悪魔の妖刀 (背番号88)
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1話

「「うおおおおっ!」」

 

 勝つのは俺だ!

 必勝を胸に抱き、その信念と闘志だけでただ前へ――!

 肉体猛々しく。気力雄々しく。前へ。もっと前へ! 1mmでも、前へ……!!

 

「「お゛おおおおあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」」

 

 いいや、勝つのは俺だ!

 この初めてのライバルと認めた相手、本気で全身で力を振るっても壊れぬ、存分に鎬を削れる。

 恵まれた体格である故に、同年代にこの身の全力を振り絞るに値するものはいなかった。

 こいつを除いて。

 幼く、子供な彼、いや、彼らは、己の全力をぶつけられる好敵手の存在に飢えていた。だが、それもこの男に出会った時に満たされた。

 喜悦の滲む笑みを、犬歯を剥き出しにして浮かべ、己を押し倒して突破を試みようとする奴を体で当たって押し止める。

 これ以上は行かせん。行かせてやるものか! 1mmでも、前には進ません……!

 すべてをぶつけても負けるかもしれない相手、だからこそ、負けられない。

 

 『決して倒れない』――それが、ボールを持った男の子の信念。

 『必ず止める』――それが、チャージを阻む男の子の信条。

 

「長門おおおおっ!」

 

 倒れるものか。押し切ってやる!

 

「大和おおおおっ!」

 

 進ませるものか。押さえ込んでやる!

 

「「うおおおっ……」」

 

 矛盾の如き意地の張り合い。両者の勝負は拮抗し――やがて、止まる。

 勝敗の分水嶺と定めた1ヤードのライン……阻む男の子の踵がつくかどうかの土俵際いっぱいのところで――

 

「勝つのは……俺だ!」

 

 ボールを持った男の子が、最後の力を振り絞り、停止されかけた脚を更に一歩前に踏みしめた。

 

 

 初めて出会ったのは、ボーイスカウトで。それから同じスポーツクラブに入った。

 小中学生や女子でも遊べる防具なしのフットボールのタッチフット。タックルで倒す代わりにタッチすれば止めたことになるアメフトだ。

 まだ体の出来上がっていない小学生に推奨されるスポーツなのだが、この二人は本気でぶつかり合うのがこれで通算百度目である。

 

「この百戦目――俺の、勝ちだ。長門村正」

 

「……ああ。俺の敗北だ、大和猛」

 

 少年たちは、抱き合うように激しくぶつかりあった全身を互いに預ける。

 

「だが、これで、五十勝五十敗……まだ並んだに過ぎない」

 

 小学生で最後となる勝負の勝者だが、負けず嫌いの大和猛はこれまでの勝敗をきっちり覚えていた。当然、長門村正も頭の中に一つ増えてしまった黒星を憎々し気ながらも記憶している。

 

「でも、記念すべき百一戦目は、次の機会に預けておこう」

 

「アメフトの本場だからって、俺以外に倒されるんじゃないぞ」

 

「君こそね。――長門村正に勝つのはこの俺だ」

 

「はっ。それはこっちのセリフだ。――大和猛を沈めるのはこの俺だ」

 

 互いに指を突き付け、宣言する。

 自分たちらしい別れにどちらともなく笑ってしまう。

 

「そういえば、長門はどこに引っ越すんだっけ?」

 

「確か親の転勤先が関東で……それで、俺が春から通うのは麻黄中学ってところだったな」

 

 

 ~~~

 

 

 ――大和猛(ライバル)と別れてから、三年後。

 中学でアメフトを始めた俺に、新たな出会いがあった。

 心優しき巨漢ラインマン、

 悪魔の如き狡猾なクォーターバック、

 伝説を携えし侍キッカー、

 一緒にアメフトをやって、これからもやることになる三人の先輩たち。

 そして、持てる技術のすべてを教えてくれた師……

 

「溝六先生は、一年前に借金でアメリカに行ってしまって、その後は音信不通なんですけどね」

 

 ぼやく青年の体は長身で、腕から胴から脚まで、とにかく細いが、しかし華奢ではない。つくべきところにつくべきだけの筋肉がついているという印象だ。髪はぼさぼさの総髪で、全体的に、野性味あふれる雰囲気がある。

 

 そんな彼こと長門村正が高校入学前の春休みで何をやっているのかと言えば、自転車をこいでいた。

 

 北関東屈指の温泉地で、季節はずれているけれど、紅葉の名所『伊我保温泉』。

 この慰安旅行のイメージが先立つ石段街にある『北江屋旅館』は、主人が“世界に通用するアスリートを育てるのが夢”だそうで、経験値稼ぎにはここにお世話になるのが良い、肉体を苛め抜くのにうってつけの場所がある。そう師に勧められて、この春休みにお世話になっている。

 

「そうか、溝六のヤツはまったく……しかし、君のようなアメリカンフットボーラーを育て上げていたとはな」

 

「俺以外にもあと三人先輩がいますよ」

 

 伊我保観光ラインと書かれたボロボロの看板が北関東名物の空っ風にあおられる。一見、何の変哲もない有料道路なのだが、まったく車が通っていない。料金所の建物は老朽化が進んでいるし、行き先案内板に至っては文字が全く読めないほど傷んでいる。

 それもそのはず。ここは高度成長期に調子に乗って山越えルートの有料道路を造ってみたはいいものの、それとは別にこのすぐ近くに高速道路を通す国家計画があった。高速道路の真横に有料道路を造ったところで利用者がいるはずもない。その場のノリで立てられたこの道路は、全線開通する前に計画が頓挫してしまった。

 

 ただ本来とは違った需要をこの閉鎖道路に見出すものもいた。

 急な斜面に、キッチリ舗装された道路。閉鎖されているので人も車も通らない。やりたい放題という寸法だ。

 道路は国か地方自治体の所有地で、勝手に使うのはまずいのだが、先の温泉宿『北江屋旅館』の主人が町長を脅し……ではなく、話をつけて、主人の許可さえあればトレーニングの場所として利用できるようになっている。

 

「ふぅ、慣れてきたけど中々キツい……ふんぬらば、っと」

 

 自転車のペダルを踏みしめる足に力を入れる。

 今乗っているのは普通の自転車ではなく、観光地とかでよく見かける二人乗り用の自転車だ。一番重いギアで、普通のよりも前後に長い二人乗り用自転車は、それだけ風の抵抗を受けやすい。風速20mに達することもある向かい風もさることながら、強い横風は、横からどつかれるのと同じ。

 それだけでなく、前後に長いという事は車体を思い切り横に倒さないとカーブを曲がり切れない。カーブだらけの登り坂を進むには、重心移動ができていないと無理だ。

 

 しかも自転車の車体は今どき珍しい鉄製で、鉛の重りのオマケつき。総重量は500kgになるように調整されている。

 さらに今こいでいるのは青年のみ。後ろはこがずにただ乗っている重り役兼お守(コーチ)役である。つまり500kg+αで走破しているのだ。

 

「いやあ、武田さんには感謝です。もうすぐお孫さんが生まれるというのに付き合ってくれるなんて」

 

「何、家でジッとしてるなんて性に合わんしな。……それに、あの誰一人としてやり遂げた者のいないデス・マーチを半分とはいえ走破するなどという無茶をやるヤツを見過ごしてはおけんよ」

 

「あはは、春休みが一ヶ月あったら、1000kmとは言わず、2000kmやりたかったんですけどね」

 

 死の行軍(デス・マーチ)、それは、2000kmのウルトラトレーニング。その半分でも1000kmだ。

 入口から行き止まりまで片道およそ20km。この有料道路をちょうど往復で25周すれば達成できる。

 かつて師が挫折し、選手生命が断たれたそのデス・マーチで、コーチしてくれる師のチームメイトだった武田は脱落者のひとりで、その事を気に病んでいた。コーチをするのもその罪滅ぼしもある。

 そのため、将来有望な青年の選手生命を絶たないよう、いつでもストップをかける気構えでいたが……この溝六の愛弟子は、もうあと半周、この春休みの半月の間に980kmまで走破している。

 

「まさか本当にやり遂げちまうとはなあ……」

 

「これも皆さんのおかげですよ。場所を提供してくれた『北江屋旅館』の皆さん、門伝桝乃の婆さんのゴッドハンドには大変お世話になりました。それに武田さんが監督を務めるアメフトチームの皆さんには、ボールを使った練習に付き合ってもらいましたし」

 

「こっちも若ぇのが混ざって活気付いたもんよ」

 

 そして、話をしながらも自転車は進み……ついに、25往復1000km走破達成する。

 

「本当……千石大学の『二本刀』は、とんでもない名刀を鍛え上げやがったな」

 

「それはちょっと違いますね武田さん。――村正は、“妖刀”です」

 

 

 それから借りていた二人乗り自転車を『北江屋旅館』へ返却しがてら何気なく武田は訊ねた。

 

「それで、長門君はどこの高校へ行く気なんだい? 君なら神龍寺でも十分やっていけるだろうし、帝黒でもレギュラーを狙える。庄司が監督する王城は中高一貫制の学校だけど外部生で入れるぞ。今年のチームは黄金世代が抜けてしまったから、君のような即戦力は歓迎されるんじゃないか」

 

 身長190cm、体重90kgの恵まれた体格に、40m走4秒7でベンチプレス140kgの高い身体能力。そして、あの『二本刀』と称されたエースがその技術のすべてを叩き込んだ。

 同じ『二本刀』の司令塔が手塩にかけた高校最速にして日本史上最強のラインバッカーにも劣らぬ逸材だろう。

 今はまだ無名だがいずれ必ず国を代表する選手になるだろう長門村正の進学先を尋ねてみたのだが、当人は頬を掻きながら苦笑し、

 

「あはは、いやー、一年前からずっとオファーされてるところがあるんすよ。もし来なかったらぶっ殺しに行くと脅してくるくらい熱烈に」

 

「ほう、それはどこだい?」

 

「泥門デビルバッツ、まだメンバーが三人しかいない無名のチームです。()()()()ね」

 

 

 ~~~

 

 

 私立泥門高等学校。

 某H氏が入学した一年前から、その校風は、『寛容な精神で生徒の自治を重んじる』という自由なものに定められる。

 外見はごく普通の高校だが、某H氏による数々のトラップが至る所に存在する。

 そして、総生徒数700名を超え、教師を含めると800人近いこの学び舎は、10人に1人が某H氏の奴隷である。

 ……某H氏の影響力が大き過ぎる。

 

「いやあ、本当、目的のためなら容赦ないな、ヒル魔さん」

 

 ぽつり、とその名を呟いただけで、

 

「どどどどどどどどこ!? どこ? どこ? ヒル魔どこ?」

「イヤァアアアァアアアア!!」

「ヒィイィイ! 俺のラブレターをばら撒かないでくれェ!!」

 

 うわー……泥門高校では名前を呼んじゃいけないあの人になってる。

 

「麻黄中も同じ感じだったけどね」

 

 決して、中高一貫校のエレベーターで進学したわけではない、母校とは何の縁もない別の学校のはずだが、この阿鼻叫喚にはデジャビュを覚えてしまう。たった一年で、いや一月とかからず、己の色に染め上げてしまったに違いない。それだけあの先輩のひとりはカリスマ性があるんだろう。そういうことにしておこう。

 

 さて、今日が入学式。自分が配属されたクラスは、1年1組。

 教室に行くまでざっと見た感じだと自分以上に身長の高い生徒はおらず、背の順で並べば規定位置となった最後尾になるだろう。

 その逆にこのクラスの身長が低く先頭になるであろう生徒が前の席に座っている。

 

「フゴッ」

「おっす、今日から同じクラス、これからよろしくな」

「小結大吉!」

「俺は、長門村正。村正って言うと危険っぽい感じになるから長門って呼んでくれ」

「と……とも!」

「ああ、友達になろう。お互い、高校に入って初めての友達だな小結」

「フゴッ!」

「おう! 幸先のいいスタートだな!」

 

 と固い握手を交わす。なかなか力強い、パワフルな手だ。

 身長差が凸凹してるが、友達もできてクラスにも馴染めた。

 

「アメフト部の特集に紙面のスペースを占領されて、模型部と陸上部以外の宣伝は以下略にされてるぞ」

 

 そして、放課後、家の手伝いがあるとかで小結は早々に帰ってしまったが、新入生には部活見学のイベントが催されている。

 といっても、入るのは決まっているし、それ以外にふらつこうものなら、某H氏より銃弾をぶち込まれるに違いない。真っ直ぐにこのクラブ公告特集の過半数を占める大見出しでアピールしているアメリカンフットボール部へ急ごう。

 およそ一年ぶりとなる先輩たちとの再会だ。急かさずとも、自然、気が逸るというもの。あの()()とまた一緒にプレイができる――

 

 

「ひいいいい!! なんで結局――こーなるの~~!!?」

 

 

 教室の扉を開ける、その直後に駆け抜けた一陣の突風――否、この正体は風のように廊下を疾走する人間。

 

(はや)い――!)

 

 走りも速いが、動きも疾い。放課後人が多い廊下を全速力で行きながらも、誰一人としてぶつからない走り方(カット)。あれは稀に見る黄金の脚だ。こんな逸材が、スポーツ特待校でもない泥門高校にいたなんて……

 

(ランニングバックをやらせたら面白そうだな)

 

 しかし、廊下を走るのは校則違反である。風紀委員ではないが、間違っても事故にさせないよう止める。

 購買部から往復して戻って来た爆走少年。

 相変わらず素早いが、どこを走ってくるかは大体予想がつく。その激しい走り方(カット)は、曲がる際に当然ブレーキを掛ける。瞬間的にスピードがゼロになる。

 彼は人にぶつからないように必ず直前で曲がるから、そこを狙えば――

 

 

 ~~~

 

 

 高校初日。

 もう中学時代のように誰かのパシリにならない……そう、心に決めていたのに、同じクラスになった男子生徒三人から放課後早速校舎裏に呼び出されて、5分以内にパンを買いに行かされることになった。

 結局、購買部のパンは売り切れていたけど。

 その戻り道で、すごく大きな人が前に立ちはだかった。当然、僕はぶつからないように彼を避けようとした――でも、

 

「――ほい」

 

 ……!!?

 その長い腕が伸びて、僕の胸にそっと、でも力強く手が添えられた。

 陸に走り方を教えてもらってからこの爆速ダッシュは一度も止められたことがなかったのに、躱せずにあっさりと捕まってしまった。

 それも、掌で押さえられているだけなのに、ビクともしない……!?

 

「同じ新入生だけど、“危ないから廊下は走っちゃいけない”って言うのは、どの学校でも共通のルールだとは思わないか、少年」

 

 何事もなかったように注意する男子学生。

 そのことは、風紀委員をやっている一つ上の幼馴染のまもり姉ちゃんから聞かされている。常識的なことを説かれたけど、今はそれどころではない。速く、5分以内に戻らないと痛い目に……!

 

「あの、ごめんなさい。僕急いでるので! ……ん?」

 

 言って、彼を抜こうとしたけど、それより早く制服の襟元を掴まれ、猫のように持ち上げられてしまう。腕一本で軽々と。

 じたばたと手足をばたつかせるも、床に足がついてなきゃ走れない。

 

「……うん、なるほどなるほど。急ぎの用があったのか。よし、迷惑をかけてしまった詫びに俺も手伝おう。遅れた理由は俺にあるのだから、ちゃんと俺が説明しないといかんだろ」

 

「えええ!?」

 

「それで、場所はどこだ? 予想としては体育館裏あたりだと思うがどうだ?」

 

「はい。――いや、これは僕一人で!」

 

「ひとりでやるなんてそう寂しいことを言うな。同じ新入生だし、それにちょうど俺も体育館裏の方に用があるんだ」

 

「で、でも」

 

 巻き込ませたくない。とても体が大きくて、力が強い人だけど、むこうは金属バットを持ってるし、喧嘩になったらケガをしてしまう。それはダメだ。僕のせいで誰かがケガをするなんてことはあってはならない……でも、足がつかないと逃げようがないので。

 

「降ろして! 降ろしてください!」

 

「大丈夫だ、君を掲げるくらいわけない。俺は鍛えてるからな。ああ、それで俺は長門村正という。同じ泥門高校の新入生だ。君の名前は?」

 

「え、僕は、小早川セナと言います。――そうじゃなくて、降ろしてください! 本当、急がないとまずいんです!」

 

「ははは! 急がば回れだ、小早川。焦っているときほど、余裕をもってだな」

 

 結局、この長門村正君に荷物のように校舎裏まで運ばれて……

 

 

「誰だテメェは……」

 

 人目につかない校舎裏で屯っていた三人は、当然、この闖入者に不快に眉を顰める。ヤバい。チクられたと思われたに違いない。

 

「購買部のパンを買ってこいっつったのに、どうしてこんなデカブツを連れてきてんだ? あ゛ぁ?」

 

「ああ、それは俺が小早川を止めてしまったからだ。何分急いでいたようだが、廊下を走るのは校則に反しているからな。一生徒として制止させてもらったわけだ。それと、小早川が購買部を見てきたけど、パンの方はすでに売り切れだったようだぞ」

 

「ハ?」

「はァ!?」

「はあぁぁあぁあ!!?」

 

 ひいいい!?

 声揃えての恫喝に震え上がる僕。……けど、長門君はそれを面白そうに、プ、と噴き出し、

 

「仲が良いな君たち。三人揃って息ピッタリじゃないか。いやあ、先輩たちと似てるなあ」

 

「てめ」

「ガタイがいいからって舐めてんのか?」

「こりゃ、ちょっくら一発しばいてやらねーと、な!」

 

 挑発されたのだと思ったのだろう。青筋浮かべた三人は得物である金属バットを手にし、容赦なく長門君目掛けて振りかぶった。

 危ない! ……そう僕は声を出そうとして、怖くて何も言えず、長門君の身体に金属バットが叩きつけられた。

 

「あ……」

 

 僕はそれを後ろで見ているしかなくて……長門君は、ビクともしなかった。思いきりバットで殴られたのに。まるで、しっかりと地に根の張った大樹のようだ。

 これには殴った三人の方が狼狽えてしまう。

 

「な、なんだこいつ……」

 

「そう怖がらなくていい。俺は、手を出さない。ここはフィールドじゃない。フィールド上に立った選手以外は潰さないと、誓っているからな」

 

 その気迫。手は出さないと宣告しているのに、威圧される。頼もしい、けど、恐ろしい。振るわれずとも、その刃紋を見ただけで身の毛のよだつ妖刀を目の当たりにしているようだ。

 

「へ、へっ! だったら、存分にサンドバックにしてやる!」

 

「それとこれは忠告だが、この泥門高校であまり不良は勧められない。ここには」

 

 一旦は怯んだけれど、その震えを振り払うように再びバットを振り被って、長門君が何かを言いかけたその時だった。

 

 

「あーー!! 長門君!!」

 

 

 大声で、長門君の名前を呼んだのは、縦にも横にもすごく大きな人だった。

 

「栗田先輩、お久しぶりです。そして、これからまたよろしくお願いいたします」

 

「わああ! やったあ! 長門君が来てくれて、すっごく嬉しいよ! また一緒にアメフトをプレイできるんだね!」

 

 すぐ長門君が折り目正しく一礼する。

 向こうの栗田先輩? もすごく感激したご様子。それまで物騒な空気だったのに、まったく気づいていないようである。

 そして、無視された形になる三人は当然面白くはない。暴力現場にまた新たな乱入者だ。でも、先輩も長門君の周りにいる僕と三人に気付いて、

 

「それで、ここにいる君たちは……あ、長門君と一緒にいるからもしかして、アメフト部の入部希望者!!?」

 

 なんか誤解してしまった。

 

「ハ?」

「はぁ?」

「はぁああああ!?」

 

 おちょくられたのかと思われて、ますます三人のボルテージは上昇。

 

「寝ぼけんなよコラ。俺らはコイツに用があるんだ」

「回れ右だホレッ」

「じゃないと、タックルで吹っ飛ばすぞアメフト部!」

 

 三人のうち一人が、栗田先輩に勢い付けて体当たりをぶちかました。不意打ちのようにいきなり……でも、

 

「ふんッ!? ふんッ!!!」

 

「お、君はライン志望?」

 

 これまた全然ビクともしない。体格に体重差があるんだろうけど、それでも1mmも動かせない。押してる方が逆に押し切れなくて、足が滑っている。

 

「こォのデブ……」

 

 三人がかりで押し倒そうとするが、先輩はそれを全く苦にせず、むしろ嬉しそうに笑顔で三人丸ごと抱擁するように受け止める。

 

「ああ、ブロッカーを押す時はね。手の底で相手の脇を押し上げるように――こう!!!」

 

 くわっ! と瞳の奥に火がつき、

 

「ふんぬらば!!!」

 

 何と三人をいっぺんに投げ飛ばしてしまった。

 す、すごいパワーだ……。

 

「ひゃ、ひゃ~~~しまった! 大丈夫、君達!?」

 

 先輩は慌てて投げてしまった三人に駆け寄ろうとしたけど、三人は悲鳴を上げて逃げて行ってしまった。

 遠ざかる背中に、先輩はしょんぼりと項垂れ、しくしくと涙を。

 

「うう……折角、長門君が連れてきてくれた入部希望者だったのに……ごめんね、長門君」

 

「いや、そうじゃないんで結構です、栗田先輩」

 

「あ」

 

 そこで、先輩と僕は目が合った。

 

「一人残ってた~~!!」

 

 ち、違います!

 そう言おうとしたのだが、先輩はもう体育館裏にある部室へと走っていってしまう。

 

「ちょっと待ってね。部室ちょっと散らかっててすぐ片付けるから!」

 

 歓迎ムードに断りづらくて、つい長門君を見るも、長門君は、あはは、と苦笑しながら頬を掻いていて、

 

「わかってる。ちゃんと栗田先輩には小早川が入部希望者じゃないと伝える。けどまあ、せっかくだし、アメフト部の部室に寄っていかないか」

 

 この怒涛の展開に流されるように僕はただこくんと頷いた。

 

 

 ~~~

 

 

「栗田先輩、小早川は入部希望者じゃないですよ」

 

 招かれてからのこの第一声に、満面の笑みで部室に出迎えてくれた栗田先輩は、大口を開けて呆然自失。

 

「そ、そう、いや、良いんだよ別に……。ゆっくりしてって、お茶でもホラ」

 

 あちゃ~、メチャクチャガッカリしてる。

 三人の中で一番感情が表に出る感激屋なのは、一年前と変わってない。でも、その分、すぐにけろりと立ち直る。

 

「そんな気落ちしないでください栗田先輩。同じクラスで有望そうなヤツがいるんで、今度そいつを連れてきますよ」

 

「本当に!?」

 

 小早川を席に案内した時にはもう元に戻っていた。

 

「それで、砂糖は何十個?」

 

「い、いや、ひとつで……」

 

 うん、相変わらずの食生活だ。よく糖尿病にならないと不思議に思う。

 

「ああ、栗田先輩。俺がやりますよ。後輩として、先輩にばかり働かせるわけにはいきませんから」

 

「いいっていいって。今年最初の入部希望者なんだから先輩として歓迎させてよ。ヒル魔も長門君が泥門高校に来てくれるのをすっごく楽しみにしてたんだから!」

 

「あははー、そうですか。それは嬉しいですね」

 

 家のポストに数百通の勧誘チラシがねじ込まれていたから入学前、いや、一年前から

承知している。来なかったらぶっ殺す、というのは。

 

「あ、あの、お二人は知り合いなんですか?」

 

 そこで肩身狭そうに紅茶を啜っていた小早川が質問。

 

「ああ、俺と栗田先輩は同じ麻黄中学出身でアメフトをやっていたんだ」

 

「そうだよ。長門君はすっごくアメフトが強くって、何でもできるから、麻黄デビルバッツでエースだったんだよ。……でも、結局今年も部員3人かぁ……もうすぐ大会だってのに……」

 

「栗田先輩、数え間違えてますよ。俺を入れたら、4人じゃないですか」

 

「あ、うん……そうだね長門君は……」

 

 ? 励ますつもりで言ったのに、消沈してしまう。栗田先輩は、裏表のない人で、演技とか無理。だからこれは素の反応なのだが……何か気に病むことを言ってしまったか?

 気落ちした雰囲気に、どういうわけか小早川が不安に焦ってまた質問を投げかけた。

 

「そ、それでラグビーって、4人でもできるんですか?」

 

「いや4人じゃ……ていうか、ラグビーじゃなくてアメフトね」

 

「小早川、アメフトは最低11人必要なスポーツだ。だから、足りない分は調達……いや、お願いして人数合わせに他の部から来てもらう。……それで、まだ人数揃ってないし、小早川ならレギュラー確定だと思うが、どうだ? やってみないか?」

 

「無理無理無理! スポーツなんてドッヂボールとかしかやったことないし」

 

「…そうか、残念だ」

 

 あの黄金の脚を在野に放っておくのは惜しいが、こればっかりは本人の意思が重要だ。……もっとも有能そうなら有無を言わせずプレイヤーに仕立てそうな人間をひとり知っているが。あの先輩に知られたら、小早川はアメフト部に強制入部されるだろう。

 

「こんなんじゃ、クリスマスボウルのクの字も見えないよ」

 

「クリスマスボウル?」

 

「年に一度のクリスマスに行われるアメリカンフットボールの全国大会決勝だ。各地方地区大会を抜け、関東・関西大会で優勝した東西の最強チームが激突する天下分け目の決戦」

「そりゃもうすごいんだよ! 東京スタジアムのオーロラビジョンに、こう、リプレイとか映って……まさに戦争の最終決戦場! いつかみんなであのフィールドに立つぞっ! てね」

 

 それは、先輩たちが中学でアメフト部を創立してからの夢だ。

 そして、皆で目指すもののために文字通り敵にぶつかっていく、その瞬間が燃えるのだ!

 

「だから一回戦負けはわかってるけど、大会にはどうしても出たいんだ」

 

「一回戦負けになんてさせません。俺が絶対に。先輩たちをクリスマスボウルまで連れてってみせますよ」

 

 この後、しばらく歓談して、栗田先輩の熱意に感化されたのか、小早川がアメフト部の主務、管理職全般を受け持つチーム運営の裏方に立候補してくれた。……でもやっぱりプレイヤーとして出てほしいと思ってしまう。

 

 

「長門君、あのね……」

 

 時間となり小早川を帰らせてから、試合で使う防具合わせをする……という体で、栗田先輩がわざわざ自分ひとりを残した。

 これが某H氏ことヒル魔先輩であったなら二人きりの状況に身構えてしまうが、良心の塊である栗田先輩にその心配はない。

 でも、その大きな体を風船の空気を抜いたように萎ませて、言い難そうにする表情からあまりよろしくない話を聞かされるのだと察した。そして、先輩の口から語られたのはこれから先の前途多難な未来を示すものであった。

 

「今、ムサシはデビルバッツにはいないんだ」

 

 ボソボソと栗田先輩は武蔵先輩がチームにいない理由を語った。武蔵の親父さんが倒れ、それで武蔵先輩は、泥門高校を辞めて、実家の大工の跡を継いだそうだ。

 

「栗田先輩」

 

「で、でもね。ヒル魔が無理やり退学じゃなくて休学扱いにしたんだ。でもって、いつでも戻って来られるように選手登録もしてある。だから……」

 

 このことについて、長門村正が栗田先輩に言えることは、ない。さっき正式な部員は3人だと言っていたから、武蔵先輩が戻ってくるのは望みが薄い……それこそ奇跡のようなものなんだろう。そんなこと、誰よりもわかっているのは、先輩たちだ。今知ったばかりの後輩が口出しできる問題じゃない。

 だから、問い質したのはひとつだけ。

 

「……どうして、この一大事を俺に報せてくれなかったんですか、栗田先輩」

 

「それは……もしムサシがいないって、わかってたら泥門に来てくれないんじゃ」

「ふざけないでください!」

 

 ただでさえセンターライン、クォーターバック、キッカーしか正式な選手のいない、11人未満のアメフト部から1人欠けたのだから、戦力低下は相当大きい。これでクリスマスボウルに行ける確率は0.1%しかないほどに厳しい。

 だったら、“勝つために”泥門のような弱小校ではなく、他の強豪校へ行くのが賢い、いや当然の選択だ。

 だから、入学するまで情報を隠したのか――度し難いほど不愉快だ。

 

「俺は、そんな余計な心配をされていたのか!」

 

 怒鳴った。怒鳴らずにはいられなかった。

 ええい腹立たしい。後輩個人に徹底した情報封鎖は、栗田先輩にはできない芸当だから、ヒル魔先輩が噛んでいるに違いない。栗田先輩にも泥門デビルバッツに入部届けを出させるまでは話すなとか言い含めていたんだろう。

 わざわざそのような真似をせずとも、俺は先輩たちのいる泥門高校を選んだというのに。あの日の約束を果たすために。

 

「長門君……ごめんね」

 

「もう、いいですよ栗田先輩。ああ、だから、今日、ヒル魔先輩は部室に来やがらなかったんですね」

 

 居たら、一発ぶん殴っていたところだ。

 

「事情は、わかりました。でも、デビルバッツから抜けたりしないから安心してください栗田先輩」

 

「長門君! ありがとう!」

 

「それに……武蔵先輩が、戻ってくる可能性は0%じゃあない。だったら、その奇跡が叶うまで勝ち続ければいい。違いますか、先輩」

 

 ――それまで、この『妖刀』が頂までの道を切り開いてみせよう。



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2話

 投げる栗田先輩。

 セットするヒル魔先輩。

 蹴る武蔵先輩。

 このデビルバッツ創始者3人のキックプレーを、何度も叩き潰そうと挑んだのが、長門村正の中学時代で、極度の負けず嫌いがチームに入るきっかけになった、最初の目標だった。

 

 二人を守ろうとする自分以上のパワーを持つ栗田先輩と押し合い、または躱し。

 キックプレーと見せかけるフェイクを入れて自ら走ってくるヒル魔先輩のトリックプレーを見極め。

 最後、眼前にまで迫ろうが決してブレない武蔵先輩が放つ生半なブロックでは吹っ飛ばされるキック――

 

『ん、何かしたか今』

 

『……明日、また勝負してください』

 

『ケーケケケケケケケ!! 今日も(ファッキン)カタナの負けだな。約束通りグラウンド走ってこい。きっちりルートの通りにな。――『ジグアウト』!』

 

『うす!』

 

 このいつも練習の最後に勝負してきた実戦練習で一体どれだけ負かされてきたことだろうか。

 

『ひ、ヒル魔、練習終わってくたくたなのにそんな罰ゲームをさせちゃ大変だよ。ムサシも、もっと何か他に言うことはないの? ほら、僕たちの初めての後輩なんだからさ。よくやったとか、あとちょっとだったぞとか……』

 

『勝ったか負けたか、結果が全てだ。そんな甘っちょろいことを言ってんじぇねぇぞ糞デブ。だいたい、テメェがあっさり躱されたから糞ジジイのキックをブロックされたじゃねぇか! もっと死ぬ気でしがみついて糞カタナを止めやがれ』

 

『栗田、ヒル魔の言う通りだ。誰が相手だろうと真剣勝負を挑んできている奴に情けを掛けるな。……これまでやってきた誰よりも手強い後輩だろうと、三対一で負けたら先輩の面子がねぇだろ』

 

 

 ~~~

 

 

『明日の大会までに助っ人を手分けして集めるぞ!! いいか、1人ノルマ2人!! どんな手ェ使ってもいい!! とにかく運動部のヤツ引っ張ってこい!! 一番少なかったヤツァ罰ゲームなッ!』

 

 デビルバッツは、アメリカンフットボールに最低必要な11人も満たない、人数不足に悩まされるチームだ。その辺の台所事情は中学の頃から変わっていない。

 だから、選手3人に主務1人の泥門アメフト部は、明日の大会までに助っ人を8人(7人)集めないとならない。

 

「そういうわけで、武蔵先輩、大会の助っ人に来てくれませんか?」

 

 長門村正が学校を飛び出してきたのは、個人経営の武蔵工務店。

 そこで仕切っている老け顔だが、一つ年上の先輩に話を持ち掛けたのだが、

 

「断る。俺は、泥門校からすでに退学している。出場資格はない」

 

「いいや、武蔵先輩。退学ではなく休学扱いになってるみたいですよ」

 

「関係ない。俺は二度とボールを蹴る気はねぇ」

 

「それは困りますね。先輩たちとの真剣勝負ができなくなるのは」

 

「話は終わりだな。帰れ。仕事の邪魔だ」

 

 最初、工務店を覗いた時は、社員の人から“厳ちゃんの後輩”と顔見知りということであれよあれよと中を通されて、武蔵先輩にご挨拶したときは、『泥門に来たのか……』と制服姿を見て、そうぼやかれた。

 でも、結局、断られた。

 約束(アポ)無しで訪れたのに歓迎されて、また仕事の手を止めて顔合わせしてくれたのも、直接話をつけるため……この義理堅い先輩なりに筋を通したのだろう。

 これは先輩たち三人の問題であるのだから、元よりダメもとで声をかけたようなものだ。

 だから、三人の頼もしい後輩として言えることは……

 

「そういえば、知ってますか武蔵先輩。アメフト部の部室……。試合で一勝ごとに増築することになってるみたいですよ」

 

 ヒル魔先輩が校長先生に(強引に)取り付けた契約である。

 3人(今は2人)でもしっちゃかめっちゃかに散らかって手狭で、広く増築されるのは嬉しい事だ。ポケットマネーで建設費を出す校長先生には申し訳なく思うが。

 

 そして、その増築の工事をお願いするのは、どこであるかは先輩の仲を知れば簡単に推理できる。

 

「武蔵工務店が左団扇できるくらいお得意様になってみせますので。今後ともよろしくお願いします先輩」

 

「……ふっ。相変わらず生意気な後輩だ」

 

 ほんの少し、その老けたしかめっ面が和らいだのを見たところで、用が済んだ自分はこれ以上仕事の邪魔をしないよう踵を返す。

 その出ていく背中に、武蔵先輩が、土産にもならぬ言葉を押し付けてきた。

 

「なあ、キック、やらねーのか。お前なら、ヒル魔よりはマシなキックが出来んだろ」

 

「しませんよ。覚える気もない。俺でも『60ヤードマグナム』は真似できそうにないですんで」

 

 丁重に送り返して、今度こそ長門村正は武蔵工務店を出ていく。

 

「…………ありゃハッタリだって知ってんだろ」

 

 

 ~~~

 

 

 高校アメリカンフットボールの春大会。

 クリスマスボウルが開催されるのは、秋大会であるが、これが高校デビュー戦になる大事な試合だ。

 

 初戦は、恋ヶ浜キューピッド。

 総部員数は20名。選手のモットーは、“LOVE&FIGHT!!”

 プレイヤーよりもベンチに注目が集まるチームである。ズラッと選手たちの彼女である女子たちが並び、チアガールとして黄色い声援を送るのだ。噂によると、入部条件に彼女持ちであるかが重要項目にあるとかなんとか。

 

「やあ、どうもむさ苦しいデビルバッツさん。いやあ、こっちの声援は黄色くて申し訳ない! こいつらがど~~しても応援に来たいって聞かなくて!

 ……おや!? 女の子がひとりもいない! あれおっかしいな~!? 泥門高校は“男子校”だったかな。あ、まさか……応援してくれる娘が誰もいないのかな!?」

 

 ベンチでは常にハートが飛び交い、羨ましいことこの上ない光景をこれでもかと見せつけてくる連中なので、

 

「絶ってー倒す!!」

「むしろ殺す!!」

「頑張りましょう栗田先輩!」

 

 九割助っ人集団で急増のバラバラなチームがリア充ぶっ殺すと思いをひとつに一致団結した。

 まあ……直にあちらさんもこちらに負けないくらいに燃え上がることになるだろう。

 

「そういやウチだってチアガがくるんだろ?」

「そうだチア!」

「ちゃんと手配してんの主務!?」

 

「い、いやその……そのうち来るって言うか。来るはずもなくって言うか……。あ、あれ~? おかしいな~?? なんて……――(長門君どうしよ! 僕、そんな話聞いてないし、チアガールの手配なんて出来ないよ!)」

 

 助っ人たちから無茶ぶりせっつかれて新米主務(兼選手)の小早川が大いに慌てる。

 

「まあまあ、落ち着け小早川。今は弱小チームのデビルバッツにわざわざ応援に来てくれる女子は泥門校にいない」

「じゃあどうするの!? このままじゃ」

「でも、心配はいらない。泥門デビルバッツには先輩がいる」

 

 そう、素晴らしく悪魔的な先輩が。

 

「あーー! ジャリプロの桜庭君だ」

「ホントに桜庭君と合コンできるの!?」

 

「おー、てめーらの応援でウチが勝ったらな」

 

 (去年の練習試合の際に無理やり撮った)アイドルの写真を釣り餌に、堂々と相手チームの前で相手チアを現場調達(ねとる)という血も涙もない悪魔な所業(しかも合コンをセッティングする気は皆無だろうから鬼畜極まっている)。

 そして、ヒル魔先輩の交渉術が発揮された結果、一分も経たずに我らがデビルバッツのチアユニフォームを着込んだ女子たちがベンチにずらりと並び、声を揃えて、

 

『GO!! DEVILBATS!!』

 

「Yaーhaー!! 満足か糞ヤロー共!!」

 

 盛り上がる泥門校ベンチ。

 一方、“恋人達の楽園(ラバーズ・パラダイス)”を丸ごとそのまま奪い去られた恋ヶ浜高は、数分前のこちらのように燃え上がっている。中には涙を流しながらギラつく目をこちらに向けるものまでいる始末。当然である。この試合後に彼氏彼女の関係がギクシャクしないか心配だ。無論、そんなことはこの悪魔先輩は知ったことじゃない。

 

「いいかてめーら。負けたら終わりのトーナメント。いい試合しようなんて思うなよ。“ぜってー倒す”。それだけだ」

 

 試合が、始まる。

 

 

「――ぶっ!

 ――こ!

 ――ろす!! Yeah!」

 

 

 麻黄中から変わらぬデビルバッツの必勝ならぬ必殺宣告が、試合開幕の狼煙を上げた。

 

 

 ~~~

 

 

 試合序盤。

 

「ふんぬらば!!」

 

 身長195cm、体重145kg、そして、ベンチプレス160kgの全国屈指のパワーを持つ巨漢ライン・栗田先輩が、恋ヶ浜ラインを圧倒。3人がかりで押し合おうが、まるで相手にならずに恋ヶ浜の軟弱ラインは栗田先輩を止められずに崩壊する。

 

 でも、残念ながら栗田先輩の脚は、遅い。試合前日に計測した40ヤード(36m)ダッシュは、6秒5。率直に言って鈍重である。ラインマンもパワーよりもスピードの方を重視されるのが現代フットボールの傾向。鈍足なラインを足で攪乱してしまえばいいのだ。

 3人がかりでも負ける力を押し合いに付き合うことはなく、それを回避して、栗田先輩以外が助っ人の素人連中から攻める。例えば、大外から回って、クォーターバックを仕留める。

 

「フゴーーッ!」

 

 でも、その穴を埋める強力な助っ人が今日はいる。栗田先輩の横を抜けようとした相手選手が脇腹に強烈なブチかましを受けて吹っ飛んだ。

 

 身長150cm、体重64kg、そして、ベンチプレス110kgで40ヤード走5秒2のミニマムボディの横綱力士。

 最低一人誘わないと罰ゲームが決定しそうなので誘った同じ一組の小結だ。『フゴフゴッ(ふっ、熱い握手を交わした友の頼みならば、この小結、持てる全ての力を奮おう)』と快く了承してもらえて、大会に参加してもらえた。

 なので、今回が初の、練習無しのぶっつけ本番なアメフトの試合になるわけだが、小兵ならではのスピードとパワーで大活躍だ。

 

「すごいよ小結君! また倒すなんて!」

 

「フ、フゴッ!」

 

 パワフル語が通じる栗田先輩と相性が良さそうだし、このままアメフト部に本入部しそうである。

 中心にどっしりと不沈艦の栗田先輩が押し込み、大外を豆タンクの小結が埋める。前衛ライン勝負では、デビルバッツが圧倒している。

 

 

 一方で、後衛。

 

 泥門デビルバッツのクォーターバック・ヒル魔先輩が投げるパスは鋭いし、ラインのわずかに空いた隙間を通せるなどコントロールも良い。

 

「わたわた!? ああっ――」

『パス失敗(インコンプリート)!』

 

「こ・の・糞ザコ!!」

 

 良いパスなのだが、レシーバーに高い要求をするスパルタパスだ。あれでもだいぶ加減している方なのだが、他の部の助っ人では、キャッチできずにお手玉して取りこぼしてしまう。パスは期待できず、その辺りでゴールまで攻めきれない。

 小早川が誘ってきた陸上部の先輩・助っ人ランニングバック石丸先輩は、中々の俊足で、40ヤード走は、4秒9。恋ヶ浜ディフェンスをよく躱している。でも、パスは失敗するラン一本の戦法では、恋ヶ浜にも読まれるし、重点的に警戒されれば、大して距離を稼ぐことはできない。

 

 

 そして……

 

「……で、試合を見ててなんとなくわかるだろうが、アメフトは野球のように攻守交代制のスポーツで、両チーム4回ずつ攻撃する。そして、攻撃側の目標である10ヤードを、四回目の4th(フォース)ダウンまでに越えれば、また4回攻撃できる」

 

「うんうん」

 

「それで、失敗すればあのように攻守交代だ。攻守交替するケースは、4回の攻撃で10ヤード進めなかったとき以外にも、前半終了時、守備がボールを奪うインターセプト、点が入った後、キックをキャッチした時、キックのボールが外に出た時、キックが落ちて止まった時――とまあ色々あって、そうやって攻守交替しながら、お互いのゴールに向かって進んだり戻されたりするスポーツだ」

 

「陣地の綱引きみたいな感じなのかな長門君」

 

「その感覚で間違ってないぞ小早川」

 

 そして、ベンチではカメラで試合を撮影する主務と、その横で新人主務の知識不足を補おうとアメフトについて講習する悪魔のコウモリのチームマスコット・デビルバット……のキグルミを防具の上から身を包んだ控え選手。

 小早川セナと長門村正は、試合に出さずに温存されていた。

 

『進のヤツには、隠し玉を見せたくねぇ。対策練られちまうからな』

 

 フィールドの向こうで泥門VS恋ヶ浜戦を観戦している男が、現在試合をしているキューピッドの選手よりもヒル魔先輩が警戒する相手。

 王城ホワイトナイツの進清十郎。高校最速にして、最強のラインバッカー。“ヤツは強すぎる、人間じゃねぇ”が先輩の評。去年、創部早々に王城と練習試合を組んだそうだが、ボロ負けしたそうだ。アメフトの情報誌でもよく取り上げられているし、その実力は本物だ。おそらくは、次に当たる対戦校を知るために、わざわざこの弱小校同士の試合を偵察しにきたのだろうが、まったく油断がない。

 なので、この王城からの視察がいなくならない限り、極力、ヒル魔先輩は隠し玉を投入しないだろう。

 

(栗田先輩と小結が上手く連携取れて前線は圧倒できてるし、足の速い陸上部の石丸先輩もいる。パスは無理でもヒル魔先輩ならうまくやりくりするだろうし、このまま何事もなければ、デビルバッツが勝てる)

 

 

 ~~~

 

 

「テンメー糞主務!! スパイクくらいちゃんと見分けやがれ!」

 

「ひーー、ごめんなさい!」

 

 エースランナー・石丸先輩が激しく転倒。

 右足を捻ってしまったようで、これ以上の試合参加は無理だろう。

 それで、この負傷の原因はこの土のグランドで人工芝用のスパイクを履いていたからだと思われる。つまり、スパイクを配給した主務・小早川の失態だ。

 スパイクを入れた段ボールに“土のグラウンドでの使用厳禁”と書かれていたのに見落としてしまっていた。

 

 試合時間も残りわずかの土壇場で、エースランナーが退場。ボールも恋ヶ浜に渡り、しかも距離はキックが狙える射程範囲。

 敗色濃厚でさっきまで押せ押せだった士気も、落ちている。

 ――仕方がない。この糞熱いキグルミとはおさらばだ。春だが、防具の上にキグルミの二重装備は熱さ我慢大会並みだったので、ちっとも名残惜しくもなく脱皮する。

 当然、勝手に刀が鞘から抜けるのを見咎めるヒル魔先輩。

 

「おい、糞カタナ。何勝手に試合を出ようとしてるんだ」

 

「石丸先輩が出れなくなってしまった以上、現状、攻撃手段はランもパスも使えないでしょうヒル魔先輩」

 

「お前は、隠し玉だ。ギリギリまで試合に出るんじゃねぇ。糞マスコットとして、メスどもと踊っていやがれ」

 

「もうそのギリギリっすよ。あちらのクォーターバックはキックもできるみたいですし。今、点を入れられたらまずい。絶対に阻止しないといけないんじゃないんですか、ヒル魔先輩」

 

 突然、マスコットのキグルミを脱いで、長身の選手がのっそりと現れるものだから当然目立った。フィールド向こうの王城の偵察……進清十郎も、こちらを視ている。遠目からでも、肉体から身体能力を分析するように目を眇めて。

 

「“俺が出てれば勝てた”なんて死ぬほど見っともない言い訳をしたくないんで、出してください」

 

 でも、どの道、ここで負けてたら次には進めない。

 

「一年見ないうちに随分と生意気度が上がってるじゃねぇか、糞カタナ。――出るからには、絶対にキックを潰すんだろうなぁ?」

 

 ヒル魔先輩が笑みを浮かべる。人間に契約を迫る悪魔の如きキラースマイルだ。

 

「やりますよ言ったからには。なんで、ヒル魔先輩、あちらの王城の偵察をできれば、どうにかしてください。目がすごく怖いんで」

 

「まあ、桜庭だけでも排除しとくか。簡易ミサイルで」

 

 桜庭……それは、要警戒選手の進清十郎と一緒に偵察する王城の選手。ジャリプロだとかで顔が売れてるアイドルだ。

 

 

 ~~~

 

 

「おや、あれはジャリプロの桜庭君だ!」

 

『さ、桜庭君っ!?』

 

 ヒル魔妖一の示唆に、泥門の応援をしていた恋ヶ浜のチア女子は一斉に、試合中のフィールドを横断して、カメラを構えて偵察中のジャリプロに突貫。その勢いはまさしくミサイルである。

 

「うわっ、やっば! ――進、すまん。あとビデオを頼む!」

 

 熱烈なファンの強襲に、桜庭は背を向けて逃亡。

 カメラを託された進は、カメラを手に、早速、注目する相手――今、キグルミから脱皮した泥門選手に焦点を合わせようとする。

 

(あの背番号88……。初めて見る相手だが、ヒル魔妖一が存在を隠し通してきたのだとすれば、非常に危険だと言わざるを得ない)

 

 ?

 バキャ。

 ビス。

 パリーン。

 

「………」

 

 操作しようとしたらカメラが、いきなり? 使用不能に。画面が真っ黒だ。とりあえず電源ボタンをめいいっぱいの力で押したら、煙を噴き始めた。

 まさか、これはカメラが故障したのか!

 ダメだ、機械類(こういうの)に疎い自分には対処不能な事態。急いで、さっき場を離れたチームメイトを追う。

 

「桜庭ァ!!」

 

 

 ~~~

 

 

「お? なぜか進まで消えた!」

 

 桜庭ファンを扇動して、桜庭を撤退させ、さらに何故か進まで走り去る。

 幸運なことに、王城の偵察がいなくなった。思う存分にやれる!

 

 試合が再開。

 

「よーし、この距離ならキック行くぞ。キックは入れば3対0。試合時間も残りわずかで、守り切ればうちの勝ちだ」

 

 キッカーを兼ねる恋ヶ浜のクォーターバック・初條薫。キューピッドの主将(キャプテン)であり、部員の少なさを自ら補う万能型の選手。今回の相手の中では唯一、注目する選手だ。

 

 スナップされたボールを、ボールホルダーがプレースする。それを目掛けて、初條が十分な助走をつけて――

 

「よし、これで俺達の勝ち――」

 

 

 トップクラスのパワーを持つ栗田、そして、パワーとスピードを兼ね備えた小結を警戒して、恋ヶ浜はそれぞれに複数当たるようラインの人数を割り当てていた。

 だから、エースランナーと交代したばかりの控え選手には、キックの壁は一枚だけ。それが致命的なミスだと狡猾な悪魔は間抜けな天使を嘲笑う。

 

「ケケケケケ、あの糞カタナをひとりで止められんのなんざ、進クラスの化物しかいねーよ」

 

 恋ヶ浜キューピッドのタックル湖天信濃。アメフト部2年生で、身長181cm、体重96kgと恋ヶ浜の中では最も身長が高い選手だったが、その相手は190cmとおよそ10cmも差があった。

 

「うおおおお!?」

 

 その太刀のように長い腕が、湖天の頭上をまたぎ、反対の手で脇腹を押しのける。

 腕で敵をまたぐ、長身でこそその威力を発揮する『水泳(スイム)』に、恋ヶ浜のタックルは駆け抜け様に一太刀浴びせられたように、一秒とも止めることが叶わずに沈められた。

 

「斬り捨て御免!」

 

 キックを防衛する壁を突破され、無防備にさらされる恋ヶ浜のキック。

 

「お゛お゛お゛お゛お゛――ッ!!!」

 

 距離はまだあるが、その脚力は4秒7……先程退場した陸上部の石丸よりも快速。脚も長く、雄叫びを上げながら一気に目前まで接近するのでプレッシャーは半端なく――慌てて、初條はボールを蹴りに、

 

「――そんなキックじゃあ、武蔵先輩のより全然劣る」

 

 パワーボディ、スピード、高身長。そのすべてが、キックを叩き潰すに最適だった。

 

 ボールが一刀両断された幻像を初條に叩きつけるほどの迫力で、蹴られたボールはその手に大きく弾き飛ばされた。

 

 

 攻撃権移動(ターンオーバー)、と審判がアナウンスする。

 恋ヶ浜が攻撃失敗して、泥門に攻撃権が移る。

 

「な、なんだよアイツは……。他の運動部から引っ張ってきた素人じゃねーのか!?」

 

 動揺する恋ヶ浜の陣営。泥門の陣営も今のプレーに静まり返ったが、ふつふつと沸き起こる感情のままに叫びをあげる。

 

(あの糞カタナ……。俺達がいなくなってからも、才能に胡坐をかいてサボったりしてねーみたいだな。進と同じ、本物のバケモンだ)

 

 ヒル魔も笑みを深めた。

 前日にそのスペックは測っていたが、今、久方ぶりに実戦投入させた“試し斬り”で確信する。

 『妖刀』はさらに研がれて、切れ味が増している、と。

 

「ヒル魔先輩、どうするんです?」

 

 長門村正のポジションは、キッカー以外はどこでもできるが、基本はタイトエンドだ。ランもパスも両方止める防御の要のラインバッカーとは対照的な、パスもブロックも何でもこなし、作戦によって役目が変わる攻撃の軸になるポジション。『二本刀』酒奇溝六と同じだ。

 タイトエンド次第で、作戦に幅が出て、パスもまともに通らなかった素人の寄せ集め集団がガラリと変化する。そして、作戦を企てるのは司令塔。

 ヒル魔()一の()……それが『妖刀』と呼ばれる所以のひとつ。

 

「ここは一気に試合を決めに行く。王城の偵察もいなくなったしな。もう一枚のジョーカーを切る」

 

 そういえば、先程、失態を犯した小早川を“死刑”しに、校舎裏に連れて行ったが……。

 

 ――その時、校門から砂塵を巻き上げるほどの快速を飛ばして疾駆する影が現れた。

 

 泥門デビルバッツのユニフォームに身を包み、アイシールド付きのヘルメット。

 それは、ロシアの名門レッカフ体育学院で基礎訓練の後、ノートルダム大にアメフト飛び級留学し、毎試合100点を取った男……という設定の光速ランニングバック。

 

「誰? アイシールドで顔わかんね」

 

「色付きアイシールドは禁止だよ」

「コイツ眼精疲労で……協会の許可書(偽造)あります」

 

「え、もしかしてやる気になってくれたの!? セナく……――ひばぼべべ!?!?」

「何セナくぁ? 背中(セナくぁ)が痒い? じゃあ地面で擦ろう!」

 

 仮面ヒーローの正体をあっさりばらそうとした栗田先輩を、スタンガン使って止めさせたヒル魔先輩。おかげで周りには気づかれなかったが。

 ……けどまあ、颯爽と登場した正体不明のアイシールドにコッソリ耳打ちする。

 

「(あー、小早川か?)」

「(う、うん。責任を取れってヒル魔さんに……)」

「(なるほど、了解した。ご愁傷様だ、小早川)」

 

 主務としてアメフト部に入った小早川だったが、どうやらヒル魔先輩にその黄金の脚を見られたようで、光速のランニングバックとして捕まってしまった。

 もう彼の望む平穏で安全な高校生活は、望み薄だ。

 でも、こうしてフィールドに立った以上は、一人の選手として見る。

 

「(どうしよ長門君! 僕はその……力がないから。栗田さんや長門君みたく敵を捻じ伏せたりとかできないし……)」

 

 ……なるほど。

 それまでやや泥門に分があるかだった試合展開に、長門村正という隠し玉を投入し、勝率がググッと上がった。警戒していた偵察の目もなくなり、だったら、そこでちょうどいいから新人(素人)の小早川の初の実戦体験をしてしまおう……というのが、ヒル魔先輩の考えだろう。

 確かに、いきなり王城戦はキツいし、トラウマになりかねない。

 

「(それは無理だし、する必要はない。小早川が捻じ伏せるべきなのは、プレイヤーではなくフィールドだ。プレイヤーは俺達に任せればいい)」

 

 

 ~~~

 

 

 作戦会議(ハドル)の25秒をギリギリ使い切ったHUTコールの後、双方のラインがぶつかり合う。

 センターラインの栗田がボールをスナップ、ヒル魔の手にボールが渡る。

 ――そこへ、石丸の代わりのランニングバックに入った長門がヒル魔とすれ違い、左へ走った。

 

「フゴッ!」

 

 同時、その保護のため、栗田の隣にいた小結が左に走る。

 

(左スイープか!!)

 

 小結をリードブロックに、長門がラン。

 さっきのキックを防いだ時に見せつけられたあの身体能力は、ちょっとやそっとじゃ止められない。生半可なタックルではたとえ掴まえられても強引に振り切られる。

 アメリカンフットボールの原点とも言える力強い疾走。

 

「潰せーーっ! 全員でかかれっ!」

『おぉおおおおぉぉ!』

 

 当然、恋ヶ浜は、それを阻むために、後衛を総動員させて、小結と長門へ向かわせて――――気づく。

 

 ボールが、ない!?

 

「しまっっ――」

 

 ――そう、アメフトって言うのは。

 

「ぶち抜けッ!!!」

 

 ――作戦が。

 

「おおおおお!!!」

 

 ――パワーを。

 

「抜けたッ!!!」

 

 ――爆発させる!!

 

 ヒル魔の渡したフリ。長門の囮に釣られて、恋ヶ浜のディフェンスは自分から道を空け、それをさらに広げるように栗田が押し込む。

 

 そして、長身で先程のプレイで否が応でも印象付けた長門の背後に隠れる背番号21のアイシールドのランニングバック。

 

「何ボサっとしてる!! 止めろっ!」

 

 止められない。

 パシリで鍛えた黄金の脚が魅せるのは、強引な加減速。天然のチェンジ・オブ・ペースに惑わされたディフェンスは指一本掠ることも叶わず。

 ギリギリで一番奥を守っていた40ヤード走5秒1の初條が前を阻めるかどうかであったが、その背後から大外から走り込んできた囮役だった長門が押し潰した。

 

「そのままゴールまで行け、小早川。その『アイシールド21』を背負ってプレイする以上、俺が他のヤツにはそう易々と潰させん。今日は試合中に走る感覚を体験するつもりでやればいい」

 

 非公式ながら高校最速の進清十郎をも上回る、NFL(プロ)のトップスピードと同じ40ヤード走4秒2。

 一度でも縦に抜かれたら、あのスピードに追い付ける者はこの高校アメフト界にはいない。

 

 

「タッチダーゥン!」

 

 

 審判の笛が鳴り、試合終了。

 

「Ya―――ha―――!!!」

「初勝利~~~!! デビルバッツ初勝利~!」

 

 泥門デビルバッツの勝利。初勝利に、ヒル魔先輩がド派手に花火を打ち上げ、栗田先輩が感激のあまり小結を高々と放り投げる。

 

「お疲れさん、アイシールド21」

 

「長門君……ありがとう、最後、道を空けてくれて」

 

「それが俺の仕事だからな。ただまあひとつ反省点があるとすれば、ボールの持ち方がメチャクチャだったぞ。ありゃ簡単に取られるから気を付けてくれ。鳴り物入りのヒーローが素人丸出しじゃ格好がつかないからな」

 

「え、そうなの?」

 

「ボールはリレー棒のように鷲掴みするんじゃなくて、先を指で挟んで脇にしまい込むんだ」

 

「こんな感じかな?」

 

「ああ、そうだ」

 

 さっそく教えた通りにボールを持ち構える小早川。

 素直なんだが、彼の要望は選手ではなく、主務だったはず……まあ、選手の意識を持ってくれるのはこちらに都合がいいのでツッコまないでおくが。

 

(次の王城戦。……一対一(タイマン)で勝負ができる、いや、胸を借りれるプレイヤー、進清十郎との試合、すごく愉しみだ)



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3話

 王城ホワイトナイツ。

 その監督・庄司軍平が提唱する哲学は、『0点に抑えれば1点でも勝てる』。強固な城塞にも譬えられるほど、鉄壁の守備で有名なチーム。神龍寺ナーガと並んで“関東の双璧”と呼ばれる強豪校だ。

 ただ今は、黄金世代が抜けてしまったとかで凋落しているとも評されているが……。

 

(泥門からすれば十分格上であることには変わりない)

 

 弱小校にはそうそう踏みしめる機会のない天然芝のグラウンド。それにジャリプロの桜庭がいるおかげでテレビまで来ている。

 やはりこれも王城と試合をするからだろう。王城は泥門をあらゆる面で凌駕していると言ってもいい。食事一つをとっても違う。向こうは業者に依頼して炭水化物とビタミンCを試合前にきっちり補給できるよう軽食メニューまで用意している。

 

「あんな豪勢じゃなくて……手製ですけど、それでも良ければ」

 

「おおお~! 姉崎さんのおにぎり! 幸せだ~! 全然こっちのが良い~!」

 

 ……いや、訂正。勝負できるものはある。

 チーム全員分の軽食を用意してきてくれたのは、姉崎まもり、小早川の幼馴染だそうだ。

 あの恋ヶ浜戦の後で小早川を巡ってひと悶着があったのだが、その時、あのヒル魔先輩と一対一で張り合えたのだから、大層驚かされた。裏の支配者としての地位を確立していた麻黄中時代ではそんな人は教師も含めてひとりもいなかったのだから。

 とはいえ、ヒル魔先輩の口車に乗せられて、チームのマネージャーをしているが。

 

「はい、長門君もどうぞ」

 

「ありがとうございます、姉崎先輩」

 

「ふふ、セナがいつもお世話になってるみたいだからね。特別に他の人よりも大きめに作っておいたから」

 

 そう言って、おにぎりを手渡ししてくれる姉崎先輩に頭を下げる。まったく美人でいいお姉さんがいたものである。金の草鞋を履いてでも巡り合いたい人だろうきっと。周囲の人気も納得できるというもの。

 

(――お、あれは……)

 

 観客席の一番上……試合全体を見渡すのに格好の位置を陣取る特徴的な和装制服の集団。神龍寺だ。その筆頭にいる、グラサンにドレッド頭が特徴な男が、『百年に一度の天才』と名高い金剛阿含……本当は神龍寺にいくつもりだった先輩たち三人が泥門に行くきっかけを作ったと聞いているが、ここに来たのはあくまでも王城、進清十郎の偵察。こちらは眼中にないどころか、先輩たちのことを覚えてすらいないだろう。

 

「いいかてめーら! 今日の試合はこの前とは訳が違う! あんなママゴトフットボールじゃねぇ、戦争だ!」

 

 試合前のエネルギー補給が済むと、マシンガンで地面を衝いたヒル魔先輩がチームに喝を入れる。

 去年の練習試合で徹底的にボロ負けして、進清十郎のタックルに助っ人2人が骨を折られるというトラウマを作られたデビルバッツは試合が始まる前から気弱になっているものが多い。

 

「安心しろ、ボールを持つのはアイシールド21、そして、進相手にリードブロックするのは糞カタナだ」

 

 ホッと安堵するチームメイト。参加してもらってる助っ人に無茶な怪我をさせたくないから良いけど、コイツら露骨である。おかげで小早川も腰が引けてる。

 でも、一矢報いたいという気持ちを持っており、二回戦まで進んだチームとしてこのままリタイアする気はないようだ。

 

「(ノートルダム大のヒーローになっちゃってるけど、正体はただのパシリで、初心者のインチキヒーロー……実力者の長門君と違ってそんな期待をかけられても……)」

 

「―――小早川、お前が何と言おうともその黄金の脚は本物だ。十分に誇っていい。正直、俺もあの進清十郎を相手するのに手いっぱいになる。だが、小早川が逃げる時間くらいは稼ごう。そうだ。この前と同じだ。『アイシールド21』はフィールドを捻じ伏せ、『妖刀(オレ)』はプレイヤーを斬り伏せる」

 

「っ!…うん……やれるだけやってみるよ、長門君」

 

 こつん、と拳を合わせる。

 総合力では劣る。でも、勝負ができるものがあるはずだ。それをぶつけていこう。

 

 

 ~~~

 

 

「騎士の誇りにかけて勝利を誓う。そう我々は敵と闘いに来たのではない。――倒しに来たんだ!」

 

 

 ~~~

 

 

「俺らは敵を倒しに来たんじゃねぇ。――殺しに来たんだ!」

 

 

 ~~~

 

 

『ぶっ、こ……ろす! Yeah!』

 

『Glory on the……Kingdom!』

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、いよいよキックオフです! 王城ホワイトナイツが果たして何点差付けるのか!?』

 

 解説までも王城贔屓。誰もが泥門に勝ち目がないと見る中で始まった試合。

 デビルバッツのメンバーたちがフィールドに散っていき、王城のキッカーが開幕のボールを蹴る。王城ホワイトナイツのメンバーが走り出す。ボールは緩やかに弧を描き、デビルバッツ側の陣深く飛ぶ。強豪校のレギュラーなだけあって、癖が少なく、それでいて風に流されないだけの球威を備えているキック。初戦の恋ヶ浜よりも確実に上。

 落下するボール目掛けて走るのは、背番号88、長門村正。これは泥門デビルバッツの中で、アメフトの特徴的な楕円形のボールを上手くキャッチができるのが経験者のヒル魔と彼しかいないからだ。パスではなく、キックのように激しく回転する球は、初心者の小早川セナはもちろん、経験者だがボールに触れる機会が少ないラインマンの栗田にも処理が難しい。

 

 捕った!

 両腕でしっかりと捕球した長門、それを後ろから小早川セナは見ていた。

 

『序盤、糞カタナの後ろについていって、プレーをよーく見ておけ。ヤツはランの手本にはちょうどいい』

 

 ヒル魔先輩に試合前に言われていたこと。

 セナが見つめる先で、長門村正は思い切りフィールドを蹴った。1ヤードでも前へ。リターナーがどこまで進めるかが、試合前半の流れを大きく左右する。

 すでに目の前にホワイトナイツのメンバーが押し寄せてきている。セナが思っていた以上に速い。栗田さんや小結君たちライン人が一斉に止めに入る。が、大半が助っ人のアメフト素人の集団、タイミングが合わず、押し合いはそう長く続かなかった。ブロックの一角が崩され、長門君が無防備に――!

 

(え――長門君の姿が、ブレた!?)

 

 3人のホワイトナイツの選手に囲まれたかと思いきや、ボールを持った長門君はすり抜ける幽霊のように突破してしまう。

 

『おおっと!? 簡単に抜かされてしまったぞ、ホワイトナイツ!!』

 

 簡単に……?

 ううん、違う。今、長門君は足を交差させてジグザクに曲がるフェイント……クロスオーバーステップを激しく刻み、そして、相手選手の動きを見切ってから1ステップ切るカットバックを踏んでいた。

 ホワイトナイツの選手がタックルするためにスピードに乗せて迫っていた。そのスピードのベクトルを読み取り、躱しやすい方向へとカットを切り返す。その際に肩が進む方向とは逆に思い切って肩を入れているので、タックルする選手は惑わされてしまう。

 重心移動が極まったラン。そして、この一連の動きがノンストップ、まったく減速せずに行われたのである。

 

 前にヒル魔さんは、高校生で40ヤード走4秒8を出せばどこに行ってもエースになれると教えてくれたけど、長門君は4秒7。

 それが最高速を保ったまま走り抜ける。抜かされたホワイトナイツの選手は追いすがることも叶わない。

 追うセナもゆっくり流してなんてできず、追いかける。

 

(これが、アメリカンフットボールの走り(ラン)……!)

 

 そのまま長門君は、細かくステップを刻みながら王城の守りをまたひとり切り抜けて、

 

「ばっはっは! これ以上は行かせん――」

 

 ただひたすらに突進し、目の前のもの全てを吹き飛ばす圧力は、まるで暴風雨のようにパワフル。王城ラインの中で最も大きな選手が長門君の前を阻む――

 

(沈んだ――!!)

 

 横にブレた幽霊が、今度は縦にブレた。

 加速時には最も直線スピードが出る高めの姿勢だったけど、今ディフェンスに当たる直前で体を沈め、的を小さく絞り込みながら曲がりやすくする。地上にいながら上下にも躱す。バネに富んだ身体能力でなければできない芸当だ。

 小山のような巨体に丸太のような腕を持つラインマンを潜り抜けて、躱してしまう。

 

 これでまたひとり――王城のライン陣は全て置き去りにされた。

 

 走りが速いが、それ以上に巧く、そして、強かった。

 パワーのあるラインの選手を抜き去ると、長門君はその太刀のように長い腕を使い始め、しがみつこうとする相手選手に手刀を叩き込んで潰したり、または袖を引っ張って引き倒したりしていく。

 そして、最終防衛ラインであるゴール前にまた3人の選手が阻まんとしたが、

 

「――アイシールド21」

 

 ふわり、と。

 まったく後方を見ず、前を向いたままの自然なバックパスで後ろにいたセナへボールを送る。それはボールの回転が止まっていると錯覚するほどゆるやかに回る柔らかなパス。ヒル魔さんが投げるスパルタに鋭いのとは全く逆のパス質。

 初心者でも取れる捕りやすいボールをセナが捕る。――そして、長門君は空いた両腕を捻りながら突き出して王城ディフェンスを二人いっぺんに圧し潰し、残る一人は、セナのスピードについていけずに……

 

『だ、誰もが予想し得なかったことが起きました……!ホワイトナイツがキックしたボールをそのままゴール……先取点は、泥門デビルバッツです!!』

 

 キックオフリターンタッチダウン。

 キックオフされたボールをそのままタッチダウンまで持っていくビッグプレイ。それを二人……ほぼ一人で、ここ一年でタッチダウンを許した相手は神龍寺ナーガのみの鉄壁の王城ディフェンスで成し得てしまった。

 

 

 ~~~

 

 

「おおおおおお、すげー! ホワイトナイツ相手にリードしちゃったよ俺ら!」

 

 歓声湧き上がる泥門陣営。

 

「え~~なにこれ~。試合始まってもう点が入ったの?」

「桜庭君チームやられちゃったの?」

「他の人がだらしないんだよ!」

 

 女性ファンが皆一様に王城陣営の怠慢に憤懣する観客席。

 

 

 そして、王城陣営は静まり返っていた。

 

「あの88番と21番……ビデオにいなかった選手だな」

 

「はい。彼が恋ヶ浜戦に投入されたのは、恋ヶ浜のキックゲームの時で、相手キックを阻止したみたいですね。それから、先程と同じようにアイシールドの21番とタッチダウンを決めました」

 

 冷静に試合結果から読み取れる情報を見直す高見伊知郎。庄司監督は他二人、その泥門と恋ヶ浜の試合を偵察に行った桜庭春人と進清十郎に意見を訊く。

 

「お前ら、どう思う? あの二人」

 

「どうって……いや、その。21番は結構速い人だな、と……そして、88番はまるで……」

 

 桜庭はそこで言い難そうに口を閉ざす。

 そして、進が淡々と今得た情報から事実のみを抽出するように語る。

 

「1プレーでは断定できませんが……おそらく、21番はタッチフットの選手です。最後に見せたあの曲がり方(カット)は一朝一夕で身につくものではない。素人ではありえません。だが、走りに怯えを感じます。必要以上に衝突を避けている傾向が見られました」

 

 敵を躱すことは、逃げる事でない。足が速いが、王城の脅威足りえない……そう、一人だけならば。

 

「そして、88番は……間違いなく熟練者。その肉体を十全に使いこなせるまでに鍛え上げ、コーチの下で技能を教え込まれた人物です。40ヤード走4秒7と思われるスピードに、ラン、パス、ブロックの達人的な技術(スキル)。これまで無名であるのが不思議なくらいですが、もしそれが、ヒル魔妖一が徹底して存在を秘匿してきた結果なのだとすれば……去年の金剛阿含と同じだけの脅威です」

 

 王城の黄金世代に終止符を打った金剛阿含と同等の評価。

 進は冗談を言わない、過大評価も過小評価もしない。それでも、あまりに信じがたい話であった。

 

 

 ~~~

 

 

 今のプレーは、進清十郎が控えに入り、また王城が泥門を弱小校だと侮っていてからこそ不意をつけてできたようなものだ。

 要するに相手の油断が泥門の味方をしてくれた。

 それも今ので度肝を抜いてしまったため、油断など彼らから跡形もなく吹っ飛んだようだが……進清十郎は依然とベンチにいる。

 どうやら、まだ様子見しているのだろう。

 あれが本物か偽者か(ラッキーパンチか)どうかを見極めんと。

 つまり、チャンスだ。今ここで一点でも引き離しておかないと王城には勝てない。

 

「よし集合! トライフォーポイントいくぞ!」

 

 タッチダウンすると6点入るだけでなく、さらに追加得点のチャンスが与えられる。これがトライフォーポイント。

 敵陣3ヤードから1回だけ攻撃をチャレンジし、キックで決めれれば1点、タッチダウンなら2点のボーナスが入る。

 普通なら、止められるリスクの大きいタッチダウン狙いではなく、キックで確実に1点を取るものだが……今の泥門にキッカーはいない。

 

「キックは俺が蹴るが……自慢じゃねーが俺のキックはぶっ飛ばすだけだ。入りやしねぇ。――そこでだ。アイシールド21!!」

 

 

「大田原! ゴチャゴチャ考えるな! バカは黙って突っ込め!!」

 

 キックでもランでも知ったことではない。

 どうせ考えられる頭はないのだから読み合いは不要。ぶっ飛ばすことだけを考える。

 大田原はラインマンに恵まれた体格と並外れたパワーだけではない、迷いを知らぬ精神力と、ジェット機のような瞬発力が武器なのだ。

 

 栗田からスナップされたボールをアイシールド21が受け取り、キックティーに立てる。それを確認したヒル魔が助走をつけて――蹴る直前にセットしたボールをまた抱え込んだ。

 フェイク! 泥門はキックではなく、ラン!

 アイシールド21はラインを盾とし、ゴールラインまで一気に……

 

「ぬん!」

「ヒイイイイ!」

 

 素人ライン二枚をぶち破った王城のセンターライン大田原がランナーを潰さんと迫る。全身鎧に身を包んだ重装歩兵が猛然と襲い掛かって来るような迫力に、アイシールド21は思わず腰が引けかけたが、その間に割って入る長門。

 

「貴様が相手か! 今度はさっきのように逃さんぞ!」

 

「――ああ、今度は真っ向勝負で押し通らせてもらおう」

 

 その発達した筋肉質で太い両腕を広げ、幅広くカバーする大田原。その広げたことで手薄になった中央ど真ん中に組み付いた。

 歩幅は小刻みに、姿勢は低く、そして、尻を突き出す。

 ケツを爆発させ、全身でぶちかますヒップ・エクスプロージョン。大田原の衝突の勢いを吹き飛ばした。

 そして――止められた大田原の身体が不自然に揺れるのをアイシールド21は見た。

 

「ぬな!?」

 

 二段ブースト機能が搭載されていたかのようにさらにブロックが強くなった。いや、実際にブロックを強くした。

 体重を一気に乗せ、鍛え抜かれた足腰で踏み込む。単純に体重を乗せるのとは違う。そして、強くなったのはごくわずかだが、ごくわずかであっても相手の重心をブレさせる程度の効果はあった。

 これもまた極まった重心移動の妙技。

 

『年寄りの力だって上手に使えば、若い奴らを転がすくらい造作もない』

 

 伊我保温泉にてゴッドハンドと称された門伝桝乃の“力を上手に使う”術を、長門村正は春休みに学習した。

 そうして大田原はバランスを崩して……純然たるパワーで倒された。

 

 すごい……! 長門君も大きいけどそれ以上に巨体の王城ラインマン。身長194cm、体重131kg。これはきっと栗田さんしか抑えられないと思っていた王城の壁をぶち破った。

 

「今だ行け――!」

 

 ブリッツを仕掛けに行った大田原が抜け、逆に王城の方は、中央、高校屈指のパワーを持つセンターライン栗田を抑えるものがいない。

 小結と共にガッポリと開けた道をそのままアイシールド21が爆走突破して、ゴールを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 ボーナスポイントを決めて、8-0。

 キックオフで攻守交替し、今度は王城が攻める。両面の大田原を除いて、オフェンスチームに総入れ替えしたホワイトナイツ。

 

『さあ、いよいよ登場です! ジャリプロと王城のエースの桜庭春人君! 今年度初プレーですが、どんなスーパーキャッチが見られるのでしょうか!』

 

 スター選手の登場に会場が沸き立つ。

 この序盤の劣勢も、女性ファンからすれば、桜庭の格好の見せ場に過ぎないものとみている。

 きっと凄いプレーですぐに、格好良く逆転してくれる。

 

 しかし、状況はそう楽観視できるものではない。

 

 このホワイトナイツのオフェンスを仕切る高見伊知郎。

 基本に忠実、ミスの少ないクォーターバック。長身からの正確なパスを武器とする王城の司令塔が見据える先は、泥門ディフェンスの中心、ラインバッカーのポジションにつく背番号88。

 スピードこそ高校最速に及ばないとしても十分にエース級の脚を持っており、あの細身でベンチプレス135kgの大田原を倒すほどのパワー……王城には最悪な想像がよぎる相手だ。

 

(そう、まるで……)

 

 いや、余計なことを考えている場合ではない。プレーに集中しろ。

 アメリカンフットボールはチーム戦。泥門は大半が他の部から呼んだ助っ人、あの88番を避けるようにパスを割り振れば、容易に崩せる相手だ。

 そうだ、まずは敵の守備陣形を見て、穴を……――

 

「なに……を……?」

 

 泥門ディフェンスは、ラインに人数を増やし、後衛も前の位置につく……ゴールラインディフェンスを取っていた。

 前に密集するので突撃(ラン)に強いが、後ろががら空きになるのでパスに弱い。これでは簡単にパスがレシーバーに通ってしまう。

 これはその文字通りゴールライン近くになったらしく陣形のはずだが、泥門はいきなり使ってきたのだ。定石じゃない。

 

「なるほどね……。守備をランに絞り、パスは投げる前に栗田君のラッシュと88番のブリッツで潰そうって狙いでしょう」

 

 ――そうは、いかない。

 

 さっきは倒されたが、大田原は王城の黄金世代を経験した高校アメフト界で屈指のラインマンだ。それに泥門のラインも、栗田以外は素人連中。総合力の押し合いとなれば、王城のラインが勝る。

 

「SET! HUT!」

 

 高見にボールが渡った直後、栗田と大田原が激しく衝突。巨漢のラインマン同士のぶつかり合いはひときわ大きな音を生じさせた。

 

(ぬぐっ! つ、強い!!)

(ダメだぁ、倒すので精一杯……)

 

 両者もつれ合ってグラウンドに倒れる。

 そして、その後ろから果敢に飛び出してくる。素人連中だと思っていた55番(小結)がかなりの力があり、栗田が開いた血路を広げるように突破口を作った。

 

(よし、桜庭がフリーになった!)

 

 そこを88番が駆け抜けるが、これならこちらのパスの方が速い、そう感じた直後。

 

 

「高見さん危ない!」

 

 

 誰よりも先にそのモーションを察知したであろう進清十郎が、ベンチから警告を発したが、遅い。

 

 不意に体が宙に浮いた。遅れてやってくる衝撃。背中一面に伝わる痛み。天地がひっくり返って、空の色が目に飛び込んでくる。タックルを食らったのだと理解するまでにしばらくかかった。それほど唐突なタックルだった。

 

(片、腕で……?)

 

 筋力任せの強引な加速と、長身の身体を倒し込むダイブ。一歩、最後の一歩だけ計算を上回る限界を超えた走りを見せ――さらにその長い腕を突き出した。

 足の遅い、反応が遅れた高見では、躱す術はない。そして、食らったのは腕一本だけなのに、ずしりと響く、重い一撃。

 そう、まるでこれは、王城のエース・進の代名詞とも言える必殺技、“槍”――『スピアタックル』だ。

 

 ボールを持った高見を倒して、こぼれ球を奪取した88番、長門村正は、そのまま自ら走る。

 

「何を呆けてる! 早く88番を止めろ!」

 

 ホワイトナイツのお株を奪う事態に、意識が空白になるも監督の激で動き出す。

 それでも長門の快速に追いつけたのは、王城オフェンスチームで最速のランニングバック・猫山だけで、腰にタックルを決めたが、止まらない。

 

「うおおおおっ!!」

 

 雄叫びを上げ、猫山をしがみつかせたまま走る。掴まえてもその力強いランに振り切られて、独走を許す。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 二度目の泥門のトライフォーポイント。

 今度はランを囮にした、これまでの泥門になかったパスプレイ。

 渡すふりをしたアイシールド21にディフェンスを引き付けさせてから、クォーターバック・ヒル魔から投げ放たれた弾丸にも似た勢いで飛ぶボールを、88番が捕った。

 高身長と跳躍力の限界点を要求するかなりの高度のスパルタパスに、王城のディフェンスは手が届くことが叶わず、密集地帯でも崩れぬボディバランスで見事に着地を決める。

 鉄壁のホワイトナイツを相手に、空中戦を制し、ボーナス点が加算。

 これで、16-0。

 

 今のパスプレイで見せたあの高さ、神龍寺ナーガのコーナーバック・一休でも届かない、阻止し得ない攻撃だ。

 それに、開幕のキックオフリターンタッチダウンで、王城ディフェンスを相手に見せた走破。ヤツを止められるとすれば、それは神龍寺ナーガで唯一人。

 

「阿含……奴をどう――」

 

 王城ホワイトナイツを偵察に来た神龍寺ナーガ、金剛雲水は努めて冷静に、天才の弟・阿含へ問いかけようとして、息を呑んだ。

 会場に来て最初は、王城の桜庭の人気を揶揄していた阿含だったが、今はその軽口は閉ざされている。

 そして、88番を見据えているその目は、去年、一年だった進清十郎と闘った時と同じ、静かな殺意を秘めたもの。

 そうか……阿含も認めたのか。

 泥門の88番は進、そして己と同じ、怪物だと。

 そして、阿含の目は、怪物に指示する泥門のクォーターバックにも向けられた。

 

「ちっ、あのカス……」

 

『天才なんざ、テメェひとりじゃねぇ糞ドレッド。才能に胡坐をかいてりゃ、一年後に後ろから追い抜かれんぞ』

 

 

 ~~~

 

 

『エース桜庭く~ん! 負けないで~!』

 

 点差が離れて厳しくなる試合状況。これに加熱した女性ファンは、ますます応援に力が入り……力が入り過ぎた結果、観客の収拾がつかなくなり、審判団は試合を一時中断する。

 そんな中、泥門の背番号88……長門村正が、王城のベンチへと寄った。

 これまでの試合展開で王城を圧倒した相手選手の接近にざわめく王城陣営だったが、構わず真っ直ぐに、王城の監督、庄司軍平の前まで足を運ぶと、折り目正しく、深く一礼をした。

 

「挨拶が遅れました、庄司軍平監督。俺は、長門村正……酒奇溝六先生にアメリカンフットボールを教わりました」

 

「なに、溝六の……!」

 

「はい、溝六先生から庄司監督に会えば必ず伝えるよう、言伝を預かっています。――『こいつが俺のすべてを叩き込んだ、最強のタイトエンドだ』」

 

 そうか、共に千石大学のエース『二本刀』として名を馳せた盟友が育てた選手だったのか。

 

「それからもうひとつ……『史上最強のラインバッカー・進清十郎を倒し、日本最強のプレイヤーの看板を奪ってこい』と」

 

 その挑戦状も同然の伝言は、庄司監督の脇に控えていた王城のエースに向けられて言い放たれた。

 

 

「進」

 

「はい」

 

「アップしておけ。入念にな」

 

「はい」

 

 

 単身で王城に宣戦布告を叩きつけに行った長門を、泥門の選手たちは皆畏れ入るような眼差しを向け……ひとりヒル魔だけが例外に面白おかしく高笑いを上げる。

 

「なーに、王城に火を点けにいってんだ、糞カタナ。これで余裕ぶっこいていた王城が、化物(シン)を出してくるだろうが」

 

「言われずとも出るでしょう、もういい加減サービスタイムは打ち止めです。それに、進清十郎のいない王城ホワイトナイツに勝ったところで、クリスマスボウルを勝ち抜けませんよ、ヒル魔先輩」

 

「ケケケケケ、言ったからには勝つんだろうなぁ?」

 

「ええ、言ったからには勝ちに行きますよ、ヒル魔先輩。俺は、アイツと闘うために誰にも負けられない」

 

 

 ~~~

 

 

 観客たちが落ち着いて、二度目の王城の攻撃が始まる。

 大田原からスナップされたボールを受け取った高見は、迅速にパスターゲットを探す。先程のタックルが印象づいている。幼いころの怪我の影響で、速く走れない高見にあのタックルを躱すことはできないし、猫山のランプレイもあるが、デビルバッツはラン防衛に特化したゴールラインディフェンスを敷いている。

 だから、やるべきことは壁が保っている間、88番・長門村正が突破してくる前にパス成功させること。

 

「よし! 今度こそ桜庭!」

 

 今度は奮起した大田原が気迫で栗田の超重量の押し込みを阻み、人数を増やしたライン陣は突破させる隙間も作らせなかった。

 

 これなら、行ける――!

 

 泥門のラインバッカーについている88番が反応するが、この距離からならば桜庭が捕る。

 あの最後の一歩の加速力も計算に入れて、絶対にカットできない間合いを測ってパスを投げたのだ。

 

 ナイスパス! よし、上手くキャッチできたぞ!

 

 これでパス成功。ほっと一安心して、気が緩んだレシーバー・桜庭は、その背後より迫る影に気付くのが遅れた。

 

「隙ありだ」

 

 ボールをキャッチした桜庭の腕――その隙間に細く長い腕が通され、絡み付くように掴まえた。

 まるで鎖鎌を巻き付かせたような、ボールではなく、ボールを捕る腕を狙うそれは、『リーチ&プル』。

 

「やめてー!」

「桜庭君のキャッチの邪魔しないで!」

 

 観客席から悲鳴が上がるが、アイドルだろうが何だろうが、このフィールドに立つ以上は情け無用で、『妖刀』は斬り伏せる。

 

「ふんっ!!!」

 

 う、そだろ……。折角、キャッチしたのに……

 一度捕球したはずのボールが手元から弾かれた。

 そして、そのこぼれ球を、“必ず払い落とす”と確信し、駆け付けていた泥門のセーフティ・ヒル魔が地面につく前に拾う。

 インターセプト成功。

 

「Ya―――ha―――!!」

 

 すかさずボールを持って、ヒル魔が走る。

 慌てて戻るホワイトナイツ。幸いなことにヒル魔の脚はあまり速くない。これなら止められる!

 

「!?」

 

 くるりと王城ディフェンスを目前にして背を向けると、ボールをバックトス。

 ――それをしっかり両腕でキャッチしたのは、アイシールド21。

 

「寄せろッ! サイドラインに押し出せッ!!」

 

 88番のような腕を使った破壊的なランはできずとも、88番を上回るスピードの爆速は十分に王城には脅威だ。

 

「わわッ」

 

 どうにか、飛びついて肩を押し飛ばして、フィールドから押し出すことに成功した。

 しかし、もうゴールまで残り13ヤードのところまで迫られた。追加点目前。

 

 でも、ここまでだ。

 

「まさか泥門相手にこんな事態になるとはな……溝六め、まさかこれ程の選手を育てていたとは。これ以上、神龍寺の面前でもたつく訳にはいかん。――進、奴らの勢いを止めてこい」

 

「はい」

 

 ひとりの怪物に圧倒されるここまでの試合展開。

“進清十郎を敵に回す”対戦校の気持ちがよく分かった。王城にとっては味わいたくもない体験だった。

 だが、それでもこちらの怪物・進清十郎の方が上だ。

 

 

「……アイシールド21、打ち合わせ通り、ボール運びは任せたぞ」

 

「う、うん」



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4話

「恋ヶ浜の試合が久しぶりのアメフトの実戦だったな」

 

 春大会初戦の試合の後、長門君はそんなことを言った。

 何でも麻黄中時代、一緒にアメフト部をやっていたヒル魔さんや栗田さん……先輩たちが卒業して、泥門高校に進学した後、アメフトの試合はほとんどできなかったのだそうだ。

 今の泥門のように、他の運動部から助っ人を借りないととてもじゃないけど試合人数に足りないのだ。(ヒル魔さんが中学の校長を脅して)アメフト部は部員1名でも存続させてくれてはいたけれど、長門君は、ヒル魔さんが脅迫手帳で無理やりに従わせるようなやり方はやりたくない、というか、できなかった。卒業した先輩の威を借るような真似を、長門君は好まなかった。

 

「じゃあ、長門君はずっと一人でアメフトの練習を……」

 

「いや、小早川。勘を訛らせないように毎日ボールに触っていたが、中学三年、先輩が卒業してからの一年間はある空手の教室にずっと通い詰めた」

 

 長門君曰く、アメリカンフットボールは球技であり、格闘技だ。

 寂れた空手教室にて、一打必殺を真髄とする空手を修めた長門君は手刀を打ち込めば、氷柱を叩き割り、何枚も重ねた瓦を粉微塵にすることができるようになったという。

 うん、恐ろしい。防具があっても僕にはとてもフィールドで長門君と対峙できそうにない。

 

「そう怖がるな小早川。確かに対人スキル(物理)を伸ばした結果、人間凶器となった俺だが、あの道場で何よりも学んだのは心構えだ」

 

「心構え?」

 

「空手は心を養う。人を打つ、という事が自らも打たれることを知るということ。自らの一撃が相手に何を及ぼすか、どれだけの痛みや悲しみを与えるかを悟った時……打つ意味と、打たれるという事を知る……そう、空手の師匠に教わった。

 確かに、相手を打ち倒すことしか考えていない一撃には、重さが宿らない」

 

 武道の心は型ではなく、その語の通り、“道”として型を通る。型に囚われることなく、達観した精神を会得することがその道場を運営する師範の指導方針だったそうだ。

 

「明日の王城戦……進清十郎のタックルには、その重みがある」

 

 

 ~~~

 

 

「パスだパース! 次はロングパスで行くぞー!」

「ヒル魔先輩、この陣形でパスはちょっと……」

 

 泥門のオフェンス、これまでとは陣形が違う。

 クォーターバック・ヒル魔の後ろに助っ人ランニングバックの石丸がついていて、さらにその後ろ左右に21番と88番。ボールを持って走るランナーが3人もいる。

 その意図は情報不足で読み取れないが、司令塔がさっきから大きな声で宣言している。

 

「進! パスらしいぞ! ……と、思わせて裏をかいてくるかもな! って、あれその裏? ウララ?」

 

「憶測は無意味です。目の前の動きだけを信じましょう。いつもの布陣でいつも通りに。ホワイトナイツのディフェンスが破られることはありません。

 デビルバッツのオフェンスの中軸を担う88番・長門村正も自分が止めます」

 

 ひとりの選手が投入された、それだけで浮足立っていたホワイトナイツの顔つきが変わる。

 本来の王城へ戻ったのだ。

 

「ばーーッ、はっはっ!! お前が入ると締まりが違うわ! よし、ヤツに本物の“槍”を見せてやれ!」

 

 

「糞カタナ、ここから先はテメェがあの進清十郎をどこまで相手できるかにかかってる。死に物狂いであの化物を止めてこい!」

 

「わかってますよ、ヒル魔先輩。俺が、ホワイトナイツのディフェンスの要である進清十郎を止めます。……去年の先輩方の敗北を無駄にはしませんから」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 進清十郎が入り初めてのプレイ。

 ランニングバック・石丸がまずヒル魔と交錯する。

 

「潰ーす!!」

 

 真っ先に大田原が反応するが、石丸はボールを持っていない。ヒル魔の渡したフリで、そのまま自らボールを持って疾走。

 

「違う、大田原。渡してない! ボールを持って走ってるのはヒル魔だ!」

 

 しかし、進が要に入り、安定感が増した王城ディフェンスはその程度では揺らがない。すぐさまヒル魔を潰しに迫る。

 

「チッ、反応が速い。やっぱ進が入るとディフェンスの意識が変……」

 

 ……とか何とか喋ってる間、ヒル魔はタックルされる前に、まったくそちらを見ずに斜め後ろへトスしていた。

 ボールを投げたヒル魔はそのまま潰しにかかった選手に組み付いて、ブロック。道を空ける。

 

「来るぞ、88番だ!」

 

 ヒル魔のパスがどこに来るのか知っていたかのように、ほとんど見ないでキャッチした長門が快走。

 

「それでも、釣られずに来るのが、史上最強のラインバッカー」

 

「行くぞ、長門村正……!」

 

 高校最速の脚を持つ男は、ディフェンスの動きを瞬時に見分けてボール運びをしようとも翻弄されることなく、しっかりと周り込んでいた。

 

(ここで勝たねば、太刀打ちできない……!)

 

 ぶつかるエース対決。一年の差があれども両者ともに鍛錬を積んだ天才同士。

 

 “日本史上最強のラインバッカー”として有名で数多くの記録映像を残している進清十郎と、徹底して情報秘匿された長門村正。どちらが試合前に相手を研究できているかと言えば、それは断然、後者に分がある。

 

(進清十郎を相手に情報戦で圧倒的に有利で望むことができたのは、ヒル魔先輩のおかげだな)

 

『この進清十郎の『スピアタックル』を攻略する。そいつが糞カタナの『デス・クライム』だ』

 

 定めた課題を期間内に達成するために、自分でその手段を模索し、攻略する『デス・クライム』……卒業した先輩たちからの高校進学までの宿題。

 去年の練習試合。デビルバッツがホワイトナイツに大敗した試合映像、進清十郎のプレイを中心に撮影したビデオを、ヒル魔妖一は、この長門村正に送りつけていた。

 勝負はもう大会よりもずっと前に始まっている。

 

(先輩たちが骨を折ってでも集めてくれた布石……これで、一矢報いねば、後輩としてあの先輩たちに顔向けできん!)

 

 ビデオ見て研究し、実際にその“槍”を習得して呼吸を理解する。

 進清十郎の『スピアタックル』は、真正面で受けてはならない。あの重い一撃を受ければ岩のように硬い肉体をもってしても沈む。

 ――ならば、突かれる前に押さえる。

 

 

 ~~~

 

 

 ホワイトナイツの高見を潰したあの『スピアタックル』は、直接本人からコツを教えてもらったわけではなくビデオからの見様見真似の独学で模倣した。ヤツからすれば単にできることをやっているだけだろう。

 中学時代、今の泥門と同じように素人の助っ人で固めた寄せ集め集団をカバーするために、パス、ブロック、ラン、キャッチ、そうキックを除いて何でもやろうとし、実際、できるようになっていた。そして、そのすべてに適性のある才能を見込んだ糞アル中が叩き込んだテクニックを乾いたスポンジが水を吸うように覚えていった、要するに飲み込みが異常に早いヤツだった。

 NFLのプロ選手のスーパープレイをまとめたビデオを鑑賞させたことがあったが、自分の能力以上の動きは再現できないのは実験して把握済み。――それでも進清十郎の動きはできた。

 

(糞カタナのポテンシャルは、進と何ら遜色ない。アイツも紛れもなく天才。それも努力する天才っつう化物だ)

 

 そして、『スピアタックル』を真似られたということは、つまり、その動きをヤツなりに噛み砕いて咀嚼して、自らの血肉として取り込み、頭だけでなく体でもそれを理解しているという事。

 いくら音速のタックルだろうと、既にあの天才は研究し、“進清十郎”の思考と型を模倣し、対処策を積んでいる。

 

 

「おおおお! 『スピアタックル』だー!」

 

 パワー、スピード、テクニックの三位一体揃ったパーフェクトプレイヤーが、音速で繰り出してくる槍の如き腕。

 長門が反射的にカットバック。猛然と、だけれども波間を縫うような軽やかな動き――だが、進の腕はぐんと伸びてくる。40ヤード走4秒4と4秒7。長門村正が逃げるよりも進清十郎の加速の方が速い。

 

(それでも、下がりながらの体感スピードで、俺には止まって見える!)

 

 進のストレートに放った腕に対して、クロスカウンターを決めるように伸びる長門の腕。

 

「足の速さでは敵わないが、腕の長さ(リーチ)では俺が上だ!」

 

 『スピアタックル』よりも先に相手を押さえたそのハンドテクニックは、『スティフアーム』

 スラリと長いその腕でつっかえ棒にして間合いを取る技術で、進のリーチよりも長門のリーチの方が長いことを活かした。

 

「な、進の“槍”が止められた……!?」

 

 それでも、それでもあの史上最強のラインバッカーならば、すぐに切り返して再度タックルを試みるだろう。

 だから、ここで止める。長門村正は捕えた進清十郎を、両腕で押さえにかかる。

 

「まさか……!」

「気づいたか。だが、もう遅い! 俺の勝ちだ!」

 

 進清十郎に足の速さでは敵わない、瞬間的に追い縋れても躱されるだろう。しかし、こちらがボールを持っていれば必ず近づいてくる。

 ボールはエサ、長門の役目はリードブロック。スピードでは劣るも、お互いベンチプレスは140kgとパワーは互角、そして、身長190cm体重90kgと身長175cm体重71kgと体格ではこちらが勝る。力勝負の土俵に持ち込めば、抑え込める。

 

「そして、“高校最速”の看板も今日で降ろさせてもらうぞ」

 

 研究と策を弄しても史上最強のラインバッカーを抑えるのに精一杯だったが、これで十分。すでに、これまで長門の長身の陰に隠れて並走していたアイシールド21へトスしていた。

 

(ヒル魔さんと石丸さんが王城のディフェンスを散らしてくれて、長門君が今、一番怖い人を止めてくれた。――これなら、行ける!)

 

 光速のランニングバックが、爆走。

 残り10ヤードもない距離を一気に走破して、タッチダウン。22-0と泥門デビルバッツはさらに王城ホワイトナイツを突き放した。

 

 

 ~~~

 

 

 三度目のトライフォーポイントを、また同じ三人ランナーを要するフォーメーションで攻めるデビルバッツ。

 長門とアイシールド21のコンビランを阻止せんと意識をそちらに重点を置いて傾ける王城ディフェンスが、最初の石丸を無視しようとしたのを見分けて、ヒル魔が陸上部の石丸へ渡したが、それはゴールラインぎりぎりのところで阻まれた。

 ボーナス獲得はならず。だが、それでも牽制になった。

 

 そして、王城のオフェンス……。

 

「パス壁破れた!! 投げろ高見!!」

 

 王城のパスを潰しに、高見に猛ラッシュ。

 攻撃は最大の防御とばかりに多少の失点を覚悟で、一発奪取を狙いに来る泥門。守備の時でも攻撃する姿勢は崩さない博打度の高いディフェンスだが、泥門に怖い一発があるのは前回のプレイで証明されている。

 

「くっ!!」

 

 破壊的な突撃に、三次元に広い守備範囲を兼ね備えた背番号88が視界に入るや、無理にでも高見はパスを投じる。

 

「糞カタナのプレッシャーに焦って計算がズレたな。――行け、糞チビ!」

 

 後衛に控えていたアイシールド21がその爆速ダッシュでレシーバーの下へ放たれたボールを追いかける。

 それでまたインターセプトこそ叶わなかったが、相手のパスを弾いて攻撃失敗させた。

 

 

 ~~~

 

 

 その後も何度かパスを通すことはあっても、ゴールラインまで行くことはできず、王城は泥門へと攻撃権交代。

 そして、泥門はヒル魔が王城ディフェンスを翻弄し、長門がエース・進を押さえ、その隙にアイシールド21が爆走を飛ばす。

 アイシールド21の脚に追いつけるのは、進だけだが、開幕キックオフリターンで見せた長門の脚も無視することはできず、結果、進は一度もアイシールド21を阻むことはできなかった。

 そうして、デビルバッツのランプレーをゴールラインギリギリのところで阻止することができたホワイトナイツだったが、そこで審判が笛を鳴らした。

 試合は、22-0と泥門リードのまま前半戦が終了。

 

「おい、俺達夢でも見てんのか?」

「まさかあの王城に勝ってるなんて……」

「すげぇな! アイシールド21と長門のダブルエースは!」

 

 まさかの展開に当事者のプレイヤーたちも驚きを隠せない。

 

「ふぅ……」

「大丈夫か、アイシールド21?」

「あ、うん。全然。長門君がしっかりブロックしてくれたおかげでほとんどぶつからなかったし……。僕より、長門君の方は大丈夫なの?」

 

 セナのすぐ前で、長槍と太刀が激しく斬り合うような攻防が繰り広げられていた。

 両エースの鎬の削り合いは見ているだけで悲鳴を上げそうになるくらいの迫力だったけれども……どこか、胸の奥が熱くなるような感覚を覚えた。

 

「“基礎が大事”だとある先輩にこってり絞られたからな。このくらいでバテるような軟な鍛え方はしていない……と言いたいが、あの進清十郎の相手は流石にしんどい。やり合うたびに神経が削られる。躱してボール運びはやっぱり無理だ」

「フゴゴッ」

「ああ、小結。それは向こうも同じはずだ。あのエースに仕事をさせないのが俺の仕事だ。アイシールド21はフィールドを、そして、小結は大田原誠を相手して大変な栗田先輩を支えてくれ」

「うん」

「フゴッ」

 

 まだ半ばだが、勝利が現実味を帯びてきた。

 エース投入をさせても点が取れたのがやはり大きいだろう。あれでデビルバッツは勢いづいた。

 

「すごいよすごいよ! このままいけば、僕たちあの王城に勝てるかも……!」

 

「ケケケケケ、このまま点差を守り切ってとか考えてねーよなぁ? 99点取られようが100点取りゃ勝つんだ。最後まで攻めて攻めて攻め抜くぞ糞共!」

 

 

 ~~~

 

 

『どうしたことでしょう。前半、エース桜庭君が不調なのか、相手チームにリードを許してしまっています! でも、後半はきっと皆さんの声援に応えて大活躍してくれるでしょう!』

 

 嫌な流れだ。

 先輩たちが金剛兄弟のコンビプレイ『ドラゴンフライ』に圧倒された去年の試合を思い出す。

 

「たるんどる! この体たらくは何だ。素人が大半のチームに22点もリードを許してどうする!」

 

 監督が険しい声で自分たちを叱責する。

 正直、今日の試合、これほどに苦戦するなんて思っていなかった。だって、先日の泥門対恋ヶ浜戦を見た時は本当に素人の寄せ集めで、王城の歯牙にもかけない弱小チームだったはず。……でも、自分たちがいなくなってから現れた、あのアイシールドの21番と、前半、進に仕事をさせなかった88番が加わっただけで、王城は圧倒されている。

 いや、彼らが登場した試合後半のプレイを偵察できなかったことが、今、大きく響いているんだ。事前に情報が入っていれば、こちらだって対策を立てれたはずで……つまりこれはますます自分たちの失態になってしまう。

 

「桜庭ァ! 最初のパス! キャッチできたのならしっかり抱え込め! 油断したからボールを捕られたんだ!」

 

 ひっ! やっぱ覚えてた。

 でも、あの進と互角に勝負ができる天才相手に、どうやったって自分じゃかないっこない……はず、なんだ。

 

「ん?」

 

 監督の目が、こちらの額……ヘルメットを注視する。そこには、試合前に所属しているジャリプロの社長が貼っていた契約しているスポンサーの広告シールがあって、今、剥がれそうにピロピロと風に揺れていた。

 庄司監督はそれをひっぺ剥がして、怒鳴りつけた。

 

「なんだこれはっ!」

 

 それを見た社長・ミラクル伊藤が慌てて、

 

「監督、それはですね」

 

「防具に舐めた真似をするな! そういうたるみがケガに繋がるんだ!」

 

 しかし、監督は社長を叱り飛ばすと、意にも介さずに剥ぎ取ったシールを丸めてマネージャーが持つ屑籠へ放り捨てた。

 

「自分の身も守れん奴が敵と闘えるか!」

 

 でも、これはしょうがない。監督は物凄く厳しいけど、間違ったことは言わない人だ。

 そう、負けているのにチャラチャラしたシールを気にしている余裕はないのだ。

 だから、部員は誰も異議申し立てはしないのだが、最も監督に忠実な進が意見した。

 

「監督。あの長門村正は、金剛阿含に匹敵する脅威です。行かせてください、『巨大矢(バリスタ)』を」

 

「いかん! お前もわかってるだろ。まだあれはとても実戦では使えん」

 

「いえ、可能です」

 

「お前ひとりが可能でどうする!」

 

 前半、幾度となく対決したからこそその実力のほどが進には肌にしみてわかったのだろう。珍しく焦っている。あんなに『スピアタックル』を封殺した相手は進にとっても初めてだろう。

 確かにあの88番さえ封じ込める事さえできれば、王城オフェンスは着実に点を取り、逆転することもできるはず。

 でも、その案は実行できないのだ。今の王城では。

 高見さんが進を諭すように、監督の方針を支持する。

 

「『巨大矢』は……王城戦術の革命だ。皆、まだとてもじゃないけど練習不足だよ」

 

「…………わかりました」

 

 腕の筋が強張るほど拳を握り締める進。

 言葉少なで無愛想な進だが、その悔しさは伝わってくる。

 

(でも俺には何もできない……)

 

 

 ――そして、試合は後半いきなり動いた。

 

 

「ロングパスだーー!!」

 

 

 これまでと同じランプレーで行くかと思ったら違った。

 88番への長距離高度のレーザーパス。捕まらぬよう長い腕の射程から離れて間合いを取っていた進はわずかにそれに出遅れた。

 

「今度は、僕が長門君を……!」

「っ!」

 

 一瞬の遅滞。さらに挟み込むようあのこれまで選手との接触を極力避けていたアイシールド21が、ブロックに入った。これがまた進にわずかにブレーキをかけさせる。

 こうして思いっきりジャンプさせぬよう貼り付くことができず、また指先すら掠ることのできない高いパスをカットすることは進にも無理だった。

 

 密着して競り合わなければ、パスが通る。だから、前半あれほど腕のリーチを生かしたカウンターブロックで、自然と警戒させ間合いを取らせるように牽制をしていた。

 この仕込みが生きて、ロングパスを成功させた88番は、そのままサイドラインを沿うように走る。後ろから猛然と高校最速の進が追いかけている。きっと追いつくだろうが、これは相当なヤード数を稼がれる――はずであった。

 

 

 ~~~

 

 

『アメリカンバーガーさんがジャリプロに落とす契約金3000万。それだけのお金穴埋めできる? アメフトは“遊び”だけど、こっちは大切な“お仕事”な訳。わかる?』

 

 ハーフタイムの後、こっそりと監督に見られないように社長が握らせてきた星形のスポンサー広告のシール。

 ……それを捨てきれず、結局、ヘルメットに貼って試合に望む。

 その罪悪感で桜庭はどうにも試合に集中し切れず、チームが逆転せんと奮起する中でひとり頭を抱えて俯いていた。

 そんな時、シールの粘着が弱かったのか、吹いてきた風に剝がされて、ひらりと飛んで行ってしまう。試合中のグラウンドの方へと。

 

(やば)

 

 あれが社長から渡された最後の一枚。

 早く拾わないと……試合から意識は離れていた桜庭は状況を何も考えずにただ風に乗って離れていくシールを追って――グラウンドに入ってしまった。

 

 

「なっ!?」

 

 後ろから進清十郎に追いかけられる長門は全速力で疾走していた。その史上最強のラインバッカーが放つビハインドプレッシャーに意識が割かれていた彼は、この目の前に飛び出してきた乱入者に気付くのが遅れてしまう。

 

(くっ、躱し切れん……!)

 

 己の体格で高速でぶつかればただでは済まない。その事をよく理解している長門は桜庭をどうにかしてでも、回避しようとして――――衝突した。

 

 

 ~~~

 

 

「キャアアアア」

 「桜庭君がー!」

  「桜庭君がー!」

 

 衝突直前まで気づかず、まともにブチかましを食らった桜庭の身体は大きく吹き飛んだ。

 ベンチを巻き込んでの転倒は、桜庭の鎖骨を折って、とてもじゃないが立てそうにもない。ドクターストップがかかり、すぐに救急車が呼ばれた。

 

「ひどすぎ!」

 「最悪――」

  「何すんのよ桜庭君にー!!」

 

 一方で、ぶつかった側の長門村正は、ほぼ会場全体、桜庭のファン全員から大ブーイングを浴びせられながらも……すくっと立ち上がった。

 

「っ……」

 

「大丈夫、長門君!」

「フゴッ!」

 

 長門の下に、アイシールド21、それから小結が駆け付ける。その後ろから遅れて、先輩二人。

 

「おうおうよく吼える。無視しろ、フィールドに入るバカが悪い」

「な、長門君、気にすることないよ……」

 

「……っ、そうですね。あと2、3ヤードは稼げそうでしたけど今ので攻撃連続権を獲得できましたし、もう一度ジャンジャン攻めていきましょう栗田先輩。最後まで攻め切って勝つのがデビルバッツのアメフト哲学です」

 

 士気を上げて、フィールドへと走っていく長門……そのとき、ヒル魔はわずかな違和感を覚えた。

 

(まさか、糞カタナ……)

 

 

 そして、同じく、長門村正の走法のフォームのわずかなズレが目についたものがもうひとりいた。

 

「進、どうした?」

 

「……いえ。何でもありません」

 

 

 ~~~

 

 

『ついに『スピアタックル』が決まったーー!!』

 

 アイシールド21と88番のコンビラン。

 しかし、リードブロックをするはずだった88番が、巧くカットバックのステップが踏めずに一撃をもろに食らった。その勢いで吹き飛ばされた体が、盾として守るはずだったアイシールド21を巻き込んで、共倒れ。

 

(やはり……)

 

 後ろを追いかけていた進は見えていた。

 フィールドに入った桜庭を避けようと、全力疾走していた88番が強引にブレーキを掛けようとして、足を捻ってしまったのを。

 その後すぐに平気そうに立ち上がったが、今のプレイを見る限りそれは痩せ我慢で、とてもアメフトができるような状態ではない。前半のように『スピアタックル』を捌くことは無理だろう。

 

「長門君、どうしたの!? 脂汗がすごいけど……!?」

「ぐっ……。すまん、すぐ立つ――っ」

 

「…………タイムアウトだ」

 

 立ち上がろうとして、すぐ顔を顰めて膝をつく。

 異変を感じ取ったドクターたちがその様子を見咎めて、泥門の司令塔・ヒル魔妖一が歯軋りさせながら、ヘルメットを脱いでタイムアウトを取った。

 試合は一時中断され、立ち上がれぬ長門村正を栗田良寛と小結大吉が、その負傷した左脚に注意しながら泥門ベンチまで運ぶ。

 

 

 ~~~

 

 

「終わったな」

 

「阿含?」

 

「この試合、王城の勝ちだ。あの88番がいないんじゃ、カス共が集まった雑魚チームじゃ進は止められねぇ。オフェンスも同じだ。危ねぇロングパスはしないで、ショートパスとランで繋いで、確実に決めていけば逆転するだろうよ。はっ、今日の試合のMVPじゃねぇか、エース桜庭。相手チームのエースを潰したんだから」

 

「……つまらん幕引きになってしまったな」

 

 

 ~~~

 

 

「出ます」

「ダメ」

 

「大丈夫です」

「大丈夫じゃない」

 

 ベンチに座らされた長門君とまもり姉ちゃん。長門君は足をテーピングでガチガチに固めれば試合に出れると主張するけど、腰に手を当ててるまもり姉ちゃんは断固として認めない。

 それは栗田さんたちも同じ。

 

「長門君、無茶はダメだよ。怪我が悪化したらもっと大変になっちゃう。それでもう二度とプレイが出来なくなったら……」

「無理は、禁物……」

 

「じゃあ、ドクター呼んでくるから。ジッとしてないとダメだからね」

 

 長門君が無理して立たないように、小結君が肩を押さえている。まもり姉ちゃんは医者の人を呼びに行った。そのお目付け役がいなくなったところで、長門君はヒル魔さんに目を向けた。

 

「ヒル魔先輩、俺はまだ――」

「メンバーチェンジだ、糞カタナ」

「ヒル魔先輩!」

「はっ、突っ立てることしかできねぇヤツに進を止められるか。それなら助っ人連中を入れた方がよっぽどマシだ」

 

 ヒル魔さんは長門君の出場を認めず、審判に選手交代を申請してしまう。

 

「俺は……勝ちたいんです……!」

 

「テメェがいなくても勝機はある」

 

「でも!」

 

「クリスマスボウルに本気で行きてぇなら、次に備えろ」

 

「っ!……わかり、ました……」

 

 項垂れる長門君。とても納得できるものじゃないというのがすごくわかる。

 ヒル魔さんはああいうけど、長門君がいないとあのエースの人を押さえられない。去年の練習試合で二人の骨を折ったって言うし……。助っ人の人達も、不安がっている。リードしているはずなのに、長門君という大黒柱を失ったチームは今にも総崩れしてしまいそう。それが長門君もわかっているから、無茶をして試合に出ようとしているんだ。

 でも、ここで長門君が、本物のエースが怪我でアメフトができなくなっちゃうのは、ダメだ。

 だったら、ここで皆を納得させるには……ノートルダム大のヒーロー、正体はただのパシリで初心者のインチキ・ヒーローだけど……もうひとりのエースである僕が――

 

 

「長門君、僕が進さんに勝つよ」

 

 

 ~~~

 

 

 姉崎先輩が連れてきた医師に診てもらったところ脚は捻挫。骨にまで影響が出るほどひどいものではないけれど、二週間は跳んだり走ったりは控えるようにと注意され、念のために後で病院へ行くようにと言いつけられた。

 

 そして、試合は後半、前半から一転して王城優勢の展開になった。

 高見が指揮するオフェンスチームは冷静に着実にゴールまでのヤードを縮めて点を重ねていき、ディフェンスもラインバッカー・進が、エースランナー・アイシールド21の爆速ダッシュを悉く潰し、時にはインターセプトして、自らタッチダウンを決める。劣勢になるほど士気は下がり、”勝っている”という疲労の負担を忘れさせてくれる興奮から目が覚めていくにつれて助っ人たちの動きも鈍くなる。

 後半第三クォーターで急速に追い上げ、第四クォーターにもなると逆転を許し、22-35。

 

 しかし、最後のプレイで、後半幾度となく挑んできたアイシールド21が、進清十郎を抜いた。

 

 中軸の大田原と進を避けるよう大外を攻めていた泥門が、突然敢行した中央突破。

 速攻。スタート直後にヒル魔からボールを渡されたアイシールド21は真っ直ぐ飛び込んだ。そして、栗田と小結が空けた道を突破し、40ヤード走4秒2――光速の世界の住人となったアイシールド21は、あの高校最速の進清十郎を、置き去りにしてタッチダウンを決めたのだ。

 

 その後、全力の全力疾走したアイシールド21は力が抜けてぶっ倒れてしまったが……確かに宣言通り、進清十郎に勝った。

 

「触れもしないスピードにはどんなパワーも通じない、か……」

 

「ごめんね、長門君……あんなこと言ったのに結局、負けちゃって……」

 

「いや、お前は勝ったよ。たったひとりで、あの進清十郎に勝った。ナイスラン」

 

 

 試合は、28-35で、泥門デビルバッツは王城ホワイトナイツに敗れた。

 春季東京大会、泥門高校は2回戦敗退。

 

「終わっちゃった……。折角初めて一回戦勝ったのになぁ……。大会……また、終わっちゃった。

 おおおお~~~ん!!」

 

 栗田先輩が泣いた。あんなに悔しそうに泣いたのは初めて見るかもしれない。その横で小結が気遣わしげにしている。

 

「……じゃあ、整列に行こうか」

 

「あ、じゃあ、僕が肩を貸すね」

 

「お前もラストランでぶっ倒れたんだろ。俺はすでに杖を借りて……」

 

 と、そこで不意に杖へ伸ばした手が止まって、うまく言葉にできないよくわからない気持ちが唐突に考えを変えた。

 

「…いや、肩を貸してもらおうか、セナ」

 

「!…うん、長門君!」

 

 

 ~~~

 

 

「ぬーーん!! 負けた……ハッキリ負けた。栗田、それとあの88番に負けた……!」

 

 王城が勝利した。

 しかし、大田原さんが唸る通り、チームとしても、そして、個人としても完勝とは言い難い決着だった。

 

(アイシールド21、そして、長門村正)

 

 整列する泥門デビルバッツ。そこに進の前で並んで挨拶する肩を借りる長身の男と、それをふらつきながらも頑張って支える小柄な男。今日の試合、この二人にスピードとパワー……それぞれ負けた。

 

全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くのは王城だ!」

 

 明確な目標ができた。ならば、それを果たすまでたゆまぬ鍛錬を重ねるのみ。そして、勝った以上、この二人に無様を見せぬよう勝ち続ける。

 

 

「うちの選手が迷惑をかけた。申し訳ない」

 

 王城ベンチに挨拶に来たデビルバッツ、長門村正へホワイトナイツ監督・庄司軍平は頭を下げて謝罪をした。

 

「そして、選手生命を断たれた選手を知る者として……よく堪えてくれた」

 

「……いえ、皆のおかげです。我慢できたのは俺の意思があったからではありません」

 

「そうか……」

 

 

 今日の試合で、勝者は誰もいない。

 だが、勝負の世界は挫折を経験したものこそが強くなれる。

 今年はまだ始まったばかり。そして、王城、それに泥門は今日の試合を糧としてきっと強いチームになる……そう庄司軍平は確信した。



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5話

『我らがスーパースター・桜庭春人が、この前の泥門戦で骨を折るほどの怪我を負ってしまいましたが、泥門のエース・アイシールド21よりこの事故についてのコメントが届いてます。

 

 『俺の舎弟の殺人タックルを見たか! 事故! ちがうね、アレは俺の指示だよ! 走りを邪魔するヤツは容赦なく斬り捨てろとあの血に飢えた妖刀に命令しておいたのさ――! 血を見たくなけりゃ俺達の前に立つんじゃねぇYa――ha――!』

 

 ……とのことです』

 

 

 うん、これ絶対ヒル魔先輩の仕業だな

 

 王城戦で負傷し、この一週間、ひとり別メニューで近場のスポーツジムへと足に負担を掛けないプールトレーニングをこなしていた長門村正、休憩室に備え付けてあったTVに頬を引くつかせる。

 アメフトはビビらせた方が勝ちだ。敵には、とことん悪になれ! というのがヒル魔先輩の信条だ。それですっかり悪玉、悪のヒーローにされた『アイシールド21(セナ)』と自分だが、これをあの熱狂的な桜庭ファンたちが本気にとらないことを祈っておく。

 

 とさて、TVに目を逸らしていないで、目前のことに意識を戻す。

 

「………それで、長門村正君、我が帝黒学園に転校する気はないかね?」

 

 約束もなくこのスポーツジムでひとりトレーニングに励んでいるときに押しかけて来たスーツ姿の男二人。

 本格的な話に入る前に、まずは選手個人に誘いを持ちかけに来たのだろう。

 王城が敵わない神龍寺……その神龍寺がクリスマスボウルで栄冠を手にすることができないでいる原因が、アメリカンフットボール日本最強の帝黒学園。そのスカウトだ。

 全国津々浦々有望なアメリカンフットボーラーがいるのなら、他校からでも引き抜く。去年の東京大会で準優勝した盤戸スパイダーズからも、攻撃と守備のエース級だけを全員ヘッドハントして、帝黒学園へ転校させたことがあるという。

 当然その選手のレベルは全国屈指で、全部で六軍まであるそうだが、地区大会レベルのエース級プレイヤーでも四軍止まりと言うのだから層が分厚い。

 

「はぁ」

 

 思わずため息をつく。

 

「断る。申し訳ないがアンタらのチームに行く気はない」

 

「き、キミねぇ……帝黒学園は、地区大会の二回戦で敗退するような弱小じゃないんだよ~? クリスマスボウルで創部以来優勝を逃したことがない日本アメリカンフットボールの覇者だ」

「私達は、一年生ながら日本史上最強のラインバッカー・進清十郎氏と互角に渡り合って、黄金世代が抜けて凋落したとはいえたったひとりで王城を追い詰めた君のことを非常に高く評価している。今年度の関東ナンバーワンルーキーと言っても過言ではない。一日で一軍入りもできるポテンシャルをもった逸材だと思っている。

 それに君の過去を調べさせてもらったが、帝黒アレキサンダーズには、彼がいるんだよ」

 

 また深く息を吐く。

 過去を調べたようだが、わかっていない。しかし、それでコイツまで出張ってくるとは。

 

 ヒュン、と風を切る音がして、反射的に右腕を振るう。右手には死角である斜め後ろから投げられたボールを掴んでいた。

 

「人にいきなり不意打ちでボールを投げるのが、本場の挨拶なのか」

 

「やあ、直接会うのは久しぶりだね、長門」

 

「大和……わざわざ練習を休んで挨拶に来たのか? 帝黒学園は一軍入り(レギュラー)競争が激しいところだと噂には聞いてたんだがな」

 

「心配はいらないさ。帝黒アレキサンダーズは完全実力主義、そして、帝黒の2軍が10人いても俺を止めることはできないからね」

 

「大層な自信だ。流石、ノートルダム大のエース『アイシールド21』だとでも称賛するべきか」

 

 長門村正とほぼ同じ高身長のがっしりとした体格をした男は、小学生の時に別れた親友……そして、最初にして生涯の好敵手(ライバル)だと認め合った、本物の『アイシールド21』、大和猛。

 この数年ぶりの顔合わせに、二人は不敵な笑みを交える。

 

「そういえば、王城戦の試合はTVで見たけど、あの泥門の『アイシールド21』は、長門の案かい?」

 

「アレは先輩が思いついた広告塔(ハッタリ)だよ。当人は『アイシールド21』が時代最強ランナーの称号だという事も知らん。インタビューも別の人間のホラだ」

 

「そうなのかい? いや、それは予想外だったな、驚いた」

 

「それで不服か? だが、『アイシールド21』は、お前の専売特許ではないだろう?」

 

「ははっ、確かに。そのくらいで真っ赤になって目くじらを立てるほど俺は狭量じゃあないよ。ただ、君が『アイシールド21』なら、とも思うけど」

 

「大和のようなスピードタイプではなく、パワータイプだ。ランナーは柄じゃない。それに俺の試合を見ていたなら、アレも見ただろう? あの進清十郎を抜いた光速の走り。触れもしない速さには如何なる力も通用しない」

 

 泥門のアイシールド21……小早川セナは、黄金の脚があってもまだ帝黒学園の4軍入りもできないであろうレベルだが、まだアメフトを始めて一月も経ってないのだ。きっとその成長率は凄まじいだろうし、その秘めたポテンシャル、そして、“進清十郎に勝ちたい”という意志があればいずれ、『アイシールド21』の称号を冠するに相応しい選手になれると長門は期待している。

 

「……ああ、その通りだ」

 

 目を瞑り、深く頷いてから大和は、長門に訊ねる。

 

「それで、長門。帝黒学園に来ないかい?」

 

「お前が帝黒学園にいるのに、俺が帝黒学園に行くはずがないだろう」

 

「俺も、長門とはまた一緒のアメフトチームでやるのは面白そうだけど、それよりも敵として当たりたいからね。だから、もし、東日本の覇者・神龍寺ナーガ、もしくは王城のような評価Aクラスの強豪校だったら俺も同意見だった。だけど創部二年目の素人集団の中で、長門ほどの逸材が都大会で潰えてしまうのは勿体ないとも思ってね」

 

「言ってくれるな」

 

 今の泥門デビルバッツは、正式な部員が11人にも満たない弱小チームだ。

 しかし、秋大会までまだ時間があり、“絶対にクリスマスボウルに行く”と誓い合ったあの3人の先輩がこのままで終わるはずがない。

 可能性は、決して0%ではないのだ。

 そして、この長門村正にも、大和猛との誓いがある。

 

「心配なら、今日、ここで百一戦目をするか、大和?」

 

 ゆらり、と先程捕ったアメフトボールを放り返してから、妖気のようなオーラを漂わせて構えを取る長門に、ボールを片手で掴み取った大和もまた獰猛な笑みを浮かべて目を細める。

 肌と肌をぶつけ直接雌雄を決さずとも、こうして相手の熱を感じ取れるほど近くに対峙していれば互いの成長がおおよそ測れるというもの。別れてからも己に勝つために鍛錬に励んできたことが百の言葉を費やすよりも明らかだ。が、

 

「いや、病み上がりの君とはやらないよ」

 

「自己中のお前が遠慮するとはな。アメリカ暮らしで他人への気遣いを覚えたのか」

 

「なに、ライバルとは、万全の状態で勝負をしたいからね。できれば、それに相応しい舞台で」

 

 オーラを収め、力を抜く長門。

 

「クリスマスボウルで待っていろ、猛」

 

「全国大会の血戦で君を待つよ、村正。――そして、勝つのは、俺だ」

 

 大和も踵を返して、背を向ける。

 

「怪我、大事なさそうで良かったよ」

 

 っち、本当に心配されていたとは。スカウトよりも俺の具合を直接目で確かめることが目的だったな。無性に頭を掻きたくなる。

 アメリカンフットボールに怪我は付き物だが、これはまた念入りに基礎から見直して鍛え直すか。

 

「ああ、そのスカウトの奴らにもう来ないようにお前からも忠告しておけ。関東まで無駄足を踏ませるのは、一度きりで十分だ」

 

「だ、そうだ。長門村正は、帝黒アレキサンダーズには引き抜けない」

 

 ええ、ちょ!? と勝手に話を終わらされた帝黒学園のスカウトらが慌てるも、あの自己中な幼馴染は制止など聞かず、ひとりとっとと先を行ってしまった。

 

「いつまでもリハビリしていられんな」

 

 

 ~~~

 

 

 クリスマスボウルに行ける秋大会こそが本番。

 春大会で何もかも終わってしまったと勘違いした僕に、ヒル魔さんたちが教えてくれてから、はや一週間。

 

 ここしばらく別メニューで部室にも寄っていなかった長門君が、医者に二週間と診断された怪我をその半分の期間でリハビリを終えて帰って来た。まもり姉ちゃんがすごく心配したけど、きちんと完治したと医者のお墨付きの診断書を見せて部活参加を納得させた。

 ただ、長門君、何だか濡れたマスクをつけているけど……。

 

「この程度じゃ俺を倒せんぞ、大吉!」

「フゴッ!?」

 

 大会の後、栗田さんに弟子入りする形でアメフト部に正式入部した小結大吉君と長門君とのブロック勝負。

 長門君が勢いよく突貫した小結君を上から圧し潰した。

 恋ヶ浜戦でも見せた、『スイム』という長身を生かしたラインが主に使うテクニックだ。

 

「大吉、自分の体格を十全に使えねば、トップクラスのラインマンには太刀打ちできんぞ」

 

「フ、フゴ……」

 

「栗田先輩は大吉よりも鈍重だが、その短所も裏返せば、重心が据わっているという長所ともとれる。お前の重心の低さは、立ち合いのスタートダッシュには最高の武器になる。それに『スイム』とは逆に背の低さが活きるテクニックもある」

 

「それは、一体……!」

 

「『リップ』、という技だ。相手選手の斜め下に潜って、腕と肘でかち上げる、これは背の低いヤツほど適性のあるテクニックだ」

 

 と今度は実際に組み合いながらも言葉で指摘して、そのフォームをとらせる。

 泥門には栗田さんという本職のラインマンがいるけれど、ラインのテクニックに関しては、長門君の方が巧いし、教えるのも上手と栗田さん自身が言っていた。

 

 

 ~~~

 

 

「ムキーッ!」

 

 長門君が部活に参加していなかった間に、野球部からアメフト部にセナが誘った雷門太郎。新しいデビルバッツのキャッチ力満点のレシーバー。

 そのモン太を相手に後ろ走りでモン太の動きを見ながらピッタリマークにつく長門君。

 

「これは、ワイドレシーバーをマークするコーナバックの必須技だ。バック走の達人、神龍寺ナーガの細川一休程とまではいかないが、俺は大体5秒0ほどか。ちょうど太郎の40ヤード走と同じくらいだな」

 

「後ろ走りで俺と同等かよ!」

 

 高さも、そして、パワーもモン太よりも上の長門君は悉くキャッチのチャンスを潰す。今日、キャッチの達人・モン太は一度もボールに触れることもできていない。

 

「それと他にもレシーバーを妨害するやり方がある。それが――」

「ぐぼっ!?」

 

 スタート直後、長門君が放った正拳突きがモン太の左胸の心臓部に直撃。防具を付けているのに人体急所を撃ち抜いた一発に、モン太は膝をつきそうなくらいガタガタになる。当然、こんな状態じゃ長門君とキャッチで競り勝てるはずがない。

 

「『バンプ』というテクニックだ。時に相手レシーバーを潰すために、胸をどついて息を止めて、事前に潰す手段に打って出ることもある。タイミングが合わなくなれば、まともにキャッチが出来なくなるからな」

 

「い、息ができねぇ……!」

 

「これでも加減してる。だが、アメリカンフットボールは、ベースボールのような単なる球技じゃない。格闘技でもある。接触プレイ上等の中でたった一つのボールを掴み取るんだ。これくらいでビビっちまうなら、トップレシーバーたちとは張り合えんぞ」

 

「!」

 

 そう言って、長門君が息を整えたところでまた『正拳突きバンプ』を繰り出し――モン太がその大きな掌で受け止めた、いや、キャッチした。

 

「上等だ! 本庄さんも高い壁との激突を恐れなかったんだ! そして、俺はキャッチなら誰にも負けねぇ!」

 

「ほう」

 

 初めてモン太が長門君を追い抜き、前を走る。そして、高く跳躍して、飛んできたボールを両手でがっちりと捕った――!

 

「キャッチMA――――X!!」

 

「甘い! 空中戦はまだ終わっちゃいないぞ! ボールを捕ってからも油断するな、太郎」

 

 しかし、背後から長門君が腕を伸ばして、ボールをキャッチしたモン太の腕に絡みつかせると、折角捕球したボールを落とした。

 『リーチ&プル』、先日の王城戦でも見せた長門君のテクニックだ。長門君はこの日一本もモン太にパス成功を許さなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「おおおお、すげー曲がり! 今度こそ行った――!」

 

「いや、行かせん」

 

 また――捕まる。長門君の片腕だけでもズシリと重いタックルに止められた。

 さっきから、一度も抜けない。足の速さでは、こちらの方が上のはずなのに……。長門君は捕まえた僕を解放しながら言う。

 

「まともなディフェンスなら、セナのランの致命的な弱点を決して見逃さない」

 

「致命的な……弱点??」

 

「この前の王城戦、一流ランナーである進清十郎にボールを持って突っ込んだ時、一度も抜くことはできなかったはずだ」

 

「あ……」

 

「セナは黄金の脚を持っている。普通に走っても4秒6、全力を出し切れれば4秒2。――だが、その超高速が災いして、セナは曲がり(カット)で相手選手を抜く瞬間、必ず一瞬ブレーキを踏んでしまう」

 

 そんな弱点があっただなんて……。

 

「どれだけ速かろうが、スピードゼロでは簡単に捕まる。それも曲がる方向も誘導されたとなれば尚更な」

 

「誘導?」

 

「ちょっとしたコツだ。アメフトのトッププレイヤーなら無意識にやってるテクニックでな。ランナーと交錯する寸前、相手に意識されない程度に、わずかに軸をズラす。考えるよりも感じることを頭が優先してしまう高速の攻防だ、かすかに空いた隙を見て、無意識に、本能的にそちらへと曲がりたがる――それを狙う」

 

 そうだったのか、気づかなかった。いつの間に術中に嵌っていたなんて。……でも教えてもらったところで反射的に動かされてしまう以上、どうすればいいのか。

 

「逆にランナーが相手ディフェンスのタックルを予測する術もある。例えば体当たりする最後の踏み込みは、膝が内側に入るなどな。しかし、進清十郎の『スピアタックル』はそういう癖を見抜けば躱せる次元ではない」

 

 今度こそ進さんに勝つ……そう、望んで長門君とマンツーマンで勝負したけど、まったく敵わない。

 

「俺のディフェンスは、“進清十郎”の模倣が元になっている。コピーを抜けられないんじゃ、オリジナルには勝てないぞ」

 

 その通りだ。長門君のディフェンスは今の僕じゃ抜ける気がしないけど、進さんと対峙したときはもっと凄かった。こんなんじゃまた戦っても負けてしまう。

 顔を下に向ける僕に、長門君は言葉を続ける。

 

「セナは一度捕まればお終いだ。体重が軽いし、パワーもないセナに俺のような力強い走りは向いていないからな。ならば、身軽さを武器にすればいい。大吉と同じだ、短所と思えることさえも武器にできなければ、トッププレイヤーには敵わないぞ」

 

 そうだ。完全に相手を躱す術を身に着けなければ勝負にならないのだ。

 だったら――あの、王城戦で見せた長門君の走り……あの幽霊のように消えた走りができるようになれば……。

 

「長門君、あの王城戦で最初に見せたランのテクニックってどうすれば……?」

 

「ああ、着眼点はそれでいい。そうだな……これ以上口で教えるよりも、反復練習の方がセナにいいだろう。まず、その曲がり(カット)を習得するにはこれから学校の行き帰り、それからランニングでも石蹴りをするんだ」

 

「石、蹴り? 石蹴りって、あの石蹴り?」

 

「そうだ」

 

 

 ~~~

 

 

「さて、初回サービスで丁寧に教えるのはここまでだ。あとは自分の頭で考えろ。一から十まで手取り足取り教えたんじゃ、自分の武器とは言えないからな。だが、勝負したいというのならいつでも受け付けよう」

 

 一年生の中で、唯一アメフトの熟練者である長門が、他三人のコーチもとい練習相手につく。アメフトの初心者であるこちらには助かるけれど、いっぺんに3人の相手をするのは大変じゃないか……と心配するセナだったが、そんなものは無用と長門は肩を竦めて、

 

「この程度のハンデがあったところで、今のレベルじゃあたとえ10人で挑んでも俺の練習相手にもならない」

 

「フゴーッ!」

「ムキーッ!」

 

 この挑発じみた物言いに、小結とモン太の負けん気に火がつくも、反論はできない。だってその自信は間違ってないのだから。

 この泥門デビルバッツで、長門村正は二年の先輩たちを含めて、いや、全国の選手を入れても総合的にトップクラスのアメリカンフットボールのプレイヤー。アメフトを始めてまだ一月も経っていない新人に負けるなんてことはありえない。

 

 長門一人にそれぞれの得意勝負でコテンパンに負かされたセナたちに、ヒル魔が指を突きつけて言う。

 

「糞チビ共! アメフトは専門職のゲームだ。何でもやれる万能型よりも、何かひとつ誰にも負けない武器を持った特化型こそが活躍できる。ブロック、キャッチ、ラン、それぞれ糞カタナに通用する一芸を身につけやがれ! 秋大会までにこの関東最強ルーキーという壁を踏み台にする、それが糞チビ共の『デス・クライム』だ!」

 

 息を呑む僕たち。

 万能型というけど、長門君はそれぞれの特化型と闘えるくらい能力が高い。進さんと同じ努力する天才という怪物で、まったく隙がない完璧な選手だ。

 だけど、小結君は瞳の奥が燃え上がり、散々打ちのめされたモン太も立ち上がって、僕も足に力が入る。

 

「ヒル魔先輩。つまり、長門を倒して泥門のエースになれば、アメフトのトッププレイヤーの連中とも勝負できるようになるってことだろ」

 

 正解だ、とでも言うようにモン太の言葉に笑みを吊り上げるヒル魔先輩。

 

「才能に限界があっても、努力に限界はねぇ。天才以上に練習して、ひとつを極めやがれ、糞チビ共」

 

「おっし! もう一度勝負だ長門!」

「勝負! 勝負!」

「長門君、僕も……」

 

 

 自分と同格か、格上と勝負をした方が得られる経験値はデカい。

 そして、この苦行『デス・クライム』を成し遂げた瞬間、その自信はこの三人を飛躍的に成長させるだろう。

 今の泥門に優秀なトレーナーコーチはいないが、目標とすべき“最高の壁”はある。

 

「――だが、そう簡単には達成させないがな」

 

 そうして、ヒル魔さんが所用でまたグラウンドを離れてから、また一巡。

 小結大吉はブロック勝負、雷門太郎はキャッチ勝負、小早川セナはラン勝負をそれぞれ挑んだ長門村正に徹底的に容赦なく打ちのめされてマネージャーのまもり姉ちゃんのお世話になった。

 

「大丈夫、三人とも?」

 

「へ、平気っすよまもりさん!長門に、負けちゃいられねぇっす……!」

 

 そして、長門君はひとりピンピンとランニングしてトレーニングに励んでいる。

 さっきモン太から教えてもらったけど、あの通気性最悪の濡れたマスクは、マスクトレーニングと言って、酸素を薄くして高地トレーニングと同じようなスタミナアップ効果があるそうだが、当然キツい。そんなハンデを抱えて三人連続で相手して歯が立たなかった。

 進さんと互角にやり合えた長門君。才能や体格にも恵まれてるけど、それだけじゃない。きっとたったひとりだけでそこまでアメフトが強くなったわけじゃないんだろうけど、一体どんな人にアメフトを教わったんだろうかとふと思った――その時だった。

 

(え、あの人……)

 

 セナの視界の端、泥門高校のグラウンドに他校と思われる制服を着た、やや額が広く、パーマのかかった男が入ってきて、何かを探すようにきょろきょろと視線を巡らし――途端、肩に提げたバッグからアメフトボールを取り出しながら疾風の如く走り、ランニングをしていた長門君へ弾丸の如きパスを放った。

 

 ヒル魔さんのパスよりも速い――!?

 

 全力疾走で勢い付けた、ハイスピードのロングショット。

 それを走ってる最中の真後ろから投げ込んできたのだ。思わず、“長門君危ない!”と声を上げそうになったけど、それよりも早く、すでに振り向いていた長門君は手刀で飛んできたボールを払い飛ばした、

 

「ここ最近は挨拶代わりにボールを投げるのが流行っているのか?」

 

 長門君は冷静に処理したけど、まもり姉ちゃんから貰ったレモンのはちみつ漬けを頬張っていたモン太が口角泡飛ばして、

 

「いきなりなんだお前は! 長門にいきなりボール投げやがって!」

 

「なに、軽い挨拶や」

 

 悪びれず、ヘラッと笑うその態度に、モン太に、それから別のところで栗田さんと一緒にラインの練習をしていた小結君も不快そうにするも、長門君は静かに咄嗟に弾いたボールを拾って、

 

「で、結局、誰なんだ? あんたの投げた挨拶(ボール)には生憎名前が書いてないから、きちんと言葉で教えてくれないか?」

 

「ワシは、千石サムライズの三年エースクォーターバック・浪武士(たけし)や」

 

「千石大付属の……」

 

 そのチーム名にわずかに長門君が目を大きく反応させて……まもり姉ちゃんが、その人の前に立って注意をする。

 

「ちょっと! ここは泥門高校の敷地内です。ちゃんと許可を取ってない他校の人が勝手に入ってウチの生徒に危険なことをされるのは困ります!」

 

「堪忍したってな別嬪さん。いやな、あの進清十郎とやり合ったスーパールーキーが、『二本刀』の後継者っちゅうんからな、ちょいとどんなヤツか直接見に来たんや」

 

 言いながら、まもり姉ちゃんをさらりと躱して、グラウンドにいる長門君へと近づく。

 

「ウチはまだ春大会中やから、練習試合は組めへん。夏の予定もすでに千石大学での合宿で埋まってるしなあ。あんさんのいる泥門と試合するんは、トーナメントの組み合わせ次第やけど早くても秋の一回戦になる」

 

「お忙しいんだな。で、その強豪校のエースがデビルバッツに、俺に何の用だ」

 

 皮肉気な笑みを交えて返す長門君。

 

「それまで長いし、それまでスッキリせぇへんのはワシも気持ちよくないし我慢ならん。だからこれだけ言っておきたかった。――この俺、浪武士こそが千石の伝説を引き継ぐに相応しい男や。皆に前時代的なスパルタを強いた挙句の果て、一人勝手に潰れたっちゅうロクでなしの酒奇溝六の弟子である一年坊やない」

 

 そう、言うだけ言って、その男、浪武士は帰ろうとする。

 だけど、その背中を向ける間際、ちょうど半身になったところで、

 

 

「――おい、忘れ物だ」

 

 

 浪武士の顔横スレスレ、頬を掠めるような軌道でレーザービームの様な返球が通り抜けた。

 さっき浪武士が放ったのと走りから投球フォームまで瓜二つで、それ以上に速く鋭いパスを長門君が放ったのだ。

 “チラ見しただけで自分の技を真似された”、それを知った相手の人はわなわなと震える。

 

「貴様、ワシのランショットパスを……!」

 

「なるほど、コントロールが難しい。しかし、あれくらいはキャッチできるものと思ったんだがな。クォーターバックには難しかったか?」

 

「生意気な一年坊や……秋大会、ウチと当たるまで残ってくれよ。潰したるから」

 

 キッと言い捨てて、浪武士は泥門高校から出て行った。

 

 

「長門君、さっきの人はいったい……?」

 

「千石サムライズは、王城と同じAクラスの強豪千石大学付属校だ。……そして、まあ、俺と先輩たちにアメフトを教えてくれた先生と因縁のある感じではありそうだ」

 

 その後、長門君の下に駆け付けて、訊ねた自分に何事もないように応えてくれた。

 

「先生がいたんだ」

 

「ああ。呑んだくれでロクでなしだけどな」

 

 そう言って、長門君は再びランニングへと戻っていった。

 

 

 ~~~

 

 

 部活復帰の最初の練習が終わると今度は、ヒル魔先輩に連れ去られた長門村正。セナ、大吉、太郎たちは近くのスポーツショップへ足りなくなった部の備品をお遣いに行かされた。

 

「ケケケケケ、糞カタナは大人しく俺の横に座ってりゃいい」

 

 リハビリの間に、恋ヶ浜戦で勝利したので改築された部室は、スロットやルーレットがあってちょっとしたカジノっぽい様相だが、中は広く、マネージャーの姉崎先輩が几帳面に掃除してくれるおかげで楽に座れることができる。

 

「了解しましたが……この“お色直し”は何なんですかヒル魔先輩」

 

 今、村正の左足……王城の試合で負傷した足は、ガッチガチに石膏のギブスで固められていた。先輩の指示である。

 怪我をしたのも骨折ではなく捻挫で、いくらなんでも大袈裟過ぎる。

 そして、姿が変わったのは長門だけでなく、そのヒル魔先輩自身も、アイシールドを付けたメットに背番号21番のデビルバッツのユニフォームを着込んでいた。

 どうして、『アイシールド21』に扮装しているんだ?

 もうこの先輩とは付き合いが長いので、その行動意図は読めずとも、だいたいろくでもない展開になりそうだという事はわかる。

 

「チラシやポスターでも宣伝効果が足りねぇみたいだからな、今週末に泥門の校庭で試合をするんだよ」

 

 確かに、実際やっているところを見せるのはインパクトが強いだろう。

 泥門デビルバッツは、まだ人数不足。有能な人材を確保するのが急務だ。しかし、だ。長門が求める、質問に対する明確な答えではない。

 

「それでなんで俺はこんな脚怪我してますアピールをしなくちゃいけないんですか?」

 

「これから来る“客”へのアピールだ」

 

 ガンガン! とどつくように荒っぽく部室の戸がノックされる。備品を買いに行ったセナたちではないだろう。急いでマネージャーの姉崎先輩が応対しにいく。この中では後輩な長門だが、足を石膏で固められているので動けそうにない。申し訳ないがおまかせする。

 

 

 泥門アメフト部の部室へ顧問の先生を連れてやってきたのは、人並外れた長腕が特徴的な男。総髪でギョロ目、長い学ランの前を全開にして、こちらにメンチを切っている。

 

 あれは、長門も見たことがある。この泥門高校の近場にある性質の悪い暴力的な不良で有名な賊学の番長、そして、賊学アメフト部のエースラインバッカーにして主将。『フィールドのカメレオン』葉柱ルイだ。

 実力は確かだが、審判に対する暴力行為で春大会を失格になってしまった。

 

 その危険な賊学と泥門の対抗試合を週末に組もうという話なわけだが……

 

「対抗試合ついでに、社会のダニ共をギッタギタに成敗できるってわけだな」

「てめー! アイシールド21!! ぶっ殺してやる!!」

 

 この先輩は、本当に煽りスキルが半端なく高いな。どういう肝っ玉をしてるんだ? なんかもう後ろで姉崎先輩と栗田先輩が申し訳なさそうに身を縮こまらせている。長門も本物の『アイシールド21』である大和(ライバル)に謝りたくなってきた。

 

「ほーう。勝つつもりでいんのか。なら500万円賭けるか?」

「あー! 賭けてやろうじゃねーか! ザコ王城に負けたくせによ! いい気になりやがって!」

 

 ガタン、と部室の外の扉が揺れた。

 

「最強のラインバッカーは今やこの葉柱ルイだ! 進? ゴミだね!! そこの一年坊に押さえられた野郎なんざ、俺の敵じゃねぇよ」

 

 左足にギブスをつけた長門へ嘲笑うよう鼻を鳴らして、葉柱ルイは部室を出ようとする。

 しかし、扉を開けたらその前に、買い出しから帰ってきていた三人が突っ立ってた。

 

「どけチビ」

 

 その先頭にいるセナに構わず、葉柱ルイは肩をぶつけようとして――それを半歩後ろに躱して言った。

 

「最強は進さんです。決勝で会うんだ。他の人に何か負けない!」

 

 なんと……。啖呵を、切った。

 が、相手は不良の番長。喧嘩を吹っ掛ければ、当然、手が出る。

 

「ひいぃ!」

 

 鞭のようにしなう長い腕。それがセナの顔面を鷲掴みにしようと伸びる――が、その途中で叩き落とされた。

 展開を読んですぐさまカバーに動いた長門が断ち切るように手刀で葉柱ルイの腕を払ったのだ。

 

「な、テメ――」

 

 驚愕に、またその腕に伝わる鋭い痛みに目を見開く葉柱ルイ。

 この長門の気迫に意識を呑まれて、気づくのが遅れているが、

 

(ちっ、勝手に動くな、糞カタナ! ――ケルベロス!)

 

 長門、今、普通に、左足に石膏のギブスを固められたまま直立している。

 それはヒル魔にはあまりよろしくない。なので、この異常に向こうが気付く前に早急に手を打った。

 

「ガウッ!」

 

 ヒル魔の合図に部室に飛び込む影。

 それはヒル魔が利害一致して組んでいる(飼い慣らしているのではない)凶犬ケルベロス。

 その凶暴極まりない泥門高校特級危険生物が足元を素早く駆け抜けると、長門の長い脚の脛……弁慶の泣き所とも呼ばれる人体急所に体当たりの当て逃げをかます。

 

「ぐおおおおっ!?!?」

 

 身体は中型犬くらいのサイズなのに、小結のタックル以上に威力のある強烈なブチかまし。当たったところの石膏に罅が入ってる。

 長門、呻きながら足を抱えて蹲った。若干、涙目である。

 この事態に最初戸惑う葉柱ルイであったが、存在を悟らせることなく迅速に仕事をしたケルベロスに気付いていない彼は、“怪我をしているのに無茶をしてチビを庇いに入った”と判断してくれた。ケルべロスのナイス?なフォローだ。

 

 それでこのドタバタの間に、姉崎まもりは庇護対象セナを庇うポジションについていた。

 そんな守られるセナを小馬鹿にするように見下ろし、

 

「カッ! 女に守られてやがる。“負けない”だぁ? テメーみてぇな腰抜けチビに何ができんだ?」

 

「……僕はそりゃ弱いだけだけど、僕がやるんじゃない」

 

「人任せか! じゃあ誰がやんだ?」

 

 すっと、前で庇う姉崎まもりから一歩出て、セナは言う。

 

 

「――アイシールド21」

 

 

 エースラインバッカー葉柱ルイの加入で一躍実力上位チームになり、秋大会のダークホースと注目される賊学カメレオンズと、泥門デビルバッツの練習試合が決まった。

 しかし、この週末の試合に、長門村正は、負傷?によりスターティングメンバーから外されることになる。



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6話

 パワーとスピード、そして、タクティスが大きな役割を果たすアメリカンフットボールでは時に独創的なフォーメーションが誕生する。

 二人のクォーターバックを配置する『ドラゴンフライ』しかり。

 それが効果的なものであれば、すぐ他所のチームが真似して瞬く間に広がり、その環境(チーム)で新たな進化を迎えていく。

 

 

TE OT  OG C OG  OT TE

 WR            WR

 

 

            RB

        QB

 

 

 オフェンスのガードとタックルの間を広く開くことで、ディフェンスからは『タイトエンド・タックル・レシーバー』が左右に2隊と『2ガード・センター・クォーターバック・ランニングバック』の1隊の計三つのグループに分かれているように見えるだろう。

 こういうのをスプレッドフォーメーションという。目新しいものではなく、昔から散見していたものだ。

 それに千石大学の『二本刀』が新たな息吹を加えたのが、これだ。

 現代のアメリカンフットボールでは、“広いスペースでプレーメーカーにボールを渡す”ことがオフェンスのゲームプランの大きな要素だと言われている。

 ランニングバックであれ、レシーバーであれ、広いスペースの中で相手ディフェンスと1対1のマッチアップを作ることができれば、持っている側(キャリアー)に有利だからだ。

 通常、相手ディフェンスは、ボールキャリアーを複数人で囲うよう追い込み、誘導するよう守備位置を取る『ランフォース』でもって、如何に脚が速かろうと阻止してきた。

 しかし、このフォーメーションは、ランニングバックの天敵たる『ランフォース』を実行不可能にしてしまう。

 またオフェンススキルをもったタイトエンド・レシーバー・ランニングバックを三ヵ所に分散することで、それに対応するべくディフェンスも分散させてしまう。よって、ひとりの選手に複数人で当たるという事が難しくなってしまうのだ。

 

 しかし反面、欠点も抱えている。オフェンスの要となる司令塔クォーターバックがラインの壁3人にしか守られないこと。これは余程センターラインがパワーあるものでなければパスリリースするための時間を稼ぐことはできず、クォーターバックを危険にさらしてしまう。

 それから左右それぞれの分隊がスクリーンやリードをやれるだけの連携と判断力がなければオフェンスが上手く機能しなくなる。

 このフォーメーションは、トリックプレーの域を出ない。

 

 でも、これが奇策であっても使いようによっては大きな武器となる。

 そう信じていた。

 

 しかし、この自らの大学の名を冠して付ける()()()()()トリックフォーメーションは、企画人のひとりが実現させるためのスキルアップのトレーニングで脱落したことによって、試合で披露されることなく、机上の空論と成り果てた。

 

「……まあ、今の泥門デビルバッツでもこの先生が遺した幻のフォーメーションは実現不可能なんだがな」

 

 ラインマンが5人。レシーバーが2人。タイトエンドが2人。クォーターバックが1人。ランニングバックが1人。

 あの『デス・マーチ』の過酷な修練を共に乗り越えられるようなチームでなければできない。そして、自分以外にパスもブロックもこなせ、アメフトの戦術理解のあるタイトエンドがいなければ。比翼が片側だけが力強く羽ばたこうとも、飛行姿勢は安定せずに墜落してしまうのがオチだ。

 自分ひとりが強くなってもダメなのだ。

 

「でも、先生と庄司監督、『二本刀』が思い描いた千石フォーメーション……いや、俺達の手で『悪魔の蝙蝠(デビルバット)』を完成させたい」

 

 そのためにはまずチームを揃えなければ。

 先生は借金でアメリカに逃げる際に、『優秀なタイトエンドを見つけてデビルバッツに送る』とも言っていたが、もう一年以上音信不通である。生きているのか死んでいるのかもわからない。ヒル魔先輩がその消息を今探しているそうなのだが……

 

 ピンポーン、とチャイムが鳴った。

 

 先生が遺したアメフトの研究・鍛錬ノートを閉じると長門は玄関へ。

 

「こ、こここんばんは村正君! 今日もお夕飯作り過ぎちゃってお裾分けです!」

 

「落ち着けリコ。髪がアフロってるぞ」

 

「え、ああ~~~!?」

 

 扉を開けると、視界いっぱいにボンバーヘッドなアフロが、いや、すぐに髪を手櫛で整えて元に戻った。

 

「今日も夕飯ありがとなリコ。自炊しなくちゃいけないから助かるよ」

 

「いえ、これくらい……お、お母さんが、作りすぎちゃっただけですから」

 

 扉を開けると、そこにいたのは、お隣さんである。

 父親の遺伝が濃い癖っ毛(興奮して空回ると何故かアフロになる)の少女、学校は違うが同じ高校一年生で自称『エブリタイムテンパリ娘』熊袋さん家のリコである。

 中々の頑張り屋さんで、アフロが特徴的なお父さん、スポマガ社が発刊する月刊アメフトで編集する熊袋さんの下で手伝い(バイト)をして以来、スポーツ記者に興味をもっている。取材も熱心、解説までできるというバイタリティである。

 中学時代は無名だった長門村正が、あの王城戦の一戦だけで一躍“東日本ナンバーワンルーキー”などと称されるようになったのも、このバイト少女が書いた特集記事を父親が月刊アメフトに載せたからである。

 それに情報通の彼女が教えてくれるアメフトの情報にはとても助かっている。プレイの解説も実に的を射ているし。それからこのように頻繁にお裾分けしてくれるので、現在一人暮らしをしている長門は生活面でも助けられている。

 近所に同じ趣味の人がいるのはとてもいいものである。

 

「そういや今日発売の月刊アメフトが20周年で、本場アメリカのチームと親善試合『月刊アメフト(ボウル)』を企画するって書いてあったんだけど、それってどこなんだ?」

 

「確か、NASAエイリアンズになりそうだ、ってお父さんが言ってましたね」

 

 NASAエイリアンズか! 大和(ライバル)を非公式とはいえ負かした『黒豹(パンサー)』がいる……

 

「……これは、やってみたいな」

 

 まだ人数が揃っていない泥門がやるのは無謀だろうが、本場の強豪校とやる経験値はデカいはず。ヒル魔先輩もこの話には乗ってきてくれるはずだ。

 

「じゃ、じゃあ……今日の村正君への取材ですが」

 

「おう。何でも聞いてくれ」

 

 一つ情報を教えてもらう対価に、こちらも代わりに一つ取材を受けるのがご近所さんルールだ。

 将来のための勉強で、好きな食べ物やアメフト以外の趣味だとかも根掘り葉掘りといろいろ訊かれた。要はインタビューの練習台である。

 

「泥門デビルバッツが、今週末に賊学カメレオンズと対校試合をすると小耳に挟んだんですけど。これは本当なんですか?」

 

「うん、そうだが。よく知ってるな」

 

 アメフト関連の情報アンテナを高く張っている子である。

 

「はい! 特にチェックを入れてますから! 泥門デビルバッツには村正君がいますし……そ、それで、ご迷惑でなければ取材に行ってもよろしいですか!」

 

 ぐいぐいと迫るリコ。段々と感情に比例して縮こまっていく髪がアフロになっていきそうになるが……

 

「いいんじゃないか。休日だし、風紀委員の姉崎先輩に話を通せば他校の生徒でも校庭に入っても問題ない。練習試合なんて書いても記事にならないと思うけど、こちらとしても客観的に試合分析できるリコに観戦してもらえるのはありがたいし。ああ、でも、たぶん俺は出ないと思うぞ」

 

「え」

 

 この長門の最後の一言で、リコの縮れた髪質が真っ直ぐに。さらっと一気にストレートになった。

 

 

 ~~~

 

 

『Ya―――ha―――!

 爆裂重大臨時ニュースだ! 今週土曜校庭でアメフト部の試合をやるぞ!

 敵は賊学カメレオンズ、500万円を賭けた勝負だ!

 今まで賊学連中に泣かされた諸君! 泥門デビルバッツがコテンパンにしてやるぜ!

 入場無料! 見なきゃ男じゃねーー!!』

 

 と対校試合が決まったその翌日に放送してから今週末。

 バイクに乗って泥門高校へやって来た都立賊徒学園のアメフト部。

 

 賊学カメレオンズの戦略は、相手の攻撃は全て後出しで潰す。敵に合わせて戦法を変えるのがカメレオン流。相手が一番得意にしているものを変幻自在に呑む、守備型のチーム。

 

 今回の試合で、カメレオンズのエース葉柱ルイは、ラン対策に特化したディフェンスを敷いてくるだろう。

 この前の王城戦、デビルバッツで唯一キャッチができたタイトエンドは、足の怪我?で試合を欠場しているし、大量のヤードを稼げる手段はアイシールド21のランしかないのだ。と見て。

 

(散々ヒル魔先輩も挑発したしな。何が何でもアイシールド21の爆走ランを阻まんと躍起になっているだろう。――だけど、今の泥門には俺以外にもパスキャッチできるワイドレシーバーがいる)

 

 賊学は開幕キックオフで、キャッチの難しい、バウンドするグラウンダーの『スクイーブキック』を選択。楕円形のボールが不規則に跳ね、アイシールド21に捕らせず、泥門攻撃陣を混乱へと陥れる。その間に一気に敵陣に駆ける賊学守備陣が制圧……するはずであったが、

 

「なっ……俺の爆竹キックが!?」

 

 一発ビシッとキャッチしてボール回収してみせたのは、新加入のレシーバー・雷門太郎。賊学の出鼻を挫いてみせた本日の秘密兵器はその後、アイシールド21・セナへトスしようとしたのだが、下投げなのに見当違いの方向にボールが……。

 太郎は、ノーコンだった。本当にキャッチにすべてを割り振っている男である。

 それでも相手の策を潰したことに変わりない。

 

「フシュー!?」

「フゴーッ!」

 

 賊学の大型ラインマン・蛇井級太郎、身長184cm、体重120kgの二年生選手。鼻息荒い巨漢ガード相手にマッチアップするのは、泥門ラインで一番小さい小結大吉だ。賊学は王城戦の試合を見て、この低身長の大吉をラインの穴だと見て投入したんだろうが、その逆に重心の低さを武器とした立ち合いのロケットスタートを決めて、ヘビー級ラインマンを圧倒している。

 

「パス!? バカな……」

「球、速っ!!」

「味方も捕れねーよバーカ!」

 

 エースラインバッカー・葉柱のカメレオンの舌のように長い腕も触れぬ、ヒル魔先輩のスパルタパス。――それを、太郎が捕ってみせた。

 

「努力マックスダーッシュ!!」

 

 ランニングバックに守備を割り振っていて、まったくパスに無警戒なカメレオンズの守備。ノーマークだった太郎は、キャッチするとそのまま走って、相手ディフェンスに捕まるまで35ヤード前進(ゲイン)

 

 

「次こそアイシールドのランが来る! ぶっ潰すんだよ!」

 

 太郎のレシーバーの存在に関わらず、意固地になってランを潰そうとする葉柱ルイ。

 そのカッカ頭に血が昇った様子を邪悪な悪魔の笑みで見つめるヒル魔先輩。

 交錯したアイシールド21と、『ハンドオフフェイク(ボール渡したフリ)』を決めてから、また太郎へパスを決めて、タッチダウン。

 

「いいぞモン太ー!」

「モンモーン!」

「猿ーーっ!!」

 

「雷・門!」

 

 歓声が湧く泥門校生。

 いきなりタッチダウンする鮮烈なデビューを決め、太郎のキャッチは泥門の新しい武器だと知れ渡った。

 

 

 でも、その後のトライフォーポイントの追加点のチャンスをキック失敗。攻撃権が相手に移って、賊学のオフェンス。止めることができず、お返しのタッチダウンを決められ、トライフォーポイントでキックを入れられてあっさり逆転を許す。

 

(やはりキッカーの差が大きい、か。……武蔵先輩)

 

 それから、賊学ディフェンスは、今の泥門オフェンスにも対応する。

 パスを捕れる80番の太郎に3人のマークを割り振って、残りは全員アイシールド21を潰す。

 

 試合中でも敵に合わせて戦術を修正する。

 

 ……しかし、だ。

 作戦を後出しにする戦法は間違ってはいないが、遅い。

 こちらには“作戦を先読みした方が勝つ”を信条とする悪魔なクォーターバックがいる。

 

「行け陸上部!!」

 

 アイシールド21で行くと見せかけて、完全ノーマークの陸上部の助っ人・石丸先輩の中央突破。

 

「今度こそ来たっ! あの地味な野郎はボール持っちゃいねぇ! アイシールドだっ!!」

 

 アイシールド21で行くと見せかけて、自ら走る。

 

「テメー!! 勝負しやがれ!!」

「ケケケケ!!」

 

 徹底的にチームのエースランナーを囮にする泥門デビルバッツ。

 アイシールド21を封殺するつもりでいた賊学カメレオンズを完全におちょくっている。

 

(ヒル魔先輩相手に、後出し戦法が通じる方がおかしい。相手に合わせて弱点を突いてくるカメレオンズ……見方を変えれば、弱点克服するに良い試合相手を用意してくれるとも言える)

 

 太郎は初の実戦を、大吉は背の高い相手を。あとセナは物騒な強面相手にビビらないように。そして、エースに頼らないオフェンス。

 

 練習試合だ。ただ勝ちを狙うのではなく、経験値を得ることも目的とする。秋大会までに強くなるには多少無茶でも実戦の中で鍛え上げていくのが一番だ。

 

(ただひとつ怖いとすれば怪我か……。賊学は、反則スレスレのラフプレイ上等だからな)

 

 

 ~~~

 

 

「もう容赦しねえ。――潰せ」

 

 20-16。

 泥門優勢な試合展開だったが、賊学の喧嘩殺法にラインマンの助っ人3人が退場。

 

「ひぃいいぃい!? ボールもってないですよ! ホ、ホラ!」

 

 エースランナー・アイシールド21も葉柱ルイ自らドツきかまして吹っ飛ばされた。こちらは負傷退場しなかった。

 これもまた弱点を突かれた。試合規定人数ギリギリの少人数のチームだから3人も一気に抜かれるのは大変だ。この暴力(ラフ)プレイを予想して、今日は多く助っ人を借り(狩り)出してある。

 

「ふむ。おい、出番だぞ、三人」

 

「ハ?」

「はぁ!?」

「はぁぁあああ?」

 

「ははは、相変わらず仲が良いな。もしかして兄弟だったりするのか?」

 

『兄弟じゃねェ―――!』

 

 試合をカメラで撮影していた長門と一緒のベンチに座っていた、あの時の不良三人組。部室を漁っているところを“アメフト部に戻ってきてくれた”と勘違いした栗田先輩に取っ捕まった。

 

「とにかく出番だ。餅は餅屋。不良の喧嘩相手なら得意だろ、お前ら」

 

「チッ」

「か~~、面倒くせ~」

「写真晒されるよりマシだろ!」

 

 どうやらヒル魔先輩に何か弱みを握られてるようで、わりと素直に試合に出てくれるようだ。

 よし。あとは――

 

 

「――アイシールド21! 葉柱ルイは、俺や進清十郎よりも怖いか?」

 

 

 ~~~

 

 

 ベンチで足を怪我した(ことになっている)長門君。

 今日は試合の撮影記録を取ったり、相手戦術を分析していたりと(主務希望で最初に入った自分よりも)スカウティングに精を出している。

 王城戦では、長門君が途中退場してから、泥門はガタガタになってしまったけど、今日は違う。

 そう、あの時とは違う。決勝で進さんと闘う、そのために他のチームに負けるわけにはいかないんだ。

 

「ああ。3人マークにつかれてっけど、たったひとりでも何にもさせてもらえねぇ長門とやるよりよっぽどマシだ」

 

「フゴッ! 強い相手と、戦ってきた!」

 

 モン太、小結君、そして、僕も賊学よりももっと、ずっと凄い人達と対峙してきた。

 不良が怖い。スポーツする目じゃなく、絶対痛めつけようとする葉柱さん。

 

 だけど、違う。

 全然、違う。あの周囲の空気にさえ圧を感じる進さんや長門君とは、世界が違う。

 

 アメフトはビビらしたら勝ちだ……そうヒル魔さんは言う。

 ……そうだ、怖がっちゃ負けだ。

 

 

 ~~~

 

 

 賊学のラフプレイを、交代した三兄弟のラインは慣れた感じで捌いて道を開けた。

 小早川セナ――アイシールド21は、中央突破。すなわち賊学のエースラインバッカー葉柱ルイの真正面へ爆走する。

 その恐怖を踏み締めた走りに、長門はその勝利を確信した。

 

「今度は骨ごとへし折って、最強は葉柱ルイだって体に叩き込んでやる!!」

 

 いいや、逆だ。その走りに圧倒されるのは、葉柱ルイ。貴様だ。

 そのリーチの長い手を伸ばしても届かぬ距離に、一瞬で曲がり切ってしまう黄金の脚。飛びついたはずの葉柱ルイはその指先すらも(ふれ)ることが叶わず、地に落ちた。

 

 

「タッチダーゥン!!」

 

 アイシールド21は相手エースを抜き去った後そのまま独走して、ゴールラインまで走破。

 

『うおおおお!!』

 

 校舎が揺れるほどの大歓声が湧いた。

 

「すげーッ! 初めて生で見たよアイシールドの走り!」

「TVと迫力全然違うな!」

「何か一瞬でわかんなかった~~!」

「流石ノートルダム大!」

「ていうか誰? 2年生?」

「人間の走りじゃねー!」

 

 しかし、この衝撃的な走りにもっとも驚愕させられたのは、観客の生徒たちではなく、真正面で目撃した葉柱ルイだろう。

 

 勝負あったな。

 撮影するカメラ映像、ズームアップした相手のエースの顔は、大きく目を見開いたまま固まり、冷や汗を垂らしている。

 

 エース対決を制して、その後、デビルバッツがカメレオンズを圧倒する試合展開になった。

 小結大吉を止められず、雷門太郎を捕らえられず、アイシールドを触れない賊学。そして、ここ泥門の校庭(ホームグラウンド)はプレイのたびに大いに盛り上がる。

 

「ぐは!」

「うがぁ!!」

「こ……こんな、キチ――のか!?」

 

 ただ一点。

 代わったあの三兄弟は、喧嘩慣れしてラフプレイには強かったが、真っ当に押し合いになったらまるで歯が立たない。アメフトド素人だから仕方がないが、ぶっちゃけ脆い。おかげで、カバーに入った石丸先輩が潰され、ヒル魔先輩がパスできずに倒される。

 相手に合わせて戦術を変えるカメレオンズはその穴を見逃さずに徹底的についてくるだろう。

 

(ヒル魔先輩は、センターライン以外は素人ラインでやってきたクォーターバック。過酷な環境でプレイしてきてサックへの対処に人一倍慣れているから心配いらないんだが……)

 

「だが、あまりタックルに潰される先輩を見るのは気持ちいいもんじゃないな」

 

 すでに得るものは得たし、勝負はあった。――試合にケリをつけようか。

 

「姉崎先輩、カメラ頼みます」

 

「え、長門君?」

 

 ガンッ! と地面に踵落としして、左足を固めた石膏を砕き割る。ジャージの下にはすでにユニフォームは着込んであったりする。

 軽く跳んだり跳ねたりしてから、ストレッチして、ささっと早着替えで防具を着込む。

 

「試合勘を鈍らせたくないんで。俺も出してください。ぶっちゃけ、アメフトを見てたらアメフトがしたくなりました」

 

「糞カタナ……」

「長門君にも試合出てもらおうよ、ヒル魔」

 

 温存できるものなら温存して、情報を隠匿しておきたいヒル魔先輩と、一緒にプレイしたい栗田先輩。

 だけど、こちらも何もワガママだけで動いているのではない。

 

「それと、石丸先輩、鼻血が出て、試合させられません。あまり助っ人に無理をさせると今後の応援に差し支えますよ」

 

「ちっ……。ワンプレイだ。石丸が鼻血を止めるまでのワンプレイで決めてこい、糞カタナ」

 

「十分です、ヒル魔先輩」

 

 

 ~~~

 

 

 80番のキャッチ、21番のランを止められない状況に、投入されるもう一枚のカード、88番長門村正。

 月刊アメフトにて、最強のルーキーと紹介される、超人。

 

「あの野郎、ふざけやがって……っ!」

 

 怪我のフリをして温存されていた……つまり、88番がいなくても賊学は倒せると思われていた。いや、試合にならないと思われていたのだ。

 

「ど、どうするんですか葉柱さん。アイツヤバいっす」

 

 チームに動揺が走っている。

 同じグラウンドに立てば、判るのだコイツらにも。怪物との圧倒的な力の差を。

 

「いや! 関係ねぇ!! 力の差があろうがなかろうが! 賊学なめさせんな!」

 

 穴になっている三人のラインを狙う。そして、攻撃の起点であるクォータバックを潰す。さっきと変わらない。

 

 

「SET! HUT!」

 

 泥門がボールをスナップした瞬間に、賊学ラインが突っ込んだ。

 

「てめーらんとこが壁の穴だ!」

 

 狙うは、交代した三人のライン――

 

「穴ァ?」

「開けてやるよ」

 

 しかしその穴は、落とし穴の罠に化けていた。

 あっさりと盾として組付き合うこともなく、素通りさせた三人。

 

『この糞三兄弟! どうせ破られんなら、さっさと負けてやれ!』

 

 これは、作戦通りの動きで、相手のラッシュを食らう前にヒル魔はパスを投げた『スクリーンパス』。

 賊学の選手をわざと抜かした三人は別の場所に移動して、まだラインに残ってるブロッカーの相手をする。ラッシュに行った分だけ人数が抜けているため、ひとりに当たり複数でかかることができるのだ。この数的優位を作れれば、ド素人でも押し合いで圧倒できる。

 

「ケケケ、このバットをへし折るほどの直球ど真ん中の力勝負に合わせられる策なんざありゃしねぇよ」

 

 そして、投げられたボールは石丸に代わって入った長門が捕っており、泥門ラインが空けた賊学ラインを、その力強い走りでもって、強引に押し通る!

 

 

 来た――!

 葉柱ルイの前に迫る88番。だが、

 

(あのアイシールドよりは遅ェ! どこを抜こうが俺の腕で捕まえてやる……!)

 

 走る。真っ直ぐに。右にも左にもカットを切る気配はない。

 

(いや、まさかコイツ俺に向かって――!?)

 

 ――そう、これは直球の力勝負。

 触れられないアイシールド21とは真逆の、触れた相手を撥ね飛ばす破壊的なラン。

 

「うっ……」

 

 格闘球技アメリカンフットボールの原点である力で、潰す。

 

「アアアアアアアアアアアアアア――!?!?」

 

 やる前にやる。

 止めなければやられる。

 我武者羅に葉柱は腕を伸ばす――そして、目が合った。恐ろしく冷ややかな視線と。

 

「その腕、進清十郎の『スピアタックル』より上かどうか一刀で確かめよう」

 

 長い腕のリーチで機先を制し、相手をいなす『スティフアーム』は、元々ランするときのハンドテクニックだ。また長門村正は、進清十郎の片腕で相手を倒す『スピアタックル』が可能なほどにパワーがある。

 

 そして、次は止めるのではなく倒す……そう長門村正が進清十郎の“槍”に対抗するべく、ステップインと同時に打つ体当たりの如き拳撃、ジョルトブローの技術も取り入れていた。全身の力と体重を篭めるため、威力が高く、当たればワンパンチノックダウンもありうる一撃、そして、伝統派空手による突きの多くは、そのジョルトブローに入る。

 

「お゛お゛お゛お゛!!」

 

 障害として立ちはだかるのなら、仲間のために打ち倒す凶暴な戦士の意思に猛る。

 クロスカウンターを決めるように、長門の太刀の如き長く引き締まった腕が走り抜け、葉柱の身体を手が撃ち抜いた、『ジョルトアーム』。

 

 なん、つう力――

 ドグシャア!!! とラインバッカー・葉柱ルイが白目を剥いて地に沈み、エースを一瞬の交錯で斬り捨てた『妖刀』はタッチダウンを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

「葉柱さんが倒れたァァ!」

「おいおいマジかよ! 泡噴いてるぞ!?」

「た、担架だ担架!!」

 

 意識が、遠い。そして、震えが、止まらない。

 たった一撃で、骨の髄まで恐怖を刻み込むパワー。

 対峙したくはない。88番……コイツにだけは喧嘩を吹っ掛けるなと本能がそう叫んでいる。

 怖い、怖い……!

 体格だって、実力だって、格が違う。

 

 いや。

 だからって、ここで舐められたままでいいはずがない! 試合途中で諦めるなんてダセェ真似、死んでもできるはずがねぇ!

 

「立っ、た……」

「だ……だ、大丈夫ですか葉柱さん。すぐに担架で運びま」

 

「いらねぇ」

 

「へ、いや、そんなふらついてる」

 

「うるせぇ! ブッ殺されてーのか! さっさとポジションにつけ! まだ試合は終わっちゃいねーぞ!」

 

 怒鳴り散らして、連中を動かす。

 そして、睨む。これまで会った中で、最強の敵を。

 

 

 ~~~

 

 

 反則も辞さない不良……しかし、その何が何でも勝ってやるという姿勢は、似ていた。

 

 自力で立ち上がり、震えながらもこちらを見てくる葉柱ルイを見て、長門は指揮官・ヒル魔に願い出る。

 

「……ヒル魔先輩、ワンプレイじゃなくて、最後まで出してくれませんか」

 

「アアん?」

 

「前言撤回ですが、全力で、相手をすべきです。あの男にこれ以上失礼な真似はできない」

 

「……はっ。最後まで手を抜くんじゃねぇぞ、糞カタナ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 その後、復活した葉柱ルイだが、やはり動きは鈍くなっており、長門が加入した泥門デビルバッツの、たとえ万全の状態であっても手に負えない攻撃力を前に大量の追加点を重ねていき、78-28と50点もの差をつけて、対校試合は泥門が圧勝した。

 

 

 ~~~

 

 

 凄い、アメフト部……!

 

 学校の図書室の窓から覗いていた賊学との対校試合。それに感動した。

 2年生だけど、小一からずっと塾通いで運動部に入ったこともないけど、体格も良くないけど、やってみたい。

 このままただ勉強だけで高校生活を終わらせるのはあまりにも寂しいし、最後の思い出が欲しい。もちろん、入るからには勝ちたい。チームのために何でもいいから何か役に立ちたい。

 怖い賊学の主将を一撃で倒した長門村正君も凄かったけど、あんな小さい体でノートルダム大のヒーローになったアイシールドさんのプレイを見てたら、胸が熱くなって……。

 きっとあの人はどんな困難にも恐れず立ち向かっていく勇気がある人なんだ。

 僕もそれを見習いたい――!

 

 

 ~~~

 

 

 賊徒学園に勝利。

 賊学生の命とも言える改造バイクを解体してまでも金を毟り取ろうとするヒル魔先輩は、500万円に見合う労働を交換条件で葉柱ルイらカメレオンズの全員を奴隷と化した。葉柱ルイを最後のプレーまで容赦なく叩き潰した鬼が言えるセリフではないと思うが、先輩は悪魔である。

 

 そして、宣伝効果のインパクトも凄まじく、翌日に開催した緊急入部募集してみたら、百人以上が集まった。栗田先輩が来てくれた入部希望者たちのためのお茶菓子にと思い切って買った雁屋シュークリーム百個が足らないくらいだ。

 

 しかし、そんなアメフト部未曾有の大事件だったのだが、

 

「一緒にTVに映れるかもしれないし」

「アイシールドのサインが欲しいな」

「不良の番長をワンパンチで倒した姿に痺れました」

「アメフト部って部費多いし手下も多い。いやマジ尊敬してるヒル魔さんのおこぼれに俺預かりたいなー」

 

 ……面接して見れば、こちらが求める人材、すなわちアメフトというスポーツに本気になれるかが微妙なミーハー連中ばかり。これでは入部しても途中で退部するものも多いだろう。

 

「こりゃ入部テストだな」

 

 ヒル魔先輩は決行する。

 東京タワーを一日貸し切った入部テスト『地獄の塔(ヘル・タワー)』を。



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7話

 『地獄の塔(ヘル・タワー)』……それは、(先輩の脅迫手帳の力でもって)貸し切った東京タワーを使う入部試験兼トレーニング。

 簡単に言うと、階段上り競争。

 ただし、標高250mの階段で、これを用意された製氷(砂糖を混ぜて溶けやすくした)を炎天下の中、溶けないうちにゴールの特別展望台まで登り切る。それが合格条件だ。

 

 そして、各所に障害が敷かれている。

 

 第一関門『地獄の番犬』

 飢えた凶犬を相手に、砂糖入りの甘い氷を守る。

 

 第二関門『地獄の釜』

 中間地点の大展望台に仕掛けた、真夏日に暖房機でガンガンに温度を上げた密封空間。速く駆け抜けなければあっという間に氷が融ける。

 

 第三関門『地獄の番人(ガード)

 エレベーターの上に乗って上下移動する狙撃手(ヒル魔先輩)が撃ち込んでくる特性弾丸(海苔缶に入ってる、水分に接着すれば発熱する乾燥剤を詰めた弾)を躱す。

 

 足の速さでは負けるも、これは足の長さが有利に働く階段上り。加えて、ランナーを守るリードブロッカーをこなすタイトエンドとして氷が多量に詰まった袋を守りながら難所を走破できなくてはならないだろう。

 牙を剥いて迫るケルベロスを、警察犬の訓練のように腕を使って(または犠牲にして)制し、ヒル魔先輩の射撃から身を盾にして氷を入れる袋に当たら(ふれさ)せない。

 

 結果として、順当に長門村正はノーミス一着で『地獄の塔』をクリアした。かき氷を待っている栗田先輩に氷を届けると、ヒル魔先輩より“まだ元気が有り余っているようだから下で糞マネの手伝いをしてこい”とのお達しを受けた。

 

「ちきしょー! 長門に一着獲られたのかよ!」

 

「積み上げてきた基礎体力が違うからな。あと経験。中学時代に、ヒル魔先輩から散々無茶ぶりな試練を課されてきたし、こういうのには慣れている」

 

「ハハ……すごく大変だったんだね長門君」

 

 エレベーターで下まで降りるとちょうど、中間地点の大展望台に仕掛けられた『地獄の釜』であえなく氷を全て溶かされた太郎とアイシールド21(セナ)と行き会った。一着狙いだった太郎は悔しそうだが、きっと二度目はセナと一緒にゴールできるだろう。

 

「フゴゴー……」

 

「栗田先輩は上で待っている。早く氷を届けてやれ」

 

 それから入れ替わるように、第三難関『地獄の番人』で袋を撃たれてしまった大吉が階段から降りてきた。こちらもまた悔しそうだが、登り切るだろう。

 と、

 

「フン」

 

「ハ?」

「はぁ?」

「はぁああ!!?」

 

 どういうわけだか、この前の面接にはいなかったのにここにいる不良三兄弟。大吉に挑発されて、負けじと大量の氷を抱え込んで階段レースを追いかける。あの負けん気は中々面白い。

 

「長門君、悪いんだけどもう補充の氷が少なくなってきてるから、あそこの飲み屋さんから持ってきてもらえないかしら」

 

「うす、姉崎先輩」

 

 とマネージャーの姉崎先輩の指示で、東京タワーの近くにある、事前にヒル魔先輩が話を通した、店に伺うと、

 

「オネガイ、パスポート無いの警察に言うダメね! 何でもやりますから!」

 

 ……あの先輩はいったいどこまで支配圏を伸ばしているんだか。

 

 

「やってられるか!! 部員少ないから部費で豪遊できると思ったのに!」

「割に合わねーよ!」

「俺ももう帰ろうかな」

「こんなんぜってー無理だし」

 

 この『地獄の塔』、やってみると過酷な試練であるが、できないものではない。

 時間が経てば陽が落ちて気温も下がるし、氷の量を多くすればいつかは登り切ることも不可能ではないのだ。

 だから、この入部テストは、身体面ではなく、最後まで辞めないで続けられる根気があるか精神面を試すものだ。ミーハーな、またはうまい汁だけすすろうときた連中にはまず無理。

 

 下層の状況を報告しがてら上で様子を見に行ってもらった姉崎先輩によると走破したのは、長門も含めたアメフト部員4名とあの不良三兄弟だけ。

 他の入部希望者も続々とリタイアして、悪態を吐きながら帰っていく。

 残っているのは、この今回のテスト唯一の二年生……雪光学先輩だ。

 

「ひー……ひー……」

 

 氷を補充する直前でぶっ倒れてしまいそうだったので、製氷係・長門の後ろにジャージを敷いて作った場所に寝かせている。

 息苦しそうだった先輩は、数分で呼吸を落ち着けさせた。

 

「ありがとうござい、ます」

 

「いえ、それより先輩は大丈夫なんですか?」

 

「うん……。まだちょっとふらついてるけど、やれるよ」

 

 その肉体は、運動をしてきた人のものではない。それが気にかかって、つい長門は訊ねた。

 

「雪光先輩は、どうして、今回の入部テストを受けようとしたんですか?」

 

「この前の試合を見て、思ったんだ。アメフトをやってみたいって。小学校も中学も高校も塾のことしかない。来年になれば受験漬け……その前に一度でいい。僕だって一度くらいやりたいことに挑戦してみたい」

 

 これが最後のチャンス……そう語る雪光先輩は力なく笑う。

 

「でも、僕は君のように体力があるわけじゃないしね。生まれて初めて塾サボった甲斐なかったのかなあ……」

 

「……自分の能力を素直に認められる、それは良い事だと思います先輩」

 

 雪光先輩は自嘲するけど、周りが皆一年生の中ひとり二年生で冷やかされながら、そして、受かる可能性は低いと思っていながらも挑戦するこの人を、長門は笑わない。

 

「俺は見てきました。ガタイもなければ生まれついての才能もない、ガチで当たれば中堅の選手にもボロ負けするそんな肉体なのに、闘い方ひとつで才能有り余る生意気な後輩と張り合った男を」

 

 ヒル魔妖一という男は、綿密に計算して作戦を立てるも、そこに必ずデータ上には表れない気力も推し量る。そう、アメフトをするのは、機械ではなく人間なのだ。

 

「それと、ここにあるのは好きに使ってもいいんですよ」

 

「え?」

 

 これくらいの助言ならば問題ないだろう。と長門はサッと思いついた案を口にする。

 用意されているのは小袋と大袋、それと氷。

 

「第一関門に備えて、ケルベロスに予め与えるように氷を詰めた小袋を用意する。それに第三関門に備えて、番人から弾を撃たれても被害を一か所から全体に広めないように、ただ袋に詰めるのではなく、氷を詰めた小袋をいくつも用意してそれを一纏めに大きな袋に詰め込む」

 

「あ、なるほど……でも、いいのかなそれ?」

 

「問題ありません。提示されたのは氷を特別展望フロアまで持っていくことだけですから。アメフトは頭を使うスポーツでもあります。ルールの中で賢くやってやりましょう」

 

 創意工夫を凝らしても、先輩の身体能力では大量の氷を運ばなければ融けてしまうだろう。

 だけど、彼は俯きかけた顔を前に向けて、言った。

 

「ありがとう、絶対、入部テスト、受かってみせるよ、長門君」

 

「頑張ってください、雪光先輩」

 

 

 アメフト部の入部試験『地獄の塔』

 合格したのは、十文字一輝、黒木浩二、戸叶庄三……そして、雪光学の四名。

 

 

 ~~~

 

 

 新入部員が四人にちゃんとしたチーム同士の試合を見学させるという事で、泥門デビルバッツは東京都春大会の決勝を見に行くことに。

 ヒル魔先輩が呼んだタクシー(奴隷となった賊学のバイク)で、試合が行われている都立栄光グラウンドへ。

 その決勝の舞台にぶつかっているのは、王城ホワイトナイツと千石サムライズ……を準決勝で破った春大会のダークホース・西部ワイルドガンマンズだ。

 ちょうど前半が終わったハーフタイム中、点は20-7で、王城ホワイトナイツが負けているという試合展開。

 史上最強のラインバッカー・進清十郎を相手にリードをすることにセナたちも驚いている。そして、この立役者となっているのが、今ヒル魔先輩が読み上げる、

 

「鉄馬丈。40ヤード走5秒0。ベンチプレス115kg。だが、コイツがスゲーのは数字じゃねぇけどな」

 

 走行ルートを指示すれば、どう邪魔されようがそのレールを10cmとズレずに走るワイドレシーバー。まさに鉄の馬(アイアンホース)。誰も進路を変えられない汽車だ。

 

「走行ルート?」

 

「レシーバーがフォワードパスを受けるために走るコースのことだ。フェイント、フェイクを行うこともあるが、基本は全力疾走、方向転換もスピードを落とさずに走り切る、その決められたパターン。後衛の基礎だな」

「どの辺走るか決めとかないとパスできないからね」

「てめーらもルート覚えんだぞ」

 

 ヒル魔先輩がプリントアウトしたパスルート表を後衛の雪光先輩、太郎、一応主務のセナに渡す。

 アップ、フェード、ジグアウト、ロングポスト、コーナー、カムバック、ポスト、スクエアーイン、スクエアーアウト、フック、スラント、クロス、ヒッチ、スライスイン、クイックアウト、ルックイン……と計16種のコースパターンがプリントに書き込まれている。

 これに悲鳴を上げるアメフト新人の後衛陣に、栗田先輩がフォローを入れる。

 

「ぜ、全部覚えなくていいんだよ。2、3個得意なルート練習して……」

 

「でも、アイシールドさんや長門君は当然全部覚えてるんでしょうね……」

 

「そりゃまあ、ノートルダム大のエースと東日本最強のスーパールーキーだからなぁ」

 

「流石! よーし頑張ろ!」

 

 これにズキズキと胸を痛そうにするセナ。期待が重かろう。頑張れ。

 

「長門も覚えてんのか?」

 

「ああ。頭でというか、体に叩き込まれた」

 

 中学の部活でまともにパスを受けられたのは俺だけだったから、ほぼマンツーマンでヒル魔先輩のパスを受けていた。その際に当然ルートコースを練習している。

 

 そして、後半が始まる。

 王城にリードする西武のオフェンスフォーメーションは、レシーバー四人をばらけて配置する『ショットガン』だ。

 その名の通り、散弾銃の弾の如く、レシーバーを雨霰と発射する、完璧パス重視の作戦。

 ラインバッカーひとりで四人のレシーバーをカバーすることは流石にできない。しかし、パスを投げるクォーターバックはひとり。

 ボールを投げさせる前に潰す――そうしたい王城ディフェンスだが西部のクォーターバックがまた一筋縄ではいかない。

 

(モーションが速い!)

 

 “速い”とされるクォーターバックの投球速度は0.5秒。対して、西部のクォーターバックが両手を交差させて投げるそのモーションは0.2秒ほどか。つまり倍以上のスピードで投げているという事になる。

 如何に強力なタックルと言えども、標的に届かなければ無意味。この止める術のない弾丸パスは、さらに驚異の正確性をもって敵陣の急所を貫く。

 この『ショットガン』の威力を究極に高める、まさに絶技。

 

「“最速”の守備の鬼・進清十郎ですら止められない、まさに“神速”のパス。『早撃ちのキッド』の異名に違わぬ実力だ」

 

 そして、あれだけ思い切って全速で投げられるのもレシーバーの鉄馬丈が必ずコース通りに走るという信頼があってのものだろう。あれはレシーバーを探す時間すら必要としていない。

 この二人の連携は、強い。

 

「しかし、あまり弛んでもらっては困るな王城」

 

「え?」

 

「西部が強いのは認める。だからって手抜きをされては、こちらが弱いと思われる」

 

 いつもよりも不満顔で吐かれた長門の発言に、セナが何故かあわあわするもきちんと根拠はあるのだ。

 最初は油断大敵で隙をついたとはいえ、泥門も22-0で前半リードしていた。

 それに長門としては、なぜ、進清十郎がオフェンスに出ないのかが疑問だ。

 王城は泥門とは違って、人数不足に悩まされるチームではない。進清十郎を守備だけに使うのは惜しいし、両面で出られるだけの能力は持ち合わせているはずだ。

 それを出さないのは、まだチーム全体が練度不足なのだろうが、

 

「俺は進清十郎を『デス・クライム』の目標としている。だから、そう無様な試合を見せられては困る」

 

 このぼやいた長門の気配に反応したものがふたりいた。それは王城の進清十郎と、西部のまだ控えのランニングバック――

 

 

 ~~~

 

 

 王城対西部は、後半、王城が逆転。21-20で、王城ホワイトナイツが春大会を優勝した。

 しかしその試合内容は、大会を制したものとは言えず、西部のエースレシーバー・鉄馬丈が途中退場していなければ、ワイルドガンマンズが勝っていたかもしれない、と評されるというもの。

 

「西部ワイルドガンマンズ、か。これは東京都の秋季大会を勝ち抜くのも厳しそうだ」

 

 試合を見終わり、帰る前に何人かの面子がトイレ休憩に離れたのを待っていた時だった。

 突然、前から突っ込んでくる影。それはヘルメットを被っているが、今、試合が終わったばかりの西部のユニフォームを着ていた。

 そして、伸ばそうとするその手の先に狙い定まっているのは、長門が左手に持った、飲みかけのペットボトル。

 

「これは新しいご挨拶だな」

 

 相手が曲がり(カット)を切るよりも早く、その長い腕で押さえる『スティフアーム』。

 しかしその小柄な影は、まだ前に加速しようとする。それにも反応する長門は『スティフアーム』で袖を掴んだまま、そのままスピンしながら引っ張って、強引に流し切った。

 

「ふーん、テクニックもあるのか」

 

「そういうお前はスピードがあるな」

 

「自信はあったんだけど、流石は東日本のナンバーワンルーキーか」

 

 ボールを見立てたペットボトルを奪い取れなかった。ワイルドガンマンズの選手はヘルメットを取る。

 身長は、セナよりも少し高いくらいか。背番号は29番。確か控えでベンチにいたが、その走りの速さを見るにレベルの高い、おそらくはランニングバックあたりの選手だろう。

 と、そこで長門の横にいたセナがいきなり声を上げる。

 

「あ――!!! 陸……!?」

 

「セナ!」

 

 あの控えめな少年が人に指差して驚いている。見れば、あちらもセナの顔を指差して驚いていた。

 

「何だ、知り合いかセナ?」

 

「知り合いも何も、セナの兄貴だよ」

 

「何と、セナ、兄貴がいたのか?」

 

「いやいやいや、一人っ子だけど」

 

 首を傾げてると、今度はそのセナの横にいた姉崎先輩が反応。

 

「もしかして……()っくん!?」

 

「『陸っくん』は勘弁してよまも姉。もう子供じゃないんだからさ」

 

 “まも姉”、それは幼馴染のセナがよく呼ぶ姉崎先輩への愛称だ。その呼び名一つで親しい関係というのはわかる。

 姉崎先輩が“陸っくん”と旧交を温めている間に、セナが説明する。

 

「陸とは小学生のころ2週間だけ同じクラスでさ。走り方を教えてもらったんだ」

 

 要するに兄貴分、ということなのだろう。

 昔、荷物運びをやらされていた小早川セナに喧嘩の必勝法として大事な『スピード』の出る走法を教えたのだそうだ。

 親の転勤で引っ越してしまったけれど、セナにとって爆速ダッシュの師匠である。……もっとも走り方を教わっても、セナはずっとパシリをやっていたのだそうだが。

 

「6年ぶりだね、陸……」

 

「ああ。まさかセナが泥門のアメフト部にいるとはな。今まも姉から聞いたよ。主務で頑張ってるんだろ」

 

 再会を喜び合う両者。……だが、ここで除け者にされて許容できるほど長門は寛容ではない。

 

「で、いきなり俺に突っ込んで、実力試しか?」

 

「ああ。突然で悪かったな。でも、王城ホワイトナイツの進清十郎と互角に渡り合った東日本のナンバーワンルーキー・長門村正がどんなものか直に肌で体験して見たくてね」

 

 なるほど。セナと同級生だったという事は、同じ一年生、ルーキーだ。

 こちらにセナに向けるのとは違う、好戦的な笑みを向ける。これは腕試しでは出さなかった奥の手をまだ持っているのだろう。

 

「俺は、甲斐谷陸。西部ワイルドガンマンズのエースランナーになる男。そして、長門村正から東日本ナンバーワンルーキーの座を奪い取る者だ」

 

「……。ナンバーワン()()()()なんて称号、欲しければくれてやる」

 

 対して、長門も静かに、闘志を秘めた不敵な笑みを返す。

 

「俺が狙うのは、東日本ナンバーワン、だ――泥門デビルバッツを関東大会で優勝させて、そう呼ばれるプレイヤーになってみせないと、西で待ってるアイツと対峙するに相応しい格にはならないからな」

 

「ふーん……だけど関東を制してクリスマスボウルに行くのは西部ワイルドガンマンズだ」

 

 王城を追い詰めた春季大会のダークホース・西部ワイルドガンマンズ。

 改めて思う。これは、相当レベルの高い地区大会になりそうだ。

 

 

 ~~~

 

 

 賊学カメレオンズに勝利。

 これにより、一勝ごとにアメフト部の施設増築という校長先生との約束事で、今度は、ロッカールームが建設されることになった。

 

 しかし、以前の部室のような改装工事ではなく、一から建てるのだから時間がかかる。

 

「よし人海戦術だ。テメーらも働け! ちょうどトレーニングになんじゃねぇか土木作業。基礎体力の鍛錬だ!」

 

 というわけで、基礎練にもなって建設期間も短縮できる一石二鳥の土木工事体験が練習前に行われることになった。

 

 鉄石をいくつも積んだ手押し車や重たい鉄柱を運搬するパワーの鍛錬。

 セメントの袋を工事現場前にせっせと積んでいくスピードの鍛錬。

 コンクリートの土台作りにセメントを捏ねるスタミナの鍛錬。

 あとサボった不良をしばいてくれる老け顔な若旦那による性根の鍛錬もある。

 

「基礎って辛いね……」

「基礎も良いけど早く長門に競り勝てる必殺キャッチとかの練習してぇなー」

 

 キャーキャーと黄色い声援が飛び交うグラウンドのサッカー部を見て言うセナと太郎。

 憧れる気持ちもわからんでもないが、

 

「どれだけ策を練ろうが、最後にモノ言うのは基礎だぞ、二人とも」

 

 基礎を抜いたら、すぐダメになる。最後まで倒れないで立っていられるのは、基礎をしっかりとやり込んだ者だ。

 

「泥門デビルバッツは、ほぼ攻守両面でプレイしなければならない少人数のチームだ。他のチームよりも大変だし、最高のパフォーマンスを最後までやり通すには、基礎ができてないと無理だ」

 

「長門君……」

 

「少なくとも俺は基礎を怠ったやつに負ける気はしない」

 

 そして、サッカー部の活動が終わり、グラウンドが空いたところで、アメフトの練習が始まる。

 前衛(ライン)組は、栗田先輩を先生として、ブロックやタックルの練習を行う。

 後衛(バックス)組は、ヒル魔先輩を先生として、ランやパスの練習を行う。

 教官役で天国と地獄だが、どちらも教えるのは基礎である。

 ラインは“ランの時は前に出て道をこじ開ける”、“パスの時は後ろに下がって投げてを守る”ことを教えており、バックスはパスルートについて実践している。

 

「……お前はいかなくていいのか」

 

「俺はもっと基礎鍛錬を積みますよ。対決してみてわかりましたが、進清十郎とはまだまだ基礎力で負けています。あの試合、最後までやり合ったら先に潰れていたのは俺の方でした」

 

 それを遠目で眺めながら、長門は引き続き工事手伝いを行っている。

 

「それに、武蔵先輩だけ一年生の指導ができないんじゃあ寂しいでしょう?」

 

「……ふん。ふざけたことを抜かしてないで手を動かせ」

 

 アメフト部ロッカールーム建設を取り仕切る武蔵工務店・その老け顔の若旦那こと武蔵厳先輩の指示の下、長門は肉体労働に励んだ。

 

 

 こうして、重労働と基礎練のスパルタが行われて三週間後に完成したロッカールーム。

 全員分の個室が用意された立派な部屋にて、部員の皆にヒル魔先輩が何気なく重大発表をした。

 

「再来週の月刊アメフト杯に申し込んだぞ」

 

 

 ~~~

 

 

 関東大会の真っ最中に行われるアメリカへの挑戦。

 地区予選を勝ち抜けなかったチームに、本場のアメリカフットボールと対戦する、誰もが思う無謀。

 

 そんなことは企画したスポマガ社月刊アメフト編集部側にもわかっている。

 時期的に応募数が少ない中でくじ引きをした結果、当選したのは取られ易いよう大きな紙を応募用紙にした泥門デビルバッツ……だったのだが、編集長は抽選などやらせであり、最初から対戦校は用意していた。

 弱小校が日本代表ではみっともない。『ピラミッド(ライン)』で有名な重量級チーム・太陽スフィンクスならば、アメリカ人の体格に対抗できる、と。

 その不正な決定をサイトに載せたその直後、月刊アメフト部編集へ一報が届けられた。

 

『あー、月刊アメフト編集部? 話題のアイシールド21を取材したかぁないかね?』

 

 

「あー! 村正君じゃないか。今日はアイシールド21と一緒に?」

 

「はい、熊袋さん。先輩より彼の世話役をまかされて……ほら、海外暮らしで日本の環境に不慣れですから彼。その点、俺は知り合いがいますしね。ああ、顔出しNGでお願いしますね」

 

 話題の有名人のマネージャーのように月刊アメフト編集部に応対するは長門村正。

 ご近所さんでもある村正君に、アメフト専門ライター・熊袋記者は手を叩いて歓迎する。

 謎めいたアイシールド21に世間は注目が集まっているけれど、熊袋は長門村正が日本を背負う選手になると期待していた。

 

「………!」

 

「申し訳ありません。彼が少しトイレに行きたいと」

 

 アイシールド21の彼が何やら耳打ちすると、通訳のように村正君が言う。

 それで早速、アイシールド21はいなくなってしまったが、その代わりとしても十分な選手を取材するチャンスである。村正君は、娘のリコに取材を任せっぱなしになっていたが、熊袋自身も話を聞いてみたかったところだ。

 

「村正君、君にも色々と訊きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

「ええ。構いませんよ、熊袋さん」

 

 

 しかし、このアイシールド21の緊急取材の翌日、とんでもない事件が発生した。

 

「メールできたぞ。“()()が月刊アメフト杯に出場決定”って。アメリカさんにも電話で挨拶しちゃったよ」

 

 そんなバカな!!

 しかし確かにメールを送っている。アメリカのNASA校にも『対戦相手は泥門』と既成事実が出来上がっている。

 どこで話がこじれたんだ!?

 

「……どういうことだ? 今日は月刊アメフト杯の打ち合わせではないのか? 余はそのつもりで来ているのだが」

 

 これにちょうどスポマガ社にきていた、太陽スフィンクスの選手たちが反応する。

 それにまた長門村正、栗田良寛を引き連れた泥門デビルバッツのヒル魔妖一があっけらかんと火種となるようなことを言う。

 

「いや出場すんのは泥門だ。テメーらはママんとこ帰んな」

「泥門なんて弱小が出て勝てる訳にーだろ!」

「日本の恥よ」

 

 太陽スフィンクスのラインマン・笠松新信とクォーターバック・原尾王成が言い返す。

 ヒル魔妖一は“しめた”と言わんばかりに口角を吊り上げて、

 

「ほほー! つまりテメーらは泥門(うち)より強いと?」

 

「当たりみーだ!!」

 

「なら試してみようじゃねーか。日本代表決定戦だ!!」

 

 売り言葉に買い言葉の応酬で、急遽、日本代表を賭けた泥門対太陽が決定した。

 

 

 ~~~

 

 

「すでにやる前から結果は知れてるようなものだ。泥門なんて弱小チームなど余らの相手にもならん。まあ、其方らのような下賤な連中に身の程を弁えさせるのも務めか」

 

「それはどうでしょうかね。太陽スフィンクスのプレイをみましたが、俺達はそう負けてないと思いますよ」

 

「なんだと?」

 

 ピクリと柳眉逆立てる原尾。それに気づきながらも長門の舌は、止まらない。止める気が、彼にはない。何故ならば、畏れる理由が、ないからだ。

 

「少なくとも王様気取りのあんたよりもうちの先輩の方が実力は上です」

 

 淡々と事実を告げるような文句に、原尾はブルブルと震え始めた。

 

「余に対してそのような口を……! 貴様、名を名乗れ!」

 

「泥門デビルバッツ一年生の長門村正です」

 

「一年だと……ああ、そういえば、長門村正というのには聞き覚えがある」

 

 顎に指をやりながら、見下すように原尾は、

 

「確か、“東日本ナンバーワンルーキー”などとそこなアメフト誌に書かれておったな。しかしどうやらそれは過大な評のようだ。くっ、何事も誇大に書いて世を騒がしたい、そんな低俗なものの記事なのだろうな」

 

「正直、俺もいきなり東日本ナンバーワンルーキーなどと取り上げられて驚いてもいるんですが……熊袋さんの目が曇っていないことを証明するために、その評に違わぬものと試合で見せますよ」

 

 独り言のような呟きだった。

 それが原尾には余計に、挑発的に聞こえた。

 

「……よかろう。身の程を弁える必要性を、たっぷりと試合で教えてやる。そうだな、10プレイ以内に泥門を戦意喪失させてな」

 

 そこで、それまで沈黙を保っていた大男、太陽スフィンクスのラインマン・番場衛。太陽スフィンクスが誇るこの日本屈指の重戦士が追従するように、重い口を開いて宣告する。

 

「10プレイは長すぎる。1プレイで十分だ」

 

 

 ~~~

 

 

「汝らに問う。朝は22本足、昼は22本足、夜も22本足。倒れる事なき11戦士。そのチームの名は?」

『――太陽スフィンクス!!』

 

 

 ~~~

 

 

 ライン。

 そこは地上で最も過酷な9m。チームの壁となる最強戦士、ラインマンたちの闘技場。

 彼らはボールに触れない。勝利への道を走るのは彼らではない。だが彼らこそ勝利への道を切り開くのだ。

 

 アメフトにおいて、勝敗の大きなカギを握るポジションであるライン。神奈川の強豪太陽スフィンクスは、ラインに超重量級選手をずらりと揃えた大型チームだ。

 スクワットの高校記録保持者である番場衛を中心とした屈強なライン陣は、不動の巨体で山形に壁を築き、中の王に指一本触れさせない。

 この彼らの姿は『ピラミッドライン』と呼ばれ、全国にその異名を轟かせている。

 

 県立太陽高校、通称砂漠グラウンドにて行われる、アメリカ戦出場権をかけた日本代表決定戦。

 太陽スフィンクスVS泥門デビルバッツの試合が始まる。

 

「SET! HUT!」

 

 先攻は、太陽。

 番場からスナップされたボールを受け取った太陽スフィンクスの司令塔・原尾は、王家の風格を漂わせる社長令息。そのパス成功率は、54%。

 

「この超ヘビー級ライン崩さなきゃ勝ち目はねぇんだ! 死ぬ気で突っ込め!」

 

 向こうの司令官・ヒル魔妖一が、泥門ライン陣を叱咤する。

 しかし、原尾は、まるで見せつけるかのように手に持ったボールを高々と掲げたまま、視線を走らせる。

 

「しーしし軽い軽い! やっぱてみーらチンカスだ!」

「クッソ……」

 

 パスの命とも言える、投手を守るためのパス壁。脆く壊れやすく、普通はもって3秒と言ったところだが、『ピラミッドライン』はモノが違う。番場、笠松らの強大な人間の壁を崩せるものなどどこにもいない。

 いつかレシーバーが空くのをゆるりと待って、パスを回すだけのこと。これぞ我が太陽スフィンクスの、無敵の攻撃パターン――

 

「ラインはパスを投げも捕りもできない。だが、パスを通すのはラインなのだ!」

 

 ライン勝負は太陽が圧倒して、泥門のラインマン5人全員を青天、仰向けにひっくり返した。

 それから余裕で投じた原尾からのパスをキャッチしたのは、太陽のフルバック・多古田雄高。

 

「よーし、独走! このまま――」

 

 ――その前に、それは一瞬で現れた。

 

 空手の達人が使える技術の中に、いつ間合いを詰めたか相手の感覚に察知させない『縮地』というものがある。

 通常踏み込む為には溜めがいる。後ろに体重をかけて、思い切り蹴るのが、キレのいいダッシュだが、それでは“起こり”が見えてしまう。

 その相手に気取られる溜めを作らずに重力を利用してスタートを切る。正確には重心から地面までの位置エネルギーを斜め下に解放して、前方への推力を得る。

 膝を抜く。ただつっかえを外すだけなので、極端に起こりがわかりにくく、これに地面を蹴る力をスムーズに加えたり、足を大きく開いたり、後ろ足を前に持ってくるだけでかなりの距離を稼げる。

 この重力利用による瞬間的な初動の速さは、侍なメジャーリーガーなどの一流スポーツ選手も行っている。

 

「ケケケケケ、そこは糞カタナの制空圏だ」

 

 原尾が“抜けた”と思って投げたレシーバーに、泥門のラインバッカー・長門は即座に追いついた。

 そして、貫いた。

 

 

「ぐがああああ!!」

 

 

 長門村正の『スピアタックル』。高身長・長腕脚な分、最後の一歩分の急加速は本家をも上回る、そして、指先一本でも止めてみせる力は、穂先に止まっただけでトンボを真っ二つにした切れ味を誇る。まさしく東国無双の“槍”、『蜻蛉切』。

 

『泥門ボール!』

 

 太陽ランナーが落としたボールを素早く、泥門セーフティに入っているアイシールド21が回収した。

 

 

 ~~~

 

 

「あれしきのタックルでボールを取り零しただと!? 何をしている! 手を抜いているのか!」

 

「む……無理です、俺。ボール、持ってられません」

 

 ガタガタと震える多古田。

 たった一度のタックルを食らっただけで、戦意喪失しかけるほどの威力に、番場は目を瞠る。

 今、この光景に静かに思い出すは、苦汁を舐めさせられた神奈川県の春大会決勝。

 第四クォーター途中、最後の最後に出場し、これまでの第一、二、三クォーターの倍以上の点を付けて太陽スフィンクスを圧倒した金剛阿含という存在。それが重なる。

 

 ドクン……。

 1プレイで思い知った。

 長門村正は、“東日本ナンバーワンルーキー”の記事は誇張でも何でもなく、紛れもない超人であると。

 

 

 ~~~

 

 

「後衛は俺達に任せて、ラインはガンガン太陽の『ピラミッドライン』に挑んでください」

 

「長門君……」

 

「栗田先輩、この3ヶ月後には、太陽を含む関東全チームを倒していくんです。それに、ここで全国屈指の太陽のラインに勝てば、大会で通用すると証明できます。大吉もここで押し合えてこそ、本物のラインマンだ」

 

「フゴッ」

 

「十文字、黒木、戸叶、お前らも負けっ放しは趣味じゃないんだろ?」

 

「ハッ! わかってんだよ、今度は俺達がアイツらの度肝を抜いてやる。あの地獄の特訓の成果を見せてやらあ!」

 

 やはり、この泥門対太陽戦は、ラインがカギとなる。前回試合した賊学とは格の違う『ピラミッドライン』を破らないとスフィンクスに勝利は難しい。

 しかし、開幕で青天を食らって呑まれかけたライン陣の目を覚まさせた。

 ヒル魔はこの勢いにさらに火を点けるよう激を飛ばす。

 

「今は青天上等だ! アホみてーにぶつかっていけ!」



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8話

 囲碁の定石の中に、『村正の妖刀』なるものがある。

 その由来は、数多のプロ棋士がこの戦法には難しい変化が幾つもあり、“一手間違えれば自分が痛手を被ることになる”ということからそう名付けられたのだ。

 

 ……碁とは違うが、かつて将棋界に超攻撃的な打ち方をする者がいた。

 彼はチェスに転向しても、その攻めの姿勢を崩さず日本アマチュア界で頂点に立つ。

 しかし、プロを目指して世界選出するも本場との激しいレベル差に、受け身一方のスタイルへと転換。でも勝利のために持ち味をなくしたその男はほとんど勝利できないまま帰国して引退する――。

 その日本で頂点に立った蛭魔棋士の得意としていた超攻撃的スタイルは、『悪魔の妖刀』と呼ばれていた。

 

 

 T G C G T――+TE。

 『パワーオフタックル』、という戦術。

 作戦名から想像がつくと思うが、力勝負。まんま“パワー”とも呼ばれることがある。

 基本、5人のラインマンはセンター1人、その左右にガードが2人、そして、外側両サイドにタックルが2人。

 オフタックルは、一番外側のタックルのさらに外側を走り抜けんとするコースだ。

 

 エースランナーにとってこのプレーで最も重要なのは、ブロッカーとの連携。

 クォーターバックからプレーコールが出されたとき、最低でも5通りのラインをイメージする。その中で、ブロッカーとブロックしやすいようタイミングとランコースを取る。

 コースが空いていなければ自力で走路をこじ開ける手段もあるが、それは我がチームのランニングバックには無茶である。

 工事現場での基礎トレで、ベンチプレス40kgに成長したけど、全国屈指のラインマンに体当たり勝負をさせるのは余りに無謀。岩石に紙飛行機をぶつけるような結果にしかならない。……当人も悪魔的な司令官からその可能性を示唆されただけでガクブルとしたし(武者震いに非ず)。

 

「道を切り開くのが、俺の役目だ」

 

 コースを前線が確保(ブロック)しなければ、オフタックルは成立しない。

 それも相手ディフェンス後衛のラインバッカーの動き次第でブロックの押し出すベクトルを変える臨機応変性も求められる。

 そして、一方のサイドに数的優位を作り出すために配置されるのが、何でも屋のタイトエンドだ。

 

「調子に乗んじゃにーよ! 今度はてみーを青天喰らわしてやる!」

 

 デビルバッツのタイトエンド・長門村正がマッチアップすると思われるスフィンクスのアウトサイドのラインマン、タックル・笠松新信。

 身長179cm、体重116kg、そして、ベンチプレスは100kgの太陽鉄壁ラインの一角。

 スフィンクスの中でも上位の実力者プレイヤーが、開幕早々、こちらのプレイを潰してくれた長門にメンチを切っている。が、

 

「十文字、やる気は良いが、突っ込み過ぎだ。あんな大股で踏み出して、押し合いは腕の突っ張り合いじゃないぞ。全身でのぶちかまし合いだ。そのケツを引っ叩いて、体に叩き込んだのをもう忘れたか」

 

 それを無視して、隣に並んだチームメイトへ再確認もとい説教する

 

「“歩幅は小刻みに”、“姿勢は低く”、そして、“尻を突き出す”。それから」

 

「“ブロッカーを押す時は手の底で相手の脇を押し上げる”だろ!?言われなくてもわかってらァ!」

 

 喧嘩した太陽スフィンクス相手にボロ負けした不良三兄弟に、“勝ち方”をこの最近奴隷にした賊学連中と一緒に長門は教え込んでいる。

 必殺技とも称されるスーパープレーだけで試合は成立しない。普通のプレイを普通に決めることが必要不可欠だ。と、

 

「おい無視すんじゃにーよ!!」

 

「はぁ、五月蠅いな。ついでに口臭も乳臭い。どこの方言か知らんが、あまり口汚いと審判に注意されるぞ」

 

「てみー……! チンカスの分際で舐めた口叩きやがって……!」

 

 こめかみに青筋浮かぶ笠松新信は意地の悪い口調で、

 

「一人加わったところで、てみらー泥門のチンカスラインは敵じゃにーんだ! こっちが初っ端で全員青天にしたのを見ちんだろ!」

 

 パンケーキブロック。日本では、青天というラインでの押し合いで負けて、仰向けに引っ繰り返されること。ラインマンにとって最大の屈辱。相手が笑うのも無理はなく、太陽校の観客たちも泥門のラインは雑魚だと笑い者にしている。

 即刻黙らせて、そんな空気を断ち切ったが。

 

「最初から、アンタら『ピラミッドライン』の相手になるとは思ってない。特に番場衛選手は強い、全国屈指の一流プレイヤーだろうな。完璧に場の空気に呑まれていたとはいえ、栗田先輩を倒すとは流石だ。対峙することがあれば胸を借りるつもりで挑ませてもらおう」

 

「しっしし!! チンカスにも格の違いがわかるみちーだな! それに対しててみーらの雑魚センターは、あんなデカい体してなっさけない。試合開始直後に青天はに~~だろ~~」

 

「栗田先輩は良くも悪くも仲間によってモチベーションが左右される人だ。……正直、3人が揃っていた中学時代の方が()()()()

 

 それでも、こうしてラインマンが5人揃っている。夢を誓った大事な仲間を埋め合わせるにはまだ足りない、あの人たちの結束に代用品などないのだろうが、新しい後輩たちを率いるものとしての自覚が奮い立たせてくれる。

 

「でも、栗田先輩のポテンシャルは、番場衛にも負けていないと信じている。むしろ、俺の方があんたらにあまり泥門を舐めるなと言いたいところだ」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 僕は長門君みたく器用じゃないから、パワーで圧倒しないと!

 5人揃ったんだ。小結君、十文字君、黒木君、戸叶君、彼らを笑い者になんかさせないためにも、『ピラミッドライン』を倒すんだ!

 

「ぬ……っ!」

 

 初回のプレーとは顔つきが違う。そして、プレッシャーが違う。

 身長195cm、体重145kg、ベンチプレス160kg――数値上では198cm、体重140kg、ベンチプレス140kgの番場と体格は互角……パワーでは若干上回られている。

 栗田と組み合った番場は、グラウンドを踏み締める己の脚が、()()()と地面を擦らせているという事態に目を瞠る。

 

 

 中央の接戦と離れた外側で、笠松新信は、体勢を低く前傾させ――

 

「てみーをぶっ潰してサックを食らわせて、今度はこっちが攻撃権交代しちやる! しーーししし!!」

 

 母校(ホーム)のグラウンドに敷かれた熱砂を踏み締めながら――長門に向かって、全速全力で突撃。それは、はたから見れば、単なる普通の体当たりにしか見えないが、しかし、そこに感じる気迫はケタ違いだ。

 巨大な塊。

 岩のような巨体の塊が、突っ込んでくる。

 長門の背後には、アイシールド21がいる。クォーターバックからボールを回されたランニングバックを、マッチアップした長門ごと圧し潰さんばかりの、それは特攻だった。笠松の体当たりを長門が躱せば、勢い余った笠松はそのまま、アイシールド21の華奢で身軽な体を吹き飛ばすに違いない。

 いいや。

 それが彼の狙いなのだ。

 

「ふう――」

 

 だとしても。

 それなかったとしても、長門村正には、相手タックルを避ける気はなかった。

 力尽く。

 そう、ヒル魔先輩より、正面から挑んでくる相手を、ただ単純に、正面から受け止め、倒してこい――“純粋で文句のつけようのない力勝負で格付けして来い”と注文を付けられた。

 

「――おおおおおおおおおおおっ!」

 

 猛り轟く咆哮。

 笠松新信の巨体が、その腕を前に微動だにせず。

 その脇の部分を、左右大きく開いた手でがっちりと掴んで、太陽で番場衛に次ぐラインマン・笠松新信の体当たりを、止めていた。足指のスパイクも、熱砂の地面をがっちりと掴んでいる。

 

 太陽スフィンクスの選手たちはデータを知らないから無理がないが、高校入学してから最初に計測した重量挙げの記録で、番場衛と同じベンチプレス140kgの長門。

 王城戦の後でより力を入れて基礎鍛錬した成果で、より逞しくなっていたその四肢がメギィと太く硬く膨らんで――

 

「にぃ!?」

 

 長門村正は――そのまま力任せに、笠松新信の巨体を持ち上げた。

 強靭な四肢の腕力と脚力、そして握力――何より筋力。純粋なパワーでもって、笠松新信の巨体を、天に掲げるようにかち上げた。

 

 観衆は静まり返る。

 笠松の脚が地面から離れたことはもちろん、そもそも笠松のタックルが止められるはずがないと思っていたのだろう。だから、誰もが固唾を呑んで、目を大きくしてその光景を凝視する。

 そんな中、ヒル魔妖一だけが笑みを浮かべる。

 

「ケケケケ、何を驚いてやがる。たりめーの結果だ。その糞カタナは小賢しいテクニックなんて使わなくても、その糞鍛えた身体スペックだけで、既に十分に強ぇんだよ。糞カッパが勝ってるのは横に広いガタイと体重、デブなとこくらいだ」

 

「だっ……らああああああああっ!」

 

 そんなヒル魔の呟きをかき消すように、長門は獣のように咆哮する。咆哮しながら、相手ブロッカーの巨体を地面に叩きつけた。

 

 

 ピラミッドをも切り開いた『妖刀』。

 その大きく開けられた走路を通り抜ける影は、アイシールド21。

 

「行かせるな! 潰せえええ!」

 

 相手ディフェンスが飛び掛かろうとするが、それを阻む一枚の盾。

 

「フゴッ!」

 

 オフタックルの中でも『パワーオフタックル』と呼ばれるプレイは、タイトエンドが参加して数的優位となって余裕ができた前線を一時外れて逆サイドより周り込んだガードがリードブロックに参加する。

 その小さな体ですばしっこく動きながら、強烈なタックルをぶつけるパワーのある泥門ラインマン・ガードの小結大吉。それがアイシールド21を潰そうとする相手ラインバッカーを押さえつけた。

 阻む壁がまた一枚減った。他のラインバッカーたちが囲んで潰そうとするが、キレ味鋭い爆速ダッシュはそれを躱し、結局アイシールド21をどうにか、止められたのは、深めに守っていたセーフティだった。

 ワンプレイで一気に連続攻撃権ファーストダウンを獲得するほどのヤードを稼ぐ泥門。

 

 この攻守それぞれのワンプレイで、デビルバッツが容易ならぬ相手だということを、太陽は理解せざるを得なくなった。

 

 

 ~~~

 

 

「これは、予想外だ……」

 

 アメリカ戦出場を賭けた今回の試合にて、熊袋記者が書いた記事の月刊アメフト誌の見出しは、『話題のノートルダムヒーロー・アイシールド21が、日本最重量ラインに挑む!!』だった。

 そして、下馬評では神奈川トップクラスの太陽が9割方勝つと思われている。スフィンクスの日本最重量ラインを破らない限り、デビルバッツに勝ち目はない。熊袋自身も、“今までの泥門なら”、ラインの力でゴリ押しして太陽が勝つと思っていた。

 素人チームである泥門だがその分だけ成長幅が大きく、短期間で化けることもありうるも、新メンバーが加入したのだとしても、まさか圧倒的優位だと思われていた『ピラミッドライン』が一角とはいえ破られたなんて……。

 全国でも有名なタックル・笠松新信が青天を食らって、ひっくり返ったまま動けないでいるが、ショックは試合をしている者たちだけでなく観戦している側にも大きい。

 

 

「い……一回だけじゃにーーか! 次はこっちがてみーをぶっ潰してやる!」

 

「いいや、残念なことに、俺の持ち場は変更だ」

 

「にぃ?」

 

 太陽スフィンクスのラインマンたちは見逃していたが、長門村正は、さっきいたはずの最前線ラインから僅かに下がっていた。

 長門村正がひとり走って、中央へ。太陽のセンター・番場は視界に横入りするプレイヤーに危機感を覚える。

 

(まずい。今ので太陽ディフェンスは外側のゾーンに重点を置いて配置している)

 

 だが、ポジションについて今更、スフィンクスの選手が長門村正を追ってはいけない。

 さっきの外回りを攻める泥門の『パワーオフタックル』、『ピラミッドライン』をぶち抜いた長門村正とあのアイシールドの凄まじいランプレイを早速警戒して、太陽の守備陣は外側へと寄っている。

 あのパワープレイを布石としてこちらは急所を晒されたのだ。

 

 アメフトのオフェンスはプレーを開始する前に、1秒以上全員が静止しなければならない。そしてその後、センターがボールをスナップする瞬間から動き始めることができる。

 ボールをスナップする前にオフェンスの選手が動いてしまうと、フォルス・スタートという反則を取られてしまう。

 

 ただし、最前線以外に位置する後衛のオフェンス選手の中でひとりだけ、スナップの瞬間、静止することなく、架空の攻守陣地境界線(スクリメージライン)に平行か後方に移動することがルール上で認められている。

 それが、この『インモーション』だ。

 

「ど真ん中ぶち破りやがれ!!」

 

 アメフトは作戦がパワーを爆発させる――

 太陽スフィンクスが外側にディフェンスを散らすことができたのも、不動の守護神こと番場衛という存在があるからだろう。

 しかし、空気の変わった泥門デビルバッツのラインマン、栗田良寛はその番場をしても力だけで押し切れる壁ではなかった。

 そして、あの“怪物”長門村正は、番場以外ではひとりで相手するのは無理だ。

 

「ふんぬらば!!」

 

 

 ~~~

 

 

「……すまなかった。泥門の壁如き力だけで押し切れると思っていた。すべての技で捻じ伏せてやる」

 

 今度は中央を破って、泥門連続でファーストダウン獲得。

 しかし、これによって太陽スフィンクスは完全に目が覚めた。

 

 

「! ワキを……」

 

 太陽センター・番場が身体を沈めてから相手の泥門センター・栗田の脇に肘を入れて、その日本高校生スクワット最高記録のパワーでもって払い飛ばした。

 番場衛はパワーだけではない。強くて巧い。

 番場の突撃に、泥門クォーターバック・ヒル魔は思い切りパス前にラインマンに潰されるサックを食らう。

 

(……でも、今のは無理に投げ捨てなくて正解だ。一番大事なのはボールの確保)

 

 熊袋の持つデータブックでスフィンクスのクォーターバック・原尾は、生涯一度もサックを食らったことがない。その強力な壁に守られた温室育ちの投手に対して、これまでセンター以外は素人のハリボテの壁を破られてきた極寒環境をしのいできた投手が、デビルバッツ・クォーターバックのヒル魔妖一。

 強力な『妖刀』があっても一人でカバーし切れるほど『ピラミッドライン』は甘くはなく、その攻めの姿勢は時に痛手を被る時はあるのだ。

 

 いつもサックと闘ってきた。そうならざるを得なかった。だから瞬時に対応できる。

 ボールを守るべき時。

 躱して投げられる時。

 

 過酷な環境が生んだ動く砲台、移動型のクォーターバックだ。

 

 アイシールド21への渡したフリ。エースランナーの目にも留まらぬ速さでもって太陽のディフェンス後衛を攪乱。

 

「しーーししし!! もらった!! 今度は俺がサックしてやる!」

 

 スフィンクスのタックル・笠松が十文字を倒して迫るが、ヒル魔は“問題ない”と判断。

 

 やはり、番場以外はデカいだけのバカだ。

 サックをしようとするタックルを躱しながら、逆サイドを走るアイシールド21の囮に釣られ、空いた太陽の守備陣の隙間に走り込むスラントを敢行する80番のレシーバーへ投じられたパスが成功する。

 

「うおおすげー!! あのクォーターバック!!」

 

「………」

 

 歓声を聴いてワイドレシーバー・雷門太郎、何故かキャッチしたボールを頭上に掲げる。

 当然そんな隙だらけは相手に狙われるわけで。

 

「このド阿呆モン太! 格好つけてる暇があったら走れ!」

 

「す、すまねぇ! つい……」

 

 そこへタックルを食らってボールを零しかける寸前で割って入るは、今度は中央で止まらず、雷門太郎のいる逆サイドにまで一気に『インモーション』した長門村正。パスキャッチしたレシーバーを潰そうと迫る太陽ディフェンスをひとりで二人を一手にブロックする。

 

「汚名挽回ダーッシュ!」

 

「おい、汚名を挽回されるのは困るぞ。返上してくれ」

 

 ボールを持った雷門太郎が走って、更にヤード数を稼いで、またも連続攻撃権を獲得する。

 

 

 爆速ランのアイシールド21、ゴールデンルーキーの長門村正、臨機応変に動ける司令塔・ヒル魔妖一、それから新加入のレシーバーの雷門太郎。

 見たところ、後衛は泥門デビルバッツが、強豪太陽スフィンクスを圧倒している。

 前衛のライン勝負では正面からぶつかり合えば力負けするだろうけど、『インモーション』を利用した変幻自在のブロックの割り当てでもって互角に渡り合っている。

 

 安定を誇る太陽のラインが混乱。

 さながら統治された王朝に仇なし、何代にもわたって将軍が忌避した妖刀伝説のよう。

 

 

 ~~~

 

 

 あ゛~~暑ぢ……

 

 泥門の前衛で相手になっているのは、あくまで栗田と長門、それからあの豆タンクくらいだ。

 十文字達はしがみついてブロックするが、結局倒されている。数秒の時間は稼げてるけどそれまでだ。

 青天されて、グラウンドに仰向けに倒れたまま視界に入るのは、真っ青な空。

 おかげで客の笑いが耳に入んなくなった。劣勢になってるのがわかってるのか向こうの応援は盛り上げようとより過熱して、やられっ放しのこっちを槍玉に挙げて嘲笑する。

 そんな吊し上げられることも、ここまで恥かいたら今更何度倒されても構わないと思えるようになった。

 認めざるを得ないが、最初の宣言通り長門が後ろにいる限り、大怪我となる前にこちらの失敗を処理(フォロー)される。

 

 だが、このまま太陽の連中に勝っても、それは自分達の勝ちにはならない。これじゃあ、長門村正という男の引き立て役のまま終わってしまう。

 認められるかそんなもん! 俺達が先に買った喧嘩だ、俺達が勝つ――!

 

「よーし、糞デブと糞カタナが十分に印象付いた頃合いだな。おい、糞三兄弟、今ならいけるぞ。あの技だ」

 

 賊学の連中を30人斬りする地獄の特訓『生傷の輪(ブルーザー・リング)』。一人を取り囲み、様々な方角から襲い掛かる、必然的に生傷だらけになることから名づけられた練習法。

 そこで身に着けた、太陽に勝つための技。

 他が印象付いているから、『ピラミッドライン』は思いっきりぶちかましてくる。その相手のパワーを利用する。

 

 認める。

 コイツらの方がパワーは上だ。俺たちに長門のようなパワーはない。だかな……

 

「にぃ!? 袖引っ張……」

 

 激突の刹那――敵が突っ込んでくるその瞬間、十文字達泥門のラインはビンと袖を掴み、斜めに踏み込んで、引き倒す。

 

「負けっ放しは――趣味じゃねぇんだ!!」

 

 これまで『ピラミッドライン』に倒されていた十文字、黒木、戸叶、修羅場の中で習得した『不良殺法』で笠松ら太陽ラインを倒した。

 

「ぶち抜け、アイシールド21!」

 

 崩された牙城の間を黄金の脚で一気に駆け抜けた泥門のエースランナー。

 縦に抜かされれば捕まえるものはこのフィールド上にはおらず、ゴールラインまで走り切った。

 

「――タッチダーゥウン!!」

 

 

 ~~~

 

 

「な・に・をやってる!!」

 

 太陽の司令塔・原尾が、泥門に先取点を許した守備陣に、ドリンクの容器を握り潰すほどに歯軋りさせる。

 『ピラミッドライン』でも阻めない? ふざけるな!

 

 追加点のチャンスにキックを選択した泥門はそれを失敗して、太陽に攻撃権が移る。

 すぐにでも点を取り返してこのムードを断ち切らんと原尾はオフェンスのライン陣へ喝を入れた。

 

「よいか! 余の前に道を作れ。それがお前達の仕事だ」

 

 最初のプレイに失態はなかった。

 あれは自分のパスをキャッチしたボールを取られたレシーバーの責。その多古田は、相手のラインバッカーの88番……長門村正を見て、息を呑んでいる。杭を深く挿し射抜かれたようにあのタックルの衝撃がまだ胸の奥にあるのだろう。ならば、それ以外のレシーバーを、今度こそ確実に安全圏に出るのを待つ。

 『ピラミッドライン』は、盤石。真正面でぶつかれば破れるものなどいない――

 

 しかし、泥門はより注意深くパスを投げ込もうとするクォーターバック・原尾を挑発するかのような守備を取って来た。

 

「っ」

 

 あんなあからさまに……! 余を舐めているのか。

 長門村正の体勢は、こちらから見ても重心が前に傾いている。隠す気など毛頭ない前傾姿勢だ。

 後方の守りを放棄し、パスをされる前に発射台の投手を潰す、ギャンブルな一発奪取の電撃突撃(ブリッツ)を狙っている。

 

 攻撃は最大の防御とばかりに、ディフェンス時にも強気な守り。いや、攻めだ。

 これまでのプレイで泥門がライン勝負で張り合える、すなわち得点を取られようが攻撃で挽回できると思われているからリスクを背負ったパス守備が敷けているのだ。

 最悪、パスを通されようとも、最終防衛戦を敷くセーフティにはこのフィールドで誰よりも速いアイシールドが控えている。

 

 しかし、『ピラミッドライン』を侮っている。

 これまで公式記録でこの原尾が一度もサックを食らったことがないことから明らかなように、太陽のパス壁はそう易々と崩せるものではないのだ。

 

「SET! HUT!」

 

 センター・番場からボールをスナップされ、ラインが衝突するその間際、それは囁くように言う。

 

「さあ、もう一度炸裂してやれ、『不良殺法』」

 

 うっ……!!

 その単語に、そして、また肩口の袖を狙って伸ばしてくる十文字達の腕、先程その技を食らった笠松らスフィンクスのラインマンが組み合いを避けるよう、重心が後ろへ下がった。

 ――しかし、迫る相手の手は肩ではなく、その僅か下の脇へと差し込まれた。

 

「そうだ。不良殺法を駆け引きの材料に基礎ラッシュを繰り出せば、その威力はさらに高まる」

 

 先程のプレイで袖を引っ張られることが脳裏にチラついて、その重心が僅かに下がる。そこを狙って、手の底で脇を押し上げるように――!

 

「しまっ……!」

 

 体格と筋力差で勝っていようとも、重心が後ろにある体勢は、押し合いには相当不利な状態。その実力差さえも覆してしまいかねないほどに。

 

 再び、『ピラミッドライン』が倒された。

 今度は、押し合いで。

 ――そして、牙城が崩れて、『妖刀』が“王”の前で妖しく煌く。

 

「原尾――!!」

 

 栗田と組み合っていた番場が、相手に真正面に固定されたその視界の隅を横切った影に叫ぶ。しかし、遅い。

 すでにその刃は喉元に達している。

 

 

「やはり、遅い」

 

 相手からタックルを食らったことがないという事は、すなわちタックルを処理する経験が不足している。

 パス壁が破られてもまだボールを頭上に掲げていて無防備な相手クォーターバックを見て、この確信を深めた長門村正は、一息に仕留めた。

 温室育ちの投手は、『妖刀』の一太刀でもって刈り取られる。

 

 

「がっ――――」

 

 一撃。その一撃に、太陽スフィンクスの王の如き司令塔は地に伏し、玉たるボールは奪取される。

 原尾を倒した長門はそのまま単騎でさらに奥へと攻め入り、大量のヤード数を稼いで攻撃権交代。

 

 そして、泥門のオフェンス。先程と同じように、デビルバッツはアイシールドのランと80番のレシーバーのパスを使って攻め込んで、二度目のタッチダウンを決め、この試合の形勢を決定づけていく。

 

 その後、始まった太陽スフィンクスのオフェンスであったが……。

 

「また突っ込んできたぞ!」

 

 長門村正がブリッツ――すると見せかけて、中央の守備ゾーンに踏み止まる。

 今度は、フェイント。長門は自分のゾーンをしっかり守ったまま突っ込まない。

 

「クッ……!」

 

 しかし、原尾はパスを中断してしまう。

 切れ味鋭い『妖刀』の突撃という鬼札を、毎回切る必要はない。ただその威力を体に切り刻むだけで十分だった。

 “来るかもしれない”、とそう思わせるだけで、これまでのように悠然とレシーバーを探せる余裕はなくなってしまう。そして、その常のリズムが崩れたクォータバックはパス回しを委縮して、ミスを犯す。

 

「名誉返上キャッチMA――X!!」

 

「名誉は返上されては困るぞ、モン太」

 

 泥門のコーナーバックに入っている80番雷門太郎が、原尾の甘いパスをキャッチ。インターセプトを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門のオフェンスは、アイシールドのランと、80番のパスのほぼ二択。ランはラインさえ負けなきゃそうそう長距離はぶち抜かれないっしょ。それで80番さえ押さえれば泥門にパスは無くなるはず』

 

 前衛で互角、後衛で負けている太陽は秘密兵器のコーナーバックを投入することを決めた。

 櫓の頂点からカメラを回している主務からの報告より、これまで泥門は80番にしかパスを投げていない。

 それを潰せれば、泥門の攻撃を止め、この流れを断ち切ることができるはずだ。

 

「ヒュウ~~! ついに俺の出番かあ!」

 

 太陽スフィンクスのコーナーバック・鎌車ケン。

 まだ一年だが、もう実戦に出しても問題はないはず。春大会での神龍寺戦に敗れた試合も、この太陽のナンバーワンルーキーである鎌車が仕上がっていれば善戦できたはずだ。

 

 古代エジプトは、ピラミッドだけではない。

 戦車文明も発達していたのだ。そして、この身長184cm、体重93kg、ベンチプレス85kgの重量級コーナバックはまさにその“戦車”なのだ。

 

「本当ならあっちの先輩たちをやった同じ一年の88番を潰したかったが、ここはテメーに“戦車”を思い知らせてやる」

 

 小柄で素早い人の方が適性があるといわれるコーナーバックで、重量級。

 そして、密着してマークする相手コーナバックに、泥門のレシーバー・雷門太郎は警戒するよう目を細める。

 

「そっちが何をしてくっか大体読めたぜ。つーか、こんな近いマークじゃやることは一つっきゃねえもんな」

 

 相手レシーバーに密着して攻撃。腕ずくでキャッチ体勢に入らせない――バンプだ。

 

「――『戦車バンプ』!!」

「ああ、そう来ると思ってたぜ!」

 

 プレイ直後に突き出したバンプを腕で払って、直撃は避ける雷門太郎。

 

 入部当初より練習項目がバンプのみという、異例の扱いを受けてきたレシーバー殺しの鎌車。己のパワーでもってパスを止めると馬鹿の一つ覚えで磨きをかけてきたバンプテクニックに、初見で対処されるという事態。

 

『太郎……いや、モン太、お前にセナのように躱す術はないし、栗田先輩のようにパワー勝負できるほど腕っぷしに自信があるわけではない。だが、それで構わない。モン太のポジション、ワイドレシーバーは、ラインのように密集地帯でぶつかり合って勝負するんじゃなくて、広いフィールドを縦横無尽に駆けて、キャッチする。たとえバンプで押し負けようがそんなの無視して、さっさと駆けあがれ。広い外野こそがその背番号80を付けた偉大な名選手の庭だったんだろう?』

「――ああ、出るんだ……俺の庭に!」

 

 高い壁との激突を恐れず、広い外野のフィールドを一人で制したキャッチの達人がいた。

 

「させるか! 鎌戦車アタック!!」

「ぅぐふ」

 

 背後より肘打ちのバンプを貰うも、雷門太郎は走った。広い庭へと。

 

「ヒュ~ゥ、これでキャッチできな……なあっ!?」

 

 スピードやパワー勝負で負けても構わない。何で負けたって構わない。

 でも、キャッチだけは、負けられない。

 この三次元の戦いを制するのは、デカさでも足の速さでもなく、只管に練習、地味だがこれを積み重ねてこれた者だ。年月とともに積んだ練習量にだけ、キャッチの神様は笑ってくれる。

 

 体勢を崩しながらも、一度捕えたボールは逃さないその執念でもって、雷門太郎はヒル魔妖一からのロングパスを両手でがっちり挟んで確捕し、タッチダウンを決めた。

 

「ほぼ毎日勝負してっけど、改めて長門がとんでもないヤツだってのがわかった。それでも俺はキャッチの達人になるために日本中……いや世界中の全部の後衛(バックス)にキャッチで競り勝ってやらなきゃなんねーんだ!!」

 

 野球少年だった雷門太郎は、日々の長門村正との勝負『デスクライム』の中で、他のスポーツでは完璧反則な、格闘球技アメリカンフットボールならではの正当なラフプレーの経験値を獲得し、順応していた。

 身近に存分に挑める壁がある。このバンプ一点に絞った特化選手よりもさらに強烈な、息の根を止めかねないどつきを容赦なくかましてくる相手と競り合ってきたのだ。

 いつかそいつにもキャッチで勝ってみせると目標を立てて。

 

 

「ここで殺るぞ、糞カタナ」

 

 秘密兵器の鎌車を投入しても、泥門のレシーバーを止めることができない。そこに加えて、三度目のトライフォーポイント。

 

「SET! HUT!」

 

 センター・栗田から投じられたボールをキャッチしたアイシールドが、助走をつけたキッカー代行のヒル魔の前にボールを立てる。――フリをして、自らボールを抱え込んで走って、ゴールラインを狙う。

 

「そうはさせにー!」

 

 これまでの二本のキック失敗はこの奇襲のための囮だったのか。が、逸早くそのフェイントに察知した太陽のタックル・笠松がアイシールドの走路をその巨体でもって塞ごうとする。――しかし、その寸前に、くるりと背を向けたアイシールドが後ろへ返すようにボールをトス。

 受け取ったのは、投手ヒル魔。そして、泥門にはアイシールド21の爆走ランの他に、雷門太郎のパスキャッチがある。

 

「しかし、80番には鎌車をマークにつかせている!」

 

 さっきのロングパスによる広い空中戦では負けたが、トライフォーポイントは力がものを言う密集地帯での競り合いだ。パワーも、背の高さも勝っている鎌車なら雷門太郎へのパスもカットできるはず。

 

「ケケケ、忘れてねぇか、タイトエンドはラインブロックしかできないヤツじゃねーんだぞ」

 

 ラインマンたちにパスを受ける資格はないが、同じ最前線、その一番端に位置するエンドポジションにつくプレイヤーはボールを持ったプレイが許される。

 タイトエンドの仕事はブロックだけではない、そのガタイを活かした密集地帯でのショートパスもまたそうだ。

 

 タックル・笠松新信はアイシールドのランに釣られ、コーナーバック・鎌車ケンは雷門太郎をマンマークで警戒している。

 

 こうして相手チームのエース級のプレイヤーが外側に散らされた状況、そう誘導された中で、88番長門村正は、ラインの押し合いには参加せず、ゴールラインの奥中央へと走り込んで――跳ぶ。

 

 なんだ、この高さ……は……!?

 

 太陽後衛のラインバッカーたちが反応したが、そのセンター・番場が必死に伸ばした手の指先にすら掠らせないヒル魔の高弾道のスパルタパスは、パスカットなど不可能な次元にあった。

 ならば跳ばせないと。相手を三人で囲むが、それすらも撥ね退ける強靭なボディバランス。

 

 麻黄中学時代、万を超えるパスを投げ、それを受けてきたヒル魔妖一と長門村正のホットラインは、西部ワイルドガンマンズのキッドと鉄馬丈にも劣らず、また未だに公式戦でパス失敗をしたことがない。

 

「タッチダーゥン!!」

 

 着地を決めて、追加点を獲得する。

 これで、20-0の泥門が太陽に大量リードして前半戦を終えた。

 

 

 ~~~

 

 

「なにが……どうなってる……?」

 

 泥門には慣れないグラウンドに気候、太陽有利の条件が整っている中で、20点差もつけている泥門。

 試合開始前は二回戦負けの弱小チームと侮っていたはずなのに、こちらが予想、いや予定していた展開と現実はまさに逆転していた。

 

 アイシールドのラン、80番のキャッチ、ブロックだけでなくパスもできる長門村正。そして、この三枚のカードを巧みに操る悪魔の司令塔。

 アメリカンフットボールは確かにラインがカギであるが、だがラインだけでは勝てない。

 この苛烈なオフェンスに対応できるだけの能力は、今の太陽スフィンクスの後衛にはなかった。

 

 また、前衛も。長門村正がパスプレイをするという事はブロックから抜けることになるがそれでも今の勢いづいた泥門ラインはそう簡単に止められない。特に中心の重戦士・栗田良寛は、太陽の守護神・番場をしてもパワーだけなら上であると認めざるを得ない重圧を持っていた。

 

 

『泥門デビルバァッツ! 日本代表決定―――!!』

 

 そして、助っ人の連中が後半にバテてきて穴が空いたところを突かれ失点を許してしまうが、それでも最も警戒すべきプレイヤーである長門村正は終始スタミナ切れを起こすことなくプレーをし続けた。試合は、泥門デビルバッツが下馬評を覆して、神奈川の強豪・太陽スフィンクスに大差をつけて勝利。なんと超重量の強豪チームを相手にジャイアントキリングを達成させたのであった。



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9話

 相模湾に浮かぶ決戦の小島、江ノ島フットボールフィールドで行われる春季関東大会の準決勝。王城ホワイトナイツVS神龍寺ナーガ。

 大会8連覇の“神”に、神にだけ破れ続けてきた無冠の“王”。

 打倒神龍寺を目標にしてきた王城と、関東大会で無敗神話を築く神龍寺との決戦。

 

 ちょうど試合をした同日に『月刊アメフト杯』の出場を賭けて行われた泥門と太陽の試合が、前座としかならないほどの注目度。試合を見に来た者たちの大半は、この事実上の関東大会決勝を観戦する“ついで”であったに違いない。

 当然、デビルバッツもまた試合が終わった後に直行した。

 

 試合の方は、残念なことに注目していたプレイヤーのひとりである金剛阿含は出場しなかった。生でそのプレイを拝見しておきたかったのだが仕方がない。

 それでも東日本の覇者は強かった。

 太陽と比べれば体格に劣るものの、最重量のラインよりも“重い”ライン。

 相手のパスを悉くインターセプトするバック走の達人にして関東最強のコーナバック・細川一休。

 王城も進清十郎を軸に奮戦するも、その進清十郎がいない外へとパスを散らす神龍寺クォーターバック・金剛雲水の指揮の下で、着実に点を獲っていく。

 

 それで、プレイを勉強するとは違う意味で注目していた選手がひとり。

 

 

 ~~~

 

 

『あ、あのですね。アイシールドさんから伝言が……』

 

 入院していた病院に、あの日試合した泥門の学生たちが見舞いに来た。

 ひとりは主務の人で、もうひとりは春大会の二回戦で見なかった新部員。……あの88番、長門村正はいない。

 言伝を預かっている泥門の主務が言うには、『会えば気まずい。すでに庄司監督より謝罪は頂いているし、怪我をさせたのはこちらの方。だから、見舞いに行ったのに怪我人に気に病まれても困る』とのこと。

 

 わかっている。あれがわざとじゃないのは。

 うっかりフィールドに入ったのは自分だ。大体わざとぶつかって自分を潰すメリットはない。むしろリスクの方が大きかった。桜庭春人がいなくても、王城の戦力は少しも落ちないだろうし、逆に泥門は自分のせいで足を負傷した長門村正が途中退場してしまったために戦力はガタ落ちした。

 申し訳ない。本当に申し訳ないことをした。

 王城は試合に逆転勝利をしたものの、それは“長門村正がいなくなったから”という苦い後味が残るものだった。あの進も“あのままあの男が出場していれば二回戦で敗退した可能性がないとは否定できない”と認めている。

 

 だから、ファンの子たちが口々に“王城のエース桜庭春人を負傷させた”と彼を批難批判するような文句を聴く度に罪悪感に苛まれたし、すぐにそれは止めてほしいとお願いもした。

 

 勝手なヒーロー像がひとり歩きする。

 その重圧を分かるものなんて、そういない。

 “ヒーロー”なんて買い被られて期待されて、正直迷惑だ。うんざりしている。……本気で一度、アメフトを辞めようかとも考えたけど、ここでアメフトを辞めたなんてことになったら、あの試合で負った怪我が原因なのではないかと憶測が飛び交い、また彼の迷惑になってしまう。そう考えたら、できなかった。

 そんなどこにもぶつけようのない鬱屈としたものを抱えていた自分は、ついかっと言ってしまった。

 この泥門に新しく入った部員に、八つ当たりのように。

 

『俺だって、王城のエースになりたい! 本物のヒーローになりたかった! それでも凡人に生まれた男は勤勉な天才にどうやっても敵わないんだ!』

 

 だから、やめておけ。

 割り切って、自分は才能がないと受け入れて、その身に相応な立ち位置で満足しろ。そうでないと比較されて辛い思いをするだけだ。

 もう、どうしても、天才・進から王城のエースの座を勝ち取ることを諦めきれないでいる、そんな風になる前に新部員に“忠告”した。

 ……いや、“努力する天才には勝てない”、そうあの進と同じ人種であろう長門村正と、同学年のチームメイトで、“勝ってみせる”と宣言した彼……かつて無知だった桜庭春人へ、心の猛りをぶつけた――

 それを新部員は、カッとなってそれ以上の声で言い返した。

 

『やいやいやい! なんだよそれ! ヒーロー扱いが迷惑? 天才には敵わない? えーーい、見損なった! 師匠どころかヘタレだっ!! ヘタレ! ヘタレレシーバー! 略してヘタレシーバー! いいか、俺はヘタレシーバーにはならない! 絶対に長門に勝ってみせる! キャッチだけは誰にも負けられねぇんだ!』

 

 その後、病院で大きな声で騒いだ彼らは怖い婦長さんに追い出されてしまった。

 

 

「レ……レベルが違う」

 

 退院してから間もなくだがこの神龍寺戦に出してもらえた。

 でも、この天才たちの戦いは、自分なんかが立ち入れる領域ではない。

 

「そんなんわからんやろ!!」

 

 車いすの少年、虎吉……病院で知り合った、自分がヘタレシーバーだと知っても応援するのをやめなかった自分のファンの子からの声援もむなしく、今日の試合、桜庭は相手コーナバックの一休に全くレシーバーの仕事をさせてもらえなかった。

 試合も3-41で、王城は負けた。あの百年に一度の天才・金剛阿含が出場せずに。

 

「見とれ神龍寺!! 今日のは桜庭が病み上がりだからや! 秋には余裕で倒したるわアホー!! 神龍寺のアホー! ヘタレー!!」

 

 負けて悔しい、実際に試合した桜庭よりも相手にならないと馬鹿にされたのにカンカンになってくれる虎吉――へ突然、鋭いパスが投げ込まれた。

 

「え……?」

 

 車いす……足の怪我で医者からすぐに走れることはできないと宣告されている虎吉にそのボールを避けることはできない。

 ――危ない。

 

 その時、ほとんど反射的に、病み上がりの試合で疲れた身体が今日一番の動きで、そのボールをキャッチした……泥門の新部員と一緒に。

 

「「ん?」」

 

 それと、虎吉が乗っていた車いすを、あの時の主務が押して、瞬時にその場から避難していて。

 

「ボール投げは、アメフト選手限定の挨拶にしてほしい。まったく大人げないな、あの天才様は」

 

 すっと桜庭がキャッチしたボールを取って、彼は投げ返した。

 ボール籠を持つ、神龍寺のコーナーバック・一休の下へ。

 ふわっとした回転数がほとんどない、さっきの鋭いものとは真逆の、“優しい”パスを、籠を抱えながら一休が片手で捕る。

 そのまま神龍寺は何も反応なく、グラウンドを立ち去ってしまう。その謝罪のない対応に、泥門の新部員が怒って、主務の子が必死に抑えている。

 そして、

 

「怪我、治ったようだな、桜庭春人」

 

 長門村正が、前に立つ。

 自分のような高身長で、進ともやり合える実力……桜庭にとって望んだ理想像に限りなく近い男。

 視界に入るだけで息を呑む存在感。

 

「それで、病み上がりに訊くには遠慮しておきたいところだが……“関東最強”と当たってどうだった?」

 

「え?」

 

 罵詈雑言が飛び出すかと身構えていた桜庭は、その質問に呆けてしまう。反応が芳しくないこちらに彼はまた訊ねる。

 

「あんたもナンバーワンレシーバーになるつもりなんだろ。だったら、あの関東最強のコーナーバックは超えるべき壁なんじゃないかと思ったんだが、違ったか?」

 

 それは蒙が啓く言葉だった。

 わかりやすい。自分の中だけで勝手に進と比べたりするのとは違う。天才・一休を倒すことで己を証明してみせる、という考えは。

 

「それと、アメフトなんてスポーツに怪我は付き物だ。勝手にフィールドに入ったアンタが九割方悪いと思うがな。すでに完治したのだからそう長い事、それを引きずられては逆に迷惑だ。負けたのは悔しいがな」

 

 チクチクと嫌味を交えながら、彼は最後に、車いすの虎吉をちらりと見てから、

 

「いずれにしても俺はあの程度の怪我でアメフトを諦めることはないし、これ以上気に病むのならそれは“この俺を侮っている”と受け取るぞ」

 

 侮って、いる?

 この天才を? 進と同じ勤勉な天才をか――そんなはずがあるわけがない。幾度となく諦めかけようとも、結局は天才に勝ちたいと望んできたのだから。

 

 桜庭は、吹っ切れたように宣言する。

 

「怪我の件は、すまなかった。……謝罪も監督任せで遅れたことは、礼を失していた」

 

「しょうがない。アイドルなんだしな。その辺の事情もあるんだろう?」

 

「いいや。――だけど、秋には王城が優勝するよ。強くなるって約束した。だから、一休、そして、長門村正を倒す」

 

「くっ……」

 

 こちらの目を見て、かすかに笑みをこぼす彼は、自分に、いや王城へと言い返した。

 

「ならば、ここは、幼馴染の言葉を借りてこう言い返そうか。――いいや、勝つのは俺だ。秋大会を優勝して、クリスマスボウルに行くのは、泥門デビルバッツだ」

 

 

 秋季大会は、夏休みを挟んで一ヶ月後。

 全国大会決勝(クリスマスボウル)に行けるのはあくまで秋の優勝校。時代はもう本番へ向け、動き出している。

 

 

 ~~~

 

 

 神奈川県の強豪・太陽スフィンクスに勝利してその翌日にアメリカのNASAエイリアンズとの試合『月刊アメフト杯』……があったはずなのだが、それは延期された。

 どうやらあちらのアポロ監督が日本行きをドタキャンしてしまったらしい。それも“梅雨でジメジメしてるのがイヤだ”とかいうふざけた理由で。

 

「ほほ~~面白ェ。デビルバッツ相手にそういう態度が通じると思ってる奴がいたとはねぇ」

 

 当然、そんな真似を許すはずがないのが、ヒル魔先輩だ。

 実戦。今の泥門に負けて失うプライドなどないのだから、とにかく実戦を積んでいくのが方針となっているのだから、せっかく勝ち取ったこの機会を逃す気などない。

 すぐさま映画の撮影開始(クランクイン)

 “デビルバッツの宣伝用ビデオ”などと説明されたが……そんな言葉のままに受け取ってはいけないことは後輩としての経験則で承知している。

 モン太はわざわざ派手な衣装に着替えて撮影に臨むくらいの全力姿勢(でも、編集で使われるのはおそらくチョイ役)

 雪光先輩にバトル漫画の太陽拳の真似事をさせたり、大吉とハァハァ三兄弟と喧嘩させるように煽ったり、ケルベロスの脱糞や、栗田先輩のヒッププレス、アイシールド21(セナ)の全力疾走、長門もまた置かれた氷板を手刀で木端に叩き割るという映像を撮られたりして、他にも猿とニワトリを姉崎先輩がビデオカメラで撮影してきたそうだが、最後は何故かフライドチキンを皆で食べる食事の光景まで撮られた。

 

 でこれらの撮影映像をお馴染みの脅迫手帳で奴隷と化しているコンピューター研をこき使ってその日のうちにヒル魔先輩の指示の下で編集させて、NASA校のアポロ監督の下へその“デビルバッツの宣伝用ビデオ”を送りつけた。

 

 この結果……

 

『いいだろう。お望み通り来月ぶちのめしてやる。新聞にコメント送っとけ。エイリアンズは10点差以上で圧勝しなけりゃ! 二度とアメリカの地は踏まんとな!!』

 

 なんて青筋立ててる顔が頭に浮かびそうな返答が月刊アメフトの編集部に入って、この売り言葉に対して先輩は嬉々として、オークションでさらに値段をつり上げるようにこんな買い言葉を吐いてくれた。

 

「面白ェ、デビルバッツは10点差以上で圧勝しなけりゃ全員日本から即日退去!」

 

 とアメフト部全員分のパスポートが用意されて、本気でアメリカチームに圧勝しなければ日本国とお別れさせる気満々。

 日本に住み続けたいのなら、翌日から延長されて来月開催となった『月刊アメフト杯』まで死ぬ気で練習しろとのこと。

 

 

「――細川一休相手に空中戦を挑みたかったら、俺のバック走で音を上げるようでは話にならんぞモン太!」

 

「ムキーッ! 今日こそ長門相手にキャッチで競り勝ってやる!」

 

 急に切り返して方向転換するパスコースで、パスキャッチを試みたモン太であったが、長身長門は縦にも長いが、横にも長い。僅かに反応が遅れてもすぐに取り返せる。

 通った――と思ったその瞬間に差し込まれたその長い腕が、モン太の大きな手に収まるはずだったボールをパンチングで弾き飛ばした。

 

「畜生!」

 

「モン太、“空中戦はにらめっこ”だ。バック走しながらコーナバックはレシーバーの動きだけでなくその表情も観察している。今のプレイ、切り返す直前にモン太の表情が揺らいだ。細川一休ならばそれを見逃さないだろうな」

 

 しかし、このモン太のキャッチにかける執念は長門をしても手を抜けない。

 この『デス・クライム』で一勝もさせていないが、負ければ負けるほど強くなっていく。

 重量級コーナーバック・鎌車ケンのバンプへの対処もそうだが、あの太陽戦では他にも、キャッチしたボールを頭上に掲げる阿呆な真似をしたが、それ以外ではとられる前に素早くボールを懐に抱え込んで確保していた。きっとこれは、『リーチ&プル』でキャッチ後にボールを払われたことを反省してのことだろう。

 あとタッチダウンを決めた後は指を天に差し向けるポーズを取るが、これは単に格好つけである。

 

 

「フゴフゴーッ!!」

 

「これは、中々……!」

 

 肘で下からかち上げる『リップ』をすでに我が物にした大吉が繰り出したのは、二段式の『リップ』。左腕でかち上げる前に、右腕からのラリアットを入れるという『リップ』を連続で叩きこんでくる技だ。

 大吉にしては珍しい、荒っぽい喧嘩殺法だ。おそらくは最近加入し、不良殺法なんて必殺技を披露した、十文字、黒木、戸叶らに影響されたのか。

 この波状攻撃でもって長身を生かした『スイム』に潰されるのを防ぎながら、どつきかまそうとするが、長門の肉体はそう易々とは崩れない。

 そして、一度押さえ込んでから、さらに重心移動でもって圧す力を増加させる長門が春休みの温泉街で習得した妙技。それを組み合った肌と肌から感じ取った、また物真似の模倣が得意な長門村正の観察眼でもって、“さらに押し込もうと一度相手の重心が僅かに後ろへ下がった気配”を察し、その瞬間に繰り出して――一気に倒した。

 

「大吉、ラインマンは体格と力だけで勝てる世界じゃない。己の力を限界まで振り絞らせる体技も必要であるし、また現代のラインマンには、連携も重要だ」

 

 太陽戦で日本最重量の『ピラミッドライン』へ変幻自在のブロックの割り当てでもってどうにか食らいつけて行けたように。

 が、大吉にそう助言をしたのだが、十文字、黒木、戸叶の3人とは喧嘩ばかりしている。この辺りは前途多難だ。栗田先輩のリーダーシップでまとめてくれることを期待するしかない。

 

 

 石蹴りもアメフトの曲がり(カット)と一緒だ。

 踏み切り位置まで足をばたつかせてブレーキするからスピードが落ちる。――ならば、ギリギリまでは全力疾走して、最後の一歩だけ急に歩幅を縮めて、一歩で踏み切る!!

 

「行くよ、長門君――!」

 

「むっ」

 

 スピードを緩めずに真っ向から突っ込んでくるアイシールド21の姿が二重にブレる。

 これはまだ熟練度は甘いが、“ブレーキをしない悪魔の走り”ができてきている。力強い走りには適性がないものの、セナは身軽な分、曲がり(カット)の際の脚への負担が少ない。超人的な爆速ダッシュでああも急激に切り返せるのに彼の体格は適していた。“スピードが重要”と彼の兄貴分の甲斐谷陸が指示した足の使い方も忠実に守っているしその点に口出しする余地は自分にはない。

 とはいえ、減速しないで切る曲がり幅がまだ少ないため、長いリーチの腕で捕えられたが、確かにこれは武器になる。あの進清十郎にも通じるほどの。

 

「今日も抜けなかったかぁ……」

 

「セナ。明日からはひとつレベルを上げて、ジグザグに石蹴りしてみろ」

 

「ジグザグ……?」

 

「ああ、それが難なくできるころになれば、天然物のチェンジ・オブ・ペースが活かせるランができるようになってるはずだ」

 

 あまり自覚はないようだが、セナの黄金の脚が見せる走りは驚異的だ。

 そう、自覚がない……小早川セナは半ば本能的に走っていると言ってもいい。だから、このわずかに片側に重心を傾けてしまうフェイントに引っかかってしまう。以前、種明かしをしてわかっていてもだ。

 この癖を改善させるには……と長門は顎に手をやり考えてから、

 

「……それから、もうひとつ、余裕があればだが、朝練のメニューに一つ加えておきたいものがある」

 

「え、それはなにかな?」

 

「あとで案内するが、この泥門校の近くに孟蓮宗というお寺がある。まあ、栗田先輩の実家だ。あそこには石段があるんだが、早朝とはいえ人も通るし、高さも不規則なんだ。簡易的な『ヘルタワー』みたいなもんだが、その石段を30分間往復する」

 

 ただし、と長門が意味ありげに付け加える。

 

「一段抜かしは禁止。全部の段をきっちり踏むこと。そして、昇るときも降りるときもぴったり同じ所要時間で、だ」

 

「ぴったり同じ?」

 

「そうだ。ただ、別に全速で走れとは言わない。行きと帰りの所要時間さえ同じなら、ゆっくりでも別に構わない」

 

 そういって、長門は部の備品のひとつである古いアナログ式のストップウォッチをセナに放る。

 

「昇るときのタイムに合わせるか、降りるときのタイムに合わせるかは自由だ。ストップウォッチがあれば、ぴったり同じ時間で往復できるだろ?」

 

 まったく同じタイムで石段を往復することに何の意味があるのか。一種の禅問答じみているが、この石段昇降は思考訓練である。

 孟蓮宗の石段。不規則な段差と途中に足休めのための踊り場が設けられているのでこれだけでも走りのペースは乱されるのだ。それだけでなく、風に乗って菓子パンの袋やスポーツ新聞など思わぬ物が飛んでくることもあるし、寺の人間がこの階段を行き来することがあるのでぶつからないようにもしなければいけない。

 その中で“往復ともに同じタイム”で昇り降りするのは難しいのだ。パシリで培ったスキルだけでは対応できないだろう。

 常に障害物と足元に注意を払いつつ、予想外の場所から現れた人や物を回避する。それでいて、一定のタイムを保つ。そんな走りができるようになるのには、ただ走行コースに沿って進むだけではダメなのだ。一足一足ごとにルートを修正していくくらいの気持ちでないと段差を踏み外したり、人や物に激突したりする。

 

(目から脳へ、脳から筋肉へ電気信号(インパルス)が伝わる時間――つまり“見てから動くまで”のリアクションタイムを神龍寺の金剛阿含は、極限の0.11秒。0.10秒以下は科学的に不可能とされているのだから百年に一度の天才という肩書きにも納得はできる。でも、努力で天賦の才に少しでも迫ることはできる)

 

 状況を瞬時に判断しながら、走る。考えてから動くのではなく、脳と脚とのタイムラグを限りなくゼロに近づける。長門も昔、呑んだくれの師に課されてあの孟蓮宗の石段を往復しながら、そんな咄嗟の判断力、神経を養っていた。

 

「自分でその意味を考える『デス・クライム』でもあるからその詳細な解説を語ることはできないが、できればやってみてくれ、セナ。きっとこれは進清十郎に勝つための要素のひとつになるだろうからな」

 

 アイシールドのヘルメットがこくんとわずかに頷き、手の中のストップウォッチを握り締める。

 長門は明日からの朝のマラソンコースに孟蓮宗の石段に寄ることを決めた。きっと彼がいるだろうから。

 

 

 ~~~

 

 

 そんなNASA戦に向けて、練習に励んでいたある日。

 ひとりランニングコースを駆け抜け終わった長門は、新しくできた犬小屋(太陽戦での報酬)にてケルベロスのエサやりをしていた老け顔の若頭こと武蔵先輩と世間話(ヒル魔先輩のエイリアンズに圧勝できなければ国外追放を主に)しているとセナが息を切らして駆けこんだ。

 

「誰か2人! PK戦に出て……あ、長門君、お願い!」

 

「うん?」

 

 部活のランニングをサボって何をしていたのかわからないが切羽詰まった様子。とりあえず所望している人間は二人なので、暇そうにしている武蔵先輩と一緒にグラウンドに向かうと、そこでは同じく部活サボりのモン太がいて、あと昨日道場破りに来たモミアゲが特徴的なスマート男・佐々木コータローがいた。

 そして、サッカー部の連中が横列並んで待ち構えている。

 

「とりあえず、セナ、状況説明を頼む」

 

「えっとね……」

 

 このボーナスキック成功率100%を誇る現在ナンバーワンキッカーの佐々木コータローによって、この泥門に『60ヤードマグナム』という都市伝説があるのを知ってしまったセナとモン太。

 

『すげー! 泥門にそんなキッカーいたんだな』

『なんで辞めちゃったんだろ……。ケンカ別れ?』

『昔のことはもういいじゃねーか。俺らでコッソリ頼み込んで戻ってきてもらおうぜ!』

『そうだよね。ムサシさんが戻ってきたら皆だって嬉しいよね』

『だよな。あ、長門、ムサシ先輩って、どんな人なんだ? 良かったら教えてくれよ』

 

『はあ? 何を言ってるんだお前ら』

 

 ――そこの看板が目に入らないのか、と言葉を続けながらちょうど部室の横で犬小屋を建設していた工務店の“武蔵”と銘を打った看板を指さそうとしたところで、背中に銃口を突き付けられた。

 ヒル魔先輩である。

 その武蔵先輩の存在は姉崎先輩ともども“チビ共に教えたらややこしいことになる”とヒル魔先輩に口封じされていたが……

 

「………つまり、あそこのサッカー部の(ムロ)サトシこと“ムサシ先輩”に、アメフト部へ戻ってきてもらうために、このグラウンドの占有権を賭けた5人制のPK勝負に勝たないといけないことで、いいか?」

 

「うん!」

 

 うん、余計にややこしくなってないかこれ。

 つい長門はひとり離れたところでケルベロスに構っている武蔵先輩を見てしまうのだが、話が聴こえているのか聴こえてないのか当の“ムサシ先輩”は知らんぷりだ。

 

「……一応、訊くが、あのサッカー部が“ムサシ先輩”という根拠は?」

 

「図書館で生徒年鑑を見ても、ヒル魔さんや栗田さんと同じ二年生に“ムサシ”と言う人はいなかったし」

 

 まあ、あの人は武蔵(たけくら)だからな。

 

「それであだ名かもしれないって思ったんだ」

 

「そこで見つけたのが、コイツ、室サトシだ。ほら、()()()でムサシってあだ名になりそうだろ?」

 

 これは思ってもなかった発想力である。

 ついでにその生徒年鑑には『前のクラブは喧嘩して辞めた』と書かれていたのだそうだ。

 

「な、間違いねーだろ、長門!」

 

「ははは……」

 

 自信満々なモン太。セナもこくこくと頷いてる。もうこの二人はあれを“ムサシ”と思い込んでいるようだ。

 でその“ムサシ”が前の部活をバカにするようなことをぼやいたのを聞いてカチンときて勝負になったと。

 

「はあ。こんな他所のチームの事情に首を突っ込むとは、よっぽどお人好しなのか暇なのか、盤戸スパイダーズのキッカー・佐々木コータロー」

 

「キッチリ白黒決着つけないとスッキリしねぇ。それに、あんな仲間の夢を踏みにじるスマートじゃないヤツに、ナンバーワンキッカーを名乗らせねぇぜ!」

 

 ビシッと髪型を櫛で梳かし整えながら燃え上がる佐々木コータロー。

 義憤に駆られる感情的な性質なのだろう。寡黙で己が為すべき仕事を全うする武蔵先輩とは対照的のようで、根本的な部分は似通っている。

 

「とにかく、サッカー部とのPKに勝たないといけないんだな?」

 

 

 こうして始まったサッカー部とのPK戦。

 

「大丈夫!! 全部俺が捕りゃ負けねぇよ」

 

 そう豪語するのはキーパー役を買って出たキャッチの達人・モン太。

 こちらに会話して余所見をしてる隙を不意打って、サッカー部一番手がシュートしてきたが、それをあっさりと捕ってみせる。

 

「おぅし俺もスマートなとこ見せてやるぜ」

 

 こちらのアメフト部キッカー一番手は、佐々木コータロー。きっちり隅に決めてくるキックコントロールで枠に入れてきた。

 

「うおースマートだぜ!!」

「スゴいなんか格好良い!」

 

「……俺ってばキーパー人生も良かったかもしんねぇ」

 

 サッカー部二番手のキッカーのシュートもモン太はキャッチ。

 

(確かにすごいキャッチの反応だが、しかし……)

 

 そして、長門がアメフト部二番手のキッカーに入る。

 

「(佐々木コータロー。トライフォーポイントのボーナスキックの成功率100%の極めて精度の高いキック。……お手本にするなら、荒っぽい大砲キックよりもこっちの方だろうな)――と」

 

 それは先程一番手で蹴った佐々木コータローと瓜二つのシュートフォームで、蹴られたボールもポストに当たったものの見事にゴール隅に決まった。

 

「今のキック、まさか……」

 

「手本にしてもらいました。と言っても、完全に貴方のスマートなキックを再現できたわけじゃないですけど」

 

 これで、2-0。

 しかし、そこでサッカー部は雷門太郎がアメフト部のレシーバーであることを知ると、三番手キッカー室サトシはカーブをかけたシュートを放ってきた。それが何とあっさり決まってしまう。

 

「ムキャ~~曲がった!!」

 

「やっぱりだ。カーブのキャッチ経験はねぇだろ。味方の親切パスとはワケが違うんだよ」

 

 やはり、か。

 

「弱点を突かれたな」

 

「え、弱点?」

 

「ほら、野球のノックでもイレギュラーバウンドがあっても打球は真っ直ぐに飛ぶ。それを何万回と捕球してきたモン太は、自然と直線の軌道に反応が鋭くなった。そのせいか、むしろ素人より変化球には弱い」

 

 その後、アメフト部三番手キッカー小早川セナが、その俊足を生かしたフェイントで翻弄し続けるが、これはPKなので最初からボールを蹴る位置は決まっているのでほとんど意味がなく、むしろフェイントに駆け回り過ぎたのでバテた。キックもポーンと弱々しい山なりを描いて、キーパー役の室サトシの手に収まった。

 まさに骨折り損である。

 

「あーまたカーブだ!!」

「うおぅ何やってんだよ! 最初のスーパーキャッチはどうしたよ!」

 

「専門のキーパーじゃないんだから仕方がない」

 

 それから、サッカー部四番手キッカーが再び曲がるよう回転をかけたシュートで、アメフト部ゴールキーパーよりゴールを奪う。

 これで、2-2で並ばれた。

 またアメフト部四番手モン太はキックもまた暴投級のコントロールのようで、ゴール枠から外れあらぬ方向に蹴ったサッカボールは飛んで行った。どうやらサッカーキーパーの適性はないようだ。

 こうして、最後。

 

「モン太。キーパー交代だ」

 

「長門、俺……」

 

「わかってる。モンタがバナナシュートに弱いのは」

 

「ムキャ! 俺は猿じゃねぇぞ!」

 

「そういう意味で言ったんじゃないからな。いいから、この勝負を負けるわけにはいかないんだろ?」

 

「おう、ムサシ先輩に戻ってきてもらうために、それに負けたらグラウンドの占有権をサッカー部に取られちまうからな」

 

 渋々ながらもキーパーグローブを脱いで、こちらに渡すモン太。

 

「おい、サッカー部。キーパー交代だが、構わないな」

 

「おー、いいぜ。好きにしな」

 

 とそこで室サトシに、サッカー部一番手のキッカーだった、かつてアメフト部入部試験『ヘルタワー』に参加したことのある一年生が耳打ちする。

 

「(室さん、あいつ、アメフト部のヤバいヤツっすよ! 賊学の番長をワンパンKOした)」

 

「はっ。どうせ、曲がるボールに慣れてないアメフト部の連中なんだろ。どいつも一緒だ」

 

 確かに、モン太と同じようにこちらも曲がった球を得意とは言えない。中学時代にスパルタなレーザーパスを、万を超える回数受けてきたのだ。

 しかし、同じように大砲キックを阻まんと毎日挑んだ。あれと比べれば、どの球も迫力不足。

 

「しつこくカ~ブ!」

 

 サッカー部五番手のサッカー部部長がボールを蹴ろうと助走をつけた時に、僅かに重心を左に傾ける。

 

 ボールをキャッチするのではない。

 これからくるのはシュートされたボールとは思わず、カットを切って逃げようとするプレイヤーが持ったボールというイメージに置き換える。

 

 アメフトの守備でも、敵の頭や目線のみを追えば必ずフェイントに釣られる。だから、腹やボールを見据えるのは守備の技巧のひとつだ。

 

(ほぼ毎日、セナの爆速ランを捕まえてれば“曲がり”に強くなるもんだ)

 

 こちらの誘導通りに、シュートボールは弧を描いて右側へと――そんな甘い曲がり方を許さぬと、素早く反応した長門がその手刀を伸ばす。

 ゴールポストギリギリに入るはずだったサッカーボールをその指先だけで弾く。

 

「よし、これで首の皮一枚繋がったな」

 

「すごい長門君!」

「おおぅ! スゲェ今のシュートを止めちまうとは!」

「むぅ~、悔しいがまだまだ長門の方が上か」

 

「――無効だ! 今のはそっちの反則だ!」

 

 アメフト部の面々とハイタッチしていたら、避難が飛んだ。

 声高に叫ぶのは、室サトシ。

 

「サッカーのルールを知らないのかアメフト部。PK戦が始まった後にキーパーの途中交代は認められねぇんだよ」

 

「なんだと?」

 

「だから、そっちの反則で不戦勝、今のPKはこっちの点だ」

 

「なっ、長門君のキーパー交代はそっちも認めたじゃないですか!」

 

「は~あ、そうだったかなあァ? 生憎覚えてねぇし、それに俺が認めたっつう証拠でもあんのか? 録音テープでも出されたら謝ってやんよ」

 

「テメェ、長門が止めたからって今更そんないちゃもんつけやがるとは!」

 

「あ! はーー! 何とでも言え! これでグラウンドいただきだ!」

 

 これにはサッカー部の連中もひくほどひどい態度だが、撤回する気はない模様。

 ここで点を入れられなかったら、2-2のままだからサッカー部の勝ちは消滅する。そんなのは認められない、だから室サトシは難癖をつけてきたんだろう。それにしてもこの横紙破りはないだろうが。

 

「なんっつうヤツだ。あの大してスマートじゃない足といい、ホントにあいつがムサシなのか?」

 

「そりゃ全然違います、佐々木コータロー。アメフト部デビルバッツの武蔵先輩じゃないですから」

 

「え?」

 

 いい加減にこんな茶番は終わらせてしまおう。正直、あの男は不愉快だ。知らないとは言え、セナとモン太があれを“ムサシ先輩”と呼ぶのは虫唾が走る。

 とはいえ、これで先輩に尻拭いをさせてしまうのは後輩としては心苦しいのだが。

 それまで参加はしてくれたものの離れた位置から様子を窺っていた老け顔の若旦那こと武蔵先輩の下へひとり長門は駆け寄る。

 

「……武蔵先輩。力を貸してください」

 

「俺は、アメフト部じゃねぇぞ」

 

「お願いをされて、それを請け負ってこの場に来たんですから、あなたはその仕事を全うする義理はあるんじゃないんですか」

 

「………」

 

「お願いします。このままじゃ、サッカー部とのいざこざでグラウンドでしばらく練習できなくなりそうなんです」

 

 先輩は、何も言わず、ボールの前に立つ。

 

「なあ、長門、お前、あのおっちゃんと知り合いみたいだけど、サッカー経験とかありそうか?」

 

「いや、おそらく体育の授業以外では一度も蹴ったことはないだろうな。サッカーボールは、だが」

 

 佐々木コータローの精度の高いキックもまた凄い技術だ。あれは長門に真似できない域にある。

 しかし、フォームそのものをマネできようが、遥か彼方までボールを蹴っ飛ばすキック力には敵わなかった。

 

(? あのキックの構え……)

 

 僅かに身を屈めて膝の上に手を置くそのポーズに、生粋のキッカー・佐々木コータローは反応する。

 ああ、久しぶりに見る。長門は身震いを禁じ得ないその光景。幾度となく潰したいと思っていたあの『60ヤードマグナム』の構え。

 

「ラストが素人のおっさんかよ! ほ~ら、蹴ってごらん!」

 

 あの人に、ゴール隅を狙うコントロールはない。きっとキーパー真正面に行くキックとなるだろう。

 だが、あの大砲のキックボールは、とても片手では止められなかったし、体全体でぶつかっていく覚悟なければ、無理だ――

 

 ボッ!! と大太鼓を力いっぱいにぶっ叩いたような腹の底に響くこだま。

 そして、放たれたのは想像通りのド直球の、摩擦熱で火が尽きそうなほどのボール。

 

「ばげぶら!」

 

 武蔵先輩のシュートしたボールは、キーパー・室サトシごとゴールネットをぶち破った。

 

 

 ~~~

 

 

武蔵(たけくら) (げん)。『武蔵(ムサシ)』っつった方が分かり易いか?」

 

「お……おっちゃんが……ムサシ!?」

 

 佐々木コータローの誰何に、武蔵先輩が応じた。

 まさかのおっちゃんの正体がムサシだったことに目と口を大きく開けて仰天するセナとモン太。佐々木コータローも今の飛び抜けたキック力を目の当たりにしてその手櫛をポロッと落としてしまってる。

 

「“ムサシ”か。懐かしいあだ名だ。最も高校辞めた今じゃ、そう呼ぶヤツもほとんどいなくなったんだがな」

「辞めてないです。休学ですよ武蔵先輩」

 

 まあその反応もわからなくはない。

 

「んん? ちょい待てよ。武蔵ってことは去年高一だから……」

 

『――17歳!!? その顔で!?』

 

 ちなみにあそこで大砲キックを受けて伸びてる室サトシが辞めた部活は、石丸先輩のいる陸上部のようだ。

 そして、武蔵先輩、都市伝説の『60ヤードマグナム』の正体が判明し、佐々木コータローは早速、自前のアメフトボールをキックティーにセット。

 

「おいムサシ!! 『60ヤードマグナム』と謳われたてめーの幻の日本記録、こっからゴールポストまで60ヤード(55m)だ!」

「あれはウソだ」

「もしその話がホントなら今この場で……――ってウソかよオイ!!」

 

 佐々木コータローの燃える勝負展開に乗ってやることなくあっさり切り捨てる武蔵先輩。相変わらず、武士っぽい人だ。

 武蔵先輩はまだショックから立ち直り切れていないセナとモン太らアメフト部新入生らに向けて事実を述べる。

 

「お前らも良く知ってんだろ。ハッタリが大好きなバカヤローがいてな……」

 

 麻黄市立第十三中学校。

 そこでデビルバッツ創立に関わった3人は、力だけが取り柄な巨体ラインマン、悪魔のクォーターバック、そして、老けたツラした飛ばし屋キッカー。

 そのときに、ヒル魔先輩より、『60ヤードマグナム』という日本人には前人未到の、轟かせる異名(コードネーム)を引っ提げたのが武蔵先輩……

 だから、確かに先輩の言う通り、それはハッタリなのだ。

 

「60ヤードがウソでも構いやしねぇ! 勝負しやがれムサシ!!」

 

 それでも、佐々木コータローは勝負を迫る。あのPKのキックを衝撃を知ったからには、その異名も伊達ではないことくらいキッカーなら察するだろう。

 しかし、この先輩の意思は、固い。

 

「俺はもうアメフト辞めたんだ。二度とそのボールを蹴る気はねぇよ」

 

 バキッと肩透かしを食らわされた佐々木コータローが歯軋りしながら強く握り締めすぎた手櫛を折る。

 

「なんで……辞めちゃったんですか?」

「戻ってきてくださいよ。キッカーが欲しいんスよ泥門は!!」

 

 セナとモン太が嘆願するが、その前に長門は割って入った。

 

「セナ、モン太。あまり武蔵先輩に」

「――弱いチームはつまんねぇからな。俺は、栗田とヒル魔を見捨てた」

 

 でも長門が言う前に、突き放すようバッサリと武蔵先輩は言い捨てた。

 言葉を無くすふたり。長門は、口を閉ざして拳を握る。そして、佐々木コータローは心底見下した声で、

 

「テメーも室サトシと一緒かよ! 友達(ダチ)を見捨てるような奴ぁスマートじゃねぇ!! じゃあな! こんな奴をナンバーワンかと思ってた俺がバカだったぜ!」

 

 去る佐々木コータロー……それを長門は追った。

 

 

 ~~~

 

 

「待て、佐々木コータロー!」

 

「なんだよ」

 

「あんたがナンバーワンキッカーなのは認める。ヒル魔先輩の言う通りだ。――だけど、事情を知らないとはいえ、人の先輩に好き勝手に言われるのは腹が立つ。あの人は……武蔵先輩は、そう簡単に友達を見捨てるような人じゃない」

 

 長門は、アメフトのゴールポストのあるグラウンドを指さす。

 

「俺は、『60ヤードマグナム』を阻もうと挑み続けてきた男だ。アンタがナンバーワンキッカーだと誇りたいんなら、俺と勝負しろ」

 

 目を見開く佐々木コータロー。

 その長門村正の高身長と手足の長さ、そして、噂に聞く身体能力は、キックを潰すに最適。あのPK勝負も指先だけでボールを弾いてみせたのだ。それをキッカーとしての本能が一目で悟る。これは相手にキックを決めるのは容易ならぬ天敵であると。

 ――その天敵を相手に勝ち続けた男が、武蔵……

 

「……お前は、信じてるのか、あんなことを言った野郎をよ?」

 

「信じてる。絶対にクリスマスボウルに行くと誓った武蔵先輩たちを俺は決して疑わない。だから、俺はまた一緒にプレイできるのを願っている。ずっと……」

 

 問いかけに深く想いを噛み締めるような表情で応えた長門に、コータローは目を細め、

 

「そうか。……俺もスマートじゃなかったかもな」

 

 グラウンドには、向かわずに踵を返す。

 

「ナンバーワンキッカーの座をかけた勝負は預けておく」

 

 飲み込んだ佐々木コータロー。でも、長門村正の用件はひとつだけではなかった。

 

「盤戸スパイダーズのタイトエンドに、伝えておいてくれませんか。貴方のリードブロックの戦術は大変参考になりました。――そして、今年は俺が東京地区大会のMVPを獲ると」

 

 

 ~~~

 

 

 佐々木コータロー、それに長門村正もいなくなった後、小早川セナは訊いた。

 

「もし……強いチームになったら、戻ってもらえるんですか?」

 

 先の武蔵の発言を逆手に取るような物言い。

 セナもこの先輩が、ウソを吐いていたのはわかった。本気でアメフトから未練を断ち切った、ヒル魔さんや栗田さんを見捨てたのなら、PK戦で助けてくれるはずがないからだ。それに長門君も……

 

「…………考えておく」

 

 重く、吐かれた言葉を拾い上げて、モン太が続く。

 

「よーし、ちょうど来月アメリカ戦だ。アメリカに勝って“弱い”とは言わせねぇ!」

 

「そうだな。アメリカに圧勝できるようなら、“強い”と認める」

 

「男に二言はないっスよ! アメリカに圧勝したらぜってー戻ってきてもらう!!」

 

 

 ~~~

 

 

『ヤダヨ――負けちゃうヨ~~! 泥門コワイヨー、オシッコチビっちゃったヨ~~』

 

 白人男性の顔を張り付けられたニワトリが、猿に捕まったり、目晦ましを食らったり、巨漢に潰されたり、犬の糞を浴びせられたり、だけど反論してもメンチを切られて、猛烈なダッシュに追い掛け回された挙句の果てに、最後はバッサリと氷板を木端微塵に叩き割る凄まじい手刀でお陀仏。それからフライドチキンにして食べられるというジョークの利いたコメディ映像。

 今これがインターネットで世界中に流されていて、さらにはタブロイド紙にも送りまくっているのだ。腹を抱えて笑ってしまう。

 これはきっとヒル魔の作戦に違いない。

 栗田や、そして村正の姿もあったし、二人以外にもアメフト部と思しき連中がいた。……ただ、映像の中にムサシの姿はなかったのが気になったが、あいつはこういうのはあまり好きじゃなさそうだったし出演は辞退したんだろう。

 

「村正のヤツ、また一段と強くなってやがる……」

 

 思わず顔がほころぶ。

 あの中学生らの中でもっともその才能を見込んで鍛え上げた逸材。あいつには俺達『二本刀』にはなかった()があったが、それ以外にも能力が高いし、何よりも負けん気が強かった。

 その後継者と言ってもいいそいつに、別れ際に己が知るアメフトのすべてを記したノートを与えておいたが、いなくなってからも弛まずに鍛錬を積んでいたようだ。最も苛め抜いた教え子だ、映像越しからでも一目でわかる。

 

「それで、もうひとりのタイトエンドがなあ……」

 

 つい一週間ほど前まで、ビーチフットの連中と一緒に教えていた日本人の少年。

 高校受験を全て落ちたので、家を出て、本場アメリカのプロチームの試験を受けに来たというとんでもないバカ野郎だ。

 英語も何もわからない、一応(家から勝手に)お金を持ってきたけど日本とはまるっきり環境の違うアメリカ界隈。そんなところに裸一貫でやってきたバカ。それが浜辺に打ち捨てられたのをビーチフットの練習中に見かけて拾って、面白そうだから(あと放っておくと心配だから)鍛えてみた。

 有能な人材を送ってやるというあいつらとの約束もあったし。

 自分は借金で日本に帰れないので、このアメリカでアメフトのイロハを叩き込んでやってから泥門高校に送ってやろうとこの数ヶ月コーチしていたのだが……

 “もう十分に実力がついたし、プロ試験を受けに行く”と書き置きを残していなくなってしまった。

 面白そうな人材だっただけに残念……というか、心配になる。

 

「……まあ、大丈夫だよな。流石にプロ試験は受からんだろうが、日本大使館の場所は教えてやってたし。いやでも、あのバカはすっぽりとそのことが頭から抜け落ちてそう……」

 

 溜息がとめどなく出てくる。

 この“宣戦布告”の映像が一週間前に出ていれば、あのバカ・瀧夏彦を泥門高校へと送ってやったと言うのに。



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10話

 お菓子のプリッツを突き付けながらヒル魔先輩が出した打倒NASAエイリアンズ特別作戦の課題は、ブリッツを習得するというものだ。

 

「ブリッツ……長門君がディフェンスで突っ込んだりするアレのこと?」

 

「そう。斬られる前に斬る、といった感じの攻撃型守備だ」

 

 延期となった『月刊アメフト杯』までの一ヶ月で守備のイロハを叩き込む。

 敵は本場の強豪。今まで通りでは勝てないかもしれない。のだが、

 

(本当に、猛を……本物のノートルダム大のアイシールド21を圧倒した走りを見せる『黒豹(パンサー)』に球拾いをさせるとは……宝の持ち腐れもいいとこだぞ)

 

 ヒル魔先輩が見つけてきてくれたエイリアンズの練習風景の映像記録には、監督から球拾いしかさせてもらえない黒人、パンサーの姿が映されている。

 鋭い走りをする小早川セナは黄金の脚だが、パンサーの軽やかな走りもまた黄金の脚だろう。

 最後に残された記録によると、ベンチプレス70kgで、40ヤード走は4秒5……となっているが、40ヤード走で4秒3の進清十郎にも勝るとも劣らぬ脚を持つアイツに“人種の差”というのを味わわせた相手なのだから、それ以上に成長していると考えるべきだ。想定とすれば、やはりセナが4秒2の光速の走り……いや、ひょっとするとセナですら追いつけない相手かもしれない。

 そんな全身がしなるムチ、体重ゼロの軽いステップ、『無重力の脚を持つ男』、それがパトリック・スペンサーなのだ。

 

 しかし、NASA校アメフトチームのアポロ監督は、『黒豹』を試合で使うつもりはない。一度もエイリアンズの公式試合に出したことがないのだ。

 よって、泥門が重点を置いて対策を積むのは、パスだ。

 

 エイリアンズのクォーターバック、ホーマー・フィッツジェラルド。

 ベンチプレス130kgの強靭な肉体に、強肩。敵の意表をつくようなパスや、頭脳的なテクニックよりもマッスルボディを駆使した力押しのパスを得意とする投手で、彼が放つ超ロングパスは、『シャトルパス』と異名がつくほど。超長距離弾故に、コントロールはあまり良くなく、パス成功率はさほど高くはないが、それでもフィールド中央からでも一発タッチダウンを狙うことができる。

 パス成功すれば即得点という恐ろしい大砲。

 正確性が無いという欠点を埋める……シャトルを無事着陸させるための管制塔の如き役目を持つレシーバー、ジェレミー・ワットがその眼力でもって荒れ球ロングパスの落下点を迅速かつ的確に解析し、最短距離で行く。

 これが、NASAエイリアンズの得点パターンになっている。

 

 この相手チームの得点源である『シャトルパス』対策としてヒル魔先輩が提唱したのが『ブリッツ』である。

 

 広いフィールドを走る相手レシーバーのワットの40ヤード走は4秒8……泥門の中で追いつけるのは、長門とセナのみ。それもできればバック走でマークについておきたいのなら、全員無理だ。セナは足が速くとも後ろ走りの技術はないし、長門は5秒の壁を切るのは難しい。

 そして、『シャトルパス』がコントロールがないために着地点を見極めるのが難しいパスで、それを熟知してポイントまで最短距離で走ることができるワットは記録以上に速く感じることになるだろう。

 だから、パスを投げさせる前に、潰す。

 敵の壁を破って突進。超長距離弾の発射台たるホーマーから『シャトルパス』が発射する前に倒す。

 それは基本、前衛のラインの仕事なのだが、『ブリッツ』は後衛も持ち場を放棄して投手を潰しに行く戦術なのだ。

 一応何人かは後ろに残すのだとしても、後ろの守備ががら空きになるから、()るか()られるかの博打になる。

 

「というわけで、仮想ホーマー役を演じる糞カタナをぶっ潰しに行け」

 

「誇張がありますねー、ヒル魔先輩。別にやるんですけど」

 

 ブロックにキャッチ、それにランとパスまで幅広くキック以外はできる、特化型(スペシャル)プレイヤーの多い泥門では珍しい万能型(マルチ)プレイヤーの長門村正が、エイリアンズのクォーターバックを模倣して、それを練習相手に潰すという特訓。

 泥門のクォーターバックはヒル魔先輩だが、身体能力を加味するとこのホーマー役には俺の方が向いている。

 

「ホーマーは、強肩だが移動型のクォーターバックじゃない。記録では、40ヤード走5秒6で、相手を躱せるほど器用でもないようだ。だから、存分にタックルをぶつけることができるだろうし、向こうもそれを心得ている」

 

「長門君、いいの……?」

 

「問題ない。『シャトルパス』は見たところ力業だ。特別なテクニックは必要ないみたいだし、ビデオからでも8割方は真似られるな」

 

「そうじゃなくて、これから全員で長門を潰しにかかるんだぞ?」

 

 なるほど。

 こちらの身の心配をするアイシールド21(セナ)とモン太だがそれは無用だ。

 

「『生傷の輪』と同じと思えばこっちにとっても練習になる。……それに前にも言ったことがあるが、今のレベルのモン太たちでは10人いたところで俺の相手にはならんよ」

 

「ムキッ」

 

 この己の実力に自信たっぷりと乗せた挑発じみた物言いに、モン太だけでなく、十文字、黒木、戸叶、大吉らも目に火が点いた。

 そうだ。遠慮なくかかってもらわないと練習にならない。試合では相手選手を容赦なく潰しに行ってもらわないと困るのだから。

 

「さあ、来い――」

 

 

 ~~~

 

 

「ブリッツMAX!!」

 

 僕の前で、ホーマー役の長門へ一番槍で飛び掛かったのは、モン太だ。

 壁役の栗田さんを避けて、パスを投げる前に長門君の腰へがっちりとタックルを食らわせてくる。

 決まった……とブリッツ特訓を受けてる皆が思ったけど。

 

「甘いな、モン太」

 

「ぬわにぃ!?」

 

 長門君は倒されながらも上半身だけで思いきり腕を振って、パスを投げた。そう、ロングパスを。

 ワット役……球拾いのレシーバーをしてもらってる雪光さんが、その長距離弾道で飛んできたボールをキャッチ。

 それはもしそこから走られたら、ここからでは追いつくのに間に合わずにタッチダウンされる距離で、長門君がその現実を確かに告げる。

 

「そうだ、試合ではこんな風に一発タッチダウンで『シャトルパス』は決まる」

 

 長門君はモン太の次に、十文字君、黒木君、戸叶君、小結君を相手にしてきたけど、その誰からもタックルを受けながらもロングパスを投げ切ってみせた。

 

「っ、くそ……!」

「小結のタックルでも効かねぇのかよ!」

 

 自分も長門君に体当たりをしたけど、一番パワーのない僕では押し倒すこともできなかった。

 タックルをも無効化する肉体。まるで長門君が見せる、相手からタックルを食らっても構わず走り続けるあの力強い、アメフトの原点とも言えるラン……そう、アメリカンフットボールの本場は、タックルを食らわせただけで止められるようなものではなかった。

 欧米人は東洋人とは骨格からして違う。彼らのような強靭な筋肉があれば、今の長門君のような芸当もけして不可能ではないのだ。

 

「クォーターバックの潰し方が間違っている」

 

 一巡、ブリッツをされてきた長門君が、服についた砂埃を払いながら、口を開いた。

 

「アメリカンフットボールには多様なポジションがあるが、同じボールを持つ後衛でも、ランニングバックとクォーターバック……走り屋と飛ばし屋はする仕事が違うから、その弱点も変わってくる」

 

 弱点……?

