真・恋姫†無双 鬼龍伝 (三十路のおっさん)
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プロローグ 青年の決意

上空数千メートルの日本へと向かう旅客機の中で、青年は微睡(まどろ)みながら、今まで自分の足跡を思い返していた。

 

それは荒唐無稽過ぎて誰にも信じてもらえないだろうが、自分が主要な人物が全て女性になっている三國志の時代に行った時の事。そしてその後の事。

 

始まりは目が覚めたら見知らぬ荒野に居て賊に襲われるという現代日本では考えられない出来事。

 

その出来事に現実感のないまま青年は困惑する事になった事。

 

助けがあったおかげで命は長らえる事は出来たが、自分の状況は不明なままだった。そんな青年に近付いてくる軍。その軍を率いていたのは一人の少女。青年はその少女に拾われた。

 

青年を拾った少女の名前は――曹操孟徳――

 

青年の知っている歴史では後の魏の武帝となる人物だった。突然のタイムスリップ?の様な現象に戸惑いを隠せない青年。少女はそんな青年に華琳という真名――本人に認められた人物しか呼ぶ事を許されない名前を預け、青年に自分の覇道の為に協力する様に告げる。

 

華琳は自分と違う世界から来た青年の知識を利用する為、青年は行き場のない状況からなし崩しに……

 

初めは打算から始まった関係だったが、お互いの事を知る内に二人は惹かれ愛し合う様になる。

 

それと同時に華琳の配下である少女達とも青年は絆を結んでいく。

 

夏候惇、夏候淵……春蘭、秋蘭の姉妹

荀イク……桂花

許緒……季衣

典韋……流琉

楽進……凪

李典……真桜

于禁……沙和

程イク……風

郭嘉……稟

張遼……霞

張角、張宝、張梁……天和、地和、人和の三姉妹

 

その皆も青年にとって愛し合った欠けがえのない大事な仲間だった。青年はその少女達と共に華琳の望みを果たすべく天よりの遣い。天の御遣いとして乱世を駆け抜けた。

 

時には自分の知っている歴史をねじ曲げる行為を行う事も躊躇わなかった。歴史を変える度に自分に襲いかかる謎の苦痛。

 

歴史を変える事と原因不明の苦痛の関係に薄々、気付きながらも青年は歴史を変える事を辞めなかった。その苦痛に耐えてでも青年は華琳の望みを叶えてあげたかったのだ。

 

青年の尽力もあって華琳の望みは果たされた。しかし歴史をねじ曲げた代償は決して安いものではなかった。

 

……その代償は青年の消滅

 

謎の苦痛は青年の消滅の前兆だったのだ。

 

 

蜀と呉、二つの国に勝利し、大陸の平定を果たした満月が輝くその夜に青年は華琳のすぐ近くでその世界から消えてしまった。

 

 

「……さよなら。愛していたよ、華琳」

 

 

その言葉だけを言い残して……

 

 

青年が再び目を覚ました時、そこは見慣れた……そして久しぶりの自分の部屋だった。

 

青年が慌てて自分の携帯で今日の日付を確認すると、そこに写しだされていた日付は自分があの世界に行った日の次の日の日付。

 

夢だったのか……そう考えた青年は暫し呆然とした後、何を思ったか、突如、自分の部屋から飛び出した。飛び出した青年の手には一振りの木刀。

 

青年が少し息を乱し、たどり着いたのはマンションの建設予定だったが建設会社の倒産によってそのまま放置された空き地。

 

その空き地の中に入って、青年は乱れた息を整え、木刀を構え振るう。袈裟、逆袈裟、切り上げ、胴抜き……

 

夢中で剣を振っている内に気付く。明らかに剣の鋭さが前日の剣道の部活の時に比べ上がっていた。そう今の青年の振るう剣は春蘭に叩きのめされながら鍛練した末に腕を上げた剣だったのだ。

 

それを確認出来た時……青年は泣いた。

 

恐らく、今までの自分の人生でこれ以上にない位に泣いた。そして一頻(ひとしき)り泣いた後、青年は決意する。

 

……必ずまた、あの世界に戻ってみせる。と……

 

決意した青年は、その日から動き始めた。古書店や図書館を巡り古い文献を読み漁り、少しでもあの世界への手掛かりを得る為に奔走(ほんそう)する毎日。

 

だが、どれだけ探しても手掛かりらしい手掛かりを得る事が出来ない日々に青年は焦りを募らせていた。

 

それでもいくら焦りを感じても青年に諦めるという選択肢はない。学校のある日は放課後、休日は丸一日、時間を使って文献を読み続けた。

 

……そして遂に見つけた。

 

古ぼけた古書店の隅に置かれていた触るだけでもバラバラになりそうな年月を感じさせる古書の最後のページに記されていた一文。

 

……満月の夜、銅鏡を月に(かざ)す時、異なる世界……外史の扉が開かれる。

 

この一文を見た時、青年の胸に熱い物が込み上げる。やっと見つけた手掛かりだった。勿論、わからない事もある。銅鏡は何処にあるのか?外史とはなんなのか?

 

それでもこの情報は自分にとって大きな一歩だったのだ。

 

次の日から青年の日常は古書店、図書館巡りから古物店、博物館巡りに変わる。銅鏡自体は古物店ですぐに見付ける事は出来たが、青年は違和感を感じていた。

 

……恐らくこの銅鏡ではあの世界に行く事は出来ない。

 

それは確信に近い予感。試しに買って、満月の夜に翳してみたが、案の定、何も起こらない。

 

落胆はなかった。行ければ運が良いという位の気持ちで試したのだ。そしてわかった事もある。恐らく決められた銅鏡でなければあの一文の通りにはいかないのだろう。それがわかっただけでも成果はあった。

 

青年はポジティブにそう考えた。だが、それは銅鏡への手掛かりが失われた事も意味していた。

 

そしてこのまま、闇雲に探しても銅鏡が見付からない事は青年も気付いている。ならば、どうするか?

 

青年の出した答えは中国に行く事だった。あの世界も舞台は過去の中国。銅鏡も発祥は中国だ。

 

銅鏡その物がすぐに見つかるとは考えていなかった。けれども手掛かり位は見つかるかも知れない。そう考えた青年は間近に迫った夏休みを利用して中国に行く事を決めた。

 

両親の反対を押し切り、ありったけの貯金を持って、青年は単身、中国に飛んだのだった。

 

 

この後に待ち受ける過酷な運命を知らないままに……



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プロローグ 地獄の始まり

中国に着いた青年は、早速、銅鏡の情報を集める為に大陸各地を移動する事になる。

 

銅鏡自体は少し探せばいくらでもあったが、日本で見つけた物と同じ様に何かを感じる事はなかった。

 

自分の求める銅鏡の情報に至っては何の情報も集まらない。それはそうだと青年は思う。

 

あの世界では何故か通じた日本語は当然ながらこの中国では通じない。更に中国は同じ中国でも言語が違う地域があるのだ。

 

それに青年の求める銅鏡がどんな物なのかも現地の人間にはさっぱりわからない。青年本人もわかっていないのだから他の人間がわかる訳がない。

 

……はっきり言って現在の状況は詰んでいた。

 

そんな状況でも青年は気落ちはしていない。確かに銅鏡の情報を集めるのは難しくなったが、青年にはもう一つ中国でやろうと考えていた事があったからだ。

 

 

……それは、華琳達と駆け抜けた地域の足跡を辿る事。

 

かつて、陳留があった地から青年の旅は再び始まった。華北、徐州、揚州、荊州、洛陽、長安、涼州と巡る中でその地であった仲間達との思い出を思い出して青年は胸に込み上げる物を感じていた。

 

長い旅の末にたどり着いたのは華琳の覇道が果たされた地。……そして青年の終焉の地。

 

成都。夜にその地の近くの川のほとりに着いた時、青年の瞳から雫がこぼれ落ちる。

 

「華琳、俺は君に逢いたい」

 

ここ暫く、がむしゃらにあの世界に行く方法を探していた青年から初めて溢れた弱音。いや、渇望。

 

自分以外に誰も居ないその場所で、あの日と同じ頭上に満月が輝く中、青年は一晩中、川を眺めていた。

 

 

 

翌朝、青年は目の下に隈を作った顔で日本へと帰る為に行動を開始していた。後、一週間で夏休みが終わってしまうのだ。

 

銅鏡の手掛かりは得られなかったが、青年はどこかすっきりしていた。

 

彼女達との思い出の地を巡り、昨夜、心の内を吐き出したからだろう。勿論、あの世界に再び行く事を諦めた訳ではない、今までの様に焦って方法を探すのを辞めて、気持ちに余裕を持って探す事に決めたからだ。

 

……きっと、何時か、また会える。

 

何の根拠もないが、青年はそう思い定める事が出来た。

 

 

満たされた気持ちでの帰り道。日本行きの飛行機が出ている空港へ向かう青年にアクシデントが起きる。

 

空港まで後、二十キロの地点で路銀が尽きたのだ。思わぬアクシデントだが、青年に焦りはなかった。

 

帰りの飛行機のチケットの代金は既に払っている。空港まで距離は歩いてでも行ける距離。一つ問題なのが現在の時刻だった。

 

西の空に輝く夕日。そう、今夜の宿代がないのである。

 

青年は暫し考える。このまま夜を徹して歩くか、それとも適当な所で野宿するか。

 

 

暫くの思考の後に、青年が出した答えは野宿する事だった。学校の二学期の始業式まで、まだ、四日あった事が青年に焦りを感じさせなかったのだ。

 

何より、あの世界で夜営経験を積んでいた事が、青年の野宿に対する拒否感を軽減させていた。

 

だが、青年はその決断を数時間後に後悔する事になる。この地は治安の良い日本ではない。外国で見張りも居ない野宿をする事がどれだけ危険か青年は理解していなかった。

 

連日の旅の疲れか、野宿であるのに、熟睡している青年に忍びよる数人の男。

 

そして男達は、一斉に熟睡している青年に襲いかかった。青年は何が起こったかもわからないまま、手足を縛られ、目隠しと猿ぐつわを噛まされて男達に拉致される。

 

混乱の極致にいる青年に唯一わかったのは、自分の下から聞こえるエンジン音と感じる振動から、今、自分は車の中に居る事だけだった。

 

暫く時間が経って、混乱から立ち直った青年に次に沸き起こった感情は恐怖。そして後悔。

 

何故、こんな事になったのか?野宿なんてしなければ良かった。

 

悔やんでも悔やみ切れないが、だからといって現状が変わる訳ではではない。それでも悔やむのが、人間の(さが)なのだろう。

 

どれ位、走ったであろう。目隠しをされていて外の様子は伺えないが、青年の体内時計では間違いなく数時間は経っていた。

 

そんな事を考えていた青年の目隠しがいきなり外される。状況を確認しようとした青年の首筋にナイフが突き付けられた。

 

ナイフを突き付けた男が、何かを言っている。青年の知らない言語だった。男のボディランゲージで騒ぐなと言っている事だけは青年にも理解出来た。

 

青年が頷くと、ようやく首筋からナイフが遠ざかる。そしてナイフの代わりに男から突き出されたのは、食料だった。

 

青年はおっかなびっくりにその食料を口に運ぶ。

 

……不味かった。

 

けれど、それ以上に空腹だった。

 

青年は何とかその食料を食べ終えた。それを確認した男は再び青年に目隠しを被せる。

 

そこから数日は同じ事の繰り返しだった。車で数時間走った後、食事を与えられ、また車で数時間走る。

 

自分が何処に居るのかすらわからない。不安はあったが、恐怖自体は薄れて来ていた。今の状況に慣れて来た為だろう。

 

……自分が拉致されてから何日経ったのかな?

 

自らの体内時計では、数えるのが不可能になった頃、青年の目隠しが外される。

 

一瞬、食事か?と思ったが様子が違う。いつも、自分に食事を渡す男が車から降りろと手振りで伝えてきた。

 

男の指示に従い、車を降りた青年は眼前に広がる光景に唖然とする。

 

……明らかに自分が一ヶ月の間、旅をして来た中国の風景ではなかった。

 

青年の近くには、自分と同年代から歳上の男達が百人程、整列している。そして整列した男達の前に立つ二人の男。

 

その二人の男は鍛えぬかれた身体で、あの世界の武将クラスの凄みを漂わせていた。

 

そして二人の男の内の一人が青年に話し掛けて来る。男が話している言語は英語だった。

 

青年は安堵(あんど)する。英語なら多少はわかるからだ。

 

男から今の自分の状況を英語とボディランゲージで説明される。少し時間はかかったが、自分の置かれた状況を理解した時、青年は腰から崩れ落ちた。

 

青年が今、居る所は、中東の大統領が独裁政治を敷いている某国で、自分は反政府軍の兵として……簡単に言えばゲリラにさせる為に売られたのだ。

 

ここに居る百人程の若者達はゲリラになる為の訓練をする為に集まっているらしい。二人の男は元はアメリカ特殊部隊グリーンベレーの腕利きで若者達の教官として反政府軍に雇われている様だった。

 

余りの事に座り込み愕然としている青年に対して教官の男は

 

「明日からはお前も訓練に参加しろ」

 

そう言い残してその場から去って行く。その言葉は青年にとって無慈悲な宣告だった。



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プロローグ 出会い

翌日の朝、青年は此処で生きるしかないと覚悟を決めていた。何故、こんな事に?理不尽だ!青年の胸の内にはそんな思いもある。だが、今、それを言った所で現状は変わりはしない。

 

逃げる事は考えなかった。此処は自分にとってはとびきりに危険な異国なのだ。今、逃げたとしても、土地勘はない、言語は通じない、金もない、紛争地帯。

 

これだけ自分に不利な要素が積み重なっている中で逃げ切れる運があるなら、そもそもここまで追い詰められていない。

 

逃げるにしても、もっと周りの状況を把握してから動くべきだ。そしてそのチャンスが来るまで、此処で耐えるしかない。

 

青年は昨夜の内に今後の方針を決めていた。幸いと言って良いのかわからないが、見知らぬ異国に放り込まれる経験は初めてではない。もっともあの世界の時と比べても、今の自分の状況は悪過ぎるとは思うが……

 

あの世界の時は、華琳という力を持った保護者が居たから何とかなったが、今回は頼れるのは自分自身だけ。

 

……絶望的な状況。それでも自分はまだ死ぬ訳にはいかない。再び彼女達に会うまでは生き抜いてやる!

 

青年はそう自分を奮い立たせ、自分と同じ様に集められた百人程の若者の列に混じり、二人の教官の指示を待つ。

 

少しの時が経ち、青年達の前に姿を現した二人の教官は今日、行う訓練の内容を英語とボディランゲージで説明し始める。

 

「今、此処に集まっている者達は殆ど全ての者が今日から訓練を始める者達ばかりだ。よって基本的な事からやっていく。俺達からお前達に指示する事は一言で済む。走れ!走れない奴は良い兵士になれない!だから走れ!」

 

青年は教官に指示にホッとする。走る事は確かにキツいが決して無理な事ではない。実際、魏の調練でも兵をひたすら走らせる事を始めにしている。自分も警備隊と共に良く走った物だった。

 

身体をほぐして走る準備を始めようとする青年は、ニヤリと笑った教官のその後の言葉に表情を凍り付かせる。

 

「但し、走るのは、あそこに見える四千mの山脈地帯で装備はなし、走る期間は夜以外十日間ぶっ通しだ!」

 

青年は一瞬、自分が訓練内容を聞き間違えたかと思った。いや、脳が理解するのを拒んでいた。

 

夏とはいえ、四千m級の山なら気温は良くて一桁、悪ければ氷点下。それだけじゃない。空気は薄いし、滑落事故の危険もある。それを装備なしで走るなんて自殺と大して変わらなかった。

 

魏の調練でも厳しいと言われる春蘭や霞の調練でもここまでではない。

 

 

……完全に殺しにかかってやがる!

 

 

 

青年は自分は温厚な性格だと思っているがそれでも余りの仕打ちに心の中で二人の教官に毒づいてしまう。周りを見ると殆どの者が教官が言った事を理解していない。ボディランゲージで走るという事だけわかっている様子だった。

 

只、一人、青年の隣に立っていた男だけが青年と同じ険しい顔をしている。その男は英語がある程度わかるのだろう。

 

 

だが、青年に選択肢はない。走らなければ恐らく殺される。走れば生き残る可能性はある。ならばその可能性に賭けるしかなかった。

 

青年を合わせた百人程の若者が一斉に走り始める。それを見張る様に教官が車で追いかけて来ていた。車で行ける所までは車で来るのだろう。チラリと見えた車の中にはテント、寝袋、防寒具などが積まれている。

 

 

……そりゃ、あんたらは万全の装備で来るよな。

 

 

 

青年は思わず苦々しい表情を浮かべてしまいそうになるが、何とか無表情を装おう。ここで教官に睨まれるのは何の得もないからだ。

 

皆の走るペースを考えると初日は山の中腹、二日目で頂上、そこから六日は連なる山脈地帯を走り、残り二日で下山、青年は十日間の行程をそう予測していた。その予測は恐らく大きくは間違っていないだろう。

 

重要なのは、どれだけ体力を温存しながら走れるか、それに尽きる。例え走る事が出来ても、疲れが溜まれば、その疲れを取る為に熟睡してしまう。そうなれば寒さで二度と目覚める事はない。

 

今、先頭集団を走っている者達は十日間は間違いなくもたない。最後尾付近を走りながら青年はそう考えていた。

 

体力を付けると同時に状況判断力を養う。考えれば考える程、良く出来た訓練だった。訓練をしている人間の命を考慮しなければという一文は付くが。

 

そんな事を冷静に考えられる青年もあの世界に染まっているのかも知れない。命が安いあの世界の考えに……

 

 

 

夕暮れ、教官の合図と共に、初日の訓練が終わる。青年は渡されたレーションを口に詰め込みながら、身体を休めていた。

 

……六人。今日の訓練で死んだ人間の数。滑落事故だった。改めて思うのは、自分達が替えのきく駒でしかないという現実。

 

生き残れば優秀な兵士が出来て、死ねばまた補充すれば良い。反政府軍の上層部はそんな風にしか考えていないのだろう。

 

そんな者達が現政府を打倒したとしたとしても、何かが変わるとは思えない。頭がすげ替わるだと青年は思っていた。華琳の様な誇り高い人間が居るなら、こんなやり方はしない。

 

 

まぁ、この国の事はこの国の人間が考える事だ。自分は巻き込まれただけの異邦人。全く関係ない国の事を思う余裕なんて今の自分にはなかった。

 

 

そんな事を考えていた青年に英語で話し掛けて来る者がいた。

 

「お前は何処の国の人間だ?」

 

朝、隣に立っていた男。

 

「日本だよ」

 

「何で日本人がこんな所にいるんだ?」

 

「中国で旅行している時に拉致されて此処に売られたんだ」

 

「それは運が悪かったとしか言えないな。あの国も最近人身売買の組織が増えているから、お前はそれに引っかかったんだろう」

 

 

ラキという名前のその男はこの国の事や自分の事を説明してくれた。この国の言語はアラビア語で政府軍との戦争は膠着状態。反政府軍自体も組織がいくつかあるらしいが連携がとれてなく、それぞれの主義主張で戦っているのが現状の様だ。

 

ラキ自身は反政府軍の占領下にある近くの町の出身で徴兵で此処に連れて来られたらしい。歳は青年より八つ上で、英語が話せるのは、アメリカに留学したくて独学で勉強した様だった。

 

青年も自分の事や日本の事をラキに話していた。特に盛り上がったのは、日本のアニメの話で此方でも何作か放送されている。

 

「俺もいつか、日本に行ってみたい」

 

「その時は俺が観光案内してあげるよ、ラキ」

 

「本当か!」

 

「あぁ、俺に任せて。美味い物が食える店に連れて行ってやるよ」

 

「それは楽しみだ!こんな所では絶対に死ねなくなっちまった。……そうだ、カズに頼みがあるんだ」

 

「頼みって何だ?」

 

「俺に日本語を教えてくれないか?」

 

「それは構わないけど……そうだ!なら、代わりに俺にアラビア語を教えてほしい。今の状況で周りと言葉が通じないのは、命取りになりかねない」

 

「確かにな、カズの今の状況は正直に言ってかなり危険だ。わかった、俺が一から教えてやる」

 

「取引成立だな」

 

お互いにニヤリと笑い、顔を見合せる。

 

「それじゃあ、俺はそろそろ休むわ。……カズ、明日からも大変だと思うが絶対に生き残ろうな」

 

「あぁ、俺も見知らぬ異国で死にたくはないよ」

 

その言葉を最後にお互い、それぞれに割り当てられた場所に戻る。

 

そして青年は寒さに震えながら、夜を過ごすのだった。

 

 




プロローグは後、二話程で終わりです。


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プロローグ 新たな絆 そして戦場へ

……生き残れた。

 

青年はそれ以外の事を考えられない。それほどに過酷な十日間だったのだ。

 

隣に立っているラキが青年の肩に手を置いて話し掛けて来る。

 

「何とか、生きて山を降りる事が出来たな。……カズには感謝している。カズが居なけりゃ俺は死んでいた」

 

ラキは三日目に滑落事故に巻き込まれそうになっていた。落ちる寸前、咄嗟に青年がラキを支えた事で難を逃れたのだ。

 

「何言ってんだよ、俺だってラキには助けられてる。夜、熟睡しそうになった時、何度も起こしてくれたじゃないか。ラキが起こしてくれなきゃ、そのままあの世行きだったさ」

 

青年自身も、実際に危ない場面は何度もあったのだ。二日目からラキとチーム組んで行動していなかったら、青年は今、此処には居ない。

 

「カズ、お前とチームを組めて良かったよ。訓練の途中で気付いたんだが、今回の訓練は他の人間と協力する事を前提に組まれた訓練だった」

 

……そうなのだ。今回の訓練は一人でクリアするのは、はっきり言って至難の技と考えていい。

 

走る事自体は初日から三日間位は苦しかったが、それ以降は身体が慣れて来てそれほどでもなかった。

 

一番苦しかったのは寒さと睡魔だ。寝たら死ぬとは言え、十日間、全く寝なくても死ぬ事には変わりはない。

 

残された方法は死なない程度に小刻みに睡眠を取るという方法。

 

だが、この方法は一人では無理だった。一人なら一度寝たら間違いなく二度と目覚める事はない。起こしてくれる人間が絶対に必要だった。

 

実際に一人で行動していた人間が朝になったら死んでいたケースが多発したのだ。青年とラキはこの方法でお互いに睡眠を取り生き残る事が出来た。

 

「それにしても、随分と減ってしまったな……」

 

ラキが周りを見渡し、悲しげな顔をして呟く。

 

今、此処に居るのは、青年とラキを合わせても五十人。

半数以上があの山で死んでいた。

 

生き残った者達も、身体は痩せて、顔を肉は削げ落ち、立っているのが、不思議な位にボロボロの状態。

 

……只、目の光だけは異様な輝きを放っていた。

 

 

「どうやら、ウジ虫から獣位にはなれた様だな」

 

 

生き残った男達の前に姿を現した教官がそう吐き捨てる。その言い方で一瞬、沙和の事を思い出したが、それ以上に殺意しか湧かない。

 

この訓練自体が効果的なのは認める。この後の訓練も並大抵の事では脱落しない自信も出来た。それでも思うのは

 

 

……一体、何人死んだと思ってやがる!

 

 

その一言だった。

 

身体の内から殴り飛ばしたくなる衝動が溢れ出そうになるが、何とかそれを堪えて教官の話を聞く。

 

「一先ず、生還おめでとうと言っておこう。終わった今だから話すが、この十日間はお前達の能力を見極める為に試させてもらった。この訓練で必要な能力は基礎体力、状況判断力、後は周囲の人間と協力出来るか、この三つの内一つでも欠けている奴は今、この場には居ない。逆に言えばこの訓練の目的に早く感付いた奴は優秀だと思っていい。……なぁ、カズ、ラキ」

 

いきなりの名指しに青年とラキの顔が一瞬強張る。

 

「特にカズ、お前は初日からこの訓練の最適解を最後まで出し続けた。はっきり言って俺達が今まで見てきた奴らの中で現段階ではお前はとびきりに優秀だ。……お前、過去に軍事訓練を受けた事があるんじゃないのか?」

 

「い、いや……」

 

「ははっ、そりゃないか。お前は日本人だもんな。まぁ、いい、お前には期待してるぜ、サムライボーイ」

 

そう言って、教官は青年の肩を軽く叩いた後、他の男達に向かって話を続ける。

 

「明日は一日の休日。明後日から本格的に戦闘訓練に入るからその積もりで準備しておけ。……あぁ、ラキ、お前も英語は理解出来たな。カズはアラビア語を話せないからお前が他の奴らに俺が言った事を伝えておいてくれ。スティーブンのボディランゲージでは上手く伝えきれないだろう。それと、明後日から通訳も頼む」

 

教官が去って行くのを見送った後、青年を含め、全ての男達がその場で崩れ落ちる。

 

……身体の限界が来ていた。宿舎まで歩くでさえ苦行に感じられ、外なのにも関わらず、五十人の男達は一斉に眠りついたのだった。

 

 

 

 

一日の休みの後に始まった訓練は青年にとってはそれほど苦しい物ではなかった。

 

体力的にはキツい物であったが、最初の訓練が命懸けの

ちょっと頭がおかしい訓練だったので、相対的に楽に感じてしまう。

 

それは他の者達も同じな様で、緊張感はあるのだが、何処か余裕を持って訓練に取り組んでいた。

 

一日の訓練内容は午前にボディランゲージをしていた方のスティーブンから火器の取り扱い、偵察の方法、トラップの張り方を学び、午後からは訓練兵に話し掛けていた方のレオナルドからはサバイバル訓練とあらゆる近接戦闘術を叩き込まれる。

 

青年は全体的に優秀な成績を叩きだしていたが、特に近接戦闘術の成績が他の訓練兵と比べてずば抜けていた。

 

それを見たレオナルドが全体の訓練が終わった後、個別で青年に訓練を施す様になる。

 

レオナルドの訓練は厳しかった。全体の訓練が遊びに思ってしまう位にしごかれた。

 

訓練中、自分は虐められてるじゃないのかと邪推したが、訓練の後に話し掛けてきたレオナルドから理由を聞いてその誤解も解ける。

 

どうやら自分は近接戦闘の才能があるらしい。正直、初めは信じられなかった。

 

あの世界で彼女達を見てきた立場からすれば、自分には彼女達の様な才能はないと思ってもおかしくないだろう。

 

けれどレオナルドは青年の才能をベタ褒めしてくる。半信半疑だった青年がレオナルドを信じようと思ったのはレオナルドとの模擬戦だ。

 

 

……強かった。流石は元グリーンベレーの腕利き。

 

 

青年が知っている強者と比べるなら、春蘭や霞には劣るが気弾なしの凪と同等か少し上と思える程に強かった。

 

そんな強者が自分を鍛えてくれると言うのだから断る理由はない。戦場に出る事が確定している青年からすれば強くなれるだけ強くなりたかった。

 

その日から全体訓練が終わった後の個別訓練が始まった。青年がレオナルドの持っている技の中で最も目を惹いたのは、細く長いワイヤー使ったサイレントキリングとその辺の石ころで野鳥などを仕留める投擲技術。

 

その技術を自分にも教えてくれる様に頼んだ、頭を地面に擦りつけて頼み込んだ。

 

レオナルドは引き吊った笑いを浮かべていたが、了承してくれた。

 

青年の訓練はより一層熱が籠る。かといって訓練だけをしていた訳ではない。空いた時間には積極的にラキや他の訓練兵と交流を図っていた。

 

初めはボディランゲージ中心の交流もラキからアラビア語を教わり、訓練開始から三ヶ月経つ頃には、一般的な会話は問題ないくらい上達していた。

 

いくら追い詰められている状況とは言え、三ヶ月で他国の言葉を覚えた自分を褒めてやりたい気持ちになる。

 

訓練にしても言語にしても一々、一喜一憂する姿が面白く思ったのか、いつしか訓練兵は青年の周りに集まる様になっていた。

 

 

 

そして訓練が始まって六ヶ月が経った頃……

 

 

 

青年の前で、レオナルドが崩れ落ちる。激しい息遣いの中、青年は言葉を絞り出す。

 

「……勝ったのか?」

 

「あぁ、お前の勝ちだ、カズ」

 

「勝った……俺が……レオナルド教官に……」

 

「ったく、才能はあると思ってたが、まさか半年で追い付かれるなんて予想外だ。……カズ、お前には俺の全てを叩き込んだ。もう、教える事はねえよ。明日の訓練期間の終わりの前に良い記念になったじゃないか」

 

「レオナルド教官……ありがとうございました!!」

 

「カズ、お前は三日後には戦場に赴く事になるだろう。俺からの最後の忠告だ。戦場では人を殺す事を迷うな!迷えばお前が死ぬ事になる」

 

「はい!自分には生きなければならない理由があります!だから……迷いません!」

 

「それで良い、……カズ、死ぬなよ」

 

レオナルドの言葉に青年は力強く頷く。それを見て笑顔を浮かべたレオナルドは青年の肩を叩き、宿舎に戻って行く。青年はその後ろ姿に頭を下げ、レオナルドの姿が見えなくなるまで頭を上げる事はなかった。

 

 

翌日、教官二人の最後の訓示が終わった後、訓練の終了祝いで訓練兵だけで宴会の予定が組まれていた。

 

宴会費用は二人の教官が出してくれるらしい。訓練兵が教官達にお礼を言おうと部屋に向かったが、二人の教官は既に訓練所を去った後で部屋の机の上には書き置きが置かれていた。

 

……今日は精々楽しめ。お互いに生きていたらまた会おう。

 

青年がその内容を訓練兵達に伝えると、皆、思う所があったのか、黙り込む者、涙を流す者、本気ではないが悪態をつく者とそれぞれ教官達との別れを惜しんでいた。

 

青年はそんな訓練兵達を暫く見守った後、明るい声で皆に声を掛ける。

 

「皆、せっかく教官達が俺達の為に用意してくれたんだ!今日はぶっ倒れるまで飲み明かそうぜ!」

 

青年のその言葉に皆が頷き、一斉に宴会の用意がしてある食堂に雪崩れ込む。

 

……そこからは大騒ぎだった。自分達はこれから戦場に行かなければならない。皆がそれをわかっていて今を楽しんでいた。

 

少し風に当たりたくなった青年はそっとその場を抜け出す。

 

「まだ夜は冷えるな」

 

今は三月の始め、冬から抜け切っていない夜の風が酒で火照った身体には心地良かった。

 

「……カズ、酔ったのか?」

 

どうやら抜け出す所をラキに見られていたらしい。

 

「少しな、ラキ、日本では俺の歳ではまだ酒は飲んじゃ駄目なんだよ。だから飲み慣れていないのさ」

 

ちょっとした嘘。あの世界で霞や春蘭、秋蘭の相手を良くしていた。

 

「此処は日本じゃない。だから問題ない」

 

「そういうのを屁理屈って言うんだよ」

 

二人は顔を見合せて笑う。そして少し沈黙。

 

「……なぁ、カズ。カズって兄弟はいないのか?」

 

「いきなりどうした?……いや、まぁ、妹はいるけど、兄弟は居ないな」

 

「俺は兄弟は居ない。……そこでだ、カズ、俺と兄弟にならないか?」

 

「俺とラキがか?」

 

「あぁ、俺は昔から兄弟が欲しかったんだ。カズとなら良い兄弟に慣れると思ってな。……駄目か?」

 

「いや、俺は構わないぞ。俺達は生死を共にしてきたんだ。その辺の血の繋がりだけの兄弟より信頼出来る兄弟になると思う」

 

「そうか!じゃあこれを持ってくれ!」

 

ラキから手渡されたのは杯。そこに酒が注がれる。

 

「日本では杯を交わして兄弟になるんだろう?」

 

「間違っていないけど、それはヤクザ……ジャパニーズマフィアのやり方だ」

 

「まぁ、細かい事はいいじゃないか。……今から俺達は兄弟。歳は俺が上だけど、そんな事関係ない五分五分の兄弟だ。……これからも宜しく頼む兄弟」

 

「此方こそ宜しく兄弟」

 

杯同士が軽く当たる音が辺りに響く。頭上には二人を祝福するが如く満天の星空が輝いていた。

 

 



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プロローグ 不滅の絆

二日後、青年達は上層部の命令によって、部隊に配属される。配属された部隊は105小隊。

 

部隊名を見れば、普通の部隊に見えるが、その部隊は青年達訓練兵が形だけ名称を与えられ、小隊長となる下士官も居ない、実戦経験もない訓練兵だけの部隊。

 

 

……有り体に言えば捨て駒だった。

 

 

この部隊の唯一の救いは訓練を共にしたラキや他の訓練兵達という気心が知れた者達だけで組まれている事だけだろう。

 

皆が、戸惑っていた。無理もない。訓練はして来ているが、軍に入るのは初めてなのだ。何をしていいのかわからず、皆が立ち尽くしていた。

 

そんな状況で、動いたのは、ラキと青年だった。ラキはアメリカに留学する為にアメリカの事を勉強していてその中で米軍の事も多少調べていた。

 

青年は日本のサブカルチャーの知識とあの世界で一応、軍を指揮していた経験があった。二人は与えられた今にも崩れそうな隊宿舎で小隊の編成に頭を悩ませる。

 

 

 

翌日、集められた小隊員に二人が徹夜で考えた部隊編成を発表していく。五十人の小隊を五つの分隊に分けてそれぞれに分隊長を割り振る。

 

ラキが全体を纏める小隊長、青年が第一分隊分隊長という事になった。初め、ラキは青年に小隊長を譲ろうとしたが、青年はそれを断っていた。いくら、親しくなったとは言え、外国人の自分が一番上に立つ事を良く思わない者がいるだろう。

 

それを、ラキに伝えると、渋々、自分が小隊長になる事を納得してくれた。

 

部隊編成を終え、一息つけたのも、束の間、上から命令が105小隊に届く。

 

命令は戦線を下げる為に退却する友軍の撤退支援。それが105小隊の初陣だった。

 

 

戦地に向かう車の中、青年の顔は強張っていた。銃を持つ手は震えが止まらず、渡されたレーションも喉を通らない。

 

戦場に出るのは初めてではない。あの世界では何度も戦場に立つ事はあった。でもそれは殆ど安全が確保された場所で、唯一危険だったのは、華琳を関羽と呂布から助けた時ぐらいのものだ。

 

今、思えば良くあの二人の前に飛び出せたなと昔の自分に感心する。下手をすればあの時に自分は死んでいた。

 

あの時より、自分は比べ物にならない位に強くなったが、その分、相手の危険度も桁違いに上がっている。

 

あの世界では、剣や槍、弓が相手で、今は銃や戦車が相手だった。はっきり言って一部の武将を相手にするのを除けば向こうの戦場が温く思えてしまう。

 

逃げられるなら逃げたい。けれどそれは無理で、自分には戦う道しか残されていなかった。

 

 

 

戦地に到着し、小隊はそれぞれ、決められた配置に就く。青年も分隊長として退却してくる友軍を待っていた。

 

 

恐怖と緊張で早鐘を打つ心臓、待っている時間が耐え難い苦痛だった。いっその事、早く戦いを始めてほしいとさえ願う。そして早く終わってほしいと……

 

その時、一発の銃声が鳴り響く。それが青年にとっての本当の戦争の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

青年は撤退して行く敵を呆然と見送っていた。自分がどう戦ったのすら覚えていない。覚えているのは、鳴り止まない銃声と砲撃音、敵味方から挙がる喚声と悲鳴、そして

 

 

……自らがナイフで止めを刺した負傷した敵兵の最後の表情だけだった。

 

 

帰りの車の中は重苦しい雰囲気に包まれていた。皆、一言も話そうとはしない。そんな気力もないのだろう。それは青年も同じだ。

 

あの後、正気に戻った青年は自分が人殺しになった事を理解し、その場で吐いた。

 

自分は悪くないとはわかっている。戦争だったのだ。やらなければ自分がやられていた。それがわかっていても

湧き上がる罪悪感を抑える事が出来なかった。そしてその罪悪感よりも生き残った事を喜んでいる自分に反吐が出そうだった。

 

 

 

 

 

隊宿舎に戻った青年は与えられた自分の部屋のベッドに倒れ込む。これからも自分は人を殺す事になるだろう。その覚悟は今日の戦争で出来た。けれど今だけは何も考えずにゆっくり眠りたかった。

 

 

 

 

その日から、本格的に青年の兵士としての生活が始まった。それは地獄とも言っていい生活。

 

 

昨日、語り合った戦友が今日、自分の隣で銃弾に倒れ、昨日、笑っていた町の子供が今日、戦いに巻き込まれ、躯を晒す。

 

 

そんな惨状を見て、狂いそうになる自分を誤魔化す為にコカの葉を噛んで眠る毎日。

 

 

共に訓練を潜り抜け、共に戦ってきた同期も青年とラキを除いて、皆死んでいた……

 

 

戦友が死んでも、青年の戦いが終わる事はない。硝煙の匂いが漂い、銃声が鳴り響き、業火燃えさかる戦場で青年は戦い続ける。そして……

 

 

 

ある時、青年の中のナニカがキレた。

 

 

死ぬ事に恐怖を感じなくなったのだ。始めは青年自身も錯覚かと思ったが、次の戦場でそうではない事を思い知る。

 

戦場に出ても死ぬ事に恐怖を感じない。それ所か人を殺す罪悪感も感じなくなっていた。無表情で淡々と敵を殺す青年を補充されて来た小隊員は気味悪そうに見つめ、ラキは心配そうに見つめていた。

 

 

その日から青年は変わった。正確には壊れていた。

 

 

表向きの青年は何も変わった様には見えない。小隊員に気軽に話し掛け、ラキとは頻繁に飲み明かす。身内には今までと同じく優しい、いや、今まで以上に優しかった。

 

 

だが、戦場に出ると、誰よりも危険な死地に赴き、誰よりも敵を殺して帰って来る。自分の命を度外視した戦い。確実に青年は人として壊れていた。

 

 

青年としては、別に死にたいと思っている訳ではない。死ぬ時は何処で何をしていても死ぬ。死んだらその時はその時だった。

 

 

生きる事に未練がない訳ではない。あの世界の彼女達に再び会いたいという想いは今も色褪せてはいない。

 

 

けれど、どんな想いを持っていても平等に死が訪れるのが人間だった。

 

 

 

 

ある戦場で自分の分隊員が全滅した日、青年は自分の戦い方を変える事を決意する。

 

 

このままでは犠牲ばかりが増えて戦争が終わらないと思ったからだ。

 

 

青年が考えた方法は暗殺。自分一人で敵の勢力内に侵入して政府高官や軍司令官を暗殺するという狂気染みた方法だった。

 

 

青年がラキにその事を話すと顔色を変えて反対された。自殺以外の何物でもないと……

 

 

青年自身もそれはわかっていたが、止めようとは思わない。このまま、だらだら戦争していたら、遅かれ早かれ、どっちにしても死ぬ。

 

だったら、自分が鍛え上げた身体と技を駆使して自分の道を切り開く方が自分には合っていた。

 

 

青年の決意がわかったのか、ラキはそれ以上は反対はしなかったが、悲しげ目で青年を見つめていた。

 

 

 

次の日から、青年の暗殺劇が始まった。青年が予想してたより上手くいくのである。

 

流石に大統領や軍司令官は警戒が厳しくて無理だったが、中級幹部や佐官クラスなら楽にとは言えないが、何とか成功させる事が出来た。レオナルドからワイヤーのサイレントキリングを習っていなかったら、こう上手くはいかなかったと思う。

 

無傷とはいかない。見付かって銃弾を受けて、ボロボロになって戻り、死の淵をさ迷う事なんてざらにあった。その度に生還し、再び死地に飛び込んで行く。

 

そして死地に飛び込む度に青年の感覚が研ぎ澄まされ、新たな技術を身に付ける事になる。

 

 

――先読み。

 

 

青年はその技術をそう呼んでいた。この技術は未来予知みたいな超常現象ではなく、普通の人間なら二桁の数は死ぬ様な死線を駆けた青年の経験による予測技術。

 

 

勿論、外れる事もあるが、それでもかなり精度を誇っていた。

 

 

そしてその技術を使い、敵幹部を殺し尽くす青年の存在はいつしか政府軍、反政府軍の双方に知れ渡り

 

 

……政府軍からは(グール)と憎悪され、反政府軍からは(テンニーン)と畏怖される様になる。

 

 

その事は、青年の周りの環境を変えた。宿舎に戻っても一人を除いて、誰も青年に近づかないのだ。

 

 

……強さ故の孤高。異端故の孤独。

 

 

青年は周りの者の自分を見る目が変わった事には、気付いていたが、気にしなかった。

 

 

慕われているよりも、怖れられている方が、もし、自分が死んだとしても悲しまれなくて済むという思いしかない。それに一人は本当の自分をわかってくれていた。それだけで青年は良かった。

 

 

 

 

……青年が兵になってから三年後。

 

 

火に包まれ、崩壊を始めている大統領府を青年は無感情で見つめていた。やっと終わったという思いしか今はない。周りでは反政府軍の兵が歓声を挙げていた。

 

 

その兵達の前で、演説を始める反政府軍大将にして新たな大統領ラキ。そして青年の肩書きは反政府軍大将補佐官に変わっていた。

 

 

こうなった理由は何の事はない。青年が旧上層部を全て始末したからだ。旧上層部ははっきり言って無能だった。

 

 

青年が政府軍を弱体化させても、戦局をある程度優勢にしたくらいでそれ以上の事は出来なかった。

 

 

このままでは、戦争が終わらないと考えた青年とラキはクーデターの軍である反政府軍の中で更にクーデターを起こす事を決意する。

 

 

青年が旧上層部を始末、その混乱に乗じてラキが軍を掌握。反発した者は青年が暗殺した。

 

 

このやり方はラキにとっても、青年にとっても不本意だったが、手段を選べる立場ではなかった。

 

 

手段を選ばずに手にした軍権だが、後ろめたい気持ちはその後のラキの手腕で消え失せた。

 

 

クーデター成功後のラキは交渉で各地の反政府の組織を自分の手元に取り込んだのだ。ラキが優秀なのは今までの付き合いで知っていた。それでも見事な手腕としか言い様がない。

 

 

ラキが軍権を手に入れてから一年、つまりは今日。とうとう、現政府を打倒する事に成功したのだった。

 

 

 

ラキが新たな大統領になってから数日後、青年は荷物を纏めて新たに建設されるまでの仮の大統領府となっている建物から外に出る。

 

外には、自分の行動がわかっていた様に、ラキが待っていた。

 

「……行くのか?カズ」

 

「あぁ、海外で行方不明になって三年半、多分、家族にも死んだと思われているだろうが、帰らん訳にはいかんよ」

 

「……そうか、カズ、これを受け取ってくれ」

 

そう言ってラキが一枚カードを青年に手渡す。

 

「……これは?」

 

「キャッシュカードだ。お前に対する今までの褒賞金を振り込んである。日本政府にもお前の名前と共に伝えているから日本で問題なく使える」

 

「いいのか?これからこの国は復興の金が掛かるんだろ?」

 

「いいんだ、俺にはお前の働きに報いる方法がこれぐらいしかないんだ。遠慮なく受け取ってくれ」

 

「……わかった。お前の気持ち、確かに受け取った」

 

「……なぁ、カズ、お前はどうして逃げなかったんだ?訓練兵や任官した辺りでは無理でも、敵地に乗り込んで生還出来るお前なら逃げようと思えば逃げられただろ。元々、お前はこの国の争いとは関係ない。お前が逃げるなら俺は黙って行かせる積もりだった」

 

「……俺も初めは逃げようと思っていた。訳もわからず、この地に来て、クソみたいな戦争に巻き込まれ、クソみたいな地獄を味わって、良い思い出なんて殆どない」

 

「……」

 

「それでも、この地には兄弟が居た。俺は知ってる、その兄弟がいつも俺を心配していてくれた事、敵地に一人乗り込む俺の生存率を上げる為に寝る間も惜しんで計画を考えてくれた事、俺が周りから距離を置かれてもその兄弟は変わらない態度で俺と接し本当の俺を見ていてくれた事。……そんな兄弟を置いて逃げるなんて死んでも出来ないさ」

 

「……バカやろう!」

 

ラキの瞳から雫が零れ落ちる。

 

「カズ!俺はいつでも、いつまでもこの地でお前を待ってる!……だから、また会おう兄弟!」

 

「あぁ、またな。兄弟!」

 

青年はラキに背を向け、歩き始める。男の別れだ。振り返る事はない。それでも

 

 

 

……瞳から溢れ出る涙を堪える事は出来なかった。

 

 

 

 

 

『当機はまもなく羽田空港に……』

 

日本への到着を告げるアナウンスで青年の意識は今に戻る。

 

 

青年は到着した旅客機から出て、荷物を受け取り外に向かう。その時、懐かしい日本の匂いを感じた。

 

 

青年……北郷一刀二十一歳。三年半ぶりの日本への帰国だった。

 




今回でプロローグは終わりです。


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家族

春先の日本。一刀は実家へと続く道を懐かしさを感じながら歩いていた。三年半という期間では街並みに大した変化はないのに。それでも何処か違和感を感じるのは自分が変わってしまったからだろう。

 

一刀は実家に帰る前に銀行に立ち寄る事にする。財布の中の金が空っぽに近かった事を思い出したからだった。ATMに自分のキャッシュカードを入れようとしたが、ふと、思い直し、自分のキャッシュカードを財布にしまい、別のカード、ラキのキャッシュカードを取り出す。ラキから渡されたカードにいくら入っているか気になったからだ。

 

そしてラキのキャッシュカードをATMに挿入して、カードに貼り付けていた紙に書かれた暗証番号を打ち込み、表示された残高を確認した時、一刀の目が思わず見開く。

 

「……ラキ、これはひょっとしてギャグでやっているのか?」

 

信じ難い物を目にした一刀の呟き、ATMに表示されていた残高は

 

 

 

 

……三十億円

 

 

 

 

それがラキから一刀に渡された金額である。

 

「いくら何でも、これは多過ぎるぞ兄弟……」

 

人生を二、三回は遊んで暮らせそうな金額だった。

 

少し間、呆然とした一刀だったが、ラキの一刀に対する想いを感じて、素直に感謝する事にした。とりあえずは当座を凌ぐ為、数万円だけ下ろし、再び、実家に向けて歩き始める。だが、実家に近づけば近づく程、一刀の表情が硬くなっていく。

 

 

一刀は両親や祖父に会うのが、憂鬱だった。行方不明になっていた三年半の説明をどうしたらいいのかがわからないのだ。

 

歩きながら、言い訳を考えるが、外国で行方不明という状況。どんな言い訳をしても嘘にしか聞こえないかも知れない。

 

あれこれと考えたが、結局、妙案が浮かぶ事はなく、気付けば、一刀の目の前に佇む一軒家。自分の実家に到着して、一刀は家族に本当の事を話す事を決める。

 

正直言って、本当の事が一番嘘臭い話なのだが、それでも他に案がある訳ではない。信じて貰えなければ、それはそれで良かった。息子が人殺しなんて信じない方が精神衛生上良いだろう。

 

一刀はそう開き直り、実家のドアノブに手を掛ける。

 

「……ただいま」

 

一刀のその声が玄関に響くと、バタバタと足音が聞こえ、両親が顔を出す。

 

「「一刀!!」」

 

「……久しぶりだな、親父、お袋」

 

三年半ぶりに会う両親は一刀の記憶にある両親より、髪に白い物が増えて、自分の事で心配を掛けたのか、少し老けて見えた。

 

「一刀!あんた、いったい、今まで何処で何をやっていたのよ!」

 

「あー、お袋、それも含めて説明するから、とりあえず家に上がらせてくれ」

 

「そうだな。居間で話をしよう。母さん、一刀にお茶を出してやってくれ」

 

「えぇ、一刀、荷物はそこに置いておいていいから、居間に行ってなさい」

 

その一刀は、その言葉に頷き、居間に向かう。久しぶりの実家。懐かしい気持ちはあるが、なぜか此処は自分の居場所ではないと考えてしまう。平穏で落ち着く雰囲気なのだが、逆に一刀にとってその雰囲気が落ち着かない。

 

此処は硝煙や血の匂いもしないし、銃声も聞こえない。それが違和感にしか感じなくなっている。一刀は心の底まで戦場の人間になっていた。

 

居間の畳に腰掛けた一刀に母親がお茶を差し出し、一刀の向かい側に父親と並んで腰掛ける。

 

「父さん、そう言えば一葉は?」

 

一葉は一刀の妹の事だった。

 

「一葉はフランチェスカの寮に入っている。落ち着いたら会いに行ってやりなさい。お前の事をずいぶんと心配していた」

 

「……そうか、一葉ももうそんな年なんだな」

 

自分がまだ日本を離れた時、一葉はまだ幼さが残る少女であった。それが今は自分と同じフランチェスカに通っている。三年半という時が思ったより長い時だという事を思い知らされた。

 

「一葉の事は一先ず置いておこう。一刀、お前はこの三年半、一体、何処で何をしていたんだ?」

 

「まぁ、一言で言うと、……戦争をしていた」

 

「「はっ?」」

 

両親が一刀の言葉で呆気に取られる。

 

「だから、戦争をしていた」

 

「一刀!あんたふざけてるんじゃないわよ!」

 

「母さん落ち着いて。一刀、私達としては、海外で行方不明になって三年半ぶりに帰って来た息子がいきなり戦争をしてきたと言われても、流石に信じられないぞ。何か証明する物はあるのかい?」

 

「別に信じなくていいぞ。そっちの方が俺も気が楽だ。……まぁ、一応、証拠もある事にはあるが、見ない事を俺としてはオススメする」

 

「……一刀、証明する物があるのなら私達に見せてくれ。お前の親として息子が何をやってきたか知っておきたい」

 

「……本当に見るのか?」

 

「あぁ」

 

一刀はため息を付き、おもむろに上半身の服を脱ぎ捨てる。そこに現れたのは、極限まで鍛え上げられた肉体に刻まれた無数の銃創や刺し傷、父親はそれを見て顔面蒼白に母親は目を見開いた後、気絶した。

 

「……もういいか?」

 

「……あぁ、もういい」

 

一刀は服を着た後、気絶した母親に目をやり

 

「だから、見ない方がいいって言ったんだがな」

 

と呟く。

 

「で、親父は納得したか?」

 

「……お前が嘘を言ってない事はわかった。でも、一体、何でそんな事になったんだい?」

 

「それも今から説明するが、その前にお袋を寝かせてくる」

 

そう言って、一刀は母親を寝室に運び寝かせる。居間に戻った時、父親が神妙な顔をして一刀を待っていた。一刀は出されたお茶を一口すすり、おもむろに自分にあった事を語り始めた。

 

「簡潔に言うと、中国から日本に帰る前日に旅費が尽きて、野宿したんだよ。その時に人身売買組織に拉致されて、売られた先が中東の独裁政治を敷いている国の反政府軍でな。半年の訓練の後、戦場に出て三年間兵隊やってた。……こっちでも中東の国でクーデターが成功したニュースが流れていなかったか?」

 

「そういえば、数日前にやっていたな」

 

「……まぁ、それでお役ご免になったから日本に帰って来れたのさ」

 

一刀はラキの事や自分が反政府軍のNo.2だった事なんかは説明しなかった。そこまでする事はないと判断したからだ。

 

「そうだったのか……」

 

父親はその一言だけ呟くと黙り込む。暫しの間、沈黙した空間の中で、先に沈黙を破ったのは、一刀だった。

 

「今日は疲れたから、風呂に入って寝るわ。明日は爺さんに顔を出したいからな」

 

そう言って立ち上がり、居間を出ようとする一刀の背中に父親が話し掛ける。

 

「一刀、俺はお前に何を言ってやればいいのかわからない。……只、お前が無事に帰って来てくれた事は父親として心の底から喜んでいる。それだけは忘れないでくれ」

 

「あぁ、ありがとよ、親父」

 

その言葉と共に一刀は居間を出て行くのだった。




次の話か、その次の話で外史入りです。


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心と刀

北郷流――それは、戦国時代より端を発した剣術の流派である。

 

創始者は薩摩の島津家の分家、北郷家三代目当主の四男、北郷義政。

 

北郷流の理念は現代の剣道の様に礼儀作法は必要ない。只、実践、ひたすらに実践。如何に人を効率良く斬るか、それだけを求めた剣術。

 

極めて合理的な剣術であるからして雅さの欠片もなかったが、江戸時代には強くなりたい薩摩の武士はこぞって北郷流に打ち込んだ。

 

明治維新以後は、その理念故に一時期の勢いは無くしはしたが、それでも北郷流はその在り方を変える事なく、命脈を保っていた。

 

平成の時代になっても、竹刀ではなく、木刀を使うのもその名残であろう。

 

現在は一刀の伯父が北郷流第二十一代当主として鹿児島で道場を開いていた。もし、一刀が北郷流を継げば一刀が二十二代目になる。万が一にもそんな事はありえないが……

 

一刀が今、所在無げに立っているのは、実家の近くにある小さな道場。数人程度が鍛練する広さしかない道場ではあるが、清掃は行き届き、厳かな雰囲気に漂っていた。

 

そんな一刀の前に木刀を持って立つ一人の老人。北郷流、歴代最強と謳われた男。

 

 

 

 

――北郷流第二十代当主、北郷一心。一刀の祖父、その人である。

 

 

「……爺さん、何でいきなり道場に連れて来たんだ?」

 

「一刀、お前がこの三年半何をしてきたか、昨日息子から電話で聞いた。だが、話だけではわからん事もある。お前がどう変わったか、儂はそれを確かめたいのよ」

 

「……それで手合わせって訳か」

 

「そうじゃ、壁に立て掛けている木刀で好きな物を選んで来い」

 

「わかった。久しぶりに会った爺さんの頼みだ。付き合うよ」

 

一刀は軽い口調で木刀を取りに行く。壁に立て掛けてある様々な種類の木刀。

 

一通り目を通した一刀が選んだのは、脇差しサイズの木刀。それを二振り持って、一心の元へ戻る。

 

この得物を選んで理由は小回りが利く事と自分が使い慣れたサバイバルナイフにサイズが似ていたからだ。

 

一心は一刀の持ってきた得物を興味深い様子で見つめる。

 

「脇差し二刀か……まぁ、良い。それでは……」

 

一心が言い終える前に、一刀は一心に襲い掛かる。一心は虚を突かれて、一瞬、体勢を崩すが、すぐ様立て直し、一刀の剣を捌き、距離を取る。

 

「……戦いはお互いがやると決めた時には始まっているもんだろ。卑怯なんて言わないよな?」

 

「……言わんよ。むしろ今の不意討ちを褒めたい位だ」

 

「それはどうも」

 

一刀は軽口を叩きながら、一心との間合いをはかっていた。そんな一刀に一心は話し掛けてくる。

 

「一刀、お前は随分と暗い目をする様になったな。先程の不意討ちにしても、昔はあった甘さが一切無くなっている」

 

「……目を輝かせながら人殺しは出来ないさ」

 

「そりゃ、そうじゃな。……このままお見合いをしていても(らち)が明かん。儂から行かせてもらうぞ」

 

そう言って間合いに飛び込んで来た一心の剣を一刀は捌く。その剣は鋭く、一刀は受けに徹するしかない。そして数合、剣を合わせた時、一刀の表情に微かな笑みが浮かぶ。

 

……強い。

 

力は春蘭より劣り、速さは霞より劣る。総合的な実力も二人よりは劣るだろう。

 

だが、長年鍛え上げたその技は二人のそれを確実に上回っていた。

 

曲がりなりにも一刀が打ち合えているのは、鍛え抜いた身体能力と動体視力でごり押ししているからだ。

 

単純な剣の技術なら秒殺だろう。それでも一刀は

 

 

 

……勝てないとは思っていなかった。

 

 

 

一刀は挑発する様な口調で一心に問いかける。

 

「……なぁ、爺さん、俺は勝っていいのか?」

 

「ほう、防戦一方のお前がこの状況でどうやって勝つつもりじゃ?」

 

「そんなもん、何とでもなる。……爺さん、俺の三年半を舐めるなよ!」

 

その言葉と同時に一刀は一心の剣を弾き、間合いを取る。間、髪は入れなかった。

 

一刀は持っていた木刀を投擲する。狙いは一心の顔面、もっと言えば眼球。

 

一心はその木刀を落ち着いて叩き落とすが、気を抜くのが早かった事を思い知る。二本目の木刀が一本目と全く同じ軌道で、されど一本目より速く一心の眼前に迫る。

 

弾く事は、一本目で剣を振りきっているから不可能。唯一の方法は避ける事だけ。

 

二本目の木刀を避ける事に集中した故に一瞬、一心は一刀を自分の視界から外してしまう。

 

……その隙を見逃す一刀ではなかった。

 

全身のバネを利かせ、地を這う様な姿勢で一心の懐に飛び込み、手刀を一心の水月を突き刺す形で突き付けていた。

 

「俺の勝ちだ。これも卑怯……なんて言わないよな?」

 

ニヤリと笑いながら、一心に自分の勝利を告げる一刀。

 

「……あぁ、一刀、お前の勝ちじゃ。見事な詰めだった」

 

「それで、何かわかったか?」

 

「……良くも悪くも戦争は人を変えるな。今のお前は儂が知ってるお前とは別人の様じゃ。顔付きは鋭くなり、口調も変わり、纏っている空気は二十を越えたばかりの若造とは思えない程、重厚な物。……それに心も身体も眩しい程に強くなった。……今の日本ではそれが良い事だとは一概には言えないが」

 

「爺さんに強いと言われても皮肉にしか聞こえないぞ。剣の腕は比べ物にならん位に爺さんの方が上じゃねぇか。…………で、まぁ、そんな爺さんに頼みがある。俺に剣を教えてくれないか?」

 

これは、打ち合っている時に一刀が考えていた事だった。一心の剣の技は凄まじい。出来る事なら自分もその技を身に付けたかった。

 

「一刀、お前は充分強い」

 

「何でもありな戦いならな。俺の戦い方は手札の多さを生かして効率よく敵を殺す戦い方だ。正面きっての戦いでも半端な奴には絶対負けないが、爺さんみたいな達人には分が悪すぎる。……まぁ、邪道を極めたから正道を学びたいのさ」

 

「……一刀、お前は……」

 

「爺さん、何の為に強くなりたいのか?とか、強くなってどうしたいのか?なんてオムツも取れていないガキに聞く様な事を俺に聞くなよ。俺はそんなもん聞かれる段階はとうに飛び越えて、今此処に立っている」

 

 

「……そうか、そうじゃな。一刀、明日から此処へ来い。儂の持つ全てをお前に叩き込んでやる」

 

「ありがとよ、爺さん」

 

そう言って道場を出ようとした一刀は一度振り返り

 

「爺さんが生きていて良かったよ。帰ってくる時、死んでるんじゃないかと思っていたからな」

 

からかい混じりで一心に声を掛ける。

 

「ぬかせ、若造!儂は後、三十年は生きるぞ!」

 

そして二人はお互いの顔を見て笑い合う。

 

「……じゃあ、爺さん、また明日な」

 

「遅刻は許さんぞ」

 

一刀は頷き、道場から出て行く。一心はその背中を暖かく、そして何処か悲しげな眼差しで見送っていた。




次で外史入りします。


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満月の帰還

一刀が日本に帰ってから、半年の月日が流れていた。

 

この半年間、一刀がやっていた事と言えば、剣術の鍛練とあの世界に行く為の銅鏡の情報収集、後はひたすら勉学に励む事。

 

勉学と言っても学校で学ぶ事ではなく、商業、農法、工業、医学、料理など、あの世界で使える知識を重点的に蓄えていた。

 

戦争に巻き込まれ、三年半もの期間、遠回りする事になってしまったが、それでもあの世界に行くなら悪い事ではないと考えている。

 

いくら、華琳が大陸を平定して、三国がそれぞれの国を治める事になっても、数年程度では、まだまだ治安も安定していない。賊も数は減っているが、普通に居るだろうし、自分が魏に居る時は戦う事はなかったが、五胡の事もあるだろう。

 

今の自分なら、そういった脅威があろうと、切り抜けられると考えていた。

 

本音を言えば、自分があの世界に帰った時には全て終わっていてくれるのがベストだと思うが、そこまで期待するのは、華琳達が如何に優れていたとしても酷な話だと思う。

 

戦争は勝つ事より、勝った後の後始末の方が大変なのだ。そう考えると、華琳の時は自分の力ではどうしようもなかったが、中東の戦争で後始末に参加しないで、日本に帰って来た事をラキに申し訳なく思ってしまう。

 

一応、一刀も日本に帰って来てから、パソコンで度々、あの国の情報を確認していた。独裁政治と長い戦争による傷痕は深いが、ラキの主導の下、順調に復興が進んでいる様子で、ラキ自身もパソコンにアップされている映像を見る限り、元気な様子で一刀は安堵していた。

 

只、一つ驚いた事がある。……国の名前が変わっていた。新しい国の名前はテンニーン。それはラキから一刀に向けてのメッセージだった。

 

一刀が居た証に一刀の異名を国の名前にする。つくづく情の深い男だと思う。そんな男だからこそ、一刀は兄弟になり、最後の最後まで共に戦う事を選んだのだ。

 

それと同時に一刀はその情の深さが仇になるかも知れないと心配もしていた。一人の人間としてなら美徳と言えるが、ラキは一国のトップだった。持っている優しさが甘さにならなければ良いが……

 

一刀はそう異国の兄弟分に思いを馳せるが、今の自分に出来る事はない。未練を振り切る様に二、三度首を振り、日課となっている剣術の鍛練を行う為に一心の道場へと向かう。

 

そして道場に着いた一刀を待っていたのは、正座をして瞑想する一心の姿。その傍らには一振りの日本刀。一刀の到着に気づいたのか、その目がゆっくりと開かれる。

 

「爺さん、今日も宜しく頼む」

 

「……」

 

「……爺さんどうした?」

 

「……一刀、儂がお前に教える事はもうない」

 

「何だ、いきなり。どういう事だ?」

 

「言葉通りの意味じゃ。お前も気付いておるじゃろう」

 

その言葉を聞いて、一刀の心中でやっぱりそうなのかという思いが駆け巡る。

 

「やはり、気付いておったか。お前の考えている通りじゃ」

 

「俺の気のせいではなかったか……」

 

「あぁ、お前の剣の腕は既に儂と同等、簡単に言えば、免許皆伝。それにまだ伸び代を残しておる。儂と違ってな。つまり、儂からお前にしてやれる事は後、一つだけじゃ」

 

一心はそう言って、傍らの日本刀を一刀に手渡す。その刀の鞘は鉄拵えで作られており、見た目以上の重さが一刀の手の内に掛かる。

 

「北郷流に代々伝わる刀じゃ。銘は無銘。切れ味はそこそこだが、頑丈さでは名刀と言われる刀に劣らん、むしろ切れ味を犠牲にしている分、この刀の方が頑丈じゃろう。鞘は本来は木の拵えだが、知り合いの鍛冶に頼んで作らせた。お前の戦い方を考えるとその方が良いじゃろ?」

 

「ちょっと待て!爺さん、俺は北郷流を継ぐつもりはないぞ。そんな俺がこの刀を貰う訳にはいかない」

 

「一刀、話は最後まで聞け。……本来、北郷流に伝わる刀は二振りあるのじゃ。一振りは北郷流の当主に代々受け継がれる刀。それは既にお前の伯父に渡している。そしてもう一振りは……北郷流最強の剣士に受け継がれる刀。それがその刀じゃ」

 

「……伯父さんはこの刀を俺に渡す事を納得したのか?」

 

「あぁ、あやつの腕は儂より下だからな。お前の腕が儂と同等と告げると納得したわ。思う所もある様だったがな」

 

「……そうか」

 

「北郷流の二振りの刀は開祖から今に至るまで、当主が受け継いできた。それは最強の者が当主になるという不文律があった故な。今回が初めてじゃ、当主とは別の人間がその刀を受け継ぐのは……」

 

「……」

 

「一刀、お前に今更、覚悟を問う事はしない。当主を継げとも言わん。……只、北郷流の魂だけは受け継いで欲しい」

 

「……わかった。爺さんの、いや、北郷流の魂、受け継がせてもらう」

 

一刀のその言葉に一心の顔に笑みが浮かぶ。

 

「……ふう、これで儂の役目は終わった。それにしてもお前の才能が羨ましいのう。まさか、半年で北郷流を極めるとは思わなんだ。……まぁ、お前は北郷流に必要な心技体の内、心と体は半年前の時点で既に儂を越えておったから、当然と言えば当然なのかもしれぬが……」

 

「強くならなければ死ぬ……いや、強くなっても死ぬ可能性が高い環境に居たからな。これ位の見返りがないと、俺の三年半が報われん」

 

「一刀、お前が言っている事はわかる。儂も太平洋戦争に行ったからのう。いくら鍛え強くなっても、銃弾が一発当たれば死ぬ環境。あの当時は自分がやっている鍛練が壮大な無駄な気がしてしょうがなかった」

 

「俺もそうさ。何度、徒労感に襲われたかわからない。それでも他にすがる物がないからな、鍛練をする事で少しでも生き残る可能性が上がると信じるしかなかった」

 

「それで一刀、鍛練を続ける事で答えは出たのか?」

 

「……己に宿る物が全て。そう思い定める事が出来たよ。実際に鍛練していなかったら、十回は死んでいたしな」

 

「……一種の悟りの境地じゃな。儂も似たような答えを出したわ。もっとも儂がその答えを出したのは、五十を過ぎてからであったが……」

 

「……」

 

「戦国の世であれば、名を残す事も可能であったろうが、今の日本ではお前は異端じゃ。くれぐれも持っている牙を人には見せるな。出る杭は打たれるぞ」

 

「心配しなくていい、元は甘ったれた学生だからな。精々、上手くやるさ」

 

「……そうか。それなら良い。…………ところで一刀、お前これはイケる口か?」

 

一心が酒を飲む仕草をしながら一刀に聞く。

 

「それなりにな。特別、強い訳じゃないが、弱くはないぞ」

 

「そうか!そうか!なら、今日は家に泊まっていけ。免許皆伝祝いだ。今夜は飲むぞ!」

 

満面の笑顔の一心にしょうがないなと思いつつも悪い気はしない。意気揚々と自分の家に向かう一心に着いていく一刀。しかし翌日、襲い来る頭痛と戦いながら、この時の判断を後悔するのだった。

 

 

 

ある朝、実家で朝食を食べながら新聞を読んでいた一刀は隅っこに小さく書かれた記事に目を惹き付けられる。

 

 

 

―――古代中国博覧会。

 

 

 

それは個人が所有する古代中国の品物を一堂に集め、展示するという物。それが今日から、隣町で開催されていた。

 

一刀はその記事に運命的な……いや、何か作為的な物を感じる。記事その物におかしな所はない。博覧会自体もありきたりな物だと思う。

 

只、自分にとって都合が良すぎる気がするのだ。考え過ぎかもしれないが、何かが引っ掛かる。

 

その記事を見詰め、暫く考えるが、何にせよ行かないという選択肢はない。日本に帰ってから銅鏡の情報は一切、集まってないのだから。

 

一刀は朝食を口に詰め込み、隣町へと出発する。博覧会の場所までの距離はおよそ十㎞。一刀は鍛練がてら走っていく事にした。

 

そして走り始めて三十分後、一刀は博覧会の会場に到着していた。平日という事もあって、客の数はそれほどでもない。

 

一刀はじんわりと吹き出てくる汗を袖で拭い、受付で入館料を払い会場に入る。

 

展示されている物は一刀にとって目を惹く物ばかりだった。宝剣、陶器、竹簡、装飾品など、何処か懐かしさを感じさせる。

 

いつしか、一刀は自分の目的と時間を忘れ、それらの物を見入っていた。

 

そうして楽しんでいた一刀の耳に館内アナウンスが飛び込んで来た。閉館十五分前のアナウンスである。

 

そのアナウンスを聞き、そろそろ帰るかと何気なく視線を飛ばした先にあった物に一刀の時は止まる。

 

展示会場の隅、順路から離れて、誰も見に来ない様な場所にそれは置かれていた。

 

 

 

……古ぼけた銅鏡。

 

 

一刀は慌てて、その銅鏡の元へ走る。そして間近でそれを見た時

 

「……これだ。間違いない」

 

一刀はそう呟く。この銅鏡であるという根拠はない。それでも一刀はこの銅鏡で間違いないと確信していた。

 

「あらっ!素敵なお方ね。その銅鏡が気に入ったのん?」

 

銅鏡を見入っていた一刀に向けられる声。驚きはしなかった。誰かが居る気配は感じていたからだ。

 

「……あぁ、とても気に入ったよ」

 

そう言いながら振り向いた一刀は、見てはいけないものを見てしまった。

 

その人?は全身が鍛えられた筋肉に覆われ、上半身の服は着ておらず、下半身もピンクのビキニ一枚で頭髪はスキンヘッドなのに何故か左右からおさげだけがある何かもう色々アウトな物体?だった。

 

一刀は驚きはしたが顔に出す事なく、心を整える。

 

「……えっと、人間?」

 

「だぁれが!放送禁止の筋肉ムキムキの汚れキャラですってぇーー!!」

 

「誰もそこまで言ってない。……所であんたは?」

 

一刀はその物体?に尋ねる?

 

「私は貂蝉って言うしがない漢女よん。ついでに言えばその銅鏡の持ち主でもあるわん」

 

……貂蝉!?この物体?が絶世の美女と言われる貂蝉!?いや、百歩、もっと言えば一万歩譲ってそれは良いとしよう。実際に自分は男であるはずの三国志の武将が女になっている世界に居たのだから。

 

だが、何故、その貂蝉がこの世界に居る?もう一つは何故、自分の探していた銅鏡を持っている?

 

わからない事だらけだった。そんな中、一刀が行ったのは

 

「俺は北郷一刀と言う。……所で貂蝉、外史って知っているか?」

 

……カマをかける事だった。その言葉に貂蝉の目蓋が微かにしかし不自然に動く。

 

「やはり、あの世界の関係者だったか……」

 

「ご主人様は随分と鋭いのねん。外史って言うのは……」

 

「いや、説明はしなくていい。あんたにご主人様と呼ばれる筋合いはないと思うが、あの世界の関係者だ、俺の知らない何かがあるんだろ。俺が知りたいのは一つ」

 

一刀は銅鏡に目をやり

 

「……この銅鏡を使えば、俺はあの世界に戻れるのか?」

 

そう尋ねた。

 

「……結論から言えば戻れるわん」

 

「……そうか、なら、この銅鏡を俺に譲ってくれないか?金が必要なら払う」

 

一刀の貂蝉は首を振る。

 

「駄目なのか?」

 

「いえ、銅鏡を譲るのはいい、お金もいらない。でもいいのん?この銅鏡を使ってあの世界に行けばご主人様は二度とこの世界に戻って来れなくなるわ。その覚悟はあるのん?」

 

「……あぁ、構わない。元よりそのつもりだったからな」

 

この世界にも心残りはある。両親や祖父の一心、それにラキ。特にラキはまた会う約束を破る事になるのは心苦しいが、それでも自分はあの世界に戻りたかった。

 

「そこまで言うなら、博覧会の主催者には私から言っておくからその銅鏡は持って行っていいわん」

 

「本当か!心から礼を言わせてもらう!」

 

「お礼ならご主人様の熱いベーゼでいいわよん」

 

「んっ?そんな事でいいのか?」

 

そう言って一刀は貂蝉に近づく。華琳と違って同性の趣味はないが、戦場で戦友に数え切れない程、人工呼吸をした経験がある一刀にとってはそれ位の事は苦でも何でもなかった。

 

貂蝉の目の前まで来た一刀は貂蝉の唇に自分の唇を重ねる。……そしてどれ位の時間が経っただろうか、一刀が重ねた唇を離した途端、貂蝉が腰砕けになって床に座り込んだ。

 

「……ぶるるぅわぁ!ご主人様は悪い男だわー!こんな純情な漢女の心を弄ぶなんってぇ!!」

 

「人聞きの悪い事を言うな。お前から言った事だろう。……それじゃ銅鏡は貰って行くぞ。……本当にありがとな貂蝉」

 

「いいのよん。ご主人様の幸せは私の幸せでもあるわん」

 

「……俺とお前がどういう関係にあるのかは知らない。だが、お前は俺の恩人だ。縁があったらまた会おう」

 

「……えぇ、またねん」

 

貂蝉は去って行く一刀の背中を見送りながら呟く。

 

「あの外史は他の外史と切り離されて独立した外史となった。私達、管理者もあの外史には入る事は出来ない。……幸せになってねんご主人様」

 

その呟きは一刀に届く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

……今宵は満月の夜。一刀は部屋で服を着替えていた。着る服は自分が戦場で愛用していた黒の軍服。ズボンのベルトには左に一心から譲り受けた刀。右にはサバイバルナイフ、手袋には一見では見えないの細さではあるが、車を持ち上げても切れない程の強度を誇るワイヤーを仕込み、軍服の上から着るベストには投げナイフ十本が装備されている。

 

準備が終わった一刀は向こうで役立ちそうな物を色々と詰め込んだ大きな軍用リュックを背負い、寝ている家族を起こさない様に玄関へ向かい、そこで足先に鉄板、左右にブーツナイフを仕込んだブーツを履き外に出る。

 

今の自分に出来る最強の装備を揃えた一刀であるが、あの世界での自分の代名詞と言えるフランチェスカの制服は部屋に置いて来た。

 

今の自分にはあの白の制服、天の御遣いは似合わないし、その資格もないと思っていたからだ。

 

パトロール中の警官に見付からない様に、目的地を目指す一刀。たどり着いたのは、街外れにある原っぱ。何が起こるかわからないから人が寄り付かない場所を一刀は選んだ。

 

原っぱで空を見上げると輝く満月。一刀はあの世界から自分が消えた夜の事を思い出していた。

 

……あの日から四年。自分は随分と変わってしまったが、彼女達へと想いは変わる事はなく、此処までたどり着いた。

 

「……やっと皆に会える」

 

そう呟き、一刀は銅鏡を月に翳す。

 

……その時、辺り一面に目を開けていられない程の眩い光が放たれる。

 

そして、その光が収まった時、その原っぱには誰も居なくなっていた。

 




何かもうすいません(笑)


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再会を目指した果て

目覚めると、そこは荒野だった。辺り一面、同じ景色が続く荒野。何故、この世界は何もない所からスタートさせたがるのだろうか……

 

自分の現在地さえわからない。一刀はこれからどうすべきか悩むが、それでも心は高揚していた。

 

四年間、足掻いた末にようやくこの世界に戻って来れた。今居る場所の空気、匂い、景色が何もかも懐かしい。暫し感慨に浸る一刀。

 

そんな一刀に五人の男が近付いてくる。身なりは汚れ、顔には下卑た笑みが張り付けられていた。どうやら、この世界に来たらすぐに賊に絡まれるのはお約束らしい。只、前回とは違い、賊の数が二人増えていた。

 

「……ボーナスかな?」

 

冗談めかして、自分にツッコミを入れる一刀。その様子は恐怖を感じている訳ではなく、油断や慢心がある訳でもない。

 

……余裕。その一言に尽きた。

 

一刀は軍用リュックをその場に降ろして、男達を待ち受ける。十中八九、賊だろうが万が一の事もあった。確認だけはしておくべきだろう。

 

そんな一刀の心中を知るはずもない男達は数に恃んで威圧的に一刀に話し掛けてくる。

 

「よう、兄ちゃん、随分と大荷物を持っているな。殺され……」

 

賊確定。それが確認出来た一刀は抜刀。話していた男とその隣に居た男の首を纏めて撥ね飛ばす。……賊のテンプレを最後まで聞くつもりはなかった。

 

返す刀で更に二人、首を撥ねる。……残りは一人。この男はまだ殺すつもりはない。聞きたい事があるからだ。

 

「ヒィッ!!助けてくれ!!」

 

「……何言ってんだお前。賊になったって事は殺す覚悟も殺される覚悟も出来ている事だろう。……まさか、自分だけは死なないなんて都合の良い事を考えていたんじゃないだろうな?」

 

一刀は殺気を放ちながら、男に詰め寄った。男はその殺気で身体が震え、まともに話す事も出来ない様子。

 

「……まぁ、いい。それよりお前に聞きたい事がある。正直に答えれば助けてやってもいいぞ」

 

一刀は殺気を抑え、先程とは打って変わって穏やかな声音で話し掛ける。

 

「……ほ、本当か!?」

 

「それはお前次第だ」

 

一刀は明言はしないでどちらとも取れる返答を返した。

 

「わかった!何でも聞いてくれ!俺の知っている事なら話すから、命だけは助けて下さい!」

 

「素直なのは良い事だ。……じゃあ、まず、此処は何処だ?」

 

「何処って、此処は荊州の新野ですが……」

 

新野か……三国志では劉備が劉表の客将として七年間過ごした地だな。……前にこの世界に来た時は陳留近辺だったから思ったより場所がずれていた。

 

「そうか、なら、此処から一番近い街は何処だ?」

 

「へい、此処から十里(五㎞)、西に向かった所にあります」

 

「では、最後の質問だ。曹孟徳が大陸を平定してから、何年の時が経っている?後、曹孟徳の所在の場所はわかるか?」

 

「三国同盟が始まってから四年経っていて、曹操は三国同盟が出来てから洛陽に居るようです」

 

自分の世界と此方の世界の時間のズレはなし、華琳の居場所もわかった。

 

「なるほどな、知りたい事は聞けた」

 

「で、では!」

 

「あぁ、死んでいいぞ」

 

その言葉と同時に一刀はその男の首も撥ね飛ばす。最初から生かしておくつもりはなかった。どうせ、また、何処かで賊になって一般の民を不幸にするだろう。ならば、此処で殺しておいた方がいい。

 

 

「……爺さん、何がそこそこだよ。滅茶苦茶斬れるじゃねえか」

 

一刀は五人の男の首を撥ね飛ばした刀をそう呟きながら見詰める。血に濡れた刀身は妖しく輝いている様に見えた。

 

一刀は暫くの間、その刀身を眺めた後、血振りを行い、鞘に納める。いつまでも此処に居る訳にはいかなかった。

 

一刀はリュックを再び背負い、最寄りの街へ向かう。貴金属類は持って来ているのだが、食糧は余り持って来ていなく、何より荷物を積める馬が欲しかった。

 

 

 

 

……翌日、前日に街に到着した一刀は洛陽に向かう準備を整えていた。昨日、街で持って来た貴金属類を売り払った事で路銀は潤沢過ぎる位にある。

 

何より、驚いたのが筆記用具が驚く程、高く売れたのだ。特にボールペンとメモ帳が一番人気で、一刀自身、筆と竹簡がメインのこの世界では間違いなく売れると思い、両方、束で用意していたのだが、まさか貴金属よりコスパが良いとは思わなかった。

 

路銀は十分な位にあるのだが、こんな事なら貴金属類を減らしてでも筆記用具を持ち込むべきだったと苦笑いを浮かべながら思う。何か損した気分になるのは、根が小市民だからだろう。

 

街の入り口、予定では食糧と馬だけを買うつもりだったのが、路銀が多過ぎて持ち切れなくなってしまった為に、馬一頭が二頭立ての馬車にチェンジしていた。

 

一刀にとって予定外の出来事であったが、雨風を凌げる分、結果的には良い事だと思う事にする。

 

新野から洛陽まで、およそ、十日の道のり。久しぶりの野営生活になるが、もう少しで彼女達に会えると思うと苦にはならない。一刀は意気揚々と洛陽に出発するのだった。

 

 

新野を出てから数日後、一刀は日課の鍛練の途中、ある事に気付く。始めは違和感だった。だが、注意深くその感覚を探ってわかったのは

 

 

……一刀は気を使える様になっていた。

 

 

何故、急に気が使える様になったのかはわからないが、推測する事は出来た。恐らく、この世界に来たからだろう。ならば、前回来た時に使えなかったのは何故か?それは一刀自身の練度が足りなかったからだと思う。

 

だが、これはあくまで一刀の推測だ。当たっているとは限らない。それでも大きくは間違っているとは思えない。

 

それに気を使えると言っても、凪の様に気弾を飛ばせる訳ではない。色々と試した結果、自分に出来るのは、身体強化と武器に気を纏わせて切れ味と耐久力を上げる二種類の使い方だけ。賊を斬った時も無意識に使っていたのだと思う。そう考えれば、あの時の切れ味も納得出来る。

 

 

身体強化については荒野にある岩を蹴ったら砕けたり、気を脚に集中して走ったら、一瞬で数十mの距離を駆けた時は自分が人間を辞めてしまった気がした。

 

いや、今更かと言う思いもある。今までさんざん、鬼や龍などと呼ばれて来たのだ。自分の手札が増えた事を素直に喜べばいい。

 

 

気を取り直した一刀は再び洛陽に向けて歩みを進める。そして、新野を出てから十日後、とうとう一刀は洛陽にたどり着いた。

 

 

流石に後漢の都にして華琳のお膝元。一刀は反董卓連合で荒れた洛陽しか知らないが、今の洛陽は一刀が旅の途中で寄ったどの街とも比べ物にならない程に賑わっていた。

 

馬車を入り口の兵に預け、洛陽の街中を歩く一刀。その中で気になった事があった

。賑わっているのはいいのだが、何処か民が浮き足立っている。それに本来、街を巡回しているはずの警備隊の姿もない。

 

気になった一刀は近くに居た中年の男に話を聞いてみる。

 

「なぁ、俺は旅の者だが、街がえらく賑わっているな。今日は祭りか何かか?」

 

「おう、兄ちゃん、いい時に来たな!今日は二ヶ月前に結婚した曹操様の俺たちに対するお披露目が城の方であるんだ!目出度い事だからな。街中お祭り騒ぎだ!」

 

男のその言葉で一刀の表情は凍り付く。

 

 

 

 

……イマコノオトコハナンテイッタ?

