虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡 (ジェームズ・リッチマン)
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第一章 目覚めた愚者は歩き出す
怨霊の願いと亡霊の朝


*これはSS速報で連載していたものをハーメルン用に加工した作品です*
*元作品と作者が同一であろうという判断は「運営者に確認済み」です*


 深い深い闇の中で、自分の意識だけが揺蕩っている。

 流されているような、押されているような。

 表現し難い感覚を全身に感じる、奇妙な空間だ。

 

 

 ――愚かよね、私って

 

 

 誰かの声が、頭の中で直接響くように聞こえてくる。

 

 

 ――本当に、愚かだわ

 

 

 自嘲するような、女の声。

 ひどく疲れたような、沈みきった声。

 

 

 ――ねえ――私も――……――なれるよね?

 

 

 直接脳内に響くようなその声はとても耳障りだったけれど、言葉が途切れると、言葉の内容や煩わしさは、次第に頭からスッと抜け落ち、綺麗に消えてしまった。

 それはまるで、今まで何の声も聞いていなかったかのように、スッ、と。

 私の頭の中に、円形の空白ができてしまったかのように、ポッカリと……。

 

「ん……」

 

 やがて、辺りの硬質な闇は柔らかなまどろみへと変わり、意識が表層へと浮上してゆく。

 頭にさえかかるような重い靄をひどくゆっくりと突き抜けると、そこでようやく、私の身体にも意識が戻ってきた。

 

「ぅ……」

 

 水分を失って掠れた声。

 やけに鈍く、重だるい全身の感覚。

 錆びたかのように動きの悪い両まぶた。

 

「……何……」

 

 苦心して目を開けると、上にあったのは白く清潔そうな天井。

 けれどそれは、私にとって知らない、見たことのない天井だ。

 

 全身に触れるのは、さわり心地の悪い固いシーツ。

 鼻を突くのは、名前もわからない薬品の匂い。

 

「どこ……」

 

 かすかに震える喉と、聞いたことのない声。

 

「だれ……」

 

 胡乱げに掲げた細腕には、指の先に嵌められた指輪型のソウルジェムが輝いていた。

 

「ソウル、ジェム……」

 

 そう。

 これは、この宝石は、ソウルジェム。

 魔法少女として契約し、願い事を叶えた者にのみ与えられる、自らの魂そのもの。叶えた願い事の対価。

 

 同時に、ジェムに穢れが蓄積し、完全に黒く染まった暁にはグリーフシードへ変化してしまい、魔法少女の宿敵たる魔女へと変貌してしまう厄介なシロモノでもあるのだが……それまでの間は、魔法少女としてのソウルジェムだ。

 

 つまりこれを持つ者は、魔法少女に他ならない。

 

 

 

 ……そうだ、私は魔法少女だ。

 魔女を狩り、グリーフシードを手に入れる者。

 

 そしてソウルジェムが濁りきった時、いずれ魔女に変わり果てる者。

 

 ……そして。

 

 

 

 そして……そして、私は。

 

 私……私?

 

 私は……私の……私……。

 

 

 

「思い、出せない……私は、何者だ……?」

 

 自分の名前もわからない。

 

 自分の願いもわからない。

 

 わかるのは、天井が白くて、頭がひどく痛いことだけ。

 

「私は一体、誰なんだ……?」

 

 



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空虚な私の世界

「……体が重い」

 

 鉛のような身体をベッドから引き剥がし、虫のように這い出る。

 周りを見回したところ、どうやらここは病院の個室のようである。

 

 私は、入院していたらしい。

 理由は定かでないが、今現在の劣悪な体調を思えば、それも納得のいくことだった。

 

 それにしても……。

 

「……なんて酷い視界だ、クソッ」

 

 はっきりと目が覚めたというのにも関わらず、視力が悪すぎる。

 まるで世界全てがぼやけているかのようだ。

 このままでは魔女と戦って殺される前に、やってくる車にさえ気付かず事故死してしまいかねない。

 

 これも入院の影響だろうか?

 早急に回復しなければ……。

 

「治るよな……?」

 

 指輪を楕円形のソウルジェム形態に戻し、鏡の前に立つ。

 鏡に映る黒髪であろう女は、未だにぼやけていた。

 

「治療、できてくれよ」

 

 魔力を込めて、視力を強化。

 魔法少女の技としてはポピュラーであろう、傷を癒やす回復魔法の応用だ。

 

 幸い、仄かな紫光が収まると、私の視界は非常にクリアなものへと変わっていた。

 治療成功である。

 

 しかし……。

 

「……これが私か」

 

 ぼさぼさの長い黒髪。

 癖となっているのか、顔に染み付いている陰鬱な表情。

 

 鮮明さの蘇った鏡には、名も知らぬ……どこか情けない顔つきの、陰気な私がいた。

 

 後ろで結ばれた二つのおさげが根暗な雰囲気を纏っていたので、思わず反射的にそれを解く。

 強い癖は取れなかったものの、そこそこ見栄えの良い黒髪のロングにはなってくれた。

 うむ。髪型は、こちらの方がきっと、格好良いはずだ。

 

 ……しかし。

 

「……誰だ、私は」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるこの女は一体、誰なのだろうか。

 自分の顔ではある。だが、呼び名はわからない。

 

 ……名前を知りたい。

 

 私は入り口の戸を開き、扉の脇に掲げられた名札を見た。

 

「……暁美(あけみ)ほむら、か」

 

 暁美ほむら。

 顔の印象に反して、暖色系の雰囲気を感じる、どこか強そうな名前だ。

 

 ……暁美ほむら。

 私は、今までどう育ったのだろう。

 

 ……思い出せない。

 

 私は……。

 

「…私は、魔法少女だ」

 

 私は魔法が使える。今も治療は成功したし、それは間違いないだろう。

 

 魔女はいくつも倒してきた……はずだ。

 記憶はないが、薄っすらとそのような……いざ魔女と直面しても、焦ることなくやり合うだけの自信はある。

 

 それに、おそらく、かなり長い間戦ってきた、ような……。

 

 ……だが、肝心の詳細はどうしても、思い出せない。

 

「チッ、魔女との戦いで記憶がトんだのか……?」

 

 戦闘中に油断でもしたのだろうか。

 頭を打ったのか、重傷を負って入院……といったところが自然だが、それも定かではない。

 

 ……ここに立っていても仕方ない。自分の病室に戻ろう。

 

 

 

「……記憶喪失」

 

 壁には丸のつけられたカレンダーがある。

 テーブルには知らない学校の入学案内。

 

 それらを照らし合わせてみると、どうやら私は近々、見滝原中学とやらに転入する予定らしい。

 学年は中学二年。年齢は、十四歳だ。

 

 通い慣れた学校ではないらしいので、助かった。タイミングは奇跡的と言っても良いだろう。

 これなら記憶喪失であっても、以前の私を気にせずに振る舞うことができるから。

 

 ひとまず、転入に際して心配はいらないか。

 

「……アパートの案内……家族の予定……ふうん、私はこの歳で一人暮らしか」

 

 そしてどうも、親はこの街にいないらしい。

 二人とも遠くの地で、私の治療費のためにがんばってくれているようだ。

 

 まあ、私が両親を覚えていない以上、正直なところ居ても困るだけなのでありがたい。

 それに門限などがなければ、時間を気にせずに魔女を狩れる。

 

 状況に不明瞭な部分は多いものの、魔法少女としては悪くない環境だ。

 

「……そうだ。魔法少女の力を確認しなくては」

 

 ふと思いつき、私はソウルジェムの力を解放した。

 

 魔法少女への変身。

 身体が紫の光に包まれ、真の力がみなぎってくる。

 

「そう、この感覚だ」

 

 光が収束すると、私はどこか馴染みのある姿へと変化していた。

 

 左手には銀色の小盾。

 感覚として理解できる。これが私の、魔法少女としての最大の武器なのだ。

 

「止める」

 

 

 *tick*

 

 

 私の盾は、私以外の全ての時間を止められる。

 窓際を見やれば、そこで揺れていたカーテンは完全に動きを停止していた。

 この世界で動けるのは、私と私に触れていたものだけ。

 

 

 *tack*

 

 

 そして能力を解除すれば元通り。

 カーテンは元通り揺れ、穏やかな風は病室の篭った空気を換気する。

 

 この時間停止能力を駆使することで、私は何体もの魔女を葬り続けてきた……はずだ。

 

「……そして」

 

 フルーツの盛り合わせの隣に置かれた果物ナイフを手に取る。

 それを盾に近づけ、収納する。

 

 私の盾は、シャッターのように開くことができ、そこに物を保管することが可能だ。

 内容量に際限は無い。いや、あるのかもしれないが、普通に使う限りにおいては、気にするレベルではないのだろう。

 

 時を止めて、無限の武器で戦う。それがこの盾の力だ。

 

 そして左手が盾ならば、右手は刃物だろうか。

 ナイフ、剣……なんでもいい。きっとどれでも扱える。

 

「……なるほど、思い出してきたぞ。私というものを」

 

 魔法少女になる際の願い事すら忘れてしまったが、まぁそれはいい。

 どうせ後から思い出すだろう。

 

 それより、私の記憶に微かに残るのは、無数の魔女との戦いだ。

 

 私はかつて、数え切れないほどの魔女と戦い続けてきた。

 ならば、記憶を失った今であろうと、私は戦おうじゃないか。

 

 私の願いは、きっとそこに関わっているかもしれないから。

 

「とにかく、グリーフシードを集めなくてはならないな。私の体は、どうにも燃費が悪そうだし」

 

 魔力を回復するためには、魔女が落とすグリーフシードが必要になる。

 そして私の時間停止の魔法は、長時間使っていると魔力がゴリゴリ減ってしまう。

 上手くやりくりして、グリーフシードの貯蓄を作りたいところだ。

 

 しかも、盾の中身は先程収納した果物ナイフを除けば空っぽだった。

 どうも直近の魔女との戦いで、中の全てを使い尽くしてしまったらしい。

 故に、新たな武器が必要だ。

 

 ……やることは多い。

 

 目標ができた以上、大人しく入院し続けている暇はないな。

 

 早速、動くとしよう。

 

 

 

 それから数日が経過した。

 

 魔法少女としての活動は順調そのものである。

 病院においても、病後の経過が著しく順調であることを除けば、訝しまれている様子もない。

 

 そんな私は今、魔女の結界で飛び回っていた。

 

「ふっ」

 

 結界特有の目に悪い景色の中で、私は下から浮かび上がり続ける巨大風船を足場に、下へ下へと降りてゆく。

 

『PuuUuuUU……』

 

 地面に待ち構えているのは……魔女。

 奴を仮に、風船の魔女とでも名付けようか。

 

 魔女は捻れたバルーンアートの体から、無尽蔵に風船を吐き出している。

 風船には大きな目玉があり、上空の私に狙いをつけては、軌道修正しながら迫ってくる。

 無尽蔵にやってくる風船の浮力に押し負けてしまえば、空の奈落へと消えてしまうだろう。

 空を見上げれば、マーブル模様のどす黒い空が渦巻いている。あの果てに運ばれた時、一体どのような死に方をするのだか……想像するだけでも恐ろしいものだ。

 

 相も変わらず、魔女の結界は悪趣味な世界観である。

 

 が……。

 

「風船自体は、私も好きだよ」

『PuUU?』

 

 

 *tick*

 

 

 時間を止めて、一気に風船の群衆をすり抜け、地面に舞い降りる。

 そして盾の中からいくつかの武器を取り出し、一本一本投げ放ってゆく。

 

 

 *tack*

 

 

「ついつい割りたくなるからね」

『……!?』

 

 時間停止を解除すると、四方八方に配置されていたナイフが一斉に魔女へと襲いかかった。

 

『PuUUu……uuuUu……』

 

 風船と刃物だ。結果は言うまでも無いだろう。

 残念ながら、この魔女は私との相性が最悪だったのだ。

 

『Uu……』

「悪いね」

 

 無数の刺し傷に原型を保つことを諦めた魔女が、グリーフシードとなってアスファルトに落ちる。

 

 魔女が消滅すれば、そいつが構築していた結界も解除される。

 辺りは何事もなかったかのように、閑静な住宅街へと戻っていた。

 

「よし、グリーフシードのストックが増えた。これで余裕も出てきたかな」

 

 連戦連勝だ。

 魔女を探し、会えば勝つ。

 

 時を止め刃物を放つ戦法は下準備が面倒だけど、負ける気はしない。

 どうやら私は、随分と強い魔法少女らしい。

 

「……しかし、そんな私の記憶すら奪うような魔女も、この辺りにはいるかもしれない……油断はできないな」

 

 私はグリーフシードを蹴り上げて掴み取り、その場を立ち去った。

 

 

 

「にゃあ」

「ん?」

 

 街路樹の陰から仔猫が顔を出した。

 黒い毛並みの、小さな猫である。

 この程度の体格だとまだ親が必要であろうに、はぐれたのだろうか。

 

「可愛いな……よしよし」

「なんなん」

 

 喉を撫でてやると、子猫は目を細めて喜んだ。

 エサをやらずに人に懐く野良猫とは珍しい。

 

「……そうだ、ようし猫ちゃん、私の右手を見ててね」

「なん?」

 

 

 *tick*

 

 

 せっかくだ。たっぷり遊んであげるとしよう。

 

 

 *tack*

 

 

「な~ん!」

「ほぅら、ねこじゃらしー」

「なんなんな~ん!」

 

 時間を止めて、路肩のねこじゃらしを拝借した。

 突然の遊び道具の出現に、子猫もご機嫌のようだ。

 

 遊びたい盛りの子猫は懸命に草を追いかけ回し、息を荒くして転がり跳ねる。

 

「あー、猫可愛いなぁ……」

 

 誰かが私を羨んでいる。

 

 路面をトラックが通り過ぎる。

 

 ……ふむ、そうだ。

 せっかくだし、この子猫は私が飼うことにしよう。

 

「君も、一人じゃ寂しいだろう?」

「なーん」

 

 よし、それじゃあ決まりだな。

 

「これからよろしくね」

「なん」

 

 うむ、素直でよろしい。

 

 

 

 小猫が病院の中庭の片隅で暮らし始めても、私の生活サイクルにはさほど大きな変化はなかった。

 

 病室を抜け出し、いつものように魔女を狩る。

 見知らぬ街を探るように歩く。

 そうしているうちに、また一日は終わるのだ。

 

 ベッドに入り、薄暗い白の天井を見上げても、何の想像も掻き立ててはくれない。

 それはまるで、空虚でまっさらな私のよう。

 

「魔法少女、暁美ほむら……」

 

 未だ、私の頭の中には靄がかかっている。

 楽観的に記憶が戻るだろうと踏んでいたのに、思い出せない事は多い。

 

「……唯一覚えている魔法少女関連の記憶まで、曖昧だしな」

 

 机の上に並べたグリーフシードを見やる。

 グリーフシードはソウルジェムの穢れを吸い取ってくれる、魔法少女にとっての必須アイテムだ。

 しかしグリーフシードの穢れを放置していると、孵化し……再び魔女が現れてしまう。

 

 机の上にあるグリーフシードはそのうち二個がかなり黒ずんで、使用できない状態にあった。

 

「どうやって処理するんだっけ……グリーフシード……」

 

 曖昧な記憶を探るのは、闇夜の大海に漕ぎ出す行為にも等しい。

 億劫な意識に呑まれた私は、比較的速やかに目を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 



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記憶の破片とマジックショー

 

 穴の空いた記憶。

 過ぎ去ってゆく空白の日々。

 

 魔女の討伐は順調そのものだし、病後の経過も絶好調であるにも関わらず、どこか虚しい気分は変わらない。

 それは、私の記憶が一向に戻る気配がないためなのだろう。

 

 とはいえ、取り付く島がなければお手上げだ。

 記憶の大樹を揺らす枝には、指一本も引っかかっていないというのが現状なのだろう。

 

 であれば、靄のかかった頭で考えるだけ無駄というものだ。

 虚しい気持ちを抱えたままとはいえ、魔法少女らしく過ごす他にやることもない。

 

 今日もまた、グリーフシードが落ちれば良いのだが。

 

 

 

「ふむ」

 

 休日の昼下がり。いつものように街へと繰り出す。

 

 ソウルジェムの反応を頼りに魔女を探してはいるのだが、病院近辺ではすっかり見かけなくなってしまった。

 魔女の下僕、使い魔の反応すら感じられないのだから、魔法少女にとっては不毛の大地と呼んで差し支えないだろう。

 

 ……うん、魔女狩りがストイックすぎたかな。

 これから魔女を探すためには、ちょっと遠くまで足を運ばなくてはならないかもしれない……。

 

 正直、億劫だ。

 とはいえ、私に残された道しるべといえば、魔女退治しかない。

 

 暁美ほむらは何体もの魔女を倒していたのだ。

 記憶を辿るなら、多少面倒でもそれしかあるまい……。

 

 

 

「ようこそ! ピエロのパリーの手品ショーだよ~!」

 

 諦め気味に町を散策していた私だったのだが、ふと遠くの方で、大道芸をやっている様子が目についた。

 不気味な模様な格好は魔女の結界でうんざりするほど見ていたのだが、どうしてか、私の目線はそちらに向いたまま離れない。

 

「……」

 

 ミニチュアのように小さいが、カラフルなテント。

 張り巡らされたいかにもといった風の万国旗。

 

 大道芸人の小さな舞台の前で、ついに私は立ち止まった。

 

 ……なんだろうか、この雰囲気は。

 

 思わず、私は額を抑えてしまった。

 痛みがあるとか、そういった感覚ではない。けれど何か、奥底の方で、何らかの靄が浮かび上がってきたのである。

 

 これは……私の記憶に関係しているのだろうか?

 

 ピエロ……サーカス……手品……。

 

「……もしかすると、私に関係あるのかもしれない」

 

 魔女を探して狩るつもりだったが、思いがけず予定が変わった。

 この引っ掛かりが私の記憶を呼び覚ますのであれば、試してみない手は無いだろう。

 

 それが仮に、道化だったとしてもだ。

 

 

 

「なにあれ、かっこいー」

「へ~……」

 

 私のもとに、人が集まっている。

 ここは先程見たピエロと同じ、大道芸を行うためのフリースペースだ。

 

 隣では人気のない可哀想な語り弾きの青年がいて、そのまた隣には例のピエロがいる。

 しかし何事かと立ち止まっている客はほとんどが私の前にいる状況だ。

 私の若さや魔法少女の格好が人々の興味を誘っているのだろう。

 悪いとは思うが、まぁ、見てくれも一つの武器なのだ。同業者よ、許してくれたまえ。

 

「ふむ」

 

 視界でいえば小規模な満員御礼だ。

 私の前には既に、路上ではこれが限界の程度だろう、と言える人だかりが形成されていた。

 

 彼らの興味を引いているのは、私自身だ。

 小高い台の上に立ち、魔法少女として姿をそのままに晒した私である。

 そして、頭の上には紫のシルクハット。これを見れば、どのような催しを行うかは誰の目にも明らかだろう。

 

「……それでは、始めさせていただきます」

 

 税抜き1280円。紫のシルクハットを取る。

 観客たちはようやくかと言わんばかりに、疎らな拍手を送ってくれた。

 

 その声援はビギナーズラックとして、あるいは門出の祝として、ありがたく受け取っておくとしよう。

 

「短い間ですがお楽しみください。どうぞ、よろしく……」

 

 手品師の口上なんてものはわからないから、ただ深々とお辞儀する。

 

 私の仕草のそれっぽさに乗せられてか、老若男女の観客から再び疎らな拍手が上がった。

 

 

 *tick*

 

 

 さあ、ショーの始まりだ。

 

 

 *tack*

 

 

「はい」

 

 ひとまずお集まりいただけたお礼も兼ねて、まずはシルクハットから満開の花束を出現させる。

 観客たちは目を剥き、一様に驚いてみせた。

 

「……見えた?」

「……う~ん」

 

 見えたらそれはすごい人だ。

 

「種も仕掛けもこざいません」

 

 私は嘯き、シルクハットを宙へと放り投げる。

 

 

 *tick*

 

 

 停止時間の中で仕込む手品は万能だ。

 

 

 *tack*

 

 

 シルクハットからは花束だけが消え、そのかわり、中には棒状の影が現れる。

 私はその両方を手に取り、大げさな動きで観客に見せた。

 

 紫のシルクハット。紫のステッキ。

 私の魔法少女としての姿も相まって、それは完成された一つのマジシャンのようでもあった。

 

「奇術といえば、ハットにステッキですね?」

 

 紫のステッキで、台の下のアスファルトを突く。

 

 

 *tick*

 

 

 そこには丁度、亀裂があった。

 

 

 *tack*

 

 

 その亀裂を分け入るように、アスファルトから可憐な花が咲く。

 

「おっと、根を張るといけない」

 

 私は花にハットを被せた。

 

 

 *tick*

 

 

 花は消える。

 

 

 *tack*

 

 

「にゃあ」

 

 そのかわり、ハットを取り上げると、中から小さな黒猫が現れた。

 今やすっかり懐いた、私の相棒である。

 

「よしよし……」

「なぁん」

 

 ふむ、観客が静かだな?

 もう少し派手なマジックの方が良いだろうか。

 

 ハットを被り、ステッキを空に放り上げる。

 かなり高めに投げたので、ステッキを正確に視認できる人は少ないだろう。

 

 

 *tick*

 

 

 そこがミソだ。

 曖昧な状態から変化したものに、人はとても弱い。

 

 

 *tack*

 

 

「……あっ?」

 

 ステッキが落下する。目の良い人はもう気づいただろう。

 私はそれを、二つともキャッチする。

 

「はい、ステッキが二本になってしまいました」

 

 紫と白のステッキ。

 色合いは私の魔法少女のコスチュームに合わせたものだ。

 

 とはいえ、ステッキは二本も必要な小道具ではない。

 

「君に、はい、白い方をプレゼントだ」

「わぁ!ステッキ! やったー!」

「あ、ありがとうございます」

 

 最前列に居た子供にプレゼントしてあげた。こういうサービスも、マジシャンには必要なことだろう。

 子供はステッキを興味津々にいじっているが、本当に種も仕掛けもないのであしからず。

 

 これは突如思い付きで開いたマジックショーなので、大した小道具は用意できなかった。

 けれど、短いショーだけど、多少は観客にスリルを提供したいところである。

 

 せっかくの機会だ。中学生のゲリラ奇術とは思えないくらいの迫力をみせてやろう。

 

 

 *tick*

 

 

 ラストの大手品。やってることは同じだけど。

 

 

 *tack*

 

 

「種も仕掛けもない、ただのナイフです」

 

 何もない空間から取り出したのは、どこにでもある果物ナイフだ。

 観客からは、期待にも似た緊張が伝わってくる。

 

 刃物を使ったマジック。それだけで気持ちが昂るのも無理はない。

 子供が扱うには過ぎたもの。れっきとした危険物なのだから。

 

「それでは皆様、御静観ありがとうございました」

 

 私はそんなナイフを、強く回転させながら、真上に投げた。

 

 危険な行為に観客がどよめき、悲鳴にも似た声が上がる。

 

 とはいえ、これが私の最後の演目だ。

 せいぜい、楽しんでくれたまえよ。

 

 

 *tick*

 

 

 私は群衆から抜け出し、大通りから脱出した。

 

 

 *tack*

 

 既に魔法少女としての姿も解除している。

 今頃、マジックショーを見ていた人たちの見上げた空からは、色とりどりの花弁が降り注いで大熱狂している所であろう。

 その上私の姿は消えているのだから、イリュージョンとしても申し分ないはずである。

 

 観客の様子を間近で見れないのは残念だけど、催しが成功に終わったのは疑うべくもない。

 

「……んーしかし……記憶の方は、ピンとも引っ掛からないな……」

 

 だが、肝心の記憶の方は微妙な所であった。

 魔法少女のコスチュームから、記憶喪失になる前の私はマジシャンになりたかったのでは、と考え、ショーを敢行してみたのだが……。

 さすがに、マジシャンをやるためだけに魔法少女になるほど酔狂ではなかったか。

 

「時間を止め、空間を操る盾……うーん……」

 

 魔法少女とは希望を振り撒く存在である。

 

 そして、ひとつの願いを叶えるかわりに、死ぬまで魔女と戦い続ける運命を背負った存在だ。

 当然、願い事もそれなりに重大であるはずなのだが……。

 

「私は何を願い、この力を手に入れたのだろう」

 

 家族は近くにいない。

 友人はわからない。

 過去の私と、今の私を繋ぐものが、何も無い。

 

 魔法少女は、ひとつの願いのために戦い続けなくてはならないのだ。

 ならば私の願いは? 希望は? 一体何だったのだろうか。

 

 全てを忘れてしまった私は一体何のために、何を依り代に戦い続けなくてはならないのだろう。

 

「…暁美ほむら。妙なことに願いを使ったんじゃあるまいな」

 

 自分のこととはいえ、そうであったら失望ものだ。

 

 だがそのように疑ってみせても、欠けた記憶は答えを教えてはくれなかった。

 

 

 

 入学の日が近い。

 

 机の上に新たなグリーフシードが三つ並んだ時、私はカレンダーの来る日が明日に迫ることに気が付いた。

 見滝原中学に転入する、暁美ほむらの晴れ舞台である。

 

 入院患者と魔女狩りの二重生活からおさらばできる祝うべき日だが、今までの生活も大して嫌いというほどのものではなかった。

 ただ魔女を狩るだけの生活といえばお終いだが、私の唯一の楽しみが魔女狩りだったからだ。

 

 暁美ほむらという根暗眼鏡が何を願って華やかな魔法少女になったのか。それは今でもさっぱりわからない。

 だが今の私は、見滝原に住む人々の命を守るために魔女を倒している。

 見滝原の人に対する思い入れなんて造花の根っこほどもないが、人を守る正義のヒーローになりきれる。

 それはそれで、自分の使命ができたかのようで、とてもやりがいのある時間だった。

 

 ……それに、たまに思い出したように開くマジックショーも、なかなか悪くないものだしね。

 



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運命付けられた出会い

 

 既に受け取っていたらしい制服を着る。

 

「ふむ」

 

 スカートの丈は、中学生にしてはやや短いように思える。

 少なくとも、従来の暁美ほむらには似合わない派手さだろう。

 けれど、今の私にはこれくらいが似合いそうだ。醜くはない、むしろ綺麗な脚なのだから、出し惜しみする必要は何もない。

 

 下ろした長髪をブラシで整え、黒いカチューシャで適当に前髪を留める。

 赤縁の眼鏡は必要ないが、暁美ほむらが持っていた品だ。何かのきっかけになるかもしれないので、鞄に詰めておこう。

 

「さて、準備は万端かな?」

 

 忘れ物は無さそうだ。

 

 ……いや、記憶か?

 まぁいいか。どうせ、ここに私の記憶は転がっていない。

 

 さっさと立ち去り、見滝原中学で新たな一歩を踏み出そう。

 後ろの足跡が見えないのなら、歩いて作ってやるしかないのである。

 

「いってきます」

 

 閉塞感のある病室に別れを告げる。

 そうして私は新たなる一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

 その十数秒後、私は再び病室の戸を開いていた。

 

「グリーフシードを忘れてた」

 

 ついうっかりしてた。

 このまま忘れ去っていたら、病院全体が複数の魔女によって陥落してたかもわからんな。ははは。

 

「じゃ、今度こそ。いってきます。もうここには帰ってきません」

 

 ホントのホントに終わり。

 

 さらばだ、私の始まりの地よ。

 

 

 

 未使用のグリーフシードが四つ。

 一度だけ使ったグリーフシードが一つ。

 そして、かなり黒っぽくなってそろそろ魔女が孵化しそうなグリーフシードが三つ、私の鞄に捩じ込まれている。

 

 鞄の中にしまってはいるが、グリーフシードの収納はこれで良かったのだろうか。

 多分良くない……気がする。というより、ほぼ確信として取扱を誤っている気がしてならない。

 グリーフシードを眺めていると、私の頭の中で警鐘が鳴り続けるのだ。これはまずい。なんとかしなくては、と。だからどうにも、気分が落ち着かない。

 

 確か収納、回収……そんな感じで、無害化していたのだと思うのだが。

 

 あれ、収納だっけ。回収だっけ……。

 

 

「──どっちでもよろしい!」

 

 うおっと、驚いた。身体がビクッってなった。

 

 ……どうやら、私の担任となるであろう女性が教室内で荒れているらしい。

 廊下からそっと覗き見る限り、どうにもおかんむりのようである。

 

 しかも今まさに怒りによって教鞭がへし折られた。

 

 私は、これからイジメにでもあうのだろうか?

 正直なところ、不安しか無い光景なのだが。

 

「どうぞ、入ってください」

 

 それでも入れと言われたら、入るしかないのだろう。

 ほぼガラス張りの壁越しに、転校生が満を持しても少々格好付かないところであるが、呼ばれたタイミングで入るのは手筈通りだ。

 既にクラス内の子たちもチラチラと私の方を見ているし、もったいぶらずに姿を晒すとしよう。

 

 さあ、私の晴れ舞台だ。

 

 学校。私が私であると認識される、最初の舞台。

 

「……」

 

 戸を開き、無言のまま教壇まで歩く。

 可能な限り、上品に。それでいて、格好良く。

 

 そわそわうるさいクラスメート達にはまだ目線をやらない。

 興味がないわけではないが、ここで目まぐるしく視線を漂わせてオドオドするのはいただけないからだ。

 

 ……これくらいでいいだろう。

 教壇のちょうど中心で、前を向く。腕は後ろに。背筋は伸ばして。

 教室を見回すのは一度きり。しかしただ泳がせるわけではなく、皆の視線をなぞるように、堂々と。

 

「……えっと、名前、書く?」

「そうしましょう」

 

 担任から電子チョークを受け取り、ブラックボードに文字を走らせる。

 

 見ている生徒も、教師も、私にさえも馴染みの無い名前が、今ここに刻まれる。

 

 

「私の名前は、暁美ほむら。どうぞよろしく」

 

 薄く微笑んで、再びクラスを見渡す。

 すると予想通り、私の雰囲気に圧倒されたであろう面々のポカンとした顔が見られた。

 うむ。最初のコンタクトにしては、これはなかなか上等な結果であると言えるだろう。

 

 一部、何故か険しい顔で驚いてるトロそうな女の子もいたが。

 まぁ、大人数がいるクラスだし、中にはそういう変な子もいるのだろう。

 あまり深くは気にしないことにした。

 

「えーっと、暁美さんは長い間入院生活を送っていたので……」

「ん?」

「えっ? な、何か間違っていたかしら」

「……いえ、なんでもないです」

 

 長い入院、か。

 暁美ほむらは、何度も入退院を繰り返しているらしいが。

 

 ……魔法少女の身体で入院、ね。

 わざわざする必要があるとは思えないのだが……学校側にも病弱と伝えているからには、暁美ほむらにそれなりの事情でもあったのかもしれない。

 

「無愛想だけど、すっげー美人だねぇ」

「……うん」

「どうしたまどか~、まさか転校生のミステリアスな雰囲気に惚れちゃったかぁ~?」

「えっ!?そそ、そんなんじゃないよぉ」

 

 クラスから潜めた話し声が聞こえてくる。

 それが好意か悪意かの判別はつかなかったが、他人から注目されて悪い気分にはならない。

 

 これが転校生というものか。今日は私が主役だな。

 ……そんな風にも、思っていたのだが。

 

「暁美さん、前はどんな学校に行ってたの?」

「ん。普通の学校、あまり覚えに無いくらい普通だったかな」

「綺麗な髪~、何使ってるの?」

「ありがとう。ふふ、何だと思う?」

「暁美さんってかっこいいねー」

 

 自己紹介を終えた私を待っていたのは、質問の嵐だった。

 飄々と答えてはいるものの、過去のことを聞かれる度に、頭を高速回転させなくてはいかなくなる。顔には出さないけれど、内心では全然余裕がない……。

 

 ……そろそろ、取り巻くのをやめて欲しいのだが……。

 

「部活は何してたの?」

 

 くそ、想定外だった。想定しておくべき単純なことだったのに。

 転校したら、その前のことについて聞かれるのは当たり前じゃないか……。

 

「あ~……」

 

 そろそろ限界だった。

 即興であっても、嘘は八百も出なかった。

 

「……すまない、どうも今朝から気分が優れなくて……保健室はどこか、教えてくれるかな?」

 

 病弱設定に逃げるとしよう。

 

「あ、保健室? 暁美さん、えと、保健室だったらこっちだよ。私、保健係だから……ついてきて」

「ああ、すまないね。わざわざ」

「ううん、ごめんね? クラスのみんな、転校生なんて珍しいから、はしゃいじゃって」

 

 私は具合が悪いことにして、保健係の彼女と共に廊下へと出た。

 体が弱いのは事実なので、初日に保健室の場所を覚えておいて損はないだろう。

 

 保健係らしいツインテールの彼女はとても大人しく、性根の優しそうな子であった。

 

「暁美さんってかっこいい名前だよね、なんていうか……燃え上がれ~って感じで」

「は?」

「あっ、ご、ごめんね変なこと言っちゃって」

 

 ふむ、燃え上がれ……ねえ。

 燃え上がれ……。

 

 ……?

 

 “良く言われる”……?

 そんなはずはない。名前について言及されたのなんて今日が初めてのことだ。気のせいだろう。

 

 しかし……燃え上がれ。

 暁美ほむら、燃え上がれ、かぁ。

 

「……うん、確かにカッコいいかも」

「!」

「自分で言ってしまうけれど、確かに良い名前だ。名前負けしないように、かっこよくなりたいものだね。ありがとう、えっと……」

「えへへ……私、鹿目(かなめ)まどかっていうの」

「鹿目まどか。うん、可愛らしくて良い名前じゃないか。まどかって呼んでもいいかな?」

「うん! あ、私はほむらちゃんって呼んでも良い……?」

「もちろんだとも。これからよろしくね、まどか」

 

 彼女の横に並び、微笑みかける。

 すると彼女も、少し恥ずかしそうに笑った。

 

 保健係のまどかはトロそうだけど、とても良い子らしい。

 

 



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憧れた学園生活

 

 少しだけ保健室で休むというアクシデントが起きたものの、数十分ほどベッドでごろごろしてから、すぐに教室へと復帰した。

 病弱という最強の盾こそあるが、私は好き好んで薄幸の美女になろうとは思わないのだ。

 目指すのであれば、至って普通の才色兼備の文武両道女子であろう。

 

 私のそんな心意気を察したのか、午前中の授業では、各科目の教師達がこぞって私の学力を試しにきた。

 やれこの公式を解け。この年号を答えよ。この訳は何か。

 

 私は出題される度に不安を感じたのだが、幸いにして、どの問題にも即座に対応できた。

 さすがは眼鏡である。暁美ほむらは長い入院生活をしてもなお、頭の方は優秀だったらしい。

 あと、意外だったのが……。

 

「……それなりに達筆だな」

「うん? どうした暁美」

「いえ」

 

 字も上手いということだ。まぁ、そんなのはどうでもよろしいことかもしれないが。

 綺麗で格好良く文字を書けるに越したことはないだろう。

 

 ……ふーむ……優秀すぎて少々不安になるくらいだが……。

 さすがに魔法少女の願いを学力に使った、なんてことはないだろう。だとすればこれは、暁美ほむらの独力ということか。

 ……私は大した努力家だったらしい。あるいは、いいところ出のお嬢様だったのか。

 

 当然のことだったが、私の実力は体育でも発揮される。

 今日は走り高跳びの計測だ。

 

 背中すれすれに飛んでやる義理など、魔法少女にはない。やろうと思えばいくらでも飛べるだろう。

 だが、中学生としてのなけなしの日常を崩すのは、暁美ほむらに申し訳ないとも思ってしまう。

 

 なので私は体育においてはそこそこ、いっぱいいっぱいな感じで飛ぶことにしたのだ。

 

「ふっ」

 

 華麗な弧を描き、バーを越える。そしてぼすっとクッションに着地。

 

「……県内記録じゃない? これ……」

「えっ」

 

 しまった、前提からやりすぎだったか。

 いや、これは私のせいじゃないぞ。最初からハードルを高く設定していた先生が悪いのだ。私のせいではない。

 

「暁美さんって、入院してたんじゃ……」

「すごいね……」

 

 視線は心地良い。

 ……まぁ、これはこれで構わないか。

 

 

 

 クラスメイトと肩を並べての授業。

 他愛もないことを話して笑う休み時間。

 

 今日は、記憶を失うまでの暁美ほむらの力に身を委ね、この一日を過ごしたつもりだ。

 体が覚えている全てを出し尽くしたつもりだった。

 それでも、私は何も思い出せない。

 

 必ず行ったことがあるであろう学校に通えば、何かしら掴めると思ったのだが……。

 

「ねえ、暁美さん、このあと……」

「悪いね、先約がいるんだ」

「先約……」

「あの子に用があってさ」

 

 私は鹿目まどかの方に目を向け、指輪を撫でた。

 彼女の隣には友達だろうか。確か自己紹介で美樹さやかと名乗った少女が一緒にいる。もう一人は……仁美、だったかな。

 

「……? 私指差してる……」

「え? なんでまどかを?」

 

 鹿目まどか。私は、彼女との会話で記憶を取り戻しかけた気がする。

 ひょっとしたら過去の私には、彼女のような友人がいたのかもしれない。

 そんな可能性に賭けてみるのも、悪くはないだろう。

 

 私はなるべく自然な風を装って、三人の集まる席に近づいた。

 

「やあ、まどか……でよかったね」

「うん……」

「そちらは? 確か、さやかだったかな」

「おっ、一度の自己紹介で覚えてもらえるなんて嬉しいね! そうだよ、私は美樹さやか。よろしく!」

「ああ、よろしく、さやか」

 

 内向的に見えるまどかとは違って、さやかはとても溌剌としているというか、活発そうな印象のある子だった。

 背も高いし、スタイルも良い。なかなか格好いい女子生徒である。

 

「そちらは仁美かな? うろ覚えでごめん」

「はい、その通りです! 志筑(しづき) 仁美(ひとみ)と申します。覚えていただけて、嬉しいですわ」

「良かった、合っていたか。よろしく、仁美」

 

 仁美。緩やかにカールした長い髪。上品な喋り方も相まって、まるでどこかのお嬢様のようである。

 いや、あるいは実際にそうなのかもしれない。この学校は、育ちの良い生徒が多そうだ。

 

 ……ふむ、三人か。三人までなら、まぁ。

 

「私、見滝原にあまり馴染みがなくてね。できたらでいいんだけど、良ければ放課後に、まどか。私と一緒に遊んでくれないかな、って思ってさ」

「私と?」

「駄目かな」

「おおっ、丁度いいねぇ。ならほむらも交えて、四人で出かけようか!」

「うふふ、転入祝いですわね」

 

 遊ぶ約束を取り付けたし、クラスにも溶け込めた。よしよし。

 

 幸い彼女たちは良い子みたいだし、これからも上手く付き合っていけるだろう。

 暁美ほむらよ。君の学校生活のスタートは、なかなか幸先良いものだと思うぞ。

 

 

 

 ショッピングモールをぶらつきながら、他愛もない会話を交わす。

 私は適当に相槌を打ち、奥ゆかしく笑う。

 

 同い年の子と話すのは楽しいものだ。

 これから彼女達と日々を過ごしてゆけるのであれば、それはとても平穏で、素晴らしい日常なのだろう。

 

 だが私は魔法少女であり、それは叶わない。私の人生には、常に魔女との闘いが付き纏うからだ。

 しかし、尊い彼女らの暮らしや、友達を守る。それは、他ならぬ魔法少女にしかできないことでもある。

 であれば悲しくはないし、寂しくもない。

 むしろ私の魔法少女としての責務にも、より一層の熱が入るというものだ。

 

「悪いね、付き合わせちゃって」

「ううん」

 

 仁美は稽古事があるらしく(やっぱり本物のお嬢様だった)、彼女は途中で帰るようだが……二人はまだ、何かやりたいことがあるらしい。

 やってきたのは楽曲関係のコーナーだった。

 

「CD?」

「うん、さやかちゃんの幼馴染みが入院しててね、その人がクラシックが好きで……」

「あははは……」

「そうか、音楽か……」

 

 私の好きな音楽は何だったのだろう。

 ……ふむ。興味がある。

 もしかしたら、芸術面で私の記憶を揺さぶることができるかもしれない。

 

「さやか、私もついていっても良いかな」

「いやいやそんな、私に付き合わせるみたいになっちゃうけど」

「お供するよ」

「ほんと? ありがとう、ほむら」

 

 半分以上は自分のためだから、気にしなくて大丈夫だよ。

 

 

 

 私は今、さやか達とCDショップにいる。

 

 しかし、思いの外退屈な場所で、愕然としている私がいた。

 しばらくはさやかの隣でクラシックを堪能していたのだが、落ち着くばかりでどうにも記憶がざわめかない。

 私は堅苦しい音楽に飽きて、まどかの居る棚へ移動しようと考えたのだ。

 だが彼女は演歌のコーナーで、体をゆらりゆらりと、荒波に揉まれる小舟のように揺らしていたのである。

 

 何故に演歌。どうしてその歳で。祖父や祖母の影響なのだろうか……。

 ……あれに近づいて、まどかにオススメの曲でも差し出されてみた暁には、居眠りでもしてしまいそうだ。

 遠巻きに見守って、私は私で、適当な曲を聞きかじっていることにしよう。

 

「まどかの趣味がわからん……」

 

 さやかもあの性格でクラシックとは。かなり意外ではあるけども。

 

 テクノを聞きながら、そんな事を考えている時のことだった。

 

 

 

 ──助けて

 

 

 

「……」

 

 無言でヘッドセットを外し、首を傾げる。

 なるほど、独特なノイズだ。

 

 

 ──助けて、まどか

 

 

 なるほど、ノイズではなかったらしい。

 素早くヘッドホンを台に掛け直し、まどかの居たコーナーに目をやる。

 

 

「…? ……?」

 

 

 まどかは辺りを見回している。どうやらまどかも、少年のような不可思議な声を聞き取ったらしい。

 そしてすぐに、ふらふらと、声がしたであろう方向に導かれていた。

 

 彼女は探るような足取りのまま、CDショップを抜け出し、階段の方へ歩いてゆく。

 

「……ん?」

 

 その姿はさやかも認めていたようだ。

 別のフロアへと立ち去るまどかを、どこか怪訝そうな目で見送っている。

 

「ふむ」

 

 追うか追うまいか、そう考えているのかもしれない。私はそんなさやかの後ろから、声をかけた。

 

「まどか、行ってしまったね」

「うん、トイレとは逆方向なんだけど」

「……さやかは声を聞いていないのか」

「えっ?」

「心配だ、ついていこう」

 

 まどかと私の耳に入って、さやかには入っていない。

 幾つかの程度の差はある。だがこの奇妙な現象には、どうしても一つの現象が付き纏う。

 

 すなわち、魔法少女関連だ。

 



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山吹色の魔法少女

 何故ヘッドホンをつけていたのに声が聞こえたのか。

 あの声は一体誰なのか。

 

 わからない。だが、まどかが一人で歩いているのは放っておけない。

 彼女はきっと、ドジだから。

 

「この階は無人か」

 

 改装中なのだろう。長期間、店が入っていないのかもしれない。そのフロアの一角は無人で、解体後ろくな後処理もされないまま放置されているかのように散らかっていた。

 当然、明かりはない。

 

「……暗いし、ちょっと気味悪いね」

 

 さやかは不安そうだ。

 

「私はもうちょっと気味の悪い所になら良く入るんだけどな」

「なにそれ? これ以上って、どんな所よ」

「知らない方がいいよ、目が回るから」

 

 あの不気味な景色(魔女結界)は、知らないならそのままの方がいい。

 

「ほむらってさ」

「ん?」

 

 歩いていると、後ろのさやかが声を掛けてきた。

 

「なんてゆーか、不思議だよね、良い意味で」

「私もそう思う」

「……うん、自分で言っちゃうところとかも、ミステリアスっていうか」

「ふ」

 

 本当に自分の事がわからないのだから、仕方ないことだ。

 逆に、過去を思い出せれば、普通のつまらない人間になってしまうのかもしれないが。

 

 ……私の武器は、時を止めること。

 そして左手の盾。盾は決して能動的な装備ではない。

 

 私の願いはおそらく、自己の保身。自己防衛かそこらだったのかもしれない。近頃の私はそんな推測を弾き出していた。

 最初に鏡を見た時の、あの卑屈そうな顔が……どうしてかそう、語っているような気がして。

 

 ただ魔女を狩り、己のソウルジェムを満たすことしか考えていない、根暗な女。

 そんな姿に戻っては、さやかは幻滅してしまうだろう。

 

 ……まぁ、それが本来の私なのだろうから、仕方がないんだけど。

 

 

 

 

「……え?」

「まどか! 来てくれたんだね!」

「えっ、ええ……? あなた、誰……? なに……?」

「僕の名前はキュゥべぇ!」

「猫……? じゃ、ないよね……あなたが私を呼ん……! あなた、足挫いてるの!?」

「魔女から逃げている最中に、怪我をしてしまったんだ」

「逃げるって……」

「まどか! 僕を持って早くここから連れ出して!」

「えっ、ええっ?」

「早くしないと、魔女が……」

 

 

 

 

「おっと……?」

 

 薄暗いフロアを歩いていると、突如として辺りの世界が明滅を始めた。

 黒い室内に舞う蝶の翅。地面から生えてくる、読めない立て看板。

 日常は侵食され、異様な光景が広がる。

 相変わらずの毒々しい原色のコントラストだ。今回は暗めの分、ややマシってところではあるが。

 

「な、なにここ!? えっ!?」

 

 だが、さやかが狼狽えるのも無理はない。

 予備知識も何もない人間が踏み入れればパニックすることは必至だろう。

 

 ……なるほど、魔女か使い魔かはわからないが、彼女を巻き込んでしまったか。

 参ったな。転入初日だというのに……。

 

「目を回して尻もちをつかないように。変な色がつくかもしれないからね」

「う、うん」

 

 私はついた記憶もないから、色云々はわからないが。

 

 

『Das sind mir unbekannte Blumen!』

 

『Ja, sie sind mir auch unbekannt!』

 

『Schneiden wir sie ab!』

 

 

 狂った景色の中で、幼げな輪唱がどこからか響いてくる。

 

 

『Ja schneiden doch sie ab!』

 

『Die Rosen schenken wir unserer Königin!』

 

 

 多分、まどかが危ない。

 

 ふむ。

 クラスのみんなには内緒にしておこうと思ったのだが、そのクラスメイトに危機が迫っているのであれば、やむを得ないだろう。

 

 暁美ほむらは平穏な日常を望んでいたのかもしれないが、このくらいは不可抗力として、許してくれるはずだ。

 

「どうせなら、もっと良いタイミングで見せたかったな」

 

 私のソウルジェムが輝き、紫の閃光が制服を覆う。

 

 瞬時に私は変身し、全能感が脳をクリアにする。

 

 

*tick*

 

 

 そして、世界は停止する。

 

「……よし、さやかはまだこっちに気づいてないな」

『……』

 

 ただ変身するだけ、というのも芸のない話だ。

 彼女の固まった顔を多少なり和らげてやらなくては、パニックに陥ることも有り得る。

 状況についていけなくなっては、いくら趣向を凝らしても無意味なのだ。

 

「せっかく他人に晴れ姿を見せるんだ。ちょっとは演出も考えなくてはね」

 

 私は魔法少女だが、奇術師と同じくらい人を驚かせたり、楽しませたりすることはできる。

 心を和ませることだって出来るだろう。

 

 私、暁美ほむらがさやかにしてやれるケアはせいぜいその程度。

 私の友達の為にベストは尽くすが、きっとそれが限界だ。

 

 

*tack*

 

 

 本音を言えば、私が驚かせたいだけなんだけどね。

 

「わっ……!?」

 

 奇怪に変わり続ける遠景とは違った、別の意味で変わった光景が現れた。

 それは、足元から伸びる造花の花道。

 そして空を舞い降りる、毒々しい景色とはまた一風違った、造花のフラワーシャワー。

 

 さやかは一瞬目を点にしていたけれど、幻想的な光景に、ちょっとだけ見とれていた。……かも、しれない。

 

「さて、さやか。私事に付き合わせてしまったのは、どうやら私の方らしい」

「えっ……ほむら? なにそれ……」

「私の真の姿とでも言えばいいのかな?」

 

 紫のハット。紫のステッキ。

 そして燕尾服のような、魔法少女の意匠。

 

 立派な奇術師。私は、魔法少女の暁美ほむらだ。

 

「事情通ですと誇らしげに語り通したいところだけど……景色は見ての通り、異常事態だ。立ち止まっている暇はない。このままだと、まどかが危ないからね。ついてきてくれ」

「そうだ、まどか……!」

「まぁ、そこまで遠くには行ってないと思……」

「まどかっ!」

 

 さやかは魔女の結界という未知の危険を恐れることなく、私の横を素通りし花道を走り抜けて行った。

 

「……少しは感想なり欲しかったんだけどな」

 

 完全に私の格好はスルーだった。

 少しショックである。せっかく自然な感じのポーズも決めていたのに……。

 

 ……だが、それもさやかとまどかの仲の良さ故か。

 彼女ら二人は親友同士であるとは聞いていたし……。

 

 だがそれにしても無謀な走りだな。あのままでは結界内にいる使い魔と出会った時が危険すぎる。

 けれど、直情的で友達想いな性格を、私は馬鹿だとは思わない。

 

 むしろ私も、そんなアツい性格になれたら良いなと思ってしまう。

 

「さて。さやかよりも、早めに到着しておかなくては意味がないな」

 

 

*tick*

 

 

 さやかよりも一足早く、まどかを助けるとしよう。

 

 

 

「……ふむ?」

『……』

『……』

 

 停止時間の中を悠々と歩き、さやかを追い越してからほんのしばらくすると、目的のまどかを発見できた。

 それは良い。怯えたような顔つきだったけれど、彼女は無事だった。

 

 しかし妙なことに、この異空間に一人、知らない人が増えていた。

 まどかが抱いている白猫? らしいぬいぐるみも気になるが……何より、巻き毛の彼女だ。

 

「……ソウルジェムがある」

 

 この子は魔法少女だ。私と同じ、指輪状態のソウルジェムをつけている。

 魔女反応を辿った末に、ここへと辿り着いたのだろうか。

 

「同じ見滝原の制服……今まで遭遇しなかったけれど、まさか身近にいるとは思わなかったな」

 

 誰だかわからないが、助けてくれたのだろう。

 ともあれ、まどかが無事で良かった。

 

 さっさと時間を動かそう。

 

 

*tack*

 

 

「っ!」

 

 時間停止解除とほとんど同時。

 動揺は最小限で、非常に素早い反応だった。

 瞬時に生み出されたマスケットの銃口は――まどかへ向けられている。

 

「ひっ……!?」

「あっ!ちっ、違うの!」

 

 おっと、解除した時の位置が悪かったか。

 丁度まどかを挟むような位置に立っていたせいで、彼女を怯えさせてしまった。

 とはいえ、銃は私のせいじゃないけどね。

 

「乱暴は良くないな」

「えっ?ほむらちゃ──」

 

 私は怯えるまどかの手を取り、そっと抱き寄せる。

 その際、相手にさりげなく、手の甲に付いたソウルジェムを見せるのも忘れない。

 

「突然の登場で驚いてしまったかな」

「……! あなた……魔法少女ね?」

「そういう君もな」

「あ……あの……その……」

「ん、ごめん、窮屈だったか」

 

 そっとまどかを解放してやる。

 ……とまぁ、これで自己紹介は十分だろう。私は目の前の魔法少女にとって、無害なのだ。

 

「私は暁美ほむら。君は?」

「……(ともえ)マミよ」

「マミか、よろしく」

 

 ステッキを左手に持ち変え、右手を差し出した。

 さて、相手は握手に応じてくれるかな。

 

「見滝原に私以外の魔法少女がいるなんてね」

 

 握手は断られた。印象は悪かったらしい。

 さやかの反応も薄かったし、キザな演出は受けないのか。

 いや、最初だから警戒しているのだと考えることにしよう。

 演出は悪くなかったはずなんだ。

 

「あ、あのっ、この状況って一体……」

「まどか! やっと見つけ……ってうわ、なんだこの状況……」

 

 招かれざる客(まどかとさやか)の二人が揃った。

 早く二人に現状を説明して落ち着かせたいが……。

 

 ……既に私達の周囲を、無数の使い魔が取り囲んでいる。

 

「ごめんなさいね、二人とも。混乱を解いてあげたいんだけど……その前に――」

 

 マミのソウルジェムが光る。

 どこかほの暗い私の魂とは違い、それは崇高で、綺麗な輝きだった。

 

「――先に一仕事、片付けちゃっていいかしら!」

 

 記憶を失ってからはおそらく初めて見る、他の魔法少女の変身。

 豊かな体型を強調するような衣装、煌めくような明るい色彩。

 そしてベレー帽の飾りにソウルジェムが移れば、そこには堂々とした、気高い魔法少女の姿があった。

 

「……綺麗だ」

「──……ふふっ」

 

 マミは高く飛び上がり、空間に魔力を展開する。……パンツが見えた。

 次の瞬間、空中に何挺ものマスケット銃が生成され――エネルギー弾の流星群が、地面を一掃する。

 

 ヒゲ面の綿のような使い魔を、一体につき一発で確実に撃ち抜いている。

 あのマスケット銃の火力は、私のナイフよりずっと強力なのだろう。

 

 何よりマスケット銃の発砲はダイナミックで、スタイリッシュだ。マズルフラッシュまで美しい。

 

 ……そうだ、銃。

 良いな、銃。

 銃を使ってみても良いかもしれない。ちょっと探してみるか……。

 

「わぁ……」

「おお……」

 

 二人も感嘆の声をあげている。

 だが私はそれ以上に、拍手も贈りたい気分だった。

 

「良い、すごく良い……惚れ惚れする」

 

 その姿に見惚れていれば、闘いと呼べるものは終わっていた。

 魔女の結界は薄れて消え、薄暗いフロアに戻っている。

 

 マミはどこか満足そうに変身を解くと、私に向かって薄く微笑んだ。

 

「ふふ……でも、魔女は逃がしちゃったみたい」

「ああ、そのようだけど……さっきまで追っていたんだろう? 追うなら、君に任せるよ」

 

 魔法少女にとって、縄張りの取り決めは大切だ。

 なにせソウルジェムの浄化に必要なグリーフシードは、魔女からしか産出しないのだから。

 ずっと警戒されているのもなんだし、マミとはさっさと打ち解けておきたい。

 

 これから先、彼女の闘い方を参考にしたくもあるからね。

 

「ええ、まぁその辺りの話も重要だけど……一般人……この子達が優先ね」

「……」

 

 まどかとさやかはどこか興奮した様子ではあるけれど、何を喋っていいのかわからない様子。

 そして、まどかの腕に抱かれた謎の白い猫も……無感情な瞳で、こちらを見つめている。

 

「話が複雑になりそうだから、場所を移しましょうか」

 



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宙ぶらりんな真実

 

 私たち三人は、巴マミの家に招待された。

 出会ったばかりの相手に住所を教えても大丈夫なのかと心配になったが、マミにはそうするだけの自信と勘があるのだろう。

 実際、私もマミの家をどうこうしようとは考えていないので、ノーガードの信頼の証は素直に受け取っておく。

 

 部屋は整頓され、とても綺麗だった。

 大きな家具から小物に至るまで、とにかく洗練されたデザインが多く、女子中学生というよりは都会の喫茶店といった趣だ。

 

 中央には三角形のおしゃれなガラステーブルがある。

 正三角形でなくてよかった。長い辺には二人がゆったりと座れるだけのスペースがあるだろう。もう一人くらいは席につけそうだ。

 

「はい、どうぞ」

「わぁ、美味しそう!」

「かわいい!」

 

 マミは美味しいケーキや紅茶まで用意してくれた。

 

 聞けば、マミは見滝原中学の三年生だという。私達のひとつ上らしい。

 彼女とはケーキや先輩ひっくるめ、仲良く友好的にやっていきたいところだ。

 

「さて、まずは改めまして。キュゥべぇを助けてくれてありがとう」

「ありがとう、まどか!」

 

 喋った。ぬいぐるみが喋った。

 

「い、いえ……私なにもしてないですし……むしろ私は助けられた、っていうか」

「……あの変な空間は、一体なんだったんですか?」

「あれは魔女の……って暁美さん? どうかした?」

「いや、……それよりもまず……」

「ん?」

 

 白い猫のような生き物を指差す。

 

「この変なのは、何?」

「えっ?」

 

 一見つぶらに見えるが不気味な赤い目。

 耳から伸びる用途不明の手らしきもの。

 

「UMAだ」

「あなた、魔法少女なのにキュゥべぇを知らないの?」

「覚えがないな」

 

 首の後ろの皮をつまんで持ち上げてみる。こうしてみると本当に猫そっくりだ。

 

「ほむらちゃん、可哀想だよ……」

「君は暁美ほむらといったね」

「ああ、燃え上がれ~って感じがするだろう」

「……僕は君と契約をした覚えはないんだが……?」

「契約……」

 

 思考がぼんやり霞む。

 契約。なんだっけそれ。

 

「僕は君達の願いをなんでも一つだけ叶えてあげる。そのかわり、ソウルジェムを手に、世界にはびこる魔女と戦って欲しい。つまり、僕と契約して魔法少女になってよ、ってことなんだ!」

 

 願い。契約。魔法少女……。

 

 ああ、頭に浮かんできたぞ。

 どうして今まで忘れていたのだろう。こんなに大切なこと……。

 

「あ~、そうだ、思い出した……君と契約して魔法少女になるんだったね」

「大事な事なのに普通忘れるかしら……」

「願いを一つだけ叶える……?」

 

 さやかは私の忘れっぽさよりも、そちらの方に興味があるようだった。

 

「そう、キュゥべぇは私達少女の願いを叶えてくれるんだ」

「……本当に?」

「契約が成立すれば叶えてあげられるよ」

「はぁあ~……」

「すごい……」

 

 願い事を一つだけ叶えられる。確かに、それだけ聞くと胡散臭い話である。

 しかしこの部屋にはその前例となる少女が二人もいるし、使い魔との闘いはつい先程体験したばかりだ。さやかもまどかも、訝しんだりはしなかった。

 

「願いを叶えると、そのかわりに生まれるのが、マミやほむらも持っているソウルジェムだ」

「これが魔法少女の証、魔女と戦うために変身したり、魔法を使えるようになるわ」

 

 マミは手元のジェムを見せた。

 リング状態ではない、宝石の形態。構成物質は不明だが、見ているだけで引き込まれそうな魅力がある。

 しかし、そう単純なシロモノではないと私は知っている。

 

「魔法は便利だが、ソウルジェムに入っているのは私達の魂だよ。ソウルジェムが破壊されれば死んでしまうから、これは不用意に扱えない」

「……え」

 

 マミが小さく声を漏らしたような気がした。

 

「ええ、それは…ちょっと…」

「ただ、これは一応宝石だし、よほどの衝撃でなければ壊れはしないから、扱いに気を付けていれば大丈夫。生身がいくら傷付こうが魔法で回復できるから、むしろ私たちには必須のものだよ」

「な、なるほど…」

「魔法少女になるには、戦う覚悟が必要ということだな」

 

 ソウルジェムは魔法少女最大の弱点でもあるけれど、闘いを有利にしてくれる便利なアイテムだ。

 とても手放そうとは思えない。

 

「君たちが迷い込んだ空間は魔女の結界……そこに潜む魔女と戦い、倒すのが魔法少女の役目だ」

 

 キュゥべえの言葉に私は頷く。

 そう、私達の本懐はそこにある。

 

「魔女は世に潜み、静かに人を食らう……野放しにはできない存在だ」

「……ちょっと、紅茶をいれてくるわね」

「ああ、すまない。ありがとう、マミ」

「ありがとうございます、マミさん」

「……あの、ほむら」

「ん?」

 

 マミが席を立ったのも気づかない様子で、さやかは深刻そうな顔を私に向けていた。

 

「……危険なの? その、魔女と戦うのって」

「どんな魔女を相手にしても、途中で靴紐を結び直す暇はないかな」

「わ、わかりにくいなぁ」

「常に本気でかからないと難しい相手だってことだよ。気を抜いたら……酷いことになる」

「うわぁ……」

「怖くはないの……? ほむらちゃんは……」

「んー」

 

 魔女との闘い。それは魔法少女の義務であり、捕食行為だ。

 もちろん、そこに命の危険は付き纏うし、私も人間なのだから死にたくはない。

 けれど、怖いと訊かれたらどうだろうか。

 少しだけ考え込み、答えを出す。

 

「あんまりだね」

 

 私の中の答えは、思いの外淡白であった。

 

「戦い続ければきっと、それは当たり前になってくるよ」

 

 あるいは、その感情さえも忘却したのかもしれない。

 

 

 

 一通り魔法少女の説明をしてから、マミのアパートから出た。

 どうやらマミは体調が優れないらしく、私としてはまだ話さなければならないこともあったのだが、途中で帰されたのである。

 

 今は帰り道で、さやかとまどかの二人を送っている。

 先にまどかの家、次にさやかの家だ。見滝原に慣れない私が送迎するというのも妙な話だけど、魔女騒動があった後なのだから仕方ない。帰り道に食べられては困る。

 

 ……転校初日。

 一般中学生には体験できない様々な事が起こったが、悪くはなかった。

 

 魔法少女にも出会えたし、キュゥべぇを朧げにだが思い出せた。

 これは上々の成果と言える。このペースなら、あと一月もすれば記憶を取り戻せるかもわからんね。

 

「……」

「……」

 

 なんて飄々と頭の中で語っている間も、二人の少女は無言だった。

 女子中学生が一緒になっているのに、これはちょっと奇妙すぎる空気ではないかな。

 

「二人ともずっと考えてばかりだけど、何か話してほしいな」

「……うん」

「はあ、やれやれ」

 

 暗い顔ではない。

 ぼんやりと考えるような、はっきりとしない顔だ。

 

「二人とも、願い事でも考えているのか」

「まあ……」

「うん……でも、なんだかなあ……」

「決まらなくて当然だよ。人の一生がかかっているんだから。今、無理に頭をひねることもないぞ」

 

 願い事が叶えば石になる。

 キュゥべぇとの契約は、人としての生き方を捨てる事だ。

 帰り道の途中でパッと選択するようなものではない。

 

「あ……もう着いちゃった」

「うわ、本当だ」

「ここがまどかの家か? よし、じゃあここでお別れだな」

「二人ともありがとね」

「良いって良いって、たまにはね」

 

 さやかは“転校してきたばかりの私に送らせるのは”と遠慮がちだったが、やはり魔女のこともある。

 まどかの帰宅を見届けた私は、次はさやかを送ることにした。

 

 

 

 さやかはおっとりぼんやりなまどかとは違い、活発で積極的な子だ。

 よく喋るし、よく笑う。

 

「……は~……願い事か……」

 

 今は口数も減っているが、学校ではよく喋っていた。

 調子が戻れば、またいつものさやかに戻るのだろう。

 

「ねえほむら、魔女って……怖い? あ、さっきも訊いたっけ。……闘いとか、そういう意味で」

「よく魔女について訊ねるね」

「まぁね……まだ見たこともないし……全然、想像がつかないっていうか」

「武器がなければ怖いと思うよ」

「武器……マミさんの銃のような?」

「そう、魔法少女になれば、さやかも自分の武器を手にできる」

 

 魔法少女になると、専用のコスチュームと魔法武器が決定する。

 私は魔法少女になった時のことを思い出せないので曖昧だが、ほとんど自動決定のようなものだったと思う。

 人によっては剣になるだろうし、弓や杖にもなるだろう。場合によっては、武器とは呼べないものが選出されるかもしれない。

 私は記憶のこともあって、まだ他の魔法少女については詳しくないが。

 

「私の武器かぁ、なんだろ」

「さやかの性格から察するに、槍かな?」

「……いちおー聞くけど、なんで槍さ」

「向こう見ずな感じがする」

「あ~言うと思った! 失礼しちゃうなぁ」

 

 やっぱりさやかは、思い詰めているようでもよく喋るのだった。

 

 

 

 

 

「……ねえ、キュゥべぇ……?」

「なんだい? マミ」

 

 後輩の三人が帰った後。

 洗い物を終えた私は、ローテーブルの上のキュゥべえを相手に話しかけていた。

 

 いつもの何気ない会話ではない。

 切り出すにもちょっとした勇気を必要とする、そんな会話だ。

 

「その……さっき暁美さんが言っていた事って、本当なの? ……ソウルジェムの中に、魂があるって……」

「そうであるともいえるし、そうでないともいえる……でも大体は合ってるよ」

「ちゃんと答えてよ。これが壊れると、私は死んじゃうの?」

「それは間違いないね」

 

 ……ああ。やっぱり私の聞き間違いでも、暁美さんの勘違いでもなかったのね。

 

「私、そんな話を聞かされていないわ」

「聞かれなかったからね」

「キュゥべぇ……」

「でも彼女も言っていただろう? マミ。ソウルジェムが無事だからこそ、怪我を負っても平気でいられるんだ。どんな重傷でも、魔法なら治すことは可能だからね」

 

 それは……確かに、そうだけど。

 でも……でも。

 

「マミは今まで、少なからずそういった怪我も負わされたことはあっただろう? その時にソウルジェムがなかったら、今まで生きてこれなかったんじゃないかな」

「……違うのよ、キュゥべぇ。それも確かにそうだけど、私が言いたいのは……」

 

 ひとつ呼吸を置いてから、探るようにキュゥべえの目を見る。

 

「……どうしてその話を暁美さんにはして、私にはしてくれなかったの……?」

 

 そう、引っかかっていたのはそれだった。

 私とキュゥべえは、もう何年も一緒に過ごしてきた。間柄は、相棒よりも家族といった方がしっくりくる……と、私は思っていた。

 でも、キュゥべえにこんな隠し事があっただなんて。

 そう思うと、とても悲しくて……。

 

「僕は暁美ほむらにその話をしたことはないよ」

「……どういうこと?」

「そのままの意味さ、というより、僕も彼女とは今日初めて会ったばかりで、何がなんだかわからないんだ」

「彼女、魔法少女でしょ?」

「そのようだね」

「ならあなたが契約したんじゃない……」

「そんな覚えはないんだけどね」

 

 キュゥべえにとぼけている様子はない。

 ……真面目な彼のことだ。きっと、嘘ではないのだと思う。

 

「そうなの?」

「うん、暁美ほむらも僕に対して曖昧な印象しか持っていないしね、理由は定かじゃないが」

 

 キュゥべえも本当に知らない……どういうこと?

 

「……契約した覚えのない魔法少女、これはイレギュラーになりそうだ」

「イレギュラー?」

「何をするか解らない対象ということだよ」

「それはわかるけど……そうね、確かに彼女、何を考えているのかさっぱりわからなかった……」

「暁美ほむらには気を付けた方がいいよ、マミ」

 

 確かに、何を考えているのかさっぱりわからない人よね……。

 

 口調も仕草も、どこか……悪い言い方をするなら、気障な感じがする。

 それに見合うだけの力はあるのだろうけど……。

 

 キュゥべぇの言う通り、警戒するに越したことはないわね。

 

 たとえ今日みたいに、一切の毒気がなくても……。

 

 

 

 

 

 さやかを送り終え、私は一人、夜の町をゆく。

 過ぎ行く人。寒い空気。吹き抜ける風。

 

「……」

 

 ほとんど、知らない町だ。

 私を知る者はなく、私が知る者もいない。

 

 出だしは好調だ。しかし未だ私の世界は狭く、薄い。

 中学校の生徒以外は誰とも面識がないし、彼らとの関係はこれから育んでゆくものでもある。

 まだまだ私は、一員というよりは、お客様でしかないのだ。

 

 見滝原。

 私はこれから、この町で生きていく。

 記憶を失おうが、失うまいが、初めての場所で私は過ごしてゆく。

 これから始まる日常生活は、きっと魔女退治と同じか、それ以上の意味を持つことだろう。

 

 私は暁美ほむらだ。

 ならば私は、暁美ほむらのために生きる。

 

 暁美ほむらが記憶を取り戻したその時に後悔しないように。

 私は最善の暁美ほむらとして、この町の一員として、生きてやろう。

 

「……ああ。造花の花道、回収しとけば良かったな……」

 

 巨大なモールを見上げてふと思い出し、小さく呟いた。

 

 ソウルジェムに魔女の反応は見られない。

 ……そろそろ部屋へ帰るとしよう。

 

 

 



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第二章 女帝に捧ぐ勝利のワイン
交わらない色の世界


 

 久々に夢を見た。

 見た、というよりは、今まさに見ている、と言うべきなのだろうけど。

 

 私は地べたに寝そべっており、空を見上げているらしい。

 灰色で、暗雲渦巻く、まさに不吉と呼ぶに相応しい空模様である。

 

 少し視線を下へやれば、瓦礫と土砂に崩れた町らしきものが広がっている。

 

 何も映さない信号。

 斜めに地面にもたげる標識。

 夢の景色は、どうしようもないほどに荒れている。

 

 荒廃した世界で、傷だらけの私が起き上がった。

 普通なら生きてはいないはずの重傷と、手にはほぼ完全に黒ずんだソウルジェムが昏く輝いている。

 

 視界を砂嵐が阻み、場面が飛ぶ。

 何の執念か、立ち上がった私は、目的を持った風に歩き始める。

 

 霞んでぼやけきった視界。

 ふらふらと歩みより、……手元の拳銃を構えた。

 世界はぼやけて何も見えないが、私はそれでもバレルの先で探るように、標的を定める。

 

 バレルの先が硬い石を捉えた時、引きつったような嗚咽が聞こえた。

 

 そして私は数秒の間をあけて、引き金を引いたのだ。

 

 

 

「……」

 

 まぶたを開くと、そこは私の部屋だった。

 先日の帰りに変なアウトレットで一目惚れして購入した振り子ギロチン風掛け時計(中古税抜き19800円)は、朝も正常に天井から吊り下げられ、ブンブン空気を割くように稼働している最中だ。

 しかし買った後の祭りではあるが、あの凶器そのものでしかない振り子ギロチンが知らぬ間にこちらへ落ちてきたらと思うと、気が気でなくなってきた。

 

 ……ふむ。早く起きよう。そして時計は取り外そう。

 

「いただきます」

 

 今日の朝食は中学生らしく、肌の健康を気遣って魚介豚骨を食べる。

 “かやく”の袋にはネギなどの健康に良い野菜も入っている。炭水化物と脂質のバランスの良い、実に理想的な食事と言えるだろう。それがお湯を注ぐだけで完成するのだから、科学の進歩とは偉大なものである。

 だが通なら4分表示を3分で、3分表示なら2分で仕上げて食べるべきだろう。

 麺に残った芯の歯ごたえは、それだけで満腹感を与えてくれるのだから。

 単純に、時間の節約にもなるしね。

 

「ふう、ごちそうさま」

 

 さて。昨日は多くのイベントが起きて、多くの情報に触れることができた。

 今日はどのような出来事が待っているだろう。

 

「楽しみだね、暁美ほむら」

 

 鏡の中の私に微笑みかけ、黒のカチューシャをセットする。

 制服良し。髪よし。グリーフシードも忘れてない。

 うん、いい感じだ。

 

「いってきます」

 

 分解して壊れきった掛け時計に挨拶をして、私はアパートを出た。

 

 

 

 特に覚えるまでもない簡単な授業時間は、自然と思考が逸れてゆく。

 なので私は、今朝見たばかりの夢について考えていた。

 あの暗い夢は、一体何だったのだろうかと。

 

「ではこの年号に起きた戦を……じゃあ暁美、答えなさい」

「ん」

 

 瓦礫の中。私は銃を握り、魔法少女のソウルジェムを撃ち抜いた。それは間違いない。

 あの瓦礫の山が意味するものは一体なんだったのか……。

 

「えーではこの式、途中までで良いので暁美さん、前にきてどうぞ」

「……ああ、はい」

 

 散らばる瓦礫。荒廃の街。

 街を巻き込むほどの現実感のない死闘の末に、私は……おそらくソウルジェムのようなものを破壊した。

 

「ここの一番の四字熟語を……暁美」

「暗中模索、七転八起、天涯孤独」

「おお、正解だ。素晴らしいね」

 

 あれは、以前の私が実際にやっていた事なのだろうか。

 それともただの抽象的な夢でしかないのか。

 

 ……いや、あんなに酷い破壊行為を行ってしまえば、それはニュースになるだろう。

 町一つ分が荒野になるほどの乱闘など聞いたことがないし、私にそれほどの力があるとも思えない。

 特別今朝から調べているわけでもないが、あの景色は幻と考えるのが普通だな。

 

 まあ、どちらにせよ、私の深層心理には危険な何かが潜んでいそうでは、あるのだが……。

 

 

 

『暁美さん、聞こえる?』

「ん?」

 

 ふと、頭の中に声が聞こえてきた。

 巴マミの声だ。

 

『……私のテレパシー、通じてない?』

 

 おっと。私の反応は声に出ていたか。

 

『ああ、テレパシー、そんなものもあったね』

『テレパシーを忘れるって……まぁいいわ』

 

 すっかり失念していた。これは記憶喪失とは別だ。本当に存在をうっかり忘れていただけである。

 だって、今まで使い道なんて無かったのだから。

 

『……良ければお昼休みに、一緒に屋上でご飯を食べない?』

『昼食か、わかった』

『え、良いの?』

 

 自分から誘っておいて、マミは私が快諾したのが意外そうだった。

 

『まだ屋上で食べたことがないから、興味があるんだよ。それに、学校の屋上ってなんだかロマンチックだしね』

『……ふふ、待ってるわ』

 

 中学校に入って新たに出来た、少しだけ年上の友達。

 そして、私と同じ魔法少女。

 積極的に親睦を深めるのも悪くはないだろう。

 それが屋上でのランチともなれば、尚更だ。

 

「楽しみだな」

 

 私はマミにも、周りの誰にも聞こえないくらいの小さな声で、口の中だけで呟いた。

 

 

 

 際限なく広がる蒼天には、私の長い髪をなびかせるだけの風が吹いている。

 この心地よい風に紙幣を靡かせたら、空に食われて二度と取り戻すことはできないだろう。

 

「こんにちは、暁美さん」

「やあ、マミ」

 

 先にベンチに座っていたマミに小さく手を振ると、彼女もにこやかに応えてくれた。

 彼女からは刺々しい印象を受けないので、私のことはもう後輩として見てくれているのだろうか。

 そうであれば、嬉しいものだ。

 

「隣良いかな」

「ふふ、どうぞ」

 

 二人で並び、ベンチに腰掛ける。

 マミは膝の上に自作であろう彩り豊かな可愛らしい弁当箱を広げた。

 そして私は、ポケットからスニッカーズを取り出した。

 

「……」

「うん、開放的な場所で食べるのも悪くないな」

 

 噛みごたえ十分。粘りつくような甘さ。

 チョコレートに複雑な風味が絡み合い、商品名でしか形容できないような、独特の味に仕上がっている。

 食べている最中にも身体に吸収されそうな、とても良質なカロリーだ。

 

 教室で食べるのも悪くはないだろう。

 けれど、より明るく、開放感のある場所で食べるご飯は格別だった。

 

「……えっと、あなたって、魔法少女なのよね」

「ん? ああ、そうだよ」

 

 私が上機嫌に食事を摂っていると、マミは控えめに訊ねてきた。

 

「キュゥべぇと契約したの?」

「さて。そうだと思うんだけど、思い出せないな」

「曖昧ね」

「曖昧さ、ミルクチョコだって曖昧なのだから」

 

 先ほどから私が話す度にマミの食指が止まる。

 気を遣わせてしまっているのだろうか。だとしたら申し訳ない。

 

 いや? ここは私が会話をつなぐ場面だろうか。

 話の最中、常に受け手に回っていては格好悪いだろうから……うん、こちらからも話さないと。

 

「マミは、キュゥべぇと契約を?」

「……ええ、何年か前にね」

「何年も付き合ってるってことか……マミはあの猫と仲良しなんだな」

「お友達だもの」

「友達は大事だな」

 

 友達は尊いものだ。私は猫だからと言って、それを否定しない。

 私の相棒だって黒猫なのだ。むしろ魔法少女としては、至極真っ当な友人関係を築いていると言えるだろう。

 

 ……ふむ、魔法少女か。

 そういえば、昨日はあまりマミとそのことについて話せなかったっけ。

 

 良い機会だ。訊いてしまおう。

 

「なあ、マミは魔法少女についてどう思っている?」

「どうって?」

「魔女を倒すことについて、とか。マミなりの魔法少女へのこだわりとか、聞きたいな」

「魔女を倒すのは私達の責務ね」

「まあ、それを前提としてだよ。腹が減ったら食うのは当然じゃないか」

 

 グリーフシードありきの人種が私達だ。

 それはあくまでも大前提。

 

「……町の人々を魔女から守る、それは当然のことじゃない。こだわり、と呼べるものではないと思うわ。魔法少女は希望を振りまく存在でしょ? 魔女は世界の天敵。だから倒すの。それは当然のことだわ」

「ふむ」

「あなたは違うのかしら」

「さあ、どうだろう。わからない」

 

 当然かどうかと言われると、答えに窮するところだ。

 私はそこまで、道義心を全面に押し出して魔女を狩っているわけでもないから。

 

「……」

「でも、グリーフシードは欲しい」

 

 それは間違いない。

 だって、魔女にはなりたくないからね。

 

「……暁美さん、喩え話で悪いのだけど」

「ん?」

「もし目の前に、もうすぐ魔女になりそうな使い魔がいたとしたら……あなただったら、どうする?」

 

 マミの問いかけは、やや漠然としたものだった。

 魔女になりかけの使い魔。

 つまり、もう少し人間を喰らえば魔女へと進化しうる使い魔、ってことか。

 

 ふむ……これは、正直……。

 

「悩むな」

「……」

「その時のソウルジェムの状態や、グリーフシードの持ち合わせにもよるからね。一概には言えないよ」

「……そう」

「あまりにソウルジェムの状態が緊迫していたら、見逃すかも。魔女がグリーフシードを落としてくれれば、濁り切る前にソウルジェムを浄化できるかもしれないしね」

「……使い魔が、一般人を食べるのよ?」

「んー、ソウルジェムが濁りきるよりはマシだと受け入れる覚悟も必要さ。ケースバイケースじゃないかな」

 

 ソウルジェムが完全に濁りそうという状況は、最大限避けるべきものである。

 魔法少女が魔女になったのでは、街を守るという点で考えても、あまりに割に合わないことだからだ。

 

 まあ、滅多なことでは起こらないケースだろうとは思うが……もしそこまで追いつめられたのならば、人の一人や二人は……悪い言い方をするが、私だったら生贄に捧げるかもしれないな。

 

 それに、私は暁美ほむらのためにも、不用意に死にたくはない。

 私の身体は、私だけのものではないだろうから。

 

「……ふう。私はやっぱり、あなたのことわからないや」

 

 マミは弁当をまとめて、ベンチから立ち上がった。

 

「もう良いのか?おかずがまだ残っていただろう」

 

 蓋を閉じる間際、最後まで取っておいたらしい甘そうな卵焼きがあったのを、私は見逃さなかった。

 自分で作っておいて、苦手ということもあるまいよ。

 

「良いのよ。ごめんね、私から誘ったのに」

「待ってくれよ」

 

 どうしたんだ突然。

 私は急ぐように立ち上がったマミの肩を掴み、引き止めた。

 

「離して」

「……マミ?」

 

 だが、彼女の目は私を拒絶していた。

 僅かに細められたそれは、“友人”を見るための表情ではなかった。

 

「私とあなたは同じ魔法少女だけど、考え方が違っているから」

「一体、何が違うんだ」

「目の前で誰かが困っていたら、私はその人のこと、絶対に助けたいのよ。でもあなたは違う。……きっと、あなたも私とは、相容れないんだわ」

 

 私も? ……どうしてだ。

 別に私は、マミのことが嫌いなわけではないのに。

 

「争いになる前に、不干渉を結びましょうか。きっとそれが一番穏便に済むはずよ」

「マミ、そんないきなり」

「あのね、暁美さん。私達の違いは……」

 

 彼女が言いかけたその時、世界が歪んだ。

 

「なっ……」

 

 視界が突如として、パステルカラーに染まる。

 

 すぐそこにあった屋上の入り口は不気味な張り紙によって完全封鎖され、高く青い空は、毒々しい赤と黄色のマーブル模様に塗り替えられてゆく。

 

 これは……うんざりするほど見ている。

 間違いない。

 

「魔女の結界だ」

 

 

 



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いつでも華麗な演目を

「魔女!?どうしてこんな所に……!」

「まさか、学校の屋上に現れるとは……厄介なことになったな」

 

 魔女の結界は急速に構築されてゆく。

 辺りの景色を巻き込みながら生成されてゆくそれは、緩やかにではあるが、確実に学校の一部を飲み込んでしまうだろう。

 そうなれば、被害に遭うのはこの中学校の生徒と教師達だ。

 

「わっ……足元が!?」

「ふむ」

 

 ヘドロ色の地面から無数の電柱がせり上り、私達を世界の上へと押し上げる。

 それは抵抗する間も無く、一瞬にして百メートル近い高さにまで成長した。

 

 電信柱のみの限られた足場。

 遠すぎる地面。

 

 ……それは奇妙ながらも、私にとって見覚えのある景色だった。

 

「くっ……とにかく、学校の人に被害が及ぶ前に片付けないと……!」

「賛成だな」

 

 ようやく見え始めたばかりの私の日常を壊させてなるものか。

 

 マミが変身すると同時に、私も変身する。

 けれど、ハットとステッキも忘れない。

 

 闘う時なのだ。オシャレだってビシッと決めなくてはね。

 

「魔女反応は……下からだわ!」

 

 聳え立つ電柱から下界を見下ろす。

 高さはちょっとした高層ビルほどはあろうか。

 ここから落下すれば、常人であれば無事では済まされないだろう。

 

 真下には、確かに魔女であろうトイプードルのような怪物が見える。

 もちろんただの可愛らしいトイプードルなどではなく、バルーンを捻って作ったような、不気味な姿なのであるが。

 

 魔女は遥か下。奴の下にたどり着くには、この高さを落下死しないように降りる必要がある。

 しかし、様々な技と強化された身体能力をもつ魔法少女にとってはさほど難しい技術でもない。

 素早く魔女のもとに辿り着くならば、単純に自由落下するのが吉だろう。

 

 うむ。しかしこの景色といい、魔女といい、やはりどこかで……。

 まぁ、それは後でも良いか。今は何よりも、魔女を倒すことこそが先決だ。

 

「マミ、私と君は相容れないのかもしれない」

「!」

「しかし今は目の前の敵を倒すために、協力してくれないか」

「……ええ、分かっているわ!」

 

 良かった。

 ちょっと冷たい態度だったから心配していたけれど、共闘はしてくれるようだ。

 

 ならば、憂いはない。

 

「格好良いところを見せなくてはね」

 

 ステッキに魔力を込め、強度と威力を底上げする。

 主に見た目を重視した小物ではあるが、こうすることでいざという時のためのちょっとした武器にもなってくれるだろう。

 

「よし、一気に降りるぞ!」

 

 最下を目指し、私は電柱上から大きくジャンプした。

 

「おっと……!」

 

 すると程なくして、下から大量の何かが近付いてくる。

 色は様々。数は膨大。それはまるで、鰯の群れのようである。

 

「お出ましかしら……!」

「待つんだマミ、あれに害はない。攻撃しすぎるのは魔力の無駄だぞ」

「え?」

 

 下からせりあがる大量の影。

 その輪郭がはっきりと見えてきた。

 あれは……。

 

「……風船!」

「そう。人ならば簡単に浮かす事のできる風船だ。乗れるよ」

「乗れるって……」

 

 私とマミは、それぞれの風船に着地した。

 直径二メートル近くあろう巨大な風船は着地の瞬間だけボヨンと震えたが、すぐに浮力が勝ち、上昇を再開した。

 

 風船を上手く避けなければ、常に空に浮かされ続けてしまうだろう。

 

「これは普通の風船と同じで、刺激すれば割れる。結構頑丈ではあるけどね」

「じゃあ、これを割れば下に……」

「だが、下にいる魔女はこれでもかというほど風船を吐き続ける。いちいち一つずつ割る暇はないよ」

「なるほど、避けて下に降りていくわけね!」

「そういう事だ」

 

 群鳥のような風船を避ける。

 電柱を蹴って地面を目指す。

 

 風船の真上にある目玉模様は使い魔の目であり、それは浮かび上がる途中でこちらをギョロリと睨み、落下位置を修正して私達を捕捉する。

 早く下へ降りたい私達にとって、非常に厄介な機能だと言えるだろう。

 

 

 *tick*

 

 

 しかし、問題はない。

 私だけは時を止めることで、すぐ降りられるのだから。

 

 巴マミはまごつくだろうが、それはそれで仕方がないことだ。

 私には経験があり、一日の長がある。攻略法も実践済みなのだから。

 

 ……この魔女、ちょっと前にも戦った事があるしね。

 

 つまるところ。

 

 

 *tack*

 

 

「自分で蒔いたシード、ってわけだ」

『PuUUUuuUU!』

 

 時を止めて、地面に着地した。

 技というほどの技でもない。芸と呼べるほどの芸でもない。

 

 風船の打ち上げ攻撃など、私相手には一切の意味を成さないのである。

 

「申し訳ないね、そっちのタネは割れているんだ」

 

 同じ目線で魔女と対峙する。

 

 巨大なトイプードルのバルーンアート。

 名付けるならば、風船の魔女だろうか。

 

 刺せば割れる。割れると空気を放出してしぼむ。完全にしぼむと消滅する。そこは風船と全く同じ。

 

 しかしそう簡単に魔女がやられるわけもなく、こいつはしぼむ前に傷穴を塞ぎ、傷を塞いだあとは再び膨張して元に戻ってしまう。

 なので連続して奴にダメージを与え、一気に倒さなくてはならない。

 それが攻略法だ。

 

 風船の魔女は直接ダメージを与える攻撃をしてこないが、風船を吹きだして押し退けたり、浮かばせたり、強烈な風を吹いて飛ばそうとしてくる。

 吹き飛ばされて電柱に激突すれば、それは軽微ながらも痛手となるだろう。

 

 もし体力が消耗して動けなくなってしまったならば、魔女の生み出す風船の使い魔の上に乗せられて、どこへたどり着くかもわからない遥か上へと飛ばされ、おそらく死ぬだろう。

 

 総評するならば、持久戦向きの魔女だ。

 修復能力もあるので耐久力があると言える魔女だが、相手が悪かったな。

 

 私にとってお前はカモだ。

 

「さあ、二度目のショータイムと参りましょうか?」

 

 ハットを取り、深くお辞儀をする。

 最初の挨拶は重要だ。

 

 しかし深く頭を下げるため、魔女の姿は視界から外れてしまう。

 

 そんな馬鹿馬鹿しいほどの隙を、破壊本能剥き出しの魔女が見逃してくれるはずもない。

 

『PuuuUUUuuUuUUUU!』

 

 

 *tick*

 

 

 そして、そこで私が何もしないはずもない。

 

 

 *tack*

 

 

「まず始めに―― 1.三列縦隊カットラス」

「!?」

 

 私の目の前に、一瞬にして大量の曲剣が出現する。

 見滝原アーミーズショップの倉庫から拝借した曲刀(カットラス)(税抜き8980円)を贅沢にも十二本使用した小手調べだ。

 

 三列に並んだカットラスは、大きな刃を回転させながら襲いかかる。

 もちろん、相手から見れば突然にだ。

 

『Pu……uUUUUUuuUUUUUU!』

「おっと?」

 

 

 *tick*

 

 

 攻めのアクションを起こそうとしていた魔女は、突如現れたナイフに驚いた様子である。

 後退し、距離を取るつもりだったのだろう。空気を吐き出して離脱する様はイカやタコのような合理的な動きをみせた。

 だが、そんな甘っちょろい真似は、私が許さない。

 

 

 *tack*

 

 

「袖に逃げるのは早いんじゃないかな? ―― 2.空襲中世騎士」

『Pu……!?』

 

 勢い良く後退する魔女の進行方向よりやや上方に、中世の鎧騎士が出現した。

 重厚なフルプレートアーマー。その手に握るのはトゥーハンドソード。鎧の中身は鉛とコンクリだ。

 騎士は逃げる魔女に刃を突き立てんと、力強く剣を握りしめている。

 ちなみにこの躍動感あるポーズを調整するために、停止時間にして五十秒を要した。

 

『PuUU uuUUUu uUUU!?』

「悪いね。彼は私のお手伝いさんなんだ」

 

 魔女は背後からの奇襲に対応しきれなかったようだ。

 長剣はトイプードルの背中に深々と突き刺さり、大きな傷からは凄まじい勢いで空気が漏れ出している。

 

「……ああ、やっぱり一度戦った後だと、興も乗らないね」

 

 

 *tick*

 

 

 空気が漏れた風船の魔女は、しばらく身動きが取れなくなる。

 なので、もごもごと修復し、もがいている間に仕留めるのが最善手だ。

 

 学校が巻き込まれかけていることだし、さっさと決めるとしよう。

 さあ、最後の演目だ。

 

 

 *tack*

 

 

「3.ハズレだけ危機一髪」

 

 怯んだ風船の魔女の周囲を、無数のナイフが取り囲む。

 当然、それら既に魔女に向けて勢いが付けられている。

 

 これだけを見てみると格好良い技なのだが、この状況を作り出すためには想像を絶するほどの労力と地味な作業が必要であることは、私だけが忘れなければいいし、他の人は知らなくても良い。

 魔女が相手ならば、ただ食らってもらえばそれで良い。

 

「さて、避けられるかな?」

『PuU――』

 

 魔力で強化された何十本ものナイフが、全て魔女へと飛来する。

 

『U U U u u u ……!』

BULLSEYE(残念、大外れ)

 

 ナイフの群れは連続的な音と共に、全てが余すことなく命中した。

 

 

 

「おっと、まだ息があったか。ちょっと格好悪かったな」

『Fush…… sh…… ho…… sh……』

 

 風船の魔女には無数の穴が空いている。それでもまだ、消滅していなかったのだから驚きだ。

 しかし、これでは反撃はおろか修復すらままならないだろう。

 あともう一発でもくれてやれば、この闘いは幕を閉じるはずだ。

 

 そもそも、この魔女は魔法少女が落下中の状況にのみ強いのだ。

 私のように時間を停止させて一気に降下する魔法少女とは相性が最悪だと言える。

 こちらとしては、サンドバックを相手にしているような闘いでしかない。

 

 前回同様、遊びながらでも余裕を持って倒せる魔女であった。

 投げナイフなんてする必要はないし、手持ち一本だけでも倒す自信はある。

 たまにこういった相性があるのだから、魔女との闘いは結構面白くもあるのだが。

 

「ま。けれどマミが苦戦しているようだから、悪いがすぐにトドメを刺させてもらうよ」

 

 私は魔力を込めた一本のステッキを構え、瀕死の魔女に近づいてゆく。

 

「あら、誰が苦戦しているって?」

「ん……?」

 

 

 ――パン、パン、パン

 

 ――パンパンパンパン

 

 

 微かに聞こえてきた声。

 そして、ほぼ連続で風船が破裂し続ける音が、こちらへ近づいてくる。

 

 ――上からだ。

 

 見上げると、そこには物騒なものを抱え込んだマミがいた。

 

「ティロ――」

「うわっ――」

 

 先端を砕いて尖らせた、まるでコンクリ製の破城槌のような電柱。

 鋭利な先端と質量、そして勢いは、遮る風船の使い魔の妨害など歯牙にもかけない。

 

「――メテオリーテ!」

 

 そのおっかない危険物を黄色いリボンで固定したマミが、魔女へ急降下爆撃を敢行した。

 

 コンクリの柱が地面に激突する。

 その衝撃と轟音は、喩えようもなく凄まじい。

 

「いたた……!」

 

 飛び散る破片は近くにいた私にまで飛来し、打ち付けてくる。地味に痛い。

 

『Puu……』

「勝負あったわね」

 

 巴マミのダイナミックな一撃によって、魔女は瞬時に消滅した。

 

 それまでの私のマジックショーは何だったのだろうかという程の、綺麗なフィニッシュである。

 最後のマミの一撃で全て終わっていたじゃないか……。

 

 というよりも、なるほど。電柱を折ってそれを利用して落下攻撃を仕掛けるとは。

 その手があったか……参考になるな。

 

 次にこの魔女と戦うことがあれば、是非とも試してみたいものだ。

 

 

 

 結界が解ける。風景が元に戻ってゆく。

 

「……ふう」

「お疲れ、マミ。いい所は取られてしまったね」

「そんなことないわ。暁美さんがダメージを与えていなかったら、外れていたかもしれないもの」

 

 グリーフシードがこつん、と地面に落ちる。

 運が良かった。孵化したグリーフシードを再びグリーフシードに戻せるとは幸運である。

 魔女は、倒してもたまにグリーフシードを落とさないことがあるのだ。

 今回は消費したカロリーを除けばプラスマイナスゼロ、いや、ちょっとプラスといったところだろう。

 

 面倒事に巻き込まれた気分だったが、こうして収支に色を付けて返ってくるならトラブルも悪くはないかもしれない。

 景色は、元通りの蒼天。そして綺麗な屋上だ。

 終わりよければ全て良しである。

 

「……それにしても、どうして屋上に魔女が出たのかしら……今まで、こんなことは起こらなかったのに……」

「ああ、そのことか」

 

 私はふと思いつき、屋上入り口の傍に立てかけた私の学生鞄を探る。

 

「何をしているの?」

「いやね、マミに聞いておきたいことがあるんだ、これ以上手間をかけさせられないっていうのもあるし、また同じことがあると困るからね」

「なにそれ……って、きゃあ!?」

 

 私が鞄の中から両手いっぱいのグリーフシードを見せてやると、マミは悲鳴をあげた。

 

「ほらこれ。今のやつみたいに孵化すると大変だからさ、使い終わったグリーフシードを普段どう廃棄しているのか教えてほし……」

「ばかー!」

 

 盛大に頭をはたかれた。

 

 痛い。

 



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見えざる場所で消えた灯火

 

「何も叩くことないじゃないか……」

「どうしたのほむら、今日はずっと考え事ばかりしてるみたいだけど」

 

 昼休みが明け、五限目も終わり、休み時間になった。

 机でじっと考え込む私に話しかけてきたのは、さやかである。

 

 額を擦る私を心配したのだろうか。弱い所を見せてしまったな。

 けど、実際色々と拗れているので、彼女に相談してみるのも有りかもしれないが……。

 

「いやね。実はマミと話していたんだけど、彼女はどうも私とは仲良くできないらしくて」

「え、そうなの」

「まぁ、私のことはそうでもない。後回しでも良いんだ。ところで、さやかはどうだい。魔法少女について何か考えたのかな」

「……ああ、うん……そりゃあね」

「私なんて昨日考え過ぎて眠れなかったよ……」

 

 後ろからまどか登場。いつの間に。

 

「やっぱり、命をかけるかっていうところで、どうしても……ね」

「うん……」

 

 悩むのは良いことだ。むしろ、私は悩んだままでいた方が良いとさえ思う。

 今の私にとっては受け入れるしかない現実だが、願いと戦い続ける運命を天秤にかけるのは、とても難しいことだろう。

 あるいは、願いなど放棄しても良いとさえ、私は思う。

 結果的にその方が長生きできるだろうし、常人としての幸せを掴むことだってできるのだから。

 

 しかし、そう思うとである。

 私は一体、自分の心臓を、どのような願いで秤にかけたのだろうか。

 訊ねてみたいものなのだがね。暁美ほむら。

 

 

 

 学校からの帰り道。

 さやかとまどかの後ろを、私が見守るように歩いている。

 

「……」

「……う~ん……願い……うーん」

 

 二人は仲良しだ。親友だ。悩む様も、どこかそっくりである。

 

 まどかは上の空に。さやかはぐぬぬと力を込めながら。違いはその程度だろう。

 両者ともに、心ここにあらずである。願いを何にしようかと考えているのだろう。

 

 しかし悩むのは当然だ。人生を賭けた願いである。

 一朝一夕で答えを出されては、逆に私が不安になってしまう。

 

「ねえ、ほむら」

「何かな」

 

 一応、私の存在は忘れられていなかったらしい。

 さやかは遠慮がちに私を呼んだ。

 

「あのさ。こんなこと、聞いていいのかわからないけど……ほむらはどんな願いで魔法少女になったの?」

「さあね」

 

 さあね。申し訳ないがそれに尽きる。

 それは私にだってわからないのだ。

 

「さあね、って……軽いなぁ……まぁ、答えたくないなら無理には……」

「ただ、私は思うんだ」

「?」

「いっそ、願いも希望も持たない方が、魔法少女としては後悔なく長生きできるんじゃないか、ってね」

「……」

「願いも希望もないのに、魔法少女……?」

「ああ、そうとも」

 

 二人とも怪訝そうな顔をしているね。

 だが、これは私の本心なのだ。

 

「いつ崩れるかもしれない夢や願いのために魂を捧げるのがどれほど危険なことか、わかるかい」

「うーん……そりゃ、まぁ……」

「落ちるのが怖ければ、高い所に昇らない方が良いのさ」

「……そういうものかなぁ」

「袖にほんの少しついた魚介豚骨スープのシミを落とすために魔法少女になるくらいの覚悟がなければ、私としてはオススメできないね」

 

 極論ではあるけれど、私はあながち間違っているとは思ってない。

 

「……じゃあさ。ほむらは後悔してる? 今……」

「わからない、ただ……」

「私はほむらの事を聞きたいんだよ」

「私にはわからない、何もない」

「後悔はないの?」

「あったのかどうかも、今ではわからないんだ」

 

 やめてくれ。頭の中に靄がかかるんだ。

 

 頭を振って、額を抑える。

 ……無意識の行動だった。気付けば、まどかが心配そうにこちらを見ている。

 

 いけないいけない。弱い所は、人に見せるものじゃない。

 

「……私が魔法少女になった理由はともかく。なったものは仕方がないんだ。なったらなったで、何があっても引き返すことはできないからね」

 

 そう、それは絶対に覆せないもの。

 だから、前を向いて進むしかないのだ。

 

 私も、他の魔法少女もね。

 

「まあ、私は慣れてるから。戦うのは特別、苦ではないよ」

 

 それだけは本当に恵まれていると思う。

 魔法少女としての強さがあれば、その分長生きできそうだし。結果としてグリーフシードの節約にもなるだろうし……。

 

「……あの、ほむら! 馬鹿みたいなお願いだと笑わないで、聞いて欲しいことがあるんだけど!」

「うん? 私に頼み? 何かな、さやか」

 

 随分と必死な様子だ。

 いくら友人でもお金は貸せないけど……。

 

「お願い。一度だけで良いから、ほむらがやってる魔女退治に付き合わせてほしいの!」

「魔女退治に?」

「うん、ほむらが魔女と戦ってるところを見てみたいの……私も、叶えたい願いがあるから……」

「良いよ」

「お願……え!? 良いの!?」

 

 了承したのに驚かれる。どっちが良いんだい、さやか。

 

「あの……大丈夫なの? ほむらちゃん。迷惑じゃない……?」

「ああ、別に私は構わないよ。何ならまどかも一緒に来る?」

「そ、そんな軽い感じで良いのかな……」

 

 まどかもさやか同様に悩んでいるのだろうし、どうせなら一緒に見学した方が手間も省けるだろう。

 私としても観客は多いほうが魅せ甲斐があるというものだしね。

 

 ただ……。

 

「けど、この世に絶対なんてものは無いんだ。私の魔法も、万能ではない。いざという時には、守ってあげられないかもしれないよ」

「……」

「あまりにも運が悪すぎると、二人を死なせちゃうかもしれないが……それでも良いのなら」

 

 生きるか死ぬか。それもまた魔法少女の背負う宿命。

 それを前面に出して、わかりやすく脅してやったつもりだ。

 

 けれど、さやかとまどかには効果が薄かったらしい。

 むしろ意を決したように、二人して揃って首を縦に振るだけであった。

 

「ん。じゃあ、そういうことなら。早速、行ってみようか?」

「ありがとう、ほむら」

「あっ、ほむらちゃんありがとう!」

「どういたしまして……とはいえ」

 

 魔女退治を見せようにも、まずは魔女を探さないといけないんだけどね。

 

 

 

 ソウルジェムを右手に持ち、左手で右袖についたシミを擦りながら歩く。

 魔女を探し始め、今は既に夕時だ。

 そろそろ陽が沈んでもおかしくない時間帯である。結構歩いたけれど、まだまだ魔女の反応は薄い。

 

 後ろの二人は最初こそ半ば緊張で挙動不審だったけれど、さすがにこれほど歩けば気もほぐれるらしい。

 今ではぽつぽつと雑談を交わしながらついてきている。

 

 魔法少女。文字だけ見れば聞こえの良い花形職業のようだが、現実はこんなものだ。

 魔女探しは足の仕事である。目でも鼻でもない。

 あいつらに近付けば石が光るので、そんなアレだ。

 

 何が言いたくて、何が不満なのかというと、つまるところ魔女探しは退屈なのである。

 

「見つかる時はすぐに見つかるが、居ない時は本当にいないんだ」

「へぇー……そうなんだ」

「しかしここまで見つからないのも珍しい。魔女は絶滅したのかな」

「絶滅って……」

「そんなことになれば私も商売上がったりだから、御免被りたいんだけどね」

「……因果だね」

「町にちょっとタチの悪いライオンがいて、私らはライオンしか食えない、それだけの話とも言えるんだけど」

 

 なんてことを話している間に、ソウルジェムが薄く発光した。

 短く力強い、脈のような明滅。

 

 覚えがある魔力のパターン。

 

「昨日のライオンだ」

 

 

 

 橙色の斜陽が、私の影を地面に塗りたくる。

 反応を見ながら歩き続けてみれば、ソウルジェムはより強い明滅を繰り返すようになった。

 魔女の結界がかなり近い証である。

 

「この周辺のようだね。もうすぐ始まるから、気合いをいれておくといい」

 

 先程までは緩み気味だった空気も、ついに魔女との対面ということもあって、程よく引き締まってきた。

 まぁ、ここにきてもまだ緩みっぱなしの遠足気分でいるようだったら、叩き返しているとこだけどね。

 

「き、気合かぁ……いよっし!」

 

 さやかは荷物からゴソリと長いものを取り出した。

 ……それは、私の記憶が変に吹っ飛んでいなければ、どう見ても金属バットにしか見えない。

 

「……さやか、それは何かな」

「え、いやぁ……あはは、自分の身は自分で守ろうかなーって」

「さやかちゃん……」

 

 金属バットで魔女と戦うとは……随分と現実的な子だ。

 少なくとも私が常備してるステッキよりは遥かに実用的である。

 魔女と闘う素質としては、そのシビアな判断力は悪くない。

 

「けど、魔女相手に生兵法は死ぬだけだからなぁ。闘いに備えるのは良い心構えだけど、それは持ちこまない方が良いと思うよ」

「そ、そっか……やっぱ、そうだよね。たはは……」

「ああそうだ、かわりにこれを貸してあげようか。こっちなら護身になるかもしれない」

「ん?」

 

 私は盾の中の収納空間から、一本の長物を取り出した。

 

「はい」

 

 それすなわち、中世騎士が握っていた、トゥーハンドソードである。

 

「……ほむらちゃん、さっき生兵法って自分で言ってたじゃない……」

「はいパス」

「え? うわ、お、重っ!? なにこれ重っ……!ぐおおぉ、刃先が持ち上がらぁん……!」

「ええ……さやかちゃんもどうして受け取っちゃうの……」

「おーいさやか、早くこないと魔女が逃げるぞ」

「それはあんまりだよほむらちゃん……」

 

 

 



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理想と現実の断層で

 

 閑静な廃ビルと廃工場の並ぶ地帯へやってきた。

 建物の様子を見るに古びた様子はあまりないのだが、不良か浮浪者が来るのだろうか。窓ガラスや構造物には、人為的な破壊痕が散見できる。

 

 なるほど、人通りの少ない場所にも魔女は沸くからな。

 廃ビルの中ともなれば、一般人は気付かないだろう。

 腰を据えてじっくり人を食らうには丁度いいエリアかもしれないね。

 

 そんな風に、どこか魔女に感心しながら歩いていた矢先のことだった。

 

「……おっ、と」

 

 路地裏を抜けた先、そのすぐ左横に、大きな血だまりを湛えるOLの姿があった。

 血溜まりは大きい。広がって……広がりきった後なのだろう。乾いてはいないが、もう流す血は無いとばかりに、動きがない。

 そして頭の損傷具合や、身体の折れ曲がり方を見るに……まぁ、そういうことだった。

 

「ん? なんか、変な匂い……」

「あれ、本当だ……」

「死体があるから二人とも出ないように」

「えっ!?」

 

 OLの死体。

 それは両足両腕ともによくわからない方向に曲がり、一部の骨は飛び出している。

 おそらく、すぐ傍のあの廃屋から飛び降りたのだろう。

 内臓をぶちまけていないだけビジュアルとしてはマシな部類だが、血の様子からしてもかなり新鮮な美女の躯に、私は思わずため息を零す。

 ……もう少し早く駆けつけていれば。そう思わないでもないのだ。

 

「……え、なにこれ………うぷっ……」

「うっ…!」

 

 見てはダメだと言ったのにこの二人は。

 

 ……だが見てしまったものは仕方ない。

 私は死体の状況を詳しく見聞するため、二人の視線を遮るように、OLの前で屈み込んだ。

 すると、見えてくるものもある。

 死体の首筋には、くっきりと魔女が刻んだ入れ墨のようなものが確認できた。

 

「魔女のくちづけがある。彼女は魔女によってここへ誘われ、殺されたのだろうね」

「……死んでる……の」

 

 他は特に不自然な点はない。

 この女性一人だけが狙われ、殺されたのだろう。

 集団自殺でなかったのは、不幸中の幸いと言うべきだろう。

 

「この人……そんな……ひどい」

「動機の曖昧な自殺、謎の失踪のほとんどは魔女が原因だと昨日のマミも言っていただろう」

「本当は自殺なんてする人じゃなかった……?」

「精神的に弱っている人を操る傾向にはあるから、どうだろうね」

 

 どの道死人に口無しだ。

 私は答えを持たないし、彼女に聞くこともできない。

 そして、やるべきことは別にある。

 

「魔女の結界へ行こう。怖気付いたのであれば、二人を送っていくよ」

「ううん、連れて行って、ほむら。……魔女を、野放しになんてしちゃダメだ。正直ショックでかいけど……放っておけないよ」

「まどか?」

「私も……行くよ」

 

 まどかは気弱な子かと思ったけれど、こうして死体を前にしても大きく取り乱しはしなかった。

 決意はより強く固まった様子ですらある。

 意外となかなか、芯の強い子なのかもしれない。

 

 

 

 廃屋の中に入った。

 魔女の結界は大きな階段を上がってしばらくすれば、すぐに見つかった。

 

 二人にも異次元の境界が見えているのだろう。

 

「ここが……」

 

さやかは仇敵を睨むかのように、結界と対峙していた。

 

「……」

 

 まどかはどこか不安そうに、いつものようにまどまどしていたが。

 

「さて、早いとこ魔女を倒してしまおうか」

「そうだね。また逃げたら……どんどん被害が増えていくんでしょ」

「その通り」

 

 一般人が死ぬのは後味が悪い。

 余裕があるなら目につく限り倒したいのは、私も同感だ。

 

 それに。

 

「帰ってやりたいことも沢山あるし、急がないとね」

「……うん!」

 

 私たちは、三人同時に結界へと飛び込んだ。

 

 

 

 毒々しい異空間は広く、迷路状に続いている。

 園芸だろうか。内部はそれらしき意匠が多く、注視してみれば髭面の使い魔はマメに鋏で手入れをしているようだった。

 

 さやかとまどかは遠くに見える使い魔を刺激しないよう、幾分か身を縮めるようにして私の後をついて着ている。

 

「魔女に辿り着くまで時間のかかる場合と、かからない場合がある」

「ちなみに、この場合は……?」

「結構探す羽目になりそうだ」

「うへー……」

「道中でわざわざ使い魔を倒さなければならないから、そうなると魔力を余分に消耗するし……相性が悪いと感じたなら、引き返すのも一つの手だね」

 

 実際のところ、魔法少女と魔女には相性がある。当然、魔女の手下にもだ。

 効率の悪い相手と戦い辛うじて勝利したところで、グリーフシード分の魔力収益が見込めないようでは、闘う価値は皆無だ。

 ここで無理して闘う魔法少女から先に死んでゆくのだと、私は考えている。

 もしも二人が魔法少女になりたいのであれば、是非ともそれだけは頭に入れておいてほしかった。

 

「ん、どうやら来たようだね」

 

 噂をすれば敵影だ。

 向こう突き当たりの角から、蝶の翅を生やしたヒゲのダンディが飛んできた。

 

「き、きゃあ!」

「ほむら!」

「心配しなくていい。ここに私がいるからね」

 

 紫のステッキを両手で振りかぶる。

 魔力を充填し、強度を上げる。

 名も無きヒゲダンディは愚直なるままに突進するが、飛んで火に入る羽虫というやつだ。

 

「1.物理人間大砲」

 

 野球でいうところのフルスイングによって、使い魔は吹っ飛ばされ……る前に、一刀両断になった。

 

「すごい……」

「威力を上げすぎたか。バットの方が良かったかな」

 

 次からはもう少し威力を調整しよう。

 技名とのイメージがかけ離れた攻撃は、見た目にも格好良くないし……。

 

 とはいえ、相手の強度は今の一撃で把握できた。

 この結界内に潜む使い魔は私程度の力でも簡単に倒せるらしい。

 この調子で、どんどん進んでいくとしよう。

 

 

 

「2.五列横隊カットラス」

「きゃっ!? いきなり刃物がいっぱい……!」

「ふふん」

 

 二人にはある程度の覚悟がある。

 

「3.ナイフダーツ」

「おおっ……いきなり刺さった!」

 

 さやかは願いがそれに釣り合うかを量っている。

 

「4.鉄パイプ人力トマホーク」

「す、すごい飛び方……あ、使い魔に当たった」

 

 まどかは願いすら決まっていないのだろう。しかし悩みはそれぞれだ。

 

「5.投げっぱなしヒットエンドラン」

「あ、私のバット投げんな!」

「おっとすまない」

 

 この魔女退治が、今後二人に何らかのヒントとなるのだろうか。

 

 悩みはそれぞれ。願いもそれぞれだ。私には知る由もない。

 だが、この体験がプラスになってくれたらと思う。

 

 

 

 長い廊下に出た。しばらく直線が続き……そうなると、使い魔の奇襲もないだろう。

 私の快進撃を見て、二人は余裕を取り戻したらしい。

 顔は明るく、ショーでも見ているかのようにご機嫌だった。

 まぁ実際、私が楽しんでもらえるように演出しながら戦っているせいもあるのだけど。

 

「さっきの剣なんてすごいもんなぁ、四方八方から……」

「カッコいいよね」

「んー、これから魔法少女になるかもしれない君達に言わなければならないことだから、あえて今、言うけれども」

「えっ」

 

 褒められるのは嫌いじゃないし、好きだ。

 けど、私はここで言わねばと思い、二人に向き直った。

 

「全ての魔法少女が、先ほどまでのように戦えるとは思わないことだよ」

「……ああ……」

「魔法少女の強さはその者の因果で決まる、いわば才能だ」

 

 詳しい理由などはわからない。

 だが、因果。魔法がそれが重要なのは覚えている。

 

「それに、戦いには適性だけでなく、魔法自体の性質も関わってくる……私はたまたま、戦うのに使い勝手の良い能力だったから戦えるだけだ。全ての魔法少女が上手く戦えるわけではない……水をさすようですまないけど、それは、覚えていてほしいな」

 

 時を止めて敵を倒す。それが私に許された特権だ。

 

「そ……そっか……そうだよね……」

「私も、さやかとまどかの知らない場所で苦労してる部分はあるってこと」

「なんか……ごめん、ちょっと浮かれてたかも、私」

「いいさ。こちらこそすまない」

 

 理想と現実の間で摩耗するほど辛い事もない。

 精神を保っておかなければソウルジェムに影響する魔法少女にとって、それは死活問題だ。

 夢のない話はしたくないけれど、現実は現実であるし、非常な部分も当然ある。

 魔女退治を見せるにあたって、私はそれをひた隠しにしたくはなかったのだ。

 

「でも、格好良かっただろう?」

「……うん!」

「そりゃもちろん!」

「そうか。……ありがと」

 

 それに、ナイフを回収する苦労は二人にはわからないだろうし、これからも知らなくて良い。

 魔法少女の厳しさはそれはそれとして、私の格好良い所を褒めてもらえて、楽しんでもらえたのは、とても嬉しかった。

 

 



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咲き誇る偽りの白詰草

 

「いた」

 

 廊下の先に広がる大きな空間の中央で、一体の魔女が巨大なソファーの上に鎮座していた。

 緑色のぐちゃぐちゃしたゲル状の頭に、無数の赤い薔薇。

 背中には大きな揚羽蝶の翅が広がり、ゆっくりと開閉している。

 その姿は控えめに言っても、化物であった。

 

「うわ……グロ……」

「あれが、魔女……」

 

 二人は魔女を見るのが初めてだ。

 使い魔とは違い、私達の何倍ものサイズがあるのだから驚くのも無理はない。

 

「大きいね……それに、うわぁ、どうすればいいの、あんなの……」

「……もっと、人型のを想像してたけど……うげぇ」

「気持ちはわかる。一体どうして、あんな形になってしまうのだかね」

 

 けど、あれを倒すことこそが私達魔法少女の日常だ。

 怖気づいてばかりもいられないぞ。

 

「じゃ、二人はここで待っててくれ。私だけ降りて行くからさ」

 

 幸い、魔女が拓けた空間の奥側にいる。

 まどかたちはそれよりは何メートルか上方にいるので、流れ弾が飛んでゆく危険も……なくはないが、ほとんど無いだろう。

 あったらあったで、私が防げば良い話である。

 

「……気を付けてね、ほむらちゃん」

「ああ」

 

 不思議だな。まどかの応援は、励みになるよ。

 

 温かい気持ちを抱きながらも、颯爽と飛び降りて、鮮やかに着地。

 魔女と同じ地面にて、対峙する。

 

 だが、奴はこちらに興味がないらしい。そっぽを向いたまま、一切の挙動を変えていなかった。

 たまにあることだ。

 魔女の中にはたまに、ああいった偏執的な性格をしている奴もいる。

 

 あれは……きっと、花を愛でているのだろう。

 生前、魔法少女だった時にも何らかの関係があるのやもしれない。

 そのせいで、私ごときの侵入者を意に介していないのだ。

 

 ……が。

 

 さりげなく格好良い動作で地面に降り立った私を無視するのは、いただけないと思うのだ。

 どう考えてもさっきの私は決まっていたし、体幹はブレなかったし、いかにも強者がやってきた風な登場だったはずだ。

 

 それをガン無視だ。

 なんと罪深いことだろう。

 

「因縁の戦いだというのに、舐められたものだな……まあ良い」

 

 ちょっとキザだけど、指パッチンで。

 

 

 *tick*

 

 

 興味がないっていうのなら、無理矢理にでも戦わせてやろうじゃないか。

 

 

 *tack*

 

 

 時間停止を解除。

 すると、魔女が作り上げた悪趣味な花園に、突如として黒い砲台が立ち並んだ。

 それは地面の草花を踏みにじりながら、全てが魔女へと向けられている。

 

『……aednohaanwwnuah!?』

「おおっ! すごい!?」

「わぁ……!」

 

 部屋一面に広がる黒い筒の砲台たち。

 マミの銃からヒントを得て、大量に仕入れたものだ。

 

 魔女は草花を荒らされたことに驚き、次いで怒っているようだが、そんなことを気にする私ではない。

 

「今度こそ、決着をつけてやる」

 

 

 *tick*

 

 

 ここで逃がすつもりはない。

 情け無用。一斉点火してやろう。

 

 

 *tack*

 

 

 系三十門の導火線が一斉に発火。

 すると無数の弾が砲台から同時に射出され、魔女へ向かって飛来する。

 

「わぁっ……!」

「すごっ!」

 

 光弾は風を切る。

 ひゅるるる、と小気味良い音の群れは一点へ収束し――

 

 

 ――ドン

 

 花火となって、大輪の花を咲かせた。

 

「……あれ? ……打ち上げ、花火?」

「え、えぇー……」

 

 幾つもの弾が魔女に命中し、輝きを撒き散らす。

 爆発の色は様々で、赤だったり青だったり、とにかく豪勢に咲き誇っていた。

 

『kaasmbunuai!!』

 

 踊り狂うように身を捩る魔女は花火に照らされ、どこか芸術的だ。

 

「怒ってる……」

「みたいだね……」

 

 絶え間無く続く火薬の爆発音。

 これは、発射台一つにつき一発ではない。十発は上がるはずだ。

 それが三十。ともなれば、合計三百発の花火が魔女に直撃することになるだろう。

 

「さすがは“華龍”(税抜き5200円)。豪勢な演出だ」

 

 もともと暗い部屋ではなかったが、今は私の仕掛けた花火の輝きだけが全てを支配している。

 奴が手入れした丸めた模造紙のような花など、煙の中に消えて一輪も見えやしないのだ。

 

 効いては……いないか。

 草に火は効果抜群なのは世の常かと思ったのだが。

 ま、それは仕方ない。

 

 けど、どうだ。花の大きさも、美しさも、こちらが上だぞ。

 演出だって、私の方が派手だろう?

