ヒュドラの毒牙 (蛇好き)
しおりを挟む

プロローグ

彼はゆっくりと起き上がった。

 うまく働かない頭とぼやけた視界に鞭を打って周囲を見回す。

 彼の視界に写るのは、白い空間。白、白、白。

全てのものが真っ白。

 

「病院、ではないみたいだな」

 

おぼろげな記憶を辿る。

 彼にとっての最後の記憶は、血の記憶。

生温い血の海で、もがき苦しみながら命の灯火が消えた、ということを理解していた。

 なのに彼には意識が存在している。

それはどうしてか。疑問が頭の中をぐるぐると回り始めた時、答えは突如として訪れた。

 

『そこの人間』

 

脳内に突然響いた、重厚な声。

 彼は驚いて、声の主を探すも、白い空間にポツリと自分が佇んでいるだけだった。

 

『そう焦らずともよい』

「は?」

 

と、彼は間抜けな声を発し、先程の声が、幻聴でなかったことに気付く。

 

「俺って、死んだはずだよな?」

『そうだな、貴様は死んだ』

「ここはどこだ?」

『生と死の狭間、といったところか』

「なぜここにいる?」

『貴様に詫びる為だ』

「理由は?」

『息子が罪を犯した』

 

ふっと、彼の脳内に記憶が浮かんだ。

 悪魔の実、特殊能力。

悪魔の実、という架空の産物が現実に現れた。

それを食べてしまった者は、カナヅチになる代わりに、特殊能力を得る。

そんな事が記憶の表層に上がると、水からブイが上がるように、死に際を思い出す。

 フワフワと浮遊するナイフが彼を刺す。

ドクドクと刺された箇所血が溢れて、彼の体を濡らした。

痛み、よりも、熱いという感覚に近かったか、それとも痛覚が既に彼のキャパシティをオーバーしていたか。

今となっては確かめる術はない。

 

『回想しているところすまないが、時間が少々足りん。手っ取り早く説明すると、悪魔の実を食べた能力者に通り魔殺人された、以上』

「マジかよ……」

『残念ながらマジだ』

「なんでここにいるんだよ」

『息子が遊び半分に下界を弄んだ、そのせいでバランスが崩れてしまい、貴様を下界から消さなければならない。丁度貴様が殺された。そこで貴様を下界から消す人間に選んだのだが、貴様には時間がたっぷり残っている、しかも息子からむしりとった年月の分も加算した寿命ぶんが貴様に残されている。転生するか、そのまま死ぬか』

「もちろん転生する」

『下界にはもう無理だ。不幸中の幸いというのか、私は創作を司る神。現実でなくとも物語の世界でも転生は可能だ』

 

彼は顎に手を当てて、少し考えた後でこう言った

 

「ONE PIECEで!」

『いいのか』

「俺って漁師の家系に産まれてさ、俺自身も漁師目指してたし」

『その表情を見る限り、悔いは無さそうだ』

 

彼の表情はこれから始まるであろうことに、目を輝かせていた。

 

『転生特典、とやらをつけてやる。下界での行い+詫びの気持ちを込めて五個、といったところか』

「それって多いのか?」

『二個は詫びのおまけで、もともとは三個。相当多い。

馬鹿正直な性格が窺える』

「そうか」

『早く決めろ』

 

急かすので、彼は数学の難問を解く時よりも速く頭を回転させる。

一つ、二つ、と順調に進んだ。

 三つ、四つと進むに連れて、どんどん思考は鈍くなり、遂に詰まってしまう。

 

『早くしろ、空間が崩壊しそうだ』

「崩壊したらどうなるんだ?」

『そうだな、魂が永遠に“無”をさまようだろうな』

 

彼の身体中を怖気が駆け抜けた。

 その恐怖からか、彼自身のスペックを越えた思考能力のおかげで、閃光が走り、五個目の特典をひらめく。

 

「三種の覇気の才能。身体能力の強化。武術の才能。頭脳の強化。ヒュドラの能力を持った悪魔の実を食べること」

『満足か?』

 

彼は満足そうに頷くと、薄く目を閉じた。

 

『それじゃあ、達者でな』

「さようなら」

『済まなかった』

 

神がその言葉をいい終えるが早いか、空間が崩壊を始めた。

 彼は崩れ行く空間を見ながら、今まで生きてきた世界とこれから生き抜くであろう世界に思いを馳せた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#1 一日目

目を覚ますと、彼はベビーベッドに横たわっていた。

 天井から吊り下げられた音のなるおもちゃが揺れて、彼をあやしている。

 ベッドのそばで父親と母親が会話していた。

 

「名前はなににしようかしら」

「男ならダイナって決めてたじゃないか」

「あら、すっかり忘れてたわ」

 

彼にはその会話の全てを聞き取ることができた。

 彼の脳内には言語体系がどっしりと根を下ろし、定着していた。

日本語で記述された物語だから、当然と言えば当然なのだが。

 彼――ダイナはゆっくり辺りの状況を探った。

釣竿が見えた。それもダイナの見慣れたゴツい釣竿が。

 目一杯息を吸うと、ほのかに磯の香りがした。

期待を胸にダイナは思考の海に沈む。

 

(名前がさっき決まったという事は産まれてからあまり時間が経っていない、釣竿と磯の香りがするという事は、漁師の家に産まれたという可能性が高い)

 

「仕事に行ってくる」

 

父親はそういったのち、ゴツい釣竿を持って、玄関の戸を勢いよく開けた。

 外を覗くと、青い海が広がっていて、濃密な磯の香りが部屋中に充満した。

 ダイナの中で疑念が確信へ変わってゆく。

 

 

 

「帰ったぞ!」

 

父親の手には大振りの魚が三匹握られていた。

魚は手から逃れようと、身をよじらせるも、屈強な体格をした彼の前には、無意味な抵抗に終わっている。

 

「今夜はうまい飯を頼むぞ」

「ええ」

 

まな板の上に魚を載せると、ビタビタと跳ねた。

 ダイナはこの世界でも漁師の家に産まれた事に、心の中でガッツポーズ。

それだけでは足りないのか、体を盛大に動かして喜びを表現する。

 

「ダイナも喜んでる」

「これからもっと釣りまくる必要があるな」

 