 

 

 

「……曹操様が……結婚?」

 

「あぁ、何処かの名家の次男坊らしい。地道に功績を挙げて曹操様に婿になる事を認められた様だ」

 

「……そうか。……それは目出度いな」

 

「後、新しい警備隊長の紹介もあるんだとよ。天の御遣い様が天に帰られてから四年、名前と隊長は天の御遣い様のままだったが、これを期に新しい隊長を任命するらしい」

 

「……その隊長の名前は?」

 

一刀はせめて自分の後を継ぐ隊長は凪達の誰かであって欲しかった。だが、その願いは叶わない。

 

「えっと、何て言ったっけな……あぁ、そうだ、朱霊と言う名前だった」

 

……朱霊。一刀はその男の事は良く知っている。警備隊に入隊した時は素質はあるが傲慢な性格で周りと上手くやれなかったが、沙和の下でしごかれた後はすっかり人が変わり、周りや民への気遣いも良く出来る優秀な男となっていた。

 

一刀は朱霊に対し思う所はない。それでも何処かやりきれなさを感じていた。

 

「……色々、教えてくれてありがとな。じゃあ、俺はそろそろ行くよ」

 

一刀は男の返事も聞かないままに駆け出す。客観的に見れば華琳のしている事は正しい。華琳は王だ。後継ぎも必要となる。いつまでも勝手に消えた男を待っている訳にもいかない。警備隊も居ない人間を隊長にして置くのは不都合もあるだろう。

 

だが、北郷一刀個人としては言いたい事はある。華琳にぶつけたい想いもある。今だって叫びたい位に心の中で激情が渦巻いている。

 

それでも……それでも一刀はその全てを飲み込んだ。理不尽なんか元の世界に帰ってから腐る程味わってきた。苦しみも腐る程味わってきた。それが一つ増えるだけだ。

 

自分にそう言い聞かせた時、既に一刀の表情は普段の物に戻っていた。そして一言呟く。

 

「……最後に顔くらい見ていくか」

 

一刀はわかっていた。もはやこの魏に自分の居場所がない事を……

 

そして最後に華琳の顔を見ていくのは、この魏という国、そして華琳という女の子に対する一刀なりの決別の儀式だった。

 

 

 

 

城門前、そこは民が溢れ返っている。一刀はそんな民の中に紛れ、城壁を見上げていた。居ない人間もいるが、そこに並ぶのは魏の重臣達。その姿を見て、一刀はこみ上げてきそうな涙を必死に堪える。四年経った彼女達はかつて面影を残したままに女性らしくなっていた。

 

 

そして、満を持して出てくるのは、二人の男女。一刀はその内の女性、更に美しくなった華琳を見て、堪えていた涙が頬を伝う。自分の知らない男の隣で笑顔の華琳。

 

……満足だった。一刀は華琳の笑顔が見れただけ満足だった。

 

そして(つむ)ぐ。あの時と同じさよならの言葉を……

 

「……さよなら。愛していたよ、華琳」

 

その言葉は民の歓声に紛れ、空へと消えた。




華琳様ファンの方、ごめんなさい。


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貫いた想い

少女はたった今、自分の主君、華琳様から出た言葉に沸き上がる怒りを抑えるので必死だった。

 

「「華琳様!!」」

 

華琳様の言葉に驚きの声を上げる春蘭様、桂花様。他の皆様も、華琳様の言葉に声こそ上げてこそいないが、一様に驚愕の表情を浮かべている。

 

そのお二方の声の後、重苦しい雰囲気の中、静まりかえる玉座の間。そんな中、沈黙を破ったのは、秋蘭様だった。

 

「……華琳様、もう一度、先程の言葉をお聞きしてよろしいでしょうか?」

 

「聞こえなかったのかしら?私は八雲と結婚すると言ったのよ」

 

八雲……それは司馬懿様の真名だ。司馬懿様は後漢有数の名家のご出身で三国同盟のすぐ後に華琳様に仕えて今は魏の華北四州の都督として華琳様の信頼の厚い将軍だった。

 

武は一般兵より少し上くらいの物だが、知では魏が誇る三軍師と比較しても勝るとも劣らず、兵を率いる能力は自分はおろか、霞様も超えて、華琳様にすら匹敵するかもしれない。

 

確かに家柄と能力で言えば、華琳様の相手にふさわしいと思うが、自分にとって問題はそんな事ではないのだ。

 

「華琳!あんた、一刀の事をどないするつもりや!!」

 

そう、今、霞様が言った様に、司馬懿様がどうこうではない。あの方、隊長の事だった。

 

北郷一刀……天の御遣いと言われたあの方に自分は色々なモノをもらった。そしてあの方が天の世界に帰って後、数ヶ月で四年の時が、経とうとしている今になっても自分はあの方をお慕いしている。

 

いや、自分だけではない。今、この場に居る魏の首脳陣の女性の全てが自分とは形は違うかも知れないが、心の中にはいつもあの方の姿がある。

 

華琳様はそんな自分達の中で、誰よりもあの方と深い絆を結んでおられた。それなのに何故?……

 

「……一刀はもう戻って来ないわ」

 

「なんで、そないな事が言えるんや!!」

 

華琳様のその言葉に霞様が激昂する。霞様だけでは自分も声を荒げそうになるのを何とか堪えていた。

 

「一刀が消えて三年と半年が過ぎたわ。霞、いい加減に諦めなさい」

 

 

「イヤや!一刀は絶対に戻ってくる!だって約束したんや、ウチと羅馬に行くって……」

 

「では、いつまで待てばいいの?私は王よ。このまま結婚もしない、後継ぎも生まないなんて私自身が許しても民が許さないのよ。稟、風、例えば今、私に何かあればこの大陸はどうなると思う?」

 

「華琳様、それは……」

 

「この大陸は再び戦乱になるでしょうね~。劉備さんや新しく王になった孫権さんが理性的な判断をしても、従っている人まではそうはいきませんし。特に呉は豪族の集まりの国ですからね~」

 

「霞、これが答えよ。私には王としての責務がある。築いた平和……一刀がその身を賭けて築いた平和を次代に渡す責務が!」

 

「それでもウチは……」

 

「霞だけじゃない。皆にも言っておくわ。一刀の事は諦めなさい。それから凪、真桜、沙和、貴女達を実戦部隊の将軍に任命するわ。今まで臨時でやってもらう事はあったけどこれからはそれに専念してもらう」

 

「「「っ!」」」

 

「北郷一刀は警備隊長を解任。後任は……そうね朱霊に任せるわ。貴女達三人は今居る新兵の調練が終わり次第、将軍に昇格よ」

 

……もう我慢出来なかった。華琳様の結婚自体は自分なんかでは想像出来ない様な苦悩があるのだと思えば何とか納得は出来る。

 

けれど、あの方を諦めろ、あの方の警備隊長の役職を解任するなどと言う行為は自分のあの方への想いをないがしろにした上に自分の……そしてあの方が帰ってきた時の居場所を奪う行為。そんな事は断じて許せる物ではない!

 

だから少女……凪は決然と声を上げる。

 

「お断りします!!自分は北郷警備隊小隊長楽文謙!それは今までも、今も、そしてこれから先も変わる事はありません!!」

 

「……ちょっと凪!あんた、華琳様に何を言ってるかわかってるの?!」

 

「桂花様、無礼なのは重々承知しています。それでも自分の隊長への想いを否定する事は誰にもさせません!……それが例え華琳様でも!」

 

「凪!貴様ぁ!!」

 

怒りの声と共に春蘭様が七星餓狼を構える。……死ぬ覚悟は出来ていた。ここで果てたとしても自分の心を偽る訳にはいかない。この想いは自分の女としての誇りなのだ。

 

「凪!よう言うた!やめぇや、惇ちゃん!凪を斬ろうとするならウチが相手になんで!」

 

そう言って、霞様が自分の前に立つ。

 

「おやめなさい!春蘭!」

 

「しかし華琳様!」

 

「春蘭、私はやめろと言ったのよ。…………凪、私が先程の言葉を撤回しないと言ったら、貴女はどうするつもり?」

 

「その時は、この国に自分の居場所はありません。北郷警備隊小隊長の責任を果たした上でこの国を去ります」

 

「ちょっ!凪!」

 

「それは待つなの!」

 

「すまない、真桜、沙和。だけど自分は引けない。いや、引く訳にはいかない」

 

「……そう、なら、勝手になさい」

 

「……失礼します」

 

最後にそう一声掛けて、凪は玉座の間を下がる。後悔など微塵もなかった。自分は自分の想いを貫き通したのだから。

 

 

 

 

 

 

数ヶ月後、凪は自室で旅の支度をしていた。……自分は今日、この国を出る。

 

あの日から、魏に仕える者の自分に対する態度がよそよそしくなった。態度が変わらなかったのは、真桜、沙和、霞様、風様の四人だけ。

 

そんな環境になってもすぐにこの国を出なかったのは、北郷警備隊が無くなるまで、自分は北郷警備隊小隊長だから。それ以外の理由はない。

 

……そして今日、新隊長のお披露目と共に北郷警備隊は終わる。北郷警備隊小隊長としての自分も終わる。

 

他の皆との別れは昨夜の内に済ませていた。今日、華琳様の結婚のお披露目と警備隊新隊長のお披露目に出なくてはいけないからだ。

 

旅の支度を終えた凪は自室を出て城門へ向かう。民の歓声が間近で聞こえていた。どうやら、華琳様のお披露目がもう少しで終わるらしい。

 

華琳様と司馬懿様が城壁の上から下がる姿が見えた凪は外へ向かう足を速める。あの方以外の隊長のお披露目など見たくはなかった。

 

暫く、その速さで歩き城門を出て、歓声が遠くなった所で凪はようやく歩を緩める。……そして立ち止まった。

 

これから、自分がどうすべきなのかがわからない。魏国を離れる事には未練はないのだが、かと言ってやりたい事もない。

 

立ち尽くして頭を悩ませる凪。その所為か普段ならあり得ないのだが、自分の背後から迫る人の気配に気付かず、その人物と衝突する。

 

「すまない、よそ見をしていた。怪我はないか?」

 

「はい、大丈夫で……」

 

凪はぶつかった相手の姿を見た時、余りの衝撃で息をする事すら忘れる。自分は夢でも見ているのではないだろうか……

 

 

 

 

「たい……ちょう……」

 

「凪!?」

 

「隊長ぉぉ!!」

 

凪はぶつかった相手……自分が慕う隊長、北郷一刀の胸に飛び込む。

 

……そして泣いた。四年前の自分には何も告げられなかった別れの時以上に泣いた。

 

隊長はそんな自分が泣き止むまで、優しく抱き締めてくれた。

 

「凪、落ち着いたか?」

 

「はい、格好の悪い所をお見せしました」

 

「いや、可愛かったけどな」

 

「なっ!……元はと言えば隊長が悪いのです!急に天の世界に帰ってしまったから……」

 

「その事については悪いと思ってる……けど、あの時は、俺にはどうしようも出来なかったんだ」

 

「……華琳様からお聞きしましたから知っています。それでも、せめて、一言くらい欲しかったです」

 

「……すまない」

 

「いえ、もういいです。また、こうしてお会い出来ましたから。……ところで隊長はいつ此方の世界に?」

 

「十日前だ。四年間、再びこの世界に来る事を目指して、死に物狂いで足掻いて、ようやく戻って来れた。そして今日、洛陽に着いた……」

 

「……隊長、もう知っておられるのですね」

 

「あぁ、魏には俺の居場所はないらしい。………で、気になったんだが、凪はどうして一人でこんな所に居るんだ?」

 

隊長の問いに凪は魏であった事を説明する。その話を聞いて隊長は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

……笑いながら泣いていた。

 

 

 

 

 

 

「……凪は馬鹿だなぁ。俺なんかの為に国を、仲間を捨てて、本当に馬鹿だなぁ。……でもそんな馬鹿な凪が一人居るだけで俺はこの世界に戻って…来て…良かっ…た」

 

 

隊長が自分の胸で泣きじゃくる。凪はそんな隊長の頭を撫でながら思う。……隊長は変わった。顔付きは鋭くなり、血の匂いもする。自分の腕の中の隊長は触っただけでわかる程に鍛え抜かれていた。隊長の四年間に何があったのかは、自分にはわからない。

 

 

……それでも隊長は隊長だった。大事な所は何も変わっていない。今も自分がお慕いする隊長。それだけで凪は充分だった。

 

 

そして誓う。二度と隊長と離れはしないと……

 




前回投稿後、作者「この展開はどうやろな?」読者「(恐らく)華琳寝取られ許さん!評価1ポチー」作者「なんでや!(残当)」

いや、まぁ、知ってた(白目)リア友もキレてました(笑)




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愛という名の忠誠

ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた一刀は、何か気不味い物を感じていた。

 

思えば、自分は今まで女性の前で泣いた事がない。一度、この世界から消える事になった時、成都の川のほとりでの華琳の別れの時も泣きはしなかった。

 

そんな自分が一人の女性にすがり付いて大泣きしたのだ。恥ずかしいなんて物じゃない。

 

そうやって意識し始めると落ち着いた心がまた騒がしくなってくる。

 

そんな自分の様子がおかしいのか、凪が微笑みを浮かべながら、一刀を見詰めていた。

 

「……あー、なんて言うか……なんか悪かったな凪」

 

「いえ、自分は隊長のあんな姿は初めて見ましたが、その…可愛いと思ってしまいました」

 

「……さっきの仕返しか?コノヤロー」

 

「そんなつもりはありません。本当にそう思っただけですから。……そう言えば、隊長は少し口調が荒っぽくなられましたね」

 

「悪い。気に触ったか?」

 

「そうではありません。只、自分が知っている隊長との違いに少し違和感を感じただけです」

 

「……凪もそうだと思うが、俺もこの四年の間に色々あったんだよ……」

 

一刀は向こうでの出来事を思い出すと表情が暗くなる。一刀自身、自分の表情の変化に気付いていたが、あの地獄を平静な気持ちで思い出す事は出来なかった。

 

「そうですか……」

 

凪も一刀の表情が変わったのに、気付いたのか、それ以上の事を言って来る事はなかった。

 

二人の間に、少し重い雰囲気が漂う。その空気を打ち消す様に一刀は明るい声で、

 

「まぁ、過去の話だ。今はこの世界に戻って来れたから何とも思ってはいない。こうやって凪とも会えたしな」

 

凪の頭を撫でながらそう告げる。凪も嬉しそうな様子でその手を受け入れていた。

 

暫くの間、凪の頭を撫でた後、一刀はボソッと呟く。

 

「さて、これからどうすっかな……?」

 

「魏に帰る事は無理になりましたから、とりあえず魏の領地を出なくてはいけませんね。……隊長、自分も隊長と……」

 

「当然、凪は俺に着いて来てくれるんだよな?」

 

凪の言葉に被せる様に…一刀自身、答えはわかっているのに、凪にそう尋ねる。

 

一刀のその言葉に凪はこれ以上にない程の笑顔を浮かべつつ頷く。……そして

 

「北郷一刀様。我が名は姓は楽、名は進、字は文謙、真名は凪、この身が朽ち果てるまで…いえ、魂魄だけになったとしても一刀様にお仕えする事を誓います。……もう二度と離れたりはしません」

 

(ひざまつ)いて一刀に愛という名の忠誠を誓う凪。一刀は自分を想い慕う凪のその言葉に表情が嬉しさで崩れてしまいそうになるのを必死で堪え、堂々たる態度で言葉を返す。

 

「凪。お前の誓い。確か受け取った。……だからずっと俺の側にいろ」

 

「はい!」

 

……交わされた誓い。それは永遠の絆。顔を見合わせては笑う。二人にとってこれからが新たな始まりなのだ。

 

「じゃあ、そろそろ行くか」

 

「はい。……ところで隊長、これからどちらに向かうつもりですか?」

 

「まぁ、いくつか候補はあるが、とりあえず魏を出ないと行けないから先ずは南だな」

 

「南と言うと、荊州ですか?」

 

「荊州でもいいんだが、あそこは今は何か騒がしいんだよなぁ」

 

「蜀と呉の領有権の争いですね」

 

そうなのだ、洛陽に向かう途中に街の人間に聞いた所、荊州は蜀と呉がお互いに領有権を主張しているらしい。と言うよりその話自体は戦乱の時からあった話だった。

 

あの時の二国は魏の脅威に対抗する為に手を組んだのが、荊州の事は棚上げにされただけで解決した訳ではない。

 

魏によって大陸平定が成された後は二国は旧領を任されたのだが、荊州の領有権は宙ぶらりんになってしまったのだ。

 

華琳もこの問題を解決しようとはしたが、大陸平定が成された以上、戦で決着をつける訳にもいかず、かと言ってどちらかに肩入れも出来ない。

 

結局、解決出来ないままに、今も外交的なやり方で二国は火花を散らしている状態が続いている。

 

「そういう事。俺個人としては政治ごっこに首を突っ込みたくないから荊州はなしだ」

 

「確かに隊長の事が皆に知られれば、政治利用しようとする者が居るかも知れません。隊長は大陸平定の重要人物ですから」

 

「そういう理由で益州と揚州も除外だ」

 

「となると……」

 

「あぁ、交州に行こうと思ってる。あそこは三国の何処にも属してなく、独立した状態になってるからな」

 

正確には、蜀と呉が狙ってはいるのだが、荊州の事もあるからお互いに牽制している状態で迂闊には手を出せない様だ。

 

「交州ですか。自分も行った事はないです」

 

「僻地に行く事になるが、着いて来てくれるか?」

 

「隊長と一緒ならば、何処へでも」

 

「そっか、ありがとな、凪。……じゃあとりあえずは一番近くの街に行くとするか。今から向かえば、何とか日が落ちる前にはたどり着けるかも知れない」

 

「はい!」

 

「街に着いたらまず鍛治屋に寄らせてくれ。顔を隠す仮面を作ってもらうから。それと名前も変える事にする。北郷一刀という人間は自分で言うのもなんだが有名過ぎる」

 

「確かにそれはそうですね。……新しい名前は決めておられるのですか?」

 

「あぁ、決めている」

 

顔を隠す仮面を使う事を考えた時に浮かんできたその名前。自分は彼ほど美形だとは言えないが名前を借りる事にする。……この世界ではまだ生まれていない男の名前。

 

「姓は高、名は長恭、字は鬼龍、真名は一刀だ」

 

一刀が名乗った名前は蘭陵王と謳われた男の名だった。

 

正確に言えば、長恭は字なのだが、名として使わせてもらう。字は元の世界での敵味方から呼ばれた自分の異名を繋げた。

 

「……高長恭様ですね。……隊長、この名前は何か意味が?」

 

「天の世界に伝わっている英傑の名前だ。この世界なら恐らく後、三百年くらい経てば生まれてくる人物さ」

 

「そうですか。この鬼龍と言う字は?」

 

「それについては今日、街に着いたら宿で説明する。俺がこの世界に戻ってくるまでの四年間をどう生きたのかを俺がこの世界で誰よりも信頼する凪には知っておいてもらいたい」

 

「……はい!」

 

「それじゃあ、凪には俺の真名、一刀を預ける」

 

「謹んでお受け致します」

 

「なんか、姓と名と字、そして真名があると、この世界の住人になった気がするな」

 

「では、この世界で住人になった隊長の真名を預かったのは自分が最初と言う事ですね」

 

「俺はそのつもりで凪に真名を預けたぞ」

 

「……自分はその事を誇りに思います」

 

「正直言って、今日、洛陽から出て凪に会うまでの間、僅かな時間だが、俺は生きる意味を失っていた。それを取り戻させてくれた凪には本当に感謝しているんだ」

 

「……隊長」

 

「だから、これからも宜しくな」

 

「はい!!」

 

「じゃあそろそろ街に向かうぞ」

 

暫く歩いた後、ふと、一刀が空を見る。太陽は西に徐々に落ち始めている。こんなに長話するとは一刀も思ってなかった。

 

「……しくじったな」

 

「隊長、どうかされましたか?」

 

「いや、俺は洛陽まで馬車で来たんだが、洛陽の入り口で預けたまま忘れて来てしまった」

 

あの時、一刀は呆然とした気持ちで洛陽を出てしまい、馬車の事が頭から抜け落ちてしまっていたのだ。

 

幸い、荷物や路銀はリュックの中に入れて自分で持っていたから旅には困らないが……

 

洛陽まで戻って、馬車を取ってくる事も考えたが、一刀は洛陽に戻りたくなかった。恐らく凪もそうだろう。

 

「しょうがない。凪、少し走るぞ。急がないと日が落ちる」

 

「わかりました」

 

凪の返事と共に二人は駆ける。およそ、八刻(二時間)程駆けて二人は何とか日が落ちる前に街にたどり着いた。

 

 

 

 

 

その夜、街に着いた一刀は、まずは鍛治屋に行き、自分が考えた意匠、顔の上半分を隠す黒い鬼の仮面を鍛治屋に伝え仮面を注文する。鬼の意匠にしたのは、今の自分にはそれが相応しいと思ったからだ。

 

その後に宿を取り、駆けて汗だくになった身体を宿の井戸を借りて洗い流し、自室で休息を取っていた。その時、扉の外から凪の声が聞こえてくる。

 

「……隊長、よろしいですか?」

 

「あぁ、入っていいぞ」

 

「失礼します」

 

「とりあえず其処に座って」

 

寝台に腰掛けていた一刀は自分の隣に座る様に勧める。そして凪が座った同時に一刀は話し始める。

 

一刀の口から語られる四年間の正確には三年半の地獄。凪はその話を只、静かに聞いていた。……そして一刀の長い話が終わる。

 

「今までの話がこの世界に戻ってくるまでの俺に味わった地獄だ。……信じるか?」

 

「信じます。隊長が自分に嘘をつくはずがありませんから。……それにしても天の世界での戦はそんなに酷い物なのですか?」

 

「あぁ、こう言っては凪に、いや、大陸に住んでいる者達に失礼かも知れないが、四年前のこの大陸の戦乱でさえ、今の俺から見れば大した物ではない。それほど悲惨な物だった」

 

「……それは、今の隊長の武をもってしてもですか?」

 

「……気付いていたのか?」

 

「はい、普段は抑えておられる様ですが、先ほどの話をしている最中、無意識に凄まじい気を発しておられました」

 

「そうなのか?」

 

「はい、自分は気に対して耐性がありますので、耐えれましたが、普通の民が隊長の気を受ければ、間違いなく気を失います。恐らく隊長の武は自分はおろか、春蘭様や霞様を超えておられるのでは?」

 

「……凪の言う通り、今の俺の強さは春蘭や霞以上だろう。それでも、俺の世界の戦では全く役に立たない事もないが、絶対的な物でもない」

 

「何故ですか?」

 

「俺の世界では、武器の技術が発展していてな。小さな子供が指一本で春蘭や霞でも簡単に殺せる武器があるんだ。そしてそれは俺も例外ではない」

 

そう言って、一刀は上半身の服を脱ぐ。そして服の下から現れた一刀の傷だらけの身体を見た凪は絶句する。

 

一刀は自分の身体に刻み込まれた銃創を指差し

 

「これが、今言った武器で受けた傷だ。この傷を受けた時は何日も生死の境を彷徨(さまよ)った」

 

説明するが、凪は呆然としている。

 

「……悪い。女の子に見せる身体ではなかったな」

 

一刀はそう言って急いで服を着ようとする。

 

「自分は大丈夫です!……その傷は隊長が勇敢に戦った証です!……かつて隊長も自分の傷だらけの身体を見て同じ様な事を言って下さいました。あの時の言葉は今も自分の自信と誇りになっています」

 

凪は手を伸ばして、一刀の身体の傷を優しく撫でる。そして、何を思ったのか、傷痕に口付け、舌を這わせる。

 

「っぁ!凪!?」

 

「自分は隊長の全てを受け入れます。だから一人で傷付かないで下さい。……一刀様」

 

凪の瞳に映るのは深い慈愛。……仕草は四年経って少女から大人になり艶の入り交じった女の色香……

 

 

 

凪のその姿に一刀の理性は……一瞬で焼き切れた。

 

 

 

 

 

 

翌日、一刀が目を覚ますと、凪は既に起きていて、微笑みながら一刀の顔を眺めていた。

 

「凪、おはよう」

 

「隊長、おはようございます」

 

朝の挨拶が終わった後、機嫌が良さそうだった凪はジトッとした目付きで一刀を見詰める。

 

「な、凪、どうしたんだ?」

 

「……隊長、やりすぎです」

 

「な、何が?」

 

「昨夜の事です。……まさか五回も気を失う事になるとは思いませんでした。もう少し自重して下さい」

 

「……すまない」

 

「い、いえ、隊長を責めている訳ではないのです。……求められるのは自分としても光栄で……」

 

「……ごめんな。無理をさせてしまったみたいだな」

 

一刀は顔を赤らめてゴニョゴニョ言っている凪の頭を撫でて謝る。

 

「あ、謝らないで下さい。昨夜の自分の乱れぶりが恥ずかしかっただけで……隊長が望まれるのでしたら何度でも……」

 

「凪、ありがとう」

 

「わかりました!わかりましたから!…………こういう所は以前と変わってない」

 

最後の方は小声で聞き取れなかったが、凪の機嫌が直って一刀は安心する。

 

「隊長、御召し物を着替えるのをお手伝い致します。……その前に身体をお拭きします。汗をかかれている様なので」

 

「わかった。頼む」

 

「はい!」

 

一刀は凪に身体を預ける。そして心の底から幸せそうに自分の世話をする凪を見て、一刀は思う。

 

 

 

 

 

 

 

……これは……責任取らなアカンなぁ……

 

 

 

 

 

 

いや、元より、一刀は凪と離れるつもりはない。でも今の凪の姿を見ていると、そんな縁もゆかりもない関西弁が頭に浮かんだのもまた事実

 

 

 

そうして、二人は一刀の仮面が出来るまでの三日間、その街で休息を取り、南へ旅立つのだった。

 

 

 




作者の心中(あれ?凪ってサブヒロインの予定だった…よな……?)


凪「やったぜ!(ガッツポ)」


大体、こんな感じ


ちなみに一刀の仮面はうたわれるもののハクオロの仮面の黒いバージョンと思って下さい。


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色を喪った世界

大陸を平定してから、五年の月日が流れていた。

 

それは、北郷一刀が消えてから五年経ったという事。この五年、華琳はこの大陸をより良い形に導いていこうと己の才覚の全てを振るい邁進してきた。

 

だが、五年の月日をかけても、華琳の天下の王としての道はまだ半ばにも達していない。

 

今も、華琳の前では文武百官が次々と各地の報告を挙げて来ていた。目の前に積まれた竹簡。華琳はその中身を眺めながら、その内容を補足する様な臣下の説明に耳を傾ける。

 

その内容を確認すればする程、持病の頭痛が酷くなっていく。

 

戦乱が終わって五年の時が経つのに、復興の目処が立たないのだ。……いや、戦乱の時よりは確かに良くはなっている。それでも、華琳が考えていたより、復興の速度が遅い。

 

今も各地では飢えている民は居るし、賊も数こそは減っていってはいるが、それでもまだまだ存在する。

 

大陸を平定する為に覇道を突き進んでいた頃は大陸を治めるのが、ここまで難しい物だとは思っていなかった。

 

覇道を突き進んでいた時も、華琳は領地を治めていた。大陸を平定した今も蜀は桃香に呉は雪蓮、いや、今は蓮華に任せているから、治める領地の広さは変わっていない。それなのに、何故、こんなにも苦労するのか?答えはわかっていた。

 

 

 

 

……敵が居ないからだ。

 

 

 

共通の敵が居る事で人間は初めてお互いに協力し合う事が出来る。蜀や呉が敵であった頃は皆が一丸となって、魏の天下を目指していた。

 

それが、今はどうだ?戦乱の時に比べ、領内では些細とは言え争いが多発している。そういう問題は平和になった世に馴染めない者達が引き起こしているのだ。

 

幸い、死人は出てないが、それでも問題の解決の為に人もお金も使わざるを得ない。そして、解決しても、また同じ様な問題を引き起こす輩が現れる。

 

華琳もこの手の問題の対処にウンザリする気持ちはあったが、それでも華琳が抱える問題の中では、まだマシな方だった。

 

本当に問題なのは、逆に平和を謳歌している大多数の者達だ。平和を謳歌するのはいい。だが、今の現状は少し行き過ぎだった。

 

確かに大陸内では、明確な敵は居なくなったと見ていい。しかし、この国には五湖の脅威がある。

 

ここ数年は辺境での小競り合いだけで済んでいるが、いつ本格的に此方に牙を剥いてくるかわからない。

 

そういう情勢であるにも関わらず、五湖と接する場所以外の者はまるで他人事の様なのだ。

 

華琳が昔、一刀から聞いた平和ボケと言う言葉は現状に当てはまるだろう。……不味いのが、その平和ボケが華琳の直属の臣下にまで広がっている事だ。

 

皆、華琳自身が見込んだ優秀な者達。普段の任務は過不足なくこなしてはいる。しかし、覇気が欠けているのだ。華琳もその事には気付いていた。何故なら

 

 

 

 

 

……華琳自身も同じだから……

 

 

 

 

何故、華琳はこの数年、常に全力で駆け抜けてきたのか?それは自分や民の為だけではない。一刀が去った後、己の心の中で誓った一刀との約束。それを果たす為。

 

一刀が戻って来た時に彼により良い大陸を見せたい。それだけの為に華琳はこの時を生きていた。

 

それでも、思い出すのは昔の事。自分がもっとも輝いていた日々。勿論、また戦乱の世が来て欲しい訳ではない。

 

只、あの輝ける時を取り戻したかった。……一刀が居た(とき)を……

 

一刀が居たから自分は輝いていたのだろう。昔の自分ならそんな事は認めはしない。数年の時が経った今だからこそ、その事実を華琳は認められた。

 

だからこそ、華琳は一刀を待つ事にした。いつ、彼が帰って来てもいい様に、彼の警備隊をそのままの体制で置いておくのもその一つだ。

 

だが、一刀が消えてから、三年を過ぎた頃……

 

自分や臣下がかつての覇気を失っていっているのがわかった頃、華琳の頭にある疑問が過る。

 

 

 

 

 

 

 

……一体、いつまで待てばいいのだろうか?そもそも、待てば彼は帰ってくるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

今までは考えなかった疑問……いや、考えない様にしていた疑問。そしてそれを考えてしまった時から、華琳の心はじわりじわりと恐怖に侵されていく。

 

 

もう一刀は帰ってこないのでは……?

 

 

帰って来るかもわからない一刀を待つ日々は華琳にとって、苦痛と恐怖の日々になっていた。

 

 

 

 

そんな時だった。朝廷を通して帝から自分の結婚の話が舞い込んで来たのだ。

 

相手は自分も良く知っている人物。司馬懿仲達、真名は八雲。今は自分の臣下になっている男だった。

 

能力は素晴らしく、人柄も悪くない。戦乱の時は病で仕官出来なかった様だが、戦後は自分の懐刀と言っていい程の働きを見せていた。

 

 

華琳はその話を受ける事にした。別に八雲を男として好いている訳ではない。今の現状を打破したいが為の決断……

 

 

北郷一刀を忘れるという決断だった。

 

 

華琳はその決断を自分の臣下に告げる。北郷警備隊の隊長の解任、北郷一刀の事を忘れろとの命令も添えて。

 

華琳の言葉は凪と霞から猛反発を食らう。そして結果は凪は魏から離脱し、霞は魏から離れはしなかったが、自らの意志で合肥に赴任して行った。

 

二人に対する怒りはなかった。むしろ羨ましさを感じていた。

 

あの二人は一刀が帰って来る事を、疑いもせずに待ち続けている。そのひたむきが華琳には眩しかった。

 

霞に語った結婚の理由は全くの嘘ではない。けれど本当の事でもない。本当の理由が一刀を待ち続けるのが怖くなったなんて誰にも言える事ではなかった。

 

自分はいつからこれほど弱くなったのだろう……?

 

 

いや、答えはわかっていた。……あの別れの時からだ。

 

一刀は色々なモノを華琳にくれたが、その中には弱さというモノも入っていた。あの別れは華琳の心に今も深い傷痕を残している。

 

 

そんな騒動から一年、華琳の結婚生活自体はそれなりに上手くはいっていた。

 

八雲は華北の都督という任務があるから、頻繁に一緒に居る訳ではない、それでも夫婦なのだ、肌を合わせる事もある。

 

 

八雲との初夜の時、桂花は声を荒げていたが、華琳は覚悟は出来ていた。そして寝室に赴き八雲に抱かれる。

 

抱かれている間、華琳の頭の中にはずっと一刀の顔があった。

 

事が終わって、八雲が自室に戻った後、華琳は泣いた。

 

自分以外の誰かとそういう関係になるのは、一刀も一緒だったが、自分と一刀には決定的な違いがある。

 

一刀の場合は華琳自身が許可を出した。自分の管理下で自分が一番であるという条件を付けて。

 

だが、華琳の場合は違う。一刀の居ない所で勝手に八雲とそういう関係になった。……結婚という契りを結んだ上で。

 

その事で沸き上がる罪悪感で涙を堪えきれなくなったのだ。その夜、華琳は明け方まで泣いていた。

 

それでも、何度か肌を合わせる中で華琳も今の状態に慣れていく。罪悪感はあるが、その罪悪感に慣れるのだ。

 

八雲自体は悪い男ではなく、むしろ良い男と言える。後は自分次第なのだ。自分次第で結婚生活はもっと良い物になっていく。華琳はそう考えていた。

 

 

 

 

「……様!…琳様!」

 

その声で華琳の意識は現実へ戻る。

 

「どうしたの?春蘭」

 

「いや、何やら、心ここにあらずなご様子だったので」

 

「あら、春蘭、良く心ここにあらずなんて言葉を知っていたわね?」

 

「か、華琳様!」

 

「華琳様、余り、姉者をからかわないで頂けますか。後が大変なので……」

 

「無理に難しい言葉を使おうとする春蘭が可愛かっただけよ。からかうつもりはないわ」

 

「それならば良いのですが……そう言えば華琳様。荊州の商人が珍しい物を手に入れたそうで、華琳様に献上したいと申しております。息抜きに如何でしょうか?」

 

「……そうね。ついでに今、城に居る子達も集めなさい」

 

「わかりました」

 

返事をして秋蘭が玉座の間を出て行く。

 

 

 

 

暫くの時間が経った後、玉座の間には、華琳、春蘭、秋蘭、風、稟、真桜、そして商人が集まっていた。それを確認した華琳は商人に向かって話し掛ける。

 

「それで商人、私に献上したいという珍しい物とは?」

 

「曹操様、此方の品になります」

 

商人から見せられた二つの物は華琳にとって、見覚えがない物。

 

「商人、これは?」

 

「はい、此方の筒状の物はボールペンと申しまして筆よりも細い字を書ける代物です。もう一つはメモ帳と申しまして忘れたくない用事などをこのボールペンを使って書き留めておく物でございます」

 

 

 

メモ帳……その言葉が出たと同時に春蘭と秋蘭の視線が一斉に華琳に向かう。華琳も心の中の動揺を抑えながら商人に尋ねる。

 

「商人、貴方はこの二つの物をいつ、誰から手に入れたの?」

 

「この二つを手に入れたのは、一年前程で売ってくれたのは若い男性の方でした。……そう言えばその男性は洛陽に行くと言っておりました」

 

商人の言葉を聞いた華琳の身体は……心も震えていた。……一刀が帰って来ている?いや、まだそうと決まった訳ではない。そう思い、華琳が更に質問を投げ掛けようとした瞬間……

 

「なぁ、商人さん、そのボールペンっちゅうのは、もしかして青色や赤色で字が書けたりするんちゃうか?」

 

その質問をしたのは、真桜だった。

 

「はい、その通りで御座います」

 

「……そうかぁ、帰って来たんやなぁ、隊長」

 

そう、一言洩らした後、真桜の瞳から雫が零れ落ちる。

 

「一刀殿が戻って来ている……」

 

「稟ちゃん、ちょっと待って下さい。華琳様~風は華琳様にお願いがあるのですよ~」

 

華琳は震える身体や心を抑え、風の話を聞く。

 

「……風、お願いとは何かしら?」

 

「風をそろそろ隠居させて欲しいのですよ~」

 

「っ!風!」

 

「風、それは……」

 

「勿論、ただとは言わないのですよ~華琳様が今、考えてる事の答えを風が教えてあげます」

 

「私の考えている事とは?」

 

「本当にお兄さんが帰って来ているのか?帰って来ているなら何故、魏に戻らないのか?この二つですね~」

 

「……風、貴女は知っているの?知っているなら答えなさい!」

 

「ですから、風の隠居を認めてもらえるならお答えしましょう」

 

「…………わかったわ」

 

苦渋の決断だった。風の能力は魏には欠かせない物。しかし、例え、風の提案を断ったとしても、恐らく風は勝手に魏を抜け出すだろう。

 

「それではお答えしますね~その前に親衛隊の王忠さんを此処に呼んでもらっていいですか~」

 

「……王忠を何故、此処に呼ぶの?」

 

「必要だからですよ~」

 

「わかったわ。秋蘭」

 

「はっ!」

 

暫くして秋蘭と共に現れた一人の男。男は緊張で足が震えていた。

 

「風、貴女の言う通り、王忠を呼んだわよ」

 

「では、王忠さん、一年前に風に教えてくれた事を此処で話してもらえますか~」

 

「一年前の事と言いますと、楽進様の事ですね?」

 

「はい~」

 

「風、ちょっと待ちなさい!何故、今、凪の話が出て来るの!?」

 

「華琳様~それは王忠さんの話を聞いてから判断して下さい。それでは王忠さんお願いします~」

 

「は、はい、自分は一年前、曹操様の結婚のお披露目と新しい警備隊長のお披露目の日、洛陽郊外の巡視の任務についていました。その時、楽進様が洛陽から出るのを目撃しました。自分も楽進様が魏を出る事は聞いておりましたから、黙って見送っておりました所、楽進様が一人の男性とぶつかり、急にその男性に抱き付き泣き始めたのです。男性の方はフードを被っておられたので、はっきりとはわかりませんでしたが、自分の見間違えでなければ恐らく……北郷前警備隊長だったと思います」

 

王忠の言葉に沈黙が玉座の間を支配する。そんな中、一番早く声を上げたのは稟だった。

 

「王忠、貴方は何故、今までその事を報告しなかったのですか?」

 

「そ、それは……」

 

王忠がチラリと風に視線を送る。

 

「それはですね~風が口止めしたからですよ~」

 

「風、貴女は!」

 

「おやめなさい!稟!」

 

激昂する稟を止めたのは、華琳だった。

 

「風、何故、そんな事を?」

 

「逆に聞きますが、華琳様は一年前にお兄さんの事を知っていたらどうするつもりだったんですか?」

 

「そ、それは一刀を魏に戻して……」

 

「魏に戻して、御自分が他の男性と結婚している姿を見せるんですね~」

 

「なっ!」

 

「風、言葉が過ぎるぞ!」

 

「秋蘭さん、王忠さんの話を聞いていましたか?あの日、お兄さんは洛陽に居たんですよ~という事はお兄さんは全てを知っている事になりますね~」

 

「……」

 

「そして、全てを知ったお兄さんならこう考えると風は思います。魏にはもはや自分の居場所はないと」

 

風の言葉が華琳の心を刺し(えぐ)る。華琳の顔色は真っ青になっていた。

 

「凪ちゃんは羨ましいですね~でも納得は出来ます。凪ちゃんの純粋でひたむきな想いを神様は見ていたのでしょう。だから一番最初にお兄さんと出会う事が出来たのだと風は思っています」

 

誰も何も言えなかった。風が言っている事が正しいとわかっている故に、華琳自身も頭の中が真っ白になっている。

 

「風は決めていた事があるのですよ~……五年前、結局風達は苦しみを全てお兄さんに押し付けてしまいました。もし、お兄さんが戻って来たなら今度はお兄さんの為に尽くすと……だから風はこの国を出てお兄さんの所へ行きます」

 

「風!貴女、一刀が今何処に居るか知っているの!?」

 

「知っていますよ~その為に王忠さんの口止めをして、風は自分でお兄さんの行方を探していましたから~」

 

「一刀は何処に居るの!?」

 

「今の華琳様にお兄さんの事を聞く資格はないですね~だって華琳様は逃げたんですから」

 

「私が逃げたですって!」

 

「一年前に語った結婚の理由。あの様な綺麗事に風は騙されないのですよ~」

 

風の言葉に華琳は絶句する。……自分の心が見抜かれていた!

 

「それでは風はこの辺りで失礼させてもらいます。稟ちゃん、鼻血はあんまり出さない様にして下さいね~風はもうトントン出来ませんから~」

 

「風、貴女って人は……」

 

「真桜ちゃん、沙和ちゃん達にお兄さんの事を教えてあげて下さい。霞ちゃんには風から手紙を送っておきましたから」

 

「……ウチに任しとき、沙和やチビッ子二人、三姉妹には伝えておくわ」

 

「じゃあ風は行きますね~」

 

去って行く風の姿を呆然と見送っていた華琳は突然、強烈な頭痛に襲われる。痛みは一瞬だったが、その痛みで目を閉じた華琳が再び目を開けた時、自分の目から見える世界が変わってしまった様に感じた。実際には何も変わってはいない。それでも華琳の目から見える世界は

 

 

 

 

 

 

 

……色を喪っていた。



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女の為の厄介事

交州へ向かう旅の途中、一刀と凪は山道を歩いていた。本来、この山道は通る予定のない道。それなのに二人がこの道を歩いている理由は前日に遡る。

 

 

 

二人の旅は順調だった。一刀が荊州で荒稼ぎした路銀もあってか、野営もほとんどする事もなく、旅と言うより大陸観光って言っても良いくらいに快適な旅だった。

 

一刀が荊州で稼いだお金は自分と凪、二人が生活するだけなら二十年は保つ金額。それに一刀には元の世界から持って来た切り札がある。

 

お金に余裕もある事によって、宿に泊まる度に、夜にモジモジしながら一刀の部屋を訪れる凪の姿を見ると、頬が緩むと同時に交州に着いたら、凪と結婚して、子供を作って、のんびり農業でもしようかなと、本気で考え始めていた。

 

因みに宿代がもったいないので、四度目から一部屋しか取らなくなったのは余談だ。

 

そんな豊富な資金を生かした快適な旅の最中、二人はある村に立ち寄る事になる。

 

……その村は貧しかった。村人は布きれとあまり変わらない服を着て、痩せ細っている。

 

一刀は気の毒だと思うが、自分には関係のない事と割り切り、さっさと村を発とうと考えていた時、隣から視線を感じる。

 

 

 

 

……凪が期待の視線で一刀を見ていた。

 

 

 

 

一刀は関わりたくはなかった。心底関わるのは嫌だった。だって自分には関係ないから。

 

 

 

……でもそれ以上に凪の期待を裏切るのは無理だった。

 

 

 

一刀は心の中で大きなため息を吐きつつ、持っていた食料を村人に分け与えた上で、近くの森で野鳥をレオナルドから教わった礫で仕留めてそれも村人に分け与える。

 

村人は一刀の鬼の面に驚いていたが、渡される食料を見て、涙ながらに感謝の言葉を一刀達に送っていた。そんな一刀達の姿を見ていた村長が一刀達を自分の家に招こうとする。

 

一刀は断って早く村を発ちたかった。厄介事の匂いしかしない。自分が死地で磨き上げた先読みがガンガン警鐘を鳴らしている。

 

 

しかし、隣を見ると、凪の期待の視線。

 

 

 

 

一刀、六刻(一時間半)ぶり、本日、二度目の大きなため息だった。

 

 

 

家に入った一刀達に村長は頭を下げて礼を述べる。

 

「お二方のおかげで村人が久しぶりに満足に食事を取る事が出来ました。心よりお礼を申し上げます」

 

「気にしなくていい。俺達も偶々、食料に余裕があっただけだからな。それじゃ、俺達はこの辺で……」

 

「村長、どうしてこの村はこんなにも困窮しているのですか?」

 

 

……凪ぃぃ!

 

 

「それは……暫く前から近くの山で五十人ほどの賊が住み着きまして。抵抗しなければ命は取られないのですが、食料やお金を奪われるのです」

 

「官軍は賊退治には来てくれないのですか?」

 

「……凪、此処が何処か忘れたのか?」

 

「……あっ!」

 

そう、今居る所は荊州の外れ、領有権争いをしている土地で勝手に軍を動かせるはずがない。

 

「申し訳ありません!」

 

「いえ、気にしてはおりません。仕方のない事ですから……」

 

「では、賊は野放しなので?」

 

「たまに、旅の武芸者が賊退治を引き受けてくれるのですが、意気揚々と向かっては討ち取られるか、逃げ帰ってくる有り様で……どうやら賊の頭目の腕が立つ様なのです」

 

村長が諦め切った顔で事情を話し終える。しかし、その顔から何か胡散臭さが漂っているのを一刀は見逃さなかった。

 

「……隊長」

 

凪から向けられるのは、本日、三度目の期待と懇願の視線。

 

 

……本心を言えば、面倒くさかった。自分はヒーローじゃない。昔の自分なら助けられる人は自分の安全マージンを取った上で助けようとしただろう。

 

けれど、今の自分は違う。無関係の人間がどうなろうと知った事ではなかった。

 

これが、例えば、凪やラキの為なら命を賭けて、いや、自分の命くらいくれてやっても良かった。二人は自分にとって自分自身より大事だからだ。

 

一刀は心中で二刻(三十分)ぶり、本日、三度目の大きなため息を吐く。……そろそろ幸せが逃げそうだった。

 

 

やるしかない。自分にとって、凪に失望の目で見られる事は死んだ方がマシな苦痛だからだ。

 

「その賊退治、俺達が引き受けよう」

 

一刀がそう言った瞬間、凪の視線が喜色と尊敬の眼差しに変わる。……一刀も男だ。自分の女に格好良いと思われたかった。

 

「よろしいのですか!?」

 

「村長、俺を見くびるなよ。最初からそのつもりだったろうが」

 

一刀の言葉で村長の表情が驚愕の物に変わる。

 

「えっ、そうなのですか?」

 

「凪、お前はもっと人を見る様にした方がいい。愚直さはお前の良い所だが、それ故に人に利用されやすい。まぁ、俺が近くに居る限り、致命的な失敗はさせないがな」

 

「……はい」

 

「村長、俺が賊退治に行くのは、お前達の為じゃない。俺の女がそれを望むからやるだけだ。それから、俺は人に利用されるのが嫌いだ。恐らく、二度と会う事はないだろうが、次は許さん!」

 

一刀が軽く気を放ってそう脅しつけると、村長は壊れた人形の様に首を上下に何度も振る。

 

「凪、行くぞ」

 

「はい!」

 

村長の家を出た二人は、村の近くで野営の準備を始めるのだが、凪の様子がおかしい。ずっとうつ向いたまま、何かを言っているのだ。

 

一刀が耳をすませると聞こえてきたのは

 

「俺の女。俺の女。俺の女……」

 

「凪?」

 

「は、はい!」

 

「どうした?」

 

「いや、その、隊長が自分の事を俺の女と言ってくれた事が嬉しくて……その……」

 

「何言ってるんだ?凪は俺の女だろう?」

 

「……隊長ぉぉぉ!」

 

そう言って心底嬉しそうに一刀に抱き付く凪。一刀はそんな凪を優しく受け止めて、やっぱりコイツは可愛いなと一人、悦に入るのだった。

 

 

そして冒頭……

 

二人は賊を退治する為に山道を登る。今の所、何事もなく、一見平和に見える様子。しかし、凪は気付いていないが、一刀は気付いていた。

 

 

山道を入ってからすぐに、自分達が見張られている事を……

 

「凪、見張られているぞ」

 

「隊長、本当ですか?」

 

「あぁ、前方に五人、左右に三人、後方に四人かな。どうやら俺達を逃がすつもりはないらしい」

 

一刀の言葉に凪が構えをとる。

 

「凪、心配しなくていい。すぐに終わる。と言うよりもう終わっていると言った方が正しいか……お前達!そろそろ出て来たらどうだ?」

 

一刀の言葉に賊達がぞろぞろ出て来る。

 

「俺達に気付くとは、中々やるじゃねえか。俺達は華賊団!死にたく」

 

「……死ね」

 

一刀は周囲にあらかじめ張り巡らしておいたワイヤーに気を流し込む。そして軽く左手を引くと……

 

瞬く間に、あらゆる所が切断された十四の肉塊が出来上がる。

 

「なかったら……えっ?」

 

話していた賊の男はあまりの事に呆然としている。

 

「後はお前だけだな。お前はどうやって死にたい?」

 

一刀のその言葉でようやく、男は自分の状況を把握した様だ。

 

「ひっ!たす、助けてくれ!」

 

「お前には二つの選択肢がある。此処で死ぬか、他の仲間の居場所を俺に言って此処から逃げるか。……さぁ、どっちにする?」

 

「話す!話すから助けてくれ!」

 

「俺は素直な人間が好きだ。お前が正直に全てを話してくれる事を願うよ。……嘘なんて吐かれたら悲しくてお前の指を一本づつ落とさなくてはいけなくなってしまう」

 

「わかった!嘘なんて吐かない!」

 

「それじゃあ、質問だ。お前達の本拠地は何処だ?」

 

「この山の山頂付近の裏手に洞穴がある。そこが俺達の本拠地だ」

 

どうやら、嘘ではなさそうだ。

 

「では、お前達の本拠地には後、どれくらいの人数が残っている?」

 

「三十人ほどだ。嘘じゃない!」

 

確かにこれも嘘ではなさそうだ。村長の話とも一致する。

 

「最後の質問だ。お前達の頭目はどの様な人間だ?」

 

「……髭面の大男だ」

 

……ダウト

 

一刀はサバイバルナイフで男の左手の小指を切り飛ばす。

 

「ぎゃあぁぁぁぁ!俺の指がぁぁ!」

 

「嘘はいけないって言ったじゃないか。……もう一度聞くよ。お前達の頭目はどの様な人間だ?」

 

「お、女だ!銀髪の大きな斧を持った女!」

 

「名前は?」

 

「し、知らない。俺達は(あね)さんと呼んでいる。噂では昔は何処かの国の武将だったらしい」

 

「ふむ、どうやら嘘は吐いてない様だな。わかった。行っていいぞ」

 

一刀の言葉に男は慌てて駆け出す。

 

「あぁ、そっちには」

 

「ぎゃ!!」

 

「ワイヤーが張ってあると言うのが遅かったかな」

 

十五m先で死んだ男の亡骸を一瞥してそう呟く。……初めから生かして帰すつもりはなかった。俺達の事を仲間に知らされては困る。

 

「……隊長」

 

「これが鬼と呼ばれていた由縁だ。凪、俺に失望したか?」

 

一刀の言葉に凪は穏やかな笑みを浮かべ

 

「自分は隊長の全てを受け入れると言いました。それに隊長がやりたくてやっている訳ではないと理解しています」

 

「凪、ありがとう」

 

……本当に良い女だった。自分にはもったいない程に。

 

「……ところで凪、頭目の女の特徴に覚えはないか?俺は頭の隅で引っ掛かる物があるんだが……」

 

「隊長もですか?自分も何か覚えがある様な気がするんです」

 

二人は頭を悩ませるが、どうにもピンと来ない。

 

「とりあえず、此処で悩んでいても時間の無駄だ。賊の本拠地に向かうぞ」

 

「わかりました」

 

そう言って二人は賊の本拠地に歩を進めるのだった。




思ったより長くなりそうなので二話に分けます。


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心に流し込む甘い毒

反省はしてません。


賊の男の尋問を終えた一刀達は、四刻(一時間)後、賊の男の言っていた洞穴付近に到着していた。

 

近くの草むらに潜んで、洞穴の方向を観察するが、入り口付近に人影はない。

 

偵察に行かないといけないと考えた一刀は凪に声を掛けた。

 

「凪、ちょっと此処で待っていてくれ。俺は洞穴の偵察に行ってくる」

 

「隊長、危険です!」

 

「心配するな。偵察、潜入に関しては俺はプロフェッショナルだ」

 

その二つの後に拷問と暗殺も付くのだが、それは言わなかった。

 

「ぷろふぇ?」

 

「専門家と言う意味だ。何かあれば大声を出せ。じゃあ、ちょっと行って来る」

 

一刀はそう言うと同時に気配を消しながら、洞穴に接近する。久しぶりの潜入だった。元の世界での潜入に比べれば、赤外線センサーやレーダー、爆破トラップがない分、難易度的には容易いと言わざるを得ない。

 

それでも油断はしていなかった。一瞬の油断で死んだ戦友を一刀はウンザリする位見てきている。洞穴に近付けば近付く程、一刀の感覚は研ぎ澄まされていた。

 

 

……先読み。

 

 

洞穴の入り口内部に二人、一刀は素早くその二人の頸動脈をサバイバルナイフで掻っ切り、命を刈り取った。

 

その時、奥の通路から誰かが近付いてくるのを一刀の感覚と予測が読み取る。

 

人数は恐らく四人。一刀はベストから投げナイフを四本抜き出し、立て続けに投擲する。

 

「ぎゃ!」

 

短い悲鳴。男達が死んだと判断した一刀はその亡骸に近付く。ナイフは男達の急所に的確に突き立っていた。

 

一刀は投げナイフを回収しながら自嘲気味に呟く。

 

「やってしまったな……」

 

本来なら入り口の二人を片付けた後は、死体を隠して偵察するつもりだった。

 

だが、流石に六人も死ねば騒ぎになるだろう。此処に来るまでに殺した十五人の事もある。

 

「……仕方ないな」

 

その一言は一刀の目的が偵察から殲滅に変わる合図だった。

 

一刀は駆ける。

 

 

 

 

 

 

……(はや)く、深く、静かに、そして的確に賊の命を刈り取っていく。

 

 

 

殺した賊の数が二十の半ばに達した頃、一刀は洞穴の最奥、少し拓けた広間に到着した。中の様子を伺うと、男が三人と女が一人。この女が頭目だろう。明らかに今までの賊とは比べ物にならない立ち振舞いだった。

 

……それと、何処かで見覚えがあった。

 

一刀は少し考え、投げナイフを男達に投擲する。女に投げなかったのは、自分の既視感が何なのかを知りたかったからだ。

 

 

倒れる男達を見て、女が此方に声を上げる。

 

「誰だ!」

 

「お前達を始末しに来た者だ」

 

そう言って、一刀は女の前に姿を現す。

 

「鬼の面とは奇妙な……だが、此処まで来たのだ、腕は立つのだろうな」

 

「後はお前だけだ」

 

「……私に勝つつもりか?面白い!我が名は華雄!我が武をもってお前を叩き潰してくれる!」

 

華雄……その名前を聞いて一刀の頭の中の線が繋がった。反董卓連合で見ていたのだ。

 

そして一刀は華雄に挑発する様に言い放つ。

 

「あぁ、董卓軍の猪か。仮にも将軍だった人間が賊になっているとはな。お前の亡き主が見たらどう思うだろうな?」

 

「だ、黙れぇ!」

 

華雄は一刀の挑発に激昂し、突っ込んで来る。どうやら、血が昇り安い所は変わっていない様だ。

 

だが、一刀は見逃さなかった。一刀が挑発した時に華雄に浮かんだ感情。……後悔と自己嫌悪と言う感情を。

 

向かってくる華雄に一刀も刀を抜いて迎え打つ。

 

何合か打ち合った頃、華雄が一刀に話し掛ける。

 

「貴様、やるな!」

 

そんな華雄に一刀は口元に薄い笑みを浮かべつつ、冷ややかに返す。

 

「お前は大した事ないな」

 

「何だと!」

 

「俺の知っている強者に比べれば明らかに格が落ちる」

 

「言わせておけば!」

 

一刀の言葉に華雄の攻撃が更に激しくなる。その攻撃を受けながら一刀は思う。

 

凪よりは強いが、春蘭、霞よりは下。大体予想通りだった。才能はある。恐らく自分よりも……

 

けれど攻撃が雑で素直過ぎる。凪より強いが一刀としては凪の方が戦い辛い。と言うより、このタイプの敵は一刀にとって先読みが利きやすいからカモだった。

 

「そろそろ終わらせていいか?」

 

一刀は華雄と間合いを取って尋ねる。

 

「何っ!」

 

「まぁ、答えは聞くつもりはないがな!」

 

一刀は華雄に向かって駆ける。華雄の大斧の構えは下段。そこから繰り出される華雄の攻撃を予測。

 

九割の確率で自分の左下半身から右上半身を切り裂く切り上げ……

 

一刀の予測通り、華雄の攻撃は切り上げ。一刀は鉄の鞘でその攻撃を受け流しながらその反動を利用して、その場で側宙。側宙しながら華雄の肩口に蹴りを叩き込む。着地後、蹴りで怯んだ華雄を追撃。左手の鞘で大斧を叩き落として、刀を華雄の首筋に突き付ける。

 

「俺の勝ちだな」

 

「くっ、殺せ」

 

まさかのくっころ発言に一刀は思わず吹き出しそうになる。

 

実際、殺すのは簡単だった。だが、何故、それをしなかったのか。

 

 

……もったいないと思ってしまったからだ。今の華雄は自分の才能を腐らせている。

 

それだけなら一刀は華雄を斬っただろう。斬らなかったのは華雄の目だ。深く沈んだ目をしているが、腐ってはいない。やり直せる可能性があった。

 

只、この手の人間は正面から説き伏せても逆効果になる可能性が高い。自分という自己が確立しているからだ。

 

だったらその自己を壊せばいい。一刀は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……此処に凪が居なくて良かったと。

 

 

 

 

 

 

 

「お前は何言ってるんだ。勝ったのは俺だ。お前をどうするかは勝った俺が決める事だ」

 

「私を犯すか……好きにすればいい」

 

「それも魅力的だが、それより俺と話をしないか?」

 

「話だと?」

 

「あぁ、華雄、お前はどうして賊なんかになったんだ?」

 

「……反董卓連合の時、私の失敗で戦は負け、董卓様は亡くなられた。あの方が亡くなったと聞いた時、私はこれからどうすれば良いのか分からなくなった。あの方は私の全てだったのだ」

 

「それで流れ流れて賊の頭目か。……流石は猪、無様だな!」

 

「何だと!」

 

「猪に猪と言って何が悪い」

 

「私は猪ではない!」

 

一刀の声音が優しい物に変わる。

 

「あぁ、君は猪じゃない」

 

「えっ!?」

 

「君に猪なんて言ったら」

 

一刀の声音がまた変わる。

 

 

 

 

 

 

 

「……猪に失礼じゃないか」

 

「なっ!?」

 

一刀は口元に酷薄な笑みを浮かべ

 

「猪はまだ人間の食料として役に立つ。だけどお前は違う。何の役にも立たない。まさに役立たずだな」

 

「違う!違う!違う!私は役立たずではない!」

 

「あぁ、そうだ。お前は役立たずではない。役立たずは役に立たないだけで済む。しいて言うならお前は足手まといだな。反董卓連合で致命的な失敗をしたお前に当てはまるじゃないか!」

 

「私は……」

 

「お前の様な奴の為に死んだ董卓が不憫だよ」

 

「私は……私は……」

 

「お前と共に戦った呂布は天下の飛将軍として名を残し、張遼も魏の将軍として押しも押されぬ名声を手にいれた。それに比べてお前はどうだ?」

 

「……」

 

「お前は賊の頭目として悪名が、いや、こんな小さな賊、悪名すら残らない。お前は誰からも認めてもらえず、誰からも忘れ去られる。そんな人生を送るお前は始めからこの大陸に居ない様な物だ」

 

「……私は死ねばいいのだな……」

 

隠し持っていた短剣で自害しようとする華雄。一刀はその短剣を叩き落とし、仮面を外して、包み込む様な優しさで華雄を抱き締める。

 

「でも俺は違う」

 

「えっ!?」

 

「俺は君を認める。誰も認めなくても、俺は、俺だけは君の全てを認め受け入れる。君は努力したんだろう。今、俺の腕の中に居る君の身体は長い年月、研鑽積んだ事がはっきりと分かる」

 

「わ、私は……私は今まで、厳しい鍛練を積んで来たんだ!だが、武では呂布に勝てず、兵を率いても張遼に勝てない……皆が猪だと言って私を認めてくれない……」

 

「わかっている。君は今まで頑張って来たんだな」

 

「……唯一、私を認めてくれた董卓様も、私に着いて来てくれた兵も私の性で……」

 

今まで堪えていた物が堪え切れなくなったのか、華雄の瞳から滂沱の涙が流れる。

 

「ずっと後悔していたんだな。苦しかったな、辛かったな」

 

「私は……私は!」

 

「もう心配しなくていい、もし、君を責める者がいるなら、俺は君の味方であり続けよう。許しが欲しいなら俺は君を許そう。大丈夫……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君は悪くない』

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたし……は……わるくない?」

 

「君は悪くない。それに君を必要とする人も居る」

 

「わ……たしを……ひつ…ようと…して」

 

「俺には君が必要だ!だから華雄、俺と一緒に来て欲しい!俺は決して、君の手を離したりしない!」

 

「本…当か?」

 

「あぁ、本当だ」

 

そう言って一刀は華雄の唇を奪う。

 

「華雄、一緒に来てくれるね?」

 

「……はい」

 

「……一刀」

 

「えっ?」

 

「俺の真名だ。君に受け取って欲しい」

 

「……一刀様」

 

二人の目が合う。再びの口づけ。……一刀は思った。

 

 

 

 

 

 

……凪になんて説明しようと。




カズトサンを見て、作者「なんやこいつ(ドンビキ)」



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獣の道

「隊長ーー!!」

 

こちらに近付いて来る凪のその大きな声が聞こえてきたのは、華雄と二度目の口づけを終えた直後だった。

 

華雄は熱に浮かされた様な表情で、目の焦点が合っていない。

 

……この状況は非常に不味い。

 

一刀は動揺していた。この手法で人の心を陥落させるのは久しぶりで、明らかに加減を間違えていた。

 

元々、この相手の心を操作する手法を一刀は好んでいない。一刀が使ったのは、精々数回、拷問で落ちなかった相手に使ったぐらいだ。

 

正直に言って、ここまで効くとは思わなかった。恐らく、華雄はこの手の物に弱いのだろう。一刀も自分が卑劣な人間だと自身に自己暗示をかけながらやった結果がこの状況だった。

 

「隊長ーー!!何処に居るんですかー!!」

 

凪の切迫感溢れる中に哀切が入り交じる声を聞きながら一刀は思う。

 

 

 

 

 

 

……これは……土下座案件だなと。

 

 

 

 

「隊長!!」

 

洞穴の最奥にたどり着き、一刀の姿を確認した凪は暫し、茫然と立ち尽くし、その瞳からはらはらと涙が零れ落ちる。

 

そんな凪を見た一刀の罪悪感はまさに限界点に達していた。

 

「な…」

 

一刀が凪に声を掛けようとした瞬間

 

……凪が一刀の胸に飛び込んできていた。

 

「……どうして」

 

「どうして一人で行ってしまうのですか!?自分はまた隊長に会え…なく…なるんじゃ…ないかと……」

 

「……凪、すまない」

 

「謝罪は要りません!……約束して下さい。今度からは自分も連れて行くと……」

 

凪のその言葉に一刀は返事をする事が出来ない。……約束出来ないからだ。

 

今まで自分は数多の人間をゴミの様に扱い、殺してきた。自身もいずれ同じ様にゴミみたいな最後を迎えるだろう。

 

一刀はそれで良いと思っているし、そうでなければならないとも思っていた。

 

勿論、凪も武人故に人を殺す事もある。だが、自分と凪では決定的に違う所があった。

 

凪は武人として誇りと矜持を持って相手を殺す。そして、人には見せないが心を痛めている。それは凪だけではなく、魏の皆も蜀や呉の者達もそうだろう。皆が己の目指す理想の為に手を汚していた。

 

しかし、自分は違う。自分には誇りや矜持なんて物は欠片もない。そもそも武人ですらないし、理想なんて大層な物もない。

 

自分は自分に立ち塞がる敵を殺し続けて来ただけだ。殺した敵に感慨を持つ事もない。そんな必要も感じない。必要だから、邪魔だから殺す。そして、時が来たら自分も死ぬ。それだけだった。

 

華雄に関しては正直どっちでも良かった。殺しても良かったし、こんな洗脳紛いな事をせずに見逃しても良かった。見逃したとしても、今の華雄には自分の邪魔になるだけの力はない。才能を見て惜しいと思ったから引き入れただけなのだから。

 

自分が人間として壊れている事を自覚している一刀だが、譲れない物もある。……自分の身内は護るという事。それは今、自分の物になった華雄も含まれていた。一刀は自分のやった事の責任は持つと決めている。

 

何の志や思想、理想もなく、敵を殺し、自分を慕う者……身内は護る。

 

 

 

 

 

……行動原理が獣と変わらなかった。

 

 

 

 

 

そんな獣の道を歩く自分に最後の最後まで凪を付き合わせるつもりない。朽ち果てる時は自分一人の方が気楽だからだ。

 

何も言わない一刀に凪は悲しげな表情を浮かべるが、すぐにその表情は消える。代わりに浮かんで来た表情は決意。

 

「……わかりました。約束してくれなくても結構です。自分は自分の力で最後まで隊長にお供致します」

 

そう言い切る凪を見て、一刀は思う。

 

 

 

 

 

……強いな。

 

 

 

 

凪はブレないのだ。自分がこうと決めたら、それを貫き通そうとする。人によってはそれは愚直とも猪突猛進とも思うかも知れない。

 

だが、一刀にはその真っ直ぐさ、強さが眩しかった。

 

この四年、変わり続けてきた自分にはない物だからだ。

 

一刀は自分が変わってしまった事を後悔はしてない。変わらなければ自分はあの国で死んでいただろう。

 

それでも、自分にない物を見て眩しく思うのは、自分がまだ人であるからかも知れない。

 

「……ところで、隊長、この状況は?」

 

物思いに耽っていた一刀は凪の言葉に現実に引き戻される。……自分の隣に居る華雄の事が半ば頭から抜け落ちていた。

 

「凪、これはだな……」

 

「隣に居るのは、元董卓軍の華雄将軍ですよね?」

 

凪は一刀の隣でまだ正気に戻っていない華雄を見て一刀に尋ねる。

 

一刀はまだ惚けている華雄に声を掛ける。このままでは話が進まないからだ。

 

「おい、華雄」

 

「……一刀様?」

 

一刀の声に、華雄は夢うつつにそう呟く。だが、その時、華雄が呟いた言葉を凪は聞き逃しはしなかった。

 

「一刀様?……隊長、これはどういう事か自分にお聞かせ願えないでしょうか……」

 

「いや、あの、これは……」

 

言葉を言い淀む一刀。それと先ほどまでの華雄の様子に何か察したのか、凪がジト目で一刀を見詰めていた。そしてその目の中に見えるのは怒りの感情。

 

「……隊長、……また…なのですね」

 

「またって……」

 

「隊長が種馬なのは自分も承知しています。思う所がないとは申しませんが、自分もそういう隊長に惹かれた人間ですから」

 

随分な言われ様だったが、一刀としては凪が言っている事は間違いではないので反論は出来ない。

 

「ですが、まさか賊退治の最中に種馬ぶりを発揮するとは思いませんでした。……自分がどれほど隊長の事を心配したと……」

 

凪の身体から気が立ち昇る。一刀の背中に冷や汗が流れるが、これは甘んじて受けるべきだろう。

 

「隊長、覚悟は宜しいですか?」

 

「……出来れば手加減してくれるとありがたい」

 

「それは、約束出来ません」

 

「……だよなぁ」

 

「では行きます!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――猛虎蹴撃!!!」

 

 

 

 

 

 

 

一刀に迫る気の塊。身体強化をすれば問題なく耐えられるだろう。だが、これは自分を心配した自分の女の愛と怒りの一撃。その様な逃げは許されない。

 

 

 

 

凪の気弾の直撃を受けた一刀は意識を手放した。

 

 

 

 

一刀が目覚めた時、既に正気に戻った華雄が凪に事情を一通り説明していた。

 

一刀は華雄があの一連の会話も凪に話したのか心配になったが、どうやら華雄は一刀に救ってもらったとしか言っていない様だった。

 

只、華雄の一刀を見る目が普通ではない。尊敬と好意と依存。その三つが入り交じった目で自分を見る華雄に一刀は自分のやった事の罪深さを思い知る。

 

だが、今更考えても仕方ない事でもあった。もう終わった事なのだ。責任だけはきっちり取ればいい。

 

「それでは楽進、これから一刀様にお仕えする者同士、宜しく頼む」

 

「華雄様、こちらこそ、宜しくお願い致します」

 

「華雄でいい。一刀様の一番の配下は楽進、お前なのだから」

 

「でしたら自分の事は凪と読んでもらって結構です」

 

「楽進、真名を預けてもらうのは有難いが、私にはお前に返せる真名がない。本来、一刀様の真名を呼ぶ事も恐れ多いのだが、私は一刀様の名を知らん」

 

「そういや、華雄には真名しか教えてなかったな。俺は姓は高、名は長恭、字は鬼龍と言う」

 

「高長恭様ですか。これからはそう呼ばせて頂きます」

 

「別に真名で呼んでも構わないんだが、……そうだ、華雄、お前さえ良ければ俺がお前の真名を俺が付けようか?後、字もなかったよな?字も一緒にどうだ?」

 

「本当で御座いますか!?」

 

「あぁ、俺達は仲間だ。真名の有無でそれは変わりはしないが、それでも真名で呼び合う事が出来ないのは淋しいじゃないか」

 

「……高長恭様、宜しくお願い致します」

 

「わかった。真剣に考えるから、少し時間をもらうが、決まったらすぐに教えるよ」

 

「では、自分達の真名の交換も隊長が華雄の真名を付けてからにしましょう」

 

「あぁ、その時は楽進の真名を喜んで預からせてもらう」

 

華雄は嬉しそうな顔で凪にそう答える。一刀のとってはそこまでではないが、やはりこの大陸の人間にとって、真名という物の価値は高いのだと改めて実感する。

 

 

 

その日から三人の旅が始まった。華雄という新たな仲間と凪がどういう関係になるか一刀は少し心配だったが、この二人、存外、相性が良いらしい。

 

真っ直ぐな性格が似ているのだ。そして一刀の事を二人共一番に考えているのが、更に連帯感を高める一因になっていた。

 

余談だが、一刀は旅の途中で華雄を抱いた。ある夜、華雄が一刀の部屋を訪ねて来たからだ。どうやら思い悩んでいた華雄を凪が背中を押したらしい。

 

凪自身、思い悩んでいた時、真桜と沙和に背中を押されて一刀に抱かれた経緯がある。恐らく凪は昔の自分を思い出したのだろう。

 

華雄の初めての夜は恥ずかしがって一刀の顔をまともに見れない様子だった。こんな所まで凪と華雄は似ていた。

 

そんな出来事もありつつ、順調な旅路の途中、凪がぽつりと言い放った一言に一刀と華雄は驚く事になる。

 

「そう言えば、華雄は何故、月様……董卓様に会いに行かないのですか?」

 

「「はっ?」」

 

一刀と華雄の声が思わず重なる。

 

「ちょっと待て、凪、董卓は生きているのか?」

 

「はい、反董卓連合の時、劉備様に保護された様で、今は賈駆様と共に成都に居られます」

 

「……そうだったのか、……華雄、どうする?お前が董卓の下へ行きたいと言うなら俺は止められないが……」

 

一刀は黙り込んでいる華雄に尋ねる。

 

「……楽進、董卓様は蜀でどの様に過ごされている?」

 

「侍女としてですが、穏やかに過ごされている様に自分には見えましたが……」

 

凪の返答に華雄は安堵の表情を浮かべる。

 

「……そうか、それなら良いのだ。あのお方は争いに向かぬお方だ。穏やかに過ごされているなら、今さら私が行く必要もないだろう。それに今の私の主は高長恭様のみ」

 

「華雄、本当にいいのか?」

 

「くどいですぞ、この華雄に二言はありません。高長恭様が私を要らぬとでも言わない限りお仕え致します」

 

「そんな事を言うつもりは欠片もないが……」

 

「ならば、宜しいではないですか。この身、この心は貴方様の物。お好きにお使い下さい」

 

そう言い切った華雄の表情は何処か吹っ切れて、一刀にはとても凛々しく、美しく見えた。

 

 

 

それからも三人の旅は続く。交州はもう目前だった。

 

 



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交州到着それは面倒事の始まり

交州―――それは、大陸の最南端に位置する州で、三国同盟のどの国にも属しておらず、独立勢力を保っている。

 

現在、交州を治めているのは、士燮と言う人物で、この人物は政治感覚に優れ、現代日本で言うベトナムとも不可侵条約を結び、南海貿易で利益を挙げている。

 

更に自分の親族を各地に送り、持っている権益を強化して、外交面でも交州を手に入れたい蜀呉の二国を相手取り、一歩も譲らない見事な外交手腕を見せていた。

 

州内の様子も商業を促進し、治安の維持に努め、民からの人気も高い。

 

一言で言えば名君と言っていいだろう。

 

「そう、名君のはずなんだがなぁ……」

 

呟く一刀の前方には三十人程の賊の集団。

 

その集団の中には、手枷を付けられた数人の少女。それを見て一刀は思う。

 

 

 

 

 

……あぁ、面倒くせぇ。

 

 

 

 

 

 

今、一刀達が助けなければ、少女達の末路は容易に想像出来る。

 

気の毒だとは思うが、それと同時にありふれた話でもあった。

 

そんなありふれた話に無関係な自分が身体を張るのは、面倒な事以外何物でもない。出来る事なら見て見ぬフリをしたいのだが……

 

そうさせてはくれないのが、一刀の隣に二人。

 

凪は閻王を装着し、華雄は金剛爆斧をしごいている。凪はともかく、華雄は何でやる気になっているのか、一刀にはわからない。華雄は向こう側だったはず……

 

「隊長!」

 

「高長恭様!」

 

……どうやら自分には賊退治をするという選択肢しか残されていないらしい。

 

「賊は俺が倒す。凪と華雄はあの子達の安全を確保しろ」

 

「「はい!」」

 

その声と共に三人は賊に向かって駆ける。そんな中、一刀の頭を過ったのは

 

 

 

 

 

 

……ひょっとして、俺って尻に敷かれてる?

 

 

 

 

 

 

その一刀の疑問に答えてくれる人間は誰も居なかった……

 

 

 

 

一刀は一刻(十五分)も掛からず、賊を殲滅していた。散らばる賊の亡骸の中で、自分達が助かった事を抱き合いながら喜ぶ少女達。

 

凪と華雄はその様子を微笑みながら眺めているが、一刀にはある危惧があった。

 

……これってこの子達を街まで送らないと駄目なフラグか?

 

疑問符を付けたが、答えはわかっていた。二人がこの子達を此処に放置なんて真似を許すはずがないからだ。

 

一刀は内心、ため息を吐きながら、仕方ない事だと自分の心を納得させる。

 

一度、凪の前で格好を付けてしまった以上、幻滅させない様に最後まで格好を付けるのは自分の責任だろう。

 

例え、それが自分の首を締める事になってもだ。そんな諦めの境地に達している一刀に近付く人影。

 

その人影は、賊に捕らわれていた少女の一人。だが、他の少女と違うのは、抜群に身なりが良いのだ。

 

恐らく、良い所の生まれなのだろうと一刀は思う。髪は青のウェーブがかかったロングヘアー。目鼻立ちは整っていて美少女と言えた。スタイルも出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。

 

まぁ、賊も狙うわなと一刀も納得出来る容姿の少女だった。だが、そんな少女を見ても、一刀の心は動かない。美女、美少女の類いは魏で散々見てきているからだ。

 

そんな事より、その少女に何を言われるのかが気になる。面倒臭い事じゃなければ良いが……

 

一刀が自分に対してその様な事を考えているとは、露知らず、少女は一刀に話し掛ける。

 

「この度は危ない所を助けて頂きありがとうございました。心よりお礼を申し上げます」

 

頬を赤らめながら礼を言う少女に、一刀の先読みが警鐘を鳴らし始める。

 

「別に気にしなくていい。君達を助けようとしたのは、あの二人だ。礼なら二人に言うといい」

 

厄介事の匂いを感じ取った一刀は自分への関心を無くさせる為に凪と華雄に少女を押し付けようと企む。

 

やっている事は最低だが、本来、自分は関わりたくなかったのだ。それくらいは許して欲しい。

 

「勿論、後ほど、お礼は言わせてもらうつもりです。ですが、賊を倒してくれたのは貴方です。その立ち振舞いといい、漂う風格といい、名のある方とお見受けします。失礼とは思いますが、名を聞いても宜しいでしょうか?」

 

……だが、駄目!どうやらこの少女は自分にしか興味がないらしい。一刀の中での警鐘音が大きくなる。

 

「あぁ!失礼致しました!私は劉子初と申します。以後、お見知り置きを…」

 

名乗らなくていいと一刀は思うが、名乗られてしまった以上、こちらも名乗らない訳にはいかない。……それに劉子初と言う名前に一刀は聞き覚えがあった。

 

一刀は頭の中で三国志辞典を開く。この世界から元の世界に戻った時に三国志をしっかりと読み直していた。

 

……劉子初…劉子初……そうか!劉巴だ!