 

『nauiaurys! nauiaurys!』

 

 私はそう得意げに微笑んでみせたのだが、どうもそれが魔女の機嫌を損ねたらしい。

 魔女が叫び、緑色のゲル状の頭部が泡立った。

 

 沸騰ではない。

 だがその反応が怒りであろう事は瞬時に理解できる。

 

『muitnisrhiiorhto!!』

 

 奇怪な金切り声と共に、魔女の座していたソファーが勢い良く吹き飛んだ。

 巨大なソファーは花火の弾を蹴散らして、弛すぎる弧を描いて私の方へと向かっている。

 

 着弾まで、秒もない。

 さやかとまどかが僅かな悲鳴を上げた、その瞬間――

 

 

 *tick*

 

 

 ――時は止まる。

 

「悪いね。これでも時々、卑怯だなとは思うんだ」

 

 空中で完全に静止した巨大ソファーを見上げ、私は誰にでもなく肩を竦めた。

 

 ……しかし、これをまともに受ければ、魔法少女といえど無事では済まないだろう。

 時間停止があと一秒も遅ければ、私はおろか、その後ろにいるさやかとまどかも危なかったかもしれない。

 そう考えると、ちょっと背筋に冷たいものを感じるが……結果的には挑発に乗ってくれて助かったと言うべきだろう。

 時間停止は相手の様子を窺いながら使わなくてはならない魔法なのだ。故に、怒りに任せ、正面からわかりやすく攻撃してくれる単純な相手の方が、私としては利用しやすいのだ。

 搦手の魔女より、ずっとね。

 

「けど、その豪快さ。私は嫌いじゃないよ」

 

 熱血。直情的。大いに結構。燃え上がれって感じがするし、嫌いじゃない。

 そっちがその気なら、こっちもその気になって、真正面からぶつかってやろうという気持ちになってくるからな。

 

 呼吸を整え、ステップを踏み、――跳ぶ。

 

「うらぁああぁあああぁッ!」

 

 時が止まった世界で、叫び、跳躍する。

 そして空中に立ちはだかる巨大な座面に向けて、全力ヒーローキックをぶつけてやる。

 

 すると停止時間の中で、椅子の残像が僅かに揺れた。

 実像はそのままだ。

 実像が傾かなければ、まだ停止時間でのエネルギーは椅子の投擲エネルギーに勝っていないということである。

 なので。

 

「まだまだぁ!」

 

 着地。そしてすぐに脚に力を込めて飛び立つ。

 

 体を半捻り。座面に向けて勢い良く――

 

「はァ!!」

 

 ──ドゥン。

 

 魔力を込めた盾による裏拳をかます。

 紫の波紋が迸り、残像が大きく震えた。

 

 着地。裏拳。

 

 着地。裏拳。

 

 着地。裏拳。

 

 何度も何度も繰り返し、停止時間の中でソファーに向けて拳を振るい続ける。

 ソファーはまだ動かない。

 

「これで……どうだぁッ!」

 

 そして、六度目の裏拳にて。

 その時ようやく、ソファーの実像が大きく動き、傾いた。

 

「ふぅ、ふぅ……ん、はぁ、……ふぅー……魔力、減ったなぁ……」

 

 ……私が出せる最高の打撃を六発も入れて、ようやく魔女の一撃を上回れるのか。

 魔法の性質上非力なのは仕方ないけれど、比較して見るとなんとも悲しい結果である。

 

 ま、良いさ。それを知るのも私だけ。

 今はさやかもまどかも見ていない。

 

 道中の使い魔退治で、くれてやれるだけの忠告は与えたつもりだ。

 だから、彼女らが最後に見るのは……。

 

「美しいフィナーレだけで構わない」

 

 

 *tack*

 

 

 一瞬の強烈な打撃音。

 それとともに、宙を飛んでいたはずのソファーは真逆の方向へと矛先を変えた。

 

『!?』

 

 さすがに驚いたのだろう。相手の動きが一瞬固まる。

 追撃として、翅を広げて飛ぼうとでも考えていたのだろうか。

 

「させるか、潰れろ」

 

 魔女空間の床を半壊させるほどの衝撃が、魔女を襲った。

 無防備な魔女の全身は巨大な質量に押し潰され、拉げ、おそらく……バラバラに砕け散った床と同じ運命を辿ったのだろう。

 

 緑色の液体が破裂したように飛び散って、床に突き刺さったソファーの辺りを芝生のように染めている。

 ……そこに散らばる薔薇の花弁は、ふむ。なるほど、悪くはないかもしれない。

 

 

 ──ドン

 

 

 打ち上げ花火の最後の一発が上がると共に、魔女の結界は崩壊を始めたのだった。

 

 

 



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夕陽が落ちるその前に

 

 景色が元の廃屋に姿を変える。

 建材と破片でうらぶれていた世界には、西日で茜色に染まっていた。

 

「綺麗だ」

 

 夕焼けが眩く輝いている。

 廃墟と夕焼け。素晴らしい組み合わせだと思う。

 

 太陽は花火よりも美しい。

 良い所を全て持って行かれてしまった気分だが、世の中には勝てない相手もいるということだ。

 

「……す、すっげえ……今の、跳ね返した……?」

「あっというまに終わっちゃった……」

「運が良かったよ。一撃で倒せる魔女なんてそうそういないさ」

 

 地面に転がっていたグリーフシードを拾い上げる。

 落としてくれて助かった。無茶な魔法でソウルジェムに穢れが溜まっていたというのもあるし、都合よく二人に解説もできるからね。

 

「ほむらちゃん、それ……?」

「これはグリーフシード。魔力を消耗して穢れたソウルジェムを回復するために必要なものだ。魔法少女の最重要アイテムだよ」

「さっきの魔女が落としたの?」

「ああ、魔女はこれを落とす時があるんだ……ちなみに、これがなければ良くて死ぬ、悪くてさらに酷い事になるので、注意するように」

「えっ」

「魔法少女はグリーフシードのために魔女を狩り続けなければならないんだ。ソウルジェムは、常に綺麗な状態を保たなければならないからね」

 

 まぁ、人によって濁りやすい濁りにくいはあるが、個人差については説明が難しいし、私も全てを知っているわけではないので割愛するが。

 大体は、こんな感じだったはず。

 

「そうだろう、マミ」

 

 私は追認を求めるように、向こう側の大きな柱に声をかけた。

 

「……ええ、その通りね」

 

 物陰から現れたのは巴マミだった。

 ばつの悪そうな表情は、黙ってつけていたことにちょっとした負い目があるからだろう。

 

「マミさん……」

「あれ、マミさんどうしてここに……」

「ごめんなさいね。私も魔女を追って、ここまで来ていたの。……というより、途中で三人の姿を見つけたから、それを見守っていた……というのが正しいんだけどね」

 

 なるほど、魔女探しの途中からつけていたわけだな。

 自慢じゃないけど、私は全然気づかなかったよ。マミの存在を知ったのもついさっきだったし。

 

 ……まぁ、そんなことは言葉にも顔にも出すつもりはないけどね。

 

「二人とも、魔法少女になりたいのね」

「あ、あの……ええと」

「う、うーん……その、今はまだ、なりたいというか……」

「悩んでいるそうだ」

 

 二人とも複雑そうな表情で黙っている。

 うむ、今回は色々と、見せたからな。酸いも甘いも実感したはずだ。じっくり考えるには、まだもうちょっと時間が必要になるだろう。

 

「だからこうして、二人を連れて魔女退治の見学ツアーと洒落込んでいるわけ。魔法少女を知るためには、これ以上の見世物もないだろう」

「……危険じゃないかしら」

「私は魔女に負けるつもりはない」

「いいえ。暁美さんはともかく、後ろの二人がよ」

 

 毅然としたマミの声は、静かながらもはっきりとした怒気を孕んでいた。

 よく見れば、目も……どこか、こちらを非難するように細められている。

 

「悪いとは思っていたけれど、後ろから様子を見させてもらったわ」

「ああ」

 

 なるほど。やはり気づかなかった。どこに居たんだろうか。

 

「……道中の使い魔と戦っている時はまだいいとしても。暁美さん、魔女との戦いでは二人に結界すら張っていなかったでしょ」

「守る戦いは苦手だからね」

「なん……! あのね、暁美さん……」

「でも、それは二人だって了承済みのことだ」

 

 マミが疑わしい風にさやかとまどかを見た。

 二人は一瞬怯えたようにも見える。

 

「死んでも私は助けない。それで構わないという覚悟があると聞いたからこそ、私はこのツアーを引き受けたんだ」

「……確かに、ゆくゆくはその覚悟も必要になるわ。でも、まだ二人は一般人なのよ?」

「どのみち私の盾は他人を守れない」

 

 左腕の盾を見せつける。

 鈍色に煌めく、冷たい金属質の盾。

 後ろの誰かを守るわけでもない、小さな小さな、身勝手な盾だ。

 

「私の魔法が守るのは私だけ、他人を守るようにはできていないのさ」

 

 きっとそれは私の願い。

 かつての暁美ほむらが求めた、彼女にとっての大切なもの。

 そこに、他者を守るための結界はいらなかったのだろう。

 

「……魔法少女には一応、縄張りのようなものがあるのだけれど……私は、そういうことについてはとやかく言わないわ」

「寛容だね、ありがとう」

 

 縄張りで揉め事を起こしたくはないものな。

 魔法少女同士による殺し合いほど不毛なものはない。

 

「けれどこれだけはお願い。今日みたいなやり方では二人が危険すぎるから……」

「さやか達を魔女退治に付き合わせないでくれ、と?」

「ええ」

「なるほど、言いたい事はわかった」

 

 つまりだ。マミはこう言っているのだろう。

 

「マミなら、結界を作りだせるんだな?」

「! ほむら、それって……」

「……ええ。貴女から二人を取るような形になってしまうのだけれど、二人が魔女退治見学を望むのであれば、ね」

 

 彼女のばつの悪そうな顔から見て、本心からの言葉なのだろう。

 だが、事実だ。私は二人を防護するための結界は作り出せないし、その点でいえば二人にとってはかなりリスキーなのだから。

 今回の魔女がやってきたソファー投げだって、うまく時間停止して力任せに跳ね返せたから良かったが、ただ回避するだけでは二人にも被害が及んでいたかもしれない。

 

 安全確保。その甘さは、重々承知である。

 

「私なら、安全に。二人を守りながら魔女退治ができるわ」

「……なるほど、あたしたちが大きな剣を持ったり、バットで武装したりしなくても……?」

「ええ、危害が及ぶことはないわ」

 

 ……ふむ。

 

 なるほど。

 

「ねえ、どうかしら、暁美さ」

 

 

 *tick*

 

 

 よくわかった。

 

 

 *tack*

 

「ん……!」

 

 マミの目の前の床に、トゥーハンドソードが深々と突き刺さっている。

 彼女からしてみれば、目と鼻の先に突然凶器が現れたのだ。咄嗟に飛び退く気持ちはよくわかる。

 

「…! これ、暁美さん…?」

 

 普段温厚であろう彼女も、すぐさま鋭い目に変わる。

 警戒への切り替えが早いのは、歴戦の魔法少女の証だ。

 

「ちょっとほむら!? あんたがやったの!?」

「ほむらちゃん……!?」

「どういうことかしら」

 

 彼女もマスケット銃を一挺具現化させ、銃口をこちらに向けないまでも、それを手に取った。

 

「結界を出せようが出せまいが、マミ、君が死ねば結界は解けるんだろう」

「……! 何が言いたいのか、本当にわからないのだけれどっ」

「君自体が魔女に負ければ、もはや結界の有無など意味を成さないと言ったんだよ」

「あ……」

「気付いたかい? まどか。もしもマミが魔女に負ければ、君らは二人とも死ぬんだ。たとえ、結界があろうともね」

 

 *tick*

 

 防御が厚い。安全第一。大いに結構。

 だがそれも、魔法少女の勝利ありきの話だ。

 

 *tack*

 

 床に突き刺さったトゥーハンドソードが宙に浮かび上がり、回転しながらこちらへ飛んでくる。

 

「さて、マミ。確かに私の盾は私しか守れないし、さやかとまどかが死んでも責任は持てないが――」

 

 私は飛来する剣を右手で軽々とキャッチして、刃先をマミへと向けた。

 まるで一対一の闘いを申し込む、戦士のように。

 

「――大前提として。私と戦って勝てないような実力では、二人を任せられないな?」

 

 左手の盾と相まって、私の姿はまさに戦士そっくりなのだろう。

 マミとの間にも、闘いの緊張感が満ちてゆくのがわかる。

 

「や、やめてよ! そんなのおかしいよ……!」

「戦おうっていうの? 私はもっと穏便に……」

「模擬戦だよ、グリーフシードはあるし問題ないさ。別に、殺し合いをしようってわけでもない」

「でも……」

 

 まどかがおろおろしている中、マミは少しだけ考え込んでから、神妙に頷いた。

 

「……やりましょう」

「ちょ、マミさん!?」

「大丈夫、大怪我はさせないつもりだから」

「お互い正しい納得の上でだ。問題はないさ」

 

 というより、“大怪我はさせないつもり”ね。

 それは挑発かな、マミ。心理戦は既に始まっているのかな。

 

「マミさん……」

「暁美さんの言っていることも理に適っているわ。私が強い事は、ちゃんと証明しないとね」

「そういうことさ」

「……うん、わかった……仕方ないんだよね」

「……絶対に、ヒートアップしないでくださいよ。マミさんも、ほむらも」

 

 二人とも優しいな。

 出会って一日足らずだというのに、そんなに親身になって考えてくれるなんて。

 

「――きゅっぷぃ」

 

 さやかとまどかの間に、いつぞやの白ネコが現れた。

 私達魔法少女をサポートしてくれるマスコット、キュゥべえだ。

 

「やあ、屋上では世話になったね。あの時は濁ったグリーフシードを回収してくれて、本当に助かったよ」

「暁美ほむら。悠長にそんな挨拶を交わしている場合かい? 聞いたところ、今から二人は決闘するんだろう?」

「決闘というほどでも……いや、そのほうがいいか」

 

 キュゥべえの言葉に頷き、私は廃屋の外を見やった。

 

 鮮烈な斜陽が、網膜をジリジリと焼き付ける。

 思わず目を細めたくなるような、ノスタルジックな輝きだ。

 

「……夕日といえば、決闘だものな?」

「……!」

 

 良いセットだ。思わず口元が緩む。

 

 相手がガンマンというのも良い。お誂え向きだ。

 

 ギャラリーもいれば一層やる気も増す。

 

 なんだ。素晴らしいシチュエーションじゃないか。

 

「さて、キュゥべえ。ここに使用済みのグリーフシードがある」

「そうだね、君の手にはグリーフシードがある」

「これを君に向かって投げるから、回収してくれるかな」

「構わないよ」

「!」

 

 マミが身構えた。彼女の察しの良さはなかなかだ。

 

「君がこれを回収すると同時に、決闘の開始の合図しよう。いいね?」

「だってさ。マミはそれでいいかい?」

「ええ、洒落てて良いと思うわよ」

 

 彼女も緊張混じりではあるが、口元は笑みを作っている。

 

 こういう演出が嫌いなタイプではなさそうだ。

 

 なんだ、意外と趣味が合うんじゃないか? マミ。

 

「……さあ、始めようか。陽が落ちたら、二人の親も心配するからね」

 

 グリーフシードを放り投げる。

 キュゥべぇは落下地点を予測して半歩移した。

 

 

 そして背をこちらに向け、開き――。

 

 グリーフシードが落ち――。

 

「きゅっぷぃ」

 

 キュゥべぇが回収した。

 

 

 *tick*

 

 



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優美な勝利を掴み取れ

「驚いた。凄まじい早撃ちだな」

 

 時の止まった世界で、私は思わず拍手しかけてしまった。

 試合開始を告げるグリーフシードの回収。それとほとんど同時に、マミはマスケット銃を放っていたのだ。

 

 エネルギー弾は、二人の間の半分にまで達している。

 時間が停止しているために脅威はなかったが、あと少しでも遅れていれば被弾し、敗北していたかもしれない。

 

「わたしの武器が銃だったら勝ち目はなかったかもな」

 

 巴マミ。やはり侮れないな……。

 

『……』

 

 そのマミは、今はまだ動かない。

 強張ばっているが、冷静そのものの落ちついた顔をこちらに向けたまま、完全に静止している。

 

 躊躇なく人間に引き金を引けるその度胸は、強さとして評価に値するだろう。

 彼女は紛れもなくベテランの魔法少女だ。おそらくは、私と同じで。

 

「けど、まだまだ……それだけではマミ、君の強さはわからないから」

 

 剣を掲げ、まっすぐマミに差し向ける。

 

「私のショーに付き合ってもらうよ」

 

 マミの固有魔法は不明。今は銃を使っているが、他にも武器があるかもしれない。少なくとも、マスケット銃だけと考えるのは危ういだろう。

 相手の手の内が読めないのは厄介ではあるが、私の扱う時間停止のように、全ての魔女に対して有効なものではないはずだ。

 

 しかし、さやかとまどかを守りながら戦えると言ってみせたのだ。

 

 で、あるならば当然。私が放つ様々な攻撃を、凌ぎきれるわけだよな?

 

「さあ、マミ。君はどうやって切り抜けてみせるのかな」

 

 楽しみだ。

 

 

 *tack*

 

 

「1.降り注ぐジェンガ」

「――なっ!?」

 

 マミの頭上におびただしい量の赤レンガが出現した。

 もちろんどれも本物だ。丸みのない角はそれなりの位置エネルギーによって凶器と化すだろうし、その数自体も、魔法少女だからといって無視できるものではない。

 

 本来はこう扱う予定のものでもなかったが、まぁ構わない。真剣勝負なのだから、気前よく使ってやるとしよう。

 

「ふんっ」

 

 それと同時に、私はトゥーハンドソードでマスケットの弾丸を受け、防御する。

 ソードとエネルギー弾は両方とも弾け、互いに消滅した。

 時間停止中に、うまい具合に剣を振り抜いていたのである。

 

 弾を避けるのが最善なのだろうが、それをすると、あたかも私が瞬間移動しているかのように見えてしまう。

 私の能力内容を警戒されてしまう可能性がある以上、できればそれはしたくなかった。

 

 私の能力を悟らせない。これは戦闘面における私のアドバンテージであるし、命綱であるし、奇術師の大事な大事なタネだ。

 タネがバレては何をやっても格好がつかないからね。

 

 ……しかし本当は弾丸を剣で真っ二つにしてやろうと思ったのだが、まさか一発でソードが壊れるとは。

 これはますます、一発も受けるわけにはいかないらしいな。

 

「くっ……! 瞬時にレンガを、一体どうやって……!?」

「ほう? リボンか」

 

 気がつけば、黄色のリボンが左右に伸び、廃屋の柱などに結び付いていた。

 そこからどんどん蜘蛛の巣のように張り巡らされ、部分的にはネットを形成している。

 

「最初の一発をいなしたのは流石ね……! 上からの奇襲も、悪くはなかったわ……!」

 

 マミの身体は手にしたリボンによって廃屋の端へと引き寄せられ、レンガの雨から逃れた。

 

「なに、出すだけならノータイムさ。そっちも、なかなか面白い魔法を使うね」

「ふふっ、ありがとう……」

 

 どうやら彼女のリボンは伸縮もするらしい。自在に伸びるのだから当然か。

 ……結びつく力を併せて考えると、リボンに近づくのも得策ではないだろう。接近戦にはリスク有り。怖いな。

 

「けど、こんなものでは終わらないわよっ!」

 

 マミは天井に張ったリボンからロープを掴み取り、機敏に宙を跳び回る。

 まるでこちらを翻弄し、撹乱するかのような動きだ。

 

「受けなさい――」

 

 鋭く身を切り返すと同時に、空中にマスケット銃が展開される。

 その数、十挺。

 

 距離を取り、動きながら複数の銃で攻撃するつもりか。

 なるほど、これはなかなか、射線を見極めるのも難しい……!

 

「ティロ・ボレー!」

「! ―― 2.ダンボールイリュージョン!」

 

 私は両腕を無意味にクロスさせ、格好良いポーズを取った。

 

 

 *tick*

 

 

「……ふう」

 

 妙案を考える間もなく放たれた動きながらの一斉射撃に、私はともかく時間停止を使わざるを得なかったのだ。

 それらしい決めポーズが取れなかったら即死だったかもしれない。

 

「まずいね。射撃も正確だし、動きも素早すぎる……」

 

 ひとまず、足元に煙幕弾を叩きつけておく。

 白煙は私の手を離れるとともに停止し、上手い具合に煙を小出しする目印になってくれた。

 準備はオーケー。……やれやれ、やることが多い。

 

「魔力の燃費も良さそうだし、ほとんど彼女に任せて良さそうな気もしてきたよ……ああ、これでいいかな」

 

 顎に手を当て、考えながら歩いていれば、ちょっと離れたところに備品室があった。

 中には良い感じに壊れかけていた掃除用ロッカーが佇んでいる。

 うむ、こいつを拝借するとしよう。

 

「それでも、あっさり負けてはやれないな。マミの手の内くらいは、こちらも把握しておきたいしね」

 

 このままでは張り巡らされたリボンによって、縦横無尽に逃げられた上に、向こうはずっと撃ち続けてくるだろう。

 常識的な闘い方をしていたのでは、いつまでたっても防戦一方だ。

 当然、それは面白くない。

 

「ギャラリーもいるんだ。どうせやるなら、もっと盛り上げないと」

 

 私は煙幕の立つ場所に掃除用ロッカーを突き立て、一人頷いた。

 

 

 *tack*

 

 

「――やっ……た……!?」

 

 宙を跳びながら放ったマミの一斉射撃は、私……が居た場所に突然現れたロッカーを蜂の巣にした。

 鋼製のソードですら一撃で破壊する弾丸だ。それを十発も受けた薄っぺらなロッカーなど、当然のようにグシャグシャになって、大破する。

 

 しかし、穴だらけのロッカーから溢れ出た大量のスモークが、内部の様子だけは完全に隠蔽してくれた。

 マミからすれば、まるで私が突然現れたロッカーの中に隠れ……そのままロッカーから消えたように見えるだろう。

 

 案の定、マミは何が起きたのか、または何をされたのかわからない風に辺りを見回している。

 

「ほむらちゃ……あれ、中にいないの……!? 大丈夫!?」

「あれじゃない……としたら、ほむらどこ行った!?」

 

 さやかもまどかも混乱中だ。

 マミでさえ見つけられないんだ。二人にはもっとわからないだろうさ。

 

 まぁ、実はそう離れた所にいるわけではないんだがね。

 ひっそりと、皆からは見えない階段の裏に隠れているだけさ。

 

「どこからくるの……!」

 

 マミも本気で気配を探り始めたようだ。

 

 ……このまま探知能力をフルで使われたら、魔力反応を割り出されるのも時間の問題だ。

 それで居場所がバレるのはちょっと格好悪いし、客を待たせすぎるのもそもそも良くないだろう。

 

 

 *tick*

 

 

 私は奇術師。マジシャンだ。

 ならば、登場する場所は決まりきっている。

 

 

 *tack*

 

 

「じゃじゃーん」

「!?」

 

 横倒しになった穴だらけのロッカーの蓋が煙と共に勢い良く吹き飛んで、その中から私が飛び出した。

 そう、これはイリュージョンだ。

 イリュージョンならば、穴だらけの箱から出てくるべきだろう?

 

「呆けている場合かな!?」

 

 見当違いの所に注意を向けていて、完全に虚を突かれたのだろう。

 目を白黒させたまま動けずにいたマミに対し、私はお返しとばかりに曲剣(カットラス)を十本投げ放った。

 

「くッ、レガーレッ!」

 

 しかしそれも、天井から真下に突き出されたリボンの壁によって容易く防がれる。

 完全に隙を突いてやったつもりだったのに、一本も届かないとは思わなかった。

 マミは咄嗟の反応も素晴らしいな。今のところ短所らしい短所が見つからないぞ。

 

「やるわね、暁美さん……!」

「そっちもね、マミ」

 

 私は空中に出現する小さなレンガやタイルを足場にしながら動き回り、投げナイフを放つ。

 それに対してマミは周囲に張り巡らせたリボンを使ったロープアクションで応戦し、ほとんど私と変わらない動きでマスケット銃を撃っている。

 

 お互い、空間をフルに使った、立体的に飛び回りながらの闘いである。

 

「す、すごぉ……!」

「わぁ……!」

 

 少なくとも私と戦っているマミ、そしてさやかやまどかにはそう見えるのだろう。

 私が瞬時に即席の足場を作り、一瞬で無数のナイフやら鉄パイプやらレンガやらを生み出して射出しているように見えるのだろう。

 

「8.ウロボロス・ドミノ!」

 

 床を思い切りステッキで叩いてやれば、タイルが何枚も捲れ上がって、即席の壁になる。

 薄っぺらとはいえ、頑丈な素材であるそれはマミの放った二発の弾丸を綺麗に防御した。……ように見えるのだろう。見かけだけは。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・インフィニータ!」

 

 それに対してマミは間髪入れず、更に無数のマスケット銃を召喚した上で、壁を打ち破らんとしているのだ。

 

 

 *tick*

 

 

「はあ、はあ……! これ、意外と辛いな……!」

 

 渡り合っている? そんなわけがあるか……!

 ここまで常識外れな動きや防御、私単体でこなせるわけがないだろう……!

 

 足場にしているようにみせかけたレンガなんて、ただ時間停止中にその場に配置しているだけだ。

 跳んでいるように見えるのは、ジャンプしながら上手く時間停止を解除しているからに過ぎない。

 大量の投擲物だってそうだ。時間停止中に盾からせっせと出して、一つずつマミや撃たれた弾に向かって投げつけているだけなのだ。

 勝手に壁状に捲れ上がったタイルなんて言わずもがなである。

 

「はぁー……それにしても、マミめ。こんなに私が無茶苦茶な動きや攻撃をしてるっていうのに、その全てに対応してくるとは……」

 

 驚くべきは、マミの実力だろう。

 まさか私もここまでだとは思わなかった。

 

 マスケット銃は彼女の意のままに何挺だって出現するし、リボンはあらゆる動きや防御を可能にする万能ワイヤーだ。

 攻防ともにパーフェクト。

 私が“魅せながら”戦っているとはいえ、その全てを凌駕するほどの動きを見せるとは……。

 

「……ふう」

 

 スカーフで汗を拭い、マミを見やる。

 彼女もまた汗をかいているが、動きは未だ精彩を欠かず、美麗なままだ。

 格好良い技名を告げる口調も滑らかだし、ミスらしきミスもない。

 

 今もまさに、無数のマスケットによってタイルの防御ごと私を蜂の巣にしようとしているところである。

 

「……そろそろ、決着をつけないとな」

 

 楽しい闘いだった。

 彼女も存分に実力を発揮したし、私もまた理想的な闘い方を魅せられたように思う。

 

 でも、時間の都合もあるのだ。

 そろそろ最終局面に移らなくてはならないだろう。

 

 

 *tack*

 

 

「―― 9.リフトアップ・エンターテイナー!」

 

 解除と同時に、マミの真正面、それも真下のタイルが剥がれて浮かび、勢い良く上昇する。

 

「なっ……!?」

「さあて――」

 

 タイルを押し上げて下から現れたのは、私。

 魔力で強化されたタイルは射撃準備を整えていたマミのマスケット群を掠め、銃口を真上に跳ね上げた。

 

 私はマミの目と鼻の先だ。

 彼女のマスケット銃は全て明後日を向き、対する私は右手にステッキを持っている。

 

 さて、驚きの最中でマミが銃口を整えるのと、私がステッキを叩きつけるのは――

 

「――果たしてどちらが早いかな!?」

 

 魔力で強化したステッキがマミの腹部に向かって突き出される。

 

「あら――」

「!」

 

 が、届かない。

 ステッキの突きが、途中で止まった。

 

「――出すだけなら、こっちだってノータイムよ?」

 

 魅惑的なマミのウインクに、思わず冷や汗が流れそうになる。

 

 私が突き出したステッキの先端は、マミが咄嗟に生み出したマスケットの銃口に刺さっていたのだ。

 

「ッ、つぅ……!」

 

 躊躇いなく落とされたハンマー。黄金のマズルフラッシュと共に放たれる弾丸。

 紫のステッキは砕け散り、衝撃は私の手にも及んだ。

 

 強化したステッキでさえ一発で破壊されるとは……!

 

 一瞬だけ怯んだそれが命取りだった。

 

「決まりね?」

「……!」

 

 見回せば、彼女の周囲にあった全てのマスケットが、再び私を捉えて浮かんでいた。

 

「もちろん、その盾で防がせもしないわよ?」

「……む」

 

 いつの間にか、私の左手にもリボンが巻かれている。

 ……隙らしい隙は見せていなかったはずなのに、よくもまあ、ここまで手を回せたものだ。

 

「マミの勝ちだね」

 

 厳正なる審判のキュゥべえがそういうのだ。

 仕方あるまい。

 

「はあ、参った。……強いね。降参だよ、マミ」

「ふふっ、暁美さんもね。お疲れ様」

 

 見栄え良く善戦してみせたつもりだったのだが、最後の接近戦が仇になったようだ。

 

 この模擬戦、どうやら私の負けのようである。

 

 

 



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黄金の陽を受け仄昏く

「……すげー……」

「すごかったね、二人とも……」

 

 戦いは終わった。

 さやかとまどかの反応を見るに、そこそこ楽しんでもらえたようである。

 

 ……油断して負けてしまったけれど、終わり方としてはドラマチックで良かったし、まぁ気にするほどのものではない。

 私はやれるだけのことをやったし、マミもまた、やれるだけの力で、私をねじ伏せたのだ。

 自分でも拍手したくなるような戦いだった。

 

「さて。私を負かし、あれだけの攻撃を防ぐ技量があれば、さやかとまどかをどこに連れ回しても問題はないだろう。二人とも、これからはマミと一緒に魔女狩り見学をするといい」

「え、あ……うん」

「……そっか。わかったよ」

 

 苦手なタイプの敵もあるだろうが、マミなら油断さえしなければどんな魔女だろうと問題ないはずだ。

 戦いの見栄えも良いし、見応えのある魔女退治を二人に提供してくれることだろう。

 

「あの。ほむらちゃんは……?」

「ん、私?」

 

 まどかがおずおずと訊いてきたが、さて。何のことだろう。

 

「その……ほむらちゃんは、一緒じゃないのかな。これから、マミさんと……」

「ああ、そういうこと」

 

 私は暇してるんじゃないかということか。なるほど。

 

「私は私で、他にもやることがあるからね。三人が魔女退治している時は、好きにやっているさ」

 

 マミと一緒に魔女狩りをしても過剰戦力だろうし、二人を守るだけなら今のままでも十分だ。私が同伴する理由も薄い。

 それに、私には記憶を取り戻すという日課もある。マジックショーだって、たまにはやらないと忘れ去られてしまうかもしれない。

 こう見えて忙しいのだよ、私はね。

 

「……そっか」

 

 納得してくれたのなら何よりだ。

 

「さて、と」

 

 私はシルクハットについた埃を払って被り直し、踵を返す。

 

「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。もう良い時間だし、運動して小腹も空いたからね」

「……暁美さん」

 

 立ち去る私に、マミは何か言いたげだ。

 けれど、あえてそれは聞かないことにする。

 皆は知らないかもしれないが、停止時間で動きまくったおかげで、本当に空きっ腹を抱えているんだ。

 

「それじゃあマミ、早速だけど二人を任せたよ。皆、また学校で」

「……ええ、もちろんよ」

 

 背を向けたまま手を振って、私はそのまま廃屋を後にした。

 

 敗者はただ去るのみ。

 二人の送迎という栄誉は、勝利を掴んだ彼女に託すのが一番だ。

 

 

 

 魔女退治は命がけだ。

 油断すれば魔法少女が一撃死する攻撃なんて、いくらでも飛んでくる。

 それを生身の人間が貰ってしまえば……後は想像に難くないことであろう。

 

 マミの言う通り、最低限の結界が張れない魔法少女では、一般人を連れ回すのには向いていない。

 私との実力に大きな差がなければ、ガイドは断然マミの方が良いに決まっている。

 

 それに、部屋にあがれば美味しいケーキと紅茶も出してくれる先輩だ。

 カップ麺と携帯食料しか備蓄していない私とは雲泥の差である。勝ち目がない。

 

 魔法少女の入門にあたって、彼女ほど素晴らしい教師役はいない。

 

「ちょっと気難しそうではあるけど、二人を変に扱うことはないだろう」

 

 独り言をつぶやいている間に、外に出た。

 

 

 

「……うん」

 

 真西に半分沈みかけた夕陽は真っ赤に燃え、地平線の薄雲は、紺に塗りつぶされそうな空の中で、線香花火のような黄金の輝きを湛えていた。

 

 黄昏時。

 美しい景色である。

 

「綺麗だ」

 

 心が洗われるような。

 まさにそんな、上出来過ぎる一枚絵。

 

「……貴女もこの風景を見れば、思い留まっていたのかな」

 

 すぐ傍で斃れ伏すOLは、黙して語らない。

 

「なんてね。……助けてあげられなくて、ごめんなさい」

 

 今この場で、花を手向けてやることはできないが。

 どこかで貴女の墓を見つけたら。その時は、きっと綺麗な花を供えるよ。

 

「おやすみなさい」

 

 そして、私は一人になった。

 

 

 

 

 

「……」

「どうしたんだいマミ、ソウルジェムをただぼーっと眺めてるなんて、懐かしい事をしているじゃないか」

「うん……」

 

 夜。

 巴マミは自室のベッドで、ソウルジェムの黄色い灯りを眺めていた。

 

 普段ならとっくに眠りについている時間である。

 今日は、なんとなく寝付けないようだった。

 

「マミ。何か、気がかりな事でもあるのかい?」

「……ええ。晩御飯も、なかなか喉を通らなくって」

「そういえば少食だったね。マミにしては珍」

「こーら」

「むぎゅっぷぃ」

 

 口を滑らせたキュゥべえの柔らかな頬を、マミは優しく抓った。

 

「女の子にそういうこと言わないの」

「やれやれ、君達は難しいね」

 

 キュゥべえは乱れた顔の毛並みを、後ろ足で器用に整えている。

 

「……ねえ、キュゥべぇ」

「なんだい?」

「私ね、本当は暁美さんが結界を張れるかどうかなんて……本当はね。あまり、問題ではないと思ってたの」

「ん?」

 

 マミの言葉には、どこか悔いるような弱々しさがあった。

 

「本当は……一番はね、ただ私が、鹿目さんや美樹さんのような魔法少女の素質がある子を……あの子達を、後輩として面倒を見たかっただけなの。暁美さんじゃなくて、私が……」

 

 シーツを引き寄せ、より深く顔を埋める。

 

「……キュゥべえ。私、ずるいことをしたよね」

「そう?」

「酷いよね。暁美さんから、二人を取っちゃったんだ……」

「別に良いんじゃない?」

「……そう、なのかな」

「君はちゃんと決闘で暁美ほむらに勝利したし、実際に二人を守れる結界を使える。何もおかしなことはないよ」

「本当に、そう思う……?」

「もちろんさ。適任者は間違いなくマミ、君だと思っているよ」

「……ありがと、キュゥべぇ」

「どういたしまして」

 

 マミは落ち着いた微笑みを浮かべると、キュゥべえの頭を柔らかく撫でた。

 

「それじゃあ……私、もう寝るね。おやすみなさい」

「うん。おやすみ、マミ」

 

 ソウルジェムが枕元のいつものローテーブルに置かれ、巴マミは天井を見上げながら、目を閉じた。

 

 瞑目の中で今日の出来事が薄っすらと回想されてゆく。

 

 

 謎の多い魔法少女、暁美ほむら。

 

 暁美ほむらの扱う魔法には謎が多く、今まで見たこともないほどに多彩だ。

 具体的にどのような力なのかは、長年魔法少女としてやってきたマミでさえ、ほんの少し類推することさえできなかった。

 

 彼女と一対一で戦ってみてわかったことは、彼女がとてつもなく強いということだけ。

 しかも、きっと。暁美ほむらは、まだ全力をだしていないのだろう。マミには、その確信があった。

 

 マミは全力で戦っていた。

 普段の魔女と戦う時以上なのは間違いない。

 これまでの魔法少女生活トータルで見ても、五指に入るほどの総力戦であったかもしれない。

 最後は足がもつれそうだったし、いくつかの照準は甘かったし、汗を隠すこともできなかった。

 常に優雅な戦いを繰り広げる巴マミをして、“泥臭い”と表現できる戦いだったのだ。

 

 けれど、相手は。

 暁美ほむらは、最後の最後まで一滴の汗を零すこともなかった。

 

 敗北してもなお、余裕そうに、楽しそうに微笑む彼女の姿は……マミから見て、異質だった。

 

 確かに、決闘には勝利した。

 けれど、それは本当に自分が掴んだ勝利だったのだろうか?

 彼女は、ひょっとすると、わざと勝ちを譲ったのではないか……?

 

 思い悩むことは多い。

 しかし、心地よい疲労感の中で順当に訪れた眠気は、追憶と苦悩の輪郭を徐々にぼかしていった。

 

「……暁美さん、ごめんなさい……」

 

 独り言か、無意識の寝言か。

 マミは最後にそう呟いて、まどろみに身を委ねたのだった。

 

 

 

 

 

 

「目覚めたフー、フフフン、走り、出したっ」

 

 右下上左、ステップステップ、長押し長押し。

 

「みーらいをっ、フフフフーンっ」

 

 ステップ、ターンステップ、ステップ、左右左右。

 

「難しい、フフフン、立ち止まってもー、空はーっ」

 

 たんたんたたたん、左右左右、ステップターンステップ。

 

「綺麗なフーフフフン、いつも、フッフッフーン、くれるっ」

 

 たたたんたんステップ長押しステップ。

 

「だから怖くなーいっ」

 

 たたんたんたんちょい長押し。

 

「もう何があってもー、挫ーけぇーないっ」

 

 たんっ。

 

 

 ――RANK AA+

 

 

 決まった。

 スコア表示に燦然と輝くAA+。悪くないぞ。

 

「おおー、すげぇ……」

「歌いながらかよ……途中めっちゃうろ覚えだったけど……」

「ふむ、どこで間違えたかな」

 

 私が踏破したのは、とあるダンスゲームである。

 音ゲー、というやつだろう。

 

 しかし一通りやったのだが、このゲームは全く記憶に響かなかった。

 何かしら、記憶を取り戻す鍵になるかもしれないと来てみたのだが……ハズレである。

 これは暁美ほむらが好んでいたゲームではなかったのだろう。

 

 けど、AA+か……。最高ランクはAAAだからな……。

 

「……よし、もうワンコインだけ」

 

 なんだかモヤモヤするし、AAAを取るまではやっていこう。

 

 



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第三章 筐体の向こうの女教皇
私達の友情に


──私は貴女を助けたいわけじゃない

 

 

 暗い世界に私はいた。

 

 私は座り込む誰かに言葉を投げかけ、じっと様子を窺っている。

 

 その相手は動かない。

 意気消沈しているのか、聞こえていないのか。

 どちらにせよ、ただの沈黙でないことは明らかだった。

 

 私は、そんな無防備な人に対し、手を伸ばして……。

 

 その、誰かを……。

 

 

 

 

「……朝か」

 

 表通りを過ぎ去っていったバイクの音で目が覚めた。

 天気はいい。小鳥のさえずりは窓を見ずとも、晴れを予感させてくれる。

 

 結局、あの日はAAAを目指してダンスゲームをやっていたら補導されてしまった。

 そこそこ大きな、最新鋭のものばかりが置かれていたゲームセンターだったが……もうあの店に、夜遅い時間に行くことはないだろう。

 まったく。見滝原は厳しい町だ。

 

 最高スコアを出せず、kyokoとやらを抜けなかったのは心残りだったが、いつか牙城を崩す日も来るであろう。

 今は臥す時。楽しみは後に取っておくものさ。

 

「いただきます」

 

 今日の朝食はシーフードだ。

 

 青魚に含まれるDHAとやらは頭の回転を良くするそうだ。

 パッケージの線や文字の色が青いので、これが青魚を使っているであろうことは疑いようもない。

 健全な女子中学生として、しっかり摂取しておかなくては。

 

 それに、袋を破く手間がないだけ、素早く作ることができる。

 準備は二分、食事は三分だ。アラームをかけ忘れた忙しい朝の心強い味方だ。

 

「ごちそうさま」

 

 暖かくなった息を吐き、手を合わせる。

 さて。今日もまた、学校に行かなくてはね。

 

「大丈夫。友達は増えたし、これからもどんどん増えていくよ、暁美ほむら」

 

 髪をブラシで梳かしつけ、表情を作り、寝ぼけた顔を直してゆく。

 

「君は格好良いんだ。もっと、自信を持って」

「にゃぁ」

「ん?」

 

 鑑の前でウインクすれば、隣にいた黒猫がそれに返事をしてくれた。

 

「よしよし……ありがと。ワトソンは可愛いね」

「にゃあー」

 

 黒猫のワトソン。彼の腹をわしわしと撫でてやれば、気持ちよさそうにカーペットの上をゴロゴロと転がる。

 

「それじゃあ、食事と水は用意しておくから。くれぐれも留守を頼むよ、ワトソン」

「にゃー」

「ん、心強いね。食べ過ぎたら駄目だよ?」

「にゃ」

「よし、良い子。それじゃ」

 

 鞄を持って、いってきます。

 

 

 

 

「はあ……昨日はほむらちゃん、私達のために魔女退治してたのにな……悪いこと、しちゃったかな……」

「でも、マミさんの言ってることは正しいし……ほむら自身も、納得してたみたいだし、さ」

「……でも私、なんだか申し訳ないっていうか」

「うん、わかるよ」

 

 教室内は相変わらず、平和なものだ。

 病欠の生徒が一人いるのみで、突然誰かが行方不明になったということもない。

 

 こうして自分の生活圏内が平和に保たれているのを再確認すると、安心できる。

 魔法少女としては、なんともいえない充足感を覚えるのだ。

 寝る前にしっかりとデンタルフロスでケアしつつ歯磨きを終えた時のような……いや、もうちょっとレベル高めかな……? ふむ、適当な表現はなんだろう……。

 

「今日ほむらちゃんに、なんて声を掛けたら良いんだろ……」

「……ね」

 

 ソウルジェムを思い切り真上に投げ飛ばして、一瞬だけ仮死状態になるものの、すぐに意識を取り戻し、無事にキャッチできた時のような充足感……うん、これだ。

 いや、これか? なんか違うな。うーむ……。

 

 

 

「……」

 

 まぁ、そんなことはどうでもよろしいのだ。

 今、私にとって重要なのは達成感などではない。自分の足跡はいつでも振り返れるのだから。

 

 大事なのは、前に進むこと。

 自らの目的のために前進し、困難を打破し、着実にステップアップしてゆくことだろう。

 

(……ほむらちゃん、机で何か考え事をしてるね……)

(ほむら、今日は話しかけて来ないよね。ずっと考え事してるし……)

(うん……)

 

 そのためには、自分が苦手と思っていたことを一つずつ、解決してゆかねばなるまい。

 早乙女先生も言っていた。苦手を克服してゆけば、自ずと道は拓けるのだと。

 

 であれば、すぐにでも行動に移すべきだろう。

 恐れることはない。尻込みする必要はない。

 

(……ほむらちゃん……昨日のことを謝るのってちょっとヘンだけど、自分から謝らなきゃ……これから仲良くしたいし、ギスギスしたままだと、やっぱり嫌だし……)

 

 初めてで話しづらいなんてことはないのだ。

 同じ学友じゃないか。何も気にする必要なんて無い。

 さあ、勇気を出せ。自分を信じて。暁美ほむら。

 

「よし」

 

 私は席から立ち上がった。

 今は中休みだ。時間はそこそこあるし、大丈夫だろう

 

(あっ、席立っちゃった……)

(んー、トイレかな?)

 

 私は歩き、教室の前へと移動する。

 目的の相手は、すぐそこだ。

 

「……中沢」

「……へっ?」

 

 そう、中沢だ。

 

(えっ?)

(えっ?)

 

 まぁ、誰でも良かったとも言う。

 だが、これは大事なことなのだ。

 

「な、何かな暁美さん」

 

 中沢は話しかけてきた私に対し、どうしたものかという焦りを感じているようだ。

 それはそうだろう。私と彼、中沢に接点などないのだ。その焦りはよくわかる。周りのクラスメイトもどこかそわそわしたように、こっちを見ているしね。

 

 けれど、これもまた友達づくりの一環なのだ。

 知らないクラスメイトと仲良くなることも、また一つの必要な勇気である。

 

 それに、大丈夫。何も下手な世間話をしようと話しかけたわけではないのだから。

 

「まぁ、これを見てくれ」

「……トランプ?」

 

 私が彼に差し出したのは、一組のトランプだった。

 何の変哲もない、世界で最も使われているらしい自転車印のブランド物である。

 

「さあ、好きなカードを一枚だけ選んで」

「は、はぁ……じゃあこれかな」

「あっ、こっちには見せちゃだめ」

「うん、はい」

 

 中沢は中間辺りから一枚だけ取り出し、それを見た。

 

「覚えた?」

「覚えたよ」

「じゃあ今からシャッフルするから、好きな所でストップって言って」

 

 本当はもうちょっと格好良くシャーッて混ぜたいけど、それはまだ練習中だ。

 もうちょっと待っていただきたい。

 

「オッケー、ていうか暁美さんこれ何?」

「マジック」

「いやそれはわかるけど……ストップ」

 

 はい止めた。ちゃんとストップで止めた。何ら不正は無いぞ。

 

「よし……」

 

 で、あとは確かこれを、えーっと。そうだ、こうして。

 大丈夫、ネットで見たのだ。何度も自分で復習したしテストもした。

 

 ……よし!

 

「さて、中沢。君が選んだのはハートの3、これだろう?」

 

 私は均等に混ぜきったカードの山から一枚のそれを選び出し、ウインクと共に告げた。

 

「……ごめん……違う」

「えっ」

 

 えっ……。

 まさかそんな馬鹿な、ありえない、一体どこで……。

 

「ほむらちゃん……全然気にしてなさそう……」

「……あー、まあ……本人が気にしてないならわざわざ謝る事もないんじゃない?」

「そ、そうかな……うん、そうかもね……?」

 

 おかしい。どこで間違った?

 私の何がいけなかった?

 最後のカードの選り分けで自然さを出そうとして、変な混ぜ方をしたか……?

 

 い、いや、そんなはずはない。仮にそうだとしても一回だけだ。

 二度目はない。次こそは絶対にちゃんとできるはずなんだ。またあの眠くなる解説動画を見るのは私も嫌だぞ。

 

「さやか、さやか」

「ん?なに、ほむら」

 

 そういえば今日はまだ二人とは話していなかったか。

 いや、今はそれはどうでもいいのだ。

 

「さあ、引いてくれ」

 

 私はトランプの束を差し出し、扇状に広げた。

 それを見たさやかは、勝手を知ったように、じっくりと種も仕掛けもない裏面を眺めている。

 

「……う~ん、よし! じゃあこれかな!」

「了解、じゃあカードをシャッフルして~……」

 

 もう一回シャッフルだ。

 次こそは成功させてみせる……!

 

 

 

「暁美さん、今日は積極的ですわね」

「あ、仁美ちゃん。うん、みんなにマジック見せてるみたい」

「マジック……ああ、私の所にも来てくださらないかしら……」

「うぇひひ……仁美ちゃん、すごい楽しみにしてるね……」

「それはもう! 私、本格的なマジックを実際に見たことがほとんどなくて」

「おーい仁美ー」

「あ、私!? や、やりましたわっ。はっ、はいっ!」

「良かったね」

 

 



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気長で気楽な神経衰弱

「うーん……」

 

 結果は、微妙なところだった。

 やはり一夜漬け程度では芸は身につかないというわけか。

 毛布に包まれながら練習していたトランプのカットテクニックはまぁまぁな感じだったが、肝心のマジックの方は芳しくない。失敗がちらほらあることもあって、皆の反応はいまいちだった。

 やはり、カードの絵柄うんぬんは地味すぎたのだろうか……。

 

 いや、それはない。

 これまで私のやっていたイリュージョン風マジックが過激すぎるだけなのだ。

 本来マジックには、ああいったカードを含め、絵面が地味なものも多くある……。

 

 ……私のイリュージョンは、魔法ありきのものが多すぎる。

 いや、公言こそしないが全て魔法ありきだと言っても良いだろう。

 

 だが、それでどうなるというのか。

 魔法を使って“欺いてやった”と。それは果たして、格好良いと言えるのか。

 私はそれで満足なのか……。

 

 ……うん。

 魔法を使ったマジックも悪くはない。

 けど、それだけに甘んじてはいけないな。

 マジシャンならマジシャンらしく、ちゃんとした魔法を使わない奴も覚えておかないと。

 

 真のマジシャンになるためには、少しずつ精進していくしかないということだ。

 

 

 

「それにしても、おかしいな」

 

 屋上でジョイソイ(バナナ味)をむさぼりながら考える。

 

 路上でマジックをしていた時などは脳裏に掠めるような、私の記憶……のような感覚があったのだが、トランプマジックをしている間は特に感じることがなかったのだ。

 この差は一体何なのだろう。

 時間を止める能力に関わっているとしたらお手上げだが、いや、そういうわけではないはずだ。

 私が最初に手品ショーを見た時だって、同じような既視感はあったのだから。

 

 暁美ほむらの記憶。

 それにはやはり、大道芸的なマジックに何かが関わっているはずなのだ。

 

 何か、ピエロのような……あるいは舞台……。

 

「……あら、屋上に来てたのね」

「ん」

 

 考え込んでいると、弁当を持ったマミが現れた。

 

「えっと、……隣。失礼するわね?」

「ん」

 

 食事中につき口を開けられないのは失礼。

 しかし手では“どうぞ”と快諾する。彼女は何故か苦笑いながらも、理解を示してくれた。

 

 マミの昼食はいつも美味しそうだ。

 今日は、四角いバスケットの中に沢山のサンドウィッチを入れている。

 色とりどり。野菜も多めで、なかなか健康に配慮した食事であると言える。まぁ、私ほどではないが。

 

「んぐんぐ」

「……」

 

 マミが隣でレタスとハムのサンドを齧る。私は残りのバーをもぐもぐ齧る。

 とはいえ私はもうすぐ食べ終わるので、そう長くは居られないのだが。

 

 ……ほら、もう食べ終わった。けど腹持ちは良い。

 理想的な携帯食料のひとつであると言える。

 

「えっと……暁美さん、あの時の……怪我はなかったかしら」

「怪我? ああ、特にないよ。そういえば、決闘の時はありがとう」

「え?」

「私はかなり乱暴な形で決着を付けようとしたのに、マミは寸止めをしてくれたからね」

 

 そう。

 私は決闘の時、最後の一撃をステッキによる刺突で決めようと考えていたのだ。

 寸止めなどするつもりはなかった。

 思えば、喉元にピッと当ててやるだけで済んだものを、急所でないとはいえ腹部を貫かんと全力で突き込んでいた気がする。

 マミが防いだから良かったものを、決まっていたら決まっていたで、治療のために結構な魔力を使っていたことだろうな。

 

「……そんな、私は……」

「マミは優しいんだな。それに、手加減が出来るっていうのは、余裕がある証だよ」

「……そんなことないわ」

 

 私はそんなことあると思うけどな。

 過剰に持ち上げているつもりもない。

 同じ学校にいる魔法少女がマミのような人格者で良かったと、本当に心から思っているよ。

 

「あの……ねえ、暁美さん。今日、鹿目さん達を魔女探しに連れていくつもりなのだけど……よかったら、暁美さんも」

「私は無理だ」

「……そう、なの」

「生憎と調べなくてはならないことや、やらなくてはならない事が山積みでね」

 

 記憶探し。マジックの練習。後は適当な調べ物。

 これでも記憶喪失だからね。やらなくてはならないことは、意外と多いんだよ。

 

「魔女退治はもちろん並行して行うけれど、それ以上にやるべきこともあるから。ごめんね、私はそっちを優先するよ」

「……わかったわ……うん、仕方ないわよね」

 

 最近知ったことだが、暁美ほむらはゲームに関しても覚えがあるらしいのだ。

 ゲームセンターの前を通りかかった時に少しだけ反応するものがあったので、時間がある内はそちら側からのアプローチもしていきたいところである。

 

(私のバカ……自分から取っておいて、何を言ってるのよ)

 

 私が断ってしまったからか、マミはどこか俯きがちである。

 あるいは葉物が多いサンドウィッチを作り過ぎたことに今更気付いて、意気消沈しているのか……なるほど、それなら落ち込むのも無理はない。

 

 ……よし。

 元気がないというのなら、元気付けてあげようじゃないか。

 

 それが奇術師というものだし、良い友達ってやつだろう。

 

「はい、どうぞ」

 

 私はトランプの束をマミに差し出した。

 

「え?」

「引いてごらん」

「え……その、これは?」

「トランプに決まってる、あ、一枚だけだから」

 

 マミは私の顔を見て、トランプを見て、それからもう一度私の顔を見てから、指を頬に当てて悩んだ。

 ふふ、今はまだ何も仕掛けていないさ。私を見ても何もわかりやしないよ。そう、今はね。

 

「……一枚、引けばいいの?」

「ああ」

 

 マミは中央のカードを、ゆっくりと引き抜いた。

 

「よし……では、マミの引いたカードを当ててみせようか」

「……ふふ、なにこれ、マジックかしら」

「そう、マジックだよ」

 

 ちょっと笑ってくれた。良し。

 

 シャッフルする。カードをよく混ぜる。

 マミのカードもそこに加え、混ぜる。シャッフルする。

 

 まるで何事もないかのような手つきだろう。

 けど、ここで異議申し立てがなければ成功したも同然なのだ。

 ふふっ、マミ。既に君は私の術中にはまっているのさ。

 

「よし……じゃあ次は、さあ、マミもよく切ってみて」

「ええ、よーく切るわよ?」

「どうぞ、気の済むまで」

 

 マミもよく混ぜる。不慣れな手つきで。それでもマミは、楽しそうに束を切ってくれた。

 私は、人のそんな顔を眺めている時間も、好きだった。

 

「……はい」

「ああ、どうもありがとう」

 

 そして私は、切った後の束からカードを一枚、さも無造作であるかのように取りあげ、宣言するのだ。

 

「さて。マミの選んだカードは……ダイヤの11だね?」

「ふふっ……違うわよ?」

「あれ?」

 

 おかしいな、間違えたのか?

 ……どうもまだまだ、上手く成功してくれないらしい。

 

 

 

帰宅の準備。

 

鞄に教科書などを詰めて、持つ。

 

程良い重さだが、盾の中にしまっておきたい気持ちが沸き上がって来る。しかしこのようなことで魔力は無駄にはできない。

 

まったく、魔法のない生活は億劫だ。記憶を失う前の私も、常々考えながら生活していたに違いない。

 

 

 

 今日のさやかとまどかは、マミと一緒。

 魔女狩り見学会があるので、忙しいはずだ。

 

 逆に考えれば、今日は誰かが魔女狩りに勤しんでくれるので、私が街を守る必要はないということである。

 正義の味方も非番というわけだ。そんな日も悪くない。

 

 私は私で、今日は好きな事をしよう。

 というよりも、また記憶探しのようなものなのだが。色々とやりたいことがごちゃごちゃなので、思いついた時に思いついたことをしようと思っている。

 

 ……それに、魔女と戦うための武器も仕入れなくちゃならない。

 マミとの戦いで資材を一気に使い込んでしまったから、現状かなり枯渇気味なのだ。

 

 盾だけでも戦えないことはない。

 しかし、盾での裏拳は魔力を消耗するので、燃費はよろしくない。

 

 何より、裏拳に使う盾と、私の左手の甲にあるソウルジェムの位置が近すぎる。これは大きな問題だ。

 裏拳を外して変なところで殴ってしまった場合、そのまま魂が砕けて即死するなんてことが起こり得るのだ。冗談にもならない無様な事故死である。

 そんな格好悪い死に方だけは御免被りたい。

 

 どうにか、遠距離武器も調達しないとね。

 できればスタイリッシュな奴が良いな。

 

「……さて、とりあえずはまず、あそこに行こう」

 

 脳内会議はひとまず十分。

 まずは動こう。話はそれからだ。

 

「暁美さーん、今日この後空いてるー?」

 

 鞄を手にとって教室を出ようとすると、クラスメイトの子が声を掛けてきた。

 馴染みのない子だ。けど、転入した日に色々と質問を飛ばしてきた子だったのは覚えている。

 

「ん? すまないね、今日はちょっとやらなきゃいけないことがあるんだよ」

「そっか。わかった、ごめんね?」

「ううん、また今度」

 

 それがいつになるかはわからないけど。

 

 

 

「挫ぃ~けぇ~ないっ」

 

 たんっ。

 最後に華麗なステップを踏み、一週間早いフィーバーなポーズでフィニッシュ。

 

 

 RANK AAA

 

 

「……ふふん」

 

 画面に表示されたスコアは最高のもの。ミスもなくズレもほとんどない、まさに最良のダンスであったと言えるだろう。

 

「悪いねkyoko、歴史に名を残すのはこの私だ」

 

 ランクの頂点に燦然と輝く私の名は、homhom。

 覚えておくが良い。これがお前を倒した者の名だ。

 

「よし、とりあえず最大の心残りは潰し終えた、と」

 

 まずはやり残したことを済ませてスッキリできた。

 心のモヤモヤを放置するのは良くないことなのだ。これも立派な、やらなきゃいけない用事なのである。

 

 それに、ただ遊んでいるだけ、ということでもない。

 

 眼鏡で虚弱だった私、暁美ほむらは当然、内気な性格だったに違いないし、少なくとも明るい気質ではなかったはずなのだ。

 私はそんな彼女の足跡を辿ることで、記憶の復元を目指さなければならない。

 

 では、暗い子がやることといえば何だろう?

 真っ先に思い浮かぶものがある。それがゲームなのだ。

 

「DDRはクリア、次は……」

 

 趣味の一端から取り戻す記憶もあるはずだ。少なくとも大きな見当違いではないだろう。

 マミたちが熱心に魔女退治に勤しんでいるのだ。色々と試してみなくてはね。

 

 

 

 ──パンチングマシーン

 

「ッシッ!」

 

 強そうな呼吸と共に、裏拳を叩き込む。

 ドゴン。サンドバックは思い切り後ろに倒れ、良い音が鳴り響く。

 

《342kg!ハイスコア!》

 

 古き良きアナログな電光掲示板は、私の一撃を大いに讃えてくれた。

 

「よし、星が割れて余りあるな」

 

 これぞ魔法少女の身体能力である。しかし、二位と五十近い差がついてしまったな。

 この記録が常人に抜かされることはないだろう。

「おお~……」

「なにこれ、何やったの?」

 

 マシンから響いた大きな音に外野が集まっていたが、まぁ、もうこの機械を使うことはないだろう。

 早速、次にいってみよう。

 

 

 

 ──フリースロー

 

 がしゃっ。網が揺れる。

 身体能力は力だけでなく、様々な感覚さえも上昇させてくれるようだ。

 もはや取っては投げて入れるだけの、退屈なゲームと化している。

 

「またハイスコアか……ま、カットラスよりは楽だな」

 

 絶え間なくモーション無しで、最短距離でガンガン放っているのだ。こうもなるだろう。

 パンチングマシーンほどの爽快感がないのが残念なところだ。

 

「すげえ」

「やべえ」

 

 ふむ……。

 そういえば、暁美ほむらは身体があまり強くないんだったか。

 

 ……思えば、何故私は肉体的なゲームばかりをチョイスしてしまったのだろうか。

 多分こういったゲームは、暁美ほむらの趣味ではないよな……。

 

 ……早速、見当外れなことをしていたのかもしれない。

 

「もうやめておこう」

 

 ポケットの中に入れた硬貨たちも丁度ゼロになった。店を出るには良い頃合いだろう。

 次来る時にはもっと別の遊びをしよう。そう決心しつつ、私はゲームセンターを出た。

 

 外はまだ明るく、人通りも多い。

 まだ陽は沈まないだろうし、明るい間に会社帰りの人が出歩けば、更に通行人も増えるだろう。

 

「この時間なら大丈夫かな」

 

 きっとゲームには私の記憶に関する手がかりがある。今日のはハズレだったが、それは間違いない……はずなのだ。

 だがそのためには、記憶を辿るには、より多くの百円硬貨が必要になるだろう。

 勿体ぶらずに言えば、もっとお金が欲しい。

 

 なので、路上で奇術を見せ、小銭をいただくことにしよう。

 実は前回もやっている最中にお捻りらしきものが飛んでいたのだ。良いものを見せれば、お客さんもそれなりのものを投げてくれるはずである。

 

 ……まぁ、もちろん、魔法の力をもってすれば数万や数十万ごとき、稼ぐのは容易だ。おひねりを目当てにマジックショーというのは、かなり迂遠で、回りくどいやり方だとは思う。

 時間停止能力さえあれば、この世界で私に盗めないものなどない。きっと足だってつかないだろう。

 

 でも、できれば悪いことはしたくないし、極力は自力で調達したい。

 いずれ記憶を取り戻した暁美ほむらのために、可能な限りは無用な罪を背負わせたくはないのである。

 

 ……だが、しかし。

 

 暁美ほむら。君は、ひょっとすると……。

 



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立ち返るべき原点と憧憬

 

 放課後の見滝原を、三人の少女が歩いている。

 先頭は巴マミ。その後を辿るように、美樹さやかと鹿目まどかが並んでいた。

 

 目的は、魔女探しである。

 最終的には魔女退治を二人に見せるところまでが理想だが、それにもまずは魔女を探さなければならなかった。

 これは何時間もかかることも珍しくはない。とはいえ見習いの二人は昨日体験したばかりであったので、特に苦に思うこともなかった。

 

 また、先を歩く巴マミが会話を途切れさせないよう、時折魔法少女としての知識や経験を話すなどして気遣っていたのも、退屈しのぎに一役買っているのかもしれない。

 

「それでね、個人の魔法少女としての素質にもよるけど、魔女反応は魔女毎に違うから……」

「はぁ~、色々あるんですね」

「慣れてくればすぐに魔女と使い魔の反応も見分けられるようになるし、気をつけなきゃいけない相手も判別できるわ。これって、戦ってる最中だと結構大切なのよ」

 

 巴マミは魔法少女として、様々な分野で優秀な能力を持っている。

 魔女反応を辿る技術は暁美ほむらよりも上であるし、結界から回復までこなせる万能型であった。

 実際、彼女は今でこそ一人ではあるが、少し前までは様々な魔法少女から慕われていたのである。

 

「マミさん、すごいや……」

「うふふ、そんなことないわ。……鹿目さんが魔法少女になれば、私以上に強くなれるわよ?」

「えっ、まどかが?」

「キュゥべえにも言われました……けど、私ってそんなに因果っていうのが強いのかなぁ……」

 

 まどかの何気ない、しかし聞きなれないぼやきに、マミは首を傾げた。

 

「………因果?」

「ああ、何かほむらも言ってたね。因果の量で魔法少女の才能が決まるって」

 

 補足したのはさやかだった。それに対して、まどかは頷いている。

 それが、ごくごく当たり前の魔法少女としての知識であるかのように。

 

 しかしマミにとって、その“因果”というものは全く耳慣れないものであった。

 

「あの、何の話? 因果って……」

「ん~、ほむらが言ってただけなんで、えへへ、実を言うとよくわからなかったんですけど……」

「マミさんは知らなかったんですか?」

「ええ、初耳……」

 

 魔法少女としての力に個人差があるのは知っていた。

 だが、因果とやらが関係するというのは初めて聞くことである。

 

「魔法少女によって、知ってることと知らないことってあるんだなぁー……」

「難しいんだね」

 

 さやかとまどかは知見の薄い者同士で雑談に興じているが、マミとしてはそれどころではなかった。

 

 自分でさえ知り得ない魔法少女の知識。

 それを持っていた暁美ほむら。

 彼女の謎が、更に深まったのだから。

 

(……暁美さんは、私も知らないような知識を持っている……)

 

 思い出されるのは、屋上での気さくな微笑み。

 

(グリーフシードやキュゥべえの事に関してはあやふやだけど、彼女はソウルジェムが魔法少女の魂だとも知っていた)

 

 しかし、決闘の時などに浮かべた妖しげな笑みには、裏がありそうにも見えてしまう。

 

(……魔法少女は魔女と戦い続ける……私は元々その覚悟があったから、特になんとも思わなかったけど……)

 

 考えれば考えるほど、様々な感情が交錯する。

 

(ソウルジェム……私の魂……因果、か……因果って、何なのかしら……)

 

 暁美ほむら。ソウルジェム。魔法少女。

 二人の見習い少女を引率する立場であるマミもまた、近頃は魔法少女としての基礎に立ち返る心持ちであった。

 

 

 

「おお~! 消えた!」

「すごーい!」

「ん……?」

 

 ごく僅かな魔力反応と共に、歓声が聞こえてきた。

 

「なんだろ……あっちの通り、賑やかだね」

「よく路上ライブとか大道芸やってる道だね。有名なアイドルとかも、たまーに来たりするよ」

 

 二人は賑やかな声につま先を誘われているようだ。

 その二人の様子を見ているマミもまた、気持ちは同じである。

 

「……しばらく歩き続けてたし、どうかしら。少し、見に行ってみましょっか?」

「賛成!」

「はい。えへへ」

 

 歩き通しの魔女探しにも、休息は必要である。

 三人は賑やかな声のする方を目指し、歩いていった。

 

 そして、意外な姿を目撃することとなる。

 

 

 

「このナイフを一度ハットに入れると……はい、何もない」

 

 低めの台に立ち、大勢の観客に向けてマジックを披露する少女が居た。

 衆目の中で堂々と魔法少女衣装を着込み、紫のシルクハットとステッキを手に持った少女である。

 見間違えるはずもない。彼女は、謎多き転校生、暁美ほむらであった。

 

「もっと入れてみましょう。小石も、花も、ハンカチも、……おっと、ステッキも入ってしまった」

 

 ハットの中に様々な小物を際限なく押し込むさまは、まさに魔法のよう。

 

「せっかくなので、先ほどのカットラスも、はい、収納」

 

 明らかにごまかしきれないであろう大きな物でさえハットの中に納めてしまえば、観客からはより大きなどよめきが聞こえてくる。

 タネはどこか。どうやっているのか。無粋な科学主義者が血眼でトリックを探そうとも、答えは見つからない。

 それは驚くべきことに、常人以上の観察力を備えているはずのマミでさえ同じであった。

 

「ふむ、随分とハットが重くなってしまいましたが……どうしましょうか」

 

 もったいぶるような台詞と、仰々しい仕草。

 そういってハットを観客に見せびらかすも、驚くべきことに内側には何の小物の影も見当たらない。

 

「せっかく入れた道具ですが、重いままではハットが不便です。なので、出してしまいましょう」

 

 ほむらはシルクハットの内側を地面に向け、軽く揺する。

 

「ハットを逆さに……揺らして……ううむ、なかなか出ないな」

 

 頂点を叩いたり、側面を叩いたり。

 大真面目にやってみせる仕草は、自然と観客の目線を引き込むが……。

 

「わ……」

 

 ドサドサと収納したはずの小物が落ちてきたのは、帽子ではなく、ほむらのスカートからであった。

 誰もが予想し得なかった場所からの出現に、感嘆のざわめきが起こる。

 

「おっと、スカートの中から全て落ちてしまったようだ。これは失礼」

 

 おどけた風に謝り、深々と礼をすれば、拍手が巻き起こる。

 魔法少女の姿のまま行われるちょっとした興行は、周囲のパフォーマーと較べものにならないほどに大盛況であった。

 

「……かっこいい…」

 

 大勢いる観客の陰で、鹿目まどかは呟いた。

 人々を魅了し、また大勢の前で堂々と振る舞えるその姿は、少々気障ったらしくとも、憧れるには十分な姿だったのだ。

 

「へ~……ほむら、魔法少女でこういうことしてたんだ……」

 

 魔法少女は戦うもの。そう考えていた美樹さやかは、自身の価値観がひとつ、しかし確かに大きく動かされたのを感じ取っていた。

 

「……」

 

 そして巴マミは、人々に囲まれながら余裕の笑みを浮かべるほむらを遠目に眺めたまま、――ただ呆然と、眺め続けていた。

 

 楽しそうに笑う人々。

 喝采を受ける魔法少女。

 

 その光景はあまりにも、まどかとさやかの二人が感じているそれ以上に、マミにとって鮮烈なものだったのである。

 

「魔法って、こんなことにも使えるんだぁ……」

 

 言葉に出なかった内心は、さやかの呟きが代弁していたのかもしれない。

 

「……そうね。魔法って……こういう使い方も、良いものなのね」

 

 魔女を倒すための魔法。

 街を守るための魔法少女。

 

 ここしばらくはずっと、そのような考えに囚われ続けていたかもしれない。

 もちろん、今更それが間違った考え方とは思えない。

 けれど、壇上に立つ暁美ほむらは、魔法とは決してそれだけではないのだと、雄弁に主張しているかのようだった。

 

「……そろそろ、行きましょうか。私達は私達で、あの笑顔を、魔女から守らないといけないわ」

「……うん、そうですね!」

「はい!」

 

 マジックショーを眺めていた三人はしばらくしてから、再び探索を開始した。

 

 途中に挟んだ休憩は、思いの外有意義なものだったようである。

 

 



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他ならぬ私の足跡探し

 

 

 虚弱体質で頭脳明晰な暁美ほむら。

 

 数多の魔女を倒し、勝ち抜いてきた魔法少女、暁美ほむら。

 

 武器は盾。自分自身しか守れない小さな盾。

 

 ……私が目覚めて、そこそこの日が経っている。

 考える時間はいくらでもあった。だから、私は暁美ほむらが何のために生きてきたのかについては、なんとなくだが、見当がついていた。

 

 まず、暁美ほむらは自身のためだけに戦ってきたのだろうと思う。

 

 彼女がいつから魔法少女として生きてきたのかは知らないが、きっと他人に施すような人間ではなかったはずだ。

 それは、他者との交流の跡が見られない彼女の端末を見れば、すぐにわかる。

 

 他の魔法少女と一切の関係を築いておらず、単独で魔女と戦い続けてきた。

 一匹狼と言えば聞こえはいいが、それは魔法少女との不協和がある何よりの証拠だ。

 あるいは、そんな生ぬるい環境ではなかったのかもしれない。

 けど、孤立するのには、相応の理由があったはずだ。

 

 ……これまで夢の中で見た、陰惨な光景が思い出される。

 もしもあれらが、私の頭が勝手に出力したものでないとするならば……。

 暁美ほむらは最低でも、魔法少女を二人……いや、やめておこう。

 

 私が何者であっても、やるべきことの中心は変わらない。

 魔女退治は、一生涯付き纏う私の義務だ。

 

 私もいつかは魔女になるのだろう。

 マーフィーの法則というものがある。

 綺麗な制服を着用したままラーメンを食べ続けていれば、どれだけ慎重を期していようとも、いつかは必ず汁が袖にはねるように。

 きっと、どこかでポカをやらかしてしまうのだ。

 強かろうとも、絶対はないのである。

 

 しかし私は、仮に魔女になったとして、一体どのような魔女に変わるのだろう。

 魔法少女は希望を振り撒き、魔女は呪いを振り撒く。その希望と呪いの大きさは等しく、また抗うことの叶わない定理だ。

 もしこのまま私の記憶が戻らないのであれば……あるいは魔女になった時に初めて、暁美ほむらの呪い、その逆に位置する祈りが見えてくるのかもしれない。

 

 ま、考えてもどうしようもないことだがね。

 

 魔女になるくらいならば、私は速やかにソウルジェムを砕き、自害してやるつもりだ。

 同業者に後始末を押し付けるほど、私は落ちぶれていない。

 

 ……それに、ソウルジェムがグリーフシードになった後、もしそこにまだ自我が存在していたら……なんて考えると、ちょっと怖いしね。

 誰だって死後、悪霊にはなりたくないだろう?

 

 

 

「御静観、ありがとうございました」

 

 観衆に頭を下げ、フィナーレを告げる。

 

 見滝原の低い空に、色とりどりの紙吹雪と、無数の紙飛行機が舞った。

 

「わぁ……」

「すごい! どこから出たんだろ……!」

 

 見上げる人々の目に映る太陽は、今日も煌めいていた。

 

 

 

「と、まぁ今回の主目的はこっちだったわけだが」

 

 黄桃の空き缶に入った、小銭と少しの紙幣。

 特にこの千円紙幣には感謝しなくてはならないだろう。

 これが今さっき行われたマジックショーによる私の収入である。

 

 合計で4461円も集まった。

 私の年齢が低いこともあるだろうし、単純に見せた芸がそれ相応であったということなのだろう。

 これからも続けていれば、口コミやら噂やらで、稼ぎが増えるかもしれない。

 

 しかし現状でもかなりの大金だ。

 これだけでも、百円のゲームであれば44回も遊べる。

 今日の夜はゲームセンターで良い夜を……いや、記憶探しが捗りそうだ。

 

 ……ふむ。しかし、昨日のように店の者に補導されてしまってはどうしようもないか。

 今日は場所を変えなくてはならないだろう。

 なに、広い見滝原だ。ゲームセンターならいくらでもある。

 ちょっと離れて寂れた地域にでも行けば、取締の甘いところだって見つかるだろう。

 

 それと並行して魔女探し……は、今日はいいか。そっちはマミ達に任せるとして、私は武器の調達を優先しないと駄目か。

 マジックの練習。小道具の調達……。

 

 やることは多い。

 充実してるとも言うけれど。

 

 ……今日はまだこれくらいでいいけど、常日頃から魔女狩りをさぼるわけにもいかない。

 明日か明後日には。マミ達には悪いが私も魔女の捜索をしなければならないだろう。

 グリーフシードのストックは、いくらかなくては安心できないからね。

 

 ……それにしても。

 

「小腹が空いたな」

 

 手元にはそこそこのお金もある。

 

 ……そうだ、せっかくだし店のラーメンでも食べに行こうかな。

 たまには食事で奮発するのも悪くはない。

 

 

 

 そのような事情で、私は適当なラーメン屋に入った。

 

「ふっ」

 

 そしてカウンター席に座り、注文を終え、思わず笑ってしまった。

 

 特に意味のある笑いではない。

 普段食べているカップ麺の五倍近い価格に、ちょっとした感傷を覚えただけのことである。

 五杯分のラーメンか……まぁ、入ってしまったものは仕方ないからね。すぐ∪ターンするのも格好悪いじゃないか。

 初めての体験でもあるからね。せっかくなのだ、しっかり食べていくさ……。

 

 調理時間は、流石に三分以上かかるらしい。

 その間、私はお冷をおかわりし続ける理由もなかったので、首が痛くなるような位置に備え付けられた小さなテレビ画面を見上げた。

 

「そっか」

 

 そこでは、議員の汚職や過度な公共事業への出資など、社会的なニュースが面白おかしく報じられていたが……。

 廃ビルから飛び降り自殺した若い女性のニュースもまた、慎ましく報じられていた。

 

 ……苗字と名前がわかって良かったよ。

 これで、ちゃんと花を供えることができそうだ。

 

「はいお待ちどうさま、チャーシュー煮玉子、黒並盛りです」

「お。どうも」

 

 さて。

 この高い一杯を食べ終えたら、次はゲームセンターに行かないと。

 

 ずずず。ずるずる。ちゅるん。

 

「……うん」

 

 高い。

 

 けど、なんだ。

 また今度、来てやろうじゃないか。

 

 

 

 思いの外満足してゲームセンターにやってきた私は、ちょっと離れたゲームセンターにまで足を運んでいた。

 プレイするゲームは適当だ。やっていれば何かしら当たりに出くわすだろう。けれどあまり新しすぎるゲームでは記憶に引っかからない気がしたので、レトロゲームのコーナーで、しばらく遊ぶことにした。

 

 そんな雑な感じに始めたのだが、ガチャガチャとレバーを操作していると、どことなく体は手慣れたように動いてくれる。

 私の見立て通り、全く経験がないわけではないらしい。

 ゲーム自体のセンスはあるようだ。

 

「しかしなんだ、この敵は……さっきから左右に行ったり来たり……」

 

 ゲームも終盤、この調子でいけるかと思っていたら思わぬ強敵にぶつかった。

 

 まさか即死攻撃をしてくるとは。

 先ほどから何度も負かされている。

 

「ここまで来て諦められるものか……」

 

 追加でコインを入れる。

 

 勝つまでは諦めない。

 繰り返す。何度でも。

 

「懐かしいもんやってるねぇ」

「……」

 

 ちょっと、やってる最中に声かけないでもらえるかな。

 こう見えて私は本気なんだ。

 

「さっきからずっとそこで頑張ってるみたいだけどさあ、いつからやってんのさ」

 

 後ろの外野がしつこく話しかけてくる。

 私と同じくらいの子供の声だろう。

 

「んー、黄昏時からかな」

 

 私はジャンプとしゃがみで忙しかったが、答える。

 回避は順調だ。……このままならいけるのでは?

 

「ここは人の巡回も少ないし、夜でも長居ができそうだったからね」

「ずっとやるつもりかい? まぁ、確かにここは他と違って長居できるけどさ。そいつの後もラスボスいるし、めんどいよ」

「硬貨ならある、クリアまでは張り込むさ」

「ふーん」

 

 しかし、このゲームセンターは長居できるのか。

 それは良いことを聞かせてもらった……。

 

「ん!」

 

 敵が今までにない隙を見せた。

 これならいける。勝てる!

 

「ブラボォー!」

 

 連打だ連打! やってしまえ!

 チャーシュー煮玉子と同等のコインの仇だ!

 

(……見滝原の制服、ね。変な奴だな)

 

 

 

 

 結局、ゲームクリアまでこぎつけても店員に補導されることはなかった。

 場所は遠いものの、ゲームをやる分にはなかなか良い環境と言える。

 次からはここでやることにしよう。

 

「しかし、すっかり暗くなってしまったな」

 

 もう夜中近い。つい夢中になりすぎたようだ。

 けど、収穫らしきものはあった。

 ゲームに没頭している間は記憶というか、体を通じて昔の感覚が呼び醒まされるような気分に包まれていたのである。

 

 今日のあれがやったことのあるゲームかは知らないが、ゲーム自体に腕に覚えがあるのは間違いない。

 ここから、記憶を取り戻す足掛かりを作っていければ良いのだが。

 

「だが、暁美ほむら……私が記憶を取り戻したとして」

 

 果たして、今の私の人格はどこへ行ってしまうのだろうか。

 

 このまま経験した知識だけを取り戻す形で済むのか。

 

 昔の暁美ほむらと一体となるのか。

 

 それとも、昔の暁美ほむらに精神を上書きされ、今の私の精神は無為となるのか。

 

「……」

 

 無にはなりたくない。

 私は、他ならぬ私自身のために奔走しているのだから。

 昔の私に、今の私を否定される筋合いはない。

 

 今の私だって、私なのだ。

 私は、間違いなく暁美ほむらなのだ。

 

 だが私に、昔の私の全てを否定する勇気などはない。

 

 



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空翔る夢

 

 

 嵐。

 

 また、嵐が吹いている。

 

 

 ――どうして?

 

 ――どうしてなの?

 

 

 不吉な灰色の空。

 巨大な渦を巻く雷雲。

 ゴミ屑のように吹き飛ばされる車。

 紙のように宙を空回りするモルタルの壁面。

 

 そして、荒野のような瓦礫の山。

 

 

 ――何度()っても、あいつに――……

 

 

 視界がぼやける。

 額からの流血に、視界が覆われる。

 

 赤と灰色が混じる不吉な世界。

 

 

 私は、ここで何をしている……。

 

 

 

「……ん」

 

 目を開ける。そして、無言で毛布から抜け出す。

 昨日は一日中趣味の時間だった。

 今日は多少なりとも、魔女を狩らなくてはならないだろう。

 

 ……しかし、ソウルジェムに余裕はあるようだ。

 今日もまだ、マミに二人の見学会をさせておこうか。

 

 まだ魔女退治を急ぐこともないのかもしれない。

 

「あれ……」

 

 今日の予定を思い浮かべながら時計を見たのだが、なんとまだ四時過ぎだった。

 学校の支度をするにも早すぎる時間帯だし、朝食を摂ってもお昼まで持たないくらいの時間である。

 けれど、二度寝をする気分にはなれなかった。

 

「………そうだ。朝なら丁度良いし、あれでも探そうかな」

 

 朝にしかできないこともあるのだ。

 うむ、そうと決めたならば、早速行動に移すとしよう。

 

「よーし、今日はまぐろ缶だぞー」

「にゃぁにゃぁ」

「んー? ワトソンに外のラーメンはまだ早いかなー。また今度ねー」

「にゃ」

 

 私はワトソンへの缶詰を開けるのに少しだけ手こずりながらも、大体を手早く済ませ、外へ出たのだった。

 

 

 

 

 

「あんむっ」

 

 明朝、廃教会へと続く階段に座り込み、リンゴを齧る少女の姿があった。

 

「んむっ」

 

 デニムのショートパンツと灰色のパーカー。

 早すぎる朝にはいささかラフな格好ではあったが、本人はさほど堪えた様子もない。

 

「あー……ん?」

 

 最後の一口を大きく齧ろうとした矢先に、その動きが止まる。

 広場を眺める彼女の視界に、見慣れない人物が映ったためだ。

 

「……」

 

 それは、見滝原中学の制服を来た一人の少女だった。

 長い黒髪と黒いカチューシャが目印らしい目印だろうか。飾り気はさほどなかったが、凛として整った容姿は、印象深い。

 暁美ほむらである。

 何かを落としたのか、探しているのか、彼女はしきりに辺りに目を向けていた。

 

 階段に座る彼女は、ぼんやりと昨日のことを思い出す。

 

(ああ、見覚えがあると思ったら……昨日のゲーセンの奴じゃん。こんな時間の、こんな場所に何の用があるってんだか)

 

 ギリギリまで可食部を齧られたリンゴの芯が、階段の下に放り投げられた。

 廃教会の階段は長く整備されていないためか見窄らしく、また以前の火災によって、タイルの色合いも疎らに変色している。

 

(……ここは、もう……)

 

 元々は、それなりに綺麗だった。

 いや、綺麗だった時期もあったのだ。

 

 新興宗教ではあった。だが、信徒が善意で清掃し、潤沢な寄付金によって整備されていた。そんな輝かしい時期も、確かにあったのである。

 

 だがそれは突然の火災によって唐突に終わりを告げ、それと同時に人々の信仰すらも離れていった。

 以来、この教会を訪れる者はおらず、復興を志す者も現れない。

 

 芯だけになったリンゴのような、そんな虚しい過去である。

 

「……よし…そのまま……いける。よし、動くなよ……」

 

 煤色の思い出に耽っていると、挙動不審だった黒髪の少女が、地面にいる何かに躙り寄っているようだった。

 あまりにも挙動不審な姿に、沈みかけた心がふっと浮き上がる。

 

「っはあ!」

 

 ほむらは勢い良く地面に飛び込んだ。

 

(うお!? なんだオイ)

 

 唐突かつ意味不明な奇行に、少女は目を瞬かせるしかない。

 が、けたたましい羽音を鳴らしながら飛翔してゆく白い鳥を見て、疑問は解けた。

 

(………あれは……鳩?)

 

 全身真っ白、いや、ほんの一部だけ黒の斑が入った鳩だったようである。

 この時間帯は多くの鳩が虫を捕食するためにやってくるので、探せばあのような鳩も何羽かいるらしかった。

 

「……く、力を使わずに捕まえるのは無謀か」

 

 とはいえ、何故そんな鳩を捕まえようとしているのかは全くわからない。

 浮浪生活を送っている少女からしてみても、わざわざ野生の鳩を捕まえて食おうなどとは考えられなかった。

 

(……アホらし。あれで学校行ってんのかなアイツ)

 

 騒々しく疑問は尽きない相手だが、わざわざ声を掛けようとは思えない。

 少女は今更に朝の底冷えする寒さを覚え、パーカーを深く被り直すと、教会から去っていった。

 

 

 

 

 隣町の教会にまで足を運んだというのに、結局鳩は一匹も捕まらなかった。

 

 何故鳩なのかといえば、それは当然、マジックにおいて必要だからである。

 私のマジックには紙飛行機や花びらをハラハラと舞わせる演出が多いが、帽子から鳩が飛び出たりするような演出は全くないのである。

 それを打破するためにも、鳩が必要なのだ。

 

 だが、今日は無理だった。また今度、再挑戦するしかないだろう。

 

 能力を使えば捕まえるのは容易いだろうが、生き物を相手に使うのはなんとなく気が引ける。ゆくゆくは助手として、仲良くやっていきたいからね。

 いつかは私自身の力で、あの鳩を捕まえてやるつもりだ。

 

「ふう……ごちそうさま」

 

 私は一旦帰宅し、朝食を食べた。

 チリトマトのほのかな辛さで、頭もしっかり覚醒する。

 

 今日の一日も、頑張ってやっていこう。

 時間は有限だ。大切に。無意味に過ごさないように。

 

「ワトソン、今日は私についてくるかい」

「にぁ」

 

 鏡で髪を手直ししつつ駄目元で訊いてみたが、返事は芳しくない。

 盾の中は窮屈なのだと。

 

「私も一度でいいから、盾の中に入ってみたいものだけどね」

「にゃぁ……」

 

 昔のSFのように、目が回るような幾何学模様をしているわけではなかろうが、一度覗いてみるだけならば、見てみたいものだ。

 何かあっては困るので、やろうとは思わないけどね。

 

「それじゃ、いってきます」

「にぁ」

「壁紙は丁重にね」

「にゃぁ」

 

 さて、学校へ向かおう。

 

 

 

 授業内容は全て簡単なもので、流し聞きしていてもほとんど問題はない。

 突然指名されても即座に答えを導き出せる程度には、私の頭は冴えている。

 逆に、この学校の習熟度が低いのかもしれないが……いや、パンフレットではかなり強気な宣伝文句があったし、そんなこともないのか。

 

「……ほむらちゃん、授業中だよ。ほむらちゃん……」

「駄目だまどか……席が遠すぎて」

 

 聞く必要のない授業に馬鹿真面目に参加する必要はないだろう。

 なので、私は机の上でちょっとした作業を行っていた。

 

 様々なプリントを切り取り、折り紙の原型を大量生産しているのだ。

 普通の折り紙でもいいのだが、それでは強度とサイズと見栄えがあまりよろしくない。

 格好良い紙飛行機を作るのであれば、紙からカスタマイズしてゆくのが一番なのだ。

 少なくとも鳩が見つからないうちは、この紙飛行機で代用する他ないだろう。

 

「おーい、暁美……」

「はい」

 

 なんてことを考えている間に、指名された。

 今ちょっと折り目がいい所なんだけども……。

 

(わー、やっぱり指されてるー)

(大丈夫なのかな……)

 

 教室正面の電子ボードをちらりと見れば、既視感のある文章が羅列していた。

 なるほど、どうやら今は理科……というか、化学の時間らしい。

 

「……ここ、わかるか?」

「石灰水が濁る」

「……よろしい」

 

 Ca(OH)2+CO2→CaCO3+H2Oと言い換えても良い。

 というより、もっと続ければ透明になるし、正確な答えとも言い難いのだが、それは構わないのだろうか。

 

 まぁ、そんなことはどうでもいい。興味がないわけでもないが、見た目に地味な化学反応はお呼びでないのだ。

 それよりもずっと、飛行機生産の方が大切である。

 

(相変わらずすげーなー……)

(頭いいよね、ほむらちゃん)

 

 ふむ。紙飛行機は先端を潰せばよく飛ぶのだが、やはりそのままの綺麗に折ったほうが、飛んでいる姿は格好いいだろう。

 シンプルな折り方は時間の節約にもなる。

 けど、折り目は正しくしっかりと。

 

 

 

「ふふーん」

 

 そうして昼になる頃には、二十機もの綺麗な飛行機が完成していた。

 これが再び、大勢の観客の前で空を飛ぶのだ。

 想像するだけで胸が高鳴る。

 

「随分作ったね」

「おお、まどか。多いに越したことはないからね」

「あ、昨日ほむらちゃんがマジックやってるとこ、見かけたんだぁ」

「なに? 見られていたか」

 

 私は一切気付かなかった。

 結構見てる人も多かったし、自分のマジックに集中していたせいかな。

 

「うん、マミさんやさやかちゃんも遠目にだけどね。人、沢山いたね。格好良かったよ」

「ふふ、そう? ……うん、大勢の人が立ち止まってくれて良かったよ」

 

 今はまだ路上のパフォーマーだけど、ゆくゆくは大きな会場を借りてやってみたいものである。

 

 私を囲む大勢の観客。

 繰り出す奇術に息を飲むホール。

 

「……ふふ」

 

 ああ。

 やっぱり、鳩が欲しいな。

 

 



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誰も知らない焦燥に駆られて

 

「おっと」

 

 昼。屋上で食べようかと上がってみると、そこにはマミが居た。

 

「暁美さん」

「やあマミ。いつもいるね」

「いつも、というわけではないわ、最近よ」

 

 いつものようにベンチに腰掛け、鞄から昼ごはんを取り出し、空を見上げた。

 雲はある。けれど青も多く、清々しい空模様だった。

 もうちょっとすれば肌寒い季節にもなるだろうが、しばらくは過ごしやすい日が続くだろう。

 

 こんな日はプロテインゼリーで昼食を取るに限る。

 

 ……うむ。味も悪くない。

 何より、ぢゅーっと吸うだけなので、手早く栄養補給出来るというのがありがたい。

 

「……」

「ん」

 

 隣で弁当を広げているマミが、どこか複雑そうな目でこちらを見ていた。

 何か言いたげだが、彼女が言いたいことはわかっている。

 

 私は鞄からもう一本のプロテインゼリーを取り出した。

 

「問題ない、さすがに一つで済まそうとは考えてはいないさ」

「……うん」

 

 きっかり十秒で食べられる食品ではなかったが、マミがひとつのおかずを食べ終わる頃には完食した。

 現代の忙しい魔法少女の頼れるお供だな。

 

「……ところで、二人の様子はどうかな。魔女退治は負担なくやれているかい、マミ」

 

 食事も終わって手持ち無沙汰だったので、私は訊ねた。

 

「うーん、そうね……」

 

 マミは白い箸の頭を顎に当てて、少しだけ考えた。

 

「美樹さんは、魔法少女になる意欲を強めている感じかしら。あ、私自身の負担はないから、平気よ。無理はしていないわ」

「そうか……」

 

 魔女退治は問題なく出来ているようだ。それは何よりである。

 

 そして、さやかは結構前向きなのだという。もしかすると、既に具体的な願い事でも決まっているのだろうか。

 彼女にも躊躇はあるのだろうが、それは目的を前にして踏ん切りがつくかどうか、に近いのかもしれない。

 あと一歩が踏み出せず、契約まではできていない。そんな具合かな。

 

 何かきっかけを見つけてしまえば、さやかはすぐ魔法少女になってしまうだろうか。

 ……あまり勢いに任せた契約は、おすすめできないんだけどね。

 

「美樹さんもそうかもしれないけれど、鹿目さんは願い事という時点でかなり悩んでいるわね。今はまだ、魔法少女そのものへの憧れだけがある……っていう感じかしら」

「うん。普通の中学生なら、そんなものだろうね」

 

 人生を捧げるほどの願い事なんて、二次成長期の不安定な少女が安易に飛びついて良いものではない。

 戦わないことは、恥ずべきことではないのだ。平和に暮らしてゆけるのであれば、その方がずっとマシである。

 

「憧れだけなら、まどかにはそのままでいてほしいね」

「そうね。願い事は、ちゃんと考えてほしいものだし」

「悪魔に魂を売り渡すようなものだからな」

「悪魔とは心外だなぁ」

 

 話していると、白い猫が沸いた。

 噂をすればなんとやらである。否定しておきながら、結構完璧なタイミングだと思うのだが。

 

 キュゥべえ。

 彼がどこから出現するのかは未だに謎である。

 

 ……ふむ?

 どこから出現するのかわからない白猫……。

 

「……なあ、キュゥべえ」

「なんだい? ほむら」

「……いや、なんでもない」

「?」

 

 いやいや、落ち着こう。

 キュゥべえをマジックに使うことは不可能だ。

 

 そもそも彼は魔法少女の素質がない人間には一切見えなかったはず。

 客に見えないタネを仕込んでも仕方がないだろう。

 

 小物を浮かせる助手としては有能かもしれないが、マミ達にはバレているし……。

 

「すまないキュゥべえ、君は不採用だ」

「わけがわからないよ」

 

 

 

 今日も学校が終わった。

 授業中はマジックの案や小道具作りに余念がなかったので、比較的有意義に過ごせていたと思う。

 

 さて。マミの話によれば、彼女たちの本日の魔女退治は夕方過ぎ、ほぼ夜になってから始めるらしい。

 さすがに毎日放課後からすぐに、というのは負担の多い話だ。そんな日も必要だろう。

 

 そして私はというと、今日は魔女退治でも何でも、好きな事をやって良い日なのだが……。

 

「暁美さん、今日の帰りは……どうかな?」

 

 以前からお誘いを頂いているクラスメイト達との付き合いも、そろそろ疎かにはできないだろう。

 

「ああ、一緒に帰ろうか。約束だからね……付き合うよ」

「キャッ! ありがとう!」

「いいなぁ、暁美さんと一緒に下校」

「ねえねえ、私も良いですか?」

「もちろん構わないけど……私にもやることはあるし、帰るだけだよ?」

 

 一緒に帰り、色々なことを話したいとは思う。

 けれど、帰る途中で寄り道はあまりしたくない。

 さすがに魔法少女としての活動を、完全に疎かにはできないのだ。漠然とはしていても、やるべきことはちゃんとある。

 

「それって、路上でのマジックですよね!」

「え」

 

 何故それを知っているんだ。

 

「昨日見てたんですよぉ! かっこよすぎてもう、ほんと、惚れちゃいました!」

「なんと」

 

 彼女らにも見られていたとは。

 

「ねー。暁美さんって、実はすごいマジシャンだったんだねー。うちもお父さんが見てたよ」

「ナイフとか使ったりねー」

「おお……」

 

 目立ちすぎたか。いや、嫌なことではないんだけど。

 ……さすがにクラス中に広まっているとは思わなかった。

 

 

 

 下校の順路は、一緒に歩く彼女たち基準である。

 見滝原は比較的治安の良い街ではあるが、不審者はどこにでも現れるし、魔女や使い魔の脅威もある。

 そうそう襲われるものではないけれど、私はそんなことも気にしながら歩いていた。

 

「ねえねえ。暁美さんって、いつからマジックやってるの?」

「あー、結構……いや最近」

 

 けれど、集中はできない。

 歩いている最中、好奇心旺盛な彼女たちは、常に質問を投げかけてくるのだ。

 

「やっぱり彼氏とかっていたの? 暁美さん綺麗だし……」

「ふふ、そう見えるかな」

 

 私の過去という、私ですら知らない難問を。

 

「前の学校って普通のって言ってたけど、すごい頭良い所だったり?」

「んー、まあ、そこそこかな?」

 

 知らない。

 純粋さに煌めく瞳が、眩しい。

 

「お父さんとかお母さんって――……」

 

 けど、私は知らない。

 何も知らないんだ。

 

 やめてくれないか。

 当たり散らして、そう叫んでやりたい。

 けど、こんな気持ちは誰も理解してはくれないだろう。

 

 頭にかかる鬱陶しい靄は、私がクラスメイトを送っている最中、ずっと頭を覆い尽くしていた。

 

 

 

「……ふう」

 

 クラスメイト達をそれぞれ家に送っている間に、随分と時間が経ってしまったらしい。

 骨董品店のショーウィンドウに飾られた時代錯誤な時計は、既に夕時になりつつあることを指し示していた。

 

「……暁美ほむら……暁美ほむら」

 

 無意味に自分の名前を呟きながら、深くは知らない道を歩いてゆく。

 見知った場所に着く頃には、既に空に赤みが差しているだろう。

 

 暗い場所では、あまりマジックは見せたくない。

 屋外でやるなら、明るい青空の下で行うのが最高なのだ。

 

 ……ふむ。この後、私はどうしたものだろう。

 

「……そうだ。せっかくだし、このまま隣町まで行ってしまおうか」

 

 向こうでマジックを披露して、私の存在を周知させるのも一興だ。

 隣町ならば、まだ明るいうちに奇術をお披露目できるだろう。

 見滝原では飽きられているかもしれない同じネタも使えるし、一石二鳥だ。

 

「よし!」

 

 気落ちしていたが一転、明るいやる気を湛えて歩きだす。

 さあ。いざ、名も知らぬ町へ。

 

 

 

 隣町だからといって、人の反応はそう変わらない。

 私がハットに花を咲かせるたびに静かなどよめきは起こるし、スカーフをステッキに変えれば目が見開かれる。

 

「はい、盾の中からステッキ~」

「「「おおー」」」

 

 何の捻りもない芸を前にしても、皆喜んでくれる。

 ……このまま私の存在が周知されれば、魔法少女の姿で町中を歩いていても大丈夫なのではないだろうか?