 なんだろうか。長門君がそこで口を閉ざしたので、壁役をしてるアメフトの先輩である栗田さんに自然みんなの視線が集まった。

 

「え、弱点? ……そんなのあったっけ」

 

「糞デブは、細かいことは関係ねぇほどのパワーをもってるからその辺疎いんだよ」

 

 ヒル魔さんがきょとんとする栗田さんのケツを蹴り上げるのを見て、長門君は溜息ひとつこぼすと、こちらを見た。

 

「『電撃突撃(ブリッツ)』にはパワーも大事だが、投手の弱点を突くにはスピードもまた欠かせない要素だ」

 

 スピードも、重要?

 それに、走り屋と飛ばし屋は仕事が違う……

 

 走り屋であるセナはあんな腰にしがみつかれたら満足に走れなくなって止められる。でも皆がタックルを下半身の腰に食らわしてきたけど、それでも長門君の上半身、肩や腕は無事だからロングパスを投げられていた――あ。

 

 長門君が出してくれたヒントが頭の中で噛み合った。

 

「次……僕が最初に電撃突撃に行って良いですか?」

 

「ほう……いいぞ、来い」

 

 投手の弱点。当然それは向こうも承知しているからそこだけは守ってくるはず。――だから、守る暇もないスピードで突っ込む。

 そして、ホーマー役の長門君がロングパスを放つタメを入れようと大きく振り被った右腕――そこに全速力で飛びついた。

 

「っ!」

 

 長門君はパス体勢のままこちらを振り落とそうと体を揺らしてくるけど、必死にしがみついて腕を離さない。

 どんな凄い人だって、右腕だけを掴まれたら投げられない!

 

「フン……ヌラバッ!!」

 

 思いっきり力を込めて引っ張り……それでついに長門君からボールを零させた。

 

 

 それが正解だ――

 

 腰にタックルしてから投手を倒し切るまで一秒。下半身に頼らずともロングパスを投げられるプレイヤーには、その一秒があれば十分だ。

 だから、肩や腕――発射口を直接潰しにかかるのが、クォータバック潰しの鉄則。

 

「腕キャーッチ!!」

 

 セナのやり方を見て学習した面々は、早速腕や肩狙いで突撃し、パス失敗させていく。

 当然、練習のように壁役が一枚だけでただ立っているだけの案山子ではないが、それでも全員がブリッツの仕方を理解することができた。

 

 

 ~~~

 

 

 ロッカールームを増設したりとしているが、泥門のアメフト部のトレーニング器具はそれほど充実しているわけでもない。

 けれど、弘法筆選ばず。それも練習する者には変わりないのだとその光景を見てセナは思い知らされる。

 

 時折、聞こえるその重い音と鎖がガチャリと鳴る音は、長門君が打つグラウンドに設置された等身大の、バンプの練習にと用意されたサンドバックが軋む音だった。

 ……むやみやたらに打ち付けているのではない。深く思案し、練りに練り上げてから、打つ!

 

 ――それは音というよりは、深く低い振動。汗の粒が飛び散り、砂埃の浮かぶ空気がぶわっと跳ね上がり、その重みを暗に語る。一撃必殺を体現した見事な正拳だった。

 モン太が『デス・クライム』で挑む際にその正拳バンプを貰って悶絶することがあるけど、実際に体験しなくても衝撃は見るだけで伝わってくる。

 だが、長門君はどこか納得がいかないらしい。薄く目を瞑り、……力の籠め方や呼吸を深さ浅さを整え、時には近頃忙しなくなったセミの鳴き声を聞く間すら与えるように、再び、打つ。

 

 素人が見れば、それはまるで休み休みやっているように見えるのだろうが。……それを横目に見ながら自らもトレーニングに励むセナには、その練り込んだ一撃に畏怖を超えた尊敬の念すら感じているのだった……

 そう、進さんと同じ、スピードもパワーもあるけど、それ以外の何かがある。

 

 それはもはや、肉体のトレーニングというより、精神のトレーニングの領域に違いない。その途切れぬ集中力こそ、長門村正の強さの秘密なんだろう。

 他の練習においても長門君は皆と同じメニューをこなしているけれど、そこに注ぎ込んでいる集中力、意識の密度が違う。

 

 

「よし!」

 

 身近な目標を思い浮かべてから、早朝の個人練習『石段昇降』に望む。

 ストップウォッチを押し、栗田さんの実家・孟蓮宗の石段を駆け昇る。思いの外、走り難い。段の高さが一定ではないし、途中にある足休めの踊り場でまたペースが狂う。

 

「距離的には大したことないんだけどな……」

 

 上まで昇り切ったところで、ストップウォッチのボタンを押す。

 それから石段を駆け降りる。行きと帰りに差が出ないよう少しスピードを緩めるように意識して。

 

「長門君はどっちに合わせても良いって言ってたけど」

 

 常識的に考えれば、楽な下りより、キツい上りのタイムに合わせる方が無理なく往復できる。が、しかし。

 

「それじゃ、トレーニングの意味がないような気も……」

 

 という事は降りるときのタイムに合わせるべきか。いやいや、もしもそうなら、最初から長門君はそういう指示を出したに違いない。あえて『どちらに合わせても自由』なんて言ったのは、然るべき理由があるからではないか。そもそも、全速を出す必要はないとまで言ったのだ。タイムさえおなじなら、ゆっくりでもいい、と。

 はっと気が付くと、すっかりスピードは落ちていた。余計なことで迷っていたせいだ。結局、それなりの速さで駆け降りることになってしまう。石段の真下でストップウォッチを止める。ぴったり行きと同タイム。

 

「危なかった。帰りの方が遅くなっちゃうとこだった」

 

 もう一度、とストップウォッチをリセットし、全力で石段を駆け上がる。不規則な段差に慣れてきたのか、初回に比べてペースが上がっているのがわかる。上についてストップウォッチを止めて、回れ右。

 “一段抜かし”ができれば楽なのだが、“全部の段をきっちり踏む”と言う条件が付いている。そこでふと思う。

 

「もしかして、タイムだけ合わせればいいってわけじゃないのかも……ペースが常に一定でなきゃダメとか」

 

 だとしたら、途中で速度が落ちたり、立ち止まったりするのもNGということにもなる。

 『ヘルタワー』でも延々と階段を上っていたけれど、あれには障害はあっても制約はなかった。でも、これは色々と考えさせられる。

 

 そういえば、あのビデオで見たパンサー君は、ビルとビルを跳んでいくパルクール『ビル・トゥ・ビルジャンプ』を幼いころ続けてきたという。

 なら、セナもこの『石段昇降』を頑張りたい――そう、あの軽やか走りと自分の走りを試合で比べてみたい……!

 とそんな考え込んでいる間もストップウォッチは時を刻んでいる。

 

「……ってタイム! 止まっちゃってた! ちゃんと集中しなくちゃ!」

 

 結局セナはまたも急いで石段を駆け降りる。

 時間を間に合わせるのにもっと速く走らなければと気持ちは焦るが、うまくいかない。不規則な段差に足を取られそうになる。思うように走れないのがもどかしい。速く走ろうとしても、足が思い通りに動かせないのだ。

 足が……? わかった! ブレーキかける時と同じ姿勢になってる!

 孟蓮宗の石段は普通の階段よりも段差が高い。そのせいで、前傾姿勢が取りにくい。ちょうど急ブレーキをかける時のように、上半身が反り気味になっているのだ。いくら脚を速く動かそうとしても、止まろうとするときと同じ力が働いてしまう。

 

『長門の走りは、手本にするにはうってつけだ』

 

 そう、王城戦で、ヒル魔さんが言っていたのを思い出した。

 

(そう、長門君はもっと全身を巧く使って走っていた……!)

 

 重心を落とす。膝のバネを最大限に使う。この段差の高い石段でも普通の階段を走る時の姿勢に少しでも近づけることができれば、もう少しだけでもスピードアップできれば――

 もっと膝を使って。重心を低く。

 一気に加速して石段を駆け降りるセナ……だったが、

 

「あ、やっちゃった……」

 

 止めたストップウォッチの計測時間は、昇り降りピッタリというには少し早すぎてしまった。

 

「もっとちゃんと自分の走りを意識して!」

 

 

 30分ほどの『石段昇降』を終えたときには予想以上に疲れ果てていた。歩く度に、足元ががくがくと揺れるような感覚が消えない。ペース配分も何もなく、がむしゃらに石段を駆け昇り、駆け降りるというのを繰り返したせいだ。それから、考えさせられながらやる特訓はなんだか倍疲れる。

 この後にも練習があるのに、すっかりバテバテだ。

 

「明日は、もうちょっと控えめにしとこ……」

 

 それから時間のチェックもマメにしなきゃ、と付け加える。石段の往復に熱中するあまり、既に30分が経過しているのに気づかなかった。

 

「そうだな。あまり時間を忘れて遅刻しては姉崎先輩に怒られるぞ」

 

「うわっ!?」

 

 声をかけられて、階段の真下に自転車に跨った長門君がいることに気付いた。ビックリし過ぎて小心者(ビビり)なセナは腰を抜かしかける。

 

「あー、すまん。驚かせるつもりはなかったんだが、いや、途中から見ていたのに気づかなかったのか?」

 

「う、うん……途中から何だか無我夢中で……」

 

「それは見てれば解ったな。――ほれ、乗ってけ。学校まで送ってやる」

 

 バテバテなセナにくいっと指差す長門君。彼が乗っていた自転車は何と二人乗り用だった。

 

「これって、観光地とかでよく見る二人乗り専用の……」

 

「温泉街の旅館の親方から気に入られていただいた改造車だ。脚力とバランス感覚を鍛えるにいいから通学に使わせてもらってる。ああ、セナは漕がなくていいぞ。疲れてるみたいだし」

 

 なんだかすごい。

 でも、さすがに漕がずに楽するのは罪悪感がある。

 ので、ペダルを踏み締め――重っ!?

 

「言っただろう。これはトレーニング用にチューンされた改造車。ギアは市販のよりも重いし、総重量で500kgはある」

 

「500kg!?」

 

「それと、二人乗り用自転車は前後に長いから車体を思いっきり横に倒さないとカーブを曲がり切れないから、漕がなくてもいいけど俺に合わせて重心を移動させてくれ」

 

 長門君はひとりでもこの重量級自転車を漕げる、セナはそのプラスアルファの重りの役目なんだろう。

 

「遠慮するなセナ。時々、リコにも乗ってもらっている」

 

 ちょっとその情報はなんだか逆に乗りにくくなった気がしたけれども、長門君も『階段昇降』後に無理しなくていいから休めというし、セナは呼吸を合わせた重心移動にだけ付き合うことに。

 

(でも、何だかこうしていると試合みたいだな)

 

 リードブロックする長門村正の後ろを走るときと、この二人乗り自転車の状況が似ている。

 先陣を往く彼の動きに合わせて、セナも走る。あの進さんを相手にだって、道を切り開いてきたのだ。そう思うと心強い背中で……

 

「そうだ。聞こうと思ってたことが……」

 

「?」

 

「ムサシさんってなんで辞めちゃったんですか?」

 

 ――ブレーキがかかり、自転車が止まる。

 あれ? 何か地雷を踏んじゃった? と不安になったセナであったが、長門は再び漕ぎ始めながら、口を開いた。

 

「悪いが、それは先輩たちの事情になる。俺の口からは何とも言えんな」

 

「そ、そうなんだ……あ、でも、アメリカ戦で圧勝できれば戻ってきてくれるって――」

 

 ――キキィィッ! と急ブレーキ。

 つんのめってしまったセナだったが、長門の顔はそれ以上に驚いていた。

 

「なんだと……おいセナ、本当に武蔵先輩はそういったのか?」

 

「うん。そうだけど、考えてくれるって言ってくれたよ」

 

「そうか……。いや、考えてもらうだけでも――よし! セナ、スピードを上げるぞ! しっかり掴まっておけ!」

 

「ええええっ!?」

 

 気合のギアが一段と上がった長門村正の急行自転車は、並走していたバイクも突っ切る速さであった。

 

 

 ~~~

 

 

 本場アメリカのNASAエイリアンズ戦に向けて、練習に励む泥門デビルバッツ。

 そして、『月刊アメフト杯』を三日後に控えた部活練習後、栗田先輩が学校に近い家・孟蓮宗に泊り込みができるよう取り計らってくれた。

 なので、長門、モン太、セナ、大吉は試合までお世話になると決めた、その日。練習帰りの後に、“何かが掴めそう”だとセナが『階段昇降』をやっていると、黒豹の刺繍の入ったヘアバンドを拾い……

 

「BINGO――!!」

 

 それを探していた黒人の青年……NASAエイリアンズのパンサーと遭遇した。

 

 

 その後、なんやかんやとあって、互いに日英通訳として、日本通のワットとアメリカで暮らしていた帰国子女な幼馴染を持って英語も堪能な長門が入って、意気投合。

 寺の法事で余った、アメリカ人も知る日本のメジャー料理・寿司が大量にあったので、それを肴にしてパンサーと共に行動していたエイリアンズの面々と宴会することに。

 

「『俺はアイシールド21と闘いたくて来たんだ。でもって……絶対に勝たなくちゃいけねー』」

「ビデオの走りを見たアイシールド21と競い合いたくて日本行きを決意した。そして、将来は大金を稼ぐNFL(プロ)になるためどんな相手にも負けられない、とパンサーは言っているぞセナ」

 

「デビルバッツだって負けられない。みんながムサシさんを待ってるんだから」

「……『こちらも負ける気はない。仲間のために』」

 

 パンサーとセナ、黄金の脚をもつ者同士の通訳をしていると、今度は長門へ向いた。

 

「『そして、アイシールド21だけでなく、日本史上最強のラインバッカー・セイジュロ・シンと互角に渡り合った『デーモンブレード』……君にも会いたかった』」

 

 『デーモンブレード』……長門村正の通り名である『妖刀』の英訳版である。本場アメリカでの自身の評価が気になる長門だ。あとでリコに情報収集してもらおうか。

 

「『出してもらえる可能性は低いと思う。でも、アポロ監督に試合に出してもらえたら、俺と1on1で勝負してくれ!』

 

「『俺も、エイリアンズの『黒豹』には、前々から興味があった。話を聞いた時からアメフトで試合ってみたいと』」

 

「『それなら――!』」

 

「『だが、チームユニフォームを貰えていない今のパンサーでは俺を抜くことはできない』」

 

「『……!』」

 

 それは勝利宣言というより、端的に事実を述べたような文句であった。近くで聞いていたホーマーとワットもその発言には目を見開く。英語のわからないセナは話についていけないが、場の空気からなんとなく感じ取る。

 

「『おい、パンサーを舐めんじゃねぇぞ。試合には出してもらっちゃいないが、エイリアンズの真のエースだ』」

 

「『わかっている。彼は黄金の脚を持つランナーだ。資質だけでも十分にトップクラス……それでも、世界で戦うには一人では限界がある』」

 

「『なんだと! そりゃ俺達エイリアンズがパンサーの足を引っ張るって言いたいのか!』」

 

「『違う。そうではない』……ん?」

 

 アルコールが入って赤ら顔ながらしかめっ面のホーマーと言い合う長門が、そこで席を立つ。

 

「『すまない。電話だ。席を外させてもらう』」

 

「『おい、待ちやがれ!』」

「『ホーマー、落ち着け』」

 

 ホーマーが止めようとするもそこはワットに制されて、長門が居間を出てしまう。残されたセナはあわあわとしながらもパンサーに弁明、日本語で。

 

「その! 長門君は悪い人じゃないです。ヒル魔さんと比べてよっぽど……いや、別にヒル魔さんが悪い人ってことじゃないんですけど、とにかく良い人です。そのパンサー君をバカにするようなことはけっして……!」

 

 拙いながらも必死にフォローを入れるセナ、その通訳をワットがしてくれて、ホーマーもドカッと腰を落とす。それからテーブルに置かれた瓶を取って、

 

「『空気が湿気ちまったが、宴会なんだし飲んで盛り上がろうぜ。ほら、パンサーもいつまでも気にしてんな。そっちの坊主もコップ持て』」

 

 パンサーとセナのグラスに、とくとくとお酒を注ぐ……

 

 

 ~~~

 

 

『やあ、長門』

 

「お前か、大和」

 

『何やら騒がしいけどパーティでもしてるのかい?』

 

「ああ、本場アメリカ要素を取り入れた和洋折衷なホームパーティを開いている」

 

『そうなのかい? そりゃあ、席を外させるような真似をさせて申し訳ないね』

 

「そう思うなら早く用件を言ったらどうだ」

 

『ちょっとした激励さ。あのNASAエイリアンズと試合するんだろう?』

 

「お前が教えてくれた原石、『黒豹』とやれるかはわからないがな」

 

『……試合、見ているよ。ナイター放送されるみたいだしね』

 

「これはまた一層無様なプレイはできなくなったな。……ああ、それと、一応言っておこうか、春季関西大会、帝黒アレキサンダーズ優勝おめでとう」

 

『ふっ。君とパンサー、どちらも俺を負かした相手だけれど……ライバルの君がいる泥門デビルバッツの健闘を祈っておくよ』

 

「大和、お前が体感してきた本場の世界を知ってくる」

 

 

 ~~~

 

 

「まもりさん! 俺必ず本庄選手みたく!」

 

 と仏像に抱き着くモン太。

 

「『そうだ! 男は全身でぶつかっていけ!』

 

 と乱闘騒ぎを起こしてるホーマー達エイリアンズの面々。

 

「ZZZ……」

 

 栗田先輩はお腹が満腹になって眠ってしまい、大吉はそのお腹の上でぐっすり寝落ちしてる。

 ちょっと目を離した間に、宴会はカオスになっていた。

 とりあえず長門は事態の収拾をする前に状況説明ができそうなワットに訊ねる。

 

「……『セナとパンサーがいないが、二人はどこへ行ったんだ?』」

 

「『あはは……ホーマーがお酒を飲ませたら急に走り込みに行っちゃった』」

 

「『おい』」

 

 

「高校生が酒とは何事だ!!」

 

「痛ってー!!」

 

 その後、長門に簀巻きにされてふん縛られた酔っ払い連中は、孟蓮宗の管長(一番偉いお坊さん)である栗田先輩の父親に説教され、

 

「どうして動物園にいるんだお前ら……」

 

 夜中に走り込みに行ったセナとパンサーは動物園で無事に見つかり回収された。

 

 

 ~~~

 

 

 7月20日19時に行われる高校アメフト日米戦『月刊アメフト杯』。

 今回泥門デビルバッツが対戦するチームは本場アメリカの強豪校NASAエイリアンズ。

 来日早々大学のチームと現地調整のための親善試合をしたそうだが、73-0で大差の圧勝劇を演じ、本場の貫録を見せつけた。

 ボディー、パワー、テクニックのすべてが高く、将来のNFL候補たちが放つ才能の煌きは、遥か銀河の彼方に瞬く星々と同じ……

 というのが、熊袋リコから教えてもらった月刊アメフト誌の取材原稿での評である。編集部は、本場アメリカの強大な肉体にぶつかって、日本人の学生選手が怪我しないかひやひやしているらしい。それくらい両者の体格差は格が違う。

 

 その中でも注目する選手は、『シャトルパス』のマッスル発射台ことホーマー・フィッツジェラルドと着弾点を正確に把握する管制塔ジェレミー・ワット。

 それから、その『シャトルパス』を支えるライン陣の中でも絶対不沈の超大型宇宙防衛船ガードのニーサン・ゴンザレスは、身長195cmと2m弱もあり、体重は131kgで破格の肉体的強さを誇る。……誰かのため大きく役に立つ男でありたいと願って、『大便(大きくて便利、という意味で)』という漢字の刺青を腕に掘っている。

 その弟のラインバッカー、オットー・ゴンザレスは侵入者を撃ち落とす小型宇宙船。身長169cmで体重69kgとエイリアンズの中では最も小柄だが、その分小回りが利き、超機動小型宇宙船として戦果を挙げてきている。……こちらは小さくても役に立つ男という意味で、『小便』という兄同様、取り返しのつかない入れ墨(タトゥ)をしてしまっている。

 

 そして、指揮するのは元NFLの実績を買われ招聘されたレオナルド・アポロ監督。今、試合開始前にこちらの代表を務めるヒル魔先輩と握手を交わしながら和やかに挨拶をして……

 

「『興味深い映像をありがとう。あまりに幼稚な内容なんでオムツでもしているかと思ったよ』」

「『妄想激しいな。その若さで痴呆か。老人用オムツをしとけよ。ベンチで垂れ流さねぇようにな』

 

 ……いる。

 R18指定な俗語(スラング)を交えながらだが、実に愉快気にヒル魔先輩はアポロ監督を煽っている。元プロ選手相手でも悪魔な先輩はいつも通りである。

 

「『調子に乗るなよ黄色猿。約束は覚えてるだろうな。ウチに10点差で勝てなけりゃ……』」

 

「『即日日本退去。――だが、テメーらこそ忘れちゃいねぇだろうな! 10点差で勝てなきゃアメリカに戻らねぇってな!』」

 

 この日米決戦にはお互いに負けられない理由がある。長門もこの情報を聞き付けたお隣さん(リコ)に『村正君! あ、アアアアアメリカに引っ越し(いっ)ちゃうんですかっ!?』と大変心配された。

 

「ああ。猛……お前とやるまで、どのチームが相手だろうと黒星を重ねるつもりはない」

 

 

 ~~~

 

 

「一人の人間には小さな一歩だが」

『NASAエイリアンズには勝利への一歩だ!』

 

 

 ~~~

 

 

「We’ll……」

『Kill them(ブッ殺す)!! Yeah―――!!』

 

 

 ~~~

 

 

 ――いきなり『シャトルパス』がくる。

 

 試合開始前にもヒル魔先輩が煽りに煽った。あのアポロ監督の性格上、初っ端からホーマーに『シャトルパス』の指示を出してくる。

 だから、こちらも対策として練習した『ブリッツ』を仕掛ける。ただし……

 

「糞カタナ、わかってんな?」

 

「わかってますヒル魔先輩。一撃で仕留めます」

 

 

 ~~~

 

 

 NASAエイリアンズのラインは、日本最重量の太陽スフィンクスの『ピラミッドライン』とは違う。

 跳ね返す。

 重さだけではなく、あまりに強靭な上半身を持つアメリカ人の体格をもったラインは、もはやただ敵の攻撃を受けるだけの壁ではなく――発射台の投手への攻撃を全て跳ね返す『マッスルバリヤー』。

 これには泥門ラインマンたちも組み付くだけでも一苦労で、後衛から電撃突撃を仕掛けるための道を作るにも時間を要する。

 この敵を寄せ付けない屈強なライン陣があるからこそ、発射台の投手ホーマーは超ロングパスのための力を溜めることができる。

 

3(スリー)――2(ツー)――」

 

 しかし、この『マッスルバリヤー』で守護されるのは、発射台(ホーマー)のみ。

 

 

 ~~~

 

 

 ジェレミー・ワットが日本通になったきっかけは、名門フェニックス校のエースだった東洋人カケイに、完敗したことだ。

 あの長身とリーチでワットは全部止められてしまった。それで短絡的だが“今サムライがすごい!!”と日本文化に興味を持ったのである。

 

 そして……今、そのカケイと同じ長身でリーチのある東洋人、『デーモンブレード』ムラマサが、ワットのマークについていた。

 

 当然、警戒していた。

 カケイを知っているワットは、東洋人が相手でも侮ることはないし、この『デーモンブレード』は、あのシンと同格のプレイヤーと評される、この泥門デビルバッツの中で最も警戒すべき相手なのだ。

 あの流された映像で、彼が氷板を空手チョップで木端微塵にしたインパクトは忘れがたいモノ。ホーマーも『デーモンブレードの四肢は銃刀法違反している』と恐れ戦いていた。

 

 でも、カケイがミラクルだったとすれば、ムラマサはミステリーであった。

 

「―――」

 

 SET! HUT! コールが終わってすぐ、眼鏡の奥の目を眇め相手の動きを注意深く観察していたワットは――反応できずに、心臓のある左胸を穿たれていた。

 

 何が起こったのか理解不能のまま、管制塔(ワット)、陥落する。

 

 

 ~~~

 

 

 今、相手エースレシーバー・ワットに長門村正がしたのは、『バンプ』。

 ただし、“無拍子(ノーモーション)で放った”どつき。

 

 どんなに速くても人間、少しは、反応はできる。

 しかしこれは反応すらできない。何せ予備動作がないのだ。

 

 人は見たことがない動きを認識できない。

 たとえば、鉄棒を見たことがない人に逆上がりを披露すると、『鉄棒にぶら下がって、次の瞬間に降りていた』と思ってしまうそうだ。

 それと同じで、“起こり”のない行動は、人間の意識から外れてしまう。

 腰から肩、肩から腕へ、といった連動する力の動きではなく、一斉に体全体を動かすと見慣れない相手には認識できないのだ。

 

 アメリカンフットボールを含む西洋の体術は捻じったり、うねったり等、まるでムチのような動きで、威力はあるが予想がしやすい。

 一方、長門村正が取り入れている日本武術の動きは魚群が一気に向きを変えるようなもので推測し難い。

 きっと傍目から見てれば、ワットがぼけっと突っ立ったまま長門に倒されたようにしか見えなかっただろうが、ワットからすれば長門が何をしたのかわからなかったことだろう。

 

 そして、長門村正の正拳突きは、プロテクターを纏った相手を一発で沈めるだけの威力がある。

 

 まさに、瓶の後ろに隠れていた相手をその瓶ごと一刀両断せしめた、夢想の剣戟を見舞う『瓶割』の如きバンプだ。

 

 

 ブリッツに参加しない長門村正が与えられた仕事は、『シャトルパス』の落下地点を最も熟知するエースレシーバーを潰すこと。

 管制塔が機能停止すれば、シャトルは無事に着陸することはできないのだ。

 

 もちろん他にもエイリアンズにはレシーバーがいるが、ワットほど眼力に優れているものはいない。

 パス成功率は一段と下がり、超高弾発射に慎重になる。今から普通のパスに切り替えるべきか、迷いが生まれる。

 それが、発射まで数秒の時間を稼ぐ――

 

「ワット!?」

 

 『シャトルパス』を受け取るはずの管制塔レシーバーが、地面に膝がつきそうなくらいガタガタになっていた。あれではとても長距離を走らせるロングパスをキャッチすることはできない。

 その光景を目撃したホーマーは判断に迷い、また新たなパスターゲットを探そうとして、動きを止めてしまう。

 

 それが致命的であった。

 

 『マッスルバリヤー』を抜けた一人のデビルバッツのプレイヤー。

 アイシールドをつけている小柄な、力のなさそうな選手だ。

 唯一、警戒すべきだったのは88番の『デーモンブレード』。しかし、ワットを潰されたのは惜しいが、そのために『デーモンブレード』はホーマーから離れた位置にいる。

 ホーマーは己の筋肉体(マッスル)に自信がある。あの21番ならばタックルをもらっても無理やり投げられる。

 そう判断して、大きく腕を振り被ろうとした――――瞬間の急加速。

 

 足を蹴った反動で派手にフィールドの土砂を跳ね飛ばして、一気に最高速に達したアイシールド21が『シャトルパス』の発射台目前まで接近する。

 

「なにィイイイイ!!?」

 

 なんだあの最後の加速!

 しかもアイシールドは一直線に、ホーマーが守る隙も与えずに、ボールを持った右腕に飛びついて、奪取した。

 

 『シャトルパス』が、21番の流れ星(シューティングスター)に倒される。

 そして、その勢い止まらず。

 

 

「止ーめーろー!!」

 

 ベンチからアポロ監督が叫ぶ。

 こぼれ球を抱えたアイシールドがタッチダウンを狙って爆走する。

 

「ひぃマッスル来た!!」

 

 立ち塞がるエイリアンズで最も屈強なゴンザレス。その前で、急停止。

 

(ビッグ)……」

 

 そして、

 

「――便(ユースフル)!!」

 

 大きな手を両サイドから動きの止まった21番のショルダーパッとに入れ込むように挟み捕まえようとしたゴンザレスだったが、スカッと空振った。

 それは撮影していたカメラマンも見逃すほどの、急加速。

 先ほどのホーマーの腕を捕えたプレーと同じ。目の前で突然スピードが変わる。

 

 チェンジ・オブ・ペース。

 停止したかと思えば、次の瞬間にトップスピードで駆けている。

 これが、アイシールド21の“鋭い走り”の正体。

 

 ビビッて腰が引けてたかと思いきや、高校最速のプレイヤーを置き去りにする日本最速を叩き出したり、スピードにムラがある。

 そのムラが偶然にもチェンジ・オブ・ペースとなっているのだ。

 ビビりでパシリな小市民は、アメフトの世界では英雄だった。

 

「これ以上行かせ」

「させん」

 

 最後のひとり。

 オフェンスチームのランニングバックで後ろへ控えていたレオナルド・ピットがアイシールドに迫ろうとするも、エースレシーバー・ワットを潰してから前に駆け出していた長門村正が壁となり遮る。

 

 これで、彼の走りを阻む者はいない。

 

 

『タァッチダ~~ゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 泥門デビルバッツ。

 本場アメリカの強豪校を相手に先制点。これは、すごい。

 でも……

 

「どうしたんだい、大和」

 

 同じ一年生で一軍になったチームメイトがこちらの表情を見て訝しむ。

 あの己が手放さざるを得なかった最強ランナーの称号たるアイシールドをつけ、そして、己が認めた長門村正(ライバル)にリードブロックされながら連携を取るあの21番……

 

「いや、鷹。少し妬いてしまってね」

 

 帝黒へ勧誘した時に想像した光景そのものだった。長門村正とは誰よりも試合をしたいと望んでいる相手だけれども、つい羨ましく思ってしまい、それが顔に出てしまった。

 

「しかし、村正。今ので、檻に閉じ込められている『黒豹』が活気づいたみたいだ」

 

 

 ~~~

 

 

 エイリアンズは、誰もついて来ない。

 最後は長門君に助けてもらったけれども、自分のスピードで抜ける。パワーを怖がることはない!

 

 ゾク! とした、肉食獣に睨まれたかのような寒気にセナが察知した方へ反射的に振り向く。

 すると、キックのポールに彼は、()()()()()()()

 

 パトリック・スペンサー――『黒豹(パンサー)』が、独走タッチダウンを決めたアイシールド21……セナを先回りして、駆け上ったポールの上から見下ろしていたのだ。

 

 そして、しばらく、黄金の脚をもつ者同士は、視線を絡み合わせるように相手の顔を注視する。

 

「今の一瞬でベンチからポールまで移動するとは、凄まじい脚だ」

 

 その睨み合いに割って入った長門によって、張り詰めたその空気が霧散。すぐに審判が駆け付け、勝手にポールに登ったパンサーを注意する。

 その背中を見送りながら、ポツリとセナは零す。

 

「出て、こないかな」

 

「ん?」

 

「出てこないかな試合に」

 

 出てきたら、危険な相手。

 圧勝しないとムサシ先輩を連れ戻せないし、そもそも負けてしまえば日本から追放されてしまう。

 それはわかっている。けれど、進さんと闘った時のように、脚が落ち着かない。“勝負してみたい!”って訴えているかのように。

 その好敵手と接敵した感動を傍目で見ていた長門は羨ましがるように目を細めて、

 

「アメフトは勝ったものが望みを叶えられる世界だ」

 

「長門君?」

 

「パンサーを試合に出してやりたいのなら、あのアポロ監督の目を覚まさせるほどに圧勝すればいい。己のランは『黒豹』以外には追い付けぬ脚だと見せつけてな。つまりはそういうことだ」



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11話

本日2話目


「行けー、電撃突撃(ブリッツ)!」

 

 開幕から相手の攻撃を潰し泥門が先制。

 続くプレイで、デビルバッツのライン・十文字が相手の袖を掴んで引き倒す『不良殺法』を炸裂させて、エイリアンズのクォーターバック・ホーマーに迫る。

 

(腕を狙って……!)

 

 果敢な、いやそれを通り越した無茶な守りを捨てた攻めの姿勢。

 

「ぐっ……」

 

 ロングパスの構えを取っていたホーマーだが、それをキャッチすべきワットも先と同様に『デーモンブレード』のバンプに沈められている。管制塔がいなければ、飛んだシャトルは無事に着陸できない。

 仕方なく、ホーマーはまた発射口である腕を掴まれる前に、ボールを投げ捨てる。

 エイリアンズ、パス失敗。ブリッツとバンプでもって、『シャトルパス』を投げ辛くさせている。

 ここは、『シャトルパス』にこだわらず、フォーメーションの左サイドにいるワットとは逆の右サイドにいるもうひとりのレシーバー、シーヴァー・コリンズかタイトエンドのサム・アンドレリッチへ普通のパスを送るか、もしくはランで迫ることも視野に入れるべきであるが、

 

「イエローモンキーの分際で、我が『シャトルパス』にケチをつけおって……だが今にも泥門の守備は崩壊することになる」

 

 ――本場の知略でもって、“ぎゃふん”といわせてやろう。

 監督アポロはチームの代名詞である超ロングパスの出鼻を挫かれたのが我慢ならない。何としてでも誰にも止められない『シャトルパス』をこのナイターフィールドの星空を翔けさせてやる。

 

 

「思った通りの展開になりそうですねヒル魔先輩」

 

「『電撃突撃(ブリッツ)』に行くか行かねーか、こっからは作戦の化かし合いになるぞ」

 

 負わせている仕事量を減らすために、皆をまとめるリーダーシップには栗田良寛、プレイでの助言などの指南役(コーチング)は主に長門村正が請け負って分担しているが、デビルバッツの作戦指揮をするのは、司令塔のヒル魔妖一。

 

 超ロングパス対策のブリッツ、しかしこのままエイリアンズがこのブリッツにやられっ放しはありえない。

 

「青! 27!」

『SET!!』

 

 監督アポロの一声に、即座に開始プレイにつくエイリアンズ。

 

「いい? もう!?」

「おい待てよ! まだこっち作戦タイム……」

 

 慌てふためく泥門陣。

 作戦会議省略(ノーハドル)でもって、泥門の指揮を崩しにかかったのだ。

 まだ作戦が決まっていない泥門はこのまま無策でエイリアンズの攻撃に対処しなければならない。

 

 お前らの弱点は、ベンチに指揮官や主務がいない事だ。

 

 監督アポロが見据えるフィールドむこうの泥門ベンチにいるのは、控え選手と菓子をつまみながら雑務をこなす女子マネージャー。あと犬。このグラウンドはペット持ち込み可なのか?

 指揮官はやはりフィールドにいるあの口汚いクォータバックなのだろう。だがそれもこちらが時間を与えずにフォーメーションにつけば何も口出しする余裕もなくなる。

 一方、エイリアンズはベンチからあらかじめ決めてある暗号を伝えれば作戦会議省略でも指揮できる。

 

「作戦決めずに動けるほどベテラン揃いのチームかな?? なあ猿知恵指揮官!」

 

 強力な手足がいようとも、それを動かす頭脳次第で、名刀も鈍刀に成り果てる。

 

 

「ブリッツ2人だ! 真ん中の2人ホーマーに突っ込め!!」

 

 相手の真正面で、口頭で作戦を伝えるヒル魔妖一。当然その怒鳴るような大声は、デビルバッツだけでなくエイリアンズにも聴こえている。

 

「そ、そんな大声で……」

「時間ねーんだからしゃあねぇだろ。どうせ日本語ならバレやしねぇ!」

 

 甘く見たね……

 エイリアンズのワイドレシーバー、ジェレミー・ワットは日本語にも理解のある日本通だ。彼はすぐに片手を背中にやって、指を二本曲げるハンドサインを、クォーターバック・ホーマーへ送る。

 

 “中央から2人、ホーマーに突っ込んでくる”

 

 オーケイ!

 中央から2人もブリッツに行ったら、中央はがら空きになる。忌々しいことに88番がワットにマンマークしているが、ならば逆サイドにいるもうひとりのワイドレシーバーのコリンズを中央に走らせる。そうすれば誰もいない場所で悠々と……

 

 

 ~~~

 

 

「へ……?」

 

 中央に人が多い、泥門の守備。

 そう、誰も、ブリッツに突っ込んでいない。あの指示とは逆に中央の守備をガチガチに固めているのだ。

 

(そうだ、そういえば、彼は僕が日本通だというのを知っているはずなのに……!)

 

 ムラマサ……先日の日米宴会にて互いに通訳をした相手の語学力くらい当然理解しているはずなのに、先の司令官の失態に何も文句がなかった。

 つまり、これは(フェイク)!?

 

「こんなに敵いちゃパスできねぇ……!」

 

 エイリアンズ、二度目の攻撃、パス失敗。

 

 

 ~~~

 

 

「おーっしゃ、作戦通り! ヒル魔先輩の演技にうっかりつられそうになったし、サインだけはよく見ておかないとな」

「バレるかと思ってヒヤヒヤしたよ……あんなブリッツの人数そのまんまのサインじゃ、バレちゃわないかな大丈夫かな……」

 

 泥門もまたあらかじめに暗号を決めてあった。

 

『ノーハドルでこられた時は、司令官(オレ)のセリフは全部ハッタリだ。秘密のサインに従え!! そして、四回目は……』

 

 とヒル魔妖一の事前に承知しているはずの味方も騙されかけるほどの演技力でもって、攪乱。

 

 

「黄色猿にコケにされてたまるか! もう一度ノーハドルだ!」

 

 

 ~~~

 

 

「よーし『電撃突撃(ブリッツ)』1人! 糞ザル、ホーマーに突っ込め!」

 

 エイリアンズ三回目の攻撃。

 迫真の名演技でもって指示を飛ばす司令塔だが、それがフェイクなのはエイリアンズ側も承知。きっとどこかに隠れたサインがあるはず……

 

「ええええ、ぼくがつっこむのかー、たいへんだぞこれわー(棒読み)」

 

 と、相手チームに残念な大根役者がひとり。

 80番は、ちらちらと視線を横に……そんな怪しい目線の先を辿ってみて、監督アポロは失笑する。

 

 なるほど、出してるのがバレなきゃ簡単なサインで構わんわけだ。

 

「『電撃突撃(ブリッツ)』1人!」

 

 80番が見ていたのは、司令塔……の指。叫んで視線を上に誘導していたのだろうが、あの80番の目線でバレバレだ。ヤツは腰下まで落としたその右手、人差し指と親指で丸を・・・…そう、数字の0(ゼロ)を作っていた。

 これが、サイン。

 そう、さっきもあの手をしていて、『電撃突撃』の人数はゼロだった。

 

 ククク! よくまあこんな小細工まで……だがしょせんは猿知恵だ。

 

「赤! 35!」

 

 “誰も突っ込んでこない。ゆっくり溜めて『シャトルパス』飛ばせ”

 

「オーケイ!」

 

 監督からの暗号による作戦指示を了承したホーマー。

 ワットは『デーモンブレード』のマークが張り付いているが、成功率が低くとも、もうひとりのレシーバー、三年先輩のコリンズは、10か国語を話す超IQの戦士であり、その視野の広さはワットに次ぐ。

 そう、『シャトルパス』の管制塔はひとつだけじゃないのだ。

 

 そして、マークについている相手コーナバック・80番のブリッツフェイントに惑わされることなく、右サイドのワイドレシーバー・コリンズはまっすぐ走り上がる。

 誰もホーマーへブリッツに来なければ、じっくり待てる――はずだった。

 

「――って、めちゃめちゃ来とるー!!!」

 

 泥門、ブリッツ3人を突入。

 この特攻の勢いに『マッスルバリヤー』が強引に破られて、デビルバッツのタックル・小結大吉が、ホーマーにサックを食らわせた。

 

 

「そんな……バカな!! なぜだ!! 確かに指でサインを……」

 

 

 ~~~

 

 

「ところでその指なんですかヒル魔さん?」

 

「バカ用の罠だ」

 

「相変わらず細かい所でも狡いですねヒル魔先輩」

 

 ヒル魔妖一のハンドサインに意味はない。

 先ほどデビルバッツ80番・雷門太郎が見ていたのは、ヒル魔妖一のさらにその先のフィールド外……泥門ベンチである。

 

「いつまで食ってんだ糞マネ」

 

 そこには、お菓子の()()()()3()()つまみながら雑務をこなす女子マネージャーが座っている。

 

「自分が食いたくて“3”にしたんじゃねーのか?」

 

「またそういう……ちゃんと考えたの!」

 

「そうっすね。姉崎先輩の戦術は上手いです。アメフトを理解し、相手チーム全体をよく見てなきゃこうも綺麗に嵌りませんよ」

 

「つってもつまみ食い風紀委員だけどな」

 

「い……いつの話よ!! 忘れてもう!」

 

 ……プリッツ・3本=ブリッツ・3人のサイン。

 泥門の秘密暗号は実に単純であった。

 

「んで、糞カタナ。しっかり種は蒔いてきたんだろうな?」

 

「ええ、おかげさまでしっかり布石は打てました。次で刈り取りますよ」

 

 

 ~~~

 

 

「あ……の……! ク…ソアマ……!」

 

 監督アポロも女子マネージャーの菓子によるサインに気付いた。

 

「またノーハドル行きますか?」

 

「………」

 

 女子マネージャーは菓子をしまって、ビデオカメラを手に取る。

 本数は0、すなわち、『電撃突撃』は来ないことになるが、しかし、今度はこれが騙し……?

 今度は、控えの選手が声出ししながら何か見せびらかすように菓子のプリッツを一本掲げてみせているし。ついでに犬がベンチの横でクソを三個してる。汚い。あとで片付けさせろよ!

 

「ケケケケケ」

 

 そして、あのクソ生意気な若造が高笑いをしている。

 

「小細工合戦はやめだ! 実力なら――黄色猿に『シャトルパス』が破られてたまるか!!」

 

 ラインの『マッスルバリヤー』がしっかりしている限り、そう易々と発射台であるホーマーにブリッツされることはないのだ。

 問題は、

 

「ワット! 何をしている! 88番のマークはまだ振り解けんのか!」

 

「いえ、カケイの時のようにやられっ放しではありません。だいぶ、『デーモンブレード』の動きも読めてきました。もうこれ以上同じ手は食いません」

 

「よーし。なら次は抜けるんだな?」

 

「はい!」

 

 

 ムラマサの無拍子で来る動きに、初見では対応できなかった。

 しかし、その見慣れない動きでも、ここまで連続して喰らえばイヤでも身体がタイミングを覚えてくるというもの。

 それにワットは日本文化にも精通している(ネット映像で演武の映像を見ている)と自負している。

 だから、『デーモンブレード』の動きの原理にも気づいたし、慣れてきた。

 

「本当に行けるのか、ワット」

 

「任せてよ、ホーマー。『デーモンブレード』は達人のサムライだけど、僕だって東洋の古武術を勉強しているからね。マークを躱してみせる」

 

「つっても、あんなの通信教育じゃねーか」

 

 心配そうに声をかけてくるホーマーに、ワットは胸を叩いて自信ありげに答える。

 

「大丈夫だよ。“(けん)に徹して、その技は見切っている”からね。さっきも動きがゆっくりに見えたくらいだ。それよりもホーマー、ノーコンなのはわかってるけど、これが四回目の最後の攻撃チャンスなんだから、しっかり『シャトルパス』を決めてくれよ?」

 

「言ってくれるなおい。よっしゃ、一発タッチダウンを決めてやろうぜ!」

 

 景気よくホーマーとワットがグータッチしてから、オフェンスフォーメーションにつく。

 小細工なし。たとえ何人来ようがゴンザレスたちラインの『マッスルバリヤー』は強固で、エースレシーバー・ワットは何が何でもフィールドに出てみせると宣言した。

 

「SET! HUT! ――HUT!」

 

 そして――

 

(見切った!)

 

 試合開始直後に、ノーモーションで打ってきたムラマサのバンプをワットは、躱し、た。

 チリッと僅かにユニフォームを掠らせてしまったが、それでも直撃は回避。

 

「よし!」

 

 初撃は避けられた。でも、まだ油断はできない。

 アイシールド21の爆走ランに隠れがちだったけど、『デーモンブレード』の脚も相当速いんだ。きっと40ヤード走は4秒8のワットよりも早いはず。

 だから、後ろは振り向かず一直線に思いきり全力疾走――

 

 

(ワットが抜けた!)

 

 視界の端で、左サイドより管制塔レシーバー・ワットが前線に駆け上がるのを、ホーマーも捉えた。

 その意気に応えんと発射台クォーターバック・ホーマーはより気合いを入れて身を捻り、超長距離弾『シャトルパス』を放つ右腕に力を篭め――

 

 

 ~~~

 

 

 NASAエイリアンズ、四回目の攻撃失敗。泥門デビルバッツに攻撃権交代。

 

 

 ~~~

 

 

『ノーハドルでこられた時は、司令官(オレ)のセリフは全部ハッタリだ。秘密のサインに従え!! そして、四回目は――糞カタナが、ワットを無視してホーマーに単独ブリッツを仕掛けろ!!』

 

 古武術を取り入れた動きは、通信教育程度で見切れるものではない。

 ワットは“動きが遅く見えるようになった”と感想を述べたが、それは実際にこれまでの守備で、長門村正が一打一打ごとに『瓶割バンプ』を手加減をしていたからである。

 徐々にバンプの動きを緩めていき、“見切らせた”と思わせて、最後の四回目をわざと躱させる。

 そうして回避に成功したと思わされたワットは、脇目を振らずに真っ直ぐ抜けただろうが、長門村正はそれを追わずに単身敵陣へ『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛ける。そう、自分のブリッツを邪魔させないためにワットを抜かせたのである。

 

 そして、ポジション位置。

 ワットは左サイドに配置されたワイドレシーバーで、右利きの投手であるホーマーは、ヘルメットで狭くなった視界でどうしても左目側に死角ができてしまう。

 つまり、左サイドレシーバーのワットのマークについていた長門は、その死角に入り込みやすい位置にいると言える。

 

「ケケケ、一番『シャトルパス』の成功率が高いワットを無視すれば一発タッチダウンの危険度がデカい。

 ――だからこそ、無視する……!!」

 

 エイリアンズは最初、デビルバッツの中で最も危険なプレイヤーは長門村正だと考えていたはずだ。実際、これまでの試合で彼が最もブリッツを決めてきている。あのスピードとパワー、それにタックルのテクニックは、欧米人のマッスルボディをもってしても脅威だ。

 だけど試合が始まれば、彼はエースレシーバー・ワットをバンプで封じるためにマークについていた。だから、『電撃突撃(ブリッツ)』に参加しないのだ……とこれまでのプレイで打たれた布石に思考誘導されていた。

 

「作戦ってのは、『そんな作戦はない』って思いこませたらその時点で勝ちなんだよ」

 

 この四回目のラストチャンス。

 これほど『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けるに絶好の位置取りをしている、最も『電撃突撃(ブリッツ)』の破壊力のあるプレイヤーに、エイリアンズはあまりにも無防備だった。

 

「ガッファ……!! 息ができな……!?!?」

 

 『シャトルパス』を放とうとしたホーマーは、左目の死角より、それも“起こり”のない『縮地』の体術とその長身長腕を活かした長門村正の『蜻蛉切タックル』に、その厚い筋肉の鎧を貫かれた。

 

GYAHUN(ギャフン)!!」

 

 

 ~~~

 

 

『攻撃権交代! 泥門、見事にエイリアンズに作戦勝ち! 『電撃突撃(ブリッツ)』で『シャトルパス』を撃たせません!』

 

「ぶわっはっは、さっすが進直伝の『スピアタックル』だな」

 

「いや、大田原さん、進は別に泥門の彼にタックルを教えてませんよ」

 

「しかし、本来、日本人とはパワー差の大きいアメリカ人を一発で仕留めるなんてね。……一度、食らったことがあるけど、彼のタックルの威力は相当なものだ」

 

 私立王城高校。

 トレーニングルームに設置されたテレビでチームメイトたち、大田原や桜庭と試合観戦しながら、高見は以前の王城戦で突かれた脇腹をさする。

 すると片手で懸垂に励んでいた進が口を開く。

 

「大田原さん、あれはもう自分の技ではありません。長身と腕の長さ(リーチ)、そして、あの重心移動で己の技に昇華されています。初動範囲での制圧力は長門村正の方が上でしょう」

 

「進……」

 

 達人技の重心移動は一朝一夕で身につけられるものではないし、何よりも進と長門とでは身長と腕の長さに差があり、それは体を鍛えたところで伸ばせるものでもない。

 ――だから、身に着ける。今以上の“槍”を。

 そして、あのアイシールド21が突入した光速の世界にも……

 

 

 ~~~

 

 

 守備でエイリアンズを止めることに成功しているが、泥門は攻撃のチームだ。

 

『お前らに『大掃除作戦(スイープ)』に重要なリードブロックを叩き込む』

 

 日米決戦までの一ヶ月間で、後衛が『電撃突撃』を習得させる傍らで、前衛の十文字、黒木、戸叶、小結もまた特訓を重ねていた。

 

『ボールキャリアー……アイシールド21が走るルートを確保するためのブロック。勢いと共に頭と腕の三点ヒットで力強く相手を押して、走路を切り開く。たとえ、押し負けようとも弾き飛ばされずに相手にしがみつけ。これは相手を倒すことではなく、ボールとの間に身体を入れ続ける事こそが“勝利”だ』

 

 『シャトルパス』への守りの対策が後衛の『電撃突撃』ならば、これは『マッスルバリヤー』を破るための攻めの手段。

 

 先のランプレイで、スピードならばアイシールド21が勝っていることは実証された。

 怖がらずにダッシュで突っ込めば、抜けられる。そう、アイシールド21自身も確信を得ている。

 しかし、爆速ダッシュだけで突破できるほど本場の強豪の守備は容易いものではない。一人を抜き去ろうが、敵はまだいるのだ。

 そもそものパワー差があるので、ブロックなしでは抜けない。長門がいてもその身一つでは、カバーし切れないだろう。

 

 そこで、『掃除作戦(スイープ)

 攻守境界線上のブロックの並びの後ろをボールキャリアーが横切って、大外に周り込むパワープレー。ランニングバックと一塊になって行動するライン組が相手タックルを掃き清めて、走路を作る。

 

『これは、息の合った団体行動が必要不可欠、すなわち連携ができるラインマンでなければうまく機能しない』

 

 その言葉に何かを感じ取ったのか。自分たち全員が評価されることを望む十文字は、意欲的に長門の指南を受けた。

 そして、今、

 

「アイシールド……先輩??」

 

「へ??」

 

 十文字達3人が正体を知らないとはいえ、いきなり先輩呼びされて外れた声を出してしまうアイシールド(セナ)。

 

「いや僕もその一年だから……」

 

「てめーはすげーよ。少しでも隙間作ってやれば抜いてっちまう。それに比べて俺らはまだまだ実力が足んねぇ。長門のようにアメリカの奴らをぶっ倒したりはできねぇ。でも――思い知らせてやらなきゃなんねぇ奴らがいるんだ」

 

 だから、頼む。

 黒木や戸叶や……俺らが何とか一瞬でもブロックするから、死ぬ気でルートに身体入れるから、抜いてくれ。

 

 

 ~~~

 

 

『10ヤード前進! 泥門ファーストダウン!』

 

 ライン組の『掃除作戦』で『マッスルバリヤー』をこじ開けた僅かな道を強引に突破して、アイシールド21は連続攻撃権を獲得できるだけの距離を稼いだ。

 このプレイに、会場の歓声が湧いた。

 アイシールド21……I・Cだけでなく、それを支えたラインマンたちにも惜しみのない拍手が送られる。

 

「まだまだ、だが。力の差がある中でよくやったな」

 

 十文字らにリードブロックを指南した長門は、彼らの活躍に笑みを浮かべる。

 アイシールド21のスピードを活かせる『掃除作戦』はデビルバッツに適した作戦だ。現在、エイリアンズにサシでアイシールドについていける選手がいない以上、深めで護るしかないので大量にヤードを稼げる。それも、ランだけでなく、ブロックに参加していない長門へのショートパス、そして、逆サイドに駆け上がるモン太へのロングパスがある。

 

『ファーストダウン!』

 

 そして、アイシールド21のランを中心としたデビルバッツの怒涛のオフェンスは連続でファーストダウンを獲得していく。

 

 

 勝って、パンサーくんと走りの勝負を……!

 不規則な段差に偶に来る物や人、その中で往復と共に同じタイムで昇り降りするのは難しく、一足一足ごと状況を瞬時に判断して、ルートを決めていかなければならない。セナが孟蓮宗の石段を一定の速度を保ちながら往復できるようになったのは一昨日になってやっと……ほぼ一ヶ月かかった。

 

「小さいからって……ナメンナヨッ!」

 

 エイリアンズの50番のユニフォーム(ゴンザレス(弟))が視界の片隅を掠める。

 来る……!

 急角度で右へと曲がる。伸びてくる腕を回転(スピン)でかわす。小さい分、他の選手よりも速い。さらに体を捻り気味にして避け、再び急角度の曲がり(カット)。敵の攻撃を瞬時に見切り、走りに反映させる。

 

 きっとこれが、長門君が教えようとしてくれた事……!

 本能的に避けたり、カンに頼ったりしているだけでは、この先、NASAエイリアンズのような強豪チームには対応し切れなくなる。

 執拗に追い縋るゴンザレス(弟)だったが、スイープの壁役のひとり小結君がタックルして捕まえてくれた。それを視認しながら、加速。チェンジ・オブ・ペースによる鋭い走りでひたすら、一ヤードでも前へと進む。

 

『ファーストダウン!』

 

 時折にヒル魔のカメラマンから見ても騙される渡したフリからのパスも織り交ぜてくるので、ランだけにディフェンスを集中させず、覚醒したアイシールドのランは止められない。

 

『ファーストダウン!』

 

 怒涛の連続攻撃。流れは完全に、泥門デビルバッツ。

 

「何やってる!! 黄色猿如きに……!」

 

 ラインバッカー・ゴンザレス(弟)を投入するなどスピード重視の起用をするも、エイリアンズに今の泥門デビルバッツの勢いを止められず。

 

 すべての音が消えた世界の中で、アイシールド越しに映った景色は、ゴールポストだけ。

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ホイッスルと共にアイシールド21・小早川セナに聴覚が戻ってくる。

 スコアボードが、12-0に変わった。泥門デビルバッツ、NASAエイリアンズに10点以上の大差をつける。

 

 

 ~~~

 

 

「――監督、お願いします。俺を試合に出してください」

 

 正座で両手を前につけ、頭を地面ギリギリまで下げるパンサー。

 その見下ろす頭に、監督アポロは、ぺっと唾を吐く。

 

「何言ってんだ? 球拾いが。ユニフォームを与えられてないヤツを試合に出せるはずがなかろう」

 

 エイリアンズが負けている。

 マスコミに10点差以上で勝てなければ、2度とエイリアンズがアメリカの地を踏むことはないと公言してしまっている。

 でも、まだ試合は終わっていない。前半で、十分巻き返せる。

 

 しかし、状況は監督アポロの思うようにはいかない。

 

 先程のプレイを契機に、あの『デーモンブレード』は、『シャトルパス』の要であるレシーバーとクォーターバックの厄介な楔となっているのだ。

 

 ムラマサが死角からホーマーをブリッツしにいくかもしれないから、ワットは警戒し、思い切り走りに行けなくなる。

 かといって気を抜けば、ワットもバンプで沈められる。あの無拍子の打撃は見切って躱すことはできないし、重心移動を巧みに使う初動の速い突撃は隙を見せたらお終いだ。

 超ロングパスが迂闊に放てなくなってしまった。これでパス主体のエイリアンズの攻撃力は大幅に落ちる。

 

(まずい。まずいぞ……!)

 

 結局、エイリアンズが前半の時間をめいいっぱい使ったオフェンスでもゴールラインを割ることはできなかった。

 

 

 そして、この前半の間、パンサーはずっと監督アポロの前で下げた頭を上げない。

 

「いつまでそうやってる! 俺は黒人は……」

 

 監督アポロはそこで息を呑む。

 土下座をするパンサーを真似するように、NASAエイリアンズの選手全員が彼の後ろで、アポロに頭を下げていたのだ。

 

「僕たちからも頼みます」

 

 チームの稼ぎ頭である管制塔レシーバー・ワットが懇願する。『シャトルパス』の発射台で、エイリアンズの代名詞であるホーマーもそれに続く。

 

「仲間だから出してやって欲しいってことだけじゃないスよ。こりゃパンサーの脚無しじゃ勝利するのもキツめだ」

 

「ぐっ……」

 

 それは、監督アポロも理解している。泥門の『電撃突撃(ブリッツ)』と『掃除作戦(スイープ)』は当たっている。このままでは押し負けるのはエイリアンズであるのは間違いない。

 

 

「最初で最後のチャンスをください。もしチームの期待に応えられなければ――チームを辞めます」

 

 

 その、パンサーの言葉は、アポロの意識を過去へと飛ばした。

 “最初で最後のチャンスをください”……それは、かつてNFL時代のアポロが所属チームのオーナーへ言ったものと同じだった。

 

 レオナルド・アポロ。

 『人の3倍練習する男』と呼ばれていた、凡才の星。

 しかし、彼が今年こそ開幕スタメンに入れるかもしれなかった年に、チーム・アルマジロズに、名門46rSのエースランナー・モーガンが電撃移籍した。

 彼は、黒人。生まれ持ってのバネが違う。同じポジションであったアポロは、入ったモーガンに押し出されるように、チームからお払い箱となってしまう。

 

『一試合だけ、モーガンと比べてもらえませんか』

 

 その時に、オーナーへ嘆願した。

 

『最初で最後のチャンスをください! それでモーガンよりダメなら、大人しくチームを去ります!』

 

 ……だが、チャンスは、与えられなかった。

 

 その必要はないよ。

 悪いがキミに“チャンス”はもうないんだ。

 

 

「パンサーのヤツは、球拾いしながら俺らの3倍練習してました。試合で試してやってください!」

 

 意識が、現在(いま)に戻る。

 ……黒人は、今でも忌々しい。白人だけの最強チームを作りたくて、今のNASAエイリアンズがある。

 でも、次にアポロの口から吐かれたのはその主義に反するものだった。

 

「…………いいだろう、この試合だけだ」

 

 気の迷い。きっと慣れない異国に来て、調子が狂ったに違いない。そう、監督アポロは咥えた葉巻を噛む。

 

「ホント、ですか!? この俺がエイリアンズのユニフォームを……!」

 

「ゴチャゴチャ言ってねぇでさっさと出ろ! 俺の気が変わらんうちにな!」

 

 イライラして葉巻を折ってしまう。

 しかし――どうしても――黒人だけれども――このかつての自分にされたような仕打ちを――したく、なかった。

 

「ただしアイシールドとデーモンブレードを抑えられなかったら、その時は……」

 

「はい!」

 

 そして、『黒豹』を閉じ込めていた鉄格子が、今、開かれた。

 

 

 ~~~

 

 

 キックオフから後半開始。

 エイリアンズのサッカーの母国イギリスからの転入生で正確なキックを売りとするキッカー、トマス・オヴライエンのキック。

 飛んできたボールをがっちりキャッチしたのはモン太。

 

「約束通りだ。フィールドで戦える!」

 

 ――それを目掛け、ついに檻から飛び出した『黒豹』が駆ける。

 

 そこまで立ちはだかる壁は二枚、栗田と小結がボールキャリアーであるモン太を守らんとする。

 

 しかし。

 そんな壁など。

 初めからなかったかのように。

 

 『黒豹』パンサーは、二枚の壁を、真っ直ぐに、突っ切った――

 

「いいいいいい!!?」

 

 栗田と小結をすり抜けたように目前まで迫ってくるパンサーに動揺したモン太は、一瞬の隙を突かれ、ボールをパンサーに奪取された。

 

「止めろ糞チビ! テメーが最終防衛線だ!」

 

 爆裂加速する黄金の脚。

 いきなり最高速に入るアイシールドは、ボールを奪ってそのままタッチダウンを狙ってくるパンサーの背中を追いかける。

 

 しかし、相手もまた、同じ黄金の脚を持つ者、パンサー。

 彼の心は、猛追してくる相手選手のプレッシャーに……歓喜を、覚えた。

 

 独りの走り込みとは違う。

 俺をブチ潰そうと襲い来る強敵。そう、これがアメリカンフットボールだ!

 

 できる!

 アメフトができる!

 

 パンサーを全力で追いかけるアイシールド21……小早川セナは、初めての経験を味わう。

 全速で追う敵が、自分を引き離していく絶望感を――

 

(そうなったか。セナは、瞬間的にしか最高速を出せない。対して、『黒豹』は黒人の筋肉を持つ生まれついての走者(ナチュラルボーンスプリンター)だ)

 

 無重力のような軽いステップで敵を躱しながら、トップスピードを維持し続けたパトリック・スペンサー。

 

「勝負は、こっからだ!」

 

 審判のタッチダウンコールが高らかに会場に響き渡った。

 エイリアンズの逆転の号砲が上げられた。

 

 

 エイリアンズが着実にトライフォーポイントのボーナスキックを決めて、続くキックオフ。

 パンサーを警戒して、リターン距離を稼ぐことは叶わなかった泥門だったが、前半、エイリアンズの守備網をぶち抜いた『掃除作戦』を敢行する。

 アイシールド21を複数の壁が守護する。

 

『パンサー君、何とブロックを躱して……』

 

 しかし、『無重力の脚を持つ男』は、アイシールド21の激しい走りとは対極。

 “すり抜けてる”と錯覚するほど最小限の曲がり(カット)で流れるように躱していく。

 十文字、黒木、戸叶の3人のブロッカーに止められることなく、アイシールド21へタックルを食らわした。

 

『デビルバッツのスイープ破れたり!!』

 

 

 ~~~

 

 

 攻撃権が、NASAエイリアンズに移る。

 効果的だった『掃除作戦』が、たった一人の選手によって潰された。

 でも、リードしているのは、泥門。12-7で、ワンタッチダウン差で覆ってしまうが、それでも勝っているのはデビルバッツ。

 そして……

 

「糞カタナ……」

 

「わかっています。良くない流れですね。――断ち切ります」

 

 

 NFL(プロ)になるために、そして、試合に出してくれた監督アポロに応えるために、一切の妥協は許されない。

 

「あいつに目にモノを見せてやれ!」

 

 クォーターバック・ホーマーからボール回しされたパンサーが矢のような中央突破を敢行。

 ゴンザレスたちが開けてくれた道を通ると、真正面に彼がいた。

 

『――俺を抜くことはできない』

 

 コーナバックからラインバッカーの位置に入った『デーモンブレード』ムラマサ。パンサーに勝てないと宣告した相手。

 前半のプレイで彼が強いのわかる。でも、勝負、するんだ……! この一騎打ちを逃げるわけにはいかない!

 

「おおおおおおおお!!」

 

 腕を使い、軽やかなステップで、最短距離を通り抜ける。

 パンサーの目には、そのルートが映っている。デイライト。一流のランナーに見える、敵の隙間からさす光、ゴールラインまでの光り輝く道筋が。

 

 オリンピック100m決勝は、黒人だらけであることから証明されている。

 人間は生まれつき平等ではない。決して越えられない壁がある。そう、パンサーはまさしく天賦の才を持つ、最強のランナーだ――

 

「しかし、パンサー、やはり貴様は俺を抜けん」

 

 

 スパン――とパンサーの目に映っていたデイライトが、()()()()



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12話

 初めて檻の外に出た黒豹(パンサー)は、現実(リアル)の恐ろしさを知らなかった。

 

 パンサーが腕を使って相手を抜かそうとしたとき、ムラマサもまた腕を伸ばしていた。

 

「よっしゃ抜いたぜパンサー! そのままタッチダウンを決めて逆転だー!」

 

 交錯し、すり抜け、相手選手を置き去りにした。

 その一騎打ちを注目していた者のほとんどが、パンサーが勝利したと思った。

 しかし、パンサーは、途中で足を止めてしまう。そして、気づく。彼の手に、ボールがないことに。

 

 野生の世界では、獲物を狩っても、隙を突かれて奪われてしまうことがある。

 

 『無刀取り』。武器を持った相手の懐に入り、得物を持つ手を両手で挟み込んで相手の腕をねじり倒す古武術。

 それは、白羽取りのように待ち構えるのではなく、自ら相手の懐に素早く入る、間合いを極端に詰めに行くことで、相手が刀を振り被る前に相手の刀を持つ手を制する。

 今、長門村正が、すれ違ったその時にパンサーが相手に牽制を入れようと腕を伸ばして――そこで片手持ちとなってガードが空いたボールへ行使した技は、『ストリッピング』。ボールを持ってる人間の手元からボールを掻き出し、力尽くでファンブルを狙うテクニックだが、長門村正はそこに『無刀取り』の要素を取り入れていた。

 

「う、そ……」

 

 呆然とするパンサーを背に、長門村正は自ら走りだす。

 対峙して長門は思う。『黒豹(パンサー)』は、荒削りなダイヤの原石。原石としてなら逸材だが、職人の手で磨かれていなければ真に光り輝くことはない。

 スピードだけはトップレベルだが、走りの技術も何もなく、本能で最短のルートを単調に抜くだけ。

 

「俺の脚では追いつくことはできないだろうが、俺を抜くことはできん」

 

 腕を使って極限まで無駄なくすり抜ける軽い、『無重力の走り』

 しかし長門からすれば走りに無駄がなさすぎる。そして、“最も無駄のないルート”で必ず来るのだから、どんなに速かろうが走行ルートが事前にわかってしまう。

 そして、走りも軽い。一度捕まえれば、それで十分。止めるのはそう難しい事ではない。

 

 彼は、人間相手の実戦経験がほとんどない。

 檻から初めて出された黒豹は、狩人の恐ろしさを知らない。

 

(言ってしまえば、これは指導者の怠慢だ)

 

 その恐ろしさを教えて、そこから逃れる術を指導してやるべきだった。

 ユニフォームを貰えていないというのは、監督に指導されていないことを指した言葉。人の3倍練習しようとも独学では限界がある。1人ではダメ。誰か頂点までの道筋を導いてくれるものが必要なのだ。

 だから、長門村正は、脚の速さという資質では劣ると認めていても、今の自分よりもアメフト選手として完成されていないパンサーに負ける気がしなかった。

 

 

 ――そして、『妖刀』の鬼気放つ刀身が、鞘から抜き放たれる。

 

 

 パンサーがボールを奪われたことに気付いたエイリアンズが、長門村正を止めに入る。

 しかしこの思わぬ展開に動揺する彼らは対応が遅れていて、また、アイシールド21にランテクニックを指南している長門村正は実はアイシールド21よりも走行技術が高い。

 

「コイツ、ランニングバック並みの足捌きをしてる!?」

 

 細かく刻むクロスオーバーステップに、相手を躱すカットバック。

 

「動きが読めない!? おかしいぞ!?」

 

 速さというのは言い換えれば重心の移動速度。一番重たい部分を動かすのが一番エネルギーを使うし、速く動かそうとすれば尚更筋力・瞬発力が必要となる。

 ――長門村正は、それが異常。

 前に右足を踏み出した。そこに体重がかかっているはずなのに、その状態から相手ディフェンスを見極め、()()()()方向転換してしまう。そう、アイシールド21よりも曲がりの幅はない、わずか一歩分、でも速い。超速のバックカット。

 

 長門村正のランには、アメフトの走行技術だけでなく、古武術の身体運用が入っている。

 

 脇腹の日常生活において使われない箇所の筋肉、通称ガマク。そこの筋肉・体幹を使うことで、重心を後ろに置いたまま、前に出ることができる。

 これにより、前へ進むと見せかけて、後ろへ進むなんて芸当すら可能になる。もちろんそのまま前に進むことも。長門村正のカットバックはただのカットバックではない。

 時間と空間を捻じ曲げたかと思うほどのイレギュラーな、重心移動が極まった曲がり。まさしく、我流で編み出された『燕返し』の如き、前後切り返す(カットバックの)超速の一動作(ワンステップ)

 

「お゛お゛お゛お゛――!!」

 

 そして、この天性の迫力。凄み。犬歯を剥き出しにしながら吼える長門村正から迸ってくるのは、溢れんばかりの負けん気の強さ。滲み出る闘志を向き合う相手に少しも隠さずにぶつける。四六時中斬り殺さんばかりの、思わず本能的に怯んでしまう攻撃性をもった妖気を纏っているのだから、フェイントがフェイントに思えない。思いきり上半身を前に出しながらガマクで重心を保ち、その真逆にカットバックを入れてくる技術も凄まじいものがあるが、『妖刀』の迫力が実際の攻めと牽制の区別を非常につけづらくさせている。

 仮に飛びつけたのだとしても、それは目測よりも長門村正の長い脚一歩分の間合いが離れており、勢いが挫かれて泳ぐ相手の身体を太刀の如き長い腕をつっかえ棒のように制されて、流される。

 まさに、己が持てる手札を全開に使い切るような長門村正の走り。

 この力ある走破、『燕返しカット』にエイリアンズは次々と抜かれて、最後、ゴールライン3m前のところで、

 

「――ゴールには行かせない!」

 

 ボールを取られたパンサー。大きく出遅れてしまったが、曲がりやフェイントを入れる長門とは違って、最短距離で追いかけた彼は、このギリギリで間に合った……と思った。

 

「軽い」

 

 パンサーは、脚は速いが、獲物を倒す力は、そうでもない。

 パンサーがタックルしたのに、長門村正は進撃を辞めない。総重量500kgの改造自転車で通学する長門村正の馬力は、パンサーが抱き着いただけでは止め切ることはできなかった。

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 糞カタナは、進と同等の潜在能力を持っているが、性質は真逆。

 進は守備のラインバッカーをやっているが、寡黙でプロフェッショナルな攻撃向きの性格をしている。

 そして、アイツは、攻撃のタイトエンドだが、カンで獲物を捕らえる守備向きの性格をしている。

 そう、糞ジジイに影響されて今では落ち着いたように見える性格だが、本来のアイツは獣じみたヤツだ。実際、賊学との練習試合交渉でもそうだったが、こちらが制してもカッとなれば反射的に手が出てしまうその血の気の多さは抜け切っていない。それをあいつ自身も自覚している。

 糞アル中が、そんな暴力だけでも一流にはなれただろうが、それだけでは超一流の域には達しないとアメフトのテクニックをあれこれ叩き込んだのだが、しかし、それで力に頼らない技を覚えた弊害からか、ひとつだけ問題が出てきた。

 

『村正を強くしたかったら、アイツが遠慮しないくらいの仲間を集めろヒル魔』

 

 ただの仲良しこよしはチームプレーとは言わねぇ。

 周りが素人ばかりのチームだったから、あんな“優しいパス”を投げられるようになった。素人でもパスプレイができるように、糞カタナは自らの能力を鞘に入れるような真似をしたのだ。

 力を合わせることも、必要だ。

 だが、それは自分の力を100%発揮してこそ意味がある。

 そして、糞カタナは、周囲に合わせて自制してしまう傾向があった。それが圧倒的なパワーがあるのにあまり怪我人を出していない温厚な糞デブにも影響されたか、敵に対しても負傷しないよう手加減する癖までできてしまう始末。

 血の気の多さを自覚しているので、普段は鞘に収まったようにセーブしてしまった。

 

 しかし、やはり血の気が多い。有り余っていやがる。『黒豹』の存在にあてられて、『妖刀』本来の顔が出てきた。

 

「こうなったら、パンサーでも糞カタナは抜けねぇ」

 

 才能によるものだけでなく、修練を積んで得て、そして、今、解放した糞カタナの野生。五感が研ぎ澄まされたその感覚は、予測などよりもさらに速い反応を可能とし、己よりも速いパンサーを押さえてみせる。

 

 切り札のパンサーでも太刀打ちできない以上、泥門デビルバッツが、勝つ可能性が高い。

 ……このままいけば、だが。

 

 

 ~~~

 

 

 18-7……逆転できると思ったら、より点差をつけられた。

 

 強い! デーモンブレード……!

 パンサー自身のランが通用しない、そして、あの達人的なランをパンサーは止められない。鋭い走りのアイシールド21とはまた違う、黄金の脚を持たずとも、脚だけでなく全身を使って勝負してくる、心震えるほど力あるラン。

 ああ、そうだ。2年前、ノートルダム大とNASA中の試合で見た、“アイシールド21の熱い走り”とそっくりだ。あの時と同じように、アイシールド21の鋭い走りで火が点いていた『黒豹』の脚が疼き出す、速く走り出したいと。

 

「おい何笑ってやがるんだ、パンサー。やべぇぞこりゃ」

 

「ホーマー……」

 

 親友にヘルメットを小突かれたが、そこでパンサーは自分が笑っていたことに気付く。

 このままでは負けるかもしれないし、それだけでなく10点差以上つけないといけないのに、向こうに10点差以上つけられている。

 だけど、この動悸を抑えることがどうしてもできない。

 

「すごく楽しいんだ試合が」

 

「……ったく、おめぇは、負けたっつうのにちっともへこたれてねぇな」

 

 パンサーに呆れつつも鼻下をこするホーマーの口調もどこか楽しげだった。

 

「だったら、気が済むまで走ってこいよ。俺らが全力でサポートしてやるからよ」

 

 おう、とパンサーの肩を叩くいくつもの手があった。背中を叩くのもある。

 

「どの道、パンサーに頑張ってもらわないと僕たち厳しいからね」

「『デーモンブレード』を抜いてこい。お前ならできる」

 

 それはチームメイトたちだった。ハーフタイムで一緒に監督に土下座してくれて、監督に球拾いしかさせてもらえないパンサーのために、自分たちの練習後で疲れているのにパンサーの練習相手になってくれていた。

 この周囲の気づかいや優しさに頼ってしまう自身の甘さに遠慮を覚えるけれども、だけど、アメフトが楽しいのだ。今一番。だから、このわがままを許してくれるのなら、許してほしい。

 (わり)ぃ、と頭を下げるパンサー。

 

「自分勝手だと思うけど、俺、勝負がしたい」

 

 フィールドの司令塔であるホーマーが、メンバーたちが頷いてくる。そんなことは最初からわかっていたと言いたげに。

 ベンチにいる監督の方は、少し怖くて見られないけど。でも……!

 

「ありがとう、みんな」

 

 もう一度、頭を下げて、フィールドへ向かう。

 

 

 ボーナスキックは失敗して、デビルバッツのキックオフ。ヒル魔のキックをワットが捕り、それを素早くパンサーへとボールを回す。

 

「行かせん」

 

 そのパンサーの前に立ち塞がるは、ムラマサ。

 寄らば斬る。視界に入れただけで肌がちりつくほどの、鬼気迫る迫力に足を止めてしまったパンサーは、キックオフリターン叶わず、そこで捕まってしまう。

 それでも、パンサーは笑みを消さなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「何をしているアイツらは……!」

 

 監督からの作戦を無視して、またも中央突破を敢行するエイリアンズ。

 あの危険なムラマサに、パンサーを走らせる。だが、抜こうとする直前で脚を止めてしまうパンサーはそれから横に曲がり、しかしムラマサが抜かせないため、そのままサイドラインを割られてしまう。ほとんど前に進めていない。

 無重力の走りで交錯すれば、またボールを奪られるかもしれない怖さがあるのだ。

 

 黒人の生まれついての走者をこうも抜かせないとは、あの黄色人種は突然変異か!

 

 そして、そいつと対峙するヤツの顔は……

 

「すごく楽しそうだ、パンサー」

 

 エイリアンズ・ディフェンスチームのラインバッカー、オットー・ゴンザレスがポツリと言う。

 そう、ヤツは笑っている。遠目からでもわかるほど心からの笑みをパンサーは顔に浮かべている。

 

『ついに出番が回ってきました! 『人の3倍練習する男』! レオナルド・アポローっ!!』

 

 ああ、そうだ。

 出れる――試合に出れる! NFLの選手と勝負ができる! それだけで、アポロも心が躍った。もちろん勝負には勝ちたかった。勝ちたくて誰よりも練習した。でも、それでもアメフトができるだけで楽しかったのだ。

 そう、あの頃、は……

 

(…………いつからだ。俺がアメフトを嫌いになったのは)

 

 エイリアンズを白人だけのチームにした。そして、しつこく部を離れなかった黒人(パンサー)を追い出さんと、こっ酷く扱った。

 なのに、なんで……なんで、ヤツはあんなにも笑っていられる。アメフトを楽しんでいるのだ。自分よりも。

 

 ベンチから見えるパンサーの姿を見て、眩しそうに目を細めるアポロ。

 その監督の様子を見て、オットー・ゴンザレスが口を開いた。

 

「監督。他の黒人連中は皆バスケ部に逃げちゃったのに、パンサー1人残った理由がわかります?」

 

 NASAエイリアンズの全員で、パンサーの扱いに対して、監督へ抗議しに行こうという事があった。

 おかしい。あれだけの才能があるパンサーをいつまでも試合に出さないどころか、球拾いしかさせないなんて。

 パンサーが監督アポロに文句を言わない、言えないのなら、エイリアンズ全員で抗議しよう。

 ……その訴えに行く前に、パンサー本人に話をつけた時、彼は言った。

 

『ちょ、待ってって! アポロ監督だって、ホラ。本気でうまけりゃ黒人でも使うかも。いつか実力で認めてもらいたいなって……』

 

 パンサーは、甘い。

 NFLが夢で、家も貧しいからどうしてもトップ選手になってお金を稼がないといけないのに、この不遇に甘んじる。

 それは、どうしてもエイリアンズで、レオナルド・アポロが監督するチームでプレイがしたかったから。

 

 パンサーは、知っていた。

 地元のNFLチーム・アルマジロズに栄光なき名選手がいることを。そう、『人の3倍練習するランナー』に、パトリック・スペンサーは誰よりも憧れていた。

 

「どんな仕打ちを受けても、パンサーにとってあなたは、尊敬する偉大な先輩だったんです」

 

 練習に参加させずに球拾いだけやらせても、

 自費で遠征させて荷物持ちを押し付けても、

 その想いは、決して揺らぐことがない。

 

「不愉快な男だ……つくづく……」

 

 

 ~~~

 

 

 エイリアンズ、三度目の中央突破。

 またも『デーモンブレード』ムラマサに1対1(サシ)で当たるよう、ブロックを割り当てて、パンサーを走らせる。

 

(なんて、プレッシャーだ)

 

 ムラマサの間合いに踏み入っただけで斬られてしまう。そんなイメージがパンサーにはできてしまう。

 でも、抜かないと進めない。横に逃げても、逃げ切れない。前を行くには、抜く。でも、パンサーには、腕を使って最小限の曲がりで走るやり方しか知らない――

 

 

「何をしている! 88番の前ではボールの確保に集中しろ! 不用意に腕を使わず、泥臭く体でねじ込んでいけ! 距離が出なくてもそれで十分だ!」

 

 

 交錯する間際に飛んできた声に、パンサーは反射的に、突き出しかけた腕を中断し、両腕でがっちりとボールを抱く。

 

『4ヤード前進!』

 

 身体でぶつかっても倒せず、『デーモンブレード』に長い腕で挟むように抱き着かれて、止められる。それでもさっきまでよりも、前に進めた。

 

(今の声――!)

 

 倒された体をバッと起こして立ち上がったパンサー。

 すぐエイリアンズのベンチを見た。そこには、監督、そして、憧れた偉大な選手アポロがベンチから立っていた。立って、自分の方へメガホンのように口元に手を添えて、叫んでいた。

 

「……っ、何を呆けているパンサー! とっととポジションにつけ! 10点差付けないとならないんだぞ!」

 

「っ、はい! アポロ監督! ご指示、ありがとうございます!」

 

「あまりにお粗末なプレーだったからつい口出ししてしまっただけだ。いいか、これ以上余りに無様を晒すようだったら、試合途中でも引っ込めるからな!」

 

「はい! 頑張ります!」

 

 今度こそ、紛れもなく、選手監督が一致団結したエイリアンズの逆転の号砲が放たれる。

 

 

 ~~~

 

 

『――タッチダーウゥン!!』

 

 エイリアンズはパス主体のチームではなくなった。前半はパス中心に守ればよかったが、『黒豹』パンサーが参戦する以上、そうするわけにはいかない。

 これに泥門の守備は集中ができなくなる。

 元よりパス対策の『電撃突撃(ブリッツ)』しか守備練習をしてこなかったのだから、パンサーのランを止められるのは、デビルバッツでひとり。

 長門村正だけ。しかし、『黒豹』を相手するために、『シャトルパス』に睨みを利かしていた『妖刀』は外れなければならない。

 管制塔(ワット)発射台(ホーマー)が自由になる。

 一発タッチダウンの超ロングパスが通るようになったのだ。

 

(ダメだ……あいつのがちょっと速ぇ!)

 

 ワットには、コーナバック・モン太がマークについていたが、40ヤード走4秒8の

ワットと5秒の壁を切れていないモン太は追いつけず、キャッチを許してしまう。

 

 しかし――

 

「ふんぬらば――っ!!」

「こっちがキックを決められない以上、そう簡単にキックを決めさせん!」

 

 高身長・高跳躍・パワーボディが揃ったキックの天敵・長門村正が、『マッスルバリヤー』ゴンザレスをセンター・栗田の後押しで抜いて、ボールを弾く。ボーナスキックを阻止した。

 これで、18-13……――それでも、今のエイリアンズの快進撃の勢いは止まらない。

 

 

「黄! 54!」

 

 監督アポロのノーハドルの指示。キックオフの瞬間、エイリアンズの選手たちが、右に大移動。

 

「上ァがれ――っ!!! 『オンサイドキック』だ!!」

 

 敵陣の奥深くへ、遠くに蹴り飛ばすべきキックオフをあえて近くに転がして、ボールを奪取する、キックプレイ。

 博打な手段に、エイリアンズは打ってでた。

 パンサーを先頭に、エイリアンズの選手たちが、普通のキックオフ体勢から一斉に移動して、片側に集まった――あそこへ、キックが向かう。

 

「え? え?」

 

 そのポイントへ最も近かったのは、陸上部の助っ人……アメフトの素人である石丸を狙ったキック。

 

「フッ。もらったな」

 

 泥門で『オンサイドキック』を知るのは、ヒル魔、栗田、長門のみ。石丸だけでなく、この3人以外の選手全員の対応が遅れる。

 これで、全員で一個のボールを争奪する大乱戦を勝ち抜けるわけがなかった。

 

「流石、オヴライエン先輩。ホーマーのノーコンパスよりも精確なキックだ」

 

 精密なキックを売りとするエイリアンズのキッカーが蹴ったのは、ゴロではなくフワッと山なりになるキック。

 監督の指示を受けているエイリアンズはボールがどこに落ちてくるか最初から把握していて一丸となって捕りに行っている。

 対し、泥門もキックボールに反応するが、全員動きがバラバラ。長門も追いかけようとするが、石丸とは逆サイドのポジションについていて――そして、エイリアンズのパンサーはこのフィールドの誰よりも速かった。

 

「今だ! ワット!」

 

 快速飛ばしたパンサーが石丸をブロックし、エイリアンズの中でパンサーに次いで足が速く、落下地点を正確に見極めていたワットがボールを確保。

 

 これで、泥門に攻撃権が移ることなく、エイリアンズのオフェンスが行われる。

 

 

 ~~~

 

 

「え? 何か言った?」

 

 デビルバッツVSエイリアンズの試合観戦。

 王城の皆でテレビを見ていた桜庭は思わず訊き返した。観戦しながらも行っていたトレーニングを辞めて、進が何か呟いたような気がしたのだ。しかも、聞き間違いでなければ、“似ている”と。

 

「この状況……。奴と対峙した時と似ている」

 

 奴って誰だろう? しかし、桜庭はすぐに答えを導き出した。進がこういう口調で“奴”という相手は決まっている。88番は、そのまま“長門村正”と呼ぶが、アイシールドの名称不明の彼は、“奴”という。代わりに、別の問いを投げかけてみる。

 

「似てるって、なにが?」

 

「奴は……目の前で、考えもしない動きをする」

 

 あの春大会二回戦、泥門との試合を思い返しながら、進は語る。

 

「実戦経験の少なさによるものか、天性のものなのかはわからない。だが、なまじ経験を積み、相手のルートを予測して動く習慣が身についているものにとって、あの唐突で不規則な動きはやりにくいことこの上ない」

 

 それに、と進が言葉を継ぐ。その声にどこか楽しげな響きが感じられたのは、桜庭の気のせいだろうか。

 

「少しずつ、速くなってきている」

 

「そう……なの?」

 

 桜庭は首を傾げる。きっとエイリアンズのパンサーのことなのだろう。しかし彼の足が速いのはわかっても、速くなっているのは桜庭にはわからない。でも進の人並外れた動体視力には一プレイ一プレイごとに“進化”していくのが目に見えるんだろう。

 

「おそらくパトリック・スペンサーは、実戦経験が極端に少ない。十分な技術と能力を備えているにもかかわらず、だ」

 

 だから、試合中でも急激な速度で成長している。

 長門村正との力の差を埋めに行っている。そう、泥門戦で進が幾度となく対峙したあのアイシールドと同じように。“ならば、その結末は――”とそこに思い至った桜庭は進の顔を見た。その表情はいつになく険しいものだった。

 

「現状、パトリック・スペンサーは、長門村正を抜けないだろう。だが、実戦経験の乏しい者が追い詰められた時に見せる力は、驚異的だ。そして長門村正のプレイで、士気を支えているのが、今の泥門の状況……」

 

 まるで、パンサーの成長が長門村正という壁を追い抜いたとき、試合が決するとでも言いたげな口調だった。

 

 

 ~~~

 

 

「さっきのタッチダウンで息の根を断つつもりだったが、こうも吹き返すとは……」

 

 テレビ観戦していた進の感想を、フィールドに立つ長門も抱いていた。いや、直面している長門の方がより強く思っているだろう。

 少しずつ、ほんの少しずつだが……速くなってきている。

 そして、脚の速さだけではない。今日試合に出たばかりパンサーだが、監督アポロの指示を受けながら、急激な速度で成長している。

 これが、大和猛が目の当たりにした原石――

 

「オイ糞カタナ、わかってんだろうな?」

 

「はい、パンサーは俺が止めます。だから、ヒル魔先輩たちは『シャトルパス』の方をお願いします。流石に体は二つに分身できないんで」

 

 パスとラン、どちらを守るべきかと戸惑っていた泥門ディフェンスだが、長門がパンサーのランを一手に引き受けることで、他が『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けることができる。が……

 

(それでも危うい。筋肉の質の違うアメリカ人との張り合い。攻撃と守備の両面の選手がほとんど。それにブリッツで守備の時でも全力疾走をしているんだ……今、皆の体力は尽きかけている。前半ほどの勢いでブリッツを仕掛けられていないからそれも明白。エイリアンズもそれをわかっているだろう)

 

 ヒル魔先輩に注意されたが、長門は一度も負けられない。

 これまで『黒豹』を完封出来ているからこそ、疲労困憊ながらも泥門は練習通りのパス対策に集中できる。だが、その前提が崩れたら――一気に持っていかれる。

 

 

 ~~~

 

 

 『デーモンブレード』は、明らかに自分よりも強い。現時点では届かない相手だ。が、必死で脚を動かすことが少しも辛くならない。むしろ楽しい。あれだけ何度も捕まったのに、何度も負けているのに、それでも挑みたい。自分の走りで抜きたいと思う。

 

「パンサー、絶対にボールを奪られるな!」

 

 そう、指示し、師事してくれるアポロ監督の期待に応えたいから――!

 

(ボールをしっかり抱え込んだまま……)

 

 待ち受けるムラマサ。

 それをパンサーは直前で腕に抱えたボールを隠すよう背を向ける回転(スピン)。ユニフォームの背番号20を相手に押し付けるようにしながら身体を寄せて、抜き去る――

 

「っ!」

「ぐぶ」

 

 しかしムラマサの長い腕がそれを許さない。

 

「っしゃあ!」

 

「あーーっ、惜しい!」

 

 抜けない。これでもまだ抜けない。

 試合の最初から出場し、両面で相当な無酸素運動をしているというのに、そのパフォーマンスは落ちていない。むしろ後半になってから気迫を前面に出してくるから、尻上がりに上がっているようにも見える。

 なんて難関だ。初めての試合で、これほどのプレイヤーと対決できるなんて夢にも思わなかった。

 

『6ヤード前進! エイリアンズ、ファーストダウン!』

 

 そして、抜けなくても、前に進めている。

 一気に大量とはいかなくても、少しずつ、少しずつ、ランで獲得できる距離を伸ばしていく。

 それにこうしてじっくり進むことができるのは、エイリアンズには一発タッチダウンを狙える手段があるから――そう、『シャトルパス』が。

 

「よーし! 後半から『シャトルパス』の調子は絶好調だ! 落とす気がしねぇ!」

「着地点10ヤード先! ドンピシャだ!」

 

 泥門、ブリッツを仕掛けるが、倒れながらも強肩振るったホーマーの超長距離弾は、相手コーナーバックを振り切ったワットの手に無事着陸。

 タッチダウンを決める。

 その後のトライフォーポイントでは、ムラマサが素早く立ち塞がったラインバッカーのオットー・ゴンザレスを『スイム』で躱して、キックに飛びつく。

 しかしゴンザレス(弟)を相手した分だけ僅かに遅れてボールを弾くことは叶わず、その気迫で僅かに動揺するもキッカー・オヴライエンはポールに当てながらもキックを決めた。

 18-20。エイリアンズ、デビルバッツに逆転した。

 

 

「緑! 17!」

 

 そして、エイリアンズは連続『オンサイドキック』

 

「10点差つけないとアメリカに帰れないんだ! 攻撃権を渡さず、一気に突き放すぞ!」

 

 筋力差で、デビルバッツはもうほとんどがガス欠。唯一、動けている長門を警戒して、それが一番離れたポイントにボールをふんわりと蹴り送る。

 

「今度こそキャッチMAX!!」

「アメリカ連中入れんな! 壁作れ!」

 

 二度目の対応だったから先よりも早く動けたが、それでも遅い。気力はあっても体力の底が見えている。そして、今逆転を許してしまったことで、士気も落ちていた。

 

(キックゲーム……今の泥門にはない要素で、差が付けられている!)

 

 長門も全速で走るが、こんな乱戦となっては、味方までもが障害になる。それに対し、ボール確保に最短距離を行く無重力の走りは有利だ。

 

(ボールを捕らなくちゃ、また攻撃権が回ってこない!)

 

 アイシールド・セナが爆速ダッシュで迫るが、それよりも先に回り込んでいたパンサーのブロックに弾き飛ばされた。

 先ほどと同じ。パンサーがブロックに入り、ワットが捕る。エイリアンズ、二度目の『オンサイドキック』を成功させた。

 

 

 ~~~

 

 

 途中で寄った電化製品店の店前に置かれたテレビに、映し出されるナイターの試合。

 

 キッカーの差で、覆される。

 キッカーの天敵である長門が孤軍奮闘してトライフォーポイントを阻止しようとするも、キッカーの仕事はただゴールキックを決めるだけではない。

 ボーナス点を削ったところで、差が埋まるわけではないのだ。

 

(長門は肝の座り方が一年生ってレベルじゃないが、それでも限度がある。エイリアンズ相手に一人で試合をやらせるような酷使を続けていると潰れるぞ、ヒル魔、栗田)

 

 だから、いい加減新しいキッカーを育てろと忠告したのに……

 

「どうした? 行くぞ、厳ちゃん」

 

「……ああ」

 

 地面を蹴る。

 しかし、そこにボールはない。



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13話

本日2話目


 逆転され、攻撃権が回ってこない状況。

 

「SET! HUT!」

 

『シャトルパス成功ー!! 20ヤード前進!!』

 

「SET! HUT!」

 

『パンサー選手、ランで8ヤード前進!!』

 

「SET! HUT!」

 

 ………

 

『シャトルパス成功!! タッチダーゥン!!』

 

 試合時間、残り3分。

 エイリアンズ、ランとパスの波状攻撃でもって、デビルバッツの守備を圧倒し、追加点。

 18-26。泥門、更に突き放される苦しい展開。

 

(止める。これ以上一点も入れさせない)

 

 デビルバッツでひとり、変わらぬパフォーマンスを見せる長門村正。その気合いに今は、怖れではなく畏れを抱くエイリアンズだが、1人でアメフトは闘えない。そして、尊敬するからこそ最後まで手を抜かない。

 

「パンサー!」

 

 オヴライエンのキックの寸前でホーマーが、パンサーにボールを回す。

 ボーナスキックを潰そうとタックルされながらも跳び上がった長門は、そのフェイクに引っかかり、遅れた。

 自分の脚では、間に合わない。そして、パンサーを止められるのは――

 

 

 ~~~

 

 

 長門君はまだ、諦めてない――

 逆転されて皆の気持ちが切れかかったけど、まだ試合は終わっていない。

 僕だって……長門君のようなプレイや、パンサー君みたいな走り方はできないけど、僕の走り方で、勝つ!

 

(勝って、ムサシさんを……!)

 

 押し合うラインを回り込むように走るパンサーさんを先回りして、進路に割って入る。

 

「!」

 

 それに反応したパンサーさんは咄嗟にこちらへ腕を向ける。

 腕で押して、躱す。

 腕を使われたら、押し返す力は僕にはない。

 でも、両腕を使ってがっちり守ってるボールは、その腕で押す一瞬だけ隙のある片手持ちに変わる。

 

 

 試合途中で急成長するルーキーは、パンサーだけではない。

 

 

(この一瞬……この一瞬の隙を逃さず、長門君はさっきパンサーさんからボールを奪った!)

 

 

 『黒豹』は、見逃した。

 野生で恐るべきは獰猛な肉食獣だけではない、追い詰められた草食獣もまた時に信じられない力を発揮する。

 

 

 ~~~

 

 

 瞬間の4秒2。

 光速の世界に入ったアイシールド21――小早川セナが、パンサーからボールを叩き落とした。

 

 

 ~~~

 

 

 エイリアンズのエースランナー・パンサーのランプレイを、阻止。

 そして、全力の全速疾走を行ったアイシールド21は、そこで倒れた。

 

「よくやった、アイシールド21」

 

 一旦、ベンチに下がったが、今のプレイに泥門は持ち直した。

 

「三度もやってくりゃ、こっちだっていい加減に慣れんだよ!」

 

 三度目の『オンサイドキック』を行ってきたエイリアンズだったが、一糸乱れぬとまではいかなくとも、一丸となってボール奪取に望む。

 先頭を切ったパンサーに、長門が壁となり、気迫を前面に押し出して阻む。結果として、ワットは着地ポイントまで間に合わず、ボールがグラウンドに落下するのを許してしまう。

 

「長門やセナが死力尽してんのに、俺がここでへばってるわけにはいかねぇ!」

 

 楕円形(アメフト)のボールは、バウンドが不規則(イレギュラー)だ。とてもそれを事前予測することはできない。エイリアンズのエースレシーバー・ワットの眼力でも見極められない。一度、慎重にブレーキをかける。

 しかし、ノンストップで飛び出した80番、泥門のエースレシーバーはボールが地面に跳ねる前に飛び出して、それが確かにバウンドしたボールの軌道先であった。

 

 泥門デビルバッツ、ボールを奪取に成功。

 

 

「SET! HUT!」

 

 泥門オフェンスプレイを開始。

 ――しかし、その直後に迫る漆黒の影。

 

 

「ブリッツは貴様らだけの専売特許ではない。――行けーっ!!! パンサー!!!」

 

 

 パンサーが、守備を放棄して、泥門の投手・ヒル魔を潰しに突っ込んだ。

 途中、ランニングバックに入っていた石丸がブロックに入るが、無重力の走りはそれをすり抜ける。

 

「さっきはやられたけど、今度はこっちが――!」

 

 監督の指示に、全力で応える。アポロからの声援が後押しとなったかのようにさらに加速したパンサー。

 ブリッツは、パワーだけでなく、スピードも重要。

 相手からのサックに慣れた移動型クォータバック・ヒル魔でも、このパンサーほど速い選手と対峙した経験はなかった。

 

「糞っ!」

 

 ボール確保が間に合わず、ヒル魔がボールを落とし、そのこぼれ球をパンサーが拾う。

 

「このままタッチダウンで……14点差勝ちだ!」

「アメリカに帰れるー!!」

 

 試合開幕での泥門のプレイの意趣返しであるかのように、アイシールド21のように、エイリアンズのパンサーはそのままタッチダウンを狙う――しかし、

 

 

「セナとモン太が死力で紡いだこのチャンスを、そう易々とは逃さん!」

 

 

 最後の難関『デーモンブレード』。

 この試合、一度も抜けていない相手。この男を抜かなければ、パンサーはタッチダウンできない。

 

(筋力じゃ『デーモンブレード』には勝てねー。間合いも向こうの方が腕長いし、巧い。躱す。一度追い抜ければ、手の届かないところまで一瞬で突き放してみせる!)

 

 でも、どうやって抜く?

 ただ最短距離を行く走り方では捕まる。何度となく捕まってきた。いくら脚で勝っていても、その動きを読まれているのでは意味がない。

 どうすれば――

 

 

「脚だけでなくもっと全身のバネを使って走れ! それが貴様ら黒人……ナチュラルボーンスプリンターに与えられた天性の才能だろうが!」

 

 

 それは、黒人に敗れ、憎み、だからこそ彼らの走りを脳裏にこびりついたように熟知する白人、アポロが激しい感情と共に吐いたパンサーへのアドバイス。

 この瞬間、『黒豹』は、変わる。目の色から、その走り方まで。

 

(斜めに沈んだ……!!)

 

 曲がりながら身を深く沈める。

 人間の目は、タテ・ヨコは追えてもナナメの動きに弱い。今のパンサーは、その反応が追い辛い角度で潜り込んだ。

 全身のバネを使って、壁を突破する――

 

 

 ~~~

 

 

 超一流になるには、天才だけでは叶わない。

 優秀な指導者に巡り合って、真に開花できるのだ。

 それまでずっと独学で練習してきた『黒豹』は、このアポロという師の言葉で一段上のステージに上がる。

 

 しかし、それはパンサーだけではない。

 優秀な指導者にしごかれた天才は、もうひとりいる。

 

 

『お前には俺達『二本刀』にはなかった身長(タッパ)がある。だから、俺が手を伸ばしても届かなかったものを掴めるはずだ』

 

 

 かくん――と。

 仰向けに倒れるような、重力を味方につけた後方への超速の重心移動。長門村正が体を倒しながら身を捻って伸ばした手、その指先が、パンサーが持つボールの縫い目にかかり――

 

「お゛お゛お゛お゛お゛お゛――――ッッッ!!!」

 

 弾く。

 

「よくやった糞カタナ!」

 

 こぼれ球を、ヒル魔が抱え込んで、泥門ボールを確保した。

 

 

 ~~~

 

 

 ――村正!

 

 人種の“壁”を超えて、あの『黒豹』を止めてみせた。

 一度、追い抜かれれば、この大和でも手に触れることが叶わなかった相手を、止めてみせた。

 思わず、椅子から立ち上がってしまう。鷹たちから視線が集まるが気にせず、幼馴染の顔が映し出されるテレビに指をさす。

 

「村正……やはり、君こそが俺の一番のライバルだ」

 

 

 ~~~

 

 

 タッチダウンは阻止したが、もう時間はない。

 このプレイできるチャンスは、できてあと二回。二回のプレイでタッチダウンを決めなければならない。

 

「次もまた『電撃突撃』をエイリアンズが仕掛けてくる可能性も捨てきれねぇ。――長門、お前がランニングバックに入れ」

 

 作戦が、決まった。

 

 

 ~~~

 

 

 泥門のエースランナー・アイシールド21はまだベンチで横になっている。

 しかし、こちらがパスプレイを潰す『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けた印象はぬぐいされないだろう。あわやタッチダウンを貰うところだったのだから。

 80番、88番へのパスも慎重にならざるをえなくなかったはずだ。

 

 そこで、デビルバッツは、タイトエンドにいた88番……『デーモンブレード』ムラマサをアイシールド21のいたランニングバックの位置にまで下げた。

 

(奴を使ってのランプレイ……『掃除作戦(スイープ)』か)

 

 高等技術『無刀取りストリッピング』でもってパンサーからボールを奪取してからのあの『燕返しカット』で、一気にタッチダウンを決めたムラマサ。

 泥門の中で、あの男だけは高校レベルからすでに逸脱している。あれほどの走行技術があるのなら、ランプレイも任せられる。パスターゲットを一枚減らしてでも、ブリッツを回避して、着実にヤードを稼げる。

 

(しかし、パンサーに『掃除作戦』は通用しない)

 

 いくつの壁があろうとも無重力の走りですり抜け、ブロッカーに守られたランナーに食いつく。

 『デーモンブレード』は、アイシールド21よりもパワーこそがあるがスピードはないので確実に捕まえられるはずだ。それでもパンサーを引き摺ったまま走るだろうが、それでもいずれは潰れる。

 

「いいか、パンサー。絶対に腰にしがみついて、『デーモンブレード』が脚を止めるまで死んでも離すな」

 

「はい! アポロ監督、必ず『デーモンブレード』を仕留めてみせます! 見ててください!」

 

「……いけ。さっさとフィールドに出ろ」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 デビルバッツの攻撃が始める。

 センター・栗田からスナップされたボールをクォータバック・ヒル魔が受け取り、それをランニングバック・長門がすれ違いざまにハンドオフされた。

 監督アポロの予想通りの『掃除作戦』。

 エイリアンズのディフェンスはすぐに対応。大外に逃げるランナーを、セーフティ・パンサーが追いかける。

 

「フゴッ!?」

 

 ブロッカーのひとり小結がそれを阻もうとするも、リーチの差で勝っている手を使い、最小限の動きで躱す。

 

(ムラマサがカットを切る間も与えないくらいのスピードで、一気に……!)

 

 全身のバネを使って――跳ぶ。

 狙った獲物に一直線。パンサーはしっかり腕を腰に回して、捕まえた。

 

 そう、捕まえた。

 あっさりと。

 何も曲がりやフェイントを入れてくる気配もなかった。

 パンサーの全速力、勢いのついた人間砲弾を真っ向で受けたのだ。これはいくら何でも倒せる。

 

「いや、最初から抜くつもりはない」

 

 パンサーに下半身を抑えられながら――長門の上半身が、その筋肉が膨張するかのように力が入った。

 

3(スリー)――2(ツー)――」

 

「え……これはまさか――!?」

 

 泥門が積んできたエイリアンズの『シャトルパス』対策。

 その特訓で、『電撃突撃(ブリッツ)』の練習で相手投手役を務めていた長門村正は、必然的にひとつの技……力技を覚えていた。

 

 

「あの選手、『ストリッピング』だけでなく、『ハーフバックパス』までやれるのか!?」

 

 

 『ハーフバックパス』

 クォーターバックが後衛のプレイヤーにボールを回し、それを受けた後衛がフォワードパスを投げるトリックプレー。

 ただクォーターバックが投げるよりも、守備側がランプレーへの対応をより進めた時点で、パスに切り替えるため、成功すれば大きなゲインを稼ぐことができる。

 投手ではない専門外のプレイヤーによるパスプレイであるため成功率は低いとされているが、長門村正は、多芸多才。

 ブロックにキャッチ、そして、ラン。それから、パスもできる。

 何度となくブリッツを受ける投手、仮想ホーマー役を務めていた長門村正は、その本人、エイリアンズの超長距離弾のマッスル発射台ホーマー・フィッツジェラルドと同じように、倒されながらも上半身の力で超ロングパスを、この一月で習得していた。

 

1(ワン)――0(ゼロ)!!」

 

 エイリアンズのお株を奪う超ロングパス、『ハーフバックシャトルパス』。

 ボールは夜の星空を駆けて、逆サイドにいる、ノーマークの、泥門のエースレシーバー・モン太が走り込む先へ――

 

(いや、落下地点までの距離、今のバテバテの80番の脚じゃ遠すぎる。パス失敗だ)

 

 『シャトルパス』のキャッチ役を務めてきたワットがベンチからの軌道を予測する。――しかし、そこはキャッチの達人、何よりも捕球にかける執念が管制塔の予測を上回った。

 

「絶対捕る! ムキャアアアア――!!」

 

 前に跳んで、腕を伸ばす――その大きく広げた手に超長距離弾が入った。

 

「おおおおおお!!」

 

 通った。パス成功。

 泥門デビルバッツ、これで一気にゴールラインまで残り10mのところまで前進して――

 

『デビルバッツ、なんとモン太への『シャトルパス』で大量ヤードを獲得! ――そして、おおっと! アイシールド21が復活したぞ!』

 

 

 ~~~

 

 

「ごめん。途中で抜けちゃって……」

 

「いいや。それよりも、走れるのか?」

 

「うん。王城戦の時は4秒2(トップスピード)を出した後はしばらく歩くこともできなかったけど……」

 

「あれから脚力がついたんだな。ま、当然か」

 

 ほとんど素人だったころから今日まで練習を重ね、そして、たった30分間とはいえ、急な石段を一ヶ月、欠かさず往復し続ければ、いやでも脚力がつく。

 少し休んだだけでも回復できるだけ力がついてきているのだ。

 

「糞チビ、ちったぁ休んだんだから体力回復してんだろ。今の泥門で全力でプレイができんのは、糞カタナとテメェだけだ」

 

 デビルバッツはほぼ全員、疲労困憊。特にモン太はさっきの超ロングパスキャッチに全力疾走したせいで、目が白んでいる。

 

「だから、テメェらで一気に決めろ」

 

 

 泥門が最後のチャンスにかけたプレイは、『掃除作戦(スイープ)

 それも今回は長門がリードブロックに参加する。アイシールドと並走しながらリードブロックをしてきたライン陣は、疲労の度合いが大きいが、長門が入ることで層を厚くする。

 

「十文字、黒木、戸叶、大吉、それから石丸先輩、最後は勝って終わらせてやりましょう」

 

 そして、時間的に最後のプレイが始まる。

 まず、ヒル魔からボールを回されたのは、ランニングバックの位置に入ったままの長門。彼が持ったままランプレイを開始。

 

 先ほどのビックプレイ、『ハーフバックパス』の牽制があって、気力で立っているような状態のモン太にもマークがついて、守備力は割かれている。

 『掃除作戦』を突破し得るパンサーも、パスを警戒し、迂闊に接近せず、セーフティとしてゴールラインの前から動かない。

 

「お前は最後の相手をするまで後ろで休んでおけ」

 

 そういって、長門はブロッカーに指示を出しながら、セナを後ろにつかせてゴールラインに向けて走る。

 王城戦で進を相手した時と同じように。二人乗り自転車のように、前を行く長門の動きに合わせながら、アイシールド・セナも走る。

 

「やられても構わない! 盾の仕事は自分が犠牲になって、一瞬でも敵を足止めすること!!」

 

 そして、十文字……最後の一枚が、相手ディフェンスにぶつかっていったところで、二段ロケットは発射する。

 

「行け、アイシールド21――!」

 

 軽くバックパスして、長門村正は、エイリアンズのディフェンスタックル、ニーサン・ゴンザレスと当たり、『マッスルバリヤー』に風穴を開ける。――そこへ、アイシールド21は飛び出した。

 

(抜く! 今度は僕が、アメフトを始めてから積み上げてきた僕の走りで、パンサーさんを抜く……!)

 

 フィールドで、勝負をつけよう! ――その約束を今こそ果たす。

 

 石蹴り。ずっとしてきたブレーキをかけずに走る練習。そして、急に歩幅を縮めて、1歩でジグザグに踏み切る長門村正のお手本。

 この積んだ鍛錬が芽吹かせるものは、悪魔の走り。

 

(消えた――!?)

 

 走りながら、消えた。

 目の前で幽霊のように霞んで、アイシールド21の姿をパンサーは見失う。

 そして、パンサーを抜き去ったアイシールドはその足でゴールラインを踏み締めた。

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 24-26。エイリアンズに2点リードを許しているデビルバッツ。

 残り時間もあとわずかで……でも、ボーナスゲーム、トライフォーポイントが残っている。

 

 ゴール前3ヤード(2.7m)から、キックかタッチダウンを狙う。

 キッカー不在の泥門にキックはなく、またキックではもらえるのは1点。

 

「2点差ある。キックじゃ入れても負けだ」

「タッチダウンで同点狙いだね」

 

 そして、タッチダウンは2点――

 

「ゴール前で小細工は通用しねぇ。全員でど真ん中に突っ込むぞ」

 

 敵陣まで僅か2.7m。

 パワーで押し切る!!

 本場アメリカの強豪チーム・NASAエイリアンズに真っ向から力勝負を挑む。

 

「最後に決めるのはテメーだ。いつもみてーにステップで横に避けようとか考えんなよ」

 

「ちょっとでも避けたり躊躇ったりしたら止められちゃうからね。真っ直ぐ思いっきり突っ込んで!!」

 

 助言を送るヒル魔さんと栗田さん。

 そして、長門君が、肩に手を置き、

 

「ここに書かれた21の数字が前を向いていれば、必ず勝てる。――奴らにはない、身軽さを武器にしろ、セナ」

 

 

 ~~~

 

 

(みんなすごいよ……あの頃は、本場のNASAエイリアンズと真剣勝負ができるなんて思ってもなかった。だから――ここは僕が道を開く番だ!)

 

 ――HUT!

 ボールをスナップすると同時に、己のすべてを燃焼させ尽くすつもりで力を振り絞る。

 

「フンヌラバァア!!」

 

 エイリアンズもこちらの作戦は読んでいる。

 オフェンスチームのホーマーも入れて、パワーのある面子で固めている。ベンチプレス160kgの高校日本最高峰のパワーを持つ栗田良寛を筆頭にこのより分厚い『マッスルバリヤー』を押し込むが、やはり詰まる。

 

「うお゛お゛お゛お゛――――ッ!!!」

 

 センター・栗田の背中に向かって、ボールを持った長門が突貫。

 栗田に次いでパワーがあり、そして、アイシールド21に次ぐスピードを持つ、スピードとパワーのバランスの掛け算ならば、エイリアンズを含めてこのフィールドでトップの選手。強引な中央突破にこれほど適した選手はいない。

 圧倒的な身体能力でもって体当たりをかます強烈すぎる後押しを背に受け、栗田はさらに押し込み――――――しかし、ゴールラインまで辿り着けない。

 

「いいや、ロケットシャトルも二段式だろ?」

 

 ふわり、と。

 長門村正の手から優しいトス。素人でも取れるボールが拮抗するラインの真上に。

 

 ――そこへ、弾丸スピードで飛びつくアイシールド。

 

「何ィイイイイイ!!? まさか、空中でボールを捕るつもりなのか……!?!?」

 

 ガッチリボールを抱えて、真っ直ぐ突っ込む。そして、両肩の21の番号を前に向ける。

 

 

「お前の脚なら行ける!! ――()べっ!!」

 

 

 アメリカをぶっ飛ばせ! 40ヤード4秒2の人間砲弾――『スカイ・デビルバットダイブ』!!

 

 

 身軽さを武器に、翼が生えたかのように飛翔した二段式ロケットは、敵陣(ゴール)に着地した。

 

 

 ~~~

 

 

 26-26。

 延長戦はなし。泥門選手の大半がガス欠でこれ以上の試合が厳しい、怪我をするかもしれないと『月刊アメフト杯』を企画したアメフト編集部からストップが入って、延長戦はないこととなった。

 泥門デビルバッツ対NASAエイリアンズは引き分けに終わったのである。

 

(延長戦やれば99%負けるだろうから実質負け。しかしそもそも今の泥門では敵わない相手に引き分け。そして、まだアメフト始めて間もない新人たちが得た経験値もデカいし、個人的には大金星だ。ヒル魔先輩の狙い通り、強豪との一見無茶な試合が、最もスパルタな特訓ってことだ)

 

 しかし、勝つ。圧勝できなかったから、武蔵先輩との約束(かけ)は果たせなかった。

 だが、いずれ、泥門が強くなれば……戻ってきてくれる。そう望みは捨てない。

 

「明日からたっぷり練習できますね」

「夏休みだもんね」

 

「合宿とかやるのかな」

「当然努力MAX! もっと強くなんねーと!」

 

 この試合を糧にまたさらに前進する。その成長の兆しが芽生えたところで、相手チーム・エイリアンズが挨拶に来た。

 

「ナイスゲーム」

 

 試合が終われば、ノーサイド。

 友好的にこちらへ握手を差し伸べるのは、パンサー。その後ろにはホーマー、ワット、ゴンザレス兄弟らが控えている。

 

「『負けたよ。一度も抜けなかったなんて初めてだ。最後のは自信があったんだけど』」

「『まさか本当にここまでコテンパンにパンサーを負かしちまうとは思わなかった。それに俺の『シャトルパス』までやってくれるとは。脱帽だ、『デーモンブレード』』」

 

「『今日、パンサーを止められたのは経験、引き出しの多さだ。このまま延長戦をやっていれば危うかった』」

 

「『いや、今日の試合は俺に有利過ぎた』」

「『コイツ途中出場でスタミナ有り余ってたかんな』」

 

 グリグリとホーマーがパンサーの頭を撫でる。

 それから、パンサーはアイシールド21……セナへも手を差し出す。

 

「『面白い走りだった。最後はやられたよ! あの爆速ダッシュ……どんなトレーニングで身に着けたんだい?』」

 

 ……それは流石に通訳しないでおいた。

 気になるだろうが、パシリで鍛えたとは言い難いので、曖昧にぼかして応えておいた。

 

「『日本最強ランナーは、進とI.Cのどっち?』」

 

「日本で一番強いランナーは、お前か、進清十郎か、と訊いているぞ」

 

 パンサーの言葉を通訳するとアイシールド……セナは、少し考えた後、こちらを見て、言った。

 

「僕だって、僕の走りで、進さんに勝とうとしてる。――それに、長門君も、抜きたい」

 

 それに、長門は目を瞬かせて、セナの外さぬ、冗談ではない視線を受けて、苦笑を零してから、パンサーに通訳する。最後までちゃんと。

 

「『今度は同じ条件で闘おう。今度はもう抜かれない!』」

 

 

 ~~~

 

 

 ……とこれで、終わりとはいかない。

 

「爽やかに締めたとこ悪いがな。約束は守ってもらう」

 

「あれ?? うちらのパスポート……」

 

 結果は引き分け。

 両チームとも公約に掲げていた10点差以上はつけられなかったわけで……悪魔の笑みを浮かべるヒル魔先輩の手には、何故かNASAエイリアンズのパスポート全員分が。

 

「帰国不能」

 

「Noooooooo!!」

 

 何の躊躇もなく他人のパスポートを、シュレッダーに放り込んだ。

 パスポートの再発行は、およそ一週間。それまで、彼らは日本観光しなければならなくなった。

 

「『貴様らはどうなんだ。即日日本退去じゃないのか!』」

 

 で、他所のチームに罰ゲームを下したヒル魔先輩は、身内だからと言って容赦してくれるような……そんな人ではない。

 監督アポロの厳しい追及にも、ヒル魔先輩は悪魔の笑みを浮かべたまま、のたまった。

 

「おーそうだった! テメーらの帰国便、もういらねーだろ?」

 

 この先輩は、どこまでも本気であった。

 

 

 ~~~

 

 

「大丈夫セナ? 唸されてたけど……」

 

「あー、良かった。まもり姉ちゃん。怖い夢見たよ。何かヒル魔さんに日本退去とか言われて、いきなりみんなでアメリカ行きなんていうありえない……」

 

「いや、それは夢じゃなくて現実だぞ、セナ」

 

「アリエナイー!!」

 

『当機は成田発。テキサスヒューストン行き。離陸後も機体が安定するまではシートベルトを外さないでください』

 

 そうだ、アメリカへ行こう、と空の旅。

 前の席で叫ぶ主務(仮)を幼馴染のお姉さんにおまかせしつつ、企画者に長門は訊ねる。

 

「……ヒル魔先輩、何か予定とかはあるんですか? 宿泊先とか」

 

「無し! 泊まる金なんざねぇぞ。全部現地調達!」

 

 悪魔な先輩のスパルタ具合はこちらの想定の斜め上を行くようだ。

 

(大和、お前が体感してきた本場の世界……アメフトに限らずアメリカそのものを知ってくることになりそうだ)

 

 

 して、スタッフマネージャーを含めると人数に倍以上の差があるデビルバッツとエイリアンズ。パスポート喪失した彼らの帰国便を使わせてもらったにしても、だいぶ余りが出るようで。

 ガッポリキャンセルで空いた分、とある高校のアメフト部が夏休みシーズンにまとめて席が取れるようになっていた。

 

「今、セナとまも姉の声が聴こえたような……」

「ひと眠りするわ。鉄馬……5時間くらいしたら起こしてやってくんね?」

「(コク)」

「いざ男のテキサスへ! ワイルドガンマーンズ!」

 

 とある東京地区春季大会のダークホースが。

 

 

「兄さんがアメリカにいるって情報……本当なのかしら?」

 

 とある家出少年を探すその妹が。

 

 

「勝手にアメリカに行ってごめんなさい、お父さん! でも、村正君……がいる泥門デビルバッツ! 太陽スフィンクスに圧勝し、あのNASAエイリアンズにも引き分けた今急成長中の高校アメフトチームが、どんな合宿をするのか知りたくて! 密着取材を!」

 

 とある女子高生アメフトライターが。

 

 奇遇にも泥門と同じ便に乗り合わせていた。

 

 

 ~~~

 

 

「約束だからな。二度と()()()()()()()()()()()

 

「……はい」

 

 試合は、10点差をつけて勝つどころか引き分け。

 プレイも、アイシールド21に最後抜かされて、『デーモンブレード』を最後まで抜けなかった。

 監督アポロの期待に応えることができなかった。だから、もう皆の、レオナルド・アポロのいるエイリアンズにはいられない。これは仕方のない事なんだ。

 

「新聞に宣言しちゃった、『NASAエイリアンズは二度とアメリカの地を踏まん』は、大丈夫なんですかね?」

 

「チーム名を変える。今日からウチは『NASAシャトルズ』だ!」

 

「うわー小学生級の言い訳!!」

 

「うるさい!」

 

 エイリアンズのバスで、騒がしくするチームメイトと監督。

 ひとりバスの外で立つパンサーはこの場を立ち去ろうとした……その最後に見収めようとした憧れた元NFL選手の背中が、誰にとは言わずに、

 

 

「『NASAシャトルズ』のランニングバック。新ユニフォームの20番は――着る気があるなら空けておく」

 

 

 どうしても入りたかった。

 あのレオナルド・アポロさんのチームに!

 

「NFLは甘くねぇぞ! 今まで以上にしごいてやるから覚悟しとけ!!」

 

「はい!!」

 

 ――あの一時だけで、夢は、終わらなかった。



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14話

 一輪車トレーニングというのがある。

 倒れないように、前後左右にどちらにどれだけ体重を移動しても重心を1ヵ所に合わせなければならない。これはバランスをとる体幹、腰回りの筋肉が鍛えられる。

 それにハンドルを握って踏ん張らずにペダルを漕ぐので、腰のツイスト運動を必要とする。“みぞおちから脚が生えている感覚”で足を動かすのだ。スキー選手の中には、雪がなくて滑走のできないオフシーズン中は一輪車でトレーニングをする者もいるという。

 そして、移動する際の姿勢も綺麗になるともいう。

 

(そう、セナの爆速ダッシュもだが、アメフトの選手の走り方は、脚の内側や後ろの筋肉を使って、前にドンと押し出す――足を()()感じだ。引っ張る力よりも押す力の方が強いのは決まっている)

 

 が……さて、

 

(もっともこれは一輪車ではなく、三輪の二人乗り用自転車……ただし、()()()()()()()から、一輪車と同じようになっている)

 

 ハンドル無しの自転車の時点でこれもう日本では走らせられない、これが終わったら元に戻すつもりではいるが、アメリカでないと無理だ。

 元々、総重量500kgの重量級改造車だったが、現在はヘルモード仕様。……でも、後ろは極楽である。

 

(これはますます転倒し難い……俺だけじゃないからな。絶対に倒れられん)

 

 これは一輪車ではなく、二人乗り自転車。

 前はハンドルという自転車に必要不可欠な要素が取り上げられてしまっているが、後ろはオプションが豪勢だ。

 ペダルは外されて、代わりに旅客機の机つきリクライニングシートのようなものが設置。ネット設備は完備(必要な電気は車輪を利用した人力発電)、日避けや雨傘になる屋根もついている。ちょっとしたネット喫茶だ。ただし立地は、己のバランス感覚にかかっている。転倒時のエアバックもつけた(後部座席限定)と言っていたが、お勧めしない物件だ。

 もはや後ろの自転車要素は、ブレーキをかけるためのハンドルしかない。

 ……これ賊学のバイク並みの改造費用がかかっているのではないだろうか? しかもその分だけ500kgプラスアルファが増量しているだろうし。

 

(先輩と先生は一体俺を何だと思っている……春休みに半分やってきたことを知っているから、“これじゃつまらんだろう”とこの特別仕様……)

 

 このメニューのコンセプトは、『進清十郎の『スピアタックル』をもらっても倒れない』、だ。

 

 そして、夏休みの期間40日以内にこのテキサスから、お金を稼ぐ当てがあるという西海岸ラスベガスまでの2000km、アメリカ横断のウルトラトレーニングは自分だけではない。ポジション別でそれぞれ違う。

 

「『ロングポスト』!」

「これ! 普通に走るよりキツさMAX……!」

 

「ジャニーランっていう毎日80kmとか走るマラソンもあるんだ。1日数十kmは無理じゃないハズ……」

 

 後衛レシーバーは、銃弾を避けながらパスルートをこなしながら走る。その後ろでクォーターバックは荷物を持ちながら反動で腕に負担のかかる銃器をぶっ放しながらルート指示を飛ばして追う。

 

「ファイトー! 応援してあげるから、私を兄さんのとこまで連れてってー!」

「ヒィィ! そんな引っ張らないで、瀧さ、鈴音、石蹴りしてるから……」

 

 ランニングバックは、エイリアンズ戦でパンサーに見せた必殺カットを完成及び向上させるために石蹴りしながら、車輪付き(スケート)少女を引っ張る。

 

「どしたどしたぁ!! そんなんじゃ10年かかってもラスベガス着かねぇぞ!!」

『ぬぐおおおおおお!』

 

 前衛のライン組5人は、食料水その他もろもろの荷物を載せている合宿中の居住区にもなる、マネージャーがハンドル握ってるデビルバット号(デコトラ)を押して進む。

 

(うーん。どれも甲乙つけがたい。そう、『死の行軍(デス・マーチ)』は他に余裕がないくらいにキツいメニューだ。……なのに、俺だけ“ハンドル握らない手が空いてて寂しいだろうからグリップでついでに握力を鍛えておけ”とか。まったく容赦のない依怙贔屓だ)

 

 ギチギチと両手で握力グリップを握りながら、ギア最大のペダルを踏む。

 道路は凸凹して荒れているがハンドルを必要とするような急な曲がりのない一直線に道路を行くし、ブレーキは二輪自転車の後ろに備えられているからいざというときは問題ない。

 ただ不安に思うのはやはり同乗者の存在である。

 

「秋大会東京地区のトーナメントの速報が入りましたよ、村正君! 泥門が一回戦に当たるのは、千石サムライズです!」

 

「そうか、リコ」

 

 荒ぶると髪がパーマに縮れるのが特徴なアメフト情報通のお隣さん・熊袋リコが、この二輪自転車後ろでノーパソを開いて情報収集している。

 きっと、春大会のダークホース・西部ワイルドガンマンズのアメリカでの合宿を取材に来たんだろうが、何故かこうして泥門デビルバッツの合宿に密着取材どころか限定マネージャーみたいに協力してくれている。主務のように情報収集してくれるのはありがたいのだが、いいのだろうか? ワイルドガンマンズを放っておいて。

 

「千石サムライズは、鋭い走りを武器とする優勝候補の一角です。特に目覚ましいのが浪選手率いる攻撃陣。かつて名門千石大のアメフト部を盛り立てた豊臣光秀監督が経験を活かした指導でチーム強化されたサムライズは、王城や西武と並ぶAクラスです。春大会では準決勝でワイルドガンマンズに敗れましたが、それでも王城との決勝で途中退場した鉄馬選手がフル出場する中での接戦でした。一回戦から厳しいところと当たりましたね、泥門デビルバッツ」

 

 なるほど。

 でも今はそんな一ヶ月後先のことよりも、現状。日本に帰れるかどうかを心配した方が良いだろう。

 そして、万が一にも倒れるつもりはないが、付き合うだけでも相当大変だ。

 

 トレーニングでズタズタにブチ切れた筋肉を休ませると、治る勢い余って前よりも筋繊維を増量する。この現象が、『超回復』。これが筋トレの仕組み。だからトレーニング後が、最低24時間は休んで『超回復』させないと筋トレは意味がない。

 と言っても秋大会まで40日。毎日休んでいてはラスベガスには到着できない。――だから、徹夜で2日分のトレーニングをこなすビルドアッププラン。

 『死の行軍(デス・マーチ)』は、徹夜して倍速でプログラムを仕上げる事なのだ。2倍筋肉削って、2倍『超回復』させる。

 2日徹夜して、1日休みの繰り返しが、『死の行軍』である。だから、同乗者リコもベッドで横に眠ることができない。一応、後ろに座席を倒せば寝られるようになっているが。一言断りを入れておく。

 

「リコ、今夜は寝かさないぞ」

 

「ええええええ!?!?!?」

 

 

 ~~~

 

「ア

 メ

 リ

 カ~~~~! タッチダーウン!!」

 

 泥門、アメリカ・テキサスのビーチでバカンス。

 砂に埋まったり、スイカ割りしたり、浮き輪で海を漂ったりと満喫。中にはガンショップで装備の充実を図る(日本に密輸する気満々)先輩もいる。

 

 そして、皆が思い思いに過ごしている中、

 

(宿なしでほぼ文なし。さあ、どうしようかアメリカ生活。大和の付き合いで英語はできるが、働くことはできんし)

 

 と頭を悩ましていた長門村正も久しぶりに対面した。

 

「おや、お前は……西部ワイルドガンマンズの甲斐谷陸」

 

「泥門デビルバッツの長門村正!」

 

 適当にビーチを散歩していたら、春大会決勝で会った甲斐谷陸、あの爆速ダッシュのコツを教えたセナの兄貴分で姉崎先輩とも幼馴染。そして、王城ホワイトナイツを追い詰めたダークホース・西部ワイルドガンマンズのルーキーエース。

 

「どうしてあんたがここに?」

 

「『月刊アメフト杯』でNASAエイリアンズに10点差つけられなかったからな。公約通りに国外追放……じゃなくて、まあ、合宿だ」

 

「へぇ、泥門も?」

 

「ということは、西部もアメリカに来ているのか?」

 

「ああ。それじゃあ、セナやまも姉もいるのか?」

 

「もちろん」

 

 嬉しそうに笑う甲斐谷陸。

 なるほど、西部もアメリカに合宿に来ている。きっとまともな予定を組んで。

 と軽い情報交換を兼ねた挨拶を互いに交わしたところで、

 

「『月刊アメフト杯』、NASAエイリアンズとのナイター試合みてたよ。やっぱり、アンタは強い。王城の進清十郎と同じ、雲の上の怪物だ」

 

「お世辞はよしてくれ甲斐谷。結局、試合では勝てなかったんだしな」

 

「けど、MVPがあるとすれば、きっと長門だ。体格の違う本場の強豪チームを圧倒し、あの黒人のランニングバックを一度も抜かさなかった。……俺と同じ世代でこれほど凄い()()がいるとはね」

 

 爪先で軽く突くように砂浜を蹴る甲斐谷。

 

「だけど、負けない。西部ワイルドガンマンズのランニングバックとして、エースキラー・長門村正を抜いてみせる」

 

 真っ直ぐ突き付けるのは、誇り高い目だ。一年生だそうだが、きっとこの甲斐谷陸の走りは、“重み”があるだろう。

 だが、長門村正は、負けない。負けられない。――西で待つ、己の最大のライバルと決着を付けるため。

 

「抜かさん。何人たりとも、な。俺には誓いがある」

 

 どんな走者も止める。それが、世代最強ランナー・アイシールド21への挑戦権。立ちはだかる難敵を一切合切斬り捨てて、決戦の舞台クリスマスボウルに臨む。

 と、そこで浜辺に鳴り響くアナウンス。

 

『これよりメインイベントの前哨戦! ビーチフラッグ大会を始める! 優勝賞金は500ドル(5万円)! 脚に自信がある奴は参加してくれ!!』

 

 お、と。

 賞金が出るのか。今の泥門の台所事情には一ドルでもあった方がいい。

 また隣人もニヤリと勝気な笑みを浮かべ、

 

「なあ、勝負しないか?」

 

「甲斐谷?」

 

「長門は、脚にも自信があるんだろ?」

 

 ビーチフラッグでスピード勝負。

 強豪でもエースクラスの脚を持つと自負しているが、話を持ち掛けるという事は、甲斐谷陸も相当自信はあるんだろう。

 西部でまだ公式試合に出されていない、この隠し玉ルーキーの脚を見定めるには、良い機会か。

 それにこちらも話を持ち出し易い。

 

「いいだろう。それで、勝負と言うからには、何か賭けでもあるのか」

 

「ああ。そうだな、俺が勝ったら」

 

 次に甲斐谷から飛び出した要求(ことば)に、長門村正は少し困った。

 

 

「アイシールド21を紹介してくれ」

 

 

 マスコミにも正体を明かしていない、鳴り物入りで突如日本高校アメフト界に現れた謎の仮面ヒーロー。

 

「何者か知らないけど……って、ノートルダム大だっけか? あの走りは、ランナーとして見過ごせない。奴とも会って話がしたいんだ」

 

 でも、それが甲斐谷の幼馴染(コバヤカワセナ)なのである。

 

 

 そして、始まったビーチフラッグ大会。

 砂浜に突き立った旗を誰が一番に捕るか、走力と反射神経、敏捷性(スピード)を競うスポーツ。

 顔を反対側に向けうつぶせにセットする距離から、およそ20m離れたところに旗がある。身体接触は禁止されていて、腕を使った妨害や激しい接触は失格になる。

 

(なるほど自信があるだけあって、脚が速い。流しているが他の参加者を寄せ付けない。目測だが、あの脚の筋肉の付き方からして、およそ40ヤード走4秒5といったところだろうな。セナと同等くらいか)

 

 悠々と決勝にコマを進める甲斐谷。長門もまた同じように軽く準備運動するかのように程々に飛ばして旗を取って最後の舞台に上がる。

 

 決勝に立つのは、4人。

 突き立った旗は、1本。

 

 そして、敵となるのは、甲斐谷陸1人。

 

 アメフトプレイヤーとしての総合力は勝っていようが、ランナーとしてのスピード一点では劣ると長門も認める。

 ――しかし、長門村正が倒そうとしているのは、さらにその上の走りを持つ完成されたランナーだ。

 

『スタート!』

 

 パァンッ!! と号砲が鳴ったと同時に、うつ伏せの姿勢から起き上がり、フラッグに向けて疾走。

 一気に他二人を置き去りにし、甲斐谷と並走。

 

 アメフトのグラウンドとは違う砂浜。砂に足を取られて動き難いだけでなく、地面からの反発も弱い。地面を蹴るよりも、脚を上げることが肝要、つまりは爆速ダッシュには向いていない土壌だ。足先だけの動きでは不十分で、上半身のフリの力が砂浜で速く走るコツだ。

 

(つまり、上体のパワーのある俺の方が有利なフィールドのわけだが、それでも互角とは)

 

「ふっ――」

 

 半分を過ぎて5mのところで、甲斐谷がさらに加速した。

 

「この野郎……!」

 

 逃さん! 最後の一歩、思いっきり身体を倒し、飛びつく。恵まれた体格を生かし、全身のバネを躍動させる最後の加速。

 僅かに出遅れてしまったが、それでも伸ばした腕の長さ(リーチ)は甲斐谷よりも上で――旗を掴んだのは、同着。

 

「悪いな。勝者は旗を()った方だ」

 

「なっ!」

 

 が、この一瞬、観客審判から裁定を覆い隠す砂塵が落ちるまでの刹那に、握った甲斐谷の手から捻じり取る。『黒豹』から獲物(ボール)を奪い取ったのと同じように。

 

 

「ふーん、今のがNASA戦で見せた『ストリッピング』か」

 

 甲斐谷陸を制してビーチフラッグ大会を優勝した。最後はちょっと卑怯な力業だったけど、向こうもアメフト選手、奪い合いに文句はないようだ。

 それよりも、このわずかな交錯からこちらの技を研究しようとしている。貪欲だ。

 

「そういや、長門の賭けの望みを聞いてなかったけど」

 

「宿を貸してほしい。いつまでとは言えないが、せめて今日、西部の合宿地に泊めてくれ」

 

「え? そりゃ一体……」

 

「実は泥門は裸一貫でアメリカに漂流されたようなもんでな。泊まるあてもない家なき子なんだよ」

 

「おいおい、無茶苦茶だな泥門」

 

 呆れた様子の甲斐谷。当然だ。

 

「わかった。監督に俺から話をつけにいく。絶対にとは言えないが、予定地は牧場だし、広さには余裕がある。多分、大丈夫だ」

 

「悪いな甲斐谷。無理を言って」

 

「いいさ。泥門にはセナとまも姉もいるんだし。幼馴染を外国で野宿させるわけにはいかない」

 

 流石はセナの兄貴分だ。頼りになる。

 

 

 そうして、西部が合宿地へ向かう予定の時刻が来た甲斐谷と一旦別れる。まず先に行って話をつけてから、こちらに連絡してくれる手筈。ベン牧場までの地図を教えてもらい、お互いの連絡先を交換した。

 

(これで、とりあえず屋根のあるところで過ごせそうだ。が、アメリカには合宿に来てるわけで、ただ衣食住確保できれば良いわけじゃない。……流石にヒル魔先輩はそこまでノープランじゃないだろうが)

 

 むしろこのアメリカ行きまで、計画通りな気がする。

 いくら売り言葉に買い言葉の応酬だったとしても、あのNASAエイリアンズに10点差をつけるのはほぼ無理だ。前半は10点差のリードがつけられたけど、後半、泥門はほとんどがガス欠していた。おそらく、パンサーが出てこなくても、10点差をつけるのは厳しかったに違いない。

 だとすれば、アメリカに何か目当てのモノがあるはずだろうが……

 

 

 ~~~

 

 

「長門! ちょうどよかった! こっちに来てくれ!」

 

 しかし、無計画な行き当たりばったりな連中が多いのが泥門である。

 『ビーチフットボール大会inテキサス』。

 前座ビーチフラッグの後に開催されたイベントで、優勝すれば、賞金1000ドル(10万円)と副賞に激ウマテキサス牛が丸ごと一頭送られる。

 牛はとにかく、賞金はありがたい。ので、このイベントを聞き付けたセナとモン太、それに姉崎先輩が参加を希望。

 でも、長門を入れても4人。ビーチフットは、5人制の競技で足りない。

 そこで……

 

「成せばなる俺らカウボーイ! 牛を救うのが仕事だ!」

「ま、よろしく頼むよ」

 

 『これは食われる家畜の顔じゃない。闘う漢の目をしている……! 決めたぞ! 優勝してコイツベン牧場でロデオの牛にする!』と副賞の牛に惚れこんだのは、西部ワイルドガンマンズの監督・ドク堀出。

 それから監督の趣味に付き合っていた西部ワイルドガンマンズのクォーターバック・キッドとお互いの利益が合致。

 デビルバッツとワイルドガンマンズの混成チーム・デビルガンマンズを結成したのだ。

 

「……じゃあ、1人余りますし、姉崎先輩はヒル魔先輩たちを探してきてもらえますか?」

 

「え、でもセナには危ないんじゃないかしら」

 

 保護者でちょっと厄介なお目付け役の姉崎先輩にそれとなく促すも、躊躇いがあるご様子。庇護対象のセナに怪我するようなことは避けたいんだろう。

 “セナを守らないと!”と出る気満々だ。これはいたらセナも走り難かろう。

 

「これは、ビーチフットっす。タッチフットと同じでタックルではなくタッチでOK、競技時間も10分。地面も砂浜ですしそうケガするようなスポーツじゃないですよ姉崎先輩」

 

「うーん、タックル無しだから安全だとは思うけど……」

 

「それに、英語を話せる姉崎先輩じゃないと人探しはお願いできないです。うちらもここから先の予定とか何も聞いてませんし、ちょっとヒル魔先輩を見つけてきてもらわないと」

 

 この過保護なお姉さんに弁を尽くし、どうにか首を縦に振らせることに成功した。

 

「……そうね、ヒル魔君を探さないと……じゃあ、よろしくお願いできるかしら長門君」

 

「ええ、セナはバッチリ守ります」

 

 ビシッと敬礼しておく。これくらい勢いがないとなかなか離れてくれなさそうだ。

 

「うん。セナ、危なくなったらみんなの後ろに隠れるのよ!」

 

「いやそんな……」

 

 セナはどうこたえるべきか困った様子。

 彼がアイシールド21だというのは姉崎先輩には内緒にしている。バレたら、ヒル魔先輩と戦争になりそうだからだ。姉崎先輩はヒル魔先輩の脅迫手帳には屈しないだろうし、きっと激烈になるに違いない。

 というわけだから、セナ自身も『まもり姉ちゃんに心配されないくらいになれたら、自分から正体を明かす』と決めており、それまでは彼女にだけは正体は知られないようにしなければならない。

 

「じゃあ、皆、ビーチフット頑張ってね!」

 

「はい! ビーチフットMAXで優勝してみせますまもりさん!」

 

 姉崎先輩の出場辞退に少し残念そうだったモン太も、この鶴の一声で気合いが満タンになった。

 

 

 ~~~

 

 

 ビーツフットボール大会inテキサスに出場するために呉越同舟とタッグを組んだ、日本の旅行者が飛び入り参加したワイワイチーム・デビルガンマンズ。

 そのデビルガンマンズと初戦で当たるのは、悩殺ステップの実力は本物・セクシークィーンズ……

 

「『オウッ! なんと美しい……』」

「『綺麗に割れた腹筋、長足!』」

「『抱かれたいくらい逞しい胸! 極限まで絞り込まれた全身の筋肉!』」

「『なんてパーフェクトな肢体! 俺達よりも綺麗な身体がこの世にあったなんて!』」

「『一目惚れしちゃったわん。ねェ、大会後、俺達と一晩どぉう?』」

 

 ……そのピチピチなレオタード衣装に身を包む30歳のおっさん共からお盛んな熱視線を貰う。

 英会話力がさほどないはずだが、このあからさまな雰囲気から察したセナとモン太がすごく同情するような視線をくれた。

 

「その、長門君……気にしないで」

「同情MAX。どんまい、長門」

 

「ははは……」

 

 乾いた笑いしか出なかった。

 

「よっし! こうなったら長門にメロメロになってる間に圧勝してやろうぜ! こっちには王城追い詰めたキッドさんもいるしな!」

 

「おいおいあんま買い被るなって。下馬評良すぎるとロクなことはねぇよ」

 

 こんな試合さっさと終わらせてやる。

 正直、視線にさらされたくないので遠い最後方にいたいが、一番ガタイが良い事で見込まれたセンター役を務める長門はスナップしないといけない。一番相手と近い最前線で。

 

「SET! HUT!」

 

 また下から放ったボールは、クォーターバックのキッドの手に収まって――消えた。

 神速の早撃ち。0.2秒。並のクォーターバックの倍以上の速さで投擲するその技術は、圧巻。

 

「やべ、ちっと早撃ちし過ぎた。こりゃ捕れねー」

「いや、捕りますよ。ウチのワイドレシーバーはキャッチの達人なんで」

 

 キッドはレシーバが上がる間もないと思ったが、モン太はこのクイックファイアのパスに飛びついていた。

 

「ムヒャー!」

 

 見事にジャンピングキャッチを決めて、タッチイン。

 幸先のいい開始早々に先制点。このまま一気に試合を決め……

 

「『おいアンタら! これはビーチフットだ! あまり過度な接触は反則だぞ! つかゲーム中でないのに抱き着くな! セクハラで訴えるぞ!』」

 

「『いやん! そんなつれないこと言わないで』」

「『あら、ごめんなさい。でも、ちょっとくらいのお触りはセーフでしょ。キャ!』」

 

 

 ~~~

 

 

 デビルガンマンズ初戦、長門君がセクシークィーンズの5人全員から反則スレスレの執拗なマークにあいながらも、他の4人が着実に点を積み重ねていき大差で勝利した。

 しかし、セナの目の前で、体育座りをする彼がその勝利の代償がどんなものかを物語る。

 

「………」

 

「な、長門君! なんかすごく真っ白に」

「灰になっちまったな長門……」

 

 対照的に、負けたはずの相手チームはなんか全員艶々していた。ボディタッチから何かをドレインしたかのように。それに絞り取られた長門君。

 かける言葉もないという状況はまさにこの事だった。

 

「うん、まあ彼に複数で徹底マークをつけておきたい気持ちもわかるけどねぇ」

 

「え゛? キッドさん、まさか……」

 

「違う違う! ほら強いでしょ、彼、選手として」

 

 慌てて訂正するキッドさん。

 確かに、長門君は泥門の中でも際立っている。『デス・クライム』の練習でも一度も抜けていないし、“10人でかからなきゃ練習相手にもならない”とすら言われる。お見舞いで桜庭さんも、長門君を進さんと同じ“努力する天才”なんだと言っていた。

 ヒル魔さんから“この何でも屋にも通じるだけの一芸を身につけろ”とまるで踏み台のように試練を課したけど、実際、これとんでもない“壁”だ。

 それに気づいたのが、エイリアンズ戦……パンサー君を止めた長門君の本気のプレー。あの攻防を見て、“練習相手”が、“強敵”に変わった。いや、そうだったと気付けた。身近にあり過ぎて、どれだけの高みにあるのか目を曇らせていただけだった。

 “俺を抜けないと進清十郎は抜けない”とまるで進さんに劣るような言い方をする長門君だけど、きっと劣ってない。僕たちと同じ一年生だけど、史上最強を名乗るに相応しいアメリカンフットボーラー。

 “勝ちたい”――でも、きっと今のまま練習を重ねても“壁”の頂を見ることは……

 

「二回戦目だぞ、ほら」

 

「……貝になりたい」

 

 な、長門君……

 

 

 ~~~

 

 

 続く二回戦目。

 今度の相手は()()()()プレイヤーだった。無闇に自分に張り付いて来ない、初戦で負った心傷に心休めたい長門にはありがたい相手だ。

 レシーバー・モン太からマークを外さず、こちらの弱点を突いた。

 5人の中でただ一人現役選手ではない、西部の監督・ドク堀出。そちらへと中心にせめて立てて……無理に追いかけすぎて西部の監督はぎっくり腰を患った。

 

「えーい鉄馬がいれば!」

「監督がもうベン牧場に行かせたでしょ。今頃はバスで皆と移動中っすよ。鉄馬は絶対に指令を守るんで……」

 

 が。

 

「そんな鉄馬が突然現れるような都合の良い……」

 

 ことがあった。

 テキサスの海岸線を猛然と走る機関車こと鉄馬丈が、キッドの『5時間ぐらいしたら起こしてやってくれ』という命令を忠実に守り、駆け付けたのである。

 

「交代! 選手交代!」

 

 こうして、レシーバーがモン太一枚だけでなく、鉄馬丈という強力すぎる一枚も加わり、

 

「鉄馬ァ!! スラーント!!」

「!」

 

 またセナも走る。横向きに倒した砂嵐の如き爆走を見せ、相手を圧倒。

 

 

 こうして、二回戦を勝ち抜いて、決勝。

 相手は今大会の優勝候補筆頭、大会連覇中の最強入れ墨(タトゥ)軍団・TOO TA TTOO。

 全員が日焼けした浅黒い肌の上に斑模様の刺青を入れている。

 そのチームリーダーと思しき金髪サングラスの男が、こちらに挨拶に……いや、長門個人へとサングラス越しの目を合わせた。

 

「『おい、お前がムラマサ・ナガトだな』」

 

「『……そうだが。あんたは?』」

 

「『サイモン。お前の話は“センセイ”からよく聞いている。Da! 一番弟子だってな』」

 

 “先生”?

 悪っぽい英語の中から気になる唯一日本語のワードを拾い、傷心中だった長門もピクリと漣が立つ。

 

「『だがそれは、Da! アメフトに限っての話。Da! ビーチフットじゃ負けねぇ』」

「『言っとくけど、Da! ビーチの伝説よ俺ら!』」

「『Da! 地元で伝説作っちゃってんよ!?』」

 

 他のメンバーも口々に言葉を吹っ掛けてきて、最後、サイモンが睨みつけながら、宣戦布告した。

 

「『腑抜けたプレイをしやがって、がっかりだ。アメフトができるからってビーチフットを舐めてるのか? だったら、俺があんたから一番弟子の座、センセイから継いだ『刀』の称号を奪ってやる』」

 

 

 ビーチフットは、アメフトと同じように前に大きく投げれるフォワードパスは1プレイに1回までだが、アメフトとは違い、ラグビーのように後方へパスしながら進む戦術が適している。

 タックルなどで相手を倒さずともタッチすれば止めたことになり、それを躱すには細かなパス回しで翻弄する方が賢い。アメフトのラインマンのようなパスをキャッチできない無資格者なんて決まりはない、全員がキャッチできるし、またパスも許される。

 

「えっ!?」

「えっえっ!?」

 

 砂浜のフィールドを跳ね回るボール。

 セナやモン太たちが相手選手をタッチして止めようとするよりも早く、味方へショートパスを繋ぐ。

 

『出たーー!! TOO TA TTOOの必殺プレー! 跳ねるようにショートパスを回す『ノミのダンス』!!』

 

 アメフトにも、『フリー・フリッカー』という一度、クォーターバックから他の選手に渡ったボールを再びクォーターバックに戻して、フォワードパスを投げる。まるでボールが蚤のように跳ねたり行き来したりするトリックプレーがある。

 でも、TOO TA TTOOはこれを連続で行使している。解説者が言うように、まさに『ノミのダンス』だ。

 

「ムキャー!!」

 

 チーム全員が投手であり受け手。

 鳥籠のように連携のとれたパスワークで一切こちらに触れさせずに、タッチイン。ボーナスゲームを含め三回連続でタッチインを許してしまい、あっという間に7点も差をつけられた。

 

「ひぃぃダメだ……。今までのチームとは違う」

「マジでビーチフットの強豪だ!」

「いかーん! このままじゃ……漢な牛が肉にされちまう!」

 

 ぴょんぴょんパスが回るアメフトではありえないプレイに戸惑うデビルガンマンズ。

 これでは、優勝賞金(+副賞)を逃してしまうし、負ける。

 

「そういう、ことか」

 

 この状況、体を動かすもプレイに上の空で、ほとんど立ち呆けたままフィールド上で観衆と成り果てていた長門は、クスリと笑みをこぼす。

 

 理解した。

 試合前の口上だけではない。TOO TA TTOOのプレイを見て。彼らの動きに滲むその癖を目敏く見つけ、ヒル魔先輩がこのアメリカに、それもこのタッチフットの大会に合わせてきた疑問もあって。

 長門村正は、理解した。

 そうか、見つけたのか、あのモノを――

 

「――無様を晒してやれんなこれ以上」

 

 笑みが、獰猛さが宿る。

 見ている。あの人が。ひょっとしたらいなくなったヒル魔先輩たちと一緒に。

 

「さてと……こっちも細かいパス回さないと勝てねぇぞこりゃ」

 

「……なら、俺も投手(キューピー)に入ります」

 

「お、と眠れる獅子が起きたかな」

 

「これまで試合(ゲーム)に身が入ってなくてすいません。ですが、もう目が覚めました。振り子で進みましょう」

 

「では、お手合わせ願おうか。楽しみにしてるよ」

 

 ボールスナップのポジションを変わった鉄馬丈よりボールを受け取ったキッドより0.2秒でボールが回る。

 

「『さっきまで、手を抜いて悪かったな。弟弟子』」

 

 不慣れな砂浜の足場。

 しかし、何万と踏んできたこの足捌き(ステップ)は悪条件でも揺らぐことはない。

 キッドのパスに遅まきながらも反応して飛びつこうとした相手選手をまず一人躱す。

 

「『なにっ!』」

「『ビビるな! タッチすればいいんだ!』」

 

 ブロックに入ろうとするサイモン。

 その前でパス体勢。サイモンはそれに反応して目前のパスコース、モン太と鉄馬らをその体を使って隠すように跳び上がる。

 構わず、大きく振りかぶって――その勢いのままボールを放して投げる。

 

 背面投げバックパス。返されたボールを受け取ったキッドはそれをバレーのレシーブパスでもするかのような速さで素早く横へ送り、セナへとボールを回す。

 一直線に空いたランコース。黄金の脚を持つセナは一直線で爆走し、タッチインを決める。

 

「『――見せてやるよ、一番弟子の力を』」

 

 そして、長門もフェイントにかかったサイモンに宣告した。圧倒的な勝利を。

 

 

「懐かしいな。小学生の頃、アイツとしていたころを思い出す」

 

 長門村正は、タッチフットの経験もある。麻黄中にて本格的にアメフトを始める前は、ライバルと2人で、よく相手チームを圧倒していた。

 

『こ……これは……!! 『ノミのダンス』? いや違うもっと速い!!』

 

 パスコースを遮ろうする相手選手だが、間に合わない。

 たった2人の選手のパス回しが、TOO TA TTOO5人全員のパス回しを上回っているのだ。

 

「『甘い。全員でパスを回してるつもりだろうが、起点が見え見えだ』」

「『何!?』」

 

 砂場で見せる高い跳躍。

 砂を跳び散らして、躍動する長門村正が、サイモンが投げ返そうとした『ノミのダンス』、その山なりのショートパスに反応し、捕まえた。インターセプト。

 

「『ちぃ! 柔軟なタッキーがいれば!』」

「『いうな! 勝手にセンセイの下から離れたヤツのことなんか!』」

 

 ボールを奪った長門は、着地とほぼ同時に――撃つ。

 

「こりゃ鏡を見てるようだ……一緒にプレイしてる間に盗まれたか」

 

「いや、まだまだ。肝心の速さが劣りますよ」

 

 キッドのクイックファイア。本家に劣るも並の投手よりも早いモーションで、ブロックが追い付く前に、鉄馬丈へパスが飛ぶ。

 それをキャッチして、横へトス。駆け込んだセナが捕って爆走を決める。

 

『タッチイーン!』

 

 その後、5人のプレイがガッチリと噛み合ったデビルガンマンズの猛攻は止まらず、またチームの中核を担うサイモンに徹底マークして張り付いた長門がTOO TA TTOOの攻撃を潰す。

 そして――

 

『試合終了! 15-10!! デビルガンマンズ優勝――!!』

 

 

 ~~~

 

 

 TOO TA TTOO……自分の弟弟子たちに一番弟子として格の違いを見せつけた長門は、早速、彼らに訊ねようとした。

 彼らの……そして、長門の師である酒奇溝六の――と、しかし、その必要はなくなる。

 

「あー!! 兄さんと一緒に写真に写ってた男発見!」

 

「ウイップ、なんだ嬢ちゃんは? うん? なんだ試合は負けちまったのか!?」

 

 試合グラウンドの近くで、酔い潰れてさっきまで爆睡していた中年……手ぬぐいにももひきと明らかに日本人。

 

「す、すまん! あまり身体を揺らすと……おぇ」

 

 が、なんか見知らぬ少女に絡まれていた。

 少女に無理やりに起こされて、ぶんぶんと体を揺すられる。呑んだくれの寝起きにこの対応は辛かろう。吐きそうだ。

 

「ねぇ、ちょっと兄さんが」

「『Da! 先生に手ェ出す奴はブッ殺す!! Da! 女子供でもだ!!』」

 

 その荒っぽい対応を見咎めて、割って入ったサイモンが少女の腕を捉えて捻る。

 

「『先生は俺らゴロツキにビーチフットを教えてくれた。先生が拾ってくれなきゃ今頃全員ヤクの売人だ!』」

「キャ!? いきなり何なのよあなた達! 邪魔しないでよ!」

 

 事情は分かったが、しかしこの状況は見過ごせない。少女も英語があまりわからないようで困惑している。その先生は四つん這いでえづいていて止められそうにないし、ここは長門が――と動くよりも速く、疾走する影。セナ。

 エイリアンズのホーマーに『電撃突撃(ブリッツ)』を決めたように、サイモンの腕に抱き着いて、少女を離させた。

 

「『テメェ!』」

「そ、そそそソーリ!? まままマイネームイズ、セナ・コバヤカワ!」

 

 思いっきりガクブルと来てるが、身を呈して庇う少女の前からは動かないセナ。そんな泥門高校入学初日でみたビビりな少年が女子を守れるくらいに勇敢に成長したことに、苦笑気味ながらも表情を綻ばせてしまう。

 

(姉崎先輩からも頼まれてるしな。早く助けに入らないと)

 

 ……と皆の意識が、酔い潰れから外れたその時だった。

 

 

「どぶろく先生~~!!」

 

 

 感激の涙を流しながら猛然と抱き着く巨漢・栗田先輩にぶち当たって、麻黄中学時代のトレーナーにして、アメリカンフットボールの先生・酒奇溝六は紙みたいに吹っ飛んだ。



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15話

「泥門の中途入学枠は、一人分しかない虎の子の枠。数ヶ月、溝六先生の指導を受けたからと言って、おいそれと決められるものではない。そのヒル魔先輩の意見には俺も賛成だ」

 

 ――だから、これは試験だ。

 

 NFLチーム・アルマジロズの入団テスト。その一次選考の最終項目である試験者がディフェンス・オフェンスの二組に別れての対抗試合。

 ディフェンスのA()チームに組み分けされた長門君……進さんと同じ“勝ちたい”と思った最強プレイヤーのひとりは、オフェンスのB()チームの僕達に鋼のように冷たい目を向ける。

 

「もし、二人がかりで俺を抜けないようなら、泥門デビルバッツにはいらん」

 

 この前のエイリアンズのエースランナー・パンサー君が、一度も抜くことのできなかった“壁”。

 フィールドの空気をひとりで支配するかのような、その重圧。

 ひとりのアメフトのプロ選手を夢見た男の未来に漂う暗雲の如き存在感(オーラ)に、息を呑む。

 

「セナ、言っておくが、“アイシールド21”が敵として俺の前にいるのならば、手加減は期待するな。決して」

 

 

 ~~~

 

 

『……俺はトレーナーだ。勝ちてぇって奴を鍛ぇんのが仕事でな』

 

 酒奇溝六先生。

 栗田さんやヒル魔さん、そして、長門君にアメフトを教えた人。

 借金取りから逃げてアメリカに引っ越した。その借金額は、2000万円……競馬などのギャンブルでやってしまったらしい。

 

『強く、なりてぇか?』

 

 だけど、泥門はこの人の指導が必要だ。

 泥門高校の部活は2年生で終わってしまう。だから、次の秋大会が最後。40日でデビルバッツは最強のチームに仕上がらないと、史上最強が集う大会を勝ち抜けない。

 だから、ヒル魔さんたちは、そこにすべてを懸ける。

 

『俺と糞デブは夏休み中、アメリカで修行する。一緒に残る奴ぁ、その線またいでこっちに来い』

 

 帰りの日本行きの飛行機、その空港で、ヒル魔さんが皆にその一線を引いて示した。

 

『『死の行軍(デス・マーチ)』。無事やり遂げた奴は過去に一人もいねぇ!! ぶっ倒れた奴からその場に捨ててく。命の保証もねぇ。だから強制はしねぇ』

 

 『死の行軍(デス・マーチ)』。溝六先生は、その拷問じみたトレーニングで、選手生命が断たれた。

 今もその膝には再起不能の傷跡が残っている。

 

 でも、勝つには、地獄を見なければならない。今年の秋大会は史上最強が揃っているのだから。

 

『このまま飛行機に乗れば、あったけぇベッドとママの待つ家へ帰れる。

 死んでも強くなりてぇ奴だけ天国行きの航空券(チケット)を破って一緒に地獄へついてこい!!』

 

 誰の意思でもなく自分で決める。

 

『その線を超えたら『死の行軍』に後戻りはねぇぞ。地獄を40日生き抜くか、死ぬかだ!!』

 

 このまま平和に帰国するか、地獄でデビルバット号と心中するか。

 

『むむ無理しなくていいんだよ! 今あの飛行機に乗れば日本で楽しい夏休みに帰れるんだから』

 

 栗田さんは気遣うように言う。

 そう、夏休み中に地獄の想いをしなくてもいい。その必要はない。あの飛行機でもまもり姉ちゃんが皆を待っているだろう。

 日本に戻れば楽しいことがいっぱいある。花火大会やお祭りや、そう楽しいことがいっぱい――

 

 でも、このままじゃ勝てない。

 

「ふ」

 

 最前線で進さんと肩を並べているあの背中を抜くことは決してできないんだ。

 

「やはり、お前は来るか――村正」

 

「高校を出るまでに最強の『刀』に仕上げるという約束を勝手に、ノートだけ残して投げだしてくれましたからね。放置してくれたおよそ一年分を、この一月で果たしてもらいますよ、溝六先生」

 

 史上最強のひとり……“長門村正”という『妖刀(プレイヤー)』が生み出されたのは、赤々とした炉の如き熱意と、この刀匠ともいえる名伯楽に存分に打ち鍛えられたから出来上がった。

 そう、ただ恵まれた体格と才能だけで、真の強者のみが昇り詰めることのできる世界にいるのではない。

 

「お前さんはもう俺の手に負えるレベルからは逸脱しているんだがな」

 

「しかし、王城の進清十郎に敗れました。奴以外ではつけさせぬと誓った黒星……王城を倒すことで禊ぎたい」

 

「庄司のヤツの苦労がよくわかる。よし、わかった。村正はとことん研いでやる。折れるんじゃねぇぞ」

 

「折れません。全国大会決勝の舞台で、百一度目の試合にケリをつけるまでは」

 

 数多の史上最強が集おうとも、頂点はただひとつ。

 それを目指し、更なる苦難を望む。

 

「真っ先に線踏み越えた奴としてここはひとつ手本に『死の行軍』に()く前の自己紹介をしてやれ、村正」

 

「長門村正。背番号88。ポジションはタイトエンド兼ラインバッカー。西で待つ奴と試合うために。西海岸まで己の足で行く。それまで絶対に倒れるつもりはない」

 

 チケットを破りながら宣言して、長門君は、ヒル魔さんたちの隣に並ぶ。

 そのすぐに、またひとり出た。

 

「ほう、モン……キーだっけか?」

()()()! ジョー・()()()ナのモン太!!」

 

「まーだ信じてやがる」

「なるほど。単純で扱いやすい猿……と」

 

 出てきたのは、やっぱりモン太だ……

 

「雷門太郎。背番号80! ポジションはレシーバーっす!! 血液型B型! 一番好きな食べ物はバナナ! 好きな言葉は努力! 好きな人はまも……ゴホゴホ」

 

「もういいもう」

 

「一番好きなスポーツは――」

 

 一番、好きな、スポーツ……

 

 『絶対なるんだ。本庄選手みたいなキャッチの達人に!』とかつて言っていたモン太は、アメフト部に入って、誓った。

 『世界中の後衛にキャッチで競り勝ってやる!』って。

 

 

「今一番好きなスポーツは、アメリカンフットボールです!!」

 

 

 チケットを破り捨てて、そう言い切った。

 

 

 ~~~

 

 

 ……僕も一番好きなのは、勉強じゃ、なくなった。

 小さいころから受験勉強ばかりさせられていた。

 夏が来ても部屋まで聴こえる太鼓の音を耳にして、やっと夏休みだったんだって気づくくらい閉じこもっていた。

 知らない間に夏が来て……その遠い景色をずっと机から眺めてる……

 お祭りは僕にとって、一生縁遠いもののはずだと、思い込んでいた、けど――

 

 嫌だ。一度くらい。僕も一緒に踊りたい!!

 

 用意されたチケットを自分の手で千切って、自分の足で雪光学は線の先へ渡った。

 

 

「雪光学! 16番! ポジションはまだありません!!」

 

 

 ~~~

 

 

「………」

 

「チッ、カッコいいねェ」

 

「夏休み中スパルタは流石にな……」

 

「オーイ、行くぞ十文字」

 

 黒木、戸叶。

 何をするにも一緒だった。

 だが、それを引き留める文句をつい吐いてしまった。

 

「いいのかよ。俺らよりひ弱な奴が戦ってんだぞ。雪光……先輩や、アイシールド21、()()()()。――セナがな」

 

「!?」

 

 あのビーチフットでみた、セナの走り。瞭然だった。

 

「節穴じゃねーぞ。もう知ってる」

 

「ハ?」

「ハァアァ?」

 

 正体隠す理由には、もう興味はない。だけど、俺らにもアメフトをやる、アメフトで勝ちたい理由がある。

 

「周りにいつまでも言わせといていいのかよ。“使えねぇクズ”だって」

 

 警察にも、教師にも、親にも、揃いも揃って俺たち三人をクズ呼ばわりする。

 

「エイリアンズ戦で俺ら一瞬ブロックしたじゃねぇか」

 

 だけど、そんなのを払拭しちまうデカい歓声を耳にしちまった。

 十文字、黒木、戸叶、って、会場中から名前を声高に叫んでくれるあの体験。

 

「勝てば誰もが認める。そうだろアメフトは」

 

 それは、二人もわかってるはずだ。

 そして、

 

「ああ、俺達も一年間じっくり鍛えれば来年の秋は良い戦いができる。今年に選手生命賭ける義理はねェ。だけど、そこにいる、中学時代からずっと筋金入りのアメフトバカども、学校じゃ浮いていてもめげねぇ3人の夢っつうのを、なくそうとした、何にも知らねぇバカはどこのどいつだ」

 

「「っ」」

 

 『暴力事件起こして、アメフトの大会なんか出場停止しにしてやるよ』

 『アッタマいーー♪』

 

 俺達、俺達3人はこれを見捨ててはいけない。そのはずだ。なあ、黒木、戸叶!

 

「意味……ねーじゃねーかよ!」

「俺らアメフトに引きずり込んだ当の本人たちを見殺しにして――」

「俺らだけ勝ってどうすんだよ! なんで一緒に行かねーんだよ!!」

 

 ああ、そうだ!

 

「ったく、十文字に火ぃ点けられちまったけど、どーするよ戸叶」

「当分ジャンプ読めねぇのが痛ぇけどな。たまにはアメコミもいいか……」

 

 十文字一輝、黒木浩二、戸叶庄三、3人揃って天国行きのチケットを破り捨てて、地獄への一線を踏み越える。

 

 

「十文字一輝。51番。ポジションは(ライン)

「黒木浩二ィー。52番。以下同文」

「戸叶庄三。53番。同じく(ライン)

 

 

 ~~~

 

 

「こ……小結! 大吉!」

「うお、いつの間にか線渡ってやがる!」

 

 小結君も、モン太と同じくらいに早く長門君に続いて線を越えていた。

 そうだ。

 これでもう、デビルバッツに本気じゃない選手はいない。みんなで特訓して強くなるんだ。

 

 今度は、勝ちたいから――!!

 

 だから、小早川セナは、自らの意思でチケットを破り捨てる。

 

 

「小早川セナ。21番! ポジションはランニングバックです!」

 

 

 『死の行軍』の参加者は、泥門デビルバッツ全員。

 みんなで行くんだ、全国大会決勝(クリスマスボウル)に!

 

 

 ~~~

 

 

 と泥門デビルバッツは、地獄の合宿『死の行軍』を始めるわけだけど……

 

『兄さんがどこにいるのか教えて! 送られた葉書についてた写真にあなたが映ってたんだから!』

 

 合宿と並行してひとつの問題が浮上した。

 この溝六先生に問い質していた日本人の少女、瀧鈴音さん。彼女の行方不明となっていたお兄さん・瀧夏彦が、溝六先生に最近まで世話になっていたそうなのだ。

 でも、もういない。

 ビーチフットボールの強豪チームTOO TA TTOOに混じりながら、アメフトの特訓をしていたそうなのだが、ちょっと前に『NFLの選手になりに行く』と置手紙を残してどこかへ行ってしまった。

 

『うーむ……瀧のヤツは、プロ試験を受けに行っちまったからなぁ。きっとどこかのアメフトチームの入団テストがやってるところに……』

 

『でしたら、地理と時期的に考えておそらくサンアントニオ・アルマジロスですね』

 

 お兄さんがいると思われる場所に、長門君の知り合いの熊袋さんに調べてもらったら、ちょうど『死の行軍』で通る予定コースに近いところにあるそうなのだ。

 

 そして、なんと瀧夏彦は、実は泥門デビルバッツに入るかもしれない選手。

 溝六先生がアメフトを知らない(アメフトのプロ選手になろうとしてたけど、中学時代は指導者にも仲間にも巡り合わなかったらしい)彼に数ヶ月アメフトのコーチをしていて、ある程度選手として出来上がったら日本に帰して、泥門高校の中途入学枠に押し込むつもりだったのだという。

 

『まだアメフトの基礎しか叩き込んでねぇ瀧は、プロで通用するようなレベルじゃねぇが、面白い素質がある。それに素人でプロテストを受けようっつうバカだからな。ああいう怖いもの知らずは、鍛えりゃきっといい選手になる』

 

 との溝六先生のお墨付きもあって、“泥門にスカウトに行こう”という話になった。NFLの選手になりたいというお兄さんの意思は尊重したいとは思うけど、でもプロ入りは『村正のような逸材でもなければほぼ0%』と先生に断じられているし、それなら一緒に泥門デビルバッツのチームに入ってもらう。

 人数の少ない自分たちはひとりでも新戦力が入ってくれることを望んでいるのだから。

 

 そういうわけで進行ペースの速い長門君と僕が瀧…鈴音、さんを引っ張りながら寄り道して、その試験会場へ。別行動してもまもり姉ちゃんにはバレないように、主務としてタイトエンド候補を回収するというお題目で。

 

 

「やーー!! ちょっとこれ楽しーー! 水上スキーみたい!!」

 

 目前を行く二人乗り自転車を追いかけるように、小早川セナは走る。

 

 ブレーキをかけずに走るには結構な脚力がいるけど、石蹴りはもう長門君の指南でコツを掴んでる。

 だから、“力のある走り”とスケートを履いてる女子一人を引っ張っているんだけど……

 

「その、瀧さん」

「だから、苗字で呼ばないで!!」

 

 声をかけたら、さっきまで気持ちよさそうだった彼女から険しい訂正が飛んできた。

 

()()()兄さんと一緒にされたくないの!」

 

 そこまで、拒絶されるお兄さんはどんな人なんだろ……

 

「“さん”づけもゾワッとするからよして。同じ年くらいでしょ?」

 

 ベン牧場で自己紹介交わした時も言われたけど、女の子を名前で呼び捨てするのはどうにも呼びづらい。

 

「本当、兄さんは……母さんがどれだけ心配してると思ってんの!? 大体家のお金勝手にもってって……それで連絡寄越したらと思ったら葉書一枚とか、まったくもう……!」

 

 憤懣やるせないご様子にますます聞き辛くなってしまったけれど、唾を呑み込んでから口を開いた。

 

「でも、お兄さんにプロになってほしいんでしょ?」

 

 彼女を引っ張る背中に当たってた言葉(ぐち)が、止んだ。

 

「……当たり前でしょ。高校全部落ちちゃって、アメフトしたいのにできなくて、本当にバカだけど、NFL(プロ)はずっと兄さんの夢だったんだから!」

 

 石蹴りしながら走っているので振り向く余裕はあまりないけど、今浮かんでる表情はわざわざ目で見て確認してもなんとなくわかった。

 みんなに迷惑かけてとか文句ばかり口に出てるけど、本気で心配していて、そして、応援している彼女なら、きっとそう思っていると感じた。

 

「鈴音さん…じゃない――鈴音、何ができるかわからないけど、僕もお兄さんの夢、応援するよ!」

 

「……う、ウン」

 

 ……それから、しばらく姦しい彼女の声が聴こえなくなった。

 静かになったのが気になって、ちらりと振り向こうかと顔を動かした時、その傾いた頬を押すような言葉が飛ぶ。

 

「セナも結構力あるんだね! 兄さんよりも体格に恵まれてるムラマサと違って、見た目なんか文化部系だから、アメフトの選手には思えないのに」

 

「あはは……僕は全然長門君のようじゃないから……」

 

「でも、セナも本気でアメフトやってるんだね」

 

「うん。僕もあの背中に追いつきたい。そう思ってるよ」

 

 前を向く。

 道案内のように先を走る自転車、超重量に改造されていて自分の足の馬力ではとても漕げないし、そもそもハンドル無しでなんて普通の自転車でも運転できない。

 だから、僕は僕の武器で勝負する。長門君と同じ量以上を練習できないと、いつまでも目標に辿り着けない。

 

 

 ~~~

 

 

「――鈴音!! なぜここにいるんだいマイ(シスター)!!」

 

 サンアントニオ・アルマジロスの試験会場に到着して……アメリカでプロを目指すと蒸発していたお兄さんはあっさり見つかった。

 

「僕のプロ入りの瞬間を祝福しに来てくれたのかい?」

 

 やたらゴツい人たちが集まる中で、瀧夏彦はベンチに腰掛けて、何とも呑気にこちらに手を振って、鈴音へとジャケットをはだけながら決めポーズ……

 

「ノオオオオオマイ妹! 愛情表現が微妙に激しすぎやしないかいっていやもうホントスミマセン!」

 

 すぐにスケート靴を履いてる鈴音に背中を踏まれたけど。

 

 

「なるほど。あんたが瀧夏彦か」

 

 到着して手分けして探していた長門君と熊袋さんとも連絡を取って合流。

 

「本気でアメリカでプロになりに行くとはな……というか、今年の泥門は定員割れで全員合格だったはずなんだが」

 

「補欠合格の報せが来た頃には、バカ兄さんもうアメリカ行っちゃってたのよ」

 

 全員合格って、あの合格した時の喜びは一体……

 

「それで、兄さん。セナたち……泥門デビルバッツに中途入学枠で入れてもらえれば、アメフトができるんだから」

 

 さっさとここを出よう……とお兄さんの手を引こうとする鈴音だったけど、彼は動かなかった。

 

「――わかってないな鈴音! 僕は日本に収まりきらない男さ。今日この入団テストでプロになるんだ」

 

 すごい自信だ。

 中学までアメフトは独学で実戦も未経験なのに、プロに本気で受かろうとしている。でも、鈴音は呆れた声で、

 

「もうそんなバカ言ってないで、入れてもらいなよ。本当なら、セナたちだって兄さんの馬鹿に割いてる時間はないくらい大変なんだから」

 

「いや、速めの移動ペースで飛ばしてきたからな。この一次試験を受けるくらいなら合流するのは問題ないぞ。な、リコ」

 

「はい。試験も午前中で終わるプログラムのようですし」

 

 この別行動を監督してる長門君が熊袋さんと確認を取りながら、そう答えると、鈴音は席を立ってひとり離れてってしまう。

 

「そ。なら、このテストだけ受けてみたらいいよ。身の程を思い知るでしょ。そしたらセナたちの申し出がどれだけありがたいのがわかって聞き分けが良くなるでしょうから」

 

「あ、鈴音ちゃん。待ってください」

 

 それを追いかけて熊袋さんがいなくなったところで、

 

「君たちも日本からテスト受けに来たのかい?」

 

「いや、その僕は」

「謙遜はアメリカじゃ褒められないぞ! 確かに僕くらいのボディーでないと合格はきついだろうけど、チビでも寸胴でも、努力でカバーできるもんだぜっ! がんばろうよ!!」

 

 う~ん、本人悪気はないのはわかるんだけど、デリカシーないなぁ……

 そこで会場にアナウンスが入った。

 

『間もなく始まりますので受験生の方は会場へ移動してください』

 

 うおおおお! と胴間声が一斉に応じて、会場内にいたゴツい人たちが一斉に大移動。

 その人の波に巻き込まれてしまう。

 

「な、長門君このままじゃ僕たちも試験会場に……!?」

 

「ふむ。“テスト”にちょうどいいな、セナ、一次試験受けるぞ」

 

「ええええええ??」

 

 

 成り行きで受けることになったNFLのプロ一次試験。

 まずは、腕力を測るベンチプレス。

 

「ふんっ!」

 

 長門村正、330ポンド(150kg)!

 

「はあっ!」

 

 瀧夏彦、200ポンド(90kg)!

 

「ひぃぬらば!!」

 

 ちなみに小早川セナ(ぼく)は、100ポンド(45kg)。

 

 高校入学してからも成長している長門君。本場強豪チーム・エイリアンズを圧倒したその腕力は、試験会場を沸かして、試験官・受験生の目を剥かせた。

 

「……な、なかなかやるね」

 

 鈴音のお兄さんは、やや歯軋りして皆の注目を集める長門君を睨みつけていた。

 ベンチプレスの次は、40ヤード走。スピードを測るテスト。

 

『おおお~!! なんて速さだ!!』

 

 長門村正、4秒6。

 

「おお~スピードも結構速い!!」

「ぐぬぬ……」

 

 瀧夏彦、5秒0。

 

 すごい……『死の行軍』の最中で疲労しているだろうに、軽く流している感じでも以前よりも数値が上がっているし、今の走り方も前よりずっとキレが増しているようにも見える。

 これで『死の行軍』が終わったらまたさらにパワーもスピードも一段階成長しているに違いない。

 

(これが、“努力する天才”……そうだよ、長門君は止まってない。まだまだ上を目指しているんだから。きっと進さんも――)

 

「いぃいいぃ!!?」

 

 小早川セナ、計測不能(スタート直後でずっこけたため)。

 

 ……久しぶりの40ヤード走で今の全力タイムを測ろうとしたら、後ろの人に靴を踏まれてしまった。

 

 

『最終テストは組み分けしての試合となります。防具を貸し出しておりますので各自装着してください』

 

 午前中の一次試験の最後は対抗試合。

 実際に試合をして、選手のプレイを見る。

 

「アリエナイイイ!!」

 

 お兄さん……いや、瀧さんが絶叫していた。

 アルファベット順に試験をしていたから、Muramasa(ムラマサ)の後でNatsuhiko(ナツヒコ)とやって、おかげで前の長門君の印象が強すぎてあまり目立たなかったのである。試験官はちゃんと個人個人を見てるんだろうけど、それでも負けた感じはする。

 

「僕は何をやらせてもソツなくこなすのに……これじゃあ彼の引き立て役じゃないか!」

 

「その、瀧さんは柔らかいんですね」

 

 励ますつもりで言ってみたけど、実際に瀧さんはすごく体が柔らかかった

 バレエのように立ったまま真っ直ぐピンと片足を上げてみせる。

 

「アハーーハー! そう! この柔軟ボディーで僕は何でも柔軟にこなしちゃうってわけさ!」

 

 今度は、中国雑技団みたいに股下に上半身を潜らせて余裕綽々。

 何でもできる。ブロックもキャッチも。溝六先生もこの柔軟な肉体に、タイトエンドの適性を見たようである。

 

「『この最終テスト、対抗試合の勝敗が合否を分けるんだ。Bチーム皆で運命共同体。絶対勝とう!!』」

 

 泥門アメフト部の助っ人になってくれる石丸さん……似の元陸上部クォーターバック、ジミィ・シマール。

 司令塔の彼が中核となって、オフェンスのBチームはまとまっている。

 そして、対するディフェンスのAチームには……

 

「ちょうどいいシチュエーションだ。瀧夏彦、それにセナ。このプロ試験で、瀧夏彦の泥門デビルバッツ入りを決めるテストを行う」

 

「え……」

 

 

 ~~~

 

 

『アルマジロズ入団テスト一次選抜。対抗試合のスタートです!!』

 

 試合が開始する。

 Bチーム・クォータバックのジミィさんがスナップしたボールを、グニャっと柔らかな身体を巧く使って相手ブロックを躱して前に出た瀧さんへショートパス。

 それを抱え込んでキャッチ成功して――けど走ろうとする瀧さんの前には、Aチームの88番……長門君がいた。

 

「そっちはダメだ! 瀧さん!」

 

 ショートパスをキャッチして、ランで更にヤードを稼ぐ。

 だけど、その相手は危険。でも、避けるべき相手に真っ向から瀧さんは走る。

 

「なるほど……ビーチフットの連中と練習していたから、その柳のような体を使って柔軟に躱す術を身に着けていたのか」

 

「アハーハー! さっきのテストでは後れを取ったけど、実戦となれば僕の方が上さぁ――」

 

 身体を揺らしながら躱そうとする瀧さん。だけど、そんなフェイントに長門君は惑わされる気配はなく、交錯した時に、捉えたボールを瀧さんから捻じり奪った。

 『ストリッピング』。選手ではなく直接ボールを狙う、エイリアンズ戦でパンサー君にも使用した高等技術。

 

「だが、甘い」

 

「ま、待って!」

 

 ボールを奪った長門君はそのまま走る。瀧さんがそれを阻止しようとするけれど、その腕を手刀で叩き落としてしまう。

 倒れ伏す瀧さん。長門君はそれを置き去りにし疾走。

 

「『さっきから目立ちやがってこのジャパニーズ!』」

「『ゲケケいっちょラフプレイで沈めてやる!』」

 

 Bチームの44番と55番……さっき40ヤード走のスタートで僕の足を踏んづけた巨漢のアメリカ人2人が長門君に迫る。

 

「『BOMBER!!』」

 

 ラリアットタックルをかます44番。だけど、長門君はその長い腕をカウンター気味に体を入れて伸ばす『スティフアーム』で抑えていなし、続けて襲い掛かる55番を切れ味の増したラン。ステップを小刻みに、ノーブレーキで抜き去る――今、僕が習得しようとしている石蹴りランの集大成とも言える必殺の曲がり、『デビルバットゴースト』で抜き去った。

 

「『お化けが……出た……!!』」

 

 そして、独走した長門君は、ディフェンスチームだけれども、そのままタッチダウンを決めてしまった。

 

 

 ~~~

 

 

(88番の彼……受験生の中でも頭一つ二つ飛び抜けてる)

 

 オフェンスチームのゲームを組み立てる司令塔・ジミィは、唾を飲み込む。

 だけどそれでもこちらが一点も取れないとなれば、試験で合格なんてできない。

 

(それで、こっちの21番のちっこい彼。おそらく学生の記念受験だろう。88番に突っ込ませたら危険だ)

 

 ジャパニーズボーイのランニングバックに無理はさせられない。

 ランは捨てて、パス主体で勝つ。さっきは奪われたけど、パス自体は通ったのだ。なら、88番のラインバッカーを警戒し、外側から攻めればいい。

 

 ――え?

 

 試合開始。スナップされたボールを受け取ったジミィの前に迫る影。88番だ。

 その直前で壁役となった37番・瀧夏彦を『スイム』で押し躱すと一直線で投手を潰しに来る『ブリッツ』

 

(大丈夫、急いで投げればこの間合いなら――)

 

 そして、ジミィはいつもらったのかさえ気づけない、強烈なワンハンドタックルに倒された。

 

 

 ~~~

 

 

 このままじゃBチームが負ける。それに瀧さんも……!

 

 小早川セナは次の攻撃、自ら走り、ジミィの下へボールを貰いに行く。

 

 その爆速ダッシュに反応が遅れたジミィはボールを受け取る体勢を見て、反射的にこちらにボールを渡してくれた。

 

(……あれ? なんだこれ)

 

 ボールを持って走って見える世界。

 何もかもがスローモーションになっているようで、本気でこちらを潰そうとしているのか疑ってしまうくらい。

 それを次々と躱していくが、この遅滞した視界の中で、ただひとり、自分と同じ速さで動くプレイヤー――

 

(長門君……!)

 

 抜く。パンサー君にも通用したあの走りをぶつける。

 ブレーキせずに曲がり切る『デビルバットゴースト』を。

 

 

 ~~~

 

 

 ヘソは、体の重心。

 フェイントで動かすことができない、ランナーが本当に進む場所を示す。

 だから、ランナーを止める際にはそのヘソを追う。

 

(見えているぞ、セナ!)

 

 エイリアンズ戦で披露した時よりもさらに磨きがかかっているようで、曲がり幅が大きくなった。

 だが、その走りを“同世代最強ランナーを潰すために”自らも修得した長門村正は我が事のように熟知している。

 

 

 ~~~

 

 

(うぁ!? もう来た! この圧力……!!)

 

 長い腕を伸ばし、僕の身体を抑えに来る。

 もうここで曲がらないといけないのに、捕まってしまう。

 そう……体格が大きいってことは、ディフェンスのリーチも長いということだ。

 

(長門君は進さんよりも腕が長い、初手の制圧が超速で来るんだ!)

 

 一歩で歩幅を縮めてスピードを落とさない必殺の曲がり、『デビルバットゴースト』が、通用しない。

 

「そのランを指南していたのは誰だと思う」

 

 片手の圧力に屈して、倒された。

 グラウンドに横たえる……王城戦で、進さんに捕まった時と同じように。

 

「俺の二番煎じのままの走りでは通用しない。一人では俺を抜けんぞ、セナ」

 

 

 ~~~

 

 

「ブロック!! 僕ブロック大活躍!!」

 

 兄さんがセナを守ろうとブロックする。長い腕で間合いを潰してくるから、それを遮って、セナが曲がり切る僅かの間を稼ごうとする。

 けど、

 

(そんな兄さんごとセナを……!?)

 

 セナが走ろうとした地点に強引にブロックした兄さんを持っていき、道を遮ってしまう。兄さんの身体に邪魔されたセナはそのまま倒れてしまう。

 

「兄さんがこんなに相手にならないなんて……」

 

 器用貧乏だけれども、力があって足も速い兄さんが、まったく相手にならない。同じオールマイティでもモノが違い過ぎるのだ。

 

「セナから話に聞いてたけど、こんなにも無茶苦茶なの村正って……」

 

「はい、村正君は、本場の強豪チーム・エイリアンズをも圧倒した実力の持ち主です。王城ホワイトナイツの進清十郎選手と同じパーフェクトプレイヤーと呼んでも差し支えないでしょう」

 

 元々プロ入りなんか夢のまた夢だと思っていたけど、こんな選手がいたんじゃ兄さんは……

 

 

「『情けねぇ……それでも、Da! 伝説のチームの一員かよ!』

 

「え、あなたたちは……!?」

 

 ~~~

 

 

 どうしてもアメフトがしたかった。

 

 小学生のころからアメフトがしたくてしたくて、けどアメフトのある高校に全部不合格で、家を飛び出した。そして、アメリカで偶然出会ったアメフトのコーチに、アメフトを教わって、そこでできた仲間たちと一緒に練習した。

 ……でも、全員がビーチフットに本気なチームの輪の中にいつまでもいることはできなかった。

 

「惜しかった! 今の惜しかったよ瀧さん。抜けそうだった! まだ僕一人じゃ抜けないけど、瀧さんが協力してくれるなら……」

 

「アハーハー……セナ……くん……」

 

 ブロックに入るのを待ってから、一時停止したランナーは急加速して曲がる。それが、コーチから教わったこと。

 だけど、その肝心のブロックがまったく間に合わないどころか、強引に利用されてしまっている。

 

 

 そして、次のプレイも盾のボクごと、彼の槍の如きタックルは、セナ君を押し倒した。

 

 

「どうして……アリエナイ。プロテストに合格して、華麗にスターになるはずだったのに……。神様に愛されているはずのボクが……」

 

 まるで敵わない。パワーも、スピードも、そして試合経験でも、あらゆる点で負けている。

 

 

「『いつまで倒れてんだ! Da! B級選手!』

 

 

 試験会場にいきなり飛んできた野次は、聞き覚えのあるもの。まったく英語はちんぷんかんぷんだけど、なんとなくその響きだけで意志が通じるくらい密度の濃い数ヶ月を共に過ごしてきた。

 

「あの人たちは、テキサスのビーチフットの……」

 

 顔を上げる。見つけた。試験会場の観客席で、マイ妹・鈴音の近くに彼らはいた。

 

「サイモン……」

 

 テキサスのビーチフットの強豪チームTOO TA TTOO。サイモンたちチームメンバーが倒れて四つん這いから起き上がれないボクへ怒鳴るように、

 

「『Da! アメフトのプロになるってTOO TA TTOOを飛び出したんじゃねぇのか!』」

「『ここまで勝手に他人を振り回しておいて、そう簡単に諦めてんじゃねぇよ、タッキー!』」

「『Da! センセイの教えを忘れたのか! タッキーにはタッキーなりのやり方ってもんをよ!』

「『Da! ビーチフットプレイヤーの俺らにタックルやブロックの練習相手をさせたんだから、その成果をきっちり出しやがれ!』」

 

 TOO TA TTOO……ビーチフットなのに、アメフトの練習に付き合ってくれた。

 そして、認めてもらった時に彼らから仲間(チーム)の証だともらった刺青模様の入ったバンド……

 

「……そうか。そうだったんだ。アハーハー、やっとわかったよ。どっかで思いたかっただけなんだ。自分はきっと何か特別な人なんだって。でも、神様に愛された男なんかじゃなかった。ボクはただの人だ」

 

 センセイに言われてきたこと。才能はない、だけど、それなら格下なりの戦い方がある。

 

「『Da! 神様に見放されたからって、尻尾を巻いて逃げちまう奴は、Da! TOO TA TTOOの仲間(メンバー)と認めねぇ』」

 

「ああ、そうさ、サイモン。ボクは神様にだって打ち勝ってやるんだ!!」

 

 神様はついてないけど、仲間がついている。そう、本気でアメフトをやりたいボクを応援してくれた仲間が。

 刺青バンドで髪をまとめる。そう、ここで本気を出さなければいつ本気を出す!

 

 

 ~~~

 

 

(顔つきが変わった)

 

 このプロ試験会場にまでテキサスから足を運んだTOO TA TTOOの叱咤激励を受けた瀧夏彦の顔つきが変わる。この初めてになるであろうアメフトの実戦で浮かれていた表情が、真剣なものに。

 その意識も浮足立っていた状態から、現状をしかりと見据えた地に足が着いたものに。

 ここからが、本番か……

 

「アハーハー、ムッシュー長門! キミはボクの本気を引き出してしまった。罪な人だ」

 

 …………うん、外見雰囲気はキリッと引き締まったけど、なんか中身の方は変わってないような?

 

(いや、油断はしない)

 

 才能がなくても、肉体に恵まれなくても、それでも闘い方ひとつでトッププレイヤーに肉薄する先輩を知っているものとして、ここで手を抜くのは相手に無礼だと知る。

 

「SET! HUT!」

 

 プレイ開始。

 Bチームはまた瀧夏彦をリードブロッカーに付けたアイシールド21・セナのランプレイ。

 Aチームのディフェンスはラインバッカーの己を中心に据えて、広く、外側を中心に守りを敷いている。セナのランプレイは自分以外には阻めないと判断し、ならば外側に散らしてくるパスプレイに重点を置いて他を守らせる。

 だから、Bチームは、中央にいる自分さえ抜ければ、タッチダウンを決められるだろう。

 

「だが、抜かさん!」

 

 瀧夏彦とセナのランプレイ。

 まずはセナがその身を隠している盾・瀧夏彦を倒し――

 

(! これは、これまでの力押しのブロックとは違う!)

 

 それは、まるでボクシングの上体逸らし(スウェー)のようなブロック。

 押し合わないで、体を捻ったり逸らしたりして、押してくる相手の力を上手く逃がしている。それでいて、大きく上体に無理な体勢を強いながらも相手から離れない。

 足のとられる不安定な砂浜で練習してきた瀧夏彦が身に着けた、柔のブロック。

 倒されないのではなく、倒れにくくする。柔らかく粘りついて相手から離れず、倒れるまでに時間のかかるブロック質。

 

「アハーハー! 言ったじゃないかムッシュー長門。次は僕が勝つって……!!」

 

「“柔よく剛を制す”とはよく言ったもんだな。だが、まだ経験値が足りん」

 

 感心しながら――踏み足に力を篭める。重心移動で押し合いの最中に力を増す圧力。それでもって、瀧夏彦の重心をズラして、倒す。

 “剛よく柔を断つ”。

 

 だが、今の瀧夏彦のリードブロックにわずかの時間を割かれた。

 

 そして、セナはこのリードブロッカー・瀧夏彦が稼いだわずかの時間で、ステップを曲がり切っていた。

 

「それでも、“アイシールド21”は抜かさん!」

 

 

 ~~~

 

 

 盾になってくれた瀧さんが、一瞬、長門君を止めてくれた。その一瞬のチャンスを逃さない。

 長門君が長い腕で間合いを潰してくるよりも早く、『デビルバットゴースト』のステップを踏み切ることができた。

 

(でも――でも、長門君なら必ず諦めずに腕を伸ばす!)

 

 そう、エイリアンズ戦でパンサー君を止めてみせた、力の溜めなく初動する超速の重心移動。

 この長門村正の制空圏に踏み入って、捕えられなかったランナーはいない。一人として逃亡を許されず斬り潰された。

 ただ肉体が恵まれているだけでない、その身体を十全に使いこなせるよう努力し、そして、如何なる相手も止めてみせる執念じみた強い意志を持ってる長門君だから、捕まえる。

 

 ズシリと肩にかかる圧、抜いたと安堵したランナーを潰す『妖刀』の手――だけど、抜き去っても安心など欠片もしなかった。何故ならば、

 

(信じていた。長門君なら絶対に捕まえる! ――だから! ここからまた抜くんだ!)

 

 ――追い詰められた身体の中から、今、噛み合った。

 

 長門君を手本に学習したステップと、10年間走り続けた小早川セナの走りを、ひとつにまとめあげ、更なる高みに達した。

 

 

 ~~~

 

 

 『黒豹』と同じ、セナも実戦経験が少ない。

 だからこそ、対決の最中にも驚くべき速さで成長する。

 

(スピン……!!)

 

 爆速ダッシュから0秒で急カーブをぶっちぎるステップに、スピンを組み合わさった。

 視界から消える上に、もし押さえても回転で抜けていく。言うなれば、竜巻(ハリケーン)ゴースト。

 長門村正の二番煎じなどではない、柔よく剛を制す――弱よく強を制さんとした小早川セナの走りだ。

 

「ついに盗んだものを己の技にしたか、セナ……!!」

 

 そして、オフェンスのBチームは、ディフェンスのAチームより……いや、小早川セナは長門村正に初めてのタッチダウンを取った。

 

 

 番外14.5話

 

 

『おお! 村正君がビーチフットで、水着姿……。それもあの西部の『早撃ちキッド』さんと一緒にプレイしてるとか、写真を――』

『コソコソ泥門を嗅ぎまわってるネズミはテメェか糞パーマ』

『ひぃぃ!!?』

 

 ビーチフットの決勝。それを遠目でコソコソと窺っていたら、いきなり背中に冷たい鉄の感触……それから、銃口が引き金を引く、カチャリという金属音。

 思わず跳び上がってしまい、手に持っていた手帳を落としてしまう。

 

(はぅぁ! 『村正君マル秘情報ノート』が!)

 

 アメフトに関係ないプライベートな情報まで網羅(チェック)している手帳。それに手を伸ばす前に私の背後を取った人に拾われてしまう。

 思わず振り返ると、そこには泥門のクォーターバック・ヒル魔妖一さんがいて、手にした他人の手帳を何の躊躇なくパラパラとめくっていた。

 

「あ、ぁああっ!? 見ちゃ、それを見ちゃダ……!?」

 

 それを見られたらもう……特に村正君にバレたら……!

 握られてはならないネタを見られてしまい、何も言えなくなった。そんな震える私に、手帳の中身を速読し終えたヒル魔妖一さんは……手にしていた銃器を下ろして、手帳を返すよう差し出してくれた。

 

「え?」

 

 それも、友好的な(不気味なくらいキラッキラした)にこやかな笑みを浮かべて。

 

「いやー、村正君にこんな素敵な彼女がいただなんて驚きだ。アメリカにまで押しかけてきてくれるなんて、隅に置けないヤツだねぇ!」

 

「か、かかカカ彼女!!? いえ、私はお隣さんなだけで、その……!」

 

「うん、これは奇遇だ。実はちょうど、長門村正専属のマネージャーを現地調達できないか考えててな~。アイツは泥門の中でも飛び抜けてるからそりゃ特別な合宿メニューを組んでるんだけど、異国の地で単独行動させるのは危険だから、誰か一人支えについててほしかったんだよな~」

 

「専属、マネージャー? それは誰でもいいんですか?」

 

「合宿の間だけの期間限定だから問題ねぇ。ただ、こっちからは報酬はほとんど出せないし……“村正君と四六時中密着取材できちゃう”ような労働環境なんだが」

 

 それは、私の胸にときめく文句だった。

 

「無論、期間限定とはいえ泥門の一員になるんだからそこで得た情報は一切門外秘だがなァ」

 

 折角知り得た情報をブログに載せることはできないのは残念。

 でも、ここで断ったら、代わりに現地調達されたこのアメリカンナイズな金髪美女が村正君にべったり……!

 

「やります。是非やらせてください! 村正君専属マネージャー!」

 

 こうして、私はヒル魔妖一さんにスカウトされて泥門デビルバッツの夏休み合宿に同行することになった。

 

 

(労働力と主務に使えそうな人材ゲ~~~~ット)

 

 

 ~~~

 

 

「は、初めまして熊袋リコです! 合宿の間だけですが、むら…皆さんのマネージャーを務めさせていただくことになりました! よろしくお願いします」

 

「よろしくね、リコさん。私は、泥門のマネージャーをしてる姉崎まもり。こっちの子は主務をしてるセナで、何かわからないことがあったら聞いてね?」

 

「は、はい!」

 

 西部ワイルドガンマンズの合宿地・ベン牧場。

 そこにビーツフットボール大会後、西部の監督との交渉結果、泊めてもらえることになった泥門だったが……どういうわけか、長門村正とよく見知ったお隣さんがこのアメリカにいて、何故か泥門の合宿期間限定のマネージャーに加わっていた。

 ヒル魔先輩から紹介されたときは、思わずバーベキューの串を落としかけた。

 

「泥門と言えば、ラインマン、以前の太陽戦で落第だと記事に書いてしまったことをお父さんが謝らなくちゃいけないって言っていました。ごめんなさい」

 

「ふっ」

「へへ!」

「良いって良いって。俺達もう気にしてねーからそんなの!」

 

 ハァハァ三人組とも話せて、早速泥門と打ち解けているのはいいが……

 

「……ヒル魔先輩、脅迫手帳(アレ)、使ってないんすよね」

 

「何度も同じこと訊いてくんじゃねー、糞カタナ。利害の一致だ。そんなに心配なら傍に付かせるから、テメェが面倒見りゃいい」

 

「わかりました」

 

 よくお世話になってるお隣さんだ。これでリコに何かあったら熊袋さんに顔合わせできない。

 

「ふ、不束者ですがよよろしくお願いします、村正君!」



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16話

『長門村正です。麻黄中アメフト部に入部しにきました』

 

 長門村正は、経験的に知っていた。

 人並み以上に恵まれた体躯を持つ己と、鎬を削れる相手などそういないことを。好敵手と出会えたのは幸運で、そして、幸運はそう何度も起こることはなく、たった一度しか巡り合わなかった。

 だから、その部活(クラブ)に入ろうがきっと周りに合わせられないであろう己は、一人勝手にやっていくと思っていた。

 

 酒奇溝六の猛トレーニングが始まるまでは……!!

 

『次! 栗田!!』

『ふんぬらば!』

 

 己以上のパワーと体重を持つ巨漢の先輩。それとの押し合いは、当然、押し込まれる。

 

『何してやがる村正! 単純な押し合いで勝てねぇなら、パワーにそのスピードを掛け算して激突時の威力を数倍に押し上げろ! お前はまだテメェの身体を十全に使い切っていねぇぞ!』

 

 腕力だけでなく、脚力。全身を滾らせて、巨漢の先輩と押し合い……そして、休みを入れずに、

 

『次! 武蔵!! そして、この次は俺だ』

 

 またひとり、大工仕事で屈強な肉体を持つ無骨な先輩が、突撃する。先輩2人が交互にぶつかり、

 

『腕だけで押そうとすんな! ケツを前にガツーンと突き出せ!』

 

 最後は熟練の技を持つ自らが組み付いて、力以外の技を体に叩き込ませる。

 それからすぐ、ブロック練習の後のパスキャッチの練習。

 

『スクエアイン!!』

 

 麻黄中学デビルバッツは、4人しかいない。そして、そのうちパスキャッチのできるのは己ひとり。だから、この練習は常にマンツーマンで、容赦のない先輩の投げるスパルタパスの捕球に全速で走らされる。

 ……その中に、捕れなかったこともあった。

 

『今、“諦め”たな村正!』

 

 パスを逃し、足をふらつかせる己に、バケツの水をぶっかける。

 

『っ……申し訳、ありません!』

 

『お前の(たっぱ)なら届いたはずだ。ブロック練習でへばったか。だが試合ではさらに疲労した状態で敵と当たることになる。いいか、頭に叩き込んでおけ。遠すぎる、自分の脚でも追いつけない、なんて頭によぎっちまうのは、心の力が弱いからだ! 肉体が恵まれていようが、才能があろうが、メンタルのねぇヤツは最後の最後で負けちまうんだよ……!』

 

 周囲の規格に合わない己は、独力で、我流で、誰の後押しもなく上を目指すしかないと思っていた――

 

『はい。ありがとうございます……!!』

 

『よし、ヒル魔、もう一度最初から全ルートのパスを投げてやれ!』

 

 

 ~~~

 

 

『――ラスベガスだーー!!』

 

 『死の行軍(デス・マーチ)』2000km、泥門デビルバッツ全員が完走した。

 

「やった……。やった…みんなで……」

「おおおおん!」

 

 何度もリタイアしかけることはあった。

 だけど、脱落者はゼロ。何人かは出ると思っていたが、これはコイツらを舐めていた。

 

「パワーにスタミナ、一ヶ月前と比べ物になんねー程強くなってるはずだ」

 

 ライン連中も、最初はトラックを動かすにも一苦労だったが、最後まで自力でラスベガスまで押してみせた。確実に成長している。そのメンタルが特に。

 

「だがそれだけじゃ関東の強豪には100%勝てねぇ!」

 

 勝負に絶対はない。だが、たゆまぬ努力でその絶対に限りなく近づけることはできる。

 

「この拷問を最後までやり抜いた経験と精神力、それが実力差をひっくり返す。アメフトってのは心の勝負でもある。俺はそこに賭けてる。

 ――今はただ完走の美酒に酔いしれやがれ! よくぞ2000km走り抜いた! お前ら最高だ!!」

 

「せっかくの名演説だがほとんど聞いちゃいねーな」

 

 とヒル魔の言う通り、ほぼ全員が精も根も尽き果てて、路上でへばっている。ので、とっとと宿を取った部屋のベッドに運んで休ませた。

 

 

「……これでおさらばか。寂しくなるな」

 

 どんなに憎まれても構わねぇ。だが強くするためならなんだってやってやる。そう誓い、この一ヶ月心を鬼にしてしごいた。

 しかし、常に心に去来するものがあった。

 

『なんで1人で……他の連中はどうした!』

『全員、潰れた。でもよ、俺が1人でも粘ってりゃ、追っかけてくるに違ぇねえ……『溝六如きに負けてたまるか』ってよ!』

 

 だが、来なかった。誰ひとり。

 トラックを押していた前衛だけでなく、庄司が指揮していた後衛連中も全滅。

 そして、ひとりで仲間が戻ってきてくれると信じたバカは、自滅した。

 だから、ずっと誰かが落ちることを覚悟していた。でも、そいつを責める気はなかった。途中で無理だとリタイアしたヤツにはアメリカの日本人大使館の地図を渡すつもりでいた。

 

 こんな独りよがりな熱血を無理してまで押し付けて、失敗したのを経験していたから……

 そんな間違いであったと反省しながらも、結局最後までやり通したのは――

 

「それでも俺は、30年前……夢半ばに散るあんな思いをさせたくない。その一心で」

 

 膝の古傷が疼く。

 泥門は全員で達成してみせた。だが、それでこれが正しかったのだと言えるのか?

 

「――証明してみせます」

 

 遊びの街ラスベガス。それでショーの一環で使われる舞台のひとつである海賊船にまでふらついて、ひとり別れの儀式にと盃をあけていれば、ヤツが来た。

 

「勝つために与えたこの試練、『死の行軍』を成し遂げた泥門デビルバッツが、先生の30年の迷いを晴らしてみせます……!!」

 

 村正……。

 一目見た時からピンときた逸材で、誰よりも苛めてきた、この酒奇溝六が育てた最高の選手。

 

「だから、帰ってきてください日本に。俺達の勝利を間近で拝んでもらうためにも」

 

 

 借金2000万円は、トラックを売却して得た資金を元手に、ラスベガスでギャンブル。主にヒル魔の活躍によって、借金返済額の2000万以上に稼いでみせた。

 

 

 ~~~

 

 

 もう何度も負けてるんだ。

 長門と高さだけで競り合ったら勝ち目なんかねぇのは身に染みた。

 勝つには、長門に俺の全部を、体でぶつけてくっきゃねぇって事をよ……!

 

(ぶつかってくんだ長門に! 振り返っちゃダメだ! 長門の方しか向かねぇ……!!)

 

 ボールの位置を把握するために振り返るためのエネルギーをも全部飛ぶ足に注いだ。

 当然バック走でこちらをマークしていた長門もキャッチに飛ぶ。空中で衝突する。だが、

 

「クラッシュ上等ォォ!! キャッチ勝負なら負けらんねぇんだァァァァ!!!」

 

 当たりながら、キャッチする。自分にも相手にもリスクを背負ったこの危険な技に、やはり長門も躊躇なく飛んだ。

 悔しいが、まだまだコイツの総合力はどれもこれも自分より高水準だ。パワー、スピード、テクニックどれも負けてる。だから、キャッチの一点突破、それしか勝機はない。

 

 当然、長門の方を向いてるから、ボールは見てない。でも、()()()()

 数えきれないほど受けてきたヒル魔先輩のパス、頭と体に記憶した弾道と体感する風向きと風量で視認せずとも予想できる。

 

 雷門太郎の、10年間ボールだけを追ってきた経験則。練習バカに生えた背中(バック)の目。

 だから、存分にこのキャッチのパワーを、長門にぶつけられる!

 

「らあああああああ――!」

 

 相手選手にぶつかりながら、投げられたボールに背を向けたままの、頭上(オーバーヘッド)キャッチ。

 

 

(なんて奴だモン太……!)

 

 キャッチの腕の出し方は角度によって何種類もあるが、頭の後ろで捕るキャッチは断トツで難しい。

 しかもそれをこちらにクラッシュしながらやってのけた。

 

「よっしゃああああ! ついに長門から一本捕ったぞーーー!!」

 

 泥門ワイドレシーバー・雷門太郎、体当たり頭上キャッチ『デビルバックファイア』で、『デス・クライム』を達成。

 

 

 ~~~

 

 

 身長でも、腕力でも上を行く強敵(とも)

 そして、自分には力の差を覆す3人のような息の合った連携もない。だから、1人で3人分の働きをやってみせる。

 

 両腕の連続『リップ』でも通用しない。ならば、三位一体の打撃をぶちこむ。

 

 肩の筋肉を膨らませ首を引っ込める。

 遅れやすい腕っぷしは、かなり先に当てるつもりで。

 押し勝つのではなく、下から上へ、相手のバランスを崩すことを目的とする。

 

「フゴッ!」

 

 タイミングが肝心。

 今、相手がいるところに全力で突っ込んでも、到着するころには微妙にズレてしまう。

 だから、相手の動きを予測して、0.2秒先の未来に叩き込む……!!

 

 何度も果たし合って、親友のチャージのタイミングが頭で考えなくても体でわかる。

 そして、背の低い自分は、小さいからこそ誰よりも立ち合いに有利に働く。

 

「あの長門君が、止められ……!?」

「いやそれだけじゃねぇ! グラついてんぞ……!?」

 

 ……流石は、強敵。

 衝突に威力を3倍にする強撃でも倒し切れないか……!

 

「フゴッ!!」

 

 だが、ラインマンとして止めてみせたぞ。

 

 

 これは敵の懐に潜り込める小柄さあっての技。長身のプレイヤーでは易々とマネできるものじゃない。

 

「見事だ、大吉。己の肉体を、武器にしてみせたな」

 

 泥門ガード・小結大吉、頭、肩、腕を三点同時(ジャスト)クラッシュさせる『Δ(デルタ)ダイナマイト』で『デス・クライム』を達成。

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナも『デビルバット・ハリケーン』で、『デス・クライム』を達成している。

 『死の行軍』をやり遂げた彼らは、ヒル魔妖一が課した『デス・クライム』を達成できるだけの一芸を身に着けていた。

 もっとも、その後すぐに長門村正が一芸を打破してみせるも、それで地獄の合宿を経験した3人の精神力が挫かれることなく、さらなる向上を目指す。

 

「アハーハー! さあ、今度はこの僕がムッシュ長門に勝ってみせるよー!」

 

「いいぞ……来い。ブロックもキャッチも負かしてやる」

 

 そして、アメリカで加わった新戦力・瀧夏彦の加入。同じタイトエンドの長門村正と張り合うように毎日ぶつかっていく。身近な強敵(かべ)という刺激を受け、勝負の経験値を獲得していき、瀧夏彦は瀧夏彦なりの柔軟なプレイを磨いていく。

 

 

「やーー! 泥門デビルバッツの盛り上げ隊長に就任!」

 

 それから、彼の妹の瀧鈴奈が泥門生ではないけれど、観客を沸かせるためのチアガールとなった。早速、キャップ、メガホン、応援スティックを考案して、チームを活気づける。

 

 

作戦帳(プレーブック)! 秋大会までに全部叩き込むぞ!」

 

 『死の行軍』の最中でも行っていたが、戦術理解を深めるための勉強も怠らず。イラスト入りのカードを全員に配り、全プレイを覚える時間は少し足りないが、それでもイメージと結びつけるよう脳に刷り込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

『正直、雪光先輩の運動能力では、どれだけ猛特訓を重ねても半年かからずに運動部助っ人に勝てるほどのプレイヤーにはなれないと思います。

 でも、『ヘル・タワー』でも話したことがあるっすけど、アメフトは頭も使うスポーツです』

 

 『デス・クライム』を受ける傍らで、長門君にきっとアメフト部で最もヘタな僕にも何か一芸を身につけられないか指南をお願いしていた。

 

『“見る”。相手ディフェンス全体の動き、相手選手が今どこにいてどこに向かうか、瞬時に見極める。これは、17年間、机にしがみついていた、その“鍛えられた頭”だからできるものです。そう、雪光先輩の武器は、(ここ)だ。

 相手の動きを見ただけで全体像を頭に浮かべられ、そこからさらに司令塔・ヒル魔先輩と瞬間の判断を同調(シンクロ)させられるくらい、判断力(あたま)を鍛えてください』

 

 太陽戦もNASA戦もずっと試合に出れなかったけど、それでも“見”続けた。

 パスルートを最初から決めず、瞬間瞬間の状況を見て、相手を出し抜く文化系レシーバーの武器『速選(オプション)ルート』ができるようになるために。

 

 相手ディフェンスの動きと全部のパスパターンを脳に焼き付ける。『死の行軍』の最中でも休みの時に、いろんなアメフトの試合データを、情報通の熊袋さんに集めてもらって見せてもらい、長門君の解説をしてもらいながら勉強した。

 どれだけ事前情報を“予習”をしても、実際の動きを前半まるまる使って“復習”しないと無理だろう。

 

 『死の行軍』、途中リタイアしかけるも自分の足で最後までやり通したその成果で、40ヤード走を6秒1から、5秒6に上げた。

 それでも標準的男子高校生は5秒5、運動部の助っ人・石丸さんの4秒9には及ばないし、フル出場できるスタミナはない。

 しかし、オフェンスのみ。それも後半だけに力を集中できれば、誰よりも全力で走れるだけのトレーニングは積んでこれたはずだ。

 

「よーし秋大会レギュラー入りのメンバーを発表だ!!」

 

 『死の行軍』で大半が終わった夏休みを終えてから、二学期最初の練習後、ヒル魔さんが部室に皆を集める。

 

「今から呼ぶヤツは全員、攻撃と守備の両面で使う。

 まずクォーターバック、ヒル魔妖一(オレ)。……キッカー兼任な。

 

 次! ライン5人。栗田、小結、十文字、黒木、戸叶。

 

 ランニングバックは、アイシールド21、石丸哲夫、それと基本タイトエンドの長門も作戦次第で走らせる。

 

 そして、レシーバー、雷門太郎! とこっちもタイトエンドに変えるが、瀧夏彦。

 

 

 

 ……で、最後に攻撃限定でワンポイントのレシーバーに、雪光学。以上だ」

 

 完全なレギュラー入りとはいかなかったけど、でもこれで、最後の秋大会、フィールドに出られるんだ、僕も! みんなと一緒に戦える――!

 

 

 ~~~

 

 

「……チームも、そして、俺個人も秋大会に向けてだいぶ仕上がってきた」

 

 『死の行軍』後に測った身体データ、ベンチプレス155kg、40ヤード走4秒5、そして、身長も3cm伸びて193cmになった。

 それで、携帯に送られた大和猛(アイツ)の情報は、ベンチプレス135kg、40ヤード走4秒3だ。脚の速さでは0.2秒負けているが、腕の力は20kg分勝っている。

 無論、数値上だけですべてを測れるものではなく、また全体のチーム力も、泥門は帝黒に劣るだろう。

 

(だから、まだこの程度で満足しない。実戦を糧にさらに成長する)

 

 そのための第一歩、秋大会の一回戦目の相手・千石サムライズ。

 月刊アメフト誌に記載されているのを見ると、走力A パスB ラインB 守備C。総合でAクラスのチーム。

 対し、泥門は、走力A パスB ラインC 守備D。総合でBクラスのチームと書かれている。といってもこれは、夏休み合宿前のNASA戦時での評価だろうが。

 部員数も62名と向こうが圧倒的に上で、大学がバックアップについている組織力は泥門にない強みだ。

 ……そして、こちらはキッカーが、まだ帰ってきていない。

 

「だが、関係ない。決戦の舞台、クリスマスボウルの東京スタジアムで皆に誓った以上、どこが相手だろうと、ただ勝つだけだ」

 

 “絶対クリスマスボウル!”を誓い先輩たち3人の名が書かれたテレビ……そこには今では寄せ書きのように泥門デビルバッツ全員の名前も加えられていた。

 

 

「村正君、頑張ってくださいね。私も応援してますから!」

 

「ありがとな、リコ」

 

 出立の朝。

 9月11日。全国高等学校アメリカンフットボール選手権が開幕。

 お隣さんに挨拶をすると、いざ……

 

「―――」

 

 バタッ、と重いものが地面に落ちる音。それまで前を向いていた長門村正が反応して振り向くと……見送っていた頑張り屋さんのお隣さんが倒れていた。

 

「リコ!?」

 

 

 ~~~

 

 

『えーー皆それぞれ思いの丈があるでしょう。勝利への渇望があるでしょう。だが全国大会決勝(クリスマスボウル)へ行けるのはただ一校のみなのです。

 誤解を恐れず真実を言おう。アメフトは君たちにスポーツマンシップなど求めてはいない。敗者に敢闘賞はなく、勝者のみが栄光を得る世界。

 君たちの使命はただひとつだ。――――勝て!!』

 

 

 全国高等学校アメリカンフットボール選手権が始まった。

 

「やっぱり、あの大凶のおみくじが当たってたんだ……」

 

 けど、長門君が、来ていない。

 先ほど連絡が入った。お隣の熊袋リコさんが倒れた。病院へ連れて行ったようで、急いで親が向かっているがそれまで離れられない。

 『死の行軍』で手伝ってもらったし、お世話になった熊袋さんの容体は心配だ。

 

「長門君もムサシみたいに……」

「まあ試合開始にゃ間に合わねーな」

 

 震える栗田さんを遮るように、ヒル魔さんが淡々と言う。

 

「ビクつくな糞デブ! 糞カタナ抜きの攻撃パターンもある! 常にフルメンバーなわけじゃねぇんだぞ! スタミナ温存でベンチで休む時もありゃケガで退場もありうる。その瞬間に負け決定か? そんなんでトーナメント勝ち上れるわけねーだろ!」

 

 確かに、そうだ。

 それでもタイトエンドが外れる。瀧君もまだ泥門に中途入学していないから正式なデビルバッツのメンバーとして試合出場はできない。泥門の攻撃パターンは相当削れる。

 ……それに栗田さんは、長門君が来れないのに何かを思い出したように震えてる。ヒル魔さんもどこかイラついてる気がする。

 

 それに僕も、初めて試合で負けた――長門君が試合に出れなくなってから、逆転された。そんなことを意識してしまうとズシリと脚が重くなる。

 そして、相手は王城ホワイトナイツと同じAクラスの強豪・千石サムライズ。

 

「ガハハ、格好良く撮れよ! この秋大会で春大会の時に優勝した王城をぶった斬る名門千石サムライズ監督・豊臣光秀に相応しい角度でな!!」

 

 “天下統一”と書かれた扇子を広げ、もう片手に並々と液体の入った盃をもつ江戸TVの取材を受けてる相手チームの監督。

 

「あの石頭……庄司監督とは千石大アメフト部の同期の桜よ」

 

 庄司監督と同じ……それって、『二本刀』の溝六先生とも……

 

「あやつは千石大主将の頃から熱血迷惑な男でな。厳しくすりゃええと言うもんじゃないという事をこの大会で証明しよう」

 

 まるで一回戦は勝って当然だとでも言うように、先の展望を高らかに語っている。

 

「そうさな、まずは監督もコーチもいない弱小チームを……」

 

「チッ、チッ、チッ!」

 

 あれ? いつの間にかモン太が泥門のベンチからいなくなっていて、瀧君や小結君とも一緒に千石サムライズの取材に割って入っていた。

 

「それが今はいるんだな! 名トレーナー・酒奇溝六先生よ!」

「アハーハー!」「フゴッ!」

 

 とカメラを誘導するようこちらの泥門ベンチへ手を振るモン太。

 そちらには溝六先生がいて、それに気づいた千石の監督が景気よく扇子で仰ぐのを止めてしまう。

 

「溝、六か……」

 

「……よお、豊臣。久しぶりだな」

 

 それで、言葉は止まってしまう。

 溝六先生は口を閉ざして静かなままだけど、向こうの監督は下唇を噛んで震えていて、喉元まで込み上がっている言葉を吐き出さないようにしてる感じで……そこに口を挟んだのが前に会ったことのある人だった。

 

「これはこれは、千石大のOB・酒奇溝六さんやないですか」

 

 サムライズのクォーターバック・浪武士。泥門高校にまで押しかけて、長門君を否定した……そう、溝六先生の教え子である長門君を。

 

「時代遅れのスパルタで千石大を壊したド阿呆が、今度は泥門で同じ過ちを繰り返したんか?」

 

 ……溝六先生は、何も言い返さない。

 その様子に、浪さんは鼻を鳴らして、侮蔑したように見下す視線で……それが我慢できなくて、僕は間に立ちはだかった。

 

「違う。押しつけなんかじゃない。みんな勝ちたくって自分で決めて参加したんです」

 

「そうだ!」

「おいテメー、俺らが言いなりの奴隷みてぇじゃねーか」

 

 モン太と黒木君も声を上げる。

 

「けど、『妖刀』がおらんやないか。あれがおらんと泥門なんて戦力半減や。なあ、スパルタに折れちまったんか? それとも、俺との勝負を尻尾巻いて逃げたか? どちらにしても『二本刀』が終わって新時代の千石サムライズには勝てんやろうがな」

 

 去っていく浪さん。

 そして、燃え上がる泥門。十文字君、黒木君、戸叶君が声を揃えて叫ぶ。

 

「「「あいつらぶっ潰すぞ!!」」」

 

「ウワァア頼もしい……」

 

 

 ~~~

 

 

「――長門君!」

 

 お隣さんが眠るベッドの傍らで時計を気にしつつ座って待っていると、息を切らして病室に飛び込んできたアフロな男、今日の試合の解説役を任されていた月刊アメフト編集部の記者・熊袋さんである。

 まず娘が安らかに寝息を立ててるのを確認してから、こちらにペコペコと頭を下げる。

 

「ごめん、ウチの(リコ)が……今日は大事な試合だって言うのに」

 

「ご心配なさらず。リコも容体は落ち着いたようです。医者が言うには2、3日で退院できるでしょうとのことで。……頑張り屋ですから、無理をしているのを我慢していたんですね」

 

 『死の行軍』の最中も、振り返ると顔を真っ赤に、頭をアフロにしてたから、その時から具合が良くなかったんだろう。

 だから、こうして誰かが来るまで看護するのは、負担をかけた者の責任として当然だ。

 

「それに今の泥門は、俺がいなくても強いですよ」

 

 

 熊袋さんと入れ替わるよう病室を出る。

 時間はもう、一回戦の試合が始まっているだろう。

 

「ヒル魔先輩には連絡しておいたが……急がないと後半にも間に合わない!」

 

 ヒル魔先輩の返信にも、賊学連中も同時刻に別のグラウンドで試合するから迎えにやるタクシーはない。自力で来い、とのことだ。

 

「よし、ここから走るか――」

 

「お前、何で今ここにいるんだ?」

 

 

 ~~~

 

 

『いよいよ始まります。全国高校アメフト選手権一回戦泥門デビルバッツVS千石サムライズ!』

 

 “チャンスだ”と長門村正不在の状況を十文字一輝、黒木浩二、戸叶庄三たちは、自分らの活躍の場だと捉えた。『死の行軍』で死ぬほど特訓した自分たちの力を証明するチャンスだと。

 すっかり不良がスポーツマンになっちまった。と物思いにふける三人だった。

 

 しかし、92番の筒井順、93番の高坂昌、94番の山田有也、95番の斎藤正利、96番の武藤俊一ら千石のラインマン。強豪Aクラスとされるチーム。そのラインの評価は、B。泥門のCよりも上。

 

「侵略する事火の如し!」

 

 36番のセーフティ・山本勘一の掛け声を受け、千石の壁が連動する。

 

「太陽の『ピラミッドライン』とやりあったそうだが、これが、現代のアメリカンフットボールだ泥門!」

 

 守備を入れ替える連携プレイ、『スタンツ』。真っ向からぶつかるはずだったのに、それを隣から横槍を入れられて躱される。そして、人間、横からどつかれれば弱い。

 

「新時代のラインマンに必要なのは、連携とスピード。超重量やパワーなんてものは終わったんだ」

 

 ラインマン全員の50ヤード走が、5秒0。ラインも含めフィールド上の全員が走れるチーム。それが走力Aと言われる千石サムライズ。

 そして、突破したラインは後衛にチャージして、相手の攻撃をサックして潰す。

 

「今度こそ! うおおおおお!!」

 

 奮起して突っ込む泥門のラインだが、穴を見て変幻自在に入れ替わる千石のブロックを阻めない。

 

「負けたら……全部が、終わり……」

 

 そして、ラインマン5人を中核で支えるべきセンター・栗田良寛が機能せず、ブロックは1秒も保たない。パスを投げる間もなく潰しに来る、そしてランにしても走るルートをこじ開ける(ライン)が完敗では絶対に勝てない。

 

『泥門攻撃失敗! 攻撃権交代!』

 

 

 ~~~

 

 

 “生き残り”を士道に掲げ、選ばれし(つわもの)共が勝利へと鋭く斬り込むオフェンス陣。

 

「――さあ、いっちょ敵陣に斬り込んでやろうやないか」

 

 背番号11。千石サムライズのエースクォーターバック・浪武士の得意な戦法は、投手自ら走る『キューピードロー』。

 スナップされたボールを持って、大外へ、疾き事風の如きランで回り込む。

 

「捉えた!」

 

 それを更なる速さで先回りする泥門守備の後衛・アイシールド21。だが、浪武士はおどけるように笑う。

 

「速いなあ自分。けど、俺は投手や。選択肢は抜くだけに限らん」

 

 爆速ダッシュで追い詰める――よりも早く、浪武士は走りながら投げた。

 その鋭いパスを千石の背番号80のワイドレシーバー・伊達宗一がキャッチして、パス成功。一気に10ヤード前進を許す。

 

(走りながら、投げる……長門君と練習で『ハーフバックパス』の練習をした事があるから、動きながらコントロールよく投げるってのがどんなにすごいのかわかる)

 

 走りながら制御、かつ走りの勢いも加算させるよう止まら(ブレーキせ)ずに投げる銃弾の如きパス。脚も速いが、(たま)も速い。

 

 エイリアンズのクォーターバック・ホーマーはそのマッスルボディでそう簡単に倒せない発射台だったけど、これは捕えられない発射台。

 

(それでも、こっちが速い。もっと速く飛びついて、投げる前に潰せれば……!)

 

 二回目の守備でもまた果敢に『電撃突撃』を仕掛けるアイシールド21。

 再び対峙した浪武士は腕を上げ、その投手の弱点である肩と腕を狙い、先よりも力を溜めた爆速ダッシュで突撃する。

 ――だが、そのアイシールド21の身体の前に、投げる体勢でボールを持たない方の左手が突き出されて、アイシールド21が伸ばした腕を手刀、『スティフアーム』で叩き落とし、躱して抜き去る。

 

(フェイント!?)

 

 そして、千石サムライズの10番、ランナーを相手ディフェンスからリードブロックするフルバック・石田成一にアイシールド21が浪武士に迫る走路を遮られた。

 『電撃突撃』は持ち場を離れて投手を潰しに行く、失敗すれば無防備になってしまうギャンブルなディフェンス。泥門セーフティ・アイシールド21がいなくなってしまえば、最終防衛線に残っているのはヒル魔妖一のみで、現状、浪武士のスピードに追いつけるのはアイシールド21だけだ。そのまま独走し、ゴールラインを超えた。

 

『タッチダーゥン!』

 

 どこから撃ってくるかわからない発射台。かといってパスに守備を集中すれば、そのまま『キューピードロー』で行く。

 

 そう、巧みなフェイントで相手を翻弄し、自らランでボールを運ぶ異端児・浪武士は、攻撃の手段でランとパスの2枚のカードがあり、それを相手は常に頭に入れなくてはならない。更に“投げるフリ”をしてくるので、単純な走り一辺倒の守備に集中できないのだ。

 

 昨年の東京地区でベストイレブンに入った盤戸スパイダーズのクォーターバック・棘田キリオ。彼の武器は、『薔薇の鞭(ローズ・ウィップ)』と呼ばれる横走り投げであり、そして、超攻撃型の動く投手。

 千石サムライズのクォーターバック・浪武士もそれと同じ。

 

「西部の『早撃ちのキッド』っちゅうのが今騒がしてるけど、現代のアメリカンフットボールの投手は自分が走れるヤツ。投げるのが速いだけでなく走っても速いヤツが新時代のクォータバックや!」



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17話

本日2話目


「いやあ、免許を持っていて助かりました。試合会場までの移動手段で右往左往とするところでしたから」

 

「別に。ちょうどその辺りに今の現場があるだけだ。……わざわざお前を送るためじゃない」

 

「“ついで”でもありがとうございます」

 

 荷台で防具にユニフォームを着替えながら、運転してるぶっきらぼうな態度の先輩に礼を述べる。

 城下町病院にて、親父さんの見舞いをしに来ていたのを偶然ばったりと行き会った。……と言っても、これは戻ってきてくれるわけではないが。

 

「……そういえば、臭い、しなくなったっすけど、タバコをやめたんですね」

 

「………」

 

 二人を見捨てた。二度とボールを蹴る気はない。と言っていたけれども、やはりこの人は好きだ。今もアメフトが好きなんだ。

 だから、後輩として、チームを強く支える。

 

「勝ちますよ。全国大会決勝(クリスマスボウル)まで、俺達は勝ち続けますから。栗田先輩も待っていますし、ヒル魔先輩も試合のメンバー表には11番のキッカーを試合登録してありますから……だから、朝でも夜でも試合の途中からだって、いつでも帰ってきてください、武蔵先輩」

 

 

 ~~~

 

 

 すっかり呑まれちまってやがるなこりゃ。

 

 ズブの素人ほど伸びる余地がある。伸びしろがデカいってやつだ。でもって、あいつらには『死の行軍』をやり遂げるだけの根性があった。ほっといても伸びる野郎どもだ。俺の仕事なんて微々たるもんだ。

 

(大会が初めてだ。気ィ焦って頭茹っちまってら)

 

 ヒル魔ひとりに何でも負わせるのは大変すぎる。試合中は全体の指揮で、個人個人の試合中のアドバイスをする余裕なんてない。蹴ったり怒鳴ったりするのが精々だ。

 これを代わりに補佐して指南役をしていたのが、村正だ。

 

『十文字、黒木、戸叶、お前らブロックの重心が高い。もっと低く構えろ』

 

『簡単に言ってくれるぜ』

 

『アメフト始めて、まだ一年も経ってないのはわかってる。だが、踏ん張るときは低く構える。意識しなくてもバランスをキープする。それを鍛えるメニューとして、NASA戦引き分けの報酬で新たに追加してもらった練習器具、この特注三人乗り自転車こぎを追加だ』

 

『ハ?』

『はぁ?』

『はぁああああああ!』

 

『二人乗りのよりも車体が長いから横風を受けやすいし、倒れやすい。3人息の揃った動きをしなければ、鉛をつけた総重量500kgの三人乗りの自転車はまともに漕げない。ま、大丈夫だ。2000kmトラックを押し切ったお前らならできるさ』

 

 ヒル魔のヤツも頭では理屈はわかってるだろうが、こういうのは実践で身に沁み込んでいる村正の方が指南役には適している。村正は天才肌の人間だが、助っ人でヒル魔が集めた素人連中を指導してきた経験から教えるのも上手い。

 しかし今、その村正はいないし、ヒル魔には余裕はない。――だから、これは俺の仕事だ。

 

「おい(ライン)組!」

 

 軽トラをフィールド脇へと停車。

 実力の半分も出し切れないラインマン5人に言葉で説明してやる身体で思い出させる方が手っ取り早い。

 

「やる気はいいが突っ込み過ぎなんだよ! 身体で思い出せ。『死の行軍』の時、腕の力だけでトラック押してたか? 踏ん張るのにそんな腰が高かったか?」

 

 連携では実践経験が足りてない。だけど、こいつら5人は揃ってトラックを2000km押してきた。互いの呼吸なんていやでもわかる。

 

 そして、ヒル魔、村正が全体を支えてる泥門だが、もうひとり大黒柱にならなきゃいけねぇのがいる。

 

「栗田、いつまでも腑抜けるな。土台のお前がしっかり皆を支えろ」

 

 

 ~~~

 

 

 去年の秋大会とは全然違う。

 あの時はまだもう一回チャンスがあるじゃんって思ってた。

 でも今年はもう……

 

 小学生の時からあんなに夢だったのも、ヒル魔とムサシが入ってくれて、長門君が加わってくれてあんなに嬉しかったのも……負けたら、全部、終わっちゃう。

 結局、ムサシだって間に合わなかった。

 そして、長門君も去年のムサシみたいに……

 

 どうして一生で二回しかチャンスがないの? 何度でもやろうよう!! 試合やりたくないよう! よりによって、千石だなんて、どうやったら……

 

(――あれ?)

 

 溝六先生が運転してきた軽トラ、その荷台にあった、テレビ。

 それは1年2組の……去年、僕たちのクラスにあったテレビで、3人ボッチのアメフト部で『全国大会決勝(クリスマスボウル)に行こう』って誓って書いた。

 栗田、

 ヒル魔、

 ムサシ、

 そして――

 

(そうだ。一人じゃない)

 

 長門村正、

 小早川セナ、

 小結大吉、

 雷門太郎、

 十文字一輝、

 黒木浩二、

 戸叶庄三、

 雪光学、

 姉崎まもり、

 瀧夏彦、

 瀧鈴音、

 酒奇溝六、

 それから、石丸君にバスケ部の助っ人、山岡君と佐竹君の名前も、あとケルべロスの肉球も寄せ書きのように加わっていた。僕たち3人の名前を取り囲むように。

 

「もう僕たちはひとりじゃないんだ!」

 

 

 ~~~

 

 

 確かに俺らは能率の悪いバカだ。

 だけど、溝六みてぇなバカの時代遅れのスパルタ特訓でトラック押しながら40日間歩いた。長門の課した『デス・クライム』、三人乗り自転車で何度も倒れても漕ぎ切ってきた。

 

「エリートさんよ」

「ラインに大事なのは連携だァ?」

「連携ならこちとら3人、顔も見飽きるほど大昔からツルんでんだよ……!!」

 

「!!!」

 

 泥門デビルバッツのラインが、強豪・千石サムライズと拮抗。

 いや、太陽スフィンクスの『ピラミッドライン』と比較すれば軽いし、NASAエイリアンズの『マッスルバリヤー』の当たりよりも弱い。

 策を弄してくるが、結局、ラインは力勝負だ。付け入る隙を与えずに押し切れば、泥門だって負けていない。

 

「ふんぬらばーーー!!」

 

 そして、壁が機能すれば、

 

「『死の行軍』で死ぬほど走ってきたパスルートだ!!」

 

 千石サムライズの23番、コーナーバック・真田雅幸を振り切って、ヒル魔妖一の投げた強烈な、キャッチ力の限界を容赦なく要求するスパルタパスをモン太がキャッチする。

 

「SET! HUT!」

 

 次は栗田がそのパワーでもって千石ラインをじりじりと追い詰めて、決して広くはないが走路が開いた。アイシールド21はそこへ全速で突っ込む。そして、チェンジ・オブ・ペースの爆速ダッシュで密集地帯の敵陣を抜ける。

 セーフティ・山本勘一が目の前に飛び出すも、

 

(2000km練習したんだ。スピードを落とさないブレーキを……!)

 

 アイシールド21はスピードを緩めず走り続け、更に回転(スピン)で抜く。相手が息を呑む気配を確かに感じた。

 

(こいつ……! 純粋な走りなら浪よりも上だ!)

 

 走力Aの千石サムライズでも捕まえられずに翻弄される。

 最終防衛戦(セーフティ)を抜き去り、アイシールド21はタッチダウンを決めた。

 

 6-7。泥門のオフェンスは、強豪・千石にも通用する。

 ――しかし、状況は未だ泥門の不利だった。

 

 

 ~~~

 

 

「舐めるな泥門! 旧時代の連中が俺ら新時代の攻めを止められるかい!」

 

 泥門のディフェンスは、超攻撃型の移動砲台・浪武士を中心とした千石のオフェンスを止められなかった。

 

 アイシールド21が浪武士の前に立ちはだかるも相手には、並走するランニングバックのリードブロックという壁があり、またディフェンスには、相手の動きを読む動物的本能が要求される。

 経験の浅い選手にはそれがなく、泥門は大半が、アメフト歴が一年もないチーム。

 

 そして、点取り合戦となれば、キッカー不在の泥門はボーナスキックを得ることはできず、そのキック分の点差があまりにもデカすぎる。

 

 

 ~~~

 

 

 6-14。離された点差を縮めようと、泥門のエースランナー・アイシールド21がランプレイで鋭く切り込む。

 

「動かざる事山の如し!」

 

 しかし、曲がり切った先に、千石ディフェンスのリーダー・山本勘一が待ち構えていて、捕まってしまった。

 

 

(今、右から抜こうとして曲がった時には、相手はもう知ってた。僕よりも先に動き始めてた……!)

 

 先のように抜けなかった。『デス・クライム』で長門村正を相手した時のように超速で制圧されたのとは違う。こちらの動きを予期されていた。

 

「『ランフォース』か」

 

 ヒル魔が呟く。

 『ランフォース』、それはブロッカーをコントロールして、“人間の迷路”を作ることで、相手の走行ルートを強制する守備戦術。

 出口を少なく、また狭めれば、ランナーはそこが出口だと思い込みも、出口は“ある”のではなく、“そこにしかない”ため、先回りしてブロックすることが可能になる。

 守備の司令塔、軍師・山本勘一はチーム最速の浪武士を上回る速さを持つアイシールド21を封殺するための策を、千石台のOBたちの指導で習得していた。

 だが、『ランフォース』は複数の連携を必要とする、ひとりではできない。

 アイシールド21のランプレイに人数が割かれるのであれば、その分、パスへの警戒が薄くなる――

 

「静かなる事林の如く」

 

 今の泥門のパスターゲットは1枚。雷門太郎のみ。コーナバックひとりをマーク付けるだけでは、そのキャッチ力に敵わないみたいだが、

 

「どうして前衛にいるラインのヤツがこんな後ろに回り込んでるんだァァ―――!!?」

 

 現代フットボールの戦術、『入替(ゾーン)ブリッツ』。

 千石のラインバッカー・武藤俊一が突入すると同時、(ライン)で押しくらまんじゅうしているはずのディフェンスタックル・斎藤正利が入れ替わりで静かに奥へバックする。

 

 誰もいないはずのスペースに突然、壁が現れる。

 

「くぅっ!」

 

 千石コーナバック・真田雅幸はモン太と空中戦になれば分が悪いとバンプを繰り出して飛ばさせないようにし、そして、『入替ブリッツ』した千石ライン・斎藤正利がボールを捕るインターセプト。

 泥門、攻撃を失敗する。

 

 

 ~~~

 

 

 一本攻撃権を失敗するのは大きかった。

 ここでまた千石のオフェンスを止められなければ、泥門はさらに点差を突き放されて苦しい展開になる。

 

「頑張れ、泥門ー!!」

 

 鈴音たち応援団が劣勢を盛り返さんと声を張り上げる。

 移動砲台を起点とする千石の強力な攻撃を止めようにも、浪武士のパスかランかを織り交ぜてくるフェイントに惑わされてしまう。これは、まだ実戦経験の少ないアイシールド21には無理な仕事――

 

 

「すみません、遅刻しました!」

 

 

 その時に、フィールドに駆け付けた影。

 来たのだ。ヒル魔妖一の予想していた時間よりも早く、この盤面をひっくり返す切り札が。

 

「ケケケ、ようやく来たか糞カタナ! 突っ走って体力バテバテじゃねぇだろうなァ!」

 

「問題ありません。“タクシー”で来たんで。コンディションは万全です」

 

「だったら、早速仕事だ。とっととフィールドに入れ!」

 

 泥門デビルバッツの背番号88、この秋大会に集った史上最強のプレイヤーのひとり、長門村正の登場に、会場は一度潮が引くように静まり返ると、次の瞬間、ワッと歓声が上がって……涙を流して感激する巨漢が長門に抱き着いた。

 

「長門君んんんんん!!」

「栗田先ぱぁ――ああああ!!?」

 

「長門君ーー!!」

 

 感動のあまりにリミッターの外れかけたベンチプレス160kgの高校屈指のラインマンによるパワフルな抱擁(柔道風に譬えればサバ折り)をもらって悲鳴を上げる彼、エース登場間もなくの退場のピンチに、泥門のチームメイトは慌てて駆け付けた。

 

 

 ~~~~

 

 

「ようやく来たか、長門村正、いや、『妖刀』」

 

 チャンスだ、と浪武士は笑う。

 泥門デビルバッツの中で長門村正の存在は大きい。もしこれでも阻止し得ないとなれば、泥門の士気は壊滅的な打撃を受けるだろう。

 そして、己の攻撃を止めることは、脚の速いアイシールド21にもできない。

 

「SET! HUT!」

 

 スナップされたボールを受けた浪武士が、快速で飛ばす『キューピードロー』。

 大外を回って走る浪武士の前に先回りするのは、長門村正。想定以上に速い動き。けれど、己の持ち味はランかパスかの二択で守備に集中させない事だ。

 これが、走れる投手の強み。

 

(パス……と見せかけて、ラン。パスを潰そうと突っ込んだ相手を、バックカットで切り返し、腕を入れて(スティフアーム)で捌いて、最小限の動きで抜き去る)

「――パスモーションはフェイクで、ランプレイ。後ろに下がりながら腕を使ってタックルをいなし極力無駄を省いたコースを行く」

 

 ピクッ、と頬が強張った。

 対峙したその瞬間、早口で説かれた言葉を、浪武士の耳は拾ってしまった。

 

(……え?)

「俺の予想だ。アンタは中々良いセンスをしてる。けど、『黒豹』やアイシールド21ほどじゃない」

 

 俺の心を読んで――……!?

 意識が空白になりかけながらも、身体は動き始めている。止まらない。止められない。

 

(ちょ……ダメだ、おい……これは……)

 

 そして、相手の動作を注視していた浪武士にも勘付けないほど、その動きに予備動作(おこり)がなかった。

 パスフェイントを入れようとして、ガードの緩んだボール――『妖刀』の野生はその瞬間を逃さなかった。

 

「え――」

 

 『無刀取りストリッピング』……今回は、『リーチ&プル』のように腕を絡めて捻じり奪う。ボールをクォータバックの命である腕ごと奪うかのような、投手に恐怖を刷り込む交錯。

 

 勝者は振り向く事なく走り切り、敗者は地に伏して倒れたまま動かず。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

「ふんぬらば!」

「フゴーッ!」

 

 ベンチプレス100kg超えの栗田と小結、そして、後ろからボールを持って全速で突貫するのは、太陽・番場衛のスクワット高校記録を塗り替えるに至った下半身の馬力を持つ長門。

 本場の強豪NASAエイリアンズさえ押し通った泥門パワートップスリー、『死の行軍』を経てより圧の増した強引な中央突破でもって、トライフォーポイントの2点を獲得。

 14-14。劣勢下を撥ね退けて、泥門一気に同点に追いついた。

 

 

 ~~~

 

 

「SET――」

 

 ゾクリと背筋に悪寒を走らせてくる眼差し。

 浪武士の開始のコールが行き詰ってしまうほどの圧力がその眼光には篭められていた。

 

 見張っている、俺の動きを――

 

 『クォーターバック・スパイ』。投手の一挙一動のみをひたすら追跡する専門守備。

 読み合い化かし合いの一騎打ち。

 

 くぅ……まったくこっちのフェイントに釣られんっ!

 フェイントをかけるが、長門村正の目はボールの動きのみを追っている。そして、迂闊な行動をすれば――()られる!

 なら、ボールをがっちりとガードを確保して強引に――しかし、それをもぶち抜く強靭な腕一本に集約させたタックル。

 

「が、はっ――」

 

 浪武士は、超速の初動で伸ばされる長い腕、指先一つで止めるほどの気迫で放たれる長門村正の『蜻蛉切(スピア)タックル』を食らい、また沈められた。

 ボールを零し、悶絶する。斬り潰された獲物を見下ろすことのない『妖刀』の背中。

 この二度目の勝負で、否が応でも格付けされた。

 

(黒船や……長門村正は、環境系(バランス)を何もかもぶち壊しちまう本物の怪物……!?)

 

 この長門村正(かいぶつ)に、浪武士(じぶん)のプレイは通用しない……と思い知らされた。

 そして、攻撃の起点となるエースクォータバックが潰されて、千石サムライズのオフェンスは半減し、四回の攻撃で連続攻撃権を獲得することができず泥門に攻撃権交代する。

 

「ケケケケケ、勝負あったな。糞カタナは奴を完全にビビらした」

 

 

 ~~~

 

 

 そして、千石サムライズを圧倒させられるプレイは、トドメを刺すかのように徹底して続いた。

 

「あれは、俺の……!」

 

 ベンチから浪武士が見たのは、ランニングバックのポジションに入った長門村正によるパスプレイ。

 『ハーフバックパス』――それも、浪武士のブレーキをかけずに走りながらパスを放つプレイと同じ。

 雷門太郎がボールをキャッチしてパス成功させたがそれ以上に、千石サムライズのお株を奪うそれは、精神的ショックの大きいプレイだった。

 

 

 それから、泥門デビルバッツの攻勢は火が点いたように怒涛の快進撃を始めた。

 

 

「動かざる事山の如し!」

 

 長門村正をリードブロックにしてのアイシールド21のランプレイ。

 これに千石サムライズは、すかさず守備のディフェンスで壁を作り、『ランフォース』の人身迷路で追い込まんとする。

 

 ――その“山”を呑む大津波の如き気迫。

 

 『死の行軍』を経て、長門村正の意識はより強まった。

 擁護するべき相手(くまぶくろりこ)を背負い、常に倒れてはならない二人乗り自転車。肉体面が頑健になるだけではない、精神面でも不倒の意思をも強め――元来の獰猛な獣の如き攻撃的な性分と噛み合わさる。

 倒れる訳にはいかない。それでも道を阻むというのなら、障害(てき)を潰す。壊す。己のパワーで斬り捨てる、護る為の殺意へと成った。

 

「お゛お゛お゛お゛――!!」

 

 そのリードブロックはこれまでのよりも迫力が格段に増した。

 力山を抜き気は世を覆う。『妖刀』が、千石サムライズの『ランフォース』をぶち破る。

 

 そして、その抜山蓋世のプレッシャーを放つ長門村正の群を抜いた存在感。

 フィールドで最も注目を集めるボールとボールを持ったボールキャリアーだったが、その視線さえも一瞬引き付け、奪ってしまう。

 ディフェンスの意識からも遮り、断ってしまう壁、否、『妖刀』に、アイシールド21の0秒で曲がり切る超人的な走法『デビルバットゴースト』が組み合わさると、それは目にも留まらぬ幽霊から目にも映らぬものになる――

 

(村正の無視できないリードブロックという力技の視線誘導(ミスディレクション)から、その隙に一瞬で最高速に至る加速力(チェンジ・オブ・ペース)で抜き去る。二人の協力で成す最強のランプレイ、『バニシング・デビルバットゴースト』は無敵だ)

 

 『ランフォース』が破られて、アイシールド21がタッチダウンを決める。

 そして、長門村正が加わり攻撃力が跳ね上がるのは、ランだけではない。

 

 

『押したー! 泥門、千石をエンドゾーン(ゴール)まで押し込んだ!! タッチダーゥン!!』

 

 またも泥門ライン陣+勢い付いた長門村正のスピード×パワーの力強いランが、千石の壁をぶち破って、トライフォーポイント2点のボーナスを獲得。

 

 22-14の泥門が優勢で前半を終えた。

 そして、後半も破竹の勢いは止まらない。

 

 

 ~~~

 

 

 ――後半、ずっと外から眺めてるだけだった世界、このサイドラインの向こう側、近くて無限に遠かった壁……今ついに、この線を、越える――

 

「あ、ああ……」

 

 脹脛が脈打つ。

 掌が湿る。

 これが、フィールド……!

 ベンチと全然違う。こんなところで、皆闘ってたのか……!!

 

 額から垂れる汗が止まらない。

 

 僕にはスポーツは向いていない――

 だけど、スポーツができなかったのは、向いてないからじゃない。

 

『才能のあるなしなんて努力をやり切ったものだけが言える文句です』

 

 何も、しなかったから。

 ずっとスポーツをしたかったくせに、無理だとか向いてないとか、結局、何もしなかった。

 何もしなかったから、何もできなかった。

 

 でも、今年だけは、違うんだ……!!

 

『……ですが、これだけは言える。ガリ勉の先輩が朝から晩まで練習して汗を流してる……それが無意味だと俺は思いません……!

 この先一緒にプレイをすることがあるのなら、そのかいた汗の分、俺は、いや俺達はあなたを期待してます』

 

 

 ~~~

 

 

「静かなる事林の如く」

 

 今度はヒル魔妖一から長門村正にボールが回されてのランプレイから始まった。

 先ほどの走り投げという千石オフェンスの真似事を阻止せんと守備を振るディフェンスだったが、これは『ハーフバックパス』からの派生。

 

 後出しジャンケンのように、敵の守備の動きを見極めてから、動く。

 最初から後ろに重心を置いたままの超速のバックカットから背面投げのバックパス。

 それを受け取るのは、クォータバックのヒル魔妖一。

 

(麻黄中学時代、4人だけ、パスキャッチができるのが2人だけのパス練習をしてきた)

 

 走者と投手間でワン・ツーのように返されるパス交換するプレイは、『フリー・フリッカー』

 そして――

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、テメーならここに気付くよな糞ハゲ!」

 

 長門君の疾走で釣られ、そして、『入替(ゾーン)ブリッツ』を使ってモン太君に割かれた相手の守備陣。

 頭の中で想定通りに動いて、司令塔と瞬間の判断が同調する。

 

(空いてる! あそこに走り込めばノーマークでキャッチできる!)

 

 空いた守備に、後半から投入されたワンポイントレシーバー・雪光学が『速選(オプション)ルート』で入り込む――!

 

 

 ~~~

 

 

『泥門パス成功! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!』

 

 パスもランもできるタイトエンド・長門村正が加わり、ヒル魔妖一とのパスワークが高速化し、オフェンスの多様性が増す。

 観戦していた王城の面々は、息を呑んで、評価を下す。

 泥門デビルバッツのオフェンス力は、強豪Aクラスの千石サムライズよりも上だと。

 

(春大会とは別物、特にヒル魔妖一と長門村正……あの神龍寺ナーガの金剛兄弟の『ドラゴンフライ』のようなパスプレイはやらなかった)

 

 おそらくは、こちらの『巨大矢(バリスタ)』と同じだろう。

 泥門の中でもヒル魔妖一と長門村正の連携は年季と密度が違う。チーム全体の総合力が上がったからこそ可能になった。

 5人だけでも安定して前線を保てるようになったライン、雪光学という判断力に長けたレシーバーが加わりパスターゲットも1枚増えたのだ。

 これでブロックとキャッチが仕事だったタイトエンドに、パスとランもできる余裕ができ、クォータバックとの連携ができる。

 

 そして、パスとラン、個人個人のプレイの質も格段に向上している。

 パスルートを覚えただけでなく、アメフトのレシーバーとしての経験値を得てそのキャッチ力を活かせるようになったエースレシーバー・雷門太郎のキャッチ。

 ただ足が速かった資質任せのランナーだったのが、悪魔的な走行技術を身に着けたアメフトのエースランナーとなったアイシールド21によるラン。

 これだけでも一筋縄ではいかないが、戦術の幅が広がった泥門の司令塔・ヒル魔妖一の裏をかく指揮がその的を絞らせない。

 雷門太郎をマークして穴が空けば、雪光学という攻撃職専門のワンポイントレシーバーにパスを投げ、アイシールド21に注意がいっているようならば、もうひとりのランニングバックの石丸を走らせる。

 また、長門村正を使った高弾道のショートパスによる強引な中央突破もある。

 これは、そうそう止められない。キッカー不在ながらも千石の守備を圧倒する泥門の攻撃力は破格だ。

 

 それで、攻撃力が増した泥門は守備力でも思いきりが良くなっている。

 『クォーターバック・スパイ』として睨みを利かすエースキラー・長門村正により、後半から千石のエースクォーターバック・浪武士は自ら走る『キューピードロー』という思い切ったプレイを自粛するようになっている。

 けれど、そんな縮こまったプレイをしても、調子を上げていく泥門のラインマン、『不良殺法』で引き倒していく十文字達に、『リップ』で潜り込んでかち上げる小結大吉が果敢に潰しに来るのだ。かといって、これを止めようにもセンターの高校アメフトトップクラスのパワーを持つ栗田良寛は二人がかりでもなければ押さえられない。

 

(しかも、太陽戦、NASA戦と最後までプレイのパフォーマンスを維持できていたのは、長門村正だけだったが、ほとんどが両面の泥門プレイヤー全員がこの後半でも動きが衰え鈍ることがない)

 

 そう、総じて言ってしまえば、地味な反復練習、基礎トレーニングの繰り返しで得られる基礎力。泥門は見違えるほどチーム全体の基礎力が心身ともに増強されていた。

 月刊アメフト誌に書かれている泥門デビルバッツの評価を、すべて一段階上のものと見ていい。

 

「千石サムライズは弱いチームじゃない。強豪に相応しい実力を持っている。それでもこうも圧倒するなんて……一体どうやって? ここまでの特訓を短期間で施す方法があるものですかね?」

 

 高見の言葉に、王城の庄司監督に去来する、その答えとなる単語は、『死の行軍(デス・マーチ)

 

(長門村正が溝六の教え子だというのならば……)

 

 ありうる、そう目を凝らせば、泥門のベンチに戦友と思しき者がひとりいた。

 

 

 ~~~

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 泥門が点数を重ねていく。

 だが、それはこちらの破壊力だけではなく、優勢になれば優勢になるほど、千石のプレイにミスが目立ち始めたのだ。

 『入替ブリッツ』も動くタイミングが早過ぎてバレてしまう、『ランフォース』も迷路に予定したポイントでないところで穴を開けてしまう。守備だけでなく攻撃もラインの連携ミスやチームのエースの浪武士が『キューピードロー』を敢行するも、『クォーターバック・スパイ』についてる村正と対峙しただけでパスを投げ捨てたり、パスがコントロールミスしてモン太にインターセプトされていた。

 

 強豪千石大学付属校ならではの堅固な指導体制を誇る千石サムライズは、言ってしまえば、マニュアルアメフトだ。優秀な選手が数多く集まるが、その中で超一流とも呼べる“本物の怪物”は生まれたことがない。

 それは、千石大で名を馳せた『二本刀』の庄司軍平と酒奇溝六も自分たちを含めて例外はないと認めている。

 

「どうして、我が名門千石サムライズが泥門に……あの、馬鹿……溝六のいるチームになんぞに……!」

 

 現代のアメリカンフットボールの戦術を取り入れていった千石大付属だが、こういう劣勢下の場面であってもいつもの力を出せるスキルを学んでなければ選手は超一流にはなれない。

 どんな戦術も学んでいようが、所詮、机上の空論であり、実際に逆境や修羅場を経験し、克服してきたものでなければ、実戦では活かし切れないものだ。

 

 そう、アメフトが“心の勝負である”というのは古今変わらぬ理念だと酒奇溝六は考えている。

 あの『死の行軍』という極限の修羅場・逆境を潜り抜けた泥門のメンタルはどこが相手だって劣るものではない。

 

(豊臣よ……お前は賢く立ち回るのが得意な奴だったが、お前が止めた『死の行軍』なんつう馬鹿をやり遂げたコイツらの強さは馬鹿に出来るもんじゃねぇぞ)

 

 選手生命が断たれたことは恨んじゃいない。

 それでも、この泥門はかつての千石大よりも強い。そう確信している。

 

 

 ~~~

 

 

 強い……が、気に食わないことがある。

 あのアイシールド21……何故、あんな背の低い男が、アイシールド21なのかということ。

 

 2年前、アメリカに留学していた中学の時に、この目で見た、ノートルダム大付属で活躍していた日本人――“本物のアイシールド21”。

 あの完璧なランナーを忘れるわけがない。

 スピード、テクニック、ボディバランスが高水準でまとまっていて、何よりも奴は倒れなかった。その長身とパワーで、本場の連中にも当たり負けはしなかった。

 そう、あんな華奢で小さい体では、一生かかっても本物の足元にも及ばない。

 

 そして、泥門にはもっと相応しいのが、いる。

 

(88番、長門村正……あいつの走りこそ、俺がアメリカで見た、“本物のアイシールド21”の完璧なラン……!)

 

 掴もうが、潰そうが、倒れない走り――

 アメリカンフットボールの原点とも言えるラン。

 本当は奴こそが、アイシールド21なのではないかとも疑い始めている。だが、そうだとすれば何で、あんな軽くて弱いヤツにその“アイシールド21”を譲っているのだ。

 それが、気に食わなかった。

 

(まあいい。試合で認めさせてやればいい)

 

 強豪千石を降した泥門はきっと勝ち上がるだろう。

 四回戦、秋大会の準々決勝で巨深と当たる。

 その時こそ、『今度はちゃんと試合開始から闘おう』――アメリカで交わしたあの約束を今度こそ果たす。



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18話

 9月18日。

 一回戦から一週間後、秋大会の二回戦。

 泥門デビルバッツが今日試合するのは、シードの柱谷ディアーズ。

 小兵ながらも精鋭揃いの強豪。ここもまた、アメフト誌でAクラスのチームだ。特に歴戦のベテランラインマンによる(ライン)は、日々の鍛錬で築かれた堅牢なる砦であり、文句なしのA評価の難攻不落。

 選手としては小柄な者が多いが、そのハンデを補って余りある経験とガッツを備えており、職人芸なプレイに隙はない。まさに“アメフトの教科書”と呼ぶべき正確さを誇る、それが柱谷ディアーズだ。

 

 それで、この職人肌のメンバーをまとめ上げる主将(キャプテン)にして、チームの中心的存在が、山本鬼兵――

 

「世界一むさ苦しい行列かもしれねぇな……」

 

 その光景に対し、戸叶が吐露した表現に同意するよう他二人も頷く。

 試合前に行列作って並ぶガタイの良い男子高校生ら――全員ラインマン――に、サインサービスをするかりあげの選手が、古豪柱谷のエース・山本鬼兵。

 とても高校生とは思えぬシブさ満点の出で立ち、任侠映画を思わせる粋な言動は、(おとこ)を惹きつける。そしていぶし銀の技量と男気は、まさに高校アメフト界・ラインマンたちの熱きカリスマである。

 

「中高一貫の柱谷は、中学の時から6年間ずっと同じチームでアメフトやってんだ。基礎トレの密度ならテメーらも負けてねえが、6年の経験値と連携をなめちゃいけねーよ」

 

「特にあの山本鬼兵は、小学生の頃から(ライン)一筋、経験値No1の超ベテラン業師だ」

 

 そして、デビルバッツとも関わりがある……

 

「鬼兵さん!」

 

「おう、栗田、お前もか」

 

 サイン列には栗田先輩も並んでいたりする。

 これは長門がまだ麻黄中に入学する前の話だが、先輩達が中学1年の頃に柱谷と試合して、栗田先輩をラインマンとして圧倒し、“本物のアメフトとはなんたるか”を教えたのが、山本鬼兵。

 長門もその試合映像を見て、ライン技術と経験値の固まりみたいな選手のプレイより、ブロックの基礎、また力の絞り出し方を学ばせてもらっている。

 

「そういや、一回戦の千石戦勝利おめっとさん。春から一気に成長したな。だが、まだまだ荒い。力尽くのプレイが目立つぜ、栗田よ」

 

 他校だが、ラインマンの栗田先輩からすれば、山本鬼兵は先輩なのである。映像でも見たが、中学時代の栗田先輩が全プレイ、鬼兵のテクニックでコロコロ転がされていた。きっとあれから心酔しているんだろう。

 

「俺もなんのかんので今年でもう最終学年よ。古豪とか言われながらよ、王城黄金世代の前にずっとあと一歩優勝を逃してきた……俺らにとってもこの大会がラストチャンスだ。今日の試合、容赦はしねぇぞ栗田」

 

「はいぃ!!」

 

 気風の良い人だ。中学の頃から有名選手だが、その人気にも納得である。

 しかし、敵だ。敵に敬意を持つのは良いにしても、サインをもらってうれしそうにする栗田先輩を見るにその意識が……

 それに、斜め後ろで僅かに身を引いた気配。

 

「今年が最後のチャンス……もし負けちゃったら……」

 

 セナ……?

 

「なんか可哀そう……」

 

 一回戦で遅刻をしてしまった長門(おのれ)が言う台詞ではないかもしれないが、二回戦も順調にとはいかないようだ。

 

 

 ~~~

 

 

「鹿と紅葉の夢舞台、男の花道後戻り無し!!」

『ォォウ!!』

 

 

 ~~~

 

 

『ベテランの風格漂う、東の古豪! 今日も野太い声援浴びて背中で語る男の履歴! 山本鬼兵と柱谷ディア~~ズ!!』

 

 波しぶきの効果音など、入場シーンに特殊効果が入れられるほどの人気選手の登場から始まった泥門デビルバッツ対柱谷ディアーズ。

 

 泥門、前半は、長門村正はタイトエンドに入る。

 レシーバーには、雷門太郎、それから“予習”を要する雪光学は後半からの出場となるため、あともうひとり……

 

「高校でもう一度試合をしてみたいって思ってた! お世話になった鬼兵さんに今の僕を見てもらいたいんだ!」

 

「………」

 

 この試合、最もやる気があるのは、泥門センター・栗田良寛。

 

 

「随分と味な真似してくれるじゃねぇか、泥門。絶対抜かれるんじゃねぇ!!」

 

「どでかい道開けるぞ!!」

 

 十文字が檄を飛ばして、前に――ラン体勢のブロックで突っ込む泥門ライン。

 

(鬼兵さん、僕、全力でぶつかります!)

 

 中核の栗田も柱谷のエースラインマン・鬼兵を相手に押し込む。

 

「ふんぬらばぁ!」

「ぬおおおおお!」

 

 作戦は、『ブラスト』。

 クォーターバック・ヒル魔からボールを回されたランニングバック・アイシールド21がラインマンがこじ開けた中央付近の走路に身体を入れて突っ込むインサイドプレイ。

 ――しかし、その要となるセンターが、崩せない。

 

 なんて重い……!

