だけどここは戦うしかないようね」

 

「ハッ! こうなったらヤケだ、散々暴れてやろうじゃねえか」

 

 ――エム達の戦闘を見物するために来ただけなのだけれど、仕方がないわね。 

 

 なんとか防御に徹し、隙を見てこの場を離脱するべきだと考えるスコール。幸い、彼女のISは身を守ることに長けた機体である。

 

「あなた達の攻撃で、私の防御を突破できるかしら」

 

 自らのISを起動させ、スコールは余裕をもった笑みで相手を牽制する。

 対して千冬と楯無は戦闘態勢に入りつつ、自信を持った声で答えてきた。

 

「侮るな。私はこれでも元世界最強だ」

 

「侮らないでほしいわね。私はこれでも学園最強よ」

 

 

 

 

 

 

 場所を海の上に移し、俺とマドカの3度目の勝負が始まっていた。先ほどから海に船ひとつ見当たらないことから、予定していた通りここら一帯の海域を封鎖することに成功しているみたいだ。

 

「はあっ!」

 

 2機のISはともに動き回ってはいるものの、戦局自体はこう着状態である。マドカのビットを織り交ぜた銃撃を紙一重でかわしていき、小型ライフル『紫電』で牽制をかけながら隙を見て雪片弐型を構えて突っ込む。だがマドカも直撃を防いでおり、どちらも決定打が欠けている。

 

「大口を叩いていた分、それなりに成長はしているようだな」

 

「そいつはどうも」

 

 マドカの知る織斑一夏、つまり前回の戦いまでの俺は、いまだに偏向射撃(フレキシブル)の処理に苦しんでいたはずだ。だが今日は違う。ある程度BTビームの軌道にあたりをつけ、避けられるものは避けてそれ以外は盾で防いでいる。今のところ、状況に応じて的確な動きがとれているだろう。

 

「フッ……」

 

 そんな俺を見て、マドカは気味の悪い笑みを浮かべていた。真意はつかめないが、それでも俺は自分の力を信じて戦うしかない。

 

 

 

 

 

 

『一夏。今まで何度か、不思議なほど優れた動きを戦闘中に見せたことがあったな』

 

 鈴と2人で千冬姉の部屋を訪れたあの時、説明されたことを思い返す。

 

『ああ。びっくりするほど頭の回転が速くなって、その瞬間に取るべき行動がわかっちまう時があった』

 

『もしかすると、あれが白式の真のワンオフ・アビリティーなのかもしれない』

 

『え? それってどういう』

 

『ISのコアが操縦者の脳と強くリンクし、補助することで思考の処理速度を格段に上げ、適切な解答を導き出す。それがお前と白式に与えらえた能力だという可能性がある』

 

 確かにそれなら、ラウラとの戦いや福音戦で思考が異常に冴えていたことへの説明もつく。千冬姉の言葉を信じた俺は、それからワンオフ・アビリティーを自由に発動させることを意識した訓練を開始した。

その傍ら、いろんな人の戦闘パターンを見て頭に入れていった。もちろんすべてを思い出せるわけではないが、人間の記憶はたとえ忘れていても脳自体にはきちんとインプットされている類のものが多いらしい。だとすれば、脳に記録さえしていればワンオフ・アビリティーの力で奥底に眠っていた記憶を引っ張り出して戦闘に役立てられるかもしれない。そう考えた結果の行動だった。

 

 

 

 

 

 

 最終的に、ワンオフ・アビリティーのON・OFFは意図的に行えるようになった。千冬姉の理論がほぼ正しかったことも、束さんによって証明された。

 そして今、なんとかマドカに対して抵抗を見せることができている。

 

「落ち着け」

 

 ミスを犯さないよう、自分で自分に言い聞かせる。

 ……ここまで、以前のように声が聞こえて体の自由が奪われるといったことは起きていない。『ISのコアを通して思考を阻害してくるのがマドカのワンオフ・アビリティーなら、コアと操縦者のシンクロ率を十分に高められれば精神攻撃をはねのけられる』というのが束さんの理論だが、果たしてうまく事が運べているのだろうか。

 

「くっ」

 

 今までより激しいビームの連射を、盾を使いながらもなんとか防ぐ。

 

「っ!」

 

 攻撃をしのいだその時、銃撃を終えたマドカに大きな隙ができた。

 すぐに右手の装備を紫電から雪片弐型に切り替え、瞬時加速を発動させる。

 

「うおおおっ!!」

 

 雪片を振りかぶる。頼む、当たってくれ――

 

「………」

 

 無言のまま、マドカは口元を歪める。それはまるで、俺に対する死刑宣告のようで。

 

「あ……」

 

 ――体が、言うことを聞かない。どれだけ逆らっても、頭に響く『動くな』という声に逆らうことができない。

 

「ここまでだな」

 

 こいつ、今までワンオフ・アビリティー使ってなかったのかよ。

結局、俺はあいつの攻撃を克服しきれてなかったってことなのか。

 

「大口を叩いていた分、それなりに成長はしていたようだが」

 

 駄目なのか。

 勝てないのか。

 届かないのか。

 