 赤ん坊、というのはすぐ眠る物だ。

 それはダイナとて例外ではない。

精神的には既に成熟していても、肉体は赤ん坊。

 眠気には逆らえず、彼の意識が暗転した。

 

 

 

この世界に来て、二度目の覚醒だ。

 コトコトと鍋が煮える音と、ふんわりといい香りが漂う。

 料理中か、とダイナは考えて、どんな料理か探ろうとたくさん息を吸い込んだ。

 前世では漁師という家柄、魚料理は相当の知識を誇っていた。

 ムニエルか、と辿り着いて、そこで思考を止めた。

 その代わり、別の思考に移る。

窓から見える空は暗く、星が瞬いている。

時刻的にはもう夜だろう。

 

「もうすぐ出来そうよ」

 

母親の言葉がダイナを思考の海から引き揚げ、現実に戻る。

 父親が待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、ワクワクとした様子で母親の準備を開始する。

 

「おや、今夜はムニエルか!」

 

父親の好物なのか、尋常ならざる喜び方をして、スキップしながら皿を運ぶ。

 

「お、ダイナも食いたいのか」

 

ジロジロと皿を見つめ過ぎたのか、父親が誘ってくる。

 

「ダメ!」

 

鋭い声が飛んで来て、父親を制止する。

 

「まだ産まれたばっかなんだから!」

「冗談だよ、冗談!」

 

ひらひらと手を振って、にやけた顔を作る。

 母親は射るような視線で父親の事を射抜く。

 父親がビクッ、と震え上がって、汗をだらだらとかいている。

 対して、母親は穏やかな笑みを湛えている。

その笑顔が途轍もない位恐ろしい。

 

「これから、こんなことは無いように」

「はいッ!」

 

父親の声が裏返っていたのは、恐ろしさ故だろう。

 一部始終を見届け、庇護される立場にあったのに、ダイナは震えが止まらない。

 

「さっ、ご飯たべましょ」

 

先程とは違う、優しい笑顔で食卓に着いた。

 父親は母親に頭があがらない様だった。

 

 

 

「あら、眠いの?」

 

ダイナが欠伸をしているのに、気付いて、彼を抱きかかえ、ゆりかごのように揺する。

 どんどん意識は沈み、まぶたが重くなる。

そのうち、真っ暗に世界が塗り潰される。

 

そうして、ダイナの一日目が終わったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#2 漁

ダイナは三歳になった。

 

「舟に乗りたい!」

 

そうダイナは叫んだ。

 玄関を出てすぐの船着き場。

そこでダイナはささやかな抵抗としてロープを固く握り、出航を阻止しようとしていた。

 

「いや~参ったな」

 

父親が頬をボリボリと掻きながら、迷った視線を投げる。

 

「とうちゃんがこっそりお酒を飲んでるの、かあちゃんにばらすぞ」

 

この歳で脅しを覚えたか、と感慨に耽る。

 しかし、ダイナが産まれて以来、タバコも酒も禁止されている、この事が知れたら、どうなる事がわかったものじゃなかった。

 

「わかった! かあちゃんには内緒な!」

 

だっこして船にのせ、ロープをほどく。

 

「出航だ!」

「出航!」

 

元気よく出航した二人は帆に風を受けて、沖まで進む。

 あのゴツい釣竿を投げて、ダイナに持たせると、船の左から右端へ移り、網を落とす。

 

「待つか」

「おう!」

 

威勢よく返事をして、握った釣竿の反応を待つ。

 

「とうちゃん! 動いた!」

 

ダイナには漁師見習いとしての感覚が息づいている。

手伝いとして乗った船で嫌というほど体に染み込ませた釣竿に魚が掛かる感触。

 それは幾年経とうとも忘れることはない。

 

「お、すげぇな」

 

釣竿を少し上げて合わせたら、リールを巻いて海面へと引き揚げる。

 

「もうすぐだ」

 

期待は高まり、ジッと水面を見つめる。

 

「……来た!」

 

魚影が現れた。逸る気持ちを抑えて慎重に引く。

 遂に水から魚が顔を出す。

糸をたぐって、舟の上にのせる。

 尾びれで甲板を打ち、舟が揺れる。

 

「こいつ、活きが良いな」

 

強引に暴れる魚を押さえ、絞める。

 

「今日は市に卸すんだよ。卸さねぇとかあさんが怖ぇからな」

 

 ぶるり、と父親が震えた。

母親が恐怖の対象であり、かつ、絶対に怒らせてはならない存在だとダイナは理解した。

 

 

 

照り付ける太陽が眩しく、暑い。

ヒリヒリと皮膚が痛む。

 ふと横を見ると、父親が日に焼けていた事に、改めて気づく。

 

「暑いか?」

 

ダイナはこくりと頷いた。

 

「毎日こんな日射し浴びるとな、だんだん慣れてくるんだよ、もしお前が海に出たいと思うなら、こんぐらいへっちゃらになることだ」

 

父親はダイナの頭をポンポンと優しく叩いた。

 

「そろそろだろ」

 

そういって、網を引く。

 

「ここ持ってな」

 

端をダイナに渡して、網をたぐりよせる。

 

「結構重いぞ」

 

ダイナにはもう大漁である事がわかっていた。

 手伝い時代に幾度なく引いた網。

重さ、魚の生み出す微妙な振動、手応え。

 それらがダイナに大漁である事を雄弁に語っていた。

 

「とうちゃん、大漁だ!」

 

わざと子供らしく叫んで、大袈裟に飛び跳ねて、純真無垢な子供を演じる。

 なぜだか、わからないが、ダイナには転生者であるという事をバレてはいけない、という認識が最初からあった。

 

「重…すぎる」

 

やっとの思いで舟に引き揚げると、とてつもない程の魚がかかっていた。

これほどの量は流石に滅多にお目にかかれない。

 

「お前、ツイてんな」

 

ダイナに笑ってみせる。釣られてダイナもニカッと笑い、拳を合わせた。

 

「こんくらいの量だと二十万ベリーはくだらねぇな」

 

すぐに金の計算にシフトする。

 もう父親はさっきまでの純粋な笑みを見せてはいない。

 今は子供には見せられない、邪な笑みを浮かべている。

 我に返ると、父親は市へと舟を進めた。

 