 

劉巴……一刀の世界の三国志では蜀漢の尚書令となった人物でその政治手腕は諸葛亮も認めていたと言われる。

 

そう言えば一時期、交州に居たという記述があったな。

 

一刀が別の世界の自分の事を考えているとは予想もしていないだろう。この世界の劉巴がおずおずと一刀に声を掛けてくる。

 

「……あの」

 

「あぁ、悪い。俺は姓は高、名は長恭、字は鬼龍と言って何処にでも居る男だ」

 

……だから、俺に興味を持たないでくれ。

 

「高長恭様とおっしゃるのですね。素晴らしいお名前です!……ところで高長恭様はどちらからこの交州にお越しに?」

 

満面の笑みで一刀に尋ねる劉巴。一刀の中の警鐘が限界に達していた。

 

「……洛陽からだ。暫くこの交州で腰を落ち着けようかと考えている。とりあえずはあの子達を安全な所に送らないといけないから交阯に向かうつもりだ」

 

「まぁ!それでしたら、是非、私の屋敷にお越し下さい!今は私と使用人だけで住んでいるので、部屋も余っておりますので」

 

「いや、一緒に旅をしているあの二人にも聞かないと……」

 

「でしたらお二方もご一緒にどうぞ。この度のお礼をさせて欲しいですから」

 

劉巴が一刀の右腕を自分の胸に押し付ける様に抱えてそう述べる。

 

……柔らかいけど、ちょっと止めて欲しい。……凪さんが見てる。

 

「隊長、自分は宜しいと思います。これから先はどうするか決まっていませんでしたし……」

 

凪がジト目で一刀を見ながら、劉巴に賛同する。一刀としては、そんな目で自分を見るなら反対して欲しいのだが……

 

「私は高長恭様に着いて行くだけです」

 

あぁ、うん、華雄、お前ならそう言うと思ってた。

 

……何にせよ、二人が賛同した以上、一刀に断る理由がなくなってしまった。

 

「じゃあ、世話になるとするかな。劉巴、宜しく頼む」

 

「あらっ?私、名の方を名乗りましたか?」

 

「あぁ、それは俺が偶々、君の事を知っていたんだよ。君の親御さんは以前、江夏の太守だった事があるだろう?その時に優秀な娘が居ると聞いた事があるんだ」

 

一刀は自分の世界の三国志の知識で言い訳をする。外れていたらどうしようかと思ったが……

 

「そうでございましたか、高長恭様に名前を知って貰えているなんて光栄です!」

 

そんな事はなく、それより何でこの子は怪しい仮面を付けている俺をそんなに上に見ているんだろうか……?

 

その事が一番疑問だった。

 

北郷一刀の名前ならまだしも高長恭の名ははっきり言って無名なのに……

 

それから保護した子達を連れて交阯の街へ向かう途中

 

「そちらのお二方の名前も聞いて宜しいでしょうか?」

 

劉巴が思い出した様に、二人に名前を尋ねる。その態度にちょっと自分に対する対応と違い過ぎないかと一刀は思う。

 

「自分は楽進と申します」

 

「私は華雄だ」

 

「楽進……華雄……何処かで聞いた覚えが……」

 

「ん、あぁ、気の性だと思うぞ。俺達は只の旅人だし……」

 

この二人も結構な有名人である事を一刀は失念していた。咄嗟に誤魔化しはしたが、劉巴は何処か怪訝な顔をしている。そんな状況で一刀が取った方法は

 

「そう言えば、なんであんな所に賊が居たんだ?交阯の街からもさほど離れていないし、何より俺達は交州の治安は良いと聞いていたんだが」

 

話題を変える事だった。

 

「高長恭様、その情報は正しいですが、少し前の情報です。確かに以前は治安は良く、民の過ごしやすい州で御座いました。ですが、士燮様が三カ月前に病で倒れられてから、士燮様の親族の方が勝手な事をする様になり、交州の治安は徐々に悪化しているのです」

 

「そうだったのか……」

 

「はい、私も高長恭様に助けて頂かなければ賊の慰みものとなる所でした。重ねてお礼を申し上げます」

 

「いや、これからは俺達が君の世話になるんだから、堅苦しいのは辞めにしよう」

 

「……はい。高長恭様がそうおっしゃるなら。……あっ、あちらが交阯の街になります」

 

劉巴の言う方向に顔を向けると、其処には交阯の街。面倒を避ける為に交州に来たが、一刀は面倒に巻き込まれそうな予感を感じていた。

 



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星の輝き

私には字も真名もなかった。両親が私にそれを授ける前に死んだからだ。

 

幼い頃に両親が死んだ私に残されたのは、華雄と言う名と貧困の日々。

 

生きる為なら盗み、傷害、そして殺人と何でもやった。唯一、やらなかったのは、身体を売る事だけ。

 

身体を売らなかった理由に特別な物はない。只、単に嫌だった。それと一度売ってしまえば、私は死ぬまでその状態を抜け出せなくなるかも知れないという思いもあった。

 

私自身、自分の見目が良いのは理解していた。孤児の仲間は皆、身体を売っている。頑なに身体を売らない私を皆が不思議そうな目で見ていた。

 

だが、私はそんな視線を気にもしない。こんな汚れた路地裏で人生を終えるつもりはないと決めていたからだ。

 

そして十代も半ばを過ぎた時、私は兵士になった。

 

戦場に出れば死ぬ可能性もある。そんな事は子供でもわかる事。それでも私が兵士になったのは、自分には何もない事がわかっていたから。

 

生まれは卑しく、金もなければ、学もない。只、一つ持っているのは、この命だけ。

 

なら、その命を使う事しか私には選択肢はなかった。分の悪い賭けとは思わない。駄目なら、生まれも育って来た環境も卑しい女が一人死ぬだけだった。

 

幸い、私には武の才があった様で、自分と同じ時期に兵士になった者達が次々と死んでいく中、私の位はどんどん上がっていく。

 

……嬉しかった。自分にも誇りを持てる才があった事はこれ以上になく嬉しかった。そして、その誇りを傷付けられる事を嫌う様になった。

 

軍の中での私の評判は決して良い物ではない。下の人間には自分が苦労してきた事もあり、寛容に接したからか、悪い様には思われていなかったが同僚や自分より上の者達には蛇蝎の様に嫌われていた。

 

 

 

 

 

 

……卑しき成り上がり。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが私に対する陰での呼び名。誰も私を認めようとはしない。その事がますます私を武へ傾注させた。

 

 

ある時、自分が自信と誇りを持つ武の事でも屈辱を味わう出来事があった。完膚なきまでに叩きのめされたのだ。その相手は

 

 

 

 

 

 

 

 

―――孫文台。

 

 

 

 

 

 

 

江東の虎の異名を持つ英傑。自分にとって初めての敗北だった。

 

この敗北は私の周りの環境を大きく変える事になる。今まで自分を嫌いながらも付きあっていた者達が一斉にそっぽを向いたのだ。

 

腹立たしい気持ちはある。それでも何処か納得もしていた。武で出世した私が武で負けた。それは周りの人間が離れる理由としては充分な物なのだろう。

 

一人になっても私は只、ひたすらに己の武を磨き続ける日々を送った。自分より強い者が居る事は身を持って知った。けれど、自分には他に何もないのだ。誇りを持てる物は、すがれる物はこの武だけなのだ。

 

自分で自分の身体を痛め付ける日々、そんな時だった。あの方、董卓様に出会ったのは……

 

 

 

会った瞬間に自分とは住む世界が違うと感じた。董卓様が纏う高貴な何かがそう思わせるのだろう。

 

その後の自分の行動は今でも思い出せない。覚えているのは自分が膝を付きながら頭を下げたという事だけ。

 

董卓様はそんな私に駆け寄り、優しい瞳で私を見つめ、優しい声で私に話し掛けてくれたのだ。

 

その姿に自分に対する見下しは一切ない。自分と同じ立ち位置で話し、自分という人間を認めてくれた。

 

他の者が聞いたら、それだけの事でと思うかも知れない。それでも私にとって……今まで見下されて生きて来た私にとっては何よりも嬉しい事だったのだ。

 

次の日には、私は転属願いを出していた。董卓様こそ、自分が仕える主と思い定めたからだ。

 

そして、その転属願いは聞き入れられた。董卓様自身が田舎者と揶揄されて中央では評判が良くない。中央の者にすれば、田舎者に成り上がりを押し付ける感覚だったのだろう。

 

私は一瞬、頭に血が昇り掛けたが、すぐにそれを抑え込む。どういう理由にしろ、自分の希望は受け入れられた。後は自分の力で董卓様の風評を良くすればいい。

 

それに董卓様自身が気にしていないだろう。僅かな時間しか接していない自分にもそうだという事がわかる。

 

転属願いが聞き入れられたとわかった日、私はその日の内に董卓様の下へ向かう事にした。今、自分が居る軍に何の未練も感じなかった。

 

そして、董卓様は自分の下へ来た私を暖かい笑顔で迎え入れてくれた。その笑顔を見ただけで此処へ来て良かったと心から思う。

 

董卓軍では新たな出会いもあった。董卓様の幼なじみにして軍師の賈駆。私とは肌が合わないと感じたが嫌う事はしなかった。董卓様の事を一番に考えているのがわかったからだ。

 

それは向こうも同じな様で言い合いはするが、私を粗雑に扱う事はなかった。それに元々、私は賈駆と深く付き合うつもりはない。はっきり言って人種が違うのだ。

 

賈駆の他に陳宮と言う軍師が居たが自分とはほとんど話す事はない。そんな二人より、よっぽど私の目を引き付ける者が、この董卓軍には二人も居た。

 

一人は張遼。武人でありながら優れた軍人。その武は自分より恐らく上で、用兵に関しては間違いなく自分は負けているだろう。

 

その事実に私は悔しい思いもあるが、それ以上に負けん気が湧いて来る。自分より上と言ってもそこまで差がある訳でもないのだ。

 

立ち合えば、十本の内、三本は取れる。それぐらいの差。自分より強い者がそう居るはずがない、その時は根拠もなくそう思っていた。

 

だが、その自信はもう一人を見た時に木っ端微塵に粉砕される。

 

 

 

 

 

 

 

……呂布。それがもう一人の名だ。

 

 

 

 

 

 

初めて練兵場で立ち合った時、格の違いを思い知らされた。まるで底が見えない。

 

自分とは根本的な何かが違う。天賦の才とはこの事を言うのだろう。

 

いくら自分が努力してもこの領域には辿り着けない。そう思わされてしまった。

 

そして、うちひしがれる私を呂布は悲しげな瞳で見つめていた。……時が経った今になっても私にはその時の呂布の瞳の意味がわからない。恐らくわかるのは、今、この世で一人だけだと私は思う。

 

そんな事があった日から暫く経ち、大陸が戦乱に見舞われた。董卓軍も例外ではなく、戦乱に巻き込まれる。それからは戦いの連続だった。反乱の鎮圧、五湖、そして黄巾党。

 

そんな戦いの中で、着実に戦果を挙げ、あの日、呂布に砕かれた自分の中の自信が再び溢れ出てくるのを感じていた。いや、あれは自信などではない。もはや慢心と言って良いだろう。

 

 

 

 

 

 

……そして、そのツケは遠くない日に払う事になった。

 

 

 

 

 

 

 

反董卓連合。その一連の戦いで私は誰よりも敬愛する主を失った。

 

 

 

他ならぬ私の致命的な失態の性で……

 

私自身は重傷を負ったが、生き延びる事が出来た。だが、それがなんだと言うのだ。

 

散々、自分の武をひけらかした結果がこの有り様。最早、自分の武を心から誇る事は出来なくなっていた。

 

それから数年は私自身、自分が何をしたいのか、何をするべきなのかわからない。この国が大きく動く中で、自分がやった事と言えば、孫家に領土を追われた袁術に手を貸したり、賊の真似事をやっただけ。

 

かつての同僚の呂布や張遼は大陸中に名を轟かせているのに、自分は主を死なせ、挙げ句の果てに行き着いたのは賊の頭目。

 

一体、自分の人生とは何だったのか、思い悩み、只、朽ち果てる日を待つ私の前に、今、私の眼前に立つこの方、一刀様が現れた。

 

……強かった。そして底が見えなかった。自分が戦った中で此処まで差があると感じたのは、呂布と一刀様だけだった。ひょっとしたら一刀様ならあの日の呂布の瞳の意味がわかるのかも知れない……

 

一刀様と戦い、負けた私は死を覚悟した。だが、一刀様は私を殺さなかった。

 

一刀様は私を殺さない代わりに私の心をズタズタにした。そしてその後、ズタズタにした私の心を優しく包み込んでくれた。

 

 

 

 

……何故、こんな事をするのか訳が分からなかった。訳が分からないまま、私は一刀様にすがり付いていた。私には他にすがり付ける物が何もなくなっていたのだ。

 

 

 

 

自分を認め、許し、抱き締められた私は一刀様に身も心も捧げても良いと思った。冷静になった今、考えると一刀様は話術で私がそう思う様に仕向けたのだと理解出来る。

 

私がその事に気付いたのは、既に一刀様に全てを捧げた後、普通なら怒り狂っても良いのかも知れない。けれど、私はそんな気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

……何故なら、あの洞穴で一刀様が私に言った言葉に何一つ嘘がなかったからだ。

 

 

 

 

一緒に行動する様になってから、一刀様はいつも優しい瞳で私を見て、抱く時はいつも包み込む様な暖かさで私を抱いた。

 

私にとってはそれが気持ち良く、安心感に満たされて、気が付いた時には一刀様の話術など関係ない所で心が持って行かれてしまっていた……

 

私自身、今まで経験がないから良く分からないが、この気持ちが恋や愛と言う物なのだろう。少なくとも今の私は一刀様から離れる事なんて考えられなかった。

 

それに、一刀様と旅をする様になって、楽進と言う新たな友まで出来た。楽進は私と同じ様に、いや、私以上に一刀様を愛している女だ。

 

かと言って、自分一人で一刀様を占有する様な器の小さな女ではなかった。それは、一刀様に抱かれたいが、男と肌を合わせた経験のない私の背中を押してくれた事から明らかだ。

 

一度、一刀様が居ない所で腹を割って話をした所、楽進は一刀様と一緒に居られて一刀様が幸せならそれでいいらしい。

 

一刀様は元々、女を惹き付けられるお方で嫉妬していたらキリがないと苦笑いで言う楽進が私には印象的だった。

 

 

その話を聞いた私は得心した。自分が惚れたから言う訳ではないが確かに一刀様は多く女を惹き付ける魅力を持っている。だが、それと同時に危うさも秘めていた。

 

一緒に旅をしてわかった事だが、一刀様は優しい。けれどその優しさは董卓様の優しさとは違う。

 

董卓様の優しさは多くの人に向けられる優しさ。一刀様の優しさは限られた人間にだけ向ける優しさ。

 

それ故にその優しさは董卓様の優しさより遥かに深い。優しさを向ける対象の人間の為なら近くを散歩する様な感覚で自分の命を投げ出す、文字通り、命懸けの優しさ。

 

私も楽進も一刀様の優しさの範囲に入っているだろう。それを考えただけでも私の心は熱くなる。女としてこれ以上に光栄な事はない。それと同時に一刀様の事が心配だった。

 

もう主を亡くしたくはないと考えていた私に楽進が驚きの言葉を告げる。

 

それは、董卓様の生存。楽進の話によると蜀で穏やかな生活を送っているとの事。

 

その事を聞いた瞬間、反董卓連合の時からあった、自分の中の負の感情が一気に消え失せた。

 

只、董卓様には会おうとは思わない。あの方の事だから自分を心配してくれているだろう。それでも合わせる顔がない。私としては董卓様の幸せを願うだけだった。

 

そして、一刀様の旅の目的地の交州に着いて数ヵ月が経った。

 

私は今、部屋を借りている劉巴の屋敷の庭で金剛爆斧を持ち、一刀様と向かい合っている。

 

「華雄、だらだら戦う事に意味はない。一撃だ。お前の魂の一撃を俺にぶつけろ」

 

普段の日課となっている一刀様との手合わせ。只、今日は一刀様の様子がいつもと違っていた。

 

「はい!」

 

一刀様が何を考えているのかは私には分からない。それでも一刀様がそうしろと言うなら私はそうするだけだ。

 

私は金剛爆斧を構える。眼前の一刀様は無造作に細い剣を持って立っていた。

 

隙だらけの様に見えるが、実際は一分の隙もない事は私自身の身体で毎日思い知らされていた。

 

私はそこで思考を止める。考える事に意味がない程に一刀様との実力差は大きい。

 

 

 

……無心、己が繰り出せる最高の一撃、それだけを考えて私は一刀様に踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

……一閃

 

 

 

 

 

一瞬の閃きと共に私と一刀様の身体の位置が入れ代わる。……それと同時に私は地面に崩れ落ちた。

 

「……華雄、腕を上げたな」

 

気を失いそうな激痛の中で何とか顔を上げてみれば、一刀様の頬から流れる血。

 

「字は紅玉。真名は(しょう)。それがお前の今日からの名だ。遅くなって悪かった」

 

「……紅玉……晶」

 

私は一刀様から与えられた名を呟く。

 

「紅玉と言う字はお前の目の色。俺はその名の通り、紅玉の様に綺麗だと思う。真名の晶と言う字は数多の星の輝きを表している。お前のこれから先が夜空の星達の様に輝ける事を俺は願うよ」

 

「……紅玉……晶」

 

私はもう一度、自分の新たな名を噛み締める様に呟く。そして……そのまま気を失った。



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望まぬ名声

一刀はひれ伏す村人達の前に立ち、内心ウンザリしていた。

 

「高長恭様のおかげで賊の脅威から、この村は救われました。本当にありがとうございます!」

 

「気にしなくていい。お前達が無事で何よりだ」

 

村人達の礼に心にもない返答をする一刀。浮かべている顔は仮面で見えないが、口元は引きつっている。

 

こんな有難迷惑な状況の一刀は交州に来てから、そろそろ一年が過ぎようしていた。

 

半年前に士燮が病で亡くなってから交州の状況は悪化の一途を辿っている。

 

原因は士燮の親族の専横だ。己の欲を満たす為に税を上げ、それを払えなくなった民は餓死するか、人買いに売られるか、賊になるかの究極の三択を迫られる。

 

その治安の悪化は士燮のお膝元で一刀達が居る交趾の周辺もその例外ではない。

 

言ってみれば、今の交州の状況は、黄巾党以前の大陸の状況を縮小した様な物だ。

 

そんな状況でも一刀は平常運転。自分は関係ないと素知らぬ顔を決め込んでいた。

 

いっその事、交州から抜け出して、西に行き、シルクロードを渡って羅馬に行くのもいいな。なんて事も考えていた。

 

だが、一刀にそのつもりはなくても、周りはそうではない。特に劉巴……叡理(えいり)と凪がこの状況に憤りを感じていた。

 

一方、晶の方は何処か冷めている。目の前の事なら手助けしても良いが、自分の目の届かない所での事は興味ないらしい。

 

一刀は晶にその話を聞いた時、晶に今まで以上の親近感を覚えた。……もっと言うなら目の前の事もスルー出来る様になってくれると言う事ないのだが……

 

凪はともかく、叡理が憤りを覚えているのが、一刀には意外だった。理由を聞いた所、士大夫の家系の者として守るべき民が虐げられているのは忍びないとの事。

 

言っている事は立派だと思う。……思うのだが、こいつがナチュラルに民を見下す癖がある事を一刀はわかっていた。……正確には民ではなく、学のない人間をだが……

 

凪と晶に対しては助けられた事もあって、丁寧な態度で接しているが、やはり何処か二人を見下していた。

 

二人が気付いているかはわからない。しかし、一刀は気付いていた。昔の自分は人の感情を察する能力が不足していたが、あの地獄で尋問、拷問などをした経験から人の感情や心理を察する能力が他の人より鋭くなっている。

 

恐らくは本人に悪気はないのだと思う。この大陸の良い所の生まれならば当たり前の考えなのかも知れない。

 

それでも、一刀は良い気はしなかった。凪も晶も一刀にとって大事な人間だ。特に凪は……

 

そういう事もあってか、叡理から真名を預けられたが、一刀は叡理を身内とまでは思っていない。世話にはなった分、困った事があるなら手助けはしても良いかなぐらいの気持ちだ。……叡理が自分に惚れているのがわかっていても、それは変わらない。

 

因みに叡理と凪、晶は真名の交換はしていない。やはり二人も何か感付いてはいるのだろう。

 

一刀はその事に口を挟むつもりはない。それは彼女達の問題だからだ。

 

そういう事情から始まった賊退治の日々だが、当然、一刀は気乗りはしない。それでも凪がやると言っている以上、付き合わない訳にはいかなかった。

 

と言うより賊の数十人、凪と晶で充分だと思う。それでも万が一の事もある。それで二人に何かあれば悔やんでも悔やみ切れない。

 

二人を失う可能性がある位なら、賊退治に付き合う方がよっぽどマシだ。

 

叡理も来たがっていたが、はっきり言って足手まといだから交趾に置いて来た。

 

賊退治に付き合うのは、凪が望むなら良い。自分の女のやりたい事に付き合う位の甲斐性はあるつもりだ。

 

それはいいのだが、凪は賊退治の手柄を全部、俺に渡すのは止めて欲しい。

 

……今もそうである。

 

「楽進様もありがとうございました!」

 

「いえ、自分は隊長の指示に従っているだけなので……」

 

凪、俺はそんな事望んでない!

 

けれど、凪の満足そうな顔を見ると、止めろとは言えはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……凪は俺の心がわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、まぁ、わかられても困るんだが……

 

そう、俺はこのまま、凪に対しては格好を付け続けるしかないのだ。

 

それが、例え、どれだけプレッシャーが掛かろうと、どれだけ自分の望まぬ道に進む事になろうとも……

 

全てを捨てて自分に着いて来てくれた凪が誇りを持てる北郷一刀であるべきだった。

 

だが、その代償は決して安い物ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

……漆黒の鬼面龍

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、今、交州全土で広がっている、一刀の異名にして名声。

 

 

 

……まさに望まぬ名声だった。

 

 

 

その異名を聞いて無邪気に喜ぶ凪や晶を見て一刀は思う。

 

 

 

……どうしてこうなった!?

 

 

 

いや、答えはわかっている。自分の自業自得だろう。不本意だが、甚だ不本意だが、超絶に不本意だが今の名声は受け入れる。

 

 

 

 

……だから、これ以上、おかしな事にはならないでくれ!

 

 

 

北郷一刀の切なる願いだった。

 

そんな何処か世捨て人思想を持つ一刀だが、別に全てに置いて後ろ向きで距離を取りたい訳ではない。

 

ある事柄に置いては凪と同様に、いや、凪以上に積極的に行った行動もあった。それは

 

 

 

 

……人買いの殲滅である。

 

 

 

 

自分の身内以外はどうでもいいと思っている一刀が人買いに対してはあからさまに嫌悪感を示したのだ。

 

人買いを慈悲もなく殲滅していく一刀に晶は驚きの表情だったが、理由を知っている凪は人買いを惨殺する一刀の姿を悲しげな瞳で見つめていた。

 

一刀自身は別に人買いに拉致された事がトラウマになっている訳じゃない。只、どうしようもなく不快なのだ。

 

そんな一刀の気持ちを知ってか、知らずか、先程の村からの帰り道に今、居る場所から少し離れた集落を人買いが賊と手を組んで襲おうとしているとの情報を手に入れた。

 

一刀はその集落に急行する事を決める。他人がどうなろうと知った事ではないが、自分を不快にする連中を生かしておくつもりもない。

 

六刻(一時間半)後、集落の近くにたどり着いた一刀達が見たのは目標の集落から上がる火の手。

「間に合わなかったか……」

 

一刀はそう呟くが、元より集落の人間の生死に興味はない。一刀の頭の中にあったのは、自分を不快にする連中を殺せるかどうかだけ。

 

そんな一刀の耳に聞こえてくる悲鳴と断末魔の叫び。それらに心動かされる事なく、冷静に集落の状況を確認する一刀。

 

だが、冷静で居られたのは、そこまでだった。

 

逃げ惑う集落の人々の中に居たある女性の姿を見た途端

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀は疾風の如く集落へと駆けた。

 

 



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獣の覚悟

叫び惑う人々の流れに逆らう様に、彼女の元へひた駆ける一刀。

 

胸の中に色々な感情が渦巻く。だが、何より一番最初に頭を過ったのは

 

 

 

 

 

……何故、こんな所に居るんだ!?風!

 

 

 

 

風が此処に居る理由はわからない。それでも此処で死なせる訳にはいかない!

 

そんな一刀の焦燥感を嘲笑うかの如く、逃げ惑う民が邪魔でしょうがない。いっその事、全て切り捨てて駆け抜けてやろうかという考えすら浮かぶ。

 

だが、それだけはする訳にはいかなかった。今さら、善人を気取るつもりはないが、それをすれば、只でさえ、自分の生き方が人の生き方であるか怪しいのに、本当に取り返しのつかない事になる。この民達は生き延びる為に逃げているだけで自分に敵対している訳ではないのだ。

 

 

 

 

一刀は畜生道に堕ちるつもりはない。自分が歩くのは獣の道だとしても、そこは譲れない一線だった。

 

 

 

……間に合うか!?

 

 

一刀が風の方を見ると、風は逃げていない。自分が逃げるのを後回しにして民の避難を優先している。

 

「お前はそんなキャラじゃないだろ!」

 

思わず溢れる悪態。民を逃がしたい気持ちはわかるが、風にとって無関係な人間のはず、そんな人間の為に自分が逃げる時を無くすのは、今の一刀からすれば馬鹿げていた。

 

ようやく、民の囲みを突破した一刀が見たのは、数十人の賊に囲まれている風の姿。

 

一瞬、背中に嫌な汗が流れるが、まだ死んではいない。一人の青年が槍を振るい、必死に風を守っていた。

 

青年の腕は立つ。間違いなく武将クラスの腕前。恐らく、その青年一人なら難なく突破出来るだろう。だが、風を守りながら戦うなら限界は見えていた。

 

そんな事を考えていたのが、悪かったのだろうか、その青年が賊の攻撃で左肩に手傷を受ける。

 

「羅憲さん!!」

 

叫ぶ風の声。もはや、考えている時間はなかった。

 

一刀は右手で投げナイフ十本を立て続けに投擲。それと同時に左手のワイヤーを展開。

 

ワイヤーに気を流し込み。自分の身体強化を脚に重点的に行う。

 

 

 

 

 

 

 

……瞬刻

 

 

 

 

 

 

それは一刀の高速移動術の名。

 

瞬刻からのワイヤーと刀での惨殺術は今の一刀の切り札中の切り札。身体に負担が掛かる為、そう乱発は出来ないが、それを差し引いても凶悪な性能を誇っていた。

 

気を込めた脚を踏み込み、一刀は加速する。瞬刻、その名の通り瞬きの刻、人の限界を越えた疾さ。

 

その一秒にも満たない時の後……

 

 

 

 

 

 

 

 

全てを切り裂いた一刀が風の眼前に立っていた。

 

 

 

 

かつて賊であったモノ。その中に立ち尽くす一刀は思わずため息を吐く。

 

「はぁ……」

 

……身体能力だけに限れば、完璧に人間を辞めたな。

 

 

わかっていた事実を再び確認した一刀。五年前とは逆の意味で自分が住む世界ではないのではないかと考えてしまう。

 

五年前は平和ボケした自分には過酷な世界だと思っていた。周りに居る武将が自分の元の世界でも見る事が出来ない様な超人ばかりだからだ。

 

しかし、今は違う。今の自分にはこの世界は温すぎる。武将がいくら強いと言っても、使う武器は精々、剣か槍、弓と言った所。銃弾や迫撃砲が飛び交う訳じゃない。

 

今の自分の気持ちは油断や慢心なのか?一刀にはそれすらわからない。

 

いくら考えても答えは出なかった。それでもわかった事はある。それは今の力がなければ風は助けられなかった事。

 

その事だけでもあの元の世界の四年と気の力に感謝すべきだと思う。

 

 

 

 

「……あっ」

 

突然、目の前に現れた黒き鬼に風は困惑と驚愕が入り交じった表情を浮かべる。その顔に恐怖の感情がないのは、まだ現実を認識出来ていないだろう。

 

「久しぶりだな、風」

 

一刀は風をからかうつもりで仮面を付けたまま、風の真名を呼ぶ。

 

「!!……風の真名を……訂正して下さい!!」

 

「訂正する必要はないな」

 

「おいおい、仮面を被った兄ちゃん。それがどんだけ無礼なのかわかってないとは言わせねえよ」

 

「宝慧も久しぶりと言っておこうか。……風、俺の声を忘れたのか?」

 

一刀はそう言いながら被っている仮面を外す。

 

「……お…兄…さん」

 

「……まさか、風に忘れられるなんて……俺は風の姿が見えた途端、一目散に駆け付けたと言うのに……」

 

一刀はそんな事を言いながら、若干、気落ちした態度を見せる。

 

「……お兄さんは何年か会わない内に、随分とお腹が黒くなりましたねー」

 

風の辛辣な言葉に

 

「俺自身、その自覚はあるが、それでも風ほどじゃない」

 

と一刀はやり返す。

 

「風ほど、心が綺麗な少女はこの大陸には何処を探しても居ないですよ~」

 

「……まぁ、そういう事にしといてやろう」

 

一刀は風の言葉に苦笑しながら頷く様に答えた。

 

「……それにしても」

 

風は自分の周りを囲んでいる多数のかつて人であった肉塊を見つめながら

 

「お兄さんはこの五年で随分と変わってしまった様ですね……」

 

そう言葉を発する。

 

「あぁ、否定はしない」

 

「……お兄さん、華琳様の事ですが……」

 

風が華琳の事を話そうとするが、

 

「もう終わった事だ。終わらせたのは華琳だがな」

 

その言葉を叩き切るかの如く、一刀は断言する。

 

「お兄さん……」

 

「あぁ、勘違いするなよ。俺は別に華琳を恨んではいない。あいつの選択は王として何も間違ってはいない。帰って来るかもどうかもわからない男を待ち続けるなんてあいつの立場が許してはくれないだろう。だが、」

 

一刀の顔に険しさが帯びる。

 

「そんな正論で納得出来る程、この世界に戻る為に足掻きに足掻いた俺の四年は安くない」

 

そう、一刀は華琳の選択を理解はしていたが納得はしていなかった。

 

「では、お兄さんは華琳様の事をどう思っているのですか?」

 

「昔、愛した女だ。俺の知らない所で勝手に幸せになればいいさ。俺は何とも思わん。只、俺から華琳にしてやる事はもう何一つない。そして、もし、俺の敵として俺の前に立つなら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は華琳を斬る』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事も無げに一刀は言い放つ。心の奥底では今も華琳に対する想いはある。

 

それでも敵となるなら容赦はしない。今の自分には華琳よりも大事なモノがあるのだから……

 

それを護る為なら誰であろうと斬る。獣の様に身内を護り、獣の様に敵を殺して最後には死ぬ。今の自分にはこんな生き方しか出来ない。

 

かつての自分なら大事なモノは全て護ろうとしただろう。そして、多くを取りこぼす。

 

今の自分は大事なモノに明確な優先順位をつける。そして、順位の低いモノから切り捨てる。

 

一刀は今の自分の考えが間違っているとは思わない。願えば…頑張れば…そんな事で自分の希望が叶うなら、いくらでも願ってやるし、頑張ってもやる。

 

だが、現実はいくら願っても、頑張ってもあの国では叶う事はなく、共に死線を潜った仲間はラキを除いて皆、死んだ。

 

それを経験した一刀は大事なモノに対する以外の甘さを消した。人は冷酷と言うかも知れない。人は残虐と言うかも知れない。

 

 

 

 

 

……人は鬼と言うかも知れない。

 

 

 

 

例え、そう言われても一刀は気にもしない。本当に大事なモノを護る為ならいくらでも汚名であろうが、侮辱であろうが、受け入れよう。

 

 

 

 

……今の自分は覚悟が出来ている。それは昔、愛した女でも必要なら斬る覚悟だった。

 




宝慧の慧は本来、左にごんべんが付きます。


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風の行き先

『俺は華琳を斬る』

 

そう言い放ったお兄さん。その言葉が本気な事は、お兄さんの表情と身体から発せられる威圧感が証明していた。

 

……このお兄さんの存在感と言うか、凄みは何なのであろうか……?

 

風は武将ではないから、今のお兄さんがどれほど強いのかはわからない。けれど、一瞬で数十人の賊を殲滅した事から魏の武の筆頭である春蘭ちゃんを越えている様に思う。

 

……知りたかった。あの優しいお兄さんが、一体何があれば、数年で此処まで強くなり、そして、

 

 

 

 

 

 

……此処まで暗い目を出来る様になるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「……お兄さん、一体、この五年でお兄さんに何があったんですか?」

 

聞いてはいけない事なのかも知れない。それでも我慢が出来なかった。……お兄さんは風が初めて好きになった人。その人の事を知って置きたかった。

 

「風、悪いがその事については語るつもりはない」

 

お兄さんの返答は明確な拒絶。只、何処か遠くを見てる様な目が印象的だった。

 

「別に風を邪険にしてる訳じゃない。風以外の誰であろうと語るつもりはない。俺が唯一、語ったのは凪だけだ。……その理由は風ならわかるんじゃないか?」

 

「お兄さんを信じ続けたからですね」

 

「正確には地位や国、仲間を捨ててでも俺がこの世界に帰って来る事を信じてくれたからさ。信じる事なら霞だってそうだろ」

 

「……」

 

「あの日、華琳の結婚のお披露目と北郷警備隊の解散の時、俺は洛陽に居た。あの光景を見て、俺がどれほど絶望したかは風、お前にはわからないだろう」

 

お兄さんの胸の奥から吐き出す様な言葉に風は口を挟む事が出来ない。……恐らく何を言ってもお兄さんの心には届かない。

 

「さっきも言った様に、華琳の結婚自体は俺も理解はしている。けれど何故、その時機で北郷警備隊の隊長まで変える必要があるんだ?……まだ新しい隊長が凪か真桜か沙和なら俺も納得出来る。だが、結果は違った。俺には魏と言う国が北郷一刀と言う存在をなかった事にしてる様にしか思えなかった」

 

お兄さんの言葉から感じるやるせなさと憎悪。間違いなくお兄さんは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……魏国を憎んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

お兄さん自身は気付いていないのだろう。それでも風にはわかる。この数年で変わったと言えど自分の想い人の事なのだから……

 

 

「何の為に俺は自分の存在を懸けて魏に天下を取らせたのか、何の為に足掻きに足掻いてこの世界に戻ってきたのか、俺にはわからなくなった。……凪と再会したのはそんな時だった」

 

「……」

 

「凪から魏であった事を聞いて、凪が俺の為に全てを捨てて来た事を聞いた時、……嬉しかった。これ以上にない程に嬉しかった。……俺はこの世界に戻って来て良かったと心から思えた」

 

お兄さんの表情が先ほどまで異なり、穏やかな表情になる。……やっぱり風が魏を出て行く時に言った言葉は間違えてなかった。

 

 

 

 

……これは凪ちゃんの大勝利ですねー

 

 

 

 

風もお兄さんが戻って来る事は信じていた。……信じていたが、凪ちゃんの様に全てを捨てる覚悟は出来なかった。

 

その違いはお兄さんの心で明確な差となって現れる。

 

「その時に俺は決めた。俺も何があっても凪を信じ続けると……」

 

「……風としては悔しいですが、お兄さんの立場からすれば、そう思うのも致し方ないですねー」

 

「風、俺はな、お前の事も大事に思ってない訳じゃない。……お前も俺がこの世界に戻って来る事を信じてはいただろ?」

 

「っ!……どうしてそう思ったのか、風に聞かせて欲しいのですよー」

 

「……凪に対する態度だよ。あいつが魏から出ると決まった時、皆が腫れ物を扱う様な態度だったと聞いた。……真桜と沙和と霞、そして風、お前を除いてな。真桜と沙和は元々、凪の親友だからわかる。霞も華琳の結婚の話の時、俺の為に随分と怒っていたと聞いたからそれもわかる。だが、そのどちらでもない風が俺が戻って来るのを信じていないなら、華琳の命令に逆らった凪に普通に接する理由なんてないだろ?」

 

 

そう言って自分を見るお兄さんの目は優しい。風は自分の心に暖かい物が広がってくるのを感じていた。

 

 

……お兄さんは風の事をちゃんと見ていてくれた。変わってしまったお兄さんを見て、不安に感じていた事が一気に無くなっていく。変わりはしたが、それでもお兄さんはお兄さんだった。

 

「あれだけ鈍かったお兄さんがこんなにも鋭くなるなんて風は何とも淋しい気持ちでいっぱいなのですよー」

 

心とは裏腹に口をついて出るのは天の邪鬼な言葉。それを聞いてもお兄さんは優しい笑みを浮かべている。

 

「風は相変わらずだな。身体もほとんど成長してないし」

 

「おうおう、兄ちゃん、それは思っていても言わないのが華ってもんじゃねえのかい」

 

「これ、宝慧、確かにお兄さんは失礼ですけど、言い過ぎは駄目ですよー」

 

「ははっ、悪いな。でも、風の変わらない姿を見たら、昔に戻った気がして何か嬉しかった」

 

その言葉とは真逆なお兄さんの寂しそうな表情が風の胸を締め付ける。そして此処に来ると言う自分の判断が正しかったと確信した。

 

 

 

……お兄さんにこんな顔はもうさせたくないですねー

 

 

 

「ところで、風は何故、こんな所に居るんだ?此処は魏の領土から大分、離れていると思うが……」

 

「ぐぅ~」

 

「寝るな!」

 

「おぉ!……いや、鋭くなったと思っていたのに、お兄さんはやっぱりお兄さんだという事がしょっくで思わず寝てしまいましたー」

 

「おい、兄ちゃん、女心ってモンをわかって無さすぎなんじゃねえのか?」

 

「……もしかして、俺に会いに来たのか?」

 

「それ以外に何があると言うんですかねー」

 

「いや、待て。そもそも何で俺がこの世界に戻って来た事を知ってる?その事を気付かれる様な行動を俺は取ってないぞ。普段はこの仮面を被っているし……」

 

そう言ってお兄さんは黒い鬼の面を手の上で遊ばせる。……恐らくお兄さんが今、交州で名声を高めている漆黒の鬼面龍なのでしょう。あの武を見れば納得出来ますねー

 

「洛陽郊外で凪ちゃんと抱き合っていたのは、気付かれる行動ではないのですかー?」

 

「……あれを見られていたのか……」

 

「はい、お兄さんの顔を知ってる魏の兵が見てましたよー」

 

「という事は……」

 

「お兄さんが戻って来ている事は魏の中枢部は皆さん、知っていますねー」

 

「……そうか」

 

「お兄さんが戻って来ている事を知った皆さんの反応を知りたいですか?」

 

「いや、いい。俺が戻って来ている事を知っていようが、知らなかろうが、どのみち、俺は二度と魏に戻るつもりはない」

 

「……そうですか、あぁ、それと追っ手の心配はしなくて結構ですよーお兄さんが此処に居るのは風しか知りません。……それに風も魏に戻るつもりはありませんから」

 

「……?どういう事だ?」

 

風はその言葉に居住まいを正す。華琳様という日輪を支える日々は今、終わりを告げる。

 

「風は魏の臣を辞して此処にやって来ました。……程仲徳、これより、お兄さん、北郷一刀様の軍師としてお仕えしたいと思います。……受け入れては頂けないでしょうかー?」

 

風の言葉にお兄さんは驚きの表情を浮かべていました。そして少し考えた後、

 

「風、お前に言っておく事が二つある」

 

「なんですかねー?」

 

「一つは俺はもう北郷一刀じゃない。そして二度と天の御遣いを名乗るつもりもない」

 

「……」

 

「俺の今の名は姓は高、名は長恭、字は鬼龍、真名は一刀と名乗っている」

 

「高長恭、今、交州でぶーむとなっている漆黒の鬼面龍さんですねー」

 

「ブームって……いや、まぁ、いい。俺としては不本意だが、そういう事になってるな」

 

「お兄さんの名前が何に変わろうと、風には関係ないですねー風はお兄さんはお兄さんとしか呼びませんし」

 

「また、身も蓋もない事を……あぁ、それともう一つの事だが……」

 

「……」

 

「必要ない」

 

「えっ?」

 

「俺に軍師は必要ない」

 

お兄さんのその言葉に風は自分の心にひびが入るのを感じた。

 

「……お…兄…さん」

 

声が震える。顔は地面に向き、お兄さんの目を見れない。自分はお兄さんとって必要ない人間なのか……風はこれからどうすれば……

 

「俺は軍師を持つ様な立場じゃないからな。……只、一人の女として俺の傍らに居ると言うなら好きにしろ。今の俺なら風一人ぐらい楽に護ってやれる」

 

お兄さんのその言葉にハッと顔を上げる。その時のお兄さんの顔は何処か照れた様子でそっぽを向いていた。

 

そんなお兄さんが可愛くて、思わず笑みが溢れる。

 

「……何だよ、その顔は?」

 

「んふふー。何でもないですよー。それでは風は一人の女として今宵、お兄さんの寝所に行かせて頂きますねー」

 

「……好きにしろ」

 

素っ気ない言葉。だが、その言葉に暖かさがある事を風は感じていた。

 



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新たな仲間

今回は微妙にギャグ回です。


一刀と風が二人の空気を作る中、居心地悪そうにそれを眺める青年。

 

一刀も風もその青年の事を忘れていた訳ではないが、お互いの話を優先して放ったままになっていた。

 

だが、これ以上、放置するのも何なので、一刀が話を振る。

 

「ところで、風、この空気の読める青年は誰なんだ?」

 

「あの空気の中、口を挟める訳ないでしょ!!」

 

……良いツッコミだった。

 

「この良いつっこみをする人は羅憲さんと言って、大陸各地を旅してる人で偶然、風と行き先が同じだったので護衛してもらったのですよー」

 

「良いつっこみって……えっと、僕は羅憲と申します。仕える主を探す為に大陸を旅してます」

 

「……仕える主を探す為って、五年前ならともかく、今は選択肢は三つしかないんじゃないのか?」

 

「いや、まぁ、そうなんですけど、今の三国はどうも僕の肌に合わないと言うか、入る余地がないと言うか……」

 

羅憲が頭を掻きながら、言いにくそうにしている。

 

「あぁ、お前の言いたい事はわかる。確かに三国の何処も五年前の戦乱で人材が固定されてるからな。新参が活躍出来る場面は少ないだろう」

 

「そう!そうなんですよ!!どうせ仕えるなら僕の力を必要としてくれる所に行きたいんですよ!」

 

「……お前が戦ってる姿は先ほど見たが、確かに良い物を持ってる。それは認めよう。だが、このままではその力を腐らすだけだぞ」

 

自分の事は棚に上げて、一刀が羅憲にそう告げる。

 

「……僕もさっきまで貴方と同じ事を考えていたんですけど、どうやら、僕の主を見つけたみたいです」

 

羅憲が熱い瞳で一刀を見つめる。その瞳と言葉に一刀の先読みの警鐘が鳴り始めた。

 

「えっと、高長恭様でしたよね?僕を貴方の臣下にしてもらえませんか?」

 

……やっぱりか。

 

「あー、言いたい事は色々あるんだが、とりあえず一言に纏める。……何故だ?」

 

「それは、貴方に惚れたからですよ」

 

羅憲の言葉に一刀は風の後ろに逃げて、お尻を手で隠す。

 

「おう、兄ちゃん、女の後ろに隠れるなんて男らしくねえぞ。大人しく掘られて来い」

 

「宝慧、てめぇ!ちょっと風、押すな!」

 

「……掘られてって……違います!そういう意味じゃありません!!あっ!その目、信じていませんね!!」

 

「いや、だってお前……」

 

一刀がそう言って羅憲を眺める。

 

髪は肩口まで伸びた黒髪、身体は引き締まっていると言うか華奢で、声は高く、顔は完璧に女顔だった。華琳が見たら、間違いなく気に入ると思う。

 

 

 

 

 

……はっきり言って男の娘です。

 

 

 

 

 

「その、全体的に女っぽいし……」

 

「それでしたら、僕が掘られる方ですね。って!ちっがーう!!」

 

 

……おぉ!見事なノリツッコミ!何?こいつ、滅茶苦茶面白いんだけど。

 

「流石は人をおちょくる事に掛けては大陸一の風だな。こんな逸材を見つけてくるなんて」

 

「お兄さん、それは褒めてないですねー。確かに羅憲さんとの旅は楽しかったですけど」

 

風のその言葉に羅憲が落ち込む。……落ち込む姿にも何か妙な色気があった。

 

「程イクさんはいつも僕をからかうんです。まぁ、それほど害はなかったから気にしない様にしてたんですが、……流石に女装させられて娼館に放り込まれた時は身の危険を感じました」

 

 

 

 

 

 

……風!それはシャレになってねえぞ!

 

 

 

 

「羅憲、良く怒らなかったな。それは怒っていいと思うぞ」

 

「いえ、結局は何もありませんでしたから……」

 

 

 

……あっ、こいつ良い奴だ。

 

 

 

「それに程イクさんは旅をしてる間、僕に学問を教えてくれた先生ですし……」

 

「羅憲さん、風の事は風って呼んでくれていいですよー。羅憲さんが良い人と言うのはこの旅でわかりましたし」

 

 

 

……お前は悪い奴だけどな。

 

 

 

 

「お兄さん、何か失礼な事を考えませんでしたか?」

 

風がニッコリと笑い、一刀に問い質す。

 

「……いや、何でもない」

 

「程イクさんの真名、確かにお預かりしました。僕の事はこれからは陸と呼んで下さい。それが僕の真名です」

 

 

 

……風と陸、何か相性良さそうだな。

 

 

 

「お兄さん、心配しなくても、風はお兄さん一筋ですからねー」

 

「人の心を読むな!と言うかそこまで深くは考えてない!…………あぁ、もう、とりあえず話を戻すぞ!羅憲、何でお前は俺に仕えようと思ったんだ?」

 

「それは、先ほど言った様に貴方様に惚れ込んだからです。……おかしな意味じゃありませんよ」

 

「わかったから続きを聞かせろ」

 

「僕は今日まで、自分の力に自信を持ってました。流石に三国の代表する将軍には敵わないとは思いますが、少なくとも男で僕より強い人は見た事がありません」

 

その言葉で一刀は羅憲が自分に仕えたがっている理由が何となくわかった。

 

 

 

……一刀の強さに憧れを抱いたのだろう。

 

 

「様は俺の強さに憧れたから、俺に仕えたいという事か?」

 

「それも理由の一つではありますが、それだけなら仕える事はしないで、弟子入り志願します」

 

確かにそうだった。一刀に付いて武を学びたいなら、仕える事はせず、自分が受け入れるかどうかは別にして今、羅憲が言った様に弟子入りで充分なのだ。

 

「じゃあ、他の理由は何なんだ?」

 

一刀のその言葉に意を決した羅憲は話し始める。

 

「……高長恭様は五年前の戦乱の天の御遣い様なんですよね?」

 

 

 

……あー、そっちか。

 

 

 

一刀の頭の中で線が繋がる。

 

「……かつてはな。魏が天下平定した事で天の御遣いも役目を終えた。……今、此処に居るのは、単なる流れ者の男に過ぎないぞ」

 

「はい、わかっています。高長恭様が天の御遣いと呼ばれる事を好んでおられない事も風さんとの会話で察しました。だから、僕は高長恭様を天の御遣いとはもう呼びません」

 

 

 

……やっぱ、こいつは空気の読める良い奴だ。

 

 

 

「そこまで、わかっていて、何で俺に仕えようと思ったんだ?」

 

「……何て言ったら良いのか、上手く言葉に出来ないんですが、高長恭様は何か大きな事を成される方の様に感じたんです。それもこの大陸の今の状況を変える様な大きな事を……」

 

 

 

おい!馬鹿!止めろ!縁起でもない!

 

 

 

「はっきり言って、これは僕の直感です。何の確証もないですが、何故か、この直感を信じてみたくなりました」

 

羅憲が一刀を真っ直ぐな瞳で見据える。

 

 

 

……良い目をしていた。信念と希望を持った目。そして一刀が既に失ってしまった目。

 

 

 

 

 

目の前に居るのが、男の娘だからそうとは感じないが、羅憲と言えば、一刀の世界の三國志では蜀漢最後の名将と言われた人物。この世界の羅憲にもその片鱗はあった。

 

 

 

そんな事を考えていた一刀の様子が自分の頼みを断ろうとしてる様に感じたのか、羅憲の目が段々、伏し目がちになっていく。

 

「……駄目…ですか?」

 

 

上目遣いで再度、一刀に尋ねる羅憲。

 

 

 

 

……お前、上目遣いは止めろ!瞳を潤ませるんじゃない!ちょっと可愛いと思ったじゃないか!

 

 

 

一刀は何故か、精神的に追い詰められていた。そんな様子を見ていた風がボソッと呟く。

 

 

「お兄さんはとうとう、男の人にも手を出すのですか?お兄さんの種馬ぶりにはほとほと呆れますねー」

 

 

……風、お前、楽しんでいるだろ!?顔がニヤケてるんだよ!

 

 

一刀が心中で葛藤を繰り広げている中でも、羅憲は潤んだ瞳の上目遣いで懇願を続けている。

 

 

 

……その姿に一刀は折れた。

 

 

 

「一刀だ」

 

「えっ?」

 

「俺の真名。お前に預ける」

 

「……それじゃあ」

 

「今からお前は俺の臣下だ。宜しくな、陸」

 

「ありがとうございます!!」

 

陸は礼を言いながら、一刀に抱き付く。

 

 

 

……陸、抱き付くな!変な気持ちになる!

 

 

「んふふー。お兄さんは新たな扉を開いてしまった様ですねー」

 

 

 

……違う!断じて違うからな!だから風、ニヤニヤするんじゃない!

 

 

一刀達がそんなやり取りをする中で、一刀がやって来た方角から声が聞こえて来る。

 

「隊長ーー!!」

 

「一刀様ー!!」

 

 

一刀は凪と晶が居た事をすっかり忘れていた。



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動き始めた歯車

その日は、雲一つない快晴の日だった。

 

一刀は自分の瞳の中に映る、空の蒼を見上げて、こうして空をじっくり見るのは、いつ以来だろうか?

 

そんな事が頭を過る。自分は一度、この世界から弾き出されてから、今日まで、只、ひたすらに走り続けてきた。空を見る精神的な余裕など何処にもなかったのだ。

 

今までの自分の歩んできた道に後悔はない。ほとんどが決められた道ではあったが、そんな中でも自分は常に全力で走る事を辞めなかった。その事は一刀にとって大きな自信にも自負にもなっている。

 

もちろん、自分が助けたかった人の全てを救えた訳ではない。むしろ、救えなかった人の方が遥かに多いだろう。

 

眠れない夜に、酒を片手にかつての戦友と語り合う事なんて頻繁にあった。一刀から見える戦友の顔は肩の荷が降りたかの様な安らかな顔をしている。

 

一刀には戦友がどうして安らかな顔をしているのかはわからない。皆が苦痛と恐怖と無念の中で死んだのだ。

 

それでも、戦友達の心が安らいでいるなら、一刀はそれで良かった。まだ、生きている自分にはわからない事もあるのだと思う。自分が眠れない夜に酒の相手をしてくれるだけでも一刀は嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

……例え、それが自分にしか見えない幻であったとしても……

 

 

 

 

 

 

一刀は今の自分に満足していた。静かに凪達と共に生き、一人の夜は死者と語り合う。……それでいい。自分にはこれ以上にない生だと本気で思っていた。

 

自分が歩んできた道は間違いではない。後悔などしようがなかった。

 

このまま、ずっとこんな風に生きていければ良い。一刀は空の蒼を見つめ、そう思う。

 

 

 

 

 

……だから、下を向いては駄目だ。後戻り出来なくなる。

 

 

 

 

一刀は自分の眼下を見る事を拒否していた。其処を見てしまえば、たった今、願っていたささやかな願いさえ叶わなくなる事がわかっていた。

 

故に一刀は空の蒼を見続けるのだ。自分が望まぬ道へ行かない為に。

 

「……空が綺麗だなぁ」

 

「……お兄さんはいつまで、現実逃避を続けるんでしょうかねー?」

 

……言うな風!俺は逃げる!逃げ切ってみせる!

 

「隊長、自分としては隊長に立ち上がって頂きたいと思っています!今の隊長なら華琳様にも劣らない、いえ、華琳様を凌ぐと自分は信じています!」

 

……凪、止めてくれぇ。お前に言われるとやらなきゃいけない様に感じてくるんだ。と言うか、何で比べる相手が華琳なんだよ!ハードルが高過ぎるだろ!

 

「私は一刀様が行く道を共に行くだけだ。一刀様が立ち上がるなら、我が武を持って、一刀様の道を切り開いて見せよう!」

 

……やだ、晶ったら男前。だけどそこは、俺の意を汲んで立ち上がらない選択肢を選んで欲しかった。

 

「兄さん、当然、この民達を見捨てるなんて事はしないですよね?」

 

……陸、ワクワクした顔すんな!目が自分の人を見る目は間違ってなかったと露骨に言っているぞ。

 

「一刀様、申し訳ありません。私の責でございます……」

 

……確かに半分くらいは叡理、お前の責任かも知れないな。お前が悪い訳ではないが。残り半分は逃げ損ねた俺の責任だ。

 

一刀が今居るのは、交趾の城壁の上。

 

そろそろ首が痛くなってきた一刀は諦めて、自分の眼下を見下ろす。

 

そこには、数え切れない程の大勢の民。

 

「高長恭様!!」

 

「高長恭様!何卒、この交州を治めて下さい!!」

 

「高長恭様!万歳!」

 

一刀は民達の自分を求める声を聞いて改めて思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

……なにこれ?………………えっ、なにこれ?

 

 

 

 

 

 

 

……一体、自分は何処で間違った。

 

 

 

一刀は自分の記憶を遡って考えてみる。

 

 

 

風と陸に出会ったあの後、駆け付けて来た凪に先走った事を怒られ、凪と風は再会を喜び合っていた。

 

新たに自分の仲間になった陸は凪と晶に自己紹介をして、晶との手合わせで叩きのめされた後に凪と晶、二人と真名の交換をしている。陸の一刀の呼び方が兄さんに決まったのもその時。どうやら昔から兄が欲しかった様らしい。

 

……兄弟。その単語を聞くと、一刀の頭に過るのは、二度と会えなくなってしまったラキの事。覚悟をしてこの世界に戻って来たとは言え、やはり寂しさは感じる。

 

その寂しさも理由として合ったのだと思う。一刀は陸が自分を兄と呼ぶ事を認めた。……始めは兄様と呼ぼうとしてたが、流琉と被るし、陸の容姿で兄様と呼ばれるのは、何か変な気持ちになるので止めさせた。正直、兄さんでも心にクる物がある。

 

因みに賊から受けた傷の具合を一刀は聞いたのだが、幸いかすり傷程度だった。

 

 

 

 

その日から、また一刀達の賊退治の日々が始まる。

 

陸という戦力が増えた事で賊退治はさらに捗る事になるのだが、困った事に陸も凪や晶と同じ様に賊退治の手柄を一刀に全て渡すのだ。

 

風は自分が役立てない事を拗ねていたが、賊退治ごときに軍師は必要なかった。

 

散々、賊を殺し尽くした一刀の交州での名声は天井まで上がった末に不動の物となっていた。

 

 

……そろそろ本格的に交州から出る準備をしなくていけない。

 

 

一刀がそんな事を考えていた時に急報が舞い込んで来る。

 

 

 

 

 

 

……叡理誘拐。

 

 

 

 

 

知らせを届けに来た使用人によると、前々から叡理は士燮の息子の士徽に言い寄られていたらしい。

 

叡理はそれを上手くかわしていた様だが、士燮が死んで抑えを失った士徽は強行手段に出た様だった。

 

使用人からその話を聞いた一刀は心の内で喜ぶ。実に良いタイミングだったからだ。

 

一刀にとって、交州は少々、居辛い土地になっていた。会う人間のほとんどが一刀を崇める様な態度を取る。

 

自分が高尚な人間ではないとわかっている一刀には、正直に言って民達のその態度は面倒な事この上なかった。

 

そんな時にやって来たこの事態。叡理に今までの借りを返せる。悪政を敷く士徽を殺せる。その後、支配者の一人を殺したと言う自分が交州を出て行く理由が出来る。

 

……まさに、一石三鳥だった。

 

一刀は嬉々として士燮が死んだ後、士徽の居城となっている交趾の城に乗り込む事を決める。

 

凪達は自分達も行くと言い張ったが、一刀は却下した。……暗殺という手段を取る以上、誰かが一緒に来るのは、一刀からすれば邪魔にしかならない。

 

一刀はその事をはっきりと言葉にする事はなかったが、皆には、わかったのだろう。一刀に着いていけない事に悲しげな顔や悔しそうな顔をしていた。

 

一刀は皆に心の中で詫びつつ、その夜、交趾城に潜入する。

 

潜入自体は楽な物だった。何せ、周りに敵対する勢力がないのだ。見張りもおざなりで緊張感の欠片もない。

 

これだったら、晶と出会った時の方がまだ神経を使った。

 

一刀は誰にも見付かる事なく、交趾城を突き進む。目指すは城の奥の主の寝所。目的の女を手に入れた男のやる事など相場は決まっている。

 

城の奥に差し掛かった時に、一刀の耳に悲鳴が聞こえて来た。

 

 

……間に合えよ。

 

 

その悲鳴と共に一刀の駆ける速度が上がる。最悪の状況は想定してるが、あまり気分の良い物ではない。出来る事ならそうなる前に助けたかった。

 

そして、辿り着いた悲鳴が発せられたと思わしき場所。人の気配もするし、魏に居た時に色々な城に滞在した経験から、十中八九、此処が当たりだろう。

 

一刀は中の人間に悟られぬ様に、そっと扉を開け様子を伺う。中には叡理を組伏せている一人の男。叡理の服は乱れてはいるが、何とか最悪の事態までには間に合った様だ。

 

「お止め下さい!!私にはお慕いするお方がいるのです!!故に貴方様のお誘いはお受け出来ません!!」

 

「お前の言う男とは、高長恭と言う流れ者か?」

 

「……」

 

「やはり、その様だな。あんな流れ者の何処が良い!?」

 

「……あの方の良さを貴方様に語るつもりは御座いません。私にとってはこの大陸であの方に勝る殿方など一人たりとも居らぬと思っております!」

 

 

……叡理、それは買いかぶり過ぎだと思うぞ。

 

一刀は状況を弁えずに思わず心中でツッコミを入れる。

 

「これ以上、私に何かしようとするなら、私は舌を噛み切り此処で果てましょう。この身を汚される位ならば、私は私自身で始末をつけます!」

 

……本気の目だった。士徽が何かしようとするなら間違いなく叡理は死ぬ。

 

士徽もその覚悟を感じ取ったのか、搦め手を使い始めた。

 

「ならば殺すぞ!」

 

「えっ、何を?」

 

「お前が此処で死ねば、俺は高長恭を殺す!」

 

「なっ!」

 

「聞こえなかったか?高長恭を殺すと言ったんだ。俺の持つ二万の兵を使いなぶり殺す!……そうされたくなければ……わかるな?」

 

「っ!…………私の身体を好きにしなさい。ですが、あの方には手出ししないと約束なさい!」

 

「あぁ、いいとも。俺は物分かりの良い女は好きだぞ」

 

士徽のその言葉に叡理は心底、嫌そうな顔をする。

 

勝手に交渉の条件にされた一刀は士徽の手際に感心していた。相手の弱い所を徹底的に突いて、自分の目的を果たす。お手本の様な交渉術だ。

 

少しでも良識のある人間からすれば、卑怯、卑劣と思うだろうが、一刀はそうは思わない。結果は全てに置いて優先される。弱い所を漬け込まれた奴が悪いのだ。只、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……俺を出汁にするとは、お前、何様つもりだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀は自分が人を利用するのは良いが、自分が人に利用されるのは極端に嫌う。元の世界で売られ、使い捨ての兵にされた記憶が甦るからだ。

 

士徽はそんな自分の逆鱗に触れた。よって殺す!

 

「それでは、楽しませてもら「……死ね」」

 

士徽が言い終える前に、一刀のサバイバルナイフが士徽の心臓を貫く。本音を言えば、首を撥ね飛ばしてやりたかったが、士徽の身体の下に居る叡理を血に染める訳にはいかない。

 

「叡理、無事か?」

 

一刀は士徽の身体を蹴り飛ばし、叡理に尋ねる。

 

「……一刀様?」

 

「話は後だ。直ぐに此処から逃げるぞ!」

 

「はっ、はい」

 

一刀は叡理の手を引いて、城内を駆ける。侵入する時に脱出経路は確保している。

 

それでも、騒ぎを聞き付けて駆け付けた敵兵は一刀が始末した。そして交趾城を脱出した一刀達は叡理の屋敷に飛び込んだ。

 

「……帰ったぞ」

 

「隊長!!」

 

「一刀様、良くぞご無事で!」

 

戻った一刀達の姿を見つけて凪と晶が血相を変えてやって来る。少し遅れて風と陸。

 

「お兄さん、首尾はどうでしたかー?」

 

「士徽は始末した。一応、俺がやった証拠は残してないし、駆け付けた敵兵は全て殺したが、念の為、二、三日中に交州を出るぞ」

 

士徽を始末した。その一刀の言葉に風は不敵な笑みを浮かべ、陸は冷や汗を流していた。

 

「お兄さんは凄いですねー。一人で城に乗り込んで城主を討って帰ってくるなんて、春蘭ちゃんや霞ちゃんでも出来ませんよー。孫呉の甘寧さんや周泰さんでも無理でしょうねー」

 

「……ははっ、そんな事出来る人間なんて兄さんしか居ませんよ……」

 

 

 

 

……何か、風の笑みが気になる。後、陸はドン引きするな。自分でもおかしい事をやっているのはわかってる。

 

 

 

「なぁ、ふ「一刀様」」

 

 

風に笑みの理由を聞こうとした一刀の言葉を遮る声。

 

 

「叡理、どうした?」

 

叡理はその場で跪く。

 

「此度は私の為に一刀様のお手を煩わせた事、そしてこの様な事態になってしまった事。お礼とお詫びを申し上げます」

 

そう言って叡理が深々と頭を垂れる。

 

「気にしなくて良い。今まで、叡理には世話になったからな。これぐらい何でもない」

 

「ですが!」

 

「と言うか叡理、お前、俺の為に士徽に身を差し出そうとしただろう?」

 

「……そ、それは」

 

「二度とそんな真似はするな!俺は誰かに守られる程弱くない!叡理、お前は良かれと思ってやった事かも知れんが、その行動は俺に対する侮辱だ!」

 

「……はい」

 

叡理の顔が目に見えて落ち込む。

 

「只、俺の為にそこまでしてくれたお前の気持ちは嬉しく思う。……ありがとな叡理」

 

「はっ、はい!」

 

「流石、お兄……」

 

「おっと風、からかうのはなしだ。急いで交州を出る準備しないといけないからな」

 

「……お兄さんは風の生き甲斐を奪うのですねー」

 

「交州を出た後なら、好きなだけ付き合ってやるよ」

 

「しょうがないですねー。……でもお兄さんが交州を出る事はないと思いますが……」

 

風が最後に呟いた言葉。その言葉を一刀は聞き取る事が出来なかった。

 

「交州を出るのは、三日後、それまでに準備を整えておいてくれ」

 

一刀の言葉で各自が思い思いに動き始める。

 

 

 

 

 

……そして、三日後。

 

 

 

 

旅の支度を整えた一刀が叡理の屋敷を出ると、其処には凪の姿。

 

ピンと背筋を伸ばし、一刀を迎える凪には何処か緊張感が漂っていた。

 

「凪、おはよう。準備は出来ているのか?」

 

「隊長、自分に着いて来て頂いても宜しいですか?皆も先にその場で待っています」

 

「……あぁ、それは構わないが、何かあるのか?」

 

「隊長、今は何も聞かずに自分に着いて来て下さい。お願いします」

 

「……わかった」

 

歩き始めた凪の背中を追うように、一刀も歩を進める。凪の向かう先には交趾城。

 

 

そして、一刀の意識も現在へ戻る。

 



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触れてはいけないモノ

民達の自分を求める声、凪達の期待の視線を受けて、一刀は思う。

 

 

 

 

 

 

 

……もう、逃げられないな。

 

 

 

 

 

こういう状況になって考えるのは、静かに生きたいなんてやはり都合が良すぎる話だったという事だ。

 

自分は今まで、散々、その身を血に染めて生きてきた。そんな自分が安穏を望むのは、どうやら居るかどうかわからない神とやらが許してはくれないらしい。

 

ならば、自分は覚悟を決めるだけだった。

 

 

だが、それにしても腑に落ちない事がある。

 

 

 

 

……情報が出回るのが、余りにも早すぎるのだ。

 

 

 

何故、これ程の民が、今日、自分が交州を出るのを知っている?

 

交州を出る事を知っているなら、出る原因になった士徽を自分が殺した事も知っていると言う事になる。

 

それが既におかしいのだ。自分は証拠など一切残していない。目撃者は全て始末している。なのに一体、何処から漏れた……

 

この事を知っているのは、自分と仲間の数人だけ……

 

一刀はハッとして隣に居るある人物に目をやる。

 

 

 

 

……そこには、口元を微かに歪ませている風の姿。

 

 

 

 

「……お前の仕業か、風」

 

「ぐぅ~」

 

「寝た振りで誤魔化そうとするなら、お前を此処から突き落とすぞ」

 

「おぉ!お兄さんの非情な発言に眠気も覚めてしまいましたー」

 

「それは良かった。で、どうなんだ?」

 

「どうと言われましてもですねー」

 

「お前が民を煽動したのかと聞いている」

 

一刀のその言葉に風は心外そうな表情を浮かべ、

 

「お兄さんは風がそんな事する女に見えるのですかー?」

 

「あぁ、見えるな」

 

「おうおう、兄ちゃん、それはあんまりな言葉じゃねえか?」

 

「そうですよー。風は煽動なんてしていません」

 

「じゃあ、この騒ぎは何だ?」

 

「何でしょうねー?風はお兄さんが此処の城主を討った事とお兄さんが今日、交州を出る事を皆に教えてあげただけなんですけどねー」

 

 

 

……やっぱりお前じゃねえか!

 

 

 

一刀の苦々しい顔を見て、風はニヤリと笑い、

 

「後は凪ちゃんにお兄さんの事を相談しただけですよー」

 

 

 

……こいつ、よりにもよって凪を引き込みやがった!

 

 

 

してやられたと言うしかない。流石は魏の誇る三軍師の一人。的確に一刀の弱点を突いてくる。そして、三日でこの舞台を作り上げた手腕。

 

……あぁ、見事だよ!おかげで俺の逃げ場はなくなった。此処で立ち上がらない選択肢なんか選んだ時点で俺の株はガタ落ちだ!

 

別に赤の他人にどう思われようが知った事ではないが、期待に満ちた目で俺を見てるこいつらを裏切る事は出来ない。

 

そこまで考えての策なんだろうな。ムカつく程に風は今の俺を良く見てる。でも

 

 

 

 

 

 

 

……これが人間のやる事かよぉぉ!

 

 

 

 

 

「今のお兄さんに人としての所業を突っ込まれるのは、流石に風としては心外なのですよー。晶さんにした事、ご本人から聞いてますよー」

 

風が他の皆に聞こえない様にそう呟く。

 

……ぐうの音も出ない正論だった。と言うか心を読むな。

 

「良かったですねー。晶さんがお兄さんの詐術に気付く前にその心をげっとしておいて……」

 

風の俺を見る目が冷たい。それより、晶はあの時の事を気付いているのか?

 

一刀が後ろに立つ晶に振り向くと、晶はいつも通り男前な立ち振舞いで一刀の背後を守る様に控えている。

 

目が合うと微笑みを返して来る晶を見た時、一刀は悟った。

 

 

 

……全部バレてる。

 

 

 

「晶さんに対して責任を取らないと、いくら心の広い風としてもお兄さんには幻滅するでしょうねー」

 

「……わかってる。元よりそのつもりだ」

 

「それなら良いのですよー。あっ、風の事も宜しくお願いしますねー」

 

……便乗すんな。もちろん責任は取るけどな。

 

「さぁ、お兄さんの言葉を待っている民に声を掛けてあげて下さい」

 

……えっ、もう立ち上がるの確定!?いや、もう覚悟は出来てるのだが、このまま風の思い通りになるのは面白くない。

 

そう思った一刀は足掻けるだけ足掻こうと試みる。

 

「なぁ、風、俺が天の世界での事は語らないと言っといて何だが、俺は天の世界で国を一つ建ててからこの世界に戻ってきたんだ」

 

「おぉ!お兄さん、風達の前から姿を消している間、そんな面白そうな事をやっていたんですねー」

 

……これっぽっちも面白くなかったよ!!むしろ、地獄だったよ!!

 

しかし、それを風に言った所で意味はない。

 

「でだ、俺は自分で言うのもあれだが、偉業を成し遂げた訳だ。だから、残りの生はのんびり過ごしても……」

 

「国を一つ建ててきたお兄さんなら、州の一つ位余裕ですねー」

 

一刀の言葉に被せる様に風が言い放つ。

 

 

 

「……どうあっても、俺を担ぎ上げたいのか?」

 

「そうですよー。風は暫くの間、お兄さんを観察していましたけど、昔のお兄さんと違い、今のお兄さんなら一国の王として楽にやっていけるだけの器量はあると判断しました」

 

「それは買いかぶりだ」

 

「天の世界で国を建国されたんですよねー」

 

風がニヤニヤしながら一刀に突っ込む。

 

……いらない事を言わなければ良かった。

 

「……それに、今のお兄さんからすれば、州牧や王の地位に就く事なんて余興と変わりはないじゃないですかー」

 

風のその言葉は一刀以外には聞こえなかったが、一刀の心の奥底に突き刺さる。

 

「……どういう意味だ?」

 

「言葉通りの意味ですよー。……今のお兄さんはどんな事にも怖れない。それが例え自分の死であってもお兄さんは鼻唄混じりで死ねると風は思っています」

 

風の目が妖しく光る。

 

「そんなお兄さんが地位や立場で臆するなんて有り得ないのですよー。今、そうして狼狽えてたりするのは演技だと風にはわかります」

 

「……」

 

「皆さん、気付いていないのか、気付いていて何も言わないのか風にはわかりませんが、はっきり言わせてもらうなら、恐怖という感情や生への欲望を失っているお兄さんは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人として壊れています』

 

 

 

 

 

 

 

……あぁ、本当に今の俺を良く見ている。

 

 

 

 

 

 

思わず殺意が湧いてしまいそうになるくらい……

 

 

 

 

一刀の全身から凄まじい殺気が滲み出る。その殺気に周囲の空気が凍り付く。

 

「隊長!どうなされたのですか!?」

 

「一刀様!これは一体何が!?」

 

「兄さん!」

 

一刀と風の会話を聞かない様に距離を取っていた凪達が一刀の殺気に気付き駆け寄って来た。

 

一刀の殺気を直に受けた風はその場に座り込んで冷や汗をかいていた。一刀はそんな風を見下ろしながら憤怒を込めた言葉を発する。

 

「……風、人には触れられたくない領域という物がある。どうして俺がこうなったか知りもしないお前が、物知り顔で俺を語るな!」

 

「……お…兄…さん」

 

「風、お前だからこうして警告している。これが今此処に居る人間以外がお前の言葉を言ったなら、即座に首を撥ね飛ばしている。……それが例え華琳が言ったとしてもだ」

 

一刀の言葉が本気だという事がわかったのだろう。その場にいる凪達全員の顔が青ざめていた。

 

「二度は言わない。わかったな?」

 

「……はい」

 

「わかったならもういい」

 

一刀はそう言いながら風の頭を撫でる。そして風が落ち着いたのを見て一刀は気になっていた事を尋ねた。

 

「で、風はどうして俺を担ぎ上げたいんだ?」

 

「……今のお兄さんは危ういのですよ。何かで縛り付けて置かないと、取り返しのつかない事になると思っています」

 

「それが、民や地位という訳か……」

 

「……」

 

……不器用な奴だ。頭はずば抜けて良いのに、いや、ずば抜けて良いから遠回しな手を打つ。素直に死なないでくれと言えば良い物を……

 

けれど、それが天の邪鬼な風の自分に対する思い遣りなのだろう。ならば、自分のやる事は決まっていた。

 

風以外の皆も期待してる事だしな。

 

「……しょうがない。俺がそうする事で風が少しでも安心するなら、俺は立ち上がろう。凪達も俺に付き合ってくれるな?」

 

「「「「はい!」」」」

 

「それと、軍師が必要になった。程仲徳、お前を俺の筆頭軍師に任じる。……引き受けてくれるか?」

 

「風の力が及ぶ限り、お兄さんの為に知恵を搾るのですよー」

 

皆の決意の顔を見た一刀は一度大きく頷き、未だ歓声を挙げ続ける民に向き直り己が言葉で語り始めた。



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終わりなき舞台

「あー……」

 

幾多の民衆が自分に注目する中、一刀の頭の中で困惑が広がっていた。

 

……一体、何を語ればいいんだ?

 

なし崩し的に立ち上がる事になったが、一刀からすれば、この先をどうするかなんてプランは全くない。

 

と言うより、自分にすがり付こうとしている民衆に言いたいのは……

 

甘えんな!!

 

その一言しかないのだ。自分が動こうとしないで、誰かが何とかしてくれるのを待つなんて考えは、今の一刀が一番唾棄する考えだった。

 

民衆の気持ちもわかる事はわかる。かつての自分も民衆側の人間だっただろう。

 

自分だけではなく、元の世界で日本に住んでいた人間なら大多数はそうだと思う。

 

一刀はこの世界で華琳と出会い、自分から率先して動く事を覚えた。そして、元の世界の戦争で自分を限界まで鍛え上げた。

 

……己に宿る物が全て。

 

その思いを胸に一刀は自分の力だけを信じてあの戦争を戦い生き抜いた。もちろん、ラキや死んだ戦友にも信を置いてはいたが、誰も一刀に着いて来れない。極限状態で頼れるのは、やはり自分の力だけだった。

 

言ってみれば、北郷一刀という存在は個で既に完結している。仲間という存在はある意味では足手まといにしかならない。

 

極端な話、誰も必要とはしない自分。集団でしか生きる術を持たない民衆。根本的な所で生きてる世界が違い過ぎた。

 

そもそも自分は今、眼下に居る民衆の事を何とも思っていない。しいて言うなら、勝手に生きて、勝手に死んでくれ。その程度の存在だった。

 

そんな自分の語る言葉に何の説得力があると言うのか?

 

中々、話しを始めない一刀に民衆がざわつき出す。チラリと後ろを見ると、心配そうな仲間達の顔。

 

仲間達のその顔を見て、一刀の口元が微かに吊り上がる。

 

 

 

 

……おいおい、何だよ揃いも揃ってその顔は?まさか俺がこんな所でしくじるとでも思ってんのか?

 

 

 

 

 

確かに北郷一刀にはこの数多の民衆に語る言葉は持たない。

 

 

……そう、北郷一刀であるならば、

 

 

だが、今、此処に居るのは北郷一刀じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

……これより始まる大舞台。民衆が望む役者は名君たる高長恭。

 

 

 

ならば演じて魅せるさ。誰もが望む強く気高く優しい、蘭陵王高長恭を…………だから

 

 

 

 

 

 

 

 

……お前達、そんな顔するな。

 

 

 

 

 

 

一刀の魂に炎が猛る。身体から覇気が(ほとばし)る。……覚悟は決めた。突き進む道も決めた。自分を遮る物は何もない。

 

一度だけ目を瞑る。暗闇の中で数秒間、自分の今までを振り返った。……そして刮目。

 

一刀が再び目を開いた時、其処に居たのは民衆にとって、完全無欠の王、

 

 

 

 

 

 

……蘭陵王高長恭だった。

 

 

 

 

 

 

「これ程の数の人間が、私を頼って今、この場に集まってくれた事を私は心から嬉しく思っている」

 

一刀が語り始めたと同時に民衆のざわめきが収まる。

 

「皆、今の交州の状況に不安を感じている事だろう。この交州を良く治めておられた士燮殿が病に倒れ亡くなってから交州は悪化の一途を辿っている」

 

一刀の言葉に民衆がその通りと言わんばかりに頷く。

 

「亡き士燮殿の親族が士燮殿の名声を楯に好き勝手にやっている現状。それによって後を絶たない賊の横行。さらには蜀と呉の二国がこの交州を我が物にしようと狙っているとの情報もある」

 

「このままでは近い将来で士一族の圧政で今より酷くなり、少し先の未来では蜀呉の二国に飲み込まれる……どちらにせよ、交州の未来は明るくはない」

 

一刀の言葉で民衆が再び、ざわめき出す。

 

「皆、それぞれに思う事はあるだろうが、これが現実だ。……だからこそ私は皆に聞きたい」

 

 

 

 

 

 

 

『本当にその様な未来で良いのか!?』

 

 

 

民衆に問いかけた言葉。その言葉を一刀自身が誰よりも強く否定する。

 

 

 

「否!断じて否!皆もそれがわかっているからこそ、今、この場に私を頼って集まってくれたのだろう!?」

 

一刀の言葉が熱を放つ。その熱は民衆を包み込み始める。

 

「此処が皆のそして私の分水嶺なのだ!選択肢は二つ!人として生きるか!狗として生かされるか!」

 

「皆が狗として士一族にそして蜀呉の二国に搾取された後の残り物で生かされていくなら私の出る幕はない。今日にでも交州を去ろう!」

 

交州を去ると言い放った一刀の言葉に、民衆達の中で動揺が広がる。一刀はその動揺を打ち消すが如く、民衆にもう一つ選択肢を突きつけた。

 

「だが、もし、皆が人として、自らの力で生きる事を望むなら!私は皆の先頭に立ち、誰よりも勇敢に戦って見せよう!だから皆も私と共に戦ってくれ!……この交州の!…いや、皆が守りたい願う人達を守り抜く為に!」

 

 

 

 

 

……その言葉には魂がこもっていた。一刀からすれば仮初めの魂。されど民衆からすれば誠の魂。

 

一刀が演じると決めた強く気高く優しい完全無欠の王。

 

 

 

 

 

……高長恭はこの大舞台で躍動していた。

 

 

 

 

民衆は躍動する完全無欠にして仮初めの王から目を離せない。一刀から発する言葉、熱、覇気、そして威風堂々たる立ち振舞い。全てが民衆の身体を、魂を熱くさせる。

 

そんな中、民の一人が呟く。

 

 

 

 

「……あの方は俺の王だ」

 

 

 

 

本来なら、誰にも聞こえない様な、か細い声。だが、その声はその場に居る民衆全員の心に染み渡り、

 

 

 

……火付けとなった。

 

 

 

 

「「「うおおおおお!!!」」」

 

 

 

 

 

「俺は高長恭様の下で戦うぞ!!」

 

「てめえ!抜け駆けすんじゃねーぞ!俺も行くぞ!」

 

「高長恭様!!」

 

「私も連れて行って下さい!!」

 

「高長恭様万歳!!」

 

 

民衆に広がる熱狂。自分の事でこの状況になっているのに一刀は何処か俯瞰的にその光景を眺めていた。

 

自分の言葉でこの者達を戦場に送る事になった。その事実に対して思う所はない。

 

自分の言葉があったとは言え、決断したのはこの者達だ。その事で負うリスクはこの者達自らが背負わなければいけない。唯一、自分に出来る事は言った言葉を嘘にしない事。それだけだった。

 

自分は舞台に立った。多くの人間を犠牲にする終わる事のない舞台。

 

終わりがあるとすれば、自分が死して灰になるその時だけ。

 

……後悔はない。もう始めてしまった事だ。

 

一刀が振り返ると平伏する凪達の姿。

 

凪達のその姿に一刀は言及する事なく、

 

「出陣は十日後だ。凪と晶と陸は希望する者を兵として迎えて、その者達の訓練。風と叡理はこの城に残っている物資や兵糧の取り纏めとその他の雑用。人が必要ならお前達の判断で召し抱えていい」

 

それだけを言い残して城に戻って行った。

 

 

 

 

一刀が去った後、風が口を開く。

 

「……凪ちゃん、風はお兄さんを見誤っていました。昔のお兄さんと違う事はわかっていましたが、まさかあれほどとは……」

 

「風様、それは自分もです。民達に語っていた時の隊長の覇気は間違いなく……五年前の華琳様を越えていました」

 

「そですねー。風が思わず平伏する程の覇気でしたからねー。それだけではなく、民を惹き付ける演説に立ち振舞い、……風は起こしてはいけない人を起こしてしまったのかも知れません」

 

五年前と余りに違う一刀を改めて見て、凪と風は思う所があるのか戸惑いを隠せない表情になる。そんな二人に喝を入れる様に話に割り込んだのは晶。

 

「お前達は難しく考え過ぎだ。私は昔の一刀様を知らんが、それでも命を懸けるに値するお方というのは、今日のお姿を見て改めて確信した。……お前達はそうではないのか?」

 

晶の単純にして真っ直ぐな言葉は二人の表情を晴れさせる。

 

「風とした事がお兄さんの変わってしまった所ばかりを見て動揺してしまいました」

 

「はい、自分から見ても確かに変わった所はありますが、根本的な所では昔の優しい隊長のままです」

 

「ちょっと三人で盛上がらないで下さいよ!僕も兄さんの為に戦うと決めているんですから!」

 

「……私も力及ばずながら一刀様の為に尽力するつもりです」

 

陸と叡理が必死に自分の存在を主張する。

 

「おぉ!お二人の影が薄いので、風の頭からお二人の存在が抜け落ちていましたー」

 

風は二人に対してからかいの言葉で返す。

 

「「なっ!」」

 

「二人共、本気にしないで下さい。風様は二人をからかっているだけですから」

 

「そうだな、風の言葉を一々、本気にしていたら切りがないぞ。私はもう慣れた。そんな事より一刀様の命を果たすべきだと思うが……」

 

「確かにそうですね。風様も二人をからかうのはそれくらいにして、隊長の命に取り掛かりましょう」

 

「はいはーい、それでは叡理ちゃん、とりあえず先に兵糧を確認しに行きますよー」

 

「晶、陸、自分達も行きましょう。十日という短い期間ですが、出来る限りの精鋭を隊長にお渡ししなければ……」

 

凪達はそれぞれ自分達のやるべき事をなす為に各自の持ち場に向かう。

 

 

 

そして十日後、高長恭が歴史の表舞台に姿を現す。それは戦いの始まり。

 

後に程仲徳によって記された高長恭の戦いの記録。その書の名は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼龍伝』と言った。



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蘭陵王出陣

……いつからであろうか?