 なんて、面白そうなことを考えてしまう。

 

「はい、盾の中からカットラス~」

「「「おおー」」」

 

 しかしこれ、楽だな。

 考えてみればこれも立派な魔法の一つだけど、盾から物を取り出すだけでマジックが成立するとは……灯台下暗しである。

 

「はい、盾の中から万国旗~」

「「「おおー」」」

 

 私は盾マジックに味をしめ、次回からも使い回す事に決めたのだった。

 

 

 

 

 



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持たざる者の告解

 

 マジックを終えた後は、ゲームセンターの時間だ。

 ゲームは面白い。新鮮でいて、既視感を覚える部分もある。

 しかし“記憶を取り戻さなければ”という焦りが先行しがちで、楽しみきれていない気持ちもあった。義務感とでもいうのだろう。

 

 こちらも、余裕があるわけではない。

 いつまでもクラスメイトからの質問に適当な答えを返すわけにはいかないのだ。

 今の私と昔の私に相違はあるだろう。だが、全てがそのままでいいはずもない。

 私が暁美ほむらである以上、最低限、知らなければならない過去はある。

 

「……ん、んん……」

 

 レバーを使った微調整。

 ほんの少しの操作ミスが死に直結する、緊張感ある戦闘だ。

 

 だがこちらは魔法少女である。

 魔法少女の動体視力をもってすれば、たとえ実弾であろうが避けられない弾などないのだ。

 悪いが、このゲームにも早々に決着を……。

 

「くっ!」

 

 そんなことはなかった。

 おのれ……。

 

「あーあ、また死んだじゃん」

「ラスボスとはいえ……弾が大きすぎるんだ。あんなの避けようがない」

 

 前にも会ったことのある外野少女が現れた。

 どうやらこの子は、いつもこのゲームセンターに出没しているらしい。

 

「あの弾をオーバーに避けてるみたいだけどさ、周りの白っぽいとこに当たり判定はないよ」

「何? 本当か、それなら随分と楽に……ありがたい、良いことを聞いたよ」

 

 よし、ならば早速再挑戦だ。

 勝つまでやってやろう。

 

「あんた、最近ずっとここ入り浸ってるよね」

 

 生憎とプレイ中のために顔は見えないが、外野少女は飴を舐めながら喋りかけた。

 どこかやる気なさげな、曇った声である。実際、さほど私への興味も無いのだろう。

 

「夜遅くまで色々なゲームやってるみたいだけど、家出でもしてんの?」

「んー、夜に時間があるだけさ。結構、暇でね」

 

 最近は私が帰るまでワトソンも外出している事が多いし、家財道具らしい物も置いてないからなぁ……。

 唯一あった振り子時計すら分解する始末だ。いや、あれは私が悪かったか。

 

「その制服、見滝原中だろ? 自分の所にも大きなゲーセンがあるじゃないか」

 

 おっと、さすがに制服で学校もバレてしまうのか。

 色が明るくて目立つし、有名なのかもしれない。

 

「見滝原のゲーセンは、取り締まりが厳しいんだよね」

「ははっ、そういうことね。確かにそうだ、向こうは小綺麗なんだよなー」

 

 ……ふむ、なるほど。確かに弾の白い部分だと当たっていない。

 これなら避けるのも楽だ。というより、知っているのと知っていないのとじゃ天と地ほどの差があると言っても良い。

 むしろさっきまでの私はよくあそこまで避けていられたな……。

 

 よし。手元が楽になってきたので、会話への集中力も蘇ってきたぞ。

 

「君こそ、いつもここにいるだろう。ちゃんと学校に行ってるのか?」

「行ってないよ、行くわけないじゃん」

 

 外野少女はさも当然であるかのように答える。

 清々しいな。そういう小ざっぱりした性格は好みだよ。

 

「私の家、随分前から親がいないからね。全然平気なのさ」

「孤児か」

 

 よし、まだボムは使わない。

 ショットだけで勝ってやる……。

 

「……ま、そーゆーこと。止める奴もいなきゃ促す奴もいない。近くに変に気を遣ってくる奴がいないと、好き勝手できて楽なもんだよ」

「――孤独なだけだ」

「……あん?」

 

 紅い弾を避け続ける。

 その間も、私の口は動き続けた。

 

「楽なのは、いつだって最初だけ。寂寥は、後からいくらでもやってくる」

 

 強くなる度に、全てを守れない無力さに失望する。

 

 強くあろうと願う度に、私と“あなた”の距離は離れて……。

 

「……だから……私は――」

 

 被弾。

 

 自機の魔女が死んだ。

 

 レバーを握る手が、動かない。

 

「おい……?」

「……何故、私はそんな事を」

 

 体が震える。

 記憶が戻ってきたわけではない。

 

 ただ突然に、心で抑えきれないほどに、寂しくなってしまったのだ。

 寂しくて寂しくて、どうしようもない。

 

「……あのさぁ。ラスボスで死んでまで、私に何説教しようってのさ?」

 

 私は後ろの外野に向き返り、苦笑した。

 

「人は……一人じゃ生きていけないってことかな?」

 

 八重歯の可愛いつり目の彼女は、案の定というか当然というか、呆れ顔であった。

 

 

 

「一人で生きるのが寂しいのはまぁ、わかるけどさ」

 

 彼女が操る魔女は私よりもずっと機敏で、すいすいと魚のように弾を避けてゆく。

 

「大切なもん失って、もっと寂しくなってちゃあ世話ないっしょ」

「……心にも良くない、と?」

「そ。何も持たない奴が、一番長生きするもんなんだよ」

 

 ボムが相手の弾を一掃する。

 光線が画面を飲み込み、敵の体力を削ってゆく。

 

「その生き方に、物足りなさを感じることはないのかな」

「さあね」

 

 再びボムが炸裂する。

 ボムは無くなり、自機はショットのみで戦うことを余儀なくされた。

 

「あんたは、何も持ってない人?」

「いいや」

 

 私には友達がいる。

 それは、間違いなく掛け替えのないものだ。

 

「矛盾するようだけど、あるうちには大切にしなよ。……持たないほうが良い、って思うのは、それからさ」

 

 自機の魔女はショットだけで敵を撃破した。

 

「おっと、悪いね。クリアしちゃったよ」

「良いさ。勉強になった、ありがとう」

 

 

 

 暗い帰路。

 アルコール屋の眩しい明かりを目印に、家を目指す。

 スーツの有象無象の流れの中で、私はゲームセンターで出会った少女の言葉を反芻していた。

 

 大切なものを失うくらいなら、持たないほうが良い。

 なるほど一理ある。魔法少女としては、その失望こそが最大の敵と言えるからだ。

 

 願った希望に裏切られたとき、絶望は生まれる。

 それは何も、魔法少女の願いだけではない。人生の様々な場所に存在する、感情の落とし穴だ。

 家族、友人、生きていれば、何だって絶望になり得る。

 美味いチリトマトのスープだって、時として制服の左袖に牙を剥く事もあるのだ。

 人生は何が起こるかわからない。

 

 ならばいっそ孤独に、孤高に、という考え方もわからなくはない。

 人との関わり合いは、時に辛く苦しいものだ。極端ではある。けれど自己防御として、これ以上無い対策だとも思う。

 実際、世の中には見えていないだけで、そうした決心を抱いたままひっそりと孤独に死を迎える者だって、大勢いるのだろう。

 

「うぇいぃ~……そッたれがよぉンのヤロ……」

「……おっと」

 

 今日はわざと人通りの少ない場所を歩いていたのだが、若い女性が看板を抱いてうずくまっていた。

 綺麗なのに、随分と無防備な大人だな。

 

「やれやれ」

 

 私は、一人ではない。

 さやかやまどか、マミも友達だ。

 

 友達は、私が守るべき存在。

 私の手の届く内にある限り、私は彼女達を守ってみせよう。

 私が孤独に生きるのは、きっとそれからだ。

 

「家はどこに? 指差すだけでも」

「ん~……あんたぁ、良いシャンプー使ってんなぁ~……」

「あまり嗅がないで頂きたい……ああ、こっち? 立てないのだから、しっかり掴まっていて」

「ふぁーい……」

「む……締めのラーメンの匂いかな」

「こぉら……」

「おっと失礼」

 

 以前OLを守れなかった贖罪も兼ねて、私は女性を担いで歩きだした。

 

 

 



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第四章 戦車は誰にも止められない
築き上げた礎の重み


「やれやれ、手間取ったな……」

 

 酒癖の悪い女性だった。

 上司の愚痴を耳元で零されても困るというか、なんというか。

 

 私は十四歳だぞ、十四歳。

 社会人の酸いや甘いは、これからワンステップもツーステップも後で経験することだ。

 男社会で生きる大変さには同情するけれど、まだまだ夢見る乙女でいさせてほしいものだね。

 

 厄介な人ではあったが、どうにか家……であろう場所には、送り届けられたと思う。

 彼女の誘導のままに背負っていたので、彼女が“ここでいい”と言ったあそこで合っていたら、ではあるが。

 申し訳ないが、私にそれ以上の面倒は見れない。

 最後の最後で薄情だったかもしれない。けど、他人との距離感はそんなものだ。

 

「……あら」

「ん」

 

 人気のない公園を横切って歩いていると、偶然にマミと出会った。

 魔法少女の姿のままなので、魔女と戦っている最中だったのかもしれない。

 

「こんばんは、暁美さん」

「やあ、遅くまで大変だね、マミ」

「ええ……暁美さんは魔女退治じゃないの?」

 

 にこやかに訊ねてくるマミを見るに、他意はなさそうだ。

 マミは本心から、魔法少女の縄張り意識というものを重要視していないのだろう。

 

「私はただの夜遊びさ。おかげで、ソウルジェムも万全じゃないけどね。グリーフシードもストックもほとんど無いし、明日辺りにはそろそろ活動するかも」

「そう……じゃあこれ、使っていいわよ」

 

 マミからグリーフシードが投げられる。

 黒っぽい色が夜に溶けて焦ったが、私は平静を装い、華麗に受け取った。

 

「悪いね、ソウルジェムの濁りは放っておくわけにはいかないからな……いつか借りを返さないと」

「……良いのよ、同じ魔法少女なんだから」

「そういうものか」

「私は、そうありたいと思っているわ」

 

 なるほど。

 まぁ、持ちつ持たれつも良いものだからね。

 ただ私としては、友人であれ親友であれ、貸し借りだけはちゃんとしないと駄目だとは思うよ。

 

 

 

 夜のベンチに腰掛けて、暫し休憩。

 こんな時間とはいえ、偶然マミと出会えたのだ。魔法少女同士、少しは駄弁っていても良いだろう。

 

「はい、買ってきたやつ」

「あら……ありがとう」

 

 変身を解いたマミに、缶コーヒーの片割れ(税込120円)を差し出す。

 肌寒い夜には、丁度良いはずだ。

 

「マミとはよく隣り合う仲だね」

「ふふ、そうね」

 

 缶コーヒーを両手で包みこみ、マミは微笑んだ。

 やはり一つ上だ。笑顔もどこか大人っぽい雰囲気がある。

 私はどうだろうか。鏡の前で練習してはいるけれど、マミの大人っぽさはなんというか、真似できる気がしないんだよな。

 

「……はぁ、肌寒くなってきたわ」

「だね。これから、どんどん夜は冷えていくだろう」

 

 缶コーヒーの芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。

 だがしばらくは、手の中で懐炉になってもらおう。

 

「ねえ暁美さん、魔法少女の願いって、どんな願い事にすればいいのかしら」

「ん?どうしたんだいきなり」

「ちょっと、ね……」

「ふむ」

 

 缶コーヒーを頬に当てて考えてみる。

 ゲームセンターの少女と交わした会話もあってか、答えはすぐに浮かんできた。

 

「何でも良いんじゃないかな」

「そんなことはないと思うけど……」

「まぁ、そうだね。けど、自身が魔法少女であることに納得がいく願い事、というのは、そもそも不安定な土台なんだよ」

 

 あの子が言っていたリスクの回避に近いものがあるだろう。

 孤独であるべし。願い事に依存するべからず。そういうことだ。

 

「うーん……」

「魔法少女である自分を前提として、ついでに願い事を叶える。長続きさせるなら、私はきっとそれが一番だと思っているよ」

「……そうね……そうよね、後悔が無いという意味では、それが一番よね……」

 

 コーヒーを一口飲む。苦い。

 

 ……ふむ、しかし魔法少女の願い事、か。

 魔法少女として理想的な願いとは、なんだろう。ちょっと考えてみようかな。

 

 まず最も大切なのは、納得だろうか。

 願い事を、可能な限り納得できる形で使えなければ精神衛生上、不利になるだろう。

 それも、できれば他人のためではなく自身のために使うことが望ましい。

 

 だがそれはほんの序の口。そんなことは大前提と言えることで、それ以上に願い事に固執しない生き方をすることが良いだろう。

 何でも叶う願い事とはいえ、それを替えのきかない大黒柱として一生をソウルジェムに捧げることができるか、といえば、実に怪しいのだ。

 途中でものの考え方が変われば、たちまちに後悔となってソウルジェムを汚染するだろう。最善ではない。

 

 例外は、自身の延命や治療だろうか?

 それならば、わかりやすい上に納得もできるかもしれない。選択肢がないとも言えるが……。

 

 まぁ、願い事は通過点だ。それからのライフスタイルこそ、私は重要だと思うね。

 魔法少女としての長寿を望むのであれば、大切なものを持たず、その日暮らしで享楽的に過ごすことが一番だ。

 魔法の力を振るい、さながら魔王のように冷徹に、世間に君臨し生きる。

 壊れて困るものを身の周りに置かず、孤高に、孤独に、しかし楽しく過ごすのだ。

 

 ゲームセンターの彼女が言うその生き方こそが、極端ではあるが最も健全な魔法少女としての姿と言えるだろう。

 とはいえ、私はそれほどまでになりたいとは、さすがに思わないけどね。

 

「ねえ、暁美さんは……どんな願い事で魔法少女になったの?」

「……」

 

 ああ、また聞かれたか。

 さて。どう答えたものだろう?

 

「……私の願いは、さあ、なんだろうな」

 

 変身し、衣装を身に纏う。

 それと同時に時を止め、ハットとステッキも傍らに用意した。

 

「……その盾は、暁美さん自身を守るためのもの……そう言っていたわね。他の人を守るようにはできていないって」

「盾は自分用。ステッキはまやかし。ハットもおかざりさ」

 

 頼もしさには欠けるが、便利ではある。それに、ミステリアスな能力だ。

 私としては、嫌いな能力ではない。

 

「暁美さん、弱くはないはずだけれど」

「弱いさ。私には元々、魔法の素質が大してなかったのだろう」

 

 それは本当。

 時が止められるのは私の能力だから良いとして、結界を張れないというのは魔法少女らしからぬ事なのだ。

 ちょっとした傷を治すのでも結構な魔力が必要になるし、身体能力にも底が見える。

 パラメーターで表示してやれば、さぞ残念な多角形が見えることだろう。

 

「きっと願いも、大したことではないのだろうさ」

 

 まぁ、未だに思い出せないんだけどね。

 それに近頃は願い事以上に、夢の中で見た数々の思わせぶりな景色に興味がある。

 

「じゃあ、マミの願い事は何だったんだ?」

「私は……事故で死にそうになったところを、キュゥべぇに助けてもらったの」

「ああ……」

 

 なるほど。選択肢が無かった口か。

 それは、大変だったろうな。

 

「一も二もなく、契約したわ。……命は大事だものね」

「ああ、命は大事だ」

「けどね、契約して後悔したことなんてないのよ? 人の弱さにつけ込む魔女を倒して、街を守る……それが、魔法少女としての誇りだと思うから」

「うん。立派だと思うよ」

「……ありがとう。誰かにそう言ってもらえると、嬉しいな」

 

 マミは手元のコーヒーを擦りながら、恥ずかしそうに微笑んだ。

 ……コーヒーが冷めてきた。そろそろ、飲んだ方が良いと思うのだが。

 

「ねえ、暁美さん」

「ん?」

 

 缶コーヒーを飲み干そうとした時、マミは訊ねた。

 

「因果で魔法少女の素質が決まるって本当?」

「ああ、そうだが」

 

 うーむ、缶の飲み口の所に少し溜まっているコーヒーが気になる……けど、人前で啜るのは格好がつかないか。

 

「因果って何?」

「決まってるだろう、それは……」

 

 ん? 因果って何だ?

 

「さあ、なんだろう」

「……え?」

「運命、ということなのではないかな。ごめんね、私も魔法少女システムの根幹まで知り尽くしているわけじゃないから」

「そう……暁美さんも、深くは知らないのね」

 

 断片的に忘れてるだけかもしれないけどね。

 いつか、何かの拍子に思い出さないものだろうか。

 

「でもマミ、どうして因果なんて気にするんだい」

「……えっと、暁美さんが気付いているかはわからないんだけどね。鹿目さんには、途轍もない魔法少女の才能が眠っているらしいのよ」

「へえ? まどかに、魔法少女としての素質……ねぇ」

 

 意外だ。あのおっとりぼんやりな子が魔法少女になるというだけでも想像がつかないのに、途轍もない素質ときたか。

 なるほど、それで因果、と。

 

「ええ。キュゥべえも言っていたし、私も鹿目さんの中に眠る魔力は感じるわ。キュゥべえが言うには、史上最強の魔法使い、ってことらしいけど……」

 

 へえ、史上最強。……私は全然わからなかったよ。

 本当に私の才能はへっぽこなんだな……。

 

「まどかに強い因果が関わっているということだね」

「そう。因果っていうのが関係しているとするならだけどね……」

 

 あの平凡な子にどんな因果が詰まっているのか、正直全くわからない。

 

 私の目から見たまどかは、優しくて、おっとりしてて、ぼんやりしている……そんなイメージだ。

 確かに演歌を聞いていたり、たまに挙動不審になったりするところはあるかもしれない。

 けど、一般人と言ってなんら差し支えないと思うんだがね。

 

 ……しかし、そうか。まどかの因果が強い……。

 

 あ……ということは、つまりだ。

 魔法少女の才能があるってことは、要するにその逆も……。

 

「……む、むむ、まずい、な」

「え?」

 

 私はベンチから立ち上がると、顎に手を当てて悩んだ。

 意図的に良い感じのポーズを取って悩んではいるが、しかし内心はわりと本気である。

 

「それはマズい、非常にマズい」

「どういうこと? 暁美さん」

 

 む? ここまで条件が揃っていて、マミは気付かないのか。

 

「まどかが一体全体、どの程度強い魔法少女になるのかはわからない。けれど、マミやキュゥべえの見立てが本当なら、間違いなくまどかは最強の魔法少女になるんだろう」

「そうね」

 

 素質のある少女がキュゥべえと契約すれば、その魂はソウルジェムとなる。

 しかし、ソウルジェムはそれだけのシロモノではないのだ。

 

「私が懸念しているのは……それに合わせて、まどかが魔女になった時のリスクが跳ね上がるんじゃないかなってことだよ」

「え?」

 

 マミはどこか気の抜けたような声を上げたが、このリスクは無視できるようなことではない。

 

「あの子は流されやすそうだからな……今のままだと、願い事を叶えたとしても、それに対して絶望や失望を抱くかもしれない。彼女、そういう部分は脆そうだから、特に心配だよ」

「……」

「魔法少女としてやっていける間は良いだろうけどね。史上最強の魔法少女なんて、心強い限りだし。でも、ひとたびソウルジェムが濁りきれば、まどかは最悪の魔女に変わり果ててしまう……それは、なんともまずい話だ」

「あの、あの……暁美さん」

「ん?」

 

 そういえばさっきから随分と静かだったね、マミ。

 

「あの。魔女って……?」

「ん? 魔女は、魔女だけど」

 

 質問の意図が読めない。何か行き違いでもあったかな。

 

「その、あのね。鹿目さんが魔女に……?」

「だから、今すぐ魔女になるわけでは――」

「ごめんなさい、そうじゃなくて、えっと……」

 

 歯切れが悪いな。急かすつもりはないけど。

 もしや具合でも悪い? トイレ? けどコーヒーを飲んだわけでもない。

 

「どういうことだ?」

「ごめんね、こっちが聞きたいのよ……」

「だから何を?」

「待ってよ、どういうことなのよ」

 

 気がつけば、彼女の声は震えていた。

 マミは静かに立ち上がり、じっとつま先を見つめている。

 

「意味が、わからないわよ。どうして、鹿目さんが魔女になるのよ……」

「……ああ、そういうこと」

 

 言葉の綾というか、相互不理解のようなものがあって混乱していたけれど、なんとなく察した。

 どうやら彼女は、知らなかったようだ。

 

 魔法少女が、いずれ魔女になるということを。

 

 ……これは、魔法少女の基礎知識だと思っていたんだけどな。

 

「私達、魔法少女が持っているソウルジェム……これが濁りきったとき、私達は魔女に生まれ変わる。魔女というのは、つまり魔法少女の成れの果てということだよ、マミ」

「……」

「まぁ、どうしてそうなるのか、っていう詳しいことはキュゥべえの方がもっと詳しいだろうから、私からは説明できないんだけどね」

「……」

「ん、知りたかったことはこれだろう? マミ」

「……知りたくなかった……」

 

 涙交じりに掠れ出た声。

 

「そんなこと……知りたくなかった……」

「……」

 

 私はこの時になってようやく、その真実がマミに少なからぬ衝撃を与えていたことに気がついた。

 

 



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私がここにいる

 

「私……今まで、ずっと……何体も何体も……何人も、魔女を倒してきた……」

「素晴らしいことだが……」

 

 褒めて良いのか。慰めれば良いのか。

 どうやって? わからない。

 

「魔女を倒せば、皆のためになるって……でも、魔女が、魔法少女だなんて……みんな、みんな、元は、魔法少女だったってこと……?」

「それは……有意義なことに変わりはないと思う。マミはこれまで、ずっと」

「ずっと。殺し続けてきた。……魔法少女を……」

 

 そうじゃない。気負う必要はないだろう。

 魔女は魔女だ。魔女になった時点で、魔法少女は存在しないんだ。

 それはマミが気にすることではない。

 

「魔法少女って、魔女になるの? じゃあ、今までの魔女も……これまでに人を苦しめてきた全ての魔女も、全部……?」

「マミ」

「私のやってきたことって……何だったの?」

 

 頼むよ。話を聞いてくれ。

 

「私が倒してきた魔女は……魔法少女だったのよね……」

「ものによっては使い魔だ」

「私がこの手で……?」

「おい、マミ大丈夫か」

 

 彼女の震える手を見て、いよいよもって不味いのだと思い知る。

 己の両手を見比べて慄く後ろ姿は、いつになく危うく見えた。

 

「落ちつくんだ。魔女は魔女であって、魔法少女ではない」

「……」

「魔法少女が魔女になった時、それはもはや、戦う事をやめた“死”の時だ」

「……」

「魔法少女のソウルジェムが限界まで濁り、魔女になる…確かにそれは世界にとって痛手となるだろうが、その新たなる魔女を抑制することも魔法少女としての務めだ」

「……」

「マミ…」

 

 その瞬間、彼女から黄色い閃光が瞬いた。

 私は咄嗟に盾を構え、防御姿勢を取る。

 

「ッ――」

 

 そして金属が弾かれる音と共に、私は数歩ほど後ろに後退した。

 

 自分の意思で下がったのではない。

 盾に直撃した弾丸のエネルギーによって、押しやられたのだ。

 

 

「――冷静になれ、マミ」

「うっ……うううっ……!」

 

 左手の盾から、弾丸のエネルギーの余波が煙として棚引いている。

 薄い煙の向こうには、マスケットの銃口をこちらに向けるマミの姿があった。

 

 両目から涙を溢れさせ、嗚咽を堪えて、しかし据わった両目は、私を捉えている。

 

「マミ、」

「魔法少女は魔女なのね……! あなたも、私も……いつかは、魔女になるしか……!」

「マミ、それは」

「だったら、魔女を全部……魔法少女を全部消すしか、ないじゃないッ!」

 

 何を言ってもどうしようもない目をしている。

 私がしばらく留まっていた病院の隣の部屋の患者がこんな目だった。

 

 いや、そんなことを考えている余裕はないか。

 彼女は末期の病人ほどに大人しくない。

 逆に言えば、処置が施せないほどに救いようもない相手でもないのだ。

 

「言うよりも。頭を冷やさせるほうが早いかな、マミ」

 

 ハットを被り、ステッキを差し向ける。

 

「うわあぁあぁああああッ!」

 

 涙混じりの絶叫。

 引き金が引かれ、強烈な閃光が瞬く。

 

 だが。

 させるものか。

 

 時を止める方こそ、まさにノータイムだ。

 

「リトライさせてもらうよ、マミ。今度は、本気でね」

 

 

 *tick*

 

 

 マミの銃撃は強い。拘束能力に秀でたリボンも便利なものだ。

 けれど、それは既にタネが割れている。

 

 警戒すべきは弾丸とリボンだ。

 わかっていれば、私の敵ではない。

 

 

 *tack*

 

 

「っ……!」

 

 マスケット銃の弾丸は公園の闇を貫いた。

 

「1.ミスディレクション」

「……!?」

 だが、私はマミのすぐ隣に移動していた。

 解説をするまでもない。ただ、私は能力を使いながらマミのすぐ側まで歩いただけだ。

 彼女の隣。それが私の定位置だからね。

 

「“こいつの力は一体?”君はそう考えているだろう」

「わぁああああッ!」

 

 至近距離にて伸びるリボン。それは私を捉えようと、素早く絡みつこうとする。

 が、予想の範囲内だ。わざわざ捕まってあげる義理もない。

 

 

 *tick*

 

 

 今のマミは錯乱状態にある。

 なんとかして、手荒な真似をしてでも目を醒まさせる必要があるだろう。

 

 

 *tack*

 

 

「捕まえッ……!?」

「2.ジャック・ザ・ルドビレ」

「くっ……!? 鎧!?」

 

 先程まで立っていた場所には中世の鎧騎士が配置され、リボンの餌食となっていた。

 私は高めの電灯の真上に移動している。リボンもすぐには届かない安全圏である。

 

 マミとは一度戦ったのだ。

 攻撃パターンがわかっている以上、対策は難しくはない。

 

「“瞬間移動? 物質移動? 両方?” ……マミ、冷静に物事を考えられるようになったかな?」

「降りてきなさい! 私のソウルジェムが濁りきる前に、あなたを殺さないと……ッ!」

「だめか」

 

 リボンで雁字搦めに縛られた中世の騎士が、強引に投げられ、こちらへ飛んでくる。

 中身には石材と金属が詰まっているというのに、なんて力だ。

 

 ……やれやれ。

 

 

 *tick*

 

 

「マミのことは、もっと冷静な魔法少女だと思っていたんだけどな」

 

 空中で面白おかしいポーズを取っている鎧騎士をワンクッションにして、地上へと降り立つ。

 そうして元のベンチに腰をかけ、ステッキを持ち、ずれたハットを被せた。

 

 

 *tack*

 

 

「落ちつけマミ、魔法少女が今すぐ魔女になるわけではないだろう」

 

 

 ベンチから声をかけると、マミはすぐさま振り向いた。

 その表情は、お世辞にも落ち着いているとは言えない。

 

「嘘よ! みんな最後には魔女になる! 今まで人々を苦しめていたのだって……! なら今すぐ……今すぐみんな!」

「冷静になれば君の言っていることがめちゃくちゃだと……おっと」

 

 

 *tick*

 

 

 危ない危ない。話している最中に速射を仕掛けてくるとは恐れ入った。

 マミめ、銃の狙いだけは正確に私の左手のソウルジェムに合わせているな……。

 

 狂っているようで、戦闘面では狂っていない。

 長年の染み付いた戦闘経験からだろうか。味方であれば頼もしいが、厄介な人だ。

 

「けど、言って聞かせてわからないんじゃ……次は、痛めつけてみるしかないか」

 

 どこかで聞いた言葉だっただろうか。まあいい。

 子供はそうして強くなるのだ。マミには少し、痛覚を持ってして、自覚してもらうとしよう。

 

 私はゆっくりベンチから立ち上がると、右に数歩だけ歩いた。

 

 

 *tack*

 

 

 マスケットの弾丸は、虚しくベンチに突き刺さった。

 

「―― 3.殺人ドール」

「いッ……!?」

 

 そして、マミの腕には果物ナイフが突き刺さっていた。

 

「っ……ぁああっ……!?」

 

 少し心に響くような悲鳴を聞いて、ちょっとやり過ぎたかとは思ったが、仕方あるまい。

 向こうは本気で殺しにきているのだ。こちらもそれなりの手で立ち向かわなければ、やられてしまう。

 

「静まれマミ、近所に迷惑だ」

「うぐっ、ううっ、あ、暁美さん……ううう……!」

 

 マミはその場にうずくまり、血の滴る腕を押さえている。

 漏れ出るうめき声はか細く、しかし段々と落ち着いていった。

 

「血を流して落ちついたか?」

「……うう……」

「よく考えてもみるんだ、マミ。私達魔法少女がいなくなれば……」

「――魔女はいなくなる」

 

 足首に違和感。

 

「……くそったれ、やりやがったな」

 

 ……やられた。

 

 私の後方。

 ベンチに空いた風穴から伸び出た一条の黄色いリボンが、いつの間にか私の左足首を捕えていた。

 

「これ、は」

 

 強く足を引いてみても、突き出してみても、うんともすんとも……言うことは言うが、リボンは私を離してはくれない。

 

「暁美さんって本当にすごいわ。瞬間移動かしら? 物でも自分でも自在に、いろんな場所に動かしてしまうんだもの」

「拘束を解くんだ、マミ」

 

 鏡を見て欲しいな。自分の顔を覗いてみなよ。特に目。怖いぞ。

 

「でも、前はこうして縛っちゃえば動けなくなったわよね? ……ふふ、なら今回もそうしてみようって、そう思ったの」

 

 マミの左手にマスケット銃が構えられる。

 撃って来るつもりなら……。

 

「前と同じって言ったでしょ? 盾は使わせないわ」

「!」

 

 抵抗する間もなかった。マミの右手から伸びるリボンが、私の左腕を盾ごと縛り付ける。

 

「ついでに、その怪しいステッキもね」

 

 そして二代目の紫ステッキすら、銃によって吹き飛ばされてしまった。

 

 いや。けどステッキは壊すことないじゃないか。

 前もだけど、私のステッキに何か恨みでもあるのかい。

 粉々だ。また買い直さなくては。

 

「……マジックショーごっこはおしまいよ」

 

 ここから、生きてどうにかなればの話だけど。

 

 足は捕まった。盾のある左腕も動かせない。右腕は頼りない。

 ならば、懇切丁寧に説得するしかないか。

 

「マミ。グリーフシードを安定的に集めることができれば、魔法少女が魔女になることはない」

「いつかは絶対になるわ、そういつまでも続けられることじゃない」

 

 確かに。しかし終わり方は自分で選べるはずだ。

 

「けど、魔女になる時が来たなら、自分でソウルジェムを砕けばいい。そのマスケット銃を使ってもいいだろう」

「全ての魔法少女がそうするわけじゃないわ」

「私はそうする」

 

 嘘じゃない。私は、魔女になるくらいなら自害する覚悟がある。

 

「信じないわ」

「絶対にそうする」

「暁美さんのこと、私は、ぜんぜんわからない、何も信用できないわ」

「私を信じろ」

「良いの、もう良いのよ。貴女を殺して、私も死ぬわ、それで魔女の元凶を二匹も仕留められるなら……」

 

 マミの周囲に、いくつもの銃が浮かび上がる。

 前回の決闘の再現というわけか。

 

 でも、マミ。前はただの、力を見るだけの決闘だったけど。

 今回は違う。今回だけはね、君に譲れないものがあるんだよ。

 

「マミ、魔法少女は希望を振り撒く存在なんだろう?」

「希望なんてない! みんな死ぬしかないじゃないっ!」

 

 そんな悲しい顔をするな。

 

「希望はある! 私を信じろ! マミ!」

「黙ってよ! そんなの信じないッ!」

 

 泣くな。

 

「4.ザ・ワールド!」

「ぁああああぁああああぁッ!」

 

 一斉射撃。目も眩むほどの無数の光弾に、右手を伸ばす。

 そして、叫ぶのだ。

 

「時よ止まれ!」

 

 私が願った奇跡の一端を。

 

 

 

 *tick*

 

 

 

「嘘……」

 

 時間の止まった世界。

 そこには、私だけでなく、左腕の盾を拘束するリボンでつながれたマミも一緒にいた。

 

 私に接触していたものもまた、時間停止の影響を受ける。

 彼女はそれに巻き込まれた形だ。

 

「魔法少女が条理を覆し、希望を振りまく存在なのだとしたら。条理を見て絶望するなんて、バカバカしい事だと思わないか」

 

 私の目の前には、黄色いエネルギーの弾丸が止まっている。

 約二十発。それらは前に進むことなく、完全に固定されていた。

 

「なにこれ……え!? どういう……!? なんで弾が止まって……!?」

「決まってる。魔法少女が起こす奇跡、魔法少女という存在」

 

 右手で後ろ髪を払い、彼女に微笑みかける。

 

「それこそ、私の魔法なのさ」

 

 同時に盾を開き、反った幅広の刃を突き出した。

 盾自体から伸びた鋭利な刃物。それによって、マミと私を繋ぐリボンは断ち切られる。

 

『……』

 

 そして、私から離れたマミの時も停止した。

 

「ふう。しかしまさか、引っかかって取り出せなくなったこいつが役に立つとはね」

 

 私の盾から刃を覗かせる、物騒な三角刃。

 こいつは私のアパートの天井に下げていた振り子ギロチン時計の、ギロチン部分である。

 

 頑張って盾の中に入れたはいいものの、出すことができなくなり、中途半端に顔を出すナイフのようになってしまったのだ。

 どうしたものかと悩んでいたのだが……。

 

 まぁ、結果オーライだ。

 舞台裏はどうであれ、奇跡は起きたのだから。

 

 

 *tack*

 

 

「……!」

 

 マミの正面から吹き抜けてゆく、色とりどりの紙飛行機。

 その上に乗せたパンジーの花弁が、ひらりひらりと宙を舞う。

 

 幻想的な光景だ。

 ささやかなマジックだが、荒い一呼吸を奪うには、きっと十分な見世物だったのだろう。

 

 正面に私の姿はない。

 私は足を拘束するリボンも断ち切って、マミの背後に移動していた。

 

「マミ、魔法少女に絶望することはない」

「……」

 

 彼女はこちらに振り向かない。

 

「グリーフシードを集めるのは辛いし面倒だが、マミ。君のやっていることは間違いなく人助けだよ」

「……」

「魔法少女が魔女になるからどうした。人を襲う魔女を野放しにしていいのかい? 正義の味方は、仲間割れしている暇なんてないよ」

「私は……」

「限界まで魔女と戦って、限界を感じたらソウルジェムを砕く。私はそうする」

「私はっ……!」

 

 むにゅ。

 彼女が振り返ると思っていたので、私はあらかじめマミの頬に人差し指を置いていた。

 やわらかな頬に指が食い込む。

 

「……」

「君もそうしろ。私たちは、それだけでいいだろ」

 

 変な顔だ。

 

「うっ……うううっ……うううう~っ……」

 

 本当に変な顔だ。

 

 

 

 私達は魔法少女だ。

 

 たしかに、魔女になるという悩める未来を背負ってはいる。

 今現在、世界に存在する魔女もまた、そうして生まれたものであるのだろうし、元凶は魔法少女とも言える。その因果関係に苦悩するのも、仕方はない。

 

 けど、それでも今この世界を守れるのは、魔法少女しかいないのだ。

 

 ならば私達が死ぬまで、私達は希望を振りまく存在であり続けよう。

 

 少なくとも、マミにとってはそれが一番の生き方だ。

 

 

 

 結局この夜、マミは私の缶コーヒーを飲まなかった。

 苦いものは苦手だったのかもしれない。

 

 次からは、もっと甘いミルクティーにしてあげよう。

 

 



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過ぎたる杞憂

 

 そこは夜。

 

 ぼんやりと霞む視界。

 それでもわかる、月の大きな夜だった。

 

 眠気が襲い来る。

 途切れそうになる集中力を、気力で保たせる。

 

 震える手を噛み、血を流す。すると痛みが離れかけた感覚を呼び戻す。

 

 そして再び、針の穴に糸を通し続けるような、繊細でいて単調でいて、失敗できない膨大な作業に身を投じるのだ。

 

 見上げれば、そそり立つ湾曲した壁面。

 私は血の滲んだ手で、その壁に配線と設置を施してゆく。

 うわごとのように呟きながら、何かを築いてゆく。

 

 たった一人で。何分も。何時間も。

 

 夜が明けるまで――。

 

 

 

 

「朝じゃん」

 

 目覚めると、やっぱり朝だった。

 夜ではない。どうやら、机の上で作業したまま、腕を枕に寝落ちしていたようだ。

 

 ふむ、寝る時くらいソファーの上で、ブランケットを被りながらゆっくりしたいものだが……それは今日の夜に回すとしよう。

 今は、朝食を食べたら学校の支度を済まさなければ。

 

 ……って、時間もかなり切羽詰まってるじゃないか?

 おかしい。レム睡眠は浅い眠りだって聞いたはずなのに。

 

「急がなくては……うぐっ」

 

 起き上がろうとして、首に激痛が走る。

 

 寝違えた。

 机の上で手品の小道具の仕込みをしたまま眠った反動がここに来たらしい。

 

「寝不足だけで勘弁してほしかったな……」

 

 仕方ないので、首を傾げたまま早めの朝食を取る。

 取ろうと思ったが、首が傾いたままでは啜るという動作が難しい。

 

「やれやれ」

 

 私は早々に朝食を諦めて、さっさと身支度だけ整えることにした。

 斜めの角度のままに、姿見で自分を微調整。

 

「うーん、頬に跡ついてる。学校までに消えるかな……」

「にゃぁ」

「んー? そりゃもう当然さ。これが残ってたって、私が格好良いのは変わらないし……」

「んにゃんにゃ」

「はいはい、朝ごはんね。わかってるよ」

「にゃ」

 

 今日も朝早くから慌ただしいが、上手い感じにやっていくとしよう。

 

「じゃ。いってくるね、ワトソン」

「にゃ」

 

 

 

 通学路にて、首を傾げながら考える。

 

 昨晩のマミの暴走。

 あの後、実質的にあれを引き起こした私の思慮の浅さといったら酷いものだなと、すぐに反省した。

 

 “魔法少女はいずれ魔女になる”。

 

 なるほど、真実を知らない魔法少女がいきなりその事実を突きつけられても、困惑するに決まっている。

 人によっては酷いショックを受けるかもしれない。

 私には、その辺りの配慮が全く足りていなかったのだ。

 

 これからは、もっと気をつけて喋らなくてはならないだろう。

 ……そう考え始めると、他にも口から滑らせてはいけないものがありそうだ。

 

 ……知らないうちに私、誰かを傷つけていないかな。

 ちょっと不安だ。

 

 いや、しかし。それはそれとしてだ。

 

 マミは今、大丈夫だろうか。

 昨日はあの後、泣きじゃくるマミに成功率四十%弱のカードマジックを披露するなど、彼女をあやし続けたのだが、効果があったのかは不明だった。

 一応、彼女の部屋まで送りはしたけれど……今頃、自宅でソウルジェムを真っ黒にさせていたらと思うと気が気でない。

 私は首を傾げているが、これは疑問というより懸念である。

 

 うーむ、思い悩むことの多いこと……。

 

「おっ?」

「くるっぽー」

 

 歩いていると、以前におんぼろな教会前で見かけたやつにそっくりの、白い鳩と出くわした。

 よし。さっそく捕まえよう。

 

 

 

 時間停止は使わない。

 変身もしない。

 ただ強化した身体だけで、鳩を追う。

 

「待てー!」

 

 待てと言って待つわけもない。

 鳩は私を小馬鹿にするかのように、颯爽と町中を低空飛行してゆく。

 

 学校側に追い詰めようとしていたつもりが、随分な遠回りになりつつある。

 鳩はそれだけ素早く、タフだった。

 

 すれ違う朝の通勤スーツ共は、どれも似たような浮かない面持ちで歩いている。

 彼らは全力で鳩を追う私をちらりと見て、“おかしなやつだ”と顔をしかめてみせたり、“気楽でいいな”とため息をついたりしている。

 

 だが、そのような視線など、私にとってはどうでもいいことだ。

 私にとって今一番重要なのは、鳩なのだから。

 

 夢を追いかけて、何が悪い?

 

「……あっ」

 

 なんて馬鹿正直に追いかけていたら、必死に逃げていた鳩が大きな建物の窓に侵入してしまった。

 あれは何階だろうか。ともかくまずい。

 

「だが、袋のネズミとも取れるか……? いや、でもさすがにもう時間が……うううむ……」

 

 よし、決めた。

 

「ちょっとくらいなら遅刻しても平気だろう」

 

 なんたって、私は優等生だからね。

 

 

 

 

 

「……ほむらちゃん、まだ来てないんだね」

 

 一限目が終わった教室は、短い中休みによって緩めの空気が漂っている。

 そんな中でまどかとさやかの目についたのは、容姿端麗な転校生の空席だった。

 

「確かにねぇ。何の連絡もしないで休むなんて……ほむら、何かあったのかな」

「……大丈夫かな。魔女とか……何かあったんじゃ」

 

 魔法少女の活動は、危険なものだ。

 ここ数日の魔女退治見学によって、二人とも正しい認識を持ちつつある。

 

 魔女の結界の中で死んだ場合、遺体は見つからない場合がほとんどだという。

 何気なく教わった一つの言葉が、どうしてか今、まどかの頭から離れなかった。

 

「うーん……まだ一限目が終わったばかりだし、なんとも……」

 

 さやかが言ったその時、教室の戸が開く音がした。

 誰かが来たのだ。

 二人はほとんど反射的に、そちらへ顔を向けた。

 

「……おはよう」

 

 が、それは暁美ほむらではない。

 先輩であり魔法少女の、巴マミだった。

 ひとつ下の学年の教室を訪れた彼女は、その整った容姿もあってクラスから注目されていたが、視線は何かを探すように、室内を泳いでいる。

 

「マミさん! おはようございます」

「おはようございます」

「お、おはよう、美樹さん、鹿目さん……ええと、暁美さんは?」

「ほむらは今朝からいないんです……欠席とか遅刻とか、何も言ってないみたいで」

「マミさん、何か知りませんか?」

 

 同じ魔法少女なら、知っているかもしれない。

 だが、マミの表情は明らかに寝耳に水といった風であった。

 

「え……私は、知らないけど……心配ね、どうしたのかしら」

 

 まだ学校に来ていない暁美ほむら。

 友人の二人は純粋に心配しているようだったが、昨晩の出来事の当事者であったマミとしては、内心気が気でなかった。

 

(暁美さん……? まさか、そんな……昨日の事で怒っているのかな……そうよね、当然だわ。あんな、乱暴な……錯乱したからって、いくらなんでも……)

 

 昨晩のマミは疲れ果ててすぐに眠ってしまったが、目覚めた朝には強い後悔に襲われていた。

 唐突に知った魔法少女の真実。それにもまだ整理はついていない。

 だが何よりも、同じ魔法少女であるほむらを、動転していたとはいえ殺しかけたという事実が、自分のことながら信じられなかったのだ。

 それでも、しっかりと記憶はある。殺意を持って、撃ったことも……。

 

(私、やっぱり危ないからって……見捨てられちゃったのかな。……でも、そんなの当然よね……私、昨日暁美さんのこと、あんなにひどいこと)

 

 思い悩むマミの背後に、ひょいと人影が現れる。

 

「おはよう、マミ」

「ひいっ!?」

「うおっ」

「ほむらちゃん?」

 

 “みんな何をそんなに驚いているのだろう”。

 そんな顔をして現れた彼女こそ、話題の渦中にいた魔法少女、暁美ほむらであった。

 

「おはようほむら、心配してたんだぞー?」

「何かあったの? ほむらちゃん。もしかして、病気とか……」

 

 呆然としたまま未だ復帰しないマミをよそに、ほむらは二人を安心させるように薄く微笑んだ。

 これといって変わった様子はない。いつも通りの自然体の彼女である。

 

「いいや。ジョギングしてたら遠回りしてしまったようでね。私は平気だよ」

「すげえ健康的……ってアンタ病弱じゃなかったんかいっ」

「走れば大抵の病気は治るものさ」

 

 さやかはビッと立つ親指を、胡散臭いものを見るような目で見つめていた。

 

「ところでマミ、そこどいてくれないと私が教室に入れないんだが」

「あ、暁美さん……」

「ん?」

 

 この教室では大っぴらにし辛い話題であると、マミはテレパシーに切り替える。

 

『あの。昨日の……怒ってない?』

『別に』

『……ごめんなさい私、どうかしてたわ……ううん、ショックが大きすぎた、……いえ、私が脆すぎたのね。頭がパニックになっちゃって、それで……』

『え? コーヒーの話じゃないの?』

『え?』

 

 

 



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誰にも見えない答え

 

 マミの精神状態は、平常とはいえないだろうが、

 

「では暁美、この都とはなんという名前だったか、答えてみなさい」

「平城京」

「平安京だ。ちゃんと聞いておくように」

「はい」

 

 平安とはいえないだろうが、ソウルジェムを急激に濁らせるほどのショックは受けていないようだった。

 私と話している時には少し心を乱しているようだったが、それも些細なものだろう。

 

 とはいえ、彼女の精神を脅かしたきっかけは、間違いなく私だ。

 自分の不始末だ。彼女の心のケアは、私がやっておかねばなるまい。

 

 ふむ、しかし魔法少女が魔女になるというシステム……。

 これは、魔法少女全員が知っているシステムではなかったのか?

 うろ覚えだ。はて……。

 

 あまり常識外れでも困ってしまうな。

 昼辺りに、キュゥべぇにでも聞いてみるべきか。

 

 ……いや、マミがもう既に聞いているか?

 

 とにかく昼休みの時間だ。昼になったら色々と確認しよう。

 

 今はとりあえず……“これからの構想”について、深く考えるべきだろう。

 

「暁美、小テストの欄外に落書きするのやめなさい、なんだそれは」

「すみません、鳩です」

「上手いな」

「ありがとうございます」

 

 

 

 これからはうかつに魔法少女のルールを講釈することはできない。

 マミ以外の他の魔法少女とも友好関係を持ち、過去の私を探るつもりでいたが、私はものの流れでいらぬことまで言ってしまう癖がある。

 昨晩のスリルアクションを再び起こさないためにも、私はなるべく口を噤むことを意識して魔法少女業をやっていかなければならないだろう。

 秘密主義。それもまた、クールな感じだ。

 

 だが何故、私の持っている魔法少女の知識は、マミと異なっているのだろう?

 授業中に考えてはいたが、答えは出ない。

 それに、私はキュゥべえのことをうっすらとだが覚えているのに、キュゥべえは私を知らないと言っていた。その点もまた謎だ。キュゥべえも記憶喪失に……いやいや、さすがにそれはないだろうが……。

 

 ふむ……記憶を失う前の私は一体……。

 

 

 

 考えながら、屋上の扉を開く。

 すると広大な青空と、涼しげな風が私を迎え入れてくれた。

 

「暁美さん」

「やあ」

 

 やはり、そこにはマミがいた。

 いつものように。

 それが私には、とても嬉しいものだった。

 

「良い陽気だね」

「ええ、とっても」

 

 いつものようにベンチに腰掛ける。

 そして、鞄のポケットからカロリーを作ってくれそうな名前のグラノーラバー(チーズ味)を取り出し、封を切ろうとしたのだが……。

 

「待って、暁美さん」

「うん?」

 

 マミに止められてしまった。

 どうしてだ。今まさに、ピリッと気持ちよく開封する手が出来ちゃってるんだけど……。

 

「いつもそんな食事ばっかりじゃ、身体壊しちゃうよ?」

「私はすこぶる元気だが……」

 

 朝に野鳥とおいかけっこするくらいには問題ないしな……。

 そもそも、私魔法少女だし……。

 

「だめよ、いつも見てて心配になってきちゃうわ……ほら、暁美さんの分のお弁当、作ってきたから」

「なんと」

 

 よく見れば、マミの手元には包みが二つもあった。

 二人分も作るのは少し手間だったろうに……。料理あまりわからないけど。

 

「えっと、良いのかい? マミ。私、箸持ってないよ」

「ふふ、気にしないわ。ちゃんと持ってきてるもの。さ、食べて食べて」

 

 なんだろう。今日のマミは随分と優しいな。

 どうしたのだろう……でも嬉しい。人が作ってくれたお弁当だ。

 

「……いただきます」

「どうぞ。感想聞かせてね?」

 

 エナジーバーの濃厚な味を期待していた胃腸を裏切ってしまったが、マミの手作り弁当だ。

 きっと、エナジーバーにも勝るとも劣らない美味しさに違いない。

 

 

 

 一品食べ。もう一品を食べ。

 そうして夢中に箸を動かしていたら、いつの間にか箱の中身は無くなっていた。

 残ったのは、程よい満腹感のみだ。

 

「……ごちそうさま、美味しかったよ」

 

 完食。丁寧に作られた、とても美味しい弁当だった。

 塩味の効いた食事も好きだけど、なんというかマミの作ったこれには……本当に身体に良さそうな、何かがあるような気がする。

 

「ふふ、明日もまた持ってくるね」

「良いのかい? 嬉しいけど……やけに上機嫌だね」

 

 不自然なくらい親切にされて、正直ちょっと困惑している。

 

「……魔法少女が魔女になるといっても、今じゃない」

 

 マミはぽつりと呟いた。

 

 ……ああ、そうか。なるほど。

 

「もちろん。いつかは今じゃない」

「ふふ……それに、ソウルジェムが真っ黒になるだなんて……魔女退治に慣れてきた今では、あまりないもの。心配するのは、時期尚早だよね」

 

 マミはそう言って、笑ってみせた。

 私もそれに答えるように、薄く微笑みを返す。

 

「大丈夫さ。悲観することはない」

「うん。……昨日は、本当にごめんなさい。私、動転して……」

「良いんだよ。私も、変なタイミングで教えちゃったから。こちらこそ、ごめん」

 

 マミはマミなりに、自分の考えを纏めたらしい。

 ……私の思っていたほどに、今は思い詰めていないようだ。

 

 本当に、良かったよ。

 

「――やれやれ、暁美ほむら。君は一体、どこでその知識を得たんだい?」

「!」

 

 だがそんな空気に水を差すかのように、扉から白猫が現れた。

 キュゥべえである。

 

「……ふむ」

 

 改めて、キュゥべえを見て思う。

 

 

 ――こいつは駄目なのだと。

 

 

 何故か? 理由など簡単だ。

 目がなんか無機質だし、子供にウケなさそうだからである。

 それは私の偏見だったが、おそらく大きく間違ってもいない事実であろう。もうちょっと大きめの、くりっとした感じの方が良い。

 

「キュゥべえ……」

「やあ、キュゥべえ。しかしなんだ、君こそ酷い奴だな。魔法少女が魔女になることを、マミには教えていなかったんだろ? 今回のトラブル、君もちょっと悪かったんじゃないかな」

「長い付き合いだから、友達だと思っていたのに」

 

 マミの声にはちょっと険がある。

 彼女もまた、魔法少女の真実を彼から知らされていなかったことに思うところがあるのだろう。

 

「聞かれなかったからね、昨日も弁解はしたじゃないか」

 

 そしてこの答えである。

 駄目だね。そんな受け答えじゃ少女の心は掴めないぞ。

 

「あなたが、隠していたんでしょ?」

「グリーフシードの濁りが限界まで達したとき、死に至る。それは紛れもない事実だよ」

「なるほど確かに」

「っ……暁美さんまで……」

 

 聞かれてないから言ってない。

 酷い言い草である。だが、そう言われてはどうしようもないのもまた事実だ。

 

 水掛け論に終始するのも疲れるだけ。

 私はこの言った言ってないについては、追求しないことにした。

 

 ただし。

 

「なあ、キュゥべえ。それはそうと、君に聞きたい事があるんだが」

「ほう、君から聞くのかい? 興味深いね」

 

 聞かれたことに答えるのであれば、色々と聞かせてもらうがね。

 

「まずひとつめ。因果の量で、魔法少女としての強さは決まるんだよな」

「概ねその通りだよ」

「では、因果とは一体なんなんだい?」

 

 私が聞くと、キュゥべえは首を僅かに傾げた。

 

「それを知ってどうするつもりだい?」

「どうもしないしできないが、まどかの因果が膨大なものだと聞いてね。心配になったんだよ」

「鹿目まどかか。彼女はとても興味深いよ。けど、彼女に関わっている因果の量については、正直なところ僕にもわからないんだ」

「本当なの?」

 

 マミはキュゥべえの態度に訝しげである。

 

「疑問が多いのはこちらも同じなんだよ。マミ、暁美ほむら」

「ふむ……」

「本当、どうしてまどかの因果がこれほど突出しているんだか。僕だって知りたいくらいだよ」

 

 まどかの因果については、キュゥべえも知らない、と。

 謎は深まるばかりか……。

 

「……ではふたつめ。キュゥべえ、私とマミとでは、魔法少女に関する知識の量に差があるようなんだけど?」

「何故それを僕に聞くんだい? それこそ逆に、僕が君に訊ねたいくらいだよ」

「結局何もわからないのか。役に立たない白猫め……黒くなって出直してきなさい」

「わけがわからないよ」

 

 キュゥべえは色々と知らないことがある。それは本当だろう。

 だが同時に、まだ何かを隠しているように感じる。

 

 ……なんだったか。こいつには確か、何らかの目的があったはずだ。

 

 こいつは魔法少女を増やし、グリーフシードを集め、そして……。

 それで、ええっと……そこからは思い出せないのだが。

 何か、あったはずだ。

 

「……いきましょう、暁美さん」

「ああ」

 

 ともあれ。

 マミは、もうキュゥべえを心の底から信用することはないだろう。

 今回の一件で彼女が覚えた不信感や怒りは、それだけ大きいものだったのだと思う。

 仲直りをするには、時間と気の利いたプレゼントが必要になりそうだ。

 

 とはいえ、キュゥべえを特別敵視するような理由は、私にはないのだが……。

 でも私は何故だか、彼と距離を取るそれが“最善”なのだと、心のどこかで安堵していたのだった。

 

 



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追い込み騒動の波紋

 

「はあ、最近はまどかさん達が構ってくれなくて寂しいわ」

「浮かない顔だね、仁美」

 

 放課後。皆が各々の荷物を持ち、いざ帰ろうという時だった。

 私は、物憂げというには大げさだが、それでも少しだけ落ち込んでいる様子の仁美が気にかかった。

 

「暁美さん……暁美さんも、今日は予定が……」

「ああ、今日もね……たまには仁美ともゆっくりしたいけど」

 

 これは嘘じゃない。ただ本当に、忙しいだけで。

 魔法少女と記憶喪失のダブルパンチは厳しいね。

 

 けど、仁美は聡い子だ。きっと、話すと面白い相手に違いない。

 お嬢様だからな。芸事もやっていると聞いている。話そのものは共有できないことも多いだろうけど、個人的な興味はある。

 

 とはいえ、今日の私は魔女を狩らなくてはならない。

 グリーフシードのストックがあるとはいえ、いつまでも魔法少女を休業できないのだ。

 マジックの披露やゲーセン通いも大切な私の時間だが、魔女狩りはそれ以上。

 腹が減ったら、戦で奪うしかないのである。

 

「ねえほむら、今日一緒に遊ばない? つっても、ちょっとだけ私の用事もあるんだけど……」

「ああ悪いねさやか。仁美にも言ったけど、今日は忙しいから」

「そっか……じゃあまどか、行こっか」

「うん。またね、ほむらちゃん」

「ああ、また」

 

 二人は仲良く並んで下校した。

 性格は似ていないのに、よくあそこまでの距離感でいられるものだ。友達というのは、不思議なものである。

 

 仁美はその後姿を眺めていたが、二人についていく様子はない。

 彼女の横顔はどこか、憂いを帯びている風でもあった。

 

 ……理由は定かでない。

 私はまだ、皆の交友関係に口を出せるほど、関わりがないからね。

 

『暁美さん、昼に話した通り、今日は……』

 

 っと。

 いきなりマミからのテレパシーがきた。

 身体がビクッってなったぞ。

 

「ああ、わかってる」

「はい? 暁美さん、どうされました?」

「いや、なんでもないよ」

「? そうですか……」

『ああ、わかってる』

 

 そう。

 昼にも話したのだが、今日はマミと一緒に魔女退治をすることになったのだ。

 

 

 

 ソウルジェムを指の間に挟み、コインロールしながら道を歩く。

 うっかり落としたら即死するかもしれないので、見た目以上にはスリルのある暇つぶしだ。

 

「危ないわよ、暁美さん」

「手持ち無沙汰でね」

 

 すぐ隣にはマミがいる。

 昼に二人で話し合った結果、何度か一緒に魔女退治を行い、連携できるようにしておくべきではないかと提案されたのである。

 なるほど確かにその通りだ。いざという時のためには、共闘する機会もあるかもしれない。ならばぶっつけ本番ではなく、こうして練習しておくのは大事だろう。

 マミの探知能力は私よりずっと高いし、グリーフシードも欲しかったので、私からの異存は全くなかった。

 

 ……と、まぁそういった前置きの理由はあるけれど、その提案の後にマミが恥ずかしそうに語ったのは、つまるところ昨日までのことを詫びる“仲直り”のようなものらしい。

 一緒に魔女と戦って、これからも仲良くしましょうと。そういうことなのだそうだ。

 

 学校前、大通り、商店街、公園。

 街が無駄に広いせいで、見滝原で魔女を探すのは非常に骨が折れる作業だ。

 探さなければ骨が折れるどころではないので、骨が折れても探すのだが。

 

 久々の魔女探しである。

 ソウルジェムには反応してるような、そうでもないような明滅が瞬いていた。

 私よりはマミの方が魔女反応を探りやすいんだろうけれど、こっちもこっちで怠るわけにはいかない。

 

「暇だな」

「そういうものだもの。確かに、近頃ちょっと少なめではあるけどね」

 

 転校前に狩りすぎたか?

 けど、枯渇しすぎるというのも考えものだ。できれば別の町に遠征はしたくないのだが……。

 

「でも、マミ。こんな形で仲直りしなくたって、私は気にしないぞ?」

「二人で協力すれば魔女退治の負担もかなり減らせるわ」

「ん~」

 

 やろうと思えば負担無く狩れるんだけどな。

 淡白すぎてそんなにやる気は起きないが。

 

「何より、その、私が暁美さんと一緒に魔女退治をやっていたい、っていうか……」

「ふむ。まぁ、見せる相手がいるのは良いことだね」

「見せ……え?」

 

 マミがキョトンとしている。

 

「どうせなら、かっこよく魔女退治をしたいじゃないか」

 

 倒すだけでは味気ない。

 戦いに美しさや面白さを求めることも重要だと、私は考えている。

 

「ふふ、確かに暁美さんの戦い方って格好いいわよね」

「燃え上がれ~って感じだろ」

「あはは、何それ」

 

 なんだっけ。

 

 

 

 

 

「はぁ~……なんなんだろ……」

「あれ? さやかちゃんおかえり」

 

 病院の待合室に戻ってきたのは、がっかりしたような表情を浮かべるさやかであった。

 キュゥべえを膝の上に乗せ、絵本を読みながら待っていたまどかは、幾分か早い親友の帰りにちょっとした疑問を抱いた。

 

「おっす、待たせて悪いねー。じゃあ、行こっか」

「うん。でも、いつもより早かったよね。上条君に会えなかったの?」

 

 上条恭介。

 それはまどかと同じクラスメイトであり、さやかの幼馴染の男の子である。

 

「ん~なんか、都合が悪いみたいでさ。検査の時間がズレ込んでるとか、なんとか」

「ふーん……あ、そういえばさっき看護士さんがね、朝くらいに病室に鳩が入ってきて大変だったって話をしてたから、それかもね」

「へえ、そんなことあったんだ」

 

 その鳩は白かったというが、そこまでは二人も聞いていない。

 

「かなりドタバタしちゃったらしいよ。鳩が元気で……」

「衛生管理が厳しい所は大変だよねぇ」

「何かあったら、怖いもんね」

 

 二人は長いエレベーターに乗り込み、談笑しながら病院を出る。

 今日は魔女退治見学の無い日であるため、たまには女子中学生らしい遊びに出かけようというのが今日の目的らしい。

 それはつまるところ、適当にお喋りしながらモールを回るようなものである。

 

「それでね、ママってば中学生の人に連れられて帰ってきたって言ってさー」

「あはは、なにそれー。まどかのお母さん、すっごいしっかりしてそうなのにー」

「可笑しいよねー」

「いやぁでもそういう一面もあったほうが……あれ?」

「ん? どうしたの?」

 

 突然、さやかが立ち止まる。

 彼女の視線は、病院の白い外壁の一点に注がれていた。

 

「……あそこ……壁に何か見えない? 黒っぽいの……」

「えっ……あ!」

 

 壁に走る亀裂かと思われた黒いそれは、少しずつ蠢きながらその範囲を拡大させつつある。

 そして中央に突き刺さっている球体のそれは、二人にとって見覚えのあるものだった。

 

「グリーフシードだ!」

「嘘ぉ!」

「キュゥべえ! あ、あれ放っといていいの!?」

「孵化しかかってる……このままだと、病院の一部を巻き込んで魔女になるよ!」

「なッ……それって、超まずいじゃん!」

 

 魔女の結界は周囲の構造物を巻き込んで発生する。

 生まれたばかりであれば緊急の害も出ないが、成長を続ければ、容易く人を飲み込む規模に達するだろう。

 

「なんとかしないと……キュゥべえ、あれ取っちゃえないのかな!?」

「孵化したグリーフシードを取るのは無理だ。もう、魔女になってから倒すしかないよ」

「そんな……そうだ、マミさんやほむらを呼ばないと……!」

 

 携帯を開くさやかの指は、震えている。

 このまま魔女の結界が完成し、病院が巻き込まれたらどうなるか。

 

 それこそ、彼女にとっての絶望そのものであった。

 

 



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自分自身の重さ

 

「3.ジェンガシュート」

 

 煉瓦の群れが魔女の動きをその場に縫い付け、

 

「ティロ・ボレー!」

 

 マミの光弾が魔女にダメージを与える。

 巨大クローゼット型の魔女は全身に無数の穴を開け、その場に倒れた。

 そして程なくして黒い靄のように霧散し、消滅してゆく。

 

「さすがね、暁美さん」

「マミの技の威力と比べたら悲しくなるよ」

 

 彼女との共闘は、非常に楽だった。

 私は時間停止によって的確な足止めや妨害ができるので、あとの引導火力を完全にマミに頼れるのだ。

 小細工は得意だが、単純な威力を出すのが苦手な私にとって、彼女と一緒の戦いは理想的であるとさえ言えた。

 

「いいえ、そんなことないわ。暁美さんの能力、使い勝手が良いと思う。その……えっと、なんなのかしら?」

「マジックだよ」

「もう、教えてほしいなぁ」

 

 悪いね、こればかりは秘密なんだ。

 だってバレたら、演出してみせたって決まらないだろう?

 

「当たりだったようだ」

 

 グリーフシードがアスファルトに落ちていた。

 黒い球体を針で串刺しにしたような見た目のアイテムである。が、どういう原理なのかグリーフシードはそのままにしておくと、針を起点に勝手に起き上がるのだ。

 なので本物と偽物の区別が非常に付きやすい。魔法少女同士の取引でも、偽造は困難だというわけだ。

 回せば独楽になるだろうか。いや、無理か。

 

「……あら」

 

 変身を解いたマミの制服から、曇った振動音が呻いている。

 電話が来ていたようだ。魔女の結界は圏外だからな。

 

「どうぞ」

「ええ、失礼するわね……って、鹿目さんからみたい」

 

 ああ、私は気にせず存分に失礼してくれ。

 しかし、まどかからの電話か。何の用だろう。

 遊びが盛り上がっていたり……?

 

「……えっ!? わかったわ、わかるから、うん」

 

 マミの慌てた様子から見て、なんだ。有名人でも来ているのだろうか。

 

「すぐに向かうわ!」

 

 携帯を閉じると、マミは踵を返して走り始めた。

 

「おいおい、失礼するってそういうことか」

「病院で魔女が出たって! 鹿目さんが!」

「なに?」

 

 有名人じゃなくて魔女が現れたか。ふむ、連戦になるが丁度いい。

 さほど辛い戦いでもなかったので、もう一個くらいは余分にグリーフシードが欲しかったところだ。

 

「じゃあマミ、病院まで競争しないか?」

「競争って……こんな時に?」

「魔女を倒すまでが競争でもいいけど」

「一応、お遊びではないのよ」

「早いに越したことはないさ」

 

 有事の提案にマミはちょっとだけ呆れたような顔をしたが、私の言っていることもさほど的外れでも悪いことでもない。

 少しだけ考え直して乗り気になったのか、マミはすぐに笑顔を浮かべた。

 

「……わかったわ、やりましょっか? ふふ、先輩の本気、見せてあげるわ」

「その言葉を待っていた」

 

 はい指パッチン。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

「何……って、ええ!? もう居ない!? いきなりすぎない!?」

 

 

 

 

 マミには卑怯な真似をしておいて済まないと思う気持ちもあるが、さやか達の二人が危ないというのであれば、話は別だ。

 全力全開で現場へ向かい、最速で魔女を屠らせてもらう。

 

 今日の昼食時にも、魔女退治見学についての話し合いで、ひとつの結論に至ったのだ。

 これからはなるべく、二人を魔女と関わらせない方向で、平穏に付き合っていきたいと。

 自然に魔法少女のことを忘れるように、ゆっくりとあやふやにしていきたいと。

 

 マミも、魔法少女の実態を知って思い直すところがあったのだろう。

 “一般人が無理に魔法少女になる必要はない”。

 それが私とマミで出した結論であり、これから魔女退治見学を行っていく上で、二人に示し続けていかなくてはならない態度なのだということで、固まっていたのだ。

 そう話しあった矢先にこれである。

 

 病院の皆を助けたいからと、そんな理由で魔法少女になられては困る。

 

 だから私は今、走っているのだ。

 時間停止を駆使して、なるべく早く目的地に着くために。

 

 幸い、病院の場所は把握している。今朝も見たしね。

 もうすぐ到着だ。

 

 

 

「……さやかちゃん……無事でいて……!」

 

 駐輪場までやってくると、結界の前で祈っているまどかが居た。

 しかし、近くにさやかの姿は見られない。……さやかはどうした?

 

「お待たせ、まどか」

「ひゃい!?」

 

 背後からハットを被せてあげると、まどかは驚いて数センチほど飛び上がった。

 面白い声出すね君。

 

「ほ、ほむらちゃん来てくれたんだ! 大変なの! マミさんになかなか繋がらなくて、それで……!」

「ああ、マミから聞いたよ。彼女もじきに来るだろう」

 

 だからもうちょっと落ち着くと良い。気持ちはわかるけど。

 

「さやかちゃん、グリーフシードを見張るって結界の中に入ったの……助けてあげて!」

「グリーフシードを見張る? なかなか奇抜な発想をするな」

 

 一般人が見張ったってどうにも……ああ、孵化しそうな時は契約するつもりなのかな。

 そこまで身体を張らなくたって良いのに。

 

 ……まぁ、探知能力があまり高くない私にとっては、ありがたい手助けかもしれないけれど。

 

 それでも心配だ。

 中で使い魔に殺されていなければいいのだが、さやか。

 

「じゃあ、私は中に入って彼女を助け、魔女を倒すよ」

「うん、うん! お願い……!」

「まどかは……そうだな。まだ見学するつもりでいるなら、マミと一緒に入ると良いよ。それが一番安全だから」

「わかったよ、ほむらちゃん!」

 

 良い返事だ。

 本当なら結界内に連れて行きたくはないんだけど、まどかも自分の目で見ないと落ち着かないだろうからね。その点、マミと一緒に入れば心配いらないだろう。

 

「……あ、ハット返してね」

「え?」

 

 私は彼女に被せたシルクハットを自分につけかえ、手を振りながら歩みだした。

 

「じゃあ、いってくる」

 

 ステッキを取り回しつつ、悠々と結界の中へ入る。

 さて。早くさやかを見つけ出そう。

 

 

 

「願い事さえ決めてくれれば、今この場で君を魔法少女にしてあげることもできるんだけど」

「……もう、どうしようもないってなった時にはするかも……」

 

 魔女の結界。その通路のひとつをさやかが歩いていた。

 胸にはキュウべえを抱いている。いざという時は契約を結ぶための保険になるし、敵の腹の中に一人でいるという恐怖を和らげてくれる存在でもあるのだろう。

 

「けど、……なかなか、決心はつかないよ」

「そうかい? 戦いやすくていいと思うんだけどなぁ」

「……でも、石ころになる決断なんて、そう簡単にできるわけない」

 

 ソウルジェムは魔法少女の魂。つまり、魔法少女とは、肉体から魂を引き剥がされた存在だ。

 人によっては強い忌避感を覚えるのも、仕方がないだろう。

 

「それに、願い事だって……ほむらやマミさんが言っていた通り、自分のための願い事じゃないとダメな気がするんだ」

 

 一生に一度の、人生をかけた願い事。

 人は皆、聖人ではない。後々に願いと気持ちの矛盾が生まれた時、魔法少女はどうしようもない絶望に苛まれることだろう。

 

「で、自分のためにどんな願い事をしようかなって考えた時に……どうしても答えが出ないんだ」

「そう。出ないものだよ、さやか」

「うわっ!?」

 

 時間停止を使い、さやかの隣に瞬間移動した。

 突然現れる演出に、さやかもまどかに劣らない程のリアクションを取ってくれた。

 

「キュゥべえも一緒か」

「もちろんだよ。さやかを一人にはできないからね」

「ああ、契約するには君が必要だものな」

「そういうこと。けど、もう僕の出番はなさそうかな?」

「だろうね」

 

 私が来たからにはもう安心というやつだ。

 

 

 

 お菓子の山を迂回しながら、通路を進む。

 

 結界は障害物が多くとも、大抵は一本道なので、魔女までたどり着くのは容易だ。

 私程度の探知能力でも、魔女の方向などは概ね把握できる。結界を探すまでが大変なんだよ、本当に。

 

「……魔女は、大丈夫かな」

「結界にもよるけれど、こういうタイプの魔女ならそこまで早くは孵化しなかったはずだよ。安心していいさ」

「そ、そう……」

「魔女も孵化してすぐに人間を食おうって存在でもないしね」

「そうなの?」

 

 さやかは意外そうだが、長く魔女と戦っていると見えてくるものもあるのだ。

 

「ものによるけど、勝手気ままな奴らなんだよ。魔女も」

 

 私と同じでね。

 ま、死後の魔法少女達にだって、願望はあるのだろうさ。

 少しくらいは連中の勝手にさせてやってもいいと、……これは感傷に過ぎないが。思うことも、ないわけではない。

 

「……ところでさやか。君は魔法少女になりたいと、今でも思っているかい」

「! ……わからない、はっきりしないっていうか」

 

 もじもじしている。さやかにしては、珍しくしおらしい仕草だ。

 

「どうしても、叶えたい願いがあるんだな」

「……うん」

 

 ああ、やっぱりか。

 彼女はまどかとは違う悩み方をしているというから、もしかとは思ったけれど。

 ある程度、方向性は固まっていたらしい。

 

「私の幼馴染が、怪我で入院してるんだ」

「そのまま入院してれば治るじゃないか」

「違うの、入院してるんだけど……その、以前やっていたバイオリンがもう弾けないかもしれないって……」

 

 音楽関係か。なるほど、たしかによく、手を怪我したら大変だって話は聞く。専門外だから、詳しくはないが。

 

「主治医に、完全に治る見込みはないと言われた?」

「そこまでは、まだ言われてないけど……」

「治せるものなら治したいと」

「うん」

 

 なるほど。幼馴染を助けたいってことか。

 

 ……言っちゃ悪いけど、危ういね。

 

 他人の為に願う。それ自体は悪い事じゃない。

 ただ魔法少女として生きるには、綺麗事を抱え続けるというのは難しいのだ。

 

「さやか。もしも仮に君が、その子の怪我を治したとする」

「?」

「で、その子がバイオリンを再開して、しかし退院して二日後に弓で手首をスッパリ落として失血死してしまったとしたら、君はどうする?」

「いやいやいや! ぶっ飛びすぎっていうか何それ、あり得ないってレベルじゃないよ」

「例えさ」

「例え下手か! 話のスケールが大きすぎて意味わからないよ、ほむら……」

 

 そうか? ふむ、じゃあもっと単純にしてみよう。

 

「幼馴染の子が、怪我を治した後にすぐに死んでしまったり」

「う……」

「再びバイオリンを弾けなくなってしまったり」

「それは……」

「さやかのことを裏切ったり」

「そんなのって……」

 

 みるみる落ち込んでいく。ちょっと酷いことばかり言ってしまったかな。

 でもね、それらは全て、十分に有り得ることなんだよ。

 

「バイオリンの子にそうされても平気な覚悟、さやかにはあるのかい」

「……私は、……恭介のバイオリンが聞きたいだけで」

「キョウスケ? なんだ、バイオリンの子って男か」

「なっ、そういう言い方はちょっと汚い!」

 

 私の頭の中じゃ清楚な薄幸の美少女だったというのに。

 さやかの赤くなった顔を見ていると、なんだか変に現実的で、一気に色褪せてしまったよ。

 

「さやかはその男をものにしたいのか?」

「べ、べつにそんな変な気持ちがあるわけじゃ」

「じゃあ本当にただ再びバイオリンを聞きたいっていう、たったそれだけ?」

「……ッ! いや……その……」

「あ、魔女の部屋だ」

「え!? ちょ待っ……」

 

 重い入り口を蹴破って、広い空間に躍り出る。

 

 



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執着との決別

 

 

 

「私、頭も悪いし、運動オンチだし……さやかちゃんみたいに元気いっぱいで明るくもないし……」

 

 お菓子と薬が散らばる魔女の結界内を鹿目まどかと巴マミが歩いている。

 

「ほむらちゃんのように格好良くもないし……マジックとか、そんな特技で人を楽しませたりとかもできないし……だから私、とにかく人の役に立ちたくて……」

 

 僅かな足音とまどかの独白だけが、辺りに響いていた。

 

「だから私、マミさんやほむらちゃんみたいに、街の人たちを魔女から守りたい……それが、願いなんです。私、魔法少女になったら、それだけで願いが叶っちゃうんです」

「……辛いよ?」

 

 先を歩くマミが振り向き、小さく呟く。

 辛い。実感の篭ったその一言は、まどかの肩を軽く竦ませる力があった。

 

「思うように遊びには行けないし、素敵な彼氏さんだって作れないだろうし……とにかく大変なのよ?」

「はい」

「怪我もするし……命を落とすこともあるわ」

「……はい」

「それに、それだけじゃない……もっと、もっと酷い事だって、残酷なことだって、待ち構えてるかもしれないわ」

 

 鹿目まどかは、意志の薄弱な少女ではない。先程の言葉にも、嘘はなかった。

 それでも気弱な彼女は、脅かすような恐ろしげな言葉に、萎縮してしまう。

 

 後ひと押し。魔法少女であり頼れる先輩でもあるマミ自身が背中を押してしまえば、きっと大きく前に進めるに違いなかった。

 それをわざと前から押し留めたのは、紛れもなくマミの善意である。

 とはいえ、落ち込んだ後輩の顔を見るのは、楽しいものではない。

 

 それでも。

 

(……鹿目さん…ごめんなさい。貴女を魔女にするわけにはいかない……契約は、させたくないのよ……)

 

 魔法少女は魔女になる。

 その真実に触れたマミは、彼女を魔法少女にするわけにはいかなかったのだ。

 

(たとえ貴女の祈りを、否定することになっても、ね……)

 

 

 

 

 

「やれやれ。どこもかしこも甘ったるい菓子ばかりだ。塩気が足りない」

 

 私が蹴り倒した扉の向こうは、お菓子の散らばる奇妙な広間だった。

 フィールドは円形。あるいは歪な楕円。天井は存在するが高く、戦闘中ならば存在を無視できる程度はあろうか。

 障害物は各種お菓子の箱であったり、キャンディやクッキーなどの山があちこちに。

 総評するならば、ありがちなタイプの魔女の結界といったところ。

 

「……静かだね。魔女はどこにいるんだろ」

「まだ生まれていないんだろう」

「そんなことってあるの?」

「どうだろう? 私もこういった瞬間を多く目撃したわけじゃないから、なんとも。ただ、ソウルジェムの反応から推測しただけさ」

 

 広い空間をしばらく歩いてゆくと、高い位置に大きなシリアルの箱が佇んでいるのが見えた。

 

「あそこか」

 

 ソウルジェムの反応を見るに、あの巨大な箱の中に魔女がいるらしい。

 お菓子の中から生まれてくる魔女。さしずめ、お菓子の魔女といったところか。

 

「……あれ、どうするの?」

「出てくるまでは待つ。それまでは、こちらも迂闊に手を出せないからね」

 

 見上げると、箱の前に脚のものすごく長いテーブルと、それとセットであろう椅子が見えた。

 椅子はいくつかあるが、人間を想定した来客用のものではなさそうだ。足が十何メートルもあれば座れるのだろうが……。

 

「……さて。魔女が孵るまではしばらく暇だし、その間は魔法少女について話そうか」

「うん、私も話したい……話して、おきたい」

「そうだな……ん、さやか。そこにあるドーナツに腰掛けてくれるかな?」

 

 私はステッキで、近くに転がっていた大きなドーナツを指し示した。

 

「え? 座るって……こ、こう?」

「そうそう。で、背筋を伸ばして……あ、目も瞑って」

「な、なになに? こんなところでも何かマジック……?」

 

 

 *tick*

 

 

 察しが良いね、さやか。

 けど現実というのは頻繁に、人の想定を上回ってくるものだよ。

 

 

 *tack*

 

 

(スリー)(ツー)(ワン)……はい、目を開けて?」

「一体何……ってうおわあああ!?」

 

 目を開けたさやかは仰天し、思わずバランスを崩しそうになった。

 しかし驚くのも当然だ。

 私とさやかは今、テーブルを挟み、向かい合って座っているのだから。

 

 十何メートルもの、とてつもなく高い椅子に座って。

 

「意外と安定してるけど、暴れると落ちるだろうから静かにね」

「むむむ、むりむり! 何してくれてんのさ!」

「いやだって、良いセットがあったし……」

「せめて前もって言ってよ!」

 

 申し訳ない。

 でも、びっくりさせたい気持ちもあったから、それは聞けない相談なのだ。

 

「ま、家主が来るまでは好き勝手にくつろいでいようじゃないか」

 

 指を鳴らす。

 

 

 *tick*

 

 

 それが、さもそれらしい合図となり。

 

 

 *tack*

 

 

 テーブルの上に純白のクロスと、一枚の皿と、二つのティーカップが現れた。

 

「おおっ…!」

「ごめんね、残り物のコーヒーしかないんだけど」

「あ、ありがと……ていうか飲み物も出せるんだ」

「あるものだけね」

 

 これは魔法で生成したものではない。れっきとした実物だ。

 とりあえず缶コーヒーを開けて、二人分のカップに分けて注ぐ。

 小さな缶を二人で分けると少ないが、小話をするには丁度いい量だろう。

 

「あ、これおやつね」

「なんでここまでセッティングしてお菓子がエナジーバー……」

「余っちゃったからね」

 

 具体的には今日の昼食になる予定だったものだが。

 まぁ、とりあえず食べておくれよ二本上げるから。

 

「さて、と」

 

 脚を組み、ハットを膝の上に乗せてさやかを見やる。

 

「それで、さっきまでの話だけど。さやかはキョウスケの手を治して、本当にバイオリンを聞けるだけでいいのかい?」

「う……マミさんにも同じようなこと言われたけど……」

「ほう」

「……正直、自分でも、よくわからない」

 

 話している間は高所の恐怖も薄れるのか、それよりは羞恥が勝っているようだった。

 

「あいつのバイオリンが聞きたい……それは、本当だよ。けど……恭介のこと、私、その、好きだし……」

 

 もじもじと蠢いているさやかは新鮮なものがある。

 普段は活発な元気っ子だけど、しおらしい姿も絵になるね。

 

「魔法少女でも、人生でもそうかもしれないが」

 

 言葉の合間にコーヒーを一口。

 

「……施しをする者は、相手に感謝の言葉すら求めてはいけないのだと思うね」

 

 ちょっと苦かったかな。

 

「善意を向けられたら、善意や好意で返すのが当たり前……それはこの国の人々が上っ面だけで掲げているモラルの話であって。実際には“ありがた迷惑”がられたり、“空回り”したりもすることも、多いと思うんだ」

 

 良いことをしたら、その100%が返ってくる保証なんてどこにもない。

 あったら人類皆ボランティアだ。

 

「仮に好意がまっすぐに届いたとしても、好感触が長く続く保証なんて、どこにもないしな」

 

 まして、一生涯など。そうそうあるもんじゃない。

 

「魔法少女になることを、おすすめはしない。でもさやかが、あらゆる理不尽を覚悟してもなお魔法少女になりたいと言うのであれば、止めはしないよ。私にそんな権利はないからな」

「――そう、全てはさやか自身の意思だよ」

 

 キュゥべえがさやかの肩に乗り、私を牽制するかのように言った。

 ふむ。契約のことになるとよく喋るね、こいつは。まるでセールスマンのようだ。

 

「あらゆる理不尽、かぁ……」

「たとえ自分の叶える願いが根っこから折られても、絶望しない。……そんな覚悟を決めたら、その時はまた私に相談してほしい」

「……」

「一人で、衝動的に契約をしてはいけないよ。時間はいくらでもあるんだ。今はまだ、悩むといい」

 

 私の言葉に、さやかは声を出さずとも、確かに小さく頷いた。

 

 しかし、彼女もコーヒーに口を付けないな。

 やはり皆紅茶の方が好みなのだろうか。

 

「……そう、だね……うん」

 

 うん? やはり紅茶がお好み?

 

「私、今日まで魔法少女について悩んでいたけど……」

 

 そっちか。

 

「ただ、自分の魂をかけるための、背中を押すようなきっかけを探していただけなんだと思う」

 

 伏し目がちな独白は、穏やかな口調で続けられる。

 

「魂を差し出して腕を治したって、私がそのことで後悔なんかしたら、恭介だって良い迷惑だよね。重い女、っていうか、面倒くさい奴っていうかさ」

 

 冗談交じりの苦笑いを“たはは”と浮かべてはいるが、内心では結構参っていそうだった。

 

「私、少しだけ……どこかで、恭介からの見返りを期待してたのかも」

「そっか」

「うん……よし。決めた! っていうか、決まったわけじゃないけど! しばらく、魔法少女については保留かな!」

 

 良い笑顔だ。

 いつものさやかが戻ってきたらしい。

 

「うん、ほむらありがとう。私、中途半端な気持ちで、恭介のことを助けそうになってたよ」

「ふふ」

 

 さやかはちょっとだけバカっぽいけど、素直な良い子だ。

 やはり、彼女が魔法少女になった暁には、槍が似合うのかもしれないな。

 

 

 ──ゴゴゴ

 

 

「、っと……」

「ゆ、揺れた!? これって、もしかして……!」

 

 ソウルジェムが反応している。

 咄嗟に、すぐ側のお菓子の箱を見やれば……まるで生まれる寸前の卵のように、揺れていた。

 

「ほむら! 魔女が!」

「安心しろ、私がいる」

 

 ハットの位置を直し、左手のステッキを軽く掲げる。

 何より、盾の準備は万全だ。いつでも時は止められる。

 

「うわっ!?」

 

 ぼーん、とコミカルな音と共に、箱から影が出てきた。

 小さな影はゆらゆらと揺れながら、こちらへ近付いてくる。

 

 見た目にはファンシーだが、間違いない。

 あの小さなぬいぐるみのような人影こそ、この結界の主たる魔女だ。

 

「こっちくる……! え!? 私平気!?」

「私がいるよ、大丈夫」

 

 大げさには身構えない。

 目を凝らして魔女の動きを監視するだけでいい。

 

 精神を全て盾に集中させ、時間を止められるようすれば万全なのだから。

 

 

 ──ぼと

 

 

 魔女が、私達の間のテーブルに落ちてきた。

 ショッキングピンクの衣を纏った、デフォルメされた小人のような姿である。

 

「可愛いな」

「ひぃい……可愛いけど……」

 

 ぬいぐるみのような外観の魔女は、私達の間のテーブルに着地したまま、大きく動き出す気配はない。

 姿は、確かに可愛い。私もそう思う。

 が、魔女は見た目ではない。

 

 クリオネが多段変形してプレデターになるように、何の害もなさそうな魔女でも、突如として道理に背き、トランスフォームすることもあるのだ。

 口の上では余裕ぶっていても、心の中は一切、油断できない。

 

「……あ」

 

 魔女のぶかぶかの袖が、皿の上のエナジーバーをつまみあげた。

 

『mgmg……mgmg……』

 

 エナジーバーを食われた。

 

「……か、可愛い奴じゃん」

 

 いや、それでも油断してはならないのだよ、さやか。

 私の本能が言ってるんだ。こいつは絶対に厄介な……。

 

 

『――pgy』

 

 ぼっ。

 

 と空気が弾ける音が横切った。

 

「えっ?」

「……え?」

 

 気がつけば、魔女が腹を撃ち抜かれ、広大な部屋の壁際まで吹っ飛ばされていた。

 

 一瞬の出来事だったので、何が起こったのか、理解が追いつかなかったが……答えは空間の入り口を見下ろせば一目瞭然だった。

 

「……つい撃っちゃったけど、今のは撃ってよかったのよね……?」

「マミ」

「マミさん!」

 

 空間の入口にはマミと、その後ろにまどかが居た。

 どうやら今のは、マミの銃が魔女を撃ち抜いた音らしい。

 

 予想外の先制攻撃である。

 

「ティータイムなら後でうちでやりましょう? 今は魔女を……ね?」

「ああ、そうだな」

 

 壁際に縫い付けられたぬいぐるみを睨む。

 

 そう。私とマミは、どちらが先に魔女を倒せるか、競争していたからな。

 まだまだ競争は続いている。

 

 私達の勝負はこれからだ。

 

 さて、魔女の様子は……あれ、全身が黒っぽい煙で覆われているな。

 ふむふむ、さては中から何かが出て来るタイプの魔女……。

 

「……あれ?」

 

 と思いきや、魔女は煙に巻かれて消え去った。

 それと同時に、辺りの風景がぼやけ、結界が崩れてゆく。

 

 ……魔女を撃破した証拠であった。

 

 マミが。たった最初の一発で。

 

「え!? 一発で!?」

「なッ……んだと……っ」

 

 私もマミも驚きを隠せなかった。

 しかし、これは紛れもなく現実である。

 

 ただ箱から飛び出して、エナジーバーを食い漁っただけで一撃で倒れた魔女。

 ……そんなびっくりな現実も、時には……極稀に、ないこともないのだ。

 

 

 

 結界の消滅が収まれば、辺りは元の病院前である。

 既に空は夕暮れに近かった。

 

「……あ、戻った」

「……だね」

 

 でも、どうするんだこの空気。

 

「……」

 

 マミ、もうちょっと喜んだ顔をしても良いんだよ。

 

 かつん、と、心なしかいつも以上に力なく落下したように思えるグリーフシード。

 私はそれを拾い上げ、握りしめる。

 

 なんだろうか、この言いれぬ虚しさは……。

 

「えーっと。私の勝ちね?」

「……うさぎになった気分だ」

「ふふ。亀というほど、私もゆっくりはしてなかったんだけどな」

「やれやれ……まぁ、言い訳のしようもなく、今回は私の負けだよ。これは君への賞品だ」

 

 グリーフシードをマミに投げ渡すと、彼女はそれをしっかりとキャッチした。

 

「そういう事なら、ありがたく貰うわね」

「うむ……さやか、まどか」

「あ、な、なに?」

「え?」

 

 二人に向けて、私はしっかりと言ってやらねばならない。

 

「今のような魔女なんて、なかなかいないからな」

 

 魔法少女の先輩達として、この釘だけは刺しておかなくては。

 

 



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第五章 砂の塔は容易く崩れる
暗雲は既に立ち込めている


 

 私はゲームセンターにいた。

 いつも通り、ひたすら記憶に引っかかりそうなものを探す、ようはただのゲーム漁りである。

 

「……む?」

 

 ゲームをやっていたら、筐体から何かカードが出てきた。

 ぺらりと捲ってみると、なんだか白くてキラキラ輝いている。

 

 ……よくわからんが、こいつを出す? と、相手の場と手札と墓地から一枚ずつカードを除外できるのだそうだ。

 だから何だというのだろうか。除外ってなんだ。詳しくないからいまいちだが、こいつが凶暴な奴だってことは理解できるが……。

 

「お、トリシューラじゃん。おめでとう、一足遅かったな。ちょっと前まではそいつも高く売れたんだけどね」

「……よくわからないゲームだな。最後まで理解できなかった」

「はぁ? わかんないでやってたの? アンタ」

 

 まぁ、手探りだからな。そういうゲームだってあるのだよ。

 

 最近までは価値があったらしいこのカードはキラキラ輝いていて、まぁ綺麗といえば綺麗なのだが、どうもカードゲームというものは苦手である。

 やる意欲というものをあまりそそられない。むしろ良く分からない。きっと、これらは暁美ほむらもノータッチだったのだろう。

 

「他のものをやるか……」

「……あんたも物好きというか、なんというか」

 

 以前から何度も会っているポニテ不良少女とは、軽い挨拶を交わす程度にまで親睦が深まっていた。

 彼女はここのヌシらしく、どんなゲームでも大体わかっているらしい。

 私くらいの歳で、どうやってそこまで詳しくなれたのかといえば、やはりそれは不良少女であるが故ということなのだろう。

 人の事情だ。わざわざ踏み入る真似はしない。

 

「なあ君、私と対戦でもしないか」

「お? いいよー、得意なので来なよ」

「よし、じゃあそうだな……これやろうか」

「おお、前にやってたな。気に入ったの? それ」

「まぁね、キャラクターが格好良いし」

「そうかあ? マッチョすぎるだろ」

「ギリシャっぽい美しさは永久に不滅なのだよ」

 

 この良さがわからないとは不良少女よ、まだまだ若いね。

 とはいえ、私も特別マッチョが好きというわけでもないけど。

 

 

 

《エメラルド……》

《無駄ァ!》

 

 3戦目。

 私も善戦はしているつもりだが、相手は圧倒的に戦い慣れていた。

 さすがは不良少女、玄人向けっぽいキャラクターでなんだかよくわからない戦い方をしてくる。

 こちらは最初から最後まで、翻弄されてばっかりだ。

 

「へへ、どうしたウスノロ~、まだ全然削れてないぜ~」

「む、む、む」

 

 おかしい。ラスボスは強いはずなのに。

 何故ストーリーのようにいかないのだ。敵だった時は強かったぞ。

 

 ……こうなったら!

 一か八かで賭けるしかない!

 

《ザ・ワ》

「させないよっ」

「ぐふっ」

 

 何度やってもあいつに勝てない。

 

 

 

「しっかしあんたも自由気ままだよね。あたしが言えたことじゃないけどさ、ずっと遊んでばっかっていうか」

「確かに、私を縛るものはあまり無いからな」

 

 破廉恥な麻雀ゲームの椅子を占拠し、プレイするでもなく割高なコーヒーを飲む。

 隣の古めかしいサッカーゲームには、不良少女の彼女が座り、台の上にコーラとお菓子を広げ、何しに来たのかと言われんばかりに栄養補給をしている。

 

 けど、このレトロゲームコーナーにやってくる客はほとんど居ない。

 落ち着いた遊びの空間は、大抵私と彼女だけであった。

 

「なあ」

「ん?」

「あんたの名前、聞いても良いか?」

 

 ああ、そういえばまだ彼女とは名前を交わしてもいなかったっけ。

 ふむ……いい加減、遊び友達と言っても良いくらいだものな。どうして今まで聞こうともしなかったのか。

 

「私か、私はな、」

 

 私が言いかけたその時、突然に不良少女が立ち上がった。

 灰色のパーカーのポケットに手を突っ込んで、毅然とした、というよりは不機嫌そうな目を、出口に向けている。

 

「悪い、急用だわ。また今度な」

「ん。そうか」

 

 なんだろう。族か何かの集会でも始まるのだろうか。

 

「じゃ」

「ああ。またいつか」

 

 彼女は台の上のコインクッキーをかっさらい、その割には急いでいる様子で出ていった。

 けれど、飲みかけのコーラは置きっぱなしだった。

 

「……む、魔女反応?」

 

 と、私はコーラに気を取られていたのだが、いつの間にかソウルジェムが魔女反応を示していることに気がついた。

 近く、というほどでもないが、少し離れた場所にいるのだろう。このくらいの距離だったら……。

 

「あ、消えた」

 

 狩ってやろう。と思ったのだが……反応は綺麗に消失してしまった。

 

「……やれやれ、何なんだか」

 

 色々と釈然としない気持ちを抱えていたが、今日はもうやることもない。

 さっさと帰って、ワトソンを湯たんぽにして眠るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 ――路地裏。

 

 奴を追い詰めた。

 

 接触は許さない。

 見つけ次第殺す。

 

 引き金を引き、撃つ。

 飛び散る肉片。消滅した生命反応。

 

 ──いや、まだ居る。

 奴はまだ生きている。

 

 また追わなくては。

 無駄とわかっていながらも、奴を殺し続けなければ。

 

 

 

 

「っ……はぁ……」

 

 朝だ。

 跳ね起きて血流が回ったおかげで、目覚めの頭は存外悪くない。

 

 しかし、身体はともかく気分は別だった。

 問題は、ここ最近から見始めた不可解な夢である。

 

 暗く、陰惨な……。

 

「……」

 

 私は、起床した身体をそのままもう一度寝床に倒し、深く息を吐き出した。

 しばらくぼんやりと、無目的に天井を眺め続ける。

 

 病院と同じ、白い天井。

 想起されない思考停止のキャンバス。

 そこに色はない。何もない。私のように。

 

 だが、暁美ほむらの深層心理は、いつだって闇色だった。

 

「起きよう」

 

 これ以上考えても仕方がない。

 言葉を起爆剤に、勢いだけで起き上がる。

 

 そう、気分がどうしたというのか。私は私だし、暁美ほむらだし、花の女子中学生だ。

 もたもたしてはいられない。今日だって、やることは多いのだから。

 

 幸いなことにグリーフシードは前の魔女退治で集まっている。

 またしばらくは、自由行動に専念できるだろう。

 

「にゃぁ」

「ワトソン……そうだ、まぐろ缶があるんだけど。食うか?」

「にゃにゃにゃ」

「うん、良い子」

 

 夢の事を考えるのは、ひとまずやめよう。

 そう簡単に、そう早く記憶が戻るはずもないのだ。

 ゆっくり取り戻すことにしよう。焦ることなど何もない。

 記憶があろうとなかろうと、私が暁美ほむらであることは、紛れもない真実なのだから。

 

 

 

「……いただきます」

 

 朝食はバター醤油味だ。

 

 喉越しの良い麺である。つまりは流動食のはずなのだが、あまり喉を通らない。

 ……久しぶりに、食欲がないようだった。

 

「にゃ」

「……君は、よく食べるね」

「にゃぁー」

 

 このバター醤油をまぐろ缶を完食したワトソンに分け与えようとも考えたが、やめておこう。

 塩分過多だし、コレステロール値が上がるのは好ましくない。

 成長期のワトソンには、刺激の強すぎる食事だろう。

 

 結局、私は大半を残したそれはラップをかけて、冷蔵庫の中に保存することにした。

 

「……あ」

 

 冷蔵庫を開けて、思い出す。

 中には飲みかけのコーラが入っていたのだ。

 

 これは、昨日の族少女の忘れ物である。今日の夜に会えるなら、彼女に渡しておくべきだろう。

 私は名乗りの途中だったし、彼女の名前も聞いておきたいからね。

 

「……そうだ、ワトソン。今日は、ショーがあるかもしれない、覚悟しておくように」

「にゃ」

 

 任せろだと。私は良い助手を持った。

 

「それじゃあ、いってきます」

 

 



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お楽しみはこれからだ

 

「おや」

「あら、暁美さん」

 

 通学途中に出会ったのは、仁美だった。

 私が軽く手を上げると、彼女も上品に返してくれる。

 

「おはよう仁美。同じクラスなんだし、ほむらで良いよ」

「ふふ。ほむらさん、おはようございます」

 

 彼女との関係は別段悪くはないが、とびっきり良いというわけでもない。

 あまり二人きりで話したことのない相手だったので、もしやこれを機に親交を深めるチャンスなのではないか……。

 

「お、ほむらおはよー」

「おはよう、ほむらちゃん」

 

 と思ったが、そうでもなかった。

 さやかとまどかが揃ってしまって、いつものメンバーである。

 

 こうなると、仁美は会話から一歩引いたようになるというか、奥ゆかしく微笑むことが多くなってしまう。

 まぁ、本人はそれでも楽しそうにしているので、私がどうこう言うことでもないのだろうが……たまには仁美にも、自分を出した会話をしてほしいなとも、思ってしまうのだ。

 まぁ、この三人は常にセットでいることが多いのだ。わざわざその形を否定することもない。

 これからも三人の輪の中で、仁美とも仲良くやっていこう。

 

 魔法少女の素質がないからといって、親睦を深めない理由にはならないのだから。

 

「仁美」

「はい?」

「稽古事で手品を習って、私と一緒にペアを組まないか」

「え、えっ?」

「仁美が過労で死んじゃうって」

 

 ふむ。

 普段から稽古事で忙しいというのも大変だな。

 

 

 

「……」

 

 授業中である。

 授業。それは教師の放つ全ての言葉が、するすると耳から耳の向こう側へと、課税なしで通ってゆく時間のことだ。

 習うまでもなく、黒板にある全ての内容が私の中には網羅されている。学校生活そのものは新鮮だが、勉学に関しては非常に退屈なものなのだ。

 意表を突かれて問題を出されたとしても、適当に返事をして正答する自信は七割……いや、九割以上はある。

 

 好き勝手な考え事に没頭するには、最適な時間だった。

 

「えー確かに、出産適齢期というのは、医学的根拠に基づくものですが……そこからの逆算で婚期を見積もることは大きな間違いなんですね。つまり、三十歳を超えた女性にも、恋愛結婚のチャンスがあるのは当然のことですから、したがって、ここは過去完了形ではなく、現在進行形を使うのが正解……」

 

 中学生の範囲のようでいて、若干逸脱しているであろう教え方をする早乙女先生である。

 英語の時間なのに保健と道徳まで学べるとは斬新だ。

 

 なに、先生。貴女もコンタクトにすればモテるさ。

 もしくはソウルジェムで目を治すと良いだろう。

 

 ……なんて、心の中の戯言は置いといて。

 

「ふむ」

 

 私は英語ノートではなく、罫線の無い自由帳にマジックの案を書き連ねていた。

 早乙女先生の授業を脳と耳からシャットアウトし、口元を押さえ、じっと考え込む。

 

 ノートには、現在使っている小道具が書き出されており、隣のページにはこれから使いたい小道具が書かれている。

 それは私にとってマジックのための道具であるし、魔女退治で扱う武器でもあった。

 

 色々ある。全てを出そうと思えば、倉庫が何十個も埋まるほどには沢山あるだろう。

 

 しかし、何かが足りない。

 言葉ではなかなか言い表しにくいのだが……ひっかかるというか、物足りないのだ。

 漠然と、私のマジックには確定的に何かが不足している……そんな確信だけが、モヤモヤと膨らんでいる。

 

 ナイフでもロープでも花束でもない、何かもっと、別の……。

 

「それでここの意訳は……」

「わかった、炎だ」

「違います」

 

 違うものか。

 ついに見つけたぞ。真に私に必要だったものを。

 

 

 

「ふむふむ……ベンジン……ナフサ……いや、それよりもやはり……」

 

 昼休みは返上で、図書室から借りてきた化学書を読み耽る。

 様々な物質の化学的性質を調べ上げ、マジックに最適なものを選択していこうというわけである。

 

 今回扱うのは、炎だ。

 取扱いを間違えれば大惨事になってしまうので、自信はあっても予習は欠かせない。

 それに私の中にも爆発物や可燃物に対する知識はあったが、それだけでは足りない。 もっと様々な可燃物について学ばなくてはならないだろう。

 知識に穴があっては困るし、それを補完する意味でもね。今のところは、問題もないようだが……。

 

「む、難しい本読んでるね、ほむらちゃん……」

「まあね」

 

 危険物取り扱いの書。これはなかなか面白い。派手な演出のためには、こいつの世話になることも多いだろう。

 しかし危ないものに限って、なかなかに入手は難しいのだ。

 どこぞの基地に忍びこめばいくらでも手に入るのだろうが、それでは国の規模で迷惑がかかる。

 

 手軽に入手できるのはガソリンと一部のキャンプ用石油燃料、そしてアルコールといったところだろうか。

 しかし、アルコールの燃え方は地味なので却下である。

 火薬を調合もできるといえばできるが、あまりにも面倒臭い。花火は出来合いのもので足りるし……。

 実質、派手に爆発してくれるガソリンこそが入手のしやすさで見ても一番なのだろうが……。

 

「……そうだ、まどか」

「ん? なあに、ほむらちゃん」

「ここに三枚のカードがある。スペードの3、ハートのクイーン、クラブのキングだ」

「あ、マジックだね? うん、三枚ともそうだね」

「予言しよう、君はこのどれでもない、全く別のカードを引くだろう」

 

 カードを裏向きのまま差し出してやる。

 彼女はそれをどうしようか、手が迷っているようだった。

 

「今見たばっかりだよ? 引いてもいいの?」

「引いてごらん」

「えー……じゃあ、……これ!」

「当たり、トリシューラ」

「うわあ!? なんか変なカードになってる!?」

 

 さて、ポケットの余分なカードは処理できたが。

 燃料はやはり……他のものとなると単価が高いだろうし、量に対して安価なガソリンこそが至高だろうな……。

 どうにかして工面すべきだな。

 

「え、トリシューラじゃん」

「誰だよ持ってきたのー」

「えっ、いやぁこれはその、あのね、違うんだよ」

 

 そうだな。今日の放課後にでも探して……。

 

『暁美さん、いるかしら?』

 

 と、そんなことを考えていたらマミからのテレパシーが飛んできた。

 体感的に、上からだろうか。

 

『やあ、おはようマミ』

『今日はお昼は食べないの?お弁当、作ってきたんだけど……』

『今日もかい。ありがたい話だが、……実は、今日は少々食欲がなくてね……昼は抜こうかと』

『いけないわ! ちゃんと食べないと!』

 

 うわびっくりした。

 テレパシーで大きな声を出さないでほしい。頭がぴりぴりする。

 

「鹿目、まさかお前……やってるのか」

「え、あの、違うよ、誤解だよ……私こういうの全然……こんなの使えないし」

「! ……わかってるじゃないか……やはりか」

「決闘者としての風格は隠せなかったというわけだな、鹿目……」

「よし、デュエルだ」

「えー……」

 

 なんだかあっちが騒がしいな。

 まどかがモテてる? 意外と男子からの人気があるのか。

 

『まだ屋上にいるから、食べに来てね?』

『むむ。まあ、そこまで言うなら、善意を無駄にはできないね』

 

 食欲が無いのは事実だったのだが、用意してくれたものを無駄にはしたくない。

 それに、マミの作る食事はとても美味しいのだ。

 

 まどかの周りの騒がしさが少しだけ気になったが、私は今日も屋上に上がることにした。

 

 

 

「美味しいかな?」

「んー、そうだね、良い油っぽさだな」

「から揚げが好きなの?」

「上質なカロリーだからね」

「もう、ちゃんと野菜も残さないでほしいわ」

 

 すっかり馴れた青空の下のベンチでの昼食をとる。

 彼女の手の込んだ料理は美味しいが、私には色々な要素が多すぎるように思えてしまう。

 

 ケチをつけているわけではない。

 単に、普段から単品ばかりで済ませている私の胃袋が、これらを吸収しきれないような気がするのだ。

 一品だけあれば十分なのだが、きっとそれを言うとマミが傷つくし、怒らせてしまうだろう。

 

「暁美さんは今日も魔女退治に来ないの?」

「んー、今日は遠慮するよ。買いものに出かけるからね」

 

 大事な買い物だ。魔女退治でも使えるものだし、余裕のある今のうちに済ませておくべきだろう。

 

「お買いもの? なら、私も付き合うわよ?」

「いや、大丈夫だよ。きっと遠くまで足を延ばさなくてはならないし、色々と動き回るだろうから。付き合わせて、迷惑はかけられないよ」

「……そう、わかったわ」

 

 ガソリンの調達。セルフサービスのガソリンスタンドでも探さなくてはならないだろうか。

 あるいは普通に“くれ”とでも言えばいいのかもしれないが。

 もしかしたら多少なり強引な方法を使うかもしれないので、そんな場面はマミに見られたくなかった。

 

 

 



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ファン・ファン・ファン

 

 放課後である。

 私は学校でのあらゆる誘いを振り切って、見知らぬ町まで足を運んできていた。

 

「さあ行くぞワトソン、油田を探しに」

「にゃぁ」

 

 一旦帰宅して荷物を置き、わざわざワトソンも連れてきている。

 猫は犬とは違って付き添いで散歩するものではないのだが、外へ出てもしつこく足に擦り寄ってくるので、ならばいっそ一緒に……と運んできたわけである。

 

 確かに、たまには誰かと一緒に外に出て遊びたいだろうからね。

 これからも魔女退治以外の日は、こうしてちょくちょくワトソンの相手をしてやらねばならないだろう。

 もちろんマジックショーの手伝いもやってもらうが、基本的にはのびのびと外を歩かせてやりたいものだ。

 

「じゃ、ついてきてよ。ワトソン」

「にゃ」

 

 本当に良い子だ。私の言葉を理解し、よくなついてくれる。キュゥべえよりもずっと可愛げがある。

 いつか鳩が手に入ったとしても、私はワトソンを大切に、レギュラーとして優遇し続けるつもりだ。

 

 あ、でもワトソン、鳩を食ったりしないだろうな。

 今から心配になってきた。

 

 

 

「すみません」

「はい? 何かな」

 

 というわけで、私はガソリンスタンドにやってきた。

 

「ガソリン売って下さい」

「え?」

「火炎瓶を作るわけではないので、このペットボトルに……ちょうど一リットル分だけ。相場はあの看板に書いてあるので、お代はこれ……」

「いやいや、そんなことはできないよ」

「何故!?」

 

 どうしてだ。

 ちゃんと中身を空にして不純物を取り除いたペットボトルだぞ。

 材質が不満なのか? だったら他にもステンレスの水筒やアルミの容器だってあるが……。

 

「何故と言われてもね……車もバイクも無しで、ていうか君中学生くらいでしょ」

 

 ふむ、なるほど。

 乗用車がなければ売れないと。そんなつまらない柵にとらわれているわけだな。

 マニュアル仕事というのも大変だな。しかしまぁ、危険物は危険物だ。販売にそのような制約がかかるのも、わからないではない。

 

「わかりました、では望み通り車かバイクを持ってきて……」

「君、免許ないでしょ?」

「……」

 

 私は十四歳だぞ。そんなものあるはずがない。

 

「危ない物に憧れる年頃なのはわかるけど、やめときなさい。そういう事して大変な事件に発展すると、後で絶対に後悔するからね。……君、どこの中学生なのかな? 学校の名前は……」

「もういい、この話は無かったことにしてもらう」

「えぇ、ちょっと君……」

 

 なんて聞きわけの悪い大人だろうか。たかがリッター百数十円の液体のために大げさな。私はただ純粋にガソリンを派手に燃やしたり爆発させたいだけだぞ。

 だがしかし、食らいついたところで相手が折れそうにはなかったし、これ以上話していると面倒なことになるであろう予感がしたので、私はそそくさと現場を去ることにした。

 

 やはり、無人のガソリンスタンドに行くべきだったか……。

 だが、諦めないぞ。工業地帯にでも行けば、他にも丁度いい入手先があるはずだ。

 いざとなれば、あの灯油ポンプを使ってでも手に入れてやる。

 

「行こう、ワトソン」

「んにゃにゃ」

 

 

 

 

 

「動かないんだ……もう、痛みさえ感じない。こんな手なんて……」

 

 夕焼け空を背に呟くように語る上条恭介に、さやかはすぐに言葉を返せなかった。

 幼馴染を襲った大きな不幸は、入院が長引くごとにその陰を増している。

 

「恭介……大丈夫だよ、きっと……リハビリだって頑張ってるし、恭介ならきっと……」

 

 さやかのボキャブラリーは、決して貧弱ではない。

 他人の心を機微には、人一倍敏感でもある。

 しかしもう、彼女には使い古したような、根拠のない励ましの言葉しか残っていなかった。

 

「……諦めろって言われたのさ」

「……!」

「もう演奏は諦めろってさ……先生から直々に言われたよ」

 

 そしてもはや中途半端な励ましでさえも、無意味になった。

 

「今の医学じゃ無理だってさ……もう、ダメなんだ。僕の手はもう二度と動かない……奇跡か、魔法でもない限り、絶対に……」

 

 奇跡。魔法。そう。そんなものがなければ、救われない段階にあったのだ。

 

(……私は)

 

 それでも、さやかは知っている。

 高度な医療さえ凌ぐ奇跡や魔法が、この世界には確かに存在することを。

 

(ああ、恭介……私……)

 

 気がつけば窓際には、奇妙な白猫が座り込んでいた。

 その白猫こそ、奇跡と魔法の象徴。少女の願いを叶える、運命の使者。

 

(キュゥべえ……)

「君の願いは、彼の手を治すことかい?」

 

 白猫は、さやかにのみ聞こえる声で問いかける。

 彼女が望めばそれは速やかに成就することだろう。

 

(私は……私はっ……!)

 

 願うだけ。首を縦に振ればいい。戦いの運命を受け入れれば、それだけで。

 だが、やはりさやかは答えを出せなかった。

 

「……ごめん」

「え?」

 

 長い沈黙を嫌ったのは、恭介の方だった。

 

「もう、帰ってくれないか……さやか。……一人にさせてくれ」

 

 好転しない純粋な絶望を前にすれば、励ましや共感など、何の意味もない。

 取り返しのつかない心の傷を癒せるのは、きっと諦念を受け入れたときだけであろう。

 少なくとも上条少年は、そんな未来を悟りつつあった。

 

「……またね」

 

 為す術はない。ただ、彼は深すぎる悲嘆と真正面から対峙しているのは、間違いない。

 では、自分はどうなのだろうか。

 適当な励ましで彼に現実的でない希望を持たせ、傷つけ、ただ自分だけが良い子になりたかっただけなのではないか。

 

 そう思うと、さやかは途端に自分が情けなくなって、それは悲しい気持ちと綯い交ぜになり、逃げるように病院を立ち去ったのであった。

 

 

 

「本当にいいのかい? さやか」

 

 さやかは病院の外にある、誰も通らないような寂れた公園にいた。

 しばらくそこのベンチに座り込み、無言で項垂れていたのであった。

 

「……うん。いいの」

「まあ、全て君が決めることだからね。けど、君が望めば彼の病気は完治する。それだけは……」

「……それも、駄目なんだよ。私」

 

 キュゥべえの言葉を遮るように、さやかは首を横に振る。

 

「だってあたし……恭介のこと、ただ“かわいそう”って……そんな軽い気持ちで見ちゃってた。ただ、哀れんでいるだけだった……」

 

 治してあげたい。悲しい顔をしないで欲しい。それは確かに本心だろう。

 だが、さやかは今まで彼の気持ちを、本当に親身になって考えてはいなかったのではないかという考えに至ってしまったのだ。

 

 甲斐甲斐しい幼馴染。そう言えば聞こえは良かった。少なくとも親友のまどかは、そう思っているだろう。

 だが音楽CDを買うのも、何度も見舞いに足を運ぶのも、無責任に“大丈夫だ”と励ますのも……病気に立ち向かう彼の不安定な心境を、深く考えてのものではない。

 魔法少女に出会った今では違う。だが、数日前までは、そうだったのだ。

 

「あたしが魔法少女になって恭介を治すのって……きっと、そうなんだよね。あいつに笑ってほしいんじゃなくて……私に、笑ってほしい。そんな汚い理由なんだ」

「それは……」

「ごめんね、恭介……あたし、嫌な子だったよね……」

 

 キュゥべえは理解し難いとでも言いたげに首を傾げた。

 

「僕も君達の判断を尊重するから、無理強いはしないけどね」

「なんだかごめんね、キュゥべえ。私が優柔不断なせいで……」

「いいさ。気が変わったら、いつでも呼んでくれ。僕は君の力を必要としているからね」

「……あたしなんて、なんにもできないよ。恭介の手を治すことができるのに……できるのにやらない……怖いんだ、治したその後が」

 

 さやかの両手は震えている。

 

「魔法少女になって、魔女を倒してさ……けど、その見返りは恭介じゃないと釣り合わないのよ。私は、恭介のバイオリンを聞きたいってだけじゃ満足できなくて……恭介自身も、ほしがってたんだよ……」

「! さやか……」

 

 キュゥべえは人の心に明るくない。

 だが、異常に落ち込んださやかの様子から、ただならぬ状態であることは察知できた。

 

「こんな私だから恭介は嫌いになったんだ。こんな私だから……」

「まずい……魔女の口づけだ。さやかが操られているなんて……早くマミに知らせないと」

 

 心の弱った人間を洗脳し、破滅へと誘う――魔女の口づけ。

 

 さやかの首筋には、箱マークの小さな入れ墨が刻まれていた。

 

 



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そこにいただけのトリックスター

 

(はあ、今日もほむらちゃんは凄かったなぁ……色々と)

 

 まどかはいつもより少し遅めの帰路についていた。

 

(あれから男子たちの妙な熱気から逃げるのに大変だったよ……疲れたなあ)

 

 何故か。それは実のところ、彼女自身にもよくわかっていない。

 どういうわけかいつも以上に気迫のある男子達に囲まれ、奇妙な話やら説明やらを受け続けていたのである。

 

 それは非日常的な慣れない熱気であったのだが、それでも日常の内にある非日常であることには違いない。

 ここのところ彼女、鹿目まどかを取り巻いている本当の“非日常”は、思索に耽るたびに何度でも頭を過ぎっている。

 そう、ふと夕陽を見上げた今この瞬間でさえも。

 

(……ほむらちゃん、マミさん。ほむらちゃんはちょっと変わってるけど……すごく格好良い)

 

 思い浮かぶのは、二人の魔法少女の姿。

 まどかは知る由もないことだが、二人とも平均からは大きく上回るほどに、華麗な戦いを追い求める魔法少女である。

 

(マミさんは大人で、頼れる先輩で……やっぱり格好良い)

 

 演出を、見た目を重要視する戦い方。それを下支えする、確かな実力。

 良くも悪くも、二人の魔法少女を見たまどかは、より大きな理想に憧れを抱いていたのであった。

 

(私も魔法少女になれば、二人みたいに格好良くなれるのかな……こんな私でも誰かの……あれ?)