 

 

 

「ざっと見て、目算では二十万、質が良ければ三十五万ベリーは行くよ」

 

そう聞いた父親は目を爛々と輝かせて、魚達を見詰めた。

 

「とりあえず値が付くまで待機、だな」

 

少し待つと、値が出た。三十万ベリーとの事だった。

期待以上だ、と父親は喜んで、近くにある自宅へ駆け戻った。

 

「今日は大漁でよ、三十万ベリーが手にはいったぞ!」

「よかったじゃない!」

 

札束を金庫に仕舞ったら、ダイナの元に全速力で戻る。

 

「ごめん! 金仕舞いに行ってた!」

 

素直に、父親はダイナに頭を下げた。

 

「とうちゃん、おれ大丈夫!」

「ダイナは強い子だな!」

 

そして、そのままダイナを抱き上げ、家に駆け戻った。

 

「飯食ったら、ダイナと海に探検しに行っていいか?」

 

家に帰るなり、開口一番に父親は母親に訊ねた。

 

「構わないわよ」

 

と、二つ返事で承諾した所に、父親への信頼が見てとれた。

 

「但し、日暮れ迄には帰ること」

「はい!」

 

父親に代わって、ダイナはぴょこんと飛んで返事をした。

 

 

 

昼食を掻き込む様にして、胃のなかに収めた後は、舟に乗り込んだ。

 父親がオールを漕いで、ダイナは帆を張る。

 

「海、綺麗だね」

 

穂先に立って、水平線を見ていたダイナは呟いた。

 

「だろ? この景色を独り占め出来るってのはこの仕事の特権だよ」

 

父親は誇らしげに胸を張った。

 適当に、当てもなく舟を進ませていた。

 すると、雷鳴が遠くから聞こえ、ポツリ、と雨が降り始めた。

 

「結構やべぇかもな」

 

ダイナは歴戦の海の勇士が不安を溢すのを見て、焦り始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#3 嵐

不穏な雲が天蓋を覆う。

 まもなく雷鳴が轟き、波が舟を呑み込む。

ダイナは必死に舟にしがみつき、海に投げ出されるのを防いでいたが、今にでも舟が転覆してもおかしくない。

 辛うじて、持ちこたえている、というような状態。

転覆するのも、最早時間の問題だ。

 

「とうちゃん、どうしよう?」

「余計な心配をするな。絶対助かる」

 

 強い言葉で断言する。

そんな中、一際大きな波がやってきた。

大波に揉まれて、舟が跳ねる。

水が舟の中に入ったので、急いでかきだす間にも、風と雨がひしひしと強くなっていることがわかった。

 絶えず波が押し寄せ、舟が揺れ続ける。

 考えろ、考えろ。ダイナは自分に言い聞かせる。

自分の知識を総動員しろ、知恵を働かせろ。そして生きろ。

 ――転生して数年で力尽きるのは御免だ。

そんな思いが彼を突き動かす。

 ――俺は海に出る、成し遂げなければ死ねない。

決意が、ダイナの感覚を鋭く。脳をより動かす。

今はすべてにおいての能力が一段階高まっている。

 見ろ、見ろ。

 ――今の天気の状況はどうだ、今、自分が助かるにはどうするべきか。

 自問自答を繰り返し、的確に答えを紡ぎ出す。

それはさながらジグソーパズルをすらすらと完成させていく様。

 最後の一片がピタリ、と収まってもなお、ダイナは不安を抱かずにはいられない。

 ――これで本当に合ってるのか、もしかしたらこれは最悪のシナリオを描くだけでは。

 まさに、負のスパイラルに陥ったところで、前世の記憶を思い出す。

 

『やらねぇで死ぬよりもやって死んだ方が、後悔は無ぇだろ』

 

いつそれを聞いたかもう忘れたが、それだけは明瞭に覚えている。

 ――どうせ死ぬならやって死のう。

その結論を得るまで、さほど時間を要する事はなかった。

 

「とうちゃん、こっち」

 

現在、進んでいる航路の港に戻るコースから東に逸れるように、指を差した。

 

「今日のラッキーボーイはお前だからな。よし! 賭けてみっか!」

 

精一杯、面舵にきって、急転換。

 揉まれる波の強さも、高さも変わらないが、助かる公算があるだけまだマシに思えてくる。

 一体、どれだけ進んだのだろうか。

本当は全く進んでいなくて、結局なにもしていない様にも、順調過ぎるくらいに進んでいたのかもしれない。

島の影も見えない、だだっ広い海上では確かめる術がない。

 今は、自分の計算を信じてひたすら進むしか道は残されていなかった。

 

 

 

 俄かに雨が弱くなる。風も止んで来て、雨で霞んでいた視界もクリアになった。

 そして、雷鳴の回数も減り、やがて、消えた。

 空が晴れわたるのに比例して、彼らの顔も晴れていく。

 

「おい! ここ俺らの住んでる島の隣だ!」

 

父親の顔がぱっと明るく咲いた。

 しかし、ダイナの住んでいる島は、まだ荒れ狂う嵐で覗く事が出来ない。

 

「とりあえず、嵐が止むまでこの島で休憩だな」

 

ゆっくりと島に向かい、砂浜で大の字に寝そべる。

 

「あは、あははは!」

 

意味もないのに笑える。

助かった事への安堵なのか、と自らの心中を模索するが、そうではなかった。

 安心、達成感。考えうる感情のいずれにも当てはまらない。

 そのうち、もうひとつの笑い声が重なる。

 

「よくやったよ、お前」

 

頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、照れるダイナ。

 

「とうちゃん嵐が消えていく」

「ああ、もうすぐ帰れるな」

 

ふと、上を見ると、日が傾きかけていた。

 

「やべぇ! 急いで帰らねぇとかあちゃんに怒られる!」

 

母親に怒られる事をなによりも畏れ、嫌う父親のことだ。

 きっとすぐに帰れる。命からがらの目に遭遇しても、いつもと変わらない父親の姿を見て、ある種の安心を覚えた。




今回「い抜き言葉」と「い」が付いている言葉がありますが、誤字ではありません。
あえて、キャラクターの言葉は崩してあります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#4 親父は人外