 

自分の振るう剣が時折、音を置き去りにする様になったのは……

 

まだ、日も出ない夜深に、一刀は一人で刀を振る。それは中東から日本に戻って以来、欠かす事のない一刀にとっての日課。

 

それは、再び戦いの日々を送る事になっても変わる事はない。この時間から行う鍛練は既に一刀のルーティンになっている。

 

一刀の鍛練を知った凪達は、睡眠の短さを心配していたが、一刀からすれば寝ている間に死ぬ事を気にしなくていいだけで贅沢だと思っていた。

 

かつての自分は敵地で一人、いつ来るかわからない敵を気にしながら、銃を抱き眠っていたのだ。

 

いや、まだ眠れるだけマシで、状況によっては何日も眠れない日なんてざらにあった。

 

そのおかげと言っていいのか、一刀の身体は一週間は寝なくてもパフォーマンスは落ちなくなっている。

 

……いくら、この世界が出鱈目な事が多い世界だという事を考慮しても、自分が人外の領域に入っている事を一刀は自覚していた。

 

今、している剣の鍛練にしてもそうだ。風切り音が刀を振った後に聞こえてくる。完全に物理法則を無視していた。気の力の底上げがあるとは言え、元の世界で剣豪と呼ばれた者達も恐らく、今の自分には敵わないだろう。

 

此処までの力を手に入れてから、言うのもあれだが、一刀自身は強さに拘りがある訳ではない。

 

強くなる必要があるから強くなった。強くならなければ死んでいた。只、それだけなのだ。

 

それでも、ありとあらゆる死線を潜り抜けて身に付けた今の力は一刀にとって重厚なバックボーンになっていた。

 

 

 

頭に浮かぶそんな雑念を打ち消し一刀は無心で刀を振る。気が付けば、いつの間にか日が昇っていた。一刀はとめどなく流れる汗を持って来ていた布で拭い、交趾城の自分の居室に向かって歩き始める。

 

今日は旗揚げの日だった。だからと言って、一刀の心には何の変化もない。普通ならば緊張感や高揚感があるのかも知れないが、一刀の心は平静なままだ。

 

有り体に言ってしまえば、どうでも良いと思っていた。自分が交州を制覇してさらにその先に進む事になろうが、それすら出来なくて初戦で討ち死にしようが一刀にとっては些細な事。

 

皆に望まれたから立った。立った以上はそれなりの事をしようとは考えているが、一刀自身には何の望みもない。

 

交州を支配すれば、ある程度の権力という力は手に入るが、一刀は元より、そんな力は望んでないし、あてにもしていない。

 

権力という力がどれ程あやふやな物かなんて、権力者を打ち倒した自分が一番良く知っている。権力を持っていても人間には変わりない。銃で撃てば死ぬし、ナイフを突き刺しても死ぬ。

 

そうなった時には権力なんて物は何の役にも立たない。多くの権力者の人生の幕を引いて来た自分だからこそ断言出来る事であった。

 

「隊長、おはようございます」

 

居室に戻る途中、凪が一刀に朝の挨拶を述べる。一刀を待っていた様だ。

 

「あぁ、おはよう。凪」

 

「……隊長、昨夜はお眠りになれましたか?」

 

「いきなりどうした?」

「いや、その…今日は隊長の旗揚げの日でございますから……」

 

どうやら、凪は一刀を心配して様子を見に来てくれたらしい。

 

一刀はそんな凪の気持ちに感謝しつつ、言葉を返す。

 

「……凪、俺は大丈夫だ。五年前の俺を知っている凪からすれば心配なのかも知れないが、この程度の事で慌てふためく様な甘い道を歩んで来てはいない」

 

「……それはわかってはいますが、それでも自分は隊長の事が心配なのです」

 

そう言う凪の表情には一切の偽りはない。凪が相手でも表情や所作を見て、真意を読み取ろうとする、もはや習性と言っても良い自分の癖に反吐が出そうになりながらも、一刀は凪を抱き寄せる。

 

「凪、お前は変わらないな。今の俺は天の御遣いでもなければ、警備隊隊長でもない。それどころか北郷一刀ですらないのに、お前は昔も今も変わらず一途に俺を慕い隊長と呼び続けてくれる。そんなお前に俺はどれ程救われたかわからない」

 

「自分にとっては隊長はいつまで経っても隊長です。隊長が如何に変わられようとも、それは変わりません」

 

「あぁ、それで良い。これから俺は様付けなどで呼ばれる事が増えるだろう。それでもお前は俺を隊長と呼び続けろ」

 

「はい!」

 

自分は天の御遣いを捨て、魏国を捨て、名前すら捨てた。……それでも捨てられない想いはある。

 

それで良いと一刀は思っていた。

 

 

 

過去を全て捨てるなんて出来るはずがないのだから……

 

 

 

「……風、覗き見はそれ位にしたらどうだ?趣味が悪いぞ」

 

一刀は凪から身を離し、二つ先の柱に向かって声を掛ける。

 

「えっ?風様?」

 

「お兄さんが何の事を言っているのか風には分かりかねますねー。風はたった今、この場を通りかかっただけですし」

 

そう言って風が柱の陰から出て来る。

 

「それにしては、俺と凪の会話を全て聞いていた様だが?」

 

「ぐぅ~」

 

「おぉ、可憐な少女がこんな所で寝ているなんて無用心な。このままだと、暴漢にどんな酷い目に合わせられるか…いや、いっその事、俺が部屋に監禁してその身体を思う存分味わうのもいいな」

 

一刀は風を抱き抱えて、芝居がかった口調で言い放つ。

 

「おぉ!お兄さんの余りに変態ちっくな発言で目が覚めてしまいましたー。……でもお兄さんが風の身体を味わいたいと言うなら、風としてもやぶさかではありませんよー」

 

「……馬鹿」

 

一刀は風を下ろし、軽く頭を小突く。

 

「風も心配して、様子を見に来てくれたんだろう?ありがとな」

 

自然な笑みを浮かべて礼を言う一刀に風は呟く。

 

「……お兄さんはズルいのですよー」

 

一刀はその言葉を聞こえない振りをしてやり過ごした。自分のズルさなんて物はわかっている。昔の自分は無自覚でやっていたが、今の一刀は自覚して人身掌握の手段としてそれを行っている。

 

恐らく、風はそれを見抜いているかも知れない。それでも見ない振りをしてくれるのだろう。

 

聞こえない振りに見ない振り。……狐と狸の化かし合いと変わりはしなかった。

 

そんな内心を打ち消すかの如く一刀は風に尋ねる。

 

「ところで晶達は?」

 

「皆さん、既に玉座の間でお兄さんを待っていますよー」

 

「それは悪い事をしたな。俺は着替えてから向かうから、お前は先に行っててくれ」

 

「了解しました」

 

「わかりましたー」

 

一刀は二人と別れて、自分の居室へ急ぐ。

 

居室に戻ると、侍女が既に自分の軍服を用意していた。一刀は汗を吸って重くなった修練着を脱ぎ捨て、軍服に袖を通す。侍女には修練着を持って下がる様に伝える。

 

これから装備の確認をするからだ。手札は誰にも見られたくなかった。

 

自分の戦い方は初見殺しが結構多い。故に装備の確認は常に一人で行う。何処から漏れるかわからない。警戒はしておくべきだろう。

 

装備の確認を終えた一刀は少し速足で玉座の間に向かう。そして玉座の間に到着した一刀は頭の中で過去の記憶がフラッシュバックする。

 

玉座を挟んで並び立つ凪達。かつての自分もその列の中に居た。……けれど今は違う。

 

一刀は迷う事なく、中央にある玉座に向かい歩を進める。王たる者の居場所。昔、華琳の戯れで一度だけ座った事がある場所。

 

一刀はその時の事を思い出して、微かに笑みを浮かべ、ゆっくりと玉座に腰掛けた。

 

「皆、ご苦労。……風、現状の説明を」

 

「我が軍は歩兵二万三千に騎馬が二千の総数が二万五千の兵ですねー」

 

一刀が思ったより遥かに多かった。二万五千という兵力は後ろ楯のない人間からすれば破格の兵力だ。一刀の予想では一万もいかない可能性も考えていた。

 

「……多くないか?」

 

「それはお兄さんの演説のおかげですよー。義勇兵五千に士徽さんの持っていた二万がそのままお兄さんに降りましたから」

 

「義勇兵はともかく、士徽の兵は信用出来るのか?」

 

「お兄さん、兵もまた民なのです。それにこの地には兵達の家族も住んでいますから、今の士一族の圧政は兵達にとっても好ましい事ではないのですよー」

 

「……そうか、俺としては戦の最中での寝返りがないなら何だっていいさ。不確定要素があるのが、一番困るからな」

 

「その心配は恐らくないかと」

 

「兵糧や武具はどうだ?予想を超える人数が居るなら不足するんじゃないのか?」

 

「そちらの方はギリギリですねー。今回の戦いは大丈夫かと思いますが、何かあった時の余裕はないかと」

 

「兵糧や物資に関しては俺に考えがある。だから今回の戦の分が確保出来ているなら問題ない」

 

……元の世界から持って来た切り札を切る機会が来たな。てっきり死蔵するかと思っていたが……

 

「では、お兄さんの案に期待させて頂きますねー。それで敵軍の情報ですが……」

 

「交州は広い。陥すべき敵の拠点はわかっているのか?」

 

「そうですねー。幾つかありますが、風としては九真郡と南海郡を攻める事をおすすめするのですよー」

 

「その理由は?」

 

「九真郡の太守、士燮さんの弟の士壱さん、南海郡の太守、お兄さんが討ち取った士徽さんの弟の士幹さん、この二人が交州で一番に力を持っている様なので……」

 

「頭を潰す訳だな」

 

「はい、この二人さえ討ち取ってしまえば、後は烏合の衆かと」

 

「で、どちらからだ?」

 

「九真郡の兵力は四万、南海郡の兵力は二万三千、確実を期する為に南……」

 

「九真郡だ」

 

一刀が風の言葉を絶ち切る。

 

「……お兄さん、何故でしょうかー?」

 

「風、お前の意見は軍師として正しい。だが、正しいだけだ。それだけでは人は着いて来ない。俺達は何故兵を挙げた?」

 

「それは、民の皆さんに望まれて……」

 

風は言いかけた言葉を途中で止めて、一刀の言いたい事がわかったのか、不敵な笑みを浮かべる。

 

「お兄さんは名も実も取りに行くつもりなんですねー」

 

「そうだ、俺達は交州の民の期待を背負っている。だが、人の心は移ろいやすい。だからこそ、最初に力を見せ付けて風評を得なければならないんだ」

 

「それなら確かに交州で一番に兵を持つ士壱さんを倒すのが手っ取り早いかと。……ですがお兄さん勝てると思っているのですか?士壱さんは戦場となる地を恐らく見通しの良い原野を選んで来ますよー」

 

風の言っている事はわかる。敵軍からすれば、数の利を生かす為に正面からの戦いに持っていきたいだろう。それがわかって、なお、一刀は超然と言い放つ。

 

「それが、どうかしたのか?」

 

「……お兄さん、状況はわかっていますよね?」

 

「あぁ、二万五千と四万が正面からぶつかると言う話だろう」

 

「でしたら……」

 

「それでも俺のやる事は変わりはしない。敵が誰であろうと、何人居ようと、俺の前に立ち塞がるならば全て踏み潰す。自分の世界に居た数年、俺はそうやって生きて来た」

 

一刀の言葉には一切の迷いや怖れはない。常に逆境の中で生きて来た一刀からすれば、この程度の事では、その心に僅かな揺らぎも生じない。

 

そんな一刀の様子に風も諦めた様にため息を吐く。

 

「お兄さんがそこまで言うなら、風としてもこれ以上は言えないですねー。……では先陣は晶さんに……」

 

「先陣は俺だ」

 

「お兄さん、流石にそれは軍師としては却下させて頂きたいのですよー」

 

「風、却下は却下だ。俺は民に先頭に立って戦うと宣言した。ならば最低でも初陣はその姿勢を見せなければならない」

 

「……考え直すおつもりは?」

 

「ない」

 

「……」

 

玉座の間を静寂が包み込む。一刀は自分が先陣に立つ事を凪も反対してくるかと思っていたが、何か言いたそうな目をしながらも沈黙を守っていた。

 

その辺りは流石に五年前の乱世を戦い抜いた軍人だった。自分の分を心得ている。作戦の立案は自分が口を挟む事ではないと考えているのだろう。

 

静寂が漂う玉座の間。それを破ったのは、風の先程より大きなため息だった。

 

「……お兄さんは軍師泣かせですねー」

 

「すまないな、風」

 

「主君の望みを叶えるのも軍師の務めと言えるでしょうから、今回はお兄さんのやりたい様にして下さい」

 

何処か投げやりな風の言葉。しかし、その瞳に期待の光が灯っている事を一刀は気付いていた。そんな風の様子に心で苦笑いを浮かべつつ、一刀は玉座から立ち上がり仲間達に命を下す。

 

「作戦は決まった!これより八刻(二時間)後に出陣する!皆、宜しく頼む!」

 

「「「御意!!」」」

 

仲間達それぞれが、自分の持ち場に向かう中、一刀は一人、玉座で考えを巡らせる。間違いなく、交州を取ってめでたしめでたしでは終わらないだろう。

 

むしろ、そこからが始まり。蜀と呉の二国とどの様に接するか。そして魏とは……

 

一刀の頭に浮かんだ華琳の顔。それをかき消す様に頭を何度か振り、呟く。

 

「……なる様にしかならないか」

 

その言葉は誰にも聞かれる事なく、虚空へと消えた。



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孤高の戦場

砂塵が舞っていた。その土煙と共に現れるのは、士壱率いる四万の大軍。

 

一刀が近くの兵に目をやると、緊張と恐怖からか震えている。交州の兵にとって敵味方は関係なく、今日が初陣。

 

無理もない。自分も一緒だった。この世界の戦いでは基本的に安全圏に居たからそうでもなかったが、元の世界の戦いでは緊張と恐怖で震えていた。終わった時には失禁もしていたのだ。

 

……だから恐怖を感じる事に恥じる事はない。

 

一刀は心の中で兵にそう語り掛ける。こればかりは慣れるしかないのだ。

 

この場に到着するまでの約半月の行軍中、一刀は兵の心を理解する事に努めた。

 

兵達と同じ様に歩き、兵達と同じ物を食べ、兵達と語り、兵達と共に粗末な幕舎で寒さを感じながら布を一枚、地面に敷いて寝る。

 

仲間は晶を除き、全員反対した。大将のする事ではないと、一刀からすれば、自分が大将と言う自覚はある。けれど大将の地位自体はどうでも良いと思っていた。

 

そもそも、大将とは何なのか?一刀は皆に問いかける。返って来た答えは一刀にとって納得出来る物ではない。旗印、導く者、挙げ句の果てには光と言う意見もあった。

 

どれも自分に似合う物ではない。一刀は民にとって完全無欠の王を演じると決めた。それでも自分の在り方を全て捨てるつもりもなかった。

 

行軍中は馬に乗り、兵より良い物を食べ、兵を数でしか見ない、豪華な幕舎で眠る様な王が良いなら、他の人間を立ててくれと仲間達に言い放つと皆が黙り込んだ。

 

それに一刀は無理して兵達に合わせている訳ではない。昔の自分の方がもっと劣悪な環境に居たのだ。兵達と同じ待遇は一刀にとっては苦でも何でもなかった。

 

自分の仲間は地べたを這いずり回った経験がない。凪は義勇軍の大将だったし、他の皆は良い所の生まれだ。唯一、晶だけは叩き上げなだけあって、一刀のやる事に理解を示した。

 

上から目線で見るだけでは駄目だった。それでは見上げる者の気持ちはわからない。

 

そして兵の気持ちがわからない者に兵の心は掴めない。勿論、華琳や劉備の様に圧倒的なカリスマで人を惹き付ける例外は居るが、自分は彼女達ではない。地道な努力を怠るべきではないだろう。

 

仲間達に同じ事をやれと言うつもりもなかった。女性であるし、こういうのは一番上の自分がやるから効果的なのだ。

 

「お兄さんは呉起になるつもりですか?」

 

風に言われて、過去に自分と同じ事をやった人物を思い出した。呉起も自分と似た様な事を考えていたのだろう。

 

この世界の今より六百年前にそういう考えを持てたと言う事は素直に感心する。流石は歴史に名を残す軍略家だった。

 

されど、亡き王にすがり付いて、矢で針鼠なんて無様な最後は一刀としては御免被りたい。どうせ死ぬなら戦友達と同じ様に戦いの中で死にたかった。

 

一刀は自分達に迫って来る軍勢を眺める。どうやら此処では自分は死にそうにない。圧倒して来る物を感じないのだ。

 

立ち昇る軍気が何処か頼りない。数が多いから士気はそれなりに高いがそれだけだった。

 

敵軍の中から髭面の男が進み出て来る。恐らく士壱だろう。

 

「貴様が高長恭と言う盗人か!?漆黒の鬼面龍などと持て囃されて随分といい気になっているらしいな!我が甥、士徽の仇を此処で取らせてもらう!」

 

士壱は自分に舌戦を仕掛けているらしい。華琳なら華麗で勇壮な言葉で返答するのだろうが、一刀はそんな物に付き合うつもりはない。

 

……そう、自分が返すのは言葉ではない。

 

敵味方、全ての者の視線が自分に集まる。敵からは嘲りの視線。味方からは期待と不安が入り雑じった様な視線。

 

そんな中、一刀は仲間に向けて言葉を発する。

 

「……今から俺は兵達に力を与える。だから俺がやる事を黙って見ていろ。……凪は歩兵、晶は騎兵、仕掛ける機はお前達に任せる」

 

一刀はそれだけを言い残して、一人、敵軍に向かって歩き始める。後ろで仲間達が何かを言っているが、気にも止めなかった。

 

冷たい風が歩く一刀の頬を打つ。

 

……もう冬なんだな。

 

一刀の頭に過ったのはそんな事だった。

 

敵軍まで残り一里(五百メートル)の距離まで近付いた時、一刀は駆け出した。

 

右手で刀を抜き、左手でワイヤーを展開。予想外の事に驚愕の表情を浮かべている敵兵に向けて一刀は斬り込んだ。

 

何が起こったのかわからないと言う顔で崩れ落ちる敵兵。一刀はその姿を最後まで見る事なく、次の敵兵を斬り捨てる。

 

鮮血が舞う。その血が身体に掛かる事など躊躇わず、一刀は敵軍の中を突き進む。

 

一刀が刀を振れば血が翔ぶ。左手を動かせばさらに血が翔ぶ。

 

血に染まりながら一刀は自分を嗤う。元の世界でもこの世界でもやっている事は変わらないなと……

 

どこまでいっても自分は一人で戦う事を望むらしい。

 

死に逝く敵兵に何の感傷も抱くことはなく、機械の様に只、刀を振り続ける。

 

 

 

 

「……独り群せず、振るうは心滅の刃」

 

 

 

一刀は敵兵を斬り捨てながら呟く。それが今の自分なのだろう。

 

気が付けば、一刀の周りには数百の敵兵の亡骸。自分を見る敵兵の顔にはもはや、恐怖しか映っていない。

 

体力と気にはまだ余裕がある。その気なれば数千くらいなら斬れるとさえ思う。

 

一刀が敵軍の奥に視線を向けると、いつの間にか二里(一キロメートル)程下がった士壱の呆然とした表情。

 

そんな士壱に一刀は心の中で問いかける。

 

 

 

 

……いいのか?そんな所で馬鹿面を晒していて?其処は俺の間合いの中だぞ!

 

 

 

 

一刀は瞬刻を発動しようとしたが、寸前で思い止まる。

 

自分の軍をそこまで甘やかすのもどうかと思ったからだ。

 

この戦いで全てが終わるなら、一刀が片を付けても良いが、間違いなくそうはならない。

 

蜀と呉の二国と戦う可能性を考えるなら、少しでも経験を積ませておきたかった。

 

それに、ここまでお膳立てして負けるならば、自分の軍は所詮その程度なのだろう。それならば、仲間達を逃がす事を考えるべきだった。

 

その様な事を思っていた時、一刀の背後から無数の雄叫びが響き渡る。凪と晶が動いた様だ。

 

一刀は刀を鞘に収め、その場で立ち尽くす。この戦いでの自分の役目はもう終わった。

 

兵達が一刀の左右を駆け抜けて行く。駆け抜ける兵達の顔に恐怖の感情はない。

 

当然だった。兵達の士気を上げる為に、自分は蛮勇を奮ったのだから。

 

 

 

暫くして、晶が士壱の首を挙げるのが見えた。兵達の間で歓声が沸き起こる。

 

兵達の歓声を聞いても、一刀にはやはり何の感慨もわかない。

 

ふと、背後を見ると、自分の牙門旗が……かつての島津十字とは違う漆黒の高旗が風で棚引いていた。

 



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命の答え

幼い頃から病弱だった。

 

心の臓の病。自分の家の医者からは二十までは生きられないと宣告されていた。

 

自分の家は漢王朝で代々続く名家で財産はある。母はその財産を使い自分の家の医者だけではなく、あらゆる所から医者を呼び寄せて、自分を診せたが、どの医者も答えは変わらなかった。

 

病は遺伝だった。父も自分ほどではないが、心の臓を患っていた。その父は末の弟を母が身籠っている時に亡くなっていた。

 

八人の兄弟、その中で病を患っていたのは自分一人。何故自分だけが、そんな思いを抱いたのは一度や二度ではない。

 

外で元気に走り回る他の兄弟、外に出る事すらほとんど出来ない自分。

 

心に鬱屈した物が溜まっていく。身体さえ動けば、他の兄弟に決して負けない。幼いながらもその自負はあった。

 

だが、自分がいくらそう思おうと現実は変わらない。刻一刻と迫り来る死と相対する毎日。

 

そんな身体だから友も居ない。母も自分の事は諦めたのか、使用人を一人付けて後は放置だった。

 

恨みはしなかった。無理もない。他に期待出来る子供が七人も居るのに、二十まで生きられない自分に関わっている暇はないだろう。

 

外にほとんど出られない自分にとって、書物だけが友と言える存在だった。幸い、自分の家は読む書物で困る事はない。家にない書物でも母に言えば、次の日には自分の部屋に置かれている。

 

書物を読むのは楽しかった。自分は乱読家らしく、史書、政書、兵法書、経済書、農法書、詩に至るまで、何でも読んだ。

 

知識が増える度、自分に出来る事が増えた様な気がして嬉しかったのだ。

 

それと同時に虚しさも感じていた。どれだけ知識を蓄えても自分がそれを役立てる事はない。

 

 

 

……絶望していた。

 

 

 

確かに自分は衣食住に困る事はない生活を送っている。それでも大抵の人に与えられる健康な身体と言う物がないのだ。

 

広い屋敷の中で耐え難い苦痛を感じながら死ぬ時を待ち続ける日々。

 

 

 

……彼女に出会ったのは、そんな時だった。

 

 

 

その日は、珍しく体調が良く、使用人を連れて自分は書物を求め街を歩いていた。

 

ふらりと立ち寄った書店。其処に二人のお付きの少女を従えた彼女が居た。

 

輝く様な金色の髪、それに負けない可憐な容姿、何より自分を惹き付けたのは、彼女から溢れる生命力。

 

自分とは正反対の彼女の存在に、一瞬で絶望で色を喪っていた世界が鮮やかに色付いていく。

 

人と会わない生活をしていた故に経験がなかったが、

 

 

 

 

……これが恋と言う感情である事は直ぐにわかった。

 

 

 

 

自分が見とれている事なんて、気が付かない様子で彼女は書物を何冊か購入し、去っていく。

 

そんな彼女の背中を見えなくなるまで見送った後、自分は使用人に頼み、彼女の事を調べる様に告げる。どうしても彼女の事を知りたかった。

 

死を待つだけの生を送る自分にこれほどの情熱があるとは思っていなかった。自分は冷めた人間だと思っていたからだ。

 

使用人の報告で彼女が曹家の令嬢にして後継ぎだと知ったのは、数日後の事。

 

その事を知った時は落胆の気持ちを隠せなかった。彼女の家が名家だからではない。確かに曹家は漢でも有数の名家だが、自分もそれに負けない司馬家の人間だ。

 

家の釣り合いは取れていた。問題は彼女が後継ぎだと言う事だ。結婚するとしたら間違いなく婿を取る事になる。自分は次男で婿に行く事自体に支障はない。

 

だが、二十まで生きられないと言われている人間を曹家は婿にしようとは思わないだろう。

 

 

 

……どこまでいっても自分の邪魔をする身体だった。

 

 

 

それでも今までと違い、絶望はしなかった。自分はまだ生きている。生きていると言う事は可能性があるのだ。

 

そこまで考えて我に返る。自分は彼女と一緒になれる方法を探しているが、彼女は自分の事を知りもしない。

 

先走りも良い所だった。されどお互いに顔も知らない相手と結婚するのは、名家の生まれなら当たり前の事でもあった。

 

その日から、身体を動かす事を始めた。やれる事から始めようと思ったのだ。

 

自分の身体は少し動かすだけで悲鳴を上げる。気を失う事も珍しくはなかった。

 

それでも辞めようとは思わない。どうせ死ぬにしてもやれる事を全てやってから死にたかった。

 

自分が必死に身体と戦っている間にも世は動く。漢王朝は腐敗し、大陸各地に賊が横行する。

 

乱世の始まりだった。彼女も陳留の太守としてその流れの中へと飛び込んで行く。

 

乱世が進むに連れて覇王の階を昇る彼女。その彼女を支えるのは天の御遣いと言われる北郷一刀。自分は見ている事しか出来ない。

 

 

……悔しかった。どうして其処に居るのが、自分ではないのだ!

 

 

自分は北郷一刀に嫉妬していた。だからと言って現状は変わりはしない。今の自分には何も出来はしないのだ。

 

自分が悔しさで歯噛みしている間に彼女は大陸を平定するという覇業を成し遂げていた。

 

 

 

……魏の覇王、曹孟徳。

 

 

 

彼女は既に自分の手の届く存在ではなくなっていた。唯一、自分の心を慰めたのは、彼女の覇業に重きを為した北郷一刀が天の世界に帰ったと言う事だけ。

 

そんな事で心を慰めている自分に反吐が出そうだった。北郷一刀が居なくなったからといって、自分が彼女と一緒になれる訳ではない。

 

周りが三国同盟に浮かれる中、一人屋敷で鬱ぎ込む。それから数ヵ月後、自分は十九になっていた。

 

医者から宣告された死まで一年を切っている。心にあるのは、焦燥感と諦観という相反する二つの感情。

 

……ここで死ぬなら自分の生は一体、何であったのだろう?

 

その疑問に答えてくれる者は居ない。故に自分に問いかける。

 

しかし、いくら問い続けても答えは出ない。思考はぐるぐる回って最初の疑問に行き着く。無限の回廊を歩いている様な物だった。

 

 

 

……命の答え。

 

 

 

今の自分にはわからない。いや、それを知っている人間など居ないのかも知れない。自分の生の意味を考えて生きている人間はそう多くはないだろう。ならば自分は土に還るその日まで問い続けよう。

 

そこまで考えた時、自分の中の焦燥感や諦観が消えた。

 

日が経つ事に弱っていく身体。寝台から見える窓の景色だけが自分の世界。外では雪が舞う。

 

凍える様な寒さの中、そんな寒さに負けずに咲く冬の花が自分は好きだった。

 

自分にない強さを持っていると思ったからだ。そんな冬の花を飽きる事なく眺める。

 

死ぬ覚悟は既に出来ていた。恋をした彼女とは話をする事も出来なかったが、それも自分の天命だろう。只、一つ気掛かりなのは、使用人の少女。

 

少女は自分の世話役にする為だけに母が引き取った孤児だった。自分が死ねばどうなるのか?

 

懸命に自分に仕えてくれた少女。どうか幸せになって欲しかった。

 

そういえば今日はその少女の姿を見ていない。普段はいつでも自分に近くに居るのに……

 

「八雲様!!」

 

たった今、頭の中に居た少女の大きな声に驚くと同時に安堵する。

 

自分の元へ姿を現した少女は一人ではなかった。少女の背後にはまだ若い赤髪の青年。

 

 

 

 

 

 

 

 

……それは自分にとって奇跡の始まりだった。

 



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勝ち取るべき心

使用人の少女が連れて来た青年は華佗と言う名の医者だった。少女が街で病人を診察している姿を見て、此処に連れて来たのだ。

 

医者という言葉に心が僅かに動く。そんな心の動きに気付いた八雲は自嘲気味に嗤う。死ぬ覚悟は出来ているつもりだったが、生きたい気持ちを捨てきる事は出来なかった。

 

華佗は八雲に自分に診察させてくれと願い出て来た。そして八雲はその申し出を受けた。

 

期待はしていない。今まで散々、期待を裏切られ続けて来たのだ。期待のしようがなかった。それでも診察を受ける事にしたのは、自分の事を思って華佗を連れて来た少女の気持ちに応える為だった。

 

自分の胸の辺りを見て、華佗は何かと戦っている素振りをしながら、ぶつぶつと何事かを呟く。そして一言。

 

「治るぞ。もう少し遅ければ危なかったが、今ならまだ間に合う」

 

八雲は自分の耳を疑った。この言葉は時が経った今でも忘れる事が出来ない。

 

華佗の言葉に嘘はなかった。大声で叫びながら八雲の身体に鍼を打ったと同時に八雲は自分の身体が感じた事ないほどの活力に満たされているいく。

 

「治ったぞ。病魔は完全に消滅した」

 

華佗の言葉に八雲は恐る恐る自分の身体を動かす。寝たきりの生活で上手く動かなかったが、それでも今までの自分の身体と違う事がはっきりとわかった。

 

八雲は暫し呆然と立ち尽くす。頭の中を駆け巡るのは、これまでの二十年。様々な事を諦め続けた二十年。

 

自分はもう何も諦めなくて良いのだ。その事が実感出来た八雲は泣いた。

 

男は泣くものではない。そう思い、二十年という長い間堪え続けた。八雲にとって生涯でたった一度の涙だった。

 

使用人の少女、郭淮もそんな八雲の姿を見て泣いていた。郭淮……六花は自分の苦しむ姿を見続けてきた八雲にとって唯一の理解者だった。

 

もし、自分が治った事を知って他の家族が泣いて喜んでも八雲は何とも思わない。六花だからこそ八雲も嬉しかった。

 

その日から八雲の生活は変わる。毎日、武芸の鍛練をする事にしたのだ。

 

剣を振り始めて思うのは、自分には武の才はない。隣で槍を振るう六花とは比べ物にすらならない。けれど、八雲にとってそんな事はどうでも良かった。剣を振るという事自体で満足していた。

 

今までの自分はそれすらも出来なかったのだ。それに八雲は武の人間ではなく、知の人間だと思っている。これからはそちらを生かせば良いと漠然と考えていた。

 

身体が治ってもう一つ、始めて経験した事がある。

 

 

 

……女と交わる事。

 

 

 

相手は六花だ。八雲から言った事ではなかった。八雲は街の娼館で女を経験するつもりだった。

 

その事に対して六花は強硬に反対した。そんな所に行く位なら、自分を抱いて欲しいと八雲に懇願したのだ。

 

……本気の目だった。

 

六花がそのつもりなら言う事は何もない。八雲にとって六花は大事な人であるし、女としての魅力を感じる事も多々ある。恐らく自分の身体がまともならもっと早くにそういう事をしていてもおかしくなかった。

 

八雲は六花を抱き締め、寝台に押し倒す。

 

初めての女体、八雲の身体に身を切る様な快感が駆け巡る。

 

窓から月が二人を照らす。八雲と六花の身体が汗に濡れる。叫びに似た喘ぎ声を挙げる六花。

 

その声を聞いても八雲は止まらない。女体に溺れている事を自分でもわかっていた。それと同時に自分が生きている実感を感じていた。

 

六花の身体がのけぞり、白目を剥き痙攣を始める。八雲は六花がこのまま死んでしまうのではないかと思ったが、自分の背に回された六花の腕にさらに力がこもる。

 

それを感じた八雲は辞めようとは思わなくなっていた。六花も辞めてくれとは言わなかった。何度も気を失いながらも八雲を受け入れ続ける。

 

獣の様に交わり合った後、微かに息をしているだけで死人の様に弛緩している六花の隣で八雲は眠りに落ちた。

 

翌日、太陽が西に沈みかけた頃に目を覚ました八雲が見たのは隣で自分を顔を見ながら微笑んでいる六花。

 

その姿は昨日までの六花とは違う様に八雲には見えた。恐らく六花から見た自分も変わった様に見えるだろう。

 

昼は武芸の鍛練と書見、夜は六花と交わる。寝たきりで何も出来なかった時に比べれば遥かに良い生活。

 

それでも八雲は満たされてはいなかった。ふとした時に頭を過るのは彼女の顔。

 

一度は諦めたはずなのに、喉元を過ぎれば欲が出てくる。

 

八雲はそんな自分を浅ましいとは思わない。それが生きるという事の一部だと思う。

 

自分の探す命の答えはまだわからない。もしかしたら死ぬまでわからないのかも知れない。だから八雲は生きたい様に生きると決めた。

 

 

 

 

……自分はもう何も諦めたりはしない。

 

 

 

 

そう考えた八雲は魏に仕官する事を申し入れた。門前払いされる人間が多い中、八雲は無事に試験を受ける事に成功する。自分にとって初めて家名が役に立った。

 

そして次の日、八雲の姿は重臣達が列をなす、玉座の間の末席にあった。

 

試験に自信があったとは言え、侍中から少しずつ出世するつもりだった八雲からすれば嬉しい誤算だった。

 

こうなった理由も予想はついていた。恐らく兵を率いた模擬戦で夏候淵を叩きのめしたからだろう。

 

夏候淵は用兵は上手かった。基本に忠実で理にかなっている。戦乱の最前線に立っていただけあって実戦も想定した指揮。こういう指揮官の下なら兵も安心して戦えるだろうと思う。

 

只、怖さがなかった。

 

基本に忠実で理にかなっているという事は想定外の事をしてくる事はないという事。

 

自分にとって戦いやすい相手だった。夏候淵は実戦ではやらない様な八雲の奇策に嵌まり崩れた。

 

例えば張遼が相手ならこうは上手くいかなかったと思う。想定外の動きをしてくる可能性があるからだ。

 

何にせよ、運が良かった。そして自分はこの運を手放すつもりはない。

 

八雲は別に地位や名誉が欲しい訳ではなかった。……欲しい物は只、一つ。

 

それを手に入れるにはなんとしても出世をしなければならない。そうしてやっと道が拓けるのだ。

 

彼女……華琳から真名を預けられた八雲は軍事と政治両方の分野でさらに高みを目指し邁進する。

 

魏には優れた人材が多いが、軍事と政治の両方が出来る人材は王である華琳しか居ない。

 

そして、華琳一人で全ての面で対応するには魏の領土は広すぎた。

 

次第に古参の臣の中で頭角を表す八雲。しかし魏の中では八雲は孤独だった。

 

魏の重臣の誰もが自分と距離を取る。正確には男と距離を取る。それは王である華琳も変わらない。

 

誰もが今は居ない北郷一刀を想っていた。

 

重臣達が北郷一刀を想っていようと八雲は何とも思わないが、華琳の時折見せる憂い顔は八雲の心に波を立てる。

 

それを抑え込み華琳に尽くす八雲。そうする事でしか自分の想いを華琳に示せなかった。

 

焦りはしなかった。いくら華琳が北郷一刀の事を想っても北郷一刀はもう居ない。

 

いずれ、自分に振り向いてくれる時が来ると八雲は信じていた。

 

そう信じ続けて二年と数ヵ月が経った頃、八雲は古参の臣を差し置いて魏の家臣筆頭になっていた。

 

ある日、華琳に呼ばれ、華琳の私室に向かう。玉座の間ではなく、私室に呼ばれた事は疑問だったがそれは今考えても仕方のない事。

 

華琳の私室に到着した八雲は北郷一刀が残した天の世界のノックという訪いを入れる。

 

「華琳様、八雲で御座います」

 

「入っていいわよ」

 

華琳の許可を受けて、部屋に入った八雲は華琳と相対する。華琳は私室という事で服装は楽な物であったが、その服装とは似合わない程に表情は真剣な物だった。

 

「良く来たわね」

 

「この度は一体、何のご用でしょうか?前に言っていた治水工事の見積書なら明日にでもお持ちしますが……」

 

「その事ではないわ」

 

「それでは……」

 

「八雲、貴方が私に仕えてから二年と半年が過ぎたわね……」

 

「はい」

 

「貴方は良くやってくれているわ。貴方が居なければ復興はもっと遅れていたでしょうね」

 

「過分なお言葉です」

 

頭を下げながら八雲は違和感を感じていた。自分の知っている華琳はこんな風に一人呼び出して家臣を褒める様な真似はしない。褒めるなら皆の前で褒める。そういう人間だ。

 

そんな八雲の心中に構わず、華琳は話を続ける。

 

「貴方は今の私にとって欠かす事の出来ない臣下……」

 

「華琳様らしくありませんね。私に命ずる事があるなら遠慮なくおっしゃって下さい」

 

八雲の言葉に華琳は微かに微笑む。

 

「わかったわ。……司馬仲達、貴方を華北四州の都督に任ずる!」

 

「……都督…で御座いますか?」

 

「あら?嬉しくなさそうね。大抜擢と言って良い人事だと思うのだけれど」

 

確かに大抜擢だ。しかし、八雲は心中穏やかではいられなかった。自分は地位を求めて魏に仕えた訳ではない。華琳の側に居たくて仕えたのだ。

 

出世を目指したのも少しでも華琳に近づく為、出世をし過ぎて華琳の側を離れる事になるなら本末転倒だった。

 

だが、否とは言えない。出世である事には間違いないのだ。

 

「……華北四州の都督の任、謹んでお受け致します」

 

八雲は何とかその言葉だけを述べて踵を返す。

 

「あぁ、それと貴方には私の婿になる事を命じるわ」

 

「はっ?」

 

「聞こえなかったのかしら?」

 

「いえ、聞こえてはおりました。理解が出来なかっただけで……」

 

「ふふっ、貴方のそんな顔は初めて見るわね。いつもは何事に対しても涼しい顔をしているのに」

 

今の自分の顔が間抜け顔である事はわかっている。そんな事を気にしていられない程に八雲は動揺していた。

 

「……ねぇ、八雲、私が今死ねば大陸はどうなると思う?」

 

「……それは」

 

戦乱に逆戻りに決まっていた。この大陸は華琳の力によって平和を保っている。そんな華琳が後継もない今の状態で亡くなれば蜀と呉が黙っていない。

 

「私には王として築いた平和を磐石にする義務がある。それには後継者は絶対に必要なのよ」

 

「……」

 

「八雲、貴方なら能力と家柄、どちらも申し分ない。それに容姿も良いし、……そして貴方が私を慕っている事も知っているわ」

 

華琳に自分の心を知られている事を八雲は知っていた。元より隠すつもりもなかった。

 

「確かに私は貴女を慕っております。その申し出は私にとってこれ以上にない申し出でもあります。……ですが天の御遣い様の事は宜しいのですか?」

 

言ってしまってから、余計な事を言った自分に八雲は内心、舌打ちを打つ。

 

「……一刀の事は…もういいのよ」

 

「ならば私から言う事はありません。華琳様の婿の件、是非ともお受けしたく存じます」

 

「……そう、なら、貴方が華北の都督になった後になるけど婚儀を挙げる事にするわ」

 

「はっ!」

 

それで終わりだった。華琳の私室を出て、自分の部屋に戻る八雲の心を占めていたのは、政治的な理由と言えど華琳と結婚出来る満足感。

 

そして自分が北郷一刀の事を聞いた時に華琳が一瞬だけ浮かべた切なげな表情、そんな表情を浮かべさせる北郷一刀への嫉妬心。

 

その二つだった。

 

婚儀は洛陽の宮中で行われた。八雲も当然ながら華北から帰って来ている。魏の王の婚儀とあって、蜀からは諸葛亮、呉からは先代の王孫策が華琳に祝いを述べに来ていた。

 

八雲自身もその二人から値踏みをされる様な視線に晒されていたが、気にはしなかった。自分が華琳の添え物に過ぎない事を理解していたからだ。

 

自分は華琳の名を落とさない振る舞いだけをしよう、と割り切ってもいた。

 

八雲が隣に居る華琳を見ると、堂々たる姿で来賓の相手をしている。

 

けれど華琳の表情に微かな翳りがある事に八雲は気付いていた。自分だけではなく、魏の重臣の皆が気付いているだろう。

 

華琳が自分の事を悪く思っていない事はわかっている。それと同時に自分の事を好いている訳ではない事もわかっていた。

 

結婚する理由を考えれば仕方のない事だった。これからお互いに想い合える関係を作っていけば良い、と八雲は考えていた。

 

官職に就く者達が列をなして延々と挨拶に来るという義務的な婚儀が終わり、闇が月を隠す新月の夜、華琳の私室に向かう八雲。

 

心の臓は今まで経験した事ない程、病が治る前ならそのまま死んでもおかしくない位に昂っていた。

 

部屋で八雲を出迎える薄手の衣を羽織った華琳。八雲にとって天女と見間違えんばかりの美しさだった。

 

二人は寝台に腰掛け口付けを交わす。その流れで八雲は華琳の衣を脱がしていく。華琳の白い裸体が燭台の火に照らされて露になった時、八雲は理性を失った。

 

そこから先は朧気にしか覚えていない。無我夢中だった。八雲の身体の下で喘ぎ声を挙げる華琳、そんな華琳の中に何度も精を放つ。

 

自分は夢を見てるのではないかと思ったが、全身が感じる快楽がそれを否定する。気が付けば華琳と二人、荒い息を吐きながら、寝台に横たわっていた。

 

このまま眠ってしまいたい、そんな気分に襲われたが、自分と華琳の結婚は魏の重臣達に良くは思われていない、わざわざ火種を作るのもどうかと考え、気怠い身体を何とか起こして自室に帰る。

 

 

 

それから間もなく、八雲は華北に戻って行った。

 

 

都督という任は八雲が想像していたよりも大変だった。やる事が王の職務とあまり変わらないのだ。

 

執務室に積み上げられた書簡を片付けて兵の調練を行い

、治安維持に努め、何とか時間を作り洛陽へ行って華琳と肌を重ねる。

 

忙しくはあるが、充実はしていた。華琳の自分に対する態度も柔らかくなって来ている。

 

八雲は満足していた。自分が求めていた物は手に入ったのだ、と思っていた。

 

 

 

 

 

……だが、それが幻だと気付くまでそれほど時は掛からなかった。

 

 

 

 

 

肌を重ねている時の華琳が自分を見てない事がわかったからだ。

 

寝台の上で抱かれながら八雲を見上げる華琳。

 

その瞳に映るのは自分の姿。……そう自分の姿のはずなのに、華琳は八雲でない誰かを見ていた。

 

それが誰であるかなんてわかりきっている。

 

 

 

 

 

……北郷一刀。

 

 

 

 

 

どこまでも自分の邪魔をする人間だった。八雲の中で北郷一刀に対する憎しみが募る。

 

それが逆恨みである事はわかっている。それでも憎まずにはいられなかった。

 

だが、余裕もあった。北郷一刀はもう居ない。今は無理でもいずれその影を華琳の中から消してやる。

 

そんな事を考えていた八雲に追い討ちをかける様な情報が洛陽から飛び込んで来た。その情報は

 

 

 

 

 

 

……北郷一刀の帰還。

 

 

 

 

 

それを聞いた時、八雲は自分の足下が崩れていく様な感覚を味わっていた。

 

 

 

 

 

……華琳が奪われる。

 

 

 

 

八雲はその事しか考えられない。焦っていた。自分と北郷一刀、どちらを選ぶと聞かれたら、民も、魏の重臣も、そして華琳も間違いなく北郷一刀を選ぶ。

 

 

……八雲に勝ち目はなかった。

 

 

だからと言って華琳を諦めたくはない。自分にとって人生で一度きりの本気の恋なのだ。

 

三日三晩、考えぬいて八雲が出した決断は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八雲様、準備は全て整いました」

 

六花の自分を呼ぶ声に八雲の意識は過去から戻り、ゆっくりと目を開ける。

 

八雲が居るの南皮の城壁の上、そこから自分の兵を見下ろしていた。

 

八雲の下した決断は魏に対する反逆。

 

今までの八雲には与えられた物しかなかった。都督の地位も華琳の婿も華琳から与えられた物。

 

与えられた故に取り上げられる事を恐れる。ならばどうする?

 

 

……勝ち取れば良い。

 

 

 

八雲は自分の力で魏を倒し、いや、大陸を平定し華琳を勝ち取る事を決めた。

 

大陸を平定しても華琳の心は手に入らない事はわかっている。自分の行動は意味のない物なのかも知れない。

 

それでもこのまま黙って諦めるなんて真似だけは出来はしない。八雲は北郷一刀の影で終わるつもりはなかった。

 

「六花、私の我が儘でお前には苦労を掛けてしまうな」

 

「八雲様は八雲様のなさりたい様になせば宜しいかと、私は八雲様をお支えするだけなので」

 

「……ありがとう」

 

一言だけ礼を言う。その一言にどれだけの想いを込めたかは六花は全て察してくれるだろう。

 

「さぁ、始めるか…」

 

 

 

晋国の建国宣言。八雲はその事を兵達に熱く語りながら、自分の心中が華琳の事以外どうでも良く、思ったより冷めているのを感じていた。

 




文章を簡潔にしてるからR-15でいけるはず(震え声)


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愛と殺意

精彩を欠いていた。

 

自分らしくもない失敗をここ暫く、数多く積み重ねている。明らかに執務に集中出来ていなかった。

 

理由はわかっている。彼が…一刀が帰ってきたからだ。その事を聞いて以来、常に一刀の事を考えていた。

 

 

 

……逢いたい、逢いたい、逢いたい。

 

 

 

一刀に対する想いは募る一方。それと同時に自分は一刀と逢う事は許されないと華琳は考えていた。

 

 

 

 

……どんな顔で逢えばいいのだ!?

 

 

 

自分はもう、一刀と違う男と夫婦になった。その自分がそんな考える事自体がおかしい。

 

それでも……許されないとわかっていても……華琳は一刀に逢いたかった。

 

一刀の帰還がもう少し早いか、自分の決断がもう少し遅ければ……

 

華琳は最近、ずっとその事ばかりを考えている。いくら考えても意味はない。もう終わってしまっている事なのだ。それでも考えずにはいられない。

 

自分は即断即決の人間だ。そして自分の判断が間違えていた事なんて今までなかった。…そう、今までは……

 

華琳は自分の判断に自信が持てなくなっていた。勿論、民や兵達の前では普段通りの自分で居るつもりだ。

 

しかし、付き合いの長い重臣達には確実に気付かれている。華琳の積み重なる失敗の後始末をしているのが彼女達なのだから。

 

それに一刀に逢いたいのは自分だけではない。彼女達もそうだ。特に三羽烏の二人はすぐにでも飛び出して行きたそうな顔をしている。

 

だが華琳としては二人の出奔を認める訳にはいかない。凪と風が魏から出て行ってから明らかに人材が足りていないのだ。

 

二人もそれがわかっているから、今も魏に留まってくれていた。

 

「……無様なものね」

 

華琳は鏡に映る自分を見て呟く。鏡に映る自分が本当に天下を平定した魏の覇王なのだろうか?

 

これでは一人の男に恋い焦がれている普通の女と変わりないではないか……

 

華琳の私室、そこにはいつしか、男の香りが漂うようになっていた。自分の夫の香り。そしてそれは自分の愛する男とは違う香り。

 

華琳は八雲……自分の夫を嫌っている訳ではない。むしろ頼りがいのある男だと思っている。夫婦としての情もある。

 

……それでも男としては好いていなかった。

 

八雲を愛さなければならない。理性ではわかっている。だが感情が邪魔をする。

 

「……ままならないわね」

 

だから言って、このまま悩み続けている訳にもいかないのが王たる自分の現状。

 

華琳は気を取り直して玉座の間に向かう。自分が決断を下さなければならない案件が山積みだった。

 

華琳が玉座の間に到着すると、普段の様子と違い、張りつめた緊張感が漂っていた。臣下達が慌ただしく走り回っている。

 

「華琳様!!」

 

自分の姿を認めた春蘭と秋蘭がそう言って駆け寄って来た。顔には焦りが浮かんでいる。

 

「秋蘭、この有り様は何事よ?」

 

「……華琳様……八雲が…裏切りました」

 

秋蘭の言葉に華琳の時は止まる。秋蘭の言っている事が理解出来なかった。

 

「……何を馬鹿な事を…」

 

「……」

 

華琳を見る春蘭と秋蘭の表情はどこまでも真剣だった。付き合いの長い華琳にはそれがはっきりわかる。

 

「……本当なの?」

 

「はい、八雲は華北四州を纏め、晋という国を建国したようです」

 

「……晋」

 

思わず呟く華琳。考えが纏まらない。脳裏にあるのは、一体何故?その疑問だけだった。

 

理由がわからない。八雲は王たる自分の夫で魏では二番目の権力者。いずれ自分と八雲に子供が出来れば、その子供が魏を継ぐ事になるのは決まっている。そんな磐石の地位に居る八雲が裏切る理由なんてないのだ。

 

一瞬、蜀と呉、どちらかの離間の計かも知れないと考えたが、今の二国がそれをするとは思えないし、それ以上に八雲はそんな計に嵌まる様な甘い男ではなかった。

 

「とにかく、軍を召集しなさい。それが終わり次第、許昌に向かうわよ」

 

華琳はすぐさま決断を下す。八雲も真意がどうであれ、事が大きくなってしまった以上、見逃す訳にはいかない。

 

「「はっ!」」

 

春蘭と秋蘭が持ち場へ向かう。此処に居ない他の者達もそれぞれのやるべき事をやっているのだろう。

 

しかし、一体何故?その疑問がいつまで経っても華琳の頭から離れる事はなかった。

 

 

 

 

一月後、洛陽には華琳の号令を待つ兵が集結していた。

 

その数、二十万。

 

五年前なら百万は動かせたが、今の魏にはこれが限界だった。

 

戦乱の終結と共に軍縮を行い、八雲に華北四州を奪われた事が響いている。

 

国境の兵も召集すれば後、十万は増えるが、国防を考えると動かす訳にはいかなかった。

 

二十万では少ないと華琳は思っていた。華北四州の豊かさを考えれば八雲は三十万以上の兵を動員してくる可能性がある。

 

かつて袁紹……麗羽と戦った時はもっと劣勢だったが負ける気はしなかった。

 

だが今回は舞台は同じだが、役者が違い過ぎる。八雲は華琳が才覚を認め夫にした男。その能力は華琳に劣る物ではない。

 

それでもやるしかなかった。出来る限り早く事を収めないと蜀と呉が何かを企むかも知れない。

 

華琳は桃香と蓮華を信用していた。だが、その家臣までは信用していない。二国で今回の事を好機と考える人間は間違いなく居るだろう。

 

華琳の夫の八雲が乱を起こした。言ってみれば華琳の失態なのだ。それは三国同盟の盟主としては致命的な失態だった。

 

華琳は玉座で襲い来る頭痛と戦っていた。慣れた痛みであるはずなのに、今日はやけに鬱陶しい。

 

「華琳様、全軍出撃の準備が整いました」

 

稟の報告に華琳は頷く事で返す。

 

「全軍……」

 

「申し上げます!」

 

華琳の号令を遮り、玉座の間に飛び込んで来たのは、一人の文官。

 

「晋から使者が参りました!」

 

「なんだとっ!」

 

文官の言葉に春蘭が気色ばむ。

 

「落ち着きなさい春蘭。……晋から誰が来たのかしら?恐らく郭淮辺りと思うけど」

 

「……それが」

 

「久しぶりですね。華琳」

 

玉座の間に颯爽と現れたのは、色白の美青年。

 

「……八雲」

 

自分の夫であり、今回の事の元凶。司馬懿仲達、その人だった。

 

「少しやつれたのではありませんか?」

 

「……誰のせいだと思ってるのよ」

 

「私のせいですね」

 

悪びれる事なく、八雲は言い放つ。

 

「八雲ぉぉ!貴様ぁぁ!!」

 

「お止めなさい春蘭!……八雲、良い度胸ね。まさか反乱を起こした貴方が一人で洛陽に乗り込んでくるなんて」

 

華琳が絶を構える。それを見ても八雲は動じた様子はなく、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「華琳、貴女と戦う前に話しておきたい事があったもので。……それに貴女も知りたいでしょう?どうして私が貴女に反逆したかを……」

 

八雲の言葉に華琳は絶を収める。

 

「……聞かせなさい」

 

「その前に、これを一緒に飲みませんか?冀州の美酒で今年は特に美味しく出来たんですよ」

 

そう言って八雲は小さな酒の容器を取り出す。そして毒味をする様に八雲は一杯飲んで見せる。

 

「……頂くわ」

 

華琳の言葉を聞いた八雲は杯に酒を注ぎ入れ、暗殺を警戒する秋蘭に杯を渡す。

 

秋蘭から杯を受け取った華琳はそれを一息で飲み干す。

 

……しかし、それは酒ではなく、只の水だった。

 

「……八雲、貴方ふざけてるの?」

 

「ふざけてはいません。只の水も美酒と思って飲めば美酒になるとは思いませんか?」

 

「そんな事、思える筈が……」

 

「いや、貴女は思える筈です。簡単な話ではないですか、私を北郷一刀と思う様な物ですよ」

 

 

 

 

 

八雲の言葉が華琳の心に突き刺さる。痛烈な皮肉だった。

 

 

 

 

「……そう、それが理由なのね」

 

「華琳、貴女はどれだけ尽くしても、幾度、肌を重ねても私を見てくれようとはしなかった。私がどれ程の苦痛を抱えていたか、貴女にわかりますか?」

 

「……八雲、貴方、私を恨んでいるの?」

 

華琳の言葉に八雲の表情が一変する。

 

「そんな事ある筈ない!!私は!昔も!今も!そしてこれからも!華琳、貴女を愛しています!!」

 

「では、何故!?」

 

 

 

 

 

 

 

「……北郷一刀、帰って来ている様ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

華琳の身体が硬直する。血まで凍ってしまった様な感覚に襲われた。

 

「華琳、北郷一刀が貴女の前に現れたらどうするつもりですか?」

 

「……それは」

 

「きっと私は捨てられるんでしょうね……」

 

そんな事はない!華琳はそう言おうとしたが、言葉が出て来ない。

 

「……やはりそうですか」

 

八雲の悲しげな顔。それを見ても華琳は八雲の言葉を否定する言葉を発する事が出来なかった。

 

「……わかってはいましたが、実際に現実を突き付けられると心が傷付きます。そして私の行動が間違いではない事がわかりました」

 

八雲の目に決意の炎が灯る。

 

「私は五年前の貴女の流儀、力を持って大陸を平定し、貴女の全てを手に入れて見せます!それが私の貴女に対する愛です!!」

 

堂々たる宣言。華琳の目の前に立つ男の風格は自分と同じく……まさしく王だった。

 

「……そう、八雲、それが貴方の決めた道なのね」

 

「はい。ですが、私としては華琳、貴女と戦うのは邪魔になる者達を叩いてからにしたいのですよ。そこで私から提案です。この大陸にある国が魏と晋になるまで不戦協定を結びませんか?私はまず呉を潰そうと考えているので。貴女はその間に蜀を潰すなり好きにすれば宜しいかと」

 

「八雲、私がそんな案に乗ると思っているの?それに貴方の領地は魏にしか接していないじゃない」

 

「あぁ、領地の事はご心配なく、……もうそろそろだと思いますから」

 

八雲がそう言うと同時に一人の兵が玉座の間に飛び込んで来る。

 

「申し上げます!!徐州が晋将社預により陥落致しました!!」

 

その報告は玉座の間を騒然とさせるには充分な物だった。そんな中、一人涼しい顔の八雲。

 

「私の言った通り、心配はいらなかったでしょう?」

 

「……確かにその様ね」

 

「華琳、私の言った不戦協定を受けてもらえますか?」

 

「ことわ……」

 

「華琳、身体に不調はありませんか?」

 

八雲に言われて、華琳は自分の手に痺れがある事に気付いた。

 

華琳の様子に魏の重臣達が色めく。

 

「あんた!華琳様に毒を盛ったの!?」

 

「桂花!……八雲、さっきの水ね」

 

「はい、解毒薬は此処にあります」

 

八雲はそう言って、華琳に小瓶を見せる。

 

「貴様!それを寄越せ!」

 

「私の提案を受け入れてもらえるならお渡ししましょう。断るなら此処で割らせて頂きます」

 

「待ちなさい秋蘭!……八雲、貴方も飲んだ筈よね?」

 

「はい、私も飲みましたが」

 

「私が貴方の提案を断れば、私も貴方も死ぬ事になる。それはいいの?」

 

「華琳、貴女は何を言っているんです?貴女と共に死ねるならそれは私にとって本望ですよ」

 

狂気を感じさせる八雲の言葉、その言葉に何の偽りもない事が華琳にははっきりとわかった。

 

「……わかったわ。貴方の提案を受け入れる」

 

「華琳、真名に誓えますか?」

 

「えぇ、この曹孟徳、真名に誓って貴方との約定は守るわ」

 

華琳の誓いに八雲は笑みを浮かべる。そして

 

「それでは、これはもう必要ありませんね」

 

そう言って、小瓶を床に叩き付けた。

 

「「「なっ!!」」」

 

「安心して下さい。華琳に盛った毒は手足が痺れる程度の毒で死ぬ様な物ではありません。痺れも数刻で治ります」

 

……やられた。華琳の心中にその思いが過る。八雲の命懸けの駆け引きに自分は飲まれてしまった。だがもう遅い。自分は真名に誓ってしまったのだ。それを翻すのは、今までの自分を否定する事。そんな事出来る訳がなかった。

 

「私の用事は終わりましたので、これにて失礼させてもらいます」

 

そう言って八雲は来た時と同じ様に、颯爽と玉座の間を去ろうとする。

 

そして、玉座の間を出る直前に華琳に振り向き、

 

「あぁ、そうそう、一つ言い忘れていました。……北郷一刀は私が殺します。今、何処に居るかはわかりませんが必ず見つけ出して殺します」

 

笑みを浮かべ、怨念と殺意が入り交じった言葉を言い残し、八雲は去っていった。

 




予告なしでチラシの裏に移したので、その事に気付かない読者様がいるようなので、一旦通常投稿に戻します。また、ちょっとしたらチラシの裏に移そうと思います。


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死の領域

陸の拠点話みたいな物です。


陸は嘔吐していた。

 

うずくまりながら、陸は自分が何をされたのか、わからないでいた。

 

何とか視線を上に向けると、眼前に自分の主君であり、兄と慕う一刀が悠然と立っている。

 

「どうした陸、もう終わりか?」

 

陸に向けて、一刀は凍える様な冷たい目をやりながら、少し落胆した声で話し掛けてくる。

 

陸は脚に力を込めて立ち上がる。意地があった。そんな風に言われたまま終われるはずがない。

 

自分は高長恭軍第三師団師団長羅令則だ。その肩書きは陸とって誇りでもある。

 

陸は再び、一刀に飛び掛かる。一刀の身体がゆらりと動く。

 

気が付けば、また陸は地面に倒れ伏し、今日、二度目の嘔吐をしていた。視界が歪む。だが、今度は自分が何をされたかわかった。

 

一刀は陸の槍による攻撃を掻い潜り、肘を陸のこめかみに打ち込んだのだ。

 

……殺しても良い。そんな打ち方だった。

 

「ほう、生きていたか。打たれる直前に僅かに身体をずらしたのが良かったな」

 

一刀のその言葉に陸の身体が恐怖で震える。下手をすれば自分は今、死んでいたのだ……

 

そして、自分の軽はずみな発言を陸は後悔していた。何故、黒鬼隊の調練に参加したいなんて言ってしまったのか……

 

 

 

 

 

黒鬼隊……それは一刀直属の精鋭騎馬部隊。いや、精鋭なんて言葉すら生温く感じる狂気の部隊。

 

一刀が交州全土を手中に収めてから、半年が経っていた。抱える兵力は十万に増えている。

 

黒鬼隊はその中から選りすぐった五千名の部隊。だが、現在、黒鬼隊は二千しか居ない。

 

……三千は調練中に死んでいた。

 

一刀の調練は容赦という物が微塵もなかった。

 

「着いて来れなければ死ね」

 

そう言い放ちながら、酷薄な笑みを浮かべていた一刀の顔が今も陸の脳裏に焼き付いて離れない。

 

その言葉通り、着いて来れない兵を一刀は打ち殺していた。

 

陸を含め、皆が、一刀の調練を止めようとするが、鬼気迫る形相で兵をしごき上げる一刀に声を掛ける事すら出来ない。

 

兵達の反発を陸達は心配したが、それはなかった。

 

……誰もが一刀を怖れていた。それ以上に心酔していた。

 

一刀は兵達に文字通り、命懸けの調練を課すが、自分自身には兵達の倍以上の調練を課すからだ。

 

一刀に欠点がない訳ではない。陸から見ても、馬術と弓術はお世辞にも上手い物とは言えない物だった。

 

一刀自身もわかっていたのだろう。故に一刀は調練が終わって兵達が休んだ後、一人、ひたすらに二つの技術を磨いていた。

 

その後、休む事なんてせず、政務を行い、兵達の調練を始めるのだ。眠る時間なんて僅かな物。

 

 

 

……自分なら間違いなく死んでいる。

 

 

陸は一刀の常軌を逸した日々を信じられない物を見る様な気持ちで見ていた。

 

……この人は本当に人間なのか?

 

陸の頭の中で常にそんな事を考える。だが、それと同時に眩しかった。

 

陸から見た一刀は孤高で雄々しいのだ。自分が理想とする男の姿。まさにそのままだった。

 

自分の職務をこなしながら、陸は一刀を見続けた。いつしか、一刀に馬術でも弓術でも敵う人間は交州には居なくなっている。

 

それでも一刀は鍛練を辞めようとはしない。陸はその事が気になって一刀に直接聞いてみた。

 

「馬術は霞、弓術は秋蘭に並んだ自負はあるが、まだ二人を超えていない。少なくとも二人を超えるまでは辞めるつもりはないな」

 

それが答えだった。張遼と夏候淵、誰もが知る二人の名将を超えると簡単に言い切る一刀に陸の心は飲まれる。そしてこの人なら必ずやってのけると確信もした。

 

兵達の調練が始まって五ヶ月、生き残り、黒鬼隊と名乗る事を許された兵達のお披露目と言っていい模擬戦が行われた。

 

相手は凪が率いる二万の兵。およそ十倍の兵力差である。

 

陸は絶対に黒鬼隊は勝てないと思っていた。相手の兵より多くの兵を用意する。孫子の兵法ではまずその事が記されている。それだけ戦場では兵力という要因は大きい。

 

どれだけ善戦出来るか、それがこの模擬戦における見学者の見所であった。

 

 

 

 

 

 

 

……数刻後、凪の率いる二万の軍は全滅していた。

 

 

 

 

 

黒鬼隊で戦死判定を受けた者は数名程度、その現実に誰も言葉を発する事が出来なかった。軍師である風も目の前の光景が信じられないのか、飴を地面に落とし呆然としていた。

 

黒鬼隊の練度が尋常ではないのだ。兵の一人一人が武将と言ってもおかしくない程の武を備えている。

 

一人が相手なら自分は勝てる。二人なら危ないだろうが、まだ何とかなる。三人を相手にすれば死ぬ未来しか陸には見えなかった。

 

そんな兵が二千の集団となって一塊で襲いかかって来る。凪は悪夢を見ている気持ちだっただろう。

 

少なくとも陸は絶対に相手にしたくなかった。兵の練度もそうだが、一刀の指揮が凄すぎる。的確に弱点となる隙を突いて来るのだ。

 

万を超える兵を指揮すると、どうしても指示と実際に動くまでに誤差が生じる。凪は歴戦の軍人だけあってその誤差は小さな物で陸からすれば見事な指揮だと思えた。

 

だが、一刀はその小さな誤差すら逃さない。黒鬼隊の圧倒的な機動力を生かしてそこを断ち割る。凪に立て直す時を与えない。立て直そうとして緩みが出た所をさらに断ち割る。それを繰り返されて二万の軍は分断されて各個撃破されたのだった。

 

先に戻って来た凪は打ちのめされた表情をしている。こんな結果になるなんて思いもしていなかったのだろう。

 

陸はそんな凪を横目で見ながら、戻って来る黒鬼隊に視線を向けた。

 

一刀を先頭に黒の軍装で統一され、左目だけを覆う黒き鬼の面が装備された黒鬼隊。漆黒の高旗の下、歩を進める彼らの顔には十倍の軍を打ち破ったというのに、満足感はない。

 

やるべき事をやっただけ、そんな風にも感じられる彼らの態度が陸には格好良く見える。

 

……自分も黒鬼隊に入れないだろうか?

 

陸はふと思ったが、到底無理な話だった。師団長の地位に居る自分が一兵卒に戻れる訳がない。

 

ならばせめて、黒鬼隊の調練に参加出来ないか?

 

そう思った結果が今の現状だった。

 

 

 

 

 

「辞めたければ辞めてもいいぞ?お前は兵ではなく将だ。個人の武よりも大事な物が他にもある」

 

一刀のその言葉に陸はすがりついてしまいそうになった。陸が辞めたいと言えば、一刀は辞めさせてくれる。……そして失望されるだろう。

 

陸にはそれが耐えられなかった。自分の目標であり、兄と慕う一刀に失望される位なら死んだ方がマシだった。

 

「……辞めません」

 

「……そうか、なら、かかって来い」

 

陸は一刀に打ち込む。そしてその度に打ちのめされる。

 

 

一体、何度、打たれただろうか?自分が今もまだ生きている事が陸には不思議だった。

 

自分は得手である槍を使っているのに、無手の一刀に歯が立たない。

 

……悔しかった。悔しくて仕方ない。

 

だが、そんな陸の気持ちも自分の身体に叩き込まれる一刀の拳の前には何の意味も持たなかった。

 

……自分はこのまま死ぬのか?

 

陸が明確に死を意識した時、自分の中で何かが弾けた。

 

身体が自分の物ではない様に速く力強く動く。つい先程まで見えなかった一刀の動きがはっきり見える。

 

「死域に入ったか」

 

呟く一刀の声。それに構わず陸は攻め込む。

 

互角に打ち合えていた。自分があの一刀と対等に戦っている。それは陸にとって大きな喜びだった。

 

……兄さんに勝てるかも知れない。

 

その言葉が頭を過った瞬間、

 

「陸、調子に乗りすぎだ」

 

一刀が消えていた。延髄に奔る衝撃。陸は崩れ落ちる自分の身体を支える事が出来ず、そのまま気を失った。

 

 

 

 

 

目覚めた時、一刀は自分の隣に座っていた。

 

「目が覚めたか?」

 

「……兄さん」

 

陸は横たわる自分の身体を起こそうとする。

 

「もう少し寝てろ。死域に入ったんだ。身体の負担は軽い物じゃない」

 

「兄さん、死域って何?」

 

「文字通り、限りなく死に近い領域の事だ。まぁ、俺の居た世界ではゾーンとも言うが、俺の祖父が死域と言っていたから俺もそう呼んでいる。……陸、お前、最後に俺と打ち合った時、感覚が鋭くなり、身体が軽くなった様に感じただろ?」

 

「はい」

 

「あれはな、極限まで追い込まれた人間が己の限界を超えた領域に踏み込んだ時に発揮される力だ。例えるなら蝋燭の火だな。蝋燭の火は蝋が溶け切る直前に大きくなるだろ?あれを想像すると分かりやすい」

 

「……蝋燭の火」

 

「行き着く先も同じだ。蝋燭の火は蝋が溶け切れば消える。お前もあのまま動き続けていたら、死と生の狭間から死の領域に入っていた」

 

「兄さん、それは……」

 

「死んでいたって事さ」

 

一刀にそう言われても陸は冷静だった。まだ実感が湧いてないのかも知れない。

 

「陸、お前には晶ほどの武の才はない。それどころか凪にも劣る。……はっきり言って武に関して言えば凡人だ」

 

一刀の非情な宣告。……非情な宣告であるはずなのに、陸は動揺していなかった。最初に出て来た感想は

 

やっぱりか……

 

薄々は気付いてはいた。それでも見ない振りをしてきたこの大陸の現実。

 

男は優れた素質を持つ女には勝てない。この大陸を動かしているのは女ばかりで、陸にとって唯一の例外は、今、目の前に居る一刀だけだった。

 

「陸、今のお前の力は凡人が単純な努力で辿り着ける限界に近い物だ。そこまで己を鍛え上げたお前を褒めてやりたいぐらいさ」

 

「でもこれ以上強くなる事は出来ないんですよね……」

 

「普通のやり方ではな。俺が何の為にお前をあそこまで追い込んだと思ってる」

 

陸は一刀が何を言いたいのかわからなかった。

 

「死域に入ったお前は凡人ではなかった。間違いなく、才という壁を越えていたよ。それは実際に体験したお前が一番良くわかっているんじゃないのか?」

 

確かにあの時の自分は自分じゃない位に感覚が研ぎ澄まされ、身体が動いていた。

 

「お前が死域に入れるかどうかは賭けだった。入れずにそのまま死ぬならそれはそれで仕方ないと思っていた。お前が晶達……いや、女に劣等感を感じていた事はわかってる」

 

「……兄さん」

 

「だから俺はお前に可能性を見せた。自分の意志で死域をある程度、切り替えが出来る様になったならお前はまだまだ強くなれる」

 

一刀はそう言った後、大きく咳払いをし、

 

「まぁ、なんだ、僅かな時間とは言え、俺に本気を出させたんだ。…………良くやったな」

 

照れ臭そうに言って、陸の頭を撫でる。その時の一刀の陸を見る眼差しは先程までとは正反対の優しい物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二つの鬼部隊

交阯城郊外の原野。そこで喚声が上がっていた。

 

今日は凪、晶、陸の兵の調練の成果を一刀が見聞する日。

 

黒鬼隊を引き連れた一刀が三人それぞれの演習を見ながら、隣に居る風に話し掛ける。

 

「風、どう思う?」

 

「良くやっているんじゃないでしょうかー。凪ちゃんの演習は魏で見る機会がありましたから、今さら言う事もないですが、晶さんと陸さんは風が考えていた以上に良いと思いますよー」

 

「……そうだな」

 

風にはそう言うが、一刀は内心、物足りないと思っていた。

 

凪の指揮は三人の中では、一番、攻防のバランスが良い。兵もこのまま調練すれば精鋭にはなるだろう。

 

……だが、それはあくまで並みの精鋭。

 

一刀から見ればまだまだ甘い。凪には兵を死のすれすれまで鍛え上げる厳しさがなかった。兵に情を持って接しているからだ。

 

それは指揮官にとって利点でもあり、欠点でもあった。その事がわかっていても一刀は凪に言う事はしない。

 

一刀が黒鬼隊を鍛えた時の様な調練法にする様に凪に課せば、間違いなく凪の心が壊れる。

 

これが凪の限界なら、それは仕方のない事で、一刀としても凪を追い込む真似はしたくなかった。

 

晶に関して言えば、攻撃特化の指揮。春蘭と全く同じタイプ。このタイプは嵌まれば強いが、搦め手に弱い。

 

実際、晶は反董卓連合で搦め手で致命的なミスをしている。けれど一刀はこの点を注意する事はない。下手な事を言うと、晶の持ち味の突破力を無くしてしまう可能性がある。猪突猛進なら猪突猛進でいい。それを上手く使うのが一刀の役割なのだから。

 

兵の調練については凪より厳しくやっている。それでも一刀には不満はあるが……だが、晶は凪と違い、まだ己の限界に辿り着いていない。何かきっかけがあれば、指揮も調練もがらりと変わる様な気が一刀にはしていた。

 

陸については、一言で済む。

 

……手堅い。

 

とにかく手堅いのだ。良く言えばミスがない。悪く言えば怖さがない。晶とは正反対の守戦特化の指揮。若く男とは思えない可憐な顔をしているのに、経験を積んだ老武将の様な手堅さだった。

 

これはこれで持ち味でもある。ミスがないと言うのは指示を出す一刀としては計算に入れやすいのだ。何を任せても大成功はしないが大失敗もしない。成功する時はそこそこの成功で失敗する時は被害を抑えた失敗。

 

兵の調練も同じ様な手堅さで使いやすいと言えば使いやすいが、一刀は個人の武と同じ様にもう一皮剥けて欲しかった。

 

「……お兄さんは不満の様ですねー」

 

風は一刀の心中を察したのか、そう声を掛けて来る。

 

「不満と言う訳じゃない。物足りないだけさ」

 

「お兄さんは贅沢なのですよー。風から見れば、三人共、優秀な指揮官だと思いますよー」

 

そんな事はわかっていた。三人は間違いなく優秀、しかし現時点では優秀止まりなのだ。天才ではない。もし、今此処に……

 

「霞ちゃんが居ればですか?」

 

風が一刀の心の先を読む。

 

「あぁ、そうだな。霞が居ればなと思ったよ」

 

霞は天才だった。一刀が知っている中でもっとも高く買っている前線指揮官でもある。

 

攻防両方に優れ、機転が利き、なにより霞だけの武器である速さを持っている。そして兵に対しても厳しく当たる事を躊躇わない。一刀が今、一番欲しい指揮官だ。

 

「霞ちゃんはいずれ、お兄さんの下に来ます。お兄さんに惚れ抜いていますからねー。……ですが、そんな霞ちゃんでも今のお兄さんには勝てないでしょう。凪ちゃんとの模擬戦、あれは風にとって衝撃的でした。……お兄さん、兵の指揮なんてほとんどした事ないですよねー?」

 

「風、兵の指揮は経験も大事だが、一番大事なのは感性だ。俺はその気になれば数十万でも指揮する自信があるぞ」

 

一刀からすれば、兵の指揮と言うのは個人戦の延長だった。如何に相手の隙を突くか、それに尽きる。そういう意味で一刀の先読みと相性が良かった。

 

一刀は風に数十万を指揮出来ると言ったが、黒鬼隊二千しか指揮するつもりはない。

 

兵を指揮出来る事と兵を自分の手足の如く扱える事は違う。兵を手足の如く扱うには二千が限界だろうと一刀は思っていた。

 

それ以上になるとかえって動きが悪くなる。自分に着いて来れないからだ。その事を良くわかっているのは、一刀が知っている限りでは霞だけだった。

 

霞も兵力には頼らない。自分が手足の如く扱える兵だけを率いていた。それがあの速さを生んでいたのだ。

 

「……終わった様だな」

 

一刀が霞の事を考えている内に、三人の調練が終わっていて、兵を纏めていた。

 

「俺は先に戻る。風、三人に良くやったと伝えておいてくれ」

 

「わかったのですよー」

 

一刀自身が三人に伝えたかったが、やる事があった。

 

「黒鬼隊は風の護衛だ、わかったな?」

 

一刀の言葉に黒鬼隊の面々が頷く。

 

黒鬼隊に副官は居ない。代わりに一刀が見込んだ十人にそれぞれ二百ずつ、指揮権を与えていた。もし、戦場で一刀に何かあれば、その十人が撤退指揮をとる事になっている。

 

交阯城に向かって駆け始める。馬に乗るのも大分上手くなった。今の一刀は騎射も出来る様になっている。その腕前は一息に十矢を放つ事が出来る程だ。黒鬼隊は五矢はいけるだろう。

 

黒鬼隊を此処まで鍛え上げるのに、多くの兵を死なせた。それについては後悔はしていない。

 

調練で死ぬ兵は戦場で一番最初に死ぬ兵だと一刀は思っている。

 

その兵が戦場で一人で死ぬなら言う事はない。問題は力不足故に本来死ななくて良い兵を巻き添えにする可能性がある事だ。

 

そうなる位なら自分の手で殺してやる。それが一刀なりの情けだった。

 

配置変えは許さなかった。それを許してしまうと調練に緊張感が無くなる。何かあれば兵は配置変えを望む様になるだろう。

 

死と隣合わせの調練だからこそ、黒鬼隊は他に類を見ない程の精鋭になったのだ。

 

只、調練に着いて来れなかった兵を全て殺した訳ではない。他の皆は一刀が三千人殺したと思っているが、殺したのは精々数百といった所だろう。

 

では残りの兵が何処にいったのか?