 

 考えながら歩くまどかの前を、二人の見慣れた少女が横切った。

 

 志筑仁美。そして美樹さやかである。

 口には出していないが、近頃この二人の間で会話がどこか硬かったのをまどかは感じていたので、こうして二人が一緒に歩いているのが珍しく思えていた。

 

 いいやそれよりも、とまどかは首を振る。

 

 

 ――確か、今日は仁美ちゃんのお稽古じゃなかったっけ

 

 

「仁美ちゃーん! 今日お稽古ごとは? どうしてここに……」

「はい? あらー鹿目さーん」

 

 仁美は普段よりはよほどおっとりした口調で、返事を返した。

 

「さやかちゃんも……あ」

「……ん、どうしたの、まどか……」

 

 仁美は違和感なかった。が、普段から快活なさやかの姿を知っているまどかは、彼女の様子に強い違和感を覚えた。

 そして、彼女のショートカットから覗ける“それ”を見て、息を呑んだ。

 

(首元に、あの時と同じ……!)

 

 魔女の口づけ。

 以前、一瞬だけ見てしまったOLの無残な死体がまどかの脳裏を過ぎる。

 ほとんど反射的に仁美の髪を手で漉いて寄せてみれば、彼女の首にも全く同じものが刻まれている。

 

 二人は既に、魔女に操られている。

 

「ね、ねえ二人とも、どうしたの? もう遅いよ、お家帰らないとだめじゃないかな……」

「あらあら、ふふ、心配症ですわ鹿目さん」

「そうだよ、帰る所なんてないよ……そんな資格ないんだよ……」

 

 話が通じているようで、通じていない。普段の二人ではない。

 少しでも会話を途切れさせてしまえば、何事もなかったかのように再び歩き出す様子を見れば、それはすぐに確信できた。

 

「だ、だめだよ帰ろうよ。ねえ、さやかちゃんしっかりしてよ……!」

「行こう、仁美」

「はいー」

「だ、ダメだってば……!」

 

 多少手首を掴んだ所で、二人が止まる様子はない。

 さやかと仁美は、ゆっくりとではあるものの、着実に魔女の元へと歩みを進め続けていた。

 

(あああ、大変なことになっちゃった……! 早くほむらちゃん……ああ、携帯番号わかんないよう!)

 

 急いで携帯を開いても、アドレス帳のあ行に目当ての相手はいない。

 数年来の友人のように思えた彼女の連絡先が一切無い。だが、まどかにそんなことに驚いている暇はなかった。

 

(そうだマミさん! マミさんならきっと大丈夫……! マミさん!)

 

 二つ目の相手。頼れる先輩のアドレスと番号は登録されていた。

 コールをかけてみれば、三回鳴るまでもなくすぐに通話が繋がった。

 

『鹿目さん!? ごめんなさい、今急いでいるから……!』

「マミさん! 大変なんです、さやかちゃんが……! い、いや、仁美ちゃん、あ、友達も……でも多分、もしかしたらもっと大勢の人が……!」

『キュゥべえから聞いたわ! ちょっと遠いけど……! 全力でそっちに向かってるから!』

「お願いします! 来てください……!」

 

 どうやら電話の向こうのマミもまた、既に行動している最中らしい。

 よほど急いでいるのだろう、マミとの通話はすぐに切れた。

 

(……あとは、私にできることはない……よね)

 

 マミに事情は伝えた。ほむらはいない。

 後、まどかにできることは……無かった。

 

(……二人の後を、追わなきゃ)

 

 それでも、全てを人任せにしたまま安全地帯に隠れられるほど、まどかは呑気な性格をしていなかった。

 さやかと仁美の歩く先には、必ず魔女がいる。そうだとわかってはいても、彼女は追わないわけにはいかなかったのだ。

 

 

 

(ああ、どんどん人気のない所に入っていくよぉ……)

 

 とはいえ、通行人の一切居ない、自分が歩いたこともないような辺鄙な場所にまでやってくれば、不安は募るし、心細さも高まってゆく。

 

(ここどこ? 工場……? 人気がないし……使われてない所なのかな……)

 

 さやかと仁美以外にも、虚ろな表情で建物へ入ってゆく人々がいる。

 老若男女様々だが、共通して自我らしきものが無く、状況を訝しむ様子はない。

 

 そして工業に無知なまどかにとって、ここが一体どのような工場であるかなど知り得なかった。

 電車やモノレールの重要部品を製造、組み立てする工場であるが、辺りから漂う慣れない油臭さは、彼女にとっては全く未知のものだ。

 それが魔女とは関係ない日常の要素だとしても、恐怖心は否応なく刺激されてゆく。

 

(沢山の人が集まってきてる……この人たちがみんな、魔女のせいで……!?)

 

 広い工場に集まってきた人々は、十人、二十人、そして三十人に達しようとしている。

 こんなにも多くの人々がどうするというのか。

 これから一体何が始まるというのか。

 

 まどかにはわからない。彼女はただ、脚を震わせてそこに居ることしかできなかった。

 

 

 ――シュコ、シュコ

 

 

「ひっ……!」

 

 音が聞こえた。

 空気の抜けるような、水の抜けるような音。

 

 それは少なくとも、まどかの日常には存在しない音であった。

 

 

 ――シュコ、シュコ

 

 

(何、何の音……? あっちの物影から聞こえてくる……!)

 

 奇妙な音は断続的に続いている。

 それは、建物に外付けされた軽トラックのある辺りからだろうか。

 何かの呼吸音なのか。だとすればどのような化物なのか……想像だけが先走り、焦燥が増してゆく。

 

「だ、誰か…そこにいるの?」

 

 まどかは音の聞こえてきた方へ、反射的に誰何した。そして後悔する。

 

(声かけちゃったけど……ま、魔女とか使い魔だったらどうしよう……)

 

 魔女の口づけを受けた人たちは喋っていない。

 しかしこうして喋りかけた自分は……大きな物音を出した人間だ。

 そこに潜むものが害意のある存在であれば、間違いなくまどかの命が狙われるだろう。

 

 しかし。

 

「その声は……」

「……あれ?」

 

 物陰から聞こえたのは、どこかで聞いた声だった。

 

「……まどか? か?」

 

 そして車の陰から顔を出したのも、やはり知った顔であった。

 同じクラスの転校生、謎多き美少女、暁美ほむらである。

 

「……ほむらちゃん?」

「ああ」

 

 ほむらは何も考えていないかのような顔で頷く。

 このような状況で無責任なまでに頼もしい姿に、まどかはようやく、長い緊張から解き放たれた気がした。

 

「あ、ありがとう! 来てくれたんだね……!」

(……あ、魔女反応出てる)

 

 当の彼女は今更ソウルジェムを確認して魔女反応と異変を察知したのだが、まどかは知る由もない。

 

 



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塔を揺るがす砂嵐

 

 人目を忍んで閑静な工場地区まできたというのに、気がつけば辺りは随分と騒がしくなっていた。

 いや、騒ぎというか、人通りが多いなとは思っていたのだ。だからこそ、こうして廃工場の中で、こそこそと燃料採集をしていたわけで。

 

 しかし、まさかそれが魔女の仕業だとは思わなんだ。

 どうやらこの人々は、魔女の口づけを受けた人間らしい。

 人々に混じってまどまどしているまどかは違うようだが……。

 

「うふふふ……」

「恭介……」

 

 ――群衆には、仁美とさやか。親しい二人の姿が見えた。

 

 うつろな目で、おぼつかない足取りで。二人を含めた人々は、次々と廃工場の奥へと入ってゆく。

 当然、見過ごせるはずもない。

 

「おい、さやか。仁美」

 

 一応声を掛けたものの、無反応。二人はゆらゆらとおぼつかない歩調で歩いてゆくばかりだ。

 夢遊病というにも、徘徊癖というにも無理がある状況だろう。

 

「お願いほむらちゃん、早くさやかちゃんたちを助けてあげて……!」

「わかってる、必ず助ける」

 

 さやかも仁美も私の大切な友達だ。

 絶対に、魔女に殺させてなるものか。

 

「そうだよ、俺は、駄目なんだ……こんな小さな工場一つ、満足に切り盛りできなかった……」

「今みたいな時代にさ、俺の居場所なんてあるわけねぇんだよな……」

 

 集団を率いているのは……幸薄そうなおじさんだ。

 ひょっとすると、この人の車から燃料を取ってしまったのかもしれない。

 まあ良い。魔女の脅威から助けてやるんだ。それでチャラにしていただこう。

 

「ふん、何をしてる、渡せ」

「あっ……」

 

 集団の一人が、バケツに二種類の業務用洗剤を注ぎ込もうとしている最中だった。

 私はうつろな女性から塩素系のそれを奪い取り、また丁寧に中央に置かれたバケツも掴み取った。

 そして二つを窓の外へ向かって、全力で。

 

「っはぁあッ!」

「きゃっ……!」

 

 投げた。

 喧しい破壊音と共に、二つの化学的脅威は窓の外へと去っていった。

 いや、ひょっとすると窓の外で混じっているのかもしれないが。

 ……心配になってきた。いや、屋外だから大事には至らないだろうけども……。

 

「なんてことを……」

「よくも儀式を……!」

 

 しかし危険な状況から助けてやったというのに、操られている人々はお怒りの様子だ。

 何故こうも憎まれ口を叩かれなければならないというのか。

 不快なので、さっさと魔女を片づけるとしよう。

 

 

 

「ひぃ……音が聞こえるよぉ……」

 

 けたたましいノックの音が響いている。

 防火扉に、鉄製の作業台によるバリケードが叩かれている音だった。

 襲い来るアグレッシブな自殺志願者たちは、私が築き上げた障害物を前に為す術がないようだった。

 強くドアを叩く音こそ聞こえてくるが、このドアを破って侵入するよりは、きっと壁を破壊した方が早いくらいだろう。

 

「何人がかりで押してこようが、鉄製の作業台を五台もバリケードに使ったんだ。心配せずとも、開きやしないさ」

「す、すごいね……」

「後で直しておかないと、工場長が普通に自殺してしまうかもしれないな」

「う……ほむらちゃん、できれば後で……」

「もちろん元通りにするよ」

 

 窓ガラスは既に割ってしまったがね。ま、それは必要経費ということで。

 

 で、それはさておきだ。

 この部屋に来たからには、やることをやらねばならないだろう。

 

「……さあ、魔女の空間に入るぞ」

 

 魔女反応があるとわかってしまえば、結界のある部屋はすぐに見つかった。

 あとはここに飛び込んで、魔女を殴りつけるばかりである。

 いつまでもあの扉をノックさせていては、人々が手を痛めてしまう。さっさと倒さねばならないだろう。

 

「……ほむらちゃん。私も、ついて行っていい?」

「死んでも構わないというのであれば」

 

 そっけなく私が言うと、まどかは背筋を伸ばして驚いた風だった。

 ……ちょっと意地悪しすぎたかな。

 

「ふ、冗談だよ」

「な……なあんだ……でも、うん。気をつけるね」

「大丈夫、まどかは私が必ず守るさ」

「ほむらちゃん……」

 

 

 ――そう、貴女を守る私になる

 

 

「ッ……つ……!?」

 

 突然の痛みが、右側頭部を襲った。

 衝撃とも呼べる一瞬のそれに、思わず片膝が崩れ落ちかけてしまう。

 

「ほむらちゃん!?」

「だ……大丈夫。ただの、片頭痛だ」

 

 今の頭の靄は一体何だ。

 頭痛は……めまいは……いや、平気だ。今は、なんともない。

 

「……さあ、魔女を倒そう」

 

 ……気にすることはない。

 ただ、たまたま体調が悪かっただけ。

 

 検証は後だ。今はただ結界へと足を踏み入れれば、それでいい。

 

 

 

 結界内部は、狭かった。

 縦長の穴のような空間で……ふわふわと浮かび上がってしまいそうな、そんな特殊な結界である。

 

『hyahhhh』

『fufffffff』

 

 ゆらゆらと身体が木の葉のように不安定に落ちゆく中、姿勢制御もままならないというのに、羽を生やした天使のような使い魔がやってきた。

 それも二体同時。連中の攻撃手段はわからないが、あのニヤケ面を見る限り、きっとろくでもないものだろう。

 

「ひゃあ……! わ、わ、か、身体が……動けないよっ!?」

「なに、心配はいらない」

 

 

 *tick*

 

 

 小さな結界みたいで助かった。急いでいる時には嬉しい手合だ。

 敵の強さがどうであれ、それは私にとっては関係ない。探す手間が省ければ、あとは本体を軽く壊してやれば良いだけなのだから。

 

 

 *tack*

 

 

「1.パントマイムの見えない壁」

 

 接近してきた二匹の使い魔が突如として結界の端まで吹き飛ばされ、消滅する。

 その光景はまるで、見えざる壁に跳ね返された……かのように見えたことだろう。

 

「……すごい」

 

 だろう? ……うんうん、やはりギャラリーがいるのは良い。

 

「さてさて。使い魔も弱いとなれば、魔女も大した事のない相手だろう。さっさと片づけ、さやかと仁美を救い出そうか」

 

 大して広くもない結界だ。

 私が気配のする方へ顔を向ければ、それに触発されたのか、翼の生えたブラウン管のような魔女が舞い降りてきた。

 

「ひっ……」

 

 いや、ブラウン管というよりはパソコンだろうか。

 どちらにせよ、あちらは使い魔を殺されて怒っているらしい。

 

『th――……zhzhzhzh――……』

 

 モニターは明滅と共に、砂嵐を映している。

 不気味な姿だが、大抵の魔女がそんなものだ。慣れていれば、恐怖はない。

 必要なのは、私の後ろで恐怖するまどかを楽しませるほどの……快勝だけだ。

 

「さあ、ショータイムと参りましょうか」

 

 ハットを持ち、深々と挨拶する。

 やれやれ、今日は魔女と戦わないと決めていたのだが。

 それでも、出会ってしまったからには仕方がない。

 

 

 *tick*

 

 

「いきなり平手とは御挨拶だな」

 

 魔女は頭を下げた私を無防備と見たのか、モニターの身体を回転させ、翼をこちらに打ちつけようとしていた。

 相変わらず、少し隙を見せてやればすぐにこれだ。常に後の先を譲ってくれるのはありがたいね。

 

 しかし、こちらが挨拶しているというのに、無言で攻撃を仕掛けてくるとは……いただけないことだ。

 そんな無礼者には、こうしてやろう。

 

 

 *tack*

 

 

「2.輪切りトロピカルコースター」

『――ththht!?』

 

 翼に巻きついた鋼線は、長めのソードによって外壁に固定されている。

 私の魔力によって更に強度を増した鉄線は、非常に鋭いものだ。

 

 魔女の翼のひとつは、自らの勢いによって三つに切断された。

 それまで飛行制御が万全だった魔女の身体が、痛みを訴えるように不安定に揺れ動く。

 

『zhzazazzaza!』

 

 お次はモニターの中から先程の使い魔を召喚しようと目論んでいるらしい。

 気持ち悪い顔の量産天使が、五匹飛んでくる。

 

 

 *tick*

 

 

 だがその使い魔は先程の攻撃で、簡単に対処できる相手だとわかっている。

 

「しかし、本当に弱い魔女だな」

 

 下手をすれば、時間を止めない私でも倒せるかもしれないぞ。

 念には念を入れて、しっかり戦うけどね。

 

 

 *tack*

 

 

「3.レスターのナイフ」

 

 モニターから現れた全ての使い魔は、カットラスによって串刺しにされた。

 

『pyyyyyhyhyyyyhyyy!』

 

 同時に、よわっちい魔女のもう片方の翼も切断された。

 これで飛行能力は完全に失われたも同然だ。おそらく、後は申し訳程度の機動力しか残っていないだろう。

 つまりは、ほとんどこれで詰みというわけだ。

 

 全く。最近の魔女からは戦う気力というものが感じられないな。

 腑抜けすぎではないだろうか。これでは演出して盛り上げようにも限界があるぞ。

 

「全く、これではショーじゃなくて、まるでスナッフムービーだな」

 

 結界の地面に横倒しにされたモニターを蹴っ飛ばし、ダメージを与える。

 無抵抗な魔女は二、三回宙を舞って、こちらに画面を向けるようにして落下した。

 

 ここまでくればもはや、粗大ごみ相手に戦うようなものだ。

 相手が抵抗する様子もないし、後は一方的に傷つけるだけで済むだろう。

 

「終わったの……?」

「これから消えてもらうさ」

 

 魔女に歩き、近づく。

 まどかも結界内の浮遊感になれたのか、慣れない足取りでついてくる。

 魔女に歩み寄るというのも、本当はリスクのある行為なのだが……こいつの場合は問題もないだろう。もはや、こいつに害はない。

 

『zhzh――』

「……ん?」

 

 砂嵐の画面に、うっすらと何かが映っている。

 

「……? なにこれ……?」

「――あ」

 

 

 それは、いつも夢に出てくる陰惨な――

 

 ――私の、過去(深層心理)

 

 

 



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わからなくてもいい。(何も伝わらなくてもいい。)

 

 瓦礫の大地。

 

 私の袖。

 

 黒い銃。

 

 誰かの手。

 

 ソウルジェム。

 

 嗚咽。

 

 発砲。

 

 硝煙――。

 

 

「っ……ぁぁあああぁああッ! そんなものを見せるなッ!」

 

 魔力を込めたステッキが、魔女のモニターをたたき割る。

 

「それは私ではない! 私は私だ!」

 

 何度も何度も、割れたガラスの奥まで叩く。

 画面は既に無数のヒビと割によって見えなかったが、それでも叩き続ける。

 

 壊さなくてはならない。

 抹消しなければならない。

 

 私の過去を。暗すぎる記憶を。

 

「そんな暁美ほむらなんて、私ではない! そいつはもう居ない! 私は……!」

「ほむらちゃん……?」

 

 振り向くと、まどかが私を見ていた。

 

 なんだまどか。どうした。その表情はなんだ。

 私は……魔女を倒したんだぞ。なのにどうして、そんなに……怖そうな顔をする必要があるんだ。

 

「今の、画面に映ってた腕って……ほむらちゃんの、だよね……?」

「あれは……!」

 

 あれは私だ。私が一番よくわかっていないが、わかっていなくてはならない、いつかの私だ。

 でも、違う。あれは私ではない。

 

「あの、画面で銃を持って……」

「違う! あれは魔女の……!」

「ソウルジェムって、魔法少女の魂なんだよね……!?」

 

 結界が崩壊してゆく。崩れ去る。

 音を立てて。何もかもが。私の築いた砂の城が。

 

 ショータイムが、終わる。

 

「……暁美さん? 今の、見てたけど……どういうこと……?」

「マミ……!」

 

 裏口から入ってきたマミの表情を見て、私は固まった。

 彼女の浮かべる表情が、まどかと同じだったから。

 

 マミも見たのだ。 あの忌々しい魔女のモニターを。

 私の内面を移した……忌々しくも、笑い飛ばすことの出来ない……おそらくは、真実を。

 

「ほむらちゃん……?」

「今の魔女は精神攻撃をしてくるタイプの魔女かしら……けど、なんというか……完璧な幻覚というわけでも、なかったみたいだけど」

 

 二人の目が私を刺す。冷静ではいても、私を観察するような、窺うような目だ。

 

 ……あの魔女はもっと早く片を付けておくべきだった。

 そうすれば……。そうすれば……私は、私のままでいられたのに。

 

 中途半端に甦ってきた暁美ほむらの破片が、私の世界を傷つける。

 完全に戻ってこないくせに、今の私の邪魔をする。

 

 根暗のくせに。眼鏡のくせに。

 

「えっと、暁美さん……今の映像、どういうことなの?」

 

 魔法少女を殺した映像を見て、触れるべきか、触れずにおくべきなのか、恐れ戸惑うマミの顔。

 人を殺した私に怯えるまどかの顔。

 

 どうしてそんな顔、するんだよ。

 あれは、私ではないのに。

 

「モニターのあの手は、暁美さんの手」

 

 マミが私の袖を指差す。

 

「そしてその手に持った銃が撃ち抜いたのは……ソウルジェム、よね?」

 

 知るか。私が知るものか。

 訊くなよ。訊かないでよ。

 暁美ほむらがやったことの全てを私が関知しているわけがない。

 

 彼女がやったことで私が知っている事といえば、……魔法少女殺しと、あと猟奇的な連続殺人かなにかと、……。

 

「答えてよ! 答えてくれなきゃ、私もわからないよ……!」

 

 暁美ほむら! 君は何をしている!?

 君は何をやってきた!? 何故あんなことを!?

 

 どうして私が!

 無関係な私を巻き込むなよ!

 

「私は……知らない! 私はやっていない!」

「暁美さん!?」

 

 私は叫んだ。それしか言えなかったから。

 

 

 *tick*

 

 

 弁明もできない私に許された行動は、時間を止めて逃げることだけ。

 過去への不信、マミの声、まどかのおどおどした表情、頭にかかる靄とノイズ、全てが鬱陶しかったのだ。

 こんな場所にはもういられたものではない。

 

「私は……暁美ほむらじゃない! 暁美ほむらの事なんか、何一つ知らない! 知りたくもない!」

 

 裏拳が壁を砕き、三発目には大穴が開く。

 工場長がどうなろうと、もう知らない。

 

 

 *tack*

 

 

 私は離脱した。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 美樹さやかは慣れない寝心地に目を覚ました。

 気付けば既に夜で、バス停の椅子にもたれるようにして眠っていたのである。

 

「さやかちゃん……大丈夫?」

「まどか? 私……あれ?」

 

 その上、隣では仁美が肩に持たれるようにして、同じように眠っている。

 

「え? 何このシチュエーション、なんでこんなところであたしと仁美が寝てるのよ……」

「気がついた?」

「マミさん」

「美樹さん、魔女の口づけを受けていたのよ……危ないところだったわ」

「私が……!? えっうそ」

 

 思わず手鏡で首元を見ようとするが、それらしき痕は見当たらない。

 

「ほむらちゃんが助けてくれたんだよ、魔女をやっつけてくれて……」

「え、ほむらが? ……うーん、あいつには頭があがんないなあ」

 

 さやかは困った笑顔を浮かべて頭を掻いた。

 が、まどかとマミはそれに対し、何と言えば良いのかわからないような顔を浮かべている。

 

「ん? 二人ともどうしたの? 暗い顔して……まさか、ほむらが魔女に!?」

「ううん、そうじゃないの。暁美さんは難無く魔女を倒したわ、けれどね……」

「けれど……?」

 

 ほむらが魔女を倒してくれた。しかし、ほむらはこの場にいない。

 暗い可能性が頭を過ぎったが、そうではないのだとマミは言う。考えてみても、さやかにはわからなかった。

 

「……ほむらちゃん……なんでだろう」

「それが……色々と、あってね。私達もまだ、よくわかっていなくて。でも……暁美さんのこと、何かあるかもしれないから……美樹さんには伝えておくね」

「?」

 

 

 

 

 見滝原。

 ここは、暁美ほむらが転校し、新たな生活を送るはずだった場所だ。

 当初の私は、暁美ほむらがこの街で暮らしていけるように……学校生活を卒なくこなし、友人を作り、魔女を狩っていた。

 ……記憶を取り戻し、引き継いだ後の事を考えて行動していた。

 

 だが、夢で見るのだ。

 一度や二度でなく、何度も何度も。夢の中で暗躍する、私視点による奇妙な記憶の片鱗を。

 

 暗い世界で、私は何人もの誰かを殺し、魂を砕き……後ろ暗いなにかを続けていた。

 

 魔法少女を何人殺したのだろう。

 何を殺し続けていたのだろう。

 何を設置し、何を企んでいたのだろう。

 

 わからない。記憶は完全に戻らず、彼女の人格も見えてこない。

 

 けどね、暁美ほむら。

 記憶を取り戻していない私でもわかるんだよ。

 

 ()は危険だ。

 

 

(私は、記憶を取り戻してはいけない……)

 

 記憶が戻るだけならいい。

 罪深い過去を再認識する。それはおそらく受け入れがたいことだろうが、良いだろう。背負えと言うならば、背負ってやろう。それもまた、私の責任だ。

 けど、記憶だけでなく、暁美ほむらの感情が再び戻って来ることが、私はそれ以上に恐ろしかった。

 

 もしも前の暁美ほむらの人格に戻ってしまったら、その時に私は何をするのだろう。

 この平和な見滝原で。

 マミを手にかけるのか?

 この町を、荒野に変えてしまうのか?

 

「……ワトソン、私はどうすればいいのかな」

 

 路傍を振り向けば、そこには何の影もない。

 

「ワトソン……」

 

 ワトソンは隣にいなかった。

 ……急いでいたから。そのせいで、工場ではぐれてしまったようだ。

 いや、ひょっとするとワトソンもまどかやマミと同じで、血なまぐさい私の本質に気付いたのかもしれないが。

 

 



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遠い誰かの憧れを夢見て

 

 

 どうしよう。どう弁解しよう。

 

 “あれは私じゃない”。それは事実だ。あれは暁美ほむらだけど、私ではない。

 しかしあれは……確かに、私でもある。無関係だと突っぱねるのには、無理がある程度には。

 

 私はあのとき、マミやまどかの前で取り乱してしまった。……今さら、何を取り繕っても遅いだろう。

 ……でも。

 

 “実は私は記憶喪失なんだ。”

 

 ……それだけは、言いたくない。知られたくない。

 それに、言ったとしてどうなるというのだ?

 私はもう、暁美ほむらを取り戻したいわけじゃないのだ。できればもう、過去の暁美ほむらとは無縁でいたいほどに。

 ……何より、そんな私は、格好悪いから。

 

 

 

「おいおい。さっきからバーにボールくっつけたままじゃねーか。発射しろよ」

「……ああ、隊長か」

「はぁ? なに訳わかんないこと言ってんだよ」

 

 不良少女が私の隣の椅子に座った。

 

 私がゲームセンターへ来る目的は、もはや無くなった。

 かつて好きだったであろうゲームを見つけようとする必要もないし、わざわざ記憶を取り戻すのは逆に、危険であるように思える。

 仮に遊ぶとしても、昼間の健全な見滝原のゲームセンターだけで十分だろう。ここまでくる必要もない……。

 

 ……けど、彼女と会うのは悪くなかった。

 

「何かあったのかい?」

「ああ、まあね……誤解されてしまったというか、いや、事実ではあるんだけど……」

「ふーん」

 

 彼女はどこかそっけない態度だけど、今も私の隣に腰掛けて話を聞いてくれている。

 なんというか、見た目や言い方は結構サバサバしているんだけど、親身になってくれるのだ。

 それはまるで、はぐれ者をまとめ上げる、レディースかなにかの隊長のように……。

 

「なあ隊長……」

「誰だよ。杏子だ、キョーコ」

 

 そんな名前だったか。今さら知った。

 ああ、そういえばお互いに名前を名乗らないまま、別れたのだっけか。

 

「杏子……」

「まあまあ。せっかく名乗ったんだ、あんたの名前も教えてよ」

「私は……」

 

 暁美ほむら。

 ……私は、暁美ほむらなのか?

 

 ……違う。だから、言いたくない。

 けど私には、この名前しかなかった。

 

「……暁美、ほむら」

「よろしくな、ほむら」

 

 ポッキーを一本渡された。それを少々はしたないと思いつつ、口で受け取る。

 

「よろしく、杏子」

「おう」

 

 近づいてみて気がついた。

 杏子の口、キャベツ太郎くさいな。

 

 

 

「ふーん……まぁ、話が全体的に、端折られてていまいちよくわかんなかったけどさ。要するに、友達に今まで通り接してほしいってこと?」

「ああ……」

 

 私は色々とぼかしつつも、杏子に悩みを打ち明けた。

 不透明な部分も多くてもやもやするだろうに、それでも彼女は聞いてくれた。

 

「……そうか」

「どうすればいいと思う、君なら……」

 

 私には友達と呼べる者が少ないから、相談できる相手もいない。

 記憶の中にそんな経験も無いし……正直、今は……一番、参っている。

 

「……ん、んー……どうすりゃいいんだろうな……」

「その友達がね。持っている間は大切にしていたいもの、なんだよ……私にとってのね」

 

 マミ、さやか、まどか、仁美。みんな大切な友達だ。

 私は、今はちょっと色々とごちゃごちゃしてて、上手く言えないのだが。とにかく……みんなと嫌な関係になりたくはなかった。

 

「……人の心って、難しいからな。変に上辺だけ取り繕って解決しようとすると、余計にややこしくなるってのは、よくある事だ。隠し事したままってのは、本当……」

 

 杏子は真剣に聞いてくれているし、真剣に答えてくれている。

 でも、どうも彼女も自身の答えに納得できていない様子だ。

 

「だめだなぁ、私は……そういうのは苦手なんだよな、私も」

「そうか……いや、聞いてくれただけでも荷が降りた気持ちだよ。ありがとう、杏子」

「よせよ、なんもしてねーから」

 

 褒められても苦い顔をしたままだ。

 本当に、親身になって聞いてくれているのだろう。……良い子だな。

 

「……あー、さっきの話を聞いてて思ったことでもあるんだけどさ」

「え?」

「あんた、人と話す時にベール張りすぎてないか?」

「ベール?」

 

 幕のようなもの、だよな。

 遮蔽物と捉えるべきか。

 

「他人を寄せ付けないような心がどこかにあったり、自分で抱え込んでしまいがちだったりとかさ……口数少ない人ってのは、そういう癖みたいなもんがあるからね。無意識のうちに、鬱憤が溜まってくもんなんだよ」

「……ふむ」

「完璧主義者とか。綺麗に見せようとしすぎたり……虚飾っつーんだっけ。そういうのが癖になってる人はさ、いざ本音が漏れ出たり、自分の内側が見られた時になると、すっげえストレスになるんだよな」

 

 ……虚飾か。

 本物の上に塗り重ねた、薄っぺらな虚飾。

 確かに、ぴったりかもね。

 

「だからさ。カミサマに懺悔しろとまではいわないけどさ。もっとオープンに心の内を話せるようになれれば、気持ちだって楽になるだろうし……誤解自体されなくなるのかもしれないよ?」

「……難しい、な」

「まあね」

 

 否定的な私の言葉に、杏子は頷いてくれた。

 

「心なんて、そう簡単に変われるわけもないしね。心の持ちようを変えるってのは、時間がかかるし……大変だよ、ホント」

 

 ……ああ、そうだな。

 考え方を変える。感じ方を変える。それは難しいことだ。

 そんな技術が人に備わっているのなら、私はこんなに苦労していない。

 

 ……今まで私が、大勢の人に振りまいてきた、無根拠な自信が……空っぽなものだった。

 そんなこと。そんな、虚しくて、格好悪いこと。他人に、伝えられるはずがないじゃないか。

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 マミと、魔法少女になったまどかと一緒に魔女と戦う夢だ。

 

 青空の下で、共に手を取り合って魔女と戦う……そんな、都合のいい空虚な夢。

 

 私は夢のせいか、おぼつかない足取りで戦っているが、二人は慣れた様子で、次々と魔女に攻撃を与えている。

 それに対して私は、何もできない。

 敵を前に怯え、もたつき、足を引っ張っているだけ……。

 

 格好良く……そう、本当に格好良く、可愛く、美しく……理想的に戦う二人の後ろ姿を眺めながら、私は……。

 

 

 

「……はは」

 

 目を覚ました。朝だった。

 

 無力感ばかりの夢が消え、私の視界には白い天井が映っていた。

 

 端的に言って、先程見たそれは悪夢に分類できるのだろう。

 無様な姿だった。夢の中の私は、考えられないほどに臆病で、非力だった。

 それなのに、夢から覚めると……言いようのない寂しさが、身体の内からこみ上げてきたのだ。

 

 あの、どんどん先へと進み、遠ざかってゆく後ろ姿が、恋しくて。

 

 ……私は、二人と離れたくないのだ。たとえ、どんな形であったとしても。

 

 まどかやマミは、魔法少女を殺したであろう私を軽蔑しているかもしれないが。

 それでも、私は二人と離れたくないのだ。

 みんな、私の友達だ。暁美ほむらではない、私の友達と。

 さやか、まどか、マミ……。

 

 

 

 ……よし、決めた。

 

「無視しよう」

 

 暁美ほむらは、無視だ。

 私は私。私はオリジナルの“暁美ほむら”として生きれば良い。

 

 ベールがなんだ。壁を作っているからどうした。薄っぺらな私には所詮、そのベールと壁くらいしか構成物らしきものが存在しないのだ。

 いわば私の全てである。それを失って、どうしろというのだろう。

 

 ……私は、暁美ほむらなんて知らない。

 だから、聞かれても何も答えない。

 奴とは、そんなレベルで関わらないことに決めた。

 

 たとえそれは、臭いものに歪な蓋をするだけの、杜撰な対処法なのだとしても。

 

「……学校に行こう」

 

 冷蔵庫に入れた油の浮いたラーメンを啜り、私は家を出た。

 

 

 



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沈黙し、ごまかし、すげ替えるもの

 

 鳩を探す気力もない。

 そりゃあ、目の前にいれば飛び付く気も起こるかもしれないけど。しかし、自ら探しにいく気分とまではいかなかった。

 心機一転。の、つもりで家を出たのだが。

 十分かそこらで精神状態を万全にできるほど、私のソウルジェムは図太くなかったのだろう。

 

 故に、私は気分の入れ替えを兼ねて、無気力に通学路を歩いていた。

 

「はあ」

 

 憂鬱だ。けど、ため息を吐けばその分だけ気持ちが入れ替わるような気もしてくる。

 きっと学校に着く頃には、そこそこ紛れた気分で腹をいっぱいにできるだろう。

 

 ……でも、そうして考えて見るとだ。

 今みたいに中学生らしい交友関係で悩めるだけで、魔法少女としては上出来なのかもしれないね。

 

 だって、そうだろう。

 きっと世の中には、もっと大変な目にあっている魔法少女だって存在するはずなのだ。

 私はまだ戦えるから良い。魔女と戦う力や勇気がないために、日々のグリーフシードにも困窮している魔法少女は、少なからずいるだろう。

 年相応に、学生らしい悩み事ができるというのは、実に幸せなことなのだ。

 

 ……とはいえ、まあ。人と比べて、自分の中の幸せがどう変化するわけでもないけれど。

 それでも気の持ちようで心が立て直せるならば、私はそれでもいいと思っている。

 

「よし、学校頑張ろう」

 

 始まりは空元気だって構わないのだ。

 私は自分を奮い立たせ、起伏ある校門前で意味もなく走り出した。

 

 

 

「やあ、おはよう」

「あ……」

「おぁ、ほむら。お、はよう」

 

 まどかとさやかである。入り口のすぐそばにいたものだから、知らんぷりは不可避だと腹を括って声をかけたというのに、なんだその準備も何もしていなかったような反応は。

 昨日のこともあって少し緊張していたけど、なんだかそういう反応されると、逆に落ち着けてしまうな。もちろん、悪い意味ではない。

 

「さやか、昨日は大丈夫だったか?」

「え? あっ……ああ、うん、おかげさまでね。ありがとう、助かったよほむら」

 

 苦笑い。遠慮されているのか、よくわからない。

 でもさやかが無事なのは、心から嬉しく思っている。

 

「間に合って良かったよ。私は偶然、丁度近くに居合わせていたからね」

「ああ……うん! 私は事情を知ってるけど、仁美は……その、ね?」

「おっと」

 

 危ない危ない。魔女の話はあまり公言するものではなかったな。

 クラスの皆にはナイショにしないと。

 

「……本当にありがとう。感謝してもしきれないよ、ほむら」

「……気にしなくて良い。君が無事でいるだけで私はそれで嬉しいから」

 

 腫れものを触れないように。周りに悟られないように。

 繊細で、神経質なコミュニケーションだ。……秘密が多いというのも、むず痒いな。

 

 

「い、いけませんわ、お二方……」

「え?」

「ん?」

 

 

 妄想たくましい仁美が色々とうるさかったが、どうでも良さそうなことだったので私は気にせず席についた。

 まどかとさやかは弁解だか何かに追われていたが、まぁいつもの調子だったから、良しとしておこう。

 

 

 

「……」

 

 雑念は振り払う。

 気を病むことは魂の毒だ。青春とは悩むことであり、迷うことでもあるが、魔法少女にはメリハリが無くてはやっていけない。

 ソウルジェムを濁らせないためにも、気分転換や気晴らしを欠かしてはならない。それは基本だ。

 だから私は、魔女と闘うとき以外には、楽しめることを最優先に考える。

 

 私という暁美ほむらは、それでいいのだ。

 健やかな中学生女子とは、そうあるべきなのだ。

 

 そう。黙ってマジックについて考えよう。

 

 

 “Ms.ホムホムマジック in 見滝原”

 

 

 ノートに書き連ねた草案に訂正線。イマイチだ。

 ミス、ホムホム……いやダメだ、良くない。

 

 

 “Mr.ホムの青空マジックショー”

 

 

 うーむ。ミスターは何かが違う。

 語呂は良いと思う。私が男だったら何も問題はなかった。

 けど魔法少女ありきのマジックだからな……残念ながら私は女なんだ。

 

 

 “Dr.ホムのマジックショー”

 

 

 うん、シンプルイズベスト。……いや、ホームズの方がいいかな? ワトソンも一緒だし。うむ。ホームズ。ホームズもいいな……。

 しかし看板を作るとして……今までの屋外でも良いのだろうか。大きめの会場って借りれるのだろうか。どこなら許可を出してくれるだろうか……いや、まだそもそも客自体が……。

 

 

 

 

 

「……ほむらちゃん、授業中からずっと、思い詰めてるような……」

「考え事、してるみたいだね」

 

 まどかとさやかは、中休み中もずっと考え事をしているように見える暁美ほむらを眺めつつ、小さな声で話していた。

 

「昨日のことはやっぱり、深く聞いたりしちゃいけないのかな……」

「……私、実際に見てないからわからないけど。ほむらは悪いやつじゃないでしょ」

 

 まどかはどこか自信なさげに、背の高いさやかを見上げた。

 確かにさやかは魔女に操られていたため、まどかが言う魔女の不穏な映像などは直接見ていない。もちろん、さやかもそれを嘘とは思っていないが。

 しかしだとしても、さやかはほむらに対し、一定の信頼を抱いている。

 

「今もさ。きっとあいつなりに、考えてるんだよ。……結構、不器用っていうか。突拍子もないことするから、分かりづらい奴だけどさ」

「……うん」

「あいつが喋りたくないなら、考えがまとまるまでは待っててやろうよ」

「そうだね……うん、そうだよね」

 

 二人はもうしばらく、神妙な顔つきで机に俯いた暁美ほむらを見守るのであった。

 

 

 

「よし」

 

 が、彼女は唐突に席を立ち上がった。

 あまりにも美しい起立に、近くにいた生徒たちが一斉に驚いているが、彼女はそのようなことを気にしない。

 まどかとさやかもまた、突然のことに呆気にとられていた。

 

「中沢」

「ん? 暁美さんか。またマジックか、何か?」

「察し通りの御名答、さあ」

 

 ほむらは中沢に二枚のカードを提示してみせた。

 

「このジョーカーか、このスペードの3か、選ぶと良い」

「んー、どっちでもいいけど」

「どちらかを選ばなくてはならない時もある」

「……じゃ、ジョーカーで!」

「良いだろう、ではジョーカーをここに置く」

「うん」

 

 ほむらは中沢の選んだカードを裏向きにして机に置いた。

 

「君には私が手に持ったこの裏向きのカード……なんだかわかるかな?」

「そっちはスペードの3でしょ」

「と思いきや?」

 

 ほむらが手に持ったカードを裏返してみせると、それは王様が自転車に跨る絵柄――ジョーカーに変化していた。

 

「あれ? ジョーカー? じゃあこっちが……」

 

 中沢は机のカードをめくる。

 

「ハートのクイーン。うそ、いつの間に……」

「ふふ、どうかな」

「すごい、成功してる……」

「そこかい」

 

 クラスメイト相手に普段通りの調子でマジックを始めたほむらを見て、まどかはどこかぽかんと呆けていたが、さやかは胸をなで下ろす気持ちだった。

 

「まあ。暁美さん、上達してますわね」

「ああ、仁美。そうだね……そういえば、最初はひどかったよねえ」

「うふふ、ほむらさんは最近になって始めたのでしょうね」

 

 仁美は何気なしにそう言って、楽しそうにマジックの様子を見つめている。

 会話が一段落したのだろう。しかしさやかは、先程の会話の中身がどうも気にかかっている。

 

 ほむらが、最近になってマジックを始めた。確かに最初の頃の教室でのお披露目を思えば……その通りと言わざるを得ない。

 だがさやかにとってほむらとは、出会った初日からマジシャンのような雰囲気を醸し出していた存在だったので、そのように考えたことはなかったのだ。

 

「まぁ確かに、前からやっていたってわけじゃないよなー、あの腕前だと……」

 

 現に今でも、マジックを披露するほむらは何度か失敗しているように見える。

 成功率こそ上がってはいるが、トランプを使ったマジックは見た目にも地味で、派手さは無い。

 

(ほむら、その前は何をしていたんだろう……想像できないや)

 

 さやかはほむらについて深く追求しようとは思わない。人には踏み込まれたくない部分もあるだろうと思っているからだ。

 それでも、謎多き転校生の過去について、興味がないわけではない。

 

(でもきっと、それでも今と変わらず、良い奴だったんだよね。そうでしょ? ほむら)

 

 



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積み上げる幸福

 

 

(暁美さん……)

 

 昼。巴マミは屋上で、いつものベンチに腰掛けていた。

 隣に一人が座れるだけの空席を残すよう、最近から始まった、いつも通りに。

 

 膝の上には弁当箱が乗せられているものの、まだ手は付けられていないらしい。

 

(近頃……周りで色々なことがありすぎて、忙しいわね)

 

 思い耽るのは、最近のことばかりだ。

 

(鹿目さんたちと出会って……暁美さんと出会って……疑って……暁美さんと一緒に戦って……ソウルジェムの真実を知って。それで、暁美さんと戦って……暁美さんに許されて)

 

 特に思い出されるのは、不思議な雰囲気を漂わせる魔法少女。

 謎が多く、それでもお茶目で親しみやすい、そんな少女だ。

 

 

 ――引いてごらん

 

 

 声はすぐに思い出せる。

 得意げに、期待するように。そして優しく微笑みかける、その顔も。

 

(……暁美さん)

 

 そしてその顔は、昨夜だけで遠くへ行ってしまったような。

 そんな錯覚を、彼女は覚えている。

 

「! ぁ……」

 

 ノブを回す音と、蝶番が小さく軋む音が聞こえる。

 没頭する思考から抜け出してマミが振り向くと、そこには密かに“来ないのではないか”と思っていた人物が立っていた。

 

「……ああ、やっぱり昼は屋上だね」

 

 雰囲気まで、なにもかも同じというわけではなかった。

 それでも暁美ほむらはいつも通りの場所にやってきて、また再びマミと昼食を摂りにきたのである。

 

「暁美さん……!」

「マミ、あの」

「昨日はごめんなさい!」

「……え?」

 

 マミは昨夜からずっと言いたかった言葉を、まず堰を切ったように唐突に、吐き出した。

 頭を下げたマミからは見えなかったが、ほむらは珍しく戸惑ったような顔を浮かべている。

 

「……暁美さんは、暁美さんだもの。私を助け、励まして……救ってくれた」

「マミ」

「その暁美さんは、絶対に嘘なんかじゃないものね……信じなきゃいけないのに。なのに……」

 

 目に溜まり掛けていた涙を軽く拭い、マミは一息ついた。

 

「昨日の私は、本当に愚かだったわ。……ごめんね、聞かれたくないこと、言いづらいこと、きっと暁美さんもあるのにね」

「……マミ」

「私、暁美さんと一緒に魔法少女としてやっていくって、決めてたのに。なのに、昨日は簡単に動揺しちゃって……でも、違うの。今日はそれを言いたくて、ね?」

 

 “だから”、“それで”と意味にならないことを呟き、言葉を繋げられないまま、マミは気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「ごめんね。私、気持ちを言葉にするのって、あまり得意じゃないの」

「……そうだな。難しいよ、本当に」

「本当は、もっと暁美さんを安心させるようなことを……言いたかったんだけどね」

 

 言葉では伝えきれないものがある。

 そう言いたげに、マミはほむらの白い手を取った。

 

「暁美さん……私は一緒にいるわ。私はあなたを信じているし……絶対、離れたりはしない」

 

 その瞳は、潤んでいるせいもあったが、暁美ほむらからはとても美しく、煌めいているかのように見えた。

 どこまでも純粋で濁りのない、そんな綺麗な瞳だ。

 

「だから……暁美さんも、私を信じてくれる? これからも、一緒にいてくれる?」

「……もちろんだよ。マミ」

 

 暁美ほむらは、マミの身体を軽く抱きしめた。

 マミもまた、ほむらの身体を抱きしめた。

 

「ありがとう、マミ」

「ううん、いいのよ。……ありがとう」

 

 そこに深い意味はない。

 これが友達なのだと、言葉ではなく態度で示したかった。お互いがそう感じたからこそ、抱擁を交わしたのだろう。

 

 高い空に、雲が流れる。

 街の果てから吹く風が強く、清々しいものだった。

 

「ちょっと恥ずかしいけど。マミは、暖かいね」

「ふふ」

 

 マミの体温により、暁美ほむらの中で寂しさが一つ溶けて、埋まった。

 

 自分は一人ではない。

 暁美ほむらの過去の汚れすら包んでくれる、素晴らしい友達が出来たのだと。

 

(必ず守るよ、マミ。君は……私にとって大切で。本当にこの私の、友達なのだから)

 

 マミの暖かさを再認識して、ほむらは決意を新たにする。

 過去の自分とは関係のない、新たな自分が作った友達。その大切なものを、必ず守り抜くのだと。

 

「……それじゃあご飯にしましょっか? 早く食べないと、お昼休み終わっちゃうからね」

「ふっ、そうだね。早めに食べてしまおうか」

「でも、味わって頂戴ね?」

「もちろんだよ」

 

 

 

 



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第六章 破戒の教皇は孤立する
妥協と覚悟の天秤


 

 放課後になった。

 今日はあっという間に過ぎていった。いや、ここ最近は特にあっという間なのだが。一際早かったように思える。

 入院していた頃は、一日はずっと長く感じられていたのだが……。

 

 いや、悪いことではない。生きていて退屈しないのは素晴らしい。

 人間でも魔法少女でも。色々ある人生こそ、私の求めるものだから。

 

 ……が、格好つけてばかりもいられない。

 

「さやか、まどか」

「ん? どしたの、ほむら」

「いや、そのね」

 

 ちょっと言い出しにくいことではあるが。くだらない意地を張っているわけにもいかないことだ。

 

「工場でさ。黒猫を見なかったかな」

「黒猫……?」

「あっ、私、見たよ。ちっちゃい子猫でしょ?」

 

 おお。さやかは覚えがないようだが、まどかは見ていたらしい。

 そう、その黒い子。私の相棒にして助手の黒猫、ワトソンだ。

 

「そう、その子だ。ワトソン……昨日は置いてけぼりにしちゃったからね。……どこにいるか、わかるかな」

「ワトソンて……」

 

 勢いであの場を飛び出した私には、ワトソンが今どこにいるのか……さっぱりわからないのだ。

 ……相棒失格だな。

 

「う、うーん……私、車の下にいるのを偶然見ただけで……今はもういないかも」

「……そうか」

 

 あの辺りは、ほとんど人通りや車もないとはいえ……しかし、ワトソンはまだ小さいからな……。無事なら良いのだが。

 早めに連れ戻そう。まだマグロ缶は残っているし、キャットタワーだって買ったばかりなのだ。

 

 何より、あの子がいないと、家に帰っても寂しすぎるから。

 

 

 

「ワトソン、いるかな……」

 

 そうして、私は工場地区に戻ってきた。

 まだ明るい時間帯なので、夜に見た無機質な怖さはない。それでも動いている工場は少ないのか、静かな雰囲気は変わらなかった。

 件の工場はKEEPOUTのテープで封印されており、人はいない。

 

 そういえば、集団催眠だか集団幻覚だかで問題になったのだっけ。

 十数人以上の人が、集団幻覚……なるほど、騒ぎにもなるだろう。

 そんなに多くの人がいた場所だ。猫にとっては、きっと落ち着かない場所に違いない。

 

「はあ……」

 

 工場の前では、昨日とほぼ同じ面構えのおっさんがコンクリブロックに腰掛けていた。

 ここの工場の持ち主であろう、くたびれた中年の男性だ。

 既に彼に魔女の口づけは見られないが、それが付いていなくとも自殺しそうな雰囲気が漂っている。

 

「すみません」

「ん……? なんですか」

 

 辛気臭い雰囲気だが、私にとっては重要な参考人だ。

 ワトソンのためならば、いくらだって聞き込みをしてやるさ。

 

「ここらへんで黒猫を見ませんでしたか。小さな黒猫なのですが」

「ああ……黒猫なら、昼間も俺の前を横切って行ったよ。これからも横切るかもしれないけどな……」

「どちらへ?」

「あっちだ」

 

 ふむ。どうやら、全く別の方向に探しに行かなくてはならないらしい。

 

「ありがとうございます。感謝します」

「飼い猫かい?」

「いえ、私の相棒です」

「ふっふふ、相棒かあ……いいなあ」

 

 優しい人なのだろう。工場長は柔和な笑みを浮かべ、そしてすぐに俯いた。

 会話は終わりという事なのだろう。かといって何をするでもない彼は……きっと寒くなるまではずっと、こうして項垂れているのかもしれない。

 

 ……魔女のせいとはいえ、工場内では様々なものを破壊したり持ちあげたりしたので、本当は私も謝らなくてはならない立場なのだが……魔法少女だと公言するわけにはいかない。

 

 建物に目をやると、どうやら魔女の結界があった工場の物置きにも、捜査の手が入ったらしい。

 そこは厳重に黄色いテープで囲まれている。明らかに事件性はあるのだろうが、捜査はきっと、難航しているのだろう。証拠など、見つかるはずもないのだから。

 

 歪んだトタン板。散乱する薬品。割れたガラス。薄い壁に開いた大きな破壊痕……。

 ……ああ。あの壁の穴は、私が開けたやつだったか。

 

「……だったら、これくらいは、ね」

 

 

 *tick*

 

 

 せめて、バリケードに使った物品の整頓と、破壊した壁のゴミ集めだけはしておこう。

 壁を直す魔法が無いというのが、あまりにも悔やまれることではあるが。

 ……奇跡だって簡単に起こせることではないということか。

 

 

 *tack*

 

 

 時間停止の魔法も無限にできるわけではない。

 白昼堂々とやるにも、限界はあった。

 重い物優先でやったので多少の整頓の手助けにはなっただろうが、あの項垂れた人を立ち直らせるほどではない。

 

「……出会う人を皆救えるわけではない、からな」

 

 こうしている場合ではない。

 私は、ワトソンを探さなければ。

 

 

 

 

 

「……魔法少女に、なりたい。それは本気なの、美樹さん」

「はい」

 

 巴マミのテーブルの向こう側には、毅然とした表情の美樹さやかが座っている。

 冗談めかした雰囲気でも、優柔不断な様子でもない。

 さやかからの呼び出しを受け、こうして一対一で話せる環境を用意された時点で、マミは薄々と勘付いてはいたのだが。

 

「魔法少女が良いものじゃないっていうのは、前にも鹿目さんには言ってあるんだけど」

「私、覚悟はあります」

「かっこいい言葉を出すのは簡単よ? 映画や漫画だって、かっこいい言葉は多いもの」

「これは私のまごころです。借り物の言葉なんかじゃ、ないです」

 

 少々棘のあるマミの言葉にも、しっかりと返してくる。

 さやかの意志は堅いようだった。

 

「……それじゃあ、聞かせてもらえるかしら。さやかさんのまごころ」

「僕の力が必要かな?」

「わあ! びっくりしたぁ」

 

 魔法少女になる。そんな会話をすれば、どこからともなくキュゥべえが現れてくる。

 少し前まではなんとも思わなかった白猫の超常性であるが、近頃のマミはキュゥべえの出現を不気味に感じていた。

 

「キュゥべえ、煽りは不要よ」

「あくまで本人の意思を尊重するさ」

「……それで、美樹さん」

「あ、はい」

 

 話を戻すように、さやかは下手な咳払いをした。

 

「……私、魔女の口づけを受けて……死にそうになったんですよね。あの工場で」

「確かにそうだけど……助かった命を“どうせ死んでた”と投げ出すのは違うわ」

「違います。私も、人を助けられるような人間に……魔法少女になりたいんです!」

 

 さやかの気迫に圧され、マミは言葉を飲み込んだ。

 

「みんな、知らないけど……それでもこの世界は、魔女の危険に溢れている。……昨日、それを実感したんです」

「……そうね」

「仁美も、私も……普通だったら、誰も助けてくれなかったら、死んでた。他の大勢の人だって……」

 

 不幸、悲劇。それは、この世界の偶然が生み出すものだと考えていた。

 それはある意味正しい認識だろう。だが、世界に蔓延る悲劇の裏側には、魔女の振りまく呪いが潜んでいたのである。

 

「この世のどこかで、あんな風に理不尽に人が死んでいくなんて……そんな世界、黙って見過ごせないんです!」

「……正義の味方、なんて、そう格好のつくものではないわよ」

 

 さやかの意志は気高いものだろう。正しく、誇るべき精神だ。

 一昔前のマミであれば、“仲間が出来る”と脳天気に頷いていたかもしれない。

 

「誰に認知されることもない……誰も助けてくれない……それでも、ソウルジェムを清めるために戦い続けなくてはいけない」

「私、それでも知らんぷりなんてできないです」

「中途半端に揺らぐ気持ちで関わってほしくはないの。貴女の気持ちは……本当に、固まっているの?」

「……見過ごせない……絶対に!」

 

 マミは慎重だった。

 さやかの気持ちは、既に十二分に伝わっている。なので、こうしてさやかの瞳の奥を探ることに、もう深い意味などはない。

 それでも、簡単に首を縦に振ることはできない。人の“魂”は、人生は、それほど重いのだ。

 

「ねえキュゥべえ。あたしには魔法少女になる素質があるんだよね」

「もちろんだとも」

「……その素質ってさ、一年後とか三年後とかでも、続くのかな」

「難しいね。二次性徴期の女性じゃないと、魔法少女になるのは大変だから」

 

 それは、“今しかない”とも取れる回答であった。

 

「……今、魔法少女にならずにいたら……私、一生後悔し続ける。テレビで行方不明の人や、自殺の話題を聞くたびに……きっと、罪悪感で気がおかしくなると思う」

 

 遠い世界の話ではない。身近で、自分だからこそできることがそこにある。

 そんな世界を間近に見て、あえて無視できるような心の器用さを、さやかは持ち合わせていなかった。

 

「“自分で助けられたかもしれないのに”……って。絶対に、後悔する」

「美樹さん……」

「石ころにされたって、なんだって構わない……石ころにすらなれずに死んでゆく多くの人達を、この手で助けられるなら……!」

 

 意志は堅い。果てのなさそうな熱意もある。

 そして、彼女はきっと頑固だ。

 マミはそこまで考えると、目の前のさやかよりもずっと疲れた風に息を吐き出した。

 

「……魔法少女になるかどうかは本人が決めること。私を含め、誰も強制や制限はできないわ」

「マミさん」

「でもね美樹さん。貴女は魔法少女になる前に、知ってもらわなきゃいけないことがあるの」

「え?」

「魔法少女の真実をね……」

 

 ここまでは、前提のようなものだった。

 魔法少女になりたい。理由も熱意もある。それは結構なことだ。

 しかし、事はそれだけに留まるものではないことを、マミは知っている。

 

 そしてそれは……すました顔でテーブルの上に座っている、つぶらな赤い瞳をしたこのキュゥべえこそが、何者よりも詳しいのだ。

 

「……決めるのは、それを聞いてからでも遅くないわ」

「魔法少女の真実って……? なんですか? それ」

「これを受け入れて、いざという時、それを実行する覚悟があるかどうか……私は、美樹さんからそれを聞かなくちゃいけない」

 

 マミの空気がより真剣な、重いものに変化したことを肌で感じ取ったのだろう。

 さやかはごくりと喉を鳴らした。

 

「私は、今はその覚悟がある……葛藤もあったし、絶望だってしかけたけれど……私は、受け入れたわ。でも美樹さん……貴方には、その覚悟があるのかしら」

 

 

 



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尊重されるべきもの

 

 人伝に探すも、黒猫の目撃証言などそう集まるものでもない。

 猫は気まぐれだし、どんな場所でも歩いて行けるのだ。その上周辺の住民が疎らともなれば、捜査は難航を極めた。

 やがて辿れる頼みの綱も途切れ、足が止まったのは情報の空白地帯。

 

 不甲斐ないことだが、私はワトソンを完全に見失ってしまったのだった。

 

「……ワトソン、いないのか」

 

 隣町。見滝原よりも幾分寂れた土地、風見野だ。

 ほとんど知らない土地である。ここで一からローラーで探すには……かなり難儀することだろう。

 

 ……いざとなればマグロ缶は私が食う。

 だが、ワトソンのために用意したキャットタワーやミニチュアのハットなどは、一体どうすれば良いというのか。

 ワトソン専用の砂場、爪とぎ板、その他もろもろの道具も無駄になってしまう。どれもかさばるものばかりだ。

 けど、ワトソンは今もどこかにいると思うと、捨てる気にはなれない。

 

 そんな寂しいゴミ出しはしたくないよ。

 何より、ワトソンは私が知る、唯一の家族なのに……。

 

「くるっぽー」

「!」

 

 鳩の鳴き声が聞こえた。

 思わず俯いた頭を上げる。

 

「にゃにゃにゃ!」

「くるっぽー、くるっぽー」

「あ……ワトソン!?」

 

 そこには、まさに奇跡の光景が広がっていた。

 

 私のよく知る黒猫と白鳩が、地面の上に撒かれたスナック菓子を仲良く食べていたのだ。

 

「お? 奇遇だな、ほむら」

「杏子……」

 

 公園のベンチには、菓子を食い漁る杏子の姿があった。

 どうやら彼女は、そのおこぼれをワトソンと鳩にあげていたらしい。

 

「ワトソン」

「にゃぁ!」

 

 名前を呼んでやると、ワトソンはまだ残っているお菓子を放ってまで私の方へ駆け寄ってくれた。

 私のことを覚えていてくれたのだ。これほど嬉しいことはない。

 

「なんだ、そいつあんたの猫だったのか」

「ああ、私の相棒だよ」

 

 抱き上げて、杏子に見せてやる。

 ワトソンはだらしなく両手を挙げて、杏子に挨拶していた。

 

「そういう杏子こそ、足下にいる、その鳩は……もしかして杏子の」

「まさか。物欲しそうな目で見てたから、ちょっと分けてやったんだよ」

 

 スナック菓子をつまみ、潰して地面に撒いている。

 なるほど、鳩は美味そうに食べていた。餌付けか……そういう捕まえ方もあったな。

 

 ワトソンも物欲しそうな顔をしているが、帰ったらマグロを分け与えてやるのだから、今は我慢させよう。

 

「ありがとう、杏子……ワトソン、ずっと探していたからね。見つけてくれて助かったよ」

「へへ、偶然だよ。気にすんなって」

「……あ、そうだ。そういえば、これを渡しそびれていたね」

「あん?」

 

 鞄の中のコーラを投げ渡すと、杏子は訝しみながらもしっかりキャッチした。

 

「これ……」

「この前ゲームセンターに置き忘れていったやつ。古いけど、まぁ一応、返しておくよ」

「おお、サンキュー。炭酸抜けていても、これは美味いからな」

 

 食べ物は粗末にしちゃいけない。そう言って、杏子はごくごくと残りを飲み干した。

 なんだか良い事を言った彼女だったけど、その割には、ペットボトルのゴミはそこらへんにポイ捨てしている。

 相変わらず、よくわからない子だ。

 

 不良少女っぽくもあるんだけど、変な所で道徳心を持っているというか、歪というか。

 鳩でも犬でも蹴飛ばすくらいの子かと思えば、こうして面倒見の良い所はあるし……。

 

 私がそんなことを考えていた矢先だった。

 

「ん」

「……チッ」

 

 魔力反応だ。

 ソウルジェムが反応した。私の呑気な探査能力でも引っかかるくらいなので、相当な近距離にいるのだろう。

 

 反応は魔女ではなく、使い魔のものである。脅威度は低いし、見逃しても直ちに害は出てこないだろうが……見つけた以上、見逃しはしない。

 魔法少女として、倒すべき敵は倒さなくてはね。

 

「悪いね杏子。ワトソンも見つかったし、私はもう行くよ」

「! おう、気をつけてな」

「ああ。また、会った時に」

 

 使い魔を追いかけよう。

 杏子に手を振って、別れを告げる。

 

 しかし。

 

「……なあ、そっちから帰るのか」

「ああ」

 

 彼女に呼び止められた。

 正直、気分としては結構忙しいのだが。

 

「……行く前にちょっと、メシ寄ってかない?」

 

 む。魅力的な提案だ。

 ちょっと悪そうなすまし顔で、それっぽい雰囲気もある。杏子ならきっと、地元の穴場的な店だって知っているのだろう。

 けど……今はね。

 

「遠慮しておくよ、ワトソンもいるから」

 

 興味はある。本音を言えばすごく食べたい所ではあるが、この距離で使い魔を見逃す手はないのだ。

 グリーフシードにも余裕はある。さっさと見つけて、狩ってやらねば。

 

「――ペットもアリなところ、おごるよ!」

「……」

 

 さあ今度こそ。と踏み出したところで、また呼び止められた。

 ……杏子はどうしても、どうあっても今、私と一緒に食事したいらしい。

 

 まるでマミのようなタイプというか、なんというか……。

 それともこの歳の少女は皆、誰かと一緒に食事を摂るのが好きなのだろうか。

 わかるような、わからないような。

 

 ……まぁ、誰かと食事を共にするのは、悪くないよ。

 けど今は、喫緊の問題に直面しているからね。それを言うわけにもいかないのだが。

 

「……また今度、おごってくれよ」

 

 人付き合いの悪いやつと思われようとも、断りは入れなくてはならない。

 

「く……!」

 

 杏子は悔しそうな顔をしている。

 だが、歯を食いしばるほどのことではないはずだ。

 確かに私は付き合いは悪い部類なのかもしれないが、用事があれば食事よりそれを優先するのは当たり前。

 もちろん、私だって心苦しいところはあるけどさ……魔法少女の仕事となれば、他にやれる人はいないのだ。

 

 仕方ないだろう。

 すまないが、ノリの悪いやつだと恨んでくれ。

 

「じゃ、またいつか」

 

 私は使い魔の気配を感じる方へと歩き始めた。

 

「――ッ」

 

 ――そして感じる、背後の空気の乱れ。

 

 

 

 咄嗟に腕を上げていなければ、こうも腕に鈍痛を味わうこともなかっただろう。

 まぁ、腕で防いでいなければ、それと引き換えに手刀に首をやられ、意識を削がれていただろうし、仕方のない防御だったのだろうが……。

 

「食事へのお誘いにしては……随分と、強引だな」

「……! オマエ……」

 

 突如として私を背後から襲ったのは、杏子だった。

 何が何だかわからないけれど、私はひとまず彼女から五歩分の距離を取る。

 

 今の杏子の目は、食事に誘うティーンエイジャーの目ではない。

 まぐろ缶を前にしたワトソンの目によく似ていた。

 

「ほむら……アンタ、魔法少女か……!」

「!」

 

 私の左手を見る杏子に釣られて、私も杏子の手を見る。

 なるほど全く意識などはしていなかったが、彼女も私とおそろいのリングを付けていた。

 

 なんという偶然だろう。杏子もまた、魔法少女だったのである。

 だが、しかし、おそろいのリングを持っている私に手刀を仕掛けたということは……。

 

「……そうか」

「ち、違う! そういうつもりじゃあ……!」

 

 突然にうろたえる杏子。

 

「いや、どんな意味であっても……」

 

 杏子は魔法少女で、私も魔法少女。そして今の手刀が意味するところを考えれば、答えは明白だった。

 友達かとも思ったが、残念だ。

 

「本当に、残念だよ」

「くっ……! おい! 頼むから、話を……!」

 

 私は彼女の言葉を遮るように。杏子は私に食らいつくように。

 両者同時に変身した。

 

 

 

 身に纏う、魔法少女の衣装。

 手作りのリボンで飾ったシルクハットに、三代目の紫ステッキ。

 

 これが私の真の姿だ。

 

 

 *tick*

 

 

「……杏子」

『……』

 

 対する杏子は、情熱的な赤い衣に身を包んでいた。

 その手には何かを貫くための道具であろう槍が握られているが、指先に力は入っていないし、表情は困惑気味に私を睨んでいる。

 

 杏子。彼女とは何度か会うくらいの仲ではあったが、良い子だったと思う。

 不良少女のようでいて、実は優しい。世話焼きな一面もある。

 

 ……いや。けれど、これ以上はやめておこう。

 

 私は踵を返して、使い魔のもとへと向かった。

 反応のある使い魔だけはさっさと駆除し……早く、この町から去らなくてはならない。

 そう思ったから。

 

 

 

 

 噴水に築かれた亜空間。そこは、巨大な本の世界が広がっていた。

 階段のように段々と平積みにされた本を駆け登り、使い魔のもとへ急ぐ。

 

『……!』

 

 使い魔を発見した。

 見た目は、本の栞で作られた鳥……といったところだろうか。

 

 はたはたと栞の身体をはためかせて空を飛ぶ様は、さながら現世に甦ったスカイフィッシュのように見えなくもない。

 

 だが、UMAなど目じゃないほどの異世界に私はいるのだから、そんな生物を見つけた所で感慨などあるはずもない。

 ただひとつ、栞の使い魔ならば魔女は本であろうという他愛もないことだけを朧げに考えながら、時を止める。

 

 

 *tick*

 

 

 栞の使い魔は完全に動きを停止した。

 同時に、私の勝利が確定した。

 

 

 *tack*

 

 

「…… 1.瞬間乱打ステッキ」

 

 動き出す世界。

 そして一瞬のうちに叩きこまれた、停止世界での三十発分の殴打が使い魔に襲いかかる。

 

 魔力により強化された打撃を、たかだか使い魔が数十発も受けて無事でいられるはずもない。

 使い魔は即座に圧壊し、本の世界は霞んで霧散し、日常の公園が戻って来た。

 

 

 

「――聞いてくれよ!そういうつもりじゃなかった!」

「!」

 

 背後から声。杏子だ。

 時間停止でここまで来たとはいえ、もう追いついたのか。

 

「……なあ、聞いてくれよ」

「……」

 

 やりたくはないが、ステッキを構える。

 杏子もそれを見て警戒したのか、槍を控えめに構えた。とはいえ、攻撃的な様子はない。

 

「……さっきのは悪かったよ。一般人かと思って……眠らせようかと、思って」

「……そうかい」

 

 それならば説明はつくだろう。しかし、問題はそこじゃないんだ。

 

「本当だよ、だってアンタが突然、使い魔の方向に行くもんだから……」

「それで、君は使い魔を放っておいてラーメン屋か?」

「……! だって、お前! ……使い魔を倒してどうするんだよ!」

 

 これだ。

 先程の反応で、薄々と気付いていた。というより、確信していたのだ。

 

 杏子が、わざわざ使い魔を狩ろうとしない……そのような魔法少女であることを。

 

「……使い魔だって、近くにいれば倒すだろう」

「魔女じゃない……グリーフシードだって落とさない奴だよ、それでも……」

 

 ああ、なるほど。やっぱり。

 そうか、この子は。なるほど。

 

「……杏子、以前も言っていたね。君は、自分の為だけに生きているのだと。大切なものは必要なく、自分の心のために生きればそれで良いのだと……」

「!」

「でもね。私には少なくとも、守りたいものがあるんだ。……使い魔とも戦うべき理由が、ある」

 

 それが、今の私にとって大切なもの。

 マミと結んだ、魔法少女としてのあり方だ。

 

 私は杏子とは違う。

 

 杏子は私とは違う。

 

「……でも、ここは見滝原ではなかったからね。立ち入ったことは、すまないと思っているよ」

 

 ハットを深く被って、小さく頭を下げる。

 私はいつの間にか、彼女のテリトリーを脅かしてしまっていたのだ。

 

「君の庭を荒らしてすまなかった、杏子」

「……」

 

 許してくれたかどうかはわからない。彼女も苦い顔をするばかりだった。

 

 けれど彼女と私の信念は違う。その正義も違う。

 魔法少女としての生き方が違えば、それは相容れないものだ。

 使い魔を狩ってはならないという主義によって管理されるテリトリーがあるのならば……そこに無闇に立ち入るのは、良くないことだから。

 

 結果として不干渉。それが一番、落ち着くのだろう。

 

 本当に残念でならないよ。

 杏子とは、何から何まで気が合うと思ったんだけどな。

 

「じゃあね、杏子」

「ちょ、オイ……!」

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

 

「! くっ……また消えやがった」

 

 伸ばしかけた佐倉杏子の手は、何も掴むことはなかった。

 暁美ほむらはその場から忽然と姿を消し、いなくなったのだ。

 

「……違うだろ? 魔法少女って、そういうもんじゃないだろ……あんたも、言ってたじゃんかよ……」

 

 しばらく虚空を強く握り締めてから、彼女は脱力するように変身を解いた。

 

(魔法は全て自分の為だけに使う、そういう生き物だってのに。……“あいつ”と同じようなこと、言いやがって)

 

 思い出されるのは、かつて杏子の師でもあった巴マミとのやり取りだった。

 最初こそ上手く行っていたが、時を経るに従ってお互いの価値観はずれてゆき……疎遠な今に至る。

 

(あんたとは、仲良くやっていけそうな気がしてたのに……!)

 

 久々に知り合った、同年代の友人だった。

 少しばかり常識に疎いところのある相手だったが、杏子としては話していて楽しかったし、遊んでいる間は随分と心が弾んだ。

 

 他人なんて必要ない。

 それは杏子が抱く、魔法少女としての理念だった。

 

 だが、だとしても、どれだけ達観していようとも、多感な年頃である彼女が人とのふれあいに、飢えないはずもないのだ。

 

(……マミと、同じ制服だったよな。見滝原中学校、か)

 

 喧嘩らしい喧嘩をしたわけでもない。

 後味の悪い、修復しようのない別れ方をしたわけでもない。

 だからこそ杏子は、諦めきれなかったのだろう。

 

(見滝原に行けば、あいつに会えるのかな……)

 

 



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GHOST IN THE SHELL

 

マミとの絆を取り戻し、杏子との絆を損なった。

 ワトソンを取り戻し、なんだかんだで白い鳩を手に入れた。

 

 全体で見れば、プラス収支に動いたはずの私の世界。

 なのにどうして、杏子との決別という一点が、こんなにも胸を刺すのだろう。

 

「にゃ」

「くるっぽー」

 

 ワトソンを温めるようにして、レストレイド(鳩)が翼を差し出している。

 鳥と猫ですらここまで仲良くなれるというのに、人と人との関係はいくらでもこじれてしまう。

 不思議だ。そして切なく思う。

 

 けど……魔法少女としての信念は、人の生き方そのものだ。

 口出しをすべきではないし、あまり干渉しても……お互い、良い結果にはならないだろう。

 

「……」

 

 ワトソンから分けてもらったまぐろ缶の一部をなんとなくかじりながら考えていたら、私の瞼は無意識のうちに重くなっていった。

 

 そういえば、明日は休みだっけ。

 さて、何をしようか。……何もしたくない。

 

 嘘。気晴らしに、新しいマジックの披露……。ぐう。

 

 

 

 

『……』

 

 机の上に項垂れていた。……はずなのだが。

 気がつくと私は、見慣れないソファーに腰掛けていた。

 

 ……夢?

 

『いや』

 

 右手を開く。閉じる。……夢にしては、はっきりしていた。

 確かに私が動いている感覚がある。

 

 しかし、辺りの景色は夢のように異様だった。

 

 真っ白な部屋だ。

 間取りは私の部屋に酷似している。

 

 中央には寝そべるには不便な湾曲したソファー。

 天井には、影がちらついて落ちつかない、分解したはずの振り子ギロチン時計。

 壁か空間かもわからない白い壁には、平面軸に揺れ動く、額縁の図面達。

 

 一言で言えば妙。または不便。そんな、私の部屋だった。

 

 所々は、私の記憶にもあるような家財が使われている……から、ふむ。

 やはりこの空間は、一部の感覚こそ目覚めたようにはっきりとしてはいるが、私の心理が見せた夢なのだろう。

 

『……』

 

 で、夢だ。それはいいのだが。

 私はここにいるというのに、どういうわけか、ソファーには他にも私が座っていた。

 

 魔法少女姿のまま、膝の上で手を結び、頭を項垂れている。

 髪を降ろした、今の私のような私だった。

 

『ふむ』

『……』

 

 なんとなく、私は私の隣に座ってみた。

 しかし私は猫背にならないし、俯いたりはしない。

 その体勢で寝ると首を寝違える事を知っているからだし、陰気なことは好きじゃないからだ。

 

 だから私は、美しい姿勢を保持したまま、白い壁にゆらめく無数の図面達を眺めていた。

 図面はぼやけていて、ここからだと何も見えないけれど。

 

 

 

『……疲れた』

 

 隣で、もう一人の夢の中の私が景気悪そうにつぶやいた。

 何故私が私の弱音を聞かなくてはならないのか。そんなもんやりした気分にさせられたが、こんな無意味な自問自答も悪くない。

 

『だったら、横になって寝ると良いさ』

 

 私は額縁を眺めたまま答えた。

 額縁の中には絵らしきなんぞがあるのだが、目を細めてみてもぼやけていて見えない。

 だが少なくとも、陰気にしょげている私自身の姿に視線をくれてやるよりは、マシだったのだ。

 

『……休めないわ』

 

 隣の私は力なく、うつむいたままに答える。

 何故この私は、こんなにもダウナーなのだろう。

 

『曲がったソファーしか置かなかった君が悪いんだろうさ』

 

 私は後ろに寝そべるようにして答えた。

 

 だが弧を描くソファーの上では、結果として寝そべると言えるほどくつろぐことはできず、頭が辛うじて中央のソファーに乗るだけにとどまった。

 腰や肩が支えられていない。癒やしを求めた割に、腹筋が鍛えられる姿勢だった。

 

『……そうね、真っ直ぐなソファーにしておけばよかったわ……』

 

 隣の私が、どこまでも落ち込んだ声でそう零す。

 ……やれやれ。いい加減、この私っぽい私の面倒臭さに堪忍袋の緒が輪切りになりそうだ。

 

『だったら、新しいソファーを買いに行くと良いさ』

 

 私は椅子から滑り落ち、後頭部を打ちつけながら言った。

 

『……もう、お金がなかったのよ……』

 

 じゃあ無理だ。

 

 そんなところで、夢は覚めたのだった。

 

 

 

 

「……」

 

 目を開ける。

 後頭部が痛い。

 

 結局のところ、頭を打ったこと以外はどうしようもないほどに、それは夢だった。

 だがそれは今までの陰惨な夢とは違い、過去というよりは色々なものをごちゃまぜにした、わけのわからない闇鍋のような夢だった。

 

「くるっぽくるっぽ」

 

 レストレイドが私の後頭部の上で跳んだり跳ねたりしている。

 家主に対してとんでもない仕打ちである。新入りとしての身分をわきまえてほしいものだ。

 

 だが、まぁ。悪くはない。

 

「……朝食を食べよう」

「にゃ」

「くるっぽー」

 

 ワトソンも起きていたらしい。猫は早起きだな。

 であれば、三人分の朝食を作らなくてはならないか。

 

 今日から支度が大変になりそうだな……。

 

 

 

「ぐふ」

 

 暖かな朝過ぎ。明るくなってきた休日の見滝原。

 だがそんな長閑な陽気をよそに、私の腹の中では朝食の油そばと水道水が胃の中で取っ組み合いを始めていたのだった。

 

 一体何が駄目だったのだろう。私の腹は唸るばかりで答えてくれない。

 

「にゃ?」

「大丈夫、歩ける、歩けるから」

 

 強がっている自覚はある。それを顔色に出さないようにするのも難しいほどであった。

 ううむ、辻斬りマジックショーを敢行しようとも思ったが、寸での所でやめるべきだろうか……。

 

 いいや、何を弱気になっているのだ。やめるわけにはいかないだろう。

 もう大通りまでやってきたのだ。ここで引き返してはマジシャンの名が廃ってしまう。

 

 ……し、しかし、腹痛が……腹痛が容赦ないのは事実……。

 マジシャンの名を一時返上してハンバーガー屋のトイレにでも駆け込むべきだろうか……。

 公衆トイレは嫌なのだ。どこか汚いから……。

 

「あ、見てあの子……」

「おお、マジシャンの子だ」

 

 おっと、背後で声が。

 そして会話の内容が、なんとも雲行き怪しいぞ。

 

「やるの?」

「見よ見よ、ついてこ」

「マジック生で見るの二回目くらいかも」

 

 しまった。これは罠だ。逃げられない。

 ど、どうしよう。彼女らの期待を裏切るわけには……うごごご。

 

 

 



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一人ぼっちはさみしいから

 

見滝原市のエキストラ達が、最初の頃よりも一段ほど高い私のステージを取り囲んでいる。

 マジシャンとしての体裁は持っているべきだということで、一応は壁を背にして設けた私の舞台。

 

 “Dr.ホームズのマジックショー”。

 

 壁に貼り付けたお手製の布看板には、そのように書かれていた。

 

「ホームズちゃん」

「ホームズちゃんっていうんだ」

「押すなよ、見えないだろ」

 

 ホムよりもホームズの方が格好良い。……はずだ。

 ポスカで描く寸前で変更して良かったと、今では思っている。

 どの道、こうして公表してしまえば後には退けないのだ。今から私は、Dr.ホームズとして周知されてゆく。その覚悟を持たねばなるまい。

 

「Dr.ホームズのマジックショー」

 

 シルクハットを掲げる。

 観客が唾を飲む音が小さく聞こえてくるようだ。

 

 

 *tick*

 

 

 視線が心地よい。

 この瞬間こそが、私がここに立っているのだと、強く実感できる。

 

 

 *tack*

 

 

「――始めさせていただきます」

「くるっぽー」

 

 時間停止の解除と共に、ハットの中から飛び立ってゆく白い鳩。

 レストレイドは青空に向かって、綺麗に元気よく羽ばたいていった。

 

 陽を受けてどこか神々しく輝く白い鳩。それを見上げる人々は、口を開けて驚いていた。

 

 少し遅れて、観客からの声援が上がる。

 休日の呑気なマジックショーが始まりを告げたのだ。

 

 しかし始まったはいいのだが、レストレイド、帰ってくるかな。

 どうしたものか……。

 

 

 

「はっ!」

 

 薄手の白いスカーフが一瞬で燃える。

 ただ燃やし尽くすだけでは芸がない。

 

「燃やすと……おっと、ティッシュに早変わり」

 

 布を燃やし、紙へと変える。

 既にマジックも終盤だが、それでもなお冷めることのないどよめきが心地良い。

 

「さらにこのティッシュを燃やしまして……っと」

 

 手の中で薄い紙が自然発火する。かなり熱いが、魔法少女にとっては大したものでもない。

 

「……紙が、花びらに」

 

 手の中から現れるのは、パンジーの花びら達。色とりどりで鮮やかな欠片だ。

 私はそれを、両手でそっと握り込んだ。

 

「皆様、御静観ありがとうございました」

 

 手を開けば、そこには花びらではない、茎付の一輪のパンジーが咲いている。

 

 布からティッシュへ。紙から生花へ。植物を逆回しに戻してゆく、慎ましいマジックだ。

 しかし、いつもよりは大人しい締めでも、会場は大きく沸いてくれた。

 

 

 

 私のマジックショーを見てくれる人は、かなり増えてきたように思う。

 出所不明の口コミも広まったのか、この通りではすっかり有名になっていた。

 

 有名人。良いことだ。素晴らしい。人を楽しませる存在としてその名が広まるのであれば、なお良しだ。

 幾重もの歓声のおかげで、私は生きる充足感を得られるのだから。

 

「ホームズさーん! キャー!」

 

 歓声どころか悲鳴まで聞こえてくるな。

 

「ホームズさん! 次はいつやりますか!?」

「こっち向いてくださーい!」

 

 フラッシュが眩しい。

 無断で撮影までされるとは……やれやれ全くもう……ポーズを決めなくてはいけないじゃあないか。

 

「申し訳ないです、公演は不定期公演なもので……」

「「「え~」」」

 

 えー、じゃない。魔法少女を舐めるな。こっちは副業なのだ。

 

「ホームズさん、ホムさんと呼んで良いですか!?」

「お好きに」

「ホムさん、その衣装とっても素敵です! どこで買ったんですか!?」

「魂のオーダーメードなもので」

 

 ふむ。ファンが付いてくれたのはとても嬉しいな。けど、女の子の比率が高いような気もするね。

 ……というより、いい加減に抜け出したいな。ショーが終わったら颯爽と抜け出したかったのだが、機を逸してしまったか。

 

「あけ……ホムさーん!」

 

 ポロっと外野から洩れた私の本名に、思わず顔を上げる。

 すると女の子の観衆の奥の方に、見知った顔が混じっていた。

 

「……あはは……」

「マミ……」

 

 そこにいたのは、マミだった。

 本名を呼びかけた負い目か、目立たないようにしているのか、遠慮がちに手を振って存在をアピールしていた。

 まさか彼女も私のマジックショーのファンか? とも思ったが、そんなことはあるまい。

 

「……」

 

 彼女の隣には、さやかもいた。

 随分と、真剣そうな……そんな、真面目な表情で。

 

 ……ふむ。どうやら二人は、私に用があるらしい。

 

 ところで何か物足りないと思ったのだが、近くにまどかが居なかった。

 可哀そうに。休日の遊びに誘われなかったのだろうか。

 今度私が一緒に美味しいパンケーキを奢ってあげよう。

 

 

 

 

 

「あらよっとお」

『gggGgGggg……!』

 

 炎を帯びた杏子の槍が、魔女の胴体を真っ二つに切り裂いた。ノイズのような濁った悲鳴が辺りに響き、やがて断末魔は急速に小さくなる。

 

「はい~、一丁上がり、ってな」

 

 直後、結界は消滅し、靄となって消えた魔女からグリーフシードがこぼれ落ちた。

 今回の魔女との戦闘による魔力の収支は、比較的良好といったところだろう。杏子は古いグリーフシードをソウルジェムの浄化に使うと、満足気に頷いた。

 

「……これで奴も来るだろ。おいキュゥべえ!」

「朝から魔女退治とは、珍しいね杏子」

 

 彼女が呼べば、魔法少女の導き手である白猫はすぐに現れた。

 

「使い終わったグリーフシードがないと、アンタ来なさそうじゃん?」

「別にグリーフシードがなくても来るんだけどなぁ。その言い方から察するに、僕に用でもあるのかい?」

「ああ」

 

 報酬とでも言わんばかりに古いグリーフシードを放り投げ、キュゥべえはジャンプしながら、それを背中に格納した。

 

「ほむら、って魔法少女。知ってるよな?」

「暁美ほむらかい? 彼女がどうかしたの? 杏子」

「……あいつは見滝原にいるんだよな。てことはマミと一緒か?」

「だね、最初は悶着もあったけど、今では友好的な関係を築いているよ」

 

 巴マミ。それは杏子にとっても忘れられない魔法少女であった。

 思わず渋くなりかけた表情を堪えつつ、杏子はわざとらしく肩を竦めた。

 

「あんな魔法少女がいるなんて、聞いてないけど」

「僕も知らないよ」

「……はあ?」

「マミにも言ったけど、僕は彼女と契約をした覚えはないんだ」

「なんだそれ、魔法少女じゃないっての? それともアンタがボケたのか?」

「いいや、ほぼ確実に魔法少女だね」

 

 要領を得ない答えに、杏子も首を傾げるしかなかった。

 

「……なにそれ、わけわかんない」

「こちらとしても、本当にそんな気分だよ。杏子も彼女と接触したのかい?」

「……まあね」

「マミにも言ってあるけれど、彼女はイレギュラーだ。警戒しておくべきだよ」

「イレギュラー、ねえ……まー変なところのある奴だけど」

 

 変な所。そう言ってしまえば、いくらでも変な所のある奴だなと、杏子は思い返していた。

 確かにイレギュラー呼ばわりされても仕方ない程度には、奇行も目立っているので。

 

「彼女は怪しいよ。突然現れたけれど、その目的は全くの謎だ。注意して」

「……随分とあいつを目の敵にしてるじゃん?」

 

 変ではある。しかし注意という言葉は、よくわからない。

 が、そういった細々とした部分で、杏子は昔からこのキュゥべえとの話が噛み合わないというか、少々もやもやする会話を交わすことが多いことを知っていたので、深くは気にしなかった。

 

 それよりは、良い口実が出来たことに“しめしめ”とさえ思っていたのだろう。

 

「……そんなに謎だとか変とか言うならさ。私が探りを入れてやろうか? ほむらの」

「見滝原に行くのかい? マミとは距離を置いているんじゃ」

「んーまあ向こうを荒らそうってわけじゃないから」

 

 多少強引だとはわかっている。縄張りに踏み入るだけでも本来は好まれないことも知っていた。

 

「アンタとしても、ほむらの目的とか、そういうのがわかると良いんでしょ?」

「まあね。あの魔法少女が何かよからぬことを考えているのかもしれないし」

 

 それでも、キュゥべえの懸念に“バーカ、あいつはそんなこと考えるタマじゃないよ”と内心で舌を出してはいても、どうしても抑えられなかったのだ。

 

「……じゃ、私が見滝原に行くのはアンタのお願いを聞いてやった、ってことでいいよねえ?」

「僕のお願いを聞く魔法少女というのも珍しいね」

「ふん、新人が気に食わないだけだよ」

 

 久々に出来た友人。

 久々に側にあった、ぬくもり。

 

(……ほむら……)

 

 彼女は思い出したそれを、忘れることも、無かったことにすることも、諦めることもできなかった。

 

 



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君の願いはようやく叶う

 

 手早く着替え(というより変身を解いて)、時間停止で女の子たちの砦を抜けだし、マミたちと合流する。

 突然消えて近くに現れた私に二人は大層驚いていたが、まぁいつものことである。

 

 別段変わらない、さわやかな昼間の見滝原。

 街ゆく大人たちは自殺しそうな、そうでもないような無表情で、どこかを目指して歩いている。

 人々の顔というのはまったく心象に関わらず無表情なので、何を考えているのかわからない。

 結局、魔女を探すにはソウルジェムの反応を見るのが一番ということか。

 別に今、魔女を探しているわけではないけれど。

 

「暁美さん、聞いてる?」

「ん、ん? 何かな」

「もう」

「真面目に聞いてよー」

 

 さやかにまで怒られた。申し訳ない。

 

「モールをめぐるのも楽しい日和だけどね、今日はちょっと、大事な話につきあって欲しいのよ」

「あれ? まどかを抜きに遊ぶんじゃないのか」

「本当に大事な話だからね」

 

 彼女の表情は真摯なそのものだった。

 ふむ、冗談めかす空気ではない。それだけの重要な案件というわけか。

 

「……急ぎじゃなければ、ほむらに聞いてほしいんだ」

「ふむ」

「言ってくれたよね、その時は相談に乗るって」

 

 ……まさか。

 

 

 

 

 

『………魔法少女が、魔女になる……?』

『それがソウルジェムに隠された最後の真実……いえ、罠というべきなのかしら』

『……魔女を倒す魔法少女が、魔女に……』

『必要な覚悟っていうのは、つまりはそういう事なの。美樹さん』

『……』

 

『わかるかしら。ソウルジェムが魔女を産むなら、私達、魔法少女は……』

『魔女……じゃあ、私たちは、ソウルジェムが濁る前に……』

『どうかしら。ショックだった?』

『……はい、かなり』

『ふふ、正直ね……私も聞いた時は取り乱したわ』

『マミさんが?』

『魔法少女になってから知るのでは、遅すぎたから……』

『……マミさん……』

 

『……繰り返しだけど、決めるのはあくまでも美樹さん自身』

『は、はい』

『早死にするかしないかの決断よ……怯えて良い、恐れていいから……正直に、答えを出してね』

 

 

 

 

 

 私はさやかとマミに連れられ、いつぞやのハンバーガーショップに来た。

 客の入りは悪くないものの、店内が広すぎるため、がらんと空いているように見える。

 ここで掃除などはしたくないなと無関心に思う部分もあるが、座る側からしてみれば常に他人との距離を置けるので、込み入った話をする分には素晴らしい店だと思う。

 ひねた言い方でもってまわったが、つまり私はこの店がお気に入りだった。

 

「……ごぼぼぼ」

 

 頬杖をつき、コーラに息を吹き込む。

 

「暁美さん、行儀悪いわよ」

 

 マミに怒られた。私のコーラの海底噴火が収まった。

 

「……マミさんから、話は聞いたんだ。ソウルジェムが濁りきった時に、どうなるかも」

 

 なるほど。さやかは既にマミに相談し、マミから魔法少女の奥まった話も聞けた、と。

 

「さやかは、それを聞いてどう思った?」

「……ひっどい話だなーって」

「うん、正直だ」

 

 酷い話。その通りである。

 残酷で、陰険な話だ。

 

 魔女になるのを怖くないと言い出したら、この場でさやかの顔にコーラを噴霧してやっていたところである。

 

「希望を振りまく魔法少女が魔女に……うん、本当にショックだった」

「だろう」

「でもね、それを聞いてより一層……覚悟は固まってきたんだよ」

「ふん?」

 

 さやかはプラスチックの安っぽいマドラーを手でいじりながら、しかしその目はマドラーの向こう側に何か燃えるものを見つめているかのように、煌めいていた。

 

「魔女がどういうものか、わかったからね……むしろ、私はそれを聞いて、願い事に真っ直ぐ向かい合えたような気がしたよ」

 

 穏やかなさやかの表情。それは見慣れないけど、どこか彼女に似合っていた。

 

「ならば……確認しよう。これだけは、確認しなければいけないことだ」

「うん」

 

 目に魔力を込めて、さやかを睨む。

 仄かに光っているはずの私の目をまっすぐに見据え、さやかは唾を飲んだ。

 

「いざという時に。自分のソウルジェムを砕く覚悟は、あるかい」

「ある」

 

 怖いくらいまっすぐな目をする子だ。

 

「最後に魔女を一体始末できるのなら、そんなの構わない。自分が魔女になるなんて……それは、絶対に許さない」

「……わかった」

 

 目の魔力を抑え、私はお行儀悪くも、机に肘をつく。

 

 ……彼女は。

 自己犠牲を厭わない。他人を放っておけない。

 そんな、正義の味方としてはぴったりな人間なのだろう。

 

「魔法少女。なりたければ、なるといい……さやかの気持ちはわかったよ」

 

 こうなった人は、だいたい他人の意見なんて聞かないタイプだ。

 そもそも契約は本人の意思によるものだし、私がどうこう言う問題でもない。

 

 それに……何故だろうね。さやかは魔法少女が似合っていると、私は思うのだ。

 

「ありがとう、ほむら……!」

「ふふ。これから頑張ろうね、美樹さん」

 

 彼女は真面目に悩むタイプだ。

 全ての真実を知って、なお悩んだ末に出した答えならば、もはや私から言うことはない。

 彼女の人生は、彼女のものだ。

 

「……でも、教えてほしいな。さやかはどんな願い事を叶えるつもりなんだい?」

「えっ」

「それが本当に奇跡無しには遂げられないのなら、願いにしても良いけど……私達で可能であるならば、いくらでも手伝うよ?」

「……ほんとに?」

 

 さやかはキョトンとした顔で、私とマミを見比べた。

 

「そうね、私達の魔法の力で可能な事なら、それは力になってあげたいわね」

「……う、うーん……」

 

 しかし、さやかはどうしても物凄く、気の進まない顔をしている。

 

「どうしたさやか。不都合でもあるのかい」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけどさ……」

 

 彼女は赤くなった頬を掻きながら、苦笑した。

 

「なんていうか……二人にこういうこと言うの、なんだか恥ずかしくて」

「……ああ、男か」

「だっ! だからそういう言い方はなんかちょっと汚い!」

「ふふふ」

 

 



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宣教師の訪問

 

「……はあ、魔法少女、かあ」

 

 鹿目まどかは自室で、ノートと教科書を広げていた。

 近頃は勉強に身が入らず、授業の復習をやっておかなければテストで大変なことになりそうだと、危機感を覚えていたのである。

 

(キュゥべえからは、逸材だーとか、素質がーとか、そういう風に言われたりするけど……マミさんからは、なっちゃ駄目って言われてるし……ほむらちゃんも、中途半端な事は許さないみたいだし……うーん)

 

 ノートと教科書を開いて勉強の態勢を整えてみても、やはり頭を過ぎるのは魔法少女としての悩みばかり。

 

(私も、マミさんやほむらちゃんと一緒に戦って……でも、それだけじゃいけないんだよね)

 

 闘えるだけでも良い。正義の味方になれるだけでいい。

 まどかにとって、魔法少女とはそのような存在だったし、彼女自身も本気でそう考えている。

 しかし、彼女の周りの魔法少女たちは願い事についても真剣に考えるようにと念押ししているので、まどかはその点だけで悩み続けていた。

 

(願い事かぁー……うーん……)

 

 鹿目まどかは無欲ではない。それでも、裕福な家庭に生まれ、人格者である両親に育てられた彼女には、火急の願いと呼べるようなものはなかった。

 それ故に、ノートに描かれるのは純粋な“憧れ”そのもの。

 もしも自分が魔法少女になったのなら。その輝かしい妄想だけが、言うなればまどかの“願い”に近いのかもしれない。

 

「……てぃひひ、こんな風に可愛く、カッコよくなれたら、それだけでいいんだけどな……私」

 

 今回は上手く描けたと、満足気に鼻を鳴らす。だが、勉強は一切進んでいない。

 そのことに気付くと思わずため息が漏れてしまうが……そんな折に、まどかは視界の隅にちらつく白い影に気がついた。

 

「ん?窓の外……?」

 

 窓の外に、何かいるようだ。カーテンを閉めているのでその隙間から僅かな部分しか見えなかったが、どうやら小さい何かが動いているようだった。

 

「何か白い……ひょっとして、キュゥべえ?」

 

 彼女はそう思って、窓を開けたのだ。

 しかし、部屋に飛び込んできたのは想像を絶するものであった。

 

「くるっぽー!」

 

 鳩であった。

 

「きゃ、きゃああ!」

「くるっぽくるっぽー!」

 

 白く、珍しい鳩である。しかしそのようなことを気にかけられるほど、まどかは余裕ではない。

 翼をはためかせて部屋を飛び回る闖入者に、彼女はすっかりパニックになっていた。

 

「は、鳩!? で、出てってよー!」

「くるっぽー!」

「飛ばないでー!」

 

 

 

 そんな騒ぎは、窓を完全に開放していることもあってか、外にまで聞こえていた。

 

「……ん? なんだ、あっちから悲鳴が聞こえんなあ」

 

 悲鳴を聞き取ったのは、見滝原にやってきた佐倉杏子だった。

 彼女は肩にキュゥべえを乗せたまま、呑気に町中を散策していたのである。

 

「あの家がまどかの家だね。どういうわけか、騒がしいけど……」

「あれが? 厄介事じゃないだろうな……しゃーねぇ。何だかわかんねーけど、手助けしてやるか」

 

 キュゥべえが何かを言うまでもない。魔女関連のことでもなさそうだったので、杏子は何らためらうこと無く道路を蹴り、一飛びで窓へと飛び込んだ。

 

「……って、なんだこの状況」

「いやー! やめてー! 羽、羽ばらまかないで!」

「くるっぽくるっぽ!」

 

 杏子はもう少し人間のトラブルを想像していただけに、目の前で繰り広げられているコントのような光景に呆れる他なかった。

 が、悲惨といえば悲惨な状況ではある。どうせここまで入り込んでしまったのだからと、杏子は手を突き出し……難なく、鳩を捕まえた。

「くるっぽ?」

「おいおい、昼間っからうるせーぞ」

「ひいい……え?」

 

 鳩もまどかも、突然の捕獲者の登場に、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 

「やあ、まどか」

「キュゥべえ……? あなたは?」

「トラブルみたいだったから、窓からお邪魔させてもらったよ……魔法少女は知ってるんだろ?」

「う、うん……あ、ということは、あなたも魔法少女なんだね」

「まあな。見滝原に住んでるわけじゃないけどさ」

 

 そこでまどかは、部屋に入ってきた少女の足元に気がついた。

 

「……ブーツ」

 

 杏子は土足だったのである。

 それがノートの上のイラストを踏みしめていたものだから、とっておきの絵は台無しになっていた。

 

「ああ、悪いね。けど、捕まえてやったんだから多めにみてくれよ? こんくらい」

「う、うん、ありがと……てぃひひ……」

 

 が、絵はいつでも描けるものだし、鳩を捕まえてくれた杏子に悪意があったわけではない。

 まどかはイラストを惜しむ気持ちよりも、杏子への恩を強く感じていた。

 

「どっかで見た鳥だなお前……まあいいや、二度と人の住処に入ってくんなよ」

「くるっぽー」

 

 杏子が窓の外に離してやると、白い鳩は素直に空へと羽ばたいてゆく。

 まどかはその姿を注意深く最後まで見送ってから、再び深々と頭を下げた。

 

「……本当にありがとうね、えっと」

「杏子だ」

「杏子ちゃんだね、ありがとう……私、まどか」

「まどかだな、よろしく。まぁ、実はキュゥべえから聞いてたんだけどな」

「そうなの?」

 

 まどかが意外そうにキュゥべえを見やると、キュゥべえは無言で頷き、まどかの机に降り立つ。

 

「……んで、こいつから聞いたけどさ。あんた、ほむらって奴の事知ってるんだろ?」

「ほむらちゃん?」

「ちょっとそいつに用があってね、探しているんだ」

「うん、同じクラスだから知ってるよ」

 

 まどかにとって、杏子は良い子である。

 それに知り合いのキュゥべえを介していれば、初対面の相手であっても友人のことを話すのに抵抗は生まれなかった。

 

「今、どこにいるかわかるかい? できれば家とか、教えてくれると嬉しいんだけど」

「うーん……今は休日だし……ほむらちゃんの家はわかんないけど、いそうな場所なら」

「お、本当か?」

「うん、でもいるかどうかはわからないよ? けど、よく見かける場所なの」

 

 ほむらの居場所。

 杏子としては、まずほむらに会わないことにはどうしようもなかったので、この情報は非常に有意義なものだった。

 

「じゃあ、それ教えてくれる?」

「うん」

 

 鹿目まどかと佐倉杏子。二人の性格や気質は、似通っているとは言い難いものであろう。

 それでもまどかは親しげに接してくる杏子にそこそこ好意を持っていたし、杏子も素直に教えてくれるまどかに対し、親しみを感じていた。

 だからこの邂逅は、二人にとって決して悪いものではなかったのである。

 

 

 

 

 



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誰もが知ってる治療の魔法

 

“上条 恭介”。

 

 扉の横のネームプレートには、そう書かれていた。

 

 そういやそんな欠席者もいたな。と朝のホームルームでのなんやかんやを思い出す。

 なるほど、ずっと休んでいたクラスメイトはこの病室のヌシだったか。確かに、以前さやかが言及していた男というのも、そんな名前であった。

 

「この部屋にいるのね」

「……はい」

 

 マミの確認に、さやかは厳粛そうに頷いた。

 

 一見すると男子中学生のお見舞いに来た女子三人というなんともラブコメチックな絵面であるが、目的は至極真面目なものだ。

 

 目的。それは、さやかの親友である恭介の手を、どうにかして魔法で治療することである。

 

「魔法で治せるんですかね……?」

「さあ、どうかしら……聞いた限りでは、不可能ではないと思うけど……」

 

 魔法少女は自前の回復魔法を扱える。

 それは、瀕死の重傷を瞬時に打ち消すほどではないが、ケースによっては現代の医療を上回る部分があるのは間違いない。

 正直、博打だとは思う。けど、可能かどうかはやってみなくてはわからないことだ。

 

 もしも私やマミの基本的な治癒魔法で彼の腕を直すことができるのであれば、さやかの願いもまた別のもので叶えられるだろう。

 節約できる部分では、しっかり節約しておくべきだからね。どれだけ覚悟を固めた所で、定価で買った次の日に同じものが三割引で売り出されているのを見てしまうと、誰だってショックは受けるのだから。

 

「どうしたさやか、入らないのかい」

 

 病室前まで来たはいいが、さやかがずっとモジモジと尻ごみしている。

 

「……えと、ちょっと、最後にあいつとは変な感じで……そのままだったから」

「喧嘩でもしたの? 美樹さん」

「それは……私が悪いんです、恭介の気持ちも考えないで……無神経が過ぎていたんです」

 

 さやか、それ長くなりそうかい。まだ入らないのか。開けちゃうよ。

 

「……でも、もう大丈夫。二人の魔法で治らなくても、恭介の腕はきっと私が……」

「失礼しまーす」

 

 がららら。

 

(ってうぉい! 私まだ心の準備が……)

(あらら……仕方ないわね、私達はここで待ってましょっか)

 

 広い病室の窓際に、その男の子はいた。

 

「……誰?」

 

 彼が上条恭介だろう。

 美少年といえば、美少年である。中性的とでもいうのだろうか。

 しかし彼は寝たきりのまま、虚ろな目をこちらに向けている。

 

(私の病室よりも高級だな)

 

 彼は左手が動かないらしく、そのせいで松葉杖もうまくつけないのだとか。

 やっていたバイオリンができなくなってしまい、それらのショックもあって休学中とのことである。

 なるほど、人生とはうまくいかないものだ。

 

 しかしこの子も私と同じで、幸薄そうな顔をしている。

 こういった不運はある種、星の下のなんぞであるのかもしれない。

 

「やあ」

「……?」

「クラスメイトだよ。転校してきた」

「ああ……さやかが前に言ってた……」

 

 自己解決したら、彼はそのまま窓側を向いてしまった。

 

 私には興味がない。それどころではない。

 そんな、気に食わない態度だった。

 

 それだけでも私の機嫌は非常に悪くなるばかりだったが、予想の範囲内である。

 このいけすかない男のペースというものを完璧に崩してやろうという、逆に燃え上がる感情も出てきた。

 

 

 *tick*

 

 

 ここはひとつ、驚かせてやろう。

 

 

 *tack*

 

 

「私の名前は暁美ほむらだ」

「うわあっ?!」

 

 時間を止めてベッドの窓側の下から這い出ると、彼は跳ねて数センチずれた。

 素っ頓狂な声を上げた部屋の主に、扉の向こう側では“何事だ”と二人の影が慌ただしく蠢いている。

 

「な、な、な」

「さやかの友達だ、よろしく」

 

 左手を差し出し、握手を求める。

 が、恭介は驚いたような奇人変人でも見るような目で私を見たまま動かない。

 

 ……こんな奴の腕を治すくらいなら、私の制服の袖についたシミを落とした方がまだまだ良い気がしてきたな。

 

「挨拶くらいするべきじゃないか?」

「……君は、僕を馬鹿にしているのかい」

「? 何が」

「僕の左手を見ればわかるだろう、動かないんだよ」

 

 彼は強い口調で、包帯ぐるぐる巻きの左手を見せつけてきた。

 被害妄想の強い子だ。怪我した方の手を求められただけでここまで剣幕になるとは。いじめられっこの発想というやつだろう。

 

 私は恭介の左手を、同じく左手で握った。

 

「よろしく、恭介」

「……」

 

 怪訝そうな顔だ。

 さやかは一体、この男のどこに惚れ込んだのだろうか。

 純粋に、彼のバイオリンの腕前にゾッコンなのだろうか。だとしたら非常に清らかな願いなのだが……それは以前聞いた話の中で、遠回りに否定されている。

 さやかは彼に、異性としての好意を抱いているのは間違いない。

 

 ……まぁ、好みは人それぞれだとは思うけどさ。

 

 ……それはともかくだ。

 何も私は、この男と話に来たわけではない。

 

 必要なのは、回復魔法で治るかどうか。その判断だけだ。

 

 魔力を左手に込め、力を流し込む。

 治療術。私は得意ではないが、効率が悪くとも、効果は同じ程度のものは扱える。

 

『マミ、今左手の治療を試している』

『ええ、続けてみて』

 

 包帯越しに伝わる体温は正常。

 しかし、握手の体裁があるというのに、握力は全く感じない。

 左手が全く動かせない。感覚がない。かなりの重症なのだろう。

 

 あるいは、脳か……。

 

「あの……?」

『無理だな、魔力を込めてみたが、回復した様子はなさそうだ』

『……そう……じゃあ、私が治したらどうかしら』

『根本的に、単なる治療術とは趣が違うようだ。神経、腱……あるいは脳。私も詳しくはないが、重要な部分でダメージを負っているようだね。はっきり言って、期待薄だよ』

 

 残念だが、これで治らないとなると絶望的と言って差し支えない。

 完治にはまさしく奇跡……願い事の力が必要になってしまうだろう。

 

『そっか……うん、わかったわ。美樹さんにも伝えておくわね』

『病室に入らないのかい』

『うん……美樹さん、やっぱりまだ決心がつかないって』

 

 魔法少女になる決心はできても、こっちはまだなのか。

 やれやれ、どういうことなのだか……。

 

「いつまで握っている気だい」

「おっと、失礼」

 

 棘がある風に言われ、彼の手を離す。

 腕は、力なくベッドの毛布の上に落ちた。

 

「わざわざ来てくれてありがとう……でも、もう帰ってくれないか」

「ああ、言われなくてもそうするよ」

 

 売り言葉に買い言葉、というよりは、ずっとマイルドな返し方だったと思う。

 それでも恭介は、私の言葉を受けて、いかにも機嫌悪そうに目を細めた。

 

 ま、いいさ。腕が治らないとわかったら、もうここに用はない。

 もう病院の匂いは飽きたしね。

 

「そうだ、最後にひとつだけ」

「?」

 

 彼の横たわるベッドに歩み寄り、人差し指をくるくる回す。

 そして唱えるのは、古来より伝わる快癒の魔法。

 

「ちちんぷいぷい」

「……! 出てけっ!」

「うお」

 

 CDウォークマンを投擲してきやがった。この野郎め。

 退散だ。くそ。ちょっとおちゃめなまじないをかけてやっただけだっていうのに、なんてやつだ。

 

 

 

 

 

 

「……いないじゃん」

 

 佐倉杏子は、大通りにやってきた。

 大道芸やストリートミュージシャンが集まる、特に人気の場所である。

 

「ピエロのパリー、本日の公演は終わりだよ~。見てくれた人、ありがとね~」

 

 そこには様々なアーティストが通りすがりの人を目を引くべく、パフォーマンスを披露していた。

 しかし、ぱっと見た限りでは、慣れ親しんだほむらの姿は見えない。

 常にいるわけではないとはわかっていたので、大きな期待は抱いてはいなかったのだが、それでも無駄足なものは無駄足で、ショックなことはショックである。

 

 が、目当ての相手がいなくとも華やかな通りは、杏子の不満と退屈を紛らわせるのには十分な品質が保たれているようだった。

 

(賑やかだな、ここが有名な見滝原の……ん?)