「……終わりだ。出来損ない」

 

 違う。

 まだ終わってない。

 何もかも、終わらせちゃならないんだ。

 俺は――

 

「……ねえ、力が欲しい?」

 

 声が聞こえた。マドカによる妨害の声ではない。どこかで聞いたことのあるような、女の子の声。

 それと同時に、視界に映るすべてがスローモーションになっていく。まるで、俺だけが世界から切り離されたかのような、そんな感覚だ。

 

「力は……欲しい」

 

「なぜ?」

 

「なぜ……」

 

「あなたは、どうして戦うの?」

 

 前にも、こんなことを聞かれたような気がする。いつだったかは思い出せないけど、その時は確か『守りたいから戦う』と答えた気がする。他人の記憶から得た理想を信じて、ただそれだけにこだわっていた覚えがある。

 今の俺は、自分がクローンだということを知っている。そんな俺が、なぜ戦うのかと問われれば、その答えは。

 

「俺は、守りたいから戦うんだ」

 

 はっきりと、そう言い切った。

 

「……どうして、守りたいと思うの?」

 

「それが、理想だからだ」

 

 すべてを知ってからも、結局俺の中で、守るということは素晴らしいものだという気持ちは変わらなかった。今の幸せな時間を守ること。誰かを守ること。それがこの手で叶えられるのなら、どれだけうれしいことか。

 

「もしかしたら、この思いは借り物なのかもしれない」

 

 鈴が言っていた。俺の記憶は他人のものでも、その記憶から感じたことは俺自身のものであると。その言葉を、残念ながら俺は絶対に正しいとは言い切れない。この理想が、すべて本物の一夏の借り物であることだって十分にあり得る話だ。

 

「でも、それでもかまわない」

 

 なぜなら、俺自身を作る核は、ちゃんとここに存在しているから。

 

『あのさ、鈴』

 

 大切な人への想い。

 

『……俺、お前のこと好きだ』

 

 目を閉じれば、すぐに告白した時の情景が思い出せる。

 

「これだけは、誰にも譲れないからな」

 

 あいつの笑顔が好きだという思い。

 強引だが、面倒見のいいところが好きだという思い。

 たまに見せる女の子らしさが好きだという思い。

 他にも、全部言い出したらキリがないけど。

 これらは紛れもなく、俺自身のものだ。

 

「理想が借り物でも、俺の中には俺が確かにいる。だから、その理想は借り物であっても、絶対に偽物にはならない」

 

「それが、あなたの答え?」

 

「そうだ」

 

 俺が頷くと、女の子の声は満足げに笑った。

 

「やっと見つけたね、あなた自身の答えを。これで私も、心置きなくあなたに力を与えることができるよ」

 

 その言葉を聞いて、ああそうかと納得した。

 

「ありがとう。一緒に戦ってくれ、白式」

 

 世界の速度が元に戻る。スローだったすべての動きが、息を吹き返したかのように速くなった。

 

「行くぞ」

 

 ――雪片弐型が、白く輝く。

 体は、自由に動く。

 

 

 

 

 

 

「うんうん、ついにやったねいっくん」

 

 アリーナからそう離れていない場所で、篠ノ之束は2人の一夏の戦いを見守っていた。その表情は喜びに満ち溢れており、それは彼女にとって都合の良いことが起きていることの証明である。

 

「これで状況はかなり変わったね」

 

 仮にISコアと操縦者の脳が糸のようなものでリンクしているとすると、サイレント・ゼフィルスのワンオフ・アビリティーはこの糸の部分に干渉してリンクを乱し、脳を混乱させる能力だと説明できる。

 だが、今の白式と一夏のリンクはそもそも糸を必要としていない。いうなればがっちりくっついている状態である。圧倒的なシンクロ率で、リンクを乱す隙をまったく与えていないのだ。

 

「零落白夜は私がつけた疑似ワンオフ・アビリティーだからね。いっくんなら、本物のワンオフ・アビリティーも完璧に引き出せると信じていたよ~」

 

 気まぐれで行った、ワンオフ・アビリティーを再現した装備の付加。それ自体には成功したが、容量を異常に食ってしまうというなんとも言い難い結果に終わってしまっていた。

 

「あれこそ、白式が束さんの予想外の進化の先に手に入れた力。えーと、確かちーちゃんはなんて言ってたんだっけ」

 

 千冬経由で束の耳に入ってきた、白式の内部データに表示されたワンオフ・アビリティーの名称。それは――

 

「あーそうそう! 『無限飛翔』だったね! シンプルゆえに力強いネーミングだなあ」

 

 




びっくりするほどネーミングセンスがない自分に絶望しております。
インフィニット・ストラトス→無限の成層圏?なのでそれに近いニュアンスのワンオフ名を考えたのですが……うーん。
なんで暮桜と白式のワンオフが同じなのか、そもそもなぜファーストシフトしただけで使えたのかという疑問に対して、「束さんがそういう仕様にしたから」という反則気味な答えを用意しました。