 

 ディアーズのライン、山本鬼平。

 身長167cm、体重72kg、ベンチプレス75kg……身長も体重も腕力も栗田が勝っているのに、押し勝てない。

 柱谷ディアーズは、一回戦に当たった千石サムライズのラインよりも熟練しており、『死の行軍』で鍛えた基礎を完璧にこなしている。

 細かいステップで低くかち上げて、逆に体格で優っているはずの泥門のライン組を押し込んでいる。

 そして、それだけではない。

 

(アメフト選手としちゃ決して恵まれたガタイじゃなかった俺だけどよ。テクニックひとつで自分より二回りも大きい(ライン)だってぶん投げてきた!)

 

 ライン歴10年の血の重み、そして、駆け引き。

 『不良殺法』よりも熟達した、合気術のように突っ込んでくる相手の力を利用して引き倒す。山本鬼兵は、大学生級の相手でも腕一本で軽々と転がすテクニシャン。

 

(わっ!? 栗田さんが倒されて走路が潰された!?)

 

 ボールを持って突っ込もうとしたアイシールド21が踏み止まったのを逃さず、栗田を倒した鬼兵が腰に抱き着くタックルを決める。

 ズシリ、と重い。バスケ部助っ人山岡や佐竹と同じくらいの体の大きさだけれど、前に押し進もうとびくともせず、アイシールド21……セナは倒された。

 

 

 ~~~

 

 

「すごい。鬼兵さんはやっぱりすごいよ」

 

 小が大を倒す。まさに熟練の職人技。

 柱谷は、天才はいないが“達人”が揃っているチームだ。

 

 しかし、それにしてもだ。

 

(栗田先輩、それにセナ)

 

 鬼兵のタックルに、セナの反応が遅れている。ギヤに油を差し忘れたかのように、動きが鈍い。

 負ければ最後になる相手の気迫に、躊躇しているのだ。

 我が物顔で己を貫く大和とは正反対な、他者を気遣う性格をしているセナだ。栗田先輩と同じで優しいが、しかしそれは勝負事には甘い性格だ。そしてその態度はあまりに山本鬼兵に失礼だ。

 

(けど、これは言葉で悟らせるよりも、自分自身で気づかせる方がいい)

 

 司令塔のヒル魔先輩を見るが、今のプレイに舌打ちはしても、銃を乱射して叱り飛ばす真似はしないようだ。

 なら、今は自分もこれを静観しよう。

 

 

 ~~~

 

 

「僕が鬼兵さんに勝たないと! 必ず鬼兵さんを止める!」

 

 しかし、デビルバッツのセンター・栗田は、ディアーズの鬼兵にまたも転がされそうになったのを察して身を引いたところに――今度はすかさず押し込まれた。

 重心が後ろに引いていた栗田は力で勝っているはずなのに仰向けに倒される。そして、栗田を青天させた鬼兵はサックを決め、クォーターバック・ヒル魔がボールを投げる前に潰す。

 

「くそお! こんなはずじゃないのに! 鬼兵さんに勝って恩返しできる機会なのに!」

 

 悔し気にグラウンドを拳で叩く栗田。

 その姿に鬼兵は落胆の声を吐いた。

 

「何を言ってる。見損なったぜ、栗田」

 

「鬼兵さん?」

 

「お前、この試合、何のために戦ってんだ」

 

「え……それは、鬼兵さんに」

 

「馬鹿野郎っ! 俺を見るな! 後ろを見ろ!」

 

 怒鳴る鬼兵。戸惑う栗田に、彼の背中を指差した。

 

「ラインなら、チーム(こいつら)のために戦え! いいか栗田。ラインってのは攻めの要、守りの要だ。攻めも守りも先陣切って、常に味方を背負って立つ! それがライン魂だってことを忘れるんじゃねぇ!」

 

「それがライン魂……それがライン魂ッ!」

 

 二度、再確認するように口にその言霊を含む栗田。

 

(そうだ……これが恩師(おにへいさん)との試合かなんて関係なかった。この試合に勝たなきゃ、関東大会に、全国大会決勝(クリスマスボウル)には行けないんだ)

 

 栗田の目に、火が点いた。

 

「だから、絶対負けられないんだ!」

 

 

 ~~~

 

 

「フンヌらばああああ!!

 

 泥門三回目の攻撃。

 再び敢行される『ブラスト』に、栗田さんが爆発して、鬼兵さんを大きく退けた。

 

「それで、良いんだ栗田!」

 

 蒸気が噴くほどの栗田さんの猛烈なラッシュに、鬼兵さんは歓喜の声を上げる。

 そして、その見るからに熱いプレイに、こっちも火がつけられた。

 

 これだ。これなんだ。

 『皆で目指すもののために文字通り敵にぶつかって、その瞬間が燃えるんだ!』

 初めてアメフトに触れあったあの日、栗田さんが語ったあの言葉の意味を、改めて理解した。

 

(みんな戦うために来てるんだ。可哀想だなんて思う方がどうかしてた……!)

 

 全力で倒すんだ。こっちだって負けられないんだから。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門! ファーストダウン獲得!』

 

 セナの走りに鋭い切れ味が戻る。

 栗田先輩が空けた走路を突破して、柱谷陣地を深く切り込み、連続攻撃権を獲得。

 わざわざ相手に激を飛ばして、目を覚まさせてくれた山本鬼兵には頭が下がる思いだが、これは勝負事。そして、負けたら終わりのトーナメント戦。両者ともに退路はなく、容赦する必要もない。

 

「おっし行くぞ! マックスデビルパワー!!

 

 セナの復活にモン太も声を張り上げてプレイに望む。

 よし。これからが本調子になった泥門の猛攻開始だ。

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!!」

 

 ボールがスナップされると同時、泥門の(ライン)が下がった。

 『ブラスト』によるランのインサイドプレイではない。このラインの動きは、パスだ。

 

(泥門のパスと言えば……)

 

 88番タイトエンド・長門村正のガタイを活かした密集地帯へのショートパスと、80番ワイドレシーバー・雷門太郎へ空中戦のロングパス。千石戦で出た16番の雪光学はベンチだ。

 このパスターゲット二枚に柱谷は集中してマークにつく。

 

 しかし、今の泥門にはもう一枚の新戦力が加わっている。

 

「アハーハー! みんな! 僕のデビュー戦にこんなに大勢で集まってくれてありがとう!」

 

 泥門デビルバッツ37番・瀧夏彦。

 姉崎まもりと雪光学が講師に付き、さらに妹の瀧鈴音より“アメフトに絡んだことなら理解度の早いバカ”というアドバイスを提供され、どうにかこうにかアメフト部全員で5教科500点満点中200点の合格ラインをクリアさせ、無事に泥門・1年2組(セナと同じ教室)に配属された。

 そう、正式に泥門デビルバッツの選手として試合に出られるようになったのである。

 

「パスキャッチ率100%ー!!」

 

 そんな観客から見ても一発でバカだとわかる瀧夏彦だが、泥門の新戦力で、新たなパスターゲット。そして――

 

「まだこんな隠し玉があったとは泥門! 潰せそいつをー!」

 

 ヒル魔からのパスをキャッチしたタイトエンド(今はワイドレシーバーに入ってる)・瀧を柱谷が潰しにかかる。ディアーズのラインバッカー・菅谷文太、身長184cmと柱谷で最も巨漢で、自身と同程度の体格を持つ選手にタックルを決められた瀧だが、倒し切れない。

 柳のようにしなりながらも屈しないボディ、腰にしがみついてその足こそ止められたが、手のひらと足の裏以外を地面につかせないのだ。

 そう、マッスルボディのホーマーとは違うが、タックルを決めてもダウンを奪い難く、そして――

 

「アハーハー! まだプレイは終わらないよ! ここからがボクらの『デビルバットダンス』さー!」

 

 倒されながらも瀧が斜め後ろへと山なりのパスを投げた。

 

「ナイスパスだ瀧!」

 

 テキサスのビーチで、ビーチフットチームTOO TA TTOOと練習に励んでいた瀧夏彦は、彼らの得意戦法『ノミのダンス』も習得しており、細かいパス回しが得意だった。

 そのノミがぴょんとジャンプしたように山なりの軌道のパスを――瀧に気を取られて緩んだ相手マークを外し、跳躍した長門村正が、高い位置でキャッチした。

 

「なにいいい!?」

 

 さらに、フェイクのランで大外を走っていたアイシールド21・セナが回り込んで、長門の着地を守る盾となっている。

 柱谷の選手を相手に、アイシールド21が身を盾にして稼げる時間は、1秒だが、それだけで十分。パスキャッチした瀧に集まっていた柱谷の守備を、長門が自ら走り抜ける。

 セーフティ・氷川つよしが阻もうとするも、体格の差、その長い腕を活かして、捕まえさせずにいなして、ゴールラインに――

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

「アハーハー! 歓声ありがとうみんな!! サインは試合後までちょっと待ってくれよな! でも、まだまだお楽しみはこれからだよ! 会場の皆に泥門の新戦術『悪魔の蝙蝠(デビルバット)』を」

 

「余計なことをほざくな糞アゴヒゲ! とっとと守備につけ!」

 

 

 ~~~

 

 

 攻撃権が移り、柱谷ディアーズのオフェンス。

 各自の役割を完璧にこなす経験豊富な柱谷のオフェンスチームは、泥門の『ブラスト』の返礼とばかりに41番のランニングバック・北島権三による中央突破を敢行。

 ブロックの巧みな連携によりランナーを敵陣に突入させる。

 ――だが、前線を抜けた先に待ち構えていたのは、鬼気。

 

(反応が早いっ!?)

 

 泥門デビルバッツのディフェンス、後衛の中核であるラインバッカー・長門村正。

 単純な身体能力だけではない。

 五感を研ぎ澄まし予測を超えた超反応を実現する野生はどんな些細な動きも逃さず、観察した相手の動きを精密に模倣(コピー)してしまえるほどの洞察力で見切る。

 神龍寺ナーガの金剛阿含の『神速のインパルス』ほどの反射神経がなくても、反応はそれに迫るほど速い。

 

(ダメだ! 北島だけじゃ長門(ヤツ)は抜けられねぇ!)

 

 肌に伝わる強者の気配(オーラ)。これまで柱谷を()()()()()()()王城ホワイトナイツ、その史上最強のラインバッカー・進清十郎と対峙した感覚を鬼兵に思い出させるほどに、泥門守備陣の中で格が違う。

 

 だから、ここは自分が盾に――と仲間の危機に参じようとする山本鬼兵だったが、それをさせまいと阻む巨漢の壁。

 

「鬼兵さんは、僕が止める!」

「栗田……っ!」

 

 憧れは、今、捨てる。

 チームのために、自分のパワーで、鬼兵を倒す!

 

 この試合、高校アメフト界最巧のラインマンに仕事をさせまいと栗田が懸命に体を張り続けた。

 

 

 ~~~

 

 

 後半から石丸を下げて、雪光学を投入。瀧夏彦がワイドレシーバーからタイトエンドに入り、長門村正が石丸のいたランニングバックに収まる。

 それから、千石戦と同じ、いや、キャッチもブロックもできる瀧夏彦が参加してより増した泥門のオフェンスが、柱谷を圧倒。

 尻上がりに士気を上げていく泥門デビルバッツは前半以上の勢いで点を重ねていき、初戦・千石サムライズに大勝したのがラッキーパンチじゃなかったことを証明する。

 

(勝負だ若造! 柱谷ディアーズ・山本鬼兵! 現役最後のプレーだっ!!)

 

 最後、栗田を躱した鬼兵が、アイシールド21のランを守護する長門のリードブロックを破ろうと迫る。

 小柄で腕の長さで負ける鬼兵は、『リップ』でかち上げんとしたが、その腕を迎撃された。

 

「山本鬼兵、あなたは強いが、俺はあんたよりも小柄で力ある大吉の壁であり続けた」

 

 それは、狙いを澄まして、瞬間の打撃に力を集中した『粉砕(ジバー)ヒット』

 長門は油断なく、長い腕を折り畳んでからの肘打ちで鬼兵の腕を撃ち落とし――そして、消えた。

 

(いない!?)

 

 背後に守られていたアイシールド21が、『妖刀』へ意識が逸れたのを逃さず盾となるリードブロッカーの前に飛び出し、相手の死角へと曲がり切る。ただ守られるだけでなく自分の足で行くその走りは、残像も映さずに相手選手の目の前から消える。

 

 

(話に聞いてたが、良い後輩が揃ってるじゃねぇか栗田)

 

 アイシールド21がタッチダウンを決めて、試合が終了。

 全国高校アメフト選手権トーナメント、泥門デビルバッツ、柱谷ディアーズに勝利して、三回戦進出。

 続けて評価Aクラスの強豪を破ったその実力は本物であると世に知らしめた。

 

 

 ~~~

 

 

「俺のライン魂、お前に譲ったぜ」

 

「はい、しっかりいただきました」

 

「おいおい、小遣いやったわけじゃないんだからよ。……けどまあ、最後にお前らみたいな連中と全力を出し切れた試合ができたんだ、心残りなく引退できるな」

 

 試合が終わり、互いの健闘をたたえる握手で、鬼兵さんの言葉に照れる栗田さん。

 

「じゃあな、絶対優勝しろよ泥門」

 

「鬼兵さん、ありがとうございました!」

 

 最後の花道を飾った鬼兵さんの背中を見送る。

 

 3年生の選手は、これで引退。“長い間、ご苦労様でした”と僕も頭を下げると、隣で目を細めていた長門君が栗田さんに聴こえないような小さな声でつぶやく。

 

「心残りはない、か。無理をして……」

 

 え……? とセナは顔を上げて、気づいた。

 

 真後ろにいる栗田さんからは見えないけど、少し斜め後ろにいた僕からは、鬼兵さんの頬に一筋の涙が伝うのが見えた。

 そう。アメリカンフットボールは敗者に栄誉はなく、そして、みんなが全国大会決勝(クリスマスボウル)を目指している。

 勝ち続けることになれば、こうした負けたものの気持ちをも背負うのだ。

 

「優勝するぞ、セナ」

 

「うん……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 この日、泥門デビルバッツ対柱谷ディアーズ以外にも同グラウンド・大航海フィールドで3試合行われた。

 

 王城ホワイトナイツ対三閣パンクス。

 姉妹校である太陽スフィンクスとの交流試合で培われた激しい攻撃力は春大会でも王城ホワイトナイツを追い詰めたが、秋大会の王城ホワイトナイツは違った。

 

『まさに日本一高い富士山級のいや! 例えるなら世界一高い山! エベレストパスだ!!』

 

 高見伊知郎が長身を活かした超高層発射台から、桜庭春人の長い手足を活かして超高層点でキャッチする王城ホワイトナイツのパスプレイ。

 

『きょ……強~~烈なタックルー!! ボールが零れたァ!』

 

 そして、また一段と凄みの増した進清十郎の『スピアタックル』

 守備の王城は、相手チームに1点すら許さず、82-0で試合を決める。

 

 黄金世代が抜けて凋落したと揶揄されていたが、それが黄金世代(かつて)以上の最強の王国となって完全復活した。

 

 

 西部ワイルドガンマンズ対恋ヶ浜キューピー。

 

『おおっと恋ヶ浜棄権だー! ワイルドガンマンズコールド勝ち!!』

 

 125-10と圧勝。恋ヶ浜相手に10点も許してしまっているが、その攻撃力は無敵。王城とは正反対のチームである。

 

 

 網乃サイボーグス対巨深ポセイドン。

 去年はサッカー、一昨年はバスケ。毎年一つの種目に絞り学校全体で優勝を狙う“大会荒らし”の異名を持つ網乃高校。

 日本最高峰と言われるスポーツ医学で養成されたチームは、創部一年目に関わらず、評価B。対する巨深ポセイドンは柱谷ディアーズと同じ小柄なチームで、評価Dだ。

 月刊アメフト誌を見る限り、順当に勝利するのは、網乃サイボーグス……だったが、14-31で、“大会荒らし”は、初戦敗退した。

 

 

 ~~~

 

 

「――長門村正!」

 

 今日のすべての試合工程が終了し、大航海フィールドを離れようとした時だった。

 

「アンタは……」

 

 声をかけられ振り向くと、そこにユニフォームを着替えずに、今日の最後の試合が終わってすぐにこちらを追いかけてきたのだろう、今秋大会のダークホースとなったポセイドンの41番がいた。

 

「巨深の選手で、元フェニックス中の留学生の、筧俊、だったよな?」

 

 大会荒らしの網乃サイボーグスを蹴散らした巨深ポセイドンのエース。

 春大会の公式戦にも出場していなかったので情報が少ない選手だが、前にNASAエイリアンズ戦に向けて情報収集した時に、リコが見つけてきた試合の映像で活躍した日本人の選手だったからとても記憶に残っていたのである。

 そんなわけでした確認であったのだが、あちらはそのつり目をカッと見開いて、

 

「フェニックス中のことも……やはり、お前が……!」

 

 口許に手を当てながら何か意味深にぼやいてから、筧俊はいきなりこちらにその長い腕を伸ばして指差してきた。

 

 

「長門村正、いや、本物のアイシールド21! あの日の約束、この大会で果たす!」

 

 

 と大きな声で、宣戦布告……

 

「んん?」

 

 え、今の何?

 呼び止めようとしたのだが、筧俊はこちらに背を向けて去ってしまう。

 最後に残ったのは、脱衣癖のありそうな、現在、ユニフォームをチャチャッと脱いでパンツ一枚の巨深の71番・水町健悟がこちらに手を振って、

 

「じゃあね! 小さい影武者じゃなくて、本物のあんたが筧と勝負してくれよー!」

 

 とさっきの発言が冗談ではないことがよくわかる証言をしてくれた。

 そして、爆弾を放ると水町健悟も筧俊らチームメイトの後を追ってすたこらと去っていった。服を着ろ。

 

 

 で、このやりとりの間、すぐ隣には、泥門アメフト部の主務()がおり、

 

「え……?? 本物のアイシールド21……? って……最初からヒル魔さんが適当につけた名前じゃないの?? ほんとにアメリカの学校にいたって事?? そして長門君が本物のアイシールド21……――!!? ごごごごめんなんか成り行きで勝手に長門君の」

「落ち着け、セナ!」

 

 ややこしくなってきた!

 

 

 ~~~

 

 

「大和おおおお!」

『いきなり何なんだい長門』

 

 あの後、『長門君が、本物のアイシールド21!?』とものすごく動転したセナに、麻黄中学で先輩たち3人の後輩だったことを証人・栗田先輩と一緒に話していたら、何故か途中でリコが入ってきて中学時代の赤裸々な思い出話に脱線したりといろいろ大変だった。

 そして、状況が落ち着いたところで、本人に電話。

 するとやはり、大和はあの筧俊とアメリカで対戦したことがあるそうだ。同じ日本人だから印象が強く残っているようで、途中出場した筧俊がリードブロッカーをぶっ飛ばしてあと一歩のところまで迫ったプレイを称賛して、『今度はちゃんと試合開始から闘おう』と言い別れたそうだ。だったら、ちゃんと名前を教えておけ。アイシールド21は称号で、覆面ヒーローじゃないんだから。

 おかげで、ライバルに勘違いされるという非常に複雑な思いを味わった。影武者なのはこちらの方である。

 

『でも、長門なら“アイシールド21”を名乗っても問題ないんじゃないかな』

 

「他人の騙りは憧れ――俺はお前と並びたいんじゃなくて、倒す男だ。筧俊には悪いがこっちが先約だ。全国大会決勝(クリスマスボウル)で、大和とやるのは、この俺だ!」

 

『おもしろい! その時を楽しみにしてるよ、我が最大のライバル!』

 

 

 ~~~

 

 

「二回戦突破おめでとうー!!」

「ムキャーいい臭い!」

「うめェ~~~!!」

 

「みんなありがとう! 僕のデビュー戦活躍祝いに焼き肉パーティなんて! スピーチは苦手なんだけど皆の期待に応えて……」

「なくなるよ肉」

 

 三回戦進出した泥門のみんな、それから鈴音と熊袋さんと一緒に、焼肉店ミノタウロスで打ち上げに来ていた。

 そこで、まもり姉ちゃんがせっせとみんなの分の焼き肉を焼いてるのを確認してから、ヒル魔さんに思い切って訊いてみた。

 

「……本物のアイシールド21のこと知ってたんですかヒル魔さん」

 

「たりめーだ。実在しなきゃハッタリになんねーだろ」

 

 アイシールド21は、本当にいる。

 そして、無事退院した熊袋さんからあの筧さんが、アメリカに留学していた話を教えてもらったし、だとすれば本物のアイシールド21というのは……きっと長門君に似ているんだろう。

 

(長門君は全くの誤解だって言ってたけど……でも、それって“長門君のランの方がアイシールド21に相応しかった”ってことなんだよね)

 

 僕は、長門君よりも背が低い。ていうか僕より小さい選手なんているのかな?

 ……進さんはそれほどノッポじゃないけど、僕よりはずっと高いわけだし、ほらだいたい僕の身長は進さんの肩あたりで……

 

「――ッて、本物ー!!?」

 

 騒がしい音に反応して、店のカウンターへ視線を向けると、本物の進さん、王城ホワイトナイツ御一行が来店していた。

 

「なんだどうした?」

「泥門……!!」

 

 向こうもここに僕たちがいるとは思わなくて騒めいているけど、そこで店内に笑い声が響いた。

 

「がっはっは! おうよ、試合の後は焼肉! 30年ぶりでも考えることはお互い成長なしってこった。――なあ、庄司よ?」

 

「溝…六……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 こうして、溝六先生と王城の庄司監督、千石大のエースコンビ『二本刀』の偶然の再会から、王城の皆さんと同じ席を囲うようになったんだけど……

 

 

「……色々あってよ。お前の敵になるってこと知ってて泥門のトレーナーやってるわ」

 

「お前がそういうからには本当に色々あるんだろうな」

 

「……ああ」

 

 言葉少なに、隣席で肩を並べながら、杯を傾け合う。

 大人たちは離れたところのバーテンカウンターで再会の酒を飲み交わす、ハードボイルドな雰囲気に立ち入りづらい。

 

 

「選手で付き合ってる人とか、そういうのないですよー!」

「それより私ね。まも姐やリコりんが怪しいんだよね」

「何そのアンテナは鈴音ちゃん」

「わ、わわわ私は村正君とはお隣さんなだけで別にそういった深い関係じゃ……!?」

 

 王城のマネージャー・若菜小春さんを入れて、鈴音、まもり姉ちゃん、熊袋さんの女子会はもっと混ざりにくい。

 

 

「『巨大矢(バリスタ)』ってのはあれだ。新生王城ディフェンスの作戦だったっけか?」

 

「さあ? 西洋の古代兵器じゃないのかな。それよりも君のとこの選手が言っていた『悪魔の蝙蝠(デビルバット)』というのはハッタリなのかい?」

 

 表面上はにこやかに食事を楽しみながら、カマの掛け合い、腹の探り合いをする、とても黒いヒル魔さんと高見さん。

 ここだけは絶対ダメだ。

 

 

 雪光さんと一緒にどの席に行こうか迷ったけれど、結局……

 

「どこうろついてんだよ!」

「テメーもサボってねえで食え!!」

 

 この戦場テーブルに捕まった。

 

「負けた方が今日のメシ代全部おごりだオラァ!!」

「おう望むところよ!!」

 

 カルビ500人前を、先に完食した方が勝ちの泥門対王城の大食い勝負。

 負けられない。合計で1000人前の食費なんて、きっと目が飛び出るほどの額に違いない。

 みんなでせっせと肉を焼いては食べていく。でも、栗田さんがいてもこの量は半端じゃなくて、頑張って食べたけどお腹がもうパンパン。

 

「もうダメ……」

 

 一旦、這いつくばりながら席を外れて、靴を取る。

 外で休めば、また食べられるかも……と店を出たその時だった。

 

 

 ―――ドガザサ!!! ―――

 

 

 ボールを持った長門君と進さんが、相撲部屋のぶつかり稽古のようにぶつかっていた。

 

 ええええ!!?

 吃驚だ! 長門君はさっきどこかに電話をしに席を外していて、進さんもいつの間にかいなくなってたけど、なんでこんな凄まじいぶつかり合いをしてるの!? ……と最初は驚いた。けど、

 

 どんなタックルを受けても絶対に倒れないリードブロックをする長門君、

 タッチダウンを奪わんとする敵を必ず止めてきたスピアタックルをする進さん、

 

「俺のタックルで倒れなかった男は、初めてだ」

 

「俺はあいつ以外に止められたのは、初めてです」

 

 この矛盾の衝突とも言えるような、最強格のプレイヤー同士の勝負。

 長門君は、倒れなかった。でも、止められた。

 進さんは、止めてみせた。でも、1ヤード以上押し切られた。

 どちらが上、勝ちとか言えない結果だけど、ぶるりと気を当てられただけで身震いする。

 

「長門君、進さん……」

 

「ん? おお、セナか、どうした?」

 

 そして、二人は傍で見ていた僕に気付いた。

 

「どうしたって、それはこっちのセリフだよ長門君」

 

「何って、まあ、アメリカンフットボールプレイヤー流の挨拶だ」

 

 そんな物騒な挨拶、僕は絶対にごめんだ。

 

「長門村正、鍛錬を積んできているようだな」

 

「もちろん。そういうあなたも、特に脚が発達していますね」

 

 春大会の王城戦では、1on1の対決をすることはなかったけど、やっぱりこの二人の勝負は、軽いあいさつ程度のものだったとしても、凄い。

 そう、完璧な肉体を持つ二人……

 

「その、2人に訊きたいんですが……守る時、背が高くて体格のいいランナーと僕みたいなチビだったら、どっちが止めにくいですか?」

 

 つい、そんな質問が口から飛び出した。

 

「……って、ああいや別にその深い意味とかなくて! ただなんとなくどうかな~って!!」

 

「いや、判ってるからセナ。落ち着け落ち着け。それで……」

「他の条件が同じだとしてか? スピードもクイックネスも?」

 

 慌てて質問を取り下げようとして長門君に宥められつつ、進さんの確認に首を縦に振る。

 すると、まったく迷いなく、

 

「背が高くて体格の良い方だ。中途半端なタックルでは止まらない」

 

「セナも物理を習ってるだろうが、当たりの威力はスピードだけでなく、パワーや体重のある方が強い」

 

 ……そう、ですよね。やっぱし……

 

「セナ……」

 

 トライフォーポイントで中央突破するときも長門君がボールを持つし、当たりの強さではどうやっても敵わない。

 代わりに長門君は“身軽さを武器にしろ”と言うけれど……でも、力じゃ負ける。

 

「……当たりの強さは体格のみがすべてを決めるわけではない。最後の決め手は怯まない精神力だ。闘う前から劣等感に苛まれているようでは、勝機はないな」

 

 その進さんの言葉に、また僕の口が思わず動いた。

 

「劣等感とかじゃないです。弱点を再確認して、より念入りにやれることをやっておきたいんです。みんなで全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くために! 絶対決勝まで勝ち進んで、進さんにも勝つつもりですから!!」

 

 

 ~~~

 

 

 小市民なところはどうしても治り切れない部分なんだと思いきや、時たまにこちらが驚くような啖呵を切ってくる。

 

(大和とは性格を始めとして色々正反対なんだが……それでも最強ランナーの称号“アイシールド21”に相応しいアメリカンフットボールプレイヤーになるだろうな)

 

 ポン、とセナの肩を叩いて、促す。

 

「よしじゃあセナ。飯を食おう。強くなりたいのならまずよく食べる事から始めろ」

 

「え?」

 

 そして、セナを認めているのは自分だけでなく、この男もまた。

 

「身長は伸ばせと言って伸びるものではない。体格に不安があるのなら、今日のような試合やトレーニングの運動後にタンパク質を取れ。身体が出来上がっていないお前には特に大事だ。……焼肉は悪くない」

 

 

 そうして、戦場に戻ったセナは残りを一気に平らげて、泥門を勝利に導いた。

 でも、この500人前大食い勝負で泣いたのは、“いくら焼肉を注文しても食べ放題サービス”をしていて、目が飛び出るくらいの大赤字を被った焼肉屋ミノタウロスの店長だった。

 

 

~~~

 

 

 その翌日。

 

「セナ、お前に足の使い方だけでなく、腕の使い方、『デビルスタンガン』を覚えさせてやる」



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19話

『盤戸スパイダーズのタイトエンドに、伝えておいてくれませんか。貴方のリードブロックの戦術は大変参考になりました。――そして、今年は俺が東京地区大会のMVPを獲ると』

 

 別れ際、佐々木コータローに言い放ったそれは――失念していた宣言だった。

 

『……いねぇ』

 

『え……』

 

 リードブロッカー……それは、ランナーと一緒に超スピードで走りながら邪魔する敵を吹っ飛ばす者。攻撃時はもちろん、キックオフの時等で特に重要になる。

 昨年の東京MVP赤羽隼人は、“最強のリードブロッカー”だった。

 ただ相手を押すのではなく、重心が下がったのを見極めてから押し、ほとんど力を遣わずに相手を倒してしまう手腕は、まさに魔法。

 当時、中学時代の長門村正は、ただ力押しの己を恥じ、己だけでなく相手の重心をも御すというリードブロックの魔術師のプレイを勉強し続けた。そこから押し合いながらその洞察力で後ろに身体が傾いた――タックルで踏み込む直前に、二重の重心移動で増した圧力で倒す術を、伊我保温泉での春休みの個人合宿の末に身につけるに至る。

 

 長門にとって赤羽隼人とは、ブロッカーの何たるかを栗田良寛に教えた山本鬼兵に似た、リードブロッカーとしての教本、純粋に一選手として尊敬していた。

 

 

『そんなスマートじゃねぇ奴は、盤戸にはいねぇ』

 

 

 しかし、赤羽隼人は、盤戸スパイダーズからいなくなっていた。

 昨年の無名だった盤戸スパイダーズを準優勝にまで導いた奇跡のスーパールーキーたちは、帝黒学園へとスカウトされたのだから。

 

 

 ~~~

 

 

 スポットライトの影。

 オフェンスとディフェンスに続く、第3のチーム。

 盤戸スパイダーズを勝たせるためにキックゲームを極める……先輩たちとキックチームで盤戸スパイダーズ全員一緒に全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くために縁の下でずっとやってきた。

 

 上手く回ってやがったんだ……ずっと……!!

 

全国大会決勝(クリスマスボウル)行ってキックゲームの力証明すんだ。裏切った連中を見返してやるんだよ! その為には俺が最強のキッカーになんなきゃなんねぇんだ……!」

 

 

 ~~~

 

 

「今示そう、キックの力を。そしてスペシャルチームの力を……!」

 

 

 ~~~

 

 

 9月25日。全国アメフトトーナメント三回戦で当たったチームは、盤戸スパイダーズ。

 緒戦から3-0、7-6とロースコアで勝ち進んできた、キックに特化したチーム。

 大量加入した奇跡のスーパールーキーがいなくなり、昨年から一気に部員数が減って様変わりしてしまったが、伝統とも言えるキッカーの強さは今年も健在。

 泥門と同じ少ない人数で苦しみながらも勝ち進めているのは、トライフォーポイント成功率100%のスペシャルキッカー・佐々木コータローの勝負強さと、選手全員が最後まで諦めない粘り強いメンタルを持っているからだろう。

 

 客観的に見てヒル魔先輩が下した泥門の勝率は、99%。だが、1%でも負けるのなら、全力で挑む。

 

 

 ~~~

 

 

「見やがれ。これが俺ら盤戸スパイダーズ、最強スマートなキックチームの宣戦布告だぜ!!」

 

 試合開幕のキックオフ。盤戸のキッカー・佐々木コータローが蹴り上げたのは、ふわりとした柔らかなキック。

 狙った地点へ正確にボールを蹴り送り、事前にそれを知るチームが一丸となって取りに行く。

 これまでの試合で、Aクラスの強豪を撃破してきた泥門のオフェンス力を警戒する盤戸は、攻撃権を渡したくはない、だからこの『オンサイドキック』という博打に打ってでた。盤戸は唯一どこにも負けないキックゲームで、相手にボールを触れさせずに完封させてみせると……

 

「『オンサイドキック』は、エイリアンズ戦で身に染みてんだよ!」

 

 対する泥門の動きは、早かった。

 NASAエイリアンズ戦で後半にしてやられたプレイだ。十文字らも初めてではなく、このキックでもって逆転されたものとして印象が強く残っているのは当たり前だ。

 だから、させない。

 泥門もまた一丸となって動く。これも事前に、ヒル魔が盤戸スパイダーズは、得意のキックゲームを最大限発揮できる戦法で泥門に勝負してくると……このスパイダーズのキックで点を獲り、『オンサイドキック』で攻撃権を奪う作戦『スパイダーズ(ウェブ)』を読んでおり、ボール回収の連帯に乱れはなかった。

 

『長門君の超絶リードブロックで、盤戸の選手を一掃! ボールを押さえたのはアイシールド21!!』

 

 張り巡らそうとした蜘蛛の網を、『妖刀』が断つ。

 

 

 ~~~

 

 

『いいか、セナ。まず“アイシールド21”というのは、1人の男の名前じゃない。名門ノートルダム大付属中が生んだ100年の伝統、時代の最強ランナーだけが掲げるエースナンバーだ』

 

 ……長門君が教えてくれた話に、僕は開いた口が塞がらなかった。

 “自らを最強と名乗る称号”……そんな恐ろしいものを初心者の頃から何気に宣言させられていた身としては、大変恐縮するしかない。

 けど、

 

全国大会決勝(クリスマスボウル)に……本気で頂上、史上最強と試合いたいのなら、この“アイシールド21”を名乗って()けるような断固たる決意が必要だ』

 

 進さんに勝つ……

 そして、皆で全国大会決勝(クリスマスボウル)に行く。

 

 長門君は、王城戦でも進さんに勝って史上最強のプレイヤーになると宣誓し、西部の陸にもナンバーワンルーキーではなく、東日本最強の選手、東国無双の称号を得ると宣告した。

 負ければ待っているのは嘲笑……だから、長門君は負けられない覚悟を背負って試合に望んでいる。自分の名に懸けて絶対に優勝する、そんな自ら背水の陣に赴く、そういう覚悟を――

 

 でも、まだ僕には重い……!

 

『無理につけろとは言わん。でも、セナにその気があるのなら、俺が手伝ってやる』

 

 そう、今の僕には――だから、強くなりたい。

 

 

『ウソを本当にする、最強のランナーになりたいというなら、ただ走れるだけじゃだめだ』

 

 準々決勝に勝ち上がってくるだろう巨深の筧さんは、長門君のようにその長い腕でこちらが動く前に先手を打って潰してしまうハンドテクニックを持っている。網乃サイボーグズのNASAエイリアンズにも見かけは劣らぬ筋肉質な選手をも腕一本で倒してしまえるのだから、華奢な僕なんて簡単に抑えつけてしまえるだろう。

 

『けどそれは、突っ張りを真正面から受けたらの話だ。俺だって進清十郎の『スピアタックル』をまともに受ければ止められる』

 

 焼肉屋での対決。長門君でも止められた進さんのタックルを、僕が受けられるのは現実的に無理だ。

 

『だから、槍の側面を弾くように、突き出した腕を横から叩く。その腕を使った防御法を習得するために……セナ、お前に空手の『回し受け』を教える』

 

 生まれてこの方、喧嘩なんてやったことがないし、格闘技はもちろん習ってない。

 でも、長門君は言う、『『空手に先手無し』という言葉があるんだが、あくまで自衛の技であって、相手を痛めつけるために編み出されたわけではない』、と防御こそ大事だという話に僕は意欲が湧いた。

 それから、練習後に(まもり姉ちゃんに心配されたけど、“護身術を長門君に習う”と言って納得してもらった)、長門君から空手の防御の基礎中の基礎である『回し受け』を指導してもらった。

 

『別に空手を極めるためにやるんじゃないから、『回し受け』の型を覚えるんじゃなくて、『回し受け』で、腕で相手をいなす感覚を覚えろ』

 

 

 ~~~

 

 

 腕で腕を弾き合う『デビルスタンガン』

 必殺技名がつけられるのは、単に相手をビビらすためだけではなく、ここぞというときにだけ使う特別な技なのだと戒めるため。

 ボールは両手でがっしり抱えるのが基本。でも、腕で相手を弾こうとすればどうしても肝心のボールは片手持ちになる。

 格好の餌食。隙だらけ。突破力も2倍になるが、ボールを奪われるリスクは10倍になるのだ。

 

『だが、NASAエイリアンズのパンサーのランプレイを思い出せばわかるだろうが、巧いランナーはそうした腕の使い方も熟達している』

 

 そうして、腕を使えるほどのランナーじゃないと、きっと進さんには勝てない。

 体格でどうしても負けてしまう僕は、相手の腕に捕まってはいけないし、ならその相手の腕を捌けるハンドテクニックができないと……!

 

 

 試合の終盤。

 開幕から走り続けて、走れなくはないけど、脚の筋肉が疲労してきたときだった。

 

「こんなとこで負けられねぇんだ! 連中のこと見返してやるんだよっ!!」

 

 コータローさん……っ!

 

 ベンチからキッカーのコータローさんの激が飛んで、盤戸のディフェンスの雰囲気が変わる。

 スパイダーズのキャプテンともうひとりの選手が左右から挟み撃ちするように走路を塞いできて、それで僕はボールを左わきに抱え込むと右手を使って、相手キャプテンが必死に伸ばしてくる腕を弾こうとし――

 

「うおおおお!」

 

 けど、その気迫に押し負けてしまった。

 相手の腕を弾けたけれど、そのことに集中し過ぎて走ることに疎かとなってしまった僕は、反対側から迫っていた相手選手に左わきに片手持ちしていたボールを弾き飛ばした。

 そして、そのボールをまた別の盤戸の選手が拾って走る。

 ヒル魔さんが止めてくれたけど、残り40ヤード……コータローさんがキックでゴールを狙える射程距離にまでボールを運ばれてしまった。

 

 

 ~~~

 

 

 この試合、初めてになるキックゲームだ。

 盤戸スパイダーズは泥門デビルバッツの攻撃力を封じるために攻撃権を奪う『オンサイドキック』を行使してきたが、絶妙なキックコントロールを持ったキッカーはいても、強力なリードブロッカーの存在が彼らにはいなかった。

 それでも、ボールを渡せば、止められない。

 千石のエリートたち、柱谷の達人たちを相手に圧勝してきた泥門のオフェンス、盤戸の雑草魂の粘り強いディフェンスでも止め切ることはできない破壊力だ。

 相手の『オンサイドキック』を許さず、またオフェンスは相手を圧倒する泥門は盤戸を零封にしながら50点以上の大差をつけている。

 しかし、相手のキッカー・佐々木コータローの目にまだ諦める気配はなく、チームもまた膝を屈するものはひとりもいない。

 

 だから、最後まで全力を尽くす。

 

「キックゲームだけは、どこにも負けんじゃねええー!!」

 

 キックゲームに特化した特殊部隊。

 エースキッカーのフィールドゴールキックを守護する壁は一層圧が増すも、それを強引にこじ開けて行く。

 

(泥門に武蔵先輩(キッカー)がいない以上、相手チームにキックを決めさせん! それがあの人を待つ後輩としての決意だ!)

 

 必死になってしがみついてくる盤戸の選手を振り切りながら、長門村正は跳ぶ。

 

 

 ~~~

 

 

 赤羽……! これが盤戸の――

 

 

 ~~~

 

 

「畜…生……畜生ォオォオオ!!」

 

 決着がついた……盤戸スパイダーズに1点も許さずに。

 “エースキラー”などとアメフト誌に書かれる『妖刀』長門村正、この試合でもまた盤戸スパイダーズのエースキッカー・佐々木コータローを斬り伏せた。

 

「キックチームの俺らのこと裏切った連中によ。キックがどんだけ重要か全国に行って証明してやんなきゃなんねーんだ!! なのに、なのに……!!」

 

 最後のキック……長門が伸ばした手、その指先がボールに触れていた。

 キックは直接弾かれなくても、相手に突っ込まれるだけで微妙に狂うもの。そして、長門は指先からでもボールを弾き返せるだけの力があった。

 

「……昔、武蔵先輩が言っていたことがあります」

 

 敗者に敢闘賞はなく、勝者が語る言葉はない。

 けれど、手を膝について項垂れるコータローへ、長門は背を向けながら、

 

「――“キッカーが頭に置いていい世界は、ボールと右足だけだ。味方が守ってくれるのを疑ってもいけないが、信じてもいけない”……仲間を思い過ぎるあんたは、あの一瞬、ボールでも、自分の足でもないものが、頭の中を占めていた」

 

 畜生……!

 どうして、どうしても、あの時、長門の姿が、赤羽(アイツ)幻視()えちまった……!

 

 

 ~~~

 

 

 父の転勤だった。

 転勤先で、偶然にもスカウトされた学校があった。

 

 ……でも、正直かなり迷った。

 東京で、ひとりで暮らせば盤戸に残れることはできた。

 転校後の出場停止期間で、秋大会の決勝もしくは三位決定戦にしか出られない。一年を棒に振るかもしれなかったが……迷っていた。

 

 しかし、ちょうどその時に、父が流行り病にかかった。

 病気で床に伏せる父に、一人暮らしをする旨を伝えるには憚られて、快癒した一週間後には、今更転校しても秋大会には出場できる期限を越えてしまい間に合わなかった。

 それに、親元を離れることに遠慮ができてしまった。

 それで踏ん切りがついてしまったんだろう。

 

 だが、まだあのチームに心残りがあった。

 どうして、盤戸スパイダーズに執着しているのだろうか、自分でもよくわからない。

 

「フー、負けてしまったか……」

 

 東日本東京地区の三回戦の結果が載った月刊アメフト誌を置く。

 

 元盤戸スパイダーズ、昨年度東京地区MVP選手、そして、帝黒アレキサンダーズの一軍に属するタイトエンド・赤羽隼人は、あの日からギターを手に取ることがなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 それは、工務店で雑務をこなしていた時だった。

 

 ひとりの男が、約束(アポ)もなく、従業員しか通れない場所に押し入って、自身の前に現れた。

 

「キックチーム……俺達の力だけじゃ、届かなかった。けどよ、キッカーがいないチームが全国大会決勝(クリスマスボウル)まで勝ち抜けるはずがねぇんだ!」

 

 玉八ら職人たちが戸惑いながら、こちらと視線を行き来させているが、止めはしなかった。

 

「本当に強いチームになったら戻るつったけどよ……!!」

 

 ただ、黙って、聞いていた。

 

「泥門は本気で強いチームになろうとしてんのに、いつまでもキッカーを揃えないのは、テメーを待ってるからじゃねぇのかよ!」

 

 胸ぐらを掴まれたが、抵抗はしなかった。

 

「テメェは……テメェも……! 本気で、あいつらを、テメェを信じてるあいつらを見殺しにする気かよ!」

 

 握り締めた拳から、血が出てこようとも。

 この男……佐々木コータローの慟哭を受ける。

 

「ああ」

 

 男が人のために血ぃ流してる時は、見殺しにするのが情けだ。たとえそれがかけがえのない友達だろうとも。

 

「テメェ……!!」

「コータロー!」

 

 飛び掛かろうとしたが、慌てて駆け付けた女子マネージャーに抱き着かれて、止められる。

 バランスを崩した奴はそのまま彼女に引きずられながら、工務店から出されようとしたが、そんな状態でも口は叫ぶのを止めなかった。

 

 

「絶対に全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くっつう約束があるんじゃねぇのかよムサシィイ!!」

 

 

 ~~~

 

 

「次が決戦だ。正直、泥門は強えよ」

 

「でも、絶対てっぺん行くって筧は言ったんだろ」

 

「ああ。アイシールド21・長門村正を倒す」

 

 巨深の武器である高さを最大限に生かしたフォーメーション『ポセイドン』

 この戦術を使った時、必ず泥門は、本当に強い体を持ったアイシールド21に中央突破をさせてくるだろう。

 そこを何としてでも、押さえてみせる。そう、今度こそ――

 

 

 巨深ポセイドン、独播スコーピオンズを下し、ベスト8に進出。四回戦・準々決勝は、泥門デビルバッツ戦。

 

 

 ~~~

 

 

「おそらく準決勝でぶつかる泥門……アイシールド21、そして、長門村正に勝つためには、『ロデオドライブ』で満足してちゃダメだ……! もっともっと、さらに磨きをかける!」

 

 

 西部ワイルドガンマンズ、裏原宿ボーダーズを下し、ベスト8に進出。四回戦・準々決勝は、江戸前フィッシャーズ戦。

 

 

 ~~~

 

 

「アイシールド21と長門村正、あの二人を倒すには、タックル直前での急加速――120%のスピードで当たる術を完成させる……!!」

 

 

 王城ホワイトナイツ、三多摩マリナーズを下し、ベスト8に進出。四回戦・準々決勝は、狩舞パイレーツ戦。

 

 

 ~~~

 

 

「幻詩人に勝ちゃ次は王者の王城戦だ! そして、決勝は泥門に試合でリベンジすんぞテメーら!!」

 

 

 賊学カメレオンズ、呪井オカルツを下し、ベスト8に進出。四回戦・準々決勝は、幻詩人ファイターズ戦。

 

 

 ~~~

 

 

 東京都地区、トーナメントは残り八強へ。

 強豪のみに絞られた最終局面へと突入してゆく――!!

 

 

 そして……

 

 

 ~~~

 

 

 村正……君は人種の“壁”を超えてみせた。

 だから、俺も今の限界(かべ)を超える――!

 

 

「――40ヤード走……計測タイム、4秒2!!」

 

 

 大阪府地区、帝黒アレキサンダーズ優勝。関西大会……全国大会決勝(クリスマスボウル)までの通過点へ順当に駒を進める。



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20話

 泥門、長門村正が前半からランニングバックの位置に……?

 

 敵情視察にきた王城の頭脳・高見伊知郎が見たのはこれまでの三試合とは違う形のフォーメーション。

 雪光学がワイドレシーバーに投入される後半からタイトエンドを瀧夏彦と代わるような形でランニングバックのポジションについている。

 けど、今回の巨深戦では序盤から長門がランニングバックに入っていた。石丸とアイシールドを含めて3人のランナーをクォーターバック・ヒル魔の後方につかせている。

 

「なんやあの陣形? 後ろにボールもって走るランナーが3人もいるで?」

「アイシールドと長門のゴールデンコンビだ! 撮っとかなきゃ!」

「ちょ、ちょっとカメラ……」

 

 席の後ろで虎吉……桜庭の知り合いの車椅子の少年らが、マネージャーの若菜からカメラを取り上げてオモチャのように遊んでいるが、遊ぶ余裕なんてない。

 

「若菜!」

「は、はい!」

 

 恐ろしい何かが始まるという予感に思わず冷や汗をかいてしまった。気をいつも通りに落ち着けさせようと眼鏡を元の位置に上げてから、

 

「今から始まる泥門のプレー……一挙手一投足をズームで撮っていてくれないか」

 

 進から高校最速の看板を奪い取ったエースランナーとその非力さを補う不倒のリードブロッカー、アイシールドと長門村正のコンビランは脅威だが、これから『妖刀』を振るうのはアイシールド21じゃない。

 おそらくこのフォーメーションこそが、ヤツの真骨頂。

 

「これは、ヒル魔妖一の“妖刀定石”だ……!」

 

 

 ~~~

 

 

「タイカー! ヤイハー! ヨイツー! ポーセイドン!」

『ポーセイドン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 東京地区秋大会のダークホース・巨深ポセイドン。

 毎年東京都下の中堅と評価されながら、いまいち波に乗り切れずにいた彼らを、優勝候補とマークしていたチームはおそらくほとんどいなかったに違いない。

 だが今年の巨深のその強さの質が例年とは比べ物にならない。前衛の身長が全員180cm以上という、全国でも類を見ない“高さ”を誇る。背が高いというのはそれだけで有利だ。特に前衛の(ライン)は、押し合いで走路を作り、そこからボールキャリアーを進ませるのだから、どんなに丈夫な壁でも低すぎれば壁にならない。

 また太陽スフィンクスの前衛『ピラミッドライン』とは違い、超重量級でもなく、スピードもあるため、まさに打ち寄せる“高波”の如く敵陣を一気に制圧してくる。

 

 この比類なき“高さ”を武器にした『高波(ハイウェーブ)』、三回戦までの相手チームを圧倒してきたダークホースが巨深ポセイドンなのだ。

 

 

 ――だが、泥門デビルバッツは、西部ワイルドガンマンズと1、2を争うほどの火力がある超攻撃的なチームだ。

 

 

「SET! HUT!」

 

 泥門が取ったフォーメーションは、『鳥の叉骨(ウィッシュボーン)

 上から見ると鳥の骨のような、クォータバックの後方に1人、その更に左右斜め後ろに2人と計3人のランニングバックを要するフォーメーション。

 この陣形はランプレイのオプション……相手守備の動きを見て、自分で走るか他者にボールを回すかを速選(オプション)する機会が三度あるよう設計されたトリプルオプションのプレイだ。

 息の合った司令塔とランナーたちができる連携。

 また左右両側にパスターゲットを2枚配置しているので、渡すふりをして投げる(プレイアクションパス)もまた脅威。

 

『ランプレーだ。陸上部石丸突っ込んだー!』

「違う。渡してない! ボールを持って走ってんのはヒル魔だ!!」

 

 第一の切り替え。

 クォーターバック・ヒル魔の背後についていたランナー・石丸を止めに来れば、ヒル魔はボールを持って走る。

 

『ボールを持って突っ込むと見せかけて石丸君は巨深選手をブローック!!』

 

「行くぞ、アイシールド21!」

「うん!!」

 

 第二の切り替え。

 そのヒル魔を止めに来れば、二人のランナー・長門とアイシールド21のコンビランが走る。

 

「泥門の『鳥の叉骨』は、こっちの守備体型を一瞬で見分けて、一番隙のあるところを走ってこれんのが強みです。だから、俺達である程度操作できる」

 

 石丸、ヒル魔、コンビランの3パターンのランプレイ……相手がどこを守りに来てるのか、誰が走れば抜けられるのか、ヒル魔がプレーのたびに瞬時に見分けてボールを渡す。

 これは逆に言えば、守備側が隙をどこにするかを決めておけば、思い通りにランをコントロールできるわけだが、

 

「ケケケケケ、これは単なる『鳥の叉骨』じゃねーぞ、糞ツリ目。今の泥門にやる気のねぇザコはいねぇ。一人二人の天才が引っ張るチームとは訳が違うってこった」

 

 泥門はそこにさらにパスプレイも織り交ぜている。

 

「おう! 泥門はランだけじゃねぇぞ!」

 

 第一の発射点。

 ヒル魔が走らずに左右に配したモン太と瀧へパスを投げる。

 

「アハーハー! 僕の華麗なるキャッチング!」

 

 第二の発射点。

 ヒル魔からボールを回された長門がモン太と瀧へランナーがパスを投げる『ハーフバックパス』。

 

「これが泥門の攻撃の革命だ! 鳥になりゃ高波にも飲まれねぇ」

 

 第三の発射点。

 ヒル魔からボールを回された長門が、相手にブロックせずに下がった移動型クォーターバック・ヒル魔へボールをバックパスで戻してから、ヒル魔がモン太と瀧へパスを投げる『フリー・フリッカー』。

 

「がはは! あいつら、こりゃもう『鳥の叉骨』じゃねぇな。神龍寺の『ドラゴンフライ』と遜色ないぞ!」

 

 とヒル魔と長門の連携のパスプレイもまた3パターン。

 第二の切り替えポイントで長門に渡されてからも、パスプレイがある。背面投げと走り投げの振りかぶる腕のモーションが同じ、腰のツイストを利かす長門の投法(スロー)から繰り出される、後出しじみたプレイでもって、相手の予想を裏切って守備の割り振りを絞り込ませない。

 

「くっそ……。止まらねぇ!!」

 

 ボールキャリアーが前衛の攻防境界線(ラインオブスクリメージ)を超えれば、前に投げるフォワードパスは反則になるも、それはつまりはランプレイによる前進を許すことになる。手の付けられようのない。

 

「すごい……こんな複雑な技を泥門なんて新進のチームが……!!」

 

 トリプルオプションプレーがより複雑になった分だけ、主にボール回しをする二人の連携が一手誤れば攻撃失敗するリスクのある『村正の妖刀』のような『妖刀定石』だ。そんな綱渡りなオフェンスをヒル魔妖一と長門村正は恐れることなく、そしてミスなくこなす、なんと密な連携だ。

 

「ヒル魔妖一、長門村正、この2人の連携こそ、泥門デビルバッツの最恐コンビだ……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 巨深ポセイドンのエース・筧駿。

 191cm、40ヤード走4秒9、ベンチプレス95kg。

 190cmを超えし長身と、鍛え抜かれた(ハンド)テクニックを駆使し、準々決勝までの相手後衛の侵攻を完全阻止してきた超技巧派のラインバッカー。

 中学時代、日本人でありながら本場アメリカに留学した筧は、様々な修練を乗り越え、見事名門フェニックス中学のエースとして活躍。卓越した守備で全米を震撼させた。

 そして彼はこの巨深で、アメリカ時代の経験を糧として、彼よりも高い二人の選手にそのテクニックを教え込んだ。

 205cmの太平(おおひら)(ひろし)と204cmの大西(おおにし)洋。

 日本社会人チームでもそういない2m超えの選手は、高校アメフト界でも1、2の身長であろう。

 

 この筧、大平、大西の文字通り最高の後衛守備三人(フラットスリー)

 止まらない嵐の波に喩えられて、『高波(ハイウェーブ)』と呼ばれる巨深のラインバッカーたち。長身から繰り出す長いリーチで突っ張って、相手を触れさせずに制圧する本場仕込みの(ハンド)テクニックでもって、三回戦までのチームを封殺してきた、が……

 

「舐めてもらっちゃ困るよ、日本最大の巨深ディフェンスを……!」

 

 ――泥門デビルバッツのコンビネーションランは今大会未だに止められたことがない。

 

 人の眼には、視界に速く動くものと遅く動くものがあれば速い方を追ってしまう習性がある。

 

 二人乗り自転車のように、直列で疾走するコンビラン。

 先陣切る長門はリードブロックする際、一歩分だが超速で迫ってくる。それは後ろを走るアイシールド21よりも瞬間的に速く、本来はボールを目で追うべきはずなのに意識してしまう。

 それに釣られたときに後ろのアイシールド21がチェンジ・オブ・ペースで一気に抜き去る。

 

「消え、た――!!?」

 

 『高波』を切り抜けて、最も深めに守っていた巨深セーフティ・地中甲斐を、ノンストップの超人的な曲がりで躱す『デビルバットゴースト』で抜き去る。そして、独走するアイシールド21を純粋なスピードでもって追える選手は巨深にはいない。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 6-0。先制点を、泥門に取られた。

 勢いづいた泥門の破壊力は確かに容易ならない。これまで相手してきたどのチームとも格が違う。筧でも対応し切れないなんて初めてだ。

 

 だったら、こっちだって攻めて攻めて攻めまくって圧倒すればいい。

 

 水町健悟。巨深ポセイドンのエースラインマン。

 身長193cm、40ヤード走5秒0、ベンチプレス90kg。そして、進化の天才。

 極限までバンプアップした屈強な肉体を武器として闘う戦士……というラインマンのイメージをガラリと変える、スマートな長身と後衛に引けを取らない俊敏な動きで敵を翻弄するタックル/ディフェンスタックルのラインマン。

 

 超人的な努力による進化スピードは、最初カナヅチであったのに、わずか一年足らずで中学水泳界を震撼させた伝説のスイマーにまで成長したほど。アメフトを始めてまだ一年と経っていないがその成長は著しく筧駿に次ぐ巨深ポセイドンのキーマンになっている。

 

(さっすがアイシールド21……筧に負けないくらいのプレッシャーじゃんかよ)

 

 泥門の後衛守備の中心として、筧と同じ立ち位置(ポジション)に入っている長門村正。

 オフェンスの時は抜き身の刀のように相手を圧倒してくるけど、ディフェンスの時は、その逆、鞘に収まった、居合抜きの刀のよう。

 ただ集中してるとか気迫が篭ってるとかではない。ヒリつくような威圧感なのに、寒気がするほど静かなのだ。

 真ん中に陣取ってるだけでなんて迫力だ。

 

 でも、泥門には致命的な穴がある。

 

(あのチビっぷりは身長差で潰してくれって言ってるようなモンだ)

 

 さっきの守備では『鳥の叉骨』の大外からのランプレイを警戒して、外側(エンド)に配置されたためにマッチアップできなかったけど、センターの両隣の内側の(ライン)、泥門ガード・小結大吉。身長は、150cmと水町とは40cm以上の身長差で、まさに子供と大人。

 “高さ”でもって鉄砲水のように相手のラインを倒してきた水町にしてみれば、格好の獲物だ。――だから、巨深の前衛の中で最も余裕があるのが水町自身。なら、泥門で一番怖いヤツを押さえに行く。

 

(筧にはちょっと悪いけど――俺が、長門村正(アイシールド21)をやってやる!)

 

 集中力が極限にまで高まる独特の水町健悟の飛び込みのポーズ『水泳の構え』でセット。

 そこから文字通りフィールドに飛び込み、長身選手の必殺技『水泳(スイム)』をもって敵陣をかき分ける。

 

 そんな、目の前の敵ではなく、その先を見ている水町に、視線を感じ取った長門は苦笑して――鋭い眼差しを突き付けて言った。

 

「俺ばかり意識しているようだがいいのか――大吉は自分よりもデカいヤツを平らげてきた大物食い(ジャイアントキリング)だぞ」

 

 前衛(ライン)の一髪千鈞を引くぶちかまし合い。

 

「SET――――HUT!」

 

 開始して瞬時の刹那でロケットスタートを切る、低身長の重心の低さを武器にした小結大吉の突進。

 しかし、スタートダッシュなら伝説のスイマーの十八番(おはこ)。水町は相手を上から圧し潰し捌く『水泳(スイム)』のモーションに移っていた。

 

(腕……!!)

 

 でも、小結は、知っていた。

 長身を活かした『水泳』という技を。長門村正という最強の強敵(とも)との勝負『デス・クライム』で、体感してきていた。

 だから、知っている。

 『水泳』は腕を振り上げた一瞬だけ、胸が押せる的になることを。

 このチャンスを逃さず、飛び出す――

 

「フゴーッ!!」

 

 二段ロケットの、立ち合いのスピードとパワー。

 それが水町の『水泳』を打ち破った――

 

 その小結が空けた穴から、長門が巨深ポセイドンのクォーターバック・小判鮫オサムに迫る。

 

「ひ! 怖い怖い!」

 

 しかし、それは逃げられた。

 インターセプト率0%を誇る小判鮫の超早逃げ。タックルを食らうのを恐れ、すぐにボールを捨ててしまう。フットボーラーとしては、決して突出した運動能力を誇るわけではないが、この驚異の早逃げでもって、西部ワイルドガンマンズのクォーターバック・キッドに比肩するかもしれないくらいに潰しにくい。

 

「ヨイハー! 速い! 怖い! いっちばん怖い!」

 

 指先が目前のところで静止していたのに、思わず腰を抜かしてしまう小判鮫に、倒れながら水町が謝る。

 

「すみません、抜かれちゃいました、小判鮫先輩!」

 

「だ、大丈夫……筧に超要注意だって言われてたし、でも、ヤバい。ヤバかった!」

 

 思いの外、侮れない。

 ビビりというのは言い換えれば、それだけ用心深い。つまり無茶な攻めは絶対にしない。安全にパスを通せる状況を見極めたら確実に決めてくる。

 

「悪い、大吉。折角お前が作ってくれたチャンスなのに、潰せなかった」

 

「きょ…強敵!」

 

「ああ、水町健悟は強いな。もう二度と大吉を侮らないだろうし、こんな風に抜かさせないだろう。向こうのクォーターバックはヒル魔先輩とは正反対な超保守的のようだし。けど、その厄介な相手を大吉が抑えてくれるんなら、こっちだってやりようはあるさ」

 

 

 巨深二回目の攻撃以降……

 

「さっきよりもヨイハー! マッハッ!?」

 

 泥門守備は、アイシールド21による『電撃突撃(ブリッツ)』を敢行。

 このデビルバッツのギャンブルな思い切りのいいディフェンスに、小判鮫は投げる間も与えられずパスを投げ捨てる。

 これに、ポセイドンは最後の四回目の攻撃にて、キッカーのパントキックを選択し、相手ゴールライン付近まで陣地を回復させて、泥門へ攻撃権を渡した。

 

 

 ~~~

 

 

「同じ筧先生の弟子なんだから今度は逆サイドを簡単に取られないでくれよ、太平!」

「大西こそさっきタッチダウン決められて何が筧先生の一番弟子だァ!!」

 

「……ケンカやーめろって二人とも。今から4人で組むってのによ」

 

「!!」

 

「もうアレ出すしかねー。巨深ポセイドンのホントの姿をよ!」

 

 水町が進言したのは、トドメ専用のフォーメーションだ。

 まだ前半で、泥門にリードを許している、時間をロスする作戦だから負けている今では逆効果……

 

(だが、泥門のパスとラン、オフェンスを止めるには『高波』だけでは追いつけない)

 

 そして、問題が、ひとつある。

 

「全員で全国大会決勝(クリスマスボウル)行くんだろ! こんなとこで負けるわけにいかねーんだよ!!」

 

 長門村正のランは、手本になる……それほどにひとつひとつのステップの(クオリティ)が高い。

 基本に忠実な、洗練された超正統派にして原点。完璧だ。長身を活かしたその破壊的なラン……これを止めなければならない。

 

「筧もアイシールドを倒すために考えた秘密兵器があるだろ」

 

 そう、自分の手で――

 

 

 ~~~

 

 

「あれ……水町君がいない。さっきまで最前列の(ライン)にいたのにな」

「!! 筧君の隣、ていうか、4人で並んで……!?」

 

 『高波(ハイウェーブ)』が進化した巨深ポセイドンの最終形態。フォーメーション名『ポセイドン』。

 

「この夢の四天王フォーメーション『ポセイドン』を抜ける男などいなァい!」

「大平! 大西! 水町! 俺らの連携が全てだぞ!」

「ッハッ! ここからが本番だ覚悟しろよアイシールド!」

「この試合に負けたらおしまいなんだ。どっちが一番弟子とかは一時休戦にしてチームプレイで行こう!!」

 

 それは、巨深の中でも高身長上位4人がラインバッカーにつくという陣形。

 

「えーい関係ねぇ! 今更どう小細工してこようがよ。泥門のパスとラン、両方止められるもんなら止めてみやがれ!」

 

「ああ。言われねーでも止めてやるって」

 

 水町をラインから下げてラインバッカーに加え、パスとランを広範囲に阻止する。

 並んだ4人が一斉にボールキャリアーへ突っ込むディフェンスの波。この平均身長が2m近い『高波』が大量に雪崩れ込んでくるプレッシャーに相手はブロックし切れない。

 そして、さらに――

 

『おおおお水町君! その長身でパスカットー!! まさに高波の中から現れる海の巨神ポセイドンッ!!』

 

 クォーターバック・ヒル魔がモン太へ投げたパスを、水町が跳び上がって腕を伸ばしカット。

 後ろに並べた4人のエースが広く全部を防ぐ。ロングパスも、大外へ回るランも余さず。

 

「完璧なフォーメーションなんざねぇよ。当然穴がある」

 

「そうだよみんなー! 水町君が後ろに下がってくれた分の壁の穴! 中央突破の大チャンスだよ!!」

 

 そうだ。

 ラインが手薄になった分、中央突破への対処が難しくなった。

 アイシールド21……あのチビシールドとは違って、長門村正はすし詰めの中央を強引に突破し得るだけの体格がある。

 太陽スフィンクス、NASAエイリアンズの、パワーだけならば巨深の『高波』にも勝る屈強なラインでも強引に突破してきた長門の力あるラン。

 ――そう、これを筧は己の手で止めるのだ。

 

「来るなら、来い! 今度こそ止めてやる――!」

 

 一回目のパスミスから泥門二回目の攻撃。

 それは筧の思った通りに中央をぶち抜く長門の突貫。高波をものともせずに進撃する完璧なランを、筧はそのハンドテクニックで抑えに――

 

「なにっ!?」

 

 中央、ラインバッカー・筧の前に突っ込んできた長門の腕の中にボールは、なかった。

 陽動(フェイク)。ここは中央突破で来るのが定石のはず――()()()()()、行くヒル魔の渡したフリ。そして、ボールを持っていたのは、偽者のアイシールド21!

 

(だが、リードブロッカーがいなければ小回りだけのチビシールドを止めることは……)

 

 とこちらに引き付けられてきた筧へ、長門は不敵に笑い、

 

「そちらも弟子に仕込んだみたいだが、こっちも腕の使い方(ハンドテクニック)を教えてある」

 

 大外から走り込んでくるアイシールド21。最も厄介な筧がいないとはいえ、その前には三つの高波。大西が走路を塞ぎながら、大平が筧の指導したハンドテクニックで相手が曲がり切る前に制圧を――と伸ばしてきた腕を横から払われた。

 

(長門君に教えてもらった『回し受け』の要領で――!)

 

 腕と腕をぶつけて弾く、『デビルスタンガン』。

 逸らせた軌道はほんのわずかで、稼いだ時間も1秒もない。しかし、0秒で曲がり切れるアイシールド21。大平を抜いて、大西を置き去りにする。

 

「行かせるかァー!!」

 

 しかし、この2人を相手するに使った分の0.1秒で水町が、捕まえる。ユニフォームを掴んで引き止めた。

 

『泥門! 連続攻撃権獲得!』

 

 だが、それでも10ヤード以上進められて、ファーストダウンを取られた。

 

 

「今度こそランを止める――!」

 

 次の泥門デビルバッツのオフェンス。

 今度は長門のラン。先のアイシールドの走路をなぞるように大外を行く。それに今度は、筧が先頭とした『高波』が押し迫る――

 

「今度は僕が長門君を護る!」

「っ、偽者!」

 

 長門がバックカットで距離を取ったと同時に、筧のハンドテクニックを爆速ダッシュで割り込んだのは長門とコンビランで並走していたアイシールド21。腕を使って腕を弾く。しかし筧はすかさず反対の手を伸ばして、虚弱な壁を払った。

 これであの時のように、邪魔なリードブロッカーを除けた。だが今度はあの時のようにあと一歩のところでとは――

 

 

「一つ忘れてるぞ」

 

 

 それは、筧駿の“アイシールド21像”を撃ち砕く一発の強弾。

 

 アイシールド21・セナが『デビルスタンガン』でブロック、だけではない。

 水町が抜けて突破力が減った前衛、それにヒル魔がボールを渡したのをしかと視認するにも時間がかかった。

 ひとつひとつの要因はわずかな時間だが、三つも重ねればそれは力を溜めるに、レシーバーが走るのに十分。

 

(これは、NASA戦で見た――まさか!!?)

 

 長門村正は、ランだけじゃない。

 アメフトのロングパスと言われる距離、40~50ヤードを超える、超ロングパス、NASAエイリアンズの発射台クォーターバック・ホーマーの『シャトルパス』――その模倣から成るパスプレイは、遥か(そら)()けるのだ

 

「海の飛沫は、どれほど跳ね上がろうとも空には届かない」

 

 味方が守ってくれるのを疑わず、されど信じず。倒されようとも、右腕一本とボールに懸けた一投のみに一意専心。そう、正しく一球入魂。

 

 

「――これが俺の『60ヤードマグナム』!」

 

 

 その右腕から放たれたのは、高波が化身となった海神を撃ち抜く超長距離弾。

 筧、水町、大西、大平ら4人の手の届かない、ただただ見上げるしかない放物線(アーチ)。彼方へ発射されたパス――それを確保せんとフィールドを走るのは、泥門のキャッチの達人。

 

「でけぇパスだ! だけどわかる――!」

 

 モン太の憧れである本庄選手は、時にホームランボールさえもキャッチしてみせたのだから。

 練習バカに生えたそのバックの目は、管制塔の如く、その落下点を誰よりも正確に把握して、

 

 

「ビックキャッチMA――Xッ!!」

 

 

 巨深ポセイドンのコーナバック・内守貝を振り切ったモン太は、火のつくような勢いで飛来したボールを両手で挟み取るようにキャッチした。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 審判のコールが高らかに響いて、会場全体がワッと湧いた。

 

 

 ~~~

 

 

「広範囲に対応するのなら、こちらも手数を増やす」

 

 後半に入り、泥門はオフェンスの陣形を変えた。

 ラインと同列の最前線、両端にワイドレシーバーを2人、またラインの斜め後方に――タイトエンドの位置から後方に――セットしたフレックスバックが2人。クォータバックの後ろについたランニングバックは、1人。

 

「あっちが四天王で来るんなら、こっちだってパスキャッチMAX四天王フォーメーションで行ってやらァ!」

「モン太、瀧、雪光先輩、俺達も連携していきます。各自の役割をこなしていきましょう。特に瀧、俺達の仕事量が倍以上に増えるが死ぬ気でやるぞ」

「アハーハー! 任せてよ! 何でも柔軟に対応しちゃうよボク」

「ヒル魔さんの指揮する速選(オプション)で動くチームプレイ、頑張ろう!!」

 

 フレックスバック……その“とても柔軟な後衛”と呼ばれる通り、ラン・キャッチ・ブロックと多様な役割をこなす。ランニングバックがボールを持って走るランプレイでは、タイトエンドとしてリードブロックに入る。パスプレイではワイドレシーバーと同じようにパスルートを疾走する。

 前半でのランニングバック・長門村正とワイドレシーバー・瀧夏彦がこなしていた役割をひとりでするのが、フレックスバック。

 

 そして、レシーバーにモン太と石丸と代わって投入された雪光、一人二役のフレックスバックに瀧と長門がついたこのフォーメーションは、『鳥の叉骨(ウィッシュボーン)』の苦手としたパスプレイを補った派生、『フレックスボーン』

 

(パスターゲットが4枚……! あの『ポセイドン』を突き抜けた一発タッチダウンの超ロングパスがある以上、後ろのカバーにもディフェンス意識を割かなきゃなんねぇ!)

 

 かといって、水町を下げて前衛の突破力を減らした『ポセイドン』のフォーメーションでは、泥門のラインを破って投手がパス投げる前にサックして潰すことも難しい。そして、これは『鳥の叉骨』と同じランのオプションプレイもあるのだ。

 

「SET! HUT! ――HUT!!」

 

 コールと同時、『鳥の叉骨』でのランニングバックよりも距離感が開いたがフレックスバック・長門は、プレイ開始前に後衛一人が始動できる『インモーション』を行使し、クォータバックとランニングバック、ヒル魔とアイシールド21・セナの下へ駆け込む。

 

 そのときに、まずヒル魔が走者二人とすれ違う際にボールを渡したか、が見極めの第一関門。

 そして、長門とアイシールドのどちらにボールが回されたのか、が見極めの第二関門。

 

(最も確実性が高いのは長門のはずだがよ! “だからこそ”行くのが泥門の作戦(アサインメント)だ)

 

 大平と大西はパス対策、ランに突っ込ませずに雷門太郎と雪光学に対応できるよう後ろで守備。そして、ヒル魔がボールを持っていないことを確認してから、そのコンビランを阻止しに筧と水町の『高波』が迫る。

 

「『聖なる十字架(クリス・クロス)』!」

 

「ど、どっち渡した今? 長門か、アイシールドか……?」

「ふたりとも一気に加速して別れたぞ!?」

 

 長門がアイシールド21に回してからのリードブロックで行くと思いきや、壁役に入ってる瀧の背中に隠れるよう交差(クロス)してすれ違い二択に惑わす――指揮官・ヒル魔ではない、ランナーにしてもうひとりの指揮官補佐(クォータバック)・長門の速選(オプション)による――“見極めの第三関門”。

 

 

 ~~~

 

 

 この攻撃をより効果的に発揮するためには、僕が単独でも、筧君を抜けるようにならなきゃダメなんだ。

 

 さっきの(ブロック)は、圧倒された。腕を盾にして防げたのはほんの一瞬。

 身長はどんなに頑張ったって伸ばせない。これが本物と違って、偽者の体格しか持たない僕の限界……――でも、抜くんだ!

 

「筧が潰しに来やがったー!!」

 

 長門君に釣られて動いたのは、水町君。巨深の『高波』にも負けない体格を持つ長門君がブロックして水町君を押さえてくれた。モン太と雪光さんが、残り2人の守備を散らしてくれた。

 そして、ステップを踏めるだけのスペースがあって、1対1。

 『死の行軍(デス・マーチ)』で2000km特訓した、一歩で歩幅を縮めてスピードを落とさないで曲がる走り方『デビルバットゴースト』ができる……!!

 けど、筧君の長いリーチで抑えにかかるタックルはそれを許さない。

 

「お前の得意な走りでは俺を抜けねぇ偽者!」

 

 そう、それを撥ね退けてみせる本物の体格は、僕にはない。

 けれど、スピードの一点突破、そして身軽さは体格無き者の走り。そう、それを武器にして、パワーとテクニックでは足下に及ばない長門君を相手にした『デス・クライム』を達成したんだ!

 

(ああ。それはお前の走りだ、セナ!)

 

 曲がり切る前に潰さんと伸びる腕『モビィディック・アンカー』。――それにぶつかる気持ちで、アイシールド21・セナは疾走する。

 

「捉えた。終わりだ――」

 

 腕ではなく身体全体で『回し受け』するように――回転(スピン)。脚だけでなく全身の振りを全速で行く、文字通り全力のラン『デビルバットハリケーンゴースト』。

 捉えても空を掴むように抜き去る竜巻の如き走り。

 

 完璧に、抜かれた……――

 

『タッチダーゥン!!』

 

 アイシールド21が相手のエースを抜き去り、タッチダウンを決める。

 それは、泥門デビルバッツ対巨深ポセイドンの試合を決着づけたのだった。



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21話

 それは、不運な出来事だった。

 

 

「今日もお仕事がんばってねー、玉八君」

 

「おう! 嫁と子供(ふたり)の為にも一働きしてくるよ」

 

 建設の仕事場へ向かう男性、それを見送り女性。彼女はベビーカーに赤ちゃんを乗せていて、自分も買い物に出掛けようとしていた。

 

 その二人間近スレスレに、明らかにスピード制限を無視した二輪車(バイク)が突っ切った。

 

「――危ないっ!」

 

 咄嗟に彼女を庇う男性。抱き寄せられた女性は轢かれることはなく、バイクが走り抜けた際の突風に煽られたがそれでも体勢を倒させることなく男性はしっかりと支えてみせた。

 ホッとしたのもつかの間、女性が悲鳴を上げた。突然のバイクに驚いて、手を離してしまったベビーカーが、幌に風を受けて勢いよく走りだしてしまう。

 女性は慌てて手を伸ばしたが間に合わない。そして、ベビーカーは坂へ。その先にはビュンビュン車を飛ばす道路が。

 

 このままだと赤ちゃんが……!?

 

 だけど、その甲高い悲鳴を聴いた者がいた。

 

 

「っ!」

 

 坂を転げ走るベビーカーを追いかける。前傾姿勢の取りにくい下り坂、普通であればつい急ブレーキをかけるよう上半身が反り気味になる。いくら脚を早く動かそうとしても、止まろうとするときと同じ力が働いてしまう。

 重心を落とす。膝のバネを最大限に使う。自らも転げてしまう一歩前まで体を落とし、下り坂を駆け抜ける。

 膝を使い、重心を低く、加速――

 

(追いついたっ!)

 

 道路に飛び出す寸前で、半ば飛び込むようにベビーカーの前へと回り込む。腕にずしっと来る重量感。

 プラスチックと布でできたベビーカーなど、大した重さではない。

 実際の重さは大したことはなくても、猛スピードで走り続けてきたために強い力が働いている。ベビーカーに押されてバランスが揺らぐ。崩れるほどではない。ただ、これは試合の防具を着込んだアメフト選手ではなく、中に搭乗しているのは赤ん坊であって、無理に抑え込むわけにはいかない。試合のように撥ね飛ばしては大怪我をさせてしまう。ここは、柔らかく勢いを逃がし、かつしっかりと受け止めるよう微細な力配分に注意する。

 

(よし、止められ――)

 

 

 ――ガンッ!!

 

 

 ~~~

 

 

『GUN&GUN! That will do!!(撃って()って討ちまくれ! それだけだ!!)』

 

 

 ~~~

 

 

『さぁ! いよいよこの日がやって参りました! 全国高校アメフト選手権東京大会セミファイナル! 関東大会進出を賭けて互いに超攻撃型のチーム同士、今、壮絶な殴り合いが始まろうとしています!』

 

 圧倒的攻撃力で破竹の弾GUN進撃を続ける西部ワイルドガンマンズ。

 去年までほぼ無名の存在だったが、今年の春季大会で一躍名を轟かせた。

 その快進撃の原動力は、クォーターバック・キッド選手を核とした攻撃陣形『ショットガン』。パス重視のフォーメーションから繰り出される圧倒的なオフェンス力は、あの王城ホワイトナイツの堅牢なディフェンスでも止め切れず、負けはしたが決勝では互角以上に渡り合った。

 

 解説でも言われているが、泥門デビルバッツと同じ攻撃重視のチーム。しかし、その完成度は向こうが上だ。点取り合戦となれば、キッカーがいないこちらは不利になる。

 だから、日本最強のラインバッカー・進清十郎ですら手玉に取った、“神速の早撃ち”を阻止しなければ、今の泥門に勝ち目はない。

 

「ついに、準決勝か……!」

「最強西部!! 相手にとって不足はねー」

 

 文句なしの格上相手に怯むアイシールド21・セナ、そして、強敵と直に対峙して気合いを入れ直すモン太。

 トレーナーの溝六先生も全員に喝を入れるように、食い縛った歯を見せながら、

 

「不足はねぇどころか、有り余るくらいだ。つーか、わかってるたぁ思うが、今までの“高校レベルの強豪”とは次元の違う連中だ。初っ端から死ぬ気で行けよ……!!」

 

 勝敗を握るキーは、三つ。

 

 神速の投球術を始め、天才的な技能を備える、先輩評で都大会最強のクォーターバック・キッド。

 

 人間重機関車の、関東圏で四強に入るであろうワイドレシーバー・鉄馬丈。

 

 暴れ馬(ロデオ)の脚を持つ快速ランニングバック・甲斐谷陸。

 

 これに対して、当然泥門も西部対策は積んできて試合に臨んでいる。それがどれだけ趨勢をデビルバッツに持っていけるかが今日の勝敗に掛かっている。

 と、入念にストレッチをしていたら、西部の甲斐谷と睨み合っていた――先日の体育祭でついにアイシールド21の正体がバレた――セナが、

 

「あれ? 長門君、その腕どうしたの?」

 

「これは、太陽スフィンクスで有名なテーピングをあやかってしてみたんだ」

 

 ミイラの包帯のようにテーピングをグルグル巻きした両腕を見咎められて、予め考えておいた説明(セリフ)をすれば、この話題にラインマンの栗田先輩も乗ってきた。

 

「番場さんのミイラテーピングだね! 関節を安定させるにいいんだよね!」

 

「ええ、今日の西武戦は、“腕”に掛かっていますしね」

 

 パンと軽く持ち上げた腕を叩く。

 ――骨身に通った振動で僅かにピクンと跳ねるも、欠伸のように噛み殺せる程度。問題ない。大丈夫だ。

 

「そっかー、じゃあ俺達もしてみっかセナ!」

 

「残念だが、その時間はないみたいだモン太。今、ヒル魔先輩が先攻後攻を決めたようだからな」

 

 コイントスで、泥門対西部は、泥門キックオフで前半を始める。

 

 

 ~~~

 

 

『おらああああァァ!!』

 

 ヒル魔先輩のキックと同時に、一斉にボールを捕りに駆け出す両チーム。

 

(っ、キックが低いな)

 

 キックオフに重要なのは高さ。

 落ちてくるまで時間がかかるほど相手選手を囲みに行きやすくなる。

 だが、この弾道は低い。本職でないヒル魔先輩に求めるのは酷だが、あまりいいスタートは切れなかった。

 そして、あまり距離と時間を稼ぐことのできなかったキックボールをキャッチするのは、ワイルドガンマンズの次世代(ルーキー)エース・甲斐谷陸。

 

 

「見せてやるよ、セナ。(ラン)テクニック最上級技『ロデオドライブ』を――!!」

 

 

 泥門の中で、真っ先にボールキャリアーの下へ迫ったのは、光速の足を持つアイシールド21・セナ。

 

 体育祭の二人三脚で合わせて――アメフトの走り屋(ランニングバック)の自身と合わせられて走れた弟分(セナ)

 正体が割れたが、それでも教えた爆速ダッシュを別れてからも……パシリ込みでだが黄金の脚へと磨き上げたことがわかり――宣戦布告した。

 師匠でも、兄貴分でもなく、ライバルとして、プライドに賭けてセナに勝ちにいく、と。

 

 グラァ、とセナと対峙した瞬間に持ち上がった上体が前のめりに――一気に――倒れ込む。

 

(え……!? 今、止まって……!?)

 

 甲斐谷の停止からの急加速に追いつけずに、抜き去られるセナ。

 それで勢いをつけたように更に速度を上げて、後詰めに追いついたモン太たちをも次々抜いていく甲斐谷。

 まさに野生の暴れ馬を思わせる走法『ロデオドライブ』。荒々しくも美しく敵陣を、まるで無人の野を行くが如く駆ける。

 

(あの“ガチョウ歩き”――膝を曲げない大股ステップで、ロデオみたいに上体を揺らして、超人的なスピードで緩急をつけるチェンジ・オブ・ペース走法。この源流は、ラグビー選手の走行テクニックだろう)

 

 独学でここまで技術を昇華させた甲斐谷は、相手ランニングバックながら感嘆させられる。

 実戦には独特のステップに耐えうる脚力、ロデオムーブを可能とする体重移動する巧みさ、バランス感覚が高いレベルでまとまっている甲斐谷陸の暴脚。

 比類なきランのセンスと洗練された技術の融合が生む急加速と急停止(ストップアンドゴー)の乱調――究極のチェンジ・オブ・ペースだ。走りの技術は、あの進清十郎よりも上で、この都大会でも随一か。

 

「だが、抜かさん!」

 

 

 ~~~

 

 

 ――そう簡単に行かせないよな、長門村正!

 

 『ロデオドライブ』

 行きたい方向とは逆に重心移動して、素早く疾走する方向にステップを踏む――そのカットを切る瞬間に、グースステップを入れるラン。膝を曲げずにまっすぐ伸ばした脚を、腰の高さ、ほとんど地面と水平になるまで高く振り上げて動く、一見滑稽(おかし)なこのグーステップに、相手は減速したと思ってしまうが、動きを合わせて減速した瞬間に急激にスピードアップをして置き去りにするチェンジ・オブ・ペース。

 これにセナを始めとした泥門選手の大半を抜き去ったが、まだ最終防衛線(こいつ)がいる。

 

「止めろ、糞カタナ!」

 

 長門村正。

 同じ一年生だが、壁を超えた超人。

 キッドさんも認める天才で、脚の速さはアイシールド21……セナの方が疾いけれど、アメリカンフットボールプレイヤーの心技体の総合力では長門が格上。

 そして、公式戦で未だに一人にも抜かされていない。

 本場アメリカの『エイリアンズ』の黒豹(パンサー)を完封してみせたあの守備は映像越しにも鬼気迫るものを覚えた。ディフェンスなのに、攻撃的に迫る。こうして、現に対峙したけど、“ランナーは絶対に逃が(ぬか)さない”という殺気じみたものがひしひしと伝わってくる。

 ゴクリと息を呑む。

 姿を視認しただけで、地球の重力が数倍に増幅されたような錯覚を覚える威圧(プレッシャー)

 試合前のミーティングでも監督が、“この泥門デビルバッツで最も危険な選手との対決はなるべく回避しろ”とか注意していた。王城ホワイトナイツの進清十郎の時と同じだ。だが――俺は最強西部ワイルドガンマンズのランニングバックだ。一度も挑まずに尻尾を巻いておめおめと逃げるような真似はできない! このプライドが許さない!

 

 ボールはしっかりと確保する。黒豹から奪った高等技術『ストリッピング』を警戒。絶対に、奪らさせない。本能的にボールのために全身を捨てられる覚悟で、勝負を挑む――

 

 ――来たっ!?

 

 重心を落とし、足を滑らせ、上体を倒す、無拍子の最高速。

 空手の身体運用『縮地』を取り込んだというその突撃(チャージ)は目が慣れなければその挙動を察知し得ないほど巧み。

 初動で一息に畳み掛けてくるのに素早く『ロデオドライブ』を切って躱そうとするが、長門の制空圏に踏み込んだ時点で目前にまで間合いを潰された。躱す暇も与えず、身体を胸で受けてから両腕で挟み抱き捕まえられて、フィールドに倒された。

 

 

 ~~~

 

 

 西部ランニングバックの陸の爆走を長門君が止めた。

 でも、すごい。いきなりこんなフィールドの半分まで行くなんて……!

 

「キックオフリターンタッチダウンを狙ったけどそううまくはやらせないか、泥門」

 

「当然だ。しかし、一気に中央まで運ばれるとはな」

 

 長門君に倒された陸が起き上がると、駆け寄ってくる僕を見て、

 

「……よく使われるたとえ話だ。グラスにカクテルが半分残ってる時、『まだ半分ある』って思うタイプと『もう半分しかない』って思うタイプがいる」

 

 セナ、お前はどっちだ? と問う陸。

 …………でも、

 

「いや、そう言われても、カクテルとか飲んだことないし」

「正月のお屠蘇なら舐めたことあるぞ!」

 

「だから、そういう話じゃないってお前らはもう!」

 

 モン太もビシッと答えてくれたけど、陸はがっくりとする。これに長門君もやや呆れながら、

 

「まるで“たった半分で止まってやった”……みたいな言い草だ、甲斐谷陸」

 

「阻止されたのに、そこまでは言わない。だけど、これで西部の全てだとは思うなよ。今のは試合開始の挨拶代わりの前菜さ」

 

「随分と謙虚だな。走りの技術ならば屈指だというのに」

 

「それを阻止してくれてよく言う。けど、西部の攻撃のメインディッシュは、俺じゃない」

 

 長門君へ不敵に、また挑発気に言葉を連ねる陸。

 

「たとえ話が、“カクテル”に“前菜”に“メインディッシュ”……? ア、アハーハーなんかカッコイイじゃないか……!」

 

「兄さんが燃えてる……」

「またどうでもいいところでライバル視しだしたな」

 

 言い回しや並べた単語に妙にライバル視する瀧君は置いておいて。

 圧倒的な瞬発力で、緩急自在に守備陣を翻弄した陸でさえ、“前菜”と言い張る。人一倍にプライドが強いだけに、それだけ“主菜(エース)”に相当な信頼をしているのだ。

 

「つまり、『神速の早撃ち』は伊達ではないか。これは最大限に集中を上げないとな。わかっていたが、東京最強――いや、歴代最強の攻撃力であろう、西部ワイルドガンマンズの『ショットガン』、それから繰り出されるキッドの『クイック&ファイア』――」

 

 

 ~~~

 

 

『WILD WILD GUNMANS!』

 

「キィーーッド!!」

「今日は何百点取ってくれんだー!?」

 

 ドン、ドドドン! と応援団(チア)の空砲の轟に合わせ、熱気のボルテージが増していく観客。

 

「パス一筋! 飛び道具でGUN! GUN! 攻めんのが西部のスタイル! 全員が散弾銃(ショットガン)の弾だ!!」

 

 フィールドでは、前衛五人のラインマンの他に前線付近へ整列するようその左右に配置された後衛(バックス)――

 左には背番号6番タイトエンドの刃牙遼介、背番号22番ワイルドレシーバーの波多六髏、右には背番号34番スプリットエンドの(はざま)元次、そして、背番号15番、エースのワイルドレシーバーの鉄馬丈……この四人がマラソンのスタートみたく一番前にずらりと並ぶ。

 それから、背番号29番ランニングバックの甲斐谷陸を司令塔の右斜めにつけたこの陣形は、『ショットガン』。ボールをキャッチするレシーバーを四枚用意し、散弾銃の如く雨霰と発射するパス特化のフォーメーション。

 それを、中軸である背番号7番クォーターバックのキッドが『神速の早撃ち』なる絶技でもって威力を究極に高めるのだ。

 

「何百って。ほらもうねぇ……ちょっと、言ってんじゃないの、買い被り過ぎだって」

 

 “速い”とされるクォーターバックの、投球速度は0.5秒。対して、キッドは、0.2秒だとこれまでの試合から推定される。つまりは、およそヒル魔先輩の倍のスピードで投げている計算になるだろう。如何に強力なタックルと言えど、標的に届かなければ無意味。“最速”であるラインバッカー・進清十郎ですら止められない“神速”はまさに無敵のパスである証明に他ならない。また、止める術のない弾丸パスは、さらに驚異の正確性をもって敵陣の急所を貫く。

 

(今や『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けるのを諦めざるを得ないほどの芸当を可能とするのは、ただ投球速度が速いだけではかなわない。ずば抜けた反射神経だけでなく的確な判断能力を持ち合わせてなければならない)

 

 キッド――その本名は、武者小路紫苑。

 ヒル魔先輩が掻き集めた情報によれば、オリンピックピストル射撃で金メダル三連覇した華族の末裔、武者小路一選手の一人息子で、そんなサラブレットである彼自身もビームピストル競技で優秀な成績を修めていた。

 幼少期から、合図されて瞬時に、誰よりも目標を撃ち抜くデジタル射撃ラピッド・ファイア・ピストルで、その脳は鍛えられている。言ってしまえば、頭の回転が滅茶苦茶速いのである。

 

(百年に一人の天才、『神速のインパルス』をもった金剛阿含のような天性の反応の閃きだけでなく、ヒル魔先輩の電子演算(コンピューター)に匹敵する神算鬼謀の思考処理まで兼ね備えたクォーターバック……それが、キッド)

 

 一見のらりくらりとしたやる気のない昼行燈だが、あれは“能ある鷹は爪を隠す”というべきだろう。強者特有のオーラを決して表に出さずに振る舞って、相手に自身の意図を悟らせない、油断せず油断ならない相手。瞳は諦観の色があるも、カマを吹っ掛けたヒル魔先輩から言わせれば、それも枯れた演技(ふり)で、その奥に秘めた本性は闘争心グツグツなのだそうだ。

 

 

「――一手目は、まぁじっくり観察させてもらうとすっか。うちの連中も生でテメーのパスは初体験だしなァ」

 

 

 ヒル魔先輩が十八番の口撃を仕掛ける。明らかに挑発気な煽りを受け、しかしキッドは眉一筋動かさない。泰然と構えを崩さない。

 ヒル魔先輩とキッドの視線がぶつかり合う。火花を散らすのではなく、押し合っていると表現した方が相応しいその腹の探り合い(やりとり)は、秒針が半周したほどでふっとキッドの方から引くように――または一線を引くように――目を逸らされた。

 

「怖い怖い、カマの掛け合いなら乗らないよ。心理戦になったら勝てないからねェ」

 

「ケケケ、セキュリティー、堅ぇ野郎だ」

 

 さて。

 四枚ものパスキャッチ要員すべてをマークするのは、王城が敷く鉄壁の守備ですら抑えきれなかった以上、泥門には無理だ。

 ――ならば、たったひとつの発射台である投手を潰す『電撃突撃』か?

 いいや、それこそありえない。評判通り、『神速の早撃ち』は、潰しに行っても倒す直前に一瞬でパスを投げる。エイリアンズのホーマーの時のようにはいかない。進清十郎の『スピアタックル』すら届かせないのだから、セナの全速特攻(ブリッツ)もおそらくは間に合わないだろう。

 

 

 ~~~

 

 

「――投げ捨てろキッドォ! パス失敗でいい! お前の早撃ちでボールだけでも投げ捨てろっ!!」

 

 試合開始早々、西部ワイルドガンマンズの監督・ドク堀出が血相を変えてベンチから叫んだ。

 泥門デビルバッツの守備、ヒル魔妖一がキッドの間近にまで迫る。

 一手目はじっくり様子見だとか宣言しておいて、この所業。舌の根がまったく乾かぬうちに自ら『電撃突撃』。それも右投げ(キッド)の死角になる左側から。しかも一番警戒されている――否が応でも目が離せない――『妖刀(じぶん)』を右寄りに配置させて視線誘導をさせてだ。

 完全に()りに来ている。

 

「ケケケ、死角からのこの距離ならテメーの0.2秒でも間に合いやしねぇ!」

 

 ハッタリがユニフォームを着てアメフトをしているような先輩だ。

 この程度の天邪鬼で驚くまい。

 “無敵を誇る早撃ち投手を相手に誰もが『電撃突撃』ありえないと思っている”――()()()()()()()

 どこまでも貪欲に相手の油断大敵を狙う、それがヒル魔妖一の戦術。

 

「!!」

 

 だが、完全に決まったと思われたその奇襲をも、『神速の早撃ち』は凌ぐ!

 

(――速いっ!)

 

 その腕の振りは、これまでの試合記録の映像からコマ切れしたよう。

 そう、予想された0.2秒を上回る早撃ちだった。

 

『西部、パス成功……!』

 

 

 ~~~

 

 

 石丸先輩のマークを振り切った甲斐谷がキッドから投じられたパスをキャッチし、西部は連続攻撃権(ファーストダウン)を獲得する。

 

「テメェ! 準々決勝まで手を抜いてやがったな、このカマトト野郎!!」

 

「……たまたまだよ……買い被られ過ぎるとロクなことがねぇ」

 

 突撃から逃げるよう体勢を横に倒しながら投球したキッドへ、ヒル魔先輩が手を差し伸べる。無論、それは相手の健闘を称えるもんじゃない。

 ――バッと、キッドの目前に差し出された手の平にカードが出てきた。手品のような不意打ちドッキリ。

 そしてそれは泥門の作戦が暗号化されたカードの山札である。

 

「泥門の今日のプレイブックだ。――だが、テメーの早撃ちは0.2秒で計算して戦術組んできてんだ。全部計画変更じゃねぇかこの糞ゲジ眉毛!」

 

 出したカードの山札をあっさりと放り捨てる。ばら撒かれたプレイブックにヒル魔先輩は見向きもしない。そして、この“パフォーマンス”にも、キッドはその術中には嵌らない。極めて慎重。

 やれやれと軽く肩を竦め、

 

「そうやって何かと派手に印象付けて、深読み裏読みのハッタリ戦で振り回す。カードとか武器とかも、その怖い髪形もピアスもわざとでしょ。インパクトが強いほど揺さぶれるからねェ。やっとわかってきたよ、おたくの心理戦のやり口」

 

 初見殺しになるはずだった『電撃突撃』は、こちらの計算を上回る『神速の早撃ち』を前に失敗した。

 だが、印象付け(パフォーマンス)としては一定の効果があった。

 “死角からの急襲”にて、ヒル魔先輩の“やらないと思ったことでも躊躇なく仕掛けてくる”という性格を思い知った以上は、このゲーム中は注意を割り振らなければならない。

 

 大昔から格下の兵法は乱戦と決まっている。あれこれ仕掛けていくしかない。

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔妖一が公言した、『ショットガン潰し』は、十中八九、『バンプ』だろう。

 レシーバーをどついて、バランスを崩す荒業。

 これが決まると少し厳しい。的がなければ撃とうにも狙いようがないよう、パスターゲットがなくなれば、『ショットガン』は上手く機能しない。

 しかし、それも机上の空論。

 ……これまでであれば、レシーバーが全滅してしまうなどという考えはなかったが、

 

「鉄馬……」

 

 つい、家出してからもずっと付き合いの続く幼馴染(てつま)を呼ぶ。

 だけど、続く言葉は出ない。何か命令をするわけでもない。ただ……

 

「俺は仕事を遂行する」

 

 “何でもない”と打ち切ってしまう前に、無駄なことは一切喋らない鉄馬が口を開いた。

 

「立ち塞がる障害が何であろうと関係ない。必ず決められたルートを守り、必ず決められた場所でパスを取る」

 

 そういって、開始位置(ポジション)につく鉄馬。

 まったく。ああそうだ。そうだよな。

 

 心配はない。指示もいらない。普通に突っ込ませるだけでいい。何故ならば、鉄馬は最強のレシーバーだからだ。

 

 

 ~~~

 

 

「一点集中ー!!」

「昨日のゲームセンターを思い出してー!」

 

 とこの姉崎先輩の声援を拾い、甲斐谷陸がはぁ? とセナへ訊ねる。

 

「ゲームセンター……昨日?? 試合前日に何やってんだお前ら」

 

「いやいや、遊んでたわけじゃないんだけど……」

 

 セナの言う通り、遊んでいたわけじゃない。

 この西武戦に向けて、泥門は対『ショットガン』として、全員が『バンプ』のテクニックを覚えさせられた。

 パスルートに出る選手のタイミングを乱すために、プレイ開始直後にレシーバーにぶつかって邪魔をする力技。どついて崩す――単純だが『バンプ』にも色々と種類があるし、ルールがある。ケースバイケースで使い分けるのが普通で、審判に認められる有効打判定は腕のみ(肩の体当たり(ショルダータックル)は反則)と気をつけなければならない点もある。

 これを試合までに全部覚えるよりも実戦で使えるレベルで一つに絞って徹底的に仕上げる。

 まず、体育祭で手錠をつけられての騎馬戦にて、どついて相手のバランスを崩す術を実践させ、ゲームセンターのパンチングマシーンでもって溝六先生が教授した。

 

『一点突破だ。西部の連中の心臓を打ち抜け』

 

 パンチングマシーンに張り付けた人形に左胸の急所辺りをマジックで〇に書き記(マーク)して溝六先生は皆に示す。

 

『両腕でどつく必要はねぇ! 自分の利き腕の右手が敵の左胸の心臓サイドにちょうど当たるはずだ! ひたすら片側だけをブチ飛ばして、バランスガタガタにしてやれっ!!』

 

 『神速の早撃ち』はこれまで一人として発射阻止を許していない難題。

 ならば、そのパスキャッチ要員を潰せばいい……という、初歩的な数学の公式をするような結論で辿り着いたのがこのバンプ戦術だ。だが、現状、“また別の難題”が存在するがこれが攻略の糸口に最も近い。

 

「……わかってるな、糞カタナ」

 

「もちろん。この格付けで展開が決まりますね」

 

 鉄馬丈。

 40ヤード走5秒0、ベンチプレス115kg。そして、指示されたパスルート上を10cmのズレなく走破する正確性。また鉄馬丈は、太陽スフィンクスとの練習試合で、『バンプ』に特化した鎌車すら撥ね飛ばすほど頑健なボディの持ち主。『エイリアンズ』の管制塔レシーバー・ワットとは違う、パワータイプのレシーバーだ。

 まさしく、『人間重機関車』。

 武骨で重厚なイメージの異名に相応しいワイルドレシーバーは、汽車に乗客を乗せて目的地へと驀進するように、パスを運び、幾度となくフィールドにタッチダウンの汽笛を高らかに鳴らしてきた。

 

 西部のレシーバーの中で最も危険で、キッドと絶対的な信頼関係を築いている。

 王城戦でも、アクシデントで鉄馬丈が戦線を離れた途端に勢いが衰え、逆転を許した通り、このホットラインが西部の支柱だ。

 言葉にせずとも“命令絶対”を絵に変えたような頑固な無表情。

 鉄仮面にして鉄人。西部最強のパスオプション。

 これを完全に封じ込めれれば、ワイルドガンマンズも、特にキッドも動揺を禁じ得ないだろう。

 ――()()()()()()()

 

 これまで、相手チームのエースを潰してきたエースキラー・長門村正が、エースレシーバー・鉄馬丈のマークにつくのは自明の理であった。

 

「行けぇぇ鉄馬! 『妖刀』なんか蹴散らしてやれー!!」

 

 西武側の声援、しかし不言実行の仕事人はそれに応じず、前のみを向く。立ち塞がるのが誰であろうと、そのプレイに断じて変更はない。

 

 

『SET――HUT!!』

 

 

 センター・潮角道からクォーターバック・キッドへボールが回される。

 ――瞬時に、泥門、西部のレシーバーへ人体急所の心臓を狙ったバンプを炸裂。黒木が刃牙を、瀧が波多を、モン太が間をどつき、体勢を崩させる。

 

 同時、真正面に位置取りした長門が、()()から、斬鉄剣の如きバンプを鉄馬丈へ繰り出した。

 瞬きの一瞬を狙ったような速度で間合いを詰め、分厚い胸板を真っ直ぐに突く。

 足技、相手選手を躱すランテクニックはあまりない鉄馬丈はそれをまともに食らってしまう。

 

 ドガッ!! と重く響く打突音。プロテクターで削がれた衝撃がそのまま鳩尾を突き抜け、肺腑から空気を強制的に絞り出される。

 

「―――!」

 

 呼吸が止まる――だが、脚は止まらない。

 鋼鉄なのは肉体(ボディ)だけではない、鉄馬丈の精神(メンタル)は肉体を凌駕するほどに鉄壁であった。“必ず命令を果たす”という意志を、絶やすことなく燃料にくべて機関車は発進。

 窒息しようが、全速で掛ける鉄馬の走りに一秒の遅滞もない。もちろん、パスルートを寸分のズレなく通って、脱線することもない。

 

「っ」

 

 長門の静かに闘志を秘めた表情に刃毀れが生じる。だがすぐに、歯痒さを噛み締めた鉄仮面(ポーカーフェイス)で覆い隠した。

 『バンプ』は失敗した――だが、これで終わりではない。

 

「まだだっ!」

 

 出発を許したが、マークは外さない。長門は鉄馬にバック走で張り付く。相手の動向を監視することと負うことを同時にこなす、パスキャッチを妨害するコーナバックの必須技術な走り。長門村正は、40ヤード走5秒0――鉄馬丈と同じ速度――でこなす。

 

 5秒0の速度領域で睨み合う両者。このにらめっこ、双方ともに表情は表に出ない。だが、その鉄仮面から探るまでもない。

 鉄馬丈はパスルート全てを精確に覚えている。そして、長門村正もまたパスルートは全て体で覚えている。だから、わかる。このセットで指示された、定められた線路(ルート)がなんであるのか。

 雪光学の『速選(オプション)ルート』ような守備の裏をかく真似もしない鉄馬の真っ直ぐすぎる機械的な走行は、長門には予想しやすいものだった。

 

 

 ――それでも、キッドはパスを鉄馬へと投げ放った。

 

 

 ボールを捉えんと鉄馬が飛ぶ。長門も飛ぶ。ただし、長門はボールをキャッチするその腕を狙う。

 『リーチ&プル』

 右腕をからめて、相手からボールを弾く――

 

「くっ……!?」

 

 だが、鉄馬は離さない。着地姿勢が危なくなろうが、本能的に全身を捨てる覚悟で、両手でがっちりと捕まえたボール。それを強引に外そうとするも片腕だけでは、この鉄腕のキャッチ力を引き剥がすことはかなわなかった。

 

 

『――タッチダーゥン!!』

 

 『神速の早撃ち』、止まらず。

 『人間重機関車』、止まらず。

 西部ワイルドガンマンズ、最初のゲームで、先制点を決めた。



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22話

 ……おかしい。

 

 相手レシーバーへの『バンプ』

 先輩の俺らよりも徹底してしごかれて、『二本刀』の技術の全てを叩きこまれたというのに、利き腕ではない左腕を使った。

 他は右手で対面の相手のちょうど真正面心臓部をどついたというのに、どうしてそんな手を抜くような真似を……?

 ヒル魔の作戦か、それとも……――

 

「……いや、関係ねぇ」

 

 あれこれ推察したところで、意味がない。俺はあいつらと関わる権利を蹴っ飛ばしてここにいる。そんな彼方へ置き去りにした過去は取り返しがつかず、そして……(これ)も過去になる。

 だから、立ち止まってもどうしようもない。これ以上の懐古を伴ってしまう問答は切り上げた。

 さっさとあの糞親父の見舞いに行く。

 

 そうテレビから振り切っても、それでも腹の底には切り捨てられぬ蟠りが燻ってその足取りをいやに重くしていた。

 

 

 ~~~

 

 

 誰にも止められない攻撃が持ち味の西部ワイルドガンマンズ。

 と言われると“守備は弱い”というイメージがあるが、そうではない。言うなれば西部の守備は、“誰も止まらない”。

 

『今度は西部のディフェンス! 泥門のパスを潰しに、いきなりヒル魔に猛ラッシュだー!!』

 

 攻撃権が泥門に移っての、最初の攻撃。この序盤でいきなり、様子見などなく突っ込んでくる西部のディフェンス。

 

「ひぃ! あんな奥から陸まで突っ込んできた!」

 

 本来であれば、ディフェンスラインやラインバッカーを突破した相手オフェンスを阻止する“最後の砦”であるセーフティの甲斐谷陸でさえ、果敢に『電撃突撃』を敢行する思いきりが良すぎる西部の守備。

 

「これが西部だセナ! 斬られても斬る! 守備の時でも攻撃する!!」

 

 格下である恋ヶ浜キューピッドを相手に10失点を許しているが、それは多少の失点は覚悟で、常に一発奪取を狙いに来る結果。試合中盤で125点と獲り、百点差以上の大差をつけたのも、この姿勢によるものだ。

 

「ほぉ~、面白ぇ。見りゃ見るほど泥門とポリシーソックリじゃねぇか!」

 

「そうだよみんなー!」

 

 だが、超攻撃型は、こちらも同じ。

 オフェンスにこそ泥門デビルバッツは真価を発揮するチーム。

 

「99点取られてもー!」

『100点取りゃ勝つ!!』

 

 栗田先輩以外はアメフト始めて一年未満の泥門ラインだが、そう簡単に突破を許さない。軽トラを押してアメリカ大陸を横断したライン陣は、『電撃突撃』が切り込む隙間を開かせない。

 ガッチリと司令塔ヒル魔が潰されないように支える。

 そして、発射台を狙って飛びつけば、当然、その分だけ敵陣地に空白が生まれる。――レシーバーの出番だ。

 

「モン太!!」

「しゃああああ!」

 

 パスというよりもレーザービームとも称するべきヒル魔妖一のスパルタな弾丸直球(ブレットパス)。この指紋がかき消えてしまいかねないほどの高速回転する弾道を、モン太は体全体で捕えるようにキャッチ。

 

『泥門パス成功! さらに連続攻撃権を獲得ー!!』

 

 やられたらやり返すとばかりに強烈なパスプレイを決めてくる泥門デビルバッツ。

 

「仇は取ってやったぜ長門!!」

 

「別にやられたわけじゃないが、流石だモン太。それにラインもな」

 

 パスキャッチをしたモン太が目立つが、今のプレイの陰の功労者はやはり栗田先輩、小結、十文字、戸叶、黒木達ライン。壁がああも完璧に攻撃の起点であるクォーターバックを守ってくれれば通らないパスも通る。

 

 

 だが、相手西部のラインもこのままでとはいかない。

 

「やーっと、現れてくれやがった! この牛島の二本の角で殺る価値のある獲物がよォォ~!!」

 

 西部ワイルドガンマンズの主将にして、ディフェンスラインの要のバッファロー牛島。

 身長186cm、体重104kgの体格に、40ヤード走5秒5でベンチプレス120kgの身体能力。そして、太く逞しい豪腕は猛牛の角のよう。

 

「トーナメント表見りゃわかるがよォ、俺らがここまでぶっ倒してきた(ライン)ども、どいつもこいつもカスカスでよォ。アメリカ合宿で編み出した技使うまでもなくて退屈で死んじまいそうだったのよォォ!」

 

 “超攻撃至上主義”で、相手ラインを塞き止めるのではなく、打ち倒す。その貪欲な破壊本能を満たしてくれる強敵を欲した爆腕猛牛は喜びに吼える。

 そして――

 

「食らいやがれ、『二本の角(デュアルホーン)』!!」

 

 ボールがクォーターバックのヒル魔先輩に渡ると同時に、解き放たれた西部の猛牛が泥門ラインに襲い掛かる。

 

「か……!?」

 

 対面のディフェンスタックル十文字の脇腹に、牛島の腕が抉り込む。まるでプロレス技のウエスタンラリアット。さらに、動作は連動している。一撃で終わらす気がないのは明白。

 

「次が来るぞ、十文字!」

 

 だが、十文字達は対応できない。反対側の左腕、すなわち“二本目の角”が泥門ラインをかち上げた。

 

 壁崩しの重爆殺法『二本の角』

 右の豪腕で破壊対象の脇腹を痛撃、これに瞬間的な呼吸困難に陥った獲物は必然として動きを止める。そこへすかさず、隙を晒した相手ラインを左の爆腕をかち上げ式に直撃させる――

 

 太陽スフィンクスの超重量級の『ピラミッドライン』、NASAエイリアンズの強靭な肉体で跳ね返す『マッスルバリヤー』、千石サムライズの連携を駆使した最先端の戦略、柱谷ディアーズの弛まず積み上げてきた基礎、巨深ポセイドンズの比類なき高さ、とこれまで経験してきたのとはまた異なる、格闘戦の土俵に持ち込んでくる荒々しい西部ワイルドガンマンズのライン。

 アメリカンフットボールは突き詰めれば球技ですらない。拳を使った格闘技、喧嘩殺法の世界。

 

 暴れ牛の如く相手ライン撃殺を目的に編み出された、豪快な技でもって、ラインを突破した牛島。

 

「食らいやがれ、『妖刀』! 『二本の角』!!」

 

 振り上げられた豪腕。

 ヒル魔先輩からすでにボールはセナへ渡され、その走路を開くためのリードブロックに入っている。

 襲い掛かる障害から背に負う味方を守護するために、その障害を潰す。己の為でなく、勝利のために敵を降す。

 『護るための殺意』を滾らせて、『妖刀』は迎え撃つ。

 

「ぐっ――行け、アイシールド21!」

 

「!! 一度で『二本の角』を……!?」

 

 『二本の角』……以前、小結が仕掛けてきた『リップ』の連続技と発想が同じだったのが幸いして、一目で対応できた。

 セナに教えている『デビルスタンガン』の源流である空手の回し受けの技術で、牛島の豪腕を受け……止めて、一瞬の隙間を強引にこじ開けさせるとそこへ狙い澄まし、この瞬間に一点集中に込めた、肘からの打撃『粉砕(シバー)ヒット』を炸裂!

 

『激し過ぎる! 西部牛島の超攻撃を超攻撃で打ち破る泥門長門!』

 

 敵の第一陣を跳ね除ければ、泥門デビルバッツランニングバックのアイシールド21・セナが素早く切り込む。

 

「ハ! 喧嘩殺法か」

「はぁ! 望むところだぜ」

「はぁああ! 乗ってやろうじゃねぇか西部!」

 

 テメェらだけの専売特許じゃねぇ!! ステゴロは俺達の得意分野だ!!

 蹴散らされたかと思われた戸叶、十文字、黒木が負けん気で復活して即座に食らいつく。通常のブロックとは違う、不良時代で培った拳打(パンチ)の応酬でもって、西部のラインたちと乱闘を繰り広げ、そして、さらに走路(ルート)を大きくこじ開けた。

 

(行ける! これだけブロックしてくれれば、走れるルートは……!)

 

 ――アイシールドの視界に、光り輝く道が見える。

 

『おお! アイシールド21! 急ブレーキと爆走の往復ビンタで西部ディフェンスを次々躱していくー!』

 

 西部のランニングバック・甲斐谷陸の洗練されたステップワークとはまるで違う。

 練習量に飽かせた強引な加減速。天然のチェンジ・オブ・ペース。

 西部の後衛を翻弄し、置き去りにする。ただひとり、セーフティの甲斐谷陸が追いかけるも、出だしの距離が遠い。ヒル魔に『電撃突撃』を仕掛け、深く切り込んでいた。それでも脚を緩めない西部快速のルーキーエース。

 

(引き離……せない!)

(差が詰まらない……!!)

 

 走る二人の間合いは一定――両者、スピードの差は互角。

 だから、この追いかけっこ(デッドヒート)は、やはり最初のスタート位置で勝敗を別った。

 

 

 ~~~

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 試合開始わずか数分で2本目のタッチダウン。

 殴り合いなんて生易しい攻撃力ではない、マシンガンの撃ち合いのごとき試合展開。

 どちらかが弾切れを起こした時、一気にゲームは傾くだろう。

 

「……っ」

 

 右手を握りしめる。力は…………本調子というにはほど遠いか。

 震える拳を見つめていると、近寄る気配に気づく。大吉だ。

 

「フゴッ?」

 

「なに、相手のアタックに腕が少々痺れてな。だが、大吉との対戦経験のおかげで、反撃できた。お前の腕っぷしを体験してなければ危うかった」

 

「フゴフゴ」

 

 ウンウン頷く大吉。

 こちらも良い経験をさせてもらっているとパワフルに笑み返す。

 

「……この調子で、西部の攻撃を止めておきたいが」

 

 

 ~~~

 

 

『怒涛の攻撃波を繰り出す西部! 続けて連続攻撃権獲得です!』

 

 鉄馬対長門で勢いづいた西部のオフェンスは止まらない。

 どうやら前衛(ライン)勝負は両者互角。ならば、この試合の鍵を握るのは最強攻撃力の核をなす後衛陣だが……

 

「SET! HUT!」

 

『『ロデオドライブ』炸裂ー!! 15ヤード前進!!』

 

 ランナーの甲斐谷陸をアイシールド21は止められない。春の大会時よりも走りの技術は見違えるように磨かれてきているが、守備には相手の動きを読む動物的本能が要求される。経験の浅い選手にはそれがなく、『ロデオドライブ』の洗練された緩急に間合いを測り切れず対応が後手後手になって抜かされている。

 

「SET! HUT! HUT!」

 

『『ショットガン』止まりません!! 連続で連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 レシーバーの鉄馬丈を長門村正は止められない。『バンプ』と『バック走』、どちらも高水準の技能を駆使して阻もうとしているが、『人間重機関車』はそれを強引に押し通る。流石にああも張り付けられたらキッドもパスを投げ難そうにしているが、それでも投げれば必ず捕る。このキッド――鉄馬のホットラインという絶対的な支柱があるおかげで、他の選手も思い切りが出せて、そしてそれは『ショットガン』のプレイ向上に繋がっていく。

 

(しかし……)

 

 精神論を否定するわけではないが、ああも止められないのは少し腑に落ちない。

 ベンチプレス155kg、40ヤード走4秒5、そして、身長193cm、と脚の速さ以外で進を上回っているパーフェクトプレイヤー。性能上では一年生ながら長門村正の方が鉄馬丈よりも上なのだ。実際、春の大会では、進を相手に互角の勝負で渡り合った。その彼ならば鉄馬丈を相手でもビックプレイであるインターセプトだって狙えるだろうに。

 この泥門対西部戦を視察する王城ホワイトナイツ、高見伊知郎の疑問を感じ取ったか、険しく目を細めている進が口を開いた。

 

「長門村正は、ブレーキをかけている」

 

「何……?」

 

 これに桜庭が反応する。

 

「つまり、手加減してるってことか進?」

 

「違う」

 

 手を抜いているわけではない。なのに、全力で競り合うのを躊躇する……

 

(まさか――!)

 

 ヒル魔妖一の懐刀にして、泥門デビルバッツに所属する最大戦力の長門村正。一人でゲームの趨勢を変えるジョーカー。最強の手札を作り出す五枚目のエース。その真価は巨深戦で見せている。その攻撃の鬼がやけに大人しく、先の泥門攻撃時でもそうだったが、これまでボールに一度も触れていない――違う、触れようとしていない。

 

 まだ試合は序盤。

 ヒル魔妖一の戦術理論(せいかく)に出し惜しみというのはあまり考えられないが、結論を出すには早い。しかし、もしもそうだとすれば……泥門はあまりに厳しい展開。

 

「それに問題なのは、もうひとつ――ヒル魔対キッドもだ」

 

 泥門が積んだ『ショットガン』対策、『バンプ』は、徐々に西部のレシーバーたちも慣れてきて、心臓狙いを躱しつつある。

 そして、最初の印象付けとしては効果的だった『電撃突撃』――これを、ヒル魔妖一は連発して全てが不発になっている。

 

『なんと……! ヒル魔、懲りずにまたまたキッドに突っ込んだーー!?』

 

 キッドの『神速の早撃ち』は進にも阻止し得ない速度領域。意識外から攻められた一回目は良かったが、だからといって、それがそう易々と通用するはずがないのだ。奇襲は事前に悟られていれば愚策。なのに、やけっぱちになったようにヒル魔は守備の持ち場を離れて突貫する。それでがら空きとなった守備陣(ゾーン)へキッドは逃さずパスを投じる。長門村正が鉄馬丈のマンマークに張り付いてしまっている以上、これのカバーに入ることはできず、『ショットガン』は決まってしまう。ワンプレイごとに西部はゴールへと連続で前進し続けている。

 

『キッド君のパスが止まらないー!! ガン! ガン! 押し込んでく西部ワイルドガンマンズ!!』

 

 ヒル魔の特攻は収まらない。むしろ酷くなっている。キッドに『電撃突撃』を仕掛けさせる人数を増やしている。

 『神速の早撃ち』相手に無謀すぎる。

 突っ込んできて後衛守備の人数を減らしてしまえば、キッドは100%パスを通す。

 

 

「ヒル魔~~、そろそろもう……」

「いいからもっとバシバシ突っ込め! あの糞ゲジ眉毛ぶっ潰してやんだよ!!」

 

 

 これには流石に泥門陣営も司令塔の無謀な指揮に不安が隠し切れていない。

 

(あのヒル魔がどうしてこんなヤケを……何かで冷静さを失っているとしか考えられない)

 

 『策士策に溺れる』

 キッドの予想の0.2秒を上回る早撃ちに、ヒル魔の計算が狂わされているのか。コンピュータのような知能も一度計算外のことが起きるとあまりに脆く、修正が効かなくなってしまう。

 と、そこで、

 

「あれ? なんかベンチからまも姉さんがサイン送ってる」

 

 マネージャーの若菜がそれに気づく。視点をそちらに向ければ、確かに泥門ベンチからマネージャーの姉崎まもりが手話のようなハンドサインをヒル魔に向けて行っていた。

 

「随分長いね。作戦ってより何か話を伝えてるみたいな……」

 

 桜庭の感想――だが、それは正鵠を射ているように高見には思えた。

 

 

「わかった!!」

 

 

 思わず、席を立ってしまう。

 ヒル魔、なんて奴だ……! 最初の『電撃突撃』の失敗も織り込み済み。その後のキッドを煽っての早撃ちスピードアップさせたのも、それに驚いてみせたのも、全てが仕込み。

 この、早過ぎる早撃ちを逆手に取った罠を敷くための。

 

 

 ~~~

 

 

 

『今度は黒木が突撃ーー!!』

 

 泥門の守備、ラインバッカーに入っている黒木が『電撃突撃』を仕掛ける。

 そのせいで、中央の守備(ゾーン)が空いた。()()()誰もそのフォローに入れない。パスカットにしては位置が遠すぎるし、ただでさえ西部の超攻撃を押さえるのに他を庇える余裕などないのだ。

 

「追加点ゲットォ! タッチダウンを投げ込めキッドォ!」

 

 西部の監督が気の早い号砲を打ち鳴らす。

 だが、既にゴールエリアは目前、このパスが通れば西部ワイルドガンマンズの連続タッチダウンが決まる。

 だから何としてでも、泥門は『電撃突撃』を決めなければならなかったが、『クイック&ファイア』は速かった――

 

 

 ――()った!!

 

 

 黒木がマークしていたレシーバーの刃牙がフリーでゴールエリアへ駆け込む――その前を遮る大きな“壁”。

 それは、泥門のセンター・栗田良寛。

 

「なにィィィィィ!!? なんで、前衛の壁の、それも超鈍足の栗田が……!!?」

 

 そこは()()()()()()()のスペースだった。

 だが、縦にも横にも大きな巨漢の栗田に前につけられて、パスターゲットの刃牙の姿は見えなくなる。これを押してどかそうにも超重量の栗田はビクともしない。

 

 ――『入替(ゾーン)ブリッツ』

 千石サムライズが仕掛けてきた戦術と同じ。

 

 『電撃突撃(ブリッツ)』の弱点を逆手に取る。守備に穴が空いてしまうことで、そのポイントに相手のパスを誘導させる。

 

 そして、キッドはヒル魔がここまで打ってきた布石――煽りとプレッシャーでさらにスピードアップを仕向けられた“早撃ち”は、早過ぎた。この栗田の罠に気付くため時間は削られていた。

 

「やった栗田さん!」

「パスぶんどりキャッチー!!」

 

 体格の差、それに思わぬ『入替ブリッツ』を成功させた栗田は西部の刃牙相手にパスカットする絶好の位置取り(ポジション)を確保。

 前衛の壁一筋で、あまりボールに触れる機会のない栗田は、パスキャッチに緊張するも、この作戦のために練習を積んできた。だから絶対に捕る――

 

 

「…………あれぇ? パスのボールなんて飛んでない……よ……?」

 

 

 この瞬間、泥門でそれに気づけたのは二人。

 長門とヒル魔は、見た。

 キッドが『神速の早撃ち』で振り抜いた右腕、そこにボールはなく、左脇に抱え込まれているのを。

 

「栗田先輩、(うえ)じゃない! キッドは下だ――!!」

 

 ノーマークの刃牙へパスを投げたかに思われたが、キッドは寸前で『神速の早撃ち』を投げる振りへ切り替えた。

 そして、センター・栗田がバックして開いた前衛の壁の穴から自分で持って走り込む。

 

 長門は、遠い。鉄馬丈のマークについていて、そこから離れてしまっている。対応できるのはセーフティのヒル魔。

 しかし、キッドの方が一枚上だった。

 

(紙一重、だ。だが、その紙一重は分厚い――!)

 

 ヒル魔妖一は、決して超人的な身体能力に恵まれた選手ではない。

 鍛錬と、そして頭脳の運動神経で勝ち抜いてきた男だ。球場で、キッドの咄嗟の走りに反応し、対応できたのはヒル魔だけだったが、それでも遅すぎた

 

「間一髪、だったよ」

 

 そう、キッドは、パスの発射速度だけではなく、その思考判断もまた“神速の早撃ち”であった。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 ヒル魔妖一の気取られずに仕込んだ必殺の策に直前で勘付き、そして、即座に対応。この才気煥発の頭脳の早撃ちは、西部に軍配が上がった。

 

 

 ~~~

 

 

 ボーナスのキックゲームも西部は決めて、6対14。

 

 泥門は、西部のオフェンスを止め切ることができない。だから、泥門は何としてでもオフェンスゲームを仕損じるわけにはいかない。

 現状でもキックの差で点差が付けられているが、超火力同士の殴り合いは一度でもチャンスを逃してしまえば一気に展開は傾いてしまう。

 しかし、デビルバッツの渾身の早撃ち潰しの策が失敗した後だけに、全体の立ち直りは難しかった。

 

「セナ、たった二週間の同級生だったあのころから、良くここまで成長したよ――だけど俺に勝つにはまだ早い!」

 

 西部のキックボールをキャッチしたアイシールド21。少しでも距離を稼ごうと西部守備陣に切り込んだセナだったが、その前には甲斐谷陸。

 

 スピードは互角の両者。

 セナは夏休みの『死の行軍(デスマーチ)』で習得した必殺の曲がり(カット)『デビルバットゴースト』で甲斐谷を抜き去ろうとした――が、遅かった。

 

(急に速くなった……??)

 

 一瞬、減速したかに見えたが、次の瞬間にはすぐ前に。

 そうだ。『ロデオドライブ』を使い、タックルでも緩急をつけた。最高速を上回る、120%のスピードで突撃してきた陸に、セナは条件反射的に全身を守る。

 だが、陸の眼は、無防備になったボールのみを狙い澄ましていた。

 

「やっべ、はじかれた!」

 

 タックルが決まり、セナの腕からボールは弾かれ、陸に奪われた。

 

 泥門と西部のランナー勝負。スピードは互角。だが、ボールにかける執念が甲斐谷陸の方が上回っていた。

 

 

 ~~~

 

 

「止ーめーーーてーーーーー!!」

 

 ランナー勝負を制し、勢いづいた暴れ馬はアイシールド21を止めただけでは止まらず。奪ったボールを抱えて、逆にゴールを狙いに来る。

 泥門はこれに対応が遅れた。そして、アイシールド21・セナが倒された以上、甲斐谷陸に追いつけたのは、ひとり。

 

「攻撃権を奪われたが、これ以上点差はつけさせん!」

 

 立ちはだかるは、泥門88番、長門村正。

 開幕で、快走飛ばす甲斐谷陸を仕留めた相手。

 三タテで敗れて、劣勢。これ以上西部を勢い付けさせるわけにはいかない。

 

 甲斐谷陸も、アイシールド21からボールを奪取し、泥門デビルバッツの攻撃の機会を早々に潰した時点で大きく貢献しているが、満足はしないし――ここで逃げる選択肢はない。

 1ヤードでも距離を稼ぐ。そして、プライドに賭けて、勝利する!

 

 

(――決まった!)

 

 衝突する間際、今度こそ『ロデオドライブ』の始動であるグースステップを差し込んだその時だった。

 長門村正の体勢が、左に片寄る。屈指の走りの技術から繰り出されるチェンジ・オブ・ペースの減速に惑わされて、勇み足を踏まされたか。

 すかさず、甲斐谷陸はその反対の右へ躱そうとする。

 

 ――だが、それは誘い。

 

 トッププレイヤーが自然にこなすランナー潰しのコツ。わざと軸を僅かにズラし、避ける方向を誘導するそれ。

 

 長門村正のランナー潰しは異次元の域に達している。

 

(なにっ!!?)

 

 完全に左へ行くと思ったのに、(こっち)へ舵を切ってくる『妖刀』。

 それは、重心の偽装(フェイク)。脇腹に存在する“ガマク”と呼ばれる筋肉を操作し、身体を一切動かす事なく、重心のみを操作する古流空手の妙技。時空を捻じ曲げてくる身体操法は、走者の勘を見事に欺く。

 

「――捉えた!」

「まだだ――!!」

 

 認めよう。いいや、認めている。

 長門村正(こいつ)は、甲斐谷陸(じぶん)よりも、上だ。この東京都大会で新人王を決めるのなら『暴れ馬(ロデオ)』ではなく、『妖刀』

 ――だから、これくらいのことはやってくると陸は()()()()()

 

(この走りは――っ!)

 

 長門の目前で、ランフォースを一刀両断されるはずだった甲斐谷陸が腰を捻って、より曲がる(カット)コースを伸ばし、大外に弧を描く。

 

 これが、『ロデオドライブ』、そのさらに一段上の進化系。

 究極の走テクニック――『ローピング・ロデオドライブ』!

 

 ローピング――投げ縄みたく円を描いて抜く走法は、ラグビーのテクニック『スワープ』。この直前のフェイントに『ロデオドライブ』を甲斐谷陸は組み込んだ。

 

 スピード、パワー、テクニック――この総合力では、負けを認める。

 だが、ただ一ヵ所、その一ヵ所で闘う。

 そう、触れもしないスピードには、どんなパワーも通じない。これが、俺の武器だ長門!

 

 相手に誘導された、だから、なんだ。だったら、その相手の予想以上に踏み込んでやる!

 

 

「――それでも、断ち切る!」

 

 何故なら、一対一(ワンオンワン)で、“時代最強の走者(アイシールド21)”を倒すことを宿願とする『妖刀』は、制空圏に踏み込んだその一切を許さぬことを己に課している。

 常人のそれを遥かに超える野生じみた反射神経。加えてその長身を倒すほど傾ける、無拍子の『縮地』は初動に限り、高校最速の守護神の一突きを超える神速。

 恵まれた体格を持ち、それを十全に躍動させる長門村正は、この大きな一歩で間合いを潰してきた。

 

「その走り、まだ完成度が、甘い!」

 

 陸自身も、できればお披露目は避けたかった『ローピング・ロデオドライブ』。隠し玉としての面もあったが、実戦で人間相手に試すのは初めての必殺技は練度がどうしても不足していた。回り込みながら間合いを広げる独特のステップワークの感覚を完全に掴めているとは言い難かったのだ。

 それでも、この雲の上の超人相手には、全力以上を出さなければ抜けないと判断したのだが……

 

「がっ……!?」

「ちっ……――」

 

 東国無双の一突きが、暴れ馬を貫く――!

 身を捩って逃げる甲斐谷陸へ右腕を伸ばし、『蜻蛉切(スピア)タックル』が決まった。

 

 

 しかし、西部ワイルドガンマンズのランニングバック・甲斐谷陸は、ボールを手放さなかった。ボールを貫かんとする右手から身を盾とするように体を張ってボールを守ったのだ。

 

 

 そして。

 

 長門村正は。

 

 無理やりに伸ばして、獲物を腕一本で捉えた右腕を抱えて、膝をついた。

 

 

 ~~~

 

 

「タイムアウトォォッ!」

 

 ヒル魔さんが、大声で審判に時計を止めさせた。

 場は騒然としている。

 陸を止めたはずの長門君が、立ち上がれないまま、脂汗を滲ませた見るからに険しい顔で、苦悶に喘いでいる。

 

『長門(君)!?』

 

 今のプレイで、そんな怪我するようなことはなかったはず。陸もこれは一体と驚いた表情で見ている。

 

 

『泥門デビルバッツ、選手交代《メンバーチェンジ》です』

 

 

 だが、これに混乱を治めようとする説明はなくて、審判の声が響く。それからそれを要求した溝六先生も大声で、

 

「村正! 交代だ!!」

 

 これに長門君も表に出ていた痛苦を噛み殺して、立ち上がり、

 

「ちょっ……と、待ってください! 攻撃権(ボール)は奪い返せなかったんだ。今抜けるのは」

「指示に従え、糞カタナ」

 

 でも、それをヒル魔さんが一蹴する。

 

「気合いを入れようが、既にバレちまった以上は、“魔除け(けんせい)”も半減だ」

 

「だからって、こんな形で退場だなんて……『ショットガン』も止められていないのに、ここで退くのは負けも同然――」

 

「同然? はっ! こんな形にしちまった時点で、テメェの負けだ糞カタナ」

 

「……っ」

 

 テーピングをガチガチに巻いた右腕が、痙攣するように震える。その様を見下しながら、ヒル魔さんは舌打ちし、

 

不幸な事故(アクシデント)はつきもんだ。――けど、それを言い訳にすんじゃねぇ! そういうもん全部ひっくるめたのが試合(ゲーム)だ! 勝負には関係ねぇんだよ」

 

 ヒル魔さんと鉄火場で火花散らすよう視線をぶつけて睨み合うも……正論に何も言い返せず、やがて視線を切り俯く長門君。

 項垂れながら肩は震える様は納得がいかないのがありありとわかりやすく、背からオーラすら立ち上っているのが見える。それでもヒル魔さんは譲らずその下げた頭頂部を――決して見下しはせずに――睨み続け、長門君も再び睨み返そうとはしなかった。

 

「………………すまんっ」

 

 泥門のチームメイト(ぼくたち)、そして、試合相手の(りくたち)西部にもそれぞれ頭を下げて、フィールドを離れた。

 

 

 ~~~

 

 

「ひ、ヒル魔、そんなキツい言い方……」

 

「こうでも言わねーとひっこまねぇだろ、あの糞カタナは」

 

 アイツの腕が故障しているのは知っている(隠そうとしたが無理やりに白状させた)。それで、糞アル中を入れて三人で話をして決めている。

 西部に勝つには、糞カタナが必要だ。

 ……だが、ここで、『妖刀』を折るわけにはいかない。クリスマスボウルに行くには、道半ばで果てるのは許されない。勝っても負けてもここであいつが壊れてしまうのは最悪のケースだ。

 

 だから、この前半はもう出さない。温存する。

 後半は状態次第だが、これっきりもう出られないほどのケガならそもそも初めから出していない。いったん鞘に納めたが、機が訪れれば抜き放つ。

 

 しかし――

 状況は、厳しい。

 

 先程の『入替ブリッツ』の失敗。

 用意した奇策は何も『入替ブリッツ』だけではない、成功する可能性が僅かでも17通りはある。

 だが、認める。認めなければならない。

 先程演技したように頭脳戦で敗れてもパニックに陥ることこそないが、『武者小路紫苑』には、この奇手(カード)の全ては通用しないであろうことを悟った。

 

 これで、奇策が通じないとわかった今、泥門はもう絶望的な正面決戦を挑むしかなくなった。

 そして……

 

 

 ~~~

 

 

「やっぱり、ね」

 

「キッドさん?」

 

 長門村正がベンチに下がる。

 おそらくは腕のケガ。ああも鉄馬さんを相手に張り合っていたのに信じられなかったが、キッドさんはこれまでのプレイで薄々と、確証まで得られなかったが半信半疑で勘づいていたよう。

 ヘルメットを脱いで代わりに被っていたテンガロハットを深めに押し沈め、

 

「残念だ。だけど、ここで手を抜いてやるわけにはいかないよ」

 

「……はい、わかってます」

 

 同情はある。それに西部(チーム)は勝っているも、甲斐谷陸(こじん)では負けたまま、それも本調子ではない相手に抜けなかったのは大変歯痒い悔しさがある。ここで退場して勝ち逃げするのを陸自身が認めたくはない。

 だが、こうなってしまった以上は、全力でやる。このチャンスを逃さない。

 何故なら、ここで手を抜くのは驕りだ。泥門をバカにしているのと同じこと。

 

 ……ただ、

 

「セナ……」

 

 この苦境。

 つい昔馴染みへ視線が行きそうになるのを、首を振って逸らす。

 何をしようとしたんだ俺は。慰めの言葉でもかけようとしたのか、それとも“情けないぞ”とでも偉そうに説教しようとしたのか――どちらにしてもふざけた真似だ。

 ああ、走り方を教える兄貴分だった俺が……ってプライドがまだ残ってる。しかし認めたくはないが、スピードでは自分と互角のところまで来ている。そう、今、この場でセナは敵なんだ。

 

「ああ、だから足を緩めないぞ、セナ」

 

 

 ~~~

 

 

「ムギャアァア!!」

 

 長門君がベンチに下がって、代わりにモン太が鉄馬さんのマークにつくが、『人間重機関車』の走破に撥ね飛ばされる。

 勝負になっていない。『バンプ』がまるで通用せず、止まらない。畜生……!! とモン太が地面を叩く。

 

(折角、長門君が陸を止めてくれたのに……!)

 

 攻撃権(ボール)を奪われて、それでも点を与えるのまでは許さないと長門君が怪我をしたその腕で『ロデオドライブ』を阻止した。だから何としてでも止めたいと思った。必死に皆で食らいついた。

 

 だけど、西部ワイルドガンマンズの『ショットガン』を止められなかった。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 西部のキッカー・佐保天一が着実にボーナスゲームを決めて、6対21。

 相手の攻撃はますます勢い増し、点差はさらに離される……この状況、あの時と同じ。

 

 王城ホワイトナイツ戦、長門君が怪我をして退場した時と。



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23話

 道路に飛び出す寸前のところで、ベビーカーに届いた腕。

 けど、それを引き寄せるその時、道路の路側帯を走るバイクに気付く。咄嗟にベビーカーを抱くように引いて、だけど重心を全速からの慣性で体は泳いで…………利き腕を撥ね(ぶつけ)た。

 試合前の、出来事だった。

 

 

「くっ……」

 

 握力が、うまく入らない。

 力を入れると、痛みが走る。これでは、ボールキャッチでボロが出かねない。なので、攻撃は囮として参加し、専念する守備でもインターセプトのような真似は避けていた。

 それでも腕は動くし、脚は問題ない。

 アメリカンフットボールには、腕を折ったまま試合を続けるNFL(プロ)選手がいて、それと比べれば、大した怪我ではない。

 だがそれがバレてしまった今、見るだけで怖気が走る、斬りかかられんばかりの妖気を漂わせる『妖刀』の牽制には使えない。西部もそんな怪我(こと)で攻撃の手を緩めてくれる、情けをかけてくれるような甘い相手じゃない。

 

(ダメだ、西部を止められない……!)

 

 これ以上振り放されまいと必死に西部の喉笛にしがみついているが、それでも最強攻撃力は凄まじい。

 『入替ブリッツ』を決めるためのエサ撒きとしての無茶な特攻は控えて、堅実に守備ゾーンで西部の攻撃を抑えようとするが、鉄馬丈とキッドの絶対のホットラインが確立した『ショットガン』は『バンプ』などでは手が付けられない。

 せめて、退場するにしても、『神速の早撃ち』か、『人間重機関車』のどちらかを崩しておきたかった……!

 

(だけど、まだ勝ち目はあるはずだ……。ヒル魔先輩のあの目、あれは諦めなんて貧弱なもんじゃない)

 

 あの貪欲で非情な司令塔は、勝ち目が皆無な勝負はしない。

 王城戦で、長門村正(じぶん)の退場を皮切りに逆転してしまった時、見切りをつけたが、今は違う。

 両開きの扉が、目と鼻の先でゆっくりと閉じられていくような絶望、しかしそれがほんの隙間でも直前で堪えるように閉め切られていない……そんな風にその目はわずかに戦況を見据えていた。目の前の諦観を噛みしめるよう瞑ることはない。

 そう、あの眼は、僅かな可能性に食らいついて、待つことだけに賭けた眼だ。

 あの絶望の扉の向こう側から、阻まれようとする勝利への活路を開いてくれる、誰かを待った……

 

 

 ~~~

 

 

 泥門の攻撃――

 

「フゴオオッ!!」

 

 小結君が、十文字君たちのように殴り合い――『リップ』の連続アタック――で荒っぽい喧嘩ファイトな西部のラインを迎え撃つ。

 

「自分の失点は自分で獲り返ーす!!」

 

 モン太が、西部の三年生コーナバック・安藤ガルシアのマークを振り切って、ヒル魔さんからの弾丸(ブレット)パスをキャッチする。

 みんな、まだ諦めていない。

 

 そして、僕も。

 あの頼もしい、前を走って道を切り開いてくれた最強の長門君(リードブロック)がなくたって――!

 再び陸が、このゴールを狙う走路(ランフォース)の前に立ちふさがり、迫る。

 

(さっきは惜しかったんだ。『デビルバットゴースト』さえ出せれば、もしかしたら……)

 

 来る……この地面と平行に足を蹴り上げるステップは、『ロデオドライブ』!

 たとえ離れていても一気に120%の最高速以上のスピードで来るから気をつけないと。アッと思ったら次の瞬間には

 

「あ゛!!!」

 

 陸が、もう目前に。

 いつタックルに来るかもわからない! 『デビルバットゴースト』とかそういうレベルの問題じゃなくて、曲がることもできない……!!

 

(でも――!)

 

 ボールは、奪わせない。

 さっきみたいな失敗は絶対にしない……!!

 

 西部の最終防衛線(セーフティ)である甲斐谷陸は、アイシールド21の突破を許さない。

 ただし、今度はそのボールを奪えはしなかった……

 

 

 しかし、今の流れは西部にあり、泥門はこの攻撃権でゴールラインまで辿り着くことはかなわなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 ……頼む!

 頑張れ……頑張れ、皆……!!

 

 意識して細く長く息を吐き、制止する意識に反して暴れたがる心臓を宥めすかし、冷静さを保つには相当の努力が必要であった。

 ただただ、見ているしかできない不甲斐なさがひたすらに腹立たしい。

 

 セナの走りは、セーフティの甲斐谷陸に押さえられる。

 パスもモン太と瀧しかレシーバがいないと向こうもわかっており、コーナバックの安藤ガルシアと菜山参太をそれぞれにマークを張りつけさせ、あとは特攻を仕掛けてくる。

 自分の代わりに入った山岡は一応ワイルドレシーバーのポジションを任されているが、バスケ部の彼にヒル魔先輩がパスを投じることはない。だから、身体を張っての盾役をこなす。しかし、いくら平均以上の運動能力にバスケのパワーフォワードとしてそう簡単に当たり負けしないだけの肉体があっても、これは球技であり格闘技のアメリカンフットボールで、相手は西部ワイルドガンマンズ。

 

「『バンプ』はテメェらだけの専売特許じゃねぇぞ泥門!」

 

「うわっ!!?」

 

 一撃目で動きを止め、そして、逆の手から繰り出す二撃目で仕留める……『二本の角』のバンプ。

 打てるのは腕、バンプはクォーターバックがフォワードパスを投げられるまで、それから中央線のスクリメージから5ヤード以内の範囲内のみ認められる。

 だから一発だけでなく、二度打ちも可能。

 “暴れ牛”は前衛のラインマンたちだけでなく、後衛にもいたのだ。

 バスケでは間違いなく反則の荒業に山岡は対応できずに打ち倒され、それを盾にしていたセナへと迫られる。それから泥門のレシーバー、モン太と瀧も『二本の角』のバンプを食らい、軸がガタガタにバランスが崩れる。

 これにヒル魔先輩はパスを投げられず、十文字を相手していたバッファロー中島が泥門ラインを突破し、サックを仕掛ける。咄嗟にパスを投げ捨てて回避したが……攻撃の勢いにブレーキがかかった。

 

 西部ワイルドガンマンズの勢いに圧され、泥門デビルバッツは四回目の攻撃で10ヤードを超えることができず、相手に攻撃権を渡してしまった。

 

 そして、泥門の攻撃を防いだ西武の士気はさらに勢いづき、それは攻撃陣にも伝播する。

 

 

『タッチダーウン! 更に突き放す西部ワイルドガンマンズ! 泥門デビルバッツ、ついにここ準決勝で力尽きてしまうのかー!?』

 

 

 6対28。

 前半だけで大差をつけられる。この20点差以上か、以下かが、分水嶺だ。後半に切り替えるにしても、精神的疲労は天と地ほど違う。

 この一本、オフェンスを決めて、差を20点以下に縮めなければ、決めれればまだ食い下がれる。

 だが、ここで突き放されたままではまず間違いなく致命傷。

 王手を取られた盤上、引っ繰り返すには、持ち駒を温存したままではダメだ。

 まるでゆっくりと弓を引いていくのに似た、力の加わる圧が眉間の辺りに集束していく。じりじりと胸を焦がすような焦燥がついに煙を上げる。

 自制はもう限界ギリギリのところまで張り詰められていた。

 

「溝六先生、出ます! 悪い流れを断ち切るには、ここで点を獲らないと……!」

 

「ダメよ長門君! 腕を怪我してるのに試合に出ちゃ!」

「そうだよ、姉崎さんの言う通り、無理しちゃダメだ!」

 

「そうだ、村正、耐えろ……耐えるんだ……!」

 

 ベンチから立ち上がるも、姉崎先輩と雪光先輩に肩を押さえられて、溝六先生に制される。

 だが、それらを跳ね除ける。これ以上、全員血塗れになりながら食い下がっているのを見るのは、我慢の、限界、だ。

 これまで自問自答して、賢く自分自身を上手く宥めすかして納得させようとしたが、もはやそんな誤魔化しでは抑えきれない。

 

「待て、村正!」

 

「いやです。俺は出る……!」

 

「まだ後半じゃない! それにこの試合は守備に専念させると決めていたはずだ! 今のまともにボールを掴めない村正の手で無茶をすれば後々まで影響が出る可能性が……」

 

「溝六先生、俺達は全国大会決勝(クリスマスボウル)を目指してるんですよね。なのに今尻込みしてたら、道半ばで終わってしまう。もし行かなかったら、俺は絶対後悔する。だって、俺、泥門が……好きなんだから」

 

 だから、ここで立ち止まってしまうわけにはいかない。

 大和猛との約束だけでなく、泥門デビルバッツと全国の頂点に立ちたい想いが長門村正の中に強くある。

 

「俺はこの泥門デビルバッツで、全国大会決勝で優勝する……! 絶対に!」

 

「村正……っ!」

 

 宣言して放つ気迫に酒奇溝六は、息を呑む。

 覚悟の決まった教え子の眼差しは力強く、声をかけるのも躊躇わせる。

 

「だから……ここは、見殺しにしてください」

 

 前半最後(ラスト)のワンプレイ。

 タッチダウンを決めるにはゴールラインまで45ヤードもある。キックという選択肢が泥門にはなく、ロングパスも『二本の角(デュアルホーン)バンプ』でレシーバが機能しない以上、成功率は限りなく低い。そして、ランもセナひとりでは阻まれている。

 だが、自分がリードブロックに入り、甲斐谷陸さえ抑え込めれば――

 

 

「――下がっていろ、長門」

 

 

 審判へ交代を願い出ようとしたとき、先輩たちと恩師でもない第三者の、けれど懐かしい武骨な気質の滲む声が、長門村正を止めた。

 

 

 ~~~

 

 

 怪我、か。

 あの後輩が、殴る(バンプ)で相手を仕留められなかったのは、それが原因か。

 それを理解し……去来した、胸を衝いた弱々しい感覚が重なった。

 

 ああ、そうだ。

 きっかけは、ガキでも容赦なく殺す勝手勢いの鉄拳を入れる糞親父が、ハエが止まったようなパンチしか打てなくなった時だ。

 

『男が人の為に血ぃ流してる時は見殺しにすんのが情けだ』

 

 現場でぶっ倒れた糞親父が安心して治療に専念できるためには、俺が跡を継いで糞親父の人脈を引き継ぎ武蔵工務店に仕事を持ってくる

 それしかない。

 それしかどうにもならない。

 

 だから、見捨てた。

 あいつらを……

 

 

「……厳、臭いがしねぇぞ。お前いつからタバコやめた」

 

 病室、ベットの上の糞親父がふと問う。

 歯を食い縛り“機”を待つあいつらを、歯を食い縛りながらテレビを見ていた視点を、無言でスライドしてそちらへ向ける。

 

 煙草は、高校を退学になる理由付けとして始めたもの。

 これといった理由のない、単にかっこつけだ。そのまま惰性で吸い続けただけのこと。気分次第でいつでもやめられた。

 

「アメフト嫌いになっただとか、チームに必要とされてねぇだとか、この大法螺吹き野郎が……!」

 

 罵りながら勝手にベットから立ち上がろうとする糞親父。

 それを醒めた目で、戯言は無視して、淡々と言い返す。

 

「……黙って寝てろ。死に損ないの老体のクセに……」

 

「誰が、死に損ないの老体だって? ――笑わせんなくそがき!!」

 

 ノロノロとしか動けない訛った体のはずの糞親父が、一気に来た。

 そして、ガツンと、こっちがぶっ倒れるような、鉄拳を見舞いされた。

 

「なめんじゃねぇ厳!! てめぇなんざより100倍はしぶといんだよ!」

 

 糞親父が、鉄拳を……!?

 痛みよりも、驚き、精神的な衝撃の方が大きい。

 

 だが、すぐに仕込み(タネ)に気付く。

 

「楽だから病院でサボってただけだ。今のパンチの通りピンピンよ。心配ねぇんだからさっさと行けくそがき!」

 

 糞親父の鉄拳から、血がつくほど握り締められた石ころ。

 一発ぶん殴っただけで汗を流し、荒く息を吐く糞親父がそこにどれだけ、衰え切った力を篭めたかわかる。

 でも、こんなのは所詮、強がり(インチキ)と変わらない。

 むしろこんな子供騙しに頼らなければ人を殴れないくらいに衰えたのだという事実を悟り、反動からの落胆の収支が大きい。

 それでも、糞親父は鼻を鳴らしてまくし立ててくる。

 

「いつまでテレビの前でくだ巻いてやがる。急ぎの仕事があんだろ!」

 

 ガリッと歯を噛む。だけど、胸の奥から噴出する慟哭はそんなのじゃ収まらなかった。

 

「簡単に、言うんじゃねぇよ」

 

 いい年こいて見栄を張る、なんもわかっちゃいない糞親父へ突き付けるように言葉を吐く。ぶつける。殴るように言葉の暴力(こぶし)でコイツを黙らせる!

 

「テメーは強がってりゃいいだろうが、玉八たちはどうなる。うちが何人喰わしてると思ってんだ糞親父」

 

 これは、自分たち家族の問題だけじゃない。武蔵工務店に関わる全員の生活が懸かっている死活問題だ。

 だから――!

 

「……俺ら三人の最後の大会なんだ。その火が今にも消えちまうって時によ……

 

 ややこしいこと無視して、

 

 テメーらなんざ後ろ足で泥かけて、

 

 フィールドに駆け付けちまおうって、この一年半、俺が何万回思ったか――」

 

 わかってたまるか!! ってその面に溜め込んだ文句を頭ごなしに言い放とうとした。

 

 

「泥くらい幾らでもかけろ」

 

 

 その声高にどやしつけるでもない、ごく普通に、何でもないように、こっちの目を見て吐いた文句は、さっきの鉄拳よりも不意打ちに(ひび)いた。

 

「うちの職人共なめんじゃねぇ。武蔵工務店ひとつくらい潰れたくらいで路頭に迷うような雑魚に育てた覚えはねぇよ」

 

 当たり前のことのように言う。

 棟梁の代役を務めてもう一年以上だが、糞親父はそれ以上に長く工務店を仕切ってきた。“何事にも基礎が大事”だと若い玉八らのケツを蹴って仕事から心意気まで叩き込み、いっぱしに仕上げてきて、玉八らもこの糞親父をもうひとりの父親のように慕っている。

 だから、何の問題もないと言い切れた。

 

「お前ら、なんで……?」

 

「失礼します、親父っさん」

 

 とその時、糞親父にも思わぬ乱入。

 病室に何とたった今話題に挙げた玉八ら従業員連中が入ってきた。

 

 

「私が呼んどいたのよ。こうなるんじゃないかと思ってね。女のカンよ」

 

 こうもタイミングのいい登場は彼女の差し金か。

 やせ細った蔓のように首の長い陰気な雰囲気を漂わせる女性。この都立城下町病院の岡婦長。看護師の中でもベテランの彼女には、子供のころからの付き合いだ。こちらの事情にも精通していらっしゃる。

 

「あと予知呪術」

 

 それから、趣味はオカルト。『ベッドの魔法陣型配置』やら『藁人形による手術』を提案するなど(熱)狂的である。

 どこか残念だけど……しかし、いい人だ。

 

「厳ちゃん、拾ってたんだこれ」

 

 そして、幼馴染の玉八が綺麗に折り畳んで差し出したのは、ヒル魔と栗田(あいつら)の元から離れた時に捨てた、学生の象徴……制服だ。

 あれから袖を通すことがなかったこれをまさか玉八は大事に取っておいたのか?

 

「いつかこんな時が来るって思ってさ」

 

 玉八だけじゃない。古参の連中も、剃刀を渡してからかい気に、

 

「そんなツラじゃ審判におめー高校生じゃねーべってツッコまれっぞ」

「少しはらしくしてけ」

「入院費なら心配すんな」

「あれから皆で金出し合って貯めてたんだ」

 

 そんな、知らなかったことを、恩着せることもなく。

 

「それに、厳ちゃんの後輩君には、俺達の大事な子供を助けてもらったんだ」

 

 なに……?

 そんな初耳の情報を問う目で先を促せば、一度視線を伏せた玉八は赤子を抱く嫁と一緒に話してくれた。

 試合前、工務店とも顔見知りの後輩……長門村正が道路に飛び出しかけたベビーカーを直前で引き止めてくれて……だけどそのせいで怪我をさせてしまったと。

 玉八と嫁さんは、病院で医者に診せるよう言ったのだが、それを頑固に断った。

 

「だけど、彼に言われたんだよ。『それに、俺は、先輩たちが揃うまで、勝ち続けるって約束してるんで』……」

 

 父親のことで大変だというのに、チーム(こっち)の心配をさせるわけにはいかない。

 だから、キッカーが居なくても、泥門デビルバッツを勝たせ続けることで、安心させる。いつでも帰って来れる居場所があるのだと。

 

「そして、『男が人の為に血を流している時は、見殺しにしてくれるのが情けです』、って」

 

 あの、馬鹿野郎……!

 歯がゆくて歯がゆくて、血の味を感じるほどに奥歯を噛みしめて、そこで玉八はもう一度、制服を前へ差し出し、

 

「俺は彼に借りがある。大事な我が子を救ってくれた恩人だ。それに、厳ちゃんにはずっと血を流してもらった。

 ――だから、今度は俺らが血ぃ流す番だ」

 

 しけた面をぶん殴ってくれた糞親父、

 笑って背中を押す玉八たち従業員、

 それから、戻ってくれることを待ち望む栗田、新しいキッカーを養成せず常に勝手にメンバー登録しているヒル魔、この三人の最後の大会の火を消さぬように無茶に奮戦する長門……

 

 そして――奇跡が起きれば、朝でも夜でも、いや試合の途中からだって、いつだって駆け付けたかった、あれからもずっと三人の『絶対全国大会決勝』という夢を忘れやしなかった自分がいる。

 

「……わかった」

 

 待ち望んだ奇跡は、起きてない。

 だが、眠っていたものは今ここに奮い起こされた。

 

 

「俺の仲間のために――――泣いてくれ!!」

 

 

 これまで涙を流した悔恨を呑み込み、これから流させる涙への感謝を胸に刻む。

 

 一旦、重責を下ろし、後ろ足で泥を蹴る。

 振り返らない、もう二の脚は踏むことはない。前を往く。今すぐに。あいつらの下へ――

 

 

 ~~~

 

 

「下がっていろ、長門。――ここは、俺の仕事だ」

 

「武、蔵先輩……!?」

 

 軽トラでフィールドに参入したその人は、最初、都合のいい幻想かと目を疑ったが、すぐにそれが本物だとわかった。

 長門村正を下がらせたその男の気配に、フィールドでいの一番に察知したヒル魔妖一は、まずは呆然と目を瞠り、それからすぐに時計を見ながら凶悪気な笑みを浮かべて囃し立てる。

 

「―――ケケケ、遅ぇぞ。あれから1万3千297時間と49分遅刻だ」

 

 髭は沿ってあるが、老け顔の――精悍な面構えをした泥門デビルバッツのキッカーは、この挨拶代わりの皮肉に一言。

 

 

「待たせたな」

 

 

 言い訳も、飾り気もない、一言に、全てを詰めた。

 

 

 これに他の人間も登場に気付く。泥門で武蔵厳を知る、酒奇溝六、同級生だった姉崎まもりが反応し、それから三人が揃う瞬間をずっと待望した栗田良寛は涙を溢れさせ、その名を口にする。

 

「ムサシ……!!!」

 

 同じ中学出身の後輩を横切って、まず真っ先に武蔵が向かったのは二人の下。栗田はこの光景に素直に感激を表す隣で、ヒル魔はそれを武蔵へ放る。

 

「テメーが最後に蹴る寸前だったキックティーだ」

 

 一年前の春大会一回戦、逆転を狙うキックゲームの寸前で父親が倒れた。それから、決別した。泥門デビルバッツ創設者たちの止まった時間の象徴である。

 

「こりゃ年代もんだぞ。土埃まであん時のままだ」

 

 それが今、再び武蔵の元に、いいや三人の元に帰ってきた。

 

「か……感激は後! 泣いてる場合じゃないよっ!」

 

 この時ばかりは感慨深げにキックティーの外観、感触を確かめていたのを、栗田が腕で涙を拭きながら急かす。

 

「この前半最後のキック! 決めなきゃ勝ち目ないんだから!」

 

 誰よりも泣きながら、フィールド上での再会を打ち切る……ではない、一秒でも早くまた一緒に試合がしたいと促している。

 

「ケケケ、さっきまで萎れてたくせにいきなりリーダーシップ出しやがって」

 

 笑いながら、ヒル魔もセットする。

 武蔵は、もう一度、キックティーの感触を確かめながら見据えた。

 

 

 ユニフォームに着替えるためのタイムアウト後。

 

「……キック?? っやー、珍しいねぇ、泥門はキッカーいなかった気が……」

 

 西部ワイルドガンマンズはこの突如現れた背番号11に訝しむ中、泥門デビルバッツは開始位置のポジションにつく。その陣形は――これまで泥門で見たことがない――キックゲームを意識したものだった。

 

「何の偶然だこりゃ、ポールまでの距離45ヤード――最後に俺らが中断したキックとジャスト一致じゃねぇか」

 

 ヒル魔がこの因果めいた状況に皮肉を飛ばし、栗田は声を弾ませて、

 

「なんか今、あの時の続きが始まったみたいだね……!」

 

 力だけが取り柄な巨体ラインマン、悪魔じみた計算高い司令塔、老けたツラした飛ばし屋キッカー――デビルバッツを創り上げた三人全員、笑っていた。もう、悲嘆にくれるような涙を流すことはなく、晴れやかに。

 

「一年半のブランクでなまっちゃいねぇだろうな糞ジジイ」

 

「笑わせんなバカ野郎」

 

 ベンチで見てて、長門村正は心底思う。

 

 ああ、悔しい。

 先輩たちがついに揃った復帰プレイ一発目に参加できないなんて……! と。

 

 アイシールド21・セナにモン太も絶対にブロックミスをしないと気合いを入れる。

 

 

「SET! ――HUT!」

 

 前半残り一秒。

 最後のタイムアウトも終了。

 そう……長い、気が遠くなるほど長いタイムアウトが明けて、ずっと止まっていた時間が今、動き出した……!

 

 

 ~~~

 

 

 栗田からスナップしたボールを、ヒル魔がプレースする。ほとんど同時のタイミングで武蔵が蹴る。

 一年半ぶりだけれど、その息に一部の乱れもなく。

 

『うおおおおおおっ!!!』

 

 『60ヤードマグナム』と嘯いたその脚は、凄まじい勢いでボールを蹴っ飛ばし、試合会場を震撼させた。

 45ヤードの長距離を突っ切ったボールはゴールポストを超える。

 前半最後、泥門デビルバッツ、キックゲームを決め、9対28。――そして、最後のメンバーがそろい、ついにチーム全員が集結した。

 

 

 ~~~

 

 

 ――ドゴン!

 

 アメリカンフットボールの先生である酒奇溝六へ頭を下げる武蔵先輩。栗田先輩が前々から(一年半前から)とっておいたケーキを取り出し、ヒル魔先輩の撃ち放った銃弾がそれを吹っ飛ばす。

 そんな確実にカビの生えてるケーキを弾いたが狙ったものではない。適当に、猟銃をクルクル手遊びで回しながらガンガン撃ってる。その手のタイプの銃は片手では装填できないはずだが実に手慣れている。

 まあ、物が凶悪過ぎるが、ペン回しと同じ。

 

(しかし、ヒル魔先輩のこの癖を見るのは、麻黄中以来だな)

 

 泥門に来てから、試合の最中は考え付くまで黙って頭の中で計算する。誰にも相談はせず、ひとりで。

 

(おそらく、武蔵先輩が去ってからそんな手遊びする余裕がなくなったんだろうな)

 

 栗田先輩とは違って素直に感情を表に出すタイプではないが……

 

 泥門高校で唯一注意できる姉崎先輩に危険なヒル魔先輩の猟銃(ペン)回しを阻んでもらっている間に、こちらも考えよう。

 

「後半どうすっかだなこりゃ」

「いくらキッカーが戻ってきたっつってもな……」

「残り半分で19点は生易しい点差じゃねぇぞ」

 

 黒木、戸叶、十文字らハアハア三兄弟の言う通り、状況は劣勢。完全に決着はつけられていないが、土俵際にまで追い詰められ徳俵で何とか堪えているといったところ。

 あと一押しで西部ワイルドガンマンズは勝てるところまで来ている。

 三人の会話に、セナ、モン太、それに小結や瀧らも入ってきて、一年連中が勢揃いする。

 

「19点差っつうことは、タッチダウンが6点だから……っと、4回か? 後半だけで4回も決めなきゃ勝てねーんだろ」

「――! 待って!! キッカーのムサシさんが戻ってきたんだから、タッチダウン後のボーナスでキック一点も取れちゃうから……えと、タッチダウンが7点になって――そう、3回で逆転できるようになってるよ!!」

 

『フゴッ(ッ)!?』

 

 とセナが重大なことに気付いたように、それに他の連中(結構常識人な十文字を除く)がハッとする。

 確かに、計算は間違っていない。泥門の唯一の弱点のキッカー不在は無くなった

 ブランクというか、元々、武蔵先輩のキックは荒れ球で、飛距離はあるが、精度に難ありといった具合でときたまボーナスキックを外すことがある不安要素はあるが、それでも3回中2回は決めてくれるだろう。三回のタッチダウンで逆転を視野に入れるのは考えられなくもない。

 のだが……

 

「いや、そりゃ誰でもわかってけどよ……」

「待て、十文字。お前の言いたいことはわかるが」

 

 うん、そうだった。泥門の弱点はキッカーがいないだけじゃなかった。

 

「うおマジだ!」

「スゲーよく気づいたな!」

「バカ大声で言うな。西部の連中に気付かれんだろ」

「アハーハー!」

 

 こんな算数ができれば誰でもわかることだが、一年生の大半はセナに言われるまで気づいていなかった模様。

 チームメイトの知能レベルにがっくりと肩を落とす十文字に手をやり、フルフル首を振る。

 今年の泥門高校は、校長先生をも顎で使う一生徒の意向でかなり敷居を下げて定員割れで受験者全員を合格にしているせいか、残念な学力の生徒が多かったりする。

 そんなうちの学校事情は置いておいてだ。

 

「問題は、セナのそれはあくまでもこの東京大会最強の火力を誇る西部ワイルドガンマンズの失点を0に抑えられたら、って話だ」

 

 キッド、鉄馬丈、甲斐谷陸とランもパスも破壊力のある面子が揃った相手チームを封じ込むなど並大抵のことではできまい。

 

「ケケケ、糞一年(ジャリ)共、いい考えでも浮かんだか?」

 

 と、ついに姉崎先輩に猟銃を没収されたヒル魔先輩がこちらに顔を出す。

 これは初めてだ。作戦を決める途中で、こちらに話を振ってくるなんて。

 

「んんん……キッカーのムサシさんがいるけど19点差をつけてる西部に追いかけるのはやっぱり残り時間のこともあるし……」

「あれだ! 一発狙いの超ロングパス連打! 一気に差ァ詰めんにはそれっきゃねー!」

 

「まぁ、間違いじゃねぇな」

 

「っしゃ! キャッチMAX! ここが漢の見せ処……」

「この糞ジジイが戻る前ならな」

 

 気合い入るモン太の梯子を外すヒル魔先輩だが、実際、さっきまではモン太の案くらいしかなかった。それでも、キッカーなしに西部と殴り合いするのはジリ貧になっただろう。

 

 さて……

 今、溝六先生に付き合ってもらって、入念にパスキャッチやウォームアップしている雪光先輩が後半から入る。

 泥門の攻撃力は更に増すだろう。王城ホワイトナイツのような決められた範囲(ゾーン)を守るのではなく、果敢に特攻を仕掛けてくる西部の守備姿勢からして、雪光先輩の空いたスペースに入り込む『速選ルート』は効果的だ。

 だから、この試合で自分がすべきことは――

 

「ヒル魔先輩、後半から俺をディフェンスに出してください」

 

「ほう、糞カタナ、ディフェンスに出せっつうことは」

 

 測るように目を細めるヒル魔先輩。

 軽く手指を握りしめたり開いたりしながら、

 

「ちゃんと冷静にコンディションを把握しました。正直、キャッチには不安がありますが、守備だけなら、全力をやれる」

 

「はっ! 全力でやっても前半みたいに鉄馬に歯が立たないようじゃいても意味がねーぞ」

 

 承知している。

 だが、ここで無駄骨を折るつもりはない。

 その意を込めて、ヒル魔先輩と睨み合う。そして、

 

「やるんなら、必ず()れ、糞カタナ。また一度でもヘマしやがったら今度こそテメェをベンチに引っ込ませる」

 

「はい、最後までやらせてもらいます……!」

 

 必殺を誓い、雪辱の機会は与えられた。

 

 

「それから、ヒル魔先輩、『バンプ』ともうひとつ、『ショットガン』対策で練習した“アレ”、やってみませんか?」



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24話

「さぁ、後半! 追い上げよー!」

 

 ハーフタイムが終了し、後半が始まる。

 “負けているからこそ声をあげる”、そんな盛り上げ隊長としての使命を自負する泥門チアリーダーの鈴奈。

 これに応えるのは、今、このフィールドで最も熱い男。

 

「追い上げる……? ――違うよ、逆転するんだよ」

 

 強気な発言をする栗田さんは、バックに湯立つような(オーラ)を立ち昇らせていた。

 凄まじい迫力だ。黄金トリオの復活でオーラを纏ったのだろうか(ただの湯気)!?

 

 

 温厚な巨漢の男が、いざ鎬を削る戦場(フィールド)に立った途端、湯立つほど熱い壁に激変する――!

 長門を除いた今年からの付き合いの後輩達は知らないが、これこそが栗田良寛の本領。武蔵厳の帰還に本来の姿が息を吹き返したのだ。

 

 

『さあ! 後半は泥門の攻撃からスタート! あと一点で20点差になる19点差から巻き返すのにどんな奇策を出してくるのでしょうか!?』

 

 

「SET! …………HUT!」

 

 目一杯に溜めてからの号令。

 瞬間、西部の壁は“爆破”された。

 

「あづぁあああぁ!!?」

 

 重圧、膂力、そして、滾る熱量。

 前半より迫力が二倍超えの三倍増ししたセンター一人に、壁二人が吹き飛ばされる。

 

 強引にこじ開けられたそこへ指揮官よりボールを渡された切り込み隊長(ランニングバック)アイシールド21が密集地帯に体を入れ込む。

 

『糞チビ、後半のテメーはもう地獄だ。糞カタナはいない以上、二度とボールを奪られねぇって断言できてもらわねーと困っぞ』

 

 長門君は守備に専念する……それはつまり、いつも頼ってきた頼もしい最高の守護神(リードブロック)がいないということ。

 だけど、陸は言う。

 『本気のアメリカンフットボールプレイヤーは人の後ろに縮こまっているだけの奴じゃないぞ』と。

 ――だから、絶対にボールは奪われたりしない!

 

(……ふーん、セナのヤツ、長門村正がいなくなってから、自分の身じゃなくてボールの方を守るようになってる……)

 

 加速がついて中央守備網を抜き去る前に追いついた西部のセーフティ・甲斐谷陸がその侵攻を阻むも、泥門は確かに前へ進む。

 

『泥門、4ヤード前進!!』

 

 

 泥門の後半の攻撃から、相手の守備陣の動きを徹底的に予習復習して頭に叩き込み、即興で投手との意思疎通が可能な文系レシーバー・幸光学が参戦。ワイルドガンマンズの『ショットガン』に負けぬパス戦を仕掛けるかと思いきや、泥門が行使したのはその予想を外れるものだった。

 

「そうだ、栗田。攻めも守りも常に味方を背負って先陣切る、それがお前へ引き継いだ(バトンタッチした)(ライン)魂だ」

 

 柱谷ディアーズ戦で高校屈指の古強者(ベテラン)ラインマン鬼兵と真っ向勝負した作戦と同じ。

 作戦という作戦じゃない。

 ある意味究極の戦法(カード)、『爆破(ブラスト)』。

 

『泥門、5ヤード前進!!』

 

「すげぇ泥門! 中央からのごり押しが止まらねぇーー!!」

 

 一気に10ヤード以上突破して連続攻撃権を獲得するようなことはない。しかし着実にゴールラインまでの距離を縮めていく。

 

「いいから栗田を止めろォオ! そんな無理やりな正面突破、何度も何度も決めさせるなァ……!」

 

 西部の監督が激励を飛ばすが、『爆破』は何人にも勢いを止められない。

 

『4ヤード前進! 泥門、合計10ヤード以上進みましたのでさらに続けて連続攻撃権(ファーストダウン)獲得です!』

 

 そして、3回の攻撃――3アウトまでに10ヤード以上進めばずっと連続攻撃が許される。

 つまり、この東京地区の最重量にして最強クラスのラインマン栗田良寛さえ止められなければ無敵の動く要塞状態でじわじわ延々とこちらのターンで進んでいける。

 

 さらに、火が点いているのは、栗田良寛だけではない。

 

 

 ~~~

 

 

「おおおおおおっ!!」

 

『泥門、連続攻撃権獲得ラインまで残り僅か!!』

 

 『爆破』のごり押しに次ぐごり押しで、連続攻撃権獲得まであと一歩のところまできた。

 これを西部は阻止しなければまた3回攻撃を許してしまう。何としてでも栗田を止めようと、自然、中央に守備意識は集中される。

 ――その心理の流れを利用しない悪魔ではない。

 

「おォし、糞ライン共! ボール一つ分もねぇ距離だ! 気合いでねじ込め!!」

 

 泥門、ノータイムで開始。

 ラインマンたちは激しくぶつかり合う力勝負に真ん中を固める。

 鬩ぎ合う戦線へ、今度もまたアイシールド21は突貫し――飛翔する。

 

「セナ……『デビルバットダイブ』!?」

 

 身軽であるからこそ強みになる、アイシールド21の必殺技。

 ボール一個分を上からねじ込みに来た。これに西部のディフェンスラインの中核たる牛島が反応。

 

「チート意表突かれたがなァ……甘イィ!! ――『空中二本の角(デュアルホーン)』!!」

 

 『二本の角』が下から上へ抉り込むような『リップ』の二連打とすれば、それは長く太い豪腕から『スイム』を繰り出すような上から下に叩き落とすラリアット。鉄槌の如きそれが空を飛ばんとする小兵を迎え撃たんとする。

 

「おおぉ、これは牛島! 空中ラリアットで殴り落としに来たーー!!」

 

 かに思えたが、アイシールド21はラインを飛び越える寸前で失速。

 これは、目測を誤ったか? いいや違う計算通りだ。

 

 アイシールド21が着地したところで、西部はそこでやっとその腕にボールが抱えられていないことに気付く。

 

 目を凝らしても見誤る悪魔のトリックスターの渡したフリ(フェイク)

 そして、ランに集中して無警戒(ノーマーク)だったレシーバーが西部の守備網を抜けていた。

 

「何ィイイイィ!! ノーマークのモン太に超ロングパスだーー!!」

 

 バカな!! 残り一歩で連続攻撃権獲得って時に、そんな大博打……!

 連続攻撃権獲得の10mまでボール一個分だが、泥門の攻撃はこれで三回目だ。

 

 しかし、誰もがそれを非常識、条理に則らないプレー、“だからこそ行く”。

 超強力な奥の手(デビルバットダイブ)すら捨て駒にする、それが泥門デビルバッツの司令塔・ヒル魔妖一。

 

「!!」

「陸!?」

 

 これに、直前で勘づいた『暴れ馬』

 西部の空白に速選で駆け込む雪光をマークしていた最終防衛線(セーフティ)は、ひとりフィールドを駆け上がっているモン太を追う。

 

「ムッキャ!? なんつー速さだよ、もう追いついてきやがった……!!」

 

 泥門選手の中で甲斐谷陸のスピードに張り合えるのは、アイシールド21と長門村正。

 だが、囮に使ったアイシールド21はそこからフォローが間に合う距離にはおらず、オフェンスに参加を許可されていない長門はそもそもベンチにいる。

 

 ――空気を切る弾丸(パス)は当然の如く味方にすら限界点を要求する。

 

 この、弾道は……!?

 鋭く一点。相手の守備に掠らせても触れさせない、そして、パスターゲットのレシーバーは全力で追わなければ捕まえられないパス。

 甲斐谷陸が快足を飛ばして飛びついても、高速パスには追い付けず、必死に飛び込んでボールを逃さず捕ったモン太は、そのままゴールゾーンにダイブを決めた。

 

『タッチダァァウン!!』

 

 ここしかないというピンポイントに、まるでレーザーの如く。

 敵味方関係なく情け容赦が一切ない悪魔が放つスパルタパス、『デビルレーザー(バレット)』!

 

 

 ~~~

 

 

 キッカーという今までになかったカードの登場が全ての攻撃力を3倍にした。

 

 今までの泥門は重戦士たる栗田良寛のラッシュを最大限に奮える中央突破を避けていたが、その理由は長距離ヤードを稼げずじっくり進んでもいずれは止められてしまうからだ。

 だが、『60ヤードマグナム』なる武蔵厳という長距離砲(キッカー)を得た今、タッチダウンが狙えずともキックゴールを決められるようになり、50ヤードまで攻め入れれば点を得られる。

 そして、グーとチョキだけで闘ってきた司令官が、ついに全部の出せる手が揃った今、作戦の幅に制限は無くなった。

 たった一人の参入が足りなかった歯車にぴたりと嵌り、がちりと噛み合い、劇的な化学変化を起こしている。

 そう、今の泥門は正しく、欠点のないA級のチーム。

 

 そのせいか、泥門は劣勢下にありながら楽しそうで、西部(こちら)は久々に背筋を寒くさせるものを抱く。

 

「ケケケ、テメーにゃさっさと教えてやんなきゃと思ってな」

 

 ワイルドガンマンズのターンになり、攻撃陣と守備陣が入れ替わる際、キッドへヒル魔妖一が通告する。悪魔のような囁きで。

 

「ウチに全部の手が揃った以上、西部の全国大会決勝(クリスマスボウル)は消えたって話をだ」

 

 

 泥門デビルバッツ、ボーナスゲームでキッカーの武蔵が追加点を決める(ゴールポストにぶつかりギリギリ枠に入った)。

 これで、16対28。

 そして、『60ヤードマグナム』の大砲キックショーの山場に移る。

 

「もう一仕事、行くとするか」

 

 立ったまま利き足の右を胸の前に抱きしめて、入念にストレッチ。

 

 西部へ攻撃権が移されるがその前にキックオフがある。

 試合開始直後、甲斐谷陸の『ロデオドライブ』で半分まで持っていかれ、西部に有利な出だしを許してしまった。

 こちらの攻撃が3倍に跳ね上がったところで、また点を獲られてしまっては点差は一向に縮まらない。

 未だに傾いている戦況を打開するには、ここで大きく揺さぶる一発を見舞わなければならない。

 

「ムサシ! スマートに見せてもらおうじゃねぇか。テメーのその大砲みてぇな脚の真価をよ……!!」

 

 関東ナンバーワンキッカーと名高い、盤戸スパイダーズの佐々木コータローならば、正確無比なオンサイドキックでもって、相手に攻撃権を渡さずに一方的にやり込めることも可能だったろう。

 実際、泥門はかつてNASAエイリアンズ戦で相手キッカーのオンサイドキックで攻撃をやらせてもらえずに逆転を許してしまった。

 しかしだ、それには相当なキックゲームの練度・連携が不可欠で、武蔵のゴールを決めるのも少し危うい荒っぽいキックではその要求も無茶だ。

 ――だが、キックで試合を有利に運ぶのはそれだけじゃない。

 

 ドゴッッッ!!!!!! と天高々にボールが蹴り上げられた。

 

「高……――」

 

 敵も味方も観客らも絶句するほど凄まじい威力。

 

「でででけえぇえ!! どこまで伸びんだー!?」

 

 精度もだが、高さもキックオフには重要だ。

 落ちてくるまでの時間がかかるほど敵を囲みに行きやすい強力なキックになる。

 

「もっと伸びるぞ!」

「どうなってんだ……今までの泥門のキックはあんな短かったのに!」

「どこまで!? こんなキック、高校の試合で見たこと……」

 

 これまで、代役を務めてきたヒル魔妖一の短いキックの印象があっただけに、『60ヤードマグナム』の威力は仰天するほどインパクトが叩き込まれた。

 そして、対応が遅れた西部は落下するボールを確保できず、そこへ駆けつけるは、アイシールド21――

 

「マズい!!」

 

 甲斐谷陸も転々とバウンドしていくボールを全速で追う。

 二人の速さはほぼ互角。だったが、楕円形のアメフトボールは不規則に跳ね、幸運の女神は暴れ馬へと微笑む。

 甲斐谷陸は自分の前へと転がり込むように飛んできたボール、このチャンスを逃すまじと飛び込み、それに僅かに遅れてアイシールド21も飛びつく。

 

「陸が押さえたっ! 西部ボール!!」

 

 惜しい! やっぱり陸は速いし……上手い! でも……惜しい!

 

「助かった……」

 

「いや……」

 

 あわや泥門に攻撃権を奪われるところだった――だが、安心はまだ早い。

 腰を抜かしてベンチにへたり込む西部の監督の隣で、冷静に状況を把握していたキッドは示す。

 

「見てください、押さえた位置」

 

「! タイムアウトォォ!」

 

 ボールを抱えた甲斐谷陸が滑り込んだ、そのすぐそこは、芝生が色分けされた境界線……すなわち、ゴールライン目前。

 ほとんどスレスレ、たった自陣のゴールまで数cmしかない危険地域から西部は攻撃を開始しなければならない。

 この背水の陣に、西部の監督・ドク堀出は血相を変えて審判へ両手をT字にしてアピールした。

 

 

 ~~~

 

 

 どうする……?

 

 この瀬戸際の状況下で、西部ワイルドガンマンズの代名詞とも言える『ショットガン』の陣形を取れば、クォーターバックのキッドは自陣のゴールラインからプレイを始めることになる。

 もし捕まれば、即自殺点。

 アメリカンフットボールの教科書(マニュアル)を信じれば、こんな危険地帯での『ショットガン』はありえない。

 

 教科書通りに考えるのなら、ここは中央からの(ラン)に決まっている。

 だが、それは西部ワイルドガンマンズの得意戦法を捨てることになる。キッドと鉄馬の『神速の早撃ち』なら絶対大丈夫って考え方もできなくない。

 

「……監督、もう時間無いスよ」

 

 タイムアウトも無制限ではない。

 審判も時計を見ている。決断の刻はすぐそこまで迫っている。

 ここでチームを采配するのが監督の責務。

 

「よし……お前ら、ラ――」

 

 唾と一緒に、出かかった発言を呑み込む。

 

 

「ファイトー! ナガモーン!」

 

 

 相手チアの声援に反応して、そちらを見やれば、長身の選手がフィールドに出る。

 試合前のミーティングで口酸っぱくして忠告した泥門デビルバッツで最も危険な、長門村正。

 言ってはいけないのだろうが、怪我で一時的にベンチに下がった時は、安堵したというのが本音。

 

(怪我の具合は……? 守備はできるのか……??)

 

 判断がつかないが、存在だけで警戒を割かなければならない。

 

(ランで行くべきだが……彼奴には二度も陸を止められている……)

 

 それに中央には、止めるに止められない重戦士センター・栗田がいる。ランで突っ込ませたところでその壁を打ち破れるかどうか不安だ。

 

(――しかし、ウチのキッドと鉄馬のホットラインは止められていない!)

 

 決まった。

 セオリーを無視するが、ここは我が道を行くのが、アウトロー――西部ワイルドガンマンズだ。

 

 

 ~~~

 

 

 背水の陣で、西部ワイルドガンマンズが敷いたのは、定石から外れた陣形、しかし西部ワイルドガンマンズのスタイルである『ショットガン』

 

「……ヒル魔妖一、おたくも、『ショットガン』で行くかな」

 

「たりめーだ!」

 

 開始前、キッドからの問いかけに、間髪入れずに応じるヒル魔。

 ハイリスクハイリターンを好む攻撃的な嗜好、それに現実的な思考から泥門の司令官は、西部がここで『ショットガン』を取るのが正解――しかし、

 

「まァ、どっちにしろ関係ねーがな」

 

「なに?」

 

「テメーらが教科書通りに中央からランを突っ込ませれば、糞デブが潰す。そして、早撃ち『ショットガン』で来るんなら、糞カタナが鉄馬を潰す」

 

「―――」

 

 愉快気に笑うヒル魔。まるで盤上で詰みに入っているのを確信しているような表情、これに対し、キッドは少し表情を冷めさせる。

 

「……人間、あんまいい期待しすぎっと、ロクな事がないよ」

 

「ケケケ、期待しようがしまいが、ヤると言ったらヤる奴だ。――糞カタナは紛れもなく“天才”だからな」

 

 笑うに笑う。それが安い挑発だとキッドも理解はしている。

 しているが、これがヒル魔のお得意の口車に誘導されたのだとしても、完全には聞き逃せなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 まったく、ヒル魔先輩はこうも勝手に煽ってくれる。

 

「まあ、やることには変わりがない」

 

 一年半ぶりにだが、それでも鈍らない破壊力で西部の攻撃パターンを削り取ってくれた。おかげでこちらも、より守備に専念できる。

 雑念がなくなったクリアな視界に映るのは、重厚なる『人間重機関車』。

 

「鉄馬丈」

 

「………」

 

 対峙する相手は、ひたすらに頑健。肉体だけでなく、その精神も。

 被弾を厭わず、その一切を跳ね除けてきた極めてタフなワイルドレシーバーにして、『神速の早撃ち』キッドから絶対の信頼を勝ち得ている男。

 しかし――

 

「あんたは強い。だから、こちらも容赦はできん」

 

 “鋼鉄の機関車(アイアンホース)”だろうが、俺が落とそうとしているのは、“日本一の戦艦(やまと)”だ。

 

 

「SET! HUT!」

 

 

 開始の号令と同時にスタートを切る。

 轟然と発進する機関車の内懐へ、『妖刀』の長足が居合の如く踏み込む。

 瞬きひとつ分の時間で、きっちり三歩で間合いを潰し切る。疾駆する鉄骨鉄筋のボディを前にして、道を譲る素振りは皆無。

 この、刹那にすべてをかけ、瞬時に決する――

 

 繰り出された指を立てて握る拳が、鉄馬の胸板を直撃。

 

 相手の加速が勢いづく前に、0秒でプレッシャーをかけるそれは巨深ポセイドンの筧の技『モビィディック・アンカー』のよう。碇を杭打つかのような衝撃が機関車の心臓を撃ち抜いた。出だしを確実に押さえる。僅かだが、時を奪ったかのように、機関車の疾走は止まる。

 ――そして、『妖刀』は止まらず。

 

 肉体に接したまま一撃目に立てていた指を折って握り込んで二撃目。

 

 震脚を入れずとも重量改造自転車で鍛えに鍛えた足腰のバネと重心移動の巧みさで瞬時に体重の乗った拳打(バンプ)を零距離で繰り出し、急停止させた機関車を揺らす。バランスを崩す。

 

「か、は――」

 

 重なる鈍い打撃音にまぎれて、かすかに零れるあえぎ。筋肉が弛緩したその隙間、それは鋼の肉体と精神の間に生じた亀裂。

 そこを容赦なく穿つように――

 

 より深く食い込んだ拳を起点(つっかえ)にし、弾みつけた三撃目。

 

 それは、狙いを澄まして瞬間の打撃に力を一点集中させる、神龍寺ナーガのラインマン・山伏が得意とする『粉砕(ジバー)ヒット』の如き肘打ちだった。長い腕を折り畳むように放ち胸郭へクリーンヒットさせたトドメの一発。

 

「が――!!?」

 

 これが、長門村正が、“絶対に膝を屈さないことを信条とする不屈のライバル”用に開発していた、必ず相手をぶち抜く、正しく必殺技。

 『三段打ち』。

 あえて握りを潰して、()()を利用し、威力を増す突き技(どつき)。それを腕の全関節で行う。

 要領は、デコピンとほぼ同じ。

 単純に振るうより、いったんつっかえた時の()()があった方が、パワーが数倍跳ね上がる。それも一発だと思っている突きの衝撃が、一度きりではないと意識していない分だけ不意打ちに揺さぶってくるのだから、心身ともに抗いようがなかった。

 

「鉄馬――!!?」

 

 この一振りで三連打は、“胸ごと抉り取られた”と錯覚するほどのダメージをぶちかました。撃ち抜いた右腕に確かな手応えを感じ取りながら、長門村正は残心するよう吐気し、その横を斬り捨てられたようにもつれ込んで鉄馬丈はグラウンドに倒れ伏す。

 

 常に線路から10cmのズレなく進撃する『人間重機関車』が、線路から外れるだけでも大騒ぎなのに、撃沈された。

 この不倒神話のホットラインが断絶された脱線事故に、誰よりも衝撃を受けたのは、キッド。命令絶対順守の幼馴染が崩れ落ちる様に、照準を見定めようとした瞳孔が揺れる。事前の作戦にて、最も成功率の高い鉄馬をターゲットにしていた早撃ち(パス)が中止せざるを得ない事態に、その頭脳の回転もこの時ばかりは止まってしまっていた。

 

 ――これを狙わない泥門ではない。

 

「いけェェ! 糞チビ!!」

 

 抜き放とうとした拳銃が弾詰まりし(ジャムっ)たように、固まる神速の射撃手。

 そこへ、クォーターバックに真っ直ぐ突撃するシューティングスター。

 その正体はアイシールド21。

 常にギリギリを見極めて、早撃ちで躱すキッドだが、その黄金の脚はゼロからの急加速が凄まじいチェンジ・オブ・ペース。一気にトップスピードに達してくる光速の『電撃突撃』に、キッドは致命的なほど反応が一手遅れてしまっていた。

 

「やらせるか、セナ!」

 

 しかしそれは甲斐谷陸に阻まれる。西部の全員が、鉄馬が倒されたことにけして小さくない衝撃を受ける中で一足早く回復した甲斐谷陸は、咄嗟にクォーターバックを守るパスプロテクションに入った。

 

「キッドさん!」

 

 この叱咤に今度こそは、ハッと意識が戻るキッド。

 ここで倒されるわけにはいかず、危険地帯(ゴールエリア)から脱しなければならない。必ずパスを成功させなければならず……だが、鉄馬丈撃破の動揺を突かれ、左サイドの刃牙と波多も泥門の黒木と瀧に『バンプ』をもらってしまってバランスがガタガタ、とてもパスを取れる状態ではなく。

 ――ひとり、レシーバーの中で駆け引きが最も巧みな(はざま)がマッチアップしたモン太を躱して、駆け出しているのを視界で捉えた。

 

 

 ~~~

 

 

 畜生ッ! ヘマしちまった……!

 栗田さん、ヒル魔さん、ムサシさんの三人が西部の攻撃を削った。

 長門が腕怪我してるっつうのに、鉄馬さんを止めて、セナもあと一歩のところまであのキッドさんに迫った。

 だというのに、俺がどつく(バンプ)を躱されちまうなんて……! 台無しもいいとこじゃねぇか!

 

 喧嘩慣れした黒木のようにパンチスピードは速くないし、長門や瀧のように手足(リーチ)が長いわけじゃねぇけどよ!

 畜生! 畜生……!! だったら――!!

 

(汚名挽回! 振り返るためのエネルギーも全部注ぎ込め……!)

 

 ああ、そうだ! 夏休みのアメリカ合宿、ビーチフットでキッドさんの(ボール)を受けたのを思い出せ! 見なくたって弾道はイメージできる! 風向きも全身で感じ取ってる! 絶対に諦めるな! キャッチ勝負だけは絶対に負けられない――!

 

 

 ~~~

 

 

 ――ゾア! と。

 なんだ、今の悪寒は。

 わからない、確実に通るはずのマークが外れた間へのパスが、モン太には届く間合いではないのを測り取っているのに――だが感じた。今、投げれば確実に()られる。

 

 思考速度、そして、投球速度のハンドスピードが早撃ちのキッドはパスを投げる寸前で、止めた。

 

 

 だが、そこでタイムリミットだった。

 

 

「「「「「どおおりゃあぁあ!!」」」」」

 

 ラインの壁が保つ時間は平均して、3~4秒。

 しかし、今の泥門、火が付いたのは栗田だけでなく、十文字らも力を爆発。3秒もかからずに壁を崩壊させ、その中で最も小兵が、風穴を潜り抜け、キッドの死角より突貫した。

 

「フゴーッ!!」

 

 師匠栗田の燃える闘志が伝播した小結大吉。豆タンクのサックがキッドを捉え、押し倒した。

 

 この東京秋季大会で誰にも止められなかった西部の攻撃が初めて失敗。

 そして、ゴールエリアで倒されたため、西部ワイルドガンマンズ、自殺点(セイフティー)

 二点が追加され、18対28。

 さらに、自殺点であるため、もう一回泥門の攻撃になる。

 

 

(ヒル魔さんならここに――!)

『泥門パス成功ーー!!』

 

 そして、泥門の攻撃、今度は雪光学の『速選ルート』が炸裂する。

 隙間を把握するやアドリブでコース変更をしてくる判断力に長けたレシーバーの加入に、果敢に突撃する西部のプレイスタイルを躊躇するようになり、リズムが崩れる。

 

「アハーハー!」

『泥門パス成功! 連続攻撃権獲得!』

 

 そこへ今度は長身で柳のように柔軟に相手の押しを躱してくる瀧へのショートパスも織り交ぜてくる。

 前回の攻撃でランによる中央突破を印象付けてからの連続パスに大きく前進した泥門は、最後に長距離砲キッカー武蔵――

 

「ひぃいい重っ!! でも、ムサシさんのキックの邪魔は……」

「指一本させやしねー!!」

 

『入ったァーーー! フィールドゴールキック!! 21対28! ついに7点差! 泥門、一タッチダウンで逆転できる得点差になったァァーー!!』

 

 

 そして、泥門デビルバッツ、この勢いづいた流れを攻撃だけに留めず、守備でもさらに仕掛ける。

 

 

 ~~~

 

 

 信じられない。

 あんな絶望的だった差を、こうも覆してくるなんて……

 

 しかし、西部もこのままではいかないだろう。

 前回で攻撃失敗し手痛い自殺点を被ってしまった次の回だけに、一層奮起して仕掛けてくるはずだ。

 それに対し、泥門……長門はどう対抗する気か。

 

「おい筧、あれって俺達の……!」

 

 その陣形に真っ先に勘付いた水町が声を挙げる。

 そう、最前列のディフェンスラインにいるはずの十文字が、後衛に下がっていた。

 

『おおっと泥門デビルバッツ! この陣形はまさか、巨深ポセイドンの『ポセイドン』かーー!?』

 

 新たに加わった十文字、それに黒木、瀧、そして、鉄馬丈のマークをモン太と交代した長門が横一列に並んでいる。

 解説の評した通り、巨深が切り札にしていた『ポセイドン』だ。

 ラインバッカーを4人も配置することで、相手の攻撃を広くパスもランも全部を防ぐ。

 

「これまでどこにも止められなかった西部の『ショットガン』を本気で止めるつもりなのか、泥門!」

 

 

 ~~~

 

 

(ちょっと、これはマズいねぇ……)

 

 前半が良すぎた。後半に来てこの追い上げられ方は、プレッシャーが洒落にならない。

 追い打ちに隠し玉を出してきたとなれば、チームの雰囲気は否応にも緊張感が増す。

 特に顕著なのがキッカーの佐保で、ヘルメットの留め金の位置も把握できず震えっ放しだ。

 

「大丈夫です、佐保さん」

 

 けれど、それを西部の次代エース、一年生ながら頼もしい陸が手を差し出し、フォローをする。自分の失手で相手を勢いづかせてしまっただけに声をかけづらかったので、助かった。

 走りのテクニックはもちろんだが、肝の座り方に心構えがルーキーなんて呼べない。先輩としてうかうかはしていられない。

 だが、

 

 

「十文字、黒木、それと瀧、もっと外側へ寄ってくれていいぞ」

 

 

 それは、あちらも同じか。

 巨深は4人が等間隔に並んでいたが、長門が抑える中央のゾーンは、広い。一人で二人分の守備範囲を担当していると言ってもいい。

 その分だけ他の面子を外側へ配置を固めさせているので、レシーバーへのパスが投げにくくなるも、それだけ穴は広がる。

 巨深ポセイドンに倣ったかと思われるその守備陣形は、確かに広範囲にこちらの『ショットガン』に対応できるかもしれないが、当然、欠点はあるものだ。

 十文字が後ろに下がった分、(ライン)の人数が減り、中央突破のチャンスが増す。そこへさらに穴を広げるように長門は指示を出している。

 

「鉄馬さんを押さえたくらいでいい気になるなよ」

 

 これを見て、面白くなさそうに眉を顰めるのは、陸。

 

「ええ、絶対負けません。アイシールド21にも、長門にも……!」

 

 しっかりしているようで、青臭い彼がムキになるのも仕方がない。

 トップクラスのラインマン・栗田が中核を担うので、弱点である前線の人数的不利を補えると見込んで、この博打(リスク)を容認したのだろうが、現時点で、西部のラン――つまり、陸の『ロデオドライブ』は、長門を抜け切ることは叶わないでいる。

 そして、すし詰めの中央を強引に突破するには、スピードよりも体格の方が必要になってくる要素。

 “だから、中央の走りを手薄にしたところで、問題はない”……と陸には泥門がそう挑発じみた意思表示をしているように思えてならないのだ。

 

(ちょっと熱くなり過ぎてるようだけど……。こんな単純な手をヒル魔氏が打ってくるとは思えない)

 

 この陣形は、少しの前進をされるのを覚悟している。一発奪取はあまり見込めず、本来であればリードしている時にこそ効果を最大限に発揮できるものだろう。トドメを刺す時に出す作戦だ。

 そう。

 『爆破』での中央突破と言い、時間をロスする作戦をするのは、追いついてきたとは言え、21対28で負けているこの状況ではかえって逆効果になる。

 

 ヒル魔がこの程度で西部を抑え込めると考えているわけがない。

 ならば、何かがあるはずで……しかし、それがわからない。

 

 

「SET! ――」

 

 

 攻撃開始の号令を上げた途端、中央を陣取る人物からの圧が高まった。

 ――否、威圧感がより一点に、自身に焦点をあてて絞られたのだ。

 

 こちらの……司令塔である投手(クォーターバック)の動きを監視している。

 一挙一動そのすべてを逃さず。

 これは、千石サムライズ戦で見せた、『クォーターバック・スパイ』だ。

 

 『将を射んとする者はまず馬を射よ』に倣えば、”馬”は落とした。

 相手へ最大限に衝撃を与える機と見込んで、ついに悪魔の指揮官は『妖刀(ジョーカー)』は抜いてきた。

 

 ようやく、気づく。

 こうも直接に対峙(マーク)されたのは初めてだが、わかった。

 この試合、ヒル魔妖一がその“懐刀”を差し向けたかったのは、陸でも鉄馬でもなく、自分(キッド)だったことを。

 

 

 ~~~

 

 

 その異名は、“ヒル魔()一の()”などから由来されているとも言われている。

 

 長門村正の中学時代、たった今この西部の攻撃力の大半を削り取った三人と勝負する日々は、自ずと鍛えられる。

 栗田の重圧を相手にしてきた四肢。

 武蔵の薫陶で、怠らず徹底的に詰んできた基礎。

 ヒル魔の奇策奇手に惑わされぬよう鍛えられた眼力。

 三人をひとりで相手にしてきた彼は、元々守備タイプだったその本能的な直感(センス)より研いでいくように冴えさせてきた。

 

 そして、これまで見させてきた。

 

 王城との練習試合、0対99で大敗を喫した、恥を晒すことになる記録ビデオを送り付け、後輩に研究させたときと同じように。

 

 ヒル魔妖一はその前半、無茶にも幾度となく『電撃突撃』を仕掛けさせ、キッドにパスを投げさせた。

 これまでの試合で抜いていたのとは違う、間近で、生の、『神速の早撃ち』を観察させた。

 それは、雪光学が相手ディフェンスの動きを研究するのと同等の効果をもたらしていた。

 

 そこにあるのは、ある種の執念と信頼。

 

 皮を切らせて肉を裂き。

 肉を切らせて骨を断つ。

 それでもダメならば、骨を拾わせ糧にさせる。

 

 一度も長門村正にはキッドへ『電撃突撃』を仕掛けさせなかったのはこのことを隠すため。

 布石はずっと前から打たれていた。

 

 そう、長門村正は、天才、それも一人の先生と三人の先輩により“怪物”に仕立てられた天才だった。

 

 

 ~~~

 

 

「――HUT!」

 

 まさしく一髪千鈞を引く。

 その時、それを目撃した人間は、弾丸を居合抜きで切り落とす様が幻視された。

 西部のキッドがパスを投げた――瞬間、跳び上がった泥門の長門がそのパスを弾き飛ばしたのだ。

 

 

「うおおおお、高ぇえええええ!!」

 

 

 巨深ポセイドンの『高波(ハイウェーブ)』に比べて、高さが足りない泥門だが、ひとりだけそれに比する身長の長門。

 その長門は、自分よりもアメリカンフットボール選手として究極の域にいる。純粋な敬意を覚えるほどに。

 

「やっぱすげぇな! 筧、あいつひとりで『ポセイドン』をやってるんじゃねーか?」

 

 “ひとりポセイドン”? いいや、あれは違う。そんなもんじゃない。

 筧の脳裏に過ったのは、留学中で見た、本場アメリカの選手。ノートルダム大の『アイシールド21』に並ぶアメリカトッププレイヤーで、アメリカ最()のラインバッカーと名高いタタンカ。

 『人間ドーム』などと称される、高身長、長い腕、ジャンプ力で全てのパスを叩き落とす制空圏。

 守備範囲が平面に広いだけでなく、三次元に高いのだ。

 

(長門村正……その瞬間的な守備範囲ならば、日本最速のラインバッカー・進清十郎をも上回っている!)

 

 水町の隣で先輩の小判鮫先輩が蒼褪めた顔で、同情気味に、

 

「あはははははは、長門君バイヤー……ヤバすぎ。あんなのパス投げるところがないじゃん」

 

 他の面子でパスコースを限定させるよう外側を固めてもらった上で、『人間ドーム』が『クォーターバック・スパイ』なんてマンマークにつかされるなど、クォーターバックには悪夢だろう。

 

 

 ~~~

 

 

 『神速の早撃ち』を切り落とす『神速の抜刀術』めいたディフェンス。

 

「ケケケ、糞カタナのヤツ、キッドよりも()()()()動きやがるとはいよいよ獣じみてきやがる」

 

 高さもさることながら、何より目を瞠ったのは、プレイを読んでいたこと。

 前半のキッドが入れたフェイント……あれに反応できたのは、自分(ヒル魔)を除けば、あの後輩だけだ。

 そして、今。

 0.2秒を上回るキッドの投擲速度を上回る長門の反応速度。『神速の早撃ち』を弾くなど、まさに『神速のインパルス』に匹敵する。

 前半をめいっぱいに費やして観察させた“武者小路紫苑”に限って言うなら、『百年に一度の天才』に迫る。あれはもう、集中力と反射速度が最高速度を超えている、火事場の馬鹿力めいたリミッターが外れてる状態だ。

 

 

 ~~~

 

 

 前半で、あの手この手と奇策を弄してきたヒル魔妖一とはまた違ったタイプで、すこぶる油断ならない相手。

 小細工とかじゃない。

 その性能(スペック)で強引に道理を捻じ伏せてくる。

 そう、確かにあれは紛れもなく、“天才”だ。

 

「~~~っ! GUN! GUN! いけー、キッド! 何としてでも点を獲るんだー!!」

 

 監督が発破をかけてくるが、固い生唾が邪魔でコールが喉元からなかなか出てこない。

 頭の回転が速いだけに否応に理解が早い。その制空圏の広さは把握し切れないが、その前をどこへ投げても切り落とされるイメージがある。彼の守備範囲は常人のそれを遥かに超えている。生半可な攻めは逆に危険だ。

 事実、連続でこちらのパスは防がれている。

 

 戦慄が、氷よりも冷たい液体となって血管を駆け巡る。鷲掴みにされたように収縮する心筋、この感覚が、あの時のことを思い出せる。

 

 ――人間分相応。

 

 デジタル射撃、全国大会……5位入賞。

 優秀な成績だが、1位優勝ではない、表彰台にも乗れない、自分よりも上に立つ人間の背中を見せられるそんな立ち位置。

 あの苦み走った感情が口内を占める。

 

 “勝たなきゃ、ダメだ――勝たないと全部が――”

 

 それと一緒に、過去に置いてきた残響(こえ)が去来した。

 

 

 ~~~

 

 

 これまでの試合……武蔵先輩(キッカー)がいない分、自分がしっかりしなければという意識が強かったが、今はその気負いがない。100%プレイに集中できる。

 雑念がなくなり、目の前の相手(キッド)だけではなく、他のパスターゲット(レシーバー)からそのマークにつく味方の位置や動きまでも把握できるほどに視野が広がっている。

 そして、『神速の早撃ち』の目にも映らぬパスモーションが、見えていた。

 

 周囲の声援も遠い、白黒(モノクロ)な景色で、挙動から予測した通りの弾道(コース)を通過するボール、その回転まで見極める。

 

 弾ける……――いや、捕れる。

 

 それは、こちらが想定したのよりも、狙いが甘い球だった。

 跳んで、左腕を伸ばす。五指同時にボールを掴み、瞬間、回転に逆らわず手首をボールに巻き込むように捻り挟む。

 

『な、なななななんと! 長門選手! キッドの『クイック&ファイア』を、片手(ワンハンド)キャッチでインターセプト!』

 

 弾丸のように鋭い錐揉み回転しながら飛ぶパスを、激しく回転するベーゴマを摘み取るのと同じ要領で獲る。

 単純な(キャッチ)力だけではない、手首が強靭かつ柔軟、そして、手先の器用さが求められる繊細な芸当を瞬発的にこなさなければならないスーパープレイを長門村正は成功させた。

 もはやこれは、巨神がその威容で圧倒する『ポセイドン』ではない、四方八方全方位に触手()を伸ばして獲物を搦め捕る海の悪魔『クラーケン』と称する方が相応しいか。

 

(チャンスだ――!)

 

 ボールを捕って、着地。

 片手キャッチというスーパープレイか、それともインターセプトというビックプレイか。それともその両方か。

 とにかく、そのインパクトに西部は反応が固まっていた。アナウンスが響いても、目を大きく見張らせて、すぐ動けないでいる。

 ――そこを走り抜ける。

 

「と、止めろー! 早くそいつを止めるんだ! ゴールを狙ってるぞーー!!」

 

 西部の監督が飛ばす声に、我に返る西部。しかし、遅い。

 

「うおおおお、止まらねぇえええ!! もう3人ぶち抜いたァあああ!!」

 

 泥門側も事態に追いついていない急な展開だが、独走状態に入る。

 フィールドを埋め尽くす光の走路(デイライト)が視えている。そこを目指しながら、カットステップとクロスステップオーバーを激しく切り込み、鋭くバックステップを刻み入れる。

 

「――スピードだけは負けられない……!」

 

 単独で道を阻む西部を抜き去っていたが、追い縋る影。

 『ロデオドライブ』の最高速を超える120%のスピードのタックル。

 これまでセナが抜け切れていない甲斐谷陸のタックルが腰を捉えた。

 

「甲斐谷陸、東京地区の秋季大会で俺を捉えたのは、お前が初めてだ。――だが、これからが本番だ!」

 

 アイシールド21ならば、これで止められただろう。

 だか、この程度では己は倒れない。捕まろうが、潰しに掛かろうが、強引に押し通る――!

 

「うおおおおおおっ!!!」

 

 間近で聞いた甲斐谷陸が軽く脳震盪を起こしかけるほどの雄叫び。

 ボールを抱える左腕にビキビキと血管が浮かび上がり、肥大化する太股が馬力の程を示す。

 腰に甲斐谷陸を抱き着かせたまま、前進する――

 

(この……っ! 俺達には、一生かかっても手が届かない、アメリカンフットボールの原点の走り……!)

 

 猛烈な勢いに、腕を振り切られてしまいそうになる。必死に倒そうとしているがまるで屈さない。圧倒的な理不尽に、甲斐谷陸が折れかけた……その時だった。

 

 ――汽笛が鳴る。

 

「お゛お゛お゛おおおおおお!!!」

 

 っ!

 暴れ馬(ロデオ)を落ちるその間際に、鋼の機関車(アイアンホース)が間に合った。寡黙な鉄仮面の男が激情を露に、“キッドからボールを奪ってくれた長門村正(こちら)”に突撃。甲斐谷陸と鉄馬丈は二人がかりで、フィールドへ押し倒した。



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25話

『ならなきゃ……一番に――絶対金メダルを取らなきゃ……!!』

 

 

 “紫苑、皆がお前に期待してるぞ”と優しく声をかけてくれた父さんはこの結果に誉めてもくれなかった。

 一番にならないなら無価値だと落胆した声で責めた。

 

 優勝できるのは本当の天才ひとりだけだ。

 ほとんどの人は負け犬になる運命だ。

 だったら最初からどうして夢なんて見るんだ――!

 

 人間分相応。

 夢見るとロクな事がない。

 ……結局、その結論へと行き着いた。悟ってしまったから、射撃に対する執念も薄れ、貪欲に求めていた勝利もさほど気にならなくなる……乾いた飢えを満たすのを諦めて、一人勝手に枯れて、しまったのだ。

 

 射撃の名門・武者小路家の御曹司(サラブレット)は、強いられるNo.1獲りの重圧に潰されて、名前を捨てた。

 そして、ただの子供(キッド)になり家を出る。

 もうあの場所には帰らない。そう決めて。

 

 5位入賞の表彰を額縁ごと川へ投げ捨て、荷物を詰めたバッグをもった時、この路傍のガキにひとりついてきた無愛想な幼馴染はそれを手に掲げてみせた。

 

 ――これなら射撃と違って、鉄馬も一緒に遊べるじゃない。

 

 それは、昔一緒に遊んでいた、自分のアメフトボール。

 荷物になるからと思っておいてきたボールを持ってきた鉄馬は、無言のままこちらに渡す。

 

 それからだ。

 アメリカンフットボールを鉄馬と一緒に打ち込み始めたのは。

 

 

 ~~~

 

 

「ったくよー、もう長門一人で十分じゃねーか?」

 

「後ろでヒル魔先輩が飛ばした指示通りに動いて、黒木らが上手いことキッドのパスコースを限定してくれなければあんな守備は取れないぞ。それに一人じゃタッチダウンまではいけなかったしな」

 

「悪かったな。フォローに行くのが遅れちまってよ」

 

「気にするな、と言っておくが、それならここからゴールまでボールを持っていって挽回してくれ、十文字」

 

「アハーハー! あとは任せてよ! このボクが華麗なスーパープレイを魅せてタッチダウンしてみせるさ!」

 

「ふっ、それは頼もしいな、瀧。――じゃあ、任せたぞ、皆」

 

 長門村正が、ベンチへ下がる。

 十二分に健在なランを見せたが、方針は変わらず、オフェンスには参加させない。

 しかし、今のプレイで十分、泥門は勢いづいた。転がり出した石が坂道を加速していくように、効果は長門が下がっても続く。

 

「長門は、守備だけのようだね、進」

 

「だがそれでも今の泥門の攻撃力はヤワなものではない」

 

 実際、その後、流れを引き寄せた泥門デビルバッツは、ランとパスの波状攻撃で西部ワイルドガンマンズの守備を圧倒して、最後は、マークを外したタイトエンド・瀧へのショートパスで決めた。

 

『タッチダーウン!! 泥門の攻撃力の爆発が止まらなーい!!』

 

 超攻撃型チーム同士のド派手な点取り合戦は、取り零した方が、負ける。

 

「テメーら、ここがチャンスだ! 一気に西部を()りに行くぞ!」

 

 ボーナスゲームでもその手は緩めず、積極的に攻めの姿勢を崩さない。

 泥門の指揮官・ヒル魔は武蔵のキック――と見せかけてのパスプレイを仕掛ける。

 キックティーにセットしたボールを駆けこんだ武蔵の直前で取り上げ、ゴール内に切り込んでいた雪光へパスを投げ、決めた。

 

『決まったー!! 29対28! 圧倒された前半からの、泥門逆転!』

 

 ラスト10分。

 泥門デビルバッツは、西部ワイルドガンマンズからついに試合(ゲーム)の主導権を取ったのだ。

 

 

 ~~~

 

 

「あいつらを止められなくて、すまない……っ!」

 

 あの勝気な三年主将の牛島先輩が、チームに頭を下げる。

 ディフェンスを仕切る先輩は、泥門に逆転を許してしまったのに責任を覚えており、これまで聞いたことのないような弱気な声で謝ってきた。

 

「せっかく、鉄馬と陸があいつを止めてくれたっつうのによォ……」

 

 ……っ、牛島さんにこんなに頭を下げさせるなんて情けないぞ俺……!

 その隣では陸も悔しそうに、俯いて拳を振るわす。

 

 だが、彼らは悪くない。牛島先輩は全力で身体を張ってチームを支えようとしていたし、陸も貪欲にプレイしていた。

 

 むしろ、ここは前半の22点差から心を折らないどころか試合を覆してきた泥門の連中を褒めるべきなのかもしれない。

 自分にはとても言えない、“アレ”を目標として堂々と言える彼らは、西部と似たタイプのチームだが、逆風から這い上がってきた者たちだけがもつ力があった。

 最強の座への、執念という優位。

 

 ……だが、そんなにも西部ワイルドガンマンズは、執念が劣っているというのか?

 そんなわけがない。

 目を瞑り、これまでのことを思い返せば、すぐにわかる。牛島先輩も陸も、試合に勝ちたいに決まっている。チーム全員が一丸となって優勝したいと本気で思っている。

 だから……もしも執念の差で負けているのであれば、それは自分だ。今、西部が負けているのは自分のせいだ。

 

 ――『全国大会決勝(クリスマスボウル)

 この単語を、“アレ”としか口にできない、意気地のない、賢しらぶって冷めたガキ(キッド)が足並みを乱してしまっている。

 

「………」

 

 深い溜息と共に、薄らと目を開けると…………ボールがあった。

 

「鉄馬……?」

 

 それは、かけがえのない親友で、頼もしい相棒。

 家出の時のことを思い出させる状況で、しかし常に無言のままその行動で意を示す鉄馬が自らその重く堅い口を開いた。

 

「今度は、負けない」

 

 お互いに4歳の時からの付き合いだが、これは初めてだった。

 滅多に――いいや、誰からの指令でもない限り、喋ることのない幼馴染が、言葉にしてその意志を伝えてくる。

 

 簡潔極まる単語だが、一体何が鉄馬からその“感情(ことば)”を引き出せたのか。

 驚くも、すぐに思い当たるは、さっきの敗北、初めて任務を失敗させられたそれ。

 かつて自分が敗北を喫した時は、絶望に打ちひしがられたというのに、鉄馬はあの“天才”という怪物に再び挑みたいという。

 

 まさか……

 追い詰められて、“勝たなくちゃいけない”という急き立てられているのだろうか。すぐにでも敗北を挽回したくて、そうしなければ見捨てられてしまうと恐れているのか――

 

「いや――」

 

 そんな己の思い違いを、幼馴染は、また言葉少なに否定した。

 

 

「勝ちたい」

 

 

 無感情だったその瞳の奥で、火が燃え盛っているのが視えた。明らかに勝利への野心が透けて見える。

 それは過去の自分のような渇望とは違う。

 

 ()()()()――勝たなきゃならないじゃなく、ただ純粋に勝ちたい。

 いつの間にか、鉄馬だけでなく、陸も牛島先輩もみんながこっちを見ている。鉄馬と同じ、その奥に闘志という名の炎を宿す瞳で。

 

 そう、これは、“夢”、だ。

 自ら望んで死に物狂いで戦いに赴くのは、単純にそれのため。それ以外にない、純粋な想い。

 

「―――」

 

 “夢”とは、ずっと辛いものだと思っていた。

 だから、ずっとそれを言えなかった。

 でも、今は言える。

 

「ああ……勝とう」

 

 勝たせてやりたい。そう思った。

 そして、俺も、同じ“夢”に混ざりたい、と。

 ボールを受け取り、皆のその目を見つめて、

 

「一緒に行こう、クリスマスボウルに……!!」

 

『おう!!!』

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT! HUT! HUT!!」

 

 ――目つきが、変わった。

 『クォーターバック・スパイ』で真っ向から睨み合っていたから、すぐに悟る。西部のクォーターバック・キッドの姿勢が、それまで以上に鋭く、そしてこれまで感じ得なかった熱さが表に出ていた。

 

 これは、眠れる獅子を起こしたか……?

 

 逆転したが、これまで以上に長門村正は気を引き締める。

 より集中して、その挙動を見据え――キッドが“銃”を抜いた。

 

(さらに0.1秒早く――っ!? いや、これは――)

 

 パスコースを予測し、跳んだ――だが、そこにボールはない。

 最初に左手でボールを止めて、もう一度振り被った時、ボールはそっと左手に残し――右腕は振り被ってパスモーション――しながら、左手は隠し持ったボールを、駆け込んだランニングバックへ渡す。

 『神速の早撃ち・二丁拳銃(ダブル・クイック&ファイア)』が炸裂!

 

「行くぞ、泥門! これが本気の西部ワイルドガンマンズだ!」

 

 一気に、栗田を中心に据えた泥門の壁を抜き去る暴れ馬。

 キッドの早撃ちのフェイクに引っかかり、逆方向へ跳んでしまった長門村正は、甲斐谷陸のランの対応に遅れる。

 

「そう何度も行かせっかよ!」

 

 だが、今の泥門の守備は後衛に人数が多い。

 そう、巨深ポセイドンの『ポセイドン』はパスだけでなく、ランも幅広くカバーする陣形だ。

 後衛陣が雪崩れ込み、すぐさま走路を塞ぎにかかる。

 

 ――その荒波の如く波状で仕掛けてくる障害に真っ先に矢面に立つ鋼鉄の重機関車(アイアンホース)

 

「鉄馬を止めろォォ!」

 

 レシーバーの鉄馬丈が、甲斐谷陸のランをサポートするリードブロックに入っていた。

 一度しか黒星をつけられていない『人間重機関車』は、泥門の守備を悉く跳ね除けて、線路の通りに走るのではなく、先駆けとなって新たな線路を開拓するよう広く轍を作っていく。

 この蹂躙走破に泥門の最終防衛線のセーフティを担当するヒル魔、そして、アイシールド21が駆け付け、阻まんとする。

 まず、ヒル魔が鉄馬に挑みかかった。

 しかし、性能が違う。脚の速さも、腕力も、ガタイも鉄馬の方が格上で、組み付く間もなく撥ね飛ばされた。

 だが、僅かでもリードブロックを相手した時に生じた隙がある。その隙に黄金の脚を持つアイシールド21は鋼鉄の機関車を躱し、回り込むように背後の暴れ馬を狙う――

 

「この走り、は……!?」

 

 盾の鉄馬ごと大きく回り抜けるよう弧を描いて走り、全速で潰しに来た相手が必死に伸ばす手から遠ざかる甲斐谷陸。

 『ロデオドライブ』の更なる発展形、『ローピング・ロデオドライブ』。

 

「行かせん!」

 

 そこでようやく、滞空状態から着地し、即座に切り返した長門村正が迫る。

 超広域の守備範囲を抜けようとする海の悪魔『クラーケン』は、独走状態を許しはしない。一人たりともこの魔の海域から逃さない。

 セナを相手に僅かに遠回りをした甲斐谷陸にその魔手が伸びる――

 

「やらせ、ない……!!」

 

 それを鋼鉄の機関車が身体を張って割って入る。

 そう、甲斐谷陸は鉄馬丈を回り込むようにアイシールド21を躱して、抜けた。

 さっきと前後の位置取りが変わっているのだ。

 後ろから追いかけていたが、そこにいるのは甲斐谷陸ではない。すでに暴れ馬は盾の前を行き、その背後を守護するように、ヒル魔を吹き飛ばした鉄馬丈が、今度は長門村正を抑えにかかる!

 

「この……っ!」

 

「うお゛お゛お゛お――!!!」

 

 『アイアンホース』と『クラーケン』が正面衝突でぶつかり合い――重心移動が極まった二段式に圧が増す技でもって、鉄馬のバランスを崩し、倒してみせた長門だったが、既に甲斐谷陸の背中はその手の届かぬほど遠くにあった。

 

 

『タッチダァァウン!! なんと西部、すぐさま泥門から逆転しました!!』

 

 

 ~~~

 

 

 先程のプレイは布石となる。

 キッドが見せた神速で閃く二丁拳銃。

 長門村正はそれに、二つの銃口――二通りの弾道予測をせざるをなくなる。

 この刹那に突き付けられる選択肢は、ひとつに絞る切れずに考えさせる。本能的な動きを鈍く(おくれ)させる迷いを生む。

 

 フィードゴール。キックするかと思いきや、キックティーにセットしたボールを捕るキッド。

 

『これは……キッド君、パス体勢ー!? キックは囮だったっ!』

 

 先程のヒル魔がしたプレイの意趣返しのように、同じ。

 そして、ゴールラインの奥へと『人間重機関車』鉄馬丈が切り込む。

 

 だが、それと同時に『暴れ馬』甲斐谷陸がパスをもらいに行くようにキッドの下へ駆けつけた。

 

(見えんっ!?)

 

 クォータバックとランニングバックが交錯する――走り込んだ甲斐谷陸の身体が、『クォーターバック・スパイ』の長門からそのパスモーションを隠す。

 一瞬のことだが、その投擲速度は神速。隠せるのが一瞬であっても、パスは投じられる。

 

 判断が迷った末に――長門は、甲斐谷を追った。

 しかし、今度はその手に、ボールはなかった。『神速の早撃ち・二丁拳銃』が織り成す、オプションプレイにまんまと釣られてしまった。

 

「――糞チビ共! 中央入れっ!!」

 

 キッドのプレイアクションパス――これに、判断が早かったのはヒル魔

 長門が甲斐谷陸を抑えに向かったと認識するやボールの行方を確認する間もなくその逆へ張った。

 二択で来るのなら、その二択をこちらも一気に潰す。

 

 ゴールラインの奥中央へと走り込む無敵の重機関車・鉄馬丈――を、ヒル魔、モン太、アイシールド21の3人が包囲(マーク)

 

「おぉおし! ヒル魔の察知スピードが一瞬勝ちやがった!」

 

 泥門コーチ・溝六は喝采を上げる。

 陸はボールを持っていない。ゴールライン内にいるパスターゲットは、鉄馬のみ。鉄腕・鉄脚を誇るアイアンボディを持つ鉄馬だろうと三人がかりで封じ込めれば、西部の選択はない……はずだった。

 

 ――鉄馬は、最強のレシーバーだ!

 

 『神速の早撃ち』は、その密集地帯を狙い撃った。

 

「ええぇ……無理やり、3人に囲まれてるとこに投げ込んだ!?」

「勝ァァつ!! あの鉄馬さんに……!」

 

 跳躍した鉄馬に、3人も競り合うよう身体をぶつけながら跳ぶ。

 だが、ブレない。逆にヒル魔、モン太、アイシールド21をまとめて吹き飛ばして、キッドからのパスを捕らえた。

 

『タッチダーゥン!!』

 

 西部、すぐさま逆転。

 29対36。残り時間が少ない中、泥門は厳しい状況に追い込まれる。

 

 

 ~~~

 

 

「クソッ、やられた」

 

 西部ワイルドガンマンズの雰囲気が変わったというか、チーム全体の一体感が増した。

 ガンガン攻めるが、どこか保守的な印象があったチーム……司令塔のキッドが常に一歩離れた位置で冷静に幉を取っていたが、ここにきて一丸になって攻めに来ている。士気も静かだが高い。

 

(なるほど……ヒル魔先輩の“闘争心がグツグツなカマトト野郎”という評はこういうことか)

 

 改めて、理解する。

 

「流石に……すんなり勝たせてくれないか。全国大会決勝までの道のりは中々に険しい。……そうこなくっちゃな……!」

 

 西部ワイルドガンマンズは東京地区でも……いや、この東日本でもトップクラスのチームだ。

 

「それでも、まだ逆転は射程圏内。タッチダウンを決める時間も十分時間がある」

 

 ボーナスゲームで2点狙いになるだろうが、今の泥門ならやれる――!

 

「……モン太、オフェンスを頼んだぞ。栗田さんとセナの『爆破(ブラスト)』は確実だが、あまり距離は稼げない。お前へのロングパスが頼りになる」

 

 そして、鉄馬に競り負けたモン太を起こそうと手を差し出し、

 

「おう。ここから先ミスは絶対にできねぇ! 集中MAXでやってやる!」

 

 …………ん?

 少し、今の語勢に反応する。モン太が気合十分なのはいつものことだが、何か、違う。

 だが、それを長門自身、うまくわかっていないせいか、どう声をかけるべきか判断に迷い、そして、時間は待ってはくれなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 さっきより、全然凄みが増してやがる……!

 

 運動部歴の長いモン太はいち早く秘めた気迫を察した。

 マッチアップしている相手、ただでさえ自分にはまともに相手にできない鉄馬丈はそのプレイに気持ちが乗っている。冷たかった目に、燃え滾るモノが垣間見えることを。

 武蔵厳が復帰したときの栗田良寛のように、本物の機関車の如く蒸気を噴いている鉄馬丈は一段とパワーが増しているのだ。

 

 ――だけど、それでも()()()()()()()()()()

 

 このまま好き放題されっぱなしじゃ、面目が立たない。

 それに――あの泥門野球部からの“三軍通告”が、過る。

 キャッチ以外に取り柄のない自分は、憧れの本庄勝と同じ野球選手になる道を諦めて、このアメフトをやっている。

 だから、ここでも手も足も出ずに太刀打ちできないんじゃ……もしもこの泥門デビルバッツにも居場所がなくなっちまったら――!

 

 

『これはなんと……西部ワイルドガンマンズ! ここで連続攻撃狙いの超ギャンブルプレー、『オンサイドキック』――!!』

 

 

 西部のキッカー・佐保天一が蹴ったのは、ムサシ先輩の大砲キックとは、逆の、小さく転がるキック。

 『オンサイドキック』だ。

 

「チィ……! 守りに入んねぇで、()りに来やがったか、糞ゲジ眉毛……!」

 

 逆転されたが、まだタッチダウン一本で点差を覆せる。

 だが、ここでタッチダウンを取らなければ、泥門デビルバッツは負ける。

 おそらくこれが最後になる攻撃のチャンスを、西部ワイルドガンマンズは端から潰しに掛かった。

 

 

 ~~~

 

 

(どっちにしろ、ボールを捕られれば、こっちも泥門の攻撃は止められない)

 

 この展開で、超攻撃型チーム同士がぶつかり合えば、シーソーゲームになる。

 こちらとしても、後半から加わった雪光学に、瀧夏彦と雷門太郎の三枚のパスターゲットに純然たる重戦士・栗田良寛とアイシールド21の中央突破を完全に押さえる自信はないのだ。

 そして、さっきの作戦は上手くいったが、長門村正の対応力を舐めちゃいない。

 正直なところ、二丁拳銃(オプション)プレイを読まれるかは五分五分だった。それで、判断を誤れば、鉄馬も陸も仕留められる恐れがある。

 『神速の早撃ち・二丁拳銃』でスタートを出遅らせ、『人間重機関車』が身体を張って走路を妨害して、やっと海の悪魔『クラーケン』が陣取る魔の海域から逃げ切れた『暴れ馬』はタッチダウンを奪うことができた。

 『妖刀』という“天才”は、怪我をしていても尚、脅威。自身(キッド)と鉄馬、陸の三人がかりでも油断ならない相手なのだ。

 だから、向こうがタッチダウンを取って、それからさらに逆転できるかは、残り時間から計算して危うい。『60ヤードマグナム』のキック力でかなり後方からスタートを始めなければなくなるだろうし、元々、あの『ポセイドン(クラーケン)』は多少の前進は覚悟するが、時間はロスさせる守備網なのだから。

 ――しかし、攻撃権を渡さなければ、ほぼ確実に西部ワイルドガンマンズの勝ちだ。

 

 頭の算盤を弾いて、点を勘定すれば、博打だが成功すればデカい。ハイリスクハイリターンを狙うのはらしくないと思うが、ここが勝負どころだ。

 気弱な一面があるが、“サボらずの佐保”なんて呼ばれるくらい練習量は西部随一の佐保先輩は、注文通りにボールを転がしてくれた。

 だから、あとは――

 

 

 ~~~

 

 

「やらせっかよっ!!」

 

 セナは後ろ、長門もベンチに下がってる。

 だから、一番近い、自分(モン太)がボールを捕りに行く。絶対に捕る。『オンサイドキック』は飛ばさない分、ゴールまでの距離を稼ぐことはできず、捕れればかなり有利な展開になる。そう、これを捕れば、今までのヘマが一発でチャラになるくらいの功績になる――!

 

 フィールドの真ん中に無茶苦茶に跳ねさせたボール。これの奪い合いに大乱戦となる激戦区。策もあったもんじゃない原始的な争いに身を投じる。

 

「モン太……!!」

 

 楕円形のボールはバウンドする軌道や呼吸が不規則極まりないが、()()()()()()()

 だから、わかる。迫りくる西部の連中を躱しながら、ボールが転がる方へ駆ける――だが、その方向はちょうど機関車の線路上にあった。

 

「鉄馬っっ……!!」

 

 前に立ちはだかる障害を撥ね除けて最短距離で来る鉄人レシーバー。

 さっきは3人がかりでもやられちまったけど、今度は負けねぇ!

 まさかの『オンサイドキック』で不意を突かれちまったけど、位置的に(スタート)はこっちが有利だったんだ!

 絶対にボールを捕るんだ!

 

 

「「うおおおおおおっ!!!」」

 

 

 両軍のレシーバーの雄叫びがぶつかり合う。

 そして、空中で、()()同時にボールを捕らえた。

 

(――俺の方が早かったっ!)

 

 カルタ取りで言えば、既にこちらが先にお手つきしている。向こうは、ほとんどこっちのボールを捕まえた手の上から掌を被せるような形で、そこからもぎ取れれば――!

 

 腕力じゃ逆立ちしたって勝てない。

 だけど、キャッチだけは負けられない。

 ボールをしっかりと鷲掴みにしているこの状態で、負けるわけにはいかないのだ!

 

「りゃああああぁっ!」

 

 地面に滑り込んでも離さない鉄馬の手からボールを強引に奪い取ったモン太。

 

「取った!!」

 

 ボールを確保。これで、泥門に攻撃権が……

 

 

 ~~~

 

 

「――西部ボール!!」

 

 

 ~~~

 

 

 審判は、厳正に判定を降す。

 

「両者、ボール確保のまま鉄馬君の肩が先に地面についた瞬間、西部のキャッチ及び転倒が成立している! よって、その時点でプレイは終了!

 攻撃権は――――西部ワイルドガンマンズ!!」

 

 歓声を上げる相手ベンチ。

 

 もぎ取ったボールを手にしたまま、呆然とモン太は、審判が何を言っているのかわからなかった。

 

 俺が、ボール捕ったんだ……

 

 負けちゃいねぇ!

 勝ったんだ! 捕ったんだ!

 “キャッチの最強になる”って約束したんだ本庄さんに!

 ホラちゃんと勝ったんだ!!

 なのに――!!

 

「泥門、ボールを西部へ渡してください」

 

 審判が、通告する。

 だが、それを無視して、頑としてボールを手放さない。

 

「モン太君、早くボールをこちらに」

 

 再度の通告。

 それでも、聞かない。

 サルでもわかる。ここで攻撃権が取れないことが、どれだけチームの敗北に直結していることくらい。

 

 全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くんだ! こんなとこで終わってたまるか!!

 てめーなんかに、わけわかんねぇ判定なんかで終わりにされてたまるかよ!!

 ちゃんとルールブック読めよ! 書いてあんだろ! 俺が捕ったんだよ!

 

「泥門」

 

 ふざけんじゃねぇぞチキショォオオ!! このクソ……――

 

 再三の――今度は警告になる。すっと審判の眼差しが細められる。それと同時に、モン太は掴んだボールを審判に向かって思い切り叩きつけようと振り上げ――奪られた。

 

 

「すみませんでした」

 

 

 さらりと――だが、『ストリッピング』の応用を利かすなどわりと高度に――掠め取った長門村正は、モン太に代わってボールを審判へ渡す。

 

「けど、こいつ、相当な負けず嫌いでして。どうも今のが悔しくて、受け入れ難かったようです」

 

「気持ちは分かったけど、あまり試合の進行を妨げないように」

 

「はい。以後気をつけます」

 

 とモン太の頭を掴んで、一緒に謝罪して頭を下げる長門。モン太はこれに意地でも反抗するよう力を入れて逆らったが、残念ながら長門の圧力は強制的で強力だった。

 

「~~~っ!! 長門っ!」

 

 そして、見送った審判が去ってから抑えがなくなったモン太が縮まされたバネのように勢いよく跳ね上がって、長門へ突っかかる。も、その反発もすげなく切り捨てるように、

 

「守備につけ、モン太。ここで駄々こねても事態は好転しない」

 

「だから、今のボールは俺が捕ったんだ! 鉄馬さんから奪ったんだよ!」

 

「だが、鉄馬丈の身体が先に地面に落着した。審判からの説明があった通り、そこで西部ボールになった」

 

 バッサリと言い切る長門。再び事実を突き付けられたモン太はカッとその胸ぐらを掴む。

 これに、アイシールド21(セナ)は慌てて二人の間に割って入ろうとし、武蔵が腕で前を遮り、止める。

 

「む、ムサシさん、あれ止めないと二人が喧嘩……」

 

「やらせておけ。……ヒル魔も時計を止めたみたいだしな」

 

 栗田もあわあわとしているが、その横でヒル魔は面倒くさそうにだが審判にタイムアウトを申請している。

 

「何でだ長門! どうしてそんなこと言うんだよ! ここで攻撃権(ボール)獲んなかったら負けちまうんだろ!」

 

「負ける……? だと――モン太、お前こそ何勝手に決めてやがる」

 

 グッと長門がモン太の胸倉を掴み返す。

 

「叶わなそうなものを、叶えてみせるのが夢だ。そこで終わりだって立ち止まってしまえば、その先へはいけない」

 

 モン太は眼力が放つその静かな圧にウッと言葉が詰まる。片腕で、ふらふらと爪先が地面を擦るくらいに持ち上げたその小柄な体をグイッと引き寄せ、

 

「フィールドでプレーする誰もが必ず一度や二度、屈辱を味わわされる。モン太、お前だけが打ちのめされているんじゃない」

 

「長門……」

 

「確かに、厳しいことは厳しい。認める。厳しい状況を楽観的に大丈夫だなんてホラ吹きはしせん。だが、厳しい現実を受け止めないと挑むことも敵わん」

 

 ふと、頭の中の辞書を開くようにその目を瞑り、

 

「『勝者になる人間は、決して途中で諦めないし、途中で諦める人間は、決して勝者にはなれない』――それが、“あいつ”から聞かされた、ノートルダム大のコーチの言葉だ。そして……」

 

 モン太を下ろし、ギラつく光を何の憚ることなく閃かせた目を真っ直ぐに、泥門を窺う西部へと睨み据えながら、宣戦布告するかのように言い放つ。

 

 

「『――勝つのは俺だ』、それが、絶対に膝を屈さないことを信条とするノートルダム大付属のエース、『アイシールド21』の口癖だ」

 

 

 泥門デビルバッツにとって、『アイシールド21』とは、まず真っ先に、普段は小心者の小市民なセナを指す名詞。ヒル魔先輩が成りすまして勝手にハッタリを吹聴することがあるが、まずそんな言葉と『アイシールド21』は結びつきがないようなものだ。強気な発言は真逆と言っていいくらいあまりにイメージと乖離している。

 

 だが、モン太は、それに疑問を挟まなかった。

 長門の『勝つのは、俺だ』と言い切った文句は、人を自然と頷かせてしまうくらい力強かったのだ。

 

 

 ~~~

 

 

 人の脳は『~してはいけない』、『~するのはダメだ』など否定的(マイナス)な命令を受け付けられるようにはできていない。

 『ミスをしてはいけない』、『負けてはダメだ』とこうした思考は体を固くし、逆にプレイの(クオリティ)を低下させてしまう。

 

 自分もそれに陥りかけたのにすぐその危うい兆候に気付かなかったくせして、他人(モン太)に説教するとは汗顔の至りもいいとこだが、そこはあの厚顔あつかましい幼馴染の言葉を借りた。

 しかし生憎と、そんな恥じ入る内心を察して、容赦なく突いてくる先輩がここに一人いる。

 

「ケーケケケケケケケ!! クッサいセリフがオンパレードじゃねぇか!! カッコつけ過ぎだろ糞カタナ!!」

 

「ヒル魔先輩にだけは言われたくないんすけど!」

 

 幼馴染の言葉を借りたけど、そっちは『アイシールド21』の皮を被ってテレビでも言いたい放題だ。どうなってるんだこの人の精神構造(メンタル)は!

 

「その、長門君……ボク、そんなこと言ったことないけど、すごくカッコいいと思うよ!」

 

「いや、セナ。気持ちは分かったから、追い打ち(フォロー)してくれるな」

 

「アハーハー! ここはボクも決め台詞を考えてみせようじゃないか!」

 

「だから、俺の決め台詞じゃないぞ、瀧」

 

 みんなも集まってきて、事態が収拾つかなくなる前に言いたいことは言わせてもらおう。

 

「とにかく負け犬のままでいたくなかったら、切り替えろ。勝つヤツはすぐにそれができる人間のことを言うもんだ」

 

 そういって、改めてモン太の方へ向いて、今度は誰の言葉も借りずに言う。

 

「余計な雑念を捨てろ。失敗にビビってるのはお前らしくない。『デスクライム』で、我武者羅にぶつかってきたときは、この俺に本気を出させたぞ」

 

「―――」

 

 強気に、それから不敵に笑んで。

 

「ケケケケケ! カッコつけもいいが、糞カタナ――ホラ吹きはしねぇっつってたが、本気なんだろうなァ?」

 

 まだ首の皮一枚繋がってはいるが、状況を見れば百人中九十九人が泥門の負けだというだろう。

 時間帯的にもギリギリで、ここで西部に追加点を許してしまえば、一タッチダウンでは追いつかなくなってしまう。

 幸運にもさっきは、『神速の早撃ち』をインターセプトできたが、今のキッドにもう二度とあんな甘い球が来るとは期待できない。

 だが、それでも関係はない。

 

「無論、単にカッコつけだけで言ったつもりはありません」

 

 試すようなヒル魔先輩に、目を逸らさず見つめ返し、前言撤回する真似はしない。

 『勝つのは俺だ』、これが誰の文句でも、今ここで吐いたのは俺だ。

 

 そして、ようやっと再起動したモン太がいきなり、バチンッ! と思いきり自らの頬面を挟み叩き、それでも物足りないのか、こっちへ、

 

「長門、俺のことぶん殴ってくれ」

 

「なに?」

 

「頼む、思いっきしぶん殴ってくれ!」

 

 泥門なら、もしくは対戦してきたチームならば、それは血の気が引いて顔が蒼褪める提案だ。

 何せ、あの鉄人・鉄馬丈すら悶絶させた人間凶器の長門村正。モン太もしょっちゅう長門と相手をして、どつかれてきているのだ。身に染みてわかっている。だが、命知らずもいいとこだが、それくらいしないと気合いが全開(MAX)に入らない、我武者羅を思い出すには、いつもの一発が一番効く。

 

「ったく……さっきは危うく審判に突っかかりそうだったからな。ちょうどその面に拳骨落としたかったところだ」

 

「お、おっしゃ来い!」

 

 じろりと睨まれて若干怯んだがそれでもモン太は頑固に目を瞑って、ふぅ、っと息を吐いて長門。

 

 

 そうして、雷門太郎は、防具のヘルメットのありがたみを脳天から突き抜ける衝撃と共に痛感した。



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26話

『東京最強の超攻撃型チーム合戦、ついに残り3分切ったァー!』

 

 

「時間が足りない……! 早く、早くこっちの攻撃ターンにしないと……!」

 

「落ち着け、セナ。まだ時間はある」

 

「俺らが追い付く時間足んなくなんじゃねーか!!」

 

「だから、まさにその為に時間を潰しに来ているんだ」

 

 攻撃権を奪った西部ワイルドガンマンズは、すぐにゲームを始めない。

 アメフトは、毎プレイ25秒以内に始めればいい。当然、リードしている側はギリギリまで時間を潰す。それもまた戦術だ。

 

「西部ワイルドガンマンズの攻撃はキッドがギリギリまで見極めて、確実にこちらに渡さないように仕掛けてくる。だから、キッドは俺が見張る。残り3分間、絶対にあちらの筋書き通りにはやらせん。この腕を折ってでもな」

 

 西部ボールで始まるゲーム。残り時間も少ない。しかし、ベンチから見ている武蔵の目に誰ひとり顔を俯けさせる者はおらず、泥門の士気は高い。

 

「鉄馬丈は、地区レベルの選手じゃない。この関東圏内でも確実に5本の指に入るレシーバーだ。胸を借りるつもりで我武者羅に当たっていけ。そして、今度はちゃんと捕ってこい」

 

「おう!」

 

 さっきは気負いすぎて取り乱したモン太も今は静かに目の前のことに集中できている。

 やはり、中核にあって、チームを支えるのは……

 

 

「長門のヤツ、ここまで大きくなっていたのか」

 

「おうよ武蔵。お前がいない間、一番二人とチームを支えてきたのはアイツだ」

 

 だろうな。

 栗田もヒル魔も助けられている。特にヒル魔は、己のパスをキャッチしてくれるクォータバックとしては欠かせない相手だ。だから、その恩恵が誰よりもわかっている。

 

 多くの人々の意見とは裏腹に、エースは生まれつきのものではない。

 エースは作られるものだ。努力と懸命の働きで作り出されるもの。

 この劣勢下でも“何とかしてくれる”と思わせる長門は、もう“次世代の(ルーキー)”エースなんて納まる存在じゃない。

 

 

《今日の西部の成績、一番成功率が高いプレイは、鉄馬君へのショートパスパターン、『ヒッチ』》

 

 マネージャー(主務業も兼業している)姉崎まもりよりハンドサインが送られ、指揮官のヒル魔妖一がそれを読み取る。

 

 “武者小路紫苑”は、天才だ。

 パス全種類の成功率くらい、間違いなく感覚的に把握している。だからこそ、予想できる。

 100%ではないものの、着実な時間稼ぎを行った時に選ぶ最高のパスパターンがどれなのか、それに山を張れば、そこにパスが来るはず。

 残り時間が減り、勝ちに入ったものほど、実は攻撃の幅が狭まっている。

 

 『爆破』中心のオフェンスに、『ポセイドン』のディフェンスという時間をロスする戦術で、時間を削ってきた。この勝負所まで。

 

 

 ~~~

 

 

 その目線と動き。

 キッドは、早撃ちながら制球もいい。過去にアメリカの射撃場で射撃を見せたが連続打ちでほぼすべて的の中心を撃ち抜いてみせた。

 だからそこに誤差はなく、狙い通りにボールは飛ぶ。

 

(ヒル魔先輩の読み通りなら、来るのは『ヒッチ』)

 

 左斜め後方へ切り返すパスルート。

 10cmのブレなく疾駆する鉄馬丈へ投げ込まれるとなれば、その捕獲位置までだいたい予想がつく。

 それほどまでにこの二人のコンビネーションは完璧だ。

 

「SET――」

 

 直前、長門村正はほんの僅か、極僅かに早く、エースレシーバー・鉄馬のいるサイドとは逆の方向へ身体を傾けた。

 『ロデオドライブ』を誘導したのと同じ、重心偽装(ガマク)。キッドは選手をギリギリまで引き付けてから投球する。『神速の早撃ち』で相手を躱し、レシーバーの上がる限界まで待つのだ。

 だから、見逃さない

 よりパスコースを誘導させる些細なフェイントも、あの男は必ず反応する。

 

「――HUT!!」

 

 瞬間、キッドは“銃”を抜く。“二丁拳銃”ではなく、初っ端からパスを投げる。

 奇を衒うことなく、速攻で仕掛けた。それも超早撃ちの下手投げで――しかし、そのパスは右へ、鉄馬丈がいる方へと投げ込まれた。長門村正もそれと同じ方向へ身体を反応させた。

 

 

「あぁ、知ってたよ。()()()()()()()

 

 

 パスは予想よりもさらに遠く、伸びた。

 

 『ヒッチ』、ではない……!

 この試合で、まだ一度も投げていないパスは、『クイックアウト』。

 方向転換するタイミングは『ヒッチ』と同じだが、左斜め後方へ切り返すのとは逆、右外へ逃げるパスルート。

 

「それでも……!」

 

 最初の選択は、間違っていない。

 最も信頼する鉄馬丈へとパスを投げ込んだことに間違いはない。

 だから、この選択を正しいものにする――

 

 

「うまい……! このパスの絶妙な位置……キッドは狙ってる!」

 

 観戦する王城ホワイトナイツのクォーターバック・高見伊知郎は思わず唸る。

 それは、長門の立ち位置から届く弾道じゃない。だが、それでも長門なら強引に飛びついてカットを狙いたくなる距離だ。

 キッドは既にあの『クラーケン』の超広範囲守備の間合いを測り切っていたのか。

 そして、鉄馬より脚の速く、力のある長門が倒れ込めば、鋼鉄の機関車を阻めるものなどいない――

 

 

 ――諦めるな!

 

 “諦め”が過った時点で、勝負が決まる。そう、溝六先生に教わった。そして、先生たちにはなかったこの身長(タッパ)なら、『二本刀』に掴めなかったものも掴めるはずだ

 低い弾道。だがこの身体は、()()()()()

 

「長門村正を舐めるなァ!!」

 

 全身を倒しその長身分間合いを強引に潰しにかかる突撃(チャージ)と、片腕を思い切り伸ばす一突き(タックル)

 

「あ゛ああああっ!!」

 

 ヂッ! とボールに指先で触れた。その指の力で、ボールの弾道を跳ね上げ(ズラし)た。

 

 

 かすった……!?

 

「バカな!! あんな距離から……絶対に……」

 

 観客らの予想を裏切るその身体能力と執念。

 超神速の銃弾を、『妖刀』の切っ先は当てた。

 だが、それでも捕まえることは叶わない。

 

「ここ、までか――後は、頼んだ……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 既定の到達地点を強引に逸らされた。

 計算外の奇跡を起こすなど、やはり彼は“天才”か。

 だが、それでも、鉄馬なら獲れる!

 

 

 ――ゾワッ! とその時、また後半開始のプレイに覚えた悪寒を、感じた。

 

 

 ~~~

 

 

 超神速の下手投げからの低い弾道、それはパスカットが間に合わないはずのボールだった。

 だけど、必ず、長門はチャンスを作ると信じていた。

 

(鉄馬先輩、力で競り合ったら勝ち目なんかねぇ。だったら、鉄馬先輩に……今までの俺全部と身体でぶつかってくんだ……!)

 

 鉄馬先輩は、長門に掬い上げられたパスの弾道を確認してルートを修正しようと顎の下が見えるくらい顔を上に見上げる。

 けど、こっちは振り返らない。

 鉄馬先輩の方しか、向かねぇ……!

 

「モン太の野郎、ボールを捕りに振り返るためのエネルギーを全部飛ぶ足に注ぎやがった……!」

 

 ボールに背を向けたままの頭上(オーバーヘッド)キャッチを仕掛ける雷門太郎。

 これに、鉄馬丈は目を瞠る。

 高い、速い、だがこれはそれ以上にリスクがつきものだ。このままでは猛スピードのまま空中でクラッシュする。

 鋼鉄の機関車の前に自ら身を投げ出しに行く暴挙。だが、勝つには文字通りの全身全霊で挑まなければダメだ。

 

「クラッシュ上等ォォ!! キャッチ勝負なら負けられねぇんだァァァァ!!!」

 

 

 ボールに振り返らない代わりに、当たりながら頭上キャッチ。

 こちらも危険。しかし、跳ぶ。指令は絶対に果たす――!

 

「うおおおおおおおっ!」

 

 初めて、この相手を線路に転がる小石のような邪魔な障害ではなく、明確にキャッチで競り合ってくる“敵”だと鉄馬丈は認識した。

 

 

(畜生やっぱしな。躊躇いもしねーで飛びやがった!)

 

 悔しいが、向こうがレシーバーとしての格は上だ。

 

「おおおおお捕ったァァ――――! 空中戦を制したのはやっぱ鉄馬だぁああああ!!」

 

 当然だ。

 これは雷門太郎には不利な勝負。身体(ガタイ)の強度や高さだけではない、あんな背中越しでは正確にボールの位置を把握できるわけがない――

 

「いや――とにかく、伸ばすんだよ、手をよ……!!」

 

 見えない後方へ、モン太は手を振り上げる。それは、鉄腕の鉄馬がボールを手中に確保(キャッチ)するために、手から力を抜く唯一の瞬間――そのタイミングでボールに当たった。

 

(偶然では、ない……!?)

 

 そんな動きではない。

 この“敵”には、後ろのボールが視えていた。

 

(狙……――否、クラッシュした最中で、不可能だ。そんな事は……!!)

 

 長門村正がボールを跳ね上げたのは、イレギュラー。

 そこに信頼があっても、軌道を予想できるものではないはず。

 

 鉄馬丈には理解の出来ない異常。

 だが、雷門太郎は、『オンサイドキック』の楕円形のアメフトボールの不規則なバウンドも瞬時に予測する“勘”がある。

 それはNASAエイリアンズの管制塔(エース)レシーバーの眼力よりも早く精確に捉える感性。

 

 10年間、ボールだけを追ってきた経験則。

 練習バカに生えた“背中(バック)の目”。中途で弾かれた弾道でも、即座に軌道修正されたものを脳裏に描け、ほぼ8割方視えていたのだ。

 

「う――お――おおおおおお!」

 

 雷門太郎は、“天才”、ではない。

 だが、その執念で格上の相手からもぎ取った。

 

 そして、『人間重機関車』はキャッチ未遂で両手からひっぺ剝がされ――

 

「今度はもう落とさねぇ! キャッチの最強だけは! 譲れねぇんだ!!」

 

 また一度、ボールは跳ね上がった。

 

 

「俺にできんのはここまでだ――後は頼む……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 一度、掬い上げられ、二度、跳ね上げた。

 誰のものでもない、二人の決死のプレイで零れ球となったそのボールを拾い上げたのは、アイシールドのヘルメットを着けた背番号21――

 

 

 ~~~

 

 

『泥門デビルバァァッツ!! キッド&鉄馬のショットガンパスをまたも破ったっ! ボールを奪ってそのままカウンター攻撃だァァー!!』

 

 長門君とモン太が託してくれたこのボール。これが、この試合でおそらく最後で最大の逆転のチャンス。

 

「やってやる。怪我人野郎とキャッチバカサルが死ぬ気で作ったチャンスだ!! 死んでもスピード落とすんじゃねえぇ! セナ!!」

 

 西部は対応が遅れてる。今は後衛に入っていた十文字君たちがすぐに『掃討作戦(スイープ)』のように道を必死に身体を張って広げてくれる。

 

「―――!!」

 

 だけど、ひとり。

 ワイルドガンマンズの背番号29――陸が、前に回り込んだ。

 

「陸! あの野郎、よくやったァァ! ギリギリで勘づいてやがったァァ!!」

 

 『ロデオドライブ』で、一気に近づかれたら、もう逃げられない。

 その前に躱さないと……――

 

 陸のいる方向とは反対の、栗田さんたちのいる方に逃げれば、6ヤード……ううん、8ヤードは行けると思う。

 インターセプトして、奪い取った攻撃権を絶対に奪い返されるわけにはいかない。

 

 でも残り時間はもう僅かで――陸一人さえ抜ければ、タッチダウンを決められる……!

 

 

『『勝者になる人間は、決して途中で諦めないし、途中で諦める人間は、決して勝者にはなれない』――それが、“あいつ”から聞かされた、ノートルダム大のコーチの言葉だ』

 

 

 そう――勝者は、諦めない者だけがなれる。

 ここで、陸から逃げるような真似……“陸は避け切れないと諦めてる”のと同じなんじゃないのか?

 僕達は、全国大会決勝に行くために、()()に来ているんじゃないのか?

 

 とほんの一瞬、そんな考えが過った時、ほとんど無意識に進路は決まった。

 真っ直ぐに、最後の難関が立ち塞がる陸のいる方に突っ込んでいった。

 行ってから、軽く“何でこっちに突っ込んじゃったんだろ……”と臆したけど、脚は止まらない。

 

「――いいだろう、セナ。100戦目の決着だ!!」

 

 これまで、ずっと勝てなかった壁で、走り方を教えてくれた先生。

 陸は自分にとって大きな壁だ。だけど、自分はその陸に自ら挑みに向かった。

 ステップで逃げて躱したいのなら、最初から陸の方に行かなければいい。『ロデオドライブ』の一気に120%のスピードで急加速するタックルから逃げられはしないのは重々思い知らされているのに。

 

 

『『――勝つのは俺だ』、それが、絶対に膝を屈さないことを信条とするノートルダム大付属のエース、『アイシールド21』の口癖だ』

 

 

 長門君の話を聞いて、“本物のアイシールド21”なら、ここは絶対に引かないと思った。

 

 ――陸に、勝つんだ……!

 

 

『序盤、糞カタナの後ろについていって、プレーをよーく見ておけ。ヤツはランの手本にはちょうどいい』

 

 そして、思い出す。

 アメリカンフットボールのお手本にしてきた彼は、ただ足だけで敵を抜き去ってきたのかを。

 

 

 ~~~

 

 

 『身体はボールのためにある』

 倒されようともボールを守る、その意識が徹底されてきた。

 

 だが、その守りに入った走りでは勝ち目はない。

 

 長門村正は、いない。

 いつもアイシールド21の前で、相手を倒し、道を切り開いてきてくれた、護るための殺意を持った守護神はいない。

 

 だから、己の手で道を切り開かなければならない。

 

 フィールドは、戦場だ。

 これまで、小さな体格の、ほぼ常に庇護下にあった小早川セナが持ち得なかった物。

 それは、自分と仲間たちの為ならば、害なす敵は何人たりとも打ち砕いてやると言う、凶暴な戦士の意思――

 

「あ゛あ゛あ゛っ!」

 

 今、それが、芽生えた。

 

 

 ~~~

 

 

 甲斐谷陸は、見た。

 最高速で突撃(タックル)を仕掛けたこちらに、向こう(セナ)もまた最高速で突っ込んで――ボールを抱きこんでいた腕をこちらに突き出してきた。

 

 ――セナが、俺を()()、した……!?

 

 教えた通りに、身体全体でボールを守るんじゃない。

 その腕っぷしで、自分(りく)を強引に破りに来た。

 

(勝つんだ、陸に! 勝つんだ……!!)

 

 苛めてくるガキ大将に逆らう術として、爆速ダッシュを教えたのに、そいつらの言いなりになってパシリ込みをずっとしてきた弟分。それが兄貴分の自分に牙を剥いた。

 その驚嘆せざるを得ない事態に、僅かばかり陸の思考は固まった。そして、条件反射で、こちらに迫る腕を、払う――

 

 瞬間、セナの姿が、消えた。

 

 腕の攻撃に意識を集中させてから、0.1秒で曲がり切る『デビルバットゴースト』!!

 

「っ!」

 

 内心で、己の甘さを叱咤する。

 何をしているんだ。こんな隙を晒して抜かれてしまうなんて、今のセナは――ビビりでも、パシリでもないと認めていたというのに……!

 

 陸はすぐ切り返し、セナを追う。

 最終防衛線(セーフティ)の自分が止めなければ、タッチダウンを決められてしまう。

 しかし、セナはもうあんなにも――遠くに――自分の前を走っていた。

 

 前半、ほぼ互角だった走り合い。

 この終盤に来て、自分の走りが落ちてきた実感はない。そんな最後の最後で息切れしてしまうヤワな鍛え方はしていない。だから、これは、向こうが一段ギアを上げたのだ。

 

(そうだ。これが――光速の世界――セナの全力疾走――)

 

 40ヤード走4秒2。

 『ロデオドライブ』で一瞬の120%のスピードに飛ばす自分よりも速い、その黄金の脚。

 そして、全身を捨てる。ボールの為に――その意識よりも、一歩先へ果敢に踏み込んだプレイ。

 ああ……認めざるを。得ない

 

 

『タッチ――ダァアゥウン!!』

 

 

 ……セナ、俺らの100戦目――――お前の、勝ちだ!

 

 

「うおおおああっ!!!」

 

 独走状態で到達したゴールエリアで、ひとりのアメリカンフットボール選手が、勝利の咆哮をあげた。

 

 

 ~~~

 

 

 残り時間を一分切って、35対36。

 

「「「「「泥門! ―――泥門! ―――泥門!!」」」」」」

「「「「「――ワイルド! ――ワイルド! ――ガンマーンズ!!」」」」」

 

 泥門と西部、両チームの喉が張り裂けんばかりの必死な応援合戦。

 一点差、そして、今、起死回生のタッチダウンを決めた泥門には二点を得られるボーナスゲームがある。

 ここで阻止するか、逆転するかで、試合は決まる。

 

「まんまと、やられちゃってよ……やっぱり良すぎるとロクな事がねぇ」

 

 キッドとヒル魔、二人の司令官が、背中を向けて相対する。

 

「言った通りになっちゃったかねぇ。最強の司令塔はヒル魔妖一って……」

 

「本気で思ってねぇセリフを今更口にすんじゃねぇ糞ゲジ眉毛。最強の司令塔なんざどうだっていい。試合で勝てりゃぁいいんだよ」

 

 この大一番に、西部ワイルドガンマンズは、キッドに、鉄馬丈に、甲斐谷陸に、バッファロー牛島……と攻撃陣・守備陣関係なく、総動員オールスターをフィールドに結集させる。

 当然だ。

 ここで2点決められてしまえば、敗北してしまうのだから。

 

「最後までプレイさせてもらう、と言ったんですから――参加させてもらいますよ、ヒル魔先輩」

 

「ケッ、言うまでもねぇ糞カタナ。一番有り余ってる体力をここで全部注ぎ込みやがれ」

 

 泥門も、途中から守備でしか出されてなかった長門村正を参戦させた。

 

 もう勝負は単純だ。

 ここでゴールを決めれば、泥門の勝ち。阻止できれば、西部の勝ち。

 

 

 泥門デビルバッツは、これが最後のチャンス。

 攻撃と守備にメンバーがそろっている西部とは違い、泥門はほぼ全員が両面。体力の消耗が違う。長期戦は不利で、延長戦ともなればそのパフォーマンスを最高に維持することはできないだろう。

 

 キッカーの武蔵がゴールを狙うように構え、ヒル魔の前にキックティーがセットされているが、泥門の選択肢(ねらい)は九割九分決まり切っていた。

 助走距離を取る武蔵の左右斜め後方には、アイシールド21と長門村正がついている。

 

「じゃあ……いくぞ」

 

 ――武蔵が、駆け出す。

 ――栗田から、ボールがスナップされ、ヒル魔がそれをセットする。

 ――セナと長門が同時に武蔵を追うように走り出す。

 

『ムサシ君、ボールを蹴らずにそのまま栗田君の元へ行きます!』

 

 武蔵はアメフトのフィールドを長らく離れていたが、大工仕事で鍛えこんだその肉体。ベンチプレスに換算すれば、その膂力は90kg。ラインとして通じるだけのパワーがある。

 この試合激しいぶつかり合いに消耗の度合いもまた激しい泥門の中でも、まだ体力が残っている。センター・栗田が押し合いを支えるも、圧され気味なラインを強烈に後押しする。

 その背後で――――仕掛ける。

 

『おおっと! アイシールド21と長門君が交差する! ヒル魔君がどっちにボールを託したかわからないぞォ!?』

 

 キック寸前でボールを引き戻したヒル魔。そこへX字に駆ける二人。

 『聖なる十字架(クリス・クロス)』、ヒル魔がその身を壁として渡す瞬間を隠し、どちらにボールがあるかはわからない。

 長門は大外を狙うよう左サイドへ――そして、アイシールド21は中央へ――

 

「止めろぉぉ! そいつに壁を飛び越えさせるなー!!」

 

 西部ワイルドガンマンズ走力の壁。

 バッファロー牛島が吼え、競走馬並みの心肺能力で無尽蔵のスタミナを持つ馬場山オグリと組んで栗田を抑える。甲斐谷陸も小柄ながら脚力で踏ん張り利かすよう背中を支え、押し出す。泥門の中央突破をさせない。

 

「ぐっ……!」

 

 もうほとんどガス欠な泥門も精魂振り絞って押し込もうとするが、それでも進ませてはくれない。

 ――それでも構わず、翔ぶ!

 

 

『出たァァ! アイシールド21の『デビルバットダイブ』!!』

 

 

 悪魔の蝙蝠が、飛翔する。

 黄金の脚の全力疾走、そして、身軽だからこそ飛び越える、アイシールド21――小早川セナの必殺技。

 軽いその身を活かせる跳躍で一気にゴールへ――

 

「今度こそォォ! 『空中二本の角(デュアルホーン)』!!」

 

 牛角の如き、太く長い豪腕。

 それが、空中を飛ぶ高速のランニングバックを叩き落とした――!!

 

 40ヤード走4秒2の黄金の脚を持つアイシールド21は、しかし全力疾走の後は、スピードが落ちてしまう。

 甲斐谷陸の『ロデオドライブ』を振り切るために脚力をほとんど使い果たした直後で、飛翔したが、『デビルバットダイブ』の勢いが足りなかったのだ。

 

「勝っ……――」

 

 が、その腕の中に、ボールはない。

 囮――つまり――ボールを託されたのは――

 

『アイシールド21はボールを持っていない!? ボールを持っているのは、長門君だァァ!』

 

 力ある破壊的なラン、密集地帯の押し合いに有利な体格を有する『妖刀』

 単独でも、壁をぶち破る怪物の腕に、ボールがあった。

 アイシールド21が駆け込んだ中央に西部の意識は集まっている。そこから離れるよう外側から回り込む長門――だが、この泥門で最も危険なプレイヤーを決してノーマークにするはずがない。

 

「鉄馬ッ!!」

 

 長門を追走するは、鉄馬丈。後衛のワイドレシーバーながら、その腕力は西部で主将・牛島に次ぐ二番手。そして、その肉体は鋼の如く鍛え抜かれて、とにかく硬い。

 長門と言えど、そう簡単には破られはせず――さらに、逸早くボールの在処を察知したキッドも立ちはだかる。二人がかりで止め、そして、他の西部の面子が集合するまでの時間を稼ぐ。

 ――だが、身体を張るその二人の前で、思い切り踏み込んだ長門は――跳んだ。

 

『な、なななんと!? 長門君が『デビルバットダイブ』かー!!?』

 

 その身体能力で、屈伸させたバネを解放。屈強な長身が空を舞う。

 

 ――いや、だが、おかしい!!

 

 目を瞠る跳躍力。おそらくこれが、彼が魅せる全力のジャンプで、その高さはこれまでのよりも段違いに高い。王城ホワイトナイツの『エレベストパス』の桜庭春人よりも上を行っているように見える。

 しかし、真上にベクトルが行き過ぎていて、前への飛距離がない。ゴールラインを飛び越えるには前進が足りない。これではあっさりと着地を捕まってしまう!?

 

 そして、どうして空中でボールを持った左手を振り被っている??

 

 まさか、そこから――!?

 

 銃撃で最も難しいとされるもののひとつに、ヘリからの狙撃がある。

 風が吹き荒ぶ空中で、不安定に揺れる足場から、狙った通りに地上の標的を射抜ける狙撃手はそれこそ神業の技量を持っていると評しても過言ではない。

 

 ハンドボールに、『ジャンピングスロー』なる空中戦があるが、それは豪快な技のようで、跳ぶ時の位置、高さ、角度、跳躍後の地面から足が離れた体勢、ボールコントロールの全てがかみ合わない繊細な技。

 キッドにも無理だ、そんな無茶苦茶なパスは――

 

 だがしかし、長門村正は誰よりも高く、誰にも触れさせない位置にボールを掲げながら、その体勢はブレない。

 究極のボディバランスを持ち、そして、『シャトルパス』の模倣が可能なほど上半身だけでも超長距離パスを投げられる。

 

『まさに、艦載機(ガンシップ)!! 地上に一方的に撃たれるそのパスは、『エアリアル・デビルレーザー(バレット)』!!!』

 

 『神速の早撃ち』が誰にも触れさせない最速のパスであるのなら、空中狙撃弾は誰にも触れられない最()のパス。

 

 だが、それを誰が捕る――??

 誰にも止められないパスが投げ込まれたとしても、それをキャッチできる相方がいなければ、点には結びつかない。不発に終わる。

 瀧、雪光、モン太とレシーバーも総動員して押し合いに参加させている。後衛のアイシールド21もダイブさせて、ボールを受け取れるような余裕はない。だから、そんなパスがくる以前に、パスに対して警戒を外していたのだ。

 今、泥門にパスを獲れるのは――

 

 

 ~~~

 

 

「――ケケケ、言っただろうが、“最強の司令塔”なんざ最後に勝てんならどうだっていいってな、“東京最強のクォーターバック(むしゃのこうじしえん)”」

 

 

 ~~~

 

 

 ボールを渡してから、押し合いに参加せず、アイシールド21の『デビルバットダイブ』が注目を集める最中、ひとり逆サイドからゴールラインに入ったそのパスターゲットは……

 

「ヒル魔、妖一……!!」

 

 西部ワイルドガンマンズで絶対のホットラインはキッドと鉄馬だが、泥門デビルバッツにもまた麻黄中時代から組んでいる最恐のタッグがある。

 『悪魔の妖刀』なる過激で超攻撃的な攻めを繰り出すそれは、年季も密度も、鉄馬とキッドにも負けない。

 上から下へ。超高所より大上段で放たれた稲妻の如き弾道――関東大会行きの切符(ボール)を悪魔の手は確かに掴み取った。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門高校アメフト部、部員数僅か2名。昨年の秋大会一回戦負け――それから一年、少ないながらも夢を分かつ仲間たちが集まり彼らはフィールドへ戻ってきた。

 ひとつずつ、ひとつずつ這い上がり、傷つきながらも前へ進み――そして、今、ついに泥門デビルバッツ! 西部ワイルドガンマンズを下し、東京代表として関東大会へ進出する切符を掴みました――!』

 

 37対36。

 試合前の下馬評を覆して、東京地区大会準決勝は、泥門デビルバッツが制した。

 “大和のライバル”がいるチームが勝ち進んできた。

 

(長門村正、か……)

 

 会話もしたことのない相手だが、身長体重から好きな食べ物や些細なくせまで知っている。大和がそれはもうマニアなくらい何でも知っていて、ことあるごとに話してくれるからだ。

 彼の幼馴染で、そして、この日本で本当のプレイスタイルを引き出させられる最高の好敵手(ライバル)

 羨ましい、と思う。

 何せ、少年野球じゃ敵がいなくなって、この日本アメフト界の覇者の帝黒学園へ来たけれども、大和以外で相手になる選手がいなかった。

 

(ああ、だけど、大和と同じ天賦の超人なら、俺とも闘うことができる)

 

 あの片手キャッチでのインターセプト……。そして、最後のトライフォーポイントのセットプレイで見せたあの高さ。

 ()()()()はつまらなかったが、彼のプレイは興味が湧いた。初めて、彼とは競り合いとなればパスが捕れないかもしれないと思えた。大和のこともあるし、一度、会ってみたくなった。

 

(うちの親が提案している企画、最初はあまり気が乗らなかったけれど……乗ってみるのもいいかもしれない)

 

 

 ~~~

 

 

 逆転に次ぐ逆転の大激戦の末に、泥門デビルバッツは西部ワイルドガンマンズを降した。

 これで準決勝を制した泥門は、一番に三位までの(みっつある)関東大会進出を決めた。

 

 その後の試合で、王城ホワイトナイツも順当に賊学カメレオンズを下して、決勝へコマを進めた。

 それで、最後の関東大会行きの切符を手にしたのは、三位決定戦で勝利した西部ワイルドガンマンズ。

 

 そして、東京秋季大会。

 すでに両チームとも関東大会、『超人達の闘技場』行きを決めたが、因縁がある。

 が、その優勝争いには参戦できなかった。というか、させてもらえなかった。

 

 

『怪我が治っていないのに、試合で無茶しようものなら――呪います』

 

 

 怪我を(ほぼ)完治させたはずなのに、家を出た瞬間に、意識が暗転。

 目が覚めれば、真っ白な部屋。病室である。

 それで、今度は見舞いに付き添ってくれたお隣さんのリコからすでに終わった決勝戦の話を聞いて、それから、病院の岡婦長に“試合に出る気満々だったきかん坊な糞後輩の毛髪”が裏ルート(ほぼ犯人は予想がつく)で提供されたという噂を教えてもらった。

 もしもそれが本当なら、高校最強のラインバッカーの“槍”にも耐え切ってみせる自信があったのに、病院最恐の婦長の藁人形の杭打ちからの金縛り(のろい)にはまるで抵抗できなかったことになる。

 オカルトの類はあまり信じたくないが、今後、岡婦長のお世話にならないよう怪我をしないようにより気をつけていくことにした。

 

 それから、武蔵先輩のお見舞いできていた武蔵工務店の皆さんがどこから話を聞き付けたのか挨拶をしに来てくれて、準決勝前で大変だった玉八さんから赤ちゃんが元気な様子を見せてくれた。それでリコが赤ちゃんを抱っこしてテンパりパーマになりながら、皆さんから口々に関東大会行きを祝われて、最後に、フラッと病室に寄ってきた武蔵先輩のお父さんから、頭を下げられた。『あのバカ息子を、よろしく頼む』、と……

 

 

 そうして、病院は岡婦長の看護(のろい)の甲斐があってか即日退院できたが、それで泥門が王城に負けた結果が覆るわけがない。

 

 長門村正(じぶん)が欠場することになったが、それでも泥門は試合開始前から諦めてる顔をしているものはひとりもいなかった。

 特にセナはいつになく気合いが入っていた。『進さんと勝負をするときになったら』と前々から決めていたセナは、準決勝でぶつかった幼馴染の甲斐谷陸からかけられた『いつまでそんな“仮面”に頼ってるんだ。すでにセナは、本物アメリカンフットボールプレイヤーだ』という後押しもあって、試合前にこれまで正体を隠し通してきた姉崎まもり先輩に“アイシールド21”の秘密を打ち明けた。

 その後の(過)保護者な姉崎先輩との関係がどうなったのかは知らないが、それが、セナの走りに影響を与えたのか、さらにキレが増したランでもって、進清十郎に果敢に勝負を挑みに行った。

 試合の結果は負けた。メンバーが揃っていなかったとはいえ、西部との超攻撃的な殴り合いを制した泥門デビルバッツのオフェンスが十点に抑えられた。

 だけど、あの王城に今大会初失点を記録した。

 点の内訳は、武蔵先輩の50ヤードの長距離キックと、セナが全身でぶつかっていく『デビルライトハリケーン』からの、40ヤード走4秒2の光速の世界突入で、たった一度だけだが進清十郎を抜き去り、タッチダウン。

 それでも、王城ホワイトナイツの堅実な試合運びと、桜庭春人と高見伊知郎の『エレベストパス』を止め切ることはできずにタッチダウンを連続で許し、結果は、10対14で負けた。

 

 王城ホワイトナイツと泥門デビルバッツは白熱した試合を繰り広げて、お互いともに手札を隠し合ったまま決勝戦という名の“前哨戦”を終えたのだった。

 

 

 ~~~

 

 

「――優勝、王城ホワイトナイツ」

 

 選手全員がそれぞれのユニフォームで集まる、東京地区秋季大会の表彰式。

 関東アメフト協会理事長から王城の主将・大田原誠へ優勝旗が手渡される。

 

「続いて、ベストイレブンの発表をする」

 

 王城ホワイトナイツへチーム優勝を称える静かな拍手を送った後で、個人の表彰へ移る。

 ベストイレブン。

 ポジションごとに最強選手を表彰する、架空のオールスターだ(ちなみに選ばれるとスポンサーのジャリプロより、“軽さの常識を超えたスパイク・モデルSAKURABA”が贈られる)。

 

「攻撃部門、ライン一人目から、泥門デビルバッツ・栗田良寛!

               王城ホワイトナイツ・安護田良則!

               西部ワイルドガンマンズ・馬場山オグリ!

               巨深ポセイドン・水町健吾!

               柱谷ディアーズ・山本鬼兵!」

「タイトエンド部門、泥門デビルバッツ・長門村正!」

「レシーバー部門、西部ワイルドガンマンズ・鉄馬丈! 王城ホワイトナイツ・桜庭春人!」

「ランニングバック部門、泥門デビルバッツ・小早川セナ! 西部ワイルドガンマンズ・甲斐谷陸!」

「クォーターバック部門、西部ワイルドガンマンズ・キッド!」

「キッカー部門、盤戸スパイダーズ・佐々木コータロー!」

 

「守備部門、ライン一人目から、王城ホワイトナイツ・大田原誠!

               王城ホワイトナイツ・渡辺頼広!

               西部ワイルドガンマンズ・バッファロー牛島!

               王城ホワイトナイツ・上村直樹!」

「ラインバッカー部門、王城ホワイトナイツ・進清十郎!

           巨深ポセイドン・筧駿!

           賊学カメレオンズ・葉柱ルイ!」

「コーナーバック部門、王城ホワイトナイツ・艶島林太郎!

           王城ホワイトナイツ・井口広之!」

「セーフティ部門、王城ホワイトナイツ・釣目忠士!