 

 ふと、妙なものが目に留まる。

 

“Dr.ホームズのマジックショー”

 

 それは手書きの看板で、透明のビニールを被せた上で、適当な資材置き場の上に積み重ねられているだけのものだった。

 

「ドクター……ほーむず?」

 

 杏子は博学ではない。

 

「……ワトソン」

 

 しかし、簡単な連想くらいならばできる少女だった。

 

「いや、まさかな……? いや、でも……あ~……変身した時にそれっぽい格好してたような……まさか魔法を使ってマジックなんかやってるんじゃ」

「暁美ほむらの魔法については、僕も予想がついていないよ」

「ん?」

 

 思考中に声を挟んだのは、肩に乗ったキュゥべえだった。

 

「僕も何度か暁美ほむらの戦闘を見てはいるけど、彼女は何を駆使しているのかさっぱりなんだ。暁美ほむらの謎として、彼女の能力にも興味があるね」

『……ふーん、まあ、どうでもいい事だな』

「どうかな、暁美ほむらと戦う事になるかも……」

『ならねえよ』

 

 キュゥべえは暁美ほむらに対して強い警戒心を抱いているようだったが、杏子にはそんな感情はほとんどなかった。

 

『……ほむらだったら、私の考え方……わかってくれるさ。絶対に』

 

 



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君との想いの決裂に

 

 上条恭介という少年は、現在ひどく傷心しているので、いつもより気が立っているらしい。

 さやか曰く、普段ならば温厚であるとのことだった。

 

 そう言われてみればそうかもしれないと思える。

 芸術家や音楽家は、ネタに詰まると非常にカリカリするというのは良く聞く話だ。

 まぁ彼の場合は、もう二度と弾けないという、致命的なものだったわけなのだけど。

 

 それは、同情には値するものの、他人である私にとってはどうでもいい話だった。

 

「……」

 

 夕焼け空が眩しい。

 病院の屋上は見晴らしが良く、オレンジに陰る見滝原がよく観察できた。

 

 さやかは、今日は契約するつもりはないそうである。

 契約をするならば、まずはまどかと話をしてから、とのことだった。

 その他にも、様々な思いがあるのだろう。

 そこまで冷静になっても、人間をやめるというのだ。彼女の決心が固いのは、間違いない。

 

 マミは後輩ができるからと張り切る反面、それ以上に魔女の宿命を背負うこととなるさやかを心配している様子だ。

 特に、彼女の願い事の内容に対して懸念を抱いている風に私は見えた。

 他人のために願い事を使うのは、あまり良い事ではない。彼女もそれをわかっているのだろう。

 

 私のように、最初から願いなど覚えていなければ全てが楽なのだがね。

 自分を変えるということは、きっと、覚悟していても難しいものだと思う。

 

 

 

「見つけたぞ、ほむら」

 

 幼げな声が、すぐ背後から聞こえてきた。

 

「……探したよ」

 

 杏子だった。

 彼女は魔法少女の姿で、屋上の金網フェンスを軽々と飛び越えた。

 

 かじったチュッパチャプスの棒が吹き飛ばされ、タイルに落ちる。

 私は無意味にそれを眺めながら、相手に気付かれない程度に小さく鼻を鳴らした。

 

「やあ、暁美ほむら」

「君もか」

 

 彼女の肩には、まるで魔法少女のように、マスコットキャラが乗っていた。

 キュゥべえである。真っ赤な杏子の相方としては、色合いとしては別段悪いものではない。

 

「……どうしてここに? 杏子」

 

 遠い距離のままに会話する。

 私は変身していないが、彼女はその隙をついて襲いかかろうという風ではなかった。

 

「杏子は君に興味があるそうだよ」

「……ふうん」

 

 あれだけ、突き放したつもりだったんだけどな。

 

「なあ、ほむら。話しようぜ」

「何を話すというんだい」

「なんでもいいだろ? 同じ魔法少女なんだからさ」

「……」

 

 ……まぁ、同じ魔法少女では、あるけども。

 

 私は杏子の顔を見て、じっと顔色を観察した。

 が、そこに浮かぶのは宝物を見つけた子供のような、無邪気な笑顔のみ。多少の緊張も混じってはいるが……それだけだった。

 

 私からは、近付かない。

 相手がフレンドリーに話しかけてこようが、一定の距離は保つ。

 彼女の肩に乗った白猫は、気休めにもならなかった。

 

「話すことがあるといえばね、杏子……」

 

 指輪をソウルジェムに変え、前に突き出してやる。

 

「……君は、自分の意思を貫いているのか」

「……」

 

 杏子は黙り、難しい顔を見せる。

 おちゃらけない様子を見るに、問答をする気構えはあるようだ。

 

「……貫いてるさ、徹頭徹尾……」

「……そうか」

「なんだよ」

「……」

 

 この子は嘘をついている。

 いや、強がっているとでも言うのか。

 

「君が何を願い、魔法少女になったのか……そこまで踏み込むつもりはないけれど」

 

 そんな権利は、誰にもない。

 

「きっと、今の君の姿とは違うのではないかな」

 

 もし彼女が初志を貫徹しているのであれば、普段から夜の街をさまよう不良少女にはなっていないはずなのだ。

 それに、彼女が過去に私へ言って聞かせた、後悔しない気構え……それはまさに、熟達した魔法少女が抱くような、そんな戒律のようにも思えてならなかった。

 

「……私の願いは叶ったさ……ただ、その先の結果が裏目に出て、取り返しのつかない事になっちまったんだよ」

 

 そういう事も大いにあるだろう。

 

「今の私の姿が違う? ったりめーさ……私の願いは、もうどう足掻いても戻ってきやしないんだからな」

「きゅぷっ」

 

 肩の白猫が払われ、地面に落ちた。

 

「もう他人の為に魔法は使わない……私の初志はそれだよ。そこが、私の始まりだ」

 

 杏子の瞳は、赤く燃えていた。

 

「……それまでの私は、もう終わってるんだ」

 

 しかし、哀愁の漂う表情だった。

 黄昏が表情に影を落としていた。

 

「なら、君は私と関わらない方が良い」

「!」

 

 私は、病院のエレベーターへ向かって歩いてゆく。

 もう話は終わったとばかりに。いいや、実際のところ、既に終わっているのだろうと思う。

 

「どうして……」

「この町にはね、マミという魔法少女がいるんだ」

「マミ……」

「杏子は昔……きゅぷ」

「あいつがどうしたんだよ」

 

 踏まれた白猫が少しだけ気にかかったが、どうでもいいことだった。

 

「……彼女の信念と君の信念は相容れないだろう。そういうことさ。杏子もマミを知っている様子だから、きっと、君も昔に会ったことがあるのだろうし、折り合いがつかなかったせいで、こうして縄張りを隔てているのではないかな」

「……そうだけど」

「まあ、私も君寄りといえば君寄りな感覚でいるんだけどな、使い魔に対しては」

「なら……!」

 

 ああ、希望を持たせてしまったか。フォローは入れるものではないな。

 

「しかし、私は君ほど極端にルーズでもない」

「え……」

「……私は、マミと共に見滝原にいることを選んだのだ」

 

 それは、あるいは私にとって初めての選択だったのかもしれない。

 

「……」

「そんな私と居るということはね、杏子……君の信念を変えるしかないということなんだよ」

 

 さやかも、じきに魔法少女となるはずだ。

 彼女はマミと同じか、それ以上に正義を重んじる魔法少女となるだろう。

 そうなれば、さやかは杏子のような魔法少女としてのあり方を許さないはずだ。

 

 グリーフシードを多くストックしておきたい気持ちはわかる。

 頷ける合理性はあるが、現在の見滝原においてそのスタンスは、到底許されるものではなかった。

 

「……なんでっ、どうしてっ……どいつもこいつもっ、わかってくれないんだよぉ!」

 

 叫んだって変わらないんだ。

 

「私はもう、こうするしかないんだよぉ!」

 

 槍を構えて突撃したって、打ち破れはしないんだ。

 特に、そんな……悲しそうで、苦しそうな、泣き顔じゃあさ。

 

 

 *tick*

 

 

 プランクとプランクの狭間に入り込む。

 ブレた写真のように、世界は残像と重なるように停止した。

 

 怯えたような、怒ったような、感情を剥き出しにした杏子が、槍で私の足下を狙っている。

 彼女は私を殺すつもりはないのだろう。これもまた、勢いという奴だ。

 だが、譲れないものはあったのだと思う。

 

 これ以上に手持ちを失いたくないからこそ、彼女は感情を爆発させたに違いなかった。

 ……持たざる者であろうと強く願う自分が、仲間を欲するという矛盾を抱えて。

 

「……君の事情の全てはわからないけど。それでも、君が変わらなければならないんだ」

 

 杏子が構える槍の先を、鉄パイプで叩き返す。

 手応えはあったが、鉄パイプはいとも容易く割けてしまった。

 

「ここが私達の居場所だ。悪いけどそちらに行く気も、連れていかれるつもりもない」

 

 解体用ハンマーで槍を叩き返す。

 ハンマーに深い穴が空き、槍は僅かに動いた。

 

「君の昔は知らないけど……けど、きっと。昔に戻ってみたらどうだ、杏子」

 

 

 *tack*

 

 

「ぐあっ!?」

 

 突き出したはずの槍が一気に弾かれた。鉄パイプやハンマーなどによる積み重なる衝撃が、杏子が握りこんだ柄を押し返したのだ。

 時間の止まった世界でのエネルギーは重複する。突然それを身に受ければ、不意に弾き飛ばされ膝をつくのも、無理らしからぬことだった。

 

「ぐっ……ほむらぁ……!」

 

 優しく転げた身体を起こし、恨めしげにこちらを睨む。

 

「私はマミと……一緒にやっていくことに決めたんだ。それはもう、変えられない」

「……」

「私は、人の為に魔女と戦う……もちろん使い魔とだってね。それは、悪いことではないだろう」

 

 グリーフシードは貴重品だ。魔法少女の生命線でもある。

 けれど、他人の犠牲の上で、過剰にそれを手にしようとは思わない。

 

 ……私は、暁美ほむらとは違う魔法少女なのだから。

 

「……それには、なんの見返りだってないんだぞ」

「いらないね。魔法少女が一般人から何をもらおうっていうんだ」

「そんな綺麗事がいつまでも続けられると思ってるのかい?」

「……」

 

 そう言われると、言葉につまるけれど。

 

「今の私にとっては、それが全てだよ」

 

 暁美ほむらではない私でいることこそが、私の意味であると。私は、そう思っている。

 

「…………たと思ったのにっ……」

 

 俯いた彼女が呪詛か何かを零したように聞こえたので、私は反撃を予想した。

 だがそれとは反して、杏子は紅を翻して屋上から飛び去ってしまった。

 

 捨て台詞も吐かぬままに、彼女は私のもとを去ったのである。

 

 寂しい後ろ姿が屋上から消えた。

 飛び降り自殺ではないだろうと信じたい。

 

「やれやれ、彼女は一体何しにきたんだか」

 

 残されたのは、キュゥべえである。

 私としては、彼の言葉を復唱したい気分でもあった。

 けれど杏子の気持ちは、多分だけど、私にもわかる気がする。

 

 ……そろそろ落ちゆく斜陽が、眩しい。

 

「ところで暁美ほむら。さっき杏子の攻撃を防いだのは、一体どういった仕掛けだい?」

 

 私が感傷に浸っていると、白猫はとぼけた双眸をこちらに向けてきた。

 

「君にもわからないか、キュゥべえ」

「予想はいくらかあるけれど、確信に至るものはないかな」

「やれやれ、君が授けた力だろうに」

「僕にその記憶はないんだけどね」

 

 おお、奇遇だな。私も記憶にないんだ。

 

「参ったものだね」

「僕の台詞なんだけどなぁ」

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

「やれやれ、参ったなあ、早くまどかを契約させないといけないんだけど」

 

「暁美ほむらが何を吹き込んだのか、なかなかしてくれないし」

 

「マミを焚きつけようとも思ったけど、彼女も暁美ほむらの影響で、僕と関わろうとしてくれない」

 

「暁美ほむら……君は一体何者なのかな」

 

「興味深いイレギュラーだけれど、最近は君の事を厄介に感じてしまうよ」

 

「……ちょっと予定を早めて、強行策に出るべきかな」

 

「彼女達、魔法少女がどういった反応を返すのか、僕には見当もつかないけどね」

 

「けど、これも宇宙のためだ、仕方ない」

 

 

 

 

 

「うんしょ、うんしょ……うう、こんな高い所までなかなか手が届かないよ……私もさやかちゃんくらいあればな……」

 

 まどかは自室のクローゼットの上に積もった鳥の羽を、難儀しながらも掃除しているようだった。

 

「あ、届いた……んしょ」

 

 そして最後の羽もどうにか取り除き、部屋に鳩の痕跡のない清潔さが舞い戻る。

 

「……っとお。ふー、これで部屋に散らかった羽根は全部かな」

 

 椅子を足場にした慣れない作業も終わり、手元に残ったのは真っ白な羽をいれたビニール袋だった。

 

「綺麗な羽根だけど、散らばってるの良くなさそうだしね……やってくれたなぁ、あの鳩さん……」

 

 苦笑するまどかだったが、それを見計らったかのように携帯が震える。

 

「……あ、さやかちゃんからメールだ、なんだろ。また明日の宿題かな……?」

 

 近頃のさやかもまどかと同じく思い詰めているというか、集中力を欠いているようだったので、授業や宿題について助力を請おうというのは、あながち的はずれな想像でもない。

 が、届いたメールは、思いの外簡素なものであった。

 

 

 :まどか起きてる?明日の放課後、予定開けといてくれないかな?

 :ちょっくらさやかちゃんの話に付き合ってほしくてさー

 

 

「放課後の話なら明日学校で会った時にでも良いのに……」

 

 

 :うん、大丈夫、おっけーだよ

 

 

「よっぽど大事な話があるんだろうなぁ……うん?」

 

 

 :あ! ごめん、まどか! それと明日までの宿題の範囲なんだっけ!

 

 

「……てぃひひ、やっぱりさやかちゃんは変わらないなぁ」

 

 

 

 



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第七章 私の側で悪魔が囁く
落ち続ける時の砂


 

 瓦礫の山が聳え立っていた。

 夢で見慣れた廃墟の街である。

 

 しかし、全身に感覚はある。

 これはひょっとすると、またこの前のような、私の深層心理が見せたのかもしれない、あのリアルな夢の中であろうか。

 

 灰色の空模様は、かつて夢で見てきた時よりもどこか鮮明で、そのせいでむしろ現実味がないように思える。

 やはりここは、私の頭にある記憶が複雑に組み合わさって出来た、素っ頓狂な空間なのかもしれない。

 

『ん』

 

 ふと辺りを見回してみると、廃材の小山の頂にある鉄骨のベンチで、誰かが腰かけているのが見えた。

 遠くの景色がイマイチぼやけているのはいつものことであるが、しかしあの人物には見覚えがある。

 

 下ろした黒髪。他の何よりも見覚えのある魔法少女姿。

 瓦礫の山に座って俯いている彼女は、間違いなく“私”そのものであった。

 

 

 

 何十歩かの軽い登山を敢行した。

 どうせ夢の中である。何をしたって私の自由であるし、どうせ消え去ってしまう瓦礫を掃除に精を出すくらいなら、私自身とお喋りした方がまだまだ建設的であろう。

 

『ふう』

 

 瓦礫の山を登りきった。

 別段息切れもしてはいないが、疲れた風に座る彼女の横に、私も大儀そうな感じで腰かけた。

 

 隣に座る彼女は、私と全く同じナリをしている。

 髪も三つ編みにしていないし、眼鏡だってかけていない……と思う。俯いているからわからないが。

 違うといえばテンションくらいだろうか。

 

『やれやれ』

『……』

 

 自分の服をまさぐってみたが、食料らしきものは出てこなかった。

 まったく、お茶菓子も無しに自分自身に話かけなければならないとは。

 口寂しいものだね。夢の中でくらい、美味しそうなものが用意されていても良いだろうに。

 

『鉄骨の上は、冷たいな』

 

 語りかけてみても、隣の私は返事を返してくれなかった。

 

『なんというか、子宮が冷えるな』

 

 ちょっと下品な言い方をしても、耳は赤くならなかった。

 

『座布団でもクッションでも、敷いてみたらどうだ』

 

 親身そうに適当なアドバイスをくれてやっても、耳を貸そうともしない。

 

『楽になるぞ』

 

 彼女は何も答えないまま、そして私の意識は瓦礫の世界から離れてゆく。

 どうやらこんな不毛なやり取りというか、一方通行な独り言だけで、この世界は無意味に消滅してゆくらしかった。

 

『――楽になんて、なれるわけがないのよ』

『え――』

 

 最後に、何か言葉を交わしたような、気が――。

 

 

 

 

「……ん」

「にゃぁ」

 

 目が覚めた。

 夢の終わりがちょっとあやふやであったが、結局、夢は夢であった。

 簡単に言えば、不毛な大地で過ごすだけの、不毛なひとときだった。

 

「っ……つつ」

 

 どうやら私はまた、座ったままで寝ていたらしい。

 鉄骨の上で長時間座っていたかのように尻が痺れている。首ほどではないが、これはこれで非常に辛かった。

 

「にゃあー」

「……ちょっと待ってて、ワトソン、すぐ用意するから……」

 

 はいずるように机から離れ、キッチンへ向かう。

 早く朝食を用意しなくては。今日は学校なのだ。

 

 山積みになったカップから適当に一つを選び取って、包装を剥がす。

 かやくも入れて、粉末スープも最後まで入れたら指で弾いて……あとはついでに、缶詰でも開けるとしよう。この前マミが副菜があると良いって言ってたからね。

 

「ふぁああ……あと十三日かぁ……」

 

 あくびが出た。が、急いで朝食を食べなくてはならない。

 とにかく胃に掻き込もう。エネルギーを補充しなくては人も車も動かないわけだし……。

 

「ん?十三日?」

 

 ふと、私の動きが止まる。

 自分で言っておいてなんだけれども、私自身の言葉に違和感を覚えたのだ。

 

「……十三日って何だ」

「にゃ?」

 

 自問自答。ついでにワトソンにも顔を向けてみたが、この子は“知らないよ”とばかりに首を傾げるだけだった。

 

「……違う違う、八時半だ。今意識すべきは学校の時間だけだろう。急いで食事の用意をしないと」

「にゃー」

 

 変な事を気にしたって仕方がない。

 急いで調理を済ませ……。

 

「いそい……で……? ……!!」

 

 その瞬間、私の背筋が凍りついた。

 

 なんということだ。ああ。

 

 これは、まずい。

 

「……ポットに……お湯がない」

 

 どうしよう。

 

 

 

 

 

「さーて……まぁとりあえず朝はコーヒーよね……それからHR、一時間目は1組ねー、あのクラスは真面目なんだけど静かすぎるというか……」

 

 廊下からそのような独り言が聞こえた時には、既に遅かった。

 

「あ」

「え?」

 

 無情にも、給湯室の扉は開け放たれてしまったのである。

 

 電気ポットでカップ麺にお湯を注ぐ私。

 それを呆気に取られた目で見つめる、我らが担任早乙女先生。

 

「……奇遇ですね」

「職員用の給湯室で何をやっているのかしらー? 暁美さーん?」

「いや、これには並々ならぬ事情が……」

「聞いてあげてもいいけど、そのカップラーメンはどう弁解するつもりかしらねー」

「いや、弁解というより……その、このポットがボタン式じゃなくてちょっと面倒臭いというか」

「ふふふ、暁美さあん、そういえば日頃の授業態度の件についてもお話があるから、もうしばらくここにいましょうねえー」

「……厄日だ」

 

 私はアルデンテ風の麺を一口啜り、溜息をつく他なかった。

 

「食べないの」

「うへ」

 

 出席簿で頭をコツンと叩かれた。

 

 

 

 早く登校したというのにこのありさまである。

 私はただ、この職員室にちょうどよくお湯のポットがあるのを覚えていたから、ちょっとだけ拝借しただけだというのに。

 やわらかなパイプ椅子の上で食事を摂れるのはありがたいことだが、向かいの担任はなんとも口うるさくて、参ってしまう。

 

 静かに麺を啜らせてほしいものだね。

 

「暁美さんが一人暮らしで大変なのもわかっていますけど、そういう時は先生達も頼って欲しいですねっ」

「ふぁい」

 

 ずるずる。

 

「クラスのみんなと馴染めているのはとても良い傾向なんですけど、逆に先生達に対する日頃の授業態度の悪化が見られてますから……」

「ふぁ」

 

 ちゅるん。

 

「ちょっと! 真面目に話している時に汁を飛ばさない!」

「あ、すいません」

 

 ラーメンを食べてて向かい側に人がいるというのも珍しいので、ついやってしまった。

 これはしたり。

 

 

 



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孵卵器の耳打ち

 

「はあ」

 

 やれやれ、小言は慣れないな。お湯の拝借どころか、普段の授業態度にまで言及されてしまうとは。

 しかし、日頃の退屈な授業だって悪いと思うのだ。この学校で教わる範囲はなんというか、何度も反復してやったようにも思えてしまうほどに、全く手ごたえを感じられないのだから。

 テストだって同じである。あまりにも簡単すぎて、手が答えを覚えているかのように答案を埋めてしまう。

 

 だがまぁ、それは学校のせいというよりは、きっと私が特別というだけなのだろう。

 授業中のつまらなさについては、秀才だった暁美ほむらの才能を逆恨みする他なさそうだ。

 多少は熟考し得る問題用紙を配布してほしいとは、常々思うがね。

 

 しかし、先生から態度の悪さを指摘されるのはさすがに良くないか。

 さすがに授業中に鶴を拵えるのは駄目だったのだろうか。身の振りをわきまえ、ノートにマジックの案を書き記すだけに留めておくべきか……。

 

 これ以上の素行の悪さはクラスでも目立ってしまうだろう。

 クラスメイトから変人扱いされるのは、あまり良い事ではない。

 

「よー、ほむら!」

「……おはようさやか、元気だね」

「へへ、まあねえ」

 

 教室に入ると、上機嫌なさやかが真っ先に出迎えてくれた。

 

「おはよー、ほむらちゃん」

「ああ、おはようまどか……ねぼけた顔をしているけど大丈夫かい」

「ね、ねぼけてないよ?」

 

 まどかはいつも通りだ。

 

「おはようございます、ほむらさん」

「おはよう仁美、今日も綺麗だね」

「あらっ」

 

 なんだかんだ、仁美だっていつも通りなのである。

 

「どうしたの、ほむら。今日は朝から随分と上の空じゃん」

「さやかちゃんみたいに月曜日が嫌いなのかな」

「わ、私だけじゃない! はずだぞ!」

 

 ふむ、悩みが私の顔や態度に出ていたか。

 

「うん……まあ、ちょっと気になったことがあってね」

「? ほむらさんがですか? 何かあったのですか?」

「ああ、気のせいかもしれないんだけどな……」

「うん、どうしたの? 私達で良かったら、聞くよ?」

 

 ……そうか。友達って、良いもんだな。

 ならば、そうだな。考えすぎかもしれないけれど、私の苦悩を打ち明けてみるのも、良いかもしれない。

 

「なあ、私ってさ……目立ってるかな」

 

 訊くと、三人は顔を見合わせてから、私に向き直った。

 

「目立ってるけど?」

「目立ってますわね」

「目立ってるねー」

「……そうか」

 

 駄目じゃないか……。

 

 

 

 

 

「……」

「どうしたんだい杏子、昨日から何もしていないじゃないか」

「うっさい」

 

 杏子は無人ホテルの一室で、菓子類を貪り食っていた。

 ジャンクフード、スナック、チョコレート。ありとあらゆる高カロリー食品に手を出す生活をここ数年ずっと続けていたが、彼女の体型はほとんど変化していない。

 それは彼女自身の体質のせいもあるかもしれないし、魔法少女になったことの影響でもあるかもしれない。しかし杏子はその理由にこれっぽっちも興味はなかった。

 

 苛立つから、食う。そんな忌まわしい習慣が、根付きつつあった。

 

「暁美ほむらと戦って撤退してからというもの、君は随分と行動力が落ちているね」

「ほっとけ……もうあいつには関わらないんだ。仲間になろうだなんて、考えないよ。あいつがそうやって、突き放したんだからな」

 

 ――そう、マミのようにな

 

 隠された一言はどうにか吐き出さず、再び杏子はハンバーガーに齧りついた。

 

「……ねえ杏子、つい最近僕が手に入れた情報なんだけど、聞いてくれるかな」

「しつこいぞ、もうほむらの所には……」

「およそ二週間後、この近くにワルプルギスの夜がやってくる」

「!」

 

 ワルプルギスの夜。

 その単語に、杏子は大きく反応せざるをえなかった。

 

「そのために――」

「オイ、なんでわかる」

「僕がそういった予兆を察知できるのは不思議かい?」

「……それは本当なのか」

 

 ワルプルギスの魔女。

 それは魔法少女の間で語り継がれる、伝説のような存在だった。

 

 いつから存在しているのかはわからない。

 ただそれはとてつもなく強大で、何人もの魔法少女が束でかかっても倒せないほどの魔女であるという噂だけが、まことしやかに囁かれているのだ。

 

「あくまでも予想だし、必ず来るものとは限らない。けれど、おおよそ二週間後には、何か強大な魔女が現れるはずだよ」

「……二週間後」

 

 ワルプルギスの夜。超弩級の魔女。

 おとぎ話か何かだと思っていた魔女が、この街に近づきつつある。

 好戦的な杏子とはいえ、強い警戒心を抱くには十分すぎる存在だった。

 

「ワルプルギスの夜が具体的にどのくらい強いのかは、僕にもよくわかっていない。ただ、普通の魔法少女一人で敵う相手ではないことは確かだ」

「一人じゃ……」

「当然、杏子一人で勝てる相手ではないね」

「……アタシが、ほむらやマミと協力すれば……!」

「いいや、それでも結果は未知数だよ」

「なに?」

 

 杏子、ほむら、マミ。

 ほむらに関してはまだまだ知らない部分も多いが、杏子としては、自分の攻撃をいなせるだけ十分に強い魔法少女として認識していた。

 そして自分を含め、この近郊にいる魔法少女としては、三人はかなり強い方であろうことは間違いない。

 

 それでも勝てないというイメージが、杏子には全く沸かなかった。

 

「ベテランの魔法少女が三人集まったところで、勝てるかはわからない……むしろ、ワルプルギスはそれ以上だと推測するのが妥当だよ」

「なんだって……!」

「なにせ遥か昔から現代までに続く魔女だからね。今までに多くの魔法少女が立ち向かっていっただろうさ。三人や四人くらいの魔法少女でなら、当然ね」

 

 考えてみれば、当然の話である。

 魔法少女がチームを組む場合、三人前後が最も安定するし、取り分で揉めることも少ないのだ。

 杏子にも自負できる程の強さとその矜持もあったが、キュゥべえの推測は正しいように感じられた。

 

「……じゃあ、どうしろっていうのさ」

「ワルプルギスの夜を防ぐ方法はいくつかあるよ」

 

 キュゥべえの耳がピコンと動き、杏子は黙って聞く体勢を整えた。

 

「まず、街の壊滅は免れないが……全ての人々を遠くへ避難させることだね」

「……」

「ただ、圧倒的に時間が足りないだろうね。それに、どうやって街の人々を避難させるのかといった問題もある。到底、現実的とは言えない方法だね」

 

 確かにキュゥべえの言う通り、それは現実的な策とは言えないだろう。

 だが杏子は頭の中で、自分にとって関わりのある人間だけを逃がす算段を浮かべてみれば、それはわりと実現可能であるように感じられた。

 問題は、そういった連中を連れ出すのに一苦労も二苦労もしそうだということだが……。

 

「もうひとつの方法が、僕個人として最も有効だと思う解決策だね」

「へえ、そうかい」

「ワルプルギスの夜を倒すことだよ」

「……はあ?」

「実は、撃破も不可能ではないんだ」

 

 三人や四人の魔法少女が束でかかっても倒せない相手を、どうやって倒すというのか。それは杏子には全く想像もできないことで、興味よりも呆れの方が勝っていた。

 

「見滝原で鹿目まどか、という子に会ったね」

「ああ、ぼんやりした……素質があるっていう奴の一人だろ?」

「まどかが魔法少女になれば、ワルプルギスの夜は倒せると思うよ」

「……魔法少女が一人や二人じゃ無駄、って相手なんでしょ?」

「まどかについては例外だよ、彼女はとんでもない素質をもっているからね」

 

 魔法少女には素質があり、素質によって能力の強弱も影響する。杏子もそのことについては重々承知していたつもりだった。

 しかし、個人差がそれほど出るというのは初耳だった。

 

「その子、アタシやマミ以上だっての?」

「比較にならないね……魔法少女になったまどかは、あらゆる魔女を一撃の下に粉砕できるはずだよ」

「なっ……」

「まどかは君と同い年だね。マミの一つ下ではあるけれど……彼女が含有する魔力は、途方もない量だ。ワルプルギスの夜だって、彼女なら簡単に倒してしまうだろうね」

 

 杏子にとってキュゥべえとは、元々何を考えているのかわからない生き物であったし、それほど信用を置いているわけでもない。

 だが、なんとなく嘘はつかない相手だと思っていた。少なくとも、バレるような嘘はつかない相手であると。

 

「……へえ、じゃあつまりあの子が契約すれば、ワルプルギスは倒せて、街も守れる……良い事尽くめ、ってわけ?」

「ワルプルギスを倒すにせよ、街を守るにせよ、まどかの力は必要になるだろうね」

「……ふうん、そうかい」

 

 メシア。まさにそんな言葉の似合う魔法少女だろう。

 杏子の記憶にあるまどかの気弱そうな表情からは、そんな気配など微塵も感じられなかったが……。

 

「けどさ。だったらアンタはどうして、そのまどかって子に契約をもちかけない?」

「僕も持ちかけているよ? ただ、気が進まないらしくてね」

「ワルプルギスの事を踏まえてか」

「いいや、まどかにはまだ話していないよ。これは新しい情報だからね」

 

 ならば、すぐにでも伝えるべきだろう。

 杏子はそう思ったし、それは誰だってそうするであろう、理由の重い、何にも代えがたい巨大な使命であるように思えた。

 そしてその理由付けは、杏子にとって都合のいいものであった。

 

「なあ、そのまどかって子の契約の持ちかけさ……うまくできなくて、困ってる?」

「そうだね、困っているといえば困ってるよ。このままでは見滝原市も危ないしね」

「……だったら、アタシが協力してやろうか」

「杏子がかい?」

「ああ、ワルプルギスがこっちのテリトリーにまで影響するっていうんなら、もう見滝原だけの問題じゃないからな」

「それはそうだけど。近頃の君は、随分と献身的に僕を手伝ってくれるね」

「偶然だよ、グーゼン」

 

 そう、偶然なのだ。

 全てのことは偶然であり、訊かれれば必然と言い張れるだけの理由も、正当性もある。

 

 正しい行いなのだから、誰に非難されるものでもない。

 そして正しい行いというのは……認められるべきなのだ。

 

 



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楽しくも窮屈な日常

 

「ふっ……!」

 

 伸ばしきった脚が、行く手を阻むハードルを飛び越える。

 魔法少女の身体能力は体育の時間で最も花開くのだが、力の込め過ぎは厳禁と言えよう。

 

 ただ、何も考えずに力半分でやっていればいいのだ。

 加減がなければ、また私はやりすぎてしまうからね。

 

「暁美さん……ま、またすごい記録を……」

 

 しかしゴールに到達した私は、それでも先生を驚かせてしまったらしい。

 ふむ、魔法少女を抜きにしても、私の元々の才覚を隠しきれなかったということだろうか。

 

「フリーです」

「いや、それは知ってます……けど、何らかの機会で目に触れれば、スカウト、来るかもしれないわね」

「なに」

 

 それは困る。

 さすがに魔法少女の力で、この国の将来有望なアスリートの卵たちを挫折させたくはない。

 

「はぁ、はぁ……ほむらさん、すごいですわ……全く、追いつける気がしない」

「ふふ、仁美もなかなか速かったじゃないか」

「一緒に走って……ああ、振り返りながら走っていましたものね……それでよく、ハードルに引っかからないものですわ……」

 

 私と共に走ったのは仁美だった。

 彼女も彼女でそこそこ速かったが、まぁこれは相手が悪いの一言に尽きるだろう。

 

「歩数で数えていれば、ハードルなんて目を瞑っていても越えられるさ」

「あーあ……ほむらさんには、何ひとつ敵わないわぁー……」

 

 委員長にちょっとした挫折を味わわせてしまったのかもしれない。

 でも、これも魔法少女の宿命なのだ。この程度のことは、どうか勘弁していただきたい。

 

 

 

「……よし、昼休みか」

 しかし、学校生活というものは面白くも、疲れるものだ。

 

 よくある人間関係や勉強面での問題がなくとも、魔法少女というだけで大きな気を遣ってしまう。

 力を出し過ぎればすぐに教師一同の期待がかかるし、事によっては神童呼ばわりされてしまいそうにもなる。

 

 仁美のような天然物の秀才に配慮するわけではないが、次からはもっと脱力して物事に臨む必要があるのかもしれない。

 

『暁美さん、いる?』

『ああ、いるよ』

 

 マミからのテレパシーが入った。きっと昼食のお誘いだろう。

 

『今日もどうかしら、昨日頑張って作ったのよ』

『おお、嬉しいな。けど、毎日悪いね』

『ううん、いいのよ……あ、そうだ暁美さん』

『ん?』

『美樹さんや鹿目さんも屋上に呼ばない?』

 

 さやかとまどかも一緒に、か。

 そういえば、どうして今の今まで彼女たちを交えていなかったのだろう。

 

『ああ、そうだね。それがいい』

 

 皆で食べる昼食は楽しそうだ。

 是非ともそうしよう。

 

 

 

 さやかもまどかも、誘ってみればすぐにオーケーしてくれた。

 

「おー、やっぱ屋上はいいねえ」

「風が気持ちいいねー」

 

 月並みなコメントをどうもありがとう。

 

「うふふ、暁美さんとはよくここで食べてるのよ」

「あ、それで昼休みいつもいないの?」

「言ってなかったっけ」

「てぃひひ、私、ほむらちゃんはいつもどこで食べてるんだろうって、ずっと不思議に思ってたよ」

 

 今さらだけど変な笑い方だなこの子。

 ……ふむ、そうか。昼食はいつもさっさと屋上に消えていたから、二人には知る由もなかったわけか。それはちょっと、もったいないことをしていたのかもしれない。

 

 

 *tick*

 

 

 まぁ、とりあえずせまいベンチの上で食べるのもなんだ。

 どうせなら皆で、楽しく囲んでやろうじゃないか。

 

 

 *tack*

 

 

「! シートが、突然……」

「さあ、敷物を用意したよ。厚みはあるから、そんなに悪くはないはずだ」

「うお!? また魔法か!」

「今のってマジック? 魔法……?」

「さあ、どっちだろうね」

 

 少なくとも今の技をマジックで再現するのは、今の私には難しいかな。

 

 

 

 シートの上に並ぶ四つの弁当。

 マミによって丁寧に作られたものが二つ。一つは私のものだ。

 

 まどかの弁当は、どこか可愛いらしい盛りつけ。

 さやかの弁当は……なんというか、米の量が結構多い。良く食べる子なのだろう。活発そうだし、これくらいの量が丁度いいのかもしれない。

 

「あれ? ほむらちゃんはマミさんと同じお弁当なんだね」

「ああ……これね、前までは暁美さん、自分でご飯を持ってきてたんだけど……」

「マミが作ってくれると言ってね、それじゃあ厚意に甘えようかなと」

「んー、ちょっと違うわよ。暁美さんのお昼ごはんを見てると心配になってくるから……」

「心配?」

「何がさ」

「だって、暁美さんたらいつも……スニッカーズ? とか、ゼリーのほら、アレ……とかね、そういうのばっかりで」

「え、ええ!? お昼、それだけ……?」

「うわー、ひどいですね」

「でしょ?私もう見てられなくて……」

 

 な、なんだこの言われようは。

 私がいつ、誰に何をしたっていうんだ。

 

 

 

「……ふう。ごちそうさま」

「ごちそうさまー」

「んー、美味しかった!」

「お粗末さまでした」

 

 完食。

 四人揃っての昼食は、賑やかに終わった。

 特にレンコンの肉詰めは美味しかった。いつも弁当を作ってもらっておいて図々しいだろうが、また食べたいと思ってしまうような味だった。

 

 

 まだ昼休みの時間はあるが、屋外にいつまでも居続けると変な汗をかいてしまうので、私達は退散することにした。

 

「……あ、さやかちゃん」

「ん?なーに、まどか」

「昨日の……」

「あー、うーん」

 

 さやかが何か言いたげな目でこちらを見た。マミも見た。

 なるほど。どうやらさやかは、まだまどかに伝えていないのだろう。

 

 魔法少女になる決心を固めた、という告白を。

 

「んーやっぱ、放課後で!」

「えー、気になるよう」

「いいからいいから!」

 

 二人は親友だ。二人の間での事は、下手に口出しせず任せたほうが良いだろう。

 私もマミも二人には触れず、静かに良い雰囲気のまま、屋上を後にした。

 

 

 

 さやかは、まどかに告げるだろう。魔法少女になる旨を。

 そして私とマミ、そこに魔法少女となったさやかが加わる。

 見滝原市を守る魔法少女が三人になるというわけだ。

 

「……」

 

 国語教科書の右上に載せられた、拳を握りしめる少年の白黒写真を眺め、その向こうに杏子の姿を思い浮かべる。

 杏子の縄張りは隣町だ。見滝原ではないようだが……距離は、さほど遠くはない。

 

 魔法少女三人のグリーフシードを安定供給するためには、時として魔女を求めに遠征する必要性も出てくるだろう。

 その時、もしかしたら、隣町にも……私達の手は及ぶのかもしれない。

 杏子と出会った時に起こる摩擦。それは、あまり考えたくはない事だった。

 

 マミもさやかも、きっと彼女とは、考え方が大きく違っている。

 私はそれを受け入れるくらいの度量を持ち合わせているつもりではあるが、マミやさやかが杏子のやり方を受け入れるとは思えない。軽い乱闘騒ぎくらいは起こるだろう。いや、それで済めばまだ良い方だろう。

 しかし私が一時的にそれをおさめたとしても、長い目で見た場合はどうなるか……。

 

 ……あ、そういえば杏子はソウルジェムの真実を全て知っているのだろうか。

 そういった知識も自分の信念には大きく関わって来るから……ああもう、面倒くさいなあ。

 

 何もかも放り捨てて、マジックだけをやっていたい。

 

「ではここを暁美――」

「道化」

「うむ、正解」

 

 子供の写真に落書きするの楽しい。

 

 

 

 考え事に耽っていれば、退屈な授業はすぐに終わる。

 グッバイ、ミスグリーン。

 

 大人しくしていればホームルームは早めに締まるので、普段は賑やかなクラスメイト達も、その時だけは皆口数が少なかった。

 そして一連の流れが終わると、小グループを作り始めたクラスメイト達をよそに、私は鞄を取って、素早く教室から出ようとした。

 

「暁美さん、帰り一緒に……」

 

 が、呼び止められてしまった。なるべくさっさと、目立たない内に立ち去りたかったのだが。

 

「うーん、どうしようかなあ」

 

 一応、悩むような仕草をしてみせる。

 

「今日は忙しいから、また今度ね。じゃあね、ばいばい」

「むう、残念。じゃあねー」

 

 女子たちを尻目に教室を出た。

 さやかが何かアイコンタクトを送っていたようにも見えなくもないが、それは適当に無視することにした。

 

 今日は本当に、少々、やるべきことがあったから。

 

『マミ、今日は魔女狩りの予定はあるかい?』

『あら、……うーん、そうね、私は少しだけパトロールしようかと思っているけど』

『じゃあ私はちょっと、今日は別行動させてもらうよ』

『そう? わかったわ』

『じゃあね、マミ』

『うん。じゃあね、暁美さん』

 

 さて。町へ繰り出そう。

 

 魔法少女の先輩として、さやか絡みで色々と確認したい事ができたのだ。

 

 



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願望と限界のコイン

 

 向かう先は病院だ。

 例の上条恭介を訪ねに行くつもりである。

 

 さやかはきっと、まどかに打ち明けた後でキュゥべえと魔法少女の契約を結ぶのだろう。

 そうすれば、願いによってたちまち上条の左手は完治するはずだ。

 それを確認できるかもしれない、というのがひとつ。まぁそっちはどうでもいい。

 

 もうひとつは……上条恭介という人間について、また直接会って話してみようと思ったのだ。

 前回はさんざんに嫌われたけど、平時は違うのだという。さやか曰く、優しくて誰に対しても穏やかで、少し不思議なのだとか。惚気である。以前対面した時のイメージと全く違うのだが。

 まぁ、ちょっとそれが信じられないなーっていう考えもあって、そんな彼を見に行こうというわけなのだ。

 

 しっかり見定めさせてもらおうじゃないか。

 さやかの願いの賜物を。

 

 

 

 というわけで、がらららら。

 

「っ!」

「失礼します」

 

 入室してみると、やはり同じベッドの上に恭介の姿があった。

 顔の印象は以前と変わらない。陰鬱そうで、卑屈な少年だ。境遇を聞けば、仕方ないとは思うがね。

 

「君はこの前の……そういう挨拶は、開けてから言うなよ」

 

 ふむ、どうやらまたいきなり間違えてしまったようだ。

 出だしから彼の顰蹙を買ったのでは、会話にも差し支えてしまうか。

 

「……では、また」

 

 もう一度がらららら。病室を出て、一旦戸を閉める。

 そして閉めたばかりの扉をノックする。ちゃんと二回である。国によっては三回だったり一回だったりするらしいが。

 

「失礼します」

「……まあ、いいけどね……どうぞ」

 

 よし、この作法は辛くも許してもらえたようだ。

 お言葉に甘えて、中に入らせていただくとしよう。

 

 

 

 窓が大きく、外の景色がよく見える。

 本当に良い病室だとは思うが、ホテルではないんだからもうちょっと慎ましい間取りでも良かったのではないだろうかと、思わないでもない。

 まあ、ここもいわゆる見滝原バブルの恩恵を受けたということだろう。

 今でも人気のある土地らしいし、ゴーストタウンにならなかったので、結果的に開発は成功していたと言えるのだろうけど。

 

「……で。君はまた僕に何の用?」

 

 前よりも受け答えがぶっきらぼうになっている気がしなくもない。

 

「なに、これからクラスメイトとして仲良くやっていくんだ。喧嘩別れは良くないだろう」

「誰のせいだと……というより、クラスメイトと君は言ったけどね。僕が復学するのはまだまだ先だよ」

 

 窓の外を見やる虚ろな目。

 

「片腕は動かない……足はまだまだ……杖もつけなきゃ、外になんて出れない」

 

 全てを諦めたような目をしている。

 ともすれば、魔女の口づけを受けてもおかしくないほどの、大きな悲哀なのだろう。

 

 話しているうちに、彼は口を閉ざしてしまった。

 

「なあ、上条」

「馴れ馴れしいな」

「名前呼びでないだけありがたく思って欲しいな」

「……なんだよ」

「君は、もしも願いがひとつだけ叶うとしたら、何を叶える?」

 

 ベッドの端に腰かけながら聞くと、上条はちょっとだけ気持ちを揺すられたように目を瞬いた。

 

「……ふん、バカバカしいけど、決まってるさ……当然、」

「それは、君の魂を差し出すに足るものかい」

「……なんだって?」

「そのままの意味だよ」

 

 手にした指輪を外し、上条恭介の眼前へ持っていく。

 それはソウルジェム。私の魂であり、私の願いの結晶。

 

「何でも願い事がひとつだけ叶う……ただし、その代わりに一生、地獄のバケモノ共と戦い続けなくてはならない」

「馬鹿らしい」

「やっていく勇気は無いということかな」

「……」

 

 リングの向こうの彼の目がこちらに向いた。

 小さな挑発に乗せられたようだ。

 

「バケモノは強い……いつだってすぐそこにいる……そんな奴と、君は戦い続けられるかい」

 

 奴らに容赦はない。

 

「終わることのない戦いに身を投じ、いつでも殺される危険を枕の脇に置けるかい」

 

 指輪の空洞の向こうに見える恭介の片目は、冷めたような澄ましたものだったが、ふと細まり、口元に挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「……決まってるじゃないか、戦うに決まってる」

「ほう」

 

 自信満々といった表情だ。

 

「もっとたくさん弾きたい曲がある……聴かせたい人がいる。その人のためだけに、僕は自分の腕を治すことを選べるよ。それと引き換えに、すぐ死ぬことになったとしてもね」

 

 そう言い切ると、彼は窓の外を見た。

 

「……バイオリンの弾けない僕は、僕じゃないから」

 

 本心だろう。しかし、真正面から言うのは、少し恥ずかしかったのかもしれない。

 

「……そうか、それが君の願いか」

 

 願いは願い。

 夢は夢。

 君の願いはかなわないだろう。

 それを叶えるのは君じゃない。さやかだ。

 

「……さて、ならば私から言うことは何もない。お別れの前に、今日の暇潰しの為の道具を君にあげるよ」

「?」

 

 ポケットからハートの四を取り出し、恭介のベッドの上に置く。

 彼は“もう慣れっこだ”と、何も言わない。

 

「この前の無礼のお詫びだよ。はい、これ」

「!」

 

 トランプを裏返すとともに、カードはCDウォークマンに変わった。

 以前に彼が壊したものと同じタイプの機器である。

 

「こ、これは、一体どうやって?」

「Dr.ホームズのマジックショーは不定期だけど、放課後のショウロードでやっているよ」

「マジック……はは、すごい、こんな間近で見たのは初めてだ」

「また見たければ、ショウロードに足を運んでくれ」

 

 私が軽くウインクしてみせると、恭介は照れたように頭を掻いた。

 

「なに、マジックがあるくらいだ。奇跡や魔法だって、この世界には存在するとも」

「……ふ、君は、変わっているね」

 

 私というものにも慣れたのか、彼は薄く微笑んだ。

 それは確かに、さやかが言うように優しい表情だった。

 

 彼も少しは機嫌を直してくれたようだ。

 これで仲直りは、できたかな。

 

「それじゃ、私はこの辺で失礼させてもらうよ」

「……わざわざありがとう。それと、この前は僕の方こそごめん」

「大丈夫、気にしてないから」

 

 扉を開く。

 これ以上いると、いつの間にか彼の腕が治ってしまうかもしれない。

 そんな場面に居合わせたくはない。だから。

 

「ちちんぷいぷい」

 

 最後にそれだけ言い残して、私は上条恭介の病室を後にした。

 

 

 

 

 

「……そっか。さやかちゃん、魔法少女になるんだね」

「うん」

 

 ハンバーガーショップの奥まった席で、二人は大事な話を交わしていた。

 さやかが魔法少女になるという決意。それを、親友であるまどかに伝えるために取った、静かなテーブルであった。

 

「さやかちゃん……大丈夫なの?」

「まだわかんない、けど決めたんだ」

 

 決意は固い。それがわかるからこそ、止めようがない。

 まどかにとっては、辛い決意だったのだろう。

 

「そーんな顔しないでって! 別にすぐ死ぬってわけじゃないんだから!」

「……でも、今さやかちゃん言ってたでしょ……ソウルジェムが真っ黒になると」

「うん、魔女になる」

「そんなのやだよ……!」

「だから、まだわかんないって」

 

 今生の別れみたいな顔をする親友に、さやかは苦笑した。

 しかし、あながち間違いというわけでもない。場合によっては早く死ぬこともある。それは、魔法少女の一つの真実に違いないのだ。

 

「……丁度、ほむらが来てからだよね。色々な事があったよ」

「うん……」

「世界には、まだまだ私達の知らないことが沢山あるんだって知ってさ……私ってバカだけどさ、この数日は私なりによく考えたよ」

 

 窓際の席だった。ちょっと窓を見れば、階下の見滝原の景色が一望できる。

 

「世の中には不条理に死ぬ人がいる。それは、魔女とかと関わる前からなんとなく、頭ではわかっていたけど……そういうのは全部、遠い場所の出来事なんだって、他人事だった。でも私は目の前で見たし、当事者にもなりかけた」

 

 地面に広がった血だまりと、その中心でこと切れた女性の姿が、今でも脳裏に浮かぶ。

 それは想像するだけで、今でも身震いを止められないような、おぞましい記憶であった。

 

「怖いよね、魔女って。……ううん、魔女だけじゃない、世の中って本当に突然に、思いもよらない悲劇が起こるんだ」

 

 かなり遠くには、大きな病院も見える。

 もちろん目を細めたとしても、人の姿を見ることなどできないが、そこには大勢の人がいる。

 

「……短い命だとしても、私は魔法少女になりたい」

「……うん」

「あはは、だーから、そんな暗い顔しないでってば」

「さやかちゃん……私、私は怖いよ……」

「……ふふ、まどかはまどかだよ。それが普通なんじゃない? 私がちょっと、向こう見ずなだけでさ」

 

 とはいえ、さやかも長く思い悩んだ末に出した結論だった。

 向こう見ずとは言ったものの、自身の深い部分では、そうは思っていなかった。

 

「私だってそりゃあ、怖いよ……魔女を間近に見た時は竦んじゃって動けなかったし。殺されそうにも、なったしさ」

 

 魔女見学も、魔女に操られていたと聞かされた時も。

 どちらも恐ろしい思い出だ。

 

「でも私って、バカだからね。考えて頭の中でモヤモヤさせてるだけでも良いことなのに、つい手は出ちゃうんだよ」

「……私、臆病だよね。ずるいよね、さやかちゃんは覚悟を決めたのに……私」

「あはは、だから、そーいうんじゃないんだってば」

 

 そう。決してまどかは悪くない。むしろ願い事に手を出す自分の方が、腰が軽いのだろう。

 さやかとしては、そんな自分に勢いでまどかがついてこないかどうかの方が、気がかりであった。

 

「……じゃあ、さやかちゃん、契約するんだね」

「うん、今日にでもね」

「ま、魔女が現れた時でいいんじゃないかな……」

「……いいや、今日するよ。そういう覚悟だからさ」

 

 いつ契約しても良い。少なくとも、そのくらいの覚悟で臨まなければならない。

 自分の決断に言い訳を作らないことも、魔法少女には必要なことなのだと、さやかは思い始めていた。

 

「……さやかちゃん」

「ん?」

「……私なんかに話してくれて、ありがとう」

「……へっへー、当然でしょ! まどかは私の親友だもん」

「てぃひひ……」

 

 まどかを軽く抱きしめて、頭やら背中を優しく叩く。

 変わらない親友がそこにいてくれる。それだけで、さやかにとっては心が支えられるような気持ちだった。

 

「……さて! なんか考えてたら、またお腹すいてきた! バーガー買ってくる! まどかは?」

「わ、私はいいかな……お腹いっぱいだし」

「そか、じゃあ行ってくるねー」

「うん」

 



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自己矛盾の独り歩き

 

「……ったく、いつ来ても騒がしいところだな」

「この時間ならそうでもない方じゃないかな。夜の繁華街だって、同じようなものだと思うけど」

「アタシにとっては、ここでも随分だよ」

 

 杏子が辿り着いたのは、見滝原でも最大規模のショッピングモールであった。

 建物の外は道幅も広くなっているが、それでも歩くのに気を遣う程度には混み合っている。

 

「まあいいや。まどかはここにいるんだろ?」

「そうだね。彼女の強い魔力の跡があるから、まず間違いないよ」

「よし、じゃあ行くか」

 

 キュゥべえに案内されるままに、彼女は踏み込んでゆく。

 

「……? あれ、佐倉さん?」

 

 その後ろ姿を、かつての戦友である巴マミに見られながら。

 

 

 

「えー、グリーンソースフィレオないんですか?」

「申し訳ございません。かなりお時間の方取らせてしまう形となってしまいまして……」

 

 ハンバーガーのレジ前で、さやかは予期せぬ小さな不運に見舞われていた。

 

(さやかちゃん遅いなぁー……)

 

 対するまどかは、携帯の充電を気遣って暇を持て余していたのだが。

 

「お、見つけた」

「え?」

 

 不意に現れた杏子によって、退屈する必要はなくなった。

 

「やあ、まどか」

「この前の……杏子ちゃん、だっけ……? それにキュゥべえも」

「ここ座るよ」

「あ、その……」

 

 向かい側はさやかの座っていた場所だったが、押しの強い杏子にまどかははっきりと言うことができなかった。

 

「アタシ、大事な話があって来たんだよ。突然で悪いけど聞いてほしいんだ」

「……えっと。私、に?」

「ああ」

 

 杏子は冷めたポテトを一本摘んでから、まどかの手に指輪がないことを確認した。

 

「アンタ、ワルプルギスの夜、って知ってる?」

「わ……ぷ? ……ごめんなさい、ちょっと知らないかな……」

「まあ仕方ないよね、まだ魔法少女じゃないんだし。平たく言えば、ワルプルギスの夜ってのは最強の魔女だ」

「最強の……」

「現れただけでひとつの都市が消滅するって話だよ。アタシは見たことないけどさ」

「!」

「こいつが言うには、そんな魔女があと二週間かそこらのうちに見滝原に現れるんだと」

「そ、そんな!」

 

 つまりは、魔女によって見滝原が消滅するということだ。

 ここで暮らしているまどかにとって、それは看過できないことだろう。

 

「そいつとは複数の魔法少女で戦っても勝つ見込みは無い、って話でね。……だよな? キュゥべえ」

「僕の見解はそうだね」

「ま、マミさんや……ほむらちゃんが戦っても?」

「暁美ほむらの戦力は把握しきれていないけど、無理なんじゃないかな」

「未だかつてワルプルギスの夜を倒した魔法少女はいない。そう言われちゃ、アタシだって尻込みするのが本音だよ」

 

 内心ではやってみないことにはわからないと思っているが、今はそれを外に出す必要はない。

 

「……けど、こいつから倒す見込みのある魔法少女候補がいるっつー話を聞いてね」

「! それって……もしかして」

「まどか。君が魔法少女になってくれれば、襲来するワルプルギスの夜を倒すことができる」

「私が……」

「ワルプルギスが来たら街はただじゃ済まないからな。奴を倒すか……街の全員を避難させるしかない。まぁ、もちろんそんなに上手くいくはずはないだろうね」

「一体何人の人が信じるかわからないしね。一般人に魔女の姿が見えない以上、対策は困難を極めるだろう」

 

 だから、倒すしかない。杏子はそう訴えたかったのだ。

 

「そ、そんな……いきなり言われたって、私よくわからないよ」

「まぁ確かに、いきなりのことだし混乱はするだろうけどさ……」

 

 それでも、目の前の少女が解決の鍵であるならば。

 杏子はその少女を、どうしたって鍵に仕立てたかった。

 

 

 

「誰? この子」

「あ?」

 

 もっと押せばいけるだろう。そんなタイミングで、さやかは戻ってきた。

 

「さやかちゃん」

「ああ、友達がいたか。悪いね」

「まどかの知り合い?」

「うん、そんなところかな……」

 

 実際はそれほど親しい間柄でもないのだが、まどかは当人を目の前にして強く否定することはできなかった。

 

「彼女は美樹さやかだよ。まどかの友人で、魔法少女の素質があるんだ」

「へえ、じゃあ一緒に話せるじゃん。隠し事せずに済んで良かったよ」

「彼女は佐倉杏子、隣町の魔法少女だよ」

「へー、そうなんだ……よろしく」

「おう……ん? 良いもの持ってるな、アップルパイかあ」

「半分あげよっか?」

「サンキュー」

 

 印象としては、お互いにさほど悪い出会いではなかった。

 佐倉杏子と美樹さやか。二人の出会い方が違っていれば、もっと殺伐とした未来があったのかもしれないのだが。

 この時の出会いが穏やかであったことは、幸運という他ないだろう。

 

「んぐ……んぐ……んー! 懐かし! この味やっぱ良いなあ」

「……杏子も魔法少女なんだよね。この近くの魔法少女なの?」

「ああ……まあ、ね」

「杏子はマ……」

 

 言おうとするや、杏子はアップルパイの欠片をキュゥべえの口に無理やり押し込んだ。

 

「うっせえ、余計な事喋るな」

「やれやれ」

「あー……話、ちょっと聞いてたんだけどさ。ワル? ホトトギス? なんなの、それ」

「ワルプルギス。ワルプルギスの夜と呼ばれる、最強の魔女がやってくるという話だよ」

「最強の魔女……」

 

 さやかはまどかの隣の席に座り、聞く姿勢を整えた。

 立ったまま談笑できるような話ではないことを察したのだろう。

 

「現れたが最後、半端な魔法少女じゃ返り討ちで街ごとオジャンっていう規模らしい」

「うん。かなり低頻度で出現する魔女でね。謎の大災害の原因はワルプルギスの夜が原因である場合が多いとも言われている。魔法少女の間では有名な話だけど、まだ二人には伝えていなかったね」

「……そいつが現れるっていうの?」

「およそ二週間後だと思う。僕もはっきりしたことはわからないから、ある程度前後はするかもしれないけど」

 

 二週間後、街を滅ぼすような魔女が現れる。

 楽観的なさやかからしてみても、それは穏やかな話ではない。

 

「……そんな魔女、放っておけないよ、どこに現れるの?」

「見滝原」

「……ええっ!? なにそれ!」

「まあそうなるのも無理はねえ。だからこそ、アタシも見滝原までやってきたんだ」

 

 長いポテトをまどかに差し向けて、杏子は不敵に微笑んだ。

 

「ワルプルギスの夜を倒すには、ただの魔法少女じゃない……遥かに強い力を持ったやつがいるんだ。そのために必要なのが、この子ってわけ」

「……」

「……ちょっと待ってよ」

「ん?」

「アンタ、まどかが強い因果を持ってるって分かってて言ってんの?」

「はあ? 因果って何さ?」

「魔法少女としての素質のこと」

 

 因果。それは杏子にとってあまり聞きなれない尺度であった。

 

「ああ……もちろん、強い魔力を持ってるんだろ? 知ってるよ。その、まどかが強い魔法少女になれるってことはね」

「っ……! まどかを魔法少女にさせるために、ここに来たってわけ?」

「見滝原が壊滅するのを黙って見過ごすのは不本意だろう? 僕は選択肢を提案するだけのつもりなんだけど」

 

 さやかの鋭い目が、同時にキュゥべえにも向けられる。

 魔法少女を司る白猫は普段通りの語り口だったが、今この時の彼からは、まどかに対する悪意のようなものが見えていたのだ。

 

「まあ、突然の話だしさ。混乱するのもわかるよ。時間はあるし、すぐ決めろってことじゃあない」

「ッ……杏子、だっけ。……魔法少女になるっていうことが、どういうことかわかって言ってるの?」

「……そりゃ、わかってるさ」

「まどかが魔法少女になるっていうことがどういうことか……!」

 

 白熱しかけた三人の場に、一人の少女が歩み寄る。

 その少女は杏子の後ろからやってきて、テーブルにそっと手をついた。

 

「話は聞かせてもらったわ」

「!」

「マミさん!」

 

 現れたのは、杏子の後をつけてきたマミ。

 普段は縄張りを意識して風見野から出ない杏子が、どうして見滝原にやってきたのか。それを疑問に思いつけてみた末に、こうして穏やかでない会話が交わされている。

 それは見滝原を守る魔法少女として、見逃すことのできないトラブルだった。

 

「……ぁ」

「久しぶりね、佐倉さん?」

「マミ……」

「……」

「その、……」

 

 杏子は突然目の前に現れたマミを見て、押し黙る。

 再会のために言葉を温めていたわけでもない。不意打ちな出会いは、昔の後味の悪い別れを思い出すばかりだった。

 

「……知り合い、以上って感じだね」

「うん……」

 

 気まずそうな顔の杏子に、それを毅然と見返すマミ。

 二人の間柄が赤他人でないことは、まどかとさやかにも漠然とではあるが、伝わった。

 

「ええと。……佐倉さん」

「な、何さ」

「鹿目さんを魔法少女にさせたいの?」

「あぁ……ああ、ワルプルギスを倒すにはそれしかないからな」

 

 それは杏子が持ち出せる正論だった。

 ワルプルギスの夜を倒すため。見滝原に足を運ぶため。そのための理由が、鹿目まどかだったから。

 

「……あまり賛同できる事ではないんだけど……変わってくれたのね」

「は……」

「人のために……」

「! 私はッ、……そんなんじゃねえ」

 

 どこか生暖かいマミの目線に堪えられず、杏子は頭を振った。

 

「変わるもんか、自分のためだよ……自分のために魔法を使う……それは、変わるわけがない。ワルプルギスの夜を倒さないと……見滝原だけじゃない、私のいる風見野だって……」

 

 

 ――何言ってんだ、アタシ

 

 

 自分の意志を貫いている。そのはずだった。

 杏子自身、そのつもりで生きてきたし、ここへ足を運んだのもそのつもりだった。

 

 しかし言葉にすればするほど、並べ立てた建前は脆く、急ごしらえの頼りないものであるかのように思えてしまう。

 かといって今更そんなひねくれた自分を認めることなど、杏子自身にできるはずもない。

 

「理由なんて、良いわ。あなたが街を、人を守るためにって……その気持ちを無くしていなかったと知れて、私は凄く嬉しい」

「……やめろよ、そんなんじゃねえ。アタシの考えは、前から変わってないんだ。アタシは使い魔を見つけても見逃すし……」

「……」

「え?」

「!」

 

 耳を疑ったのは、傍で聞いていたさやかとまどかだった。

 事情を知っているマミは、ただ悲しそうな顔をするばかりで。

 

「使い魔が人を食べれば、そいつは元々の魔女になる……そうすりゃ、グリーフシードが手に入るかもしれないだろ」

「あんた、グリーフシードの為に使い魔を見逃すっての?」

「風見野でのやり方はアタシの勝手だ」

「……そう」

 

 実際、杏子の実力をもってすれば、多少魔女が増えた程度でどうにかなることはない。

 グリーフシードのために“養殖”を行うのは、世界的に見れば珍しいことではなかった。

 

「……けど! ワルプルギスの夜だけは別だ! 使い魔がどうこうとか、そんな些細な問題じゃないだろ!? マミや……ほむらのやり方とは反するかもしれないけど、街が壊滅するってなったら、共闘でもなんでもするしかないだろ?」

「勝手な奴!」

「勝手で結構、アタシはそういう信念で動いてる」

 

 さやかの目には道義心の火が、杏子の目には強い我の炎が灯っている。

 出会いこそはそこそこソフトではあったが、やはり二人の考え方の違いというものは大きかったのかもしれない。

 お互いに頑固な性格であるせいか、どちらかが譲ろうとする気配も見られなかった。

 

「……でもね、佐倉さん」

「あ?」

「……仮にワルプルギスの夜が来たとしても……鹿目さんを、魔法少女にするわけにはいかないわ」

「は?」

 

 マミは重々しくそう言う他なかった。

 同じく、さやかも怒りの感情を鎮め、それよりもずっと深刻そうな表情で机の上に肘をついている。

 

「……まどか以外の魔法少女で、やるしかない」

「なんでさ」

「それは……うーん……」

 

 マミは言いよどむ。そこから先は、心を揺さぶられる魔法少女の真実であったから。

 目の前にいる佐倉杏子は、どうもそれを知っているようにも思えない。

 

「このまどかってのは、魔法少女の素質があるんだろ? な?」

「その通り。まどかなら、一撃でワルプルギスの夜を倒すことも可能だろうね」

「それで、アタシ達が束になったって、ワルプルギスの夜は倒せない。そうだろ?」

「成し遂げた事は、この長い歴史の中でも未だかつて一度もないね」

「ならまどかが魔法少女になるしかッ……!」

 

 説得しなければならない。まどかを魔法少女にするしかない。

 

「魔法少女だって」

「なんだろ」

「コスプレでもするんじゃない?」

 

 熱の入った言葉は、いつのまにか彼女たちのいるテーブルの外にも漏れ出ていた。

 

「……なるしか、ないだろ」

「……混んできたわ、場所を変えましょう」

「チッ……」

 

 魔法少女の因果。才能。そして、それらが反転した時の代償。

 彼女たちはその後も店を変えて話し合った。

 しかし、魔法少女の真実を安易に打ち明けるわけにもいかない。

 結局、杏子は煮え切らない気持ちを抱えたまま、説得を一時諦めるしかなかった。

 

 



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覚醒めた心は走りだした

 

 茜空に、ちぎれた雲が流れてゆく。

 建設途中のビル群の影は都会らしい野暮ったさもあるが、遠くから眺める分には、存外悪くないシルエットを映してくれる。

 

 見滝原の夕焼けは、今日も美しい。

 

「ふぁぐ」

 

 そしてロビンスのトリプルアイスは、いつだって美味しい。

 思わず二つも買ってしまった程である。

 

「……ふーむ」

 

 アイスを食べつつ、河川を見渡せる場所までやってきた。

 大きな橋の上である。

 川面は夕日に照らされ、ノスタルジックな色調で煌めいていた。けれど私にノスタルジックという感覚はないので、きっと先入観に感化されているだけなのだろう。

 それは正直に言ってしまえば、ただただ綺麗な水面というだけだった。

 

 しかし、何故だろうか。

 こうして水面を眺めていると、無性に心がざわめくのだ。

 

 動悸が激しくなる……のだろうか。

 それは本当だとしても微妙な心の変化だったので、私にもよくわからない。

 

「……海が私を呼んでいるのだろうか」

 

 ここは川である。当然ながら、船を接岸するためのロープをくくるアレなど無いので、私の片足は何に乗ることもなかった。

 ポーズだけでも格好つけてみたかったのだが、無い物ねだりしても仕方がない。私を見る人もいないのだし、ここに居ても仕方がないか。

 

「ふむ……」

 

 と、思っていたのだが。ほんの少しだけ歩いていると、私以外にも人がいるようだった。

 

「……」

 

 どこかで見たことのあるOLの女性だった。もちろん、最期を看取ったあの人ではない。いつの日か泥酔状態だったのを家まで送り届けた、あの時のOLである。

 彼女は橋の入り口で、柵に凭れるようにしてたそがれていた。

 

 携帯をいじっているわけでもない。誰かを待っているような様子でもない。

 彼女はきっと、本当にただ無目的にぼーっとしているのだろう。

 

 だが、川面で乱反射する夕明りに目を細めるその姿は、なんというか、私から見てとても格好良い姿のように思えた。

 私があと十数年もすれば、彼女のような大人になれるのだろうか。

 

 仮に私が未だ彼女のようになれていないとして、何が足りていないのだろう。

 

「……」

 

 その答えを求めてみたくて、私もなんとなく、そのOLの隣で立ち止まり、夕日に向かってたそがれてみた。

 オトナとコドモの、夕時のガールミーツガールであろうか。

 こういうイケナイ感じも、なんとなく良いものだ。

 

「……美味しそうなもん食べてるね」

「でしょう」

 

 彼女は私に話しかけてきた。

 しかし、心底アイスを食べたいわけではないらしい。唐突に近づいてきた私に、親切にも適当な話題を振ってくれたのだろう。

 そして彼女は、以前介抱した私のことなどは忘れているようだった。それはまぁ、雰囲気を壊すこともないので、どうでもいいのだが。

 

「食うかい」

 

 隣り合った縁というものもあるだろう。私は手元にあるアイスの、食べかけの方を差し出した。

 ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ストロベリーだ。

 

「良いのかい? こんなにたくさん残ってるじゃないか」

「二つ目なんだけど、食べ続けていると思いの外、頭が痛くてね。溶けてももったいないし」

「はは、二つ目かあ……食い意地あるねえ」

 

 “細そうなのに”と笑って、彼女はそう遠慮することもなくアイスにむしゃぶりついた。

 食べている途中で“悪い意味じゃないよ”と気遣ってくれた。その笑顔は、男勝りな姉御肌といった感じで、男性だけでなく女性でさえも惹きつけるような魅力に満ちていた。

 

 ……どうやら、彼女は死ぬ気ではないらしい。

 川をぼんやりと眺めていたからもしやと思ったのだが、杞憂だったか。いや、私の勘違いで良かった。

 どうも黄昏時とOLという組み合わせは、あの日の惨劇を思い出してしまうのだ。

 

「……最近、ちょっと悩み事があってねえ。ここで立ち止まって、考え事をしてたんだよ」

「考え事」

「あたしの娘がさー……あ、君と同じで見滝原中学なんだけどね」

「はあ、それは奇遇な」

「最近になって、様子がおかしいというか……思い詰めてるような感じなんだよねえ」

 

 ふむ。女子中学生が思いつめる……。

 ……もしや。

 

「勉強かな」

「てわけじゃあなさそうなんだけど」

 

 ふむ、さっぱりわからん。

 

「前は普通に、私になんでも相談してくれる子だったんだけどね。……はあ、やっぱり難しい年頃だよなあ」

「……そういうものですか」

 

 同じ難しい年頃の私としては、もはやアイスを舐めるしかない。

 親御さんと同じ目線に立って意見するのは、きっと違うのだろうから。

 

「はは。まあ、あんたも思い詰めるようなことがあったら、ちゃんと親に相談するようにしなよ? 親としちゃ、子供の悩みがわからないっつーのが、一番困るもんだからさ」

「……そういうものかな」

「そういうもんさー……、それじゃあ、ばいばーい、アイスありがとー」

 

 腕時計を見た彼女はそうして別れを告げると、さっさと歩き始めてしまった。

 去り際に“また会えたら何か甘いの奢るよー”と言い残す当たり、彼女からは最後の最後までモテる女性のオーラに溢れていた。

 

「ふん」

 

 私も残りのアイスを口の中に放り投げる。

 

「親への相談ね。まぁ、そんなケースこそが、過半数なのだろうけど」

 

 大人目線でしか見えない世界もあるのだろう。

 しかし、魔法少女にしか見えない世界だって存在するのだ。

 

 そしてある意味、そういった他人に理解されないであろう悩みというものは、魔法少女に限らず、世の中に溢れているのかもしれない。

 

 ……とはいえ、やはり魔法少女は格別に孤独な役目であろう。

 それは間違いなく、恋の悩みや勉強の悩みの比ではない。

 

 私はこれから、さやかとマミと共に戦っていくべく、グリーフシードをどう工面するか考えなければならないのだ。これは命に直結した深刻な問題でもある。

 本来ならば、私たち程度の年齢の子は悩み事を親に相談するものだろうが、魔法少女はそうもいかない。

 

 あらゆる問題を、ガキの小さな頭で全てを受け入れなくてはならないのだ。

 その上私の場合、そもそも自分の親がどこにいるのかすらもわからない。重荷を背負った上でハシゴが外されたような状況であると言えるだろう。

 

 ……親、か。

 電話番号の控え、携帯にあったっけ……まぁ、以前の私との関係性がわからないし、話すことなどないのだが……。

 それに親とはいえ、やっぱり頼ることなんて……。

 

「誰にも頼れない、か……」

 

 そう、誰にも頼れない。

 

 

 黄昏空を見上げる。

 

 

 焼けた空が美しい。

 

 

 焼けた空……。

 

 

 

 頼れない。焼けた空。水面。望郷。

 

 

 

「……」

 

 

 

 焼けた――。

 

 

 

 ――燃え上がれーって感じ――

 

 

 

 もう、誰にも――。

 

 

 

 ――そう。

 

 

 

 ――もう、誰にも、頼らない。

 

 

 

「……鹿目、まどか。佐倉、杏子……」

 

 

 ――……。

 

 

「……佐倉杏子。消さないと。あの子はもう、危険だわ」

 

 

 ――……。

 

 



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絶対に許さない

 

(結局あの後、ずっとはぐらかされっぱなしだったな……)

 

 歯痒い思いを抱えながら、杏子は夕暮れの中を歩いていた。

 マミやさやかを交えた話し合いは平行線で、数時間経った後も一向に纏まらなかったのである。

 まどか自身も魔法少女になることについてはほとんど乗り気ではないようで、俯いたままほとんど話そうとはしなかった。

 

 

 ――とにかく、鹿目さんとの契約はダメ。

 

 ――絶対にダメだから。無理やりさせようったって、そうはさせない。

 

 

 あの頑なな沈黙は、マミとさやか両名の固い意志と無関係ではないのだろう。

 かといって、まどか本人に自分の意志が無いようにも、杏子には思えなかった。

 

(……何なんだよ、あいつら。そりゃあ、無理強いはできないかもしれねーけど)

 

 魔法少女への勧誘は失敗に終わった。

 別れ際も慌ただしく、どこか気まずい雰囲気も漂っていたせいか、次に会う約束を取り付けることを忘れてしまった。

 

 かといって、このまま放置していても未来は変わらない。

 ワルプルギスの夜は近いうちにやってくるだろう。

 

「……帰るか、はあ」

 

 しかし杏子の精神力も無尽蔵ではない。

 人並みに消耗するし、多少図太くはあっても、追い詰められもするのだ。

 特に他者を説得することの労力といったら、特別甚大なものである。

 

(……けど、これで諦めたわけじゃない。説得すりゃ、まどかって奴も気が変わるだろう)

 

 それでも杏子は諦めない。

 

(ただの人間の人生に未練があっても、いつかやってくる絶望を前にしては、そうも言っていられないはずさ)

 

 まどかを契約させれば、ワルプルギスの夜に打ち勝てる。

 見滝原ばかりか、近隣の街さえも救うことにも繋がる。

 

 それはきっと、間違いなく善良なる魔法少女にとっては尊い選択に違いないのだ。

 

 

 

「あっ……」

 

 考え事に没頭しながら大きな橋を渡っていると、杏子は向こう側からやってくる見慣れた顔に気がついた。

 見滝原中学指定の制服。長い黒髪。暁美ほむらである。

 

「! アンタ……」

 

 夕日を半身に受けながら歩いてくるほむら。

 だが彼女にしては、杏子を目にしても全く表情を変えることはせず、おどけたような口をきくこともなかった。

 とはいえ今の杏子は、その程度の違いに思い当たることもなかったのだが。

 

「ほむらじゃん。……なあ、ここは風見野に続く橋だけど? 自分の持ち場ってのはこの前――」

「二回」

「……はあ?」

 

 二人の距離が声を交わせる程度の距離にまで至り、ようやくほむらは言葉を発した。

 

「流れとしては、以前と同じパターンよ。レアケースかもしれないわ。けれど、私はあの出来事を忘れはしない」

 

 ほむらの声は底冷えするように無感動で、無機質。

 

「貴女はまた、鹿目まどかに魔法少女になることを強要するのだから」

 

 そしてその目は、確固たる何かが宿っているようだった。

 

「お、おい……なんでまどかの事知って……あ、テレパシーで聞いたのか?」

「最初はソフトに、けど次第にあなたの“お願い”は“命令”、“脅迫”に変わってゆき……いずれ、まどかを殺す」

 

 ほむらの姿が紫色の輝きに包まれ、魔法少女の姿へと変身した。

 

「……私はいつか、そんな貴女を殺したいと思っていたのよ」

「!!」

 

 そこでようやく杏子も、ほむらの異変に気がついた。

 いや、異変と呼べば良いものかもわからない。だが目の前に存在するほむららしき何者かが、自身に明確な敵意を抱いていることだけは確かだった。

 

「お前ッ……!」

 

 本能的な危機感に、杏子もすぐさま魔法少女に変身した。

 何が起こっているのかはわからない。それでも臨戦態勢でなければやられる気がしたのだ。

 

 彼女の直感は正しかった。

 

「うっ……!?」

 

 変身とほぼ同時に出現させた槍は、反射的に正面へ構えたつもりだった。

 だが、ほむらはその素早い動きに追いつくほどの速度で、ロングソードを振り下ろしていた。

 

 槍と剣が打ち合わさり、火花が弾けて拮抗する。

 

(おい、おいおい、なんだってんだよいきなり!?)

 

 容赦ない力に寒気を感じ、咄嗟に距離を取る。

 だが、ほむらは無表情のまま再び素早く距離を詰め、斬りかかってくる。

 それは目で追えないものでもなかったが、動きは近接戦闘に慣れた魔法少女の動きであるかのようである。

 杏子にほむらへの害意がないため手を出すつもりはなかったが、その甘えが命取りと成りうる程度には練度の高い、厄介な動きであった。

 

 何よりも、剣を振るう一撃一撃が――重い。

 

 まるで、全ての攻撃に真の殺意が秘められているかのように。

 

「くっ……そ! やめろってんだよ、ほむら!」

 

 杏子は一瞬の隙を突き、襲い来るロングソードを真上に弾き飛ばした。

 唯一の武器が宙を舞い、くるくると回転しながら高く飛んでゆく。

 

 これで鎮圧は完了。杏子はそう早とちりして、僅かながらに力を抜いてしまった。

 

「――」

 

 ほんの少しだけ。真上に弾いた剣を一瞥しただけだった。

 だというのに、視線をほむらの方に戻してやれば、彼女は既に新たなロングソードを右手に持ち、目の前で高く掲げていた。

 

 無表情のまま。目だけにドス黒い害意を滲ませて。

 

「やめ――ぐ、ぁあっ!」

 

 制止は無意味だった。

 凶刃は何ら躊躇うことなく杏子へと振り下ろされ、咄嗟の防御もほとんど実を結ぶことなく、肩に深い傷を負わせた。

 

「は、はっ……!? なんで!? おい、ほむら……!」

 

 あと少し、柄での防御が間に合っていなければ、そのまま腕が落とされていたかもしれない。

 それほど容赦のない、寸止めも手加減も考えていない一撃だった。

 

「どうしてこんな事を……!」

 

 血の溢れる肩を抑えつつ、片手でもう一度槍を構えるも、杏子は先程の一撃ですっかり怯えきってしまった。

 傷そのものはこの際痛手ではない。

 今までそれなりに仲が良いと思っていた相手からの冷徹な攻撃こそが、杏子の槍を握る手を震わせていたのだ。

 

「どうして……?」

 

 そんな杏子の姿を無感動に眺めながら、ほむらが宙に弾かれていたロングソードを難なくキャッチする。

 二本のロングソードを手にした彼女は首を傾げて、酷薄な笑みを浮かべる。

 

 

 *tick*

 

 

「どうしてですって……?」

 

 

 *tack*

 

 

「――これから死ぬ人が、一体何を気にする必要があるというの?」

「え……」

 

 背筋の凍るような宣告とほとんど同時に、杏子の足元から激しい水音が聞こえた。

 それとともに、鼻を突くような刺激臭も。

 

「貴女は最期の瞬間まで、あの子に詫び続ければいいのよ」

 

 ほむらが両手の剣を素早く交差させ、打ち鳴らす。

 

「あ……」

 

 鉄剣と鉄剣が火花を散らす。

 

 弾け散った小さな火種は、揮発した燃料に容易く引火する。

 

 杏子の身体は、赤い爆風に包まれ吹き飛んだ。

 

 

 



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生ゴミへの手向け

 

 爆風で吹き飛ばしてやった杏子は、死にかけ。

 良くて満身創痍。

 だというのに、それでもまだ杏子は動いていた。それも、意外なほど機敏に。

 

 思い起こして見れば、いつだって彼女の逃げ足はこういった土壇場でこそ発揮されていた気もする。

 特に隠れることに関しては随一だ。時間停止を駆使しても、上手く隠れられてしまえば探しようがなくなってしまう。

 

 何度、その手で煮え湯を……。

 

 ……まあ、どうだっていいわ。

 

 その復讐は、今日この世界で果たされるのだから。

 

 

 

 杏子は工場群に逃げ込んだ。

 爆風で吹き飛ばされた先がそこだったので、やむなくといったところだろう。

 

 だけど逃げたところで、彼女の紅い装束はボロ雑巾のように煤けて汚れていたし、少なくない火傷も負っている。

 既に処置をしなければ命に関わる痛手を与えたのだ。隠れているだけでは、彼女は遠からず死ぬ運命だろう。

 

 ……寂れた工場街の片隅で息を引き取る杏子。

 ふふ。この世界の彼女には、お似合いの姿ね。

 

 もちろん、それだけで済ませるつもりは無いけれど……。

 

「……そう考えると、火器が少なすぎるわね」

 

 左腕の盾に感覚を澄ませ、中身を探る。

 火器が少なく、しかし燃料はある。あまり戦闘向きとは言えない、偏った手持ちだった。

 

 けれど、燃料だけでも不足はない。

 いいえ? むしろ中途半端な燃料で痛めつけた方が、都合が良いのかしら。

 

 ……杏子。貴女は許さない。ただ殺すだけでは済まさない。

 

「徹底的に苦しませてやる」

 

 盾の中に唯一入っていた猟銃を出して担ぎ、彼女が吹き飛ばされていった路地裏へと入る。

 そこらに転げていると思ったけれど、すぐに場所を変えていたらしい。

 なかなか逃げ足の速い獲物だ。

 

 まあ、限度はあるだろう。私は、それでも構わない

 

「……もう、こんなに」

 

 自分の左手のソウルジェムを見ると、黒色がじんわりと広がっていた。

 もうかなり穢れている。……思っていたより消耗が早い。

 

「杏子を殺さないと」

 

 私は闇へと歩きだす。

 この世界の彼女を、処刑するために。

 

 

 

 

 

「はっ……は……!」

 

 杏子は物陰に潜み、荒い息を抑えていた。

 本来ならばうめき声をあげていたくなるほどの傷を負っているが、それも唇を噛んででも、全力で堪えなければならなかった。

 

(……! 来る……!)

 

 “あいつ”が現れるから。

 

「……」

 

 ほむらは路地裏に入り、不潔な地面を意に介すことなく進んでゆく。

 硬質な足音と、時々空き缶が蹴られて転がるわずかな物音だけが、暗がりの中で響いていた。

 

(頼む、気付くな……こっちだって恥も何もかも忍んでゴミ溜めに隠れてんだ……)

 

 杏子が隠れ潜んでいるのは、不法投棄されたゴミの山の中。

 壁に凭れるようにして積まれたそこは臭いこそ強烈ではあったが、暗闇の下では掻き分けたくもなければ、少しでも触れたくないような場所だった。

 

 足音が近づいてくる。

 杏子が生唾を飲み込もうとして、その音にさえ怯えて止める。

 

 探そうと思うような場所ではない。

 触れたくなるような場所ではない。

 杏子は自身に言い聞かせるように念じて、足音が過ぎ去るのを待った。

 

(……行ったか)

 

 かくして、その足音は目の前を横切っていったようだった。

 気を緩めるには早い。少なくとも、大きく息はつけない。

 

(……なんだよ)

 

 それでも杏子は、物音立てずに弛緩せざるを得なかった。

 

(何なんだよ……何なの、あいつ……)

 

 それと同時に、また別の恐怖と困惑が蘇ってくる。

 

(ほむら……突然変身して、戦って……そうしたら何か、目の前が……爆発して)

 

 突如殺意を露わにしたほむら。

 そしてその戦い方は、熾烈なものであった。

 

(どうにか戦おうとしたけど、まるでダメだった……近づけば隙があるとか、そんなもんじゃない。ほむらがアタシを吹き飛ばして、ほむらが近づいて、またアタシを吹き飛ばす……ダメだ。何やってるのか意味分からないけど、勝てる気がしない)

 

 不条理なまでに唐突な爆発。そして近接戦闘能力の高さ。

 杏子は自分をかなり強い魔法少女だと認識していたしその自負もあったが、それでも一切の勝ち目を見失う程度には、ほむらに対する圧倒的な力の差を感じていた。

 

 そして、何よりも。

 

(……何だよ、アタシが一体何をしたってんだよ……! あの目、アタシをマジで殺しにきてる目じゃねえかよ……!)

 

 親しみを感じていたはずの相手から発せられる脈絡のない敵意こそが、杏子にとって最も恐ろしいものだった。

 

 

 

「――少し歩き過ぎてわかったけど」

 

 

 ゴミ山のすぐそばで、凛とした声が響く。

 

 

「そこだけ、腐臭が掘り返されたような匂いがするのよね」

 

 杏子が失態を悟り、本能的に身を竦めたその瞬間。

 

 再び赤い爆風が闇夜に炸裂し、ゴミ山を蹴散らした。

 

 

 

 

 

「よく飛んだわ」

 

 爆風を操りながら、工場の外までやってきた。

 もちろん、杏子を吹き飛ばしながら。

 

 彼女はまだ生きているのかしらね。それとも既に死んでいるのかしら。

 まぁどちらでもいいんだけど。

 

 ……それにしても、ガソリンの爆発と時間停止の組み合わせ、ね。

 面倒なものだけど、悪くはない。これはこれで、便利なものだと実感できた。

 

 とても有意義な時間だったわ。

 敵を嬲りながら新たな発見をするなんて、なんて建設的なのかしら。

 

「あがッ……はぁ……はっ……」

 

 あら、まだ生きていたの。

 

「惨めな姿ね、佐倉杏子」

 

 結局、工場脇の薄汚い水辺の近くまでやって来てしまった。

 ここまで爆風で煽られても生きているのだから、魔法少女というのは本当に頑丈な生き物なのね。

 

 ……川は、そうね。いい感じに汚れている。

 それに。今の季節はまだ気温は暖かい方だけど、水の中はさぞ冷たいのでしょうね。

 

「なん、で……? ほむら……」

 

 杏子が捨てられた子犬のような目で私を見上げ、媚びるような声を上げた。

 

「気安く呼ばないで頂戴」

 

 何様のつもりなのかしらね。

 

 

 *tick*

 

 

 薄汚い害虫め。

 

 

 *tack*

 

 

 空気が瞬間のうちに燃焼し、爆発する。

 

「ッぐぁ……!」

 

 それはごくごく小さな爆発ではあったが、杏子を川に突き落とすには十分な威力だった。

 彼女はさほど深くもないであろう濁った川に沈んで、見えなくなった。

 

「……」

 

 静かに波紋を広げる薄汚い色の水面には、杏子の姿は見えない。

 どうやらもう、這い上がる力も残されてはいなかったようだ。

 

「……ふっ。しぶとい野良犬も、これで死んだわね」

 

 愚か者の死を想い、小さく嘲り笑う。

 

 

 

 ……なんて。

 私は、そんな中途半端に終わらせる女じゃない。

 

「川に逃げ込んだ野良犬ほど、いつか這い上がって噛みつくものよね?」

 

 口元が歪む。

 私がこのくらいで終わらせるはずがない。

 

 そう、やるならとことんやる。

 溺死なんて甘すぎる。

 それだけで終わりなんてありえない。

 この私が、自身の手で葬ってあげるわ。

 

「さあ、杏子! 終わりにしてあげ……!」

 

 盾の中から手榴弾を取り出す。

 

「……」

 

 しかし、それは手榴弾ではなかった。

 ただの安っぽい缶コーヒーだった。

 

 ……そうだった。この私は、いつもなら絶対に取っておくはずの物を回収していないのだった。

 手榴弾が一個も無いだなんて。

 

 

「……水の中で爆死。……良いと思ったのだけれど」

 

 缶コーヒーでは爆発などしない。……盾の中に無駄なものが多すぎる。

 

「いっそ、ガソリンを撒いて殺そうかしら……」

 

 着火すれば可能だろう。

 しかし、多めに使うにはもったいないか。

 けれどここで派手にやっておかないと、私の気が済まない……。

 

 ああ、なんとかして手早く、気前よくやってしまわなければならないのに。

 血祭りにあげて、処刑して……いいえ、でも……。

 

 

「……ふん。ま……時間の無駄ね、どうせ死んでいるわ」

 

 既に左手のソウルジェムも限界に近い。これ以上は私の身が危険だ。

 

「寝ましょう……杏子はもう居ない。これで、安心して休めるわ。ふふ」

 

 私はせめてもの手向けに、川へ缶コーヒーを投げ込んでやった。

 彼女の安っぽい嗜好ならば、これくらいがお似合いだろう。

 

「……」

 

 私は自分のアパートへ歩き始めた。

 早くグリーフシードを使って、ジェムを浄化しないといけない。

 

 

 

 

 

(身体中が、痛い。これ、全部……火傷なのか)

 

 水流に押されるがままに、杏子は揺蕩っていた。

 

(顔もとんでもなく……痛い。……息が苦しいのが、気にならねえ)

 

 泳ぐだけの力は無い。

 

(……水が、染みる。……胸糞悪い感覚が、傷口からも入って来る)

 

 気力もない。

 

(ああ、町の水って……こんなに、汚れてるんだな。そりゃあ、みんなの心が荒んでるわけだよな……)

 

 残ったのは、言い表すことのできない困惑と、悲しみだった。

 

(ほむら……アタシ、そんなつもりはないのに)

 

 頭はうまく回転しない。

 それでもなんとなく、この惨劇は、鹿目まどかへの勧誘に関わっているらしいことは、杏子も感じ取れていた。

 

(……ねえ、アタシのやってきたことって、そんなに悪い事だったの……? 教えてよ……マミ……ほむ、ら……)

 

 少しでも仲良くしたかった。

 奇跡的に結ばれた縁を、か細く出来上がってしまったつながりを、失いたくなかった。

 

 そのためにやってきたことが、こんな結果を生んでしまったのか。

 杏子にはわからなかったし、やがて水の中で、思考する力も失われていった。

 

 

 

 

「……ん? え?えっ!?」

 

 川の中に流れる、一見すると大きなゴミのような異物。

 それを見つけ、正確に把握したのは、美樹さやかだった。

 

「ちょっと、嘘でしょ……!」

 

 焼け焦げ、深く傷ついたその人物には見覚えがある。

 良い印象はない。むしろ悪い印象しか持てないような相手だった。

 

「……く、……いや、それでも助けなきゃ!」

 

 それでも、さやかは正義感の強い女の子だったのである。

 

 

 



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それでも、無かったことにはならない

 

「……?」

 

 病室のベッドの上で、上条恭介はゆっくりと目を覚ました。

 窓の外は暗い。

 中途半端な時間に起きてしまったせいか、彼はどうにも落ち着かない気分だった。

 

「いや、違う」

 

 が、すぐに覚醒した感覚は、それを否定する。

 落ち着かない。寝起きだから。それだけのことではない。たったそれだけで済ませるような、そんな簡単な違和感ではなかったのである。

 

(これは……変な時間に目覚めたからってわけじゃない。何か、おかしい。懐かしいんだ……何かが……そう、何か……)

 

 恭介は体を起こし、身じろぎした。

 

「え?」

 

 やはり、感じたのは違和感。

 それもはっきりとした、大きすぎるものであった。

 

(なんだ、この感覚……)

 

 間違いではない。

 その懐かしい感覚は、紛れもなく彼自身の左手から発せられるものであったのだ。

 

「そんな」

 

 シーツの衣擦れ。蒸れた包帯の不快感。消え去った麻痺。

 

(嘘だろう)

 

 忘れ去っていたはずの全ての感覚が、自分の左手に戻っている。

 それは、もう二度とありえることではないと諦めかけていた、彼にとって何物にも代えがたい願いであった。

 

「たちの悪い夢を、見させるなよ……!」

 

 希望は裏切られるもの。この世界には失意しかない。

 だから唐突に降って湧いたその幸運を、恭介は信じられなかった。

 

 しかしその左手がしっかりと――動いてしまえば。

 もはや彼には、現状を信じるより他にない。

 

「う、うそ……そんな、ことが……!?」

 

 喜んでいいのか、驚いて良いのか、笑っていいのか。

 それとも、泣くべきなのか。

 

 今の彼には、判断がつかない。

 とにかく恭介はこの左手が現実なのだと第三者の目で証明してもらうために、急いでナースコールを押したのだった。

 

 

 

 

 

 

「ひどいよ、キュゥべえ……どうして嘘ついてたの?」

「嘘をついていたわけじゃないよ」

 

 まどかの部屋の窓際で、白猫の影が揺れ動く。

 大きな尻尾はいつも通り、気まぐれな様子で左右に振れていた。

 まどかにはキュゥべえのその平静さが、とても不気味なものに見えていた。

 

「そんなの、ウソだよ……知ってるのに言わないなんて、騙してるのと同じだよ」

「僕は人間じゃないんだから、思考回路が全く同じだとは思ってほしくないな、まどか」

「……」

「これでも僕は僕なりに最善を尽くしているつもりなんだよ?」

 

 悪びれもしないキュゥべえは、小動物のように首を傾げる。

 しかしそんな媚びた仕草も、今は詐欺師の振る舞いの一つのようである。少なくともまどかはそう感じた。

 

「……ソウルジェムが濁りきると、グリーフシードになるなんて……」

 

 今日、まどかがさやかから聞かされた話は、あまりにも衝撃的なものであった。

 魔法少女が魔女になる。それは、今までの彼女の中の魔法少女観を大きく覆すほどの、あまりにも悲惨な真実。

 

「それを知らずに契約しちゃってたら、私……!」

「けど君たちは暁美ほむらから、ソウルジェムは魂だということは聞かされているじゃないか」

「今では聞いたけど、言わなかったじゃない……ひどすぎるよ、キュゥべえ……」

「その魂が濁りきるのだから、予想はつくものと思っていたんだけどなぁ。僕は正直、ある程度の危機感は伝わっていたかと」

「……無茶いわないでよ!」

 

 まどかの涙が頬から溢れ、毛布の上に落ちた。

 

「私が知らずに契約しちゃったら……! 魔女になったらどうするの! 世界はどうなるの!?」

「大変なことになってしまうだろうね。けれど、それは確実な未来じゃないんだ」

「だからって……!」

「要はソウルジェムが濁らなければいいだけの話だろう?」

 

 無感情な赤い瞳。

 人の感情を意に介さない無機質な声。

 窓際の彼をよくよくじっくりと眺めて、まどかは本能的に、彼とのこれ以上の言い合いは不毛なのだと悟った。

 

「……帰って」

「……」

「キュゥべえって……もっと、話が通じるかと思ってたのに……」

「やれやれ、嫌われちゃったか……まったく、困ったものだよ」

 

 キュゥべえは首を振り、呆れるような仕草を見せた。

 とはいえ、その人間臭い仕草を見て、今更まどかが心を動かされることもないのだが。

 

「だけどまどか、これだけは覚えておいてほしい」

「……何を?」

「ワルプルギスの夜を倒すには、並大抵の力じゃ無理なんだ」

「……」

「だから願い事を決めたら、いつでも僕を呼んで」

 

 最後にそう言い残して、白い猫は窓から去ってゆく。

 彼はあくまで手段を提示するだけ。それはいつでも突っぱねることができるもので、他者から強制されるものではない。

 

 しかし、迫り来る脅威(ワルプルギス)を排除できるのは自分しかいない。

 そう思ってしまうと……やはり、そうだとしても、まどかは悩まざるを得ないのだ。

 

「……さやかちゃん……」

 

 まどかはそれから眠りにつくまで、ベッドの上で膝を抱え、静かに泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 私は目が冷めた。

 真上に見えるのは、いつもの見慣れた天井である。

 

 私は速やかに起き上がり、時計を確認した。

 

「……夜か」

 

 どうやら、いつの間にやら私は眠ってしまったらしい。

 身体には毛布がかけられ、体は適当な空きスペースに横たわっていた。

 慣れない起床をしたと思ったら、そういうわけだったのである。

 

「……?」

 

 いや、まてよ。おかしい。

 私は今日、こんな寝方をした覚えはない。

 そもそも私は寝た覚えなどない。夕食だってまだだったのだ。ありえない。

 

 確か最後に、ええと、なんだ。記憶喪失ではないはずだぞ。思い出せ。

 

 確か、……アイスクリームを食べて、OLと話して、それで……。

 

 ……そこから……アパートまで戻ってきたのだろうか。……酷く曖昧だ。

 

「……っつ」

 

 そんなことを考えていると、頭が痛んだ。

 右こめかみの、奥辺り。そこから響く鈍痛を、右手で擦る。

 

「あ、これなんだか思い出す時のあれみたいだな……」

 

 頭痛があると、過去の記憶を思い出す。そんな演出は世に多い。

 別段思い出したくもない暁美ほむらの過去であるが、ついにそれらしい兆候が出てきてしまったようだな。

 

 ……まあ、どうせただの突発的な頭痛なんだろうけども。

 

 思い出したら思い出したで構わない。

 けれど、どうせなら新たな自分として何のしがらみもなく、今のままで生活を満喫したいものだな。

 

「……にゃぁ……」

「眠そうな鳴き声だね、ワトソン」

 

 私が頭を押さえる姿を見て心配でもしてくれたのか、ワトソンが擦り寄ってきた。

 

「よし、私も一緒に寝てやろう。さあおいで、寝返りで潰したりはしないから」

「……にゃ……」

 

 今日はもう寝て、明日の学校に備えなくては。

 それに明日は、魔法少女になったであろうさやかの報告もあるに違いない。

 

 楽しみだ。

 

 



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第八章 上弦の歪んだ三日月
ジジ抜きの余り物


 

 ――お父さん………お母さん……

 

 ――…モモ……

 

 ――待ってよ、置いてかないでよ…アタシを

 

 ――いつか、絶対にみんなで、笑える日が……

 

 

 

「……!」

 

 杏子が意識を取り戻すと、まず見慣れない天井が目に入り、次に慣れない生活臭が鼻腔を擽った。

 未知の場所。未知の部屋。夢見の悪さから急転直下した状況に、彼女の頭は大いに混乱している。

 

「ホテル、じゃない……? ここは、一体……?」

 

 今杏子がいる部屋は、いつも間借りしているホテルの一室ではない。

 では、ここはどこなのか。何故自分がここに、それもベッドの上で眠っているのか。

 

 それは、ベッドのすぐ下に目を向ければ容易に理解できた。

 

「……え!?」

 

 ベッドの側で、カーペットを布団代わりにでもするように、美樹さやかが眠っていたのである。

 最低限のブランケットだけを身体に巻き付けたまま、それでも心地は悪くなさそうに穏やかな寝息を立てている。

 

「こ、こいつあの、バーガー屋にいたうるさい奴……! なんで隣……え!? ていうかアタシ、どうして……」

「んぅ~……うるせぇ~……何よぉ、一体……」

 

 杏子が狼狽えているうちに、さやかは大儀そうに目を覚ました。

 

「あ」

「……ここは何だ」

 

 そして、二人の目が合う。

 一人は最大限警戒し、もうひとりは寝ぼけ眼を呑気に擦りながら。

 

「あんた、起きたんだ……良かった」

「答えろよ! ここどこだよ、なんでアタシがここにいる」

「はあ……助けてやった上に私の家まで運んでやったのに、そんな言い方はないでしょ」

「助、……なに?」

 

 怪訝そうにしている杏子の様子に、さやかは思わずため息をついた。

 

「覚えてない? 昨日、私すっごいびっくりしたんだからね」

「昨日……あ、昨日……って……」

「せっかく魔法少女になったんだから、ってことで、ソウルジェムを持ちながら歩いてたらさ」

 

 

 ――気安く呼ばないで頂戴

 

 

「川に変なものがぷかぷか浮いてるなあって思って見てみたら」

 

 

 ――惨めな姿ね、佐倉杏子

 

 

「ボロボロになったあんたが居たってわけ。……死ぬほど驚いたんだよ? 死体かと思って、涙も出ちゃったくらいでさ、って……」

 

 

 ――私はいつか、そんな貴女を殺したいと思っていたのよ

 

 

「うっ、ぅあ……ぁ……」

「! ご、ごめん、思い出したくないよね、あんな事……」

 

 杏子は昨日の出来事を思い出した途端に、目に見えて狼狽した。

 全身が震え、歯が合わなくなる。

 

「な、なんで……なんであんな……」

「ま、まぁ魔女だって強いの弱いの色々あるんだろうね……えっと、その、私も気をつけないといけないっていうかな……」

「ぅう……うぐぐ……」

「あーだから……もう、大丈夫だって」

 

 すっかり憔悴しきった杏子を、さやかは優しく抱きすくめた。

 直に触れ合うと、冗談では作れないような震えが直に伝わってくる。よほどの思いをしたに違いない。

 さやかは同情の念をより強くし、ゆっくりと杏子の背を撫で擦った。

 

「あんたは生きてるから…生きてさえいれば大丈夫なんだから、ね?」

 

 子供をあやすように。泣き止むように。

 それでも、杏子は震えたまま、心ここにあらずと言った様子で、何も語ろうとはしなかった。

 

(震えてる……よほど怖い、強い魔女が相手だったのかな。……まさか、例のワルプルギス? いやいや、まだのはずだよね……)

 

 何故杏子があのような目に遭っていたのか。

 一体、その時に何があったのか。さやかは多くの疑問に悩まされたが、視界の隅に見えた時計の針は、既に登校の時刻に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 ワトソンとのご飯を済ませ、マジック用の小道具のチェックも完了し、家を出て、特に語るべきこともなく、いつも通りに学校へ到着した。

 昨日はちょっとしたプチ記憶喪失を味わったが、そんなものは授業中にだって起こりうる現象なのだ。深く気にする必要はないだろう。

 

 今もこうして周りを見回してみれば、机に突っ伏して眠っている生徒も何人かいる。

 中には端末を片手に持ったまま眠りこけているような子だって、ちらほらと数えられる程だ。

 

 つまりこういった気の緩みこそが、学校生活というものなのだろう。

 楽しく、充実していて……だからこそ、あっという間に過ぎ去ってしまう。

 もちろん、中には暑いストーブの前で耐えている心持ちの生徒だっているだろうとは思う。このクラスは穏やかだが、それに馴染めない子だっているはずだ。それは否定しない。

 けれど私は間違いなく、今のこのクラスや学校生活を心底楽しいと感じているのだ。

 

 ……ほら。こうして席についているだけでも、クラスの皆が声をかけてくれる。

 

「おはよう、ほむらちゃん」

「おはようまどか。そのリボン似合ってるね」

「え、えへへ、ありがとう……でも最近は、いつも付けてるよう……」

 

 鹿目まどか。因果がすごいらしい、おっとりぼんやりした優しい子。

 

「おはようございます、ほむらさん」

「やあ仁美おはよう、口元に海苔がついてるよ」

「えっ」

「冗談だよ、ごめんね」

「も、もう、ひどいですわ」

 

 志筑仁美。育ちの良さそうな、上品でユーモラスな子。

 

 そして美樹さやか……は、まだ来てないみたいだ。

 ふむ、まぁ仕方あるまい。ともあれ、私にとって仲のいい友達といえば、彼女たち三人になるのだと思うし、彼女たちだって、きっとそれを認めてくれるはずだ。

 

「暁美ー、この間の問題答え教えてくれよっ」

「んー? ……ふふん、もうギブアップか。ということは、君の賭け金は私のものになるということだが」

「ぐっ……ひ、ヒントくれ!」

「じゃーあー……んー、そうだな、二百円くれたらヒントをあげよう」

「くそっ! もってけえ!」

「よしよし、ヒントは“コップの裏”だよ。ふふ、次の月曜までに答えられなければ私に千円だ」

 

 もちろん、他にも男と女、分け隔てなく話しかけてくる。

 みんな優しいし、面白い。

 学校のわからない決まりや場所なんかは、馬鹿にしたりせずちゃんと教えてくれる。

 

 穏やかで、なんとも退屈のしない……かけがえのない、私の日常だ。

 

「おっはよーう!」

 

 おっと。ようやくさやかも登場だ。

 やはり彼女がいなければ、この教室は賑やかにならないな。

 

「あ、さやかちゃん! おはよう。今朝居なかったね、どうしたの?」

「ごめんなさい、先に来てしまいましたわ」

「ううん、こっちも何も連絡入れずにごめんね。色々あってさ」

 

 ちらりと、彼女の目がこちらに向く。

 

 彼女の手には、真新しい指輪がはめられていた。

 そして軽い秘密のウインク。

 

 どうやら、無事に契約は済ませたようである。

 

「おはよう、さやか。……調子は、どうかな」

「んーんー……絶好調!」

 

 胸を張って、爛々と目を輝かせて。

 

「……って、感じかな? へへ」

 

 さやかは、屈託のない笑顔を咲かせてみせた。

 彼女は昨日のうちに契約し、魔法少女となったのである。

 

「そっか。それは、良い事だな」

 

 私は、そんな彼女の踏み出した新たな一歩を、心から祝福したい。

 

「……あー、ねえほむら。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

「ん?」

「えっとね……」

 

 さやかが何かを告げる前に、ガラスの扉が開かれた。

 

「はい静かにー、席についてー」

 

 先生の登場である。

 教鞭を握りしめた先生の表情は目に見えて固く、厳しい。

 

 また失恋でもしたのだろう。いつもはまぁそこそこ教え上手で、みんなから好かれている先生なのだが……機嫌が悪いと非常に指名が厳しくなるのが玉に瑕である。

 私も最初のうちはなかなか当てられたものだ。

 こういう状態の時は、じっと黙っておくに限る。

 

「あー……おっけ、じゃあ次の休み時間に!」

「良いよ、その時にね」

 

 さやかは私に何か聞きたいことでもあるのだろうか。

 昼休みにしっかりと時間を取って聞きたいことではないようなので、そこまで大事な事ではないのだろう。

 

 

 

 授業が始まった。

 学校生活は楽しい。それはもちろん真実である。

 が、難しいことに、授業が退屈であるかどうかはまた別問題であった。

 既視感と退屈感しかない授業は、先生方には申し訳ないのだが、まともに受ける気にはなれない。

 

(ふん、ふん)

 

 なので、この時間はいつも、別の作業や練習に労を費やしている。

 今日は右手の上に百円を乗せ、コインロールを練習する日であった。

 

 退屈ではある。しかし、不満はない日常だ。

 音はなくとも、自然と鼻歌が交じるかのよう。

 

『あ、そういやテレパシー使えたんだっけ』

『む』

 

 教師の声を遮るように、頭の中にさやかの声が届いた。

 こうしてマミ以外の声を授業中に聞くというのも、どこか新鮮な気分である。

 

『そうだったな。魔法少女になった君は、自発的にテレパシーを使えるようになったんだっけ』

『へへ。いやー、便利な世の中になったものですなあ』

 

 教師の話はつらつらと続くが、私は意識を教室の後ろに向けることにした。

 

『さて、話を聞こうか』

『うん……まぁ、昨日契約する前に色々あってさ』

『ほう』

『杏子って奴に会ったんだけどさ。えっと、知ってるのかな。その子って、ほむらの知り合い?』

 

 まさか、その名が出るとは思わなかった。

 思わずコインロールが止まってしまう。

 

『……ああ。知り合いだよ』

 

 だが、杏子がさやかと会った?

 一体、どういうことなのだろう。

 



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それぞれのお見舞い

『……そうか、杏子と、そんなことが』

 

 一連の話を聞き終わった私は、ホワイトボードの焼けた文字を見て思索に耽った。

 

 もうすぐ見滝原に“ワルプルギスの夜”が来る。

 まどかならば容易くそれを倒すことができる。

 杏子はまどかを魔法少女にしたい。

 

 そして、杏子は昨日の夜、瀕死の状態で川に浮いていた……。

 

『……杏子の話だけにとどまらず、私が居ない間に大変な事が起きていたんだな』

『大変だったよー、昨日は』

 

 一気に色々聞いたせいで、さすがの私もくらくらしてしまった。

 それに、どこか聞き覚えがあるような、無いような単語にも、モヤモヤする。

 

『うーん……ワルプルギス……頭に引っかからないでもないのだが』

『?』

『まあそれは後ででもいいよ、気になるのは杏子の方だ』

『ああ、そう、杏子の様子がおかしいんだ』

 

 さやかは一度だけ手の上でペンを回し、少し重くなった口調で語る。

 

『私の魔法は癒しの力があってね。怪我を治す魔法なら他の人よりも遥かに強いんだ。……けど昨日の杏子は、私じゃなかったら治らないような……そんなひどい怪我を負っていた』

 

 怪我。杏子が?