感想等あればお気軽にどうぞ。
では、次回もよろしくお願いします。


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第49話 決着

週1更新とか言ってた気がしましたが、気のせいでした。


 いったい何故、自分達の襲撃が完璧に読まれていたのか。

 織斑一夏が、何を思ってひとりで自分に立ち向かっているのか。

 そんなことは、マドカにとってどうでもいいことだった。大事なのは、現在スコールとの通信が途絶えていることと、出来損ないのクローンと1対1の状況であること。

 スコールの目の届かない今なら、多少の無茶も許される。

 織斑一夏を、完全に終わらせることができる。

 

 その、はずだった。

 

「どうなっている……!?」

 

 目の前で起きている現実に、彼女は動揺を隠せない。

 

「らあっ!」

 

「くっ……」

 

 純白に輝く刀の一閃を、ぎりぎりのところで回避し、後方への瞬時加速で距離をとる。その動作に、一切の余裕はない。

 

「ちっ」

 

 直後に襲いかかる銃弾の嵐。かわしきることができず、サイレント・ゼフィルスに小さくないダメージが蓄積される。

 

 ――互角。いや、下手をすればこちらが押されている。

 

 ある瞬間を境に、白式の動きが『変わった』。

 マドカが初めて出会った時の、織斑千冬の模倣に頼り切った戦い方ではない。

 2回目に戦った時の、器用に動こうとしてすべてが中途半端になっていたそれとも異なる。

 ……一言でいえば、進化している。攻撃、防御ともに高い完成度でまとまっており、判断に迷いが見られない。

 そして何より、マドカのワンオフ・アビリティーが通用しなくなっている。

 

「何故だ」

 

 白式に、織斑一夏に何が起こった。どういう理屈で、コアによる干渉を防いでいるのか。

 

「はあああっ!!」

 

「貴様のような男が……!」

 

 雄叫びを上げ、一夏が再び接近を試みてくる。近接戦に持ち込まれるのは当然危険。ビットによる牽制をかけつつ、BTライフルからの射撃でダメージを狙う。

 それと同時に、マドカは彼への精神干渉を必死に行い続ける。

 

 ――もっと、もっと強く相手のコアにリンクしなければならない。なんとしてでも、アレの心を抉り取って……!

 

 異変が起きたのは、その時だった。

 

「がっ……!?」

 

 猛烈な、吐き気を催すほどの頭痛。痛みに耐えているうちに、彼女の頭に断続的な映像が流れ込んできた。

 

「これは」

 

 彼女の知る幼少時代の姿から、少しだけ大きくなった篠ノ之箒。

 何年も経って、美しく成長した制服姿の篠ノ之箒。

 以前と変わらず、凛々しく強い織斑千冬。

 それ以外にも、数多くの者達の様々な姿が映って見える。

 

「これは……」

 

 すべて、マドカの知らない記憶。

 彼女がいなくなってから、織斑一夏のクローンが見た景色。

 

 

 

 

 

 

「シャルロットさん、バックアップを!」

 

「任せて!」

 

 一般人のいなくなった市営アリーナでは、5機の専用機と銀の福音による戦闘がなおも続いていた。7月の暴走事件の時と同じく手数の多い砲撃を繰り出してくる福音に対し、スピード重視の装備で固めている鈴たちは回避を第一として損傷を最小限に食いとどめている。

 

「鈴、箒。お前たちも前に出ろ。ここらで一度状況を切り崩す」

 

 ラウラの指示に、福音から少し距離を置いていた鈴と箒が同時に頷く。

 こちらが亡国機業の動きを知っていることを悟られないためにも、鈴たちはしっかりとキャノンボール・ファストのレースを競わなければならなかった。ゆえに装備も戦闘用ではなくレース仕様であり、たとえばセシリアのブルー・ティアーズはその弊害でビットによる射撃が不可能になっているなど戦力ダウンは否めない。幸い福音が第二形態ではなく第一形態なので、ここまで互角に戦えてはいるのだが。

 ただ、この5人で一定時間は福音を足止めしておく必要がある。向こうの操縦者は隙を見計らって逃走を試みようとしているが、それを許すわけにはいかないのだ。

 そのためにも、ここで均衡を崩すべきだとラウラは判断したのだと鈴は考える。一気に攻めることで、倒すことはできないまでも相手に恐怖を与える必要がある。『うかつに敵に背後を見せれば、致命傷になりかねない』と。

 

「箒!」

 

「行くぞ!」

 

 互いに声を掛け合い、鈴と箒は福音に向かって加速する。多少の被弾は気にせず、狙うは敵の装甲のみ。

 

「行けええ!」

 

「はっ!!」

 

 甲龍の双天牙月と紅椿の雨月による同時攻撃。直撃には至らなかったものの、斬撃が掠った手応えを鈴は確かに感じていた。

 

「箒、もう1回仕掛けるわよ」

 

「わかった」

 

 今も一夏は、たったひとりでマドカとの勝負に挑んでいるはずだ。

 彼のためにも、こんなところで負けるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 彼には、篠ノ之箒という仲のいい幼馴染がいた。

 そんな彼女が、ある日かんざしを失くして落ち込んでいるのを見た。一緒に探したけど、その日のうちには見つからなかった。

 だが次の日、ひとりで探している最中に彼はそれを見つけ出した。すぐに彼女のもとに届けてやろうと、うきうきしながらポケットにかんざしを放り込んだ。

 