 

一刀は周りに自分以外の人間が一人だけになった事を気配で確認して、

 

「那由多」

 

一人の女性の真名を呼ぶ。

 

「お呼びでしょうか?」

 

音もなく、一刀の前に黒髪の短髪の女性が現れる。

 

一刀直属特殊工作部隊屍鬼隊副隊長朱桓……それが彼女の肩書きと名である。

 

黒鬼隊を脱落した者達の中には、黒鬼隊に向いていないだけで、殺すには惜しい才を持つ者が大勢居た。

 

例えば、武器の扱いの才はないが、誰よりも長く駆けれる者、逆に武器を扱う才能はあるが、馬術の才がない者、人より視力がずば抜けて良い者、会話が上手い者など、そういう一芸に特化した者達を集め、一刀の元の世界で鍛え上げた工作員の技術を叩き込んだ部隊が、黒鬼になれず、屍になっているはずの鬼。屍鬼隊であった。

 

こういう部隊が如何に大事か、一刀は身を持って知っている。ある意味、戦闘を行う部隊より重要度が高い。故にこの部隊の事は仲間の誰にも言っていない。どこからこの部隊の情報が漏れるかわからないからだ。

 

黒鬼隊が表の切り札ならば、屍鬼隊は一刀にとって自分だけの自分だけが知る裏の切り札だった。

 

「変わった事はなかったか?」

 

「この交州を探っていた他国の間者がおりましたので、全て始末致しました」

 

「誰の手の者かわかるか?」

 

「はい、殺す前に拷問致しました所、蜀の諸葛亮、呉の周瑜、それと……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魏の郭嘉の手の者で御座いました」

 

 

 

 

 

「……そうか」

 

流石は稟だった。蜀と呉はともかく、この段階で魏から交州に間者が送られてくるとは一刀も思っていなかった。自分達の存在を知られる前に始末出来て良かったと一刀は思う。

 

一刀は風が巻き起こるのを待っていた。自分が交州を制圧した事で火は点けた。後は風が巻き起これば、火は炎となって大陸に広がる。

 

そうなれば、蜀と呉に付け入る隙が出てくるだろう。交州が……自分達が生き残るにはその隙を突くしかない。

 

「後、魏で反乱が起こった様に御座います」

 

「何!?詳しく話せ!」

 

一刀に魏の反乱の詳細を話す那由多。その話を聞き終えた一刀は何とも言えない顔で一言呟く。

 

「……下手を打ったな、華琳」

 

だが、一刀にとっては好機だった。自分が待っていた風が……いや、暴風が大陸で巻き起こっていた。

 



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相棒

一刀にとって政治というのは面倒な物だった。

 

なにせ、終わりという物がないのだ。一つ解決すれば、その数倍は新たな問題が噴出してくる。

 

こんな事をする位なら、一人で戦場を駆けている方が遥かに楽だった。戦争は敵を全て殺せば、戦いは終わる。

 

戦場にあるのは、剥き出しの人間の本能。生きるか死ぬかの二択の場所、今の一刀にはそこは何より落ち着く場所になっていた。

 

戦場に染まった自分がこうして書簡と向かい合っていると、一体、俺は何をしているのだ、とそんな気がして来る。

 

必要最低限の荷しか背負いたくなかったから、交州に来たのに、気が付けば、数百万の民の命と生活を背負っている。つくづく神とやらは自分が嫌いらしい。

 

そんな事を考えながらでも、筆を動かす一刀の手が止まる事はない。

 

やると決めてもう始めてしまったのだ。思う所はあるが、途中で投げ出すつもりはなかった。

 

魏に居た時と違い、嫌々、政務にこなしている一刀だが、その手際は魏に居た時とは比べ物にならない位に良い。

 

一度、元の世界に帰った時にまた、この世界に戻った時の事を考えてあらゆる知識を自分の頭に叩き込んでいたからだ。

 

華琳の為に、そう思い、ひたむきに知識を吸収していた日々が今は遠い昔の様に感じる。

 

……残骸だった。

 

今の自分の知識は華琳に対する想いの残骸。いや、高長恭という人物自体が華琳を愛した北郷一刀の残骸なのだろう。

 

その証に華琳に対する想いは今はもう朧気な物になっている。

 

一刀は一つ大きくため息を吐いて、筆を置き、侍女が持って来た茶を啜る。

 

やるべき事は数多くあった。そんな中で一刀がもっとも力を入れているの交易だ。

 

交州は商業地としては向いているが、農地としては今一つとしか言い様がない。荒れ地が多いのだ。

 

蜀と呉からは国を通さずに商人から食糧を仕入れてはいるが、もし、二国と争う事になった時に荷止めをされる可能性がある。

 

そうなった時の為に、一刀は交州を取ってすぐに越南(ベトナム)に使者を送り、士燮も行っていた南海貿易をもっと大々的に行う事した。

 

食糧に関しては一刀には元の世界から持って来た切り札があるが、そう簡単に出せる物でもない。出すにしてもタイミングが重要で、そして、そのタイミングはもう、すぐそこまで来ていた。

 

食糧に関しては手は打っている。金に関しても、食糧と同じく一刀には切り札がある。後、足りないのが馬だった。

 

……南船北馬

 

その言葉はこの大陸での常識。南では長江がある故に船の技術が発達し、北は平地や山が多く、騎馬民族の匈奴の影響もあってか、良馬の産地となっている。

 

一刀が居る交州は大陸の最南端、それが理由で良馬が手に入りにくかった。

 

馬の質に拘らなければ数だけなら何とかなる。他の部隊ならそれでもいい。だが、黒鬼隊は基本、良馬で編成している。そこに駄馬を入れる事は出来ない。一頭でも力が落ちる馬を入れてしまったら、隊全体がその馬に合わせた動きになってしまう。それでは最精鋭にまで鍛え上げた黒鬼隊の意味がなくなるのだ。

 

「……馬か」

 

一刀が呟きながら、茶を啜った。

 

求める物が全て手に入る訳ではない。そんな事はわかっている。けれど、自分が精魂込めて鍛え上げて、それに着いて来た黒鬼隊、思うがままに戦場を駆けさせてやりたかった。

 

どこか、心に満足出来ない物を抱えたまま、一刀は僅かな休憩を終え、再び、筆を執る。

 

そして政務の続きに取り掛かろうとした時だった。

 

「高長恭様」

 

自分を呼ぶ侍女の声。一刀はそれに応える。

 

「どうした?」

 

「高長恭様にお会いしたいという者が参っているのです」

 

その侍女の言葉に一刀は違和感を感じる。自分に会いたいと言う者は交州の主になってからいくらでも居た。

 

そういう人間は、しかるべき手続きの後に会う事になっている。それはこの城に居る者なら皆、わかっている事だ。

 

「俺との面会は手続きの後となっているはずだが?」

 

「それが、その方は商人で、自分は高長恭様の一番求める物を売りに来た。と言っておりますので、文官の方が一応、話だけは通しておくべきだと……」

 

「よし、会おう」

 

一刀は筆を置き、城門へ向かう。その商人が自分に何を売ろうとしているのか興味があった。

 

城門に到着した一刀を待っていたのは身なりは良いがこれと言って変わった所はない中年の男。

 

只、その目は油断ならない光を放っていた。恐らくやり手の商人なのだろう。

 

「俺に会いたいと言う商人はお前か?話を聞く所によると、俺が求める物を売りに来たとの事だが……」

 

「これは、高長恭様、お初にお目にかかります。私は張世平と言うしがない商人で御座います」

 

……張世平。その名前を聞いたと同時にこの男が何を売りに来たか、一刀にはわかった。

 

「私が売りに参りましたのは「馬か?」」

 

一刀が張世平に言葉に言葉を被せる。

 

「……左様で御座います」

 

一刀に機先を制される形となった張世平だが、顔色一つ変えていない。

 

「どうして、俺が馬を求めている事がわかった?誰にも言ってはいないのだがな」

 

「蛇の道は蛇と申します。私共商人は情報が命で御座いますから」

 

「……まぁ、いい。で、どれ程の馬を売ってくれるんだ?」

 

「北の良馬、千頭で御座います」

 

一刀が考えていたよりかなり多い。精々、二百頭位と考えていたのだ。

 

「それはありがたいな。馬は消耗品だ。いくらあっても困る事はない」

 

「では、お買い上げで?」

 

「あぁ、買わせて貰おう。だが、今は金の持ち合わせがないのだ。だから代わりの物で払おう。……おい、あれを持って来てくれ」

 

一刀は自分の護衛についている兵に命じる。……暫し、後に兵が持ってきた物を見た張世平はうなり声を上げた。

 

「……これは、何と見事な!」

 

一刀が兵に持って来させたのは、越南から仕入れた玉であった。

 

「これなら、馬千頭の価値はあるだろう?」

 

「この玉を洛陽で売れば千頭どころかその倍は買えまする!」

 

「そうか、なら余った分はお前がとっておけ」

 

「!!良いのですか!?」

 

「構わん。俺の欲しい物の情報を集めて、わざわざこんな辺境まで売りに来たお前に対する褒美だ」

 

他人が見れば、誰もが一刀の器の大きさに感心するであろうやり取り。だが、一刀はそんな事を考えて玉を出した訳ではない。

 

 

 

……只、単純に玉がいらなかったのだ。

 

 

 

大陸の見る目がある者ならうなり声を上げる玉も、一刀から見れば、少し変わった石ころにしか見えなかった。

 

越南でも玉はそれほど価値のある物じゃない。一刀が仕入れたのも元の世界の知識で漢でなら高く売れると思っただけだ。……まさか馬二千頭の価値があるとは思わなかったが。

 

 

 

……石が石以上の価値を持つ。それが人間の欲望なのだろう。

 

 

 

「張世平、もういいか?」

 

一刀は未だ玉に見入っている張世平に声を掛ける。

 

「えっ?あっ、はい!」

 

「商談は成立と言う事でいいな?」

 

「……」

 

「ん?どうした?……まさかその玉では不足か?」

 

「そうでは御座いません。この玉で充分過ぎる程です。只、商人である私が一方的な借りを作らされるのは、私の矜持が許さないのです」

 

「そう言われてもな……」

 

一刀からすれば、石ころ一つで良馬千頭は破格の取引なのだ。張世平には金がないと言いはしたが、馬千頭分の金ぐらいある。只、石ころで払えるならそれで済ましたかった。

 

「……高長恭様、少しお付き合い願えませんか?貴方様にお譲りしたい物が御座います。これについては代金は頂きません」

 

そう言う張世平の真剣な目に一刀は頷く。

 

案内されたのは、城門を出て、少し歩いた所に居た張世平の商隊。

 

「貴方様にお譲りしたいのは、あちらの物になります」

 

張世平に言われる前に、一刀の目は既にそれに釘付けになっていた。

 

 

 

 

 

……それは一頭の黒馬だった。

 

 

 

 

元々、日本の都会育ちの一刀に馬を見る目はない。仕入れる馬の良し悪しは馬の目利きを持った屍鬼隊の者に任せていた。

 

そんな一刀にもはっきりわかる程にその黒馬は他の馬とは

 

 

 

 

……モノが違った。

 

 

 

 

一刀が知っている中でも一番の名馬、華琳の絶影にすら勝っているのではないか?とも思える。

 

「……お気に召された様ですね。この馬は私が持つ中でも最高の馬で御座います。……只、この馬は誇り高く、乗り手を選ぶのです。もし、貴方様が乗りこなせるなら遠慮なくお持ち下さい」

 

張世平の言葉を尻目に一刀はゆっくりと黒馬に近付き、その目を見据える。

 

……目が合った瞬間、何かが通じ合った気がした。

 

「良い目をしているな。お前の目は自分は誰にも負けない、死すら怖れはしないと雄弁に語っている。……俺にはわかるんだ。俺もお前と同じだからな」

 

一刀は黒馬に語り掛けながら顔を撫でる。黒馬は嫌がる素振りは見せなかった。

 

「お前を理解出来るのは、俺だけだろう。俺と共に……いや、俺と一つになってこの大陸を思うがまま駆けないか?」

 

一刀はそう言って、黒馬にまたがる。黒馬は棹立ちになり、一刀を振り落とそうとするが、一刀は脚で黒馬の腹を締め付け、自分の意思を伝える。

 

「俺を試しているのか?いいさ、好きなだけ試せば良い」

 

黒馬が駆け始める。乗り手の事を考えない無茶苦茶な駆け方。それでも一刀が振り落とされる事はない。

 

一人と一頭が原野を駆ける。一刀は自分が風になった様に感じていた。黒馬も、もう、一刀を振り落とそうとはしていない。

 

どうやら、一刀を乗り手と認めた様だった。ひとしきり駆けた後、張世平の元へ戻る一刀。

 

けれど心の中は既に黒馬と戦場を駆ける事を待ち遠しい気持ちになっていた。

 



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怜悧なる軍師

稟は部屋にて紅を差す。

 

自分がこういう女性としての身だしなみをを気にする様になったのは、何時からだろう?

 

自分に問いかけるが、答えはわかっていた。

 

……彼が天の世界に帰ってからだ。

 

それまではその様な事を気にした事はなかった。身だしなみは清潔感さえあれば良いと思っていた。

 

彼……一刀には女性らしい自分をほとんど見せた事がない。いつも、自分が鼻血を噴き出して、一刀に迷惑をかけた事しか思い出せないのだ。

 

思えば、一刀とは自分の妄想癖を治す為に、風に巻き込まれた形とは言え、随分と恥ずかしい事をした物だった。

 

結局、稟の妄想癖は治る事はなかったが、今となってはそれら全てが懐かしく思える。

 

紅を差す手が止まる、稟は一刀と小川で過ごした時の事を思い出してしまっていた。

 

鼻血を噴き出す事はないが、稟の顔が僅かに朱に染まる。

 

「一刀殿の事は何とも思っていなかったのですが……」

 

一刀が居なくなってから、気付いた想い、稟の初恋は始まると同時に終わってしまっていた。

 

年月が経った今となっては、その想いは色褪せて来ている。それでも自分が紅を差すのは、稟の心の何処かに色褪せない何かが残っているからかも知れない。

 

そこまで考えて稟は、過去の思い出を振り返る事を辞めた。自分にはやるべき事が数多くある。

 

戦乱の気配が漂っていた。それは、魏の上層部だけではなく、洛陽に住まう民も感じているだろう。

 

その証拠に、最近、街では小さな揉め事が多発している。皆が苛立ちを感じ始めていた。

 

魏を裏切った八雲の晋の建国は民に大きな衝撃を与えていた。

 

本来なら華琳が先頭に立って、魏の者達が一丸となり、晋を討つ。単純にそれだけの事をやれば良いのだが、華琳と晋王八雲の夫婦という関係がそれを複雑にしている。

 

華琳の夫である八雲の裏切り、それは蜀と呉の二国から見れば、華琳の失態にしか見えない。

 

それどころか、華琳が八雲に命じて自作自演で反乱を起こさせ、そのゴタゴタを機に蜀と呉を攻め取るという、とんでもない噂さえ流れている。

 

もう、魏の国内だけで済む問題ではなくなっていた。そして、トドメとなったのが、八雲に嵌められ結ばされた不戦協定。

 

あれで華琳の動きが封じられたのだ。不戦協定によって華琳は晋を攻める事が出来なくなってしまった。

 

……蜀と呉の二国が滅びるまでは。

 

あの会談の内容はいずれ、蜀と呉に伝わる。そうなれば、二国は間違いなく、魏に不信感を持つ。それも八雲の狙いである事は稟にはわかっていた。

 

……華琳は動けない。ならば自分が動くしかない。あの不戦協定はあくまで華琳と八雲、二人の協定であり、稟には直接は関係ない。稟が独断で動く事を縛る協定ではなかった。

 

主君が動けない時にいかに行動するか、それは軍師としての腕の見せ所でもある。

 

稟は秘密裏に蜀と呉に使者を送った。協定を結んだ時の状況を二国に知らせる為に。

 

初めはこの使者を送るべきか迷ったが、後々、二国が自力で情報を得た時の事を考えると、こちらから言っておいた方が向こうの感情を荒立てないだろうと考えての事だった。

 

それと、同時に呉には、晋の呉への侵攻の事も知らせた。その時は協定故に援軍は出せないが、物資の援助はするとの書状を添えて。

 

一先ず、自分が出来る事はしたと思った稟だが、本当にこれで良かったのかとも思う。

 

外交は自分の分野ではないのだ。一通りの事は学んではいるが、決して得手ではない。

 

だが、自分しか居なかった。桂花に任せる訳にはいかない。あの刺々しい態度が外交に向いているはずがないからだ。

 

 

 

こんな時に風が居れば……

 

 

 

稟は魏を去った親友に想いを馳せる。こういう事は風が三軍師の中で一番得手としていた。

 

桂花が政略、自分が軍略、風が外交に謀略とそれぞれに得意分野が違っていた。それで魏は上手く回っていたのだ。

 

稟にとって、いや、魏にとって、それだけ風の抜けた穴は大きかった。

 

風が他国に仕えるとは、稟は思っていないが、風の足跡は追っていた。風が居る所に、天の世界から帰ってきた一刀が居る。

 

一刀が帰ってきた事に関しては稟からすれば、嬉しさと戸惑いがある。だが、華琳の結婚によって、一刀が魏に戻る事はないと思っていた。

 

けれど、状況が変わった。

 

八雲の裏切りで、一刀が魏に戻ってこれる余地が出来たのだ。

 

……この機しかない。

 

稟は何としても一刀に魏に戻って欲しかった。それは自分の為ではない。華琳の為に……

 

稟から見た華琳は、為政者としては優秀だが、明らかに昔の覇気を失っていた。

 

間違いなく、名君とは言える。しかし、今の華琳は稟が惹かれた覇王ではなくなっていた。

 

一刀さえ、戻って来れば、華琳は昔の覇気を取り戻す。稟はそう確信している。そして、一刀が戻るならば、風と凪も魏に戻り、霞も合肥から洛陽へ戻って来る。

 

そうなれば、今の状況なんてひっくり返せる、稟はそこまで考えて風を捜していた。だが、風は完璧に自分の足跡を消して行動していた。

 

恐らく、稟がする事を風に見抜かれている。自分が風の立場なら、同じ事をするだろう。一刀の捜索に関しては人手を増やすしかなかった。

 

八雲への対応、一刀の捜索に力を入れている稟だが、他にも気になる事があった。

 

……交州の事だ。

 

交州はこの大陸の最南端に位置する州で、三国の何処にも属していなく、独立を保っていた。

 

その交州の支配者が変わったのだ。

 

……高長恭。

 

それが、交州の新たな支配者の名、魏では遠く離れている交州の事を気にする者など居なかったが、稟は何か引っ掛かる物を感じていた。

 

稟は交州に間者を送る。八雲の件がある今、不確定要素は出来るだけ排除しておきたい。だから情報が欲しかった。

 

しかし、稟は求めた情報を手に入れる事は出来なかった。……送り込んだ間者が誰一人帰って来ないのだ。

 

その事実に、稟の肌に粟が立つ。間者が全員捕殺されるなんて、昔、蜀と呉と争っていた時にもなかった。何人かは捕殺されても、必ず報告に来る者は居たのだ。

 

……落ち着かない、それ以上に不気味だった。

 

稟は再び、間者を送る事を決める。このままにしておく訳にはいかない。今度は間者の数を増やし、間者には生き残る事を優先させるつもりだった。

 

得る情報は少なくなるかも知れないが、生き残らなければどんなに情報を得ても自分には伝わらない。それでは何の意味もなかった。

 

稟が再び間者を送ったその日、八雲が動いた。

 

晋が呉に侵攻したのだ。稟は直ぐ様、物資を呉へ送り始めた。これは稟の独断。本来なら厳罰に処されてもおかしくはない。

 

けれど華琳は、

 

「貴女には苦労かけるわね」

 

と一声掛けただけで稟を罰する事はない。そして晋と呉の戦況は一進一退、長期戦になる様相だった。

 

 

 

 

 

紅を差し終えた稟は政務に取り掛かる。風が居なくなってから自分に届けられる書簡の量が明らかに増えた。

 

それに対して稟は何一つ愚痴を言う事はなく、黙々と自分のやるべき事をこなす。言っても仕方のない事だからだ。

 

政務に励んでいた稟に交州に送っていた間者から知らせが届く。正確には交州の手前、荊州から届いた知らせであったが……

 

その知らせを聞いた稟は頭を抱え込みたくなった。その内容とは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……交州の高長恭、荊州に侵攻す。

 

 

 

その一文であった。



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想いの枷

街が賑わっていた。

 

商人達は通り掛かる人にしきりに声を掛けては売っている商品を薦めている。

 

一刀が辺りを見回すと、漢の商人だけではなく、越南の商人や仮想敵である五湖の商人の姿もあった。

 

仮想敵という事になってはいるが、一刀にとって、五湖の人間なだけで、敵になる訳ではない。

 

この大陸に住む者は五湖をひとくくりにして、目の敵にしているが、五湖の人間にも戦いを望まない者も多かった。

 

そういう人間に対しては、一刀は交州で市を開く許可を与えていた。

 

別に博愛主義に目覚めた訳ではない。五湖の品物と税収目当ての政策だった。

 

勿論、間者には細心の注意を払っており、一刀が視線をぐるりと回すだけであちこちに屍鬼隊の兵が民に紛れ混んでいる。

 

「隊長、異常はありません」

 

隣に居る凪が一刀にそう報告する。その顔は何処か嬉しそうだ。

 

一刀は今、凪と二人で交阯の街を巡回していた。

 

……二人だけの北郷警備隊。

 

それは一刀からすれば懐かしくもあり、物悲しくもある。本来居るべき人間が二人も居ないのだ。

 

「……なぁ、凪は後悔はしてないのか?」

 

……聞くつもりはなかった。それでも言葉が出てしまっていた。

 

一刀が何を聞いたのか、凪にはわかったのだろう。優しげな微笑みを浮かべ、

 

「後悔などしておりません。隊長の居る場所が自分の居るべき場所ですから」

 

「……そうか」

 

その言葉を最後に二人の言葉が途切れる。

 

人が行き交う街の中で立ち止まる二人、一刀はそっと凪の手を握る。一瞬の間の後、凪は一刀の手を握り返す。

 

握り返された手の暖かさが一刀にとって何よりも愛おしかった。

 

「……行くか?」

 

「……はい」

 

そこからは巡回という名の逢い引き。

 

「隊長、あれは何ですか?」

 

凪が指差したのは、越南料理の屋台。

 

「見てみるか?」

 

「はい!」

 

一刀は凪と屋台に向かった。

 

「らっしゃい!」

 

「親父、二人分だ」

 

「はいよ!」

 

店主が威勢の良い声を上げ、二人分の器に料理を盛り付ける。

 

「はい、お待ちどう!」

 

店主から差し出された乳白色の料理を見て、凪が固まる。

 

「……隊長」

 

「凪、言いたい事はわかるが、とりあえず食って見ろ」

 

「……はい」

 

凪は意を決して、料理を口に運ぶ。

 

「……甘い、甘いです隊長!」

 

凪の興奮した様子を見て、一刀も料理を口に運ぶ。

 

「これは、越南でも南の方の料理だな。ココナッツミルクと砂糖がふんだんに使われている」

 

「ここなつ?」

 

「あー、椰子の木はわかるか?」

 

「いえ……」

 

「越南にはその木が沢山生えていてな、その木に成る実の中に入っているのが、ココナッツミルクという液体なんだ」

 

「そうなのですか、でも漢の地ではその木は見た事ないです」

 

「椰子の木は一年中、暖かい気候でないと成長しない。恐らく、漢の地では冬が寒過ぎるんじゃないか?まぁ、俺もこの大陸の全てを見た訳ではないから断言は出来ないけどな」

 

と言うより、ベトナム料理自体がフランスの占領下時代にフランス料理の影響を受けて出来た料理で、この時代に此処にある事が既におかしいのだが、それは言わなかった。この世界でそんな事を突っ込んでいたらキリがない。……阿蘇阿蘇なんて物もあるのだから。

 

「味の方はどうだ?唐辛子ビタビタが好きな凪にはこの料理は甘過ぎるかも知れないが……」

 

「隊長、自分が辛い物しか食べない様な言い方は止めて下さい。自分も女ですから甘味も食べます。……確かに唐辛子ビタビタが一番好きですけど……」

 

少し拗ねた様な表情を浮かべる凪、一刀はそんな凪の頭をクシャクシャと撫でて謝る。

 

「それは、悪かったな」

 

「いえ、怒ってはいません。隊長がそう思うのもわかりますから」

 

撫でられながら、笑顔を浮かべる凪。一刀はその笑顔に心が動くのを感じていた。

 

それから、二人は色んな店を冷やかしながら、今日という日を堪能する。其処にいるのは、王と将軍ではなく、一組の男と女。

 

……夕暮れ、多くの店が店仕舞いを終えて、閑散とした街。

 

「凪」

 

一刀は隣の凪に話し掛ける。

 

「はい」

 

「左手を貸してくれないか?」

 

一刀はそう言いながら、返事を待たず、凪の左手を取る。そして薬指に買っておいた指輪を嵌めた。

 

「……隊長、これは?」

 

「……婚約指輪だ」

 

「……婚…約……指輪」

 

「天の世界では、結婚を約束する相手に指輪を送る風習があるんだ」

 

「隊長!それは!?」

 

「凪、全てが終わったら、俺と結婚してくれないか?」

 

……その時、一陣の風が吹いた。

 

一刀は思わず、腕で顔を覆う。風が止み、腕を下ろした一刀の視線の先には涙を流す凪の姿。

 

……そして

 

「喜んでお受け致します」

 

凪はそう、はっきりと答えた。

 

「そうか!……そうか…良かった」

 

一刀は心底ホッとする。断られる事はないとわかってはいた。指輪もかなり前に購入していた。

 

只、言う機会がなかった、いや、ずるずると引き延ばしてしまっていた。

 

プロポーズする事に臆していた訳ではない。一刀の心にあったのは罪悪感。

 

自分だけが幸せになる事を元の世界で死んでいった戦友達に何て言えばいい……

 

一刀の心に常にあったその想い。

 

その想いにようやく踏ん切りをつけて、今日、凪にプロポーズしたのだ。

 

「ですが一つ約束して下さい」

 

「……なんだ?俺に出来る事なら何でもするぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

『もう、二度と自分を置いて、何処にも行かないで下さい。…………待ち続けるのは辛いですから』

 

 

 

 

 

 

涙で潤んだ目で、一刀を見つめる凪。

 

「わかった」

 

その目を見て、断る事なんて一刀には出来なかった。それと同時に自分に枷が付いた事を実感する。

 

今でも死ぬ事なんて、何とも思ってない。けれどそう簡単には死ねなくなってしまった。

 

……それでいい。凪が笑ってくれるなら、その枷を喜んで受け入れよう。

 

昼と夜の一瞬の隙間。夕焼けが二人を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




えんだぁぁぁぁぁ!!いやぁぁぁぁぁ!!





悪ふざけです。すいません(笑)


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輝く眼光

陽炎が揺れていた。

 

大地を焼く、灼熱の日差しの中、一刀は目にも映らぬ速さで駆ける。

 

何処へ向かう訳でもない。只、駆ける。それだけを繰り返す。

 

一体、どの位の時を駆けただろうか?気の枯渇を感じ、一刀は地面に倒れこんだ。

 

熱を持った土が一刀の肌を焼く、それを避ける為に身体を動かすが、その動きは先程までの動きとは正反対で緩慢な物だった。

 

「……やっぱり、そう上手くはいかないか」

 

自由の効かない身体をゆっくりと起こし、一刀は呟く。

 

一刀がやっているのは、瞬刻の弱点克服の為の鍛練だった。

 

瞬刻は目にも映らぬ速さで敵を惨殺する一刀の切り札の一つであるが、弱点がない訳ではない。

 

むしろ、弱点だらけの欠陥技と言える。

 

一つ、発動までのタイムラグ。気を脚に重点的に集めて爆発させ移動するまでの工程に二秒程の時間が掛かる。

 

二つ、戦いの中に組み込めない事。これは発動までのタイムラグと複合するのだが、気を脚に集めて発動するまでの二秒間、気を扱う事に集中する為、一刀自身が無防備になる。もし一騎討ちの最中に使えば、命は一つしかないが、三回は死ぬ事になるだろう。

 

そして最後は使った後の一刀のパフォーマンスの低下。体内の気を一気に消費する為、使った後、一刀の武は数分間、通常の状態の六割程に低下する。

 

言ってしまえば、瞬刻は初撃で敵を殲滅出来る時にしか使えない技で、それさえも春蘭や霞クラスが相手だと凌がれる可能性があった。現に鍛練の時に晶が一度防いで見せたのだ。

 

 

 

外から見れば、輝く黄金の様な無敵の技に見えても、内から見れば、金のメッキを貼り付けただけの弱点だらけの技。

 

されど、メッキさえ剥がされなければ、無敵の技に見え続けるのも、また、事実だった。

 

だが、一刀はその事実に満足はしていない。メッキを本物の金にする為に鍛練をしているのだが結果は芳しくはなかった。

 

自分が求め過ぎているのはわかっている。今の状態でもこの世界の戦いでは、ほぼ間違いなく自分は死なない。

 

 

……しかし、絶対ではなかった。

 

 

当たり前だ。戦争に絶対なんて物はない事は自分が一番良く知っている。

 

 

……そう、知っている。それでも一刀には死ねない理由が出来た。

 

だからこそ足掻くのだ、ほぼ間違いなくを絶対に近付ける為に……

 

暫くの時が経ち、一刀はようやく自由になった身体を動かし、城に戻る。

 

城は騒然とした雰囲気に包まれていた。それを尻目に一刀は自分の部屋に戻り、身体を拭き、黒の軍服に着替え、軍用リュックを背負う。

 

頭の中にあったのは、とうとう、この時が来た、それだけだった。

 

一刀がまず向かったのは調理場、そこで侍女を呼び止め、

 

「この二つを二刻ほど茹でて、玉座の間に持って来てくれ。あっ、こっちの方を茹でるのは芽を取ってからな」

 

と言付ける。

 

侍女に渡したのは、一刀が元の世界から持って来た、食糧面の切り札。腐らない内にこっそりと栽培していた物。

 

それを侍女に渡した一刀は玉座の間に向かう。背負ったリュックの中で金属がぶつかる音がした。

 

これから本格的に戦争が起きる。一刀は自重する気がなくなっていた。三国と晋と比べれば、自分の勢力は小さい。使える物は何でも使うべきだろう。

 

一刀が玉座の間に到着すると、既に凪達は揃っていた。リュックを背負った一刀に凪達は怪訝な視線をむける。一刀はそんな視線を受けながら、リュックを降ろし玉座に腰掛けた。

 

「評定を始める」

 

一刀のその言葉で場が引き締まる。そんな中で、真っ先に声を上げたのは風だった。

 

「……風からお兄さんと凪ちゃんに言わなければならない事があります。それは「司馬懿の事か?」」

 

風の言葉に一刀が口を挟む。一刀の言葉に風は僅かに驚きを浮かべ、

 

「……お兄さんは何処でその情報を?」

 

「さてな、そんな事より他の皆に説明してやってくれ」

 

一刀の言葉に風は納得いかない様な表情を浮かべていたが、それを言葉にする様な真似はせずに、魏で起こった事の説明を始める。

 

皆がその説明を真剣に聞く中、凪が一人、どこか落ち着かない様子を見せている。真桜と沙和が心配なのだろう、と一刀は思った。

 

暫くして風の説明が終わった時、一刀は風に問いかける。

 

「風、お前に聞きたい事が二つある」

 

「何でしょうかー」

 

「一つは司馬懿がどういう人間なのかだ。俺も俺なりに調べているが、面識のあるお前に聞くのが一番だろう」

 

「……そうですねー、一言で言えば華琳様しか見てない人と言うのが、一番わかりやすいのではないかと」

 

「それは主君としてか女としてか?」

 

「女としてですねー」

 

「……なるほどな」

 

「勿論、持っている才は素晴らしい物ですよー。魏での位は風より上でしたし、何より華琳様が婿に迎える程ですからー」

 

「……まぁ、司馬懿ならそうだろうな」

 

一刀は自分の世界での司馬懿を思い出し呟く。三国時代、最後の勝利者である男が無能な訳がない。この世界でもそれは同様な様だ。

 

「おや、お兄さんは司馬懿さんを知っているのですかー?」

 

「俺の世界の司馬懿ならな、この世界の司馬懿は知らん」

 

「……そうですか」

 

「風、お前の話を聞いて、納得出来ないのは、何故司馬懿は反乱を起こしたんだ?華琳しか見てないって事は地位や名誉に執着する男ではないんだろ?華琳と結婚した現状で反乱を起こす理由がない様に思えるんだが……」

 

「それは、風にもわかりませんねー。……只、推測する事は出来ます」

 

「……聞かせてくれ」

 

「まず、最初に言っておかないといけないのは、華琳様は今もお兄さんの事を想い続けています」

 

「……」

 

風の言葉を聞いても、一刀の表情は変わらない。只、微かに心が動いた様な気がした。

 

ふと、視線を逸らすと、凪が一刀を真っ直ぐ見つめている。

 

その視線には、一刀を包みこむ様な暖かさがあった。一刀はそんな凪の視線に自分は大丈夫だと言わんばかりに笑みを浮かべて返す。

 

「華琳様が結婚されたのは、お兄さんも察している様に、自分の立場を考えての事でしょう。……それだけが理由ではないですが」

 

「他に理由があるのか?」

 

「はい。……恐らく、華琳様はいつ、この世界に帰ってくるかわからないお兄さんを待ち続けるのが怖くなったのだと思います」

 

「……そうか」

 

「風から見た華琳様と司馬懿さんはそれなりに上手くやっていた様に見えましたが、華琳様の心にはお兄さんが住み着いたまま、華琳様を愛する司馬懿さんがそれに気が付かないはずがない。それでも結婚した以上、いつかは自分を見てくれると信じていたのでしょうねー」

 

「では、何故この時に反乱を起こした?」

 

「……お兄さん、この一年半で大陸に何が起きました?」

 

「何がって……」

 

そこまで言って、一刀はハッとする。

 

「……俺の帰還か」

 

「はい、司馬懿さんが華琳様の心に気付きつつ、今まで行動を起こさなかったのは、華琳様がいくらお兄さんを想っていてもお兄さんがこの世界に居ない。それが、わかっていたから、焦る事はなかったのでしょう。実際にお二方は結婚された夫婦ですし。……ですが、その前提がくつがえされたらどうなると思いますかー?」

 

「……なるほど、力を持って手に入れるという方法に出た事か。かつて、華琳も同じ様にして大陸を平定したしな」

 

「幸か不幸か、司馬懿さんはそれをやるだけの器量を持っていますからねー。そして司馬懿さんの一番の標的は……」

 

「俺って訳か」

 

一刀はそこまで言って、笑声をあげる。

 

そんな一刀を凪達は驚きの表情で見つめていた。

 

ひとしきり笑った一刀は、言葉を発する。

 

「一人の女の心を手に入れる為に、ここまでの事をするとはな。馬鹿だ、実に馬鹿だ。だがそんな馬鹿は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『嫌いじゃあないぜ』

 

 

 

 

 

 

 

そう言い放った一刀の目は鋭く、そして光輝いていた。

 

 



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戦う理由

一刀は司馬懿の行動に何処か、昔の自分を思い出してしまっていた。

 

「司馬懿に会ってみたいな」

 

それは、偽らざる気持ち。向こうは自分に敵意しか抱いていないだろうが、一刀からすれば、そういう理由で行動できる骨っぽい馬鹿は嫌いじゃなかった。

 

「……風には、今のお兄さんを計りきれないのですよー。何故、そんな結論に達するのでしょうかー?」

 

風のその言葉に口元を僅かに吊り上げる。風にはわからないだろうな、と一刀は思ったからだ。

 

「風は、司馬懿の行動の理由を推測してどう思った?」

 

「……愚かだとしか言えませんねー。司馬懿さんの行動で多くの人が死ぬ事になります。気持ちはわからなくはないですが、やはり愚かだと……」

 

「なら、俺も愚かだと言う事になるな」

 

「……何故でしょうか?」

 

「俺と司馬懿は同類だからだよ。……俺は己の存在を懸けて華琳に大陸平定を成し遂げさせた。そして、司馬懿も己の存在を懸けて華琳の心を手に入れようとしている。そんな事をしなくても華琳の夫という立ち位置に居るのにも関わらずだ。向かう方向は違うが行動原理は昔の俺と変わりはしない」

 

「隊長、それは違います!……隊長は華琳様の為に行動されましたが、司馬懿様はご自分の為に行動されています!」

 

「何も違わないさ。凪、今お前は俺は華琳の為に行動したと言ったが、俺は俺自身の為に行動したよ。華琳に天下を取らせたいという俺の欲の為にな」

 

「ですが!司馬懿様の行動は多くの人々を犠牲に……」

 

「俺が赤壁の結果をひっくり返した事で何万の蜀と呉の兵が死んだんだろうな?」

 

「っ!……それは」

 

「お兄さん、それは詭弁ですねー」

 

言葉に詰まる凪を庇う様に、風が口を挟む。

 

「風、何が詭弁なんだ?」

 

「赤壁は国と国の戦いでした。お兄さんが何もしなければ、魏の人達が多く死んだでしょう」

 

「だから、俺は悪くないとでも?……風、その言葉をあの戦いで死んだ蜀と呉の兵の家族の前で言えるのか?」

 

「……言えますよー」

 

「お前も俺や司馬懿と同類だな。……風、お前は今まで、お前の策で何人の人を殺して来た?」

 

「……」

 

一刀のその言葉に風が黙り込む。

 

「あぁ、勘違いするな。別に責めている訳じゃないし、司馬懿を擁護している訳でもない。そして平和主義を気取るつもりもない」

 

「では、何故?」

 

「気に食わないだけさ、華琳にしても、劉備にしても、孫策にしても、覇道や大義、皆の笑顔の為になんてお題目を掲げているが、やった事と言えば、大量殺人でしかない。自分が天下を差配したいという欲の為のな」

 

一刀の言葉が玉座の間を支配する。重苦しい沈黙が漂う中で、一刀はさらに言葉を続けた。

 

「結局の所は皆、同類なんだよ。だから俺は司馬懿の行動理由を馬鹿だとは思うが、愚かだとは思わん。俺から言わせれば、大きな目標を掲げていれば、大量殺人もやむ無しと考えるこの大陸の価値観の方が愚かだ」

 

「……」

 

「俺は戦いを否定しない。戦う事でしか手に入らない物もあるからな。只、俺がお前達に言いたいのは建前を楯に自分を正当化するな。一度、血に染まった以上、どこまでいっても俺達は悪でしかないのさ」

 

「……」

 

「戦う理由なんざ、人それぞれだ。けど、どんな小さい理由であろうと、そこに意地や誇り、想いがあるなら人は戦える。俺が司馬懿を嫌いになれないのは、司馬懿の戦う理由が一人の女の心を得るという、わかりやすく、純粋な物だからだ。……俺が言うのもなんだが、司馬懿の立場になって考えると、何処か切なくなるよ。結婚までして片想いなんてな……」

 

一刀は本気でそう思っていた。もし、自分が司馬懿の立場なら同じ事をしたかも知れないとも……

 

「……お兄さんの考えはわかりました。ですが、司馬懿さんはお兄さんを狙ってきます。それはどうするつもりですかー?」

 

風のその問いは一刀にとって愚問だった。

 

「叩き潰すに決まってるだろ。司馬懿に戦う理由がある様に、俺にも戦う理由がある。司馬懿の現状には同情すべき点はあるが、そんな物は俺は知らん。俺の立場からすれば、八つ当たりされている様な物だしな」

 

「……本当に今のお兄さんは揺るがないですねー。けれど、その言葉を聞いて安心しましたー」

 

司馬懿の話が終わったと同時に玉座の間の空気が少し弛緩する。だが、一刀が次に放った言葉で玉座の間は凍り付いた。

 

「風、お前にもう一つ聞きたいのは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『華琳は本当に俺の知っている華琳なのか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お兄さん、それはどういう事でしょうかー?」

 

「どうもこうもない、言葉通りの意味だ。はっきり言って切れ味が鈍り過ぎてる。俺が本当にあの華琳なのかと疑うほどにな」

 

「司馬懿さんの一件は失態ですが、それまでは華琳様は三国を上手く纏めていました。お兄さんがそこまで言う様な状態には思えないのですが……」

 

「風、お前は俺を試しているのか?……俺も魏については調べたが、確かに為政者としては優秀だ。それこそ俺が魏にいた頃よりな。だが、俺が言っているのは、そんな事じゃない。昔の他者を圧倒する様な存在感をまるで感じないんだよ」

 

一刀はリュックから屍鬼隊の調べた書簡を取り出し、その中身を眺めながら言い放つ。

 

「今の華琳は只、優秀なだけ。普通の王ならそれで十分だが、昔の魏の覇王、曹孟徳を知る俺からすれば、今回の司馬懿の一件、あまりにも事が起こった後の動きが悪過ぎる。俺の知っている華琳なら今頃、華北で戦っているはずなのに、洛陽に兵を集めた後、動きがない。司馬懿が単身で洛陽に現れたという情報があるから、その時に何かがあったのかも知れないが、それでも釈然としない」

 

「……お兄さんはその情報を何処で?風もまだ知らない情報なのですが……」

 

「そんな事はどうでもいい。……それでどうなんだ?」

 

一刀の問いかけに風は大きくため息を吐いた。

 

「それを、お兄さんが聞くのですか……」

 

「やはり、俺の所為か……」

 

「はい、お兄さんが天の世界に帰られた後、華琳様は変わられました。その変化に気付いたのは、風を含めて数人ほどでしょうが、華琳様は覇王ではなく、とびきり優秀ではありますが、普通の女性になってしまいました」

 

風の言葉に、一刀は元の世界に戻る直前に華琳に放った言葉を思い出した。

 

 

……寂しがりやの女の子

 

 

自分の言葉が華琳をそうしてしまった事を一刀は悟った。

 

こういう状況にする為に言った言葉ではなかった。けれど結果としてこの有り様……

 

こんな事になるなんて、あの時に予測出来る訳がない。それでも自分の言葉から始まった今の大陸の混乱。

 

……ならば、自分が何とかするべきだろう。それが華琳に天下を取らせた天の御遣い、北郷一刀の最後の責任だった。

 

一刀は自分の中でこれから自分が歩む道がはっきりと定まった事を感じていた。

 




評定は次でラストです。


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問う覚悟 それぞれの決意

ある決意を固めた一刀は風に尋ねる。

 

「風、華琳と司馬懿、二人を知っているお前に聞きたい」

 

「はい、何でしょうかー?」

 

「もし、現時点で二人が戦えば、どちらが勝つと思う?」

 

一刀の問いかけに風は暫し黙り込み、

 

「……華琳様の勝つ可能性は三割と言った所でしょう。華北、特に冀州を取られたのが痛いですねー」

 

冀州は華北でも、いや、大陸でも特に裕福な州だった。

 

「追加情報だ。司馬懿は既に徐州を陥落させている」

 

「っ!……勝率は二割まで落ちますねー」

 

風は一瞬、驚きと何か聞きたそうな表情を見せたが、聞いても無駄だと思ったのか、口に出す事はなかった。

 

「……やはり、その程度しかないか。軍縮もしている様だしな」

 

一刀は屍鬼隊が集めた情報が記されている書簡を眺めながら風に相槌を打つ。天和達が居れば兵は集まるだろうが、彼女達は今は魏には居ない。そもそも華琳が大陸を平定した事で彼女達の契約は終わっている。魏に協力する義理は彼女達にはもうないのだ。

 

そして一刀も天和達に協力を求めようとは思っていない。彼女達には彼女達の夢の舞台がある。そこから降ろして血に染まった舞台に引っ張り上げる事なんて彼女達の努力を誰よりも近くで見てきた一刀には出来はしなかった。

 

縁があれば、また会えるだろう。一刀はそう割り切っていた。

 

「けれどお兄さん、これはあくまで魏と晋の二国だけが争った場合の予測で此処に蜀と呉の動きが加わればどうなるかは風にはわかりません」

 

「まぁ、そうだろうな。……じゃあ、もう一つ質問だ。魏が晋に勝ったとして、天下は治まると思うか?」

 

一刀からすれば、こちらの質問の答えの方が大事な事だった。

 

「……治まるとは思います。ですが火種は残るでしょう。今回の一件は皆、華琳様の失態と見ますからねー」

 

その返答は一刀の予測と同じ、元来、王には無用な汚れは必要ない。現実的には汚れのない王など居ないだろう。だが、その汚れを民に見せてはいけないのだ。

 

綺麗な王だからこそ、民は期待し、信じ、敬い、慕い、着いて行く。

 

けれど今回の一件で華琳は民の目にはっきりと映る汚点を残してしまった。

 

例え、華琳が司馬懿を打ち倒したとしても、その汚点は消える事はない。民はもう、全面的に華琳を信じる事は出来ないだろう。

 

そこまで考えて、一刀は一度、大きく息を吐いた。そして凪達を見据え、

 

「結論から言う。……俺は魏を潰す」

 

一刀の発言で玉座の間の空気が凍り付く。そんな空気の中で一刀はさらに言葉を続ける。

 

「魏だけではない。蜀も呉も晋も潰し、俺は天下の覇者となろう」

 

「……隊長」

 

「……お兄さん、本気ですか?」

 

「あぁ、勿論本気だ。正直言って、もう三国同盟は駄目だろ。魏は反乱で国内が混乱しているし、蜀は虎視眈々と荊州と俺達の交州を狙っている。それは呉もそうだが、多分、それ所じゃなくなるだろうしな」

 

一刀は既に晋が呉に軍を差し向けている情報を掴んでいた。

 

「三国同盟成立から約六年、短い平和だったな」

 

一刀のその言葉に皆が黙り込む。それぞれが戦乱の再来を理解していた。

 

「こう言ってしまえば、傲慢に聞こえるかも知れないが、華琳に天下を取らせたのは俺だ。華琳の天下が駄目になったなら、それに幕を引くのも俺であるべきだろう。それが、かつて天の御遣いなどと呼ばれた北郷一刀であった俺の最後の役目だと思っている」

 

「……お兄さんの考えはわかりました。ですが、宜しいのですか?華琳様だけではなく、魏の皆さんと戦う事になりますが……」

 

「風、俺は魏を潰すと言ったんだ。それくらいの事、覚悟してないとでも思っているのか?」

 

「いえ……」

 

「俺から言わせれば、お前と凪の方が心配だ。風は稟、凪は真桜と沙和を殺す事になるかも知れない。……今ならばまだ俺から離れる事を許すがどうする?」

 

一刀の鋭い眼差しが二人を貫く。

 

「只、俺に着いて来るならば、半端は許さない!怯懦も許さない!俺はこれより大陸を血に染め上げる修羅へと参る!それに着いて来る覚悟がないならば此処で去れ!これは、凪と風だけじゃなく、晶、陸、叡理、お前達にも聞こう」

 

それは余りに峻烈な言葉だった。その言葉を表す様に一刀の身体から凪達を圧倒する様な覇気が発せられている。

 

静寂が漂う玉座の間、それを打ち破ったのは……

 

「隊長、今さら自分に覚悟を問うのですか?」

 

凪だった。

 

一刀に逆に問い返す凪の言葉は心底心外そうである。

 

「自分は主君を捨て、国を捨て、友を捨ててまで隊長と共に在る事を決めました。隊長の今の言葉は自分に対する侮辱です。……それに約束しましたから」

 

凪はそう言って、左手の薬指に嵌められている指輪を右手で撫でる。

 

「そうですねー。風も覚悟を決めて魏を去りました。それにお兄さんが華琳様に天下を取らせた事の責任を取ると言うなら、風もお兄さんを担ぎ上げた事の責任を取るのが道理と言う物でしょう。……凪ちゃんの指輪の事は後で聞かせて下さいねー」

 

凪に引き続き、風も普段通りの飄々とした態度で一刀に自分の決意を述べる。そこに、かつての自分の国や仲間と戦う事に対する躊躇いはなかった。

 

「私にとって一刀様の決断は望む所です。やはり私はどこまでいっても武人である事は辞められません。そして一刀様と共に戦場を駆けるのは私にとって誉れでもあります。……ですが一つ願いを聞いて頂けないでしょうか?」

 

晶の願いは一刀にはわかっていた。

 

「董卓の事だろう。心配しなくても戦いを望まずに戦場に出ない人間を斬る刃は俺は持っていない。もし、蜀を打ち倒したなら董卓の保護を最優先にしよう」

 

「それでしたら、これ以上言う事はありません。一刀様の前に立ち塞がる者共をこの武を持って打ち倒してご覧に入れましょう!」

 

晶の堂々たる宣言。一刀はその宣言に清々しささえ感じていた。

 

「僕も晶さんと同じです。先の戦乱では何も出来ませんでしたからね。今の自分がどこまでやれるのか試してみたい気持ちが大きいですよ」

 

ふてぶてしい態度の陸。その目に怖れはない。一刀が叩きのめしたあの日から陸は度胸を据えれる様になっていた。

 

「私は戦の事はわかりません。私に出来るのは、民が少しでもより良い生活を送れる様に力を尽くす事だけです。それで良いのでしたら、私も一刀様と共に行きたいと思います」

 

真摯な瞳でそう応える叡理。……叡理も変わった。出会った頃は学のない人間を見下す癖があったが、恐らく風と共に政務に励む様になってからその癖がなくなっていた。自分と同じ分野で自分より明確に優れた風という人間が自分を見つめ直すきっかけになった様だ。

 

それぞれの決意を聞いた一刀は嬉しいと同時に悲しくもあった。

 

自分はこの者達を修羅場に送る事になる。それは交州を奪った時とは比べ物にならない修羅場。

 

此処で自分から離れてくれれば、そこに送らずに済んだ。

 

けれど、皆はもう自分と共に行く事を決めてしまっている。

 

決めてしまった人間の心を変える言葉を一刀は持っていなかった。




遅くなってしまい申し訳ありません。今回は難産でした。後、評定が終わらなかった。次で終わらせる様に頑張ります。


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ユメノオワリ

一刀は一度、大きく溜息を吐いた。

 

「……俺が魏で過ごした日々は夢の様な物だったな。そして夢から覚めないまま、元の世界に戻った。元の世界に戻った俺は足掻いたよ。もう一度この世界に帰って来る為、夢の続きを見る為に……」

 

そう言う一刀の目は何処か虚ろで過去に想いを馳せていた。

 

「けれど、戻って来た俺に夢の続きを見る事は許されなかった。そりゃそうだ、夢はあくまで夢でしかない。いつかは覚める。……多分、今が夢の終わりなんだろう。俺に残っているのは冷たい現実だけだ」

 

自嘲気味に嗤いながら一刀は呟く。

 

「隊長……」

 

「お兄さん……」

 

「何故だろうな?そんな冷たい現実を目の前にしても俺の心が動かないのは…………変わっていないつもりだった。どんな死地に居ても想いは華琳の下に、いや、魏の皆の下にあると思っていた」

 

「……」

 

一刀の独白に誰も口を挟む事が出来ない。それが出来る空気ではなかった。

 

「だけど、はっきりと気付いたよ。俺の魏に対する想いは色褪せて、いかなる熱も持っていない事に……」

 

「……お兄さんは魏という国を憎んでいるのですか?」

 

かろうじて放たれた風のその言葉に一刀は薄く笑って首を横に振る。

 

「憎いとか憎くないという問題じゃない。……確かに魏の俺に対する扱いには思う所がない訳ではないが、それすらも最早些細な事だ」

 

一刀が天を仰ぐ。その視線の先に映る物が何なのかは凪達はおろか一刀自身にもわからない。

 

「何故、俺が再びこの世界に戻って来れたのか、変わってしまったこの世界で俺は何をするべきなのか、もし、お前達の言う天という物が存在しているならば俺に何をさせたいのか、答えなんてないのかも知れない。だが、それを知る為に俺は戦うと決めた。理由はそれだけでいいし、それ以外はいらない」

 

そう、それでいい。華琳と戦うのだ。余計な感情を持つべきではない。これからの自分に必要なのは客観的な判断と迅速な行動。

 

心を凍てつかせろ。戦うのは魏の皆ではなく、只の敵だ。

 

天を見上げていた顔を下ろす。一刀の目が冷たく光る。その目はかつて、数多の敵から鬼と畏怖された男の目だった。

 

「っ!!!」

 

一刀の目を見て凪達の顔が強張る。それに構わず、一刀はこの先の方針を話し始めた。

 

「俺達は手始めに荊州を奪う。風、策を述べろ」

 

「……風達の現状では荊州全土を取るには、兵力、資金、兵糧、全てが不足していて荊北を取ると蜀呉二国とぶつかる可能性があります。まずは荊南四郡を取るべきかと……」

 

確かに現在の交州の国力を考えると妥当な判断と言っていいだろう。

 

風の言う事に間違いなどない。それ故に一刀は不満だった。

 

「……それで勝てるのか?」

 

「えっ?」

 

「確かにお前の言う事に誤りはない。当然の判断と言っていい。だが、当然の判断で勝てるのかと聞いている」

 

「……それは」

 

「現時点で他の四国より劣っている俺達が当たり前の事をやってどうする?」

 

「ですが、現実的に風達には荊州全土を治める力はありませんよー」

「足りないのは、兵力、資金、兵糧の三つだな?」

 

「そうですねー」

 

「なら、その内の資金と兵糧は俺が用意しよう」

 

一刀がそう言った直後だった。

 

「高長恭様、ご命令の物をお持ち致しました」

 

現れたのは調理場を受け持つ侍女。その手には一刀が玉座の間に来る前に渡した物が皿の上に乗せられていた。

 

一刀はその皿を侍女から受けとり、凪達に声を掛ける。

 

「お前達、ちょっとこっちに来い」

 

一刀の元に集まる凪達。その顔には疑問の表情が浮かんでいる。

 

「隊長、これは一体、何なのですか?」

 

「これは、俺が元の世界から持って来た食物でじゃがいもとさつまいもと言う物さ」

 

そう言って、一刀はさつまいもを一つ、手に取り、口に運ぶ。

 

「お前達も食ってみろ」

 

一刀の言葉に皆が恐る恐る二つの芋を口にする。

 

「ほう!このさつまいもというのは中々、甘味があって美味で御座いますな!」

 

「こっちのじゃがいもは塩を付けて食べると合うと思います」

 

そう言う晶と叡理の顔には笑みが浮かんでいる。

 

「この二つは荒れ地でも栽培可能の事から俺の居た国でも戦時中、主食として用いられていた」

 

「……お兄さん、まさか?」

 

「あぁ、もう既に栽培を始めているぞ。そろそろ収穫出来る頃合いだ。交州は土地だけは広いからな、作る場所には事欠かなかった」

 

「何故、今までこの二つを出さなかったのですか?」

 

……決まっている。防諜体制が整ってなかったからだ。

 

はっきり言ってじゃがいもとさつまいもは食物として万能過ぎる。荒れ地で栽培出来て、保存が効き、栄養価も高く、色んな料理に転用出来る。

 

一刀はこの二つを他国に流すつもりは一切ない。これは自分達だけのアドバンテージ。それ故に屍鬼隊が出来るまで下手に表に出せなかった。

 

因みにこの二つを作っているのは、屍鬼隊と黒鬼隊の身内の人間だけだ。

 

残された家族に生きる術を与える事で、屍鬼隊と黒鬼隊の者達は心置き無く死ねる。忠誠心を買う事にも役に立っていた。

 

黙り込んだ一刀を見て、風は溜息をつく。

 

「お兄さんには秘密が多過ぎるのですよー。そんなに風達の事が信用出来ませんかー?」

 

「そんな事はない。ないが、謀は秘するのが当たり前だろう。知る人間が多ければ多いほど漏洩する可能性があがる。そんな事はお前が一番良くわかっているはずだ」

 

一刀は皆を信じていない訳ではない。だが、それとは別で自分の器量の底を他人には見せない様にしていた。

 

自分の底を見透かされた人間は早く死ぬ。他人に侮られるからだ。人は自分が理解出来ない事を怖れる。だから他人に甘く見られない為には自分という人間をさらけ出すのは駄目なのだ。

 

風は賢い。そして人を見る目もある。今は自分を好いているから共に居るが、いつまでもその感情が続くとは限らない。だからこそ、一刀は風の心に楔を打っている。決して自分を侮れない様な楔を……

 

一刀の言葉が軍師として正しいのがわかっているのか、僅かに不満そうな顔をしているが、風はそれ以上は言わなかった。

 

「とりあえず、兵糧はこの二つと備蓄の物で何とかなるな。後は資金か」

 

そう言って一刀は自分のリュックに手を入れる。そこから出て来たのは、数本の純金のインゴット。

 

「に、兄さんこれは!?」

 

「見たらわかるだろう。金の塊さ。不純物が一切入ってないな」

 

「いや、こんな物をどうして!?」

 

「あぁ、お前達は知らなかったか、俺は元の世界ではそれなりに金持ちなんだよ。こっちの世界に来る以上、元の世界のお金は必要ないから全部、これに替えて来た」

 

ラキが一刀に渡した三十億の内の二十億分の純金。後の十億は最後の親孝行だと思い家族の所に置いてきた。

 

「これで資金も大丈夫だな。兵力に関しては力と知恵で何とかするさ」

 

そう言って一刀はニヤリと笑う。

 

「……確かにこれで荊州全土を攻める最低限の状態にはなりましたが、蜀呉の二国を同時に相手にするのは風は軍師として反対させて頂きたいのですよー」

 

「呉は動かない。いや、動けないと言った方が正しいか。司馬懿が寿春に攻めこんでいるらしいからな」

 

一刀の言葉に玉座の間がどよめく。そのどよめきをかき消したのも、また一刀の言葉だった。

 

「俺達はこれより荊州に攻め込む。間違いなく蜀軍とは戦う事になる。だが、四国の内で一番国力で劣る蜀に勝てない様では話にならない。天下を目指す俺達にとって遅かれ早かれ戦う事になる相手だ。……風、お前はどの辺りで蜀軍とぶつかる事になると思う?」

 

「……そうですねー」

 

風が暫し考え込む。そんな風に一刀は声を掛ける。

 

「俺にも恐らく此処だろうと思う場所がある。お前の答えと同じか、手のひらに書いて一斉に見せ合うか?」

 

一刀の試す様な言葉に風が笑みを浮かべる。

 

「面白そうですねー。記録官さん筆を」

 

会議の様子を記録する記録官から筆を受け取った一刀と風は手のひらに筆を走らせる。

 

「風、書けたか?」

 

「はい、書けましたー」

 

「それじゃ、見せ合うぞ」

 

一刀と風が一斉に手を前に出す。手のひらに記された文字は二人共に同じで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『長坂』

 

 

 

 

 

 

という二文字が記されていた。

 



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月下の二人

成都の城壁、残暑が厳しい昼間と違い、涼しい風が吹く夜、星はメンマをつまみに一人盃を傾ける。

 

見上げれば、薄く輝く満月。月を見ながら一人で飲む酒が星は好きだった。

 

酒を飲みながら思い出すのは変わり者の友の事。

 

それほど長い時間を一緒に居た訳ではない。自分とは歩む道も違う。お互い敵として戦う事もあった。

 

……それでも友は友だった。

 

その友が自分の国、魏から姿を消した。彼女……風が何故、魏から去ったのか気になった星は魏に居るもう一人の友、稟に文を送った。

 

そして、返ってきた文の内容を見て、星は思わず笑ってしまう。

 

まさかあの変わり者が男の為に国を捨てるとは想像もしていなかったのだ。

 

星はそれを可笑しいと思うと同時に何とも言えない気持ちに襲われた。心に感じる引っ掛かり。始めはそれが何なのかわからなかった。

 

けれど時が経つにつれ、その引っ掛かりは鮮明な物になっていく。

 

 

……あぁ、私は風が羨ましいのだな。

 

 

頭の固い愛紗辺りなら激怒しそうな国を捨てる理由だが、星からすればそれが眩しく思える。

 

別に惚れた男が居るから羨ましい訳ではない。何か一つの事に全てを懸けれる風が羨ましいのだ。

 

自分の現状に不満があるという事じゃない。昼は華蝶仮面として活躍し、夜はメンマをつまみに酒を飲む。仲間に恵まれ、民も平和を謳歌している。

 

これ以上を望む事はない。この平和の為に自分は槍を振るってきた。満足、そう満足なはずなのに、

 

 

 

……何故か、心が渇いていた。

 

 

 

満たされないのだ。何をしていても、かつての戦乱の時の充実感が感じられない。……その理由はわかっていた。自分は武人で武人は乱世でこそ輝く。

 

民にとって平和な世界は自分にとって退屈な世界。心に鬱屈した物が溜まっていく。時折、叫び出したくなる衝動に襲われる事もあった。

 

司馬懿の反乱と高長恭の交州奪取を聞いたのはそんな時だった。

 

それは三国同盟の崩壊、再び来る戦乱の世。その情報を聞いた時に星の心にあったのは嬉しさ。

 

始めはその気持ちを否定しようとした。だけど考えれば考えるほど自分の中で否定出来る材料がなくなっていく。

 

最後に残ったのは、趙子龍としての闘争本能だけ。どこまでいっても自分が武人である事を再認識するだけだった。

 

そういう気持ちになったのは、自分だけではない。再び戦乱が始まる事に悲しそうな顔をする主君である桃香の手前、表には出せないが桔梗や翠も何処か張り切っている。決して認めはしないだろうが、愛紗でさえ鍛練に対する気持ちの入り具合が違っている。

 

武人とはそんな物だろう。戦いを求めるのが、自分だけではないのがわかった星は何処か安堵していた。

 

星は酒を口に運ぶ。その時、自分を呼ぶ声が聞こえて来た。

 

「星、やはり此処に居たのか!」

 

その声は自分にとって一番の戦友の声。

 

「愛紗よ、私に何か用かな?」

 

「何か用かな?ではない!荊州に出陣するのは明日だろう!?先鋒軍の大将のお前がこんな時間まで酒など!」

 

「そう怒鳴るな、お主もどうだ?」

 

星は愛紗をなだめながら盃を差し出すが、どうやらその行為がお気に召さなかったらしい。

 

「星~!!」

 

「愛紗よ、そう怒ってばかりいるとしわが増えるぞ」

 

「し、しわって、私はまだその様な年ではない!」

 

「かと言って若い訳でもあるまい。もう少しで二十も半ばに差し掛かるのだから」

 

「……その言葉、紫苑には絶対に言うな」

 

「言わぬよ、私もまだ命は惜しい。それに紫苑は良いのだ。夫に先立たれたとはいえ、一度は結婚している。それに比べ、我らはどうだ?男の影もないまますっかり行き遅れと言われる年になっている」

 

「……それは」

 

「お主と同じ様に、私もまだ若いつもりだが、鈴々や朱里、雛里を見ていると年月という物を思い知らされるよ。鈴々の裸体を見たか?胸など我らより大きくなっているぞ。朱里や雛里は昔と変わらぬが……」

 

「お前はどうして下世話な話に持っていきたがる!?それに鈴々は確かに身体は成長したかも知れないが、内側は全くもって成長していない。この前も兵の訓練をさぼって木の上でよだれを垂らして寝ていたのだぞ!」

 

その時の事を思い出したのか、頭に手を当てながら顔をしかめる。

 

星はそんな愛紗の様子を見て、笑ってしまった。

 

「星、何を笑っている!?」

 

「いや、鈴々の事を成長していないと言うが、愛紗、お主も鈴々の事で頭を悩ませるその様子は昔と変わっておらぬよ」

 

「なっ!…………はぁ~、もう良い。それで何かあったのか?」

 

「……何かとは?」

 

「今日のお前はいつもと違う様に見える。荊州攻めだけが理由ではあるまい?」

 

この融通の効かぬ戦友は自分の事を良く見ている。星にとってそれは嬉しい事だった。

 

「……風の事を考えていた」

 

「曹操の軍師の?確か、魏を去ったと聞いているが……」

 

「あぁ、そうだ。風が魏から去った理由は知っているか?」

 

「いや、それは知らない」

 

「惚れた男を追って行ったらしい」

 

「……男の為に国を捨てたのか」

 

愛紗はそう言いながら、厳しい表情になる。それは星にとって予想通りの態度だった。

 

「愛紗よ、お前の言いたい事はわかる。わかるが、風にとってその男は国より大事な物なのだろう」

 

「しかし……」

 

「人はそれぞれ違う価値観を持っている。お主が桃香様や鈴々、この蜀の国を大事に想っているだろうが、他国の人間からすれば、桃香様や鈴々、蜀の国は大事な物ではない。そしてその事をとやかく言う権利はお主にはないのだよ」

 

「……」

 

星の言葉の意味がわかったのか、愛紗は風の行動についてそれ以上は言わなかった。

 

「国を捨て、主君を捨て、仲間を捨て、友を捨てるほどの恋がどんな物なのだろうと考えていた。生憎、私は男に惚れた事がないのでわからんが、全て捨て、全て懸けれるほどの想いを羨ましいと思ったのだ」

 

「……それで男や結婚の話をしたのだな」

 

「あぁ、私も女に生まれたのだ。恋の一つもしないまま年を重ねるのはどうかと思ってな」

 

星としては惚れた男が居る風が羨ましい訳ではないが、それとは別で恋という物に興味はあった。

 

「だが、それも再び起こった戦乱を鎮めてからだ。その時は愛紗、お主も一緒に良い男を探そうではないか?こんな良い身体を生かさないままなのは惜しいぞ」

 

そう言いながら、星は愛紗の背後に回り込み、その豊かな胸を揉みしだく。

 

「あっ、んっ、星!止めないか!」

 

星は自分に向かって飛んでくる愛紗の拳をひらりとかわして距離を取る。

 

「おぉ~怖い怖い。これ以上すると恋をする前に愛紗に殺されてしまうな」

 

「馬鹿者!とっとと寝てしまえ!」

 

「ふむ、ではそうさせてもらおう」

 

星は酒とメンマの壺を持って、自分の部屋に向かって歩き出す。

 

「星!」

 

背中越しに聞こえる愛紗の声。

 

「無茶はするなよ」

 

その言葉に星は愛紗の方に振り返り、

 

「私を誰だと思っている。常山の昇り竜趙子龍だぞ。必ず勝って帰って来るさ」

 

振り返った星の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。



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荊州への道程

季節が夏から秋に変わる頃、一刀は黒鬼隊、凪が率いる第一師団、晶が率いる第二師団を引き連れ交州から出撃する。留守居は陸と陸が率いる第三師団に任せた。

 

本音を言えば陸を連れて行きたかったが、蜀は南蛮を制圧している。そこから交州に侵攻される可能性があった。

 

陸自身も一刀に着いて行きたがったが、晶は壊滅的なまでに守りに向いてない。凪は万能だが、どちらかと言えば攻めの人間。守りに向いていて手堅い陸しか任せられる人材がいなかったのだ。

 

人材の少なさがこういう所で響いて来ている。兵は育てているが小隊長や中隊長クラスは出て来ても師団長クラスはこの三人しかいない。那由多も師団長クラスの実力は持っているが屍鬼隊からは動かせない。結局は三人でやりくりするしかなかった。

 

ちなみに黒鬼隊は全員が中隊長クラスの指揮は取れる。かといって分散させるつもりは一刀には毛頭ないが。

 

そうして一刀が頭を悩ませて編制し、交州を出撃したその数は総勢七万。それが今の一刀に出せる限界だった。

 

荊州を制圧し、蜀と全面戦争するには、頼りない兵数。それでも一刀は負けるとは微塵も思っていない。

 

そもそも一刀と他の国では前提条件が違う。他の国は自国を第一に考えるが、一刀が第一に考えるのは仲間の命。

 

最悪、交州を捨てる事も頭に入れて行動している。元々、自分は土地に縛られず戦うゲリラだ。領地なんかない方がよっぽどやりやすい。陸にも何かあれば無理せず交州を捨てていいと伝えていた。

 

はっきり言ってしまえば、相手が蜀であろうと、呉であろうと、魏であろうと、晋であろうと、勝つだけなら容易く勝てる。

 

手段を選ばなければ良いのだ。実際にやろうとした手段はある。仲間の事を考えて自重はしたが、必要ならば一刀はその手段を取るつもりだった。

 

その手段の一つが一刀が元の世界から持ってきたケシの種を栽培し、精製して阿片として屍鬼隊を通して四国にばらまく事。

 

それで数百万から数千万の阿片中毒者の出来上がり。そして阿片中毒者が阿片を求めて大陸中で血みどろの争いを繰り広げる。……その阿鼻叫喚を思うと胸が熱くなる。元の世界で汚い戦に染まったからか、罪悪感も湧いて来ない。

 

もちろん自分の領地では阿片は徹底的に取り締まる。他の四国も取り締まりに走るだろう。しかし、屍鬼隊の特殊工作の能力は他国の間者とは一線を画す。取り締まり切れはしない。後は四国がボロボロになるのを眺めていれば良い。

 

なんなら、その間に五湖征伐に乗り出すなんて事も出来る。時間は自分の味方なのだから。

 

一刀は自分一人なら迷わずそれを実行した。正直言って、自分の大事な仲間以外が死のうがヤク中になろうが、一刀からすれば知った事ではない。

 

むしろ幸せな幻覚(ユメ)を見られる事に感謝してもらいたいくらいだ。

 

そんな発想する時点で自分は既に壊れているのだろう。別にそれを恥じるつもりない。だが、

 

 

……到底、仲間に見せられる自分の姿ではなかった。

 

 

一刀は仲間の為に戦っているが、仲間の存在は良く言えばストッパー、悪く言えば足枷になっている。

 

極論を言えば、それすらも気にしなくなった時が自分が人間でありながら人間を辞める時だろう。

 

そう言った意味で一刀にとって仲間の存在はありがたいものだった。

 

一刀は今は一人で自分の黒馬に跨がり荒野を駆けていた。黒鬼隊は野営の準備、そして凪と晶には先行させて荊南四郡の攻略を命じていた。

 

自分が出張れば早く終わるのだが、自分におんぶに抱っこはこの先を考えれば決して良い事ではない。

 

一刀は二人に荊南攻略を任せた事を後悔はしていない。あれでも二人は歴戦の猛者だ。言い方は悪いが雑魚では相手にならないだろう。

 

念の為に参謀に凪には叡理、晶には風を付けている。万が一もないと思っていい。

 

叡理は実戦経験はないものの兵法は良く学んでいる。実戦経験が豊富な凪との組み合わせは良い経験になると思っていた。

 

風に関しては言う事はない。晶の暴走を止める為に付けただけだからだ。晶はこの数年で落ち着いたとは言え、反董卓連合での事を見ている一刀からすれば一抹の心配はある。だから二人には指揮は晶がとっていいが、風が危険だと感じたら指揮権は風に変えるようにと言ってあった。

 

そんな事まで考えながら、人を動かす事に一刀は最近気疲れを感じている。元の世界の中東ではその辺りの事は全てラキがやってくれていたのだ。

 

ラキの事を思い出し、一刀は乗っている黒馬の(たてがみ)を撫でる。

 

この黒馬の名前もラキにした。自分の相棒ならその名前しかないと思ったからだ。

 

ラキは賢く勇敢な馬だった。恐れを知らない。演習の時も自分から相手に身体をぶつけに行く、それなのに相手の攻撃はきちんとかわす。地を這うように駆けて一刀が足で腹を絞めるだけで一刀がどうして欲しいか理解してくれる。

 

一刀はこの世界に戻って来てから馬術を徹底的に鍛え上げたが、人馬一体という物がどういう物なのかを理解したのはラキに乗り始めてからだった。

 

「お前は本当に良い馬、いや、相棒だな」

 

一刀はラキに語り掛ける。乗っている時だけではなく、暇さえあれば厩舎に行き、ラキの世話をしながら語り掛けるのは、一刀の日課になっていた。一刀はラキの世話を他人に任せる事はしない。自分の命を預ける相棒なのだ。自分が世話をしないでどうする。その考えが常に頭にあるからだ。時折、そのままラキと共に厩舎で眠る事すらある。

 

その考えから黒鬼隊では自分の馬は自分で世話をするのが当たり前になっている。始めは不満そうな顔をする者もいたが、馬と心を通じ合わせる事の大事さが賊討伐や演習で自分自身の生存率を分けるとわかったのだろう。今では黒鬼隊全員が喜んで自分の馬の世話をしていた。

 

一刀が語り掛けるとラキは首を振ってそれに応える。ラキには自分が言っている事がわかるのだと一刀は確信していた。

 

一刀とラキは駆ける。広い荒野でさえ狭く感じる程の速さで。そんな一刀の前方で土煙と喚声が上がっていた。

 

一刀が目を凝らすと数人の民らしき人間に二十人程の男達が襲いかかっている。

 

「……賊か」

 

呟いた一刀は手綱を引き、方向を変えようとした。此処は交州ではなく既に荊州、自分の領地になっていない場所の人間を助ける義理は一刀にはなかった。

 

そう思ったから引き返そうとしたのだが、ラキが動かない。

 

「ラキ、お前は助けろと言っているのか?」

 

そうだと言わんばかりに一刀の言葉でラキは首を振る。

 

「人嫌いなお前が珍しいな。普段なら見捨てるだろう?……まぁ、いい。お前の気まぐれに付き合うとするか」

 

一刀はラキの腹を軽く蹴り、その集団に向かって猛然と駆けて行くのだった。



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過去の残影

眼前に迫る賊。一刀はラキの加速をそのまま利用して抜刀、一太刀で四人の首が飛ぶ。

 

突然の乱入者に賊は反応出来ない。そんな賊の行動を待つ義理は一刀にはない。

 

ラキの手綱を引いて方向を切り返し、間近に居た賊を腹から頭頂部にかけて切り上げ、隣に居た賊の胸に刀を突き立てた。

 

ようやく、我に返った賊が襲っていた人間の元へ殺到する。恐らく人質にとるつもりだろう。

 

だが、それを許す一刀ではなかった。投げナイフ十本、立て続けに投擲、その全てが賊の急所に突き刺さる。

 

後、四人、一刀は駆けているラキの鞍に足をかけ跳躍、空中で刀を納刀、サバイバルナイフを取り出し、賊の一人の背後に飛び掛かり首筋をかっ切る。

 

その勢いのまま、地面を転がりながら、残った三人のアキレス腱を断ち切り身動き取れなくなった所で再び刀を抜いて首を撥ね飛ばす。

 

 

……僅か、十秒足らずの惨殺劇。

 

 

「気を使わずに戦えばこんな物か」

 

ぼそりと一刀は呟く。誰が見ても完璧に見えるであろう一刀の立ち回りだが、一刀自身は納得していなかった。

 

自分はまだまだ伸びるという確信。自分には背負う物がある。現状に甘んじるなんて選択肢はない。目指す頂きはまだまだ先にあるのだ。

 

今回、気を使わずに戦ったのも理由がある。この世界で気を使って戦っているのは凪だけだと以前は思っていた。

 

しかし、それが間違いだと気が付いたのは、晶と手合わせをする様になってからだ。

 

晶は間違いなく気を使っていた。一刀と同じ内気功をそれも無意識に……

 

それがわかった時、一刀の中で今まであった疑問が氷解した。どう考えてもおかしかったのだ。この大陸で名を馳せている武人はいずれも筋肉などない様に見える見目麗しい美女。

 

そう、そんな美女が通常あんな人間離れした力や速さを出せる訳がない。だが、気を使っているとなれば話は別だ。

 

気を使えば身体能力が数倍に跳ね上がる。今まで彼女達も気を使っていたのだろう。恐らく無意識に。

 

その事に気付いた時、一刀は気を使う事を控える様になった。

 

素の身体能力を上げる為だ。一刀の考察では気は掛け算。素の身体能力×気での上昇=気を使った身体能力。

 

ならば、元となる素の身体能力を鍛え上げれば、結果的に気を使った身体能力がさらに跳ね上がる。

 

そう考えた一刀はなるべく気を使わずに鍛練に取り組むようになった。この鍛練方法は内気功をコントロール出来る一刀にしか出来ない鍛練方法。

 

一刀から言わせれば、春蘭や霞は天才だ。初めから内気功を使えたのだろう。だが、その才に甘えて素の身体能力を鍛えていない。まぁ、彼女達からすれば無意識に内気功を使っているから甘えている自覚もないのだろうが……

 

それに比べ一刀は元の世界、気など概念でしかない世界で素の身体能力を鍛え上げた。そしてその鍛練はこの世界でも続けている。

 

もはや、今の自分と彼女達では素の身体能力は大きな差があると思って間違いない。

 

今にして思えば祖父、一心の凄まじさが良くわかる。一心は気など使っていないのに技だけとは言え、明確に春蘭や霞を上回っていた。

 

一刀も鍛えてはいるが、気を使うならともかく、素の状態では六十年以上鍛え上げた一心の技にはまだまだ及ばない。一心は一刀の腕が自分と同等と言っていたが、それが身内贔屓である事がこの世界に戻って来て実戦を繰り返していると良くわかる。

 

「……俺の爺さんはやっぱ、やべージジイだったんだな」

 

口元だけ笑みを浮かべてそう溢す。

 

自分の師が偉大である事が一刀は嬉しかった。

 

「あ、あの……」

 

自分達などいない様な雰囲気で一人言を言う一刀に、窮地を救われた男が何と言ったら良いかわからない様子で恐る恐る話し掛けてくる。

 

「ん、あぁ、悪い。斬って良かったんだよなコイツら?」

 

「は、はい!おかげで助かりました!」

 

「いや、気にしなくていい。俺はこの辺りで失礼させてもらおう」

 

一刀がそう言い残しラキに飛び乗り、(きびす)を変えそうとすると

 

「お待ち下さい!大したお礼は出来ませんが、是非とも私達の村にお立ち寄り下さい。精一杯のおもてなしをさせて頂きます」

 

男のその言葉に一刀は仮面を外していた事を後悔した。あの仮面を付けているだけで他人は距離をとってくれるのだ。

 

男は善意から一刀を誘っている様だが、一刀からすれば男の善意は面倒くさい事この上ない。

 

「……遠慮しておこう。別に大した事をした訳ではない」

 

「そうおっしゃらずに。村の者も心良く迎えてくれると思います」

 

男の言葉にその男以外の三人の男女も頷く。男達のそんな様子に一刀は此処から一人立ち去る事を諦めた。

 

 

……これは断れそうにないな。ラキ恨むぞ。

 

 

一刀は心の中でため息を吐き

 

「わかった。お前達のもてなしを受けよう」

 

一刀がそう言うと男達の顔に喜びの色が浮かぶ。

 

「では村へ案内させて頂きます」

 

男達の先導に一刀はラキを並足にして着いて行く。

 