 ……まともに戦ったわけではないが、あの子は弱くはなかったはずだが。

 

『全身火傷だらけで、血みどろで……傷は治っても、あんなふうにされたら心だって傷付くだろうなって……そのくらい深い傷だったんだよ』

 

 彼女の声のトーンが一気に落ちる。

 

『朝になったら、杏子は目を覚ましてたみたいでさ。その時はまだ状況が掴めてなくて、平気な風だったんだけどね。昨日の事を聞いた途端、震えが止まらなくなっちゃったみたいで……言葉も、満足にきけないっていうか、錯乱しててさ。ずっと、うわごとのように繰り返してるんだ……“なんで”、“どうして”、“ごめん”……』

 

 それは……。

 

『……“ほむら”……って』

『……私?』

 

 心当たりがないわけではない。

 けど、彼女にそこまで深い心の傷を与えていたなんて思いもしなかった。

 いや、事実与えていないはずだ。はず……でも、いや、しかし……。

 

『震えて、泣いて……昼間の勝ち気っぽいっていうのかなぁ、そんなの一切無くて。……ちょっと、こっちまで辛かったよ』

『そうか……杏子が』

『見てらんなかったよ。許せない魔法少女だけどさ』

 

 彼女の声にも悲哀がこもる。

 そして話を全て聞いた私は、昼間に聞けばよかったと後悔した。

 この話は、さやかと向かい合って話すべきだったと。

 

 

 

 雲ひとつない快晴の空を見上げて思う事はひとつ。

 常識的に考えて、嵐などは来ないだろうということだ。

 端末を起動し確認してみても、きっとそれは明らかだ。少なくとも、これから二週間後に来るなど、気象庁でさえ想像もできないはずである。

 

 しかし私たちの生きる世界は、少しばかり常識からかけ離れた場所にある。

 ただの人が四方を壁に囲まれた迷路の中でしか可能性を見定められないのに対して、我々は迷路の壁の上から、常人よりも離れた場所を俯瞰して見ることができる生き物なのだ。

 

 たとえこの空が一般常識的に何日後かも快晴であるとしても、我々の業界の非日常が“嵐だ”と告げれば、嵐はやってくるのだろう。

 そしてその嵐を消し去ることのできる者が居るのだとすれば、それは間違いなく魔法少女だけなのだ。

 

「テレパシーを聞いていたわ」

 

 マミがタコさんウインナーを摘み上げながら、それをゆらゆらと揺らした。

 

「佐倉さんとは……知り合いなのだけど、彼女がそんな風になってしまったなんて、信じられないわ」

「私もだよ」

 

 マヨネーズのついたブロッコリーを口の中に放り込む。

 

「……けど、杏子が私の名前を呼んでいたというのが気になるな」

「ねえほむら、心当たりはあるの?」

 

 さやかの言葉に、咀嚼回数少なめのブロッコリーを飲み込んでしまったが、どうにか喉元を過ぎていった。

 

「……あるといえば、ある」

 

 キャベツ巻きを半分噛み切る。

 しかしキャベツの繊維がしぶとかったので全て頬張る。

 

「けど、それも私と彼女との考え方が合わないから、ちょっと突き放しただけさ。暴力だって、振るったつもりはないよ。少なくとも、火傷なんて心当たりもない」

「……なるほどね。それは確かに……魔女の仕業なのかも。だとしても、佐倉さんが魔女との闘いで遅れを取るなんていうのも、信じられないけれど」

 

 私だってそうだ。

 

「……でも、もしかしたら。私は杏子のことを、傷つけていたのかも。そのせいで、調子を崩して……」

「……」

「……」

 

 まどかもさやかも、否定はしない。

 二人の表情は、どこか重かった。

 

 気持ちを入れ替えるように、アスパラを頭から齧る。

 

「……私、杏子の様子を見に行くべきかな」

「えっと、今はさやかちゃんの家にいるんでしょ?」

「うん。落ちつかせて、寝たんだけど……今もいるかな」

「佐倉さんが心配だわ……」

 

 怪我をした。不安定。

 ……縄張りや理念は尊重すべきものだ。しかし、目の前で困っている魔法少女を見捨てられるほど、私たちは薄情でもない。

 

「さやかの家に行っても良いかな」

「あーいやっ、それはー、なんていうかな……今日は……」

「今日は?」

 

 今日はさやかが何か……あ、そうか。

 

「上条の完治を祝わなければならないね」

「……なんか、ごめん。こういう時に」

「気にする事は何もない。一生に一度の願いを叶えた大事なお祝いだ、譲っちゃいけないよ」

「……えへへ」

 

 うん。やっぱり彼女は、恥ずかしがった可愛い笑顔もよく似合う。

 

「じゃあ、家の前についたらテレパシーで佐倉さんを呼びだしてみても良いかしら? 話は外でも聞けるし……」

「ああ、お願いします」

「私は……」

「鹿目さんも美樹さんと一緒に、上条君をお祝いしてあげたらどうかしら」

「おお! まどかも一緒に居てくれる?」

「私が行っても良いの?」

「もちろん! ……ていうか、なんか一人だけで行くの恥ずかしいし……」

 

 そうだ。そういえば根本的に、これを確認しておかなければならないだろう。

 

「さやか。杏子の様子だけど……私、彼女と会っても大丈夫かな。あまり不安定そうだったら、ちょっと」

「あー」

 

 さやかが駄目っぽい顔をしている。

 

「……暁美さんに対しての反応があまりに過敏なようだったら、良くないかもしれないわね」

「私もそう……思っちゃうかな、今のあいつ、どこか不安定っていうか……繊細だし」

「もちろん暁美さんが悪いってわけではないわよ?」

 

 杏子に会えないのか、それは残念だ。

 彼女と私の生き方は違うにせよ、杏子の身を案じていないわけではない。

 いつか解りあえる日がくれば。そう願っているのだから。

 

「うむ……わかった。それじゃあ今日の私はグリーフシードを集めているよ。昨日もグリーフシードが一つ減っていたし……このままだと、皆の使うグリーフシードが見滝原だけでは供給できなくなるかもしれないからね」

「……ほむらちゃん、見滝原から魔女がいなくなるの?」

「居なくなることはないだろうけど、数が減れば探しにくくなる……つまり収集率は下がるということだね」

 

 そしてそれは魔法少女の命に直結する問題だ。

 

「……そうだな。せっかくだし私は、杏子の縄張りだった隣町に赴くことにするよ。杏子の分も含めて、何個か取ってこようと思う」

「ええ、ありがとう……でも暁美さん、大丈夫?」

「皆は杏子を見てやってくれ、私は問題ないさ」

 

 本気を出せば、グリーフシードを得ることなど造作もないのだからね。

 

 さてさて。

 これから忙しくなりそうだが、果たしてマジックをやっていく時間は取れるだろうか。

 本業とはいえ、魔女退治にてんてこ舞い、なんて生活にはなりたくないものだが。

 

 



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お前を見ている

 

 さやかとまどかは病院に。マミは杏子の様子を見に。私は隣町へ柴刈りに。

 各々に個人の目的はあるし、役割がある。

 私達がチームとして、仲間として、そして友人としてできることは、互いのために貢献することと、何よりお互いを尊重することだ。

 

 そのためにも、私はグリーフシードを集めなければならない。

 心の余裕を解決してくれるのは、いつだって現金な代物なのである。

 

「やあ、ほむら」

「やあ」

 

 ソウルジェムを手の中で転がしながら歩いていると、無表情な白猫がちょっかいを出してきた。

 白猫は隣の石柵の上を器用に歩き、私の歩きに合わせてついてくる。

 

「杏子の様子がおかしいんだけど、君がやったんじゃないだろうね」

「いきなり酷い事を言うな君は」

 

 そして初っ端からこれである。

 最近マミから嫌われているのも納得な失礼さだ。

 

「今朝、杏子に会った時に君の名前を呟いていたからね」

「私は何もしていないつもりなんだが……」

「本当に?」

「随分疑うな……昨日はそもそも杏子に会わなかったし、本当に心当たりがないんだよ」

 

 私以外の皆は会ったらしいけどさ。

 

「それに、昨日までの事も、杏子を豹変させるほどではないだろうし……」

「君にもわからないみたいだね」

「生憎とね」

 

 私が心の機微に聡くないがために、また変なすれ違いを起こしていた……なんてことも考えられるけれども。

 しかしそんなことを疑っていたのでは、キリがないしな。

 

「む」

 

 悩んでいる最中に、手元のソウルジェムが煌めいた。

 わずかだったが、確かな紫の鼓動だ。見逃す手はないだろう。

 私の質の悪い索敵能力が反応したということは、近くに魔女がいるということなのだから。

 

「さて、どうやら魔女がいたらしい。狩ってくるよ」

「頑張ってね、ほむら」

「ふふ、君も私を応援してくれるの?」

「もちろんさ。魔法少女をサポートするのは僕の役目だしね」

「はは、どこまでが本当なのやら」

 

 正直嘘っぽいと思う。嘘ではないにしても、胡散臭いが先にくるのが、このキュゥべえなのだ。

 赤い目の奥には何も見えない。彼の考えていることは、私にはわからない。

 

 そう。

 彼は、私たちとは……。

 

 

 私、とは――。

 

 

 ――……。

 

 

 

「―――――……」

「? どうしたのほむら? 立ち止まって」

 

 

 

「――ふふ。なんでもないわよ、キュゥべえ」

 

 

*tick*

 

 

*tack*

 

 

「! 暁美ほむらが消えた。……どういうことだろう」

 

 

 

 

 

「――ふう」

 

 この演奏は、上条恭介が怪我から復帰してから、人前では初めてのものだった。

 演奏会というほどの規模ではない。たった二人の少女の前で聞かせる、ちょっとしたお披露目のようなものである。

 それでも、上条恭介はその演奏に満足していたし、数少ない二人の観客も、大げさなくらいに感動してくれている様子であった。

 特に、これまで幾度となく彼の見舞いに訪れていた美樹さやかなどは、涙をこぼしそうなくらいに。

 

「おめでとう、恭介。……やっぱ、良かったよ、うんっ」

「おめでとう。うん、とっても綺麗な演奏だった……良かったね上条くん」

「! ……ありがとう、みんな」

 

 屋上で音を控えめにした、全力を出し切ったとはいえない演奏だった。

 それでも後を引く余韻は、昔の楽しく音楽に打ち込んでいた時期を思い出すようであった。

 

「なあに、恭介が諦めなかったから、天も味方してくれたんだよ」

「……はは、そう、なのかな」

「きっとそうだよ、てぃひひ……」

 

 恭介は曖昧そうに笑う。

 

 実際のところ、彼の怪我が完治した理由は、全く明らかになっていない。

 病院側も、唐突に感覚を取り戻したこの症例には強い興味を惹かれながらも、一切要因を突き止めるに至らなかったのだ。

 さじを投げた医者は、期待と困惑の入り交じる恭介の前でさえ、そう言うしかなかった。“まるで魔法だ”と。

 

「……じゃ、私はそろそろ行かないと」

「さやかちゃん、もう良いの?」

「こんくらいが丁度良いんだよ」

 

 明るさを取り戻しつつある上条恭介からは、それまでの荒れた様子は見られない。

 きっと居心地は良いだろう。

 

 だが、ここだけがさやかの居場所ではない。

 さやかの固めた覚悟は、彼の隣に居続けることとは、また別のものでもあるのだから。

 

「……これ以上ここにいたら、離れたくなくなっちゃうしね」

「……」

 

 魔女と戦う。町の人々を魔女の手から守る。

 そのためには、息抜きばかりしてもいられないのだ。

 

「暗い顔すんなって! うりうりー」

「あう、痛いよう」

「さやか、帰るのかい?」

「うん、脚の方はまだみたいだけど……お大事にね」

「……うん。ありがとう、さやか」

「へへ」

 

 二人は病室を出て、エレベーターに乗り込んだ。

 これから、もう何度もここを訪れることもないのだろう。

 

 ガラス張りの向こうには、見滝原の近代的な町並みが遠くまで広がっている。

 

「これで、私には何の悔いもない」

「悔い?」

「ううん、悔いとかそういうのじゃないか。これからの私が、悔いのない生き方をしていかなきゃいけないんだ」

 

 後には引けない。覚悟は決めた。

 恭介の腕は治った。ならば後は……正義のために生きるだけ。

 

「……杏子の様子、見に行こっか」

「うんっ」

 

 外の景色を眺めるさやかの後ろ姿は、まどかにとってどこか力強さを感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

「えっと……あった、ここね。このマンションが美樹さんの……間違いないわ」

 

 巴マミは、さやかから聞いた住所を元に、現地を訪れていた。

 美樹さやかとその家族が暮らすマンションである。

 

「つまり、ここでテレパシーを使えば……きっと」

 

 マミは目を閉じ、軽く思念を放出してみた。

 

『……佐倉さん、聞こえる?』

『!!』

 

 軽く語りかけると、言葉は無いにせよ、反応はあった。

 その僅かなリアクションは、探知に優れたマミだからこそ聞き取れたものだったのかもしれない。

 

(……言葉ではないけど、思念の反応があったわね)

 

 少なくともマミは、昔は一緒に戦っていた彼女の魔力を、今でもしっかりと覚えている。

 

『居るのね? 佐倉さん』

『……ま、マミ?』

 

 高い位置から、おずおずとした声が返ってきた。

 

『そう。私よ、佐倉さん』

『……マミは、さやかの仲間か?』

『どういうこと?』

『美樹さやかっていう奴の、仲間なのかって聞いてるんだ』

『え、ええそうだけど……どうして』

『……304号室。誰もいないけど、開け方知らないから……窓から入ってくれ』

『……わかったわ』

 

 それを最後に、テレパシーは途絶える。

 マミは以前とは違う弱々しい杏子の様子に違和感を覚えたが、部屋の目と鼻の先で考えるのは時間の無駄だろうと判断し、建物を見上げた。

 

(……あの身覚えのあるパーカーが掛かっている部屋ね。じゃあ早速変身して……っと)

 

 黄色い輝きに包まれ、マミの魔法少女姿が顕になる。

 マミとしてはあまり気は進まなかったが、ベランダや窓から侵入するのだ。

 さやかも両親に内緒で匿っているということだし、本人不在の部屋に理由なく堂々と上がれるはずもない。

 

(あそこなら一蹴りでいけるはず……っとう!)

 

 マミは文字通りひとっ飛びで窓まで跳んだ。

 魔法少女にとっては、特別難しい技術でもない。

 

『佐倉さん、ガラス戸を開けてもらえる?』

『鍵は掛かってない』

『……ええ、わかったわ』

 

 軽い音を立てて、窓が開く。

 すると、中には既に杏子が立っており。

 彼女はあろうことか、その手に槍を構えていた。

 

「! ちょ、ちょっと佐倉さん、槍なんて構えて、どういうつもり!?」

「……巴、マミだな」

「そ、そうよ? どうしたの……部屋の隅で、そんな……それじゃまるで」

 

 何かに怯えているような。

 野生動物のような刺々しい杏子の気配に、いよいよマミも異常を覚え始める。

 

「……ほむらは、居ない?」

「暁美さん……? 暁美さんなら今日は、魔女退治に……」

「……?」

 

 杏子の目は、マミの背後の窓を探るように動いている。

 

「と、とりあえずその槍を下ろしてもらえると嬉しいのだけど……」

「……わかった」

 

 特に目の前のマミに脅威は無いと判断したのだろう。

 杏子は素直に武器を下ろし、ベッドの上に座り込んだ。

 

「……変身は解かないの?」

「……このままでいい」

「そう……」

「……」

 

 沈黙が訪れる。杏子は何を語るでもなく視線を部屋の隅に落としているし、マミとしては今の彼女に、どういった切り口から声をかけていいのか解らなかった。

 

「なあ、マミ」

「え?」

 

 先に会話を切り出したのは意外にも杏子からであった。

 

「アタシって……酷い奴なのかな」

「……それは、魔法少女として?」

「……いや、全部かな」

「全部、難しいわね」

 

 マミは杏子の隣に腰を下ろし、しばらく天井を見上げて唸る。

 

「……そうね、私も佐倉さんの事、詳しく知っているわけではないけど……魔法少女としては、理想ではないかもしれないわね」

「……そうか。だろうな」

「でも勘違いしないでね、佐倉さん。……私は、貴女のことを嫌いになった事なんて一度もないのよ」

「え。……本当?」

「ええ、もちろん」

 

 それは確かにマミの偽らざる本心であった。

 

「あれから長い月日が流れて……私の考え方は変わったのかしらね。魔法少女としての信念を、理想を盲信して、がむしゃらに戦っていた時期もあったけど……けど、まだまだ私は何も知らなくて……現実の壁にぶつかって、私の中の正義がいかに脆い土の上に建っていたのかを知った、のかしら」

 

 魔女との戦闘経験では、そこらの魔法少女に負ける気はしない。

 それでも、無知であったとは思う。今にしてみれば、という但し書きはつくのだが。

 

「佐倉さんの事も……多少は受け入れられるかもしれないわね? 私には私なりの、やっぱり、堅い正義があるのだけど、ふふ」

「……! マミ、変わったな」

「ふふ、変えてくれた人がいたから、かしらね?」

「変えてくれた、人……」

「ええ……彼女がいなければ、私はずっと浮ついた正義の上で戦ってたと思う」

 

 マミは微笑みながら、確かに優しく言った。

 

「暁美さんのおかげよ」

 

 だが、杏子はその言葉を起爆剤に、再び心を揺さぶられた。

 

「あ、あいつ……ほむら!」

「ん?」

「マミ……ああ、そうだ、ほむらだ……」

「……一体どうしたの、佐倉さん。美樹さんから聞いた話では、暁美さんの事を気にしているらしいけど……」

「な、なあマミ、どうしてほむらはあんなに怒ってるんだよ?」

 

 杏子がマミの肩を掴み、縋るような表情で問いかける。

 マミはその豹変ぶりと不可解さに戸惑うばかりだった。

 

「暁美さんが、怒ってる?」

「アタシ、生まれて初めてだよ、あんな激しい怒りを買った事なんて……! アタシって、そんなに悪い人間なのか!?」

「ちょ、ちょっと落ちついて、何があったの……」

「あいつは、ほむらは……!」

 

 

 

 

『――巴マミ、もう着いているのかしら』

 

 

 二人の脳裏に、冷涼な声のテレパシーが届いた。

 

 

「……~!! ぁ、ぅああぁ……!」

 

 テレパシーが届くのだ。

 距離はそう遠くはないだろう。

 

「あら、暁美さんのテレパシーね……その話も含めて、彼女を中に入れましょうか」

「だ、駄目! 絶対に駄目だ!」

「何よ、確かに彼女はちょっと変わってはいるけど……」

「次に会ったら……今度こそ殺される!」

「……え」

 

 涙混じりに訴えかける杏子の声には、確かな感情が込められていて。

 

『――……巴マミ、居ないの? じゃあ、佐倉杏子、あなたは居るのかしら』

 

 テレパシーで響くほむらの声は、いつもよりもずっと無感情に聞こえた。

 

「……暁美、さん?」

「うぁあ……! に、逃げないと、とにかくあいつから逃げないと……!」

「……なんだか、様子がおかしいわ」

 

 杏子だけではない。

 自分をフルネームで呼びかけ、何より異なる雰囲気を纏ったその声は、マミを警戒させるに十分なものだった。

 

『――返事がないなら、強引にでも入らせてもらうわよ』

 

 



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私は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えた

 

 美樹さやかのマンション。

 ここへは何度か足を運んだことがある。

 彼女との友好関係を築こうと幾度も努力をしてみたけれど、だいたいのケースでは美樹さやかが私の考え方を受け入れられないがために、関係は破綻する。

 協力を取り付ける意義を感じなくなったのは、そう遅い時期でもなかった。

 

 いいえ。今は美樹さやかの事は今はどうでもいいわね。

 今考慮すべきなのは、このマンションにいる杏子と、訪れているはずの巴マミだ。

 巴マミは無視しても良い。けれど、佐倉杏子を無視することはできない。

 

 杏子を殺さないと、私の気が済まないから。

 

 ……でも、まさかあの状態で生きていたなんて。

 美樹さやかによって治療されるとは……出来すぎた偶然というべきか……それとも、神様がくれた奇跡なのかしらね。

 

 とはいえ奇跡もそのとき限りで、今日も来ることはないのだけれど。

 

「さて。美樹さやかの部屋は304号室だから……」

 

 アスファルトの上から見上げると、見覚えのある姿に思考が一瞬だけ遅延した。

 美樹さやかの部屋のベランダから、制服姿の巴マミが現れたのである。

 

 彼女は私を視認し、こちらに小さく手を振っている。

 

 

「あら、暁美さん。魔女退治は終わったのね?」

「ええ」

(……“ええ”、ね…)

 

 さて。

 あの顔。あの目。

 巴マミのああいった表情は、どんな時に出るものだったかしら。

 

「佐倉さんの服も干してあるし、中にも痕跡はあるんだけど……どうも、中に居ないみたい」

「本当に?」

 

 すかさず尋ねる。

 巴マミの目を見る。

 

 落ちついた上級生の目。

 優しげな、それでも長年魔女と戦ってきた、強い目。

 

 眼球の動きは見逃さない。

 

「……ええ、他人の家にずっと居るわけにもいかなかったんでしょうね」

「……そう」

 

 彼女の目に揺るぎは無い。

 嘘はついていないか?

 

 いいや。

 

 巴マミはハッタリが上手い魔法少女だ。

 魔法少女との騙し合いだって幾度も経験している。

 嘘をついている可能性は十分にある。

 

「嘘でしょう?」

「……っ」

 

 ほら眼球が揺らいだ。そしてすぐに抑え込んだ。

 見逃さない。三階から私を見下ろすその目には、確かな恐怖と動揺が垣間見える。

 

 その綻びを確信して、私は口元をゆがめた。

 

「――佐倉杏子、出てきなさい」

 

 ここにいるのね。

 教えてくれてありがとう、巴マミ。

 もう帰っても大丈夫よ。

 

「だから、佐倉さんは……」

「口を閉じなさい。巴マミ」

「……!」

 

 巴マミが驚きに閉口した。

 

 そうね、それも仕方ないのかしらね。

 この“私”は、随分と風変わりみたいだから。

 

 まあ、もう、どうだっていいけれど。

 

「ねえ、杏子。私の声はきっと、その部屋にも聞こえているのでしょう?」

「……」

 

 無視するの。

 酷いわ、杏子。

 それとも、私の声が遠すぎるの。

 

「聞こえていないのかしら? そんなはずはないわよね」

「……」

 

 返ってくるのは、緊張した面持ちで私を静観するだけの、巴マミの沈黙だけ。

 ……そう。誰も答えないの。薄情ね。

 

『杏子、テレパシーは通じるわよね。聞こえているでしょう?』

『……』

 

 無言。無音。

 ひどいわ。

 

『テレパシーでも私を無視するというの? それとも、本当にそこに居ないのかしら』

 

 沈黙。

 まただんまり。

 

 ああ、もう、じれったい。

 隣町からここまで来るのに、結構な時間を使ったのに。

 もう、足踏みをしている余裕は無いのに。

 

 佐倉杏子。ああ、杏子。

 

 憎い。佐倉杏子が憎い。

 

 殺してやる。

 

 絶対に!

 

 

 今すぐに!!

 

 

『――ッ……ァアァアアァアァアッ!!』

『ひゃっ!?』

『っぅ……!』

 

 私の思念があげた憎悪の咆哮に混じり、二人の短い悲鳴も聞こえてきた。

 

『――確かに聞こえたわよ、杏子』

 

 そして私は今まさに、口元が三日月のように歪んでいることだろう。

 

『いるのよね。そこに。駄目じゃない、教えてくれないと』

 

 グリーフシードは貴重だ。時計の砂は止められない。

 手負いの杏子如き、地の力で圧倒しなくては。

 

「さあ、行くわよ」

 

 変身する。

 即座にアスファルトを蹴り、3階のベランダへ飛び移る。

 

 すぐ隣で目を見開く巴マミを無視し、美樹さやかの部屋へ繋がるガラス戸を開き、中へと侵入した。

 

「居ない」

 

 が、無人。

 さやかの部屋が荒れた様子は無い。

 

 さっさと玄関から退避でもしたか。

 だとしたら厄介だ。逃げ道はいくらでもある。

 大胆な手を使えば、他人の部屋に上がり込むなりすることで隠遁も可能だ。

 

 時間を止めようとも、捜索範囲はあまりに膨大。追跡はできなくなる。

 

「暁美さん!」

「……」

 

 ああ、後ろからうるさいのがついてきた。

 面倒臭い。

 

「……何?」

 

 今、巴マミに構っている余裕はない。

 私の左手のソウルジェムが警鐘を鳴らしている。

 

「暁美さん、よね?」

 

 巴マミはそんなことを訊ね、魔法少女姿に変身した。

 警戒としては当然。しかし銃は出していない。彼女にしてはかなり珍しいケースだろう。

 普通ならば疑わしきを躊躇なく撃つ人なのに。

 

「何故佐倉さんを……?」

 

 そんな彼女の怯えた目は、私の気分を悪くさせる。

 不安定な目。弱気といえば優しい表現だ。しかし彼女は錯乱した時にも、そんな目を見せることがある。

 

 この目が何度、私を苦しめたことか。

 

「率直に言うわ。佐倉杏子を殺す」

「何故!?」

「黙りなさい、巴マミ」

「っ」

「今のは予告よ、貴女の問いに答えたわけではない」

 

 一歩、マミが後ずさる。

 そして金縛りにあったかのように、自ずと動かなくなる。

 

 ……いつからだろう。私が凄むだけで、彼女が退がるようになったのは。

 

 長い時間の中で、一体私の何が研鑽されたというのかしら。

 

 怒り? 殺気? 闘志?

 

 まあ、どうでもいいことだわ。

 

 今やこの感情は、最も間近にある邪魔者にぶつけるだけだもの。

 

(……くっ)

 

 左手にわずかな痺れが走る。

 

 まずい。感覚が薄れてきたか。

 思った以上に余裕はない。

 

「杏子、この部屋のどこかにいるのはわかっているわ」

 

 杏子が私の存在に恐怖心を抱いているのであれば、彼女は私のテレパシーを受けて多少のパニックに陥ったはずだ。

 生まれ持った逃げの才能はあるかもしれないが、それでも見知らぬマンションの中で鬼ごっこをする度胸が湧くだろうか。

 玄関からさっさと出ていった、と見せかけて、実はまだ部屋に残っているのではないか。

 

「杏子、出てきなさい」

 

 ベッドを蹴り、ひっくり返す。

 いない。

 

「杏子、どこにいるの」

 

 椅子を蹴る。

 机の下にもいない。

 

 だとすれば後は……。

 

「さあ、杏子、後は無いわよ」

 

 クローゼットに微笑みかける。

 向こうから私は見えているだろうか。

 別に、向こうの視点などどうでもいいけれど。

 

 終わりの時は来た。

 

 これでやっと、まどかを守れる。

 

「さあ、死になさい……」

「駄目!」

 

 クローゼットに手をかけようとしたその時、黄色のリボンが襲いかかってきた。

 

 

 *tick*

 

 

 単調なわかりやすい攻撃だ。

 私に読めないはずがない。

 

 

 *tack*

 

 

「へぐぅっ!」

 

 時間停止解除と共に、マミの身体は勢いよく窓へと突っ込み、外へ投げ出された。

 腹部にお見舞いした四発の蹴りの威力がそれだった。

 

「無駄な魔力を使わせてくれたわね、巴マミ」

 

 リボン相手では時間停止を使わざるを得ない。

 手間を掛けてくれたわ。

 まあ、巴マミはそういう人間だから、この程度なら別にいいのだけれど。

 

 でも、これ以上私を邪魔するつもりなら、私も本気で殺しにかかる。次はないというだけの話だ。

 

「さて……」

 

 さあ。巴マミの事はどうだっていい。問題は杏子よ。

 この杏子は殺さなくてはならない。

 

 まどかに甘い言葉を囁く悪魔め。

 

「杏子」

 

 クローゼットに向かって、魔力を込めた脚を振りかざす。

 

「――地獄で家族に逢いなさい」

 

 

 

 私の蹴りは、確かにクローゼットを叩き割った。

 

 木製のそれは派手に破砕し、見る影もない。

 

「……」

 

 中には散乱する衣服が木片にまみれ、重なり落ちている。

 美樹さやかのものだろう。

 

 それ以外には……何も入っていなかった。

 

「~~!!」

 

 佐倉杏子に、してやられた。

 その許し難い事実だけで、私のソウルジェムはもはや限界だった。

 

「ぁああぁぁあああッ!」

 

 近くのデスクに転がっていたボールペンで左腕を掻き毟る。

 

 このままでは不味い。

 

 杏子を殺したい。けれど今はもう難しい。

 

 ああ、自分の魂を優先しなくては。

 

 杏子を、違う。ソウルジェムを。

 

 早く。早くグリーフシードを……。

 

「あの、クソアマめぇええぇッ……!」

 

 巴マミが突っ込んだ窓ガラスから表へ飛び出す。

 

 屋根伝いに跳ぶ最中に、植え込みの緑の上で倒れる巴マミの姿があった。

 それはどうでもいい。

 

 あらゆる全てを無視して、私は街を駆けた。

 

 

 ああ、今は全てをどうでもよく思わなければ。

 

 早く家に帰って、グリーフシードを使って浄化して、寝よう。

 

 考えては駄目だ。

 考えては駄目……。

 

 

 



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ぐっすりとおやすみ

 

「……つぅ……」

 

 巴マミは植え込みの上で意識を戻した。

 ほむらに腹を蹴られ、その勢いのままマンションから落下したのである。

 

(止めようと思ったけど……やられちゃった)

 

 善戦はした。咄嗟の判断でリボンを生成したのは良い判断だっただろう。

 だが、ほむらはそれを読み切っていたのである。あるいは、マミが攻撃の際にあえて声を上げてしまったことが、失敗だったのかもしれないが。

 

(少しの間、足止めはできるかと思ったけど……さすが、暁美さん、なのかしら……)

 

 思い出されるのは、以前に闘った際の記憶だ。

 最初は廃屋での立会人ありの決闘で。その次は夜の公園での、錯乱した際の闘い。

 その時の記憶を思い起こしてみれば、ほむらは本気を出し切っていなかったのではないかと、マミには思えてならなかった。

 

(……お腹痛い……動けない)

 

 悔しい。悲しい。様々な感情が混濁している。

 鈍く響き続ける腹痛は、心にヒビが入ったかのようであった。

 

「……マミ、無事か?」

 

 そんな彼女の顔を、杏子が心配そうに覗き込む。

 

「……え? 佐倉さん? 逃げたんじゃ……」

「マンションの中でな……アタシよりもマミのが重傷だよ、起き上がれるか? 肩貸そうか?」

「うん……」

 

 ほむらが部屋に入る直前、杏子はさやかの部屋を脱していた。

 勿論、ベッドの下やクローゼットになど隠れてはいない。本当の危機的状況に陥れば、彼女はとことんまで逃げ、そして見事に隠れてみせるのである。

 

「……あいつは行ったみたいだな。くそ、マミにまで手を出すとは思わなかったぜ」

 

 既にほむらは屋根伝いに走り去り、姿が見えない。

 何故あのまま逃げていったのかは杏子にもわからないが、去りゆく後ろ姿は酷く焦燥にかられているように見えた。

 

「……ごめんな、マミ。アタシのせいで、こんな事に」

「あれは、暁美さんじゃないわ」

「え?」

「あれは、暁美さんなんかじゃない……」

 

 マミは腹部を押さえたまま、身体を起こした。

 表情は苦悶に歪んでいるが、杏子にはそれが何かを堪えているように見えてならなかった。

 

「……あれは、ほむらだよ」

「違うわ! 絶対に……!」

 

 さやかのマンションを訪れた暁美ほむら。

 確かにマミの言う通り、彼女の様子はおかしい。

 杏子も以前に一度出会ったから身をもって知っている。確かに、信じられるものではない。

 

「違うのかな……」

「ええ、違うわ」

「そうなのかな……」

「そうよ……だって、暁美さん、いつもの暁美さんじゃないもの。そうでしょ? 佐倉さん」

「! お前、泣いて……」

 

 マミは信じている。きっと、ほむらとは関わり深いのだろう。それは杏子にもわかった。

 それでも、彼女は葛藤と不安に、涙を流さずにはいられなかったのだ。

 

「暁美さん、人殺しなんてしないもの……魔法少女を殺したりなんて、絶対にしないもの……!」

「マミ……」

 

 どこか飄々としていて、気障で、面白い暁美ほむら。

 それが嘘だとか、偽りだとは思えない。半死の重症を負った今の杏子でさえ、それを信じていたかった。

 

 

 

 

 

「杏子ちゃん、どうしてるかな」

「うーん、ちゃんと部屋で大人しくしてればいいんだけどなあ……」

「でもマミさんがいれば安心だよね?」

「あはは、ちゃんと部屋に居ればなんだけどねー……」

 

 さやかとまどかが並んで歩いている。

 二人は上条を訪ねた後、共にさやかのマンションを目指している最中であった。

 

 

「! 前から何か、屋根の上に……!」

「えっ!? 魔女!? 使い魔!?」

 

 そんな二人の前に、屋根伝いに走る何者かが姿を現した。

 

「……!」

 

 ほむらである。

 彼女もまた道路に佇みこちらを見上げる二人を視界に収めたようだった。

 

「あ、なんだ、ほむらちゃんか……でも、どうしてあんな場所に……?」

「魔女退治はもう……ってオイ! ほむらどうしたの!? その腕、血が……」

 

 さやかは目敏く、ほむらの腕の傷を見破った。

 ほむら自身がボールペンで自傷したものである。

 

「……チッ」

 

 

 *tick*

 

 

 *tack*

 

 

「は……あれ?」

「消え、た……?」

 

 声はかけた。向こうも二人を認識していた。

 だというのに、彼女は一瞬のうちに姿を消し、いなくなってしまった。

 

 それに、去り際の、ほんの僅かな刹那に見せた穏やかでない表情。

 

「……私の家に急ごう」

「うん、なんだか……嫌な予感がする」

 

 それは、より長く接してきた二人だからこそ、強い違和感を覚えるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 気づけば、殺風景な白い自室にいた。

 私は、力ない姿勢でソファーに座っているようだった。

 

『また夢か』

 

 夢の世界とは、いつだって唐突なものだ。

 気がつけば眠りに落ち、いつが夢の始まりなのかは誰にもわからない。

 

 そんな夢を表すかのように、ほんの少しだけ、視界は寝起きのようにぼやけていた。

 

 はっきりしない世界。

 しかし、唯一はっきりと視認できるものがある。

 

 それは、私の姿だった。

 

『……』

 

 もう一人の私である。

 あるいは、私の深層心理の中に眠る、自問自答の相手のような私と呼ぶべきか。

 彼女もまた、この夢の世界で私の側にいた。

 

『……ふむ』

 

 そんな私は、みの虫のように毛布に包まれている。

 全身をぐるぐる巻きにした、なんとも温かいような、しかし動きづらそうな姿である。

 

 私だとわかったのも、ぐるぐる巻きにした所から長い黒髪は外に飛び出しているので、そこから推測したに過ぎない。

 癖のある私の髪は特徴的なのだ。

 

『それにしても結局、君は地べたで寝ているわけか』

 

 答えは返ってこない。

 夢の中の私はいつだってこうだ。愛想というものがない。

 

『まあ、布団もベッドもない部屋では仕方がないんだろうけどさ。寝辛くとも、ソファーの上にしておくべきじゃないかな』

 

 床というものは、冷たい。猫だってふわふわした布の上で眠る生き物だ。軟弱な人間ならば、さらに繊細な寝床を構築すべきだろう。

 一日の幸せは安眠にて終わり、そして始まる。何故温かい寝床を求めないのか。

 

『ふふっ、まあ、たまにロクに毛布も使わない私が言えた事ではないが……』

『……使ってるじゃない』

『え?』

 

 返事が返ってきた。

 

『毛布』

『……どういうことかな』

『毛布。私は、貴女は、使っているのよ……暁美ほむら』

 

 一体、どういう。

 

 私がそう訊ねる前に、夢の世界は急速に掠れていった。

 

 

 



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酷く爛れた化けの皮

「……」

 

 目を醒ますと、そこは暗闇の中だった。

 とても窮屈で、とても温かい中だった。

 まるで、何かで柔らかく拘束されているかのような……。

 

「んんっ……なんだ、ここは……」

 

 身体に纏わるものを退けるように、身を捩って這い出る。

 

「……え?」

「にゃぁ……」

 

 すると、目の前にワトソンがいた。

 ここは私の部屋の中だったのだ。

 

「ええ?」

 

 そして、私は身体に毛布を巻き付けていた。

 自室の床の上で。なんとも奇妙な格好で眠っていたのである。

 

「……」

 

 昨日も、寝た覚えは無い。

 最後の記憶は、ええと、確か魔女を狩ろうとして、それで……。

 

「……痛っ」

 

 保留のできない思考は、しかしそれよりも衝撃ある腕の痛みによって阻害された。

 毛布のまとわりつく左腕が、鋭い痛みを訴えていたのだ。

 

「……何だ、これは……」

 

 見やると、私の左腕には無数の裂傷が刻まれていた。

 多くの傷は意味ありげに交わり、連なり、言葉を形成している。

 

 私の見間違えでなければ、それはこう読めるのだ。

 

 

 “杏子をころせ マ女をころせ コドクになれ”

 

 

「――」

 

 血液が逆流する。

 身体中の血の気が引くという意味が、理解できた瞬間だった

 

「~~!」

 

 文字を理解すると共に、言い知れぬ恐怖に駆られた私は反射的に腕へ治癒魔法をかけた。

 皮膚の表面だけを掻きむしった浅い傷は瞬時に治ったが、頭に焼きついた文字が消えることはない。

 

「……」

 

 無傷に戻った左腕を見て、安堵か落胆かのため息をひとつ。

 そして、顔に手を当て、項垂れた。

 

「ついに、この時が来てしまったのか」

 

 これは、心の隅で予感していた未来の一つ。

 来てほしくはなかった、悪い未来の一つだった。

 

「“私の前の人格が戻り……私は暁美ほむらに乗っ取られる”。……そういうパターンというわけか」

 

 私としての自我が消え失せ、奥底に眠っていた暁美ほむらの記憶が私の体を再ジャックする。

 同化するでも、段々と昔の性格が戻るわけでもない。完全な別人格による、乗っ取りだ。

 

 気付け無いはずもない。予兆やヒントは、それこそ目を背けたくなるくらい沢山配置されていた。

 

 私の記憶は、二日前から曖昧になっていたし、曖昧になる間隔も次第に広がっていた。

 私が私として活動しない時間が消え、空白の時間が伸びてゆく。

 そしてこの、腕に刻まれていた文字だ。もはや知らんぷりできるラインを大きく逸していた。

 

 ……私は、いずれどうなってしまうのだろう。

 

「私は、消えてしまうのか……?」

 

 既に半分ほど濁ったソウルジェムを、震える手で握り締める。

 

「消えたくはない……」

 

 傍らのワトソンには目もくれず、私はテーブルの上を漁る。

 邪魔な小物を退け、アイデアを描き殴ったばらのルーズリーフを押しやり、そして一か所に固められたグリーフシードを手に取った。

 

「……」

 

 数は減っていない。

 だがこのうちの二個がほぼ九割近くまで穢れをためており、使えない状態になっていた。

 ……私自身が使った記憶は、ない。

 

 ……“暁美ほむら”が使ったのだ。

 半日で、二つも。

 

 どんな魔力の使い方をすれば二個も減るのか……という疑問は、すぐに“何に魔力を使ったのか”という疑問に変わった。

 

 “杏子をころせ”。

 

「……何があったんだ」

 

 私に託された、“杏子を殺せ”というメッセージ。

 魔女を殺せ。それだけはわかる。だが何故杏子を殺さなければならないのだ。

 

 孤独になれとはどういうことだ?

 暁美ほむらは私を恨んでいるのか? 憎んでいるのか?

 

 それともやはり、暁美ほむら、君はそういう人間だというのか。

 かつてのように魔法少女を殺し、街を破壊し尽くす幽鬼だというのか。

 

「この私に、そうなれとでも言うのか。君は」

 

 私よ。そんな暁美ほむらを受け入れろというのか。

 

 不明瞭な謎に、悪寒が走る。

 

 残された杏子を殺せというメッセージ。

 減りに減った魔力。

 これが示すものは何だ。

 

 魔法少女を狩る暁美ほむらの、血みどろの戦い。

 メッセージを見るに杏子はまだ死んでいないのだろう。

 だが、私が狙うのは杏子だけか?

 私の殺人は杏子だけに留まるのか?

 

 ――この毒牙は、マミやさやかにも向けられるのではないか。

 

 

「~~ワトソンッ! 留守を頼む!」

「に」

 

返事を待たずに、私は部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 制服姿のままで、路地を駆ける。

 鞄など持たない。だが、手ぶらででも、学校に行かなくてはならなかった。

 

 昨日、私の意識は長い時間失われていた。つまり、もうひとりの私……暁美ほむらが、身体を乗っ取っていたということだ。

 消耗したソウルジェム。腕に刻まれた言葉……。

 何をしていたのかを覚えては居ない。だが、ロクなことではなかったのは間違いないだろう。

 

 私が昨日何をしていようとも、マミとさやかの安否を確認しなくてはならない。

 彼女らに邪険にされようとも、撃たれようとも、二人の無事を見届けなくては。

 

 ――そして、私は今更に、告げなくてはならないのだ。

 

 私が、記憶を失った人間であるという事を。

 

 

 

 何故私は今まで告白しなかったのか。

 変に格好つけて、挙句こうして状況を悪くさせた。

 なんとも馬鹿けた話だ。

 

「格好悪い……クソ、ああもうっ!」

 

 格好悪い。マヌケめ。

 私は焦燥感と苛立ちに駆られ、魔法少女の姿となって学校へ急いだ。

 

 



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私の最後の後始末

 

 朝の学校。

 さやかとまどかの両名は、マミと昨日の出来事について話し合っていた。

 とはいえ、確認することはそう多くはない。

 昨日の不可解なトラブルについては、暁美ほむらが去っていった直後に話し合ったのだから。

 

「杏子やマミは、大変な目にあったんだね」

『私の部屋もね……』

 

 さやかの部屋は荒れに荒れていた。

 部屋を見る前にマミと杏子が居たからまだ良かったものの、もしも前もって聞かされずにあの自室を見ていたらと思うと、恐ろしいものである。きっとさやかは悲鳴をあげていただろう。

 

『ほむらちゃん……なんで、そんなことを……』

 

 だが、それ以上に驚いたのは、やはりほむらの蛮行だ。

 にわかには信じがたい言動や暴力の連続であるが、状況証拠がああも沢山揃っていては、まどかやさやかも、否定したくともできるものではなかった。

 動機も経緯も不明瞭。ただ、杏子への明らかな殺意だけがある。

 

 

『上の階から失礼するわね』

『マミさん』

『そう、昨日の話を……まとめると、つまりは、暁美さんが豹変して』

「ふむ。よくわからないけど杏子の命を狙ったんだね?」

『ええ。……佐倉さんを探すのを諦めてどこかへ行ってしまったけれど、また同じようなことをしそうな……彼女からは、そんな強い執着を感じたわ』

 

 その後、杏子はまどかとさやかを交えての話し合いや情報交換には参加したが、すぐに行方を眩ませてしまった。

 “またいつやってくるかわからないから”ということである。

 マミはそれを否定できなかったし、悲しそうな顔を見せる彼女の去りゆく姿を止めることもできなかった。

 

『君たちはどうするんだい? マミ、さやか。ほむらはとても危険な魔法少女のように思えるけど』

『……』

 

 マミは沈黙。

 

『……私は、ほむらを止める』

 

 さやかは確かな意志でもって答えた。

 

『大丈夫なの? さやかちゃん……』

『ちっとも大丈夫じゃないよ……ほむらの戦いは何度か見たけどさ。何をしてくるのかよくわからないし……正直、いざ勝負って感じになったら、勝てる気がしないわ』

『……』

 

 ほむらの魔法。それはさやかだけでなく、まどかやマミにとっても未だ謎の多いものである。

 扱う武器も、力も、どのようなものかも不明。

 気がつけばまるでマジックでも見ていたかのように状況はガラリと変化し、彼女の手のひらの上で遊ばれているかのような。そんな理不尽で不可解な、それでも確かな強さを持つのが、ほむらである。そんな共通認識だった。

 

『けど、ほむらを倒すことが私の目的じゃない』

「そうなのかい?」

『うん。ほむらと話さないと駄目なんだ。ほむらとちゃんと話して、しっかり事情を聞く……でないと』

『ええ、そうね……それからでないと、全くわからないものね』

 

 状況は混迷を極めている。

 杏子の身の安全を考えれば、対策は可能な限り早いほうが良い。

 ほむらとの対話は必要だろう。

 

『……けど、ほむらちゃんは……危ないよ』

『まどか……』

 

 とはいえ、その対話が通用するかどうか。

 

『マミさんも私と一緒に見ましたよね……? 仁美ちゃんとさやかちゃんを操ろうとした魔女の時の事……』

『……ええ、あの、魔女が映しだした映像ね』

『……』

 

 暁美ほむらが銃を握り、他の魔法少女のソウルジェムを砕く……そんな映像である。

 それはまどかが間近で見ていたし、飛び入りでやってきたマミも確認している。

 

『ほむらちゃんは魔法少女を……もし、さやかちゃんやマミさんが、同じことになったら……』

『……確かに見たわ。あの時のことははっきりと覚えているし……今まで、大きな疑問として残るものでもあったしね。そういう意味では、今回のことは得心のいくものだったけれど』

 

 ソウルジェムを撃ち抜こうとするほむら。

 杏子を殺そうとするほむら。符号は一致する。しかし。

 

『けど、暁美さんにそのような過去があったとしても、絶対に何らかの事情があったように思うのよ』

『……杏子ちゃんに酷い事をしたのも、ですか……?』

『……理由があるのよ、きっと』

 

 さすがのマミも、自信はない。はっきりと擁護はできない。至近距離でそれを見ていただけに。

 

『私、怖い……ほむらちゃんのこと、信じたいのに。怖いよ……』

『……』

 

 さやかの家に向かう最中の二人が見た、屋根を飛び移りながら走るほむら。

 一瞬、すれ違う際に見たあの冷徹な表情が、昨日からまどかを混乱させている。

 

 三人がテレパシーで重苦しい会話を途切れ途切れ続けていた、その時。

 

「はぁ……はぁ……」

「!」

「あ……」

 

 息を切らせた暁美ほむらが、教室へと入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 ガラス戸を開けた向こうには、驚く顔で止まったさやかと、私を恐れるような顔で小さく震えるまどかの姿があった。

 ……間違いなく、何かがあった。二人の様子からそれを察するのは容易だ。

 

 しかし、だとしても。

 今までの人間関係が崩れていたとしても。

 

 私は口を閉じて、息を整え、早足で二人の傍へ近づいた。

 

「……」

 

 そこに、さやかを庇うようにして、すかさずまどかが立ちふさがった。

 

 涙ぐみそうな決意ある目が、私の昨日の空白に、より確かな彩りを与えてくれる。

 見たくもない絵が完成してゆく。

 

 ……なんと健気な子だろうか。魔法少女のさやかを、一般人の君が身を挺して守るだなんて。

 そんなに、私は危険なのかな。

 ……ああ。まどかの後ろのさやかの複雑な顔も、無慈悲で明瞭な答えを持っているね。

 

 そうか。

 私はやはり、昨日、何かをしたのだ。

 

 ああ、そうだろう。そうに決まっている。覚悟はしていた。だとしても。

 

『……話がしたい。長い話なのだが』

『……ほむらちゃん……先に、言うことはないの?』

 

 わからない。そう言いたい。

 けれど、それは今の二人に告げる言葉としては、あまりに配慮にかけるものだと思った。

 

『それは……屋上で話す。マミも、聞こえていたなら来てほしい』

『暁美さん……ええ、わかったわ』

 

 テレパシーでは、誰もが重々しい声を発していた。

 身構え、決意し、慎重に選ぶ言葉のなんと重いことだろう。

 

 私は黙って教室を出た。さやかと、まどかも後から距離を置いてついてくる。

 まるで他人のように。

 

 重い足取りで、屋上へと向かう。

 

 

 

 果てしなく長いように思える階段を登り、屋上へと出ると、場違いに爽やかな風が吹いていた。

 

「……」

 

 到着するや、私はベンチの近くの地べたに腰を降ろし、俯く。

 

 向かい側には、まどかとさやか、そして少し遅れてやってきたマミが集まり、ベンチに腰を下ろす。

 マミとさやかは緊張した凛々とした面持ちで私を見て、まどかは悲しそうな伏し目で私の脚辺りを見ているようだった。

 

「僕も同席してもいいよね」

 

 白い毛並みの未確認生物も、まどかの隣に着席する。

 

 これで観客は揃ったわけだ。

 あとは、ピエロが自分がどれほど滑稽だったかを口で説明するばかり。

 

「……ほむら、話って何」

「まずは……」

「まどか、全部ほむらに任せよう」

「……うん」

 

 もう後に引き返すことはできない。

 

 ……いいや、逃げ道なんてもう存在しない。

 

 

 私はもう、消えるしかない存在なのだ。

 

 ならばせめて消える前に……言わなくてはならないのだろう。

 

 去りゆく間際に種明かしをしてゆくマジシャン、か。

 なんとも不愉快で、滑稽な存在だね。

 

 

「……なあ、みんな。私の話を聞いてほしいんだ」

 

 私は、半分濁ったソウルジェムを地べたに差し出し、静かに口を開いた。

 

 

 



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私が私になった訳

 

 告白しよう。私が私であるうちに。

 そう長くないうちに語り終えているだろう。

 暁美ほむらという名の私の、短い短い人生譚は。

 

「私が、私の名を暁美ほむらであると知ったのはつい数週間前……見滝原中学に転校する以前、病院でのことだった」

「……?」

「?」

「えっ……と?」

 

 出だしから、三人共不可解そうな顔をしているね。

 まぁ、今はそれでも構わない。

 なにせ私自身だって、最初は何もわからなかったのだから。

 

「私が目を醒ましたその日は晴れだった。カーテンが揺れ、窓の外も中も、全て静かだった」

 

 白い部屋。白い頭。

 寝起きはあまり良くなかったが、見渡した辺りは清々しい環境だったのを覚えている。

 

「まず最初に認識できたことは、私が魔法少女であるという事実だった」

 

 ソウルジェムの正体。そして私達の原理。

 

「魔女を倒すのが魔法少女。いずれ魔女になるのが、魔法少女……」

 

 私は最初から、それだけは知っていた。

 が……。

 

「まずは、それだけ」

 

 他には何もない。

 

「目覚めた私は、自分の名前すら知らなかったのさ」

「え……?」

「まるで物語の主人公のようだろう。記憶喪失だよ」

「記憶喪失?」

 

 怪訝そうなさやかに、私は頷いた。

 

「私が私を“暁美ほむら”という名前だと知ったのは、病室を出て扉の横のプレートを見てからだ。面白いだろう。私は自分の名前も覚えていなかったんだ」

「どういうこと……?」

 

 マミも、ちょっとついていけてないか。

 私としては出だしがこうだっただけに、他に言いようもないのだけど。

 

「……私は、自分が魔法少女であるということ以外、全てを忘れていた。自分でも戸惑ったよ……起きたらベッドの上で治療を受ける身で、そして記憶喪失だったのだから」

 

 霧のように立ち込める不安。

 一年前の昼食の献立を思い出そうとする無謀にも似た、記憶を深追いすることへの強い徒労感。

 親はいない。友達もいない。わからない。なにもない……。

 

「……私は、最初はただ、唯一覚えている“魔法少女”のシステムに従い……魔女を倒す者として動くしかなかったんだよ」

 

 この不安に共感してくれとは言わない。共有してほしいとも思わない。

 今はいいのだ。ただ、私がそうしたという事実を、信じてくれるだけで構わない。

 

「魔女を倒し、グリーフシードに余裕が生まれるにつれて、私は自分の記憶を取り戻す努力を考えるようになった」

 

 魔女狩りは幸いにして難しいものではなかった。

 時間停止魔法は非常に強力であったし、闘いの勘とでも言うべきか、そういったものも備わっていたから。

 もし私が戦闘の感覚まで忘れ去っていたとしたら、きっと一週間も経たずにのたれ死んでいたに違いない。

 

 だが幸いにして力はあったのだ。

 グリーフシードは有り余るほどに自給できたし、おかげで私は文明的な余暇を手に入れたわけである。

 時間があれば、自分探しができる。

 生存はできても、自分の来歴が一切不明というのはあまりにも不安だ。そういった行動に流れるのはごく当然のことであろう。

 

「さて、以前の私は何者であったか……顔つきや髪型から、陰湿で根暗な女であろうとはなんとなく予想はついていた」

「根暗って……」

「根暗さ。目覚めた時の私は酷い顔だったとも。地味で、それゆえ気の弱い、どうしようもなさそうなタイプの女だ」

「そんな、暁美さん」

「ま、今はそれは良いさ。事実だもの」

 

 手をひらひらと振り、無用な擁護を払う。

 卑下する私をフォローしようとしてくれる皆の好意は嬉しいが、それは私ではない。

 

「……まあ、以前の暁美ほむらが何者であろうとね。何の信念も無かった私はとにかく、以前は……きっと、何かしらの志があったはずだからさ。だから私は、魔法少女である私の祈りの為に、そのために生きることにしたんだ」

 

 知らない自分。とはいえ、それは他人ではない。あくまでも自分自身だ。

 感覚としてはまるきり他人事ではあるけれど、安易に切り捨てるには後が怖い。

 

 私の願いを成就させること。守ること。それは私にとって切り離せないものだった。

 そのために、私の願望を突き止めることこそが急務だったのは言うまでもないだろう。

 

「だが私の祈りとはなんだろう? 私の願いは? 目的は? 幸せとは……」

 

 人には必ず願望がある。願いがある。

 だがそれは大抵の場合、人の内に秘められているものである。

 自分の夢や目標を手帳に書き留める者は皆無ではないとはいえ、そう多くもない。

 

 語らぬ私の願い。それは、推理する他に突き止めようもなかった。

 ゆえに。

 

「変身した姿から、私は予測を立てることにしたわけだ。そして、思い当たった私の願いとは……」

 

「……暁美さんの……」

「願い……」

「……それで、ほむら。願いって……?」

 

 三人が息を呑む。

 

「――それが、マジシャンだった」

 

 

(……?)

(え?)

(……ん?)

「変身した自分の姿を見て常々思っていた……そう、私の姿はマジシャンに似ているとね」

 

 少し観察してみれば理解できることであった。

 服だってちょっと燕尾服っぽいし、全体的にマジシャンという感じがするのだからね。

 それに加えて時間停止魔法である。まさにマジシャンをやるために備わった能力ではないか。

 

「ハットとステッキを独自に購入してセットにしてみると、どうだ。すぐさま私の勘は正しかったのだと証明されたようだったよ。疑いようもなかったね。その姿はまさにマジシャン」

「あ、あのちょっと、暁美さん」

「……何だい」

「……いつもつけている帽子と、ステッキって、魔法で作ったものではないの?」

「違うよ、見た目で選んで買ったやつだ」

「……そう」

 

 マミたちが何かものすごく言いたそうな顔をしているが、特に質問がないなら続けよう。

 

「私はマジシャンだった。そうに違いない……そう思った私は、その日からマジックを始めた」

「……そ、そうなんだね……」

「マジックなど最初から覚えてはいなかったが、それでも新たに練習して覚えたよ。やっているうちに、私の記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないからね」

「そ、それで……?」

「うん。私はマジックを始めた。そして……学校に通いはじめ、皆と出会い、色々な事を経験して……」

 

 たくさんのクラスメイト。

 友人との遊び。帰り道。何気ない会話……。

 

「……ふふ。すごく楽しかった」

「……!」

 

 まどか、驚くところじゃないよ。

 

「いや、本当に。毎日が楽しくてね……マジックはいまいち、私の記憶に関わるようなものではなかったみたいでさ……ちっとも成果はなかったけどさ。それも、やっていくうちに楽しくなって……ひとつの趣味として続けるようになったよ」

 

 一時期は記憶が刺激されたこともあったのだが、ピンとくるほどではなかった。

 それでも、私にとっては趣味の一つとして定着した。“かつての私とは関係ない”と捨てるには、あまりにも惜しいものだったから。

 

「学校の友達も、面白い人が多くて……」

 

 みんな優しい。みんな良くしてくれる。

 私がそこにいる。それは、記憶がないのだから当然とはいえ、初めての体験だった。

 

「……でもその頃だったんだ。私が、不可思議な夢を見るようになったのは」

「夢……?」

「……嫌な夢さ。無駄にリアルで、暗いイメージの夢」

 

 思わず表情も歪んでしまう。

 自分で思い出したくもない、陰惨な夢だ。

 

「いつかの時には、魔法少女のソウルジェムを銃で撃ち抜き。暗いどこかで、何者かに引導を渡そうと手を伸ばし。路地裏に追い詰めた誰かを虐殺し続け……」

「……私と鹿目さんが見たのって、もしかして……」

「そう、きっとそれは、私の夢で見たものと同様の記憶だよ」

 

 本当、あの夢にはうんざりさせられる。

 起きる度に見なかったことにしていたが……それにも限界はやってきた。

 ままならないものだ。あれさえなければ……いや、今はいい。

 

「……陰惨で意味ありげな夢を毎晩のように見る度に、私は暁美ほむらというものに疑念を抱くようになった」

 

 当然のことだ。明らかに自分が人殺しをしているような現場を夢に見るのだ。

 夢分析を信じていない常人だって、自身の正気や深層心理を疑うだろうさ。

 

「……以前の私は一体何をしていたのか?」

 

 きっとろくなものではない。

 

「……私は、次第に暁美ほむらの事を忘れ去ろうと考えるようになっていった」

 

 過去を思い出そうと努力するのはやめよう。

 これからは、未来のことだけを考えて生きていこう。

 あるいは、何かしらのトラブルでふと昔の記憶が蘇ったとしても、自分に誇れるような自分になろう。

 そういった考えにシフトしたのは自然なことだったし、文句をつけられるものではない。

 

「だから私は、暁美ほむらのためならばと考えてね。なるべく正義に寄り添い、いつ記憶が戻っても大丈夫なように、純然たる普通の女子中学生として過ごしてきたわけだよ。それが今の私さ」

「……」

「……」

「……」

 

 何故みんな複雑そうな顔をする?

 

「ああ……その頃には杏子とも、夜のゲーセンで会うようになってね。……彼女とはよく夜通し、ゲームをしたものだよ」

「佐倉さんと?」

「じゃあ杏子のことは、結構前から……?」

「ああ、杏子とは……そうだ、杏子は無事か?」

「……うん」

 

 まどかは少し悲しそうな顔で、それでも頷いてくれた。

 

「……そっか」

 

 心の底から安堵する。杏子に関しては腕の傷のこともあって不安だったが、良かった。

 誰も死んではいない。ならば間に合ったということだろう。

 

 本当に良かった。

 

「“暁美ほむら”は忘れ去り、私は暁美ほむらとして、私自身で新たな人生を生きることに決めた」

 

 まどかや仁美たち、学校の友達と過ごして。

 マミと、さやかと共に、魔法少女として生きて。

 

「杏子とも、……そりゃあ考え方の違いだってあったし、衝突もしたけど、彼女ともいつかは仲直りしたかったし……それで、また遊ぶようになればと……私は……そんな日々が、ずっと続くと思っていたのになぁ」

 

 やるせないことだ。

 ソウルジェムが濁りそうになる話だ。

 

 順風満帆といえた。

 日々を生きている実感があった。

 素晴らしい人達とも巡り会えた。

 

「でも」

 

 だというのに。

 

「もう、私は駄目みたいなんだ」

 

 



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マルガレーテのために

 

「もしかして……暁美さん、昨日のことって……」

 

 信じたくはないことだったのだが、きっと。

 

「……元の“暁美ほむら”が、私を侵し始めている。のだと思う」

「そんな」

「一昨日から、私の記憶は途切れ途切れでね。もちろん、自覚に無いだけで同じような兆候はあったのかもしれないけど……はっきりわかるのは一昨日の夕暮れ時からだった」

「……その時に杏子が」

 

 おそらくそうなのだろう。当事者の私が最も事態を把握できていないのが、なんとも情けないことだが。

 

「そして昨日は放課後。魔女を探している時に記憶が切れてしまった」

「その後に、美樹さんの家に……」

「……待って、そんな。おかしいよ、時間がずれてきてるよ」

「!」

 

 気付いたか。まぁ気付くよな。だからこそ私も焦っているのだ。

 

「うん。まどかは鋭いね」

「夕暮れ……放課後……そんな、まさか!」

「そうだ。……暁美ほむらが私を侵食するペースが、早くなっている」

 

 床に置いた自分のソウルジェムを睨む。

 半分黒く濁った私自身の魂が、今この時だけは、とても憎らしい。

 

「最初は断片的な記憶が呼び起こされるだけだった……しかし段々と夢はリアルになり……次は私自身を動かすまでになっている」

「じゃあ、今日のほむらは」

「もう時間がない。次に“暁美ほむら”が現れるのは、放課後を待たずしてになるだろう」

 

 私は石の地面に膝を付き、正座した。

 

「そこで、皆にお願いがある」

 

 言おうと思って開けた口。

 そこから、言葉が出ない。

 

「……――」

 

 私の意志が躊躇を見せたのだろう。

 早速自我を乗っ取られたわけではない。他ならぬ私自身が躊躇ったのだ。情けないことに。

 

「……お願い?」

「何でも言って、私にできることがあるなら!」

 

 ……けど私は立ち止まってはいけない。

 口に出さなくてはいけない。

 さっきも自分で言っただろう。時間がないのだから。

 今、すぐにでも告げなくてはならないのだ。

 

 暁美ほむら。君が勿体ぶる時間はもう残されていないぞ。

 

「……私のソウルジェムを、砕いてほしい」

「!」

「な…っ…そんなことできない!」

「あるいは私自身でやってもいい。が……皆の手で砕いてもらった方がきっと安心できるだろう。私が完全に消え去ったことを……」

「ほむらちゃん!」

「実際、本当に時間がないんだ。もう一人の私ではない、“暁美ほむら”がこの脳を占領して悪事を働く前に、よろしく頼むよ」

 

 私はさっと深く頭を下げた。まるで、あっさりと別れを告げるかのように。

 

 でも嘘だ。

 死にたくない。消えたくない。

 みんなと別れたくなんてない。

 

 それでも仲間を殺すくらいならば、魂を粉々に砕かれて死んだ方がずっとマシだ。

 

「何か方法があるはずでしょ!?」

「そ、そうだよ、もう一人のほむらちゃんだって、説得すれば……!」

「……」

「ねえ、マミさん!?」

「説得……」

 

 必死な二人と違い、マミの方は渋く、悔しそうな表情を浮かべている。

 

「過去の私を説得できると思うかい、マミ」

「……」

 

 苦虫を噛み締めて舌の両端で味わったような顔をして、マミは目を逸らした。

 実際にもう一人の私を見た彼女には、現実的なものが見えているのだろう。

 

「……説得、できる自信……私にはないわ」

「そんな!」

「やってみなきゃ……!」

「失敗すれば、私達も殺されてしまうかもしれないのよ? 私は、皆を危険にさらすような賭けなんてできない……!」

 

 ああ。

 

「……ふふ」

 

 私は幸せ者だ。

 

「ありがとう、マミ」

 

 みんな、私のために涙を流してくれているのだな。

 彼女たちになら、私の魂を差し出しても怖くない。

 

 私には友達がいる。それだけで、死の恐怖を振り切るには十分だ。

 

「……やめて、暁美さん、笑わないで……」

「ソウルジェムを受け取ってくれ」

「ぅう……ほむらちゃん」

「ありがとう、まどか……楽しかった」

 

 本当は“もっと一緒に遊びたかった”と言いたいけれど。

 きっとそれを口にしては、別れられないから。

 

「……」

 

 さやかが私のソウルジェムを、静かに受け取った。

 静かな彼女の表情には、マミよりも、まどかよりも涙で濡れていた。

 

「……さやかちゃん?」

「私が……」

「ありがとう」

 

 決意を込めた綺麗な目だ。

 涙が昼に近い太陽の光をうけ、綺麗に煌めいている。

 

「僕に止める権利なんて無いけれど、貴重な魔法少女を失ってしまうのは痛いなぁ」

「……黙って見てなさい、キュゥべえ」

「やれやれ。まぁ、他の魔法少女に牙を剥くのであれば、それもやむなしかな」

 

 そう。この時ばかりは、感情を排さなければ。

 でなければきっと、多くの人が深刻な火傷を負うだろう。

 

「介錯、よろしく頼むよ」

「……」

 

 さやかは私のソウルジェムを、私よりも少し離れた場所に置き、ソウルジェムを挟んだ向こう側に立った。

 

「……ほむら」

「ん」

「……一度くらい、一緒に戦いたかった」

「……ふふ、だな」

 

 そうだな。せっかくさやかが魔法少女になったのに、共闘せず終いか。

 私はまだ、彼女の晴れ姿を一度も見ていない。

 彼女は、一体どんな姿になったのだろう。

 

「お別れ、早すぎるよ……」

 

 さやかが、幻想的な青い光に包まれる。

 

「……おお」

 

 凛々しい立ち姿だった。

 露出は高めだが、スタイルの良いさやかには似合う衣装だ。

 

「うぐっ……あうぅっ……!」

 

 彼女が右手に握りしめるのは、サーベルだった。

 悪を断ち切る裁きの象徴。

 正しい自分を突き通すための力の道具。

 さやかはその武器を手に、長く魔女たちと渡り合ってゆくのだろう。

 

「……サーベルか。いい武器だ。格好良いよ、さやか」

「ほむらぁ……!」

「そんなに泣いていては、サーベルが上手く当たらないぞ」

「ううっ……うん……!」

「ほら、よく狙って」

 

 さやかがサーベルの柄を握りしめ、大きく真上に掲げた。

 剣先は真下の私のソウルジェムへ狙いを定め、カタカタと小さく震え動いている。

 

 さやかとマミならば、きっと上手くペアを組んでやっていけるはずだ。

 ワルプルギスの夜は……わからないが、私がいなければ、きっと上手い具合に転がるだろう。

 そう信じたい。そう、自分の意識を失う最期くらいは。

 

(……ふふ、“時よ動け、お前は美しいのだから”)

 

 私がいなくとも、私が生きていたかった美しい世界を守る彼女たちがいる。

 魂を差し出すには十分な素晴らしい未来が、私の脳裏には広がっていた。

 

 私がいなければ、それだけで良い。それだけで救われる世界。

 終わってみれば面白いジョークだった。

 ドラムロール、そしてカーテン。

 

「ぁあぁああああああぁあッ!」

 

 サーベルが振り下ろされる。

 

 

 

 ――硬質な音が鳴り響く。

 

 

 ――意識が深い闇の底に……。

 

 

 

 ――……沈まない。

 

 

 

「やめろぉおおおッ!」

「きゃっ……!?」

 

 突如として現れた、赤い影。

 サーベルが槍の一撃で弾かれる。

 さやかの身体は勢いよく突き飛ばされ、屋上に転がった。

 

「やめろよ……やめてくれよ……!」

 

 長い髪を垂れる杏子の小さな背が、顔を上げた私の目の前に、大きく広がっていた。

 

 



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ほとんど煤になったもの

「ほむらにっ……手を出すなぁっ!」

 

 杏子がそこにいた。

 私を守るように、背を向けて。

 おかしなことを、全身全霊で叫びながら。

 

「佐倉、さん……!?」

「え!?」

 

 大きく咆えた杏子が、無茶苦茶に槍を振るってマミ達を遠ざける。

 まるで私を庇うかのように。

 

「杏子……!」

「ううううっ……ほむら、ほむらだよなっ!?」

「……ああ、私だよ、ほむらだよ」

「杏子だよ? わかるよな!? あたしのこと、殺したいわけじゃないんだよな!?」

 

 ……やめてくれよ、杏子。

 私だってね、必死に……自分の思いを押し殺して、決意を固めてたんだぞ。

 

「当たり前だ……! 友達を、殺すわけないだろ!」

 

 なのに……そんなこと言われたら。

 死ぬ決意が、揺らぐじゃないか。

 

「良かった……!」

 

 大粒の涙を流して、杏子は私を抱きしめた。

 

「ほむらぁ……」

「杏子……」

 

 普段の気丈な姿を繕うこともせず、小さな子供のように泣きじゃくる彼女。

 珍しい杏子の一面を見ることができた。

 

 ……けれど。

 

「杏子……駄目だ、離してくれ」

 

 後ろ髪を引かれているわけにはいかないのだ。

 

「……!」

 

 杏子は私を抱きしめたまま、頭をぶんぶんと振って抗議する。

 ポニーテールが顔に当たって痛い。

 

「……杏子……ほむらは……」

「杏子ちゃん……」

「今日はずっと隠れているって言ったのに……」

「うるせぇ……だって……あんなの聞かされて、黙って見てられるかよぉっ!」

「離してくれよ、杏子……私は、本当に時間がなくて……」

「知ってる! 全部知ってるよ! 聞いてたって言ったろ!」

「なら、頼むよ。“暁美ほむら”を野放しにはできないんだ。私のソウルジェムは、早急に砕かなくてはならないんだよ」

「馬鹿野郎! 諦めるんじゃねえよ!」

 

 濡れた吊り目が私を睨む。

 

「……マミ達からみんな聞いたよ、ほむらのことや、魔法少女のことも、みんな。……まどかを契約させちゃいけないってのは、そういうことなんだろ?」

「……そうだよ」

「なら、もう一人の方のほむらがあたしに殺意を抱いたのも頷ける気がするんだ」

「え?」

 

 何を頷けるというのか。

 

「ほむらじゃない方のあんたは、あたしだけに殺意を抱いていた。マミやさやかには手を出さなかったし、まどかにだって」

「……それは」

「つまり、あたしだけを殺したい理由が、ほむらにはあったんだ。……なら、説得できるかもしれないだろ……!」

「無茶だ! 暁美ほむらは危険で……」

「最悪の場合でも、まだ正義を持ってる理性のあるやつならさ……殺されるのは私だけで済む。だろ?」

「杏子、離せ! 本当に危険だぞ!」

「……嫌だ!」

 

 私の背に腕を回し、杏子は頑なに離そうとはしない。

 逃れられない。これでは、時を止めても無意味だ。

 周りの、力を借りるしか……。

 

「マミ、さやか、杏子を……!」

「……佐倉さん!」

 

 一番危険さを理解しているであろうマミが動いた。

 しかし。

 

「みんな助かるかもしれないんだぞ!?」

「!」

 

 その言葉で、止められる。

 

「ほむら一人だけを死なせるなんて、そんなの絶対に許さない!」

「!」

 

 頭痛がよぎる。

 意識が掠れてゆく。

 既視感が思考を塗りつぶしてゆく

 

 

 ――ひとりぼっちは――

 

 

「ぁ……あぁあっ……!」

 

 

 私の自意識が、肩を掴まれ、後ろへと追いやられる。

 そして、黒い靄のようなもう一人の私が前に出て……――。

 

 

 

「――……」

 

 

 

 

 暑い。

 佐倉杏子の体温が、早い鼓動が、小さな震えが、全身から私に伝わってくる。

 

 小さい身体。不意に強く抱きしめれば、そのまま折れてしまいそう。

 

「……ほむら?」

「……」

 

 あたたかい。

 人肌が心地良い。

 

 けれど、人は死ねば一日と経たずに常温に染まるのよ。

 

「……佐倉杏子」

「!」

 

 私の呼びかけに、マミは身構え、杏子は身体を大きく震わせて反応した。

 私の異変を感じ取ったのだろう。

 

 私が“暁美ほむら”に成り変わったことを。

 

「……ねえ佐倉杏子。私を説得すると、確かにそう言ったわね」

「……!」

 

 腕を杏子の背中から、うなじへと回す。

 すると、小刻みな震えは更に大きくなった。

 

「ほむら……!?」

「私は佐倉杏子に聞いているのよ、美樹さやか」

「! ほ、ほむらちゃん……」

 

 二人もようやく私の豹変ぶりに気付いた。

 

 

 ふふ。

 誰もが私を恐れている。

 

 それも、当然のことだけれど。

 

「ねえ、杏子。これ、私のソウルジェム……わかるわよね?」

「……」

 

 彼女からは見えないだろうけど、拾い上げた紫のソウルジェムをちらつかせて見せた。

 

「変身すれば、貴女を殺すことなんて訳ないわ。たとえ、この状態からでもね」

 

 もうひとりの私は無抵抗だったけれど、やりようはいくらでもある。

 

「……そうかい」

「へえ、貴女はそれでも良いと?」

「……ああ。いいよ」

「!」

 

 両肩を掴み、彼女の身体を無理やりに引き剥がす。

 

 私は、杏子の目を見なければならなかった。

 目を見て、杏子の心の真贋を見抜かなくてはならなかった。

 

「なぜ……そんなことを言うの?」

「……あたしは、ほむらからそうされるだけのことをしてきたし、もしかしたら、これからやっちまいそうにもなった」

「……!」

「それがいけなかったんだろ? ほむらにとっては……話聞いた後は、なんていうか……ちょっと、わかるんだよ」

 

 嘘をついていない目。

 純真で濁りの無い目。

 打算も何もない、佐倉杏子にあるまじき目をしている。

 

「だから、あたしを殺して、それで“ほむら”の気が済むなら……」

「ぁ……」

 

 やめて。

 

 そんな目で見ないで。

 

 私は、誰からも許されることなんてしていない。

 本当は、許される人間じゃないのは私の方なのに。

 

「いいよ。あたしを殺して」

「や、やめてぇええ!」

 

 堪え切れず、杏子の胸を突き飛ばした。

 

 勢いよく押された杏子は、静かに床に打ちつけられる。

 

「っ、たぁ……」

「……あ」

 

 痛そうな表情。

 でもなぜだろう。その表情がとても、静かで。

 まるで罰を受け入れているかのような、そんな。

 

「ぁ、な、なんでよ、なんで今、そん、そんなこと言うの」

 

 自分のソウルジェムを血が滲みそうなほど握り締める。

 

 二歩も、三歩も後ろに退く。

 

 距離を取りたかった。一刻も早く、杏子から離れたかった。

 

 でも杏子の穏やかな目線は、決して私を逃がさない。

 

「……殺さないのか? ほむら……」

「む、無理よ……いや……そんな」

 

 この杏子はもう、だめだ。

 私はもう、この杏子に手を上げることなんてできない。

 

 そんなことをしてしまえば、私の心は……!

 

「ぁあ……!」

 

 そして代わる代わるにやってくる、後悔の波。

 杏子への暴力。殺意への大きな後悔が、反動として襲ってくる。

 

 もう駄目だ。

 とても私は、彼女を見ることなどできない。

 

 この時間で、心を保つことなんて……――。

 

 

「――うわぁぁああぁあッ!」

 

 

 *tick*

 

 

 逃げないと。

 

 グリーフシードを集めないと。

 

 

 考えては駄目。

 

 考えては駄目……。

 

 



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第九章 私の心に巣食った死神
息苦しさの中で


 

「ほむらっ……!」

 

 杏子の手は空を切った。

 ほむらの姿は忽然と消え、居なくなってしまったのである。

 

「……消えた」

「瞬間移動が彼女の能力なのかな?」

「今はそんなこと、どうでもいいわ」

 

 さやかの端的なつぶやきにキュゥべえが冷淡な分析をしてみせたが、それはマミの気分を害したようだった。

 

「……杏子ちゃん、大丈夫?」

「あ、ああ……いや、私よりもさやか、ごめん」

「ははは……大丈夫、大丈夫。ちょっと頭打ったけどさ」

 

 咄嗟のこととはいえ、突き飛ばされたさやかは硬い地面に頭を打ち付けていた。

 魔法少女であったからまだ無傷ともいえる状態だが、生身であればそうはいかなかっただろう。

 

「……みんな、ごめん。ほむら、どっか行っちまったよ」

「ううん、謝ることなんてないでしょ」

「そうかな……」

「うん、私はむしろ、杏子が止めてくれて……正直さ、ほっとしちゃった」

 

 さやかはおどけた風に肩を竦ませ、大きく息を吐いた。

 

「……ほむらを手にかけるのが、本当はすっごく怖かったんだ」

「さやかちゃん……無茶しちゃ、駄目だよ……」

「ははは、そうだね……私、やっぱりヒーローぶりすぎなのかもしれないわ」

 

 ソウルジェムを砕く。それは、魂を砕くということだ。

 さやかはあのまま杏子が止めに入らなければ、きっとそのままサーベルを振り下ろしていたに違いない。

 だがあの一閃は覚悟だけでなく、ほとんど焦りや勢いが篭っていたものだった。

 もしも、ソウルジェムを砕いていたら。さやかは、きっと後悔していたことだろう。

 

「……それに、それだけじゃない。まだほむらが、何にでも襲いかかるような狂人じゃないって解って良かったよ」

「そうね……あの暁美さんの様子、ただ事ではないけれど、佐倉さんに敵意を向けることに躊躇しているように見えたわ」

 

 マミの言葉に、まどかやさやかも頷いている。

 その意志も、きっと共有されているはずだ。

 杏子もまた、周りを見回して頷いた。

 

「……みんな、ほむらを探したいんだ」

「うん」

「ええ、もちろんよ」

「……うん」

「私の友達なんだ……お願いだ、手伝ってくれ」

「……私も、あの、何も力になれないかもしれないけど」

「そんなことない。力がないだなんて言うなよ」

 

 おずおずと自信無さそうにしているまどかの頭を優しく撫で、杏子は微笑んだ。

 

「アタシは嬉しいよ、ホントにありがとう、まどか」

「……てぃひひ」

 

 ほむらについて、今日だけでもわかったことは多い。

 問題もある。しかし、それもきっと、どうにもならないことではないはずだ。

 少なくとも、この場に目的を同じくする仲間が集まっている。

 

 不鮮明な状況の中で、まどか達は自分たちが正しい一歩を共に踏み出せたことを実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本の魔女。

 

 結界に入り、本の階段を駆け上る。

 足下を狙って飛来する栞のナイフたちを盾で強引に弾き退け、なおもハードカバーを上ってゆく。

 

 階段の最上部では、開きっぱなしの巨大な本が、はらりはらりとページをめくっていた。

 そこに挟まれていた二枚の栞が宙に浮いて、燕のように階段のすれすれを飛びながら、こちらに向かってくる。

 

「邪魔しないで」

 

 盾をまさぐり、ロングソードを抜き放つ。

 使い魔が射出した栞のナイフを一凪ぎで消し去り、更に距離を詰める。

 

「はっ!」

 

 横に並び、使い魔を同時に両断する。難しいことはない。

 紙切れのように静かに揺られて落下する使い魔は、階段の脇から結界の下へと落ちていった。

 下にどのような空間が広がっているかなど、私は知らない。知っても意味は無い。

 落ちることなどないのだから。

 

「prrrrrrr……」

 

 魔女。つまり階段の最上部に居座る巨大な本は、再び自身のページをめくる。

 中身から、何かを探し始めたのだろう。

 

 

 *tick*

 

 

 次に何かが来られても面倒なので、先手必勝の一撃を決めることにする。

 

 

 *tack*

 

 

「……!?」

 

ページをめくる動作は、ナイフ五本で容易く縫い付けられた。

 致命的な隙だ。本体が動けないならば、尚更に。

 

「嫌だわ、紙を切ると切れ味が落ちるのに」

 

 ロングソードを無防備な魔女の中心に振り下ろす。

 

 これで。まずはグリーフシードをひとつ。

 

 

 

 

 

ルチャの魔女。

 

「Yeahhhhhhhhhhhhhhh!」

 

 この結界には通路がない。その分、魔女自体が巨大で、強力だ。

 特撮でよく見るような巨人ほどではないが、ちょっとした二階建の民家ほどの人型の魔女が、空から大の字を広げて落ちてくる。

 

 

 *tick*

 

 

 オレンジと水色の毒々しい模様の全身タイツに、同じ色の笑顔を浮かべる巨人。

 この魔女のボディプレスをまともに受ければ、どんな魔法少女でも確実に即死だろう。

 初撃に対応できるかどうかが、この魔女との戦う上でのポイントだ。

 要するに、私にとっての雑魚。

 

 

 *tack*

 

 

「GoaaaaAaaAAaaaa!?」

 

 単純な攻撃しかできない魔女に対して、私が何らかの引けを取るはずもない。

 時間を停止して、盾の中に無駄に入っていた刃物を床に固定するだけで、魔女は容易く手玉に取れた。

 

 身体の全面に無数に刺さる刃。傷口からは、赤と青の体液がとめどなく流れる。

 

「OhhhHhhhh……!」

「まだまだ“あいつ”と比べれば、あなたなんてサンドバッグよ」

 

 勿体ないが、巨体を葬るには大きなエネルギーが必要だったので、ガソリンによる大爆発で、一方的な戦いは終結した。

 

 グリーフシードは落ちなかった。

 武器を使ったから、反則負けなのかしら。ふふ。

 

 くそ。

 

 

 

 

 

 影の魔女。

 

 巨大な石膏像が伸べる手の先に握られた松明。

 その前で跪き、祈る黒い女の姿。

 

 象徴的。ある意味献身的。

 けど祈りなんてものは無意味で、愚かだ。

 

 少なくとも地に膝を付けている時点で、他者に運命を委ねきっている。

 立たない者に良い報いなどくるものか。

 

 私はそれを信じ続けたい。

 だからこの魔女の暗示するものは嫌いだった。

 

 

 *tick*

 

 

「これが私なりの救いよ」

 

 

 *tack*

 

 

 時間停止を解除した時、私の目の前には黒いサボテンが佇んでいた。

 黒い身体に鈍色の刃物が無数に生えた、いびつなサボテン。

 

 結界は間もなくひび割れ、崩壊を始める。サボテンもまた、跡形もなく崩れていった。

 

 グリーフシード、ふたつめ。

 

 

 

 

 

 

 海月の魔女。

 

 能面のような単色の夜空に、等間隔で眩しい星が浮かんでいる。

 

 一面は大海原。

 結界に地面らしい地面はなく、海には正方形の木箱がいくつも浮かんでいるだけだった。

 

「OhhHHhHhh……」

「はあ、面倒くさい」

 

 海面に顔を出した半透明の半球。そして隻眼。

 高さでいえば先程のルチャの魔女と同じだが、足場が悪い分、戦い難い相手になる。

 

 火器類があれば容易いものだけど、今は持ち合わせが少ない。

 どこかの暴力事務所から漁ってきた散弾銃と拳銃程度か。これではどうしようもない。

 

 だから私は、余りに余った刀剣類を投げるという、ひどく原始的な戦い方を選んだ。

 

「っ……!」

 

 カットラスは回転させながらでも効果的に投げることができ、思いの外扱い易かった。

 けれど私は“あのほむら”のように、こんなものを主軸に戦いたくはない。

 こんな大きさだけの弱い魔女など、RPGだけでもあれば事足りるのに。

 

「GuGaaaHhhHhhhh……」

「ふん」

 

 結局、足場を変えて攻撃を避けつつ刀剣を投げるだけで、たった四分で魔女は倒れた。

 大きな一つ目が唯一の弱点であることは知っていたから。

 

 グリーフシード、みっつめ。

 

 これくらいで、急場は凌げるわね。

 

 



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解けなかったクロスワードを貴女に

 

 自室。

 

 グリーフシードでソウルジェムの濁りを拭った私は、毛布の上に倒れ込んだ。

 

 そして、毛布を身体に巻きつける。

 外の世界を遮断するために。自分の世界に篭るために。

 

 いつからだろう。こうしておかないと、私は心を保てなくなってしまった。

 どこかで聞いた気がする僅かな物音や騒音が引き金となり、記憶を誘発し……心を乱してしまうから。

 

「……」

 

 そして暗い毛布の中で、自分のソウルジェムの輝きを抱いて瞑想に耽る。

 自らの魂すらも監視して、異常があればすぐに処置を施すためだ。

 

 バカみたいな話。

 近頃の最大の敵は、自分自身なのだから。

 

「にゃぁ……」

「!」

 

 毛布の中に黒猫が入りこんできた。

 

 見覚えのある猫だ。今までに何度も何度も助けてきた、私にとって縁の深い猫。

 

「エイミー……」

「にゃ……」

「……そっか。今はワトソン、っていうんだっけ」

 

 ソウルジェムが瞬いた。

 ……いけない。自分に嫉妬してしまうなんて。

 

「……」

 

 このままではいけない。

 もう私は限界を感じたのだ。

 全てを、私に託さなくてはいけないのだ。

 

 他ならぬ私のために。

 

 まどかのために。

 

「……」

 

 ソウルジェムを左手で握り込み、耳にあてがう。

 それは海辺で拾った貝殻のように、魂の流れをささやかな音に変える。

 

 私の脳には……いや、魂には。二つの人格が存在する。

 

 ひとつは限定的で、主に“この世界”の記憶しか持っていない、もう一人の私。

 もうひとつは、それを内包する全ての私。

 

 限定的な方の“暁美ほむら”へと、私のコントロールが移った時。

 全ては彼女に託されたはずだった。

 私が持つ負の記憶を全て忘れ、全てを捨てて生きるはずだった。

 

 けれど、どういう巡り合わせか、彼女は綺麗な道筋を作り、わざわざ私が立てた“立ち入り禁止”を蹴飛ばして、今のここまできてしまった。

 

 暁美ほむらは、やっぱりまどかと出会う運命なのだろうか。

 それもまた因果だとでも……。

 

「……身勝手なあなたなら、身勝手に運命の輪を外れてくれると思ったのに」

 

 記憶の葉を揺らし、枝をゆらし、最後には木をも揺らしてしまった。私を呼び覚ましてしまった。

 結果として、全てが台無しになった。

 

 けどそれは私にも責のあること。

 私がケアをしなくてはならないこと。

 

 ……私が、後片付けをしなくては。

 

 

 

 

 ――――――

 

 ――――

 

 ――

 

 

 

 意識が部屋に落ちる。

 

 私の過去の部屋。

 

 歪んだソファーと、漂うイメージフレームがあるだけの、空虚な部屋。

 

 私の頭の中だけにある、私の心の隙間(ひび割れ)のひとつ。

 

 ここに来れば、また彼女に会えるのだろう。

 

 

 

『突然ここへ飛ばされたのが一つ目に驚いたこと。そして来てみたはいいが、先に君がいなかったことが二つ目だよ、暁美ほむら。君はいつも、先にこの部屋で待っていたのにね』

 

 シルクハットを被り、ステッキを携えた私がソファーに座っていた。

 彼女は足を組み、余裕ありげにそこに存在している。

 

 私は黙って、彼女と向かい側のソファーに腰を落とした。

 

『何度となく君と出会った事はある。しかし、私は君を抽象的な深層心理くらいにしか考えていなかったよ』

『……』

 

 饒舌。

 

『でも昨日わかった。……ここは君、暁美ほむらの世界なのだとね』

『……』

『そして君は、何故私が君と会話ができるのかは不思議だが、間違いなく私と同じ、“暁美ほむら”だ』

 

 得意げに話す様は、誰にも似ていない。

 少なくとも私ではないみたいだし、前例となるような人格は、誰と例えようもない。

 

 私なのに、初めて見るようなタイプの人。

 それが、この“暁美ほむら”だった。

 

『……君と対話ができるのなら、聞きたいことは結構ある。……いいかな』

『……ええ』

 

 もとより、私はそのつもりだった。

 

『身近なことから聞こう……どうして、杏子を殺そうなんて酔狂なことをしようと思ったんだ?』

『……私の、為よ』

 

 杏子。いけない。あの目を思い出す。

 

『杏子を殺して何のメリットがあるというんだ。まどかを魔法少女に勧誘したからか?』

『……間接的にはそう、けど直接的な理由が他にあったから』

『ほう』

『ただ、それを説明する時間は無い……こんな短い夢の中じゃ、いつまで経っても終わらない話が続くわ』

『……』

 

 彼女は訝しげに私を見つめ、手の中のステッキを弄んでいる。

 

『安心しなさい。彼女は無事。もう杏子には手を出さないから』

『! 本当か?』

『ええ、もうそんな気分じゃなくなったもの』

『気分……だと』

 

 向かい側の私の目つきが鋭くなる。

 ステッキが手放され、床に落ちて高い音が響く。

 

『君は、気分で杏子を殺すのか。暁美ほむら』

 

 じゃきん。と、盾の中から取り出されたのは、一本のカットラス。

 彼女は立ち上がって、鋭利な刃を私の首元に突きつけている。

 

『物騒なものを仕舞ってくれないかしら。魔力の無いその武器では、無駄よ』

『ここで君を殺せば、暁美ほむらはどうなるのかな』

『どうにもならないわ。貴女の目覚めが悪夢になってるだけ。この空間について何も知らない貴女に、どうこうできるのかしらね』

『……』

 

 納得がいかない。もどかしい。

 彼女はそんな顔をしている。

 

『……言ったでしょう。杏子は無事だし、誰も怪我はしてないわ』

『! ……そうか』

『ええ。貴女は私を、魔法少女を殺し続ける殺人鬼か何かと勘違いしているのだろうけど……いえ、でも合っているのかしらね』

 

 紛れもなく私は、人殺しなのだから。

 

『……君は、魔法少女を殺した事があるんだろう』

『ええ、あるわ』

『今まで』

『“数えるのをやめるくらい”』

『……』

『……ふふ、でも良いのよそれは。仕方のない事だったから』

『……君がわからないよ、暁美ほむら』

『?』

 

 もう一人の私が深く息をつく。

 

『私は君の為にあらゆる事を頑張ってきたつもりだ。けど、私は途中から君の為に努力することを放棄してしまった』

『……何の努力もする必要はなかったわ』

『厚意を無駄にするなよ、そして応えてほしかった』

 

 寂しそうな目で、見られてもね。

 

『……君は、魔法少女だが……それでも、普通の女子中学生として生きることもできただろうに』

 

 ……――。

 

『………………何も知らないくせに』

『!』

『知ったような口を聞かないでよ!? 私がどれだけ普通の女子中学生として生きたいと、今まで願ってきたか!』

『お、おい』

『何度も何度も私は頑張ってきたの! 貴女のやってきたことなんて些細! 私と比べれば、貴女なんて……!』

 

 怒鳴り散らした私の手が、彼女の両手に掴まれる。

 

 離せ。そう叫んでやりたかった。

 でも。

 

『……そうだな』

『……!』

 

 彼女は悲しそうに微笑んでみせる。

 

『……すまない、私は何も知らないのに、軽率だったよ』

 

 私の手は、暖かかった。

 

 ……沸騰した精神が落ち着いてくる。

 ……大人げない。彼女は、何も知らないというのに。

 

『なあ、暁美ほむら……私はこのまま、どんどん私の時間を失って……消え去ってしまうのかな?』

 

 手を握りながら尋ねる彼女は、憂いある表情を浮かべていた。

 

『……ええ、このままだと、そうね』

『そうか……』

 

 諦めの笑みは、自分でも見ていて辛いものがある。

 

『君は、この……私の記憶も持っているのかな?』

『ええ……おかしなことばかりの、変な記憶だけどね』

『なに? どこがだ』

 

 本当にこの私は“なに?”という顔をするから、こっちが不思議に思う。

 首を傾げたいのはこちらの方だ。

 貴女は本当に私なのか、と。

 

『……けれど、このまま何もしなければ、という事でもあるの』

『え?』

『手段がないわけではないのよ』

『しゅ、手段とはつまり』

 

 興奮しないで頂戴。手が痛いわ。

 

『……あなたが、見聞きして、歩いて、感じて……主導権をもって、私を動かせる時間を手に入れる……そういう手段よ』

『本当か!?』

 

 そう。私はそのために、彼女に会いにやって来たのだ。

 

『頼む。お願いだ。君の全ての時間が欲しいとは言わない』

『……』

『少しでも良い、マミたちと一緒に過ごせる時間を、私にも分けて欲しい! 頼む!』

『……謙虚ね』

『え?』

『私の時間、全て欲しくは無いの?』

『……欲しくない、と言ったら嘘になるな』

 

 彼女はシルクハットを取って、頭をかいた。

 

『でも暁美ほむら、君が悪い魔法少女でないと……今なら、信じられるんだ。なんとなくね』

『……そうかしら』

『元はと言えば、この身体は君のものだ。君が良い人であるならば……そんな君から時間を取ろうとする事自体、私の傲慢な願いでもある』

『そんなことないわ。……貴女だって、私なんだもの。私の時間を有する権利はある』

『……』

『“そうは思えない”って顔をしているわね』

 

 せっかくのまっさらな人生なのだから、好きにしたら良いのに。

 ……でも、そうね。悩んでいるのなら、丁度いい。

 

『大丈夫よ。どうせこれから、貴女は全てを知ることになるのだから』

『……?』

 

 私は立ち上がり、左腕を見せつけた。

 

『……ねえ、貴女はこれを何だと思ってた?』

 

 銀色に輝く円盤の盾。

 それを指し示すと、彼女は少しだけ眉を歪めた。

 

『それは……時を止められる盾だろう』

『そうね。時を止められる盾……けど同時に、これは砂時計でもあるの』

『砂時計?』

『ええ、砂時計……ひっくり返して、落ちた時間をさらさらと戻すことのできる砂時計』

 

 中に入っている砂は限定的。

 ここからここまで。容量は既に決まっている。

 

『……時間操作……』

『この魔法を手にした時から、私の迷走は始まっていたのよ』

『どういうことだ』

『それを今から知るのよ、“暁美ほむら”』

 

 盾から拳銃を取り出す。

 使い慣れた拳銃(ベレッタ)だ。

 

『……何を』

『今から貴女に撃つのは、ただの弾じゃない。私の魔力を込めた、魔法の弾……貴女と、それを包む私との間の壁を取り払う弾よ』

『意味がわからな……』

 

 言葉を遮り、銃口を暁美ほむらの右こめかみに押し当てる。

 

『……』

 

 冷や汗が黒い銃口に垂れた。

 

『境界が消え去れば、貴女は私に戻れるわ……ただし荒療治になるから、二人の“暁美ほむら”の記憶が混じって、全ての記憶を共有することになるけどね』

 

 二度も使う魔法ではない。

 本来、こうして使いたい手段ではなかったのだ。

 

『その後、私は風穴を空けた人格を潜り、再び奥底に篭って眠りにつく……まあ、とにかく撃てばわかるわ』

『な、なあ、少し心の準備を―――』

『大丈夫よ、理解するのは一瞬だもの』

 

 本来こうして講釈する必要もないのだ。

 それでも口頭で示すのは、ちょっとしたこちらの親切心に過ぎない。

 

『そして、……自分に押し付けるなんて、最低だとわかっているけど……記憶を見ても、どうか耐えて』

 

 同時に、謝罪でもある。

 

『……私はもう、“暁美ほむら”として生きてはゆけない。私は……貴女を信じるしか、道がないのよ』

 

 

 ――タァン。

 

 

 軽い音と共に、魔法の銃弾は暁美ほむらの側頭部を打ち抜いた。

 



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私の、最高の、

 

 ―――

 

 ――――――

 

 ――――――――――――

 

 

「ほむらちゃん、ごめんね。私、魔法少女になる」

 

 瓦礫が吹き荒ぶ空を背にして、最愛の彼女はそう告げた。

 

「まどか……そんな……」

 

 鹿目まどか。私の、たった一人だけの、大切な友達。

 

「私、やっとわかったの……叶えたい願いごと見つけたの。だからそのために、この命を使うね」

「やめて!」

 

 私は叫ぶ。

 確かに、絶望的な状況だ。どうしようもない。そんなのわかりきっている。

 

 ワルプルギスの夜は見滝原を壊し尽くしてしまったし、他の魔法少女だってみんな死んでしまった。

 私自身も、今や時間停止も使えず、装備の殆どを失い、コンクリートの塊に足を囚われている。

 

 詰みだ。何もかも。

 けど、それでも、いけないのよ。

 まどか、貴女が契約したのでは、何もかも……。

 

「それじゃあ……それじゃあ私は、何のために……」

 

 何のために、今までやってきたというの。

 私はただ、貴女だけを救いたかったのに。

 

「ごめん。ホントにごめん」

 

 謝らないで。

 どうして貴女は、私の差し伸べる手を弾いてしまうの。

 

「……これまでずっと、ずっとずっと、ほむらちゃんに守られて、望まれてきたから、今の私があるんだと思う」

 

 お願いよ、まどか。

 

「ホントにごめん」

 

 謝らないで。私に守らせて。

 

「そんな私が、やっと見つけ出した答えなの。信じて」

 

 契約しては駄目。

 貴女が……貴女がそう、私に懇願したの。

 あの時のまどかだって、本物の貴女だったのよ?

 

「絶対に、今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」

「まどか……」

 

 いけない。

 

 無駄になる。

 

 まどかはまた、魔女になる。

 

 私はまた、まどかを守れずに終わってしまう。

 

「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった君なら、どんな途方もない望みだろうと、叶えられるだろう」

 

 嫌だ。

 

「本当だね?」

 

 そんなの嫌だ。

 

「さあ、鹿目まどか――その魂を代価にして、君は何を願う?」

 

 そんな未来、絶対に許さない。

 

「私……」

 

 そんなの私の望む未来じゃない。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

 まどかの望んだ結末じゃない。

 

「全ての――」

 

 それは、まどかの望んだ未来じゃない!

 

「うあああああああッ!」

 

 左手のすぐそばに転がっていた石片を、思い切り投げる。

 一番近くにあった、一番殺傷力のありそうな石。鈍器。ただそれだけのもの。

 

「きゅブっ」

「きゃっ!?」

 

 でも、魔法少女の力ならそれだけでも十分。

 まどかに契約を持ちかけようと目論むインキュベーターの顔面は、風船のように弾け散った。

 

「あ……ほ、ほむらちゃん?」

「はーっ……はーっ……!」

 

 ……させない。

 

 この腕が一本だけしか動かなくなったとしても。

 絶対に、まどかに契約はさせない。

 

「今は大事な時なんだ、邪魔しないでほしいな」

 

 それでも、インキュベーターはしつこく現れる。

 殺しても意味はない。連中は無限だ。

 

 わかっている。

 それでも私は、立ち止まるわけにはいかないのだ。

 

「さあ、まど――」

「ぁああぁああっ!」

 

 再びの投擲。

 石はインキュベーターに命中し、胴体を喰い破った。

 

「ほむらちゃん……」

「駄目よ……絶対に駄目……! まどか! どうしてわかってくれないの!?」

「わからないのはこっちの方だよ、暁美ほむら。契約するかしないかを決めるのは、当人次第だというのに」

「うるさい! 絶対にさせない! 絶対に!」

 

 まどかに契約させてしまったら、終わるのだ。

 それだけは阻止しなければならない。

 

 どんな手段を用いてでも……!

 

「……ごめんね」

「!」

「ごめんね、ほむらちゃん……それでも私は……」

「やめて…!」

「さあ鹿目まどか、君の願いを……」

「やめて!」

 

 盾を開き、ショットガンを取り出す。

 先台を片手で、勢いだけでスライドさせて、白い悪魔へ合わせ、放つ。

 

「ひっ!」

 

 大きな音と大きな反動と共に、インキュベーターは跡形もない肉片となって飛び散った。

 

「はぁ……!」

 

 深い息と共に銃を降ろす。

 

 ……諦めない。絶対に。

 私は何度だって、この銃であいつを撃ち抜いて見せる。

 

 銃がなければ石で。石がなければ、地面を砕いて礫を作ってでも。

 

「まどか……お願い」

 

 まどかを守れればいいの。

 たったそれだけ。

 

 私は、それだけが……まどかさえ無事であれば、良いのに。

 優しすぎる彼女は、いつだってそれを受け入れてくれないのだ。

 

「……ほむらちゃん」

 

 まどかは悲壮な顔をしている。

 

 ……いいえ、それよりかは、困ったような表情だった。

 駄々をこねる私という子供を相手にして、困っているような、そんな。

 

「お願いよ、まどか……私に、守らせてよ……」

 

 でも、子供でも……聞き分けがなくても……貴女の目にわがままに映っても、それでも良いの。

 

「……ほむらちゃん、」

 

 

 貴女が生きてくれるなら――

 

 

「私の叶えたい願いはね、」

 

 

 そこまで言って。

 まどかは、私の視界から消えた。

 

「―――え」

 

 そのかわりに視界に飛びこんできたのは、巨大な鉄骨をむき出しにした、鉄筋ビルの破片。

 少し遅れてやってきた喧しい音は、がりがりと壁面を削りながら私の後方へと流れ去ってゆく。

 

「あ、あ……」

 

 先程まで、まどかの立っていた場所には、大きな破壊の爪跡と。

 

 ――血だまり。

 

「ぁあぁああああぁああぁッ!」

 

 まどかがいない。

 まどかはどこにいった。

 

 なんで? どうして、だってさっきまで、そこに。

 

 私は手榴弾で脚を破砕し、彼女を探した。

 

「まどか……まどかぁっ……」

 

 脚から血が流れ出る。そんなことはどうだっていい。脚なんてなくても生きていける。

 

 まどか。まどかはどこ?

 

 さっきまであっちに立っていたはずなのに。

 

「まどか! 急いで願い事を! まどか!」

「!」

 

 性懲りもないインキュベーターの声が近くで響く。

 感情が無いはずの奴の声は、ひどく切迫しているように聞こえた。

 

 あっちにまどかがいるんだ。まどか。

 

「まどか! 何でも良い、願い事を! 自分の命でも、君ならなんだって叶えられるんだ!」

「……!」

 

 いた。

 奴に言い寄られる、血まみれの彼女が。

 

 凄惨な姿だった。

 

 灰色の破片はまどかの下半身をすり潰しており、腕は削がれ……。

 さっきまで活き活きとしていたはずのまどかの顔には、半分皮膚が無かった。

 

「まどか……!」

 

 酷い状態。それでも尚、自分たちのために勧誘を続けるインキュベーターの姿は、まさに悪魔と言う他ない。

 

「あ、ぁああ、まどか! まどかぁ! 起きて、起きてよ……!」

 

 助けなければ。

 まどかのもとに擦り寄って、彼女の肩を掴み、声をかける。治癒魔法もかける。

 でも、彼女は反応を示さない。

 

 口元がわずかに、開いたり、閉じたりするだけ。

 けど。

 

「……、……」

「……っ!」

 

 涙を湛える彼女の虚ろな目は、私には“無念”を示していているように見えた。

 

「……やれやれ、なんてことだ」

 

 それが、最後だった。

 まどかは、それきり動かなくなった。

 

「まど、か……」

 

 強い意志をもっていた先程までの彼女の双眸が、光を宿していない。

 汚らしい色をした血で汚れ、煤け、まどかは一瞬のうちに、死んでしまった。

 

「君の時間稼ぎも無駄ではなかったみたいだね、暁美ほむら……完敗だよ」

「っ!?」

 

 思いもよらぬ言葉と、赤い目が私を刺す。

 

「まさか、あんな時間稼ぎで僕の契約を阻止するなんてね。……まさか、これも計画のうちだったというのかい?」

「ち、ちが、私は……」

「契約する前の鹿目まどかはただの少女……その時点で殺してしまえば、彼女は契約なんてできなくなる……さすがの僕も、魂を持たない死者とは契約はできないからね」

「私は殺してない、違う……! 違うの……そんなつもりじゃなかったの!」

 

 嘘だ。私じゃない。ワルプルギスの流れ弾が。

 

「結果として鹿目まどかは死んだ。時間稼ぎをした君に殺されたようなものじゃないか」

「ぐぁ……あ……あぁ……」

 

 違う。嘘よ。そんなの。

 

「やれやれ、せっかくワルプルギスの力を利用できると思ったのにな。まどかのような素質の魔法少女はもう居ないし」

「まどかぁあああぁああっ!」

 

 もう。私は、もう立ち止まれない。

 

 このまま死ぬことなんてできない。

 

 魔女になんかなれない。

 

 因果がなんだというの。関係ない。

 

 もう止まれない。

 

 まどかを。まどかを助けないと。

 

 早くまどかを助けないと……!