嵐から一晩が明け、朝早くから父親が漁師に出ると聞いた時は驚いた。

 ダイナですらもしばらく海に出る気は失せていたのに。

 

「こういう嵐の翌日はなぜだか海王類がよく釣れるんだ」

 

起きて数分と経たぬ内に、二回も驚愕する。

 前世でも海王類サイズの魚を釣ることは前世の技術を以てしても難しい。

しかも、前世のいかなる魚よりも圧倒的に凶悪にして獰猛で、力の強い海王類を設備の乏しいこの世界で釣り上げることなど『至難の業』という比喩を通り越して『絶対無理』なレベルだろう。

 それを成し遂げようだなんて、人間業じゃないし、倒すことが出来るのは、悪魔の実を食べて、尋常じゃない練度まで研鑽した人間くらいのものだろう。

 

「ま、なんとかなるだろ。前にも釣ったしな。この家もこれで建てたんだよ」

 

三度目の驚愕。

 既に人間である事を卒業していたのだ。

自分の父親はとんでもない人物だったのか、とダイナは戦慄する。

 

「待ってな。明日からはオンボロの小舟じゃなくて、どんな嵐にも負けない立派な漁船を買って、大漁を連発してやっから」

 

そう言い切る父親の顔は自信に満ちていた。

 

「そんじゃ、行ってくる」

 

今日はゴツい釣竿に加え、槍と見間違う程の巨大なモリを舟に載せて、意気揚々と出発した。

 

「頑張って!」

 

父親の大きな背中に、励ましの言葉をかける。

 その言葉を受けて背中越しに親指を立てて、返した。

 

 

 

家に戻ると、母親がやっと起き始めたところだった。

料理上手であり、ほぼすべての家事を完璧にこなす彼女だが、起床時間が遅いのが玉にキズだ。

 

「ダイナもう起きてたの? 朝ごはん作るからちょっと待ってて」

 

まだ眠そうな目を擦り、キッチンに向かう。

 魚を焼く音に、いい匂いに家中を満たした。

もうすぐ出来るだろう、と目算を付け、食卓に着席する。

 そこから数分と待たずして、白身魚の香草焼きが皿に乗せられて出てきた。

 

「いただきます」

 

手をあわせ、軽く頭を下げる。

ここらの文化は記述されている言語に倣っている。

 そのおかげで、ダイナは特にカルチャーショックを受けることもなく、無事にこの世界に適応して生きられるのだ。

 フォークで身を刺して、口に運ぶ。

ハーブの爽やかな香りと臭みの消えた、魚の香りがうまく共存している。

 味付けも完璧で、非の打ち所のないが白身魚の香草焼きと言ったところだ。

 こんなに美味しい魚料理は前世で食べたことがないのに、この世界ではほぼ毎日食べられるから、この世界に来て、良かったことのひとつだ。

 

「ねえ、かあちゃん」

「なに? ダイナ」

「とうちゃんが海王類を釣ったって本当?」

「ええ、勿論よ。この家の長さ四つ分くらいのおっきなやつをね」

「どうやったの!?」

「直接見た訳じゃないけど、とりあえず海面まで釣り上げて、脳天にモリをぶっ刺せば楽勝だって」

 

ちなみに、この家の長さはざっと十二メートルほど。

 約四十六メートルの大きさということになる。

 ダイナは改めて父親の人間ばなれした力を思い知ることになった。

 

 

 

午後を少し過ぎた頃。

 父親が酷く疲れた様子で帰還した。

手には紙袋を五つ提げている。

 駆けよって、中を見ると数えきれない札束がぎっしりと詰まっていた。

 

「へへ、すげぇだろ?」

「うん! すごいよとうちゃん!」

「俺は有言実行する男だからな」

 

そこに母親がやって来る。

 

「昼ご飯はどうする?」

「いや、いい。今は風呂はいって寝たい」

「はいはい。そういうと思ってもう風呂は沸いてるわよ」

「ありがとさん」

 

言うなり、我が家の浴室に走り出す。

 そして、浴槽に飛びこむ、ザバーンという音。

リラックスしているのか、いつもより長く入浴している。

 

「ダイナ、とうちゃん生きてるか見てきて」

 

二つ返事で了承し、浴室に移動する。

 

「とうちゃん?」

「どうした?」

「かあちゃんが生きてるか確かめてこいって」

「失礼なやつだな、おい」

「すぐ上がるから待ってろ」

 

扉越しに会話を済ませた後、キッチンで夕食の支度する母親に報告する。

 そこに寝間着で首にタオルを掛けた父親が現れた。

 

「そんじゃお休み」

「お休み」

 

ダイナと母親が声を揃えて早すぎる就寝の挨拶をして、父親は自分の寝室に向かった。

 母親はクスッと笑って、夕食の準備を再開した。

それから日常の生活をしてから、ダイナは床に着いたのだが。

 

 

 

夜も明けきらぬ内に、ダイナは起こされた。

 

「船、買い行くぞ」

「とうちゃんまだ眠いって、船!」

「ああ、近くに造船技術が優れた島があるんだ。そこはほんのちょっとだけ遠いからな。明日の漁に出るためにも結構早めに出なきゃならん」

 

その言葉で一気に眠気が吹き飛んで目を輝かせた。

 

「かあちゃんには置き手紙を残すし、どうせしばらく起きないから別にいいだろ。ほら、行くぞ」

 

ダイナの手を引いて、この舟での最後の航海に出発する。

 

「星、綺麗」

 

海辺とは言えども、かなり発展した場所に前世は住んでいたし、夜に漁に出た事もなかった。

 こちらの世界ではあまり夜空を見上げる機会もなかったから、満天の星を見ることがダイナにとって新鮮だった。

 

「あそこに灯りが見えるだろ?」

 

遠くにぼんやりと見える灯りを指差した。

 

「あそこが目的の島だ」

「結構近くない?」

「今日は風向きが良いからなもうすぐ着くだろうよ」

「楽しみだねとうちゃん!」

「楽しみだな」

 

逸る気持ちを抑えられない。

 今から買う船で漁に出るのがたのしみで仕方がない。

 

「さ、着いたぞ」

 

その島に着陸した時には、東の空が白み始めていた。

 

「あそこだ」

 

父親が指したのは島一番の大きさを誇る建物だった。

 その建物は造船所。

建物の中には見本となる完成品の船達。

 