 ――映像が切り替わる。

 

 気がつけば、彼は暗い独房の中で眠っていた。

 幼い彼に理解できたのは、自分が知らない男たちに誘拐されたことと、何かの実験に利用されようとしていることだけ。毎日ISに触れさせられ、そのたびに中身もわからない薬を注射される。どうやら男たちは彼にISを起動させようとしているらしい。

 

 ――映像が切り替わる。

 

 彼の身体は日に日に弱っていった。薬の影響か、いつの間にか外見も変わってきていた。

 そして、彼はついに男たちに捨てられた。役に立たないと判断され、外に放り出された。

 ごみ溜め場のような場所で、雨に打たれた体が熱を奪われていく。

 死を目前にしながら、今まで肌身離さず持っていたかんざしを取り出す。

 

「ごめん……」

 

 かすれた声で、謝罪の言葉を口にする。これを彼女に届けられなかったことが、心の底から申し訳ないと感じられた。

 

「きれいなカンザシね」

 

 いつの間にか、彼の前にひとりの女性が立っていた。

 

「あなた、日本人?」

 

 輝かしい金色の髪が、彼にとっては希望の光に見えた。

 

 ――映像が切り替わる。

 

「あなたが私のもとで生きていくのに必要な条件はただひとつ。男であることを捨てて頂戴。……先に言っておくけど、私はあなたをこのまま手放すつもりはないわよ。命を救った見返りとして、働いてもらうわ」

 

 彼の名前が織斑一夏だと知ると、彼女はこれ以上ないまでに残酷な一言を告げた。

 

「私も織斑千冬には興味を持っていたから、彼女の人間関係はそれなりに把握しているわ。だからわかるの。あなたの居場所は、もうあそこにはない」

 

 ――切り替わる。

 女になった。

 ――切り替わる。

 何度も手を汚した。

 ――切り替わる。

 彼女は、かんざしを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 俺が今見たのは……あいつの、本物の織斑一夏の記憶なのか。

 

「………」

 

 見ると、マドカの方も呆けた表情をしている。彼女が何かをした、というわけではなさそうだ。だとすると、何らかのことが原因であいつの記憶が俺の頭に流れ込んで来たことになるが、そうすると。

 

「貴様も……見たのか」

 

「互いが相手の記憶を覗いちまったってことか……」

 

 マドカの言葉で、なんとか状況を把握する。確証はないが、ISのコア同士の干渉が引き起こした現象なのではないだろうか。

 だが、今はそれが起きた理由なんてどうでもいい。問題なのは、その内容だ。

 

「おい」

 

 マドカの瞳をしっかり捉え、ゆっくりと言葉を選んでいく。

 

「お前は、ひょっとしてまだ……求めているんじゃないのか」

 

 目的語の欠けた問いかけ。だが俺の予想が正しければ、これだけであいつには十分伝わるはず。

 対してマドカは、俺の発言を聞いて少しの間目を閉じる。

 

「織斑一夏」

 

 目を開いた彼女は、無表情のまま俺に答えを返してきた。

 

「貴様に答える必要はない。……私が何を言ったところで、貴様のやることに変化は生じないだろう」

 

「……そうだな」

 

 確かにあいつの言う通りだ。あいつが何を思っていたとしても、今さら俺もあいつも止まることはできない。どっちかが倒れるまで、戦い続けるだけ。

 

「俺はお前が邪魔だ」

 

「私も貴様が目障りだ」

 

 お互い、それぞれの武器を再び構える。

 

「だから、お前はここで」

 

「だから、貴様はここで」

 

 きっと、これが最後の攻防だ。今までの戦いで、どちらもダメージが積もっているはず。

 全力で、決めに行く。

 

『必ず倒す』

 

 声が重なる。

 同時に、俺はサイレント・ゼフィルス目がけて全速力で突っ込んだ。左手に紫電、右手に雪片弐型。

 

「白式、頼んだぞ」

 

 雪片が白く輝き、迫りくるBTビームを消滅させる。無限飛翔が100パーセント引き出された際に、零落白夜も再び使えるようになっている。エネルギーの消費は相変わらず激しいため、発動させた以上速攻で決着をつけるほかない。

 

「これで決める!」

 

 紫電を連射しながら、瞬時加速をかける。何発か処理しきれなかった銃撃が装甲に傷をつけるが、まだ限界はきていない。

 

「おおおおおっ!!」

 

 2つのISが、肉迫する。脳をフル回転させ、最善の軌道で雪片を思い切り振って――

 

「っ……!」

 

 刀が、空を切った。

 渾身の一撃を、外してしまった。

 

「終わりだ、織斑一夏!」

 

 マドカがライフルを構えるのが見えた。だが雪片を引き戻すには時間が足りない。

 

「まだだ!」

 

 背中のスラスターを右側だけ噴射し、無理やり体を回転させる。

 振り切った右腕は使えない。でも、もう片方はしっかり残っている。

 

「ぐっ……!」

 

 左手をマドカ側まで持ってきて、一か八かで紫電を発射する。わずかにこちらの速度が勝り、ビームを出す前に弾丸を受けたライフルの銃口がぶれる。直後に繰り出された銃撃は、白式を掠めるだけにとどまった。

 

「らああああ!!」

 

 役目を終えた紫電を粒子化させ、すべてのエネルギーを零落白夜の維持に費やす。

 想像するのは、世界最強の千冬姉(ブリュンヒルデ)の太刀筋――!