         王城ホワイトナイツ・中脇爽太!」

 

 読み上げられていく錚々たる面子。

 これに栗田先輩やセナは大変恐縮しているが、あれだけの活躍をしておいて何を驚いているのか。

 しかし、モン太は選ばれなかった。だが、桜庭春人と鉄馬丈に次ぐ三番手のワイドレシーバーについているだろう。

 

(にしても、守備陣はほぼ白一色(王城守備陣)だな。……まあ、大阪(むこう)は両面とも()()()なんだろうが)

 

 そして――

 

 

「最後に、秋季東京大会最優秀選手賞MVPは――進清十郎!!」

 

 

 やはり、順当だ。

 高校最高のラインバッカー……この地区大会で相見えることは叶わなかったが、その称号に文句なし。同じ『二本刀』を師に持つ者として、尊敬できる選手で、目標とすべき壁。

 今度こそ、フル出場して決着をつけたい。

 

 

 ~~~

 

 

 ――と、これで、会長の話は終わらなかった。

 

 ジャリプロのマネージャーより贈呈されたMVP賞の20万円相当のノートパソコンを早速壊してしまった進清十郎が表彰台から降りた後、再び壇上に上がった会長は、そこで力を篭めてカッと目を見開いて、マイクを握る。

 

「……先日、関西アメフト協会会長より打診があった」

 

 表彰が終わり、これで式を解散する、かと思いきや、話が続く。

 会長の重みのある言葉に誰も声をあげることなく、ただただ静聴の姿勢を取る。

 

「これは、君達のチームとは関係のない、日本のアメリカンフットボールの発展のための取り組みだ。だから、協会の命令ではなく、君達に参加を強制することはしないと誓おう」

 

 前置きを入れて、それを発表する。

 

「たった今、選抜した東京地区オールスターと、大阪地区オールスターとの東西の交流を目的とした東京地区対大阪地区の親善試合を行いたいと思う!

 もし!

 西の帝国神話を打ち砕かんとする断固たる意志を持っているのであれば、是非ともフィールドに集ってほしい!!」



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27話

「な、長門君、本当に僕がこんなとこに来ちゃってもいいのかな……?」

 

「準決勝で甲斐谷陸を降し、決勝ではあの進清十郎を抜いておきながら、そんな低姿勢でどうする、セナ。少しくらい“自分が東京最強のランニングバック”だと胸を張ったらどうなんだ?」

 

「長門君~~っ! だ、大丈夫かな!? 僕、まだあんまり実感がないんだけど……」

 

「栗田先輩は本当に自信を持ってください。あなたはあの番場衛にだって一歩も引けを取らなかったラインマンなんですから」

 

 城のようにそびえる校舎は三つある。

 ひとつは教室数244を誇るメイン校舎で、それから図書館、美術室など文科系教室の校舎、最後のは体育館やジムなど体育系教室の校舎。

 そして、グラウンドは芝と土をボタンひとつで入替可能で、実に設備が充実している。これなら他校の選手を受け入れても十分に広い。

 

 気品と誇りを重んじ、紳士淑女を育む格調高き名門校、私立王城高等学校。

 

 そこへ、長門村正、小早川セナ、栗田良寛……泥門デビルバッツで、東京地区のベストイレブンに選ばれたメンバーは、この“オールスターの特別合同合宿”に訪れていた。

 

「ヤー! すごーい! でも、どうしてみんなここに集まることにしたの?」

 

「それは、秋季大会で最もベストメンバーを輩出し、地区大会を優勝したのが王城学園ですから」

 

 それから、泥門高校とは他校生ではあるが、瀧鈴奈と熊袋リコが付き添ってくれている。

 

『――テメェら関東大会までゆっくり休ませてもらえると思ってねぇだろうなァ!! 『デスゲーム』だ!!』

 

 他のメンバーはヒル魔先輩の主導で『デスゲーム』……泥門に不足している実戦を補うため、連日練習試合を行っている。今頃は夕陽ガッツと試合をしているだろう。

 ……というわけで、ここにヒル魔先輩も武蔵先輩もおらず、普通であれば、唯一の先輩である栗田先輩が引っ張ってもらいたいのだが、普段は温厚で、遠慮がちな性格の人だから気後れしてしまっている。

 なので、長門が先頭を歩いており……その泥門のライバルたちを歓迎するよう門前の階段で、待っていた人達。王城ホワイトナイツの中核を担う選手たちだ。

 

「――ようこそ、王城学園へ」

 

 長身に眼鏡をかけているのは、指揮官である高見伊知郎。

 

「よろしく、泥門」

 

 その隣に並ぶ双子塔のような長身の、このベストイレブンにも選出されている東京最強レシーバーのひとり桜庭春人がこちらに手を挙げ、爽やかに挨拶。

 

「ばっはっは、歓迎するぞ栗田、泥門!」

 

 後ろには同じくベストイレブンのラインマンである大田原誠がその大きな腕をこちらへ振っており、そして……

 

「………」

 

 一番奥には、腕を組んで真っ直ぐにこちらを見据えている東京地区の最優秀選手(MVP)にして高校最強の守護神・進清十郎とこの歴代最強の王城ホワイトナイツを築き上げた監督・庄司軍平氏が控えている。

 長門たちは、彼らの前で揃って、一礼。

 

「今日から三日間、よろしくお願いします!」

『お願いします!』

 

 号令をかけた長門は肩に提げたカバンから、師・酒奇溝六より預けられた物――徳利を取り出すと、この合同オールスターの監督も任されている師の昔馴染みの庄司監督へ差し出す。

 

「これを。溝六先生より、庄司監督へ土産に渡すようにと」

 

「まったく……あいつは高校生(みせいねん)に何を持たせているんだ」

 

 呆れつつも、若干苦笑に硬い頬を緩めてそれを受け取る。

 共に千石大の『二本刀』と名を馳せた古い付き合いだ。向こうの思惑も言伝なくとも察せる。

 『こいつらを頼む』と。

 

 自分たちは最強の対戦チームとの、人生の全てを注いで闘った最期の試合、一点差で儚く散った。

 その敗因となった身長を持ってる傑物を、あの溝六がどれだけ待望していたのか、どれほど手塩にかけたか、言われずとも知れよう。

 そんな戦友の大事な教え子――その中でも己の全てを叩き込んだ同ポジション(タイトエンド)の後継者を預けられたのだ。つまらない真似はできない。

 

 自分たちの現役時代はとうの昔に燃え尽きた。しかし、それは土となり、糧となる。そして、この基盤にして肥料たる土壌に、咲いたのだ――自分たちの無念を晴らしてみせると言ってくれた次代の選手たちという“大輪”が。

 

 

「よかろう。この三日間、私のチームの選手として扱う。ただし、そうであるからには一切の気の弛みは許さん! わかったな!」

 

『はい!』

 

 

 ~~~

 

 

 と、門を潜る前に、そっと手で肩を押さえられた。

 

「待ってくれ、長門。その荷物、預かろうじゃないか」

 

 正確には肩を、ではなく、肩に提げているカバンをだが。

 

「他校とはいえ先輩に対して、そんな真似はできません」

 

「なに、遠慮する必要はないよ。――それに、隠し事はなしだ」

 

 びくぅっと声をかけられたわけでもないのにセナと栗田先輩が跳ねる。顔芸が苦手な面子にああも反応されては、もう降参するしかない。

 

「……いや、俺としてもこれは不本意ですが、先輩命令でして」

 

「大丈夫だよ。この三日間は僕も先輩だからね。――さあ」

 

 ……この先にある関東大会でも屈指のライバルになるであろう王城ホワイトナイツの本拠地に潜り込める絶好の機会を、あの勝利に貪欲な悪魔の先輩がみすみす逃すはずがない。

 そう、今日の友は、明日になれば敵になることが決まっている。だったら、やれることはやるに決まっている。

 

 しかしだ。そんなこと、このヒル魔先輩自ら“最も自分に似ている選手”として名を挙げる高見伊知郎にはお見通しだったらしい。

 長門がヒル魔先輩に持たされたカバンには、様々なカメラやらマイクやらが入っており、これで“合同合宿の傍らで敵情視察もこなしてこい”と無茶ぶりなミッションも出されてたりする。

 

「僕は参加しないけれども、君達は、大事な親善試合があるんだ。()()()()に気を回す余裕なんかないだろ?」

 

「……はい、ですよね」

 

 理路整然と詰めながら静かに圧迫とした弁舌に長門は、高見伊知郎へその荷物が積み込まれたカバンを渡す。

 やはり、この人。ヒル魔先輩と同じタイプの人間で、口ではとてもかなう気がしない。

 

 

 ~~~

 

 

 ――ボールが投げられた。

 

 それを追うのは、二人。

 ひとりは、東京地区最強レシーバーのひとり、西部ワイルドガンマンズの鉄馬丈。

 そして、もうひとりは……

 

「カッ! 最強レシーバーだろうが、通させるかよ!」

 

 賊学カメレオンズのラインバッカー・葉柱ルイ。

 『フィールドのカメレオン』と異名の所以となったその長いリーチの腕を獲物に振るい、ボールを捕らえた――その相手の腕を狙う。

 キャッチしたレシーバーを強襲して、空中戦を泥仕合に落とし込む。まさに、『カメレオンの舌(ハント)

 だが、

 

「フシュウゥゥ――!」

「何イイイイイイ!!」

 

 伊達に『人間重機関車』などと呼ばれていない。

 関東でも屈指の、パワータイプのワイドレシーバーは、腕に巻き付いたカメレオンの舌でも揺るがず、強引に引き剥がす。

 泥門戦で、ボールを確保する一瞬、僅かとはいえ力を抜いたところをやられて、競り合いに負けた。それをこの男は忘れてなどいなかった。

 鉄腕の両手でがっちりと、確実に逃さない、もう二度とあんな敗北はしない――!

 

 

「糞っ!」

 

 親善試合に向けた合同練習。

 桜庭春人と並ぶ、この東京地区の最強レシーバー・鉄馬丈とのマッチアップだったが、まるで敵わない。三位決定戦でも西部とやり合ったが、この堅物の突進は止められなかった。

 もう触れただけで、無茶苦茶な夏合宿だとか鉄馬丈(こいつ)には最初から何の意味もなかったと思い知らされた。

 ……いいや、西部とやり合う前から俺達は負けていた。

 

『葉柱さん、ベスト4ですよ。()()じゃないですか』

 

 圧倒的な力の差があろうと、最後まで歯を食い縛って格上に挑む。

 泥門だって、格上だった西部に必死にしがみついた。だったら、俺達だって……やれるんだと証明しなくちゃいけない場面で、あいつらは諦めた。いや、満足しちまっていた。

 

 準決勝の王城戦。

 チームとしても個人としても負けている、文句なしのAクラスのチームに、“所詮はBクラスのチーム”と思い込んでいるあいつらは、途中で試合を投げた。

 ふざけるな!

 敢闘賞などない。頂点以外はすべてが敗者であるこのアメリカンフットボールで、生温い姿勢で通用するはずがない。

 

 だが……自分たちを圧倒した王城を降したあの神龍寺でさえ帝黒には勝てない。“どうせ、『全国大会決勝(クリスマスボウル)』に行こうが、関東(ひがし)関西(にし)には勝てない。だったら、“井の中の蛙(じぶんら)”は、その狭い地区大会での成績で満足する”……

 凡人なのだから身の程を弁えるべきなのだと。

 場違いな真似をして、みっともない恥を晒す前にここらで終わらせるのが賢いのだと。

 

『結局、葉柱さんだって、あの桜庭を止められ(勝て)なかったんじゃないですか』

 

 なんて言うセリフを、目を逸らしながら説かれた時、何も俺は言えなかった。

 『進? ゴミだね!! 今日こそその差ァ見してやる!!』なんて試合前に吼えた喝が、“弱い犬程よく吼える”と同じ、結局は自分を大きく見せたいがための強がりでしかなかったと、王城戦で俺の惨敗を見たチームの連中は、もう俺の言葉は何も響かなかった。

 もはや恐怖政治なんてものは意味がない。

 

 夢を見てんのは俺だけだった。

 俺は、あいつらに夢を見させるだけの力がなかった――

 

 

『やる気のねぇ奴らの未来なんつうつまらねぇもんまで背負ってるのかテメェは』

 

 

 ウルセェ! そんなこと自分でもわかってるに決まってんだろ。俺には何にもねぇ! この腕で守れるもんも、この手で掴めたもんもねぇ!

 ――でも、でもよ! それで闘う前から身ぃ引いてられるほど賢かねぇんだよ、畜生……!!

 

『ケケケ、なら、誰にバカにされようが、どんだけみっともなかろうが関係ねぇだろ。それとも、『ぼぼぼボクじゃとても“頂点”には太刀打ちできませええんん!』ってんなら、とっとと辞退して、戦わずに尻尾を巻いてやがれ糞ザコ』

 

 ……最初は辞退しようかと思ったが、気が変わった。負け犬を煽りに来た似た者同士と思っていたあの野郎、安い挑発だと思ったが、もう一度……いや、()()()()、俺の言葉を聞かすには、俺が“頂点”を破るしかねぇんだ――

 

 

 ~~~

 

 

 王城学園を借りての、オールスターチームの調整を主とした、特別合同合宿。

 けれど、キッカーの自分は、黙々とゴールへひたすらキックを決め続けるといういつもの反復練習をしていた。

 

「盤戸スパイダーズ……最強のキックチームとして、行けなかったが、それでも仲間の分まで俺のキックで思い知らせてやんだよ、あの裏切り者たち、赤羽と棘田たちによ……!!」

 

 大阪地区のオールスター……そんなのメンバー表を確認しなくたって、わかってる。

 関西の覇者にして、帝黒学園――そこにヘッドハントされて行った“あいつら”は、何せ前年度の東京地区のベストメンバーにMVPに選出されたのだから――

 

 

 ~~~

 

 

 ――高い!!

 

 キッドが投手に入って行うレシーブの練習、鉄馬丈と葉柱ルイが競り合う隣で、この王城学園のエースレシーバーである桜庭春人は、“海の魔物(クラーケン)”と一対一(マッチアップ)していた。

 

 東京地区秋季大会で誰ひとりとして阻まれたことのない最高峰を通過する弾道――『エベレストパス』。

 しかし、そのホットラインを『妖刀』の三次元に超広範の制空圏(ドーム)は断つ。

 

(長門……高さなら進よりも上……!)

 

 “最強のレシーバー”を目指しているが、それにはこの“最強の壁”を超えなくてはならないだろう。

 進と同じパーフェクトプレイヤーにして、努力する天才という手の付けられない怪物。そして、オールマイティー。キャッチもランもブロックもそれからパスさえこなす何でも屋のタイトエンドで、このキャッチ勝負の空中戦ではこちらを上回る高さで圧倒してくる。

 跳躍力、身長から腕の長さ(リーチ)にボディバランスと何もかもが自分よりも上だ。春季大会では相手にならず、敗北した。

 でも、今なら……! そう、まだ十本に1、2本の成功率だけど、本気の最高点はもっと上にある――

 

 ――高見さん!

 

 とこちらの練習に、パス出しの投手役として付き合ってくれる高見先輩に、桜庭は“それ”を要求するため瞳の奥で火が燃え盛る闘志の篭った視線を向けた……が、高見伊知郎はボールを持っていた手を下ろす。

 それから、間合いを外すように眼鏡の位置を直して、にこやかに賛辞を述べる。

 

「『エベレストパス』も阻んでくるとは流石だね。今や進と並んで『二本槍』なんて称されるだけのことはある。もしも決勝で君が出場していたら泥門が優勝していたかもしれない」

 

「それは、光栄です高見先輩」

 

 

 まったく、油断も隙も微塵にないなこの人……

 

 これに長門村正は、内心で嘆息する。

 王城は守備も堅いが、その頭脳のセキュリティは凄まじく固い。決勝でも隠されたその力。練習をしながら、王城戦で課題となるであろう桜庭春人の高さを身体で覚えよう、情報収集しようと望んだのだが、計算高い司令塔はそこまで付き合う気はないようだ。

 むしろ、怪我をして決勝を辞退していたこちらの調子を測られた感じさえある。練習中も、あの眼鏡の奥の目は冷静にこちらの一挙一動を見定めていたことに長門は気づいている。

 ……これは(もど)ったら、ヒル魔先輩に大目玉を食らうかもしれない。

 

 しかし、ここで得られる経験値がデカい。

 庄司軍平監督が指導する王城学園の密のある鍛錬に、各チームのエース級のメンバーが集った環境に揉まれるだけでも参加する価値はある。

 今も向こうでは、セナは甲斐谷陸と一緒に進清十郎との練習『四角(スクエア)ラン』の全力疾走の追いかけっこ(トレーニング)に励んでいるし、栗田先輩も、山本鬼兵や大田原誠といった真っ向から張り合える自身と同レベルのラインマンとぶつかり稽古の如く存分に力を発揮している。泥門にはない環境だ。

 

 そして、試合に向ける姿勢は、全員が全力。

 

 大阪地区との親善試合には、それぞれに様々な思惑がある。

 『全国大会決勝』を本気で目指す者は、試金石の前哨戦で、関東大会への切符を逃し、地区大会で夢果てた者は、“頂点”に挑むという最後の華を飾れる表舞台……

 そして、自分には――

 

「長門」

 

「筧か」

 

 桜庭との競り合いが一段落したところで声をかけてきたのは、筧駿。同じ巨深ポセイドンの水町健吾と一緒にこのオールスター合同練習に参加している帰国子女のラインバッカーは、“あいつ”との戦いを望んでここにきている。

 

「お前が言った“アイシールド21”……大和猛は、本当に帝黒学園にいるのか?」

 

「ああ。あいつはノートルダム大付属から帝黒学園に引き抜かれて、中等部の頃から日本にいる」

 

 準々決勝の巨深戦の後で、自分が大和猛(アイシールド21)の幼馴染であって、その近況についても教えた。

 “アメリカでいつかお互いにスタメン同士でやろう”と再戦を約束して別れた筧は、その右手をあやふやだったものを確かに掴むよう握り締めた、

 

「そうか……」

 

「大阪地区代表、というが実質、帝黒学園。今回の親善試合に出てくる」

 

 ブルッとその長身が身震いする。きっとそれは武者震いであろう。

 長門はそんな筧へより気を引き締め直すように言う。

 

「筧、お前も知っているだろうが、あいつの走りはそう簡単に止められないが、その前にそうそう捕まえられん」

 

 単純な脚の速さだけではない。究極のボディバランスに支えられた疾走は、フィールド全てに光輝く道筋(デイライト)が視えていることだろう。

 

「ああ、俺がアメリカで見たアイツのランは、完璧だった」

 

「巨深ポセイドンが見せた『ポセイドン』……後衛を増やしての広範囲の守備網も、その幅広いアイシールド21の走りに対応するためのものなんだろう?」

 

 長門の推理に、筧は頷く。

 そう、アイシールド21の疾走を阻止する策は、フェニックス中時代からずっと考えてきたものだ。中央が手薄になるリスクを背負ってでも、捕えるためにはそれだけ人数を増やさなければ間に合わないと。

 

「……だが、それだけでは止められない」

 

「何?」

 

「筧、お前の戦術が拙いと言っているわけじゃない。それでも“時代最強ランナー(アイシールド21)”の走りは、ただ捕まえるだけでは足りない。――完全に仕留められる状況に追い込まなければ、止まらん」

 

 そう……

 今でも脳裏に思い浮かべられるあのランは、“高波”など突き破ってしまうだけの破壊力があった。

 事実として、準々決勝の泥門戦で、“アイシールド21”に匹敵する破壊力ある長門村正の走りを巨深の『ポセイドン』は阻止することは叶わなかった。

 

「だから、もっと詰めてみないか?」

 

「え?」

 

「猛を止めたいのは俺も同じだ。俺にもあいつを止める術を考案している。今のところは机上の空論に過ぎなかったが……それを、筧の考えた『ポセイドン』に組み込めると思っている」

 

 そう、西部戦で披露した『ポセイドン(クラーケン)』の通り、長門もまた“アイシールド21”の対抗する術を模索していた。

 

「高波はただ船を沈めるだけでなく、押し流すように誘導もできる。立ち入った船を呑み込む魔の海域――名づけると、『バミューダトライアングル』ってところか」

 

 不敵に笑う長門。

 筧もそれにふっと笑みを零す。

 面白い。

 この男は、同じ高校(チーム)ではないが、間違いなく同士だった。

 

「いいぜ、長門。お前の作戦(アサインメント)を聞かせてみな」

 

 

 ~~~

 

 

 そして、三日後。

 

 

 ~~~

 

 

 関ヶ原フィールド。

 東軍と西軍がぶつかる日本最大の大戦が行われた戦場近くのここで、東西交流をお題目に掲げた大阪地区と東京地区との親善試合が行われる。

 

『さあ! 始まります注目の大阪対東京のオールスター戦! 今年の天下分け目を占う試合となるのか!? アメリカ取材に行っちまった熊袋さん代打で娘さんのリコちゃんがゲストで登場!』

『いいいいんですかそんなアバウトで!? 私なんかまだまだバイト記者なんですけどががががんばります!』

 

 なので、公式試合ではないのだが、このオールスター戦にはどういうわけかNASAエイリアンズとの日米戦のようにテレビ局が来ており、解説ポジションにはなんとお隣さんのリコが入っていた。

 

(ここまで大事になるとは……まあ、誰が画策したのかはわかるんだが)

 

 いくら帝黒学園のネームバリューがあろうとここまで派手になることはない。確実に裏で手を回し、扇動している輩がいる。一体あの先輩の影響力はどこまであるんだ?

 

『大阪地区の代表ですが、フルメンバーがあの日本高校アメフト界の“頂点”帝黒アレキサンダーズです。この親善試合、もしも東京地区のエース格が集ったベストイレブンで負けるようなら、『全国大会決勝』は危ういかもしれません』

 

『つまり――この総力戦で太刀打ちできなかったら、関東勢は危ういと?』

 

『はい。チームの連携等のこともありますので一概には言えませんが、帝黒の神格化を破るにはここで関西に関東の力を見せなければならないんです……!!!』

 

 そうだろう。

 第一回大会から去年の『全国大会決勝』まで全ての戦いを制覇し続けている、『全ての始まりにして全ての頂点』とも畏怖される日本最強の高校アメフトチーム。

 オールスターが集まっても敵わないようなら、個別のチームではなおさらダメだと思う考えは間違ったものではない。試合の展開次第では、この勝敗は『全国大会決勝』にまで響きかねないだろう。

 ――だが、ここで互角以上に渡り合えたのなら、高校アメフト界に漂う西高東低の評判をかき消すことができる。

 

 

「村正」

 

 フィールドに入場し、それぞれのベンチへ移動する際、やはり声をかけてきたのは、この男。

 

「一人堂々と敵陣真っ只中に挨拶に来るとは大した度胸だな、猛」

 

「え? 長門君も……」

 

 そこで、何故か隣のセナとそれから王城の面子が長門(こちら)を見て何か言いたげにしていたが、突っ込まれないので流す。

 

「せっかく会えたんだから挨拶をしておきたくてね」

 

「ふっ。だが、よくもまあ、この親善試合に大阪地区代表もとい帝黒学園は参加したもんだな。どうぞ研究してくださいと言っているものだろうに」

 

「別段、隠すことでもないからね。帝黒アレキサンダーズのプレーブックは総数1000以上。およそ考え得るアメフトの全てのプレーがあり、一度の試合で底を見せるほど浅くはないよ。それに帝黒学園側としても品定め(スカウト)をするには好都合だからね」

 

「なるほど。けど、捕らぬ狸の皮算用となるだろうよ」

 

「何にしても、外野のことは選手には関係ない。今日の試合は楽しみだよ」

 

「本番、じゃないけどな。だからって、手を抜いてやる気は微塵もないが」

 

「もちろんだ。このフィールドに立つ以上、全力で応じるのが礼儀だからね」

 

「ああ。如何なる状況であっても、お前との勝負に背を向けるわけにはいかない」

 

 両者の視線がぶつかり、事前に打ち合わせしたわけでもなく、同時に互いに手を差し出す。

 だが、これは健闘を祈る握手の為ではなく、

 

「「そして――」」

 

 その指を突きつけ、真っ向からこの好敵手(ライバル)へ宣戦布告するためだ。

 

 

「「――勝つのは俺だ……!!」」

 

 

 ~~~

 

 

 自信――

 言葉の端々に漲る力。友好的な台詞の本質は、微塵も自分が負ける気などない。

 長門君も、それから大和猛さんも、絶対の自信があって……そう、彼こそが、“本物のアイシールド21”――

 

「ごごごめんでスイマセン! なんか成り行きで思いっきりウソ名乗ちゃってていうか……!」

 

「セナ……」

 

 緊迫とした空気がだらんとするような低姿勢な謝罪に長門君ががっくりと肩を落としてしまう。でも、やっぱりここは謝っておかないと失礼だし。

 と、長門君から視線を横へ移し、こちらを見た大和さんはやや呆れつつもその手は称賛するよう拍手を送る。

 

「セナ君、だったね。君のことも知ってるよ。NASA戦の試合は見ていた。だから、君にも“最強ランナー”を名乗る資格は十分にあると思うよ。そもそもこっちは日本を制覇するまでは、“最強ランナーの称号(アイシールド21)”は封印しているからね」

 

 言われてからだけど気づく。

 大和猛さんの背番号は22で、そのヘルメットにアイシールドはない。そこにどんな理由があるのかはわからないけど、でもやはりこの人は強いということはひしひしと伝わってくる。

 すると、不意に考え込むように顎に手をやり、

 

「……ただ、そうだね。もしも俺から本気で奪いたい、自分だけの称号にする――“アイシールド21”を賭けて勝負がしたいのなら、君には、村正を賭けてもらおうかな」

 

「は?」

 

 思わぬ発言に戸惑う。

 

「当人を無視して、いきなり何を勝手な提案をしている」

 

「いきなり、って程の話でもないさ。村正には以前にもスカウトがあっただろう? さっきも話したけど、この親善試合は東京の選手に目星を付けるにはいい機会だからね」

 

「それでも引き抜きの話はその前に断っただろう。終わった話を今更蒸し返すな」

 

「ははは、ま、冗談だよ。対等に勝負するなら、そちらにも賭けるものがあるべきだし、その方が燃えるだろう?」

 

「そんなものがあろうがなかろうが、勝つ気満々なくせしてよくいう」

 

 そうして、二人は一瞬だけ睨み合い、結局握手は交わすことなく、大和さんはこちらから背を向けた。

 これ以上の言葉は、不要。あとは試合で語る。両者にはその意思疎通ができていた。

 

 ……ただ、あの提案。笑っていたけど、その目には鋭いものを覚えた。

 

 

 ~~~

 

 

「騎士の誇りにかけて勝利を誓う。

 

 そう我々は敵と闘いに来たのではない。

 

 倒しに来たんだ」

 

 

『――Glory on the Kingdom!』

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、いよいよキックオフです!!』

 

 

 秋季大会を制した王城ホワイトナイツの号令で、チームの拳を突き合わせる東京地区オールスターチーム。

 先攻は、こちら。

 大阪地区……帝黒学園のキックオフからゲームは、始まる。

 キッカー布袋が蹴り上げたボールは高々とフィールド上空に放物線を描いて、アイシールド21・小早川セナ――と逆サイドを張っていたもう一枚のランニングバック・甲斐谷陸が捕球。

 そこに目掛けて、全員一斉にスタートを切る。

 

「うおおおお速ぇええ!! 全員超スピード……!!」

 

 六軍まである帝黒学園の一軍選手はラインマンでさえ、皆40ヤード走で5秒の壁を切るエース級のスプリンター。

 機動力を活かす近代的なスピードフットボールこそが、“頂点”のチーム。

 

「ッシャァアア逃がさへんで自分らァアア!!」

「最初が肝心やアキレス! 問答無用で潰しに行くで!」

 

 対するボールキャリアーは、“暴れ馬(ロデオ)”。

 

「関東の力、見せてやるよ……っ!」

 

 小柄ながらも、その脚は帝黒選手でもそう追いつける者がいないであろう40ヤード走4秒5。加えて、120%の加速力で抜き去るチェンジ・オブ・ペース『ロデオドライブ』の疾走技術(テクニック)を兼ね備えた西部ワイルドガンマンズのエースランナーは、全国でも屈指のランを見せる。

 

 

 ――だが、帝黒には世界でも屈指の“時代最強のランナー”がいる。

 

 

 速い……っ! もうここまで……あれが、本当のアイシールド21!

 帝黒の中でも飛び抜けた速度で飛び出すのは、大和猛。対峙した直感で、アメリカンフットボーラーの本能が、その存在感を一目で格上と断ずる。

 長身で、力があり、そして、自分以上に速い……!

 これほどの圧を感じられたのは、これまでに一度――そう、今、目の前に入った一人だけだ。

 

(長門!)

 

 敵の時は圧倒されたけど、味方の時はこんなにも頼もしい……!

 弟分(セナ)が頼りにするのがわかる。この背中がリードブロックで盾となるだけで、その前方に光り輝く道筋が切り開かれていく。

 ならば、臆することなどない。

 超スピードで突っ込んでくる相手と対しながら、ブレーキを踏まずにアクセルをかける守護神を信じ、暴れ馬は疾駆する。

 その信頼を背に受けて、さらに迫力は増す――!

 

「すぅぅ――――」

 

 息吹。限界まで酸素を取り込み、かつ、過剰供給による過呼吸状態に陥ることなくそのすべてをこの激突への運動エネルギーへ作り替えていき――刃の如き護る為の殺意が鞘から抜き放たれる。

 

 

「―――」

 

 その本能的に怯む危機を真っ向から受けて……大和猛は、まるで花畑で戯れんとする少女のような無邪気な笑顔を浮かべた。

 リードブロッカーの長門村正を躱し、甲斐谷陸を捕らえんと急角度のフェイントを刻み込む。如何なるパワーがあろうとも、刹那の内に三方向の残像を走らすそのスピードで翻弄する。

 

(一瞬で回り込んで、抜いた大和を捕まえた……!?)

 

 だが、次の瞬間に、帝黒の主将・平良呉二(ヘラクレス)は目を見開く。

 二軍の連中が総がかりでかかっても捕まえることすら叶わなかった。歴代一軍選手の中でもぶっちぎりの大和が捕まったという予想を裏切る事態。

 

「そういえば、握手はしなかったが――本場(アメリカ)はハグが挨拶だったか?」

 

 凄まじい反応に、獲物を逃がさない眼力。アメリカでもこれほどに野生的な選手はいなかった。

 この日本で初めて躱し切ることができなかった――この日本でやっと本当のプレイスタイルを披露できる。

 そう、この最高の好敵手に――!

 

「いいや、これが俺達の挨拶だ、村正……!」

 

 パーティで踊る相手のいない淑女は、“壁の花”と譬えられる。

 大阪地区大会、誰一人として触れることさえできなかった自身は、まさしく“壁の花”だった。

 だが、その寂寥感も、今、晴らされた。

 

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 

 捕まろうが押し切る、破壊力ある帝王の行進。

 その壁を強引にブチ破って獲物を潰しにかからんとする気迫。

 それは幼き日の鬩ぎ合いよりはるかに強く――だが、それは長門も同じ。

 

「甘いな、猛」

 

 踏ん張りを効かして、重心移動の圧をかける。

 重量級の自転車のペダルを漕ぐ、その際に力を入れて踏み抜く爪先は、スパイク越しから地面を噛む。

 『足趾把持力』、すなわち、足の握力。

 実生活においてほとんど意識することのない足指を曲げる力は、鍛えれば走りや跳躍に、そしてバランスを向上させる。

 長門村正はそれが凄まじく鍛え抜かれている。そう、長門の脚は、速いというよりも、強い。

 

「うおおっ……!」

 

 無敵の突撃でもって押し切る、どころか逆にバランスを崩され押し倒されかかる。尻餅に倒されることだけは意地でもしないと上体を逸らして堪え切ったが、それでも半歩、後ろ足を引かされた。

 

「ちっ、倒せないか……」

 

 危ない。あわや倒されかかった。

 試合映像は何度も見てきたが、やはり実際にぶつかり合って得られる実感は比べ物にならない。

 こんなにも力強いなんて……

 

「村正……君は……――なんて最高なんだ!!!」

 

 阻止されたというのに、心からの笑みを浮かべる大和に、倒す気満々だったのに倒し切れずに不満げな長門は、この一番の障害を抑え込みながら、

 

「随分と余裕だな、猛。まだこっちのボールキャリアーは走っているというのに」

 

 そう、大和を長門がブロックした。ぶつかり合う二人ごと大きく躱すよう、ラグビーの走テクニック『スワープ』でもって弧を描いて、甲斐谷陸は抜き去っていった。

 

「甲斐谷の走りを甘く見るなよ。あの走りは半分だけで止まらず、キックオフリターンタッチダウンも狙えるぞ」

 

 東京最強ランニングバックの一角である“暴れ馬”が、鋭く切り込む。

 

「何ぃイイイ!!?」

 

 40ヤード走で4秒7の俊足のラインマン・安芸礼介(アキレス)を躱し、抜き去る甲斐谷陸。“頂点”に対し、『ロデオドライブ』を見舞いして、勢いづく――

 

 

「なに、問題ないよ。――後ろには、赤羽氏がいるからね」

 

 それでも、このライバルの余裕は崩れない。

 

「俺は、村正さえ抑えられれば十分に仕事は果たした」

 

 壁を切り開く『妖刀』さえなければ、その迷路は走破できない。

 

 

「!!」

 

 安芸礼介に続いて、平良呉二を避けた――ところで、その前にいた。

 

 なんだ、これは……!?

 大和猛の超速スピードとかそんなもんじゃない。ブロッカーを抜こうと曲がった時には、もう回り込まれていた。こちらより先に動き始めていた。

 

「フー、ここで行き止まりだ」

 

 『ロデオドライブ』を使う間もなく、甲斐谷はいとも簡単に止められてしまった。

 

 

 ~~~

 

 

 あの『ロデオドライブ』の甲斐谷陸でさえ、20ヤードを超えたか超えられなかったぐらいの距離しかキックオフリターンを稼げなかった。

 

 帝黒はただ抜かされていたのではない。袋の小路へ追いやるように動いていた。

 『ランフォース』だ。ブロッカーをコントロールし、“人間の迷路”を築くことで、相手の走行ルートを強制する。

 そして、これを指揮していたのが、あのリードブロックを知り尽くし、リードブロックを支配する背番号20番……長門も顔を知っている、前年度の東京地区大会であの進清十郎を抑えての最優秀選手(MVP)に選ばれた、『リードブロックの魔術師』赤羽隼人。

 元東京地区……盤戸スパイダーズの選手だ。

 

「いや~、大和がほんまに止められると思ってなかったから吃驚したわもう」

「あー、あかん! 油断した!!」

 

 一杯食わされたと声をあげているが、それはこちらの台詞だ。まんまと術中に嵌められたらしい。甲斐谷は悔し気に『くそっ』と地面を蹴って、それから、ベンチからも一人飛び出す。

 

 

「赤羽ァ!」

 

 

 キッカーの佐々木コータローは、そのいやでも脳裏に刻まれたプレイに触発され、感情的に飛び出した。

 試合の最中であるが、今、彼の脳を占めるのは一年以上前の過去。

 

『一緒にクリスマスボウル行くんじゃなかったのかよ! 棘田さァん!』

 

『帝黒にヘッドハントされたんだよ。盤戸なんかじゃ俺の投手(クォーターバック)力がもったいねぇってさ』

 

 共に頂点を目指していたはずだったのに、縁の下の力持ちという損な役回りばかりを押し付けられたキックチームだけを置いて、裏切った連中。

 残念ながらチームは、敗退してしまったが、それでもこうして一矢報いるチャンスが巡ってきた。

 

「………」

 

 赤羽はそのありったけの敵意の篭った佐々木の視線に、謝罪も、先輩たちのように侮蔑も何も言葉は返さない

 その無抵抗な態度が、佐々木コータローには、“眼中にない”と煽っているように映っ(おもえ)た。

 

「今日はスマートじゃねぇ、赤羽テメェと棘田先輩たちに見捨てたキックの力を見せてやる!!」

 

 ガリッと歯を噛む。慌ててセナらが暴走するのを止めようとするが、それでも吼えた。

 

「棘田? 誰やそいつ? 赤羽ならここにおるけど」

 

 が、それに他の帝黒学園のメンバーは首を捻るような反応。

 何を言っているんだコイツは? という視線が佐々木コータローへ向けられる。

 そこで、やっと赤羽は口を開いた。

 

「フー……そんな的外れな台詞が出てくるとは、何も知らないみたいだな、コータロー」

 

「何だと……!」

 

「帝黒学園を舐めない方が良い――棘田先輩らはここに来ていない。いや、来られない」

 

 は? と固まる元チームメイトへ、先輩たちの顛末を簡潔に語る。

 帝黒へ引き抜かれて行った盤戸のエース格は、赤羽(じぶん)を除いて、全員、脱落しているか、四軍で燻っていると。

 

 性格は傲慢だったが、棘田キリオ先輩は、横走り投げ『薔薇の鞭(ローズ・ウィップ)』という必殺パスが得意な超攻撃型の動く投手で、盤戸スパイダーズが誇る東京ぶっちぎりのエースクォーターバックだった。

 ……なのに、その昨年度の東京地区ベストイレブンのひとりが、四軍……? 一軍どころか、二軍・三軍ですら入れず、全六軍構成の下から三番手。

 

 この選手層の厚さ。

 『全国大会決勝(クリスマスボウル)』数十年の歴史全大会優勝を成し遂げ続ける、その兵力の源は、全国のチームから引き抜いたエースたち。

 まさに頂点の中の頂点。

 

「んな、バカな……!? そんな、ふざけたこと言って……!」

 

「物分かりの悪い君には、試合で思い知らせた方が良いようだ。

 ――今日のゲーム、キックの点は入れさせない」

 

「なぁっ……!?」

 

 そして、赤羽隼人は佐々木コータローから背を向けた。

 

 

「同じオールスターでも密度が違う、か」

 

 長門は深く息を吐く。

 “頂点”を制するのは険しい。だが、それは最初からわかっていたことだ。

 日本最強の帝黒アレキサンダーズは、大和猛だけではない。全員がオールスター。全国からエースが引き抜かれて集まり、その環境で毎日ずっと競争する中、実力で勝ち残ってきたのが、栄えある一軍。

 

「……まったく、一筋縄ではいかないようだが――今年の東京は、例年通りにいくかな?」

 

 

 ~~~

 

 

 帝黒アレキサンダーズには、ひとつの伝説がある。

 “敵に先制されたことは歴史上一度もない”という。

 

「SET!!」

 

 ゲームが始まる――その初っ端に帝黒は仕掛ける。

 

 『神速の早撃ち』のクォーターバック・キッド。

 その投球速度は0.2秒を切る凄まじい速さだが、こちらは全員超速のスピードフットボール。

 ラインマンでさえ、5秒の壁を切らなければ一軍入りが叶わない。

 そして、現代のフットボールは、スピードと連携こそがラインマンに大事な要素。

 

「ふんぬらばァア!!」

 

 東京のセンターは、栗田良寛。その体格とパワーはまともに押し合えば、敵わない。だが、スピードもなく、そして、この即興でチームを組んだオールスターに連携など、ない――

 

「同じオールスターでも、東と西とでは格が違う!」

 

 帝黒アレキサンダーズの壁の中でも特に息の合ったヘラクレスとアキレスの協撃。

 栗田の真正面にセットした安芸礼介は鈍足の栗田の突貫を躱し、ぶつかり合いを避けられて身体が泳いだ栗田の横から平良呉二が当たる。

 デカいやつが押し合いを制せるとは限らない。人間横からどつかれれば簡単にバランスを崩される。

 そして、フリーになった安芸礼介は快足を飛ばし、相手クォーターバックにサックを――

 

 

「――おっと、そいつぁ、通させねぇな」

 

 

 その前に、回り込まれる。

 帝黒ラインのベストタッグの奇襲が阻まれる。

 これに、驚く。何故ならば、相手は実力で選ばれたエースの寄せ集めであって、チームとしては浅い。こちらの連携に対応できるほど熟達していないはず……!

 

「こいつ……! 即席チームのくせに俺達の動きに合わせてきただと!?」

 

「即興じゃねぇ! たとえ敵同士でも、肌と肌をぶつけあって、全力で鎬を削った相手の呼吸っつうのはわかっちまうもんなのさ!」

 

 栗田をカバーするように動いたのは、柱谷ディアーズの山本鬼兵。

 背に負う味方を守護せんと前衛突破を阻止する。山本鬼兵のベンチプレスは75kg、対し、安芸礼介のベンチプレスは85kg。

 だが、そのいぶし銀の腕っぷしは単純な力の差を覆してくる。

 

「栗田ァ! 西の奴らに東の(ライン)魂って奴をみせてやろうじゃねぇか!」

 

「はい、鬼兵さん! おおおおお!」

 

 肩を並べる憧れの先達者からの鼓舞に純然たる重戦士は蒸気を噴いて燃え上がる。それは協調するかのように二人のパワーを跳ね上げた。

 

「あかん! 思ってた以上に重いわ!?」

 

 重量級でスピードのない、だがそれは裏返せば重心が据わっているという長所。

 横からどついた程度で、ビクともしない。ベンチプレス105kgの平良呉二は、ベンチプレス160kg、東京で最も力あるラインマン・栗田良寛を倒せず、圧される。

 栗田のパワー、その穴を埋める鬼兵のサポートで支える前線が崩れない。

 ――そして、前線が崩れなければ、パスが通る。

 

「こりゃあ、こっちも応えないとねぇ」

 

 ロングパス。西部ワイルドガンマンズの銃鉄のホットライン。それは絶対にレールから外れまいとする『人間重機関車』のスピードを完璧に計算した、完全にストライクなコースに飛ぶパスーー

 

 

 ~~~

 

 

 ――翔ぶ。

 鉄馬丈。確かに東京で最強のレシーバーのひとりだけあって素晴らしい選手だ。その鋼の如きボディは帝黒の選手との競り合いにも負けはしないだろう。

 だけど、残念かな、競り合いにはならない。

 君のそれはあくまで、跳躍だ。

 如何なるパワーも、触れなければ意味をなさない。

 地上では速さ、空中では高さ。勝負するには同じ世界に入った者でなければ。

 

 “機関車”は地面に敷かれたレールの上からかけ離れることはできない。つまり、それは空を歩く“鷹”の領域に踏み入れない。天と地ほどに、隔絶とした差がそこにはあった。

 

 

 ~~~

 

 

 

 やはり、勝負にならなかったか……

 

 長髪を広げた翼のように靡かせ、ボールを捕らえる。

 ――帝黒学園に、英雄は二人いる。

 

 ひとりは、ノートルダム大付属で時代最強のランナーの称号を得た大和猛。

 もうひとりは、走り幅跳び8m25cmと高校ぶっちぎりの日本記録保持者にして、史上最強の野手(フィールダー)・本庄勝のひとり息子、本庄鷹。

 全国で“頂点”の圧倒的なまでの跳躍力でもって、空中戦を制し、たった一日で帝黒アレキサンダーズの一軍入りするという偉業を果たした。

 

 鷹が目を光らすこのフィールド上で、空中戦(パス)は封鎖されているも同然。

 今のプレイも東京最頂レシーバー『エベレストパス』の桜庭春人より身長が及ばないのに、その桜庭春人よりも高く――そして、東京最強レシーバー『人間重機関車』の鉄馬丈との競り合いに見向きすることさえなくボールを奪う。

 

 

 ――だが、天賦の超人は西にだけでなく、東にもいる。

 

 

「鷹……!!」

 

 インターセプトというビックプレイに沸き立つ帝黒陣営の中でひとり、大和が叫ぶ。それはボール回しを要求するためのものではなく、すぐそこに迫る脅威に対する警告。

 しかし、遅かった。

 

 

「試合開始で寝惚けているのか? ――気ィ抜け過ぎだろう」

 

 走るのが上手い者ほど足音が小さい。

 それは地面を後ろに蹴る際に、踵から着地しそれから足の親指の付け根までの体重移動がスムーズ――その腰、脚の付け根、太股、膝、脹脛がひとつのバネとして、地面からの反発衝撃を無駄なく吸収している。踏み込みが足を地面にしっかりと踏み締めているのではなく、継続的に体が浮いているように蹴っているのだ。

 そして、その音を立てずに走り気配を覚り難くするそれは、王城ホワイトナイツ・ランニングバックの猫山圭介からこの王城学園での合宿で学び取った(ぬすんだ)『キャットラン』。

 無音疾駆で間合いを詰め、進清十郎と並んで『二本槍』と称された“(うで)”が、飛ぶ鳥を落とす勢いで伸ばされる。

 

「アメフトは球技であり、格闘技――野球とは違って、キャッチの対象はボールだけじゃない」

 

 球ではなく、(うで)を狙いに狩りに来るそれは、『リーチ&プル』。

 捕まる腕。そして、自身には抗いようのない腕力。そう、あの大和に本来のプレイスタイルを発揮させながらも押し返すほどのパワーを持った相手なのだから。この土俵に持ち込まれれば、敵わないのは必然だった。

 

「!!」

 

 鷹が捕らえたボールが、確保される間際に『妖刀』に弾かれる。そして、跳ね上がったボールを、今度こそ鉄馬丈は飛びついて確保した。

 

 

 ~~~

 

 

 ――鷹は特別だよ。

 キャッチの神様本庄選手二世! スタートラインから違うじゃんあいつ。天才って楽だよな~。羨ましいよホント。

 

 知っているのか?

 俺が物心ついた時から当然のように練習漬けだった毎日を。

 まあ、どうでもいいことだが。

 

 ――鷹には勝てなくてもしょうがねぇ。

 世界が違い過ぎる。

 

 そんな陰口を叩かれ続ければ、諦観する。どこを探したって勝負になる選手さえいない、と。

 

(ああ、そうだった……でも、東京には、初めて期待した強敵手がいた……!!)

 

 長門村正――

 ボールではなく腕だったが、横から割って入り、瞬間的にこちらと同じ高さ――孤高だった領域にまで到達された。本庄勝、うちの親以外を相手に闘って、キャッチをさせてもらえなかったのは初めてだ。

 

 帝黒アレキサンダーズに動揺が走る。

 大和のランを阻止し、自分(たか)のキャッチも阻止した、チームの両エースを殺したエースキラーの存在に。

 だが――自分は胸に沸き立つものを覚えていた。

 

「……確かに、気を抜いていたな」

 

 顔に手をやり、やや強めに揉み込む。昔、親の守備練習(ノック)で失敗した際に頬を抓られたのを自分でやるように。

 しかし、その顔には薄らとだが笑みが張り付いていた。

 

 そうして、こちらへやってきた――今日の試合を最も楽しみにしていた――大和へ、謝罪をする。

 

「今日の試合は大和に譲ろうと思ってたけど――その気はなくなった」

 

 

 ~~~

 

 

 やれやれ……

 あの勝負に対する欲求が希薄だった鷹に、戦士の顔が浮かんでいる。

 これまで手を抜いていたわけではなかったけど、スイッチが入ったようだ。

 まあ、仕方がない。あまり他所にうつつを抜かしてほしくはないが、村正との勝負する機会は巡ってくるだろうし、この親善試合、こちらも他に挨拶をしたい相手がいる。

 

 フェニックス中の筧駿に、日本最高の守護神(ラインバッカー)と名高い進清十郎、そして、東のアイシールド21・小早川セナ――

 

「俺だけでなく、鷹まで本気にさせたんだ。これからもっと全力で来い、村正!」




設定
長門村正がオールA(パワーは若干長門が上)
大和猛はほぼオールA(パスがBで、ランがS)
総合力は互角です


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28話

 長門君は、泥門でも皆とは一味違うトレーニングをする。

 

 高山環境に近しくするためのマスクトレーニング。だけど、長門君は口だけでなく目も覆うことがある。

 目隠しをして練習する長門君にその理由を尋ねてみると、

 

『人間は目を閉じていても、ある程度の感覚把握が可能だ。いわゆる心眼だとか言われる肌感覚ってやつだ。こうして、人間が最も情報取得する視覚を閉ざして、その微弱な信号を感じ取るセンサーを鋭く研ぐ。ぶっちゃけて言えば、“勘”を鍛えるためのトレーニングで、それに己の動作を自覚できる』

 

 NASA戦の前から始めて、今も続けている階段昇降と同じ。

 長門君がする目隠しも暗中模索で動くために、普段は大して考えない情報すらイメージ処理しなければならないし、常に現状体勢を思い描けなければ転んでしまう。

 

『ま、目隠し(これ)は慣れないうちはおすすめしない。怪我をするからな』

 

 長門君はそこで僅かに上に顔を上げる。アイマスクをしたままだけど、遠く高い空の果てを見据えるように。

 

『力だけで勝てるのは小学生くらいまでだ。上に行けば行くほど自分よりパワーもスピードもある奴が出てくる。そんな体力や筋力に勝る相手に勝とうと思うのなら、制御する性能が重要になってくる。

 たとえば、空手を一通り習った人間が、決められた型通りに動けるだけでは一人前とは言い難い。自分で自分の思うように動ける、もっと言うなら型に嵌らない自己の精神を会得できて初めて一人前を名乗れると俺は思う。武道とはそれを得るための道として型を倣う。だから、達した者に型はないし、たとえどの道でも達観した精神さえあれば一流なりえるだろうな』

 

 

 ~~~

 

 

 本庄鷹。

 彼は最初からアメリカンフットボール、もしくはタッチフットをしていたわけではない。

 元プロ野球選手である本庄勝からの野球の英才指導を受け、同年代に対等に渡り合えると思える存在がいなくなって、アメリカンフットボールへ転向した。

 そして、大和猛と同様に、一年生にして入部一日で帝黒の一軍入りを果たした。

 日本一の跳躍力という身体能力を買われてスカウトはされただろうが、しかしその時の彼の実績があるのは野球であって、アメフトではない。本場アメリカでノートルダム大のエースとして揉まれていた大和ほどスカウト陣から期待はされてなかったはずだ。まずはじっくり一年、帝黒学園でアメフトの基礎を学ばせて育てると考えていたはずだ。だが、本庄鷹はその才能と、“野球”という一つの道を修めた者として、型に囚われない達人的な感性を既に得ていた……

 

泥門(うち)でも、野球から転向したキャッチの達人がいるが……)

 

 才能(モノ)が違う。

 ヒル魔先輩が、部室に置いてあるアメフト月刊誌にわざわざ(姉崎先輩にやらせて)添削(切り抜き)している理由がわかる。

 いずれはぶつかり合わなければならない相手だが、この情報は、重い。モン太が、偉大なるフィールドプレイヤー本庄勝に憧れている。それだけにこれは重い。知るだけで押し潰されてしまいかねない。

 雷門太郎が、東京地区ベストレシーバーに選出されなかったのは幸運と見るべきか。

 

 それだけ、本庄鷹は、こちらの二強(ベスト)レシーバーを寄せ付けなかった。

 

 あれから試合は、帝黒アレキサンダーズがフィールドを支配している。

 

『こ、これは……赤羽君! 光速のアイシールドこと小早川セナ君をも上回る超速スピードでいとも簡単に止めてしまったァァー!?』

 

 地上(ラン)は、“隼”が鋭く眼を光らせる。

 赤羽の『ランフォース』。作戦(トリック)を駆使し全体の試合の流れを引き寄せる戦略とは分野が異なるも、赤羽隼人のワンプレイごとの戦術的なアメフトIQはヒル魔先輩よりも上だ。こちらの走者の行動を瞬時に予測し、そして、選りすぐりのエリートが集った帝黒選手を指揮してそれを袋の小路へと誘導してしまえる。どんなに足が速かろうが通るルートを把握していれば止められないわけがない。

 

 そして、空中(パス)は“鷹”が誰よりも高く舞う。

 

『『エレベストパス』こと桜庭春人君からパスを許さない! 鳥人、本庄鷹――!!』

 

 桜庭春人よりも身長がない、しかし桜庭春人よりも高い到達点。

 この空を歩く鷹が目を光らせている限り、長いパスはまず通らないだろう。

 

『大阪地区オールスター、関東の東京地区オールスターに格の違いを見せつけるように圧倒しています……!!』

 

 向こうも最初は手を抜いていたわけではない。

 火が点いたのだ。これまで敵無しで不敗を貫いてきた帝黒がこちらを敵と見なした。

 

 『ランフォース』ではタイトエンドとしてリードブロック等のサポートに入りたいが、そうなると必ず即座に長門には大和が邪魔しに来て、その仕事をさせてもらえない。

 鷹もキャッチにはこだわらず、こちらの気配を察知するやボールを遠くへ弾く。それでインターセプトは防げているが、確実に東京オールスターの攻撃を潰していく。

 

 頂点の中でも更に突出した三羽烏にして、漆黒のユニフォームを纏う三本足の八咫烏。本庄鷹、赤羽隼人、大和猛は、大阪地区大会で一度たりとも抜かされたことがない最終防衛線(セーフティ)は、帝黒アレキサンダーズを勝利へと導く。

 

 長門も一対一では互角に渡り合う自信はあるが、超人クラスのプレイヤー三人全員の対応までする余裕はない。

 現状を打破するためにもどうにか風穴を開けたいが、

 

「セナ、赤羽の『ランフォース』を攻略するのは無理そうか?」

 

「いや、その……走るルートがバレてても、赤羽さんが先回りする前に超々スピードでワープっぽく抜けないかな~なんて、思ったり思わなかったりして……」

 

「セナ……お前、泥門じゃいつもそんなことを試合中にしてるのか?」

 

「あ゛ははは、そそそうだよね無理だよね!」

 

 兄貴分陸の呆れた反応にセナが焦って頭を掻く。

 

「ま、物理的にありえない話であるが、そのくらい賭けに出ないと向こうの守備陣は抜けない」

 

 せめて長門以外にもうひとり、セナと陸の一流ランナーの俊足に追走でき、かつ帝黒の壁を破れるリードブロッカーがつければ、迷宮を打ち破れるかもしれない。

 

(これに最もうってつけなのが、進清十郎……パワー、スピード、そして経験も備えたあの人なら赤羽隼人が敷く『ランフォース』を攻略できるはずだ)

 

 しかし、王城ホワイトナイツで、ラインバッカーの進清十郎が攻撃参加したという話は聞いたことがない。やろうと思えばできるとは予想しているが、それまでだ。

 

 となると、ランがダメなら、思いつくのはもう一つ。――パスになるわけだが、

 

「飛ぶ鳥を撃ち落とすのに定番なのは、銃。そして、こちらには銃撃の名手がいらっしゃるんだ」

 

 

 ~~~

 

 

「SET!!」

 

 東京オールスターズの陣形が、変わる。

 

(リズムを、変えてきたか)

 

 ランニングバックの甲斐谷陸とタイトエンドの長門村正が前に出て、ワイドレシーバーの桜庭春人と鉄馬丈に並ぶ。パスキャッチ要員を四人配置して、的をひとつに絞らせないフォーメーションは、『ショットガン』

 

 西部ワイルドガンマンズの得意とした戦術で、東京地区ナンバーワンクォーターバック・キッドの『神速の早撃ち』を活かせる陣形だ。

 投手潰し(ブリッツ)を許さぬ0.2秒を切るクイックドロウの発射台。そして、ヒル魔妖一をも上回る計算速度の持ち主であるキッドは、四人のレシーバーの位置取りをあまさず把握し、抜けた穴を正確無比に射抜く、判断力とコントロールに長けている。

 相手のマークを外せば、必ず見つけてくれる。

 

「フー。東京はパスでくるか」

「どうやら、そうみたいだね、赤羽氏」

 

 アイシールド21……小早川セナに勝負を挑ませるも帝黒に敵わ(ぬけ)ないと判断して、パス中心の陣形に切り替えた。

 その迅速な判断は間違っていない。こちらに本気になった本庄鷹がいなければ、だが。

 

「大和、ここは俺がやる」

 

 誰の、とは明言しないが、鷹が見定める相手は決まっている。

 目の色を変えた鷹は既に、東京ベストレシーバーとの勝負を制し、格付けをした。この試合で、己の勝負ができると見込んでいるのはやはり一人。

 個人的にこのマッチアップを譲りたくない大和だが、チームメイトのモチベーションに関わる。

 あまり鷹を夢中にさせないでくれよ、と目を細めた一瞥を、向こうの幼馴染に送り、ポジションにつく。

 

 

「――HUT!」

 

 

 センター・栗田から、司令塔のキッドへボールが渡る。

 すぐさま帝黒の守備も動く。

 

 アレキサンダーズは、鷹、赤羽、大和だけのチームではない。選手全員がどこへいってもエースとして通用するオールスター。

 

『出たァア! 織男の『パンチングブローック』!』

 

 発進した『人間重機関車』鉄馬丈の前を遮るのは、アレキサンダーズの背番号19。帝黒学園の三年選手で、元沖縄高ボクサーズ主将の『寡黙な拳闘士』渡嘉敷織男。通称オリオン。

 

 腕をたたみ、肘を脇につけた構えから繰り出す拳打は、相手の胸に強烈な一撃を加えてバランスを崩す。原理は『粉砕(ジバー)ヒット』とほぼ同じだが、こちらは力のタメが(はや)い。

 プロボクサーを親に持つ渡嘉敷の突きは、全身運動を用いて体当たりの威力を拳一点に絞り込む長門村正のとは性質が異なり、上半身、特に背筋をうまく利用して放っている。

 球技であり格闘技であるこのアメリカンフットボールで、渡嘉敷は何人もの相手選手を沈めてきた。

 その渡嘉敷をして、この東京屈指のパワータイプレシーバーのアイアンボディは、鉛でも打ったかのような手応えだった。

 

「―――!」

 

 この西部ワイルドガンマンズの十八番であった『ショットガン』戦法を崩すには、キッドと鉄馬丈のホットラインを断つのが定石。『ブリッツ』が無理な速さで投球するキッドとは違い、鉄馬は『バンプ』を躱さない。だが、鋼鉄の機関車(アイアンホース)が脱線事故を起こしたのは地区大会でも一度限り。

 そして、鉄馬丈は絶対順守の命令を破れさせたあの敗北を忘れない。

 

『おおーーっ! 織男君の『パンチングブロック』にも止まらないぞーーっ!!』

 

 隙の少ない拳突きは迅速な連打を可能とする。糸を引くような軌道を見せる渡嘉敷の追撃の二打目(ワン・ツー)。これを跳ね除ける『人間重機関車』。

 

「なに……っ!」

 

 寡黙な強打者が、無言実行の鉄人に目を瞠る。

 そして、鉄馬は渡嘉敷を強引に押し通る。帝黒の一軍は全員が40ヤード走5秒の壁を切るスプリンター。当然、渡嘉敷は40ヤード走5秒0の鉄馬より速いが、すぐには追いつけない。マークが外れた。独走を許した鉄馬の走りが、帝黒の守備網を広げる――

 

 そして、逆サイドでもうひとりのパスターゲットがノーマークになっていた。

 

 二枚のパスターゲットが敵陣に躍り出る。この状況で、クォーターバックはキッド。相手を見切ってから後出しでも間に合わせる早撃ち、そして、相手に見切らせない二丁拳銃。泥門戦の試合記録を見たが、その神算の頭脳は侮れるものではない。

 

(この場面においても揺るぎのない目……ここまでリズムが読めない相手だとは驚きだ)

 

 選択は二択だが、読み切れない。

 試合前に集めた多量のデータから観察し、アイシールド21・セナの光速の走りを読み切り、迷路のような陣形で袋小路に追いやってきた“隼”の眼をもってしても、キッドのパスは読めなかった。

 

 そして、銃弾(バレットパス)が投げられる。

 

 このパスに、帝黒の守備は反応が遅れる。

 キッドが狙った的は、鉄馬ではなく、もう一枚のレシーバー――『妖刀』長門村正。

 

 

「だけど、鷹はそれでも振り切れない」

 

 

 帝黒と試合したチームは全て思い知るだろう。

 この“鷹”がいるアレキサンダーズと空中戦に挑むという行為がいかに愚かなのを。

 

 勝負だ、長門村正……!

 迫る鷹。

 これに長門、超速のカットバックで切り返し、抜き去ろうとする。

 だが、鷹は距離を離さない。追い縋り、詰めてくる。

 

(試合開始直後とは全く違う集中力だ!)

 

 こちらの一挙一動を見逃さない。許さない。

 開眼した“鷹”の重圧――これを振り切る跳躍。

 

「高ぇええええ!」

 

 クォーターバックから放たれたパスをキャッチするにはもっと前に行かなければ届かない、そう思われた距離差を覆す、『エレベストパス』をも上回る極限の高さ。片腕を伸ばしてボールを捕まえる長門のスーパープレイ、ワンハンドキャッチ。

 

 キッドはそれを思い知っている。

 今は味方だが、敵として対峙した泥門戦でされた、こちらの予測を超えるプレイは今でも脳裏に焼き付いている。だからこれは届く。投じられたそのパスコースは、長門村正の最高打点にストライクする完璧なコントロールだった。

 

 

「そう――君ならそこからでも届くとわかっている」

 

 

 そのプレイは、予測済み。

 ボールに長門の手は、届く。

 

 さて、どうする。

 この距離の差、体勢の差は、ただでさえ自分と競り合うことのできる長門村正がさらに彼自身の限界点を超える先へ手を伸ばしたことで結実した差だ。そして、これはいつも練習相手を頼む大和よりも高く、険しい。

 

 たかがパス一回じゃないか。

 通してやれ。

 

 普通ならそう考える。

 だが、本庄鷹は譲歩しない。

 

『キャッチの辞書に“捕れっこない”はないんだ。あるのは“捕れな()()()”だけ』

 

 幼き日、守備練習のノックに付き合った父・本庄勝は叩き込んだ。

 

『ボールを()()な。死の果てまで。

 そうすれば、鷹……お前は俺のように、空を歩ける……!!』

 

 キャッチの頂点・本庄選手の息子、生まれながらの優位(アドバンテージ)を背負ったそのプライドが、頂点を塗り替える。

 

 ワンハンドキャッチを狙う長門に、鷹もまた衝突覚悟で飛び掛かり片腕を伸ばす。位置取りからして鷹は飛んでくるボールに対して後ろ向きの体勢。しかしそれでいて、“背中(バック)”の眼はボールを捉え、その右手はボールを確実に捕らえる。

 背面片手キャッチ(ワンハンド・バックファイア)――!

 

(まったく、そっくりだその目つき)

 

 二人の右手が、がっちりと噛み合うようにひとつのボールを奪い(とり)合う。そして、二人の身体はクラッシュする。体格として劣る鷹だが、競り合いの最中にもボールの行方は逃さない。死の果てまで――

 

(練習だろうが全力(MAX)真剣勝負を挑んで(ぶつかって)くるキャッチ馬鹿(らいもんたろう)とな!)

 

 長門村正はそんな死ぬ気で、キャッチに命を賭ける男を知る。

 ボールを捕らえ、更に肘を捩り入れて手首を巻き込む。ボール回しの高等テクニック『ストリッピング』の要領で、ボールから鷲掴みにする鷹の手を引き剥がす。

 

「鷹からボールを獲った……!?」

「いいや、まだだ! 鷹はまだ許さない!」

 

 “鷹”の鉤爪(ゆびさき)は、ボールの縫い目の角を引っ掛けていた。長門の手力はそれを強引に外したが、手の内でボールが弾む。掴み取りされた魚のようにもがくボール。このままでは勢いを殺し切れずにキャッチは失敗してしまう。

 

「引き分けか――だが、俺はチームを勝たせる!」

 

 遠心力を味方に付けるように腰を捻り、腕を振り回し、ボールを斜め後方にスルーする。

 

 

「――頼んだ、セナ!」

 

 

 乱戦にもつれ込んだ空中で、咄嗟にバックトスに変更。

 長門村正は、ボールの動きを捕らえる背中(バック)の眼は持たないが、それでも心眼が全速で駆け込んでくる味方を捉えていた。

 

 普通ならば、キャッチ勝負に割り込める距離ではない。セナの脚を以てしても遠すぎる。

 しかし、キャッチに入る前に長門は一度切り返している。そのタイムロスが光速のフォローを間に合わせた。

 

 さながらサッカーのポストプレイ、或いは野球のクラブトスのように進行方向先へ落とされたボールを、胸で抱き留めてキャッチするアイシールド21。

 そして、赤羽の支配圏が及ばぬうちに速攻で切り込む。

 

(長門君が作ったチャンス! 絶対に逃さない……!)

 

 赤羽隼人は、鉄馬丈が走り込む中央密集地帯へ突っ込んでおり、周囲の“壁”に邪魔されてしまっていて、回り込めない。

 『ショットガン』で、アイシールド21のランへの警戒レベルを下げていた。

 本庄鷹も長門村正を相手して、他に気を回せる余裕などない。

 

 そして、このフィールドで、小早川セナのスピードに追いつける帝黒アレキサンダーズの選手はいない。

 

 ――ひとりを除いて。

 

 

 ~~~

 

 

 エイリアンズ戦で、あの自分よりも速い『黒豹(パンサー)』を倒してきた。

 であるならば、俺も負けるわけにはいかない。

 村正……君の最大のライバルであることをここで証明する――!

 

 

 ~~~

 

 

 来る……!

 進さんのように速く、長門君のように高い、本物の時代最強ランナー(アイシールド21)

 巨人の如き帝王の威圧感が襲う。背後からの重圧(ビハインドプレッシャー)に、防具下が鳥肌立つ。

 

(でも、これでまでのプレイ……僕の方が速い!)

 

 距離がある。あそこまで離れているのなら、このまま逃げ切ることも不可能じゃない。自由に走路が開かれていれば、誰にも捕まらない。

 パワーもテクニックも格が違う相手だけど、スピードだけは負けられない!

 

 そう、これは理屈じゃ追いつけるはずがなかった。

 

「凄いな……セナ君は、速い。()()()俺よりも速かった」

 

 光速の世界。

 そこに踏み込んできた相手はいなかった。フィールドを只管に独走してきた。

 

 その背中に、手が届く。

 

 

 猛……!

 競り合った鷹ともつれ込みながら長門は、視界から仲間(セナ)の走りに割って入ってきたライバル(ヤマト)の背中を目撃する。

 そう、縦に抜かれれば誰も追い縋れない小早川セナの光速に、()()()()()()その突撃を、長門村正は確かに見た。

 あの速さ、信じがたいが比較対象(セナ)と並走できることから明らか。

 

(二人のスピードは、同じ。だが、猛には――)

 

 人間の限界値40ヤード走4秒2。

 ふざけたことに、己のライバルは、完全に隙のない怪物(パーフェクトプレイヤー)であった。

 

「――でも決まってる。勝つのは俺だ!!」

 

 小細工はない。真っ向勝負で、敵を打ち倒す。

 

 親を除いて本気で競い合える相手がいなかった孤独な本庄鷹とは違う。

 対等に渡り合える好敵手(ライバル)の存在があった。その経験は己よりも格上の存在がいた本場にいた頃でも色褪せることのないものだった。

 それが、大和猛を強くさせた。

 

 

 僕の――たった一つの得意技。

 ずっとパシらされて鍛えてきたすばしっこさ。

 それだけが取り柄だったのに。

 その“スピード”すら超えられる――これが、本物のアイシールド21……!

 

 セナに追いつき、そこから長門と同じ、筋力任せの強引な加速と長身の身体を倒し込むダイブ――この大和猛の大きな一歩は、光速を追い抜く超光速に達する。

 

『止めたァアアアアア!! 大和猛、東京最強ランナー・小早川セナを一対一で降すー!!』

 

 

 ~~~

 

 

 止められはしたが、セナの疾走で大きく前進することができた。

 しかしそこから帝黒の牙城は崩れることなく、東京オールスターズの攻撃を阻む。

 

 そして、最後の攻撃権で、タッチダウンを諦め、キックゲームに臨む。

 

「やらせるかっ!」

 

 迫る『帝王の突撃(シーザーズ・チャージ)』。

 固定されたボールを蹴りに行くキッカーが、敵のチャージを躱すことはできない。壁役の長門が受けて立ち、大和を押し止める。

 

『猛を足止めできるのは、3秒だ』

 

 ボールをセットする前に、長門が言った。

 だが、その3秒は死ぬ気で稼ぐとも。

 

 絶対に倒れず高身長なパワーボディと人間の最高速のスピード。

 阻まれても届いてくるプレッシャーは、キックの精度を微妙に狂わせてくる。

 

 だけど、そんな最強の連中を見返すために、佐々木コータローはキックを蹴り込んできた。これを跳ね返せずに何だというのか!

 

絶対(ぜって)ェ決める! 俺のキックで帝黒に風穴を開けてやる!)

 

 成功率99%を誇るキックの体勢(フォーム)に、ブレはない。

 だが、最後の一歩を踏み込む直前に、それが来た。

 

「何ィイイイイ!!」

 

 ボールをスナップした、東京地区最重量戦士・栗田良寛。絶対に崩れぬ壁だと思っていた中央の要が、吹っ飛ばされた。

 

「フー――残念だが、コータロー、キックは決めさせない」

 

 腕力も体重も明らかに押し合いの要素で負けているはずの栗田を押しのけて、接近してくるのはかつてのチームメイト。赤羽隼人。

 これに佐々木コータローの精神は激しく揺さぶられた。

 

「クソおおおおお!」

 

 蹴り飛ばされたボールが、コースを遮った手に弾かれて、キックは外れた。

 

 東京オールスターズから、帝黒アレキサンダーズに攻撃権が移る。

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、ついに登場です! 帝黒アレキサンダーズの紅一点にして、エース投手(クォーターバック)、小泉花梨――!!』

 

 攻守入替して、帝黒ベンチからフィールドに歓声に出迎えられて現れたのは、テンパり気味な選手だった。

 長髪を三つ編みにまとめたその背番号6は“手弱女”という単語がぴたりと当て嵌まる。印象的にとてもアメフトをやるような選手には見えない。というか、紛れもなく女性である。

 これに長門はつい馴染みの大和へこの他所のチーム事情に対して口をはさんでしまう。

 

「……泥門(こちら)虚弱児(セナ)を引き入れた手前言い難いんだが、お前よく本気でアメフト選手をやらせる気になったな」

 

「ははっ! 相手のことまで気にかけるとは村正も心配性だな。けど、心配ないさ、花梨なら。――なにせ、あの鷹が力を見込んでスカウトした逸材なんだからね……!」

 

 大和はそう太鼓判を押すのだが、この幼馴染が割と人の話を聞かずに我が道を行く性格であるのを知る長門としてはあまり保証にしたくはないところである。

 

 それに、こちらには東京地区で最優秀選手に選ばれた、高校最強の守護神がいる。

 

 

「ぅぅぅぅ――! 本番って、何べん出ても怖いわぁ……」

 

「あー、花梨、覚えとるか? 東京守備(ディフェンス)で気ィつけんとあかん奴」

 

 緊張する花梨へ、帝黒の主将・平良はおふざけなしの目で忠告する。

 

「進清十郎。高校最速のラインバッカーでごっつうえげつない“(スピア)”で投手(クォーターバック)……つまり花梨、お前のことを潰しに突っ込んで来よる。40ヤード走4秒3にベンチプレス140kgやで!? ありえへん! あのパーフェクトプレイヤーの怪物は鷹に赤羽でも難しい。真っ向から対抗できるんは帝黒一軍でも大和しかおらんわ」

 

 先輩からのわりとマジな忠告に、花梨はちらと東京守備の中核にいる進清十郎を遠目で窺い……あの一切手を抜いてくれなさそうな目に、ビクゥッと震えが走る。ついぺこぺこと頭を何度も下げてしまう。

 女性であることもさることながら、闘争心のない姿勢は実にアメフト選手とは思えない。

 何だかシンパシーを感じ取ったセナは心配してしまう。

 

「大丈夫かな、長門君。進さんの『スピアタックル』をされたらひとたまりもなそう……親善試合で怪我人なんか出ちゃったら大変なんじゃ……」

 

「ヒル魔先輩だったら、容赦なく腕を折りに行かせそうだが。でも、その実力は確かなのだろう。元から日本人が美徳とする謙虚さと言うのに乏しくて、それをさらにアメリカに置き忘れている猛だが、あいつは結構シビアな実力主義だ。その猛が認めている。少なくともこの親善試合に出ているということは、大阪地区を勝ち抜いた帝黒アレキサンダーズの一軍として認められていることは違いない」

 

 

 そして、帝黒の攻撃が行われる。

 最初に仕掛けたのは、一軍投手の力を知らしめるような、また先程の『ショットガン』をやりかえすような、パスプレイ。

 

「ボールが止まってるみたく綺麗に回って……」

 

 11人中8人が鉄壁の堅守を誇る王城ホワイトナイツの選手で占める東京オールスターズの守備陣の頭上を、時間が止まったかのように、緩やかに、滑らかに弧を描く投球。

 繊細な指先の感覚を持つ小泉花梨の究極に正確で、究極に柔らかいパス――『花弁の(フローラル)シュート』。

 

 本庄鷹と言うレシーバーを擁する帝黒アレキサンダーズに変わった戦術は必要ない。ただ“捕り易さ”こそが最強のホットラインにする。

 

 

『帝黒、ロングパス成功! 連続攻撃権獲得(ファーストダウン)――!!』

 

 

 帝黒エースレシーバー・本庄鷹が、背面片手捕り(スーパープレイ)をしてみせる。

 普通なら一か八かの危険度の大きいプレイだが、あの捕り易い球ならば邪魔されぬ限り万が一にもキャッチミスはない。そして、マークについた東京コーナバック・井口広之では、本庄鷹を邪魔することはできない。『ワンハンド・バックファイア』の必要もない程に実力差は圧倒的だ。

 だから、これは明らかな挑発(メッセージ)――ベンチにいる攻撃側選手(タイトエンド)である長門村正への。

 

 一度目の競り合いは油断を突かれてボールを弾かれてしまった。

 二度目の競り合いでキャッチ勝負では互角にもつれ込んだが、アメリカンフットボールのプレイとしては上を行かれた。

 

 ここまで、負けっ放しにされたのは、生まれて初めての経験になる本庄二世は、戦意を剥き出しにし隠そうとはしなかった。

 

 

「カッ! こっちはまるで眼中にないってことかよ!」

 

 それが、守備に就いている葉柱ルイには気に食わなかった。

 負けて悔しい。負けっ放しなのは嫌だ。当然の感情だ。だが、こうして目の前にいるのに無視されているのは葉柱が舐められているということ。

 

 ぶっ潰してやる、帝黒最強コンビをよ……!!

 本庄鷹のキャッチは、この長い腕を伸ばしても届かない高みにある。だが、あそこの女は違う。女だろうがこのフィールドに出ている以上は関係ない。容赦なく潰す。

 

(投げる前に潰しちまえば、そこでおしまいだ!)

 

 ラインバッカー・葉柱が果敢に『電撃突撃』を仕掛ける。

 カメレオンの舌のように長い腕を伸ばし、投手の命である利き腕を狙う。

 その間には、ランニングバック・大和猛がいたがお構いなしに――

 

 

「取り決めていた通り、進清十郎以外、俺は止めないよ。いいね、花梨」

「は、はいぃ……」

 

 

 割って入れる位置にいた大和は庇わず、前に出る。

 そして、葉柱ルイの鞭のようにしならせた腕――『カメレオンの舌(ハント)』が何の障害に阻まれずに敵投手に襲いかかる。

 

 

 小泉花梨は、絵を描くのが趣味である。

 密かに(部内では公然のものになっているけど)同人漫画も描いていたりする。

 しかし、彼女の描く絵には、ひとつの欠点がある。

 それは、どんな場面(コマ)を切り取っても静止画になってしまうこと。彼女が描く背景、キャラクターは、勢いというのが死んでいる。

 なかなか、躍動感のある絵が描けない。

 その原因は、写真のように視たモノを見切れてしまう、小泉花梨のずば抜けた動体視力にあった。

 

 

「は……?」

 

 花弁を摘み取るはずだった捕食者の舌先は、ふわり、と躱される。

 

 強引な勧誘から流れで帝黒アレキサンダーズに入部して、しくしく泣きながらもとにかく避ける練習をたくさん積んだ。タックルされたらか弱い女性の身で、屈強な男性プレイヤーに敵うはずがない。

 だから、避ける。一切、触れさせない。

 

 『神速の早撃ち』で襲われる前に投げてきた東京ナンバーワンクォーターバック・キッド。

 これに対し、大阪ナンバーワンクォーターバック・小泉花梨は、襲われようが躱して投げる。

 大阪地区大会において、小泉花梨に触れた選手はおらず、当然、一度もサックを食らったことがない。

 

 

「猛が来るぞ――!!」

 

 

 葉柱を躱して投じられたトスは、前に出ていた大和へ渡る。

 

「好き勝手に独走させるかよ!」

 

 これに真っ先に反応したのは、ラインバッカー・筧駿。

 アメリカでの因縁。あの時、交わした約束をここで果たす。フェニックス中対ノートルダム大付属の試合では手が届かなかった完璧な疾走へ筧が迫る。

 ――その前に立ちはだかるリードブロッカー。

 

「フー。こちらも好き勝手はさせる気はないよ」

 

「邪魔だどけ!」

 

 その真紅は、停止を強制させる赤信号のよう。

 エースランナーの走路を確保せんとする赤羽隼人。これを瞬殺せんと0秒で間合いを押し潰しに行く筧のハンドテクニック。

 しかし、赤羽はタックルに行くその瞬間――踏み込むために一瞬だけ重心が後ろに下がるのを見逃しはしなかった。

 

「くっ!」

 

 長い腕で組みつかせずに押し倒すはずが、押し込まれる。またも、アイシールド21の突破を目前で許してしまう。

 

 

「ここで、止める大和猛!」

 

「一騎打ちだ、進清十郎!」

 

 

 進清十郎と大和猛。

 東京と大阪地区の最優秀選手が激突する。

 

 最大の好敵手(ムラマサ)をして“単独では抜けられない”と実力を認める高校最強のラインバッカー・進清十郎。

 これに大和が興味でないわけがない。今日の親善試合で是非とも戦ってみたかった相手だ。

 

 

 今日の親善試合、王城の司令塔・高見伊知郎より、“革命的な戦術(バリスタ)”は披露しないようにと言われている。

 だが、己自身が体得した技は別。

 全国大会決勝(クリスマスボウル)まで進めば必ず試合うことになるであろう相手。ならば試せる絶好の好機は逃さない。

 

 小早川セナ(アイシールド21)の疾い脚に、長門村正の屈強な身体を併せ持つ大和猛。春季大会においてパワーとスピードを役割分担した二人(タッグ)に押し込まれていたが、それをそのままに看過しておけるほど進清十郎は己に甘い性格ではない。

 

 

「見ておけ、セナ。手の付けられない努力する天才を――」

 

 

 ~~~

 

 

『『ロデオドライブ』の走法を知りたい』

 

 甲斐谷陸はこの言葉に、思わず聞き返してしまった。

 

 大阪オールスターズとの親善試合に向けての合同練習。

 そこで一緒に練習に付き合ってもらっていた進清十郎に呼び出され、そして、教えを()()()()

 

『『ロデオドライブ』でスピードに緩急をつけ、いざタックルに行くその瞬間のみ120%のスピードで当たれば、最高速度で上回る小早川セナを捕らえることができる』

 

 雲の上にいる超人が、格下の自分の技を会得したいという。

 

 もしも、片腕で襲えるだけの力がある進清十郎の『スピアタックル』に、自分の『ロデオドライブ』が合わさったら、それは――――きっと、子供でも分かる簡単な答えだ。

 槍の如き強力な片腕が、暴れ馬の急加速で懐に伸びてきて、ボールを直撃する。敵を確実に仕留める中央を貫く長い(スピア)三つ叉槍(トライデント)へ昇華されたそれは、究極のディフェンス――

 

 これこそ進清十郎が、己よりも速い相手(セナ)を倒すために構想した技であり、そのためにタックル直前の急加速をずっと磨き続けていた。

 あと一歩。

 『ロデオドライブ』の極意が加われば、すべては完成する!

 

 ―――

 

 ……そんなの教えられるわけない。王城はこの先の関東大会で当たるかもしれない相手だ。

 いやそれ以前に進さんは雲の上の人。何で格下の俺なんかに教わりに……!

 

 自分でもよくわからないものに衝き動かされて吠えた。問うた。どうして?

 何処までも純粋に高みを目指す超人は、これに簡潔に答えてくれた。

 

『走りの技術を学ぶためだ。お前の方が、技術力が高い』

 

 自分を高めることならば、誰であっても見込んだ相手ならば、教わることに何の躊躇はない。

 逆に進さんは、俺やセナが何を聞いても躊躇いもなく教えるだろう。

 

 まったく自分が情けなくなる。

 それに自分の間抜けさにも。

 

 進清十郎(このおとこ)のMAXの力が見てみたい……!

 そんな理由で自分の技の核を漏らしてしまったのだから。

 

 

 ~~~

 

 

 兄貴分の陸の言葉。それがなくてもチリチリとした感覚にセナは襲われた。

 おそらく……いやきっと、高校アメフト界で頂点に立つ二人の対決。無意識の瞬きを忘れて見入る。一瞬でさえ見逃さぬように。

 

 ――来る! これが……!!

 

 自分のよりもはるかに安定感のある走りで、自分と同じ光速領域(4秒2)のスピード。大和猛は、疑いようのない“アイシールド21”を名乗るに相応しい時代最強ランナー。

 衝突する刹那に三つのステップを激しく刻むランテクニックとボディバランスはセナには真似できない。

 

 しかし。

 セナが超えたいと思ってやまない背中は、この超スピードに惑わされない。

 マンツーマントレーニングで教わった。

 

 ランナーの脚や頭の動きに釣られるな。

 身体の中心線だけに集中しろ。

 相手より先に動くな。

 極限まで引き付けて――跳べ。

 

 躱す大和の脚を、捕える進の腕。

 相手が駆け抜けようとする方向へ、曲がりながら急加速する。

 

 左右に逃げ場はない三つ叉の矛(トライデント)――それが進清十郎の『トライデントタックル』……!!

 

 

「なんて……選手だ。村正以外に止められるつもりがなかった、『帝王の突撃』を……!」

 

 三叉槍が帝王を射止める。

 進清十郎は、大和猛の独走を阻止した。

 だが、倒れない。仕留めきれなかった。

 

「だが、それでも倒れるわけにはいかない! 勝つのは、俺だ!!」

 

 この男、完成した『トライデントタックル』ですら倒せず、それどころかこちらを押し切ろうとする。

 以前、小早川セナの質問に答えた通り。

 同じスピードで、体格とパワーの違う二人がいてどちらが厄介であるかという問いかけに何の迷いもなく当然の解答を口にした。

 大きく、力の強い相手だ。

 そして、こう付け加えた。

 初めから(まけ)ると思っているようでは、勝ち目などないとも。

 

 大和猛は、小早川セナに匹敵するスピードでありながら体格もパワーもあり、そして、“絶対に相手に勝つ”というメンタルがある。

 120%に加速してぶつかってもなお、不倒。大和猛は生半可なタックルでは止められない

 阻んだが、強引に2ヤードも押し切られて、やっと帝王は膝をついた。

 

 進清十郎でも完全に止めることが叶わない――

 これは東京地区に少なくない衝撃を与えた。メンバーの大半が王城ホワイトナイツであるだけに、チームのエースの苦闘の影響力は大きい。

 

 本庄鷹との空中戦に、東京地区ベストコーナバックは敵わない。

 三人のラインバッカーも、葉柱ルイは小泉花梨を捕まえられず、筧駿は赤羽隼人を倒せず、進清十郎は大和猛を止め切れない。

 そして、王城の守備は、帝黒の攻撃に圧倒される。

 

『ミコトくんの必殺プレー! 『超低空シャチホコキャッチ』!』

 

 背番号89。『低空を制する軽業師』、元鯱ゴールデンズのエースレシーバー三年生・佐野ミコトが柔軟な身体を逸らしながらの地面スレスレの飛びつきで、捕りづらい低空のボールを抑えてみせる。

 

「俺の走りを観客に魅せるには一番近いサイドライン際走らねーとね!」

 

 背番号33。『サイドライン際の魔術師』、元神龍寺ナーガのエースランナー三年生・天馬童次郎。あえて危険なサイドラインスレスレを走ることで片側しか敵が来ないのを逆手に取る。甲斐谷陸の『ロデオドライブ』走法に近い、軽やかな緩急のステップだけで抜き去って、ゴールラインを抜けた。

 

『タッチダーーーゥン! 東京地区対大阪地区の親善試合! 先制点を決めたのは、西のオールスターズだーー!!』

 

 その後のキックゲームでも、

 

「おっほっほっ、東のナンバーワンキッカーはなんか偉い荒れてらっしゃるけど、だめでんなあ。一流キッカーのスキルは、スマートさよりもどんなプレッシャーもなんっとも思わない図太さでして」

 

 背番号19。神経図太い皮肉屋キッカー・布袋福助。そのキック成功率は99%。

 ボーナスゲームを外させようとする東京オールスターズの守備だったが、布袋は図太いキックでボールをゴール枠内へと蹴り飛ばした。



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29話

 泥門デビルバッツ、太陽スフィンクスとの練習試合(デスゲーム)

 関東大会常連チームであり、泥門と同じように太陽もまた今年も神龍寺ナーガに次いでの神奈川二位でコマを進めた文句なしの強豪チーム。

 今回もまた相手のホームの砂漠グラウンドに赴いての試合で、日射厳しい中で激しく競り合った前半を終えて、後半に向けて体を休めつつ、雷門太郎はドリンクを配っている姉崎まもりへ訊ねる。

 

「まもりさん! 向こうの試合はどうなってんすか! もう始まってるはずでしょ!」

 

「ん、と……さっき、鈴音ちゃんからメールが入ったんだけど、0-7で大阪地区代表に先制されたみたい」

 

 応援に行っている瀧鈴音と姉崎まもりの連絡網で逐一試合経過の速報は届けられている。

 

「うお、負けてんのかよ東京は!?」

「俺達泥門の長門、栗田、セナらがいて押されてんのか!? 西部や王城とかからも最強選手が集まってんだろ」

「守備陣の面子なんてほぼホワイトナイツ一色だぞ。決勝で散々苦戦したあいつらからもう点を取ってるとか大阪の連中半端ねぇな」

「フゴッ!」

「確か、大阪の代表メンバーは全員一つのチーム、帝黒学園のアレキサンダーズから選出されてるって話に聞いてるけど」

「アハーハー! やっぱりこの僕もオールスターズに入れておくべきだったようだね!」

 

 もっと詳細な試合経過を! と詰め寄ろうとしたが、その前に銃声が轟いた。

 

(ファッキン)バカ共、試合中に他のことなんて気にかけてんじゃねーぞ! 糞マネも試合中に余計な情報を教えてんじゃねー!」

「ヒル魔の言う通りだ。栗田たちのことが気になる気持ちはわかるが、俺達だって今、デスゲームで戦っている。太陽スフィンクスは余所見をしていい相手じゃない」

 

 ヒル魔と武蔵の言葉に向こうに飛びかけた意識が引き戻される。

 言い出しっぺのモン太も、両手でバチン! と頬を叩いて、自らに喝をいれた。

 

「おっしゃっ! セナ、長門、栗田さんが大阪のオールスターズと戦ってんだ! 俺達だって負けてられねー! こっからバッチリ点を取って、応援MAXパワーを向こうに送ってやる!」

 

 前半が終了して試合は今、後半に入って一タッチダウン差で泥門が負けている。

 

 泥門が夏休みに『死の行軍(デスマーチ)』を通してレベルアップしたように、太陽もまた過酷な鍛錬を積んでいる。

 巨大な岩石をコロで引く“死者の行進”。

 人間ピラミッドを組み、腕立て伏せをする“王への祈り”。

 知力と判断力を養うクイズ大会“スフィンクスの問い”。

 校舎の地下で精神統一“ピラミッドパワー”。

 水辺でラダードリル“ナイルの吊梯子”。

 作戦帳(プレーブック)の暗記訓練“死者の書”。

 などと、考古学を学んだ先人(OBOG)の叡智が存分に詰まった伝説伝統の極限のトレーニングをこなし、以前の時よりも確実に強くなっている。

 前衛のパワープレイ一色で疎かになっていた後衛も強化されている。

 モン太もあれから成長した戦車コーナバック・鎌車とのマッチアップに何度かパスキャッチを防がれてしまっているが、戦いの最中に何かが掴めそうな気がする。

 

「日米代表選考会から、瀧が加入し、雪光が試合に出られるまでに仕上がり、そして、ムサシが戻ってきて泥門の戦力は増強されている。だが、それでも栗田、長門、セナが抜けている穴は大きい」

 

 酒鬼溝六の言は、この連戦に次ぐ連戦続きのアメフト練習試合で全員が思い知っていること。

 栗田のパワーに、セナの走りに、そして、長門のプレイにどれだけ頼ってきたか。

 だが東京地区大会の決勝で、“エース長門村正が出場できなかったから負けた”などと言われ、それが事実でも、負けっ放しは趣味じゃない泥門は発奮した。そして誓った。

 三人が抜けてもこの『デスゲーム』で一度も負けないだけの強いチームになってやる! と。

 この溝六も気にいる負けん気の強さで今日までの試合をすべてコイツらだけで勝ち続けているのだ。

 

 それでも、この『デスゲーム』最後の試合相手の太陽スフィンクスは、強い。

 成績で見ても、泥門と同じ、地区大会二位の相手。これにメンバー三人も抜けて戦う。中でも、栗田に代わって、日本最重量『ピラミッドライン』の中核を担う番場衛とマッチアップしている小結大吉は大変だろう。

 

 

 ここから遠い彼方の地で、師匠と友達が戦っている。

 己もまたかつてない強敵と戦っている。

 

「あの夏の泥門との試合。あれはまさに我が太陽スフィンクスの弱点が露呈したものであった。確かにライン以外の力の脆弱さはあった。しかし最も劣っていたのは、我がチームの勝ちに対する執念。それを教えてもらった」

 

 傷だらけとなった威容は、チームの中で誰よりも過酷な鍛錬を経ている証。

 師匠・栗田良寛と押しも押されぬライン勝負を演じ、師と同等の、つまりは小結よりも格上のパワフルな漢・番場衛。

 

「だが、三年間死に物狂いでやってきた。半年ぐらいのルーキーに敗れるほど軟ではない!」

 

 重々承知(フゴッ)

 相手は横綱。その胸を思いっきり借りさせていただく!

 

「フゴオオオオッ!!!」

 

 この相手を倒すには、やはりあの技しかない。

 

『頭! 肩! 腕! この3点でうまいことジャスト同時にブチかませれば、攻撃力は3倍! だが、そんな技、俺でもどうしても微妙にズレる。――それでも、コイツを身につけたいか、小結』

 

 友・長門村正に初めて通用した、偶然が生んだその必殺技は、相手の懐に潜り込み易い、この小柄な体躯だからこそ有利に働く。地区大会ではできなかったが、ずっと酒奇溝六コーチに指導を受けている。

 

『3点同時ブロックはタイミングが命だ! 今相手がいるところに突っ込むんじゃあ、到着するときには微妙にズレちまう! だから、相手の動きを予測して0.2秒先の未来に全身でぶち当たる気で行け……!!』

 

 三角状の三点同時ブロックと力強い闘志が生む、一瞬の爆発力、『Δ(デルタ)ダイナマイト』――

 この呼吸、必ずや体得してみせる!

 だから、師匠、友よ、負けるな――

 

 

 ~~~

 

 

 決戦の地である関ヶ原フィールドで、東側へと逆風が吹き荒ぶ。

 

 0-7。

 試合は、早くも大阪地区――帝黒アレキサンダーズがペースを握る。

 ここで士気を立て直さないと、一気に持っていかれる可能性がある。

 

(ここは点を取っていきたい場面……)

 

 前の攻撃で、『ショットガン』は通用していた。キックゴールが狙える位置にまで前進することができていた。

 だがパス一辺倒でいつまでも通じる相手ではない。攻守交替して二回目の攻撃。帝黒は対策してくるだろう。

 ランとの波状攻撃を仕掛けられてこそ、初めて帝黒を揺さぶることができる。

 

(セナ……)

 

 独走まであと一歩のところを、仕留められた。

 今のセナには、大和の姿が天にも届くような巨人に見えていることだろう。自分など足元にも及ばない。そう思わせるプレイだった。

 

 地上(ラン)を制する赤羽隼人と空中(パス)を制する本庄鷹。

 そして、最後の一線を守護する大和猛。

 

 突っ込み過ぎて抜かれても、誰だって絶対大和(エース)が阻止してくれる。

 この帝王・大和という最強のチームメイトへの信頼が、プレイを勢いづかせる。

 

(パワーもテクニックも負けて、スピードさえ敵わない……なんて、落ち込んでいるのが顔に出ている。だが――小早川セナの“疾さ”はそれだけではないはずだ)

 

 手っ取り早く黄金の脚の真価を言葉にして気づかせてもやれたが、今それをやると安易な励ましになってしまう。

 それは、あまりにお節介が過ぎるというもの。

 真に強いアメリカンフットボールプレイヤーならば、誰かの手を借りずとも自力で立ち上がらなければならない。

 

(そして、ここに集っているのは、その強い意志のある者たちだ)

 

 

「向こうは評判違わぬ優等生揃いで、大分頭のいい選手がいるようだが、こっちには、キッド、あなたがいる」

 

「あまり買い被らないでほしいかな」

 

 飄々と謙遜するが、長門村正は知っている。この男とは一度試合って、秘めた闘争心を思い知っているのだ。

 

「俺はキッドと言うプレイヤーを最強のクォーターバックだと思ってます。事実、西部戦、俺とヒル魔先輩が二人がかりでやらないとその計算を上回れなかった」

 

 セナやキッドだけではない。

 いぶし銀の達人のラインマン、ピンポイントに決める優れたキッカー、本場仕込みの卓越したハンドテクニックを持つラインバッカー。

 他にもそうだ。一角の選手であると認めているし、認められている。

 本当の実力を出せれば――ひとつのチームとしてまとめ上げられれば、“頂点”にだって負けはしない。

 

「関西の帝黒学園がずっと全国大会決勝(クリスマスボウル)を制している。トロフィーがこちらに渡ったことは一度だってない。おかげで、“関東の連中は井の中の蛙”、なんて口にはしないがアメフト関係者からそう思われている。

 だけど、俺はここにいるオールスターズが、帝黒アレキサンダーズに劣っているとは思えない」

 

 そして。

 出会った時からずっと超理論屋の先輩は提唱する。

 この世に絶対無敵の存在はいない、と。

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、東京地区オールスターズ! ここから巻き返しに……――こ、これは、まさか!?』

 

 平良たち二、三年の帝黒一軍の選手は、この陣型(ワザ)に目を瞠る。

 

 東京地区の攻撃陣がついたフォーメーションに、クォータバックがキッドともうひとり。投手が()()いる。

 あれはまさか、去年の全国大会決勝で戦った神龍寺ナーガのトリックフォーメーション――『ドラゴンフライ』か!

 

「こんな親善試合にお披露目するとは、ヒル魔先輩に鉛玉をしこたまぶっ放されそうで後が怖いが、ここは勝ちに行くことを優先させてもらおうか」

「本当に思い切った手を打ってくるねぇ。……まったく、そっくりだよ先輩後輩(おたくら)

「だが、無理な注文じゃあないでしょう? アメリカのビーチで一度はタッグを組んだんですから」

 

 デビルガンマンズの再結成。

 キッドと長門の二人体制のクォータバック。

 

 最初は驚く帝黒だったが、すぐ平静になる。

 これは奇策ではなく、失策であると。

 早速、安芸は呆れた声で、

 

「なんやよくわからんけど、あのエゲつない大和クンの昔馴染みに急造投手をやらせるとかアホちゃうか」

 

 大和を押さえ込めるブロックと鷹と競り合えるキャッチ、タイトエンドとして帝黒の脅威であった長門を下げる。それは彼の持ち味を殺し、チームをより劣勢に追いやることではないか。

 

「大和、どう見る?」

 

「……そうだね。確実に言えるのは、村正は勝つ気でいるみたいだ」

 

 長門村正を誰よりも知るエースは静かに答える。

 

 

「SET! ――HUT!」

 

 センター・栗田よりボールがスナップされたのは、キッドではなく長門。

 迫る帝黒。鬩ぎ合うラインを避けるように外側へ横走りして――投げる。

 

 疾走から投球までの繋ぎが流れるようにスムーズ。駆け込みと踏み込みが同一して、姿勢が安定している。

 そして、発射点は高い!

 

(このパスは……!)

 

 鷹が、飛ぶ。しかし、その弾道は高く、弾速は速い。この間合い(いち)から反応しても、遠くてカットが間に合わない。

 

(鷹がパスカットに追いつけない! けど、これは暴投や!)

 

 空を裂く鋭いパスだ。だが、パスはキャッチする相手がいなければ、失投で終わる。

 こんな高くて、速い球など誰も捕れはしない――

 

 

「いや、捕れる。あんたなら、この高さも制せるはずだろ? ――桜庭春人」

 

 

 跳躍する長身のレシーバー。桜庭春人は吼えて、その長い腕を天へ目指して伸ばす。

 

「うおおおお!」

 

 自分よりも身長が低いのに、高く飛んでみせる本庄鷹。高校最長の跳躍力を誇る最強のレシーバー。

 圧倒された。

 だけど、このパス――『エベレストパス』は言う。お前の垂直飛びの最高到達点はもっと高いところにあると。

 

 

 ~~~

 

 

 西部ワイルドガンマンズのキッドは、間違いなく東京を代表するナンバーワンクォーターバックだ。

 だけど、彼が投げるパスでは、桜庭春人を活かし切れない。

 速く精確であるけれども、高さが足りないのだ。

 

 だが。

 自分と同じ長身の選手が、高い発射点よりリリースされたそれはまさしく――

 

『桜庭選手、パス成功ー!』

 

 桜庭へ『エベレストパス』。合同練習で競り合いをしていたからか、桜庭が捕球するベストな高度を長門村正は把握していたようだ。相棒の目からでも合格点であるこれを見て、ベンチで情報分析を務める主務役として東京地区オールスターズを補佐していた高見伊知郎は苦み走った表情を表に出してしまう。

 

「猫山の『キャットラン』だけでなく、『エベレストパス』までモノにされていたとはね」

 

 進と言い長門と言い、努力する天才と言うのは、自らを高めるために技術を学習することに貪欲だ。

 自らを真似て上達するのは一プレイヤーとしては歓迎してやるべきなのだろうが、今日は味方でも明日から敵になるのが相手であっては悩みのタネになる。

 これは、泥門・ヒル魔に何か請求してやるべきか、と半分冗談でぼやいた高見であったが、隣で腕を組みながらそのプレイに目を細めていた監督・庄司軍平は首を横に振る。

 

「いいや、違う。あれは高見から真似たものではない」

 

 すぐにピンときた。

 才能もあるだろうが、それ以上に『エベレストパス』のフォームが馴染み易かったのだ。

 

 王城クォーターバック・高見伊知郎は、庄司監督が、投手としてのイロハを叩き込んだ。

 そして、盟友・酒奇溝六が、最も手塩にかけた教え子である長門村正に仕込んでいたクォーターバックの原本――それは、酒奇溝六が最も信頼した、『二本刀』のクォーターバック・庄司軍平(じぶんじしん)だ。

 

「溝六め……」

 

 ふっ、と頬に皴深い笑みを零す。

 自身のタイトエンドとしての技術だけでなく、自分のクォーターバックの技術まで伝授していたか。

 

 そして、長門村正は、自分たちでは果たせなかった『死の行軍(デスマーチ)』をも乗り越えた精神力がある。

 

 

 ~~~

 

 

「SET! ――HUT! HUT!」

 

 また長門へボールが渡る。

 

『長門君、今度は自分で持ってったー!』

 

 クォータバック自らボールを保持して切り込むラン。『キューピードロー』

 しかし、その前にラインを押しのけて迫りくる巨人の帝王。大和猛の『電撃突撃(ブリッツ)』。

 

 その突撃(チャージ)をつっかえ棒にした長腕で機先を制する『スティフアーム』。そして、キッドへバックパス。

 

 ボールが手に渡ったその瞬間――拳銃(パス)が、抜か(なげら)れる。

 “的”を見ない。見る必要がない。何故ならば、必ず、そこに駆けつけるからだ。

 

 『電撃突撃』で空いた守備。そこへ、渡嘉敷の『パンチングブロック』を跳ね除けた鉄馬丈が走り込む。

 

『東京オールスターズ、パス成功! 連続攻撃権獲得(ファーストダウン)です!』

 

 

 ~~~

 

 

「何やアイツ! 本職はタイトエンドじゃないんか!?」

 

 長門村正の、クォーターバック起用が見事に嵌る。

 だが、驚くチームメイトを他所に大和は納得する。

 

 中学時代、大和猛が本場の強豪チームの中で揉まれていた頃、長門村正は弱小チームを盛り立てていた。

 助っ人ばかりでメンバーの入れ替わりが多い麻黄デビルバッツ。

 その中でどうにかチームとして機能させるために、働いていた。そして、アメリカンフットボールのチームとして成り立たせていた。

 

 長門村正の凄さは肉体的な性能や卓越した技能だけでは語れない。その対応力と適応性こそ。おそらく、長門村正がひとりはいるだけで帝黒の二軍のチームは一軍と勝負できるチームへ変わる。長門村正一人いるかいないかで、そのチームの練度、総合力は全体的に一ランク評価が上がる別物に化ける。

 ただ個人技に突出しているだけのプレイヤーではない。

 

(昔、ボーイスカウトで大和(オレ)は常に先頭で皆を引っ張っていたが、村正は後ろからリタイアが出ないように全体を支えていたな)

 

 その長門が、今この必要な歯車(ピース)は何かと考え、クォーターバックを選んだ。

 パスセンス、視野の広さと思考速度、脚の速さに背の高さ、強肩でありパスを投げる姿勢を崩さないボディバランス……

 駆け引きや組み立てなどゲームメイクする司令塔のアメフトIQは泥門クォーターバック・ヒル魔妖一に劣るが、単純な投手としての能力は上回っているのだ。

 

 結果、東京地区代表は息を吹き返す。

 

 

『長門からキッドへ、キッドから長門へ! とても急造とは思えないスーパーコンビプレイが止まらなーーい!!』

 

 

 最初、キッドへボールが渡り、前に躍り出た長門。

 そして、高身長と安定したボディバランスを活かした密集地帯のショートパスを決める。

 

 

「舐めんな! 神龍寺の二番煎じが、去年、神龍寺を潰した帝黒(うちら)に通用するとでも思ってんのか!」

 

 喝を入れる帝黒主将・平良呉二。

 調子付く東京モンの頭を叩いてやらんと安芸礼介が相対していた山本鬼兵を平良との連携で躱して、ボールを持ったキッドへタックルを仕掛ける。

 

「おっしゃっ! どっちが持ってようが、パス投げる前に潰したるっ!!」

「――行くな、罠だ!」

 

 駿足のラインマンが飛び出したが、それをギリギリまで引き付けてから、キッドの『神速の早撃ち』が炸裂。

 安芸礼介の眼前を横切って、ボールは、ランニングバックへ送られる。

 

「あかん! 『スクリーンパス』や!」

 

 相手のラインをわざと抜かせてから、パス。

 そうすることで前線を人数的に有利にし、中央の突破力を上げる。それが『スクリーンパス』。

 

「血気盛んで結構だが、些かはやり過ぎたな。チャンスが来るまでじっと歯を食い縛って辛抱し、ここぞというところで爆発させるのが(ライン)魂よ! 行くぞ!」

「はい! 鬼兵さん!」

「おっしゃぁ! 行くぜぇぇ! ザッパーン!!」

 

 ラインを統制する鬼兵の号令で、一斉に押し上げる東京ラインマン。栗田の『爆裂(ブラスト)』が帝黒ラインの中核を担う平良呉二を大きく吹っ飛ばすや、その風穴に水町健吾が『水泳(スイム)』で鋭く切り込んで、突破口をさらに大きくこじ開けた。

 

(まずい……!)

 

 選択肢を増やして迷いを生じさせて、守備に集中できなくさせる『ドラゴンフライ』の術中に嵌って、『ランフォース』に乱れが生じてしまっている。

 帝黒アレキサンダーズは、全員が全国から引き抜かれてきたエース。走るルートを瞬時に見切った赤羽が指揮などしなくても各々のリカバリー能力が1秒で対応してみせる。

 ――だが、その1秒が、光速のランニングバックには致命的だった。

 

 

 ~~~

 

 

 ……すごい。

 ああ、すごい。

 

 スピード。

 パワー。

 タクティクス。

 

 この三つ合わせて爆発させるこれが、アメリカンフットボール。

 

 長門君……!

 言葉にされずとも、背中が、その姿勢が示すのだ。『俺達は戦える! 頂点にだって勝てる!』と。

 滾る鼓動(バイブ)が空気に伝播されたかのように、自分の中の何かが燃える。

 熱いくらいに、心臓の中で――

 

 

 ボールを持ったセナが走る。

 ラインが大きく開けてくれた大穴、これだけの幅があれば、躱せる……!

 

 帝黒の守備を次々と抜き去る。

 こちらを袋の小路へと追いやるように包囲してくるが、対応が遅い。僅かに見える突破口の道筋(デイライト)を、光速のランニングバックは駆け抜けていく。

 

(あの三人が来た……!)

 

 あと一枚、抜けさえすれば独走状態の場面で迫ってきたのは、この試合、走者を何度も捕まえてきた赤羽隼人。その左右に本庄鷹、そして、大和猛が回り込んでいる。光の走路(デイライト)を、帝黒の最終後衛陣(セーフティ)が阻む。

 ここで行き止まりになってしまうのか――いいや。

 

「長門君……!」

 

 小早川セナの道を切り開いてきた最も頼れるリードブロッカーが駆け付ける。

 長門村正は、先頭の赤羽隼人とぶつかり、組み合う。

 

「残念だが、栗田先輩を倒せても俺にはその技は通用しない」

 

 末恐ろしい一年生だ。

 重心移動を掌握して相手を押し倒す、力ではなくタイミングで相手を制するのが、赤羽の『蜘蛛の毒(スパイダー・ポイズン)』。しかし、この技は、己の重心を掌握しているであろうこの相手には通じない。重なった選手データを見聞したが長門村正にそのような隙を見つけ出せなかった。

 そして、純粋な押し合いとなれば、彼のパワーが勝る。

 赤羽にとっては、東京地区の中で最も相性の悪いプレイヤーだ。

 だから、この相手には大和を当ててそれで抑止力とした。

 しかし、それは逆に長門が相手をしなければ、大和はフリーになるということだ。

 

「フー。だが、長門君。一つ重大なことを見落としてる。残念だが、僕を押さえ込んでも、君以外に止められようのない大和がいる。本物の“アイシールド21”である彼にはセナ君は敵わない」

 

 赤羽の相手をして、さらに大和の相手をする余裕などない。そんな真似までさせない。赤羽は押し込まれようとも長門を他所のカバーをさせぬように組み付き、行動を制限する。本庄鷹がいる(サイド)は甲斐谷陸がリードブロックに入ったようだが、他にも後勢が押しかけている。鷹を抜けても、捕まるルートだ。

 そして、一対一になれば、大和は止める、と冷静に判断が下せる。

 帝黒アレキサンダーズは、力によって信頼が結ばれているチーム。

 互いが全員オールスター、最強のチームメイトであること。そして、エースとはその頂点だ。

 だから、結果など見えている。

 

「ああ、セナはルーキーだ」

 

 自分と同じ予想ができないはずがないだろうに、長門村正の目は、強く光る。

 

「もっと言うなら泥門は大半がルーキーなんだが、それでも全員が本気で全国大会決勝を目指している。“アイシールド21”なんて名乗るには力が不足してると考えても仕方がないことだが、それでもセナは走るのは止めない」

 

 圧される。

 純粋なパワーでは上を行かれている。だが、この圧力はそれだけでは説明がつかない。帝黒の赤羽が知り得なかった重みがその双腕に篭っている。

 

「赤羽隼人、この試合で、昨年東京MVPで帝黒一軍選手のあんたを降し、俺も“高校最強の(ナンバーワン)タイトエンド”の称号を背負う! それくらいやらないと、本気で猛にぶつかりに行く仲間(セナ)に示しがつかないからな!」

 

 

 ~~~

 

 

 長門君が、赤羽さんを押し倒す。

 進さんと同じ昨年の東京最優秀選手を捻じ伏せる。

 

 ――ここだっ!

 

 真っ直ぐ――大和君の手がこちらを捉えるよりも速く――この最短コースを飛び越える。

 

「『一人デビルバットダイブ』……!」

 

 赤羽隼人を倒した長門村正の上を、跳ぶ。

 大和猛よりも軽い――身軽な小早川セナが、大和猛には行けぬルートを翔け抜けようとする。

 

「っ! 倒れるもんか! ゴールまで、ボールを運ぶまで!」

 

 着地。勢いに前のめりに転びかけるが、踏ん張る。そして、爆速ダッシュ。一気に最高速へ至らせるチェンジ・オブ・ペース。

 

 もっと疾く……!!

 その瞬間、黄金の脚は、光速の4秒2へ突入する。

 

「うおおおお!」

 

 それを追いかける大和猛もまた、同じ世界へ踏み込む。

 追いかける大和。逃げるセナ。捕まれば、終わり。そして、両者の差は徐々に詰められている。

 

 これは、ボールを持って走ってるかどうかの差だった。

 

 

 ~~~

 

 

『止めたァ―――!! 大和選手、小早川選手をまたも止めましたー!!』

 

 また、倒されてしまった。

 しかし、今度は先程とは違い、セナはすぐに上体を起こす。

 

(“本物”は、本当に強い。やっぱこんなに強かったんだ! って、なんかちょっとうれしいというか……うん、そうだよ、凹んでなんかいられない!)

 

 ぞくっとする。

 だが、それは相手を恐れてのことではない。

 倒すべき相手と定めた時に全身に駆け抜ける、武者震い。

 

 この震えを噛みしめて立ち上がろうとしたセナへ、手が差し出される。

 

「『一人デビルバットダイブ』とは、驚いたよ。ギリギリの勝負だった……!」

 

 称賛を送るのは、大和。

 今は見上げている男の手を、セナは借りる。

 

(……手が大きい。背も高いし、普通に握ってるだけでもわかる凄い握力……)

 

 と何だか感動してしまっていると、バンッ、と背中に衝撃。

 身軽なセナ、これにあっさり吹っ飛ぶ。

 

「あ、悪い」

 

「おい。助け起こした相手を張り倒すとか、お前は鬼か猛」

 

 一応、大和は、軽く、叩いたつもりだった。

 幼馴染(ながと)の責める眼差しに気まずげにしながらも、長門に助けられたセナへ改めて言う。

 

「今の分は一撃返しといてくれないか」

 

「へ??」

 

「公平な勝負がしたいんだ」

 

「………」

 

「ホント、勝負好きっ子やな~」

 

 チームメイトですら呆れる大和の勝負癖。

 だけど、挑むのはあくまでも勝負ができる相手のみ。今、セナは、それだけの相手として認められた。

 それが誇らしくて、つい、ぼうっとしてしまったけど、応えないと……!

 

 パァン! と叩かれたところ同じ腰を打つセナの右手。

 

 が、大和の姿勢はまったくブレない。

 

「ははっ、ここは手加減するとこじゃないよセナ君!」

 

「え……えっと、一応今ので僕的には思いっきり」

 

 (パワー)の差は逆立ちしても覆しようがないみたいだった。

 あの大和にすら気を遣わされる貧弱っぷりに、つい、と長門は目を逸らしてしまいそうになる。

 

「とにかく! 今日の親善試合、俺の力の全てを尽くして戦うことを改めて誓う。そして――俺が、勝つ……!!」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 ボールが渡ったキッドへ、二人が駆け込む。

 

「僕だけのスピードじゃ抜けないなら……」

「俺達のスピードを合わせるぞ、セナ!」

「うん、行こう、陸……!」

 

 小早川セナと甲斐谷陸。

 二人のランニングバックが同時に、それも超スピードでボールを受け取りに行く。

 

 これは、『聖なる十字架(クリスクロス)』……!!

 

 クォーターバックの後ろでクロスするように走りながらハンドオフ。

 交わる瞬間、師弟二人はチェンジ・オブ・ペースで急加速する。

 

 ロケットスタートの火を噴くように二人に蹴られた土砂が飛び散る!

 

 後に大学リーグにて、炎馬ファイヤーズで同じチームメイトになったこの二人の難度最上位クラスの必殺連携プレイはこう呼ばれる。

 『十字架砲火(クロスファイア)』。

 

「どっちや!?」

「ボールは……」

 

 セナか? 陸か?

 どっちが、ボールキャリアーか……!?

 

「セナ君だ! 皆、惑わされるな! ボールを持っているのは、セナ君の方だ!」

 

 観察眼に優れた隼の眼は、瞬時に見定めた。

 チェンジ・オブ・ペースのスピードが凄まじいが、やはり練度不足。ほんの僅かなぎこちなさ。一瞬こそ行方を見失ってしまったが、セナがボールを持っているのにすぐに気づいた。

 すぐさま走者を追い込む『ランフォース』を築いて――

 

 

「いいや、見切るのはまだ早い。このロケット(スタート)は、三段式だ」

 

 

 セナが駆ける先へ駆けつけるもうひとりの影。長門村正。

 十文字にもう一本の横線を足した複十字の如く疾走が、二度、交差する。

 

『セナ、陸、俺達の三人のスピードで合わせるぞ』

 

 また『聖なる十字架』!?

 小早川セナと長門村正が超スピードで交差し、全員がエースの帝黒の対応力をさらに揺さぶる。

 甲斐谷陸と合わせて三人の疾走(スピード)がフィールドを駆け巡り、帝黒守備をかき乱す。

 

 今度ボールを持っているのは長門だ!

 だがここですぐに長門へ迫ることはできない。何故なら、長門村正には、パス、という選択肢もある。『ドラゴンフライ』にてパスの印象が強められた今、否応にも頭に過る。桜庭と鉄馬ら東京レシーバーにカバーが入る。しかしそのカバーに入った分、『ランフォース』に、穴が生まれる。

 

 そして、ボールをバトンタッチされた『妖刀』はこの試合でまだ披露していない己の疾走を見せる。

 

 爆速ダッシュの基礎を教えたのは甲斐谷陸であるが、小早川セナにアメリカンフットボールの走法の手本となっているのは長門村正。

 ランにおいても、エースランナーには劣るも、スピードも40ヤード4秒5で、帝黒アレキサンダーズに通用する程に長門の走法技術(ランテクニック)は高い。

 

 大和猛と同等以上のボディバランスが可能とするステップワーク。激しく細かく足跡をフィールドに刻み込む。さらには長い腕を使い、ディフェンスをいなす術も隙が無い。

 (はし)る。

 (はし)る。

 妖刀が、(はし)り抜ける!

 陸とセナの連携で攪乱された守備網を走破する長門は、一気にゴールを目指す。

 

 ――その前に立ち塞がるは、やはり最大最強の好敵手(ライバル)をおいて他にはいない。

 

 

 長門村正の細かい歩幅で、地滑りするような足運び。あれは、まるで武道の運足の()り足。

 相手と対峙する格闘技において相手の動きに俊敏に対応する際、踵が浮いていると咄嗟に動けない。人間、瞬時に反応するには必ず両足で体を支えていなければならないのだ。

 また、足で地面を蹴ってその力で体を前へ押し出すが、その時に逆の脚が高く上がると、蹴った力が上方向と前方向に分散してしまい推進力がロスしてしまうことになる。この蹴った力を分散させずに100%推進力とするには、逆の足を低く出していく、つまりは摺り足で出ていく走法が一つの方策である。

 

 西欧人は骨盤が地面に対して垂直だが、日本人の多くは猫背で後ろに骨盤が傾いている。そのために、足を大きく上げて動くと、骨盤が上下に動き速度が落ちてしまう。

 故に、日本人には摺り足の方が安定した移動姿勢で性に合っていると言われている。動き出し時でも脊柱の軸回転運動が使いやすく、身体の余計な力みが減り、視野が広がる。

 実際、子供たちに摺り足をたった15分練習させただけで、徒競走のタイムを0.5秒以上も短縮することができたというデータがある。プロアスリートのサッカー選手でも実践しているものがいる。摺り足するように、地面から両足をあまり離さずに走ることで、重心移動の反射が速く、前足の着地点に微調整ができるようになって、ドリブルでの切り返しやフェイントの切れ味が増す。

 同じように幼馴染も摺り足を研究し、走法に取り入れているのだろう。彼の走りはそれだけ非常に洗練されている。こうして相対するだけで努力の跡が思い知れる。

 

 ブロックにキャッチ、そしてランも柔軟にこなすフレックスバック。

 近代のアメリカンフットボールでは、一人の選手が色んなことをするのではなく、それぞれのポジションにはひとつの役割を与えて、専門職として選手を入れ替えて特徴を活かすという起用法が全体に浸透しているため、現在、大変な何でも屋(オールマイティー)選手(プレイヤー)は少なくなっている。

 村正はそんな希少なフレックスバックだ。

 人数不足に悩まされ、何でもやらなければならなかったデビルバッツの環境だからそこに行き着いた。そして、彼自身の才能と、大和猛(ライバル)に勝つという意志が、このプレイスタイルを錬磨し確立させた。

 

(嬉しいよ、村正――だが、俺だって負けていない……!)

 

 守備側は普通、ランナーの横の動きを待ってから加速してタックルする。

 だが、己の走りに絶対の自信がある大和猛は違う。

 超スピードで一気に間合いを詰めて、長身で巻き込む力ずくのバック。決して揺るがぬボディバランスでもって横の動きそのものを完璧に押さえ込む。

 

 ――それが相手を完封する先手必勝の『帝王の突撃(シーザーズチャージ)』。

 

 ――そして、これが相手の目測より超速で巻き戻る後手必殺の『妖刀の燕返し(カットブレード)』。

 

 速さは言い換えれば、重心の移動速度。

 一番重い部分を動かすのが最もエネルギーを使い、速く動かそうとすれば尚更、筋力・瞬発力が必要となる。

 だが、擦り足が出ているようで実際身体は前に踏み込んでおらず、後ろに重心が置いてある。これを長門は相手に悟らせない姿勢を普通にこなす。この全力疾走の合間にでさえ。

 

「お前に――帝黒に――勝つのは俺だ! 俺達だ!」

 

 その一歩分を見誤らせた間合いで、迅速に斬り込む。

 それは、横に、そして、縦に――合わせて、斜めにブレる『(スラッシュ)デビルバットゴースト』。

 体を沈めながらステップを切る、バネに富んだ肉体でなければ不可能な芸当。これは、長門村正が対峙し、体感した走りを己がモノに昇華したもの。

 

 『妖刀』と呼ばれる所以が一つには、“(たたか)った強敵の血を啜るほどに切れ味が増す”なんていう、己を高めるために貪欲に他者の技を取り込む姿勢を指したものがある。

 

 『無音の走り(キャットラン)』だけでなく、『黒豹』パトリック・スペンサーの『無重力の走り(パンサーラン)』の一端も吸収していたか。

 

「―――」

 

 人間が目を動かす運動には2種類ある。

 ひとつは“追従性眼球運動(バースーツ)”。

 もうひとつは“衝動性眼球運動(サッカード)”。

 バースーツとはゆっくり視線を移動させる際の動きのことで書物の文章を読む時などの動きで、サッカードはそれ以上に速い眼球の動き。この『サッカード』が、スポーツにおいて重要な眼球運動である。

 しかしサッカードは上下や左右の素早い動きには対応できるのだが、唯一、苦手な方向がある。

 それが斜め上下の動きだ。

 サッカードは、上下と左右の複合的な動きが求められる斜め上下への反応が遅れるのだ。

 

 そして、交錯した直後に見たのは、帝黒アレキサンダーズの一同が瞠目する光景。

 

 袈裟懸けの一刀を浴びせられた帝王の虚像(イメージ)が、観衆の眼に過った。

 

「大和が、抜かれた……!?」

 

 ――いいや、まだだ!

 反応が追い切れず、抜かされた。だが、大和は即座に体勢を立て直して切り返す。最大のライバルたる自分を置いていく長門の背中を我武者羅に目指す。

 あれが、自分から離れて行くなど、許せない。そんな“大和猛”は断じて許せるものではない。

 

「おおおお――ッッ!! 村正あああああッ!!」

 

 アクセルを踏み切って、追う。

 光速の4秒2に速度メーターが達し、そこから長身を前倒しにして、この刹那のみ、『帝王の突撃』は人間の限界の壁を超える。独走していた長門との距離が、埋まる。

 長門村正よりも大和猛の脚の方が速い。

 

 

「いいや、勝つのは、俺だ、猛!」

 

 

 だが、長門村正の脚は、強い。

 鋼鉄製重量級自転車を踏み抜いてきた脚力は、最後の一押しを粘る。

 大和猛に捕まった長門村正は、大きく一歩を踏み出して、ゴールライン上に膝をついた。

 

『タッチダーーーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

「ふんぬらばーーーっっ!!!」

 

 タッチダウン後のボーナスゲーム。

 東京オールスターズは、またもゴールラインを狙う。

 

「あかん! こんなゴール前密集地やったら」

「連携もスピードも糞もないわ……!」

 

 連携とスピードを重要視するのが現代フットボールのラインマン。

 だが、これはシンプルなパワー勝負。力と力が鬩ぎ合う土俵に“力”以外の他の要素が入り込む余地がなかった。

 

「行け、栗田。鈍足で不器用だが、小細工なしの力一本でいくお前の(ライン)魂を真っ向から“頂点(こいつら)”にぶつけてやれ……!」

 

 パワーを一番下とする帝黒アレキサンダーズに、栗田良寛の押し合いに敵う者はいなかった。

 すぐ隣には憧れの先輩(おにへいさん)が檄を飛ばしながら支えて、ボールを持った頼もしい後輩(ながとくん)が背中を後押しする。

 彼らから信頼を注がれた栗田は、数値以上に力を滾らせる――!

 

 

『タッチダーーゥン!』

 

 

 2点のトライフォーポイントが加算。

 8-7。東京が大阪に逆転する。

 

 

 ~~~

 

 

 すげぇよ。あの帝黒アレキサンダーズ、日本高校アメリカンフットボールの頂点にも引けを取っていない。

 勝つ気だ、本気であいつらに勝ちに行っている。

 

 あの憎くて、だけどその実力は認めていた棘田先輩が、4軍で燻っていることを告げられて、自分たちは井の中の蛙だと心のどこかで怖気づいてしまっていたのかもしれない。脚が竦んでしまっていた。

 

 だけど、そんなつまらない足枷は、吹っ切れた。

 

 ――佐々木コータロー、あんたのキックはただ点を決めるだけじゃあないだろ?

 

 ああ見てな。

 この東京ベストキッカーが、テメーが尊敬するムサシの野郎にだって、決して劣るもんじゃねぇってことをみせてやる!

 

 

 キッカーがボールを蹴る直前に、東京の選手たちがいきなり、右に大移動――

 

「上がれーっ! 『オンサイドキック』や!!」

 

 本来、かっ飛ばすべきキックオフをあえて近くに転がして、全員大乱戦でボールを捕るか捕られるか。

 逆転したその勢いのままに博打を仕掛けてきた東京。

 

 ふわっ、と。

 優しく楕円形のボールが山なりに飛ばされる。

 

 ゴロではない。

 佐々木コータローの精密なキック、ボールを捕りに行っている東京の選手は全員打ち合せしている。向こうは落下点を予想している。だから、動き出しが早く、迷いがない。

 しかしそれを言うならば、帝黒アレキサンダーズの対応力は群を抜いている。

 

 先頭を凄まじい速さで駆け抜けるのは、21番。小早川セナ。

 同じく、帝黒でひとつ頭が飛び抜けている大和へ体当たりするかのような勢いでブロックしに走る。

 

「……僕がぶつかっても、当たって砕けるだけ。でも、そのスピードを少しだけブレーキを掛けさせる。長門君が、きっと阻む……!」

 

 脚の速い大和を、同じ4秒2のセナが当たりに行って、減速させる。身体を張って稼いだほんのわずかなロス分に、本命が間に合う。

 

 村正……!

 大和が、長門に押さえられる。出鼻をくじかれた形となってしまったが、アレキサンダーズには空中戦を制する鳥人がいる。

 本庄鷹。

 日本人最長の跳躍力でもって空を翔けるキャッチの達人は、自ら迎えに行くように飛びかかり、ボールへと手を伸ばす――

 

「な……っ!」

 

 ゴゥッ……! と試合会場に吹く強風。

 ファッ……とボールは風に流され、軌道が蛇行する。風まで読み切れていなかった鷹の手から逃れるように、離れて行く。

 

 セナや長門に負けてられねぇ!

 流されていったボールを真っ直ぐに追いかけるのは暴れ馬。甲斐谷陸に続くのは帝黒の中で真っ先にボールの行方へ切り返した赤羽隼人――だが、最後、『ロデオドライブ』の加速120%の追い上げで一気に突き放されて、落下点へ先に着かれた。

 

「風で曲げて狙い通り! スマートだぜ!!」

 

 ビシッと、陸が確保したのを見届けた佐々木コータローが髪に櫛を入れる。

 

 

『なんと……大阪に渡るはずだったボールが奪取! 攻撃権はまたも東京オールスタァーーーズ!!』

 

 弾道が風に流されるのを計算に入れて、狙い通りの座標へボールを蹴り送った。そして、そこへボールが来るのだとチームメイト(リク)は脇目を振らずに走り抜けた。

 その光景を、脚を止めて見やった赤羽、かつてのチームメイトへ、佐々木コータローは櫛を突き付け、

 

「見たか赤羽! あらゆるシチュエーションでも何千本とキック練習してきたのよ! 余計な風なんかで俺のキックが狂うなんて思うな……!!」

 

 

 ~~~

 

 

「なんや――なんや、これ……!」

 

 開闢の王者・帝黒学園が、東の連中に押されている……!?

 これは親善試合、正式にはありえぬオールスターチーム。だが、全国から有望な選手を集めてチームを作っている。選手もチームとしての練度もこちらが上のはずだ。

 なのに、今、西高東低の不敗神話が大きく揺らいでいる。

 選手の顔に汗が滲む。気圧されてしまっている。

 

 だが、それを跳ね返せる力があると、この頂点・帝黒学園に集った自分たちは自負している。

 

「……面白い」

 

 赤羽隼人が、ポツリと呟く。

 

「ああ。俺は、こんな戦いを求めていた」

 

 本庄鷹が、その眼に強い光を宿して、応じる

 

 

 逆転しても手を緩めない。

 試合に勝つまで、只管に貪欲に、攻め抜かんとするその姿勢。

 正しく、勝者のみが称賛されるアメリカンフットボールプレイヤーの有様。

 

 そうだ。

 ノートルダム大でエースをしていた時も、格上の相手と対決し劣勢に追い込まれたことがあった。

 だが、それでも自分は大和魂――ハングリー精神で食らいついたのではないのか。

 

「そうだったな。思い出せたよ、この気持ちを」

 

 アメリカから帰って、日本で頂点の帝黒学園に入り……どこか気が抜けていた。慢心していた。この追い込まれていく感覚は本当に久方ぶりだ。

 しかし、それも今日までだ。

 僅かたりとも侮るな。目の前に、己を脅かす敵がいる。

 

「ありがとう、村正。いや、東京――おかげで俺は日本で驕らずに済んだ」

 

 沸々と気炎を立ち昇らせる三人。この熱量に、僅かに漏れ出た動揺が蒸発したかのように掻き消えた。

 

 この主将・平良呉二が皆の意思をまとめるように唱える。

 

「こら認めないとあかんな。東京地区は、強い。だが、最強は、この帝黒や……!!」



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30話

 投手二人体制の『ドラゴンフライ』……この変幻自在なる戦術(パターン)を、潰す。

 一度見せた手は、通じさせない。帝黒アレキサンダーズの全員がその場で学習し即実践できるだけの対応力を持ったエース級。

 対し、センスがあっても、連携の練度の深さは足らない即席のオールスター。バリエーションがそう多く用意できているわけではない。

 プレイする毎に手札は切り詰められていく。

 地道に東京の攻撃を攻略し、そして、追い詰める――

 

(『電撃突撃』……!)

 

 超高速で大和が特攻を仕掛けるプレイ。

 それが徹底して連続する。ボールを持っていようがいまいが関係なく、長門を自由にさせない。

 これで『ドラゴンフライ』の肝であるクォーターバック二人のボール回しを阻止する。

 

(いや、ブリッツ二枚だと……!)

 

 ――だが、それなら、強引にでも無理を押し通す……!

 

 長門村正、大和猛からの強襲を警戒するあまりに生じた隙へ帝黒ライン・安芸礼介からタックルをもらいながらも、パスを投げる。

 それはアメリカNASAエイリアンズのクォーターバック・ホーマーと同じ。強靭な上体を持つから可能とする力技。

 

「鷹!!」

 

 だが、そのパスコース先にも回り込まれた。

 

「!!?」

「あの体勢からでも投げられる。だけど、それは低いパスだ。さっきのようにはいかない」

 

 倒されながらの姿勢では、当然、発射点も傾く。それでも高い空を駆けていくのだが、最高点――『エベレストパス』とはいかない。

 桜庭春人への高弾道パスを、本庄鷹が弾く。

 パス失敗。

 そして、これで東京は次が最後の攻撃権となる。

 

 

「ボールを運べるのはここまでのようだ。――後は頼んでもいいかい?」

 

「おうよ、ここまで運んでくれれば十分! 俺がスマートにキックを決めてやる!」

 

 東京の指揮官・キッドは、今の帝黒の守備を破るのは相当に厳しいと理解する。審判が時計の針を気にする時間帯であるのを考慮し、これ以上の攻めは無理だと判断した。

 であれば、長距離砲。帝黒の守備を徐々にだが押し上げてキックゾーンまで進めている――

 

 

『さぁ東京オールスターズ! 前半最後の攻撃となるこのプレイで選択したのは、コータローくんのフィールドゴールキックです!』

 

 キック、か……。

 帝黒守備についた赤羽からも窺える、キッカーが助走位置に着いたその陣形の意味は明らかだ。

 ゴールポストまで50ヤード(46m)。かなり長い。帝黒キッカーの布袋福助でも最高飛距離は49ヤードで、赤羽が知る限り、一年前の佐々木コータローでは届かなかった距離だ。

 ここは無理にゴールを狙わずパントキックで、次回の守備を楽にしてやるのがセオリーだ。

 士気を高める攻めの勢いを断ちたくはなかったのだろうが、これは調子に乗ったか。

 

(ここで、コータローのキックを失敗させて、帝黒に流れを持っていく……!)

 

 

 ――ここで俺の脚に託した。

 

 最初のキックを失敗している。さらには風吹き荒れて難しい場面。

 それでも、満場一致でキックだった。

 

(ったく、まいるぜ)

 

 プレイ開始のコールと同時にスタートダッシュを切った赤羽を唯一その技に対抗できる長門が抑える。そして、パワー・スピード・高身長とキックの天敵なステータスとを備えた大和には複数人がかりでしがみつく。

 全員が一丸となって、このプレイを成功させようとしている。

 

「決めて、コータロー!!」

 

 観客席から、元同級生同士の試合を複雑そうに見守っていた盤戸のマネージャー・沢井ジュリからの声援が、最後、この背を後押しした。

 

「これを決めなきゃ、男じゃねぇ!!」

 

 仲間(チーム)が俺を信じている。

 そして、俺も仲間を疑わねぇ。

 

「―――」

 

 そのとき、赤羽隼人が視たのは、帝黒のプレッシャーなど眼中になく、ただ先を――ゴールのみを見据える佐々木コータロー(キッカー)の姿。ブロックされながらも伸ばそうとした赤羽の手を、その指先も掠らせぬ彼方へとボールは蹴り飛ばされた。

 

『風の流れも計算の内、コータロー君のキックは完璧に追い風を味方につけて、ゴールポストへと吸い込まれていくように飛んでいくーっ!!』

 

 そうして、東京オールスターズ最後の攻撃……先程外した佐々木コータローのキックを選択し、成功させる。

 

 

『東京キッカー・佐々木コータロー、フィールドゴールキック成功ー!!』

 

 

 リードを広げて、11-7。

 

 

「残り時間もわずかだ! ゴールラインまで相手にボールを運ばせるな!」

 

 その後、東京守備の王城ディフェンス陣が意地を見せ、帝黒オフェンスを前半終了まで阻み切った。

 プレイはリセットされ、ハーフタイムに入る。

 前評判を覆して、東京地区優勢。

 しかし、静かにプレイを邪魔する焦りを呑み込むチームメイトたちへ、帝黒のエース・大和猛は言う。

 

「まだ慌てる点差じゃない。一タッチダウンで覆せる」

 

 

 ~~~

 

 

 20分の休憩時間。

 この間に、徹底的に体を休める選手、テーピングの補強をやり直す選手、陣形の確認に余念のない選手、あと栄養補給(ドカ食い)に勤しむ選手と様々

 

「脚の調子はどうだセナ?」

 

 入念にストレッチを行う長門。

 隣で同じように真似をして体を解しているセナへ半身捻って顔を向ける。

 

「泥門ではいつも両面を強いられていたが、攻撃に集中できる。でも、楽じゃあないだろ?」

 

 この半ば確信めいている調子の問いかけに、こくん、と頷くセナ。

 勝っているけど全然楽じゃない試合展開。いつもよりプレイ量は減っているはずなのに、消耗具合はいつも以上な気さえする。

 

「そりゃあ、猛に対抗して常時全力疾走でフィールドを突っ切っているからな。トップスピードを出した直後のセナは少しだがどうしても走りのフォームがふらつく」

 

「うん……」

 

 セナは自分の脚に焦点を合わせる。長門の言う通り。40ヤード走4秒2のスピードを出せば、その反動からか筋肉痛に悩まされる。

 

「でも、大丈夫! 今はそれほどの痛みはないから! 後半も全然走れるよ!」

 

 確かに『一人デビルバットダイブ』の着地をした時は脚の筋肉が悲鳴を感じるのを感じた。しかし、決勝の王城戦で進清十郎と競った時は、脚が折れるかもしれないとさえ思ったのだ。それと比べれば大分マシである。

 

「やっぱり攻撃に専念できるおかげなのかなあ?」

 

「それだけじゃない。合同練習で、進清十郎や甲斐谷陸と競り合い続けた成果が出ているんだ」

 

 今度は体を反対に捻り、背中を見せながら長門は指摘する。

 

「最初に限界を破る時は、体力や筋力だのよりも気持ちだ。気持ちひとつで壁を超える。だが、二度目からは気持ちだけではどうにもならない。もう一度、壁の先のステージを行くには、最初に壁を超えたとき以上の力がどうしても必要になる」

 

 スクエアランで自分と同じくらい速い相手に只管に追いかけられ続ける。全力疾走が強いられる練習をし続ければ、いやでも脚力がつく。

 

 王城学園での、東京トッププレイヤーが集っての合同練習。それはすごく厳しかったけれど、いつもの泥門では学べないような環境だった。

 だから、そう、セナに、焦るな、と。着実に成長しているのだと教えるように長門は言う。

 

 ……でも、それを言うなら、大和君。

 両面に出て、それも第2クォーターからは長門君に全力疾走でブリッツを仕掛け、当然、攻撃面でもほとんど40ヤード走4秒2のスピードを出していた。そう、セナは一度も抜けていなかった。

 だけど、彼にはまだ余裕があるように思える。苦しいのは向こうも同じはずなのに、大和は最後まで走り抜けると思えてしまう。

 同じランニングバックでも、格に違いを実感する。

 セナも道半ばで脚が尽き果てるつもりはないけど、やはり遠い――

 

「セナ、俺は魚屋に野菜を注文するような無茶は言わないつもりだ」

 

 長門はそんな前置きを入れてから、ゆっくりと深呼吸、胸の奥から吐き出すように、

 

「――走れ。大和猛は、時代最強のランナー(アイシールド21)で、今、ランニングバック(おまえたち)の先頭を行く者だ。小早川セナの前を走っている壁だ」

 

「長門君……」

 

走り屋(ランナー)なら前を見ろ。余計な焦燥なんかに駆られる前に、一心に駆け抜けろ。全てを使って追いかけなければ、あの背中には届かないぞ」

 

 遠い。でも、その背中は捉えられてはいるのだ。目標にさえできないほど彼方に置いていかれているわけではない。

 

 

「ああそれと、帝黒の守備で体感したことはよく覚えておけ」

 

「う、うん。王城とはまた違うけど、凄い守備だし」

 

「それもあるが、昨年の全国大会決勝で神龍寺ナーガを降した帝黒アレキサンダーズの『ドラゴンフライ』への対処は、見本(イメージ)としてはうってつけの教材だからな」

 

「へ?」

 

 

 ~~~

 

 

『ああーっと、風で流されたーっ!! さしもの花梨&鷹ホットラインもパス失敗ー!!』

 

 後半、東京のキックオフから始まった大阪の攻撃(ターン)

 天候が荒れてきたフィールドで、花弁(ボール)は強風に散らされてしまう。

 

「これは、追い風か」

 

 荒れ狂う猛風に柔らかい――逆風を突っ切るだけの鋭さが足りないパスでは流される。『花弁の(フローラル)シュート』は、自殺行為に等しい。

 小泉花梨にとって、この悪条件は投手として役割をほとんど果たせなくなってしまう。帝黒学園はラン中心の攻めをせざるを得ない。

 

 そして、この機に、まだ後半が始まって早々であるが、手札を切る。

 

『ここで選手交代です東京オールスターズ! ――! この陣形はもしや巨深ポセイドンズの――!』

 

 東京守備ラインの王城選手のひとり、渡辺頼広と交代し、長門村正を投入。後衛守備のラインバッカーを一枚増やす。

 筧駿、進清十郎、長門村正、葉柱ルイ――ラインバッカー四人体制のフォーメーションは、『ポセイドン』!

 

 

「SET! HUT!」

 

 帝黒のプレイは、赤羽をリードブロッカーに入れての大和の疾走。アレキサンダーズ最強の突破力を誇るランプレイ。

 

 東京は後衛を増やした『ポセイドン』でもって、究極のボディバランスから為す、光輝く道筋(デイライト)が駆け抜ける大和に対応しようというのだろう。

 だが、大和の走りは、幅広いだけではない。破壊力がある。抜き去るのではなく、突き破ることも大和にはできるのだ。さらに、『リードブロックの魔術師』である赤羽がサポートに入れば、薄い壁など容易く突破してしまえる。

 その守備陣形は、大和の走りを捕らえられるかもしれないが、止め切ることはできない――!

 

 壁一枚減らした分、手薄となった中央を突破する。

 ――だが、その先には“海の魔物”が待ち構えていた。

 

「くっ」

 

 リードブロックに入っている赤羽と当たった長門は、組み合い、そして、強引に押し寄せられた。

 それは、大和が走ろうとした光路(みち)を遮る形で、やむを得ず、それと反対のルートへ曲がりを切る。

 

 ――そこへ、鉄砲水の如き平手突き。

 

「ついに捉えたぞ、アイシールド21――大和猛!」

 

 ランナーは、味方がブロックに入るのを待つのがセオリー。

 だが、その一瞬、ブレーキがかかったところに、一手打つ。0秒で相手を押さえ、如何なる攻撃パターンも阻止する、筧駿の『モビィディック・アンカー』

 

「危ない……っ!」

 

 圧されたが、ここは強引に抜きに掛かる。安定感のあるパワーボディ。そして、押し込まれた力のベクトルを流すよう回転(スピン)。怒濤の激流を切り分ける大和は、先へ――

 

 

「いいや、その走路(ルート)は行き止まりだ」

 

 

 大和が筧を抜いた先は、三叉の槍が待ち受ける処刑(ギロチン)台。

 回転した直後の、姿勢が揺れてるその時に、高校最高の守護神は容赦なく穿つ!

 

 進清十郎……っ!

 

 『トライデントタックル』が、不屈の帝王を貫いた。

 

 

 ~~~

 

 

 大和猛……アイシールド21を誘導した先で仕留めたそれは、『ランフォース』

 

 海の魔物『クラーケン』やら海神『ポセイドン』やら三叉槍『トライデント』が敷いたのは、立ち入った船を呑み込む魔の海域だった。

 

 前半、長門村正は、守備に参加せず帝黒の攻撃を観察していた。

 『速選(オプション)ルート』の雪光学のように見に徹し、この赤羽隼人のお株を奪うような『ランフォース』を築き上げるまでにその精度を高めていた。

 そして、筧駿の考案した『ポセイドン』フォーメーションに合わせた。

 高波はただ船を沈めるだけでなく、押し流すように誘導もできる。流動する迷路封鎖、それが『バミューダトライアングル』

 

 

「……おい、大和君が倒されたトコを見るなんて初めてちゃうんか」

「ああ、あれは完璧に“大和殺し”やった」

 

 長門村正に走路を制限され、筧駿に隙をつかれてバランスを崩したところを、進清十郎のタックルがトドメを刺す。

 こんなのたとえアイシールド21、大和猛でもたまらない。

 

 日本で初めて倒されたエースが、ショックを受けたのかと心配するチームメイトだったが、それは杞憂であった。

 

「……俺を倒す守護に最強のライバル――いいじゃないか。ますます勝ち(ぬき)たくなったよ」

 

 すぐに立ちあがる大和は笑っていた。

 

「断言できる。今の俺はベストコンディションになっている!」

 

 最高潮に達しても上昇が止まらずに更新され続ける。

 この苦境を、全身全霊で歓迎しよう――!

 

 

 ~~~

 

 

 そして、試合(ゲーム)は……大阪地区――帝黒アレキサンダーズが、徐々に押していく。

 

 

 ~~~

 

 

 大和猛の走りでも抜き去れない広範囲の守備に、大和猛の走りを見切った連携、これに後半直後に衝撃を受けた――だが、穴があった。

 

「策としては完璧やったかもしれないが、それを実現させる兵までは揃えないと机上の空論や」

 

 動きの切れはいい。これは積み重ねた反復練習の賜物に違いない。だが、才能がない。スピードもパワーも、大和の障害となるには足りない。

 

「あの葉柱っちゅう選手だけ、精々四軍止まりやな」

 

 『ポセイドン』の軸となる四人体制のラインバッカーのひとり、葉柱ルイは、“穴”だと帝黒に早々に見切りをつけられた。

 

「「おああああああああ!!(あ゛ァアアアア!!)」」

 

 大声で迫った葉柱だが、それをかき消すほどの気迫。

 タックルを決めた。葉柱はその腰にしがみついた。だが、大和は止まらない。そして、圧倒的な力についていけず振り払われる。

 

「おあァアアア!!」

「フー……」

 

 赤羽のリードブロックを破ろうとして、一瞬で吹っ飛ばされる。

 この一瞬で回り込んで封鎖した長門と筧が大和を止めたが、それでも前進を許す。

 

 そして、葉柱の補佐に入ろうとするために、その守備陣形に偏りが生まれる。

 それを逃さぬ帝黒ではない。

 

 

 強風が荒れ狂うフィールド。

 ラン一択で攻めざるを得ない……と向こうは思っている。

 ――だから、今こそパスだ。

 相手の“穴”をついてランでも進めているが、しかし時間がかかり過ぎる。『ポセイドン』は時間をロスする逃げ切りの策でもある。後半に入ってから、点の取れない膠着状況に陥ってしまっている。

 それを打破するためにも、ロングパスで一気に大量の距離(ヤード)を稼ぐのだ。

 

「――花梨、俺にロングパスをくれ。東京はラン守備に意識が寄っている。葉柱ルイへのカバーに入るのもあって、パスへの警戒が薄い」

 

 作戦会議で、本庄鷹が申し立てる。

 平良と安芸はあまりいい顔をしなかった。

 

「……危ういな、それは」

 

「あそこの穴をついて大和君が着実に前進できてる。ロングパスなんつうリスクを取る必要あるんか?」

 

 この発言に、鷹は静かに、沸々とした内心を垣間見せるような声音で、

 

「リスク? ――そんなものはないよ。俺が絶対に捕るからだ」

 

 最終的な判断は、帝黒の司令塔・花梨に託された。

 そして――

 

 

「うおおおおお!!」

 

 一度大和にハンドオフされたボールが、ラインにぶつかる間際にバックトスされる。

 返されたボールを肩より上の高さに構え、投球体勢。この時に、パスだと気付くが、その時すでにエースレシーバーは駆け上がっていた。

 

「だが、小泉花梨のパスは風の影響をモロに受けるはず……!」

 

 その通りに、回転数が極端に少ない柔らかいロングパスは、横風に煽られて軌道を曲げられてしまう。

 これはパス失敗する……はずであった。

 

 

 風が強い。ボールが流される。――だから、何だ。ボールは、許すな。

 

 父・本庄勝は、最強の外野手。そのプレイは、大きく打ち上げられたホームラン級の大飛球(フライ)が、風に流されようと、確捕(キャッチ)した。

 野球ボールよりも幅の大きいアメフトボールは風を受ける面積が大きい。それだけ流される。この感覚を補正するのに、時間がかかってしまったが、もう“鷹”の目は、風を読む。これは並外れた彼のセンスに、数多の練習が築き上げた経験則によるもの。

 

 花梨が投げた正確無比なパスは、注文通りの方向へ行っている。そこから風に流されるも予想通り。曲がり流される、この風に舞う花弁(ボール)の軌道は、鷹が頭の中に思い描くものとほぼ一致している。

 

「くっ!」

 

 長門村正が跳んでボールを弾こうとしたが、ボールは逃げる。

 そして、その先へ鷹は飛んでいた。

 前半の東京キッカー・佐々木コータローの『オンサイドキック』を押さえたように、風に流されることも計算に入れて動いている。

 

(ボールは、逃がさない……!)

 

 跳んだ直後に、予期し得ない突風に乗せられたボールだったが、片手でもキャッチが可能な広いカバー力を誇る鷹は、逃さずに伸ばされた右手で掴み獲った。

 

 

『一歩も退かない大阪代表っ! なんという自信! なんという威信……!! ゴールライン目前、残り4ヤード――!!』

 

 今のロングパスですり込んだ。

 東京の守備には“パスもある”と頭にあるはずだ。

 これで、思い切ったラン集中はできない。

 

「最後は、大和の走で仕上げてくれ。この短距離なら俺のパスよりさらに大和のパワーランが確実だ」

 

「ああ、そうだな……!」

 

 強敵手との対決への情熱と同時に持つ冷静さ。

 それでこそ“頂点”だ……!

 

 

 ~~~

 

 

『タッチダーゥン! 大阪オールスターズ! 苦しい逆境を跳ね除けての逆転です!!』

 

 こちらのリードを一度のタッチダウンに覆される。

 

「っそが……!」

 

 相手に合わせるのがカメレオン流。

 相手に合わせて流動する陣形は、葉柱ルイの主義に沿った、得意とするもののはずだった。

 なら、どうしてこんな足を引っ張ることになっている?

 簡単だ。誰にだってわかる。自分の選手としての格が、足りないのだ。帝黒の連中を相手するのに力不足。だから突破を許す。“穴”にされる。

 

(こんなの、許せるはずがねぇ……!)

 

 チームメイトに恵まれた同類(ヒル魔)を羨んだが、この全員が必死に勝ちに行く東京メンバーで負けるようなら言い訳にならない。アイツに負けたことになる。所詮井の中の蛙だとはなから勝負を捨てたアイツらに何も言えなくなっちまう。

 俺は、泥門戦で怪物(ながと)にぶちのめされたまんまなのか。

 いいや――

 

(カッ! 生まれながらに賢かねぇんだよ、畜生……!)

 

 俺には何にもねぇ……それは認める。

 もう隠すもんも、守るもんもねぇ。

 誰にバカにされようが、どんだけみっともなかろうが、知ったことか……!!

 たとえどんなに場違いで、どれだけ恥をかこうとも、たとえそれが叶わぬモノだろうとも俺は――

 

 

『どんな凡庸な誰にも一つだけ許された権利がある。それは群れのボスに戦いを挑むこと。君はその権利を使って生きても使わずに生きてもいい』

 

 

 その何もかも背負った一人の雄は、“頂点”に戦い挑むと決めていた。

 

 

 ~~~

 

 

 トライフォーポイント――

 このボーナス点を得るキックゲームで、向こうは栗田良寛、進清十郎、長門村正から来る中央の突破力でもって、キックを潰しに来る。

 風が荒れてる、プレッシャーも相当なものだ。図太く面の皮が厚い布袋氏も、視線だけで切るような威圧感にゴクリと息を呑む。

 

(それに、11-14では、キック一本で並ばれてしまう点差だ)

 

 先程の佐々木コータローのキックが脳裏に過ったそのとき、蹴り込まれたキッカーの脚からボールを取り上げる赤羽。

 急遽、二点狙いのタッチダウンに切り替える。

 瞬時に、赤羽は自分でボールを持って大外から回り込んでゴールを狙う――!

 

「やらせっかよ!!」

 

 葉柱ルイが、前を阻む。

 キックを潰そうと中央に守備が寄っていたが、外側にいた葉柱は赤羽のプレイに反応した。

 だが、これにも赤羽は落ち着いて、素早く対応。左腕でボールを抱え込んで、右手で相手を制する。

 力押しのみのハードブロックタイプの相手なら、重心移動のタイミングさえ間違わなければ片手でも倒せると踏んで。

 

 わかってんだよ、進たちと比べて俺なんかゴミだってのは!

 だけど、こっちにだって意地がある!

 

 長く、そして柔軟な葉柱の腕は、進清十郎の“槍”の片手突きのように真っ直ぐに最短を突き進むようにはいかないものの、鞭のようにしなって相手を捕らえる。

 絡み付く。

 押し倒せずとも、粘り強くしがみつく。

 重心移動を見誤らなった赤羽は、葉柱を突き飛ばしてみせたが、意地でも手は離さない。倒されながらも引っ張る。死んでもゴールへは行かせない。

 

「ああ、絶対に行かせねぇ!」

 

 そして、葉柱の腕を振り払おうとそちらへ気を取られた赤羽へ、筧がセカンドタックルでボールを弾いた。

 

 大阪地区、ボーナスゲームを失敗させられる。

 

 

 ~~~

 

 

 11-13。

 逆転を許してしまったが、依然と東京の士気は高い。高まっている。

 葉柱が執念で赤羽を阻止したプレイに発奮されているのだ。

 

 大阪・帝黒アレキサンダーズもこれを受けて立つ。

 一進一退の攻防。東京オールスターズはただひたすらにゴールへ前進し続ける。

 

 

『試合時間残り2分! わずか2点差を追う東京!! 東軍西軍両雄一歩も譲らぬ試合の行方はまったくわかりませんッ!!』

 

 

 そして、“頂点”に挑む最強の挑戦者たちは、最後の勝負に出る。

 

「行くぞ、セナ!」

「うん、長門君!」

 

 この勝負所で司令塔・キッドが選んだのは、『鳥の叉骨(ウィッシュボーン)』。

 最初に甲斐谷陸を駆け抜けさせて、次の小早川セナへボールを渡す。そして、その前にリードブロックに長門が入り、セナの爆走ランをサポートする。

 

(――村正ごと、セナ君を倒す!)

 

 己を上回るパワーを有する好敵手と、己に迫りうるスピードを有する挑戦者。

 小早川セナを率いた時のリードブロックは、一段と凄みが増す村正。道を阻む相手を倒さんとする『護る為に殺意』を解放している。

 このタッグを破らんと最高速の『帝王の突撃』を敢行しようとする大和猛。

 だが、その『帝王の突撃』で突貫するギリギリ力を溜めて踏み込む脚――――その一瞬の間を衝く。

 

「猛、お前の重心(うごき)は、肌を合わせずともわかる」

 

 一気に、前に来た。

 “起こり”のない挙動から詰める接近。初速における制圧力においては、進清十郎をも上回る『縮地』なる体技。

 そして、筧駿にも劣らぬ長腕で、0秒で相手を押さえるハンドテクニック。

 さらにそれは相手に踏み込みのタイミングをピンポイントに突いた、赤羽隼人の『蜘蛛の毒(スパイダーポイズン)』と同じであったか。

 

「――ここだ!」

 

 思いきり後ろ足に力を押し込んでいたところを、一押し。

  挙動を押さえ込む先手に、後ろ足をつかされる。

   デコピンの要領で握り込みながらの追撃に襲われ。

    態勢がぐらついたところに、抉り込む肘打ちが炸裂。

 

「かっ――」

 

 三連打というより、三つ同時に重なった一撃。『妖刀』の『三段打ち』が、不倒の帝王を強襲。

 スピード、テクニック、パワーとすべてをこのライバルに打ち込んで、道を切り開く!

 

 

「いいや、まだだ。ゴールはさせない」

 

 『鳥の叉骨』に、本庄鷹の守備を釣ることはできたが、帝黒アレキサンダーズの最終防衛線にはまだひとりいる。

 セーフティーに入っている赤羽が、ゴール目前で立ち塞がる。

 

(ダメだ。赤羽さんはフェイントに掛からない。動きが読まれてる……!)

 

 開始のプレイで、赤羽隼人に甲斐谷陸は抑えられた。

 フェイントを入れるが、それに誘われる気配が微塵もない。冷徹に、こちらの動きを見つめられている。

 

(どっちに抜いてくる。左か、右か――)

 

 いや、どちらであろうともパターンは把握している。

 徹底して対戦相手を研究し尽くす赤羽には、超スピードの『デビルバットゴースト』でも逃さない自信がある。

 

 

 ……スポーツなんて、ドッジボールとかしかやったことがなかった。

 

『お前は今日からアイシールド21だ!』

 

 いきなりヒル魔さんにそう突き付けられた。その背番号がどんな称号(いみ)かさえ最初はまったく知らなかった。

 

『本物のアイシールド21は、その破壊的なラン。完璧なランナーだった』

 

 だけど、今は――

 

 

 そのセナの走りは、曲がる気配がなかった。

 数多の選手の重心移動を瞬時に見切ってきた己の感性に疑いを抱く。

 

(……右にも、左にもカットを切ろうとしない――まさか、上に跳んで……)

 

 『一人デビルバットダイブ』か! と前半のプレイが脳裏に駆け巡った赤羽。

 

 

 ――だが、違う。

 あの顔に浮かぶは恐怖、それと恐怖への覚悟

 すれ違いざまにヘルメットの奥を垣間見た瞬間、ランナーとしての直感が、大和に訴える。

 

「突っ込んでくるぞ、赤羽……!」

 

 小早川セナは、スピードだけなんかじゃない。

 自分から敵の懐に飛び込むエースに相応しい闘志を持ってる。

 

 赤羽隼人はそれを見誤り、直前まで察知が遅れた。

 

 無茶苦茶にも、力ずく、体当たりで、直球の力勝負を挑みに来る。

 40ヤード4秒2の人間砲弾が、赤羽隼人という壁を、こじ抜ける!!

 

「おおおああああ!!」

 

 相打ちか!?

 赤羽を吹っ飛ばしたが、ボールはゴールラインを越えていない……!

 

「止、まっ……」

 

 が瞬間、密着している体勢から、さらに勢いが回転する。

 力ずくで倒したこちらの身体を回転の支点に、『垂直デビルバットハリケーン』……!

 

 胸を打った響く衝撃(ショック)に瞠目し、そして、己の上を駆け上がった“もうひとりのアイシールド21”を見上げて、赤羽はポツリと呟く。

 

「セナ君――君の走りは、本物だ――」

 

 

 ~~~

 

 

『小早川セナ! タッチダーーーゥン!!!』

 

 

 歓喜に湧く東京オールスターズ。

 試合終了ギリギリで、ランニングバック・小早川セナが、タッチダウンを決める。その後のボーナスキックも決めて、これで、18-13。キック一本決めても覆せないだけの点差(リード)を築く。

 

 

「ゲームクロック残り……3秒!!!」

 

 

 そして、時間もほぼゼロだ。

 キックしてゲームが終了する。

 

 

「これで決まったな。この試合……東京(おれたち)の勝ちだ」

 

 

 山本鬼兵が、確信を抱いて宣言した。

 東京は、勝利を目前にした。もうほとんど手中に収めていると言っても過言ではない。

 静まり返っている大阪……帝黒アレキサンダーズの陣営。

 

 キックオフしてからボールキャッチしても、タイムアップのブザーが鳴るのだから。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ただしそのラストプレーだけは、止められるところまで走ってもいいというルールがある。

 

 

 ~~~

 

 

「――行くでぇ、帝黒アレキサンダーズ!!」

 

 主将・平良呉二の号令が、フィールドに轟く。

 静寂は、諦観によるものではない。この最後の最後に全てを爆発させるタメだ。

 

「まだワンチャンスある! ここでサヨナラ逆転満塁ホームランや!」

 

 帝黒学園は一丸となって、一発逆転のキックオフリターンを狙う

 タイムアップのブザーを鳴り響かせながら飛んできたボールをキャッチするや、一斉に駆け出す。

 

 現代の主義に沿ったスピードフットボールチームのアレキサンダーズは、全員がスプリンター。

 その中でも特にスピードのある面子――大和猛、赤羽隼人、本庄鷹、天間童次郎の4人が一ヵ所に固まり、鷹が捕まえたボールを身体で四方を隠し覆う目隠し(かべ)とする。

 ――そして、誰に渡ったのか、ボールの行方を見せずに、四方からそれぞれゴールを目指して駆け上がる。

 

「どこだ、ボール……!?」

 

 まさか……このトリックプレーは、ハチの巣を突いたように広がる――『殺人蜂(キラーホーネット)』!!

 

「うおおおお!? 誰だァァ、誰が持ってる!?」

 

 常識で考えれば、この大事な場面でボールを託されるのはエース・大和猛に決まっている。

 だが――帝黒アレキサンダーズは、全員がエース。全員がゴールを狙えるだけの実力がある。

 その一瞬の逡巡――0.1秒の迷いに抜き去る。

 

「大和猛――っ!?」

「おっといかせへんで、進清十郎!」

「お前の相手はひとりじゃ無理やけど、二人がかりながら!」

 

 平良呉二と安芸礼介が挟み撃つ息の合った連携で、高校最速の守護神を押さえる。

 東京オールスターズは、大阪のオールスターよりも全体的にパワーがあるが、スピードでは負けている。5秒の壁を切れないものはこの速攻に追いつけないでいた。

 

 まさしくこれは、大坂夏の陣で日本一の将兵と謳われた男が、多数の影武者を引き連れて東軍の本陣に切り込んだ特攻のよう。

 

「これ以上行かせるか!」

 

 筧駿が、大和猛の前に立つ――が、動けなかった。

 

 それは見えているのに反応できない、凄まじく滑らかな走り。

 カットステップとクロスステップのみ。ただひとつひとつのステップワークの(クオリティ)が高すぎで、その繋ぎがあまりに流麗(スムーズ)

 そして、そのスピードは光速の4秒2で行われる。

 基本に忠実。洗練された超正統派。

 

 バカな……っ!?

 筧駿から後続の葉柱ルイさえ瞬く間に置いてけぼりにされた。誰も反応できずに抜かれる。

 それは、かつて筧がアメリカで対戦した時のより、倍は速く見える。

 

 ――そして、ライバルと邂逅する。

 

 

(―――ッくッ!!)

 

 脚も限界だ……

 体も息がうまくできていない……

 筋肉がガチガチに固まってきている……

 

 ……フィールドで……ここまで苦しんだのは、久しぶり……いや、初めてだ……

 

 一歩一歩ステップを切るたびに悲鳴を上げる。

 全身が針金に縛られたようで、今にも走るのを止めて膝を屈しそうになる。

 ――だが、その顔には満面の笑みがある!!

 

 無我夢中となるまで追い詰められたからこそ、限界を超えた走りを、見せられるのか。

 

 ――村正、君は強い!!

 

 試合も終盤、これがラストプレイ。

 息も上がって、脚も震える。

 なのに、身体の奥が熱くなってしょうがない。

 0.1秒でいいからこのライバルの反応より先に動け、と心臓がポンプする

 

 

 ――だから、思う。君がいたから俺は強くなれた。ありがとう、村正!!

 

 

 相手に圧倒されるのは、弱さがあるから。

 だがそれは同時に相手を認める強さだ。

 それが、敵となる者がいない日本という環境で、大和猛が育めなかったもの。

 

 強大な敵に立ち向かおうとするとき、人は限界を超えようとする。そのぶつかる力は遥かに強大。

 

 このクロスゲームでしのぎを削り合うミックスアップ。

 ライバルと対決するたびに成長する実感がある。

 

「来い、猛……俺達の勝負に退路などないッ!!」

 

 まだ3mの距離があるが、あと一歩で危険区域――長門村正の制空圏に突入する。

 深く練り込まれた超集中と、剥き出しにされた野生の直感。何人ものエースを、あの『黒豹(パンサー)』さえ仕留めてきたエースキラー。その激しく燃え上がる眼光に射抜かれて、武者震い(みぶるい)を禁じ得ない。

 

「ああ、村正。俺も、一歩も退かん……!!!」

 

 そして、この最後の最後のプレイで見せるのは、大和猛の120%の全力疾駆(オーバーラン)――

 

 疾走へ釘刺すような片手(スピア)タックルーー

 ――右へ躱す。

 逃がさず反応――。

 ――左へ行くと見せて右。

 切り返し(フェイント)に惑わされず――。

 ――腕を突き出す。

 手刀で弾き逸らす――。

 

 抜こうとするが、抜けない。

 捕まえようとするが、捕まらない。

 刹那に交わされる幾度の攻防。

 付かず離れず、火花を散らす様に会場の全ての目を奪い、ずっと続くかに思わせた。

 それほどに両雄は拮抗していたのだ。

 

 だが、決着は、訪れた。

 

 ――回転で抜きにかかる。

 仰向けに倒れ掛かりながらの後退――。

 

 ここだ!

 エイリアンズ戦、パトリック・スペンサーを止めた、後ろ方向への『縮地』。この重力を味方につけた後方への超速の重心移動でもって、己よりも速い相手を仕留めた。

 ――だが、そのバック走は、重心が後ろに大きく傾いている。

 

 ――『帝王の突撃(シーザーズチャージ)』!!!

 

 『長門村正を倒すのなら、このタイミングだ』と重心の見切りを教授してくれた赤羽氏が提示した機が今まさに訪れた。

 そう、抜くのではない、倒す。

 それこそが大和猛の組み立てた長門村正の攻略。

 光速を超える一歩で、全身全霊全力で当たりに行く。

 

 

「長門君が、倒された……!?」

 

 

 セナは驚愕した。

 あのどんな相手にも当たっても背中を地面につける青天を食らうことがなかったチームメイトが、倒された。

 

「いや、まだ終わっちゃいねぇ……!」

 

 受け身を決めて、0.1秒で立て直す長門。そして、即座に食らいつく。

 ――たが、その指先が、残像の背中を舐めるように、空振る。

 

「おおおおおおお――ッ!!」

 

 長門村正よりも、大和猛の方が、速い。一度でも縦に抜かされてしまえば、追いつくことは叶わない。

 長門が伸ばした手の指間に見える大和の背中が小さく、遠くへと突き放されていく――

 

 

『タッチダーーーーーゥン!!!』

 

 

 ~~~

 

 

 18-19。

 東京地区と大阪地区のベストイレブン同士の親善試合は、西の勝ちで終幕となった。

 

「……一点差。キック一本3点でひっくり返ってたじゃねぇか。俺が前半のキックを決めてりゃ……畜……生……畜生ォオォオオ!!」

 

 帝黒学園を見返す――

 如何にキックが重要かということを思い知らせる――

 この親善試合で人一倍に意気込んでいた佐々木コータローが失態を振り返っては堪えようのない叫びをあげる。

 そこへ声をかけるのは、かつてのチームメイト。

 

「ああ、キック一本の差だった。今日の試合で、キックが重要ではないという者はいない」

 

 そう背中を向け合った会話で静かに告げて、これ以上赤羽は何も言うことはなく振り向かずに去っていく。

 

 畜生……

 もっともっと究極スマートに磨き上げて、来年、今度は盤戸スパイダーズで全国大会決勝で勝ってみせる……!

 キックゲームでよ!!

 

 

 そして――

 

「……っ」

 

 最後、捕えることのできなかったその手をフィールドへ打ち付けたまま動けないでいる長門。

 勝ちたかった。

 本気で、全力で勝ちにいった。

 だが、勝てなかった。勝たせることができなかった。

 

「俺の勝ちだ」

 

 そんな敗者(ながと)の前に、勝者(やまと)は立ち、言う。

 

「だが、俺達の百一戦目は、全国大会決勝(クリスマスボウル)だと約束した。

 ――だから、その舞台まで勝敗は預けよう。不戦敗にしたくないなら、勝ちあがってこい、村正」

 

 ……ああ、絶対に、勝ち逃げなんてさせない。頂上で待っていろ、猛……!!



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31話

 東京から三時間ほど離れた北関東某県の温泉地・伊我保。

 泥門デビルバッツは、この伊我保温泉街で関東大会へ向けての強化合宿を行う。

 近場であるがわざわざ学校を休んで……夏休みでもないこの時期に一週間も学校を休んでも問題ないのかと思うものもいるだろうが、校長先生よりも偉い某先輩が是というのなら是である。それに遠出しているのにもちゃんと理由はあり、それはこの場所が関東大会の強化合宿にうってつけだからだ。

 

 長門も泥門に入学前の春休みで利用したが、泥門がお世話になるこの北江屋旅館は、“世界に通用するアスリートを育成する”のがモットー。女将の北江杉代が指揮する従業員一同が、粉骨砕身、徹頭徹尾、そりゃもう徹底的にサポートに入ってくれる。練習場所にも事欠かない。閉鎖されている有料道路は存分に『死の行軍(デスマーチ)』ができるし、林道はパスやランをするときの邪魔する壁役に見立てることもできるし、アメフトの試合の出来る練習場(フィールド)もある。

 普段の泥門高校で練習するよりもずっと効率的に鍛錬することができよう。

 

 さらに、ここは調整にいい。

 関東大会まで二週間足らずともなれば、体力や技術の増強を図るだけでなく、調整にも気を配らなければならない。

 アメリカンフットボールは、屋外での戦いだ。

 当然、天候の影響も無視できない。春から始めたばかりのメンバーが大半の泥門デビルバッツは、この東京と2、3週間のズレがある伊我保の気候――つまりは、関東大会時の環境に近い場所で経験値をがっつりと積ませておくべきだろう。

 経験が全てではないが、知っているのと知らないのでは当然心の持ちようが大きく異なる。トレーナーであり師である酒奇溝六は『アメフトは心の勝負』と語る、ここで経験値稼ぎが関東大会制覇に大きく出るはずだ。

 

 ここで前衛組は有料道路で『死の行軍』をしたり、後衛組は林道でヒル魔先輩のスパルタな要求がされるパスやランの練習をしたり、そして、フィールドを借りて作戦の動きを確認する全体練習に勤しんだ。

 

 

 そうして、最終日は仕上げ。

 地元のアメフトチーム、ホットスプリングスとの練習試合。実戦だ。

 

 

 合宿最終日。いつもの練習場所とは違うグラウンド『伊我保町立球技場』。

 町おこしの一環として一昨年建てられたばかりのこの球技場の入口にはお手製の看板が立てられている。そこには墨で達筆に『泥門デビルバッツ対伊我保ホットスプリングス』の文字が書かれている。

 

「練習試合なのにこの観客数って、いったい……」

「四方八方、敵に囲まれてるって感じだな」

 

 スタンドは人で埋め尽くされている。町民総出で応援に駆け付けているのだ。

 非常招集をかけられた非部員の石丸らも揃っているが、ここにいる人間の九割九分九厘は、相手方である。偶然にも同じ合宿に来ていた王城ホワイトナイツが観戦している中立地帯があるもそれだけ。四方八方、敵に囲まれているアウェー状態。初めての土地の、初めてのグラウンドということもあり、完全に泥門は不利を強いられるゲームだろう。

 

「つっても、地元のプライベートリーグってことはよ、ハッキリ言っちまうと、おっさん連中のレクリエーションってやつだろ? 試合途中でバテバテになんぞ絶対。そんな寄せ集め相手にうちが負けるわけねぇ」

「負けたら恥だぜ、恥」

「頭、丸めっか?」

 

 それでも、泥門には自負があった。これまで強敵と戦い、これを制してきた。まったくの素人から初めてこれまで格段に成長してきているという。これは決して虚勢の類ではない。

 関東大会で王城や西武と戦おうとしている自分たちが趣味でやってる素人たちに負けるはずがない。いや、負けてはならない。

 そんなことを考えながらホットスプリングスの陣営へ目をやれば、大柄な大人たちと肩を並べる背番号88が、こちらを腕を組んで睨み据えていた。視線だけで断てそうなほど怖気走らせる眼光を滾らせて。

 これにセナだけでなく、他のメンバーも気づいた。だが、こっちだ、と呼びかける前に溝六が口を挟む。

 

「そいつはどうかな。日々の労働で培われた体力ってのは、そう馬鹿にしたもんじゃねぇぞ。だいたい、お前らの方が若いが、それでも体の出来上がっていない高校生だ。ナメてかかると痛ぇ目に遭う。それに」

 

 村正とやり合うんだからな、と――この最後の文句にはセナも十文字達もギョッと眼をむいた。

 

 

「試合となれば手を抜かん。――本気で、来い」

 

 

 絶対的なエース――長門村正が、敵に回る。

 溝六トレーナーの元チームメイトの武田が監督する伊我保ホットスプリングスとは、春休みにチームに混じって練習をさせてもらっていたので、連携は問題なくこなせる。

 地元のプライベートリーグのアメフトチームだが、長門村正は加入すればチーム総合力が一、二回り底上げさせるタイプのプレイヤーだ。

 

「長門君が、敵に……!」

 

「ああ、そうだ。今日の試合、糞カタナは敵だ。糞デブもぶっ殺すつもりでヤれ。――じゃねーと、こっちが殺されんぞ!」

 

 『デスゲーム』で強豪チームと当たってきたが、ひとつの壁を超えた先にいる超人はいなかった。

 凡人には踏み入れない“天才の領域”にいるプレイヤーは、王城ホワイトナイツの進清十郎、NASAエイリアンズのパトリック・スペンサー、西部ワイルドガンマンズのキッド、そして、大阪――帝黒アレキサンダーズの大和猛、本庄鷹、赤羽隼人……実際に試合して誰ひとりとして圧倒されなかったものはいない。たった一人で戦況を覆し得る正真正銘の怪物は相対するだけで絶望を感じるだろう。

 ――だがこの先関東大会に出場する強豪との試合には必ず天賦の超人とぶつかることになるのだ。

 

「洒落にならねぇ超人ひとりが加わっただけで、ビビっちまうようなら関東大会は勝ち抜けねぇってことだ」

 

 武蔵の言葉に、一年生たちはゴクリと唾を呑む。

 

「マジかよ……」

「長門のヤツ、最近は更に鬼気迫ってきてやがるからな」

 

 あの東西交流戦以降、長門村正の気迫が違う。練習の最中でも息をのむほどだ。

 勝利に渇望しているというのが目に見えてわかる。

 鬼気迫る超人を前に、心臓は委縮し、息苦しささえ覚える。――だけど、後ろ足は引かない。

 勝ちたいのは、自分も……自分たちだって、同じだ!

 人一倍ビビりなセナだったが、長門の威圧から目を逸らさずににらみ返す。

 

「アハーハー! つまり、この試合で僕にエース交代するってことだね!」

「はっ! 上等だぜ。前に十人束になっても敵わねぇってのを前言撤回させてやる!」

「フゴッ!」

 

 本気で勝つ気で来る――そんなチームメイトに、ふっと長門は笑みを浮かべた。

 

 

 ~~~

 

 

 クソッ……!

 頭の中がもやもやする。雑念が思考にこびりついて離れない。

 長門たちが参加したオールスター戦――対決した大阪地区代表の中にいた。

 本庄鷹。

 プレイを見たが、間違いない。昔に野球雑誌に載っていた顔。一目で直感MAXだ。俺が何としてでもなりたかった“本庄二世”。その“本庄二世”として謳われてきたヤツが、高校アメフト界の頂点のチームにいる――

 

 俺は、ずっと、ずっと、キャッチの神様・本庄さんを目指して生きてきた……

 そんな史上最強の野手(フィールダー)・本庄選手から、父と息子のマンツーマンコーチで、すべてを叩き込まれたサラブレットと闘う。クリスマスボウルを制覇するには、倒さなきゃなんねぇ……!

 ――だけど、そんなこと、俺にできんのか?

 

 

「俺を前に、うつつを抜かすとは余裕だなモン太」

 

 

 ヒル魔先輩から限界点をピンポイントで突いてくるスパルタパスに腕を伸ばす、しかしそれを遮る大きな手。

 ボールは指に掠ることもできず、インターセプトされた。

 

 長門……!

 本庄鷹と渡り合った男。そして、練習でも、この試合でも、キャッチ勝負で競り合って、徹底して一度としてボールに触れさせない強敵。『デス・クライム』でぶつかったが、その時よりもこの“壁”はずっと高くそびえ立っている。

 その手の届かないてっぺんから見下ろされるように、言われる。

 

「集中力が散漫してる。それとも雷門太郎の全力プレイはこの程度なのか?」

 

「……っ!」

 

 長門のヤツが、高さも速さも強さもMAXに兼ね備えた選手だってことは知ってる。

 でも今のコイツはそれだけじゃねぇ。

 前まで普段は腹の底で抑え込んでたモンを、迸らせている。そして、ソイツにあてられて俺はビビっちまっている。

 

「ふん、この最近のお前はとことん腑抜けているな。張り合いがなくてがっかりだ」

 

 背を向けられる。

 ボールを捕れず、立ち上がれずに下を向いちまってる俺を一瞥して、離れていく。

 ……こんなザマじゃあ、呆れられちまうのも当然だ。けど――けどよぉ!

 

「……には、……っつうのかよ」

 

「ん」

 

「俺には、敵いっこないっつうのかよ」

 

「………」

 

 本庄鷹と長門のキャッチ勝負は痺れたプレイだった。あれは俺じゃあ入り込めねぇ領域MAXだった。だけど――!

 この試合を映したテレビ画面に腕は伸ばしたまま引いちゃくれねぇ! あれから何も掴めない手は欲している。

 

「最強MAXベストイレブンだか、ダントツの天才超人だか知るかよ! ――おめーは、俺とじゃキャッチ勝負で相手にならねぇっつうのか長門!」

 

 もう我武者羅だった。自分でも何を考えているのかわからない。“届かない”と十年の努力が悟らせてくる直感に胸を絞めつけられて。これを打ち消すのに必死で……必死で……でも、どうしようもなくて!

 答えが欲しい。ブレブレに揺らいじまってる自分が吹っ切れるような、断固たるものが欲しい。

 

「……ようやっと、吠えるくらいにはなったか」

 

 だけど、長門は優しく情けをかけてくれるような性質じゃない。『妖刀』は立ち向かってくるのなら情け容赦なく斬って捨てる。

 

「かかってくるなら死ぬ気でかかってこい。余所見なんてできないくらいに、ボールに飢えさせてやる」

 

 

 ~~~

 

 

「まだだ! まだまだァ!!」

 

 モン太……!

 一本たりともパスキャッチを許さない長門君に、何度打ちのめされようがが、立ち上がる。全身でぶつかってボールに手を伸ばす。泥まみれで。これが関東大会への調整で、練習試合だなんて思えないくらいに必死だった。

 

「はっ!」

「ハァ!」

「ハアアアアアアッ!」

 

 食らいつくモン太に触発されて、十文字君、黒木君、戸叶君が三人がかりでホットスプリングスの大人ラインマンに大きな風穴を開ける。

 

「今度は、セナのランか」

 

 長門君……!

 モン太達と鎬を削りながらも、その覇気が衰えることは一向にない。むしろ盛んになっている。

 あの交流戦で体感させられた空気、余計なものが一切入り込まない全力勝負の世界。この緊張感に身震いする。

 相手は、40ヤード走4秒2の全速で駆け抜けてもなお抜かせない。本物のアイシールド21・大和君の幻像と姿が重なる。

 結局、一対一で抜くことができなかった。今だってイメージトレーニングをすることがあっても、抜き去るイメージが浮かんでこない。

 

(だけど――)

 

 自分が抜けなかった大和猛を抜き去ったあの場面は、目に焼き付いている。

 走り方を教えてくれたのは陸だけど、長門君のランがアメフトの走りの手本にしていた。

 あの時空が歪んだと錯覚するほどの瞬時の後退(カットバック)を自分にも――

 

「ッ!」

 

 急ブレーキからバックステップ。トップスピードの反動が足に来るけど、これで長門君の制空圏から逃れ――――られない!?

 

 後退した自分に、無拍子で迫る長門君。

 一挙一動逃さぬ集中力。獣じみた超反応でこちらの動きをとらえてきた。

 咄嗟に、回し受けの要領で腕を盾にする『デビルスタンガン』。

 

「温いぞセナ!」

 

 0秒で繰り出される片手突きは、進さんの必殺タックルを彷彿させる。長門君はそれをさらに長身を前倒しにしてくるので伸びがある。

 構えたはずの盾は、蜻蛉切(スピア)に穿たれて、片手で抱え込んでいたボールを弾かれてしまった。

 

「迅いが、他の曲がり(カット)よりもブレーキがかかり過ぎている」

 

 突かれたのは、ほんの0.1秒の隙。これまで後ろ走りで逃げたことなんてなかったセナには不慣れなステップだったのだ。だけど、天賦の超人相手にはそれは致命的だった。

 

 今のじゃダメだ。長門君は本気で抜く気持ち(イメージ)を乗せながら、勢い殺さず退がっていた。あのように……ううん、()()な僕は長門君以上にできないと……!

 

(そうだよ。これまでは手本に――ずっと背中を見てきた長門君だけど、僕は長門君を抜きたいんだ! 走りだけは誰にだって負けない!)

 

 その為には、ただ後ろに下がるだけじゃ、ダメだ。捕まったらおしまいなんだから、もっと動くんだ!

 

 

 ~~~

 

 

 モン太やセナ、一年生たちだけではない。

 

「おおおおおお!!!」

 

 純粋なるスピード&パワー、そして、体格体重腕力の差を覆すメンタル。

 麻黄中学から付き合いで最も押し合いをしてきたであろう後輩は、栗田良寛を鬼気迫る勢いで倒す。

 すごい……!

 力比べになるぶつかり合いの練習は、力が同等近くでなければ張り合いがない。技術面はとにかくとして、純然なパワー勝負には先生の酒奇溝六は付き合えない。

 だけど、長門がいた。今、自分をも圧倒するくらいに成長した頼もしい後輩が――

 

『ラインマンが、相手よりも先に倒れるんじゃねぇ栗田!』

 

 そして、薫陶を受け継いだ先輩がいる。

 

『たとえ押されようが倒れるな! 何度だって相手に食らいつくんだ!』

 

 強引に押しのけられたけど、起き上がり小法師のようにすぐ大勢を持ち直す。

 

『この先、お前よりも力のある奴が出てくるかもしれねぇ。だが、そのでけぇ体を張って相手を5秒も足止めできたのなら――そいつはお前さんの勝ちだ、栗田よ』

 

 交流試合で、山本鬼兵に徹底して叩き込んでもらった、壁漢(ライン)魂。重心の据わった栗田良寛の粘り腰が、ヒル魔に迫らんとする長門村正の勢いを阻む。そして、突貫のスピードさえ殺せれば、自力で勝る栗田は負けない。

 

「ちぃっ!」

 

「ケケケ、よくやった糞デブ」

 

 

 ――ヒル魔より投じられたボールは、長門が精一杯に伸ばした手を掠め、空白地帯を突いていた。

 暴投か? いや違う。

 

 ノーマークだったレシーバーが、この『速選(オプション)ルート』に飛び込んでいる。

 

 司令塔・ヒル魔妖一と狙い所をリンクする頭脳的なプレイ。

 

(だけど、『速選ルート』は、王城には通用しなかった)

 

 雪光学は、東京地区大会決勝で、進清十郎を中核に据えて敷かれた穴のない王城ディフェンスに、一本もパスをキャッチすることが敵わなかった。

 

(絶対に負けられない関東大会には、王城ホワイトナイツときっと当たることになる!)

 

 あの鉄壁の布陣に、気づかない(ノーマークの)パスコースを速選するだけでは足りない。

 気づかれないように(ノーマークで)ポジションにつく技術が必要だ。

 

(僕は、スタープレイヤーにはなれない)

 

 自分は弱い。

 見るからに弱い。

 だからこそ、油断を誘える。他に意識を割く“余裕(すき)”が生まれてしまうはずだ。

 この自分の“弱さ”を活かした闘い方で渡り合う。

 これを武器として効果的に発揮できるのが、マークを他所に目移りさせる視線誘導(ミスディレクション)。手の仕草や目の動きなどで相手の視線をボールや他の選手に誘導することで、マークを外させる。

 その為にはもっと相手を見る、視る、観る。その癖を事細かに洞察しなければならないけど、勉強は得意なんだ。僕は不覚を突くくらいのアドバンテージがないと、この先戦えない。

 

(僕は、スタープレイヤーにはなれない。だけど、チームを勝たせられるようなプレイヤーになるんだ……!)

 

 眠れる光学兵器だった雪光学の、光学迷彩術――

 机上の空論を連戦に次ぐ連戦で『デスゲーム』で試してきて、ようやく形になってきた。

 

 

 ~~~

 

 

「まったく、長門村正がひとりはいるだけでプライベートリーグのアメフトチームがここまで戦えるようになっちまうとはな。お前が鍛え込んできた『妖刀』にはつくづく驚かされる、溝六」

 

 千石大の元チームメイト・武田はそういってくるが、村正は元々どこの高校でもエースを狙えるポテンシャルを持った天才。出会ってきた選手の中でもとびきりの原石だ。

 だが、村正はエース級のプレイヤーなどで満足しない。

 だから、鬼のしごきで骨の髄にまで染み渡らせるくらいに基礎を徹底させた。頂点を制覇できるようになるには必要だからだ。そして、小手先の技(テクニック)など二の次として最も大事な勝負強さ(メンタル)を教え説いた。

 今や村正は、溝六が思い描いた、何処までも鋭く、かつ柔軟な一本の刀の如き、最高のアメリカンフットボールプレイヤーへとなれただろう。

 だが、村正は、負けた。

 遠く離れても互いを意識し合える宿敵(ライバル)との試合に負けた。

 

 村正は大和猛に負けねぇだけの能力はあった。それは間違いない。最後の最後で一歩先を行かれたが、帝黒の連中を圧倒していた。

 しかし、試合は負けた。

 酒奇溝六はその要因を、チームの練度と見る。

 

 大阪地区代表と銘を打っているが、実質帝黒学園。対し、東京地区は他校から寄せ集めのチームだ。どうしても練度で劣る。

 最後のワンプレイ、『殺人蜂』からの一斉ランは、全員がエース級スプリンターの帝黒アレキサンダーズの強みが出ていた。

 東京地区の最強選手が集ったドリームチームに勝った最強チームに勝つには、より固い結束を持たなくてはならない。

 共に地獄を駆け抜け、修羅場を潜り、同じ夢を目指せる戦友(チームメイト)――そいつらと一丸とならなくては、頂点には届かない。

 

(負けて悔しいだろう村正。夢に見るほど悔しがっているはずだ。だが、今のお前がさらに強くなるには、お前ひとりじゃできねぇんだ)

 

 だから、思いっきりチームとぶつかれ村正。

 お前にも食らいついてくる負けん気の強い連中だ。きっと強くなる。

 

 そう、抜き身の妖刀は名刀とは呼べない。刀身収める(チーム)無くして名刀には仕上がらない。

 

 

 ~~~

 

 

 王城の一年でレギュラー入りを果たしているのは、オフェンスタックル・鈴木英二、ランニングバック・猫山圭介、ディフェンスライン・渡辺頼広と、謹慎でこれまで一度も試合に出れていないけれど同じディフェンスラインの猪狩大吾。そして、背番号41番をもらった自分……

 ディフェンスチームのラインバッカーとしてレギュラー入りをしているけれども、しかしそれはそれまでラインバッカーに入っていた3年の具志堅隆也先輩がキッカーにコンバートすることになったからだ。それまで艶島林太郎先輩と兼任してキックゲームを担当していたが、関東上位のチームにはキック専門のプレイヤーが必ずいる。王城ホワイトナイツに欠員だった専門職に、具志堅先輩は専念することにしたのだ。今年が最後の3年生として、どうしても全国大会決勝(クリスマスボウル)へ行きたい。ラインバッカーのレギュラーだったのに、チームが全国制覇するために、レギュラーだったラインバッカーのポジションを他に譲ったのである。

 小学生の頃からタッチフットの選手で、王城学園中等部からアメフト部に入っている生え抜き。キツい練習から一度だって逃げたことがない。――それでもレギュラーに求められるレベルは高い。

 

 『潜在能力(ポテンシャル)は、きっとお前の方が上だ』と言ってくれた具志堅先輩。『力の使い方は巧い』と庄司監督や高見先輩に言われている。

 でも本来であれば控えであるはずの自分は、当然実力は他より劣っていて、それだけ『巨大矢(バリスタ)』を実践できるようになるまでチームの足を引っ張ってしまっていた。

 

 だからこそ、だ。

 王城ホワイトナイツは完成されているチーム。だから、伸びしろがあるとすれば、きっとそれは自分だ。自分がもっと王城のレギュラーに相応しく実力を身につければ、チームは底上げされるはずだ。

 

 でも、関東大会前まで猛練習に励む理由はそれだけではない。

 

 渡辺は東京ベストイレブンに選ばれていたけど、東京地区のナンバーワンルーキーではない。

 『進清十郎と同じ逸材』と言われて、憧れた『スピアタックル』をものにしている一年生(ルーキー)がいる。

 

 

「おう、ようやっと来おったわ。泥門の奴ら」

 

 

 大田原先輩の声に反応し、視線を追えば、いた。

 凶笑を湛える金髪のヒル魔妖一を筆頭に泥門デビルバッツ――王城ホワイトナイツと因縁深い東京第二位がぞろぞろと会場入りを果たしている。

 顔つきが、違う。顔や腕やらに過剰なくらい包帯を巻いているものが多い。全員が一皮剥けたようで、決勝でぶつかった時よりもただならぬ凄みがある風格を漂わせている。創部二年目で、大半が今年始めたばかりのアメフト初心者で構成されるチームとはとても思えない。

 そして、注目をされてることに緊張しているように動きが角張ってるアイシールド21――進清十郎先輩が注目している――小早川セナに続いて、一番最後に“奴”が顔を出す。

 

(長門村正……!)

 

 ついつい、目に力が入ってしまう。

 怪我で、地区大会決勝で対決することは避けられたが、間違いなく泥門デビルバッツの中で最も警戒すべきプレイヤーで、角屋敷吉海が最も敵視する相手。

 

 身長163cmで、体重52kg。あの背番号21よりも少し大きい程度で、同じ一年生の猫山と肩を並べる程度の小柄な体格。桜庭先輩のような長身長はなく、進先輩のような高い身体能力だってない。だけど、長門村正はそれを両方とも持っている。

 

 だけど、負けたくない……!

 長門村正に勝って、俺をレギュラーにしてくれた王城ホワイトナイツが間違ってないと証明する!

 

 

 ~~~

 

 

「おおおおおおお!!」

 

 関東大会トーナメント抽選会。

 月刊アメフトの撮影会も兼ねており、全チームの出場選手が会場内に集まっている。こういう場の空気に慣れていないセナやモン太らは、しきりにきょろきょろと視線を巡らし落ち着きがない。ミーハーな瀧鈴奈も一緒になってキャーキャー騒いでいる。

 

「最強MAX超人大集合か!」

「そうか、この人たちが皆……地区大会で他のチーム全部蹴散らして勝ち上がってきたんだ……!」

 

 セナの言う通り、どこも地区大会を勝ち抜いてきた強豪チームだ。

 足長俊足の北海道No.1スプリンター・狼谷大牙が率いる岬ウルブス。

 力押しのランを得意とする岩重ガンジョーを中核とした茶土ストロングゴーレム。

 情報があまり出回っていないが、泥門と同じ初出場でSIC(埼玉・茨城・千葉)地区の代表・白秋ダイナソーズ。

 それから、同じ東京地区で争った西部ワイルドガンマンズに王城ホワイトナイツ、それから神奈川地区第二位・太陽スフィンクスといった試合したことのある顔見知りも揃っている。

 そして、まだ会場入りはしていないみたいだが、神奈川地区第一位でこの関東大会九連覇中の――

 

「ええ、番場さん……??」

「ど、ど、どんな地獄の特訓をしたら、あんな傷に……??」

 

 『デスゲーム』に参加せず、傷だらけとなった太陽スフィンクスの番場衛を見るのがはじめてな栗田先輩とセナが驚く。

 それを言うなら、泥門(うち)も似たようなものだ。特に荒療治をしたモン太は顔中にぺたぺたと絆創膏が貼られていたりする。

 試合に支障が出るような負傷はさせていないが、少々やり過ぎた。だが、こちらも手を抜く訳にはいかなかった。

 

「ケケケ、連中、練習試合じゃ負け越してっからな。番場は負けちゃいねぇが、それで納得するようなタマじゃねーだろ」

 

 どのチームも、関東大会に向けて万全の準備をしている。どこと当たっても侮れないだろう。

 

 そして、まず東京地区第三位の西部ワイルドガンマンズからトーナメントのくじ引きが行われる。

 

「5番」

 

 あまり表舞台に立とうとしないキッドに代わってくじを引いたのは、甲斐谷陸。

 この兄貴分な幼馴染の堂々とした立ち振る舞いに、真っ先に反応するセナ。

 

「西部はトーナメント表の左っかわか!」

「!! 何ィ左か! ――だとどうなんだ?」

「いや、最初の人はどこでもカンケーないでしょ」

 

 天然ボケをかますセナとモン太の二人。鈴奈の指摘(ツッコミ)に、がっくりと軽く肩を落としながら長門も同意する。

 そこへ、さっさと場を後にした甲斐谷がこちらへ来た。

 

「泥門、反対側のAブロック引けよ。西部は泥門にホントの決戦をする決勝で雪辱を晴らすんだからな」

 

 この前は同じ地区代表チームでプレイしたが、甲斐谷は自分たちを最大のライバルだとみなしているようだ。こちらも、一度は勝ったが西部は油断ならぬ強敵だと思っている。

 

「そうだ。陸とも進さんたちとも……皆と決勝で闘うんだ!!」

「いやそれはむり」

 

 セナのボケがひどくなっている気がする。いかん。姉崎先輩に怒られたが、この前の練習試合で打ちのめし過ぎてしまったか。いや、でも今こうしてミイラ男ばりに包帯が巻かれているのは姉崎先輩の過保護が多分に占めていると思っている。

 その後、西部の次に壇上に上がった白秋ダイナソーズがくじを引いてから、泥門の番。

 

「ほら、次がウチらだ。行ってこい、セナ」

 

「ええええっ!? 長門君が出るんじゃないの!?」

 

「俺は俺でやることがあるみたいだからな。ほら、鈴奈、エスコート任せた」

 

「まっかせてー!」

 

 長門がくじを引いてもよかったが、それよりもやることができた。そう、たとえば(アメフト流の)挨拶回りとか。今もヒル魔先輩たちが、王城の高見伊知郎先輩と(聴こえないが真っ黒い内容で)にこやかに会話(という腹の探り合い)をしている。他にも大吉は『デスゲーム』でぶつかった太陽の連中とパワフル語で語り合っていて、十文字・戸叶・黒木達に雪光先輩に夏彦ら、太陽戦に参加した面子も付き添って挨拶に行っているようだ。

 なので、チームの看板選手であるセナを少し強引に押し出せば、ノリノリな鈴奈に連れられて壇上へ。

 それを見送る長門だったが、スッと視線を横へ流す。

 王城からも何やら強い視線を覚えるが、それよりも肌が火傷するくらい熱い執着が長門に向けられている。たとえるのならば、恐竜のような巨大な肉食獣に睨まれたような悪寒。

 

 そして、長門が背中をなぞる殺気ともまがう戦意の行く先へ振り向いたその時、腕を、捕られた。

 

 

「やはり、ビクともせん。常人なら手首の骨が砕ける力で掴まれていてもまるで動じん」

 

「いきなり物騒なことを言うなあんた」

 

 

 長門の手首を捕まえたのは、長門以上の体格をした大男。額に傷跡をつけ、隈取のようなペインティングをしている厳つい面相。シャツを張り裂けんばかりに押し上げる肉体は屈強にして重厚。こうして肌を触れ合わせているだけで力量を把握できる。コイツの力は桁外れであると。

 そして、長門の腕を掴んでいる握力は、万力の如く凄まじい。長門も振り解こうと軽く抵抗をするが、離せない。もっとも長門も引っ張ろうとする力に対し、大地に根を生やすかの如くどっしりと重心を落として半歩たりとも譲らない。

 そんな傍目ではわかりにくい拮抗した綱引き状態の中で、大男は笑った。

 

「何、挨拶代わりだ」

 

「挨拶というのは、こういうものだ」

 

 掴まれている右腕とは逆の左手で、大男の右手を掴まえて、握り締める。

 ミシィ、と不気味な音がしたが、どちらも何てことがないように笑みを交わしている。

 

「泥門の長門村正だ。よろしく」

 

「ククッ、俺の手指を鳴らすとは。これは随分と心地良い挨拶だ」

 

 互いに互いの腕手を取り合い、睨み合う両者。その間に慌てて割って入る男。

 

「どれ、これはこちらも」

「ちょいちょいちょーい! 勝手に何やってんの! あ、挨拶! 挨拶ね~! じゃ、俺もよろしくね~!」

 

 無理矢理感があるが、握手するその手を取って、強引に打ち切らせる。まるで一触即発間近の均衡を見つけたような慌てぶりである。

 ジャケットスーツを着こなし、ピアスをつけている。前髪を一房染めているその男は、確か、泥門の前にくじを引いていた白秋の選手だ。

 

(どうしてもっつうから連れてきたけど、場外乱闘とかよしてくれよな峨王。ここで怪我人を出されちゃあこっちももみ消せない)

「何、“挨拶”程度で壊れる相手ではない」

 

 長門に聴こえぬよう小声でお小言をしているみたいだが、その大男はまるで意に介している様子もなく、こちらから背を向けた。

 

「帰る。これ以上は抑えきれんからな」

 

「おい勝手に……ったく」

 

「長門君、2番を引いて西部と逆ブロックに……あれ、長門君、その人は?」

 

 それと入れ替わる形で、くじを引いたセナたちが戻ってきた。集まってきた泥門の連中に、やれやれと男は肩を竦めて、用意してあったそのコーラの瓶を差し出してきた。

 

「お近づきに……それから、いいもん見せてもらったお礼に、どうぞ」

 

「お礼?」

 

「見たよ交流戦。惜しかったね。帝黒学園に一点を争ったゲームは初めて見た」

 

「あ、ありがとうございます」

「……僅差だろうが、負けは負けだがな」

 

 心からの称賛を送られて、セナは恐縮したようにぺこぺこと頭を下げながら両手でコーラ瓶を受け取る。

 

「俺は白秋ダイナソーズの投手(キューピー)やってる円子(まるこ)ってんだ。『円子』って苗字、なんか女みたいだろ? だから『マルコ』って片仮名のノリで頼むわ」

 

「は、はぁ……」

 

「円子じゃなくてMarcoならイタリア男っぽくてチョイ不良(ワル)風味って奴? まぁ、同じブロックにいるみたいだし、当たることになったら、お手柔らかに頼むよ」

 

「ふん。あれほどのチームメイトを揃えておいてよく言うな」

 

 円子は誤魔化すよう笑みを顔に張り付けたまま、長門たちの前から立ち去った。

 

(握手した時の手の皮は固く、相当に練習を積んできている証だ。一見優男を気取っていたみたいだが、あれは骨太だろう。それに、何よりもあの目……底を見せようとしない狡猾さに、“帝黒学園”と口にした時に一瞬、飢えた者の輝きを見せる貪欲さが垣間見えた。……あれは、ヒル魔先輩と同じで、実力差に関係なく油断ならないタイプだ)

 

 白秋ダイナソーズが引き当てた番号3で、どうやらセナは2番を引いたようなので、ちょうどその真下になる。もし勝ち上がれば二回戦で泥門デビルバッツと当たるかもしれない。

 

『東京代表王城ホワイトナイツ』

 

「屁!!」

「平仮名の“へ”じゃない。7だ7」

「へ?」

 

 番号の球を斜めに持った大田原に的確な指摘を入れる高見。

 

「王城と……逆ブロックになったね」

「決戦は決勝か。地区大会ん時と同じとはいかねぇ!」

 

 関東大会の本命のひとつとして注目されている東京地区第一位の王城学園は、7番。西部と同じで逆ブロックとなった。

 両校がぶつかるとすれば、二回戦。春大会決勝と同じく、攻撃特化と守備特化チームの熾烈なゲームになると思われる。

 

「これで半分が決まったか。まだどこも一回戦でどれと当たるとは決まってないみたいだが」

 

「どうせ当たんのなら強敵バッチ来いだよな! な! 長門! セナ!」

 

「う、うんそうだね微妙だね」

 

 さて、残る4校。

 茶土ストロングゴーレム、岬ウルブス、太陽スフィンクス、それから――

 

 

『神奈川代表・神龍寺ナーガ』

 

 

 着流し姿でゆっくりと、余裕ある貫録を見せつけるよう壇上を登るのは、東日本の覇者。関東大会の大本命であろう神龍寺。

 

『ケケケ! 神龍寺ナーガのスポーツ推薦枠のひとつに、超絶バカの糞デブをねじり込んどいたぞ!』

『ったく、無茶苦茶しやがるなヒル魔』

『やったぁ! 3人神龍寺でアメフトやれるんだね!! 来年長門君も入ってくれれば皆で全国大会決勝(クリスマスボウル)を目指せるよ!!』

 

 そして、長門村正が行くかもしれなかったチームだ。

 だけど、その夢物語は叶わなかった。

 ――ひとりの天才によって。

 

(……これは先輩たち三人のことだ。後輩であるというだけの俺がどうのこうのと言える立場ではない)

 

 ありえたかもしれない想像図を打ち切るように長門は目を瞑る。――その時だった。

 

 

 ~~~

 

 

『天才なんざ、テメェひとりじゃねぇ糞ドレッド。才能に胡坐をかいてりゃ、一年後に後ろから追い抜かれんぞ』

 

 いつかの夜の話。

 才能のない奴らを蹴落としていい気分になっていた時だ。

 ちょうどその内のひとりであるカスがほざいた負け犬の遠吠えをふと思い出した。

 

「あ、そうね~、カスがほざいてたの、あいつのことだったのか~」

 

 山伏が取った(くじ)――ちょうどいい。

 軽くすり()って、投げる。手首のスナップだけで投じられたそれは不意打ちじみていてその瞬間に誰も気づけない。そして、弾道は呑気に目を閉じてる野郎の眼球に直撃する――

 

 

 ~~~

 

 

「――!」

 

 いきなり鋭い回転をしながら高速で球が飛来してきた。こっちへ。

 ちょうどその球が来る方向から、セナは長門の後ろにいた。だから、すぐ察知した。当たる。長門君の顔面に。

 あぶない!

 すぐ彼の手を引いて躱させようとした。

 

 だが、セナが動くよりも速く、その手は動いた。

 

 

 ~~~

 

 

「――とんだご挨拶だなまったく」

 

 

 薄らと眼を見開いた長門は、自分に飛んできた球を鷲掴みに捕らえていた。

 

 

 ~~~

 

 

 今の弾道を、ギリギリで捕えた。

 直前まで目を閉じていて、ほぼ反射的に。

 その瞬間を目撃したひとりは冷静に評価する。あれは並の反応ではない。“飛んできた球を捕る”という行為を身に沁みつくまで反復した故の反射的動作だ。

 

 あの野郎、ブッ殺してやる……

 当てるつもりで投げた球を捕られた金剛阿含、サングラスの奥の眼が見開かれる。己の予定調和を崩してくれた者への、頭に血が昇る怒りに。

 だが、それを一旦収める。

 当たらずともすぐ横を掠めてびっくりした者が尻餅をついて騒いだからだ。

 これに駆け付けてくるのは、関東大会を取り仕切るアメフトの会長。

 

「何だ今のは。何事だ!」

 

「山伏先輩がくじのボール引いたらすっぽ抜けちゃったんですよ。――ねぇ先輩」

 

 サングラスを外し――煮えくり返る憤怒は腹の底へ沈め――表面的に穏やかにそう語る。

 チラッと視線を飛ばせば、戸惑いながらも山伏はこちらの発言に対し首肯を返した。そして、僅かに睨み合った後に、アメフトの会長は重い口を開いた。

 

「以後、気を付けるように」

 

 

 ~~~

 

 

 思い出した、この感じ。

 あの時と一緒だ。

 

 江ノ島で見に行った春季大会の関東大会、王城対神龍寺。

 睨まれただけで、胃がキリキリ縮む感覚を、セナは直感的に思ったのだ。

 

 最強の、悪……!!

 

「……え? な、長門君!?」

 

 

 ~~~

 

 

 口煩(うざった)い連中は去ってから、金剛阿含は宣言する。

 

「おーい、一休。今度の試合、俺スタートから出るわ」

 

「マジすか!? うっわ超久々の全開神龍寺じゃないスか! 何百点差つくっスかね!? 鬼楽しみ~ッ!!」

 

「ちょっと、プチッ、て潰しときてえ目障りな奴がいてな」

 

 ぐるんと首だけ傾けて、宣告する。

 金剛阿含の視線の先、そこにはあちらから近付いてきた長門村正がいた。

 他の神龍寺の選手らもこの長門の接近に気付く。先の一休の発言も聴こえていただろう。だが、これらを長門は一切意に介さず、

 

「すまない」

 

 謝ってきた。

 これにすぐ、阿含の凄みに臆したのか、と何人かは思った。だが、それは違った。

 

 

「“握手”程度の力だったんだが、あんたらのボール、握り潰してしまった」

 

 

 その手を開いてみせれば、“1番”と表記された球が、ぐしゃりと潰れていた。

 あからさまなその暗喩(ボール)を、阿含へと放る。これを叩き落とし、阿含は踏み潰す。

 そして、思い切り馬鹿にしたような落胆とした息を吐き出す。

 

「スピード0のデブやパワー0のチビ、半端なザコ共の中に混じって、狡いだけで才能のねぇカスになんざ使われてる、そんな物好きが本当にいたとはなぁ。ああそういやこの前、負けちまったみたいだから結局そいつらと同類(おなかま)ってことか」

 

「ああ、仲間だ。だが、負けたというなら神龍寺ナーガ(そちら)も同じことだろう? そういえば途中退場で不完全燃焼のまま終わった天才様は、負け犬にすらなれなかったんだから、その実感が薄いのにも無理はない」

 

 阿含の挑発に、切れ味鋭い弁舌で言い返す長門。

 

「あ゛あ゛?調子付いてんじゃねぇぞ一年坊主」

 

「今度の試合は、途中で逃げてくれるなよ。こっちは、この機会に、現状、『百年に一人の天才』止まりのあんたをぶっ倒すつもりだからな。なに、退屈させてやる気はない」

 

「……軽くプチッとやっとくだけのつもりだったけどな…気が変わった。――完璧に擦り潰してやる」

 

 火花散る、なんてレベルではない。目の前の相手を射殺さんばかり眼光をギラつかせる最強の悪に、神も仏も斬り捨てる妖刀は一歩も退かず。

 蒼褪めたセナはもちろん、一休ら神龍寺の選手にも口を挟めないやりとり。この応酬を笑ってみられているのは、悪魔(ヒル魔)ひとり。

 

 

 ~~~

 

 

 全国大会アメフト選手権関東大会Aブロック。

 

 攻撃&攻撃!! 破壊力と意外性の泥門デビルバッツ!!

           VS

 大会10連覇に王手をかけた無敗の神神龍寺・ナーガ!!

 

 

 SIC地区の新鋭はゴリ押し戦術の肉食恐竜・白秋ダイナソーズ!!

           VS

 関東、いや日本を代表する超絶ヘビー級軍団・太陽スフィンクス!!

 

 

 関東大会Bブロック

 

 爪牙とスピードで大地を切り裂く北海道の狼・岬ウルブス!!

           VS

 無敵の早撃ちショットガンを引っ提げて西部ワイルドガンマンズ!!

 

 

 ご存知、その守備力は完全復活の最強城塞・王城ホワイトナイツ!!

           VS

 すべてを粉砕する静岡の猪突猛進ランナー・茶土ストロングゴーレム!!

 

 

    神龍寺―         ――西部

        ×―+    +―×

    泥門――  |    |  ――岬

          ×――×――×

    白秋――  |    |  ――王城

        ×―+    +―×

    太陽――         ――茶土

 



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32話

 監督・仙洞田寿人が提唱する

 

 ――獅子搏兎。

 

 獅子は一匹の兎を捕まえるのにも全力を尽くす、といった方がわかりやすいか。

 たとえ“格下”が相手でも、確実に勝つ。

 この薫陶が髄にまで叩き込まれているチームこそ、東の頂点・神龍寺ナーガ。

 初出場から一度も優勝を逃したことがない、無敗神話を誇る関東最強集団。

 堅実な指揮をするクォーターバック・金剛雲水を柱とするオフェンスは、怒れる不動明王の如く、侵略の業火をフィールドに放つ。

 前線を支えるラインマン・山伏権太夫の一点集中にパワーを捩り込んでくる圧力は、王城の大田原誠を打ち破るほどの突破力を誇ろう。

 外側には関東最強と名高いコーナバック・細川一休が控えており、その最速のバック走から逃れられたレシーバーはひとりもおらん。

 雲水、山伏、一休たちだけが全国トップクラスの実力者たちだけではない。他の面々も高い技術で神龍寺を支えているが、チームを“神”の名に恥じぬ最強の布陣とするのはやはりその中核に座る金剛阿含の存在は欠かせまい。

 完全実力主義の神龍寺の中で、誰もが畏怖する百年に一人の才は、もはや常人ではない。

 鬼神、よ……

 そして、己が思うまま、その目先の欲望を満たすためだけに天賦の才を悠々と注ぐ。

 戦衣装(ユニフォーム)を纏い、戦場(フィールド)に君臨した時、金剛阿含の目に映る愉しみは、『調子づいた凡才を潰す』、それだけよ。

 

 ……じゃが、真に悦楽を見出すのは兎相手(それ)ではない。

 去年、一年だった進清十郎――“竜”が唯一相搏つに足る“同格”だと認めた“虎”と(まみ)えた時、彼奴の目に静かな殺意が宿るのだ。

 金剛石(ダイヤモンド)を切れるのは、同じ金剛石(ダイヤモンド)のみ――

 

 

 ~~~

 

 

『さて、晴天にも恵まれいよいよ本日――関東大会の開幕です!!』

 

 広大なフィールドに今日も快調に飛ばしまくるマシンガン真田の実況アナウンスが響き渡る。

 これに応えるよう天地をどよめかす歓声が沸き上がっており、それから察するに観客数は地区大会の軽く倍以上はいるだろう。

 

 ただでさえ注目が集まる関東大会の一戦目。

 試合会場には多数の報道陣が集まっていて、さきからシャッター音が途切れる間がない。

 

「アハーハー、こんなにたくさんのカメラで僕を撮りに「邪魔!!」」

 

 だが、残念ながら彼らの目当ては泥門デビルバッツ(じぶんたち)ではないのだ。

 山伏や一休、そして珍しく遅刻せずにスタートからいる阿含といった神龍寺ナーガの中心人物にカメラは向けられている。

 

「春ん時の神龍寺も記者とか関係者とかがスゴかったけどよ……!」

「やっぱり本番は秋だからね。注目度も桁違いだよ!」

「それに比べて、こっちには全然いねぇな」

「ま、関東大会初出場のチームなんてこんなもんだ」

 

 一方で、泥門ベンチは群れるカメラマンに記者らに囲まれたりしていない。

 これだけで彼らの中の期待値というのは明白だろう。アメフトの専門家たちからすれば、十連覇を阻む障害となるのは王城ホワイトナイツくらいしか見ていない。

 対岸の火事とばかりに向こうでインタビューに迫られる神龍寺選手を傍観している泥門陣営(約一名の目立ちたがり屋なバカは自ら率先して売り込んでいったが、今はチアリーダーな妹に担架で回収されている)。

 

『さあ、いよいよ始まります関東大会ッ!! 神龍寺ナーガの十連覇なるか!? アメリカ取材に行っちまった熊袋さん代打で娘さんのリコちゃんが今日も解説ゲストに登場だ!』

『ばばばばんがります!』

 

 おっと長門が解説席を見上げれば、今日も解説を任される隣人がテンパりながらも()んばっていた。

 解説だけでなく、試合前にも『高校生記者が突撃取材! INTERVIEW8』という企画で関東大会出場チームのエースに独占取材をしていた。リコは自分(ながと)に取材希望していたみたいだが、残念ながらヒル魔先輩が取材を請け負った。あの天上天下唯我独尊の金剛阿含も同席だったというのだからさぞ仕切るのが大変だったろう。

 それでもめげずに取材をやり切ったリコは今日も解説席で用意したフリップで示しながら熱弁で語る。

 

『………このように、泥門は、地区大会決勝で王城に負けています。そして、神龍寺はその王城を春季大会で破っています』

『でも、この関東大会でクリスマスボウルに行けるのは優勝した一校のみ!』

『はい。関東大会は準優勝も意味がない――『負け=死』の世界。泥門が進むには今度こそ負けは許されないんです……!!!』

 

 負けるのは、一度で十分だ。

 全国大会決勝まで勝ち上がる。そのためには、今会場全体に蔓延する泥門劣勢の下馬評を覆すだけの奇跡を起こさなければならないだろう。

 敗北の許されない中で、格上の相手。緊張に呑まれるチームメイトは一様に表情に汗を垂らしている。

 

「がははは、お前ら! 面白ぇもん見せてやるよ」

 

「? どうしたんです、溝六先生」

 

 そんな彼らに泥門のコーチトレーナーは徳利を片手に、もう片手にネットと繋がったノートパソコンの画面をこちらに見せる。

 

「あっっらゆる賭けを受けてくれる海外の賭け屋に張ったんだがな。今日の神龍寺戦、オッズ何対何だと思う?」

 

「学生スポーツで賭けないでください」

 

 姉崎先輩が注意するも、溝六先生のギャンブル癖はもはや病気である。

 

「神龍寺が1.003倍、泥門が150倍だとよ!」

 

「ケケケケケ!! またなめられたもんだな。――ま、そう見られても仕方がないがな」

 

 ヒル魔先輩の言う通り。

 泥門デビルバッツは創部二年目にして、初出場のチーム。春季大会も地区二回戦で敗退していて、公式試合の実績と言っていいのが秋季地区大会準優勝くらい。関東大会の絶対覇者たる神龍寺が相手となればそれくらいの倍率はついて当然だ。

 

「つーことはうちに100円賭けといて勝ちゃ……」

「1万5千になるね」

「ハ! 千円くらい賭けときゃよかったな」

 

「――給料とボーナス前借りして、泥門の勝ちに全財産100万円ぶっこんだ」

 

 ブッ!! とセナが飲んでいたスポーツドリンクを噴いた。

 長門もこれにはギョッとする。

 

「おい、溝六先生、何をバカな真似を……!」

「……お前らと一緒に命運背負(しょ)いてえんだ。試合が始まったらトレーナーの俺は何にもしてやれねえからよ」

 

 ベンチに座る師の背中。静かに飲み口から徳利の底を覗き込むようにして俯く溝六。

 しょうがない、と長門は深く息を吐いて、

 

「試合が終わったら、旨い物ご馳走してくださいよ。焼き肉の時みたいに」

 

「村正……」

 

「大食漢の栗田先輩がいますが、勝てば1億5千万なんですから余裕で奢れますよ」

 

 試合会場、いいや世界中のほとんどの人が今日の神龍寺の勝ちを疑っていない。

 だけど、ここに己の持つ財産すべて吐き出してでも泥門の勝利を望む者がいる。これに応えなければ、一番の弟子として廃るだろう。

 

「先生の仕事は俺達を勝てる選手とすることで、それはもう十二分にやり通してくれたんだ。だからあとは、俺達があなたの仕事を証明するだけだ。――“今日の相手”をぶっ倒してな」

 

 神龍寺ベンチを望みながら宣言する長門に、息を呑んだセナたちも見据える先を合わせて頷いた。

 ひとり、悪魔な先輩がこの後輩の格好つけを嘲笑する。

 

「ケケケ、違うだろ糞カタナ! しばらくやんなかったから忘れてやがる! それとも交流戦で王城色(ホワイトカラー)に頭ン中が染まっちまったのか!」

 

 ヒル魔は、長門の発言の中にある一ヵ所の()()を訂正してやる。

 

()()に来たんじゃねぇ――――()()に来たんだ!」

 

「ああ、そうだったヒル魔先輩」

 

 

 ~~~

 

 

『ぶっ! ――こ……――ろす!! YEAH(イエァーー)!!』

 

 

 ~~~

 

 

『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 我ら神龍の力をもって悟りの敵を討ち滅ぼす者也』

 

 

 ~~~

 

 

『今、神龍寺のキックオフで試合開始ー!!』

 

 試合開始の号砲と共に天高く蹴り上げられたキックボールは、綺麗な放物線を描いて長門村正の方へ飛んできた。

 

 定石を踏んで、泥門デビルバッツの中で最も足の速いボールの運び屋(キャリアー)であるセナを避けるようその逆サイドを選んだか。

 もしくは、こちらを睨む天才様の要求か。

 

 悪魔な先輩が同席した、リコの個人取材(インタビュー)でも散々煽ってくれたようだ。

 どちらにしろこれは長門も望むところだった。

 長門もヒル魔先輩から、『金剛阿含をブチ殺す! それが、泥門が勝つための絶対条件だ……!』と試合前に言われている。

 

(それに、関東大会の空気に慣れていない面子――ヒル魔先輩と武蔵先輩以外のチームメイトの動きが固い。あと、セナに全力疾走は温存させておきたいからな)

 

 ――『妖刀』、出陣。

 

「ぎゃあああもうつめてる!」

「ありえねえええ!!」

「クッソ、何人かはブロックしてんのに連携で……!」

 

 一糸乱れぬ神龍寺の連携。

 大舞台でも彼らの精神に乱れはなく、各員が果たすべき仕事を行う。

 前衛を阻む十文字、黒木、戸叶ら三兄弟を押し込み、そこへ突出した主将・山伏が長門に迫る。

 

 大きな顔に額の傷と無精ヒゲ……修験者然とした威容。

 ベンチプレス120kg、一定の馬力で動き続けるというよりは、瞬間的な爆発力を持つロケットタイプで、その強烈な“はじき”には、パワーで勝る栗田先輩をも圧倒するだろう。

 爆発的な剛力を持つ巌のような男。それが山伏権太夫。

 大きく開眼した視線は、長門が腕に抱えるボールに固定。一点に全集中を注ぐ山伏は、小手先のフェイントなどすぐ看破するだろう。

 

「破!!」

 

 ボールへ強襲する山伏の『粉砕(シバー)ヒット』――これを、長門は折り畳んだ腕を盾とした『デビルスタンガン』で凌ぐ。

 肘を折り、リーチを短くすることで、小さいが強固な防御圏を築く。

 

(破……れん!?)

 

 まるでぶ厚いゴムタイヤを打ち付けたような手応え。己の肘打ちの威力を見事に吸収している。そして、盾で攻撃を受け流すよう、旋回(スピン)して抜き去った。

 

「――落ち着け。ボールは俺が確保している。絶対に渡さん」

 

 だから、走れ。勝ちに行くぞ――

 神龍寺の開幕速攻、しかしその動揺はすぐに鎮まる。

 チームの絶対的なエースへの信頼によって。

 

 『妖刀』は宣言した。

 ボールを奪わせない、と

 だったら、俺達はゴールまでの道を開く。

 

 “神”が何だ。

 俺達は、“悪魔”だ。そして、こちらには神さえ斬って捨てる修羅がいる。

 

 チーム一丸となって、前へ。

 

「フゴッ!!」

「僕も!!」

 

 神龍寺ナーガ背番号50番の竜崎辰巳。チーム屈指の俊足で、死角から意表を突くタックルを決めようとしたが、その死角に潜り込んでいた小兵・小結大吉が逆にタックルを決める。

 そして、背番号42番・芽力千里が、分析力に優れた視点で走者の突破口を塞ぎにかかったが、その前に割って入る小早川セナ。

 十文字達も立て直し、長門へ追い縋ろうとする神龍寺選手に組み付く。

 泥門が食らいつき、この死中を脱する活路を切り開く――

 

 

「わざわざそっちにボールを蹴らせてやったんだから雑魚共の相手にもたついてねぇで、とっととここまで来いカス……!」

 

 

 しかしそれらは誘導。

 たとえ抜かされようが、その先は絶対に抜けぬ鬼門――すなわち金剛阿含が待ち構える処刑場。

 

 

「くるぞ。『百年に一人の天才』金剛阿含、一年ぶりのスタメン全開プレー……!」

 

 

 アメフト関係者ならば、誰しもが認めるその才能。

 金剛阿含。

 40ヤード走4秒4、ベンチプレス135kg――進清十郎自身も『自分と似ている』と称する身体能力、その腕力は、ラインマンである山伏をも凌ぐ。

 相手の急所に容赦なく手刀を繰り出すそのプレイは破壊的。彼を前にして立っていられた選手など王城の進清十郎以外に見たことがない。

 

一対一(ワンオンワン)だ。その方が身の程がわかりやすいだろ」

 

「随分と、サービス精神旺盛だな(なめたまねしてくれるな)天才」

 

 真っ向から向かってくる長門村正へ、金剛阿含は手刀を叩きつける。

 ――しかし、空振る。

 長門の寸止めのような切り返し。当たらずに、ブチかますイメージを叩き込んで怯ませる。

 この超速のカットバックを捉えきれず、阿含の右腕が振り切られて生じる左の隙――そこへ長門の長身が、目で追いにくい縦横(ななめ)にぶれる。

 

「おおおおっしゃああああ!!」

 

 『(スラッシュ)デビルバットゴースト』――あの大和猛を抜き去った長門村正の個人技が炸裂する!

 

 

()()()、鈍間」

 

 

 躱し切った――はずの、阿含が、長門の前に回り込んでいた。

 

「そこそこやるが、まあそれでも、せいぜい50かそこらだ。能力100の才能相手には敵わねぇんだよ」

 

 目から脳へ。脳から筋肉へ。

 電気信号(インパルス)が伝わる時間――つまり、“見てから動くまで”のリアクションタイムが、金剛阿含は、0.11秒。

 0.10秒以下は科学的に不可能とされているため、その反応速度は人間の極限値。

 そう、金剛阿含を『百年に一人の天才』たらしめているのは、高い身体能力でもセンスでもなく、この神に愛された天賦の資質。

 努力などでどうこうできる世界ではない、唯一無二にして絶対の『神速のインパルス』――!

 長門は逃れられず、阿含にタックルを決められる。

 

「これは、迅い……! 試合映像を見たが、実際に体感する超反応はこれほど神速か……!」

 

「死ね」

「――だが、()()()、金剛阿含」

 

 それでも。

 『妖刀』は。

 止まらない。

 

「お゛お゛お゛お゛お゛――!!!」

 

 腰に阿含をしがみつかせたまま、長門は強行突破(パワーラン)

 

 何でっ、止まらねぇ……?

 タックル決められてんのにまともに走れるはずがねぇだろどうなってやがる!?

 

 その闘志は空気を焦がす。

 その馬力は決して止まらず。

 そして、その信念は道半ばに倒れることを許さず。

 

「あ゛ぁああ、ウルセェよ! いい加減に死にやがれ!」

「いいや、倒れん! 俺はもう、二度と倒れないと誓ったんでな!」

 

 気迫。天賦の才能に奢らず、百錬自得の果てにこの心身の髄にまで染みつかせた気迫が、長門の脚をひたすら前へ進ませる。

 

 阿含は決して軽くはない、どころかラインマンでさえ捻じ伏せるだけの膂力がある。この暴威を跳ね除けて押し通るその光景は性質の悪い夢としか思えない。

 そんな唖然とする神龍寺に、フィールド外から大声。

 

 

「――っ、何をしている! 早く止めろ!」

 

 

 それは、ベンチに控えていた金剛雲水。

 オフェンスチームのクォーターバックの為、フィールドに立たずに俯瞰的に眺められたからこそ、逸早く立ち直った……わけではない。

 やはり、“阿含(おとうと)が倒せない”のを目の当たりにして、それを完全に消化し切れたわけではないのだ。

 ただ、この瞬間、“このままでは阿含が振り切られる”なんて、あり得ざる可能性まで過って、慌てて声を発したのだ。

 

「阿含さん!」

 

 雲水の声に硬直が解けた細川一休が、飛びつく。

 阿含に抑えられ、流石に長門の走りは遅く、また曲がれもしない。捕まえることは容易であった。

 フィールドの半分までボールを運ばれたところで、長門村正はようやく――倒し切れないまま――膝をつく。

 進撃を、阻止した。

 

 

「ケケケ、1対1(タイマン)でブッ殺すんじゃなかったのか、糞ドレッド」

 

 

 ただし、二人がかりで。

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、関東の神へと挑む泥門デビルバッツ! 最初の攻撃チョイスははたしてランかパスか……!?』

 

 雲水さんの一喝でチームの乱れは収まったのが、動揺したのは事実。そして、阿含さんは黙りこくってしまっている。

 それほどに衝撃的だった。

 阿含さんが狙って仕留め損なった相手などほとんど記憶にないのだから。

 長門村正。

 試合前日のミーティングで、仙洞田監督をして、『何故泥門のような無名校でプレイしているのか理解しかねる』といい、望めば神龍寺の特待生待遇が与えられただろうにと高く評価した一年生。

 だが、己と同じ“特待生程度のプレイヤー”が、阿含さんに敵うわけがない。

 敵うとすれば、同じ才を持つ……

 

 

「……どこ、見てんすか一休先輩」

 

 

 境界線を挟んで真正面、コーナーバックとしてマークについている“サル君”が一休(こちら)を睨んでいる。

 泥門のエースレシーバーだと言われているが、所詮、地区大会のベストレシーバーにも選出されなかった小物。眼中にない。

 それよりも村正だ。

 地区大会の試合映像を見たが、あの高さは、自分の手では届かない。阿含さんが睨みを利かしているけど、油断ならない。

 ――だが空中戦となれば、自分は負けない。誰にだって。相手が阿含さんだろうともだ。

 そして、鬼本気(マジ)になっている阿含さんは、必ず、村正を倒す。完全実力主義のチームに君臨する絶対強者への信頼がある。

 それで、泥門には村正を除けば特筆(チェック)すべき選手はいない。

 

「まったく俺なんか眼中にないって感じっスね。でも、ここであんたを倒しゃあ意地でも無視できなくなるよな」

 

「そんな腕で俺に空中戦に勝つつもり?」

 

「ああ、こっちはそのつもりッスよ」

 

 SETコールが開始される。村正は、阿含さんと睨み合っている。

 

「……サル君、鬼いいこと教えてやるよ。それは一生無理だ。キャッチの才能No.1は俺だから」

 

 HUTコールの号令。同時、村正が動き出す。

 

 

『泥門、最初のプレイは……パスだっ!!』

 

 

 前に走路を押し開くのではなく、後ろの発射台を護る為に動く泥門のライン。村正も前線に加わっていて、『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けた阿含さんの強襲を押さえている。

 現時点、ヒル魔妖一が投げられるパスターゲットは、瀧夏彦(バカ)雷門太郎(サル)のみで、この二人には完璧にマークがついている。仙洞田監督の指示通り、バカの方には同じ二年のコーナバック・背番号23の黛典史――そして、一休(じぶん)はサルの方だ。

 

 

「す……すげぇ、バック走で、磁石みたくモン太にぴったしくっついてってんぞ!」

 

 細川一休のプレイに観客がどよめく。

 バック走は、ディフェンスの基本技術であり、コーナーバックの必須技能である。レシーバーをしっかりと観察できる体勢でマークを続ければ、レシーバーの急な動きにも冷静に対応でき、そして確実にパス阻止できるアドバンテージ。

 細川一休は、40ヤード走4秒89のバック走で、見張ることと追うことが同時にできるのだ。

 究極のバック走スピード――これが関東最強のコーナーバック。

 5秒の壁を切った雷門太郎だが、全力疾走したところで細川一休を振り切ることはできない。

 

 

 長門よりも速ぇ!

 けどよ、そんな直線スピードじゃ勝てっこねーことくらい、覚悟MAXだぜ!

 

 パスルートで勝負を仕掛ける!

 こっちは『死の行軍(デスマーチ)』で2000km走ってきたんだ!

 

 外側のモン太が、いきなり中央に切り込む――

 

 ――一休の眼力はモン太の挙動を捉えており、逃さず追走。

 

「だと思ったぜ」

 

 しかしたった二歩でまたアウトサイドへ方向転換するモン太。

 連続フェイントを入れて中央を囮とするこのパスコースは、『ジグアウト』! 相手コーナバックがこちらの動きに釣られた瞬間に、切り返す。そして、ノーマークとなったところでボールを捕らえる。

 

 

「フム、甘いの。一休には左様な猿回しは通用せん」

 

 

 キャッチの腕は確かなのは仙洞田監督も認めている。

 だが、それ以外が一休と比べればお粗末。スピード、ポジション取り、ジャンプ力とあらゆる空中戦の才能は一休の方が圧倒的に格上だ。

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔先輩が投げて、投擲マシンも使って、視界が白むほど極限まで競り合い続けた俺との『千本(デス)ノック』――いや、千本何て回数はあっという間に超えていた。

 モン太には、“キャッチ”のことだけを考えさせた。パワーやスピードやテクニックなんかは二の次だ。感覚で動く本能タイプには頭で覚えさせるよりも実戦に次ぐ実戦で体に叩いこむ。とにかく、コイツの“執念”を引き出した。

 そして――

 

「あ゛ー、終わったなあのサル。調子こいちゃった努力君が才能に踏み潰されて絶望してくことほど面白ぇもんはねぇな」

 

 組み合っていた金剛阿含がこちらに嘲笑いをくれる。

 この天才は、チームの中でも細川一休のことだけは認めていた。

 だが、それをいうならば、長門村正もまた雷門太郎を認めている。

 

「才能なんかで語ってくれるなよ。真っ直ぐに積み上げてきたモン太のキャッチは誰にも馬鹿には出来ん。なんせ、合宿の最後の最後には、俺との真剣勝負で一本もぎ取ってくれたんだからな」

 

 

 ~~~

 

 

「まさか、こんなので俺を倒せると思ったのか」

 

 二度もフェイントを刻むモン太の『ジグアウト』に、難なく追走している。バック走で。

 凄い、と。

 それを見ていたセナは思う。バック走が速いだけじゃない。後ろ向きであのステップワーク。セナにはその難しさが良くわかる。

 

「パスコースじゃマークが外せねぇ……!」

 

 モン太の目の前から、一休が剝がせない。

 状況は一休の有利。レシーバーはボールをキャッチしなければならないが、コーナーバックは指一本ボールに触れて弾くだけでも相手の攻撃権を潰せるのだから。

 

「クソッ、クソッ……!!

 

 

 

 

 

 ――なんて言うわけねええええええ!!!」

 

 

 ~~~

 

 

 ――『妖刀』との1対1勝負の荒療治。

 伊我保での合宿で、他のことを考える余裕を与えなかった。

 徹底して、ボールに触らせない。その指先が革の表面をなぞることさえさせない。合宿中、普段でもボールに触れるのを禁じた。

 

 ボールを触れるチャンスは、長門村正相手に空中戦を競り勝って、キャッチすること以外になかったのだ。

 

 必然、モン太は、ボールへの飢餓状態に陥った。

 

 キャッチの、才能……

 俺は……自分でキャッチの才能があるなんてただの一度も思ったことがない。

 野球やったことある奴はわかると思うけどよ……最初は距離感もわかんねーし、フライひとつ捕れなかった。

 

『最初から上手く捕れる人なんて誰もいませんよ』

 

 でもよ。

 そうなんだ。

 本庄さん……それにきっと、本庄鷹だって俺とスタートは同じだったんだ。まあ、俺は人一倍覚えが悪いと思ってるけどよ。

 それでも、只管、ボールに向き合ってきたらさ。ちょっとずつ……ちょっとずつわかってった。

 ぶつかんの怖くてもボールから目ェ離さねえこと。

 ボールの動きに体のリズム合わせること。

 それに慣れてくると段々、見なくても頭の中でボールの弾道(うごき)ってのが想像できるようになってきた。

 

 そうして、ボールに飢えた雷門太郎は、二つの技を体得させるに至ったのだ。

 

 

 ~~~

 

 

「な、なんだこりゃ!? パスでけえええええ!!」

 

 ヒル魔が投げたパスは、予想を大きく超えていた。

 地区大会での試合映像から目算するに、サルのジャンプ力じゃあアレは遠い。だけど、自分には届く。

 

 誤ったな、泥門。

 ヒル魔妖一は、細川一休と雷門太郎の限界キャッチ可能なエリアのギリギリを正確に突いたスパルタなパスで、極限の空中決戦へと引きずり込もうとしたんだろうが、そのせいで味方にまで届かないと意味がない。

 

 ――いいや、これはパスミスとは違う。

 ドンピシャ、だ。

 

 

「捕るんだ! 俺が捕るんだ!! 俺はキャッチの神様を超えんだって決めたんだ! この試合で一休先輩に勝ってそれを証明してやるんだ!!」

 

 

 コイツ、振り返らない……!?

 ボールはすでに投じられた。超高速弾――『デビルレーザー(バレット)』。これをちらとも確認せず、こっちを真っ直ぐに目を離さない。

 血走ってる目からはいっそ狂気を覚える。

 空中戦での睨めっこ……先に視線を他所(ボール)へ逸らしたのは一休――いや、この勝負に限っては、細川一休は最初から意識半分目前の相手から外していた。

 そして、雷門太郎は最初から最後まで真っ直ぐだった。

 その差が、二人の最初の勝負の命運を分けることになる。

 

 

「らあああああああ!! キャッチMA()ーーーX(ックス)!!」

「くがぁああっ!!」

 

 

 わかる。

 体の向きを変えねえでも、相手を睨みながらでも、ヒル魔先輩のパスの弾道をボールに対する嗅覚が捉えて離さない。

 そして、キャッチのパワーを余さず、全身全霊で、目の前の“(一休)”に炸裂させる……!!

 

 ――『デビルバックファイア』!!!

 

 

『泥門デビルバッツ、パス成功!!』

 

 

 ~~~

 

 

「な……なあ!?」

「何者だ泥門のレシーバー……!」

「関東最強のコーナバック・細川一休相手に競り勝った……!」

 

 

「しゃぁああああああ!!」

 

 

 フィールドにキャッチ馬鹿の咆哮が響き渡る。

 それを地に塗れながら見上げる。

 

 こいつ……!

 鬼カチンときた。

 キャッチの腕の出し方なんてのは角度によって何種類もあって、頭の後ろで捕るキャッチはダントツで鬼難しい。

 それを、俺相手にクラッシュしながら――

 この野郎……!

 これほど屈辱的なことは、他に記憶がない。

 

 だがしかし。

 それよりも怒りを覚えたのが、空中戦で負けたこと。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()が情けなくて何よりも許せない!

 

 

 ~~~

 

 

「細川一休の目つきが変わった」

「糞サルとの競り合いがやべーってことに気付いたみてーだな」

 

 長門へと向けられていた視線を、感じなくなった。

 今、一休の意識はモン太に注がれていることだろう。

 つまりそれはさっき以上にモン太のキャッチ勝負が手強くなったこと。初回サービスで舐めてもらえた油断はもう微塵もない。だが、他にカバーする余裕がなくなってきたということでもある。

 神龍寺戦、モン太の役割は、細川一休の相手をすること。

 そして、長門は……

 

「ケケケ、出鼻をくじいて縮こまったところを一気に畳み掛けんぞ……!」

「そうですね。向こうも決着は早い方が良いみたいですから」

 

 こんなはずじゃなかった。

 と神龍寺の連中は思っているだろう。

 これを悪魔の司令塔・ヒル魔妖一は、その傷口をさらに広げるように揺さぶりに来る。

 

 

「あの、カスが……!」

 

 泥門デビルバッツの攻撃陣形(フォーメーション)が変わる。ラインセンター・栗田の背後に、司令塔を二人要するものに。

 

「何ィィイ!? ヒル魔と長門! 投手《クォーターバック》が二人も!!? これってまさか――」

 

 そう。

 

『ななな、なんと泥門デビルバッツ、神龍寺ナーガの相手にして、掟破りの『ドラゴンフライ』です……!!』

 

 金剛兄弟が軸となる戦術を決行するその度胸。

 こんな真似をすれば、あちらも軽く怒りが湧くだろう。特に、猿真似された本家本元の天才様はブチ切れているのが良くわかる。こめかみのあたりに青筋がくっきりと浮かんでいることがヘルメット越しでも透けて見えるようだ。そんな視線だけで人の心臓を止めんばかりの殺気を向けられながらも悪魔の哄笑は崩れない。度肝を抜く胆力だ。

 

「常々思い知らされますが、ヒル魔先輩の度胸は、怖いもの知らずですね」

「ケケケ、ブルってミスりやがったら実弾でブチ殺すぞ糞カタナ!」

 

 初っ端から神龍寺を煽りまくるヒル魔の戦略。小兵の勝負は攪乱するのが定石で、横綱にどっしり構えられては困る。

 しかしそんなことは向こうだってわかっているだろう。ベンチから力の篭った喝破が雲水より発せられていて、それがチームの精神を落ち着けさせる。多くの修羅場を潜ってきたからこそ培った精神力、試合に対する集中力はこれまで泥門がぶつかったどのチームよりも深い。

 

 それぞれポジションに着いた。同時に、ランニングバック・アイシールド21(セナ)だけがひとり動き出す。

 まだ、センター・栗田はどちらにもボールを渡していない。

 ――『インモーション』。開始直前に選手が移動して攻撃隊形を整える、後出しジャンケンのようなプレイ。

 

(アイシールド21にパス? ――いや、強力(ストロング)サイドを長門のいる右サイドに移しただけか……)

 

 気持ち右に、僅かに重心を寄らせる神龍寺のライン。

 

「レッド44(フォーティーフォー)!!」

 

 その瞬間、ヒル魔の口から突如作戦名が発せられる。

 こちらの些細な挙動を気取られた? こちらの動きを見て作戦変えたのか!

 アイシールド21が180度ターンし、今度はヒル魔のいる側の左サイドへ走っていく。

 

「SET! ――HUT! ――HUT! ――HUT! ――」

 

 二人の司令塔の間を振り子のように往復したアイシールド21。

 それに何人かが合わせて右に左に身体を揺らす神龍寺のライン。

 獅子搏兎。

 故に、“兎”を無視しない神龍寺ナーガ。

 

「ちっ、ウザったい小細工に反応してんじゃねぇよ」

 

 舌打ちする阿含。

 少しでも揺さぶる。1%でも集中力を分散させる。そんな策を練ってくるのが涙ぐましくていっそ滑稽で嗤える……ヒル魔(カス)の術中に少しでも嵌っ(きい)ている連中が視界に入らなければ、だが。

 腹立たしい。ただでさえはらわたが煮えくり返っているというのに。プレイが開始されていなければ何人かをはっ倒していたかもしれない。

 そして――

 

 

『ボールがスナップされたのは、ヒル魔妖一ではなく、長門村正――!!』

 

 

 セナのいる強力(ストロング)サイドはヒル魔の方だったが、栗田からボールが渡されたのはその逆の長門。

 アイシールド21は、囮だったか。

 

「アハーハー、残念だけどこのボクの柔軟性でボールのとこに行かせない……!」

 

 すぐさま駆け出す長門へ、即座に神龍寺は動き出す。いの一番に止めに入ったのは、背番号75、人一倍の瞬発力がある神龍寺ディフェンスライン・依目大覚。これに長門はタイトエンドの瀧にリードブロックに入ってもらいながら神龍寺ディフェンスを抜――――かず。

 

 

「ヒル魔に……バックパス!」

 

 

 カットバックをしながら腰のツイストを利かせたバックトス。

 長門は、囮か!

 しかも、ちょうどそこにはセナと石丸がパスプロテクションに入っている――ロングパスの態勢が整っていた。

 

「うおおおお、『デビルバックファイア』! ロングパスMAーーX!」

「作戦バラしてんじゃねぇ糞サル!」

 

 ――やらせるかよ!

 No.1は、絶対に負けてはならない。だからこそ、No.1なんだ。

 雷門太郎、俺はもうあんなふざけたパスを二度も通す気はない。

 

 ヒル魔から投げられたボールは、一休と競り合っているモン太へ投――――られず。

 

 

「ハァ……? どこ投げてんだこれ……??」

「目線と全然違う方に……――まさか!」

 

 

 悪魔は笑う。

 糞長い付き合いだ。アイツがどのルートを行くか、そしてあっちもどうパスが来るかなんて、いちいち見て確認捕る必要がない。揺さぶった敵陣形を見れば、必ずそこに居るのはヒル魔からすれば欠伸が出るくらい簡単な計算である。

 モン太のようにそのボールの軌道が視ずとも把握し、そして、雪光学のように思考をリンクさせてそのルートに走り込む。

 そう、西部ワイルドガンマンズのキッドと鉄馬丈のホットラインと同じ。互いの動きなど自分の手足の延長線上のようにわかり()っているかのような連携だ。

 

 

「もう一回長門だーーーっ!!」

 

 

 長門からヒル魔にバックパスをした時点で、神龍寺ナーガの頭から長門の存在が“役目を果たした駒”として一瞬意識から外れる。

 “細川一休に競り勝つ”という先のプレイで盛大にインパクトを叩きつけたモン太のアピールも援護して、マークが緩くなったところで、もう一度長門へボールを戻す。

 変幻自在にして、当意即妙。

 見掛け倒しのハッタリじゃない。単に神龍寺ナーガへの挑発行為ではない、泥門デビルバッツは、使えている。『ドラゴンフライ』、否、『デビルドラゴンフライ』を。

 

 裏の裏をかいて、更にその裏に回る何重ものトリック――だが、そんな小賢しい策など通用しない相手がいる。

 

「パクリ野郎どもに惑わされてんじゃねぇぞカス共が」

 

 長門の前に立ちはだかる、金剛阿含。

 天才の弟の反応に、雲水が発破をかける。

 

「潰せ阿含! 最強はお前だ!」

 

 潰す? じゃねぇ。

 壊す。コイツは今この場で二度と立ち上がれなくしてやる……!!

 

 

 見てから反応できる『神速のインパルス』に、弱点などない。

 反応速度が人間のものではない金剛阿含には、どんな曲がりやスピードをもってしても、完全に躱し切ることは不可能だ。

 そして、金剛阿含は、長門村正の『燕返し(カットブレード)』を攻略する賢いやり方がわかっている。

 それは直前で減速すること。

 カットバックが来れば急ブレーキ。左右に切り返しての潜り込み(スラッシュ)に備えて、こちらも退いて待つ。距離さえ取っていれば、見えづらい斜めの角度からの動きも丸わかりだ。多少前進されようがとっ掴まえて捻り潰せれば問題ない。

 

「頑丈なオモチャみたいだからな。思いっきりブチ壊してやるよ」

 

 脚を前に伸ばしながら、重心は後ろにある。時空を捻じ曲げるガマクが成す、超速のバックカット。

 だが、阿含の神速の電気信号は、反応していた。ブレーキし、こらえて待つ。飛んで火にいる夏の虫の如く、無防備に寄ってくる瞬間を狙い、断頭台(ギロチン)の手刀を振り上げる――

 

 

 ~~~

 

 

『いくら才能があってもな、結局最後にモノ言うのは基礎トレだ。試合が始まってから尻に火が点いても遅ぇぞ糞ドレッド、神龍寺で練習サボってるテメーとぶつかれば――間違いなく、勝つ。糞カタナは、()()()()()()()だからな』

 

 

 ~~~

 

 

 ――己の走りの攻略法くらい、誰に指摘されるまでもなく長門村正はわかってる。

 だが、長門村正の走りはそう易々と攻略させはしない。

 

 一歩分の後退(バックカット)を抑えるために、相手はブレーキをかける。

 急減速の反動からのそれは、一瞬、棒立ちに近い体勢となる。

 ――この刹那を突く。

 

(進清十郎の……いや、甲斐谷陸の走りは、非常に参考になった)

 

 カットを切る直前の一瞬に入れる、グースステップ――脚を伸ばしたまま上体を揺らし、スピードに緩急をつける。連続の切り返しは難しいが、一歩なら長門にもいける。

 そして、その体勢は、同じく脚を前に伸ばすバックカットの動作と()()()()()することができた。

 

 そう、これは後ろに下がるのではなく、力を溜めるチェンジ・オブ・ペース。

 『ロデオドライブ』の走法を取り込んだ、120%の加速力によるパワーラン。

 

「抜くことのできない相手ならば、斃して押し通るまで」

 

 ――鞘から抜き放たれる『妖刀』の居合。

 居合道とは、空手の原形であり、“鞘に収まった長刀で不利な至近距離で相手を制する”ための技である。

 

 神速応変の抜刀は一瞬の間に在り。

 敵気を感じない抜刀は間が抜けた死に太刀となり、技に非ず。

 居合の生命は雷瞬に在り。

 変幻自在の妙、剣禅一如の応無剣を至極とす。

 

 相手が行動に出る前に、瞬殺する。

 『妖刀』は、悪鬼羅刹の手刀よりも速く、切り抜けた――

 

 

 ――『(ドロウ)デビルバットソード』!!

 

 

 セナが見せた『一人デビルバットダイブ』に、進清十郎の『トライデントタックル』と同じ技法を取り入れた『卍抜き(クイックドロウ)』。

 体格と膂力の差で、アイシールド21の人間砲弾以上の凄まじい衝突力の前に、防ぎうる壁など存在しない。

 

 

 ~~~

 

 

 才能のない者を振り返るな。

 

 実力の世界で同情は誰も救わない。

 

 凡人を踏みつぶして進め。

 

 暴力的なまでの自分の才能だけを信じろ。

 

 そうしてこそ、俺が報われる。

 

 

 ~~~

 

 

「――阿含ッ!!」

 

 意識が、戻る。

 叩きのめす直後に飛んだ記憶と共に、意識が現在へ還る。

 超人の神経伝達が、0.11秒で状況を悟らせ……ようとしたが、ぐらっと揺らめく。頭が重い。

 ダメージだ。

 相当なダメージがある。

 

 そうだ。

 俺は、後ろに下がると見せかけたヤツのブチかましを食らって――蹴散らされた。

 

 圧倒的な暴力でもって、自分を吹っ飛ばして進む。

 振り返らずに走る背中。自分よりも前にあるその存在。

 

 ――ふざけるな!

 完璧な才能の世界で、俺よりも前にいる奴なんていていいはずがねぇんだよ……!

 

 地面スレスレで倒れかけた身体を立て直して、飛びつく。

 『神速のインパルス』は刹那の状況立て直しという不可能を可能とした。この沸点に達した憤怒のままに後ろ斜めからその背中を襲う阿含……だったが、

 

「終わりだ……」

「あんたがな」

 

 隙が、ない。

 振り向かずとも、心眼――鍛えた肌感覚の気配察知でそれを捉えており、『スティフアーム』の要領で長門の手が阿含のヘルメットを押さえる。

 それは見えない死角からで、見てから超反応できる『神速のインパルス』であっても、()()()()()()反応のしようがない。

 

「がああああ!! こんな甘い奴が、俺を……この俺を……!!」

「『百年に一人の天才』だろうが、一年以上もサボってる鈍に俺は負けん!」

 

 そして。

 敗者が地に叩き込まれ、勝者はそのまま独走する。ゴールまで。

 

 

『――――た……タッチダーウンッ!!』

 

 

 水を打ったように静まり返った会場に、遅れてアナウンスが響き渡る。

 まるで空白のような静寂。

 ――しかしそれも時間にしてみればわずかなもので、やがて堰を切ったようにフィールドを大歓声が包み込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

 興奮と熱狂が渦巻く。

 あの神龍寺ナーガが、先制点を許した。

 あの金剛阿含が、倒された。

 

 抜くのではなくこじ開ける、強引な力技でもって、百年に一人の天才を圧倒。

 本物のアイシールド21と同等かそれ以上に破壊力のある走り。

 やはり、この男をヤれれば、自分たちの方針に間違いはないという証左になるだろう。

 

「あのオスを斃すには、力だ。絶対的な力だ、マルコ……!!」

 

 次の太陽戦を控えたロッカールーム。泥門対神龍寺の試合を映し出すテレビ画面の前で、大男は笑う。

 こっちとすれば、この試合で力を使い尽してしまって、次の二回戦で疲弊してればいいと思っているんだが。

 

 歯応えのない地区大会で、強敵との闘いに飢えた恐竜は、全身の筋骨が囀らせる。

 早く闘わせろ、と。

 

(こりゃあ、太陽戦は温存しておきたかったけど、無理っぽいな)

 

 まあいい。

 全てを無視して蹂躙する力の前では、何の対策のしようなどないのだから。

 天才だろうが等しく食い千切られるのみ。

 

 

 ~~~

 

 

「小早川セナとは違う。まさしく剛の走法だ」

 

 アイシールド21は相手に触れさせずに抜き去るスピードだが、長門村正のは相手を吹き飛ばして押し通るパワー。

 あの金剛阿含ですら止められなかった。

 

「何よりも、彼が入るだけで泥門は変わる。決勝で当たった時とは別物だと考えるべきだな」

 

「……はい」

 

 高見の発言に、進は首肯を返して同意する。

 

 密集地のショートパスとリードブロックに柔軟性を活かす瀧。

 今のところ後半からだが、中間距離のミドルパスに判断力に長けた雪光。

 そして、ロングパスには一休を吹き飛ばしてみせたエースレシーバー雷門。

 

 パスだけじゃない。

 中央を爆破する栗田。

 大外からは超スピードのアイシールド21。

 武蔵の大砲キック。

 これらのカードに、万能なジョーカーである『妖刀』を合わせることでより強力な役柄に仕立てるヒル魔の手腕。

 

 泥門が、準優勝したのはまぐれでも何でもない。

 ほぼ全員が尖った一芸特化(タレント)を持った個性派揃いだが、西部との超乱打戦を制した泥門は、関東でも最強レベルの攻撃力を誇るチームである。

 

 獅子搏()……ではない。

 神龍寺ナーガが相対するのは、間違いなく竜にも届き得る牙を持った虎なのだ。

 

「……でも、泥門。神龍寺ナーガは――金剛兄弟は、これで終わるような相手ではないよ」

 

 かつて黄金世代と謳われた昨年の王城ホワイトナイツの守備を崩壊させた破壊力。アレを阻止する手立てが、果たして泥門にあるのか。



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33話

「……そういえば、公式戦で武蔵先輩のキックに参加できるのは久しぶりですね」

 

「ん? ああ、そうだったか」

 

「そうっすよ。西部戦は後半守備だけで王城戦も参加できませんでしたから、フィールドで見る『60ヤードマグナム』を見るのは感慨深くって。さっきのボーナスキックは外しそうで冷や冷やしましたが。相変わらずの荒れ球キックです」

 

 まったく、この後輩は口も気も良く回る。こういう積極性とか目上相手に物怖じしない度胸はきっとヒル魔の影響だ。

 こうやって話しかけて緊張を解そうと来たんだろうが、余計なお世話だ。栗田たちも重圧を撥ね退けてフィールドに立っている。

 俺も、もうコイツに“キックゲームがない分だけの負担”をかけさせるような真似はさせるつもりはない。

 だから、存分に、闘ってこい――

 

 武蔵厳はそんな想いをわざわざ言葉にはしない。頑固親父に仕込まれた、背中で語る職人気質が抜け切らないのか。中学からの付き合いのある先輩は行動で示す。

 

「位置についてろ。これは俺の仕事だ」

 

 

 ~~~

 

 

「お……鬼でけえええええ!!」

「なんちゅう……」

 

 雲を突き破らんばかりに蹴りあげられたボール。

 泥門デビルバッツのキッカー・武蔵の雷名、『60ヤードマグナム』は、このキック力の凄まじさからきている。

 

 

「ふ

 ん

 ぬ

 ら

 ばーーーっ!!」

「プギィ~!? 何っっつうパワーだこの……」

 

 キックの滞空時間が長い分だけ、両軍の間合いは詰められる。

 重戦士・栗田良寛の猛烈なラッシュに、神龍寺ナーガのタックル、背番号58の八浄戒が吹っ飛ばされる。

 

「ったー! 馬鹿ちんハッカイ! ビデオで見たろ。栗田とまともに押し合ってどうする。スピードがない奴は動きをコントロールすんだ。狙いを澄まして、瞬間の打撃に力を集中すれば――破!!」

 

 『粉砕ヒット』が、相手タックルを撥ね飛ばした直後で、曝け出された栗田の胴体、鳩尾に叩き込まれる。

 心臓バンプのように急所に抉り込まれた強烈な“弾き”は、栗田の呼吸を止めた。

 

 

「――倒れるな、栗田! お前はそのでけぇ背中に仲間(チーム)背負(しょ)ってんだろ!」

 

 

 ――押されようが、倒されっ放しは許されない。

 観客席の山本鬼兵の発破が、栗田の両眼に火を点ける。

 スピードがない――それは逆に返せば、その分だけ重心が据わっている。仰け反らされた栗田だったが、達磨の如く起き上がる。

 たとえ弾かれようが、即座に体勢を立て直して何度でも喰らいつく――すなわち、絶対に倒れない。

 これこそが真のラインマンの志――壁漢(ライン)魂だ……!

 

「栗田さん……!!」

 

 後続の道を切り開かんとする山伏に粘り腰で食らいつく栗田。

 それは川の激流の最中にあって左右に分ける大きな岩石のよう。神龍寺の勢いを阻む重しとなる。

 

「チッ、デブが」

 

 ボールキャリアーの阿含は中央に築かれた壁、ラインマン同士の競り合っている密集エリアを避けるため、大外へコースを変える。

 そこに待ち構える『妖刀』の断頭台。

 

「……っ!」

 

 ほんの一瞬、0.01秒の油断が、致命傷になり得る相手。

 長門村正(コイツ)が、進と同じように片腕(スピア)タックルを仕掛けてくることは知っている。そして、そいつがその進よりもパワーの勝る超力の腕だということも。

 

 手刀で捌くか。いいや、それも難しい。進の“槍”も真正面(まとも)に受ければ、阿含でも吹っ飛ばされる。だから、槍の側面を弾くよう、伸びてくる腕を横からブッタ斬るしかない。進のよりもスピードで劣っているんだから、見切るのなんて余裕だ。さっきの仕返しにぶちのめして――

 

 相対して見据えられている長門の双眸が、眇められる。

 

――間合いに迂闊に踏み入れば、斬られる。

 

 

『おーっと、阿含君、大きく距離を取ったぞ! やはり長門君との勝負は避けたいか?』

 

 

 な……っ!

 阿含が長門から距離を取ったことに誰よりも驚いたのは、他ならぬ阿含自身だった。

 反応というより反射。熱いものに触れたら手を引っ込めるような、無意識の行動。長門のほんの僅かな挙動に、身体が勝手に、暴力的な衝動に反して大袈裟に、離れた。

 接近するのは危険――刻み込まれた一撃が、本能を刺激した。天才の理性を無視するほどに。

 ……それは、傍から見れば、観客から見れば、目の前の相手(ながとむらまさ)から()()()とも思えるような光景。

 ――それを阿含は、瞬時に、理解する。脳裏に今のを俯瞰的に思い描いて、その無様さを思い知る。そして、微かにあった冷静な思慮が蒸発する。

 

 だが、そんなことは許されない。断じて。

 俺が、臆するなど、ありえない――!!

 

 金剛阿含は、暴虐に狂った獣の皮を被っているが、洗練された戦士だ。闘ってはならぬ土俵というのを心得ている。

 だが、金剛阿含は知らなかった。

 敗北を。

 完膚なきまでの負けを体感したことがなかった。

 受け入れがたい事実を消化し切れていない天才は、客観的に考えられれば危険地帯に踏み込む。

 

 ――瞬間、“槍”の穂先が眼前に来た。

 

 平行四辺形を崩すよう0秒で迫る瞬歩。反応すべき“起こり”のない急接近から繰り出されるワンハンドタックル。

 刃先に触れれば断つ蜻蛉切の一突きに、超反応の手刀はその柄を叩くことに成功する。

 捌いた……!

 手刀を叩き込んでも腕一本分くらいしか軌道をズラせなかったが、それでも開けた。この刹那の機を逃さず、『神速のインパルス』は動き出し――もうひとつの腕に気付いた。

 

 これは片手突きではなく、諸手突き。両手を同時に突き出す双手突き。

 通常は、骨盤に対して水平に腰を捻って突き出すものが主流。この横に体軸を回す動作をすれば、自然、もう片方の腕は後ろへ振り下がる。しかし、仙骨を前転させ腰筋を効かせて姿勢を前傾。その時、背筋を収縮させて身を起こせば、体軸は前へせり出す。この縦回転の力からならば、腰の入った突きを、両腕から繰り出せるのだ。

 

 『山突き』と呼ばれる、空手の中でもスポーツ化した中で使われなくなった型のひとつ。

 ひとつの腕の突きに意識を集中させてしまえば、もうひとつの腕は死角に入ってしまう。

 『神速のインパルス』は察知したが、阿含のもう片手はボールを抱えているため防ぎようがない。それに、もう間に合わな(おそ)い。

 

「がっ……!?」

 

 阿含の行動を遮った長門の左腕がラリアットを決めるように脇を抉り込む。そして、真っ直ぐに突き出されていた右腕が曲がる。両腕でがっちりと抱く形になる。

 進清十郎の『スピアタックル』というより、ライバルである大和猛の『帝王の突撃(シーザーズ・チャージ)』の如き制圧。

 長門村正に確捕された金剛阿含は、自身を上回るパワーの前に抗いようがなく、再び地面に叩きつけられた。

 

 

 ~~~

 

 

『どうした雲水? お兄ちゃんのくせに』

 

 最初、自分は自転車にまともに乗ることができなかった。

 

『阿含は一発で自転車に乗れるようになったぞ!』

 

 一方で、弟は初挑戦でいきなり、歩道のレールの上に後車輪を乗せて走らせる普通じゃできない芸当をしてみせた。

 他にも体育祭のリレーでも、何にも練習や鍛錬もしていないぶっつけ本番で、運動部連中をぶっちぎりに突き放す活躍を見せ、気まぐれに大会に出れば必ず一番の賞を獲ってくる。

 思い返せば、いつも、“最強”だった。

 自然、この神に愛された弟に、皆が夢中になる。

 そして、己は天賦の才能の差を思い知るのはそう遅いことではなかった。

 

 何千回思っただろう。

 どうして阿含(おとうと)なんだ?

 どうして雲水(おれ)じゃないんだ?

 ずっとずっと。

 弟の光り輝く、常にスポットライトが当てられる活躍を魅せるたびに、その影で地べたを這いずる兄は弟に才能を奪われた絞り粕(カス)に過ぎない存在なのかと劣等感を抱き続けた。

 きっと、弟はこんな惨めな思いなど味わうことなどないのだろう……そう、思っていた。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門7対神龍寺0。掟破りの『デビルドラゴンフライ』で先制点を取られた神龍寺もやはり繰り出すか『ドラゴンフライ』!!』

 

 阿含と雲水、双子の兄弟二人を司令塔に据える神龍寺ナーガの最強の陣形――『ドラゴンフライ』

 昔、無敵だった日本大学が使っていた超スペシャルフォーメーションで、『ドラゴンフライの金剛兄弟』はこれまでの関東大会、彼の黄金時代の王城ホワイトナイツですら止められなかった。

 

 

「……つーわけで、糞チビ! ここからがテメーの仕事(ばん)だ」

 

 オフェンスでは()()されている最速の札(エース)が切られる。

 

 

 ~~~

 

 

「うおお速ぇ! 一瞬で阿含の心臓サイドに潜り込んだ!」

 

 阿含へとスナップされたボールに追いつかんばかりの光速疾走を見せるのは、アイシールド装備した背番号21・小早川セナ。

 

『阿含ひとりに全神経張り詰めろ。全脚力を注ぎ込め。1%でもヤツの余裕を削れ、糞チビ』

 

 交流戦で、同じく投手二人体制(ドラゴンフライ)敷い(しかけ)てきた東京地区に、大阪代表が取った対処法と同じ。

 アイシールド21が、超高速で、投手の一人である金剛阿含に『電撃突撃(ブリッツ)』する。

 ボールを持っていようが持ってなかろうが関係なく、とにかく突っ込んで自由に動けなくして、金剛兄弟のホットラインを邪魔する。

 見てから反応できる『神速のインパルス』に、奇策の類は通用しない。

 だから、直球勝負を仕掛ける。

 

(――行くんだ! 限界の超高速ブリッツ!!)

 

 小早川セナ自身、最高速4秒2を出し続けることなどできないとわかっている。

 でも、この守備にだけ脚力を注げるのなら、試合終了まで走り切れるはず……!

 

 

(よし! 腕を狙って……――)

 

 

 レシーバーなら西部戦で学んだ、レシーバー潰しのバンプ。

 そして、NASA戦で学んだ、クォーターバック潰しの腕狙い。

 発射台となる肩に飛びつけばセナの腕力だってパスを阻止することができる――

 

 

「何してんだお前?」

 

 

 超高速アタックに超反応した手刀が、セナの矮躯を大雑把に払い除けた。

 

「ぎっ……!!!」

「テメーらカスが、俺の眼中に入ってきてんじゃねぇ」

 

 今のセナの脚の速さ(スピード)は並の投手ならば投げる前に潰せる。けして無視できるものじゃない。だが、金剛阿含の反応の迅さ(スピード)に不意はつけない。そして、たとえ回し受けで腕を盾にして(デビルスタンガンで)もパワー差は踏ん張り切れるものじゃない。

 突っ込め(いけ)ば、必ずやられる――そう、長門君は言っていた。

 

 

『おおお阿含君!! アイシールド21の光速チャージを超反応で弾き飛ばし、そのまま流れるようにパス体勢に――』

 

 

 ぞくり、と悪寒が走る。

 発生源は、倒されたセナの後方――阿含(こちら)を真正面から睨みつけてマークしている『妖刀』が、仲間が倒された瞬間に鬼気を漏れ出させたのだ。

 見てから理解する早さが群を抜いている天才は瞬時に把握する。

 ここから投げられるパスコースの狭さを。

 

 

 ~~~

 

 

「あれは、イヤだねぇ本当……下手なところに投げられない」

 

 同じ経験をした西部ワイルドガンマンズのキッドはぼやく。

 あれは今思い出すだけでも苦い思い出だ。

 長門村正の『クォーターバック・スパイ』。

 あの三次元に広範囲な守備力をもった『人間ドーム』に、視界の真正面を塞がれる。

 睨みを利かす『妖刀』に、安全地帯が大きく削り取られてしまう中で、パスターゲットを見つけだすのがいかに難しいことか。

 それは、“天才”と言えど、同じだろう。

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナの『電撃突撃(ブリッツ)』に、長門村正の『クォーターバック・スパイ』

 泥門デビルバッツはこれで、『ドラゴンフライ』の軸となる金剛阿含の時間とパスを投げる場所に制限をかけにきた。

 

 その間合いが離れていようが、この試合中、阿含は長門のことを無視できない。それどころかプレイの度に存在感が増していく。実質、1対2の状況を強いられている。

 

「セナー!!」

 

 やる前は、怖かった。ひたすら脚が震えてた。実際、腰も引けてたと思う。

 だけど、モン太や長門君、皆が戦っているのを見たら、止まってなんかいられない。

 そう、泥門デビルバッツ全員で、全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くんだ――!

 

 長門村正の鬼気に反応した金剛阿含の、0.1秒の硬直。この秒を刻むような刹那に、鈴音の声援(チア)に起きた小早川セナは再び挑みかかった。

 

 考えてなどいない。元より考えることは苦手だったりする。

 後先のことなど棚に上げ、今に全集中を注ぎ、全神経を張り詰めさせ、全脚力を爆発させる。

 今の小早川セナに雑念はなく、アイシールド越しに映る風景には、阿含ひとり。

 

「―――」

 

 これを察知した阿含はセナのタックルを回避しながらパスを投じた。

 だが、短い。レシーバーも上がり切っておらず、完全にマンマークを振り切らせるためにはもっと余裕を持たせたかった。そして、反応せざるを得なかったセナのスピードへの対処に神経を割いたせいか、パスコースの精度も甘い。

 

 ――手を伸ばせ長門村正! その長身長腕は、師が届かなかったものにも届き得る才能だろうが!

 阿含のパスに瞬時に反応した長門が全力で跳躍し、精一杯に伸ばした腕――その指先が、掠らせた。

 

 回転するボール表面に摩擦する異音。乱れる軌道。この着地点を目指しながら睨み合っていた一休とモン太の二人は本能でそれに勘付き、修正を図る。

 

 

「捕るんだ! セナと長門が作ったチャンスを、俺がもぎ捕るんだ!!」

「やらせるか! キャッチのNo.1は俺だ!!」

「だったら、この試合で、一休先輩を超えるっス!」

 

 

 ほぼ同時にボールに飛びついた両者が、空中戦でもつれあいながら、地面に身を擦る。

 

 

『パス成功! 神龍寺ナーガ、4ヤード前進!!』

 

 

 ~~~

 

 

 腕の中にボールを抱え込んだのは、神龍寺ナーガの一休。

 

「キッショ……防げなかった……!」

 

 インターセプトが叶わず、悔しそうに地面を叩くモン太。セナと長門、二人の健闘空しく、折角のチャンスを無駄にしてしまった。

 

「!!?」

 

 そんなモン太の、四つん這いになってるケツを蹴っ飛ばすヒル魔。

 わかりづらいが、これは泥門的にはヒル魔は今のプレイを称賛しているのだ。

 

「いけてるよーモン太君! 一休君へのパス、たったの4ヤードに抑えたんだよ!」

「これでテメーと競り合いになれば一休だってヤベーってことが連中にもわかってきただろ。ケケケ、これでますますパスが縮こまってくぞ……!」

 

 パスターゲット第一候補である細川一休が厳しいとなれば、その分だけまた余裕が削れる。

 

「セナも二度も挑むとはナイスガッツだ。金剛阿含のパスターゲットを探す猶予時間が三割減といったところだな」

「そ、そうかな。でも、長門君が後ろからプレッシャーをかけてきたからその分集中し切れなかったんだと思うし」

「実際に挑みに行ったのはセナだ。『ドラゴンフライ』を阻むにはやはり金剛阿含に追い迫るセナのスピードがなければ、始まらない」

 

 攻撃阻止失敗。

 しかし、試合の流れは依然、泥門デビルバッツにあった。

 

「あいつらに頼ってばっかもいれらんねぇ。俺らもバシバシプレッシャーかけてくぞ!」

「ウーーース!」

「フゴッ!」

 

 十文字たちも声をあげて、士気を高めていく。

 

 

 ~~~

 

 

 選手一人にブリッツとマークの二人をつかせた分、生じる隙は大きなものになるが、泥門デビルバッツの基本方針は、勝気に大博打(ギャンブル)一発。5回失敗しようが1回の大勝ちで挽回できると踏んで果敢に勝負を仕掛ける。殴り合い上等とばかりに守備であろうが攻めの姿勢を貫く。

 この手のチームは流れに乗れば強い。一気に試合展開を持っていくこともあり得る。

 

 そして、神龍寺ナーガの雰囲気は深刻化しつつあった。

 

 勢いはあるが粗のある泥門の守備。ショートパスを繋いで、10ヤードまで稼ぎ、連続攻撃権を得る。少しずつだが、前進している。

 だが、プレイの度に余裕がなくなっていく。

 チリチリと張り詰め過ぎて切れそうになっていく細糸のイメージが、全員の頭の中に過っていることだろう。

 

 神龍寺ナーガは、堅実な試合運びをするチームだ。泥門のように思い切った博打(プレイ)などしない。確実に勝つところを狙う。一度も失敗せずに積み重ねて、百戦錬磨のチームとなってきた。

 だから、ミスできない。

 それはチームの中核の絶対的エースがさらに拍車をかけている。

 

 金剛阿含は、細川一休を除き、神龍寺ナーガをチームメイトと認めていない。

 見下している。腑抜けた真似(プレイ)で足を引っ張れば殺す。去年の帝黒学園との全国大会決勝での前科がある。きっと金剛阿含は自分たちを制裁することに躊躇しないだろう。そうなれば。終わりだ。

 この冷や汗を垂らす緊張感が蔓延する中でのプレイは、選手たちの疲労度を倍のものにする。

 だが、阿含はそんなチームが委縮することなど意に介さない。道端のムシケラに過ぎない連中のことなど、誰が気にするものか。気に入らなければ踏み潰すだけのこと。

 ……しかし、それは阿含もまた、対峙する相手以外のことに思考を割く余裕がなくなっているのもあるかもしれない。

 

「アイシールド21と長門村正、あの二人を相手にすることは、金剛阿含と言えども容易ではない」

 

 進清十郎とて春季大会でぶつかった時は、圧されていた。あのタッグが春以上に練度と実力を高めてきているのだから、金剛阿含でもままならないだろう。

 阿含の張り詰めさせていく沈黙は、チーム内の空気を悪化させる一途にある。

 

「両チームのエースの気質の差が出ているな」

 

 金剛阿含は逆らうものがいない絶対強者。

 常に先頭にあり、後続を振り返る真似などしない。それはチームに怠慢を許さない緊張を施してくれるが過ぎれば動きを固くしてしまうもの。

 

 長門村正もまた名実ともに大黒柱と認められるエースだ。だが、性質は金剛阿含とは逆だ。チームメイトが思い切りプレイできるよう後ろでフォローし、プレイの質を底上げさせる。その時その時の状況によってチームの最善となるように動いているのだ。

 

「泥門も神龍寺も、エースの影響力が大きい。二人の勝負次第では、一気に試合が決するだろうね」

 

 

 ~~~

 

 

「そう甘くはないぞ、泥門。『ドラゴンフライ』は変幻自在だ」

 

 神龍寺の指揮官は阿含だけではない。

 雲水は、この状況を改善せんと策を立てる。

 それは、阿含にボールを介さずに大量ヤードを稼ぐという作戦。

 決して口にはしないだろうが苦しい状況にある阿含の負担を軽減させることもできるし、チームも少しは緊張が軽減してプレイができるだろう、と。

 

「おおおおお!! 阿含でも雲水でもねぇ! ランニングバック・サンゾーの中央突破だー!!」

 

 まず背番号20・ハーフバックの釜田玄奘(サンゾー)へボールを渡す。

 

「ずりゃあァァア!!」

 

 八浄戒(ハッカイ)と背番号54の河籐三平(サゴジョー)が押し上げているラインのところから中央突破を仕掛ける。

 

(ほほほほほほ、それすらも幻術の内、それが『ドラゴンフライ』……)

 

 釜田玄奘が泥門の注意を引き付けたところでバックパスして、雲水に戻す。そして、レシーバーとして駆け上がっている背番号5のタイトエンド・斉天正行(ゴクウ)へロングパスを決めて大量ヤードを得る――

 

 それが、雲水が企てる作戦。

 中央を陣取る長門村正が脅威だが、向こうも阿含を無視できまい。

 そして、『妖刀』を除けば、泥門の守備は大したことがない。脚の速いアイシールド21も『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けているため、後ろにさえ抜けれれば小さい体ですばしっこく動き回る斉天正行を捕まえる選手はいない。タッチダウンも狙える。

 

 

(神龍寺だか、百年に一人の天才だか知らねーが、こっちもカスカス言われて黙ってられる腰抜けじゃねぇぞ!)

 

 金剛阿含に、長門村正は太刀打ちできている。

 中央エリアを、長門がしっかり護ってくれる。この信頼があるからこそ、皆それぞれ自分にできる範囲の仕事に専念できる。

 ――だから、果敢に行け!

 

「ハッ!」

「プギィー! 袖掴んで、引っ張られて……」

 

 マッチアップした八浄戒を十文字は、『不良殺法(ブル&シャーク)』で縦に、いや、斜めにいなす。横へ体勢を傾けさせられた八浄戒の大きな体躯は隣にいた河籐三平へ倒れ込む。河籐三平の動きが抑えられ、マッチアップしていた戸叶が自由になった。

 

「ハァッ!」

「やばっ! 抜けられ……」

 

 戸叶が空いた穴を抜ける。動き出し(スタート)が早い。十文字が突破口を作るとわかっていた動き、いや、端からそういうつもりだったのだ。

 交流戦の試合映像を見て、練習した自分たちの連携プレイ。

 

 ――『十文字(クロス)スタンツ』!

 

 『不良殺法』からの『クロス・スタンツ』。

 現代ラインマンで連携が最も重視されるという。だったら、ずっと顔を突き合わせてきた俺達三人の武器にできないわけがない。

 

「ひぃっ!?」

 

 バックパスしようと振り返ろうとした釜田玄奘だったが、ちょうどその時にラインを破ってきた戸叶のタックルを食らい、ボールをこぼす。

 

「はあああああっ!」

 

 そのこぼれたボールが他に拾われる前に、誰よりも早く飛び出していた黒木が捕まえた。

 

 

『捕ったァーーー!! 十文字君、戸叶君、黒木君の連携プレイが炸裂! 泥門デビルバッツ、神龍寺ナーガからボールを奪取(ゲット)!』

 

 

 ~~~

 

 

『阿含(くん)に、ここ、殺され(ちゃう)……!!!!!』

 

 まんまといなされた八浄、相手を逃した河籐、そしてボールを落とした釜田。

 するべきではない失態をしてしまった三人が三人、顔を蒼褪めさせて震え上がる。

 

『南無ゥウウウウウ――!!!!!』

 

 ガクブルと味方であるはずの阿含を怖れ泣き震える。

 

「………」

 

 しかし。

 意外なことに、阿含は無反応だった。

 釜田たちを見てすらいない。阿含はただただ見据えている。長門村正を。

 

(阿含……!!)

 

 この様子を誰よりも内情を察したのは、兄の雲水。

 認めたのか。長門村正を。トッププレイヤーの世界を突き進んでいる超人だと。

 そして――

 

 その頬に、僅かに滲む汗の痕。

 雲水はこれ以上見入るのをやめた。

 

 

 ~~~

 

 

『おおーっと! 阿含君、長門君へ『電撃突撃(ブリッツ)』だぁぁ!!』

 

 もはやカス共に雀の涙ほどの期待もかけるのはやめだ。

 足を引っ張る連中など無視して、自分で仕留める。

 

 半ば暴走気味に飛び出した金剛阿含の動きは、神龍寺ナーガの指揮通りではなかった。

 だがしかし、この殺意を滾らせる鬼神に意見する者も阻める者もいない。

 

「なあ、あんたは最強の選手ってどんな選手だと思う?」

 

「あ゛?」

 

 迫る阿含と相対する、長門は揺るがない。

 

「きっとチームを頂点に導く選手だと思う。俺は、それになる。――全国大会決勝(クリスマスボウル)の夢、微塵も譲るつもりはない」

 

 真っ向から睨み返してくる真っ直ぐな眼差し――逆に、阿含は圧される。

 喉元に刃先を突き付けてくるような、鋭い気迫。これが本能をざわめかせる。思い返させる。自分を蹴散らした圧倒的な暴力を。

 潰す! ――踏み込むのはマズい。――やるんだよ! ――やられる。――俺が、臆するだと! ――コイツの前に立つな!

 反応が、鈍る。神速の神経伝達も相反する命令が錯綜すれば混乱する。

 

 アメフトは、ビビった方が負け。

 先の一発の印象が回復し(ぬぐい)切れていない阿含は、反応、できなかった。

 

 ――パス……!

 

 長門が選んだのは、抜く、倒すでもない第三の選択肢。

 阿含がパスカットに飛びつこうが届かない、山なりに高く弧を描くループパス。

 

 

「アハーハー! このボクを輝かせるナイスなパスだよ、村正!」

 

 

 ボールが跳び上がったようなそのパスは、『ノミのダンス』――ビーチフットチーム『TOO TA TTOO』が得意としたパス回しだった。

 長身の瀧が、自分の真上に落ちてくるパスを、垂直に飛び上がって高い地点でキャッチを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 本場アメリカへのスポーツ留学。

 まさかこれに選ばれるなんて思っていなかった。

 だけど、これもずっと己を磨いてきた、自分にできることをやってきたおかげなのだと信じた。

 ……そんなのは、束の間の夢に過ぎなかった。

 

 ――そうか、雲水君っていうのは君の方か。

 ――ほら、双子だから……わからなかったよ。この顔写真に金剛って苗字でしょ?

 ――でもね。うちが奨学金を出したつもりだったのは、()()()の方なんだ

 

 中学時代、アメリカンフットボールをやっていたのは、雲水(おれ)だ。

 阿含(おとうと)は、どこの運動部にも所属していない。気ままに戯れるだけで、何の活躍もしていなかったはずだった。

 だが、それでも、兄よりも弟だった。

 これは、一生ついて回るのだろう。自分はずっと出来の良い弟と比較されるのだろう。俺はずっと、笑い者にされるのだろう……!