「いらっしゃい」

 

見本を品定めするダイナ達を見つけて、声をかけたのだ。

 

「漁船って作れます?」

「サイズは?」

「三百万ベリーで出来るだけのものを」

「素材の要望は?」

「出来れば頑丈な素材で」

「他にはなにか?」

「いや、なにも」

 

高速で契約を終えた後、三十万ベリーを支払った。

 

「もうすぐ完成だ」

 

出来てもないのにそういうわけはどうやら既に完成している部品を組み立てているからだそう。

 これから出来るであろう船に思いを馳せるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#5幸せの終わり

「出来たぞ」

まさに船職人の技術は『神業』と称するべき腕前だった。

 瞬く間に部品と部品を繋ぎ、船を造っていく。

繋ぎ目の脆い部分は金属で補強して。

一時間と経過しない内に、立派な船が完成していた。

 

「出来た!」

「そうだな」

 

これから漁に出るのが楽しみだ、と心を躍らせる。

 

船職人は彼の横にあるボタンを押すと、壁に見えていた物が倒れ、海へ続く道になる。

 船職人が船を渾身の力で押し、道に乗せた。

敷かれた木のころが船を海に導く。

その勢いのまま、着水。朝日に照らされて、彼らの新しい船は美しく見えた。

 

 

 

「船も出来たことだし、帰るか」

 

乗り込んだ父親は、出航準備をしながら言った。

 返事をしたダイナは船首に移動して、危険がないかを確認。父親に伝えた。

 帆を張る。風は完璧なまでに追い風。

これ以上ない出航日和だ。

 スウ、と海を進む。以前の舟とは桁違いに滑らかで速い。

 

「とうちゃんすごいね!」

「ああ、これは想像以上だ」

 

もうすぐ着く。そんな距離まで、日がさほど昇らぬ間に来た。

 父親も以前までは帆とオールを使っていたので、帆だけで進むこの船に乗って、楽そうだ。

 

「ほら、着いたぞ」

 

港に接岸し、ダイナを抱きかかえ、陸におろす。

 その後、家から釣具を持ってくると、船に積んだ。

 

「お前も来るか」

 

ダイナはすぐさま頷く。

 すぐさま二度目の出航だ。

 今日はダイナが行ったことのあるスポットに加え、もう少し魚が捕れそうな場所に行く。

 

「捕れた場所を記録してるんだ」

 

ノートに視線を落とし、一心不乱にペンを走らせる。

 普段は適当そうに見える父親がガラになく、真面目な表情をしているのでダイナは驚いたのを見て、父親が説明した。

 

「とうちゃん、案外マトモなんだね」

「案外ってなんだよ」

 

父親は三歳児からでた辛辣な言葉に苦笑した。

 その日は、いつもより捕れたことは言うまでもないだろう。

 

 

 

そんな生活を続けて七年。

 ダイナは操舵を任されるようになり、基礎的な船の動かしを覚えた。

 独自に天候と船の動かし方の関係を学ふ。

そのうちにダイナは一人前の操舵主になっていた。

 けして裕福とは言えないが、ダイナにとっては充分に幸せだった。

 なのに、突如として、不漁になった。

 理由はわからない、ただ不漁としか言いようがないのだ。

 天候や海の状況から見ても、一切、異常はない。

なのに、不漁なのだ。

 しかし、ダイナの家庭には関係がなかった。

その漁船で遠洋まで出て、漁をしていたから、不漁以前と変わらないどころか、以前を上回る程の漁獲量を誇っていた。

 やがて、島民は、不思議に思い始めた。

なぜ、漁獲量は変わらない。

なぜ、それどころかふえていくのだ。

なぜ、それにも関わらず我々は減っていく。

なぜ、なぜ、なぜ。

 積もり積もった疑念は一つの推測を生んだ。

『ヤツの家が我々の魚を取ったせいだ』と。

疑念は恨みに変わり、恨みは殺意に変わる。

『ヤツらを殺せば、漁獲量は戻る』という案が、どこからともなく、生まれ出た。

 そして、すべてを崩壊させるあの日が来る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#6ヒュドラの覚醒

ダイナ達が、漁を終えると、母親がドクドクと血を流していた。

 モリが腹を貫いて、更に刃物で全身が斬られていた。

 

「見るな!」

 

ダイナの目を手のひらで隠し、外に出した。

 刹那、鋭い痛みが彼を襲う。

数秒、生き永らえた幸いというか、即死できなかった不幸と言うべきか。

背中を裂かれ、振り返って見ると、包丁とモリを持った島民達。

 その先には、ソイツらに囲まれたダイナが移る。

 

「やめ……」

 

渾身の絶叫を言いかけて、父親は肉塊と化した。

 

「とうちゃん!」

 

父親だったモノに叫ぶ。

 島民の一人から降り下ろされた包丁をすんでのところで回避し、もっとも華奢な一人にタックル。

 強引に道を開き、そこから逃亡に走る。

 

「まてこら!」

 

鬼の形相でダイナを追う島民たち。

 船に逃げ込んで、抵抗できる武器を探した。

 棒でも、モリでも、なんでもいい。

船の端から端まで、しらみ潰しに探す。

 モリを手にいれても、小振りのナイフを手に入れても、恐怖心が治まる気がしない。

 そこで思い出した。船の出口は押さえられている。

船を出そうとしたって、ロープをほどくために、一度外に出なければならない

詰みだ。完全に詰んでいる。

 

「十年で終わんのかよ。短けぇ人生だなぁ! おい!」

 

悲しくて、怖くて。

感情が昂って、思わず八つ当たりをしてしまう。

 

「あれ?」

 

そこであるものを見つけた。

 網に絡まって、全部を覗く事は出来ないが、果実であることが見て取れた。

 ナイフを使って、網を切ると、九つの頭を持つ蛇のような果物で、不自然な緑にグルグルの模様がいかにも不味そうなオーラをかもし出している。

 この模様は悪魔の実だ、と、フッ、と思い出す。

そして、生と死の狭間での出来事も。

 

「ヘビヘビの実 幻獣種 モデル ヒュドラ」

 