 

 そして。

 今度こそ、必殺の一撃がサイレント・ゼフィルスを捉えた。

 

 

 

 

 

 

 彼の雄叫びとともに、強い衝撃がマドカの身体を揺さぶった。

 終わった。そう悟った彼女は、思ったよりも自身の心が落ち着いていることに気づく。

 

 ――これから、死ぬかもしれないというのにな。

 

 マドカの身体には、スコールによって監視用のナノマシンが注入されている。彼女がその気になれば、スイッチひとつで脳を焼き切られてしまうらしい。

 この後、マドカはIS学園に身柄を確保されるだろう。そうなれば、情報の漏えいを防ごうと考えたスコールは躊躇なく彼女の命を消す。

 だから、本来ならもっと焦ってしかるべきなのかもしれない。

 

 ――最期に、いいものを見せてもらったからだろうか。

 

 死ぬ直前というのは案外こんなものなのかと、マドカは答えの出ない問いを自らに投げかける。

 自身が最後に受けた一撃。それは、彼女が憧れていた姉の惚れ惚れするような剣筋のまさしく再現だった。

 そのことに妙な満足感を抱きつつ、戦いで疲弊したマドカの意識は急速に沈んでいった。

 最後の瞬間、彼女は自分の頬を何か温かいものがつたっていることに気づいた。

 

 

 

 

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 少し過呼吸になりつつも、俺はISの装甲を失ったマドカの身体をそっと抱きかかえる。

 

「勝った……ん、だよな。けど、これはちょっとやばいかも」

 

 勝利の喜びに浸っている余裕はなかった。

 想像を絶する眠気が、意識を奪わんとばかりに俺に襲いかかっているのだ。

 

「無限飛翔で無理し過ぎたか……?」

 

 脳の処理速度を上げるということは、それだけ脳にかかる負担も大きくなるということだ。長時間にわたってフルに使い続けたのが祟ったのかもしれない。

 

「とにかく、まともに頭が働くうちに陸まで行かないと……」

 

「その心配は必要ないよ、いっくん♪」

 

「え……?」

 

 急に声をかけられ、思わず周りを見渡す。

 いつの間にか、満面の笑みを浮かべた束さんがISに乗ってすぐ近くにまで飛んできていた。

 

「君の勝ちだよ、よく頑張ったね~。もう大丈夫、ここからは天才の束さんにどどーんと任せちゃってオーケーだからね!」

 

 ……ああ、そうですか。

 

「じゃあ、お願いします……」

 

 束さんの言葉に安心したことで、今まで保ってきた緊張の糸がぷつりと切れてしまった。

 そこから先は、よく覚えていない。

 




ちょっと描写が微妙な感じですが、前回ラストで雪片が白く輝いてるのが零落白夜復活のサインです。今回の冒頭でもマドカ視点の時に使っています。

今回ちょっと短かったですが、前回が長めだったので打ち消されたということにしておいてください。
次回、とりあえず最終回です。予定より1話削ることにしました。

いよいよここまで来ました。次回もよろしくお願いします。


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最終話 ずっと一緒に

「まったく、散々な目に遭わせやがって」

 

「こうして大きな傷もなく帰ってこられただけでも喜ぶべきよ、オータム」

 

 ホテルの豪華な一室の中で、スコールは怒るオータムの頭を優しく撫でる。そうすると彼女は力が抜けたかのようにおとなしくなり、ゆっくりとスコールの方に体を預けてきた。

 

「本当に、駄目かと思った」

 

 オータムが弱々しくつぶやくのも無理はない。何しろ先ほどまでロシア代表とブリュンヒルデを相手にしていたのだ。

 彼女ら2人に対して正面から向かっていけば、まず勝ち目はなかっただろう。だがスコール達の目的はあくまでもアリーナからの離脱であり、逃げることに神経を注いだ結果辛くも脱出することができたのだった。銀の福音も回収済みなので、ただひとつの事柄を除けば大きな問題はない。

 

「エムの野郎は、あいつらに捕まったのか」

 

「……でしょうね」

 

「ならさっさと始末しろよ。私達の情報が漏らされてからじゃ遅いだろ」

 

 彼女の体にナノマシンが注入されていることを、オータムは知っている。だからこその発言であったが、スコールは静かに首を横に振った。

 

「できるなら、私もそうしたかったところだけれど」

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 何故生きている。

 それが、目が覚めてマドカが最初に抱いた感想だった。

 白い壁に白いベッド。どう見ても医務室の類の部屋であり、彼女は今までここで眠っていたようだ。

 

「一夏! 目が覚めたのか!?」

 

 女性の興奮気味の声が聞こえてきて、そこでようやくベッドの隣に誰かが座っていることに気づいた。

 