「そう言えば、お前達の村は近くにあるのか?」

 

「はい、此処から五里(2.5キロ)程の場所にあります」

 

「そんなに近くにあるなら、先ほどの様に賊に襲われるのではないか?荊州は賊が多いと聞いたぞ」

 

「いえ、私達の村は賊の被害は受けていません」

 

「何故だ?賊が襲う村を選ぶとは思えないが」

 

「それは……」

 

「私達の村には慧姐さんが居るからです」

 

一刀と話していた男の言葉を(さえぎ)り、四人の中で唯一の女性、いや、まだ少女と言っていい女の子が口を挟む。

 

「……それはその人の真名なのか?」

 

「いえ、違います。ですから呼んで頂いて結構ですよ。慧さんは数年前に私達の村の近くの川のほとりで傷だらけ倒れていてそれを見つけたのがこの子なのですよ」

 

男はそう言って少女の頭を撫でる。

 

「その時に村へ運び、一命は取り止めたのですが、どういう訳か自分自身の事を忘れてしまった様で……」

 

記憶喪失。恐らく頭を強打するなりしたのだろう。

 

「それ以来、私達の村で暮らしているのです。ちなみに慧という名前もこの子が付けた名前です」

 

「その慧という女性の事はわかったが、その女性がいる事と賊が襲って来ない事は関係ないだろ?」

 

「それが関係あるのです。慧さんはもの凄く武の腕が立つのですよ。村を襲った賊を何度も返り討ちする程に」

 

「ほう、それは大したものだな」

 

「はい、最近では賊が私達の村を襲うのは避ける様になっています。今日、私達が襲われたのは運が悪かったという事になりますな……あっ、あちらが私達の村でございます」

 

男の言う方向に一刀が目を向けると確かに村の様な物が見えた。

 

「おい、お前は先に村へ戻って村長と慧さんに今日あった事と客人を迎える事を伝えて来い」

 

「はい」

 

一刀と話していた男が他の男にそう言って村へ向かわせる。

 

「では、私達はゆるりと向かう事に致しましょう」

 

「あぁ」

 

それからしばらく歩き、一刀達は村に到着する。それと同時に一人の老人が一刀に向かって頭を下げた。

 

「この度は我らの村の者の命を救って頂いた事をこの村の村長として深く感謝致しまする。何もない村ではございますが精一杯のもてなしをさせて頂きます」

 

村長と名乗る老人の深い謝意。だが、一刀には村長の謝意がまともに耳に入らない。

 

何故なら一刀の視線は村長の後から出て来た妙齢の女性に釘付けになっていた。

 

銀の長い髪、肉感的な身体に褐色の肌。

 

かつての敵の壮絶な最後が一刀の脳裏にフラッシュバックする。

 

 

 

 

 

……生きて……いたのか

 

 

 

 

 

 

 

 

……黄蓋。



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村での歓迎

思わぬ出会い、一刀は顔に動揺が出してしまいそうになるが、一瞬で心を立て直し、表情に余裕を浮かべ、村長に返答する。

 

「いや、俺としては大した事をしたとは思っていないのだが、せっかくの歓迎、心良く受けさせてもらおう」

 

「賊を二十人を瞬時に討ち取る事が大した事ではないか、腕に自信があるようじゃのう」

 

村長と共に出て来た女性がそう言って興味深そうに一刀を眺めていた。

 

「け、慧殿!」

 

「村長、そちらの女性は?」

 

「この村では慧と呼ばれておる」

 

一刀の問いに答えたのは、村長ではなく、その女性自身だった。

 

「お前が彼らの言っていた慧か、自分の記憶がないらしいな?」

 

「……儂の記憶の事を初対面で言って来るとは随分と遠慮のない小僧じゃ」

 

「気に触ったなら謝ろう。だが初対面の男をいきなり小僧呼ばわりするお前もお前だと思うが?」

 

「小さい事を言うでないわ、そんな事ではおなごにもてんぞ」

 

「生憎と俺を慕う女は多くてね。これ以上増えても困るくらいに」

 

余裕の表情で軽口を叩く一刀を見て、慧の顔に笑みが浮かぶ。

 

「小僧、お主の名は?」

 

「高長恭」

 

一刀が名乗ると同時に村の人間の表情が凍り付いた。

 

「こ、交州の州牧様!」

 

「賊殺しの鬼!」

 

「お、おい馬鹿止めろ!聞こえるぞ」

 

もう聞こえているんだがな。そう思いながら村人達のざわめきを気にもしない様子で一刀は受け流す。

 

名を名乗るかは少し迷ったが、隠す事に意味はない。どうせ、この村も自分の領地になるのだから、いや、もうなっている可能性もあった。

 

それに一刀にとって州牧なんて地位はどうでも良い物でそれをひけらかして偉ぶるつもりもさらさらない。

 

「こ、これは州牧様とは知らずにこの様な村にお越し頂いて大変失礼致しました!」

 

村長が跪いて一刀に頭を下げる。

 

「村長、その様な事はしなくて良い。俺は州牧としてではなく、一人の人間としてこの村を訪れている。気軽に高長恭と呼んでくれ」

 

「そ、そんな事は……」

 

「ではそうさせてもらおうかの。高長恭」

 

村人達の中で唯一、動揺の色を見せなかった慧が村長の言葉を遮り、一刀を呼び捨てにした。一刀はそんな慧に視線をやる。

 

「なんじゃ、気に入らなかったか?やはり州牧様と呼んで欲しいのか?」

 

「いや、お前は良い女だなと思っただけだ」

 

「なっ!なんじゃと!?」

 

「自分が真っ先に俺を呼び捨てする事で村人達を安心させ、尚且つ、俺が怒ったとしてもその矛先を自分にだけ向けさせる。そういう配慮が出来る女だから良い女だと言ったんだ」

 

一刀の言葉が図星だったのか、慧の顔はみるみる内に赤く染まる。

 

「小賢しい小憎じゃ!村長、儂はもう行くぞ。その小僧の為の宴の準備があるからのう」

 

子供が拗ねた様な態度で足早に去る慧の背を一刀は苦笑しながら見送る。そんな一刀に頭を下げる村長。

 

「村の者が失礼な真似を、大変申し訳ありません」

 

「気にするな。俺は失礼だとは思っていない。むしろああいう裏のない態度は好ましい物だ」

 

「それでしたら良いのですが……あぁ、このまま立ち話もなんですので、宴の準備が終わるまで我が家でおくつろぎ下さい」

 

「では、そうさせてもらおう」

 

村長に家に案内されながら、一刀が考えるのは先ほどの慧と名乗る女性、黄蓋の事。

 

彼女が記憶を失った要因として一刀が占める割合が大きい。いや、ほぼ全てと言っていい。

 

自分が赤壁の歴史を変えてしまった事で彼女の今がある。そんな彼女の記憶の事を彼女自身に話すべきか……

 

別に恨まれる事が嫌な訳ではない。一刀としてはあの時の行動を後悔してもいない。そうしなければ魏の兵が大勢死に、華琳の覇道も潰えていた。

 

魏の人間であったあの時の自分の行動は何も間違えてはいない。だが、その理屈が孫呉の宿将であった黄蓋に通じるかは、また別の話。

 

流れに任せるしかない。一刀はそう割り切った。考えても簡単に答えの出る事ではないからだ。

 

村長の家に着いた一刀は通された書斎で適当な書を眺めながら、自分が呼ばれるのを待っていた。

 

そして三冊目の書を読み終わったと同時に村長が自分を呼びに来る。

 

「高長恭様、宴の準備が整いました」

 

「あぁ、ちょっと待ってくれ。すぐに行く」

 

一刀は読み終わった書を棚に戻し、書斎の扉を開ける。

 

そこに居た村長に一言、声掛けて向かったのは村の広場。

 

「……ここまで大袈裟にやる事はなかったんだぞ」

 

広場全体が幕で覆われ、大きな幕舎になっている様子を見て、一刀はポツリと村長に溢す。

 

「高長恭様が何と言われようとも、隣の州とは言え、州牧様をお迎えする宴です。あまり粗末には出来ません」

 

「……そうか」

 

一刀はそれ以上何も言えなかった。望んでいなかったとしても自分の為にやっている事とわかっているからだ。

 

一刀は酒は一人か少人数で静かに飲むのが好きなのだが、村は完全にお祭り騒ぎになっていた。盛り上がっている村の様子を見て一刀は思う。

 

 

……やっぱ、地位が高いのってクソだな。

 

 

そんな事を考えながら、挨拶に来る村人に対してビジネススマイルで応対する。近々、自分の領民になる者達だ。あまり邪険にも出来ない。……ラキがいなければ賊から見捨てるつもりだったのは心の棚に閉まっておく。

 

寄って来る村人を適当に相手にしながら、到着したのは広場の中央、十数人は入れるであろう大きな天幕が張られている。中に入ると十名程の男女。一刀が助けた四人と慧もそこに居た。

 

「高長恭様、こちらへどうぞ」

 

案内されたのは一番上座の席、一刀がその席に座ると、盃に村長自ら、酒を注ぐ。

 

「では始めさせて頂きます。この度は村の者を命をお救い頂きまして真に深くお礼を申し上げます。そして州牧である高長恭様をこうしてお迎え出来ました事をこの村の誉れとさせて頂きます。……乾杯!」

 

「「「乾杯」」」

 

その言葉が合図となり、宴が始まった。

 

皆が思い思いに酒を飲み、料理を堪能していた。

 

一刀も自身の目の前に置かれた料理を口に運ぶ。

 

「……美味いな」

 

思わず呟く。一刀が食べた料理は決して良い物を使っている訳じゃない。いや、一般の民からすれば良い物だと思うが、少なくとも魏で食べた華琳の料理の様な高級感はまるでない。

 

ただ、手が込んでいた。しいて言うなれば流琉の料理に似ている。一刀からすれば好みの料理だった。

 

「お気に召されましたか?」

 

「あぁ、実に美味い。久しぶりにこんなに美味い物を食べた」

 

一刀は元の世界の経験から食べられる物なら何でも食べる。今だって基本的には兵と同じ物を食べている。たまの贅沢で食べる凪の料理は美味い。だが、この料理は明らかに凪の料理よりワンランク上の料理だった。華琳、流琉と同レベルだ。

 

「その料理は慧殿が作ったのですよ」

 

「……そうか、慧、お前が作った料理は実に美味い。お前は良い嫁になるだろうな」

 

「おや、ではお主が儂をもらってくれるかのう?」

 

慧が悪戯気な表情を浮かべて、一刀に迫りその豊満な身体を押し付ける。

 

「心にもない事を抜かすな。このたわけめ」

 

「……全く、可愛げない小僧じゃ。こんな美女に迫られているのじゃから動揺くらいせんか」

 

「お前は小僧と言うが、女の色香に惑う程若くはない。だがそうだな、こんな美味い物を食わせてもらったのだから、一つくらい、お前の頼みを聞いてやってもいいぞ」

 

一刀の言葉に慧の目に猛々しい光が灯る。

 

「では、手合わせを願おう。漆黒の鬼面龍と謳われるお主と一度戦ってみたい」

 

慧のその一言で天幕内に緊張が走った。しかし、周りの緊張を知らんと言いたげに立ち上がった慧は気迫をみなぎらせながら一刀を見下ろしていた。

 

闘気を隠そうともしない慧を見て一刀は思わず笑みを浮かべる。

 

 

 

……やってもいい。

 

 

 

そんな気分になっていた。

 

「いいだろう。……村長、これは余興だ。お前達は気にする事はない」

 

そう言って一刀は立ち上がって、天幕の外に出た。



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鬼の一閃

一刀と慧が広場に出ると、其処で飲んでいた村人達が一斉にその場にあった酒樽や料理を片付けていく。

 

聞いてたのかよ、コイツら……

 

そのあまりの早業に一刀は苦笑するが、周りの村人は興味津々の様子だった。

 

確かにこんな都市から遠い村では娯楽がないのはわかる。村で手合わせをする以上、自分の武が他人に見られるのもわかる。だが、こんなあからさまな見せ物になるのは良い気分ではない。

 

かと言って、今さら中止も出来ないし、するつもりもない。やると言ったからにはやるだけだった。

 

「慧、一体、何で手合わせするつもりだ?」

 

「もちろん剣に決まっておる」

 

「弓でなくていいのか?」

 

一刀の言葉で慧の表情が僅かに引き吊った。

 

「……どういう意味じゃ?」

 

「さぁ、どういう意味だろうな?」

 

ニヤリと笑いながら惚ける一刀に慧の表情が険しくなる。これは一刀から仕掛ける心理戦だった。

 

言い過ぎだとわかっている。慧は自分の事を知っているのではないか?と間違いなく一刀を疑うだろう。

 

疑うならそれはそれで良かった。一刀からすれば別に慧の過去の事を教えてやってもいいのだ。

 

それを聞いて慧が一刀の敵になるなら斬ればいい。自分がやる事は何も変わりはしない。

 

そこまで割り切った一刀は刀を抜いて慧に斬りかかる。

刃と刃がぶつかり、火花を散らす。

 

「くっ!」

 

「動揺しているのか?反応が鈍いぞ」

 

「……言ってくれるのう」

 

慧が一刀の刀を弾き返して距離を取り、一刀に問い掛ける。

 

「小僧、お主は儂が誰であるか知っておるのか?」

 

「知っていると言ったらどうする?」

 

「……そうか、それさえ聞ければ充分じゃ」

 

そう言って、慧は持っていた幅広の剣を肩に担ぐ様に構える。

 

「自分が何者か気にならないのか?」

 

「気にならぬと言えば嘘になるのう。だが、今は勝負の最中じゃ。勝つか負けるか、知るのはそれだけで良い」

 

迷いない慧の闘気。それが一刀を圧倒しようと押し寄せて来る。

 

今まで、この世界で戦った人間とは比べ物にならない。当然だ、相手は記憶を失っているとは言え、孫呉の宿将黄蓋。

 

偽の投降の時、霞を始め、多くの魏の武将達をあしらって見せた武将なのだ。

 

……とは言っても、慧の実力が霞達とそれほどの差があるとは思わない。あの時の霞達は冷静ではなかった。差があるとするならばそれは経験の差だろう。

 

「では行くぞ!」

 

慧が一刀に向かって駆け出す。振り下ろされた剣からは凄まじいと言っていい圧力。

 

一刀はその剣を受ける事はせず、最小の動きで避ける。爆発音に似た大きな音が広場に鳴り響いた。

 

「流石にその剣を受ける訳にはいかないな」

 

一刀は先ほどまで自分が立っていた場所に出来た穴に視線をやりながら(うそぶ)く。

 

「随分と余裕のある様子じゃの?」

 

「まぁ、実際、余裕だからな」

 

「ぬかしおる。では続けて行くぞ!」

 

そこからは慧の圧倒的攻勢。次々と襲い来る刃を一刀は上体の体捌きのみで避けていく。

 

その動きはまるで風に揺れる柳の様、攻めているのは慧。しかし、余裕があるのは一刀だった。

 

「……面白い体術じゃ。だが!」

 

慧は一刀の足元を大きく斬り払う。

 

「ちっ!」

 

一刀は咄嗟に跳躍して慧の間合いの外に出た。

 

「やはり、足元が弱点じゃったか」

 

「……正解だよ」

 

風に揺れる柳なら根を切る。慧がやった事は最適解だった。

 

「で、次はどんな曲芸を出すつもりじゃ?」

 

「曲芸か……言ってくれる」

 

……あながち間違いでもなかった。この技の原型は元の世界にあった漫画の技。今の自分の身体能力ならば出来ると思ったから試してみただけ。破られたとしても惜しい技でもない。

 

それに一刀がこの技を使ってしたかったのは、慧の攻撃を避ける事ではない。……慧の剣を見て覚える事だった。

 

そしてその目的は果たされた。これでこの先、慧が敵になったとしても先読みで対処出来る。

 

はっきり言ってしまえば、もうこの手合わせは勝っても負けてもどっちでもいい。正確には手の内を見せない為にも負けた方がいい。

 

 

けど……

 

 

「負けるのは癪だな……」

 

 

ぼそりと呟いた言葉。それは一刀の本音だった。

 

「しょうがない、勝ちにいくとするか」

 

一刀は懐から仮面を取り出して被り、刀を鞘に納める。その様子に慧が怪訝な顔をして問い詰めてきた。

 

「何故、剣を納める!?まだ勝負は終わっておらん!」

 

「お前は俺の曲芸を見たいんだろ?だったら見せてやるさ」

 

一刀は大きく腰を落とし、刀の鯉口を切る。

 

「慧、先に言っておく。……死ぬなよ」

 

今から放つ技も元の世界の漫画にあった技。今の自分の身体能力を持ってしても成功は確実ではない。しかし、あえてその技を使うのは自分の限界を越える為。

 

「さて、龍は閃くかな?」

 

口元だけ笑みを浮かべ呟く。漫画の技を真剣に打とうとしている自分に思わず笑えて来たからだ。

 

駆け出す。間合いに入り、剣を振りかぶる慧の姿がスローモーションの様に映る。右足を踏み込み、さらに左足を大きく踏み込み抜刀。

 

 

 

……それは一瞬の龍の閃き。

 

 

 

 

「儂の負けか……」

 

「あぁ、俺の勝ちだな」

 

一刀の刀は慧が持っていた剣の刀身を真っ二つに斬り裂き、その切っ先を慧の首筋に突き付けていた。

 

沸き立つ村人達の歓声、それが耳に入っていない様子で慧は真っ二つに斬り裂かれた剣を暫しの間、呆然と眺めていた。

 

一刀はそんな慧を尻目に刀を鞘に納める。その音で我に返った慧は一刀に声を掛けた。

 

「……お主は妖しか?……気がつけば剣が斬られていた」

 

「妖しか……鬼が妖しと言うなら間違いではないな。それに斬鉄くらいお前も出来るだろ?」

 

「出来るか!確かに剣で剣を叩き壊す事は出来る。じゃが、剣で剣を斬るなんて真似が出来る訳なかろう!」

 

一刀としても全ての鉄を斬れる訳ではない。今回は慧の剣があまり良い剣ではなかったから出来た事で、これが春蘭の七星餓狼の様な名剣なら流石に無理だった。

 

「……それにしても惚れ惚れする様な切り口じゃのう」

 

慧は再度、剣を見詰め、感慨深そうに呟いた。

 

「……そうか。で、満足したか?」

 

「うむ、良い物を見せてもらった。その仮面の通り、鬼と呼ぶに相応しい男じゃお主は」

 

「期待に添えたなら良かった」

 

一刀はそう言い残し、村の出口に向かい歩き出す。

 

「何処へ行く気じゃ?」

 

「帰るんだよ。礼も受け取ったし、もう俺の用は済んだ」

 

「駄目じゃ!」

 

「はっ?」

 

「儂はお主が気に入った!今日はこの村に泊まって儂の酒に付き合え。まだまだ宴はこれからじゃ」

 

そう言って、慧は一刀の身体を引っ張り寄せる。

 

「それとも、儂と酒を飲むのは嫌じゃと言うのではなかろうな?」

 

言葉の内容とは正反対の子供の様な笑顔で一刀に迫る慧。

 

断る事は出来る。出来るが、憎めないその笑顔が妙に一刀の心に残り、断る気を無くさせる。

 

「……わかった、付き合おう」

 

一刀の言葉で気を良くした慧は喜色満面で天幕へ戻る。そんな慧の背を見ながら、一刀は今日、村に宿泊する事を何とかして辺りを巡回している屍鬼隊に伝えないといけないな、と考えていた。




一刀さんまだギリギリで人間でおさまっているはず(震え声)


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激情の夜

鈴虫が鳴いていた。昼間から始まった宴は夜まで続き、村人全員が酔い潰れるという結末で村には静けさが戻っている。

 

一刀は村長に割り当てられた家屋で一人、酒を飲んでいた。今日、この村に泊まる事は宴を途中で脱け出し、近隣を巡回していた屍鬼隊の者に伝えている。

 

州牧である人間が、護衛も付けずに通りがかった村に一人で泊まる。普通では考えられない事であるが、一刀の部下にそれを咎める者はいない。

 

何の意味もないからだ。一刀が人に言われて自重する人間なら既に凪や風が言っている。

 

一刀は自分の身に頓着しない。いつ、死んでも良いと思っているからだ。一刀にとって死は古い友人の様な物。

 

忘れ掛けた頃にふとやって来る。ならば、その古い友人が自分を迎えに来るまでは生きればいい。それが、一刀の死生観だった。

 

盃を口に運ぶ。他人から見れば、一人で飲んでいる様に見える。だが、一刀にとっては一人ではない。

 

眼前にはかつての戦友達が其処に居た。今宵もこうして自分の所へやって来てくれた。他の誰にも見えない、一刀にだけ見えるその姿。

 

元々、一刀は大勢で騒ぎながら酒を飲むのが好きだった。魏に居た時も警備隊の連中と良く飲んだ。

 

一人で飲むのを好む様になったのは、元の世界での中東の戦争が終わった後で、理由は簡単に言えば邪魔されたくないからだ。

 

戦友達は一刀が一人で飲んでいる時にしかやって来ない。それも精々、五回に一回の事。その戦友達との酒を邪魔されるのが一刀は嫌いだった。今では一刀が一人で飲んでいる時は凪ですら一刀の部屋には入って来ない。

 

そんな戦友達の姿が一刀の前から不意に消える。

 

「……何の用だ?」

 

若干、険が混じった一刀の声。それを気にする事なく、来訪者は一刀の部屋に足を踏み入れた。

 

「来てはいかんかったかのう?」

 

「あぁ、今だけは来て欲しくなかったな」

 

「こんな美女より死者と居る事を望むとは変わった奴じゃ」

 

その言葉で、一刀の視線は初めて来訪者、慧に向かう。

 

「やっと、こちらに視線を向けたか」

 

「で、何の用だ?」

 

一刀は苛立っていた。戦友達との酒を邪魔された事、そんな自分の心境を見透かされた事。その両方が気に入らなかった。

 

「随分と苛立っておるのう?」

 

「わかっているなら消えてくれないか」

 

「そうつれない事を言うでないわ。ほれ、手土産も持ってきた」

 

ニヤリと笑いながら、酒壺とつまみを一刀の目の前に(かざ)す慧。

 

そんな慧に一刀の眼光が鋭くなる。

 

「おぉ、怖いのう。だが、それ以上に……暗い目じゃ」

 

「……」

 

「小僧、そうやって死者の影を追っていると、お主が……」

 

 

 

 

 

「死ぬぞ」

 

 

 

 

 

一刀の行動を否定する慧の言葉、その言葉が一刀の感情を逆撫でする。

 

「お前に何がわかる?」

 

怒声ではない。只、深く沈んだ重い声。

 

「お主が死者と語らっている事は何故かわかった。記憶はないが、儂も同じ様な事をした事があるのかも知れん。じゃが、死者に引きずられる人間の気持ちはわからんのう」

 

「ならば放っておいてくれ」

 

「嫌じゃ」

 

飄々とした声。その声に一刀は不意に残酷な気分に襲われ感情が爆ぜた。

 

慧の腕を掴み寝所に押し倒す。酒壺が割れる音が部屋に響く。

 

それに構わず、一刀は慧の衣服を破り、そこから現れた豊かな胸を荒々しく揉みしだき、口内を自分の舌で蹂躙する。

 

慧は僅かに身動ぎしたが抵抗はしなかった。

 

一刀はそんな慧の様子を気にする事なく、怒張した自分の物を慧のまだ濡れてもいない秘部に突き入れた。

 

「うっ!」

 

苦痛の声を上げる慧。その姿を一刀は何処か冷えた気持ちで見つめる。

 

壊したかった。今、自分が抱いている女体を犯し尽くして壊してしまいたかった。

 

慧の事を考えずに乱暴に動く。いつしか慧が上げる声に艶が入り混り始めていた。

 

一刀は慧の秘奥に精を放つ。けれど一刀の怒張が治まる事はない。

 

精を放った直後にも関わらず、一刀は再びを腰を動かす。慧の声が喘ぎ声から悲鳴に近い物になる。それでも一刀は動きを止める事はしない。

 

一際高い悲鳴と共に慧の身体が硬直した後、脱力した。これ以上やれば死ぬかもしれない。一刀はそう思ったが、身体の動きは止まらない。

 

死ぬなら死ねばいい。一刀はそんな気分になっていた。

 

汗にまみれた交合。もはや、慧は声を上げる事も出来なくなっている。口元から涎を垂れ流し、下から尿と一刀の精が流れ出していた。

 

そんなケダモノの様な交合が終わったのは、一刀が七回目の精を放った後、明け方近くになってからだった。

 

 

 

八刻(二時間)程眠った一刀は目を覚ます。隣を見ると寝所に横たわった慧が一刀の顔を見つめていた。

 

「小僧、起きたばかりで悪いが、水を持って来てくれんか?身体の自由が効かんのじゃ」

 

「……わかった」

 

一刀が水を杯に注いで、慧に渡そうとするが、慧は受け取らない。

 

「どうした?飲まないのか?」

 

「口移しじゃ」

 

「はっ?」

 

「このまま飲めば溢してしまうわい。口移しをせい」

 

「身体を起こして飲めばいいだろう」

 

「誰かさんが散々、虐めてくれたせいでそれすら億劫なのじゃ」

 

そう言われてしまっては一刀としては反論出来なかった。

 

口に水を含み、慧に口付ける。それは昨夜の時とは違い、優しい口付け。

 

何度か喉を鳴らして、慧は一刀が口内に含んだ水を飲み終えた。

 

「ふぅ、身体が生き返る様じゃ。……それにしても若いとは恐ろしいのう。いや、お主が特別なだけか。儂はお主に乗り殺されるかと思うたわ。何にせよ、あんな抱き方をするのは儂だけにせい。並の女なら身が保たんわ」

 

「何故」

 

「ん?」

 

「何故、抵抗しなかった?」

 

「抵抗した方が良かったかのう?」

 

「はぐらかすな」

 

「ふむ、何故か……それはお主が泣いていたからじゃ」

 

「俺が……泣いて……いた?」

 

「そうじゃ、お主のその暗い目、その中には深い悲しみしかなかった。小僧、お主に何があったのかは知らん。じゃが、お主の中の悲しみを見た時、儂は抵抗する気が失せた」

 

「……」

 

「お主は強い。儂には数年の記憶しかないが、お主ほど強い、いや、強すぎる男は見た事がない。お主の部下もそんなお主の姿を見て期待してしまうのじゃろうな」

 

「……」

 

「そしてお主はそんな期待に応えられるだけの器量を持っておる。じゃが、お主がいくら強い男だとしても人である事には変わりはない。期待されるだけの人生では心に重しが積み重なりいずれは潰れる。お主は性欲で儂を犯した訳ではない。貯まりに貯まった悲しみや怒りなどの感情を儂にぶつけただけじゃ」

 

「……そうだとしても、それをお前が受ける理由にはならないはずだ」

 

「そうじゃな、じゃが、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今も泣き続けている子供を放っては置けんわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慧が一刀を見つめて、堂々と言い放つ。その目には慈愛の光が込もっていた。

 

「……お前」

 

「儂はこれからお主に着いて行くと決めた。お主は危なかっしくて見ておれんからな」

 

「なっ!」

 

「お主に必要なのは、お主に期待する人間ではなく、お主を甘やかす人間じゃ。儂の様な老体で良いなら、昨夜の様にまたお主の激情をぶつければ良いし、普通に抱いても良い」

 

「ちょっと待て!」

 

「待たぬ。もう決めた事じゃ」

 

一刀と慧、二人の視線が交錯する。一刀は慧の目を見てそれ以上言う事はしなかった。

 

絶対に譲らない。その意思がはっきりと見えたからだ。

 

「……わかった。お前の好きにしろ。だが、本当に俺に着いて来るか決めるのは、俺の話を聞いてからだ」

 

「お主の話とは?」

 

「慧、お前の失った記憶の事だ」

 

そう言って、一刀は語り始めた。自分のそして慧の数年前の乱世の話を……




今回は久しぶりに攻めさせて頂きました。どうかセーフであって下さい(平伏)


恋姫は魅力的なキャラクターが多いですが、嫁にするなら、凪、祭、流琉の三択。異論は認める。


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譲れぬ生き方

「お前の過去を話す前に聞いておきたい事がある」

 

「なんじゃ?」

 

「お前は先の戦乱の事をどの程度知っている?」

 

「数年前の事じゃからな。国の内部でしかわからぬ事はともかく、一般の民が知れる事は村人から聞いたぞ」

 

「各国の主な将の事は?」

 

「名前だけなら知っておる」

 

「そうか、まぁ、それだけわかっていればいいさ」

 

そう言って一刀は水を一口飲み込む。慧もいつの間にか居住まいを正しているが、一刀が引き裂いた服からは肌が見えていた。

 

一刀はその肌から昨夜の事を思い出し僅かに目を逸らす。そんな自分を誤魔化す様に本題を話し始めた。

 

「……先の戦乱の終盤、この大陸にあった勢力はほとんど淘汰され、残ったのは三つの勢力になっていた」

 

「……」

 

「益州一帯を治める蜀、揚州一帯を治める呉、そして大陸の北半分を制した魏」

 

先の戦乱の事を語る一刀。語りながら自分が天の御遣いとして歩んだ足跡を思い出す。

 

「大陸がその三つの勢力で収束した頃、魏の覇王曹操は己の覇道、天下統一の為に大陸南部に出陣した。攻められた呉は強大な魏と戦う為に同じく魏と敵対していた蜀と手を組んだ」

 

「……」

 

「二国が手を組んだとしても、魏との戦力の差は隔絶している。誰もが魏の勝利を疑いはしなかった。だが、そんな絶望的な状況の中でも強大な魏を倒す為の策を考えついた者が居た」

 

「……」

 

「呉の軍師周瑜。彼女が考えついたのは長江で魏の船団を鎖で繋ぎ、火計で焼き払うという物」

 

一刀の話が核心に近づいていくが、慧の表情に変化はない。

 

「成功すれば魏との戦力の差がひっくり返る周瑜の乾坤一擲の策、成功する見込みもあった。いや、本来であれば成功していた策だった」

 

「……」

 

「周瑜がその策の実行役に選んだのは呉の宿将黄蓋。何故、周瑜が黄蓋を実行役にしたかと言うと黄蓋もまた周瑜と同じ策を考えついていたからだ」

 

「……」

 

「周瑜と黄蓋は蜀呉の諸将の前で仲違いする。勿論これは演技だ。そして黄蓋は呉の陣営を脱け出し、魏に投降した」

 

「……何故、黄蓋は魏に投降したのじゃ?」

 

「わからないか?」

 

「ちょっと待て。……そうか、火付けの為か」

 

「そうだ、周瑜の策には敵陣に入り込み、火を付ける人間が必要。だが、そんな重要な役目を並の将に任せる事は出来ない。それにこの策は決して表に露呈する訳にはいかない。だから周瑜はこの策を味方にすら隠した。そして唯一人、自分の策に気付いた黄蓋に策の成否を託した。魏を信用させる為に黄蓋に鞭打ちまでしてな」

 

「じゃが、策は成功しなかったのじゃろう?」

 

「あぁ、成功しなかった。魏にその策に気付いた、いや、その策を知っていた男が居たからだ」

 

「……その男とは?」

 

「……天の御遣い」

 

「天の御遣い。……聞いた事があるのう。天より遣われし曹操の覇道の立役者」

 

「それぐらいは知っていたか。……天の御遣い、それは六年前の俺だ」

 

「なっ!……じゃが、天の御遣いは天の世界に帰ったと聞いたぞ!?」

 

「あぁ、帰って、またこの世界に戻ってきたのさ」

 

「何の為に?」

 

「何の為か……戻って来た理由なんざ今の俺には何の意味もない物になっている」

 

そう言いながら一刀は自嘲気味に笑う。この世界に戻る為に努力した日々、華琳に対する狂おしい程の想いをはっきり思い出せなくなっていた。

 

「俺の事はいい。二度と天の御遣いを名乗るつもりもないしな」

 

「そうか……」

 

自分の事を聞かれたくないという一刀の気持ちを察したのであろう。慧はそれ以上、何かを言う事はなかった。

 

「話を戻すぞ。……過去の俺の進言により策は逆手にとられ、周瑜の策は失敗し、呉は大敗した。そして策の実行役だった黄蓋は魏の将夏候淵の矢を受け業火渦巻く長江に消えた」

 

「……」

 

「後の事はお前も知っているだろ。呉の敗残兵は蜀に逃げ、蜀も魏に敗れ、三国同盟が出来た」

 

戦乱の事を語り終えた一刀は杯に残っていた水を飲み干す。

 

「……何故、儂にそんな話を話した?」

 

「此処まで言ってもわからないか?」

 

「……わからぬ」

 

「わかりたくないだけじゃないのか?」

 

「……」

 

「俺は昨日、お前を見た時驚いたよ。何せ、死人が、俺の目の前で長江に消えた黄蓋が居たんだからな」

 

「……儂が……黄蓋」

 

「性は黄、名は蓋、字は公覆。それがお前の本当の名前だ」

 

「……」

 

一刀が語った真実に慧……黄蓋の顔色は青ざめさせて黙り込む。暫し後、やっとの事で吐き出した言葉は……

 

「お主は……儂の真名を知っておるのか?」

 

「知っている。だが、それを呼ぶ資格が俺にはない」

 

「ならば儂が許す。教えてくれ」

 

「……祭だ。祭りと書いて祭」

 

「……祭……祭」

 

黄蓋は自分の真名を何度も確める様に呟く。そして一刀に向かい礼を言った。

 

「小僧、感謝するぞ」

 

「……一刀だ」

 

「何?」

 

「一刀、俺の真名だ。これからそう呼べ」

 

「良いのか?」

 

「構わん。俺もお前の真名を呼んだからな」

 

「そうか、では改めて感謝するぞ、一刀」

 

一刀に向かって笑顔を浮かべる祭。その笑顔が一刀には眩しく見え直視出来なかった。そんな自分を誤魔化す様に一刀は話を切り出す。

 

「ここからが本題だ。お前は先ほど俺に着いて来ると言ったが、本当に着いて来る気か?」

 

「何故、そんな事を聞く?」

 

「話を聞いてわかっただろ?お前は俺に感謝していたが、お前の記憶が無くなる原因になったのは俺だ。そして俺はその事を謝罪するつもりはない」

 

「何を言うかと思えばそんな事か。儂は別にお主を恨んでおらんぞ。儂は戦いの結果でウジウジ言う様な器の小さい女ではないわ」

 

「……そうか、なら、お前は呉と戦えるのか?」

 

「……どういう事じゃ?」

 

「今のこの大陸は晋の反乱により三国同盟が破綻し、再び、戦乱の時代を迎えようとしている」

 

「あぁ、確か村に来る商人がそんな事を言っておったな。じゃが、それが何故、儂が呉と戦う事に繋がる?」

 

「俺の部下が今、荊南に攻め込んでいる。そこを奪ったら、俺はそのまま荊北に攻め込み、天下統一を目指すつもりだ」

 

「なんじゃと!」

 

驚愕の表情を浮かべる祭。それに構わず、一刀は話を続ける。

 

「天下統一を目指す俺に着いて来ると言う事は呉とも当然戦う。それがお前に出来るのか?」

 

「ちょっと待て!お主は魏の天の御遣いではないのか?お主の言葉からすると魏とも……」

 

「当然戦う」

 

断言する一刀。今さら迷いなどなかった。

 

「何故じゃ!?」

 

「俺が天の御遣いだったからだよ。俺は華琳に……曹操に天下を取らせた。だが、今、その曹操自身の失態の所為で大陸が混乱している。晋の王が曹操の夫である事は知っているだろ?」

 

「だからと言って!」

 

「自分で言うのもおこがましいが、曹操の天下に俺が為した働きは大きい。さっき話した戦い、赤壁では俺が居なければ魏は負けていた。そして天下を取る事など不可能だっただろう。……俺には責任がある。曹操に天下を取らせた責任が。曹操の天下が駄目になったならその幕を引くのが天の御遣いであった俺の最後の役目だ」

 

「……」

 

「その為ならかつての仲間と戦う覚悟も俺は出来ている」

 

一刀は祭の目を見据えて、はっきりと言い放った。

 

「俺がお前に問うているのは覚悟だ。かつての仲間と戦う覚悟。今のお前なら戦えるかもしれない。だが、記憶が戻った時、お前はかつての仲間と戦えるのか?」

 

一刀の問いかけに祭は返答出来ない。それでいいと一刀は思う。祭は優しい女だ。その事を先ほどの会話で良くわかった。一刀は祭という人間を好きになり始めている。そんな人間を自分の修羅道に巻き込みたくはなかった。

 

「明日の朝まで時間をやる。それまでに結論を出すといい。俺も今日、もう一日、この村に泊まる事にした。……今夜も来てくれそうな気がするしな」

 

一刀の最後の一言。その一言に祭は反応する。

 

「お主、また死者と語らうつもりか!?」

 

「そうだ」

 

「止めよ!そんな事をしてもろくな事にならんぞ!」

 

「死者に引きずられるか?」

 

「そうじゃ!」

 

「慧、いや、これからは祭と呼ぶが、俺は忘れたくないだけなんだ」

 

「その者達の事をか?」

 

一刀は首を横に振り、

 

「違う。夜に語り合う事なんかしなくても俺は絶対にアイツらの事を忘れたりはしない。……忘れたくないのは俺の想い」

 

「……お主の想い?」

 

「あぁ、アイツらを死なせてしまった時の俺の想い。怒り、悲しみ、絶望、無力感、その全てを自身に刻み付け、常に自分の心に痛みを与えていたいんだよ。夜のあれはその為の儀式みたいな物さ」

 

「余計悪いわ!一刀、そんな事を続けていたら、本当に死ぬぞ!身体ではなく、心が死ぬ!」

 

「かもな、だがそれが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺の生き方だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿者が!」

 

瞳を潤ませながら、怒鳴る祭に一刀は薄く笑みを浮かべて応じる。

 

「わかってる。しかし、俺は自分の生き方を変えるつもりはない」

 

「っ!勝手にせい!」

 

そう吐き捨て、一刀が借りている家から飛び出す祭。一刀はその背を見送りながら

 

「ありがとな、祭」

 

一言、そう呟いた。



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馬が結んだ縁

翌朝、一刀は村人総勢の見送りを受けていた。一刀自身、大げさにはして欲しくないのだが、自分の身分を明かした事でこういう扱いを受ける事は諦めている。

 

一刀を見送る村人達、その中に祭の姿はない。一刀の視線がさまよっている事に気付いたのか村長が話し掛けて来る。

 

「申し訳ありません。慧は何故か家から出て来ないのです」

 

村長の言葉に自分の内心が見透かされた様な気がして一刀は狼狽しそうになった。

 

「……そうか」

 

一言だけそう返す。それ以上の言葉は咄嗟に出て来なかったからだ。

 

「高長恭様、何もない村で御座いますが、またいつでもお越し下さい。村人全員で歓迎させて頂きます」

 

一刀はその言葉に頷き、ラキに飛び乗る。祭を待つつもりはない。記憶が戻るにしろ、戻らないにしろ、この村なら穏やかに過ごしていけるだろう。

 

記憶が戻って呉に帰って自分の前に立ちはだかる。その事は考えなかった。一刀にとって祭は大事な人間になり始めている。斬りたくはないが、状況がそれを許さないかも知れない。

 

結局はなる様にしかならないのだ。自分の敵とならない事を願うしかなかった。

 

ラキの腹を軽く蹴ると、それに呼応してラキが駆け出す。村人達の歓声が一刀の背中にぶつかる。今の自分には好ましいと思えない歓声。

 

 

……だが何故か、今日は嫌な気がしなかった。

 

 

駆けるラキの背で一刀が考えるのは、荊州戦線の事。今頃凪達は荊南を制圧しているかも知れない。そこからが一刀にとってのスタートだ。

 

綺羅星の如く有能な将が居る蜀との戦い。正攻法で戦えば簡単には勝てないだろう。

 

それでも負ける気はない。相手が誰であろうと何人居ようとどうでも良かった。やる事は元の世界でもこの世界でも変わりはない。

 

自分の前に立ちはだかる人間を殺していく。一刀自身、それ以外は出来ないし、自分はそれでいいと思っていた。

 

これからの事を考えていた一刀の前に不意に人影が現れる。

 

「遅いぞ!一刀!」

 

それは村を出た時にはなかった姿。数奇な運命を辿る孫呉の宿将。

 

 

……黄公覆、その人だった。

 

 

「……馬鹿が」

 

 

思わず溢れた言葉。

 

どうして自分の所に来る?そう思いつつも一刀の心に何か込み上げる物があった。

 

「確かに馬鹿じゃな。何せ、出会ったばかりの、それも自分を犯した男をどうしても放っておけないのじゃから。……それとも一度抱いた女は用済みとでも言うつもりかのう?この女たらしの種馬め」

 

「誰もそんな事は言っていない」

 

「ならば儂も連れて行け」

 

「……俺に着いて来るという事がどういう事かわかってるはずだ」

 

「わからん!!」

 

「なん…だと?」

 

「お主に着いて行く意味はわかる。じゃが、実際に呉の人間を前にした時、戦えるかはわからん。それでも儂はお主と行くと決めた」

 

祭の目が一刀を真っ直ぐ見据える。その目を見て一刀は諦めた。

 

 

これは来るなと言っても着いて来ると……

 

 

「……好きにしろ」

 

一刀は素っ気なく言い放つ。

 

「おう!好きにさせてもらおう」

 

そんな一刀の態度を気にする事なく、子供の様な満面の笑顔で祭は返答した。

 

その笑顔を見た時、一刀は自分の心の奥底で期待していた事に気付いた。……祭が自分と共に来てくれる。そういう期待を……

 

本来であれば出会う事はなかった。ラキの気まぐれによって生まれた出会い。

 

(ラキ)に結ばれた(えにし)

 

……悪くない。

 

一刀は祭に見られない様に笑みを浮かべて何となくそう思った。

 

 

 

黒鬼隊の野営地に戻る道中、一刀は祭に気になっていた事を聞く事にする。

 

「そう言えば祭、お前はいつからあそこで待っていたんだ?」

 

「夜が明ける前からじゃな。新しい事を始めると思うと年甲斐もなく気分が高ぶってのう。あの村は良い所だが、儂には少々退屈であった」

 

「お前は遠足前日の子供か」

 

「ん?遠…足?」

 

「いや、何でもない。それより村の人間に何も言わなくて良かったのか?」

 

「心配せんでも儂が住んでいた家に書き置きを残しておる」

 

「お前な……鬼なんて言われている俺が言うのも何だが薄情じゃないか?何年も住んでいた村だろう?」

 

一刀の言葉に祭は気まずそうに黙り込む。

 

「どうした?」

 

「……仕方なかったんじゃ」

 

「何が仕方なかったんだ?」

 

「儂が村を出るなんて言えば朱音が泣く」

 

「それは誰だ?」

 

「お主が賊から助けた女の童じゃ」

 

「……あの子か」

 

「朱音は儂になついておったからのう。泣かれるとわかっているから別れを言えなんだ」

 

「……逃げた訳だな」

 

「うぐっ!……そうじゃ!儂は逃げた!悪いか!?」

 

「俺に開き直ってどうする?それに逃げたとしてもあの子が泣く事には変わりはないだろう」

 

「お主に言われんでもわかっておる!……わからんのじゃ、子供に泣かれたらどうしたら良いかわからなくなる。お主にあんな事を言っておいて情けないのじゃが……」

 

ころころと変わる祭の表情の変化に一刀は笑ってしまう。

 

「笑いたくば笑えば良い!」

 

自分を笑う一刀に祭は憮然とした様子でそう吐き捨てる。そんな祭の姿が一刀には好ましく思えた。

 

昔の自分を思い出したからだ。魏に居た頃の自分は今の祭の様に常に感情を全面に出していた。

 

今の自分が本心から感情を全面に出したのは、この世界に戻って来てからは数える程しかない。

 

凪との再会、一昨日の夜。そして

 

 

 

 

……洛陽で華琳の姿を見た時。

 

 

 

 

自分が無くしてしまった物を祭は持っている。

 

「いや、悪い。子供の様に落ち込んだり、怒ったりするお前が可愛く見えてな」

 

一刀のその言葉に祭の顔に朱が差す。

 

「なっ!……この女たらしめ!」

 

「どうしてそうなる!?」

 

「では、女たらしではないと否定出来るのかのう?」

 

……否定出来なかった。

 

昔も今も自分の周りには自分に好意を抱く女性が居る。それは否定しようがなかった。

 

「そう言えば、天の御遣いは魏の種馬とも呼ばれておったらしいのう」

 

目を細めて見つめて来る祭に一刀が出した答えは……

 

「……」

 

沈黙を貫く事だった。

 

「都合が悪くなればだんまりか。男らしくないぞ」

 

「……」

 

そこまで言われても沈黙を貫く一刀。こういう時の女に対しては何を言っても駄目な事を一刀は理解していた。

 

「……もう良い。それよりお主の軍が居る所へはいつ頃到着するのじゃ?」

 

「この速さで行けば、夕刻前には辿り着くと思う」

 

「そうか、まだ時間はある訳じゃな。では、お主の周りに居るおなごの事を聞かせてもらおうかのう」

 

ニヤニヤと笑いながら一刀に迫る祭。もう良いんじゃなかったのかよ!と内心でツッコミを入れるもそれを祭に言える訳でもなく、黒鬼隊の野営地に着くまでの間、一刀は凪達の事を喋らされるのだった。




次回から荊北争奪戦に入ります。


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朱家の忌み子

少女は自分の生まれが嫌いだった。

 

けして地位が低い訳ではない。いや、かなりの良家で生まれたと言って良いだろう。

 

少女が生まれた家は呉の豪族だった。それも朱一族という国政にそれなりに口を出せる家。

 

貧農の生まれの人間なら少女を羨む事を多々あるかも知れない。だが、少女にとって自分の一族は憎悪の対象でしかなかった。

 

何故なら少女はその家の正室から生まれた訳ではない。それどころか側室や妾から生まれた訳でもない。

 

少女の母は娼婦だった。父の気紛れでしばらくの期間、買われていた時に身籠ったのが自分だったのだ。

 

少女の母が少女を身籠った事を気付いてたのは、父に買われる期間を終えてからで、少女をおろすにはもう遅く母は自分を産むしか選択肢がない状態だった。

 

少女の母は少女の事を父に言う事はしなかった。少女の母自身が娼婦だという負い目があり、それ故に言っても、他の男の子供を私の子供にしようとしているのか、と父に責められるのを怖れていた。

 

少女の母は自分一人で少女を育てる事を決意する。だが、漢の国が荒れ始めている御時世で、女が子供一人を育てるには厳しい時代だった。

 

少女の生活は貧しく、その日を生きる食べ物を確保するのが、やっとの生活。

 

空腹を我慢し、隣の部屋から響く少女の母の喘ぎ声を聞きながら眠る毎日。それが少女の日常になっていた。

 

そんな生活でも少女は自分の母が嫌いではなかった。かと言って好きでもなかったが……少女の母も少女に対してあまり関心がなかった。いや、関心を持てる余裕がなかったんだと成長した今となって良くわかる。それだけこの国は貧しい者には厳しかったのだ。

 

男をとりながら少女を養っていた少女の母は少女が八歳の時に死んだ。

 

……梅毒だった。

 

残されたのは、まだ身体を売る事も出来ない八歳の少女。幼いながらも自分は死ぬんだろうな、と少女はどこか他人事の様に考えていた。

 

それならそれで良かった。少女には生きたい理由もないし、生きる気力もなかった。

 

少女は腐って(うじ)が湧き出した母の亡骸をぼんやりと見つめながら、自分の最後の時を待つ。

 

それほど長く待つ事はなかった。二日程で意識が段々と薄れていく。その時の少女の脳裏に浮かんだのは

 

 

 

 

……やっと楽になれる。

 

 

 

 

それだけだった。

 

 

 

不意に目が覚めた。その時、始めに思ったのは、

 

……自分は死ねなかったのか。

 

その結果に心の中でどこか虚ろな物が漂っていた。

 

「やっと、目を覚ましおったか」

 

そんな少女に向けて掛けられる声。少女がその声の方へ顔を動かすとそこには一人の女性が居た。

 

少女はその女性に見覚えがあった。この地を治める孫堅という太守に仕える将軍。街で他の子供に囲まれている姿をたまに見る。……確か、黄蓋という名前だった。

 

「……ここは?」

 

「ここは儂の家じゃ。お主、自分がどういう状態だったか覚えているかのう?」

 

「……死ぬのを待っていた」

 

少女がそう言うと、黄蓋は顔をしかめながら少女を見つめる。その目には憐れみの光が宿っていた。

 

そんな目で見られたくはなかった。少女は自分に落ち度があるなんて思ってもいない。今の自分には死ぬ以外の選択肢なんて始めからなかったのだ。

 

「……そうか、お主の居た部屋にあったあの亡骸は?」

 

「母さん」

 

その言葉でさらに黄蓋の少女に向ける憐れみが強くなっていく。心配してくれているのはわかる。だが、少女にとって不愉快以外何物でもない視線。

 

そんな視線を向けるなら何故、もっと前に、母が死ぬ前に助けてくれなかった。八つ当たりだとわかっていてもそう思ってしまう。

 

少女がそんな事を考えているなんて、黄蓋は露程にも思っていないのだろう。少女を助けた経緯を語り始める。

 

何の事はない。腐った母の亡骸から放たれる異臭が周辺に住む民の苦情となった様で、それを見に来た黄蓋が少女を発見しただけだった。

 

「ところで、お主の名は?」

 

「朱桓」

 

「朱?お主、もしかして朱一族の者か?」

 

少女……朱桓が一度頷く。

 

「何故、朱一族の者があんな貧しい生活をしているのじゃ!?」

 

「……母さんは娼婦だった」

 

「……」

 

その一言である程度の事情を察したのであろう、黄蓋は黙り込む。そして意を決した様に朱桓に告げた。

 

「お主の事は、儂から殿を通して朱家に伝えておく。これからの事は気にしなくて良い」

 

善意からの言葉である事はわかった。しかし、朱桓にとっては大きなお世話だという感想しかない。

 

それを言う事はしなかった。言っても意味のない事だからだ。

 

父が自分を迎えに来たのは、その三日後の事だった。

 

朱家に着いた自分に向けられる視線は冷たい物で扱いは下女と何も変わらない。いや、下女と違って虐げられる分、酷い物だった。

 

父としても自分を引き取りたくはなかったのであろう。それでも引き取ったのは孫堅を通して引き取りの要請が来たからだ。

 

朱家がいくら力がある家といってもあくまで豪族の一つ。太守である孫堅の機嫌を損ねるくらいならば子供一人引き取る方がマシと考えたに違いない。

 

朱家での生活は辛い物で、確かに以前に比べれば残飯とは言え、食事を取る事は出来る。だが、朱桓にとって耐え難い苦痛だったのは家族の視線、特に異母兄弟の視線だった。

 

明らかに自分を見下していた。それはまだ耐えられる。だが、戯れで自分に構おうとするのが、腹立たしい。

 

卑しい母を持つ朱桓に構う事で寛容な自分に浸る異母兄弟の自慰行為に付き合う度に朱桓の心の中で朱家に対しての憎悪が増していく。

 

 

 

 

 

……高々、母が違うだけで、私の神にでもなったつもりか!?

 

 

 

 

 

渦巻く激情。その激情が一度生きる気力を失った朱桓に再び気力を与える。

 

自分の立場に甘えているだけのお前らに私は負けない。

 

朱桓の心には常にその気持ちがあった。そしてこのままでは終われない。そう考えた朱桓は行動に出る。

 

その行動は自分という人間を磨き上げる事だった。今は乱世。能力があれば上を目指せる時代。

 

朱桓は家にあった金を家族に悟られない様に盗み、その金を自分の投資に当てた。

 

武芸者を雇って武芸を学び、寺に食糧を持って行って僧に書を学ぶ。

 

そうした朱桓の行動に家族は薄々、気付いていたが、何も言われはしなかった。それは朱桓の予想通りの反応だった。

 

朱桓が朱家の名を落とす様な事をしていたのならば、叱責とともに体罰が飛んだであろうが、朱桓がやっている事は傍目から見て、責められる所か褒められる事で、家族としては一々関心を払う事ではなかった。

 

朱桓が自分の為の行動を始めてから二年の時が過ぎ、朱桓は十歳になっていた。

 

いつもと変わらず、家族と話す事もなく、武芸の鍛練に向かう。そして、鍛練を終えて家に帰ってきた朱桓は普段の家の空気と違う事に気付いた。

 

父が慌てている。何故か気になった朱桓は父の様子を伺う事にした。その結果、わかったのは、この街の太守であった孫堅の戦死。

 

朱家にとっては一大事であろう。だが、朱桓にとってはどうでもいい事であった。

 

自分の部屋に戻る朱桓。……その時、一瞬、自分を助けた女将軍、黄蓋の顔が頭に過ったが、すぐにそれを打ち消した。




那由多の過去話前編です。後編からそのまま荊州戦に入ります。


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勝利への渇望

江南の地は孫堅が死んでから、混乱の極みにあった。

 

孫堅の後を引き継いだ孫策には江南を治める力はなく、袁術に比護を求めたが、その袁術はお世辞にも名君とは言い難い。

 

荒れていく江南、その時代の激流の中で右往左往する自分の一族を朱桓は冷めた目で見ていた。

 

いい気味だった。さんざん偉そうにしていても、世が荒れればこのざま、大物ぶって調子に乗っているからこの様な状態に陥るのだ。

 

そもそも、朱一族が江南で大きな顔を出来るのも、そこまで家を盛り立てた祖先の功であって、今の朱一族の功ではない。

 

それを忘れ、そこに生まれついただけの人間が大きな顔をする事自体が間違っている。

 

最後に物を言うのは、自分の力だと朱桓は思っていた。

 

そして今は乱世、個人の能力で上に行ける時代。現につい先頃起こった黄巾の乱で活躍した諸侯が次々と州牧や太守に任命されている。

 

本音を言えば、自分もこの乱世に乗り出したい。そうは思っても、今の自分はまだ十を過ぎたばかりの年齢、どの諸侯もそんな子供を仕官させてはくれないだろう。

 

成長が待ち遠しかった。今の自分に出来るのはこの乱世が少しでも長く続く事願う事だけ。

 

 

 

 

 

 

……だが、その願いは叶う事はなかった。

 

 

 

 

 

この大陸に現れた三人の英傑によって、乱世が終わってしまったのだ。

 

孫堅の後を継いだ呉の孫策、中山靖王の末裔を称する蜀の劉備、そしてその二人を打ち倒し大陸平定を成し遂げた魏の覇王曹操。

 

 

三人の英傑により結ばれた三国同盟。それによって自分が名を上げる機会は失われた。

 

 

朱桓は落胆していた。自分はこのまま、何も成せないまま、誰にも認めてもらう事もなく、朽ちていくのか。

 

この一連の動乱で最後まで袁術に付いていた自分の一族は孫策により粛清されたが、そんな事は何の慰めにもならない。

 

自分が生きているのも、一族でありながら一族の扱いをされていなかったと言う黄蓋の証言による物だった。

 

感謝はしなかった。自分は生きているだけだ。そう、何の意味もなく、ただ、生きているだけ。そんな人生に価値などない。

 

自分が街を歩けば、憐れみと蔑みの視線。

 

 

 

……お前達に何がわかる!!

 

 

 

確かに朱一族は負けて罪人として処刑されたが、私は負けてない!!

 

負けて死ぬなら納得出来る。しかし私は負ける所か、勝負の舞台に立つ事すら許されなかったのだ!!

 

機会すら与えられなかった自分を負けて死んだ一族と同じ様に見られるのは我慢ならなかった。

 

 

 

 

……いや、その言い訳すら負け犬の遠吠えか。

 

 

 

 

確かに幼い自分が乱世の表舞台に立つには常識で考えれば時が足りなかった。だが、この乱世には常識で通用しない人間も居たのだ。

 

蜀の張飛将軍、魏の曹操直属の二人の親衛隊長など自分と変わらない年齢の人間が天下に名を轟かせていた。

 

そんな者達が居る時点で……年齢と常識を言い訳にした時点で自分は負けていたのかも知れない。

 

それからは流れる様に旅に出た。呉に自分の居場所はなく、かと言って罪人の一族を蜀や魏が仕官させてくれるはずもなかった。

 

自分にあるのは、多少の学と鍛えた剣の腕だけでそれもまだ子供である自分には生かし切れはしない。

 

すぐに旅の路銀は尽き、盗みに手を出す事になるが、自分には合わなかった。

 

盗んだ金で生きていると、自分はこんな事をする為に生まれてきたのかと深い憂鬱に陥る。

 

行き着いた街で働く事も考えて実行したが、やはりここでも子供だという事が自分の足を引っ張る。

 

賃金を誤魔化されるのだ。自分の身なりは旅をしてきただけあって汚ならしい物で、雇う方もその様な身なりの自分の足元を見て来るのが常になっていた。

 

働いても渡されるのは、生きる為に必要な最低限の金で朱家に引き取られる以前と変わらない生活。

 

けれど朱桓はその生活を受け入れた。仕事を辞めた所で先の展望はない。少なくとも自分が大人になるまでは我慢して剣の腕をさらに磨く事に専念した。

 

そんな生活が三年が過ぎた頃、朱桓は雇われていた商家を飛び出した。

 

雇い主が朱桓を手込めにしようと襲って来たからだ。朱桓は雇い主を打ちのめし再び旅に出る。

 

殺してしまっても良かった。しかし、それをすると自分はお尋ね者になってしまう。いや、打ちのめした時点でお尋ね者にはなっているだろうが、それでも捕まった時に罪は軽くなる。そう考えての事だった。

 

これからどうするか?宛てのない旅を続けていた朱桓の視線の先に数人の賊に襲われている行商人。

 

その光景を見た時、朱桓の頭の中である事を思い付く。

 

それは行商人の護衛業だ。三国同盟が成立して三年の時が経っているが、この大陸にはまだまだ賊が多い。

 

行商人は賊に襲われる危険を常に抱えながら商売を行っている。腕の立つ護衛は喉から手が出る程欲しいはず。

 

そこまで考えた朱桓は賊を斬り捨て、行商人を救う。命を救われた行商人は朱桓に礼を差し出そうとしたが、それは受け取らなかった。

 

礼を受けとってしまえば、今は良いが先が続かない。だから朱桓は礼を受け取らずに自分の事を他の行商人に護衛として薦めてもらう事にしたのだ。

 

朱桓の目論見は思いの外上手くいった。その行商人から朱桓の事を聞いた他の行商人から護衛の依頼が殺到する事になる。

 

順調だった。飢えるという事がなくなった。それでも朱桓は満足はしていない。

 

心の中で、いつも何かが燻り続けている。その燻りを誤魔化す様に朱桓は護衛の仕事に励む。

 

そんな朱桓に転機が訪れたのは二年後、許昌から交州への護衛の仕事の時。

 

護衛は上手くいっていた。荊州を抜け交州に入った頃、朱桓は次の仕事の事を考えていた。

 

それは油断。慢心と言っていいだろう。一番に賊の数が多い荊州を抜けた事で朱桓の心に弛みが生じていた。

 

気が付けば囲まれていた。賊の数はおよそ八十人。今までで最大規模の数。それに対し護衛の数は自分を入れて五人。

 

不味いと思った時には既に遅かった。こちらに向かってくる賊の集団。朱桓は必死に応戦するが、数が違い過ぎる。

 

一人また一人と他の護衛が殺されていく。気が付けば自分を雇った行商人も殺されて、残ったのは、自分と行商人の妻と娘だけになっていた。

 

「ずいぶんと手こずらせてくれたな!」

 

自分に向けて放たれる賊の頭目と思われる男の声。奴を殺せばと朱桓は思うが、身体が疲労で言う事を聞かない。

 

「まぁ、いい。手こずらせてくれた礼はお前の身体でしてもらう」

 

頭目のその言葉に周りの賊達は下卑た笑いを顔に張り付けていた。

 

 

……ここで終わりか。

 

 

結局、自分は一族と同じ負け犬だったのだ。

 

これから訪れる自分の末路を思い、苦笑を浮かべる。そして持っていた剣を首筋に走らせようとした瞬間……

 

「あー面倒だ。普段なら見捨てるんだが、自分の領地の賊くらいは始末しないとな」

 

どこか気の抜けた様な男の声。その場に居た全ての人間の視線が声がした方向へと注がれる。

 

 

 

 

 

……その視線の先に鬼が居た。

 

 

 

 

いや、鬼の仮面を被った男。仮面で詳しくわからないがまだ若い。恐らく自分より少し年上くらいだろう。

 

しかし、そんな事はどうでもいい。男を見た時から朱桓の全身から震えが止まらない。

 

鬼の男が纏う威風、一つ一つの所作、冷たくこちらを見る鋭い眼光。

 

その全てが朱桓の心を恐怖で締め付ける。

 

朱桓は自分の力に自信があった。故にわかる鬼の男と自分の圧倒的な格の違い。

 

「なんだテメエは?ぶっ殺されたいのか!?」

 

この賊は馬鹿か!!その鬼の男がどれだけ危険なのかわからないのか!?

 

朱桓は今まで自分と戦っていた相手なのに何故かそんな事を考えてしまう。それだけ鬼の男は強烈な存在感を放っていた。

 

だが、鬼の男は賊の言葉に反応を示す事はなく、朱桓に声を掛けた。

 

「そこの女、巻き込まれたくなかったらその場から一歩も動くな。……心配はしなくていいぞ。すぐに終わるからな」

 

言葉を言い終えると同時に鬼の男の姿が消える。そして

 

 

 

……鮮血が舞う。

 

 

 

朱桓には何が起こったのかわからない。ただ、残っていた五十人程の賊の半数以上の全身から血が噴き出していた。

 

生き残った賊も何が起こったのかわかっていないのだろう。呆然と立ち尽くしている。

 

「そんなに呆けていていいのか?次はお前らだぞ」

 

口元だけで笑いながら賊にそう告げる鬼の男。それは逃れ得ない死の宣告。

 

辺りを見回し、ようやく自分達の現状に気付いた賊達は阿鼻叫喚に陥る。

 

「あ、あ、あぁぁぁ!!」

 

「た、助けてくれぇぇ!!」

 

「逃げろぉぉぉ!!」

 

賊達が一斉に逃げ出す。鬼の男は笑声を上げ、

 

「ほら、逃げろ、逃げろ。……まぁ、どこに逃げても必ず追い詰めて殺すけどな」

 

逃げ惑う賊達に迫る鬼の刃。鬼の男は淡々とそして無慈悲に命を刈りとっていく。その姿はまさに暴力の権化。

 

朱桓は鬼の男に恐怖を抱くと共に魅せられていた。

 

……あの力が私にあれば。

 

後少しで負け犬として死ぬはずだった朱桓には鬼の男が羨ましかった。

 

あの男は例え、誰が敵であろうと今、殺している賊達と同じように相手を殺していくのだろう。

 

彼は間違いなく勝者の道を歩く事を約束された男。

 

自分はまだまだ成長する自信はある。だが、どれだけ成長してもあの様にはなれない。

 

それは理屈ではない、本能でどうしようもないくらいにその事がわかってしまった。

 

朱桓が己の限界を悟った頃、賊達を殺し終えた鬼の男が朱桓の元へやってくる。

 

「それほど深い傷はない様だな」

 

「はい、お助け頂きありがとうございます」

 

「あぁ、礼はいらん。俺の領地の賊だしな」

 

「俺の領地?」

 

「自己紹介をしておこうか、俺は此処、交州を治める高長恭という者だ」

 

その言葉に朱桓は慌てて膝を付く。

 

「州牧様でございましたか!ご無礼申し訳ありません!」

 

「そんなに(かしこ)まらなくて良い。別に後漢王朝に正式に認められた州牧ではないからな」

 

「ですが……」

 

「あーそんな事より状況の説明をしてもらえるか?」

 

「……わかりました」

 

朱桓は許昌で護衛の依頼を受けて、交州までやって来て賊に襲撃された事を高長恭に説明する。

 

「私は高長恭様のおかげでこの通り無事ですが……」

 

朱桓はそこまで言って、視線を依頼主の行商人の亡骸に走らせる。

 

その亡骸にすがりついて、行商人の妻と娘が泣いていた。

 

「……そうか、彼女達の事は俺が引き受けるから心配しなくていい。幸い財産は賊に奪われていないから、生活の出来る環境は用意してやれる」

 

「ありがとうございます!」

 

朱桓は頭を深々と下げて礼を言う。行商人を守り切れなかったのは自分の失態だった。

 

「構わん、片手間で出来る事だ。じゃあ、俺はそろそろ城に戻る。護衛業を続けるなら精々気を付ける事だ」

 

そう言って高長恭は(きびす)を返し、朱桓に背を向けて歩き出す。

 

「お待ち下さい!」

 

朱桓のその声に振り向く高長恭。

 

「私を、私を貴方様の配下にして下さい!」

 

……気が付けば言っていた。言わなければ後悔する。そんな気分に朱桓は襲われていた。

 

朱桓の言葉に高長恭は僅かに驚いた様子を見せた。が、

 

「お前はどうして俺に仕えたいんだ?」

 

直ぐ様、朱桓にそう問い質す。高長恭の問いに朱桓は今までの自分の人生を振り返り、暫し、黙り込む。そして出た答えは、

 

「……私は勝ちたいのです」

 

その一言だった。

 

そう、勝ちたいのだ。今までの自分は自分の能力とは関係のない所で憐れられ、見下されてきた。

 

出世を願ったのも、そうした目で自分を見てきた人間達に自分自身の価値を知らしめる為。

 

本当の所を言えば、出世なんてどうでも良い。自分の境遇に負けたくない。自分自身の価値を認めさせれるなら何でも良かった。出世を目指したのも一番目に見える形だからそうしたまでだ。

 

「勝ちたいか……」

 

高長恭が呟く。そして……笑った。

 

「そうかそうか、勝ちたいか!良いなお前。気に入った!名は何という?」

 

「性は朱、名は桓、字は休穆と申します」

 

朱桓の名を聞いた高長恭が僅かに口元を吊り上げて、ぽつりと一言溢した。

 

「呉の前将軍……」

 

「はっ?」

 

「いや、何でもない。それより本当にいいのか?俺に仕えるという事は間違いなく、お前が考えているより苦しい道になるぞ」

 

「構いません」

 

朱桓は何の躊躇もなくそう言い切った。

 

「そうか、ならば朱桓、俺に着いて来い。お前の勝利への渇望を俺が満たしてやる」

 

「那由多とお呼び下さい。それが私の真名です」

 

「わかった。では那由多、お前には俺の直属部隊の調練に混じってもらう。その調練の結果で俺を認めさせろ。俺の真名はそれまでお預けだ」

 

「御意!」

 

高長恭の言葉に那由多は拱手を持って応える。その日から那由多の新たな生が始まった。

 

配属されたのは後に黒鬼隊となる部隊。那由多はそこで言葉に出来ない程の苦難を味わう。

 

今までの自分の鍛練がお遊びに見える地獄の様な調練。共に参加していた人間が調練に付いて来れないだけで高長恭に打ち殺される。

 

参加していた皆が必死で調練に取り組んでいた。なんせ気を抜けば死ぬのだ。黒鬼隊の調練は戦場に居るのと変わらない。いや、戦場が楽に思える程だった。

 

鬼と呼ばれる男の調練。けれど那由多は高長恭を本当に鬼とは思ってない。むしろ優しい男だと思っている。

 

何故なら、高長恭が施す調練に無駄な物は一つもないのだ。きちんとやれば強くなると同時に生き残れる。その為の術を黒鬼隊になる者達に叩き込んでいた。

 

そしてその効果は自分の身体に現れる。那由多自身、自分の能力が高長恭に仕える以前とは比べ物にならないくらいに上がっているのに気付いていた。

 

その事によって那由多の高長恭に対する尊敬の念はますます強くなっていた。

 

四ヶ月後、それまでの黒鬼隊の調練を一番の成績で潜り抜けていた那由多は高長恭に呼び出された。

 

「高長恭様、お呼びでしょうか?」

 

「あぁ、お前に頼みたい事があってな」

 

「何なりとご命令下さい」

 

那由多の言葉に高長恭は仮面を外し、笑みを浮かべた。

 

「朱休穆、お前を屍鬼隊副隊長に任命する」

 

突然の言葉に那由多は思わず戸惑う。そもそも屍鬼隊なんて聞いた事がなかった。

 

「高長恭様、屍鬼隊とは?」

 

「俺直属の諜報部隊だ。黒鬼隊の調練で黒鬼隊には向いてないが、捨てるには惜しい者達でこの部隊は編成する。勿論、隊長は俺になるが、実働部隊の責任者はお前だ」

 

「諜報部隊ですか?」

 

「あぁ、諜報部隊では不満か?」

 

「そうではありません。ありませんが、私は間者の訓練を受けていません」

 

「心配するな。それはこれから二ヶ月で俺自らお前に叩き込んでやる」

 

「何故、私に?」

 

「才能があるからさ。お前は武の腕は立つし、機転も効く。正直に言ってこのまま黒鬼隊に配属しても良い。だが、黒鬼隊ではお前の才能を生かし切れない」

 

「私の才能とは?」

 

「人の視線に敏感な事だ。敏感なだけではなく、その視線がどういう視線なのかお前は読むのが上手い。それはお前にしかない才能だ。間違いなく屍鬼隊ではお前の才能が生きるだろう」

 

高長恭の言葉に那由多の心中でこみ上げるものがあった。

 

 

……この方は私を見ていて下さったのだ。

 

 

「わかりました。屍鬼隊副隊長の任、謹んでお受け致します」

 

「一刀」

 

「はい?」

 

「一刀、俺の真名だ。お前に預けよう」

 

「っ!ありがとうございます!!」

 

それは那由多の人生で初めて自分自身を、誰よりも認めてもらいたかった人に認めてもらった瞬間だった。



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江陵にて

振り下ろされた刀の先で首が三つ飛ぶ。

 

それが荊州江陵が陥落した瞬間だった。

 

一刀は今しがた首を斬り、殺した三人の男の亡骸に目をやる。

 

蔡瑁、蔡和、蔡中。荊州を好き放題にしていた蔡一族の主だった人間と言っていいだろう。

 

三国志を知っている一刀は三人の事を当然知っていた。もし、使える人間ならば使ってもいい。そんな風にも考えていた。

 

だが、その気持ちは実物を目の当たりにした瞬間に失せた。こいつらは死んだ方がいい。そうとしか思えないほどに愚物だったからだ。

 

「隊長、江陵の制圧、完了致しました」

 

城内に残っていた敵兵の掃討を任せていた凪が報告にやって来る。

 

「あぁ、お疲れ。何か変わった事はなかったか?」

 

「はい、特に問題はありません。隊長が持ってきた物資を城内の民に施すと思いの外、速やかに混乱は鎮まりました」

 

「そうか、ならばいい」

 

凪の報告を聞いて、改めて思うのは、民にとって支配者は自分達を保護してくれるなら誰でもいいのだ。

 

上に立つ者はそれぞれ、信念や理想を掲げているが、民からすればそんな物はどうでも良いのだろう。

 

一刀はそんな民を分かりやすくて良いと考えていた。自分が善政を敷けば、足を引っ張る事はないのだから。

 

と言うより一刀からすれば、悪政を敷く方が馬鹿だと思っていた。それは為政者として遠回しな自殺と変わりない。一刀の前にある三つの首のない死骸もその結果だった。

 

「凪、後は任せていいか?」

 

一刀は思考を中断し、後始末を凪に頼む。

 

「了解致しました。隊長はどちらへ?」

 

「ちょっと、野暮用だ」

 

それだけ言い残し、一刀はその場を後にする。そう、自分にはまだやるべき事があった。

 

「那由多」

 

周りに誰も居ない事を確認して、那由多を呼び出す。

 

「お呼びでしょうか?」

 

「お前に命じていた事の首尾はどうだ?」

 

「はい、蔡一族は一族全てとそれに連なる者達も捕らえております」

 

「わかった、ならば殺しておけ」

 

「女、子供も居りますが……」

 

「那由多、俺は殺せと言ったぞ」

 

「ぎょ、御意」

 

一刀の命令に狼狽しながらもそれを実行する為に那由多は動きだす。

 

蔡瑁達が死んだ今、蔡一族は生かしておいても99%何も出来やしない。しかし、100%ではない。

 

1%でも自分にとって不都合な事態が生じる可能性があるなら殺しておくべきだろう。

 

一刀は平清盛の愚を犯すつもりはない。生かしておけば頼朝、義経兄弟になる可能性もあるのだ。

 

「まぁ、あり得ないだろうがな」

 

一言、呟いた言葉は虚空に消える。その言葉を最後に一刀が蔡一族の事を頭から追いやった。

 

 

 

 

 

 

それから、数日の時が過ぎた。

 

一刀は江陵で政務に追われていた。一刀だけではない。一刀の配下で暇な人間など一人も居ない状態だった。

 

凪と晶は荊州で新たに加えた兵の調練、風は政務、陸は交州の統括で江陵に居ない。

 

皆が忙しい日々を送っているが、その中でも群を抜いて忙しいのは叡理だろう。

 

何せ、取ったばかりの荊南四郡を全て任せているのだ。大都市とは言え、江陵だけの政務をこなしている一刀とは比にならない程の激務だと思う。

 

因みに祭は一刀の秘書の役目を与えていた。一刀としては師団長にして軍を任せたかったが、祭が生きていて一刀の部下になった事を知った凪と風から裏切りの可能性があるからと待ったがかかったのだ。

 

一刀は祭が裏切るとは思ってない。しかし、魏の臣であった凪と風には祭が記憶を失っていると言っても、赤壁の時の偽の投降の事が頭にある。

 

一刀もそんな二人の心中がわかったから、必要以上にごり押しせず、自分の秘書の様に扱っていた。扱っていたのだが……

 

当の本人は一刀の隣で酒をかっ喰らっていた。

 

「祭、お前に与えていた仕事はどうした?」

 

「おう、あれか、あれはのう……」

 

「終わったなら俺の元へ持って来い」

 

「いや、その……」

 

煮え切らない様子の祭に、

 

「やるべき事をやらないで、酒を飲むだけの女など俺には必要ないぞ」

 

一刀は辛辣に突っ込む。

 

初めはやんわりと(たしな)めていたのが、仕事をサボって酒を飲むのが常習となっており、その度に注意する一刀は言葉を選ばなくなっていた。

 

「うぐっ!」

 

祭は酒を飲むのを一旦止め、ばつの悪そうな顔をする。その様子を見ても一刀の舌鋒は止まらない。

 

「お前が飲んでいる酒は民の税から出ている。そんな酒を仕事をせずに飲むお前は税を着服する悪徳役人と変わりはしない。もし、お前に言い分があるなら聞いてやるから言ってみろ」

 

「…………じゃ」

 

「今、何と言った?」

 

「つまらんのじゃ!来る日も来る日も書簡に追われて鬱憤が溜まる一方、酒でも飲まんとやっておれんわ!儂も楽進や華雄の様に軍を指揮したいのじゃ!」

 

その言葉に一刀は暫し、沈黙する。記憶がないのは心配だが、感性まで失っては居ない事は以前の手合わせでわかっている。祭の将器を考えれば、確かに現状では才を腐らせている様な物だろう。それに一刀は祭に好感を持っているが、毎日、注意するのにもうんざりしていた。

 

……しょうがない、やらせるか。今のままではニートと変わらんしな。

 

そこまで考えて一刀は決断する。

 

「祭、軍務なら真面目にやるんだな?」

 

一刀の言葉に祭が頷く。

 

「わかった。再編中の荊州兵が居るから、その兵で弓兵を主としたお前の軍を新設しろ」

 

「本当に良いのか!?」

 

「あぁ、代わりに調練は手を抜くなよ。それと俺と俺の腹心以外には黄蓋という名は隠せ。人前に出る時には布で覆うなりして顔を見せるな」

 

「何故、そんな事をせねばならん?」

 

「お前が思っている以上にお前の存在は大きい物なんだよ。無論、一生隠せとは言わん。お前が再び上がる舞台は俺が用意してやる」

 

死んだはずの名将。それを明かす効果的な使い所はあると一刀は思っていた。

 

そこまで言って、一刀は紙に筆を走らせ、印を押す。そしてそれを祭に手渡した。

 

「ほら、これでお前は高長恭軍、第四師団師団長だ。励めよ」

 

「応!お主の黒鬼隊にも負けぬ軍を作って見せるぞ!」

 

「それは無理だ」

 

「うっ!そ、そんな事言われんでもわかっておるわ!二千の兵、全てが将の武を持つあんな狂った軍を作れるのはお主くらいのもんじゃ!儂はあくまで意気込みで言うておる!」

 

「わかったから、早く行け。近い内に蜀とぶつかるだろう。その時に調練が終わってないでは話にならないぞ」

 

「そう急かすではないわ。間に合わせて見せるから、お主は儂を信じて待っておれ」

 

それだけ、言い残して祭は意気揚々と執務室を出て行く。一刀はそんな祭の背を見ながらため息を吐く。

 

……凪達に対する言い訳を考えておかないといけないな。

 

凪はともかく、風は地味に五月蝿い。自分の事を心配してくれているとわかっているから一刀も邪険に出来ないのだ。

 

なる様にしかならない。一刀は二人への言い訳を考える事を直ぐ様放棄して思考を切り替えた。

 

 

祭が出て行って先ほどまで騒がしかった室内が静寂で包まれる。そんな中で、一刀は案件を処理しながら、これから先の事を考える。

 

本音を言えば、襄陽まで取ってしまいたかった。江陵と襄陽、この二大都市を抑えれば、荊州は取ったも同然と言える。では何故、それをしなかったのか?