人知れず呟いて、その果実を口に運ぶ。

 想像を絶する程の不味さだが、今は四の五の言ってられない。

 今は、これを使って生きるしか道は残されて無いのだ。

 無理矢理飲み込み、ヘビになれ、と念じる。

一気に体が変化し、九つの頭を持つ大蛇に変身する。

 

「やってやるよ。やるしかないんだから」

 

ダイナは船の出口から正々堂々と出た。

 

「おい! なんだよあれ!」

 

ダイナの姿を見て、島民が口々に騒ぎ立てるが、すぐさま静かになった。

 その間、ダイナは微動だにしていない。

ヒュドラの能力の一種、毒気を吸って死んだのだ。

 

「ハハ、フハハ!」

 

彼は自分が最強であるという気になった。

 全能感が彼を支配する。

その頃にはもう父親を殺した島民もダイナを殺しに来ていたが、毒気の前には無力に過ぎなかった。

 次は村だ。村を壊滅させる。

少し坂を登った先にある村に、尾で地面を叩いてツチノコの要領で跳ぶ。

 空中で彼は九つの首を伸ばし、家を九つ壊す。

着地と同時に、毒気を放ったら、届かない範囲の家を丸のみにする。

 ――まだ、いる。

ピット器官と皮膚に伝わる心臓、そして匂いで判断した彼は、次なる殺戮の舞台を求めて、さまよう。

 

 

 

 彼は恨んでいた。

この島のすべてを。人を。環境を。

 今、彼をつき動かす感情は恨み、復讐。

たった二つ。たった二つで今までに島民のほとんどが消えた。

残るのは、あと数人だ。

 毒液を空に向けて発射した。

毒液は雨のように降り、彼はそれを受けてヘビの体で踊る。

 ――もう、いない。誰もいない。

そう判断した彼は、人の姿に戻る。

 

 

 

その島は、その日無くなった。

 人間だけじゃない。すべてを生き物や植物が、彼――ダイナを除いて全員死んだのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#7決断

我に帰ったダイナは呆然としていた。

 悪魔の実を食べて、そこからの記憶が飛んでいる。

しかし、眼前にあるのは崩壊した村と、ハゲ山。

 海を見ると、プカプカと魚が浮いている。

後ろには、長細い物を引き摺ったような跡があった。

 この惨劇は自分が起こしたという自覚があった。

ダイナにはそれしか考えることが出来ない。

 ブー、と汽笛が鳴る。

海を見ると、海軍の定期巡視船だ。

ハゲあがった山、死んで浮く魚を見て、この島に出来る限りの速度でやって来る。

 海賊の襲来を疑い、生存者がいないかを探しに来たのだろうとダイナは推測する。

 隠れるべきか、素直に投降するべきか。

二つの選択肢が波のように押しては退いて、寄せては引いていく。

 

「探せ!」

 

残った家を。船を。

 生きていてくれ、という一心でひたすらに探す海兵に隠れているの失礼だろう、と良心が痛んで、隠れる事を中止し、ハンズアップしながら、村のメインストリートに出た。

 

「生存者か!?」

「生存者だ!」

 

と、口々に騒ぎ立てるものだから、自分が犯人だなんて言えなかった。

 

 

 

保護された船の与えられた船室の中で、ダイナは考える。

 ――ここで告白をしたらすまきにされて海に投げ込まれるだろうか

ダイナにとって、能力者になった以上、それは絶対に避けたいことだった。

 コンコン、と扉を優しく叩く音がする。

 

「船長が呼んでいます、案内しますので付いてきてください」

 

 その海兵に付いていくと、他の扉とは明らかに特別なな、重厚ある扉に、表札として『船長室』とプレートが打たれていた。

 

「失礼します」

 

大袈裟にお辞儀をしているのを見て、ダイナもそれをぎこちなく真似る。

 奥には窓とその手前に執務机。

その主は、威厳のあるヒゲを生やした、中年の男だった。

 

「こっちに来たまえ」

 

手招きをされたので、執務机の近くまで恐る恐る歩み寄り、緊張のため、背筋をピンと伸ばして直立不動を維持する。

 

「少し、席を外していてくれないか?」

 

ダイナを誘導した海兵に退室するよう促すと、一体、あの島でなにが起きた、と訊いた。

 

「あ、あのことですか」

「辛いなら、無理に話して貰わずとも構わないが」

「いえ、大丈夫です」

 

ダイナは数拍、間を開けてから、スピーカーの如く、淀みなく、あの忌まわしい出来事を語り始めた。

 

「島の海域が不漁になったんです。それでも僕たちは結構いい漁船を持って居たんでちょっと遠出したんで損害はなかったんですけど」

 

そこで嗚咽を溢したが、それを抑え込んで強引に続ける。

 

「それで、島民が僕らに恨みを持つようになって、そして。僕らの一家を殺しにきたんです」

 

すぅー、と息を吸う。この息ですべてを終わらせるように、全力で。

 

「多分ですけど、惨殺された死体が見つかったと思います。二人、男女で。それが僕の両親です。そして船に逃げ込んだら、悪魔の実が網にかかってたから、半ば賭けのつもりで食べて。そこから記憶がないんです」

「そうか」

「ただ、それでもあの悲劇は僕がやったんだと思います」

「あの状況下じゃああする他にないだろう。君のやった事は不問に問うことにするよ」

 

悲しそうにうつむいて、船長は唇を噛んだ。

 

「すまない、辛いことを思い出させてしまって」

「大丈夫です」

 

ダイナはどこかの虚空を見つめる。

 

「ところで、名前を聞いてなかったな。名前は?」

「ダイナ。家名はわかりません」

「へぇ。それとこの船は基地に向かう。引き取ってくれる親戚とかは?」

「特にいないです」

「じゃあ我々の基地で保護することになる、それでもいいかな?」

「平気です」

 

軽く息を吐いてから、

 

「話してくれてありがとう」

 

と、言って船室に戻るように指示した。

 

「失礼しました」

 

入室時にもしたように、大袈裟に頭を下げる。

 心が晴れわたった。

ダイナはこの船に乗ることを了承されたのだ。

 基地に保護される、というのは、暗に、雑用か、海兵見習いになるか、そのどちらかを選べと言われているのだ。

 ダイナに勿論迷いはない。

海兵見習いになるのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#8入隊

「海兵になる位、やってやろうじゃないの!」

 