「……箒」

 

「よかった。本当に、よかった。姉さんの手術は成功したんだな」

 

 目尻に涙をたっぷり浮かべて、箒はうれしそうにマドカの腕を両手でつかむ。

 

「姉さん……? どういう、ことだ」

 

「お前が意識を失った後、姉さんが急いでお前の中にあるナノマシンを取り除いたらしい。これで一夏は誰にも縛られないと、あの人は言っていた」

 

「な……」

 

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。時計を見ても、マドカが白式に倒されてからさほど時間は経過していない。その間に、彼女の体に潜む自爆装置を外してしまったというのか。

 

「彼女は。篠ノ之束はどこにいる」

 

「用が済んだら、いつの間にかいなくなってしまっていた。……私も、話したいことがあったのだが」

 

 どうやら、すでに自分の命を救った天才科学者は姿を消してしまったらしい。何故彼女が体内のナノマシンについて知っていたのかは疑問だが、答えを知る必要はないとマドカは判断した。

 

「一夏」

 

 再び、箒がその名を口にする。数日前に拒絶したばかりだというのに、彼女は懲りずにマドカをそう呼んだ。

 

「もう一度言わせてくれ。また、やり直せないかと」

 

「……前にも言っただろう。私はお前を切り捨てたんだと。そんな私を、君はまだ求めるというのか?」

 

「そうだ」

 

 一切の迷いのない、力強い宣言。彼女の真っ直ぐすぎる瞳に、マドカの心が揺れる。

 

「私は、すでに汚れてしまっている。奪い、傷つけ、他人を苦しめたことだって一度や二度ではない。君と一緒にいる資格など――」

 

「資格など必要ない。確かに、お前のやってきたことをすべて認めることはできないだろうが……お前が私の大切な幼馴染であることには、なんの変わりもない」

 

「だが」

 

 マドカが言葉を続けようとした時、医務室の扉が静かに開けられた。

 ゆっくりと足を踏み入れてきた人物を見て、マドカの体は硬直する。

 

「千冬さん……」

 

 箒が彼女の名前を呼ぶ。……7年ぶりに直接目にする、かつて姉だった人間の姿だった。

 

「………」

 

 半身を起こすマドカ。一方、千冬は無言で彼女の隣まで歩を進め。

 

「っ……」

 

 そのまま、壊れんばかりに彼女の体を強く抱きしめた。

 

「会いたかった」

 

 その一言だけで、千冬の抱く気持ちが痛いほど伝わってくる。

 

「あ……」

 

『お前は、ひょっとしてまだ……求めているんじゃないのか』

 

 ようやく、マドカは自らの心の奥に存在する思いに気づいた。

 悪に手を染め、他者を餌にしながら今日まで生きてきたのは、何のためだったのか。

 確かに復讐心もあった。だがそれだけではない。わざわざ箒の目の前に現れ、何度も思わせぶりな言葉を吐いたのは、もっと単純な思いからきたもの。

 

「千冬……姉」

 

 堕ちた自分には、もう彼女達の隣に立つ資格がないと決めつけ、拒絶しながらも。

 振り向いてほしかったのだ。手を伸ばしてほしかったのだ。

 みっともなく、子供のように、救いを求めていたのだ。

 

「俺も……俺も、会いたかったよ」

 

 千冬の背中に手を回し、強く抱きしめる。

 失ったものと思っていたこの命。もう一度だけ――

 

 

 

 

 

 

「今頃、あの子は感動の再会に涙したりしているのかしら」

 

 いつ敵に情報が漏れてしまうかわからない以上、すぐに住処を移さなければならない。

 飛行機で海外へと移動している途中、スコールは生意気だった黒髪の少女に思いを馳せていた。

 今回のIS学園側の人間の狙いは、最初からマドカを奪うことにあったのだろう。スコール達を足止めしている間に彼女の身柄を拘束し、ナノマシンを取り外す。これだけのことを迅速に行っていたことを考えれば、やはり天災・篠ノ之束も現場にいたのかもしれない。

 

「あちらに一本取られた形にはなったけど、あの子がいずれ使えなくなるのはわかっていたこと」

 

 スコールの下にい続ければ、そのうちに彼女は気づいていたかもしれない。

 自らの誘拐が、亡国機業の一部の人間の手によるものであったことに。

 

「今思えば、下手な演出だったわね」

 

 彼女を処分しようと考えていた彼らに対し、引き取ることを提案したのがスコールだった。だが普通に組織の仲間という立場で接触すれば嫌悪されるのは必至。ゆえに、彼女を屋外に放り出してもらい、それをスコールが偶然見つけたという形を演じてみたのである。

 結局マドカを縛り付けている人間として嫌われてはいたが、それでも命の恩人という立場でもあるためそこまでの憎悪は向けられなかったことを考えると、あの作戦は成功だったと言えるだろう。

 

「実際、命の恩人であること自体は嘘ではないけど」

 

 スコールの申し出がなければ、マドカは独房の中で死んでいただろうから。

 

「あなたは最後まで変わらなかった」

 