 

『……才能のない者を振り返るな。実力の世界で同情は誰も救わない』

 

 その夜、俺は、その留学の件を断ってきた弟に言った。

 

『凡人を踏み潰して進め』

 

 その日から、弟は才なき者の努力を嘲笑って捻り潰すようになった。

 

『暴力的なまでの自分の才能だけを信じろ』

 

 その日から、弟は他人を見下し、己こそが絶対のものだと主張するようになった。

 

『そうしてこそ、(おれ)が報われる』

 

『……言われねぇでも、そのつもりだよ』

 

 その日から、俺自身を諦めた俺の野心は、天才の弟が最強になることになった。

 その為ならば、弟の素行の後始末は全て自分が被ろう。

 その道は、茨の道だと仙洞田監督に諭されたが、覚悟の上だ。

 

 ――これで、いい。

 凡人の俺はトップに立てなくていい。凡人が身の程知らずにみっともない真似はするべきじゃない。俺は間違ってなんかいない。

 そうだ。努力では決して頂点は獲れない。

 だから、俺は、天才の弟が最強になれれば満足なのだ――

 

 

 ~~~

 

 

『――泥門デビルバッツ、連続攻撃権獲得!』

 

「しゃああああ!!」

 

 泥門デビルバッツは、勢いに乗った。押せ押せだ。全員が全員、のびのびと己が得意とするプレイを成功させて楽しそうだ。

 そして、神龍寺ナーガは、通夜のように沈んでいく。

 原因は、やはり金剛阿含の沈黙。

 長門村正を前にした途端、0.11秒の反応速度が硬直する。抜いてくるか、倒してくるか、投げてくるか――この三択が迷いを生じさせ、判断を鈍らせる。阿含の持ち味を殺す形になっている。

 チームの絶対強者のこの無様に、チームの中でも不協和音が出てきている。雰囲気が悪い。仙洞田監督も泥門の攻撃を封殺するための陣形を指示出してくれるが、向こうのヒル魔がそれを読み解き、攻略してくる。このままでは、負ける。確実に――

 状況を打開するには……

 

「……監督、俺を出してください」

 

「雲水?」

 

 雲水は、クォーターバックで、オフェンスチームだ。しかし、守備力はディフェンスチームのレギュラー陣と遜色ない。

 だからといって、両面に参加させていたずらに体力を浪費させることは悪手だろう。

 リスクに見合う以上の、リターンがなければ……

 

「チームが勝つには、阿含が勝たなければならない。――ならば、俺が阿含を最強にします」

 

 弟だけでは、勝てない。

 だが、弟と連携を合わせられるのは、あの中では、一休のみ。その一休は雷門との競り合いに集中している。そもそも他の面子では、プライドの高い弟にダブルチームを組もうなどと意見することもできないだろう。確実に委縮する。

 

 ――だが、自分ならば……自分ならば、できる。

 

「……よかろう、雲水。それがお主の意思ならば」

 

 

 ~~~

 

 

「あ゛あ゛ん、なんで雲子ちゃんが守備にまで出張ってきてんだ?」

 

「――俺と組むぞ阿含。ダブルチームだ」

 

 瞬間、雲水は阿含に胸倉を掴まれた。

 

「ウーンーコー! なにふざけたことほざいてんだ? 凡人の手なんざ必要ねぇよ。それともテメェ――まさか俺ひとりじゃ長門(ヤツ)に敵わねぇとでも言いてぇのか?」

 

 発言を誤れば、阿含はたとえ兄でも叩きのめすだろう。

 弟にそうであれと望んだのは、他ならぬ雲水だ。

 

「お、おい……」

 

 止めようとした山伏先輩、それに一休へ雲水は手を向けて、制する。そして、阿含を見つめたまま、言う。

 

「最強は、阿含だ」

 

「あぁ゛~~?」

 

「だから、お前は俺を使え。お前が最強であるためならば、俺は喜んで踏み台になろう」

 

 しばらく睨みあった後、フンと鼻を鳴らして阿含は雲水から手を離した。

 

「勝手にしろ。だが、足を引っ張りやがったらその時はぶち殺す。二度とアメフトが出来ねぇくらいにな」

 

「ああ、そうしろ」

 

 

 ~~~

 

 

 金剛雲水の守備参加、か……。

 神龍寺ナーガの背番号12・金剛雲水。視野が広く、技能も巧み。ベンチプレス95kgで、40ヤード走5秒1。

 天才の弟・金剛阿含のプレイに合わせられるだけ、金剛雲水は一流の選手の域にある。

 

(それにおそらく、金剛阿含のプレイは、兄の雲水を手本(もと)にしているだろう)

 

 神龍寺の攻撃回で触れたが、阿含のパスは綺麗な回転質だった。兄のモノと同じ。だからこそ、あの双子はあそこまでプレイを同調できる。力の差が隔絶していようとも、元が己自身のそれである弟の動きを補佐できるのだ。

 ――だから、長門村正は、金剛雲水を決して侮らない。

 

 

「SET! ――HUT!!」

 

 ボールが長門へスナップされる。

 そして、前には阿含が迫っていた。

 

「――ブチ殺す!」

 

 阿含が、『電撃突撃(ブリッツ)』だと……?

 雲水とこちらを囲んでくるダブルチームではないのか?

 阿含が全速で動けば、雲水はついていけないだろう。ヘルプに回ろうとも、突出したスタンドプレイに走る阿含との協調は無理だろう。

 

 真正面で来るのなら、それを叩き潰すのみ――!

 『(スラッシュ)』と『(ドロウ)』、この二つを使い分けることで相手を圧倒する、それが『妖刀』の走法。

 超速の後退に見せかけた、超加速で炸裂させるパワーラン――これで、『百年に一人の天才』を仕留める。

 

「―――」

 

 だが、長門が踏み込むよりも速く、阿含が真横へカットを切った。避けた。

 

 なに……?

 阿含が、意図的にあのような逃げる真似を……? 相手の力を捌くために敵の真正面を避けることはするが、ああも完全に回避行動を取るのは意外だった。

 

 だが、それならば、この120%の疾走で抜き去るのみ。阿含の方が速いが、しかし勢いがついた自身の方が速い――

 

 

 来い、『妖刀』……!!!

 

 

 走路が、遮られる。雲水が、いた。阿含の咄嗟回避行動に合わせるよう、一気に前に出てきた雲水は、長門の前を阻む。

 迅い……!?

 阿含のほぼ真後ろについていっていた雲水に、こちらの動きは捉えられなかったはずだ。

 だが、雲水の動きは、長門の動きについていっていたようだった。

 

(あの野郎は、糞カタナを見ていなかった。――糞ドレッドのことだけを見て、糞カタナの動きに超反応しやがった!)

 

 超反応といっても、弟のそれとは違う。

 敵には使えない。誰よりも見てきて、兄の理想像となった弟にのみ、金剛雲水は誰よりも迅速に捕捉し、補足し得た。

 

 金剛阿含を、“最強”とするために最善最速を尽くす――金剛雲水だけの、疑似的な『神速のインパルス』……!!

 

「おぉおお――!!」

 

 阿含にブチかますつもりだった長門の『卍デビルバットソード』を、雲水が壁となって受けとめる。

 吹き飛ばされる雲水。

 しかし、文字通り身体を張った阻止は、長門の疾走を確かに殺した。衝突し、反動から動きが鈍る。脚が、0.1秒、止まった。

 ――当然、『神速のインパルス』はこの絶好の、隙を捉えた。

 

 

 躊躇をするな!

 俺のことなど振り返るな!

 やれ――阿含!! 最強はお前だ!!

 

 

「言われねぇでも、そのつもりだ!!」

 

 神龍寺ナーガの光と影が成す超速の連携。

 どんな強靭な選手でも、横からどつけば脆い。

 真横に回避した天才から全力で振り抜かれた魔手は、死神の鎌(デスサイズ)の如く、この死に太刀となった妖刀を叩き斬った。



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34話

 攻撃二回目の狼煙であるHUTコールを上げる。

 ヒル魔は栗田からボールをスナップされたが、すぐに動けなかった。

 攻略の糸口が、見えない。思考演算が、この場の最適解を導けない。

 

 神龍寺中央の守備に、陣取る二人。

 一人、ではない。

 金剛阿含と金剛雲水

 並んでゾーンを固めている。その様は、阿吽の金剛力士像に睨まれているかのような錯覚に陥らせるほどに、厚い。

 

「破ァ!」

「!!」

 

 あの類い稀な才能、神速の反射速度(インパルス)にあかせて、ただ暴力的なプレイをしていた糞ドレッドの姿勢が変わりつつある。

 だが、弟だけじゃない。

 変わっているのは兄の方もだ。

 先日、『俺が22人いりゃ、それがドリームチームだ』とほざいていたが、今ここには、その天才が二人いる。雲水(あに)に、阿含(おとうと)の姿がダブって見える――!

 

「ち……っ!」

 

 一休のマークの厳しいモン太ではなく、瀧へのショートパスを繋ごうとしたが、雲水の反応が迅い。長門を囮にするよう動かしたが、そちらには反応しない――阿含が既についているから。それを悟っているからの、迷いのなさ。

 そう、弟という“超反応の鏡”を通して、自分が考えるよりも速い動き出しを可能としている。ある種の、無我。過酷な修行僧が鍛錬の果てに至るという、トランス状態とでも言うのか。

 

『雲水選手、パスカーット! 泥門、攻撃失敗!』

 

 

 ~~~

 

 

 攻撃三回目。

 今度もヒル魔へボールがスナップされる。――同時に迫られる。

 

 

『何ィィィ、金剛兄弟、二人揃って『電撃突撃(ブリッツ)』です!? 守備を放棄して泥門の投手潰しに突っ込んだーっ!』

 

 

 悪手。普通に考えればそうだ。ボールがヒル魔と長門の二択で、的が絞りづらい『ドラゴンフライ』に一人に二人がかりで突っ込むという選択はない。もしも長門へボールがスナップされていればノーマークで、しかも守備陣が手薄になっているという大ピンチを招くことになっただろう。『ドラゴンフライ』本家本元の神龍寺ナーガならばその危険性はどのチームよりも承知しているはずだ。

 だが、長門(それ)はないと読み切られていた。

 どちらかにスナップする栗田の動きを()()()()――そして、その気づいた阿含の呼吸を()()()()――神速の判断速度、それを共有する亜神速は、まったく同時にスタートを切ってくる。

 

 ――だったら、ヒル魔(こっち)に引き付けるか。

 『ドラゴンフライ』は変幻自在。最初が筒抜けであろうとも、土壇場での急変(アドリブ)で対応できる。このまま厄介な金剛兄弟を誘導してからのパス回し。長門もこの意を読み、動き出している――しかし、“動き出し”というのであれば、『神速』である向こうが先手を打つ。

 

 ――糞カタナへのパスコースに割って入られた!

 途中で分岐した阿含が、ヒル魔と長門の間に割って入ろうとしている。まずい。頭の回転速度は速くても、凡人(ヒル魔)の反応速度では、わかっていてもすぐに動けない。

 そして、雲水は迷いなくヒル魔にタックルを決める――

 

「ケケケ、なめんじゃねぇぞこの野郎」

 

 雲水を、躱すヒル魔。

 ヒル魔妖一は、元々、移動型のクォーターバックだ。泥門初期のころ、素人たちの(ライン)がまともに機能しない環境下で、相手のチャージを回避する術を身に着けることを強いられたプレイヤーだ。

 雲水個人は、あくまでも凡人。『疑似神速のインパルス』が働かない1対1の勝負となれば、雲水の動きはヒル魔にも対処可能な範囲内だ。

 ――しかし、これは、1対2。

 

「そっちに逃げてはだめだヒル魔先輩!!」

 

 長門がヘルプに入ろうとするが、スピードでは間に合わない。

 

 

「ああ、そこは(おれ)の領分ではない」

 

 

 ヒル魔が回避した先――そこには、長門とのホットラインを断とうと動き出したはずの阿含が、超反応でヒル魔へと舵を切っていた。そして、雲水は弟の方へ追い込ませるよう誘導した。

 阿含兄弟は、挟み撃つようにヒル魔妖一を仕留めに来る。

 

「本物の才能相手にテメーみたいな狡いだけのカスは相手にならねーんだよ」

 

 ガドッッ!!!

 鬼神の一刀が、ヒル魔妖一を、フィールドに叩きつけられる形で潰した。

 

『で、泥門、攻撃失敗ー!!』

 

 

 ~~~

 

 

「ヒル魔君! 血……」

「小石で切っただけだ」

 

 金剛阿含の攻撃的なチャージに叩き潰されてしまったヒル魔先輩が、顔から血を流している。姉崎先輩が心配しているが、先輩の言う通り、頭が割れたとかじゃなくて、小石で切っただけなのだろう。それでも血止めくらいはして欲しいが……

 

「血……赤いんだな」

「何だと思ってたんだ」

 

 戸叶がそんなことをわりと真剣気味にぼやいたが、ヒル魔妖一は人間である。悪魔よりも悪魔らしいが。

 そんなチームメイトはどうでもいい発見を気にすることができるのも、ヒル魔先輩がすぐに立ちあがったからだ。

 

(……しかし、ダメージはある)

 

 長門は、その微かな腕の震えを見逃さない。アレは肉体の頑強さではなく、屈強な精神で保っている強がりだ。少しは休ませないと体が壊れる。それに試合に引きずるほどではないにしても、このすぐのプレイでは動きを鈍らせるだろう。

 

 

『泥門最後の攻撃のチャンスにボールが託されたのは長門! 栗田のいる中央を目掛けて、『爆破(ブラスト)』かーー!』

 

 

 泥門デビルバッツ、攻撃四回目。

 最後のチャンスに選択した作戦(カード)は、長門村正と栗田良寛の中央突破――『爆破(ブラスト)』だ。

 

「栗田先輩、行きますッ!」

「ふ――ん――ぬらばああああああっ!!!」

 

 泥門最高の身体能力を有する『妖刀』の後押し(ブースト)を受けた、泥門最強のパワーを持つ重戦士のラッシュ。

 山伏を中核とする神龍寺ラインが山の如く不動であろうと、これは山をも動かすプレッシャーに違いない!

 

 

 最初、泥門の快刀乱麻にガタついていたチームだったが、雲水の喝と阿含の睨みに引き締め直された。

 今、神龍寺ナーガは、全身全霊でプレイに望めている。ようやく、チームとしての本領を発揮できるようになってきている。

 

(ようやっと……この時を、どれだけ待ち望んでいたことか)

 

 ヘルメットの中で、密かに主将・山伏は涙を流す。

 

(おぅ、そりゃ怖い奴だったけど、やっと火ぃついてきた阿含と一緒に、すんごい神龍寺ナーガをやれるのかぁ……!)

 

 栗田良寛――この神龍寺に特待生枠で入るはずだった男。

 スピードはない。だが、パワーがある。山伏よりも上だ。どっしりと安定した下半身の力は、山伏の弾きでも突き倒せない。

 それが、仲間(ながと)を背負った今の栗田は全身から蒸気を噴き上げさせて突撃を仕掛けている。たとえ、八浄戒と二人がかりでも押し切られてしまったことだろう。

 だが、山伏権太夫の背にも負うべき者がついている。

 

(阿含と雲水が、背を支えてる。俺に力を貸してくれてる! おぅ……! こりゃ負けられんわい!)

 

 長門村正の中央突破――これに動き出した金剛兄弟。阿含と雲水が、山伏の左右両肩に手を置き、背中を支える。

 栗田良寛、そして長門村正。凄まじい力だ。二人のどちらとも1対1で力の押し合いとなれば、山伏は負けるだろう。

 現時点、押し込まれている。そんな最中でも山伏の眼力は、その視界が濡れていようが一瞬の気を逃さない。

 

 (カッ)! と開眼する修験者の双眸。発気に微かにあった雫の跡は蒸発する。

 

「――(ア゛ァ゛)!」

 触れている背中の動きから、阿含の神速の反応速度が山伏の“弾き”の前動作を察知。

 

                    「――(ウ゛ン゛)!」

 この阿含の反応に合わせることで、雲水もまた山伏の“弾き”の呼吸を感じ取る。

 

           「破アアアアアアッ!!」

 

 三人が一斉に、押し込む。山伏を起点とした『粉砕ヒット』。金剛兄弟の力を一切無駄に(ロス)せずに加算して一点集中。

 力の差は三人がかりでほぼ互角、だが、この一丸の瞬発力(スピード)は、こちらが圧倒した。

 

「栗田さんが……」

「栗田!!」

 

 鳩尾に決まる痛烈な肘打ち。抉り込まれた栗田の巨漢は後ろに大きく仰け反った。後ろで支えていた長門が青天を阻止したが――詰められた。

 

「どけデブ。――そして、テメェは死ね!」

「っ!」

 

 山伏に栗田を押し切らせて、阿含が来る。

 栗田が押し切られた直後で、体勢が悪い長門。

 この状況下で挑まれれば、どちらが勝つかは明白――

 

 

『泥門、『爆破(ブラスト)』が不発! 連続攻撃権を得るための10ヤードに届かず、神龍寺ナーガに攻撃権が移ります!』

 

 

 ~~~

 

 

 泥門デビルバッツの攻撃を阻止した……!

 

 観戦していた王城のメンバーは驚愕に目を見開く。

 泥門の攻撃力は関東でもトップクラスだ。長門村正が参加している今、王城がぶつかった決勝の時以上の破壊力だったはずだ。

 これを封殺してのけた神龍寺ナーガのディフェンス。

 

 キーとなったのは、雲水だ。

 雲水が阿含と組んだことで、ぐらつきかけていたチームの息を吹き返させた。

 

 『百年に一人の天才』の個人技ではなく、金剛兄弟――いや、神龍寺ナーガの力で、阻止したことは、大きい。これは勢いづくだろう。

 

「最初は、泥門のペースに持ち込めていた。『これはもしかしたら勝てる()()しれない』と」

 

「だが、長門村正との対決を経て、金剛阿含が変わりつつある。この戦いで、神龍寺は高みへの殻をひとつ破るか……!」

 

 金剛石は金剛石にしか斬れない。

 長門村正という天才を相手に、金剛阿含の在り方(かたち)が、変わりつつある。

 

 

 ~~~

 

 

「鬼すげぇ、阿含さん、雲水さん、山伏さんの三人が泥門をブチ破った! 鬼スゲェ!」

 

 神龍寺の攻撃。

 守備で封殺し、さらに流れをこちらに持っていくには、これを確実にものにする必要がある。

 どうするか?

 安全策で攻めるか。『ドラゴンフライ』で苛烈に攻め立てるか。

 

 いや……安全策に出る方が読まれ易い。ヒル魔妖一の十八番だ。

 最強のカードこそ、最高の安全策。『ドラゴンフライ』――

 

「雲水、どうする。ここは大事に攻めるか。それとも、一気に『ドラゴンフライ』で流れを持っていくか?」

 

「いえ、泥門は長門村正が屈さぬ限り、まだ勝機があると思い込む。そんな僅かな芽を潰えさせないといけない」

 

 前回の攻撃の失敗を払拭する。泥門に格の差を思い知らせる。そして、弟を“最強”とする。

 その為には、長門村正でも対応し切れぬ圧倒的な攻撃をする。

 

「超攻撃的にいきます。――『金飛龍(ゴールデン・ドラゴンフライ)』で」

 

 

 ~~~

 

 

「SET!!」

 

 神龍寺の攻撃が始まる。

 だが、セナたちは神龍寺が敷いてきた異様な陣形に瞠目した。

 

「んだこれ?? 投手が……1人2人――3人……!!?」

 

 金剛阿含と金剛雲水の二人投手体制の『ドラゴンフライ』、ではない。

 今、金剛兄弟の隣には、最前線に位置付くレシーバーである細川一休も並んでいるのだ。

 

 

『なんとこれは……阿含くんに雲水くんに、一休くんまで投手ゥゥ!?』

 

 

 ――『金飛龍(ゴールデン・ドラゴンフライ)

 1988年に、日大で誕生した3人ものクォーターバックを並べる、常識外れの『ドラゴンフライ』の亜種だ。

 金剛雲水、ここでこの神龍寺ナーガ最強の札を切ってくるとは、顔に似合わず大胆不敵!

 

 

「HUT! HUT! HUT!!」

 

 

 山伏からボールがスナップされる。

 選択は、三人。

 

「うお誰にボール投げた!?」

「2人でも混乱するっつうのに……!」

「3人もいちゃ誰に……!」

 

 セナが、『電撃突撃』――電光石火で金剛阿含に迫る。

 だが、ボールは雲水の方へ。

 そして、雲水は、即座に三人目の投手一休へボールを回す。

 

「ア……アハーハー! 早いヨ! パス回しが……!」

 

 三人の投手体制で、更にショートパスで確実に繋ぐ。

 一休のマークにモン太がつこうとしていたが、間に合わず。

 

(これは、金剛阿含だけに張り付いていては対応しきれない!)

 

 3人のうち誰にボールが渡るのか。

 その選手は走るのかパスを投げるのか、それとも3人の誰かに回すのか。

 起点のプレイヤーが3人いて、そこからの攻撃パターンが3種――3×3=9通りのオフェンスの幅を瞬時にすべて把握するなど不可能だ。

 

 

「そして、次は――阿含!!」

 

 

 金剛阿含にボールが渡る。

 だが、阿含にはセナが迫っている。

 疾い……!

 光速のチャージは、阿含の時間を削っている。

 

「あ゛あ゛ああああ!!」

 

 だが、鎧袖一触。

 そして、阿含は中央を強引にブチ破る。容赦なく振るわれる手刀の暴威のままに、セナに続いて、十文字と戸叶が薙ぎ払われた。

 

「仕留める……!」

 

 それでも、この3人を相手にした分、時間を浪費した――『妖刀』の切先が届くまでに。

 『蜻蛉切(スピア)タックル』!

 長門村正の強烈な突きを、金剛阿含は手刀で軌道を逸らす。

 しかし、これと同時にもう一本の腕が、回避経路を遮っている。

 手刀は、一本。槍腕は、二本。単純な数ならば防ぎようがない。

 この瞬間、金剛阿含は――ボールを、放棄した。

 

 

「阿含が後ろにボールを――雲水にボールを回したぞ!!」

 

 

 傍で並走していた雲水へボールを預けるや、自由になったもう片手で二本目の槍を凌いで、阿含は長門を抜く――!

 

 そして、阿含から横へ流されたパス。これを雲水は反射的に斜めへとパスを返していた。

 そこには突っ込んできた『妖刀』を躱した阿含が走り込んでいる。

 『神速のインパルス』と『疑似神速のインパルス』が成す、神速のワン・ツーリターン。

 

「――いいや、いかせん!」

「チッ……!」

 

 超速の後方移動。ほぼ仰向けに倒れ込みながら半捻りして、長身長腕を限界まで伸ばす長門。阿含がこれに超反応して、ヘルメットを押さえて地面に叩きつけようとしたが、硬い。

 

 後方への移動、ここの傾いた重心の隙を突かれて大和猛(ライバル)に倒された――この経験が、長門村正にただならぬ執念を纏わせる。

 二度も同じ失態は繰り返さん……!

 長門、抜かされかかったが、強引に阿含を止めた。

 

 

『神龍寺ナーガ、ファーストダウン! 連続攻撃権獲得!』

 

 

 それでも、前進を許す。

 

 

 金剛兄弟のプレイに唯一合わせられる一休を投手に加えた『金飛龍(ゴールデン・ドラゴンフライ)

 ヒル魔妖一にもプレイを予測し切れず、長門村正の対応力の限界を上回る。

 結果として、泥門は神龍寺の猛攻を止められない。何の打つ手もなく、着実にゴールへと近づかせていく。

 

『おおおおっ、今度は雲水くん、自分でボールを持って突っ込んだァーーー!

 ――い……いや! 違う囮だっ! 阿含くんにバックパス――そして、阿含くんから一休くんへパス!』

 

 

 連携が、噛み合う。この上なく、噛み合っている。

 そんなプレイの最中、雲水は、見た。

 

「ククッ」

 

 阿含(おとうと)が笑っているのを。

 そして、雲水は気づかない。

 今の雲水は、阿含の鏡――すなわち、彼自身の顔も笑みを作っているということに。

 

 

『タッチダーーーウンッ!! 金龍、悪魔の蝙蝠を寄せ付けず! 神龍寺ナーガ、やはり最強――!!』

 

 

 そして、キックゲームも決めて、7-7。

 神龍寺ナーガ、泥門デビルバッツに同点に追いついたところで、前半終了。

 点差で見れば、互角の勝負。

 しかし、後半からの追い上げを見るに流れは完全に神龍寺ナーガにあった。

 

 最強はいかなる時も最強。実力に紛れ無し。

 

 

 ~~~

 

 

「あ゛ー、そっちの狡いカスとデブカスっつう鈍間な足手纏いを抱えなきゃなんねぇとは哀れだなあ?」

 

「……何?」

 

「ククク、俺が神龍寺から弾き出しといて、ホンッット良かったわ!! テメェみたいに足を引っ張られる無様は晒さねぇで済んだんだからよ!!」

 

 後半が始まる時だった。

 阿含さんが、長門君へ言う。

 

全国大会決勝(クリスマスボウル)? 夢見ちゃったカス共を振り切れなかった時点で、テメェは終わっちまってんだよ」

 

 言うだけ言って離れていく阿含さんに、ヒル魔さんは、何も言い返さない。

 けど、栗田さんは、泣いていた。悔しそうに、申し訳なさそうに。俯いたまま動けない。

 

 

 カッ――目を見開く。

 

 

 こんなにも、キツく人を睨みつけるなんて初めての経験かもしれない。

 だけど、固く拳を握り締めて、小早川セナは思う。

 カスとか。

 チビとか。

 何言われたっていいんだ。

 でも――終わってるとか。ヒル魔さん、栗田さん、ムサシさん、長門君たちの全国大会決勝の夢を馬鹿にされるのだけは、許せない……!

 

 

「…………そうだな。神龍寺の連中を見誤っていた。本気になられちまったら、太刀打ちできない」

 

 

 絶句。

 誰もが言葉を失った。何故ならば、今の発言は、ヒル魔さんだったから。

 誰よりも貪欲に勝利を求めてきた人が、こんな試合を放棄するかのような台詞を吐くなんて……

 

「ヒル魔先輩、それは、本気か?」

 

「糞カタナ、テメーには先がある。……こんなところで怪我をしちまう前に、お前はもうベンチに下がっていろ」

 

 長門君が確認するが、ヒル魔先輩の口から出る返事は変わらない。どころか、長門君をベンチに下げようとしている。

 こんな弱気なヒル魔さんは初めてだ。これにカッと声をあげたのはモン太。

 

「何言ってんスか!! どーすんすか全国大会決勝!! ヒル魔先輩たちラストチャンスで、絶対行くってあんだけ……」

「無責任に威勢良いこと吠えてんじゃねぇこの糞猿!」

 

 

 しんと静まり返る泥門陣営。

 冷静な司令官が、幕を下ろそうとしているのは、神龍寺からも窺えていた。

 

「思ったより簡単に心折れたっすね~」

「しかし何も、指揮官が後半キックオフ直前に、んなこと言わんでもなあ……」

 

 ……あ゛――?

 金剛阿含の洞察()からしても、ヒル魔妖一の行動は異様に映る。

 あの狡いカスが、軽く煽ってやったくらいで白旗上げる性格(タマ)か? 

 またくだらねぇ小細工(ハッタリ)を……

 

 

「で、でででも……」

 

「はなっから、練習や努力でどうなる相手じゃなかった。そんだけのこった……」

 

 

 ――いや、周りの雑魚の動揺は、演技じゃない。

 そして、奴も……

 

 

「ヒル魔先輩、あんたにはがっかりだ。俺を強引にチームに引き込んでおきながら、勝手に勝負を投げるのか?」

 

「ああ、もう泥門の勝率は0コンマ数%っきゃねぇ状態なんだかんな。ブン殴りたきゃ殴れ。それでテメーの気が済むならな」

 

 

 ゴンッ! と長門村正の感情に任せて振るわれた拳が、ヒル魔妖一の面を殴り飛ばす。

 寸止めとかじゃない。本気でその顔を殴り抜いた。狡いカスがまともな受け身も取れずに倒れた。

 

 

「糞っ! こんな、くだらない真似をさせてくれやがって……! ヒル魔妖一、俺はあんたを絶対に許さない」

 

 

 チームの精神的な支柱であった二人の喧嘩。

 ここから予見しうる結末は悲惨。チームは、バラバラの空中分解で終わるだろう。そう、会場全体は思い込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

「ど、どどどうしちゃったの、妖一兄(よーにい)!? ねぇ、まも姐……まも……姐………?」

 

 後半開始、フィールドへ選手たちが向かった直後に、泥門デビルバッツ・マネージャーの姉崎まもりはひとつの差異に気づいた。

 

『神龍寺ボールでいよいよ後半スタート! 泥門のキックオフです!』

 

 本当に、気づかないくらいだけど、皆、配置が少しだけ後ろに下がってる……?

 

 きっとこれは、『60ヤードマグナム(ムサシくん)』の巨大キックのインパクトを、自然と警戒してる……!

 

 サインを出す。フィールド上の指揮官(ヒル魔)には伝わった。

 

 これは――『オンサイドキック』のチャンス……!!!

 

 阿含が一番奥にいる。手前に転がしゃ、泥門(うち)がボールをブン捕れる可能性は十分ある。やるなら、今ここしかねぇ。

 ……だが、神龍寺相手じゃ虚を突かなきゃ成功しっこねぇ!

 

 今から作戦を出し直すような真似をすれば、絶対警戒される。

 特に最も乱戦に混ぜたくねぇ糞ドレッドは、こっちの狙いを看破してくるはずだ……!

 

 どうする……

 神龍寺の連中には悟られねぇで、うちの連中に作戦変更を伝える方法――んなもんあるわきゃねぇ。どうする……!!

 

 

 そして、ヒル魔妖一は、賭けに出た。

 

 

 ~~~

 

 

『こんなところで怪我をしちまう前に、お前はもうベンチに下がっていろ』

 ――ハ? んなお優しい柄かよ! 言ってること違和感バリバリじゃねーか!

 

『もう泥門の勝率は0コンマ数%っきゃねぇ状態なんだかんな』

 ――ほんの僅かでも勝ち目が残ってるのに、ヒル魔さんが本気で諦めるなんてありえない!

 

 0%じゃなきゃ勝負するに十分だと言い張る人だ。

 そうだ。皆で絶対全国大会決勝(クリスマスボウル)って誓った。

 だったら、これはウソだ。

 そして、ウソならば、発言の裏は全て逆の意味――

 

 “ケガするな”は、“ケガしそうな”プレイをやらせるということ。

 このキックオフのプレイで、勝ちに行くのは――『オンサイドキック』だ……!!

 

 

 キッカー・武蔵はボール目掛けて駆け出す。

 自身は、ヒル魔の意図を察している。だが、他の全員がどうだかはわからない。

 

(全員で突っ込まなきゃ捕れっこねぇんだ。作戦変更も伝えねぇで正気かよあのバカ野郎……!)

 

 ――ムチャクチャだ。言葉なしで11人全員に伝わって、気持ち揃ってなきゃ無理なんだぞ……!

 ――目線一つでも合図を送ったりすれば警戒される。皆の思いを確認する方法なんてない……

 ――天才(あごん)の洞察力から手加減(えんぎ)して喧嘩するのは無理だった以上、あれは誰がどう見ても仲違いに見えたはずだ。それでも――

 

 

 誰ひとり、全国大会決勝を諦めてないって信じ合っていること――信じていくしかない……!!

 

 

 武蔵が足先にすくい上げるようにボールを蹴り転がす――その方向へ、十文字、黒木、戸叶、栗田、小結、セナ、モン太、瀧、ヒル魔、長門が、一斉にスタートを切った。

 

 揃った! 全員、『オンサイドキック』の方に……!!

 作戦も伝えていない。なのに、11人の意思は同じ方を向いていた。

 

 

 ~~~

 

 

「ボールを押さえろ! 上がれーーっ!!」

 

 乱戦乱闘。後半開始早々に、博打に出た泥門のプレイ。

 これにわずかに出遅れたものの神龍寺もボールを追いかける。

 

「がああああああ!!」

「痛ぇえええええ!!」

「ケガ上等だコラ! ぶっ飛ばしてやれ!!」

 

 一番後方に待機していた金剛阿含は、まだ追いつけない。

 ひとつのボールを巡って入り乱れる泥門と神龍寺――そこに活路を切り開かんとする『妖刀』。

 

「破!!」「いかせん!!」

 

 山伏のチャージを長門が抑える。

 そして、セナがボールを押さえようとし――楕円形のボールは予期せぬ方へ(イレギュラー)バウンド。セナの手を逃れるよう、真上に跳ねて――そこに、飛びつく二人の影。

 

「西部戦では結局捕られちまった『オンサイドキック』ッ! 今度こそ――今度こそ……!!」

 

 ボールに手を伸ばすのは、モン太。――だが、指一本、先にボールに触れたのは、空中戦最強戦士・細川一休。

 

「おおおおでかした一休!! そのままボールを弾き飛ばせっ!」

 

 ――いや、そんなチャンスは与えない。

 背面捕りをしてくる雷門太郎だったら、零れ球にも反応して飛びついていく。だから、捕る。弾かず、一休の手で確保する。

 宙のボールに触れたたった指一本、それで軽く弾く。指一本に跳ねられた、そのわずかに浮いた時間で伸ばした両手がボールを確保した。

 

 

「ククク、あの状態から弾くんじゃなくてキャッチにまでいける奴は、テメーくらいのもんだ」

 

 

 ボールを弾かず、あの指先一本から空中ですでに捕球成功にまで繋げてみせた。器用なんてものではない。だが、常人には無理な行為を成す、だからこそ細川一休は関東最強のコーナバックだった。

 

 

「いいや、()れるだろモン太。俺に全力を出させたお前は、まだ終わりじゃない」

 

 

 ボールを抱え込んで確実に確保しようとした――そのレシーバーの習性とも取れる行動を待ち構えていたかのように、大きな手があった。

 

『アメフトは、野球とは違い、ボールを捕れれば終わりと言うわけじゃない。奪い合って最後にモノにしたヤツが勝ちだ』

 

 長門との『千本(デス)ノック』。本庄鷹の『デビルバックファイア』にも対応できた長門に普通のキャッチ勝負じゃ歯が立たなかった。だから、もつれ込んだ状態からでもチャンスとなれば奪い取れる術を身につけなければならなかった。

 

 コイツ、いつの間に――何でこんなとこにコイツの手が……!?

 経験と本能で知っていた。それを長門村正との『千本ノック』がさらに尖らせた。雷門太郎のキャッチ感覚を、乱戦(アメフト)仕様に磨き上げた。

 モン太の手は、縫い目を精確に掴む。そして、相手の腕の中からかき出すよう、キャッチ力で強引にもぎ取る。

 

「こ、の、野郎……!!」

「キャッチMAーーX!!」

 

 ――『無刀取り(ストリッピング)

 長門村正との競り合いの最中で、モン太が学習したアメリカンフットボールの技。

 

 

『泥門オンサイドキック成功! 泥門ボール!!』

 

 

 ~~~

 

 

「それっぽく見せりゃいいっつうのに、血が出る程ブン殴ってんじゃねぇ、この糞カタナ!」

「あんなアドリブをぶっ込んでおいて注文が厳しいっすよヒル魔先輩。それよりも、問題はここからじゃないんですか」

「チッ…ああ、糞猿が作った勢いを殺す手はねぇ。――ビックリ芸で一気に畳み掛けっぞ!」

 

 『オンサイドキック』というギャンブルを制して、モン太がもぎ捕った攻撃権。

 しかし、待ち構えるのは前回封殺された神龍寺の守備。阿含と雲水、金剛兄弟の連携を掻い潜らなければ、泥門はこの試合勝つことはできない。

 

「ケケケ、ハーフタイムで体あっためてあんだろうな! 糞ハゲ!」

 

 泥門デビルバッツ、後半から参加する攻撃専門のレシーバー・雪光学。

 運動部助っ人の石丸が抜けて、これで泥門の本当の攻撃態勢が整った。

 

 

「な……泥門のレシーバー4人が、何で一ヵ所に固まって……」

 

 こんな偏りまくったフォーメーションは論外だ! とアメフト関係者が慄く。

 泥門デビルバッツが取った陣形は、なんと片側にモン太、雪光、瀧、長門を配置して、超強力(ストロング)サイドに偏らせていた。

 

 

「ケケケ、パスターゲット×4人で、威力4倍にする究極のパスフォーメーション――『ガトリング』だ……!!」

 

 

 神龍寺の『金飛龍』が“発射台”を三人揃えるのなら、泥門は“的”を四人に増やすとばかりに泥門司令塔ヒル魔は口上を上げる。

 レシーバーを四人配置する『ショットガン』をさらに片側に四人集中させたのが、『ガトリングガン』。

 

 あからさま過ぎるパス特化陣形。

 これを前にしては、競り負けた直後の最強のコーナーバックがざわつく。

 

「何人来ようが関係ありません。モン太だろうが、長門だろうが、瀧だろうが、雪光だろうが、誰が相手だって俺が捕ります。――空中戦No.1は俺だ」

 

「冷静になれ一休。ヒル魔妖一――奴は神龍寺の堤防に空いた蟻の巣のような穴から一気に決壊を狙っている。煽られずに落ち着いてプレイしろ」

 

 冷静に、雲水は見定める。

 ヒル魔妖一。身体能力を奇手と謀略でカバーしてくる泥門の司令塔。

 だが、そんな策も阿含(おとうと)にかかれば、容易く破られる。

 

「テメーら4人のルート取りにかかってんだ。死ぬ気で走りやがれ! それぞれのパスルート1mmでもズレたらブチ殺すぞ……!!」

 

 レシーバーの4人に近づいて発破をかけるヒル魔。後半直後、前半の最後を追い上げられた形となった泥門からすればここで攻撃を失敗するのは大きい。神龍寺から点を取るのは無理だと思い知らされる。

 『オンサイドキック』という大博打を成功させたが、後に続かなければ無意味

 

 

 ~~~

 

 

 ボールが、投じられた。

 

 

 ~~~

 

 

 その瞬間、場の空気は止まったかのように、観客神龍寺側の人間は唖然と呆けた。

 え? ヒル魔がまだセットポジションについていないのに、プレイが始まった。

 

 そして、誰もが目で追う、栗田からスナップされたボールの行方には――アイシールド21!

 

 

『なにいいいい!?』

 

 なんとボールはヒル魔を完全無視して、直接――前半まったく攻撃に参加しなかった――セナの元へ。

 ヒル魔がレシーバーたちに発破を掛けにいった行動は、“一人だけ移動しながらプレイを始められる” ――『インモーション』だったのだ。

 

「ケケケ、レシーバー4人いたからって威力4倍になんざなるわきゃねぇだろ! ――ブロッカー4人だったら、話が違うがな!」

 

 これは、パスプレイじゃない。ランプレイだ。レシーバー4人がリードブロックに参加した『掃除作戦(スイープ)』!

 

「止めろ!!」

 

 即座に回り込む神龍寺。

 意表を突かれ、一瞬の隙を許した出遅れは、光速の世界では厳しい。この試合、初めて目の当たりにする小早川セナのランプレイに、神龍寺の対応が間に合わない。

 

「くっ……!!」

「抜けェ――セナ!」

 

 モン太と瀧、それに力のない雪光も盾に入って、光り輝く走路(デイライト)に神龍寺の守備が侵入するのを遮る。

 そして、『妖刀』――後ろに仲間を背負って、『護る為の殺意』を解放した長門村正が壁を切り開く!

 

 

「うおおおお! 阿含と雲水が来たー!!」

 

 

 ディフェンスを躱す曲がり(カット)の分だけ遠回りになったその一瞬に、阿吽の仁王像が追い付いてきた。

 

 

「足手纏いなんざ抱えてる時点で、俺には勝てねーんだよ!」

 

 雲水さんが前に出てきた。長門君を相手にするつもりだろう。そして、無防備になった自分(セナ)を阿含さんが潰しにかかる。

 見てから0.11秒で反応する『神速のインパルス』に弱点はなく、小早川セナに敵を薙ぎ払える芸当(パワーラン)は無茶だ。

 

「足手纏い……? 何を言っているんだ?」

 

 セナの身体が、長門の身体の真後ろに入り、阿吽の金剛力士像の睨みから(のが)れる。

 左右に小刻みに揺れる。クロスオーバーのステップを二人でこなす。ブロッカーでありながら、ランナーのステップをマスターしている長門と練習した連携プレイ。一瞬の超速からの踏み込みに釣られた直後に抜き去る、セナと長門のコンビランが繰り出す秘太刀!

 

「この泥門デビルバッツに、足手纏いがいるなど俺は知らない」

 

 ――『変移抜刀霞斬り(バニシング・デビルバットゴースト)』!

 無視できない存在感でプレッシャーをかけるリードブロックに、後方から逆方向にカットを切るランナーの姿を見失う。人の習性を利用した視線誘導(ミスディレクション)

 

 

「うるせぇぞ。50に10が足されたところで能力100には敵わねぇんだよ」

 

 

 長門がセナを身体で隠したように、雲水(あに)を壁に出させたことで、見れば釣られるはずの視線誘導から逃れる。そして、『神速のインパルス』の超反応がセナの前に迫る――

 

 

「――ああ、あんたならコイツに反応すると思っていた」

 

 

 阿含がチャージをした先で、長門の長い腕が無造作に伸ばされているのを見た。そして、開かれた手に、セナがボールを持っていくのを。

 

「なっ……――」

 

 この瞬間、この土壇場に――『聖なる十字架(クリス・クロス)』のボール渡し(スイッチ)

 長門は振り返っていない。だが、心眼――信頼した仲間の行動は見ずとも覚る。

 『神速のインパルス』の迅さを上回るには、考えていたら間に合わない。

 一点の曇りなく全開で動きながら、尚且つ、考えず、直感に委ねて動く。

 信じろ!

 あのアイコンタクトなしで『オンサイドキック』を成功させた今なら、やれるはずだ!

 

 長門とセナ、抜き去りながらの綱渡りなボール渡し(ハンドオフ)を成功。

 

「うおおおお!」

 

 そして、セナはそのまま阿含へ人間砲弾で特攻するリードブロックに入る。

 同時、ボールを受け取った長門も、雲水と接触する寸前で、斜めに潜る。

 『卍』と見せかけて、『/』を仕掛ける要領で抜き去った。

 

 

「あ゛あ゛ああああ!!!」

 

 

 セナを捌き、0,1秒で立て直す。そして、追いかける。

 文字通り、鬼気迫る勢い。

 再び阿含が、追い縋ってくる。

 

「しつけえええええ!!」

 

 どこまでも、立ちはだかる。

 

「うおおおおお!!!」

 

 雲水もまた、これに触発されたかのように連動。

 『疑似神速のインパルス』――雲水は真後ろに倒れ掛かりながらも、手を伸ばし――その指先を長門のスパイクの踵に引っ掛けた。

 雲水の執念を脚力でもって強引に振り切った長門だったが、その時にはすでに阿含が回り込んでいて――

 

 

「ケケケ」

 

 

 そこに、割って入ってきた悪魔の哄笑。

 パワーとスピードとタクティクスを爆発させるアメリカンフットボールプレイヤーは、持っているカードの力を切り方次第で、120とする……!

 

「いくら奇策珍策練ろうがな結局最後にモノ言うのは基礎トレだ」

 

 間に合うはずがない。

 たとえこの展開を読めたとしても、40ヤード走5秒2、ヤツのスピードではこの局面にギリギリで追いつけるはずがなかった。

 

 

「おう、糞ドレッド。テメーが神龍寺で練習サボってる間――0.1秒縮めるのに、1年かかったぜ……!!」

 

 

 ヒル魔妖一の40ヤード走は、5秒1――

 『インモーション』で騒ぎ立てていたヒル魔妖一が、走ってくる。それに長門村正はボールを回すや、阿含へチャージを遮るリードブロックに入った。

 

「だから、泥門に足手纏いはいない。――一人たりともな」

 

 ガッチリと長門に両腕を回して腰を捉えられた阿含は、ヒル魔の背中に手を伸ばしながら、指間に捉えるそれが小さく、遠くなっていくのを見送るしかなく。その背中を地につけた。

 

 

『タッチダァアアァァウン!!!』



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35話

 キッカー・武蔵がボーナスゲームを決めて、14-7。

 

「ケケケ、テメーら、泥門デビルバッツの戦術ポリシー知ってっか?

 ――ブチ殺すかブチ殺されるか! こっからのキックは全部超連発『オンサイドキック』だ!!!」

 

 試合は優勢。流れも再び泥門に持ってきた。だが、悪魔の指揮官はそれで守りに入るような温い性格ではない。

 

 

『これは……泥門デビルバッツ、フィールド片側へと極端に寄ったキックオフ陣形だー!!!』

『敵陣に蹴り飛ばすはずのキックオフを横に短く蹴って強引にボールを奪う! “さっきのビックプレイよもう一度”という完全な『オンサイドキック』体勢です!!』

 

 

 所詮、『オンサイドキック』は一か八か。成功率なんて20%もない。再び点差を突き離せたのだから、ここは安全策を選ぶべきだ。

 だが、ヒル魔妖一は本来なら定石から外れた『だからこそやる!』という奇策を駆使して相手の裏をかく傾向がある。

 虚々実々。故に神龍寺は、『オンサイドキック』に対応すべく前に集まってセットする。

 

 

「何ィィィィィ!?」

「キック寸前で泥門が一斉に普通のキックオフ陣形に戻ってく……!!」

 

 

 けれども、この男の口上は、信用してはならない。発言の半分以上が虚言(ウソハッタリ)上等である。

 これは、『60ヤードマグナム』のキック力を最大限に活かすべく演出なのだ。

 凄まじい脚力で蹴り飛ばされたボールは、この日で最も高く、前列にいた神龍寺選手全員が唖然と仰ぎ見る。

 

「今度は逆に『オンサイドキック』を囮に、普通のキック!?」

「んなプレイ聞いたことないっすよ!!」

「ブヒィー!! すっかりチョコンキックだとおもって、前に集まってたもんだから……」

「戻れっ! 戻れーーーっ!!」

 

 急いて後ろへ飛んでいくボールを追いかける。その動揺から隙が生まれる――

 

「喝!!」

 

 これを許さぬ金剛雲水。

 凡才であるが故に、試合前からあらゆる可能性を想定していた男は、この程度の揺さぶりで心を乱さず、慌てる皆へ呼びかける。

 

「ヒル魔の手口だ! 強豪がリードされて浮足立つところにトンデモプレイをぶつけて混乱を誘う」

 

 そして、もうひとり。

 天上天下唯我独尊――チームの動揺になど我関さず、独りボールの位置に回り込んでいた天才。

 雲水はこれを知る。

 この状況、阿含(おとうと)は必ずいち早くボールの落下点へ回り込むと。

 ならば、自分たちがすべきことは定まっている。

 

「冷静に対処すればどうということはない。いつも通りに阿含の走行ルートの敵をブロックしろ!」

 

 雲水の指示に、神龍寺の面々の目の色が変わる。悪魔の囁き戦術で乱された混乱が払拭される。

 冷静沈着に、果たすべき役割をこなす。

 神龍寺ナーガは、強い。総合力でSを冠するチーム力。

 

 

「止めろセナァァ!」

 

 神龍寺の前衛がブロックして、金剛阿含(ボールキャリアー)が通る走路への泥門選手の侵入を阻む。

 だが、彼らは一瞬、動揺の隙を見せたのも事実。この一瞬を命取りとする韋駄天の俊足が立ちはだかる壁を抜き去る。

 

 アイシールド21・小早川セナ。

 さっきの失点は、彼の切れ味鋭いランが起点となった。――金剛阿含は、それをやられっ放しにしておける男ではない。

 

 

「調子づいたチビカスが、才能の差って奴をわからせてやるよ」

 

 

 左右に激しくステップを刻む。クロスオーバーステップを応用した停止しない曲がり(ノンストップカット)

 それは突如視界から消え失せ、相手の背筋を凍らせることから、“幽霊(ゴースト)”と名付けられたその走法は――

 

「あ、あ……――」

 

 『デビルバットゴースト』!!

 小早川セナが、『死の行軍(デスマーチ)』で2000km石蹴りして完成させた必殺技を、一度目の当たりしただけで、金剛阿含は模倣してみせた。

 

 

『なんと、阿含くん! アイシールド21のお株を奪う『デビルバットゴースト』ォォ!』

 

 

 目の当たりにする自分の必殺ランの衝撃は計り知れず、まったく反応できずにセナが抜かされる。

 

 これが、天才。

 百年に一度と謳われた才能は、己が望むままに全てを嘲笑うのだ――

 

 

 ~~~

 

 

「――いいや、温い」

 

 

 ~~~

 

 

 しかし、この男にすれば児戯に過ぎないか。

 

「悪いな。ちょっと力が入り過ぎちまった」

 

「………!」

 

 セナに続いて、迫ってきた長門村正を、阿含は同じく仲間の必殺ラン――『デビルバットゴースト』を仕掛けたが、結果は観客にも一目瞭然。

 蹲るように膝をつく阿含と、悠然とそれを見下ろしている長門。『百年に一人の天才』という畏怖が、掠れて見えるよう。

 

「同じステップワークがこなせたところで、セナや猛のと比べれば、走りにキレがない。付け焼刃の域を出ない。つまりは、練度が足りん」

 

 抜けずに、倒された。言葉にすればそれだけ。

 『時代最強ランナー(アイシールド21)』をライバルとする長門村正からすれば、金剛阿含の走りには、粗が見えていた。

 

「はっ、格付けが決まったな」

 

 天才(あごん)を圧倒するこの男も天才なのか。

 違う。天才止まり、じゃない。()()()()()()――手の付けられない、“怪物”。

 

「つくづく思わされる。長門は、泥門の“最強(エース)”だと……」

 

 ヒル魔が笑い、武蔵が息を吐く。

 そして、泥門デビルバッツの全員が思った。

 自分たちのエースは、相手よりも格上だと。

 

 

「エース勝負は長門(こっち)の勝ちだ。練習もロクに出ねぇで女と遊び回ってたやつとは違う」

 

「そうだ。女と遊び回ってたやつとは違う」

 

「……何か、練習不足よりそこに怒りが強調されてないか?」

 

「女と遊び回ってたやつとは違う!」

 

「わかったわかった。その鬱憤は試合(ゲーム)で発散しろ黒木、戸叶」

 

 

 ~~~

 

 

 武蔵のキックで大きく後退され、前進も長門に抑え込まれた神龍寺の攻撃。

 『金飛龍』――いまだにプレイを読まれず、攻略されていない戦術。

 三人の投手が肝となる連携戦術……だが、思考が怒りで真っ赤に染まった天才によって成り立たなくなっていた。

 

「ダイレクトスナップで、直接俺によこせ!」

 

 このプレイ、山伏は雲水へボールをスナップする予定だったが、阿含が脅しかけるように要求する。

 作戦外の行動。暴走だ。

 

「阿含……っ!」

「俺が22人いりゃ最強オールスターだ! テメェらとチンタラボールを回さず、俺ひとりにボールを集めりゃそれで十分勝てんだよ!」

 

 いいから早くボールをよこせ!

 雲水が声をかけようとしたが、阿含の耳には入らない。

 山伏は数瞬躊躇ったが、これ以上の遅延をして、痺れを切らした阿含の怒りを買う前に行動に移した。

 

 

「潰せ、糞チビ!」

 

 

 ボールが手元に来るのとほぼ同時に、それが来る。

 高校最速40ヤード走4秒2――阿含自身よりも疾いスピード。

 それでも、0.11秒の反応速度は迅速。光速のチャージを、神速の超反応が回避する。

 ――直後、切り返したセナが再び阿含に迫る。

 

 

『セナや猛のと比べれば、走りにキレがない』

 

 

 先程の言葉を、証明するかのよう。実際現時点、このチビカスを躱せても、脚で振り切れない。

 それが、まさに、まるで自分がチビカス(セナ)に劣っているかのように思わせてくる。コイツまでも俺のいる完璧な才能の世界に踏み込んできている。

 

 俺にわざわざ殺されに来るのは誉めてやるチビカス。――だから、とっとと死ね!

 

 向かってくるのにタイミングを合わせ、強引に薙ぎ払う手刀。

 

「!!」

 

 ――来る……!!

 阿含の手刀に反応して、セナが咄嗟に腕を盾にする。『デビルスタンガン』の回し受け。それでも吹き飛ばしたが、ガードされた。

 これがさらに阿含をイラつかせる。

 だが、噴き上がる憤怒を冷ます、寒気がするほどの存在感。

 来る。

 相手せざるを得ない小早川セナに稼いだこの数瞬に、間合いを詰められた。

 

 コイツ、後半に入ってからますます、凄みが増してきてやがる……! ヘタしたら俺並に迅い……!?

 

 ――『妖刀(ながと)』の、(リミッター)が、抜か(はず)れた。

 静かに、研ぎ澄まされた集中力が、極限に達している。

 雑念が消え、100%の実力を発揮させてくる“怪物”に、生半可な攻めは逆に危険。野生じみた第六感も利かせてくる『妖刀』は、反応速度すら『神速のインパルス』に迫る!

 

 ランで躱すか――だが、長門に金剛阿含の『デビルバットゴースト』など通用しないと実証されている。

 パスを投げるか――だが、もうこの範囲は長門の『人間制空圏(ドーム)』内だ。至近だろうが本能のままに超反応されてパスカットされる予感がある。

 力で倒すか――とこれ以上、そんな思考をする余裕は阿含には、ない。

 

 “起こり”のない初動からの、0秒で相手を押さえに来る筧駿並のハンドテクニック。

 極限集中下でプレイの純度が増しているその動きは、瞬きの間に、接近された――そんな空間跳躍じみた制圧だった。

 それでも、阿含はこれを迎撃せんと反射的に手刀を繰り出していた。

 ――先程、突然迫られたセナを捌いたのと同じように。

 

「そりゃ悪手だろ糞ドレッド。何で同じ駒22枚がカモり易いか。そりゃあ同じ奴は同じシチュエーションで同じこと返してくっからだ」

 

 金剛阿含が袈裟懸けに振り下ろす手刀へ、“槍”が合わせられる。

 

 槍で刺す技術は、単純に突き出すだけでは足りない。突き出す瞬間に“捻り”を加える。

 ただ刺すだけでは、槍の穂先を深く食い込ませない。捻ることでより深く突き込める。つまり、肉を斬り、骨を砕き、その心臓を貫き抉り、刹那の速さをもって、一撃必殺を果たせるのだ。

 

 

「あんたの動き(くせ)はもう見切った」

 

 

 ――伸ばされた“(うで)”は螺旋を描くように捻りが加えられていた。

 内側に正拳突きやコークスクリューのように捻じり切った拳を、手刀の側面に入れ、一気に捻じり込む。コロに乗せて右から左へ流すよう、鋭い衝撃が吸化されて、その方向性(ベクトル)が目標から逸れる。そして、筋肉のバンプと螺旋の力で最小にして最速の払いを瞬時にこなす。

 それは、撃鉄を叩いて、弾丸を前に発射させる火薬のような威力を発揮させる。

 

「まっ……――」

 

 ――『蜻蛉切(スピア)タックル廻』!

 交流戦で目撃したライバルを倒したその技――『トライデントタックル』は己を倒し得るものだと覚る。この危機感が成長を促す。

 進清十郎が走法(ランテクニック)を高めて“槍”の加速力を上げたのならば、その対策として長門村正は手法(ハンドテクニック)を注ぎ込んで“槍”を別の方向性に改良させた。

 相手の攻撃を払ってから突くのではなく、防御と迎撃を一度にして、更にはその破壊力(パワー)を跳ね上げさせる。

 これは、制限解除された超集中からの見切りが可能になったからこそ、成せた技。

 そして、その超集中を呼び覚ますほどに長門村正が勝利の執念を宿させた対象は、天才止まりの選手ではなく、頂に待つ時代最強――

 そう、先程にあんな不細工(パチモノ)な走りを見せられて、スイッチが入ったのだ。

 

「だから、絶対に勝つ……!!」

 

 竜巻の如き覇気を纏う(うで)が、(あごん)が鷲掴む(ボール)ごと(ねじ)穿()つ。

 弾いても逸らせ(のがれられ)ぬ、理不尽な破壊力が直撃した金剛阿含の身柄が、転々とフィールドを吹っ飛ばされた。

 

 

 ~~~

 

 

「阿含、大丈夫かっ!?」

 

 尋常ではないパワー。あの男を侮っていた。

 長門村正の一撃は、阿含を沈める。下手をしたら、プレイに支障をきたすほどのダメージを喰らわされた。

 ベンチもこれに担架を持ち出す。

 真っ先に駆け寄った雲水は、阿含を起こそうと手を差し出して……パシン、と払い除けられた。

 

「さわんな。ちょっと寝転んだだけだろうが。ジャマすんじゃねぇ。ヤツをぶちのめすんだからよ……だから、いらねぇよこんなの!」

 

 独りで、立ち上がる。

 駆け付けたベンチが持ってきた担架を蹴り飛ばす。

 思うがまま、不快な真似は許さぬ暴虐な振る舞い、だが健在ではない。

 姿勢はふらついている。それでも地に伏しっぱなしでないのだけは固辞する阿含の意思が、戦いへ向かわせる。

 

「……いや、阿含、ベンチに下がれ。今のお前は本調子ではない。体を休め、頭を冷やすんだ」

 

「あ゛あ゛? ふざけんな。どうして俺が凡人のお前なんざの指示に従わねーとなんねぇんだ」

「いい加減にしろ阿含!!」

 

 胸倉をつかむ。雲水が、阿含のを。

 常に冷静で、相手を言葉で諭そうとしてきた男が、誰よりも遠慮していた弟に手を上げたのだ。

 ギロリ、と阿含が雲水を(にら)む。

 

「……てーな。身の程を弁えない凡人ってのが一番ブチッとしてぇ。なあ、雲子、お前のアタマと俺のアタマ、どっちが上か言ってみろよ」

 

 天才(おとうと)の口から突き付けられる、その現実。覆しようのない力関係だということは、己こそが一番知っている。

 凡才(あに)の口から震えた答え(こえ)が零れる。

 

「……ってる。わかってる。そんなことは……お前だ。いつも目の前にいたお前は絶対に越えられない天才だ。俺は俺の限界を知った。受け入れるしかなかった。だから、凡人(おれ)は自分よりも阿含(おまえ)を活かす道を選んだんだ」

 

 天才に抗わんとしたかつての己。思い知った現実を賢く受け入れた今の己からすればそれは泣きたいほど羨ましいことだ。

 だが、そんな己の涙は、あの日あの夜、誰よりも無様を晒したくなかった弟の前で、雲水はすべてを流し切ったのだ。

 

「だというのに……俺が喉から手が出るほど欲してるものを全部持ってるお前が、そんな愚かな振る舞いをしようとしている。許せるものか、そんな真似許せるものか断じて……!」

 

 ……なのに、その枯れ果てたはずのものが、今の雲水の双眸からこぼれ出ている。

 

「……ありえねぇよ泣くとか。そんなみっともない真似を晒したくなかったんじゃねぇのかお前はよ」

 

 胸倉掴む雲水の手を、阿含は容易く払い除ける。

 ダメージが残る身体。そんなハンデがあっても、力関係の上下は不動。

 

「俺がこの中で一休だけは認めてんのは腕だけの話じゃねぇんだよ。負けっ放しを一度でも許容したゴミには一生わかんねぇだろうがな」

 

 心底から見下す弟の目に、兄は反論できず。……その口元を戦慄かせながらも。

 そんな兄の無様を、弟は視界に入れることすらせず。

 

 

 ~~~

 

 

 神龍寺が急遽タイムアウトを取った合間に、セナは後半から攻撃にも全力疾走させていた脚をクールダウン。溝六特製の『急冷アイシング腹巻』で靭帯を伸びにくく、軽くなったように思わせる。冷気で一時的にだが、痛みを麻痺させるのだ。

 セナ自身はまだ走るのに問題ないと思っているが、試合に興奮状態にある中での自己管理はあまり当てにはできない。無茶はさせるが、大事にする。

 それはどこのチーム、どの選手でも同じことだ。

 

「長門君、神龍寺がなんか揉めてるみたいだけど、大丈夫かな?」

 

「いや、セナ……何が何であれ、金剛阿含は侮れん。どうやら、あの男は、二人分の負けず嫌いを背負っているみたいだからな」

 

 

 金剛阿含、ベンチに下がらずプレイを続行。

 先程のように、脅迫してボールを要求するような振る舞いはせず、大人しくポジションについている。チームメイトもそれには触れない。チームが、がたついている。

 ――これを逃す、悪魔の勝負師ではない。

 

 

「SET! HUT!」

 

 阿含への全プレイラッシュを決めているアイシールド21が当然のようにこのプレイも阿含へ迫る。先のダメージが抜け切っていなかろうと情け容赦なく。

 だが、構うまい。

 今度は、雲水へボールを渡した山伏。

 阿含が抑えられようが、発射台はまだある。

 

(ベンチに下げられなかったが、このプレイは阿含を囮とする(やすませる)。阿含の力は神龍寺に必要なんだ。勝つためには……!)

 

 弟がいなくても攻撃パターンは構築されている。普段の試合をサボっているのだから、当然この対応には慣れている。だから、冷静に。

 己の領分を弁え、すべきことを果たすのだ。

 小早川セナが、阿含へと『電撃突撃』を仕掛けた今、泥門の守備には穴があるはず――

 

 

「ケケケ、さっき教えただろうが、泥門デビルバッツの戦術ポリシーは、『ブチ殺すかブチ殺されるか!』だってな!」

 

 

 無音疾駆(キャットラン)にして、無重力疾走(パンサーラン)を複合させた忍び走りで、息を潜めて、最短距離で迫る。

 

(!!? バカな――長門村正が、こんなド真ん中から突っ込んできただと!?)

 

 全プレイ泥門の守備の中核となっていた、それがこちらの攻撃パターンを削っていた。

 神龍寺ナーガの金剛阿含を降した直後なのだ。ただいるだけで、中央での勝負を回避させたくなる利点がある。だというのに、そんな欠かせぬ要石に、守備位置を放棄させた。

 泥門デビルバッツ。どこまでも守りに入らない姿勢。読み切れないこの『金飛龍』を撃ち落とさんと、二連発――“そんな手段に出るはずがない”という雲水の意表を突くヒル魔妖一のカード捌き――小早川セナと長門村正の『同時作戦電撃突撃(ダブルブリッツ)』で、金剛兄弟を阻みに来た。

 

 いや、冷静に対処しろ。

 誰であろうと、全速で素早くリリースできればパスが間に合う。

 

 

 ビキッ、と緊張で強張った腕から、響く感覚。

 

 

 そう、だった。

 雲水も『妖刀』の卍抜き(パワーラン)にぶち当たっている。前衛を圧し込むほどのパワーがありながら、後衛エースランナー級のスピード。その長身の体格でありえない、さらに120%に限界突破したスピードが激突時のパワーを4倍以上に押し上げたその威力。そう簡単に抜け切れるダメージではない。

 そして、攻撃守備と両面で、超人的な天才の弟と連携を取る『疑似神速のインパルス』。これは、金剛雲水には、明らかな酷使(オーバーペース)だった。

 凡人が、天才を真似ようなど、無茶が過ぎる。弛まぬ鍛錬で肉体が鍛えられていようが、深い溝のある天才との差を埋められたわけではないのだ。

 アドレナリンでそれを無視していたが、それが運悪くも試合終了ではなく、今、この一瞬の油断が致命傷なりうる場面で、表に出た。

 

 

 そんな雲水のアクシデントに気付いたのは、神速の反応速度にして思考回路を持った天才のみ。

 

 

 ~~~

 

 

 ……あ゛~、こりゃどうしようもねぇ。

 あそこにいんのが俺なら、0.01秒早く気づいて手もあったのに、詰んだな。

 俺に大層な事ほざいておいてテメェ自身が壊れるとか何やってんだよとことん見放されてんな雲子。これだから、自分のことを諦めてるカスと一緒にやんのはだりいんだよまったくよ。

 それで“天才(ながと)”にぶちのめされんのをどうしようもないって受け入れんだろうしよ。

 つうか――

 どっちにしろあんな奴を庇ってやる理由もねえわな。奴自身がそれを望まねえ。凡人であるテメェよりも天才の俺の方を優先すべきだと言い張りやがるんだからなあの雲子は。

 ハッ、一休ならともかく、凡才のカスがリタイアしたところで、いくらでも替えが効く。俺がいれば十分だ。

 あ゛~これで本当に終わりだな、糞が……

 

 

 ~~~

 

 

 自分に、この努力する天才という“怪物”から凌ぐ術は、持っていない。

 

(阿含、すまない、一プレイしか休ませられなかった。だが、それでも攻撃権(ボール)さえ奪われなければ、あとは阿含が――阿含がいるなら――!)

 

 1対1となってしまったこの局面で、自分にできることは、ボールの確保。それが雲水の思う100%の安全策。(ベスト)あの阿含を捻じ伏せた“槍”が来ようが、この身を呈してボールだけは奪わせない……!

 

 

「――勝手に投げてんじゃねぇぞ。ブチ殺すぞウンカスがああああ!!!」

 

 

 誰も庇うもののいないはずだった。

 しかし、ここに不可能を可能としてしまう迅さを持つ天才がいる。

 『神速のインパルス』の超反応で割って入ってきた阿含が、パスプロテクション……雲水の盾となった。

 散々力の差を思い知らされたはずの長門村正と、真っ向から組み合う。

 

 

「あ゛あ゛あ゛――ッ!!」

 

 このパワー――今までの競り合いより強い……!!

 この時、長門村正、そして、進清十郎は異変に気付いた。

 ミシリと重圧が押しかかる双腕から感じ取った金剛阿含の放つ殺意、それは長門が纏っていた力と同系統――己の為ではなく、護る為に敵を壊す。

 己の悦楽にのみ才の暴力を振るってきた男が、“最強”であれと望む兄を背負い、その力を滾らせる。

 パワーが上である長門を押し止めるほどに――

 

「だが、こっちも背負っている。チーム全員分を!」

 

 押し合いの最中に、強靭な足趾把持力で大地を噛みしめ、極まった重心移動でより深く圧力をかける二段押し。

 セナ、モン太、小結、十文字、黒木、戸叶、瀧、雪光、栗田、武蔵、ヒル魔――11人分の“最強”を背負う長門村正の覚悟。

 そして、同じ天才でありながら、長門にあって阿含にない、才に奢らず積み重ねた鍛錬と、限界を超えて競い合える最強の好敵手(ライバル)の存在。

 孤高にして孤独であった『百年に一人の天才』は、この決定的な差を、思い知る……!!

 

「く、そ、がああああああああっ!!!」

 

 

 ~~~

 

 

 己を庇って――そして、倒された。

 それでも、阿含(おとうと)が身を呈した行為は、僅かながらも確かに時間を稼いだ。

 

 チャンスだ。泥門守備で長門村正が陣取っていた中央が、がら空きだ。

 

『一休くん、超バック走でモン太くんを躱し、がら空きの中央へ!!』

 

 そして、これを一休(レシーバー)も気づき、速選で動き出している。

 

 

 だが、『電撃突撃』を仕掛けてきたのは、2枚。

 

 

 小早川、セナ……!?

 阿含へ突撃していたアイシールド21が切り返して、雲水を狙っている。閃光弾けるが如く迫る高校最速。

 駄目だ。自分にはあの光速のスピードは捌けない。パスを投げようとする利き腕が、捕まえられる……!

 その前に、早くボールを腕に抱えて、次に繋げる。この好機は、逃すしかない――

 

 

『天才の弟を最強にする……そうだ。お前は間違ってはおらん。決して、な……』

 

 

 そうだ。

 俺は――

 俺は――――

 俺は、これでいいはず、なんだ。

 今更、決めた道を違えるなど無様極まる。だから、このままでいいんだ――

 

 

 ――そんなんで、満足できんのかよお前自身は――

 

 

 声が、聴こえた。

 口から言葉にして発せられた罵倒じゃあない。

 屈辱的な青天を食らわされて倒されながらも、睨みつけてくる、この兄を離さない弟の視線が、そういっているように聴こ()えたのだ。

 視線を交わしたのは、時間が停止したかのような刹那の事。

 だが、これに触発されたかのように――そう、まるで天才の弟に押し付(あずけ)っ放しにしていたかつての執念(きもち)を突き返されたかのように――雲水の腕が動いた。

 

 

(え? ボールを左手に――そして、阿含さんみたく手刀!?)

 

 阿含が倒されている(はんのうできない)この瞬間、阿含の援助を要する『疑似神速のインパルス』も発動できない。

 だから、これは雲水自身の反応だった。奢らず日々培ってきた反復が成し得た対応速度だった。

 

 投手の命である利き腕を狙ってくるセナに対し、雲水はボールをその逆の手に移す。

 そして、スイッチして自由になった右手で、セナのチャージを牽制するよう手刀を振り下ろす。これに反射的にセナは腕を盾にして、生じた0.1秒の間に、左手からパスを放る。

 

 その投球フォームに乱れなく、まさに鏡に映った“阿含(おのれ)”。

 明鏡止水――それは水に映った月さえ真っ二つに切り裂く鋭いパスだった。

 

 

 ――捕る! 絶対に捕る!!

 長門村正が抜けた中央、一休もそこへ駆け込んでおり、切り返しのバック走でモン太のマークを振り切っていた。

 阿含さんが盾となり、雲水さんが賭けに出たその一球――絶対に、逃してはならない……!

 

 

「そうだ。勝利とは己の手でもぎ取ってこそ。

 ――だから、掴み取れ、栗田先輩!!」

 

 

 ~~~

 

 

 初めてアメリカンフットボールの試合を観戦した時から、ずっと夢だったんだ。

 あの神龍寺ナーガに入って、全国大会決勝(クリスマス)に行くことが!

 麻黄中で溝六先生に出会って、ヒル魔とアメフト部を作って、武蔵が加わって、長門君も入ってくれた。

 

『ふんぬらばァーーっ!!』

 

『あちゃー……キャッチはボールに掴み掛るんじゃなくて、手で作ったポケットでボールを待ち受けること。もっと静かに、優しく。栗田先輩は、力入れ過ぎなんすよ』

 

『あ、あははは、ごめんね。僕、ラインなのにキャッチの練習に付き合ってもらっちゃって……』

 

『別に栗田さんとやるのは楽しいですから。ラインがボールに触れる機会がないとはいえ、やっぱりアメフトをやっているんですからボールを使ったプレイもできたら面白いっすよ。それに栗田先輩は特待生として神龍寺に進学するつもりなんだから、パワー一辺倒よりもキャッチもできるって方が戦略の幅が広がってアピールポイントになりますって』

 

『うん! そうだよね! ヒル魔がスポーツ推薦枠にねじ込んでくれるって言うけど、僕自身、もっと上手くなった方が絶対いいよね長門君!』

 

 中学時代、初めての後輩はいつも朝練の際、不器用な自分と皆が揃うまで根気よく練習に付き合ってくれていた。

 

 ……結局、僕は憧れた神龍寺にはいけなかった。

 そうだ。あの時、ヒル魔と武蔵は、2人だけ神龍寺に行くことだってできたんだ。長門君だって、実力で神龍寺の特待生枠を勝ち取れるくらいすごいんだ。

 でも、一緒に泥門に来て、泥門デビルバッツを作ってくれて、僕と一緒のアメフトチームになってくれた――

 

 

 だから、乗り越える。

 そして、勝ち取るんだ! 皆で全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くっていう夢を!

 

 

 ~~~

 

 

 金剛雲水が投げ、細川一休が走る、二人が目指したその先に、二人よりも先に陣取る巨体。

 誰よりも鈍重なはずの、栗田良寛がそこに居た。

 

 罠だっ!!

 最前線で壁を張っているはずの栗田が、コッソリ入れ替わって後退。そして、長門が抜けた穴を埋めた。

 ――『入替(ゾーン)ブリッツ』だ!

 

 

「栗田……!」

 

 栗田良寛は、動けない。

 

「栗田……!!」

 

 デブカスは、スピードがまるでない。

 監督選手、神龍寺の誰もが侮る。力一辺倒。推薦枠に推しこんだ時から、全く成長していない。

 そう、侮った思い込みが、この瞬間を作った。

 

 くっ……! 前が……雲水さんのパスがまったく見えない……っ!?

 この状況、絶対パワー勝負になる競り合いで、一休の細腕で栗田を動かすことなどできない。絶対有利なポジションを取られた状態でクラッシュすれば、身軽な一休は栗田に蹴散らされる。

 

 

『うお゛おおおおお!! 栗田がデカ尻で、一休ブッ飛ばしたァーーーっ!!』

 

 

 完全にフリー。ボールは読み通りにこちらに飛んできている。だから、後は掴み取るだけだ。

 

「死ぬ気で捕りやがれ! 糞デブっ!!」

 

 ヒル魔が吼える。

 

「見せてやれよ栗田。お前を追い出した神龍寺に。お前の成長をよ」

 

 武蔵が見つめる。

 

「朝早くに付き合わされてきたんですから、決めるところは決めてください栗田先輩」

 

 長門が信じる。

 

 

『イ……イ……インターセプトォォオオオオ! なんと栗田選手、ボールを捕りました! 泥門ボ~~ル!!』

 

 

 そうして、不遇に何度となく転び、時に俯き涙することがあっても、手を伸ばしチャンスを待ち続けてきた男の手は、掴み取った。

 

 

 ~~~

 

 

 泥門デビルバッツは、攻めた。

 フォーメーションは、長門と瀧をランニングバックとワイドレシーバーの両方をこなすフレックスバックとし、更にモン太と雪光をレシーバーに据えた『フレックスボーン』だ。

 大きく三度の速選(オプション)を取り入れる高度な戦術を駆使して、長門に倒された阿含が一時戦線離脱した神龍寺の守備を攻める。

 

 

『おおーっと、泥門ゴールまであと少しのところで、阿含くんが復活!』

 

 

 ここだ……! この瞬間、ワンポイントだけでいい――僕の(つよ)みを見せるんだ!

 人の眼には様々な習性がある。

 視界に速く動くものと遅く動くものがあれば速い方を追ってしまう。

 目の前の人がふと余所見をしたら同じ方を見てしまう。

 など、そうした習性を利用し視線を操るテクニック。手品などで使われる人の視線を誘導するそれ。右手で派手な動きをして注意を引き付け、左手で次のタネを仕込むといったような視線誘導が自分の活きる道だ。

 

 細川一休に競り勝ったモン太くん、縦に抜かれれば誰にも追いつけないセナくん、そして、天賦の超人である長門くんに、周囲に矢鱈アピールする瀧くん。

 とにかく目立つ存在が揃っているんだ。

 

 

『長門君、鋭く中央に切り込んだー! そのガタイを活かしたパスを決めるかー!』

 

 

 この瞬間、この試合で最も注目を集めている長門君へ皆の意識が引き寄せられる。

 更に僕は目線や仕草でもって、意識だけでなくマークマンの視線を誘導する。ヘルメットで狭まっている視界もあいまって、要注意選手ではない、弱者の存在は見逃してしまう。

 

 うおおおお!

 声は、出さない。目立つから。あくまで思うだけ。

 それでも、ヒル魔さんがパスを投げれば、気づく。金剛阿含と細川一休。それぞれ長門君とモン太くんのマークについていたけど、すぐに『速選(オプション)ルート』の狙いを覚った。

 でも、スタートは僕が絶対に有利。

 走れ! 走れ! 走れ! 絶対捕るんだ!! 

 

 相手のマークを外すためにした一動作分出遅れた、それを埋めるように飛びつく雪光。

 ヘッドスライディングのように前に飛び出しながらも精一杯に伸ばした手は一度ボールを上に弾いた後で、滑り込む雪光の手元へと落ちた。

 

 

『タッチダァァァーウン!! 泥門デビルバッツ、この試合を決定づける追加点を挙げたのは、伏兵・雪光学ーーー!!』

 

 

 ~~~

 

 

『最終スコア、21対7!! なんと! 泥門デビルバァーッツ、関東無敗の神・神龍寺ナーガを打ち破ったーーー!!!』

 

 

 終わ、った。

 最後まで勢いづいた泥門に押し切られて、逆転することができなかった。

 身体が、重い。息が、切れる。こんなのは初めてだ。全てを出し尽くした感覚。そして、それでもなお降せぬ相手。

 

『今日は、楽しかった。また来年、楽しみにしてる』

 

 握手しに差し出された手は無視してやれたが、それでも奴のセリフが嫌でも耳に残った。

 ああ、クソッたれ。こうして目を瞑るだけで、胸が締め付けられて、吐き気みたいなムカつきがあって、頭がガンガンする。

 最悪の気分だった。

 ――だからこそ、こんな負けっ放しはさっさと拭い去りたくなる。

 

「聞け、このカス共。春大会だ。来年の春にコイツらぶっ潰してやる……!!」

 

 阿含の宣誓(ことば)に、雲水は無言で頷いた。

 その目には、試合前にはなかった、熾火のようなものが灯されていた。彼もまた、この泥門戦で、弟のように、何かを感じ入ったか。

 

「テメェらが足を引っ張りやがったら勝てやしねぇ。ついて来れねぇカスは全員滝壺で殺すぞ……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 完全燃焼して、それから完全に火が点いた金剛阿含に、神龍寺の面々が力強く頷きついていくのを長門は見送る。

 

 金剛阿含という男を、少々見誤っていたか。

 この試合、金剛阿含は、こちらの予想を上回った。

 金剛雲水に『電撃突撃』をした時、あの男は自分の為ではなく誰かの為に力を振るったことだ。

 護るべき者を護る為に、発揮するその殺意。

 それは、護るべき者がいなければ纏えぬその力。

 だが、金剛阿含は纏った。

 つまりは、そういうことだった。

 

 

「――やはり、勝ち上がってきたか泥門デビルバッツ」

 

 

 そして、関東大会一回戦を勝ち進んだ泥門デビルバッツは更なる激闘へ挑む。

 

 

 ~~~

 

 

 太陽スフィンクス。

 関東屈指の最重量級ライン。トッププレイヤーである番場衛が統率するラインはこの大会に向けて開発した新たな陣形を取った。

 隙間(スプリット)を極端に狭め、絶対に間を抜かれないようにした大きな図体を活かしたパス壁。

 まさに太陽スフィンクスならではの戦術。

 重戦士たちが(ファラオ)に密着してガチガチに護る! 破壊不能の黄金の兜――『ツタンカーメン・マスク』!

 

 

「あーあ、いきなし全力手の内見せんなっちゅう話だよ」

「言っただろうマルコ! 無理だ!! ――GYYYYAAAAAH!!」

 

 

 これを、蹂躙する圧倒的な力。

 白秋ダイナソーズ背番号70・峨王力哉。ベンチプレス200kg超、高校最強のパワーの持ち主にして、地区大会全試合で敵チームのクォーターバックを大怪我で退場させてきた。

 峨王の暴虐はこの関東大会でも存分に振るわれ、番場たち重量級ラインは全滅……ただ、王たるクォーターバック・原尾だけは守り抜いた。

 

 

『峨王くんの圧倒的な力を前に、太陽スフィンクス、途中棄権にて敗退ーー!!』

 

 

 ~~~

 

 

「セナと長門たちが勝ち上がってきたんだ。俺だって負けてられない! 今度こそ俺達最強西部ワイルドガンマンズが泥門デビルバッツを倒す!」

 

 西部ワイルドガンマンズ。

 『神速の早撃ち』キッドを主軸とした『ショットガン』と鉄腕レシーバー・鉄馬丈、そして、『暴れ馬』の甲斐谷陸がランで鋭く切り込んでくる破壊力は、この関東大会でも炸裂した。

 岬ウルブスを相手に100点を奪取し、泥門ではなく自分たちこそが最強の矛であると知らしめた。

 

 

『西部ワイルドガンマンズ、圧勝! 準決勝進出ー!!』

 

 

 ~~~

 

 

『本日最終戦は、王城ホワイトナイツVS茶土ストロングゴーレムッ!!』

 

 『すべてを粉砕する』とまで言われる突進力を誇る茶土ストロングゴーレム。

 試合開始のキックオフリターン、ボールを確保したリターナーは、主将にしてエース選手・岩重ガンジョー。

 

「一回戦の長門村正くんの『卍デビルバットソード(パワーラン)』は凄かったけど、この岩重ガンジョー様の『御敗(おっぱい)クラッシュ』はもーっと凄いぞっ!」

 

 岩のように頑丈なボディから繰り出される突進力は地区大会でも当たり負けなし。

 

「ぶっ――飛ーばせー!!」

 

「……!」

 

 前に飛び出してきた小柄な選手に岩重は迷わず猛烈なアタックを決めに行く。

 

 ずしぃ……っ! と岩重の腰に鈍い衝撃。叩きつけるかのように速い、そして強いタックルだ。アメフト選手としては比較的小柄な体型でありながら、妙にずしりと響くものがある。

 この相手は自分よりも小柄だというのに……!

 

「っ……!」

 

 重圧タックルを繰り出したのは、王城のラインバッカー・角屋敷吉海。

 

「だけど、ボクは止められなーい!」

 

 それでも倒し切れない。

 不意に身体が宙に浮いた。遅れてやってくる衝撃。背中一面に伝わる痛み。真っ暗になっていく空の色が目に飛び込んでくる。

 

 クソ……ッ! 止められない!

 跳ね飛ばされたと気付くのと同時に、悔しさが胸を灼いた。タックルが決まったと思ったのに倒し切れず、しがみついたのに振り解かれた。

 最大限、自分の持てる力を“上手に使って”、体格の割に重い一撃を出せた。だが、まだ一撃で倒せるようにはならない。

 ――そう、あの人のように……!

 

 

 ――『トライデントタックル』!

 

 

 声が、出ない。

 息も、できない。

 そのあまりの威力に、岩のように頑丈な肉体を貫かれ、岩重ガンジョーが悶絶する。

 

『進くんの強~~烈なタックルがガンジョーくんを串刺し! 一撃で仕留めました!』

 

 新生王城ホワイトナイツ。

 神龍寺ナーガに並ぶ関東大会優勝の最有力候補。

 そして、関東最強の守備力を誇る王城の中核を担うのが、高校最強のラインバッカー・進清十郎。

 努力する天才にして手の付けられない“怪物” 。神龍寺戦を経て、『泥門には過ぎたる者』や『花実兼備の選手』と謳われるようになった長門村正と同じ、いやそれ以上の評価がされる最強の選手。

 

 

『試合終了ーーー!! 本日最終戦、王城ホワイトナイツ、茶土ストロングゴーレムに一点も入れさせず、完封勝利です!』

 

 

 ~~~

 

 

 関東大会準決勝。

 

 百点ゲームと零封勝利! 互いに最強同士の矛と盾のぶつかり合い!

 西部ワイルドガンマンズVS王城ホワイトナイツ。

 

 モンスタールーキーを擁する新鋭チーム同士の血沸き肉躍る衝突!

 泥門デビルバッツVS白秋ダイナソーズ。

 

 

   泥門―+    +―西部

      |    |

       ×―× ―×

      |    | 

   白秋―+    +―王城

 



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36話

 ――『高校生記者が突撃取材! INTERVIEW8』!

 月刊アメフトの編集者を父に持つバイト記者・熊袋リコの個人取材。

 彼女は今、お台場ヴィーナスフォートにあるカフェテリアに訪れた。

 取材である。取材であるが、インタビューをするのは、選手ではない。

 

「あ、氷室さん、ですよね? 白秋ダイナソーズのマネージャーの……」

 

 お堅い感じのする怜悧(クール)な美女。彼女は、白秋ダイナソーズのマネージャー・氷室丸子。先日、関東大会出場校のエースを対象とした取材の際に、案内してくれた縁で顔見知りだ。

 そして、今日、リコをここに呼び出した。

 

「わざわざごめんなさいね。席は取ってあるからここに座って……大事な話があるの」

 

「は、はい」

 

 なんだろう?

 太陽スフィンクスのピラミッドラインを瓦礫とした白秋ダイナソーズは今話題沸騰中のチーム。なのに、あまり情報が出回っていないので、リコが最も気になっている。この前取材したエース・マルコくんは個人的なことは答えてくれたけれどもチームについてはまったく教えてはくれなかった。

 だから、チームについて知りたいことは知りたいけれども、マネージャーである彼女はそれを教えてくれるとは、リコも思っていなかったが……話はその“思っていなかった”方向へと転がる。

 

「えと、今日はどうして私に……」

 

「あなたが、泥門のエースと個人的に親しいお付き合いしているって聞いてね。それで」

「ししししてませんよ! 長門君と付き合ってるとか!? ドコ情報ですかそれ!」

 

「いえ、そういう意味で言ったんじゃないんだけど」

 

 出だしからテンパって髪がアフロになりかけたリコに、氷室は微笑ましいものを見たかのように、クスリと少し表情を和らげる。

 リコ的に恥ずかしいけど、会話する緊張をいい感じに解してくれた。それに微笑むとやっぱり美人である。彼女の学年は三年生だと聞いていたけれど、年上の余裕があって憧れる。

 されども、お互いの距離感は縮まったが、まだ警戒感が抜け切れてない硬い声で、氷室は問う。

 

「……そういえば、彼、帝黒(おおさか)との交流戦で負けて以来、ハードなトレーニングをしているそうだけど」

 

 注文したコーヒーに視線を落とし、世間話のように切り出す。そうしながら真っ黒な液面を揺らしながら、過去に思いを馳せた。

 

 

『必ずクリスマスボウルで優勝して、俺が氷室先輩に勝利の朝日を見してあげますよ……!』

 

 

 そういった彼は、“頂点”の高みを知ってから変わった。

 夢を現実にする。必ず倒して優勝する。どんな手を使ってでも……!

 力を欲した。力に傾倒した。そして、全てを破壊する力を手に入れた

 

 そんな彼が変わった絶望――それを試合して体感した長門村正も力に囚われるようになったのか。

 氷室丸子が知りたいのはそこ。

 熊袋リコはこれに困ったように眉をハの字にして、溜息ひとつ。

 

「はい。大阪代表――帝黒学園の大和猛くんに負けた長門君は前以上に自分に対して厳しくなりました……この前、練習を窺った時も、練習が終わるまで私のことなんか気付かないくらい、他のことに目もくれないんです。最近はずっと鬼気迫っているってマネージャーのまもりさんから言われてます」

 

「心配、じゃない?」

 

「はい。自身の身体のことを大事にしてほしいです。……だけど、負けて悔しいのはそれだけ勝ちたかったってことですから! 次は絶対に俺が勝つ! 勝つのは俺だ! って長門君はすっごい燃えています! アメリカンフットボールプレイヤーはこうでないと」

 

 窺う氷室に、そう力いっぱいに込めて語るリコ。

 

「それに、長門君、楽しそうですから」

 

「楽しそう?」

 

「山登りをするなら、その過程の景色も楽しまないと勿体ないだろうって言っていました。きっと今は、泥門の人達と皆でクリスマスボウルを夢見てアメフトをしてるのがすっごく楽しいんだと思います」

 

 取材で語ってくれたその時の彼の横顔を脳内メモリでリフレインしたリコはテレテレと思い出し照れ笑いを浮かべて、そんな彼女に氷の美貌がまたクスリと緩む。

 

「アメフトが一番なのね。けど、それで傍で想っている娘に気付きもしないなんて、男の人って誰もバカなのかしら」

 

「いいいいえいえ! ですから長門君と特別な関係になりたいとか期待してたりしませんし、私はただ、アメフトをしてる長門君が見てるだけで十分ですから! それにこの前、まもりさんや鈴音さんの計らいで温泉街の出店を二人で見て回った時に、『頂点の絶景を拝んだ感想を、独占取材を受ける』って約束してくれて……」

 

「そう、あなたも大変ね」

 

 氷室は少し同情するよう呟く。

 彼女の惚気た話にお腹いっぱいで、昔を思い出せた気分だ。

 

 だけど……そういう所、失わないでほしいと思う。

 たとえこの先、何があっても――

 

(……いえ、手遅れとなってしまう前に、私が止める)

 

 その為に、彼女をここに呼び出したのだから。

 

「じゃあ、そろそろ本題に入らせてもらうわ」

 

 雰囲気を氷上の女帝のものとした氷室に、リコはゴクリと息を呑む。

 

「まず、マルコにも峨王にも内緒で熊袋さんとコンタクトを取ったの」

 

「へ?」

 

 勝手にこんな、外に情報を流出するような真似したのが知られたら、彼は許すだろうか。

 いいえ、たとえ許されざるとも、私はもう壊されるのを見たくはない。

 

「このビデオを見て」

 

 テーブルの上に持ってきたノートパソコンを開き、対面のリコに見えるよう前に出して、動画を再生する。

 それは――彼によって徹底して秘匿されてきた――白秋ダイナソーズの試合記録を映したものだ。

 

「こんな……!」

 

 リコは口に手を当てて絶句する。

 

『ヤベぇえええ峨王が止まんねぇ! もうダメだ殺されるーーー!!』

 

 取材で聞き回ったけど、思っていた以上に凄惨だった。ラインが全滅した太陽スフィンクス戦……これはその何倍も酷い有様。

 仲間のラインを鎧袖一触とし、審判の笛が鳴った瞬間に制止する破壊の化身、その指先がすぐ眼前にある。これに、直後失禁して放心する投手は何を見たのか言うまでもない。

 思った通りにショックを受ける彼女。だけど、氷室はさらに衝撃的なことをリコへ告げなければならない。

 

「辛いだろうけど、単刀直入に言うわ。聴いてちょうだい。――峨王は、泥門戦で長門村正を狙うわ。確実に。彼は絶対に破壊するようにと言われている。

 だから、彼に伝えて。次の白秋戦、絶対に試合に出てはならないと――」

 

 

 瞬間、影がかかる。

 背後から接近した大男に陽が遮られて。

 

 

「――が、峨王!?」

 

 

 そして、“破壊”の力が、躊躇なく振り落とされた。

 

 

 ~~~

 

 

「………」

 

 拳の硬いところで、目の前の引き戸を叩く……寸前で僅かに躊躇う。

 神龍寺戦後の一日の休養期間に訪れた、神奈川県にある病院のとある病室。

 海が一望できる個人病室は、原油会社の社長が特別に用意したもの。大事な子息の身を最後まで守り抜いたことに敬意を表した。故に、勇敢な戦士である彼らにはこの病院で受けられる中でも最高の待遇を、と病院に運ばれたものの全員がそうなっているそうだ。

 だが、そんな扉一つに金の装飾をしているような豪華さに気遅れしたわけではない。

 単純に、小結大吉はここにいる漢になんて挨拶、どんな礼儀をすれば失礼ないのか悩んでいる。

 

「フゴッ」

 

 結局、小結はやや力控えめにノックし、戸を開ける。

 開け放たれる窓から爽やかな海風が入ってくる。窓脇のカーテンが風に煽られ揺れて、そして、ベッドの上からその大男は、ただぼうっと海の遥か彼方を見ていた。

 

「ほう、お前は泥門デビルバッツの……小結大吉」

 

 思わぬ珍客に意外そうな声をあげるベッドの上の大男。

 彼は今、ミイラ男のように全身に包帯を巻いている。これだけで関東大会一回戦二戦目の壮絶さを物語る。

 番場衛。

 太陽スフィンクスの『ピラミッドライン』の中核を担う選手で、日本トップクラスのラインマン。

 小結大吉にとって、信奉する師とは栗田良寛だが、試合した中で最も強かった壁は番場衛だ。彼も尊敬するパワフルな男であった。

 

「み、見舞い……!」

 

「そうか」

 

 小結の言葉は、基本単語。言葉足らずで意味が伝わりにくいだろうが、けれど力ある響きからそのニュアンスを瞬時に読み取れる。筋骨隆々のパワフルな益荒男限定で。

 

「試合、楽しみにしてた! ……残念!」

 

 “関東大会の二回戦で、太陽スフィンクスに当たると思っていて、そこで再びあなたに自分の全力をぶつけたかった。そうならなかったのが残念でならない”

 という感じの気持ちがいっぱいに込められてる。

 

「そうか。俺も楽しみにしていた。泥門には雪辱を果たしていなかったからな。しかし、お前達はあの神龍寺に勝ったというのに、俺達は白秋に負けた。まったく情けない限りだ」

 

「そんなことっ、ないっ! すごかったっ!」

 

 “そんなことはありません。あなたは偉大な男だ。情けないなどと卑下するような発言は止してください”

 とパワフルな男には饒舌な文句が訴えられているように聴こえている。

 

 けれども、番場は静かに首を左右に振る。

 

「いいや、俺達が負けた。アメリカンフットボールは敗者に栄光が与えられることはない世界。称賛に称えられるのは常に勝者のみ。白秋が太陽よりも強かったのは疑いようのない事実。……俺は、峨王の、全てを無視して蹂躙する絶対的な力に、負けた」

 

 小結は、拳を固く握りしめ、口を真一文字に引き結んで、こらえる。

 そんなことはない! と言いたかった。

 地区大会全試合で攻撃の起点となるクォーターバックを大怪我退場させてきた峨王力哉から、自分たちの投手を護り切ったのだから。ひとりひとりと薙ぎ払われて動けなくなり仲間(ライン)が減っていく中で、最後まで自身よりも圧倒的な峨王へ体を張り続け抗ったあの雄姿は誰にも馬鹿に出来るものではない。

 誇りにしていい。それほどに、峨王力哉(あいて)が強かった。

 だけど、当人自身が言うように、力の差で負けたことも、動かしようのない事実。敢闘賞など存在しない世界で過度な慰めなど、力を尽くした男への侮辱になる。

 だから、何も言えない。言ってはならないのだ。

 小結は、大和猛(ライバル)に負けてからの長門村正を知っている。良い勝負だった、と周りに言われようと、我が友は違うと否定する。その敗北を受け止め、噛みしめ、歯軋りする悔しさを常に抱いていることは、それからの鍛錬の様を見れば明らか。我が友は、本当に本気で全てを賭して好敵手(とも)にぶつかったのだ。外野が何と言おうとも、その気持ちは決して揺らぐことはない。そして、敗北から立ち上がるのには自分の足でなければ、誰かの手を借りるなどあってはならない。

 

「栗田にも、あの時の、秋大会での再戦の誓いを果たせず、すまなかったと伝えてくれ」

 

 番場はそう謝辞の言葉を述べる。

 それから、必死に言葉を呑み込む小結を見ながら、

 

「白秋ダイナソーズは、強い。峨王の力は本物だ」

 

 病室に置かれた月刊アメフトの表紙を飾るのは、峨王力哉と長門村正。

 去年は金剛阿含と進清十郎が金の卵、ゴールデンルーキーだと騒がれていたが、今年はこの二人が新時代の関東双璧だと謳われている。その中でも、金剛阿含と同じくその暴力的な力のみで蹂躙していく峨王は、一年生だが既に複数の大学が争奪戦に動いているという。

 特集記事の中でも、峨王を止められる選手は大学リーグに存在しない――彼こそがまさしく地上最強の男……!! と絶賛されていた。

 

「だが、泥門には峨王の力に対抗できる者が3人いる。栗田良寛、長門村正――そして、小結大吉、お前だ」

 

「フ、フゴッ!?」

 

「この前の太陽戦、最後に俺を倒したあの技は、峨王の力にも匹敵するものがあった」

 

 番場からの評価に狼狽える小結は、ブンブンと首を横に振る。

 そんなことはない。『デスゲーム』の太陽戦でも、たった一度しか成功できなかった。こんな未完成な技が果たして試合で発揮できるものか。

 そして、偶然にも助けられて一度だけ倒せた番場を圧倒する、師匠である栗田を凌ぐパワーを持った峨王に、己の力が通じるだろうか。

 

 番場は、小結の反応に目を細める。

 そうか……峨王の脅威が、頭から離れんか。確かに峨王は脅威だ。だが、僅かでも臆しているようならば、始まる前に勝ち目はない。

 

 少し、考える。

 チームへの益はない。ただ個人的に、小結大吉は見込みのある男だと認めている。

 

(……それに、力というものの極限を見てみたい。そういう意味で俺も峨王も同じ穴の狢かもしれん)

 

 チームでは滅私奉公を貫いてきた番場が、この時は一選手としての欲求に従うことにした。

 重々しく、番場は口を開いた。

 

「小結大吉。お前の実家は運送屋を営んでいるそうだな?」

 

「? フゴ」

 

「実は、ひとつ、頼みたいことがある」

 

 小結大吉の家は運送屋。『横綱運送』といい、父である社長を筆頭に、腕っぷし自慢のパワフルな男たちが揃っている。小結自身も今でも時々鍛錬代わりに手伝ったりしている。

 フゴッ!

 任せてください! どんな重たい荷物でも運んでみせますよ!

 という気持ちを込めて胸を叩いてみせる小結。

 

「俺達太陽スフィンクスは、関東大会に向けての総仕上げとして巨大な岩石をコロで引く『死者の行進』という特訓をした。グラウンドにラインが押してきたその岩石が大きな山(ピラミッド)となって積まれている」

 

 県立太陽高校の砂漠グラウンドに鎮座しているピラミッドはアメフト部を象徴する名物である。

 

「だが、グラウンドは他の運動部も利用する。既に敗退したアメフト部がいつまで居座るわけにはいかない。次代へ引き継ぐためにも遺産は片しておいた方が良い」

 

 そこで、このピラミッド解体を頼みたい。

 立つ鳥跡を濁さず、関東大会が終わったためアメフト部はグラウンドを他の運動部に空けなければならない。早急に撤去する必要がある。

 

「身体が万全ならば俺がするところであったが……白秋戦で、俺や笠松、屈強な前衛は全員病院送りにされている。泥門が試合を控えているのはわかっているが、ピラミッドの岩石は後衛の者らでは荷が重い」

 

「フゴッ」

 

 そういうことでしたか。わかりました。その依頼を引き受けましょう!

 という意気込みで頷く小結。

 了承してから番場は、ただし、と言葉を続ける。

 

「ピラミッドを運ぶ際に、ひとつ大事な注文がある」

 

 そういって番場は、小結にちょっと近づいてこいとベッド脇へ手招きする。それからテーピングを取り出し、それを小結の腕に巻いた。普通にグルグルと撒いて関節を固定するのではない。ちょうど8の字となるよう二つの輪を作って、その穴に脇を通し、もうひとつは手首に通す形に、何重にも巻きつける。

 

「これで、いい」

 

「フゴッ?」

 

 角度60度以上になると巻き付いたテーピングに引っ張られ、完全に腕が伸ばせない。腕が折り畳まれる窮屈な形に、ある程度の自由の余裕がある程度に緩く縛られてる。強制ギブスのようなミイラテーピングだ。

 はたしてこれにどんな意味が?

 小結のつぶらな瞳に、やや視線を逸らす角度に顔を背けた番場はコホンと咳払いし、

 

「太陽スフィンクスでは、ピラミッドを運ぶ時はこのミイラテーピングをするのが習わしなのだ」

 

「フゴゥ」

 

 そうなのか……とあっさりその話を信じる小結。

 この純粋な反応に、番場は少し恥ずかしく口ごもらせたが、神妙な調子で話を続けた。

 

「運び終えるまで、完全に腕を伸ばして、ミイラテーピングを破れば、それは王への不敬だ。次の試合で活躍できなくなるという呪いを受ける」

 

「フゴッ!?」

 

「……どうする? この依頼、やめるのならば今の内だが」

 

「……フゴッ! 横綱絶対運ぶ!」

 

 男に二言はありません! 『横綱運送』の倅として必ずや運びきってみせましょう!

 僅かに臆するが、パワフルな男はどんな時も前を向けと父に教え込まれた小結。

 

「やってくれるか。これをひとりで為すのはだが、大変な事だ。……しかし、もし成せたときは、その腕っぷしに、ピラミッドパワーが宿るだろう」

 

 ・

 ・

 ・

 

 『原尾には俺から話を通しておく』と番場が言うと、小結は早速今日から運ぶと砂漠グラウンドへ向かって行った。

 ……でも、当然のことながら、ミイラテーピング云々の設定は、番場のウソだ。小結の一助になると思って一芝居をうった。

 巨石運び。“運ぶ”ことは“押す”ことにも通じる。そして、普通に運べず、フォームが固定化された状態で、頭・肘・手の三点面で運ぶ――押す感覚を身につけさせる。

 本能タイプの小結には口で言うより、とにかく回数をこなし感覚を体に染みつかせた方が良い。

 あの技は、豆タンクの小結だからこそ向いている。栗田良寛や長門村正、太陽の重量級ラインにも匹敵する大柄な体躯には不向きだ。

 

「腕っぷしに黄金比の三角形(ピラミッドパワー)が宿る、か。あながちウソはいってないのかもしれんな」

 

 

 ~~~

 

 

 小結が、グラウンドに到着すると、そこには太陽スフィンクスの投手・原尾が待ち構えていた。彼の背後には、番場の話の通り、見事なピラミッドが鎮座している。

 

「ふ、フゴッ!」

 

 小結は原尾へ挨拶をするが、残念ながら彼の腕力ではパワフルな言語はヒアリングできない。

 しかし、番場達屈強な重戦士『ピラミッドライン』の面々に囲まれてきた王は、それとなく礼を尽くしていることくらいは通訳がなくても悟れる。

 

「話は聞いている。そなたは余所者の人間であるが、これも番場の頼み……最後まで忠臣としてその身を尽くしてくれた番場に、余が応えぬわけにはいかぬ。それに、余としても交わした再戦の約定を果たせなかった償いをしたい」

 

 グラウンドの出入りを許す。

 泊まり込みの準備もしよう。

 存分に我が友(ばんば)が課した試練(いらい)をこなすが良い。

 

 そうして、関東大会二回戦・白秋ダイナソーズとの試合まで、小柄な重戦士は大いなる△(ピラミッド)に挑む。

 

 

 ~~~

 

 

 神龍寺戦の次の日、自宅に大量の花束が送り届けられた。

 お隣さんのリコから、『じょじょじょじょじょ女性ファンからですか!? こんなにもたくさん!!?』と家の前で騒がれてしまったが、違うだろう。個人情報を世間にさらすような行為はしていない。

 あるとすれば、またヒル魔さんの似合わない悪戯か? はたまたこの先日、億万長者となってハイな溝六先生の成金な贈り物か? と最初は思ったが、それも外れた。

 送り主は、マルコ――次の二回戦でぶつかる白秋ダイナソーズの円子令司だ。

 

 絶対覇者・神龍寺ナーガに勝利したことを祝って……の振る舞いではない。あの渇きに飢えた男が、次に当たる敵にそんな甘っちょろい真似をするわけがない。

 先輩方に相談してみたところ、武蔵先輩が『どうもヤクザみてぇな男だな』と称した。工務店で仕事をしていた時にもいたらしい。ヤクザは、“娘が小学校に入る年にランドセルを送ってくる”、そんな周到過ぎる贈り物で恐怖を煽ってくるそうだ。

 リコからの話もあるし、向こうの狙いは長門自身。この個人的な贈り物はそのターゲット予告だと受け取れよう。

 

『次の二回戦、気を付けてください長門君』

 

 ヒル魔先輩でも入手できない情報統制されている白秋ダイナソーズの試合映像。

 それを見たリコは、『峨王力哉は、ルールに則って敵を潰す』と言った。実際、太陽戦でも峨王は審判の制止を無視するような真似はしなかった。

 愚鈍な野獣ではない。勝利だけを貪る冷静な怪物。だからこそ、恐ろしい。

 関東大会の試合の解説者を任され、中立な目線を保っていなければならないリコが、自分たち泥門にこの情報を伝えてくれたのは、それだけ心配したからだ。

 

 だが、長門村正は戦場へ赴く。

 ――そして、勝ちに行く。

 

 

「――うおおお長門!! 栗田さんを吹っ飛ばしたーー!!」

 

 

 猛烈なラッシュを仕掛けに行った栗田良寛を――次の瞬間に、跳ね返す長門村正。

 次の二回戦白秋ダイナソーズとの試合に向けて、対峨王力哉の特訓。力の差のある相手を降すための必殺技を磨く。

 

「すごいね、長門君。これなら、峨王君だって倒せるかも!」

 

「いえ、峨王力哉を仕留めるにはまだ足らない。ですが、栗田先輩のおかげでイメージは掴めてきました」

 

 完成に至るには、まだ練度が不足しているが試合には間に合う。

 

(峨王力哉を相手に壊れずに力で受けられるのは、泥門の中では俺と栗田先輩、そして、大吉。他が襲われれば危ない)

 

 だから、この3人で対処する。

 大吉は、仕事……と言っていたが、話を聞く限り、特別メニュー。番場衛が課したのは、おそらく大吉の技を完成させるためのものだというのは予想がつく。ヒル魔先輩も練習に参加せずそちらに集中するよう言ったそうだ。

 そして、だ。

 

「栗田先輩、俺ひとりでは峨王力哉を止め切れないかもしれない」

 

「ええ……! そそそれじゃあ、誰が止めるの……?」

 

 じーっと見る。皆も見ている。

 だが、肝心の当人がキョトンとしている。これに少し呆れて息を吐きながら長門。

 

「あなたですよ、栗田先輩。この関東のチーム、いいや日本全国の中でも最も峨王力哉と張り合えるのは、栗田先輩だと俺は思っています」

 

「ぼ、僕が!?」

 

 なぜそんなに驚くのかこちらが問いたいくらいだ。

 

「最も栗田先輩のパワーと張り合ってきた俺が保証しますよ」

 

「そうかな。でも、僕、この最近は長門君に押し負けることも多くなってきたし……」

 

 それは単純な腕力の差が縮まってきたのもあるが、栗田先輩がこちらに遠慮しているせいでもあるだろう。本来の力で真っ向からぶつかればまだまだ長門は敵わないはずなのだ。

 

(栗田先輩自身、全力をセーブしているなんて思ってないんだろうけど)

 

 アメリカンフットボールは球技であり、格闘技。

 ボクシングのパンチを食らって骨が折られたら『骨折られた! 汚い!』などと言えるのか?

 いいや、違う。敵の投手を潰しに行くことは当然の戦略。その点で言えば、白秋の峨王力哉はやるべきことをやっている。勝利こそ絶対が戦場の唯一のルール。負けた方が悪いのだ。

 

 『優しい巨漢』と称される栗田良寛。

 彼には、闘争心はあっても、敵を斃すという凶暴な戦士の意思が足りない。“味方を護る”という意識は高いが、“敵を斃す”という意識が欠如している。

 つまり、栗田先輩は、選手であるが、戦士ではない。

 神龍寺ナーガの山伏の『粉砕ヒット』にも食らいついた粘り腰は凄いが、しかしその姿勢は戦士ではない。

 

 潰す! 壊す! 己の力で!

 相手を破壊する者とそうでない者の差は大きい。峨王力哉は全てを蹂躙する獣だ。それと対するには、やはり“敵を壊す”という意思がなければ押し負けるだろう。

 

(……だけどなあ。栗田先輩は、三度までが限度の仏などよりも温厚なお人だからな。どうその意識……怒りというような激しい感情を引き出せるものか)

 

 付き合いも長いが、長門は栗田が怒ったところを見たことがない。

 あの金剛阿含に神龍寺学園の入学取り消されたときも、泣き崩れて皆に申し訳なく謝った。阿含に対して激怒してないのだ。

 それはそれで、栗田良寛を示す一面である。もしも殺意の波動を纏うとなったら、その生来の気質を台無しとしてしまうかもしれないことを長門は危惧している。

 だが、峨王力哉が相手ではそうは言っていられない。

 あの男は、自分の怪力を制御できないのではなく、制御する気がない壊し屋だ。一番厄介なタイプだ。

 

(ヒル魔先輩から聞かされている白秋戦での作戦内容からして、懸念材料はてんこ盛りだ)

 

 “悪魔の蝙蝠”で扇の要として支えるのは栗田先輩。彼がなす術もなく倒されるようでは、泥門は次の試合で蹂躙し尽される可能性もある。

 やるしかない。

 荒療治になるが、今の栗田先輩に不足する部分を鍛え抜くには、やはり“あそこ”だ。

 

「……栗田先輩、これから試合までの一週間、付き合ってほしいところがあります」

 

「え?」

 

「俺が中学時代に通っていた空手道場です」

 

 

 ~~~

 

 

「自慢の股間の天狗サイズも峨王に敵わず元エース……さらにサウナまで峨王より後から入って先にギブアップなんて……――おおおおおん! ダメだ俺はもうゾウリムシ以下だ死のう」

「ウォオオオ! 如月!? こっちのが死にそうだ!」

「大丈夫……僕少しでも峨王君の力に近づきたいんだ……」

「いやむしろ冥界に近づいてんだろそれ!!」

 

 練習後の汗を流すサウナ。

 こんな茹だるように熱いところに長時間篭っていたら熱中症の危険もあるが、チームの暴君がここで作戦会議(ミーティング)をするといえばそうなる。

 全員集合し、備え付けられたテレビから、次に当たる泥門デビルバッツの試合映像を視聴する。

 

「泥門デビルバッツ……この関東大会で最初から楽しみにしていた、最も闘いたかったチームだ」

 

 準決勝でぶつかることになる泥門デビルバッツは、この峨王のお眼鏡にかなった相手だ。

 その中でもまず映像に映し出されたのは、峨王とぶつかることになるだろう相手のライン。

 

「栗田良寛。力以外に頼らない、大会最高の純粋なる重戦士。一対一(サシ)で戦うのが楽しみだ」

 

 栗田良寛。身長195cmで、体重145kgと峨王に匹敵する体格で、そのパワーはベンチプレス160kgと峨王に次ぐ。一回戦でぶつかった太陽スフィンクスの番場衛も圧倒したという情報もある。

 

「峨王君の言う通り。栗田良寛、彼は美しい……」

 

 逝きかけていた如月が、栗田のプレイ映像に息を吹き返す。如月の美的感性は峨王が最高基準でややアレであるが、その分、力というのに目敏い。栗田良寛の美しさ(パワー)は本物である。

 

「けど、泥門つったら、やっぱりコイツでしょ。長門村正。神龍寺戦では天才金剛阿含をぶっ潰したし、間違いなく泥門で一番危険なプレイヤー」

 

 泥門の中で栗田良寛に次ぐパワーとアイシールド21を名乗る小早川セナに次ぐスピード。そして、帝黒学園のエース・大和猛と張り合った不屈のメンタル。またそのハンドテクニックは達人級に巧みな手捌きで、特に秀逸すべきハンドスピードは金剛阿含ですら見切りきれなかった。

 どれをとっても非の打ち所のない怪物だ。

 

「うわあ゛あ゛あああ……峨王やマルコたちが入る前に一度だけやった神龍寺との練習試合。俺達をムシケラのようにフルボッコにした百年に一人の天才をぶちのめすなんて強すぎる!!」

「ああ、是非とも受けたい走り(ちから)だ長門村正……!!」

「ああ、彼も輝いて見えるよ」

 

 ちょうど金剛阿含をそのパワーランで吹き飛ばした長門村正のプレイ映像に、天狗先輩が大袈裟に嘆く。

 何ちゅう破壊力だ。目を煌かせているのは、峨王と如月くらいしかいない。しかし、そうであるからこそ仮想敵として相応しい。

 

 帝黒学園の大和猛……本物のアイシールド21の仮想相手としては、そのライバルである長門村正はうってつけの相手だ。

 峨王が潰せるのならば、それはつまり“頂点の中の頂点(エース)”にも自分たちの闘い方は通用するという証明になる。

 だから、次の試合、この選手は白秋が掲げる最優先ターゲットである。

 

「この長門が退場すれば、泥門の攻撃は大人しくなるのは間違いない。やっぱり次の試合で潰すべきはここだ。……ただなぁ」

 

 マルコは気怠そうに頭を抱える。

 

「バイト記者の娘から、峨王の情報は伝わっちゃってるだろうねぇ。こちらの狙いも。相手が女の子だったから、ちょっと強引な真似は流儀に反するからするわけにはいかなかったし……」

 

 こちらの弱味をつかれた形だ。氷室先輩(マリア)も余計なことをしてくれたもんだ。

 しかし余計なことをしてくれたのはこちらも同じ。

 

『きゃあ!?』

 

 マルコからすれば、楽しい映画パーティを阻止して、ノートパソコンを回収できればいいのに、その場でスクラップにする峨王はやり過ぎだ。

 おかげで飛び散った破片が取材記者さんに掠って、顔に傷を作ってしまった。アレは失敗だった。

 

「長門村正は心配ない。つまらん途中棄権などするような精気の少ない屑とは違う。最高の獣だ。奴ならば俺を殺し得るかもしれんほどのな」

 

「心配してんのはそこじゃないっちゅう話だよ」

 

 端から女の被害や情報流出のことなどどうでもいい峨王がその辺りの配慮が足らないのはどうしようもない。

 ケガをさせてしまった件も、あちらはあまり大事にしたくないようなので変に訴える真似はしないでくれると誓ってくれたけれども、氷室先輩は気にしている。それがマルコの頭を悩ませる。

 まあ、仕方がない。

 彼女にはちゃんとお詫びをしよう。

 ――長門を峨王が潰すであろう泥門戦の後で。

 

「そういえば……月刊アメフトに書いてあったよ。泥門は……峨王君を止めるために二人がかり(ダブルチーム)で来るだろうって」

 

「そんなつまらん真似は、俺が許さん」

 

 如月からの情報に、峨王が不快に反応する。戦略的にいくら正しかろうが、一対一を望む峨王に、勝負に不純物を差し込む真似は許せる行いではない。

 そこに火に油を注ぐよう、マルコは自論を述べる。

 

「あのヒル魔がそんな単純な手で来るなら世話ないっちゅう話だよ。二人がかりどころじゃない。おそらくは三人。下手したらそう……もっとトリッキーな大人数でね。それに、大事なエースである長門にも“峨王とはやり合うな、来たら逃げろ”くらいは厳命してるかもねぇ」

 

「つまり――このヒル魔とか言う小賢しい男を壊せば、つまらん策無く、一対一(サシ)で栗田と力だけで闘え、長門と存分に殺し合えるわけだな」

 

「ああ、そうなるね」

 

 将を射んとする者はまず馬を射よ。

 峨王のパワーに張り合えるであろう栗田やパーフェクトプレイヤーの長門以外に、小細工を弄するであろうヒル魔妖一もマルコからすれば排除しておきたいくらいに厄介な相手だった。

 

 

「――ご満足?」

 

 作戦会議後、すぐ外で待っていた氷室先輩が冷たい一瞥と共にくれた第一声。

 

「物は言い様で、また峨王に選手を壊させるのね。そういう小狡いところが嫌いなのよ。貴男の」

 

 肩を竦める。

 すっかりと嫌われてしまった。

 しかし、優先すべきは勝つこと。

 現在、マルコは高校一年生だが、氷室先輩は高校三年生――夢を実現させる機会は今年しかない。

 

 最初、関東の井の中の蛙に用意された道は二つしかなった。

 

 現実を直視して関東制覇だけを考え出す悲観論者(ペシミスト)になるか。

 関東レベルじゃ不可能な打倒帝黒を考え無しに叫び続ける夢想家(ドリーマー)になるか。

 

 ――俺は、そのどちらとも拒んだ。

 全部を失うことになろうが、欲しいものを全部手に入れるために、第三の選択肢を自らの手で作り上げる。

 そう、この道以外では、雄の“渇き”は満たされない。

 

 

 ~~~

 

 

 “ゲームで勝つ”ことが全て。

 それ以外はどうでもいい。

 そのために少しでも勝ちに繋がるならなんだってやる。手駒での最善の策を、如何なる惨状を生み出すことになろうが躊躇せず実行する。

 

 

「ケケケ、どこが相手だろうが、泥門のポリシーは変わらねぇ! ――ヤる前にヤる。白秋の奴らをブチ殺しに行くぞテメェら!」

 

 

 ――それは、泥門(こちら)も同じ。

 

 

 ~~~

 

 

 アメフトにおける一つの真理、“力は絶対だ”。

 それを体現する白秋。抗うは泥門。この戦いの勝者が、関東の覇者を決める決勝へとコマを進めることができる。

 

 

『それでは、全国高等学校アメフト選手権関東大会Aブロック決勝。泥門デビルバッツ対白秋ダイナソーズの試合を始めます!!』

 

 

 泥門デビルバッツの指揮官・ヒル魔妖一は、コイントスで迷わず先攻を選択。

 それは、白秋ダイナソーズが開始早々に地区大会で実行してきた“投手潰し”を仕掛ける機会でもある。

 

 躊躇なく敵を壊せと指示を出すマルコ。

 その策を分かっててもポリシーを貫くヒル魔。

 恐ろしいのはさてどちらになるか。

 

 

「私の人生いつも3位狙い!!」

 

 背番号3。白秋ダイナソーズのキッカー・三ツ井三郎が蹴り上げたボールが向かう先は、泥門の中で三番目に脚が速いランナー――陸上部助っ人の石丸。

 石丸のボール運びを支援する形に泥門が動き、白秋がそれを攻める。

 結果、キックリターンで、35ヤード地点から泥門の攻撃が始まる。

 

 

 ~~~

 

 

「ヒル魔妖一……!!!」

 

 白秋、この一発目のプレイから度肝を抜かれる。

 正気の沙汰とは思えない。なんだ向こうの指揮官は自殺志願者か。

 

 

「泥門ラインがひとりしかいねぇ! 他の連中は?? どこに……」

 

 

 ヒル魔妖一とボールをスナップする栗田良寛。

 この二人だけを省いたかのように離れた地点に陣取る泥門。

 

 これは、奇策中の奇策。伝説のトリックフォーメーション――『孤高の(ロンリー)センター』!

 

 観客に解説者、観戦しに来ていた西部や王城の面々も言葉を失う。

 チアリーダーの鈴音も仰天。

 

「クリタンがあんなポツンて。ひとりぼっちであの峨王(ガオー)マンと戦うってこと??」

 

 攻撃の起点となるクォーターバックを守るべきラインの大半がその役目を放棄して、離れたところにセットする一見すると理解不能だが、NFLでも採用されているフォーメーション。

 あまりに無謀で無防備、それ故に相手の混乱を誘う。

 白秋の頭脳であるマルコは、早速博打をうってきたヒル魔の正気を疑う。いっそ脱帽したと言ってもいい。

 

「あ~あ、ったく。普通の発想なら峨王一人を止めるために密着マーク何人つけてくんのかな~? っちゅう話だよ」

 

 白秋としては、長門をラインに加えさせて、栗田とのダブルチームで峨王に対する防波堤とするものだと予想していた。

 “だからこそ”の真逆の手。ヒル魔の十八番だ。

 

 逆に皆を峨王から遠く引き離すことで触れさせもしない。

 『孤高のセンター』の欠点を、利点としているのだ。

 

「でも、こんなん……栗田が破られたら、他に誰もいねぇ! ヒル魔だけは瞬殺じゃねぇか!」

 

 当然だが、このギャンブルはハイリスク極まるもの。

 一枚の壁が抜かれれば、死。地区大会全チームの投手を蹂躙し尽くした恐竜の爪牙が、ヒル魔の腕に食らいつく――

 

 だが、それも抜かせなければいい。

 峨王の前には、この男がいる。

 ケケケ、と強気な発言に、哄笑漏らすヒル魔が背中に煽りかける。

 

「も~しもテメーが抜かれて俺らが峨王に折られたら“テメーのせいで”! こりゃ“全員の夢がパー”だな糞デブ!」

 

 まったく味方でも容赦がないなこの人。長門は呆れる。

 

 

「うんだよね。だけど、大丈夫だよヒル魔。僕が一対一の勝負で峨王君を止める……!!」

 

 

 しかし、今の栗田先輩は、もうプレッシャーに押し負けることはない。

 因縁深い神龍寺ナーガを超え、全身傷だらけとなっても、『百人組手(デススパー)』をやり遂げた。

 短期間で筋力自体は変わらずとも、精神面は成長しているはずなのだ。

 肝心の不足していた相手を破壊する格闘意識を会得したかはさておいて、その面構えは変わっている。顔にも刻み込まれた傷が見掛け倒しではないことを、真正面で対峙する峨王は一目で察知する。

 

 

「GYYYYAAAAA! ――フン、最高に面白いぞヒル魔妖一、栗田良寛……! お前達ほど攻撃に狂った精気滾る男共に会うのは初めてだ……!!」

 

 

 己を打倒すると宣言した、己が認めた強者(つわもの)に、獣は歓喜の雄叫びをあげる。

 

「ひいぃぃえええ……」

「あっちサイド、マジ行きたくねぇな」

 

 関東、いや日本で1、2を争うパワーを持つ両者に介入するような真似をして巻き込まれれば、ただでは済まない。

 

「誇り高き者への礼節だ全身全霊の力をもって「ケケケ、ゴチャゴチャくっちゃべんのが好きだなこの糞原始人」」

 

 かっこいいこと言ってたのにかぶせた!

 あの場面で挑発を仕掛ける度胸には、ついに長門も頭を抱える。

 あの先輩(ひと)は自分が第一ターゲットであることを承知していながらも、攻撃的な姿勢は緩めたりしない。峨王の言う通り、あれほど攻撃に狂った人間は長門も知らない。

 

「ああ、お前の言う通りだヒル魔妖一。始めるぞ闘いを。今すぐに……!!」

 

 HUTコールのカウントダウン。

 ボールがスナップされたと同時に、クライマックス。

 高校最強パワーの二人が、激突する――!!!

 

 

 ~~~

 

 

「次元の違う絶対的な力――美しい……!」

 

 白秋ダイナソーズ背番号70・峨王力哉。

 身長2m体重131kg。腕相撲は生涯無敗を誇り、ベンチブレスは200kg超えの210kgと高校最強のパワー。

 単純な力の差でみれば、栗田とは50kgの差がある。40ヤード走も5秒4で栗田よりも速く動ける。

 だが、力だけで勝負は決まるものではない。

 

(硬いっ!)

 

 空手の基本中の基本の型、『三戦(さんちん)立ち』

 足を八の字の形に立ち、やや膝を曲げて力を入れ、筋肉関節を締めて堅くする。完全になされればあらゆる打撃に耐えるとも言われる剛体法だ。この技法を栗田良寛はアメフトのブロックに応用している。

 

(『三戦立ち』の姿勢は重点的に下半身に力が篭る。その体重も合わさって重心の据わりは峨王以上の栗田先輩がすれば、苛烈な攻撃にも耐え抜く不沈艦――名付けて、『不沈立ち』だ)

 

 破壊を真っ向から受ける不壊。

 豪腕が押し込むが、粘り腰が耐える。

 

(時間を稼ぐんだ! 最後は倒されたっていいから……!)

 

 力では、敵わない。

 だけど、アメリカンフットボールで5秒もパス壁が維持できれば、投手はどんなパスでも投げられる。

 

 

「GYYYYAAAAAA!!」

 

 

 不壊の陣形『ツタンカーメン・マスク』を薙ぎ払う峨王の力。

 相手が強ければ強いほど、硬ければ硬いほど、喝采の咆哮を轟かせる。

 

『ああーここで栗田君、ついに転倒ー!!』

 

 悲鳴が上がる。

 太陽スフィンクスとの一回戦で起こった惨劇が蘇る――

 

 

「ケケケ、糞デブ。テメーの勝ちだ」

 

 悪魔は笑う。

 恐竜は、あと一歩、届かなかった。

 

 ヒル魔はすでにボールを投げていた。そして、ボールを投げた投手を峨王は攻撃しない。何故ならばパスを投げ終えた直後の選手にタックルをするのは反則だからだ。峨王は野蛮な獣であるが一線を守る冷静な思考もある。――間に合ったのだ。

 

 

 ~~~

 

 

『これは泥門……いきなりの超ロングパーース!!』

 

 パスが、高い。

 でも、背面捕りで思いっきり飛べば、ストライクのコースだ。

 

「よろしくね、モン太くん」

 

 だが、アメリカンフットボールは誰にも邪魔されずキャッチできる競技ではない。

 マッチアップする相手がいる。

 

 白秋ダイナソーズ背番号96、ディフェンスバック・如月ヒロミ。

 身長178cmで、体重は49kgと細身。ベンチプレス30kgとセナ以下の超虚弱体質でスピードも40ヤード走5秒3。ジャンプ力も並。数字だけを見ればモン太の方が勝っている。

 

 だが、野生の勘が警報ならしてる。

 どう見ても競り合えるガタイじゃねぇけど、こいつ、ただもんじゃねぇ……!

 

 真っ直ぐにこちらから視線をそらさないモン太に、如月ヒロミは微笑む。

 

 すごく素敵だ、モン太くん。

 今までマッチアップしてきた選手は皆、如月の青白い身体を見て、心の奥底で油断する。チームの皆だってマルコ君と峨王君以外は、腕力に憧れてアメフトを始めた如月を馬鹿にして笑ってた。

 だけど、彼にはそれがまったくない。

 細川一休と互角に渡り合ったモン太は、こちらを侮ったりしていない。己が認めた相手に認められる。それが嬉しい――そして、披露したくなる。

 この最強のレシーバーに、真っ向勝負で、『左腕(ちから)』の美しさを……!

 

 

「バチッと先制パンチ決めんぜ『デビルバックファイア』!」

 

 如月がバック走で張り付いているが――やはり、一休には劣る。速度も反応も。

 一休との対決でさらに磨かれた鋭敏な曲がり(カット)で、一気に振り切るモン太。そして、振り向かずに全脚力を跳躍に費やしたジャンプからキャッチ最難度の背面捕りを決めた!

 

 

「いいや、まだだよモン太くん。僕の闘いはここからなんだ」

 

 白秋ダイナソーズと試合した者は、『峨王が右腕なら、如月は左腕』と称する。

 峨王力哉の剛腕とは対極な、如月ヒロミの柔腕。飛び上がったモン太の背後から追いついた如月が、その細腕をモン太の両腕の隙間に差し入れる。そして、この肘を360度回せる柔軟な腕を絡み付かせる。

 この空中の腕力を体感した者はこう呼ぶ。

 

 ――『翼竜の鉤爪(プテラクロ―)』!

 

 

「僕の力が、君の腕を切り裂く。力は絶対なんだ……!」

 

 インターセプトができずとも、レシーバーのキャッチを失敗させれば相手は攻撃権を不意にする。

 それは如月ヒロミ(ディフェンス)の勝ちになる。

 空中戦を己が腕力で制さんとする如月の鉤爪が、腕を絡めて抉り取る――

 

 

「それがあんたの腕力(ちから)かよ――だったら、そいつを俺のキャッチ(ちから)でブチ破る!」

 

 剥がれ、ない!?

 腕に直接攻撃しているのに、ボールから離れない。まるで手のひらと真空吸着してるみたいにがっちりと。

 

 今、関東のワイドレシーバーは四強時代に入っている。

 バック走の達人・細川一休。

 エレベストパス・桜庭春人。

 アイアンホース・鉄馬丈。

 そして、キャッチの達人・雷門太郎。

 モン太は四強レシーバーの中でもキャッチ力は群を抜いている。たとえ腕がもげようが掴んだボールは手放さない!

 

「『プテラクロ―(リーチ&プル)』は、『千本(デス)ノック』で何度も長門にしてやられてんだよ!」

 

 腕を直接攻撃してくるプレイなど野球にはない。だが、モン太には、経験があった。

 何度となくこの技でボールを落とされたのと、鉄馬丈というパワータイプのレシーバーとの対決。

 故に、迷わない。

 正面から相手の腕力で跳ね除けることに己がキャッチ力を一心に費やす

 

 

「おおおおおおお!!」

「あああああああ!!」

 

 

 キャッチじゃ誰にも負けねぇんだ……!!

 キャッチにかける執念。それが翼竜の鉤爪を突き放す。

 

 それでもだ。

 如月の妨害に最後片腕を取られたモン太のバランスは崩れている。その着地後に大きな隙ができる。当然それを狙わない手はない。

 

 

「ブプー! 如月にやられてぐらぐらじゃん! 泥門からボールを奪うなんて楽勝っ!」

 

 背番号49。白秋ダイナソーズのラインバッカー・天狗花隆が、モン太が左手だけで持って無防備なボールへ手を伸ばす――

 

「クッソここを狙ってくっかよ! ――でもよ、守ってくれるって信じてんぜセナ」

 

 バチッ! と天狗の手が弾かれる。

 光速のアイシールド21・小早川セナは、一息に味方のピンチに間に合う。

 一気に迫ってくるチェンジ・オブ・ペース。そして、腕を使った盾『デビルスタンガン』で、相手のチャージをガード。

 

(長門君や阿含さんのと比べれば、遅いし怖くない……!)

 

 金剛阿含の手刀を防ぐ実戦経験が、セナの腕の扱いを上達させた。

 そう、神龍寺戦で最強とぶつかり合った経験が、二人を強く覚醒させていた。

 

「なげァああああ!!?」

 

 ロングパスが決まる。

 着地後のチャージもブロックした。

 

「もう!? うっそーーん!!」

 

 白秋の中で最も巧いマルコは、長門村正の方にマークについて離れた位置にいる。

 ノーマークで独走するモン太に追いつく選手は、いない。

 

 

『タ……タッチダーーーゥン!!!』

 

 

 ~~~

 

 

「また、アメリカンフットボール選手として成長したな、セナ!」

 

 自ら味方を守りに行くセナの姿勢に、甲斐谷陸はそう嬉しげにつぶやく。

 弟分の成長を喜ぶ? いいや、そうではない。そんな上から目線の兄貴風を吹かすのは、直接ぶつかった地区大会準決勝の泥門戦で卒業したのだ。

 陸が笑うのは、対等なライバルがより強く成長し、ますます倒し甲斐が増したからだ。

 

 

「一試合ごとに泥門の破壊力が増している……!」

 

 評価が更新される泥門の動きに進清十郎が唸る。

 泥門デビルバッツは、大半がアメフト歴一年目のルーキーチームだ。

 だからこそ成長性が抜群。強敵との実戦で得る経験値に急成長を遂げている。

 きっと彼らは頂点まで天井知らずに駆け上がっていくつもりだろう。

 やはり最強のライバルは、泥門……!

 

 

『先制点は泥門デビルバッツ!! 白秋ダイナソーズ、今大会初失点ー!!』

 

 

 ボーナスキックを武蔵が決めて、7-0。

 圧倒的なパワーを誇るダークホース・白秋ダイナソーズから先制点奪取に、優勝候補であった神龍寺ナーガに勝利したのがまぐれでもないことを証明した。

 実力。泥門デビルバッツは関東を制するだけの力がある。

 

「あ゛……あ゛あ……もう終わりだァァー!!」

 

 大袈裟に泣き崩れるのは、白秋ダイナソーズ三年生の天狗。

 

「ど畜生……! あの栗田ってヤツ、峨王のバカ力にも潰れねぇで食らいつきやがった!! 峨王たちが入って白秋メッチャ強くなって俺猛天才じゃねぇのウヘヘァアこれって思ってたのに、やっぱダメなんだアアアア!!」

 

 と嘆いているが、新戦力が加入はしても天狗自身の実力はずっと上の下、マルコがその実力を晒すのを避けるための隠れ蓑にしている影武者(元エース)である。

 それに、喚いているのは、彼のみ。

 力こそすべて。善意も悪意も灰にする絶対的な力こそ信奉する如月ヒロトは先制点を取られたくらいで動揺はしない。

 

「天狗先輩、心配しないで……力と力のぶつかり合い、アメフトの原点は――“力”!

 力こそ絶対。

 力こそ勝利。

 戦術も技術も才能も、そこに何もないかのようにすり潰される。そのあまりに美しい原理を、きっと峨王君が示してくれる……!」

 

 泥門デビルバッツ、確かに強い。

 だが、彼らには欠点がある。

 ひとりでも欠けてしまえば替えが助っ人しかいない少人数チームであること。

 

 峨王力哉を相手にして、ひとりも退場者が出なかったチームなど白秋ダイナソーズは知らない。

 

 

 ~~~

 

 

 点を取って騒ぐ泥門の陣地へ、踏み入る男。峨王。

 白秋、初めての失点に栗田という初めて壊せなかった相手。強者を求める男はこれに発奮しないわけがない。……と思いきや、峨王は、予想外にも静かに、淡々としていた。

 

「想像以上だ栗田。お前は強い。これほど歯応えのある相手はいなかった。これは間違いなく高校最強のパワー決戦となろう」

 

「い、いや~~」

「それほどでもすごいあるよ!」

 

「なんで兄さんが得意気なのよ」

 

 開幕に好スタートを切れた。士気が高まっている。

 そんな泥門に、峨王は渋い表情で、声を落とす。

 

「だが――お前には俺の敵にはなりえん理由がある。あまりに惜しい男だ」

 

 ”強者”であるが、”強敵”とするには資格不足――峨王自身、残念に思いながら、そう断じる。

 

「ハ?」

「はぁ!?」

「ハァアアアア!?」

「ハン!」

 

「新技四段活用!!」

 

 ライン4人(三兄弟+小結)がその発言に反発的に異を唱えた。

 

「栗田の底力舐めんじゃねぇぞ貧弱原始人」

「口喧嘩より力で来いよ栗田に」

「クリスマスボウルにかけた夢の差を見してやるよ栗田が」

 

「カッコイイこと言ってるけど何気に人任せ!」

「ヒル魔先輩に影響されたか?」

 

 強気な十文字、黒木、戸叶達に突っ込むセナに呆れる長門。

 

「フゴ(君達もわかってきたじゃないか師匠の力が……)」

「いつもいがみあってる4人が団結してるよ。感動的なシーンだなあ」

 

 騒ぐ泥門の一年生たち。これに峨王も沸々と面貌を不敵なものへと変えていく。

 

「ああ。よくぞ言ったお前達。理由など言葉より力で語るとしよう」

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、続いてはいよいよ……白秋ダイナソーズの攻撃です……!!』

 

 最強パワーの壊し屋が壊すのは攻撃の基点たる投手だけではない。

 防御に敷かれた壁をその桁違いな力で崩壊する。

 

「ボール持って走る方も楽でいいよ。こんだけ大穴開けてくれりゃ」

 

 白秋のクォーターバック・マルコは、パスを投げることなく、自らボールをもって中央突破。

 泥門陣営を進撃する峨王の後に続くように。

 

 

『白秋、10ヤード前進! 連続攻撃権獲得(ファーストダウン)!!』

 

 

 栗田は倒れない。

 

「ぐ……う……!」

 

 だが、峨王を倒せない。

 斃せない限り、峨王は止まらない。

 峨王が止まらない以上、白秋の前進を阻止できない。

 

 

『白秋! またもやファーストダウン!』

 

 

 これが人間と同じ力か!?

 ただ雑に腕に振るいつけられただけで、泥門のライン5人が撥ねられる。

 アメリカの道路で延々とトラックを押してきた彼らだが、峨王のプレッシャーはアクセルを踏み込んだフルスロットルのトラックにぶつけられたようなものだった。

 

 

『白秋! ファーストダーーゥン!!!』

 

 

 恐竜は前進し続ける。

 戦略も何もあったものではない。

 『北南(ノースサウス)ゲーム』――北から南へ、フィールドをただ一直線に力押ししていく、アメフトの攻撃の原点。理想の……実現し得ないはずのスタイル。

 

 止めるには、峨王を止めるしかない。

 

 

 ――さあ、泥門最強(ジョーカー)を出してこい!

 ラインを蹴散らす峨王が、長門とヒル魔を見る。爛々と双眸を滾らせて、催促する。

 

 このままではタッチダウンされる。そして、逆転される。

 タッチダウン6点の後のボーナスゲーム。普通はキックを選択して+1点を入れるものだが、もう一度タッチダウンを押し込んで、+2点のボーナスを狙うこともできる。

 ――成功率が低いこのプレイを峨王ならば100%に決められるだろう。

 

 つまり、一回タッチダウンする毎に泥門は7点でも、白秋は8点ずつ取っていく。

 そうなれば点差は、縮まらずに開けていく一方だ。

 

「……やはり、リスクを承知で博打に出るしかないようだ」

 

「糞カタナ。ヤるんなら、全力でヤれ」

 

 

 ~~~

 

 

(やっぱ、このまま大人しくしてないよなあ)

 

 長門村正。

 仮想・大和猛とマルコは称したが、実際、パワーでは長門の方が上だ。交流戦の試合映像を見て、スピードでは後れを取っていたみたいだが、それでも長門のパワーは圧倒していた。

 

「で・も・悪いけど、残念ながら峨王は高校最強だっちゅう話だよ」

 

 栗田良寛が峨王のチャージに除けられる。

 敵たり得なかった強者を一蹴して、壊し屋が臨むのは、明確なる強敵。

 

 スピード・テクニック・パワーの総合力で圧倒するパーフェクトプレイヤー・長門村正。

 他の追随を許さぬ群を抜いたパワーで何もかもを蹂躙するデストロイヤー・峨王力哉。

 

 進清十郎と金剛阿含。去年の二大看板を刷新した破壊力を有する二人のモンスタールーキー――今年度を飾る関東の怪童の血沸き肉躍る正面衝突が、今こそ実現する!

 

「さあ、突っ込んでくる峨王にどう出る? 泥門のジョーカー様」

 

 この瞬間を愉しみにしていた……!!

 まっしぐらに駆ける。

 駆け引きなど峨王の頭に存在しない。どんな動きにも躊躇なく全速で間を詰めてくる。その指先ひとつ触れれば選手を潰せるという、遠近狂った魔物。

 対峙する長門の左足が、下がる。

 後方への超速移動で、峨王の突進力から逃れるか。

 

「GYYYYAAAAAA!!!」

 

 いいや、そんな逃げ腰など断じて許さんと破壊の剛腕が伸びる。

 ――だが、長門村正は単純な力だけで倒せるほど甘い男ではない。

 

 

「試合には関係ない話だが――リコにその手を振るったそうだな」

 

 

 後ろ足を退かせたが、逃げではない。真っ向から、迎撃(こうげき)する。

 

『長門君!』

 

 攻めに出た彼の姿に、解説席にいた熊袋リコは思わず立ち上がった。

 彼女が思い描いてしまった惨劇の未来――それを『妖刀』は、抉り抜く。

 

「GYA――――!!!?」

 

 壊し屋の恐竜に、突き刺さった。

 衝突の間際に後ろ足を退いたのは、後ろに重心を置いた退歩。この後ろの足でつっかい棒をして、伸ばした腕に自ら峨王が突撃していくよう長門は合わせた。

 一歩引いた足と前に突き出した反対の腕を一直線にすることによって、向かってくる相手を返り討ちにするカウンター技。

 それはまさしく、“地面に固定された柱に自ら突っ込んだ”ようなものだった。

 相手の力が強ければ強いほど効果が増大する高度な格闘技巧。峨王は、自らの破壊の力を心臓のある左胸へぶち込まれる。

 そして、これで終わらない。峨王を串刺しにした動きはまだ連動する。

 

「壊される前に、俺が貴様を(こわ)す。それがこちらの解答だ白秋のブレーン」

 

 ギュルン! とプロテクターに陥没する拳を起点としてさらに抉り込む。

 身体の捻りと適切な体重移動でもって、超至近距離から心臓破り痛打(ハートブレイクショット)を捻じり穿つ。

 長門村正の、四肢胴体に螺旋の勁が廻るのが目に見えるほどに凄まじい、強烈かつ俊敏な動作から繰り出される、必殺を超えた確殺の一打。

 

 ――『零距離(0ヤード)マグナム』!

 

 熊殺しの剛弾(マグナム)を、接射でぶち込む。

 峨王力哉は、時間を撃ち抜かれたかのように勢いを止め――

 

 

「GYYY――――――YAAAAAAAAAAAA!!!!!!」

 

 

 な……っ! 技は決まった。息の音は確実に止めた手応えだったはず……!?

 急所をぶち抜かれようが、壊し屋の恐竜は止まらなかった。肉体へのダメージなど無視するほどの破壊衝動か。白目を剥いたまま峨王が剛腕を、長門へ叩き込む。これを瞬時に左腕を盾にして受け――

 

 

「!!くっ……」      「……っは!!」

 

 

 地面を滑り、たたらを踏まされる長門。

 だが、倒れない。

 蹲るようにその場で前屈みになる峨王。

 だが、その手を地につけない。

 

 ――まだだ!

 まだ、俺は闘え(やれ)る。この“強敵”と、壊し(やり)合える!

 

 そんな二度目の正面衝突が起こる、直前。

 

 

「ケケケ、峨王さえ躱せりゃ、余裕ぶっこいてる糞睫毛を潰せるくらいわけねー!」

「うおっ!?」

 

 

 峨王を、止められた――そのことに思考を止めてしまったマルコに、長門がぶつかりに言った直後に飛び出していたヒル魔が、タックルを決める。

 

『白秋、1ヤード前進!』

 

 ボールキャリアーが地についた。プレイは停止。

 

「「………」」

 

 その場から動かず、睨み合う長門と峨王。

 両者とも、ルールを忘れて乱闘に移行するような、愚かな獣ではなく。ゆっくりと振り返って互いの視線を外し、されど互いの背中から立ち上る殺意の波動(オーラ)がその緊張感を途切れさせはしなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「長門君!」

「峨王を止めやがるとはどんだけだよ長門!」

「流石長門。阿含に続いて峨王もぶちのめすのかオイ!」

 

「まあ、そううまくはいかなかったけどな」

 

 駆け寄ってくるチームメイトに、苦笑気味に手を挙げて応える長門。

 

 ――ズキン……。

 

 ……まずい。左膝の後十字靭帯にダメージを受けた。峨王の力を受けるために退歩したが、想定以上に反動が凄まじい。

 『零距離マグナム』は、栗田との練習では一日に六度までできた。

 回転式銃装(リボルバー)に篭められている剛弾は、六……つまり、峨王を長門が止めれるのは、最大でも残り五発。それ以上は、支障が出る可能性が高い。

 

 それでも、長門は顔には出さない。

 不敵であれ。

 相手に何発もできないと悟らせず、仲間に諸刃の剣だと気取らせるな。

 

 

「わかってんだろうな、糞カタナ。テメーが峨王に壊されるのが最悪のケースだってことを」

「承知していますよ、ヒル魔先輩」

 

 

 フィールドに構えるだけで呪いを放つ『妖刀』を演出する……!!

 

 

 ~~~

 

 

「息を……させろ」

 

 峨王の発言は、マルコを驚かせた。

 自ら回復させろと峨王が申し出る、つまりはしばらく自力で呼吸が困難になるほどに、確かなダメージを受けたということ。あまりに衝撃的で、それだけ向こうの破壊力を物語る。

 マルコは他のチームメイトへ視線を走らせ、大きく肩を揺らして呼吸を繰り返す峨王の姿を隠すように壁にさせて、あと騒ぎそうな天狗は如月へ任せた。

 プレイは25秒以内に始めなければならないが、ギリギリまで時間を費やす。

 

「技だの速さだの歯応えがないモノだとばかり思っていたが、俺の息の根を止めたとは認めねばならんようだ。それにあの殺意……! 期待以上だ長門村正!!」

 

 凹っ、と穿たれた左胸の跡を、己が心臓にも爪立てるほど強く峨王は鷲掴みにし、獰猛に笑う。

 

「だからこそ、面白い! 奴の殺意が更なる力を溢れさせてくれる……!!」

 

 心肺から酸素を絞り尽されたような酸欠状態に陥ったかのように、喘いでいた峨王だったが、深呼吸するたびに、更なる獣気を充溢させている。

 強敵との死闘――“アメフト歴一年(ルーキー)”である峨王力哉は、より大きく存在を膨張させていく。

 そして、峨王が起き上がったところで、マルコは最も訊きたいことを問うた。

 

「それで、長門は壊せ(やれ)るのか」

 

「無論だマルコ」

 

 手応えはあった。

 無我夢中、本能のままに腕を振るったが、捉えた感触は間違いない。

 

「長門村正、貴様の名はこの心臓に刻まれた。生涯、忘れることはないだろう。

 ――故に貴様にも、我が力をその骨肉に叩き込もう!!」

 

 

 ~~~

 

 

「っ」

 

 溝六は、不意に表情をしかめた。

 半ば反射的に、右膝を擦る。

 この時、溝六の胸に去来するは、過去。

 

 今日の試合会場である『江の島フットボールフィールド』……酒奇溝六と庄司軍平、千石大の『二本刀』と名を馳せた自分達の現役最後に試合した、夢潰えたこの地。

 

 こんな場所で、右膝の古傷が疼くなんて、不吉な予感がしてしまう。

 

(頼むからよ。あいつらの夢が潰えるようなことにはならないでくれ……!)

 

 願うよう天を仰ぐ溝六。

 その上向いた顔に、ポツポツと水滴が当たる。

 

 

 ~~~

 

 

 ――雨が、降ってきた。

 ポツポツと降り始め、それから徐々に勢い増して――あっという間に土砂降りとなった。

 

「いいねぇ……こりゃ」

 

 マルコは、笑う。歓迎する。

 雨は、フィールドをぬかるませる。踏み込みが滑る。キレが鈍る。

 ――より趨勢を力が左右する泥沼へ堕としてくれる。

 そして、アメフトは豪雨でも中止にならない。どんなにずぶ濡れに泥仕合になろうが、試合は止まらない。

 

 白秋(おれたち)に、天は微笑んでいる。

 

 

 ~~~

 

 

 小泉花梨の帝黒アレキサンダーズBlog

 

 『今話題の映画観に行きました』

 休養日に友達と最近話題の映画を観に行きました!

 もうメッチャ面白(おもろ)くて、最後の戦闘シーンなんてすごいド迫力で興奮しっぱなし! 観た後、友達とファミレスで感想を言い合ったりしたんやけど、私もいつかはあんなアニメ化大ヒットされる漫画を描けたらなあ、と思ってみたり……

 

 それから、ちょっとだけ想像したんですけど……

 大和君とライバルの長門君があの映画みたいにフュージョンしたら、凄まじいことになりそう!! でも、あの動きって結構難しそうやしできるかなあ。指先だけでなく、姿勢の角度にもこだわってるみたいやし……

 そもそもやってくれるかもわからんけど……

 

 

■コメント(7)

 

 

 投稿 Taka

>フュージョン? 聞いたことがないけど、アメフトの新しい戦術だったりするのか?

 

 投稿 Akaba

>フー……大和と長門。日本高校アメフト界で三指に入るプレイヤー同士のセッションだ。世界に革新を起こす戦術になるに違いない。

 

 投稿 Yamato

>俺と村正の革命的なコンビプレイだって! 俺も彼との連携は色々と考えてたりするんだけど、花梨も考えてくれてたなんてね。是非とも教えてほしい!

 

 投稿 Karin

>えぇえええええいいいやその!? スイマセン! 無理です! 教えられません!!

 

 投稿 Yamato

>大丈夫だよ花梨。どんなに難易度の高い動きを求められても、俺と村正なら絶対にやってみせる!

 

 投稿 Hercules

>そんな絶対予告はやめたって! あんまりそこんとこ突っ込まないでそっとしておいてやって!

 

 投稿 Achilles

>ふうん、花梨は映画を見に行くのが趣味なんか。な、なあメッチャおもろいB級映画があるんだけど、今度の休養日に俺と……




使うかわからない空手道場の設定。
空手をベースにした格闘術で、実は暗殺拳が源流だったりするという、最も有名な某格闘ゲームの主人公の道場を参照。
長門が通い詰めていた時期には、アメリカから本物の格闘技を体感しに来たハリウッドスター兼アメフトスターが一時期通っており、お互いに共通の趣味(アメフト)なところで意気投合。アメフトの個人練習ではやれない練習相手に付き合ったり空手以外にも拳法のクンフーを教えてたりなど長門の兄弟子的なポジションになっていたりする。
と一応考えてはあるが、多分、この設定を拾うのは世界編になってからになるかと。


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37話

 ――GYYYYAAAAAAA!!

 

 轟く咆哮が雨飛沫を吹き飛ばす。

 土砂降りの雨に打たれようが、この全身に充溢する熱気は冷めることはない。むしろ、蒸発するほどに昂っている。

 

『白秋ダイナソーズ! またも中央突破を仕掛けてきたー!』

 

 先程、膝をつかされたが、微塵も怯まない。

 怯懦に鈍るような繊細な神経をしていないのは重々に承知していた長門だったが、さらに勢いづいて猛進する峨王に内心で舌を打つ。

 

(まったく……己の怪力を制御する気がない輩というのは、厄介極まりないな)

 

 目の前の相手を壊すことに躊躇はないが、どうやら自身の損傷(ダメージ)さえも厭わないようだ。

 肉を切らせて骨を断つ、生粋の戦闘狂。やり合えば、決着はどちらかの破滅となろう。

 

 さっきよりも迫力が増してる……!?

 

 峨王に真っ向からぶつかる栗田へ、高校最強のパワーを誇るその剛腕が振るわれる。

 

(足元がぬかるんで、踏ん張り切れない!?)

 

 拮抗はほんのわずか。

 衝突の瞬間、重戦士の足元がずるりと滑る。深く据わった重心がぐらつく。雨にぬかるむ土壌(フィールド)では、栗田良寛の抜群の安定感が発揮できない。この状態では、峨王の剛力を受け止められない。

 

「ウォアアアアア! まるで止まらねぇえええ!!」

 

 センターから究極の力任せで強引に押し通る中央突破。

 

 白秋ダイナソーズは、ラン中心の戦法を取る。

 クォーターバックがボールを持ってそのまま走るランプレイ。パスターゲットを見つけるまで発射台をパス壁として守らせるのではなく、峨王を進撃させて潰させる。それでこそ、このデストロイヤーの真価を発揮できる。

 そう、白秋は点を獲る以上に、相手選手を壊して勝ち進んできたチームだ。

 この破壊圧は、全国屈指の超重量級ラインを誇った太陽スフィンクスでさえも叩きのめされている。

 

 頼む長門! 峨王を止めてくれ!

 

 泥門デビルバッツで、この蹂躙走破を阻めるのは最前線に立つ栗田と、中核に据えられる長門。番場の馬力、大田原の瞬発力、鬼平のブロックテクニックを兼ね備えた、ラインマンとしてもトップクラスであろう長門村正。

 

 前回のプレイで、その勢いを殺された敵のエースを前にして、峨王の雄叫びは更に猛る。そして、衝突!

 

 ――不発(ジャム)った!?

 

 峨王を食い止めた迎撃(カウンター)、『零距離(0ヤード)マグナム』。

 しかし、その後ろ足が踏みしめる地面が、滑る。靴裏のスパイクで轍でも削り掘るように押し込まれ、ブレーキが利かない。長門自身ではなく、フィールドが、峨王の勢いを受け止めるには軟かった。

 

「長門!!?」

 

 カウンターを失敗して、大きく弾かれる長門。

 しかし、動揺するチームメイトの視線を背に受けた長門は倒れず、踏ん張る。地面が雨でぬかるんでいようが、足指で噛んでこれ以上の後退を許さない。脚の筋繊維が断裂しかかるほどに、堪え切り。

 そして、一歩……踏みしめる。即座に体勢を立て直して、『妖刀』は切りかかる!

 

「いいや、俺は負けん……!!」

 

 エースの看板を背負う者の使命は、真っ向勝負で相手のエースを打ち破ること。

 背を向けて危険を回避するような真似をすればそれは味方のすべてに波及する。

 だから、倒れない。肉体面で圧倒されようとも、根性論でも何でも駆使して相手よりも先に膝をつく無様をさらすな!

 

「お゛お゛お゛お゛――ッ!!」

 

 二度目の正面衝突。

 筋力そのものは完全に峨王が勝っている。

 だが、長門は絶対に倒れない。鍛え抜かれた粘り腰と、地面を足で踏みしめるのではなく、足指で噛みしめる踏ん張り。硬く粘りのある玉鋼の如き下半身のバネでタックルの衝撃を受け、耐え凌いでいる。

 

 

「まさ、か、一度体勢を崩されてなお峨王の圧殺力を食い止めるか……!」

 

 観客席で、己を押し潰した破壊者の圧力にこらえる長門に番場衛が驚愕の声を上げる。

 

 

(アイシールド21とは質が違うが、長門村正の脚もまた金の資質)

 

 進清十郎は目を細めて、冷静に分析する。

 小早川セナの黄金の脚が、飛翔するかのように軽やかに疾く、そして縦横無尽に稼働するしなやかさを持つのならば、長門村正の脚質は、地を駆ける虎の如き力強い剛脚。これもまた黄金の脚だといえよう。

 迅い、ではなく、強い脚。

 たとえ雨で地面がぬかるみ不利な状況に陥ろうとも、踏み止まってみせる足腰は容易には倒せない。

 

 

「決して屈さぬか。それでこそ殺し甲斐がある漢だ。この俺の力を、その血肉に刻み込もう……!!」

 

 

 天井知らずに気を昂らせる峨王。長門の鬼気に呼応するかのように更に力を溢れさせてくる。

 長門を押し込まんとする双腕が膨らみ、血管を太く浮かび上がる。イメージで一回りほど巨躯が膨張した峨王の圧力は、長門をしても圧倒されるものだった。

 

(あの状態から峨王を止めに行くなんてありえないけど、それでも長門にかかる負荷は半端ない。むしろ、望むところだってね)

 

 勢いを殺され、大量にヤードを稼げなくても構わない。

 こちらは判定ではなく端からKO狙いだ。相手主力選手を斃して勝利するのが、マルコの構想する白秋(じぶんたち)勝ち(やり)方だ。

 

(長門がどんなに凄まじい選手でも、やっぱり峨王のパワーには敵わないっちゅう話だよ)

 

 峨王を止められない。

 

 

 だが――

 

 

 峨王()止められない。

 

 

「行けーーっ! セナっ!」

 

 

 拮抗する最中、狂奔する恐竜を掻い潜る、電撃的な疾走。

 ――その一筋の閃光の正体は、アイシールド21!

 

 

『泥門アイシールド21! 光速ランで、『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けたーっ!』

 

 

 そう。

 相手がロングパスを投げる気配がなく、ランで来るとわかっているのならば、最後方(セーフティ)を守る必要性は薄い。

 だったら、突っ込ませる。

 峨王を栗田と長門の二枚で勢いを阻み、生じた隙間(ルート)。ほんの一瞬だが、峨王の脅威(パワー)回避できる(ふれさせない)瞬間(チャンス)

 仲間の力を信じたセナは、アイシールド越しに見えた光のラインを駆け抜けた。

 

(マルコ君からボールを()れれば、峨王君も止められる!)

 

 この瞬間も長門君は、峨王君を相手にしている。

 その負担は凄まじいものだというのは言うまでもない。だから、0.1秒でも早く白秋の攻撃を阻止する。

 ここで、攻撃権を奪って、泥門のペースに持っていく。

 そのためにも、果敢にボールを奪いに行く!

 

(マルコ君がどういう選手か、思い出すんだ。今までのマルコ君……――)

 

 コーラを飲んでるとか。

 コーラをくれたとか。

 コーラを差し入れに来たとか。

 

 ダメだ! コーラしか分かんない……!

 

 まったく情報が不足している初見の相手。実力の程が定かではない、得意なステータスやら弱点となる急所が不明な相手に挑むというのは尻込みしてしまうもの。

 いや、それでもやる。やるんだ!

 

(とにかくどういう選手か全然知らないけど、僕にはマルコ君を一瞬で倒せるだけのパワーはない。でも、ボールを奪うくらいならできる……はず――かもしれない!)

 

 今、マルコはキープ重視に両腕でボールを懐に抱え込んでいるのではなく、片手持ち。チャンスだ。

 NASAエイリアンズの屈強なクォーターバック・ホーマーからボールを奪取したように、マルコが脇に抱えるボールをめがけて飛びつくセナ。

 

(う・わ、一気に来たよ。瞬間移動っかっちゅうくらいの切れ味抜群のスピードだよ。てことはこれ誰もセナ様止められないじゃんおい)

 

 一騎打ちは避けられないところまで間合いを詰められた。

 峨王が並み居る障害をすべて打破してきた白秋には、あまり想定されなかった展開である。

 強敵との争いなんて、マルコは御免蒙りたい。峨王に任せて最後までのんびり楽をさせてもらいたかったのだが、ここで攻撃権(ボール)を奪われるわけにはいくまい。

 

 

「うおお来たァァ! セナ対マルコ! 一騎討ち!!」

 

 

 ――ここだ!

 

 仕掛けるのは、アイシールド21。

 最高速40ヤード4秒2の光速のスピードで、障害となる峨王を置き去りにして瞬きの間に迫りくる。

 

 

「マルコ君はセナ君に見せてくれるよ。――腕力(ちから)の美しさを」

 

 

 如月ヒロミは、円子令司の背中を見つめる。危機感に声を発することもなく。

 そして、峨王力哉は振り向かない。ただただ目前の相手を食らいにかかっている。

 

 アイシールド21の手が、ボールを持っているマルコの右肩を捉えた――瞬間、ぐるん、と捻り回る。

 スピン!

 闘牛士(マタドール)のように果敢に飛び込んでくるのを寸前でいなし躱す。

 

(――っ! まだ、終わってない!)

 

 チャージを避けられ、スピードがついていただけにやや前のめりに体勢が泳いでいる。でも、すぐに切り返して――

 

 背番号4の背中に隠れたその刹那、セナはボールを見失う。

 

 スピン――の途中で、マルコは、ボールを持ち替えていた。

 

 体を回し、同時進行でボールも回す。

 驚嘆してる暇はない。

 交差際で身体を擦るような、密着状態でのスピン。逆の左手にボール回しして、自由となった右腕が、次に繰り出そうとしたセナの左腕を伸ばすのを先手を打って抑えている。

 盾にした腕。その腕力で、強引に、弾き飛ばす――!

 

 なんて綱渡りなボール操作を……!!

 

 だがしかし、隙を晒したはずなのに、そのボールハンドリングには隙は無い。

 これぞ、『ボールハンドリングの達人』か。

 圧倒的な峨王の制圧力の陰に隠れているが、マルコは、これまでの試合で一度としてボールを落としたことがないのだ。

 

 

『――白秋連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 

 アイシールド21が最終防衛線(セーフティ)から飛び出したその突破口を行き、大量ヤードを稼いだマルコ。払い飛ばしたセナが背中を見やるのを気づきつつも、見向きもせずに、悠然と。

 

(ここは振り返んないで、超然とセナちゃんの横を通り過ぎるクールな俺っちゅう設定で『強い! マルコ君……!』とかなんとか思ってくれたら儲けもんっちゅう話だよ)

 

(強い! マルコ君……!)

 

 巧みで激しい『ボールハンドリングの達人』。そのボールキープ力から奪取するのは至難。

 

「峨王君だけでも」

「とんでもねぇってのによ……!」

 

 そう、白秋ダイナソーズは、決して峨王力哉だけのワンマンチームではない。

 SIC地区の強豪チームを蹂躙した円子令司、如月ヒロミ、それから天狗花隆に三ツ井三郎と他の選手も、峨王の圧倒的な力に隠された、激戦区を制した精鋭だ。

 

 

『白秋ダイナソーズ! まさに新時代の関東最恐チームっ……!』

 

 

 これまでヴェールに隠されていた新進気鋭のチームが真なる実力をついに披露する。これに盛り上がる観客から『白秋』のコールが叫ばれる。

 

「ヤッホォォオオイ最強だって最強! 泥門敵じゃないこれ!」

「ああ天狗先輩……美しくない」

「いやまぁ、いいんじゃねぇ? 別に。天狗ちゃんの煽りででもなんでも気持ちが折れてくれりゃ、もう白秋の勝ちだっちゅう話だよ」

 

 峨王を止める術はない。そして、マルコからボールを奪える力がない。

 白秋ダイナソーズは、着実に前進する。そして、確実にゴールまでたどり着く。

 

 

『――タッチダァァウン!』

 

 

 タッチダウンを決め、さらにその後のボーナスゲームで2点を獲得。

 7-8。白秋、逆転。

 点の奪い合いとなれば、有利なのは白秋。峨王がいれば、毎ターン確実に8点は取れる。一方で、泥門は7点ずつしか取れない。

 この点差は致命傷になり得るものだ。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門! サイドライン際のモン太にロングパスだーーっ!!』

 

 泥門の攻撃。

 開幕から点を奪ったビックプレイを再び仕掛けるデビルバッツ。

 泥門のエースレシーバーのモン太には、白秋のディフェンスバックである如月がマークについている。

 

「さっきは捕られたけど、この雨で滑りやすくなっているボール――モン太君の確保力(パワー)も今なら僕の『プテラクロー(ひだりうで)』で奪える!」

 

 背面捕りを成功させたモン太だったが、ボールを捕った腕に如月の細腕がダイレクトに絡みつく。『リーチ&プル』。先ほどはこの翼竜の鉤爪に耐えきったが、さっきとは状況が違う。

 

「つ、あっ……!」

 

 ボールが滑って……!?

 

 雨に、『デビルバックファイア』までもその威力を鎮火させられている。

 如月との空中戦、モン太は一度キャッチしたボールを払い落とされてしまった。

 

『パス失敗!』

 

 うおおおおお如月ィイイイ!

 マルコのプレイに続いて、如月の『白秋の左腕』に相応しき活躍は、試合の流れを白秋へとさらに持っていく。

 関東最強の攻撃力を誇る泥門デビルバッツの手札を潰し、勢いづく白秋ダイナソーズ。

 

 

「ケケケ、構いやしねぇ。からむほどモン太にへばりついてくれんなら好都合じゃねぇか」

 

 降りしきる雨、チームを不利に追いやる状況の最中、悪魔の司令塔の不敵な笑み(ポーカーフェイス)は崩れない。

 そして、高らかに次弾装填のコールを上げる。

 

 

「SET――HUT!」

 

 ボールをスナップした栗田が、峨王と激しくぶつかり合う。

 己を食らわんとする恐竜が壁一枚向こうにある状況の中、ヒル魔妖一は、待つ。

 

「ンハッ! また来たっ! モン太VS如月、ロングパスタイマン勝負!!」

 

 駆け上がるワイドレシーバー・モン太。バック走でマークにつく如月。

 

 ダメだ。この位置じゃキャッチしても如月の『プテラクロー』が飛んでくる!

 

 如月は、関東大会一回戦で戦った一休先輩よりも遅い。だが、その細腕は脅威だ。振り切るにしても、完全に相手が絡みつけなくなるまでの間合いを開けなければ安全圏とは言えない。

 

「早ぇとこ振り切りやがれ糞猿!」

 

 センター・栗田は峨王を阻む壁として機能しているが、それもそう長く保てるものじゃない。

 護衛(ライン)がひとりである『ロンリーセンター』。

 孤軍奮闘するも無防備な敵を、見逃してやるほど白秋は優しくはない。

 

 

「っしゃ! ヒル魔が投げあぐねてんぞ!」

「俺らが潰してやる。『ロンリーセンター』で護衛は栗田一人っきゃいねぇんだ!」

 

 

 好機とみて、襲い掛かる白秋。

 峨王に倒されかかっているところを必死にこらえている栗田が他所をフォローする余裕などあるはずもなく。

 ヒル魔が急かすが、マークする如月と競っているモン太は、まだ確実にキャッチできるところまで駆け上がれていない。

 モン太以外のパスターゲットも、白秋のマークがついている。

 

 

「やーーー、反対サイドからもいっぱい来たーー!!」

 

 

 チアリーダー鈴音の悲鳴が上がる。

 パスを投げれないでいるヒル魔を狙う白秋の選手。一人でこれから逃れる術はヒル魔にない。

 

「チッ……て・め・え・ら……」

 

 すぐそこまで迫られ、追い詰められたヒル魔はついに焦った顔を表に出し、

 

 

「やっと餌に食いつきやがったか。釣り疲れてヒマ死に寸前だったじゃねぇか」

 

 

 一転。

 悪魔の嘲笑に変わる。

 

 そう、待っていた。

 パスターゲットがマークを振り切るのを、ではない。自分(エサ)に飛びつくのを。

 

 

「ばっ……行――くなって、ヒル魔と栗田は峨王に任しとけっちゅう話……」

 

 

 マルコが制止するも、遅い。

 この“誘い”に気付いていたマルコだったが、まんまと食いついてしまった味方らへもう指示は間に合わない。

 

 ダーメなんだって、“アイツ”の前の壁人数減らしたら。

 

 ヒル魔が、ボールを真横へピッチした。

 その先には、マルコが危惧する通りの選手がいた。

 ――アイシールド21。泥門デビルバッツのエースランナーへボールが渡った!

 

「ケケケ、『ロンリーセンター』は、最初(はな)っからこっちが本命プレーなんだよ……!」

 

 ヒル魔が引き付けて、敵が手薄となった逆サイドへ振る。

 

「そっちから張り付いてきてっから、ブロックしやすさMAXだぜ如月……!」

 

 さらに、パスターゲットたちは自分のマークについていた相手選手を抑えに行くことで、走行ルートを確保する。

 さあ、出番は整った。ヒル魔妖一が思い描く、泥門必勝策がここに成る。

 

 

『……泥門応援席お待ちかね! ついに主役炸裂だ!! アイシールド……21!!』

 

 

 ~~~

 

 

 ――『十文字槍(トライデント)タックル』……!

 

 グースステップを取り入れた『スピアタックル』。

 更に再現度を高めるために、長身を倒し込むダイブで一気に伸びて、間合いを詰めることで模倣(コピー)に足りない要素を補填している。

 突入していた光速の世界を刺し貫く超速の槍が、セナが抱え込んだボールを突き飛ばした。

 

 ・

 ・

 ・

 

 す、すごい……!

 長門君が再現してくれたのは、茶土戦で目の当たりにした、進さんの完全版の『トライデントタックル』。

 すごかった。

 神龍寺ナーガに勝って、ちょっと差を詰められたかもしんない、って思ったけど、いつの間にかもっと前に進んでる。

 今の僕の走り――『デビルバットハリケーン』は、進さんの『トライデントタックル』に通用するだろうか。

 

 その次の日、休養日なのに王城の試合(プレイ)を見てから脚が疼いている僕を見かねてか、長門君がその対『トライデントタックル』の練習相手をしてくれたのだ。

 元々、陸の『ロデオドライブ』も進さんの『スピアタックル』もマスターしていた長門君は、茶土ストロングゴーレムの岩重ガンジョーを一撃で仕留めた進さんのプレイを手本にして、『トライデントタックル』の要領も掴んだそうだ。

 神龍寺戦で阿含さんに『デビルバットゴースト』を模倣されたのには凄く驚いたけれど、

一瞬、こちらの最高速度を上回ってきた長門君の『十文字槍(トライデントタックル)』には進さんの姿が鮮明に重なって見えた。

 それだけ、長門君の頭の中で思い描いた『進清十郎』のイメージと、実際の長門君自身の動きを一致させていた。明らかに劣るスピードを補うために試行錯誤の練習もしたというけど、その誤差は限りなくゼロに近いだろう。

 

 『百年に一度の天才』である金剛阿含にも劣らぬ非凡なセンスを持ちながら、才に奢らず鍛錬を積み重ねている進清十郎と同じ『努力する天才』

 ――そして、『本物のアイシールド21』の大和猛に並び立つ頂点の超人(トッププレイヤー)

 ……長門君が味方でとても頼もしい……でも――僕は、いつかは長門君も抜いて――

 

「……どうした? かなり勢いづいて倒してしまったが、頭を強く打ったのか?」

 

 と、呆けていつまでも立ち上がらないこちらを長門君が心配げにうかがっていることに気付き、ばっと跳ね起きる。

 

「大丈夫! 全然平気だから! ただ、ちょっとすごいなー、って感動してただけで!」

 

「そうか。それは良かった。セナに何かあれば姉崎先輩に説教されてしまうからな」

 

 慌てて、ガッツポーズをとったりしてアピールすると、嘆息ひとつ。

 

「しかし、昨日の熱戦の疲労があるとはいえ、俺程度の“十文字槍(やり)”に捕まるようじゃまだまだだぞセナ。進清十郎の『トライデントタックル』は更に速いからな」

 

「う、うん……でも、負けられないな~、っていうか。追いつかなきゃっていうか……」

 

 進さんがタックルを進化させてきた。

 だったら、僕も僕の走りに磨きをかけないといけない。

 そんな胸の奥で火の点いた強い想いが、駆り立てる。

 

「そこは追い抜いてみせる! くらい言ってもらわないと困るんだがな」

 

 長門君の言葉は背中を押すように、只管に前を目指す姿勢を示す。

 勝つ。そう、僕は、陸が言っていたホントの――ホントの強さの進さんに勝ちたい……!

 

 でも、今のままだと勝てない――

 

「……セナ、あれを見てみろ」

 

「え」

 

 長門君が指す方向、そこにちょうど吹いてきた風が渦となって砂塵を巻き上げた。

 

「風は遅ければどちらに回っているのかすぐわかる。さっきのセナと同じだ」

 

「僕と同じ」

 

「だから、セナが曲がる方向は読めた。足は速いが、腕の使い方が疎かだ。その振りを反動に加算できればもっと回転は速かっただろう。猛烈に迅い風ならば、どちらに回っているのかわからないからな」

 

 風は猛りを増して唸り、僕たちを飲み込む。

 その動きは、目で捉え切れないほど荒々しくて――この目にも止まらぬ旋風と化してこそ、見切れぬ走りになる。

 

「下半身の動きだけではない。もっと全身を機敏に使ってみろ。動作のすべてが40ヤード4秒2の完全光速の世界、それができなければ『トライデントタックル』は躱せない」

 

「うん!」

 

 神龍寺ナーガに勝った。でも、まだまだ上には上がいる。だけど、僕だってまだ上達できる。その道が示されている。だったら、走る。その目指す背中を追い抜くために!

 

「ふっ、その意気だセナ。けど、全身を振り回す挙動も勢いに加算させるのは難しい」

 

 と軽く身振りを交えて説明する長門君。

 “自分は走り屋(ランナー)ではない”と言うけれど、好敵手(ライバル)である大和君――時代最強の走者(アイシールド21)を倒すために、自らも走法を鍛えてそれを理解せんとする長門君は、僕よりも走りが巧く、アメリカンフットボールのランの先生である。

 

「間違えば自分に振り回されてこける。そこで、見本とするのが、大和猛の走りだろう。あれは強靭な体幹だからこそできる。セナよりもフェイント(ゴースト)が多いのも、安定したボディバランスに走りが支えられているからだ」

 

 本物のノートルダム大のエース、時代最強ランナー『アイシールド21』を背負う者。

 あの東西交流戦で見た大和君の走りは、僕よりも激しく細かくステップを刻み、より多くのゴースト(フェイント)を仕掛けていた。特に、あの最後の最後でタッチダウンを決められた時の走りは極まっていたと思う。

 

「それを鍛えるのにうってつけなのがあるんだが……」

 

 『ちょっと待ってろ』と一旦、部室へ行った長門君が戻ってくるとその手には、下駄。ただし、普段、溝六先生が履いているのとは違って、足裏に歯はひとつしかない。

 

「昔、溝六先生がしてくれた練習法だが、一本足下駄トレーニングだ」

 

 と長門君はその天狗のような下駄を履いて、歩いたり、走ったり、跳んだり、さらには

ラダートレーニングをするように激しくステップを刻んで、最後には軽くスピンをしてみせた。けど、転倒しないし、まったく姿勢が揺らいでいない。重心が安定している。下駄なんて不安定なものを履きながら、流麗な演武のように淀みがない。

 それでもう一足を『試しに履いてみろ』と渡して、

 

「うわっ!? っとと~~……っ!」

 

 履いてみたけど、ちょっと前に進もうとしただけで一気に体勢が傾く。咄嗟に長門君が腕を伸ばして支えてくれたけど、いきなり転倒しそうになった。

 

「足元だけを注意するな。やじろべえのように両手をバランサーにして倒れないように姿勢を御すんだ」

 

「そうっ、言われてもっ、結構難しいよこれ!?」

 

 腕をわたわた振り回してどうにか姿勢を保つのが精いっぱい。とても長門君のようにとはいかない。

 

「この一本歯下駄を履いて、意識せず普通に歩けるくらいになれたら、上体、腕の使い方が感覚として身についているはずだ」

 

 だけど、頑張ってみよう。

 長門君のようにぐらつけずに進めない。それだけこれが僕にとって足りない部分であるはずなのだから。

 

 

「……で言うまでもないと思っていたが一応言っておくが、次の試合のことを忘れるなよ? もし峨王とぶち当たったらセナはまず病院送りだろうな」

 

「あ、あはは……」

 

 ずっこけかけた。

 ものすごく簡単に、場外ホームランかとばかりに吹っ飛ぶ自分の姿が想像できてしまった。

 そうだった。進さんの『トライデントタックル』も凄かったけど、白秋ダイナソーズの峨王君はこれまでの全試合で対戦相手に壊滅的なダメージを負わせてきた、怖い、ものすっごく怖い、ホントすごく怖い相手だ。想像しただけで、いやな身震いをしてしまう。

 

「そう怖がるなセナ。お前は峨王力哉に対抗できる有力候補なんだぞ?」

 

「いやいやいや! 無理でしょ絶対無理! ぶち当たったら間違いなく病院送りなんでしょ長門君!?」

 

「それは“ぶち当たったら”という仮定の話だ。『触れもしないスピードには、どんなパワーも通用しない』、だろ」

 

 はっ、とその言葉に目を大きくする。

 

「それに、俺が護る。俺がリードブロックに入る限り、セナに触れさせはしない。いかなる相手であろうとアイシールド21が駆け抜ける道を切り開いてみせる」

 

 

 ~~~

 

 

 雨でフィールドは泥沼のようになっているにも拘らず、スピードは衰えていない。豪雨の中でも走り尽くしているのだ。たゆまぬ鍛錬をしてきた証だ。

 また更に、

 

 走りが、一段と安定している。

 

 進清十郎は、ライバルの確かな成長を見取る。爆走するアイシールド21は、一回戦よりも速く、細かく、鋭くステップを踏みこみ、フィールドを切り込んでいく。

 

 あの日から、小早川セナは練習に一本歯下駄トレーニングを取り入れるだけでなく、日常生活、学校生活の中でも一本歯下駄を履き続けた。最初はよく転んだりして周りに迷惑をかけたりした(あと当然変な目で見られた。厚底ブーツで背伸びしてるみたいで恥ずかしかった)けど、ヒル魔が校長先生に交渉(脅迫)してくれた。

 泥門デビルバッツは大半の選手がアメフト歴一年足らずのルーキー。小早川セナもまたそうであり、一試合ごと、また一日ごとの伸びしろが大きい。

 

 それでこそ、だ。

 

 セナの走りに注目する進の口元が、ふっと緩む。

 

 

(来・た・よ・ほら高校レベルじゃねぇんだってあいつ。どーんだけ曲がんだっちゅう話だよ。反復横跳び世界チャンプかよっちゅう話だよ)

 

 目の前の美味しそうな餌(ひるまよういち)を狙って飛び出したせいで、前の壁の人数が減り、それで生じた穴を他の泥門選手が大きく広げて突破口とする。

 

 

「来たァァアアアア!! セナ――!!」

 

 

 ひとり、またひとりと白秋の守備陣を、その僅かも触れさせない迅さで抜き去っていく。

 

「っしゃ! 光速4秒2に乗ったァ! こうなったらもう止めらんねぇええ!!」

「アハーハー、カッコイイじゃないか。今回だけはセナ君に主役を譲るよ」

 

「今回だけ?」

 

 ゴールラインまでの光り輝く道筋(デイライト)は見えている。

 その先に立ちはだかる障害は、最後尾を守備する二人。

 

「止めるぞマルコ! 二人がかりなら何とか」

「や、ちょっと待って天狗先輩、泥門にはまだ一番ヤバいのがいるから――」

 

 ぞくり、と身震いをした。

 ボールキャリアーであるセナに視線を向けた。敵意を向けたことに、その“殺意”は反応した。

 

「おおおおいィィィ、滅茶苦茶ヤバいのが来ちゃってるよコレ!?!?」

 

 飛ばしてくる眼光だけで、先輩の天狗っ鼻がへし折れてしまいそうなほど、峨王と同等の威圧感を、更に凝縮してぶつけてくる鋭き刃先の如きプレッシャー。

 ――『妖刀』長門村正。

 さっきまで峨王が圧していたが、その峨王以外の面子ではまず抑えられようのない怪物。

 それが、アイシールド21のリードブロックに入って前を引っ張っている。当然、これを阻まんとする白秋の選手であるマルコと天狗は鋭き眼差しに狙い定められている。

 白秋最強の壁である峨王は、ヒル魔妖一と栗田良寛の方へ行っており、フォローに間に合うことは不可能だ。

 ありゃ、マズい。とても狙える状況じゃない。

 

「なん…で……動け……――」

 

 ドグッ! と。

 SIC区で猛威を振るった、白秋ダイナソーズの中核を担う二人、マルコと天狗を一人で、それぞれ左右の腕一本ずつで押さえ込んだ。

 二人がかりならやれる、なんて幻想(セリフ)を瞬く間に打ち砕く。

 

 

「やーーー! 抜いたーーー!」

 

 

 喝采を上げるチアリーダーの声援とともに、仲間たちが切り開いた道を駆け抜けた光速のスピードスターは、ゴールラインを踏んだ。

 

 

『アイシールド21! 豪快なランで全員を抜き去り、タッチダーーウン!』

 

 

 ~~~

 

 

 14-8。

 泥門逆転。点差は一タッチダウンで覆せる程度のものだが、ゴリゴリの力押しで白秋へ傾いていた会場内の空気を五分五分にまで持ち直された。

 アイシールド21の爆走はそれだけのインパクトが大きかった。いつもであれば、峨王の圧殺力に潰されれば、敵陣はお通夜みたいに悲壮な雰囲気に陥るものだが、それもない。

 勝つ気でいる。貪欲に勝利を狙っている。

 この士気をがた落ちさせるのならば、いったい誰が狙い目か。

 

 まず泥門の中で文句なしのぶっちぎりにヤバいのは、長門村正。

 今のプレイで思い知らされたが、あれはまともに当たったら峨王以外は相手にならない。マルコ(じぶん)も含めてだ。天狗先輩と二人がかりで押さえ込まれるなんてシャレにならないし、隙が一切ない。スピード、パワー、テクニックのどこを取っても完全無欠。一芸に秀でた専門職(スペシャリスト)が大半を占める泥門の中で、ランもキャッチもブロックもパスもできる唯一の万能選手。あの男を沈められればチームの総合力、脅威度は一回り以上ランクダウンするだろう。しかし、峨王のぶちかましを食らっても中々に壊れない頑健さも備えているから厄介。峨王はそれを愉しんでいるが、白秋の司令塔の立場からすれば早々に決着をつけてほしいところだ。

 次点で潰しておきたいのは……

 

(ま、『クリスマスボウル』を獲るなら、帝黒学園の大和猛(アイシールド21)同格(ライバル)を潰せないと証明にならないちゅう話だよ)

 

 この関東大会二回戦・泥門デビルバッツとの試合は、力頼みの、“敵を破滅させる戦略”が間違っていないかを確かめるための試金石でもある。

 

 

 ~~~

 

 

 ――蹂躙劇が、始まる。

 

 白秋ダイナソーズの無敵の力押し。アメリカンフットボールの原点である『北南(ノースサウス)ゲーム』

 高校最強の剛腕(パワー)で、障害を破壊していく峨王力哉を阻める存在などありはしない。

 

「GYYYYAHHHH!!!」

 

 泥門の中央を護る栗田が強引に押し退けられる。

 そのボルテージは最高潮を吹っ切れており、栗田をしても5秒も抑えることは叶わなくなっている。

 狂奔する恐竜は更に猛る咆哮を発する。進撃を阻む第二にして最終防衛線――長門を破壊せんと――

 

 

 そして――――突破する。

 

 

 ~~~

 

 

 筋肉の膨らみと体重移動で、どのような軌道で来ようとするかわかる。

 これは誤魔化そうとしても無駄だ。フェイントで虚偽の情報を動作に取り入れても、踵の浮き具合でわかる。

 動体視力というより、行動の予備動作から先読みする。

 相手の目や、目立つ手足ばかりを見ない。一歩引いた立ち位置から自分の後頭部を見るような感じで視野を広く取って、相手の身体全体を捉える。

 

 武術用語ではこれを、『目付け』と呼ぶ。“見る”のではなく、“感じる”に近い捉え方で、相手を探る。

 

 ――見切った。

 

 試合前、僅かながらも集められた試合記録。

 その不足した情報量を補うために、鍔迫り合いを演じた。実際にぶつかって、この肌身(からだ)で精度を微調整した。

 

 そして、そのタイミングを把握し、“必殺の毒”を完成させる。

 

 

「何ィイイイイイ!!」

 

「あの()()()……吹っ飛ばされた……!?」

 

 

 その光景に、観客から選手、会場にいる全員が目を剥いた。

 

 高校屈指のデストロイヤーが、押し倒された。

 絶好の獲物に食らいつき、圧し潰そうとした恐竜が、逆に押し込まれたのだ。

 

 

 力しかない。

 この暴力的な破壊(ちから)こそが、絶対だ。

 

 

 全国大会決勝を制するために掲げたその理屈を、粉砕して迫る『妖刀』の切先。

 マルコの前に、峨王を押し退けた長門が迫っていた。

 

 

 ――『十文字槍(トライデント)タックル廻』!

 

 

 肩、肘、手首を連動させながら内側に捻り込む加速させるハンドスピード。

 間合いに入った瞬間に、来た。触れれば断つ穂先と化した腕が螺旋を描き、竜巻を生まんばかりの勢いで唸りを上げる。

 

 マズい、だとか。

 ボールハンドリングで躱す、だとか。

 いや、ボールを確保する、だとか。

 

 そんな思考は一切手遅れ。すでにこの身に超速で揮われた“(こぶし)”が抉り込まれている。

 

 

 ――あの“十文字槍”はもはや自分の“三つ又槍”とは別物。

 進清十郎は見取る。長門村正が腕を突き出す瞬間に絶妙のタイミングで同じ側の足で踏み込んだのを。

 そう、直前でナンバ走りのように右足と右腕を同時に踏み込み突き出す。

 空手で言う順突き。通常の『スピアタックル』よりも拳一つ分以上伸びてくる。ボディバランスに自信がなければまず体勢を崩すような、捨て身の技。

 だが、一気に間合いを突き切る。

 

 その一刺しは精確に標的である円子令司の重心軸を捉えており、右にも左にも逸らさせない。

 

 

 ああああ――なんつう、破壊(ちから)――

 

 そう、これは今まで敵選手に食らわしてきた、絶対的な力と同じ。

 神龍寺ナーガの金剛阿含を沈めた一撃必殺が、今、円子令司に襲い掛かった。

 

「――マルコ!」

 

 ドグシャア――!!

 地面に叩きつけられた衝撃に白目を剥くマルコ。

 意識が飛ばされたその腕から、ボールは手放された。

 

 零れ球を拾おうと、動き出す白秋の選手。

 だが、峨王とマルコというチームの中心が倒された衝撃から立ち直るのに、1秒、出遅れる。

 その1秒の遅滞は、致命的。

 

 ――誰よりも早く、そして、誰よりもボールの近くにいた白秋の選手に飛び掛かるは、アイシールド21。

 

「はっ! 長門の野郎、(ライン)じゃねーくせに峨王をやりやがって! これじゃあ、こっちが恰好つかなくなんだろ自重しやがれ!!」

 

 そして、自由になった零れ球を拾うのは、峨王が倒されたことに驚愕して隙を晒した相手をすかさず『不良殺法』で引き倒した十文字。

 

「っ! 何やってんだ早くそいつを止めろーっ!」

 

 峨王に続いて、司令塔であるマルコが倒されたせいで指示系統が飛ばされず、反応が鈍く始動が遅い白秋ダイナソーズ。天狗がベンチから声を上げるも、その時には十文字の走路を確保せんと泥門もブロッカーに入っている。

 

 

『タッチダーーーーウン!! ななななんと泥門、関東最恐・白秋ダイナソーズを捻じ伏せたーーっ!!』

 



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38話

「――流石だ、村正。あの峨王氏を倒すなんてね」

 

 関東大会二回戦――最大のライバルの活躍を中継する試合映像に、大和は歓喜の笑みを浮かべる。他にテレビを窺っていた帝黒学園の面子の大半は慄きと、驚きを通り越した呆れ半々の反応を示しているが、大和は画面越しに映し出される背番号88へ目を輝かせている。

 ホンマ、大和は長門村正(ライバル)のこと大好きやなぁ、とアレキサンダーズの主将・平良呉二は苦笑をこぼし、

 

「てか、あの白秋のゴッツいの、峨王を倒すなんて、どないなっとるんねん。あんなんと力比べなんてしたらうちかて骨折れるでマジで」

 

「ヘラクレス氏、村正は、ブロックした後、即座にタックルを決めている。つまり、あの峨王氏を吹き飛ばしたのは、力ではなく技だろうね」

 

 大和はそう言うと、離れた席でギターを気ままに奏でていたチームメイトへ視線を振った。

 

「そうだろう、赤羽氏? アレは君の技だろう」

 

「フー……大和の言う通りだね。この前のセッションでわかっていたが彼は僕の音楽性を理解できていたし、我流な面も見受けられるが、よく研究しているようだ。でなければ、ハードテンションの弦を奏でることはできないだろう」

 

「赤羽の話はあいっかわらず超わかりづらいし、結局、大和君の幼馴染はどんな峨王対策をしたんや」

 

 難解な独自の世界観に、安芸礼介は突っ込む。

 フー、とため息ひとつして、ギターに手を添える。

 そして、何も言わずに、ギャーン! と勢いよく弦を弾く。

 

「と、こういうことだ。彼はその知性でもって峨王の肉体を凌駕した。それだけの話だ」

 

「いやいやいや音楽の授業やないんやから、いきなりギターやられたってさっぱり意味わからん! 知性がどうのゴチャゴチャと理屈を捏ねられたって、こっちは理解できへんわ!」

 

「『蜘蛛の毒(スパイダー・ポイズン)』、か」

 

「えっ? 鷹は赤羽の話がわかったんか!?」

 

 静かに本を読んでいた本庄鷹の口からぽつりとその種明かし(こたえ)は出た。

 

 『蜘蛛の毒』

 相手がこちらを倒そうとする時、力を入れて踏み込むために、一瞬だけ重心が後ろに下がる――その瞬間をすかさず押し込む。

 そうすれば、どんな巨漢が相手でもあっさりと倒せる。

 この相手の重心移動を利用する妙技で、東京地区オールスターとの交流戦にて、赤羽隼人は栗田良寛を倒している。

 

「なるほど! 赤羽の『蜘蛛の毒』なら、どんな奴もイチコロや。これならうちらも峨王をやれんとちゃう?」

 

「いや、それは無茶だろう。『蜘蛛の毒』をするには敵のタックルを受け、なおかつ組み合えるだけの状況に持ち込まなければならない。

 僕には些か荷が重い」

 

 

 ~~~

 

 

 パワーで敵わなくても拮抗できれば駆け引きに持ち込める。それで十分だ。

 かつて山本鬼兵が栗田良寛を圧倒したように、腕力の差とは絶対なものではない。

 『蜘蛛の毒(スパイダーポイズン)

 『リードブロックの魔術師』赤羽隼人の技。その要訣は、重心を見切り、踏み込むタイミングで後押し。

 そこに古武術の身体運用、長門村正は腕を伸ばし組み合った体勢からでも前足に体重を乗せて肩甲骨を使うことで突き飛ばすことができる技を合わせる。

 真っ向から組み合いながら相手の重心移動を把握し、自分の重心移動からの奥の手で突く。

 そう、正々堂々と不意を突いたのだ。

 

「また技か。そのようなものなどに頼らず純粋な力でなければこの俺を殺せんぞ、長門」

 

 『蜘蛛の毒』は、ただ相手を倒すだけ。

 敵を破壊するだけの威力はないのだ。そんなのは、峨王からすれば“逃げ”と変わらない。

 だが、そんな峨王の落胆などお門違いだと長門は切って捨てる。

 

「勝手にルールを作るな、峨王力哉」

 

 力ではかなわないのは承知した。

 だが、長門が挑んでいるのは、そんな力比べ以上の戦い――つまり、チームを勝利に導くためのプレイをすること。

 個人勝負のパワーで劣るというのに、単純な力比べに挑み続けると思うのか。そんなのは思考停止と変わらない。

 

「これが、俺の全力。真正面からぶつかり合うだけが勝負じゃない。駆け引き、小手先、持ちうる全てのカードを駆使してこその戦いだ」

 

 アメリカンフットボールの原点は、力だった。

 しかし、現代のアメリカンフットボールは、パワー、スピード、タクティクスの三拍子を制したものが勝利する。

 

 峨王力哉は力こそ圧倒的だが、目前の相手を倒すことだけしか考えていない。

 自分が倒れないようにするとは思わない。常に前進。突っ込むしか能がない。それで埒外のパワーで敵を圧し潰し、蹂躙する。

 故に、読み易い、と。

 長門は、その分かり易過ぎるくらいの前傾姿勢に与み易さを見つけていた。

 峨王は獲物を食らい倒すことに前のめり過ぎて、ラインマンとして“倒されない”という意思が薄い。未熟。

 競り合いの次元(レベル)を上げるためには、峨王と張り合えるだけのパワーが土台必要となるが、己の土俵に持ち込めるだけの力は長門にもあった。

 

「……そうか。俺の方が甘かった、ということか。ならば、その貴様の全力を、俺の力で粉砕してやる」

 

 

 ~~~

 

 

 真っ向から不意を衝く一押しに、まんまと体勢を崩された峨王。後ろに反った重心を取り戻さんと蹈鞴を踏みながら転倒を免れようと踏み止まったが、向こうの次の手が早かった。

 

『またも峨王が吹き飛ばされたー! 泥門長門止まらないー!』

 

 21-8。

 点差がついたが、それ以上に士気がマズい。絶対だと信じてきた峨王に止められないというのは、白秋にとってこの上ない衝撃をもたらした。

 

「どどどどうなってんだよォォォこれ、峨王がやられんなんて、強過ぎるだろ長門。俺なんかミジンコ以下じゃねーか……」

 テンションのアップダウンの激しい天狗先輩はもう早速悲観的な鬱状態に入ってしまっている。

 

 峨王のやる気は満々なんだけど、長門は至極冷静に対処している。

 峨王の筋肉の動き、視線の向き、重心の偏り、足運び、それから、感情的な気配を読んでいる。それも単に視覚で捉えるだけでなく、体と体が触れ合った刹那に触覚でも動作を読み取っている。

 一髪千鈞を引く競り合いの最中に読み切って、相手を掌握する。

 

 やっぱ、太陽戦に出させたのがまずかったか。それともあの取材記者にマリアが情報を渡すのを見逃したこと……いや、ヒル魔なら、こっちが隠蔽してきた地区大会の試合記録くらい入手してきそうだ。

 

 兎にも角にも、峨王の癖を把握されている

 アメフトを始めてからまだ一年足らずの“新人”である峨王は、動きに癖がある。その弱点を突かれている。こういう駆け引きの土俵となれば、相手が何枚も上手だ。

 そこまでわかっているが、対処をどうするのかが悩ましい。

 『蜘蛛の毒』の対抗策くらいならば、マルコにも思いついてはいる。

 ただし、実際にできるかどうかは別問題。突っ込まないで、壁役を務めるなんてマネは峨王の性格上、無理。偽の重心移動をやるのも無理だ。

 

 

「うおおっ! さらに勢い増して突っ込んできたぞ峨王!」

 

 

 峨王には力がある。高校最強の力だ。

 そして、敵を破壊せんとする闘争本能。

 

 一撃だ。

 一撃でも会心のを見舞えば、『妖刀』を破壊してやる――!

 

「そうだ! 力は絶対なんだ! 峨王君は絶対負けない!」

 

 峨王の思う“つまらん小細工”でいなそうとするなど挑発行為と変わらない。

 さらに強く、さらに重く、さらに速く。

 真っ向から敵に迫る。小細工など弄する時間も与えない。後ろ足を踏み込むタイミングで押し込んでくるのなら、組み合う前から仕掛ける。

 

 

「ケケケ、んな力一辺倒の脳筋戦法にやられるほど糞刀は甘くねぇ」

 

 

 激突の刹那――

 

「ぐぬっ――」

 

 敵の袖を掴んで、

  斜めに踏み込み、

   一気に引き倒す!

 

 重心が前のめりになった相手の力を利用する『不良殺法(ブル&シャーク)』。

 柔よく剛を制すという言葉の教本に載せられるぐらいに、秀でた技でもって、力をいなす。

 

「はっ! 長門の奴はとことん俺たちのお株を奪ってきやがる! 峨王の相手も熨斗をつけて譲ってやるよ!」

「はぁっ! 何度ぶつかってこようが長門には敵わねーぞ峨王!」

「ハァアアアア! 長門、峨王は任せた! こっちは俺達に任せておけ!」

 

 と『不良殺法』に反応した十文字、戸叶、黒木が頼もしいチームの大エースに負けじと――峨王のお相手の方は丸投げでおまかせして――白秋の壁を押し込む。

 

 

『またも止めたァァーー! 白秋、攻撃失敗! 泥門に攻撃権交代です!』

 

 

 ~~~

 

 

「長門スゲーな! あのパワーMAXな峨王を完封じゃねーか!」

「すごいよ、本当、もうすごいよ、長門君!」

「フゴッ!」

 

 騒ぎ立てる糞一年生(ジャリ)達。

 会場内の盛り上がりや声援も泥門側が大きくなっているのに、わざわざ水を差す――ましてや白秋の連中、特に目敏い糞睫毛(マルコ)に情報を漏らす真似などしない。

 

「糞一年生共! とっととポジションにつきやがれ!」

 

 平然としたすまし顔を振る舞っていやがるが、技で躱しに行くということは、それだけ力押しは無茶、肉体が耐えきるのが難しくなってきたと判断している。それも『蜘蛛の毒』でもまったくのノーダメージとはいかない。

 一任にするのは、負担が大きい。危険だ。

 ただでさえ、このぬかるんだグラウンドでは、体力の消耗具合は2、3倍だ。そこで半端ない負荷のかかる峨王の相手をする。試合終了まで保つとは思えない。

 そして、点差がついているが、期待がのしかかってる糞刀が負傷退場なんてなれば一気に持っていかれかねない。

 

 本来ならば峨王の相手は、後衛がする仕事ではない。あの一緒になって暢気に喜んでいる……

 

(チッ……最悪のケースは避けたいが、ベンチに下がらせるわけにもいかねぇ。フィールドに突っ立ってるだけで牽制になる以上は、案山子だろうがいてもらう)

 

 泥門最強(ジョーカー)を見せ札とする方向で戦略を組み立てる。

 リスクはデカいが、都合がいいことに、『ロンリーセンター』で峨王はこちら側に引き付けておける。

 

 

 ~~~

 

 

「――ぶちかましやがれ、糞刀! 速選(オプション)・エベレスト・デビルレーザー(バレット)!!」

 

 それは、常人には手の届かぬ高みを突き抜ける高弾道高速弾丸パス。

 高身長に力強い跳躍力、それに屈強なボディバランスを有する長門村正だから達することのできる高度と速度の絶対領域。

 完全なるアドリブで連携を取るヒル魔妖一のホットラインを侵犯することなど誰にもできはしない――

 

「ちょ、俺ひとりじゃ長門の相手は無理だ!」

「近くの奴らは急いでマークに張り付けぇええ!」

 

「かぁあ違うって! 長門へのパスじゃなくって囮だからこれ!」

 

 というのは虚言(デマカセ)の設定である。

 白秋の守備陣が長門に釣られるのを他所に、ボールを懐に抱えたヒル魔は、テッテケテッテケと大外に大きく迂回するようライン際近くを行く。パスを投げるふりをして、投手がボールを持ってそのまま走る、『QB(キュービー)ドロー』だ。

 

「やべぇ誰もいねぇ!」

 

 峨王は栗田が、そして、多人数を割り振った逆サイドに白秋の守備は寄っている。ハッタリで揺さぶったのもあるが、先程のアイシールド21爆走の印象が強かったせいで、ヒル魔の前は手薄となっていた。

 

『ヒル魔独走ォーー!!』

 

 ――しかし、ボールの行方を逃さぬ男が一人。

 

『これはマルコ君! ヒル魔くんのフェイントを素早く察知して回り込んでいたーーっ!!』

 

 トリックスターの奇策奇襲に振り回されずに、その動向を見抜いたスパイは、円子令司。

 

「よ~く言うよっちゅう話だよ。な・に・がオプション・エベレスト・デビルレーザーバレット! だか……」

 

「ケケケ、だが、テメェ以外はまんまと釣られやがってんな糞睫毛!」

 

 両チーム司令塔同士の一騎打ち。

 ヒル魔は、洞察す()る。

 峨王の情報は手に入ったが、この男の実力の程は未だに定かではない。能ある鷹は爪を隠すを地で行くような七面倒な相手だ。地区大会でも糞鼻(てんぐ)を影武者に仕立てていたが、最低限、卓越したボールハンドリングでアイシールド21の『電撃突撃(ブリッツ)』をしのげるだけの技量を有していることから、糞鼻よりも守備ができる。直感になるが、まだカードを隠しているはずだ。

 

 まったく目線が揺らいじゃいねぇ――

 さっきのフェイクにもこの男だけは全く揺さぶられなかった――

 いや、揺さぶられてないとかそういうレベルじゃない――

 糞睫毛は、ボールキャリアー(このオレ)すら見てない――

 

 ――なら、何に目標を定めていやがる。

 

 そのとき、鋭い声が飛んできた。

 

 

「――ボールだ、ヒル魔先輩!」

 

 

 長門は離れた第三者の視点だから一目で看破した。視線の行方、それからその答え(ねらい)に気付く。

 そして、このヒントにヒル魔の脳神経に電流が走る。

 完璧にボールを追ってやがる。

 敵の頭や目線のみを追えば必ずフェイントに釣られる。

 腹やボールを見据えるのは守備の技巧の一つだ。

 そう、マルコの視点はボール一点に固定されていた。

 

 しかも糞眉毛は糞チビを躱したように手癖が悪い。だとすれば――

 

 ――だが、遅い。

 

 肉食竜の狩人の、目の色が変わった。

 キープ重視に両腕でボールを懐に抱え込んでいれば、秘めた牙は収めていたが、独走していたヒル魔は走りやすい片手持ちだった。

 

 女には愛。

 そして――男には力。

 

 

 ――『スクリューバイト』……!!

 

 

 抜き去りざまに、肉食竜の牙が喉笛に食らいつき、顎の回転で獲物を噛み千切る。

 力ずくでボールを掻き出す超高等テクニック、『ストリッピング』だ。

 

「うおおお! 奪った! マルコの勝ちだ!」

 

 ボールをヒル魔から強奪したマルコは、そのまま前に走る。白秋のゴールへ。

 

「なっ……」

 

 『QBドロー』は他の選手全員を囮としたヒル魔の単独プレイであっただけに、フォローが遠い。さらには、『ロンリーセンター』で対峙していた栗田を倒した峨王を護衛とした。

 阻めるものなど何もない。こちらの攻撃権で、逆にタッチダウンを決められるという最悪の展開へ一直線――

 

 ・

 ・

 ・

 

「……が~く(なっ……が~~)――のばした足」

 

「!!!」

 

 ボールを奪われたヒル魔は、交差するその寸前に脚を伸ばしていた。――ライン際の向こう側へと。

 

 

『アウト・オブ・バウンズ!

 ボールを取られる前にすでにヒル魔君がフィールド外に出ているため、その地点から泥門ボール!!』

 

 アウト・オブ・バウンズ……ボール保持者がフィールドの外へ出たときにそのプレイは止まる。

 つまりは、『スクリューバイト』でボールを奪われる前に、ボールキャリアーだったヒル魔が外に出ていれば、その時点でプレイ終了。

 つまりは、白秋のタッチダウンは未成立で、泥門ボールのまま。

 

「しゃあああ! 6ヤード前進!!」

 

 ルールを逆手に取った緊急危機対応。

 ヒル魔の頭脳の回転の速さ(ひらめき)が、その瞬間の最善手を選び取っていた。

 

「なんちゅう狡い……いやこれ褒めてんだけどね」

 

「んなもんお互い様じゃねぇか。この糞睫毛」

 

 やられた。

 点を奪えず、隠してきた手札(きば)まで晒してしまった。点差がつき、峨王と長門の対決に、マルコは自分が思う以上に焦っていたようだ。これは失態だ。

 

「個人技で一騎打ちとかする気、かけらもないっちゅう話でしょ」

 

「ケケケ、たりめーだ。まともに戦ったらテメーのが運動能力が高ぇ」

 

 ヒル魔妖一は、己が凡人であることを理解している。

 だが、それでも勝つ術を模索する。僅か0.01%でも、その可能性があるのなら、己の凡才、相手に劣る能力すらも利用しよう。

 

「テメーに個人戦で勝つことなんざ興味ねぇ。見てんのは、クリスマスボウルだけだ」

 

 

 ~~~

 

 

「耳の穴ドリルでブチ破って良~く聞きやがれテメーら」

 

「ぶち破っちゃったら聞こえないけど……」

 

 先のプレイ。

 情報戦で後れを取らされていた泥門からすれば、白秋の円子令司の本気を知れたことは十分な戦果だった。

 そこから泥門は、対白秋の戦略方針を固めていく。

 

 ――いいか、糞チビ。マルコの前ではボールの確保に集中しろ。

   泥臭く体でねじ込んでけ。距離が出ねぇが構いやしねぇ。数で勝負だ。

 

『4ヤード前進!』

 

 ――糞猿、てめーもだ。20ヤードもぶっ飛ばすどデカイパスは今はいらねぇ。

   低いショートパスで繋ぎゃ如月が『プテラクロー』で腕絡めてる暇もねぇ。

 

『5ヤード前進!!』

 

 そう。手堅く短く繋いでいけば十分。

 今の泥門デビルバッツの攻撃カードは無数にあり――そして、対処不能の鬼札(ジョーカー)がいる。

 

 セナとモン太に散らされた白秋の守備。

 そこに切り込む鋭い一閃。

 

 

 ――糞刀。てめーがやんのはただひとつ。完膚なきまでに捻り潰せ。

 

 

 白秋は、小早川セナ(アイシールド21)にはヒル魔を見張りながら全体をフォローするマルコが止めに入り、雷門太郎には如月がマークについていた。

 そして、長門村正にはラインバッカーの天狗ともうひとりがピッタリと張り付いて、パス対策に特化した『ニッケル守備(ディフェンス)』で、徹底してその左右を固めている。

 最も厳しいマークに遭っている長門へ、それでも悪魔の指揮官は弾丸を撃ち放つ。

 

「糞刀相手にディフェンス2人程度なんてお話にもならねぇな」

 

 白秋の連中に見せつけろ。

 打った策全部を問答無用で蹴散らす力を……!

 

 ヒル魔から投じられたのは高い弾道のパス。カットは不可能だ。ならば、パスキャッチを阻止する。

 バックカットでつけられた二人のマークを一瞬で振り切るや、跳躍。更に、思い切り片腕を伸ばす。

 

「なげァああああ!!?」

 

 慌てて飛びついた相手にクラッシュされながらも芯が動じないボディバランス。

 ワンハンドキャッチは、肩を入れて最短距離で手を伸ばせるから、多少不利な体勢だろうと通常より遙かに高い位置で捕球できてしまう。

 

 

「高い……! しかも、進のタックルみたいに片腕だけ強引に伸ばして!」

 

 

「……!」

 

 

「マークにクラッシュしながら腕一本でキャッチとか、あの野郎……! モン太といい、鬼カチンとくるっすよ泥門の奴らは……!」

 

 

 関東のレシーバーは四強時代に入ったと言われているが、そこにこの男も加えるのならば、空中戦最強の評価は一強に逆戻りするだろう。

 桜庭の高い到達点、鉄馬の頑丈な肉体、一休の機敏な感性――それらを兼ね備えた天賦の超人。

 

 

 ――やっぱセナやモン太よりもこいつが一番の要注意選手だっちゅう話だよ。

 

 

 当たりに行って弾き返された天狗先輩をちょうどいい隠れ蓑にして、死角から詰め寄る。

 『スクリューバイト』

 片手キャッチして着地する、その瞬間(すき)を狙い腕が伸ばされる。パスキャッチの高さに物理的に届かなくても、最後は着地する。三人が空中戦でクラッシュしている乱戦の最中でも肉食竜の眼光は、狙った獲物(ボール)を見逃さない。

 

 

「やっぱすげぇよ長門。一か八かの片手キャッチを雨の中でもMAXに決めてくれやがって……! しかも油断や隙が微塵もねぇんだからな」

 

 

 な……っ!

 長門がキャッチしたボールを掻き出そうとしたマルコだったが、ガッチリと動かせ(うばえ)ない。

 片手キャッチなんてウルトラCをやった直後に、懐に抱え込んでいる。

 片手でボールの回転に合わせるように手首を巻き込むのと一緒に腕で挟んでいた。

 キャッチ力と腕力でキープされたボールは、肉食竜の顎でも奪えず。

 

「お゛お゛お゛お゛――っ!!」

 

 慢心ゼロとか、どうやったら倒せんのよ!?

 そして、捕まえようが足を止めない、食らいついても強引に振り払う、相手を引きずって一歩でも前進するパワーランが炸裂。

 

 

『泥門デビルバッツ! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 

 どうにか最後はぬかるみに鈍ったところで膝をつかせたが、それでも大量ヤードを稼がれた。

 

 

 ~~~

 

 

 折れない。

 これまでの試合で、峨王の脅威に晒されながら折れないでいられるチームは泥門が初めてだ。

 

 ……しょうがない。

 出来る限りクリーンな試合に徹したかったけど――()()()()()

 

 

 ~~~

 

 

 ぞくり、と背筋に走った悪寒に、セナはつい白秋の方を見た。

 

 ……なんだ。この、やな空気。

 心臓が絞られるみたいな……

 

 臆病な自分の考え過ぎなのかもしれない、とセナは嫌な予感を飛ばすように首を振った。

 

 その後。

 

 これまで負傷者が出てないことを自分たちは楽観視していたことを思い知ることになった。

 

 

 ~~~

 

 

「SET――HUT!!」

 

 

 女には、愛。

 

 男には、力。

 

 

「うおお誰だ!? ヒル魔に突っ込んだのは――如月!!?」

 

 

 ヒル魔妖一には、死を。

 

 『電撃突撃』。仕掛けたのは、如月。マークに張り付かせていた泥門エースレシーバー・雷門太郎がフリーとなる。ロングパスが一発決まればタッチダウンできる得点圏内まで泥門は前進しているさなかでこれはリスクの大きい博打だ。

 

『マルコ君、僕のパワーなんか、峨王君のラッシュの足元にも及ばないよ?』

 

『でもほら、如月ならヒル魔の腕を絡め()れるっしょ?』

 

 腕へのダメージ――即ち、投手に恐怖と警戒を刷り込む、心へのダメージを狙っている。

 如月の『プテラクロー』は、腕が命であるクォーターバックには効果抜群だ。

 

 

「―――」

 

 

 『ロンリーセンター』の陣形構造上、クォーターバック・ヒル魔を護れるのは、共にチームから独立している栗田ひとり。相手の奇襲から、パスプロテクションが間に合う距離ではない。

 この状況に、ヒル魔妖一が選んだ行動は――――攻め。

 

 ケケケ、わかんだろ糞刀……!!

 

 視線を交わすその刹那に、長門は作戦で予定されていたパスルートを切り替えた。狙われたヒル魔を護る方向に、ではない。

 目線を同じくして、攻めに出た。

 この土壇場で、ヒル魔妖一が、如月ヒロミをどう躱すかを予測し、さらに回避した先からの射線(パス)を通せる角度を割り出し、その範囲内に収まる白秋守備の空白地帯に長門村正は駆け出す。

 

 そして、長門の想定通りに、移動型のクォーターバックであるヒル魔は、迫る如月から距離を取りながら、パス発射体勢に入った。

 

(これは……! 僕を十分に引き付けた上で頭の上から長門君にトスされる――)

 

 戦場の、修羅場の、年季が違う……!!

 アイコンタクトだけで意思を疎通し、独自に動く、『速選(オプション)ルート』。

 麻黄中時代からの付き合いで、最もパス練習に付き合ってきた相手、互いに互いの癖や思考を知り尽くしている。『二人体制の投手連携(ドラゴンフライ)』を本家の双子にも劣らぬ程巧みにこなせる二人には、瞬時にそれくらいの判断はわけない。これこそが、『妖刀』――ヒル魔()一の懐()である。

 

 ダメだ。完全に僕の負けだ。

 この『電撃突撃』は失敗し、泥門は更に白秋との点差(リード)を突き放す。

 

 その刹那、如月ヒロミは自分を見つめる目を見た。

 

 

「――左だ、如月」

 

 

 左――白秋の指揮官であるマルコが示した先にいるのは、栗田良寛。

 峨王に何度も弾かれながらも、食らいついてブロックする不沈艦――それを遮りに、狙っていたヒル魔を無視して如月は方向転換する。

 

「ふん――ぬらばっっ!!」

 

 栗田はしぶといが一瞬でも隙が生じれば、峨王が食い破ってみせる。

 しかし飛び掛かった如月を、栗田は反射的に一蹴した。

 

 

『おおおお栗田君! 軽く如月君を吹っ飛ばしたァーー!』

 

 

 鎧袖一触。

 流石に、力の差があり過ぎたか。あまりに軽い如月は、栗田の咄嗟の腕の一振りで吹き飛ばされた。

 ――――ヒル魔のいる方へと。

 

 

 天才であろうが、セオリーを無視した、度外視の常識外れには対応できない。

 天性というべきか、いわゆる野生。その想像を超えてくる破天荒な相手には、猶更、通用しない。

 

 

 土壇場の意思疎通(アイコンタクト)ができるのは、泥門だけじゃない。

 『絶対クリスマスボウル』の夢を共有する彼らのように、白秋は同じ信念を掲げている。

 “力は絶対だ”という。

 

 ――まさか、テメェら……

 

 今のプレイで如月ヒロミは実感した。

 自分とヒル魔とでは年季が違う。もろとも相打ちとなれば、得になるのはどちらかは考えるまでもない。

 ならば、迷う必要などありはしない。

 気後れすることがあるのだとすれば、それは神の子のように美しい峨王の闘争を邪魔してしまったこと。

 だから、その報いを受けるのは当然だった。

 

 ――さあ、峨王君。僕のことなんて気にしないで、その絶対的な力を――

 

 栗田に弾かれた勢いのまま如月が背中からもたれかかるように、ヒル魔ともつれ込む。そのせいで、ヒル魔はパスを投げるのが一瞬遅れる。

 

 そして、如月は片手で薙ぎ払える相手だが……峨王は片手で相手するのはあまりにも無理だ。迫りくる峨王の突撃は、アクセルをフルスロットルに踏んだ暴走トラックにも等しい。立ちふさがるもの皆蹂躙する破壊力。

 ほんの一瞬でも、如月相手に片腕を振るった栗田は、致命的な隙を晒してしまっていた。

 

 この展開は望み通りだった。

 

「やっぱり天は俺達に微笑んでいる」

 

 ヒル魔、絡みついてきた如月を押されて、ずるっと体勢が傾く。如月に気を取られ、泥沼の地面に足を取られた。

 

 そして、孤軍奮闘する守護者(くりた)を押し退けた、悉く滅する恐竜(がおう)が目前に。

 

 これは、もう、逃げられ―――――――――――――――――――――――――――――――—――――――――――

 

 

 ~~~

 

 

「GYYYYAHHHH――!!」

 

 その前に、味方(きさらぎ)いようが、何の躊躇にもならなかった。一切の阿責なく破壊(ちから)は振るわれる。

 如月ごと吹き飛ばされたヒル魔の身体が藁屑のように宙を舞い、地面に墜落する。受け身など望むべくもなかった。

 

 フィールドに、力なく静止した指揮官を、泥門は見た。全員が石のように固まった。凍てつくように血の気が冷えた。

 実況アナウンスさえも息を呑んで、言葉を吐き出せない惨劇の光景に、見逃してしまう。

 ただ一人を除いて。

 

 ずぶちゃ、と。

 ぬかるんだ地面に刺さる、投手の手を離れたボール。クォーターバックが確保できずに、倒される前に落としてしまった零れ球。

 

「ったく、よくまあ無茶するよっちゅう話……――でも、いい仕事をしてくれたよ」

 

 これに動けていたのは、零れ球(ボール)への注意を外さなかった、狡猾なる肉食獣(ハンター)

 

 ――まだ、プレイは終わっていない。

 

 マルコは倒れている敵や味方も意に介さず、堂々とゲームを続行する。

 白秋ダイナソーズからすれば、峨王に相手投手が潰される光景など、感覚がマヒするくらいに見慣れている。

 

「……お」

 

 状況を、把握できるだけの思考能力(りせい)はあった。

 だが考える機能が働いていても、この震えを抑え込むことなんて不可能だった。

 護ることができなかった、と身を焦がす己への責め苦が胸中を占める。煮えたぎる溶岩の如き情動は、漆黒の殺意へと瞬く間に転化される。

 

「お゛……」

 

 『妖刀』は赤熱する刃であり、炸裂し放たれた弾丸だった。

 

 

「お゛お゛お゛おおおおおおお!!!!」

 

 

 一刀修羅。

 ありとあらゆる能力が、敵を叩きのめすことだけに注がれていた。

 生まれてからこれまで一度としてなかった、すべての能力どころかすべての精神の――その一滴までもただ一つに傾け尽くす快感を、血の味とともに噛みしめた。

 

「それこそが貴様の真なる殺意か!! いいぞ、存分に壊し(やり)合おう長門村正!!」

 

 ゴールへ駆け出しているマルコに迫る長門の前に、峨王は立ちふさがる。待ち望んだ瞬間を、自ら出迎える。

 

 さあ、魅せろ。

 無粋な自制など棄てて、俺を殺しに来い!

 

 鬼気迫る疾駆は、敵を躱すためではない、目前の敵を壊すための助走。

 今の長門村正は鞘など投げている。この抜き身の殺意の波動に当てられ、峨王の歓喜が狂熱に沸騰する。喜悦の滲む笑みを、犬歯を剥き出しにして浮かべ、憚ることなく咆哮を爆発させた。

 血が滾る。肉が躍る。心が猛る。

 この昂りに身を委ね、奮い起こった力をぶつけん!

 

 峨王は、長門を真っ向から受けた。

 その力のすべてを余さず抱擁せんばかりに。

 この漢の血肉を頂こう。我が全力の暴威に眠れ。

 

 そして、狂奔する恐竜が獲物を食らわんと大口を開け、修羅が呑まれた。

 

 

 ~~~

 

 

 背後を襲う強烈なプレッシャーが刺し貫いたが、しかし、マルコの独走を阻むことはあり得ない。すぐに、鎮圧される。

 

 峨王はずっとみんなを壊し続ける。

 殺意で復讐してくる強い男を欲して。

 でも、そんな男はいない。

 俺にとっちゃ都合のいいことにね。

 皆、峨王の絶対的なパワーの前に、(こうべ)を垂れて、折れるんだ。

 

「最強は、峨王だっちゅう話だよ」

 

 その通りに、先程のプレッシャーが潰されていくように小さくなっていくのを感じる。

 ちらり、と視線を後方へ飛ばす。

 そこには、己がスカウトした破壊(ちから)が、ついに己が想定する最高峰の選手を押し潰している光景があって。

 

 

 瞬間、恐竜の顎から脳天を貫く『妖刀』を幻視し()た。

 

 

 ~~~

 

 

 その腕力は凄まじい。己よりも上だと思えたのは、これで二人目になる。

 だが、力の入れ方が雑だ。野獣は己が全力をぶつけても壊れない相手との経験が不足しているがために、その絶大な力の引き出し方を知らない。

 

「―――」

 

 無駄に筋肉を盛り上げさせた達磨とは違う。

 一部の無駄なく鍛え上げ、完全に律し操れる刃そのもの。

 

「ぬ……?」

 

 長門の両肩にのしかかるのは、ユニフォームを破らんばかりに筋肉が膨張する峨王の(かいな)

 だが圧し潰さんとする重圧に反して、峨王の体が浮く。足が地を離れる。

 

 『蜘蛛の毒』のようなテクニックとかいう次元ではない。

 

 純粋なるスピード&パワー。

 40ヤード走4秒5。走者としてもハイレベルである走力(スピード)が、激突時の威力(パワー)を数倍に押し上げる。

 

「あの峨王を、かち上げやがった……!?」

 

 己が全てを注ぎ込まんとした刀匠に散々打ち込まれて仕上げられた大業物。

 単に凄まじい衝撃をぶちかますのではなく、峨王の身体の奥深くまで響くそれは、百錬自得が生んだ、最強の突破力。

 

 この強敵が振るうは、野蛮な爪ではない。粗暴な力を一極に凝集させ、洗練された刃。

 組み合っている最中にも、峨王は己が雑さを身に染みて理解させられる。

 この精気滾る、否、鬼気滾る漢は、己の見込み以上だった。

 

「ならばこそ、俺も更なる全力を闘争に注ぎ込むのみ!」

 

 だが一身で突きあげんとする長門は、ついに峨王の身体を持ち上げるに至った。

 

「峨王!?」

 

 ギョッと視線だけじゃなく、首も大きく巡るマルコ。

 己が選んだ暴力装置(ちから)が、ここで潰えるのか――

 

 

 ~~~

 

 

『白秋ダイナソーズ、タッチダーーウン!!』

 

 

 ~~~

 

 

『ふんぬらばー!』

 

 グラウンドを使う各運動部の荷物運び。

 

『荷物運びしたから……これで、またグラウンドの隅っこ、貸してくれるよね!??』

 

 それを対価に得られる1m四方の空間で、お手製の練習器具に向かってぶつかってきた。

 放課後に練習を始めてから、帰宅時間になるまで延々と……

 

『おーい! はみ出てるぞ! グラウンド隅っこだけって約束だろ。正式な部活じゃねーんだからさ』

『ごごごめん!』

 

 アメフト部がちゃんとした部に認められる前のこと。

 当然のように部費などでないから、溝六先生が作ってくれたタックル用の練習器具が唯一ぶつかれる相手で、そして、それをよく壊していた。

 

『ごごごめんなさい溝六先生! また器具壊しちゃって……!』

『謝ることじゃねーっていつも言ってんだろ。またちょっくら直してやっから……しっかし、栗田のパワーを受けるには、寄せ集めのこいつじゃあちと厳しいか』

『気を付けます! 今度こそもう絶対壊したりしません!』

『いやそんなんじゃ練習になんねーだろ。むしろこれくらいぶっ壊すぐらいじゃねーと、クリスマスボウルへ行けねーぞ』

 

 だけど、それは一年も前の話。

 

 ヒル魔と武蔵が入部して、ちゃんとしたアメフト部に認定されて、そして――

 

 ・

 ・

 ・

 

「わわ、わー! す、すごいよ長門君! 押しても全然ビクともしない!」

 

「………」

 

 練習器具相手ではなく、実戦式で押し合う対人練習。

 それで真っ向から衝突しても押し進ませなかった今年入部の後輩に、栗田は絶賛する。逆に抑え込まれたことになるのだが、悔しさなど微塵もない、満面の笑みである。きっと心から誇らしく思っていることが、その顔を見れば誰だってわかる。

 一方で、称賛を受けているはずの後輩の長門は、渋い顔。

 

「栗田先輩」

 

「何かな、長門君!」

 

()()、手を抜きましたね」

 

 半目で、じっと非難する。これに栗田は慌てて、

 

「そ、そそそそんなことないよ! 僕は全力、でぶつかって……ね?」

 

「そんな最後に自信なさげに訊かれては、こちらも騙されようもないんですが。まったく、ウソがつけない人ですよね先輩は」

 

 多分に呆れの篭った息を吐く長門。

 向こうで、武蔵のキック練習に付き合っているヒル魔を見ながら、

 

「何というか、栗田先輩はプレイが縮こまっている……相手に遠慮していることが多い。ほら、ヒル魔先輩がする掛け声のように『ぶっ殺す』くらいの気持ちでやってみませんか?」

 

「できないよそんなこと! 長門君は初めての、それもすごい僕たちの後輩なんだから!」

 

 長門が提案するも、全身で拒否反応を示すかのように手と頭を左右に全力で振る栗田。

 

 麻黄中デビルバッツの新戦力、長門村正は、紛れもなく天才だ。

 ブロックも強いが、キャッチもランもパスだって上手だ。体を張って壁になることしかできない自分とは全然違う。

 正式な部になって10分後に試合を申し込んだ王城の進清十郎にだって負けない素質のある将来有望な後輩。そう思うのは栗田だけじゃない。ヒル魔や武蔵も一緒。溝六先生も中一なのに半端なく厳しい練習を課しているのは、それだけ大きな期待をしているからだ。

 

 だから、壊さないように、大事にしないと。

 大事な後輩を、練習器具のように壊したら大変だ。

 

「だから、絶対に長門君がケガしないように全力で注意するからね!」

 

 そんな力いっぱいの宣言にまた悩ましそうに眉間に指をあてる長門。

 

「はぁ~~……ヒル魔先輩は、パスキャッチ百球目だろうが、嬉々としてキャッチの限界点をついてくるスパルタ仕様だというのに、栗田先輩はどこまで行っても接待対応が抜けきらない激アマ仕様とか。先輩方は、本当に真逆を行っている。だから、相性がいいのかもしれませんが」

 

「そ、そうかな!」

 

「別に褒めてはいませんからそんなテレテレしないでください。確かに、そういう優しさが栗田先輩の美点なんだと認めてますけど、このままだと練習にならない」

 

 厳しいことを突き付けるが、それも事実だ。

 試合では、相手はこちらを全力で潰しにかかってくる。敵だ。敵はこちらも全力で潰しにかからなければならない。そうでなければ、やられるのは仲間たちになるのだから。

 だから、練習で手を抜くような真似をされては、たまらない。

 

「俺は麻黄中に入ってから、先輩方の凄さを見てきました。武蔵先輩のキックやヒル魔先輩の戦法を思い知ってきましたが、一番にこの肌身に体感しているのは、栗田先輩のパワーです」

 

 人数こそ少ないが、ここには本気で全国大会決勝(クリスマスボウル)を夢見ている先人がいた。だから、長門村正は、この麻黄中デビルバッツに加入したのだ。

 ここなら、自分も本気でぶつかり合えるんだと信じたから。

 その意志を目に篭めて、心優しき、このチームを創り上げた最初のひとりである先輩を見つめる。

 

「日本刀の玉鋼は、繰り返し打ち込んで鍛錬することで強度を増していく。

 だから、栗田先輩、本気で、ぶつかってきてください。この先、どんな相手のタックルを食らっても、絶対に壊れない選手になります。そのためにも、俺が初めて会った、俺以上のパワーを持つと認めた栗田先輩に本気で打ち込ませないとならないんですから」

 

 

 ~~~

 

 

『白秋! 白秋! 白秋!』

 

 白熱する白秋の応援席。

 一方で、お通夜みたく冷め切っているのは、泥門側。

 

 16対21。

 タッチダウンを決めた白秋はボーナスゲームで2点の追加点。あと一回のタッチダウンで追いつけるところまで点差を詰められた。

 だが、そんな追い上げよりも深刻なことがある。

 

『負傷者2名! レフリータイムアウト!!』

『ヒル魔ァアアアアアア!!』

 

 ヒル魔妖一の、負傷退場。

 白秋がタッチダウンを決めた直後に審判が試合中断。白秋の如月ヒロミも同じように、担架でフィールドの外へ――それから治療のために、姉崎まもりに付き添われながら医務室へと移送された。

 

 クォーターバックは、すべての攻撃の起点。

 それを潰されるということは、心臓部を破壊されたに等しい。

 早急に状況を立て直すには、誰かがこの一番負担の大きい司令塔を担わなければならない。

 大会で最も人数の少ないチームである泥門デビルバッツに、この重役をこなせるのは……

 

「さて、と……格好悪いところを見せちまった名誉挽回をしないとな」

 

 勢いで押し切らんとしたが、あと一歩のところで、足を滑らせた。

 一瞬の隙が、命取りとなって、長門は、峨王に倒された。その際に、額から血を出してしまったために、治療のため、フィールドを離れていた。

 おかげで、少しは頭に上っていた血が治まってくれた。

 

「もう少し……ゆっくりしていっても構わねぇんだぞ」

 

 立ち上がろうとした気配を察し、長門に傘をさしていた酒奇溝六は、長門にしか聴こえないような音量を絞った声でそう言う。

 恩師が、こちらを気遣ってくれているのはわかる。その険しく細めた目から、無理をしたせいで膝を壊した己の二の舞になってくれるなという言外の思いが伝わってくる。正直に言えば、このまま前半は捨てて、後半まで休んでおくべきなのだろうが。

 

「でも、この瞬間に立ち上がれなきゃ意味がない」

 

 白秋のキックをリターンして、これから泥門の攻撃という場面。ヒル魔妖一の退場というショックを拭えるか、それとも引きずるかの試合の趨勢を決める最初の舵取りが肝心となる大事な戦況。

 今、戦場でぐらついている仲間達(チーム)をいつまでも傍観していられる奴は、エースではない。

 

「溝六先生……あなたは、膝を壊した時も、途中で放棄して休んだり投げたりせず、最後まで仲間達のことを信じて、戦った」

 

「この大馬鹿野郎が、先人の失敗談っつうのは、真似しないように戒めるためのモンだ」

 

「溝六先生は、間違っていない――『死の行軍(デスマーチ)』を踏破した俺達が、災難に屈さないことを、これから証明していきます」



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39話

「こんな時に訊くのもアレだけど、ほら、悪いね。最上級生で、一番冷静そうな貴男に訊くよ」

 

 どうする? 続ける……?

 ヒル魔がいなくなってから、円子令司がそう武蔵に問いかける。

 

 白秋ダイナソーズは、投手を潰して地区大会を制覇した。対戦してきたチームは皆、クォーターバックを峨王に壊され、棄権した。

 関東大会、唯一、クォータバックが生き残った太陽スフィンクスがいたが、峨王を阻んで壁となったラインマンが全員病院送り。結果、これ以上の試合はできないと太陽の原尾は試合を棄権した。

 

 白秋ダイナソーズと戦えば、また、誰かが潰される可能性が高い。

 これ以上の被害が増す前に、棄権するのを勧めるのも、ふざけた話ではない。

 

 

「その質問の答えは、おそらく――俺一人で吐くセリフじゃあないな」

 

 

 武蔵が答えられるのは、それだけだ。

 

 

 試合は続行する。

 だが、泥門デビルバッツは戦えるのか。

 

「護れなかった、ヒル魔を……」

 

 栗田は、揺らいじまっている。ぼうっと、意識の半ばが身体から離れているような表情で、心ここにあらず、明らかに試合に対する集中力が欠けていた。

 良くも悪くも、仲間に調子が左右される奴だ。……武蔵(オレ)が離れてから、蒸気滾るプレイが鳴りを潜めてしまった。これまでずっと共に戦ってきたヒル魔を峨王から護れなかったことを一番に気に病んでいて、最もショックがデカい。

 とても、戦える状態じゃあない。

 他の面子も少なからずの動揺を受けている。……自身も含めて。

 

 この場の空気が、重量と粘度が増したように息苦しいものになる。

 ここから士気を立て直すには、強い指揮官が必要だ。

 クォーターバックは、アメリカンフットボールの花形なポジションであるが、その分だけ負担が大きい。

 まず、ボールの扱いが巧くなければ務まらない。

 助っ人ではない、正式な泥門デビルバッツの面子の中で、前衛(ライン)の5人は除く。

 それから、バカで司令塔は無理な瀧、スタミナのない雪光、キャッチはできるが投げる方はノーコンのモン太をさらに除く。

 候補はかなり絞られる。

 セナは、そのスピードで引っ掻き回せるだろうが、リスクがデカい。

 

 クォーターバックは、矢面に立つことになるのだ。

 峨王にやられたヒル魔と同じ運命をたどる可能性が高い。

 

 ならば、ボールの扱いはラインの連中と同レベルだが、大工仕事で鍛えた俺なら……というのは、高望みか。

 だが、3人で始めたアメフト部だ。危険な役回りをするだけの義務がある。

 

 ……いや、わかっている。

 

 ヒル魔の代役を務められるのは、ひとりしかいない。

 武蔵が挙げた条件も揃っている。それに先輩で、()()デビルバッツ創立メンバーだが、地区大会準決勝に復帰するまで離れていた武蔵よりも、今の()()デビルバッツの支柱となってきた……

 

 

「悪いな。ちと包帯を巻くのに手間取っちまった」

 

 

 長門……!

 額に包帯を巻いてきた長門が、フィールドに戻ってくる。

 

 

『泥門、長門が戦線復帰ーー!』

 

 

 たった一人の参戦だが、空気がガラリと変わる。一歩、フィールドに踏み入った途端に会場が静まり返って、次の瞬間に『泥門』の声援が湧き出た。白秋コール一色だった応援も盛り返す。それだけ、期待できる選手。どんなに劣勢でも、“長門村正がいれば覆せる”と思わせることのできる雰囲気(オーラ)と実績を持っているエース。

 そして、チームも、俯きかかっていた顔が上向いた。

 

「長門君!」「長門、おい、大丈夫なのかよ?」「峨王にぶっ潰されたんだろ。あんま無理すんじゃねぇぞ」

 

「問題ない。さっきのは峨王にやられたというよりも、自分で足を滑らせた転倒だ」

 

 駆け寄ってくる皆に軽く手を振って、いつもの調子に振る舞う長門。それだけでこの場の空気が軽くなった。

 

「やられっ放しは寝つきがよろしくないからな。こうも騒がれては大人しく気絶もできん」

 

「はっ、言いやがるぜ! 確かにな。俺達もそんなの趣味じゃねぇ。白秋の奴らを黙らすぞ」

 

「っしゃ、任しとけ、長門! ヒル魔先輩怪我させてくれた復讐戦だ! 汚ねーMAXの峨王、絶対ぶっ倒してやる!!」

 

 泥門の中でも直情的な十文字やモン太らが勇ましく声を上げる。

 長門は彼らが腕を振り上げて士気を高めるのに目を細め、一言、水を差す。

 

「勘違いするな。アメフトってのは、お行儀の良い単なる球技じゃない、格闘技でもあるんだ」

 

 長門は、厳しい声音で言う。

 たとえば、ボクシングでパンチを食らって骨が折られたとして、『骨が折られた! 汚い! 復讐だ!』というのか? と。

 

「敵のエースを潰しに行くなんて当然の戦略だ。きっとヒル魔先輩がいたらこういうだろう。“弔い合戦なんて馬鹿げたことほざいてる暇があったら自分(テメェ)のプレイに集中しやがれ”、ってな」

 

 悪いのは、自分達の司令塔を護れなかった自分達だ。

 勇猛と無謀は紙一重で、その間違いを踏み越えさせないためにも、血気逸る仲間達を諫める。無闇に煽動するのではなく、冷静に先導するその姿勢は、司令官として相応しくある。

 

「でも……」

 

 ぽつりとセナ。涙を拭った顔からそのどうしてもこらえ切れない心中を吐露する。

 

「やっぱり、こんなのって……悔しい。悔しいよ、長門君! ヒル魔さんの夢が、こんなところで……! こんな風に終わりにされるなんて……!!」

 

「いいや、セナ。まだ終わっていない」

 

 そんなセナへ、長門は力強く断言する。長門の目は、今もなお、強い光が篭っている。その裡に燃える灯を火分けするようにセナから全員の顔を見回す。

 

「終わるのは、ここで俺達が負けた時だ。まだこっちが5点リードしている。そして、ヒル魔先輩がこの程度で諦めるような物分かりの良い性格をしてると思うのか? いいや、違うだろ。勝ち目が0.1%でもあれば十分だと言い切る先輩だぞ。たとえ腕を折られたって、都合のいい骨のスペアと差し替えてでもおかしくはないぞ?」

 

「うむ。ありうる奴なら……!」

「いや、あり得ないでしょ」

 

「“I’ll be back!” きっと戻ってくるからバッチリやれってことだねムシュー長門!」

 

「俺らのことアメフトに引きずり込んだくせによ勝手に一人でぶっ倒れるなんて許せることじゃねぇよな。今度は俺らが首に縄括り付けてでもクリスマスボウルに引きずってってやる……!!」

 

 最後に長門は冗談交じりにそう締めくくれば、戸叶らなど一部真に受ける者もいたが、泥門の意思は――一人を除いて――前を向いた。

 

「いいか。戦場のルールは一つだけ。

 ――勝て……!! 勝って、俺達の夢を、俺達の力で守るぞ!」

 

 

 ~~~

 

 

『――ぶっ! こ! ろす!! Yeahーー!!』

 

 

 ~~~

 

 

『おおおおおーっと……! 泥門二代目のクォーターバックは、長門村正ァーー!!!!』

 

 あ~~、やっぱり、そうくるよね、とマルコはため息を吐く。

 他の会場に集っているアメフトの関係者らもこの展開は当然予想していただろう。

 

 ヒル魔の代わりをやれる選手なんて、長門くらいなものだ。

 運良く(あちらには運悪く、また峨王にとっては不本意ながら)叩き潰されたが、どうやらまだプレイに参加できるくらい平気なご様子。

 残念だ。

 

 しかし、ある意味でこれは、最も潰したいエースが絞首台に上ってきてくれたとも考えることができる。

 その手でボールを抱えなければならないクォータバックに、峨王の圧殺力をいなすことなどできやしない。無理だ。痩せ我慢もいつまでも続かない。全国でもトップクラスのラインマン、心身屈強な戦士・番場衛をも沈めた峨王の当たりを、何度も食らって壊れないものなど存在しないのだ。

 

 ……ただ、ひとつ、無視できない懸念もある。

 長門がどのような戦術を取ってくるか、予想がつかない、ということ。

 ヒル魔の補助する形で投手をしてきたこともあったため、付け焼刃というのは望み薄。長門自身がどのような戦術を組み立ててくるのかは、これまでほとんどデータがない未知数だ。

 この試合が、長門村正が一選手ではなく、一指揮官として起用されるデビュー戦となる。

 

 

 ~~~

 

 

「長門は、経験と頭脳もある。チームメイトとの連携も問題ない。何より、その才能(センス)。クォーターバックをやれる資質は十二分にあるだろうね」

 

 王城の高見は、そう評するが、眼鏡越しの視線は依然と険しいまま。

 交流戦でも、キッドとの『ドラゴンフライ』をしたことがあったが、クォータバックは、才能だけでこなせるポジションではない。

 ゲームを組み立てるフィールド上の監督であらなければならない。泥門の中で最もヒル魔の戦術理論を理解しているだろうが、理解しているからと言って、チームメイトを指揮できるというわけでもない。

 教本(セオリー)通りに手堅くいくか、それとも定石を無視した博打を仕掛けるか。

 

「さあ、白秋にどのような手を打つのか。お手並み拝見だ」

 

 

 ~~~

 

 

「出番が早いですが雪光先輩、入ってください。それからセナと石丸先輩もレシーバに加わってください。作戦は……」

 

 モン太、瀧、雪光、セナ、石丸(陸上部だがキャッチもできるようになった)――レシーバー5()()が一番前にズラッと並ぶ。

 

 

 ~~~

 

 

『ななななななんと! 泥門、ライン5人とクォーターバック以外の後衛全員をパスキャッチ要員(レシーバー)に割り振っています!』

『こ、これは、『エンプティバックフィールド』! 村正君が敷いたのは、『ショットガン』を超える『ファイブワイド』のパスフォーメーションです!』

 

 

 WR(セナ)      T(戸叶)G(小結)C(栗田)G(黒木)T(十文字)    WR(雪光)

   WR(モン太)WR(石丸)    QB(長門)     WR()

 

 

 超攻撃力を誇る西部ワイルドガンマンズが得意とする、パスプレイを主軸に設計された陣形『ショットガン』以上に、パス一辺倒に傾いたそのフォーメーションは、『エンプティバックフィールド』。通称、『ファイブワイド』。レシーバー五人体制の過激極まるパス戦術だ。

 だが、それは『孤高の(ロンリー)センター』と似たようなものだ。

 

「長門の奴、まさかヒル魔がやられて自棄になっているんじゃないだろうな……! あんなの峨王に抜けられたらどうしようもないぞ!」

 

 西部の陸は、思わず座ってる席から立ち上がりそうになった。

 観客席から見れば、前衛(ライン)を除けば、長門の周囲には誰もいない。

 後ろががら空き(エンプティバックフィールド)――つまりは、突破されればおしまいの“背水の陣”なのだ。

 ラインの後ろにはクォーターバックしかいない。もしも前衛が破られれば、峨王と一対一(さし)。パスプロテクションに入る後衛などおらず、自らガードを下げるような真似をするなど、なんて命知らずだ。

 

「いいや、彼、冷静なんじゃない?」

 

「キッドさん……」

 

 東京No.1クォーターバック、いいや、全国最強のクォーターバックだと信じるキッドの意見に、陸は立ち上がりかけた腰を椅子に下ろす。

 陸の目には長門が血迷っているようにしか映らないのだが、この人には確実に別のものが見えている。それは陸にはわからない。キッドさんはあまり多くは語らない。だが、その答えは、これからプレイで示されるはずだ。

 

「峨王、封じる気でいるよ、本気で」

 

 

 ~~~

 

 

「SET――HUT!」

 

 

 峨王には、期待することがあった。

 

 面白くなるかもしれない。

 目覚める可能性がある。『優しき巨漢』栗田の本物の闘志が。

 

 ヒル魔妖一が倒されたときに見せたあの長門村正の鬼気。それと同じものと対決できるのではないかと峨王は期待していた。

 

(さっきは、峨王君に潰された)

 

 だが、

 

(今度()もう、これじゃきっと……)

 

 力以外の何も頼らない純粋な重戦士……そう、高く買っていた男は、腑抜けてしまっていた。

 

 

「っ、なに情けねぇ面を晒してやがんだ栗田! お前さんの壁漢(ライン)魂はこんなもんじゃねぇはずだぞ!」

 

 山本鬼平は渋い顔でしかり飛ばすが、その熱いメッセージは今の栗田の耳には届かない。

 

 

 あっさりと、払えてしまった。

 さっきまでの、『百人組手(デススパー)』で獲得したはずの『不沈立ち』の粘りがまるでなくなっている。

 ヒル魔妖一を折られたのが、完全にトラウマとなっていた。

 

「フン……つまらん」

 

 この期に及んでもまだ殺意を眠らせているのか、栗田。

 俺を満足させてくれる者は、貴様しかいないのか、長門……!

 

 

『村正君――!!』

 

 

 実況席から熊袋リコの悲鳴が響く。

 

 ()った……!

 ボールを持っている長門に、峨王のパワーを捌く余裕はない。ヒル魔が倒れれば十中八九長門がクォーターバックになることを予想したマルコが望んだ絶好の展開だ。

 護りに頼れない手薄な陣形で、峨王の破壊(ちから)がまともにぶち当たれば、今度こそ『妖刀』は折れる。ヒル魔に続いて、ジョーカーである長門が倒れれば、泥門は終わりだ。

 

 逃げるには、一歩遅く。

 投げるには、一手遅い。

 栗田があまりにも保たなかったために、パスを投げるためにボールを振りかぶる前動作(モーション)すら整っていない。

 

(おしまい、と……)

 

 

 ~~~

 

 

 ふっ――と峨王の頭上を越えるボール。

 

 

 ~~~

 

 

 指先がヘルメットに触れる寸前で、峨王の手がピタリと止まる。

 ヘルメットから覗く長門の双眸は、瞬きもせずに見据えている。

 

 そして、ボールは既に投じられていた。

 

 

「アハーハー! 僕のベストキャッチが活かせる、ナイスパスだよムシュー長門!」

 

 

 それは、紙一重のタイミングで投げられたノミのダンス(ループパス)

 峨王の頭上を小さく山なりまたいでいったボールを、瀧が長身を生かしてジャンプキャッチする。

 

 

『泥門、パス成功! 4ヤード前進!!』

 

 

 愕然とする。マルコは長門村正が企てた戦術を理解した。

 面倒な峨王をぎりぎりまで引き付けてから、ショートパスで躱すという腹積もりだ。

 『エンプティバックフィールド』で後衛の人員を全部パスターゲット要員に割けば、ショートパスの成功率は飛躍的に上がる。

 

「そして、峨王力哉は、ルールは守る。パスを投げ終えた選手にタックルするのが反則であることをわかっているからな」

 

 だから、パスを投げてしまえば、峨王は破壊(タックル)を止めざるを得ない。

 全力(パワー)で峨王が止めることができないのなら、全速(スピード)で峨王を止まらせる。

 逆転の発想が行き着いたのは、攻撃は最大の防御となるというノーガード戦法だった。

 

(いや、いやいやいや、それで全プレーやっていくつもりなの? そんな命がけでもちょっとずつしか進めないっちゅうのに――つか、今のパス、モーションが見えなかったんだけど!?)

 

 そう、まるで西部ワイルドガンマンズの、東京最強(No.1)クォーターバック・キッドの早撃ちだ。

 

「フン……。長門村正、帝黒学園(ちょうてん)大和猛(アイシールド21)とも同格というマルコの評に偽りはない。今まで俺が出会った中で、貴様ほどに斃したい獣はいなかった……!!」

 

 故に、存分に。

 この“最強の獣”に、全力をぶつけん。

 

「ああ、かかって来い峨王力哉。だが、勝つのは俺達だ」

 

 

 ~~~

 

 

『泥門、連続パス成功!! 泥門デビルバッツ5ヤード前進――!!』

 

 

 まさか、そんなありえない……!

 甲斐谷陸は絶叫を上げるのを堪えるあまりに息詰まってしまう。むせてしまったが、しかしそれほどに衝撃的で、信じ難い光景だった。

 無敵の早撃ち、東京No.1クォーターバック・キッド以外にはできない超クイックパスモーション――それは、何人にも侵すことのできない絶対的な神域で、西部ワイルドガンマンズの象徴なのだ。

 

(普通投げるの0.5秒かかるところを0.2秒で早撃ち(パス)を決めるなんて神業は、キッドさん以外にできるはずがない……! でも、今、長門が投げるモーションが全く見えなかった……っ!?)

 

 その三段論法から飛躍して導き出されるのは、長門村正の『神速の早撃ち(クイック&ファイア)』。

 

「長門の奴、俺の『ロデオドライブ(はしり)』だけじゃなく、キッドさんの“早撃ち(パス)”まで模倣(コピー)して……!?」

 

「いや、それは違うかな。俺のとは別物だよ、アレ」

 

 陸が拳を握り締めたとき、キッドは訂正する。

 長門の投法は、超クイックパスモーションではない。

 

「驚くべきことに、彼、パスを投げるモーションをほとんどなくして、パスを投げてる」

 

 陸がパスモーションが見えなかったのは当然だった。

 なんてことはない、“前動作は省略(カット)されていたノーモーション”なのだから。

 

 キッドは長門と敵として相対し、味方として組んだことがあるからわかる。

 適性がタイトエンドの方が向いているが、クォータバックとしての素養はヒル魔妖一よりも高い。駆け引き以外の総合力は上回っている。

 ヒル魔は相手にすると怖いが、長門は真っ当に強い。ヒル魔は策でこちらの裏をかいてくるが、長門の才覚はこちらの想像の上を行く。

 

 

「白秋は、起こしちゃならない眠れる獅子の尾を踏んじまったかもしれないねぇ……」

 

 

 ~~~

 

 

『ヘイ! 餞別代りに、サムライボーイにとっておきを見せてやる。コイツは俺が尊敬する偉大なアクションスターの必殺技だ』

 

 それは、功夫(カンフー)を得意とし、ハリウッドでただ一人一切スタントマンをつかわないアクションスターで、初めて出会った己よりも格上のアメリカンフットボールプレイヤー。

 中三の頃、通っていた道場で交流を深め、そして、アメリカへ帰る際にちょっとした技を披露してもらった。

 

 あの時の記憶を下地(モデル)にして、古武術の身体運用から構築したノーモーションパス。

 

 肩甲骨を入れながらスナップさせ、素早く前足に体重を乗せる重心移動とともに肩を入れて前に突き出してボールを飛ばす。

 投げるための前準備、振りかぶる動作を省略した、『ワンインチ・パス』

 この変則フォームは、流石に長距離砲(ロングパス)は難しいが、近距離弾(ショートパス)ならば、西部ワイルドガンマンズ・キッドのクイックに近い再現度(スピード)でパスを投げられる。

 

 俺は、日本最強のエースになる。

 そして、日本最強のエースは、チームを全国一に導く選手のことだ。

 

(先輩たちの夢はここで終わらせない。クリスマスボウルまで連れていく。その為なら、どんな危険なプレイでも請け負おう)

 

 今はまだ、栗田先輩は立ち直れていないが、それでも俺が負けなければ泥門は勝てる。

 一度でも遅れて投げ負ければ、峨王の餌食となろうが、一度も負けなければいい。

 

「勝つのは、俺だ!」

 

 自己暗示のように()えた絶対勝利の予告(ライバルとの誓い)が、破滅の重圧(プレッシャー)を撥ね退ける。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門パス成功!』

 

 その誰にも触らせない光速疾走で、マークを振り切ったセナへパスが決まる。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門パス成功!』

 

 守備網(ディフェンス)の穴へ駆け込んだ雪光へパスが決まる。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門パス成功!』

 

 地味にマークを外した石丸へパスが決まる。

 

 

 ~~~

 

 

「なぁああああ!? クォーターバックぶっ潰して勝ったと思ったのに何あれ!? 全然止まらねー!」

 

 『左腕』である如月ヒロミは巻き添えを食らった負傷により試合に出られない。白秋の後衛守備に綻びが生じている。

 

(か~、まずいまずい。ヒル魔がやられたときはお通夜みたいに沈んでたのに、ゾンビのように蘇ってきたよ)

 

 このまま点を獲られれば、泥門に主導権を持っていかれている。そして、得点に勢いづいた試合の流れは、後半にも持ち込む。

 

 しかし、それはありえない。

 前半までもう時間がない。前半残り30秒を切っている。ショートパスを連続して繋いできて、連続攻撃権(ファーストダウン)も獲得しているが、このペースでは間に合わない。タッチダウンは狙えない。

 キックもない。

 何せ、峨王がいる。泥門には『60ヤードマグナム』の長距離砲・武蔵がいるが、今の栗田では峨王を相手にしてキッカーがゴールを決めるまでの時間は稼げない。

 つまりは、どん詰まり。

 連続して攻撃が成功して泥門が攻めているように思われるが、ゴールまで遠い。白秋はこのままでも問題はない。最後に実を結ばなければ意味がないのだから。

 そうして、無意味に徒労に終わったところで、前半終了――白秋の攻撃で後半開始となる。

 

(とにかく攻め続けることでチームに『俺達が勝てる』と錯覚させて、どん底に落ちた士気を持ち直そうっちゅう腹かね)

 

 いきなり代役を担うことになったのだ。ここまで出来たら上等というもの。

 しかし、長門村正は、クォーターバックとしては優れた能力を発揮しているのかもしれないが、やはり戦略性(タクティクス)ではヒル魔妖一の方が奥深く、怖い。

 

 

「――セナのポジションは中央(こっち)じゃない、大外(あっち)だぞ!」

「! ご、ごめん長門君!」

「いいから早く! ゲームが始められない!」

 

 

 先程の小早川セナのプレイは、『スラント』で中央へのパスコース。それからそのまま長門の傍についたセナが長門の指示に慌てて、サイドへ。いつものランニングバックの位置とは違う、ワイドレシーバーの位置取り。慣れてないせいか、勘違いしてしまったのだろう。

 

「ブプーー! 泥門、ただでさえ時間ないのに、ドジってやんのっっ!」

 

 これも指揮官交代の弊害か。

 1秒も無駄にできまいとセナは全速力で長門の前を横切り――

 

 

 ――その前に、栗田からボールがスナップされた。

 

 

 ~~~

 

 

 

  WR(モン太)     T(戸叶)G(小結)C(栗田)G(黒木)T(十文字)    WR(雪光)

     WR(石丸)WR(セナ)  QB(長門)    WR()

 

 

 最初の『エンプティバックフィールド』からモン太が、僅かに前にセットしている。

 これにより、条件が整っていた。

 

 最前線上の7人以外は、誰でも一名に限り、『インモーション』といって、移動しながらプレイを始めることができる!

 

 

「もうプレイが始まってる! セナの『インモーション』だ!」

 

 

 長門村正の動きを注視(マーク)していた白秋・マルコは、雷門太郎が最前線上の7人に加わっていたことに気付けなかった。

 出遅れた……!

 小早川セナは『インモーション』でプレイ前から走り出してしまっている。

 パス一極化のフォーメーション『エンプティバックフィールド』からパスを五連続で成功させてからの、爆走ラン。左サイドに配置したモン太と石丸は、そのままリードブロックの盾に同行させれば一気に抜かれる。セナのスピードなら、一発タッチダウンだってあり得る!

 

 そして、長門の前を横切る寸前でボールを手渡しされたセナは、一気に加速――

 

「囲えーー! アイシールド21の『デビルバットゴースト』が炸裂する前に抑えろーー!」

 

 白秋ラインバッカー・天狗はすぐさまに左サイドの守備を固める。パスを警戒してやや後方寄りに構えていた白秋守備は、包囲網の完成を急ぐ。

 しかし、40ヤード4秒2の光速ランは、すでに陣中深くにまで切り込んでいて……

 

 

 ~~~

 

 

 ――『デビルバットゴース……

 

 

 

 

 

   ゴー……ス……っからかん』

 

 

 ~~~

 

 

「はぁ!? こ、ここいつボール持ってない!?!?」

 

 爆走していたアイシールド21の懐に、ボールがなかった。

 

「アハーハー! これがセナ君の新技『デビルバットゴースッカラカン』だよ!」

「別に新技じゃないでしょ。ってか、“すっからかん”って言葉使わないよね現代人は」

 

 セナは、ボールを持っていなかった。交錯した瞬間に行われたのは、『ハンドオフフェイク(ボール渡したフリ)

 そう、長門はボールを持ったままであり、セナの爆走とは(みぎ)サイドへ駆け出していた。

 

「速っ!?」

 

 『妖刀』が、抜き放たれる。

 これまで秘蔵していた、40ヤード走4秒5――高校エース級のスプリンターである長門村正の疾走。

 今日の試合、爆走ランプレイが炸裂したのはセナだけだっただけに印象はそちらが強かった。白秋の守備が囮役のセナへ集まってしまっている。

 ――ひとりを除いて。

 

 

「っと、危ない危ない。意表は突かれたけど、結局、さっきのヒル魔妖一の『QBドロー(プレイ)』の二番煎じだっちゅう話だよ」

 

 

 円子令司が、前に回り込んでいた。

 長門村正の動きを、否、ボールの動きに視線を固定(ロックオン)していた。『ボールハンドリングの達人』であるマルコの『QB(クォーターバック)スパイ』は、一瞬、セナにボールが隠れたがその行方は見逃さない。

 先程の『QBドロー』もまた同じく、投手の一挙一動のみを只管追跡していたマルコからヒル魔は逃れることはできなかった。

 

「ああ、やはりあんたには、化かし合いは通用しないか。――なら、読み合いのへったくりもない勝負をさせてもらおうか」

 

 ――っ、来る!

 その肌を刺す眼光に、マルコは身構えた。

 

(俺が『スクリューバイト』を編み出し、首を狙う本物のアイシールド21――大和猛――そのライバルの長門村正。これ以上の模擬戦相手はいないっちゅうわけで……!)

 

 としかし、向こうは右にも左にもカットを切ろうとする気配がない。

 ――となれば、力だ。神龍寺・金剛阿含を吹き飛ばした破壊的な体当たり(パワーラン)――『(ドロウ)デビルバットソード』。長門村正にはコレがある。

 先程、強烈なタックルをもらっているだけにその威力は嫌でも想像できてしまう。マルコからすれば、爆走ランの小早川セナ(アイシールド21)よりも、読み合いもへったくれもない直球勝負を仕掛けてくる長門の方が遠慮願いたい相手である。長門を一人で止めようだなんて、無理難題だ。

 だが、ここを抜かれるのはまずい。体を張ってでも足止めして、他の守備が追いついてくる時間を稼ぐしかない――

 

 覚悟を決め、腰を落としたマルコから――長門は、離れた。

 

「生憎と、今の俺にある選択肢(カード)は、ランだけじゃないんでな」

 

 時空を捻じ曲げたと錯覚するほどの超速のカットバック。反応して、マルコはボールへ手を伸ばしたが、届かない。

 

(この動きは……パス? はあ!? この超速カットで下がりながら、パスを投げてくんの!?)

 

 後に下がりながら――重心を背後に傾けながら、ボールを投げようとしている。まるでバスケットボールのフェイダウェイシュートのように。

 

 

 ~~~

 

 

「まったくうらやましい才能だ。現代のアメリカンフットボールの完全移動砲台(はしるクォーターバック)……それをここまでやってみせるとはね」

 

 自分が思い描いたクォーターバックとしての理想像に、王城の高見は、眩いものを見るように目を細めた。

 

 

 ~~~

 

 

 安定したボディバランスに、上半身だけでもパスを投げれるパワー。

 姿勢は後ろに傾いているが、長門にはこの状態からでもロングパスを発射できた。

 

 

 ――『60ヤードマグナム(シャトル)パス』!!

 

 

 一球入魂から発射される超長距離砲。

 フィールド上空を勢い良く突っ切っていく放物線。

 ボールの軌道を背中(バック)の目で追いながら、その落下地点へ最短距離(まっすぐ)へ駆け込むのは、泥門のエースレシーバー・雷門太郎。

 

「まずい――!」

 

 モン太と空中戦を競り合えていた如月はいない。

 誰もそのロングパスを邪魔することができない。

 

 

「ビックキャッチパスMAーーX――!!」

 

 

 パスが、通った!!

 雨の中、磁石のようにくっつくキャッチ力でボールを捉えた。

 長門からのロングパスを捕球したモン太は、そのまま独走状態へ。

 

「行けェエ!」

「そのままタッチダーーーゥン!!」

 

 だが、まだひとり。

 モン太の眼前には、抜かなくてはならない障害はいた。

 

「無っ茶言うなってよ。このままゴールライン行くには、もうひとり白秋の守備がいんだっつの!」

 

 そして、モン太の背後から追いかける気配。

 それはボールじゃないけれども、モン太にはその正体がわかった。

 

「だから、頼むぜセナ!」

「そのまま行って、モン太!」

 

 光速で疾走するその影は、アイシールド21。

 囮役として突っ切ったまま、注意が外された後も走り進んでいた超速ランナーが、モン太の盾(リードブロック)として、白秋のセーフティへ果敢に当たりに行った。

 

 

『セナ君捨て身の超高速ブロックーーー!!! セナモン太最強コンビプレーで、白秋最後の砦も抜き去ったー! そして、そのままモン太君、ゴールラインまで一直線で――――タッチダーーーーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 11点差……だが、これだと一回のタッチダウン(6点+2点)と、キック一発(3点)で追いつかれる。

 今現在は通用している『ワンインチ・パス』のショートカットも、どこまで続けられるかわからない。キックという長距離砲も、それを活かせる壁の存在が不可欠だ。白秋ダイナソーズは、さっきの『インモーション』を使ったトリックプレイが、二度も通じるような甘い相手ではないだろう。使える手札は、少ない。

 やはりここは、12点差にしておきたい。このボーナスゲームのチャンスを、逃したくはない。

 

「……セナ、次の武蔵先輩のキック、代わりにボール立てを頼めるか」

 

「う、うん。長門君は……?」

 

「俺は、壁に加わる」

 

 そういって、長門は前を見た。

 

 

「じゃ……若輩!!」

 

「え……? 若……なに……??」

 

 

 『若輩者の自分が後ろを固めますんで些細な取りこぼしなど気に掛ける必要はありません! 師匠の力、存分に峨王に見せてやってください!!』

 と小結はパワフル語(パワフルな男だけに通じる言語)で熱く語ったのだが、栗田には通じてなかった。

 

「し、ししょう……」

 

 ……タッチダウンを決めれたが、栗田はまだ立ち直らない。

 こうなると峨王に対抗できるのは、ひとり。

 

「というわけで、前はがっちり固めますから、キック決めてくださいよ、武蔵先輩」

 

「ああ……任せておけ」

 

 言葉少なに頷いた武蔵は、今喉まで出かかった言葉を胸の奥に呑み込んで、自らの仕事に集中する。

 

 

 ~~~

 

 

『得点差10点差以上に広げた泥門の追撃! 武蔵君のボーナスキーーック!』

 

 

 セナがボール立てで、長門が壁に加わる……なるほど、ね。

 点差がさらに離される苦しい場面で、マルコは静かに笑う。

 

 絶対に破壊のできない、完全無欠の超人など存在しない。

 あの瞬間、強引な体当たりを避けたのは、ひょっとすると……

 

 

 ~~~

 

 

 ガゴン! とゴールのポールに当たったが、キックボールはゴールに入った。

 

 

「うおおおお!」

「やーーー! これで12点差ーー!!」

「相変わらず、危なっかしい荒れ球キックだ。超スレスレで入れやがった」

 

 

 キック力は凄まじいが、精妙なコントロールに欠けている、と評されるキッカーの武蔵。

 だが、今のキックに苦言を呈されるのは、武蔵ではない。

 

「んだよ今のよ! スマートじゃねぇぞセナ!」

 

 東京No.1キッカーである佐々木コータローが非難する矛先を向けるのは、ボールをセットしたセナ。

 

 そして、笛が鳴る。

 

 28-16。

 泥門デビルバッツ優勢で、前半終了。

 

 

「セナ、ボールの向き」

 

「?」

 

「ボールの縫い目にキックが当たるとコントロールが狂う。立てる瞬間に見極めて縫い目を裏っ側に回してくれ」

 

「え……」

 

 キックの後、武蔵はセナへ注意する。

 いつもはヒル魔が難なくしている一手間だが、その工夫でキックのし易さが大きく違う。

 ……そんな細かいところまで求めるのは少々酷かもしれないとは思っているが、このキックゲームには相当の負担をかけてしまっている。それを骨折り損の徒労とするわけにはいかない。

 

「できれば、頼む」

 

「は、はい!」

 

 キックゲームの際、キックティーを渡されたときに長門の腕を見た。

 そこには薄らと痣のような痕があった。クォータバックでのプレイで、峨王の指先が、一瞬触れたのだろう。

 勝ち続けていたように見えたが、あれは、紙一重だった。

 峨王との毎プレーが生きるか死ぬかの戦い。たとえ剛腕が直撃せずとも、峨王に潰される精神的な負荷(ストレス)となる。それをスレスレで、躱し続けている。

 

(死ぬか勝つか――ヒル魔みてぇなやり口だ。あのバカ野郎の似なくてもいいところ迄似てんじゃねぇぞ、長門)

 

 拳を、握り込む。

 うちの糞親父は、体にガタが来てっ時にわかってて無茶しやがって、取り返しのつかねえ事になった。

 二度と……俺の目の前で、そんなやつを出すわけにはいかねぇ。

 

 その消耗具合が半端ないのは簡単に察することができる。

 しかし、今の奴は指揮官として、そんな揺らいじまうような弱みは決して見せられない。そんなチームのためにしているコイツの無理を、易々とは無下にできない。

 

 

 ~~~

 

 

『ここで後半戦を前に、20分のハーフタイムに入ります!』

 

 

「ひぃぃぃいい! 傘じゃ防ぎきれないくらい雨強い!」

「キッショここロッカーねぇからどっかで雨宿りしねぇとな」

 

 そんな選手全員がずぶずぶの濡れ鼠となっている泥門陣営の前に、一台の大型デコトラが停車。

 運転席から豪快に笑い飛ばすのは、コーチの溝六。

 

「おおおおぉおお!!?」

 

「がははは、新・デビルバット号だ!! ロッカールーム機能搭載! 神龍寺戦での賭け金が丸っと無くなっちまったが、お前らのことびっくりさせたくてな! ほら、体冷やしちまう前に早く入ってこい!」

 

 ゴエモン式ユニットバスに仮眠用ベッド、ビデオ映像を編集再生可能な映像機器を揃えている。ガソリン節約の自転車発電機もあり、それから酒蔵もある(飲酒運転ダメ絶対!)。

 酒奇溝六の実益と趣味を反映したトラック式ロッカルームへ泥門の選手は駆け込んでいく。

 

 だがしかし、皆の目があるところでは意地でも弱みを見せられない奴がいる。

 

 武蔵は長門を呼び止めた。

 

「……長門、悪いがハーフタイム、救護室のヒル魔の様子を見に行ってくれ。あまり大勢で行くと迷惑だろうし、頼む」

 

「ヒル魔先輩なら、怪我人に構ってる暇があったら、勝つために休息か練習に集中しろとかいって、追い返してきそうなんですが」

 

「かといって、ひとりも様子を見に来なかったら薄情だろう。いいから、ついでに後半の指示も仰いで来い」

 

「武蔵先輩……。はい、ありがとうございます」

 

 感謝なんて言ってくれるな、というセリフを武蔵は大きく深呼吸して呑み込んだ。

 そして、沸々としたものを噛み砕いたものをぶっきらぼうに吐く。

 

「早く行ってこい」

 

 じゃないと、その面をぶん殴ってでも、気絶さ(ねむら)せたくなる。

 

(わかってる。俺に口出しする権利なんかありゃしねぇ)

 

 男が黙って血を流しているときは、見殺しにするのが情け。

 長門は、待っている。

 あいつらが再び立ち上がってくるのを。

 それでも、だ。

 

(俺達が最初に目指した絶対クリスマスボウルの夢のために無茶して、長門の未来を潰させるようなら……そんな重荷は俺の手で幕を下ろす)

 

 ギリギリまで、見極める。

 そう、決めたものの、胸中には噛み切れないものが燻っている。

 これを抱えたまま、自分だけゆっくり腰を落ち着けさせるなどできやしない。

 

「あれ、ムサシ先輩、トラックに行かないんすか?」

 

「20分も寝てたらキックが腐っちまう。後半開始まで、蹴ってくる」

 

 

 ~~~

 

 

 決してふらつかずに、皆から離れていくその背中から視線を外さない者がもう一人。

 

「…………フゴッ」



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40話

長いので二話分割。
本日一話目。


『獲らないか? 力の頂点を』

 

 それが、俺をアメリカンフットボールの世界へ引き込んだマルコという男の誘い文句。

 奴は知っていた。

 その頂を目指す(みち)は、果てしなく険しいことを。

 自身の才能は決して一流には届かないことを。

 そう、思い知っていた。

 己は、井の中の蛙だったということを。

 

 だが、男は、それでも登ると決めた。

 険しいのか? 己に向いているのか? 可能なのか?

 ――そんなのは関係ない。

 決めたのだ。頂点まで登り詰めるのだと。

 才能が足りないというのなら、臆面もなく人の手にすがり、己の手を汚し、愛する者に侮辱され、それでもなお頂点を獲るために。

 全ての雄が本来持っている焼けつくような渇きは、ただ頂点を獲ることだけでしか満たせない。

 

 

「峨王、もうこれ以上ないっちゅうくらい警戒してたんだけど、それでもまだ長門村正という男の認識が甘かった」

 

 前半が終了して、白秋が劣勢なのは初めてのことだ。いや、()()()()()()()()()()()()()()ことに驚く者もいるだろう。

 峨王力哉の破壊に、持ちこたえている。それが白秋ダイナソーズの予定調和(リズム)を乱している。

 

「でも、構わない。峨王、()()()()()()

 

 その力を信じている……!!

 

 

「ああ、任せておけ、マルコ。お前の期待に応えてやる」

 

 

 ~~~

 

 

 白秋の攻撃から始まった後半戦。

 白秋の戦術方針は変わることなく、先陣を切る峨王が、障害を蹂躙する『北南ゲーム』

 圧倒的なパワーに対し、パワー・スピード・テクニックを駆使するも、重心を崩す“毒”に“耐性”――打ち込むごとに倒れ難くなっている。

 頭で理解してやっているのではない。敵の技を体で覚え、細胞が倒されるのを拒んでいるよう。

 

 強く、なっている……!

 単純に力が増したとかではない。意識が変革しつつある。

 敵を押し倒すことにこだわらなくなっている姿勢から、ボールの元へいかさんとする意志の萌芽を、長門は峨王の中に感じ取った。

 ラインマンとしての成長――ルーキーである峨王はさらなる伸びしろを秘めているのだ。

 

 人力を超えた野獣を、飼い慣らすことはできない。

 だが、パートナーとして、信頼を注げば――野獣の血は、更に力を滾らせる!

 

(長門村正は、怪物。こいつには敵わない、そう俺の中で格付けされちまった。それでも、長門を超える史上最強の怪物――峨王が必ず抑えてくれる……!!)

 

 そして、マルコも応えた。

 ボールを、泥門に奪わせない。時に強引に突破して、時に技巧を駆使して、ボールを奪いに来る泥門の守備を潜り抜けていく。

 

 

『タッチダーーーーゥン! 白秋ダイナソーズ、着々と前進を続けて泥門を圧倒!』

 

 

 後半、着実に点差を縮める白秋の追い上げ。ボーナスゲームでもタッチダウンを決めて、28対24。

 そして、審判のタッチダウンのコールが叫ばれる中、フィールドに、膝をつく長門村正の姿があった。

 

 

 ~~~

 

 

 ダメ、だった……

 まったく峨王君に歯が立たない。

 

「……ふぅ――点は獲られたが、すぐこっちも獲り返すぞ! 99点取られようが100点取れば勝つ! それが、泥門デビルバッツの戦術(アサインメント)だ!」

『おう!!』

 

 栗田は既に悟っている。

 5年間――

 このフィールドで誰よりも長く、過酷なライン戦を戦い続けてきた男に備わった直感。

 そして、誰よりも多く、不屈の後輩と競り合ってきた先輩だからこそその消耗は自ずと把握している。

 この二つの推量から一つの予測を導き出す。このまま力勝負の土俵に持ち込まれると、長門村正は、峨王力哉に負けてしまう、と。

 ただでさえ、ヒル魔に変わってチームを指揮してるのに、不甲斐ない自分のフォローまでして、こんなの無茶が過ぎる。

 どうにかして、峨王君を止めなくちゃならない。

 なのに、僕は…………何も、できないっ。

 

『……栗田。お前は、あいつを見殺しにできるか』

 

 ハーフタイム終了後に、ムサシから言われた言葉が、重くのしかかる。

 どうすればいい。

 どうすれば、僕は――

 

 

 ~~~

 

 

「そろそろ出るよ。負けてるのに、いつまでも寝てられないしね。モン太君のパスキャッチを止めるのが、僕の仕事だよ……」

 

 後半の白秋の守備、負傷退場していた如月ヒロミが戦線に復帰する。

 まだダメージが抜け切れてないせいかふらつきながらフィールドに戻ってきたが、翼竜の眼光は衰えず。前半最後にキャッチタッチダウンを決めた雷門太郎(エースレシーバー)を睨む。

 あの超ロングパスを決められたことを、ベンチから見て如月は強い憤りを覚えた。

 自分が彼のマークについていたのなら、あのモン太の立ち位置から『インモーション』の前兆に気付けてた。

 この左腕がそのキャッチからボールをもぎとれていたのなら、このプレイですでに白秋は泥門に逆転していた。

 ああ、なんて体たらく。己の惰弱さが情けない。

 たとえ万全でなかろうとも、このまま休んでいるという選択肢は如月にはない。

 

「モン太君、もうあんなロングパスは絶対通さない。『翼竜の鉤爪(プテラクロー)』で君の腕を切り裂く。力は、絶対なんだ……!」

 

「如月!」

 

 復活した如月ヒロミにマークにつかれ、モン太へのパスが厳しくなる。

 

 白秋ダイナソーズは、この守備で前半の勢いを完膚なきまでに殺しに行く。

 

 

「SET――HUT!」

 

 スナップされたボールを受け取った長門は、一斉に走り出したレシーバーを見通す。

 三次元に広い視野。その上から見下ろすようにフィールドを全体として捉える空間把握能力を前回に発揮して、他の選手で隠れて見えない位置の選手まで感覚で察知する。

 そして、迅速にパスターゲットを――

 

 

「破壊は、峨王だけの専売特許じゃないっちゅう話だよ」

 

 

 骨肉をぶつけ合うしか暴力手段のなかった原始時代へ逆戻りしていくよう、円子令司のとった対抗策はまさしく力だった。

 

『なんと、これは泥門パスキャッチ軍団大崩れだー!!』

 

 

 かっ……如月が、『バンプ』!!

 まさかのまさかだった。怪我をして戦線離脱していた、それに元々腕力が強いわけでもなかった如月が、躊躇なくその右腕でどついてきた。

 思わぬ一発。完璧に不意打ちを食らわされた、モン太の体勢が崩れる。

 

 モン太だけではない。石丸、瀧、雪光も白秋の開幕『バンプ』に崩された。間一髪で、セナは躱せたみたいだが、回避のために大きくパスコースから外れてしまっている。

 

 パスターゲットの修正に、パスの発射が遅れる。

 その遅れは、破壊神の急接近を許す。

 

「GYYAAAAAA!!!」

 

 『妖刀』を折る絶好の好機に、恐竜は圧のある咆哮でフィールドを震撼させる。

 峨王の襲来に対し、他に備えもない背水の陣。我が身ひとつで、ボールを護らなければならない。

 

 ――その両者の間に割って入る深紅の背番号55。

 

「フフゴー!!」

 

 やらせはせん! やらせはせんぞ峨王!

 長門を、その身を呈して庇うのは、小結大吉。

 

 

『なんと伏兵小結君! あの怪物峨王君に横から決死の低空ダイビングブロックーーー!!』

 

 

 ほう、面白い……!!

 果敢に己に挑んでくる気配に、峨王の視線がそちらへ逸らされる。

 そして、長門へ振り上げていた剛腕を、腰に飛びついた小結へ叩きつける。潰される小結。

 

 歯が立たない。だが、普段から鍛えこまれてきた豆タンクはその程度では壊されず、耐える。腰にしがみつき、ほんの少しでも峨王の進撃を鈍らせんとする。

 

「フ、フゴーーっ(友よ、行けーーっ)!!」

 

 大吉……っ!

 この小結の奮戦を無駄にする長門ではない。

 すぐパスから切り替えて、ランへ。中央を避けて、大外へ回り込む。

 

「逃げてもこっちも行き止まりっっ! 残念でした、って――うぎゃあああ!?」

 

 

 ――『(スラッシュ)デビルバットゴースト』!

 

 

 待ち構えていた天狗にぶつかりにいく――気迫を当てて怯ませてからの、超速バックカット。繋げて、縦横同時にブレる、斜めに沈み込む袈裟切り走法でもって、抜き去る長門。

 

(――逃がさない。あんたの行動は絶対に見逃さない)

 

 だが、天狗を抜き去った先で、また更に今度はマルコが迫っていた。

 破壊的なラン。標的とした大和猛に最も近い走りをする男は、捕まえようが止まらない。だから、ボールを狙う。ボール一点に己の腕力を集中すれば、掻き出せる――

 

 

 ――『スクリューバイト』!

 

 

 天狗を抜いた直後の隙を狙ったマルコを、長門もまた意識から外してはいない。

 筧駿の『モビディック・アンカー』のようにリーチの長い手で機先を制するテクニック。進清十郎の『スピアタックル』のように片腕を伸ばして一気に伸びるスピード。金剛阿含の手刀のように敵を躊躇なく潰す鋭いパワー。

 それらを併せ持つ長門村正の『スティフアーム』――『格闘(グラップラー)アーム』が、腕を伸ばそうとしたマルコの右肩を抑えた。

 接近をさせない。

 ボールに触らせない。

 格闘球技アメリカンフットボールならではの、正当なラフプレー。

 天狗先輩を抜いた時の隙をついて先に仕掛けたのはこちら(マルコ)だというのに、後出しで先手を取れる反則的な手の速さ(ハンドスピード)

 力強いランだけではない。荒々しいハンドテクニックで、肉食竜の顎を撃ち抜く。そして、抜き去る。

 

(だ・け・ど――結局、逃げれない)

 

 抜いた先で、また白秋の守備。それも複数で囲っている。

 天狗とマルコが相手をしている合間に、白秋は袋小路を完成させていた。

 

「ちっ」

 

 人数が多い。そう、白秋の守備網は外側に大きく寄っているのだ。だから、回り込もうとすれば、そこは密集地。

 これでは躱し切れず、捌き切れない。それでも長門は一歩でも前進せんと強引に包囲網を突っ切らんとして、連続攻撃権獲得の10ヤードまで進まされたところで白秋は3人がかりでようやく止める。

 

 

 ~~~

 

 

「ホント、怪物っちゅう話だよ。想定にしたけど本物のアイシールド21よりもさらに攻撃的なんじゃない?」

 

 でも、それでも人間。

 このぬかるんでフィールドで複数がかりに取り囲んだ泥仕合。体力の消耗は半端ない。これでいい。まだ、長門村正は潰せない。だが、いずれは、潰す。

 

「前半最後の作戦はお見事だったよ。『エンプティバックフィールド』からの超速パス五連射からインモーションの見事な一連の流れだった。でも、そろそろネタ切れで苦しくなってきたんじゃないの?」

 

 白秋ダイナソーズは、中央の守備をほとんどがら空きにして。外側を固めている。もう容易にパスは通させない。外へランに逃げようとしても袋小路。

 だが、中央はその分だけがら空きとなる。

 長門村正というパワーランを有する手札がありながら、その中央突破を避けている理由は疑いようがなく。

 

「峨王は最強だ。アンタら東京のベストメンバーでも勝てなかった帝黒も潰せる。峨王の、絶対的な力は。スピードもテクニックも敵わないっちゅうのは認める。でも、破壊(パワー)はその全てを崩せる。――アンタも泥門じゃあ、パワーで勝てないと見切りをつけているからそういう“逃げ”の戦法を取っている話だろ」

 

 結局のところ、峨王の力押しは止められない。敵わないと認めているに他ならない。

 だったら、中央は峨王に任せて、こっちもパス一択に絞れば対応できる。

 

「それは、違うな、円子令司」

 

 円子令司を、長門村正は静かに睨み返す。

 

 峨王力哉を止められないと見切りをつけたのなら、峨王力哉を止めるための人員を一人も割きはしない。超ショートパスのために割り振って、成功率を上げる。

 そして、何の障害もなく突っ込んでくる峨王力哉は一対一(さし)で相手をしている。それが最も効率的な作戦となろう。

 

 だが、長門は峨王の前に置き続けている。

 破られた“盾”を。

 何度、目前で倒されるのを見せられても、決して配置を動かそうとはしない。

 

「俺は、立ち上がってくるのを待っている。この泥門デビルバッツに、地獄に屈した奴は一人もいない」

 

 言い切った長門に、そのあまりの頑固さに、マルコは肩をすくめる。

 

「期待や願望を抱いて、策を鈍らせるのは、指揮官としては落第だっちゅう話だよ」

 

「……だろうな」

 

 

 ~~~

 

 

「――この攻撃権、俺の身勝手に付き合ってくれないか」

 

 審判にタイムアウトを取ってから、作戦会議(ハドル)

 集合したチームメイトに、長門は開口一番にそう言い放った。

 

「今の攻撃でわかったが、白秋の守備は、外側に守備を寄らせている。中央には、峨王がいる。絶対に抜かれないと全員が確信している」

 

 峨王力哉が、無敵の壁。だから、外だけに集中して守れる。それが白秋の決定的な強みだ。その傾向が、後半に入ってさらに強まった。

 

「だからこそ、その自信の根底を揺らがす。――峨王に中央突破を仕掛ける」

 

『峨』

OH()!』

『に』

『中』

『央』

『突』

『破ァアアア!?』

 

 反応は、驚嘆して声を上げるものと、顔を蒼褪めさせるものでおよそ半々、あとは反応を(おもて)に出さず静観するものが少々。うん、特にビビりなセナなんか光速4秒2で身体を身震いさせてる。

 長門自身、これは相当な博打であることは承知している。それも無駄骨となる可能性が高い大博打だ。

 だが、まだ士気が底に落ちていないうちに布石を打つ必要がある、と長門は判断した。

 ヒル魔妖一がやられてしまったことへの払拭もある。このまま中央を攻めることへの忌避感を拭えなければ、こちらの攻撃は縮こまる。

 

 

「うむ。全員で復唱をありがとう。そう、正面からぶち抜く。力の直球勝負だ。栗田先輩、小結のところから俺が行く」

 

(……とんでもねぇこと、揺らぎもしねぇで言い放ちやがる)

 

 動揺するこちらへ平然としたすまし顔でなんて事のないようにさらっと言ってくる長門に十文字一輝は恐れ戦きも混じる頼り甲斐を覚えた。

 

 前半最後の得点は、この長門の作戦があってこそだ。ヒル魔に代わって長門が指揮したからのリード。

 だったら、その失点分は、勝手に付き合ってやっていいとすら思うが、攻撃権を潰す以上にリスクがデカい。

 

「おいマジかよ! 峨王に当たったらぶっ壊されんぞ、長門!!?」

「一回戦でも太陽の『ピラミッドライン』が全滅だったじゃねぇか。同じ二の舞になるだろ。だったら、このまま峨王回避一択のパス中心で攻めた方が……」

 

「いいや、黒木、戸叶、このままだとじり貧になる。さっきも言ったがこちらのパス攻勢に対し、白秋は徹底して外側を固め、パスを封じる策を打っている。パス発射の時間を1秒でも遅らせ、峨王に叩きのめさせるというのが、円子令司の筋書きだろう」

 

「『バンプ』のことなら、こっちにだって対抗策はあるぜ長門! 俺の作戦で如月を撥ね退けてみせるぜ!」

 

(オレ)の作戦?」

 

 “猿”って書いて俺って呼んだだろ戸叶。

 

「こいつは猿知恵の気配……!」

 

 そうだな、黒木。秀才とバカがくっきりと二分してる泥門の中でもモン太は残念な後者側に属してる。

 

「ちなみに、モン太、それは具体的にどういう作戦だ?」

 

「ド根性MAXだ! 『バンプ』されても我慢して突っ走ればいいんだ!」

 

「知恵ですらねぇ!」

「ただの根性論じゃねぇか――!!」

 

 モン太のとんでもな理論に早速突っ込む戸叶と黒木。

 苦笑しながら長門はフォローを入れる。

 

「まあ、悪くはない。躱そうだとか考えず、最初から受ける気概で挑めば立ち直りも早い。結局、根性論なんだが……それよりも、モン太には適した『バンプ』の対策があるが、それは後で話そう」

 

 『バンプ』を躱せたところで、白秋の守備が密集している外側で勝負を仕掛ければ、パスキャッチができてもすぐに囲まれる。

 そうして、進めなくなって右往左往としているところをマルコの『スクリューバイト』に狙われれば、逆に点を奪われちまう可能性だってある。

 ホワイトボードを使って、長門の思い描く展開を図示すれば、モン太達もそのリスクを理解していく。

 

 そして、長門は全員の前で腕を掲げてよく見せる。

 薄らと刻まれた、まるで刀の刃毀れのような、痣の痕を。

 

「長門君、それって……!?」

 

「ああ、俺も峨王のチャージを完全に逃れているわけでもない。驚いたことだが、だんだん速くなっている。後半に入ってからさらに加速度は増している」

 

 長門が明かす情報に、心臓がきつく絞られていく。

 峨王は叩きのめせば叩きのめすほど狂ったようにテンションを上げてくるバーサーカーだ。

 “喰らい難い”ことを“喰らい甲斐のある”と捉える闘争に飢えた獣は、折れることを知らない。

 くそ……っ! 峨王は止められないがまだこっちがリードしてる。このまま逃げ切れば……って楽観視はしてねぇつもりだったが、俺の想定以上にヤバい!