 

決まっている。人が足りないからだ。武官は祭が使える様になったからまだましだが、文官は今はギリギリで回している。

 

二線級、三線級の人材は増えて来ている。しかし、それに指示を出す一線級、風、叡理クラスの人材が他に居ないのだ。

 

そんな状態で襄陽を取っても維持出来ない。一刀の勢力は統治という意味で攻勢限界点に達していた。

 

「桂花辺りが居ればな……」

 

おもむろに呟くが、言っても詮なき事、彼女が華琳を裏切る事はありえない。

 

 

「さて、やるか!」

 

一度気合いを入れ直し、一刀は机の上に積み上がった書簡を片付けるべく奮闘するのだった。




読んで下さっている方お待たせしました。次回蜀軍襲来です。


最近、自分でこの作品を読み直して思う事。


これ、恋姫じゃないな……(なお、この先数々の胸糞展開が待ち受けてる模様)



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絶壁少女

前話で次回は蜀軍襲来と書いたが、あれは嘘だ。


星が綺麗な夜だった。こんな夜には部下達とのんびり酒でも飲みたくなる。

 

そう思いながら、少女が眼下に視線を下ろすと無数の篝火が煌々と光を放っていた。

 

空の星と合わせ、とても綺麗な光景だと思う。その篝火の元がこの城を取り囲む敵兵でなければの話だが……

 

此処は淮南寿春。呉の領地の中で唯一長江より北にある領地。

 

少女はこの地の総司令官として迫り来る晋の大軍と相対していた。

 

若干、十六でこの重要拠点の総司令官。少女の胃はその重圧で悲鳴を上げていた。

 

「この状態になって言うのも何ですけど、何で私が総司令官なんでしょう!?」

 

寿春城の城壁の上で少女は盛大に愚痴を溢す。基本的に保守的な孫呉の人事では通常考えられない大抜擢。

 

立身出世を望むなら狂喜乱舞するほどの大出世。だが、少女は今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。

 

「私にこんな大役を任せるなんて、呉の首脳陣は全員、頭おかしいです!」

 

少女は王の孫権を始め、重臣達に聞かれたら不敬罪待ったなしの言葉を堂々と口にする。

 

少女がそんな事を言えるのは、今、この場には誰も居ない事もあるが、少女が頭おかしいと言った重臣の一人が少女と深い関わりがあるからだった。

 

「何が『歩叶(あると)ちゃんなら出来ますぅ』だ!私の義母さんは馬鹿なのでしょうか!?初陣の義娘を総司令官としてこんな死地に送りこみますか?普通に考えれば総司令官は亜莎さんでしょう!まったくあの無駄に大きい駄肉をむしり取ってやりたくなりますね!!」

 

少女の愚痴は止まる事を知らず、その矛先はそれほど年の離れていない義母へと向かう。……一部、身体的特徴の僻みがあるのは否定出来ない。

 

少女は義母の事を嫌いではない。むしろ四年前に病で立て続けに死んだ両親に代わり、遠縁の自分を育ててくれた事は感謝していた。

 

もっとも、義母のとある習性と豊満な身体に対しては思う所はあるが……

 

と言うより、孫呉の首脳陣は胸が大きい女性が多すぎる。一番小さい明命さえ並程度にはある。

 

少女は一旦、愚痴を止め、自分の身体に視線を下げた後、ため息を吐く。

 

「……胸なんて飾りです。偉い人にはそれがわからないんです」

 

少女自身も大概偉い人なのだが、それは脇に置いておく。少女自身、自分が偉いと言う自覚あまりないからだ。

 

少女は自分の見目が良い事はわかっていた。目鼻立ちはくっきりしており、中々の長身で膝裏まで届きそうな長い髪を三つ編みにしている。

 

充分に美少女と言っていい容姿をしているのだが、ただ唯一、胸がなかった。壊滅的なまでになかった。

 

胸のない少女のある行動は今も兵達の中で笑い話として語り草となっている。

 

それは少女が義母に連れられて初めて主君孫権に会った時の事。

 

初めての謁見は和やかに進み、その場に居た孫権を始めとする重臣達とお互いに真名を預ける事になった。

 

少女が自分の真名の名乗った時、孫権の隣に居た孫尚香がぽろっと

 

「胸はないのに歩叶?」

 

と呟いたのだ。

 

その言葉を聞いた瞬間、少女は無言で孫尚香に歩み寄り、その頭を叩き倒した。

 

少女は直ぐ様、甘寧に捕らえられ牢に入れられたが、私は悪くない。胸の小さい女性を馬鹿にするのが悪いと言い張った。

 

 

幸い、孫尚香が真名を悪気はなかったとは言え、からかった事が原因だったので少女は一日で牢から出された。

 

後に謝罪に来た孫尚香……小蓮とは年も近い事もあり、今では友の様に付き合っている。

 

理由があったとは言え、初対面の王妹の頭を叩き倒した剛胆な者として少女の名は呉の国内で広まり、寿春防衛の総司令官としての今があった。

 

少女は現状に満足していない。此処まで出世したのは先の一件とコツコツと功績を積み重ねた少女の才覚もあるが、義母の名が大きかった。

 

別に出世をしたい訳ではない。が、義母の名に頼るのも悔しい気持ちはある。

 

義母には感謝している。しかし、少女が目標としているのは義母ではなく、周瑜である。

 

最近は先王孫策と隠居の形を取っていて、あまり表には出て来ないが、少女は何度か周瑜に教えを受けて、その学識の深さに尊敬の念を持っていた。

 

本来であれば断っていた寿春総司令官の任を受けたのも義母の強烈な後押しと共に周瑜の推薦があったからだ。

 

やはり、自分が尊敬する人間に認められるのは嬉しい。少女から見て周瑜の欠点は胸が大きい事ぐらいしかない。

 

そんな人間に推薦されて意気揚々と寿春に赴いた少女だったが、迫り来る晋の大軍を見て、自分の決断を後悔した。

 

 

……これは勝てない。

 

 

少女はその事実を一目で悟る。兵の数の違いだけでそう思った訳ではない。一番の理由は寿春の立地の悪さだ。

 

寿春は呉で唯一、長江の北にある領地。要は長江を渡らねば建業から援軍に来れない。しかし、少数ならともかく大量の軍が通れる合肥は魏の張遼が固めている。

 

魏は同盟国だが信用出来ない。訳があったとは言っても、晋と不戦の盟約を結んだのだ。

 

簡単に言ってしまえば、寿春は敵中で孤立していた。

 

少女は現状を正しく認識し、勝つ事を諦めて遅滞戦術をとる事にする。

 

晋が本腰を入れて攻めて来ているなら、それすらもままならなかったが、どうやらそうではない。

 

少女の推察が正しい証拠に晋軍の中には晋王司馬懿の旗はなく、総指揮は司馬懿の腹心の部下の郭淮。

 

その様子から、寿春を陥落させられるなら陥落させるが、被害が大きくなりそうなら無理しないで此方の戦力の把握した上で本隊を待つといった所だろう。

 

そこまで考えた少女は三つの事を同時に遂行する事を決めた。

 

まず第一は城を落とされない事。第二は此方の戦力を把握させない事。そして最後は城に残ってる兵を少しでも多く建業に送り帰す事。

 

ギリギリの綱渡りだった。城を守る為に全力を出せば、此方の戦力を把握される。建業に帰す兵が多すぎれば、城が落とされる。

 

兵を帰すのも細心の注意を払った。兵が少なくなっている事が晋軍に露見すれば向こうは全力で攻めてくるに違いない。

 

此処で時間を稼ぎ、兵を少しでも送り帰せば、本国での決戦が楽になる。少女は先を見据えて指揮を執っていた。

 

その少女の隙のない指揮は晋軍の中でも侮れない物として受け取られ、いつしか少女には

 

 

『鉄壁』

 

 

と言う異名が付いていた。

 

だが、少女はその異名が好きではなかった。何故なら異名の事を古い付き合いの部下に話した時、その部下は少女の胸に目をやり、

 

「鉄壁の絶壁……」

 

なんて(のたま)いやがったのだ。とりあえずそいつの顔面に拳を叩き込んでおいたが、そいつから話が広がったのか呉軍内では少女の異名が鉄壁ではなく、

 

 

『絶壁』

 

 

になっていた。

 

しかもその部下の無礼はそれだけではない。

 

この厳しい籠城戦に耐え抜いている事に対して、少女が労いの言葉を掛けた時、その部下は少女にこう言った。

 

「確かに厳しい状況ですが、将軍の胸ほど絶望的状況ではありません」

 

小蓮を叩き倒した自分が言う事ではないが、遥かに位の高い自分にそんな事を言えるその部下の肝の太さには素直に感心した。その肝の太さに免じて男の急所に蹴りを入れるだけで許しておいた。脂汗をかきながら(うずくま)っていたが、自分は悪くない。

 

しかし、その部下にも良い所はあった。それは少女がその部下に建業に帰る事を勧めた時にその部下は、

 

「何、馬鹿な事を言ってるんですか?将軍をこんな死地に置いて俺が帰れる訳ないでしょう」

 

……その言葉に不覚にも感動してしまった。

 

少女はそれを悟られない為に、その部下を殴り飛ばす。

 

「なんでぇ!?」

 

と、叫んでいたが、恨むなら普段の自分の言動を恨みなさい。

 

そんな事をしている内に少女が寿春で戦い始めて、三ヶ月の時が経とうとしていた。

 

少女は愚痴を止め、改めて敵軍の無数の篝火を見つめる。

 

「どうやらここまでの様ですね。しかし、時間は稼げました」

 

 

晋の本隊が到着したのだ。晋王司馬懿は来て居ないが、翻る旗に記された文字は『羊』

 

「貴女が来たんですね。菊華ちゃん」

 

菊華……それは少女が洛陽に遊学してた時に親友となった羊コの真名。

 

彼女が来たなら間違いなく、寿春は落ちる。

 

「留賛!」

 

少女はあの部下の名を呼ぶ。

 

「将軍、お呼びですか?」

 

「えぇ、晋軍は恐らく明日にでも総攻撃を仕掛けて来ます。例の策の準備は出来ていますか?」

 

「はい、いつでもいけます」

 

「ならば策の実行は貴方に任せました。私は撤退の指揮を執らねばなりませんから」

 

「はっ!お任せ下さい!」

 

留賛は勢い良く返答し、持ち場へ足早に向かう。

 

少女はその背を見送った後、再び敵軍へと視線を向けた。

 

「菊華ちゃん、お望み通り寿春は差し上げましょう。ですが、代価は頂きます」

 

言い放った少女の顔に笑みが浮かぶ。

 

 

 

主君孫権から義母陸遜、そして呂蒙を超えると言わしめた孫呉の麒麟児。

 

少女……陸抗が逆境の地で輝きを放っていた。




……なんで俺はこんな話書いたんだろ?


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想いは遠く

傾けた酒壷から水滴が途切れる。

 

「なんや、もう空っぽかいな」

 

霞は酒壷の中を少し覗き込む様に見詰めながら、独りごちる。

 

今、大陸は再び戦乱の気配を見せているが、霞が居る合肥は平和な物だった。

 

だが、その平和もいつまで続くかわからない。現に合肥の北のそれほど離れていない地では魏を離反した司馬懿の晋と呉が戦いの真っ最中だ。

 

二国の争う寿春戦線は火を噴いていた。

 

勿論、それは比喩だが、そう表しても可笑しくない激烈な戦いが繰り広げられている。

 

霞は当初は晋があっさり勝つと思っていた。その予想は兵力が違う事もあるが、司馬懿という男の才を見て霞は判断した。個人的には司馬懿と言う男は好きではないが、その才覚は認めていた。

 

司馬懿の下に居る将もそれぞれが魏で重臣となっていても可笑しくない位の才の持ち主。

 

幼い頃から司馬懿に仕えていた郭淮はともかく、他の人間はどこから見付けて来たんだと思う。そういう人材を集めて統率出来る。その事実だけで司馬懿の才覚が並ではない事を証明していた。

 

それに対して、呉の総司令官は陸遜の義娘とは言え、外での実績が殆どない、霞から見れば子供としか言えない将。

 

孫権に王を譲った孫策や周瑜が出張るならともかく、そんな子供が指揮を執っている様では勝敗は見えている。

 

だが、事態は霞の思わぬ方向へと動いていた。霞は子供と思っていた将、陸抗が見事な戦いぶりを見せたのだ。

 

晋の攻撃を巧みにいなし、自軍の被害を抑えて今だ寿春を保持していた。

 

しかし、その陸抗の善戦も、もうすぐ終わりを告げるだろう。

 

霞が放っていた間者から晋の本隊が動き始めたと報告が入ったからだ。

 

「よう、頑張ったんやけどなぁ」

 

霞は会った事もない陸抗に届かぬ事がわかっていながら賛辞の言葉を送った後、ある事を決めた。

 

おもむろに歩き始める霞。向かった場所は執務室。

 

「満寵!満寵はおるか!?」

 

執務室の扉を開きながら、霞は合肥に来てから自分の副官を務めている男の名を呼ぶ。

 

「張遼将軍、如何されました?」

 

霞の呼びかけに応える一人の男、満寵が目を落としていた書簡から目を上げて霞を見据える。

 

「出掛けるで、準備しい」

 

「出掛けるのは宜しいですが、一体どちらへ?」

 

「寿春や」

 

「わかりました。あまり大勢で行くと目立つので、供回りだけで向かいましょう」

 

悪戯っ子の様な笑みを浮かべながら、激戦地に赴くと言う霞に動揺する事なく、満寵は淡々と霞に返事をした後、執務室を出て、準備に取り掛かる。

 

内心では満寵を驚かそうと思っていた霞は満寵の対応に肩透かしを食らった様な気分になっていた。

 

「相変わらずやなぁ、あの男は」

 

満寵が出て行って一人になった執務室で霞は呟く。そう、満寵という男は何があっても動じないのだ。彼の上官になって二年と少しになるが、霞は満寵の動揺した所を見た事がない。

 

霞がどんな無茶を言っても、彼は決してそれを無理とは言わずに出来る方法を模索していく。そして結果を出す。

 

明らかに自分の副官に収まっていて良い男ではなかった。器量は間違いなく将軍級、いや、内向きの事も万事滞りなくこなす働きは何処かの太守や州牧でも不足はない。

 

自分が昼から酒を飲んでいられるのも、彼が居るからだ。

 

正直言って、霞は戦い以外で満寵に勝てる気がしない。戦いでも彼の得意な防衛戦では勝てるかどうか怪しかった。

 

「なんであの男はウチの副官なんかしとるんやろなぁ?」

 

霞は本当にそう思っていた。はっきり言ってしまえば、自分と満寵の位が逆でも霞は不満はない。それだけの実力を持った男だ。

 

霞は軍人として随分と長く生きてきたが、女性が活躍するこの大陸で明確に実力を認めた男は司馬懿と満寵の二人だけだった。

 

「まぁ、あの男が居るなら合肥はウチがおらんでも大丈夫やろ」

 

そう言った霞の脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。

 

「……一刀」

 

呟くのは自分の想い人の名。軍人として自分が認めた男は司馬懿と満寵の二人であっても、女として自分が愛した男は北郷一刀、ただ一人だけであった。

 

川のほとりで沢山の光に囲まれながら、一刀と愛を語り合ったあの夜の事は今も霞の心に焼き付いている。

 

嫌っている司馬懿はともかく、満寵にすら真名を許さないのは、常に一刀が自分の心の真ん中に居るからだと思っていた。

 

一刀以外の男に真名を許すのは、一刀に対する、いや、自分の気持ちに対する裏切りだと霞は勝手に思っていた。

 

司馬懿に対しては最初から合わなかった。客観的に見て美形で物腰も柔らかで才もある。

 

嫌う要素などないはずなのに、司馬懿と話す度に霞は心に何処かざらついた物を感じていた。

 

それは時が経っても消える事はなく、司馬懿が華琳と結婚する事になった時、一刀の場所であったそこに入り込んで来た時、曖昧だったその気持ちははっきりとした嫌悪感に変わった。

 

司馬懿も霞が自分を嫌っているのがわかったのだろう。必要以上に霞に話し掛けて来る事はなかった。

 

「それにしても一刀が州牧になるなんてなぁ」

 

霞の知っている一刀は決して無能ではないが、州牧を務められる器量を持っている訳でもない。

 

風からの文でその事を知った時、霞は素直に驚いた。本音を言えば、一刀の帰還を知った段階で役職を返上してすぐに彼の元へ向かいたかった。

 

そしてそれは今でも変わりはしない。けれど、自分は華琳の臣下であり恩もある。

 

通すべき筋を通さないで全てを放り出して一刀の元へ向かう事など出来ない。それが霞の生き方だった。

 

自分に比べ、風は上手くやった物だと思う。そんな風以上に霞にとって羨ましいのは凪だ。

 

凪は帰ってくるかもわからない一刀を待つ為に友を捨て、仲間を捨て、追い出される様な形で魏から出た。それは自分には出来ない決断で凪の決断を神という存在が居るなら見ていたのだろう。

 

魏を出た当日にこの大陸に帰ってきた一刀と再会したのだ。華琳の結婚を知った一刀にしてみれば全てを捨てて自分を待つ事を決めた凪の気持ちはどれほど嬉しかったか想像に難くない。

 

霞は今でも華琳が司馬懿と結婚すると言った時に華琳に対して堂々と一刀に対する想いを言い放った凪の姿を思い出す。

 

羨ましいと思うが、嫉妬はなかった。それは霞が凪の事を魏の他の誰よりも好きだからだ。

 

何の裏表もなく愚直なまでに真っ直ぐな凪の性格を知っているから一刀と再会した事も素直に祝福出来た。

 

だから凪の事はいい。それより気になるのは一刀本人の事だ。

 

「高長恭……」

 

それは一刀が今、名乗っている名。風からの文で書いてあったのは、

 

 

……今のお兄さんを昔のお兄さんと思わないで下さい。

 

 

その一文が一刀の新しい名と一緒に記されていた。

 

一刀は一刀。確かに数年の時が経っているから、多少は変わった所もあるだろうが、それでも人間の本質が変わる訳ではない。

 

霞はそう思ったが、文に書いてあった事が引っ掛かった。風がそんな些細な変化をああいう形で記すとは思えない。

 

だから霞は高長恭について独自に調べた。その結果は……漆黒の鬼面龍、賊殺しの鬼といった自分が知っている一刀からは想像出来ない風評。

 

霞は高長恭が一刀である事は誰にも言ってなかった。それは高長恭について集めた情報の中で人前では常に鬼の面を被り、素顔を見せる事はないとあったからだ。恐らく自分の事を一刀は知られたくないのだろう。

 

一刀がそう思っているなら、霞としても誰かに話そうとは思わない。

 

……ただ、どうしようもなく一刀に会いたかった。会って何があったのか聞きたかった。

 

一刀は今、交州を平定し、荊州で蜀と事を構えている。自分は合肥から動く事は出来なく、まだ会えない。霞に出来るのは自分と再会する前に取り返しのつかない事態にならない事を願うだけだった。

 

 




今回は霞視点です。次回もう一回霞視点が続きます。


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陥落の中の策謀

霞が寿春城が見える小高い丘陵地に到着した時、寿春を巡る戦いは既に大詰めに差し掛かっていた。

 

城門の前には衝車、城壁には雲悌。呉軍は必死に晋軍の侵入を阻もうとしているが、いかんせん兵力が違い過ぎる。

 

霞の予想通り、晋の勝利で戦いは終わろうとしていた。

 

「満寵、アンタが呉の指揮官なら晋を防げたか?」

 

霞は今にも落ちる寸前の寿春城を眺めながら、自身の隣に居る副官に尋ねる。

 

「……無理とは言いたくないですが、恐らく無理ですね。はっきり言って条件が悪すぎます。合肥に居るのが我らではなく、呉軍ならば防ぐ事は可能でしたが……」

 

満寵の意見は霞の考えとほぼ同じであった。合肥に自分達が居るから呉は建業から援軍を送れない。

 

送ったとしても霞が合肥で止める。いくら同盟国と言っても他国には違いなく、自国の領地に他国の軍を入れる訳にはいかない。それに魏は晋と不戦の盟約を結んでいた。呉の援軍を通す事は間接的に盟約を破る事になる。稟が独断で行っている合肥を通しての物資の援助も盟約に触れるかどうかの際どい範囲で晋も良くは思っていないだろう。

 

「結局は司馬懿の手玉に取られた華琳が悪いとしか言いようがないわ」

 

「張遼将軍、言葉をお慎み下さい。誰が聞いているかわかりません」

 

「言いたくもなるちゅーねん。いくら司馬懿が華北を取った言うても、魏が東進、呉が北進して華北を攻めれば、ここまで大きな問題ならんかったやろ」

 

「それでもです」

 

霞を(たしな)める満寵の目は真剣だった。

 

「今、将軍の魏での立場は決して良いものではありません。洛陽には将軍の事を讒言(ざんげん)する者が少なからず居ます」

 

「雀がぴーちくぱーちく鳴いとるだけやろ。そんなもん信じる程、華琳は馬鹿やない」

 

「……張遼将軍が魏を出奔して天の御遣い様の元へ参るという讒言があってもですか?」

 

「っ!……なんでアンタが一刀が帰って来た事を知っとるんや!?」

 

一刀の帰還は魏の上層部と司馬懿達しか知らない話であったはずだ。

 

「将軍、人の口に戸は建てられない物です。知る人間が多くなればなるほど秘密は露見します」

 

「……」

 

霞は何も言えなかった。確かにいつまでも隠し通せる事ではない。

 

「将軍の立場が悪くなったのは、天の御遣い様の事で曹操様と言い合いになったのが原因です。天の御遣い様がこの大陸に帰って来られた以上、そういう讒言が出ても疑いを完全に晴らす事は不可能でしょう」

 

「……」

 

その事に対しても霞は何も言えない。華琳に対する恩がなければ讒言の通り、魏を飛び出しているからだ。

 

「将軍の思惑がどうであれ、周りに誤解を与える様な言葉を口に出すのは止めておくべきです。……少なくとも今は」

 

心中を見透かした様な満寵の言葉に霞の目が鋭くなる。

 

「満寵、アンタはウチが魏を抜けると思ってるんか?」

 

「……それは口にするべきではないでしょう」

 

「今、此処におるのはウチの子飼いの兵だけや、遠慮せんと言い」

 

「抜けると思っています。ですが、それは誰もが納得出来る形で抜けるのであって、露骨な裏切りは間違いなくなさらないとも思っています」

 

満寵の言葉に霞は微かに笑みを浮かべる。

 

「……やっぱりアンタはウチの副官なんかしとって良い男やないで」

 

「私は今の立場が気に入っているんですけどね」

 

「よう言うわ」

 

二人はお互いに顔を見合せて笑う。本当に自分にはもったいない副官だと霞は思っていた。

 

「どうやら勝負がついた様やな」

 

霞が寿春城を見ると、晋軍が城内に雪崩れ込んでいる。それと同時に呉軍が城を脱け出し敗走している姿が見えた。その中に民の姿が混じっているのが、少し気になったが、霞の気がかりは

 

「将軍、そろそろ合肥に引き上げましょう」

 

満寵の言葉で打ち消される。

 

「そやな……」

 

霞が撤退の合図を出そうとしたその時、寿春城から轟音が響き渡った。

 

その音に驚き、霞は寿春城に目をやると、城門のある辺りの城壁が崩れていた。……東西南北全ての門がある城壁がだ。

 

「……ずいぶん派手な事をするやっちゃな」

 

「将軍、これは!」

 

「空城の計や!」

 

霞がそう言ったと同時に敗走していた呉軍から火矢が人が少なくなった雲悌と城内に射ち込まれ火の手が上がる。

 

実に見事な手際だった。あの様子だと先んじて城に入った兵は全滅だろう。何せ出入りする城門が全て崩されているのだ。

 

「私の目から見て、呉軍に何か策がある様には見えませんでした」

 

満寵の言った事に霞も同意だった。何か策があるなら、策の為の挙動という物がある。だが、呉軍にはその挙動が一切感じられなかった。皆が必死に寿春を守ろうとしていた。……ならば考えられる答えは一つ。

 

「……知らんかったんやろ」

 

「知らなかった……まさか!」

 

「そうや、戦ってる呉の兵や城内の民はこんな計略がある事を知らんかった。恐らく知っとったのは極一部の人間だけで、ギリギリまで他の兵や民には知らせへんかった。それしか考えようがないわ」

 

「呉の指揮官は無茶をしますね。少しでも失敗すれば自分の兵や民を巻き込む事になるというのに……」

 

「せやな。博打ちゅーてもええ、けど、結果的に呉の計略は成功しとる。ただでは負けんって言う呉の指揮官の気迫が伝わって来るわ」

 

霞は素直に感心していた。武人の自分とは違う、策を扱う人間の意地という物が肌で感じられたからだ。

 

……良い物を見せてもらった。わざわざ来た甲斐があった。

 

策を成した呉軍は城内に入ってなかった晋軍に追われている。無事に逃げ切れれば良いな。と思っていた霞に満寵の鋭い声が突き刺さる。

 

「将軍!敗走した呉軍が此方に向かって来ております!」

 

「なんやて!?」

 

霞が呉軍に目を凝らすと、確かに一直線に此方に向かって呉軍が突き進んでいた。

 

「満寵!撤収すんで!はよしい!」

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちになってもらって宜しいですか?」

 

 

 

 

 

 

それは聞き覚えのない女性の声、霞がその声がした方向に顔を向けると、そこにはまだ若い、少女と言っていい女が立っていた。

 

「なんや、アンタは?」

 

霞は警戒心を隠さずに少女に問いかける。少女はそんな霞の態度を気にする様子もなく、悠然と微笑んでいた。

 

「お初にお目にかかります張遼将軍、私は孫呉の寿春総司令官陸幼節と申します」

 

その名を聞いて、霞は僅かに驚きの表情を浮かべる。つい先ほどまで自分は目の前の少女の事を考えていたのだ。

 

「……アンタが呉の指揮官かいな。なんでウチが此処におる事がわかったんや?」

 

「貴女が張遼将軍だからですよ。私が調べた限り、張遼という将軍は戦においては部下に任せず、自分で動く傾向が強い。そんな人間が自分達のすぐ近くで行われている大戦で何もしないはずがない。並の将なら間者を飛ばして情報を集めるでしょう。ですが張遼という将軍なら自分の目で確認したいと考えるはず、そして我ら呉や晋に気付かれずに戦を観戦出来る場はこの地がもっとも適しています」

 

陸抗の口から語られる言葉に、霞は心中で苦い物を感じていた。自分の行動がここまで正確に読まれている。それも先の乱世の時の自分より年下と言える少女にだ。

 

「で、ウチの行動を読んだアンタは一体、何のつもりで此処に来たんや?」

 

霞は若干の苛立ちを顔に出す事はせずに陸抗に尋ねる。

 

「私から張遼将軍にお願いがございまして……」

 

「お願い?」

 

「はい。……張遼将軍、私達を保護して下さいませんか?」

 

……保護?

 

突然の言葉に、霞は自分が何を言われているのかわからなくなった。

 

「……そういう事ですか」

 

自分よりも先に何かに気付いた満寵がそう吐き捨てる。

 

「満寵、どういう事や?」

 

「将軍、この者は我らを呉軍や民を追撃してくる晋軍に対する盾にしようとしているのですよ」

 

「なんやて!?」

 

「我らがこの者達を保護すれば晋は迂闊に手を出せません。不戦の盟約を破る事になりますから」

 

ならば保護を断ればと霞は思ったが、

 

「まさか、断るなんて致しませんよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『同盟国である私達の孫呉の頼みを』

 

 

 

 

 

 

 

 

陸抗のその言葉で霞は保護を断るという選択肢を潰された。そう、断る訳にはいかないのだ。助けを求める同盟国の見捨てれば、三国同盟盟主である華琳の名誉を失墜させる事になる。

 

「保護するしかないですね」

 

霞と同様の考えに至ったのか、満寵が呟く。

 

それしか選択肢がなかった。保護して呉に送り届けるだけならば、同盟国としての面目も立つし、晋に対しても不戦の盟約を破った事にはならない。魏が晋に被害を与える訳ではないからだ。

 

「満寵、アンタは寿春に行って、郭淮に事情を説明してきい。ウチはコイツらを濡須江まで送る」

 

「わかりました」

 

満寵はそう言って寿春に向かって駆け出す。霞はその背を見送りながら

 

「……いつからや?」

 

と陸抗に問いかける。

 

「さて、何の事でしょうか?」

 

「惚けんでええ、いつからこの絵面を描いとったんや?」

 

「あぁ、その事ですか、決まってます」

 

 

 

 

 

 

 

 

『私が寿春の総司令官として着任したその日からですよ』

 

 

 

 

 

 

 

霞が陸抗の言葉に驚愕し、思わず陸抗に対して顔を向けると、そこには、先程までとは変わらず悠然と微笑んでいる陸抗の姿。

 

 

 

 

……ただ、目の光だけは異様な輝きを宿していた。



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荊州争乱の序幕

金が有り余っていた。一刀は金蔵に詰め込まれた金、銀を見ながら暫し、呆然とする。

 

元の世界での知識をフル活用して自重しない領地経営をやった結果がこれだった。

 

一刀の基本的な金稼ぎの手段は交易。始めは南越(ベトナム)と五湖の一部の部族だけだったが、今では身毒(インド)辺りまで足を伸ばしている。

 

その交易で稼いだ金を一刀は躊躇なく、自身の領地に注ぎ込んでいた。

 

治安維持、治水工事、荒野開墾、街道整備などやるべき事はいくらでもある。

 

だが、ここで一つ問題が起こった。

 

金はあるが、人が足りないのである。その事に気付いた一刀の行動は早かった。

 

流民を片っ端から自身の領地で抱え込んだのだ。一刀の元へ行けば住む家と食事と仕事を用意すると屍鬼隊を通じて各地に流した結果、流民が続々と集まって来た。

 

一刀はその流民達を兵として雇い入れたり、堤防の建設や開墾、街道整備に割り振って行く。この時は10徹のデスマーチだった。

 

そんな中で一刀がやった政策の中で特筆すべき事と言えば、傭兵制度の設立だろう。

 

傭兵自体は以前から存在するが、それはあくまで個人による物で、一刀が設立した傭兵制度は国に属する傭兵で、まったくの別物である。

 

傭兵なんかにしなくても、正規軍として雇えば良いと思うかも知れないが、この大陸で正規軍を動かすのは、金と手間がかかる。

 

例えば、何処かの村が、近くに賊が出たから討伐してくれと陳情を出しても、その情報が一刀の元へ届くまでに段階を踏まなければならない。そんな事をしている間に村が賊に襲われる。

 

そんな事にならない為に設立したこの傭兵制度は民が直接、傭兵を雇う事が出来るのだ。傭兵に対する報酬は払わなければならないが、その辺の個人の傭兵に比べ格安だった。勿論、足りない分は一刀の持ち出しになるが、この制度が赤字になる事はない。

 

傭兵を領内だけではなく、他国に商売に行く商人に護衛として貸し出す事で儲けを出していた。ついでに各地の情報や流民を集めて来る様に言っている。

 

商人の評判も上々だ。何せ、一刀の軍の正規兵と同等の調練を受けている。賊程度では相手にならない。

 

傭兵制度は成功と言っていいだろう。元より一刀は失敗するとは思ってなかった。元の世界で同じ事をやって成功したロスチャイルド家という前例があったからだ。

 

傭兵制度以外にも様々な政策を行った一刀の領地は空前絶後の発展を遂げていた。人は人の集まる所に集まる。ましてそこがあらゆる環境整備がなされているとなれば尚更だろう。

 

流民を引き取った結果、激減した財は凄まじい勢いでVの字回復を果たしていた。

 

来た時は流民でも、生活基盤を整えてやれば市民になる。そして市民は税を落とす。

 

何より一刀の領地で商売をしている商家はほぼ全て一刀の息がかかっている。俗に言うコングロマリットだ。

 

市民はその商家で買い物をするのだから、一刀がいくら金を注ぎ込んでも、回り回って、結局は一刀の元へ金が返って来る。そして返って来た金をまた注ぎ込む。その金で領内は更に発展して一刀に莫大な財をもたらす。その繰り返しだった。

 

一刀の領地は現在、交州と荊州の半分だけであるが、築き上げた財は……政治は他国より勝っている自信が一刀にはあった。他の四国が一刀と同じ政策をとる事はないと確信もしている。

 

何故ならこの大陸の上に立つ人間は基本的に自分が一番という中華思想が蔓延している。それは華琳や司馬懿でも例外ではない。

 

そういう人間は地べたを這いずり回る人間を甘く見る。いや、見下していると言っても良いだろう。自分が守ってやっているという意識から逃れられないのだ。

 

一刀は自分がその立場から今の様になった故に地べたを這いずり回る人間の怖さを知っていた。

 

一人一人は大した事はなくても、集まれば侮れない力になる。それはこの大陸の上に立つ者なら知っているのかも知れない。けれど一刀からすれば知っているだけで、本当には理解はしていないと思っていた。

 

理解しているなら、先の戦乱で自分の誇りや理想というくだらない物の為にあれほど人を死なせたりはしない。

 

一刀は賊や敵には容赦はしないが、基本的に民を大事にしていた。未来の知識がある一刀はマンパワーの重要性を誰よりも理解しているからだ。

 

だから、一刀は民の為の政を敷く。必要とあれば惜しみ無く自分の財を使う。それが最終的に自分の力になるから。民は管理する物としか考えていない今の四国の王には一刀の政策の根本を理解出来ないだろう。王の付属物が数多の民なのではない。数多の民の付属物が王なのだ。

 

……まぁ、劉備は管理なんて考えてはいないだろうが諸葛亮辺りは間違いなくその様に考えている。

 

 

 

 

自身の持つ財を確認した一刀はこれまでの政策を思い出しながら、執務室に戻った。

 

そして執務室の扉を開けた瞬間、一刀は大きなため息を吐いた。

 

一刀の眼前には積み上がった書簡の山。そう、財が増えるのと比例して一刀の仕事も増えていた。

 

しかも、この仕事は一刀にしか出来ない仕事。いくら風や叡理が優秀でも流石に未来で行われた政策まではわからない。教えたくても今の一刀にはその時間すらまともに取れないし、二人も仕事を抱えている。

 

文官は募集しているが、なかなかこれと言った人材が来ない。それもそうだろう。求めているのが、風、叡理クラスの人材なのだ。その辺に居る物ではない。

 

かと言って、このままで良い訳がなかった。ただでさえ多い風の居眠りがさらに増えている。

 

「一刀様」

 

考え込んでいた一刀に声を掛けて来る者が居た。

 

「那由多か」

 

まるで影から突然現れたかの様な登場。那由多の間者の技のキレは最近になってますます磨きがかかって来ている。

 

一刀は今居る自分の仲間で那由多を一番高く買っていた。他の仲間は大事な仲間だ。しかし、一刀の意を汲んでどんな事でもこなす那由多に関しては今となっては自分の身体の一部の様な存在になっている。

 

「で、どうした?」

 

「来ました」

 

一刀はその一言で全てを悟る。

 

「旗は?」

 

「趙と馬、今は白帝城を越えた辺りを行軍しているようです」

 

「先鋒隊で趙子龍をぶちこんできたか。……蜀の本気具合が伺えるな」

 

「成都の方では本隊の編成が組まれ始めているようです。誰が来るのかはまだわかりませんが、劉備自ら動く事も考えられます」

 

「それについては、まだそれほど気にしなくて良いだろう。先ずは眼前に迫る昇り竜を倒してからの話だ。……ところで馬はどっちだ?」

 

「馬岱の方です」

 

「なるほど……馬岱の方なら大将が趙雲で副将が馬岱で間違いないな。馬超なら馬超の方が大将という事も考えられたが……」

 

そこまで言って一刀は暫し、黙り込む。頭にあったのはどの様な戦にすべきか……その事だけ。

 

正直、勝つだけなら、そこまで難しくない。問題は勝ち方だ。自分の最も利益になる勝ち方をしなくてはならない。

 

とりあえず籠城戦はなしだ。街に被害が出る。これ以上書簡が積み上がるのは、一刀は嫌だった。

 

野戦で形を付ける。戦う場所は長坂の辺りになるだろうが、一刀には一抹の不安があった。

 

 

……長坂で趙子龍。フラグじゃないだろうな?

 

 

自分の軍の中を単騎駆けされている事を想像して一刀は何とも言えない気持ちになる。絶対にそんな事はさせないが……

 

「まぁ、本人は自分の力に自信がある様だから、そこを利用させてもらうか」

 

一刀の独り言に那由多が疑問の表情を浮かべる。そんな那由多に一刀は問いかけた。

 

「那由多、戦に勝つ為に必要な事は何だと思う?」

 

「……敵より多くの兵を集める事でしょうか?」

 

「孫子の基本か。それは間違ってはいないが、正しくもない。現に俺は此処に至るまで敵より少ない兵で勝ち続けて来た」

 

「では、敵の策を読む事ですか?」

 

「さっきより正解に近いが、正確には違う」

 

「……私にはわかりません。答えを教えていただいて良いですか?」

 

那由多は暫く考えていたが、答えがわからなかったのだろう。一刀に正解を求める。

 

「いいだろう。答えはな……」

 

 

 

 

 

 

「敵に選択肢を与えない事だ」

 

 

 

 

 

 

一刀はそう断言する。

 

「選択肢を与えるから、敵はその中で勝利する為に策を練る。ならば、策など練れない様に思考を自分の都合が良い様に誘導してやればいい」

 

那由多は一刀の言葉に釈然としない顔をしていた。一刀は那由多の頭を撫で、

 

「今はわからなくても構わん。今回の戦でお前なら俺の言葉の意味が理解出来るはずだ」

 

そう言葉を掛けた。

 

「はい、学ばせていただきます」

 

「じゃあ、軍義を開くからお前は伝令を装おって凪達を玉座の間に集めてくれ。俺もすぐに行く」

 

那由多は屍鬼隊副隊長だが、表ではただの一般兵で通している。

 

「了解しました」

 

那由多の姿が出て来た時とは逆に影に溶け込む様に消えた。

 

一刀はそれを見送った後、軍服に着替える。その時、積み上がった書簡が目に入ったが、それから目を逸らして、戦に現実逃避するのだった。



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風に遊ばれる鬼

少し短いですが、切りが良いので投稿します。


総勢二万二千。一刀は凪の第一師団の半分と黒鬼隊を率いて、長坂橋を背に軍を集結させていた。

 

連れて来た将は凪と風だけで、晶と祭は江陵で守りを固めさせている。

 

その事に対して、晶は不満げな顔を浮かべ、祭は喚いていたが、一刀は相手にしなかった。

 

そもそも、一刀からすれば、凪の第一師団すら今回の戦に使う気はない。

 

趙雲が率いる先鋒隊二万。一刀はそれを黒鬼隊二千で打ち破る気でいた。凪の第一師団を連れて来たのは皆がうるさいからだ。

 

舐めている。そんな気持ちはない。この戦は自分にとっての試金石と一刀は思っていた。

 

いくら相手が名高き趙子龍といっても、ここで躓く様では話にならない。

 

「ここが長坂橋か……」

 

一刀は長坂橋を眺めながら呟く。この世界では長坂の戦いが起きなく、交州に行く時は別の所を通ったので一刀が長坂橋を見るのは、これが初めてだった。

 

三国志でもっとも有名な戦いと言えば、間違いなく赤壁だろうが、一刀はその前哨戦とも言える長坂の戦いが一番好きなのだ。

 

趙雲の単騎駆け、張飛の仁王立ち、この世界に来る前に三国志を読んでいた頃、その場面にワクワクした物だった。

 

その様な地で、そんな伝説を残した趙雲を自分は迎え撃とうとしていた。勿論、この世界が自分の知っている三国志とは違う事は承知している。それでもこの世界の趙雲も名将である事には変わりはない。

 

一刀がこの世界に再び戻って来てから初めて一線級の相手と戦う事になるが気負いはなかった。この程度の事は今の一刀にとって修羅場でも何でもない。趙雲がいくら強かろうが、元の世界では子供のゲリラが放つ銃弾一発で死ぬ。

 

自分は一発どころではない、無数の銃弾が飛び交う戦場を最前線で駆け抜けたのだ。彼女とは見て来た地獄が違う。

 

「お兄さん、どうかしましたかー?」

 

じっと長坂橋を見つめている一刀が気になったのだろう風が話し掛けて来る。

 

「いや、何でもない。それよりお前は大丈夫なのか?」

 

一刀は元々、風を連れて来る気はなかった。風が此処に居るのは、風自身の希望だ。理由はわかっている。相手が趙雲だからだろう。

 

一刀自身、趙雲に対して思う所はあった。何せ、この世界に来て、初めてまともに会話を交わしたのが彼女だからだ。

 

その前に賊に絡まれたが、あれはまともな会話なんて物ではなかったからな。

 

風と出会ったのもその時だ。あの時はすぐに別れたが、今は縁があったのか自分の隣に居る。

 

「大丈夫ですよー。星ちゃんと戦うのは初めてではないですからねー」

 

「そうだったな」

 

「ですが、お兄さんに余裕があるのでしたら……」

 

「殺すな……か?」

 

「……いえ、これは戦場で言うべき事ではないですね」

 

「構わんさ、お前がそれを望むなら」

 

一刀は薄く笑みを浮かべ、風にそう言ってやる。

 

「……」

 

一刀の言葉に風は僅かに顔を赤らめさせながら黙り込む。

 

「どうした?」

 

「……わかってはいましたがお兄さんはずいぶんとキザになりましたねー」

 

「別にそんなつもりはなかったんだが……」

 

「お兄さんにそのつもりがなかったといたしましても、今のお兄さんは懐が深すぎます。その優しさは風を駄目にしてしまいますよ」

 

「良いぞ」

 

「えっ?」

 

「駄目になっても良いと言っている。そんな風の面倒を見る人生も悪くない」

 

「もうー!お兄さん!」

 

いつも飄々としている風が感情を露にする。一刀は風をからかった訳ではない。本気で風がそうなったなら面倒を見るつもりでいた。

 

「風はお兄さんに依存するだけの女になる気はありません!最後まで共に歩む覚悟は出来ています」

 

一刀の目を見つめながら、風はそう宣言する。その瞳には強固な意思が存在していた。

 

「……風、悪かったな」

 

「良いのですよー。……ところで、凪ちゃんに渡した婚約指輪という物は風にも用意してもらえるのでしょうかー?」

 

 

……コイツ、このタイミングでそれを言って来るか!?

 

 

一刀の顔が僅かに引きつる。風は間違いなく、このタイミングを狙っていたとしか思えない。

 

ニヤニヤと笑う風に対して、一刀の選択肢は一つしかなかった。

 

「……蜀との戦いが一段落したら用意する」

 

「風は催促するつもりはないのですよー。お兄さんにとって、風が婚約指輪を渡せる様な女でないのなら無理にとは言いません」

 

「用意させて頂きます」

 

渡さないなんて言える訳がない状況だった。

 

「そうですか。では、ありがたく受けとりますねー。あっ、正室は凪ちゃんで良いですよー。風はそこまでお兄さんに求める事はしませんので」

 

「……心遣い、感謝する」

 

完敗だった。ここまで手玉に取られたのは久しぶりの経験だ。

 

 

……だが、悪くないな。

 

 

隣で機嫌が良い様子の風を見て、一刀は心からそう思う。

 

一刀と風はその後も他愛ない会話を交わしていた。戦の前とは思えない雰囲気。

 

だがその時、前方から砂塵が見えた。

 

「風、お喋りは終わりだ。布かなんかで顔を隠せ」

 

一刀はあらかじめ凪と風には顔を隠す様に申し伝えていた。二人が居れば自分が誰かわかってしまうと考えたからだ。

 

風は一度頷き、顔を隠し始める。

 

「隊長ー!」

 

軍をまとめていた凪が、砂塵に気付いたのだろう一刀の元へ駆け寄って来た。その顔は既に隠されている。

 

「蜀軍が参りました!」

 

「あぁ、こちらでも確認した」

 

前方の砂塵が徐々にそしてはっきりとその姿を映し始める。

 

掲げられた旗は趙と馬。先頭には見覚えのある美しい女性とポニーテールの微かに幼さが残る女性。

 

「さて、腕の見せ所だな」

 

一刀は被っている鬼の面を少し触り、笑みを浮かべながらそう呟いた。



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鬼と竜の問答

高長恭軍二万二千、蜀軍二万。二つの軍が半里(250メートル)ほどの距離を挟んで、長坂にて相対する。

 

辺りには独特の緊張感が漂っていた。お互いの兵、それぞれがこれから殺し合う事を認識している証明でもある。

 

余裕があるのは、やはり蜀軍だ。彼らは先の戦乱を経験している。それに比べ、一刀の軍の兵は戦の経験が少ない。それどころかこの戦が初陣の兵も少なからず居た。

 

勿論、彼らは凪の調練を受けている。練度は精鋭と言っていいだろう。それでも真の精鋭とは言えない。

 

一つの実戦は十の調練に勝る。実戦を重ね、己の身を血に染める事で彼らは真の精鋭となっていくのだ。

 

……だが、今回はお前達の出番はないがな。

 

一刀は凪の第一師団の兵達に心でそう語り掛ける。今回の戦で一刀から彼らに望むのは、少しでも実戦の空気を肌で感じてもらう事だけだった。

 

蜀軍を倒すのは一刀と黒鬼隊の役目だ。一刀がふと、黒鬼隊に目をやると、既に臨戦の態勢が整えられている。

 

黒鬼隊の目には恐怖の感情は一切ない。彼らはただ静かに一刀の号令を待っていた。

 

一つの実戦は十の調練に勝る。それは間違いないが、さらに付け加えて置かなければならない言葉があった。

 

黒鬼隊の一回の調練は十の実戦に勝る。

 

一刀は彼らに死んだ方がマシと言う調練を課して来た。今、此処に居る黒鬼隊はそれを潜り抜けてきた猛者だ。死ぬ事が怖いなんて感情は何処かに置いて来ている。

 

彼らにあるのは、一刀に対する絶対の忠誠心と畏怖だけだった。

 

黒鬼隊は一刀が死ねと言えば死ぬ。もし、そういう事態になれば一刀はその命令を躊躇なく下す覚悟は出来ていた。代わりに遺された黒鬼隊の遺族の面倒は例え自分が泥水を啜る事になろうとも見る覚悟も出来ている。

 

黒鬼隊もそれはわかっている。だからこうして自分達より多数の敵を前にしても平静で必要とあれば一刀の盾となって死にに行けるのだ。

 

一刀はそんな黒鬼隊を誇りに思いながら、再び蜀軍の方向に目を向けると、その中から一人、見覚えのある美女が此方に向けて進み出て来ている。……趙雲だった。

 

「お主が高長恭か?」

 

話し始めた趙雲の目は真っ直ぐに一刀を見据えていた。その顔には何処か余裕が、いや、侮りがある。無理もなかった、大陸中に名を馳せた趙雲に対して、少しずつ名が知られているとは言っても、一刀はぽっと出の男に過ぎない。

 

「お初にお目に掛かる、趙子龍。確かに俺が高長恭さ」

 

趙雲の侮りの視線を気にする事なく、一刀は手振り身振りを交えながら、大げさに言葉を返す。

 

そんな一刀の姿に趙雲は微かに笑みを浮かべる。

 

「漆黒の鬼面龍、賊殺しの鬼と物騒な異名は聞いていたが、本人は存外面白い男の様だ」

 

「お前の様な美女に褒められるとは実に光栄だ。どうだ?俺と一晩、愛を語り合わないか?」

 

一刀の軽口に、二つの強い視線が一刀の背に突き刺さる。

 

「……お兄さん」

 

「……隊長」

 

一刀は背中に感じる重圧をあえて無視する。……戦いが終わった後に考えればいい。

 

「ふむ、それは魅力的な誘いだが、生憎と自分の素顔も晒せない男の誘いに乗ろうとは思えんな」

 

「そりゃ、残念だ。だが、仮面を被っているのは俺だけじゃないさ。……なぁ、美と正義の使者さん」

 

一刀のその一言で趙雲の表情が凍り付く。

 

「なっ!……何の事を言っている?」

 

一刀はそんな趙雲の姿を見て、軽く笑いながら、

 

「あぁ、確か、この事は秘密だったかな?」

 

と、挑発気味に問いかけた。

 

「……お主、いい性格をしている様だな」

 

「そんなに褒めるなよ。照れるだろ」

 

「……随分と人を食った男だ」

 

「俺にはお前もそんな人間に見えるぞ。……まぁ、いい。で、お前は一体何しに此処までやって来たんだ?俺と愛を語り合う気がないなら帰って欲しいんだが……」

 

趙雲が此処に来た目的なんてわかってる。だが、あえて一刀は趙雲にその目的を問うた。

 

「私は盗人に奪われた荊州を取り戻しに来たのだよ」

 

「あーちょっといいか?お前の言葉からすると、盗人は俺。それはわかる。じゃあ、盗まれた人は誰なんだ?」

 

「……それは」

 

「この荊州の地は先の戦乱の時は劉表が治めていて、劉表が死んだ後は蔡一族が民を苦しめながら好き勝手にしていた。そしてその蔡一族は俺が討った。……さて、ここからが本題だ。今の話を聞いてもらったらわかると思うが、此処に至るまで、お前の主君の劉備は荊州に何の関係もない。一体、どういう大義名分があって荊州を取り戻しに来たなんて言えるのかな?」

 

「……」

 

「答えられないか?俺には荊州を取る大義名分があったぞ。蔡一族は随分と荊州を荒らしていたからな。……まさか、荊州を荒らす俺から民を救う為とでも言うつもりか?」

 

「……」

 

「言えないよな?俺がどれだけ善政を敷いているか、お前の所の商人とも取引があるからわかっているはずだしなぁ」

 

一刀は理路整然と言葉で趙雲を追い詰めていく。

 

「はっきり言って、俺の政はお前達、蜀の政を凌いでいる。お前達は数年掛けて今の状態に持っていったが、俺は数ヶ月でお前達の数年を超えてみせた。民からして俺と劉備、どっちが優れた統治者なのか、聞くまでもないだろうよ」

 

「……お主は一体何者だ?確かに商人達はお主の政は素晴らしいと褒めていた。なら何故、お主は先の戦乱の時に出て来なかった?それだけの力量があるのだろう?」

 

「んな事はどうでもいい。で、どうするんだ?蜀に帰るのか?」

 

「……それは出来ん。お主が言ってる事が正しい。それはわかる。なれど、私も主命を受けて此処に来ている。引く事は出来んのだよ」

 

「それで民が苦しむ事になってもか?」

 

「……」

 

「みんなが笑って過ごせる世の中にしたいだったか?劉備の理想は?」

 

「……そうだ」

 

「やっている事は正反対だな」

 

一刀の侮蔑の笑みを浮かべてそう言い放つ。

 

「うっ!」

 

その一刀の言葉に趙雲の表情が歪む。

 

「趙子龍、蜀の将軍ではない。一人の民を想う武人のお前に聞きたい。お前はそれを是とするのか?」

 

「そんな訳あるまい!私は!……」

 

趙雲はそれ以上は何も言えず黙り込む。

 

「……どうやら、お前は腐り切ってはない様だな」

 

「何を言っている?」

 

「趙子龍よ、俺はお前の主君、劉備が嫌いだ。甘い理想を語りながら部下を死地に追いやり、自分は安全な場所で綺麗なままで居ようとする」

 

「違う!桃香様はその様な方ではない!」

 

「お前の言う通り、劉備はそんな人間ではないのかも知れない。だが、現実として俺の言った通りになっている。劉備の理想はお前達にとって支える物に値するのだろうが、俺にとっては出来損ないのガラクタだ」

 

「貴様!その言葉、訂正して貰おうか!」

 

趙雲が槍を一刀に向けて構えた。一刀はそれを気にする事なく言葉を続ける。

 

「じゃあ、聞くが、俺が間違っていると言うなら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうして、お前は今、此処に居るんだ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ…は……」

 

「劉備が本当に民の事を想い、平和を望むなら、兵を出す前に使者を寄越す事も出来ただろう。……かつて曹孟徳にも同じ様な事を言われたはずだ」

 

「……」

 

「いい加減はっきり言ったらどうだ?自分達は荊州が欲しくて欲しくてたまらないから奪いに来ました、とな。曹孟徳なら間違いなくそう言うはずだ」

 

「……」

 

「それを言えないのが、劉備の、いや、劉備の理想の限界だ。だからお前達は先の戦乱で曹孟徳に負けた。そして曹孟徳との一騎討ちの後でも理想という甘さは消せなかった」

 

「……」

 

趙雲が一刀の言葉に何か考え込む。そして……

 

「そうだな。お主の言う通りだ。私は力付くでお主から荊州を奪わさせてもらおう」

 

「それは劉備の理想と相反する決断だぞ。今回はお前達が益州を奪った時の様な大義名分もない」

 

「それでもだ」

 

そう言った趙雲の顔には迷いはない。流石に先の戦乱を戦い抜いた将だった。

 

一刀はその趙雲の顔を見てほくそ笑む。今まで舌戦は言うなれば前座。ここからが一刀オンステージの始まり。

 

「……そうか、そんなに荊州が欲しいのか。……いいぞ荊州をお前達にやろう」

 

「何だと!」

 

一刀の言葉に趙雲だけではなく、それまで黙って話を聞いていた凪や風、馬岱までが驚いていた。

 

「ただ、何もせずに荊州をやる事は流石に出来ない。だから趙子龍よ、俺と賭けをしようじゃないか」

 

一刀は笑ってしまいそうになる顔を必死に取り繕いながら真剣な表情で趙雲にそう言い放った。







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選択肢のない二者択一

両軍にざわめきが広がっていた。顔色を変えていないのは、言葉を言い放った一刀と黒鬼隊のみ。

 

戦場に主だった者達の視線は一刀に集中する。一刀はその視線を受けながら、趙雲に向かってさらに言葉を続ける。

 

「賭けと言ってしまえば、一か八かの要素があるのではないかと思うだろうが、お前にとって決して悪い話ではない。むしろ良い話と言っていいだろう」

 

「ほう、では賭けとはどういう物なのかな?」

 

趙雲が一刀の言葉の内容を問い返す。趙雲のその言葉に一刀は今まで抑えていた笑みを我慢仕切れずに表に出す。

 

……勝った。

 

一刀は内心で既に自分の求める勝利がほぼ手に入った事を確信する。

 

「なに、そんなに難しい話じゃない。お前が率いる二万の軍で俺の率いる二千の軍を撃ち破ればお前の勝ちだ。荊州はお前に渡そう」

 

一刀のその言葉で両軍のざわめきがさらに大きくなる。

 

「!!お主は冗談でも言っているのか?……さもなくば私を愚弄している事になるが……」

 

趙雲から一刀に向けて殺気が放たれる。常人なら気を失うほどの殺気。だが、一刀にとってその程度の殺気など何の意味もない。

 

「勿論、本気だ。そしてお前を愚弄している訳でもない」

 

趙雲は一刀の言葉が真実とわかったのだろう。放たれていた殺気が鎮まる。

 

「お主は十倍の兵力差で勝てると思っているのか?」

 

「違うな。間違っている、間違っているぞ趙子龍。俺は既に勝っている」

 

「!?……それは一体どういう意味かな?」

 

「さあ、どういう意味だろうな。その答えは後になったらわかるさ」

 

一刀は笑いながら、趙雲にそう答える。それに対して趙雲は怪訝な顔を浮かべながらも……

 

「……お主は賭けと言ったな。賭けであるならば私にも賭けの代価を要求するつもりなのだろう?それは一体何だ?」

 

一刀に問いかける。

 

 

……やはり、馬鹿ではないな。まぁ、そうでなければわざわざこんなまどろっこしい事をした意味もなくなる。

 

一刀は自分の中の趙雲の評価が外れではない事が確認出来た。

 

「あぁ、そんなに警戒しなくていい。別に益州を寄越せなんて無理難題を言うつもりもない。俺が要求する賭けの代価は……趙子龍、お前だよ」

 

「はっ?」

 

「俺は趙子龍、お前の全てが欲しい」

 

一刀がその言葉を言ったと同時に背後から声が聞こえてくる。

 

「……隊長」

 

呆れた様な凪の声。そして、

 

「いくら変わっても、やっぱりお兄さんはお兄さんですねー。種馬が健在である事を風は思い知ったのですよー。でもまさか星ちゃんにまで手を出そうとするとは思いませんでしたが……」

 

どこか面白がっている風の声。

 

……うるさい。特に風。お前の願いを叶える為にはこれがベストなんだよ。

 

一刀は心中で全力で二人に対して抗議する。とは言っても、元々、一刀は蜀の将軍の中では趙雲だけは何としても生かすつもりではあった。

 

「お主、それは私に対する愛の告白か?」

 

「どう取るかはお前に任せるさ」

 

一刀はあえて否定はしなかった。人は自分に好意を持つ人間に対して甘さが出る。ストーカーまでいくと論外だが、今の状況では否定する意味はない。

 

……まぁ、趙雲ほどの美女なら男からそういう事を言われ慣れているだろうから、あまり効果はないだろうな。

 

「そ、そうか……それにしても私も随分と高く買って貰えた様だ。まさか一州の代価にされるとはな」

 

「俺からすれば安過ぎるくらいだ。お前には一州以上の価値があるさ。……で、どうする?賭けを受けるのか?」

 

「お主の言う通り、私にとっては良い話だとは思う。だが、懸念もある。それは……」

 

「俺が負けた時、賭けを反古にして江陵に籠る事だろう?確かに俺が江陵に籠城すれば、お前達だけでは荊州は落とせないしな」

 

「……そうだ」

 

「要はお前は俺が負けた後、荊州を自分達に渡すという保証が欲しい訳だ。逆に聞くが、その保証があればお前は俺の話に乗るんだな?」

 

「あぁ、の……」

 

「ちょっと待って星姉様!そいつ何かおかしい!」

 

ここで、今まで黙って俺と趙雲の話を聞いていた馬岱が趙雲を止める為に口を挟む。

 

……なかなか、勘が良いな。

 

一刀は馬岱の評価を上方に修正する。……だが、もう遅い。

 

「いいだろう。保証が欲しいならくれてやる」

 

そう言って、一刀は全軍に向かって言葉を放つ。……それはこの大陸の人間にとっての必殺の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

『私が趙子龍に負けた時、荊州は趙子龍に明け渡す事をこの高長恭の真名に誓おう!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「た、隊長!」

 

「!!……お兄さん!」

 

「なっ!なんだと!」

 

全軍が一刀の言葉に驚愕していた。真名に誓うという行為はこの大陸の人間にとっては命に等しい、ある意味では命以上の行為。

 

一刀はそれを言ってしまった。破る事は許されない。いや、破る事など考えようともしない。

 

「どうだ?これではお前が望む保証にはならないか?」

 

「……」

 

趙雲は何も言えなかった。一刀がこの大陸で最大の保証を出したからだ。

 

「どうやら、満足して貰えた様だな。これでお前の懸念は解消されたはずだ。俺の申し出を受けて貰えるかな?」

 

一刀は答えがわかっていながら、あえて、趙雲に聞き返す。

 

断るなんて出来るはずがない。この賭けは趙雲にとって有利な賭け。自分一人の身で一州が手に入るというローリスクハイリターンな賭けなのだ。

 

さらに一刀は真名に誓うという事で約束を反古にしないという覚悟も全軍に知らしめた。

 

これだけ有利な状況が揃っているのに、賭けを断れば、趙雲が今まで築き上げてきた武名、矜持が全て地に墜ちる。それは誇り高い武人であろう趙雲には耐え難い屈辱に違いない。

 

言うなれば、これは実質、選択肢のない二者択一(オルタネイティブ)。受け入れるしかないのだ。

 

全てが一刀の思惑通りだった。

 

何故なら一刀にはリスクのない賭けなのだから。一刀は自分が勝つとわかっているし、万が一、負けたとしても真名に誓うなんて行為、この大陸の人間ではない一刀にとって何の意味もない。反古にしてしまえば良い。

 

それによって一刀自身の名が地に墜ちても一刀は気にもしない。一刀が求めるのは武名や矜持ではなく結果。最終的に勝てば良いのだ。

 

歴史は勝者が紡ぐ金糸。最終的に勝って、良い政治を敷けば、誰もが一刀を認める。過程の汚名や悪名などどうでもいいと思っていた。

 

 

 

「わかった。その話を受け入れよう」

 

「星姉様!」

 

「言うな蒲公英!この話を受け入れざる得ない事は武人の端くれならわかるな?」

 

「でも!」

 

「なに、勝てば荊州が手に入る。この趙子龍が負けるとでも?」

 

「そうじゃないけど……」

 

「ならば、私を信じろ」

 

「……」

 

「話は纏まったみたいだな。では趙子龍、お前も賭けの保証を示して貰おうか」

 

一刀の言葉に趙雲が頷き、

 

「私が負けた時は高長恭の軍門に降る事をこの趙子龍の真名において誓おう!」

 

全軍に自らの真名に誓う。

 

一刀はその誓いを聞き届け、

 

「陣形を組む時間は欲しいだろう。会戦は二刻後でいいか?趙子龍」

 

趙雲にそう告げる。

 

「あぁ、それで良い」

 

一刀の言葉に趙雲は意思の込もった瞳で頷き返答した。



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八騎飛び

趙雲が自軍に戻るのを見届けた後、一刀も踵を返す。振り向いた先には何か言いたげな凪と風、二人の姿。顔を隠していて表情は見えないが明らかに怒っていた。

 

「謝るつもりはないぞ。俺はこれが最善と判断した」

 

二人の怒りを拒絶する様な一刀の言葉。三人は暫し、視線を交わしていたが、諦めた様に凪がため息をついた。

 

「……わかりました。隊長のご判断に従いますが、ただ一つだけ言わせて頂きます」

 

「何だ?」

 

「必ず勝って下さい」

 

「……さぁ、それはどうだろうな。戦は生き物だ。どうなるかはわからん。でも一つだけ言える事がある。それは……」

 

 

 

 

 

 

『俺は俺より弱い奴には負けてはやらん』

 

 

 

 

 

 

堂々たる宣言。その言葉は自信と余裕に満ちていた。

 

「安心しました」

 

「……何故だ?」

 

「今の隊長に敵う者が居るとは自分には思えませんので」

 

どこか弾んだ様な凪の声、布の下に隠されたその顔には恐らく微笑みが浮かんでいるに違いない。凪の絶対の信頼を受けて一刀は

 

「……そうか、なら、その期待に応えるとしよう」

 

そう言いながら、凪の頭をぽんぽんと撫でる。

 

「むぅ~、風を無視しないで欲しいのですよー」

 

隣を見ると、むくれた様子の風。一刀はそんな風の頭も撫でてやる。

 

「悪いな風、無視したつもりはないんだ」

 

「これが正室と側室の差なのですねー。仕方ないと言えば仕方ないですが……」

 

「だからそんなに拗ねるな。言いたい事があるなら聞く……」

 

一刀がそこまで言った時、蜀軍から軍気が立ち昇るのがわかった。

 

「……風、話を聞くのは、後になりそうだ。向こうの準備が出来たらしい」

 

一刀は風にそれだけ告げてラキに跨がる。

 

「高長恭様、これを」

 

黒鬼隊の一人が一刀に六角形の槍の長さほど鉄棒を持って来る。

 

これは馬上で戦う事を想定して、一刀が作らせた物だ。

 

祖父から貰った愛用の刀はあるが、馬上で使うには短すぎる。初めは槍を使う事も考えたが、鉄棒でも今の一刀ならば普通に殴れば、刃など無くても人は死ぬ。

 

そして何より、戦の最中で折れる事がない。それが鉄棒を使う事を決めた一番の理由だった。

 

「お兄さん」

 

鉄棒を持った一刀に風が話しかけて来る。

 

「どうした?」

 

「星ちゃんは強いですよ」

 

「そんな事はわかってるさ」

 

「なら、どうしてそんなにも自信があるのですか?」

 

「風、趙雲は春蘭や霞より強いのか?」

 

「それは……風は武人ではないので、どちらかがとは言えませんが、甲乙付け難いのではないかと……」

 

「俺もそう思う。そして俺は春蘭と霞を同時に相手にしても勝ち切れる。それが答えだ」

 

それだけを言い残して、一刀はラキの歩を進ませた。

 

前方の蜀軍、組んでいる陣形は魚鱗。ただ、普通の魚鱗と違うのは、本来ならば後方に居るはずの大将の趙雲が最前列に居る事だろう。そして中軍に馬岱。

 

どこまでも攻めに特化した陣形。

 

その陣形を見て、一刀は黒鬼隊の中でも武に優れた兵を四人呼び寄せた。

 

捨奸(すてがまり)だ」

 

一刀は一言、四人にそう言い渡す。

 

―――捨奸。それは一刀の先祖である島津家が愛用した戦術。

 

その内容は撤退する味方を逃がす為に数人の兵が敵に突撃し、命尽きるまで戦い、時を稼ぐという決死の戦術。

 

一刀はそれを通常の野戦で使う事を決めた。

 

四人は一刀の言葉の意味がわかったのか、一度大きく頷き、

 

「「「「御意!」」」」

 

粛々とその命令を受け入れた。

 

「お前達の家族の事は心配しなくていい。俺が面倒見る」

 

それだけがこれから散る四人に向けての一刀の(はなむけ)だった。

 

一刀は四人から目を逸らし、前進を始めた蜀軍を見据える。

 

「さぁ、始めるか」

 

ラキの腹を軽く蹴り駆ける。後ろには一糸乱れぬ黒鬼隊。

 

一刀が駆け出すのを確認した趙雲も前進の速度を上げていた。

 

お互いの顔が明確に視認出来る距離、両軍がぶつかる直前に一刀は左手を横に上げる。

 

それは軍を分ける合図、黒鬼隊は二列縦隊に別れた。

 

武器を弓に持ち替え、騎射を行い蜀軍を射倒しながらその左右を駆け抜けて行く。

 

「なっ!騎射だと!」

 

驚く趙雲の声。無理もない。匈奴の兵ならともかく、漢の地の軍で騎射を行える軍は極めて少ない。それだけ高い技術が要求されるからだ。

 

「まずは一撃」

 

機先を制した一刀が呟く。

 

黒鬼隊が蜀軍の左右を通過した後、一刀が率いる千騎が凄まじい速さで反転し、蜀軍の背後を急襲。

 

一刀が鉄棒を振るう度、蜀兵が千切れ飛ぶ。ぶつかった蜀軍から圧力は感じなかった。趙雲の指揮が間に合っていない。いや、正確にはその伝達がだ。

 

一刀が今、相手しているのが、趙雲から距離が離れている軍である事が幸いしていた。中に入り込めばこうはいかない。

 

背後から急襲した一刀の千騎は敵の左軍に向かって突き抜けて行く。そして分断された蜀軍をもう一方の千騎が殲滅している。

 

その様子はまるで魚の鱗を剥ぎ取っている様に見えた。

 

「味な真似をしてくれるな」

 

いつの間にか、前軍から一刀が急襲している場所に引き返してきた趙雲が一刀を睨め付けながらそう吐き捨てる。

 

戻って来た趙雲の指揮の影響からか、蜀軍の圧力が増し、黒鬼隊は徐々に切り込む速度が鈍って来ていた。このままでは数に勝る蜀軍に包囲される。

 

そこまで考えた一刀は切り札を切った。

 

「行け!」

 

一刀の号令と共に飛び出したの四人の鬼。向かう先は趙雲ただ一人。

 

「ほう、この趙子龍の前に出るとは……いいだろう、かかって来るが良い!」

 

見栄を切り、槍を構える趙雲。その顔は自分が負けるとは微塵も考えていない。

 

一刀はそんな趙雲を見て、口元をつり上げ嗤う。

 

 

 

……その余裕の顔を凍り付かせてやる!

 

 

 

四人の鬼と趙雲が刃を交える。三合ほど打ち合った辺りで趙雲の表情が余裕から驚愕に変わる。

 

「なんだ!この兵達は!?何故、ただの兵卒が私の槍を受け止められる!?」

 

一刀は周りの蜀軍を打ち倒しながら、趙雲の言葉に答えてやる。

 

(おご)ったな、趙子龍。確かに俺の兵にお前に敵う者はいない。だが、俺の兵をただの兵卒と一緒にするなよ。……良い事を教えてやる。俺が率いる二千の兵、その一人一人の武は」

 

そこまで言って、一刀は中軍の指揮をしている馬岱を指差し、

 

 

 

 

 

 

 

 

『そこに居る馬岱より上だ』

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!」

 

「そいつらではお前には勝てない。しかしな、受けに徹すればお前とお前の周りに居る兵を相手に時間を稼ぐ事は出来る。そしてお前はそいつらを相手にしながら兵を指揮する事なんか出来はしないだろう。……後は」

 

一刀の視線が馬岱へと向く。

 

「いかん!逃げよ蒲公英!」

 

「星姉様!!」

 

「お前はそこでそいつらを相手にしていろ。俺が馬岱を討ち取るまでな」

 

「くっ!そこをどけ!」

 

趙雲が四人の鬼を突破して一刀に向かおうとするが、文字通り、必死の四人の囲いから脱け出す事が出来ない。

 

そんな趙雲をしり目に一刀は馬岱に向かってラキを駆けさせる。立ち塞がる蜀軍はラキに弾き飛ばされ、それを避けても一刀の鉄棒の餌食になっていく。

 

一刀が逃げる馬岱の背を捉えた時、彼女に付き従う兵は騎馬七騎のみになっていた。

 

それを確認した一刀は鉄棒を投げ捨て、サバイバルナイフを抜き、ラキの鞍に足を掛ける。そして足に気を込めて飛んだ。

 

向かう先は馬岱に付き従う騎馬七騎の内の最後方の一騎。

 

その一騎の背後に飛び着いた一刀は素早く兵の頸動脈を切り、自分の下に居る馬を足場にしてまた飛ぶ。

 

それを七度繰り返す。九郎判官義経の八艘飛び改め、八騎飛び。

 

人間離れした方法で馬岱に追い詰めた一刀は彼女の背後に飛び移り、左手で首を掴み、右手でナイフの刃を首筋に添わせ、全力の殺気を放ちつつ、馬岱の耳元で囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『つ~かま~えた』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒッ!!」

 

短い悲鳴。それと同時に一刀の鼻に尿臭が飛び込んで来る。……馬岱が失禁していた。それを見ないふりをして一刀は馬岱に問い掛けた。

 

「動けば切る。黙って捕らえられるなら、命は助けてやろう。捕らえられる気があるなら大きく一度頷け」

 

数秒の間、どうにもならない事を悟ったのだろう。馬岱は大きく頷いた。

 

「敵将馬岱!召し捕ったり!!」

 

一刀のその声で蜀軍全体に大きな動揺が走った。一刀は馬岱の身柄を追い付いて来た黒鬼隊二名に引き渡して再び戦線に戻る。

 

そこからは一方的だった。大将が抑え込まれ、副将は捕らえられる。指揮する者が居ない軍など、例え数で勝ろうが、烏合の衆でしかない。

 

趙雲が四人を討ち取って囲いを脱け出した頃には、既に蜀軍は敗走を始めていた。




戦争描写難しすぎぃ!


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黒鬼の魂

この戦はもう終わっていた。……完敗だった。

 

それはわかっている。それでも星の心には釈然としない物があった。

 

この戦、自分は何もしていない。いや、何もさせてはもらえなかった。

 

侮る気持ちがなかったとは言えない。星は自分の武に自信があった。それは今も変わっていない。

 

ただ、誤算だったのは、巨大な黒馬の上で悠然と自分を見下ろす鬼の仮面を被ったこの男……高長恭の力量を見誤った事だ。

 

為政者として有能な事はわかっていた。蜀の地に来る商人は誰もがこの男の政を誉めていた。この男の政は星の頭では思い付く事すら、いや、星だけではなく、蜀の政を主導している諸葛亮や鳳統でも理解出来ない事が多々あるもので、さらに肝心な所は巧妙に隠されていて真似しようにも出来ない物だった。

 

為政者としては自分の主君、劉備より上である事は認めざるを得ない。自分達が数年で築いた物を数ヶ月で抜きさったのだ。

 

けれど、為政者としての才と軍人としての才は比例しない。この大陸には覇王曹操という例外はいるが、彼女の様に文武両方に優れた人物などめったに居る物ではなかった。

 

何より星は高長恭という名を最近まで聞いた事がない。もし、優れた軍人であるなら、先の戦乱で名を上げているはずとも思っていた。

 

そう思って侮った結果が今の現状。自分が率いる二万の軍勢は僅か二千の軍に蹴散らされ、副将である蒲公英は捕らえられて、自分はこの男に槍を突き付ける事すら出来ないまま、味方の敗走を眺めるしか出来なかった。

 

戦は、軍人としての自分は敗北を認めるしかない。それでもこの男に屈する気持ちになれないのは、武人としての自分はこの男に負けてはいない。その気持ちは星の最後の心の拠り所でもあった。

 

「この戦、俺の勝ちという事でいいな?」

 

黒馬の上から高長恭が星に問い掛ける。

 

「……あぁ、そうだな。この戦、お主の勝ちだ」

 

「そう言う割には納得してない表情だな」

 

「当たり前であろう!あんな兵を捨て石にする様なやり方など!……それもあれほどの者達を」

 

星は自分と戦い散った四人に敬意を持っていた。武の腕だけではない。あの四人は死ぬ覚悟、いや、死ぬと決めて自分と戦っていた。並の人間に出来る事ではない。

 

「四人」

 

「なに?」

 

「周りを見てみろ。あの四人以外にどこにも俺の兵の亡骸がないだろう」

 

高長恭にそう言われて、星は改めて周りを眺める。おびただしい数の人の亡骸。だが、黒の軍装の兵は自分が討った四人以外どこにも見当たらない。

 

「二千で二万を相手にして戦死は四人。軍人としては最高の勝利だと思うがな。二万で二千を相手にして数千を死なせた誰かとは違ってな」

 

「ぐっ!」

 

それを言われたら、星は何も反論出来ない。無様を晒したのは自分自身なのだ。

 

「それにあの四人の死は無駄ではない。あの者達がお前を抑えなかったら、もっと大勢の死者が出ただろう」

 

「しかし、それではあの四人は!」

 

「趙子龍、お前があの者達の何がわかる!?あの者達は元々流民だった。それもお前達、蜀の地から流れてきたな!」

 

「なっ!」

 

「あの者達の親は蜀の兵で先の戦乱の最後の戦いで戦死したそうだ。その頃のあの者達はまだ幼くまともに働ける年ではなかった」

 

「……」

 

「そんなあの者達に対して蜀という国は救いの手を差し出す事を拒んだ。……おかしな話だよな、あの者達の親は劉備の理想に殉じて死んだのに、肝心の劉備は自分の理想に反してあの者達を見捨てた」

 

「あの頃の蜀は復興の最中で全ての民を救う余裕がなかったのだ!」

 

その時の現状を知っている星は声を大にして高長恭に反論する。だが……

 

「言い訳だな。それは自分達の無能を晒しているだけだとわからんのか」

 

目の前の男は自分の反論をバッサリと切り捨てた。

 

「人の上に立つ以上、自分に着いてくる者達を食わせていく義務がある。例え自分が腐肉を食らい、泥水を啜る事になってもだ。お前は余裕がなかったと言うが、そこまでやって余裕がなかったと言っているんだろうな?」

 

「……それは」

 

「違うよな。飢えに苦しむ者が居る中で、自分達は良い物を食い、良い酒を飲んでいたはずだ。お前は腐肉の味、いや、それすら食えなくて、木の根を噛んで飢えを誤魔化す苦しみを知っているか?俺は知っているぞ。あれがどれだけ苦しく惨めな物なのかもな、そして俺は自分に従う者達を食わせていく為なら、今でもそれを受け入れる覚悟がある」

 

……嘘ではない。星には高長恭の言葉が真実だと何故かわかった。……わかってしまった。

 

「俺から言わせれば、お前の主君にはその覚悟がない。元は(むしろ)売りだったそうだが、本当のどん底を知らない様だ」

 

「……」

 

「まぁ、いい。話を戻すぞ。……親が死んだあの者達に残されたのは、幼いあの者達よりさらに幼い兄弟達だけだった。どれほど苦労した事かお前にはわかるまい。あの者達が流れ流れて交州にたどり着いた時には本人は痩せ細り、兄弟の何人かは飢えで死んでいた。……俺は驚いたよ。何せ、もはや服の体をなしていない襤褸(ぼろ)を纏い、痩せ細ったあの者達が兵に志願してきた時はな」

 

「……」

 

「俺はあの者達に食う物と住む場所を用意してやった。決して豪華な食物ではなかった。普通に生きていたら普通に食べられる物、そんな物をあの者達とその兄弟は俺に何度も頭を下げ、涙を流しながら食べていた」

 

「……」

 

星は何も言えなかった。飢えに苦しむ者は何人も見てきた。しかし、自分達が原因でそうなった者達の話を聞くのは衝撃的だった。

 

「兵となったあの者達は死に物狂いで調練に励んだ。武の経験もない、才能もそれほどあった訳でもない。そんな人間があそこまでの力を身に付けるに至るまでどれだけ自分を虐め抜いたか、才能に恵まれたお前にも多少はわかるだろう?」

 

高長恭の言葉に星は考え込む。自分が武の才に恵まれている事はわかっている。それでもあの四人ほどの腕前に達する為にかなりの修練を積んでいた。

 

「そしてあの者達は俺直属の精鋭部隊、黒鬼隊にまで昇りつめた。……別に普通の兵として生きるだけならあれほどまでに鍛え上げる必要はない。だが、あの者達は妥協はしなかった。何故だかわかるか?」

 

「……」

 

「一つは給金だ。黒鬼隊の者は一般の兵の五倍の給金が受け取れる。その代わりに黒鬼隊は戦場で最も危険な場所に配置される。今回の様に二千で二万の相手をする様にな。……もう一つは戦死手当てだ」

 

戦死手当て、聞いた事ない言葉に星は僅かに首を傾げる。

 

「戦死手当ての事を話す前に、俺の兵達への待遇について教えてやる。俺の軍に所属する兵が戦死した場合、残された家族がこれから先も生きていける様に一時金の支給と仕事の斡旋している。……一人残らずな」

 

「なっ!」

 

星は高長恭の言葉に驚愕する。自分は仮にも一国の将軍。眼前の男が言ってる事がどれだけの物なのかはわかる。蜀で同じ事をすれば間違いなく国庫が破綻するだろう。

 

星の驚愕を知ってか知らずか高長恭の話は続く。

 

「黒鬼隊に与えられる戦死手当てとは先程の待遇に付随する物だ。その内容は戦死した黒鬼隊の家族にはその家族が齢十八になるまで毎月、楽に暮らしていけるだけの金銭が支給される。そして学校、お前達の言う私塾だな。私塾で学問を無料で学ぶ権利が与えられる」

 

「なんだとっ!」

 

「お前の様に武で身を立てられるなら、こんな権利は必要ないだろう。しかし、そんな事が出来るのは、この大陸で一握りに過ぎない。だが学問は違う。才のない者でも努力すれば一定の知は身に付けられる。一定の知がある者とそれがない者、その両者の将来には大きな違いがある事はお前にもわかるはずだ」

 

星は高長恭の言葉に頷かざるを得なかった。学問を学んでいなくとも、字が書けるか書けないかだけでもこの大陸では大きな差があるのだ。

 

「だが、そんな法は敷けば国が破綻するのではないか!?」

 

星は自分が思った疑問をそのまま高長恭にぶつける。しかし、その疑問の対する答えは冷笑と容赦のない言葉だった。

 

「お前は馬鹿か?それを何とかするのが上に立つ者の義務だ。何度も同じ事を言わせるな。俺にはそれに対する腹案など腐るほどある。だからこの法は俺の勢力が存在する限り続く。……あの四人が何故に過酷なまでに己を鍛え、そして躊躇わずに死にに行けたか、それは自分達の家族の今と未来、それを保証する俺への忠誠心故にだ。それはあの四人だけではない。此処に居る俺の直属の部隊は皆が多くの物を背負っている」

 

「……」

 

「これでわかったろう。争いのない世界だとか皆の笑顔の為になど何の明確性もないあやふやで実現不可能な夢想にすがるお前達と自分の大事な物の為に死に物狂いで生きて死んでいくこの者達とでは信念が違う!誇りが違う!覚悟が違う!そして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『魂が違う!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

星は圧倒されていた。凄まじい覇気を放ちながら弁舌を振るう高長恭とその高長恭の後ろで燃える様な灼熱の瞳で前だけを見据える黒鬼隊に……

 

その時、高長恭が黒馬から飛び降りる。そして、

 

「構えろ、趙子龍」

 

星にそう言い放つ。

 

星は一瞬、自分が何を言われているかがわからなかったが答えはすぐにわかった。

 

「お前は戦の負けは認めた。だが、俺に屈した目をしていない。大方、俺と直接、刃を交えた訳ではないから心中では敗北を認めてはいないのだろう」

 

高長恭の言葉は図星だった。戦で負けた事は理解しているが、どこかで敗北したとは思ってなかった。

 

「だからお前に機会をやる。お前の得意な一騎打ちでお前が勝てば、戦での敗北をなかった事にしてやろう」

 

高長恭の言葉を聞いて、星はハッと高長恭の顔を見つめた。そんなに星の視線を受けて高長恭は笑みを浮かべ、

 

「まぁ、無理だろうがな。お前の思い上がり、俺が粉々に打ち砕いてやる」

 

そう言って剣を鞘から抜く。その瞬間、高長恭が放つ覇気がさらに増した。

 

星の額に冷や汗が浮かぶ。

 

……強い。

 

それだけははっきりとわかる。

 

今、自分の前に居るのは、誇り高き黒鬼達の王に相違なかった。



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堕ちた昇り竜

星は愛槍の龍牙を力強く握り締める。目の前に居る男は強い。それはわかった。が、自分は今まで様々な強者と戦い、勝利を積み重ねてきた。

 

そんな自分が敵わないと思ったのはただ一人。飛将軍呂奉先だけだ。

 

高長恭は強いが、呂布……恋ほどではない。ならば自分は勝てる。それが星の見立てだった。

 

だが、気になる事もあった。星は高長恭から僅かに視線を剃らし、一点を見つめる。

 

そこには、高長恭が黒鬼隊と呼ぶ兵に囲まれている蒲公英の姿。

 

蒲公英は地面に座り込み、自分の身体をかき抱いて震えている。

 

その姿は星に意外な物だった。蒲公英はまだ未熟な所があるとは言え、一線級の武人で戦の経験も豊富だ。

 

そんな彼女がまるで何も出来ない無力な少女の様に恐怖で怯えていた。

 

「お主、蒲公英に何をした?」

 

「?……あぁ、馬岱の事か。別に何もしちゃいない。優しく捕らえただけだ。ほら、傷一つないだろ」

 

星の詰問に高長恭はどうでもいい事を答える様に答えを返す。高長恭の態度は星を苛立たせるのに充分な態度だった。

 

「私の妹分を怯えさせた報い、その身で受けてもらうぞ!」

 

「ご託はいい、早くかかって来い」

 

その言葉で星は高長恭に向かって駆け出す。必ず倒す。その意志を持って。

 

「我が槍の冴え、思う存分味わうがいい!」

 

高速の踏み込み、突き出した槍は眼前の男の心臓を穿つが如く疾る。

 

高長恭はそんな星の一撃を事もなげに右手に持つ細い剣で捌く。

 

驚きはしなかった。これぐらいの事はやれると予想もついていた。

 

「ハイ!ハイ!ハイぃぃ!」

 

星は休まず攻め続ける。高速の槍裁き。虚実を織り混ぜながら、高長恭を攻め立てた。

 

傍目から見れば、星が一方的に攻めている様に見える。だが、そうではない事が戦っている二人が良くわかっていた。

 

「何故、攻めて来ない!私を侮っているのか!?」

 

星は自分の槍がまるで届かない事に苛立ちと焦りを感じつつ、高長恭に問う。

 

しかし、高長恭はそれに答える事なく、ただ星の槍を捌き続けた。

 

……二刻(三十分)

 

目まぐるしく動き攻める星とそれを受ける高長恭。その構図はそれだけの時間続いている。

 

いつしか星の全身からは汗が吹き出ていた。それに対し高長恭はその場から一歩も動かず、そして汗一つ浮かべずに口元で笑みを浮かべていた。その様子に

 

……この男は自分の予想より強いのではないか?