 スコールが彼女を使えなくなると判断した要因はもうひとつある。

 自覚があったかどうかはわからないが、彼女は根本の部分で『光』を求めていた。

 そういう人間は、最後には役に立たなくなってしまうのだ。

 それがわかっていたからこそ、スコールは彼女に重要なことは何も話さなかった。

 

「ありがとうマドカ。あなたはよく働いてくれたわ。せいぜい残りの人生を楽しむことね」

 

 少しだけ惜別の念を感じながらも、スコールはかつての部下に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

「ひとまずは、めでたしめでたしってところかしら」

 

 医務室の様子をこっそりうかがっていた楯無は、廊下を歩きながら感慨深げにそんなことをつぶやいていた。

 できれば、というかなんとしてでもスコールを捕らえておきたかったというのが本音だが、今さら悔やんでも仕方がない。そもそも組織の上の方に位置する人間がわざわざ戦場の近くにまで来ていたということは、並大抵のことでは捕まらないという自信が最初からあったのだろうし。

 

「それにしても」

 

 驚くべきは篠ノ之束の実力である。織斑千冬に亡国機業の襲撃があることを前もって知らせておき、当日は電波のジャミングを行い通信を妨害。しまいには人間の体内に仕込まれたナノマシンをわずかな時間で取り出してしまうという神業まで披露した。

 

「味方になれば、本当に頼もしい存在ね」

 

 だが忘れてはいけない。彼女が今回手を貸したのは、織斑一夏が絡んだ問題であったからにすぎないのだ。

 次に篠ノ之束が現れる時には、楯無の敵になっている可能性だって十分にある。それを肝に銘じて、この先も――

 

「あ……」

 

 その時、楯無は廊下の向こうからひとりの生徒が歩いてきていることに気づいた。下を向いているため、彼女はまだ楯無の存在を認識していないらしい。

 

「簪ちゃん」

 

 恐る恐る、自らの妹に声をかける。そこでようやく向こうも顔を上げ、目の前に楯無が立っていることに気づいた。

 

「………」

 

 ぺこりと一礼をしただけで、無言のまま簪は楯無の横を抜けていった。

 

「え……」

 

 第三者から見たならば、えらく無愛想な妹に映ったかもしれない。

だが楯無にとっては違った。むしろ逆の感情を抱きさえしていた。

 

「今、礼してくれた? いつもは下向いたまま完全スル―なのに」

 

 たったそれだけのことで、と思われるかもしれないが、それでも楯無にとっては十分大きな出来事だったのだ。

 

「……こっちの方も、進展してくれるといいんだけどな」

 

 生徒会室へ向かう彼女の足取りは、いつも以上に軽かった。

 

 

 

 

 

 

「夕方の屋上に来るのは、ずいぶん久しぶりだな」

 

「あたしはこの前箒と来たけど、一夏と2人きりなのはいつ以来かしら」

 

 他愛のない会話を交わしながら、鈴と一夏は地平線の向こうに沈もうとする夕陽を2人して眺める。

 つい先ほどまで、一夏は疲れが溜まっていたのかぐっすりと眠りこんでいた。身体検査で異常が見受けられなかったので、起きて早々彼の提案でこうして屋上を訪れているというわけだ。

 

「こうしてると、お前と仲直りした日のことを思い出すな」

 

「そうね。考えてみれば、あの時からまだ半年も経ってないのよね」

 

 5月の末に起きたことが、ひどく昔に感じられる。それだけ、この学園での生活が鈴にとって濃密なものであったということなのだろう。

 

「いろいろあったな」

 

「いろいろあったわね」

 

 再会して早々ぎくしゃくして、勝負することになったり。タッグを組んだトーナメントでは一夏が転校生と因縁の対決を繰り広げたり。デートの終わりに告白されて、思わず意識がどこかへ行ってしまったり。

 数え挙げれば、それこそキリがない。彼や仲間たちと過ごした、かけがえのない大切な時間だ。

 

「ありがと」

 

「いきなりなんだよ?」

 

「なんとなく言ってみただけよ。……ねえ。マドカ、うまくやって行けるかしら」

 

「そうだな……ま、大丈夫だろ。あいつには千冬姉と箒がついてる。俺はあいつの機嫌を損ねないように、遠くから見守らせてもらうつもりだけど」

 

 そう言って、一夏は微笑を浮かべる。彼の言葉なら信じられる気がして、鈴もつられるように微笑んだ。

 

「鈴」

 

「なに――」

 

 返事をする前に、強引に唇を奪われる。

 

「んっ……」

 

 驚きはしたものの、拒否することはしなかった。彼とのこの行為は、鈴にとっても気持ちのいいものであったから。

 

「伝えたいことがある」

 

 キスを終えた途端、一夏は真面目な顔つきになって鈴を見つめる。

 

「前にも言ったけど、俺にはみんなを守りたいって夢がある。だけど、それを叶えるためにはまだまだ力不足で、もっと頑張っていかなくちゃならない」

 

 昨夜、一夏が語ってくれたことを思い出す。彼の目指す理想、その内容を真っ先に自分に教えてくれたことが、鈴にとってはたまらなくうれしかった。

 