 

「このまま峨王を放置すれば、ヒル魔と同じように長門も捕まるってことか」

 

「そうなる可能性は高い、というところだな十文字。ま、捕まったところで俺はそう易々と壊されるつもりは微塵もない。……しかし、どのみち、峨王力哉は避けられない障害で、それを打ち破るのなら、なるべくこの五体が無事なうちが勝ち目はある、と言っておく」

 

 自身の体に手を当てて淡々と語る長門に、全員が、息を呑む。

 このままパスで躱しても、ここで一発ギャンブルに走っても、地獄行きなのか同じ。どちらが正答であるかなんて、ない。

 誰もが迷って口を噤んでしまう中、ふと長門は問いかける。

 

 

「……この中で、夏休みの『死の行軍(デスマーチ)』が楽勝だったという奴はいるか?」

 

「は?」

「はぁ??」

「ハアアアアア!?」

 

「んなの、しんどさMAXに決まってるじゃねーか!」

「あ、あはーはー、いやあ、僕は全然楽勝だったよ、そこのムシューモン太とは違ってね」

「ムキャ! 瀧こそ途中参加のくせして毎日へばり切ってたじゃねーか! あれで楽勝なら俺こそ楽勝MAXだっつの!」

「いやいやいや、そんな意地張ることじゃないでしょそれ」

「うん……アレは僕も地獄だったよホント」

 

「ああ、俺もしんどかった。俺達全員しんどかった。だから、知っているはずだ」

 

 長門のフッと息をつく、しかし不敵さを滲ませる表情に、騒ぎ出した全員が静まり返る。

 

「しんどいことはしんどい。ここで無理に誤魔化したって、現実の大変さは優しくもならないし軽くもならない。キツく重いままだ、ってな。

 そして、そんな辛い現実を受け止めて尚、只管前に進もうとするのが、挑戦だ」

 

 逆境。

 俺達は幾度となく遭ってきた。

 そして、コイツはいつだって、とんでもない逆風にも目を瞑らず、前を見据えてきた。

 

「ここで挑戦するにも挑戦しなくても、それは選択だ。だが、挑戦できる機会は、一度だけだ。

 ――どっちの選択が、俺達はやれるだけはやったと言い切れる選択なのか、お前らに問う」

 

 今この瞬間、俺達は再びあの光景を幻視()た。

 アメリカ、テキサスの空港で決断を迫れたあの死線を。

 だが、あのときと違うのは、俺達の後ろにも一線が敷かれているということ。背後は前のと比べてまだ距離があるが、崖っぷちだということには変わらない。

 そして、長門の背中は死線の先にある。

 

「逃げられねぇんなら納得する方を選べってそういう話か?

 だったら答えは決まっている。峨王をぶちのめす。勝負所で逃げんのはガラじゃねぇんだ!」

 

「い~~こと言った十文字。俺も直球勝負に一票ォー!」

「俺も一票!」

 

「フゴッ」

 

「おう。峨王を倒さねーと勝てないんなら、その博打MAXに乗るぜ!」

「そこまでカッコ良く決められちゃったら、僕も挑戦するっきゃアリエナくなるね」

 

「うん……。きっと向こうだってあり得ないって思ってる。だからこそ、行く。ヒル魔さんもいつもそうだった。敵が、それだけはあり得ないって思ってるプレーを選んでた。って、峨王に直接挑むのは僕じゃないんだけど……」

 

 デビルバッツ一年生組は、賛同した。

 それで、二年生……栗田――中央突破で頼るセンターは、この今でも震えて、頭を抱えている。

 

「僕は……峨王君は避けたいな。だって……僕はみんなでアメフトをやっていたいんだ。

 ずーっと、麻黄中で、三人でアメフト部を作った時から、そう。僕はみんなと一緒にアメフトができてるだけで、ホントに良かったなあ、って思えて。

 だから……。……もう、これ以上、みんなが欠けるようになるのは、嫌なんだ。もし、ここで負けたっていいから……!」

 

 

 武蔵は、一年生たちの前でみっともなくもそんな弱気な発言をする栗田を黙ってみていた。

 

 栗田は、決して、負けを認める――全国大会決勝(クリスマスボウル)の夢を諦めたいわけじゃない。

 ただ、大事な仲間が潰されてしまう想像が、あまりに怖ぇから、心に保険をかけている。

 本気で負けてもいいなんて心の底から思ってるわけじゃねぇ。

 

「長門君……ごめん。でも、峨王君には敵わない……! 僕は、皆を護ることなんて、できない、から……!」

 

「ぜ……ぜんぜん!!」

 

 俯きながら、その腕を震わせながら、苦し気にそんなセリフを吐く栗田。師匠と慕っている小結がすぐそれを否定しようとするも、栗田の顔は上がらない。

 

 

「全っ然じゃにーか、ダメ栗田! 折れちまってるじゃにーか」

「あれあっちのブタ君なんか泣いてるっぽい? こーりゃ勝負見えちゃった! ヤッホォオオオイ! やっぱ白秋最強俺最強!!」

「あ・はー!! デブがめそめそ白旗上げちまってやがんの! カッコわりー!!」

 

 

 そんなチームが活気づく中で、ひとり落ち込むのが外野からも見えたか、落胆する声や煽り立てる声、下卑た嘲笑を浴びせる者まで聴こえてくる。

 

「だ…!!」

 

 これに真っ先に怒ったのは、小結。

 

「ダメ、なんかじゃない!! し…師匠、は、ダメなんかじゃ、ない!!!」

 

 小結が、喋った……!?

 普段、偉く口下手でパワフル語でしか会話のできない小結が、今の落ち込んでパワフル語の通じない栗田のために、たどたどしくも励ましている。

 

「ちょっと、だけ。いまちょっとだけ、休んでる…だけなんだ! ししょうは、すぐ、もどってくる! それまで、護るから! ししょうのかわりに、じぶんが、護るから!! ししょうはぜったい、もどってくるから……」

 

 そんな精一杯の想いに、栗田も顔を上げた。

 まだ、こんな自分を信じている。けど、とても自分が信じられないでいる栗田は何も返せる言葉はなかった。

 

「栗田先輩は、俺が無理だと。勝てる可能性が0%だと言ったら、諦めるんですか」

 

 長門が、小結の肩に手を置きながら、栗田と向き合う。

 

「俺は、残念ながら司令官として非情に徹することはちと無理です。仲間のことはどこまでも信じたくなる。だから、俺は、俺達なら峨王力哉を倒せる、と見込んで作戦を立てます」

 

 そんな真っ直ぐな信頼(セリフ)がどこまで栗田に届いたかは、わからない。

 ……ただ、この男は、どうしようもない馬鹿な野郎だってことはわかった。

 武蔵は、白状する。

 

「正直言って、俺も、反対だ。……こんなの望み薄な神風特攻に違いない。大怪我するかもしれねぇプレーにどうしたって賛同はできねぇ」

 

 こんな大馬鹿野郎、見殺しにはできない。――ああ、一緒に死んでやる。一蓮托生だ。

 

「だが、長門、今の泥門の司令塔はお前である以上、賛成も反対も関係ねぇ。そう決めてるんなら、俺はお前を信じてそれに従ってやる」

 

 

 ~~~

 

 

「――SET」

 

 タイムアウト後のプレイ。

 泥門の雰囲気がさっきまでとは違うことに、マルコは気付く。

 フォーメーションは変わらずだが、目の色が違う。

 ま・さ・か。さっき煽り立てるようなセリフを言っちゃったけど、本気でやる気なのか??そんな自滅まがいな真似を――!?

 

「いい目だ。打ちのめされながら尚俺に敵意を放ってくる」

 

「フ、ゴォォォ……ッ!」

 

 あからさまに突っ込む気満々で、鼻息荒げに気炎を上げる小結大吉。

 峨王は嬉し気に笑う。そして、これに応えるよう、ライン挟んで向こうに対峙する長門村正は笑い返した。

 

「泥門の作戦を教えてやる、直球力勝負の中央突破だ。これから峨王力哉をぶち破って、突き進む。守備を中央に戻さないと大変なことになるぞ、円子令司」

 

 投げる前から握りを見せつける予告ストレートのような大胆不敵な宣誓。

 いやいやいや、ありえない。信じられないでしょ。峨王に力押しなんて無理だっちゅうのは散々思い知らされているはずだ。そんな虚言(ハッタリ)は、ヒル魔妖一仕込みなのだとしても酷過ぎる。……でも、これがこちらを揺さぶるための単なる挑発なのかを迷う思考が一割、頭の片隅にある。

 この疑念を膨れ上がらせるように、峨王は断言する。

 

「来るぞ、マルコ。力で、俺を殺しに来る。そういう目をしている」

 

 そして――――来た。

 

「HUT!」

 

 

 ~~~

 

 

『峨王、泥門の中央突破を三連続阻止ーー! 圧倒的! これが高校最強のパワー!』

 

 

 本気、だった。

 『爆破(ブラスト)』。作戦とも呼べない作戦。正面突破。泥門デビルバッツは、峨王に力で挑んできた。

 ありえない。通用するはずがないとわかるだろうに、失敗しようが懲りずに連続で中央突破。だが、進めないのだ。

 冷静に、この無謀の利点を探すとすれば、牽制。

 外側に極端に寄っている白秋の守備に、中央を意識させるための布石。しかし、それにしては、本気だ。

 

 なんだ? 何かあるというのか?

 栗田は心が折れ、長門も体へのダメージが大きい。峨王を倒せるカードなんて、他には存在しえない――

 

 

 ~~~

 

 

「……タイミングが合ってきているぞ、大吉」

 

 一度目よりも二度目。

 二度目よりも三度目。

 確実に、峨王の0.2秒先の未来へと打ち込むタイミングが修正されていく。

 番場衛は予見する。

 この四度目に、“爆発”する、と。

 

 

 ~~~

 

 

「……大吉。そろそろ、覚えてきただろう。体が。峨王力哉の動きを」

 

 長門村正(わがとも)の目の光は、潰えていない。

 己を信頼している。試合前からタイミングを教えてくれていたが、己の物分かりの悪さのせいで、適正(アジャスト)するのに実戦回数を要した。

 峨王は、単なる的ではない。全速力で、こちらを殺りに来る。だが、もう慣れた。その殺意にも、もう臆したりしない!

 

 

「――SET! HUT!」

 

 

 峨王は、油断などしなかった。

 見据える相手は、小結大吉。心が折れてしまっている栗田良寛の隣で、ボロボロになりながらも果敢にこちらに挑む。中々に鍛えこんでいるが、それでも力はこちらが上だ。

 最初の一度目は、面白いと受けて立った。

 次の二度目から、この男を潰せば今度こそ栗田の殺意が芽生えるのかと打算が浮かんだ。

 そして、三度目に、そんな余計な思考を捨ててしまうような驚きと違和感を覚えた。

 

 当たる威力が、増している……?

 

 小結大吉のベンチプレス記録は110Kg。そして、峨王(おのれ)のベンチプレス記録は200kg超。

 なのに、一瞬、怯んだ。まるで当たった瞬間に、チャージの威力が2倍に跳ね上がったように。

 

 何か、ある。

 直感的に、次の衝突の危険を嗅ぎ取った峨王だが、構わず突撃した。

 何であろうとも、向かってくるのであれば受けて立つ。

 

 

『で、泥門! なななんと最後の四回目もまた中央突破です――!!』

 

 

 開始と同時に、猪突猛進(ダッシュ)

 低く低く、その背の低さを活かして、峨王の懐に潜り込む小結。

 

 ――頭部と背中を繋ぐ僧帽筋の爆発的な肥大。

 人体の弱点である首が埋まり、上半身すべてが瞬間、一つの鉄塊と化す。

 

 

「フゴヌラバーーーーっ!!!!」

 

 

 ボ――ボ――ボッ!!

 頭、肩、腕の三点が着火。それらが描く黄金比の三角形(ピラミッド)が、峨王の懐で、爆発した。

 

 

 『Δ(デルタ)ダイナマイト』――!!

 

 

 頭、肩、腕の△状の三点がジャストでぶつかるブロックと闘志が生む一瞬の爆発力。

 それは、峨王のパワーを上回る3倍の威力を叩き込んだ。

 

 この威力……! 俺のパワーを超えているのか……っ!!

 

 ピラミッドの巨石をも押し飛ばす小結の腕っぷしが、峨王の身柄を大きく後逸させた。

 この時、峨王力哉の脳に、栗田良寛、長門村正に続き、小結大吉という男の名が刻み込まれた。

 

「峨王!?」

 

 だが、踏み止まる。

 決して、倒れない。たとえ己が倒されようとも前のめりに敵を倒すことだけしか頭になかった獣が、注がれる信頼に応えんと芽生えた不屈の意志。

 

「やはりラインとして成長しているな、峨王力哉(ルーキー)。――だが、勝つのは()()だ!」

 

 時間差で――来る。

 そう、ラインの後ろからボールを持って突っ込んでくる。長門村正が。『妖刀』が。好機逃さず鞘から必殺の刀身を抜き放って、渾身の踏み込みから全身全霊で迫ってくる!

 

「フ、ゴ」

 

 追い抜く。交錯する最中、長門と小結の腕が当て合った。

 バトンを渡すように。

 

 

『青天っ! なんと高校最強の峨王を、力で、倒しましたーー!!』

 

 

 小結の『Δダイナマイト』に弾かれ体勢が崩れているところへ、長門の『卍デビルバットソード』が炸裂。

 この怒涛の連撃を前に、絶対の壁は粉砕された。

 

 

 ~~~

 

 

「峨王が……!?」

 

 チャンス、だ。

 峨王君の青天で衝撃が走った白秋の守備に隙が生じる。元より最弱で、アイシールド21のセナ君、エースレシーバーのモン太君、目立ちたがり屋な瀧君と光の強い面子が揃っている中で、自分への警戒は薄かった。

 そして、いま最も注目を集める(かがやいている)のは、峨王を打倒し、ボールを持っている長門君だ。

 ついているマークをそちらへ身振り手振りで視線誘導した僕は、この瞬間、抜けだした。

 

 そして、この場面、フィールドで最もフリーになった僕ができる仕事は――

 

 

 ~~~

 

 

 仰向けに倒れた峨王を突破した長門はそのまま中央を行く。

 

 ま、っず……!?

 白秋の守備は外側に寄っている。中央ががら空き。長門の独走を止めるにも間に合うのは、『クォーターバック・スパイ』としてマンマークしていたマルコしかいない。

 

「抜かせないっちゅう話だよ!」

 

 『スクリューバイト』は、通用しない。長門、それから大和猛のような破壊的なランをする相手には、まだ練度不足だというのは思い知った。

 だったら、しがみついてでも止める。ボールは隙あれば狙うつもりでいるが、まず止めるはその足。

 峨王を倒されてタッチダウンを決められるなんて、白秋の士気を大きく盛り下げることになる。

 

「円子令司、峨王力哉の力に賭けていたようだが……」

 

 横へカットを切った長門を追尾するマルコ。あの『格闘アーム』がある。迂闊にタックルは決められない。腕の届かない距離感を意識しながら、隙を探す。瞬きもせず、長門の一挙一動から目を離さない。

 

「――()の力に賭けた、俺の勝ちだ」

 

 鏡合わせのように長門の動きに並走していたマルコの肩にぶつかる。押される。ブロックだ。

 

 

「ナイスブロックです、雪光先輩」

 

 完全に長門に、ボールに焦点を絞っていたマルコの死角をついたのは、ノーマークの雪光。泥門デビルバッツで一番非力な雪光が、パワーで勝負してきたのだ。

 

「あ゛あああああ!」

 

 長門君、あの一瞬で、マークを外した僕に気付き、そして、合わせてくれた。

 期待をしてくれたんだ。この僕を。

 僕は、弱い。僕に壁なんてできない。簡単に蹴っ飛ばせる小石。だけど、小石でも不意を突かされれば躓く。少しでも、0.1秒でも、マルコ君のマークを外させる! ううん、倒しに行くんだ!

 

 思わぬ、思いもよらぬ伏兵に、マルコはぐらつかされた。

 警戒が薄かった。長門村正という絶対的な存在を前にして、他所に気を回す余裕なんてないだろう。円子令司は、決してボールから視線を外さない。

 そして、長門村正は仲間の気配を決して逃さない。

 

 雪光のブロックを振り払おうと一瞬、意識を逸らしたマルコ。

 この瞬間に長門は抜き去った。

 

 

『タッチダーーーーゥン!! 泥門、真っ向勝負でタッチダウンを決めたーーー!!』

 

 

 ~~~

 

 

 凄い。なんて、凄いんだ……!

 小結君に、雪光君も。全員が諦めていない。

 そう、僕以外…………いや、僕は……僕だって……!

 

 

 《テメーはここで諦めるのか、糞デブ》

 

 

 違う。そうじゃない。

 絶対、行くんだ、クリスマスボウルに! その為だったらなんだってする。

 だって、好きなんだ。アメフトが。

 大好きなんだ。デビルバッツの皆でアメフトができることが。

 

 

 ――諦められるわけなんかない……!

 

 

 でも、どうしたらいいか、わからないんだ……!!

 今だってそうだ……僕は護れなくて護られてばかりで……

 あの時、“僕が護る”と約束しておきながら。

 

 

 《覚悟しときやがれ、糞デブ》

 

 

 ヒル魔とアメフトを始めると決めたあの日。

 米軍の人たちにコテンパンにされた僕たちは、誓った。

 

 

 《死んでも全国大会決勝(クリスマスボウル)に行く。途中で半端な真似しやがったらぶち殺すぞ……!》

 

 

 ひとりじゃ何にもできなかった。

 皆がいてくれたから、大好きなアメフトができた。

 

 その皆を壊そうとするのなら、僕が護る。

 そして、この身一つで皆を護るための答えは、彼らの信頼に応えるための行動は、既に出ていた、たった今目の前で示されたことにやっと気付けた。

 

 

 ~~~

 

 

 タッチダウン後の、ボーナスゲーム。

 キックを決めるためにブロックに参加しようとした長門を抑えとどめる大きな手。

 

「大丈夫。これ以上、長門君が無理をしなくても、泥門の誰一人壊させはしない」

 

「栗田、先輩」

 

「僕が、峨王君を倒す。長門君は、ボールのセットをお願い」

 

 その言葉に、長門は大きく目を見開いた後、何も言わずに従った。僕を、信じてくれる。

 ごめんね。すごく待たせちゃって。

 そして、ポジションにセットした時、隣に構える小結君が震えた。

 

「フ、フゴっ!」

 

 ありがとう、小結君。そして、もう大丈夫。あんな情けない姿は絶対に見せない。

 

 僕は、ひとりじゃない。

 僕と一緒に戦ってくれる頼もしい仲間たちがいる。

 

 ラインマンは、どんな時でも、チームを背負って立つ。

 

 その僕を信じてくれる皆を背負う(まもる)ために、僕は眼前の敵を――――破壊する。

 

 

「おおおおおおおおーー!!!!」

 

 

 ~~~

 

 

 プレイの時、キッカーは、自分の右足とボール以外を意識してはならない。

 味方が守ってくれることを期待してはならない。だが、蘇ったその覇気を疑いもしなかった。

 

 

「止めた……! 峨王と互角に、パワー勝負……!」

 

 

 栗田が抑える。峨王を相手にして、一歩も引かない。

 猛り狂う恐竜が、泥門の追加点(キック)を阻まんと中央を破りに行くが、泥門の前線は崩れない。

 ――キッカー・武蔵もそこへ加勢する!

 

 一点狙い(キック)、じゃない……!

 

 マルコの中でけたたましく警鐘が鳴り響く。

 長門は――泥門は、ここで殺りに来ている!

 峨王と()()に渡り合っている栗田に、小結、それに、キッカーだがベンチプレス90kgに大砲キックを成す強靭な脚力もある武蔵――そして、そこに最強の突破力を誇る長門が仕掛けてくる。

 峨王と言えども、泥門最強パワーを総集させた突貫は、キツい。中央が、押し切られる。二度も続けて中央を破られるなど、決定的に白秋ダイナソーズの根底を揺るがす。あってはならない。

 

 この危機感に、白秋は無我夢中で峨王の背中を支えに回る。

 

 

「ヒル魔先輩から学んだ戦術理論は、“そのカードが出すかもしれない”、では不足――“そのカードは出すはずがない”って思わせたら、勝ちだ」

 

 

 跳んだ――

 ただし、壁を跳び越えるためではなく、壁の遥か上を飛ぶために。

 高い。巨漢の峨王を優に見下ろせるその高度で、ボールを持った腕を振りかぶっている、パス発射体勢。

 

「まっ……――」

 

 そう、長門村正は、駆けて、翔けて、投げてくる。走って跳ぶ、三次元の移動砲台。

 天高く突き抜けた跳躍を魅せる強靭な脚力、空中で姿勢を保持する究極のボディバランス、上半身だけで超長距離パスを放てるパワー。この三拍子が揃って成せるジャンピングスロー。

 

 

 ――『エアリアル・デビルレーザー(バレット)』!

 

 

 艦載機(ガンシップ)からの空中狙撃弾が撃ち放たれた。

 

 

 ~~~

 

 

 中央には美しい峨王君と、マルコ君がいる。

 だから、僕は外を守る。そう、この試合で『左腕』たる自分が打倒すべき彼からマークを外さない。

 泥門が中央突破を仕掛け、皆が中央に釣られたその時も、僕は彼から視線を切らさなかった。

 

「――もう、油断しねぇよ如月」

 

 『翼竜の鋭嘴(プテラビーク)』。細長い腕を活かし、標的のガードをすり抜けて打ち込むどつき(バンプ)

 それを、捕まれた。心臓を狙った腕の手首を遮られた。

 相手の拳打を、キャッチする、という『キャッチの達人』雷門太郎のバンプ防衛法。太陽スフィンクスの鎌車の『戦車バンプ』を受け止めた大猿の手は、翼竜の啄みをも捉えた。

 

「しまったっ!」

 

 如月の腕を払い飛ばして、抜き去るモン太。

 そして、フリーとなったパスターゲットへ空中狙撃弾が飛ぶ。翼竜をさらに上空から撃ち抜いてくるかのような、豪速球。

 全力疾走全力跳躍全力投球のパスは、ヒル魔妖一の『デビルレーザー(バレット)』以上に強く重く速い。片手でパスカットなどすればまず弾かれる。

 その長門村正が全身全霊で投げ放ったパスを、ガッチリと、全キャッチ力で確捕するモン太。“お前なら捕ってくれる”というこのボールに伝わってくる『キャッチの達人』への信頼に応える。

 

 

 ――いや、まだだっ!

 嘴は払われたが、まだ鉤爪がある。

 如月は、峨王の当たりをもらったその左腕を精一杯に伸ばし、ボールをキャッチしたモン太の腕を捕まえる。

 

 

 ――『翼竜の鉤爪(プテラクロー)』!!

 

 

「テメーが怪我人だろうが、俺はもう絶対に油断しねぇ! 如月の腕力を俺の腕力MAXでブチ破ってやる!」

 

 剥がれない。この折れそうな細腕を折らんばかりに持っていく強引なキャッチ力。

 ああ、本当にモン太は本気でぶつかってくる。こんな筋力のない虚弱な(うつくしくない)僕を、全然侮ったりしない。それが、とても嬉しかった。そして、この関東最強のレシーバーにどうしても僕の全力(ちから)をぶつけたくなったんだ……

 

 

「――キャッチMAーーーXッッ!!」

 

 

 翼竜の鋭嘴も鉤爪をも突破した『キャッチの達人』は、その手に掴んだボールを決して離さなかった。

 

 

 ~~~

 

 

『雨雲を蹴散らすかのような、ムサシ君の超巨大キック!!』

 

 

 『60ヤードマグナム』と謳われた大砲キックが、天高くに号砲を轟かせる。

 そのキックの勢いに吹き飛ばされたかのように、曇天に晴れ間が見えた。

 

 

「うおおおおおおお!!? なにこの高さ……!!」

 

「僕も見たことないよこんなの~!」

 

 栗田良寛の復活。それに触発されたかのように武蔵のキックは今までのどのキックよりも高い。

 

 

「ああああ――でもこりゃ、飛び過ぎだ! ゴールライン越えんぞォオオ!」

 

 

 タッチバック――キックオフが飛び過ぎて、敵陣ゴールラインを超えた場合、ペナルティとして20ヤード(18m)地点まで戻される。

 そのために、武蔵のキックはある程度加減されていた。

 

 だが、それでも『北南ゲーム』を実行できるだけの破壊力のある峨王は、キックオフリターンタッチダウンを決めかねないだけの脅威。それならば、20ヤードくらいのペナルティは安いと判断した。のだが……

 

 

 ~~~

 

 

 ずちゅ、と。

 ボールがぬかるんだ地面(フィールド)に埋まって、ゴールライン直前で、急ブレーキ。

 

 

 ~~~

 

 

「き……来た! 泥門に流れが……!」

 

 思わず溝六は立ち上がった。

 自分が引退したこの『江の島フットボールフィールド』に立ち込めていた嫌な空気、それが今払拭されたことを、消えた膝の疼きから悟った。

 これまで、天候やら事故やらで不運に見舞われていたが、その呪縛をあいつらは粉砕したのだ。

 

 

 ~~~

 

 

 ついてない……っ!

 確かにキックが高く垂直に近づくほど、地面にボールが刺さる確率は上がる。

 それでも、奇跡というくらいに確率が低いことだ。

 

 これまで白秋に天の恵みをもたらした雨は止み、泥門の脚を悉く引っ張っていたフィールドのぬかるみにキックオフボールが埋まる。

 まるで気まぐれな幸運の女神が、白秋から泥門に靡こうとしているかのような展開。

 

(いいや、まだだ。たった一度のアンラッキーで揺らぐほど白秋は……――)

 

 運不運など、絶対的な力の前では関係ない。

 

 だが、絶対的な力でも、触れられなければ意味がない。

 

 ボールを確保したマルコの、もうすぐ前にまで、アイシールド21は迫っていた。

 

(峨王のブロックが、間に合わない……!?)

 

 前半の時のように、ボールハンドリングでもっていなすか。

 いや、それはできない。セナはボールを狙わず、マルコ自身に当たりに行った。

 

「ふんぬらばーーーー!!」

 

 避け、られない!

 腰をしっかりと抱き捕まえられたタックル。また、踏ん張りのきかない泥沼の足場。マルコは勢いの乗ったセナの人間砲弾タックルに、堪え切れず。

 

 

「うおおおおセナァアア! 光速タックルで、マルコをぶち倒した!」

 

 

 自陣ゴールライン目前数cmという背水の陣を、白秋ダイナソーズは強いられることとなった。

 

 

 ~~~

 

 

 このほとんど自陣ゴールラインからゲームを始めなければならない状況。

 パスを選択するのなら、こちらは自陣ゴールラインの中から投げる羽目になる。もし捕まったら、即自殺点。

 教科書通りの堅気のプレイで攻めるなら、ここはランだ。中央から着実にランで攻める。

 こちらには、最重量の『ピラミッドライン』をも破壊した最強の破壊神・峨王がいるのだ。

 

 泥門が予告中央突破を成功させてきたのなら、白秋もまた中央突破をやり返す! ……と士気を高める白秋に、その“障害(かべ)”は立ちはだかる。

 

 

 ~~~

 

 

 チーム全体を支えてきた長門君、それから先程、何度となく峨王君にぶつかってきた小結君の体力の消耗は大きい。

 ――だから、僕が、峨王君を、破壊する!!

 

 

「そうだ! 長門でも、小結でもねぇ。峨王を相手するのはお前だ、栗田!」

 

 

 背中をたたく鬼平さんの叱咤激励。はい、わかっています。僕はもう、迷わない!!

 

「みんな……大丈夫。もうこれ以上、泥門の誰一人、壊させない。

――その前に、僕が峨王君を倒すから」

 

 その栗田の静かな宣誓は、ぞわりと鳥肌を立たせるだけの意志(ちから)が込められていた。

 そして、安堵する。

 ヒル魔妖一とは真逆。

 峨王力哉とも真逆。

 栗田良寛だからこそ纏い得た、優しき信頼感(リーダーシップ)

 長門はこれまで背負って来た重荷を下ろせたように、深く息を吐いた。

 

 待ち続けていた。

 栗田先輩が、チームを引っ張る本物の大黒柱となるのを。

 

 

「ふしゅしゅうッッッ!!!!!!」

 

 

 ほとんど蒸気機関のような呼吸音を響かせながら、体内に酸素を取り込んでいく。

 これまでとは一度に吸い込む酸素量が違う。それら過剰にまで取り込んだ酸素という起爆剤を、過呼吸状態へ陥ることなくその全てを運動エネルギーに作り替えていく。

 すなわち、ぶちかましの破壊力へと!

 

 

 ~~~

 

 

 この、目は……!!

 峨王に真っ向からぶつけられるのは、殺意。

 しかし、それは復讐心から出てくるものではなく、『護る為の殺意』。この己が持たぬ殺意を、これまで暴力性が欠落していた栗田が覚醒した。

 

 先程までとは別人とも思える重圧。今の栗田は忿怒の相で火炎を背負う明王の如く、敵を燃やし尽くさんとする熱い覇気を放っている。

 長門のような玄人の技で覆してくるのではない、小結大吉のように己が全てを一瞬の爆発力でかけてくるのでもない。

 ただただ、重い。技も速さもない重戦士が持ち得る純粋なパワー。この純度混じりっ気のない力こそ、峨王が待ち望んでいたものだ。

 

 栗田、お前という男と遭えたこと、誇りに思うぞ……!!

 

 峨王は熱くなるほどに、強くなる。

 そのどんどん強力になってくる圧殺力に、栗田は動じない。

 

「GYYYYYAAAAAA!!!」

 

 全力の全力で峨王は押し込むが、持ちこたえる栗田。

 腕力が、己が確実に上回っている。

 ――だが、巨重を支える腰、下半身の力は、栗田の方が上だった。

 

 

「ふん――」

 

 

 後に大きく背を沿った態勢から、ぐぐと押し返していく。

 自分の背中には、何よりも大事な仲間たちがいる。それを決して壊させない。そして、壊そうと暴威を振るう相手を、己が暴力で捻じ伏せんとする守護神の殺意が、栗田を押す。

 

 

「ぬらぁ――」

 

 

 空手の三戦立ちは、筋肉、関節を堅く締めて打撃に耐えるためだけの型ではない。

 安定感の増す姿勢を砲台にし、必殺の一撃を放つためのもの。

 仏の顔も三度まで。堪えに堪えながら、力を練り込む三戦(不沈)立ち。気炎を迸らせる栗田良寛から押し込まれる圧力に、力の趨勢を逆転する。

 

 

「ばああああああああ――っ!!!!」

 

 

 強い。小細工を弄さない、不純物などない力と力のぶつかり合いで、押し込まれる。認めよう栗田。お前は、俺を殺し得る存在だ。

 

《その力を信じている……!!》

 

 だが、栗田よ。俺にも背負う者がある……!!

 

 長門村正が、栗田良寛が纏う、護る為に己の限界を超えるその力。己をも圧倒するその殺意。

 ――ならば、俺もその『護る為の殺意』を纏おう!

 

 

 峨王力哉は最凶の野獣であると同時に、まだアメフト選手としてはルーキー。

 闘いから学び、吸収し、成長している。

 この泥門との試合、かつてない強敵との闘争により、己の為でなく勝利の為に敵を壊す――真のラインマンへの覚醒を果たす……!!

 

 

「うおおおマルコ! 無理やりこじ開けて抜けたァーー!!」

 

 

 栗田と峨王が鬩ぎ合う激戦地帯をマルコはその身をもみくちゃにされながら押し通る。

 このすし詰めの中央に、必ず突破口の亀裂を作り出してくれると峨王の粉砕力を信じて。峨王が自分を護ってくれる。そして、自分はこのボールを何としてでも護る。

 この泥門デビルバッツ、最難関として立ちはだかる怪物から。

 

 

『長門君だァァァ!! 栗田君の穴を抜けたかに見えたマルコ君を瞬時に押さえ込んだー!!』

 

 

 栗田良寛という聳え立つ山のような壁の背後には、長門村正という絶望的な崖がある。

 

 峨王は、栗田と互角。他に気を回せる余裕はない。

 つまり、峨王の力でしか対抗できない長門と、マルコは一対一でやり合わなければならない。

 ボールは、落とさない。容赦なくこちらからボールを奪い取ろうとする『妖刀』から、この身を呈してボールを護った。が、ほとんど進めない。

 

 

『白秋、2ヤード前進!』

 

 

 泥沼に沈められながら、聴こえてきた成果は、これまでの白秋ではありえないほどに、短い。『北南ゲーム』どころか、このままでは連続攻撃権を達成できるかどうかすらも危うい。

 

 

 36対24……タッチダウン1本とキック1本でも同点に追いつけない。タッチダウンを2本決めなければ勝てない点差。タッチダウン1本でも厳しい状況、その事実が重くのしかかる。

 

 

 ドザッ! と。

 

 

「……長門、君……!?」

 

 

 小早川セナが漏らしたその掠れた(おと)にハッと反応したマルコは顔を上げた。

 そして、見た。

 自分の前で、打倒したかった泥門最強の男が、膝をついている姿を。

 



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41話

本日二話目。


「タイムアウトーー!!」

 

 血相を変えて、酒奇溝六が審判に願い出る。

 

 峨王と幾度となくぶつかり合って、後十字靱帯へのダメージが蓄積されていた。それが待ち望んでいた栗田の完全復活で、つい、緊張の糸が緩んでしまった。

 

(立ち、上がらねば……! まだ、白秋にとどめを刺し切れていない……!)

 

 峨王は前衛で栗田が抑えるにして白秋の攻撃力を半減させているのだとしても、後衛から全体指揮する中核が必要だ。実質的にも、精神的にも長門村正は泥門守備の支柱である。

 ここで、白秋の攻撃を完封できれば、試合の流れは完全に泥門が支配できる。この局面で、膝をついているわけにはいかない。こんな屈する姿を見せるなど、チーム全体の士気に影響するのだから。

 

 

「ケケケ、フィールドに小銭でも落ちていたか、糞カタナ」

 

 

 セナらが心配して長門に駆け寄る中で、その声は聴こえた。

 

 まさか……!

 いや、この声は間違いなく――

 

「ヒル魔、先輩……」

 

 

 泥門の全員がその方角を見た。

 そこには、両腕に包帯を巻いた、悪魔の司令塔が笑っていた。

 

「ヒル魔さん……!」

「戻ってきやがった……!!」

「ヒル魔ぁああああ――って、ヒキャアアアアア!!!」

 

 なんか、顔面真っ赤に流血塗れで。

 感動の対面だというのに、一気にホラー展開で栗田たちは絶叫を上げる。それを助長するかのように、ゆらぁ、とまるでゾンビのように振る舞うヒル魔。

 

「ケケケ、泣いて喜べ! 地獄の1mm手前から戻ってきてやったぞ糞原始人」

 

 その様相に、“あれ? あんな激しく流血してたっけ……?”と頬を引きつらせる白秋の面々。

 当然、そんなことはない。

 その顔面にべとべとに塗られてるのは、ケチャップ(栗田持参の調味料のひとつ)である。

 

「12点差つけてんのか。まあまあ良くやってるじゃねーか。――()()()()()()()のようだがな」

 

「最悪の一歩手前、って……?」

 

「テメーらまで峨王に壊されて、クリスマスボウルの夢終わってるっつうケースだ。――はしゃぎ過ぎて折れやがったら承知しねぇって言ったはずだぞ糞カタナ」

 

 じろりと長門を睨むヒル魔。

 長門も、ふらふらとしながらも自力で立ち上がり、ぎろりとヒル魔を睨み返す。

 

「ここに鏡がないのが残念だ、ヒル魔先輩。ハーフタイムも姉崎先輩に看護されていたというのに、どうしてフィールドに戻ってきた。パスを投げれるかも怪しい。それもハロウィンでもないのに“仮装”に気合を入れて。一体どっちがはしゃいでいるというんだ」

 

「はっ! よちよちであんよも一苦労なテメェよりは百万倍マシだ。――とっととフィールドを出ろ。俺と交代だ。赤子みてぇに駄々こねてねぇで、糞アル中の介護でも受けやがれ糞カタナ」

 

 バチバチと挑発じみた応酬をする先輩後輩。チームメイトであるというのにどちらも容赦のないやり取りだった。

 これには、セナも首を扇風機みたいに(それも光速4秒2で左右に振る)してあわあわとしている。他の面子も割って入るのにも腰が引ける。

 と。

 

「そうだよ、長門君。無理をするのはダメだ」

 

 ひょいと長門の身柄が抱き上げられる。

 軽々と長身長門を抱えるのは、栗田の大きな腕。

 

「大変なことをさせてごめんね、長門君。でも、もう大丈夫だから……ヒル魔は、僕が必ず護る。日本最強ラインの峨王君に勝ってね……!」

 

「栗田先輩……」

 

 大きく吸って吐く。深呼吸した長門は、栗田の言葉に反論も抵抗もしなかった。

 優しき信頼感(リーダーシップ)を纏う栗田だからこその説得。これに便乗して他のチームメイトも次々に声をかける。

 

「はァアア、ったくよぉ。長門がいなけりゃ何にもできないとか思ってにーだろうな?」

「見損なってもらっちゃあ困るよムッシュー長門!」

「ベンチにすっこんでいろ長門。関東大会前、テメーとセナとデブが関西の連中とやり合ってる間に俺らも戦ってきてんだよ」

「フゴッ!」

「ったく、このチームは馬鹿野郎ばかりだ」

 

 正直言って、不安がないわけではなかったが、長門は大きく溜息を吐くようにうなづいた。

 

 で。

 

「つーわけで――ケルベロス、新しい玩具だ!」

 

「は?」

 

 ぽーい、とベンチに寝転んでる(狂)犬の前に放られたのは、人形と思しきもの。

 それにはなんか顔の当たりに、長門(じぶん)の写真と思しきものが貼られていてガブリメギャグシャアアアアアア!!

 

「うごおおおおおっ!?!?」

「な、長門君!?」

 

 エサかと思って条件反射的にケルベロスが齧り付いた途端、長門の全身に激痛が走った。

 抵抗のしようなどなかった。峨王を相手にした時以上にどうしようもない圧殺感。なんかもう寝耳に水どころか、熟睡中に鋼鉄の処女(アイアンメイデン)の拷問にはめられたかのような、悪戯(ドッキリ)の限度を超えた、致死量過ぎる不意打ち。

 

「あ、あの長門が絶叫MAXとか、どうなってんだ??」

「あの人形って、まさか藁人形のような……」

「『妖刀』だとか言われてるけど、呪われてんな、長門」

 

 現在、ガブガブと玩具にされているのは、岡婦長手製の藁人形である。聞き分けのよろしくない対長門村正鎮圧用にヒル魔が用意していたのである。

 ちーん、とあまりの激痛(呪い)に失神した長門は、チームメイトに“お大事に、つか、本当に大丈夫なんだろうか?”と思われながらそのまま担架で運ばれていった。

 

 

 ~~~

 

 

 両腕に、包帯――

 峨王曰く、ヒル魔妖一の右の上腕骨は捉えた。だが、左腕に関する手応えは不明。

 

 左腕は、わざと巻いてんのか……??

 意図が読めない。やり難い。長門の方はこっちの想像を超えてくるから対処しようがないが、ヒル魔は籠の中のリンゴに一個だけ毒リンゴを混ぜてくるような不安を植え付けてくる。いやらしい。

 峨王に殺された投手は、9割方動けないはず。

 ヒル魔に残されている武器(カード)は、虚言(ハッタリ)詐欺(ペテン)

 それならば……直接けりをつけに行く。

 

 

『強引に破った! マルコ、中央突破ーーっっ!! っと、これはマルコ君! ヒル魔君に突っ込んでいくーー!』

 

 

 潰す。

 今度こそ、ヒル魔を二度と再起できないまでに!

 余計なハッタリにこちらが惑わされる前に、直接体当たりを食らわせる。

 

「破壊は、絶対だ!」

 

 長門は、戦線離脱。ここで復活したヒル魔にとどめを刺せば、今度こそ泥門は終わりだ。

 破壊は峨王だけの専売特許ではない。マルコ自身の手でヒル魔を破壊する。

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、テメーのそのシンプル過ぎて屁が洩れる理屈、嫌いじゃねぇ」

 

 ただひとつ。

 忘れてんな、糞睫毛。

 

 その理屈は――テメーにも返ってくるってこった。

 

 破壊は、白秋ダイナソーズだけの専売特許ではない。

 

 

 ~~~

 

 

「泥門の(ライン)は栗田のデブだけじゃねぇ!!」

 

 斜め前にいた白秋の壁をこちら側へ引き寄せて請け負い、隣のコイツから相手を外す。

 テクニックタイプのラインである十文字の連携ブロック技『十文字(クロス)スタンツ』――!

 そして、十文字と守備を交差させて入れ替わるのは、小回りの利く豆タンク。

 

 

(こいつは、小結……!? なんでこんなところに――)

「フゴオオオオ!!」

 

 

 ヒル魔妖一(じぶんじしん)をエサにして、誘い出したことを真横から猪突猛進のタックル。腰に重い一撃が決まり、ヒル魔に触れることもできずマルコは倒された。

 

 

『白秋、3ヤード前進!』

 

 

 ほとんど前進できず、ヒル魔妖一を潰せず、疑惑判定のまま。

 

 

 ~~~

 

 

「……でも、怪我してるヒル魔さんの弱点突くなら、何で直接ヒル魔さんとこにロングパス投げ込まないんだろ……?」

「意外と紳士なのかなマルコ君! 怪我してる選手は狙わないっていうさ」

 

「ケケケケケ!」

 

 セナと瀧の推理を思い切り笑うヒル魔。

 

「んなもん紳士でもなんでもねぇただの馬鹿だ。んなタマなわきゃねーだろ、あの糞睫毛が」

 

 早々に投げ込めない。

 ヒル魔妖一という男がただそこで立ってるだけで。

 腕の具合がどうかなんて、結局のところ分からないのだ。

 そんな怪我前提で甘いパス投げて奪られるほど、バカな話はない。

 

 

 ~~~

 

 

(それでも、長門がいない今、泥門の守備に隙は大きい。石丸とことかなんて狙い目で――)

 

 と今度はパスを投げようとしたマルコ――に伸びる包帯だらけの右腕。

 

「って何この人、思っくそ折れてる腕で突っ込んできてんの!!?」

 

 『電撃突撃(ブリッツ)』……!!

 なんと腕が折れてる(はずの)ヒル魔がその腕でタックルを仕掛けてきた。できっこない。

 

(つっても、こんなギリギリゴール前でタックルなんて下手すりゃ自殺点になるし、黙って喰らうわけにもいかないっしょっちゅう話……!!)

 

 全部わかってて利用できるものは何でも利用してくる。全くもっていやらしい相手だヒル魔妖一……!!

 

 

『ここはマルコ君、素早くボールを投げ捨てて回避! 白秋、パス失敗――!!』

 

 

 そう、ヒル魔が本当にプレイできるかどうかなど関係ない。

 何をしでかすかわからないからこそ、何もしなくても価値がある。

 フィールドに立っているだけで呪いを放つ、“悪魔の巨象”だ……!!

 

 

 ~~~

 

 

「……しょうがない。三ツ井ちゃ…先輩。――パントキック一発、ヒル魔んとこに叩き込んでみて欲しいな」

 

 

 ~~~

 

 

 白秋は攻撃権を放棄して、パントキックを選択。

 しかし、キッカー・三ツ井により蹴り飛ばされたボールは、なんとヒル魔妖一の元へ。

 

 わかってる、(それ)が糞睫毛の狙いだってのは……!

 このパントキックは、最後の悪足搔き、陣地回復のためじゃあない。

 

 この腕が使い物にならないことを確認するためのもの。“悪魔の()像”を暴き立てるためのものだ。

 キックされたボールは、安定した綺麗なジャイロ回転を描くパスとは違って、激しい縦回転でキャッチがし辛い。しかし、着弾地点が間近のところに飛んできたボールをそれでもキャッチできないというのは、キャッチに不安があるということに他ならない。

 ここでこのイージーボールを見逃せば、円子令司は、所詮は虚仮脅しとほぼ断定する。

 

 ――だからこそ、捕る。

 

 

 ~~~

 

 

 捕っちゃダメ……!

 姉崎まもりは、声に出さずにそう願う。

 ……しかし、彼はそれを破るだろう。

 

『試合になんて出られるわけないでしょこんな腕で! 私は――』

『第三問』

 

 絶対反対、と言い切る前に、突き付けられた問いかけ。

 

『……? 三? 問……???』

 

『骨折ったまま試合続けるアメフトバカがNFL(プロ)じゃよくいる。――〇か×か?』

 

 唐突に彼の口から出たのは、そんな〇×問題。

 彼は、正論を無視する相手ではないけど、無茶苦茶で強引。ここで迂闊な答えをすれば、その揚げ足を取って丸め込んでくる。卑怯なくらいに口が巧い。だから、こっちは微塵もそんな隙は与えない。

 

『……そんなの、ここで〇って答えたら、試合に出るって言うんでしょヒル魔君は』

 

 ならば、答えは、×――

 

『ブブー。俺の勝ちだ。――()()通り従順に働け』

 

 …………あ。

 

 彼が持ち出してきたのは、本当に最初、私がマネージャーとして入った時の、やりとり。

 上級問題を三問。全問正解できれば二度と皆をイジメない。

 ただし、一つでも間違えれば労働力として従順に働くこと。

 ……けど、それはラスト一問で有耶無耶に流されていた。

 

『……馬鹿じゃないの。そんな昔のこと……』

 

『約束は守りやがれ。ギチギチにテーピングで固めろ糞マネ』

 

 本当に卑怯だ。

 どこまでも自分に都合のいいことばっかで、勝手だ。

 そんなに、勝ちたいの。

 ……ううん、そうじゃない。

 彼は、勝ってその先にあるモノだけを目指している――

 

 

『ケケケ、俺も約束守らなきゃなんねぇんだよ。

 出れるか出れないかじゃねぇ。――出るしかねぇんだ。

 全員でクリスマスボウルに行く為にはな……!!』

 

 

 ~~~

 

 

 高く放物線を描いて、落ちてくる。

 パスよりも重く来るキックボールを、両腕で、受け、止める……!

 

 ――っっっ!!?

 

 意識が飛ぶ――激痛。

 右腕の、骨ん中からハンマーで殴ってきやがる。

 

 だが、欠片もそれを顔に出すな。

 笑え。

 『ケケケ、まんまと騙されやがって、俺は全然平気だ糞睫毛(マルコ)

 『イージーボールをプレゼントしたことを後悔しやがれ』

 って、敵の失策を嘲笑ってやれ。

 そうすりゃ、“虚像”は“巨象”のままであれる。

 

 

「おいおいおいおいおーいマルコ! あいつの腕峨王に折られてんじゃないのーー!!?」

 

「のはずだっちゅう話なんだけどね……」

 

 

 さあ、走れ!

 とことんビビらせろ!

 まだ糞睫毛は疑っていやがる。ここで痛みに蹲ってるなんて様を晒せば、このキャッチの効果も半減だ。

 だから、動け俺の身体! ここでよちよち歩きなんざしたら糞カタナのことを笑えねぇぞ――

 

 

 ヒル魔妖一が、不敵に、笑いながら一歩を踏み出そうとしたとき――それは来た。

 

 

 ~~~

 

 

 僕は頭良くないし、何も考えられない。

 ただ、それでも今何をすべきなのかはわかる。

 ヒル魔さんを助けに行く。

 

「――セナ!!!」

 

 まもりお姉ちゃんのあの顔。アレは知ってる。昔からずっと僕に向けられていた、ひどく心配させてしまった時のものだった。

 そう、だからきっと、ヒル魔さんは無茶して試合に出てるに違いないんだ。

 

 なら僕が、遠かろうが何だろうが、そのボールを代わりに運ぶ!!

 

 

 ~~~

 

 

 糞チビ……!

 俺が指示する前に、自分で動き出してやがった……!

 

 はっ! 痛みになんかで思考を鈍らせてんじゃねぇぞ頭中の糞ギア回せ! 0.2秒で考えろ! この糞チビの機転を、最大限に活かせる策を――

 

 

「固まれーーっ!! セナ、モン太、瀧、俺の4人だ!!」

 

 

 ヒル魔の指示(こえ)に既に集っていたセナに続き、モン太と瀧も駆けつける。

 その間にも、キャッチしたボールを奪いに白秋が迫ってくるが、呼ばれなかった面子も意を酌んで動き出してる。

 これこそが泥門の強み。練習量を積み重ねてきたからこそ、この土壇場で動ける。そして、持っているこのカードの力が10%しかなくても――カードの切り方で120%にする……!

 

 

「ふんぬらばーっ!!」

「GYYAAAAAA!!」

 

 

 峨王を、栗田が阻む。己のパワーこそが最強だと全力でぶつかっていく。

 峨王の在り方を見て、栗田もまた芽生えた。

 一流のスポーツ選手に絶対必要な、自分が一番になってやるという煮え滾る野心が。

 その果敢な姿勢が、峨王の破壊を相殺している。

 

 

 そして、四人は、集う。

 ヒル魔が持つボールが、駆けつけた三人の身体で目隠しされる。

 

 

 ――くっちゃべって説明してるヒマはねぇ。

   流れで理解しやがれテメーら。

   今から1秒後に、俺ら四人の中の一人にボールを託す。

 

 ――ウッス、分かるっスよヒル魔先輩。

   他の三人は囮ってことっスね……!

 

 ――四人ともボールを持ってるフリして散り散りでゴールラインに一直線。

 

 ――今度四人で会うときはタッチダウンの後でだね……!

   グッドラックみんな……!!

 

 

 そして、四方に散った。誰がボールを持ってるのかわからぬまま。

 

 

 ――『殺人蜂(キラー・ホーネット)』……!!!

 

 

 ~~~

 

 

 誰がボールを持っているのか、わからない。

 普通の考えならば、ボールキャリアーは最も足の速いランニングバック・セナだろう。

 しかし、ヒル魔妖一。

 “だからこそ行く”とそんな普通の考えを裏切る策を、躊躇なく実行に移せる悪魔。

 

 故に、白秋ダイナソーズは、迷う。

 この0.1秒の逡巡を、走り抜けるアイシールド21。

 

 これは、ヒル魔さんが右腕(いのち)懸けで獲ったボール(チャンス)

 絶対に、タッチダウンを決める――!

 

 セナはヒル魔からボールを受け取る際に気付いた。小刻みに震える右腕に。

 そこに走り抜けている激痛を、無駄にしない。その共振を、走りの原動力に加算させる!

 

「止めろっ! 止めろォオーーー!!」

 

「しゃあああ! 光速4秒2!!」

「もう誰も止められねぇええ!!」

 

 一歩で遅れてしまった白秋の守備は、止められない。

 雨は止み、ぬかるんだグラウンドのコンディションも良くなってきた。走り易い。今日一番の疾走を発揮するアイシールド21。

 

 

「ケケケ、まだひとり、しつこい野郎が残ってんだろ」

 

 

 そう、絶対にボールから視線を切らない。

 『殺人蜂』のトリックプレイにも誘われず、回り込んだ円子令司。

 『スクリューバイト』という攻守逆転する必殺の顎を持つ肉食竜が、セナの前に立つ最後の難関。

 

 ダメだやっぱり……! マルコ君はフェイントにはかからない。

 『デビルバットゴースト』のステップを踏み込むが、全く釣られない……!

 

 

 ~~~

 

 

『来たァアアア、セナVSマルコ!! 両軍エースの一騎討ちーっ!!』

 

 

 デビルバット号に備え付けられたベッドに横になり、トレーナーの溝六から治療を受けていた長門は聴こえてきたその実況にふと笑う。

 

 

「行け、セナ。お前が進化させたその走りを見せてやれ」

 

 

 ~~~

 

 

 どっちに抜いてくる? 右か左か、それとも上か――

 

 小早川セナのランの情報記録は収集し、研究してきた。

 あの放映はされていない東西交流戦での記録も当然得ている(もっともそれはどちらかと言えば関西(帝黒学園)のを目的としていたが)。

 

 読み切ってみせる。そして、奪ってやる。

 『スクリューバイト』

 ボールの動きのみに集中し、回転してボールを掻き出すストリッピング。手に持つボールに腕を差し込み、自身の体を回転させる力と速度でもって、一瞬で奪い取るこの技は、アイシールド21を倒すために編み出したもの。

 生憎と長門によって通用しないことが実証されてしまったが、それでも、この腕力(わざ)は本物だ。

 

(ここでボールを奪ってタッチダウンを決められれば、まだ白秋の勝ち目はある!)

 

 追加点を入れられると、残り時間から絶望的。しかし、ここで逆にこちらがタッチダウンを決められれば、逆転の目が出てくる。一気に流れを白秋へと持っていける。

 

(っ! ボールが左に流れた――!)

 

 獲る!

 狙った標的(ボール)へ眼光を光らせた肉食竜が噛みつく。

 

 

 ~~~

 

 

 ――風は速くなければどちらに廻るのかが見える。

   だが、速い風はその軌道を見せない。

 

 

 完全光速の世界を刺し貫いてくる三つ又の槍に勝つには、僕もその限界速度を超える。

 回転部分までも40ヤード走4秒2では、足りない。

 旋風が、進さんの目にも映らぬくらい、物凄く速くなければ、きっと見切られる。

 

 だから、全身で。自分が最も得意だった走り方を、更に安定感の増したステップワークと、全身運動で一気に――

 

「セナーー!」

 

 そう、この前、鈴音が披露してくれた、スケートジャンプの中で半回転多いアクセルジャンプのように、回転力を弾けさせる!

 

 

 ボールは左へ流れている。そのまま右へスピンムーブする未来予測を瞬時に立てた――だが、セナのステップはその逆の左へ行こうとしている。

 まるで、打つ瞬間に、腰を逆回転させるツイスト打法のように、上半身と下半身の捻りを逆になっていた。

 

 そして、この真逆の捻じり込んだ“旋風”を、直前で解放する。

 

「な――――」

 

 半回転からの逆回転。

 ボールの動きが予測を外れて、見失う。

 

 これは、回転部分のチェンジ・オブ・ペース。捻じった輪ゴムが戻るのと同じ要領で、捻った体の捻じり戻しの勢いで回転速度が増す、120%の加速旋回だった。

 

 

 ――『デビルライトハリケーンA(アクセル)』!!

 

 

 その旋風は、暴風。

 軌道は読めず、迂闊に触れれば弾かれる嵐の走法が、肉食竜の目を晦ませて撥ね退けた。

 

 

 なん、ちゅう走りだよ。ったく、(こっち)のアイシールド21も本物だったか……

 

 

 ~~~

 

 

『タッチダーーーーゥン! 泥門、この試合を決定づける追加点を決めたのは、アイシールド21ーーッ!!』

 

 

 ~~~

 

 

 小早川、セナ……!

 

 進清十郎は、その走りを見て、笑みを浮かべた。

 あの重心移動の使い方にボディバランスは、長門村正が指導し、鍛え上げたものに違いない。奴は、アイシールド21は更に己の走りに磨きをかけてきたのだ。

 甲斐谷陸に『ロデオドライブ』の技術を教えてもらった自分のように。

 

 それでこそ、だ。

 曲がりながらも超加速する『トライデントタックル』に対し、回転が超加速する『デビルライトハリケーンA(アクセル)』。

 やはり、奴を捕まえるには、己もまた――その領域に踏み入らねばならないようだ。

 

 

 ~~~

 

 

 セナ……!

 

 甲斐谷陸は、目を大きく見張らせたまま、固まっていた。

 また、セナは強くなった。弟分だったころとは違う。ライバルとして、自分の前を行っている。そして、今、その差は離された。

 

 くそ……っ!

 セナ、それに大和らトップランナーたちから走者として取り残されているような錯覚に落ち、それはすぐに焦燥へ変わる。

 このままじゃあ、俺はあいつらが走ってる最前線に追いつけない。

 もっとこの走りを進化させなければ……

 

 

 ~~~

 

 

 43対24。

 もはやタッチダウン二本でも逆転できない点差。後半、もう時間もない。

 白秋ダイナソーズは、諦めず、その後の攻撃でタッチダウンを決めて、7点獲得。

 しかし、その後の泥門デビルバッツの攻撃。

 前半途中に出場し、雨の中の試合でスタミナが切れた雪光と交代する形で、長門が戦線復帰する。

 パスも満足に投げれない右腕だが左手でトスができるヒル魔を、補佐する形で入った第二の投手・長門。『デビル・ドラゴンフライ』でもって、泥門は攻め立てる。

 その投手タッグを潰さんと峨王が猛ったが、この二人の前には栗田。

 泥門最強の守護神は、日本最強の破壊神と真っ向からぶつかり合った。

 

「――やがて、時が経ち。

   俺がお前のように月日を積み、力を上げたその時、今度こそお前を殺す為、再びお前に挑もう。

   お前の勝ちだ栗田。そして、泥門の精気滾る男共よ」

 

 最後の栗田との鬩ぎ合い。

 その最中に、峨王は己の骨肉が断末魔のような軋みを上げるのを聴いた。

 長門村正、小結大吉、そして、栗田良寛とひとりで戦い続けたその負荷、身体の限界を超えていたのだ。

 そして、試合が終了したとき、峨王力哉はフィールドでしばらく仰向けに倒れたままだった。

 

 

『試合終了ーー!! 泥門50対白秋31!! 新鋭チーム同士による決戦を制したのは、悪魔の蝙蝠!! 泥門デビルバッツ、決勝戦進出です!!』

 

 

 ~~~

 

 

 負けた。

 完敗、だ。

 こんな頂点の舞台に立つ前の道半ばで、白秋ダイナソーズは終わった。

 

「……おしまい、っちゅう話。できれば、傍に来ないでくれるとありがたい」

 

 帰りの引率は天狗先輩にお願いし、如月に付き添ってもらいながら峨王は病院へ搬送。

 一先ずやることをしてから、ひとりロッカールーム。誰も来ないはずのここに、彼女は何も言わずに入ってくる。こっちのことなんかお構いなしに。

 

「相変わらず、俺のリクエストはクールに無視、と……」

 

 『必ずクリスマスボウルで優勝して、俺が氷室先輩に勝利の朝日を見してあげますよ……!』

 関西のことを知らなかった井の中の蛙が格好つけたその約束。その時、彼女は微笑んだ。悲し気に。

 その顔に滲んだ悲嘆の意味を後になって知り、今、実感している。

 

「これで氷室丸子(マリア)は卒業……約束は、パー」

 

 『優勝する。どんな手を使っても』――そう決めて

 『これがあなたの勝ち方なのね』――と、彼女は俺を見下げ果てた。

 大事な人のために、大事な人に嫌われて、別れて、そして、今日、終わった。

 

「全部手に入れるために全部失った。……何がしたかったっちゅう話だよ」

 

 もう、頭は真っ白だ。

 泣くにも泣けない。あの時、悲観論者(ペシミスト)にも、夢想家(ドリーマー)にもならないと誓った俺に泣く理由など持ち合わせていない。

 

()()()()()()。ただ、それだけでしょう」

 

 そんな、何も見えなくなった俺に、彼女の声はよく聞こえた。

 それまで、黙って泣き言にも愚痴にもならない呟きを聴いててくれた彼女は、はらり、と涙を零す。乾き切ったまま燃え尽きた馬鹿な男の代わりに流すように。

 

「あなたは他の誰よりもアメフト選手だもの」

 

「……優しいね。あんなに嫌ってたくせに」

 

「心底、あなたのやり方を否定していたなら、マネージャーなんてとっくに辞めてる」

 

 そうは思わなかったの? と言われて、ガックリと肩を落としてしまう。

 彼女の何も言わぬ献身さに、それに勘付けない間抜けな男に呆れて。

 

「あ~、それは気付かなかった……」

 

「狡賢いくせに、そういうとこだけ馬鹿なのね、本当に……」

 

 本当、彼女の言う通り、大事な人の機微にも疎くなるくらい、俺は、アメリカンフットボールに夢中だった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「けど、女性に手を挙げて反省しない人と縒りを戻すつもりはないわよマルコ」

 

「こりゃまたお厳しい。ああ、わかってるちゅう話だよマリア。ちゃんとお詫びはもう用意してる。明日には届くんじゃないかな」

 

 

 ~~~

 

 

 白秋戦の翌日の朝。

 

「と、とととととというわけでですね! 白秋の円子令司さんから謝罪に世界的に有名な某テーマパークの特別優待ペアチケット(『お隣さんと是非ご一緒に』とメモ付き)を頂きまして! む、むら、むらむらむらむらままさ君、どうでしょうかっ?」

 

「どうどう落ち着け、リコ。セリフがカミカミ過ぎて欲求不満っぽくなってるし、頭がアフロっているぞ」

 

 峨王乱入で傷物にされた(と言ってももう治ってる)リコへ、お詫びの品として千葉県にある有名なテーマパークのペアチケットが贈られた。

 女子高生には、現生の慰謝料よりは喜ばれるだろう。しかし、てっきりあの気障男のことだから花でも贈ってくるのかと思っていたのだが……

 とそんなどうでもいいことに思考を割くよりも、目の前のこと。

 とりあえず、遊びに誘ってくれているのだろうということは長門にもわかる。熊袋家には隣人として親しく、リコには色々とお世話になっている。それにちょうど長門も今週はヒマを持て余しそうだった。

 

「ああ、わかった。いいぞ、いついく? 今度の祭日でいいか?」

 

「いいんですか!? その、練習とかあったりは……」

 

「ああ、ヒル魔先輩に今週中は休養を取るようにと厳命されていてな」

 

 白秋戦での負傷である。峨王に利き腕をやられたヒル魔先輩も、治療……と呼んでいいのかはさておき、なんかセグウェイと酸素カプセルをドッキングさせたものを用意していた。自分の分も用意するかと訊かれたが、あれで生活する度胸は長門にはないので断った。

 何はともあれ、ヒル魔先輩は再来週の決勝戦までに怪我を治してくるだろう。絶対に。

 

「足、大丈夫ですか?」

 

「ああ、問題ない。日常生活は余裕だ。……ただ、怪我とは別なものに脅かされている」

 

 そう、言いつけを破って泥門高校のグラウンドに顔を出そうものなら、岡婦長特製の藁人形で呪いをかけると脅されてる。

 あの呪いの藁人形は反則。物理的に対処不能なもんだから脅迫手帳よりも質が悪い。本当に悪魔なんじゃないかあの先輩。いつか必ず藁人形を奪還しよう。

 

「……というわけで、練習には参加できん。まあ、俺も無理するつもりはないし、身体を鈍らせない程度の自主練は許可されている。……ただ、栗田先輩のところの孟蓮宗でお祓いしてもらうのを真剣に検討している」

 

「た、大変ですね……」

 

 というわけで、今日の長門は(改造)自転車通勤ではなく、のんびりと歩き。

 別の高校だが、リコもわざわざ付き合ってくれている。そして、二人の会話はやはり自然とそちらへと流れる。

 

「それで、村正君。来週の準決勝二回戦目――王城ホワイトナイツ対西部ワイルドガンマンズの試合、どう見てますか?」

 

 東京地区最強の矛と盾の争い。再来週の決勝戦でぶつかる相手が決まる試合だ。当然関心はある。

 秋季東京地区大会の成績で見れば、下馬評で有利なのは1位の王城ホワイトナイツ。

 しかし、春季東京地区大会の決勝では、西部ワイルドガンマンズは鉄馬丈さえ戦線離脱しなければ勝っていたという声も少なくない。

 そして、どちらも東京地区の代表で、どちらとも泥門デビルバッツは試合をしたことがある。

 

「そうだな……まず、ラインはほぼ互角だろう。

 王城、大田原誠が率いる城砦を思わせる堅固な鉄壁を崩すのは容易ではない。

 西部、バッファロー牛島が先頭を切る荒々しい暴れ牛の群れはそう易々とは止められない。

 どちらも、チームの特色がよく出ているライン陣だ」

 

「はい。私もそう思います。それでは、パスはどうですか?

 王城、誰にも触れられない最高(たかさ)を武器とする『エベレストパス』の桜庭選手!

 西部、誰にも止められない最強(パワー)を炸裂させる『アイアンホース』の鉄馬選手!

 どちらとも関東四強レシーバーのいるチーム。きっと壮絶なキャッチ合戦になると思ってます」

 

「それに、クォーターバックもな。

 西部の司令塔、キッドはヒル魔先輩を上回る神算のクォーターバック。この関東大会でもNo.1の投手だろう。実際に戦った所感でも、キッドの方が投手として金剛阿含よりも上だ。

 王城の司令塔、高見伊知郎は、油断ならない。多分、ヒル魔先輩に最も近い投手だろうな。ああいうタイプは勝つためにどんな策でも弄してくる。それにどうやら、王城にはとっておきの切り札を隠し持っているようだしな」

 

「はい、どちらとも一筋縄ではいかない選手です。村正君でしたら、どうしますか?」

 

「もし俺が崩すのなら、まずエースレシーバーを挫いておきたい」

 

「桜庭選手と鉄馬選手をですか?」

 

「ああ、どちらのクォーターバックも、エースレシーバーに特別思い入れが強い。手強い相手だがこのホットラインを断てれば、確実に計算を狂わせる。冷静沈着の指揮官を揺さぶるには、ここだ」

 

「なるほど。……では、ランはどうでしょう?」

 

「王城のエースランニングバック・猫山圭介の『無音走法(キャット・ラン)』は中々にしなやかな走りをしている。だが、西部のエースランニングバック・甲斐谷陸の方が速さも巧さも上だ。奴の『ロデオドライブ』は、関東大会でも最上位のランテクニックだろう。

 ――だが、王城には進清十郎がいる。甲斐谷陸は確かに全国屈指の走者だが、進清十郎は高校最強のラインバッカーだ。

 一回戦で茶土の岩重ガンジョーのパワーランを刺し貫いた『トライデントタックル』。アレに捉えられれば終わりだ。なにせ、猛でさえ抑えたんだからな。スピードで躱すにも進清十郎の方が甲斐谷陸よりも速い。……抜くのは相当に厳しい」

 

「つまり、王城の方が、優勢だと、長門君は見ているんですね?」

 

「そうなるな。進清十郎を中核に据えた今の王城は、歴代の中で最高の守備力を誇っている。それを破るには『ショットガン』のパスだけでは抑え込まれる。ランが武器として機能しなければ、キッドと言えども作戦を組み立てるのは難しいだろう」

 

「――言ってくれるじゃないか、長門」

 

 え……? とリコが振り向くと、そこにウエスタン調の“派手シブ”スタイルの制服の男子生徒。

 

「せ、西部ワイルドガンマンズの甲斐谷陸選手!?」

 

「いきなり驚かせて悪かった。楽しい会話の邪魔したくはなかったけど、黙って聴いてられる内容じゃなかったんでね」

 

「なんだ、甲斐谷陸。俺に用なんだろう?」

 

 まさか西部高校の通学路で迷子になったわけではあるまい。おそらくは、セナか姉崎先輩にでもこちらの住所等を教えてもらったのだろう。

 それで、一週間後に王城戦を控えている西部の選手が、こんな遅刻するような真似までして急いて現れた理由は何なのか。

 

「ああ、長門。……勝手なのはわかってる。けど、こっちも時間がない」

 

 次の瞬間、長門は驚きに目を瞠った。

 なんと、あの甲斐谷陸が、こちらに深く頭を下げたのだ。

 

 

「長門、頼む! 俺の『ロデオドライブ・スタンピード』を完成させるために、あんたの技を学びたい。この一週間、俺に付き合ってほしい!」

 

 

 ~~~

 

 

 深夜。西部高校の近場にあるダーツバー『WEST』。

 ここには時々、如何にも訳ありの客が来ることはあったが、セグウェイに載せて酸素カプセルごと堂々来店してきた珍客は店主も初めての経験だった。

 なにあれ? と唖然。

 そして、その移動式改造酸素カプセルと同行していた男子高校生は、折角だからと何となしにダーツを投げてて、的のど真ん中に命中――し、続けて第二投第三投と前のダーツの尻に刺さって、三本の(ダーツ)が縦に連なるという珍現象。

 なにあれ? と唖然。

 後日、あれが夢じゃないかと疑った店主は二人の顔写真を載せたWANTEDの張り紙(目撃者にはダーツ券1億枚進呈)を店内に張ることにした。

 

 ・

 ・

 ・

 

「……で、いいのかい。彼、うちの陸の独断に付き合わせちゃって」

 

「んなとこまで干渉する気はねーよ。勝手して怪我しやがったら糞人形をケルベロスの玩具にしてやるが、まァ、そこまで馬鹿じゃねぇ。それに、あの糞カタナはどんな経験値でも無駄にはしねー性質だからな」

 

 放任しているような発言だが、信頼、しているのだろう。決して、単に泥門(チーム)の不利になるような真似はしない。必ず何かしらは得てくると。

 陸の行動には驚かされたが、向こうが納得しているのであればそう問題とすることではない。

 それで、ヒル魔は一枚の封筒をテーブルに滑らせた(カプセルに備え付けたロボットアームで器用に)。

 

 中身を拝見すると入っているのは、得点ボードを写した一枚の写真。見るに、王城ホワイトナイツ対王城大シルバーナイツの練習試合記録だ。

 王城大シルバーナイツ……つまりは、王城高校OBのアメフトチーム。あの“黄金世代”と謳われた先代の王城に対して、第一ゲームで3点取られているが、その後は零封に抑えている。しかも、着実に点を積み重ねてだ。

 

(なるほど、ね……)

 

 まったく、こんな門外秘の記録をどうやって引っ張ってきたのか。多分、この前の交流戦での合宿の時なんだろうなとは大体予想はついた。

 

「テメーもこれで王城の『巨大弓(バリスタ)』の大筋読めてきてんだろ」

 

「これまたご親切にねぇ。タダで情報をくれるなんて……まあ、うちが勝つにせよ負けるにせよ、いろいろ試させて様子を探れる人柱ってことかな」

 

「ケケケ、察しが早え」

 

 ヒル魔妖一という男が、何の見返りもなくこのような真似をするはずがない。作戦名だけはインタビューで公表されているが、関東大会一回戦では披露されなかった王城の秘策である『巨大弓』の推定を、確認させるために西部の司令塔(じぶん)にわざわざ情報を流した。

 

「……いや、これは誉めてんだけどもね。貪欲だねぇホント。ただ勝利だけだ」

 

 ヒル魔妖一だけではない。先日、泥門とぶつかった白秋の円子令司と峨王力哉もそうだった。きっと王城の高見伊知郎もそうなんだろう。

 そして、西部(うち)の陸も……

 

「春季大会決勝で、王城を、進を翻弄したくせに自信がねーのか?」

 

「春の頃とは違うよ。いや、春の時もギリギリだったけど、更に一段と完成されてきてるよホント」

 

「ケケケ、昔、No.1争いの重圧に潰された武者小路紫苑さまには、もうそんな執念もねえってか?」

 

「……いや、悲しいかな。ヒル魔氏の思惑通りに踊らされることになっちゃうのかね」

 

 『ならなきゃ一番に――絶対、一番に……!!』と武者小路紫苑(かこのじぶん)に戻るのではない。

 名を捨てたキッド(いまのじぶん)が欲している、彼らのために、勝利を。

 

 鉄馬は、我武者羅にキャッチに臨む雷門太郎というライバルにあてられて、闘いの愉しみや勝利への野心が芽生えた。

 そして、陸。

 あの我流で己の走法を編み出した彼が、地区大会準決勝で泥門に負けた泥門のエースである最強のライバル(ながとむらまさ)に、頭を下げて教えを請うた。

 誇り高い後輩が、チームを勝たせるために、自分のプライドを擲ったのだ。……それを無駄にはさせたくないと思う。

 他のチームメイトも、泥門への雪辱戦に燃えている。行かせてやりたい、泥門戦の待つ決勝に。

 そのために、準決勝の王城戦で勝つためには、西部は更に攻撃的にいかなければならないだろう。

 

 春季大会。進清十郎の『スピアタックル』を紙一重で凌いだ早撃ち。

 それと同じく。

 この関東大会、更なる進化を遂げた進清十郎の『トライデントタックル』よりも速く早撃ちを決めにいく。

 ――たった一度でも遅れれば、三つ又の槍に貫かれることになろうとも。

 

 

「それで、泥門(おたく)の、秘策の情報は教えてくれないのかい」

 

「ケケケ、決勝まで来たら見せてやるよ。試合でな」

 



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42話

 全国アメフト選手権準決勝。

 王城VS西部戦開幕――!

 

 前回の泥門VS白秋戦とは打って変わって快晴。天候に左右されないとなれば、より明確に両者の実力によって勝敗が決するだろう。

 

 そして、この試合の勝者が、全国大会決勝(クリスマスボウル)進出をかけて、既に決勝へコマを進めた泥門と戦うことになる。

 当然、泥門デビルバッツも試合観戦に試合会場へ訪れていた……

 

「もうすぐ始まるよ王城対西部戦!」

「フゴッ!」

「勝った方と僕ら決勝で戦うんだもん! もうシッカリシッカリ見とかないとね!」

「フゴォーー!」

 

「目ェ怖っ」

 

 会場に入ると観客席には一足先に現地入りして席を確保していた栗田と小結がギンギンに目を血走らせていた。

 

「何時から見に来てたの栗田さんと小結君……」

「じゅ…10時!」

「朝10時!? 3時間も前からかよ!?」

 

「ううん、昨日の夜10時から」

 

「アハーハー、目つきがギンギン真剣だね! 僕も負けてられないな!」

「いや徹夜で充血だろ」

 

 徹夜明けで半日以上待機である。そりゃあ、目がギンギンに充血する。よく閉鎖しているであろう真夜中に会場入りができたと思う。

 何事にも力が入りすぎな師弟である。

 

「まあ、二人がこういう行動に出るのは読めたので、コンビニに立ち寄ってドリンク(2Lペットボトル)と軽食二人分(一人当たり大食漢換算で、実質十人分)を買ってきてあります」

 

「ありがとう長門君! 実は朝食を用意しておくのを忘れちゃってお腹ペコペコだったんだ」

「フゴフゴッ!」

 

「はぁ。観戦中にぶっ倒れないでくださいよ」

 

 大袋の買い物袋をそれぞれに渡す長門。

 ちなみに移動式改造酸素カプセル(ひるまよういち)の姿はない。白秋戦での怪我を診察するために病院へ行っている(酸素カプセルごと付き添いの武蔵が運転する軽トラに載せて)。とはいえ、抜け目のない先輩が、この機会を逃すはずがなく、会場のいたるところに協力(脅迫手帳)を取り付けた何人ものカメラマン。あと、泥門高校電気工学部作成のカメラ付きドローンが飛んでいるのを長門は見かけたが、突っ込まない。許可とか法律とかそういうのを気にしていたら、ヒル魔妖一の後輩はやっていけない。

 

 

『さていよいよ入場です! 王城ホワイトナイツVS西部ワイルドガンマーーンズ!』

 

 

 フィールドの両端に設置されたサボテンマンガンと白騎士の兜を模した入場ゲートから、両チームの選手が入場する。

 最初に現れるのは、西部だ。

 ガンマンスタイルのチアガールたちのGUNGUN! とモデルガンを手にしたノリのいいアップテンポな声援に迎えられながら選手が駆け抜けていく。

 

 

『まずは西部ワイルドガンマンズ! スピードテクニックの貴公子、甲斐谷陸――!!』

 

 

 陸……。

 先頭を切った幼馴染の兄貴分の登場に、セナは自然と拳を握る。

 一方で、甲斐谷はそちらへ振り向かず、フィールドに一番乗りする。その一直線に目指す走りからは彼のこの試合にかける意気込みが伝わってくる。

 

 

『重機関車、鉄馬丈――!』

 

 

 鉄馬先輩。

 不意に途中で、鉄馬は立ち止まり、目線だけ動かした。泥門の――モン太のいる方へ。

 指令ではなく、己の意志で。無言の意思表示(メッセージ)を、向けられたモン太は、しっかりとキャッチする。

 

 

『クォーターバックはもちろんこの人! 早撃ちキッド――!!』

 

 

 最後に出てきたのは、西部ワイルドガンマンズの司令塔。

 普段通りに、気負いなくフィールドに入る。表面上は。

 

 

『続いては、王城ホワイトナイツ!』

 

 

 そして、反対側の入場ゲートからも選手が現れ出す。

 ゲート前、左右に整列したチアリーダーの間を行くのは、関東大会の本命。

 

 

『まずは王城の司令塔、正確無比なる長身クォーターバック、高見伊知郎――!』

 

 

 高さと正確さ、優れたデータ分析を武器に、求められる役割をミスなくこなす堅実な頭脳。己の欠点を知り尽くし、それをカバーする努力を怠らない。天才たちに勝つ術を最後の最後まで模索するその姿勢は、ヒル魔と似ている。

 そして、高見の後に続くのは、彼と共に高き頂を目指すと誓った相方。

 

 

『未だ公式戦パスカット0のエベレストパス! 純白の若獅子、桜庭春人――!』

 

 

 その瞬間、ひときわ大きな歓声にフィールドが沸いた。

 一時期、プロダクションを辞め、頭を丸めたときにファンが離れたこともあったが、本当の実力を身に着けた桜庭は、そのプレイでもって前以上にファンを増やしていた。周りに持ちあげられるだけの虚構のヒーローから名実揃った真のヒーローとなったのだ。

 

「桜庭やーー! 関東レシーバー四天王の中でも最強、桜庭春人や!!」

 

 女性ファンの黄色い声援の中でも負けじと声を張り上げる車椅子の少年。山本鬼平が付き添っているその男の子は、虎吉。この会場で誰よりも桜庭春人(ヒーロー)の勇姿を望んでいる。

 

 

『そして……いよいよ登場です!!』

 

 

 来るぞ、進化する怪物が……!

 この男の到来に、アメフト関係者は誰しもが息を呑む。

 

 

『完全無欠の守護神、進清十郎――!!!』

 

 

 進清十郎。

 長門村正のライバル――大和猛にも引けを取らない、“高校最強”のラインバッカー。

 脚力、腕力、瞬発力、判断力……すべての能力が高校レベルをはるかに超越している、この関東大会で最も完成されたアメリカンフットボールプレイヤー。

 一回戦で当たった茶土ストロングゴーレムは相手にするには不足で、『トライデントタックル』という一端こそ見せたが、この男の()()を見ることは叶わなかった。

 だが、今回の西部ワイルドガンマンズ、東京地区最強の矛とも評価される火力、何より春季大会では苦汁を舐めさせられた強敵に対し、進清十郎はその力を発揮してくるだろう。

 

 

 進清十郎も決めている。あの春季大会決勝、己が認めた好敵手に、あの時のような無様を晒しはしない。

 神龍寺ナーガ、白秋ダイナソーズと、全力でぶつかり、そして、勝ってきた。どちらも優勝を狙えたチームで、トーナメントのくじ運がなかったとも言えるが、それだけ泥門デビルバッツはこちらに手札を明かしている。

 ならばこちらも手札の温存などという真似は控えるべきだ。西部ワイルドガンマンズもまた優勝を狙えるチームであるのだから。

 

「高見さん、西部はこれまでのチームとは違います。泥門を前に出し惜しみして勝てる相手ではありません」

 

「……わかってるさ、進。出し惜しみをする気はないよ。もう大体のところは目星がつけられているようだし。ミーティングで話し合った通りに、猪狩も投入する、そして――」

 

 ――『巨大弓(バリスタ)』を使う、と高見伊知郎は宣言した。

 

 

 ~~~

 

 

 試合が始まった。

 西部が先攻、王城が後攻。

 王城のキッカー・具志堅のキックでキックオフされたボールを、甲斐谷陸がキャッチ。

 

 西部は、この開幕キックリターンから狙いに行く。――だが、王城はそれを許さない。

 

 目標を逃さぬスナイパー、コーナーバック・艶島林太郎。

 インターセプトを得意とするコーナーバック・井口広之。

 決して穴を見逃さないセーフティ・釣目忠士。

 アメリカ武者修行を経験したセーフティ・中脇奏太。

 王城次世代の前衛の要、ディフェンスライン・渡辺頼広。

 ライフセイバーで『泳ぎ(スイム)』を磨いた、ディフェンスライン・上村直樹。

 

 それぞれが連携して、ボールキャリアーの走路を塞ぎ、追い詰めていく。

 その様は観客席から見るとよくわかる。セナも同じ状況となれば、見える光輝く走路はか細いものとなってるだろうというのは。

 それでも、陸は一瞬でも足止めしてくれる味方のブロックを使って、フィールドを切り込んでいく。

 

 

「あれじゃあ、陸の走れるルートがもうほとんどない……!」

「当然だ。あいつら全員、守備部門の東京地区ベストイレブン。そんな甘い守りをするはずがない」

 

 

 そして、来る。

 フィールドに立っていなくても想像できる。

 全身を固めたフルアーマーの重装歩兵が、猛スピードで迫ってくるその光景が。

 

 

『大田原君、一気に西部のブロックライン一層目をぶち破ったーっ!!』

 

 

 ベンチプレス記録145kgとパワーこそ栗田や峨王に劣るが、大田原の走力は40ヤード走5秒0と後衛並。茶土の岩重ガンジョーよりも速い、5秒の壁を切るスプリンターである大田原は、その巨体にはあり得ないスピードでもって激突時の威力を跳ね上げさせる。

 

「見てろ。ラインマンのパワーって奴はな。腕力だけじゃって奴はな。腕力マンがパワーって奴は……

 ん? ワンリョク……がなんだっけ? まあいい――」

 

 ……その理解力はとにかくとして、重心の据わった栗田とは違うタイプのライン。

 スピードに乗った大田原は、同じ東京地区ベストイレブンに選出された西部のガード・馬場山オグリを蹴散らしながら、陸に飛び掛からんとする。

 

 

『しかし、二層目――鉄馬君が、リードブロッカーとして立ちはだかるーっ!!』

 

 

 後衛だが、ベンチプレス記録115kgと前衛並のパワーに、鉄腕・鉄脚を誇るアイアンボディを有する鉄馬丈が、大田原を抑える盾となる。勢いのままに押し切られるが、確実にそのスピードにブレーキをかけた。

 すかさず、陸は大田原のチャージを躱す。

 

 だが、王城のラインには、まだもうひとりいる。

 

 

「そっちへ行ったぞ、猪狩!」

「ウッス大田原さん! ここは抜かせねぇぜ! なんつったってこの俺がいるからなオ゛ラァアアアア!!」

 

 

 それは、縛られた鎖から解き放たれた狂犬。

 大田原に続く、第二陣――この試合がデビューした猪狩大吾。

 ベンチプレス130kgで、40ヤード走5秒0と高いフィジカル能力を誇る王城の新星が、西部の新星である甲斐谷陸へ暴れ狂う連打を浴びせにかかる。

 

 

 ~~~

 

 

「あの野郎、猪狩……ってまさか、『プリズンチェーン』の猪狩……!?」

「あ゛あ゛っ!!」

 

「なんだ、何か知っているのか十文字」

 

「ああ、長門。俺らが中学ん時、地元で有名な『プリズンチェーン』っつうメチャメチャ喧嘩が強ぇ奴がいてよ。いっつも鎖ジャラジャラ鳴らしてすぐブチ切れるってんで誰も近寄んなかった。……いやでもまさか……」

「ハァアアァ!? んな凶悪なフリョーがアメフトなんかやってるわけねえだろうよ」

「黒木の言う通り。不良がアメフトとかわっけ分かんねえし」

 

「お前らも同じようなものだろうが……しかし、となると、猪狩大吾もまた似たタイプとなるのか」

 

 

 ~~~

 

 

 地元最強の不良であった猪狩大吾の荒々しい喧嘩殺法(プレイスタイル)

 守りなど知らぬ、全身でぶつかってくる攻めの姿勢。

 しかし、これに腰を引かせる選手は、西部にいない。逆に、それに食らいつかんばかりの闘志を放つ猛者が飛び出した。

 

 

「へっ! 王城にも随分と活きの良い野郎がいるじゃねぇかよォ!」

 

 

 鎖で縛っても抑えきれない凶暴な選手の前に立ちはだかったのは、同じく暴力的な香りの漂う選手。

 

「牛島さん!」

「行けっ! 陸! 俺はコイツをぶちのめす!」

 

「ぶちのめしてみやがれオォラァアアア!!」

 

 攻撃に防御ではなく、攻撃をぶつける“超攻撃至上主義”の爆腕猛牛――東京地区ベストイレブンに選出された、西部前衛の要・バッファロー牛島が、猪狩の連打を貰いながら構わず爆腕で薙ぎ払いにかかる。

 危険地帯を迂回した甲斐谷陸――に、飛び掛かる影。

 

 

「まだいやがったのかっ……!?」

 

 

 甲斐谷陸よりも少し大きい小兵は、角屋敷吉海。

 この関東大会に入ってレギュラー入りを果たした一年生ラインバッカーが、ボールキャリアーを潰しに行く。

 ――だが、『暴れ馬』は、隙を狙った程度で捉えられる相手ではない。

 

 

 ――『ロデオドライブ』!

 

 

 角屋敷が全身を伸ばして突き出した右腕で捕まえたと思ったのは、残像だった。

 『チェンジ・オブ・ペース』――一気に120%に達する甲斐谷陸の走法が、角屋敷を後背に置き去りとした。

 

(でも、これでいい)

 

 今、甲斐谷陸が進んでいった先には、断頭(ギロチン)台がある。自らその首を差し出すに等しい真似をしたのだ。

 甲斐谷陸も気づく。経験がある。あの東西交流戦、大阪代表――帝黒学園が仕掛けてきたものと同じだ。

 

 

「進さん!!」

 

「行くぞ、甲斐谷陸……!!」

 

 

 そう、王城は、『ランフォース』のように、個々に選手の相手をしながらも全体の布陣を意識して動き、ボールキャリアーの走路を進清十郎の前に来るように誘導していた。

 只管に積み上げた練習量が成せる連携だ。全員が全員の行動を予測でき、お互い(チーム)にとってベストの選択が即断できるように鍛え上げられている。ボールキャリアーがいかなる走路を選択しようとも、王城ディフェンスは一個の生物のように連動して陣を形成し、最強の守護神との一対一となる結末へと追い込む。

 

 

 来る!

 様子見などせず、一撃必殺の三つ又の槍を繰り出してくる!

 

 

 ――『トライデントタックル』!!

 

 

 ~~~

 

 

 ――『十文字槍(トライデント)タックル廻』!!

 

 

 奴が仕掛けてくる瞬間は、ようやく掴めてきた。

 その直前に『ロデオドライブ』のフェイントを切り込んでから、『スワープ』――投げ縄のように円を描いていく走りでもって、全速の槍を躱す。抜いた!

 

『これで、抜いたつもりか、甲斐谷?』

 

 走者殺し(エースキラー)の眼光が射貫く。

 

 猛烈な速度で突進して突きかかってきた“十文字槍”。中央の穂先(みぎ)を辛うじて躱せても、左右にも刃は揃えている。

 

 右へ逃げたが、急転換。右手右足の右半身を前に突き出した順突きの体勢――つまりはこちらを真っ直ぐに捉えた姿勢から、そのまま二本目(ひだり)の槍が繰り出された。

 

(俺のフェイントに全く引っかからずに、確実に動きを捉えてる。間合いに入ればどこへ逃げようと逃さず斬りかかってくる!)

 

 もしも逆に左へ避けても、即座にその長い腕(やり)を横薙ぎの手刀に移行する。

 突けば槍、払えば長刀、引けば鎌と言われる十文字槍の如く、全身をフル稼働させて臨機応変に対応してくる。

 こちらが全速で躱しに行く、弧を描くように、二の槍から離れようとする。だが、死角に潜り込もうが正確にこちらを捉えてくる野生染みた直感。それに俺と奴は、同じ40ヤード4秒5(スピード)。加えて、脚の長さ――奴が一歩で制圧する守備範囲から、単独で生還できた者は、大和猛(ひとり)だけだ。

 

『甲斐谷陸、お前には、テキサスでの合宿で、牧場を紹介してくれた一宿一飯の恩がある。その借りを返すためにも請け負ったが、()()()()()? これでは、“当て馬”で終わってしまうぞ』

 

 が、は……!?

 片腕で突き飛ばせる威力が、この身を貫通した。呼吸が止まる。慈悲の欠片もない。

 当然だ。

 時代最強ランナー(アイシールド21)のライバル。一走者としてその前に対峙するのなら、たとえそれが練習であろうと一片の容赦もしなかった。

 だが。

 だからこそ、望むところ。

 

 まだだ。まだこんなものじゃない……。

 

 息を整えるまで休まず、立ち上がって奴を睨む。

 

 奴――長門村正を抜けなければ、王城の進清十郎には敵わない。抜かなければならない。一度でも抜くことができないのなら、俺に“最強西部ワイルドガンマンズのランニングバック”を名乗る資格はない……!

 最強の目標(ライバル)に頭を下げて擲った元手(プライド)以上の、成果を勝ち取るためならば、俺は何度だって挑む……!

 

 

『……俺の技はもう教えた。それをどうモノにするかはお前次第だ、甲斐谷陸』

 

 

 ~~~

 

 

 ――『ローピング・ロデオドライブ』!!

 

 

 三つ又の槍を構えた――その寸前、甲斐谷陸の身体は反応した。

 

 俺は、その踏み込みを誰よりも知っている……!

 『トライデントタックル』は、『ロデオドライブ』の走法を取り入れて完成された技だ。だから、『ロデオドライブ』を知る甲斐谷陸には、120%の加速で詰めてくるタイミングが読めるというのは道理。

 暴れ馬は、弧を描く走法で、一気に迫る騎士の刺突を回避する。

 

 

「しゃあああっ! 躱したっ!」

 

 

 いいや、“トライデント”とは、“三つ又の矛”。

 左右に逃げ場は、ない……!!

 

 逃げる標的を追尾し、曲がりながら超加速する進。

 『トライデントタックル』は、120%の加速力による最速の一手で敵を仕留めるだけの技ではない。

 スピードで劣る以上、甲斐谷はその猛追から逃げ切れない!

 

 

 ~~~

 

 

『陸君のキックリターンで、35ヤード地点から西部の攻撃スタートです!』

 

 

 甲斐谷陸は、進清十郎に捕まり、倒された。

 120%の加速に、片腕で相手を仕留めるパワー。高校最強のラインバッカーの三つ又の矛は、暴れ馬を貫いた。

 

 

「ばっはっは! よくやった進! やっぱりお前を抜ける奴はおらんの! ん? どうした右手を見つめて? 手相占いでもしてるのか?」

 

「いえ……何でもありません、大田原さん」

 

 

 進は、受け皿のように開いた右手へ視線を落とす。

 甲斐谷陸は、倒した。捉えた。だが、この手応えは、決まっていない。会心というには外れている。

 甲斐谷陸の体軸へ狙い定めたはずなのに、タックルの芯がずれていた。そう、暴れ馬を三つ又の矛は貫いたが、急所ではなかったのだ。

 そして、それは、甲斐谷陸が、三つ又の矛を受けながらも脚を動かし続けていたからだ。

 これまで、大抵の選手は、進のタックルが決まれば、その威力に足が止まり、蹲る選手もいた。だが、甲斐谷陸は違った。

 岩のように鍛え上げられた肉体を持つ岩重ガンジョーですら耐え切れなかった刺突を、あの小柄な体格で受けながらまだ走れた。

 精神力でどうにかなるとは考えにくい。

 この“貫かれる感覚”に慣れていなければ、そのような芸当はできないはずだ。

 ……導き出されるのは、甲斐谷陸は、『トライデントタックル』を知っているということ。

 

 そして、己に近い完成度で『トライデントタックル』を行使できるのは、ただ一人。

 

 違和感の解に辿り着いた進は、右手を握り締めるや、観客席へと視線を向けた。

 

 

 ~~~

 

 

「もうこちらに勘付くか、進清十郎。だが、試合中に他所を気にする余裕はないと思うぞ。今、フィールドで対峙しているのは、“西部ワイルドガンマンズのエースランニングバック”だからな」

 

 

 ~~~

 

 

 西部ワイルドガンマンズの攻撃が始まった。

 フォーメーションは、『ショットガン』。クォーターバック・キッドの“早撃ち”を最大限に発揮する、西部のメインディッシュ。

 

「SET――HUT!」

 

 発射される四人の弾丸(ショットガン)

 

 

「行ったァァァァ! 全員レシーバー! こりゃ誰にパス行くか分かんねえ!!」

 

 

 刃牙僚介。

 (はざま)元次。

 波多六髏。

 そして、鉄馬丈。

 西部のレシーバーたちがそれぞれのパスルートを駆け抜ける。

 

「王城守備ナメんなよ!!!」

 

 同時に、動く。

 

 

『おぉおおー! 王城ホワイトナイツ!! 西部の『ショットガン』にも全く揺らがない!!』

 

 

 艶島林太郎。

 井口広之。

 薬丸恭平。

 そして、進清十郎。

 王城のディフェンスがそれぞれのマークにつく。

 

 

『レシーバー全員に完璧な密着マークっっ!!』

 

 

 エースレシーバー・鉄馬丈に、進清十郎が並走する。

 スピード、パワー共に王城が上。脚で振り切れないし、力で振り払うこともできない。

 進に張り付かれた鉄馬。これでは流石にパスを投げれないか。

 

 

「うおおおお猪狩ィィィィ! 西部のラインをぶっ倒したーーー!!」

 

 

 王城の猪狩の豪乱打が、肉弾勝負を好む生粋のタックラー・花田決進を打ち破った。

 

「オラァアアア――!!」

 

 技術のへったくれもない強引なプレイ。峨王力哉と近しい野生。ボール奪取以外のことなど頭にない単細胞は、それだけ即決即断ができ、敵を躊躇なく潰しに行く。興奮状態となればもはや声の制止だけでは止まらない。

 

 ――しかし、高校最強のラインバッカーですら捉えることが成し得なかった“神速の早撃ち”。

 

 

「うおおおお、パス決まった!! 速えええーーー!!」

 

 

 真正面に捉えたはずの猪狩ですら、瞬きの間にボールを見失った。

 0.2秒のパスモーション、普通のクォーターバックの倍以上に速いキッドの投球速度。王城ライン・猪狩を引き付けるスクリーンからのパスは、甲斐谷陸へ渡った。

 

「これ以上、進ませるか!」

 

 パスキャッチした陸へ、角屋敷が迫る。

 向こうはそのままランで切り込もうとしているみたいだが、フェイントをさせる余裕も与えない。一気に、行く。

 

 ――『スピアタックル』!!

 

 コイツ……っ!?

 憧れの先輩の、模倣。片腕を伸ばしてタックルを決めてくる角屋敷に、間合いを見誤った甲斐谷は捕まる。

 いや、それでも甲斐谷はほぼ同じ体格の角屋敷の片手突きに倒れるものか! と負けん気を奮起させた。だが、その右腕に押される圧は、重い。

 進清十郎以外に捕まる気などなかった甲斐谷陸は倒されて舌打ちをするものの、ボールは意地でも落とさなかった。

 

 

『角屋敷君のタックルが決まったー! しかし、西部、今のパスで5ヤード前進です!』

 

 

 ~~~

 

 

「よく見ておけお前ら。地区大会の決勝でも体験しただろうが王城の守備は、選手其々が決められたゾーンを担当し、役割分担して完璧な連携を取っている」

 

 長門の言葉に、セナは地区大会決勝のことを思い出す。そして、それを照らし合わせながら、あの時泥門が戦った王城の鉄壁の布陣を、観客席から俯瞰的する。

 

「戦うのだとすれば、ゾーンの継ぎ目だ。そこが王城守備の弱点」

 

 ふっと息を吐いて、半ば呆れた声音で、称賛を送る。

 

「流石はキッド。ヒル魔先輩でももう1、2手は要したところだが、もう王城の守備を読んでいる」

 

「えっ?」

 

 二回目の攻撃、パス失敗をしたが、三回目からパスが決まりだし、連続攻撃権を獲得する西部。

 

「王城は、進清十郎に鉄馬丈のマークを付かせ、その分だけ空く穴のフォローをあの背番号41(かどやしき)に任せているみたいだが、そこに綻びが生じている」

 

 それをキッドは逃さない。

 鉄壁の布陣に、僅かに見えた亀裂。一斉に散らばるレシーバーに流動させられる王城の守備陣を感覚的に把握しながら、直感的に最適解を導ける神算の思考力。

 頭の回転が早い、などというレベルではない。

 

「元の進清十郎を中核に据えた方が、布陣は安定するだろうが、それほどにキッド―鉄馬のホットラインを断ち切っておきたいのか。あの背番号41に期待をしているのか」

 

 ・

 ・

 ・

 

 それでも、新生王城の無敵城塞は、甘くはない。

 進に鉄馬を抑えられているせいか、攻撃に勢いの出ない西部。甲斐谷のランも角屋敷を相手したロスで進に追いつかれて、長距離を稼げない。

 そして、プレイの度、角屋敷吉海は甲斐谷陸の走りを追いながら、少しずつ鋭く速くなっていく。成長するルーキー――その姿に、目を細めたキッド。

 

 その後、ゴールラインまで残り20ヤードまで来たところで、西部は『ショットガン』ではなく、キックを選択した。

 

 

『入ったァァァァ!! 3対0! 先取点は、西部ワイルドガンマァァァンズッ!!』

 

 

 キッカー・佐保が確実にゴールを決めて、3点を獲得。

 今大会、王城ホワイトナイツの初失点だ。

 これに拳をきつく握りしめて不甲斐ないと悔しがるは、角屋敷。

 

「くっ! 俺がもっと進先輩のフォローができてれば……!」

 

「落ち着け、角屋敷、今獲られたのはあくまでキックの3点だ」

「ばっはっは! そうだ、新生王城攻撃! これからうちはタッチダウンで7点取りゃいいってことよ!」

 

 一年生を宥める最上級生の高見と大田原。

 主将と副将の王城の大黒柱を務める彼らは、有言実行。言葉で諭す慰めではない、行動でもって示す。

 

 

「さぁ、桜庭、二人で西部にお披露目してやろうじゃないか。パスカット不能、高校史上最長の『エベレストパス』を……!!」

 

 

 新生王城は、守備だけのチームではない。

 最高のパス攻撃。

 そして――

 

 

「進、行くぞ。『巨大弓(バリスタ)』でもって、何者にも止められない王城の攻撃を泥門の奴らにも教えてやろう」

 

 

 最強の槍を装填した、巨大な弓が、ついにそのヴェールを脱ぐ。

 

 

 ~~~

 

 

「来るぞ、新生王城の攻撃が……!」

 

 高校最強のラインバッカー・進清十郎が、王城の司令塔・高見伊知郎の後ろに控える。

 前衛(ライン)と投手は弓と弦、そして、強大な矢は、進清十郎。

 春季大会からその構想はあったが、全体的なチーム力の不足で実現ならなかった、進清十郎の攻撃参加。

 

 

「来たぁああ進っ!! いきなり中央突破!!」

 

 

 王城ランニングバック・猫山を背負い、リードブロックに入る進清十郎。

 

「おぉおおおおお――!!」

 

 そう、セナの盾として長門が先陣を切るように。

 

 これが……これがよォォ……! 進化する怪物か……??

 

 爆腕猛牛が、白馬を駆る騎士に蹴散らされる。

 西部の主将・バッファロー牛島が、巨大な弓から解き放たれた“()”に押し飛ばされた。

 ベンチプレス記録140kgの腕力に進清十郎の脚力(スピード)を掛け算するその突破力。それが峨王力哉の突進にも匹敵する破壊力か。

 

 弛まぬ鍛錬に裏打ちされた無敵の突破力……!!

 努力する天才を止めるものなどいない。来る、とわかっていてもどうしようもない。

 

 

『王城ホワイトナイツ、連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 

 そして、『巨大弓』だけではない。

 

 

『出たァァーー!! 『エベレストパス』!!』

 

 

 西部守備が触れることのできない高さ、そこは桜庭春人の聖域。

 無敵のランと最頂のパスが織り成す新生王城の攻撃。それは黄金世代――王城大シルバーナイツでも止められない破竹の進軍。

 

「地上を進が制し、空を長身の桜庭が制する――歴代王城の誰もが成し得なかった最強のタッグだ……!!」

 

 ヒル魔妖一のような奇手を打たない、キッドのような早撃ちもない、高見伊知郎は堅実に攻める。

 だが、それでいい。王城の攻撃はあくまで王道。すべてを蹴散らす天下無双の騎士団がここにある。

 

 

『キッカー・具志堅君のボーナスキックも決まり、7対3! 王城ホワイトナイツ、逆転!』

 

 

 止められない進と桜庭。隙のない戦術を組む高見。新生王城の破壊力は、西部を圧巻した。

 最終防衛線を任されていたセーフティでありながら、『巨大弓(しん)』の前にどうしようもなかった甲斐谷は、それでも、と立ち上がる。

 

「だったら、俺達も点を獲ればいいさ。王城の無敵城塞を破って……!」

 

 

 ~~~

 

 

「進清十郎が攻撃参加する『巨大弓』の威力は、攻撃だけで終わるものじゃない」

 

 革新されたのは、攻撃だけではない。守備の時もまた、その“()”は撃ち放たれた!

 

 

「来たー! 進の『電撃突撃(ブリッツ)』!」

 

 

 中央を破った大田原が開けたスペースを潜り抜けて飛び出す進。

 後方の守りを放棄する、ギャンブルディフェンス。西部のクォーターバック・キッドを直接潰しに行った。

 そう、王城から仕掛けてきた……!

 

「かっ……」

 

 春季大会では届かなかった矛先が、その身を捉えた。

 超加速して一気に間合いを潰し、一切減速しないまま全速力以上のスピードを乗せた片手突きを繰り出す進の『トライデントタックル』が、『クイック&ファイア』よりも速く、キッドを貫いた。

 

 

『な、なななんと!? 『神速の早撃ち』のキッド君が倒されたーー!!』

 

 

 地に背中をつけるのは関東大会で、初だ。

 地区大会の準決勝で、小結に一度だけサックを貰ったことがあったが、アレは鉄馬丈を長門に仕留められ、動揺したところを突いた不意打ち染みたもの。冷静であれば、ヒル魔妖一がいくら奇策を費やそうとも通用しないと諦めさせた選手だ。

 今、進清十郎は、真っ向から、キッドを、仕留めてみせた。

 チームの看板を背負う指揮官がやられたことに西部に走る動揺の程は計り知れず、試合を観戦していた泥門の面々も瞠目した。そして、王城は歓喜に沸く。この高校最強のラインバッカーが成したプレイは、春季大会で劣勢した印象を拭い去った。これはますます勢いづく。

 

「……なんか、今までの王城の守備と違う」

「セナ」

「地区大会の決勝のときは、すごく保守的で、すごく手堅い守備だったのに、今は、まるでヒル魔さんみたいに強気で……」

「そうだな。今の王城は、『巨大弓』で攻撃に力を割いた分、無敵の守備力は落ちるどころか、逆により強固となっている」

「そうか。王城は得点が期待できるようになったから、今の進君みたいにリスクを背負った強気のパス守備が実行できるようになったんだ」

「攻撃力のアップは、守備力のアップってことか……!」

 

 王城が、攻めの姿勢で、西部を上回っている。

 

 

「――SET! HUTHUT!」

 

 

 そして、二度目の『電撃突撃』を仕掛けた王城守備。先程のプレイがまぐれでないと証明しにいく。新生王城の守備にはもはや、『神速の早撃ち』さえ通用しないのだと、最強の矛と盾の勝負を決めにいった。

 

 ――『王城!』 『王城!』 『王城!』

 

 勢いづくチームの士気に大田原や猪狩らはますますチャージの激しさを増す。破られる西部の前衛。そして、撃ち放たれた矢のように一気に迫る最強の槍、進清十郎は、キッドを――西部に、この序盤から止めを刺しに行く。

 

 

 ~~~

 

 

 荒野の射撃手(ガンマン)を、騎士の槍は貫いた。

 

 

 ~~~

 

 

「――『ラフィングパサー』!」

 

 審判が、大きく腕を振りながら、その重い言葉を告げる。

 

「おー、痛い、ホントにね。……でも、そちらも痛い」

 

 進は、言葉を発することができなかった。

 見誤っていたこの男(キッド)を。肉を切らせて骨を断ちに行く、これほど多大なリスクのある博打を仕掛けてくるとは……!

 

「パスを投げ終えた選手に、タックルをしてはならない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 審判が、パスを投げる(うでをふる)……それは、投手に対する反則(ファウル)があったと示すジェスチャーだ。

 『ラフィングザパサー』。キッドが語った通り、投げ終えたクォーターバックに対して、ヒットをする行為は認められていない。

 危険行為として、ディフェンス側に“15ヤードの罰則”。

 

 

『な、なななななななんんとーー!?!? 王城、進君の反則!! そして、西部、鉄馬君へのパスを成功しております!!』

 

 

 更にパスが成功した場合は、その時点からさらに罰則が加算される。

 キッドが投げ終えていたパスは、鉄馬が確捕していた。

 

 

 ~~~

 

 

「タイムアーーゥト!!」

 

 王城の庄司監督が、仕切り直しを決断する。それほどの衝撃だったのだ。

 

「進さんが、反則をした……!?」

「いや、セナ、反則を取らされた、が正しいだろう。あのキッドによってな」

 

 やってくれるな、キッド……!

 長門も、キッドのプレイ、策謀に空恐ろしさを覚える。

 

 『巨大弓(バリスタ)』で守備に勢いが出る王城。それがより果敢に来ることが読めていたキッドは、その勢いづいたところを狙い撃ちした。

 

 そのためには、まず、進清十郎が『トライデントタックル』の最後の超加速に入った瞬間を、読み切る。

 それは、『ロデオドライブ』の技法を取り入れたそのタイミングを陸から聴いて、実際に練習をして測り取っていた。

 

 それで、その最後の超加速に突入した瞬間に、0.2秒のパスモーションを更に0.1秒縮めた()()()『神速の早撃ち』。

 その前のプレイで、『電撃突撃』を貰ったのも、その踏み込みを軽くするための布石だったと今ならわかる。

 

(まるで、ヒル魔先輩が西部戦でキッドに仕掛けた()()()()()()()落とし穴だな)

 

 『トライデントタックル』は、超加速で詰め寄り左右に逃げてもスピード落とさず曲がって刺し貫く、隙の無い先手必勝の必殺技のように思えたが、120%の限界を超える加速力、つまりは、100%の急ブレーキでも勢いを殺しきれないのだ。

 だが、進清十郎とてそれはわかっている。それでも、キッドがパスを放ったその瞬間(0.1秒)は、進でもどうしようもないタイミングだった。

 さらには、キッドはそんな刹那の中で、パスまで決めた。

 キッドにしてみれば、相手守備の陣形さえ確認できれば十分。――最強の相方である重機関車(レシーバー)・鉄馬が、必ずレール(ルート)通りに行く。それに、最強の守護神のマークも、こちらに『電撃突撃』を仕掛けさせて引き付けているのだ。

 

(進清十郎を嵌める。……こんな芸当、キッドにしかできない)

 

 相手の出を見てから抜いても間に合わせた神業のクイックドロウ。

 刹那に状況を完全に把握する神算の判断力。

 冷静に精確無比の射撃(カウンター)を決められる胆力。

 

 それらを持ち合わせるキッドだからこそ成功させられた。作戦がわかっていても他の誰にも実行不可能。

 

 そして、神速の早撃ちガンマンが轟かせたこの壊音の霹靂は、新生王城の無敵城塞を大きく揺るがした。

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎の存在は、王城ホワイトナイツの中でも大きい。誰もが進清十郎の存在を意識せずにはいられない。

 結果、それは全員の向上心の核となり、チーム全体の原動力となった。

 

 それだけに、進清十郎が反則を誘発されたとなれば、監督がいくら切り替えろと弁を振るっても否が応でも慎重となってしまう。キッドという存在を警戒して動きが鈍くなる。

 『巨大弓』で勢いづいた王城の守備の積極性が挫かれた。

 

 

『銃声が鳴り止みません西部ワイルドガンマンズ!! これはついに王城からタッチダウンを奪うかー!!』

 

 

 そして、西部は加速した。

 立ち直れずにプレイが縮こまる王城の守備から連続して攻撃を成功させる。

 

 ああ、やっぱりだ。

 甲斐谷陸は、確信した。

 進さんは高校最強のラインバッカーだ。――だが、それならキッドさんは高校最強のクォーターバックだ。

 

「そして、俺はその最強西部ワイルドガンマンズのランニングバックだ!」

 

 ゴール目前で、尊敬してやまない指揮官からボールを託された暴れ馬は猛る。

 このランプレイでタッチダウンを獲りにいく。

 

 『ショットガン』で散らされた守備網を切り込み、駆け抜ける甲斐谷陸を、王城は捉えられない。

 ――だが、それでも、この男が、最後に立ちはだかる。

 

「決勝で、泥門と戦うのは、俺達西部だ! 勝ってやる――絶対! 絶対に……!!」

 

 完全無欠の守護神――進清十郎を、走りで抜いた先にこそ、西部の勝利はある。

 

 スピード、パワー、テクニック、どれをとっても負けている。

 だが、この勝負だけは、何としてでも抜くんだ!

 

 

 ――『トライデントタックル』!!

 

 

 雲の上の超人。自分よりも速い相手が、全速力で仕留めにかかるという状況に、甲斐谷陸が見出した道は、ひとつ。

 

 180度後方……!!

 進が伸ばした腕の先から、甲斐谷陸が離れていく。

 カットバックだ。カットを切る直前の一瞬に入れる、グースステップが要訣である『ロデオドライブ』。その超加速する前動作として脚を伸ばした姿勢から、予想を裏切り、一歩分のバックステップを刻んだ。

 

 長門村正の走りを見てから、甲斐谷陸もスピードだけでなく、ボディバランスを鍛えた。

 多くのフェイント、無茶なステップを入れるにはそれが必要不可欠だと知った。

 

 そして、この一週間。

 バックカットとグースステップを同じモーションから激しく刻む走法へと進化させるに至った。

 

 これが、『ロデオドライブ・スタンピード』……!!

 まるで分身が幻視(みえ)るかのような、激しく前後するチェンジ・オブ・ペース。これに三つ又の矛が繰り出す間合いを、踏み誤らせた。

 『トライデントタックル』――『ロデオドライブ』の突入タイミングは誰よりも陸が知っている。このカットバックを見切りようのない、かつ、捕まる寸前の、ギリギリの瞬間に切り返した。

 

(それでも、向こうの方が最高速が勝ってる! 真っ直ぐ腕を伸ばせば届いてくる! だから、俺も――!)

 

 甲斐谷陸は後ろへ下がりながら、その腕を振るった。

 地区大会準決勝で争った小早川セナ(ライバル)のように。

 これまで、その腕を使ったプレイをしてこなかった甲斐谷陸が、手刀で槍の切先の側面を弾く。速度差はあっても同じ方向(ベクトル)で進んでいるため、三つ又の矛の刺突速度(スピード)は相対的に0に近くなる。確実に、狙える。

 甲斐谷陸の腕が、その超速の腕を横から叩いて――その瞬間にグーステップを切った。120%の超加速で、進を抜き去る――!

 

 

『トトトライデントタックルをかわしたァァ! パーフェクトプレイヤーとのランナー決戦を、ロデオドライブ・甲斐谷陸が制したー!!!』

 

 

 ~~~

 

 

『よく覚えておけ。スピードを上回る相手には、どんなパワーも通じないのだ……!』

 

 小学生の頃、誰とも深くは関わることのできなかった、ただ生真面目だけの自分に、厳し(ふか)く接してくれた。

 常に厳格。一時の弛みも許さぬ指導。全ては己のように夢半ばで散る想いをさせたくないが一心で、鬼となる。しかし、それを押し付けることが、間違っているのではないかと、恩師の口から洩れたことがあった。

 

 ――証明する。

 どんな過酷なトレーニングでも積み上げて糧としたその力でもって、監督の30年が正しかったのだ、と。

 

 だから、どんな相手にも手を抜かない。

 たとえ敵が新興のチームだろうと、驕ればいつか必ず足元をすくわれる。

 そんな弛んだ真似など、監督の指導を受けた自分がしてはならない。

 

 そう、自分の弛んだプレイでチームが失速してしまったというのならば、自分の全ての力を駆使して挽回しよう。

 

 

 ~~~

 

 

 行ける、と甲斐谷は思った。

 進清十郎を、完全に抜き去った。すぐ向こうは追いかけてくるだろう。

 それでも……40ヤード走4秒3のスピードは自分より速くても、この距離なら、ゴールまで間に合うはずだ。

 

(俺の……西部の、勝ちだ!)

 

 まだ試合は前半。だが、このタッチダウンはきっと自分たちに大きな勢いをもたらす。キッドの策から始まったこの勢いを決定づけるものにする。

 

 

 ぞくり、と背筋が震えた。

 

 

 背後に迫る重圧(ビハインドプレッシャー)が、甲斐谷陸を襲う。

 そう、小早川セナと決した瞬間に覚えた寒気――あの光速の世界の予感を、甲斐谷陸は思い出した。

 

 

 ~~~

 

 

「う、そ……」

 

 セナは、口を開けたまま呆然とした。

 陸が抜いたその瞬間から目を大きく瞠ったが、次の瞬間に起こったソレに愕然とした。

 

 あれだけの差があるのなら、陸が一歩間に合う……そう、セナも思っていたが、そのスピードはその予測を覆す。

 

 最高速4秒2――光速の世界に――進さんも、入ってきた……!!

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナに大和猛――光速のアイシールド21に打ち勝つには、己も光速の世界に入るしかない。

 それしか道はない、と進化する怪物は結論付けた。そして、その目標に向けて鍛え続けて、至る。

 

 

『止めたァアアアアア!! 『トライデントタックル』炸裂ー!!!』

 

 

 う、そだろ……。

 タッチダウンまで、届かなかった。

 倒された甲斐谷陸の前に、ゴールラインはあった。

 

 ベンチプレス140kgを記録するパワー、そして、40ヤード走記録……人間の限界値4秒2のスピード。

 努力するパーフェクトプレイヤー・進清十郎は、アイシールド21に奪われた“高校最速”の称号を取り戻した。



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43話

 試合終了を告げる審判の笛が響いた時、陸は跪くように俯き、その前には屹然と立ちはだかる進さんの背中がある。

 

 小早川セナは、息を呑む。手汗を握り締めっ放しだった拳の強張りを解くのに一分少々の時間を要した。

 

 前半は、まだ、善戦していたと思う。

 あの王城の守備からタッチダウンを一本奪った西部の攻撃は凄かった。

 だけど、あのキッドさんでも()()()()では、戦術の幅も狭まり、段々と失速していく。

 そして、後半――桜庭さんが両面でディフェンスに参加。鉄馬さんのマークについてから、西部の攻撃の勢いはがた落ちした。

 王城の『エベレストパス』と『巨大弓』による波状攻撃を、西部は止められず、そして、点を獲るごとに王城の守備もまた勢いが増す。

 そして、その攻めの姿勢で圧倒し、後半、タッチダウンもキックも一本も許さず王城は西部を零封した。

 

「甲斐谷陸に対応してカットを切るとき、減速するどころか加速している。この試合の終盤まで一切緩まない。……非の打ちどころがないな、あれは」

 

 目を細める長門君の呟きに、同意して頷く。

 すごい、何よりもすごかったのは、やっぱり進さんだ……!

 見れば見るほど、完璧。

 『ロデオドライブ・スタンピード』でモーションそのままに高速で後ろに下がった陸、その間合いを刹那に潰しに来る進さんの『光速トライデントタックル』。逃げ切れなかった。陸は、この試合、進さんを一度も抜くことができなかった。

 

「進清十郎の片腕で刺せる腕力(パワー)()高校最速の超加速(スピード)――甲斐谷陸のランテクニックでも逃れられない、まさしく必中の槍だ」

 

 スピードにパワーにテクニック、総合力では足元にも及ばない。

 でも、ただ一か所で闘える――触れもしないスピードには、どんなパワーも通じない。それが、僕と、陸の唯一の武器。

 だけど、それでも逃れられない三つ又の矛! 長門君が称するように、光速の世界を貫く進さんの槍は必中である。

 そんなの、勝ち目がなかった……!!

 

「畜生……っ! 俺がもっと……っ! もっと強ければ……っ! キッドさんたちは負けてなかったのに! 西部は最強だったのに……っ!」

 

 陸……。

 己こそが最強のエースランニングバックだと自ら吼える陸は、それだけの重責を自らに課し、それを果たせなかった今の自分があまりに不甲斐ないと。悔しいと。

 アメリカンフットボールに“負けたけどよくやった”なんて敢闘賞はない。今の陸にどんな言葉をかけたって慰めにしかならないし、意味もないのだ。

 キッドさんは何も言わずテンガロハットを項垂れる陸の頭に被せ、鉄馬さんが立ち竦んだまま動けないでいる陸を引っ張って、退場する。

 

 西部ワイルドガンマンズ、関東大会準決勝、敗退。

 そして、王城ホワイトナイツ、決勝進出。泥門デビルバッツと、東京ドームで『クリスマスボウル』を賭けた決戦を競うのは、歴代最強の無敵城塞。

 

 

 ~~~

 

 

「よーーく絞って貼り付けとけ! 今から決戦の瞬間までずっと――授業中も風呂ん時も寝る時もその通気性最悪の濡れマスク付きだ!

 王城が進と桜庭を両面で出してくんなら、スタミナが尽きた方が負けんのは間違いねぇ! 結局は勝負を決めんのは基礎体力だ!」

 

 王城対西部の準決勝の翌日より、トレーナー溝六が王城戦にまで泥門に課したのは、びしょ濡れマスクトレーニング。

 酸素を薄くして高地トレーニングと同じようなスタミナアップ効果があるともいわれているが、科学的な根拠はない。

 少なくとも重い荷物を下ろした時に一時的に体が軽くなるみたいな、そんな一日限定のドーピング効果はある心肺機能養成ギプス。

 

 

「ボケっとしてんじゃねぇぞ、糞チビ! テメーには特別にマンツーマンコーチも用意してんだからとっとと来やがれ!」

 

 

 慣れないマスクに悪戦苦闘しながらのランニングから泥門高校のグラウンドに戻ったセナを出迎えたのは、もう流石に見慣れた移動式(セグウェイ)酸素カプセル。そこに棺桶に閉じ込められていても妖気を駄々洩れさせる吸血鬼の如く、邪気を放っているヒル魔に呼ばれ、慌てて駆けつけて、気づく。

 カプセルが影となって校門からは見えなかったが、そこにいたのは……

 

「りっくん……?」

 

 自転車で先導していた敏腕マネージャーで、セナの幼馴染の姉崎まもりがその名を口にする。

 弾痕をイメージしたデザインの、西部ワイルドガンマンズのユニフォームを着こんで万全の状態でグラウンドに待ち構えていたのは、陸だった。

 

「え、どうして、陸がここに……?」

 

「泥門……長門には一週間付き合ってもらった借りがある」

 

 リハビリという体で、長門が皆とは別メニューで練習していたのは周知されており、それに陸と付き合っていたというのはセナも話に聞いていた。

 

「それをセナ――お前に返せと言われた」

 

 セナは、ヒル魔を見る。

 長門はここにはいない、ランニングの道中で別れて、モン太を連れてグラウンドとは別の場所へ向かっていった。

 それで話をつけたのだと思われるヒル魔は、セナに向けてお馴染みの哄笑(ケケケ)を返す。既に言うべきことは言っている。

 “マンツーマンコーチ”――あの進の『トライデントタックル』と同じ走法(パーツ)が組み込まれる『ロデオドライブ』の使い手である甲斐谷陸と、実戦的に限界突破(120%)の超加速に慣れさせる。

 ――それが攻略の鍵となるはずだ。

 

 でも……とセナは思ってしまう。

 敗戦直後で、立ち直れていないのにこちらに付き合わせていいのか。あのフィールドで見せた悔し涙を思い返し、セナの中でためらいの気持ちが膨らむ。

 そんな弟分の心情を、表情から察した陸は腰に手を当てて言う。

 

「礼はいらないし、余計な気遣いも不要だセナ。……決勝で泥門と西部、一緒に戦うって約束守れなかった償いでもあるんだからな」

 

「陸……。――うん、わかった」

 

 悪いのは、自分。そう言い切る陸に、セナは喉元辺りにまでこみ上げたものを、腹の底へと飲み込んだ。

 何よりも“勝つ”ためには、陸の協力が必要だとわかったから。

 

「ああ、それでいい――」

 

 この時、ふと、幼き日の師弟関係が蘇る。

 過去(むかし)を重ねるセピア色の残光のようなそれはほんの一瞬で、現在(いま)に塗り替えられた。

 セナは、いじめっ子との衝突を避けるためじゃあない、最強の相手(ライバル)に挑むために、(つよ)くなろうとしている。そんな雄の顔をしている。

 かつて、スピードこそが最も大事であるとセナに説いた。だが、先日の試合でその信じたスピードで太刀打ちできなくて、己の信条を揺るがされた。今だって無理をして立ち上がっているようなものだ。誇り高いだけに、打ち砕かれた自信を取り戻すのには時間が必要、一日二日じゃどうしたって無理だ。

 しかし、だ。

 あのスピードだけでは太刀打ちできないと知ったはずであろうに、その雲の上の超人に挑もうとしているかつての弟分、そして、今のライバルがいるのだ。

 既に前へ走り出している姿勢に、足を止めてしまった甲斐谷陸は感化され、触発される。

 きっとキッドさんは再点火する自分に期待して、泥門に行くことを勧めてくれたんだろうと陸は思えた。

 

(セナ……お前なら、俺が越えられなかった先へ――)

 

 

 ~~~

 

 

 夜空に映える満月。

 それを掴まんとばかりに全身を伸ばして頭上へ突き上げた両手は、ついに、捕らえた。

 

「よーし、桜庭!!」

 

 パスを投げてくれた高見さんから歓喜の声が。

 そう。

 捕った……進よりも上で、初めて捕ったのだ……!!

 

 桜庭春人は、己の成長を実感するよう、成果たるボールをまた強く両腕で抱く。

 

 ――初めて入部した時から、誰もが進を別格視した。

 自分と比べることなど烏滸がましいとすら思われていたはずだ。

 それでも、桜庭はずっと追い続けている。

 反吐を吐きながら、苦しみながら、自分でも抜けぬことなど分かっているのに、だ。

 それでも、神龍寺ナーガの金剛雲水が天才の弟という存在に、凡人の限界だと自分に見切りをつけようにはならなかった。

 そんな現実を冷静に受け入れられるほど賢くは生きられなかった。

 

「ああ、今の高さならば、俺の指先もかすらない……!」

 

 それはついには、絶対的なエースだった進でも届かぬ高みへ指をかけた。

 そして、準決勝、同じ四強レシーバーとされた鉄馬丈との、密着しながらの競り合いにもくらいついて、キャッチをしてきた。高さで勝っていても、肉体の強さでキャッチの競り合いを持ち込まれたあの勝負は、中々にいいポジションで思い切りジャンプすることは叶わなかった。

 それでも、我武者羅にぶつかり、キャッチ勝負を互角以上に渡り合った。

 

 強くなっている。

 王城のエースだと言われるくらいに。

 

 ――だが、追い続けたその背中の先にもまだ壁があった。

 

「でも……長門が相手なら、奪われていた」

 

 上には上がいる。

 これから挑む、登り詰める先には、既にクリスマスボウル進出を決めている帝黒アレキサンダーズの日本一の跳躍力を持つ超人・本庄鷹と、その本庄鷹と交流戦で激しい空中戦(デットヒート)を演じた泥門デビルバッツの長門村正がいる。

 どちらとも一年生であるが、進にも匹敵する天賦の超人。避けて通れない、最強にして最高の存在(かべ)

 

「……ああ、長門村正ならば今の高さに届いていた」

 

 進でさえも、己にはない高さがある、と認めている。

 『エベレストパス』が最頂のパスキャッチだと騒がれているが、実際のところは次点。

 進が高校最()の男ならば、長門は高校最()の男。守備範囲は常人のそれをはるかに超え、生半可な攻めは逆に危険である。

 

 高見伊知郎もまたその脅威度は身をもって知っている。

 

 進と同じ、努力する天才。

 一人一芸を極める特化型の選手が大半の泥門の中で、唯一の万能選手。

 ポーカーで言うならなんにでも役を組み合わせられるジョーカーのワイルドカード。このカードを手札に揃えているのが、トリックスター・ヒル魔妖一なのだから、微塵も油断などできやしない。

 関東最強のオフェンス力を誇る西部ワイルドガンマンズの火力は凄まじかったが、泥門デビルバッツもまた関東最強の矛だと言えるチームに違いなく、特にランプレイの破壊力……峨王力哉を倒した栗田良寛、進と同じ高校最速の小早川セナ(アイシールド21)、最強のリードブロッカーの長門村正を揃えた強力な役作りは、西部戦と同等以上の厳しさが予想される。

 故に、桜庭は目指すのだ。更なる(つよ)さを。

 

「……長門は泥門の守備の中核。『巨大弓(しん)』を警戒しなければならない以上、桜庭とマッチアップさせる余裕はないはずだ」

 

「だとしても、俺は負けたくないんです、高見さん」

 

 だから、完成させましょう。

 『エベレストパス』を超える『エベレストパス』――それは、高い塔から塔へと放たれる矢のように、高層高速弾道で突き抜ける『ツインタワー剛弓(アロー)』。

 高さに加えて速さを兼ね備えたパスを実戦投入するには、まだ練度不足。

 だから、こうして居残り練習で桜庭はパスを要求してくる。

 

 この姿勢に、ふっと高見は、微かに笑う。

 確信する。あの合宿で進を追って折れかけた相棒は、もう、きっと挫けはしない。

 

 王城の監督、庄司軍平は評価する。

 桜庭春人は王城で最も強い心――折りたくても折れない野心を持っている。そう、強いからこそもがくのだ……!

 

 

(それに、泥門は長門だけじゃない。モン太がいる。細川一休に勝ち、如月ヒロミを降した俺と同じ四強レシーバーが……!)

 

 桜庭春人は、決してその存在を侮らない。

 長門村正という脅威と比較して、最初、細川一休はそれを取るに足らないと見下したが、桜庭は、侮りはしない。いいや、長門にも匹敵する脅威だとみなしている。

 

 進清十郎がいた桜庭春人のように。

 金剛阿含がいた金剛雲水のように。

 雷門太郎には常に長門村正を意識せずにはいられなかったはずだ。

 それでも尚、“身近な最強”に挑み続けるその愚者に共感を抱き、その泥まみれの強さを認めている。

 だから、勝ちたい。モン太にも……!!

 

 

 ~~~

 

 

 先輩の脅迫手帳(せっとく)で借りた、市民体育館。

 貸し切ったコート一面を利用するのは、びしょ濡れの覆面をつけた二人。

 

 顔全体を覆うフルフェイスの覆面は、マスクとは違って、もはや仮装(コスプレ)。虎マスクの伝説的なレスラーだって、日常生活では普通であれただろうに。しかし悲しいことに、罰ゲームでもないのにこれを一週間被り続けなければならない。破れば(藁人形を)地獄の番犬(ケルベロス)の玩具にすると悪魔な先輩から呪い(おどし)をかけられている。

 とはいえ、今の二人はそんな人目を気にする余裕はないし、勝つためには見た目などどうとでもいい程に貪欲であれる面子である。

 びしょ濡れの覆面は、単に息苦しいだけでなく、視野も狭めている。視界を狭めることで、視覚ではなくそれ以外の五感に頼る比率が大きくなるだろう。チームの中でも特に勘という部分に秀でた野性的な二人のそれを更に尖らせるための特訓。

 

 悪魔の蝙蝠(デビルバット)を模したマスクを被った長身の男――長門のすぐ目前には、バレーボールで使うネットが張ってある。桜庭春人の到達点(エベレストパス)を想定している高さで。

 そして、向かいのサーブのラインの左右中央と三か所に設置された発射機。3台のいずれかからランダムでアメフトボールを射出するように設定されている。

 

「――!」

 

 左側の射出機からボールが放たれた。

 覆面で狭まった視界の外――死角から飛んできたボールはネットの上を超えて――

 それを、ボールの発射を聴覚で察知し、ほぼ反射的に動いていた長門が、その腕を伸ばして、ボールに、触れた。そう、中央に陣取りながら、左右へ散らされる、それも半端な跳躍では届かない高軌道に、届いた。

 

 指先まで伸ばした手刀(パスカット)にボールの軌道が、変わる。

 野球に例えるのならば、イレギュラーバウンド。普通のパスとは違って、軌道予測などできないそれに、キングコングの覆面装着の小男――モン太は飛びつこうとしていた。

 そう、長門が動く前から、ボールが弾かれることを前提にモン太はポジション取りしていた。

 

 長門なら、アレは届くと信じていた……!

 その背を見続けたモン太には、たとえ百人が無理だと思われようが疑いを挟まない。できて当然だ。何故なら、長門は最強MAXの、チームメイトにして、ライバル――!

 

「……っ!」

 

 弾かれる、とは読めても、弾かれた先を読むのは至難。

 しかし、アメフトのボールは野球のとは違って楕円形でバウンドは不規則。ギリギリで弾かれ、空中で激しくブレるボールは、容易にはキャッチはできない。

 そう、この暴れるボールの呼吸を、直感で、嗅ぎ分ければ――

 

 

『モン太、桜庭春人はお前よりも速く、強く、そして、高い。細川一休と同じく、総合的に上回る選手だ』

 

 

 指先も掠らないあの高さは、真っ当にやればキャッチ勝負にすら持ち込ませない。

 そして、あの準決勝、鉄馬先輩とも競り合いながらもキャッチを決めていた。

 キャッチにかける執念もまた強い。たとえ乱戦に持ち込めても、桜庭先輩からボールを奪うには、絶好のポジション取りをしなければならない。

 桜庭先輩よりも早く弾道を読み切り、桜庭先輩よりも早くボールに飛びつく。

 だから、長門が高弾道を叩き落としたそのボールを真っ先に向かっていけるようになる。その為の練習。

 常人なら何て無茶苦茶な、と机上の空論も同然の無理を、本気で成そうとしている。

 

 背面キャッチ(バックファイア)のように長門の動きは、見えなくても見えているまでのレベルになった。

 そして、その手刀に当たって弾かれる(バウンドする)行く先を、経験則からなるこのキャッチバカの嗅覚が追う!

 

「ムキャアアア――!!」

 

 決勝は、東京ドーム。

 本庄さんがずっと試合してきたグラウンドで闘う。何よりもクリスマスボウルを賭けた決勝。今まで以上に気合が入っている。

 

「掴んでやる絶対! キャッチNo,1を! クリスマスボウルの切符を!」

 

 

 ~~~

 

 

 選手たちは、全員がやるべきことをしている。

 ならば、自分もまた、やれる事は、何でもやる。

 

 東京ドーム。

 やっているのは野球の試合か。

 だが、失礼なのは承知して、見ているのはプロ野球選手のプレイというより、グラウンド。駆ける選手のスパイクに蹴られる土飛沫から、その質をつぶさに見極めようとする。

 他にも天井、屋外の試合と違って、東京ドームの天蓋にボールは融ける。弾道を見誤ることもあり得る。これも注意させなければなるまい。

 そして、この独特の空気。

 東京ドームは屋根を膨らませるために、加圧送風ファンによって絶えずドーム内に空気を送り込んで、外部よりも物理的に気圧を高くしている。山頂とはまた違った環境だ。

 それは些細な違いなのだろうが、やはり選手たちには伝える。僅かな弛みも許さぬために。

 

 

「やっぱり、お前もここ来てやがったか」

 

「溝六……!」

 

 

 試合観戦などそっちのけで東京ドームを視察していた庄司軍平は、その昔なじみの戦友・酒奇溝六の声にハッとする。

 

「今さら決戦会場の下見なんざどうなるもんでもあるめえによ。お互い遠足前のガキみてぇだな」

 

「どこに持っとったんだその量」

 

 ゴロゴロと辺りに空になった濁酒の瓶を転がして、なんともまあ気ままにしている。

 だが、焦点に当てているのはこちらと同じ。酔っていてもその目の鋭さに濁りはない。

 

「……皮肉なもんだ。まさか関東大会の決勝、『全国大会決勝(クリスマスボウル)』への切符をかけて、お前と敵として闘うことになるとはな」

 

「ああ……『二本刀』とまで呼ばれて……人生のすべてを注いで目指したてっぺんには辿り着けなかった」

 

 漢であれば誰しもが抱く、頂点でありたい願望。それを叶えられなかった二人の胸に焦げ付いているのは、やはり無念だろう。

 この疼きはどうあったって消えやしない。

 だから、思う。

 

「……何としても勝たしてやりてえ……俺らが叶えられなかった頂点への夢を、ヒル魔栗田武蔵に潰えさせたくはねぇのよ……!」

 

「それは俺も同じだ。高見らは皆最期のチャンス。夢半ばで終わらせるわけにはいかん」

 

 だが。

 必ずどちらかが。

 散る。

 

「やっぱり、随分と入れ込んでるな庄司よ。僅か数cm足りなくて終わっちまった俺らにとって、長身ってのは喉から手が出るほど欲しい才能だ。だから、長身の桜庭をモノになんのを辛抱強く待ったお前の気持ち、よくわかる」

 

「それはお前もだろう溝六。小早川セナしかり、泥門の後衛は、其々の個性を武器とするように鍛え上げている。とても過半数がアメフトを初めて一年足らずだとは思えん程にな。だが、見違えるほど成長したのは桜庭だけではない。大田原のスピードアップによる新生ラインもだ。猪狩も加えたうちのラインは、守りに縮こまるものではない」

 

「ガハハハ、そいつは泥門も同じよ! 三兄弟に小結……優等生ラインとは口が裂けても言えねぇ連中だが、あの喧嘩根性があるヤツぁ必ず育つのよ。奴らが加わったことで一番成長したのは栗田だ。仲間が増えるほど心が強くなるバカなんだよアイツは。そして、峨王との闘いでこれまでの栗田には足りなかった殺意も持つようになった。もはや栗田の相手は俺じゃあ務まらねぇ」

 

「やはりライン戦も一筋縄ではいかん勝負になるな」

 

「まあそして、なんつってもだ。チームの大黒柱(エース)となってんのは、お互いの最高傑作……!」

 

「ああ……先程のセリフを、こちらも返そう。お前は誰よりも長身の長門という逸材を望んでいた」

 

「ああ、ありゃあ一目惚れだ。長身だけじゃねえ、最強のライバルに絶対に勝ちてえっていう負けず嫌いの闘争心を目の奥にぎらつかせてやがった。だから、俺は長門を日本一の選手にするために恨まれんのも覚悟して誰よりも鬼になった」

 

「こちらもだ。進には俺のすべてを叩き込んだ。彼奴の飽くなき向上心は留まることはない」

 

 お互い、思うものは同じ。

 王城ホワイトナイツ対泥門デビルバッツの『全国大会決勝』を賭けた関東大会決勝は、きっと世紀の最終決戦となるだろう。

 

 

 ~~~

 

 

「いよいよ、だな」

「うん、ムサシ。このマスクも辛かったけど、ついに外すってなると寂しくなるよね!」

「フゴッ!」

「いや寂しかねーよ」

「ひたすらウザかった」

「つか、長門とモン太と一緒に歩くのはこっちも恥ずかしかった」

「アハーハー僕もこのオシャレアイテムとなったマスクを外すときとなると感慨深くなるよ」

「えっ……? なんか紋様が書かれてるけど、それって口が当たる側でしょ? これじゃあ見えないんじゃ……」

「見えるよホラ! 僕からね!」

「馬鹿だ馬鹿がいるぞ!」

「でも、決勝戦でも変わらないよなこの感じ……なんかこう、血が冷たくなるっていうかさ」

「いつもそのセリフを言いますよね石丸先輩は」

「マスク外した途端にギャーギャーと騒いでんじゃねぇぞテメーら。これから、決戦だ。――って、なんで始まる前から泣いてやがんだこの糞デブ!!」

「ご、ごごめん~~! なんか、試合前なのにもう感極まっちゃって!」

 

「おう! そんじゃ、先頭は頼んだぜ、セナ!」

 

 

 ~~~

 

 

『クリスマスボウル出場を賭けた運命の決戦! まずは泥門デビルバッツの入場です!!』

 

 

 濛々とドライアイスが噴き上げる出場ゲートからフィールドへ飛び出したのは、そのヘルメットには、時代最強ランナーの証たるアイシールドがついている。

 

 

『先陣を切るのはやはりこの選手! 光速のランニングバック、アイシールド21! 小早川瀬那!!』

 

 

 東京ドームという大舞台を最初に駆け抜けたヒーロー(セナ)に、大歓声が沸く。泥門デビルバッツのチアリーダーの瀧鈴音からも今日一番のエールが贈られた。観客席にはこれまで戦ってきたライバルたち――筧、水町、陸ら――も揃っており、彼らもまたこれまでのフィールドをその脚で捻じ伏せてきた光速ランニングバックの到来に手を振り上げて応じた。

 

 

『さぁ続けて、泥門デビルバッツのメンバー入場―――!!』

 

 

 そして、泥門デビルバッツの選手が続々と現れる。

 

 

『栗田良寛! 最強パワー勝負で峨王力哉を降した巨大不沈艦!』

 

 

 白煙に浮かび上がる巨影。それは泥門最強の守護神。この登場に、観客席から真っ先に歓喜の雄叫びを上げるのは、白秋ダイナソーズの破壊神・峨王。己を打倒したライバルなのだ。栗田に期待をするのは、峨王だけではない。ラインマンの在り方を教え導いた柱谷ディアーズの山本鬼平も腕を組みながら指二本立てて無言の声援を送る。

 

 

『雷門太郎! 関東大会四強レシーバーに名を連ねるキャッチの達人!!』

 

 

 白煙から飛び出してきたその影は、天高く指を突き上げた。“四強”から“No.1”をもぎ取ることの決意表明。これに反応するのは、神龍寺ナーガの細川一休で、再戦を果たせなかった西部ワイルドガンマンズの鉄馬丈は、何も言わず、ただ大きく、汽笛のように鼻息をは鳴らした。

 

 

『瀧ジェントル夏彦バカ!!』

 

「アリエナイィィィ!!」

 

 

 本人と周りから希望が出ていた『ジェントル』と『バカ』の二つを融合させた紹介文。何気にひどいアナウンサー。けれど、この試合がTVに中継される決勝戦を、遠い、テキサスのビーチから視聴するサイモンら『TOO TA TTOO』のメンバーは、瀧の姿がアップになった画面に向かってありったけの声援を送った。

 

 

『その頭脳で勝利の方程式を導き出す、光学迷彩(ステルス)レシーバー・雪光学!』

 

 

 文系出身の影の薄い雪光学は、今や大勢の人から注目される選手となった。その中には教育に厳しかった母親もおり、部活動で功績を収めるのは就職に大変有利だと説かれた彼女は、息子に精一杯の活躍を望んでいる。

 

 

『そして、純白のドライアイスをドス黒い妖気へと染め上げるはご存知、地獄の司令塔・ヒル魔妖一!!』

 

 

 悪魔。今や全国中がその男へ抱くであろうイメージ。ヒル魔妖一は絶えない哄笑を浮かべながら、この“殺し合いの場(フィールド)”へと踏み入れる。……その腕に包帯を巻いたまま。

 白秋戦で峨王にやられた怪我は治っていないのか? あれはそう思わせるための偽装? いいや、ヒル魔妖一ならば、そう思考を誘導させるための細工かもしれない。

 試合が始まる前から揺さぶりかける。全ては勝利するために何でもするし、何なら己の負傷した事実さえも利用しよう。転んでもただでは起きない。それがこの男のやり方(スタイル)なのだ。

 その小賢しさに、チームとは離れて個人(ひとり)で観戦にしてきていた金剛阿含は舌打ちする。

 

 

『悪魔を護る魔界の番人たち! まずは三倍パワーを炸裂させる強力豆タンク・小結大吉!!』

 

 

 師匠である栗田を追う小兵・小結大吉。峨王を一度は吹き飛ばしたその突破力は、瞬間的ならば栗田以上の破壊力とも評価され、そして、その力は太陽スフィンクスの番場衛も認めるところ。

 

『バランス&テクニック! 十文字一輝!』

『スピード&闘争心! 黒木浩二!』

『パワー&ハード! 戸叶庄三!』

 

 十文字、黒木、戸叶――切っても切れない腐れ縁の悪友三人一緒に現れた。もう彼らを不良選手などとバカにする者はいない。長い付き合いからなる息の合った連携を武器として、数多のラインマンとのファイトを繰り広げてきた彼らは、一端の強者となっていた。

 

 

『特大キック60ヤードマグナム! 武蔵厳!!』

 

 

 『ウソだけどな』と紹介文にぼやきながら登場する武蔵。だが、そのキック力は本物。東京地区ベストキッカーに選出された盤戸スパイダーズの佐々木コータローは、ライバルと認めたキッカーの到来に、気合いを入れて櫛を入れる。

 

 

『地味石丸!』

 

 

 それから、陸上部石丸哲生を筆頭とした助っ人軍団、山岡、佐竹、重左武も入場。

 

 そして、トリを飾るのはこの男。

 ドライアイスの煙幕が一刀両断と斬り払われたかのように、一掃されてその姿があらわとなる。

 

 

『泥門最後を飾るのは、もうひとりのパーフェクトオールラウンダー! 泥門最強のワイルドカード・長門村正―――!!!』

 

 

 ~~~

 

 

 一足早く、先週に関西(こちら)の決勝が終わったため、この東京ドームへ花梨に同行することができた。

 『全国大会決勝』で当たる相手が決まる決戦だ。どちらも強い。帝黒アレキサンダーズが、関西大会決勝で当たったチームよりも確実に上であろう。

 そして、チームのどちらにも自分に劣らぬ実力者がいる。

 

「確かに、王城の進氏は、この日本で最も“ペンタゴン”に近い選手だろうね」

 

 先週の試合で、自分(やまと)と小早川セナに並ぶ高校最速の座に返り咲いた高校最強のラインバッカー。その実力は、交流戦で体感した。ベンチプレス140kgのパワーを加味すれば、総合的な身体能力は、あちらの方が上なのだろう。彼を抜き去ることは、“時代最強ランナー(アイシールド21)”でも至難だ。

 事前の情報収集でも、最警戒選手に挙げられている。

 

「だけど、村正――我が最大のライバルであるならば、あの時の約束を果たすために、勝ち上がってこい……!!」

 

 

 ~~~

 

 

 フィールドに選手が揃った。

 長門がチームメイトが集う円陣に加わった時、十文字が口を開いた。

 

「はっ! 王城が決勝まで来てくれて良かったぜ。この大会で唯一負けっ放しの相手だからよ。クリスマスボウルに行く前にリベンジして借りの清算しておかないとな……!」

 

『うん(おうよ)……!!』

 

 

 小早川セナは、春で王城に初めての敗北を思い知らされてから、アメリカンフットボールに本気で取り組むようになった。

 ずっと。

 ずっと目指してきた。

 進さんがいたから、勝ちたいと思った。

 ずっと何でも逃げてたのに、こんなに怖いアメフトってスポーツで本気で勝ちたいって思った。

 

 全てはあの日から。

 故に泥門は、他のどのチームより王城に感謝しているし、他のどのチームより王城に勝ちたいと思っている……!!

 

 相手が今大会の本命であろうと気負う者はいない。

 そして、宣戦布告を言い放つ。

 

「ケケケ、テメーら、マスク外したばっかで体軽いうちに一発目からガンガンかましてくぞ!」

 

 

 ~~~

 

 

「おっしゃああああ! この決勝もぶちかましてやんぜオラァ!」

「ちょ、待てって猪狩。今、鍵開けるから……――」

「オラァアアア!!」

 

 高まるボルテージは、泥門だけではない。

 最も好戦的な猪狩は、角屋敷がカギを外す前に、自ら鎖の拘束を解き放つ。暴れ狂う新生王城の新入ラインマンは、関東大会決勝においても猛っている。西部戦以上に燃え上がっているだろう。

 それを、鎮める一声。

 

「おぅ、時間だ。早くしろ猪狩!」

「ウッス!」

 

 それを発するのは、大田原。普段はおちゃらけてる王城の主将が、いつになく真剣な面持ちで試合に臨んでいる。『あんな、ホントにマジ顔な大田原さん見たの初めてだ……』と桜庭が驚くほどに。

 

 そして、眼鏡の位置を直しながら、高見は言う。

 

「まず、勘違いしている者がいるかもしれないから、訂正しておこうか。

 ――俺達は、泥門デビルバッツに、()()()()()()()()()()()

 

 え? と猫山が、その発言の意図を探ろうと高見をより注視する。

 

「春季も秋季も、地区大会では泥門との試合は不完全燃焼で終わっている」

 

 春季大会の時は、追い詰められたが、長門村正が途中欠場した。

 秋季大会の時は、そもそも互いに手の内を隠し、長門村正は出場しなかった。

 これで勝ったと喜べるほど、王城のプライドは安くはない。

 何よりも、大事なのは、『全国大会決勝』行きを賭けたこの一戦で勝つこと。それまでの戦績など、ここで負けてしまえば何の価値もない。

 

「はい、泥門デビルバッツは、大会最強の強敵手(ライバル)です」

 

 僅かの弛みも許されない、と高見の言葉に、進も頷く。

 一回戦で神龍寺ナーガを破り、準決勝で白秋ダイナソーズとの激戦を制した。今、対峙するのは何の実績のなかった新興チームなどではない。泥門デビルバッツは、この関東大会で最強のチームだ。

 全員の意志が統一されて、表情が一段と引き締め直されたところで、高見は号令をかける。

 

「さあ締めていこう。どちらが勝つにせよ。王と悪魔が交わす最期のセレモニーだ……!」

 

 

 ~~~

 

 

「――騎士の誇りにかけて勝利を誓う。

   そう我々は、敵と戦いに来たのではない。

   倒しに来たんだ!」

 

 

 ~~~

 

 

「――俺らは敵を倒しに来たんじゃねぇ。

   殺しに来たんだ!

 

 

 ~~~

 

 

 

『ぶっ、こ……ろす! Yeah!』

王国に栄光あれ(Glory on the Kingdom)!』

 

 

 

 ~~~

 

 

 この戦いの勝者が、あのクリスマスボウルへと出場する。

 大会史上最も熾烈な群雄割拠を制しここまで勝ち残った最強の二チーム。

 

 最後に改めて君たちに告げよう。

 

 ここで負ければ初戦敗退と何も変わりはしない。

 敗者に言い訳はない。正義はただ一つ!! 勝て!!!

 

 全国高等学校アメリカンフットボール選手権関東大会決勝(ファイナル)!!

 

 試合開始―――!!!

 

 

 ~~~

 

 

 コイントスの結果、前半か後半かのボール選択権が与えられたのは、泥門。

 当然、泥門デビルバッツは、先攻を選ぶ。

 

 そして、キックオフされたボールは――――ヒル魔の元へ!

 

 

「くっ……! キックボールがこっちに飛んできてるっつうのに、複雑骨折した右腕が今になって疼きやがった!」

 

 

 王城がキックボールを飛ばしてくるのは、十中八九でヒル魔妖一のいるところだと予想していた。

 通常ならば、キックオフのボールなどどこに飛んでくるのかわからない。

 だが、王城にはまず確認したいことがあった。

 

 “悪魔の巨像”であるのか、“悪魔の虚像”であるかだ。

 

 右腕に包帯を巻いて堂々と出場しているヒル魔妖一。

 その怪我が本当であるかどうかで、泥門の攻めのパターンは大きく変わってくるのだ。

 故に、偽情報(ハッタリ)を噛まされて、ヒル魔の術中に嵌められる可能性を潰しておくために、キックボールはヒル魔を狙うだろう。

 ――それを泥門は読んでいた。ヒル魔妖一をエサにして、動き出している。

 

「だが、この試合……負けられねぇ! 病気の妹と約束したんだ……!! 腕が折れようが捕ってやるぜっ!」

 

「……ヒル魔先輩、演るだけ演っておきたいのはわかっていますが、いくら何でもキャラが別人過ぎますよ。というか、妹がいたんですか? 初耳なんですが」

 

 キックされた直後に、ヒル魔の元へ動き出していた長門。

 包帯ギブスで固められた右腕を抱え込んで、熱血ドラマを始めている先輩を他所にボールを普通にキャッチ。

 ――そして、集う。

 

 小早川セナが。

 石丸哲生が。

 長門村正と同じように、ヒル魔妖一の元へと駆け付けていた。

 

「!!」

 

 泥門デビルバッツで、脚の速いトップスリー+ヒル魔が密集し、四方を囲われボールが隠される。

 

「これ……って、まさか……!」

「白秋戦に見せた――」

 

 

 ――『殺人蜂(キラーホーネット)』!!

 

 

 試合開始直後に、いきなりの奇策中の奇策を仕掛けてきた泥門。

 

「さァーて、楽しいクイズの時間だ。誰がボール持ってっかな!??」

 

 ボールキャリアーは、ヒル魔、長門、セナ、石丸のうちの誰か。

 四択を迫られた王城の守備陣に、0.1秒の迷いが生じる。――そして、泥門は迷いなく其々の相手についた。

 

 70番の渡辺頼広には小結大吉がスピードを使ってタックルを仕掛け。

 素早く躱そうとしてくる25番の井口広之、15番の釣目忠士、92番の上村直樹を、戸叶、黒木、十文字がその穴のない連携で囲んで対応。

 『不良殺法』こと『ブル&シャーク』を得意とする22番の艶島林太郎には、柔軟な粘り腰で崩し難い瀧が組み付く。

 

 そして、猛突進する重装歩兵の前に、不動の山の如く立ちはだかるのは、泥門の守護神。

 

 

「ばっはっは! 栗田ァ! 今日こそ春大会でお前に負けた借りを返してやる!」

「止める……! 勝って皆でクリスマスボウルに行くんだ……!!」

 

 

 前衛にはあり得ない全速力からの衝突は、その威力を数倍に引き上げる。

 この大田原誠のチャージを食らえば、大事な仲間たちが危ない。――故に、護る為に栗田良寛が食い止める。絶対の安定感を誇る『不沈立ち』でその勢いを真っ向から受け止めて挫き、そして、大田原の闘志を跳ね返さんとする栗田の殺意がそのパワーを数倍に高める。

 

 そして、事前の打ち合わせ通りに、走路は確保された。

 前衛が身体を張って切り開いた隙間を4人は駆け抜ける。

 

 

「王城舐めんじゃねぇぞオラァアアア! 『殺人蜂(そいつ)』はミーティングん時、白秋戦のビデオで見てんだよォオオオ!」

 

 

 猛り吼える猪狩。

 白秋ダイナソーズは、ヒル魔妖一の術中にかく乱されて、判断が遅れてしまったが、結局、ボールを運んだのは、アイシールド21。光速ラニングバックの小早川セナだった。

 いくら奇策で虚を突いてこようが、そいつ以外じゃあ王城は抜けねぇ!

 そう判断すると行動は速い。単純思考であるが、猪狩は真っ先に、セナへ迫る。

 ――ただ、前回のとは違う点がある。

 

 

「待て猪狩! ボールを運んでいるのは小早川セナじゃない!」

 

 

 セナは、肝心なボールを持っていなかった。

 ベンチ外からの高見の声に、しかしそう簡単に止まらない。“ボールゲット”とロックオンしてしまっている猪狩は乱打を叩き込もうとしたが、それは割って入った手に、キャッチ、される。

 

「暴れん坊MAXだが、長門のより大雑把なんだよ!」

 

 雷門太郎だ。

 激情のままに猛烈に振るわれた猪狩の両拳(グー)を、モン太の両掌(パー)が捕まえる。猪狩のよりも鋭く速く重い拳打(バンプ)との格闘戦を繰り広げているモン太からすれば、乱雑なだけのそれは容易に見切れる。キャッチした猪狩の拳を離さず、しかし、地力でモン太を上回る猪狩は強引に押し込もうとする。

 そんな怒涛の力押しに大きく背中を反らせて堪えるモン太に、襲われたときは『ひいいいい!?』と悲鳴を上げていたセナだったが、すぐに猪狩に飛び掛かった。二人で足し算してもベンチプレス記録では及ばぬ相手だが全霊でぶつかっていく。

 

 

 で、正解のボールキャリアーは、その逆サイドを駆け抜けていた。

 

 

「ボールを持っているのは長門だ!」

 

 

 白秋戦の時にはなかった、もう一つの選択肢。

 それは、春季大会でもいきなり王城の守備のほとんどを独力で抜き去った、長門村正。

 

 

「うおおおおお! 止まらねぇええええ!」

 

 

 カットステップとクロスオーバーステップを激しく刻むその走りは、最高速では及ばないものの、帝黒アレキサンダーズの大和猛の走法を再現している。

 

 ――進先輩の教えを思い出せ!

 

 35番の薬丸を抜き去った長門の前を、角屋敷が塞ぎにかかる。

 

 ランナーの足や頭の動きに釣られるな。

 体の中心線だけに集中しろ。相手よりも先に動かず、引き付けてから跳べ。

 

 ブレーキのかからない悪魔の曲がり(カット)、『デビルバットゴースト』の攻略法。

 白秋の円子令司も実践していた技巧。敵の頭や目線のみを追えば、必ずフェイントに釣られる。だから、腹やボールに焦点を当てる。

 集中しろ。

 相手の方が、速く、巧く、強かろうが、この腕一本――進先輩を真似した『スピアタックル』で捕まえられれば、僅かにでもその体勢を崩せる。

 

 ――長門の体勢が、右へ流れた。

 

 その瞬間を逃さなかった角屋敷は、予測した進行方向先へ片腕を思い切り伸ばす。

 ――だが、右へ傾いていた体勢で、前へ伸ばした足が左へスライドされた。

 

「な……っ!?」

 

 まるで後出しジャンケンのように、こちらが動き出したのを見て、その手を変えてきた。

 そして、体勢を傾けさせたままだが、膝を曲げずに真っ直ぐ伸ばした足は、グーステップ――『ロデオドライブ』の前動作。角屋敷吉海が動き出したのとは逆方向へ、120%で加速するチェンジ・オブ・ペース。甲斐谷陸の走法を、己の血肉(はしり)に取り込んでいた長門の急転換急加速に、角屋敷は指一本と触れられずに抜き去られた。

 

 そして――ゴールラインまで、あと一人。

 

 

 ~~~

 

 

『攻撃の泥門VS守備の王城! 開幕から両チーム最強エースが激突――ッ!!』

 

 

 長門村正。

 生まれて初めて出会った、同類。金剛阿含とは違う、才能に奢らず努力で錬磨したその力は、己と同じものだ。

 だが、それ故に、負けられない。

 怠らず、弛まず、常に鍛錬を積み重ねてきた。その一年の差。この男が己と同類なればこそ、一年の差を覆させるわけにはいかない。

 恩師・庄司監督のご指導の正しさを証明するために。

 

 

 長門村正に、進清十郎の光速は抜けられない。

 甲斐谷陸と同じ40ヤード走4秒5のスピードでは、進清十郎の40ヤード走4秒2は抜くことができないのは、西部戦で見せられている。

 全てにおいて完璧。曲がりすら減速せず、120%の超加速で仕留めに来る高校最速のラインバッカーを、同じ光速の世界に達しないものには超えることはできない。

 

 ――『光速トライデントタックル』!!

 

 だから、スピードだけで勝負はしない。

 

 進が超加速のための前動作に入った時、長門は予備動作(おこり)もなく無拍子で迫った。

 アメリカンフットボールのプレイにはない、魚群が一斉にベクトルを変えてくるような日本武術の体技。

 その初動を気取られぬ前進で、機先を制する。

 

 ――『格闘(グラップラー)アーム』!!

 

 進が『光速トライデントタックル』を発動して超加速する直前に、逆に無拍子で制圧する。筧駿のハンドテクニックのように、トップスピードに勢いづく前に、ノータイムで、抑え込む。

 三つ又の矛と大太刀の鍔競り合いが、火花散る。

 腕の長さ(リーチ)も、腕力(パワー)も長門が上。力比べの土俵に持ち込めれば、押し込める。

 

 

「――進っ!」

 

 繰り出すつもりだった右腕の槍が、抑えられた。

 先手を取るつもりが、後手に回ったのはこちらの迂闊。だが、こちらの右腕を抑えられたが、向こうはボールを片手持ち。隙を晒している。逃さない。

 

 長門は片腕で右腕を抑えたが、それでもそれまでの勢いづいた進のスピードを零に殺し切れてはいない。止まらない。そして、長門に右腕を抑えられたまま、身を捩って、逆の左の槍を突き出す。

 

 

「――長門っ!」

 

 進清十郎がこの程度で止まらないのはわかっている。

 進清十郎が狙ってくるのを、抑えた手から伝わる微細な振動から感じていた。

 だから、長門村正の動きはまだ終わりでは(とまら)ない。

 

 半身捻りながら左腕を突き出してくるのに、合わせて、長門もまた後ろへ半歩跳んだ。『格闘アーム』の押さえも放してしまった。

 強引なブレーキをしたかと思えば、思い切りアクセルを踏み込もうとした瞬間に、半歩、下がられた進の体勢が僅かに(ゆら)ぐ。

 峨王力哉を技で倒した『蜘蛛の毒』とは違うが、同様に重心移動を制して相手の体を崩させる、押し相撲のような刹那の駆け引き。

 半歩の後退に、揺らいだ三つ又の切先。それに繋げて、半身捻りつつボールを持っている手の甲で槍の側面を弾き払いながらボールは離さない、『スクリューバイト』のようなスピンムーブと綱渡りなボールハンドリング。

 

 そして、突進をいなした長門は、最短最小限の走路で抜き去る『無重力の走り(パンサーラン)』――

 体を崩した進清十郎を、紙一重で、()()()()

 

(ここだ……っ!)

 

 ――交錯したとき、長門の身体が進の肩を擦り弾いた。

 

「っ!」

 

 カースタントなどで、走行車が進路先に停車している車両を撥ねる時、真正面からぶつかりに行くのではなく、車両の鼻先に当てていくのが上手い当て逃げだとされる。

 『黒豹』のように最小限で躱すのではなく、最小限で当たりに行く破壊的な走法(ラン)。ぐらついていた進の体勢をその追撃が完全に崩す。

 

 

 ~~~

 

 

『進清十郎を撥ね飛ばしたァァ! パーフェクトプレイヤー同士の頂上決戦は、長門村正に軍配ー!!!』

 

 

 『妖刀』は、只管に打ち込み、錬磨して刃を研ぐだけでなく、これまで戦ってきた相手の血肉によりその鋭さを増す。

 

 長門村正もまた、実感している。

 この男、進清十郎は、自分と同じだと。身体能力も、練習の密度も負けるつもりはない。しかし、一年、という差がある。

 

 けれど、長門には、その差を埋めるに足る、進清十郎にはない要因がある。

 

 “好敵手”という存在だ。

 それだけは、どんな優秀な指導者でも用意できない。鍛錬する中においても、常に対戦相手としてイメージが纏わりつくほど意識する強敵。

 進清十郎は、小早川セナという自分よりも速いランナーの存在に触発されて、自らもその光速の域に追い縋らんと、自らの壁を超えた。

 長門村正は、進清十郎と小早川セナの対決よりも以前からずっと、大和猛という存在を意識し続けた。

 それが長門村正にとって、進清十郎に勝っている点であり、経験値の差を埋めるに足るものだと自信をもって言えたものだった。

 

 

 ~~~

 

 

おおおおおおおお――!!!」

 

 

 ~~~

 

 

 どんなに過酷な鍛錬は課せても、“好敵手”までは庄司軍平は用意してやることはできなかった。

 

 進のような生真面目な男は、目指すものがあるほど強い。

 進に慢心はない。常に高みを目指している。だが、中学生にして最速で最強だった進と渡り合えるようなライバルが存在しないのもまた事実だ。

 同年代に金剛阿含がいたが、才に奢れる者では、進の好敵手足りえない。向き合うことで力を爆発させ、互いに互いを引きずり上げてどこまでも強くさせるそんな存在は、進にはいなかった。

 進は孤高だった。春季大会までは。

 

 あの試合、想定の中でしかなかった強敵手が、彗星のように現れてから、進は一段と己に厳しくなった。

 

 自分よりも速い相手。

 自分よりも強い相手。

 

 それは進の想定を超えるプレイをしてきた。

 

 

「ああ、それでこそだ」

 

 

 進が、笑った。

 アメリカンフットボールをしてきて、これほどの昂りは感じ得なかったというように。

 

 あんな闘志むき出しの咆哮を上げる進を、庄司軍平は初めて見た。

 あれは進の孤独を満たす、歓喜の表れなのだというのを誰よりも感じ取る。

 

 そうだ。

 進は、目指すものがあるほど強くなる。

 

 

 ~~~

 

 

 金剛阿含さえも撥ね飛ばされた長門村正の剛の走法(パワーラン)

 それを食らった進は、人工芝生を手袋が擦りながらも、地面についた手を突き上げた反動で、崩れた体勢を一気に立て直す。

 

 

「あ・の化けモン……!! 糞刀のぶちかましを貰いながら、こらえやがったっ!」

 

 

 長門は、前だ。

 王城の守備は追いつけず、独走状態に入った――だが、己ならば追いつける!

 

 

「ダメだ、やっぱり逃げられない……! 人間の限界速40ヤード走4秒2――光速の世界からは――!」

 

 

 アレが、甲斐谷陸が抜き去れなかった、史上最強のラインバッカー。

 二人にあった距離が詰められて、最後の120%の超加速『光速トライデントタックル』が、逃げる『妖刀』を捉えた。

 

 

「いいや、まだだ。捕まえた程度じゃあ止まらない。そうだろう? 村正」

 

 

 大和猛は知っている。我が最大のライバルは、三つ又の矛で串刺しにされてもその闘志は潰えないことを。

 

 

うおおおおおおおお――!!!」

 

 

 観客席からのライバルの視線(きたい)に応えるよう、その咆哮がフィールドを震撼させる。

 大和猛(さいじょうい)レベルを想定している長門は、ここでタックルに捕まえられることに驚きはない。

 

 

「進のタックルをもらいながら、まだ動くのか長門……!?」

 

 

 ゴールはまだ先にある。ならば、足を止めてはならない。

 肉体猛々しく。

 気力雄々しく。

 前へ――もっと前へ! 1mmでも前へ……!!

 

 

 ~~~

 

 

 

「「おおおおおおおお――!!!!!!」」

 

 

 

 ~~~

 

 

『す、すす凄まじい! 凄まじい攻防でした! キックオフからいきなりの両チーム最強同士の激突に、私の手はまだ震えっ放しです!』

 

 

 最強の矛と盾。

 ぶつかり合えば、果たしてどのような結末になるのか。

 そして、どちらが優れているのかという評価は一体どうくだすのか。

 

 3歩、で止まった。

 

 これを3歩まで進められた、と取るべきか、3歩しか進ませなかった、と取るべきかは人それぞれだろう。

 ただし、倒し切れなかった当人(ほこ)、止め切れなかった当人(たて)は、両者ともに決してこの結果に満足はしていない。

 妖刀に斬られながらも倒れない、三つ又の矛に貫かれても止まらない、この両者の闘争本能は、まだ火が点いたばかりだ。

 

 

 ~~~

 

 

 そして、泥門の攻撃が始まる。

 

 

「ヒル魔、包帯したまんまじゃにーか……!」

「不自然過ぎるだろ……」

「パス投げれんのか!?」

「いや投げれないんなら出てこないだろ流石に……」

 

 

 観客席からはちらほらと不安の声が上がる。

 それもそのはず。ヒル魔は依然と右腕に包帯を巻いたままなのだ。

 

「ケケケ、さァ~てお楽しみの泥門デビルバッツ攻撃シリーズ――てなわけだが、残念なことにこの腕じゃあ(タマ)は投げれねーからなァ……ここは“矢”でもぶっ放そうか」

 

 舞台役者のように、とても愉快に大袈裟に煽るよう口上を捲し立てる心理戦の魔術師が指示する布陣に、王城の高見はポーカーフェイスを崩して頬を引きつらせた。

 

 やや弧を描くライン。

 クォーターバック・ヒル魔の後ろには、ランニングバックに入った長門とセナが一直線に並んでいる。

 ――まるで、西部戦で披露された、弓と弦のような陣形。

 

 

『これはもしや泥門! 王城の新戦術『巨大弓(バリスタ)』を実行しようというのかーー!!?』

 

 

 そう、これは長門村正という名の『妖刀』を矢として装填した、『巨大弓(バリスタ)』である。

 新生王城の無敵城塞を、新生王城の革新戦術で打ち破ろうとする掟破りを大胆不敵に仕掛ける。

 

 

「ケケケ、ご期待にお応えして、泥門最初のプレイは、策もへったくれもないド直球勝負だ。テメーら無敵城塞に風穴をブチ開けてやる!」



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閑話-1

お久しぶりです。
待っていた方は、長らく待たせてごめんなさい。
ちょくちょくと書き溜めておいたのを投稿します。
大変な時期ですが、拙作が気休めになっていただければ幸いです。


 それは、熊袋リコが中学三年生の頃。

 

「はーい、今でまーす」

 

 もうそろそろ夕餉の支度が終わる頃合いに、来訪を知らせるチャイム。台所で格闘しているであろう母に代わって、リコが玄関に出るといたのは、お隣さん。

 

「ふぁ!?」

 

 思わず変な声が出てしまった。

 未だ成長期というのが驚きな高身長の少年は、村正君。通っている中学校は違うが、同い年で、偶然にも夢中になってる趣味(もの)が同じな、異性……周りにいる男子とは一線を画す雰囲気(オーラ)を醸してる、要チェックな(きになる)男の子である。

 家族とも仲が良く、留守になりがちな彼の両親に代わって世話をしたり、一緒にお夕飯を食べることもあるけど、今日はそんなお誘いはしていないし、そういう約束(アポ)もなしに押しかけてくるなんてことはこれまでになかった。

 

「わわわわわわ!?!?」

 

 それが家で気が抜けてるところに奇襲(ほうもん)してきたのだからビックリだ。一気に頭髪がテンパった。

 いや別に彼の来訪が嬉しくないわけでないし、ここで話もせずに追い返すなんてマネは絶対にしないけれども、こっちは完全に気の抜けた普段着で(向こうもトレーニングジャージ姿であるも)、会う予定があれば必ずそれなりのおしゃれは心掛けているのに(完全武装であってもそれなりにテンパってしまうのだが)!

 

「いきなり押しかけてきてすまないリコ! おじさんはいるか?」

 

 そんなこんがらがった頭髪(パーマ)の如く乱れる心中はさておき、少し申し訳なさそうにしながら村正君が訊いてくる。彼も訊ねるには失礼となるかもしれない時間帯であることを承知はしているようだ。それでも居てもたってもいられず、父に尋ねたいことがあった。

 

「え、と……父さんは、今日は出張に行ってて帰ってきませんけど……」

 

「何、本当か?」

 

「はい、本当です」

 

 がっくりと肩を落とす村正君。そんな落胆する彼に、ついリコは訊く。

 

「あの、どうしたんですか、村正君? 何か急ぎの要件があるなら、父さんに連絡しますけど」

 

「いや、ちょっと集めたい情報があったというか……」

 

 村正君が欲している情報――

 そろそろ縮れた髪質も落ち着き始めたところで、リコはピンときた。村正君が夢中なもの。父を頼りにしていたことからも明らか。そう、父は、月間アメフトの編集記者である。

 

「もしかして、アメフト関係のことですか?」

 

「ああ。実は……」

 

 促せば、村正君は事情を語る。

 曰く、先輩方からとあるチームとの試合の記録(DVD)を(高校の入学願書(きょうはくしょ)も添えて)送られてきて、その映像にあった一選手のプレイに、強く、惹きつけられた。

 そして、その先輩方を圧倒したプレイヤーは――

 

「――王城ホワイトナイツの進清十郎。あの男について知るには、一試合だけでは足りない」

 

 だから、父にこれまでの試合記録映像(データベース)や、アメフトに詳しい父の見解を聴きたかった。

 しかし、残念であるが、不在であるのなら仕方がない。プレイ研究はまた日を改めて……と帰ろうと背中を向ける寸前に、あ、とリコは呼び止めた。

 

「王城の進選手のデータなら、私、持ってますけど?」

「本当か! 是非、見せてほしい!」

 

 その一言は、飢えた獣に霜降り肉をちらつかせるようなもので、一気に食いつかれた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ふぁあああ!?!?

 ガバッと肩を掴まれ、視界ドアップに眼前に迫る村正君に、髪が再び縮れる。目がぐるぐるして、絶賛混乱中のところに、騒がしい玄関の様子を見に来た母に目撃。

 まあまあ、そんな夫の遺伝子を強く引き継ぐ娘のテンパる光景に微笑む母は、この家族ぐるみの一人息子が今夜は一人ということを知っていたそうで、折角だから、と夕食を一緒にし、風呂まで勧めた。最初こそ村正君もご厄介になるのは遠慮気味だったのだが、今日は夫がおらず家に女性しかいないのは不安である、という母の説得に折れる。

 母の主導であれよあれよという間に事が運んで、今、リコの部屋には風呂上がりの村正君がいて、

 

 

「リコ、見せてくれ」

 

 

 とリコ(の情報)に迫る。

 ダメである。なんかこのシチュエーションは否が応にもこちらに緊張を強いる。だって、初めて、この……異性を自分の部屋に招いて(それも夜中!)、二人っきりで、落ち着けるほど経験豊富ではないのだ。でも、彼は、なんかもう目をぎらつかせるくらいにそれ(進情報)に目がないようで、その辺の事情は頭から抜け落ちかけている。

 

「は、はい……! どうぞ……」

 

 強引に迫られて、これ以上変な方向に勘違いが働いてしまう前に、この腹ペコな肉食獣(オオカミ)へお望みの情報を見せて、気をそらすことにした。

 彼の前に開いたノートパソコンに保存されている進清十郎のプレイ集を再生する。

 

 同衾禁じる7歳を超えて、多感な時期にある中学生たちは、パソコンに保存されていたプレイ映像を研究することになる。徹夜で。

 ……一夜二人っきりになるのだが、男子は熱中していてそのことは全く気にせず、自室に招いた女子はそのことを気にしないようにするのが必死だった。

 そうして……

 

 

 ――相手のランニングバックを、一突きで確実に仕留める高校最強の守護神。

 

 

 これが、進清十郎か……!

 数試合の映像記録を続けてみていればわかる。一試合毎に、着実に、成長している。

 現状に満足せず、己を鍛えぬく。飽くなき向上心。

 これが、溝六先生が日本一と認める選手。先輩達を圧倒した本物の怪物。

 自然、長門のこぶしを握り込む力が強くなってくる。

 

(長門君……)

 

 それに気づくリコ。

 強い相手と戦いたい……その意志は彼のものだが、理由はそれだけでないはず。

 その理由を――原点を、知りたい。リコは画面を真っ直ぐに見続ける長門をちらちらと横目で伺いながら、訊ねる。

 

「長門君は、その、泥門に行くんですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「前に話に聞いた先輩方が、いるからですか?」

 

「まあ、そうなるな」

 

 リコの質問を、認めていく長門。

 だからこそ、ますます気になる。

 

「……正直、長門君なら、王城や、あの神龍寺にだっていけると思うんです」

 

 全国大会決勝に行きたいのなら、常連の強豪チームに入るべきだ。

 彼にはそれだけの能力、才能がある。リコは知っている。

 だが、それでも彼は、アメフト部のない高校に行き、無名の先輩たちとプレイするという。

 

「確かに、そうするのが賢いやり方だろう。実際、最初は神龍寺に行くつもりだったんだが……」

 

 残念ながら、先輩の一人がねじ込んだはずの特待生枠から弾かれて、その計画(はなし)は流された。そのあたりの事情をぼやかして説明する長門。

 彼の口振りからあまり掘り下げることはしないリコだが、それでも、彼が強豪チームに所属するよりも、中学の先輩たちとアメフトをすることを優先していることはわかる。

 いったい何が彼をそこまで引き込ませたのだろうか?

 

 すごく、気になります……!

 

 プレイ映像に夢中になっていても、間近(となり)から横顔にビシビシと刺さる視線は、流石に長門も気づく。

 頬をかき、苦笑しつつ、長門は、仕方ない、と口を開く。

 ヒル魔先輩からは、高校デビューの為、中学ではあまり目立つな、と命じられているが、彼女にはとても世話になっている。

 学生記者を自称するリコだが、オフレコにしてくれと頼めば、口外したりしないだろうという信頼もある。

 長門は、進の情報を教えてもらった対価に、自分の中学時代――先輩達との出会いを話し出した。

 

 

 ~~~

 

 

 決定的に、才能(ちから)が足りない。

 

 やるからには何が何でも勝ちに行くとほざいたはいいが、いざ本格的に練習を始めてから、自分(テメェ)の身体能力のなさには糞程思い知らされた。

 頭の中なら0.1秒で思い描けようが、すぐ息切れして、思い通りに動かなくなる。投げてもボールは真っ直ぐに飛ばず、弾道もブレまくりやがる。

 防具を着込もうがタックルをぶちかまされれば、呆気なく息ができなくなっちまうヤワな肉体だ。これはもうどうしようもねぇ。選んだ道が致命的なまでに、才能と合わないことに自分で自分に呆れ果てた。

 天才の糞ドレッドとは比べるのも烏滸がましい、頭でっかちな凡才野郎。それが、自分だ。

 

 ――んなことは、始める前から分かり切っていた。

 

 ないものねだりしてるほど、自分には余裕はねぇ。

 詰んだとわかれば早々に見切りつけて投了しちまう、一山いくらの弱小棋士みたいな情けない真似をする気はさらさらない。

 『やるだけやった』や『頑張った』なんて自分への慰めなんざ口が裂けようがほざく気はない。

 だったら、あるもんで最強を目指す。

 俺に配られた手札は、この糞程の才能だけじゃない。

 敵から守護する(ライン)、一気に点をもぎ取れる長距離砲(キック)

 糞デブも糞ジジイもそれ以外のことはできないが、ただの凡才にはない武器を持っており、どちらとも勝つには欠かすことのできない必要な存在だ。そして、この凡才野郎の自分も才能がない分、時間を費やして鍛え込んでいけば、ちったぁマシな戦力として数えられるようになるはずだ。いや、そうする。絶対に。

 あの不器用極まる使い勝手の悪い連中を活かす作戦を実行するには、最低限度の力は必要だ。

 

 ……ああ、だが。

 このクォーターバックという花形のポジションを魅せるには、それだけでは決定的に足りない。

 クォーターバックは、フィールドで指揮する司令塔であり、オフェンスの要となる発射台だ。

 そう、クォーターバックは一人では開花しない。

 投げ手として成立させる、受け手(レシーバー)が、今の自分には欠けている。故に、現状、行き詰ることは見えていた。

 

 たたでさえ足りていない凡人の性能を、最大限発揮できるようにするための駒。

 それを、アメフト部を作ってから、最初となる入学式で見定める。今の二、三年共には練習試合の助っ人を要請することもあるが、奴らがほとんどキャッチできたことはない以上、新入生の中から発掘するしかない。

 

 こちらがボールを投げて、反応できなければ問題外。手から弾いてお手玉しても落とさなければまあまあ見込みあり。

 そして、捕れれば上出来、確保だ。

 残念ながら、入学するであろう麻黄中近辺(ここらへん)の糞一年の中にはアメフトもしくはタッチフットの経験者、即戦力を期待できる人材はいないが、そこは時間をかけてモノにすればいい。本番は、高校――全国大会決勝(クリスマスボウル)。麻黄中では、そのための土台を鍛え込んでいくための準備期間だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――ガシャアアン!!!!

 

 

 腹の底からこだまする、耳でもその当たりの重厚さが聞き取れるほどの、衝撃音。

 新入生の選別(テスト)の為のボールを取りに、部室に寄りに来たヒル魔妖一は、その部室の方から轟く快音に怪訝に眉をひそめる。

 誰が? などとは思わない。こんな早朝から相撲のぶつかり稽古よろしく練習に励むバカには心当たりがある。

 しかし、その第一容疑者の糞デブ(くりた)には、昨日のうちから、今日は朝練なしにして、何も知らずにのこのこやってくる新入生を捕ま(むか)えるための準備をしておけと言いつけてある。糞ジジイと一緒に、等身大のインパクトある入部勧誘(チラシ)(糞デブ自ら全身墨塗ってスタンプした)を全校中に張っておけと。舐められないように最初が肝心なのだ。

 糞デブとしても初めてになる後輩の歓待に、無駄に鼻息荒げにしてやる気十分だったようだからキツく言い聞かせてなかったが、まさか朝起きたら忘れて習慣となってる自主練をおっぱじめてんのか? だとしたら、きっちりとその単細胞な脳みそに百発くらいヤキを入れてやらなくてはならない。

 

 チッと舌打ちし、鞄の中からこの国では一般市民の所持を厳禁としている物騒な代物を取り出したヒル魔だったが……違った。

 音がしたのは、グラウンドの隅――アメフト部を創る前から練習場所にしていた1m四方の領域(エリア)

 しかし、そこにいたのは、栗田じゃなかった。

 

(あいつは、誰だ……?)

 

 栗田よりは低いが、ヒル魔や武蔵よりも背が高い。あれくらいタッパのあるヤツは在校生の中にはいない。

 そして、横にもぶくぶくデカい糞デブの栗田と違って、引き締まっている体型であるが、制服の盛り上がり具合から軟弱なイメージはない。明らかに何かのスポーツをしている、もっと言うなら、明確な目標があって鍛え込んでいるのがわかる。

 そんな初対面野郎が、栗田が愛用しているタックル用の練習器具と対峙していて――

 

 

 ――ガッシャアアンッッ!!!!

 

 

 ヒル魔は、目を瞠った。

 先程よりも強烈に響く音、それだけでなく目にも飛び込んできた鮮烈な情報量。

 強い、そして、動作が速い! その自身のパワーとスピードを掛け算させたその威力は、栗田のそれと同等。いや、その栗田でさえ吹っ飛ばされかねないくらいの破壊力だった。

 しかし、評価を下すには、まだ早い。

 

「違う……こう、じゃない……猛は、この程度じゃ倒せない……」

 

 何かぶつぶつと呟きながら、足踏みし、屈伸している。こちらのことには気づいていない。全身で、そして、全集中でぶつけてきているのだ。

 ヒル魔は、それを黙って立ち会う。やっていることは、すぐにピンときた。

 修正だ。踏み込みからその呼吸、力の入れ方や当たる角度まで微調整し、頭の中で絶えず試行錯誤をして、さらに強烈な一撃とするための。

 つまり、そいつは――自分には到底及ばないタックルを、反省している――欠片も満足しちゃいない。

 そして、三度目――

 

 

 ――ガッシャアアアア――ゴギン!!!!

 

 

 その練習器具は、糞デブ(くりた)が壊すたびに、糞アル中(どぶろく)が修理して、さらに糞ジジイが前以上に補強して、先月くらいでやっと糞デブのタックルにも壊れないようになった、市販のよりも頑丈なそれを、三度で、ぶち壊しやがった……!

 何たる才能。恵まれた身体能力に、天性の感性。そして、一瞬一瞬で尖らせていく斬れ味鋭い集中力には、タックルする瞬間にぶつかる相手を幻視するほど、引き込まれるほどの気迫があった。

 

 ヒル魔の口角が上がる。

 瞬間、再び、事前に情報収集した、運動神経のある目ぼしい新入生のピックアップから検索をかけたが、その顔はヒットしない。

 こちらの情報網に引っかからない未知の相手。

麻黄中(うち)の制服を着てやがるが、この辺の奴じゃあない。考えるとすれば、他所からここに引越し(やっ)てきたばかり。

 いいや、そんなのはどうでもいい。

 運動神経の良い一年坊、なんつう分類に間違っても入れていい奴じゃない。

 このぞくりと身震いさせられる、既視感。あの糞ドレッドを見たときに感じた気配とほぼ同じ。

 だが、一つ、確実に違うと己の嗅覚が訴える。

 その目にあるギラついた光は、天才野郎の糞ドレッドには持てない、飢えたモノだけが抱え込んでいるもの。上へ上へとにかく上へ這い上がろうとしている飽くなき向上心に他ならない。

 だったら、こんなもんじゃあないはずだ。

 

「ケケケ」

 

 ヒル魔は、仕置き用の銃を鞄に仕舞い、代わりにボールを取り出す。挨拶もなく(こえをかけず)、震え立つ感覚の赴くままに、後ろを向いている『あ、しまった。壊しちまった』と練習器具を見ておろおろしているそいつの後頭部にぶつけるつもりで、思いっきりボールを投げた。

 さあ! この不意打ちな洗礼(テスト)クリア(キャッチ)できんのか!

 

「―――」

 

 この情け容赦のない全力投球(あいさつ)を――そいつは全身の細胞で反応したかのように振り返って――片手で払う、ように掴み取った。そう、反射的に、余裕で、ほとんどボールを見もせず鷲掴みにしやがった!

 

 助っ人連中はもちろん、キックバカの糞ジジイや、最初にアメフトを始めたのにパワーバカの糞デブはパスキャッチができない。どっちも糞不器用で、どいつもこいつも、ヒル魔のパスをまともにキャッチできたのはいなかった。それが、ヒル魔のスランプ。自分一人じゃあどうしようにもならない問題だった。

 だから、パスキャッチできそうな連中を優先的に勧誘しよ(とろ)うと目論んで、事前に入学する新入生を調べ上げていたが、この瞬間、ヒル魔は頭の中のその役立たずなリストアップを秒で消去した。

 

「いきなりボールを投げてきて、あんたは誰だ……?」

 

「面白ぇ、ケケ、糞面白ぇ……!」

 

 そして、決めた。

 糞生意気な真似をしてくれた後輩を、何としてでも引き入れる。

 

 これが、ヒル魔妖一と長門村正の最初の顔合わせだった。

 

 

 ~~~

 

 

 幼馴染はアメリカへ行き、そして、自分はこの麻黄市に引っ越してきた。

 そして、何の変哲もない中学に進学した。

 麻黄中の入学式。その日はいつもよりも早く目覚め、それから早くに登校。予定の時刻よりもだいぶ早くに学校に着いたため、なんとなく校内を見学してたら、『おや?』とグラウンドの隅っこにアメフトで使う練習器具を発見。それで、ふと興味を持ってしまって……あいつと別れてからずっと燻っていたものをぶつけてしまったのが運の尽きだった。

 

『おやおやおや~? 何かと思えば、我が部の備品が壊れているな~? どうしたんだろうなァ?』

 

 いきなり不意打ちでボールを投げてきた下手人。だがしかし、彼の言い分は実に真っ当。

 勝手に部の備品を使い、あまつさえそれを壊してしまったのだ。非はこちらにある。

 長門はすぐ頭を下げて、その先輩に謝罪した。

 

『ごめんなさい! 貴方方の練習器具を壊してしまって……』

 

『そうかそうか、それは大変だねェー……君、怪我はしてないかい? 保健室へ案内しようか?』

 

『あ、はい、大丈夫です。体はどこも痛めてません』

 

『そうかそうか、それは良かった』

 

 最初、口角が吊り上がった笑みを浮かべていたように見えたのだが、それも一瞬の幻であったかのように、こちらを心配する先輩。しかし、どこかうさん臭さを覚える。

 直感的にだが、あんまり関わり合わない方が良さそうだと判断した長門。

 そんなこちらが距離を取ろうとする気配でも察知したかのように、ぐいっと一枚の用紙にペンも添えて差し出された。

 

『――とりあえず、“コイツ”に君の名前、クラス、それから電話番号と住所を書いてくれるかな?』

 

 どんなに怪しかろうが、壊した器具の弁償云々の責任を果たさなければならない。

 差し出された用紙とペンを受け取り、言われるがままに個人情報を記入しようとした長門は、一筆入れる寸前に気付く。

 

『あの、これは“入部届”ですが……』

 

『悪いねェ~。生憎と今、メモとなるものを持ち合わせてなくて、代わりに入部届(これ)に書いてくれ』

 

『いや、なんかもう入部先の部活名の欄に『アメリカンフットボール部』と思いっきり書いてあるんですが』

 

『気にせず、大丈夫だから。ね、書きなよ』

 

『しかし、これだと誤解されるんじゃ……』

『――ああ! 我が部の大事な部品がこんな粉々になっているとは! これではこの先の練習がままならないぞ! どうすればいいんだー!』

 

 こちらの負い目を、容赦なく突きまくってくるその弁舌。大袈裟に悲嘆にくれるポーズまで取ってこられては、長門も口をつぐむしかない。

 であるが、第一印象で覚ったこの先輩への警戒度は、長門の中でさらに固まっていく。

 

『えー、っと……それでは、自分のノートがありますので、そちらに書いておきます。ので、こちらは――《バチッ》――うおっ!?』

 

 と長門は渡された入部届を返そうとして、受け取るかのように出されたその手に、バチバチと電流弾けてるスタンガンが。

 

『ちっ! 避けたか』

 

 舌打ちする先輩。その顔にさっきまで猫被ってた親切な先輩面はなくなってる。

 

『何すんだアンタ!? それスタンガンだろ!』

 

『ここで大人しく入部届に書くか、無理やりに捕まるか選べ糞一年坊!』

 

 ヤバい。これは間違いなくヤバい相手だ。

 長門は即座に逃亡。反撃しても正当防衛だとは考えたものの、こちらに引け目があるのでやり難い。というかそれ以前に、護身用のスタンガンどころか、問答無用で銃まで持ち出してきた相手に徒手空拳で挑もうとはさらさら思わない。

 

 そうして、散々な目に遭いながらもヤバい先輩を撒いて自分の教室まで駆け込み、長門はどうにか間一髪で危機を脱した…………わけがない。

 

 

『えー、皆さん。

 我が麻黄中へようこそ。

 入学して早々、部の備品を壊して学校中を逃げ回るくらい元気な新入生を迎えられて、大変喜ばしく思います。

 その有り余るエネルギーを是非とも我がアメリカンフットボール部で発揮していただくことがよろしいでしょう。

 ですが、あまりにヤンチャが過ぎるのはよろしくはありません。

 きちんと、目上の先輩を敬い、逆らわない、従順さをまず身に着けることが人間関係において何よりも大事だと(わたくし)は思います』

 

 

 その後の入学式で、校長先生の挨拶を差し置いて、壇上に堂々と現れた危険人物を唖然と見上げたとき、『魔王からは逃れられない』というフレーズが脳裏によぎった。

 入学の挨拶など最初だけで、アメリカンフットボール部への勧誘と上下関係の徹底を呼び掛ける文句をてんこ盛りに盛った話をし終わってから、ニヤリとこちらに視線を振って邪悪に笑うその様に、なぜか悪魔の角やら尻尾が生えているのを幻視したことはきっと、長門だけの見間違いではないはずだ。

 

 賢明な連中であれば、入学初日で悟ったことだろう。

 “アレに逆らっちゃあダメだ。目をつけられたらおしまいだ”、と。

 どうやら麻黄中は治外法権で、あの一つ上の先輩――ヒル魔妖一が支配する領域(テリトリー)で、逃げ場などここにはないようだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「強引な輩には幼馴染(あいつ)で慣れていたつもりだったが、上には上がいるものだなヒル魔妖一」

 

 長門は思い切り溜息を吐く。

 中学生活は、四六時中、ボールが飛んでくる毎日だった。

 朝の通学中で信号待ちのときにも、授業中にも、昼休みの食事中にも、体育の時間にも、そう、あの入学式の挨拶の最後にも、とにかくボールが投げ込まれた。

 おまけに、ボールには矢文のように『アメフト部に入部せよ! YA――HA――!』とメッセージ付き。なんて熱烈で、傍迷惑な行動力である。サブリミナル的な洗脳効果でも狙っているのかと疑わしい程、そこかしこに視界にちらつくアメフト部勧誘のおかげで、他の運動部の先輩方はまったく寄り付かない。一度声をかけられそうになったのだが、こちらの顔に気付いた途端、先輩に目を逸らされてしまった。まるで指名手配犯にでもなった気分である。

 で、この勝手な勧誘に対し、校長以下教員連中は何も言わない。授業中だろうとお構いなしにボールが飛んで来ようとも平常運転だ。軽く頬を引きつらせているが、言葉には出さない。徹底してスルーだ。

 まったくもって、学校全体に大いなる力が働いているように思えてならない。

 そして、そんな誰も逆らえないヤバい先輩に目をつけられてしまった長門に声をかけてくれるクラスメイトはおらず、盛大に中学デビューを失敗してしまった。

 とはいえ。

 引っ越してきたばかりで、知り合いのいない長門はまるっきり孤立無援というわけでもなかったりもする。

 

 

「ご、ごめんね長門君!」

 

「いえ、謝らないでください。元はこちらが部の備品を壊してしまったのが発端で……それに栗田先輩には何の非もありません」

 

 栗田良寛。中学の先輩であり、アメフト部員だ。横も縦も自分よりも大柄な体躯で、ラインマン。この先輩が愛用していた練習器具を長門は壊してしまったのだ。それ以前として、ヒル魔妖一とは真逆な性格で、温厚な人柄である栗田に、非難する真似などできない。

 しかし、だ。

 

「ですから、もう休み時間のたびにわざわざ謝罪しに来なくても結構ですよ」

 

「う、うん……で、でね! 長門君、よかったらなんだけど、放課後、アメフト部の部室に来ない? ゆっくりお話とかしたくて、えと、ケーキとかたっくさん用意してるから!」

 

 この栗田先輩も栗田先輩でまた、長門村正の勧誘には熱心である。彼も彼で毎日熱心に見学に誘ってくる。

 

「……すみませんが、俺にはやるべきことが―――!」

 

 栗田先輩との会話中でも関係なく、いきなり窓から空を裂いて飛来したボール――見逃せば、栗田先輩に当たるだろうコースを通っている弾丸パスを、反射的に動いた長門がキャッチする。

 錐揉み回転に擦る指先に力を籠め、ボールの勢いを確実に殺す。ケケケ、と哄笑だけを残し、当人は現れない。長門も追いかけない。慣れたくもないことに慣れてしまった、と愚痴を噛み殺した嘆息を吐く。

 そして、意識のピントをボールから優しい先輩へと戻すと……ものすっごく目を見開いて、驚いた顔をしていた。

 いきなりボールを当てられそうになったのだから吃驚もするかと思いきや、違った。

 

「すすすごい! すごいよ長門君! ヒル魔のパスをキャッチできるなんて! 話は聞いてたけど、こんな完璧に捕ってくれたのなんて初めてだよ!」

 

「そ、そうですか?」

 

 目をキラキラさせる栗田に圧されて、長門はわずかに引く。

 

「長門君! 僕達の仲間になってくれないかな!」

 

 メラメラと火が点いて、更に前のめりに勧誘してくる栗田先輩を見て、癖になりつつある溜息を零しつつ、長門はいい加減にケリをつけるべきかと心に決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 帰りのHRの後、教室を出ると廊下で出待ちしていた栗田先輩と共に長門はすべての発端となった部室へ向かう。

 

「ガハハハ、ついに部室に来たな大物ルーキー。とうとう降参したか?」

 

「別に、部に入るつもりはありませんよ、酒奇先生」

 

 徳利を片手に出迎えたのは、このアメフト部の顧問教師である酒奇溝六。呑んだくれている姿しか見たことがないので、現役時代の面影を拾うのは難しいが、かつては名門の千石大で『二本刀』と謳われたアメリカンフットボールプレイヤーなのだそうだ。

 それからもうひとり、入念に脚のストレッチをしながらこちらに視線を向けるのは、三人目のアメフト部員(せんぱい)、武蔵厳。この先輩は、他二人と違って、勧誘等はしてこないが、厄介なのに目を付けられちまったなと苦笑させられたことがある。その際に、“もしもヒル魔がやり過ぎた対応してきたのなら言ってこい”と冷静なブレーキ役を担ってくれそうだったが、今日この日までボールの雨あられが止む気配が一向に訪れなかったので、それも怪しく長門は思ってしまう。……ただ、学内のうわさで『脅迫手帳』なるものをヒル魔妖一は持っていて、それで後ろめたいものがある連中を脅して支配しているそうだが、長門はその手段は向けられてはいない。

 

「随分と、疲れた顔してるな長門」

 

「ええ、こんな刺激的な毎日を送る中学デビューになるとは思っていなかったもので。俺としては普通の学園生活をしたかったところなんですが、誰か止めてくれる人はいませんか、武蔵先輩?」

 

「残念だが、そういうのはいないな」

 

 平和な中学生活は諦めるしかないようだ。せめて高校では、たとえ相手が魔王にだろうと果敢に立ち向かってくれる勇者がいることを長門は切に願った。

 

「どうしてもダメかな、長門君?」

 

「栗田先輩……あなたには悪いと思っていますが、俺はアメフト部に入るつもりはありません。今日、来たのはあなた方の勧誘を止めさせるためです。俺だけに迷惑がかかるのは…まあ、本当はよくないですけどいいですが、他の生徒にまで被害が及ぶまでにエスカレートはさせたくはない」

 

 相手の陣中でこんな発言をかますには多少の度胸がいるが、はっきりとそう告げる。だが、ここにいるのはそれではいそうですかと聞き分けの良い連中ではない。一番、押しが弱そうな栗田を含めて。

 

「うん。そうだよね。……でも、ヒル魔はね、長門君にすっごく入ってほしいんだよ。

 ヒル魔はパスを投げるポジション、クォーターバック。それで、武蔵が作った的当て(ライス)くんでいつも、すごく練習してるのに、誰もキャッチできないから、ずっと活かす機会がなくて……だから、長門君が、ヒル魔のパスを捕ってくれる仲間(レシーバー)になってくれたら、きっと今よりもずっと楽しくなる! 絶対にアメフトがもっと面白くなるよ!」

 

「………」

 

 心の底からそうなることを期待している栗田のセリフ。

 だが、長門もまた、そんな情で流されるほど、甘くはない。

 

「何を言おうが、俺には関係がない。あんたらの道楽に付き合う義理はない。俺を引き込む気でいるのなら――本当に、楽しめるか、確かめさせろ、ヒル魔妖一」

 

 長門はそう言いながら、振り返り部室の外に、鋭い視線を放つ。そこに立つ、既に防具を着込んで準備万端のヒル魔妖一を射抜くように。

 

 

 ~~~

 

 

「1球でも、俺がパスをキャッチ出来たら、少しは認めよう」

 

「ケケケ、生意気をほざくじゃねーか、糞一年坊」

 

「口達者な先輩には何を言ったところで、諦めが悪いのがよく分かったからな。実力で黙らせる他ない」

 

 行うのは、パス練習。

 ライン役の栗田からボールが渡されたのを合図に走り出す長門へ、スタートから3秒後にヒル魔がパスを投げる。

 パスルートの取り決めはなく、ただ真っ直ぐに走る。そこへヒル魔がボールを投げ込む。それを十回、行う。

 

「SET――」

 

 よし、とボールを掴む手に、つい力が入る。

 なにせ、これで、ヒル魔を見定められるのだ。一緒のチームで、仲間としてやっていけるかを。

 栗田は、知っている。

 自分も、武蔵も、練習してもまともにパスが捕れなくて、ヒル魔がいつも落胆していたことを。

 初めて自分の全力投球を捕った奴がいた、と報告し(いっ)てくれたときのヒル魔が、どれだけ嬉しかったことを。

 自分のことのように知っているのだ。

 栗田は、ヒル魔が投げるパスを、長門君ならばきっとキャッチしてくれると信じた。

 

「………」

 

 長門村正は、思う。

 ヒル魔妖一が投げるパス、まず落とすことはないだろう、と。

 

 

「――HUT!!」

 

 

 栗田がボールをスナップする。同時、長門始動。

 

 速い……!

 一気に駆け出した彼のスピードに、栗田は目を瞠った。

 自分と同じくらい体が大きいのに、動きが機敏だ。想像以上の速さ。しなやかな手足を野生動物のように瞬発させる走りは、肉体のバネが富んでいるからこそ成せるもので、栗田のようにパワーだけに留まらない天賦の才を感じさせた。

 そして、ヒル魔から投じられたボールがその背中を追うように空に伸びて――――長門村正は、立ち止まって、捕った。

 

「やったぁぁぁ!!!」

 

 なんと、一発で、ヒル魔のパスを捕ってくれた。

 部活結成時からずっと待ち望んでいた光景を目にし、栗田は喝采を上げる。そして、この瞬間を誰よりも待望していたであろうヒル魔の方へ振り返って、“あれ?”、と。

 ヒル魔は、笑っていなかった。喜んでなどいなかった。

 満足などしていないことが、栗田には一目でわかる。

 

 どういう、こと?

 見れば、武蔵も、栗田と事態こそ理解できないものの、この場にある空気から納得のいくものではなかったことを悟っているようで、そして、溝六先生は渋い表情を浮かべていた。

 え? 何か、ダメだったの?

 

「次、行くぞ、糞デブ」

 

「う、うん」

 

 ・

 ・

 ・

 

 そして、予定通り、パス練習は十回行われた。

 その十回全て、ヒル魔から投げられたボールを、長門は捕った。

 

「大体、わかった」

 

 だが。

 

 

「やはり俺はこのチームでは楽しめない」

 

 

 断言する長門。

 

「どうして!? 長門君、ヒル魔のパスをキャッチできてたのに!?」

 

「いいや、栗田先輩。俺は、1球も、パスをキャッチできていない」

 

 どういうこと???

 ヒル魔のパスを捕ってくれた。そのはずだ。長門君は一切手を抜かず、十回全部全力疾走でフィールドを駆け上がってくれて、余裕をもって、ヒル魔のパスをキャッチした。

 

「いや、長門の言う通りだ、栗田。ヒル魔は、一球も、パスを投げられちゃいねぇな……」

 

 動揺する栗田に、溝六先生が示す。

 ヒル魔から投げられたボールに、フィールドを走っていた長門は、すべて、途中で、減速、あるいは足を止めて捕っていた。

 十球全て、落とさなかった。ただし、それは、長門(レシーバー)の全速力に合わせられていなかったためだ。

 

「栗田先輩から、あんたの練習方法……あそこの的当て(ライズ)君の話を聞いて、ある程度は予想がついていた」

 

 ヒル魔は、練習には決して手を抜かなかった。

 練習相手(レシーバー)がいなくても、ずっとパスを投げ続けた。

 今、長門が示した“走ら(うごか)ない標的(ライズ)”に。

 

「それに、ヒル魔妖一、あんたは、俺が止まっている(うごいてない)ときにしかボールを投げてこなかった」

 

 朝の通学中で信号待ち、授業中、昼休みの食事中、体育の時間、入学式の最中……全部、長門は、立ち止まっていた。

 動かない的、だった。

 

 ヒル魔は、練習に手を抜いたことなんて、一度もない。

 しかし、動かない的に慣れるばかりで、全速疾走のレシーバーに合わせられるのか?

 いや、むしろ、慣れたばかりに、動かない相手にしか投げられなくなっていないか?

 

「そんなボール、パスなどと俺は思わない」

 

 そう、今やったのは、単なるキャッチボールだ。

 クォーターバックのパスは、キャッチボールとは違う。レシーバーの先、限界点にある目標に来るボールが、パスだ。全速疾走するレシーバーの、全力に応えられるものなのだ。

 だからこそ、手を抜かなければ置き去りにしてしまう、そんなところしか投げられない者を、クォーターバックなどとは認めることはできない。

 

「試合では、マークに着いた相手とギリギリの競り合いをしながらキャッチをしなければならない。途中で立ち止まってしまう、レシーバーを殺してしまうボールなんて、パスとして役に立たない」

 

 走るコースは。決められた通り。真っ直ぐだというのは事前にわかっている。

 だから、あとはスピードを目算して、その走りの先を予測し、パスを送る。

 

 しかし、頭で計算できようが、それを実践できるかというのは別問題。いくら計算が早く、即座に限界点を導け出せようが、実際にそれができなければ、机上の空論と成り果てる。

 

「そ、そんな……!」

 

 動揺する栗田は、思わずヒル魔を見る。だが、口での喧嘩で百戦錬磨であるはずのヒル魔がそれを屁理屈だと物言いしない。わかっているのだ。自分でも、パスを投げられなかったことが。

 

 

 ――ビュオッ!

 

 

 突如、フィールドに吹き込んだ一陣の風。春一番の突風は、グラウンドに置かれていた的当てを押し動かし――それを視界の端で捉えていた長門が、捕ったそのボールを投げる。

 誰かが反応するよりも早く、その動いた的当て(ライズ)へ、長門のパスは、強風を切り裂きながら真っ直ぐに枠内を通った。

 これが、パスだ、と。

 言葉でなく実技で示したその一投に、何も言えなくなる空気の中で、栗田はそれでもと声を張り上げた。

 

「でも! ヒル魔も練習すればきっと今みたいな、長門君に応えられるパスを投げられるよきっと!」

 

「確かに。これまでの話を聞いて、ぶっつけ本番で俺にパスを投げられるとは思っていない」

 

「じゃあ――」

 

「だが、それができるようになるのに、どれだけの時間がかかる?」

 

 刃のように鋭い弁舌で、残酷にも断ずる。

 

「経験が足りない。そして、致命的に才能(センス)も足りない。アメフトを初めて一年足らずだろうと、己の向き不向きくらいは実感できているはずだ、ヒル魔妖一」

 

 睨みつけるヒル魔に、長門は背を向ける。

 

「あんたらには、夢があるんだろう。だが、俺には、約束がある。寄り道してる余裕は、ない」

 

 

 ~~~

 

 

 屹然と言い放ち、フィールドを去っていく奴を、誰も追いかけることはできなかった。

 栗田はつい手を伸ばしたが、かける言葉が見つからず、結局は動けない。

 武蔵もここで引き止めるだけの文句など出せず、しかめっ面で見送る。

 そして、ヒル魔は、力不足と言い切られ、何も言い返せない。

 

「『反りが合わねェ』って、言葉があんだろ」

 

 溝六が徳利を置いて、語りだす。

 

「“反り”ってのは、刀の峰の反ってる部分を指すもんでな。この反りが、鞘の曲がり具合に合ってねーと、刀を鞘に収めることができねェんだ」

 

 これを人間関係に当てはめて、『反りが合わない』という言葉は、互いの考え方や性格が違うため、うまく付き合えないという意味として使われるようになった。

 

「つ、つまり、先生は、僕達と長門君はうまくやっていけないって言いたいんですか……?」

 

 授業の成績は残念でも、今、溝六がその言葉を使った意図くらい栗田にも察せられる。アメフトを教えてくれる恩師から突き付けられた厳しい文句に、栗田は改めるまでもないのに確認を乞うてしまう。

 

「いいや、そんなんじゃねェ」

 

 否定。

 それは栗田が望んだ解答のように思えたが、違う。

 溝六は重く、言い放つ。

 

「お前さんたちが仲間に引き入れたい長門村正は、たとえるのなら、あまりに切れ味が良すぎる刀だ。まだ粗削りなところはあるが、振るえば何もかもスパッと一刀両断としてしまえるほどの力がある。

 だからこそ、反りが合わない鞘なんざ、()()()()()()()()()

 

 敵だけでなく、仲間の有り様まで切り刻んでしまう程の切れ味(さいのう)――まさしく、『妖刀』。

 

 残念ながら、ヒル魔たちには身に余る相手だった、としか言いようがない。

 

 もし、ヒル魔が脅迫手帳でも駆使して強引な手段でチームに引き入れようとするならば、溝六はそれを止めるだろう。

 身の程に釣り合わねぇ天才に付き合っちまうと、自分(テメェ)のプレイを殺してしまうことになる。

 たとえ双子であろうとも、あまりに才能がかけ離れてしまえば、天才を引き立たせるための付属品に成り果てる。それほどに才能というのは残酷だ。

 身に合わぬ袈裟を着ても、無様になるだけだとあの3人……特にヒル魔はわかったはずだ。

 

「……んで、どうすんだ?」

 

 もう逃がした大物は見えないところまで行っちまった。これ以上停滞しても、未練がましさが募るだけ。

 空気を切り替えるべく、溝六は3人に問うた。

 ここで長門から手を引いても、溝六は何も言わない。

 

 

「――――ケケ」

 

 

 応じたのは、微かな哄笑。

 胸の内から湧き上がるその衝動は、閉口されようが声として漏れ出てきた。そして、一度でも堰が開けば、たちまち口角は吊り上がる。

 

「ケケケケケケケケケケ!!! 随分と遠慮なく、容赦なく言ってくれるじゃねーか、糞一年坊! いいや、糞カタナ!!」

 

「ひ、ヒル魔!?」

 

 レシーバー候補にフラれて、取り残されたフィールドに立つヒル魔妖一。派手に染め上げ逆立った金髪が、ゆらりと揺れた。炎のように。

 そう、より盛んに燃え上がる。

 目が、フル回転した頭脳から弾けるスパークでも映し出してるかのようにギラギラと輝きだす。

 さっきまでの沈黙は、力を溜めてたとばかりに哄笑を爆発させるヒル魔に、栗田は吃驚しており、武蔵はその強張った面を苦笑で崩す。

 

 ああ、そうだ。

 溝六も、笑う。

 こいつらは、このくらいで怖気づいちまうタマじゃあねぇ。

 全国大会優勝――最強のチームとなる為、果敢に苦難に挑まんとするバカどもだ。

 溝六は再度同じ問いかけを投げた。さっきとは違う調子で。

 

「それで、どうすんだ? 長門のことは諦めんのか?」

 

「逃がすわけがねーだろ、糞アル中」

 

「そ、そうだよね! 時間かかっちゃうかもしれないけど、きっと長門君にも僕達とのアメフトが楽しめるようになればきっと……!」

 

「甘っちょろいことほざいてんじゃねぇぞ、糞デブ! あの糞カタナは、屈服させる……! 実力で、な」

 

「また回りくどい真似をするな」

 

「テメーの時と一緒だ糞ジジイ。脅したところで靡く輩じゃあねぇ。ああも糞生意気な後輩は、認めさせなければモノにはならない」

 

 だから、テメェら! ブチ殺すつもりで引き込むぞ!

 ヒル魔の宣戦布告に、栗田も武蔵も笑って頷いた。

 



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閑話‐2

思ったよりも過去話が長引いています。
次話で終わる予定です。


「……とまあ、中学最初の頃は、先輩たちの勧誘を断る毎日だった」

 

「あ、あれ!? アメフト部に入らなかったんですか、長門君?」

 

「ああ、アメフト部にはいる気なんてまったくなかった」

 

 話し始めた序盤は、学校を支配下に置き、武力行使も辞さない先輩の所業に戦々恐々としていたリコだが、なんだかんだで長門が勧誘を受けるものだと思ったのだろう。

 疑問符を浮かべるリアクションを取るリコを見ながら、長門は当時のことを思い出す。

 

 麻黄中学へ入った新入生の頃、アメフト部をなんとなしに覗いたことがきっかけで、先輩たちと出会った。

 だが、年功序列なんてものに気遣うつもりはない。自分よりも弱い相手を敬う気などなかった。

 

 ノートルダム大付属で、本場の連中とプレイのできる環境にいる幼馴染(たける)と、去年に部ができたばかりの無名の弱小校で燻ることになる自分。

 そこに焦りがなかったと言えばウソになる。アイツの背中が遠く離れていくのを何度夢見たことか。

 一日でも無駄にすれば、ライバルとの差が大きく離れていくと恐れていた長門は、ヒル魔たちを辛辣に見切りをつけた…………はずだったのだが。

 

「出会いは最悪。別れは残酷に済ませようとした。だが、あの先輩らは生憎と聞き分けの良い連中ではなかった。だから……」

 

「だから?」

 

「なるべく穏便に事を済ませようとしても決着がつかないんだったら、もう戦争するしかなくなったわけだ」

 

 

 ~~~

 

 

「……と、ここしばらくは大人しくしていたから、終わったもんだと思っていたんだが」

 

「ケケケ! なに勝手に決めつけてんだ糞カタナ、まだまだ終わっちゃいねーぞ!」

 

 実に儚い平和だった。

 近寄りがたい要因(ひるまよういち)の乱入がめっきりなくなり、おそるおそるであるが、クラスメイトに馴染みつつあった。入学式(スタート)で失敗してしまったけれども、ようやく普通の中学生活を送れるようになったと期待した。

 だが、それも教室にこの悪魔な先輩が顔を見せただけで蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。気分はせっせと積み上げた藁の家をオオカミ(ケルベロス)の一息で吹き飛ばされたコブタ(ブタブロス)である。

 どうやら、この麻黄中では平穏無事にいう言葉は縁遠いもののようだ。少なくともこの堂々と一年の教室にお邪魔してくるヒル魔妖一が在学中は。

 

「勝負しろ糞カタナ! そして、負けたらデビルバッツには入りやがれ!」

 

「はぁ……賢いと思っていたんだが、バカなのかヒル魔妖一。何度も同じことを言わせるな。アンタらとはアメフトはできない。身の程を弁えないアンタの道楽になんぞ付き合っても、得るものなんて何もない」

 

 そういって長門は、ヒル魔を無視して教室を出ようとする。

 しかし、教室の前後に(ふたつ)ある出入口に、それぞれ栗田良寛、武蔵厳が立ち塞がっている。どうやら、ヒル魔妖一の独断ではなく、アメフト部の総意でやってきているようだ。

 

 それでも、長門には関係ない。壊した練習器具は弁償した。もうアメフト部に配慮する理由もないのだから。

 

 

「身の程を弁えない、って言えば……アメリカでアメフトをやってる日本人がいたっけなあ~?」

 

 

 強引に押し通ろうとした長門の足が、止まる。

 

 

「しかも名門中の名門ノートルダム大でだっけか? 時代最強のランナーの称号『アイシールド21』で有名な話があったところだよなあ~」

 

 

 その反応を見たヒル魔が、ニタリと笑う。

 押し黙っているが、確かな手応え。

 今、垂らした話題(エサ)に長門村正は、食いつかざるを得ない。それを承知した上で、おちゃらけた調子で続ける。

 

 

「ま、どこのどいつか全然知らないが、ソイツのライバルとやらは吹っ掛けた勝負から逃げちまうようなヤツだし。どうせ、本場の連中にぶちのめされちまってんじゃねーのかあ、身の程を弁えないソイツは。今頃、ママー、日本に帰りたいよー! ってぴーぴー泣き喚いてるかもしれねェなあ?」

 

 

 ヒル、魔!?!?

 煽りに煽るヒル魔。これ以上エスカレートしてしまう前に、流石に止めに入ろうかとした栗田だったが、動けなかった。

 ぞくりとする寒気に、身体が固まった。

 

 

「……よくもまあ、他人(ひと)個人情報(プライバシー)をここまで調べ上げたな」

 

 

 ああ、なるほど。安い挑発だ。

 別に、自分自身を狙った発言であるのならば、所詮は戯言だと気にしなかった。

 しかし――

 

 

「受けてやる、その勝負」

 

 

 大和猛(ライバル)を侮辱する内容を含むのならば、話は別だ。

 個人名の明言は避けていてもあからさまで、無遠慮。やり過ぎだ。

 

 

「だが、覚悟はしろ。俺はフィールド上では、容赦しない。たとえそれでアンタらの夢がズタズタになろうが、ぶちのめす」

 

 

 ヒル魔妖一は、こちらの本気を引き出させたかったようだが、おかげで情けなどいっぺんもなくなった。

 

 それまで裡に押し込まれていた鬼気(オーラ)を解放させながらの宣告。

 ヒル魔、栗田、武蔵は、揃って息を呑む。酒奇溝六が『妖刀』と称したその斬れ味(さいのう)、それを目の当たりにした三人は圧されながらも、決して臆さなかった。

 

「ああ、かかってこいよ一年坊」

 

 どんな雄にも一度だけ与えられた権利がある。

 それは、相手がどれだけ強かろうが、たった一度だけ、戦いを挑むことが許される権利である。

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔、栗田、武蔵のアメフト部3人と長門で試合。

 学校に部として認められる3人の部員はそろっていてもアメフトをするには人数が足りないので、当然、助っ人を募っている。

 今の少人数のデビルバッツがアメフトの試合をするにはこの強引な手段に頼るしかない。

 と、黒革の手帳を紋所のように見せつけて助っ人連中を集めるヒル魔を見て、ふと長門は訊く。

 

「アンタの噂が尾ひれ背ひれのついたデマカセじゃなさそうなのはよくわかったが、意外だな。脅迫手帳(そいつ)があるんなら、強制で2、30人は部員を集められていただろう」

 

「ケケケ、やる気のねえ奴をいくら集めたところで数合わせのコマにしかならねぇ。本気でアメフトをやる人間じゃなきゃ使いモンにならねぇからな」

 

「……確かにな」

 

 思うが儘に強権を振りかざす暴君かと思っていたが、最低限度の一線はあるようだ。

 

「それで、俺が負けたらアメフト部に入るが、勝ったら、どうしてくれるんだ?」

 

 勝負事のテーブルにつけさせるのならば、相手への見返りを用意してなければ自分勝手が過ぎるだろう。

 長門としては、特別見合う程のものを要求することはない。精々、金輪際かかわるな、というくらいだが。

 

「そしたら、テメーの“約束”に全面協力してやるよ」

 

 ついさっき侮辱するような言葉を吐きながら、ヒル魔はあっさりと言ってのける。

 その扱いは、まるで、自分の“約束”が、彼らにとって何より大事な“夢”と釣り合うものだと見なしているかのように。

 

「俺達のことはそこの助っ人連中のようにいいように扱えばいいし、もし、糞カタナがアメリカに行きたいんなら、向こうの特待生留学でもなんでも取り付けてやる」

 

 単なるデマカセ、という感じはしなかった。本当にそう望めば本気でそうするんだろう、と不思議と長門は納得できてしまった。

 舌の根の乾かぬ内にというが、この男の二枚舌には呆れる他ない。

 

「ま、俺達が勝ったら、クリスマスボウルの夢に付き合ってもらうケドな」

 

 最後は、不敵に笑って再度自分らの要求を突きつける。

 長門の口から文句など出なかった。むしろ、こちらのリターンが大きいとさえも思う。アメリカへ行ける、という話は今の長門には魅力的ではあったが、そこまでしてもらう必要はない。

 

「……ああ、それでいい」

 

 でも、長門は撤回せず、了承する。

 このハイリスクがアメフト部3人のこの試合にかける覚悟なのだとすれば、譲歩はそれを軽く見ていることにならないか。

 少し、別の言葉を吐こうと迷ったが、長門はそれを呑み込んだ。

 

 

「おい、一年生」

 

 ヒル魔が離れたのを見計らっていたかのようなタイミングで声をかけられた。

 声のした方を向けば、そこにいたのは、黒チーム――集めた運動部の連中を赤チーム(アメフト部)と黒チーム(長門)に戦力が均等になるよう分けた面子のひとり。

 相手が一時とはいえチームメイトであり、先輩であるので、とりあえず長門は丁寧に応対する。

 

「なんですか?」

 

「お前も災難だな。入学早々、あの悪魔……ヒル魔に目を付けられちまうなんてよ」

 

「はあ」

 

 長門が入学早々ヒル魔妖一に追い掛け回されていることは麻黄中では周知のことだ。この先輩も遠巻きに様子を伺っていた記憶がある。

 

「それで、いい話があるんだが、まあ聞けよ」

 

 その先輩は、やけに赤チーム……もっと言えば、ヒル魔妖一をチラチラと気にしていて、長門を肩組むように引き寄せてから、小声で耳打ちする。

 

「(もうわかってんだろうが、ヒル魔に逆らうのはヤベェ。アイツのバックには米軍が控えてるっつー噂もあるしな。何よりあの脅迫手帳だ! アレがある限り、俺達はヒル魔に絶対服従するしかない!)」

 

 と泣きつかれれば、その先輩の事情は把握できた。が、そんなの試合をする前に聞く話ではない。

 少し力を入れて、肩を組んできた先輩を押し離したが、それでもしつこく再び先輩に組み付かれた。

 

「いい加減に本題に入ってくれませんか。試合前の作戦時間(ハドル)は限られているんですから」

 

「(まあまあ聞けって一年生。これは俺達にとって得のある、winnwinな作戦なんだよ。ヒル魔に逆らうなんてマネをすればこの先の学校生活は一生灰色になっちまう。だけど、ヒル魔はアメフトの試合ではどんなにどつかれようがやり返したりはしねーんだよ)」

 

 そう、あれは先輩が参加させられた、とあるチームとの練習試合。

 あの力だけはある栗田を簡単に転がしちまう強い選手がいて、ソイツにヒル魔が何度も潰されちまった。

 痛い思いをしたはずだ。

 試合も負けちまったし、絶対、悪魔(ひるま)の機嫌は悪かったに違いない。こりゃあ、血を見ることになるかもしれねーと思った。試合後の挨拶で、銃弾ブチかますことだってやりかねない。

 だが、ソイツ――確か、鬼平とかいう名前だった――に、ヒル魔は何もしなかった。

 

 それからも散々練習試合に付き合わされてきたが、ヒル魔は相手選手に潰されても、試合で負けても、一度も報復することはなかった。

 

「(つまりは、ヒル魔はアメフトのプレイでならブッ潰しても噛みついたりはしねぇ。どんなにボコボコにしようがな!)」

 

 スタンガンやらマシンガンやら物騒なモンを持ち歩いてるが、試合中は使えない。そして、ヒル魔の運動能力が低い。単純なぶつかり合いならば、こっちの方が強い。

 

「(それで、だ。もし、もしだ。ヒル魔が、運悪く、再起不能になっちまうような怪我をしちまえばよお、もうアメフトなんてどうでもよくなんだろ。そんで、ヒル魔さえいなけりゃ、栗田なんてチョロい奴だし、簡単に廃部にできる。そしたら、お前ももう絡まれなくなるぜ一年生)」

 

 ……意図は、理解した。

 先輩らの“作戦”を聞いた長門は、深く、深く、気を静めるよう息を吸い、5秒くらい時間をかけてゆっくりと吐く。

 

 アメフト部ができて、グラウンドを使える時間が減った。

 それだけでなく、こうしてアメフトの試合のたびにいいように人数合わせの助っ人に駆り出される被害者なんだろう。

 で、自分のことも同じ“被害者”だと思ったんだろう。

 なるほどなるほど……――

 

 深呼吸を終えた長門は、低い声で、

 

 

「アメリカンフットボールを舐めるな」

 

 

 話を持ち掛けてきた先輩の胸元を掴み、右手一本で持ち上げる。

 

「ぐえっ!? 何すんだおまっ!?」

 

「アメフトは、勝利が全てだ。プレイで相手の選手を破壊することさえ戦術とみなされる。

 だが、勝利以外の理由で怪我をさせることは許されない。ましてや、人に怪我をさせるためにアメフトを利用しようなどと言語道断!

 もし! 貴様のふざけた思惑でヒル魔妖一の腕をへし折ろうものなら、俺が同じようにアンタの腕をへし折る!」

 

 頭突きしながら、至近距離で睨む眼力で、その意志を。軽々と絞め上げる暴力で、その実行力を示した長門は、先輩が震え上がったのを見て、離す。失せろ、と腰抜けた臆病者に言い捨てて。

 そして、くだらない話に弛緩した雰囲気を絞め直すよう、長門から一歩引いた他のチームメイトへ宣告する。

 

「作戦は、俺が立てる。

 言われずとも、この麻黄中のアメフト部デビルバッツを本気で叩きのめすつもりでこの勝負を受けた。それがどんなに恨みを買うことになろうが、俺は遊びでアメフトをやっているつもりはないからな」

 

 

 ~~~

 

 

「? どうしたのムサシ? 黒チーム(ながとくんたち)の方を見てるけど、何かあったの?」

 

「なに、面白い後輩だなと思ってな」

 

「! でしょー! 長門君とならきっともっと面白いアメフトができるよー!!」

 

「そうだな、栗田。俺も楽しみだ。……ますます、この試合、負けられなくなっちまったな」

 

「何くっちゃべってんだテメェら! とっとと試合始めんぞ、バカデケェキックをぶちかまして糞カタナの度肝を抜きやがれ、糞ジジイ!」

 

「ああ、今日は脚の調子もいい。注文通りに開幕からぶちかましてやる」

 

 

 ~~~

 

 

 ――ドカンッッッ!!!

 

 

 大砲の如き、豪快なキック。

 頭上の雲を突き破らんばかりに天高く伸びるボールに長門は目を剥いた。

 

 高い……!?

 これほど高々と蹴り上げられたキックオフは初めて見る。

 予測を誤った長門にはそのボールは届きようがなく、自陣の遥か後方へ飛んでいくのを見送るしかなく……

 

 

 ~~~

 

 

「――『タッチバック』!」

 

 審判役の溝六が、ゴールラインを超えたボールを見て、赤チームのペナルティを宣告した。

 キックオフは、ただぶっ飛ばせばいいというものではない。飛び過ぎて敵陣のゴールラインを超えてしまうと『タッチバック』というペナルティで、20ヤード(18m)地点まで戻されることになる。

 だから、キッカーはゴールライン手前ギリギリを狙うようにキックをコントロールしている。

 

「な・に・が! 調子がいいだ糞ジジイ! 初っ端からペナルティ出してんじゃねぇ!」

「ひ、ヒル魔!? 抑えて!?」

 

「あー……調子が良過ぎちまったみてぇだなこりゃ」

 

 小指で耳の穴をかきながら、ヒル魔らから顔をそむける武蔵。

 まあ、しょうがあるまい。

 アメフトを初めて一年足らずだが、キックの荒れ癖はどうにも治らない。()加減が難しいのだ。

 

「キック力はあっても荒れ球キックのコントロールは1mmも信用できねぇのがテメーでわかっちゃいねぇようだな。それともなんだ? 後輩にいい格好を見せようとして、我慢汁を先走らせちまったのか糞ジジイ」

 

「反省してる。だからもう言ってくれるなヒル魔」

 

「ケケケ、まあいい。――注文通り、度肝は抜いてくれたみてぇだからな」

 

 とヒル魔が横目でチラリと視線を走らせる。

 そこにいた長門は、呆れが半々に混じっているものの、確かに目の色が変わっていた。

 こちらの手札の一枚(キック)が、無視できないものだと認めたのだ。キックは失敗したが、強烈なインパクトは叩き込めた。

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 長門は、クォーターバックのポジションについた。

 他のアメフト部でもない助っ人連中では、ボールをまともに投げられるかも怪しいレベルで、アメフトを知っていなければできない指揮官であるクォーターバックを任せられる人間が自分以外にいないのだ。

 それに、長門としてもクォータバックは不慣れではない。

 

 開始の号令を発して、ボールを受け取った長門は、スムーズに投球態勢に移行しながら、広い視野でフィールド全体を把握する。

 そして、こちらに迫るラインのプレッシャーにも動じることなく、ボールが投じられた。

 

「お、っとと!」

 

 そのパスの回転(スパイラル)は綺麗で、縫い目が見えるほどゆっくり。弧を描く軌道に()れなく、ラインの頭上を越えて、言われた通りのルートを走っていたレシーバーの手元へホールインワンで収まるコントロール。

 キャッチ成功率の低い助っ人だが、このボールはヒル魔が投げるのと比べてずっと捕り易い。一度弾いてお手玉したが、ボールをキャッチした。

 

 

「黒チーム、パス成功!」

 

 

 す、すごい長門君! パスもできるなんて!

 このプレイに栗田は驚き呆ける。

 素人相手にパスを成功(キャッチ)させる難易度は、ヒル魔を見てきた栗田にはよくわかる。キャッチもパスもできない自分とは違う、才能溢れる万能選手(オールマイティー)

 と、そこで、尻を蹴られた。

 

「試合中に大口開けて呆けてんじゃねぇ! 糞ジジイの次は、テメェだ糞デブ! 糞カタナが投げる前にブッ潰せ!」

「うん! 長門君は凄いけど、僕だって負けないよ!」

 

 ヒル魔の叱咤に栗田は気合を入れ直す。

 そうだ。長門君はパワー、スピード、テクニックの全部を兼ね備えている。でも、そんな彼が相手だろうと、パワーだけは負けられない!

 

 

「ふんぬらばァーー!!」

 

 

 瞳に炎。

 闘志に燃え盛る栗田の突貫。張り付いていた二枚の(ライン)を、両開きのドアのようにその剛腕はこじ開け、栗田は無防備の相手クォーターバックへ迫

 

 

「あ、れ――いない――!?」

「――遅い」

 

 

 未経験者でも、ラインに揃えたのは運動部の中でも力と体重のある面子。それを1対2の数的に不利でありながら、ゴリ押しで競り勝つそのパワーには目を瞠るものがある。単純な力勝負であれば、自身よりも上かもしれない。

 だが、その動きは鈍重。

 いくらパワーがあろうが、触れられもしないスピードの前では無意味だ。

 栗田がライン二人をブチ破った時、既に長門は大外から前衛を迂回して、抜き去っていた。

 

 

「行かせるかよ――おっ!?!」

「――温い」

 

 

 回り込む長門に迫るのは、武蔵。

 栗田のフォローに入っていたラインバッカーの武蔵は、長門にタックルを決めようとし――押さえられる。栗田程の馬鹿力はないが、それでも栗田に次ぐ腕っぷしがあった武蔵が、近づけない。

 長い腕をつっかえ棒のように使い、飛び掛かろうとする寸前の武蔵のチャージを阻む。

 間合いを制するハンドテクニック『スティフアーム』。

 ただ脚が速いだけでなく、腕でもって相手を攻撃して道を切り開く、破壊的なラン。

 

 捕まらねぇ!?

 近づけねぇ!?

 それでも、止めなくてはならない。

 致命的な個人情報を悪魔にばらまかれまいと助っ人たちは必死に追うが、次々と抜かされ、押し退けられる。

 

 (ちっ、助っ人連中じゃあ相手にならねぇ。だが、このくらいは想定内だ)

 

 セーフティとして立ちはだかるは、ヒル魔。

 脚も速いし、腕も強い。曲がりも鋭い――が、直前で一瞬止まる。スピードがあるからこそ急な切り返しにブレーキをかけてしまう。

 そこが、狙い所だ。

 アメフト部のコーチである糞アル中(どぶろく)より師事されたランナーの攻略法がひとつ、回避誘導。

 タネはごく単純であり、一流の選手であれば自然にこなせる芸当だ。

 わざと軸をわずかにずらし、避ける方向を誘導させる。そして、ブレーキがかかったところで、誘導先に飛びつき、タックルでブッ潰す!

 

 長門がカットをする間合い(タイミング)は、助っ人連中がやられたのを見て割り出した。

 そう――ここだ!

 

 ヒル魔が、ほんのわずかに、右へ体勢を傾ける。

 瞬間、長門が左へ――ヒル魔が誘導した方へ舵を切――

 

 

「まんまと引っかかりやがったな――」

「――甘い」

 

 

 たはずなのに、重心が右に流れた。

 確かに誘導した先(ひだり)へ踏み込んだはずなのに、進む方向は真逆。

 空間を捻じ曲げたかのような、異次元の切り返しで、ヒル魔は置き去りにされた。

 

 こいつ……! 後出しジャンケンみてぇにこっちの手を看破した上で逆を突きやがった!?

 

 酒奇溝六が教えた回避誘導は、確かに有効な作戦だ。

 それでも、大和猛と何度となく1対1をしてきた長門村正からすれば、その程度の小細工は浅はかだった。

 

 

「タッチダウン!」

 

 

 見当違いの方へ飛びついたヒル魔に長門は捕まえることは叶わず、そして、ヒル魔が赤チーム最後の防衛線だった。

 5分と経たずに点を決められた。

 これまでの試合でいきなり点を取られたことはあるが、それでもこちらと同条件で助っ人に頼る相手に、それもほぼ個人技でやられたのは3人の経験にない。

 ゴールゾーンへボールを置くようにタッチダウンを決めた長門は、膝に手をつきながら起き上がろうとするヒル魔へ言う。

 

「弱い者いじめは趣味ではないからな。致命傷(トラウマ)になる前に訊いておく。何点積まれれば、アンタらは折れるんだ?」

 

「……はっ! 試合が始まったばかりで寝ぼけたことほざいてんじゃねーぞ糞カタナ! アメフトは、99点取られようが、100点取れば勝ちなんだよ!

 

「だったら、完封すればその減らず口も少しは大人しくなるのか」

 

 

 ~~~

 

 

 ボーナスゲームで、長門自らゴールキックを入れて、0-7。

 初っ端から栗田、武蔵、ヒル魔らは格の違いを思い知らされた。

 それにどうやら、長門の奴は、勝敗以上に心を折りに来ているようだ。

 アメフトは、心の勝負。ビビらせた方の勝ちだ。

 

 しかし、才能では敵わなくても、あの3人の心は負けていない。

 

 教え子らがまだまだやる気な様子に、溝六はにやりと笑う。

 まだ勝負は始まったばかり。ここからだ。

 

(……それに、アメフトは、独りでやるモンじゃない)

 

 

 ~~~

 

 

 赤チーム・アメフト部の攻撃。

 それに対して敷かれた黒チームの守備陣形は、外側に広く多く助っ人たちを配置させている。その分、中央に空いたスペースが目立っている。

 

 どうぞ狙えるなら狙ってくださいとほざいているくらいにがら空きだ。

 しかし、そのど真ん中で一人陣取ってるヤツが、問題だ。

 

 長門。

 奴の身体性能(スペック)が常人のそれと比較にならないし、体格もいい。手も足も長いその間合いなら、中央をすべてテリトリーにし得るだろう。むしろ、足手纏いになる素人を傍に置いては、行動範囲が制限されてしまう。

 

(はっ! んなことは、とっくに()()してあんだよ)

 

 攻守陣地境界線(スクリメージライン)を挟んで向かいに立つ長門。ヒル魔の身に刺すように感じるほど圧のある視線は、こちらの一挙手一投足を逃しはしないだろう。

 

「SET! HUT!」

 

 栗田からスナッチされたボールを、ヒル魔は即座にパス発射体勢に移行。フェイントを入れず、最短最速でパスを投げる。黒チームの守備は、こっちのパスターゲットを確実にマークしているが、構わず。長門が仕掛ける前に、ショートパスを決める。

 ――そんな思考を読んでいたかのように、長門は動いていた。

 

 鏡合わせのように、ヒル魔が仕掛けるのとほぼ同時に。

 その腕を振る方向からパスコースまで予測して。

 

 ヒル魔の頭の中で思い描いたパスコースのイメージが断たれた瞬間、斬! と振るわれた右腕が、宙のボールを捉えた。

 

「どうせ、今のボールをカットしなくても、助っ人のレシーバーがキャッチできる可能性は低い」

 

 まともなレシーバーがいないのに、パスプレイを敢行するなど破綻している。

 こちらの裏をかこうと狙ったものだとしても、成功しないのでは無意味。

 それでもヒル魔妖一は、した。先日、“アンタが投げるボールはパスではない”と突き付けたパスプレイを。

 それを長門は潰した。

 

「だがそんな自滅でついた決着で納得などできない」

 

 だから、徹底的に潰す。

 パスも、ランも、どんなプレイも逃さず、完封して勝つと長門は絶対予告する。

 

「ケケケ、上等だ、糞カタナ。やれるもんならやってみやがれ!」

 

 

 ~~~

 

 

「……ったく、ヒル魔の奴意地になってやがる」

 

 三度目の攻撃が失敗したのを見て、武蔵はついぼやく。

 三連続で攻撃失敗。巨大な壁に向かって投げつければ跳ね返る。そんな理屈と同じように、ヒル魔のパスは宣言通りに弾き落されている。

 

「ヒル魔~~、ここで攻撃権渡しちゃったらまずいよ。四回目はパスじゃなく、武蔵にパント頼んで陣地を挽回した方が……」

「情けねぇ弱音ほざいてんじゃねーぞ糞デブ! 四回目も当然パスだ! だいたい糞ジジイのキックコンロトールじゃ、また『タッチバック』になんのがオチだろ!」

「まあ、否定はしないが。流石に三回やって1ヤードも進めないんじゃ作戦見直した方がいいんじゃねぇのか」

「いいからとっとと陣につきやがれテメーら! 俺のパスで糞カタナに風穴を開けてやんだよ!!」

 

 作戦なんてあったもんじゃなかった。

 四回目で連続攻撃権の獲得が期待できないのであれば、キッカーにパントキックをしてもらうのが無難な選択肢だ。が、攻撃のことしか頭にない。もっといえば、先日の一件で否定されたパスを通すことに意固地となっている。

 常に冷静であらねばならない指揮官としては落第だ。

 

「(まーたパスかよ。素人(おれ)たちでも無謀だってわかんぞ)」

「(頭のいい奴だと思ってたんだが、長門ってのがヒル魔の想定以上で計算が狂ったのか)」

 

 赤チームの運動部の連中が、愚痴っている。カッカしているヒル魔を避けて小声だが、長門には聞こえた。

 自棄になり、未経験者でもわかる失策を取る。

 

 ここまで物分かりの悪いヤツだとはな……

 落胆を色濃く滲ませた溜息を吐く長門。それでも、手を抜く気は微塵もない。

 

 

「赤チーム、攻撃(パス)失敗! 黒チームに攻撃権移動(ターンオーバー)!」

 

 

 ~~~

 

 

 前半終了。

 赤チーム対黒チーム、0-19。

 

(……ふぅ)

 

 深呼吸するよう長く息を吐く長門。

 あれから、2回タッチダウンを取り、ヒル魔のパスをすべてカットした。

 完封しながら、点差をつけた。この調子で行けば、圧勝できる。

 それでも、ままならない、と思う。

 2回タッチダウンを取ったが、その後のボーナスキックを2本外している。長門がキックしようとしたとき、ボールの縫い目をこちらに向けるように立てられ、上手く蹴ることができなかった。だが、それはいきなりやってくれと頼まれた助っ人だから仕方がないと長門も注文を付けたりはしなかった。

 それよりも、

 

(パスを一球も許さなかった。だが、こっちもパスができなかった)

 

 ラン一本で攻撃する。そのきっかけは、パスの失敗。

 長門が投じたボールを、助っ人が手を伸ばさず失速したことから始まる。

 

『あのまま全力で走り抜けていれば、ボールに手が届いたはずだ』

 

 練度不足によるミスは許せたが、試合の手抜きは見過ごせなかった。

 長門のパスは、優しい。小学生でも捕れるように投げている。

 ただし、“全力疾走で追わなければキャッチはできない”、という但し書きがつく。

 こちらの責める理由はわかっているのだろう、その選手は少しバツの悪そうな表情を浮かべたが、ちっ、と舌打ちして言い返す。

 

『知るかよ。だいたいな、この試合に勝ちに行ってる奴なんてお前だけだろ。こっちは適当にやってんだよ。俺らがやってる部活は違うんだ。大会前で無理なプレイで怪我なんてしたくない。熱血とか巻き込んでんじゃねーよ』

 

 見れば、他の連中も同じような不満がありありと顔に浮かんでいる。『どうせ、お前ひとりでも勝てるんだろうし、なら、俺達に頼る必要なんてないだろ』とその目が一様に語る。

 ヒル魔の命令でなければ、こんな道楽になんて付き合ってられない。ヒル魔ではない、こんな後輩にまでいいようにこき使われる理由なんてないはずだ。

 それが分かった長門は、短く『わかった』と答える他なかった。

 それから長門のラン一本で攻めたが、最初の構想としては、彼らにもアメフトができるようにパス中心でいくつもりだった。個人技で圧倒して勝ったところで、それは長門が求めるアメリカンフットボールではないからだ。

 

 あの日、大和と観戦した、本当のアメリカンフットボールの試合は、全員が全力を出し尽くしていた。一丸となって全てを爆発させた光景がそこにあった。

 それは今でも色褪せることのない、長門にとって原点になるもの。

 果たして、今の自分はアメフトができていると言えるのだろうか。

 

(……独り善がりなのは、俺も同じか)

 

 自問する前からそんなことは自覚している。

 それを理解しているからこそ、本気になれない連中とは関わらないようにしてきた。気を抜いて、周りに合わせれば、上手に生きられたかもしれないが、それは長門には無理だった。

 

(昨日のテレビで見た肺魚のようだな)

 

 肺魚。生きた化石などと呼ばれ、『肺魚』という名の通り、肺を持つ魚でたまに水面に出て息継ぎをする。

 つまり、魚でありながら水の中で溺れる。

 他の魚には普通の環境でも、肺魚にとっては息苦しいと感じてしまう。

 そんな溺れる魚が、今の自分。こんな本気になることもできない環境では、いずれは息もできずに溺れてしまう。

 

 これ以上自嘲げな溜息が洩れてしまう前に、ドリンクで押し流す。

 そこで、長門は声をかけられた。

 

「随分と息苦しそうだな」

 

「酒奇先生……」

 

 徳利片手にちょいとお邪魔するよと気楽にこちらのベンチへやってきた溝六は、長門の隣の席へ腰を下ろす。

 

「まあ、寄せ集めの助っ人らとお前さんとはレベルが違い過ぎる。上手に立ち回りたいんなら、もうちっと手を抜いて相手に合わせなきゃな」

 

「それは、できません。そんな真似は何より自分が許せない。それに……先輩方のように本気で向かってくる相手に手は抜けない」

 

「そうか。……けどなあ、一人でバカやったところで、無理が祟って潰れちまうぞ?」

 

 右膝を撫でながら、溝六が長門へ言う。長門は溝六から視線を外して返す。

 

「この程度無理でもなんでもありません。俺のことより、アメフト部の先輩らに助言しなくていいんですか。あなた、アメフト部の顧問なんでしょう」

 

「あいつらのことなら心配いらねぇよ。足りないところは多いが、それでも自分達で考えられんだろ」

 

 かっかと笑う溝六。

 勝ち目がなくて、諦めがついてる感じではない。

 

「にしても、お前さん、前はクォーターバックをやってたのか?」

 

「……固定したポジションはありませんでしたが、クォータバックをやるのが多かったです」

 

 キャッチもブロックも相手と競り合う。ランも、大和猛(アイツ)程スピードがなく、触れさせることなく躱せず、パワー勝負(しょうとつ)となることが多かった。

 だが、パスは、相手に怪我をさせることがない。だから、周囲に気兼ねする必要がなく、やり易かった。

 無論、ミニゲーム等でライバルと対決する場合は話が別だが。

 

「ほうほう。別にクォータバック一筋ってわけじゃねぇんだな。それならよ、デビルバッツに入ったら、タイトエンドやってみねぇか?」

 

「え?」

 

 溝六が誘うタイトエンドは、壁になったり、パスを捕ったり、作戦によって役目が変わる、トランプのジョーカーのようなポジションで、長門が危惧するパスやキャッチをすることが多い。

 

「俺の現役時代のポジションなんだが、タイトエンド次第でプレーに変化が出て、戦術の幅が広がるってもんよ。確かにお前さんはクォーターバックの適性も高いが、大成するのはタイトエンドだ。クォーターバックじゃあ、折角の才能を埋もれさせることになっちまう。お前なら俺の理想とする最強のタイトエンドになれる!」

 

 力強く太鼓判を押されるが、勝手に人を空論に巻き込まないでほしい。捕らぬ狸の皮算用という文句を知らないのだろうかという言は口にはしないものの、長門はつれなく応える。

 

「今の状況で、アメフト部に入ることになるとは思えませんが。仮に入部したところであんな調子じゃ、ヒル魔妖一に起点となるクォーターバックなど任せられない」

 

 長門の方が投手としての能力は上。長身を活かした高い弾道からの発射台、さらに自分で走って切り込める。

 対して、ヒル魔はこの試合、長門にパスカットされて、パス成功がない。まともなパスターゲットがいたところで、クォータバックがあれでは活かせない。

 

「それはどうかな」

 

 と溝六は、徳利を一口あおり、

 

「誰にでも捕れるパスを投げられるお前さんも中々のモンだ。だが、本当に強いクォーターバックってのは、ここぞという場面で、たったひとりにだけ届くことができる、他の誰にも捕れないパスを投げられる――そんな武器を持ってるヤツだ」

 

 ヒル魔は、自身のことをちゃんと把握している、と言う。

 

「そいつを活かすには、絶対の信頼ができる相棒が必要なのさ。俺にとっての庄司のようにな」

 

「意味が分かりません。一体全体酒奇先生は、ヒル魔妖一の何を評価してるんですか?」

 

「まだわからねぇのか、長門よ。ヒル魔はな、お前さんなら、あの距離のボールに届くと()()()()

 

 他の誰にも触れないその弾道に手を伸ばせるはずだと、つまりは、長門以外には捕れないパスを、ヒル魔妖一は投げ続けたのだ。

 そして、長門はヒル魔のパスを誰が触れるよりも早く、カットし続けた。ヒル魔妖一の期待に応えたのだ。

 その事実が何よりも溝六の中では根拠となっている。

 

 まさか、と。

 長門の中で一つの憶測が生まれる。

 

「だが、ヒル魔妖一の能力は、平均の域を出ない。この先、どれだけ鍛錬を積んだとしても、一流には届かない」

 

「おうよ。ヒル魔には一流の素質なんざありゃしねぇ。だが、世界で最もお前さんにパスを投げてきたクォーターバックになれる。お前さんの才能に、本気で付き合える根性がある奴だ」

 

 だから、試合の後、もう一度考えてやってほしい。

 そういって、溝六は席を立って、審判役の立ち位置についた。

 

 

 ~~~

 

 

 ちっ! あの糞アル中、余計なことを言いやがったな!

 

 入部勧誘を失敗してから、アメフト部はしばらく米軍基地へ通い詰めた。

 一般人の大半が近づかないその場所だが、ヒル魔には(秘密の抜け穴を通るが)顔パスで行けるくらいお得意様である。

 そして、アメフトを初めて自分でやって痛い目を見たところだったが、とにかく、走るレシーバーにパスをする感覚を掴むために、キャッチできる練習相手がいる。

 そんなアメフト部の頼みを、給料のほとんどをノリで賭けアメフトに注ぐ、人生投げてるナイスガイことノリエガを筆頭とする(アメリカ)軍人らは快く(ノリで)引き受けてくれた。

 

『練習だろうが、気の抜けた真似するようなら容赦しねえでブッ潰すぞ! 来い!』

 

 栗田は中学生じゃ相手にならないような大人の軍人相手に組み合い、武蔵も米軍式の基礎錬を積む。そして、ヒル魔は時間が許す限り只管にパスを投げた。

 

 そうして、ヒル魔がモノにしたのが、ターゲットの限界点を容赦なく突く、『デビルレーザー(バレット)』だ。

 

 さらに、特練をしながら、様々な角度から撮った長門村正の記録映像を研究して、その限界点を把握してある。

 

 パスができるようになってもそれを捕る味方がいないことは百も承知。だが、パスを出す相手は味方じゃない。

 これは大前提として、相手がヒル魔のパスに飛びつかなければ不発に終わる。仮に相手が糞ドレッドだったのなら100%スルーされる。だが、糞カタナの性格上、絶対に食いつく。

 まともにやり合えば、真っ向から叩きのめされるのは序盤のプレイで実証済み。だから、習得したクォータバックとしての必殺技で、糞カタナを限界ギリギリまで動かし、その体力を削る。

 それが、前半丸々費やして立てた作戦だった。

 

 だが、糞アル中に企みをネタバレされ、糞カタナにも勘付かれた。あのまま油断してくれた方がやり易かったというのに。

 

「お前の企みがバレちまったようだが、どうすんだ、ヒル魔?」

 

「こうなったら、しょうがねぇ。どうせこれ以上離されるわけにはいかねぇしな。――こっからが本番だ、気合いを入れてけよテメェら!」

 

 



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閑話‐3

「ふんぬらばーーっ!!」

 

 二人がかりの障害など、軽く圧倒するパワー。

 麻黄中デビルバッツがオフェンスに多用する常套手段。

 それは、パスプレイではない。

 二人がかりでも圧倒する重戦士・栗田良寛が突破口を強引に開く『爆破(ブラスト)』。

 

「小細工なしの中央突破か!」

 

 それでも、止める!

 壁二枚をこじ開けた栗田へ、長門がぶつかる。

 腕力も体重も長門よりも上。真ん中の密集地帯なら無敵の重戦士を倒すなど容易ではない。

 しかし、長門は知っている。そして、戦ってきた。“絶対に倒れないこと”を課した心身屈強なライバルと。

 

「おおおおおおお!」

 

 全速力からのぶちかまし。二枚の壁を破った直後の栗田を、ぐらつかせる程の威力。

 巨漢の胸元を押し上げる両腕が、メギィ、と唸るように軋み上げ、メリメリ、と地面を噛む脚の脹脛が膨れ上がる。

 初撃で重心を崩したところで、全身全霊で押し退ける。

 

「え……?」

 

 一瞬の浮遊感。ほんの0.1秒のことだが、栗田の足先が地面を離れた。

 ここしばらく米軍人を相手にぶつかってきた。その中には当然中学生の自分よりも屈強な相手がいたし、倒されもした。でも、自分よりも年下に押し退けられたのは、初めての経験だった。

 衝撃的な出来事だったが、呆けてる場合ではない。何故ならば、自分の後ろには護らなければならない存在がいる――

 

「糞デブをやりやがるとは、まァだ元気有り余ってやがんのか!!」

 

 最強の壁を破られたヒル魔。自身に長門村正を躱す術も力もない。逃げられない。だったら、逃げない。

 

「!!」

 

 その長身を前倒しにして最後の一歩で超加速する長門のタックルに、ヒル魔はなすすべもなく捕まり、倒された。直前の栗田相手で勢い削がれているが、それでもヒル魔の身体を軽く吹っ飛ばす。

 しかし、ヒル魔は、ボールを落とさなかった。直前まで長門に迫られたその時、ヒル魔は自分の身でなく、ボールを最優先で守った。全身を捨ててでも、ボールを奪われないと両腕で抱え込んだのだ。

 反射的な防衛本能を捻じ伏せるだけの精神力と覚悟がなければできない真似だ。

 まともな受け身が取れず、地面に叩きつけられた衝撃で一瞬呼吸が止まってしまい、ガハゴホ、と咳き込むヒル魔だが、長門へ向ける眼光は衰えず。

 

 俺からボールを奪いたきゃ、もっと殺す気でやるんだな糞カタナ。

 

 どこまでも強気に、睨む。

 そして、この姿勢に、共鳴するかのように、2人の気迫も猛る。

 

 

 ~~~

 

 

『覚悟しときやがれ糞デブ。

 死んでも全国大会決勝に行く。

 途中で半端な真似しやがったら、ブチ殺すぞ……!』

 

 初めてヒル魔とアメフトをした米軍人との試合の後、ヒル魔と誓った。

 それは僕にとって何よりも大事なものだ。彼をどんな相手からだって守り切ってみせるとその時決めたんだ。

 

『味方を背負って一番前に立つ! それが(ライン)魂だぜ栗田!』

 

 尊敬する先輩・鬼兵がこの身に叩き込むように背中で示してくれた真の壁漢(ラインマン)の在り方。

 大事な仲間を護る為に、身体を張って戦う。倒されれば、後衛が危ない。だから、負けられない。負けちゃいけないんだ。

 

「ようやく火が点きやがったな栗田」

 

 武蔵は見た。その顔つきが変わったのを。

 その温厚な男は、スイッチが切り替わった途端、蒸気のような熱いオーラを放つ壁に激変する。

 

「あづぁああぁ!?」

 

 もはや壁二枚では止められない肉弾戦車。

 触れれば火傷するほどの沸騰した重圧は、見ただけで助っ人たちをビクゥ! と怯ませたほど。

 その熱気を真っ向から受けても竦まず、立ち向かうものが、ひとり。

 

 長門君!

 

 栗田は油断しない。そして躊躇わない。

 彼を怪我させたくない、と捨てきれなかった“優しさ”が隙となり、栗田は破れた。結果、それはヒル魔を倒された。

 そんな甘さを抱え込んでいては、護るべき者を護れない。障害であるならば、この(かいな)で掃わなければならない。

 

 先程、受けに回った栗田だったが、今度は自ら長門に迫る。

 

「それでも、あなたは甘いっ!!」

 

 ヒル魔妖一(ボールキャリアー)を視界から遮る巨体。ヒル魔を倒すには、この壁を除かなければならない。

 先程、自分にやられたように全身全霊でぶつかってくる栗田を前に、長門は手を伸ばす。

 ユニフォームの裾を掴まえながら、斜めに踏み込む。前傾した姿勢から相手の突出を予測し、その勢いを利用して崩しに行く、相手のパワーを御すテクニック『不良殺法(ブル&シャーク)』。

 

「ふぅぅぅううぬん!!」

 

 なに……!?

 長門の『不良殺法』は決まったはずなのに、栗田を倒し切れない。

 

 この技、鬼兵さんにやられたのと同じだ!

 

 業師に敗北した経験値が、栗田を踏み堪えさせた。

 力で上回っていようが、技で自分の力を制してくる相手は、初めてじゃない。

 不器用な自分にはない巧みなテクニックには感嘆するけど、それでも易々と倒されるわけにはいかない。自分がやられれば、またヒル魔がやられるのだから!

 

「らばあああああっ!!」

 

 長門は、自身の見込みが甘かったことを悟る。

 パワーがあるが、スピードがない。けれど、それはスピードがない分だけ重心が据わっているということ。そんな山のような安定感を崩すには、小手先の技では不足。

 

「ちっ!」

 

 それでも、崩した。

 そんな崩れた姿勢で我武者羅に振るわれた栗田の腕が、長門を突き飛ばす。

 躱し切れず、それでも倒れることは許さない。脚が地面を()み締め、堪え、そのジャイロセンサーでも搭載されてるかのような不屈の体幹が体勢を立て直す。

 

 

「赤チーム! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!」

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔の独走は阻止した。

 それでもボールを奪えず、着実に前進される。ランが来るとわかっていても、栗田の中央突破を止め切ることができないのだ。

 しかし、時間がかかる作戦だ。

 これがリードを奪えている状況であれば、問題ないが、この調子で攻めては確実に赤チームは時間が足らなくなる。

 

 

「テメェの出番だ、糞ジジイ!」

 

「33ヤードか。まぁ、入らねぇ距離じゃねぇな」

 

 

 麻黄デビルバッツの点取りパターン。

 それは、『爆破』で少しずつ前進して、ゴールまで近づけるところまでゴリ押しして――最後は、長距離砲(マグナム)・武蔵厳がぶっ放す大砲キックで仕上げる。

 

 

 ~~~

 

 

 栗田良寛の後ろでヒル魔妖一が膝をつき、キックティーを置く。そして、その奥には助走距離を取るキッカーの武蔵厳。

 フィールドゴールキックで決めに行くつもりだ。

 

 この距離ならば、届く!

 

 これまでの武蔵厳のキック飛距離を見れば、射程圏内だというのは長門もわかっている。

 コントロールこそ怪しいが、あのキック力はこの長距離を決められる可能性がある。

 

 ならば、キックそのものを撃たせない。

 

 長門村正のパワーボディ、スピード、跳躍力、高身長……これらの要素すべてが、キックを叩き潰すのに適している。

 栗田でさえ阻止し切れない長門の突進を、固定されたボールを蹴りに行くキッカーは逃げることはできない。

 

(最短距離で迫るには栗田良寛が立ちはだかるが、完全に弾かなくても構わない)

 

 特に長距離キックは、相手に急接近されるだけでも微妙に狂うもの。自身を潰しに来る相手選手のプレッシャーに、キッカーの足先はぶれてしまうのだ。

 キック力はあっても、キックコントロールのないノーコンキッカーならば、ゴールまでの視界を手のひらで遮るだけでも十分。

 

 

 ~~~

 

 

「――3秒だ。大変だろうが頼む、栗田。長門を3秒足止めしてくれ」

「うん、わかった! だから、ムサシも」

「ああ。俺がキックで風穴を開けてやる……!」

 

 

 ゴールには遠い。

 ゴールラインまで33ヤード。ポールまでとキックティーまでの距離足して、50ヤード程のキック。

 正直に言えば、五分五分。

 それでもここまで近づけたのは、栗田の奮闘と、ヒル魔の捨て身のおかげだ。

 長門に何度となく叩き潰されても、決してボールは手放さなかったヒル魔が、1ヤードでも前へとボールを運んだ。

 これを外せば、長門と真っ向から挑んだ二人のプレイが不意になっちまう。

 必ず、決める。

 

 

「おおおおおおお!」

 

 

 栗田がボールをスナップすると同時、迫る長門。

 ボールをセットするヒル魔、そこへ駆け出す武蔵。

 大声だけで恐怖させる威圧感を発しながら、長門がキッカーを潰しに来る。

 それはさせないとチームの守護神たるセンターの栗田が身を呈して阻む。

 それでも止まらない。

 ラインを突破する長門。

 既にボールへ足を振りかぶった武蔵。

 発射阻止は叶わないと覚る長門は、跳躍。キックボールを弾かんと手を伸ばす。

 武蔵が蹴ったボールは、長門の指先に当たり――

 

 

「ブチ破りやがれ!!」

 

 

 バゴンッッ!!!! と長門の手が弾かれた。

 なっ……!?

 前半、ヒル魔の投げるパスの一切を叩き落してきた長門だったが、当たったボールの感触はそれとはまるで違う。

 そう、ヒル魔のパスを銃弾にたとえるのならば、これは大砲だ。

 その威力は、長門の指先に掠られながらも、空を突き抜け――――ゴールポストまで届いた。

 

 

「Yaーー! Haーー! 見やがったか、糞カタナ! テメーの妨害なんざモノともしねぇ長距離砲! これが糞ジジイの『60ヤードマグナム』だ!」

 

 

 ったく、調子づいて勝手に後輩にホラ吹きやがって。

 60ヤードなんていくらなんでも無理だっつうのに。

 まぁ、いい。これで最初の失敗は挽回した。後輩に対し、少しは先輩らしい格好つけができただろう。

 

「やったねムサシ!」

「あぁ……。だが、まだ3点だ。勝つにはまだ仕事が残ってる」

 

 喜ぶ栗田に騒ぐヒル魔。そんな二人に倣うよう武蔵も笑みを長門へ向けた。

 

 

 ~~~

 

 

 素直に称賛するキックだった。

 あの長距離キックは、武蔵厳のキック力に、直前までプレッシャーをかけたのに微塵も揺るがなかった精神力があってのものだ。

 だが、個人で成立したものではない。

 渾身のキックを支える、ボールのスナップとボール立てもまた僅かの狂いも失敗につながる。

 3人の連携がなければ、このフィールドゴールは決まらなかった。

 

(……っ)

 

 キックに弾かれた手が痺れているが、長門は余韻を握り潰すよう無理やりに手のひらを閉じる。

 どうしてか。今のプレイに胸がざわついた。

 その原因が何なのかを自覚する前に、耳慣れてしまった哄笑が来た。

 

「ケケケ。そういや、完封にしやがるとかほざいてたっけなァ、糞カタナ。どうした、俺を黙らせるんじゃなかったのか?」

 

 ……はぁ、と溜息を吐く。

 こうも煽りに来なければ、こちらも相手の健闘を称えることくらいはしたというのに。挑発に余念のないヒル魔妖一のペースに乗るつもりはないとそっけなく長門は言い放つ。

 

「まだ19-3。調子づくには、まだ早いんじゃないか」

 

 

 ~~~

 

 そう、まだ十点以上の差がある。

 このリードを守り切れば、勝てるのだ。

 

 

「うおっ!? 眩しっ!?!?」

 

 

 助っ人たち素人集団にそんな手堅い試合運びができれば、の話だが。

 

 武蔵が天高く蹴り上げたボール。ちょうどその真下にいた助っ人は、最初、手を掲げ、キャッチ態勢を取った。

 だが、ボールが太陽の光の中に入った。見えなくなる。反射的に目を瞑ってしまい、防衛反応で掲げた手は頭部を守る。

 そして、ボールは落下地点にいる助っ人の手に弾かれた。

 

 まずい!

 

 こぼれ球が、黒チームのゴールラインを超えて、得点ゾーンへ転がっていく。

 楕円形のボールはバウンドが不規則で、長門から逃げるように離れていく。

 

 もし、黒チームに得点(エンド)ゾーンでボールを拾われればタッチダウン成立がしてしまう。

 そして、このままボールがフィールド外にこぼれ出てしまったら――

 

 

「ケケケ」

 

 

 転々とするボールを長門の視界から遮るのは、ヒル魔妖一。

 こぼれ球など無視して、長門の妨害に入った。

 

 そう来るか……!

 

 幸運にもボールは、ヒル魔に近い方へ転がっている。しかし、この程度の有利など長門ならば簡単に覆せる。高確率でボールを奪取しようとしたら、競り合いになる。そして、競り合いとなれば、ヒル魔は確実に負ける。

 

「だから、ボールなんざ無視だ。糞カタナを1秒足止めすりゃそれで十分なんだよ……!」

 

 舌打ちする。この男はつくづく嫌がらせに長けている。

 ヒル魔妖一のブロックなど鎧袖一触とばかりに破れる。だが、障害となり得なくても、ヒル魔はその身を呈して、こぼれ球(ボール)を長門から隠した。これではヒル魔の背後でボールが右左どちらへ行くのはわからない。長門はヒル魔を破った後に、ボールを探さなければならない。それが決定的なロスとなってしまう。

 長門を無視して、ボールの方へヒル魔が走っていれば、逡巡なくボールへ飛びつけただろうに。

 こんな予想できない偶然でありながら、瞬時に判断できる計算高さは、単純な能力値では測れない、計り知れないものだ。

 

 ヒル魔を駆け抜け様に斬り捨てるよう押し倒し、ボールの行方に目を走らせ、即座に飛びついた。

 が、伸ばした長門の手は届くことなく、ボールは得点ゾーンからフィールドの外へ出た。

 

 

「黒チーム、自殺点(セーフティー)!!」

 

 

 黒チームのこぼれ球が、ゴールラインを越えた状態でプレー停止となったため、黒チームの自殺点扱いとなり、赤チームに2点追加。

 さらに、赤チームボールでのスタートとなる。

 

 

 ~~~

 

 

 そして、赤チームの攻撃は、先程の繰り返し。

 センター栗田が先陣を切る中央突破で、少しずつ前進。そして、キッカー武蔵のフィールドゴールキックで点を取る。

 相手の狙いはあからさまであるのに、止めることができない。

 

 19-8。

 まだ、十点差はある。だが、長門は十点差あるものとは考えなくなった。

 気の弛みが自殺点の失態を招いた。大量のリードはチームに余裕を持たせるが、その余裕は油断ともなり得る。黒チームの助っ人らには後者に繋がった。キックボールのキャッチミスも適当な心構えだったからだ。

 

 キックボールは、確実に俺が捕る。

 

 長門は、最後方につく。ここからならば全体を把握できるし、こぼれ球があろうともフォローに間に合う。

 攻撃権を得た後は、点を奪い、この流れを断ち切る。

 

 

「ケケケ、糞カタナ。テメーにデビルバッツの戦術方針(ポリシー)を教えてやる。ブチ殺すか、ブチ殺されるか! 一か八かのギャンブルだ!」

 

 

 武蔵がボールを蹴り上げ――――ず、転がす。

 大砲キックを警戒していた黒チームは、虚を突かれた。

 

 『オンサイドキック』……!!!

 敵陣に蹴り飛ばすはずのキックオフを横に短く蹴って、相手が捕る前に自分たちでキックボールを強引に確保するプレイ。ただし、相手に捕られれば、自陣ゴール近くから攻撃を始められてしまう。一か八かのギャンブルだ。

 

「ボールを押さえろ! 上がれーっ!!」

 

 いち早くヒル魔の狙いに気付くが、一番奥にいたため、長門がボールを拾うには遠い。叱咤するが、空高くボールを打ち上げるものと思っていた黒チームの反応は鈍い。これでは早く前に行きたい長門には、助っ人たちは邪魔者でしかない。

 

「糞カタナが来る前に、死ぬ気でボール奪りに行きやがれ糞共!」

 

 対し、ヒル魔の恐喝で赤チームは必死にボールを追いに行く。

 黒チームもボールを拾おうとするが、栗田の突進に撥ね飛ばされ、イレギュラーバウンドするボールにヒル魔が飛びつく。

 

 

「赤チーム『オンサイドキック』成功! 赤チームボール!!」

 

 

 その後、攻撃権を獲得した赤チームは、フィールドゴールキックを成功させる。

 19-11。タッチダウン一本で追いつける点差まで迫った。

 

 

 ~~~

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息苦しい。

 前半、ヒル魔のパスに振り回され、後半、栗田と武蔵の相手で体力は削られている。

 それだけでは、ない。

 力はあるが鈍足のライン。

 キック力はあるが、ノーコンキッカー。

 頭の回転は速くても、身体能力に恵まれない司令塔。

 個々の能力は、欠点があるし、総合的には大したことがない。

 だが、この凸凹な三人が合致して、フィールドゴールキックを決める、その連携を直視する度に胸がざわつく。もはや無視できない。アレに自分はどうしようもなくイラついているのだと自覚する。

 そして、自身の(くろ)チームを見て、誰も頼れず、独りで戦うしかない現状に虚しささえ覚えてしまう。

 

「はっ……こんな無様で、アイツの前に立てるのか」

 

 決戦を誓ったライバルは独り、アメリカの、それも名門ノートルダム大付属でアメフトをしているというのに、アメフトを初めて一年足らずの助っ人頼みのチームに追い込まれる自分に苛立ちを覚える。

 

 俺は、勝つ。勝たなければならない。こんなところで負けるわけにはいかないんだ!

 

 

 ~~~

 

 

「さあって、もう一発『オンサイドキック』いくか!!」

 

 ヒル魔が高々と宣言する。

 フィールドの左側へと赤チームの面子を極端に寄らせるキックオフ陣形は、ヒル魔が予告した、左へと転がす『オンサイドキック』を予告させるもの。

 

 が、武蔵がボールを蹴る直前で、普通のキックオフ陣形に戻った。

 

 『オンサイドキック』の印象付けていたところで、大砲キックをぶちかます。普通ではないプレーだ。

 

「だが、アンタの手口はもうわかった」

 

 周囲が混乱する中で、ひとり、冷静に構えていた長門は、真っ直ぐに落下地点を目指し、ボールを確捕する。

 

 後半に入ってから、流れは向こうだ。それを一気にこちらに持ってくるには、点を取る。

 

 

「! 糞カタナ、狙ってやがる!」

 

 最奥のゴールを睨む眼光。

 

「糞野郎共! 糞カタナを止めに行け!」

 

 いち早く勘付いたヒル魔は、指示を飛ばす。

 初っ端に全員抜きを達成した長門ならば、やれる。 キックオフリターンタッチダウン。キックオフされたボールを、ゴールゾーンまで一気に運ぶビックプレイ。

 それをやられれば、こっちは終わりだ。残り時間からして、追いつくのがほぼ無理になる。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 動きが、鈍い。体が、重い。息が、苦しい。

 味方の援護は期待できない。3人抜き去ったが、ヒル魔はこちらの進行先を予測して助っ人たちを動かしている。不完全ながらも『ランフォース』を築いている。

 これ以上は、抜けない。だったら、強引にぶち抜く!

 

「怪我したくなければ、どけっ!!!!」

 

 目前の相手に鬼気迫る威圧と共に警告を飛ばす長門。

 一瞬、助っ人らの脳裏に大型バイクに撥ねられたように身体が吹き飛ばされるイメージが過った。

 でも、ダメだ。背後にはヒル魔。敵前逃亡なんて真似はできない。そんなことすれば後でどうなることか。

 結果、彼らは逃げることも迫ることもできず、案山子みたいに立ち呆ける。

 

「ひぃぃ~~~っ!?」

 

 ちっ! ぼさっと立ち竦みやがって!

 なんて無防備だ。こうなればこちらに当たってきてくれた方がマシだ。強引にぶち抜こうとすれば、彼らが危ない。

 “怪我をしたくない”、といった黒チームの面々。彼ら赤チームの助っ人だって同じだ。

 そんなアメフトをする“覚悟”のない連中に歯噛みした長門は、寸前で、ブレーキをかける。急転換。全速力の勢いを殺し、直角にカットした長門は大回りに助っ人を抜く――

 

 

「そこだ! ブッ潰せ糞デブ!」

「うおおおおお!!!」

 

 

 が、その先に、栗田がいた。パワーでは上回る相手が、曲がった直後の長門に体当たりをかました。

 緊急回避後で意識を割く余裕がなかった長門は栗田のぶちかましをまともに喰らい、大きく吹っ飛ばされた。

 

 

 ~~~

 

 

「あ……」

 

 長門君が、倒れた。

 自分と力勝負で真っ向から張り合える程の相手。だから、栗田は思い切りぶつかった。けど、その時の彼はこちらを意識してなくて、ほとんど不意打ちに決まってしまった。

 倒されて、動かない。

 すぐ溝六先生が駆け付け、様子を見てくれた。頭を打ってしまったか、気絶しているが、かろうじて意識があるようで、呻いている。おそらくしばらくすれば目を覚ますだろう。それまでは、ベンチで安静にさせておく。

 

「だ、大丈夫、長門君!? 先生、長門君は無事なんですか!?」

「落ち着け栗田。ちと意識を失ってるだけだ。防具も着込んでいるし、長門はこのくらいで壊れるタマじゃねぇよ」

「本当ですか! よかった……」

 

 ほっとする栗田へ、溝六は訊ねる。

 

「それで、試合はどうすんだ?」

「もちろん続行だ」

 

 答えたのは、ヒル魔だ。アメフトに負傷退場はままあることだ。だが、ひとりベンチに下がったところで、試合が終わるわけではない。

 

「で、でも、ヒル魔」

「余計なことを考えんじゃねェ糞デブ。俺達に情けなんざかける余裕はねェんだよ」

 

 そう、自分たちは負けている。ここまで追い詰めたのも素人らに足を引っ張られたり、幸運に助けられている部分が大きい。

 そんな相手に一片の情けをかければ、やられるのはこちらの方だ。

 ヒル魔からすれば、長門を戦闘不能にさせた栗田の活躍はよくやったと言えるもの。ただ、それは栗田の性分には合わない。

 

「でも……」

 

「勝ちたくねぇのか?」

「勝ちたいよ!」

 

 栗田とて、自分たちの“夢”を賭けたこの試合は負けられないものだってわかってる。

 

「だけど、長門君はまだ、全力でアメフトを楽しめてないんだ!」

 

 この試合は負けられない。けど、同時に楽しみだった。

 敵味方で別れるけど、すごい後輩と一緒にアメフトができるのだから。

 それなのに、彼は、ずっと苦しそうだった。

 

「わかるんだ。僕も一緒だから。長門君は、好きなんだ。大好きなんだ、アメフトが。なのに、楽しめていない。こんなんじゃダメだよ……! この前みたいに、またがっかりさせたくない! だって、皆でやるアメフトはすごく面白いはずなんだから……!!」

 

 入部を断られたとき、栗田は悲しくて、悔しくなった。

 初めての後輩に、あんな顔をさせてしまったことを。彼の中に、僅かにあった望み、期待に応えられなかった自分たちの不甲斐なさを。

 皆でやるアメフトを一人ぼっちでやる辛さを、誰よりも知っているはずなのに!

 栗田の訴えに、ヒル魔は黙って何も答えない。笑いもしない。

 

「『実力で、屈服させる』のが、この勝負の目的なんだろ? だったら、このまま勝ったところで意味がない」

 

 勝利にこだわるあまりに軽視してしまいそうな原点を、武蔵の言は振り返らせる。

 武蔵は、この二人とアメフトをやるのが面白いと思えたからこそ、デビルバッツに入ったのだ。

 頑固な俺を引き込んでおきながら、後輩ひとり納得させられないのか? という文句を懐かしみながら口にする。

 1対2となり、ヒル魔は舌打ちして、妥協案を告げる。

 

「……わかった、テメェら。だったら――」

 

 ・

 ・

 ・

 

 最後に、それでいいな、と視線を向ければ、栗田と武蔵は頷いた。

 

「こっちはテメェに容赦するつもりはねぇぞ。負けたくねぇなら、とっとと目覚めろ、糞カタナ」

 

 

 ~~~

 

 

『長門君、君は周りよりも力が強いからちゃんと手加減してあげないとダメだよ』

 

 アメフト(タッチフット)を始めたばかりの頃、練習相手の子を泣かせてしまった自分へ、指導役(コーチ)の大人が注意する。

 自分からすれば、十分、気を付けていたつもりだった。けど、自分が思ってる以上に、彼らの身体は弱かった。

 泣かせてしまった子へ謝るが、同時に窮屈だと感じてしまう。

 初めて見たあのアメフトの試合は、もっと全力でぶつかり合っていたのに、どうして我慢しなければならないのかと幼心に思っていた。

 

 でも、自分は一人ではなかった。

 

『村正、勝負だ!』

 

 自分の全力をぶつけても構わない相手。ライバルがいた。

 

『ああ、猛。今日は俺が勝つ!』

 

 アイツとなら、存分にアメフトができた。

 アイツの全力に受けて立てるのは自分だけで、自分の全力を叩き込めるのはアイツだけ。

 

 だから、思う。

 アイツがいなくなった日本で、自分はアメフトができるのだろうか。

 

 

 ~~~

 

 

「赤チーム『オンサイドキック』成功! 赤チームボール!!」

 

 

 目が、覚めた。

 ベンチに横たわっていた長門は上体を起こすと、寝起きの頭を軽く振る。それに、傍についていた溝六が気付く。

 

「目覚めたか、長門。栗田のぶちかましを食らって倒れちまったが、頭、ふらついたりしてねぇか?」

 

「はい……大丈夫です、心配をおかけしました、酒奇先生。それで試合は?」

 

「おう。お前さんが倒れてから、ヒル魔がタッチダウンを獲った。トライフォーポイントでもタッチダウンを取ったから、19-19の同点だな」

 

 戦況を聴き、時計を見て、ハッとした長門へ、『試合の時間も残りわずかだ』と溝六が教える。

 

 つまりは、次、点を取った方が勝ちだ。

 そして、今、『オンサイドキック』を成功させて、赤チームボール。

 

「さっきみたいに甘い真似をするようなら、負けちまうぞ」

 

 状況を理解した長門へ、しかと先の逡巡からの失態を見抜いていた溝六は宣告する。そして、願う。

 

「仲間ってのは、ヌルい馴れ合いでなれるモンじゃない。切磋琢磨して己をぶつけ合い出来るモノだと俺は思ってる。願わくば、長門もそうあってほしい」

 

「………俺は、アメフトができるんですか」

 

「おう、遠慮すんな。アイツらは先輩なんだからよ」

 

 だから、思い切りやんな、と溝六はその背中を押した。

 

「……酒奇先生、最後にもうひとつだけ教えてほしいんですが」

 

 

 ~~~

 

 

「長門君! 大丈夫なの!」

「ええ、栗田先輩、心配をおかけしました」

「うん、ごめんね長門君。思い切りぶつかっちゃって」

「謝らないでください、栗田先輩。試合で手を抜くような真似をする方が失礼です」

 

 やっぱり、来やがったな。

 このまま終わるような奴じゃない。

 それに、糞カタナを入部させることが今回の目的であるのに、これでは勝っても不完全燃焼になるところだった。

 

「ケケケ、わざわざ敗北するために無理して起き上がってこなくてもいいんだぞ糞カタナ」

 

「それはないですね。俺、勝つつもりなので」

 

 ん? と。

 その返答に、ヒル魔は引っ掛かりを覚えた。口調に角が取れている。刺々しい拒否感があったものが、さっぱりと消えている。一見すると腑抜けたようにも思えるが、戦意まで失っていないはずだ。

 

 ……なんだ、これは……?