借りた船室で宣言した。

 ダイナしかいないこの空間では、聞くものが誰もいない。

それでも、言ってしまうのは、気持ちが高揚しているせいだ。

 

「しかし、海兵とはねぇ」

 

と、高揚を深呼吸で鎮め、呟いた。

 ダイナの計画では、海賊か賞金稼ぎにでもなろう、と最初は思っていたのだけど、成り行きで海兵になる。

人生とは、おかしいものだ。と気付いた時には、人生の奇妙な奔流に流されている。

 ここで人間に出来ることなんて、奔流で転覆しないように、耐え抜くしかない。

 正義。それは大義名分を備えてしまえば、虐殺なんて『正義』の名の下に、平気で実行しそうな危うさを秘めていた。

特に、赤犬ことサカズキ。ダイナがONE PIECEのキャラクターの中でも圧倒的一位の座に君臨する嫌いなキャラクターだ。

 

「考えても始まらねぇよな」

 

ダイナは楽観的に考えた。

 転生特典がある。普通に海軍やってれば死ぬことはないだろう、とダイナは信じたかった。

 

 

 

一つの夜を過ごし、二つ目の昼を乗り越えた所で遂に基地に到着した。

 その頃には、すでに太陽が水平線に隠れ始めていた。

名残惜しそうに、ダイナは手を伸ばす。右も左もわからないこの場所で今、唯一理解できる物は太陽で、それがなくなると、精神がやられそうな気がしたからだ。

ただ、無情にも、太陽は沈んでいく。

やがて、最後の一片まで完全に水平線に潜ったら、ダイナの頬に、涙が伝っていた。

 

「おい! 新入り!」

 

先輩海兵がダイナの事を呼んだので、全力で返事をして、先輩海兵の元に走る。

 

「ボケッとつっ立ってねぇで荷物を降ろすのを手伝えよ!」

「はい!」

 

船に走り、荷物を持つダイナ。

 

「お、重っ……」

 

あまりの重さにダイナはたたらを踏み、海兵の一人とぶつかった。

 

「すみません!」

 

荷物を持ったまま謝る。海兵は全くの無反応。ダイナにはそれが許しか、許さないかを察する事が出来ない。

 重すぎて、腕が痛くなってくる。その度に地面に荷物を降ろして、回復するのを待ってから、持ち上げて運ぶ。

 その工程を幾度となく繰り返し、やっとのことで一個を倉庫に運ぶ。

 ダイナがやっとの事で一個を運び終えた時には、既にすべての荷物を運び終わっていた。

 

 

 

 

支給された四畳ほどの部屋でダイナは眠り、そして起きた。

 壁はコンクリートが剥き出しで窓の無い、簡素な部屋。

 見れば、まるで独房に近い造りだ。

外からしか鍵の掛からないドアを見て、ダイナは独房であると確信する。

 部屋が足りないからだ、と右から左に流し、ドアを開ける。

 開けると、すぐ目の前に渡り廊下があり、本館の一階に繋がっている。

 朝会があるというので、そこを通り、昨日に案内された、訓練場に向かう。

 もう海兵が集まり始めていて、並びだしていた。

現在の最後尾に付き、開始を待った。

 通告された時刻通りに開始された。

つつがなく終了し、訓練の時間になった。

 ダイナは新兵として訓練に参加することになった。

内容は基礎体力作りと実戦。

 基礎体力作りはランニング10キロと筋トレ。

これを二時間以内に完了しなければならない。

しかもこれはどんなに新兵であろうとベテランであろうとも、等しく与えられるメニューだ。

 それを筋肉がないが、身体強化を以てしてもヘトヘトになるレベルのハードぶりだった。

 こんなに疲労した状態で実戦なんてしたら、それこそ死んでしまう。

 無情にも、ダイナの名が呼ばれ、訓練場にある四角のリングに上がる。

相手は若い海兵。ダイナを除いた中で、最も若い海兵だ。

細い体つきは無駄がなく、まさに動くための筋肉で占められている。

 開始の合図で実戦が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#9海兵の一日

海兵の左ジャブが飛んでくる。

 ダイナはそれを屈む事で避ける。

戦闘の地力となる筋肉は無いが、戦闘センスや動体視力に身体強化の影響が出ている。

 数秒でカタが付く、と思っていた海兵に驚愕の表情を浮かべる。

その顎をめがけ、カエルアッパー。

 確かな手応えはあったが、海兵はたたらを踏むだけで堪え、指をボキボキと鳴らす。

 海兵が疾駆する。勢いを殺さずに右ストレート。

これを懐に入ってかわし、ボディブローを叩き込む。

 ボディブローの攻撃力に疾駆の勢いが加算された一撃に海兵が苦しそうな素振りを見せる。

 ここまで後の先に徹してきたダイナだが、遂に先の先を取る事を決意し、ゾオン系、ヒュドラの人蛇形態と化す。

 その姿は両の肩口から四本ずつの首が生える。

中央にはダイナ本来の首。

 海兵は一瞬驚くが、すぐにファイティングポーズを取り直す。

 ヒュドラの首は伸縮自在だ。その特性を活かし、二本の足プラス、束ねた首を足にした二本の合計四本で海兵に飛び込む。足の本数が倍になった事で、速度も上がった。

 束ねたまま、ヒュドラの首で掌底の形を左右に二つ、作る。

 

「ゴムゴムのバズーカモドキ!」

 

その一撃が海兵にクリーンヒットし、吹き飛ばした。

 リングのロープに当たり、そしてうつ伏せに倒れる。

 傍観していた海兵が息を飲んだ。「おぉ」と感嘆の声が漏れるのを聞いて、ダイナは思わずガッツポーズ。

アドレナリンが放出されているからなのか、妙な興奮状態に入っていた。

 しかし、身体は疲弊しているようで、足がガクガクと震える。

気を抜くと、今にも倒れてしまいそうだ。

 ――これでまだ午前中とか、ふざけている。

心の中で文句を溢しながら、訓練が終了するという声を聞いた。

 

 

 

「ヤツは監視の対象でしょうな」

 

豊かに顎髭を蓄えた初老の男が口を開いた。

 円卓に四人の男。姿や年齢は違えど『正義』のコートを羽織っているのは全員に共通していた。

 