「俺がここまでやってこれたのは、お前がそばにいてくれたからだ。だからさ……これからもずっと、俺を支えていてくれないか」

 

 プロポーズにも聞き取れるような一夏のお願い。それを聞いて、鈴は自分の体が熱くなっていくのを感じる。

 ……でも。

 

「嫌よ」

 

 きっぱりと、彼の申し出を突っぱねる。

 なぜなら。

 

「支えるんじゃなくて、あたしがアンタを引っ張っていくのよ」

 

 それが、彼女が出した答えだから。母の『女は男を支えてあげるべき』という言葉からはズレているが、そんなことは関係ないと言い切れる。母は母、自分は自分だ。

 ……もう、ひとりで重い荷物を抱え込ませるような真似はしたくない。

 

「っと、もうこんな時間か。ほら一夏、さっさと食堂行くわよ!」

 

「お、おい待て。腕を引っ張るな」

 

「大丈夫よ、しっかり握っててあげるから!」

 

 ――ちゃんとついて来なさいよね、一夏。

 

 

 

 

 

 

「ったく……」

 

 鈴にぐいぐい引っ張られながら、俺は食堂への道を進んでいく。

 口では悪態をつきつつも、不思議と悪い気はしていない。

 

「あら、鈴さんに一夏さん。お二人も食堂に行かれますの?」

 

「だったら一緒に食べようよ」

 

「一夏。今日はドイツ料理を食べてみろ。私がうまいものを選んでやる」

 

 これから先、まだまだたくさんのことが俺を待ち受けているだろう。自分の力不足を痛感するときも、数多くあると思う。

 守る、というのは本当に難しいことだ。

 たとえば、千冬姉は俺を守るためにずっと頑張ってきた。真実を隠して、何が正しいのかも判断できない道を歩き続けてきたんだ。それがどれだけ大変なことか――守るとは、つまりはそういうことなのである。

 今回のことだって、束さんやみんなの力があったからこそ勝利をつかむことができた。俺自身は、まだまだ未熟な一学生にすぎない。

 

「ほら、3人も呼んでるし速く歩きなさいよ」

 

 でもきっと、こいつがいればなんとかなる。隣にいてくれるだけで、俺の力になってくれる。根拠も何もあったもんじゃないが、どういうわけだか断言できる自信があった。

 

「わかったよ」

 

 引っ張ってくれるというのなら、頑張ってついて行ってやろうじゃねえか。

 

「しっかり頼むぜ」

 

 俺の大切な、幼馴染兼彼女さんよ。

 




というわけで、これでめでたく? 本編終了となります。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。シャルや更識姉妹、マドカのエピソードを埋める後日談もありますが、本筋の話はこれでひとまずおしまいです。
このハーメルンという素晴らしいサイトに来て、ついテンションが上がって初めてのIS二次創作にチャレンジしてしまいました。今はとりあえず完結まで行けたことにほっとしております。
ジャンルは原作再構成という名の鈴ルート。僕は他の作者の方々と違って原作の設定を深く考察するということがなかなかできないので、とにかくキャラへの愛情だけはおろそかにしないようにと気をつけました。
完結までに約9ヶ月。総文字数は30万字ちょっと。ライトノベル2~3冊分でしょうか。正直遅筆の部類に入りますが、付き合ってくださった読者の皆様には感謝の限りです。ISが原作ということもあり、たくさんのお気に入りと感想をいただけたのもいい意味で予想外で、モチベーションの増加につながりました。総文字数のほうも、今まで書いてきた完結した長編の文字数の変遷(3万→3万→8万→12万)を考えると一応進歩はしてるのかなーと思ったり。

ところで、僕はこの作品を始めたばかりの時に「セカン党のハーメルン支部になるのが目標だ」と言いました。どれだけその目標に近づけたのかはわかりません。が、少しでも鈴ちゃんのファンが増えてくれれば幸いです。原作も続き出るし、アニメ2期もやるみたいだし、たとえ出番が少なくても応援しましょう。

終盤の方のあとがきで、鈴と一夏の関係の理想形についての話を少ししたと思います。僕自身の意見としては、この作品内の関係がちょうどいいんじゃないかなと。鈴が引っ張り、一夏が頑張る形です。一夏は弟属性で、かつそこまで積極的に動けるタイプでもありません。ですが逆に、期待をかけられればそれに応えられる強さを持っています。そうなると、まあこんな関係がベストかなーと考えました。

本編で一夏と鈴は結構いちゃついてたと思うのですが、「まだ足りない」という方はいらっしゃるのでしょうか。

ここでやる話じゃないかもしれませんが、一応次回作もIS原作でちょっと考え中です。今作でまだまだ長編を練る力が不足していると感じたので、短編集っぽい作品になるかなと思います。それか「シックスセンスな織斑君とオルコットお嬢様」みたいな数話で終わる短編(ラウラヒロイン)を考えています。あと大穴で仮面ライダーとのクロス。

長々と語りましたが、だいたいこんな感じであとがきを終わらせていただきます。
感想等あれば、次回作への参考にもなるのでいただけるとうれしいです。
では、今まで本当にありがとうございました。


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