 

 

 

 砂時計が、反転する。

 

 



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繰り返す悪夢の終点

 

 

 ――――――

 

 

 

「あ……」

 

 自分でも驚くくらい情けない声をあげながら、私は目を醒ました。

 見上げる天井は、飽きるほどに繰り返した敗北の証。

 いつもの、陰鬱な病院のベッドの上だ。

 

 私はまた、過去へ。この時間に戻ったのだ。

 ……まどかとの出会いをやり直すために。

 

「あ、ぐぁ、あ……ああ……まどか……」

 

 手で顔を覆う。かつてない後悔と自責の念が胸を焼く。

 

 このまま、愚かな自分の手を噛み砕いてしまいたい。

 ……私はなんてことをしてしまったのだろう。

 

 私は今まで、まどかのためにとやってきた。

 同じ時間を繰り返し、巻き戻し。

 彼女を守るためと自分に言い張って、何度でも、何度でも。

 

 けれど、私の行為は正当化できるものなのだろうか。

 やっていることは結局、何度も何度も時間を巻き戻して、一人の少女の願いを否定し続けているだけなのに。

 失敗しては、彼女を殺し続けているだけなのに。

 

「ごめんね……ごめんね、まどか……ごめんね……!」

 

 最後の時。インキュベーターの言っていたことは、まさにその通りだ。

 

 あの時のまどかは。

 あの、まどかは……紛れもなく、この私が殺したようなものだ。

 

「……!」

 

 そこまで自責の念を渦巻かせて、気がついた。

 自分のソウルジェムが既に濁って、限界に近い事に。

 

「ぁああ! い、急がないとっ!」

 

 私は部屋を窓から抜け出し、ここから最も近い魔女のもとへと向かった。

 

 悔やむ暇すらない。

 グリーフシードを手に入れなくちゃ。

 

 

 

 それから、地獄の日々が始まった。

 

 やること自体は変わらない。

 まどかを契約させないこと。ワルプルギスを撃破するために準備を整えること。それこそが、この一ヶ月以内にクリアしなければならない最重要タスクであり、私の本懐だ。

 

 けれど、今回は違う。

 淡々と日々のノルマをこなそうとしても、毎晩の夢に、あの日のまどかが出てくるのだ。

 

 まどかの、死に際の虚ろな瞳が私に語りかけてくる。

 

 “どうして私を殺したの?”と。

 

 私はそのたびに、明け方前に汗だくで起き上がる。

 計画を無駄なく遂行するために設定していた目覚ましは三日も経たずに必要なくなった。

 どうせ、ろくに眠れやしないから。

 

 けれど。

 けれどまどかに会えば、きっと大丈夫。

 

 私はまた、まどかを守れる。

 今度こそ、きっとまどかを守ってみせる。

 もうあの時のような失敗はしない。まどかを殺したりなんかしない。

 貴女と出会い、貴女を守る。

 そこからまた、私の闘いが始まると信じて。

 

 ……そんな私のささやかな希望が辛うじて形を保っていたのは、学校での自己紹介の時までだった。

 

 

 

「じゃ、暁美さん、いらっしゃい」

 

 飽くほど繰り返した転校初日と、自己紹介。

 今回もまたいつものように、強い自分を演じれば良い。

 

 意識的に凛と歩き、教壇の前に立つ。

 

「うお、すげー美人!」

(え……? 嘘……まさか)

 

 変わることのないクラスメイトの顔ぶれ。

 こちらを見て少しだけ戸惑っているような、不安げなまどかの表情。

 

 生きている。まどかがちゃんと、そこにいて、生きている。

 

 ああ、まどか。

 

 まどか……。

 

「はい、それじゃあ自己紹介いってみよう」

 

 ……けれど、これは初対面。

 まずはあの子に、私の名前を知ってもらわなければ始まらない。

 

 さあ、始めましょう、まどか。

 私と貴女の、最初の出会いを。

 

「……暁美、ほむらです」

 

 あれ。おかしい。あれ……言葉の、歯切れが悪い。

 ちゃんと、ここではちゃんと、しっかりと、言わなくてはいけないのに。なのに。

 

「よろしく、お願……ッ!」

 

 突如、唐突な吐き気が私を襲った。

 堪らずに、私はその場にしゃがみ込む。

 

「暁美さん!?」

「っ……!!」

 

 先生の声が響く。目眩がする。吐きそう。気持ち悪い。苦しい……。

 

「だ、大丈夫……です」

 

 突然にせり上がってきた吐き気。軽い眩暈。反響するような頭痛。

 いえ、それだけではない。とにかく全身が痛い。全身が苦しい……。

 

「か、鹿目さん保健委員だったわよね? ごめんなさい、暁美さんを……」

 

 

 ああ、そうか。

 

 私の心はもう、あの目を見た時から。

 

 厄介な砂時計を抱えていたのだ。

 

 

 

 

 まどかの顔を直視できなかった。

 少しでも目を向けるだけで、あの時の、まどかの最期の顔を思い出してしまうのだ。

 

 あの、悔しそうな、無念そうな……私が作った、あの顔を。

 

「……」

「あ、暁美さん、大丈夫?」

 

 だから、保健室に向かう途中が一番の苦痛だった。

 

 体重の半分をまどかに預けつつも、私は目を開けることができない。

 もし手が空いていたならば、耳さえも塞ぎたいくらいだった。

 

「ごめん、なさい……」

「いいよ、私、保健委員だから……」

「本当に、ごめんなさい……」

「気にしなくていいって……」

 

 

 

 私はいつもと違う日々を過ごすことになる。

 

 インキュベーターを追いかけ回し、けれどまどかを極端に避けるという、矛盾した日々を。

 

 巴マミはインキュベーターの事もあって、私を敵視した。

 それに追従するように、巴マミを慕う美樹さやかも私に敵対的になった。

 当然の流れだ。二人の身近な人物が下す真っ当な評価は覆されるはずもない。

 

 まどかも、私を警戒するようになった。

 初日の保健室までの会話だけが、彼女が私にくれた唯一の親切心だった。

 

 

 

「……」

 

 三つの遺体を見下ろす。

 

 これも、いつかと似たようなものだった。

 

 巴マミを、相性の悪い魔女から裏で助けることはできた。

 しかし美樹さやかは魔女となり、それを知った巴マミは錯乱してまどかを撃った後、すぐに自決したらしい。

 

 寂れた橋の下では、三人の抜け殻が横たわっている。

 私が発見したのは、彼女たちの反応を見失ってから、二時間後のことだ。

 

 後手も後手。

 無能もいいところ。

 

 ……私はまた、まどかを守れなかった。

 今はまだ、ワルプルギスの夜が来るずっと前だというのに。

 

 

 

「……」

 

 いや。守れなかったのではない。

 私の遠まわしで、どっちつかずな行動が、結果としてまどかを死に導いたのだ。

 

 私がまどかを殺した。

 今回のまどかも。私が。

 

「……魔女、倒さないと」

 

 ワルプルギスの夜を迎えるまで、私は魔女を狩り、グリーフシードを集め続けた。

 次の過去に渡る前に、少しでもソウルジェムの品質を改善するために。

 

 火器を集める気にも、一人ワルプルギスの夜と相対することになるであろう杏子を助ける気にも、到底なれなかった。

 

 

 

 それから。

 私は、様々な世界を歩き続けた。

 かつてと同じように、まどかを守るために、世界を繰り返していった。

 

 けれど、どこかがおかしい。

 “打倒ワルプルギスの夜”を抱いていた自分を、遠くに感じてしまう。

 

 何度繰り返しても。何度時を遡っても。

 ワルプルギスの夜が来る前に、まどかが死んでしまうのだ。

 

 ある時は巴マミ、美樹さやからと一緒に魔女に殺されたり。

 ある時は魔女となった美樹さやかにより殺されたり。

 魔女が引き起こした集団自決に巻き込まれたり。

 ……勢い余った杏子に殺されたこともあった。

 

 時を歩くたびに、たくさんのまどかが死んだ。

 

 私が殺したのだ。

 

 私があまりにも、愚かで、無能で、弱かったから。

 

 あの時のまどかの空虚な目に怯え、心揺さぶられて。

 ……まどかの“呪い”を受けた私は、かつてのように十全に動けなくなってしまったのだ。

 

 そのかわりに、ただの魔女と戦う時間は増えた。

 グリーフシードの消費量は、時間を遡るごとに増えていった。

 私のソウルジェムが、何もせずともすぐに黒く濁ってしまうから。

 “まどかを守る”。そんな身の程知らずな決心を固める度に、私の魂はそんな驕った自分を嘲笑い、拒絶しているのかもしれない。

 

 そして私は、そんな私の魂を保つためだけに魔女を倒し、グリーフシードを集め続けるのだ。

 

 まどかを守ることもできないというのに。

 

 その思いもまた負の連鎖として組みこまれ、私を蝕んでゆく。

 

 

 

 繰り返して。

 繰り返して繰り返して繰り返して。

 

 放棄した世界を数えることも忘れた私は、ふと気がつくと、嵐吹きすさぶ見滝原の瓦礫の山に座り込んでいた。

 

 足元には、遺体。

 血みどろになったまどかの遺体が、すぐそこで眠りについている。

 

 ……気がつけば、まどかの遺体の脇に立ちつくす自分がいる。

 少し気を逸らしていた。それだけで、無為の一ヶ月を跨ぐ自分が存在している。

 

 私はいつからか、自らのソウルジェムを濁らせないための行動のみを選択するようになっていた。

 

 キュゥべえを殺す。魔女を殺す。

 失恋してまどかを突き放した美樹さやかには躊躇なく引導を渡した。

 まどかに契約するよう持ちかける佐倉杏子には殺意が芽生えたが、彼女はすぐに逃げてしまう。逃げられるとどうしようもなくソウルジェムが濁り、しばらくは何も手につかなくなってしまう。

 

 かつて、巴マミに言われた言葉を思い出す。

 

 “いじめられっ子の発想ね”。

 

 彼女の言う通りかもしれない。

 

 私は決して敵わないワルプルギスの夜ではなく、他の対象を攻撃するようになってしまったのかもしれない。

 

「……」

 

 私の右手には一挺のハンドガンが握られていた。

 弾はまだ撃っていない。

 もう全てが崩壊した後だというのに、ワルプルギスの夜とはまだ戦っていなかったから。

 

 何もせず。何も出来ず。

 自分の魂を息継ぎさせることで精一杯で、第一の目的には手を伸ばせもしない。

 

「……愚かよね、私って」

 

 私の魂のような色をした暗雲を見上げ、そこへつぶやくように語りかける。

 

「まどかを守る……そのためだけに生きると、決めていたはずなのに」

 

 風が生ぬるい。

 

「今の私には、まどかを守れる力は欠片も無い」

 

 目眩がする。吐き気が消えない。息が苦しい。

 

「それでも私は、触れも見れもしないまどかとの出会いをやり直すために、また砂時計を置き返すのよ」

 

 それはまるで、彼女を殺すためであるかのように。

 

「本当に愚かだわ」

 

 ハンドガンを自分の右こめかみに押し当てる。

 冷たい鉄の感触が、生ぬるい空気の中で心地良い。

 

「……まどかを守れないのなら、まどかを守らない私でありたい。彼女は関わりのない、全く別の……もうこれ以上、まどかを守らない私になりたい……まどかを、殺さない私になりたい」

 

 ハンドガンに魔力を注ぎ込む。

 

「ねえまどか……私も、格好良い自分になれるよね?」

 

 それは、遅すぎる私のためだけの祈り。

 

 私の身勝手な願い。

 

 私が、もう私がまどかを守れないのであれば、そんな私を捨てて、新たな私になってしまいたい。

 

「さよなら、まどか」

 

 私はハンドガンの引き金を引いた。

 

 何度も。何度も。何度も。

 

 

 全ての弾を撃ち尽くすまで。

 

 銃弾が私の頭部を半分以上、壊し尽くすまで。

 

「……ッ……ッ……」

 

 それでもなお、わずかに宿した魔力仕掛けの脳は、私の身体をゾンビのように動かす。

 

 醜い仕草で盾を掴み、砂時計を無理矢理に反転させる。

 

 

 怨霊が、新たな自分に生まれかわるために。

 

 

 

 

 ――――――――――――

 

 ――――――

 

 ―――

 

 



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怨霊の嘆きと亡霊の目覚め

 

 

 

『はっ……!?』

 

 記憶の奔流が収まると、“暁美ほむら”が体験したこれまでの全てが、私の脳内に焼き付けられた。

 

 (彼女)の生い立ち。

 友達との出会い。そして、過酷すぎる願いの運命。

 

 散っていった命。助けられなかった友達。

 彼女が抱えてきた、いつまでも終わることのない戦いの記憶が、一気に私の中に溢れ出す。

 

 奔走するも無力に終わる自分の戦い。

 無力を承知で掛かっても倒せない、強大な敵……。

 

 ……まさか。

 まさか、これほどまでに壮絶な過去を背負っていたなんて。

 

『……これが、私の全てよ』

 

 床に倒れる私を見下ろす“暁美ほむら”の目は、とても冷たく、無感情だった。

 私に銃弾を撃ち込んだ影響なのか、夢の世界はちりちりと焦げ付き、端から崩壊が始まっていた。

 

 この部屋の崩壊が終わった時、きっと“暁美ほむら”は、再び魂の中へと篭るのだろう。今の私には、それが解る。

 

『暁美……ほむら……』

 

 私は魔法の銃弾を受けた頭を押さえながら、立ち上がる。

 

『わかったでしょう。私はもう、この世界を見ていたくないの……当分の間、ここでじっとしているわ』

 

 全てに疲れきった表情。

 いつの記憶か、さやかに言われた“全てを諦めた顔”とはきっと、こんな表情なのだろうか。

 

『この世界を押し付けちゃって、ごめんね……でも私は、限界だから……』

『……でも、このままだと』

『貴女が私の戦いを引き受ける必要はないわ。……だから、あなたは私とは違う、全く別の暁美ほむらとして、どこか遠くで……静かに暮らして』

 

 彼女は肩を竦め、疲れ果てた泣き笑いのような顔を暫し浮かべてから、愛想笑いでさえも疲れてしまったかのように、俯いた。

 

『……それが、私の願いよ』

 

 自分の願いの否定。

 不可能を理解してしまったが故の、敗北宣言。

 

 その結果として生み出されたのが、私だったというわけだ。

 自らの人格を、精神を、記憶を、全てを内側の奥深くに押し込んで、残った場所で作り上げた仮初の魂。

 それが私。

 彼女が作った“暁美ほむら”なのだ。

 

 ……彼女はもう、表舞台に出ることを拒んでいる。

 出れば魂が傷ついてしまうから。どうあがいても、グシャグシャになった心を修繕しきれないから。

 だからその役目を、この私に任せたのだろう。

 自らはひっそりと、魂の底で息を潜め続けるために……。

 

 

 

『……それが、君の望んだ未来かい』

『え?』

 

 だが、問わずにはいられなかった。

 

『私は空虚な人間だ』

 

 全てを知った以上、彼女に言いたいことは山ほどある。

 

『私は魔法少女だが……しかし願いはなく、執着がなく、信念もない。精神がすりきれるまで戦い続けた暁美ほむら……君は、立派な人間だよ』

 

 私は誤解していた。

 彼女は決して、悪の魔法少女などではない。

 

『君はまどかを守るために魔法少女となり、何カ月も、何年もその戦いを繰り返している。何が起ころうとも、挫けそうになろうとも繰り返している。全ては、たった一人の少女の為にだ。すごいことだ』

 

 ひたむき。一途。

 なんと眩しく、熱い生き方なのだろう。

 殺人鬼? ……とんだ勘違いだ。彼女は、自らの魂を賭け続け、ボロボロになりながらもここまで走り続けてきたというのに。

 

『……私に、そんなものはなかった』

 

 対する私はなんだ。笑ってしまうほどに何も無い。

 

『私はいつだって、ただ漠然とした“格好良さ”だけを求めて生きてきた。……今にして思えば、それは君の願いだったのかもしれないがね』

 

 君がやりきれない気持ちに俯くならば、私も同じように息をついて、目線を合わせよう。

 

『暁美ほむら、君が怨霊だというのなら、私は亡霊だよ。何もない、存在しているかどうかも怪しいただの亡霊だ』

 

 伏し目がちな暁美ほむらの目が、私と交錯する。

 彼女は何も語らず、ただ怪訝そうに、私を見つめていた。

 

『……なあ。君は怨霊だろう? ならばその恨みは、世に顕現して果たすべきだよ。このまま私の中に閉じこもっていて、いいはずがないだろう?』

 

 彼女は深く息を吐いた。

 

『……どうしろっていうのよ。貴女もわかっているはずでしょ……? 私はあらゆる手を尽くしてきた。途方もない時間を費やして研究して、実践してきたのよ……それでも、無理なの』

 

 焦げ付き、煤け、緩やかに崩壊し続ける部屋を見上げ、彼女は嘆くように声を震わせる。

 

『どれだけ挑んでも……必ずワルプルギスの夜はやってきて……私の望む未来は、消し飛ばされてしまうのよ』

 

 絶望。失望。彼女にはもう、挑戦するという意識がこれっぽっちも残っていなかった。

 それは自らの願いに対する最大の裏切りなのだろう。今、それをこうして口にすることさえも、億劫な様子だった。

 

『……君も同じことを言うのか? 暁美ほむら』

『え……?』

 

 それでも。

 だがね、暁美ほむら。それでもだ。

 

『魔法少女は、あらゆる条理を覆す存在だ』

 

 君がそんな顔をしているのは、私は好きじゃないんだよ。

 

『君の望む未来は、必ずある』

『……だから、どうしろっていうのよ!』

 

 そうして怒った顔の方が、ずっと私らしい。

 

『ふふん、わかってないなあ、暁美ほむら』

『何……』

 

 ソファーから立ち上がり、見上げる彼女の前で両手を広げる。

 

『私の魔法はね、暁美ほむら……奇跡を起こすんだよ』

 

 そして嘯くのだ。いつものように。

 

『私達が奇跡を起こさずして、誰が奇跡を起こすというんだい?』

『……!』

 

 空想の部屋が焼け崩れ、消え去ってゆく。

 

 どうやら、夢から覚める時間がやってきたようだ。

 

『貴女、何を……?』

 

 けれど、ぼやけた夢の中で最後にみた“暁美ほむら”の瞳には、

 

 どこか、再び希望を抱いたような小さな光が宿っていた。

 

 

 



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新たなる日々

 

 夢の世界から抜け出したのだと、重だるい感覚の中でぼんやりと理解した。

 しかし、頭は至って冷静で、しっかりしている。

 二度寝する理由もない。私はむくりと起き上がった。

 

「おっふ」

 

 だがしかし、私の身体は無力にも起き上れず、そのまま床に倒れた。

 

「いたた……」

 

 身体中を毛布で雁字搦めにされていたらしい。

 なんとも器用に巻きつけたものだ。

 こうでもしなければ、嫌でも外界の存在に目がいってしまうのだろう。

 

「……暁美、ほむら」

 

 私は、私自身の全てを思い出した。

 

 何故契約したのか。

 何故魔法少女を殺したのか。

 キュゥべえは何者なのか。

 私はあらゆる全てを理解した。

 

 同時に、私の肩へ一気に重圧がのしかかる。

 あまりに凄惨すぎる未来。それを回避できるのは、この街で私たったひとりだけ。

 

 でも同時に高揚もする。

 これは私が初めて手にした、私の生きる意味だったのだから。

 

「にゃぁ」

「ワトソン……いや、エイミーって呼ぶ方がいいのかな?」

「にゃ?」

「ふふ、いや、ワトソンでいいね」

「にゃ」

「そう、君はワトソンだものな」

 

 あらゆる世界での過去と未来を理解した私は、心の中深くで決意する。

 暁美ほむら。必ず君を救ってみせると。

 

 

 

「いただきます」

「にゃー」

 

 それにしても、これほどの量の記憶が一度に頭へ刻みこまれたというのに、私も悠長なものだと思う。

 おそらく未だ“暁美ほむら”を他人として見ている自分がいるのだろう。

 実際、まどかを巡る日々の記憶が、どうにも当事者のものとして実感できないのだ。

 

「それにしても、まどか、ねえ」

 

 半透明の麺を啜りながら考える。

 鹿目まどか。彼女は記憶の中において、暁美ほむらにとって欠かせない友達であった。

 

 もちろん私にとってもまどかは大切な友達ではあるが、願い事として彼女を救い続けるほどかと問われれば、正直口ごもってしまう。

 似たような願いはあれども、まどかを名指しすることはないだろう。

 私自身だというのに、たいした温度差だ。

 

「ごちそうさま」

「にゃ」

 

 ワトソンも缶詰を食べ終えたようだ。

 綺麗に食べたので頭をなでてやる。ワトソンはゴロゴロ喉を鳴らして喜んだ。

 

「……よし、じゃあワトソン、行ってくる」

「にゃ」

「……なに、ついてきたい? 珍しいな、まったく」

「にゃぁ~」

 

 さて。

 ワルプルギスの夜が見滝原にやって来る。そのタイムリミットは間近に迫っている。

 

 まどかの契約も断固阻止せねばならない重要なイベントではあるが、そもそもワルプルギスの夜をなんとかしなければ、暁美ほむらにも、私にも未来はない。

 そしてどうにかできる手っ取り早い方法はまどかが契約することである。酷い因果だ。ひょっとするとこの図式も、キュゥべえによって仕立て上げられたものなのかもしれないが。

 

 ともかく、能動的に干渉できるのは私だけ。

 私がやらなくては。

 

 

 

 

 

 

「おっはよー」

「おはよう、さやかちゃん」

「おはようございます」

 

 さやかとまどかの二人は、いつもの時間に待ち合わせ場所にやってきた。

 既に仁美はそこで待っており、二人が集まると朗らかな笑みを浮かべた。

 

「ほむらさんは早退されましたけど、今日は……」

「あー……多分、来ないって」

「あら……心配ですわ」

 

 元々病弱らしいという話は話半分ながらも皆知っていたので、仁美は特に追求することもない。

 言葉を濁すだけで説得できたのは幸いだったが、さやかとしては無責任な隠し事に心が痛む。

 

『……ねえ、さやかちゃん。昨日はやっぱり』

『うん……マミさんと夜まで探してみたけど、駄目だった』

『……ごめんね、何も手伝えなくて』

『大丈夫大丈夫、魔法少女じゃないと危ないもん』

 

 昨夜は魔法少女三人で街を散策したが、ほむらの姿は見つからなかった。

 元々、ほむらの家は誰も知らないこともあり、当てずっぽうで望み薄な探索だったことは否めない。

 成果無しに落ち込みはしたが、途中で遭遇したはぐれ使い魔の退治はそこそこの気晴らしにはなった。別れ際に、杏子が“久々に人のために退治したよ”と笑っていたのを、さやかは印象深く覚えている。

 

「ほむらさんは昨日病院に行かれたのですよね?」

「へっ?あ、あ~……そうだね。うん、そう言ってた」

 

 仁美が思い出したように訊ねてきたので、さやかは咄嗟に受け答える。

 

「……心配だよね」

「……うん」

 

 今、ほむらはどこにいるのか。何をしているのか。どうなっているのか。

 何もわからない。昨日、希望の兆しは見えたのは確かだったが、それでも不安にはなる。

 

「ふふ、けど、ほむらさんなら何事もなかったかのように教室にいて、いつものように振る舞っていそうですわね」

「! ……えへへ、そうだね」

「……ね、きっとね」

「うん」

 

 気がつけばすぐそばにいて、飄々とした態度で驚かしてくる少女。

 できれば今回もそうあってほしい。それが一番ありえる。そう思えば、二人はいくらか気分が楽になれた。

 

「あ!」

「ん、どうしたまどか……あ」

 

 まどかが反応した方にさやかも顔を向けると、そこには上条恭介の姿があった。

 未だ松葉杖を使って歩いてはいるものの、クラスメイトの男子たちに囲まれて楽しそうに話す姿からは、以前のような無気力感は窺えない。

 

「……恭介」

「退院、したんだね」

「あら、上条君……大丈夫なのでしょうか?」

「あー……手の調子が良くなったから、復学するんだってさ」

「そうなのですか……」

 

 とはいえ、さやかはそれが今日だとは知らなかった。

 

(……なによ、退院するなら一言でも言ってくれればいいのに。まぁ、一足早い退院お祝いはやったから、良いのかな?)

 

 色々と抜けたところのある幼馴染に文句の一つも言ってやりたくはあったが、それでも元気そうな姿を見ると、どうでもよくなってしまう。

 彼が幸せそうなら、それでいい。さやかは鼻歌を歌いながら、上機嫌に歩きだした。

 

 

 

 一行は教室に到着する。

 今日もまた授業が始まるのだ。

 そしてこれからは、さやかの幼馴染である恭介もそこに加わる。

 いつも以上に心躍る日々が待っているに違いない。

 

「みんなおは……」

「ん? やあ、おはようさやか」

 

 そして、教室には当然のように暁美ほむらもいた。

 

「……え」

「え?」

 

 停止したのはまどかとさやかだった。

 それはそうだろう。昨日さんざん探し続けて見つけられなかった彼女がいつも通り登校していたのだ。戸惑いもする。

 

「む。ああ、おはよう、まどか」

「……お、おはよ」

 

 硬直をなんだと思ったのか、ほむらはまどかにも挨拶を交わした。

 

「ほむらさん、おはようございます。昨日は何かあったのですか?」

「おはよう仁美、……うん、まぁ色々あってね」

「色々ってちょっと、」

 

 色々どころではない。さやかはテレパシーを使うことも忘れてそう問い詰めてやりたかった。

 

「けどもう大丈夫」

「!」

 

 だが、本人は唇に人差し指を立て、それを制す。

 

「これからはもう、そうそう夢遊病になったりすることもないだろう」

「夢遊病? 寝ていないのに……?」

「……それって」

「ふふ」

 

 ほむらは、まどかやさやかから見て、いつも通りのほむらに戻っているようだった。

 そして彼女の態度からは、問題が解決したかのような余裕が見て取れる。

 

『おはようマミ、昨日はすまなかったね』

『……! 暁美さん!?』

『私ならもう大丈夫だよ、マミ』

 

 しかし、気のせいだろうか。

 まどかにはほむらの姿や振る舞いが、昨日までよりもずっと不思議で、謎の多い存在のように感じられた。

 

 



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私達はどこへ行くのか

 

「え~ですので、この文章にはMrsとありますが、既婚者かどうかを区別するためだけにこういった言葉回しを変えることは非常に失礼です、なのでどのような相手であってもMs……」

 

 教師の私情が入り混じる授業は適当に聞き流し、テレパシーの会話は粛々と進んだ。

 

『暁美ほむらとは私の方で和解してね、時間の大半を譲ってくれることになったんだ』

『それ、本当に……?』

『じゃあ、暁美さんはこれからも今まで通りに過ごせるっていうこと……?』

『そうだね、特に不便はないと思う』

『……良かったぁ……』

 

 もう一つの人格との和解。この釈明については皆があまり納得してくれないのではないかと危惧していたのだが、案外簡単に受け入れてもらえた。

 心配症だったまどかが安堵している辺り、ほとんど信頼されている気がする。

 

 しかし、私自身が言うのもなんだけど、そうやって安心するにはまだ早いんだな、これが。

 特にまどか。君が安心するのは、きっとまだまだ先の事だよ。

 

 ……言わないけどね。

 

『ほむらちゃん。昨日、杏子ちゃん、すっごく心配してたんだよ……?』

『杏子が……そうか』

 

 暁美ほむらは出てこない。出てきたとしても、もはや誰かに危害を加えることはないだろう。

 だからこれからは、杏子の身を心配する必要もない。

 

『……杏子に、会いたいな』

『すぐに会ってあげなさい。普段は絶対にそんなことしないのに、私たちに頭を下げてまで、彼女は暁美さんのことを探していたんだから』

『ひょっとしたら今でも探してるかもねー……』

 

 ……佐倉杏子。

 これほどあの子と……親密になれたことなんて、一度もなかった。

 

 ……不思議で、そして皮肉なものだね。暁美ほむら。

 その最初の一歩を踏み出したのは、長きに渡って試行錯誤を重ねてきた君なのではなく、この私だったのだから。

 

 けど、遠慮はしないよ。

 杏子は私の友達だ。それは紛れもない真実なのだからね。

 

『杏子ちゃん、携帯持ってないんだよね』

『ん~、参ったなあ。次は杏子探しってこと? テレパシーも使いながら探せば、大丈夫だとは思うけど……』

『……そうだな、放課後になったら杏子を探そうかな』

 

 やりたいことは、色々ある。

 そのためにはとにかく、ひとまず全員を集めなくてはならない。

 

 今までの事に決着をつけるために。これからのことを決めるために。

 始動のためには、一度状況を整理しておく必要がある。

 

 

 

 放課後と同時に、私は学校を飛び出した。

 

 最近めっきりできなくなったマジックショーに勤しんでから、とも思ったが、そんなところを杏子に見られたら二、三発ほどは殴られそうだったので、真面目に彼女を探す。

 

 杏子なら、きっとゲームセンターにいるんじゃないか。

 そう考えた私の足は、いつものゲームセンターに向いて急いでいる。

 

 よくある話だ。誰かを探す時、その人との思い出の場所に行けば見つかるという、お決まりのパターンである。

 その線でいけば、きっと杏子は隣町のゲームセンターにいるはずに違いない。

 噴水ある公園を横切って、橋を渡って。そうすればすぐだ。

 

「……あ」

 

 なんてことを考えていたのだが、横切ろうとした公園のベンチに杏子が座っていた。

 ゲームセンターじゃなかったらしい。思い出の場所とはなんだったのか。

 そうか、公園か。そうくるか。少し予想外だったな。

 

「……よし」

 

 思い通りに事が進まなかった腹いせとは言わないが、なんとなく遠目に窺える杏子に悪戯をしでかしたくなった。

 こっそりと、ベンチの裏側から忍び寄ってやろう。

 

 

 

 

(……ほむら、どこに行ったんだろ。もう、見滝原には居ないのかな……)

 

 杏子は座ったまま、俯いている。お疲れの様子だ。

 

(会えないなんて、そんなのウソだろ……? みんな、待ってるんだよ? お前の帰りをさ……)

 

 抜き足差し足。魔力を極力もらさず、背後にぴったりと張り付く。

 それでも気付かない。どうやら彼女は随分とリラックスしているか、それに近い放心状態にあるようだ。

 

(ほむら……)

 

 というわけで、こちら。クラッカーになります。

 

 

 

 ――すぱぱーん。

 

 

「うっわぁああ!?」

 

 紐を引くと共に、高い炸裂音が閑静な公園に響き渡った。

 カラーのペーパーリボンを髪にひっかけた杏子は、素っ頓狂な声をあげて、前のめりに倒れている。

 クラッカーでここまでびっくりするとは、さすがの私も予想外である。

 

「ななな、なん……な?」

「やあ」

 

 空になったクラッカーを持つ私は、軽く手をあげて挨拶をしてみせる。

 

 ……涙を浮かべながら飛びつき、抱き合う再会というのも悪くないのだが……どうしても私は、そういう真面目くさったものは苦手のようだ。

 柄ではないというのか。

 

 

「……やあ、じゃねえよ!」

「すまない」

 

 怒られた。ごもっともである。

 

「すごく、すごく心配してたんだからなあっ!」

「!」

 

 そして、抱きつかれた。

 

「……うん、心配かけたね。ごめんよ」

「うう……馬鹿野郎、あほぉ……」

 

 柄ではない。柄ではないのだけど、私もその背に手をまわしてやる。

 

 杏子は、泣き続けた。子供のようにおいおいと。

 私だってこうして会えたことは、涙を流すほどに嬉しい。

 けれどこうも泣かれてしまっては、私はそれを受け止める立場にいなくてはならないだろう。

 そんなことを気にする私は、やっぱりまだまだ格好つけということだ。

 

 

 

「ぐすっ……もう、大丈夫なのか? また、ほむらじゃなくなるのか?」

 

 杏子は赤い目を拭い、ようやく冷静な言葉をかけてくれた。

 

「もう大丈夫。もうひとりの私とは、和解したからね」

「自分と和解? どういうことだよ?」

「私の時間が、十分にもらえることになったんだ。色々と、一対一で話してね……」

「……そうか、良かった」

 

 柔和な表情。

 らしくもないと口に出せば、一発分は殴られるかもしれない。

 けど彼女の顔は確かに、私にとって初めて見るような、そんな穏やかな笑みを浮かべていたのである。

 

「さて。マミやさやかも杏子の事を探しているんだ、見つけたことを報告しなくちゃね」

「そうか……私の方が、みんなに迷惑かけちゃったな」

「いや、元々私のせいさ、手間をかけてすまなかったよ……む?」

 

 異変を感じ、魔法少女の姿に変身する。

 

「どうした? まさか、魔女か? 反応はないけど」

「……いや、君と会いたがってる子が、もう一人いてね」

「にゃぁあ!」

 

 盾を開くと、中から勢いよくワトソンが飛び出した。

 

「うわっ!? 猫!?」

「あはは、食事をくれたことを覚えていたらしい」

 

 ワトソンは杏子にしがみついて、甘い声でにゃあにゃあ鳴いていた。

 杏子も無邪気な子猫がじゃれついてくるのは、まんざらでもなさそうだった。

 

 戯れる二人をよそに、私はさっさと見滝原方面へ歩きだす。

 

「ふふ……さ、行こうか。みんなに話さなきゃいけない事もあるからね」

「やめ、やめろって……え? 話?」

 

 顔を舐めていたワトソンが杏子から離れ、私の左足下の傍へすり寄る。

 

「私のことが解決したからといっても、ワルプルギスの夜は変わらずやってくるだろう? その事について話さなくてはならないだろうと思ってね」

「ああ……それもそうだ。……一難去って、また一難だな……」

「そうでもないかもしれないけどね」

「え?」

 

 不思議そうな顔の杏子と向き合う。

 

「ワルプルギスの夜をなんとかしなければならない。難しいことだが……その手段、実はなくもないんだ」

「え……それって、本当か? ワルプルギスをどうにかするには、まどかが……」

「まどかが契約する必要はないさ。手段はどうとでもなる」

「そんな、どうやってそんなことを……」

「大丈夫」

 

 私は微笑む。

 私の、最大限の自信と虚栄心を振り絞って、最高のアルカイックスマイルを作る。

 

 そして、そんなシーンを狙っていたかのように、空から一羽の鳩が舞い降りてきた。

 

「!」

「くるっぽー」

「ふふ」

 

 白い鳩、レストレイドは、私の右足下にやってきた。

 

「とにかく、話は皆と集まってからにしようか。……作戦会議とまでは言わないけど、楽屋での打ち合わせは必要だからさ」

「あ、ああ」

 

 私の語らぬ説得力に圧され、杏子は安心する根拠もなく、ひとまずは頷いた。

 そして、彼女は思い出したようにベンチの上の紙袋をまさぐる。

 

 取りだしたのは、一本の缶コーヒーだった。

 

「……変な意味は無いけどさ。これ、あげるよ。それで、今までのは全部清算ってことにしよう」

「ふふ……いやぁ、うん、いいだろう」

 

 コーヒーを飲む前からつい苦い顔をしてしまう。

 

「食べ物を無駄にはできいし、なっ」

「ほっ」

 

 投げ渡された缶コーヒーを受け取る。

 

「……あとこれも、食うかい?」

 

 紙袋をまさぐり、更に何かが投げられる。

 大きな弧を描いて飛んでくるそれを、私は両手を伸ばしてキャッチした。

 

「……おお、りんごか。美味しそうだ」

 

 それはりんごだった。

 思えば、果物なんてしばらく口にしていなかった気がする。

 

「ちゃんとお金で買ったもんだから、安心してよ」

「ふ、何も疑っちゃいないさ」

 

 私の記憶には万引き強盗なんでもござれの不良少女としてあるが、私はそれを含め、特に気にもしない。

 

「……ゴーギャン」

「ん?」

「……いーや、なんでもない」

 

 しゃり、と林檎を齧る。

 

 うんまい。



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第十章 魔術師は意味深に微笑む
全ては大いなる計画のために


 久々に訪れたマミの家には、魔法少女四人と普通の女の子一人が集まっていた。

 要はまどかを合わせた、見滝原の関係者一同である。

 

 杏子もそうだが、彼女を探しに出た私自身も携帯電話を持っていなかったので、合流するには多少手間を食ってしまった。

 しかしそれも目立つ場所で打ち上げ花火をかます事によって解決されたので、些細なトラブルと言えよう。

 

「病院の近くで花火は上げないように」

「はい」

 

 しかしマミのお気に召す方法ではなかったようだ。

 それにしても正座は慣れないな。クッションに座りたいものだが。

 

「……えーと? とりあえずこれで、ひとまず……ほむらの方は解決ってことでいいのかな?」

「そう思ってもらって構わないよ」

 

 暁美ほむらの人格は封印されているだけなのだが、この人格が具体的にどういったタイミングで再発現するのかは、私にもわからない。

 今の所は厳重に束縛しているし、そのまま一生出ないということも有り得るだろう。

 暁美ほむらは現世に乗り気ではなさそうだし……彼女の気が変わらないうち、つまり当分は、私がこの身体を動かすことになるだろう。

 

「本当に大丈夫? よね?」

「えっと、ほむらちゃん。どういう経緯で解決したのかな……?」

「色々あったのさ」

「ええ……」

 

 説明はできるが、全てを説明している間にワルプルギスの夜が来てしまう程度には長話になる自信がある。

 なので、要約せざるを得なかった。

 

「よく漫画にあるような、あれだよ。自分に打ち克つ、みたいなものだと思ってくれればいいさ」

「おー」

 

 本当は結構違うんだけどね。

 ……いいさ。今はまだ、真実はしまっておいたままで。

 

「で、まあ、私が随分と皆に迷惑をかけたみたいだから。ひとまず、この場を借りて謝らせてもらうよ。ごめんなさい」

 

 もう一度深く頭を下げる。

 私ではないし、何なら……同情の余地は大きいので、本意ではないけども。

 

「うーん、私達はともかく、杏子には謝らないとね。まあそれはほむらがやったわけじゃないんだけどさ」

「あ、あたしには全然いいって……気にしてないから」

「しかし、なあ」

 

 私の記憶には、杏子に対して執拗に攻撃し続けるものもある。

 これはつい最近、私の中から抜け落ちて歯抜けになっていた記憶だろう。

 ガソリンに着火させて、爆風のみで戦うその様は、杏子からは悪魔のように映ったに違いない。

 

「あれは……私が悪いんだよ。まどかに契約するよう持ちかけたのは、事実だしな。身勝手だったと、今じゃ思ってる。……悪いな、まどか。あんたにも酷いことしたよ」

「え、あの、私はその……別に……」

 

 重苦しくなりつつある空気だったが、ほのかに漂ってきた紅茶の香りが間に入ってきた。

 

「さあ、暗い話ばかりでもなんだし。紅茶を淹れたから、飲みましょう?」

「おおー、マミさんの紅茶だ!」

「久々だ。いただこう」

 

 記憶の中でも、マミの淹れた紅茶の味は……とても懐かしい。

 だからか、酷く切なく、温かく、飲んでいて心地が良い。そんな一杯に思えてしまった。

 

 皆も手作りのお茶請けと一緒に飲む紅茶が美味しいのか、表情が和やかになっている。

 話を転換するのであれば、今だろう。

 

「……さて、みんなを集めようと思ったのは、謝罪がしたいだけではないんだ」

「ええ、それはなんとなくわかっていたわ」

「やっぱりワルプルギスの夜の話?」

「ああ、それに向けての話をしようと思ってね」

 

 ワルプルギスの夜。

 それは私の記憶の問題が大方解決したからこそ真正面から向き合わざるを得ない、大きな壁だ。

 

 記憶の中の暁美ほむらも、実質このワルプルギスの夜を相手に消極的な白旗を上げている。それほどの難敵だ。

 皆はそんなことを露とも知らないとは言え、伝え聞く情報から嫌な予感だけはひしひしと受け取っている。表情を曇らせるのも当然の、できれば考えたくもないラスボスであろう。

 

「興味深いね」

 

 目の前を白ネコが横切り、まどかの膝に乗ってから、そいつはガラスのテーブルの上に腰を降ろした。

 

「ワルプルギスの夜を魔法少女四人で討ち倒す、という作戦会議でもするのかな?」

 

 キュゥべえだ。

 

 無感情な赤い目が、どこか媚びた仕草で全員を見る。

 見た目は子猫だ。しかしもはや、ここにいる皆は一切、キュゥべえに対して好意的な目を向けていなかった。

 

 誰もが、薄々と気付いているのだ。

 彼が信用ならない猫であるということくらいは。

 

 中でも一番正確に理解しているのは私だろうけども。

 

「会議してたら、何がいけないっていうのよ?」

 

 さやかもちょっぴり喧嘩腰だ。

 

「いけないというより、おすすめができないって感じかな」

「……へえ、どういうことだよ」

「前にも話したと思うけど、ワルプルギスの夜は並大抵の魔法少女が“たかが”四人程度揃ったところでは、決して太刀打ちできない相手なんだ。徒労に終わる戦いに挑むことはないだろうと、これでも僕はアドバイスに来たんだけど」

 

 何でもない風に、キュゥべえは尻尾を揺らす。

 実際、彼は何でもないと思っているのかもしれない。

 

「どういう風の吹きまわしなの? キュゥべえ」

 

 しかし温厚なマミでさえ、キュゥべえを見る目つきは鋭い。

 嫌われてかわいそうに……と、私は同情するでもなく、こちらはこちらでキュゥべぇの飴玉みたいな目を見ながら、美味い紅茶を啜るのであった。

 

「言った通りさ、無謀な挑戦はしない方が良い」

「街を守るってことが、無駄だっていうの」

「ことワルプルギスの夜に限定して言えばね」

 

 赤い玉のような目が、まどかに向けられる。

 

「……」

「けど、まどか――」

「――はいそこまで」

 

 私は俯くまどかに声をかけたキュゥべえに対し、思い切りスプーンを突き立てた。

 

「!」

「うげっ……」

「ひっ……」

「私が話を進めようとしていたのに、割って入るとは随分と無礼なエイリアンだな」

 

 スプーンはキュゥべえの脳天を貫き、奥深くまで突き刺さっていた。

 突然の凶行に、皆は青ざめた顔で停止している。

 

「否定から入る男は嫌われるぞ」

 

 私はスプーンごと、キュゥべえのクズを部屋の窓際に投げ捨ててやった。

 生物をぶつけたような気持ち悪い音と共に、白ネコは床に倒れて動かなくなる。

 

「今は厳粛な作戦会議中なんだ。次からはまどかへの私語は慎むように」

「しばらく会わない間に随分と乱暴になったね、ほむら」

「えっ!?」

 

 だがキュゥべえは何事もなかったかのようないつもの無表情で、窓の向こうから現れた。

 

 そう、奴は何度でも甦る。

 いくら殺しても、捕獲しても、キュゥべえは消えることはない。

 私の記憶の中でも、いつからかキュゥべえを追いかけることをやめたくらいだ。

 

「きゅ、キュゥべえが……二匹……?」

「彼は宇宙人だ。身体はいくらでも用意できているのだろうさ」

「へっ!?」

「宇宙人!? って、あの、細くて目のでっかい」

「いやグレイ型とは限らないけどさ」

 

 あるのかどうかもわからないが、ひょっとしたら本体はそんな形をしているのかもしれないけど……。

 

「やれやれ、暁美ほむら。……君はどこまで僕のことを知っているのか、想像がつかないけど。まさかそれを説明するためだけに、僕の個体を潰したのかい?」

「まあね。見てもらったほうが早いだろう。……ご覧の通り、彼はいくら殺したって、次から次へと新たな個体が出てくる……まどかへは、しつこく契約を迫るだろう。それは、ワルプルギスの夜が来た時もその後も、変わることはないだろう」

 

 とりあえず、彼の存在のありかただけは説明しておく必要がある。これは警鐘のようなものだ。

 まどかが契約してしまえば、仮にワルプルギスの夜を越えられたとしても、全てがゲームオーバーなのだから。

 

「で、キュゥべえ。この機会だし、なんとか彼女らに宇宙の大切さを説明してやってはどうかな」

「宇宙?」

「なんのこと?」

「本当に、どこまで知っているんだい?」

「私よりも君から説明した方が、信用は得られるんじゃないかな」

 

 もっともらしく誘導しているが、私としては単にこの白猫の説明をするのが面倒なだけだったりする。

 そしてワルプルギスの夜について話す前に、インパクトのあるこの話を挟んでおくほうが、こちらとしても都合は良かった。

 

「それもそうだね。じゃあ、僕の事についてみんなに聞いてもらおうかな」

 

 こうして得意げに始まったインキュベーターの宇宙保存計画ストーリー。

 が、しかし。それは魔法少女含む女子中学生から、たいへんな反感を買ったのだった。

 

 当然だよね。

 なーんて。

 

 



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余裕の外套

「こんなのってないよ……」

 

 まどかは半泣きで。

 

「いじめっ子の発想ね……」

 

 マミは心底嫌悪した様子で。

 

「お前それでも人間か!?」

 

 杏子は怒り。

 

「いや人間じゃないでしょ」

 

 そんな姿を見たさやかは一周回って冷静だった。

 

「わけがわからないよ」

 

 口を揃えての大不評だ。予想はしていたけどね。

 インキュベーターは“君たちはいつだってそうだ”とかなんとか負け惜しみをこぼしながら、部屋の片隅の方へすごすごと退散していった。

 

 心を持たない生き物とは哀れなものである。

 しかし私は美味しい紅茶を啜りながら、その甘美な光景を和やかに眺めていたのであった。

 うむ。これこそ“ざまぁ”という奴なのだろう。甘露甘露。

 

「というわけだ。契約はやめてくれ、まどか」

「うん、私契約しない」

 

 まどかは先程の話を聞いてより決意を固めたのか、力強く頷いた。

 

 が、それでも彼女は幾度となく契約しているんだけども……。

 まぁ、そのことについて話す必要はない。

 

 何せ……私が時間遡行者であることは、隠し通すつもりだからね。

 

「ふむ……」

 

 紅茶がなくなったので、缶コーヒーを開け、くい、と一口飲む。

 程よい苦味が口を満たし、大人向けのカフェインが脳を冷ましてくれる。

 ここにいる誰もが飲まない味。それを呷ることで、私だけに課せられた使命をより深く自覚できるようだった。

 

 ……そう。私の能力は、まだまだ彼女たちには隠し通さなくてはならない。

 インキュベーターにはもちろんのこと、彼女たち魔法少女にも、絶対に漏らす事はできない。

 そうすることでしか開けない道があるのだ。

 今はまだ……。

 

「あ、暁美さん……言ってくれれば、紅茶、いれたのに……」

「……あ」

 

 缶コーヒーを飲み始めた私の様子を、マミがポットを構えながら気まずそうに眺めていることに気付いた。

 ……申し訳ない。

 

 

 

「魔法少女たちは、希望を信じていたのにね……酷いよ……」

「うん。ちょっと、厳しすぎる現実だよね……私もなったばかりで、人ごとみたいだけどさ」

 

 魔法少女を知って日が浅いとはいえ、まどかとさやかの二人にとっても、魔法少女システムの真実は衝撃的だったようだ。

 

「でもなぁ。あいつらの目的がわかったところで、あたしたちはそのルールに縛られることを良しとしたんだし、どこかでは受け入れなきゃいけないとは思うんだよなぁ……」

「ええ、不本意だけどね……」

 

 杏子とマミの二人も、衝撃的ではあっただろうが、受け入れるだけの余裕はあったようだ。

 まぁ、魔法少女が魔女になることと比べれば、別にそのエネルギーが何に使われていようがあまり重要でもないことだしね。

 全てが仕組まれたことというのが、胸糞悪いだけで。

 

「くそぉ、なんか、悔しいなあ……」

 

 ちょっぴり頑固なさやかにとっては、非常に歯がゆいことだろう。

 

「で、結論から言うとワルプルギスの夜は倒せるわけだ」

 

 私はそんな皆の会話に、ぬるりと唐突な言葉を差し込んだ。

 

 しばらくみんなが停止して、私が何を言ったのかを咀嚼して、時間差を置いてこちらを見る。

 

「……え? ほむらちゃん、今なんて」

「ちょっと、今サラッとすごいこと言わなかった?」

 

 言ったよ。驚いただろう。そんな顔が見たかったんだ。

 

「うん。ワルプルギスの夜は倒せる」

 

 だから、私はもう一度断言する。

 今までの暗い話題を払拭してやるように。

 

「……えっと、暁美さん。それはつまり、鹿目さんが契約して……?」

 

 困惑する皆の表情。

 何を言っているんだ。まさにそんな顔をしている。

 まさかな。期待を裏切られまいと、疑心暗鬼に食ってかかる顔だ。

 

 けどだからこそ、私はここぞ、今この時、最高に無責任で、全く根拠のない微笑みで応えてやるのだ。

 

「いや、普通に倒せるよ」

 

 彼女達から上がる、わずかに期待の混じった驚きの声を聞き、私は自分の有り様を再確認する。

 

 やっぱり私は、空虚な存在だ。

 

 空虚で、嘘つきな奇術師だ。

 

 だが、暗い未来しか用意されていないステージだからこそ、おどける奇術師は必要になる。

 

「ちょっ、ちょちょ、どういうことだよオイ!」

 

 ガラスのテーブルに身を乗り出す杏子。

 勢いよく突いた手の近くにあったティーカップの皿を二枚、咄嗟に退避させるまどか。

 いい感じに慌ただしくなってきた。

 

「実は私の記憶が戻ると同時に、私の魔法の正しい使い方も思い出してね」

「暁美さんの、魔法……?」

「そういえばほむらの魔法って何なの?」

「気になるね」

 

 部屋の隅でいじけていた白猫が復活した。現金な奴である。

 

「ふふ、そう簡単に見せてやることはできないよ。できるだけ魔力は消耗させたくないし……ワルプルギスの夜に向けて、グリーフシードを集めなくてはならないからね」

「あ……そっか、グリーフシードがないと、魔法を沢山使えないもんね」

「うん。私の魔法はわりと燃費が悪いから、ワルプルギスの夜と戦おうとなれば、さすがに慎重になった方がいいかなって、ね」

「魔力に余裕がないというのは可笑しな話だね、普通に倒せるんじゃなかったのかい?」

 

 ……この白猫、根絶できないのかな。

 無駄なことばかり言いやがって。

 

「倒せるけど、間違いがあっては困るだろう? 一応、初めて戦う相手なんだからさ」

「なるほど、そういうことか」

 

 危ない危ない。

 インキュベーターめ、やはり油断も隙もない奴だな。

 嘘をつくにも細心の注意が必要だ。あまり強引すぎる誤魔化しは通用しないだろう。

 

「私の魔法はね。口では説明が難しいけど……とにかく大げさなものだ」

「大げさ……」

「ワルプルギスの夜は超弩級の魔女だと聞く……ならば私の魔法は、ワルプルギスの夜に対して非常に有効なはずだ」

「おおげさな魔法……って言われても、どんなのよ? それ」

「次の魔女狩りの時に見せてあげようか?」

「!」

 

 私がちらりとお誘いしてやると、さやかは目を見開いた。

 

「お願い!」

「……あたしも、見ておきたいな」

「わ、私も! 良い? 暁美さん」

「もちろん良いとも。見てもらわないと信じられないだろうしね」

 

 というより、見てほしいくらいである。

 

「……あ、あの」

「ふふ……もちろん、まどかも来るかい? 結界の中は危ないけれど」

「そうね。鹿目さん、あなたには全てを知る権利があるわ」

「! あの、それじゃあ……私も連れて行って!」

「当然さ、まどかに見てもらわないと困るしね」

「?」

 

 不思議そうな顔をするかい?

 でもこれは当然じゃないか。

 

「私の力を見てみなければ、心の底から安心はできないだろう?」

「え、ああの、でもほむらちゃんの実力を疑ってるっていうのは、その、悪い意味じゃないよ?」

「気遣わなくてもいいさ、ふふ」

 

 ここまで余裕をぶっこいてみせている私だが、はてさて。

 

 私の実力をお披露目する魔女退治。

 さて、どう仕組んでみせたものだろうか……入念に考えておかなくてはね。

 

 しかしこういうことになると、真面目にやらなくてはならない事だというのに、相反して胸は高鳴るものだ。

 まったく、マジックのやりすぎかな。ふふ。

 

 



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見栄っ張りの軌跡

 

 紅茶をもう一杯ほど満喫した後、マミの家を出た。

 

 記憶を失っていた間に色々とあったので、その処理をしなければ。

 ……というなんとも悠長な体で、私の公開魔女退治はお流れとなったのである。

 

 が、いっぺんに色々な情報を詰め込まれていっぱいいっぱいな彼女が考えをまとめるには、丁度いいクールタイムとなるだろう。

 とはいえ、魔女退治だって忘れてはならない。

 今日はさやかと杏子がペアを組み、さやかに魔女と戦う術を学ばせるそうである。さやかはまだ魔法少女になりたてなので、覚えることは沢山だ。

 それに当然、これはグリーフシードの収集も兼ねている。先立つものはいつだって枯渇気味なのだった。

 

 そして肝心の私は、さて。

 記憶喪失の後片付け、と皆の前では言ったのだが、そんなものは当然、嘘だった。

 

 整理はとっくに、というよりも一瞬の内に済ませてしまえたので、あの言い訳はただの時間稼ぎにしか過ぎない。

 私はこれからおそらく、魔女退治に勤しむであろうさやか達以上にせわしく、目的のために動くことになる。

 

 無茶が多いとはわかっている。

 だが、やらなくては。

 

 

 

 まずは手始めに。

 

「はっ……はっはっ……!」

 

 ダッシュでサイクリングショップにやってきた。

 

 これからは忙しくなるので、グリーフシードを使わない足は重要になってくる。

 それ故、燃料なしに行動範囲を広げるためにも、自転車は欠かせなかったのだ。

 魔法少女の力なら、原付きやバイク以上の速度は出るだろうしね。

 

「はいなんでしょ、パンク修理ですかね」

「いえ、とびっきり速い自転車を一台」

「え? とびっきりはやい……」

 

 スポークを直していたらしい男性は怪訝そうに首を傾げている。

 

「私も詳しくないけど、とりあえず速度が出るやつが欲しくて。金に糸目はつけないから……」

「……うーん、速いものだと本当に速いけど、安くても十万はするよ」

「おお、その程度であれば問題ない」

 

 私は指を鳴らした後、その手を開き、三十万ほどの紙幣を開いてみせた。

 

「おぉお」

「とりあえずこれで買えるもので、一番速いものを」

「高い買い物だねえ……親御さんは大丈夫って?」

「心配無用だ」

「……よし、じゃあこれかな? 軽いし、君向けのカスタマイズをすれば良いものになるはずだ」

 

 どうやら、これといった苦は無く自転車を手に入れられそうである。

 金は偉大だ。面倒な事を全て向こう持ちでやってくれる。セルフのガソリンとは大違いだ。

 

 

 

「うむ、どうかな?」

「うんうん、似合ってるよ! カッコイイねえ」

 

 完成した、細くコンパクトなデザインのバイク。

 私の生まれて初めての愛車に跨り、それっぽいポーズを取ってみる。

 

 店員はお世辞だろうが、惜しみない拍手を送ってくれた。

 

「しかし、随分と華奢そうなボディだけど、これは簡単には壊れたりはしないだろうね」

「強く衝突とかしない限りは大丈夫。見かけよりはずっと丈夫さ。それに、保証期間もあるしね。思いっきりサイクリングを楽しむと良いよ」

「ありがとう、感謝するよ」

 

 どうやら問題はないらしい。

 よし。ひとまず、これで当面の足を手に入れた。

 

 これで隣町との往復は、今までよりも容易くできるようになるはずだ。かゆいところにも手が届くというやつである。

 まぁ町中を速く移動する分、魔女の反応を察知できなくなるという可能性はあるにはあるが……。

 記憶にある魔女の推定位置を頼りにしていれば、そう見落とすことはないだろう。

 そこらへんは、今までの暁美ほむらの記憶を、最大限活用するしかない。

 

「じゃ、また用があったら来ますから」

「はい、ありがとうございまーす!」

 

 私は勢いよくペダルをこぎ、発進した。

 

「おおお……!」

 

 風を切り、まるで魔法少女に変身した時のような速度で駆けてゆく。

 思っていたよりもずっと速い。けど、あれ、そうだ、これ……。

 

「えええっとこれどうやってカーブすればい」

 

 言葉を言い切る前に、私は街路樹に正面衝突した。

 

 

 

 見滝原を走る。もちろん徒歩だ。

 健全な中学生は足腰をよく使うべきなのだ。

 走り高跳びで県内記録を叩き出そうとも、全国大会へ向けて精進する気持ちを忘れてはいけない。

 

 自転車は、まあ、なんだ。

 要練習ということである。

 記憶にも乗ったことのあるエピソードはなかったけど、まぁそれも納得というものだ。アウトドアの遊びの経験が皆無であれば、それもやむなしであろう。

 

「はぁ、はぁっ……」

「わっ、びっくりした」

 

 そしてダッシュするうちに、目的地に到着。

 アクリル窓の向こうの受付のおばちゃんを驚かせたようだが、気にしてはいられない。

 

「ふう……さて、と……」

 

 受付に置いてあった用紙を躊躇なく五、六枚ほど取りあげ、鉛筆でマーキングしてゆく。

 

「あなた、学生さん? こういうのやるんだねえ」

「はぁ、はぁ、いや、普通はこういうことは、ほとんどやらないかなっ」

 

 そう。実際、私がこんな真似をする経験も、数の上ではそう多くなかったりするのだ。

 マークした用紙を手渡し、おばちゃんはそれを機械に読み込ませた。

 

「はい、これ代金」

「一万円。ほー随分お金持ちね」

 

 仁美ならもうちょっと持っている額だ。見滝原では驚くことでもないだろうと思うのだが。

 ……ちょっと金銭感覚が狂っているかな。

 

「はい、じゃあ、頑張ってね」

「うむ、ありがとう」

 

 ドキドキワクワクな宝くじ数枚を握りしめ、私はその場を徒歩にて去った。

 当たるかどうかは運否天賦。

 

 ただし、私にはあまり関係ないのだが。

 

 

 

 次に来たのは寂れたネットカフェだ。

 時間も時間で、中学生はそろそろ締め出される頃合いだが、構わない。

 もともと、すぐに終わらせるつもりだったから。

 

「買い、買い、買い、買い……っと」

 

 古臭い色合いのタッチキーボードを弾き、取引を繰り返す。

 ひとまずはこのくらいで良いか、と息をついた所で、店員が私を注意しにやってきた。

 

 念入りにページ履歴を消去して、私はそのままネットカフェを出る。

 

「……こんなものかな」

 

 西の空には、すでに茜色の雲が“燃え上がれ~”という感じに輝いていた。

 その景色を細目でそれっぽくしばらく眺めた後、すぐに歩き始める。

 

「時間がない……金もない」

 

 元手は少ないが、とにかく少しずつでもやっていくしかないだろう。

 ワルプルギスの夜まで時間がないのだ。もっと準備期間が長ければまだしも……私は、最善を尽くすしかない。

 

「あ、ガソリンも補給して、グリーフシードも集めておかないと……ああ、もう、こんがらがる」

 

 頭も掻きたくなるというものだ。

 ああ、自転車もどうにかしないと。

 

 不眠不休か。

 学校で寝る生活が、しばらくの間は続きそうだな。

 

 



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唐変木の倒し方

 

『ん、ん……』

 

 殺風景な部屋で目が覚めた。

 眠りに落ち、そのまま朝を迎えるはずだったのだが。……どうやらまた、深い夢の世界へと潜り込んでしまったようである。

 

 あの空間はすでに焼け落ち、無くなってしまったかと思っていたけども。

 魂の状態が曖昧な眠りに落ちてしまえば、話は別ということなのだろう。

 

『私が言えたことではないけれど、無茶をするのね』

 

 顔を上げると、そこには私を見下ろす暁美ほむらがいた。

 というより、私が膝枕されていたらしかった。

 

『おっと、すごい体勢で寝ていたね。すまない』

『構わないわ』

 

 身を起こし、髪を整える。

 ……うん。やっぱり彼女は、暁美ほむらだ。

 

『君とは、夢の中では会えるのか』

『ええ。無いとは思うけれど、もし表の世界が嫌になって交代したいと思ったなら……私に言って。耐えるだけなら、私にはできるから』

 

 耐える。そうは言うが、その耐えるというのはほむら。辛うじて生きていける、という意味だろう?

 それは私の中ではね、耐えるとは言わないんだ。そんなに前向きな状態ではない。

 

 ……だが。

 

『君が交代したいというのであれば、私に拒否権は無いよ?』

 

 代われというのであれば、いつでも代わるつもりではある。

 私は彼女の過去を知り、理解したのだ。その上で、彼女にも今の時間を過ごしてもらいたいと考えている。

 

『ふ』

 

 しかし、暁美ほむらは私が冗談でも言ったかのように、一笑に伏す。

 

『今の暁美ほむらは、貴女が築いた賜物よ。私が表に出たら、きっとたまらなく嫉妬してしまうわ』

 

 薄く微笑みながら暁美ほむらは言うが、いまいち冗談として笑えない。

 嫉妬して……変なことされたら、困るなぁ。うーむ。

 

『それよりも気になるのは……貴女の行動よ。貴女の見聞きした出来事は私も共有できるけど、貴女の考えまではわからない。一体、これから何をするつもりなのかしら』

『んー?』

 

 ふむ、やはり考えまでは読めないか。私も記憶を分けてもらったときは、彼女の思考まではトレースできなかったものな。エピソード記憶のエピソードだけをそのまま視聴したような気分だった。

 

 ……つまり、僥倖だ。

 

 私はなんとなく彼女の隣に腰を下ろして、ハットを被る。

 

『んー……そうだね。うん。やはり君にもヒミツにしようかな?』

『私自身にも? まどか達に隠し事をするのも随分と意味ありげだけど、どういう事なの。私はもう、貴女を邪魔するつもりは……』

『よし、やっぱりこれは君にもヒミツだ!』

『ちょっと、ふざけないでよ』

『ふふ、まさか? ふざけてなんかないさ、至って真面目だよ』

『……』

 

 彼女は眉だけ吊り上げ、不機嫌そうな顔になってしまった。

 けれどこういった表情を見せた方が、活き活きとしていて、良いものだと思う。

 

『その時になれば十分にわかるはずさ。それまでは君も楽しみにしていると良いよ』

『……もういいわ。あなたに託した人生よ、好きに生きて』

 

 暁美ほむらは、尖った言葉を投げ放ったまま霞んで消えてしまった。

 それと共に、私の意識も混濁し、覚醒してゆく。

 

 

 

「……おはよう、ワトソン」

「にゃぁー」

「くるっぽー」

「レストレイドもおはよう。二人とも早起きだな」

 

 朝が来た。

 起き上がって、伸びをする。

 

 睡眠時間は長いとは言えないが、健康に気を使う暇はない。

 これからも、かなりの時間の節約を強いられるだろう。

 なに、魔法使いの体は頑丈だ。精神に影響しなければ、多少の不眠など問題ではない。

 

「……暁美ほむらのために、ワルプルギスの夜をなんとかしなければね」

 

 まどかを契約させず、魔法少女達を守る。

 それを達成するには、今までの暁美ほむらのやり方では不可能だ。

 

 暁美ほむらは実体験を通じて、それを私に教えてくれた。

 ……私に休む暇はない。がんばろう。

 

「まぁ、腹が減っては戦争もできない。……食べようか、ふたりとも」

「にゃ」

「くるっぽ」

 

 普通のヌードルのキングサイズの前で、私は合掌した。

 いただきます。

 

 

 

 さて。

 ある意味でこれからのある程度の未来を見通す事ができるようになった私には、それに伴っていくつかの心配事が生まれていた。

 

「やあ、おはよう」

「お、ほむらおはよーう!」

 

 さやかである。

 

「おはよー、ほむらちゃん」

「やあまどかおはよう、今日も背が低いね」

「えー……」

「おはようございます、ほむらさん」

「うん、おはよう仁美」

 

 そして仁美である。

 この時期に二人の間で発生する問題こそが、とりあえず真っ先に目につく懸念と言えるだろう。

 

『あー、えっとそうだ、ほむら』

『うん?』

 

 そんなことを考えている間に、さやかからのテレパシーだ。

 このタイミングということは、もしや……。

 

『ちょっと私、用事があるからさ……』

「……」

 

 仁美は不自然に沈黙した私たちを見て、小首をかしげている。

 

『だから、魔女退治には少し遅れるかも』

『ふむ、そうか、わかったよ』

 

 ……さて。この二人、どうしたものだろうか。

 

 

 

 何度目かの挑戦の中で、暁美ほむらは放課後に待ち合わせたさやかと仁美について知った。

 彼女ら二人は、ハンバーガー店で待ち合わせ、話をする。

 なんともタイミングの悪いことに、上条恭介への告白についてである。

 

 幸い、さやかには魔法少女になっても後悔しないよう、念押ししてはいたが……。

 それでもやはり、不安だな。

 

「で、公式をここに当てはめて~……」

 

 先生の話を聞き流し、ペンを親指の上で回しながら考える。

 

 さやか。美樹さやか。

 ……暁美ほむらとしてではなく、私自身として。先入観なく、彼女はとてもいい子だと思っている。

 けれど彼女の恋路の先に道が続いているかどうかは、また別の問題だ。

 

 実際のところ、仁美に「時間をあげます」と言われたさやかは、一人で悩んで……挙句に魔女となってしまう。ただその場合、仁美と恭介が付き合う事はなかったのだが……。

 恋が実らないことを再確認した時、仁美と恭介がどうこうにあまり関わらず、彼女は深く落ち込んでしまうのだ。

 乙女心は複雑である。

 

「で、この証明は~……上条君、わかるかな?」

 

 で、その乙女心以上によくわからん心をもっているのが、彼だ。

 

「あー……すみません、わからないです」

 

 さすがに入院期間が長すぎたせいだろう。

 彼はそこそこ地頭が良かったはずだが、授業にすぐついていけるわけではなかったようである。

 

 ……しかし、わからない……か。

 

「ああ、うん、仕方ないね、じゃあ暁美さん、これを」

「わからないのはこっちだっての……」

「え?」

「2番の証明方法を使います」

「うむ、正解……しかし暁美さん、さっき何か……?」

「2番の証明方法を使います」

 

 上条恭介。

 この男の恋愛観というのが、なんともふわふわしすぎている事こそ、全ての元凶のような気もしている……。

 

 

 

「でも良かったよなぁ」

「うん、本当にね、それにさ、……」

 

 今、上条恭介は教室の隅で楽しそうに話している。

 彼も悠長なものだ。そして鈍感である。

 

 奴がさやかの気持ち……いや、さやかだとは言わない。仁美でもいいのだ。どっちでもいい。

 どちらの気持ちでもいいから感じ取ってやらないから、こうして私がそのツケを払わされるのだ。

 

 気づくだろうに。入院する前から仁美は気になっていたみたいだし、さやかなんてお前、何度見舞いに足を運んでいると……。

 

 ……まぁ、仁美の気持ちに気付かないのは経緯も知らない私からはあまり言えないから、良しとしてもだ。

 

「んでそれがまたセンスなくってさあー!」

「あはは、ひどいねぇさやかちゃん」

 

 少なくとも、かなりの頻度でお見舞いに来ていたさやかの気持ちくらい、気付いてやってもいいんじゃないのか。

 

 これは私がおかしいのか? いや、そうは思わん。

 もはや鈍感を通り越して無だ。無の境地に立っていると言っていい。本当に男子中学生なのか? 他の男子なんてもっとキーキー言ったりウホウホ言ってるぞ。

 ただの幼馴染がそう何度も甲斐甲斐しくCDを持ってきてやるはずがないだろう。新品だぞ。気づけ。本当に。

 

 ……ああダメだ、なんかイライラしてきた。

 

「ほ、ほむらさん? 何か手元のトランプが、ものすごく荒ぶっているのですが……」

「え? ああ、いいんだ、どうにもこうしてないと落ちつかなくてね」

 

 トランプを二つの束に分け、それぞれを一枚ずつ噛みあわせてゆくショットガンシャッフル。

 それをほぼ連続的にやることで、私は上条恭介への苛立ちを抑えていた。

 

「ほ、ほむらちゃん……ショットガンシャッフルはカードを傷つけるよ? あんまりよくないと思うな……」

「鹿目! お前やっぱり知ってるな!?」

「ええ!? な、何が?」

 

 うーむ。どうしよう、本当にどうしよう。

 

「よし、そうと決まれば決闘(デュエル)だ!」

「わ、わけがわからないよ!?」

 

 私のシャッフル瞑想は、クラブのキングが二つ折れになって弾き飛ばされるまで続くのだった。

 

 



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偉大なるパンとサーカス

 

 屋上でマミの弁当の中のレンコンをぱりぱりと噛んでいる最中に、結論は出た。

 

(放っておこう……)

 

 さやか、仁美、恭介。

 私はもう、この三人の恋愛問題について関わらないことに決めた。

 

 確かに、未来を知っている私はこの問題に干渉する事はできるだろう。

 言葉によって三人の未来を動かすことはできるかもしれない。

 

 だが、色恋沙汰に詳しくない私が適当な茶々を入れて何ができるだろうか。

 上手く誘導できれば話は早いが、私にそんな技術は無いのだ。

 

 だから私は今回のさやかを信じ、何もしないことに決めた。

 投げと言ってしまえばそれまでだが、仕方のないことだ。

 これもひとつの青春だと思って、さやかには相応の苦悩なりをしてもらいたい。

 

 

 

「――それでね、佐倉さん、プリペイドの携帯を持つことにしたらしいの」

「はあ……そうか……」

「ねえ暁美さん、聞いてないでしょ」

「ああ……え? いや、何だっけ」

 

 マミはあざとく頬を膨らませ、怒っていた。

 

「もう。あまり上の空でいられると、また前のようになってしまうんじゃないかって、心配になるわよ?」

「すまない、ぼーっとしていたよ」

「いつも変なところで力を抜くんだから、暁美さんって」

 

 厚焼き卵を一口食べながらマミは言った。

 そうだろうか。うーむ、変なところで、か……。

 

「……そうかな?」

 

 私はパセリの茎を噛みながら、首を傾げるのだった。

 

 

 

 頭の中で考えを巡らせているうちに、放課後はやってきた。

 マミやまどかは期待に満ちた目で私を見やるし、さやかはそそくさと先に帰ってしまうし、なんとも私の胃は重い。

 

 分身マジックを身につければ、本当に分身できるのだろうか。可能であるならば今からでも猛特訓するのだが……できるものなら、暁美ほむらがやっているか。

 

「それじゃあ暁美さんの魔法を実際に見学する魔女退治、これから始めましょうか?」

「えへへ、ほむらちゃんの戦い方、私憧れるんだよね」

「まどか、憧れるというのは冗談でも怖いよ」

「あ、ご、ごめんね、そういうつもりはないよ?」

 

 まどまどする彼女の態度は、暁美ほむらが最初に出会った時のまどかからは全く想像もできないものだ。

 ……こうして時間をかけて一緒に過ごすことで、気心が知れて、打ち解ける。

 いつからか、暁美ほむらが忘れてしまった当たり前のことだ。

 この時間では取り戻せて、本当に良かったと思う。

 

「まあまあ、それで、どうかしら? 美樹さんは用事があってすぐに来れないのが残念だけど……佐倉さんを呼んで、早速魔女探し?」

「あー、そうだね。魔女を探さなければならないか」

 

 私の力ならばワルプルギスの夜を簡単に倒すことができるという事を皆に証明しなくてはならない。

 それは、皆が納得する未来を迎えるために必要な、最低限私がやらなくてはならない関門のひとつだ。

 

 ……だからこそ、私は上を目指さなくてはならない。

 

 そのためには、整った観衆が必要だ。

 一人の欠けも許されない。

 ぐるりと観衆に囲まれてこそ、嘘つきのアドリブはより確かになる。

 

「行きたいところだけど……それには、さやかが居なくては困るね」

「さやかちゃんが来るまで待つっていうこと?」

「うん、せっかく私の力を見せるのだから、どうせならみんなで一緒にね?」

 

 疑問を浮かべる二人の表情に、一人明瞭な答えを得ているような、不敵な笑顔で語り聞かせる。

 

「同じステージを皆で見てもらって、その上で納得してもらわないとね」

「……」

「うーん。けど、美樹さんの用事がいつ終わるかはわからないし……魔女を探すだけでも、しておいたほうが……?」

「魔女ならきっとすぐに見つかるさ。なに、さやかが来るまでは私のマジックショーでも見ていてくれよ。せっかくなのだからね」

「え? マジック?」

 

 驚いたような、呆れたような顔。それでいい。

 

「ちょっと余裕が過ぎるんじゃない? 魔力は節約しなきゃいけない時期なのに」

「そうかな? マジックショー“くらい”なら全然わけ無いよ」

 

 本当は結構燃費の悪いエンターテイメントなのだが、それは秘密だ。

 

「ギャラリーもそろそろ待ち遠しくしてる頃合いだろうしね。さやかが来るまで、楽しむと良い」

「うーん……ほむらちゃんが大丈夫っていうなら……」

「……そうね、今日は全部、暁美さんに任せようかな。ふふ、お客さんとして、久しぶりに観させてもらうわね」

「うん、ありがとう二人とも。期待してて」

 

 私は笑顔を向ける。

 まったく、道化だ。内心ハラハラなのだが。

 

 さやかには早く戻ってきてほしいから、出来る限り病院に近い場所の通りでやるとしよう。

 

 

 

「Dr.ホームズのマジックショー、開演!」

 

 空中で癇癪玉が炸裂し、始端の無い紙テープがはらりはらりと広がり落ちる。

 待っていましたとばかりに拍手がなだれ込み、遠くに歩く通行人を振り向かせ、足が止まる。

 

 以前よりも少し高めに調節した台から見下ろすギャラリー達は、以前の倍ほどにまで膨れ上がっていた。

 

『頑張ってね、暁美さん』

『楽しみー!』

『ご高覧あれ、ってね』

 

 人の視線は心地良い。

 既に私の存在を知っている観衆も多いのだろう。期待に満ちたキラキラとした表情は、一度は観ていなければできないものに違いない。

 

 何があったか、段ボールに白い模造紙を張りつけて“ホームズさん素敵”とか掲げてる女の子までいる。

 黄色い声を大声で浴びせているあの子は、私のマジックのおかげで試験に合格したとでもいうのだろうか。苦笑が漏れてしまいそうなのを我慢する。

 

 やっている身としてはいまいち、私のマジックショーが及ぼす影響というものがわからないが。

 楽しめてもらえるのであれば、それ以上の喜びはない。

 

「さて。ではまずはじめに、このハットからマジックの小道具を取り出させていただきましょう。今日はまだ来たばかりで、準備ができていないのでね」

 

 掲げるハットの中から、体積を無視して大量のおもちゃ達が零れ落ちる。

 ちょっと懐かしいマジックショーに、声援は割増して大きく聞こえた。

 

 そして、彼らの声を聞いて私は自覚するのだ。

 これも立派に、間違いなく、暁美ほむらとしての居場所であるのだと。

 

 

 

「すごーい!」

「やっぱりかっこいいなぁホームズちゃん……」

「どうやってんの? 全然見えないー」

 

 大観衆の人混みの中を、背の低い少女がかき分けて進む。

 手には、つい最近買った携帯電話が大事そうに握られていた。

 

「んしょ、悪いね、んしょ……おいマミっ」

「あ、佐倉さん。来てくれたのね、もう始まっちゃってるわよ」

「始まっちゃってるわよ、じゃないっての。なんだこりゃ」

「えへへ、ほむらちゃんのマジックショーだよ」

 

 杏子はまどかとマミの二人の隣に並び、少しだけ背伸びして奥を見やる。

 確かに、そこには魔法少女の姿となったほむらの姿が見える。

 

「慣れない携帯のメールを開いてみて、“とりあえず来て”で足を運んでみりゃ……随分悠長なことやってるじゃん、アイツ」

「えへへ……」

 

 まどかもそう思わないでもないのだろう。

 マミも同じような苦笑いだった。

 

「はい、盾の中から公園の電灯~」

「うわー電灯っぽい! すごい!」

「あれ? あのタイプの電灯どっかで見たよ私」

 

 魔法を使っているのだろう。

 魔法少女である彼女たちにもタネや仕掛けはわからなかったが、それは確かだ。

 

 それでも、小さなステージの上で行われる芸に陳腐さは感じられない。

 帽子を被り、ステッキを手にした彼女は、楽しそうに幻想を繰り広げている。

 

「素敵よね、暁美さん」

「……まあ、なんていうか、うん」

「魔女を倒して平和を守るっていうことも、もちろんだけど……」

「うん……」

 

 いつの間にか、ステージの上の彼女に見惚れている自分がいたことに杏子は気付く。

 恋愛感情ではない。憧れや、なにか言葉で言い表せない胸の高鳴りのようなものを感じるのだ。

 

「こうして奇跡の片鱗を振りまいている彼女を見ているとね。魔法少女として希望を振りまくということに、まだ私たちの知らない色々な可能性があるんじゃないかって、そう思うのよ」

「……戦いばかりじゃなくて?」

 

 杏子の問いに、マミは優しげに頷くだけだった。

 

「さあ、お嬢さん。このトランプの数字は何だったかな?」

「んーっと、ハートのエースだよ!」

「おっと残念! ハートのエースは私が食べてしまったので、これは白紙のトランプだ!」

「えー!」

「かわりにほら、ハットの中に丁度偶然、画用紙に描いたハートのエースがあるから、これで我慢しておくれ」

「わああ! なんで!?」

 

 手書きのトランプを受け取った女の子は、飛び跳ねて大げさなほど喜んだ。

 

「……暁美さんを見ていると、何故かしらね……安心できるのよね」

「……わかるよ、それ」

 

 戦いばかりだった魔法少女としての生活。

 もちろん、戦いはこれからも同じだけ続いてゆくのだろう。

 

 だがマミと杏子は、自分の人生がそれだけではないことに気付きはじめている。

 彼女たちはゆっくりとではあるが、確かに心の希望を育みつつあった。

 

 



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自分の覚悟と向き合い続けられますか

「ずっと前から……私、上条恭介君の事、お慕いしてましたの」

「……」

 

 さやかは目の前が真っ白になった。

 無理もないことである。仲の良い友人である仁美に誘われて店に来てみれば、極々真面目な顔でそう言われたのだから。

 心の準備などできていなかった。“大事な話がある”とは前もって言われていたが、内容そのものは不意打ちでしかなかったから。

 

「あはは、まさか仁美がねえ……恭介の奴、隅に置けないなあ?」

 

 だからついつい、いつもの態度で応じてしまった。

 仁美は本気だ。そうとわかっていても、心がどうにも切り替えられない。

 

「さやかさんは、上条君とは幼馴染でしたわね」

「……まあ、腐れ縁っていうかね、うん……そう、幼馴染み」

「本当にそれだけ?」

 

 それだけ。

 

 と言ってやれたら、どれだけ気持ちが楽になるだろうか。

 いや、きっと楽にはなれないのだろう。

 

「私、決めたんですの……もう自分に嘘はつかないって」

 

 もう、後戻りなどできない。

 少なくとも仁美はその覚悟で、ここでこうして口火を切ったに違いない。

 

「さやかさんは? さやかさん……あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか?」

「……私自身の、本当の気持ち」

 

 自分の本当の気持ち。

 悩むまでもなく、それはわかりきっている。

 

「あなたは私の大切なお友達ですわ。だから、抜け駆けも横取りするようなこともしたくないんですの」

「……仁美」

「上条君のことを見つめていた時間は、私よりさやかさんの方が上ですわ」

 

 そう言って目を閉じ、一言分の覚悟を吸い込んだ。

 

「だから、あなたには私の先を越す権利があるべきです」

 

 凛とした、美しい顔だった。

 いつものお嬢様然とした、のほほんとした雰囲気は微塵も感じられない。

 仮に今彼女の姿を一時間近く注意深く観察したとして、そこから欠点らしい欠点を見つける自信がないほどに。

 

「私、明日の放課後に上条君に告白します」

(……私の気持ち)

 

 気持ちなど決まっている。嘘などつく必要もないことも。

 そして目の前に座るこの気高く心の清らかな少女は、誰にだって自慢できるような友達だと、さやかは知っている。

 

「丸一日だけお待ちしますわ……さやかさんは後悔なさらないよう決めてください。上条君に気持ちを伝えるべきか――」

「……ふう。伝えないよ、私は」

 

 仁美の言葉を最後まで聞かず、さやかは手を振った。

 

「……どういうことですか?」

「一日も待つ必要なんてないよ。私は、良いや」

 

 答えはそれだった。

 覚悟は前から出来ていたし、嘘でもなかった。

 

「き……! 気付いていますわ! さやかさん! 貴女は上条君の事を……!」

「あはは、だからこそなんだよ。仁美」

 

 仁美は怒りかけたが、さやかの目を見た瞬間、それ以上の言葉を継げなかった。

 冗談めかすわけでも、強がるわけでもない。それは仁美が今まで見たこともないような、真剣で、落ち着き払ったさやかの目だった。

 

「うん、私は恭介の事、好きだよ……自分の命を賭けてもいいくらい好き」

 

 微笑みながら語るさやかは、携帯のバイブレーションに気づいて鞄を開ける。

 

「……だからこそ、ちょっと嬉しいな。仁美があいつのこと、そんなに好きでいてくれるなんて」

 

 

“いつもの通りで、ほむらちゃんのマジックを見ながら待ってるから! fromまどか”

 

 

「あはは……だから、仁美。お願いするよ、恭介の事」

「さやかさん!」

「んーごめん! 用事が出来ちゃった、行かなくちゃ! ほんとごめんね! それと、ありがとう!」

 

 さやかは手早く荷物をまとめると、そのまま急ぎ足で店を出ていった。

 

「……さやかさん」

 

 

 

 そのまま彼女は走り続ける。

 わずかな向かい風があれば、どうにか目の潤みを抑えられそうだったから。

 

「仁美、そっか、好きだったんだ……」

 

 心の動揺が今もまだ残っている。しかし、迷いはない。

 

(……仕方ない!仁美じゃどうせ敵わないし! 私の魔法少女としての体じゃ、いつか恭介と別れることになるだろうし……!)

 

 全ては決めていた覚悟だ。

 魔法少女になると決めたのも、人間を捨てるという覚悟があったからこそできたもの。

 その上で、人間をやめた上で上条恭介を捨てることこそが、さやかの望みだったのだから。

 

(……うん、これで良いの! 良い区切りと思っちゃえばいいんだ!)

 

 いつかは必ず別れがやってくる。

 それは円満なものではなく、孤独なものだとわかりきっていた。

 

(最近は恭介もそっけないし……うん、良いんだ、これで)

 

 それでも、まさかここまで早く訪れようとは思わなかっただけ。

 

「……ぐすっ、……うう、くそぅ……でも、やっぱ、ちょっぴりだけどっ、堪えるなぁっ!」

 

 覚悟はできていた。しかし悲しいものは悲しいし、悔しいものは悔しい。

 それは嘘ではない。仁美の前では出さない気持ちだったが、やはり自分に嘘はつけない。涙は堪えようもなく溢れてきてしまった。

 

「良いもん。仁美と付き合う恭介も、全部私が守ってやるんだから……!」

 

 だが絶望ではない。最高に悲しいが、それでもどん底に落ちたというほどではない。

 自分にとっての一番の願いは、それではないのだから。

 

(恭介の手を治して、恭介と付き合うのが私の願いじゃない。この世界に少しでも救いの手を差し伸べること! それが私の祈り!)

 

 魔女を倒す。魔女によって理不尽に失われる命を助け出す。

 恭介はあくまでおまけ、その覚悟で魔法少女になった。

 それを心の中で再確認することで、さやかはどうにか自分の気持を立て直すことができた。

 

(ああもう! でもなんか、すんげーモヤモヤする! 後で何かスイーツ食べよっ!)

 

 それでもやはり、心に来るものはある。

 さやかはほとんどやけっぱちな速さで、まどか達が待つ大通りへと駆け出した。

 

 

 

 

 

「御静観、ありがとうございました」

 

 ハットを掲げて、挨拶をひとつ。

 

 ほどなくして、盛大な歓声が響き渡る。

 ソウルジェムに回復効果があるならば、きっと今頃は淀みひとつない綺麗な状態になっていることだろう。

 今日の公演もまた、満足のゆくものだった。

 

「今日こそ、今日こそ握手をー!」

「写真撮らせてくださーい!」

「ていうか撮る!」

 

 やれやれ、終わっても冷めないこの熱気。

 嫌いではないが、私はこれからやることがあるのだ。今日はファンサービスは控えめにしておかないとね。

 

「ほっ」

 

 大きな白い布を取り出して、体全てを包みこむ。

 カーテンサイズの布だ。私の身体は靴から頭まで、綺麗にすっぽりと覆い隠された。

 

「あれ? まだ続きがあるのかな?」

「おっ、またせぇー!」

「さやかちゃん!」

「あら美樹さん、用事は済んだ?」

「はい! かなり!」

「かなり、って何だよ……」

「あ、杏子も来たんだ。……ってあら? ほむらのマジックショーは終わっちゃった感じ……?」

「うん、それなんだけどね……」

 

 

 *tick*

 

 

 台の上で繭となった布が、重力に従ってはらりと下に崩れ落ちる。

 そこにはもう、私の姿は無い。

 

 

 *tack*

 

 

 そして消える。正統派な瞬間移動と言えるだろう。

 

 

「わ、イリュージョンだ!」

「またー!? どうして最後は消えて居なくなっちゃうのー!?」

 

 それはもちろん、ファンの人垣から抜け出すためさ。

 探しているのかな? だとしたら、いつもすまないね。

 

「わっ、ほむらちゃん消えちゃった!」

「本当……いつ見ても不思議だわ、暁美さんの瞬間移動」

「どんな魔法なんだって話だよなぁ、見当もつかないよ」

「でも今日、ほむらの魔法が見れるんだよね?」

「そのはずなんだけど……うーん、どこに行ったのかしら……」

 

 どこに行ったか、ね。

 実は既に、君たちの後ろにいるんだけどな。

 

「あの、みなさん。待たせてごめんなさい」

「ん? 誰?」

 

 さやかが振り向き、首を傾げている。

 ……そんなに気が付かないものだろうか。

 

「私ですよ、私」

 

 皆の後ろから小さく手を上げて、声をかける。

 

 魔法少女ではなく、見滝原の制服姿で。

 そして、かつての暁美ほむらとしての姿だった、三つ編みと眼鏡の姿で。

 

「……」

「……」

 

 まどかとマミは無言で固まっている。

 

「……え?」

「うそっ」

 

 さやかと杏子からようやく出た言葉も、そのくらいでしかなかった。

 一様に並ぶキョトンとした顔は、きっと先程までやっていたマジックショーでも見せていなかったと思う。

 びっくりさせられたのは嬉しいけど、それはそれでちょっと複雑だ。

 

「三つ編みに眼鏡を加えただけですけど、そんなに変ですか? これ」

「……えー!」

 

 以前の暁美ほむらの元々の姿に変装しただけだというのに、彼女らが私だと認識するまでには随分と時間がかかった。

 いやしかし、うん。

 

 そこまで驚くか、普通。

 

 

 

 私のマジックを見に来た人だかりの中を、こんな陳腐な変装だけで悠々と切り抜け、私達五人は歩き始めた。

 

 しばらく歩いてほとぼりも冷めた後には、鬱陶しかったので眼鏡を外し、三つ編みも解いた。

 暁美ほむらの姿といえど、今の私からしてみれば格好良くない姿だからである。

 

「……いやー、びっくりした。別人だったな」

「ええ、なんていうか…本当に」

「これからもあの舞台から抜け出す際は、変装のお世話になりそうだよ」

「あはは」

 

 ソウルジェムを片手に歩く放課後の道。

 もう小一時間もすれば日が暮れ始めるだろうか。

 皆のためにも、手早く魔女を見つける必要があるだろう。

 

(まあ、今日の魔女の位置はわかっているんだけどね……)

 

 過去の暁美ほむらの記憶を辿れば、魔女と出会うのは簡単だ。

 当然、倒す事だって造作もない。

 

「ところで、さやかちゃんの用事って何だったの?」

「!」

 

 私は事情をわかっているだけに、知らぬ存ぜぬ興味示さぬの態度を維持するのは難しかった。

 今日のさやかは……人生において、大きな転換点に触れていたはずだったから。

 

「あー、まぁちょっとヤボ用ってやつ? ははは」

 

 そんな軽いものではないはずだ。

 

「緊張感の無いやつだなぁ。どんな用事があったらこんな集まりに遅れるんだっての」

「まあ、まあ」

「……お、魔女の反応が強くなった。こっちかな」

 

 仁美と会って、さやかはどんな話をしたのだろうか。

 ……くだらない話ではないだろう。少なくとも、過去の例を考えるなら……一日の猶予を与えられたはず。

 

 上条恭介への告白まであと一日。

 ワルプルギスの夜。

 これが被るとなると……。

 

(……とんでもない重圧だろうな)

 

 それでも私、暁美ほむらは、時間遡行者などではない。

 過去と未来を知り尽くしている人間ではない……あくまでもそのつもりでいなくてはならない。

 

 だから今、さやかの相談や話の聞き役になってやれないことが、少しだけもどかしかった。

 

 



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粉飾と模造の演舞

「見つけた、結界だ」

 

 魔女の結界の前に立つ。

 オフィス街の路地裏、無数に上書きを繰り返されたスプレー塗料の落書き(タギング)に混じるようにして、入り口は不気味な発光と共に口を開いていた。

 

「……私も、行って良いんだよね?」

「もちろんだとも、まどか。マミや杏子がいれば安全だろう、守ってもらうといい」

「私だって守れるぞー」

「ふふ、そうだね。じゃあさやかには練習がてら、使い魔だけ手伝ってもらおうかな?」

「よしきた!頑張るぞー!」

「死ぬなよー。一応あたしも戦える準備はしておくからな」

 

 魔女の結界を目の前にして随分と呑気な雰囲気である。

 

 呑気。まあ、それも当然だ。

 どんな手ごわい魔女が相手だろうと、魔法少女が四人もいればさすがに瞬殺も良い所だ。

 緊張感が多少薄れていようとも、誰一人として傷付かずに終えることも不可能ではない。

 

「さあ、行こうか」

 

 変身。

 ハットとステッキと一緒に、結界へ飛び込んだ。

 

 

 

 結界の中は夜で、どちらかといえば和風だった。

 どこまでも不格好に連結し続いている、紺色の瓦屋根の道。そこだけが、私達の足場のようである。

 

 瓦屋根の脇には大きな雪洞が街灯のような高さで林立し、暗い夜の中で瓦の道を照らしている。

 

「わ、江戸っぽい」

「江戸なのかしら? コレ」

「……この景色を作り出した魔女って、どんな人だったんだろう」

「さあてね、歴史が好きだったのかね」

 

 杏子は特に気にした様子もない。結界の由来を推測するよりは、使い魔を警戒しているようだ。

 

「魔法少女が魔女に、って知っていると……そういうことも、考えてしまうわよね」

 

 マミの方はというと、覚悟を決めてはいても魔法少女の運命についてナイーブな面があるらしい。反応は個人によって様々だ。

 

「さあ、景色に見とれている暇はないよ。刺客のお出ましだ」

「!」

 

 瓦屋根の通路の向こうから、八等身の細身な五人囃子達が歩いてくる。

 日本刀を携えて、ゆっくりと。モデル歩きで。

 

「よーし、同じ剣なら負けないぞ!」

「さやかは右の二体を頼む。私は三体を片づけるからね」

「おっけーまかせて!」

 

 相性は悪くないはず。多分さやかでも戦える相手だ。

 

「今日はさやかのお手並み拝見でもあるな」

「さやかちゃん、がんばって!」

「危なくなったらいつでも呼んでね!」

 

 私とさやかは、多少過保護な声援を受けて正面へ飛び出していった。

 対する五人囃子は、身の丈三メートルはあろう巨人だ。

 威圧感はある。しかし、魔法少女にとってみればまだまだ小型の雑魚敵だ。

 

「ショータイムの前座だ、久々に楽しませてもらうか!」

 

 左腕の盾から湾曲する広い刃が顔を出す。

 

「1.非合法切断マジック!」

 

 久々に使う、ギロチンナイフだ。

 

「KIeEEEeEeeeEEEE!」

 

 五人囃子の一体が、日本刀を真上に掲げた。

 気合いの入った示現流の上段。

 使い魔の攻撃といえど、力任せなその攻撃を私の柔な防御で受け切ることは難しい。

 

 

 *tick*

 

 

 なので私はいつも通りの手法でやらせてもらう。

 

 

 *tack*

 

 

「eEE……!?」

「まずは一体」

 

 私は瞬時に使い魔の背後に回った。

 そして、使い魔の全身がパズルのように斬り崩されて、地面に落ちる。

 

 五右衛門のような一瞬の切り刻みっぷりに、マミたちギャラリーの息を飲む音も聞こえてきた。

 

 

「KIEEEEE!」

「EEEE!」

「うるさい使い魔だ」

 

 高音で喚く二体の狭間に滑り込んで、盾のギロチンを振るい舞う。

 このギロチンをメインに据えて戦ったことはあまりないが、思いの外使い勝手は良い。

 暁美ほむらの経験のせいもあるのだろうか? とにかく、負ける気はしない。

 

 なんだ、時を止めずとも楽勝じゃないか。

 

「Ki……!」

 

 二体の使い魔を通り抜ける間に、私のギロチンはそれらを三パーツ以上に分けて切り刻んだ。

 決着である。

 

「すごい……!」

「あらやだ、格好良いわね」

 

 使い魔の残骸は瓦に落ち、煙に巻かれて消滅した。

 

「え!? もうかよっ!」

「KIEEEEE!」

「頑張れさやか!」

 

 さやかはまだ最後の一体と戦っていた。

 

 ……うむ。やっぱりさやかは、そこまで強くないみたいだ。

 それでもわたしは、彼女をとことん応援したい。

 

 

 

 どんどん結界を進んでゆく。

 奥へゆくにつれ、瓦屋根の通路も勾配が強くなってきた。

 まどかには少し厳しい足場だったかもしれない。

 

「KIEEEEEEEEE!」

「おっと」

 

 遠方の小天守閣から、薙刀を担いだ三人官女が降ってきた。

 薙刀の鋭い刃が私の歩いていた場所を貫き、瓦が砕け散る。

 

 先程倒した五人囃子よりも背が高く、得物も大きい。

 ちょっとした巨人三体が相手だ。

 

「数は少ないけど、キツいね……!」

「少数精鋭だね。使い魔の傾向としては少なければ戦闘力が高いという法則も、あるかもしれない」

「……あれは、使い魔だけど美樹さんや佐倉さんとは相性が悪いかしら武器も長いし……。」

「アタシを馬鹿にすんなって、あんなの楽勝だよ」

「さやかにはまだ早い相手だな」

 

 私ならばそのままでも戦えないことはないが、近接武器ではあまりにもリーチに難有りなため、ギロチンナイフを収納する。

 

 

 *tick*

 

 

「……え? これって」

「私がお相手しよう」

 

 時間停止を解くと、私の周囲には輪を描くようにして漆黒の猟銃が瓦屋根に突き刺さっていた。

 その数は二十を越える。

 

「……その技って」

「私の……」

「KIEEEEEEEE!」

 

 ゆったりと裾を揺らしながら近づいては来るが、彼女らの緩慢とした雅な動きは、瞬時にこちらに接敵してくるものではないだろう。

 遠くから撃ち抜くには十分すぎる距離だ。

 

「2.シャフトスティール」

「!」

「マミ、杏子、真後ろは危ないから気をつけてくれよ」

 

 右手で一番近い猟銃を、力任せに引っこ抜く。

 瓦の破片とぱらりと落とす猟銃。ストックと銃身の黒塗りは自分でやった。

 

 片手で正面に構え、ドン、と放つ。

 高威力のスラッグ弾は使い魔の腹に命中したようだ。

 

「ふ」

 

 かかって来る反動は一切殺さなかったために、猟銃は回転しながら後方へと吹き飛んでいった。

 続けて左手で猟銃を掴み取り、撃ち、反動のまま後ろへ棄てる。

 

 ドン、ドン、ドン、ドン。

 マミのように優雅な舞踏はできないが、同じようなことは可能だ。

 武器さえあれば良い。その扱いさえ熟練していれば、私にも魅せることはできる。

 

「……すご」

「ワイルドね……」

 

 問題は、火薬銃なので魔法少女っぽさが微塵もないことくらいだろう。

 

「GIeEEeeeEEeEEE……!」

 

 二体の官女が消滅した頃には、既に並べ立てた猟銃が一挺だけになっていた。

 使い魔とはいえ、相手はそれなりに硬い。これで仕留められるかも疑問だ。

 

「ラスト!」

 

 ドン、撃つ。

 頭部らしき箇所には命中したが、致命傷には至らなかったようだ。

 全身に風穴を作ってはいるが、使い魔は平然とこちらに歩いてくる。

 

「仕方ない」

 

 

 *tick*

 

 

 猟銃での乱射は数の多い使い魔相手に披露するべきだったかな。まあ、別に良いか。

 

 

 *tack*

 

 

「こっちもこっちで、見てほしいしな」

「うげ」

「あ」

 

 肩に掲げる黒い砲身。

 対魔女武器として暁美ほむらが愛用していたRPG。ロケットランチャーだ。

 

 後ろに人はいないね? ならばよし。

 

「3.プレリュード」

 

 何の工夫もいるまい。そのまま白煙と共に、砲を放つ。

 弾頭が使い魔に着弾すると同時に轟音が空を貫き、当然ながら、相手は跡形もなく消え去った。

 

「ふん」

 

 空になったRPGを瓦屋根の外へ放り捨てる。

 やはり、マミのティロ・フィナーレと比べるとちょっと地味だな。威力はあるんだけど……。

 

「……マミさんとは、また別の感じのかっこよさがあるよね」

「マミさんは優雅、ほむらは……そうだなあ、言い表しにくいけど、スタイリッシュっていうの? そっち系だよねえ」

 

 ちやほやされる話を聞きながら先を歩くのはとても気持ちが良い。

 でも、ニヤリと微笑んではいけない。

 あくまで真顔で、真面目にやっているんだという体でいかなくては。

 

 

 



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分割払いの暴利な魔法

 

「おっと、城についたな」

「本当に城だなー」

 

 たどり着いた最奥部は、和式の城だった。

 とはいっても、今から天守閣目指して登るわけではない。この木製の大きな扉を開ければ、すぐに広大な魔女部屋が待っている。

 中に入れば、すぐさま戦闘だ。

 

「さて……これから魔女と戦うかもしれないけど、みんな気をつけて観戦してくれよ」

「う、うん」

「大丈夫、私達が守っているわ」

「よろしく頼むよ」

 

 まぁ、よろしくとは言ったけど……今回に限っては本当に心配しなくても大丈夫だ。

 むしろ魔女の攻撃よりも……まぁ、それはこちらも気をつければ良いことか。

 

「……今回の戦いで」

「ん?」

 

 杏子はいつになく真剣に、私の目を見つめていた。

 

「ほむらがワルプルギスの夜と戦えるのか……見させてもらうからな」

 

 杏子はほとんど浮かれていなかった。

 彼女はこの中でも、近づきつつある大災害に並々ならぬ危機感を抱いているらしい。

 

 ……まさか、ここまで他人を思いやれる子だとは。

 わからないものだね。暁美ほむら。

 

「ふ、大丈夫。楽しんで見ていて」

 

 そんな彼女に、私は余裕しかない微笑みを振りまくのだった。

 

 

 

 ぎい、と扉が開くと、そこは漆喰の壁の通路だった。

 もう少し歩くことになるだろうが、使い魔が出てくることはない。ここに来るまでの極小数な奴らが、今回の“ひな祭りの魔女”における使い魔の全てである。

 だからみんなの緊張感をよそに、廊下を歩き終えるのはあっというまのことだった。

 

 通路を抜けたその先には、巨大な空間が広がっている。

 

 今までも和風とはかなり趣の異なる、レッドカーペットの敷かれた大広間だ。

 広くて天井も高い。魔女も私も、暴れるには丁度いいスペースだ。

 おあつらえ向きにレッドカーペットの外側は十メートルほど高いひな壇になっており、観客も比較的安全に楽しめる特別仕様である。

 

「ほっ、と」

 

 私は皆の居る高い場所から、魔女と同じフィールドへと降り立った。

 

「……OHHH!?」

「やあ、君が魔女だな」

 

 そしてあれが今回の魔女(犠牲者)

 空間の中央に浮いている、四メートル近くの背を持つ巨人。ひな祭りの魔女である。

 

 魔女はこちらに顔を向け、咆哮をあげている。

 身なりから察するに、あれはお内裏様だろう。お雛様はいない。

 

「ohhHHHHH!」

 

 お内裏は刀を抜き放ち、和装束をばたばたと靡かせながらこちらへ跳んできた。

 その素早さは、さやかの瞬発力と同じ程はあろうか。

 

「来るわよ暁美さん!」

「ほむらちゃん!」

「何、うろたえる事などないよ」

 

 

 *tick*

 

 

 便利なこれがあるからね。

 逆にこれがなかったら私はものすごい勢いで真横にヘッドスライディングして退避を図っているだろうが、これさえあれば何の憂慮もいらないというものだ。

 

 

 *tack*

 

 

「4.猛獣退治の鞭」

 

 盾を翳すようにして左腕を前に向け、盾を開くだけ。

 少なくとも皆にはそう見えるモーションだ。

 そうするだけで、私の盾の入り口からは大きな炎が噴き出した。

 

「OhHHHhH!?」

「わ!?」

「これは……!」

 

 私の盾から噴き出した炎は螺旋状に吹き抜け、魔女に着火すると共に大きく炎上した。

 こちらへ跳び込もうとしていた魔女は堪らず止まり、というよりも爆風に押しやられ、後方へと吹き飛ばされた。

 

「すごい……はじめて見る魔法だわ!」

「今のどうやって……!?」

 

 企業秘密である。ガソリンがあれば、頑張ればみんなもできるけど。

 

 ……しかしまだまだ、ワルプルギスの夜に勝てると思わせるには押しが弱いな。

 

 こんな魔女程度、倒そうと思えば方法はいくらでもある。

 だが、もっとも私の強さを誇示する方法で倒さなければ、この場で皆は納得してくれないだろう。

 

 皆が納得できなければ、私の計画は成り立たないのだ。

 

 

 *tick*

 

 

 だから全力で、私の盾の中の全戦力をもって、この雛祭りの魔女を倒す。

 

 下手をすればグリーフシードすら砕け散る可能性があるが、それも仕方ないだろう。収支マイナスなど甘んじて受け入れる他あるまい。

 なんといっても、私はキュゥべえにすら“強い”と思いこませなければならないのだから。

 

 

 *tack*

 

 

「5.ホーミングフレア」

 

 

 盾の中から八条の爆炎が伸び、緩い弧を描いて魔女に直撃する。

 魔女は再び強く炎上し、動きを止めた。

 

 

 *tick*

 

 

 休んでいる暇はない。

 どんどんいくぞ。

 

 

 *tack*

 

 

「6.脱出できないチェーンプリズン」

 

  燃え上がり悶える魔女の巨体を瞬時に鎖が四肢を束縛し、巨大な金属の杭によって鎖を固定。

 悶え暴れることすら許さない。

 

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

「7.ノータイム時限爆弾」

 

 魔女の真下からダイナマイトが炸裂する。束縛された魔女は真上に吹き飛ばされるだろうが、全身を過剰に縛り付ける鎖がそうはさせなかった。

 束縛する鎖の大半が吹き飛ぶその威力にも魔女は耐えたようだが、この先そう長くは保たないだろう。

 まるで拷問だが、仕方ない。

 もっと派手さを出してみよう。

 

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

 

「8.大砂漠の大嵐大作戦」

 

 

 私が立つ魔女空間の床、その全面が爆発した。比喩ではない。全力の爆発である。

 しかも一度だけではなく、2度も3度も爆発し、結界空間を完膚なきまでに破壊してゆく。

 

 赤いカーペットは一発目で剥がれ、二発目で漆喰の床が大きく削がれ、三発目でその下のよくわからない材質の部分まで破壊された。

 魔女は……ここからでは良く見えない。砂や土煙がひどすぎて、安否は定かではなかったのだ。

 

 暁美ほむらが集めておいてくれたグリーフシードのおかげで、ある程度の無茶な演出が可能である。

 ソウルジェムに休息を与えつつ、私の悪戯……もとい、魔法の披露は続く。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

「9.バンホーのハナビ」

 

 私のかなり真上から、巨大な炎の柱が飛んでゆく。

 炎の塊は魔女へと突撃をかますと同時に、辺りにたちこめていた土煙を一掃した。

 

 開けた視界には魔女……らしき面影の、何か……がいる。かもしれない。

 炎の塊の直撃を食らい、燃え上がっているが……。

 

 とにかく形っぽいものは残っているので、相手をすることにしよう。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

「10.資本主義の流星」

 

 右手を上にかざし、指を鳴らす。

 すると魔女空間のほぼ真上から、十個ほどの影が猛スピードで飛来し、魔女に着弾した。

 

 私お得意のRPGの弾頭である。

 一発や二発ですら魔女を倒せるので、さすがにここまで使えばこの魔女も即死せざるを得ないだろう。

 なので、このままオーバーキルだとわかっていて、なおも追撃する。

 

 結界が崩壊するまでが、今回の私の戦いだ。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

「11.キングダム」

 

 和洋中、様々な時代、様々な文明の刀剣類が荒廃した床から生え、刃を上にして伸びてくる。

 そのうちの槍やランスといった、長めのものは魔女の真下から大量に出現し、焦げた何かを貫いた。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

「12.地獄の一通」

 

 自動車標識が魔女のすぐ真上から何本も、突き刺すように落下する。

 そこに魔女がいたかどうかはわからないが、とにかくそれらしき場所に落としてやった。

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

「13.マヂギレボーヒーズ」

 

 魔女の面影がなくもない煤けた小山に、五機のチェーンソーを突き刺した。

 ガリガリと轟音を立てて、砂やら魔女やらを切り刻んでゆく。

 

「……このくらいかな」

 

 そんなこんなと暴れ回った所で、ようやく結界は消え始めた。

 ほぼ最初にだけ魔女は声を出していたが、そこから先は終始無言だった。

 きっとかなり前の段階で決着はついていたのだろう。私の連撃が速く、容赦がなかったせいでこんなにも長引いたのである。

 

 からん、とグリーフシードが路地裏に落下する。そして針のように細い部分を支点に直立した。相変わらずミステリアスなアイテムである。

 

 私はそのグリーフシードを取って、自分のソウルジェムに近づけるが……。

 なんと、私のソウルジェムは濁っていない。驚きである。ハハハ、これっぽっちも魔力を使わなかったよ。楽な相手だね。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 うん、何か言いたげというか、みんなのその沈黙はわかるよ。

 

「やれやれ、ショータイムにすらならなかったな」

 

 それでも私は、さわやかそうな風に腕で額を拭うのだ。

 

 当然、言うまでもないことだが、嘘である。

 

 実際のところ、何分も何時間も止まった時間の中で動き回っていたせいで、魔法少女の身体でも満身創痍だった。

 ソウルジェムだって途中で何回浄化したかわからない。仕掛けの途中でミスして怪我だって負っている。それを表に出しておらず、巧妙に隠していた。それだけに過ぎない。

 

「ん、どうしたみんな。これが私の魔法だよ」

 

 誰からも返答が返ってこない。

 皆、顔が引きつっている。まどかとさやかはちょっぴり泣いている。

 私だって第三者であれば泣いていたかもしれない。それだけのことはやったつもりだ。

 だからこそ、皆のこの反応は私の求めていたものだった。

 

「……なんていうか……」

「なんでも……アリなのか?」

「……ふふ」

 

 衝撃はかなり強かったみたいだが、無事に作戦成功、といったところらしい。

 

 



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舞台装置の魔法少女

 

 夜も更けて良い時間ということで、私達は解散することになった。

 魔法少女とはいえ、あまり遅くまで活動していると補導されることもあるので、怖いのだ。特にまどかは魔法少女ではない。魔法少女のように逃げ切ることはできないだろう。なのでまどかだけはマミに送ってもらう事になったのだ。

 

「いやぁー……それにしても、あれは凄いなぁ……」

 

 先頭はさやか。後ろには私と杏子が並び、夜の街を歩いている。

 グリーフシード集めを一つで終わりにするのもどうなのかということで、もう一戦という流れになったのである。

 マミも途中から合流すると言っていたが、その頃には私はいないだろう。個人的な用事もあるしね。

 みんなには内緒だが、魔女狩りはワルプルギスの夜との戦いにおいてはそこまで重視されるものではない。

 グリーフシードをまったく使わないわけではないだろうが、それ以上に力を入れるべき場所というものもあるのだ。

 

「アタシもあの盾から炎を出す魔法、あれでやられたよ」

「うげっ……良く生きてたね杏子」

「ああ。今日のを見ると、もしかしたらアタシ……あの時加減されてたんじゃないかって」

「なんかごめん」

「いや、悪ィ、ほむらは悪くないよ」

 

 本当は暁美ほむらも悪くは無いのだ……と、擁護してやりたい。

 けれど、今ここで暁美ほむらの過去を語るわけにはいかない。

 彼女の正体を深く語れば必ずボロが出る。……もどかしいものだ。

 

「……魔女、どうやらなかなか見つからないようだね。すまないが、私はそろそろ用事があるから、ここでおいとまさせてもらうよ」

「あ、うんわかった。今日はありがとね! ほむら!」

「おつかれー」

 

 本当は魔女が見つからないとわかっていて一緒にいたんだけどね。

 さすがに今日みたいな闘いを連戦すると、グリーフシードの手持ちが厳しいから。

 

「私の魔法、参考になったかな?」

「あはは……参考になったかはわかんないけど。心強いなって思ったよ。またね!」

 

 手を振り、二人と別れた。

 さやかと杏子は、もう少しだけ魔女探しをするらしい。

 

 ……今日の私の闘いぶりが、二人の意欲を掻き立てたのかもしれなかった。

 

 

 

 見滝原のスーツ達の中に交じり、肩で冷たい風を切る。

 

 決戦の日は近い。

 ワルプルギスの夜が現れた時、この街は無事では済まないだろう。それは魔法少女の力でどうにかなるものではない。

 

 均整の取れたタイルも、等間隔の街灯も、デザインの凝らされた陸橋も、経済を動かし続ける数多の自動車も、人の全てがあろう家たちも、その大多数が破壊されるに違いない。

 仕方がない。それを受け入れなくては、先へは進めないのだ。

 

「……武器を使いすぎたな。集めるか」

 

 今日は無駄遣いをしすぎた。

 また暴力事務所にでも立ち寄って、少しばかりの装備品を調達するとしよう。

 

 ここから武器を調達することによって内輪で何らかの事件が発生していようとも、私は一切関知しない。そもそも暴力事務所という存在が悪いのだ。

 

「そうだ、ついでに正義の味方らしいことでもしておこうか」

 

 少しばかり面白いことを思いついた。

 うむ、勧善懲悪。いけないことではない。

 気晴らしにもなるし、やってしまおう。

 

 

 *tick*

 

 

 悪戯が始まる。

 

「ふんふんふーん」

『……』

『……』

 

 とりあえず、ロッカーの中に入っている武器、刀剣類、弾薬は全ていただいておこう。

 どうせ使うのは魔女の結界の中だけだが、消耗品なので困ることは無い。

 なあに、どうせ放っておけば壊れてしまう物たちなのだ。消えたところで何も変わりはしない。

 

「お、いい日本刀じゃないか。ラッキー」

『……』

 

 高そうなソファーの脇に立て掛けてあったものすらかっぱらう。持ち主はこの身なりの良い男であろうか。思い入れがあったら申し訳ないけど、まぁそれはそれだ。

 彼らとしてはたまったものではないだろうな。

 暴力団がいきなり武装解除されるのだから。

 

「14.正義の裏拳」

 

 左腕の盾によって、思い切り金庫の扉を吹き飛ばす。二発で扉は拉げてくれた。

 金庫の中には、大量の現金や通帳、そして権利書などが入っている。

 

「おお、さすがだ……儲かる職業だなぁ」

 

 わしづかみにしたまま、それら全てを盾に収納する。権利書も使い道はあるだろう。

 はてさて。この事務所の人々は果たして、上司になんと釈明するのだろうか。

 小指で済めば楽だろうが……私だったら高跳びを選択するね。

 

「おお、このカーペットも良さそうだな。いただこう」

 

 ペルシャ絨毯かな。詳しいことはわからないが押収。

 

「……ん? おー、虎の毛皮か、カッコ良いな……これも貰っておこう」

 

 本物のベンガルトラの敷物。あるところにはあるんだな。押収。

 

「掛け軸……まぁカーテン代わりにはなりそうだし、これも」

 

 年代を感じる掛け軸。煙草のヤニさえなければ……と思うが、一応押収。

 

「というよりこの人たちの装身具も高そうなものばかりだな。全部取っていくか」

 

 腕時計。ブランド物。見れば見るほど金目のものばかり。

 ふむふむ、よくよく見れ見れば宝の山だ。暁美ほむらはガンロッカーから銃や刀剣類だけを選んで取っていたが、もうちょっとはっちゃけても良かったんじゃないかなと思う。

 

 うむ、実に楽しい時間だ。

 

 

 *tack*

 

 

「ふぅー、良い仕事をした」

 

 事務所の外。

 窓からは死角となる路地で、缶コーヒーを啜る。

 

「でぃあぁあああ!?」

「なんじゃこらぁあああああ!!」

 

 ほどなくして、すごい叫び声が聞こえてきた。

 あれだけ煙草を吸っておきながら、なんという声量だろうか。

 やはり男性の体は女性とは違うのだろう。

 私はどれだけ張り切ってもあれほどの声を出せる気はしない。

 

「てめえがやったかテツぅう!?」

「ち、ちがいまアガァッ!」

 

 物騒な音も聞こえて耳障りになってきたので、私は場所を変えることにした。

 

「次は……ああ、工場街に行かなくては」

 

 そろそろ立ち寄らなければまずい場所というものもある。

 予定は常に押せ押せだ。準備は周到にしておかなくてはならない。

 

 夜も短い。昼は動けないのだから、今しかない。

 

 私は駆け出した。

 

 

 

 こんこん、と扉をノックする。

 スモークのかかった薄っぺらな窓には明りが灯っているので、中には人がいるのだろう。

 

 開いた扉からは、一人の冴えない男性が出てきた。

 中年辺りの、くたびれた表情の男である。

 

「……おや、君はあの時の」

「お久しぶりです」

 

 彼はいつぞやの集団自殺未遂の現場に居合わせていた、陰鬱な工場長だ。

 酒気を帯びた匂い、こけた頬。報われない苦労に自棄になっている男の典型的な表情である。実際、彼の経歴というか最近までの不幸な経緯は私の知識の中にあって、それはもう……同情に値するものであった。

 

「猫は知らないよ」

「いえ、今日は猫のことではなくてね」

 

 私は苦笑し、背後に隠していたトランクケースを開いてみせた。

 

「なっ」

「前金で一千万。完成すれば三千万。貴方の工場で秘密厳守で作って欲しいものがある」

 

 その中の札束を放り投げ、男に渡してやった。

 

「うげぇっ!? なな、なに……!?」

「あるものがあれば、それを譲ってくれても構わない。とにかく、私は絶対に失敗しないものが欲しい」

「な、何の話だ!? 君は一体……!?」

「暁美ホームズ、マジシャンさ」

 

 鞄から数枚の設計図を取り出して、男に渡す。

 疑問には一切答えてやらなかったし、その必要もないだろう。

 彼は必ず飛びついてくる。いや、そうせざるをえないのだから。

 

「作ったものを指定した場所に施設するまでやってもらう。期限は厳守してもらわなければ私も困るし、あなたもきっと、かなり困る事になる。わかるかな」

「……」

「このまま大手に買い叩かれるのは癪だろう。せっかく高級な機材を揃えたというのに、まとめて抱え込まれるなど」

「……!」

 

 工場長が唾を飲み込む音が聞こえた。

 やる気は……あるのだろうね。

 

「その紙に全て書いてある……場所も、時間も指定してある。その手筈通りに」

「……君は……いや、なぜここまで私を知って……」

「良いお返事を」

 

 ミステリアスな女、という感じの冷笑を浮かべ、私は男のもとを立ち去った。

 

 

 

「……ふう」

 

 大きな買い物と取引をいくつか終えた後、私は見滝原一高い塔の頂上に腰掛けていた。

 風に靡く黒髪。夜の豪華に煌めく夜景。

 

「……ふむ」

 

 思っていたよりも強い風のせいで、髪を掻きあげられない。

 それにすごい高さだ。両手を離すのがすごく怖い。

 

「やあ、暁美ほむら」

「キュゥべえ、こんなところにまで現れるのか」

 

 白い来客がやってきた。

 私の隣の鉄骨に座り、一緒に見滝原を見下ろしている。

 

「僕は見ることはできなかったが、今日はまどか達に君の魔法を見せていたんだってね」

「おや? 君は見ていなかったのかな」

「探していたんだけど、誰も呼んでくれなくてね」

 

 そこまで不自由な生き物だとは思わなかった。

 呼ばなくても必ず来るものだと思っていたのだが。まぁ、直接精密に“観察”されるよりは、まどからの伝聞で見聞きして貰ったほうが都合はいいけどね。

 

「君にも私の魔法を見てほしかったんだけどね? インキュベーター、ふふ」

「僕にかい?」

「君の考えも、私の勝利に傾倒してくれるんじゃないかと思って、真面目にやったんだけどな」

 

 キュゥべえの首の後ろを摘み、膝の上に乗せてやる。

 せっかくだ。一緒に街を見下ろそう。

 

「数多の魔法少女を見てきた僕だけど。僕の正体から目的まで全てを知っていてもなお、君のように友好的に振る舞う魔法少女は珍しいね。この情報化社会が始まってからはとても稀少だよ」

「君に対して?」

「大抵はコミュニケーションを取ってくれなくなるんだけどね」

「それは仕方がないだろう、君は私達を騙そうとしているのだから」

「僕自身は騙そうなんて考えているわけではないのだが……」

「屁理屈ばかりだな、君は」

 

 ほっぺをむにむに。キュゥべえはされるがままに、私のいたずらを受け入れていた。

 しかしこいつの喉はごろごろとも鳴らない。可愛げのないやつである。

 

「……なあ、キュゥべえ」

 

 高速道路のビームを眺めながら、口を開く。

 

「君は魔法少女を“奇跡を起こす者”と謳って契約を持ちかけているけど……その奇跡に見合う生き方をした、という魔法少女は、一体どのくらい存在していたのかな」

「僕が見てきた今までで、かい?」

「割合で教えてくれると嬉しいな」

 

 キュゥべえは少し考え込むように頭を傾けた。

 

「彼女達は例外なく奇跡を起こすが、その結果に満足する者は少ないね。……僕が見てきた中では、契約内容に満足している者は一割もいないだろう」

「不思議だね」

「僕も不思議に思うよ。僕達の計算では、絶望して魔女になる少女は、もっと少ないはずなんだけど」

「君達の試算での話だろう?」

「そうだよ」

「まったく、感情もないくせにどんな計算式を立てたんだかね」

「ないくせに、とは心外だな。感情なんてものは精神疾患でしかないのに」

「ふふ、馬鹿を言うなよ。インキュベーター」

「?」

 

 白猫の頭を撫でる。

 

「君達のような感情の無い生き物には、奇跡は起こせないのだろう」

「まあね。感情によるエントロピーの凌駕は発生しない」

「なら、感情を持つ私達がその力を扱えるようになった時、……それは果てしない先の未来かもしれないが……我々人類は君達インキュベーターからの支配を脱し、莫大なエネルギーを内包する知類として、この宇宙の頂点に君臨するんじゃないかな」

「その時に君達が生きていればの話だけどね」

「ほう?」

 

 挑発的な言い方をしてくれるじゃないか。

 それとも、冷静な分析をした上での客観的な発言なのか

 

「まあ、でも興味深い話ではあるよ。君達人類が、その性質を保ったまま地球を脱し、銀河群を越えるその日がやってくる。……支離滅裂な空想が好きな君たちならではの、奇抜な発想だ」

「……ふふ。感情がない君たちに言うのもなんだけど……楽しみにしているといいよ、キュゥべえ」

「そうなれば、気長に付き合うことになるかもね。楽しみにしているよ」

 

 こうして、地球上でひとつの夜は更けていった。

 

 

 



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第十一章 空転する運命の輪
キャストとエキストラの打ち合わせ


 

―――――――――

 

 

 夢の世界。

 ソファーに腰をかける暁美ほむらは、俯いたまま横目に私を睨んでいる。

 

『……随分と、あの宇宙人と仲良しなのね』

 

 ああ、やっぱりキュゥべえのことか。

 嫌いだものな、君は。まぁ、好きになる理由もないし、気持ちはよくわかるよ。

 でもね。

 

『感情の無い生き物に悪意をぶつけることもないさ』

 

 横に座る私は、あくまで飄々と答える。

 嫌いなのはわかる。それでもやっぱり、壁を蹴っても仕方ないとは、彼女の冷静な部分の寄せ集めである私は考えてしまうのだ。

 

『……ワルプルギスの夜を、どう越えるつもりなの?』

 

 こちらに突っかかっても無駄だと悟った彼女は、話を変えた。

 個人的にはこちらのほうが痛い。

 

『それは内緒だけど、計画は順調に進んでいるよ』

『動いているのは私にもわかるけれど、どういうつもり? 貴女の行動は……全く読めないのだけれど』

『うん、君からしてみれば無駄なことも並行して行っているからね』

『……』

 

 趣味だって同時にやっているのだ。第三者の目線で見ている彼女からしてみればめちゃくちゃなものだろうな。

 

『ま、それはインキュベーターを撹乱させる一助にもなっているし、完璧に“無駄”ではないかもしれないよ』

『……そうね。撹乱という意味では、無駄なことなんてないかもしれないわ』

 

 彼女も解ってくれたようだ。結構適当に言ったのだが。

 

『……残りの日も少ない。舞台裏の準備も大詰めだ。頑張っていくよ』

 

 私は席を立ち、伸びをした。

 

『……無茶はしないでね。あなたの自由ではあるけれど……それでも、死なないで』

『私が心配かい?』

『私だもの』

『あははっ、そうだ、それもそうだな、当たり前か。あははは』

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……ふぁあ……」

 

 夢は終わり、目が覚めた。朝である。

 さて、今日も学校……。

 

「にゃあにゃあ! にゃー!」

「! いけない」

 

 毛布を跳ね上げて起床する。

 寝ぼけ眼で見た時計は、通常起床時刻を二十分もオーバーしていたのである。

 それは急いだとしても、地味に辛いラインだった。

 

「なんで起こしてくれなかったんだ!」

「にゃ!」

 

 ワトソンは短く張りのある声で抗議する。

 そう言われると弱い。

 

「……すまん! ワトソンは悪くないよ!」

 

 寝床のすぐそばにあった白いコンビニの袋から、空き缶ひとつと紙皿一枚を取り出し、ガッと開けてがぱっとよそる。

 

「……ええい!」

 

 そして更にもう一枚の紙皿を出して、そこにもうひとつの缶をぶちまける。

 どろどろした美味しそうなマグロが、柔な皿の上いっぱいに展開された。

 そう。何を隠そう、これが朝食である。

 

「いただきます!」

「にゃ」

 

 学校に遅れてしまう。急がなくては。

 

 

 

 本来ならば、ワルプルギスの夜を相手取る準備する直前で忙しい。

 街の命運がかかっているのだ。本当は学校へ通う必要などないのだが……そこは心を鬼にして通っておかなくてはならない。

 私はワルプルギスの夜を容易く玉砕することができ、学校生活を並行しても何ら問題ない魔法少女なのだから。

 

 誰もいない廊下を走り抜ける。

 そしてガラリと、勢いよくガラス戸を開け放った。

 

「っはー! 間に合った!」

「……うーん、ちょっと遅刻ですね!」

「あれ!?」

 

 なんてことだ。既に生徒も先生もみんな教室に揃っているだと。

 

「あはは……」

「ほむらちゃん……」

 

 クラスのみんなが授業の直前のような、全員着席の澄ました状態で頭だけ私の方に向いている。

 お、おのれ……かくなる上は……。

 

「先生、まだ授業は始まっていない……」

「遅刻です」

 

 有無を言わさない笑顔によって、私の経歴には一粒の泥のシミがついた。

 

「ははは……」

 

 くそ、恭介め。あいつまで私を笑いやがった。

 油断したとき治りかけの脚を蹴ってやろうか。

 

 

 

「まったく、ひどいものだよ。マグロ缶だけを主食にして登校したのは初めてだっていうのに」

「えー!? マグロ缶!? ほむら、これはまたすごいもの食べてきたなぁ」

「お腹空いちゃわない?」

「空くだろうね……三時限目には腹の虫が悲鳴を上げるかもしれない」

 

 自分の机に座り、寄ってきたさやか達と会話する。

 二人とも制服にシワもシミもなく、コンディションは万全のようだ。

 マグロ缶の汁が跳ねて、右袖に新たなシミを作った私とは準備の良さが違う。

 

「それで、さやかちゃん達は昨日大丈夫だったの?」

「え? あー……そうだね」

 

 まどかは、あの後の魔女狩りについて訊いているのだろう。

 しかしこれ以上は聞かれては困るので、口頭で話すには向かない話題だ。

 

『あの後、マミとも合流したかい?』

『うん。粘って探したらなんとか魔女を見つけたから、倒したよ』

 

 おっと、それはすごい。あの場所から始めて探すとなると、結構歩いたんじゃないかな。交通機関も使ったか。

 

『どうだったの?』

『いやぁ、それが杏子先生の指導が厳しくてねー……まだまだ私の先は長そうだよ……』

『ふふ、そんなもんさ。でも接近戦に慣れておくのは良いことだよ。魔力の消耗は馬鹿にならないし……』

 

 そこまで念話を進めていると、授業を受け持つ教師が入ってきた。

 

『……じゃ、この時間の暇な時に』

『うん、そうだね』

 

 おしゃべりは授業中に行うことにしよう。

 それは魔法少女の素敵な特権だった。

 

 

 

『マミさんは遠距離からの投擲を練習した方が良いって言うけど、杏子は接近の技を身につけてからって、意見が対立してるんだよねえ……』

『はは、板挟みだな』

 

 念話の最中でも、私の思考は別の方面に向いている。

 机のPCは足がつくので、わざわざ薄型のタブレットを持ちこんでの作業だ。

 

 

 :委託されていた発注、見積もりで渋られています。

 

 タブレットに浮かぶ細かな文字の集合体。

 数分おきにやってくる確認や催促のメール。

 交渉。打算。妥協。様々な人の想いを代わる代わる相手していると、頭が酔ってしまいそうになる。

 

『杏子ちゃんも熱心に教えてくれてるんだね』

『うん。意外だなーって思ったけど、世話焼きなんだね、あいつも。すっごい助かってるよ』

『……そう、杏子は素直で良い子だよ』

 

 

 :期間は変更できない。プラス百万で交渉。それ以降は一度でも値段にケチをつけたら御破算で構わない。宛はまだ十社以上残っている。

 :それ以降の交渉は無しということですか?