「それは仕方ないことでしょうね。あまりにも強大な力を持ちすぎている」

「現状は海軍に属している事が幸いだよ」

「一理あるが、もしもヤツが敵に回った時はどうする?」

 

円卓の発言権がぐるりと一周し、顎髭の男に発言権が移る。

 

「殺す、しかないでしょうな」

 

刹那、円卓の空気が凍る。緊張が走り、一斉に空気を吸い込む。

 

「では、そういう事で」

 

会合が終わる。重く暗いテーマだったためか、場合によっては幼子を殺さねばならぬからか。

一様に表情は沈んでいた。

 

 

 

訓練が終了し、食堂で昼食を摂ったら、午後は巡視だ。

 ぞろぞろと船に乗り込む。

前回とは違い、近海の巡視なので、それほど荷物は必要ない。弾薬や火薬は船に積んであるので、荷物はほぼ積む必要がなかった。

 錨を揚げ、出航する。

 大きな船に、ダイナの心が踊った。

 昼食を摂ったことにより、疲労は一気に回復し、なんでも出来るような気分だ。

 果てなく続く青い海。

海軍の象徴であるカモメを帆に掲げて、彼らは今日も海の平和を守るのだ。

 

 

 

巡視は何事もなく過ぎた。

 そして、日が沈む。夜の時間が訪れたら、この基地は学問の時間だ。

 航海術をはじめ、気候の予測方法。

航海に必要な事を頭に詰め込む。

 そしてこの時間にダイナはこの海が東の海(イーストブルー)であると判明し、安心したような、拍子抜けしたような、複雑な気持ちだった。

 もしかしたら、ダイナは自分で思うより、戦闘狂の節があるのかもしれない。

 

 

 

座学を終えて、就寝のまえに一時間半ほどの自由時間がある。

 ダイナは独房の自室に戻り、能力の幅を増やそうと試行錯誤を行うも、あまり良い結果は出なかった。

 そうするうちに、強烈な睡魔がやってくる。

ベッドに半ば倒れる形でその日は意識を手放した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#10端緒

そんな生活が一ヶ月続いた。

 そして、今日ダイナにとって大きな変革の端緒が訪れようとしていた。

 

 

 

いつも通りの訓練で基礎体力作りが終わり、実戦形式の時間。

 遂にダイナの番となり、リングに上がる。

これまで一ヶ月、ヒュドラの力を使って勝ち抜いてきた。それが評価されたのか、相手は海兵の中でも相当な立場に位置する人物だ。

 鋭い開始の声。

それを聞いて、人蛇形態に変化しようとしたところに、

 

「悪魔の実の使用は禁止された」

 

と、審判役から注意が入る。

 ダイナはそれに従い、人間形態で構える。

相手海兵のタックル。それを体をずらす事で回避する。

 急ブレーキをかけた海兵がこちらに向き直り、すぐさま飛び膝蹴りを繰り出す。

隙の無さと技の鋭さに直撃する。吹き飛び、ロープに打ち付けられた。

ロープにもたれる。うまく力が入らない。

 ゆっくりと海兵がダイナに歩いて近付く。ダイナには恐ろしい死神が這い寄るような恐怖を覚え、逃げようとしても海兵に逃げ場を塞ぎ、後ろはロープで逃げようがない。

 腕を取って、極めた。

 ダイナから悲鳴が上がりんそれを聞いた海兵は歪んだ笑みを浮かべ、さらにきつく極める。

 いつまで極められていたのだろうか。

ダイナにとっては一時間のようにも十秒のようにも感じられた。

 おもむろに極めていた腕を離すと、全体重を乗せて、鳩尾を思いきり踏みつける。何度も、何度も。

 内臓を損傷したのか、やがて血を吐いた。肋骨が折れて、うまく呼吸が出来ない。もはやか細く息を漏らすだけの状態。

 虫の息であるダイナ髪を掴んで立たせると、胴に手を回してクラッチし、ほぼ垂直な角度で、だめ押しとばかりにジャーマンスープレックス。

あまりの痛みでダイナが魚のようにビタビタ跳ねた。

 海兵はバカにしたように鼻で笑うと、それに呼応して、他の海兵がけなすように笑った。

 

「ざまあみろ」

「いい気味だ」

「調子乗んな」

「死ね、ガキ」

 

正義の執行者らしからぬ罵声が飛び交う。

いままで溜まりに溜まったストレスの捌け口がダイナに向かっているのだ。

 徐々に薄くなる意識の中で、ダイナはいつか復讐を誓うのだった。

 

 

 

目覚めた時には独房のような自室だった。

 完全な蛇形態となって、体の再生を済ませる。

扉を確認すると、鍵が掛かっていて、名実ともに『独房』となっていた。

 この状況にダイナは焦り、自分の行動を振り返る。

 ――俺が一体なにをしたというんだ?

思い当たる節は見つからない。仮に失敗をしても、謝罪し、挽回のために全力を尽くした。

 にも関わらず、この仕打ちだ。

沸々と怒りが高まり、憎悪が心の底で煮える。

 今は感情に任せて暴れた。ただひたすらに。

 

 

 

「ダイナ洗脳計画の経過はどうなっているんだ?」

 

円卓の会議だ。今回はあの四人に加え、一般海兵一人、電伝虫で会議に参加する二人の、七人で会議を行っている。

 

「本日、鞭を与えました。後に隊長の飴を使って、海軍の言いなりにする『駒』にする予定です」

 

強大な力を持つダイナ。その力を海軍が思うがままにコントロールする為に洗脳しよう、という計画だ。

 すべての海賊を根絶やしにすること。それに洗脳したダイナを使う。

そうすれば、海軍――ひいては世界政府の権威を上げる事に繋がる。

 

「お前たちには期待している」

 

電伝虫から声が響き、五人の海兵が頭を下げる。

 

「ああ、もう我々は時間がない」

 

もうひとつの電伝虫から急かすような声を届かせる。

 

「ダイナを洗脳し終わった暁には海軍本部に送る事を約束します」

「頼んだ、この計画が成功するか否かで海軍の歴史が変わると言っても過言ではない。必ず成功させるように」

「御意」

 

五人が声を合わせると、電伝虫は満足そうな顔を中継して、切れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。