 

 鬼気迫る怖さではない。直感的に危険だとシグナルが鳴っていても、どうとでもなると思えてしまう脅威レベル。

 いける、攻めろ! と果敢に吼える自分と、マズい、避けろ! と慎重に促す自分が同時に声を上げているというこれまでにない感覚。

 それ故に、迷わされる。

 改めて探りを入れるよう様子を窺い、気付く。

 

 長門は、笑っている。静かに。

 

 これまで、ヒル魔に対してはしかめた面しか表に出さなかったのに、笑みを浮かべている。この追い詰められている苦境の場面で、だ。

 

「なににやけてんだ? 追い詰められてビビっちまったのかァ?」

 

「久々に俺のアメフトをやれるかもしれない、と思えてついな」

 

 深呼吸。荒れていた呼吸をその一回ですべて飲み込む。

 顔には依然と笑みが。そして、その目には期待の色が垣間見えた。

 

「ああ」

 

 息を呑み込む。ヒル魔もまた笑って、言い放つ。

 

「最っ高に楽しませてやる。アメフトをな、糞カタナ!」

 

 

 ――ここだ。

 おそらくアメフト部の命運をかけた試合の最後の勝負所になる! そう直感したヒル魔はずっと温めてきた作戦(カード)を切る。

 

「SET! HUT! HUT! HUTッ!!」

 

 栗田からボールを受け取ったヒル魔は、ボールを抱え込まず、構える。後半に入ってから一度もしていないパス発射体勢。

 またフェイクか?

 いいや、前半とは一点違う。

 パスターゲットの中に、ひとり、前半には参加してなかったアメフト部が混じっている。

 

 この一発絶対に捕りこぼすんじゃねぇぞ、糞ジジイ!

 無茶な注文吹っ掛けやがる。だが、絶対に落とさねぇよ。投げてこい、ヒル魔!

 

 武蔵。

 アメフト部だが、不器用でキャッチもあまり得意ではなく、キックに専念させていた。

 でも、米軍基地の特別練習でパスを練習したヒル魔は、武蔵に基礎錬だけでなく、キャッチの練習をさせていた。キャッチ成功率は、フィールドゴールキックを決めるのよりも低いが、それでも他の助っ人連中にさせるより遥かにマシだ。

 こんな付け焼刃でキャッチを覚えた急造レシーバーへのパスプレイは、一か八かのギャンブルとなるだろうが、だからこそ、完璧に裏をかく作戦となる。

 前半、パス失敗を乱発させて体力削らせながら、更にそれを布石にする。結局、レシーバーはいないのだと思わせ、最後の最後の一本で、決める。

 そして、これが決まれば、この試合、勝ちだ。

 

 

 ――『デビルレーザー(バレット)』ッ!!

 

 

 ヒル魔妖一が投げ放つは、狙撃の如く、ピンポイントを撃ち抜くレーザーパス。

 射距離、弾速、弾道、それから、風向きと風速、ターゲットの移動速度まで含め、その全てを計算し尽くした時に初めて、弾丸(パス)は狙ったターゲットに吸い込まれる。

 空を裂くパスは、パスターゲットの武蔵が全力で走った先へ――

 

 

 ~~~

 

 

「アンタのパスはすべて潰す、と言ったはずだ」

 

 

 ~~~

 

 

 この一球のパスプレイの為に仕込みに仕込みを重ねてきた。

 前半丸々使って、パス失敗した印象をつけさせたはずだ。武蔵という急造レシーバーの存在も徹底して隠したはずだ。

 ――なのに、“パスが在り得る”と奴は判断していた。

 

 いいや。このパスの弾道は、奴の制空圏では届かないところを狙った。事前に奴の身体能力だけなく、性格や癖まで研究し、試合の最中もパスカットをさせながら守備範囲を見極めた。その守備範囲の10cm先を通るコースにヒル魔は『デビルレーザー弾』を放った。

 ……そう、“長門村正”を理解したつもり、だった。

 

「―――」

 

 ボールから指先が離れる瞬間に動き出していた。

 こちらのパスに反応して、迷いなく、パスコースへ駆ける。そして、()ぶ。

 指先が、届く。

 

 カットされる、と思った。

 

 指の腹に回転するボールが擦れて、勢いを殺す。柔らかな手首はボールを反発することなく受け、下から上へ撫でるように弾く。

 

 弾道(パスコース)が曲げられたかのように、真上にボールが飛ばされた。

 

 着地。して、跳躍。

 人の計算の斜め上を行く、高さと速さを兼ね備えたジャンプ力。それを連続で行使する。

 

 

 なんて奴だ、と溝六は瞠目する。

 俺たちが届かなかった10cm先を制しやがった!

 

 

 長門は無理やり真上に撥ね上げたボールを、誰の手の届かない高さで獲った。誰もがその孤高のキャッチを見上げるしかできなかった。

 

(ありえねぇ……!? 今日この日までの糞カタナに関する情報は集めるだけ集めた俺の想定の範囲内で、あんなふざけたプレイはできるはずがなかった! そんな不可能を可能にしやがるとは、この野郎、この試合で“進化”しやがったのか!)

 

 守備範囲外を通したパスに届くだけでもあり得ないのに、真上にカットしてから連続ジャンプでインターセプトを為すという離れ業は、ヒル魔の計算を上回る。

 なんて理不尽。どんなに考え尽くしても、想定を超えてしまう、進化する怪物が存在することをヒル魔は悟らされた。

 

 だが、呆けている余裕などない。

 長門は、二度の全力跳躍下からの着地直後から瞬時に全速力で駆け出している。

 

 試合の終盤で衰え知らずの強靭な足腰には、ヒル魔はもう妬む気持ちも芽生えない。

 今この瞬間、とにかくやるべきことはひとつ。

 怪物を止める。何としてでも。でなければ、俺達は負ける!

 そのために俺ができることは――

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、逃げんのか、糞カタナ」

 

 

 ~~~

 

 

 いち早く反応したが、ヒル魔は長門の速度に追いつけない。

 そもそも足が動かなくなっている。全身に違和感、当然のことだ。栗田を壁にしたとはいえ長門相手に、強引なランプレイで挑み、何度も叩き潰されたのだ。ダメージをアドレナリンで騙してきたが、こんな時で切れやがった。

 糞……! それでも、諦めてたまるか……!

 

 

 ~~~

 

 

「フィールド上では容赦はしねぇとかほざきながら、ここで俺を避けるなんて、糞半端な真似で決着(ケリ)つける気か!」

 

 

 ~~~

 

 

 挑発。こんなの負け犬の遠吠えにも等しい愚行。そんなの相手にする必要もない。

 長門はスピードもパワーも駆け引きもヒル魔よりも上。前に立ちはだかっていても、たやすく抜かされてしまうだろう。

 それでも、ヒル魔は真正面の長門を睨んで、吼える。

 

 

 ~~~

 

 

「俺をブッ殺せねぇヤツが、本場の連中をブチ抜いて時代最強の称号(アイシールド21)を獲るかもしれねぇ大和猛に勝てんのか!」

 

 

 ~~~

 

 

 呼吸さえも放棄して吼えまくったせいで、頭がクラクラしてきた。

 腕を広げ大きく構えているが、張りぼてに過ぎず。ヒル魔は、強風に煽られただけで倒れてもおかしくない状態だった。

 

 そして――

 それは長門村正も承知の事だった。

 

 

「ハッ……本当に口が達者だ。だが、十球の制限があったが、パスキャッチができれば認めると言ったしな」

 

 

 先のパスキャッチ(インターセプト)は、長門としても紙一重であった。

 戦術では、一枚上手だと認めるが、そのプレイ自体に才能は感じられない。しかし、だからこそ、その泥臭い姿からは、アメフトに対する誠実さがよく伝わる。

 そして、そんな認めた相手の本気に応えるのは、全身全霊でぶつかる術しか長門は知らない。

 

 大和猛にしか抜かれなかった『妖刀』の矛先が、ヒル魔妖一に向けられた。

 

 

「ああ。お望み通りに、アンタをブチ殺す」

 

 

 ~~~

 

 

 ケケケ、挑発は成功……だが。

 体当たり(パワーラン)と正面衝突すれば……いや、そんな後のことなど、考えないッ!!

 最高に楽しませてやる、と言ったのだ。

 この試合で、コイツは、満足のいくアメフトができていなかった。パスも、ランも、キックも、ブロックも全部やっていても、それをアメフトなどとは思えない。

 

 むしろ、何でもできるから何でもやるのは非効率だとさえ思う。

 

 自分には才能がない。だからこそ、才能の無駄遣いは許せない。

 そう、アメリカンフットボールは、専門職が集ったスペシャルチームでやる競技だ。スピード、パワー、タクティクスがあっても、一人じゃあ爆発しない。

 それで個人技だけで勝たせては、その説得力は、弱者の戯言も同然の価値に暴落する。だから、相手が何だろうが駒ひとつ(ひとり)に何が何でも負けるわけにはいかない。

 

 生きるか死ぬか――いや、99%死ぬ――それでも、やってきたこのチャンスにヒル魔は手を伸ばした。

 

 

 ~~~

 

 

 長門村正の正面衝突。

 それに捨て身で腰にタックルを決めにいったヒル魔は、吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばされながらも、右手で掴んだ。

 ユニフォームを。

 

「死んでも、離すかよ糞カタナ……ッ!!」

 

 あまりの衝撃に半ば意識が飛ばされ、身体がまともに動けない。

 それでも、ユニフォームを掴んだ感触だけは、手放さなかった。

 

 

「うおおおおおっ!!!」

 

 

 長門は、止まらない。

 ヒル魔を引きずりながら、真っ直ぐゴールを目指し疾駆する。

 市中引き回しの刑のように地面に身体を擦らされる。咆哮だけで硬直してしまいそうな覇気に精神までも削られる。

 抵抗をやめ、手放せば、楽になれる、と誰かの声がささやく。

 

 ――そんなふざけた幻聴を、ヒル魔は噛み砕く。

 俺は本気でアメフトをやっている。

 『俺はやるだけやった』だの、『頑張った』だの言って、諦めて引退した野郎のようにはならない。

 

 半死半生でみっともなく、もはや意地だけでしがみつくヒル魔。

 それも長くはもたない。

 掴まえようが、強引に振り切る疾走。アメリカンフットボールの原点とも言えるプレイは、力のない凡人では止められない。

 ――それでも、ヒル魔が重しとなる分だけ速度(スピード)は落ちる。

 

 

「ったく、無茶ばっかしやがってこの馬鹿野郎!」

「ケケケ、来んのが遅ぇぞ、糞ジジイ」

 

 

 武蔵が、駆けつけた。

 こんな敗北必至の相手だろうが諦めてしまうような貧弱な奴じゃないのは重々に承知だ。

 ひとりで食らいついても勝てない。だから、待っていた。仲間が追いついてくるのに賭けたのだ。

 

「おおおおおおおおっ!!!!」

 

 な……っ!?

 武蔵も長門を掴まえる。だが、それでも止まらない。

 何たる馬力だ。二人がかりでも膝を屈さず、雄々しく吼えながら長門は前へ進む。

 ゴールラインは、もうすぐ目の前――

 

 

「構わず俺達ごとブッ潰せ、糞デブ!」

 

 

 ここで、99%死ぬだろうとヒル魔は悟っていた。

 そして、100%()()()が追いつくと信じていた。

 

 ヒル魔よりもガタイのいい武蔵にまでしがみつかれれば、止まらなくてもスピードも激減する。そう、鈍足の重戦士が間に合うくらいに。

 

 

「必殺――『栗ハンマー』!!」

 

 

 ドガシャア――――ッ!!!!

 長門を押さえるヒル魔と武蔵をも巻き込むボディプレス。

 

 ぐぬっ!?!?

 重量級ののしかかりに、ついに長門は膝を屈し、

 

 

「「「おおおおおおお!」」」

 

 

 地面(フィールド)に引き倒された。

 三人がかりで、長門村正の独走を阻止された時、試合終了を告げる笛の音が響いた。

 

 

 ~~~

 

 

 19-19。

 点数だけを見れば、引き分けだ。

 その結果を見て、長門は大きく息を吸う。勝てなかった悔しさを腹の底に深く静めるための儀式であるが、その何とも言えない味に歯噛みする。

 そんな癖を出すのは久しぶりで、つい頬が緩む。

 

 悔しいが……面白かった。

 

 その言葉を噛み締めると、歯車が、綺麗に噛み合ったのを自覚した。

 別に表面上に何か変化があったわけではない。それでも、これほど簡単に世界の色彩が変わったことに驚きを覚えると同時にすとんと納得する。

 

 

「――まだ、試合は終わってねーぞ、糞カタナ!」

 

 

 浸っているところに、威勢よく延長戦を望むのはやはりこの男。

 この試合一番の重傷者というか、ついさっきのプレイで最後まで離さなかった腕の骨を折ったのだ。それでも、徹底的に白黒つける。この姿勢には、助っ人連中もげんなりとしつつも逆らえず、アメフト部の二人もひとりは『もう流石に無理だよヒル魔ぁ~』と心配して慌てふためき、もうひとりは『腕一本折っちまってるのに……また後日に再戦とかじゃダメなのか?』と呆れつつも妥協案を出す。

 対して、長門もふっと笑みをこぼす。

 あれだけぶちのめしたのに、まだアメフトをやろうと誘うのか。

 

「アメリカンフットボールは、勝者が絶対だ。テメェを実力で屈服させる! こんな半端な結果を理由に逃がしたりはしねーぞ!」

 

「ああ、その意見には同意だ。こっちも引き分けは納得がいかない。

 

 

 

 

 

 だから、俺の負けでいい」

 

 長門がそう言った時、三人の顔が揃って、きょとんとした。

 白旗代わりに右手を振って、降参の意を示す長門に、訝しげにヒル魔は訊ねる。

 

「どういうつもりだ、糞カタナ」

 

「どういうつもりだ、とはこちらのセリフなんだが。――俺が気絶し()てる間、両チームの残りのタイムアウト全部使ったんだろ」

 

 長門が目覚めて、時計を確認した時、試合の開始時間から逆算すれば既に試合終了していたことに気付く。

 これはどういうことかと訊ねた溝六は答えてくれた。

 栗田と武蔵の意見に折れたヒル魔が渋々ながらもそんな似合わぬ真似をしたことを。それを聞いた時、長門は思わず笑ってしまった。

 

「そんな情けをかけられなければ、今頃、アメフト部の勝ちで決着がついていた」

 

 長門がいなければ、やる気のない黒チームなど簡単に逆転できただろうに、そのチャンスを逃したのだ。

 あちらもだいぶ運に助けられた点はあるが、試合内容まで加味すれば、長門の負けだ。

 

「僕たちの、勝ち……――と、ということは、長門君もアメフト部に!!」

 

「それはちょっと待ってください。その前に、けじめをつけたい」

 

 勝利、そして、新たな仲間の加入に喜びを爆発させようとした栗田に、長門は待ったをかける。

 

「え……長門君? どういうこと……?」

 

「俺を思いっきり殴ってください。なんなら銃弾でも構わない。清算をしておきたい」

 

「も、もしかして、ヒル魔を骨折させちゃったことを気にしてる? でも、あれは僕のせいでもあるし、これはアメフトなんだから! ヒル魔だって、骨を折ったことで長門君を恨んだりしないよ!」

 

 とフォローしてくれる栗田だが、長門は淡々と言う。

 

「俺はずっとアメフト部を侮辱していたんです。始めて一年足らずの連中が、全国大会決勝で優勝するという夢を持つなど、現実を見てない道楽だと切って捨てた……!」

 

 長門は、3人から目を逸らさず。

 その意を酌んだのは、武蔵。

 

「……そうか。それは侮辱だな。だったら、望み通り……――けじめつけてやるッッ!!」

 

 武蔵は胸倉を掴み上げると、長門の横面を拳骨(グー)で殴り抜いた。

 無抵抗だったが、長門を思い切り地面に叩きつけるほど、手加減なしに。

 

「なっ!? 長門君ッ!?」

 

 これに当然、慌てふためくのは栗田。

 だが、殴った当人も、殴られた当人も動じておらず。

 

「いてて……こんなキツいパンチは初めてだ」

 

「フン……。ガキでも容赦なく殺すかって勢いの鉄拳をいれる糞親父に叩き込まれちまったモンだからな」

 

「なるほど。予想以上の拳骨でしたが、我儘を聴いていただき、ありがとうございます、武蔵()()

 

 武蔵に腰を折って深く一礼をする長門。

 それから、栗田の方に向いて、同じく一礼。

 

「心配をおかけして、申し訳ありませんでした、栗田()()

 

「う、うん、長門君が無事ならいいんだけど……そっか、先輩かぁ。これで長門君の先輩になれたんだ! よぉおおおし! もっともぉぉおおっと、頑張るぞーー!!」

 

 そして――

 

「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします、酒奇先生」

 

「おう、みっちりと扱いてやる。それと俺のことは溝六で構わねぇぞ」

 

 顧問の溝六にも挨拶する。

 嫌なものは最後に残しておきたいのか、はたまた意図的に無視されたのか。ここまで視線を合わせなかった最後のひとりとようやく対峙して、不敵な笑みを交わす。

 

「で、賭けはテメーの負けってことでいいんだな、糞カタナ」

 

「延長戦でも構わなかったんだが、これ以上、アンタをボロボロにするのは忍びなくてな」

 

「試合前にズタズタにしやがるとかほざいてなかったか?」

 

「どうして腕を折ってるのにここまで強気で出られるんだ?」

 

「ケケケ、吐いたツバは飲み込めねーぞ」

 

「ああ、だが、俺を使って勝ち抜けないようならそれは指揮官の責任になるな」

 

「糞生意気なこといいやがる。絶対服従のコマとして、存分にこき使いまくってやるから覚悟しやがれ、糞カタナ!」

 

「どんな無理難題でも投げてこい。猛がアメリカで最強の選手になるんだったら、俺は日本で最強の選手になってやる。

 だから、ヒル魔()()は、誰が相手だろうと俺が勝つと決めつけて作戦を立てればいい」

 

 そして、この日、デビルバッツに最強の切り札(ジョーカー)が加わった。

 

 

 ~~~

 

 

「……と、試合で負けを認めた……違うな、あの先輩たちとなら、アメフトが楽しめそうだと思えた俺は、アメフト部――チームデビルバッツに入った」

 

 長門は、入部の経緯、そして、泥門高校へ進学する理由をリコに語り終えた。

 

「それで、その先輩達を倒した、王城ホワイトナイツ――進清十郎」

 

 その時の目は、燃えているようにリコには見えた。

 きっとあの試合の終盤のときのような、“壁”に立ち向かう雄の目だ。

 

「今すぐにでも戦ってみたいが、プレイを見る限り向こうの方が上だ。だが、一年後、俺は進清十郎を倒す」

 

 ライバルとの誓い、そして、先輩らの夢。それら二つを叶えるには、必ずこの男が立ちはだかるに違いない。だから、倒さなければならない。

 そんな使命感と同時にこの“高校最強”の存在を教えてくれた先輩に感謝を覚えた。

 ありがたい。

 俺は、まだ日本(ここ)で目標にできる格上がいる、と。

 

「………………」

 

 その宣誓にリコは、何の反応もできなかった。声ひとつも漏らせないくらいに、息が詰まった。

 そんなリコの緊張を緩めるように、軽く口調を緩める。

 

「ま、呆れてモノが言えないのもしょうがない。何せ、既に“高校最強”を冠する進清十郎からは程遠い無名選手の言葉だからな。三歳児が将来は宇宙飛行士になるというのと大差がないし、笑ってくれても構わない」

 

「笑いませんよ! だって、私は知ってますから! 村正君がどれだけ頑張っているのか、ずっと見てきましたし……本気なことくらいわかります!」

 

 だって、私は、村正君のファン第一号なんだから。

 だから、書こう。この先、ついに試合に出るようなことがあれば、彼の凄さを世間(みんな)に思い知らせる特集記事を!

 よし。こうなったら、今日のことをしっかりと書き留めておかないと……! とリコが情報を整理しようとしたところで、はたと気付く。正しくは、思い出す。

 

 今、“自分の部屋で”、“夜”、“二人きり”だということを。

 

 あれ? こんなワードを取材記事に盛り込んじゃったらスキャンダルになっちゃったりしませんかね!?!?!?

 

「そうか。……うん、負けられない理由がまた一つ増えたな」

 

 頭からショートした煙のような蒸気を噴き上げてテンパるリコを他所に、再び進清十郎のプレイ集を見直す長門。

 この日から、いずれ必ず雌雄を決することを予感し、『妖刀』は更に研ぎ澄まされていく。

 

 

 ~~~

 

 

 0-99。

 泥門デビルバッツの初陣は、麻黄中時代の記録を大きく塗り替えるほど大敗した。

 

「この野郎、ホントにかけらも手ェ抜きやしねぇ」

 

 キック一本も決められなかった、鉄壁の守備。

 その黄金世代と謳われた王城ホワイトナイツの中核にあるのはやはりこの怪物。進清十郎。

 

「……敵が新興のチームだろうと驕ればいつか必ず足元をすくわれる」

 

 たとえば、触れもしない光速の男が相手では、すべてのパワーは封殺されてしまう。

 だから、進は如何なる相手にも油断なく、容赦しない。決して弛まない。

 

「進、それはいくらなんでも心配のし過ぎだ」

 

 しかし、そんな在り方を、こんな弱小チームにまで発揮するには、いささか張り詰め過ぎている、と黄金世代の主将・花田が口を挟んだ。

 

「今回は進の頼みだから、この春大会直前にも拘らず練習試合を受けたが、怪我をしたくなかったら身の程を弁えるんだな。進も、こんな雑魚、わざわざ相手にする価値などない。時間の無駄だ」

 

「ケケケ、なら、来年、進をブッ潰してやるよ」

 

「はっ! お前にゃ無理だ」

 

「俺じゃねェ。泥門デビルバッツのエースがやる」



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44話

更新、お待たせしました。
ちょくちょくと書き溜めていたものがある程度溜まったので投稿します。
大変な状況はまだ続いてますが、拙作が気休めとなれば幸いです。


 ――鉄壁。

 東京地区代表に8人も選出された新生王城ホワイトナイツの守備陣で、高校最強の守護神(ラインバッカー)・進清十郎を中核に据えた守備力は全国屈指であり、準決勝の後半から桜庭春人が加わってからは、あの西部ワイルドガンマンズを完封している。

 如何なる攻撃をも寄せ付けないその有り様に、専門家たちからは鉄壁の城砦とも評している

 

 その鉄壁に、哄笑する悪魔は“巨大な矢”を向ける。

 

 間違いない。アレは、『巨大弓(バリスタ)』だ。

 

 ボールをスナップするセンター・栗田とボールを受け取るクォーターバック・ヒル魔が並ぶ中軸。

 その背後に続くようにセットする二人。

 長門村正とアイシールド21。

 王城は三叉槍(シン)を“巨大な矢”としていて、泥門は『妖刀』を代わりとしているが……その走者を背負う振る舞いには、既視感(デジャブ)さえ覚える程に遜色がない。

 

 だが。

 

 しかし。

 

 そうなると、黄金時代の王城守備陣を圧倒したのと同等の破壊力があるというのか……!?

 

 

「問題ない。泥門が――ヒル魔がこの手(バリスタ)を仕掛けてくるのは想定内だ」

 

 

 スタジアムに動揺の漣が広がっていく中で、ベンチでそう呟くのは、高見。

 ここで揺さぶられては、ヒル魔妖一の思う壺。そんなこと、わざわざ指摘するまでもない。

 泥門は、神龍寺ナーガとの試合で、『ドラゴンフライ』を仕掛けたという前科があるのだから。

 

 当然、守備(ディフェンス)チームは、実際に進を相手に『バリスタ』を受ける練習を積んできている。

 

「ばっはっは! 真似が好きのようだな、泥門! だが、その戦術は俺達には通用せんぞ!」

 

 解説役が驚いているようだが、王城の選手たちの動揺は、水面にほんのわずかに漣が立った程度ですぐ収まったことがベンチからでもわかった。そこへ主将である大田原が明るく盛り立てれば、真っ向から叩き潰してやるとばかりに目の色が変わる。

 下手に挑発をした結果、王城の意識はさらに強固となった。今更、心配など向けるべきではない。

 

 

 だから、高見が思索するのは更に先の事。

 

(俺とヒル魔は“同類”だ。どれだけ努力しても進や長門のような完璧超人には近づけない。だから、策を細緻に弄する)

 

 

 3度目のHATコールで、栗田からボールがスナップされた。

 同時、長門とアイシールド21が始動。ヒル魔からボールを受け取りに行く。

 

 

「予告通り! 泥門が『巨大弓』をぶっ放したぞーっ!」

 

 

 両陣営の境界線で爆ぜる衝突音。

 爆心地には、ラインの中核を担うセンター――

 

「ふんぬらばアアアア――!!!」

「ばぁ――はァ――――!!!」

 

 互いに容赦なし。

 がっぷり四つで競り合う栗田と大田原。

 

 栗田良寛は、準決勝で峨王力也との闘争の果てに、味方を守護するためならば敵を破壊する殺意を芽生えるに至った。

 ベンチプレス160kgのパワーがありながら、これまでの栗田には持ちえなかった真なるラインマンと呼ぶには足りなかったもの。それをついに備えた生粋の重戦士はその剛腕を容赦なく振るえるようになったのだ。

 この関東大会で最強のパワーを誇る峨王を打倒した今の栗田ならば、他のラインマンなど圧倒できる――

 

「ァアア! 栗田ァァァ!」

 

 倒し――切れない。

 どころか、ほんの僅かでも緩めれば圧倒されかねない、ギリギリの拮抗。

 

 大田原誠。

 王城ホワイトナイツの三年生選手にして、主将。

 彼は、馬鹿であり、難しいことはあまり考えられない。だから、こうであれというチームの方針を誰よりも愚直に守ってきた。

 ――glory(グローリー) on(オン) the() kingdam(キングダム)(王国に栄光あれ)

 試合前の号令をかける時、チームを率いる主将として大田原は唱えてきた。

 

 騎士の誇りに賭けて勝利を誓う。

 そう、我々は敵と戦いに来たのではない。

 ()()に来たんだ。

 

 自分は自他ともに認める馬鹿であるのだから、言ったことのみに専心する。

 相手を“倒す”ことだけを考え、必要以上に破壊するような真似は控えてきた。

 これまでの試合、最も強敵手と意識する栗田が殺意なくぶつかってくるのだから、それに合わせるように、大田原もまた制してきたのだ。

 そうそれだけの話。

 栗田のように性格が合わなかったから纏えなかったのではなく、不必要に纏うような行為は自粛していただけに過ぎない。

 故に今、全力でこちらを破壊しに来る栗田に触発されるよう、大田原もまた発露する。

 真なるラインマンとして、当然の如く御しているその『護る為の殺意』を。王城の騎士団長は、護るべき仲間を背負うほどに高まるその力を確かに纏っていた。

 

「地区大会での借りをまとめて返すぞ、栗田!」

 

 強い――ッ!

 数値上では峨王の方が上なのだろうが、大田原の腕には数値化できない、条理をも覆してくるモノが宿っている。

 ――けど、それはこっちも同じだ。

 

「倒すんだ! 勝ってみんなで全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くんだ……!」

 

 

 ――大田原……!

 鉄壁のライン陣をぶち抜かんと突貫する栗田。それを受けて立つ大田原。

 センター同士が鬩ぎ合う衝突を、更に後ろから後押しせんと長門が迫る。だが、突破口を塞ぐべく進がフォローに入る。

 高見伊知郎は、その戦況を、フィールドから観ていた。

 ベンチからでも仲間たちを支援できることはあるはずだ。攻撃専門チームで直接参加しているわけではないが、それでもやれることはすべてをやる。この王城の司令塔として、冷静に、外野からでも、外野だからこそ気づけるものを見落とさないように

 

 自分ならばこの局面でどう打つか。

 ヒル魔は、利き腕に包帯を巻いて、開幕のキックボールのキャッチを他人任せにした。あからさまなまでのアピール。それから『巨大弓』を宣告し、中央突破のランを仕掛けた。

 しかし、王城の守備はそれを許さない。泥門の『巨大弓』は突破できず――

 

(! あの泥門の壁の動き、さりげないが間違いない。パス壁だ……!!)

 

 突破できない、ではない、突破する気がないのだ。

 そして、『渡したフリ(ハンドオフフェイク)』はヒル魔の十八番。

 だとすれば、ボールを所有しているのは、アイシールド21ではない。

 

 チェス盤を逆転させるように、相手の言動を意識してなぞり、相手の視点になってモノを見れば、おのずと解は導き出せた。

 『巨大弓(バリスタ)』を印象付けての、パス。

 ヒル魔の策を察知した高見は、すぐさまその策を封じる一手を放つ。

 

 

「雷門太郎から目を離すな桜庭!」

 

 

 ~~~

 

 

 桜庭は、王城の守備では新参だ。

 オフェンスチームの選手であり、両面での試合は、まだ一試合の半分程度の経験しかない。

 だから、釣られかけていたが、全幅の信頼を寄せる先輩の指示(こえ)に立て直した。

 

 そうだ。

 俺がすべきは、泥門のエースレシーバー・モン太のマークだ。

 

 長門がブロックに参加している以上、泥門で最も警戒すべきレシーバーは、モン太。

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔妖一の思考をトレースできるのは、高見伊知郎だけではない。

 観客席からフィールドを俯瞰するこの男にもその狙いは看破できていた。

 だが、その策にはなくてはならない前提がある。

 

「たった2週間で完治してんのかっちゅう話だよ、ヒル魔」

 

 円子令司がぼやくように指摘するのはそれ。峨王が壊した右腕でパスを投げれるか否か。

 ちまちまとした小細工で僅かでもパスから気を逸らそうとしても、そのパスが投げられなかったら破綻するのだから。

 白秋との試合でも負傷退場してからのヒル魔は、まともなパスは投げられていなかった。

 

 

 峨王に破壊されたクォーターバックはたいていが全治一か月は見積もる怪我を負っていた。

 それを半分の期間で治すという無茶。普通に考えれば、ギリギリではなく、難しい、とその診察に立ち会った岡婦長は断ずる。

 

「もちろん酸素カプセルの効果は知っている。でもあれは民間療法。ナースとしては信用してないの」

 

 だから、一学生の身の安全を考慮すれば、試合の出場は認められない。

 だけど、あの戦場に立つのは、選手だ。

 自身の息子もまたその道を行く選手だったからこそ、その意志の強さを悟る。

 そして、医は精神力。

 

 死んでもクリスマスボウルを賭けたこの決勝までに治して闘うっていう、その想いの力で彼はあそこに立っている……!!

 

 

「YA―――HA―――!!」

 

 

 包帯を振り解きながら、その右腕が振るわれる。

 

 

 ~~~

 

 

「これはモン太への超ロングパス……!

 ヒル魔妖一、復活の超ロングパース!!」

 

 

 肩は、問題ない。

 コントロールも――――完璧、だ。

 

「しゃああ、捕れ猿!」

「モン太……!!」

 

 十文字とセナが見つめる先には、自身の限界点に投げ込まれたパスコースへ脇目も振らず一直線で駆けるモン太。

 

「ダッシュMAーーX!!」

 

 パスの種類関係なく、泥門のレシーバーはそのスパルタな要求に応えんといつだって全力疾走だ。

 そして、それに追走する桜庭の姿があった。

 

 先制パンチを成功させれば、チームは勢いづく。

 この関東大会では、試合の一番最初のプレイを自分のキャッチで決めて勝ってきたのだ。

 

「スタミナなんか温存しちゃいられねーんだ! マスク取って快調MAーーX!!」

 

 速い……!

 高見の指示があったがそれでも桜庭は意識の切り替えが一瞬遅れて、その一歩出遅れた隙にモン太はマークを振り切った。

 試合前から仕込み、仲間達がこのキャッチプレイのお膳立てをしてできたチャンス。このチャンスMAXをものにできなくてどうする!

 

 桜庭先輩と鉄馬先輩が、東京ベストレシーバーに選ばれた――自分(モン太)は東京ベストレシーバーに選ばれなかった。

 その時、やっぱり、悔しかった。

 地区大会決勝で泥門が王城に負けたのも悔しかった。

 その悔しさをここで晴らす。

 

 キャッチでは絶対負けられねえんス。

 東京ベストレシーバーは桜庭先輩に捕られちまったけど、この関東No.1レシーバーの座はこの俺の手でブン捕る!!

 

 

 ――『デビルバックファイア』!!!

 

 

 ヒル魔が投じたパスをモン太が背面捕り。

 確かにキャッチしたボールをモン太が抱え込

 

 

「桜庭ァアアア!!」

 

 

 ~~~

 

 

 全国大会決勝(クリスマスボウル)出場をかけた関東大会決勝。

 この大舞台で、今、四強時代となったレシーバーの中で、誰が一番か決まる。

 

 そんなの、桜庭が断・然No.1に決まってるやろ!

 

 

『俺は、決めたよ。虎吉の見たスーパーキャッチ、まぐれじゃなくしてみせる』

 

 

 あの宣言を、実現させてみせたのだ。

 昔のヘタレシーバーとはちゃう!

 今の桜庭はホンマもんの、自分が憧れた、エースや!

 

 観客席から誰よりも熱のこもった声援を送る車椅子の少年、虎吉のヒーローが雄々しく頂点を目指す姿を見た。

 

 

 ~~~

 

 

 絶対に超えられない天才(しん)が目の前に居続けるこの世界は、否が応でも自分が凡才なのだと突き付けてくる。

 皆のように別格視できればこんなことには悩まなかった。

 だけど、俺は現実を冷静に受け入れられるほど賢くなくて、ずっと追い続けた。反吐を吐きながら、苦しみながら、自分でも抜けないことなど分かっていながらも……!

 俺は、もがく。最後の最後まで、もがくんだ!

 

 

 自分の未熟さで、スタートが出遅れてしまい、キャッチを許してしまった。

 

 だが、まだだ。

 まだ、闘いは終わっちゃいない!

 

 

 ~~~

 

 

「っ……!!」

 

 パスをキャッチした。

 しかし、キャッチしたボールを抱え込む前に、腕を捕られた。

 

 それは、モン太が準決勝で白秋の如月にやられたプレイ。

 『プテラクロー(リーチ&プル)』だ。

 

 

「桜庭を甘くみたなヒル魔。奴は腕も(たか)いんだ……!!」

 

 

 ヒル魔妖一には計算外の、高見伊知郎には期待通りの、桜庭春人の高さ。

 

 桜庭は攻撃専門の選手。

 だから、この守備の技である『リーチ&プル』は習得する必要性は低い。

 だが、桜庭は、春大会に長門村正にボールを奪われたこのプレイが、脳裏に焼き付き、それを克服せんと研究や練習に励んでいた。

 そして、両面で出場してから守備の練習に参加するようになり、既に頭の中に吸収(インプット)されていた“高さ”を活かせるその技術を自分の武器としていた。

 

「はあああっ!」

「つぁっ……!」

 

 騎士の長剣(ロングソード)の一振りが、キャッチした片腕を断った。

 

 

『泥門、パス失敗――!!』

 

 

 ~~~

 

 

「桜庭あああ!!」

 

 桜庭コールの大歓声がドーム内に反響して響き渡る。

 フィールドに這いつくばる自分を見下ろす、今や巨人となったその男をモン太は改めて見る。 

 

「まずは俺の一勝だな、モン太」

 

 一休よりも遅い……けど、自分より速い脚。

 鉄馬よりも弱い……けど、自分より強い体。

 如月よりも固い……けど、自分より長い腕。

 そして、桜庭は群を抜いて高く、自分に劣らぬ強い執念があった。雷門太郎が東京地区や関東大会で対戦してきた中で最強の相手は、背面捕り(バックファイア)で目視しなくても背中に圧を感じていた。

 

「俺はこの試合で、関東最強レシーバーの称号を手に入れる」

 

 眼中にないとされた鉄馬や一休とは違い、最初っからバリバリMAXの闘志をぶつけてくる桜庭にモン太も真っ向から睨み返した。

 

「まだ試合は始まったばかりっスよ。東京ベストレシーバーは桜庭先輩に奪られちまったけど――今度は俺がNo.1レシーバーを獲るんスから……!!」

 

 

 ~~~

 

 

「進、空中(パス)は俺に任せてくれ。地上(ラン)を制圧すれば、泥門は完封できる」

 

「ああ、任せた桜庭」

 

 桜庭が甘かねえってこた分かってたがな……

 

 

「ナメんなよ、泥門!!!」

 

 

 怒号にも聴こえる大声を張り上げるのは、王城一年生選手の猪狩だ。

 いや、実際に怒っ(キレ)ている。

 猪狩は身内を馬鹿にされるのが許せなくて、アメリカンフットボールプレイヤーとなった。それだけに、ヒル魔のやり口が気に食わない。

 

「王城の『巨大弓(バリスタ)』のハッタリが王城守備(ディフェンス)に通用するわけがねーだろ!!!」

 

 王城ホワイトナイツが合宿でチーム力を底上げさせて、ようやくモノにした戦術。

 それを模倣するなどふざけるにもほどがある。

 

「ケケケ、別にハッタリじゃねぇぞ。泥門最強最高最速の面子でぶっこむ『悪魔の巨大弓(デビルバリスタ)』は王城の守備をブチ破るだけの破壊力があんだよ」

 

 そんな猪狩の猛る様を見て、ヒル魔は更に火に油でも注ぐように言い返す。

 

 

「糞デブが大田原をぶっ潰し、糞カタナが進をぶっ倒す。そうすりゃ、糞チビ――アイシールド21を止めることはできねぇ」

 

 

 その発言は、フィールドだけでなく観客席にまで伝播して、一瞬、スタジアムは静まりかえった(猪狩は狂犬の如く噛みつかんばかりだが、大田原に鎖で引っ張られて強引にお預け(ステイ))。

 

 観客の誰かがぼやく。

 またハッタリだ。

 峨王に勝利した栗田なら、確かに大田原を破れることに期待できる。

 アイシールド21の爆走は、王城の守備でも捕まえるのは至難である。

 

 だが、王城には誰もが認める完全無欠にして高校最強の選手がいる。

 泥門の長門もパーフェクトプレイヤーだと言われてはいるが、その評価には“もう一人の”という枕詞がつく。つまりは、進清十郎という存在の、後、だということを暗に示している。

 

「計算違いが過ぎるね。あまり大きな法螺を吹かない方がいいヒル魔。場が白ける。後輩に過分な期待を押し付けるのはよくないと思うが」

 

「この試合で進のNo.1プレイヤーの看板を奪う」

 

 高見がこの場の総意を代表するよう淡々と宣告するが、ヒル魔は尚も言い放つ。

 これは単なる挑発ではなく、ヒル魔の勝手な宣戦布告。

 打ち合わせなしに大言壮語を押し付けられた当人は、注目が集まる中で、はぁ、と深く嘆息。

 

「キッドの爪の垢を煎じて飲ましてやりたいが、そんなことをしたところで、ヒル魔先輩の口数は減らないんだろうなぁ」

 

「君もだいぶ振り回されているようだね」

 

「ええ、無茶ぶりは毎度のことです。ただまあ、()()()()()()()()()()()()()ご心配には及びません」

 

 高見にそう言い放って、長門は前を向く。()最強選手と真正面から対峙する。

 

「なるほど、その気がないようでもなさそうだ。

 ――進。誰が、そして、どのチームが最強なのかを、教えてやれ」

 

「はい」

 

 高見に応じるまでもなく、進は、最強の強敵手と見合っていた。

 

 

 ~~~

 

 

「来たぁああ長門っ!! ハッタリじゃねぇマジで『巨大矢(バリスタ)』!!」

 

 

 不良の界隈で『プリズンチェーン』だとか騒がれてきたが、猪狩大吾は自分から喧嘩を吹っ掛けるような真似はしていないと自負している。

 

『王城の新入生ナンパしに行こうぜ』

『可愛いのいんのかよ王城なんか』

 

 ――王城のどこがブサイクだらけだオラァ!!

 

 ただ、我慢できないことがひとつある。

 たとえ停学処分を受けることとなろうとも、頭は瞬間沸騰してそれを叩きのめす。

 

『王城アメフト部ってさ、黄金世代が抜けてカス化したんだって?』

 

 それは、身内を馬鹿にされることだ。

 それだけは何があっても許さない。身内のことは何よりも誇りと思うからこそ。

 だから、その発言には納得よりも戸惑いの方が大きかった。

 

 

『――長門村正は、進を相手するつもりでかかるんだ』

 

 

 試合前のミーティング、泥門の戦力分析には納得がいかなかった。

 いくら頭脳において何よりも信頼を置く高見さんの言うことでも、その評には頷けない。

 だって、進さんは最強だ。同じチームメイトとして、後輩として、彼が四六時中鍛錬を重ねてきたその姿を見てきたのだから。

 最強の進さんと同格と見るような真似は断固としてできなかった。

 確かに実力があるのは猪狩にもわかっている、周囲から散々その活躍のほどを聞かされれば猪狩だって認めざるを得ないが、それでも自分と同じ一年だ。

 だからこそ、猪狩は考える。

 皆が、自分が納得できるようなこと。

 言葉での説得はできない。自分にやれることは、ただただ力でぶちのめしてやるだけだ。そのつもりだった。

 そこへ更に許されざる行いを吹っ掛けられた。

 

 『巨大矢』まで真似しよ(やろ)うっつうなら、それをぶっ潰してやる!!

 

「オォラァアアア!!」

 

 狂戦士は吼える。

 誰よりも真っ先に、悪魔から放たれた巨大な矢(ながと)に向かっていく。

 

 腕が無数に見えるほどの速度で繰り出される乱打。

 アメリカンフットボールの経験はまだ浅いと言わざるを得ないが、不良界隈で磨かれた喧嘩殺法は西部の主将とも渡り合っていた――

 

 

 ~~~

 

 

 妖刀は、一振りで狂戦士を斬り伏せた。

 

 

 ~~~

 

 

「な、ン――だと――」

 

 

 すごい。

 すぐ後ろについていたセナからはよく見えていた。

 雄たけびを上げながら一直線で迫ってくる猪狩には、正直、悲鳴を上げたくなったけど、それを長門は微塵も臆せず、セナが悲鳴を上げる間もなく倒した。

 猪狩の乱打が、幼稚な駄々っ子パンチにしか見えないほど、鋭く、速く、強い一打で終わらせてしまった。

 呆気なく打倒された猪狩は、果たして理解できていただろうか。

 彼我の、隔絶としたその実力差を。

 

 

「止めろ大田原ァァ!」

 

 

 走路は真っ直ぐ、中央突破だ。当然その先にはラインの中核を担うセンター大田原が待ち受ける。

 その大きな右の剛腕を長門に突き出す。

 だがしかし。

 長門も、栗田も片手間で競り合える相手ではない。

 

「オオオオオ!!」

 

 大田原が長門を相手取ろうとしたところを押し込む栗田。すかさず王城ディフェンスラインを押し退け、強引な突破を試みる長門。猪狩が抜けて、前線を支える比重が増えた一年生ラインの渡辺頼弘にはその突破を阻止するのは重過ぎる。

 垣間見えた要所の目に切っ先が突き通されたよう、亀裂走った王城の鉄壁は、次の瞬間こじ開けられた。

 

 

「行かせるか――!」

 

 

 ラインの突破を許してしまった。

 だけど、これ以上は許さない。

 王城の守備陣は後衛もまた攻略至難。

 完璧に役割分担された完璧な連携で、侵入者を包囲して仕留める。

 ど真ん中をぶち抜いてきた『悪魔の巨大矢(デビル・バリスタ)』に迫る、3人のラインバッカー――一番に来たのは、一年の角屋敷。

 小柄ながらも体の使い方が巧みな彼のタックルは見かけ以上に重い。

 ラインを強引に突破した直後、体勢が完全でない長門へ繰り出す全身全霊の一突き(ワンハンドタックル)は、憧れの先輩である進清十郎の『スピアタックル』を模倣したものだ。

 ――それを太刀の如き長腕が制した。覆しようのない絶対の差を突き付けるように。

 

 くそ……っ!

 薙ぎ払われるように崩される角屋敷、彼もまた猪狩と同様に、進先輩から技を盗む長門村正のことを認め難い存在としていたが、その実力の程はきちんと認識していた。

 自分一人では敵わない。ここでタックルを仕掛けても、止められないことはわかっていた。

 でも、ここで自分を倒すことに意識を向ければ、続く一手からは逃れられないはずだ。

 

 

「まだだ――!」

 

 

 二人目のラインバッカー、二年生の薬丸恭平が仕掛ける。

 進清十郎に憧れて王城に入部した彼が、その跳躍力を活かして一つの技へと昇華した長距離タックルが『妖刀』に一撃を食らわせんとする。

 ――寸前で、遮られた。

 白の背番号41。

 味方である角屋敷の背中に。

 

 

王城の選手(かどやしき)を壁にしやがった!?」

 

 

 密集地の乱戦を突破したその直後を狙っているはずなのに、的確に対応された。

 頭で考えて動くというレベルではない。

 “視認して(みて)”、“思考して”(かんがえて)、“反応する(うごく)”。

 『神速のインパルス』はその処理速度が凄まじく速いが、長門のそれは並列処理、できることを一瞬で集約している。

 そう、視認しながら、思考しながら、反応している。本能のままに動きながら、理性的に処理する。

 角屋敷の『スピアタックル』を、長門は後出しでありながら先手を取ってくるハンドスピードの『不良殺法』でいなし、そのまま角屋敷の身体を追撃せんとする薬丸への壁となるように誘導していた。

 

 鉄壁の守りを一刀両断するリードブロック。

 悪魔から放たれた巨大な矢が、確かに騎士の防衛網を貫いた。

 

 

「だが、ここまで、か」

 

 

 ~~~

 

 

 長門村正は、王城の守備を大きく揺るがした。

 だが、崩壊していない。

 守備陣は、王城の中心にこの男がある限り、決して崩れはしない。

 

 その男が住む世界は、0.1秒が命取りとなる超速の時空。

 角屋敷と薬丸を相手取るのに、1秒程時間がかかってしまった長門には、対応が間に合わなかった。

 

 

「進!」

 

 

 進清十郎は、自分以外のラインバッカーが倒されながらも、身を呈して稼いだその僅かな時間(すき)も逃さなかった。

 長門村正とアイシールド21を両方相手取ることは、高校最強の男をしても難しい。

 だが、この瞬間、『妖刀』は光速の領域には追い付けない。

 

 

『ここでアイシールド21! 進選手と示し合わすように飛び出していたーー!!』

 

 

 そして、小早川セナ(アイシールド21)も光速の世界へ突入していた。

 これ以上、『妖刀』に護られていては、逃れられないと直感的に判断するや、即座に長門のリードブロックから前に飛び出す。

 

「行け、セナ。存分に高校最強(しんせいじゅうろう)に挑んで来い!」

「うん!」

 

 自分を追い抜く光の疾走、すれ違いざま、アイシールド越しにその横顔を垣間見た長門は、最後にその背中を押すように発破(こえ)をかけた。

 瞬間、4秒2の最高速に達する。

 状況に急かされてしまったこともあるが、それだけではない。進を真正面に視認した途端に、セナの脚が逸ってしまったせいもある。

 だって、どうしても、勝ち(ぬき)たい、原初に見定めた“(しん)”であるから。この時ばかりは、ビビりがちな心は、走者としての欲求に衝き動かされた。

 

 

 ~~~

 

 

「来る! いきなりの超必殺技――頂上決戦……!!」

 

 観客席から甲斐谷陸はその光景に目を見張った。

 試合はまだ序盤だというのに、互いに遠慮なしに全力をぶつけ合う。泥門も王城も、スタミナ配分なんて思惑から投げ捨ててる、全力で殴り合い、勝利することしか考えてなかった。

 

 

「進さん!!」

「行くぞ、アイシールド21……!!」

 

 

 チームのエースたるアイシールド21と進清十郎の決戦は、『攻撃の泥門 VS 守備の王城』を象徴するにふさわしい。

 高校最強に迫られながら、セナはこの刹那に好機を見出さんとする。

 

 長門君が広げてくれたスペース、進さんだけに脚を集中できるこの状況、勝負を挑むのに絶好の場面に違いない。

 この瞬間を逃せば、僕に勝ち目はない……!

 

『いいか、セナ。この走法には、一瞬だが独特のクセがある』

 

 事前に、『ロデオドライブ』、すなわち、『トライデントタックル』を仕掛けるタイミングを陸から教わっている。

 相手が仕掛けてくるその直前で、抜く。

 進清十郎の凄さはよく知っているつもりだ。たとえ一度抜けたとしてもすぐ切り返して追ってくるだろう。けど、『トライデントタックル』は、120%の超加速――だからこそ、切り返して追うのに、0.1秒、時間をロスしてしまう。

 その0.1秒が、光速の世界では致命傷。迫ってきても、同じ速度域、その差を縮めるには至らない。それがセナの見出した勝機、セナだけが実行できる進清十郎の攻略法――!

 

 

「……!!」

 

 上体が僅かに揺れた――グースステップの兆候。

 何度となく視てきたその次の瞬間に――――来る……!

 

 

 ――『デビルライトハリケーンA(アクセル)』!!

 

 

 右のスピンムーブを繰り出すように捻られた上半身、下半身はその逆を廻る。捻じれたゴムの反動で回転力が増すように、解き離れたその瞬間に全身の回転速度は120%に超加速する。

 脚だけでなく全身を振り絞ることでアイシールド21の回転(スピン)は光速を超える。暴風じみた走法は、あまりの速さに、狡猾なる恐竜(マルコ)でさえ行方を見失った。

 

 

 ――『トライデントタックル』!!

 

 

 槍は、捉えている。

 この嵐の走法を見切っている。

 

 

 決着は、瞬きの間に。

 騎士(しん)が放った雷霆(タックル)が、悪魔(セナ)の羽ばたきが起こした竜巻(カット)を貫き、霧散させた(しとめた)

 

 

 『デビルライトハリケーンA』が見破られてる……!?

 

 それだけではない。セナの予想を上回るほどに速い。

 最後の一歩の超加速、けれど、こちらもそれは同じはず。

 ならば、同じ速度域のはずで、しかし、三叉槍の突きは、確かにこちらより速かった。逃げ切れなかった。

 光速の世界の最中、アイシールド越しにそれは目に入った。進清十郎が、腕を突き出すその動作に大きく捻ることを加えていたのを。

 

(これは、長門君の『十文字槍タックル廻』と同じ……!?)

 

「そうだ。光速の世界に到達しても、同じ領域に踏み入ったに過ぎない。お前を捕らえるために、ほんの刹那でも更なる加速をする術を欲した。だから、俺よりも腕の扱いが巧み(うえ)な長門村正の技術を取り入れることで、『トライデントタックル』を全身全速で繰り出すよう磨き上げた」

 

 人間の限界値4秒2の脚による突撃だけでなく、槍の一突き(ハンドスピード)まで加速させる。

 長門村正は進清十郎の技を盗み、己がモノとした――ならば、その逆が禁じられているわけではない。

 進化する怪物は貪欲であり、それが己の成長に繋がるのであれば、強敵手の必殺技だろうと躊躇なく取り入れる。

 

 突き出された槍の側面を盾にした腕を(デビルスタンガンで)擦りながらも紙一重で滑らせるように、回転(スピン)が廻るはずだった。

 だが、その未来予想図の幻像を三叉槍の刺突は突き抜けた。

 

 

「勝負あった。俺の勝ちだ、アイシールド21……!!」

 

 

 そして、掠りもしないスピードには、いかなるパワーも通用しないが、掠る程度でもその三叉槍は敵を仕留めるに足る威力があった。

 

 

『止めたァアアアアア! 『トライデントタックル』炸裂ー!!!

 進清十郎、今ここに、高校最速の王座へ君臨だー!!』

 

 

 ~~~

 

 

「ばっはっは! 見たか泥門!! 桜庭の高さと進の速さ、王城最強タッグは完全無欠よ!」

「低くなってきました大田原さん」

 

 大田原が、右手で進を、左手で桜庭の肩をばっしばっしと叩きながら高らかに吼える(叩くたびに高さが武器の桜庭の長身がグラウンドに埋まりつつあるが)。

 実際、その発言に誇張はない。

 桜庭がディフェンスに加わった準決勝後半戦、全国でもトップクラスの火力を誇った西部ワイルドガンマンズを封殺しているのだから。

 

 

(セナの走りは、完璧だった。だが……)

 

 今のたった一度のプレイで、長門は分かった。

 研究してきたのは、長門自身の『十文字槍・廻』だけではないだろう。

 白秋戦で、マルコ相手に披露した、たった一度のプレイ。

 それから研究し尽くされてしまったのだ。小早川セナ(アイシールド21)が、進清十郎を抜き去るために昇華させたとっておきの必殺ランは、試合前からすでに、進清十郎に見切られていたのだ。

 

(いや……だが、何だこの悪寒は。まだ、“この程度では済まない”とでも警告するような予感は一体……)

 

 兎にも角にも、泥門デビルバッツが誇るパスとランの特攻隊長(エース)二人のプレイは、難攻不落の鉄壁を築く王城ホワイトナイツの二人の英雄(エース)にしてやられた。

 進も、桜庭も、セナとモン太を侮りはせず、得難い宿敵(ライバル)と認め、対策を積んできている。

 セナも、モン太もそれを改めて、身を以って知ったことだろう。

 ――だが、“この程度で済まない”はこちらも同じ。

 

 

「ボケッと見てんじゃねぇこの糞チビ共!」

 

 

 各々が挑むべき難敵に怯みかけていたところを発破かけるよう、セナとモン太の脳天にヘルメットを叩きこむのは我らが悪魔の司令塔。

 この先輩の頭の中は、可能と不可能は、きっちりと線引きがされている。

 つまりは、そこに見るからに邪悪な面相が浮かんでいるのなら、勝ち目は零ではなく。

 試合序盤で打ちひしがれてる暇など、ヒル魔妖一は与えない。

 

「ケケケ、問題ねぇよ。今の2回のプレイで()()()

 

 発破をかけようとした悪魔の指揮官へ、思わぬ進言がされたのはその時だった。

 

「ヒル魔さん、その……」

 

 

 ~~~

 

 

「雷門太郎しかり、小早川セナしかり、泥門の選手は、1人を除いて、皆凡才だ」

 

 観客席より、そう評するのは神龍寺の雲水。

 

「総合力で見れば、一休と阿含の方が上だ。だが……一点集中させた各々の得意技――その土俵に戦術的に引きずり込むことで格上の相手とも渡り合ってきた」

 

 故に、その土俵で勝てなかった意味は、大きい。

 どう足掻いても勝てないと思い知らせてくる天才というのは、最悪、こちらの戦意を根こそぎ挫いてくる。

 それを誰よりも凡才だと自認する雲水は知っているのだ。

 

 

 ~~~

 

 

「SET! ――HUT! ――HUT!」

 

 突貫する肉弾戦車(くりた)、追随する巨大矢(ながと)

 鉄壁城砦を爆破させたようにこじ開けたその隙間を、駆け抜けるアイシールド21。

 

 

『泥門、再び『巨大弓』による中央突破だーー!!』

 

 

 鉄壁の王城ラインを突破、後詰のラインバッカーも快刀乱麻と蹴散らし、十二分に走路は確保できている。

 この刹那、視界一面に走り抜ける光り輝く道筋(デイライト)は無数にあった。

 

 

 ――だけど、進清十郎との一対一が待ち受けていた。

 

 

 そうなるように誘導されていた。

 躱せない。逃げられない。この男を倒さ(ぬか)なければ前へは行けない。

 

 

 ~~~

 

 

 進さん……っ!

 

 対峙しただけで強張る。

 両肩に岩でも乗せられたかのような威圧感で、空気の重さが増した。先程、見事に仕留められたせいか、さらに酷くなっているような気すらある。

 

 準決勝で対決した、一部の隙もなかったマルコ君。

 それ以上だ。

 強引になど、絶対に躱せない。

 長槍の突きのように、一気に肉薄し、確実に隙を刺してくる。進さんの正確無比なタックル。

 

『進清十郎は、セナの走りを研究してきている。二度、同じ走りが通用する可能性は低いだろうな』

 

 長門君の分析は、きっと正しい。

 『デビルライトハリケーンA』は、白秋戦で一度見せたけれど、それだけでも進さんは見切ってきていた。

 それでも、僕は言ったのだ。

 もう一度、ランで勝負さ(いか)せてください、と。

 

 

「やーー! セナーー!!」

 

 

 鈴音の応援(チア)が後押しとなったようなタイミングで、仕掛けた。

 

 ――ここ、だ……!

 槍の切っ先、照準が合わされたと危機感を覚えた、そのタイミングに、踏み込む。

 さっきの『デビルライトハリケーンA』ではそこから反対側へ切り返す――僅かな(ため)を見せてしまうその一歩から、仕掛ける。

 

『猛がセナよりも多くゴースト(フェイント)を刻めるのは自分の走りに振り回されないだけの安定したボディバランスがあるからだ』

 

 あの関西代表との試合で、本物のアイシールド21(やまとたける)の走りは、脚だけでなく、全身で走ることを意識するきっかけとなった。

 既に人間の限界値にまで鍛え抜かれていた脚力よりも、ずっと伸びしろがあっただろう。

 その甲斐もあって、『デビルバットハリケーン』を『デビルライトハリケーンA』へと進化させられている。

 

 でも。

 まだ。

 

 進さんは、この走りでは抜けないかもしれない、なんて考えが根底にあったからこそ、そう、準決勝戦で見せられた『光速トライデントタックル』がその認識を強めたからこそ、満足なんてしなかった。

 

 ここだ……!

 

 前動作の踏み込みから、走路(レール)を切り替えた。一直線に向かってきた走りが、急変した。

 

 相手ディフェンスへ真っ直ぐ向かって走り、間合いに踏み込む瞬間に切れ込むと見せて、急に進路を変え、外に大きく回り込んでスピードで相手を躱すテクニック『スワープ』。

 走りの師である、甲斐谷陸が見つけ出した必殺ランだ。

 それを、スピンムーブをこなしながら、決める。

 

 

 ――『デビルライトハリケーンD(ドリフト)』!!

 

 

 スピードに乗っていればいるほど体が振り回されかねない走りだが、崩れない。この無茶が通る。地道にボディバランスを鍛えてきたからこそ成せる走法。

 前方への促進力(ベクトル)を瞬間的に回転力に変換しているため、全体としてのスピードを落とさずに行える。

 そう、光速の世界(4秒2)のままに――

 

 触れもしないスピード、それが僕たちの武器なんだ……!

 

 小早川セナの走りと、甲斐谷陸の走りの融合。

 『デビルライトハリケーンA(アクセル)』をフェイントに陸から(まな)んだ『スワープ』で躱す、『デビルライトハリケーンD(ドリフト)』。

 二つの竜巻と化したゴースト(フェイント)を見せつける必殺ランは、相手に刹那の駆け引きを突き付ける。

 

 

 ~~~

 

 

 進は、目を瞠った。

 

 小早川セナ(アイシールド21)の疾走。

 A(アクセル)の印象があるからこそ、D(ドリフト)を見逃す。

 逆にD(ドリフト)を警戒すれば、見極めに時間を要してA(アクセル)に対応が出遅れてしまうだろう。

 そして、光速の世界は僅かな(0.1秒の)遅滞(まよい)があれば置いてかれる。

 速度だけでない、虚実の二択を迫る駆け引きも計上された、必殺ランとしてより高度に洗練されている。

 

 見事だ。

 称賛のできる走りだ。

 初見で対応するのは至難。

 ()()()()()()()()、抜かされていたやもしれない。

 

 これほど、とは……

 

 ドクン、と鼓動が鳴る。

 百の鍛錬では得られない、強敵手との一戦。

 驚くほど短時間で感覚が鋭く錬磨されていくのがわかる。

 普段はセーブしていた感覚がこじ開けられ、絞り尽される。強敵と争うこの一瞬に、自己の全てが解放される感覚。

 ギリギリの勝負というものが、どれほど人の実力を伸ばすのか、理解する。

 

 

 ――見える。透き通って見える。

 

 

 進清十郎は、骨格と筋肉で人を識別できる。透視能力でもあるみたいに、骨格や筋肉の状態が服の上からでも見て取れ、また筋肉の質から覆面選手(アイシールド21)の正体を一目で看破し得た。

 弛まぬ鍛錬をしてきた、肉体の動きを意識してきたからこそ得られた副産物のようなものだった。

 それが今、集中がより深い段階に入った眼力は、一切の不純を許さず、支配する領域をクリアに映していた。

 

 一流のランナーが光り輝く道筋を視るように、防具すら透過して相手の肉体の動き、そのすべてが見える。

 そして、それからその次の行動を予見することも可能であった。

 

 力の限りもがいて苦しんだからこそ辿り着いた領域(ゾーン)だった。

 

 全身で理解できる感度が格段に向上。敵味方の配置、視界から行動予測。

 これまで蓄積した全能力が、限界値に達してこそ視える世界に進の意識はあった。

 

 

 小早川セナ。

 生まれて初めて見る光速の走り。

 お前を倒すための、何十年のように長い半年だった。

 この永きに渡る闘いの全てに、今こそ決着をつけよう……!!

 

 

 二つの暴風と化した幽霊(ゴースト)を魅せるアイシールド21の走り。

 観客席からはその二つの竜巻に進の姿が飲まれたように見えたのかもしれない。

 

「え――」

 

 しかし、この眼を前に、そのような虚飾(ゴースト)は剝がれて消え去る。

 透き通る世界には、ただひとつ。己が全速で討つべき相手のみがある。

 

 

 ~~~

 

 

「かっ……あ゛……!!」

 

 呼吸ができなくなるほどの強烈な刺突《タックル》に、吹っ飛ばされた小柄な身体はフィールドを転々とする。

 

 

 ~~~

 

 

 まるで――敵わ――ない……

 

 僕の――たった一つの得意技。

 ずっとパシられて鍛えてきたすばしっこさ。

 それだけが取り柄だったのに。

 その『スピード』が、通用しない……!

 

 

《  ……  》

 

 

 仰向けに、東京ドームの天井を見上げるしかないその視界に、入り込んだ。

 

 

 《  ……こんなものなのか? お前の力は  》

 

 

 昔の、ううん、今だってビビりが治らない僕の目を、見下ろす、その目に、決して見下しの色なんてなく。

 進さんは、真正面から僕を認めて、真っ向から勝負を挑んできてくれるはずで。

 なのに、こんな幻聴がヘルメットの中を反響する。

 

 

 《  俺が最強の強敵手(ライバル)のひとりと認めた男は、こんな程度で終わる男だったのか?  》

 

 

 震えが、走った。

 臆した。臆してしまったけど、だけど、そんなんじゃない。

 彼の一瞥に、僕が恐れたのはそれじゃあない。

 

 

 『決勝で待つ』とそういって、その約束を果たしてくれたのに。

 

 『勝つんだ、進さんに――!』って、そう目標を立てたはずなのに。

 

 今、目の前が真っ暗になったように、それが叶うイメージが砕けてしまった。

 

 

「セナ……?」

 

 

 いつまでも立ち上がらない僕を助け起こしにきたのか、モン太が声をかける。

 けど、それに言葉を返す余裕なんてない。

 胸の奥からこみあげてくるものがいっぱいに占めて、声を発することもままならない。

 それでも抑えきれない情動は口以外から溢れていた。

 

「何だお前、泣いてんのか……?」

 

 モン太の指摘は、正しかった。

 僕の目には、確かに涙が流れている。

 だけど、これはそうじゃない。

 

「……違うよ。泣いてるんじゃない」

 

 万年ビビりの僕は、恐怖に涙目になることは多々あった。

 だけど、違う。違うんだ。

 僕は、今、泣いているんじゃない。

 怖くて怖くて、震えているんじゃない。

 

「どうすればいいか、わからなくなったんだ」

 

 そう、落胆、させてしまうのが怖いのだ。

 がっかりさせてしまうのが、どうしてもいやだったのだ。

 進さんは、僕を強敵手だと言ってくれた。認めてくれた。

 だから、世代最強ランナー(アイシールド21)なんて、今でも恐れ多いこの称号、進さんの前ではこれを名乗るに恥じない在り方でいたかった。

 なのに、このままだと、その期待を裏切ってしまう。

 

「それが、悔しくて、悔しくて……!!」

 

 

「………」

 

 モン太は思う。

 セナにとって、『スピード』は武器だ。自分にとっての『キャッチ』と同じ。

 自信が、あったはずだ。

 

 進清十郎との対決。

 他に邪魔の入らない、全力MAXで走れるチャンスだった。

 それでも抜けなかった。勝てなかった。

 

 圧倒的な相手というのは、対峙しただけでわかっちまうことがある。その存在がデカければデカいほど衝撃が大きい。戦う前から自信がへし折れちまうことだってあるだろう。

 アメフトをやってる今だって憧れてる本庄選手、その二世(むすこ)――本庄鷹のことを知った時、全部、『キャッチ』も含めて全部に負けてるって思った時、それは今のセナと同じように、とても、とてもとても悔しさMAXでたまらなかった。

 つまりは、この猿頭でもわかるくらいにセナは――

 

 

 ~~~

 

 

「泣いてんじゃねーか!」

 

「そそそうね」

 

「悔し涙じゃねーか!」

 

「そうとも言うね」

 

 黒木からも同意(ツッコミ)されて、無性に恥ずかしくなってきたセナはパパッと立ち上がり、悔し涙を拭った。

 だけど、その足取りは重いままで……

 

 

「起き上がれたんなら、早く来い。じゃないと、銃弾が飛んでくるぞ」

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎。

 なるほど、世間の評は正しい。

 『進化する天才』は、この試合の最中で早速、選手として、一段上の高みへ行ったのだ。

 これまでの試合記録など、過去のものとしてしまうほどに、進化していた。

 生中な小細工など、通用しないだろう。

 

 そのことは、対峙したセナが誰よりも痛感したはずだ。

 進清十郎という壁に、絶望しかけるほどに。

 

「長門、君……」

 

 未だに目の奥が揺らいでいるセナは、長門の姿を目にしただけで、びくりと跳ねた。

 

「ご、ごめん!」

 

「? なぜ謝る」

 

「折角、リードブロックして、道を切り開いてくれたのに、全然かなわなくて……」

 

 頭を下げるセナ。まるで俯くように。

 立ち上がれても、立ち直れてはいない。

 この決勝戦のために、自分の走りを追及して、通用すると自信がついてきただけに、落差のついた敗北感(ショック)は大きい。

 そして、モン太たちチームメイトや『走りたい』と進言した自分の意思を支持してくれた先輩たち、それに特訓に付き合ってくれた、信念を共有する幼馴染、彼らからの期待があった分だけ責任が重い、と感じてしまうだろう。

 それでも、長門は突きつける。

 ここで、あの相手を前にして、優しくするだけの余裕はないと知るだけに、容赦なく。

 

「セナとの対決がきっかけで、殻を破ったのだろうな。進清十郎は、成長した。

 ――これまでのセナの走りでは、とても抜けるイメージが湧かないほどに」

 

「っ……」

 

「だから、セナ、ここからは俺の前を出るな」

 

「おい長門! いくら何でもそりゃ言い過ぎんだろ!」

 

 黙ってられないとばかりにモン太が口をはさんできた。

 エースランニングバックに、お前の走りじゃ通用しないから引っ込んでいろ、とともとれる発言だ。チームに不和を招きかねないもので、すぐ訂正を求めるのも当然か。事実、長門もそれを否定する気はなかった。

 長門はモン太を睨みつけて、口を閉ざさせてから、続ける。

 

「少しでも目を離せば俯いてしまいそうなヤツにボールを運ばせるわけにはいかんだろう。それならば、俺自身がボールキャリアーとなった方がまだ勝算がある」

 

「ぼ、僕は……」

 

 セナの声が掠れる。

 まるで崖っぷちに立たされたかのように、切羽詰まった表情をより色濃くする。もはや誰の目からも隠し通すことなどできないくらいに露わとなった。

 

「安心しろ、セナ。俺の背中にいる限り、セナの身の安全は確保できる。

 まあ、進清十郎との対決は俺が引き受ける(うばう)ことになるだろうがな」

 

 優しい声音で、後半は嘲りを隠し味程度に匂わせて、そう提案する長門に、はっと顔を上げるセナ。

 

「そ、それは!」

 

「なんだ? 文句でもあるのか、セナ」

 

「っ、それ、だけは……!」

 

 言って、長門を見返す。睨むように。

 遠慮するのが当然とばかりに習慣づいている臆病者(セナ)が、びくつきながらも、目を逸らさず。

 

 譲れない、と。

 言外にその意を込めて。

 

「イヤ、だ。僕は、走る……戦い(はしり)たい……勝ち(はしり)たいんだ……!」|

 

 いや、裡に堪えきれないとばかりに言葉を漏らした。

 言ってしまった。

 胸が、鳴る。

 心臓が、跳ねる。

 とても冷静じゃなかった。頭の中では後悔ばかりが先走っている。それでも、身体は勝手に、吐いた弁が出戻りするのを拒否するかのように、ギュッと唇を噛んで閉口する。撤回はしないとの意思表示だけがある。

 

 真っ直ぐにそれを受け止めた長門は肩を落として嘆息し、合格だ、と笑みを浮かべた。

 掌返したような態度に呆気取られるセナへ、長門は語る。

 

「『フィールドでプレーする誰もが必ず一度や二度屈辱を味わう。打ちのめされたことのない選手など存在しない。

 ただ一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとするだろう。

 並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。

 そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである』

 と以前にセナに話したことがあったが、テキサス大フットボールコーチ、ダレル・ロイヤル氏の言葉、覚えているかセナ」

 

「う、うん」

 

 セナは頷く。

 春大会の後……王城戦で負けた後、まだ選手と主務を迷っていた自分が、ただ我武者羅に、雨の中でも構わず練習(ラダー)を始めたセナへ、同じく雨に濡れていた長門は声をかけた。

 今のように、打ちひしがれ、涙をこぼしていた自分へ。

 あの時に抱いた初心を掘り起こさせる言葉に繋げて、長門は言う。己の哲学を。

 

「目的を達成しようとするとき往々にして物事は予定通りにはいかないものだ。教科書に書かれている内容は机上の正解ではあるが、戦場の現実の前ではただの空論に過ぎない。

 それで、予定していた作戦が、台無しになった時、凡人はパニックになり、失敗の原因を探して右往左往とすることに時間を費やす。――それは、敗者の思考だ」

 

 勝者は、切り替える。

 

「勝つ為に特訓してきた努力がふいになろうが、固執はするな。それが思い通りの道筋でなかろうとも、目的さえ見失わなければ辿り着ける。

 いいか、セナ。

 進清十郎を相手するには、一流の選手でなければ困る。

 だが、それ以上の結果を求めるのなら、勝ちたいのなら、切り替えろ」

 

 長門の言葉に、ただただ頷くセナ。

 上下するヘルメット、付属するアイシールド面に突き付けるように指を当てて、長門は更に迫ってきた。

 

 

「俺に続いて唱えろ、セナ! 『勝つのは、俺だ』!」

「か、『勝つのは、俺だ』!」

 

 

 勢いのままに復唱を要求する、軍隊方式なやり方であっても、言質を取った長門は笑みを細めて、

 

「よし、宣言したな。

 宣言した以上は、セナ、一分一秒とて思考停止は許されないと思え。

 どうすれば進清十郎に勝てるかを自問自答し続け、そのための行動を常に心がけ、今度こそ勝てる作戦を再考しろ。

 進清十郎が成長したのならば、お前もこの戦いの中で進化するしかない」

 

 

 ~~~

 

 

「ええええええっ!?!?」

 

 なんて無茶な要求。

 強引に迫って言わせておいて、なんて理不尽なんだろうか。

 

 

「勝利MAXは、俺だーー!!」

「はっ、言われるまでもねぇよ! 勝つのは俺だ!」

「パーフェクトプレイヤーだろうが、負けっ放しは趣味じゃねぇ! 勝つために俺らも全部ぶつけんぞ!」

「勝ちに行くのは当然だろうが! 誰が相手だろうが突っ込むぜ、俺は!」

「ふごごーー!」

「アハーハー! 勝つのはボクだよ!」

 

 

 ああ、なんて嘆く時間なんてすぐ吹っ飛ばされる。

 モン太だけではない。心配して、いつの間にか駆け寄ってくれたみんなも同じようになんかノリノリでその決め文句を吼えていた。

 

「……お前らにまで、アイツのセリフを復唱要求したつもりはなかったんだがな……」

 

 長門君は、なんかやらかしてしまったとでもいうような感じで頭を押さえていたけど。

 

 だけど、おかげで、すっきりはした。

 結局のところ、それは正しく、そうしなければ、自分の目的は叶わないのだとわかったから。

 

 

「うん……勝つのは、僕だ」

 

 

 セナはもう一度、今度は自分の言葉で唱える。

 断固たる誓いの文句を。

 

 そして、泥門一年生全員が前を向いたところで、それらを率いる長門村正は促す。

 

 

「さあ、四回目の攻撃権(オフェンス)だ。――勝ちに行くぞ」

 

 

 ~~~

 

 

「いいのか、あれで」

 

「ああ」

 

 どうやら糞カタナ(ながと)の発破が効きすぎたようだ。

 相手に縮こまっちまうより何百倍もマシだが、一年共(+糞デブ(くりた))が掛かっちまっている。全員『俺が俺が』とこちらの目を覆いたくなるくらいあからさまにエゴが出ちまってる。

 頭に血が昇って、冷静さを失いかけてる、といった具合だ。

 次を失敗すれば、王城に攻撃権が渡っちまうという場面、強気になるのも大事だが、状況判断まで忘れては頭が痛い。失敗して相手に攻撃権が渡ってしまうリスクまで考慮に入れて、この四回目の作戦(プレイ)を決めるべきなのだ。

 そのあたりを危惧した糞ジジイ(ムサシ)が確認を取ってきたが、それはそれで構わないと判断した。

 どうせここで引くつもりなどないのだから。

 このボールを蹴り飛ばすことしか能のない糞ジジイは、相手ゴールラインギリギリにパントキックなんて器用な真似なんて苦手であるし、泥門デビルバッツの作戦は、大体が一か八かのギャンブルだ。

 それに、まだ手札(さく)もある。

 

「ケケケ、理屈に合わねぇ事が理屈になる。そういう時もあるってこった」

 

 ヒル魔妖一は諫めるようなことはしなかった。

 

「それに向こうもさっそく慣れねぇ挑発をしてきやがってるしな」

 

 こちらの宣告――宣戦布告はあちらにも届いていたようで、無言ながらも視線に帯びる圧の気配が増している。

 

「糞カタナ、糞ガキ共に火を点けた責任として、『妖刀(テメー)』をこき使っ(ぬい)てやるから、ブチ殺してこい……!!」



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45話

 王城の基本的な守備戦術は、『ゾーンディフェンス』だ。

 特定の選手を1対1でマークする『マン・ツー・マンディフェンス』。

 『ゾーンディフェンス』は、特定の選手ではなく、特定の範囲をそれぞれに割り当てられており、そこに侵入してきた選手をカバーする。

 特定の選手だけをマークしないため、敵のフォーメーションや動きに釣られにくく、守備範囲が定められているため、味方同士の間隔などのバランスが保ちやすい。

 それにより、たとえひとりが抜かれても他の味方がフォローに入り易く、またカバーされていない穴ができ難いなどといった利点がある。

 更に、守備陣の連携が上手く取れていれば、個々の能力で劣っていても、格上の敵に複数人で当たり、これを抑えることができるだろう。

 王城ホワイトナイツの『ゾーンディフェンス』は、完璧に役割分担され、完璧な連携を取っている。

 

 それでも、王城は十二分に思い知った。

 

 『巨大弓』は抑えられたが、抑え切れてはいない。

 ディフェンスラインを突き破り、ディフェンスゾーンまで切り開かれたのだ。そう、5ヤードにも満たないが、前進はされている。

 進清十郎という絶対的な守護神がいなければ、タッチダウンを奪われていたかもしれない。

 どうしたって、意識せざるを得ない。長門村正という脅威を。

 白秋ダイナソーズと同じだ。

 峨王力也という原始時代の恐竜の如き暴力装置は、本能的に警戒し、守備陣形さえも変容させてしまう。

 『妖刀』もそれと同じ類のもの。

 

 今、王城の守備は、最初の布陣よりも中央に寄っていた。

 外側を手薄にしてでも、中央を厚くしなければ、マズいと。

 そう、たとえ高校最強のラインバッカーでも、高校最強のリードブロッカーと高校最速のランニングバックのタッグをまとめて相手取ることになれば。やられてしまうかもしれない、という危機感が王城陣営に漂ってしまっている。

 両陣営のパーフェクトプレイヤー同士の衝突で矛盾は相殺され、40ヤード4秒2の独走を許してしまうことは、想定した中で最も危惧していたことなのだ。

 その状況に追いやられないようにするためにも、どちらかは確実に抑えておかなければならない。

 

(しかし、それだとヒル魔の術中に嵌まりかねない。ヤツは勝つためならば、『妖刀(ながと)』を躊躇なく見せ札(おとり)にできる)

 

 長門村正という存在はただいるだけでその影響力は無視できない。

 警戒してしかるべき相手だが、意識し過ぎるあまりにペースを崩されては問題だ。そして、乱されたリズムの隙を狙い撃ってくる狡猾さが、ヒル魔妖一にはある。同類であるからこそ、重々に理解している。

 ベンチから俯瞰していた高見は客観的に敵の狙いを分析し、その旨をディフェンス陣、その中核を担う絶対的なエースへ伝えようとして……できなかった。

 

 進……口に出しかけていた声が詰まる。

 ドーム天井に届かんばかりの、体外に溢れて立ち昇る気を感じ取って。

 

「冷静な進が、あんなに闘志をむき出しにしてる……」

 

「ああ……奴は強敵と向き合うことで力を爆発させる男。そう、強敵(ライバル)との戦いを何よりも望んでいる……!」

 

 軍平監督は、フィールドを見たまま、指示は出さない。

 高見もまた監督の意図を理解する。

 相手だけでない、自陣の絶対的なエースの意思もまた、チームを動かす要因。

 エースレシーバーの雷門太郎を倒し、エースランニングバックの小早川セナ(アイシールド21)を倒し、そして、泥門デビルバッツの最強のカード(ジョーカー)たる長門村正をここで倒さんとする王城ホワイトナイツの大エース・進清十郎の意思に応じようとしているのだ。

 

 このプレイの如何で、序盤の流れが一気に傾く。そんな予感さえも覚える場面。

 ならば、彼らの士気に水を差してでも冷静に立ち直らせるべきか。

 春大会までならば、そうしただろう。

 

 だが、今は違う。

 

 王城は変わった。

 桜庭に『エレベストパス』、進が加わった『巨大弓』をオフェンスの主力とした王城は、既に守備だけのチームではない。

 攻撃に力を割いたが、無敵の守備力は落ちるどころか増していると自負がある。得点が期待できるようになった分だけ、リスクを背負った強気な守備姿勢が可能となり、新生王城として変革を果たしたのだ。

 受け身に回らず、相手を攻めて圧倒する守備こそ今の王城の在り方である。

 

「ああ、行け、進。お前が最強(No.1)だと証明してこい」

 

 ・

 ・

 ・

 

 ……と、高見伊知郎は自陣から視点を外し、敵陣を伺う。

 泥門は、進に向けられる闘志に委縮するどころか、こちらも負けじと燃え上がっていた。燃え上がり過ぎていた。

 

 

(デ、『Δ(デルタ)ダイナマイト』……!)

(進にブチかましてやんぜ! 『不良殺法』……!)

(『夏彦(プリンス)ジェントルハリケーン』!)

 

 

 端的に一言で表せば、大炎上。

 向こうの大半が、進を意識してしまっている。

 『わ……分かりやすすぎる。泥門の奴ら進のいる中央に思いっきり突っ込む気満々だ……!』と観客席から筧がそう突っ込んでしまうくらいにあからさまだ。

 

 バ、バレバレじゃないか……

 当然、高見も気づく。

 アレと比較すれば、自分たち王城は大分意識してるのを隠せているように思える。

 『巨大弓』による中央突破を仕掛けてくる気満々だ。

 もうここは自爆特攻とばかりに全員参加で突っ込んでくるかもしれないと思わせてくる。

 

 

「SET! HUT! HUT! ――HUT!」

 

 

 だからこそ、やる。

 ここで、意表を突くことに躊躇がないのがヒル魔妖一だった。

 

 

 ~~~

 

 

「向こうに付き合って正々堂々と勝負になんて付き合う理由がねぇ」

 

 アイシールド21が中央、ラインが正面衝突する激戦区へ駆け込む。

 だが、すれ違いざまにボールは渡されていなかった。

 十八番の、『渡したフリ(ハンドオフフェイク)』。

 進に対抗するチームメイトを隠れ蓑にしての、『キューピードロー』だ。

 スタコラと進のいる中央から離れて、大外へヒル魔は走る――

 

 

「オォラァアアアア――!!! 逃がすかよ、卑怯モンがァ――!!」

 

 

 狂犬が、迫る。

 ディフェンスラインで外側(サイド)を守る猪狩が、怒り露わな咆哮轟かせながら、ヒル魔を狙う。

 ベンチプレス130kg、40ヤード走5秒0の猪狩。

 ベンチプレス75kg、40ヤード走5秒1のヒル魔。

 パワーも、スピードも身体能力は猪狩がヒル魔に勝る。アメフトの経験では劣っているが、『プリズンチェーン』として喧嘩をしてきた実戦経験が豊富。真っ向からぶつかれば、確実に仕留める自信が猪狩にはあった。

 

「ケケケ、逃げる気はねぇよ。ここで真っ向からテメェを鮮やかに抜き去ってやるよ糞狂犬。本邦初公開の必殺ランでなァ!」

 

 

 ――『デビルライトハリケーンB』!!

 

 

 卑怯者(ひるま)が不敵な笑みのまま宣告してくる。

 猪狩の脳裏を巡るのは、その必殺技名に類似した、アイシールド21の走り。

 まるで闘牛士のように、タックルしてきた相手をスピンで躱して抜き去ったあのプレイ。もし本当にやるならば、ここで我武者羅に突っ込んではイイカモとならないか。

 

(はっ! そうはいくかよ! 進先輩にディフェンスの極意を教わってんだよ!)

 

 ランナーの脚や頭の動きに釣られるな。

 身体の中心線だけに集中しろ。

 

(そんで、自分よりもノロい相手ならこっちは先に動かず、極限まで引き付けてから、かかれ!)

 

 この一対一は、もはやチェーンデスマッチも同然。

 逃げられはしない。だから、冷静に、相手の出方を観察して、仕留める。そのふざけた笑みを大人しくしてやる。

 

 ――来た!

 

 猪狩の前でヒル魔がスピンムーブを決めにかかり――――こちらへ回った背中が向いたとき、抱えていたボールを後ろへ放った。

 

 

「は?」

 

 

 何だコイツ。

 誰もいないところへボールを投げやがった。

 こっちを散々おちょくっておきながら、ビビってボールを捨てたのか――

 

 

「違う、猪狩! ヒル魔じゃない!」

 

 

 高見の声。

 狂犬の中の本能の指針(センサー)がようやく振れる。

 

 

 猫の如く、足音をたてず、それは来た。

 

 

「長門だ! 長門を止めろ、猪狩!」

 

 

 ヒル魔のバックパス(Back pass)を、『無音走法(キャットラン)』で気配を殺して追走していた長門が拾う。

 

「プレイ中によくもまあ口が回る。毎度のことながらどこからそのハッタリは湧いてくるんだ、ヒル魔先輩」

 

「ハッタリじゃねぇよ、“俺が抜く”とは一言も言ってねぇからな。――テメェがぶち抜いてビビらせろ、糞カタナ!」

 

 ボールと一緒に無茶ぶりまで押しつけて、まったく後輩使いが荒い先輩だ。

 だがまあ、やれない命令(オーダー)ではない。中学時代、麻黄デビルバッツにされた『この試合、糞カタナはタッチフットのルールだ』という無茶苦茶な制限よりずっとマシだ。

 

 ヒル魔の挑発に引っ掛かり、猪狩は対応が遅れている。

 それは、『妖刀』に対しては、十分過ぎるほど致命的(すき)だった。

 

「!!?」

 

 猪狩が身構えた、時には既に、音もなく、目前にまで迫られていた。

 ドンッ!! と足元が震える。『無音走法』を直前で切り替えての、強い踏み込み。これは、来る。思いっきり、ぶつかって来る!

 

 この長門(やろう)は、アイシールド21とは違って、パワーラン(ブチかまし)を仕掛けてくるヤツだ。

 

 本能のままに、咄嗟に、我武者羅に、腕を振るう。逃げるか。逃げてたまるかと対抗心をむき出しにして――――空振り。

 するり、とすり抜けられた。

 

 

「――」

 

 反応すら、できなかった。

 ほとんど直線で進むから、すり抜けたように見えてしまうそれは、最小限の曲がり(カット)で最短コースを突き抜ける、『無重力の走り(パンサーラン)』だ。

 オリジナル(パンサー)のような圧倒する速さなどない代わりに、意識の間隙を突くことで補ったもの。

 あえて威圧するほど大きな足音を立てて、それを猫騙しのように0.1秒の空白を生じさせる、一種の技だ。

 『無音走法』からの、震脚、そして、『無重力の走り』の合わせ技ーー『猫騙し』。

 

「待てゴラ――」

 

 すぐ追おうとした猪狩は、ヒル魔にブロックに入られた。振り返りもしないその背中へ虚しく手を伸ばすしかなく。

 長門村正は、障害(いかり)を捌く手間を最小限に済まして、更に大外へ。

 

「やはり、来るか」

 

 しかし。

 ほとんどタイムロスがなくても、あの男は高校最速。

 迅速にフォローできる範囲が、広く、速い。長門の脚ではまず追いつかれる。

 

 

 ~~~

 

 

『来たーー!! 再び、長門VS進! 泥門最強の攻撃VS王城最強の守備、その象徴的なエースの真っ向勝負……!!』

 

 

 観客達が幻視()たのは、大太刀と三又槍。

 進清十郎は己よりもリーチのある長門村正の『格闘(グラップラー)アーム』を、

 長門村正は己よりも速い進清十郎の『光速トライデントタックル』を

 互いが互いの得物を警戒し、迂闊に間合いに入らず、入らせない。

 さながら強力な同極の磁力に反発する二つの磁石のように、両雄の制空圏は交わらず。

 だが、それも1秒の逡巡。

 片方の磁石が裏返れば瞬く間にくっつくのと同じ。どちらかが動けば、勝負は一瞬で、決まる。

 

 

 ダイヤの原石だが、まだ荒削りな面のあるアイシールド21よりも、完成されている。

 ほとんどがルーキーの泥門の中で、春大会の時点ですでに、アメリカンフットボールプレイヤーとして全てにおいて高い能力値(スペック)を有している相手だ。

 もはや答え合わせなどする必要もない。あの男が、一年前、ヒル魔妖一が予告した、進清十郎(おのれ)を倒す泥門最強の切り札。

 そして、激闘を経る度に、強敵を打ち倒してくる度に、よりその完成度は高まっている。昨年、自身と互角に渡り合った天才、金剛阿含を圧倒するほどに実力をつけてきた。

 

 だが、無論この俺の力も停滞などしていない。

 

「長門村正は、ここで俺が倒す……!」

 

 長門村正についての、戦力面における分析――開幕からのプレイを含めて、最新版へ更新(アップデート)をかけてある。

 長門村正のランは、アイシールド21とは性質が違う。

 その光速ランと切れ味鋭いカットでフィールドを捻じ伏せてくるスタイルに対し、長門村正のランは、相手のリズムやモーションを見極めて、いなしてくる対人戦を得意とするカウンターラン。

 それも自分よりも速い相手(アイシールド21)を想定しているせいか、対超速タイプに特化しているとも言える。ハンドテクニックもある。リーチもパワーも向こうが上だ。『トライデントタックル』も会得するほどにその技の呼吸は把握されている(ぬすまれている)だろう。距離を取られてはこちらが不利。

 だが、スピードの極端な緩急と片腕だけを強引に捩じり伸ばすことで、瞬時に間合いを詰めれば、その不利は覆せる。

 高校最強のパワーを誇る峨王と真っ向から伍した相手だが、超加速(120%)のスピードで、激突時のパワーを3倍以上に炸裂させる……!

 

 そう、これから放つは必中にして、必殺の槍。

 如何なる相手だろうと逃れられず、耐えられず。

 この一瞬に凝縮された集中力が、一段と深く、そして、透き通った世界を映し出す。

 

 その骨肉の動きを、感じる。

 その肉体の動きが、わかる。

 

 ここから起点とする変化を、瞬時に計算する。

 過小評価も、過大評価もしない正確無比のシミュレーションを完遂する。

 

 

 だが、その時、長門村正の未来(かい)が変わった。

 

 

 ――止まっ、た……!?

 

 

 進清十郎に刺激さ(みら)れ、化学反応を起こしたように。

 もう一人の怪物もまた、強敵に呼応するように進化する。

 

 

 ~~~

 

 

 ――途中のコマが抜け落ちたかのように、狙いを外された。

 

 激しく刻むカットステップとクロスオーバーステップのステップの最中に、膝の力を抜き、横に倒す。

 足で地面を蹴らず(カットを切らず)に、方向転換(まがる)

 それは、まったく起こりのない――大きな筋肉運動が発生しない、左右(よこ)の『縮地』。

 素早く曲がるのではなく、いつ曲がったのか覚らせない。最高速でステップを踏みいきなりの減速・停止、と錯覚させて、狙いをつけられた槍の照準を外す。

 ほんの半歩程度だが、長門は進に先手(リード)を取った。

 

 

 ~~~

 

 

 ――三つ又の矛(トライデント)に、左右への逃げ場はない……!!

 

 

 半歩の有利。だが、それを一瞬で覆す。

 この槍は一度外されようが当たるまで追尾する。

 減速どころか加速するカット。出遅れながらも、追いつかれるスピード。

 

 

「ああ、まったく。深く観られてる。1対1では抜けるイメージがないな」

 

 

 これは、捕まる。逃げられない。

 進との対決に、長門は負けを認める。この男は、今の自分よりも上の領域(ステージ)にいることを理解する。

 

 

 ――だが、泥門デビルバッツは、まだ負けてはいない。

 

 

「だから、俺は深くではなく、広く観ることとした」

 

 

 ~~~

 

 

 ――光速が、弾けた。

 

 

 ~~~

 

 

 進が『トライデントタックル』を発動し、超加速する直前、先んじて超加速して槍の懐に潜り込もうとするものがいた。

 

 小早川セナ(アイシールド21)だ。

 

 

 僕には陸や長門君や進さんみたく、『ロデオドライブ』で急加速みたいなテクニックはできない。

 

 だから、足を溜めて。

 

 限界まで溜めて……!

 

 練習量にあかせた『チェンジ・オブ・ペース』で、一気に行く!!

 

 

「まさか、進に体当たり……!?」

 

 

 それを観た者たちは、彼の正気を疑った。

 性能差を考えれば、一蹴される結末は誰もが見えていた。

 槍に刺さりに行くも同然の行為に志願する在り様は、愚者か。それほどに自棄になっているのか。

 だが、その真っすぐを見つめる目には、アイシールド越しにも隠せぬ、覚悟の光がある。

 

 

「進にセナがパワー勝負を仕掛けたっ!!」

 

 

 スピードが、同じ。

 だから、抜けきれず、そして、僕は、力がない。

 進さんを倒せる腕力なんてない。

 進さんのベンチプレス140kgに対し、僕は40kgが精いっぱいで、体重も進さんは71kgで、僕は48kgと軽い。

 力勝負となれば、負ける。

 

 

 無論、力勝負で勝ちに行くつもりはない。

 

 

 重要なのは、懐に潜り込むこと。

 それだけならば、タイミングと加速力の勝負だ。

 

 そう、スピードは、同じ。

 だから、あとは機をうかがうだけ。

 

(長門君のフェイントに、一瞬、進さんの気が取られた)

 

 直感的にだけど、あの時、全方位に見抜かれるような感覚が薄れたとセナは覚えた。

 そのタイミングが、好機だと脚を走らせた。

 この0.1秒の間隙にセナは気づき、入り込むにはセナしか間に合わなかった。

 そして、セナは認められている。

 

 

「――」

 

 

 アイシールド越しでも、透けてわかる顔に、一瞬思考が停止した。

 

 最初、受け身で逃げるだけの脚だった臆病者が浮かべているのは、果敢に立ち向かうことを選ぶ戦士(オス)の貌。

 恐怖に只管震えていたころとは違う。

 この男が成長した何よりの証左。

 肉体よりも、精神面の変化。

 それが些細な変化まで読み取ってしまうほどに、注目してしまった。

 

 最弱だろうと、この存在は無視できない。

 進清十郎にとっての強敵手であるのだから。

 

 

「おおおおおおおお!!」

 

 

 ブロックに入ってきたセナを片腕(やり)で払い飛ばす。

 

 

「セナ!!」

「やーー! 飛んだ今!!」

 

 

 軽々と吹っ飛ばされるセナの姿。それは誰もが予測できていたことで、ベンチからも幼馴染の姉崎まもりとチアの瀧鈴音の悲鳴が同時に上がった。

 そして、当人(セナ)もこの結果は百も承知だった。

 

 

 あの進さんでも一度に相手できる絶対数は決まっている。だから、有限である集中力を割り振らなければいけない。

 この一瞬、進さんは長門君を強く警戒していて、壁が分厚いけど、その分だけ他に避ける余力が少ない。

 

 だから、その弱い人が予想を超える動きで、その警戒網を突破できれば、天秤を傾ける助けとなる一石になれる。

 弱い力だけど、それでもこの状況を打破しうるきっかけになる。そして、勝利への活路が開けるはずだ。

 

 

「驚いたか、進清十郎。俺も驚いている」

 

 

 高校最速のアイシールド21である小早川セナは、新人(ルーキー)でもある。

 0.1秒後に化けている可能性すらある。

 この進化の兆しに気づく者は、数少ないだろうが。

 臆病者の勇気に後押しを受けた、長門村正は笑う。

 勝機を見出して。

 

 

 出鼻を挫かれる形となった、三又の矛先。

 0.2秒の遅滞(ロス)。一瞬でも出遅れて先手を取れなかったこの好機。それをいなすようにその体躯は廻る。

 

 

 ~~~

 

 

『なななんと! これは、『デビルバットハリケーン』! 長門村正、進清十郎を抜き去ったーー!!』

 

 

 無駄だ。

 進清十郎と長門村正の両方と戦った阿含には結果が見える。

 

 進にマークされて逃げられる相手はいねぇよ。

 

 自分もそうだった。

 去年の関東大会、『ドラゴンフライ』で王城を翻弄しながらも、1対1では進に勝てなかった。抜けたとしても、捕まった。

 長門の脚は40ヤード4秒5。ならば、40ヤード4秒4の自分よりも遅い長門が同じ結末をたどるのは、自明の理だ。

 

 スピードでは劣る長門はたとえ一撃目を躱せたところで、即座に迫る二撃目に追いつかれる。多少の前進はされるが進ならば、攻撃権獲得を取られる前に潰すだろう。

 百年に一人の天才の思考が弾きだした結論は、進化する怪物たちにも共有されるものだった。

 

 進にも、そして、長門にも。

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎に、スピードでは負けている

 だが、アメリカンフットボールは、スピードだけではない。スピード、パワー、タクティクスを爆発させる、それこそが長門村正が見た、原初の光景だ。

 

 進清十郎は、たとえ抜かれても、この間合いならば、確実に捕まえられる、と判断した。

 長門村正は、たとえ抜いても、この間合いからでは、絶対に逃げ切れない、と判断し、

 

 

「だが、選択肢はひとつ(ラン)だけじゃあない」

 

 

 だからこそ、『デビルバットハリケーン』――そのスピンムーブは、進を抜くためだけのものではない。

 

 ――この動きは、ラン……じゃない? まさか――!!

 

 進は、気づく。

 発射体制に、入っていることに。

 スピンムーブを投球モーションに組み込んでいる。回避と同時に捻りの溜めを作って、放つ。

 大きく体を捻った、そこからの反発力を加算させて一気に投げようとしている――!!

 

 

 ~~~

 

 

 王城は長門村正の中央突破を想定していた。

 仮想敵として進清十郎を当てるくらいに脅威とみなしていた。

 だが、その進清十郎がやらない手段が長門村正にはある。

 

 

(来る! ()()()()()()()()()()()()()()()、長門の全力MAX投球が!!)

 

 

 それを誰よりも察知したのは、雷門太郎。

 王城戦までの一週間、長門との特練でそれを目の当たりにしてきたモン太は、誰よりも早く動いていた。

 

「!」

 

 続いて、モン太をマークしていた桜庭も反応する。

 戦うべき相手から目を逸らしたりはしない。だが、それでも進と長門との闘争に意識を割かれており、出遅れた。

 そう、全身の発条を全集結させた右腕の一振りは、予測を超えた速さだった。

 

 

「――『デビルレーザー強装弾(マグナム)』!!」

 

 

 空を切り裂く強装弾(パス)が、王城の陣営(フィールド)を切り裂く。

 

(このパスは……!! 速……――)

 

 あの大きなアメフトのボールが、プロ野球選手のレーザービームのように、この長距離を地面とほぼ平行にまっすぐ進み、重力を無視して飛来する。

 全身から捻出した力を過不足なく乗せたボールは、縫い目が消えていた。桜庭からは縫い目が見えないほどに高速回転していたそれは、見ただけで反射的に身が竦むほどの球威(インパクト)を有していた。

 

 それを、目を逸らさずに追う者が一人。

 瞬き厳禁。血走るほど大きく開眼し、剛速球の軌道を読み、飛びつく。

 

 

「らあああああ!!」

 

 

 着弾し(うけ)た手袋から、弾ける音。重く、鋭い音は観客席にまで(とど)いていた。誤って触れれば、手の骨が砕けてしまいそう、と心配になるほどの、生存本能を激しく訴える威力に場は戦慄し、静寂に包まれる。

 

 

「キャッチMA――Xッ!!!」

 

 

 しかし、その痺れる掌をギュッと握り締めて、一本指を天へ突き立てるポーズを決める雷門太郎の姿に、その静寂はすぐ、大歓声へ塗り替えられた。

 

 

 ~~~

 

 

「やーーー! モン太―――!」

「ぬおおおお何だ今の球!? しかもそれをキャッチしやがった――っ!!」

『泥門デビルバッツ、パス成功! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得! なんて、凄まじいパスでしょう!』

『ははははい! 大学の選手でも球速80kmの壁を超えるものは中々いませんが、長門君のパスは、明らかにその壁を超えていました! NFL(プロ)級の球速、まさに高校最速のパスです!!』

『高校最速のパス!! それを怯まず見事にキャッチしたモン太君も凄い!』

 

 

 興奮気味な解説の言う通り、大学の選手でも、球速80kmの壁は中々超えられない。

 NFL(プロ)の平均は、80~90kmで、最速は99.2km。

 村正のパスは、比較対象とするならば、蹴られた瞬間のキックボール(85~95km)とほぼ同速だった。

 

(村正の全力が見れるとはね)

 

 空気が沸騰するほどに湧く観客席の中、大和猛は感嘆の溜め息を吐きながらも目を細める。

 

 村正が誰でも捕り易いパスを投げるようになったのは、村正の本気のパスを誰も捕れないからだ。

 まだ小学生の頃の話ではあるが、村正の全力で投じたパスは、自分でさえも確実にはキャッチできなかった。

 

 その最強のライバルが自らに課していた縛り(セーブ)をやめて、放った全力投球。

 

 あのプレイは、アメリカNo.1クォーターバック、『五芒星(ペンタグラム)』の一角、クリフォード・D・ルイスのパスにも劣らぬスピードだった。

 米国の王子程の走力のない村正は、自身の極まったボディバランスを活かした。体の回転及び捻りによって引き伸ばされた筋肉の反発作用により、球速を増強させたのだろう。

 アメリカでも有名な、偉大なメジャーリーガーのトルネード投法を彷彿とさせる『デビルレーザー強装弾(マグナム)』。

 通常の弾薬よりも火薬を増量することで、より発射速度を高めているマグナム弾と同じく、それは高校生の投げるレベルからは逸脱した球速があった。

 

(確捕するには、帝黒(うち)でも鷹くらいしかいないだろうそれをキャッチして見せたモン太君。この前のオールスターゲームには出場はしていなかったけど、キャッチ力のあるレシーバーのようだ)

 

 全力投球ができたのは、全力投球をパスとして成立させ得るレシーバーがいるからだ。

 自分にはできなかったことを成し得ていることに少しの嫉妬を覚えるものの、大和猛は歓迎する。

 己が是非にと望むのは、最強の強敵手との全てを出し尽くす決戦であるために。

 

 

 ~~~

 

 

「セナ、ちょっといいか?」

 

「長門君?」

 

 起死回生のビックプレイを成功させたモン太を中心にチームメイトが騒ぐ中、長門は倒れていたセナを助け起こしながら、言う。

 

「たった今、進清十郎と競って得られた情報を、お前にも共有しておこうと思ってな」

 

「! う、うん!」

 

 目を見開くセナ。

 ダメージが残る身体だろうに、飛び起きるセナに長門は苦笑を漏らすも、表情を切り替えて、

 

「進清十郎は、目が冴えている。元々『目付け』、『観の目』……所謂見る能力もまた鍛えられていたとは思うが、この試合でそれが蓋を外している感があるな」

 

 相手の動きや状態を一目で看破し、その弱点を射貫く『目付け』。

 進清十郎のそれは相手の呼吸・筋肉の収縮をすべて逃さず見透かしてくるほどの精度であり、こちらの行動は先を読まれる。

 

「初見でセナの『デビルライトハリケーンD』を仕留めて見せたのも、セナの走りから観られた癖、兆候を気取られてのことだろう」

 

「……でも、長門君は、進さんを一瞬躱せたように思えたけど」

 

「それは俺も同じように進清十郎を見ていたからな。こちらの動きを読んで反応した動きを見て、それで意表を突いた、ってところだな。次からは同じ手には引っ掛かりそうにないが。

 ――進清十郎を抜くには、速さだけでなく、相手を見る力も必要だ」

 

「見る力……」

 

 スピードが並ばれて、パワーでは遥かに劣り、そして、見る力……

 自分は、長門君のようにそんな駆け引きができるほどに、目が良いとはとても思えない。

 

「何を勝手にまた落ち込みかけている。セナ、お前はそれを無意識ながらもしてきていることだぞ」

 

「え?」

 

 狭まりかける視界に、会話の最中に不意打ち気味に指でアイシールドの面を突こうとするのが見えて――咄嗟に避けるセナ。

 

「な、長門君!?」

 

「ほれ。意は隠したつもりだが、機敏に反応して見せたじゃないか。これまで意識してこなかっただけで、セナも“見る力”は優れている」

 

「ええええ、僕が!?」

 

「驚くことでもない。これは人間の生存本能に密接に関わるものだからな。そういった防衛本能は実際危機に瀕するほどに磨かれていくものだ。ちょっとしたことでもそんな防衛本能が過敏に働いてしまう臆病者(ビビリ)なセナは、直感的に身の危険を察知する能力が長けているとも言えるだろうな」

 

 それはあんまり嬉しくないような認められ方だ、と肩を落とすセナ。

 

「大阪地区代表――帝黒学園のクォーターバック、小泉花梨は、境遇や性格的にセナと似ていて、それでいて、見る能力がずば抜けていた選手だった。猛が言うには、これまでの試合で一度として、相手選手に触れられたことがない。動体視力が人並み以上に優れているのもあるだろうが、それだけでなく、相手の動きを予測するその感受性が高められているんだろう」

 

 セナも思い起こす。

 女性の身でありながら、最強のチームの一軍(レギュラー)に所属した彼女が、襲い掛かった葉柱ルイの『カメレオンの舌(ハント)』を鮮やかに躱してみた様を。

 あの時、小泉花梨は、確かに相手の動きを見ていた、相手の動きが見えていた。

 

「セナ、お前は臆病者ではあるが、恐怖に怖気づくようなことはない。でなければ、あの時、進清十郎に逃げず、自ら当たりに行くような真似はできないからだ。

 恐怖を克服できる勇気を持ち得ている。

 だが、ここで、俺はあえて言おう。臆病に素直になれ。恐怖と改めて向き合い、そのセナが思う臆病(よわ)さを研いで、尖らせろ」

 

 

 武道を習得する段階を三つに分けた言葉に『守・破・離』がある。

 教えられたことを忠実に守り訓練する『守』

 それを洗練させ型を破っていく『破』

 そして、新境地を切り開き何ものにも囚われない『離』

 

 小早川セナは、アメリカンフットボールプレイヤーとして、『離』の段階にまで来ていると長門は見ていた。

 “アイシールド21”を倒すために鍛錬を重ねてきた己が、奇しくも“アイシールド21”を導くなんて、高校に入学したあの日までは思いもしなかった。

 だが、もうこれが節目、先達者として教えられることはこれが最後だろう。

 

 

「それで何かきっかけを得られるかどうかは、断言はできない。でも、それが一縷の望みだとしても、俺は期待する。それが、過大評価する悪癖の元となってもやめられない。臆病者(ビビリ)が、英雄(ヒーロー)になる様は何度もセナに見せられたことだからな」

 

 

 ~~~

 

 

 今のビッグプレイは起爆剤となりうるだけの破壊力があった。

 泥門デビルバッツは、勢いに乗るチームだ。

 調子づかせるほどに手強くなる。早急に抑えなければならない。

 

「長門村正と雷門太郎の『デビルレーザーマグナム』、これまでに見なかった泥門の武器です」

 

 王城の主力となった、誰にも捕らせない最高の弾道、『エベレストパス』

 これに並ぶよう、誰にも捕らせない最速の弾速、『デビルレーザーマグナム』を放ってきた泥門。

 長門村正の投手能力は、これまでの試合でも見られており、当然、それを研究してきたが、計り知れない。

 それでも、欠点はある。

 アレを捕れるレシーバーは限られているということだ。

 

「ですが、あのパスを捕れるレシーバーは、泥門には雷門太郎のみ。――桜庭」

 

「わかってる。二度も同じ手を通じさせはしない。高校最速のパスだろうとそう簡単に決めさせない」

 

 超ハイスピードのロングショット。あれのパスカットは、まず狙えない。追いつけず、反応すら至難。

 それでも、ボールへの嗅覚の優れた――関東四強レシーバーの一角たる桜庭ならば、手を伸ばせるはず。

 

「『デビルレーザーマグナム』……泥門がこの決勝戦で用意した王城への切り札だというのなら、何としてでも止めてやる」

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――『デビルレーザーマグナム』なんざ、カードの一枚に過ぎない。

 

 

 攻撃権獲得後の第一プレイ。泥門の攻撃は、『巨大矢』による中央突破。

 しかし、ランニングバック(アイシールド21)は、ボールを運んでいない。

 クォーターバックは、ボールを渡してなかった。

 この時、優秀なディフェンス陣は、パスを警戒。主なパスターゲットであるワイドレシーバー(もんた)タイトエンド(たき)への意識を強める。特に『デビルレーザーマグナム』の印象が強く、今一番に勢いづいているワイドレシーバーには桜庭がより張り付いていた。

 

 王城ディフェンスは、鉄壁だ。

 地区代表クラスの選手、およびそれに並び得る選手が揃っており、それぞれがゾーンを担当していることで、意識が薄い“穴”なんてものは存在しないし、狙えない。

 

 だが、そんな王城にもチームの意識から外れている場所がある。

 それは絶大な信頼感を持つ守護神(エース)がいるからこその欠落(すき)。無意識のうちにそこへ攻め込まれても問題ないと安心してしまっている部分、すなわち相手の最もディフェンスが堅い、守護神が陣取るゾーンだ。

 

 

 ――最強の進の領域(エリア)で真っ向勝負を仕掛けてくるわけねぇ。

 

 

 今、守護神の目前には、囮の中央突破でラインをぶち抜いてきた『妖刀』がある。

 ボールは、持っていない。だから、周囲は他を警戒、それぞれが担当する区域の警戒に務める。

 だが、この状況がどれほど致命的(チャンス)なのか、全然理解していない。

 

 

 ――糞カタナが相手だろうが、1対1なら進が勝つ、っつう考えで成り立ってんだろうが。

 

 

 これまでのプレイ。

 泥門のエースは個人戦では、王城のエースに勝てちゃいない。

 だが、それは向こうが得意の土俵での話だ。高校最速のラインバッカー相手に走り(ランプレイ)は、絶対に不利。勝算は少ないが、それでも勝負が成り立っているだけで上等だ。

 逆に、こちらに有利な戦いだったなら――――泥門のエースの領域に王城のエースは踏み入ることすらできない。

 

 

 ――一年前、予告し(いっ)といただろ? 泥門のエースが進をぶっ潰すってな……!

 

 

 ~~~

 

 

 これまでのプレイで、王城のディフェンスの陣営は把握した。

 その守備が最も強い区画も当然把握している。

 普通であるのなら、そこは絶対に避ける不可侵領域とするべきなのだろう。事実、この関東大会、進がいる中央へパスを投げ込んだことは一度としてない。

 

 

「――だからこそ、行く。そんなカードは出すわけねぇ、って思い込んでいる時点で、手遅れなんだよ」

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔妖一から、パスが投じられる――その数瞬前のこと。

 進清十郎の目前、大田原と栗田の均衡を後押しして破り、長門村正がラインを突破してきた

 そして、跳躍するかのように膝を屈める。

 

「――!?」

 

 まだ、ヒル魔妖一は、パスを投げていない。

 今、跳んだところで、ボールが飛んできていない、どこへ来るかもわからない。

 事前にどこへ投げ込むかは作戦で決めてあったのだとしても、常にパスの軌道には微妙なズレが生じる。それを補正するためにもレシーバーは、パスが投げられてから、キャッチ体勢へ移行する。

 

 何を、やっている……!? ……まさか――

 

 

 ~~~

 

 

「Ya――Ha――!!」

 

 

 ヒル魔が腕を振りかぶったのとほぼ同時に(シンクロして)長門も跳躍していた。

 

 ――高い! ――そして、速い!!

 

 合わせていた視点が一瞬で置き去りにされた。

 最高到達点もさるものながら、その到達までの時間が速い。

 

 強固であり発条のようにしなやかに伸縮する脚。

 それが生み出す全力を、下肢と股関節から体幹を通り上肢へと、一切の力のロスなく連動。股関節、膝、足関節、さらには両腕の振りまで離陸速度の増加に乗せている。

 この全身に漲る常人離れした力を120%に爆発させる垂直跳びは、誰よりも速く、誰よりも高い位置へ到達した。

 

 その刹那、時間が止まったかのよう、長い滞空から軸がぶれることがなく、それを周囲も反応できずにただ見上げるしかなく。

 ――そこへ、届く。

 

「な……!?」

 

 特別高くも、特別速くもない。

 ただ、針の穴を通す精度の、パスは、背後を見ることなく伸ばされた長門の両手にすっぽりと入った。

 完璧な、位置・タイミングで投擲された弾道。

 その瞬間を目撃した四強レシーバー達は、こう直感した。

 

 あのパスは、一点物――長門村正にしか、捕れない、と。

 

 刹那のズレも許容しない、信じられない正確さもさるものながら、それを信じられないことに長門村正の全力跳躍する前に狙って見せた。

 そう、目隠しした状態で、動く的に的中させたかのような離れ業だ。

 

 ギャンブル(ブラックジャック)を100%成功させ得るほどの並外れた思考能力(IQ)と己が描く理想に近づけるために積んできた反復練習。

 相手にも、己にも極限までの要求を強いるスパルタ。

 

 だから、ヒル魔にはわかっていた。

 長門村正の能力値(スペック)だけでなく、癖や性格も分析し尽くしており、更にはその成長予測まで計算済みである。

 どこが最高到達点であるかなど、実際に見るまでもない。どのタイミングで到達してくるかなどさえわざわざ測るまでもない。この頭脳にしかと刻み込まれている。

 誰よりも知悉する相手だ。

 だから、あとは自分が理想(そこ)へ投げ込めるだけの鍛錬を積み重ねればよかっただけのこと。

 才能なんてないが、誰よりも長門村正へパスを投げてきたクォーターバック。

 3年も費やしてしまったが、ヒル魔妖一が思い描き続けてきた絵空事、偶然ではない偶然がここに成就した。

 

 

「――『悪魔の魔弾(フライクーゲル)パス』!!」

 

 

 『魔弾の射手』が放つは、百発百中の弾丸(パス)

 如何なる警戒網もすり抜けて決まり――そして、『妖刀』はその切れ味をもってして、蹂躙する。

 

 ボールが指先から離れた瞬間から、決まった、と確信できた。

 意識をしていない、つまりは、100%の意表を突いた狙いのため、相手は出遅れ、こちらは先手を取った。

 そして、糞カタナの潜在能力(ポテンシャル)を限界まで引き出せれば、必ず、勝つ。

 誰が相手だろうとも、だ。

 

 

 ~~~

 

 

 本当の意味で完璧なパスは、偶然というほど稀有である。

 ナイスパスと呼ばれるパスもそのほとんどは、速度(スピード)軌道(コース)・タイミング等……どこかにズレはあり、それをキャッチするレシーバーがそれを補正することで完成する。

 だが、真に完璧なパスならば、ズレを補正する必要がなくなる。

 自分のプレイに100%の神経を注ぐことができる。

 

 長門の最大稼働(フルスロットル)に乗った状態の先に投げ込んでいる。

 ラン・アフター・キャッチがし易い、パスキャッチしてからのランが滑らかに移行され、

 更に――――入った。

 

 プレイ前に出された指示は簡潔。

 

 ――捕りたきゃ、限界突き破って跳びやがれ、糞カタナ。

 

 ああ、なんて、後輩(カタナ)使いの荒い先輩だ。

 だけど、何よりも己に厳しいことを、知っている。

 だから、欠片も容赦なく、全力で飛躍し――挑戦的なパスを受けて、そこに込められた熱量が伝わる。

 

 この最強の守護神に真っ向からぶつけていく無茶ぶりにしても、他の誰もが不可能だと考えていようがあの先輩が実現できると計算して組んだ戦術。勝算が零でない限り、1%未満だろうと実行する。決して口には出さないだろうが、そこには確かなソレがある。

 

 文句などつけようがない、完璧なパス(もの)を、貰った。

 

 そして、任された仕事は、客観的な不可能を覆すこと。

 

 

 ――観える。

 

 

 カチリ、と。

 脳裏に、集中のギアが切り替わる音が聴こえた。

 

 一週間、この決勝戦まで覆面マスクを嵌めていた。というか、脱げなかった。

 外せない呪いでもかけられているのではないかと疑わしいほど、不自由さを強いられたが、おかげで鍛えられた。

 ずぶ濡れで呼吸がしづらくなるものだったが、それ以外に覆面は視界を制限される。

 有限の視野から、無限に想像を働かせる見方が否が応にも身に付いた。

 『デビルバックファイア』を可能とするモン太の『背中(バック)の目』のように、実際の視野とは別次元のものを観る。

 

 空を飛ぶ鳥が地上を俯瞰するように、フィールド全体を捉えられる。

 

 切り抜けるべき最適なルートを試算し終えた。

 ならば、あとは迅速に斬り刻むのみ。

 

 『妖刀』が、鞘から抜刀させる幻像を、進清十郎は視た。一目で、予感した。

 たった今、長門村正もまた、己が踏み入れた領域に達したことを。

 

 止めねば――

 三又の槍は、着地の瞬間を狙い定めた。

 完全に先手を取られ、あの高みは、自分の手では届かない。だから、着地後に狙い澄ます。

 解き放たれれば、被害は甚大になると直感したため、全力でその身を穿つ――

 

「『トライデントタック――」

 

 その槍の切っ先を、また、弱者の短剣が遮る。

 

 アイシールド21(小早川セナ)……っ!

 

 中央突破したのは、長門と、その長門にリードされてきたセナ。

 進が、着地の瞬間を狙うと察知したセナがブロックに入った。

 

「かっ……!!」

 

 一瞬弾くのが、精いっぱいな、0.2秒もてばいい頼りのない盾。

 だけど、このわずかな余裕があれば、切り抜けられる。そう、期待し、断言ができる。

 

 

「長門君!」

「ああ、助かった。――あとは、任せろ!」

 

 

 ~~~

 

 

 そうはさせるか……っ!

 王城は進だけのチームではない。活路は塞ぎ、確実に包囲する。一糸乱れのない守備連携。それでも、長門村正の強靭な脚は、全力跳躍後の全力疾走を可能とした。

 

 

「『勝つのは、俺だ』」

 

 

 着地後の隙を狙っていたはずの角屋敷は、動けなかった。ただ無我夢中に腕を前に、空に伸ばしたまま、こけるように倒れた。いつ抜かれたのかさえ判然としない。

 

 こっちが反応した瞬間に切り返し……!? やべぇっ……――

 ラインバッカーの薬丸恭平、セーフティの釣目忠士、中脇爽太も置き去りとされた。すれ違いざまに切り捨てられたように倒れていく。

 

 やはり、観えている。

 角屋敷達が抜き去られるのを見て、進清十郎は己の予感が間違いでないことを確信する。

 カットステップとクロスステップと基本的なステップワークは、僅かな油断があれば見過ごす程に凄まじく滑らか。スピードこそ劣るが、あの大和猛を彷彿とさせる、恐ろしい質の高さが流麗さとして表れた足運び。そこに織り交ぜられるのは長門村正独特の切り返し。タックルを仕掛けに脚に重心が乗ったタイミングで、後出しで方向転換(カット)。角屋敷達はこれに目測を誤り、ついていけずに倒れる。腕は牽制に振るうだけで実際には触れもせず、相手の呼吸を読んでそこからわずかに外すだけで、まるで空気投げを決めるように体を崩していく。

 

 相手と、そして、自分自身がどんな状態にあるのかを完全に把握していなければ成せない動きだ。

 空から俯瞰して自分を見る目を持っているかのように、そして、自分の中のイメージと、実際の動きを一致させている。

 普通、人はそこまで客観視はできない。

 頭の中に思い描いた動きをやってみようとしても、撮影された映像では、思っていた動きと全然ズレている。

 今の長門村正には、それがない。自身の身体の寸法や筋肉の一つ一つの形を案外把握できていないが為に生じてしまう無駄な動き(ロス)がない。

 これまでとプレイへの集中が格段に違う。己と同じ、領域に至っている。

 

 

「止めろっ!」

「止めろォオーーー!!」

 

 

 だが、それでも、逃さない。逃しはしない。

 光速のアイシールド21に打ち勝つには、己も光速の世界に入るしか道はなかった。

 長門村正もまた、観える結果は同じなはず――

 

 

「進清十郎、俺より速いのは確かな事実だ。認める。――それでも、俺は、勝つ……っ!」

 

 

 接近を背中で察知しながら、その走りは揺るがず、雄々しく前進する。

 

 

 ~~~

 

 

 抜刀され(かくせいし)た『妖刀』に、王城の鉄壁は、悉く斬り刻まれた。

 

 

『泥門デビルバッツ! 何と王城から連続で連続攻撃権獲得です!!』

 

 

 相手の現在地がどこか常時把握されているかのように、最適解を突き進む『妖刀』を王城のディフェンスは止められなかった。

 最終的に追いついてきた進が長門を止めたが、それでも倒し切れず。結果、大量ヤードを前進された。

 桜庭でなければ競り合いにもならない高さに加え、進でさえも完全には抑えきれない力強い走り(パワーラン)

 だがその何よりも酒寄溝六が評価したいのは、その潜在能力を引き出した連携(パス)だった。

 

「ついに……ついに、村正に最高のパスを出したな、ヒル魔のヤツ」

 

「ええ……ヒル魔と長門、アイツらよりボールを交わしてきた奴らを俺は知りません」

 

 照明が目に入ったわけでもないのに、視界が滲みだす。

 そんな師の言葉に、武蔵は同じ光景を思い起こしながら、同意する。

 

『もっと速くパスを投げてください、ヒル魔先輩。俺の全力はもっと先だ』

 

 

『ちゃんと捕りやがれ、糞カタナ! なに、お手玉しやがってんだ!』

 

 

『どこへ投げてんだ! 汗で指が滑ったとかつまらない言い訳は聴く気はないぞ!』

 

 

 麻黄中学時代、長門が入部してから毎日、ヒル魔は日が暮れようが(中学の校長を脅しつけて、グラウンドに照明を設置させた)パスを投げ続け、長門はそれを捕り続けた。

 

 

『はっ! 今のはコントロールミスじゃねぇぞ、糞カタナ。テメェなら、あそこまで届いたはずだろうが。なんだ、205球ぽっちでへばりやがったのか』

『…………っ、ああ、そうだな。二度と腑抜けたプレイはせん。――もっと厳しいところへ投げてこい、ヒル魔先輩。今のミスを挽回してやる!』

『上等だ、糞カタナ! 落としやがったら、鉛玉百発ぶち込んでやる!』

 

 

 あの二人は、他の誰よりも相方へ厳しく、そして、その相方よりも自分に厳しかった。

 ボールと一緒に交わす、本気のぶつかり合い。

 それにいつも先にリタイアしたのは、ヒル魔の方だったが、いつもヒル魔がぶっ倒れるまで練習は行われ、長門も息を切らしていた。

 彼らの師として、溝六はそれを見守り続けてきた。

 

「不釣り合いな相手だと百も承知でありながら、口説き落とし、その右腕を振るい続けてきた。それが報われるかもわからない凡才の身だと常々痛感しながらも、止めなかった。泣き言なんざ、一度も聞いたことがありゃしねぇ。

 ……今こそ言える。

 ヒル魔、村正、お前らこそ最強だ」



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46話

すみませんでした!

自分の不勉強で、ルール上のミスがありましたので、一部修正させてもらいました。

ご指摘してくださったすずきりん様、ありがとうございました。


『瀧君へのショートパスが決まったーー! 泥門、3ヤード前進!』

 

 

『おおっと、地味にキャッチもできるようになった石丸君へパス成功! 泥門、2ヤード前進!』

 

 

『アイシールド21が来たーー! 進選手に阻まれましたが、それでも5ヤード獲得! 泥門、連続攻撃権獲得です! 泥門! 勢いを止められません! ゴールラインまで残り20ヤードを切りました! このまま王城からタッチダウンを決めてしまうかーー!!』

 

 

 3度目の連続攻撃権獲得し、ゴールを指呼の間に捉えるまで前進した。

 流れは、こちらにある。

 この勢いならば、1プレイで一気にタッチダウンを決めても不思議ではない。

 関東最強の矛が、関東最強の盾を突き破らんとする瞬間を、観客たちも期待している。

 

 

「Hut! Hut! Hut! Huーt!!」

 

 

 何度もコールを上げるヒル魔。

 その背後で動く――プレイ開始直前に選手が動いて攻撃体型を整える『インモーション』の権利を、長門が行使。

 左右を只管に往復するだけだが、強力(ストロング)サイドが切り替わる。

 その破壊力を痛感したからこそ、長門の動向は無視できず、揺さぶられる。

 まるで刃紋が怪しく反射する『妖刀』をゆらゆらとさせるように、こちらを翻弄してくる悪魔(ヒル魔)の策。

 

 

 実にイヤらしい、と観客席のマルコは評す。

 最強の切り札を見せびらかしながらも、それを見せ札とすることに躊躇がない。だけど、隙あらば使ってくる。

 『だからこそ、やる』――そんなヒル魔妖一の戦術論(せいかく)を知っているがために、無視できないのだ。

 なにせ、あの『悪魔の魔弾(フライクーゲル)パス』は、進でさえ阻止できない防御不能の破壊力。否が応でも警戒してしまう。結果、『妖刀』の動向に王城全員が集中力の半分を持っていかれてるだろう。それだけ、長門村正という存在が刻み込まれてしまっているのだ。

 下手すれば集中力の半分も持ってかれているような状態で、満足のいくプレイができるはずもない。

 そこで生じた綻びを、ヒル魔は逃さない。

 3度目の連続攻撃権獲得に、王城はタイムアウトを取ったが、果たして立て直せるか。

 

 

「これが、泥門の攻撃です……!」

 

 

 キャッチ、ラン、パス、ブロック、状況確認、司令塔(ヒル魔)と刹那にリンクできる戦術眼。

 長門はたった一人で無数の選択肢(バリエーション)を生み出せる異次元(モンスター)プレイヤー。

 やはり、別格。そして、地区大会決勝で争った時の泥門デビルバッツとは別物になっている。

 

 

「常に100%の力で臆することなく、リスクを取りに来る。王城だけがリスクを避けた99%の守備力では、必ず押し切られる……!」

 

 

 別物となった泥門と相対するには、これまでの王城から、意識を改革するしかない。

 すなわち、一か八かのリスクの高い策を取る。

 

 

 ~~~

 

 

「うおおおお! 決めるぜ、『デビルバックファイア』! タッチダウンMA――X!」

 

 

 流れは、泥門(こっち)だ。

 このまま、タッチダウンを取り、完全にものにしてやる。

 

 長門村正のキャッチは、俄然、モン太に火を点けた。

 負けてたまるか! 俺だってやってやる!

 合宿や練習でマッチアップした時は何度となく勝負してごまんと黒星を重ねてきているからその実力はわかっているが、それでもキャッチは譲れない。

 それはきっと、マッチアップしている相手も同じ気持ちのはず――

 

 

 ――長剣の一突きが、左胸を抉る。

 

 

「かっ……」

 

 桜庭先輩が……『バンプ』!!

 騎士の長剣の如き長腕が、モン太を貫かんばかりに突いてきた。

 

「モン太ーー!!」

 

 モン太だけじゃない。

 

「あふっ……」

「兄さん!?」

 

 瀧も、王城コーナーバック・艶島林太郎が、スナイパーの如く正確に、拳を心臓のある左胸に叩き込んできた。

 

 

「レシーバーの体勢をパワーで崩しに来やがったな、王城」

 

 黄金時代と称された頃を知る、試合をした経験のある鬼平にとっては、それは異様な、王城にはあり得なかった戦術。

 この意表を突いた狙いを、悪魔の指揮官は即座に看破した。

 

 

(違う。これは、んな狙いじゃねぇ。パスの発射を遅らせて……)

 

 

「進が……――! パスの発射口――ヒル魔を潰しに突っ込んだっっ!!」

 

 中央の守備を放棄して『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛ける進。高校最速のスピードでもって、ヒル魔の逃亡を許さず接近する。

 

 桜庭達が『バンプ』で泥門のパスターゲットを1秒でも足止めをする。このわずかな時間に進が奇襲を仕掛ける。

 ――長門を無視して、ヒル魔を撃ちに来たのだ。

 

 

「やーーー! 危ない妖兄ーー!!」

 

 

 ベンチから悲鳴が上がる。

 進清十郎の突撃を抑え込める壁は、長門以外には成り立たない。しかし、今、『インモーション』で移動した長門は、ヒル魔からは離れている。陽動が仇となった形だった。

 だが、そのスピードに、間に合う者がいる。

 

 

『おおっとしかし! セナ君が光速スピードでブロックに入る!!』

 

 

 進の動きに誰よりも注目していたセナが、割り込む。

 この『巨大弓』の陣形で、ランニングバックのセナは、クォーターバックのヒル魔のすぐ後ろに配置されている。互いに高校最速である以上、奇襲に気付けば間に合う距離だった。

 

「流石だ、お前なら反応すると思っていた。だからこそ、桜庭達の作る1秒の猶予が不可欠で――もう1枚のカードが必要だった」

「はい、進先輩! コイツは俺が……倒す!」

 

 ――『二重電撃突撃(ダブル・ブリッツ)』!?

 王城のもう一本の“槍”――ラインバッカー・角屋敷もその守備を放棄して、強襲してきた。

 それもとんでもないルートから。

 

 

「アイツ……飛び越しやがった」

 

 

 走り抜けた途上には、王城のディフェンスライン・渡辺と組み合っていた小結が、渡辺を倒した勢いで前のめりにもつれ込んでいて――つまりは、その彼らの上を飛び越えてきたのだ。セナと同じ、身軽な体躯だからこそ通れた最短コース。

 なんて、無茶苦茶な……!?

 飛び越えた勢いのまま放たれた角屋敷の『スピアタックル』が、セナに当たる。強引に伸ばした片腕の突き。体格も同程度なのに、重く、セナの身体は弾かれた。

 

 

「オラアアアアアア――!!」

 

 

 相手に息を吐かせぬ無呼吸連打。

 雄叫びと共に、十文字を強引に破った猪狩もまたヒル魔を本能のまま狙う。進に挟み撃ちで合わせるよう、反対側からその逃げ場を塞ぐ狂犬にして、猟犬。

 

 盾もなく、無防備。逃げるのもできない。

 

「はっ!」

 

 この絶体絶命の危機を、悪魔は、嘲笑う。

 

「んな揺さぶりかけて揺らぐような、糞生温いタマじゃねぇんだよ」

 

 キッドの『神速の早撃ち(クイック&ファイア)』であれば、進の動きを見てからでもパスが間に合ったかもしれない。この状況を切り抜けられたかもしれない。

 そんな真似、ヒル魔妖一には無理だ。

 だが、その腕は、王城が『二重電撃突撃』を仕掛けてきたと視認した……動き出しの時点で、振るわれていた。

 

 脚は、遅い。

 力は、弱い。

 技も、精々が小細工。

 パスに限定しても、凡人の域を出ることがない。

 

 だが、アイツに投げるパスだけは、違う。

 

 既定のルートからアドリブで外れる『速戦(オプション)ルート』。

 王城のゾーンディフェンスは把握してある。ラインバッカーが二人抜ければどこが穴になるかくらい、簡単に暗算できる。

 だが、事前に取り決めなどしてはいない。ヒル魔は独断で投げた。全力で駆け込まなければ捕れないポイントへ。

 長門もまた独断で動き出していた。そのポイントへ真っ先に、背後のことなど振り返りもせず、全力で駆け込んでいた。

 ――そして、パスの軌道(コース)、疾走の道筋(ルート)のギリギリの延長線上に、交差点は重なる。

 

 

「この状況――あんたなら、ここに攻め(なげ)る……っ!」

 

 

 初めて会った時から、最強を確信させた逸材。

 そして、この右腕は、『妖刀』を自分にとっての最強の武器とするために少ない才能と長い時間を費やした。

 だから、狙いは決してブレはしない。誰よりもパスを投げ込んできたからこそ、骨の髄にまで浸透した貪欲なまでの攻めの姿勢を共有している。

 肉を切らせて骨を断つ、それが泥門デビルバッツ――!

 

 

 ~~~

 

 

 こちらの一か八かの作戦を、更にリスクを上乗せしたギャンブルで覆す。

 

 ヒル魔と長門のホットラインは、どんなプレッシャーでも乱れない。

 もはや頭上を通過するボールを目で追うしかない。この先に、長門村正はいる。ヒル魔妖一が浮かべる笑みが何よりの証明。土壇場での行動を確信できるからこそ、ヒル魔妖一はパスターゲットを探す時間を0にできた。練度で成せる連携だ。

 

 ――それでも、まだだ。

 この距離、速度差を考えれば、タッチダウンを奪われる。だが、相手は己が認めた強敵手。彼らの前で、弛んだ真似などできはしない。

 最後まで諦めない守護神は、即座に反転して、後を猛追しようとし……気づくのが遅れた。

 

 

 ~~~

 

 

 俺が、王城を、馬鹿にはさせない。王城は、王城こそが、最強だ。それを証明するために、アメリカンフットボール選手となった。

 なのに、長門が、進さんと同格だと認めざるを得ないような状況としてしまった!

 俺が、負けちまったから! あそこでぶちのめしていれば、こんな風にはならなかったはずなのに!

 

 

 もう、これ以上、馬鹿にさせない。

 

 

 ――ボールゲットボールゲットボールゲット投げる前に潰すボールゲットボールゲットボールゲットボールゲット――

 

 

「待て猪狩!!」

「ヒル魔がパスを投げ終わってることに気づいてない……!!」

 

 

 ――ボールゲットともかくボールゲットコケにしやがるコイツをボールゲットボールゲット潰すボールゲットボールゲットボールゲットそうすりゃボールゲットボールゲット誰も王城を馬鹿にはできねぇ――

 

 

「オォラァアアアアアアア!!」

 

 

 フィールドにいる誰もが、狂犬の暴走に気付くのに遅れた。

 狙われた当人(ひるま)でさえ、パスを振るう右腕にほとんどすべての集中力を振り切っていた。

 

 

「ヒル魔さん!!」

「やーー! 妖兄――!!」

 

 

 会心の、手応え。

 どこを見てんのかこっちに気付かず、隙だらけのところに、渾身の掌打が当たる。

 吹き飛んだ野郎(ひるま)を、追う。追い打つ!

 ボールゲットするまでは、泥門の攻撃は続く! ――ボールは、絶対に奪わなくちゃならない!

 だから、まだ――――

 

 

 ~~~

 

 

 ――騎士の(うで)が、何が何でも得物に食らいつかんと狂い猛る顎を、阻んだ。

 

 

 ~~~

 

 

「……進、さん??」

 

 倒したヒル魔に噛みつく寸前で割って入ったのは、進先輩の右腕だった。

 

「やめろ、猪狩」

 

 言葉少なく、しかし、逆らわせない圧を込めて、制止する。僅かに遅れて事態を覚り、全速で猪狩の凶行を阻止した先輩が、前にいた。

 理性が沸騰しやすい猪狩でも、面前に立たれれば、先輩だと気づける。

 だけど、わからない。どうして、王城を馬鹿にする野郎を庇う真似をするのか。

 狂乱を上回る戸惑いは、血が昇った頭を鎮めるだけの効果をもたらした。

 

 

「――王城66番『ラフィングパサー』!」

 

 

 ようやく、審判の笛の音が、聴こえた。周りの声も、耳に入っていたが、無我夢中で、脳が認識できていなかった。今、猪狩は、気づいた。

 とんでもない、大失態を犯してしまったことに。

 

 

 ~~~

 

 

 王城ホワイトナイツの罰則(ペナルティ)

 パス成功したエンドゾーンまで残り10ヤード地点から、更に守備側への罰則距離が課される。

 『ラフィングパサー』の罰則距離は、15ヤードの後退。今回は『ハーフディスタンス』が適用され、ゴールまでの半分の地点――エンドゾーンから5ヤードの地点まで、泥門デビルバッツは前進。

 

 

 

 腕を振るジェスチャー――パサーに対しての反則があったことを示しながら、審判は状況を説明する。

 

 西部でさえ攻めあぐねた王城を相手に、ゴールまで目前の距離まで来た。

 それを喜ぶ歓声に沸く気配は、ない。

 

「ヒル魔!」

 

 誰もが血相を変えた。中でも栗田は顔色を蒼白にして、倒れたヒル魔へ駆け寄る。

 準決勝……白秋の峨王に壊された、悪夢と分類されるその記憶が全員に過った。

 

 『また、なのか』と言うようなセリフは、吐かない。吐けない。そんな弱音を口に出してしまえば、それが確定したことになってしまいそうで。

 けど、栗田にはチームを率いる責務があり、状況把握には努めなくてはならず。

 確認に躊躇し、思考が右往左往する。そんな胸の内が、あわあわと口が開閉する様から丸わかりで――そんな動転する栗田の前で笑えるのは、ひとりだけだった。

 

「ケケケ、白秋でちったぁマシになったと思ったが、あっさり慌てふためいてんじゃねぇぞ、糞デブ。大袈裟にビビりやがったせいで、糞一年(ガキ)共にまで伝染し(うつっ)てんじゃねぇか」

 

「ヒル魔ぁああああ!! だ、大丈夫なの?」

 

「心配し過ぎだ、糞デブ。峨王のような馬鹿力でもねーと、人間そう壊れたりしねぇ」

 

 ひょいと不調を感じさせないくらいに軽く起きるヒル魔。すぐ栗田がその身を支えようとしたが、左手を振って拒否して自力で立ち上がる。

 すこぶる平気な様子に、恐る恐るセナが伺い立てる。あの瞬間、泥門の中で一番近くにいたのはセナだ。角屋敷に突き飛ばされながらも、ヒル魔が倒されたのは視界に入っていた。

 

「で、でも、ヒル魔さん、思いっきり倒されたように見えたんですけど」

 

「あそこで糞狂犬が止まらなかったのが、計算外だっただけだ。――後輩の躾けくらいちゃんとしとけ、進」

 

「ああ」

 

 ヒル魔が文句を向けた相手は、泥門の会話に混じらないよう、一歩引いた立ち位置にいた進。

 猪狩は事態を把握した途端、頭が真っ白になったように動けなくなっており、大田原に鎖で縛り上げられてベンチへ回収されていた。

 

「だが、猪狩が暴走してしまったことは、俺が至らなかったせいだ。すまない、ヒル魔、泥門」

 

 その後輩の失態を己の責として頭を下げる進へ、黒木、戸叶、モン太といった泥門の中でも直情的な連中もここで責めるような真似はせず、代表して栗田がおずおずと頷き、その謝罪を受け入れる。そして、ヒル魔は鼻を鳴らし、ニヤリと口角を上げる。

 

「ま、こっちは儲けモンだがな。糞狂犬が暴走したおかげで、王城(テメェら)から先制点を奪うチャンスだ」

 

 グリンと首を巡らして、進へ向けていた意識を、チームへ戻す。

 

「だ・が、タッチダウンを決めたわけじゃねェ! ここで一気に畳みかけんぞ、テメェら!! 糞デブみてーに腑抜けた奴がいるなら、銃弾ぶち込んで目を覚まさせてやるから、そこに一列で並びやがれ!」

 

『ヒ、ヒイイイイイ!?!?』

 

 悪魔の司令塔からの発破は、一部、叫喚とした絵図をもたらしたものの、チームの士気を立て直す。

 

 そして、泥門は次のプレイで、長門にボールを持たせたパワーランで中央突破を仕掛け、残り5ヤードを強引に押し込み、王城からタッチダウンを決めたのだった。

 

 

 ~~~

 

 

「――あら……」

 

 と隣席となったご婦人が、胸元の内ポケットからちょっと取り出したのは、携帯ではなかった。

 藁人形。テレビとかでは見たことはあるが、日常生活する上では直には拝んだことはない代物だろう。

 それも裏稼業の“仕事道具”のような物騒さとは異なる、禍々しい妖気のようなものが漂っているのは気のせいか。

 思わず、円子令司(マルコ)は頬を引きつらせながら、岡婦人へツッコむ。

 

「なンすか、それ」

 

「“仕事道具”よ」

 

 あなた、確か、病院勤務の看護士さんじゃなかったっけ?

 いったいどんな場面でそれの出番があるのか、マルコにはわからなかった。人より頭の回転が速いと自負はあるが、どう頑張っても彼女が勤める病院が何を取り入れているのかは、想像できない。いや、したくなかった。

 

「へ、へー、そ、そうなンすか……」

 

 というわけで、隣席の彼女である氷室先輩の肩を抱きながら、スルースキルを働かせた。全力で。世の中には関わらない方がいいことがあるというのはよくあるっちゅう話だ。

 

 

「今日は経過観察、もとい、試合観戦だけのつもりだったのだけど」

 

 岡婦長は、取り出した藁人形を観察――ある一部を精査した時、目を眇めて息を吐く。

 

 

『あああーっと! 武蔵君がキックしたボールは、ゴールの枠を僅かに右に逸れました! 泥門、トライフォーポイント獲得ならず!』

 

 

「患者として請け負った以上、見過ごすわけにはいかないわね」

 

 

 ~~~

 

 

「すんませんでしたー!!」

 

 攻守が入れ替わる。

 チームが全員ベンチに合流し、集まるそのタイミング。

 あの後そのままベンチに下げられてから動かなくなっていた猪狩が、ガバッと再起動するや否や、フィールドに頭突きをかますかの勢いで頭を下げた。

 

「俺、王城に泥を塗っちまった。俺のせいで、皆さんになんて迷惑を……! 先輩方がこの試合、泥門との決戦にどれほど意気込んでいたのか知ってるのに――「猪狩」」

 

 静かな声が、猪狩の謝罪を遮る。

 ビクッと肩が跳ねた猪狩は、発言を中断。窒息せんばかりに言葉を呑み込む。唇を噛み、震える口を強引に閉める。けれど、顔は下を向いたまま、決して頭は上げない。合わせる顔がないと心底に思う。

 

「訂正したいことが、3つある」

 

 そんな猪狩を見て、やれやれと肩を竦め、高見は言う。

 

「まず、頭を下げるべき相手が違う。迷惑をかけたのは、俺たちにではなく、泥門だ」

 

「……うっす」

 

「そして、これは、猪狩だけの責ではない。王城全員が負うべきものだ」

 

「んなことは――「話は最後まで聞け、猪狩」」

 

 反論した猪狩だが、高見は有無を言わせず、発言権を取り上げた。

 猪狩の暴走は、王城ホワイトナイツの失態だ。

 猪狩以外のレギュラー全員、それを認めている。誰一人として猪狩にだけ責任を押し付けようなどと考えている者はいないと断言できる。

 

「我々王城は、変わった。黄金世代、これまでにはなかった強気の守備ができるようになった。ならば、その利点にばかり目を向けるのではなく、それ故のリスクを勘案してしかるべきだ。それを怠った、甘く見ていた。指揮官たる自分がするべきことをしなかった」

 

 それは違う……!

 高見さんは、誰よりもチームのことを第一に考え、あらゆる事態を想定してきた! 考えに考え尽くしたはずだ! それなのに馬鹿な自分が台無しにしてしまった……!

 猪狩は言いたかった。だが、できない。先頭でチームを引っ張ってきた最上級生の言葉の重みが、そうはさせない。猪狩ではどうしても揺らがしようのないほどに彼らの意思は固い。

 

 

「だが、今は、頭を下げる時ではない」

 

 

 まだ、試合は終わっていない、と高見は続ける。

 

 

「第一に優先するべきは、この決戦に全力を尽くすことだ」

 

 

 いつ如何なる時も冷静で気丈であることを徹底する指揮官は、提示する。

 

「改めて言うまでもないことだが、皆の意思をまとめるために確認しよう。

 ――泥門デビルバッツは、強い。我々王城ホワイトナイツが、総力を挙げて戦うに相応しい、最強のチームだ」

 

「おう。高見の言うとおりだ。叶うのなら、泥門とは、クリスマスボウルで決戦したかったとこだ」

 

 高見の言葉に、同じくチームの代表たる大田原も感慨深く同意する。

 いつからかこんな因縁が芽生えたのか。一年前では全く想像できなかったが、あの助っ人頼みの新興チームだった泥門は、王城が最も意識する強敵手となった。

 

「だから、決して手を抜くような真似は許されない。たとえ何があろうと、全力で、容赦なく、泥門を倒す」

 

 それが、闘いだ。

 正々堂々とした振る舞いは意識するが、何より貪欲に求めるのは、勝利。

 あの最強の強敵手に勝つには、こちらも全てを賭す必要がある。

 

「ばっはっは! そうだ、新生王城攻撃(オフェンス)! こっちもタッチダウンとりゃいいってことよ!」

 

 高見が冷静に弛みを締め、大田原が豪気に不安を笑い飛ばす。

 進と桜庭が王城ホワイトナイツの中核であるエースだが、精神的な大黒柱はこの二人。この新生王城の礎を築いてきた最上級生であることは疑いようがない。

 常にチームを支えてきた彼らの言葉は、落ち込みかけた士気を静かに持ち直させ、全員の裡を熱く盛り上げる。

 

「そうだ。そして、これまでとは違う、新生王城には、これまでにはない人材がいてこそ改革は促進される。――その我武者羅なプレイこそが、猪狩を守備(ディフェンス)(チーム)のレギュラーに選んだ理由だ。だから、腐らせるな」

 

 はっと顔を上げる猪狩。

 この人は、まだ、俺のことを戦力として扱ってくれる。デカいヘマをした俺を、チームに必要だと言ってくれる。

 一瞬呆け、力なく開いた掌が、拳を作る。締める。しかと締め直す。今、かけてくれた言葉を噛み締め、誓うのだ。

 この一戦に、己の全てを賭すのだと。

 

「ウッス! 気を付けます!」

 

「おう、ようやく顔が元に戻ったな。反省するのはいいが、抱え込みすぎるのは良くない。これから攻撃だが、ベンチにいても気を抜くなよ、猪狩」

 

「ウッス! 絶対に気を抜きません!」

 

 高見と大田原が悪魔と相対する戦場(フィールド)へ往く。

 それにチームのエース二人が続こうとする前に、桜庭は猪狩の肩を軽くたたき、

 

「あまり偉そうなことは言えないけど、俺も、進だって失敗したことがある」

 

「ああ、準決勝、西部との戦いで、俺も猪狩と同じように反則(ラフィングパサー)をした。アレは俺の弛みがあったからこそ、してしまった失態だ」

 

 頷く進。

 桜庭は視線を落とし、懺悔が滲む言葉を吐き出す。

 

「誰だって失敗することがある。特に俺のは、どうしようもない。今だって後悔してる。思い出すだけでも恥ずべきものだけど、決して忘れるわけにはいかない。それくらい大きな失敗だ。だけど、そんな俺でもこのチームにエースとして貢献することができる。誰かのヒーローになることができる」

 

 ――それを今から、証明してくる。

 観客席からの子供の声援に応えるよう右腕を掲げて、フィールドへ入っていく、いつになく大きく見える先輩の姿に、猪狩は深く敬礼。

 

「先輩方の雄姿、しかと勉強させていただきます!」

 

 後輩の視線を背に受ける桜庭を、目を細めて見つめながら、迎え入れる先輩。

 

「格好悪いところは見せられないな桜庭」

 

「はい。でも、俺も高見さんからかけられた言葉は忘れてませんよ」

 

 ドンと胸を叩く桜庭に、高見もまた日本一高い山頂で交わした誓いを胸に抱く。

 

 

 ――二人で勝とう、一流の天才たちに!

 

 

「温存はない。最初から全部を使って潰しに行くぞ」

 

 

 鉄壁の城塞から、天下無双の騎士団が出陣する。

 

 

 ~~~

 

 

「出たァァ――! 『エベレストパス』!!」

「弾道(たっけ)ぇぇえ!」

「届くのかこんなもん!?」

 

 

 一回目の攻撃。

 王城ホワイトナイツ、未だにパスカットがされたことのない高見から桜庭への『エベレストパス』を放った。

 

 

 ~~~

 

 

「――いや、届く!」

 

 

 一回目の守備。

 『妖刀』が敷く制空圏内を通過しようとしたパスを、太刀の如き長腕で切り裂くようにパスカットした。

 

 

 ~~~

 

 

『なななんと! パスカット不能、高校史上最頂の『エベレストパス』がカット!! 高校最高のパーフェクトプレイヤーの守備範囲恐るべし!!』

『春大会の頃から3cm伸びた193cmの高身長に+その長い腕とジャンプ力! 三次元に広い守備範囲を誇る長門君は、全てのパスにとって天敵です! それは『エベレストパス』でさえ例外ではありません!』

『おおー、成長した身体データまでリサーチ済みだったとは、解説のリコさんの取材範囲も侮れません!』

『そそそそそんなことありませんにょ!?!?』

 

 

 おいおい、マジかよ。

 観客席にいた五分刈りの男は、唖然とする。

 

 新生王城の前代……かつての王城の黄金世代を率いた男、花田は驚嘆を隠せず瞠目していた。

 去年、自分たちが敗北した神龍寺ナーガ戦で、隠し玉の金剛兄弟にしてやられた記憶は苦いものがあるが覚えている。

 金剛兄弟の連携に、黄金世代の守備は翻弄され、攻略された。

 しかし、一対一では、金剛阿含は進に倒されていたはずだ。

 進が大学アメリカンフットボール界へとステージを移しても、確実に三本の指に入る。

 

 その進と互角に競り合っている一年生がいるだと?

 

 長門村正。

 最近、話題になってる選手。

 黄金世代を圧倒した『百年に一度の天才』金剛阿含、それに進を差し置いて昨年度の東京大会MVPに選出された赤羽隼人という前例は知っていても、神龍寺のような強豪でもない新興チームのエースであるから、所詮はお山の大将、昨年の怪物(モンスター)ルーキーの二人ほどの脅威ではないと高を括っていた。

 そんな認識は、覆される。

 金剛阿含にやられた時以上の衝撃で。

 

 高見が桜庭へ投げる『エベレストパス』は、この王城OBが集った王城シルバーナイツでさえ触れることさえかなわなかった。

 自分たちがいたころは、一軍にも上がれなかった後輩クォーターバックが、黄金世代を圧倒する武器を身に付けたことに驚き……その驚きの分だけ、この代で、王城が関東大会を制覇することを期待していたのだ。

 それをああも容易く、叩き落とすとは……!?

 

 花田は知っている。

 高見が、堅実なプレイが売りだが、脚の古傷(ケガ)で、咄嗟に逃げることのできない二流止まりの選手であることを。

 その高見が、精神的に弱い……いや、強い野心を持った桜庭というパートナーを得て、ついに見出した自分たちの力を活かす道――『エベレストパス』

 アイツの中じゃ、進の両面『巨大弓(バリスタ)』があっても、『エベレストパス』こそを王城のプレイの肝にしたいと考えていたはずなのだ。

 それだけに決め技をいきなり防がれてしまったことのショックは大きいだろう。

 

「どうするんだ、高見……っ!」

 

 険しい顔でかつてのチーム、後輩たちを見つめる花田の視界には、新生王城を統率する司令塔が立ち呆ける姿があった。

 

 

 ~~~

 

 

『高見伊知郎です。小学校ではタッチフットの投手(クォーターバック)一筋で、王城でも投手(クォーターバック)がやりたいです!』

 

 憧れの王城に入ったばかりの頃は、まだ、自分の将来に輝かしい希望を抱いていた。

 小学校のタッチフットで、チームを指揮しながら味方へパスを決める投手のポジションに虜となっていた僕は、すぐに思い知った。

 僕には、ひとりで投手として大成する才能がなかったことを。

 

『こういう話は、早い方がいい』

 

 それを無視するように無我夢中に練習に励んだ。ひとり、練習後も居残ってグラウンドを走っていた。

 そんな僕の逃避ともいえる練習を見守ってくれた庄司監督――かつて投手だった監督は僕の願いを我がことのように想いながらも、指導者として、残酷な事実を告げた。

 

『アメフトで投手をやりたいっていうお前の夢はわかる。

 だが、現代アメフトでは、味方に守られて投げるだけじゃなく、状況を視て移動して投げたり、自分でもって切り込んだり、“走れる投手”ってのが求められる』

 

 

 ――高見、お前の脚では、投手は無理だ。

 

 

 40ヤード走、5秒7。

 鈍足の原因は、幼いころ交通事故で負った怪我。右の脛に今も残る消えない傷は、致命的な枷だった。

 他の人とは違って、僕には努力だけではどうにもならない壁があった。

 

 現代の移動砲台に適応できない欠陥を抱えた僕には、神龍寺の金剛阿含のような超反応で自らタッチダウンを決めたり、帝黒の小泉花梨のような蝶のように舞う動きでラッシュから逃れるのも無理だ。

 逃げられない鈍足投手。

 

 だから、他で勝負するしかない。

 走れない旧式、固定砲台とも形容される投手となるしかなかった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 『エベレストパス』が、斬ら(カットさ)れた……。

 

 呆けて、しまった。

 思いのほか、ショックを受けたらしい。――想定はしていたはずなのに。

 

 一番最初にこの男を甘く見て、痛い目に合ったのは自分だった。

 だからもう、二度と油断などしない。

 長門村正は、高見と桜庭(エベレストパス)の天敵になり得ると想定してしかるべき。

 深く、息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 

(高見……)

 

 庄司監督は、己の投手としての技能、そして、心構えを叩き込んだ教え子が、動揺を深く鎮めたことを覚った。

 深呼吸を終えた高見伊知郎の目に、揺れはない。

 

(何……?)

 

 正面から相対する長門も感付く。動揺や、焦燥といった感情が生じていない。心の拠り所とし、これまでの戦績で厚みの増してきたホットラインを断ったというのに、たった一呼吸で立ち直った。

 そして、眼鏡の位置を直してから、口を開いた。

 

 

「予告しよう、泥門の諸兄。二回目の王城のプレイも、“パス”だ」

 

 

 へ……!!?

 泥門は、思わぬ高見の宣告に、目を丸くしてしまう。

 

 

『なんと、これは……高見君、心理戦の魔術師、ヒル魔君のお株を奪うかのような、プレイ予告っ! しかも、長門君に破られたばかりのパスを予告してきましたーーっ!!』

 

 

 観客もざわつく。

 自棄になったのか高見! と王城OBの声も聴こえる。

 

(ホホ、ホントに……?)

(そんな先にバラしちゃったら、こっちが守りやすくなるだけなのに……!)

(長門に破られたばっかだろ。本気でしてくんのかパス……!? ハッタリじゃねぇのか。『巨大弓(しん)』を突っ込ませてくるランの方が……)

 

「………」

 

 相手の狙いが読めず、動揺するチームメイトに、長門は声をかけることなく、静かに高見を観察する。

 わざわざ作戦をバラすような真似だが、リスクは然程なかったりもする。

 所詮、予告。

 舌が二枚でも足りなさそうな先輩の後輩をやっているのだ。高見伊知郎の予告がウソである可能性くらい当然考える。妄信することはないし、特に対策することでもない。

 

(高見伊知郎は、ヒル魔先輩と同類。意味のない妄言をすることはあっても、意味のない真似はしない)

 

 ならば、何がしかの狙いはある。

 意味のない予告に何かの意味を持たせるのだとすれば、これから行うパスプレイへの印象付け(アピール)――

 

 

 ~~~

 

 

(……油断させて緩むのを狙ってみたが、やはり無駄だったな)

 

 自分を見据える鋭い眼差し。

 大衆を惑わす愚かな指揮官などとは見ていない。侮りの色がなく、警戒の意が感じ取れる。

 進と同じ。決して相手を過小評価したりはせず、僅かたりとも緩まない。

 

(どれだけ努力しても、長門、君のような完璧超人には近づけない)

 

 高身長で、強靭な体躯。

 高校最速のパスを投げられる強肩に、走りながらもパスができる抜群の安定感。

 そして、脚の速さ。

 自分にはない、現代の移動砲台タイプの投手としての才能に恵まれた逸材と鏡合わせのように相対するだけでも、かつて抱いた渇望に胸が焦がれそうになる。

 

(でも、自分の力不足を――足が悪いのを言い訳にして生きていくことだけはしないと決めたんだ……!)

 

 一人じゃ誰にも敵わない凡人が6年間ずっと待ち望んでいた、唯一の武器である背の高さを活かせる相棒を得てからは。

 

 

(高見さん……っ!)

 

 

 独断の予告(アドリブ)の意図を探ろうとしているのは観客や泥門だけではない。その向けられる視線の中で、強い意志を感じるものがある。

 

 桜庭……。

 富士での夏合宿で、お前は悔やんだ。嘆いた。絶望を吐露した。

 

 

 今更死ぬ気でトレーニングを頑張ったって、40ヤード走も重量上げ(ベンチプレス)も長門に負ける!

 それで進ではなく、こんな凡才を周囲(TV)では『王城のエース』なんだって取り上げるんだから笑っちゃいますよ!!

 俺だってそんな期待に応えようとした! 何度吐いたって、ずっと天才を追いましたよ!

 だけど、結局、天才の背中も見えなかった……勤勉な天才に、凡人に生まれた男はどうやっても敵わないんだっていう証明にしかならなかった。

 俺はアメフト部に入って、5年間無駄にしましたよ! 何の意味もなかった!!

 

 

 お前の悔しさも嘆きも、知ってる。

 その絶望だって、5年前から味わってる。

 だが、どんなに打ちのめされても、折れなかった。一流の世界で戦いたいと叫んだ。

 

(よく、わかる。お前の気持ちは。そして、桜庭、お前はいつも思ってる。『俺は遅すぎた。死ぬ気になるのが遅すぎた』、と。凡人であることをどれだけ恨もうが、諦めなかった。お前はもっと早く足掻かなかったことを後悔した)

 

 進や長門を羨んだのも、彼らが()()()()天才であるからこそ。

 追いかけ続けなければ、常に前進し続ける天才との距離は広がるばかりだと絶望した。もっと早くから追いかけていれば、その背中に触れられたんじゃないかと後悔ばかりを募らせた。

 

(でも俺は! 少なくとも俺は! 桜庭と何試合かタッグを組めただけで、王城中高6年間は無駄なんかじゃなかった!)

 

 このプレイで、証明してみせる。

 桜庭の5年間に、(ぼく)の6年間を足せば、一流の天才に勝てることを。(ぼく)達の足掻きは決して無駄じゃないことを。

 

 

「SET! HUT!」

 

 

 最初の『エベレストパス』は、布石。

 長門村正の制空圏(ドーム)の範囲を確認するための一手だ。

 あの領空域を侵犯すれば、パスは撃墜される。『エベレストパス』……高見が投げられる最高の弾道でも、逃れられなかった。

 

 だが、そこに到達するのは一瞬とはいかない。

 こちらがパスを投げることを見極めてから、移動して、跳ぶ。それはどんな天才でも短縮できない工程だ。

 ――つまり、一流の天才を攻略するには、到達するまでに制空圏を通過する速度でパスを投げればいい。

 

 あの初球で長門の反応速度、移動速度、跳躍速度を測り、そこから必要となる投球速度を割り出したが、高見が出せる全力が求められる計算結果だ。

 しかし、頭ではどれほど至難の作業となるのかわかっていても、心は決まっている。

 

 ――どんなパスでも捕って見せます絶対! 高見さん、俺に投げ込んでください……!! 

 

 懐かしい。

 “俺はきっとやってやる!”っていう夢に燃えてる野心の目。見るのは、中一で入部してきたあの時以来。

 そんな熱い眼差しで要求されては、挑まずにはいられない。

 

 長身長腕を活かした投石器(カタパルト)を彷彿とさせる投球モーション。ほぼ頭の真上、高い発射点からボールをリリースする右手に、己の全てを乗せて振り切った。

 

 

 ――塔から渾身の矢が放たれた。

 

 

「! これまでの『エベレストパス』より、速い……!?」

 

 

 あの弾道の高度に届くことは可能だが、あの弾速では間に合わない。

 『妖刀』は飛来するボールをカットせ(斬ら)んと反応するが、それより速く逃げられた。指先まで伸ばした手刀の、10cm先をボールは通過する。

 

 高い塔から塔へと放たれる矢のように、超高層軌道で、高速レーザーパス。当然、キャッチする側に要求される難易度は高くなる。

 練習は積んできたが、それでも成功率は5割を切る大博打のパスプレイ。

 

 

「捕れるよな桜庭。こんな無茶な高層パスも、お前なら……」

 

「当然ですよ高見さん……!!」

 

 

 ――『ツインタワー剛弓(アロー)』!!!

 

 

 『妖刀』の刃を躱した剛弓(ボール)を、頂点へ伸ばした桜庭春人の両手は掴み取った。

 

 

『予告通りにパス成功! 王城ホワイトナイツ、連続攻撃権(ファーストダウン)獲得――!!』

 

 

 ~~~

 

 

「長門君が、パスカットできなかった……!?」

「なんつうパスだ。アレじゃあ、止めようがねぇぞ!?」

「ちきしょう! マークしてたのに、桜庭先輩に追いつけなかった!」

 

 長門村正が、予告されたパスをカットできなかった。

 それは泥門デビルバッツにとって、大きな衝撃だろう。攻撃(オフェンス)以上に、守備(ディフェンス)を『妖刀』に頼っている。絶対的なエースが中央を陣取っているからこそ、各々が果敢に出ることができる。そう高見は分析していたからこそ、その比重が大きい分だけ強烈な印象付けとなることを確信していた。

 その想定通りに動揺する泥門へ、高見は尊大に言い放つ。

 

「これが『エベレストパス』の更なる進化――パスカット不能の『ツインタワー剛弓(アロー)』だ」

 

 この先、泥門は桜庭の『ツインタワー剛弓』を意識しなければならない。

 その上で、今の王城には“もう一本の矢”がある。

 

 

「さあ、諸君。泥門に見せてやろうじゃないか。どんな策を打とうが無関係。すべてを無視して決める力が新生王城にはあるってことを……!」

 

 

 冷徹な指揮官は、再び予告する。

 『中央突破』――高校最速のパーフェクトプレイヤーを矢として放った『巨大弓(バリスタ)』は、泥門のラインを無理やりにこじ開けた。

 

 

『止まりません、王城ホワイトナイツ! 天下無双の騎士団の波状攻撃を前に、泥門デビルバッツ成す術なしかーー!!』

 

 

 如何に怪物であろうと体は一つ。

 『巨大弓(ラン)』と『剛弓(パス)』、二つの攻撃をまとめて対応するのは不可能。

 一度も王城の前進を阻止できず、ゴールエリアまで10ヤードを切ってしまった。

 

 

 ~~~

 

 

「ならば、起点を潰すまでだ」

 

 

 泥門の守備は、保守的なものではない。

 苦しい劣勢下だろうが縮こまることなどない。たとえここで失点を許すことになろうが、一発逆転を狙いに行く。守備の時でさえ、防御を捨てて殴りに行くのが基本姿勢なのだ。

 それは、この『妖刀』にも浸透している。

 

「うおおおおおっ!」

 

 東京地区ベストイレブンに選出された、王城三年のガード・安護田良則。元野球部キャッチャーで、王城一の粘り腰を誇る安護田を、長門は崩す。衝突し、強く、踏み込む。ごくわずかな重心移動は、相手の重心をブレさせ、そこを純然なパワーで押し込み倒す。

 フォローに三年センター・岩鼻厚雄が入るが、守備ではラインバッカーを任されるが今はラインの一列に加わっていた黒木がそれを許さない。

 

 

「来たー! 長門の『電撃突撃(ブリッツ)』! 中央を破ったァーー!!」

 

 

 動きを気取らせない『縮地』からの、『電撃突撃』は、ベテランの鬼平の目を以てしても、特攻の気配を感じ取れなかった、真正面からの不意打ち。

 

 

『後方の守りを放棄するギャンブル守備(ディフェンス)! パスを投げる高見君を潰しに突っ込んだーっ!!』

 

 

 この時の泥門のディフェンスの陣形は、ゴールラインディフェンス。

 ラインの人数を増やし、後衛も前寄りの位置につく。前に密集する分、突撃(ラン)には強いが、後ろががら空きとなるためパスに弱い。

 しかし、パスをさせる前に潰せば、問題はないとばかりに泥門は攻めてきた。

 ――そう、それは春大会で、高見を仕留めた策と同じ。

 

 

「危ねぇ、高見先輩――!!」

 

 

 この間合い。鈍足の高見では、逃げられない。

 

 ――『十文字槍(トライデント)タックル・廻』!!

 

 グースステップからの120%の超加速。長門はそこから長身を前に傾け倒すことで更に前へ伸び、長腕を捩じりながら突き出さんとする。

 

 

「――そうはさせん!」

 

 

 超速の十文字槍を、遮る盾。パスプロテクションに入ったのは――春大会の時とは違い、攻撃に加わっている最速の守護神――進清十郎。

 

 

「「おおおおおおおお!!!」」

 

 

 全身全霊で放たれた渦巻く刺突。金剛阿含をも一撃で仕留めたその威力を、両腕を十字にして受ける。グラウンドを踏みしめたスパイクが、後ろへ擦れる。形勢は、長門に傾いている。峨王をも力勝負で制した長門が優勢。

 しかし、状況は、違う。

 

 

 ――倒、れん……っ!

 腕力では、こちらが勝っているはずなのに、押し切れない!

 

 ――やはり強い……っ!

 単純な押し合いとなれば向こうが上。だが、それでも譲らん!

 

 

 『電撃突撃』を阻み、パス発射までの5秒を稼いだ進の勝ちだった。

 そして、この結果を、高見伊知郎は信じていた。

 自分は、逃げることはできない固定砲台。だからこそ、心中する覚悟は定まっている。

 ある種の開き直りではあるが、それだけに怯まない。春大会で己を沈めた『妖刀』の切先が目前まで迫っていようが、投球モーションにズレはない。

 精密機械の如き安定性から放たれるのは、正確無比のパス――

 

 

「走れ桜庭ーーっ!!」

 

 

 泥門の守備は、ゴールラインディフェンス。

 前に人員を固めた分だけ、後ろはがら空き。発射前に潰せなかった時点で、パスを止めることはできない。

 そして、桜庭は無人となったゴールエリアへ到達し――

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、娑婆気を出しまくりやがって! おかげで簡単に誘導できんだよ糞メガネ……!」

 

 

 ~~~

 

 

 ゴールエリアに入った桜庭へ、それは忍び寄った。

 

 

『妖怪……!? いや、ヒル魔君です! 桜庭君を高く跳ばせないようにピッタリマークで張り付いたーっ!!』

 

 

 『化けもーーん!!』と観客の子供たちから悲鳴が上がるような登場を果たしたのは、ゴールラインディフェンスにひとり参加せず、後ろで息を潜めていた隠し玉(セーフティ)――ヒル魔。

 

「読み切ってたなんてもんじゃねぇ! ヒル魔の野郎、高見の『ツインタワー剛弓』を誘い出しやがったな……!」

 

 2年ワイドレシーバー・神前瞬、2年タイトエンド・頂ヒカル、1年ランニングバック・猫山圭介といった他の可能性(パスターゲット)はすべて無視して、桜庭春人に張り付いていた。

 一点張りのギャンブルだったが、ヒル魔には的中させる自信があった。

 

 これまでの高見の言動からして、『巨大弓』より、『剛弓』の方が思い入れが強い。

 複数の選択肢があろうが、性格的に桜庭へのパスを決め手にしたいはずだと読めていた。

 更に、糞カタナを『電撃突撃』させて、進のヤツに阻止(ブロック)させる――『巨大弓』ができない状況に追いやる。

 糞カタナに間近に迫られたという局面、春大会にビビらされた高見が咄嗟に選ぶのは、お気に入りのカード(エース)

 王城ホワイトナイツの戦術というより、“高見伊知郎”の心理を読み切り、誘導したのだ。

 

「誰が決めようが関係ねぇ! 勝ちゃいいんだよ……!!」

 

 桜庭に張り付くヒル魔。

 腕を桜庭に抱き着くように伸ばすが、密着はしない。接触妨害の反則(パスインターフェアランス)を取られないギリギリを攻めて、プレッシャーをかける。

 長門がパスカットできなかった『剛弓』に、ヒル魔が届くとは思わない。だったら、桜庭が『剛弓』を捕れないように邪魔すればいい。

 高弾道の高速レーザーパスという難題に対し、万全の状態でキャッチに望めなくすれば、勝手に自滅する。

 これが泥門(ヒル魔)が狙い撃った、『電撃突撃』を隠れ蓑とした本命。

 

「ああ、その通りだ。俺は甘い。ヒル魔ほど勝利だけに徹しきれはしないよ」

 

 ヒル魔の言う通り。ここは、安牌を選ぶのが正解。

 しかし、『妖刀』すら見せ札にしてしまえるヒル魔妖一とは違って、高見伊知郎は『剛弓』を最後の決め手とすることに固執した。

 

「流石だ、ヒル魔。思いもよらなかったよ。『ツインタワー剛弓』を誘い出してくるとは……」

 

 冷静に見直せば、焦らず、拘らず、他の選択肢を視界に入れていれば、確実にタッチダウンを奪れていた。それができていなかった時点で、自分は術中に嵌められた。

 それは、認めよう。

 

 

「ボールが、フィールドの外に出たっ……!?」

 

 

 それでも、自分は宣告していたはずだ。

 『どんな策を打とうが無関係。すべてを無視して決める力が新生王城にはある』、と。

 

 その瞬間、桜庭はヒル魔のマークから離れるため、ゴールラインを仕切る白線を越えて、フィールドの外へ舵を切った……っ!

 

「!!」

 

 気配を察知したヒル魔は、反射的に桜庭を追って右腕を伸ばそうとし、直前で引く。

 マークを脱したことを桜庭は肌感覚で覚り、この機を逃さず――己が到達し得る、一流の頂へ、飛躍。

 

「だが、そこはフィールド外の空、君では貼り付くことすらできない、桜庭の聖域なんだ……!」

 

 斜めに体勢を傾けながらも、そのパスコースへ全身を伸ばし切った桜庭の両手は、確かに『剛弓』を掴んだ。

 

「ばっはっはーー! 捕ったあーー!!」

 

 会心の雄叫びを上げる大田原の目に映るのは、高見のパスをキャッチした桜庭の姿。

 しかし、その身体はフィールドの外にある。

 

 

「えええ、そんなのフィールドの外で捕るのアリなの!?」

「そうだよもう出てる! アウトオブバウンス……――」

 

 

 フィールドの外へ出るように桜庭は跳んだのだからそれは当然の始末。翼のない人の身で、空中で自在に飛行する真似などできはしない以上、このままフィールドの外に落ちるしかなく。

 ボールデッド。パスは、成立しない――

 

 

 ――フィールド内に、着地すれば……!

 

 

 パスプレイは、キャッチしたレシーバーがサイドライン内に着地して初めて成功と認められる。

 

 

 ――片足だけでも……!

 

 

 NFL(プロ)では、両足がサイドラインの内側に入っている必要があるが、日本のアメフトのルールでは、片足が境界線(ライン)上に乗っていれば、着地したとみなされる。

 

 

 ――爪先さえ、つけば……!

 

 

 外へ投げ出されている身体。

 落ちていく最中で、桜庭は受け身のことなど二の次として、脚を伸ばし――――爪先で、蹴る。

 この悪足搔きが実を結び、ゴールライン内の、フィールドに、着地した跡を刻んだ。

 

 

『パス成功ー! タッチダァァァァアウン!!』

 

 

 桜庭春人のタッチダウン。

 その後のボーナスゲームを3年キッカー・具志堅降也が決め、トライフォーポイントを1点追加。

 6-7。王城ホワイトナイツ、逆転する。

 

 

 ~~~

 

 

 ……やっぱり、そうなの。

 

 いつでもフィールドの外から、彼らを見守ってきた。

 観客よりも間近に、それでいて客観的な視点でいられる立ち位置。

 だから、その些細な違和感に気付けた。撮影するビデオ映像を見直して、姉崎まもりは予感を確信へと深める。

 

(ヒル魔君、あなた、また腕を……――)



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47話

前回の46話に、ルール設定上のミスがありましたので、一部修正しました。
ご指摘してくださったすずきりん様、ありがとうございました。



「SET! HUT! HUT! ――」

 

 

 栗田からスナップされ、ヒル魔が受け取ったボールを、アイシールド21へ手渡す。

 泥門デビルバッツが仕掛けたのは、中央突破。

 大田原を相手にしながら栗田がその巨漢をねじ込み、長門が強引に押し広げる。

 

「もう二度とヘマはしねぇ! オラァアアアア!!」

 

 猛然と潰しにかかるは、猪狩。

 先程の失態を払拭せんと容赦なく乱打を繰り出し――弾かれた。

 

「ヘマはしねぇ、はこっちのセリフだ!」

 

 拳打を拳打で凌ぐ荒々しい喧嘩殺法。猪狩の前に出るのは、十文字。

 

「ヒル魔を守れず、みすみすテメーの暴走を許しちまった。だが、負けっ放しは趣味じゃねぇ! ブチ破ってやるぜ! こちとらテメーと同じフリョーなんでな、攻めのケンカなら負けねぇんだよ……!!」

 

 『プリズンチェーン』は、俺が相手する……!

 自己紹介なんて不要。一目で、同類だとわかった。

 だからこそ、意地でも譲れない。不良(オス)として、ケンカの土俵で負けるわけにはいかない。

 

 互いに、後退など頭にない。

 自慢の腕っぷしで同類(コイツ)を叩きのめすことのみに全集中を注ぐ。

 

 

「「ラアアアアアア!!!」」

 

 

 拳と拳。

 殴打と殴打。

 激しくぶつかり合うその横を、アイシールド21は突破する。

 

 

『栗田&長門泥門最強パワーコンビでこじ開けて、十文字君がブチ破る! アイシールド21、鉄壁の王城ラインを突破ーー!!』

 

 

 進さん……!!

 

「これ以上は、通さん、アイシールド21!」

 

 ラインを突破しても、最速の守護神が詰めている。

 透徹した眼光は、セナの動きの一切を見抜く。怖い。あの間合いに踏み入れば、刺し貫かれるイメージがある。

 

「いいや、通させてもらうぞ、進清十郎!」

「長門……!」

 

 長門がリードブロックに入る。

 『護る為の殺意』を解放した『妖刀』は、迂闊に近寄らば斬るイメージを相手に叩き込む。

 イメージでセナを穿った三叉槍の恐怖を、大太刀の如き気迫が弾いて霧散させる。恐怖に素直になってみたからこそ、余計にそれははっきりと感じとれてしまう。

 目に見えないけど視えてしまいそうな攻防を繰り広げながら、ボールキャリアー(アイシールド21)走り(カット)に連動して、両者はフィールドを移動。

 

 長門越しに、洞察している。

 進と相対しながら、把握している。

 死角にあるセナの動きを。

 

 すごい、としか感想が漏らせなかった。

 わずかに切った視線に、本気と紛う気迫が乗る。

 微かな力を右腕に意識するだけで、牽制を放つ。

 秒単位で切り替わる駆け引き、あり得たかもしれない結果の残滓で埋め尽くされる。そのすべてを眼に収めながらも、全容はとてもじゃないが理解できない。一体どれほどの密度で凝縮された一瞬なのだろう。

 あの時……目に焼き付けた交流戦でのラストプレイ、本物のアイシールド21・大和猛と長門村正の衝突と同じ。極まった者同士は、戦いながらより洗練されていく。切磋琢磨の通りに。

 

 胸が、熱くなる。

 まるで、共振されたかのように、心が揺さぶられる。

 

 ……それでも、どんなに心が熱くなっても、まだ、前には出れない脚。進清十郎への恐怖が、断崖のビジョンをアイシールドに映し出して見せてくる。

 

(ダメだ……長門君の右か左、そのどちらから仕掛け()てくるのか、進さんは見ている……!)

 

 4秒5と4秒2。スピードで負けている長門は、光速の世界に突入すれば置き去りにされる。それに他の王城の選手も進の動きを補助するよう、包囲網(ランフォース)を完成しつつある。時間を掛ければ不利になるのはこちらだ。

 

 そんな最中に囁かれる。

 

「怖いか、セナ」

 

 怖い。そうだ、怖い。当然だ。

 一人で逃げていた時よりもずっと怖かった。チームのためにボールをゴールへ運ぶ。脚を止めてしまえば負けてしまう、皆の夢が終わってしまう。それを自覚してからはより、捕まることに恐怖を覚えるようになった。

 素直に頷くセナ。そんな背後の僅かな機微にも気を配っていた長門は、臆病な意思を感じ取って、笑う。

 

「それでいい。怖いもの知らずなんていう行き当たりばったりなヤツにボール(チーム)を託すのは愚かだからな。チームの命運を背負う。恐怖を覚えることは、その重責を自覚するからこそであり、セナが成長した証左だ。だから、より多くの恐怖を悟れるようになった今ならば、走るべき軌跡がより未来(さき)まで明確に視えるはずだ」

 

 ――臆病(よわ)さを肯定してくれた。

   そう、長門君は僕の恐怖を武器として使いこなせと言っている。

 

 その時に沸き上がるこの気づきを部品として、セナの中で組み上がるものがあった。

 恐怖への躊躇は、裏返せば、危機を感じ取るセンサーに転ずる。進清十郎のほんのわずかな動きにさえ恐怖することは、あらゆる動きを察知することに違いなく、刹那の最中においても彼の隙を、逃さない。

 その時、どんな窮地に陥っても、か細い狭路しかなくても、窮地も狭路(フィールド)を捻じ伏せてきた脚ならば切り抜けられる。

 

 各ルートの成功率が、秒で目減りする。騎士の軍勢に呑まれてしまうように、光輝く道筋(デイライト)が陰っていく。

 それでも焦らず、幾度となく活路を切り開いてきたその背中を信じ、機を伺う。そして、状況が動く。

 

「進さん!」

 

 角屋敷吉海。長門のリードブロックを迂回しながら、右からセナに迫る。

 この瞬間、反対側の左より出ようとして、セナの脚に震えが走る。進だ。セナの走りを見透かしている。だからといって、迫って来る角屋敷を抜いてもその先は、光輝く道筋が途絶えた暗闇。完成された包囲網に捕らわれる袋の小路が待ち構えている。

 それでも、臆病にも目を凝らしたアイシールドには、ひとつの軌跡が映っていた。

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナ(アイシールド21)と長門村正のタッグ。

 進にとってそれは、攻略至難の壁だ。だから、これまでの泥門の試合を研究していく中でも、二人が揃った時の状況は一段と注目してきた。当然、その連携(コンビ)プレイも熟知している。

 

 ――『変移抜刀霞斬り(バニシング・デビルバットゴースト)

 ボールキャリアーから、注目を奪ってしまう長門村正の存在感。無視を許さぬリードブロックに意識が移った、その空白(すき)にすかさず、小早川セナが一瞬で最高速に至る加速力(チェンジ・オブ・ペース)でもって相手を置き去りとする。

 

 円子令司のようにボールの動きだけを目で追う技法を用いれば、視線誘導(ミスディレクション)から突然消失してしまったように惑わされることはないだろう。だが、眼前で他に目移りする、そんな格好の油断(すき)を晒せば、躊躇なく、『妖刀』が斬りかかって来る。

 

 これに対処するには、複数人であたり一対二の状況に持ち込ませない。それか、ボールを目で追いながら全体を見るか。

 

 武道的な技法の『目付け』には、『遠山の目付け』と呼ばれるものがある。

 『ある一点を中心に捉えながら遠くの山を見るようにその全体像を見る』というもので、広角レンズのような見方で全体像を把握することにより、いつ・どこで仕掛けてくるのかを予測する。

 

 進清十郎は、ボールに視点を合わせながら、その視野の距離感をセナと長門の二人を捉えるくらいに広げた。集中力を分散するのではなく、拡張させる。一切の隙なく、包括して相手を見据える進は、角屋敷が飛び出した時、その方へ長門の重心が寄ったのを見逃さなかった。

 

 ――『トライデントタックル・廻』!!

 

 立ちはだかる長門を光速の脚(スピード)で抜き、セナへ方向転換しながら超加速する三つ又の矛で捉える。

 進清十郎は、その決着を観た。

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナ(アイシールド21)は、その決着を超える。

 

 

 ~~~

 

 

 進が動いた瞬間、セナは、飛んだ。

 

 

「『一人デビルバットダイブ』……!?」

 

 

 長門村正(リードブロッカー)の頭上を飛び越えた。

 

 

 ――『十文字霞超え(バニシング・デビルバットダイブ)』!!

 

 

 なんちゅう綱渡りな走行ルートを……!!

 驚愕する溝六。だが、セナの走りにはここしか血路がないという閃きも感じ取れた。

 定石から大きく外れながらも、会心の威力(インパクト)がある、魔剣の如き必殺技。

 

 長門を飛び越えたセナは、一気にゴールを狙いに駆け出す。

 

(っ! 抜かれた……!)

 

 進は、即座に逃げるセナを追う。

 だが、左右への転換とは違い、180度後方反転の切り返しは、流石の進でも急減速(ブレーキ)を踏まなければならず――そこは、『妖刀』の制空圏内(まあい)

 

「捕らえたぞ、進清十郎!」

 

 反応が、速い。

 いや、と進は失態を悟る。角屋敷へ傾いた重心。あの刹那に見せた隙は、そう隙を見せたと誤認させるための偽装か。

 隙を晒した守護神へ、数多のエースを斬り伏せてきた『妖刀』の一太刀が振るわれる――その寸前に、“鎖”が巻き付いた。

 

 

 ~~~

 

 

 ――数秒程、遡る。

 

 

 『小早川セナと長門村正を、一対二で相手する状況は極めて危険』だと、ミーティングで聞いていた。

 そして、今、長門が、進さんと対峙したアイシールド21の援護に入らんと出てきている。マズい。同じく角屋敷や先輩方が進さんを援護しようと動いてくれている。だけど、それでもなんだかマズい予感がする。

 

 俺も援護したいが、十文字(コイツ)との喧嘩で手一杯。ちょっとでも手を抜けば、負けちまう……

 

 ――いや、重要なのは、個人戦(おれ)の勝ち負けじゃねェだろ……!

 

 進さんがピンチなら、それを何が何でも助けに行く。ほんの少ししか力になれないのだとしても関係がない。そうだ。そう決めたんだろ。だったら、俺がどんなに馬鹿にされようが、負け犬になろうが、優先すべきだ。

 

「は……っ?」

 

 あえて、拳を、この身に受けた。

 十文字(あいて)もこれが決まるとは思っちゃいなかったんだろう。喧嘩の手が止まった。中々にキツい一発だった。息が、止まりかけた。

 だが、これでいい。こうでもしなければ、喧嘩慣れしてる不良から離れられなかったし、あと、強ければ強いほど勢いがつくってもんだ。

 

 この拳打の勢いも加算させて、猪狩は後ろへ跳んだ。背中からもつれるように、長門へ倒れ込む。

 

 

 ~~~

 

 

 進を抑え込もうとした長門に当たりに……!

 

 だけど、猪狩のそれはタックルにもブロックにもなってない、本当にただぶつかりに行ったくらいのもの。腕も満足に振るうことのできない死に体だ。

 それでも、長門は反応した。反射的に相手の身体を受けて、いなし、その身体を地に落とす。みっともなく青天をさらしながら、見下ろす長門へ猪狩は笑った。

 

 へっ! やっと一杯、食わせてやったぜ。

 

 その持ち味である野生の勘と先輩たちに認められた我武者羅を発揮した、この土壇場の対応。

 それは長門村正から0.1秒の時間しか奪えず――だけど、0.1秒の時間があれば、窮地を脱するのは十分だった。

 

 俺なんかに構わず、行ってください、進さん……!

 

 この意思を受け取ってくれたように、微かに頷いて、進は己が討つべきと定めた好敵手を追う。

 それを許さない『妖刀』の二の太刀。猪狩を倒して返す手刀が進に迫り――盾にした腕で、弾く。

 

(!! 弾いた反動を後押しにして、加速した……!?)

 

 一瞬の、限界突破。

 この瞬間に限り、高校最速のアメリカンフットボールプレイヤーは、40ヤード4秒1の超高速の世界へ――!!

 

 

 ~~~

 

 

『独走ォーー! これが、アイシールド21っ!! 独走ォォーーー!!!』

 

 小早川セナと進清十郎。

 両者共に人間の限界速40ヤード4秒2。

 一度縦に抜かれてしまえば、その差が縮まることはなかっただろう。

 

 ――それでも、進なら。

   進なら、必ず、時代最強の走者(アイシールド21)をこの手で、止める。

 

 王城ホワイトナイツのエースへの絶対の信頼感のもと、ディフェンスチームは一致団結している。

 王城のセーフティである釣目忠士、中脇爽太、二人とも東京地区ベストイレブンに選出されるほどの実力者だが、二人がかりでもあのアイシールド21には突破されることを彼ら自身悟っていた。

 

(猪狩が、ああも身体張って食らいついてんだ……!)

(先輩である俺達も負けてられるか……!)

 

 だけど、自分たちを躱すのに、時間を費やす。あの我武者羅にも進に尽くした猪狩に感化されたか、そのプレイに気迫が猛る。1秒でもロスさせんと釣目と中脇は、セナの進路をその身を以って遮りにかかり、二人のこれまでより気持ちが乗った守備に目を瞠りながらも、光速の疾駆はこれを抜く。だが、間髪入れずに彼らの視界にその姿は飛び込んだ。最短の直線コースで強敵手に迫る、王城の守護神(エース)の限界を突破した疾走を。

 

 

 一人では、負けていた。

 人間の限界値まで鍛え込んでも、強敵手二人には打ち勝つのは至難で、あのままだったら己と近似していた金剛阿含が打倒された結果をなぞることとなった。

 それでも、言ったはずだ、泥門。全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くのは、俺達王城だと……!!

 

 

 ~~~

 

 

『止めたァァアアアア!! 『トライデントタックル』炸裂ーー!! アイシールド21の独走を阻止したのは、高校最速のパーフェクトプレイヤー、進清十郎!!』

 

 

 一度は進を抜きながらも、タッチダウンを奪えなかった泥門。

 これを『千載一遇のチャンスを逃した』と語るのは、太陽スフィンクスの原尾。

 『……逃したんじゃねぇ』と神龍寺ナーガの阿含は呟く。

 

「ああ、彼――史上最強のラインバッカーの進氏でなければ、千載一遇のチャンスを逃すはずがなかった」

 

 既に全国大会決勝の権利を得ている帝黒アレキサンダーズの大和は、もうひとりの時代最強の走者(アイシールド21)を認めながらも、そう結論付けた。

 

「そして、進氏でも、あの場面で、村正に倒されているはずだった。――王城のディフェンスチームの奮闘がなければ、ね」

 

 史上最強のラインバッカーに、統率されたディフェンスチーム。

 最強のライバル(むらまさ)が対決しているのは、歴代の帝黒でも戦ったことがないであろう最強の相手だった。

 

 

 ~~~

 

 

 攻撃を繰り出すたびに、強度を増していく鉄壁の守備。

 守護神たるエースは、強敵手たちとの戦いを経るごとに洗練され、チームもそれに応えるように士気を高め、適応していく。

 

 

「また中央突破(ラン)だっ!!」

 

 

 この二度目の攻撃回、泥門は、全プレイ、地上戦のみ。

 単純なパワー比べなら、中央に栗田、それに後衛の長門がいる分、泥門が優勢ではある。エースランニングバックも調子が上がってきている。力押しのランだけでも、少しずつ少しずつ前進し、連続攻撃権(ファーストダウン)を獲得していく。

 だけど、状況に余裕はない。

 

 

「ばーっはっは、栗田! ランだけでいつまでも破らせるほど甘くはないぞー!」

 

 

 何度も同じ走行ルートを通過させるのは、前線を維持するラインマンとして恥。

 栗田との競り合いをしながらのため、片手間となってしまうが、大田原の剛腕は腕一本でも身軽なセナを倒すのは十分。

 

 

『止まったァーー! やはり鉄壁王城ディフェンス!! 泥門の『巨大弓』がストーップ!!』

 

 

 高見が言った通り、泥門が『巨大弓』を使ってくるのは想定内であり、当然、それを想定した対策・練習は積んできている。

 それに、同じ攻撃を続ければ、守備を置き去りにするスピードも次第に目が慣れ、守備を圧倒するパワーに対しても粘りが増す。

 このままでは、いずれは泥門の勢いは完全に失速するだろう。

 それをさせないために、作戦がある。

 

 

(……何を考えている、ヒル魔。なぜ、こんな地上戦ばかりする?)

 

 ラン一辺倒の攻撃では、西部ワイルドガンマンズの二の舞となるだろう。

 後半、パスでしかヤードを獲得できなかった西部は次第に戦術の幅を狭めていき、王城に完封された。

 それがわからぬ指揮官ではないはずだ。

 しかし、同じクォーターバックとしての勘なのか、高見には今のヒル魔からは一向にパスの気配が感じ取れない。

 攻撃の手札を温存しているのか。

 だが、この決戦で使える手札を温存するのは愚かだ。

 パスへの警戒が薄れるのを待っているのか。

 いいや、進は僅かも緩まない。そして、進を中核にまとまっているディフェンスチームもまた一切弛んだプレイはしないと断言できる。

 ずるずると時間を浪費するランプレイばかり続ければ、泥門は自分の首を絞めることとなるだろう。

 

 

「……そろそろ、限界か」

 

 

 ~~~

 

 

 パスプレイを仕掛ける。

 ヒル魔さんは皆にそう策を伝えた。いつも通り。ここまでのランプレイに慣れてきたところでのパスなら、一発で大量ヤードを獲得できるかもしれないと期待した。

 けど、何か、何となくだけど、様子がおかしい気がする。

 

(まもり姉ちゃん……??)

 

 不意にセナがベンチへ視線を向ければ、そこには、幼馴染が不安げな顔をしていた。

 昔からいつも心配をかけてきた弟分へ向けてきたその顔は、こちらには向けられていない。幼馴染が見つめる先には、誰よりもそんな顔を向けるには似合わない相手。

 そう、準決勝の白秋戦のときと同じで……

 

 

「アハーハー――ンン!?」

 

 

 ヒル魔さんが、瀧君へ投げたボールは、打ち合わせのパスコースから大きく外れた。これまででは考えられないくらいの、コントロールミス。

 あわや王城の艶島林太郎(コーナーバック)に、インターセプトをされかけてしまった。

 

 ドクン、と。

 いやな予感が胸を突き破るくらいに騒ぎ立てた。

 

 

 ~~~

 

 

 ベテランの大工ともなれば、削ったカンナくずが薄くまっすぐか、縮れているか、柔らかくカールしているかで、カンナの調整の具合がわかる。

 何年も何十年も、それこそ息子(テメェ)よりも長い付き合いで、毎日使っている仕事道具だ。手入れは毎日欠かさず行うし、刃先のほんの一欠けらだって見逃しちゃいけない。

 それくらいに手に馴染んだものだ。

 だから、勝手に持ち出したりすんじゃねぇ!

 

 ……とほんの遊び心で、勝手に仕事道具で真似事をした倅の脳天に拳骨を落とした頑固な糞親父の弁だ。

 今でもあの鉄拳制裁は容赦がないとは思うが、同時に己の迂闊さも今ならば理解はできる。

 あのカンナは、親父にとっては、自分の手も同然なのだ。それを遊び半分で扱われちゃたまったもんじゃない。

 

 自分にとって濃い付き合いであるあの2人とのプレイは、それこそ、クソ親父のカンナにも負けない、己の脚の一部だと言えるものだ。

 ――だから、あのキックの瞬間、ボールが足の甲に当たった感触で、察した。

 

 

『あああーっと! 武蔵君がキックしたボールは、ゴールの枠を僅かに右に逸れました! 泥門、トライフォーポイント獲得ならず!』

 

 

 ……やはり、そうか。

 あのボーナスゲーム、ヒル魔がキックティーにセットしたボールが、蹴り飛ばす寸前で、揺らいだ。ボールにキックが当たるポイントがズレ、蹴り上げられたボールはゴールポストから逸れていった。

 

 武蔵は、それを責めるつもりはない。

 キッカーは、己の右足とボールのみに専念する。それ以外の要因で失敗してもそれを責める気も、資格もないと思っている。

 だが、ヒル魔がしている隠し事は、別だ。

 

(ヒル魔、お前もクソ親父と同じ真似をしやがる気か……っ)

 

 病院に付き添ったのだ。腕の怪我の具合だって知っている。試合に出ても問題はない、はずだった。

 だから、気のせいだと思っていた。アレは相手にタックルを受けた後の痺れが残ってしまっただけだとし、不要な発言は控えた。

 だが、あのパスミスは、ヒル魔にはありえない――

 

 

『うおおお、パスミスに怯まず行ったァアア!! ヒル魔、リベンジのパース!!』

 

 

 特にヒル魔妖一がパスミスを許さない相手へ投じられたボールを見て、武蔵は拳を強く握りしめた。

 

 

 ~~~

 

 

「ボールが、右に流れた」

 

 観客席の雲水から見ても、明らかな、ミス。

 それはパスターゲットである長門には、わかり切っている。ヒル魔が不調であることなど、武蔵のミスキック、守備で桜庭との接触を恐れたときから予感していた。

 

 弾道も角度も作戦とは全く外れ(ズレ)ている。

 ボールを安定させる回転(スパイラル)までも乱れ(ブレ)ている。

 

「何度、下手糞なパスに付き合ってきたと思ってる」

 

 それでも、修正は可能な範囲内だ。

 麻黄中学では、今では考えられないくらいすっぽ抜けたパスを投げていたし、それも落とさずキャッチしてきたのだ。これくらいのフォローを長門は問題としては数えない。

 問題なのは――

 

 

「長門! 君を倒して、俺が空中戦No.1だと証明する……っ!!」

 

 

 長身で、関東四強レシーバーのひとり。長門に空中戦で競り合えるだけの高さを備えた桜庭春人が迫ってきた。

 

 長門村正は春大会での借りがある相手であり、空中戦最強を名乗るには打倒しなければならない高校最高のアメリカンフットボール選手。

 何よりも、ここで泥門のエースを倒せば、王城に試合の流れは一気に傾く。

 

「そうだ、行け、桜庭! お前の高さは、一流の天才にも届くはずだ!」

 

 相棒である先輩の声援を受け、桜庭は、最強の敵に挑む。

 

 努力を重ねても、俺は一生夢だったレベルには辿り着けないかもしれない。

 でも、もう二度と、心が折れたりはしない。誰が相手だって、気迫で負けるものか。

 虎吉との約束がある。

 高見さんとの誓いがある。

 この王城ホワイトナイツ46人で全国大会決勝(クリスマスボウル)に行く夢がある。

 そして……やっぱりどうしたって、俺は、最強(No.1)の座をこの手で掴み取りたいんだ……!

 

 

「あいつ……!」

「……!」

 

 観客席にいた他の関東四強レシーバー――一休と鉄馬もその瞬間を注目していた。

 空中を制する王座が転落するかもしれないこの一戦、瞬きすらも忘れる。

 

「あのパスコースだったら、桜庭の方が鬼有利! 長門の奴が相手でも、アレなら……!」

 

 降って湧いた絶好のチャンス。あそこで勝負しているのがどうして自分でないのかと一休は歯噛みする。

 

 

 一休の読み通り。

 ボールは桜庭の方へ流れている。パス落下地点に着くのは桜庭の方が早いだろう。

 更に、もうひとり詰めている。

 

(進清十郎もか……っ!)

 

 この不安定なパスで桜庭との空中戦を制しても、着地後を進に狙われればやられる。

 空中で桜庭、地上で進という王城エース二人との競り合い。それでも、長門に譲る気はない。

 『アレは無理だから』と一度たりともボールを諦めるような真似は、酒奇溝六のしごきの中で許されたことは一度だってない。『届かなかったけどよく頑張った』なんて優しい情など一切かけられたことがない。

 鬼のような師から求められるのは、常に結果。『最後の最後まで、心で負けんじゃねぇ』という薫陶を徹底して叩き込まれた。

 そして、エースとは、不利な状況も味方の失態もまとめてひっくり返す存在である。

 

 

「勝つ! 長門、君に俺は勝つ!」

 

 桜庭が、跳ぶ。

 フィールドに見せつけるのは、関東四強レシーバーの中でも群を抜いた高さ。高校最速の天才にも勝る、これまで何人も寄せ付けることがなかった高みを、超える。

 

 

「いいや、勝つのは、俺だ!」

 

 

 ――速い……っ!

 

 自分よりも後から跳んだはずなのに、一気に追い抜かれた。これが高校最高の跳躍力。僅かなリードも覆してくる天才は、凡人の絶望を具現化した怪物そのものではないか。

 接近し、肌に覚えた鬼気。劣勢下にあるほど猛る眼光。『勝ちは譲らない』と口にせずとも頭に叩き込まれるその意思に、呑まれかけ、

 

(いいや、もう心で負けるもんか……!!)

 

 決して折れない精神力。執念が、怯みかけた桜庭の心身を支え、もがき苦しみながらもその手は頂点を目指す。

 

 ボールを捕るのは、長門の方が速い。

 しかし、その腕は捕れる――

 

――『騎士の長剣(リーチ&プル)』!!

 

 雷門太郎を斬り落とした長剣が、かつて己を斬りつけた相手に狙い定める――が、遮られた。

 

(片腕を『リーチ&プル』の生贄にして……!!)

 

 空中で鍔迫り合う長剣と太刀。

 直接腕を攻撃しようとした桜庭だったが、捕らえた右腕はボールから離れている。長門の左手は何に邪魔されることなく、ボールへ最短距離で一直線に伸ばされている。

 

 

『で……出たァァ長門君!! 一か八かの片手キャッチ!!』

 

 

 交流戦で本庄鷹に見せた離れ業。

 その光景は、桜庭も見ていた。

 

(進のタックルみたいに片腕だけ強引に伸ばして――)

 

 いや。

 だが、ボールの回転は乱れている。アレを片手で捕球するのは、無理だ。空中分解するように自滅する。たとえそれを成功させたのだとしても、その無茶で確実に体勢は崩れ、その隙を地上で待ち構える進は絶対に逃さない。

 

(俺、達の勝ちだ……!)

 

 

 ~~~

 

 

 長門の左手が、ボールを真横へ叩く。

 

 

 ~~~

 

 

 ………………は?

 

 キャッチミス、ではない。長門はまるでディフェンスのパスカットのように、パスをキャッチせずに叩き、真横へ弾き飛ばした。

 たとえパスを捕れても、着地後に進にボールを奪われることを警戒してのプレイか……?

 いや、土壇場で安全策を選ぶのは、泥門らしからぬ――

 

 

「――リカバリーMAーーXッッ!!!」

 

 

 『妖刀』がボールを弾いた方向――その先には、弾かれたボールに飛びつくキャッチの達人がいた。

 

 

 ~~~

 

 

『な、なななななんと! 長門君が弾いたボールを、モン太君が掬い捕ったーーっ!!』

 

 

 クォータバックからの前への(フォワード)パスのキャッチ成功後にボールを落とすとファンブルとなる。

 そのファンブルしたボールが前方へ飛んでいき、それを攻撃選手がキャッチした場合は、2度目の前へのパスとみなされ、反則となる。

 だが、空中にあるパスをキャッチせずに叩いて、他の攻撃選手がノーバウンドでキャッチできれば通常のパス成功と同じ判定となる。

 

 長門はパスキャッチせずに、パスカットして、それが地面に着いてボールデッドとなる寸前で、モン太が拾った。つまりは、パスキャッチが成立したということ。

 

「キャッチMAーーX!!」

 

「モンモーーン!!」

「よくやったモン太!!」

「ナイスフォローだよモン太!!」

「流石だこのキャッチ馬鹿!!」

 

 

 立役者のモン太を囲んで、歓喜に湧く泥門。

 それをベンチから遠巻きに伺いながら、高見は思案する。

 

 今のは、偶然か。それとも故意なのか

 もし、これが意図したプレイならば、あのパスミスはこちらの油断を誘った罠となる。そう、ランプレイ一辺倒から仕組まれた泥門の作戦に我々は嵌められた形となった……

 

 

「ケケケ、ビビりやがったか王城! これが予測不能、新次元の連携プレイ――『デビルバッドホップ』!」

 

 

 ヒル魔妖一の囁きが、王城に過った疑念を狙い撃ちで煽り立てる。

 常に笑みを湛える悪魔に対し、目を細め表情を引き締めた高見伊知郎は、静かに眼鏡の位置を直す。

 

 

 ~~~

 

 

「桜庭、進、直接対決したお前たちの意見が聞きたい。ヒル魔の言う『デビルバッドホップ』とやらは本当にあると思うかい……?」

 

「はい、あれは狙ったものでした。確かにあのプレイは……運に頼った部分が大きいと思います。でも、だからこそ、泥門は仕掛けてくる。そして、長門とモン太ならやれてもおかしくはありません」

 

「あの状況で、長門村正は、雷門太郎の動きを見ていた。雷門太郎は長門村正がボールをカットする前から動き出していた。二人には確かな連携があった。ならば、『デビルバッドホップ』はあらかじめ想定されていたカード(プレイ)だとする可能性は捨てきれません」

 

「……そうか。では、僕からも、ひとつ、意見を述べよう」

 

 

 ~~~

 

 

 笑え。笑って笑って笑い飛ばしてやれ。

 『ケケケ、またも誘導されやがったな、糞メガネ』、『今のパスプレイは全部が計算通り』……っていう顔でいろ。

 糞カタナがピンチをひっくり返したチャンスを徹底的に利用しろ。

 そうすりゃ、王城はパスに守備を割く。

 10()%()()()()()()()()()も、ハッタリで120%にできる。

 王城相手に『まともなパスが投げられない』などと気取られたら、ランの威力も半減する。

 だから、騙し通せ――

 

 

 ~~~

 

 

「安護田先輩、よろしくお願いします」

「おう、まかせとけ」

 

 ラインバッカーの角屋敷が下がり、安護田がディフェンスラインに加わる。

 5人のディフェンスラインと2人のラインバッカーによって構成されるのは、5-2の(ゴールライン)ディフェンス。

 これまでの4-3の陣形より、後衛の守備を減らす代わりに前衛を厚くする……パスの守備が手薄となる代わりに、ランプレイに対し強い陣形だ。

 

「『デビルバッドホップ』がたまたまの偶然なのか、計算されたタクティクスなのかは定かではない。だけど、同じクォーターバックとして、ひとつだけ確実に言えることがある。

 ――ヒル魔、あのパスは、君の失投だ」

 

 高見から断定の言葉が突き付けられた。

 ヒル魔妖一は、決して表に出すような真似はしないが、静かに、狂言回しが空振ったことを悟る。

 

 ……甘いヤツじゃねぇ、ってのはわかっていた。

 

 ありうるかもしれない10%の懸念を考慮しながらも、100%の力をかける。失敗すれば大損の、ギャンブル的な守備。

 そんなリスクに臆さず、果敢なディフェンスを仕掛けられるチームへと王城ホワイトナイツは、革新したのだ。

 

 

 ~~~

 

 

『止まったァーー! やはり鉄壁王城ディフェンス!! ゴールラインまで27ヤードを残して、泥門の攻撃シリーズがストーップ!!』

 

 

 どうする? 次でもう四回目(さいご)だ。

 連続攻撃権を獲得できなかった。前をガチガチに固められては、ラン一辺倒はじり貧に陥るしかない。パスは博打にすらならない。暴発する拳銃なんざ、誤射すれば高確率で事故る。何度も糞カタナに綱渡りな尻拭いをさせんのは作戦とは呼べない。糞カタナに投げさせるか。当然向こうも対策として、糞サルに桜庭をマークをつかせてる。『デビルレーザーマグナム』は、糞サルにしか捕れない。糞カタナは『妖刀(テメェ)』自身をパスターゲットに使えない。それでも5-2のディフェンスにランで挑むよりかはパスの方が成功率は高いはずだ。だが、ここで糞カタナに投げさせれば、この糞右腕がポンコツであると、王城の中で99%ほぼ確定になる。容赦のない糞メガネのことだ。お優しく手を緩めてくれるはずがないし、攻撃だけでなく守備でもカカシ扱いにされちまえばますます王城の攻撃に手が付けられなくなる。どっちもクソの二択。だとすれば、ここは……

 

 

 ~~~

 

 

「俺の出番だな」

 

 フィールドに出てきたのは、武蔵厳(キッカー)

 ランやパス、攻撃の勢いが止まったこの場面で点を獲れる、キックという長距離砲が泥門にはある。

 

「! キック!」

 

 ベンチでの動きに気付くや、盛り上げ隊長の鈴音が元気よく声を上げる。

 

「やーーー! ムサシャーーーン!」

 

「武蔵さん……!」

 

「そうだよみんな! 武蔵のキックが入ればまだ3点獲れるチャンスだよ!」

 

 頼りになる仲間の登場。きっと膠着した状況も吹っ飛ばしてくれるに違いないとチームへ明るく声をかける栗田。

 麻黄中の時から、攻撃が停滞した時はいつだって『60ヤードマグナム』がキックを決めてきたのだ。

 歓迎される武蔵は、被ったヘルメットの紐を締めながら、

 

「よくここまで運んだ」

 

 言葉少なく、淡々とだが、篭った声音で皆を称える。

 傍から見ていたからよくわかる。王城の守備は、これまで相手してきたどのチームよりも堅い。

 それでも泥門は、このキックが狙える地点まで前進した。

 

「ポールまでとキックティーまでの距離足して、44ヤードのキック。リアルなこと言や、6、7割ってとこだろうな」

 

 だが、あの王城守備相手にお前らが稼いでくれたヤード、無駄にはしねぇ。

 

 

「この距離なら、決めてやる」

 

 

 武蔵は、ポールを見据えて距離を目算で測りながら、肌で感じ取る。

 ここはドーム、風荒ぶ屋外でやるのとは違う環境。コーチである酒奇溝六も気圧が違うと助言をくれている。普段とはボールの飛び具合が違うのだろう。

 それでも、決めると約束したのならば、決める。

 

 

「…………糞チビ!」

 

 ヒル魔が、セナを呼ぶ。

 え? と。集中してるのを邪魔しないよう、キックの時の先輩達に話しかけないようにと考えていたセナは突然のご指名に戸惑いながらも駆け寄る。

 ヒル魔はその手の中のキックティーに、一度視線を落とした後、セナへ放ろうとして、その腕を掴まれた。

 

「糞ジジイ……」

 

 止めた武蔵を、ヒル魔は睨む。

 長距離キックは、ボールのスナップ・セット・キック、このどれかが僅かに狂うだけでも入らない。

 外すわけにはいかないこの場面。確実に決めるのなら、先のボーナスキックで足を引っ張った怪我人よりも、未熟な新人に任せる方が確率は高い。

 そんなことくらい、ヒル魔が言うまでもなく、武蔵は理解しているはずだ。現実が見えていないなどあり得ないし、許されない。

 

「ヒル魔……泥門の司令塔は、お前だ。だから、どんな指示でも最善を尽くすまでだ。――だがな、最高の仕事をするための注文くらいはつけさせてもらう」

 

 

 昔の話だ。

 カンナの調子が悪いんだったら、別のモンを使えばいい、とデカいたん瘤をこさえた頭を抱えながら糞ガキがほざけば、糞親父はこれに口角泡飛ばして捲し立てた。

 

『べらんめぇ! ちと調子が悪いからって、他のモンにあっさり鞍替えしちまうほど俺は薄情じゃねぇ!』

 

 とか言って、頑として譲らない。

 昔気質の職人と言えば聴こえはいいだろうが、糞親父の言うことなんざ、十中八九理屈にもならないことばかりだ。

 子供でも分かる意地を張って、理屈にならない文句を周りにも押し通して、結局、糞親父はその切れ味の悪いカンナで仕事をした。

 そして、それは完璧な仕上げだった。

 糞親父が他所を見てる間に、こっそりとカンナ掛けした木の肌に触れた指の腹の感触を、あの滑らかさを今でも忘れたことはない。

 

 

「調子が悪いのはわかってるが、だからといって、勝手にセットする相手を変えられては、こっちの調子が狂う」

 

 パスの調子が悪いのはわかっている。

 キックティーにボールを立てて支えるくらいのことはできるはずだ。たとえ、どんなに不安があっても。

 

「ヒル魔、セットをするのは、お前の仕事だ」

 

「誰がセットしようが関係ねぇだろが。“キッカーが頭に置いていいのは、テメェの右足とボールだけだ”とか偉そうにほざいてたのはどこのどいつだ、糞ジジイ」

 

「ああ。だが、“理屈に合わないことが、理屈になる”……だろ、ヒル魔」

 

 こればかりは一歩も譲らないとヒル魔と視線を交える武蔵。

 二人のやり取りに何かを感じ取ったのか、うん、と頷く。そして、その何かを深く息を吸って懐へ呑み込んだセナは頭を下げた。

 

「ヒル魔さん、お願いします! キックに集中できるよう、全力で守りますから!」

「おい、何勝手にしやがってんだ、止まりやがれ、糞チビ……っ!!」

 

 と言って、ヒル魔が何か言う前に駆け出して行ってしまった。

 脅しつけるようにヒル魔が怒鳴るが振り向かず、止まらず、自分がすべきと決意したことへ真っ直ぐ走り去るセナを、この男もまた追いかけながら、言う。

 

「冷静に考えれば、今のヒル魔先輩が無理をしたところでそれが勝利に繋がるとは思えない。……だが、麻黄中の時(むかし)から、俺よりもずっと下手糞なヒル魔妖一(あんた)と付き合ってきた武蔵先輩がそう言うのなら、俺は引っ込むしかない。どうやら栗田先輩も同意見のようだし」

 

 と長門村正は首だけを巡らし、軽く笑いながら視線を振った。

 その向こうでは、こちらの様子を窺う栗田がいて、スナップし易いように、セットする相手(ヒル魔)の前となるところで既に位置についている。

 

「らしくないな。俺を誘った時はもっと我武者羅で、腕を折ろうが必死にしがみついてきたあんたは、これくらいでビビるようなタマじゃないだろうに」

 

 ・

 ・

 ・

 

 どいつもこいつも勝手なことばかりをほざきやがる。

 そんなあまりの馬鹿さ加減に感情のメーターが振り切れちまったのか、自ずと口角が吊り上がってしまう。隠し切れない、演技とは別物の表情(えみ)が浮かぶ。

 

 

「……糞ジジイ、テメェの頑固さは一年前からちっとも変わりゃしねぇ」

 

「生憎と、ガキの頃から頭の芯にまで響く頑固親父の拳骨を叩き込まれちまってるからな、こればかりは直しようがない」

 

 

 ~~~

 

 

「ばーーっ、はっはっ! そう簡単には蹴らせんぞーー!」

「泥門の壁ごとブチかましてやる!」

「そうだ、ガンガンプレッシャーかけていけ!」

 

 驚異的なキック力を誇る泥門のキッカーには、この距離は得点可能な範囲内。

 しかし、長距離キックでは、ボールのスナップ・ボール立て・キック、そのどれかが僅かに狂うだけでも入らない。

 

 

「キックぶっ潰すぜ!! オラアアアアアア!!!」

 

 

 猪突猛進。

 ボールがスナップされるや大声を張り上げて飛び出すのは狂犬。鎖で雁字搦めにされた獣性を解放し、果敢に迫る。

 キッカーにプレッシャーをかけるには、『プリズンチェーン』猪狩大吾はうってつけの人材だ。

 

 

「あんま調子に乗んじゃねぇぞ」

 

 

 王城の不良を真っ向から受けるは、泥門の不良。

 

 戦力分析ならもう済ませた。

 喧嘩の腕はほぼ互角。

 身体能力は向こうが上。

 

「――だが、ラインマンとしての実戦経験はこっちが上だ!」

 

 関東大会準決勝から実戦投入された猪狩より、十文字の方が出場した試合数は多い。潜り抜けてきた修羅場の分だけ、引き出しが多いのは確かだった。

 

「守りの喧嘩は性に合わねぇが、俺らの仕事は、あの3人にキックに集中させることなんだよ!!」

 

 十文字一輝は、荒々しい喧嘩スタイルを得意とする不良だが、泥門ラインマンの中でも明晰な頭脳を持ち、屈指のテクニシャンでもある。

 

 な、倒せねぇ……っ!

 猪狩の全力のブチかましを、踏み止まられた。

 脚を八の字の形に立って、やや膝を曲げて力を入れる。下半身を締め固める空手の型の一つを取り入れた姿勢は、『不沈立ち』。

 

 

『ダメだ、姿勢がなっちゃいない』

 

『ハ?』

『はぁ?』

『はぁあああああ?』

 

『重心が高すぎる、もっと低く構えろ、十文字、黒木、戸叶。それでは3人がかりでも俺を止められんぞ』

 

『簡単に言ってくれるぜ、長門』

 

『なに、アメフト始めて1年足らずだろうが、徹底してやってきただろう? 踏ん張るときは低く構える。意識せずともバランスをキープする。それは、ラインでも軽トラ押しでも自転車こぎでも同じことだ』

 

 

 峨王の圧殺力にも耐え抜いた栗田ほどの安定感はないが、『死の行軍』でトラックを押して2000km、それから3人がかりでやっと漕げる総重量500kgの改造自転車で鍛えた足腰。どっしりと深く構えれば、狂犬の突進を受けきれる。

 そして、猪狩とは違い、一匹狼で戦ってきた不良ではない。

 

「ハッ!」

「ハァッ!」

「はああああああっ!」

 

 いつだって肩を並べてきた黒木、戸叶。

 コイツらとなら、どんな状況だろうと合わせられる。

 現代ラインマンにとって最も重要視される連携が、十文字たちにとって最大の武器だ。

 

「ふんぬー!」

「ふごーっ!」

 

 中心の栗田を真似るよう、泥門ラインは全員が『不沈立ち』で固め、一致団結する。

 それはまるで、日本最重量のラインフォーメーションを彷彿とさせる陣形。

 

「太陽スフィンクス直伝! 超ヘビー級重さMAーX!!」

 

 モン太が叫んだ通り、その原型は、地区大会後の練習試合、連戦に次ぐ連戦――『デスマーチ』で再び一戦を交えた太陽スフィンクスの新戦術『ツタンカーメンマスク』

 ライン全員が間隔(スプリット)を極端に狭めて、一個の壁となることにより破壊不能の黄金の兜の如き護りを得る。『ピラミッドライン』ほどの超重量級の図体はないが、密集した五人組は固く、重い。

 そして、全員が絶対に抜かせるものかと滾る意思を目に宿していた。泥門の最前線(ライン)は、猛然と迫った王城の勢いを挫き、破らせない。

 

 

 ~~~

 

 

「別に伝授しとらんぞ」

 

 ここまで聞こえたモン太の発言に、番場はぼやくように訂正する。

 ただ、観客席からは陣形がよく見える。

 番場は、ふう、と息を吐いてから、一言付け加える。

 

「まあ、形にはなっている」

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎は覚えている。

 去年の4月に行われた、王城対泥門の練習試合。

 王城が99対0で勝った試合だが、一度だけ今と同じ距離でのキックをされた。

 あの時は、直接弾いてゴールを阻止したが、キックはされた。そのボールを弾いた手に伝わる感触……あの強さと角度は、弾かなければ、入っていたと直感し得るものだった。

 

 

「ならば、実際にキックを弾いて止めるまでだ!」

 

 

 栗田・ヒル魔・武蔵――あの3人のキックの連携は、どんなプレッシャーでも揺るがない。あの練習試合でも超高速で迫ったこちらを微塵も恐れていなかった……!

 そう、知っている。彼らは知っていた。その程度のプレッシャーを恐れる必要などない。

 何故ならば、己以上のキックの天敵(ながとむらまさ)とやり合ってきた経験があるのだから――

 

 

「あんたの相手は俺だ、進清十郎!」

 

 

 鬩ぎ合うラインを迂回(かわ)して迫る進の進路を、長門が遮る。

 中央突破の最短距離を抜けられなかった以上、ここで更に遠回りすれば長距離砲の発射には間に合わない。

 何としてでも立ち塞がる障害を打ち倒して突破する他に道はない。だが、長門は進をしても容易ならない強敵手。

 

「っ! この……っ!」

 

「キックの邪魔は、させない……!」

「ブロックMAーーX!」

 

 大田原がどうにかこじ開けたラインの隙間を身を捩じり込みながら突破した桜庭だが、セナとモン太にしがみつくように抑えられた。長い手を必死に伸ばすが、発射台には遠い。

 

 

 ~~~

 

 

 スナップされたボールをヒル魔がプレースする。ほとんど同時のタイミングで武蔵は蹴り足を振り上げていた。

 

「っ」

 

 ヒル魔の腕に走る震え。このセットの僅かな間さえも堪えられない、右腕の微動。

 そんな腫物のような右腕を、逆の左手が抑えた。瞬間、右腕から全身に走り抜けた激痛に脳神経がぶっ叩かれたみたいに思考が停止しかけたが構わず、左手は握り締める。無理矢理に、止める。ほんの僅かな震動さえ、ボールには伝播させないと歯噛みしながらも、このキックの瞬間を微動だにせず耐え抜こうとする。

 

 

 ~~~

 

 

 東京地区大会後の伊我保温泉での合宿。

 開発途中で頓挫した有料道路の端、ガードレールが切れたままになってるその場所からさらに40ヤードほど離れた先には山があり、その斜面には捕球ネットが張ってある。

 そこ目掛けて、ボールを飛ばす。

 それが自分に課せられたメニューだ。

 ブランクを埋めるには、只管に蹴り込むしかない。地区大会決勝の王城戦でキックを外しているこの右足の錆落としにはうってつけではあった。

 ただ、北関東名物の空っ風は風速20mにも達することもある強風であり、それが隣の山へ向かうコースのちょうど真横を吹いている。つまりは、谷越えしようとすればボールはもろに突風の影響を受けることになる。

 

『なあに、そう難しく考えるこたぁねえ。常時60ヤードをぶっ飛ばすパワーで蹴ってりゃいいだけの話だ。それなら、多少横に流されても向こう側に着く』

 

 とコーチである酒奇溝六は嘯くが、そう簡単な話ではない。

 佐々木コータローならば、風を読んで、風が弱まった機を察知して、キックを決めてくるだろうが、奴ほど器用な真似はできない以上は、コーチの言う通りに、全力で蹴り飛ばす他ない。

 

 それで、捕球ネットに引っ掛かったボールは、山菜取りのじいさん連中が回収してくれるが、外れたボールは自力で回収。険しい山の中へボールを拾いに行かなくてはならないのは中々の重労働(ハードなトレーニング)である。

 朝から晩まで、隣の山へ向かってボールを蹴り飛ばしては、谷を降りて外れたボールを山の中を探し回る(ついでに山菜取りのじいさん連中の家の壊れた風呂の修理なども請け負った)。

 

 

『お、戻ってきましたか、武蔵先輩』

 

 

 そんな合宿の最中、ボールを回収して戻ってきてみれば、その後輩は待っていた。

 この有料道路末端であるここに、重量級の改造自転車を停め、突風に煽られて涼し気に目を細めていたところに気配を察知したか手を振る。休憩するついでにふらりと立ち寄った軽い感じではあるが、鍛錬の合間に様子を見に来たのは、キッカーの自分だけが一人でこなす合宿メニューだからだろう。

 

『調子はどうですか?』

 

 その汗が染みに染みて塩が浮き出てるシャツが、後輩がこなしてる鍛錬の過酷さを物語る。

 パスキャッチもブロックもこなすタイトエンドとして、午前に後衛と一緒に林の中で木々を守備に見立てたパス練に励み、午後には前衛と競争するように重量級改造自転車を漕いでいる。そのどちらも他の連中が1日がかりでこなす回数や量をやってのけているのだ。これには前衛も後衛も負けてたまるかと奮起してる(もう一人のタイトエンドも同じメニューをこなそうとしたが、半日と経たずにへばり切ってヒル魔に余計なことをすんなと的撃ちにされていた)。

 そんなことは億尾にも出しはしない後輩は、水分補給のスポドリを差し出しながら、世間話でもするかの調子で話し始める。

 

『まあ、ぼちぼちだな』

 

『そうですか。別に武蔵先輩のことを心配しているわけではありませんが、たまにはこちらに混ざってみませんか? 武蔵先輩も守備に参加してもらうこともありますから無駄にはなりませんし、気分転換にはなりますよ』

 

 重量級の改造自転車は、元は二人乗り用ではある。

 自分が乗るスペースは空いてるし、後輩の言う通り、別メニューに励むのもいい刺激となるだろう。

 

『いやあ、中々相乗りしてくれる人がいなくて。セナも一度は後ろに乗ってはくれたんですが、それ以降は誘ってもなんか遠慮されるんですよね。おかげで付き合ってくれるのはリコくらいで』

 

『いや、いい』

 

 断ると、中学時代からの後輩はがっくりと肩を落としてがっかりされた。

 ただ、セナが後輩との相乗りを遠慮する理由は、何となくだがわかる。ヒル魔のヤツから、夏合宿のアメリカ横断で、後輩が一人の女子を後ろに乗せていたことは聴いてはいる。自分もその手の話題には疎いと自覚はあるが、やはりここは相乗りを断るのが正解だろう。

 

『悪いな。俺はお前のように何でも器用にこなせるわけじゃないから、キックだけに専念したい』

 

 今は只管にボールを蹴り込んでおきたい。

 水分補給を済ませ、拾ってきたボールをセットする。黙々と再開の準備をするこちらへ、残念そうにしていた後輩の長門は、一転して明るい笑みを浮かべて言う。

 

 

『いいえ、悪くはないです。むしろ、キックしかしないなら、それをとことん極め抜いたらいいんじゃないんですか。ひとつのことを極限まで磨く。なんか、その方が職人らしくて、武蔵先輩には似合ってますよ』

 

 

 

 ~~~

 

 

 この瞬間、相手の猛攻を抑える味方の守りも、表に出さぬ苦闘を凌ぐ戦友の支えも、意識に入れない。

 ボールと、この右足に全ての集中を賭す。

 相手がボールを弾いてこようが、セットしたボールが傾いていようが、自分がすべきことはただひとつ。

 何としてでも、ゴールを決める。仲間たちの奮闘を決して無にしない。

 たとえ、相手がボールを弾いてこようが、その手を吹き飛ばして。

 たとえ、セットしたボールが傾いていようが、関係なく――

 

 ――セットされたボールに足の甲が当た(ふれ)る。

 

 その刹那に覚えた、若干のズレ。

 そして、走馬灯の如く過る、己の原点。

 

 

 

『ほら米軍基地の時、金網破ったあのキック力! 武蔵君ならすごいキッカーになれるよ~~!』

『俺の親父は人体生理学者でな。研究一筋で死んじまったが、いつも口癖のように言ってたよ。『アメフトのキック運動は大工作業能力に飛躍的な上昇効果をもたらす』ってな』

 

 いや、それはウソだろう……

 

『って、あれ? 将棋の棋士じゃ……』

『? なんだそりゃ……あー、ありゃテメーにカマかけんので適当ふいただけだ』

『結局、どれがホントなの……』

 

 ……家業の手伝いでな。部活してる時間は無ぇ。悪いが他当たってくれ。

 

『ケケケ、時間なんざどうにでもなる。寝るな。便所行く時間削れ垂れ流せ』

 

 

 

 強引な勧誘だった。

 何度断っても毎日のように勧誘してくるし、教科書や下駄箱にも誘い文句を満載に仕込まれた。

 家業が忙しいという理由で断れば、仕事場まで勝手に手伝いに来た。

 

『テメーの脅迫ネタなんざ採っちゃいねえんだよ糞ジジイ。脅して操ろうっつうんな類の輩じゃねえからだ』

 

 それでも、自分が引いた一線は、頑なに守る奴らだった。

 

 

 

『ケケケ、蹴りたくなる。これは蹴りたくなる。俺なら蹴る』

『ホホホント!?』

 

 

 

 ――ああ、そうだ。蹴りたくなる。

 通学路にいくつも並べられたボールの一つを後先のことを考えずに蹴っ飛ばしたのは、そんな衝動から。

 アメリカンフットボールを始めたきっかけは、この2人と夢を追うのが面白いと感じたからだ。

 故に、だ。

 この右足が――『60ヤードマグナム』をぶっ放すには、右足(キック)の一部と言えるくらい長く、濃い付き合いのヒル魔(おまえ)がお膳立てするボールホルダーじゃなくちゃならない。

 それが最高のキックだと証明するには結果を出すしかないのであれば、そうするまで。

 

 

『調子が悪いのなんざ一目で気づいてらぁ! だが、いつもより切れが悪いなら刃先を研ぎ直せばいいし、それでもカンナの掛け具合が違うってんのなら、こっちが掛け方を変えて合わせりゃいい。使いこなした道具の調子が悪かろうが、使えるなら使い尽くす、そんで、きっちり仕事を仕上げんのが職人としての腕の見せ所だ。そんな当然のことができねぇような道具頼みの甘ったれヒヨッ子は、この武蔵工務店には一人もいねぇぞ。

 ――お前もそれくらいさらっとできるようになんな、厳』

 

 

 あの時、糞親父が仕上げた滑らかな木の肌の繊細さを悟った指先の触感(タッチ)を、この足先に置き換え、更に凝縮するように。

 微かな差異に合わせるよう、蹴り足の角度をコンマ単位で変える。

 察知から修正まで、0.1秒にも満たない、ほぼ無意識の作業。

 

 そして、武蔵厳は、右足を振り抜いた。

 

 

 ~~~

 

 

『入ったァァァァ!! 9対7! 泥門デビルバッツ逆転です!!』

 

 

 一撃必殺と字幕でも出てきそうなモーション、凄まじい球威。

 東京ドームの中空を弾丸ライナーの如く突き抜けた荒れ球は、見事にゴールを決めた。

 

 

「こ……これが、『60ヤードマグナム』のムサシ……!」

 

 

 この関東大会において、No.1キッカー候補に挙がる泥門の武蔵厳。荒れ球のキックコントロールには若干の不安を抱えているものの、そのキック力は誰にも負けず、また、如何なるプレッシャーにも揺るがない精神力。

 このキックプレイに対し、観客席、東京地区No.1キッカーに選ばれた佐々木コータローは、滾るように目を光らせてから、櫛を入れる。

 ふん! これくらいスマートにやって当然だ。

 俺が強敵手と見定めた相手なんだからな!

 

 

「見たかァァ鎖男!」

「キックならこのオッサンの分だけこっちのが上なんだよ!」

「あ゛あ゛!?」

 

 

 挑発する黒木と戸叶、これに一気に沸点に達する猪狩。

 ちょうど手元にあった鎖をぐいっと引っ張る、『プリズンチェーン』の習性みたいなことをついしたら、その鎖は、泥門ベンチにいる犬……ケルベロスと名付けられた狂犬の首輪と繋がっており、ビーン、と引っ張る形に。

 これに怒らない狂犬ではない。

 突如とした始まった泥門の狂犬(イヌ科)VS王城の狂犬(ヒト科)の乱闘騒ぎに人の耳目が集まる最中、キックを決めたときの立ち位置のまま、二人は見合う。

 

 

(昔っから超理論屋のくせして、言ってることは夢丸出しだ。――そんな馬鹿を、俺と栗田は闇雲に信じてきたんだ)

 

 そして、ずっとその信頼を背負わせてきた。

 武蔵は、知っている。

 ヒル魔が司令塔として、ずっと一人で背負ってきたことを。

 『死んでも止めやがれ!』

 『決めねぇとブチ殺す!』

 仲間に檄を飛ばし、戦略的に博打を打つ。

 

 だから、ヒル魔妖一は、どんなに悪足搔きであっても、この苦境で指揮官がフィールドを離れるという判断を遠ざけてきたのだ。

 

 信じるというのは、仲間に命を、背中を預けること。指揮官としては、易々とできない真似だ。

 仲間が血を流すことが予見でき、それを見殺しにする真似ができない性分であるから、現場に居続ける。

 そんな無茶がいつまでも続かないことをわかっていてもだ。

 

 ただ、武蔵は知っている。

 

「ヒル魔、泥門デビルバッツは、強い」

 

 『弱いチームはつまらねぇからな』などと言って、セナらの誘いを断っていたくせに、どの口がほざくのかと思うが、こればかりは誰にも否定はできない、させはしない確固たる事実だ。

 

「1万3千297時間と49分遅刻しても、間に合うんだ。……少しくらい持ち場を離れたくらいで崩れる面子じゃない。デビルバッツも、俺達の大黒柱もな」

 

 途中でチームを離れた自分を信じろなどとは言えない。

 その文句を口にできる資格も能力もないことは承知している。

 だけど、このチームには常に指揮官の期待に応えてきた後輩(エース)がいる。

 

「去年の練習試合でも言っていたが、アレ……“進を長門が倒す”っつうのは、ハッタリでも何でもないんだろ」

 

 にやりと無骨な面を崩してやれば、チッと舌打ちして、ヒル魔妖一は集合の号令をかけた。

 

 

 ~~~

 

 

『………つーわけで、この糞右腕が本調子じゃねぇ。折れてはいねーだろうが、使いモンにはならねぇなこりゃ。だましだましやってきたが、王城の連中にも90%バレかかってるし、ここは完全にぶっ壊れちまう前に一旦下がる。ま、替えの腕のスペアでも何でも用意して、必ず、戻って来る。

 ――それまでは、糞カタナ、テメーが指揮を取れ』

 

 ヒル魔は、右腕の状態を皆に打ち明けた。

 それに気づいていたか、あるいは察していたか、大きく騒ぐことはなく、全員がその事実を深く呑み込んだ。

 

 

『いいか、テメェら。俺が戻ってくるまで、誰一人として死ぬんじゃねぇぞ』

 

 

 そのセリフを最後に、泥門の指揮官、ヒル魔妖一はフィールドから背を向けた。

 姉崎まもりがその付き添いについていき、本当に戻って来るのか不安になる一年らへ『ヒル魔なら必ず復活する』と栗田良寛が自らにも言い聞かせるように励まし、士気を支える。

 そして、バトンを託された長門村正は、離れていく先輩へひとり背を向けて、戦う相手を見据えていた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「きっと大丈夫よ。ヒル魔君が一人で意地張らなくても、大丈夫だよみんな」

 

 早足で急くヒル魔を、駆け足で追いながら姉崎は声をかける。

 合宿の時もそう。ハードな練習で体を痛めても、平気な顔をしている。痛いに決まっているくせに、喚いたところで治りはしねぇって頑なに言い張り、決して表には出さない。

 

「ゴシャゴシャうるせぇぞ、糞マネ」

 

「でも、ヒル魔君だって、皆のこと、長門君のことを信じてるから、彼に指揮を預けられたんでしょ。準決勝の白秋戦だってヒル魔君がいない間は、チームを指揮してたんだから」

 

 どうしてそこまで意地を張るのか、と少し唇を尖らせて言い返せば、いつもの、こちらを煽ってくるような笑みで、

 

「サア、どうだろうなァ。準決勝であれだけ暴れやがったんだ。当然研究されてるだろうし、王城は、糞カタナに指揮権が変わろうが、油断なんて微塵もしねぇ。俺が糞メガネでも、徹底的に潰す。きっと大人げなくイジメんだろうなァ。試合中に、ピーピー泣くかもしれねぇぞ、ケケケ」

 

 どうしてこの人は……。

 中学の時からの付き合いの長い後輩をこうも笑いものにできるんだろうか。

 地区大会の決勝前にネタバレされるまで、幼馴染のセナ=アイシールド21を想像できなかった自分だけども、彼に対するものは中々に屈折しているように思える。

 ちょっとは心配じゃないの? と姉崎はつい険のある目をしてしまう。

 

「ま、それで泣くようならちったぁ可愛げがあったんだがな」

 

 と言い捨てて、ヒル魔は目的地である医務室へ入る。

 

 

「いらっしゃい。女のカン……と予知呪術の通り、そろそろ来る頃だと思ったわ」

 

 

 医務室にいるはずのない、異様な気配漂う看護士が藁人形を携え、準備万端に待ち構えていた。



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48話

『1年1組長門村正君、1年1組長門村正君。学期末試験の自習をしてる暇があったら、可及的速やかにアメフト部の部室へお越しください。繰り返します。1年1組長門村正君――『ヒル魔君! 放送室を占拠して何をしてるの! 開けなさい!』――チッ、もう来やがった糞マネ! 俺は窓から脱出()るから、糞デブと糞ジジイは、あの小煩い小姑マネをここに止めろ! ンで、糞カタナは、とっとと部室に来やがれ、Ya――! Ha――…………』

 

 試合前のある日。

 関東大会の決勝まで1週間を切っているが、一学生として重要なイベントである学期末試験も近づいている。アメフト部の中でもあまり成績のよろしくない面子は、早々に見切りをつけたのか、まったく普段通りに部活に打ち込んではいるものの、長門は授業中真面目に勉学に励み、それなりに学業優秀な成績を修めている。

 ただ、この日、どういうわけか、1限から4限まで予定されていた授業が担当の教諭の私事により急遽自習となったと朝のHRで担任から聴かされていた(この担任が1限の教科担当だったはずだ)。

 それでその担任の先生が顔に滴る冷や汗をハンカチで拭いながら、こちらに矢鱈と意味ありげな目配せをするものだから、嫌な予感はしていた。

 そう、麻黄中学時代に多発していた、学校を牛耳る独裁者からの強制イベントの前兆とよく似ていたのだ。

 それで、案の定、1限の開始のチャイムが鳴るや否やに差し込まれたこの呼び出し放送。長門はやれやれと溜め息を吐いた。

 

(あれだけ好き勝手に部室を改築したり、個人的な地下武器庫まで造らせてるからな……校長先生の自費で)

 

 これくらいの勝手は通せてしまえるだろう、と納得できてしまう。

 そんな横暴に逆らえる勇者的な風紀委員・姉崎先輩がいるけれど、教師陣を従順な僕としてしまえる魔王の強権を抑えることはできないようだ。

 ただ、中学からの付き合いであの先輩は無駄なことはしない性格だと知っている。こちらの日常にまで不要な干渉はしてこなかったから、これには何かしらの意味がある。無意味な嫌がらせではないことは信じられる。

 そんなこんなで、クラスメイトの小結大吉ら、それから別のクラスのセナらからも心配そうに見送られながら、教室を出て廊下を進み、魔王城、もとい、アメフト部の部室へ向かった。

 

 運動部、というか、学校の部活には不要かつ不健全な賭博場(カジノ)的な要素(オプション)が盛り込まれてるアメフト部の部室へ入ると、姉崎先輩の追及を、ここにはいない先輩二人に阻ませて、先回りしていた棺桶……移動式(セグウェイ)酸素カプセルが待ち構えていた(あれでどうやって2階の放送室の窓から飛び降りれたのか。きっと無駄に多機能満載な作りをしているのだろうし、飛行機能があっても不思議ではないとは思うが)。

 照明の消された暗い部室の中へ踏み入ると、ガチャリと、閉めた部室の扉が勝手にカギが閉まった。

 長門も知らなかった部室の施錠機能。納得するまでは、逃がすつもりはないようだ。ここに駆け付けてくれるであろう勇者(姉崎先輩)の救援も望めない。

 

「それで、一体全体これはどういう真似だ、ヒル魔先輩」

 

「なに、可愛い可愛い後輩のお勉強の面倒を見てやろうと思ってなァ、ケケケ」

 

「こんな学校全体を巻き込む派手な真似をしてる時点で後輩への思いやりが0.1%の欠片もないのはわかってる。お優しいセリフをされると背中がむず痒くなるから、単刀直入に用件を述べてはくれないか」

 

「だから、特別授業だ。――アメフトのな」

 

 手前側の照明が点き、部室に置かれているテーブルの上が照らし出された。

 このアメフトのフィールド図が描かれたテーブルの上には、模型部に(徹夜で)作らせた各々の特徴を捉えた人形の駒が並べられていた。それも前に制作された泥門デビルバッツだけでなく、王城ホワイトナイツの分まで追加発注されている。

 

「決勝の王城戦、いざとなったら、糞カタナ、テメーが二代目のクォーターバックだ。だが、白秋の時のように土壇場で指揮を任せて通用するような相手じゃねーだろうからな」

 

 続いて、部室奥の照明も点灯。

 それまで陰となって見えにくかった酸素カプセルの中には、長門の想像通り、悪魔な先輩のニヤリ顔があり……だが、なぜかツンツンにはねさせた髪をオールバックにかき上げており、眼鏡をかけている。

 どこか黒い雰囲気を漂わすその装いからは、何者かの影が見え隠れしており……

 

「というわけで、お優しい先輩である俺が仮想糞メガネ役をしてやる」

 

 改造酸素カプセルから出てきたロボットアームが詰まむのは、王城のコマで、その眼鏡を矢鱈とクイクイさせてる。

 なるほど、糞メガネ――高見伊知郎の物真似か。

 

「フフフ、お手並み拝見と行こうじゃないか、長門君」

 

アイシールド21(たける)のコスプレして取材した時と言い、モデル当人に全力で喧嘩を売るスタイルしかできないのかアンタの物真似は!」

 

「ま、この格好は単に演出だ。狡くて諦めの悪いトコが俺とそっくりな奴だからなァ。糞メガネが王城のコマをどう扱ってくるのか、その打ち筋を80%くらいはトレースできる」

 

 格好はふざけ半分だが、仮想の練習相手としては真面目にやるのだろう。

 机上の空論に過ぎない思考訓練でもやっておいた方が、対王城戦への備えになる。

 ……が、引っかかるものを覚える。

 

「ああ。ヒル魔先輩……アンタは、無駄なことはしない性格だ。特にアメフトに関しては。だから、これは必要だからしているんだろう。この、いざとなった時の備えが……」

 

 そのあたりのことは信頼している。

 己を一本の太刀として振るう、『妖刀』の主として認めている。

 だが、長門村正はこの行為の意図を問いただした。

 

「指揮官の代役がいるから、自分(テメェ)がその腕を折るほどの無茶がやれるって計算しているのか、それとも、無茶をする前に離脱できるって考えてるのか。どっちだ?」

 

 ヒル魔妖一を射貫く目は、視線を切らすのを許さぬ威があった。はぐらかして逃げるのを阻止する意が込められていた。

 数秒、睨み合う。

 けれど、意外にも、ヒル魔よりも先に長門は視線を伏せた。

 

「今、答えは聴かん。どうせアンタの口から出たものは何もかもが半信半疑だ。だから、行動で示せ」

 

「どこまでも生意気な野郎だ、糞カタナ。先輩の言うことには何でも服従しますって誓約書でも書かせりゃあ良かったか」

 

「従順な後輩として努めているつもりだが。こうして、授業を抜け出して、先輩のサボりに付き合っているんだからな」

 

 後で姉崎先輩にしかられるんだろうなぁ、とぼやきながら、長門は腰を下ろす。

 事あるごとに風紀委員の先輩からは『ヒル魔君の影響は受けないように!』と注意されてきたのだが、残念ながら手遅れである。

 

「ケケケ、やる気があるなら別に構わねぇが、ここで80%程度の糞メガネに手も足も出ないようじゃあ、心配で心配で腕を折ってもフィールドを降りる気はなくなっちまうかもしれねぇがなァ」

 

「それはないから安心しておけよ、先輩。俺は今度の王城戦を先輩たちの死に場所とするつもりはないし、何なら、100%のアンタ自身でも勝つ気だからな」

 

「やっぱり口が減らねぇ糞後輩だ、実にイジメ甲斐がある。これからピーピー泣かせんのが愉しみだ」

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔さんが下がり、代わりに長門君がチームの指揮を取る。

 これは初めてじゃない。準決勝の白秋戦でも指揮官として入っていた。セナだって、長門君には絶対の信頼を置いている。

 

 だけど、相手は、王城ホワイトナイツ。

 あの進さんや、高見さんが指揮する、黄金世代を超える歴代最強のチーム。

 セナ(ぼく)には彼らに対する作戦などとてもじゃないが思いつかない……!

 

(長門君……)

 

 作戦会議(ハドル)

 セナらが、この二代目指揮官からの第一声を、固唾を呑んで待つ中、注目を集める男は立てた人差し指を地面へ向け、

 

「戸叶、靴紐、解けそうだからちゃんと結び直しておけ」

 

「はぁ? って、な、マジか!?」

 

 何ら気負いなく指摘する長門。

 慌てて、靴紐を結び直す戸叶へ、ごくごく普通に、いつも通りに、声をかける

 

「ライン陣の中じゃ、戸叶が一番全体を見れている。ラインとして前に出ながらも、一歩引いた立ち位置から状況を把握しようとしている。だから、平常通りならこのくらいの見落としはしないはずだ。漫画で言えば、今の状況は絶賛大ピンチな展開なわけだが、そういうときこそ」

 

「クールに、ってか」

 

「正解」

 

 パチンと指を鳴らして、互いの人差し指を向け合い、ふと不敵に笑う二人。

 試合中、それもこの戦場の只中(フィールド)なのに、まるで部室で駄弁っているかのような、やりとり。

 

「黒木、コーナーバックに入ってくれ」

 

「おう、わかったぜ、長門」

 

「大変だろうが、ライン陣の中で最速のスピードで、前衛のラインをやりながら後衛のラインバッカーもこなしている黒木だ。それに、ゲーセンでの特訓では一番に『バンプ』のコツを掴んだそのセンス、ゲーセン界隈を鳴らしたその反射神経と集中力――言うなれば、『電脳のインパルス』という武器がある」

 

「うおっ! なんか格好ェ……! 次からはそう名乗らせてもらってもいいか長門!」

 

「異名で呼ばれたいのなら、簡単だ。試合に活躍すればいい。王城ワイドレシーバー、神前瞬のマッチアップを任せたぞ、黒木」

 

「神前って、確か、あの薔薇持ってるヤツか……――って、はああああああっ! なんで試合中に薔薇持ってんだよあの野郎!」

 

「あれは神前瞬のパフォーマンスだ。ベンチにギターを持ち込んだり、銃器をぶっ放したりする輩がいるんだから、あのくらい特段驚くことでもないだろう。ちなみに、あの薔薇は部費で購入してるものらしい」

 

「キザなナルシスト野郎の相手は任せとけ、この『電脳のインパルス』、黒木浩二にな!」

 

 何か途中から変な方向に燃え上がった黒木。

 三男、次男、と次に長門が視線を向けるのは三兄弟の長男。

 

「十文字」

 

「何だ、長門。俺にも何か言ってくれるのか」

 

「十文字が守備でマッチアップする安護田良則は、猪狩大吾とは違って、あまり前には出ようとはしない、守勢寄りの性格だ。重心崩しの『不良殺法』が通じにくいだろう。実際、向こうもそれを警戒している」

 

「ああ、わかってる。やりづれぇ野郎だ」

 

「だが、お前は泥門ライン陣の中で屈指の喧嘩師と同時に屈指の業師だ。不良としても、アメフト選手としても王城に負けるな」

 

「はっ、心配すんな。負ける気なんざ微塵もねぇよ!」

 

 長門の発破で、火が点いたように目をぎらつかせる十文字。

 

「十文字、黒木、戸叶、王城は組織力の高いチームだが、お前たちの連携もそれに負けていない。頼りにさせてもらう」

「「「おうっ!」」」

 

 長門村正から向けられた、一チームメイトとしての信頼に、三兄弟は異口同音に応えた。

 それからも、長門はみんなに声をかけた。

 

「大吉、お前が相手する鏡堂怜司は、長い手足を最大限に利用したプレイをしてくる選手だ。間合いに踏み込むのも大変だろうが、巨深の水町健悟という強敵手を倒したんだ。その爆発力で、これまでも幾度となく『ジャイアント・キリング』を達成してきた大吉にとっては、最早お得意様だろう?」

 

「フゴゴッ!(ああ! 見ていてくれ、友よ!)」

 

「栗田先輩、大田原誠を任せます。単純な力なら峨王力也の方が上ですが、大田原誠には三年主将としてのキャリアと数値化できない重みがある。ですが、それはこちらも同じ。白秋との一戦で、峨王力也を降した栗田先輩は、最強の守護神(ラインマン)だ。そして、前線の要が崩れぬ限り、王城が放つ『巨大弓』の勢いは確実に挫かれるはずです」

 

「うん! 大田原さんは僕に任せて長門君!」

 

「それで、武蔵先輩は、ヒル魔先輩の代わりに守備に入って、ラインバッカーを頼みます。栗田先輩の背中を支えて1秒でも前線の維持をしてください。ただ、あまり無理はしないように。優先すべきはキックの方なので、本業に支障が出そうならベンチで休んでもらっても構いません」

 

「わかった。が、余計な心配はするな。仕事はきっちりこなす」

 

「石丸先輩、コーナーバックからセーフティへポジション変更をお願いします。毎度毎度助っ人なのにほとんどアメフト部員みたいな扱いをしちゃってますが、頼りにさせてもらいます」

 

「うん、いいよいいよ」

 

「助かります。佐竹、山岡、重佐武も交代で出していくから、集中を切らさないでくれ」

 

「お、おう、緊張するけど」

「こんな大舞台で試合に出るとか、バスケの時にもないし」

「もー、めんどくさいなあ」

 

「泥門はほとんど両面でやってるから、試合終了までスタミナをもたせるには、助っ人の尽力が必要だ。一年生ながらもその身体能力とセンスで、二年先輩の助っ人候補を押し退けて、ヒル魔先輩がベンチ入りさせたお前らは確かな戦力として数えられる。だから、チアの声援に応える分くらいは頑張ってくれないか、佐竹、山岡。重佐武には、1プレイ毎にマンゴープリンをバケツサイズで報酬を出すぞ」

 

「そ、そうか! そうまで期待されてちゃあなあ……!」

「チアの娘たちにも応援してもらえるし……!」

「もー、しょうがないなあ」

 

「雪光先輩、姉崎先輩に代わって、撮影をお願いします」

 

「うん、わかった。任せて」

 

「特に、進清十郎のプレイとそれから……」

 

 チームのひとりひとりと言葉と視線を交わしながら指示を出すその姿勢からは、確かな展望(ビジョン)があることを伺わせた。

 

「……をピックアップして撮ってください。それで、雪光先輩なりの意見をつけてくれると助かります」

 

「どれだけ参考になるかわからないけど、必要だというのなら僕なりの全力で応えるよ、長門君」

 

「ありがとうございます。セナ、ヒル魔先輩が抜けた代わりに、石丸先輩が入るが、それでもセナへの分担が大きくなる。進清十郎のスピードに一番に対抗できるのは、セナだからな。1秒でも時間を稼いでくれれば必ず俺が追いつく」

 

「うん」

 

「だが、無理はするな。全速でいかなければならない場面もあるだろうが、ここでセナに抜けられたら、それこそ最終防衛線は崩壊する。無理だと判断したらタイムや交代を使う」

 

「う、うん」

 

「気負う必要はない。それよりヒル魔先輩みたいに変に誤魔化そうとするなよ。身体の基礎は確実に進清十郎の方が積んできている。競り合いながらとなれば、向こうの方が壊れにくいだろうし、先にガス欠になるのはセナの方だろう。それを弁えた上で、勝てる場面で、勝てる時に、勝てる勝負を挑みに行け」

 

「!」

 

「走りだけに限定すれば、セナの方が尖っている。お前が勝ちを狙えるなら、俺達は全力でその道を支援する」

 

「長門君……うんっ」

 

 相手は、最強の相手だ。

 それでもこちらには信じられる大黒柱がある。

 一丸となって、この二代目指揮官の作戦に従うことを決めている。

 ヒル魔妖一の戦線離脱からぐらつきかけていたチームの意思は、ここに固まる。

 立ち直ったことを察した長門は、一度何も言わず、チームの面々を見回して、

 

「……ヒル魔先輩は、このまま終わるようなタマじゃない。白秋戦でもそうだったからな。

 だが、出迎えるなら、王城の攻城兵器の一つでも攻略した方が格好がつくだろう?」

 

 皆の裡に火を点ける強気な発言。

 沸々とした空気を纏い始めるデビルバッツの面々に、長門は笑って応じる。どこまでも勝ちを狙いに行った悪魔の指揮官と同じように。

 

「軽くこれからの想定を話す前に、作戦のキーマンを指名しておこう」

 

 そして、長門は二人を指を差して、告げた。

 

「モン太、瀧、作戦のキーマンは、お前らだ」

 

 

 ~~~

 

 

「やはり泥門は長門が指揮を取るようですね、高見さん」

 

「ヒル魔の代わりができるのは泥門の中では、彼しかいないからね」

 

 ヒル魔と共にデビルバッツを創り上げた栗田良寛や武蔵厳がいるが、指揮官を務めるには能力も不足で、向いていない。

 チームを結束させるには、いついかなる時も冷静で気丈に振る舞える人材が必要だというのが、高見の持論だ。

 その点でも長門村正は一年生ながらも、指揮官を任せるに足る選手だ。

 

「実際、白秋戦で長門の指揮能力は確認できている。ヒル魔がフィールドを離れたからと言って、泥門は油断できる相手などではない」

 

 アメリカンフットボールは、激しい肉体接触のある競技だ。当然、怪我人も出てくる。

 その保険として、ヒル魔は、自分がいなくても指揮を任せられる長門に戦術的な指導も施しているのだろう。

 

「ヒル魔と同様に、長門もこちらに何らかの策を仕掛けてくる」

 

「それは間違いない。長門は、ヒル魔から戦術論理を学習(ラーニング)しているはずだ。だが、いくら天才であっても、長門は指揮官としては経験が浅いし、まだまだ甘い。ヒル魔と違って、粗が見える。冷静には徹し切れていないようだ」

 

 高見自身もヒル魔から指摘をされてしまったことだが、長門はそれ以上にチームメイトを過剰に信頼してしまっている。その過大評価は、指揮官としての目を曇らせる。

 あの白秋戦で、ヒル魔の退場から落ち込んだ栗田を信じ切ったまま、勝算の薄い博打に出ていた。

 その成果があって、峨王を打ち破るに至ったが、アレは指揮官としては随分と甘い決断、厳しく評価すれば落第だ。真に冷徹な指揮官であれば、神風特攻じみた戦法に見切りをつけて早々に切り替えるべきだった。

 

「この状況を打破するために、泥門は一か八かの賭けに出てくる可能性が高い」

 

 相手を天才だと、投手能力としても自分は劣ることを容認した上で、高見伊知郎はチームメイトへ弁舌を振るう。

 

「しかし、焦る必要などない」

 

 静かな言葉だがそこには絶対の自信が込められている。

 才能も能力もない自分が築いてきたモノは、それらなどでは漣ひとつとて立たせはしない、と確固たる事実として王城の指揮官は謡う。

 

「この局面、既に試合の詰み筋は見えている。我ら王城の勝利は揺るぎない。いくら仲間を信頼していようが、そんな甘い見通しなど通用させない。

 ――一先達者としてキャリアが違うことを彼に教えてあげよう」

 

 

 ~~~

 

 

「アハーハー! ボクと組めば100人力さ! このボクの高さでムッシュー桜庭を止めて、泥門エース争いに決着つけてみせるよ!!」

「ホントは俺一人だって……! 畜生絶対なんとかしてみせんだよ!!」

 

 ヒル魔妖一が抜けて、泥門の守備フォーメーションは変わった。

 桜庭春人の前に、もともとマークについていた雷門太郎に加えてもう一人、瀧夏彦がいた。

 泥門きっての目立ちたがり屋であり、事あるごとに張り合ってはパフォーマンスをかますこの二人は、まるで椅子取りゲームで競り合うように互いに押しやりながら、桜庭の前に立つ。

 

『なんと……二人がかりで桜庭君をマーク! あのモン太君と瀧君がコンビを組んだーっ!!』

『な……なんか、この二人、仲良くなさそうだけど、大丈夫なんでしょうか!??』

 

 解説も不安になるくらい、バチバチに譲る気のないモン太と瀧。

 桜庭とのキャッチ勝負を制してNo.1レシーバーを狙ってるモン太もだが、瀧も2対1は不本意ではある。

 とはいっても、文句があるのは、己の実力不足くらいであり、“キーマン”として、与えられたこの役割の重要性は理解している。自分たちの働きが、チームの命運を握っているというのなら、猶更、ちょっとの不満で投げ出すわけにはいかない。

 

「って、張り合ってる場合じゃねー! 高見先輩と桜庭先輩のコンビに勝つには、こっちもコンビで行くっきゃねぇんだ……!」

「わかってるよムッシューモン太、二人で止めよう『ツインタワー剛弓(アロー)』……!」

 

 

 早速、仕掛けてきたか、泥門……!

 

 プレイ開始と同時に走り出した桜庭の左右をモン太と瀧が挟みながら追走する。

 

 長門村正でさえパスカット不能の『ツインタワー剛弓』を阻止するために、王城のエースレシーバーの桜庭春人に対して、パス対策に特化した『ニッケル守備(ディフェンス)』で、長身の瀧を桜庭のカバーに加えた。

 

 悪くない手だ、と観客席の雲水は見る。

 ヒル魔妖一が抜けても、泥門は攻撃的に作戦を立てる。

 だが、やはり、リスクのある博打には違いなかった。

 

 

「なら話は早い。その瀧君の抜けた穴を――うちの高校No.1ランナーが、ランでブチ破らせてもらうまでだ……!!」

 

 割り振れる人員に限りがある以上、瀧が桜庭のマークで抜けた分、他に穴ができる。

 王城の指揮官は、それを見逃したりはせず、容赦なく突く。

 

「おおおおおおお!!」

 

 『巨大弓(バリスタ)』。

 発射される高校最強を冠するエースが、障害(ライン)を強引に押し通り、最難関たる強敵手を抑える。

 長門村正を相手にすれば、他にフォローなどできなくなるが、この男は泥門の守りの要。ゾーンを作り連携する王城とは違って、泥門は、個人個人の能力頼みの守備。長門やヒル魔が指示を出すことで点と点を結んで線とするようにまとめていたが、指揮官のフォローがなければ各々の判断で動いて複数人で囲うほどの組織的な練度はない。綻びが生じる。

 

 

 ――ここだ!

 進と長門の衝突に注目が集まる最中に、音もなく前に飛び出すのは、王城のランニングバック、猫山。

 

 猫山圭介は猫のように柔らかくしなやかな脚質を持ち、その柔軟性に富んだ発条は足音も殺す。始動(スタート)が覚られ難い『キャットラン』を武器に、1年生ながらに王城のランニングバックを任された期待の新人だ。

 

 同じランニングバックのポジションである3年の眉村小一を差し置いて、この攻撃チームのレギュラーに選ばれたのは、嬉しかったし、より一層の努力を己に誓った。守備チームで同級のラインバッカーの角屋敷と、共にこの王城ホワイトナイツに恥じないプレイをしようと励まし合ったりもした。

 

(だけど、俺はまだエースと呼ぶにはとても足らない。レギュラーに選ばれたことで満足していた……!)

 

 井の中の蛙だったのだ。

 強豪の王城のレギュラー争いを制した自分は、今度は試合での活躍を夢見た。できると思った。1年で小柄だけど、先輩達や庄司監督にも褒められた柔らかな脚の筋肉から繰り出す走りがあれば、そう、王城のランニングバックである自分なら、どんなチームが相手だってタッチダウンを決めて見せると信じていた。

 だけど、そんな望み通りにはならない。

 東京地区大会や、この関東大会で、同じ1年生のランニングバックである泥門の小早川セナ(アイシールド21)や西部の甲斐谷陸が台頭する中、猫山圭介は彼らとは違って、決してエースなどとは呼ばれなかった。

 

 高望みなのだろう。王城には絶対的なエースである進さんや、その進さんに追いすがりついには高さで圧倒できるようになった桜庭さんがいる。

 

 同じ王城1年で東京ベストイレブンに選出された渡辺ならばとにかく、大して目立った活躍もしていない自分は次期エースなどと名乗ることすらもおこがましい。

 

「それでも、俺が王城のランニングバックなんだ……! アイシールド21にだって、負けてられない……!」

 

 疾駆する猫山の前に、石丸。

 石丸哲生は、陸上部であるが、アメフト部の助っ人としては1年の頃から皆勤賞であり、泥門高校体育祭後に行われた陸上部最後の大会からは練習にも顔を出している。40ヤード走は4秒9と5秒の壁を切る。地味で目立たないが、ミスが少なく、常にベターなプレイをする。

 猫山とスピードで大差がなく、守備も堅実。体格差から強引に抜くことはかなわない。

 あの1年生ランニングバックの二人程、スピードもテクニックもなく、岬ウルブスの狼谷大牙のような長い脚もないし、茶土ストロングゴーレムの岩重ガンジョーのような頑健な肉体もない猫山は、このまま行けば、捕らえられる――

 

「へ……?」

 

 

 ~~~

 

 

 すり、抜けた……??

 

 (セナ)から見たその走りは、まるで石丸をすり抜けるように抜き去ったようだった。

 何かがセナの脳裏を掠めたが、その正体を考察する時間などない。相手は真っ直ぐゴールを狙っている。

 

 

「行け、圭介!」

 

 

 角屋敷の後押しを受けた猫山は、石丸に続いて、セナへ仕掛ける。

 

 アイシールド21は、進さんに認められた強敵手……!

 東京地区大会で攻撃チームのベストイレブンに選出され、その走りは、この関東大会において、No.1ランニングバックと称されるものだ。

 だけど、守備に関してはまだ隙がある。

 

 

 ~~~

 

 

(!? この、走りはもしかして……!)

 

 石丸の時を再現するように、セナもすり抜けられた。

 その疾走は、セナの記憶の中にあった……実際に抜き去られた“彼”のものと重なる。

 そう、これは、あの『無重力(パンサー)の走り』だ。

 

 

 ~~~

 

 

 柔軟な発条が軽やかなステップを生み、スピードを落とさない最小限の曲がり(カット)を可能とする。

 『黒豹』パトリック・スペンサーの、“生まれついての走者(ナチュラルボーンスプリンター)”である黒人のように選ばれた脚質あるものに許される疾走だ。

 猫山圭介に、『黒豹(パンサー)』レベルの走りはできないし、資質では劣る。だが、彼の猫足はそれに近づくことはできる。

 角屋敷に練習相手を付き合ってもらい、まだ完成とは言い難いが、それでも形ができてきた走りは、この関東大会でも通用する武器だった。

 

 

(よし! アイシールド21を抜いた……!)

 

 最終防衛線(セーフティ)の二人を突破した今、目の前はがら空きだ。

 このまま走って、ゴールラインまで行ける……!!

 

 目標(ゴール)を視野に捉えた猫山は、背中に迫る気配を察知するのが遅れた。

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔さんはいない……だから、僕が抜かれるわけにはいかない。

 なんとかしてでも、彼を止める……!

 

 驚いたが、一度は経験したことのある走り。抜かれても、立ち直るのが早く、パンサーに置き去りにされた時とは違って、追いつけた。

 

「猫山! 後ろ来てるぞ!」

 

 ハッとするが、遅い。

 40ヤード走4秒2の光速の脚から逃れられはしない。

 

 セナの渾身のタックルが、猫山を捕らえた。

 

 

 ~~~

 

 

「くそっ!」

 

 その悔しさを隠さず、グラウンドにぶつけるように吐き出す猫山。

 アイシールド21を抜いたその達成感に満足してしまった。気が弛んでしまった。ランニングバックならば、タッチダウンを決めるまでは、気を抜くべきではないというのに。

 油断(すき)を突かれ、結果、このチャンスに連続攻撃権獲得できず(10ヤードも稼げず)に終わってしまった。

 

「次こそ! 次こそは、タッチダウンを決めてやる……!」

 

 己の未熟さを歯噛みしているが、相手はあのアイシールド21。彼の圧倒的なスピードからは逃げようがないにしても、どうしようもないとは嘆か(あきらめ)ない。

 No.1を目指しているからだ。全力で。負けたくないからこそ、俯いてる暇なんかない。

 

「猫山……」

 

 そんな後輩に、触発された。

 先の長門との対決で、進の支援がありながらも、あのチャンスでボールを奪えなかったことに消沈したものがあったが、それは払拭される。彼の先輩として、燻っている真似はもうできない。

 

「高見さん」

 

 桜庭は、チームの指揮官のもとへ駆けつけ、進言する。

 

「その、俺、2人マークついててもいけますよなんとか――いや、いきます絶対! だから『ツインタワー剛弓』、投げ込んでください……!!」

 

 モン太と瀧の『ニッケル守備』。泥門は仕掛けてきている。

 だけど、自分は王城のエースだ。

 どんな策があろうと、それを跳ね除けられないでどうする。

 

「自分も同意見です」

 

 桜庭に同意するのは、もう一人のエース。

 

「ディフェンス2人程度、今の桜庭には問題にならない。そして、桜庭へのパスがあれば、猫山の走りも活きる」

 

「進……」

「進さん……」

 

 進の意見、それから、後輩たちの目……『俺はきっとやってやる!』と燃えるその眼差しを受け、高見は苦笑を漏らしながら、決断する。

 

「よし、行こう。どんな策を打とうが無関係、全てを無視して決める王道(ちから)があることを、泥門に見せつけてやろうじゃないか……!」

 

 

 ~~~

 

 

 ――全力で跳んでも指先すら掠らない、超高層高速の弾道。

 

 畜生……!

 

 桜庭先輩に高さでは超負けMAX。

 スピードでも敵わねえし、パワーだって負けてる。

 

「うおおおおお!!!」

 

 悔しいが、認めるしかない。『ツインタワー剛弓』に対抗するにはモン太一人では難題だと。

 だからこそ、瀧との『ニッケル守備』だ。

 

 

「アハーハー! 2対1でも臆さないとは勇敢だ、ムッシュー桜庭! だけど、このボクの『瀧ジェントルハンド』からは逃げられない……!」

 

 

 天高く頭上へ掲げた桜庭の両手のポケットが、ボールを捕らえた。

 その腕に絡みつく、瀧の右手。

 

 ――あれは、『プテラクロー(リーチ&プル)』……!

 

 資質的に適性のあったテクニックを長門が指導し、身に着けるに至った新たな瀧の必殺技。

 腕関節を360度回転させられる白秋の如月程ではないが、極めて柔軟な肉体を持つ瀧。彼の柔軟性を活かし、するりと隙間に滑り込ませる『リーチ&プル』で、桜庭の腕を捉える。

 

 キャッチしたはずのボールを払い落とされる。

 春大会に長門にやられた瞬間が桜庭の脳裏にフラッシュバックする。

 

 ――いや! やらせるものか……! もう二度と……!

 

 剥がれない……!?

 瀧は確かに桜庭の腕を抑えている。だけど、頑として両手はボールから離れない。

 敗北から這い上がってきた者として、二度も同じ技にしてやられてなるものかという意地があり、

 何よりも、このボールは……反吐を吐きながら、苦しみながらも共に高みを目指していける、最高の相棒(ベストパートナー)から桜庭(オレ)にパスされたモノだ。

 これは俺のボールだ。他の誰にも奪われてやるものか……!

 

 強引に瀧の腕を振り払い、桜庭はボールを確捕す――る前に、手が差し込まれる。

 

 

(いつの間に!? なんでこんなところに手が……――モン太!?)

 

 

 キャッチに己の全てを捧げ、幾万を超える反復練習の果てに雷門太郎の本能は、“キャッチしたボールを脇の下に抱え込む”というレシーバーとしての習性を熟知していた。

 

 『ツインタワー剛弓』のパスカットは望めない。

 だからこそ、虎視眈々と、キャッチされた後のボールに狙い定めていた。

 

 

『相手は、桜庭春人。モン太でもボールを奪える隙はほとんどないだろう。だったら、そのチャンスをこちらから作ればいい』

 

 

 瀧の『リーチ&プル』に堪えるも、一瞬、桜庭に隙が生じた。マークしているもう一人、モン太への警戒が薄れた。

 その瞬間に、潜り込む『猿の手(モンキーハンド)』――キャッチ力の一点突破で、神龍寺の一休からボールを奪取した、モン太の『ストリッピング』だ。

 

()ってやる! ()ってやるんだ! 俺がNo.1レシーバーになるんだ!」

 

 空中戦での乱闘。

 ボールの動きなんて目で追えるはずがないのに、右手は、確かにボールの縫い目を正確に捕まえていた。

 

「いいや! No.1レシーバーになるのは、俺だ! このボールは、誰にも渡さない!」

 

 

 ~~~

 

 

「「うおおおおおおお!!」」

 

 

 ~~~

 

 

 先にボールをキャッチしたのは、桜庭。

 だが、モン太のキャッチ力は関東四強レシーバーの中でも、最強。

 

(キャッチ力は、完全に超えていかれてる。だけど、俺の高さがあれば……――)

 

 互いに譲れぬ執念が、拮抗し、縺れ合ったまま、フィールドへ墜落した。

 

 

『王城ホワイトナイツ、パス成功! 4ヤード前進!』

 

 

 桜庭とモン太の両者ボールを捕まえたまま、桜庭の方が先に地面についたため、キャッチ及び転倒(ダウン)が成立した。

 

「キッショ……! また、鉄馬先輩の時と同じ……!」

 

 紙一重、だった。

 あとちょっとでボールを奪われるところだったが、運は王城に味方した。

 

(それでも、警戒はより強まったはずだ。桜庭春人(エース)でも、瀧とモン太の『ニッケル守備』との競り合いになったらヤバイと高見伊知郎は思ったはずだ)

 

 攻撃権(ボール)を奪取できれば、上々。

 それに失敗しても、確実に印象付けられる。

 初回の奇襲効果は薄れてしまうものの、警戒させられる。

 相手の主戦力のひとつである高見―桜庭のホットラインが、これで縮こまれば、王城の攻撃力は半減したも同然だ。

 

 

 ~~~

 

 

「なるほど。先程、長門が桜庭と進にパスを奪われかけた時と同じ……か。確かに有効だ。間違ってはいない。しかし、想定内だ。所詮、教科書通りの戦術では、王道には通用しないよ」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 

 3回目の攻撃。

 王城が繰り出した攻撃は、再び、パスプレイ。

 

 

「桜庭に、超ショートパス……!」

 

 

 前回、あわやパスを奪取されたというのに、強気な攻め。

 だが、それは破れかぶれなどでは決してない。

 

「そうか、この短さでは、瀧が『リーチ&プル』を仕掛ける暇がない……!」

 

 観客席から王城の戦術を看破する雲水。

 それを、だが、と繋げる山本。

 

「長距離砲を捨てて、安全に細かく稼ぎに来やがったな……!」

 

 つまりは、『ニッケル守備』により、王城の攻撃は畏縮したとも言い換えられる。

 

 

 ~~~

 

 

「残念だが――王城の戦術は、そんな甘いプレイじゃない」

 

 

 ~~~

 

 

 空中戦を躱されても、着地後を狙う。

 

「止めんぞ、瀧!」

「ああ、二人がかりで挟めば……」

 

 瞬間、モン太と瀧が、貫かれた。

 光速の三叉槍――進清十郎に。

 

「なっ……」

「にぃーーーっ!!?」

 

 超速で桜庭のカバーに間に合う瞬足(スピード)と、二人まとめて押し込める腕力(パワー)

 屈強な前線(ライン)を力技で強行突破する『巨大弓』が、モン太と瀧に炸裂した。

 

 

『なんと……最頂の『ツインタワー剛弓』に、『巨大弓』の貫通力が合わさったーーっ!?』

 

 

 この王城エース二人によるコンビプレイは、まさに天空を射貫く巨大弓――『射手座(サジタリウス)』……!!!

 

 