 :これからはその手の企業は相手にしなくていい。

 :了解しました。

 :頼むよ。

 

 

(……思ったよりも安く済みそうかな)

 

 水面下の動きは順調だ。

 金の運用には経験もあり慣れているが、ここまで動きが多いと管理も難しい。人を雇い入れてはいるが、どこまで私の思惑通りに動いてくれるか。

 だが、突貫でやるには仕方がないのだ。舞台の袖で火事が起こっているようなものだと思わなくてはならない。

 ……ああ、また続々と来た。

 

 

:資材搬入の期日には間に合います。問題ありません。

:理由を明かしていただけませんか? 工匠区から疑問の声が上がっているのですが。

:もっとも近い保管庫の契約が取れました。

:可能でしたら一度顔を合わせての打ち合わせを行いたいのですが、お時間は……。

 

 

「……」

 

 流れるメッセージをひとつひとつ返していく。

 メッセージを見ながら、マップの画像ファイルに印をつけてゆく。

 色分けは赤、青、黄。見慣れたものだが、もっともっと整理していかなければ。

 

(……こっちのエリアには更に多くの拡声器が必要だな)

 

 悩むな。これでもし現代にストリートビューが無かったら、今頃私は死んでいたかもしれない。

 現地視察などやっている暇がない。

 

『ところでさやかちゃん、今朝、仁美ちゃんとあまり喋ってなかったけど……何かあったの?』

(……!)

 

 あまり触れてほしくない話題がきたな。無邪気とは恐ろしい。

 

『え……あー、うん……いや、なんでもないけど……』

『そう? ……ほんと?』

『あ~、ほんと、じゃあ、ない……ごめん、実は昨日の放課後、ちょっとあった』

『……』

 

 さやか……。

 

 

:施工が予定に間に合いません。外装枚数を減らせませんか。

:これは合法的な施工ですか? 私共の方では、疑問の声が……。

 

 

(……ふぅー……)

 

 

 頭が割れそうなほど痛い。けど、ここが正念場だ。

 

 表舞台で何事もなかったかのような顔をして、裏でもがく。

 実にすばらしいことじゃないか。

 

 そういうものだろう?

 なあ、暁美ほむら。

 

 机の下で、静かに拳を握り込む。

 

 私は絶対に折れないぞ。

 必ず、見滝原に奇跡を起こしてやる。

 

 それが、大した奇跡でないにせよ。

 



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横倒しの車輪

 

 昼休みになると同時に、私は動き出した。

 空腹と眠気であえなくダウンしていた身体を覚醒させ、足早に屋上へと向かう。

 

「ホムさん! ホムさんですよねー!?」

 

 見知らぬ黄色い声が廊下の後ろの方から聞こえたが、私は足早に階段を駆け登った。

 さすがに時間がないのだ。勘弁しておくれ……。

 

 

 

「あら、暁美さんおはよう」

「おはようマミ、今日も髪の毛の巻きが綺麗だね」

「うふふ、これ癖っ毛よ暁美さん」

 

 癖っ毛とは。暁美ほむらにとっても衝撃の新事実である。

 それにしては綺麗な癖っ毛だと感心しながら、私はベンチに腰を下ろしてうなだれた。

 

「ど、どうしたの?暁美さん」

「いやね、ちょっと空腹がね……辛いものだ」

 

 つまるところ、電池切れである。

 まぐろ缶だけでは限界があったということだ。普段以上に頭も使ったし……。

 

「あら……だったら遠慮せずに食べちゃいなさい? はい、お弁当」

 

 いつものように、自前とは別に作った弁当を差し出してくれるマミ。

 私にとってはいつものような、慣れてしまった厚意だ。

 

 けれど私は知っている。

 暁美ほむらは、マミから毎日昼食を振る舞われた経験など無かったのだ。

 この一食が、どれだけ奇跡的な確率の上に成り立っているものか。

 

「ふふ……いつも思うが、私とマミは夫婦みたいだね」

「あら、ふふっ。それもいいかもしれないわね、あなた」

「いただくよマミ。あはは」

 

 雲の多い天気だが、それでも青い空は垣間見えた。

 日差しも少ない。今日は絶好の工事日和になるだろう。

 

「お、二人はもう居たんだね」

「マミさん、こんにちは!」

「あら二人とも、こんにちは」

 

 ちょっと食べている間に、まどかとさやかもやってきたようだ。

 

「あー、ほむらまたマミさんの弁当食べてる!いいなー! 私も食べたい!」

「ふふん。マミの愛妻弁当は私だけのものだぞ、さやか」

「ずるーい! 美味そー!」

「じゃあ一口だけ分けてあげよう」

「なんでプチトマトなんだよー!」

「あはは」

 

 賑やかで和やかな昼食が始まる。

 私達はおかずを取っかえ引っかえにして楽しんだ。

 

 ……うむ。昼休みは何も考えず、ただ楽しむに限るな。

 

「ほむらちゃん、ほむらちゃんは今日は何をするつもりなの?」

「私か?」

 

 卵巻きを口にする最中、特に深い意味もなさそうな顔でまどかは訊ねてきた。

 

「んー……マジックも連日にやることもないだろうし……今日は遊んで魔女退治して、その後遊ぼうかな?」

「……け、結構、ほむらって遊ぶよね…」

「まあね」

 

 遊びは大切だ。それは私の本心である。

 

「いやぁ、この時期にっていうか……」

「この時期? テストでも近かったかな」

「いやいやいや! ワルプルギスだよ、ワルプル!」

「あー、ワルね、ワル」

「ワルって……暁美さん……」

 

 おどけて見せてはいるが、もちろん念頭から消えていたはずもない。

 むしろ頭の中の半分ほどはそいつで埋まっているくらいだ。

 今なお私のタブレット端末を責めるメッセージのように、ワルプルギスの夜に関する懸念事項は後を絶たず浮かんできている。

 

「んーまぁでも、ワルプルギスの夜対策は特に考えなくても良いんじゃないか?」

「いや、つっても……」

「さやかにマミと杏子、三人が束でかかってきて私を倒せるというのであれば……まぁ、私とワルプルギスの夜との戦いに乱入してきても構わないとは思うのだが」

「うぐっ」

「ふふ、難しいわね……」

「ごめんね。あまり巻き込みたくはないからさ」

 

 もちろん、魔法少女同士の戦いともなれば相性の問題も出てくるだろう。

 だが彼女達からすれば、魔法少女としての私の実力は、比べることも烏滸がましいほど遥か雲の上であるという認識が根付いているはずだ。以前の戦いでは、私がそれを植え付けた。

 その認識を、是非とも最後までキープしていきたいものだ。

 

「ワルプルギスの夜が来た際には、皆にはあくまで市民の安全確保のために動いてほしいね」

「……そっか、被害が甚大なのよね」

「ま、それは追々に説明するけどね……ワルプルギスの夜がどこに現れるか、まだわかったものではないから」

 

 本当は大体の目星はついているし、正確な時間もわかっている。

 しかし私はそんなこと知らない前提でなくてはならないし、直前の調整でも大して問題はない。

 

「さやかの治癒魔法は、きっとその時に大いに役立つはずだよ」

「! そうかな」

 

 もちろんだとも。間違いなく私達の中でも一番だろうさ。

 

「私はワルプルギスの夜と戦うけど、きっとその余波は避けられるものではない。けが人も出るかもしれない……こっそり重傷人の治療にあたるのが良いだろうね」

「……悲しいね」

「……」

 

 まどかの暗い表情だけは、私の何よりのプレッシャーだ。

 不穏だし、冷や汗が流れそうになる。特に……暁美ほむらにとっては劇薬に近いだろう。

 

「……多少の犠牲はつきものさ。代償の無い報酬など無いんだよ」

 

 私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 ……そう、多少の犠牲はつきものだ。

 

 我々は皆、ある程度の苦味を持った現実を受け入れなくてはならない運命にある。

 

 

 

 タブレット相手にメッセージ受送信のやりとりを繰り返し、表向きには気楽そうに遊ぶ。

 何食わぬ顔で学校生活を満喫し、放課後には遊び、夜中は人知れずに暗躍する。

 

 魔女を狩り、グリーフシードを入手したり。

 未来予知じみた力を駆使して資金の工面に追われてみたり。

 

 さやかと仁美の間柄は未だ、ちょっとギクシャクしたような風に見えるが……仁美と恭介はどうなったのだろう?

 そこは私の与り知らぬ所であるとはいえ、後日談はやはり気になるものだ。

 

 少なくとも校内で仁美と恭介がいちゃついているようには見えないのだが……。

 

 そんなことを考えながら、深夜の公園で自転車に乗る練習をしている最中の事である。

 

「……ほむらさん?」

「うおっ」

 

 稽古ごとの帰りで偶然通りかかったのか、仁美が私を見つけたのだった。

 片手で電灯に掴まりながら自転車に跨るという、魔法少女活動の次に見られたくない私の姿を。

 

 ……記憶を消す弾丸の安全性が確立されているならば、容赦なく二発は仁美に撃ち込んでいるところだったな。

 しかし今は咳払いで頑張ってごまかすことにしよう。

 

「ひ……仁美は稽古の帰りか、大変だな」

「え、ええ……ほむらさんは?」

 

 さてこれは何に見えるかな。自転車にまたがって、柱に手を添えて。うん……。

 

「……自転車の練習」

「そ、そうですわね……」

 

 言い訳なんてできるものか、こんなもん。

 

「あんまり、乗れないことを他人に知られたくもなかったんだけどなぁ」

「……申し訳ございません、ここは偶然通りかかったのですが」

「ううん、仁美は何も悪くないよ。私が気にしなければいいだけの話だからね」

 

 格好悪いことは好きではないが、仕方のないことだってある。

 実際、乗れないものは乗れないのだから。

 

 

 

「そうですか……ほむらさんの入院生活、やっぱりハンデだったのですね」

「ああ。今でこそ落ちついて、何の反動か健康優良児になったけど……ちょっと前まではベッドの上の華奢な女だったんだよ」

「本当だったんですね」

「もちろんさ。だから自転車の乗り方も覚えられなかった」

 

 夜のベンチに私と仁美が並んでいる。

 温かい紅茶家伝を両手の中に握り、時々喉を鳴らしながら、滅多にできない二人きりの会話を楽しんでいた。

 

「ここに転入するまでは人付き合いのなんたるかもわからなかったけれど……うん。見滝原が良い学校で助かったよ」

「うふふ。まどかさんにさやかさんのおかげでしょうか?」

「君のおかげでもあるとも、仁美」

「あら、ふふふ。嬉しいわ」

 

 彼女は。

 志筑仁美は、上条恭介に対して密かに想いを寄せていた女性だ。

 

 親友であるさやかとは今くらいの時期に衝突し、なんというか……古風な告白による白兵戦を行うのだが、結果としてさやかのリタイアで全てが決着している。

 さやかがリタイアした時間では……はっきり言って、あまり良い結末が迎えられていない。

 

 さやかはまどかの平穏に大きく関わっている。もちろん、上条恭介とも。

 仁美に魔法少女としての素質は無いが、彼女がこの時間において見滝原の魔法少女事情に大きく関わっていることは間違いない。

 

「ところで仁美。最近、上条恭介という男子の方をやけにチラチラと窺っているようだが……」

「!」

 

 私に恋愛関係の流れを制御することはできない。

 それでも、状況を見守るくらいはやっておきたい。

 さやかのためにも、仁美のためにも。

 おせっかいだろうか? それでもだ。

 

「仁美は、彼の事が気になっているのかな」

「……はい」

「けど、どこか気が進まない?」

「ふふ……ほむらさんにはお見通しですのね」

「仁美の顔に書いてあるものな」

「あらやだ」

 

 仁美は上品に小さく笑った。

 しかし、冗談もそこそこに。

 

「……上条くんに想いを伝えようと、思っていましたの」

「ふむ、良いね」

「けど……やっぱり良くないのかな、と」

 

 仁美は無理に微笑んでいるようだった。

 

「何故良くない? 自分の気持ちに正直に向き合っているじゃないか」

「ええ、正直に向き合おうと思いましたの、けれど……やっぱりやめておこうかと思いまして」

「……」

 

 それは……仁美。

 ……望んだ結末なのか。

 

「さやかの事は気にするな、仁美」

「!」

 

 唐突に出された名前に反応して、仁美の目が大きく開いた。

 

「……ほむらさん、さやかさんから相談を?」

「違う」

「では」

「仁美、君はさやかに告げたのだろう?」

「……そうです、けれど」

「じゃあ、さやかは何と言ったんだ」

 

 仁美は手元の小さなペットボトルをくしゃりとへこませた。

 

「……“私は伝えない”、と」

「伝えない、か」

「“一日も待つ必要ない、私は良い”って。そう言ったんですよ?」

 

 さやからしいといえば、らしいね。

 

「なのにさやかさんは上条君の事を、命をかけてもいいくらい好きって! ならどうして身を引きますの!? どうしてお願いなんて!?」

「……」

 

 堰を切ったように言葉を繰り出す仁美は、そのうちに涙を流していた。

 怒りながら泣く仁美は、次第に口から吐き出す言葉も形をあやふやに、ぐずり、しゃくり上げ、そして言葉を失った。

 

 膝に落ちた雫を薄手のスカーフで拭い、私は彼女の頭を撫でた。

 

「うっく……うう……私、どうすれば……」

「……悩んでいたんだね」

「私……!」

 

 また膝に涙が落ちる。その雫を私は拭う。

 

 ……仁美は。さやかもまどかとも、随分前から知りあった仲だったらしい。

 上条恭介に思いを寄せる幼馴染みのさやかを間近で見て、それでも上条恭介を想っていた。

 

 大切な友達に宣戦布告をしてまで譲れなかった恋慕を、仁美はそれまでずっと抱え隠し続けてきたのである。

 口火を切る覚悟は相当なものであっただろう。

 それこそ……魔女の口づけを受けるほどに。溜め込むほどに苦悩したに違いない。

 

 さやかだけではない。彼女だって、大いに苦悩していたのだ。

 

「私っ……さやかさんの気持ち、全然知らなくて……!」

 

 しかしその苦悩を乗り越えた先で、仁美はさやかの覚悟を見てしまったのだろう。

 

 幼い頃から眺め続けて抱いた強い恋心すらも二の次に回す、さやかの苦悩。

 好きだからこそ譲る、彼女の本当の気持ち。

 魔法少女については話されなかったに違いない。けど、さやかの覚悟は見えたはずだ。

 真っ直ぐな彼女からは、きっとそれが伝わってきたはず。

 何より、二人の関係は……それが手に取るようにわかるほどには、長いものだから。

 

「それでもさやかは君に託したんだよ、仁美」

「うぐっ……ううっ……!」

「さやかの気持ちさえ解っていれば、その権利は君が譲り受けてもいいのさ」

 

 さやかも仁美も、私は二人の恋路の果てを何度も見てきた。

 

 私は恋など、よく解らないが。

 きっと、これがさやかと仁美の、最も良い恋路であるのだと。そう思った。

 傍らに置いていたミルクティーは、仁美が泣き止む頃にはすっかり冷めていた。

 

 

 

「ぐすっ……お見苦しいところを」

「良いさ。泣くだけ泣いて……それでいいよ」

 

 仁美は皺のないハンカチで目の潤みを丁寧に拭い、背筋を張ってみせた。

 

「……私、決めました。……上条君に、想いを伝えます」

「そう、それでいい」

 

 魔法少女でなくとも、私達くらいの子供にだって願望を叶える権利はあって然るべきだ。

 私は魔法少女であるからといって、さやかに加担することはしない。

 

 だって、二人とも友達なのだから。

 さやかがその機会を手放し、逆に仁美を祝福するというのであれば、私だって仁美を応援するし、祝福するとも。

 

「……やっぱり、ほむらさんは不思議な方ですね」

「ん? 私か?」

「ええ……私達よりもずっと大人で……まるで、全てを知っているような」

「ははは、全てを知っている、か」

 

 仁美は鋭いな。まどか以外は皆鋭いけど。仁美は特に、鋭い気がする。

 まずいね。これ以上仁美と話していると、思わぬ所でボロを出してしまいそうだ。

 それは大義に響くだろう。

 

 であれば、ここはさっさと退散させてもらおう。

 ミステリアスを暴かれることほど、格好悪いこともないだろうから。

 

「じゃ、私は帰るよ……もう遅いから、仁美も気をつけてお帰り」

「はい! ……ほむらさん、ありがとうございます」

「では、また学校で! じゃあね仁美」

「はい、また――」

 

 あ、あれっ、うわそうだ、この自転車まだ全然……ぁああああ、ハンドルハンドル、ブレーキ? あああっ……!

 

「うわッ」

 

 

 *ガシャーン*

 

 

「……あらー」

 



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私達の守りたいもの

 

―――――――――――――――――

 

 

 おぼろげな自室にて、空想の缶コーヒーを一口飲む。味は無く、喉越しだけが緩慢だった。

 向かいの席の私は虚ろな目を床に向けたまま、手元の缶に口をつけようともしていない。

 

『あと三日ね』

『そうだな、あっという間だ』

 

 ワルプルギスの夜襲来。

 運命の日まで、残り三日。忙しなく動いていると、なんとも早いものである。

 

『どうかしら。私の記憶を持って生きるのは、苦痛でしかないかしら』

 

 薄っすらと自嘲する暁美ほむらが、私にぽつりと零す。

 

『全てを知らずに生きていられれば……きっと貴女なら、幸せになれていたはずなのにね』

『ふむ』

 

 悩んだように頬を掻いてみる。

 だが、自分の中での答えは既に出ていた。

 

『後悔なんてあるわけないよ、暁美ほむら』

『……』

『知らずに生きていても、そう遠くないうちに折に触れて……どの道、私の記憶は戻っていただろう。それが早くなっただけのことさ』

 

 記憶とは、そういうものなのだと思う。

 

『むしろね、暁美ほむら。私はワルプルギスの夜が来る前に君の記憶を持つことができて、本当に良かったと思っているよ』

『……』

『たとえ少ない時間の中で足掻くことしかできなくとも、動ける私に後悔は無いさ』

『……やっぱり、貴女は強いのね。私より、ずっと……』

 

 暁美ほむらは寂しげに言った。

 

『私は君の中にもある、ひとつの部分だよ』

 

 私は微笑んで彼女に言った。

 

 運命の時は、着実に近づいている。

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

 

 君は怨霊だ。

 

 どこかで目的を見失いかけた、暴走する怨霊。

 恨まずにはその魂を保ちきれない、心細い怨霊。

 君は世を恨みすぎて、自らその心と魂を封じ込めた。

 

 

「やあ、おはよう」

「おはよー、ほむらちゃん」

 

 

 私は亡霊だ。

 

 自らを封印した君の代わりに生まれた、空虚な亡霊。

 目的や願いなどは全て忘れ、虚ろに楽しく、身勝手に動き回る馬鹿な亡霊。

 全てを忘れた君は、私として世に生まれ落ちたのだ。

 

 

「おはよう仁美」

「おはようございます! ほむらさん」

「ふふ」

「うふふ」

「? なによー、ほむらも仁美も、二人して」

 

 

 けれど私は思い出した。

 私はもう亡霊ではない。亡霊は、怨霊である君の意志を知ったのだ。

 

 君の意志は再び私の中に生まれた。

 

 君は私だ。

 生きる意味のなかった私は、大きな目的を得た。

 だから私は君のためなら、なんだってやってやる。

 

 魔法少女は条理を覆す存在だ。

 あまりにも高く、堅すぎる条理の壁でも、その前で佇み絶望する必要などない。

 

 一緒に次へ進もう、暁美ほむら。

 私がその手を引いてやる。

 

 

 

 雲が薄く引き延ばされた青空の下で。

 私とマミは弁当を広げて、ランチを始めていた。

 

 まどかとさやかは仁美と一緒に食べているらしい。今日はここへは来ないようだ。

 

「美味しいかしら?」

「うん、悪くない。この味付けも好みだな」

「ふふ、それは良かったわ」

 

 手を添えて、箸で食べ物を口へ運ぶ。マミはどの作法を取っても行儀の良い女性だ。

 マミ自身の意識の問題もあるだろうけど、躾けた両親は素晴らしい人徳者だったに違いないと、私は思っている。

 

「良い景色だな」

 

 屋上から見下ろせる柵越しの見滝原。

 マミは今まで、たった一人でこの街を守り続けてきた。

 親を失い、友と決別し、誰から認められるわけでもないのに、彼女は正義の為に魔女と戦い続けてきた。

 

 私ならば出来ただろうか?

 きっと無理だったと思う。私ではきっと、そう長くは耐えられない。

 

「ええ、良い景色でしょう?」

「ああ。本当に、良い景色」

 

 遠くで工事が進んでいる。

 上から見下ろすことで初めてわかる、異常な急ピッチの作業だった。

 

「良い街だ」

 

 この街も無事では済まない。

 そう思うと、少しだけ胸がちくりと痛んだ。

 

「ねえ暁美さん」

「ん?」

「私、暁美さんが居なかったら……もしかしたらもう、ここには居なかったのかもしれないわ」

 

 弱音か。珍しい。

 

「暁美さんが一緒に居てくれたから。そう言ってくれたから、私は折れずにここまでこれた」

「どうしたんだマミ、急に」

「ふふ、なんでだろ。なんだか急に感謝したくなっちゃった」

「恥ずかしいな?」

「私の本当の気持ちなのよ」

 

 食べ終わった弁当を片づけ、膝の上に置く。

 

「そんな暁美さんだからこそ、私は信じるわ」

「……」

「ワルプルギスの夜、私は別の場所で戦うことにする……暁美さんの邪魔にならないように……それはちょっと悔しいけれど、自分にできる最大限のことをするつもり」

「……ありがとう、マミ」

 

 悔しいだろう。自分では第一線で戦えないという、その決意は。

 

「だからお願いね? 暁美さん……見滝原を、お願いね」

 

 その言葉には、さすがの私も胸をズドンとやられる気持ちだった。

 

「ああ、任せろ」

 

 それでも、笑顔はさらっと作れた。

 これほど自分を薄っぺらな存在だと思ったのは、はじめてのことだった。

 

 

 

「さようならー」

「はい、さようなら。気をつけて帰るんだよ」

 

 学校の清潔な廊下を足早に歩いてゆく。

 今日も早めの行動を心がけ、適当に魔女退治した後は計画の準備を進めなければならない。

 タブレットも目を離せない速度で流れ続けている。そろそろ、私が動かなくてはならない時期に差し掛かっていると言えよう。

 

「ほむら!」

「お? さやか」

 

 廊下の先から、鞄を手にしたさやかがやってきた。

 

「魔女退治、私にも手伝わせてよ!」

「……ふむ」

「ほむらの足を引っ張らないようにするから! お願い! 特訓だと思って!」

「……」

 

 夜の公園で仁美と話した内容が頭をよぎる。

 

 さやかは恋を捨て、正義を選んだ。

 その正義を貫くためには、力とそれを運用するための十分な経験が必要だ。

 これから魔法少女として生きていく彼女には、まだまだ足りていない。

 

「わかった。それじゃあ一体だけね」

「やった! ありがとう!」

「今日はスケジュールがおしてるからね、早く行くよ」

「うん!」

 

 少し予定が変わってきたが、二人で街へ出ることにした。

 

 

 

 工場地帯までやってきて、ようやく魔女の結界を発見した。

 魔法少女四人を支えるためのグリーフシードを供給するためには、見滝原ではもう手狭なのだ。

 多少の遠征を覚悟しなければならない時期に差し掛かっている。

 とはいえ、それもあと三日のことなのだが。

 

「……ここ」

「ん?」

 

 さやかの手の中で、青いソウルジェムが煌めいている。

 

「魔女だけど」

「ううん、そうじゃなくて。ここって……」

「……ああ」

 

 いつの日だったか、さやかとまどかを連れてやってきた場所だった。

 この建物は、魔女の口づけによって飛び降り自殺を遂げてしまったOLの……まさにそこである。

 私達は以前血溜まりの広がっていた場所に立っていたのだ。

 

「……」

 

 さやかもそれを覚えていた。

 彼女は、今や雨に流されて綺麗になった地面を、静かに見つめている。

 しかしそれも、僅かな時間のことだった。

 

「……すぐ近くから反応がある。行こう」

「そうだな」

 

 私から、彼女に言えることはないだろう。

 彼女の中で完成されている意志に、私の色を付け加える必要はない。

 

 

 

「5.二列縦隊カットラス」

 

 無数の刃による牽制攻撃が、魔女を傷つけると同時に行く手を阻む。

 

「さやか、今だ!」

 

 一列につき十本のカットラスは魔女の左右を連続的に掠め、動きを封じている。

 さやかはすかさずそこへ飛び込み、無防備な魔女を捉えていた。

 

「だりゃぁああああッ!」

 

 地を駆け、跳び、魔女が反応するよりも早く突きを叩きこむ。

 彗星のように尾を引く一撃は魔女を大きく吹き飛ばし、壁へと叩きつけた。

 

「素晴らしい」

 

 魔女が衝突してひび割れた壁面から、結界が崩壊してゆく。

 はらりはらりと舞い落ちる結界の破片の中に、さやかの姿が映っていた。

 

「へ」

 

 彼女は満足げな笑顔で、私に親指を立てていた。

 

「ふ」

 

 私も親指で応える。

 

 さやかに教えたい戦闘技術は多い。

 だが、私では彼女に全てを教えることはできないだろう。

 

 さやかが一人で苦戦せずに魔女を倒せるようになるまでには、まだもう少し時間がかかる。

 どうかそれまでは杏子やマミの手助けの下、自己の素質を恨まずに努力を重ねていってほしいものだ。

 

 



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君の祈りを受け取る者

 

 夜の街をふらりふらりと歩く。

 自転車はつい一時間ほど前の夕時に、つい癇癪を起して蹴り壊してしまった。もう二度とあれに乗ることは無いだろう。

 あんなものを使わずとも、さっさと専属タクシーを走らせればよかったのだ。

 

 

 

:期日までに、手筈通りの施工が完了する予定です

 

 

「……ふん」

 

 

 タブレットを片手に、増築中の建物の外観を遠目から窺う。

 

 堅牢な設計と高い視認性。カメラもあるようだし、非常電源も……うん、まあ平気だろう。

 

 無骨な見た目だが、気にする事は無い。

 観客席は崩れ落ちなければそれでいい。

 

「さて、大体見終わったかな」

 

 タブレットを指でスクロールし、報告を流し読み。

 受信したメッセージのうち、興味のある場所はだいたい全てこの目で確認したようだ。

 

 ……少々、時間に余裕が出てきたな。

 

「……息抜きに、久々にあそこに行ってみるか」

 

 ワルプルギスの夜の事だけを考えていても行き詰まってしまう。人には適度な息抜きと娯楽が必要だ。

 見滝原の形があるうちに、楽しむべき場所を楽しんでおこう。

 

 私にとっても、これが最後と決めているのだから。

 

 

 

「や、奇遇」

「あれ?」

 

 なんとかディウスの前の椅子に座る杏子にコーラを差し出すと、彼女はポッキーを口から落として驚いている様子だった。

 私はパーカーの上に落ちたポッキーを拾い上げて、コーラの代わりとそれを口の中に入れた。

 

「今のアタシが言える事じゃないけど、悠長だなあ」

「おあいこって事だな」

 

 コーラを受け取って笑顔に変わった杏子が、どういう怪力か片手の親指だけでキャップを弾き開けた。

 私もどどんなんとかの機械の前に座って、自前のコーラを一口飲む。

 

「そうだ、ほむらのためにグリーフシードを二個手に入れておいたんだ」

「へっ?」

「あはは、なんだその声! まぁ受け取れよ」

 

 そう言う彼女は、私の座る台の上に二個のグリーフシードを転がした。

 しっかり針で立っている。本物だ。それも未使用。いや、そうじゃなくて。

 

「……良いのか? こんなに、大変だっただろう」

「うちの方じゃ結構魔女もいるからね。ほむらのために狩っておいたんだ」

「私の……」

 

 グリーフシードを握りしめる。

 これを、突き返すことも良いだろう。それが道理というものだ。私に受け取る資格はない。

 

 けれど、それでも私は握りしめる。

 

「ありがとう、助かるよ……大事に使う」

「へへ、気にすんな! ちょっとした贖罪でもあるしさ」

 

 彼女の笑顔を見るのも、少し辛かった。

 

 みんなみんな、いい人ばっかりだ。

 

 

 

『無駄ぁ!無駄ぁ!』

 

 レバーとボタンを素早く操作して、一撃一撃を確実に当ててゆく。

 以前の私とは一味も二味も違う。そこらへんのヤワなキャラ相手では、今の私に太刀打ちできないだろう。

 

「うお、そうくっか、ぬぬぬ」

「ぬぅん」

 

 どうやら、以前の暁美ほむらもこのゲームをやっていたらしい。ゲームに関しては、結構詳しかったようである。

 なるほど。私の身体もなんとなく操作を覚えているわけだ。

 

「なあ、ほむら」

「ん?」

「勝てるのか?」

「勝てるさ」

「ワルプルギスの夜にさ」

「そっちか」

「そっちだろ」

 

 もちろん、知ってはいたが。

 

『無駄無駄無駄無駄無駄無駄』

 

 唐突な問いに驚いて、答えに窮していた……なんて、馬鹿正直には言えないだろう?

 

「……なんとかなるよ」

「それ、信じていいんだよな?」

「……」

『お前の欲しいものは何だ…?』

「あっ、てめ」

 

 こちらのキャラの挑発を見て、杏子のキャラが大きな隙を作った

 

「むだぁ」

「あー! くっそー! もう一回だ!」

「ふ」

 

 

 

 格闘ゲームに飽き、コーラも空き、ついにやることも無くなり、座り心地が良くも悪くもない椅子に並んで座っていた。

 二人でぼんやりと、明るすぎる照明の天井を眺めている。

 ここ最近ずっと動きっぱなしだったので、杏子とのゲームは久々に良い息抜きとなった。

 けれど熱中してやると、それはそれで程よい疲労感も覚える。もちろん、この浮ついた脱力は悪くないものだ。

 

「……なあ、ほむら。聞いてよ」

「んー……? なんだい、杏子」

「アタシ、元々はマミみたいな、普通の魔法少女だったんだ」

「……」

 

 知っている。

 彼女がさやかに告白した過去の事も、私は全て知っている。

 

 しかし、意を決して私に打ち明けている最中の杏子を止めることはしない。

 私は黙って、彼女の独白を聞き続けた。知識としては知りつつも、それを反復するようにじっと聞き入った。

 

「……ふう」

 

 惨劇とも呼べる過去を一通り喋った後、杏子は一息ついた。

 そして彼女はコーラに口を付けたが、中身はもう入っていなかったらしい。ペットボトルを適当に投げ捨て、足をブラブラと遊ばせている。

 

「……魔法は全て自分の為に使う。あれからアタシは、そういう風に生きてきた」

「……ん」

「けど、もうやめようと思う」

「!」

 

 いつの間にか杏子はこちらに顔を向け、にっこりと笑っていた。

 

「また昔みたいに、何かのために戦っていけるなら……ちょっと傷付いたり、早死にするくらい、別に良いかなって思ったんだよ」

 

 薄く微笑んだ杏子の表情は穏やかで、未だ私も見たことがないものだった。

 

「だからさ、ほむら。アタシにはワルプルギスの夜と戦う力は無いけどさ……」

 

 するりと髪留めを外し、胸の前に当てて握り込んだ。

 流れるような長い髪は背中に下りて、シスターのベールのように杏子の背を包む。

 

「せめて皆の為に戦うほむらを、祈らせてくれよ」

 

 祈りの仕草は、まさに聖女のよう。

 きっとその気持ちも上辺だけでなく、本物なのだろう。

 

 嘘っぱちな私とは違って。

 

「……ありがとう」

「……頑張れよ、ほむら」

 

 視界の隅に転がるペットボトルについ目がいったが、彼女の祈りはきっと神の下へ届いただろう。

 

 そんな神様が実在すればの話だが。

 

 

 

 

 誰もいない、暗黒の地下。

 軍用の明るいマグライトを片手に、広い地下を進んでゆく。

 

「……」

 

 物資はきっちり、そこに大量に積まれていた。

 横にはパレットごと配置されたダンボールの壁。地面はしっかりと清掃され、危険物などは散らばっていない。

 光を天井に向けると、照明の配線もなされていた。

 

 総評。この分ならば、発電機もきっと問題はないだろう。

 空調に影響もなさそうだ。もっとも、それ以外の対策も万全であるが……。

 

 ……ここなら、きっと平気だろう。

 

「さあワトソン。しばらくの間、君とはお別れだ」

「にゃ」

 

 黒猫を闇の中に離してやる。

 すぐにどこかへ歩いて行ってしまうかと思いきや、暗がりの中で猫の目が発光しており、こちらに向いたまま離れる気配は無さそうだった。

 

「ワトソン。すまないがね……私はこれから大事な公演を控えているんだ」

「にゃぁ」

「うん。今までも二人の息はぴったりだったさ……けどこれは大事なソロ公演、ワトソンといえど、共演はできない」

「にゃぁ……」

「泣くな、すぐに復帰できるさ」

 

 猫の頭を撫でてやる。

 数十日で、ワトソンも随分と大きく成長したものだ。

 相変わらずの仔猫だが、それでも身体はしっかり大きくなっている。

 きっと私が与えた食べ物が良かったのだろう。

 

「じゃあね、ワトソン……また会いに来るからね」

 

 マグライトの明かりを消し、暗闇の中で思いを馳せる。

 

「その時は……きっと、レストレイドも……いやどうだろう……いやいや、レストレイドともきっと会えるだろう」

 

 白い翼を持ったあの鳩は随分と気まぐれだったが、また会えそうな気はする。

 

「みんな集まったら、またマジックショーを……あれ、ワトソン?」

 

 なんだか随分と静かだなと思ってライトをつけてみれば、そこには黒猫の姿が見えなかった。

 

「……最後の大事な別れの時にだけ消える? 普通……」

 

 ともあれ、これで準備は万全に整った。

 

 あとは嵐が来るのを待つだけである。

 

 



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プロローグ

 

 

――――――――――――――――

 

 

『ついに、明日ね』

『ああ、明日だ』

 

 夢の中で、いつものようにソファーに座っている。

 今日は隣ではなく、対面だ。それだけ、暁美ほむらも真剣なのだろう。

 無感情を装う彼女の表情も、今この時ばかりは強張っているように見えた。

 

 まぁ、無理もない。

 ワルプルギスの夜。それは彼女にとって、最後の最後まで倒すことのできなかった魔女だから。

 

『怖いかい? 暁美ほむら』

『……それは、私が訊くべきことよ』

『はは、それもそうだね』

 

 私は味の無いコーヒーを一口啜り、うっとりしたかのような仕草でおどけてみせた。

 

『実を言うとすごく怖い』

『……』

『腹痛の最中にやったマジックショーと同じくらい緊張するよ』

『馬鹿にしているの?』

『まさか、馬鹿になんてしていないさ』

 

 確かに、恐ろしい。ワルプルギスの夜。史上最悪の魔女。どうすればあんな魔女を倒せるというのだろうか。

 それこそ、因果を束ねたまどかのような……次元を超越した力でしか、倒せないように思えてしまう。

 

 しかし、そんなのは最初からわかりきっていることだ。

 腹は括っているし、対策も講じてある。

 

『私のやるべきことは随分と楽ではあるからね。気持ちに多少の余裕はあるのさ』

『……本当に?』

『本当だとも』

 

 嘘だった。

 本心では失敗するんじゃなかろうかと、非常に波立った思いでいる。

 

 それでも暁美ほむらに心配はかけさせたくない。

 弱い私の前では、絶対に私は、強い私でなくてはならないから。

 

 格好つけ。そう言われたって構わない。

 それが私の存在意義だ。

 

『……さて、せっかくのパレードだ。お客様とゲストを待たせるわけにもいくまい。早起きすることにしよう……じゃあね』

 

 様々な準備や、最終確認も反復しておきたい。

 私は襟を直して席を立とうとしたが、

 

『……待って!』

 

 感情を表に出した暁美ほむらが、それを止めた。

 

『……勝手だとわかってる、けど……!』

『……』

『まどかを、お願い……!』

 

 ……ああ、わかってるさ。

 暁美ほむら。君はそうだ。そうでなければ、そう願わなければ、君は君ではいられないからな。

 願いは聞き届けたよ。何度だって叶えるさ。君の奇跡を一度や二度きりで終わらせるつもりはない。

 それに。

 

『まどかは大切な友達なんだ、当然だろ』

 

 私は親指を立て、最高の笑顔で部屋から出た。

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

「くるっぽー」

「……」

 

 レストレイドの鳴き声で、短い仮眠から目が醒める。

 

 風の吹く、どこか高い塔の上に私はいた。

 カーキのブランケット一枚を羽織ったままで、眠りに落ちていたようである。

 

 朝と呼ぶには暗すぎる空模様に、これから起こされる大災害の予兆を見てとれなくもない。

 事実、これからどんどん空は荒れるだろう。私は経験からそれを知っていた。

 

 

 

「……ワルプルギスの夜が来る」

 

 別に言わなくてもやって来る。

 恐怖のパレードが来る。

 

 公演の時間は確認してないが、あと数時間後には始まるだろう。

 遅れてしまってはいけない。早めに準備と確認作業を終わらせよう。

 

「……いただきます」

「ぽー」

 

 いつの日か食べそびれたカロリーメイトを朝食に、最終準備が始まる。

 もぐりもぐりと、口の中の水分を奪う朝食だ。

 ただでさえ渇いた口内には、あまりよくないチョイスだったのかもしれない。

 

 それでも空いた片手でタブレットを操作できるのは、他にはない強みだった。

 

「くるっぽー」

「……さて、レストレイド。しばらくの間……君の場合は、もしかしたらずっとかもしれないけど、」

「くるっぽー」

 

 全部を言い切る前に、白い鳩はどこかへ飛び去ってしまった。

 

 ……ワトソンといい、君たち最後だけ随分と薄情じゃないか? いいけどさあ……。

 

 

 

 

 時折空を見上げて、タブレットをいじる。

 画面では見滝原の地図に、各地に点在する卵のアイコンが揺れ動いている。

 

「おいらはほ~むら~、やんちゃなほ~むら~、おいら~が生きてりゃ嵐を呼ぶぜ~……」

 

 もう一度、曇天を見上げる。

 

 まだまだワルプルギスの夜が来るほどのものではない。

 スーパーセルの兆候と断定するにも難しい空模様だ。

 

 だがこのままいけば、必ず嵐はやってくる。

 

「喧嘩混じりにボタンを叩きゃ~……」

 

 タブレットに映し出される複数のストリーム映像を見る。人影は無い。人払いは済ませてある。

 何もかも万全だ。

 

「日頃の憂さも~……――吹っ飛ぶぜ」

 

 歌の終わりに、タブレット上の赤いボタンを押した。

 

 

 

 ―――ドドン

 

 

 ―――ズドン

 

 

 ―――ドゴン

 

 

 

 すると塔から見下ろされる見滝原の景色に、無数の爆炎が上がるのが見える。

 

 その全てが見滝原市により指定されている緊急避難場所であることは、現時点では私しか知らないことだろう。

 

 

 

 



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舞台装置は整った

 

 

「ポイントは全て爆破完了、不発は無し。……ん? 設置が少しズレているものもあったか。……ま、建造物中央の屋根さえ壊れてしまえば、避難所としてはどう足掻いたって機能不全だ。多少雑でも問題ないだろう」

 

 無理に多く破壊する必要はない。最低限の破壊で効果を発揮できれば十分だ。

 あとは大げさに立ち上る黒煙が避難所の崩壊を解りやすく教えてくれる。

 

 さてさて。ライブカメラを見てみよう。オーディエンスの反応はどんな感じかな。

 現場の2カメさーん?

 

『キャァアアア!』

『うわすっげ……』

『逃げろ! 逃げろっ!』

 

 うむうむ。パニックに陥る人々の姿がよく見える。

 中にはテロかなにかと勘違いしている者も少なくない。逃げ方はガチなやつだ。

 

 いや、実際爆発物を使った以上、これはテロとしか思えないだろう。

 ネットでの情報も大体そんな感じ。しかし悪天候の情報も入り混じっているおかげで、かなり錯綜している模様。

 まぁ、現場を見てしまった少数の人々については怖かっただろうが仕方ない。

 避難所は多少の荒っぽいやり方をしてでも壊す必要があったのだ。

 

 頭の堅い馬鹿な役所の連中はハリケーンなどへの対処法を熟知していないし、経験もない。ただ避難すれば良いと思っている。

 避難先はどこか? 公民館や小学校だ。確かに耐震性はあるだろうが、それがハリケーンから身を守ってくれるというのだろうね。

 一か所に住民を避難させてしまえばそれで終わり。お役目終了。簡単な仕事で良いものだ。だが実態はそうはいかない。ただの避難では駄目なのだ。

 

 実際にハリケーンなどが来た時、正しい対応は家屋に入る事ではない。

 地下へ潜る事こそが最善の手だ。暴風災害が頻出する地域では家に地下シェルターを有していることも珍しくない。

 もちろん、この日本で地下室なんて、そう簡単に作れるものではないだろうが……。

 

「人は多く雇った。準備も進めた。誘導は彼らがやってくれるだろう」

 

 私の準備は万全だ。

 なにせマジシャンなのだ。タネと仕掛けを整える事に関しては他より少しうるさいぞ。

 観客の視線誘導くらい、基礎の基礎さ。

 

「さて……しかし丸投げというのも不安だしな……」

 

 任せてはいるが、タブレットを通じて配置したカメラを確認しておこう。

 爆発を察知した人々は困惑している様子だ。

 もちろん大きすぎる爆発ではなかったので、けが人は無い。破片が飛び散ることもないし、火事にもなっていない。

 

 基本的に人は、血を見なければそこまで恐慌することはない。音も静かだったし、目立っているのは立ち上る煙ばかりだ。

 まぁ、テロだとわかったならば大騒ぎになるだろうが……情報が確定するまでは重度のパニックにもならないだろう。

 むしろ眠っている住民には良い目ざましのニュースとなってくれるはず。

 

 色々と心配しているが、現場に調べが入り、何者かによる爆破と判明するまでの時間は無いだろう。

 その前に避難指示命令が入るはずだ。

 そして人々は、避難できる場所が無いと知る。

 

「順調だ」

 

 騒がしくなった眼下の街を見下ろし、エナジーバーを一口齧る。

 

 

 

 急速に暗雲を湛えはじめた空模様。

 明らかに異常事態だとわかるこの天候に、さすがの市民たちも不安が隠せない様子だ。

 

 ほどなくして、街中のスピーカーから悠長な女性の声が響き渡る。

 

『竜巻警報……ただいま、見滝原市全域に、緊急避難指示が出されました……』

「だな」

 

 時間は予定通り。

 爆発、そして警報。さて、人々はどこへ避難するのだろうね。

 

 役所もそこまで馬鹿ではない。そろそろ避難所が使えないことは把握しているはずだ。

 大多数は街の外へと出るように指示が出されるだろう。既にマイカー持ちはぞろぞろと高速道に乗って帰り始めている。

 

 では街の中心部などの人々はどうするか。

 子供、老人。なかなか外に出れない人々も多いだろう。病人だっている。

 

 何も問題は無い。

 私の方で全ての準備が整っているのだからね。

 

 

 

『地下貯水トンネル、避難場所として解放しておりまーす!』

『地下用水路建設跡地です! 一時避難される方は、どうぞこちらに!』

 

 見滝原に一定間隔で配置されたスピーカーが、地域の人々に最寄りの避難場所を伝えている。

 無論、これは違法行為だ。工事と称した違法改造に過ぎない。

 中には乗用車を改造した選挙カー紛いのものまで定間隔で駐車してある。

 あらゆる掲示板にもベタベタと宣伝ポスターを拡散済みだ。町中の看板にだって案内は張り出されている。チラシもあらゆるポストに突っ込んでおいた。

 

 行きつく先は、地下貯水トンネル。

 公営の未完成地下放水路を改造した、超大規模避難施設だ。

 

「よしよし、みんな真面目に働いてくれるじゃないか」

 

 どこぞの汚職議員が進めた見滝原の急開発。見滝原バブルの負の遺産だ。

 議員の汚職が発覚してからはピタリと動きも止まってしまったが、私が裏から働きかけてやれば開発計画は一気に推進した。

 私には何のことかさっぱりわからないが、謎の献金やら知られてはならないお偉いさんの弱みだとか、そういったものが関わっているのかもしれないね。私はわからないけど。

 

 見滝原の真下には、貯水トンネルとして使われるはずだった頑丈な空洞がいくつもある。

 これは水資源や都市型洪水に対処するため、都会ではよく進められるプロジェクトだった。

 しかし現在は開発途中なので地上と繋げられることもなく、浸水することのない地下空間としてずっと残り続けていたのだ。

 

「避難の方は大丈夫そうかな」

 

 案内は十全だ。

 出入り口は急ピッチの開発によって様々な場所に設けてある。

 地下はバイパスで合流できるので、誰かと逸れることはないから安心だぞ。

 

「ふむ」

 

 懸念は消えた。

 問題が無ければ、後はワルプルギスの到来を待つばかりである。

 それまではもう少し、この美しき見滝原を眺めていよう。

 

「……ごめんね」

 

 私は美しい街に謝った。

 

 

 

 巨大ホールのように天を隠し尽くす雲の天蓋。

 

 星一つ瞬かない白昼の夜がここにはじまる。

 

 向かい側から吹き抜ける風。

 

 ドライアイスのいらない白い靄。

 

 こちらへ近づく低気圧のブラックボックスは、百年に一度の奇跡となって、見滝原に顕現するだろう。

 

 

 

 

 

「……さあ! 見滝原市民の皆さま!」

 

 鉄塔の先で、分厚い雲に大声を張り上げる。

 

 

 

 

「今世紀において最も輝ける! 時を駆けるマジシャン Dr.ホームズ!」

 

 天を仰ぎ、腕を広げる。

 

「生憎のお天気! しかし全ての装置が整ったこの場所は、もはや誰にとってもホールと同じでありましょう!」

 

 聞く者は誰もいない。

 それでも私は、朗々と歌い上げるのだ。

 

「史上最も努力し、苦悩し、辛酸をなめ尽くし! それでも輝かしい未来の為に、時を越え戦い続ける時空の戦士、この私、暁美ほむら!」

 

 キザったらしく。

 大げさに。

 格好良く。

 

「挫折を味わい、それでも前に進み! 夢をあきらめなかった一人の少女! わずか十四年の人生に下積み五年以上を詰め込んだ苦しい修行の成果は、果たして今回の公演で大輪を咲かせるのでしょうか!?」

 

 

 

 

「スペシャルゲストはそう! 皆さまご存じ! ワルプルギスの夜!」

 

 

 

 

「Dr.ホームズのマジックショー! これより開演!」

 

 

 巨大な積乱雲から、素敵な笑みを浮かべた来賓が登場する。

 今日の為に着飾った紫の衣装は、きっとこの私に合わせてくれているのだろう。

 

 巨大な歯車の本体と、ドレスを着飾ったような人型の身体を備える超巨大魔女。

 

 ワルプルギスの夜。

 私が越えられなかったもの。

 

 上等だ。

 

 

「さあ、始めよう」

 

 

 私はタラップを使ってゆっくり鉄塔から下りた。

 飛び降りないよ。怖いからね。

 

 



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第十二章 私と君が求める世界
嘘っぱちの答え


 

 鹿目まどかの父、知久は、家族を連れて地下の避難所にやってきた。

 本来であれば最寄りの小学校が避難先として選ばれていたのだが、ガス爆発だとか屋根の崩落だとかで使えなくなったため、急遽別の避難先をということでここの放水路跡地へと足を運んだのである。

 

 最近になってテレビや各メディアで取り上げられるようになったその地下施設は、様々な情報を鵜呑みにするに、元々開発されていた空間を利用しているらしい。

 それを莫大な資金と複雑な提携により大改築することで、避難所としているのだとか。

 

 自分たちの住んでいる場所の地下に、本当にそんな空間が広がっているのだろうか。

 それはまどかでさえ疑問だったし、知久もまたWEBサイトなどで上げられていた秘密結社のアジトが如き施設画像には懐疑的だった。

 

 しかし実際に放水路とやらに入ってみると、そこは意外にもまともな施設であるようだった。

 大きなエレベーターによって地下空間へと躍り出た鹿目家一行は、ネットやテレビで見たイメージとほとんど変わらない巨大空間を見て、しばらく放心状態が続いてしまった程だ。

 

「わ、すっごい広さ……」

 

 まどかの母、詢子もまた驚きを隠せない。

 特撮に出てきそうな施設内部に、まどかの弟タツヤは大喜びだ。

 周囲の幼い男の子の様子を見る限り、彼だけに限った反応でもないようである。

 

 鹿目家は程なくして、係員に訊ねられ、住所と連絡先、家族構成を聞かれた。

 簡単な調査はすぐに済んだ。

 その後、指示に従って巨大な昇降機のようなものを使って流されていくうちに、あれよあれよという間に仕切りが設置してある避難区画へと案内されたのである。

 

「えっと、ここで良いんでしょうか?」

「はい。鹿目様のいる地区は……はい、確かに皆様はこちらで間違いありませんね」

 

 そこには横になっても不快感が無いであろう厚手のマットをはじめ、シュラフ、ブランケットなどが一通り揃っていた。地区の住民が利用する使い捨ての歯ブラシやひげそり、各種生理用品もまとまった数が揃っている。

 真っ先に自分とタツヤの分の使う消耗品に抜けが無いのを確認した詢子は、今朝からずっと出せなかった安堵のため息をつけた程であった。

 

「近くで良かったね」

 

 居住環境に不満はなく、一定のプライバシーも守られている。

 家庭用の電圧も確保されていることに携帯の充電の心配をせずに済んだまどかも、この誂えたかのような巨大避難施設にはホッと息をつけたようだった。

 

「うんうん。まさかあの使われてなかったトンネルの扉から、こんな場所に入って来れるなんてねえ……アタシ知らなかったよ、こんなところ」

「あ。そうだ、何か飲み物とか……」

「あ、大丈夫ですよ」

 

 知久は立ち上がろうとしたが、近くにいた係員に止められた。

 

「全て揃えてあるので問題ありません。僕と同じこのゼッケンをつけている人に聞けば、お渡ししますので」

「そうですか! ありがとうございます」

「それと、もしご家族の中で持病のある方がいれば、お聞かせ願えますか。アレルギーなども」

 

 飲食物や医療に関しては、特に不備はない。

 そしてそういった地区ごとの過不足を把握し共有できる係員の多さもまた、予算を顧みないほどに潤沢に用意されていた。

 

 手厚く親切である。しかし、聞けば聞くほどに謎の組織だった。

 

「……あ、この人のゼッケンのマークって……」

 

 まどかは係員がつける薄紫色のゼッケンの絵柄を見て、驚きの声を上げる。

 

「ん? これかい? うちの会社のロゴらしいけど、詳しくはわかんないなあ。なにせ、僕もまだ新入りだからね」

 

 一見するとゆるキャラかマスコットキャラのように見えるそれ。

 しかしまどかにとって、それは非常に見覚えのあるものだった。

 

(……スーツを着たソウルジェムが、シルクハットを被ってる。デフォルメされてるけど、間違いない……これって)

 

 ソウルジェム。シルクハット。何よりそのカラーリング。

 間違いない。

 

「ほむらだね」

「わっ!? さやかちゃん」

 

 まどかの背後から顔を出したさやかも同じ答えにたどり着いたらしい。

 

「あら、さやかちゃーん久しぶりぃ」

「へへ、お久しぶりです」

 

 突然のことで驚いたまどかではあったが、同時に慣れない場所で親友と出会えて、それ以上にホッと人心地ついたのだった。

 

 

 

「ほーい、お茶もらってきたよ」

「ありがとー、さやかちゃん」

「いやぁ~タダで色々な飲み物が飲めるなんて、避難場所とは思えないくらい良い施設だねえ」

「えへへ、そうだね」

 

 二人は居住区画とは少し離れた場所にある待合室のような作りの団らん空間にやってきて、ソファーに腰を落としていた。

 辺りにはまだ人の姿も少ない。家族にも聞かれたくない話をするには都合が良かった。

 

「さっきもロゴ見たけど、ここの会社“Hompty”っていうんだって。すごい会社もあったもんだよねえ」

「ホンプティ……あはは……これってさ……」

「間違いないだろうね……」

 

 これ見よがしに主張しているソウルジェムとシルクハットが、何もかもを物語っている。類似性のある名前はそのトドメだった。

 

「ほむらちゃんて、一体何者なんだろうね……」

「さてね。きっと、私達の考えの及ぶような奴じゃないんだよ、あいつはさ」

「それって?」

「んー、普段学校とかでは何も考えてない、ちょっと抜けてる所はあるけどさ……隙が無いっていうか」

「うん」

「そう! 深さがあるっていうの? うん」

 

 思わせぶり。ミステリアス。だからこそ、こんな大それた施設に関わっていると後からわかっても、あまり驚きがない。納得してしまえる、根拠のない説得力があった。

 

「私はね、ほむらのそんなところに随分助けられたような気がするよ」

「……ほむらちゃん、かぁ」

 

 まどかは俯き、考える。

 一人でワルプルギスの夜と戦いにいったほむらのことを。

 

「私は、ほむらの言葉を信じてる。街のために一緒に戦えないのは悔しいけど、私はほむらの言う通り、ここで待つことにする」

「……うん」

「だからまどかも安心しなよ。きっと、大丈夫だから」

「うん」

 

 どうやらさやかは、心配性なまどかを気遣ってやってきたらしい。

 前向きな励ましの言葉に、まどかも少しだけ勇気づけられた様子だ。

 

 

 

「すみません、貴女は鹿目まどかさん……でよろしいですか?」

「へ?」

 

 そんな彼女に、声がかけられた。

 声をかけたのは係員の一人で、共通のゼッケンを着用している。

 

「私は、鹿目まどかですけど……」

「会社の方で手紙を預かっているので、これをお受け取り下さい」

「手紙……?」

 

 渡されたのはひとつの封筒。

 猫の刻印で閉じられている、至って普通のものだった。

 宛先人は書かれていない。

 

「ほむらから、なのかな?」

「あの、これって誰から……?」

「いや僕は下っ端なのですみませんね、そこはわからないです。それでは」

「はあ……」

 

 係員の男は義務的に頭を下げると、すぐにその場を立ち去ってしまった。

「何が書いてあるんだろ」

「わかんない……」

 

 ひとまず開けるしか無いのだろう。

 まどかは刻印を剥がし、中から一枚の小さな紙を取り出した。

 

 

“まどか。一人でJ14のパイプ室に入って、指示に従って来てくれ”

 

 

「……これって」

「間違いないね、ほむらっぽい感じがする」

「呼ばれてるの? 私だけ?」

「……何か、意味があるんじゃないかな」

「そうなのかな……」

 

 見知らぬ手紙。謎の指示。

 まどかの不安は拭いきれない。

 

 しかし、ほむらが関わっているのなら、行かなければならない。

 意味は理由はわからないが、そう思えてしまうのだった。

 

「とにかく行ってきなよ、まどか」

「……うん、行ってみる」

「ここに居るから。待ってるからね」

「うん、じゃあね」

 

 そうしてまどかは、一人で手紙の指示に従うことにした。

 

 

 

 パイプ室。それはいくつもの配管を束ねた通路で、最近になって作られた場所のようであった。

 当然、人はいない。用があるのは配管を管理する者だけだろう。普通ならこういった場所には鍵がかけられて然るべきだが、施錠されている様子はない。

 まどかはやすやすと部屋に侵入できた。

 

「ここだよね……わ、パイプ管が沢山通ってる」

 

 部屋は細長く、手狭だ。しかしちゃんと人が通れるだけの幅はあるし、進めるだけの奥行きもあった。

 

「指示って、どういうことだろ……?あっ」

 

 やがて配管の通り道が二股に分かれている場所に出た。

 そこには真新しい看板がチェーンでダクトから吊るされており、簡潔な言葉が書かれていた。

 

 

“コーヒーが好きなら左へ”

 

“ココアが好きなら右へ”

 

 

「……これって」

 

 コーヒーかココアか。そう聞かれれば、まどかとしてはココアの方が好きだった。

 

「……こっち、っていうこと?」

 

 そちらの通路を進んでゆく。そしてちょっとした階段や廊下を歩くと、またしても分かれ道と、看板が立ちふさがっていた。

 

 

“演歌が好きなら左へ”

 

“スラッシュメタルが好きなら右へ”

 

 

「……やっぱり」

 

 演歌を選び、進んでゆく。

 

 

“ブリューナクを持っているなら左へ”

 

“トリシューラを持っているなら右へ”

 

 

「……ほむらちゃん、なんだね」

 

 自分にしか答えられない質問。

 知っている人がほとんどいないであろう質問。

 薄っすらと残っていた疑問は、ほとんど確信に変わる。

 

 

“赤いリボンが似合う君は階段を上ったその先へ”

 

 

「……この先……」

 

 まどかは長い階段に出くわした。

 それは本来であれば、エスカレーターなどを用いるべき長さのものなのだろう。

 しかしここにはそれらしきものはない。まどかは少しだけ億劫な気分になりながらも、懸命に足を動かして上へと続く階段を上っていった。

 

「はあ、はあ……長いよ、ほむらちゃん……」

 

 やがて階段の先に、一枚の扉が見えてきた。

 扉にはやはり看板が貼り付けられており、こう書かれている。

 

 

“この先にイースターエッグは無いけど、真実はある”

 

 

「……」

 

 まどかはその扉を、慎重に開け放った。

 

 

 

 

 

 

「やあ、まどか」

 

 湾曲した白いソファーの上で、私は脚を組みながら彼女を待っていた。

 

 まどかは予定通り、ちゃんとやってきたようだ。

 長い階段で少しお疲れ気味のようだが、このとっておきの部屋を見てその疲労も吹っ飛んでしまったらしい。

 というよりは、困惑か。何故こんな部屋に私がのんびり腰を落ち着けているのかわからない。そんな顔である。

 

「……ほむらちゃん? 何をして……それに、ここって」

「ここはちょっぴり頑丈な部屋さ。快適だよ?」

 

 私はおどけながら、両腕を広げて部屋を見回してみせる。

 

 壁にかけられたインテリアイメージフレーム。

 実用性の薄いぐにゃりと曲がったソファー。

 そして壁一面に掛けられた真っ白なスクリーン。

 

 なかなかお洒落なシアタールームのようだろう?

 私の夢、いいや、過去の部屋の再現だ。ここまで作るのには結構苦労したのだけど。

 

「ほむらちゃん……ワルプルギスの夜って、もう来るんじゃ……」

「来ているよ」

「え……」

 

 そう。ワルプルギスの夜は既に見滝原に顕現している。

 今頃は暴風を撒き散らしながら、車や軽めの屋根を空にばらまいて遊んでいるんじゃないかな。

 

「え……じゃあ、ほむらちゃん、早く行かないと」

「まあ急ぐ必要は無いさ」

「え、ええ……」

 

 まどかが身体を震わせる。

 縋るような目で、私を見る。

 

「……ほむらちゃんなら勝てるって……言ってたよね? 本当……だよね?」

 

 彼女は心配そうに、戸惑うように訊ねた。

 

「ふふっ」

 

 私は彼女の困ったような顔を見て薄く笑い。

 

 

「嘘」

 

 

 笑顔で全ての期待を裏切った。

 

 

 



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Are We Cool Yet?

 

「え……?」

 

 まどかは呆気に取られたように、目をわずかに見開いた。

 まだ、状況が呑み込めていないかな。……だろうな。私もいざこんな場面に出くわしたら、そう思ってしまうだろう。

 

 けど、君には教えなきゃいけない。

 どれだけ心が受け付けなくても、理解しなくちゃいけないんだ。君だけは。 

 

「全て嘘っぱちなんだよ、まどか」

 

 私はソファーから立ち上がり、優雅そうな仕草で部屋を歩く。

 そのまままどかに背を向けて、大きな壁に向かって袖に忍ばせたリモコンスイッチを押す。

 

「こっちが真実だ」

 

 壁一面をスクリーンとした巨大モニターに、ワルプルギスの夜が映し出される。

 巨大歯車の本体と、ドレスを着飾った魔女。

 今現在も見滝原の上空に浮かび、高層ビルを砕いて回っている……最強の魔女そのものだ。

 

 当然、健在である。私はまだあの魔女に、指一本も触れていないからね。

 

「え……!?」

「これこそが最強の魔女、ワルプルギスの夜だ」

「ま、待ってよほむらちゃん、前に勝てるって言ってたのに!」

「こいつにか?」

 

 モニターに映されたワルプルギスの夜は、ゆっくりと宙を進んでいる。

 攻撃を受けず、平穏なるままに動くワルプルギスの夜は、特に凶暴性を見せる事もなく、強い嵐を発生させているだけだった。

 とはいえ、見滝原の街はおもちゃのように吹き飛ばされ、大変なことになっているのだが……これはまだ“マシ”な方だ。本気を出されるともっと酷いことを私は知っている。

 

 怒るかい、まどか。

 いや、君は疑問に思う。困惑するのだろう。君はとても、優しいから。

 

「こいつに勝つメリットなどはないよ、まどか」

「そんな、どうして……!」

「戦っている最中に街は破壊され、砕かれ……跡形もなく瓦礫となって……それだけだ。誰かが勝ったとしてもそれは、全てを失った後だろうよ」

 

 この大規模攻撃を繰り返す魔女に対して、街を守りながら?

 無茶な、いや、無理な話だ。そんなことできるはずもない。

 魔法少女が台風の被害を全て食い止められるとでも? 思いあがってはいけない。

 

 これは災害だ。

 不可能なのだ。たかが、奇術師風情にはね。

 

「ならば私は、街を捨てる」

 

 それが私の答え。

 

「そして人だけを守る」

 

 それが私にできる精一杯の妥協。

 

「ほむらちゃん……この、避難所って……」

「ああ……見滝原には私が急ごしらえした避難所がいくつもある。地下の頑丈なシェルターは大多数の人命を救うだろう。今は圏外でどこも繋がらないだろうけど、それは後々、数字としてはじき出されるはずさ。メディアは奇跡と呼ぶかもしれないね」

 

 この避難所もそうだ。態勢は万全だし、地上がいくら荒れようとも生き延びるだけの堅牢さを備えている。

 ワルプルギスの夜とて、地下の避難所までは襲いきれないだろう。あの魔女の攻撃は血の気が引くほどに凄まじいが、地下に対しては僅かに弱い部分がある。

 

 ビルごと風で煽って基礎を引っこ抜くことはできるだろう。だが芋ずる式にやられそうな場所と岩盤を避けて地下整備を進めれば、いくらワルプルギスの夜であろうとも手出しは難しくなる。

 集中的に地下を壊す前に、飽きて自ずと去ってゆくのだ。

 

 つまり。

 街に執着しなければ、ワルプルギスの夜を倒す必要などはない。

 

「そんな……でも、街が……うううぅ……」

「そうだね。けどね、まどか。君は街を救う事ができる」

「……わ、たし?」

「そうともまどか。君には力がある」

 

 モニターに映るワルプルギスの威容を背に、私はまどかに向き直る。

 

「君だけが唯一、その権利を手にしているんだよ。まどか」

 

 これは悪魔のささやきになるのかな。

 

「インキュベーターと契約し、君が“街を直したい”と願えば……きっとそれはすぐに果たされるだろう。このモニターに映る惨状も、きっと以前のままに戻ってくれるはずさ」

 

 ゆらりと手を広げ、壁のスクリーンをなぞる様に仰ぐ。

 

「見滝原を元の状態に……いいや、もっと途方もないことだって出来るかもしれないね。未来都市にすることも、ついでに私のための劇場を設置することだってできるんじゃないかな。その時は是非ともお願いしたいところだが……」

 

 そう言って、私は真正面からまどかに向き直った。

 

「……君は魔法少女の素質を持つ者として、祈り、願う権利がある」

 

 戸惑う彼女に優しく微笑みかける。

 そして、まどかの入ってきた扉には、いつの間にか白猫の姿があった。

 

 インキュベーター。キュゥべえ。

 私たちの因果を仕組んだ、全ての元凶。あるいはささやきかける悪魔そのもの。

 

「暁美ほむら。それはつまり、全てはまどかの意志に任せるということだね?」

「まあ、ね。私にそれを阻む権利はない」

 

 そう。必要なのは向き合うことだ。

 まどかの契約は彼女の意志の下に行われる。そしてキュゥべえはどこからでも、いつでも湧いてくる。それを止める手立ては私にはない。これはワルプルギスの夜を倒すことや、見滝原を無傷で防衛することと同じかそれ以上に難しい。

 

 だから、この選択ばかりは委ねるしかないのだ。

 揺れ動く不安定な心をもった、彼女に全てを任せるほかに、できることはない……。

 

「……」

 

 彼女は俯く。重責が頭の上にしな垂れかかっているかのように。

 

「怖いかい? まどか」

 

 何か言葉を発したい。しかし混乱する思考が発生を妨げているようだ。

 まどかは酷く葛藤しているのだろう。

 

 でも、そんなの当然だ。

 

「怖くて当然だよ、まどか」

「ほむら、ちゃん……」

「ただの街など、自分の魂を賭けるに値しないものな」

「……!」

 

 彼女の肩に手をやる。

 

 そう、葛藤には違いない。だけどそれは、自責の念からくるものだ。

 街を元に戻す。それは確かに大きな願い事かもしれない。

 でも、こうして避難所で人々の安全が保障され、一安心してしまったなら……難しいよね?

 

「罪を感じる事は無いよ、まどか」

「うっ……ぁう……」

 

 まどかは静かに涙を流した。

 

「ご、ごめんなさい……私、本当に嫌な子だよねっ……本当は、みんな助けて、街だって守りたいのに……」

 

 絹のハンカチで、涙を拭ってやる。

 それでも、後から後から溢れてくる。

 

「不公平だって、釣り合わないって思っちゃってるの……!」

「うん、うん」

 

 慰める傍ら、私は内心でほっとしていた。

 まどかならば、自分の命を引き換えにしても、街だけですら守りたいと言うかもしれないとも、思っていたから。

 

「私の方こそすまない、まどか……こうでも嘘をつかなければ、私は皆を守れなかったんだ」

 

 さやかやマミは、知っていればきっと戦っていただろう。

 心を入れ替えた杏子だって、無謀でも戦いを挑んでいたかもしれない。

 皆で力を合わせれば勝てると、そう信じているから。そう信じていたいから。

 

 でもそれは無意味だ。彼女らを無駄死にさせてしまう。

 

 私は突出した実力があるように思わせて、彼女たちを戦線から無理やり引きはがした。

 皆に役割を与え、外を見通せない地下の避難所に押し込めた。

 私なんかで、勝てるはずもないのにね。所詮は、嘘っぱちさ。

 

「でもね。君にだけは教えておかなければならないと思ったんだ、まどか」

「私……?」

「後から街の壊滅を知ると、君は何をするかわからないからね……趣味の悪い話だが、間近で君の後悔を受け止めたかったから」

「……」

 

 モニターを見る。

 ワルプルギスの夜が踊りを始めた。

 

 さらに強い烈風が吹き荒れる。

 砂のように舞い上がるそれは、家屋か車か。いずれにせよ、あの小さな粒でさえ魔法少女を容易く死に至らしめるものに違いはあるまい。

 それこそが、圧倒的なワルプルギスの夜の力だった。

 

「半日で、見滝原は荒野と化すだろう」

 

 私は震えるまどかの肩を抱きながら言った。

 

「地下にいる人々は、全てが過ぎ去るまでその惨状を知る事はない」

 

 シェルターは外を覗くことはできない。しかし地響きと幾重の地盤を隔てた地下にさえ轟く風音は、ちょっと開けようと思う心さえも摘み取るだろう。

 

「けど、私たちだけは特別だ、まどか。“どうにかすることができたかもしれない”私達にとっては……この破壊の様を見届けることこそ、罰であると言えるのかもしれないね」

「……辛いね」

「辛いかい? まどか」

「……うん」

 

 涙を湛える彼女は、本当に辛そうだった。

 

 そうか、辛いか。わかるよ。辛いよね。

 

 ……そんなこともあろうかと!

 

「よし! ならばせめて、気分良く見滝原の最期を見送ろうじゃないか!」

「へっ?」

 

 私は大きく手を広げ、スクリーンを引っ掴む。

 

「せっかくの百年に一度級の大災害だ! ただ黙って見ているのも価値はあるが、ここで楽しまなくては人生の損というものだろう!?」

「え? え? どういうこと……? きゃっ!?」

 

 そのままスクリーンを引きずり落とし、壁を露にする。

 

 ――そこにあるのは全面多重強化ガラス張りの壁だ。

 

 透明な壁面の向こう側には、遠くではあるが、実物のワルプルギスの夜が舞い踊っているのが見える。

 

 ここは半地上。厳重に要塞化させた、私とまどかのためだけの特等席。

 

「執念を裏切り、願いに決別をつけるならば! せめて明るく振る舞っておかなくてはね!」

 

 紫に輝くソウルジェムを手に、変身する。

 ハットを被り、ステッキを右の手首にひっかけ、盾の中から黒いリモコンを取り出す。

 

「魔女のお祭りなど知ったことか! 魔法少女だって似たようなものだ、乱入して一緒に楽しんでやろう!」

 

 黄色いスイッチを押すと、窓の向こう側で変化が現れた。

 

 ワルプルギスの夜を囲むようにして、巨大で豪勢な花火が打ち上がる。

 巨大な花火たちはぱっと一瞬だけ大きく開いた後、ワルプルギスの夜が巻き起こす嵐に巻かれてすぐに流され、消えてしまった。

 

「ワルプルギスの夜など関係ない! 戦うつもりなどない! 戦う気も無いのであれば、勝っても負けてもいないのだよ! 私達は!」

「ほむらちゃん……?」

 

 踊りながら、赤いスイッチを押す。

 

 ワルプルギスの夜のすぐ脇を、特注のジェットエンジンを積んだ簡素なロケットが通過し、爆発して巨大な花火を咲かせる。

 無重力によって地面から引きはがされたビル群が大爆発を起こし、破片が大空を舞う。

 改修された電車のレールから、魔改造を施されたウイング付きの電車が猛スピードで脱線し、ワルプルギスの夜に衝突する。

 

 それはまるで、ワルプルギスの夜を主役にした大きな演劇のようだった。

 町全体が舞台装置のようにギミックを唸らせ、私たちしか見えない場所でおどけては、すぐに消え去ってゆく。

 

「はははは! 自分の心のために自分でピエロを演ずる! 医者もパリアッチも全て私だ! これほど面白い事があろうものか!」

 

 曲がったソファーに身体を投げ出し、私は仰向けになって蛍光灯を見上げた。

 

 ちかりちかりと瞬く蛍光灯。まぶしく、寂しい明滅だった。

 

「……魔法少女でも、型にはまりきった正義の味方をやることはない」

 

 まどかに対してでもなく、私は自分にだけ聞こえるくらいの声で呟く。

 

「正義の味方になれないからといって、気に病む事も、戦い続ける事もしなくていいんだよ。私も、まどかも」

 

 

 ――それでも、私は魔法少女だから。

 

 

 そう言って戦いに身を乗り出していったまどかの姿が脳裏に映る。

 

「……ふふっ」

 

 大丈夫。誰も責めないよ。暁美ほむら。

 

「……そう、だね」

 

 自信無さげではあるが、何よりも彼女がそれを認めてくれたのだから。

 

 ここが妥協点で、構わないだろう?

 

 

 



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虚飾と本物の奇跡

 

 全ての財が流された……と改めて表現すると、頭の重い結果だ。

 しかしバベルが打ち砕かれて、建て直す事がゆるされたと考えれば、……いや、そうもいかないか。屁理屈を捏ねたところで、多くが失われた。それは誤魔化しようもない。

 

 ある程度の時間があったとはいえ、私は全知ではない。極力病院や養護施設の人々もどうにか地下へ避難させたものの、その避難率は100%に至ってはいないだろう。

 

 身体の不自由すぎる孤独な人。

 運悪く睡眠時間の長すぎた鈍い人。

 理由あって、施設を出ることができなかった人。

 

 私はそれらを関知していないが、少なからず居たはずだ。動きたくない人だっているだろう。

 

 犠牲はある。

 人を全て助けられるはずはない。

 

 あえてまどかには言わなかったが、そこが現実の問題だった。

 

「……ふう」

 

 嵐の止んだ地上に踏み入った私は、ワルプルギスの夜の後ろ姿を遠くに見送る。

 いつか夢にも見た瓦礫の山の上で、いつかのように缶コーヒーを飲みながら、そのパレードが向かう先を見送る。

 

 あの魔女はまたいつか、どこかの見知らぬ地で、大規模な絶望をまき散らすのだろう。

 そこまでは手に負えない。

 仕方がない。

 私にも出来ることと、出来ないことがあるのだから。

 

「……うう。まだ、風強いね」

「危ないぞ」

 

 まどかも避難所を抜け出して、地上へやってきた。

 まだ避難の警告は解除されていない。地下の人々はまだ、この凄惨な光景を知らない。

 

 私とまどかだけが、まだ悲鳴も嗚咽も無いこの惨状を目の当たりにしていたのだった。

 

「……何も……無くなっちゃったんだ」

 

 目を凝らしても、思い起こそうとしても、瓦礫の荒野はかつての面影を思い出させてはくれない。

 まどかはどうしようもなく、ぼんやりと眺めるばかりだった。

 

 

 

『さやか、マミ、杏子、聞こえる?』

 

 テレパシーを送る。

 反応はすぐにやってきた。

 

『ほむら!?無事!?』

『怪我は無い!?』

『ワルプルギスの夜は!』

 

 おうおう。魔法少女たちの回線は混雑しているようだ。

 いや、彼女たちからしてみれば私はまだ闘っている最中だろうから、それも仕方ないか。のんきにしている私が悪かった。

 

『全ては終わったよ、みんな』

 

 小高い瓦礫の山を、尚も登る。

 足場の悪いコンクリの破片を踏みしめ、モルタルのタラップを掴み、鉄骨の頂上へ躍り出る。

 

『地上へ出てきてくれ』

 

 瓦礫の小山から見下ろす光景は、いっそ清々しいものだった。

 

 透き通るような青空。

 どこまでも見通せる景色。

 

『……認めたくなくとも、やらなくてはならないことがある』

 

 これが私の望んだ未来。

 暁美ほむらが頷ける、素晴らしい世界。

 

 大きく両腕を広げ、天を仰ぐ。

 ワルプルギスの夜が去っても、空はまだ昼のままだった。

 

 

 

「……何も、残ってない」

 

 さやかは呆然と、辺りを見回している。

 

「そんな……」

「嘘だろ……?」

 

 マミや杏子も似たようなものだ。

 この光景が信じられないのだろう。期待していたものとは、まるきり違っていたのだから。

 

「……あ、ほむら」

「ほむらぁー!」

 

 遠くの方で、魔法少女姿の三人が私を見つけて走ってくる。

 周囲の惨状を見まわしながら。その訳を、私に聞こうというのだろう。

 

「はぁ、はっ……ほむら! 街が……!」

「街は壊滅した」

 

 瓦礫の山の上から私は言った。言わなくてもわかることだろうけども。

 

「何も、残ってないわ……」

「ワルプルギスの夜に勝つことはできなかった」

 

 表情を変えず、私は淡々と告げる。

 

「……勝てるって言ったのに」

「……」

 

 でも、杏子にそう言われると……やっぱり苦しいな。

 それだけで私は、何も言えなかった。

 

 ……嘘だよ。なんて。

 そう軽く言えるものではない。言えると思っていたけれど。

 いつものようにおちゃらけることはできなかった。

 

 冗談をかますには、みんなの表情があまりにも重すぎたから。

 全てが無くなった見滝原を見回す三人の反応が、私は怖かったのだ。

 

「……全然服が汚れてない所を見ると、ワルプルギスの夜とは戦ってない?」

 

 ああ、マミは目ざといね。

 

「その通り。直接は一度も手を出していない」

「……意味もなく、そんなことはしないよね、ほむらは」

 

 さやかは優しいね。けど、そうじゃないんだ。

 深い理由があるかも? フフ、そんなもの……ネタ切れだよ。

 

「私は……住民を避難させ、君達を戦わせないようにするだけで精いっぱいだった」

 

 静かにこちらを見つめる三人の目は、まるで尋問のようだ。

 息が詰まりそうになる。

 

「……私には、奴を倒せる“奇跡”なんて無かった。私は皆を騙していたんだ」

「暁美さん。それを、最初からわかっていて……?」

「ああ。私の独善で、私が救うもの、見放すものを取捨選択したんだ。……私だけの意志で」

 

 でも、この行いに後悔は無い。

 私は自らの信じる最善を行ったと確信している。

 この素晴らしい結果を、粗末なものだとは思わない。

 

 けど、裏切りは裏切りだ。

 

「……すまない、みんな」

 

 私は瓦礫から下りて、ハットを手に持ち、深く頭を下げた。

 この結果は覆すことはできない。だから私は、ただ頭を下げるしかなかった。

 

 承知の上で皆を裏切った。その罪がどれほどのものか、私はわかっているつもりだから。

 

「……ほむらちゃんは、悪くないよ」

 

 私のすぐ後ろで、まどかの優し気な声が聞こえる。

 

「だって、街の人を沢山救ってくれたんでしょ?」

 

 その優しさも……私が、事前に説明したからこそ……そう仕向けたようなものかもしれない。

 いいや。そんなつもりはない。やめよう。気分が落ち込みすぎて、変な考え方になっている……。

 

「ほむらちゃんがワルプルギスの夜に勝てないのなら……仕方ないんだよ」

「鹿目さん……」

「……ずるいのは、やっぱり私の方」

「! オイオイ」

「私、こんな見滝原を見てもね、まだ願い事を叶えたいって……踏ん切りがつかないんだ」

 

 ……ちょっとまどか、待ってくれ。それは怖いぞ。

 今更契約なんてしないよね? 頼むよ?

 

「私なら叶えることができるのに、ズルいよね……」

「ちょ、ちょっとやめてよ二人とも!」

「そうだよ! まるでアタシらが責めてるみたいじゃんか!」

 

 私とまどかのしょぼくれ具合に、みんなからストップがかけられた。

 ……うん。少し落ち着こう。

 

 

 

「ワルプルギスの夜とは戦わないって……それをずっと隠し通されてたってのはムッと来る所はまぁ、私もちょっとはあるけどさ……冷静に聞いてみると、ほむらのやったこと、間違いではないとは思うよ」

「!」

 

 一通りの話を聞いたさやかは、意外にも前向きに答えてくれた。

 

「だってそうじゃん。ほむらでも勝てないんでしょ? だったらまどかにしか勝てない相手ってことじゃん」

「で、まどかに戦わすなんてもっての他だからな……そうくりゃ、ほむらのやったように最優先でとにかく人だけを救うってのは、一番正しいように、アタシも思う」

「……さやか……杏子」

 

 二人に言われ、私はかなり救われた気がした。

 心のどこかで責められるのではないかという思いがあったから。この時に全てを清算しようという考えがあったから。

 ……まさか、受け入れてくれるだなんて。

 

「……」

 

 それだけに、三人の中で沈黙を守っていたマミの難しそうな顔が怖い。

 じっと口を結び、目線を動かさず、ただどこでもない瓦礫の山の尾根を見つめている。

 

 ……何年も見滝原を一人で守り続けてきた魔法少女、巴マミ。

 彼女がこの街に抱く思いは……それはもう、計り知れないものがあるはずだった。

 

「……あ、あの、マミさん……ほむらちゃんは悪くなくて」

「わかっているわよ、鹿目さん」

 

 口調だけ優しくマミは言った。

 

「私たちにずっと嘘をついてたこと、少しショックだっただけ」

「……本当に、ごめん」

「でもそれは暁美さんの、とても優しい嘘なんでしょ?」

 

 先ほどまでの強張った無表情は嘘のように、彼女は微笑んだ。

 

「……なら、それだけ。私も暁美さんのやったことは正しいって思えるわ」

「マミ……」

 

 彼女はやっぱり大らかで、どこまでも先輩で、優しい人だった。

 

 

 

「……でもさあ、これからどうすればいいの? 私たち」

「どうってなんだよ、さやか」

「見滝原、もう無くなっちゃったしさ……家も学校も、病院も……みんな壊されてさ」

 

 今の今まで、私はその言葉を待っていたのかもしれない。

 ハットを被り直し、私は笑みを取り戻した。

 

「どうすればいいか。当然決まっているだろう、さやか」

「え?」

 

 多数の人命が助かったとはいえ、被害はあまりにも大きすぎた。

 その被害の大きさは、後々の命にも関わるはずだ。

 

 この一面瓦礫の世界はつまり、いつかの自殺しそうになっていた工場長が大量に現れたようなものである。

 また、実際に自殺してしまった夕時のOLが無数に増殖する前兆でもあるはずだ。

 

「これからは現状に絶望して、魔女の口づけに抵抗を持たない人々が多く増える程だろう」

「……そうね、増えるわね……間違いないわ」

「そうなれば必然的に魔女も増える」

 

 魔女は人の弱みに付け込む存在だ。

 家をなくし、仕事をなくし、そんな人々を取り殺すのはきっと容易いことだろう。

 

「ワルプルギスの夜をやり過ごした我々に出来ることは、これからさ」

 

 青い空を見上げる。

 風の止んだそこには、白い鳥が高く飛んでいた。

 

「見滝原を建て直すために頑張る人々を裏で支え、助け……全ては、これから始まるんだ」

「ほむらちゃん……」

 

 それは、暁美ほむらが辿り着けなかった未来。

 私が提示する一つの可能性。

 

「ワルプルギスの夜は倒せなくとも、私達に出来る事はたくさんあるはずだよ。さやか」

「……そう、かな」

「ああ。まだこの瓦礫の惨状の中にだって、逃げそびれてしまって……しかし、その中で生き残っている人はいるかもしれないしね」

「!」

 

 私の言葉に、さやかとマミは鋭く反応した。

 

「そ、そうね! 避難できなかった人も当然、いるかもしれないのよね……!」

「なら、早く助けにいかないと!」

「……ならアタシも行く!」

「え、杏子も!?」

「ったりめえだ! アタシだって回復魔法くらい出来る!」

 

 さやかとマミは素早く変身すると、血相を変えて走り出した。

 正義に燃える彼女達は、きっと日が暮れても捜索を続けるだろう。

 それに杏子も立候補したのは、ちょっとだけ意外だったけど。

 

「アタシもいかないと……」

「じゃあ杏子、行くなら二人にこれを分けてあげてほしいな」

「え……?」

 

 私は左手を差し出した。

 ただし五本指の上全てに、未使用のグリーフシードが器用に直立して乗せられている状態である。

 これらは全て、みんなから貰ったグリーフシードだった。

 さすがの杏子も、唐突に渡された大量のグリーフシードに戸惑っているようだった。

 

「……これって」

「君達の努力はここで発揮される。……そしてどうか、頼む、私のかわりに、助けられる人々を探して欲しい」

「え? ……まあ入り用かもしれないから貰ってはおくけどさ……ほむらは一緒に探さないのか?」

「ああ、私にはもうその力はないからね」

 

 私は左腕の時計を愛おしく撫で擦り、笑った。

 

「私の奇跡は、最後の一粒まで使い果たしたんだ。魔法はもう、使えない。今の私が行った所で、燃費の悪いブルドーザーのような働きしかできないだろう」

「魔法が、使えない……?」

「え?」

「ああ、私はもう、基礎的な魔法しか使えない最弱の魔法少女となってしまった」

「!」

 

 すぐ後ろにいるまどかからも、驚愕の気配が伝わってくる。

 しかし事実だ。砂時計の砂は全て落ち切っている。それをせき止める術は、もうないのだから。

 できる事があるとすれば、それはもう、ひっくり返すことだけ。

 

「これからは魔法を使わずに、工夫で魔女を倒す算段を立てなくてはならないだろうね。はは」

「そんな!」

 

 それはどうしようもない事だ。

 ワルプルギスの夜と一戦を交えなくとも、私の力はここで消える運命だったのだから。

 揺らぎようの無い因果というものだ。こればかりは本当に、ワルプルギス以上にどうしようもないと言える。

 

「でもね杏子、それでも私は良いのさ」

「……なんでだよ?」

「全てを失っても、一からやっていくのも悪くない」

 

 さやか達が走っていった方向に背を向けて、私はひとり歩き出す。

 

 一旦、避難所へ戻らなくてはならない。

 私にしかできないことは、そこにたくさんある。

 

「見滝原も、私の奇跡の力も、……なぁに、また記憶を失ったようなものだと思えばさ?」

 

 杏子とまどかに向き返って笑いかける。

 

「これまでの日々のように、様々な事件や困難も待っているだろうけど……それはそれで、面白い出来事が待っているかもしれないだろう?」

 

 記憶を失っても、それこそ奇跡のようにみんなと出会うことができた。

 

 そんな素敵な出来事が、見滝原の何もない荒野の上で花開くかもしれない。

 

 この先にある希望に、私は期待するばかりだ。

 

 



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もっと光を

 

 避難所の奥まった場所には、私専用の制御室が設けられている。

 個別の指示出しから電気系統に至るまで、全てをここで統括することも可能であった。

 

 各設備に異状は無し。地下水道は、ワルプルギスの夜の被害を完全に凌ぎ切ったと見ていいだろう。

 後味の悪いものがなくて良かった。幸先のいいことである。

 

「さて、見滝原復興に向けて頑張ろうか?」

 

 パソコンに向き合う。

 モニターに映し出される、極々最近に立ちあがった慈善組織の質素なホームページ。

 

 “募金はこちらへ”の可愛らしい画像は私のお気に入りだ。

 黒猫と白い鳩がじゃれている、とてもファンシーなイラストが好みだった。

 

「にゃ」

「お、ワトソンじゃないか! 無事だった~?」

 

 足下に忍び寄ってきたワトソンの頭を片手で撫でてやる。

 喉をわしゃわしゃしてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いてくれた。

 

 さて。ワトソンとの再会を喜びたいところだが、先にやらなくてはならないことがたくさんある。

 

「さて。入金、っと」

 

 ボタンひとつで投下される、世界中の宝くじと為替の流れを掌握した、私の奇跡の結晶。

 

 “ご支援、ありがとうございました!”

 

 過去に戻れる。その力の真骨頂は、マネーゲームで圧倒的な独り勝ちを果たせるという点にあるだろう。

 金は思いのまま。人間関係のリセットもあれば、情報だって好きなだけ握り込める。

 そうして得られた莫大な資金があれば……ま、人の命はいかんともしがたいが、モノならば自由自在さ。もちろん、元通りになるわけではないんだけどさ……。

 

「……ふふ、よし、じゃあワトソン。私はしばらく寝るから、ゆたんぽごっこして遊ぼうか?」

「にゃー!」

「よしよし」

 

 私はブランケットの中にもぐりこみ、ワトソンを抱きかかえるようにして目を閉じた。

 

 闇。情報のない暗い世界。

 動き回ったわけではないが、ほどよい疲労を感じる。きっとそのまま息を整えていれば、すぐに夢の世界に沈めるだろう。

 

「……ふー」

「にゃ?」

「ん? ……いーや、なんでもないよ、ワトソン」

「にゃぁ」

 

 私は覚悟を決めて、眠りに落ちた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――

 

 

 

 そして、缶コーヒーを打ち鳴らして祝杯が上がる。

 

 

 

『乾杯、ほむら』

『……』

 

 夢の中では彼女が待っていてくれた。

 殺風景な部屋。けれど、壁にかけられたワルプルギスの夜の絵は今や存在しない。

 私たちの心が確かに一つのしこりを取り去ったのだろう。それがこの世界にも表れていた。

 

 二人して黙り、コーヒーを流し込む。

 例によって、夢の中では何の味も無い。

 

 だからこそ、向かいに座る彼女の無表情は、この時ばかりはしっくりきているように見えた。

 

『こういう結末、きっと君にとってのベストではなかったんだろうね』

『……』

 

 私の言葉に、暁美ほむらは難しそうに眉を傾ける。

 

『私は知っているよ、君のやりたかった事を』

 

 ワルプルギスを倒し。見滝原を救う。

 けどそれは、最初のうちは力の差を見誤るばかりで失敗し続け。

 力の差を知った後も、その目的を自分の存在意義として縋ったが故に失敗し続けた。

 

 きっと、無理なことなのだろう。

 ワルプルギスの夜を倒すということは。

 

『……今更になってベストだと思ってしまうからこそ、今の私は後悔しているわ』

『ふむ』

 

 悲しげな言葉とはやや相反するように、暁美ほむらの口元はわずかに微笑んでいた。

 自嘲だけではない、そこには真の喜びも混ざっている。

 自分には果たせなかったこと。しかし待ち望んでいた念願が叶い、それを心から嬉しく思っているのだろう。

 

『街を一切壊さず、人を一人も殺さず……あいつを相手にして、そんなこと……無理な話だったのよね』

『ん』

『私は甘かったのよ、妥協ができなかった……馬鹿だったのね』

 

 馬鹿だった、か。それは……酷な話だろうと思うよ。

 難しいことだった。そして、仕方のないことだったんだ。

 そう思った方が、きっと良い。

 

『でも……貴女のおかげよ。貴女のおかげでまどかは……やっと前に進める事が出来た』

『……ふふ』

『私という繰り返す因果から解放されて、まどかは……魔法少女になることもなく、死ぬこともなく、人生を受け入れた』

『うん』

『ありがとう。本当に……』

 

 暁美ほむらは微笑んでいた。

 朗らかに。きっといつかの、彼女が幸せだった頃のように。

 長い時間をさかのぼって、中学二年生に戻ったかのように。

 

『ふふ……けどね。前に進むのはまどかだけじゃないだろう?』

『え……?』

『君も前に進むことができるはずだよ』

『……え、ええっと。それは……どういうことかしら』

 

 今更になって狼狽えるのかい?

 いけないな。そうやって自分を幸せの勘定からはじき出してしまうなんてさ。

 

『当然だろう? ようやく全て終わったんだ。これからは君だって、暁美ほむらの人生を楽しんでいかなくちゃ!』

『む、無理よそんなの』

『何故?』

 

 戸惑う暁美ほむらの表情は、自信のなかった頃のそれにそっくりだった。

 おいおい、そこまで逆行することはないだろう。

 

『無理よ……私、胸を張ってまどかと向き合えないもの。みんなに酷いことをしたし、まだ……自信がないわ』

『そんなことはない。君が努力したからこそ今があるんだぞ?』

『無理よ、無理だもの……』

 

 暁美ほむらはずーんと沈み込んだように、顔を床に向けてしまった。

 やれやれだ。願いが叶ったとたんにこれか。わけがわからないよ。

 

 ……ま、仕方ないか。

 そんな彼女を引っ張るためにいるのが、この素晴らしく格好いい私、暁美ほむらだ。

 

『……ふーむ。ならば、そうだなぁ……胸を張れるような未来に全てを導くことができれば、君の心は自信を取り戻し、解放されるのかな?』

『……?』

 

 我ながら頑固な人間だ、暁美ほむら。

 けど私は、そんな弱気な君を一人分だけ引っ張れるくらいには、強くできているんだよ。

 

『さあ、暁美ほむら……どっちか一枚だけ、引いてごらん』

 

 彼女の前に二枚のトランプを差し出してやった。

 

『……? どういうつもり? 私に、どうしろっていうの?』

『簡単だよ、選ぶだけさ』

 

 人生はいつだって選択の連続だ。

 そして不思議なことに、マジシャンの示す選択というものは、常に当たるようにできている。吉兆のようなものだ。

 

『もし君がこっちのスペードの10を選ぶなら、再び砂時計をひっくり返そう』

『っ! 嫌よそんな……!』

 

 砂時計をひっくり返す。それは私の盾の中で落ち切った砂を反転させ、再び私を過去に戻す行為だ。

 それは暁美ほむらにとって敗北の証。この期に及んでやり直すなど、彼女からしてみれば考えられないことなのだろう。気持ちはよくわかる。

 

『そうだね。時間を戻せば……また全ての人間関係が白紙に戻り、ワルプルギスの夜が再び襲来する。考えるだけでもうんざりだ』

『だったら……』

『けど私は今回の時間でね、実に面白い、様々なプランを思いついたのも事実なんだよ』

『プラン……?』

 

 暁美ほむらは怪訝そうに首を傾げている。

 ふふ、そうだろう。わからないだろう。まだこれは、私の頭にしかないことだからね。

 

『何をどうすれば上手くいくのか、どうすればよかったのか……どこで、いつ、どう行動すれば最適なのか……その綿密なプランさ。もしも次に時間を巻き戻す時が来たなら、私たちは見滝原への損害を限りなくゼロにまで抑え、死者だって完璧にゼロにできるかもしれないよ』

『!』

『妥協せず、まどかに胸を張って生きるならばこの選択肢も悪くは無い……ま、不確定要素はたくさんだけどね』

 

 もう片方のカードを掲げる。

 

『で、もう一枚。君がこっちのジョーカーを選んだなら……この世界に骨を埋める覚悟で、皆と手を取りあって生きていくことにしよう。一から建て直す喜びが、希望がここにはある……当然、私としてはこの結果に満足しているつもりだよ、暁美ほむら』

『……私も、不満というわけではない。いえ、むしろ私では辿り着けなかった、最高の世界だとも……』

『ふふ、ありがとう』

 

 まぁ、この世界も正直なところ、これからの時間に不安がないわけではない。

 どっちもどっちだ。どちらの世界も安泰と決まったわけではない。だからこそ、選択の余地がある。

 

『より貪欲に完璧な未来を生きたいのであれば、10を選ぶんだ』

 

 そうすることで、君は再び自信を取り戻せるだろう。

 

『もしくは……どの時間よりも苦悩し、事件が起きたこの世界で、少しずつ居場所を取り戻すつもりなら、ジョーカーを引くといい』

 

 こちらの世界でも、当然私はサポートする。

 私だけの世界じゃない。君が、暁美ほむらが再び彼女たちと一緒にいられるように、少しずつ健全な心を取り戻せるよう、尽力してゆく。

 

『……私は』

『私は暁美ほむら。君も暁美ほむらだ。私はどちらの選択でも、何の文句は無い……君の決定に、全てを委ねるよ』

『……私が選ぶ、世界は』

 

 暁美ほむらの喉がコクリと鳴る。

 そして震える細い指は一枚のカードを摘み上げ……彼女はそれを、選択したのだった。

 

『……うん。それが、君の選ぶ人生だね?』

『ええ』

 

 良い顔つきだ。

 諦めていない。前向きで、真っすぐで……格好いい表情だった。

 

『やっていけそうかい?』

『もちろんよ、やってやるわ』

 

 うん。そうだ、それがいい。

 

『……私も、貴女みたいに……格好良くなるために、頑張ってみせる!』

『その調子だ、暁美ほむら! 燃え上がれー!』

『ちょ、ちょっと、馬鹿にしないでよ、それはまどかだけが……』

『あっはっはっは!』

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

―――――

 

 

―――――――――

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 運命の渦巻く街、見滝原。

 

 私が生きると決めた街。

 

 はてさて、それはいつの青空の下だろうか。

 

 高くそびえるビルの狭間、整備されたアスファルトの上に、私は立っていた。

 

 

 

 期待のまなざしを向ける大勢の観客達の中心で、私は深く頭を下げる。

 

 

 紫のシルクハットを被り、紫のステッキを腕にひっかけ。

 

 今日もまた、市民を楽しませる公演が始まろうとしている。

 

 

 

『頑張って!』

『ありがとう、まどか』

 

 

 

 どうやら今日は、まどかが見に来てくれているようだ。

 

 まだまだ低い背で何度もジャンプし、奥から私のマジックを覗き見ようと頑張っている。

 

 その姿は、かつて私が奔走した日々が遠い昔以上の、おとぎ話だったんじゃないかと思えてしまうほどに和やかで、微笑ましいものだった。

 

 

 おっと、けれど笑ってはいけない。

 

 マジシャンの笑いは不敵に。妖しくなくてはならないからね。

 

 

 

「お集まりいただき、ありがとうございます」

 

 

 ん?

 

 ここは過去か? 未来か? どっちなんだ、って?

 

 

 さあ、どっちの世界だろう?

 

 思い出せないな。さて、どっちだっただろうか。

 

 

 でも、間違いはないから安心していただきたい。

 

 ここが過去でも未来でも、私は必ず輝かしい未来を手にしているのだから。

 

 

 この場所は、あの子が守ると決めた世界。

 

 私はそれを信じている。

 

 それだけはしっかりと覚えている。

 

 

 だから私は、この場所で。この世界で。

 

 自分の人生を、全力で楽しんでゆくつもりだ。

 

 

 

「では! ショータイムと参りましょう!」

 

 

 

 さあ、ステージにもっと光を。

 

 

 

 





おわり


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