 ~~~

 

 

『一緒にこのアメフト部に入ろうよ進! そのうち王城の二人のエースなんて呼ばれて……ハハハ、そんなんできたらカッコイイな~!』

 

 入部当初に夢見て、

 

『……ダメだ。進には追い付けない――』

 

 すぐに挫折して、夢破れかけ、

 

『諦めきれないんだよ! 俺だって、一流になりたい……!!』

 

 それでも、捨てきれなかった夢の構想が、今、実現する。

 

 

 ~~~

 

 

「このままサイドライン際抜けるぞ、進!!」

「ああ、二人がかりなら破れる……!!」

 

 進がマークしていた二人を抑え、そのまま桜庭がラン・アフター・キャッチ。

 独走する桜庭に、セーフティのアイシールド21が追いつき、タックルを決めるが、

 

「まだ、だっ……!!」

 

 止まんない……!? タックルを決めてるはずなのに……!?

 

 それは、進をも目を瞠る桜庭の粘り。

 長門が駆け付け、どうにか膝をつかせられたが、それでも余分に前進された。

 

 

『桜庭君と進君の無敵のコンビプレイ『射手座』で、王城ホワイトナイツ、連続攻撃権獲得(ファーストダーーゥン)!!』

『王城はもはや無敵城塞だけではありません! 誰にも止められない攻撃力を纏った無双騎士団……!!』

 

 

 これぞ、王道。

 無敵城塞から出撃した無双騎士団は、怒涛の快進撃を続けた。

 

 

「おおお、また桜庭に超ショートパス!」

 

 

 物理的に届きようのない『ツインタワー剛弓』。

 その唯一付け入られる着地の瞬間を狙っても、『巨大弓』に射貫かれる。

 

 

「うお今度は猫山にヒッチしたっ!」

 

 

 そして、無敵のパスが確立すれば、ランも活きる。

 

 

(よく見てる高見さん。桜庭さんに集中して、こっちはがら空きだ)

 

 

 死守せんとする泥門守備だが、審判からの“連続攻撃権獲得(ファーストダウン)”のコールは止まらない。

 そして……

 

 

『さあ、ゴールラインは目前! 前半残り時間13秒!!』

 

 

 高見伊知郎は、宣告する。

 

「タッチダウンが、前半のラストプレイになる。泥門にむざむざ反撃の時間(チャンス)は与えないよ」

 

 この距離は、『射手座』の間合いで、確実にタッチダウンを奪える。

 更に言えば、攻撃の進行度を、残り時間から調整し、この状況を作り上げていた。

 

「すべては、そちらの計算通り、か、高見伊知郎」

 

「君はよくやっていたよ。だが、たとえ、ここにヒル魔がいても結果は変わらない。王道とはそういうものだ、長門。如何に君が優秀でも、急場しのぎで対処できるほど、我々の戦術は甘くはない」

 

 

 ~~~

 

 

『ふぬーーーーら!!』『ばああああ!!!』

 

 栗田が押し込んだ突破口に、強引に割り込んだ長門、泥門屈指の体格とパワーを誇る二人が、ボーナスゲームのキックを阻止した。

 どうにか一矢を報いたが、タッチダウンは奪われ、9対13と王城に逆転された。

 

(みんな……)

 

 姉崎まもりは、不安げに胸元を握り締める。

 医務室に備え付けられたテレビから試合の状況は観ていたけれど、戦況は押されていて、相手に一枚上をいかれていた。

 

(でも、頑張っている。ヒル魔君が下がってからも、セナ達は必死に王城と戦っている)

 

 まだ望みがあるのだと思いたい。

 この状況を打破するためにも、復活が待たれている泥門の指揮官は、

 

「……………」

 

 寝ていた。

 顔にタオルを掛けられているので表情はわからないが、あのヒル魔妖一が大人しくしている。

 

 

 これは、医務室で待ち構えていた岡婦長の措置によるもの。

 不意打ちも同然に、ヒル魔が身構える前に仕掛けてきた岡婦長の手際は、姉崎も驚いたが、見たことがあるものだった。

 そう、あの合宿で。

 

『! 今の動き、まるで門伝桝乃先生のよう……!』

 

『あら、門伝先生を知っているの?』

 

 伊我保での合宿で、皆(ヒル魔を除く)がお世話になった門伝桝乃。

 知る人ぞ知るもので、患者を秒殺でスヤスヤ寝落ちさせてしまう神業的手腕から『ゴッドハンド』とも呼ばれている。

 その姉崎まもりでさえ会得できなかった技を、彼女、岡婦長は披露した。

 

『ええ、私も昔、門伝先生の世話になったことがあってね。弟子入りしてたのよ。中々に厳しい修行だったけれど、免許皆伝を認めてもらってね。今では私なりの工夫を加えているわ』

 

 と取り出した藁人形……の形をした小物入れにくるまれていた、釘……にも似た、細長い針を手に取り、ヒル魔の肩や腕へと刺していく。

 

『これから行うのは、鍼灸治療――に呪術的な要素を組み込んだ私オリジナルの施術よ』

 

 少し不安になるところもあるけれど、鍼灸治療は姉崎も知っている。

 新陳代謝を促進させるツボに針を刺し、自己治癒力を高める。きちんとした施術だ。

 

 魔法陣的なものが描かれたマットが敷かれていたり、周りを蝋燭や線香(リラックス効果のあるアロマの香り)が焚かれていたりして、何も知らないで見たら、悪魔召喚の儀式かなにかと誤解されそうだけど、彼女は立派な医療従事者であると姉崎は自身に言い聞かせる。

 

『……でも、どうしてあなたはここまでヒル魔君にしてくれるんですか?』

 

 気を取り直したところで、姉崎は問いかける。

 状況から岡婦長が、ヒル魔のために備えていてくれたと推察できる。しかし、わざわざそこまでする理由がわからない。

 

『もしかして、ヒル魔君。本当は腕が完治していないのに試合に出たからそれで心配して……』

 

『まず、ひとつ言っておくけれど、彼の腕が完治したという診断に間違いはないわ。一度患者として請け負った以上、本当に試合をできるコンディションでなければ、出場の許可は出さないし、無理に出ようものなら、呪っています』

 

 今も軽く診断したけど、肉体的には問題はないわね、と腕の治療に関するお墨付きをいただいた。

 だけど、明らかに彼のプレイは不調だった。

 相手選手のタックルを諸に受けて、それで治ったはずの怪我が再発してしまったのだろうか。

 

『ただ、腕の怪我は治っても、身体がまだ怪我をした時のことを覚えている』

 

 それは心理的な後遺症。

 腕を折られ、刻み込まれた恐怖や不安が『また再発したらどうする?』と騒ぎ立てて、疼くたびに脳裏をチラつくトラウマが無意識にセーブを働かせ、選手のパフォーマンスを低下させてしまうことはよくある話だ。

 

『本来であれば、そういったものを克服するためにもリハビリやある程度の期間を置いてほしかったのだけど、ほとんどぶっつけ本番で彼は試合に出た。まともにプレイできている方が驚きなのよ。普通はそうはいかないし、そう簡単に克服できるようなものじゃないの』

 

 姉崎もその話には同意するが、同時に腕を折っても試合に出たことを思えば、ヒル魔妖一ならばそれも不思議ではないと納得してしまう。

 ただ、それでも彼の肉体はあくまでも普通の人間。無理で誤魔化せるにも限度がある。

 たとえ岡婦長が手を尽くしたおかげで、腕を動かせるようにできたとしても、また再発する。これでは、意味がない。

 

『つまり、ヒル魔君は、この試合にはもう出られそうにない、ということですか』

 

『ええ、普通であれば、ね』

 

 岡婦長は目を細め、しみじみと語る。

 彼女の息子……岡左右魔(そうま)も、アメリカンフットボールの選手であり、クォーターバックだった。

 残念ながら、所属するチーム呪井オカルツは、東京地区大会を2回戦で敗退してしまったけれど、息子の試合にかける意気込みは見てきたし、負けた後の泣き顔も見た。

 だからこそ、望む。

 悔いが残る試合で終わり、後々の自身を恨み呪うようなことはないように、と。

 

『医は精神力。医者は怪我の治療の手助けはできるけれど、患者の身体を治すのは患者の身体自身、治したいという意思がなければ始まらない。終わった後で自分を呪うほど意味がないものはないのだから、悔いのないようにしたいのなら、今、自分を呪いなさい』

 

 ・

 ・

 ・

 

 そうして、今はしっかりと安静に休むようにと言いつけて、岡婦長が医務室を離れた後も、姉崎まもりはヒル魔を看護し続けた。

 ちょっとでも目を離せば、飛び出していくんじゃないかと思ったから。

 

 ……きっと、ヒル魔君は試合に出る。

 どんな無茶をしてでも、どんな結果になろうとも、絶対に出ようとする。

 

 準決勝で無理矢理に骨折した腕にテーピングを巻かされた前科があるのだ。

 アメリカでの合宿でも、身体を痛めていても決して表に出そうとしなかったし、きっと腕に力を入れるだけで激痛が走ろうが、“たかがその程度”で済ませてしまうに違いなくて、

 

(前半が終わって、試合は劣勢……。セナ達もヒル魔君の助けが欲しいはず)

 

 仲間達が夢のために血を流すような奮闘をしている。

 それを見殺しにしてしまえるような真似を、死んでもしない。

 ヒル魔妖一という人はそういうものだと理解している。

 だから、もはや確定事項。

 いくら自己を顧みない行為はやめてほしいと望もうが、そんなの無視して、戦場へ赴くのだ。

 

 

「ソワソワしてんじゃねぇぞ、糞マネ」

 

 

 俯き、膝の上に握り締めた拳を見てるしかない姉崎を、嗤う声。

 タオルケットを顔にかけて寝たままの姿勢だけど、彼女が抱く焦りや迷いを見ずともわかっているようで、声に呆れの色がありありとついていた。

 

「ヒル魔君! 起きてたの!?」

 

「試合中に眠るわけがねーだろうが、糞マネ。糞オカルトババアに絡まれんのが面倒だから、黙ってただけだ」

 

 彼をしても、あの独特な雰囲気を持つ婦長とはやり合うのは避けたいようだ。

 でも、その苦手な岡婦長がいなくなったタイミングで、声をかけてきたということは、医務室から脱出をする気なんじゃ……

 

「ンで、さっきから何か言いたげにして、何だ糞マネ。もしかして、トイレしたいのに言い出せないのか? だったら、チビる前にとっとと行きやがれ。こっちは休んでんのに、気が散る」

 

「違うわよ!」

 

 いきなりこのデリカシーのない発言に、説教したくなるが、そんな気を荒ぶらせては彼の十八番の口八丁でいいようにされてしまう。

 姉崎は一度……では治まらなかったので二、三度深呼吸して、気を深く鎮める。

 そこで、ふと気づく。

 今、“休んでいる”、と言った。こっそり抜け出そうとかそういう気配もない。

 

(ヒル魔君、焦ってない……?)

 

 いや、起きてたのなら、テレビの実況が聴こえていたはず。

 彼は学校の授業中では、右耳だけ聴いているだけ。手や目や左耳は常に内職に勤しんでいて、教師の話に割いている集中力は5%にも満たない。でも、成績は良いし、テストで赤点をとるようなこともない。おそらく、教師から指されても問題なく授業内容を回答できるだろう(彼を指名するような真似を教師がするとは思えないけど)。

 兎にも角にも、相手の弱みを特に聞き逃さない地獄耳ならば、当然のように試合の状況は把握している。

 それなのに、姉崎が抱く焦燥が共有できていない。

 

「……ねぇ、今、ちょうどハーフタイムだし、皆に突破口のアドバイスしたらどう? ヒル魔君なら、この劣勢をどうにかできる作戦を思いついているんじゃないの?」

 

「ハッ、わざわざそんなことをする必要がねぇな」

 

 試合に無理に出なくてもチームを支えることができる手助け。そんな姉崎の中の妥協点からの提案だったが、鼻で笑われた。

 その態度についカッとなった姉崎は責めるような口調で、

 

「セナ達はみんな頑張ってるのに、どうにかしてあげたいと思わないの……?」

 

「今の指揮官は、糞カタナだ。どうにかするのはアイツの仕事だ」

 

 あっさりと言い切った。

 

「ケケケ、もし“指揮官としてはヒル魔妖一(オレ)の劣化版でしかない”なんて糞メガネが油断し(かんがえ)てんなら、痛い目を見るだろうなァ。

 ――何せ、糞カタナは、俺や糞メガネとは根本的にタイプが違う」

 

 医務室に居ながらも、試合の全容は把握していた。泥門は策も通じずに王城に逆転されたこともわかっている。

 高見伊知郎が描いた図面通りに試合の展開が進んでいることは、その思考をトレースできるヒル魔には容易く予見できたことだ。

 だから、それらすべてを承知の上で、悪魔は嘲るのだ。

 

「無敵の王道? ハッ、笑わせやがる。この世に無敵なんてモンはねぇんだよ。そんなこと、糞カタナにだってわかってる」



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49話

『今までにない

 ハイレベルな攻防戦でした! これまで死刑台の

 十三(13)階段へ

 対戦チームを送り込んできた王城に

 (9)死に一生でどうにか食らいついている泥門!

 ですが!

 王城を相手に一歩も引かず、

 城塞を打ち破るほどの破壊力を誇る泥門

 がこのまま

 ()されっ放しでいるとは思えません!

 (しん)生王城の『巨大弓』にはもはや

 (てき)なしと言えるくらいですが、

 まだまだ決着はわかりません。この

 (すさ)まじい決勝戦の後半戦は、今から20分後です!』

 

 ※簡単な前半ハイライトの説明は、一番左だけを読んでください。

 

 

 ~~~

 

 

 王城(われわれ)が、優勢だ。

 前半最後のボーナスキックを阻止されたが、それでも作戦通りの展開だった。

 ヒル魔がいなくなり、長門が代わりの指揮官となった泥門を、更に追い詰める結果となったはずだ。

 

 ……嫌な、予感がする。

 

 順調なはずなのに、頭の中で警報が鳴り止まない。

 選手たちが徹底的に体を休めたり、入念に陣形の確認をしたり、あとはドカ食いして燃料補給したり等、後半に向けての準備に時間を費やすハーフタイム。

 高見伊知郎は、控室へ入るや汗を拭う手間も省き、前半のリプレイ映像を見ていた。

 些細だが無視のできない悪寒の正体を、あらゆる角度から探る。だが、不定愁訴のように、なんとなく、としか言い表せないような、正体不明の不安感に振り回されるばかり。

 

「高見……さん?」

 

 一息吐くことすら惜しんで、気になる箇所を改める高見を、桜庭は心配そうに伺う。

 神経質な性格ではあるが、気にし過ぎではないかとも思う。

 現に高見さんの作戦、王城(おれたち)戦術(ちから)に、泥門は手も足も出なかった。

 

(ただ、気になる点があるとすれば、泥門は、あまり焦ってなかった)

 

 逆転され、悔しがってはいたが、そこに悲壮感の滲む動揺を桜庭は覚えなかった。重苦しい空気がないのだ。

 試合以外でも付き合いが多い顔なじみだから、一部を除いて腹芸など苦手というか無理な性格だと知っているし、だから、もっとこの状況がどうしようもないと悲嘆にくれるような素振りを見せてはこないことが気にならなかったと言えばウソになる。

 

 ただ、まだ彼らが試合を諦めていないからなのだろう、と思えば、それで納得してしまえるようなもの。

 泥門は、全国大会決勝への切符を争うに相応しい最強のチームだ。必ず、この決戦を戦い抜く。最後の最後まで勝ちに行くつもりのはずだ。

 ならば、王城も最後の最後まで気を抜かず、全力で迎え撃てばいい。

 

 でも。

 そう、自分が頭の片隅へ追いやった違和感が、高見さんの抱く悪寒と繋がっているのだとすれば――何かが水面下で、深く静かに進んでいるということに――

 

「心配するな、桜庭。お前は自分のプレイに全力で集中すればいい。あれこれと考えるのは俺の仕事だ」

 

 そんな声を掛けられずにいた桜庭の様子に気付いた高見が、ひとつ息を吐いてから、相方の中の迷いを払う。

 そう、あらゆる事態を想定するのは、指揮官である自身の仕事。だから、この不安もある種の職業病のようなものだ。

 ただ、それをチームにまで感染させてしまうのはいただけないし、勘、などという理屈にならないものに自縄自縛に陥るのはあってはならない。

 ……それに、自画自賛となるが、『巨大弓』と『ツインタワー剛弓』、そして、『射手座』は、無敵だ。攻略法など思いつくはずがない。

 

「泥門は、油断のならないチームだ。一度でも勢いづけば、逆転されることも起こりうる。だから、不安要素は徹底的に潰しておく必要がある。もちろん、俺の杞憂ならそれでいい」

 

 結局、試合映像を早送りで何度となく改めたが、何も見つけられなかった。

 

(ひとつ、思い当たる懸念と言えば……このハーフタイム、ヒル魔が動くはずだ。腕を怪我していても、頭は働く。この状況を打開する策を、チームに授けるだろう)

 

 自分(おれ)ならば、そうする。

 同類であるからこそ、あの油断のならない男の行動は予想できる。

 ヒル魔妖一は、どんな些細な勝機でも突いてくる。

 

 ならば、予測できるはずだ。

 この戦局、チェス盤を逆転させるように泥門側に立ち、ヒル魔妖一(高見伊知郎)が作戦を考えるとすれば……

 

 

 ~~~

 

 

 泥門デビルバッツは、大半がルーキーの、未完成のチームだ。

 この試合中でも成長する潜在能力がある。今は王城が優勢であっても、4点差などわずか1タッチダウンで覆せる点差。

 だからこそ、守備の王城の見せ所だ……!

 

「この中で、王城地獄の特訓を今まで一度でも逃げたり休んだりした奴は手を挙げろ」

 

 ハーフタイムの残り僅か。

 円陣を作って腰を下ろす教え子らへ、王城ホワイトナイツの監督、庄司軍平は、誰よりも厳しく鬼となって扱いた、これまでの過酷な練習を思い出させた上で、問う。

 

「ええ、高見さん??」

「中一の時にな」

 

 ほぼ全員が、手を挙げる。

 

「おそらく一日たりとも休まなかったのは、大田原さんただ一人です」

「ばっはっは! そうだっけか? 馬鹿は風邪もひかんからな!」

 

 進の発言の通り。

 ここにいる選手たちはほぼ全員一度は脱落したことがある(暴れて謹慎となった猪狩や、自動改札機を壊して飛行機に乗り遅れた進という例外はあるが)。

 

「だが、お前たち46人には、ひとつだけ共通点がある。――今、ここに残っているということだ」

 

 そう、脱落から這い上がってこれた、強者がここには集っていると庄司軍平は断言する。

 

「夢描き続けた歴史上最強の王城ホワイトナイツが、今、ここに立っている。入部104人中、耐え抜いたこの精鋭46人の絆で――最強の攻撃チーム、泥門デビルバッツに止めを刺してこい……!」

 

 そして、黄金世代でさえ届かなかった全国大会決勝(クリスマスボウル)へ――

 

 ・

 ・

 ・

 

「アメリカンフットボールは、勝たなくちゃ何も得られない世界だ」

 

 王城は、完成しているチームだ。全員が過酷なレギュラー争いを制した精鋭揃い。付け入る隙なんざ、微塵もない。

 それでも、泥門デビルバッツのトレーナーとして、誰よりも鬼となって扱いた、時には地獄を見せてきた酒寄溝六は、このチームに夢を賭けている。

 

「千石、柱谷、盤戸、巨深、西部、神龍寺、白秋……勝利でしか道が切り開けない世界で、あの王城との決戦の地に立つことができたお前たちは、強い」

 

 昨日のうちに、このフィールドへ決戦のための清めの酒を振る舞ってやった。後半が始まれば、俺達指導者がするべきことなど何もない。

 フィールドへ駆け出す彼らの背中を見送って、奮闘する姿を目を逸らさず見守ってやるだけだ。

 

「さあ、行ってこい。――最強の守備チーム、王城ホワイトナイツを食い破って、世紀の最終決戦を勝ってこい……!」

 

 ハーフタイム残り1分を切ったところで、フィールドへ現れた泥門の面々の誰もが、その顔に確かな覚悟を決めていた。

 

「作戦はすでに伝えた通りだ。俺達は頂点まで進み続けるためにすべきことは、もはや言うまでもないか」

 

 先頭を切る大黒柱が火付けとなる一言を発して、チームは勝利への咆哮を爆発させる。

 

 

「――ぶっ」『殺す!! YEAH―――!!』

 

 

 ~~~

 

 

 東京ドームの天井をぶち抜いてしまいそうな、『60ヤードマグナム』の超巨大キックで、後半戦が幕を開けた。

 

 

 ~~~

 

 

『さあ、後半戦最初の王城の攻撃! 天下無双の騎士団は、再び破竹の快進撃を繰り出すか!?』

 

 

 13-9。

 1タッチダウンで逆転される点差だ。この攻撃権をものにして、追加点で突き放すことが理想だ。そのためにも、後半序盤から勢いづかせるため、この最初の攻撃は確実に決めたい。

 それに最適な攻撃は、泥門もわかってる。思い知っているはずだ。

 

(ヒル魔ならば、躊躇せずに奇襲()仕掛け(せめて)てくる……!)

 

 前半と同様、桜庭に対して、モン太と瀧の『ニッケル守備』を敷いている。泥門はここから更なる一手を打ってくるはずだ。

 その上で、王城の司令塔は、手の打ちようのない王道を選択した――

 

 

「『心臓バーーンプ』!!」

「かはっ!?」

 

 

 泥門が仕掛けたのは、『バンプ』。それも、急所を狙い、呼吸を乱す『心臓バンプ』。

 いきなり迫ってきた黒木の渾身の一打を、王城レシーバー・神前は諸にもらい、悶絶する。パスターゲットを1枚潰した。

 そして、桜庭には、モン太が仕掛け――躱された!

 

 

「うおおおお『バンプ』躱したっ!」

「桜庭、一気に出たーー!!」

 

 

 瀧がマークについているが、桜庭の方が速い。1対1では桜庭が間違いなく勝つ。そして、『射手座』には、最強最速の『巨大弓』が追走している。

 この状況、『剛弓(パス)』を放てば、100%決まる……!

 

 

「行くぞ、桜庭! 『射手座』――」

 

 

 ~~~

 

 

 閃光が、弾けた。

 

 

 ~~~

 

 

「なっ……!! セナが高見に『電撃突撃』――!!?」

 

 時代最強ランナー(アイシールド21)による最速の特攻。

 奇襲は、『バンプ』だけじゃなかった。むしろ、これが本命か。

 

 ヒル魔がいない今、最終防衛線(セーフティ)から小早川セナは動かせない。後ろのカバーがガラ空きとなれば、最悪、一発でタッチダウンが決まりかねない。

 ――だが、“だからこそ”、仕掛けるのが泥門だ。

 

「絶対に止めるんだ、『射手座』……!!」

 

 光速のスピードならば、『射手座』が放たれる前に、パス発射台を潰せる。最終防衛線の放棄というあり得ない大博打な戦術が意表を突く奇襲となる。

 そして、元より固定砲台にしかなれない鈍足の高見には、アイシールド21の突撃から躱す術は何もない――

 

「クッ、マズい……!!

 

 

 

 

 

 と、言うと思ったかい?」

 

 

 ~~~

 

 

 無音で、忍び入る。

 

 

 ~~~

 

 

「アイシールド21は、俺が止める!」

 

 

 最短距離(ルート)を、遮られた……!

 発射台を守る『パスプロテクション』に、王城のランニングバック、猫山が入っていた。アイシールド21の『電撃突撃』を、待ち構えていた。

 

 最終防衛線からの、『電撃突撃』。

 それは確かに意表を突けるだろうが、相手のクォーターバックまで距離がある。スピードで劣っていても、それだけの距離差(ハンデ)があれば、割って入れる。

 

 それに、前提からして、これは奇襲として成立などしていない。

 何故ならば、『バンプ』も、『電撃突撃』も、王城の指揮官は想定済みで、対策を施し、備えていたのだから。

 

「全部、高見さんの読み通りだ!」

 

 パワーで強引に押し勝つことはできない以上、壁に入った猫山を避けるには、迂回する別ルートに行かなければならない。

 だけど、そんな遠回りする余裕はない。高見は、もう投げ始めている。反応が速い……!

 

(それに、高い! 僕の背じゃ腕に届かない……!)

 

 投石機(カタパルト)の如きオーバースロー。

 投手を止める最も有効な手段である腕狙いだが、高見の長身長腕は、セナが全力で飛びつかなければ無理だし、溜めのいる全力跳躍(ジャンプ)を壁役の猫山が許すはずがない。

 

 

「高見さん! セナ君がいない今、ゴールラインまで誰もいない。キャッチからタッチダウンまで行けます……!!」

 

 

 よし、貰った……!

 

 奇襲は読まれていた時点で、失敗も同然。

 失敗した奇襲は、すなわち、失策だ。

 痛恨の失策をすれば、指揮官としての信頼は失墜する。

 そして、指揮官が信頼を得られないチームは、まとまりをなくして、烏合の衆と化す。そうなれば、最早王城の敵ではない。

 

 そう、ここでのタッチダウンは、1タッチダウン以上の点差をつけるだけじゃない。それ以上に相手の指揮官にして、泥門の中で最も警戒するエースを機能不能に追いやる。

 乾坤一擲の作戦だったが、それを相手に読まれて、一枚上を行かれた。前半以上に、指揮官としての格の差を決定づけるものになるだろう。泥門の命運はこれでおしまいだ。

 

 

「ダメーーー!!」

 

 

 泥門のチアリーダーから悲鳴が上がる。

 だが、もう遅い。

 この試合を決定づける一矢はもう放たれた――

 

 

 ~~~

 

 

 『射手座』が決まり、進のリードブロックを盾としながら、桜庭がタッチダウンを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 …………………………………………………………え?

 

 

 高速高弾道の『剛弓』、それをキャッチせんと天高く跳躍した桜庭だったが、来ない。予測地点が、外れた。いいや、そんなはずがない。相方のパスは、正確無比で、これまで狙ったポイントから外したことなんてなかった。

 

 

“無敵”な(斬れない)ものなんて存在しない。“無敵”などと過信した時点で、思考は停止している」

 

 

 『剛弓(パス)』は、『妖刀(ながと)』に斬られ(カットされ)ていた。

 

 

思考停止している(おどろいている)余裕などないぞ、泥門の作戦は、これで終わりではないからな」

 

 

 ハッと脳裏を過ったのは、前半のあのプレイ。

 ヒル魔の失投を長門がカットしたボールを、フォローしてみせたあの――

 

 

「なんで……カットで弾道がズレたのに、迷わず追えてるんだ……」

 

 

 モン太が、いた。

 

 

 ~~~

 

 

 空からハトのフンが降ってきた。

 はたしてそれは、不幸なのか?

 

「桜庭先輩、そりゃあ長門の凄さを俺はよく知ってるんスよ」

 

 共に戦うチームメイトとしてだけでなく、競い合うライバルとして。

 エースの座を欲して、幾度となく勝負し続け、幾度となく負け続けたから、よくわかる。

 桜庭春人が進清十郎を知るように、雷門太郎もその絶望しかけるほどの悔しさの分だけ長門村正を熟知して、信頼していた。

 

「この会場の全員が『剛弓(アレ)』が無敵だって思おうが、俺は、長門なら斬れるって、信じてたんスよ……!!」

 

 この関東大会決勝戦までの長門と二人での特訓。

 剛速球をキャッチする練習と並行して、長門がカットした零れ球をキャッチする練習をやってきた。

 才能がないと思い知っているからこそ、只管にやり続けて、手刀の角度で変化する零れ球の軌道、野球で例えるならイレギュラーバウンドな呼吸を心身に覚え込ませていたのだ。

 

 空からハトのフンが降ってきたとしても、頭上の電線にハトがとまっていることに気付けば、回避できたかもしれない。

 

 幸運とは、そうなることを想定していなければ、掴めない。

 それがありうると心構えができていたものと、そうでないものの動き出しは違う。周囲の状況を直感的に把握し、その可能性に全力で手を伸ばさんとするモン太だから、あの時、零れ球を拾うことができたし、この瞬間、誰よりも真っ先にキャッチに臨めている。

 

「っく、そ! それは、高見さんのパス(オレのボール)だ……!」

「いいや、違うス。桜庭先輩にしかキャッチできないパス(ツインタワーアロー)は、斬られた――つまり、長門に斬られた(オレの)ボールだ……!」

 

 千載一遇のチャンスを掴まんと、泥門のエースレシーバーはその手を伸ばす。

 

 まずい。

 ここでモン太にパスを捕られたら、流れは一気に泥門に――

 

 

 いいや、まだだ。

 

 まだ、王城には最強のエース、進清十郎がいる。

 

 

「ハアアア!? あの野郎、完璧先手取ったモン太のリードを、超速で一気に追いつこうとしてんのか!」

 

 

 跳躍してしまった桜庭は、零れ球に間に合わない。

 だけど、そのカバーに入っていた進ならば、反応できる。

 

「そうだ。こっちだって、信じてる! 進なら、必ず、高校最速のスピードで、追いつける……!!」

 

 桜庭は、最も進の凄さを知り、信頼している。

 この状況でも、進ならば、モン太のキャッチを阻止してくれるはずだと。

 

 

 ~~~

 

 

「いいや、当然、進清十郎の動きは想定している。だから、泥門のキーマンは、()()用意している」

 

 

 ~~~

 

 

「アハーハー、残念だけど、ムッシュー進。モン太のキャッチの邪魔はこのボクがさせないよ……!!」

 

 抑え、られた。

 元々、カバーのために追走していた進は、桜庭のパスキャッチ阻止をしてくる瀧に接近(マーク)していた。

 進でもこの状況は判断するのに動き出しは遅れており、そこへ、何ら迷いなく、こちらに密着してブロックしてきた瀧を進は躱せなかった。

 

(だが、力で強引に突破すれば――)

 

 ぐんにゃり、と突き出した進の腕に対し、無理に押し合わず、身体を逸らしながらも踏み止まる瀧。

 

 この瀧も、モン太と同様に、長門に挑み続けた。

 何度も何度も競り合いや押し合いしてれば、馬鹿でも覚えた。

 

「ムッシュー進。キミと押し合いとなれば、間違いなくボクは負けるだろうね。でも、このボクの柔軟性はちょっとやそっとじゃ倒せない……!!」

 

 相手を倒したり、相手に倒されないではなく、力で上回る相手であろうと柔軟に受けて、倒され難い壁になる身体の使い方を。

 

 この男、押し込んでいるのに、ブロックが剥がれない……!

 

 ブロックの“勝利”は押し勝つことだけじゃない。

 仲間の元へは死んでも行かせない。間に倒されようが身体を入れ続けることもまた、ブロックなのだ。

 

「兄さん! 負けるなーーー!!」

 

 押されてるのに張り付く、あの高校最強の選手に対して、張り合う兄の姿に、鈴音は無我夢中な声援を張り上げた。

 それが更なる粘りをもたらしたか、瀧は押し倒される最後の最後まで進の足止めに徹し続けた。

 

 

「キャッチMAーーX!!」

 

 

 瀧に押し勝ったが、進は出遅れた。致命的なまでに。

 着地後、桜庭も即座にボールを追いかけたが、全力跳躍の滞空時間の分だけ出遅れた。長身を限界まで伸ばしてもその手は、ボールへ飛びついたモン太の足先にも届かなかった。

 

 

『泥門! インターセプト成功!』

 

 

 ~~~

 

 

『モン太と瀧の『ニッケル守備』を桜庭春人に仕掛ける。だが、これは確実に決まる作戦とは言い難い』

 

 前半の作戦時間でのこと。

 長門君は、作戦とこれからの試合展開の予想をチームへ伝える。

 

『奪えるチャンスは、最初の一度きりだろう。高見伊知郎ならば、次で対処策を打つ。相方である桜庭春人へのパスを100%成功させるために、進清十郎あたりをフォローに回すだろうな』

 

『はあ!? もしそうなったら、手なんて付けられようがねーじゃねぇか!』

 

 想像するだけでも最悪だ。

 どちら一人を相手にするでも大変なのに、二人がコンビプレイを仕掛けてくることになったら、どうしようもない。

 

『モン太と瀧の二重マークに貼り付かせようが、『ツインタワー剛弓』には、物理的に届かない以上はどうしようもない。だから、着地で潰すしかないが、着地点を『巨大弓』が入る。

 だが、これは進清十郎の行動パターンをある程度固定したということになる』

 

 打つ手なし。絶望するしかない状況。

 でも、最悪の想定を、最大の好機と見なす姿勢に、ハッと切り替えさせられる。

 

『そして、『ニッケル守備』は、次の本命の布石。王城が二大エースを注ぎ込んだ最強の一手を狙い撃つために、モン太と瀧を、桜庭の前に配置する理由付けだ』

 

 王城が総力を挙げて繰り出す最強の攻撃を殺す作戦を語る長門君に、皆が固唾を呑む。

 

『俺が必ず、『剛弓』を斬って、モン太がキャッチするチャンスを作る。モン太は、チャンスを絶対にモノにしてくれ。そして、瀧は進清十郎の足止めだ。1秒でも抑えれば、お前の勝ちだ』

 

 モン太にはカットされたボールをキャッチ、瀧君にはあの進さんを相手にブロックするという無茶苦茶な要求だ。

 二人の表情が強張ってしまうのも無理はない。それを軽く笑い飛ばすように長門君は言う。

 

『お前ら二人は特に俺に勝負を挑んできたからな。相手が向こうのエースでもビビったりしないと踏んでいたんだが、違ったか? まあ、毎回ズタボロになるまで負け過ぎてるから負け犬根性でもついてしまうのはしょうがないとも思えるが、しかし、そうなると別の作戦を考えなければならないな』

 

 挑発気味なその発奮の仕方に、泥門でも特に負けず嫌いな二人が燃え上がらないわけがなかった。

 

『ンなわけねーだろ、長門! 確かに勝負の黒星はMAXかもしれねーけど、完全にエース争いを諦めたつもりはねぇからな!』

『そうさ! ボクはムッシュー長門に勝ってみせる男だからね! 負け犬になんてなるつもりはないさ!』

 

『だろうな。毎日毎日しつこいくらいに勝負を仕掛けてくるんだから、そんなに軟じゃないだろう。それに俺はお前らならできると決めてこの作戦を立てた。瀧のしつこいブロックには俺も手古摺るし、カットしたボールに反射的に動けるのはモン太くらいのもんだ』

 

『おうよ、大役MAXだけど、一発で決めてやんよ……!!』

『アハーハー! 任せてよ、ムッシュー進は必ずボクが抑えてみせるよ……!』

 

 キーマンの二人は了承した。

 そこで、長門君は、ひとつ呼吸を入れて、皆に告げる。

 

『しかし、肝心のチャンス作りができるかどうかはまだ自信がない。だから、今は作戦の成功率を上げるために、俺はこの前半は見に徹するつもりだが……そうなると、王城に逆転を許すことになる。高見伊知郎の性格ならば、こちらに攻撃権を渡さない時間ギリギリでタッチダウンを奪われるだろう』

 

 それだけに苦しい盤面なのだろう。

 ヒル魔さんが下がり、指揮権を預かった長門君が見出した勝ち筋は本当にか細いものなのだ。

 

『関東大会で最強の相手、王城ホワイトナイツの最強の攻撃が相手だ。この作戦は、前半を捨ててようやく、かけ金が足りるギャンブルだ。外せば破産は99%確定だ』

 

 あまりにリスクが大きい。作戦を行うためのコストも大きい。

 王城ホワイトナイツに勝つには、それだけのことが必要なのだ。

 ただ、セナも、皆も目指すべきモノは一緒だ。

 

 

『それでも、付き合ってくれるのなら――俺は日本一の選手として、この決戦を制し、夢の舞台への道を切り開く』

 

 

 それに、信じている。

 長門君ならきっとやってくれる、って。

 

『はっ、んなの、わざわざ訊く必要はねーだろ、長門』

『ん』

『だな』

『フゴ』

 

 十文字君、黒木君、戸叶君、それから小結君も揃って頷く。

 

『さっきのセリフをそのまま返すぜ、長門。俺はお前なら『剛弓』をぶった切れるって確信MAXで動く』

『ムッシュー長門、あそこまでカッコつけたのに、今更できないなんてアリエナイだろ?』

『どれだけ力になれるかわからないけど、全力でサポートするよ』

 

 モン太も、瀧君も、雪光さんも同意する。

 

『うん、僕も信じてるよ。峨王君に何度も倒されても信じてくれた長門君を信じないわけにはいかない』

『ヒル魔から指揮権を託されたのは、お前だ。だから、お前の作戦を信じて仕事をすればいい』

 

 栗田さんも、武蔵さんも、それにヒル魔さんだってきっと、支持するに違いない。

 

『僕は……ううん、僕達は、きっと道が切り開かれるって信じて、全力で走るよ』

 

 僕も気持ちはみんなと一緒だ。

 

『……ああ、そうだったな。散々ギャンブルを吹っ掛けるヒル魔先輩の影響からか、こういう一か八かの方が好みだったな、泥門デビルバッツは』

 

 そして、泥門デビルバッツの作戦は決まった。

 

 ハーフタイムで、進清十郎と、高見伊知郎のプレイを確認。

 『ツインタワー剛弓』は、攻略可能だ。

 固定砲台である高見はほぼ定位置から動かないこと、『ツインタワー剛弓』を捕れるパスターゲットは桜庭のみであること、『ニッケル守備』の対処のためのショートパスによりレシーバーの行動及び射程範囲が絞られていること、そして、弾速は上がってもパスの高度軌道は『エレベストパス』と同じ――高校最高の長門には守備範囲であること。

 パスコースとタイミングを計算し、反応速度を縮めれば、カットするのは決して無理な芸当ではない。

 更に雪光学より、最終防衛線を担うセーフティが持ち場を離れてしまった際に生まれる間隙――『速戦(オプション)ルート』を考察してもらい、桜庭の行動予測の精度を高めた。

 後は、『バンプ』で他のパスターゲットを潰し、セナの『電撃突撃』で、大量ヤード獲得をエサに桜庭を誘導しながら、高見伊知郎のパス判断時間は削る。

 

 ――『妖刀』が、高見―桜庭のホットラインを切断することのみに集中できる状況にした。届かないはずのあと10cm先を、仲間(チーム)の力を頼ることで近づけたのだ。

 

 

 ~~~

 

 

『な、なななななんと、進&桜庭の『射手座』が失墜! 泥門の逆襲が始まったかーー!!』

 

 

 無敵であり、王道の戦術の、上を行かれた。

 終わってから全容に気付くとは、何たる道化だ。掌の上だと高を括っていたが、実際に試合を支配していたのは、向こうだった。

 

「……狙っていたのか、長門」

 

「こちらが想定していたのは、『エレベストパス』だったが、想像を超えた作戦ではなかったからな」

 

 高見は、震えの抑えきれない声で問う。

 

(こちらに悟らせず、未来を見据えて布石は打たれていた。……恐ろしく緻密にデザインされてる……)

 

 モン太と瀧のダブルマークに進をブロックにつかせた。これで進の行動はある程度固定され、その分、長門はパスに意識を割ける。更にショートパスで、パスコースも限定される。つまり、パスコースもタイミングも計り易くなったということ。

 その上で、前半は見に徹した。

 虎視眈々と、高見伊知郎を視た。

 より深化させた集中力で、呼吸・心拍・汗・筋肉の収縮相手の全てを観て、高見がパスを出すよりも一歩速く、かつキャンセルできない瞬間に長門は動き出していた。

 

「『射手座』は、エース二人の力を最大限発揮させる、無駄のない戦術だった。だからこそ、読みやすい。予めこの展開は考えていた」

 

 過去に富士の樹海で、パンサーと対決した進は言った。

 ()()()()()()()()走りだからこそ、走行ルートが読めた、と。

 それは、戦術にも適用される。

 

(だが……! それにしても……! 当然、長門の位置取りは警戒していたし、速さもこれまでのプレイから十分把握していた。その差を縮める、一歩分速く動き出すために、あんな真似……仲間をああも信じ切るような作戦、“高見伊知郎(オレ)以上に冷静で気丈な指揮官(ひるま)”ならば考えを避けるはずで――)

 

 

 ~~~

 

 

「長門をヒル魔と重ねてみたらダメっちゅう話だよ」

 

 観客席、円子令司はぼやく。

 王城の指揮官、高見伊知郎を見やる。絶対的な才能がない凡人として、同じように嵌められた同類に共感はできてしまう。

 だが、違うのだ。

 

 攻撃と守備向きの性格があるように、指揮官にも大まかに二つのタイプがある。

 

 ヒル魔、高見らは言わば、策略型。事前の徹底した情報収集で補強した洞察力でもって、相手の戦術を何手先までも読み通して、1%も侮ることなく周到に作戦を組んだ上で仕留めるタイプだ。

 窮地においても自身の状況と相手の戦力を冷静に把握し、己の戦術理論でもって活路を見出す。

 

 これに対するのは、本能型だ。

 直感あるいは天性の才覚による危険を予知し、計算式の過程を省いて、即座に最適解を導き出せるタイプだ。

 言ってしまえば、野生児、勘で動ける人間であり、試合の要所要所で理解の範疇を超えたプレイをしてくる。

 

 長門村正は指揮官としては、どちらに分類されるか。

 

 準決勝の前半、ヒル魔が退場してからの白秋よりタッチダウンを奪って見せた作戦は、ヒル魔の戦術を彷彿とさせたものだった。

 だが、あの後の栗田頼みの特攻は、理論より直感を優先にして動いていた。

 

 その計算ミス、知略型にはありえない齟齬を、冷静に徹しきれないと見なすか、本能を信じ切っていたと見なすかで、長門の指揮官としてのタイプは判断がわかれる。

 

「確かに、ヒル魔の戦術理論(やりくち)を学習している。そこまでは、高見(おたく)予想(かんがえ)と一緒だけれど、長門はヒル魔とは違う。策略もできるけど、彼、本質的には本能型の人間でしょ」

 

 策で戦うしかない凡人とは違って、策を立てながらも勘で動くことができる……そう、金剛阿含やキッドのような知略型と本能型の両方を兼ね備えた天才の部類。

 そして、王城の進清十郎と同じ、困難であればあるほどに実力以上のものを発揮させてくる『進化する怪物』だ。計算を超えるくらいのことは平気でやらかす。

 

「そこのところを見誤ると痛い目を見るっちゅう話なわけだけど……“だからこそ、何もしない”、ヒル魔がいやらしい」

 

 

 ~~~

 

 

 つまり、これはヒル魔ではなく、長門の作戦だったとようやく理解する。

 

 

 “ケケケ、まんまと踊らされたな、糞メガネ”

 

 

 滑稽に、こちらを嘲笑う幻聴。

 何もしていない。何もしていないからこそ、かえって泥沼にはまった。

 『死んだ孔明生ける仲達を走らす』なんて譬えのように、ありもしない幻想に囚われて目を曇らせた指揮官は、正常な判断ができていなかった。

 長門の裏にはヒル魔の影があると疑ってかかっていたせいで、高見は見誤ってしまった。

 

 ドームが破裂せんばかりに歓声が沸いている。

 流れは、一気に泥門に持っていかれた。

 

(マズい。攻め手に転じた時の泥門は驚異的な爆発力を発揮してくる……!)

 

 

 ~~~

 

 

 チームにも“起こり”がある。

 1対1(ワンオンワン)の駆け引きを極めると“起こり”を察知し相手の動きを読む。読めば相手の技は通じずさらに返し技を繰り出せるようになる。

 その“起こり”を捉える感性を、『進化する怪物(ながとむらまさ)』は、指揮官の立ち位置を経たことにより意識が拡張(アップデート)されたことで、集団に対しても適応していた。すなわち、相手選手の表情や集団の重心などから相手の戦術を敏感に読み取る。

 

(全てを、視る。そう、視界をもっと広く、このフィールドの全てにまで澄み渡らせる)

 

 キッドやヒル魔でさえ数プレイの検証を要した王城ホワイトナイツのゾーンディフェンスの境目を、長門はプレイ開始前から直感的に見抜いた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 泥門デビルバッツが敷いた陣形は、白秋戦で披露したパス特化の『背水の陣(エンプティバックフィールド)』。

 その初手は――

 

 

『決まったーー!! 『デビルレーザーマグナム』!! 泥門、連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 

 空を裂く高校最速のロングパスを、掴み取るキャッチの達人。

 キャッチしたグローブとの摩擦で焦げた臭いがするほどの凄まじい球威を、モン太はがっしりと離さない。

 

 王城の『剛弓』に対する、泥門の『強装弾』。

 並の選手を寄せ付けない、パスカット不能のホットライン。

 

(でも、触れられないわけではない。キャッチは難しくても、カットならできる……!)

 

 2発も見れば、桜庭はその球質を知れる。目が慣れてきたのだ。

 もう怯まない。高校最速の球速も今ならば追える。

 

 ヒル魔妖一がいない今の泥門で、最強の飛び道具(パスプレイ)は、『デビルレーザーマグナム』。

 それを潰せれば、泥門の勢いは確実に半減するはずだ。

 

(『射手座』を奪われた流れを、俺が『強装弾』を阻止して引き戻す……!)

 

 高見伊知郎が、進清十郎が、己にパスを繋げるために全力で支援してくれた作戦を潰した泥門に対する、桜庭春人の逆襲が始まる。

 

 

「SET! HUT!」

 

 ボールがスナップされ、泥門のエースレシーバーのモン太はフィールドへ一気に駆け上がる。それをバック走でマークする桜庭。

 

「うおおおおお、ロングパスMAーーX!!」

 

 『デビルレーザーマグナム』は、高校最速のパスだ。

 だけど、そのモーションには溜めが必要。

 海老反りするほど大きく身を捩じる、全身の力で放ってくる投法は、それだけモーションが大きく、発射のタイミングがわかりやすい。

 どんなに速いパスだろうと、発射のタイミングさえわかれば、飛びつける……!

 

 

『おおっと長門君! ボールを構えた! またも必殺のパスが炸裂かーー!!』

 

 

 ――ここだ……!

 

 瞬間、桜庭はバック走から反転。モン太のマークから、全力でロングパスを追う体勢を整えた(瞬間、モン太はカットを切った)

 

 

 

 

 

「え」

 

 

 ~~~

 

 

 突然、後ろへ切り返したモン太へ、全く溜めを必要としない(ノーモーション)パスが投げられていた。

 

 

「シャァアア桜庭先輩、振り切りMAーーX!!」

 

 

 ~~~

 

 

 『強装弾』を警戒する桜庭は、バック走では追いつけないと判断し、パスモーションに入るや否や切り替えた。

 ――その瞬間に、『ワンインチ・パス』。

 キッドの『神速の早撃ち(クイック&ファイア)』の如く、発射のタイミングが速い、というより、予備動作を無くしたノーモーションパスだった。

 バック走から切り替わったタイミングを狙い撃たれた桜庭に、切り返したモン太のマークは敵わず、パスキャッチを許した。

 

 

「今のは桜庭の鬼失態ですね」

 

 観客席でそう酷評するのは、一休。

 関東最強のコーナーバックだと言われる細川一休には、今の桜庭の拙さがよく見えていた。

 

「いくらなんでも長門のパスに意識が行き過ぎスよ。肝心のマーク、それも俺と同じくらい鬼すげぇモン太を疎かにするなんてありえない」

 

 関東四強レシーバーであるモン太に、同じく関東四強レシーバーの桜庭をぶつけてきた王城守備。

 しかし、桜庭は本来攻撃職専門だった。

 キャッチ能力が高くても、コーナバックとしての対レシーバー守備の駆け引き(にらめっこ)の経験不足だった。

 だから、『デビルレーザーマグナム』を意識する余りに、モン太の動きを見落とした。波に乗り出した泥門に焦り過ぎて、睨めっこを早く逸らした。

 

「ああもう、集中がガタガタ。あれじゃあもう桜庭にモン太は止められないスね」

 

 一休の予言通り。

 続く、泥門のパスプレイ――『デビルレーザーマグナム』に、桜庭はまるで追いつけなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 長門村正のパスは二段構えだった。

 超ハイスピードロングパスに、ノーモーションクイックパス。最速の球速と、最速の投球速度を使い分ける。

 

 ――まっすぐ! 全速力MAXで走る! そんで、桜庭先輩が我慢できねえで反転したら切り返す!

 

 もしも先にモン太がターンすれば、ボールはカットされる。桜庭の方が速く、長い手足による広い守備範囲があるのだから。

 

 空中戦じゃ負ける。

 でも、根競べ、睨み合い……そう、空中戦は、地上戦から始まっている……!

 

(ダメだ。ロングパスを守るなら、もう反転しないと追いつけない……! けど、反転した瞬間に切り返されたら、モン太に競り勝てない……!)

 

 桜庭には、モン太の癖などわからない。モン太は常に全力プレイでぶつかって来る。さっきの切り返しも間違いなく途中まで全力ダッシュだった。そこに遜色などないし、見分けがつくはずがない。

 普通に走れば桜庭の方が速くても、マークするためのバック走では、モン太の方が速い。一休のようにバック走で40ヤード走4秒9で駆け抜ける真似なんて無理である以上、このままでは振り切られることになる。

 

(どっちだ? どっちでくる……!?)

 

 迷う。

 迷う。

 迷う迷う迷う――

 桜庭の迷いが渦巻く様は、真正面のモン太の目からは明白であり、そんな中途半端な意思で挑む者を、『妖刀』のパスは寄せ付けない。

 野球で剛速球に目が慣れてきた打者に、緩い球(チェンジアップ)を挟む緩急でタイミングを外すように、桜庭は崩れた。

 

 

 ~~~

 

 

「うおおおお! なんだこりゃぁモン太が止まんねぇええええ!!」

『火が点いたようなモン太君の怒涛の快進撃ッッ!! 泥門、連続攻撃権獲得ーー!!』

 

 

「クソッ!」

 

 どっちともつかずに半端なまま躊躇して、転ぶように飛んだ。それでは掠りもしない手を、桜庭はフィールドにたたきつけた。

 『剛弓』の奪取に続いて、リズムを狂わせる最速のパスによるチェンジ・オブ・ペース。

 守備の穴として付け入られるプレッシャー。

 このままでは、本来の攻撃にまで引きずりかねない。心が折れないにしてもプレイに影響が出てくる。

 

 早急に手を打たなければならない、と進は思索する。

 一旦、桜庭をベンチに下げ、交代した井口をモン太のマークをさせるか。だが、それでも『強装弾』は止められないだろう。

 ならば、複数人でモン太を囲うか。『強装弾』のパスターゲットがモン太だけである以上、モン太を抑えれば、阻止できるはずだ。しかし、それで人数を割いた分、守備に穴が空く――それを、判断力に長け、『速戦ルート』を武器とする雪光学は逃したりはしないだろう。当然、長門も。

 それならば――

 

 

 ~~~

 

 

「囲まれたっ……これじゃ、パスなんて投げ込めねぇ……!」

 

 モン太にマークが二人。

 桜庭に、セーフティの中脇爽太をつかせた。桜庭に『デビルレーザーマグナム』の対応を任せて、『ワンインチ・パス』は中脇が担当すると役割分担を決めれば、迷いによる判断の遅滞もなくせる。

 

(だが、モン太に人数を割いた分、守備に隙ができる)

 

 泥門は後半から雪光を投入した。前半で王城の守備陣形を分析した雪光ならば、守備の隙へ『速戦ルート』で走り込める。

 

(ダメだ。全然走り込める隙なんて無い……!)

 

 

「甘いな。王城最強守備を舐めてもらっちゃあ困る」

 

 ラインバッカー、薬丸の完璧な密着マークで、雪光が抑えられた。もう一人、瀧もまた同様にコーナバックの艶島に張り付かれている。

 モン太に2人人数を割きながらも、王城の守備は泥門レシーバー全員に対応している。マークを外そうとレシーバー全員無我夢中で駆けるが、すぐには無理だった。

 そして――

 

 

『おおーーっと!! 進君が、パスの発射口、長門君を潰しに突っ込んできたーーっっ!!』

 

 栗田と黒木の間を強引にこじ開けた、『巨大矢』。

 パスターゲットが見つからないこの状況、『ワンインチ・パス』で躱せない。高校最速の守護神がその隙を与えない。

 

 

 ~~~

 

 

「あ゛~? 使えねぇザコに頼ったところで進を躱せると思ってたのかよ、甘ちゃんが」

 

 金剛阿含は、嗜虐的に嗤う。

 先程とは状況が違う。スピードで対抗できるチビカス(セナ)は、フォーメーションの配置的に距離がある。アレは間に合わない。『強装弾(パス)』も使えない。今度こそは逃げられない。

 

 さあ、どうする。

 ギリギリまで味方(ザコ)がマークを外す機を待つか、それとも進相手に強引に突き進んで一歩でも前進しようとするか。

 俺ならば、0.11秒の迷いもなく速攻で後者を選択するが、あの甘ちゃん野郎は――――動かない。

 

 

 ~~~

 

 

「ありゃあ、もうダメだね」

 

 キッドは、淡々と息を吐く。

 1秒の停止。

 対峙した相手だからわかる。それが致命的となる相手であると。

 既に高校最速の守護神の間合いに入った。あの死地からでは、たとえ0.1秒でパスが出せても間に合わない。

 パスという選択肢がなくなった以上、残るのは一つ。

 

 

 ~~~

 

 

(この男……)

 

 進清十郎は、注視しながら強敵手に目を瞠る。

 

 直前まで迫られても、構えに乱れはない。射程圏内で三叉槍の切先に狙い定められながら、自然体な姿勢だ。

 透けて視えるほどに目を凝らしても、どこか一点に力が入っているとは映らない。全身に力が入っているとも、全身に力が入っていないともとれる。

 一歩も動かず、パスを投げるもランで躱すもどうにでも変化できる用意があり、どこから攻めても遅滞なく即応される。そんな理のある気配を覚える。総じて、隙が無い。

 

 

「もう一度振り切りMAーーX!!」

 

 

 モン太が、カットを切った。種明かし上等な気合入れに、背後の状況を悟る。

 

 雷門が、うちの中脇との1対1の勝負に出たか……!

 

 中脇との競り合いとなれば、4:6で雷門太郎の方が優勢。桜庭をも圧倒するキャッチ力に、接戦を持ち込まれるのはマズい。

 0.1秒でも迅速に、パスの発射を阻止しなければ……!

 

 

 ――――ビリッ――――

 

 

 なに……?

 瞬間、ノイズが走った。

 長門村正に、不自然さはない。しかし、違和感(ズレ)を覚える。何なんだこれは一体――

 

「進! パスを投げる前に長門を潰すんだ!」

 

 高見の声に、意識を戻す進。

 小手先の技で凌げるほど、甘くはない。

 

 投手を潰すのに最も効果的なのは、発射口。

 身体を穿つタックルを決めようが、完全に倒すまでに時間がかかる。その僅かな間にパスを許してしまう。相手は、あの長門。己が認めた最強の強敵手。渾身のタックルを決めても、倒し切れずに前進する屈強な戦士だ。

 パス発射を阻止するには、全速力で接近し、発射口である右腕を狙い穿つ……!

 

 

 ~~~

 

 

 『妖刀』が、『三叉槍』と鍔競り合う。

 

 

 ~~~

 

 

「!!」

 

 火花散らすかのような衝突を会場が目撃する寸前、金剛阿含は視た。

 進が必殺のタックルに踏み切る前兆、グースステップを切った瞬間、長門がボールを左へ持ち替えた。

 発射口を狙うのを察知して、あえて右腕を狙わせる。

 そして、土壇場のボールハンドリングから返す刀で、右腕を狙った進のタックルを右手刀で払ったのだ。

 

 チッ、手の速い野郎だ。進の槍を完璧に横から超速でブッタ斬りやがった……!

 

 己を打倒した甘ちゃん(ながと)が、同格と認めた相手(しん)と渡り合うのは舌打ちを禁じ得ないほどに苛立つが、決して目は逸らさない。感情では揺らがない集中力で、決着を見る。

 

 だが、これで凌げるようなら、進とは去年のうちにケリはついている。

 

 

 ~~~

 

 

 そう来ると思っていたぞ、長門村正。

 

 居合い抜きの如く、静から動へ一息に振り抜かれた。

 刹那のうちにボールをスイッチして、超速のハンドスピードでカットする。綱渡りのような博打を平然と決めてくるが、それくらいは当然だと認識していた。

 この『三叉槍(うで)』を弾こうとするのも、想定していた。

 

「な――」

 

 『三叉槍』は、捻りながら突き出されていた。

 コークスクリュー気味に捩じり切られた腕が、側面へ一閃を狙い撃った手刀を巻き込む。断ち切るような鋭い衝撃を受け流しながら、『三叉槍』は真っ向へ突き進んだ。

 そう、これは、かつて長門が阿含を仕留めた攻防一体の必殺のカウンター――『蜻蛉切(スピア)タックル・廻』と同じだ。

 

 

 ――『光速トライデントタックル・廻』……!!

 

 

 螺旋の一突きは、『妖刀』の一振りをいなして、更に加速した。長門の右半身を穿った衝撃音が後から聞こえるほど尋常ではない速度。

 

 その光景を目の当たりにしたほとんどの者が、決着を見た。

 アレをまともに食らっては耐えようがない。この勝負、やはり進清十郎が上回った。

 

 

 ――いや、まだだ。

   この男の目は、死んでいない。

 

 

 会心の手応えだった。これまでにないほどに。

 しかし、その一撃をもらいながらも、倒れない。大きく体勢は崩れてはいても、倒し切れていない……!

 

 

 ~~~

 

 

『アメフトの本場だからって、俺以外に倒されるんじゃないぞ』

 

 

 101戦目の誓いと共に、別れの日に交わした、ある種の呪いめいたあの言葉。

 

 ノートルダム大付属ミドルスクールで嫉妬したチームメイトから私刑(リンチ)を受けてた時、俺は倒れなかった。

 たとえ遥か彼方に離れていようとも、最大の強敵手(ムラマサ)以外の相手に容易く屈する、そんな無様を晒すことなどありえないからだ。

 

 アメフトは倒れたらゲームが終わる。

 フィールドに膝をつかなければ、負けにはならない。

 だから、俺は“決して倒れない選手”であろうとした。

 

 身体能力で劣ろうとも、不屈の精神で限界を超えんとした。

 大和魂。結局は気合や根性。精神的なものだが、きっと己との誓いを守ってくれていると信じていたから、俺もそれに全力で応えた。

 

 

「だから、村正。俺は、俺以外の相手に君が倒されるところなど見たくはないよ」

 

 

 ~~~

 

 

「誰だろうと、お前が相手だろうと、倒れる気など毛頭ないぞ、猛……!」

 

 

 その時、進清十郎は視た。

 長門村正の後背に、帝王……時代最強走者(アイシールド21)幻像(イメージ)を。

 

 悟る。この男は頑健な肉体だけではない、肉体を凌駕するほどの不屈な精神がある。槍にその身を貫かれようが、戦場に背中をつけることを拒絶する。

 その源は、最大の強敵手と互いに背負(のろ)い合った誓いなのだろう。

 

 流石だ。

 闘争の最中に、これほど尊敬した相手は他にいなかった。

 それでもこれで終わりだ。倒し切れずとも、長門村正にはもう何もできない――

 

 

「そして、何を勝った気でいる進清十郎――勝つのは俺達だぞ……!」

 

 

 その時、もう一本の『妖刀』が振り切られた。

 

 

 ~~~

 

 

 ――長門が左手で、ボールを投げた。

 

 乱れのない回転、綺麗な放物線を描く、普通に右で投げるのとほとんど遜色のないパス。

 

 金剛阿含の脳裏に不意にも過った。

 チビカス(セナ)に『電撃突撃』された愚兄(うんすい)が咄嗟にやった、左からのパス。

 

「あの甘ちゃん野郎が……っ」

 

 隠し持っていたその『二刀流』が、活路を切り開く。

 

 

 ~~~

 

 

 これが、狙いか……!

 

 発射口の右腕を狙うこちらに、左手へボールをスイッチして、フリーとなった右手で押さえる。

 それだけではない。一撃必殺のタックルをもらいながらも、己が強靭な心身で耐え抜き、左腕でパスを投げる。それが長門村正が見出した活路。他の誰にもできない、この男にしかできない、肉を斬らせて骨を断つを地で行く起死回生の一手だった。

 

 右は囮としながら、左こそが本命。

 あの刹那に走った違和感(ノイズ)の正体に今更気づく。

 あの時の長門は、一歩も動かず――に見えたが、上半身の姿勢はそのままにしながらの半歩の後退で、左半身から右半身に密やかにスイッチ――左投げの体勢を整えていたのだ。

 

 

「もう一度言うぞ、進清十郎。勝つのは、()()だ」

 

 

 そして、ボールの行方を目で追えばそこに、時代最強走者(アイシールド21)がいた。

 

 

 ~~~

 

 

『アイシールド21にボールが渡ったーー!』

 

 高校最速の守護神も最前線へ飛び出してしまっている。

 フィールドを捻じ伏せる快速に追いつける相手は、いない。

 

 

「アイシールド21だっ! 戻れっ! 止めろーー!!」

 

 

 王城の守備は、進清十郎に頼り切りではない。

 全員が各々の判断で動ける、咄嗟の事態にもすぐに動けるよう鍛錬を積んできた。

 だけど、邪魔が入る。

 

 

「ブロックMAーーX!」

「アハーハー! ブロック大活躍さ!」

「セナ君の元へは行かせない!」

 

 

 密着マークを張り付かせていたレシーバー陣が、身体で遮る。

 その0.1秒の隙が、光速の世界では致命的だった。

 

(行ける……!! ゴールまで……!!)

 

 爆走。

 王城の陣中を瞬く間に駆け抜ける黄金の脚。

 

 

「待ちやがれ、オラアアアアアア!!」

「バッハーッ! 行かせんぞおおお!!」

 

 

 それを追わんとする猪狩と大田原。

 

 

「はっ! テメェが待ちやがれ、猪狩……っ!」

「フゴッ! いかせ、ない……っ!」

 

 

 そうはさせまいと割って入る十文字と小結。

 狂犬の乱打を喧嘩で鍛え上げた手腕で捌く十文字と、その身を呈して剛腕からセナを庇う小結。

 

 あの進の『光速トライデントタックル・廻』を食らいながらもパスを出した、泥門のエースの姿を見たのだ。

 俺達だって、そう簡単にやられてたまるか……っ!

 

 

『独走ォーー! これがアイシールド21っ!! 独走ォォーーーー!!!』

 

 

 そして、アイシールド越しの視界に、ゴールラインをついに捉えた。

 

 

「そうはさせるか、アイシールド21……っ!」

 

 

 ~~~

 

 

 中央に進先輩が陣取っている限り、王城は決して大崩れしない。

 だけど、長門の相手は、進先輩でなければ務まらないだろう。悔しいが、アイツは別格だ。

 他の先輩方は、泥門のそれぞれのパスターゲットのマークに入る。そして、自分は、万が一の代役(ほけん)を任された。

 

 

『長門に『電撃突撃』を仕掛ける。守備に穴を開けるが、そのカバーはお前に任せた、角屋敷』

 

 

 ずっとその背中を見てきた、同じポジションを担うものとして、憧れてきた先輩から託された。

 だったら、どんな無理だって、自分にできる精一杯で役目を務め果たして見せる……っ!

 

(速い……っ! ちょっとでも目を離せば、一気に置き去りにされる!)

「中脇先輩は右へ回って! 釣目先輩は左から入ってください!」

 

 最終防衛線(セーフティ)寄りに待ち構えていたおかげで、幅広く戦況は視れている。距離があるおかげでアイシールド21の爆走も目で追えている。皆、粘り強いブロックに遭いながらも、自分の拙い指示に従って、『ランフォース』を築こうとしてくれている。ボールキャリアーの走路を押さえて、こちらの前に誘導するように動いてくれている。

 

 それでも包囲網は不完全で、このままでは迷路の出口を押さえに行くよりも速く、アイシールド21に逃げられてしまう。

 でも、足りない速さを、120%に加速させる術はある。

 

「頭で動きはわかってるのに、一度も成功したことがない……けど、ここで成長しなくていつするんだ俺っ!」

 

 キッカーに専念する具志堅先輩に代わって、王城のレギュラーメンバーに選ばれたのは、ルーキーの成長性を見込まれているからだ。

 その期待に応えたい。

 茶土の岩重ガンジョー、西部の甲斐谷陸を止められず、先輩方の脚を引っ張ってきて、それでもレギュラーから外さずに試合に出し続けてくれる監督や皆に、自分の全力で応えるんだ……っ!

 

 

 ~~~

 

 

 タッチダウンを、獲れる。

 包囲されているけれど、完全に逃げ道を封鎖される前に突破できる。光輝く道はゴールラインより先へ続いている。

 

 でも、臆病者(ビビリ)恐怖(センサー)が反応する。

 

 何に? 進さんは、長門君に『電撃突撃』して、間に合わないはずだ。

 それなら、何に……?

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎は、王城の守備陣の中で、小早川セナ(アイシールド21)を止められる可能性があるものとして、角屋敷吉海の名を挙げた。

 

 これまで、小早川セナは、それなりに経験を積んだものと戦ってきた。

 だが、実戦経験の乏しい者が追いつめられた時に見せる、驚異的な力を突き付けられた経験はない。皮肉なことに小早川セナ自身はそういう力を発揮して戦ってきた。

 なまじ経験を積み、相手のルートを予測して動く習慣が身についてきている者にとって、計算外の成長速度――唐突に覚醒してくる相手はやりにくいことこの上ない。

 

 実力では及ばない相手でも、想像以上の爆発力を発揮すれば、十分にジャイアントキリングだって起こりうるはずだ。

 

 

 ~~~

 

 

「え」

 

 セナは、視た。

 目前の相手の動きが、進のそれと重なるのを。

 

 

 ~~~

 

 

「―――」

 

 その時、角屋敷の中で、ギアが噛み合った音がした。

 

 一連の動きが理想(イメージ)通りにいかずにズレてしまったものが、この土壇場に整ったような、感覚。

 グースステップからの、特攻。

 馬力性能以上に飛ばす超加速の体験にも戸惑わず、狙い澄ませた一撃を相手に見舞う。

 

 

 ――『トライデントタックル』……ッ!!

 

 

 限界を突破した(120%の)スピードは、想定を超えた。

 1秒あれば切り抜けられたルートが、断頭台が待ち構える死地となる。

 

 これなら、届く……!

 

 そして、アイシールド21を、この(うで)で刺し穿った――

 

 

 ~~~

 

 

『回し受け、腕の扱いは覚えてきたが、基本的に拳の突き(パンチ)に対する対処で、棒立ちのまま受け身であるのは避けた方がいい。下がって距離を置くか、逆に距離を詰めるかをするべきだ』

 

 まもりお姉ちゃんの監修のもとでの護身術講座(という体で、ハンドテクニックの練習)で、長門君が言っていたことを思い出す。

 

『拳の突きというのは、インパクトの瞬間に体重が乗るように放たれる。ならば、相手の拳に体重が乗り切る前に自ら迎えに行って勢いを殺すのもアリだ。ヒットしようがそれは会心とは遠い』

 

 逃げられない状況下だった場合、『スピアタックル(パンチ)』の対処で効果的なのは、威力が最大になる間合いとタイミングを外すこと。

 

 それなら……っ!

 

 角屋敷のモーションは、再現度高く進清十郎をトレースしていた。

 だからこそ、速度に差はあれども、決勝前の甲斐谷陸との特訓で身体に叩き込んできた、グースステップという『トライデントタックル』の兆候から突撃のタイミングは計れた。その超加速にも、慣れていた。

 

 だから、もうほとんど反射的に飛び出していたのだ。確実に先手を取れるスピードで。

 

 ――『デビルスタンガン』!

 

 

 な……!?

 シールドバッシュが、トライデントを押さえる。

 アイシールド21を捉えたはずなのに、突き出した右腕は伸び切れていない。

 自ら受けに行くような刹那の前進に、角屋敷は間合いを詰められ、タイミングを外された。

 

 ダメだ……っ! これじゃあ、決まらない……っ!

 

 威力=スピード×パワーの計算式が成り立つならば、スピードを殺せば威力も死ぬ。

 腕力の足りなさを力の扱いの巧みさで補ってきた角屋敷であるからこそ、手応えから自分の当たりが不十分だと覚った。

 

 

「こらえたっ!」

 

 

 完全に『トライデントタックル』の威力を殺し切ったわけではない。小盾(うで)で受けても身軽なセナは体勢を崩す。でも、倒れない。

 

 体が折れそうだ――でも、こんなとこで倒れるもんか!

 

 無茶なことをしたって思ってる。でも、踏ん張る。フィールドを踏み締める。一歩でも前へ踏み込んでいく。何故ならば自分は、アイシールド21なんだから――

 

 

『本物のアイシールド21は、絶対に倒れない走りをしていた』

 

 

 ボディバランスを鍛える特訓は、特に積んできた。本物の、倒れないアイシールド21になるために。

 

 

 ――『デビルライトハリケーン』!!

 

 

 悪魔の羽ばたきが暴風を呼ぶ。

 予想を超えた成長速度(スピード)を発揮した角屋敷と、予想を追い越した成長速度(スピード)を魅せるセナが交差し――その身にタックルを受けた上で、強引にスピンでいなして抜き去った。

 

 

 畜生……っ!

 

 悔しいが、認めざるを得ない。

 体格は互角で、腕力はこちらが上だったはずなのに、重みが違った。自分にはない覚悟があった。

 そう、小早川セナも、進先輩と同じ、エースなんだと思い知った。

 

 

『タッチダーーーウン!! 泥門デビルバッツ、逆転ーー!!』

 

 

 ~~~

 

 

 武蔵のボーナスキックが決まり、13-16。

 一タッチダウン(6点差)以上の差をつけるつもりだった後半で、逆転を許してしまった。

 敵戦力を見誤った作戦の失敗から始まった泥門デビルバッツの逆襲は留まることを知らない。

 

「しかし、問題ない。ほんの一時的なものだ」

 

 逆転はされたが、3点差だ。キック一本で同点に追いつけて、タッチダウンすれば逆転できる。まだ慌てるような状況じゃない。攻撃を確実に決めて接戦に持ち込んでいけば、泥門の最強攻撃をどこかで必ず止められるはずだ。

 

「相手の手の内は知れた。もう二度と『射手座』を落とさせる作戦は立てない」

 

 指揮官、高見伊知郎の宣誓に意識を切り替えた王城ホワイトナイツが出陣する――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~

 

 

「次の攻撃の算段を立ててるとは、弛んでるじゃないか? 攻撃と守備だけがアメフトじゃないぜ」

 

 

 ~~~

 

 

 泥門のキックオフ。

 キッカー武蔵がセットされたボールへ蹴り込――――まず、空振りした。

 

「!?」

 

 武蔵が蹴り出す方向とは逆へ蹴り飛ばされた。武蔵のフェイントから間髪入れず、駆け込んだ長門によって。

 

 

 ~~~

 

 

 突然、時間の流れが遅くなったような、緩やかな放物線を呆然と見やる。

 

 愕然と。

 いつのまにか開いた口を、ゆっくりと閉じ、息を呑む。

 

「ね、ねぇ、コータロー! アレってまるでコータローの……」

「すげぇ。マジですげぇ長門! アイツ畜生、あんなスマートなキックまでできたのかよ……!」

 

 脱帽、としか言いようがない。

 東京地区No.1キッカーである佐々木コータローの目からでも、完璧なフォームだった。

 ライバルの武蔵を差し置いて、キックプレイをこなしても文句など出ないほどに。

 

 

 ~~~

 

 

 尊敬できる相手の技を貪欲に吸収しようとする、『進化する怪物』。

 地区大会で対戦し、東西交流戦では共闘した盤戸スパイダーズの佐々木コータローを手本とした正確無比のキック。

 けれど、長門をしても、東京No,1キッカーという超一流にして、オンリーワンの技量を完全に模倣するには、とてもじゃないが時間が足らない。そもそも本職のキッカーがいる以上はその必要性も薄いだろう。

 だが、覚えておいて無駄にはならない。精度に関しては不安のあるキッカーには難しい芸当もカバーできるのだから。

 

(緩やかなキックはそれだけ天候に左右されやすい。それを狙ったポイントに落とすには、何千と蹴り込んだ経験則で風を読む佐々木コータローでなければ無理だ)

 

 だけど、関東大会決勝の試合会場は、東京ドーム。

 風に流される心配のない屋内。この限定的な条件下ならば、『妖刀』の右脚にNo,1キッカー(佐々木コータロー)が宿る。

 そして、繊細なタッチで足先に乗せて掬い上げるように蹴り出されたボールは宙へ。

 

「まさか――」

 

 武蔵の長距離砲をブラフとした、長門のキックプレイという、これまでに披露されなかった隠し玉。

 一度限り、この場限りで最大限の威力を発揮する、スペシャルプレイ。

 

 

「っ! 上がれーーっ!! 『オンサイドキック』だっ!!」

 

 

 『オンサイドキック』の可能性は当然考慮にいれていた。

 ただし、それは泥門のキッカーである武蔵が決めるのを想定したものであって、『60ヤードマグナム』の直前まで本気で蹴り込む迫力が、虚を突く。

 

(知ってたはずなのに……長門のポテンシャルならば、これくらいのキックはやれても不思議ではないくらい……)

 

 これが、ヒル魔妖一と長門村正の違いなのだ。

 相手の心理を読んで裏を掻くヒル魔に、圧倒的なセンスで想像を超えてくる長門。こちらの計算を軽く上回る底知れぬ傑物。

 想定外の事態に、王城は出遅れた。それでも立ち直りは速い。全員が事態を悟るや否や全速で駆け出していた。

 

 これに対し、泥門の進行は僅かの遅滞もない。

 どこにボールが落ちるのか、既にわかっているからこその初動の速さ。予め役割は定められているのだから、全員の決断決行に迷いなどない。

 

「ハ! 奇襲成功ってとこだな」

 

 王城が泡を食ってるが、その空気に触発されてこちらまで熱くなるのは格好が悪い。そう、こっちはクレバーに、確実に抑えるべきところを抑える。

 三兄弟の中で最も重量のある戸叶が向かった先には、重装歩兵。

 後衛並のスピードで動ける大田原の相手は、栗田では間に合わないからこそ、戸叶が行く。一人では絶対に無理だとわかっていながら。

 

「そこをどけーーいっ!!」

「あんたの相手は二人がかりだっ! オッサン!」

「オッサンじゃねぇよ。行くぞ!」

 

 大田原にぶつかっていったのは、戸叶と、キックフェイントからの流れで駆け出していた武蔵。

 ベンチプレス145kg・体重131kgの大田原 対 ベンチプレス85kg・体重74kgの戸叶とベンチプレス90kg・体重77kgの武蔵。合算すれば、大田原を上回るタッグ。

 凄まじい衝突音が起こったが、それでも二人は吹っ飛ばされずに踏ん張り切った。

 他の面々も、王城の妨害に全力を尽くしている。

 そして、この男もまた全速で駆ける。

 

「アイシールド21……っ!」

 

 最速の進清十郎を抑えに向かうのは、同じく最速のアイシールド21。

 たとえ0.2秒しか稼げないとしても、この一瞬は黄金にも勝る価値がある。

 

「行って、モン太……っ!」

 

 

 ~~~

 

 

 くそっ、出遅れた……っ!

 

 攻撃(つぎ)に、意識が行っていた。

 守備での失態を挽回する、『ツインタワー剛弓(高見さんのパス)』を奪わせないことばかり頭が占めていて、桜庭は現実を直視できていなかった。

 

 ここで、泥門に攻撃権を奪われるのは、マズい。

 点の奪い合いとなっている展開で、1タッチダウン以上の点差をつけられるのはそれだけで詰みになりかねないのだ。

 後悔なんて、してる暇はないんだ……!

 

「うおおおおお!!」

 

 我武者羅にボールを追う。

 お世話になった芸能プロダクションへの義理でかろうじて取り繕っていたアイドルという体裁をかなぐり捨てた、必死の形相。

 ボールを、捕る。獲る。奪る。それ以外は眼中にない。たとえ歯が欠けようが関係ない。キャッチしてこそ、この胸を焦がしてくる飢餓感は満たされる。

 絶対にボールをトる……!!

 

 

 ――それは対面の男も同じ。

 

 

「ボールは、渡さねぇ……!」

 

 凄まじい気迫MAXだ。

 今の桜庭先輩には、向けられただけでビビっちまうようなモンを纏っている。

 だけど、怯んでなんかやるか。キャッチに全てを賭ける執念で、負けてなんかやらない。

 一か八か、勝負に出るっきゃねぇ……!

 

 

 ――『デビルバックファイア』……!!

 

 

 背面、捕り……!?

 

 真っ直ぐボールの行方を視界にとらえられる桜庭と、視界外の頭上にボールがあるモン太。互いの距離が同じこの状況で有利となるのは、確実にボールを追えている桜庭だ。

 だから、振り向く余裕も捨てて、全力でキャッチ力を炸裂させる勝負に出たモン太。

 

 

「馬鹿な。キックボールなんだぞ!? 狙ってできることじゃない……!」

 

 

 観客の一人が思わず叫ぶ。

 雷門太郎が、背面捕りの必殺技を得意としていても、それはパスだからだ。

 狙いがコントロールされたボールだから、最低限度の情報でボールを捕らえられるのだ。

 それをキックボールで実行するなんて……

 

 

 そんなことくらい、モン太だってわかる。

 普通に投げてもノーコンの自分が言っても説得力はないかもしれないが、パスでやるよりキックで狙ったところに送るのは難しいことくらいわかってるつもりだ。

 だけど、それよりもわかってることがある。

 

 

『いいか。俺はこの地点にボールを『オンサイドキック』する』

 

 

 長門はやるといったことは、絶対にやるヤツだ。

 

 作戦会議で長門は示した。

 泥門(おれたち)のエースが、最強のライバルが、そこに蹴るんだって言うんなら、俺はそれを全力で信じるまでだ。他の皆もそれを信じて、そこまでの最短距離(ルート)を切り開いたんだから、俺はその先へ振り向かずに走るんだ。

 

 全身全力と、MAXの信頼を上乗せ(ベット)して、勝負に挑む……!

 

 

 ~~~

 

 

 もはやチキンレースなど成立しない。

 お互いにボールへの執念がこの身の大事さを軽く超越している。

 ブレーキではなく、アクセルを踏み込んだ両雄が、正面衝突(クラッシュ)

 その片方の手に、ボールはキャッチされていた。

 

 

 ~~~

 

 

 すげえッスよ桜庭先輩。

 皆の力があっても、一か八かの賭けに出なきゃ、絶対に勝てなかった――

 

 

『泥門ボォォーーール!!』

 

 

 ~~~

 

 

 流れは、完全に泥門だ。

 『オンサイドキック』の成功は、一気にこの試合を決めかねないものだった。

 

 庄司監督は、タイムアウトを取った。

 集った選手たちに顔を上げていられるものはほとんどいない。

 

「………」

 

 庄司監督は、何も言わない。いつもの一喝すらない。

 重苦しい沈黙はますます空気を沈んだものにしていく。

 

 

「切り替えましょう」

 

 

 砕けんばかりに握り締めたその手が物語っている。

 この男こそチームの誰よりも、悔やんでいるはずだ。

 この男こそチームの誰よりも、己を責めているはずだ。

 己が認めた強敵手に、気が弛んだ隙を突かれたなど、あまりに不甲斐ない真似を晒してしまったと自分自身に怒っているはずなのだ。

 だが、そんな事情など一切合切呑み込んだ。

 

 猛省など、試合が終わった後でもできる。

 今、何よりも大事なのは、この決戦に勝つことだ。

 

「試合はまだ、終わっていません」

 

 進の言葉に、俯いていた面々も顔を上げる。

 誰よりも失態を苛んでいる王城ホワイトナイツのエースが、そう言うのだ。

 自分を恥じてばかりでなんていられないはずだ。

 

 先に言われてしまったな、と高見は口の中で呟く。

 そんな苦笑も一瞬で、指揮官としてあるべき振る舞い、冷静で気丈な仮面を被り直す。

 

「そうだ。まだ後半は始まったばかり。試合は終わっていない。逆転のチャンスは必ずある」

 

 そう断言した。

 この言葉には、ただ励ますだけのものには宿らない確かな説得力がこもっていた。

 

「今の『オンサイドキック』でわかったことがある。泥門はやはり不安材料を抱えている」

 

 もはや侮りはするまい。

 そんな相手だからこそ、確信できる。

 あの場面で『オンサイドキック』を選択した――こちらに付け入る隙があったのだとしても、長門は勝負を急いた。焦っていた、とも言い換えられる。

 『あそこで、攻撃権を奪わなければマズい』と長門の直感が働いたのだとすれば、高見の推測は間違いではない。

 

「泥門は……――」

 

 高見はその不安材料はチームメイトへ説く。

 一縷の望みなのかもしれないが、この決戦に勝ち目はまだあると皆へ伝える。さらに、これからの作戦の詳細を詰め、全員の意思が統一された時、残された時間はほとんどなくなっていた。

 

 だが、それでいい。

 今更、監督からの助言など必要はあるまい。『弛んでいる!』とわざわざ喝を入れてやるまでもなく、チームは自省し、自ら打開策を考えて実行しようとしている。

 一指導者として、それができるだけの強いチームを作り上げたのだと庄司軍平は誰よりも自負している。

 

「さあ、行ってこい」

 

 言うべきことは、それだけでいいのだ。



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50話

 

  S(中脇)           S(釣目)

    LB(薬丸) LB() LB(具志堅) LB(角屋敷)

 CB(井口)            CB(艶島)

     DL(猪狩) DL(大田原) DL(上村)

 

 

 王城の守備の隊形が、変わった。

 

「具志堅先輩とプレイができるなんて! キッカーに専念しなかったら、俺なんてディフェンスチームには選ばれなかったに違いありません」

 

「よせやい。お前は立派にやれてるさ。俺と監督の目は間違ってなかった。まあ、キッカーとしちゃあ、泥門に負けちまってるが、ラインバッカーとしてなら、そこそこやるから、頼りにしてくんな」

 

「はい! 頼りにしてます、具志堅先輩」

 

 1年ディフェンスラインの渡辺頼弘を下げ、代わりに入ったのは3年キッカーで、元ラインバッカーの具志堅隆也が中間層の列に加わる。

 

「……っ、後は頼んだ、井口」

 

「任せとけ、桜庭」

 

 それから、桜庭春人が下がり、コーナバックの井口広之が入った。

 

(巨深の『ポセイドン』と同じ、ラインバッカー4人体制。総動員してパスターゲットを増やした『背水の陣(エンプティバックフィールド)』に対抗するために、後衛の人数を増やした、とも考えられるが……)

 

 ディフェンスライン。

 ラインバッカー。

 ディフェンスバック

 

 この鉄壁を三列敷いたような3-4-4の守備フォーメーションは、まさに『三重の防壁』。

 ディフェンスラインは減らしたが、ラインバッカーを一枚増やして中間層を増やすことで相手オフェンスに対する対応力を高め、多彩な戦術性を可能とする隊形だ。

 増員した後衛で、パスカバーの範囲を拡張させるか。

 あるいは、ラインバッカーを前線へ加えるか。

 はたまた、『電撃突撃』を狙ってくるか。

 

 

(何を仕掛けてくるか。いずれにせよ、リードしている泥門(こちら)には都合が良いともとれる陣形をしてきたというには、必ず意図があるはずだ)

 

 

 ~~~

 

 

 プレイ開始のコールがされる直前、モン太は圧を覚えた。

 真っ直ぐな圧の正体。それは顔に穴でも空けようとするくらい、こちらに向けられた、鋭い視線だ。

 発生源は、すぐにわかる。隠す気などなく真っ向からこちらを睨む相手。

 

「お、気づいた。中々に勘は鋭いみたいだねぇ、キミ」

 

「あからさまMAXじゃないっスか」

 

 桜庭先輩……ではなく、交代して入った井口広之だ。

 

 どこか尊大ぶった態度ながら、こちらを相当意識しているようだ。だけど、一方通行ではない。意識しているのはモン太とて同じ。

 

「へぇ、ちゃんと僕を勝負する相手だって意識できてるんだ。てっきり、関東四強レシーバーの雷門太郎様は、桜庭が下がったからほっと一安心って思ってそうだったけど」

 

「んなわけねぇっすよ、井口先輩。……俺は選ばれなかった、あの東京ベストイレブンの一人なんすから」

 

「それくらいは知ってたか。ま、俺の相手なら楽勝だとか思われてるようなら、インターセプトをかましてやったけどねぇ」

 

 井口広之は、東京ベストイレブンに選出されるほどのコーナーバックだ。

 王城でも有数な金持ちの家庭で育ち、命令も半分も聞かないとも言われるが、王城ホワイトナイツの一員として胸に抱く思いは皆と同じ。

 独断専行もそれだけ咄嗟の判断で動けるという見方もできる。事実、実力はあり、特に彼のバック走の技術は、この関東大会に参加した全コーナーバックの中で神龍寺の細川一休に次ぐレベルだろうとも評価されている。

 

「あの細川一休を倒したキミを倒したら、この関東大会で俺がNo.1コーナーバックだってことにならないかい? ねぇ?」

 

 カチン、ときた。

 確かに、キャッチ勝負では一休に勝ったモン太だが、全体的なレベルでは劣るとは思っている。

 一休先輩は、これまで相手してきたコーナーバックの中でもNo.1だというのは、モン太の中でも確固たるもので、だからこそ、彼と繰り広げた勝負の数々は今も色褪せることなどないくらいに、誇りに思っている。

 そう安々と発案していいものじゃない。もしもそんな道理が通ってしまうのだというのなら、絶対に阻止する。自分が不甲斐ないせいで、尊敬する相手に泥を塗るようなことはあってはならないのだから。

 

「俺はそうとは思わねーっスけど、もしそうだっつうんなら、全力MAXで相手させてもらうっスよ、井口先輩」

 

「そうさ、全力できなよ、雷門太郎。こっちも全力で相手してあげるからさ」

 

 挑発に闘志に火が点いたモン太に、井口は笑う。

 

 

 ~~~

 

 

「フゴーー!!?」

「3人も……同時に『電撃突撃』!!」

 

 スナップされるや、進以外の3人のラインバッカーが特攻を仕掛けた。

 リスク承知の攻撃的な守備。そのうち2人は戸叶と十文字が捕まえたがあと1人、角屋敷はその小柄な身体で潜るように前衛を突破し、長門へ迫る。

 指揮官の前に、壁役の後衛はいない。後衛全員を、パスターゲットとして出しているのだから。

 

 だが、背水の陣を敷くこの男に動揺はない。

 今の『電撃突撃』3枚で、厚みの増した守備ゾーンに綻びが生じたのを、長門は察知した。

 

 如何に王城の守備が堅牢であるとはいえ、セナ、石丸、瀧、雪光、モン太、この5人全員をカバーし切れるはずがない。

 だが、それでも油断はできない。

 

(弛んでる、とさっきはそう言ったが……0.1秒たりとも気が抜けんなこれは)

 

 常に相手を視界に入れている。

 一挙手一投足に細心の注意を払う。

 弛みなどない、張り詰めた糸の如く結ばれた両雄の視線。

 唯一、『電撃突撃』を仕掛けていないにもかかわらず、中央を陣取っている進清十郎は、その存在感だけで牽制になる。まるで筋線維の収縮まで見通されているかのような気分を長門は覚えていた。

 それ故に、その動向に注意することは、間近に迫る脅威よりも優先度として勝るくらいには意識を割かざるを得なかった。

 

「おおおおお角屋敷が、長門に突っ込んだァーー!」

 

 陣形は変わっても、姿勢は変わらず。

 守りには入らず、攻撃的に相手を攻める強気な守備。

 

 

 ――食らえ……っ! 『トライデントタックル』!!

 

 

 進先輩と互角にやり合ってるのは、認めてやる。

 進先輩の渾身の『三叉槍』をその身に受けて、尚も倒し切れなかった最強の敵。

 だけど、俺のことを眼中にない相手だと侮ってるなら、その油断を一刺ししてやる……!

 

「まだ、その『トライデントタックル』は、不完全だ」

 

 120%の超加速に入った角屋敷の三叉槍を、躱す長門。

 途中のコマが抜け落ちたかのように“起こり”を悟らせない、抜重の初動。

 反応した角屋敷は咄嗟に進行を切り替えようとし、前足(ブレーキ)を踏んでしまう。追うために、その勢いを殺してしまう。

 

「進清十郎ならば、ここで減速どころか加速してカットを切っていた。躱された相手への追尾が拙い」

 

 っ……!

 何も言い返せず、角屋敷は歯噛みする。

 指摘されずともわかってる。採点すればまだ自身の『三叉槍(タックル)』は及第点には届かない。そんな不完全な技が通用する相手ではない。

 

 ――モン太が、井口と1対1になっている。

 これを長門は好機と見た。相手コーナーバックのマークが張り付かれているが、それでもこちらに分があると計算できるエースレシーバーへの信頼と実績。

 即断決行。角屋敷を躱しながらの、変則的な横投げ(サイドスロー)。抱え込んでいた体勢、腕が下がった状態から振りかぶらずに、クイックモーションでパスを放つ。

 

 

「!? 棘田の『薔薇の鞭(ローズ・ウィップ)』までやりやがるのか、長門!」

 

 あのスマートなキックに続いて、また驚嘆する佐々木コータロー。

 横走り投げ、『薔薇の鞭(ローズ・ウィップ)』は、棘田キリオの必殺技。

 元盤戸の選手で、帝黒の4軍でくすぶっているが、昨年は東京No.1のエースクォーターバックとして、王城の黄金世代を相手に翻弄したその技量。

 それをいつの間にやら我が物としていた『妖刀』、長門村正。

 

 

『サイドライン際のモン太へ、パスだーーっ!!』

 

 

 モン太には井口がマークについている。スピードもあり、バック走でありながら5秒の壁を切るモン太と競っている。

 先に飛んだのは、井口。

 空中でボールを奪う、アメフトの超花形プレイ、インターセプトを狙う。

 

「だが、接戦にさえ持ち込めば、モン太のキャッチ力が強引にボールを捕る」

 

 飛来したボールの先端に井口が触れた。それとほぼ同時に、モン太ががっちりと抑えた。ボールの縫い目に五指を合わせ、鷲掴みにしていた。

 

「しゃぁああーー! モン太ーー!!」

 

 泥門は、この光景にモン太は勝ち(キャッチ)を確信する。

 

(全然びくともしない……! コイツ、思ってた以上の確保力……!?)

 

 だけど、まだだ。

 キャッチ勝負で負けても、勝負はここからだ。

 

「!!」

 

 井口の手を振り払い、キャッチに成功したモン太だったが、走れなかった。

 インターセプトを諦めた井口は、即座にタックルへ意識を切り替えた。モン太の腰に食らいつき、これ以上の前進を許さなかった。

 

『パス成功ーー! 泥門、5ヤード前進!』

 

 荒い息を吐きながら、モン太は改めて対決した相手を見やる。

 

 連続攻撃権獲得だって狙えたのに、それを阻止された。

 

 

 ~~~

 

 

「はっ!?」

「オラアアアアアア! 『サック』かましてやらアアアア!」

 

 ディフェンスラインの猪狩とラインバッカーの薬丸の突撃の役割交換、『スタンツ』

 猪狩の抑え役だった十文字は、薬丸の長距離タックルを受けて体勢を崩し、自由となった猪狩は発射台の長門へまっしぐらに迫る。

 これまでの修羅場でもお目にかかったことのない、最強の敵。そして、最も倒したい相手。その好機を目前にして、吼え猛った狂犬は剛乱打を――――寸前で、止めた。

 

 

 消え、た……!?

 猪狩は、止まった。止まらざるを得なかった。もう二度と見過ごすまいとしたボールを見失ったため。

 

 

「上だ、猪狩!」

 

 ハッとして見上げて、視界に過るボールの影。

 猪狩の頭上をまたぐ山なりのパス。それを高角度に放つことで初速を上げている。急上昇するボールは、ヘルメットで遮られる視界から一瞬で外れた。

 これに気付き、急ぎボールを探すが、天井の照明がその行方を眩ますのに一役買っていた。

 

「アハーハー!」

 

 守備が見失ったボールを、この男は誰よりも早く捉えていた。

 何故なら、この軌道は慣れ親しんだもの。ストリートの荒くれ者だけど、ビーチフットに直向きな仲間達と駆けた幻影。波飛沫弾ける砂浜(ベストプレイス)を思い起こさせる、瀧夏彦の十八番へ昇華したパスだ。

 

 

 ――『デビルバット・ポップダンス』!

 

 

 今こそ、光り輝くチャンスへ手を伸ばそう……!

 燦々と太陽の光が降り注ぐ中でボールを追っていた瀧は、人工の明かり程度でボールを見失わない。

 ディフェンスが割って入ろうとするが、砂浜で跳び抜けてきた瀧は、不安定な姿勢からでも柔軟に修正を図ることに長けていた。

 

「これは、僕のボールDa()!」

 

 乱戦激しい密集地帯での、キャッチ成功。

 ボールを捕って即座に倒されるも、仰向けにドームの天井を見上げる瀧は笑う。チャンス(ボール)を掴み取った腕を突き出して。

 

 

 ~~~

 

 

『具志堅が突撃ーー! 王城またも『電撃突撃』を仕掛けたーっ!』

 

 投手狙いの直接攻撃(ダイレクトアタック)

 しかし、この瞬間、鉄壁の城塞に空白が生じる。

 担当する守備区域を放り出したリスク。いくら王城といえども、5人のパスターゲットをマークしながら、一人抜けた分の守備をカバーするのは厳しい。

 

「アハーハー! もう一度、『デビルバット・ポップダンス』さ!」

 

 マークを振り切り、その空白地帯へ駆け込むは、先程パスキャッチを決めた瀧。

 具志堅はパスが発射される前に投手潰しを決行したが、直前でボールが視界から消えた。

 

 

「あはああああぁ!!?」

 

 

 張り切ってパスを要求した瀧が、強引に押し込まれた。割って入られた守備にルートを遮られる。

 

 

『なななんと! 前衛の上村が後ろに回り込んでたァァーーー!!?』

 

 

 これが、現代フットボールの戦術、『入替(ゾーン)ブリッツ』

 具志堅が突入すると同時に、三年ディフェンスライン、上村直樹が入れ替わりでカバーに入る。

 誰もいないはずのスペースに突然防壁が現れたのだ。どうにかして絶好のポジション取りに潜り込もうとする瀧だが、ライフセイバーのバイトで波と闘い、防御力を鍛えた上村はそれを許さない。

 あとは、飛んできたボールを奪うだけ――

 

 ・

 ・

 ・

 

 ボールが、ない……??

 

 一瞬、天井の照明でボールを見失ったかと目を凝らしたが、違う。

 ボールは、飛んでいない。投げられていない。

 

 

 振りかぶった姿勢から投げ放つ間際に、ボールを手放し、背後へ落とす。

 落としたボールを左手で背面キャッチし、自分の身体をブラインドにすることで相手に気取られずにボールを右手から左手へスイッチしていた。

 そして、守備が天井を見上げる最中に、下手投げのスナップパスが抜き放たれていた。

 

 

『こ、これは……! パスを投げたと思いきや、左に切り替えていた!? 守備を欺いたトリックプレーから放たれたパスに駆け込むのは――』

 

 

 まるでマルコのボールハンドリング技術をキッドの『二丁拳銃』に掛け合わせたようなプレイだ。

 そして、長門が投げ放ったコースを走り込んだのは、この土壇場の『速選ルート』を判断できる文化系レシーバー――

 

 

(瀧君が上へ視線を誘導してくれたおかげで、隠れやすい……!)

 

 路傍の石ころや雑草であろう。舞台裏の黒子のように目立たずに役目を遂行しよう。

 深く静かに息を吸い、雪光学は呼吸を止める。

 元々、自分には強者固有の威圧感(プレッシャー)なんてないのだから、ならば、逆にその微弱な存在感を消す方向へ働きかける。そうすることで、守備の意識から逃れる『光学迷彩(ステルス)』を纏う。

 

(運動音痴の僕は、こうやって先手を取らなければ戦えない……けど!)

 

 『アメフトは頭を使うスポーツでもあります。ルールの中で賢くやってやりましょう』

 

 思い切って、新世界へ踏み出したあの日。

 『地獄の塔(ヘル・タワー)』に屈しかけた自分へ、掛けてくれたあの言葉は今も忘れない。

 まったく、かつて自分が憧れたスポーツ選手の理想像からは程遠いかもしれない。こそこそと相手の不意に縋るような真似だけれど、これが自分の戦い方だと胸を張ろう。

 

((ここだ!!))

 

 長門村正はこのチャンスに気づくと信じた。

 雪光学もまた迷いなく、一心で動いていた。

 

 厳重な警戒網、それが一瞬、外れた隙を掻い潜る低空飛行のパスへ飛びつく雪光。

 マークは、ない。

 あとは自分がこのチャンスを掴めるかにかかってる……!

 

 

『パス成功! 泥門、連続攻撃権獲得!!』

 

「雪光ゥゥゥゥ!」

「おおおお雪さーーん!!」

 

 失敗したヘッドスライディングみたいな、不格好ながらもボールを捕った。

 駆け寄ってくれる仲間たちに、気配を押し殺してプレイしていた雪光は、ようやく胸の内を吐露した。

 

「やった……!」

 

 目立つことはなくても、その握った拳は確かに、思い焦がれたガッツポーズに違いなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 長身と優れた柔軟性を持つ瀧夏彦。

 運動能力には欠けるが判断力に長けた雪光学。

 関東四強の中でも群を抜いたキャッチ力を誇る雷門太郎。

 

 事前に情報収集し、警戒していた泥門デビルバッツのパス攻撃。

 この三枚のパスターゲットに、ヒル魔妖一は選手の限界を当然のごとく要求するスパルタで引き出させてきた。

 そして、今、長門村正がその才覚を加算させて火力を引き上げさせている。

 一段と、手強くなった。

 王城の守備をも突破し得る程に、脅威だ。

 

 加えて、それらの武器を駆使して、陣形の急所を突いてくる指揮。

 長門には、ヒル魔妖一にはない才能があり、集中力の深みが増している現状、僅かな“起こり”からでも全体の動きを察知してくる。

 そう、進化とは過酷な環境へ適応するために起こる。

 元々、白秋戦から二代目クォーターバックという発芽があった。この決戦の最中にヒル魔妖一の離脱という戦況が、長門に指揮官としての才覚を開花させるに至らせた。

 

 守備を指揮するラインバッカーとして、進清十郎は認める。

 

 ……想定した通り、泥門の攻撃は止められない。

 戦術性となれば、野生の獣の如き本能と冷徹な指揮官(ヒル魔)から学習した知略を併せ持つあの男に軍配が上がる。

 こうして、三度も読み合いで上を行かれている以上、おそらく失点は免れないと覚悟をするべきだ。

 

 故に、止められないのならば、削る。

 戦術では覆しようのない、戦略で王城は勝つ。

 

(勝負はこれからだ、泥門)

 

 過小評価も、過大評価もしない男は、常に現実を見定めて動く。

 

 

 ~~~

 

 

 嫌な予感がある。

 

 今のところ、流れは泥門にある。

 しかし相手は王城。これまで試合した中で最強のチームであり、全国でも最高の守備を誇る相手だ。間違っても侮ってはならない。

 彼らの対応力ならば、一度使った戦術(カード)の成功率は下がるだろうと見ている。特に進清十郎に二度も同じ手が通じると信じるのはあまりに迂闊だ。

 だが、それとは別として、何かが仕掛けられてる、と長門は感じ取った。

 

(……もし、考えている通りならば、試合はまだ……)

 

 いずれにせよ、ここで追加点を獲れば、精神的な余裕ができるのは確かなのだ。

 今は攻撃の手を緩めずに、攻めるべきだ。このチャンスをものにできなければ、それこそ泥門が窮地に立たされることになる。

 そう、ここで試合の流れを完全に泥門のものとするために、最大のインパクトを狙いに行く

 

「であれば、その『三重の防壁』の急所にして、最難関を突かせてもらおうか」

 

 

 ~~~

 

 

WR(モン太)  T(十文字) G(黒木) C(栗田) G(小結) T(戸叶) TE()

        QB(長門)         WR(雪光)

        RB(石丸)

        RB(セナ)

 

 泥門デビルバッツが、攻撃隊形を変えた。

 『エンプティバックフィールド』から、泥門が基本とする、アメフトの正統派攻撃陣形『Iフォーメーション』へ。

 ベンチから見ていた王城の指揮官、高見はすぐさま相手、長門の意図を悟る。

 なるほど、真っ向勝負を仕掛けてきたか。

 

「ラインバッカーを増やして、『三重の防壁』と見立てたかのような3-3-4の守備フォーメーション。だが、前衛の壁を一枚減らした以上、直球力勝負には弱い」

 

 また、散々飛び道具(パス)で攻撃した後の真っ向勝負というのは、心理的にも対応しづらい。

 たとえあからさまにランで勝負するような隊列を組んできても、『だからこそ、やる』という逆説戦法を嬉々としてやるヒル魔妖一の薫陶が染みついた泥門が相手では確信などできようがない。パスへの警戒は解かれず、人数を割かざるを得ないだろう。

 

(まあ、直球力勝負を避けたいのはこちらも同じではあるんだがな。――何せ、中央には進清十郎が控えている)

 

 たとえ前衛の壁を人数差のゴリ押しで突破したところで、すぐ前には高校最高の守護神がいる。

 進清十郎を破らない限り、すぐにボールキャリアーは仕留められるだろう。後衛に人数を増員したため、より真っ向からの突撃への対処に専念できるはずだ。

 そんな死地も同然のところに臨む。

 

(だからこそ、だ。進清十郎を避けるようなパス回しをするより、ここで王城の絶対的なエースである進清十郎と勝負して制した方が、より王城をビビらせる)

 

 チームから信奉される最強(エース)の仕事は、相手の最強(エース)を倒すことだ。

 雌雄を決することが、何よりもチームに勢いをもたらす。

 無論、それは相手も同じ。

 

 

(来るか、長門村正)

 

 高見が相手の狙いに慎重になる中で、進の奥底に抑え込んであるモノが湧きたつ。

 怪物・峨王力哉を擁する白秋ダイナソーズを打ち破った、あの力が来る。真っ向からの力ずくのランだ。最高の強敵手から醸される気配に当てられてか、己の本能が騒ぐ。理性は、パスの可能性を考慮から外すことへの警告を発している。守備の指揮を任される者として、あらゆる攻撃を想定して、全神経を張り巡らせていなければならない。しかし闘志を深く鎮め込んでいても、この予感は無視できようがないほど大きい。

 もはや身体が勝手に前傾の姿勢に寄ってしまう。ともすれば、暴走してしまいそうな激情を制するのは苦労する。

 

「来るか、泥門」

 

 進に同調するのは、大田原。

 チームの中で最も最前線で戦い続け、力というものを誰よりも肌身に感じてきた男は、その気配に敏かった。 そして、素直だった

 相手の策謀に考えを巡らせている高見も、大田原の顔つきが変わったのを見て、余計な思索は止めた。外野として、共にプレイしてきた戦友をただ信じて見守るのみ。

 

「ばっはっは! 確かに数はそっちの方が多いが、そう簡単に突破できるとは思わんことだな」

 

 前衛の人数は減ってはいるが、その程度の不利は己の腕で支え切ってみせようと豪語する。王城ホワイトナイツの土台たる主将として、この立ち合い、押し負ける気など毛頭ない。

 この気概にチームも奮起する。

 

 来るなら来い、泥門!

 どんな攻撃が来ようと、全て迎え撃ってやる!

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT! HUT!」

 

 

 スナップされたボールを捕るや、掲げる体勢を取る長門。パスモーション。フィールドへ視線を走らす、ほんの僅かな仕草に、後衛陣は駆け抜けるパスターゲットへの意識が寄る。

 何気なく挟んだ一工程。

 王城ホワイトナイツならば必ず見逃さずに察知し、警戒すると長門は確信していた。

 

 

『長門がスクランブル発進! 自分で持ってったーー!!』

 

 

 司令塔であり、戦士でもある。

 指揮しながら、自らも猛威を振るう。

 パスを警戒した一瞬の隙を、長門は逃さず突いた。

 

「ばっはっはー! だから、そう易々とは突破させんと言っただろう、長門!」

 

 その本能が感じ取るがままに動く重戦士は、機敏に反応した。

 ベンチプレス155kgと145kg。悔しいが、力比べでは向こうが上だが、全身全霊でのブチかましは数値上の差など一気に覆す。重戦士でありながら、後衛並の速力を誇る大田原がフルスピードの正面衝突を仕掛けるため、後ろ脚を力強く踏み締め――

 

「見切った」

 

 小細工なしの突進。下手な駆け引きなど意にも介さぬ揺るぎない威力だが、()()()が判り易い。踏み込みを溜める分だけ勢いづくが、隙も大きくなる。

 

 エースランナー級のスピードで間合いを詰め、振るった拳が見えないほどのハンドスピードで0秒で相手を制圧。

 身体に当たったと認識すらする前に、()()()()()()()()()()大田原は大きく仰け反り、突き倒されかける。

 

 

 ――『蜘蛛の毒(スパイダーポイズン)』!

 

 

 重戦士を一押しで崩してしまう猛毒。

 

「――――だがしかーし!!」

 

 重心を崩されるのはこれが二度目。春大会にしてやられたのを、大田原は忘れていない。今こそリベンジだ。あの時の屈辱が、即座に立ち直らせた。しかし、これ以上の暴挙は許さない、もう一人の主将。

 

「これ以上、長門君はやらせない! 僕が護る!」

「栗田!」

 

 泥門デビルバッツの主将、栗田良寛が殺意に昇華した闘志を漲らせて大田原を抑え込む。

 

 ――『三重の防壁』の第一陣(ディフェンスライン)を突破。

 

 ――『三重の防壁』の第二陣(ラインバッカー)、最強の守護神が強襲。

 

 カットを切る時間すら与えない。

 最速の槍が、侵略する敵を容赦なく貫く。

 この局面、間に合うものはいない。――同じ、最速を除いて。

 

(進さん……!)

 

 アイシールド21が、盾に入っていた。

 長門がボールキャリアーで、セナがリードブロッカー。いつもとその役割が逆転。

 腕を使い、伸ばした相手の腕を弾いて逸らそうとする。残念ながら、あまりに力に差があり過ぎるがため、逸らせるのもほんの僅かで、足止めも一瞬。

 だが、その貴重な0.1秒の時間が、長門にこの死線を掻い潜らせた。

 

『アイシールド21のリードブロックが破られた! がっ! その隙に長門が横から抜けたーー!!』

 

 迫るのは進だけではない。

 具志堅と薬丸が挟み打つように長門を狙う。しかし、具志堅は切れ味鋭い曲がり(カット)で躱され、薬丸のタックルは太刀の如くリーチの長い腕を使っていなされる。瞬く間に二人抜き。

 

 ――『三重の防壁』の第二陣を突破。

 

 最終防衛線を敷くセーフティの二人、中脇と釣目が飛びつくが、構わず突っ切る。

 中脇をブチかましで吹き飛ばし、もうひとりの釣目が腰にしがみついたが、ほとんどスピードが落ちない。

 生半可なタックルでは止まらない馬力。アメリカンフットボールの原点ともいえる、剛の走法(チャージ)

 

「おおああああああああああっっ!!!」

「っ、くそ……!!?」

 

 捕まえてこようが止まらない。雄々しく強引に前進して、しがみつく相手を引きずり、やがては振り切る。

 王城の鉄壁を侵略し、征服する蹂躙走破。

 

 ――『三重の防壁』の第三陣(ディフェンスバック)を突破。

 

『長門、最後の砦の釣目君を振り切って、独走ォーー! ゴールラインまで一直線―――!!』

 

 

 ~~~

 

 

「そうはさせん」

 

 

 ~~~

 

 

(っ! 速い! もう俺に追いつくか!)

 

 突破はされたが、仲間達の奮闘は奴に1秒以上の遅滞を招いた。

 それだけあれば、追いつける。逃しはしない。

 

(長門村正、貴様を俺の全身全霊で止める……!)

 

 後方から襲い掛かるプレッシャー。振り向かずとも誰かわかる。覚悟を決めたその直後、120%に超加速した光速の槍が、この身を貫いた。

 純粋な力では長門が上回る。だが、高校最速のトップスピードを掛け算させたその威力が、高校最強のパワーを誇る峨王力哉のチャージをも上回りかねない。

 

「かはっ!?」

 

 だが。

 それでも。

 ボールは落とさない。会心のタックルを受けて姿勢が崩れても、尚、一歩前を踏みしめてから膝をつく。

 

 

『最後の一歩で、泥門、10ヤード前進! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得!!』

 

 

 ~~~

 

 

 止まらない。

 長門村正を起点とした泥門デビルバッツの攻撃。

 試合会場の誰もが彼の一挙手一投足に注目を集めた…………その次のプレイ。

 

 

「え?」

 

 

 栗田からスナップされたボールを、長門はスルーした。

 司令塔に受け取られなかったボール、彼のプレイを警戒し、目で追っていた選手らはその行方をあわや見逃しかけるも、その後方にいた男がボールを受け止めた瞬間、最大音量の警報が脳内に響いた。

 

 

「アイシールド21だっ! 爆走ランが来るぞ!」

 

 

 泥門のエースランナーにボールが渡る。同時に、泥門最強の『妖刀』が、一身巨大な矢となり鉄壁へ放たれた。

 

 ――『巨大矢(バリスタ)』!

 

 セナがボールキャリアーとなり、長門がリードブロッカーに入る。これこそが、無敵の直球勝負。

 城塞を破壊し得る威力を経験した王城の意識がセナと長門の二人に向けられる。

 

 

 フゴッ、フゴフゴ……(この試合、自分は力に溺れていた)

 

 腕、肩、頭から同時にブチかまし、三倍の威力を爆発させる『Δ(デルタ)ダイナマイト』

 白秋戦、峨王力哉を吹き飛ばした時、感動に髄まで痺れた。己の力以上の破壊力という快感を味わった。

 『Δダイナマイト』を成功させれば、己に壊せぬ壁はない。

 

 だが、三点同時着弾のタイミングを外せば、不発に終わる。力は分散し、容易く跳ね返されてしまう。

 この試合で相対したのは、峨王のように只管に突っ込んでくるような真似はしない、衝突の最中にも駆け引きを講じてくるような難敵ばかり。当然、こちらの狙いも読まれているし、必殺技の『Δダイナマイト』も研究されている。タイミングを掴んだ、と思えばあっさり外され、あっけなく突進をいなされていた。

 思い返してみれば、醜態をさらしていたものだ。

 

『次のプレイで仕掛ける『巨大矢』は、栗田先輩と大吉の間を狙う』

 

 それでも、仲間たちは自分の背中を信じてくれていた。突破口を切り開く大役を任せてくれた。

 おかげで、目が覚めた。

 

 自分は、三倍の力がなければ倒せないような軟弱者ではないはずだ

 むしろ、タイミングを計ることに気を取られるばかりで、自分の持ち味を殺してしまうようならば、今の未熟な己には過ぎたこだわりは封印する。

 チームのためになすべきことを我武者羅にやる。

 

 フゴ(今だ)ッ……!

 

 親友(ながと)(プレイ)を見た。

 己の師(くりた)と渡り合う王城で最もパワフルな強者(おおたわら)を、片腕だけで制したあの場面を目撃した小結は理解する。

 全てはタイミング。

 腕っぷしの強さも大事だが、押し合いには機が肝心なのだと。

 

 マッチアップした上村は、『スイム』を得意とする相手。自分のような小柄な相手をリーチの差で制する。実際、この試合の最中にも何度かしてやられている。

 だが、もうそうはいかない。

 小結大吉の脳裏に過るのは、対決した強敵手、水町健吾。長身という己には持ちえない武器を振るった強者(ツワモノ)を打ち破った時、どうしたか。

 

 『水泳(スイム)』は、腕を振り上げたその一瞬、胸が押せる的になる。

 

「な……っ!?」

 

 頭、肩、腕を一体に固めて突撃してくるかと思いきや、腕だけを伸ばした突っ張り。

 それもこれまでよりも一気に迫る爆発的な突進力で、上村は突き飛ばされた。

 

 

「これは来たっしょ、小結っち」

 

 ようやく。

 この決戦で、自分にはない武器を持った強敵手(ライバル)の活躍に、水町の胸が躍る。喝采を上げて、脱いだ上半身のシャツをぶんぶん振り回す。

 

 

(そうだ、大吉。お前はそのままでも十分に強い。ああ、これは俺も負けてはいられないな)

 

 大田原が栗田に抑えられ、上村が小結に倒された。

 『三重の防壁』の第一陣を打ち破る突破口。

 そこへ真っ先に切り抜けた長門村正は、崩壊した第一陣のカバーに入った、己が抑えるべき相手を臨む。

 

「次はこちらから仕掛けさせてもらうぞ、進清十郎!」

「長門……っ!」

 

 長門と進。

 両チームの最強が衝突。

 

 長門は理解している。この男に一切の隙は無い、大田原誠のように重心を崩す真似はできない。

 

「だが、単純な力勝負であれば、勝つのは俺だ!」

「ぐ……っ!」

 

 長門は、進を抑えることに専念する。接近戦(インファイト)は、こちらの土俵。先程はスピードの差で捕まったが、今度はパワーの差で捕える。

 そして、進清十郎でなければ、アイシールド21のスピードには追い付けない……!

 

 

 ~~~

 

 

 VS薬丸。

 抜く――

 

 VS中脇。

 抜く――

 

 VS井口。

 抜く――

 

 あっという間に三人抜き。

 悉くを抜き去る圧倒的なスピード。疾い。力で上回っていても、触れられなければ意味がない。

 だけど、総掛かりで包囲していけば、走るコースの限定はできる。先輩達も抜かされながらも、抜く方向を誘導している。おかげで、一足先に回り込めた。

 

 VS釣目。

 抜く――

 

 あと5ヤード!!

 

 アイシールド越しの視界に、ゴールラインが飛び込んだ。

 あと1秒あれば、タッチダウンできる。

 だけど、その前にはあと一人――執拗にこちらに追いすがる41番のユニフォームが視界の片隅を掠める。

 

 来る……!

 

 この試合の最中に成長してくる、計算ができない相手。

 角屋敷吉海が持つ可能性を、セナは正しく認識しているつもりだ。先程もあと少しで止められるところだった。

 

 ――『トライデントタックル』!!

 

 120%の超加速で特攻するタックル。

 だけど、角屋敷のそれは進とは違い、急な曲がりには対応できない。一度躱せば修正が利かない。

 

 疾……――

 

 急角度で右へと曲がる。伸びてくる腕を回転(スピン)で躱す。先程よりも僅かに速い。だけどその程度のことはもう織り込み済み。更に身体を捻り気味にして避け、再び急角度の曲がり(カット)を切る。

 これであとはゴールポストまで40ヤード走4秒2のトップスピードで駆け込むのみ――

 

 

「よっしゃ、セナの圧勝だーー!」

「進が相手でなければ、止められねぇ!」

「追加点ゲットだぜ!!」

 

 

 そう、この瞬間、会場の誰もがセナのタッチダウンを確信していた。

 

 だが、その時、長門村正は、不意にフィールドの流れが変わる気配を覚えた。

 

 死ぬ気で1mmでも止めに入った角屋敷と、後はゴールラインを越えさえすればよかったセナ。

 必然、角屋敷の気迫はセナのそれをほんの僅かに上回っていた――

 

(何度も同じパターンでしてやられてたまるか……!)

 

 相手には余裕がある。相手は今、油断している。

 このチャンスを絶対に逃すな――!

 

 狙った相手から外れた()が地面を突く。メギィと右手の関節が着地の衝撃と、これから行う無茶の反動に悲鳴を上げたが構わず。地面を突いた()を、起点として跳ね上がる。

 

 

(片腕で、ジャンプ! 顔…面で、止……――)

 

 

 渾身の特攻からの、捨て身の特攻。

 角屋敷の頭(ヘルメット)が、セナの脇をどつく。予想だにしなかった一撃によろめき、バランスを崩し倒れた。

 

「うおおおおおおっ!!?」

 

 会場の誰もが驚愕した。

 高校最速のランナーが、撃墜されたのだ。思わぬ伏兵によって。

 

 

『こ……これは、角屋敷君! 顔面で! 高校最速のアイシールド21を必死のブロック!!』

 

 

 残り1ヤード。

 あともう少し、腕を伸ばせたら届いていたかもしれない白線。

 だが、届かなかった。

 

 

「しゃああああああ角屋敷ぃぃぃいい!!」

「よくやった! よくアイシールド21の足を潰した!」

 

 

 王城陣営から歓声が沸いた。

 それはこれまで攻められっぱなしであった王城が活気づくには十分すぎるプレイだった。

 

 

(……このプレイで、試合の流れを一気にものにするはずだったんだがな)

 

 長門は、再び試合の流れが変わり始めているという印象を強めた。

 

 

 ~~~

 

 

「ごめん! 後、少しでタッチダウンだったのに……!」

 

 折角のチャンスをものにできなかったことをチームに謝るセナ。

 それを栗田が一番に励ます。

 

「だだだだ大丈夫だよセナ君! まだチャンスはあるから! ね、みんな!」

「おうよ、泥門の攻撃はまだ終わっちゃいねぇ! 名誉返上――じゃなくて、汚名挽回……――でもなくて、ええと、とにかくリベンジMAXだぜ、セナ!」

「フゴッ!」

 

 仲の良いモン太と小結が消沈しているセナを盛り立ててる。

 進清十郎に止められたのとはまた違う。勝てる相手のはずだったのに勝てなかっただけにより自分自身に不甲斐なさを覚え、悔しさが湧きたってくる。

 『進化する新星(ルーキー)』角屋敷吉海という脅威を改めて思い知った。

 

「確かに、アレはセナの油断があったな。抜いた後も気を抜かなければ対応はできたはずだ」

「……うん。もう絶対に気を抜かないよ」

 

 長門の指摘を受け、セナは気を引き締め直す。それを見た長門はチームメイトらへ向き直る。

 王城に流れが傾きかけている現状、ここは時間をかけてでも確実を取るか、それとも……

 

「あと1ヤードだ。相手の守備はより厚みを増してくるだろうが、次で獲りに行くぞ」

 

 

 ~~~

 

 

 残り1ヤード。

 ゴールラインまで目前。

 だけど、ゴールラインが近づくほど、ただでさえ最強の王城守備が有利になる。

 守る範囲が少なくて済むから、守りに厚みが増す。

 

「この距離なら、パスよりランの方が確実だ。それで考え付く泥門が取り得る手立ては二つだな。前半の時のように栗田のところからゴリ押しで突破してくる『爆破(ブラスト)』か、『デビルバットダイブ』で飛び越えてくるか……」

 

 山本鬼平の目からして、泥門の攻撃力でも王城の最終防衛は難しいと見る。ここで確実に追加点をものにしたいが果たしてどうくるか。セオリーを踏むならば、ここはランで決めに来るはず……

 

 

「(その逆が来るで。鬼平予想絶対外れるから)」

「(つまり、パスっちゅうことか?)」

 

 

 ピクリと耳が大きくなる鬼平。

 いつの間にやら試合観戦の保護者役兼解説役を請け負うことになった虎丸ら子供たちがこそこそと話してる。

 その囁きに、自分の予想にむくむくと不安感を覚え始める鬼平であるが、男として、吐いた唾は呑めない。

 

「いいや、ここはランだ。モン太たちへのパスはない、はずだ」

 

「最後若干自信なさげやったで」

「ほんなら、泥門は『爆破』か『デビルバットダイブ』のどっちで来るんや、鬼平」

 

 と問いかけてくる虎丸。けれど、その目が『これまでの経験からして、鬼平の予想とは逆になるはずや』と言っているのが聴こえてくる

 子供たちから発言を迫られた鬼平は、少し目を瞑って考え込んだのち、クワッと見開き答えた。

 

「どちらかが来る……!!」

「汚え鬼平!!」

 

 

 ~~~

 

 

 先程のプレイで手首を痛めた角屋敷はベンチへ下がり、ディフェンスラインの渡辺が交代で加わる。

 中盤の人数を減らし、前衛を増やした4-3-4の陣形は、それだけ壁の強度が増している。

 

 『爆破』か、『デビルバットダイブ』か。

 当然、パスもあり得る。だが、ゴールラインまで狙えるパスエリアが狭くなり、こちらの守備範囲の密度が増している状況で、その手段の成功率は低い。

 確実に決めるのなら、やはりランだろう。

 そして、王城の壁を破るにせよ、越えるにせよ、大勢で力押しする必要がある以上は、パスに人員を割くのも惜しいはず。

 

(前半と同様に長門のパワーランで来るか、それとも泥門の伝家の宝刀ともいえるアイシールド21の『デビルバットダイブ』か)

 

 長門かセナか。

 栗田から最初にどちらにボールがスナップされるかで決まる。

 どちらが来るにせよ、全力で阻みに行くのみ――

 

 

『長門だァアアア! この場面でボールが託されたのは泥門最強のエースだ!!』

 

 

 峨王に競り勝った栗田と、優れた体格と力強い脚質を有する長門の強行突破を確実に阻めたチームは存在しない。

 残り1ヤードならば、ゴリ押しで狙える。

 

 

「ァアア舐めるなァァァ栗田! 泥門!」

 

 

 チームのピンチ、敗北の可能性が脳裏に過った場面で、ついに殺気立つ。轟然と咆哮上げ、『護る為の殺意』を滾らせる大田原が、自分よりも巨漢の栗田の進行を、ゴールラインの白線10cm前で止めた。

 

「行く…んだ……勝ってみんなで決勝に行くんだ……!!」

「違ァァァう! お前をここで倒して、王城ホワイトナイツが勝アアアアつ!!」

 

 大田原の気迫は、泥門の選手らの身を強張らせた。

 それでも、栗田は倒れず、身を呈して皆に危害を加えるのを許さない。肉体的にも、精神的にもチームを守護すると決め、そのためならば、相手を破壊することも厭わないと覚悟を決めている。

 

 両主将の力は拮抗。

 天井を覆うドームが震えるほど激しく鬩ぎ合う一線はもはやこれ以上揺らがない。

 であれば、最後の一押しをするのはチームのエースの役目だ。

 

 

 ――空を、飛ぶ。

 

 

 栗田の背につく寸前で、長門が跳躍した。長門は力だけの選手ではない。その高さは桜庭を上回る高校最高の跳躍力。一身、人間砲弾となって壁をブチ破いてくるのか。

 

 

 いや、『デビルバットダイブ』、ではない。

 

 

 そう、長門にはまだ選択肢がある。

 その強靭なボディバランスは、中空という不安定な体勢からのパスを可能とする。西部戦の決勝点となったあの『空中(エアリアル)デビルレーザーバレット』がある。

 

 

 ――その空中狙撃(パス)は、王城の想定内だった。

 

 

『井口と艶島は何があっても雷門太郎と雪光学から目を切るな』

 

 西部戦で披露したそのプレイを、当然、王城は研究し、対策も検討済みだ。

 瀧は最前線の押し合いに加わっている。残るレシーバー、モン太と雪光の二人もコーナバックの艶島と井口が完璧にマークをしている。

 そして、眼前に伸ばされた大きな手がパスコースを遮る。

 

「ばァーーーッ! はァーーっ!!」

 

 大田原だ。

 身長+体重、そして、あの剛腕にスピードを持った大型重戦車。

 それが全力で滞空する狙撃兵を撃ち落としに迫る。

 

「危ない、長門君!?」

 

 大田原の相手は、栗田がしていた。余人が入り込めない力の衝突だったはずだ。それに割って入れる存在は、そうはいない。だが、王城にはいる。

 全速でぶつかれば、破壊神(がおう)の衝突力を上回る高校最強の守護神(しん)が中央のブロックに加わっていたのだ。

 進が栗田を抑え、自由となった大田原が、長門を狙う。

 マークに躊躇して時間をかければ、相手守備の頭上から撃ち抜けたパス発射高度も低下。奇策に打って出たが、結局、パスは投げられずに失速、失敗だ。

 

 

 ~~~

 

 

「エースランナーなら、名誉挽回はさっさと済ませた方がいいだろう、なあ、セナ?」

 

 

 ~~~

 

 

 パスが、投げられた。

 手首だけの軽いスナップで、横へボールが飛ぶ。それはとても柔らかく、優しい、捕り易いパス質だった。

 あまりにゆったりとしたパスに、時が止まったかのような感覚さえ覚え始めた時、閃光は飛んだ。

 

 

 『空中(エアリアル)デビルレーザーバレット』からアイシールド21へ『天空(スカイ)デビルバットダイブ』……!!

 

 

 戦闘機の空中給油のような、アクロバットな曲芸だ。唖然とするしかない。だが、唖然としている場合ではない。

 

「一か八かのギャンブルだったが、こうした方が泥門には合う。そんな風にチームが染まっちまっているからな」

 

 あんな弾丸スピードで、空中でキャッチしながらなんて……!?

 離れ業に次ぐ離れ業は、王城の想定を飛び越えていた。

 

(無茶だってなんだって、ボールを捕るんだ……!)

 

 セナは、この場面で思い出してしまう。

 そう、自分が初めてキャッチしたのは、王城ホワイトナイツとの試合で長門君から放られた、今のような、初心者でも獲り易いパスだったことを。

 

 

『タッチダーーーウン!! 王城の『三重の防壁』を破り、泥門、更なる追加点です!!』

 

 

 ~~~

 

 

「この試合、泥門の勝ちだ」

 

 観客の中の誰かがそう口にした。

 武蔵のボーナスキックも決まり、23-13。泥門が王城に10点差をつけてリードしている。一回タッチダウンを決めても覆せない差をつけている。

 このままいけば、泥門が勝つ確率の方が高いはずだ。

 

 

「勝負は最後の0秒までわかりはしない……!!」

 

 

 ~~~

 

 

「よく頑張ってくれた」

 

 指揮官の高見はディフェンスチームを労った。

 マネージャーの若菜小春がせっせとタオルを配るのを受け取りながら、チームは指揮官の言葉に耳を傾ける。

 追加点を奪われてしまった以上、守備陣で満足な顔をしている者は誰一人としていないが、作戦は達成している。

 この10点差のリードも、想定内だ。

 

「タッチダウンは獲られた。しかし、泥門はそれ以上に高い代償を支払ったと、後で思い知ることになるだろう」

 

 そして、天下無双の騎士団による逆襲が始まる。

 

 

 ~~~

 

 

「泥門の諸兄に宣告しよう。ここから先、王城の攻撃は『作戦会議0秒(ノーハドル)』で行う」

 

 は?

 高見の発言を、大半は理解できなかった。

 単語の意味は知っている。『ノーハドル』、指揮官の暗号のみで作戦を決行する。

 だが、第三クォーターの途中から試合終了まで丸々『ノーハドル』で攻め立てるなど無茶苦茶が過ぎる。

 

 

「再度、宣告する。これはハッタリではない。君達を息吐く暇もなく徹底的に攻め立てる」

 

 

 ~~~

 

 

「……すまない、モン太」

 

「? いきなり、何すか桜庭先輩」

 

「モン太とは対等な条件で雌雄を決したかった。けど……」

 

 右手首のリストバンド、そこに寄せ書きされた言葉を見つめ、それから再度モン太へ通告する。

 

「俺個人の勝負よりも、王城の皆とクリスマスボウルへ行くことを優先する」

 

 

 ~~~

 

 

「“ハートのジャック”」

 

 

 ~~~

 

 

 蹂躙劇(ゲーム)が始まった。

 

 高見へボールがスナップされるや、スタートを切った桜庭。それを追うモン太。

 

 速い……!

 

 自分よりも速い相手だけど、開始3秒でマークが貼り付けないほどの距離をつけられた。

 

 何で桜庭先輩がいきなりこんなに速く……――って、考えてる場合じゃねぇ! 今はとにかく全力ダッシュMAーーーーXっ!!

 

 必死に走るが、振り切られた背中は触れないほど遠い。

 そこへモン太が全力で跳んでも届かない高度で剛弓(パス)が飛来する。

 

 

 ――『ツインタワー剛弓』!!

 

 

『王城、パス成功! 6ヤード前進!』

 

 

 ~~~

 

 

「“クローバーの2”」

 

『王城の『巨大矢』が炸裂! 猫山のランで、5ヤード前進! 連続攻撃権獲得です!』

 

 

「“ダイヤの8”」

 

『王城、神前へパス成功! 6ヤード前進!』

 

 

「“スペードの7”」

 

『またまた『射手座』が決まったーー! これで三連続! 更にパス成功からモン太のマークを振り切り、桜庭独走! 15ヤード前進! 王城、止まりません!』

 

 ・

 ・

 ・

 

「“スペードのキング”」

 

『最後は進君が自分でボールを持って力ずくでゴールラインに押し込んだー! 長門君がブロックに入りましたが止め切れない! 王城、タッチダーウン!!』

 

 『巨大矢』と『剛弓』を主軸とした王城の攻撃手段に変わりはない。

 だが、前半以上のハイペースで繰り出す。『射手座』の五月雨撃ち。無呼吸連打の如く、相手に息を吐かせぬ猛攻だった。

 

「審判、タイムアウト」

 

 息を切らしてフィールドに腰を落とすものが大半の泥門ベンチ。

 その中でもひどく消耗しているのは、二人。

 

「足関節が、熱い……!?」

「ほれ、どぶろく特製『急冷アイシング腹巻』だ。コイツでクールダウンさせとけ。気休めだがやらんよりましだ」

「はい、足が一気に軽くなりました……!」

「馬鹿野郎。神龍寺戦でも言ったが、冷気で靭帯を伸びにくくして、一時的に痛みを麻痺させてるだけだ。回復してるわけじゃないってことを肝に銘じとけ」

 

 一人は、セナ。

 最終防衛線として、抜けたヒル魔の分まで全速でカバーしていたが、やはり無茶が過ぎた。

 神龍寺戦と同様、溝六トレーナーの『急冷アイシング腹巻』のお世話になっている。

 このまま全力疾走を続ければ、試合終了までもつかは怪しい。

 

「        」

「大丈夫、モン太君!?」

「おい、目が逝ってやがんぞこいつ!?」

 

 そして、セナ以上にヤバいのは、モン太。

 長門がカットしたボールを拾う『デビルバットホップ』や高校最速の剛速球『デビルレーザーマグナム』、さらには『オンサイドキック』にまで『デビルバックファイア』を決めるなんて極限技を連発。

 そして、王城コーナバックの井口に徹底してマークされ続けてきたのだ。

 その上で、桜庭を我武者羅に追い続けた。『ノーハドル』で息を吐く間も与えられずにだ。

 完璧にリミットオーバーしている。

 

(そう、桜庭春人が速くなっているんじゃない。モン太がガス欠になってきている)

 

 守備は休んでいた桜庭と、井口を相手に守備でも全力疾走でプレイに臨んでいたモン太。体力の消耗の度合いが違うのは必然だ。

 だがしかし、性格上、“手を抜く”という真似ができないモン太は桜庭を全力で追いかけ続けた。もう追いつけないとわかりながらも諦めることはしたくなかった。

 

「バカ、やっちまった」

 

 十文字に思いっきり水を頭にぶっかけられて、目が覚めたようにハッとするモン太。意識が落ちかけていたことに自分でも気づいたのだろう。

 

「こんな大事なトコで……バテてちゃ世話ねえよな。鉄馬先輩や一休先輩、それに如月先輩……他にも全力で戦ってきた奴らに恥じないようにって張り切っちゃってよ。東京ベストレシーバーに選ばれなかったから、今度こそ桜庭先輩に勝って、最強レシーバーになるんだって頑張っちゃってよ」

 

 後悔の滲む吐露を零す。

 俯いて、まだ視界が白く霞む今の己の在り様を、この上なく無様晒していると自嘲する。

 

 

「バカだな。バカだ、俺は……!」

 

 

 ずっとずっと、10年以上も、心底から憧れ続けた偉大な野球選手、『キャッチの神様』、本庄勝。

 あの時、ヒーローだったあの人からグローブをもらった時から夢見た。“本庄二世”と呼ばれるようになりたかった。

 だけど、俺には無理だった。

 俺よりもずっと“本庄二世”に相応しいのがいた。本庄鷹。東西交流戦で、鉄馬先輩と桜庭先輩を圧倒した、本庄勝の一人息子(サラブレッド)

 息子として本庄選手からの英才教育を受け、走り幅跳び8m25cmという高校ぶっちぎりの日本記録保持者でもある本庄鷹以上に“本庄二世”が相応しい奴なんていない。東西交流戦の試合映像を見て、そのキャッチがどれだけすごいのかわかってしまっている。

 雷門太郎は、“本庄二世(たか)”になれないんだって思い知らされた。

 

 でも、そうだ。そうなんだ。

 端から俺は誰の二世でもねえ。

 あの時、野球を辞めて、アメフトをやると決めた時に誓った。

 世界最強のレシーバー、雷門太郎になる!

 だから、俺は『キャッチの神様』を超える存在になるんだ!

 

 ・

 ・

 ・

 

 鉄馬先輩、一休先輩、桜庭先輩に勝って、関東最強レシーバーになる。

 そして、『クリスマスボウル』で、“本庄二世(たか)”に勝って、『キャッチの神様』を超える。

 そのためには、どんな状況でも何があってもだれが相手だろうと全力で挑む。そうしなければ、届かない。

 ……って、張り切るあまりに自分の限界を無視して試合途中でガス欠になるとは、バカとしか言いようがない。まだ試合は終わっていないのにお荷物になってしまうなんて、あまりにも不甲斐ない。

 だから、ここで倒れるわけにはいかない。

 

「長門、俺のことブン殴ってくれ……!」

 

「何?」

「極度の緊張感からM(マゾ)に目覚めたか」

「違う」

 

 失礼なことを言う戸叶に突っ込みを入れてから、モン太は頼む。

 

「いっつも気合入れてるバチーン! ってアレ。自分でブン殴る体力もねぇ」

 

 両頬を両手で挟み打って気合を入れるモン太の儀式。それを情けないが、長門に依頼する。

 

「いいねぇ! よ、よ~し! みんなで1発ずつ気合を入れ合おうよ!」

 

「おしきたあああ!」

「オラァ!」

「オラァアア!」

「フンッ!」

「アハーハー!」

 

 とそれを聴いていた栗田が提案。他の面々もモン太式の気合入れを早速実践する。

 そのはしゃっぎっぷりに、長門は苦笑し、モン太の要望に応えた。

 

「ほれ、気合注入だ」

「うごっ!?」

 

 ガツン、と軽い調子で、重いチョップ。

 西部戦でもやられたが、この一発が一番効く。頭蓋が割れたんじゃないかって思うくらい脳天に響く。頭を抱え蹲るモン太に、心配した長門がしゃがみ、小声で言う。

 

「(今、王城の守備に最も有効なのが、モン太への『デビルレーザーマグナム』だ。主軸のそれが機能しないと判断されれば、泥門の攻撃は半減する。もうパスが捕れないくらいへばっていることは絶対にばれないように気をつけろ)」

 

 と蹲ったモン太の腕を引いてから、長門は“指揮官としての言葉”に続けて、“個人的な意見”を述べた。

 

「だがまあ、仕方がない。ガンガン行かなければ、No.1レシーバーにはなれないんだろう? 常に全力(MAX)が雷門太郎のスタイルなんだろう? だったら、貫けよ。指揮官としてはあまり言うべきではないだろうが、いちいちスタミナ管理だとか気にして手を抜くような真似はお前には似合わない。責任を感じるのは結構だが、もう自分を“バカ”と略すな。ボールを見れば飛びつきたがる野郎に相応しい文句は“キャッチバカ”だ」

 

「長門……」

 

「それに無理を強いたのは俺の指揮だ。半分以上は指揮官である俺の責任だ。モン太はそれに応えて、バカな失態してもおつりが出るくらいの活躍をしたんだ。ヘマした時は俺がケツを拭いてやる」

 

 一人立てるようになったモン太の肩を軽く叩いて、長門は再び戦場(フィールド)へ向かうチームの先頭に立つ。

 

 ったく、すげぇよ。

 器のデカさMAXだ。チームの中で一番負担が大きいっつうのに、まだ余裕をかませんのか。

 

 気合が、入った。

 これは、手刀一発よりも奮起してしまう。もう無理はできないと体が訴えているのに、あの背中を追いかけろと心が急かしてくる。

 

 ああ、そうだ。負けられないのは味方にもいる。

 “本庄二世”と肩を並べる最強……長門、お前だって俺の目標だ。

 

 

 ~~~

 

 

「…………そろそろ、だな」

 

 

 ケケケ、と目覚めた悪魔は笑う。



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51話

 

 

 アメリカンフットボールの本場、アメリカに来てからも走り続けた。

 

 日本人にしては高い先天的な高身長と、血反吐を吐く鍛錬で後天的にもぎ取った身体能力。

 何よりも『決して倒れないこと』……とこれは、ただの根性論だが、執念で体現してみせた。

 最初は日本人ということで侮られていたが、その評価もやがては逆転し、名門アメフトチームの中でも突出したエースとなった俺は、いつしか最強ランナーの称号を名乗るに相応しくなった。

 それを俺自身も歓迎した。

 ヘルメットにアイシールドを装着し、自らの走りに『帝王』を冠するようになった。

 全ては、自分の退路を断つために。

 

 

『哀しいなぁ~~』

 

 

 それでも、井の中の蛙だったのだろう。

 大海を荒立たせるほどの王者に、帝王は思い知らされた。

 己は万能ではあるが、所詮は器用貧乏。絶対的なエースとなっても、決して誰よりも速く走れるわけでもなく、誰よりもパワフルなわけでもない。

 才能なき者がどんなに声高に吼えようが、頂点というのは、選ばれし者のみが届き得るのだと。

 

 

『母校ノートルダム付属も地に堕ちたものだな。貴様のような凡夫に頂点の名――『アイシールド21』を許すなど』

 

 

 “小者”の見得に使われて汚されるのは、看過できない、と。

 

 巨人。

 身体がまだ出来上がっていない中等部からすれば、高等部の人間はさぞ大きく見えることだろう。

 だが、そうではない。その頂点たる男は、何もかもがスケールが違った。明確な格上だった。

 

 

『力無き人種が己の鼓舞のために偽りの頂点を名乗る。哀しいことだ……頂に立つ者の責務として、引導を渡してやらなくてはならない』

 

 

 凡夫であっても、貴様にも意地はあるのだろう。

 だから、納得させる機会を設けた。

 

 中等部の地区大会制覇を称賛した激励会の中の催し……というお題目で、突如組まれた高等部との練習試合。

 アメリカで最後の試合となったその日、たった一人の頂点によって、積み上げてきた何もかもが、壊された。

 

『み、Mrドン!? 降参します!? だから、どうか……』

 

『貴様の言葉は聴けんなぁ。この試合には、凡夫の除籍がかかっている。ならば、凡夫が屈するまでは試合は終わらん』

 

 観客皆が目を覆う悲惨な光景だった。

 もう前衛のレギュラー陣は、再起不能。控えの選手も怖気づいており、フィールドから背を向けて逃げた者までいる。

 無理もない。チームの総力をかけたところで絶対に勝てない相手。挑めば、ほぼ間違いなく病院送りとされる。

 

 

 だが、それでも俺はただ屈する真似だけはできなかった。

 

 

 このエースの選択に、蹂躙劇に巻き込まれたチームメイトは口々に非難した。

 これまでの苦難が報われる激励会だったはずなのに、どうしてこんな絶望を突き付けられなければならないのだと。

 ひとり、またひとりとプレイをする度にこの泥船(チーム)から離脱する。作戦も何もあったものではない。プレイと同時に一人を除く全員が持ち場を放棄して、中にはわざと転んで怪我をすることでフィールドから逃れる選手もいた。とにかく王に逆らう愚だけは徹底して避けた。

 なのに、エースがひとり反逆し続ける。

 練習試合として最低限度の体裁を保つために王の強権が働き、控え以下の人員まで駆り出された。

 なんて身の程を弁えない愚かな日本人なんだと罵倒が背に浴びせられる。

 ひとりで闘うようになった帝王に、勝ち目などなかった。

 

 たとえチームで突出した高い能力を有していようとも、アメリカンフットボールは、孤立無援(ひとり)では、戦えないのだから。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 それでも。

 それでも闘い続けた。

 

『ここまでだな』

 

『………』

 

『『努力が才能を凌駕する』……凡夫の耳には実に甘美な言葉だ。それもあるところまでは真実――だが、最後には必ず、人種の壁、素質の壁が待っている』

 

『………』

 

『哀しいなぁ。もし、貴様が凡夫ではなければ、時代最強の走者(アイシールド21)としての資質に恵まれていれば、それが哀しい夢だとしても、貴様を信じて俺に闘い挑むモノが一人でもついてきたかもしれないだろうに。しかし、今。貴様を除き、誰一人、俺に歯向かう輩はいない。もはや、これ以上闘っても得るものも、失うものもない。これ以上試合を続けても、哀しいばかりとは思わんか』

 

 問答に応じる余裕もなく、ただただひとり立ち呆けることしかできない己の在り様に、目を眇める王者。ついに見限り、背を向ける。その間際に、掠れた声で吼えた。

 

『逃げる……のか、Mrドン』

 

『なに?』

 

 掠れた声で呟くように放ったのは、なんて安い挑発。しかし、ここまで思い知らせても、目に光を宿すことにふと興味が引かれ、足を止める。

 

『そうだ。その通りだ、Mrドン。俺はあのパトリック・スペンサーのように誰も追いすがれない黒人の脚質(バネ)も、お前のような誰も敵わない圧倒的な暴力もない。ここで立っているのも、結局、ただの無茶苦茶な根性論……そんな根性論でさえ一笑に付すほどに、互いに配られた才能(カード)には差がある』

 

 もはや勝っても負けてもここには居場所はない。誰からも応援されない。味方のはずのチームメイトも裏切った。

 それでも。

 それでも、アメリカで築き上げたモノ……アイシールドと背番号21のユニフォームがなくなっても、日本で誓った己の根幹となるモノが奮起させる。

 

 

『だけど、俺には才能以上に、俺を強くしてくれる存在がある。Mrドンがその資質に恵まれているのならば、俺はこの縁こそ何人にも勝るものだと誇っている。彼に誓って、俺は負けを認める気はない。幾度となく地に塗れようと勝つまでお前に挑もう』

 

 

 たとえ相手が格上の存在だからといって、関係ない。才能を理由に闘いを放棄するような男が、“最高の好敵手”と対決することができるのか。否だ。

 だから、闘い続けることができた。この苦難に遭いながらも、笑うことができた。

 

 

『凡夫とはいえ、ここまでの大言を吐いたお前に、頂点の世界を見せてやろう。それでも尚、再び頂点(おれ)に挑む気概がまだ残っているのであれば、敵と認めよう』

 

 

 そして、次のプレイ。

 猛然と迫る王者に、為す術なく、一撃で屠られた。

 これまでが如何に手加減していたのかを思い知る、力の差。ついに大和魂ではどうにもならなくなるほどのダメージに、ヘルメットのアイシールドが割れ、視界は暗転。必殺の一撃に意識の手綱も手放し、頽れる身体が地に堕ちる……のを、背を押す何かが支えた。大きくふらつきながらも、一歩、前進した。そこまでだった。

 

 

『ほう。耐えたか。そうかそうか――では、頂に立つ者の礼節として、闘技場で剣を交えた敵を、完膚なきまでに殺すとしよう』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 大和猛は地に屈した。

 格上の相手に、独りで挑んで、全てを失った。

 あの苦々しい記憶。

 

 そして、今。

 チームの力は底をつきかけている。

 勝ってはいるものの、人数も総力も向こうが上で、評判では格上とされる絶対的なエースを相手に、孤軍奮闘するしかないような戦況。

 

 なのに、好敵手(とも)が置かれている状況は、どうしても己の過去とは重ならないのだ。

 

 何かが、違う。

 アメリカで積み上げたものの中にはなかった、彼が日本で積み上げてきたものがこの違和感を強くさせる。

 

「ああ、それこそが、帰ってきたこの日本に探しているものだ」

 

 まだ原石のままだったとはいえあの唯一無二の才能を誇るパトリック・スペンサーを降した、泥門デビルバッツの“可能性”が、ここで潰えるとは思えなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「ばぁーーー! はァーーー!!!」

 

 雄叫びと共に振り上げた脚でボールを思い切り蹴り抜く。

 キックオフの号砲を轟かせたのは、王城キッカー・具志堅、ではない。

 

 

「え? キッカーが、大田原……!!」

 

 

 ラインである大田原が、キック。

 長門がオンサイドキックを決めた意趣返しにか、これまでの王城にはなかった裏技。

 それは、高く打ち上げるというキックの定石から反している。

 

「うおおお、これは、『低空爆裂キック』ッ!!」

 

 足の親指あたりでボールの下の方を蹴り上げるのが、キックオフの基本。

 だが、大田原は、足の甲をボールのど真ん中にブチ当てて蹴り飛ばしている。

 勢いはいいが、低い弾道。当然、地面に落ちるのが速いが、ボールは楕円形。バウンドしても勢いが衰えないキック力で放たれたボールはイレギュラーバウンドを繰り返す。

 飛距離こそ出ないが、こんな暴れ球を捕らえられるのは、泥門には二人しかいない。

 

(っ! モン太を狙ったか!)

 

 まともなコントロールなどできるはずがないが、蹴り飛ばす方向くらいは選べる。それは、長門のいる側は避けて、モン太のいる方へと蹴っ飛ばされた。

 桜庭のマークで疲弊しているモン太を、動かす。消耗戦を徹底している。

 

「キャッチMAーーXッ!」

 

 我武者羅に、飛びついて跳ね回るボールを捕らえるキャッチの達人。

 しかし、そこまでだ。

 モン太に脚で王城のディフェンスを躱せる能力はなく、また、味方へボールをパスをするにもノーコンだ。

 何よりも、高校最速の守護神が差し迫っている。

 

 ――ヤベェ! 破壊力MAXのタックルが来る!!

 

 進清十郎の右腕(やり)が、モン太に狙い定められた。

 

「モン太!」

 

 これに追いつけたのは、同じく高校最速。

 

 ――『デビルスタンガン』!

 

 セナがモン太と進の間に割って入り、盾となる。

 が、その程度の障害で止まる存在ではない。

 

 

 ――『光速トライデントタックル・廻』!

 

 

 捩じり穿つ掌は、盾を破り、球へ伸ばされる。

 咄嗟にモン太が身を呈してボールを庇い、そして、セナともども地面に沈められた。

 

 

『盾になったセナ選手ごとモン太選手をぶっ飛ばしたァァァァ!!』

 

 

 一度捕まえたボールは離さない。

 その執念でボールを落としこそしなかったが、二人揃ってダメージが大きい。

 すぐに起き上がれず、自分たちをまとめて一撃で仕留めた最強格のアメリカンフットボールプレイヤーを見上げるしかできなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「オラアアアア! 何のんびりしてやがんだ……! さっさとプレイ始めやがれ!」

 

「は! いくら急かしてこようが、こっちのペースでやらせてもらうぜ」

「アメフトってのは、毎プレイ25秒以内で始めりゃいいんだ。リードしてる俺らがギリギリまで時間を潰すってのは、戦術なんだよ戦術」

「そっちが0秒でやんのはそっちの勝手だが、だったらこっちが25秒ずつ時間潰してやんのも勝手ってこった」

 

 王城の不良と泥門の不良三兄弟が言い争っているが、その通りだ。

 23-20。泥門がリードしている状況。王城が泥門の不安材料であるスタミナを削って来るのならば、泥門は王城の懸念点である残り時間を潰す。

 

 ここで教本通りに作戦を選ぶのならば、泥門は時間をかけて着実に攻めるべきだろう。

 ただ時間を潰すだけではない。ハイペースだった守備からギアを落とし、息を整えさせる。完全に回復とまではいかないだろうが、それでも無理があるだろうが、前半後半それぞれに3回ずつ与えられる1分30秒のタイムアウトを使ってやりくりすれば、最後まで試合をもたせられるか。

 

(キックオフでやられたセナ(ラン)モン太(パス)切り札(エース)はまだクールタイムが必要だ。二人が完全に潰れたら、それこそ泥門の戦線は崩壊する。とはいえ、まだほぼ1クォーター(15分)残っている。流石に潰し切れる時間じゃあない。もう1度タッチダウンを取る必要がある。攻め手を緩めるわけにはいかない)

 

「……参ったな、これは」

 

 苦しい状況下だからこそ、指揮官の弱音は響く。

 ハッとセナはこのボヤキに反応して視線を向ければ、そこに不敵に笑う長門。先の発言にチームの耳目を誘っておきながら、大黒柱は衰えるどころかますます盛んになる闘志を纏っていた。

 

「それでも潜り抜かなければならない難関ならば、踏破するのみだ」

 

 

 ~~~

 

 

 『妖刀』がフィールドに描く陣形は、パスターゲット5人体制(ファイブワイド)の『エンプティバックフィールド』

 司令塔への護衛は一切配置せず、その分の人員を攻撃のための先兵にする、背水の陣を泥門は再び敷く。

 

 

『泥門、石丸君へのショートパス成功! 地味にですが1ヤード前進です!』

 

 

 パスキャッチの人員を増やせばそれだけで陽動の幅が広がる。

 5人の内、誰にボールが投げられるのか、守備側は注意を払わなければならない。それは、単に的を絞らせないだけでなく、特定の選手(セナやモン太)に偏っていた仕事量を分散させる狙いもあるのだろう。

 そして、長門はマークを外したほんの僅かに生じた隙を逃さず通してくる。

 

(だが、外側を増員し、中央を手薄にすれば、セオリー通りに中央突破(ブラスト)……トップクラスのラインマンである栗田と長門の高校最強ともいえる剛の走法(パワーラン)は、大田原や進でも止め切れない)

 

 単純な(ゴリ)押しでは泥門が上。

 白秋ダイナソーズが得意とした『北南ゲーム』と同じく、力でもって守備をこじ開け、突破する。

 一気に大量ヤードを稼ぐことはできないだろうが、攻撃的かつ着実に前進し、連続攻撃権を獲得する。

 時間のかかる戦法だが、時間を潰したい泥門には都合が良い。

 

(時間潰しの安全策であるラン一辺倒にならず、ある程度のリスクを承知してパスを織り交ぜる。おかげで、こちらは相手のプレイが読み切れない。厄介、ではあるが)

 

 この展開は、予想できていた。

 そして、まだ、潰し切れる時間ではないと計算している。

 それに、回復できるほどの時間もないことも。

 

「井口、直接対決しているお前の判断を聞きたい。モン太への『デビルレーザーマグナム』はあると思うかい……?」

 

 高見と進に意見を求められた井口は、一度、泥門の方を見る。膝に手を置いて息を切らしている、立っているのもやっとなマーク相手は誰がどう見ても……

 

「いや、もう限界ですねアレ。こっちのマークを振り切れるくらいの全力疾走(ダッシュ)は無理ですよ。アレならこっちは他にフォロー入れそうな余裕はあるんじゃないか」

「いいや、待ってください」

 

 と井口に異を唱えたのは、桜庭だ。

 桜庭は、モン太の目の奥に灯す光がまだ潰えていないことを見取っていた。

 

「まだ、モン太への警戒を解くべきではありません。確かにモン太は……どう見てももう体力的には限界です。でも、だからこそ来る。それがモン太だ。それが泥門なんだ……!」

 

 井口が入るまで相手をしてきたのは、桜庭。ならば、彼の意見は無理できない。

 守備の指揮官である進は決を下す。

 

「ならば、井口、お前は雷門太郎から目を切るな」

 

「ああ、こっちから更にバシバシ『バンプ』で攻めて、残り滓のスタミナがガス欠になるまで削り切ってやる。それでロングパス投げてこようものなら、インターセプトかましてやるぜ」

 

 『三重の防壁』は、敵の攻撃を阻止するために非ず。

 後衛の人数を増やし、それで泥門後衛を徹底マークして体力を削った。焦土作戦の如く、相手に多少の前進を許しても、それ以上に継戦能力を削る方向に働きかけた。

 その成果が今、目に見えて表れている。

 

 決戦の直前、泥門はマスクトレーニングを課したおかげで、いつもより基礎体力容量が増設されている。

 そもそも、あの『死の行軍(デスマーチ)』を達成した心身の強さは決して侮れるものではない。

 だが、それはこちらも同じ。

 

 基礎体力なら、王城ホワイトナイツに敵う者などいない……!!

 

 全員、あの富士山トレーニングをこなしてきている。

 あの過酷な鍛錬にチーム全員参加した王城は、試合終了の笛の音が響くまで、全力で走り抜けられるはずだ。

 

(それに、試合の前半で、ヒル魔が抜けたことも大きい。選手の大半が両面に出なければならない少数チームの泥門にとって、一人が抜けたフォローをするのに全員で負担しなければならない)

 

 泥門全員の疲労は、王城の2倍、いや、3倍はかかるだろう。

 相手にリードを許しているが、まだ十分に勝ちを狙える。既に王手(チェックメイト)しかかっている盤面でも、相手に使える持ち駒がほぼ切れている。これに対し、こちらにはまだ持ち駒があるのだから、完全に勢いが止まった時、風向きはきっと変わる。

 

 高見伊知郎が冷徹な指揮官としてチームを勝利に導く策を考案し、チームもそれを信じ、希望(よゆう)が持ててきている。

 それでも、決して弛まない。

 

(ヒル魔妖一という頭を失い、小早川セナ(アイシールド21)と雷門太郎という両手足(エース)が潰れかけている。

 だが、泥門には、長門村正がいる)

 

 進は確信している。

 自分と同じ性能(スペック)ならば、この程度では潰れない。チームの誰よりもフォローに回っていてもあの男ならば最後まで戦い切るだろう。

 そして、あの男がいる限り、どんな劣勢下であろうと泥門に勝ち目が潰えることはない。

 

 

「だからこそ、対処は簡単だ」

 

 

 そして、冷徹なる指揮官が(えら)選手(カード)は、『進化する新星』。

 

「角屋敷、試合に出れるな」

「はい! 手の調子も問題ありません!」

 

 マネージャーの若菜に手伝ってもらいながら、右腕にテーピングを巻いていた角屋敷が、高見に応える。

 

「あまり無茶はさせたくないが、ここは角屋敷の力が必要だ」

 

「遠慮なんてしないでください。この試合に勝つためなら、俺は全力を尽くします」

 

「わかった。頼む」

 

 前衛の渡辺を下げ、角屋敷を中盤に加える。

 再び守備の中盤を担うラインバッカーを4人体制にしたが、新生王城ホワイトナイツに守りを固めるつもりはない。

 

 

 ~~~

 

 

(角屋敷吉海を入れ、後衛を増やしたか。……さりとて、単に守備をパス寄りにしたわけでもなさそうだ)

 

 同じ陣形だが、先程とは気配が違う。

 ただ視認できるモノより深い情報を察知する直観が訴える。

 王城は確実に仕掛けてくる。

 現状を許せば、王城は状況が不利となるのは目に見えている。

 必ず、策を打ってくる。

 それは一体――

 

「……………ああ、そういうことか」

 

 真正面に相対するモノの肌に突く圧が、この直感が掴んだものの解に至らせた。

 なるほど、この意図は――

 

 

「高校最強の守護神を、自由にするためのものか」

 

 

 先程は使ってこなかった、新生王城最強のカード。

 

 

「来るか、進清十郎!」

 

 

 ~~~

 

 

「行くぞ、長門村正!」

 

 

 ~~~

 

 

 『電撃突撃』を仕掛けるのは、『巨大弓(バリスタ)

 栗田がボールをスナップするや否や全速力で飛び出した進が、長門に迫る。

 

 王城の作戦は、超高速で進が、1対1で、長門を仕留める。

 今、全ての起点となっている長門さえ押さえてしまえば、泥門の攻撃は不能となる。パスターゲットを絞れなくても、発射台はひとつ。

 

 

 長門には西部キッドの『神速の早撃ち』に匹敵する無拍子のパス回し(ワンインチ・パス)がある。

 ――だが、パスを投げられない状況では、それも意味がない。

 

 

(進選手が抜けて、王城の守備に空白ができたのに……!)

「その『速選(オプション)ルート』は通さない。俺達が進先輩を支えるんだ!」

 

 

 モン太やセナは回復し切っていない。瀧や石丸も両面で試合に出ており、疲弊している。攻撃面のみだが雪光は、もともと体力が少ない。

 動き出しは遅く、王城のマークをすぐに振り切れない。

 守備の中核である進が持ち場を放棄しても、それを他のラインバッカーたちが補う。最強の守護神が、標的と接敵するまでの僅かな時間を潰す。

 長門がチームの援助で王城の『ツインタワー剛弓』を斬るのに足らなかった10cmを届かせたように、

 進が『ワンインチ・パス』を貫くのに欲しかった1秒をチームの総力を挙げて、稼いだのだ。

 

 

「雷門太郎やアイシールド21らが健在であれば、パスで躱せたかもしれないが、彼らの消耗は大きい。進との1対1(ワンオンワン)から逃げる術はない、長門」

 

 

 高見伊知郎の思い描いた盤面通りとなった。

 背水の陣を敷く指揮官は、孤立無援の状況。

 そう、泥門の体力を削ったのは、この最大の好機を作り出すため。

 王城ホワイトナイツの策が結実した今、長門村正という泥門デビルバッツの大黒柱を討つのに絶好の場面となった。

 

 これから自力で逃れる術はない窮地に追い込まれながら、誰も頼れない。攻める機会も見出せない局面。

 ここまで追い詰められれば、ボールを確実に捉えている刺突から、ボールを身を呈して庇うか、急ぎ投げ捨てるかのどちらかした選択肢(カード)にない。

 この直面した状況を悟りながらも、長門村正は、一歩前に踏み込んだ(せめにいった)

 

 

「苦難上等。進清十郎、“光速”の貴様を制して、“光速(アイツ)”を斬る術をモノにさせてもらう」

 

 

 悲壮感はなく、むしろ歓迎するように長門は笑っていた。

 『妖刀』の修羅は、守りに入らずに、攻める。

 相手の呼吸、視線、足運び、重心、針の穴のような僅かな隙すら瞬時に捉える眼力で互いに見合わせて――仕掛ける。

 

 

 ――『(スラッシュ)デビルバットゴースト』!!

 

 

 ステップを切りながら、更に長身を沈みこませる。

 横と縦――二つの動きを同時に掛け合わせることで、袈裟斬りの如く、斜めにブレる走り。

 長門のバネに富んだ肉体を十二分に生かした最大限のパフォーマンス。

 

 

「その(はしり)は、予測し(みえ)ている」

 

 

 大和猛や金剛阿含らを抜いた長門村正のランテクニック、その走行ルートを寸分の狂い無く脳裏に描けるほど進清十郎は研究してきた。

 白秋戦で一度しか見せてなかった小早川セナ(アイシールド21)の必殺ランでさえ例外なく対応して見せた守護神に、一度披露した手札は通用せず。

 

 

 ――『光速トライデントタックル・廻』!!

 

 

 渦を巻いて突き出された光速の『三叉槍』は、光速の域(4秒2)に至らぬものでは躱せない。

 

 斜めに切り抜けようとした長門を、最速最短で真芯に捉えた進のタックルは、フィールドへ激しく突き倒した。

 

 

 ~~~

 

 

『決まったァアアアアア! トライデントタックル炸裂ー!!』

 

 

 泥門デビルバッツの最強選手が地面に屈し、首を垂れるヘルメットを見降ろす王城ホワイトナイツの最強選手。

 アメフト関係者たちは唸りながらも、この決着を受け入れていた。

 “パーフェクトプレイヤー”と称されるほどに非常に高い評価をされていた両者だが、その格付けは前評判を覆すものではなかった、と。

 1対1で争えば、勝つのはやはり進だ。

 

 

 ~~~

 

 

『またも『電撃突撃』が炸裂! これこそが、王城、最強の守備! この男こそが、完全無欠の守護神! 何人たりとも抜くことは敵わない高校最強のラインバッカー、進清十郎! もはや泥門為す術なしかー!』

 

 試合は劣勢になりつつある。

 チームの皆、体力が底をつきかけており、唯一パフォーマンスを維持しているエースも止められた。力の差を見せつけられるような形で。

 流れを止めるには、無理をしてでも、彼が戦場に出るしかない。彼の右腕(パス)ならば、エースの力を最大限に発揮させられる。

 

「――手を止めてねーで、とっとと契約通りテーピングを巻きやがれ、糞マネ」

 

「え?」

 

 こちらが止めてでも試合に出る、と覚悟していただけに驚きは大きい。

 戸惑うこちらに彼の調子は変わらない。まったく一顧だにしせず、こちらに腕を突き出したまま、編集した後半の試合映像に注視している。

 

「ケケケ、過保護は卒業したんだろ、糞マネ。糞チビが実はアイシールド21でした~、ってネタバレかまされた時は、びっくりし過ぎて泣いちまったっつうのに、心配性がちっとも抜けてねーんじゃねぇかァ?」

 

「! ヒル魔君! あれは、その」

 

 大事な弟分と想う余りに目を曇らせたが故の黒歴史を掘り返され、慌てる姉崎。

 

「それとも、『ヒィィィィ、まもりお姉ちゃん、助けて~~~』って糞チビ共がビビってると思ってんのか」

 

「思ってない! そんなの思ってないから! ……けど、セナが……皆が頑張ってるのはわかってるのに……」

 

 余計なお世話だと何度も自分に言い聞かせても不安が拭えないのは、それだけ戦っている相手が強いから。

 王城ホワイトナイツ。

 この関東大会の優勝候補筆頭。

 泥門デビルバッツが春秋の東京地区大会で戦い、二度とも負けている相手なのだ。

 全国大会決勝(クリスマスボウル)に向けて最大の壁ともいえるその王城に、今の泥門は追い詰められている。

 そこから、敗戦の苦渋がフラッシュバックが過ってしまうのだ。

 それは、ただマネージャーとして見守ることしかできなかった自分よりも、選手として戦い抜いた彼の方が強いはずだろうに。苦戦を強いられるチームの元へ何をおいても馳せ参じたい衝動に駆られているだろうに。

 それでも尚、ヒル魔妖一は揺るがない。

 

「テメェに言われるまでもなく、状況は理解している。試合前の下馬評からして、王城の方が泥門より優勢だとか、同じ“怪物”でも進の方が糞カタナより上だとか言われてんだろうが。この展開は俺も、糞カタナも後半やる前から読めてんだよ。だが、ここであいつらを“優しさ”やら“お情け”やらで助けたところで糞の役にも立ちやしねぇ」

 

 今はまだリードしているが、この後の展開次第で十二分に逆転される可能性はある。

 王城ホワイトナイツは、守備力の高いチームだ。

 これまでの試合記録から、王城が、試合の最中にも鉄壁の守備力を更新しているのは明らかだ。

 準決勝でも、後半には西部の攻撃に適応し、零封にしている。一度でも使った手札(さく)は対応され、その威力を半減にされてしまう。

 

 だから、切り札を切るならば、試合を決める時だ。

 この場面で切るべき切り札(エース)を温存しているのは、そういうこと。

 背水の陣から戻さず、最速のラン――アイシールド21を使わず、最低限の手札(じぶんじしん)で戦い、訪れるかもわからない“機”まで粘っている。あの高校最強のアメリカンフットボールプレイヤーを相手にしながら、待ち続けて……

 

「――なんて、殊勝なヤツじゃねぇな。あの糞カタナが、ビビってる可能性なんざ0%だ。何せ、最強の選手になる、ってほざきやがったんだ。このままやられっ放しでいるようなタマじゃねーよなァ」

 

 見るまでもない。

 結局のところ、事ここに至っても、絶望している姿など微塵も想像できないのだから。

 そして、向こうも勝利に貢献できない余計なお世話など求めていない。

 

「ま、言いくるめるには生中な作戦じゃあ納得させられねぇじゃじゃ馬なのが糞難点だが……“誰が相手だろうと勝つことを前提にすれば”、打開策なんざいくらでも思い付く」

 

 

 ~~~

 

 

「あ゛あ゛ん! 何、眠ってんだテメェ! 余裕ブッコきやがってとっとと起きてプレイを始めやがれ!」

 

 猪狩は吼えた。

 王城最強(しんせんぱい)泥門最強(ながと)をブチのめして、チームの士気が最高潮に高まっているが、向こうは相変わらずじらしてくる。

 それどころか余計に酷くなっていた。こちらを散々じらつかせながら、ようやくフォーメーションについたかと思えば、攻撃の起点となるクォーターバックが目を瞑って動かなくなったのだ。

 周りのことなどまるで気にも留めず、だらりと姿勢を弛緩して、試合をする気が一切見えない。あの息をするだけでこちらの息を呑ませる覇気がなくなっているのだ。

 一体どうした? やる気がなくなったわけではないだろうから、ああしてこちらの油断を誘ってやがんのか? と怪訝になりながらも、警戒は絶対に解かない。

 

 そして、25秒となり――肝心の指揮官が視界を閉ざしたまま、プレイが始まった。

 

 栗田からスナップされたボールを捕り、ついに開眼。

 

 

 ~~~

 

 

 目の前に、全力で挑める相手がいる。

 

 中学生時代、猛と別れてから、どれほど成長したのか、どれほどの高みにいるのかの判断材料が足りなかった。

 ヒル魔先輩からの指示で、高校まで“長門村正”の情報を秘匿するために、強豪校との対戦は控えさせられていたし、機会があっても実力を発揮させないよう雁字搦めな制限が課せられた。本気でやれば確実に目立つとわかっていたからこそ、『妖刀』は厳重に鞘に納められていた。

 そんな中で、この日本で、猛以外の相手を、明確に目標(てき)と定められることに、幸運を覚えた。

 あの時、送られてきた試合映像が、神龍寺ナーガの金剛阿含であったのなら、ひどく落胆したことだろう。先輩方と因縁があるにしても、才能だけの男が頂点だと提示されても納得はできない。

 進清十郎は、『神速のインパルス』という唯一無二の天性(タレント)を持った金剛阿含と比較すれば平凡だが、その基本こそを極めている超正統派。才能と、それ以上の反復練習によって、アメリカンフットボールの聖書(バイブル)を体現した存在だ。

 あの『スピアタックル』をひとつとっても、最速かつ最短で標的を打ち抜く、無駄をそぎ落とした技術の結晶。

 彼のプレイを追及すればするほど、勝利のための効率の良い戦い方が知れ、そして、それが如何に現実には困難だと悟る。

 だから、彼こそを目標とし、手本とし、そして、いずれは超える障害とした。

 

 

「そう、そして、超えるべき時は、今だ」

 

 

 さあ、この集大成(100%)をぶつけよう。

 カチリ、と己の中の歯車(ギア)が切り替わる感触と共に、『妖刀』は抜かれる。

 

 

 ~~~

 

 

 また、長門自らランだと……?

 

 捕らえたボールを即座に脇に抱えて、全力疾走。パスを投じる気配も見えない。

 高見伊知郎の視界には、ボールを捕り、速攻でランを仕掛ける――進に挑もうとする長門の姿。

 

 教本通りならば、進の『電撃突撃』が来るとわかっているのなら、小早川セナ(アイシールド21)をぶつけるべきだ。それでも尚、背水の陣を止めず、無謀な勝負を強行する長門。

 長門村正の脚では、進清十郎は抜けない……と証明は成された。

 一度倒されて、ムキになってしまっているのか。だとすれば、それはもう暴走としか言いようがない。

 絶対的な能力とそれに比例して肥大する自信に付随しがちな、自己中な傲慢さを制御し切れなくなっているのか。

 

 それとも、それだけ小早川セナの損耗が大きい、進に勝負を挑むには回復し切れていないのか。

 アイシールド21のランに頼ったところで、進に捕らえられてしまうと予想し、無駄撃ちとなるのであるなら切り札の温存に努めた方がマシだと冷静に判断を下したのであれば、孤軍奮闘しようとする姿勢にもある程度は理解が示せるが……

 

 いずれにしても、これはチャンスだ。

 この3回目の攻撃も『電撃突撃』で防がれたとあれば、泥門は窮地に立たされる。たとえ次はアイシールド21を突入させたところで、4回目……その崖っぷちに追い詰められた1度の機会で、この王城の守備で連続攻撃権獲得に至る(10ヤード前進する)ことは不可能だと断言しよう。攻撃の泥門が点を奪えずに、こちらに攻撃権を渡すことになれば、王城は逆転できる。

 

「この好機、確実にものにするんだ、進……!」

 

 

 ~~~

 

 

(止まるな)

 

 長門村正は、ランにおいても間違いなくトップクラスだ。

 恵まれた肉体の発条(バネ)を活かした人の目では追い難い斜めの機動性は、大和猛や小早川セナ(アイシールド21)にも劣らぬランテクニック。

 ここまで一度として阻止し切れないパワーラン。

 そのスピードも西部の甲斐谷陸に並ぶ40ヤード走4秒5と強豪校においても十二分にエースランナーを任せられるレベルにある。

 ――だが、時代最強走者(アイシールド21)程の光速の脚(40ヤード走4秒2)はない。

 故に進清十郎は確実に追いつく、捉えられる、逃さない。

 己が勝るスピードを最大限に活かし、一気に仕留めに行く。

 

(臆するな)

 

 長門村正は脚だけでなく、ハンドテクニックもまた卓越している。

 迂闊に間合いに踏み入れば、その居合い抜きの如き最速の一太刀で斬り捨てられるのが幻視できてしまう。

 リーチで劣るこちらは、長門の『スティフアーム』にいなされれば、抜かれるだろう。

 しかし、“パス”という飛び道具(カード)がある移動砲台(ながと)に様子見など時間を与えるのは禁物だ。チームメイトがパスターゲットを抑えてくれているこの瞬間を無駄に流してしまうわけにはいかない。

 

 故に、高校最速の抜刀速度(ハンドスピード)以上の、限界を超えた(120%の)超光速(スピード)でこちらの間合いにまで潜り込む。

 相手はそれでもこちらの三叉槍(うで)を叩き斬るだろうが、捻りを加えたこの一突きはそれを凌駕する。

 

(決して、弛むな……!)

 

 周囲は格付けが成ったと評価するが、進清十郎自身にとっては、依然と長門村正は同格。

 ほんの僅かの油断も見せれば、仮定の順位付けなど容易く逆転する。全身全霊でもって戦うべき、最強の相手だ。

 

(確実に決める――)

 

 真正面に相対する長門。激しい足さばきを見せながら小刻みに体を揺らし、刺突(タックル)の狙いを外そうとする。

 渾身のタックルを食らわせても尚、脚を止めることのない彼の屈強な心身は、打点をズラせば、前進を許すことになる。

 当てる、ではダメだ。求められるのは、急所を穿つ一撃必殺。

 

 

『おおーーっと! ここで飛び出した、アイシールド21! マークした角屋敷君を振り切って、フリーとなった!!』

 

 

 機が、動く。

 脚はカットを切りながら、長門が上体を沈める。

 『妖刀』の袈裟斬り――『/デビルバットゴースト』の前兆。アイシールド21の飛び出しを察知しながらも、それを進は逃さなかった。

 

 

 ――今だ!

 

 

 進清十郎は、アクセルを踏んだ。グースステップからの超加速。光速を超えるスピード。引き金に指をかけても発射阻止し得る速さでもって制圧する。

 

 

 ~~~

 

 

 消え、た――!?!?

 

 

 ~~~

 

 

 極限の集中力が見せる透き通った世界から、消失。

 あり得ざる事態に、思考が0.1秒停止し、視界にかかる陰に気付き、覚る。

 

 

 俺の頭上を、飛び越えに……

 

 

 ――『(バックスラッシュ)デビルバットダイブ』!!

 袈裟斬りの走法を途中で切り替えた、地摺り、天昇る逆袈裟斬りの飛翔。

 

「『ランを止めて、パスを出す()()()()()()』と思い込ませるだけじゃあ、あんたは抜けない」

 

 意表を、突かれた。

 油断など微塵もないと己に幾度となく用心を促しておきながらも、なお驚天動地を味わう。

 そう、身軽さを武器とするアイシールド21ならば、想定できたスーパープレイ。だが、それは彼だけの特権ではない。

 身体のバネを活かした縦に沈む(ブレる)走法で、自ずと見下ろす……視線を大きく下へ誘導された(むけられた)ところから、最高点まで、最速で翔ける高校最高の跳躍力。

 一瞬で相手の頭上を越えてきたジャンプは、ヘルメットで制限された視界からは、消失したように錯覚し(みえ)ただろう。

 

「だが、『飛び道具(パス)があるのなら、ランからダイブ()()()()()()()』と思い込ませていれば、あんた相手でも勝ち筋はある」

 

 ――“だからこそ、やる”

 ヒル魔妖一が提唱する戦術理論。

 『このカードを出すかもしれない』ではなく、『このカードを出すはずがない』と思わせて、勝機を見出す。

 

 あの『オンサイドキック』と同様に、ここまで温存してきた一手だったか。

 あらゆる可能性を想定しておきながら、裏をかかれた。

 進の『光速トライデントタックル・廻』を、ハードル走のように駆け抜けながら跳躍して回避。

 高校最速に対する、高校最高。

 即座に反転切り返し、着地後を狙う進だったが、左右の曲がり(カット)と違い、120%の超加速から減速せずに後方に切り返すのは無理がある。

 そのロスの分、着地後も減速しない強靭な疾駆が、一気にリードを開く。

 

 

 ~~~

 

 

「進を倒して、日本一の選手になれと言ったが、とんでもねぇ野郎だ、長門」

 

 アイシールド21の『デビルライトハリケーンD』にも初見で対応して見せた進をこうも抜いてみせた。

 溝六の目を以てしても、跳ぶ瞬間まで動きも気迫も完全にランにしか見えなかった。

 

「いや、そうじゃねぇな、ありゃあ。フェイントもへったくれもねぇ。直前まで完全にランだった。気迫だけじゃあ、進には通用しねぇ。そう、まるで……」

 

 

 ~~~

 

 

 プレイが、変わった。

 いいや、爛々と尾を引く眼光から、解き放った、と称するべきか。

 

「そんなの関係ない! 止めるんだ!」

 

 絶対的なエースが、抜かれた……としても、呆けていい理由にならない。

 王城の守備は、如何なる時も決して弛まない。

 角屋敷、薬丸、具志堅は即座に、一糸乱れぬ連携で走路を封鎖していきながら、包囲。進んだ先が袋小路となるよう3人がかりで長門を阻む。

 

 

 ――それを一蹴するからこそ怪物と呼ばれる。

 

 

 まるで無声(サイレント)映画の殺陣のように。

 同時に仕掛けた3人が声を発する間もなく、叩き切られ、振り切られ、切り抜かれた。

 ただ相手のタックルを躱し様、手刀で崩す。それを3人まとめて淀みなく一切を迎撃した。

 

 一段と、速くなった……!?

 ここまで圧倒的ではなかった。3人で掛かれば、1人は食らいつけたはずだったというのにそれがまともに当たることも許されない。

 迅速かつ的確な対処。反応速度と精度が以前と違う。

 脚の速さ自体は変わらないのに、こちらの先手を取って来る動き出しの迅さ。

 これほどの迅さ、比較対象として進に覚えがあるのはただ一人。

 そう、これはまるで――

 

 

 ~~~

 

 

 ――ガンッ!

 

 観客の一人が、目前の無人の椅子を苛立つままに蹴り砕いた。

 

「ひぃ!?」

「な、何だいきなり君は……!?」

 

 そのすぐ横にいた観客が非難せんと立ち上がるが、一睨みで身が竦んだ。

 

 

「視界に入るな、カスが」

 

 

 立ち上がろうとした男性客は慌ててしゃがみ込み、悲鳴を押し殺す。

 ダメだ。今、あの男の機嫌を損ねてはならない。ほんの少しでも癪に障れば、虫けらのように潰される。

 眼中にない自分らでも心底恐怖する、その静かな殺意が向けられるのは、今、フィールド中央を駆ける泥門のエース。

 

「あ゛~……――はっ、ここまでイラつかせると逆に笑いたくなってきやがる。やれるもんならやってみろよ、甘ちゃんが。テメーと進、どちらが上か、見定めてやる」

 

 

 ~~~

 

 

 アレは、まさに金剛阿含の『神速のインパルス』……!

 

 

『泥門、7ヤード前進! 長門選手の個人技が炸裂し、王城・鉄壁の守備を突破し、独走ー! 最後は進選手に止められましたが、停滞気味の戦況を覆すビッグプレイでした!』

 

 

 歓声に沸く周囲に反して、金剛雲水の周囲は静まり返っていた。

 

 まさか、これほどとは……。

 

 一休や山伏、神龍寺の面子の誰もが息を呑み、言葉を発することができないでいる。

 

 いや、ありえない……

 しかし、数多の選手の技を吸収するあの男ならば、できうるのか。

 そう、あの動き、反応の速さはまるで、阿含(おとうと)のよう――

 

 

「否」

 

 

 教え子らの思考を聞き取ったかのようなタイミングで差し込まれた声。ハッとして、その主を探せば、そこには、師・仙洞田寿人がいた。

 師がわざわざ足を運んで見に来ていたことには驚くが、それだけ注目していたのか。

 物静かな佇まいと裏腹に、完全実力主義を貫く厳格な神龍寺ナーガの監督は、鋭い眼光を雲水らへ向けながら、教え子らの間違いを正す。

 

「長門村正……あ奴は、確かに天賦の才を持つ者。しかし、阿含とは似て非なるものよ」

 

「しかし、今の反応速度は、阿含の『神速のインパルス』のよう……」

 

「否。あ奴は、阿含のように頭で考えて動いてはおらん。感じるがままに動いておる。まさしく、無念無相の境地よ」

 

 彼の大剣豪、宮本武蔵が五輪の書に記した無念無相。

 それは、無意識に正解を選べる自由な直観力。

 将棋のプロ棋士が次の一手を選ぶ際、最善手を“思考”ではなく、“直観”で打たれていることが多いと言われる。

 これはプロが常人にはない脳の神経回路を駆使しているからで、それは長い訓練や経験によって発達するもの。

 考えて動くのではなく、感じたまま瞬発的に動ける能力。

 

 認識し、思考し、反応する――リアクションタイムが、0.11秒。それより迅く電気信号(インパルス)が伝わることは、科学的に不可能とされている。

 人間が感じる感覚は、脳に信号が到達するまでに僅かな時差が生じる。

 長門は思考の(かんがえる)過程を放棄することによって、この僅かな時差を短縮させているのだ。

 

「しかし、そのようなことが可能なのですか?」

 

「無論、容易いことではない。百の修練があっても届かぬ領域よ。だが、故に、それをあ奴は千の、万の修練……才を凌駕する執念によって己が本能を研ぎ澄ませ、光を捉えるほどの“神速”に至らせたのだ」

 

 生まれ持った『神速のインパルス』ではない。

 時代最強ランナーを追う渇望は、夢に見るほどの闘争欲求であり、長期間覚醒状態を保ったままで脳が活動し続けた結果、本能がままに相手を斬る、最速の感覚を掴ませた。

 言うなれば、『神速のインスティクト』。

 

「だが、未熟也。直観のままに動くには、心身に迷いがあってはならん。己以外の全てを雑念と見なし、これを一切消す。孤高の域に達しなくては、真に“神速”は完成せん」

 

 

 ~~~

 

 

『進選手、『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けたーっ!!』

 

 超高速で特攻を仕掛けるのは、高校最強の守護神。

 全ての攻撃の起点となる司令塔を真っ先に潰しに行く。

 それに対するには、更なる迅さが必要だった。そう、好敵手(やまと)光速(スピード)を捉えるため、ずっと、欲していた力。

 その解がそれ。

 長門村正は、本能寄りの選手だ。

 

 元々獣じみた感性が、超集中状態に入れば、いよいよ獣のそれである。

 目は重心の傾きから進行の予測を見極め、聴覚は筋骨の軋みから起こりの予兆を聞き分け、皮膚は視線の圧を感じ取り、全身が相手の動きを捕捉するレーダーと化す。

 加えて、『“視認(みて)”⇒“思考”(かんがえて)⇒“反応(うごく)”』の並列処理から、“思考”を省略化(カット)

 察知してから身勝手に迎撃する。

 この長門村正の反射は、金剛阿含の反応にも劣らぬ域に達した。

 

 また、反応の迅さだけでない。走りの質も変わった。抑えていた本能を全開放した副産物か、より野性的になっていた。より一層の躍動感が足された疾走は、前後左右の全てに斜めの角度がついており、目に追いづらいものになっている。

 

 しかし、ずば抜けて反応が速い輩とは、既に対決経験はある。

 

(反応速度の想定を、“金剛阿含”と修正し直す)

 

 進清十郎と金剛阿含は、昨年の関東大会で戦い、その結果、金剛阿含は進清十郎を認めた。『神速のインパルス』を捕捉し得た進清十郎を、金剛阿含は認めざるを得なかったからだ。

 0.1秒の遅滞も致命的となる闘いを経た進からすれば、阿含と比較して長門には粗が見える。

 『神速の本能(インスティクト)』は、未完成で、不完全。

 更なる高みへ至るための扉を自力でこじ開けるに至ったが、入門編に過ぎず。制御しきれてはいない。

 

 そして、そんな暴走と変わらないそれに、味方である泥門は追いつけていない。

 限界近く消耗している泥門の選手が、全力全開のエースに合わせられるかと言えば、否だ。先程の独走状態に入ったにもかかわらず、誰も長門のフォローに入ることができなかったのがその証拠だ。

 

『監督。あの長門村正は、金剛阿含に匹敵する脅威です。行かせてください、『巨大矢(バリスタ)』を』

 

『いかん! お前もわかってるだろ。まだあれはとても実戦では使えん』

 

『いえ、可能です』

 

『お前ひとりが可能でどうする!』

 

 春の大会の一事が脳裏を過る。

 

『『巨大矢』は……王城戦術の革命だ。皆、まだとてもじゃないけど練習不足だよ』

 

『…………わかりました』

 

 泥門デビルバッツとの二回戦で、『巨大弓(バリスタ)』を断念せざるを得なかったのは、チームメイトがエースのプレイに合わせることができないと判断されたからだ。

 孤軍奮闘しようにも、限界があり、限度があるのだ。

 そして、ここまで周囲に合わせることでチームの形を保っていた長門が制限を止めて暴走すれば、チームメイトは置き去りにされ、寄る辺のない、独り善がりの愚者に陥る。

 

 それらを我が事のように理解でき、今、王城ホワイトナイツというチームに支えられた進清十郎は――飛び出した。

 

 

 ――『光速トライデントタックル・廻』!!

 

 

 捩じりを加算した超加速の一突き。側面を手刀で弾こうが巻き込んで貫き通す必殺。

 先程、飛び越えら(かわさ)れたにもかかわらず、一切の躊躇がない。違う。仲間からの全力の支援(フォロー)を受けていることを悟ったからこそ、僅かな迷いも振り切った。

 

 

「行け、進! 王城のエースであるお前こそが、最強だ!」

「全力でバックアップします! 後ろは任せてください、進先輩!」

 

 

 背に受ける声援と支援を後押しに、超光速で迫る進。

 右手刀の牽制も、最高の跳躍力もこれには間に合わない、と抜き身の本能は察知した。

 回避不能と思考するより迅く、自動的に迎撃に打って出る。進清十郎の渾身のタックルに対し、まるで鏡合わせのように、長門村正も渾身の特攻で応じた。

 

 

 ――『卍デビルバットソード』!!

 

 

 互いに120%の超加速。

 その衝突の刹那、視た。その長身をさらに捻り半身気味に倒しながら自ら当たりに行き、合わせた――ボールを狙った三叉槍の切先を、畳んで盾にした右腕で受けた。

 ジョルトカウンターの如く放たれたパワーランに右腕(やり)が、痺れ、弾かれた。

 長門もまた会心の一撃を受けた右腕に骨肉を貫通する激痛が走ったが、左腕(ボール)を狙った一刺しを回避。右腕と右腕の等価交換。両者共に痛みに怯むような精神性ではなかったが、再起動に差を生じさせたのは、体格か。衝突の刹那に生じた好機、神速に達した本能は考えるより迅く、そのまま剛から柔の走法へ切り替えていた。

 

 

 ――『デビルバットハリケーン』!!

 

 

 三叉槍と鍔迫り合いながら猛進する回転抜き(キリ)

 突貫して、相手の勢い(スピード)を殺しながら、己の勢い(スピード)を殺さずに躱す、小早川セナ(アイシールド21)が角屋敷吉海の槍を凌いだことの再演。

 三叉槍の一撃を受けても崩れないボディバランスが有って成せる極限技。体格差で立ち直りが0.1秒出遅れた守護神は、最高速度で巻き返さんとする――

 

 

 長門は、必ず俺が止める……!

 

 

 回転(スピン)を使った分、直進するより0.1秒遅れていた。

 ここで決着がついたセナと角屋敷との対決の違いは、両者の速度差――刹那の遅滞で、勝敗を覆す光速のスピードがあるかないか。

 

「!」

 

 左手の小指薬指が、グローブに引っかけていた。

 近づく相手を弾き飛ばす嵐の如き回転(スピン)を見切り、二の槍(ひだり)で刺す。まるで白羽取りを成すかのように、長門の右手を指二本で掴まえていた。

 

 

「小指と薬指だけの力で掴まえやがった……!!」

 

 

 なんて、執念。

 狙った標的を仕留めるまでは決して止まらない必中の槍の如く。

 

「―――」

 

 指二本で、手首を引いて強引に。引っかけた指二本の関節が外れかけようが構わず、グローブが千切れんばかりに振り切って、ついに長門の体勢を崩させた。

 

 

「長門が、やられた!?」

 

 

 いいや、これしきでは長門は倒れない。

 長門が体勢を立て直すよりも迅く復帰し、確実に、仕留める。

 

 

 ~~~

 

 

「進清十郎に一矢報いることはできるだろうが、それだけでは王城に勝てない」

 

 作戦で、長門はそう告げた。

 展開を先読みし、個人技での限界点に行き着いた。

 

 ――進清十郎は、『進化する怪物』。

 一髪千鈞を引く強敵手との競り合いの最中にも、更新する。先程は予測を上回る超反応だったが故の誤りで抜かされたのであり、決してこちらの動きが捕捉し得ないほど速かったわけではない。阿含に匹敵する超速の反応速度と想定し直して脅威度の修正を図った上で、対応するだけのこと。意表を突けるのも最初の一度限り。

 『神速のインパルス』との対決は昨年、既に経験済みである進清十郎はその更新は瞬く間に完了することは予想できた。

 

 だから、札を切る。

 

 

「無理を言う。この1プレイだけで十分だ。全力の俺に、後先のことなど考えず、死力を尽くしてついてこい――」

 

 

 ~~~

 

 

 全力の、個人技。

 基本的に長門は相手に合わせて連携を取る。そこに余分な思考が生じ、鈍らせる。その遅滞の思考を放棄して最善手を優先し、周囲に配慮しない暴走は、配慮されていた味方では、追いつけない。

 ――そう、こっちも考えて動いては、間に合わないのだ。

 

「ボールが、来る……っ!」

 

 考えちゃいないが、感じた。

 振り向かない。両エースの激突の瞬間を見逃してる。だけど、この背中に受けたモノは間違いない。

 対峙する相手は、マークこそ外さないが、両エースの激突に目を向ける余裕があり、こちらは最初の一歩を先んじることができた。

 

 

「死力MAXダーーッシュッ!!」

「なっ!? コイツ、いきなり!?」

 

 

 飛び出したモン太に、驚く井口だったが、動揺は一呼吸で鎮まった。

 出し抜かれても一歩分。今の、バテバテのモン太なら、十分持ち直せる。死力を尽くす相手と違って、心身に余裕がある。バック走をしながら、進と対決する長門の動向を気にかけるだけの。

 だが、それも失われる。

 

 

 ――どうなってる、もうとっくにこいつは死んでるはずなのに……!?

 

 

 バック走で追いかけるが、差が縮まらない。それどころか、並走しながら視界の端で捉えていたヘルメットの側面が、徐々に離れていく気さえする。ありえないのに。

 まさか、向こうの方が速いのか!?

 

「っ! そんなはずがない……っ!」

 

 追いつけないバック走から切り替えた。出遅れてしまったが、雷門太郎のマークに全集中を注ぎ込む。

 後塵を拝するこの状況は、直面しても尚、受け入れがたい。桜庭が忠告していても、実際に対峙していた井口の目にはどう見たってモン太は死んだも同然だった。

 理解できない現状を、振り払って見せるよう井口は鼻を鳴らす。

 

「はんっ……なに、今までみっともなくハアハア舌出して、へばったフリでもしてたのかな。お猿さんにしては演技が上手じゃないか。けど、残念。そんなんで僕を振り切ることなんて無理なんだよ!」

 

 挑発の言葉を背に浴びせるが…………反応は何も返らない。

 さっきはあっさり挑発に乗る直情的な性格をしていたくせに、こちらを無視する様は苛立つ。

 

「調子に、乗るな!」

 

 腕を伸ばし、モン太の肩を突き飛ばす井口。ふらつく身体は、あっさりと崩れる。やっぱりそうだ。コイツはもう限界だった。少し焦ったが、モン太を仕留めた井口は、自分の見立てに間違いがなかったことに内心胸を撫で下ろして――倒れ込みかけながらもギリギリ堪え、まだ、我武者羅に前進するモン太に唖然とした。

 

 

 挑発に応じる余力すらも向けない。

 全力のエースに応じるためには、こっちも全力を費やすのが最低限度だからだ。

 

 無防備にどつかれても止まらない。決められたルートへ修正して只管突っ走る。

 俺達のエースは、向こうのエースの破壊力MAXのタックルをもらいながらも戦ってるんだから、ちょっと『バンプ』で押されたくらいで倒れる無様を晒していいはずがない。体が折れそうになったって、堪える。

 

 

「邪魔、すんじゃねぇよ……!」

 

 ゾクリとした。

 どうしてそんなにも、自分すらも顧みずにやれるんだ……っ?

 気迫だか執念だかで動いてる。精神が肉体を凌駕しているとしか言いようがない有様。まるで、ゾンビだ。

 

 

「俺は、『キャッチの達人』。パスが飛んでくるんなら、何度だって蘇って捕ってやる!」

 

 

 ~~~

 

 

 難攻不落とされた長門が、倒れてる。

 持ち直そうとする気配など端からなく。

 今ある全てをこの一投に注ぎ込んでいる。

 

 ――っ! ここから、パスへ修正できるのか……!

 

 体勢を立て直す進に対して、長門は体勢を崩されながらも構わず、ボールを構えていた左腕を振り切った。

 

 

 ~~~

 

 

 ――いや、いくら何でも無理やりが過ぎる!

 投手としての才覚にいくら恵まれていようとも、進との競り合いの最中に、あんな不安定な体勢からまともにパスをコントロールできるわけがない。

 

 だが、そんな高見の中の常識を覆すかのように、転倒する間際に、彼方へ飛ばす軌道の先には、それを追うレシーバーがいた。 

 

 

 ~~~

 

 

「ありゃあ、まともに狙いはつけられない」

 

 確かに、無理やりが過ぎる。

 たとえ曲撃ちができたとしても、あんな綱渡りを強行すれば、狙いを定める余裕などありはしない。

 

 

「そうだ。ルートを外れるな」

 

 

 すぐ隣から聞こえたこの発言に、キッドは僅かに驚く。

 長年付き添ってきた幼馴染からしても、体と同じく口も堅い鉄人が自発的にこぼした呟きは稀少。

 鉄馬丈は、基本、誰かに指示されなければ、何もしない。命令待ちの待機状態。一日中しゃべらなかったことも珍しいことではない。

 

 だからこそ、自らの意思で放った言葉は、抑えきれない感情の発露に違いなく。

 

 観客の99%が長門と進の対決に注目する最中にあっても、好敵手と認めた(モン太)を一心に目で追って手に汗を握るその様に、キッドはテンガロンハットを被り直す。

 それから、前言撤回はしないが、一言、付け加えた。

 

「まあ、狙いをつける必要もないか」

 

 

 ~~~

 

 

 味方を、見ない。

 味方に配慮しない全力の、パスプレイ。

 あのキャッチバカは、全力疾走で自分のルートを走ると確信できるからこそ、敵の守備位置を直観的に把握するだけで十分だ。もっと言えば、チーム全体で、エースたる進清十郎をバックアップするという統率された体制を取る王城の連携(うごき)は、容易く予想し得た。

 だから、パスターゲットを探す手間は、省略しても構わない。

 

 

 ~~~

 

 

 横走り投げ(はしりながら)空中狙撃(とびながら)竜巻投法(まわりながら)、と激しく動きながらでも狙いを外さない、移動式発射砲台として優れた才覚と絶対的なボディバランス。

 長門は、この身を横に投げ出している中のアクロバットな曲撃ちでも、パスをルート上へ通した。 

 

 そして、そのパスルートを雷門太郎は、譲らなかった。

 

 

『パス成功ー! 執念を見せたモン太選手のキャッチで、泥門デビルバッツ、8ヤード前進! 王城ホワイトナイツの厳しい守備に遭いながらも、更に連続攻撃権獲得です!』

 

 

 スポットライトが、ボールをキャッチした方へ流れた。

 ほんの数秒、二人きりに切り離された空気の中、ゆっくりと身を起こしながら、長門は言う。

 

「進清十郎、あんたの特攻に、こちらも触発された。いや、ムキになった。泥門デビルバッツも、怪物(おれ)配慮す(あわせ)る必要はない、ってな」

 

 狙いを外さなかったのは才能だが、狙いを定めさせたのは信頼。

 

「俺達は全員で挑んでいる。進清十郎、王城ホワイトナイツに勝つために」

 

「こちらも同じだ、泥門デビルバッツ」

 

 

 ~~~

 

 

 フィールドを揺らす程湧く歓声。

 けど、今はそれに応えることもできない。いつもなら、天高く指を突き立ててMAXな決めポーズを取るところだが、残念ながら起き上がる余裕もない有様だ。

 

(ああ……ついに切れた。最後のスタミナ一滴が)

 

 芋虫のように身をよじりながら、どうにか上体を起こす。脚は、まだ震えてる。疲労のあまり痙攣してる太腿は、血が通っていないかのように感覚が戻らない。

 

 

「タイムアウトをお願いします」

「モン太!」

 

 

 その様に、長門は審判へタイムを要求。倒れたままのモン太へセナが血相を変えて駆け寄る。

 この試合最後の大仕事だと長門は言っていたが、それに甘えてばかりはいられない。最後まで戦い抜く気概でいるつもりだ。だから、あまり格好悪い真似はこれ以上晒すわけにはいかないというのに。

 と俯くまま動けないでいるモン太へ、その声は贈られた。

 

 

「ナイスガッツだ、野球少年」

 

 

 歓声の最中にも、不思議とその声はよく通った。

 

 ハッと、白んでいた視界に色がつく。

 それはもう反射的に、勝手に顔は上向いた。声がした方を、見る。

 

 

「さっきのキックボールを背面捕りしたことといい、凄いキャッチだった」

 

 

 ああ――

 言葉は、でない。だせない。一時、息をするのさえも忘れた。それくらい夢中だった。夢中になった憧れだった。

 あの人はスタンドの最前列にいて、自分はフィールド……相対した時とは構図が逆だけど、色褪せることない己の原点がフラッシュバックして景色と重なった。

 

 

「10年前のあの日――スタンドにいた少年、だろ?」

 

 

 その情景を、憧れ……本庄勝も共有していた。

 ファンサービスでグローブを贈った一人の少年を、彼も覚えていた。

 

 

「覚えてっかな。あの時、渡したグローブ」

 

 

 思いもよらぬ出来事に、感動が止まらない。全身が震えっ放しになってどうしようもないくらいに、感情が千々に乱れる。

 

 ……わかってる。

 わかってるんだ。本条さんは、俺のことを応援にしに来てくれたんじゃねぇ。本庄鷹(一人息子)の対抗馬となり得る長門を見に来てたんならわかるけど、俺のことなんて眼中になかったはずで……

 

 

「戦うフィールドは変わっても、ずっと極め続けてんだな、キャッチの道を……!」

 

 

 なのに、どうしようもなく嬉しい。

 あの時に抱いた“本庄二世”の夢が叶わないとわかっていても、本庄選手に認められたことが、これまでの努力が報われるくらいに。

 

(畜生、試合中に感極まってる場合じゃねぇ。男は悔しい時以外は泣いちゃいけねぇんだ)

「すまねぇ、セナ、ちっと肩貸してくれ」

「モン太?」

 

 それから、慌てて駆け寄って、身体を起こすのを手伝ってくれたセナに頼み、スタンド壁近くまで肩を貸してもらってから、自力で立つ。

 それから、左手のグローブがフィールドに擦った拍子に破れていることに気付き、外す。

 

 

「はい……! あざっした、本庄さん!」

 

 

 スタンドにいる憧れへ、まず一礼。

 歓喜したのは、確かで。

 だけど、決別する。

 伏した顔を上げたモン太の目には涙があったが、決して逸らさない。今は見上げるしかない、憧れである『キャッチの神様』さえ睨む力強さがあった。

 

 

「俺は、雷門太郎は、この決勝戦で関東No.1レシーバーになって――キャッチの神様だって超えて――クリスマスボウルで、本庄さんを倒して――世界最強のレシーバーになる!」

 

 

 無礼であると百も承知だが、もう二度と自分の夢を諦めないと誓ったのだ。

 一度破れてから、掴み直した新たな夢を吼えながら、球状に丸めたグローブをスタンドへモン太は投げた。

 全くのノーコンであるはずのその一投は、奇跡的にもコースを外れなかったが、目標である本庄勝へ届くにはわずかに飛距離が足らず……――落ちる間際に、スタンドへ身を乗り出しながら、その大きな手は掬い捕った。あの日の返礼、そして、挑戦状を受け取ってくれた。

 

「大きくなったな、全く……」

 

 それ以上のやりとりはない。

 する資格もないし、何よりも試合中。

 バチン! と両手で顔を挟み叩き奮起したモン太は、スタンドから背を向け、戦場へ戻る。

 

 

 ~~~

 

 

「なんかよくわかんねーけど、男見せやがったなモン太!」

「まあ、もう限界だろうから、休んでても構わないぜ」

「そうだそうだー! こっからは俺らにも出番を譲りやがれ」

「フゴゴッ!」

「アハーハー! ここからは僕の独壇場さー!」

「っせぇ! まだ俺はやれるぜ! 試合終了までキャッチMAXだ!」

「モン太君、あまり無茶は……」

 

 思わぬハプニングはあったが、そのおかげで体裁を保てるくらいにはモン太は息を吹き返したし、それにつられてチームの士気も発奮した。

 だけど、もうモン太にこれ以上の無理はさせられない。

 アドレナリンが出まくっている今は、疲労を忘れていられるが、試合終了までその状態を維持できる保証はどこにもないし、興奮状態が切れた時の反動もその分だけ大きいだろう。

 作戦会議で宣告したように、札は切った。

 だが、切った札でも、牽制として機能させられる。

 

(モン太の活躍で、パスの印象が強まった。進清十郎の『電撃突撃』も成功率が半々だと王城も考えているはずだ)

 

 そして、ゴールへ前進するにつれて、守備範囲が狭まればその分だけゾーンの厚みが増す。パスを通せる空白(スペース)も減っていく。

 であれば、ここで使う札は、ランの最強――小早川セナ(アイシールド21)

 

(セナの走りで、ランが警戒されれば、『電撃突撃』も躊躇するようになる。王城も、これが決勝点となり得ることは理解しているはずだ。リスクを無視できなくなれば、こちらにも余裕ができる。セナとモン太(ふたり)以外を頼った札も使えるようになり、選べる戦術の幅も広がる)

 

 ただ、一点。

 不安材料があるとすれば、今のセナの体力で、40ヤード走4秒2(フルスピード)で走り抜けられるのは、20ヤード程。

 ゴールまではまだ30ヤード程は残っている。

 

(セナを起点としたランプレイを警戒していないはずがない。必ず、進清十郎が障害として立ちはだかる)

 

 同じ光速の脚を持つ者同士で、それに加えて、進には120%に超加速する技術があり、その体力も健在。試合終盤までトップスピードを維持できる持久力がある。

 たとえセナが一度抜いたとしても、少しでもスピードを緩めれば追いつかれるだろう。

 

(そうなったら、捕まる。……正直、捕まるだけならばいい。最悪なのは、壊されることだ)

 

 アメリカンフットボールは、球技であり、格闘技だ。

 進清十郎は、何人もの選手の骨を折り、病院送りとしてきた。昨年の練習試合では助っ人2人の骨を折っている。

 峨王力哉のような破壊衝動のままに相手を壊すことはしていないが、チームの勝利のためならば、相手選手を破壊することに何の躊躇いも持たないだろう。

 そして、純粋なパワーでは劣っていても、スピードを掛け算させて跳ね上げさせた『光速トライデントタックル・廻』の威力は、峨王の圧殺にも匹敵する。

 今の体力が限界に近い状態で、三叉槍の一撃をその身に受ければ、セナが試合続行不能となるリスクは少なくない。

 ここでセナまで抜けてしまえば、泥門は戦線を維持することは極めて困難になる。

 

(『電撃突撃』を仕掛けさせて引き付けてからショートパス……は、角屋敷吉海が徹底してマークで張り付いている。俺が盾役(リードブロッカー)として入れれば良いんだが、発射台(クォーターバック)の役目を放棄してしまえば、パスへの警戒がなくなり、ランに守備が集中……突破は至難となる)

 

 単騎駆けで最強の敵とぶつけさせるのが、最も勝率が高いだろうが、それ以上にリスクが大きい。だが、ここでタッチダウンを奪えなければ、泥門デビルバッツに勝ち目はない。

 

 そして、作戦を決めた長門は、指示を待つ皆へ向く。

 

「――ランの最強のカードを使う」

 

「!」

 

「ということは、つまりセナ君、だね」

 

「はい、栗田先輩。今のセナにあまり無理はさせたくはないんですが、頼らざるを得ないと判断しました」

 

 無論、策はある。

 セナにだけ危険な橋を渡らせる気は毛頭ない、と言いかけたところで割って入られた。

 

 

「――やめて、セナをイジメないで」

 

 

 聴き慣れた声に、()()()()()()()()()セリフ。

 

「ひっ――」

 

 真っ先に反応した人はやはりこの人。けれど、我らの泥門の主将は、ピタッと急停止。ちょっとアクセルが壊れてる感激屋のこの人が固まるとは相当である。

 

「は?」

「はぁ?」

「はあああ?」

「あはーはん?」

「え?」

「フゴ?」

「えええええええ??」

 

 他の面々もゆーっくりと振り向いて、フリーズ。一同皆愕然としている。

 そうして、最後、武蔵先輩と揃って溜息を吐いてから、ようやく長門が反応すれば、そこには優しい皆のお姉さんなマネージャーが、がっちりと防具を身に着けて意気揚々と参上……

 

 

「これ以上無理をさせちゃったらぶち壊れちゃうんだから、私が守るわ!」

「その無駄にクオリティの高い一発芸(コスプレ)にどんなこだわりがあるのか知らんが、その全方位にケンカを売ってく趣向はどうにかならんのか? いや、もういい。とにかくその気色悪い声真似はやめてくれ。怖気が走るし、後ろでご本人がお怒りだから」

 

 

 したわけではない。断じて。

 あれは、聖女に扮した悪魔の如く、姉崎まもりの画像を張り付けたフルフェイスマスクをした先輩の姿に、チーム皆を代表してツッコんだ。

 あとで絶対に、姉崎先輩に説教されてくれ。

 

 

 ~~~

 

 

『おおーーっと! フィールドに現れたのはやはりこの男! ヒル魔選手! 負傷退場したとのことでしたが、チームの窮地に復活してきたかー!』

 

 東京ドームのシステムをハックしてきた、あるいは関係者を脅したのか、LEDビジョンに無数の悪魔の蝙蝠(デビルバット)が乱れながら羽ばたく映像が映し出され、アナウンスに火がつけられた観客たちの期待値を上げに盛り上げる。

 頭が痛いと長門は嘆きたくなった。

 ド派手な参上をかました当人は、似てない姉崎まもりのコスプレしてるし、どんだけレパートリーを用意してるんだとか、どうして毎度無駄に演出に凝るんだとか色々と言いたいことがあるが、それらを追及したらキリがないし、どうせ口では勝てないだろうから棚に上げる。

 突き付けるのは、淡々とした事実。

 

「あんた相手に大人しくしろなんて無理だから言わないが、怪我人はベンチに下がっていてくれ」

 

 え? と栗田先輩らがこちらを見やる。すっかりヒル魔がプレイに加わるものだと思っていたのだろう。

 この会場全体、観客達を沸かしておいてなお、長門はヒル魔の参戦を認められない。一指揮官として。

 

「自己管理も把握できない人間が、チームの指揮権を預けられると思ってるのか」

 

「あん、鏡見て言ってんのか」

 

 はい、そうですか、と引き下がる性格ではないのは知っていたが、挑発気な返しにむっとする。

 

「今は戯言に付き合ってやる余裕はないし、この先のプランニングも固まっている。そこに怪我人が入る余地はない――」「糞チビの爆走でも、王城連中に捕まらず一気にタッチダウンを奪うにはまだ前進する必要がある。それを詰めるため、糞カタナがボールを運ぶ。進の野郎の『電撃突撃』があって厳しいが、テメェならタックルをもらおうが、『キューピードロー』で(自力でボールを運んで)ゴリ押しできんだろうな。さっきのパスで印象が残ってる糞サルへの牽制を挟めば、2、3回の攻撃権で10ヤード分を詰めれるっつう腹積もりだろ」

 

 言うはずの台詞を盗まれた開いた口から、はぁ、と溜め息を吐き、沸々とした苛立ち(ノイズ)を排出する

 

「さっきフィールドに着いたばかりだというのにあっさり作戦を読むか。そのことでもはや驚きはしないが、そこまでわかっていてなお余計な真似をする気か」

 

「70%、ってところだな」

 

 長門の見立てとヒル魔の評に相違ない。だが、そこまで通じていてなぜここで口出しをするのか。

 

「ケケケ、王城相手にあそこから逆転までしてんのは期待以上だ。下手な小細工を弄さずとも、このままいけばまあまあの確率でタッチダウンを獲れんだろ。――だが、赤点だ」

 

「まさか、この局面で、0.1%の隙も無い100%の作戦を求めてるのか。頭を打ったせいで夢見がちな夢想家(ロマンチスト)にでも目覚めたわけじゃないんだろ」

 

「ああ、だから、テメーが見落としてるモンも見えてる。アドレナリンをドバドバ出し過ぎて気づいてないかもしれねーから訊いてやるが……

 ――糞カタナ、この試合で進のタックルを何発もらいやがった?」

 

 その指摘に、ハッとした視線が長門に集まる。

 チーム全員、この常人離れしたエースのことを理解し、信頼し……だからこそ、見逃していた。この苦しい最中にあっても、あまりに平然としているからこそ、勘違いしていた。

 そして、彼が対峙する相手もまた怪物の域に達した超人。

 

「……そうだよ。去年の練習試合、進君のタックルで助っ人が2人も骨折してるんだ」

 

 蒼褪める栗田の震えが周囲に伝播する。それはセナらも聞いたことのある話。

 そう、峨王のように相手選手を不必要に破壊はしないが、進は勝つために必要であればそれを躊躇わないだろう。ましてやその破壊力は去年を明らかに上回っている。

 峨王の圧殺(パワー)以上の威力を秘めた進の渾身のタックル(パワー×スピード)

 それを何度も真っ向から受けているその身体に、一体どれだけのダメージが蓄積しているのか。

 

「糞カタナは助っ人の連中とは出来が違う。だが、糞デブが潰しても壊れねぇ糞頑丈さを計算に入れても、これ以上テメーが無理を(ゴリ押し)すれば、50%の確率で壊れる」

 

 期待以上の戦果だと評しておきながら落第だと結論付けるその理由を、淡々と告げるヒル魔。

 この場の主導権を握りつつある悪魔の口先は更に論じる。

 

「さっきのテメーの作戦も、俺に読めるなら、あの糞メガネにも大方予想がついてんだろ。その上でこの状況を許している。何せ、糞カタナの方から処刑台に登ってきてくれてるみてーなもんだからなァ。進の野郎に、糞カタナをブチ殺させるにはこの上なく好都合だ」

 

 長門の想定通りに事が進めばこの先、進との正面衝突はまず避けられない。

 いや、それ以前から、長門は何度も進という最強の槍を真っ向からぶつけられてきたのだ。

 

 点差はつけられようが、最大の障害である長門を除ければ、十二分に逆転できる。

 これまで二度の公式戦から証明されている通り、長門が退場すれば、泥門の戦力はがた落ちする。それどころか、指揮官を担える人材が彼とヒル魔以外にいない以上、泥門は空中分解し、まともな試合はできなくなるだろう、と。

 あの冷酷な王城の指揮官ならば、それくらいは目論んでいてもおかしくはない。

 

 そうして、散々、周囲の不安を煽り立ててから、口調を軽薄なものに変えて揶揄するようにこちらに振って来る。

 

「ま、大事な大事な後輩を心配する余りにビビっちまって計算違いしてるかもしれねーから、一応、確認しておくが、どうなんだ、糞カタナ?

 “自己管理も把握できない人間が、チームの指揮権を預けられると思ってるのか”、だっけか? 指揮官様なら当然、答えられるはずだよなぁ?」

 

 ニヤニヤと口は笑い――ただし、目は笑わず――嬉々としてこちらの揚げ足まで取って来る。

 

 …………………………………………………本っ当に、性格が悪い。

 

 つくづくだが思い知らされた。

 この先輩と口論する場に立ってはならない。天才も、聖人も、怪物も、この悪魔の口先には乗せられる。

 ものの1、2分で周囲を扇動し、ここまでの戦局で確固たるものとしたはずの指揮官としての立ち位置に敵以上に瑕疵を植え付けさせてきたのだ。自分のことは棚に上げた上で、だ。性格が悪いことこの上ない。

 

「わかった。チームの指揮を預かる者として冷静さを欠いていたことは認める。だが、こちらの作戦を批判するなら、その代案はあってしかるべきだ。指揮権を返すかは、あんたの作戦(アサインメント)次第で判断させてもらう」

 

 苦々し気な表情で、せめてもの抵抗を見せた後輩へ、悪魔の先輩は1枚のカードを突き付けた。



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52話

「やはり、来たか」

 

 来るだろうとは思っていた。

 この状況を看過するような男ではない。

 高見が目論んだ『長門村正の破壊』はこれで机上の空論と成り果てたことだろう。

 

(まあいい。もとより半々の策だった)

 

 進と言えども、長門を破壊できるかは断定できない。

 両者ともに完璧超人。自分の持つ物差しでは到底測り切れない域にある。

 エースの渾身のタックルをまともに受けて無事であるはずがないという信頼が根底にあっても、あの泥門のエースが倒れる想像もし難い。故事成語の『矛盾』に登場する武器商人のように途方に暮れてしまいかねない難題だ。

 

「そんなことよりも、ヒル魔だ」

 

 息ひとつも吐かず、切り替える。

 無意味なことに費やす時間は1秒もない。

 そのような隙を晒していい相手ではない。

 ヒル魔妖一。長門村正が最大の強敵であるなら、奴は最悪の難敵だ。数値上の性能では読み取れない厄介さ。高見とっては同類であり、好敵手。

 ヒル魔妖一という変数が加わった泥門の戦術は、矛盾の衝突と同様に読み難い。

 

「どのような策を打ってこようが、こちらも勝つための最善手を尽くすのみだ」

 

 たとえそれが非道な手であったとしても。

 

 

 ~~~

 

 

     TE() T(黒木)G(戸叶)C(栗田)G(十文字)T(小結)     TE(長門)

   WR(モン太)

      RB(石丸)   RB(小早川)        QB(ヒル魔)

 

 

『こ、これは、白秋戦で見せた、『孤高の(ロンリー)センター』! ですが、ボールスナッパーはセンターの栗田君ではなく、長門君です!』

 

 

 驚愕する解説の発言通り。

 司令塔のヒル魔を背負うのは、最前線の要(センター)である栗田ではない。長門だ。

 

『これまで幾度となく奇策を講じてきた泥門ですが、狙いが読めません! これはどう見ますかリコちゃん』

『長門君は本来、タイトエンドです。それに泥門デビルバッツの中でも栗田選手に次ぐパワーの持ち主で、ラインマンとして起用しても、問題なく任せることができます。

 ただ、これではパス……ヒル魔選手と長門君のホットラインを活かすことができません』

 

 ヒル魔が加わり、代わりにレシーバーの雪光がベンチに下がった。

 レシーバーには、まだ泥門エースレシーバーのモン太がいるが、もう彼は見るからに限界だ。マークについている井口がこれ以上の活躍を許すとは到底思えない。

 そんな中で最有力であるパスターゲットを1枚減らして、壁役として増員させる。

 解説者の言う通り、確かに長門は盾としても役をこなせるだろうが、泥門最強火力である『妖刀』を鞘に入れてしまうような真似だ。

 

 その意図は一体?

 

 考察材料としてまず第一に挙げられるのは、ヒル魔の腕の怪我。

 一事戦線を離脱し、治療に専念してきたが、それでもこの試合はもうまともにパスは投げられないのだとしたら。

 発射台としての役割を果たせそうにないから、パスの人員を他へ振った。

 それでも、怪我の具合は傍目からはわかりようがない以上は、警戒は捨てられない。つまり、余程の失態を晒さない限りは、相手の注意を引く囮になれる。

 

 元より『孤高のセンター』は、それを目的のひとつとした陣形だ。

 最低限度の戦力を残したウィークサイドと戦力・人員を集中させたストロングサイド、極端に偏った陣形で、相手ディフェンスを混乱させるトリックプレイ。

 ここで守りが手薄である指揮官を潰そうと迂闊にその誘いに乗れば、反対側へボールは放られるだろう。

 そう、泥門デビルバッツで最もパワーのある栗田(センター)と最もスピードのあるアイシールド21(ランニングバック)を筆頭に戦力が集中しているストロングサイドへ、だ。

 だから、ここで警戒をするべきは、当然、ストロングサイド――

 

(いや、違う。わからない、けど、囮の方(ウィークサイド)は無視できない)

 

 角屋敷吉海は二つに別れた泥門の陣形を睨むが、眉間に皺が寄ってしまう。

 ヒル魔の術中に嵌まっていることを自覚しながらも、迷ってしまう。

 『だからこそ、やる』――相手の裏を突いてくるヒル魔妖一の戦術理論は、これまで泥門と対戦してきたチームなら知っている、当然、王城ホワイトナイツも何度となく思い知らされている。

 その上、壁役(ライン)とはいえ、『妖刀』……ヒル魔妖一の懐刀ともいえる泥門のエースも揃っているのだ。たった二人で何ができると思うだろうが、その二人の連携こそが泥門最凶なのだ。

 

 司令塔である高見さんも、守備を指揮する進さんも対応を決めあぐねている。

 ここで一手誤れば、タッチダウンを奪われる。再びリードが広がる。勝利が遠ざかる。『全国大会決勝(クリスマスボウル)』の夢が――

 

 

「ばーっはっは、そう来るか泥門!」

 

 

 焦りや迷いを晴らすかのような、大笑い。

 こんな場面で呵々大笑できる大馬鹿者は、ひとり。

 

「大田原……」

 

「高見よ。色々と考えてるようだが、バカの俺にはさっぱりわからん。だが、やることは決まってる。なら、迷う必要はないだろう」

 

 大田原誠は、バカだ。

 己をバカと自覚しているからこそ、全幅の信頼を委ねた賢人の軍師である高見伊知郎に知略戦の一切を任せている。余計な口出しはしないようにしている。

 それでも、彼はこの王城ホワイトナイツの主将であり、その責務を投げだしているわけでは決してない。

 

「アメリカンフットボールは算数じゃない。あれこれかんがえたところで答えが出ないようなら、体当たりでぶつかってみなけりゃわからん! それが罠だったとしても、それをブチ破ってやればいいだけのこと!」

 

 要するに、相手の策が何であれ、力ずくで破る。それができるだけの力が自分たちにはあるはずだ。

 

「うっす! そうっすね、大田原さん! ブチ破ってやりますよ!」

「まあ、これまでのヒル魔のやり口からして、明らかに何かあるだろうけどね。やるしかないんだ。勝つためには」

 

 大田原誠は、バカだ。

 だが、この男を馬鹿にするものは王城学園にはいない。

 誰もがこの王城ホワイトナイツの主将であることに異論を唱えることはない。

 そして、時にその単純明快な発言は軍師のそれを上回る。

 高見も皺のよった目元を緩めて、笑う。

 

「確かに、やるべきことは決まっている。ここで考えを巡らしたところで、確証のある答えは出ない以上、泥門の利にしかならない。リスクを承知で当たるべきだろうな」

 

「うむ。こういうのを、“おしりにいらずんば、しりをえず”、というのだろう」

 

「そういうなら、“虎穴に入らずんば、虎子を得ず”だ、大田原。……それで、誰をぶつけるつもりだ?」

 

 主将であり、ラインの要である大田原に意見を求めれば、ここで最も張り切っている男を呼ぶ。

 

「猪狩!」

「うっす!」

 

 呼ばれた猪狩は、ボルテージをさらに上げる。

 これが無理難題は百も承知。それでも任されたからには、やってやる。

 

 

「渡辺を支えてやれ。栗田の相手は一人では厳しいからな」

 

 

 と、それは早とちり。

 

「へ? それじゃあ、長門の相手は?」

「俺だ」

 

 大田原の剛腕は、ドンと自らの胸を叩く。

 

「春大会の借りを返さないといかん相手は、栗田だけではない」

 

 

 ~~~

 

 

「ばっはっは! 長門ォ! いい機会だし、ここらでいっちょう春大会にしてやられた借りを返させてもらうぞ!」

 

「春大会って、試合ではこっちが負けてるんだが。地区大会決勝の時の借りもまとめて清算しておきたかったところだ」

 

 孤立した長門に対峙するのは、大田原。

 一対一。

 栗田の方には、大田原に次ぐ重量級の渡辺と猪狩の二人がついている。

 

「しかし、関東大会決勝の晴れ舞台もいいが……ホントは、王城と泥門で全国大会決勝(クリスマスボウル)で決戦したかったとこだがな……!」

 

「……それもいいが、生憎と俺には先約がある」

 

 少し感傷に浸ると、大田原の面相が変わる。

 普段の緩んだ意識は一切ない。相手は一年生、しかし、そんなのは関係ない。

 目前にいるのは、己が全力を賭すのに値する敵だ。

 そして、この戦いで敗れれば夢はそこで潰えて、勝てば先へ進める。

 

「アイツを待たせているんだ。ここで止まるわけにはいかない。あなたを殺して、俺達はその先へ行く」

「はっ、威勢がいい。それでこそだ。リベンジのし甲斐がある」

 

 騎士団を背負う重装歩兵と妖刀を構える修羅が立ち会う。

 

 それを誰よりも間近に見ている悪魔は開始の号令を告げた。

 

 

「SET!」

 

 

 ラインとして、長門を扱うことに賛否両論はあるだろう。

 進と対決した時とは違う状況が一つある。

 

 クォータバックとして攻撃の起点となっていた時は、我が身よりも守護(まも)らなければならないボールを抱えていた。

 その“縛り”が、ない。

 全身凶器の両腕が自由(オールウェポンズフリー)となった『妖刀』。

 球技であり、格闘技であるアメリカンフットボールにおいて、果たしてこれがどんな意味を持つか。

 

「―――」

 

 また、集中に深みが増した。

 本来の指揮官(ヒル魔)が戻り、全体に意識を回す必要が薄れたからか、よりこの闘争に専念できている。

 

 臭い、音、色、と思考から余分なものを取り除いていく作業。

 闘争のために不必要な要素が、脳から削り落とされていく。一振りの刃と化し、その研ぎ澄まされた精神だけが相手を映す。

 水鏡の境地。

 会場全体を揺るがす歓声すら無にする、その類稀な集中力。

 

 悪魔は、笑う。

 出会った時もそうだった。

 タックルする相手が幻視できてしまうほどに没頭していた姿と重なる。

 

(この関東大会出場選手全員、一対一(タイマン)の肉弾戦で()り合ったら、勝つのは糞カタナだ)

 

 そこに、糞ドレッド(あごん)糞原始人(がおう)、そして、進を入れても接近戦(クロスレンジ)では長門には敵わない。

 

 

 ――全力でブチ殺せ、糞カタナ!

 

 

 ~~~

 

 

 瞬く間に、だった。

 

 

 守備側の大田原は、攻撃側のスタートを見てから後出しで動き出す。

 ましてや、長門は大田原以上のパワーとスピードを有する。栗田を相手にしてきた時とは違い、先手を取られる。間違いない。

 当然覚悟していた。

 これまで自分がしてきた全速(スピード)全力(パワー)を相乗させる破壊力を、この身で味わうことになるのだと。

 

 だが、長門村正は、ただぶつかっては来なかった。

 まず、最深部に到達した集中力で目標を洞察し、隙を狙った。

 そう、瞬きする瞬間を狙い澄ました。

 ほんの0.1秒の間隙を突いた。

 正しく“瞬く間”。それが長門がボールをスナップしてからの出来事。

 

「――くぉっ!」

 

 重装歩兵が、悶絶した。

 自分以上の身体性能を持った相手が、更にその破壊力を一点に抉り込むようにブチかましてきたのだ。それも真正面からの不意打ちという矛盾した無茶苦茶までしでかして。

 一歩も始動できずにまともに食らったその威力。あまりの強烈な衝撃に、手足がすべて根本から外れ落ちてしまったかのような錯覚に陥る。呼吸もできず、視界が白む。プロテクターがなければ肋骨の一本や二本は砕き折られていたかもしれない。

 

 完璧な先手必勝を決めた。あとは止めを刺すのみ――その間際に、目の光が戻った。

 

 

「ばっ――ハアアアアア!!」

 

 

 吼えた。胸に直撃を受けたばかりなのに、吼え猛る重装歩兵。

 スピード、パワー、それからテクニックまでも向こうが上。

 だが、メンタルまでも負けられない。

 痛烈な、一撃だった。主将でなければ意識を手放していたやもしれなかったが、俺は主将だ。死んでも負けるわけにはいかないのだ。

 このチームを背負う重責を力に変えたこの剛腕に、『護る為の殺意』が滾る。

 今度は、こちらの番だ。

 がぶりよつの競り合い。

 パワーは僅かに劣るが、それでも体重ではこちらが上。このまま粘り、体格差で制す――

 

「ふん!!」

 

 『妖刀』は、しかし、とどまらない。

 競り合った状態から、腕を振るわずして、二の太刀を見舞う。

 硬直した重装歩兵と密着状態のまま、腰と両足から“力”が搾り上げられる。地面を踏みしめた脚に、腰の回転、肩の捻りを相乗し、強烈かつ俊敏に躍動する全身の発条(バネ)を総動員して標的に接した掌へと集積させたのである。

 初撃で重心を崩した相手を確殺する『零距離マグナム』を炸裂させ――そこで、長門は目を瞠る。

 

 手応えは、あった。

 しかし、まだ、崩れない。

 

 目を血走らせながら、にんまりと笑う。

 重装歩兵の鍛え上げられた肉体は、これにも耐えたのだ。王城の土台を担う主将の、驚嘆に値する耐久力だった。

 

「ばっはあっ!」

 

 重装歩兵の喉から苦鳴があがる。

 凄まじい。この胴体に風穴を開けられた光景が脳裏に過ってしまうほどに、けれど、反応する。

 大田原誠の意思ではなく、戦場で鍛えられた闘争本能が、その四肢を衝き動かす。剛腕がついに『妖刀』を抑える。肉を切らせて、骨を断たせて、その身を食わせて成し得た白刃取り。

 

「借りを返すぞ、長門ォ!」

 

 そう、春の試合でこれを味わった。これに一杯(一敗)を食わされた。

 あの時よりもさらに練磨されていたが、来る、とはわかっていた。だから、耐えられた。

 

 

「身長、体重、剛腕(パワー)にそして、スピードに関してはあの峨王以上で後衛並。ラインマンという括りの中では神龍寺や巨深にもいなかったオンリーワンの大型重戦車……だが、長門はそのほぼ全ての要素で上回る新型だ。まともにぶつかれば、どちらが勝つかは明白。

 しかし、単純な性能の優劣で勝敗が決まるのなら、栗田が峨王に勝てていない」

「確かに、泥門の中で、栗田に次ぐパワー、そして、栗田にはないスピードとテクニック。ラインマンとしても長門は、この大会で確実に5本の指に入る実力がある。だが、それは大田原も同じ。壁漢(ラインマン)として積んできた6年間の経験値は伊達じゃねぇんだ」

 

 同じ3年。時には競い合ったことのある大田原の奮戦に、番場や鬼平は目を細める。

 

 

 しかし、それでももう死に体であることに違いない。

 大きく身を仰け反り、このまま押し合えば、青天(たお)されるだろう。ラインマンとして最大の屈辱。だが、たとえそうなったとしても今は粘る。

 1秒でも長く、食らいついて、この泥門のエースを抑えれれば――必ず、王城(うち)のチームメイトがやってくれる。

 

「さあ行けぇ!」

 

 力勝負で、勝ちたい欲求はあるが、それよりなにより欲するのはチームの勝利。

 そう、自分は土台なのだ。

 自分よりも活躍する逸材が、このチームに何人も入るのだ。だったら、それを支えるのは土台としての役目だろう。

 

 

『『電撃突撃』だーーっ!! 角屋敷選手が飛び出していたーーっ!』

「決めろ、吉海!」

 

 音少なく、密やかに迫る。

 親友の猫山のようにはいかないが、それでも教わった『無音走法(キャットラン)』。完全に気配を殺すなんて無理だとしても、1秒でも長く、相手に察知されるまでの猶予を稼ぐ。

 

『『孤高のセンター』で護衛は、長門選手ひとり! しかしそれも大田原選手に抑えられてがら空きです!』

 

(ヒル魔は、移動型のクォーターバック。でも、身体能力は並、逃がさない)

 

 小手先の巧みさはあっても、一対一なら勝てる。

 そう、角屋敷には自信があった。そして、もうそれを確信できるまでの間合いにまで達した。未完成の『トライデントタックル』でも、刺せる距離。これから逃れるには、ヒル魔の脚では無理。

 そして、アイシールド21の方には、進先輩がついている。――もう、パスしか選択肢はない。

 

(さあ、どうするヒル魔。その(パス)を伏せたまま、ここで俺に倒されるか、それともここで明かすか!)

 

 この強襲の目的の一つは、それが悪魔の巨像か、虚像であるかを推し量ること。

 この局面でヒル魔の出方を、その右腕が本当にパスを投げられるのかを見定める。

 

 

「YAーーッ! HAーーッ!」

 

 

 悪魔の右腕が、振るわれた。

 放たれるボールの回転はきれいで、軌道にブレがない。

 『デビルレーザー弾』……というには、スピードが足りないが、レシーバー――雷門太郎が駆けるパスコースへ通している。

 

 

「捕る! 捕ってやる!」

 

 

 今、泥門で一番勢いのあるモン太。

 身体はもう限界ぶっちぎっているが、憧れの人(ほんじょうさん)の前で無様は晒せない。何より、ヒル魔さんが怪我した腕で投じた、命がけのパスだ。

 

『糞オカルトババアの治療に、テーピングのドーピングで無理矢理この糞右腕を振ったとして――

 パスを投げられるのは、この1回限りだ。それで打ち止め。今度こそこの腕は使い物にならなくなる』

 

 だからこそ、即使う。

 『孤高のセンター』で、糞チビに守備の意識が集中してる。当然、守りが手薄なこっちも狙われる。だからこそ、糞サルがフリーになり易い。

 それを狙う。

 そして、パスが決まれば――今度は、ランが自由になれる。

 

 蝋燭の火が消える間際に燃え盛る一瞬のように、全力疾走を投じるキャッチの達人。

 

 

「死んでも捕る! キャッチMAーーXッ!!(「これ以上、やらせてたまるかよ!」)

 

 

 行かせない、跳ばせない、捕らせない。

 花形のインターセプトを成す真似はしない。余計な格好つけは必要ない。

 ただコイツに負けないくらい我武者羅に当たっていく。

 

 ああ、そうさ。認めてるさ。

 死にかけていても、このサル君はそんなハンデをものともしない。王城のエース、桜庭と同じだってことくらい。

 

 驕りを捨てた井口。

 ボールを奪うことではなく、モン太を抑えることに全てを費やす。

 

 

「「オオオオオオオオオ!!!」」

 

 

 接戦。

 激しさの増す乱闘の最中、我武者羅に伸ばした達人の右手は…………空を掴む。

 

 

『泥門、パス失敗!』

 

 

 ~~~

 

 

「よっしゃーーー!」

「よくやった、井口!」

「大田原さんもナイスガッツです!」

「角屋敷も惜しかったぞ、次はサックを食らわせてやれ!」

 

 

 歓喜に湧く王城サイド。

 今のプレイは大きい。ヒル魔という救世主が参上した直後のプレイが不発に終わる。持ち上げた分だけ落差がつくように、“やはり、ダメなのか”という印象を強くする。

 そして、今のでヒル魔の右腕の状態もおおよそは見当がついた。どうにかパスは投げられるが万全には程遠い。その程度のパスであれば、井口がモン太に競り勝てる。いや……

 

 

「畜生! 畜生! これが最後のチャンスだったっつうのに……!」

「お、おいバカ! そんなに騒ぐんじゃねぇ!?」

 

 

 あの、モン太の様子。

 地面を拳で叩いて悔しがる様から、もしやアレが最後の一発だったのか。いや、それも確定ではないが、これまでの経緯を見るにそうであっても不思議ではない。

 いずれにしても、相手の飛び道具はもう脅威ではない。

 あとは、アイシールド21のランだが、ヒル魔の誘いに乗らず、進が抑えていれば、『孤高のセンター』は機能せずに泥門は終わる。

 

 

 ――本当に、そうか?

 

 

 ~~~

 

 

「クッ……もう、ガタがきやがったこの糞右腕! だが、これでもまだ囮役くらいにはなれるはず……っ!」

「……“敵を騙すには、味方から”…………という“強がり(ハッタリ)”にするつもりか。やはり、ヒル魔先輩は性格が悪い」

「ケケケ、パスが決まればそれでよし。外れたとしても、それを布石にすりゃあいいんだよ、糞カタナ」

「転んでもただでは起きない先輩だよ、まったく」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 

 瞬間、重装歩兵の目前から、『妖刀』が消えた。

 

「は―――」

 

 

 ~~~

 

 

 これが、泥門(ヒル魔)本命(ねらい)か……!

 

 瞬間、高見は悟るや否や叫んだ。

 

「大田原、構わず突っ込んで、ヒル魔を潰せ!」

 

 大田原の前には、ヒル魔しかいない。

 長門はいなかった。

 狭まったヘルメットの死角に潜んでいるとかそういうのではなく、もう完全に背後に置き去りにされている。

 護衛(ライン)としての役目を放棄しているのだ。

 

「っ! しまった!」

 

 司令塔の指示に、重装歩兵は即応する。

 しかし、『妖刀』のブチかましに備えて受け身気味の意識から突貫に切り替えるのは、1秒、出遅れてしまう。悪魔はそれを致命的な失態と嘲笑う。

 

 

「は? パス?」

「だけど、そっちにはレシーバーは誰も……」

「オオオオオオオオオ!!」

 

 

 まずい。何だかよくわからないがまずい。そんな直感に衝き動かされる。

 吼え狂いながら迫って来る重装歩兵に対して、バックステップで距離を取りながらヒル魔妖一は勝利宣言をかます。

 

「キャッチが糞下手な糞デブとは違って、糞カタナはブロックもキャッチもこなすタイトエンドだ。気づくのが、一手、遅かったなァ、糞メガネ」

 

 『魔弾の射手』は、健在と示さんばかりにその右腕を掲げる。

 どんな状態であろうと外すことは許さないと己を(ちか)った魔弾(パス)の照準を定める。

 

 

 ~~~

 

 

 ――まずい……!

 

 長門が大田原を躱した瞬間、高見と同時に事態を理解した進。

 誰よりも迅速かつ最短で、守護神がその光速(4秒2)の脚で『妖刀』へ迫った。

 

 空中戦の(とぶ)前に抑えねば……!

 飛ばせない。飛ばれたら、自分では届か(かなわ)ない。

 だから、目指すは全速で長門に張り付き、全力で密着状態の競り合い。先程、井口がモン太にそうしたように。ボールの奪取より、キャッチの妨害を目的としたもの。

 

 

 ――『光速トライデントタック

 しかし、泥門最凶の二人組(タッグ)は、既に事を完了させており、最後の一歩を踏み止まった進は天高く跳ねた様を見上げる。

 それと同様に、大田原もヒル魔の眼前でその剛腕を急制止させていた。

 

 

「え、ヒル魔がパス!? それも長門君に……!?!?」

 

 成功するにせよしないにしても、最初のプレイで王城にパスの札を印象付けてから、ランを仕掛ける……そういう手筈だった。

 

 このプレイは、ヒル魔と長門の独断。

 栗田良寛が率いる本隊とは離れた、二人だけの独立分隊だからほとんど作戦なし(ノーハドル)で修正できる即興(アドリブ)プレイ。

 

(このプレイの肝はどれだけ相手の虚を突けるかだ。糞メガネと進の野郎が目を光らせてる中で、成功させるには、顔に出やすい連中(糞デブら)に伝えるにはわけにいかねぇ)

 

 無茶をする分だけ相手に要求するのはそれ相応の仕事量となるが、まあ、構わない。

 重装歩兵を抜いた『妖刀』を後追いするかのように、突っ込む重装歩兵の頭上を越えていく『魔弾(パス)』。

 レシーバーの補球体勢が整うのを1秒も待たないし、誰がマークに張り付こうがお構いなし、何ならこの『速選ルート』を見てもいない。

 視線を走らせたのは相手の守備陣形のみで。そこから瞬時に割り出した限界点を狙い撃つ……己が専心すべきは、この右腕が誰よりも知悉した軌道を通すことのみ。

 誰が相手だろうと勝つのだと(ちか)った以上は、これくらいの無茶はこなしてもらわねば格好がつかないだろうに。

 

 

「ケケケ、『孤高の(ロンリー)センター』にはこういうプレイもあるんだよ……!」

 

 

 基本的にラインマンは、クォーターバックからのパスをキャッチすることができない無資格レシーバーの扱いである。

 ただし、スナッパーが、ライン上の両端(エンド)についていれば、レシーバーとしての資格を得ることができる。

 そう、ヒル魔がパスしたのは、護衛についていたはずの長門だ。

 

「残念だが、一足、遅かったな、進清十郎」

 

 パスが投げ放たれたとほぼ同じタイミングで、ヒル魔と同調(シンクロ)していた長門は飛んでいた。

 ヒル魔がパスを投げ、長門はキャッチ体勢に入った以上、ここで当たってしまえば、ディフェンスの反則行為(パスインターフェア)を取られかねない。

 

 

(ジャンプのタイミングが速い。進に迫られたプレッシャーに焦ったんだ! あれでは長門でも、弾く……!)

 

 同じレシーバーとしての目線で桜庭は、一目でホットラインのズレを察知した。

 長門が頭上に掲げた両手(オーバーヘッドキャッチ)に届く前に、ボールは失速した。0.1秒でも遅れれば、それだけキャッチのポイントはズレる。更にボールの勢いに続き、掛けられた回転も弱まり、その姿勢がブレる。やはり腕が万全な状態の時と比較して、齟齬が生じているのだ。

 もっと球筋をよく見極めておくべきだったのだろうが、光速で接近する守護神にその余裕を奪われた。一度跳んでしまった以上はそこからの位置取りは修正は不能。

 そして、まぐれなのか意図したものかはさておいて、前回のようにモン太がフォローに入ることはない。

 つまりは、この空中分解しているパスは、失敗する――

 

 

(さて、奇襲するのはいいが、護衛を放棄させて、全くの無防備でパスを投げなければならない状況に自ら追い込むとか、普通はやらないんだがな。ワンテンポ遅れてだが、こっちに気付いた栗田先輩が蒼褪めてる)

 

 ましてや、怪我が再発した直後、その怪我した右腕でパスを投じることにどれほどのプレッシャーがかかるか。

 最初の作戦会議でモン太らに言ったことは、まったくのウソではない。この2回目のパスだが、相当無理をしての話。

 ヒル魔妖一の右腕は、もう限界だ。これ以上、この試合では使い物にならない。だから、このプレイで捨て札同然に使い潰した。

 それで“1回限り”という本音が、これで虚言(ハッタリ)になるのだから、騙されたと驚きこそすれ、安堵の方が大きいだろう。

 全てが計算通り。先の失敗も見事に有効活用して見せた。

 敵にも、味方にも都合のいいハッタリ(つよがり)をかます絵空事。

 

 限界を超えてキャッチせんとしたモン太や二度も命がけのパスを投じたヒル魔先輩――そんな味方の奮闘を無駄にはしないのが、(エース)の役目だろう。

 

 

「さっきは、弾いたが……別にアレが捕れないとは言ってはいない」

 

 

 ちらりと背後を伺って見えた、その腕を振りかぶった体勢からその軌道が読めている。多少のズレはこちらで修正すればいい。

 万全の時の『悪魔の魔弾(フライクーゲル)パス』と比較して、必中と呼べる精度ほどではないが、十二分にフォローできる範疇である。

 全力の垂直跳びで最速で最高点に達し、てから、姿勢を半転。失速し、平常の弾道予測から落ち始めたボール。そこへ肩を入れて腕を伸ばし切った手の指先が触れる。軽く、撫でるよう弾く。ミリ単位で狂いのない精密なタッチは、回転(スパイラル)乱れ(ブレ)たボールの姿勢を直す。まるで、刀身に滑らせる曲独楽を思わせる、極まった繊細さ。そのままこちらへ掬い寄せたボールを(しか)と掴む。

 

(鬼カバー力を見せつけてくれたな、長門の野郎……間違いなく、キャッチの才能がある。認めたくないけど、俺と同等くらいには……!)

 

 その神業ともいえる刹那(0.1秒)修正(カバー)を捉えられたのは、観客の中に何人いたことか。

 

 兎にも角にも、『妖刀』は、その『魔弾(パス)』を片手捕り(ワンハンドキャッチ)した、という光景がそこにはあった。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門デビルバッツ、パス成功! 『孤高のセンター』のトリックプレイからの長門選手のスーパープレイが炸裂! ゴールラインまで残り僅かのところまで迫ったぞ!』

 

 

 すごい、と小早川セナはつくづく感嘆する。

 ゴールラインに近づくほど、守備範囲は狭まり、その分だけ厚みが増す。攻撃側はその分だけ不利となるのだ。

 だけど、そうはならない。フィールドは変わっていく。こちらの有利となるように作り替えられた。

 モン太と長門(ふたり)の存在に、左右に広く守備が引っ張られている。前進する以上の、2発の“布石(パス)”の戦果だ。

 

「さ~て、楽しいクイズの時間だ。次は何すっと思う? 今度こそ(エサ)か、はたまた3連続で(パス)かどっちのカードを出そうっかなァ?」

 

 右側の二人だけの独立分隊(ウィークサイド)へ、守備の意識が割かれている。最初はこちらの攻撃本隊(ストロングサイド)に寄っていたのに、無視できない存在感を放っていた。無視すれば、痛い目を見るのだと実績を積まされたのだ。

 

「よし決めた。パスだ。腕の調子もいいし、一発タッチダウンを狙って」

 

 

 ――会話(あおり)の途中で、ボールが放られた。

   スナッパー(ながと)の真後ろに立つ、司令塔(ひるま)へではないが。

 

 

「長門が斜め後ろへ無理矢理投げて!?」

小早川セナ(アイシールド21)へダイレクトスナップ……!!」

 

 

 散々煽り立てておきながら、無視(スルー)された。

 

 

 

「な!?」

 

 甲斐谷陸は驚く。

 光速のランが炸裂す()る、と思った甲斐谷陸だったが、フィールドではその想定に反することが行われた。

 セナが走り出すことなく、脇に抱え込むはずのボールを掲げたのだ。

 

「まさか、セナがパスを投げるのか!?」

 

 ボールを右手を構えるそれは、パスを投じるためのものだ。

 これまでの泥門の試合でそのようなプレイは一度として見たことがない。そもそもあのセナにパスができるのか? あの幼馴染はあまりそう器用な方ではないし、肩も強くないはずだが。

 それに発射台であるセナが向いている右側にはパスターゲットのレシーバーはいない――

 

 

 

「! そうか、長門か! ヒル魔を守る必要がない以上は、ラインとして束縛される理由がない!」

 

 筧駿は、目を瞠った。小早川セナが向く方角にいるのは、泥門最強のエース。つい先ほども知らしめただけに印象が強いが、そのキャッチ力は関東四強レシーバーを上回るだろう攻撃の鬼がいる。

 そして、小早川セナへボールが渡ったということは、後ろのヒル魔はもうお役御免で、発射台としても囮としても機能しない、翻っては、守る必要がなく、自由に動けるのだ。

 右腕を怪我したヒル魔のブレ球(パス)対応(カバー)して見せた長門ならば、小早川セナのパスも王城の厳しい守備に遭いながらでも捕れるだろう。

 先程のように目前の大田原を躱し、長門が前へ飛び出す。小早川セナへボールが渡り、ランを強く意識した直後の王城の守備にとっては、騙し討ちにも等しい作戦(アサインメント)――

 

 

 

「これ以上好き勝手はさせんぞ、泥門!!」

 

 ディフェンスに走った動揺を鎮める主将の一喝。

 ボールをスナップするや飛び出した長門を、大田原誠の右腕が遮る。

 目前にいた相手を逃すような失態は二度としない。カットを切った長門だったが、大きく長い剛腕から逃れるには足りなかった。

 重装歩兵が振るうモーニングスターが『妖刀』に巻き付く。

 

「長門の相手は俺に任せろ!!」

 

 まだ片手だけ、片手間の拘束ならば強引にでも破ろうとした長門だったが、その五指は外れない。剥がれない。離さない。無理な捕縛に体勢を崩し、膝を地面に擦る。その巨漢を揺さぶるほどの馬力であっても、突破は許さない。

 そんな泥臭いやり方に、チームはどう応えるか。

 

「雷門は任せろ!」

 

 もう一人の要警戒対象(パスターゲット)は、井口が徹底マーク。

 主将の奮戦を見て、格好つけなんて余計な考えなど微塵も思い浮かばない。それにどんな状態であろうと油断できない強敵と認めた相手だ。

 

「ランだ! アイシールド21のランで来るぞ!」

 

 パスは、ない。

 ここに、守備の意思は統一された。

 二発の布石に幅を取らざるを得なかった守備範囲が、中央に密集する。やはり最後はランで来る。泥門デビルバッツが、この最後の詰めで頼りとしたのは、アイシールド21だ――

 

 

 

「ああ、そうだ。俺の相手はあなただ、大田原誠」

 

 自身も、パスターゲットとして揺さぶりをかけておきたかったが、それよりも果たすべき役目はこの漢の相手だ。

 “本命”は他にいる。

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケケケ!」

 

 

 ~~~

 

 

 アイシールド21が見せた、パスのフェイント。

 しかし、パスターゲットは抑えられた。そのポーズは何の意味もない。折角の爆弾も火が点く心配がなければ恐れる必要がないのだ。

 

「パスターゲットに使えるのが、糞サルと糞カタナ――だけじゃねーだろ」

 

 とそんな『その札を出すはずがない』と思われた瞬間を何よりの好機とし、嬉々として不発弾に火を点ける男がここに一人。

 

 

「ヒル魔が上がってきてやがるぞ!?!?」

 

 

 セナが向いた先に、まったくのノーマーク、フリーとなったパスターゲットがいた。

 

 ヒル魔妖一。

 先程、ラインマンかと思いきやレシーバーだった長門のように、パスを投げるクォーターバックである彼が、レシーバーになっているのか。

 

 いや、違う。

 高見は、騙されない。これはハッタリ。ヒル魔をレシーバーとして起用するにはあまりにリスクが大きい。

 しかし、この土壇場でこれに揺さぶられずにいられるのか。

 ヒル魔は何をしでかすかわからない存在だと浸透し(しんじ)切っているからこそ、何もできなかったとしても囮になるのだ。

 

 

「ドフリーだ!(「無視しろ!) とっととパスをよこせ、糞チビ!!」(ヒル魔は囮だ! パスはない!」)

 

 

 ベンチから高見が叫ぶのとほぼ同時に被せるヒル魔のアピール。

 相手にとって都合の悪い手をすかさずに打てる、心理戦の悪魔。信頼度では当然高見が上であっても、実際に近くにいるのは同じフィールドに立つヒル魔の方だ。

 指揮官の言葉が完全に届かなかった王城の守備は、見逃してしまったパスターゲット(ひるまよういち)の独走を把握して、この状況下でパスが成功すれば、確実にタッチダウンを奪われることを直感してしまった。

 

 迷いが、生じた。

 小早川セナが、走り出す前に挟んだ、ほんの一動作、ボールを掲げて、右へ視線を振る、そのフェイントが効果を発揮し、鉄壁と謳われたディフェンスの意識に、亀裂が走った。

 

 ――ランか? パスか?

 ――ランだ!

 ――いや、パスか?

 ――やはり、ランしかない!

 ――まさか、パス!?

 

 プレイ前に両サイドを警戒し、左右に引っ張られて、張り詰めていた糸のような状況が、徹底的に揺さぶられた果てのこの不意打ちが止めとなり、プッツンと切れた。

 更にそのタイミングで、爆発。

 

 

「ふんぬらばァアア!!」

「ふぐっ!?」「んなっ!?」「ぐっ!?」

 

 

 長門村正がスナッパーとなる利点がもう一つ。

 泥門デビルバッツのセンター、栗田良寛が両拳を地面に着いた『4ポイントスタンス』が取れること。

 ボールを手離しているからこそできる、全体重を前にかけたブチ破り専門の構え。両腕に溜め込んだパワーを一気に爆発させる破壊力は、二人がかりで阻んでいた王城のライン、猪狩と渡辺をまとめて吹き飛ばした。

 腕一本で一人相手取っても尚も止まらぬ重戦士。二人が押される様にラインバッカーの薬丸が急ぎフォローに入って猪狩と渡辺の背中を支えたが、まったくものともしない。

 3人まとめて粉砕した栗田が大きく開けた活路。眩い走路(デイライト)がより一層光り輝いた瞬間、ついに時代最強走者(アイシールド21)が切り込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

 すごい。

 本当にすごい。

 アメリカンフットボールは、作戦がパワーを爆発させる。

 難攻不落の城塞をもその手腕と皆の奮闘は、破壊してみせた。

 

 ――いける!

 

 試合終盤だが、ここまで温存してきた脚は、全速で駆け抜けられる。

 左右に揺さぶられ、大きく中央に風穴を開けられた今の王城の守備では、包囲網が完成し切れない。

 ――しかし、最終防衛線には絶対の守護神が待ち構える

 

 

 

「見定めさせてもらうよ、セナ君。“アイシールド21”を背負った選手(もの)ならば、同じ相手に負けっ放しなのは認められない」

 

 大和猛が見据えるのは、時代最強ランナー(アイシールド21)の疾走と、そこに唯一迫った高校最強のアメリカンフットボールプレイヤーとの対決。

 

 

 

 必ず来る、と思っていた。

 小早川セナ。彗星のように現れ、闘う度に進化してきた。

 この最大の好機に、全てを費やして己に挑んでくる強敵手に、これまでになく進清十郎は猛る。

 

 セナも覚る。

 温存してきたこちらとは違って、長門とぶつかってきた進の方が損耗が大きいはずなのに、全く衰えを感じさせない。むしろ、試合開始時以上にベストコンディション。

 闘争する相手に恵まれなかった怪物は、この試合の最中に己の力をさらに高めつつある。

 

 

「来い、アイシールド21!」

 

 

 ~~~

 

 

 プレイ前に長門君は、言う。

 

『……桜庭春人とのパスプレイを最後の仕上げとしたかったせいで隙があった高見伊知郎のことを言えないが、それなりにその“背番号(21)”にはこだわりがある。

 “大和猛(アイシールド21)に勝つ”ことを目標としてきた俺にとっては、それを背負うに足る選手でなければ、そのアイシールドを付けることさえ認め難いし――俺は俺自身を誰よりもその称号に相応しくないと自覚している』

 

 これまでの試合、何度も進さんに阻まれてきた。

 本物のアイシールド21……大和君の幼馴染で、ライバルの長門君にとっては偽物だと知ってはいても、そんな無様を見せられるのは不快だったのではないだろうか。

 不安に、なる。

 この今でも、進さんに勝つための活路を見出せないでいる僕は、ついには長門君に見限られてしまうのではないか。ここまで“温存”ということでほとんど攻撃時に走らされてこなかったけれど、本当は進さんには勝てないと見切りを付けられていたことが理由だったら、って。

 

 

『ここまで、セナの走りを最大限活かせるよう試合運びをしてきた。まあ、言わせたところもあるんだろうが、それでもアイシールド21を背負ったお前が、進清十郎に勝つと宣言をしたのならば、それを全力で支援するまでだ』

 

 

 そんなマイナス思考に陥りかけた僕の目を、アイシールド越しに見透かしながら長門君は、言う。

 

 

『そうしてきた理由はすべて、お前はもう“本物”だからだ。この世界(アメフト)へ来たばかりで先導してきた頃のルーキーじゃない。アイシールド21にはなれない俺の走りなんざ抜いて、進清十郎に勝ってこい。これが小早川セナ流のアイシールド21の走りだと、この会場のどこかにいる猛にも見せつけてこい』

 

 

 ~~~

 

 

 ――自ら困難に向かう脚が、熱い。

 

 進さんが、待っている。

 対等に戦うべき強敵手として。

 

 ――力強く押された背中が、熱い。

 

 長門君が、断言した。

 本物と認めたエースだと。

 

 ――心臓の中にある何かが、燃えている。

 

 この試合でやっとわかったことがある。

 アメフト選手は、フィールドに立ったら、“勝てるかも”、なんて口にしないんだ。

 自信なんてなくたって、胸を張って言わなくちゃいけない。

 そう、僕は21番の背番号をつけたユニフォームで、アイシールドをつけている……時代の最強ランナーだけが名乗る証――『アイシールド21』として、ここにいる以上は、ビビってなんかいられないんだ。

 

 ――だから、吼えろ!

 

 

 

 瀧鈴音は、見つめていた。

 普段は私にも遠慮がちな小心者が、最強の相手に挑みに行くのを。

 

 ダメ。

 盛り上げ隊長のクセに震えて、喉から声が思うように出ない。

 泥門デビルバッツのチアを任されてから、初めての敗戦は、地区大会決勝。

 そして、この関東大会決勝で、またも王城ホワイトナイツと対決する。皆はこれをリベンジするにうってつけだと言っていたけど、私は状況が重なってしまうことに嫌な予感を覚えてしまった。

 怖かったのだ。また、負けてしまうんじゃないかって。

 試合が始まってからも一進一退でずっとハラハラして、途中で妖兄も離脱しちゃって大変で、それでも皆は決して諦めないで闘い続けている。

 それを一番に励ましていかなくちゃいけないのに、どうしても過去のトラウマが過ってしまう。

 盛り上げ隊長なのに立っているのが精いっぱいで、震えるのが我慢できない。そんな、目を離しそうになる時だった。

 

 

 

「勝つのは、僕だ……!」

 

 

 

 セナが、吼えた……!?

 あのセナが。女子(わたし)にもオドオドと気を遣う小心者(ビビリ)のセナが、あんなにも猛々しく、感情を剝き出しにしている。

 普段の姿からは想像もできない勇ましさで、だからこそ、セナが魅せるその走りは何よりも勇気づける。

 こんなの贔屓目になってしまうんだろうけど、私の目には誰よりも格好よく映る。

 意気消沈してるなんて、やっぱりらしくない……!

 

 

 

「行っけえええええ セナーーーー!!」

 

 

 

 そして、チアリーダーは胸いっぱいに息を吸い込んで、ヒーローに負けじと大声でエールを送った。

 この日一番の鈴音の声援が響いたタイミングで、待ち望んだ舞台へ踏み込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

「もう一度、止めてや――っ!?」

 

 多重に増えた(ブレた)幽霊(ゴースト)に、一気に迫れた。

 視界を埋め尽くすほどの、接近――を幻視した。

 

 

「二度とあんな油断(ミス)はしない! 誰が相手だろうと全力で抜く! 僕が、“本物のアイシールド21”だ……!!」

 

 

 どれもが“本物”に見えてしまう。

 包囲網が未完成ながらも、果敢にひとり前に立ちはだかった角屋敷は、棒立ちのまま抜かされた。

 『トライデントタックル』のグーステップを踏む直前で、硬直してしまったのだ。光速の走りにその隙は致命的で、最小限の、半歩分のカットでその指先が掠ることも敵わずに抜き去られた。

 

 その光景を目撃した進は目を瞠る。

 

 また、一段と成長した。

 体力や技術の話ではなく、精神面で。

 

 真っ向から迫って来る走りに、迸る圧を覚える。

 角屋敷の守備を止めた、怯ませた正体は、これまでの小早川セナにはなく、長門村正にあった、闘争本能だ。

 一種の気当たり。相手を怯ませるほどの凄みが足りなかった。それを必要とするまでもなく、光速の走りは他を寄せ付けなかったが、迫力が備わった今、そのフェイントはより実像に近くなり、キレ味が増している。

 “闘争”を内包した“逃走”。

 長門と比較すれば強度は劣るが、普段のギャップがある分、その迫力は同程度か。根幹にまで根付いた逃走本能と掛け合わせ、昇華させた小早川セナの『闘走本能』。

 

 

 しかし、進清十郎に揺さぶりは通用しない。

 透き通ったその視界には、目標の筋骨格の動きのみを捉える。精神性に変化があったところで、それを無視できる。

 

 

 それを直感的にセナも覚っている。

 何故なら、数多に枝分かれした光り輝く道筋が、その男を境に途絶える。全ての攻め手を突き穿つ守護神。

 眼前には、活路がない。

 

 ――だけど、道はある。

   たった一ヵ所。

   進さんにも止められないルートが――

 

 

 

『序盤、糞カタナの後ろについていって、プレーをよーく見ておけ。ヤツはランの手本にはちょうどいい』

 

 

 

 春の地区大会で、ヒル魔さんが指示した言葉。

 アメリカンフットボールの走りとして見本とした、僕の前を先導した長門君の走りは、今だって忘れていない。

 

 

 ~~~

 

 

 ――時間が、戻った。

 

 

 ~~~

 

 

 グーステップを踏み切る直前の、出来事。

 アイシールド21との間合いが、1秒前の地点にある。

 

 ――180度後方に下がる、カットバックだ。

 

 40ヤード走4秒2の光速で間合いを詰めてきた直後、姿勢を変えずに、一歩後退する。

 それも守備がタックルを仕掛けるその瞬間、光速で離れるのだ。間合いを違えさせられた相手に、光速のスピードは捉えられない。

 ――アイシールド21よりも速くない限り、はだが。

 

 

 

「ダメだ、セナ! そのルートでは通用しない……!」

 

 甲斐谷陸が叫んだ。

 それは、準決勝で陸が行った『ロデオドライブ・スタンピード』と同じ、ランの最高奥義。

 だけど、それは通用しない。進清十郎はその最高奥義を真っ向から打ち破っている。

 

 

 

「『トライデントタックル』は、光速を超える……!」

 

 セナが光速で後退しても、進清十郎は、光速を超える超加速で離れた間合いを詰めてくる。

 追いつく。進が相手でなければ、躱せたはずの走りだったが、逃げられない。己以上のスピードで圧倒されるセナ――の――姿が――ブレ、た。

 

 

 

 陸や長門君の(教わった)走りだけでは、躱せない。

 進さんのタックルは、40ヤード4秒2の光速を超えてくる。

 そんな進さんに真っ向勝負から勝つには、もっと疾く動くしかない……!

 

 右足が、左足より左に着地するや、今度は左足が右足より右に着地。

 ジグザクに脚を交差しながらも縺れることなく、精確かつ機敏に切り返し続ける。

 

 

 ――三叉槍が捉えるはずの目標が、左右に分裂し、三つとなる。

 

 

 もっともっと僕の武器を活かすんだ……!

 10年間、毎日走って、毎日人ごみ抜けて、ずっと鍛え続けてきたこの足捌きをやり通す……!

 

 

 ――別れた分身(ゴースト)は、更に揺らいで増殖する。

 

 

 刹那の世界の中で、進清十郎は目前の事態を看破していた。

 人間の限界40ヤード4秒2、光速のクロスオーバーステップ――これをバックしながら実行している。

 

(後退しながら、『デビルバットゴースト』を……!)

 

 まさに神業と驚嘆する他ない。

 光速を超えることを目指した進の走りに対し、小早川セナはより自在に光速のスピードを使いこなしている。進ではああも激しく小刻みにステップを踏む、ましてやあんな後ろに下がりながらなんて真似は到底できない。そう、この疾走は身軽であることを長所とした小早川セナに許された究極奥義だ。

 

 それでも、捉えて見せる……!

 三叉槍に左右へ逃げ道は、ない。あそこまで機敏にはなれないにしても、進清十郎の『光速トライデントタックル・廻』は()()()()()()()()()()()()()

 透き通った視界は、己の強敵手を決して見逃さなかった。相手の重心・筋骨格の動きから割り出した0.1秒先の行動予測地点に右手を――全身を伸ばす。

 

 

(捉えた! これで終わりだ、アイシールド21!)

 

 

 捩じり突き出した三叉槍が、分身に撹乱させたその本体に刺さった。

 確かな、感触。間違いなく、小早川セナの右肩を捉えた――

 

 

 ――勝つ。

 

 

 はず、なのに――

 

 

 ――勝つ!! “スピード”で……!!

 

 

 ぐるん、と廻る。

 回転扉を押したように、当たった感覚が抜ける。違う。紙一重で躱されている。120%の超加速のタックルが衝突する直前に為したのは、同じく120%に超加速した回転抜き。進の右手が掴んだのは、0.1秒前の過去を映した残像だった。

 

 

 ――進さんに全部ぶつけるんだ! 僕の10年と、この全力で走り抜けた半年も全部……!

 

 

 ステップばかりに注視してしまったが、小早川セナは後逸しながらも上半身を捩じっ(ちからをため)ていた。

 逃げながらも、全身の力を絞り込む、小早川セナの“闘走”。

 逆回転の捩じりを解放させたときの弾けた『デビルライトハリケーンA(アクセル)』の回転速度は、瞬間的に光速を超える。同じ超高速で間合いを外された以上、捉えることは敵わず。

 

 

『な、なんとっ! 光を時空を捩じる四次元の走り! が転じて更に竜巻となった――』

 

 

 

 ――『D(デビル)4(フォース)D(ディメンション)ハリケーン』!!

 

 

 

 時間を後方へ巻き戻す最中にも360度全て縦横無尽にゴースト分裂しながら、最後は超加速の回転抜き(スピン)

 抜き去った高校最速の守護神を置き去りとし、そのまま一気に駆け抜け――

 

 

『タッチダーーーゥン!!!』

 

 

 ~~~

 

 

『泥門デビルバッツ、ボーナスゲームで武蔵君のキックが決まり、30-20! 残り時間ももう残り僅か! これが決勝点となるのかーー!』

 

 走りで、負けた。

 一度目は、追いつけない速さに。そして、今回は追いすがれない疾さに。

 40ヤード走4秒2……そんな記録上の数値では計り知れないアイシールド21(小早川セナ)の“走り(スピード)”に、先を行かれた。

 長門にも、要所要所で上を行かれている。

 このまま試合が決すれば、“パーフェクトプレイヤー”、“高校最速のアメリカンフットボールプレイヤー”という称号は剥奪されるだろう。

 

 しかし、そんなのはどうでもいい。

 個人の成績に拘泥している場合ではないし、頭にない。

 重要なのはこの決戦を制することのみ。

 

 

「まだ、試合は終わっていない。残り2分で、10点差……だが、ここまで泥門は確実に消耗している。優勢で保っている士気が途切れれば脱落者が出るだろう。追いつけば必ず十分逆転できる」

 

 冷徹な指揮官は、試合を諦めていない。

 そう、厳格な指導者に徹底して鍛えられた王城の騎士団は試合を投げ出すような輩は一人もいない。

 

 

 ~~~

 

 

 序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指す。

 

 盤上遊戯(チェス)の格言のひとつ。

 フィールドは、終盤で、詰み筋は、見えている。

 ただし、それは駒一つの犠牲(サクリファイス)を許容しなければならない、が……

 

 超攻撃的なチェスが持ち味で、プロを目指して日本から世界進出したはずのとある男は、本場との激しいレベル差に受け身一方のスタイルへと転換し、ほとんど勝利できないまま帰国して引退した。

 『俺はやるだけやった』と言いながら、何も為せなかった男のようにはならない。

 

 

「まだ、1%でも負ける確率がある以上、確実に、ここで勝ち目を摘みに行く」

 

 

 死んでも全国大会決勝に行く、と己に(ちか)ったからには。

 

 

 ~~~

 

 

 フォーメーションについた王城ホワイトナイツの攻撃陣の中核である高見伊知郎の、真正面に相対する泥門デビルバッツの守備戦術。

 

「『クォーターバック・スパイ』か……!!」

 

 そして、投手の一挙手一投足を見張るそのポジションについているのは、不敵に笑う悪魔。ヒル魔妖一。

 

 

「ンハッ! 面白れ!」

「ヒル魔VS高見――トリックスターと軍師の頭脳対決だ……!!」

 

 

 何が、狙いだ。

 ヒル魔は、右腕が使えない、はず。守備では役に立たない、はずだ

 ヒル魔の怪我については確定として扱うと高見さんが決めたのだ。

 だから、あんな揺さぶりを仕掛けたところで、何の効果はない……!

 

「ケケケ」

「!」

 

 悪魔の巨像(虚像)が、こちらに視線を向ける。こちらの手の内を見透かすように笑ってくる。

 それだけで、ぴくん、と猫山は反応してしまった。

 

「落ち着け、猫山。攻めるのは我々だ」

「高見さん……」

 

 動揺を消し切れない自分に対し歯軋りする猫山だったが、しかし、彼の前に立つ背中は漣ひとつも動じない。

 むしろ、こちらには都合が良い。守備が一人案山子も同然。泥門には進と同格の長門がいるが、ヒル魔という穴をフォローするのにその守備範囲が制限される。

 つまりは、ヒル魔のアレは、自らの首を絞める愚策であり、そして、こちらはそのような挑発に乗る理由はない。

 そもそも、王城は泥門が何をしてこようと一切の躊躇はしない。

 

 

「“ハートのキング”! ――」「――“千石サムライズ543”!」

 

 

 高見が『ノーハドル』で作戦指示を出すや否や、ヒル魔もまた何かを被せた。

 

 何を――と疑問を抱きかけたが、直感的に理解した。

 だが、それの理解は受け入れがたい。これは単なるヒル魔流の心理戦(ハッタリ)だと言い聞かせて、中断したコールを唱える。

 

「SET! HUTHUTHUT――」

 

 大田原からスナップされたボールを受け取った高見は即座に構え――

 

 

 ~~~

 

 

 ――『ツインタワー剛弓』が放たれた(妖刀の狙い澄ました一振りが斬った)

 

 

 ~~~

 

 

「“クローバーのエース”! ――」「――“柱谷ディアーズ781”!」

 

 

 ~~~

 

 

 ――進を囮に、猫山を逆サイドへ走らせた(回り込んでいたアイシールド21に捕まった)

 

 

 ~~~

 

 

『王城ホワイトナイツ、連続で攻撃失敗!? まるでプレイを読んでいるかのような泥門デビルバッツの守備ですが、これは偶然かそれとも意図したものなのかー!?』

 

 

 こちらが一手を打ってから、間髪入れずの早指し。

 『ノーハドル』で指示するのに対して、泥門も『ノーハドル』で指示して相殺している。正確には、王城の作戦暗号(コード)を、泥門の作戦暗号(コード)へと即座に翻訳して、チームに伝達しているといった方が正しい。

 

 陣形から相手の手の内を暴くことはできる。

 だが、それはクセを消していない3流のチーム相手に通用するものだ。

 この関東大会に出場している全チームに簡単に読まれるようなクセなどないが……

 

(だが、現実として読まれている。これを単なる偶然と片付けるには危険だ)

 

 作戦暗号(コード)が、解読されたのか?

 いいや、それはない。新生王城が『ノーハドル』で攻めたのは、この決勝戦が最初だ。それを断定するには、まだ判断材料(プレイ回数)が足りないはずだ。

 更に念を入れて、対処している。

 作戦暗号には、“作戦の種類”と、プレイスタートのタイミングを示し合わせる“スナップカウント”の情報が含まれているとされている。

 だが、高見が考案した作戦暗号が伝達するのは、“作戦の種類”のみ。

 だから、“HUTの掛け声が何度目にプレイ開始(スナップカウント)”の情報まで解析しようとすれば、ドツボに嵌まることになる。

 そう、“スナップカウント”について出しているのは、高見ではなく、ベンチサイドからで――

 

(どうする? 作戦暗号を変更するか? いや、ダメだ。そのような真似をすれば、答え合わせしているのも同然だ。ヒル魔に確定だと見なされる。それに、ここでタイムを使えば、助かるのは泥門の方だ。疲弊しているうちに一気に攻め立てなければ間に合わなくなる)

 

 作戦が読まれていることを前提に強引にでも攻めるか、それとも慎重を期して立て直しをするか。

 だが、今の状況で後者を選択できる余裕がない以上は、選択肢はひとつ――

 

 

 ~~~

 

 

 『クォーターバック・スパイ』のポジションについた目的は、王城を観察するため。

 無論、王城ホワイトナイツに簡単に見破れるようなクセなんてないが、ないわけでもない。

 高見や進といった連中は、ハッタリを吹っ掛けたところで漣ひとつとておくびに出さないが、経験の浅い一年生らは、大舞台で追い詰められた接戦で、消し切っているはずの癖も焦りにつれて顔を出してくる。

 

 それに加えて、相手の指揮官と思考や性格が似通っている点が大きい。

 

『狡くて諦めの悪いトコが俺とそっくりな奴だからなァ。糞メガネが王城のコマをどう扱ってくるのか、その打ち筋を80%くらいはトレースできる』

 

 ヒル魔妖一は、作戦暗号を完全に解読しているわけではないし、その必要がない。

 有体に言えば、 高見伊知郎がこの局面で場に出す札を、ヒル魔妖一も思い付くことができる。

 カードゲームで、どんなデッキを組んでいようと、実際に作戦(カード)を切るかの選択は指揮官(たかみ)に一任されている。

 作戦会議が0秒だろうと、戦術理論は変わらない。

 ベンチ裏に下がっていた時に試合映像を研究していたのは、その輪郭の解像度を99%にまで高めるための作業だ。

 

『ねぇ、ヒル魔君、“スナップカウント”だけど、ベンチサイドの若菜さんが抱えてるタオルの数がそうじゃないかしら?』

 

 ちなみに、“スナップカウント”のサインについては、同じく試合映像を見ていたマネージャーの姉崎まもりが発見した。

 同じマネージャーだからこその視点で、奇しくも、そのあたりも同じ発想だったことが幸運だった。

 

(タイムは取らねーようだが、どうする糞メガネ。このままじゃ、99%、詰むぞ)

 

 100%の再現ができないが、遊び球が投げられない配球となれば、ある程度方向性は定まっており、更に、直感的に敵全体の動きを察知し、こちらと思考をリンクできる長門を使い、攻め手を限定させていた。

 この状況であれば、ヒル魔は王城(たかみ)の作戦を即座に見破れる自信があるし、もうこの二度のプレイで十二分に“呪い”は植え付けられた。

 

 

 ~~~

 

 

(あの桜庭先輩の相棒、インテリMAXな高見先輩の作戦を続けてドンピシャで的中させてる……!)

(右腕が使えなくたって、ヒル魔さんには、ハッタリとペテンという武器がある……!)

(さっきは散々向こうのペースで振り回された王城の速攻を阻んでやがる……!)

 

 もはやここまでくれば、読みが外れても関係がない。

 高見の唱える『ノーハドル』にヒル魔が言霊を打ち込むだけで王城は動揺する。いやらしいことに、ヒル魔も『ノーハドル』の作戦暗号(コード)で伝達しているのだから、王城はこちらの動きが読めない。“読まれているのではないか”と不安を抱えれば、プレイに集中できずに精彩を欠くだろう。

 このままでいけば、勝てる、と沸々とした希望を持ち始めるチームメイトの雰囲気で、不意に思い返す。

 

 東西交流戦。

 勝てたはずの試合を取りこぼした逆転劇で、己は何を見せつけられた。

 全ての始まりで、全ての頂点たる帝黒学園を打ち破るに必要不可欠なものは一体何だったか。それは東京地区代表にはなかったもののはずだ。

 そこに考え至った長門は、無意識に呟く。

 

「……このままいけば、勝てなくなる」

 

 

 ~~~

 

 

「……“ダイヤの8”! ――」「――“NASAエイリアンズ835”!」

 

 小休止(タイム)を挟まず、果断に作戦を続行する。

 冷徹な指揮官の戦術を、悪魔の指揮官は即断で種明かしした。

 

 ――『射手座(サジタリウス)』。

   王城の二枚看板(エース)を集中させて突撃させるパスプレイ。

   持ちうる作戦(カード)の中で、最強の火力を誇る『射手座』による強行突破。

 

 だが、それもプレイ開始前からわかっていれば、止められないわけではない。必殺の『射手座』を切り落とした『妖刀』があるのだ。

 

 

「SET! HUT! HUT!」

 

 ――関係ない……!

 

 プレイ開始するや全力で飛び出す桜庭。マークについたモン太を一気に振り抜き、前に出る。それに進も続く。

 

 

「進の『巨大弓』に、桜庭の『ツインタワー剛弓』――王城最強の『射手座』だ!」

 

 

 一度は破られたが、二度はない。

 進とのタッグで、高見さんとのコンビプレイは、絶対。たとえ読まれていようが決めるからこそ必殺技だ。

 2回連続で攻撃失敗して泥門に傾いた試合の流れを、ここで一気に奪い返す。それこそが、エースの役目だ。

 

 

「は? 逆サイドに――あの鈍足の高見が自分でボールを持ってラン!?」

 

 

 え――

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔。

 俺とお前は同類だ。

 どれだけ努力してもあの進や桜庭のような花形(エース)にはなれない。

 だからこそ、どんな精緻な策を弄してきたし、少しでも勝ちに繋がるのならどんな非情な手段もこなしてみせよう。

 

 

『これは、高見君、自らボールを持って、『キューピードロー』だ――!』

 

 

 予想外の、事態だろう。

 敵だけでなく、味方さえも欺いたのだ。あの『ノーハドル』は間違いなく『射手座』を支持していたものだったが、高見は独断でプレイを切り替えた。

 桜庭と進の二枚看板を繰り出せば、それに呼応せざるを得ない泥門も戦力を集中させて守りを固める。

 そうして、手薄となった守備陣を独走する――

 

 

『! なんと、会場の全員の予想を裏切る高見君のプレイを読み切ったかのように、ヒル魔君が回り込んでいたー!』

 

 

 読んで、いた……!

 乾坤一擲の策に、ヒル魔妖一は反応していた。

 ヒル魔が読んでいたのは王城の作戦ではなく、高見の思考。であれば、この独断決行も想定内だった。

 

 

「ああ、信じていたよ。ヒル魔なら、俺の考え付いた策を見破ることを」

 

 

 高見は、逃げず。

 立ちはだかるヒル魔に、全速で向かっていく。

 

 

「マズい! 高見の狙いは、ヒル魔だ!」

 

 溝六は叫んだが、もう遅い。

 意表を突かなければ、スピードで劣る高見を捕まえることはできるだろうが、今のヒル魔の腕で、体当たりを受けきることはできるのか。

 否だ。

 読み合い(ハッタリ)も糞もない、指揮官同士の泥仕合でもって、悪魔の()像を再起不能にする。

 

 

脚の速さ(スピード)では負けるが、腕力ならばこちらが上だ」

 

 

 ヒル魔妖一、身長176cm、体重67kg、ベンチプレス75kg。

 対し、高見伊知郎、身長192cm、体重79kg、ベンチプレス85kg。

 力勝負となれば高見に軍配があがるだろう。右腕が使い物にならない以上は猶更で、だから、この土俵にヒル魔はあがってはならなかった。

 

 アメリカンフットボールは、球技であり、格闘技。

 敵を破壊することも作戦の一つとして認められる。

 それが怪我人だろうが、変わらない。

 反則によって負わせた怪我で、王城ホワイトナイツにとっても負い目のある負傷であっても、冷徹な指揮官は容赦なく、チームの勝利こそを最優先とする。

 その後、『怪我人を追い打ちした』などと後ろ指をさされることとなろうが、己の名誉が地に堕ちることとなろうが一顧だにせず――

 

「王城の勝利に、君は邪魔だ、ヒル魔! 力ずくでもここで排除させてもらう!」

 

 ヒル魔は、逃げない。

 逃げられないのだ。ここで高見を素通りさせてしまえば、それで右腕の負傷は確定となり、守備として決定的な穴とされることになるのだから。王城にかけた“呪い”が半減してしまうからこそ、挑むしかない。

 

 高見は、逃げない。

 ヒル魔を直接相手取ることこそを望んだ独走だ。そして、これは至極厄介な泥門の頭脳を破壊するための、非情な策。

 投石機(カタパルト)を彷彿とさせる長い右腕を振り上げて、ヒル魔の右腕を目掛けて振り下ろす――!

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、だから、テメーの考えは読めてんだよ、糞メガネ」

 

 

 ~~~

 

 

 勝利のために、怪我人だろうと破壊する――上等だ。

 ここは戦場だ。フィールドに立っているのであれば、骨を折られようが文句など言えない。

 そして、指揮官というチームの頭脳を潰せば、チーム力は確実に下げられるのだから、それを狙うのは至極当然のことなのだ。

 

 

 ――だから、ヒル魔(こちら)高見(それ)を狙った。

 

 

「むしろ、甘ぇんだよ、糞メガネ。誰がやろうが関係ねえ、ブチ潰せればいいんだよ……!!」

 

 汚れ仕事は自分で請け負おうとするからこそ、こうして誘き出せる。

 もし、相手が糞睫毛(マルコ)だったら、峨王(しん)を差し向けていただろう。

 しかし、冷徹な指揮官は、身内には甘い。後輩たちに反則の上塗りをするような真似をさせるだけの非情さはなかった。

 それを読んでいたヒル魔は、何もできない自身をエサとし、敵指揮官を処刑場(ここ)に誘き寄せた。

 

 

「オオオオオオオオオ!!!」

 

 

 身体の芯から震えが走る、咆哮。

 他の一切を無視して猛然と迫る、重圧。

 すぐにその正体を悟り、続いてこの窮地に気付く。

 ここは、『妖刀』の間合いに入った――すなわち死地だと。

 

(どうして、長門がこちらに来て――)

 

 高見の思考をトレースできたからこそ、ヒル魔はこの独走を読んでいた。

 それと同様に、空間認識能力、洞察力、アメフトIQ、それらを高度に兼ね備えた長門は本能的に一から全を悟る。相手選手の“起こり”からチーム全体の作戦行動から敵味方の配置まで先読みしてしまう。

 だから、指揮官の指示がなくてもプレイを読めるからこそ、敵味方を騙す『ノーハドル』を無視して、唯一独断で動けて、この局面に追いつけた。

 そう、両チームの指揮官に割って入れる、“3人目の指揮官”なのだ。

 

 自らの急所(みぎうで)を狙われながらも悪魔は笑い、同じく相手の投手の急所(みぎうで)を視線で示す。

 

 

「俺ごとぶった斬れ、糞カタナ!」



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