 

星の頭にその様な疑問が過った。その時、

 

「もう、わかった」

 

今まで黙っていた高長恭がつまらなさそうに一言呟く。

 

「何がわかったと言うのだ!?」

 

「お前の力量だ。……まぁ、強いんだろうな。槍の速さも大した物と言っていい。だが、それだけだ」

 

「なっ!」

 

「怖さがないんだよ。速いだけで怖さがまるでない。そんな槍じゃ何年経とうが俺を倒す事は不可能だ」

 

高長恭の言葉が星の胸を突く。その言葉はかつて恋に言われた言葉。ほとんどそのままだった。

 

「そろそろ俺からも攻めさせてもらうか。……ちゃんと受けきれよ」

 

その言葉と同時に星に襲い掛かる鋭い斬撃。それをかわし、返し技を返そうとした星の身体に衝撃が走る。

 

「がはっ!」

 

一瞬、自分が何をされたのか、わからなかった。

 

「おいおい、斬撃をかわしたくらいで安心してたら駄目だろ」

 

身体に残る痛みを我慢し、星が視線を高長恭に向けると、その左手には鞘が握られていた。

 

……そうか、私は鞘を打ちこまれたのか。

 

星は唇を噛む事で自分に喝を入れ、再び槍を構える。

 

「流石と言った方がいいか?肋骨の二、三本は折った手応えはあったがな。……じゃあ続けていくぞ」

 

そこからは先ほどまでの構図とは逆だった。高長恭が攻め、星が受ける。いや、正確には受け止めきれてはいなかった。

 

「ぐっ!」

 

高長恭が攻めに出始めてから、まだ半刻しか経っていないのに、既に星の身体には幾多の打撃が打ち込まれている。

 

一つ一つは避けられない攻撃ではない。ならば何故、星の身体に高長恭の攻撃が当たるのか、その理由は……

 

「ほら、また斬撃に意識が行き過ぎてるぞ」

 

高長恭の技の多彩さが星の反応速度の上をいっているからだ。

 

右手の剣の斬撃を避けても左手の鞘の打撃が来る。そしてそれを受けたとしても強烈な蹴撃が的確に星の隙をつく。

 

全力を出していた。自分が全力を出してなお、高長恭には余裕がある。

 

もはや、戦いではない。星は自分が高長恭に稽古をつけられている様な感覚に襲われていた。

 

その現状に星の身体中に憤怒の感情が駆け巡る。このままでは終われない。そう思っても自分の槍は眼前の男には届かない。

 

星の見立ては間違っていない。恋より力強くはなく、恋より攻撃は遅い。それなのに何故、

 

 

 

 

 

 

……何故、恋と戦う時以上の力量の差を感じるのだ!?

 

 

 

 

 

「そろそろ負けを認める気になったか?」

 

嵐の様な連撃を繰り出しながら、高長恭が星に問いかけて来る。

 

「……相手をなぶる様な真似を楽しいか?本気を出して一思いに仕留めたらどうだ?」

 

それは星の精一杯の強がりだった。武人としての意地と言ってもいい。

 

星は自分と高長恭の力量の差を悟っている。ここまで一方的に押されているのだ。星でなくともわかると言う物だろう。それでも本気も出していない相手の遊び半分に負けるというのは星にとって耐え難い苦痛だった。

 

そんな星の言葉に返ってきたのは、高長恭の大きなため息。

 

「……どうやら、まだ思い上がりが抜けない様だ」

 

高長恭の動きが人から獣の様な動きに変わる。俊敏かつしなやかな動き。

 

「そんなに死にたいなら死ね」

 

星の反応速度を遥かに超える速さで星の間合いの内側に踏み込み、剣を星の首筋目掛けて振るう。

 

……あぁ、私は死ぬのだな。

 

刃が首筋に食い込む。星にはそれがはっきりとわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何故、私は生きている?」

 

星は自分の首筋を触る。そこには斬られた後はない。

 

訳がわからなかった。確かに自分は首を跳ねられたはずだ。

 

困惑する星を見て、高長恭が笑っていた。

 

「どうした?趙子龍。自分が死ぬ幻でも見えたか?」

 

「……お主、私に何をした?」

 

「別に大した事はしていない。少し殺気を出しただけだ」

 

「なんだとっ!」

 

それは星にとって信じがたい言葉だった。高長恭の言う事が真実なら自分はただの殺気で死の幻影を見せられた事になる。

 

戦場で恋の敵として立った兵の生き残りがその様な感覚に襲われた事があると聞いた事があるが、それは恋と兵卒の圧倒的な武の差があっての事だ。

 

自分は兵卒ではない。蜀の将軍の一角を担っているという自負もある。

 

そんな自分があ……

 

「あり得ないか?」

 

星の思考を先読みしたかの様な高長恭の言葉。

 

「そうだよな。あり得ないよな。天下に名を轟かせた趙子龍が俺みたいな突然現れた男に力の差を見せつけられて今まで積み上げた全てが崩されていく。それを不条理と嘆くか、理不尽と怒るかはお前の好きにすればいい。だが、俺から言わせれば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人生なんてそんなもんさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「一瞬なんだよ。いくら積み上げようが、崩れる時は砂糖菓子の様に溶けて崩れていく。自分の中で当たり前であった事が当たり前でなくなっていく。人生なんてそれの繰り返しさ。それは俺が一番良く知っている」

 

高長恭の目に暗い光が過る。どうしようもなく暗い光。

 

「最後にもう一度だけ聞いてやる。……俺は本気を出していいのか?」

 

今度は幻は見なかった。代わりに膝が震えるほどの殺気。蒲公英がああなった理由がわかった。これを間近で受けたからだ。

 

星の手から龍牙がこぼれ落ちる。自分の中にあった自信は高長恭が言った様に粉々に打ち砕かれていた。

 

「……私の負けだ」

 

星は絞り出す様にそう告げた。



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心の墓標

敗北の宣言。それは今まで生きて来た自分の人生の中で初めての事だった。

 

心にあるのは悔しさと諦念。星はその二つの感情と戦っていた。

 

自分は負けたのだ。それもこれ以上にないくらい完璧な敗北。そしてそれは今まで共に戦った仲間達との決別を意味していた。

 

もう、どうにもならない現実に戸惑う星に高長恭が近付いてくる。

 

……そしてそのまま星の隣を通り過ぎた。

 

見向きもされない。この男にとって自分は大した存在ではないのだろう。その事実に星は自嘲気味に己を嗤う。

 

星は自分の隣を通り過ぎた高長恭の背に視線を向ける。高長恭の向かった先は地に倒れ伏す黒の軍装を纏った兵の所。……自分が討ち取った兵の所だった。

 

高長恭はその中の一人をそっと抱き上げる。そこに先ほどまでの全てを圧倒する様な覇気に満ちた姿はなく、あったのは力の限り、戦い抜いて死んでいった部下に対する労りと慈しみに溢れた姿。

 

そんな主君の姿を見て、黒鬼隊から三名の兵が歩み出て、残った三人の亡骸を抱き上げた。

 

黒鬼隊が二つに割れる。その間を高長恭と三名の兵は胸を張り、しっかりと地を踏みしめて歩んでいく。

 

その様子はまるで一枚の絵の様だった。

 

歩んだ先にあったの大量の木々が積まれた小さな櫓。恐らく亡骸を火葬するのだろう。

 

櫓の上に四人の亡骸が並べられる。そして高長恭が口を開いた。

 

「勲功第一!唐盛!李彰!陳塊!楊籍!」

 

高長恭が四つの名を呼ぶ。星はそれが死んだ四人の名だと言う事はわかった。

 

 

「此度の働き、実に見事。……そう、見事のはずなんだがな……」

 

そこまで言って、高長恭の言葉が暫し止まる。

 

「見事過ぎて、俺はお前達にどう報いればいいのかわからんよ。お前達の家族に報いてやる事は出来る。けれどお前達自身には俺はほとんど何もしてやれない」

 

高長恭が語る言葉には哀愁がこもっていた。星が高長恭の顔を見ると、鬼の面から雫がこぼれ落ちている。

 

「そんな俺でもお前達にしてやれる事が一つだけある。それは……忘れない事だ。俺はお前達を忘れない。他の誰もが時と共にお前達の事を忘れても、俺は決して忘れはしない。そしていつか、俺もお前達と同じ所へ逝く。だからさらばとは言わん。……また会おう」

 

高長恭が木々に火をかけた。四人の亡骸は葬送の火に包まれる。その様子を見つめながら、高長恭は自分の背後に控える黒鬼隊に語りかけていた。

 

「黒鬼隊に形ある墓標などない。四人の身体は灰になり、風に乗って飛んでいき、落ちた場所の土に還るだろう。そこは誰も通らない荒野かもしれない。誰も行けない長江の底かもしれない。けど、それでいい。あの者達の墓標は俺の、いや……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺達の心の中にある』

 

 

 

 

 

 

 

 

「それを忘れるな」

 

「「「御意!!」」」

 

膝を付き、拱手する黒鬼隊。その目からは止めどなく涙がこぼれ落ちる。

 

男達の挽歌。いや、歌などという雅な物ではないのに、星にはその様にしか見えない。

 

この気持ちはなんなのだ!?つい先ほどまで戦っていた敵なのに、自分が討った者達の事のはずなのに、何故、自分の心はこれほどまでに熱くなっている!?何故、

 

 

 

 

……瞳からこぼれる雫が止まらないのだ!?

 

 

 

 

星は服の袖で無理矢理、涙を拭い、周りを見渡すと黒鬼隊の背後に居た高長恭の兵、そして僅かに残った自分の兵も黒鬼隊への憧憬(どうけい)の念を目に宿しながら涙を流していた。

 

その様子を見て、星は自分が恥ずかしくなった。自分はあの男に、あの軍に勝つつもりでいたのだから。

 

「私は井の中の蛙だったのだな」

 

数刻前の自分なら認められないその事実も今はすんなりと認める事が出来た。

 

四人の弔いが終わり、高長恭が星に近付いて来る。

 

「待たせたな、趙子龍」

 

「高長恭殿、私は……」

 

「そこから先は言わなくていい」

 

臣従の言葉を口にしようとした星を高長恭が止める。

 

「何故ですかな?」

 

「今のままでは役に立たないからだ。お前は賭けの勝敗に従って俺に仕えようとしているが、そんな人形の様な状態では役に立たん。俺が欲しいのは人形ではなく人だ。それにかつて仲間に槍を向ける覚悟が出来ていないだろう?」

 

「……それは」

 

「だから一月でいい。客将としてお前自身の目で俺を見極めろ。それでお前が俺に対して仕える価値があると思ったならば仕えてくれ」

 

「そうでなかった場合は?」

 

星の言葉に高長恭は微かに笑い、

 

「その時は蜀に帰ればいいさ」

 

何事もない様に言い放った。

 

「……高長恭殿は私に価値はないと?」

 

「そう思ってるなら、こんなまどろっこしい事はしない。お前は覚えていないだろうが、俺はお前に対して借りがある。蜀への帰還を許すのはその借りを返す為だ」

 

「借り…ですか?」

 

「あぁ、かなり大きな借りだ。お前がその借りの内容を知るのは俺に仕えた時だけだがな」

 

「……」

 

星は暫し、その借りについて思考を巡らせるが、覚えはない。というより、こんな男と過去に出会っているなら忘れるはずがなかった。

 

「じゃあ、今から江陵に引きあげるが、お前の兵はどうする?蜀に帰りたいならば止めはしないし、捕虜とするなら飯くらいは出してやるが?」

 

「蜀へ送り返しましょう」

 

「わかった。俺は撤退準備に入るから、お前はその事を兵達に伝えて来い」

 

高長恭の言葉に一度、大きく頷き、星は兵達の所へ向かう。

 

そんな星を迎えたのは、不安そうな表情を浮かべる自分の部下の姿。その中の一人がおずおずと星に自分達の処遇を尋ねてきた。

 

「趙雲将軍、私達はどうなるのでしょうか?」

 

「心配しなくとも良い。高長恭殿はお前達の帰還を認めて下された」

 

星の発言で兵達から歓声が上がるが、それは長くは続かなかった。

 

「ですが、趙雲将軍と馬岱将軍は?」

 

「我らは流石に戻る事は出来まいな」

 

「そうですか……」

 

「お主達は今回の戦いの事をありのまま桃香様達に伝えてくれれば良い。では達者でな」

 

それだけを言い残し、星は踵を返す。向かう先はあの男の所。自分の今の状況は決して良い状況ではない。それでも今まで出会った事のない様なあの男、高長恭を見極めるという事に、どこかで胸の高鳴りを感じていた。




星視点は次で終わります。




私事ですが、最近、なろうでオリジナルの投稿を始めました。その中で思ったのは、オリジナル難しすぎぃ!良く皆さん書けるなと感心しました(笑)


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馬鹿な王

星の見た江陵はまるで別世界だった。

 

成都はおろか、洛陽より栄えている様に見えた。活気に満ち溢れ、店の前では呼び込みの声が絶え間なく響く。騒がしいが治安が悪い訳ではない。多くの警備の兵が巡回しているからだ。

 

星が何気なしに何軒かの店に目を向けると、見た事もない様な物が売られている。

 

「高長恭殿、あの店は?」

 

「あれは越南(ベトナム)の店だ。斜め向かいの店は身毒(インド)の店、その隣は五胡の羌族の店だな」

 

「五胡!!何故、五胡の店がこの地に!?」

 

「何故って交易をしてるからに決まっている。……あぁ、そう言えば蜀は羌族と争っているのだったな」

 

その言葉に星は頷く。星からすれば五湖、それも領地が接している羌族は不倶戴天の敵。そんな者達が漢の地で商売をしている事が信じられなかった。

 

「そういう所も俺が劉備を嫌いな理由だ。お前の主は平和を望んでいる様だが、そこに五胡は入らないのか?入らないなら何故入らない?漢の民ではないからか?漢の地に住まない者は皆、蛮族とでも言うつもりか?俺から言わせてもらえばお前は何様のつもりだ?と言いたくなる。漢の地に生まれただけでそんなに偉いのか?」

 

「……奴らは過去に何度も漢の地を侵しているではないか!」

 

「そうだな、それについては間違ってはいない。だが、逆に聞くが漢の人間は五胡の地を侵した事ないのか?」

 

「……それは」

 

「例えば、漢の高祖の時代、匈奴の冒頓単于によって、漢の地は略奪の限りを尽くされたが、武帝時代には衛青、霍去病の力で多くの匈奴の地を奪っている。俺はその事についてどちらも悪いとは思わないし、戦を否定するつもりもない。……俺が言いたいのは自分達がやった事を棚に上げて、一方だけを悪く言うなと言う事だ」

 

「……」

 

「お前らは五胡、五胡と言うが一体どれだけ五胡の事を知っているんだ?お前らは五胡を一くくりにするが、部族によって様々だ。どういう生活をしているのか?どういう教えで育っているのか?部族を仕切る人物がどういう人物なのか?その者の名前は?知っている事があるなら答えてみろ」

 

「……」

 

「知らないだろうな、最初から蛮族と見下して調べもしていないだろう」

 

星は黙り込む。高長恭の言葉の通りだからだ。

 

「五胡と言っても、人の集まり。同じ部族でもそれぞれ考える事は違う。漢の地に対して略奪を目論む者も居れば、戦いを望まない者も居る。お前は蜀の者達をその辺の野盗と一緒くたにされたらどう思う?」

 

「それは腹が立ちますな」

 

「お前らはそれを五胡の人間にやっているんだよ。俺も羌族の全てと交易している訳じゃない。あくまで戦いを望まない一部の部族とだけ何度も書状を送り、話し合いをして交易している。それでその部族と戦う可能性は低くなり、自分の民の犠牲が減り、交易によって得た利益で民が少しでも良い生活が出来るようになる」

 

「……」

 

「お前の主はその努力をしたのか?」

 

「……してはおりませぬ」

 

「だろうな、しているなら蜀の民はもっと良い生活しているはずだ。俺が劉備に対して一番嫌悪する点はそこだ。何故、最善を尽くさない!?何故、努力する事を放棄する!?一国の王、多くの民の命を背負う王ではないのか!?口では甘い理想を語るのに全然行動に移せていない!いっその事、劉備が自分の身内以外どうでもいいというエゴイスト、利己主義者なら俺も劉備を認めた。…………まぁ、そんな劉備に着いて行く者などいないだろうがな」

 

そこまで言い切ると高長恭は大きく息を吐いた。

 

「……理想を語って民を惹き付けるなら、その言動に対して責任を持て。言葉だけではなく行動で示せ。その為の不断の努力をしろ。……そういう事だ」

 

「……」

 

反論は出来なかった。星自身、思いあたる事があったからだ。

 

確かに劉備……桃香は民から慕われている。けれどそれは大人からすれば娘を、子供からすれば姉を見る様な慕われ方だ。

 

だが、この高長恭は違う。町を歩いていてわかるのは、民の全てが尊敬の視線で高長恭を見ている。自分達の王は高長恭以外に居ない。そんな事すら感じられる強烈な視線。

 

「俺は言葉だけじゃない事を見せてやる。だからお前も俺だけを見ていろ」

 

自分の目を見据え、堂々と言い放つ高長恭に星の胸は熱くなる。それは星にとって初めての感覚だった。

 

星がその感覚に戸惑いを感じていると、覆面を被った二人、大きくため息をついている。

 

「高長恭殿、その者達はどなたかな?」

 

「あぁ、この二人の事は気にしなくていい。お前が俺に仕える事を決めた時に紹介してやる」

 

「……」

 

「お前はこの一月で俺を見極める事だけに集中してろ」

 

「一つ、聞いても宜しいか?」

 

「なんだ?」

 

「蒲公英は如何なさるおつもりで?」

 

「別に殺す気はないぞ。恐らく蜀から使者が来るだろうから、条件次第で蜀へ帰しても良い」

 

「その条件とは?」

 

「それもお前が俺に仕えてからの話だ。後、面会はさせられないぞ。他の者達に示しがつかないからな」

 

「……さようか」

 

その日はそれ以上、二人が言葉を交わす事はなかった。

 

 

 

 

 

次の日から星の江陵での生活が始まった。

 

星が最も興味があったのは、黒鬼隊の調練。あれほどの部隊がどの様に作られるのか武人として知りたかった。

 

正直に言えば、星自身、黒鬼隊の調練に参加したいとすら思って、実際に高長恭に言ったが断られた。

 

「お前では死ぬ」

 

その一言で……

 

星は内心、憤慨していた。確かに黒鬼隊は素晴らしい猛者だが、それでも自分の方が強い。そこまで言われるのは心外だと思っていた。

 

だが、そんな怒りは黒鬼隊の調練を見た瞬間に吹っ飛んだ。

 

あまりに厳しく苛酷で命懸けの調練。自分では死ぬと言った高長恭の言葉の意味も良くわかった。

 

基本的に黒鬼隊は武の才がない者が多い。だからその非才を覆す為に苛酷な調練を行う。

 

星は黒鬼隊の調練ほど自分を追い込んだ事がない。その様な事しなくとも強くなれたからだ。

 

黒鬼隊にあって星にない物もわかった。

 

……それは執念。

 

現在の黒鬼隊はほとんど流民であった人間。一度、どん底を味わった為か、這い上がろうとする執念が半端ではない。その為なら一瞬、一瞬の刹那に平然と命を懸ける。

 

星は彼らの様な苦労をした事がない。それなりの家に生まれ、才に恵まれ、将軍として天下に名を馳せた。

 

自分とは対極の人生を歩む黒鬼隊の事を星は理解出来ない。理解出来ない事を理解した時点で自分では黒鬼隊の調練に耐えられない事を悟った。

 

戦えば自分が勝つ。しかしそれは自分が才に恵まれているからだ。けれど基礎体力や身体能力を比べれば、自分は二千の兵の誰にも勝てないだろう。その部分は才ではなく、日々の積み重ねが物を言う。

 

自分の鍛練より遥か厳しい調練をこなす黒鬼隊に勝てる道理がないし、その黒鬼隊が命懸けで取り組む調練に耐えられるはずもなかった。

 

高長恭に今の黒鬼隊になるまでの事も聞いた。元々は流民だけではなく、普通の民も居た様だが、調練に耐えられたのが流民であった者達だけ。

 

その過程で大勢の兵を死なせたと聞いた時は流石に星も憤りを覚えた。だが、そうした調練を行った理由を聞けば納得せざるを得なかった。

 

結果的に死者が少なくなっている。黒鬼隊の戦死者は今までで自分が討った四人だけ、普通の調練をこなしただけの兵ならその数百倍は死んでいてもおかしくない。

 

何より、鬼気迫る調練をこなす黒鬼隊の倍の調練をこなす高長恭を見れば、自然と口がつぐむ。

 

高長恭は誰よりも自分自身に厳しく、常に苛酷な場所に身を置いている。

 

それは調練だけではない。政務の時も誰よりも仕事をこなし、普段の生活も兵と変わらない物を食べ、行軍中も兵と同じ場所で休む。

 

兵や民に対して言葉で語る事はそれほど多くはない。言葉よりも常に自身の行動で道を示す。星が知っている人物の中で誰に似ているかと言えば、曹操だと思う。曹操より苛烈で甘えが微塵もないが……

 

 

 

 

星が江陵に来てから二十日が過ぎた頃、自分が観察するべき男は土にまみれていた。

 

星が今、居る場所は治水の為の建設現場、高長恭は民に混じって土嚢を運んでいた。

 

……この御仁は本当に人か!?

 

星は高長恭がまともに休む所を見た事がない。いつ見ても働いているのだ。しかもそれは今に始まった事ではなく、以前からこの様子らしい。

 

流石に休むべきではないかと言った時も

 

「俺の身体は特別でな。この程度ではまいってくれないんだよ」

 

その一言で流された。

 

今の労役も顔色一つ変えずにこなしている。

 

「やはり、あの御仁は人ではないな」

 

思わず呟いてしまうほどに高長恭の体力は人間離れしていた。

 

星は高長恭から視線を外し、民を眺める。苦役と言っていい労役なのに民は生き生きと働いている。そこに不満気な表情は一切ない。

 

働けば働くほど報奨が出る。それが民をやる気にさせているのだろう。それ以上に自分達が尊敬する王、雲上人とも言える高長恭が自分達と共に汗と土で汚れながら働いているのだ。不満など出るはずがなかった。

 

星はこの二十日、高長恭を見てきた。そして出た結論は

 

 

……文句の付け所がない。

 

 

その一言だった。

 

為政者としても軍人としても自分の主君、桃香どころか間違いなく曹操すらも超えている。

 

だからと言って、才に溺れる事はなく、誰よりも自分自身を律し、上から命令するだけではなく、自身も兵や民と同じ場所に立って苦労を分かち合う。

 

これに文句を付けるなら、古今東西全ての王や皇帝に文句を付けないといけなくなる。それほどの人物だと思っていた。

 

自分に主君が居ないなら迷わず仕えているだろう。それが出来ないのは桃香達に槍を向ける覚悟が出来ないからだ。

 

後、十日で約束の一月が来る。蜀に帰るという選択肢は既にない。

 

高長恭の器量に不足はないのに、蜀に帰れば、自分の真名に誓ったあの戦の意味がなくなるし、そもそも自分の誇りがそんな事を許さない。一月という時をくれた高長恭の想いも汚す事になる。

 

答えは出ていた。それでもその先に踏み込む勇気がない。

 

迷いを抱えたまま、星は再び高長恭の方に視線を向けると彼は十数人の民達と親しげに会話をしていた。その時、ある事に気付く。

 

星は会話を終えて、自分の所にやって来た高長恭にその事について尋ねてみた。

 

「高長恭殿はさっきの者達と親しいのですかな?」

 

「何故、そんな事を聞く?」

 

「いえ、全員の名前を覚えておいででしたので」

 

「あぁ、そういう事か。別に親しい訳ではない。俺は自分の配下の兵、十五万三千二百五十二人の名前は全て覚えているし、自分の領地の民の名前も六割ぐらいは覚えている」

 

「はっ!?」

 

星は一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 

「民の名前も全て覚えてやりたいんだが、何しろ毎日増えるからな。中々追い付かない」

 

高長恭は土で汚れた鼻先を掻きながら、少し悔しそうに口から溢す。

 

「こ、高長恭殿は兵と民合わせて数十万人の人の名前を覚えておいでか!?」

 

「そういう事になるな」

 

「何故、その様な事を!?」

 

高長恭は星の疑問に答えず、ゆっくりと働いている民を指さす。

 

「趙子龍、俺が指さす方向に何が見える?」

 

「働く民の姿が見えますな」

 

「それは間違ってはいないが正しくもない」

 

「……どういう事ですかな?」

 

「確かに大きなくくりでは民である事に違いはない。しかしな、俺達と同じ様にあそこに居る民の一人一人に名があり、これまで生きてきた人生がある。俺やお前は恐らく歴史に名を残す事になるだろう。だが、あの者達のほとんど全てが歴史に名を残す事なく、一介の民として死んでいく。そして時が経てば誰からも忘れられる。それは仕方のない事なのかも知れない。けどな、あの者達は今を、この時を全力で生きている。だからあの者達を民と数字で数えるのではなく、一人の個人として覚えておく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そんな馬鹿な王が一人くらい居てもいいとは思わないか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

穏やかな声で高長恭は星に問う。

 

星が高長恭から感じたのは、これまでの圧倒的な威圧感ではなく、包み込む様な暖かさだった。

 

 

 

……この御仁の為なら兵や民は自分の命を惜しまんだろうな。

 

 

 

星はこの時、初めて高長恭を尊敬する兵や民の気持ちを心から理解した。

 

根本的に三国の王とは器量が違い過ぎる。自分の敬愛する主君の桃香がこの男と比べるとどうしようもないくらいに見劣りしてしまうのだ。

 

……これはもう覚悟を決めるしかないな。

 

星は高長恭を真っ直ぐに見つめ、その場に膝を付き、拱手をする。

 

「高長恭殿、これからは私の事を真名の星とお呼び下され。私も高長恭殿の事を主と呼ばせて頂きましょう」

 

それは星が覚悟……かつての仲間と戦う事を決めた瞬間だった。



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先の展望……そして

臣従の誓い。一刀は自分の眼前で膝を付く星を真っ直ぐに見据え、今一度問いただす。

 

「それでいいんだな?」

 

「主は武人の誓いを疑われるのですかな?」

 

「そうではないが、お前の誓いの先にある物の覚悟が出来ているのかと聞いている」

 

「ふむ、確かに桃香様達からすれば、私は裏切り者になるのでしょうな。だが、それは仕方ありますまい。私は甘んじてその汚名を受け入れましょう」

 

「そうか……」

 

「それに愛紗や鈴々を相手取って戦う事もまた一興」

 

そう言った時に浮かべた星の笑みに迷いなどどこにもなかった。

 

「……ならば、俺が言う事はもうないな」

 

一刀が仮面を外す。

 

「俺の真名は一刀だ。星、お前に預けよう」

 

一刀の素顔を見た星は暫し、怪訝な顔をしていたが、何かを思い出した様に声を上げた。

 

「……!!風の真名を呼んだ無礼な貴族!!」

 

何と言う覚えられ方だ。と一刀は一瞬、顔をしかめそうになるが、星からすればその印象が強いのは仕方ない。

 

「あの時は世話になったな」

 

「主が言っていた借りというのは……」

 

「あの時に賊から命を助けてもらった借りだ」

 

「そうですか……それにしてもあの無礼な貴族が……失礼、あの青年がこうも変わるとは。主は先の戦乱の時はどちらに?」

 

「魏だ。曹操の臣をしていた」

 

「魏ですか?しかし、私は主の姿を見た事は……」

 

「ないだろうな。先の戦乱の時の俺は表に出る事はほとんどなかったし、今みたいな武も持っていなかった。精々、並の一兵卒と言った所だろう。一応、夏候姉妹の次に古参で曹操の側近ではあったがな」

 

「夏候姉妹の次の古参の臣……まさか!」

 

「星、答え合わせは後だ。お前に会わせなければならない者達が居る。……ついて来い」

 

一刀はそれだけを告げて、江陵に歩みを進める。

 

 

「主、一つ聞いても宜しいか?」

 

江陵へ向かう道中、星が一刀に問いかける。

 

「どうした?」

 

「何があれば、六年と少しの期間でそれほどの武を身に付ける事が出来るのですかな?」

 

星の問いに一刀は遠くを見つめて微かに笑う。

 

「……大事なモノを失えば、いや、違うな」

 

 

 

 

 

 

『失ってからそれがどれ程大事なモノだったかと気付ければ……だな』

 

 

 

 

 

一刀はそう言って、後ろに振り返り、星の目を見つめ、口を開く。

 

「星、俺を目標にはするな。此処に居るのは色々なモノを失い続けた男に過ぎない。そんな男、目標にする価値などないさ。お前はお前だ。お前のまま上を目指せ」

 

 

「……金言ありがたく受け取りましょう」

 

星はそれ以上、何も言わなかった。そのまま無言のまま二人は江陵に到着する。

 

 

「お帰りなさいませ、高長恭様!!」

 

一刀はそれに片手を上げる事で応え、さらに前に進むと、そこには覆面を被った一人の人間。

 

「お兄さん、もういいですかねー?」

 

「あぁ、もういい」

 

一刀の許可を得て、その人間はゆっくりと覆面を外していく。そしてそこから現れた顔を見て、星が驚きの声を上げた。

 

「風!!」

 

「星ちゃん、久しぶりですねー」

 

「……そうか、風が此処に居るという事はやはり主は……」

 

「あぁ、俺は先の戦乱の時、天の御遣いと呼ばれていた。二度と名乗る気はないがな」

 

「さようですか、聞きたい事は色々とありますが……」

 

「わかっている。それも含めて説明してやるからついて来い。まだ会わせなければならない人間もいるしな」

 

一刀は他の仲間を紹介するついでに自分が何故挙兵したのか、自分が何を目指すのか、など必要な事を星に説明していく。

 

仲間との顔合わせはそれほど大きな問題は起きなかった。ただ一つ、祭を見た時の星の顔は見物だったと言っておこう。

 

 

 

 

玉座の間、そこには今、交州に居る陸と荊南に居る叡理以外の仲間が集まっている。

 

叡理はもうすぐ荊南を纏め終えるから呼べるが、陸は蜀の事を考えれば交州からまだ動かせない。

 

……陸には貧乏くじを引かせているな。

 

一刀は内心で陸に詫びつつ、集まった仲間達を見渡す。

 

「さて、本人の居る前で言うのも何だが、蜀の先鋒は壊滅させた。これを踏まえてこれから我らがどうすべきか意見を出してくれ」

 

「隊長、自分は荊州全土を取るべきかと思います」

 

最初に発言したのは凪でその意見は一理ある意見だった。蜀の動きにもよるが、一刀としても荊州は全て手中に入れておきたい。ただ問題もある。

 

「文官不足をどうするかですねー。でも大丈夫じゃないでしょうか。叡理ちゃんが荊南を纏め終えるので、荊南には適当な文官を送り、叡理ちゃんには江陵を任せましょう」

 

叡理をデスマーチの後にデスマーチに送る風の鬼畜な発言。一刀は内心ドン引きしていた。

 

 

「いや、風、流石に叡理が過労死するぞ」

 

「ですが、その方法しかないですよー。風が残る訳にはいきませんし」

 

確かに軍師を兼ねている風を残す訳にはいかなかった。

 

「では蜀を攻めるのはどうだ?」

 

そう言ったのは晶。晶の言葉もまた一理ある。蜀を落としてしまえばその後、荊北を攻める時、後背を突かれる心配がなくなる。何より陸を自由に動かせる様になるのは大きい。

 

暫し、考え込む一刀に次は祭が声を上げた。

 

「一刀よ、お主はどうしたいのじゃ?儂はその二つの内のどちらかしかないと思うが……」

 

祭の言う様にどちらかしかないと一刀は思っている。半刻ほど考えた後、決断した。

 

「荊北を抑えよう。抑えるだけなら蜀を攻めるより遥かに短い時間で済む。人材についてはあの辺りには水鏡女学院がある。水鏡先生には俺から頭を下げ、良い人材を紹介してもらう」

 

自分でも言うのもあれだがガバガバな案である。良い人材が居るならほとんどが諸葛亮と鳳統が居る蜀に行くだろう。だが、実際にそれぐらいしか案がないのだ。

 

「人が居ないというのは辛いですねー」

 

文官不足の深刻さを知っている風がポツリと洩らす。

 

一刀も戦々恐々としていた。何故なら荊北を取れば、自分のデスマーチがまた始まる。

 

玉座の間に沈黙が漂う。文官ほどではないが、武官もまた忙しくなるからだ。その空気を断ち切る様に一刀は声を張り上げる。

 

「では荊北攻めの人員を発表する。大将は祭、副将に晶と星、軍師に風だ。出陣は二週間後、基本的には風の立てた策通りに事を進めてくれ」

 

「おお!腕が鳴るわい!」

 

「我が武を持って一刀様に勝利を捧げましょう」

 

「新参の私にいきなり手柄を立てる機会を頂けるとは、主の期待に応えねばなりませぬな」

 

戦闘狂達が喜ぶ姿を見て、一刀は誰にも見られない様にため息をつく。

 

……まぁ、喜んでいるならいいか。

 

一刀はそんな三人を尻目に風に話し掛ける。

 

「風、東と西、どっちが先に来ると思う?」

 

「……その問いなら東の方でしょうねー。西の方はまだ情報を集める時間がありますが、東の方は今、お兄さんに陸路から背後を攻められる訳にはいきませんから」

 

「だろうな」

 

「申し上げます!!只今、呉より使者が参りました!!」

 

玉座の間に響く衛兵の声。

 

「噂をすれば何とやらか。とりあえず祭と風だけ残して他は下がれ。祭と風は顔を隠しておけよ」

 

祭を残したのは、ひょっとしたら記憶を取り戻すきっかけになるかも知れないと考えての事である。もし、記憶が戻り、呉へ帰ろうとするならその時はその時だった。

 

 

 

 

一刻後、玉座の間に現れた呉の使者の姿を見て、一刀は思わず眉を潜めた。

 

 

 

 

 

 

……おいおい、お前が来るのかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方が高長恭ね。多分知っているだろうと思うけど、一応名乗らせてもらうわ」

 

そこに現れたのは……

 

 

 

 

 

 

「私は孫伯符よ」

 

先の呉王、孫策その人だった。



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同盟崩壊

――この男は危険過ぎる。

 

一目見た瞬間に長年頼ってきた直感が最大級の警鐘を鳴らしていた。

 

雪蓮は自分の眼前の玉座に座る男に視線を飛ばす。顔は鬼の仮面を被っているので良くはわからないが、まだ若い。恐らく自分より年下ではないだろうか?

 

されどその男が放つ覇気は此方を押し潰してきそうな程に重厚な物だった。

 

その覇気に負けぬ様に雪蓮は堂々たる名乗りを挙げたがその男にさしたる変化は見えない。それどころか全てを見透かす様な視線を自分に向けていた。

 

暗く深い視線。雪蓮はその視線の闇に自分が飲み込まれる様な錯覚に襲われた。

 

思わず妹から貸し出された腰の孫呉の王たる証、南海覇王に手が伸びそうになる。

 

雪蓮はその衝動を何とか抑えながら眼前の男、高長恭を見据えた。

 

「孫呉の先代王がわざわざ足を運ぶとは一体、俺に何用かな?」

 

雪蓮の名乗りを受けて話し始めた高長恭。その声には何処か愉快げな物が感じられた。

 

「別に用なんてないわ。交州と荊南を制し、蜀の趙雲を叩きのめした今、話題の漆黒の鬼面龍とやらがどんな人間なのか見に来ただけよ」

 

雪蓮はあえて意味ありげな笑みを浮かべてそう言い放つ。目的はあるが、それを全面に出して高長恭に主導権を握られる訳にはいかないからだ。

 

外交の場の駆け引き。それは自分にとって決して得意な事ではない。それでも雪蓮は自らこの場に訪れた事を正解だと思っていた。もし、この場に居るのが自分以外なら間違いなくこの男の覇気に飲まれていた。

 

もっとも、自分の友である周瑜、冥琳ならこの男の覇気に飲まれる事もなく、自分よりも上手く交渉する事が出来ただろう。

 

けれど彼女は病を患っていた。命に関わる程の病ではないが、それは安静にしているならという前提条件が付く。そんな彼女を引っ張りだす訳にはいかなかった。

 

そもそも雪蓮自体、自らが動くつもりはなかった。今の孫呉の王は妹の蓮華であって自分ではない。先王である自分が動く事で国内の豪族が再び自分を王に戻す動きをしないとも限らないからだ。

 

孫呉というのは豪族の国だ。王とは言っているが、孫家は端的に言ってしまえば豪族の纏め役に過ぎない。

 

そして今、孫家には二つの旗頭が存在する。現王の蓮華と先代王である自分。雪蓮にはそんな気はさらさらないのに国内の豪族は蓮華派と雪蓮派に別れて権力争いをしている。

 

これが平和な時であれば問題なかった。蓮華にはそれを上手く舵取りするくらいの能力はある。後は自分さえ表に出なければそれで済んだ話だからだ。

 

だが、この一年で大陸を取り巻く環境は大きく変わってしまった。

 

魏王曹操の伴侶、司馬懿の反乱の後の建国。そして今、自分の眼前に居る高長恭の飛躍。

 

それにより魏、呉、蜀で結ばれた三国同盟のあり方が大きく揺らいでしまっていた。

 

はっきり言ってしまえば、この大陸は戦乱の世に逆戻りしている。

 

そして孫呉は現在、滅亡に危機に瀕していた。司馬懿の晋による南征、寿春は既に陥落し、孫呉の地では国家総動員で晋を迎え打つ準備が進められている。

 

そう、誰もが余裕のない状況なのだ。そんな中で自分だけが裏に引っ込んでいる訳にはいかない。

 

雪蓮が荊州にやって来た理由は高長恭との同盟、最悪でも不戦の盟約を結ぶ事。

 

今の孫呉は晋の相手をするだけで手一杯、そんな状況で高長恭に交州から東進されてしまえば間違いなく孫呉は滅亡してしまう。

 

何としても盟約を結ばなければならない状況で強気に出た雪蓮に返ってきたのは冷たい言葉だった。

 

「そうか、じゃあもう用は済んだな。早く帰るといい」

 

高長恭は心底つまらなさそうにそう言い放った。まるで自分に何の価値も見出だしていない様な言葉に雪蓮の思考は停止する。

 

こんな扱いをされたのは初めてだった。袁術の下でこき使われている時も袁術自身は馬鹿なので除外するが、腹心の張勲には警戒されていたし、独立した後は小覇王という勇名で誰もが自分に一目置いていた。

 

雪蓮は一瞬、血が頭に上りそうになるが、それを抑えて言葉を返す。

 

「ぶー。せっかくこんな美女がわざわざ訪ねて来てるのにちょっと冷たくなーい?」

 

雪蓮はあえて砕けた態度を取り、高長恭の反応を伺う。必要ならば女の武器を使う覚悟も決めていた。

 

「生憎だが、美女の相手には慣れている。俺の懐に入りたいならその獣の目を隠す事を覚えるべきだな」

 

口元に笑みを浮かべ、雪蓮の言葉をかわす高長恭。どこまでも余裕のその態度に生半可な事ではこの男は揺れない事を雪蓮は悟る。

 

「……はぁー、わかったわ。じゃあ単刀直入に言うけど、私達孫呉と同盟を結んでほしいの」

 

「断る」

 

雪蓮の同盟の提案を即座に断る高長恭、簡単にはいかないとは思っていたが、取り付く島がない。

 

「何故?」

 

「利がないからだ」

 

「利ならあると思うわ。私達と同盟を結ぶ事で貴方は背後を気にする事なく荊北や蜀攻めが出来る」

 

「それはお前達と結ぶ事をしなくても同じ事だ。今のお前達に荊州に兵を出す余裕はない」

 

その通りだった。今の孫呉は晋を迎え打つだけで全ての国力を割かねばならない。荊州に兵を出す余裕なんてあるはずがなかった。

 

「逆に俺達はその気になれば十万の軍を呉に差し向ける事が出来る。今ならば呉の領地を削りたい放題だ。それに蜀攻めで背後を気にしなくてもいいと言うが、蜀の同盟国のお前達の言う事など信用出来る訳がない」

 

「……」

 

「わかったか、俺達にはお前達と結ぶ利などない事が、わかったなら早く呉に帰る事だな」

 

何も言えない。この男の言っている事が正しい事がわかっているから。だからと言ってこのまま帰る訳にはいかなかった。

 

「……そうね、貴方が言ってる事は正しいわ。でも私もこのまま引き下がれないわよ。条件があるなら出来るだけ飲むわ。もう一度考えてくれない?」

 

雪蓮の言葉に高長恭が考え込む。暫しの沈黙の後に高長恭から出た答えは……

 

「……いいだろう。お前達と結んでやってもいい。幾つかある条件を飲むならばだ」

 

「その条件を言ってみて頂戴」

 

「先ず一つ、これから結ぶのは同盟ではなく、不戦の盟約とさせてもらう」

 

「……大丈夫よ」

 

二面作戦を取らなくとも良くなるだけでも孫呉にとってありがたい話だった。

 

「この盟約の期限はお前達が晋を撃退するか、俺達が蜀を取るまでの間だけとする」

 

「……それは」

 

「これはお前達にとっても良い話だと思うが?お前達が晋を早く撃退すれば蜀と戦っている俺達の背後を突けるのだから。もしそういう状況になっても俺は一切文句は言わん」

 

「……わかったわ」

 

「最後にお前達孫呉には魏や蜀との同盟を破棄してもらう」

 

「なっ!」

 

「嫌なら構わん。この話をこれでなかった事にするだけだ」

 

……飲むしかなかった。現在三国同盟は正常に機能していない。魏は司馬懿の策略により物資は送られてくるが直接的な手出しは出来ない。蜀に至ってはこの男がいるから一切此方に介入する事が出来ないのだ。

 

「……仕方ないわね。いいわ、その条件飲む事にする」

 

「では、その事を書面に残してもらおう。……おい、紙と筆を持って来てくれ」

 

高長恭に呼ばれた文官が紙と筆を持って、再び玉座の間に戻って来て筆を雪蓮に手渡す。

 

雪蓮はそれを受け取り、紙の上に高長恭との不戦の盟約と魏蜀との同盟を破棄する旨を書き記す。

 

「これでいい?」

 

雪蓮は書き記した書面を広げ、高長恭に見せる。

 

「最後に己の真名に誓ってこの盟約を履行する事を書いてもらおう」

 

「……随分と信用がないのね」

 

「当たり前だ。自分がやった事を考えろ。どんな理由があったにしろ、自分を庇護してくれた袁術を裏切り独立したお前に信用などあると思うか?」

 

「それは!」

 

「言い訳はいい。お前達の都合に興味はない。ただ客観的に見たらお前のやった事はそういう風にしか見えないと言っているだけだ」

 

「……」

 

雪蓮はそれ以上何も言わず筆を走らせ、書き終わった書面を高長恭に見せる。

 

「はい、これで問題ないわね」

 

「あぁ、これで問題ない。それでは俺も書くとしよう」

 

雪蓮が使った筆を文官から手渡された高長恭が盟約を履行する旨を書き記していく。

 

「ほら、これでいいだろう?」

 

高長恭が書いた書面を確認した雪蓮は一度頷いた。

 

「捕らえていたあの二人を連れてきてくれ」

 

高長恭が隣に居た覆面を被った武官らしき女性にそう命令する。その命令を受けた女性の立ち振舞いを見た時、雪蓮は何処か懐かしい気分を感じた。

 

暫くして玉座の間に先ほどの女性と縄をうたれた二人の男が現れる。その二人に向かって高長恭は声を掛けた。

 

「お前達、この女を知っているな?」

 

そう言って高長恭が指差したのは雪蓮。二人の男が大きく頷く。

 

「この女が此処にいるのは俺と不戦の盟約を結ぶ為だ。そしてその盟約は結ばれた。……魏や蜀との同盟の破棄と共にな」

 

高長恭がそう言って雪蓮が書き記した書面を二人の男に見せる。二人の男には驚愕の表情が浮かんでいた。

 

「ちょっと待って!この二人は!?」

 

「俺が捕らえていた魏と蜀の間諜だ」

 

「なっ!」

 

雪蓮の驚きを無視する形で高長恭は話を進める。

 

「お前達をこれから解放する。呉がお前達の国との同盟を破棄した事をお前達の主君に伝えるといい。……連れて行け」

 

兵により連れていかれる二人の男。高長恭はその背を見送りながら雪蓮に話し掛けた。

 

「悪いが、退路を絶たせてもらった」

 

そう言って高長恭はゆっくり雪蓮に近付き、肩に手を置いて耳元で囁く。

 

「これで盟約を履行するしかなくなったな。暫くの間は一蓮托生だ」

 

そう言って笑う高長恭。その時になってようやく気付く。この男は始めからこうするつもりだったのだ。三国同盟を潰す為の策略。

 

高長恭の笑い声の中で雪蓮には敗北感しかなかった。



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王道

お久しぶりです。


全てが思い通りになった。

 

一刀は屈辱で微かに顔を強張らせている孫策の顔を眺めながら今回の結果、三国同盟を潰せた事に満足していた。

 

「貴方、最初からこうするつもりだったのね」

 

目に怒りの感情を宿らせながら孫策が一刀を問い詰める。

 

「だったらどうした?孫策、お前は武人や軍人としては一流、いや、超一流かもしれないが、文官や使者としては三流以下だな」

 

孫策の恨み言に近い言葉を一刀は冷酷に切り捨てる。一刀からすれば自分が責められる謂れがないからだ。

 

「俺もお前も一国の代表としてこうして向かい合っている。お互いに求めるのは自国の利益。やり込められたからと言って相手を責めるのは筋違いだ」

 

「……そうね、貴方の言う通りだわ。やっぱり向いていない事をするもんじゃないわね」

 

孫策が自嘲気味に笑う。その目には先ほどまであった怒りの感情は見えない。

 

「……ねぇ、一つ聞いてもいい?」

 

「何だ?」

 

「貴方、一体何者なの?何で貴方ほど人が今まで無名だったの?……いや、本当は無名ではないのでしょうね」

 

「ほう、どうしてそう思う?」

 

「顔を隠しているからよ。本当に無名ならば顔を隠す必要なんてないじゃない。貴方も、そこの二人の側近も」

 

「……まぁ、正解だと言っておこうか」

 

一刀はあえて否定しなかった。このまま一刀の思い通りに事が進むなら自分達の存在が公になるのはそう先の事ではないからだ。

 

「その仮面を外してと言っても良いとは言ってくれないわよね?」

 

「断る。まだその時ではないからな」

 

「……そっか、じゃあ私は呉に帰るわ」

 

孫策が外に向かって歩き出す。玉座の間を出る直前、一度振り返り、

 

「そこの貴女、名前を聞いてもいいかしら?」

 

一刀の隣に居た祭に声を掛けた。

 

祭は一瞬、一刀に視線を飛ばすが直ぐに孫策を見据えて名乗る。

 

「今は石幻果と名乗っておる」

 

それは一刀が祭に与えた偽名。記憶を失い死んだ事になっている名将に与える名前で一刀の頭に思い浮かんだのは自分が元の世界で読んだ小説に出てくる今の祭と境遇が似ている人物の名前だった。

 

「『名乗っておる』か……まぁ、いいわ。また会う事になるでしょうし、その時にでも本当の名を聞かせて頂戴」

 

それだけ言い残して颯爽と去る孫策。その後ろ姿は一刀にやり込められた名残はなく、かつて王であった人間に相応しく堂々たる姿だった。

 

「……行ったか」

 

孫策の気配が完全に消えた事を確認した一刀は一言、そう呟く。

 

「それにしても、随分とやり込めた物ですねー恨まれますよ、お兄さん」

 

覆面を取りながら、悪戯気な口調で風は一刀に突っ込む。

 

「別に構わないさ。ああいう人間は頭を抑えておいた方がいい。……後々の為にな」

 

「それはどういう意味でしょうかー?」

 

「俺がこの大陸で一番正面から戦いたくないのが、あの女だ」

 

「ほほぅ、もしかしなくても、孫策さんにまで、手を出すおつもりで?流石、種馬のお兄さんですねー」

 

「馬鹿を言うな、そんなんじゃない。ただ、ムラのある人間は読み辛いんだ」

 

「読み辛い?」

 

「あぁ、ああいう女はその時の状況、感情によって発揮する能力が変わる。凡将の時もあれば、名将の時もあるという風に。で、それが実に厄介でな。こっちが名将の時の能力と見積もって相手をすれば、凡将の時で、深読みしすぎてしまう。逆に凡将の時の能力で見積もれば、名将の時で、こちらの予測を超えた動きされてしまう。……実にやり辛い」

 

「言っている意味はわかります。確かに孫策さんはそんな所がありますねー」

 

「それに比べると、華琳は実にわかりやすい。常に最善で意味のある動きをしてくるからな。正直言って、華琳相手なら俺は十回戦えば十回とも勝てる」

 

「おおぅ、華琳様相手に凄い自信ですねー。では孫策さんなら?」

 

「十回中九回と言った所かな」

 

「……それでも九回は勝てるんですねー」

 

「当たり前だ。俺とあの女では潜った修羅場の数も違うし、積み重ねて来た物も違い過ぎる。……正直な話、俺にとって天下を取るというのは難しい事ではないんだ。魏、蜀、呉、晋に忍び込んで首脳陣を全員暗殺すればそれで済む事だからな」

 

「では何故そうしないんですか?」

 

「逆に聞くが、風、お前はその手段を取られたらどうする?」

 

「……誰かが殺された時点で間違いなく報復します」

 

「それが答えだ。こういう裏のやり方は禍根を残す。お互いに行き着く所まで行っちまうんだよ。その後に残るは憎しみの連鎖と死骸の山。制圧は出来ても統治は出来ない状態になる」

 

「戦後の復興を考えるとウンザリしますねー」

 

「あぁ、俺もこれ以上政務が増えるのは絶対に嫌だ」

 

一刀にとってその言葉は割と切実な願いが籠められた言葉だった。

 

「華琳は覇道という手段を取ったが、俺は天下を取るには王道が一番だと思ってる。負けた方に自分達が何故負けたかを納得させる事が禍根を残さない方法だと考えているからな」

 

ゲリラ時代に泥沼の殺し合いに参加していた一刀はただ勝つだけではなく、勝ち方に拘りたかった。

 

「ところで過去の主君を見た訳だが、何か思い出したか?」

 

一刀は風との会話を切り上げ、これまで沈黙を保っていた祭に声を掛ける。

 

「いや、全く何も思い出せん。……じゃが初めて会った感じはしなかった」

 

「……そうか。まぁ、気長に構えてればいいさ。慌ててどうにかなるもんでもないしな」

 

「そうかのう?」

 

「そんなもんさ。それに思い出すという事が必ずしも良いって事でもない」

 

「どういう事じゃ?」

 

「思い出せばお前は選ばないといけなくなる。嘗ての主君と戦うか、それとも……俺と戦うかをな」

 

「……」

 

「そして俺は敵となったからには容赦はしない。……祭、俺にお前を斬らす様な真似はするな」

 

 

「一刀、お主は優しい男じゃの」

 

「あり得ないな。俺はそんな甘い男じゃない。斬ると言ったら斬る」

 

自分の手は血で染まり抜いている。もし祭が裏切れば斬る覚悟は一刀には出来ている。

 

「ならば、何故、儂は生きておる?儂はいつお主を裏切るかわからん女じゃ。一刀、お主は強い。強過ぎると言っても良いほどじゃ。そんなお主なら儂を殺す事など容易い筈じゃ」

 

「っ!それは!」

 

一刀にとって祭は既に大事な人間となっている。いつか裏切るかもしれない。それでも記憶を取り戻した後でも自分の傍に居てくれる可能性に賭けたかった。はっきり言えば記憶など取り戻しては欲しくなかった。

 

「……俺は小さい男だな。お前に記憶を取り戻して欲しくないと願ってしまった。俺の手の届く所に居て欲しいと……お前を孫策に会わせたのもお前が記憶を取り戻そうとするのを阻止する様な男と思われたくなかっただけだ。……本当につくづく小さい男だ」

 

溢れた一刀の本音。その言葉を聞いて祭は破顔する。

 

「ははっ!お主ほどの男にそうまで言われるとは儂もまだまだ捨てた物ではないのう!」

 

そう言った祭は一刀の頭を自身の豊かな胸に抱き込み耳元で囁く。

 

「心配せずとも儂は惚れた男にこの身を斬らせる気はないぞ。……例え嘗ての記憶を取り戻したとしてもお主の傍に居よう」

 

「……ありがとう、祭」

 

二人の中で流れる暖かな空気、それを遮るかの様に強烈な視線が一刀に突き刺さる。

 

「お兄さん、風を無視して祭さんを口説かないで欲しいのですよーまぁ、お兄さんは種馬ですから女性が居れば口説かずには入られないのでしょうが」

 

「この兄ちゃんは女を見たら見境ねえな」

 

「ダメですよ宝慧、そんな本当の事を言っては」

 

「いや、俺はそんなに見境なく女を口説かな……」

 

「ないと言えますか?」

 

「……」

 

強烈な風の笑顔の圧力。身に覚えがあり過ぎる一刀は思わず黙り込んでしまう。

 

「英雄、色を好むと言うしのう。風もあまり五月蝿く言うと一刀が逃げるぞ」

 

「祭さんはお兄さんを甘やかし過ぎですねーほっとくとお兄さんは新しい肌馬を捕まえてきますよー」

 

自分の事をああだこうだ言い合う二人に少々、げんなりしながら一刀は再びこの世界に戻って来てからの事を思い出す。

 

再びこの世界に戻って喪った物はあった。それと同時に得た物もある。そして得た物は喪った物と比べても決して劣る物ではなかった。

 

これから先どうなるかはわからない。それでも歩みを止める気はない。自分は多くの人の思いを背負う王で道はまだ半ばなのだから……

 

 



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臥竜嫉妬

成都を出てから半月の時が過ぎようとしていた。

 

朱里は数百の護衛と共に荊州江陵へと向かう道中だった。

 

既に益州を抜け、夷陵に差し掛かっていた朱里は目の前の光景に暫し、呆然する。

 

「凄いな、これは……」

 

恐らく朱里と同じ気持ちであったのであろう、護衛の兵達を纏める翠がぽつりと呟く。

 

朱里の眼前に広がる光景はまさに朱里が理想とする国その物だった。

 

綺麗に舗装された道、そこを行き交う大勢の商人や旅人達、少し目を横に向ければ、農作業や治水工事に活気良く勤しむ民衆。

 

その者の瞳は未来に何の不安もなく、希望に満ち溢れていた。

 

「ほら、見てみろよ朱里、この道、無茶苦茶歩きやすいぞ!」

 

「そうですね……」

 

翠の言葉に相槌を打つ朱里だったが、頭の中では色々な思いが駆け巡っていた。

 

何故、こんな道が作れる?こんな道を作るならそれこそ莫大な金が掛かる。この辺りから舗装されているという事は江陵に辿り着くまでずっとこんな道が続くのだろう。道だけではなく、遠目で見る治水工事や開墾事業も見事な物だ。少なくとも今の自分達には到底無理な事業だった。

 

「でも、道がこんなに綺麗だと敵に攻められやすそうだな」

 

それは軍人である翠らしい感想。朱里としてもその事を考えなかった訳ではない。だが、逆に言えばこちらが攻められる時もこの道が使われるという事。

 

 

こんな壮大な事業が出来るほどの力を持った勢力が自分達を攻めて来る。その事実に朱里の肌に粟が立つ。

 

しかもその事はあくまで付属物に過ぎないのだろう。本命は恐らく経済の活性化。

 

ただでさえ、経済の重要地とも言える荊州がさらに発展する。多くの商人達がこの地を拠点に商売に励む。関税を取らないという政策がさらに商人に商売をしやすくさせていた。そしてその事実によって大陸全土の財が荊州に集まるのだ。

 

実に見事な政策だと思う。

 

朱里も関税を取らないで商人を呼び込む事を考えた事はあるが、現実的には無理な事だった。

 

問題点は大きく二つあり、一つは単純に財源の問題。

 

関税というのは国にとって重要な財源、国庫の事を考えればそう簡単になくす事は出来ない。

 

もう一つは防諜の問題。関税がなくなるという事は多くの人間が領地に出入りしやすくなる。間者を送り込まれ可能性が格段に上がるのだ。

 

朱里もその事に目を付けて幾人もの間者を送り込んだが、帰って来たのは一人だけ、その一人も自力で帰って来たのではなく、この荊州の地を治める高長恭によって送り返された者。

 

孫呉が高長恭と不戦の盟約を結び、三国同盟から離脱したという頭を抱えたくなる事実を持って……

 

その事を聞いた朱里はすぐさま成都を出立した。表向きは先の戦で捕らえられた星と蒲公英の解放の為の使者として、真実は今の荊州がどの様な状態なのか、そして統治する高長恭という人物がどんな人間なのかを見極める為に。

 

今思えば先の戦は軽挙だったと言わざるを得ない。はっきり言ってしまえば、高長恭という人物を低く見ていた。

 

先の乱世で名を聞いた事もなければ、交州を取ったと言えど、交州は辺境の流刑地。

 

何より天下に名を轟かせるほどの力量を持った星がそんな流刑地を取っただけの人間に敗れるとは思わなかったのだ。

 

……焦ってはいた。

 

荊州の地は元々、蜀と呉が領有権を主張していた土地ではあるが、呉よりも蜀の方が荊州の地の重要度は高い。言うなれば他の地に出る為の玄関となる場所で荊州を抑えなければ、後は北の険しい道を越えて涼州に出るしか他の地に行く方法がなくなる。

 

そんな重要な土地が自分達や呉でもなく第三者に奪われた。その事に対して嫌悪感を感じると同時に好機とも考えた。

 

呉とは同盟関係故に軍事行動を起こせなかったが、高長恭はそうではない。力で奪ってしまえば、その後の呉との外交でも実質的に支配している事を盾に領有権を主張出来る。

 

軍を使う事を渋る主である桃香を荊州の重要性を説いて軍を出させた。

 

……その結果が先の大敗だった。

 

大将と副将である星と蒲公英は捕らえられ、二万の兵は僅か二千の兵に蹂躙され、生き残った数名の兵は未だに恐怖でまとも話す事すら出来ず常に何かに怯えている状態だ。

 

そんな大敗の報を聞いた蜀の首脳陣は衝撃に揺れた。二人は、特に星はそんな簡単に敵に捕らえられる様な将ではない。

 

星の力量を良く知っている武官達の動揺は朱里の目から見てもはっきりとわかるほどで、愛紗はすぐに後発の軍を出すべきと気勢を挙げていたし、今、ここに居る翠は従妹の蒲公英が捕らえられた事で焦燥していた。今回の朱里の護衛に付けられたのも桃香の配慮と言っていい。

 

軍を出した事は今でも間違いではないと朱里は思っている。荊州が無ければ、蜀という僻地は良くて現状維持、悪ければ徐々に衰退していくしかない地なのだ。ただ、もう少し慎重に事を運ぶべきだった。

 

 

 

 

 

 

それから数日間、朱里は高長恭という人物を知るべく、江陵への道すがら、いくつもの村を訪ねて見聞していく。

 

その結果、高長恭を悪く言う者は一人して居なかった。自分達の暮らしを格段に良くしてくれた高長恭に対して親しみと敬愛の念しかない。

 

敬うのはともかく、主である高長恭に何故、そこまで親しみを抱けるのか村の人間に聞くと、高長恭は軍の調練のついでに良く手土産を持って村を訪ねてくるらしい。そして村の人間と語り合い、場合によっては泊まっていく。

 

「俺なんかの名前もあのお方は覚えていてくれるんだ」

 

朱里が話を聞いた村人の男は心底嬉しそうにそう語る。

 

名君だ。道中で見た様々の事業。そして村人達が語る高長恭。名君だと朱里も認めざる得ない。場所によっては朱里が蜀の人間と知って露骨に嫌な顔をする村もあった。それだけ高長恭という人物は民に慕われている。

 

そして江陵に入った朱里は街の様子を見て衝撃を受けた。これまで見てきた以上に活気がある民衆、きちんと整理された区画、徹底的と言っていい治安維持。

 

朱里のやりたかった事の全てが江陵に詰め込まれていた。

 

「朱里、あれは五湖の人間だ」

 

少し警戒した様子の翠が朱里に話し掛ける。朱里も翠が言った方に視線を向けると、確かに五湖の服装をした商人が笑顔で商売に励んでいる。周りの人間も恐らくその商人が五湖の人間とわかっているにも関わらず、気にした風もないで値切り交渉を持ち掛けていた。

 

 

 

 

あぁ、本当にこの国は桃香の……そして自分の理想の国だ。

 

 

 

 

皆が笑顔で居る国。憧憬と同時に朱里の心に湧き上がるのは強烈な嫉妬。

 

何故、これを成し遂げたのが自分ではないのだ。軍略という面では自分と同期で親友の雛里に一歩劣るという自覚はあったが、内政では蜀だけではなく、魏や呉の人間に劣らない自信があった。

 

それが今、粉々に打ち砕かれた。自分が何年やっても成し得ない事を高長恭は僅か二年で成し遂げた。

 

自分が今まで学んでしてきた事は何だったのだ?

 

朱里は虚無感に襲われていていた。とてもすぐに外交の使者が出来る状態ではない。

 

朱里と翠は宿を取る。連れて来た兵達は城門の外に置かれていた。正式な外交の使者という事で数名の高長恭の兵が護衛に配されている。翠いわく全員がかなりの強者らしい。

 

朱里は自分が害される心配はしていなかった。こんな国を作るほどの人物が理由もなく使者殺しをするはずがない。それこそ己の名誉を傷つける様な物だ。

 

 

 

 

三日後、朱里と翠は宮城へと向かう。待たされる事も考えていたがすぐに謁見が許された。

 

これからこれほどの国を作りあげた人物と会う。朱里は久方ぶりに緊張していた。

 

通された玉座の間、そこに居たのは玉座に座る仮面を被った男とその隣には女である朱里ですらハッとするほどの美形の女性。

 

その他には誰もいない。王である人間に対して護衛がいないのは何故かと思ったが、隣の翠が双方を見て緊張と警戒感を出しているのを見て察する。この二人は護衛なんか必要のない手練なのだろう。帰ってきた蜀の兵も恐怖に苛まれながら言っていた。

 

高長恭は一騎打ちで星を圧倒したと……

 

朱里は居住まいを正して名乗りを挙げる。

 

「はわわっ、私は蜀より使者として参りました諸葛孔明でしゅ!」

 

……やってしまった。外交の場で失敗した事はないのだが、仮面の男、高長恭の放つ覇気が朱里の身体を堅くしていた。

 

「馬孟起だ」

 

朱里に続いて翠が名乗りを挙げる。一応外交の場なのだから敬語を使って欲しいと朱里は切に思う。無礼で斬られてもおかしくないのだ。

 

「良く来たな、俺は高長恭。名高い臥竜諸葛孔明と錦馬超と会えるとは実に光栄だ。隣の者は俺の護衛だ。いらないと言ったのだがしつこくてな」

 

「当たり前です。何処の国の王が護衛もなしに他国の使者と会うのですか」

 

高長恭は朱里や翠の失態を気にした様子もなく、傍らの女性に苦言され苦笑を浮かべながら自らも名乗りを挙げた。

 

「それでお前達は何用で荊州に来たのかな?」

 

「捕虜の返還の事でございます。そちらに捕らえられた趙雲と馬岱を我が国に返していただけないでしょうか?」

 

「随分と一方的な話だな。攻め込んで来たのはお前達の方ではないか」

 

「……それについてはお詫び申し上げます。ですが、趙雲も馬岱も我が国にとって必要な者達なのでございます」

 

「詫びなどいらん。俺もお前達の立場なら同じ事をするだろうからな」

 

「でしたら!」

 

「だが、お前達は負けた」

 

「っ!」

 

「俺は別に戦争が悪いとは思っていない。悪いのは負ける戦争をする奴だ。そして負けた以上代償を支払わなければいけない」

 

……やはりそういう事になるか。朱里も勿論、ただで二人を返して貰えるとは思っていない。問題は代償の中身だ。

 

領地を削られるのは避けたい。国庫に余裕にあるとは言えないが、朱里は金銭を払う事で話をつけたいと考えていた。

 

「あぁ、それと返還交渉をするのは馬岱のみだ。趙雲……星は降ったからな」

 

「んなっ!星が裏切る訳がない!!」

 

翠が声を張り上げるが…… 

 

「降ったさ、俺が星の真名を呼んでるのがその証拠だ」

 

「……それは例の賭けでですよね?」

 

朱里は帰ってきた蜀の兵から星と高長恭がした賭けの話を聞いていた。

 

「違うな、確かに星とは賭けをしたが、アイツが俺に降ったのはアイツの意思による物だ。俺は何一つねじ曲げちゃいない」

 

「……星さんに会わせて頂けませんか?」

 

朱里は高長恭の言う事を全て信じてはいない。だが、星が高長恭に降ったのなら、何故、降ったのか理由を知りたかった。

 

「別に会う事は構わないが、アイツは今出かけている。恐らく数日ほどで戻って来るとは思うが、それまで待つか?」

 

「はい、待たせていただきます」

 

「そうか、ならば星が帰って来たならお前に声を掛けよう。話すのは俺の居る所でしてもらうが……それはそれとして馬岱の返還の件についてだが」

 

「その事については充分とは言えませんが、金銭を支払う事で……」

 

「いらん」

 

「えっ!」

 

「金銭などいらんと言っている。自分で言うのも何だが、俺はこの漢の地で一番金を持ってる。蜀から来て道中を見てきたならわかるだろう?」

 

「……はい」

 

朱里の見てきた道路舗装、治水工事、開墾事業は確かに莫大な金がないと出来ない。それが出来る時点で目の前の男は金に困っていないのだろう。 

 

「あぁ、それと領地もいらんぞ。欲しけりゃ奪うだけの話だからな。先に攻め込んで来たのはお前達だ文句はないな」

 

「……」

 

朱里は何も言えなかった。確かに大義名分は向こうにあるのだ。

幸いまだ時間はある。とりあえず今はこの交渉を纏める事だ。

 

「ならば、高長恭様は何をお求めでしょうか?」

 

「少なくともお前達の国に欲しい物はないな……物はな」

 

「……物はという事は人ですか?」

 

「流石は諸葛亮、聡いな。俺はお前達の国に居るある人物がどうしても欲しい」

 

「ですが、それなら捕虜が入れ替わるだけで意味がないのでは?」

 

「あぁ、断ってくれてもいいぞ。その場合は馬岱の首を刎ねるだけだ」

 

「なっ!テメェ!」

 

まさかの言葉に翠が高長恭に掴み掛かろうとするが……

 

「それ以上動けば先に貴女の首を刎ねますよ」

 

高長恭の傍にいた女性がいつの間にか翠の首筋に剣を添えていた。 

 

「許してやれ那由多。従妹の事だ、冷静で居られないのは仕方ない」

 

「はっ」

 

護衛の女性が剣を納める。翠は自分があっさり首筋に剣を添えられた事に呆然としていた。高長恭はそんな翠を一瞥して話を続ける。

 

「で、話の続きだ。もしお前達がその人物を俺に渡してくれるなら俺はその人物を真名に掛けて国賓として遇する事を誓おう」

 

「……」

 

朱里は悩む。真名に誓ったという事は高長恭は本当にその人物を国賓として扱うのだろう。そして話を断われば蒲公英は死ぬ。

 

「悩んでも無駄だ。馬岱を生かしたいなら話を受けるしかない。だから俺にその人物……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『董仲穎を渡して貰おうか』



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アットホームなブラック企業

今回は軽いギャグ回です。


その日、江陵の玉座の間はどことなく重い雰囲気に包まれていた。

 

凪は困った顔をし、風は自分は関係ないという顔で飴を舐めていて、晶は不満はあるのだろうが、それを顔に出さない様にしていた。

 

一刀はコイツら本当に面倒臭いわと思いつつ、自分達は不満一杯ですという顔をしている祭と星に声を掛ける。

 

「お前ら、本当にいい加減しろよ」

 

「主よ!そうは言ってもですな、私が主の下で初めての武勲を立てる機会を奪われたのですぞ!!」

 

「そうじゃ!そうじゃ!せっかくの戦じゃと言うのに行軍しかしておらんのじゃ!!」

 

「あーわかったわかった」

 

「いや、主はわかっておられぬ!」

 

「そうじゃ!一刀は何もわかっておらん!」

 

「だからと言ってここで不平不満を言っても仕方ないだろ」

 

「「……」」

 

二人がここまで不満を露わにしている荊北攻めの事だ。

 

喜び勇んで江陵を出発した祭達だったが、荊南で大体の豪族を討伐したのが功を奏したのか荊北の重要地の襄陽を含めて、全ての城がまさかの無血開城。結局、祭が言った様に行軍をしただけで荊北攻めは終わってしまったのだ。

 

「こちらに被害が出る事なく、荊州全土を手中に収めるが出来た。最高の結果じゃないか」

 

一刀からすれば本当に最高の結果だった。覚悟はしていたが、やはり戦後復興をするとしないでは政務の負担が違う。この二人は政務をする事がないからそんな事を考えもしないのだろうが……

 

「まぁ、一応、お疲れ様って事で後で旨い酒とツマミを届けてやるから今回は我慢しろ」

 

「ほう、旨い酒とな!」

 

「いや、主は話のわかるお方だ!出来れば新しく出来た松林園の最高級メンマを所望したいのですが……」

 

「なら儂は江陵酒造の最高級紹興酒じゃ!」

 

「わかったわかった、二つとも用意してやる。だから機嫌を直せ」

 

「ふむ、仕方ないですな」

 

「そうじゃな」

 

言葉では渋々という感じではあるが、二人の顔は満面の笑みだった。

 

戦キチガイの機嫌が直った所で、一刀は風と晶にも労を労う言葉を掛ける。

 

「風も晶もご苦労だったな。お前達も何か欲しい物があれば言えよ」

 

「いえ、私は今回は何もしておりません。ですので恩賞は結構です」

 

「そうか……」

 

「お兄さんお兄さん、風は休み……」

 

「ダメ」

 

「ですから風は休みを……」

 

「ダメ」

 

「もう!最後まで聞いて欲しいのですよー!」

 

「逆に聞くが、武官連中はともかく、お前は本当に休みを貰えると思っているのか?」

 

「……」

 

「現時点で十日に一日の休みはやってるだろ」

 

因みに武官は七日に一日の休みである。

 

「お前さ、俺が荊州に来てから最後に休みに取ったの何時かわかるか?」

 

「さぁ、何時ですかねー?」

 

「一日も休んでねーよ!!一日もだぞ!!」

 

古代中国?のワ○ミ。それが高長恭軍だった。

 

「本当に魏の警備隊長時代が懐かしいよ。夜はちゃんと寝れたしな」

 

そう呟く一刀の顔には哀愁が漂っていた。

 

「隊長はもう少し休息して下さい。お身体を壊します」

 

「凪、そう言ってくれるのはお前だけだよ」

 

一刀との付き合いが一番深い凪の言葉は身に染みた。付き合いの長さで言えば風も一緒なのだが、凪は魏で上官と部下として同じ仕事をして苦楽を共にしてきたのだ。

 

「風もお兄さんの事は心配してますよー」

 

「こ!こ!ろ!が!籠もってねえんだよ!!」

 

「そうは言っても夜の空いた時間に風達を抱きに来るじゃないですかー。次の日の仕事、身体が辛くて大変なんですよー」

 

「ばっ!それを言ったらおしまいだろ……」

 

風の爆弾発言に一刀の語尾が小さくなる。

 

「風様!」「風!」「お主らはまだマシじゃ。儂の時は手加減なしで抱くからのう」

 

身に覚えのある凪や晶は顔を赤らめ、祭はさらに余計な事を言う。そんな皆を見てニヤニヤする星。

 

「ほう、魏の種馬の話は耳にした事はあるが、主はそれほど凄いのか、私も近い内に主の部屋にお邪魔せねばなるまいな」

 

「星、ややこしくなるから少し黙ってろ」

 

「なんと!主にとって私は褥を共にする魅力はないと!?」

 

「誰もそんな事言ってないだろうが!!」

 

「では私も主の部屋を訪ねても良いのですな?」

 

「あー!もう!好きにしろ!」

 

「主よ、言質は頂きましたぞ」 

 

「おぉ!とうとう星ちゃんもお兄さんの餌食になるのですねー」

 

盛り上がっている女性陣を見て、一刀はため息をつく。どうして女は数が集まるとこうも姦しいのだ。

 

「……とりあえず話を戻すぞ。風、臨時の休みは今は無理だ。これから取ったばかりの荊北の立て直しがあるからな。だからお前にしてやれるのは給金を上げる事ぐらいだ」

 

「正直、給金はもういいんですが、魏に居た時の倍は頂いていますし」

 

「私も蜀に居た頃より三倍は貰っているな」

 

「星ちゃん、蜀は給金が安いんですねー」

 

「まぁ、かつての三国で一番小さい国であるからな」

 

高長恭軍は金満な軍だ。故に給金は他の国より抜群に高い。だから断じてブラック企業ではないと一刀は自分に言い聞かせていた。

 

「給金はともかくとして、襄陽には陸と叡理も呼ぶから一人頭の政務の量は確実に減るだろう」

 

「隊長、二人を呼んでも大丈夫なのですか?」

 

「交州は問題ない。呉は晋との戦いで動けんし、蜀は俺が荊州全土を抑えたから南蛮を通過しないと交州には手を出せん、流石にそんな遠回りして攻め込んで来たら、こちらが援軍を送る方が早い。適当な将に任せれば大丈夫だろう。荊南は昨日、叡理から書状が届いた。どうやら立て直しが終わったらしい。後はこの江陵だが、万一蜀が攻めて来ても襄陽からならば強行軍で二日もあれば戻って来れる」

 

「では拠点を襄陽に移すのですねー」

 

「まぁ、とりあえずはそうだが、蜀と戦う時は江陵が拠点になるだろう。襄陽は魏と戦う時の拠点だな。後、俺は荊北に新たな城を築きたい」

 

「城、ですか?」

 

「そうだ風、場所は新野の辺り、そこに俺達の都となる城を築く。当然、今の新野城は取り壊す事になる」

 

正直言えば、都は規模を考えれば今の襄陽城でいいのだが、襄陽城は守りが弱い。そして何より一刀自身が自分の知識を総動員した魔改造した城を建ててみたいのだ。

 

当然、政務の量は増える事になるが、自分で設計する城という男のロマンには抗えなかった。

 

「我らの都ですか……」

 

「あぁそうだ晶、俺達の都だ。その城が完成次第、正式に国号を決めて国を立ち上げる。その国に華雄という名を残すといい」

 

「はっ!」

 

ここに居る面子で一人だけ建国未経験者(祭は建国の記憶がないが)の晶は自分の国と聞いて興奮していた。

 

「それでは二ヶ月後に襄陽に本格的に拠点を移す。凪、風、祭は先に襄陽に向かい受け入れの準備をしてくれ」

 

「はい!」「はい」「おう!」

 

「晶と星は襄陽に連れていく兵の選別だ」

 

「はっ!」「うむ」

 

「それでは皆、手抜かりなき様にな」

 

一刀の言葉で皆がそれぞれの持ち場に向かう。一刀はその中の星を呼び止めた。

 

「星、お前は少し残ってくれ」

 

「主よ何ですかな?」

 

「お前に客が来ている」

 

「客……ですか?」

 

「あぁ、諸葛亮と馬超だ」

 

その二人の名を聞いた星の表情は微かに歪んだ。



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外道

諸葛亮と馬超の待つ客間に向かう一刀と星。だが、その足取りは何処か重い。

 

「……やっぱり、会い辛いか?」

 

「えぇ、彼女達にとって私は裏切り者でしょうから……」

 

「正直言えば、お前に会わせずに蜀に追い返す事は出来た。けどそうはしなかった。何故かわかるか?」

 

「私の忠誠を試す為ですかな?かつての仲間と決別出来るか……」

 

「その答えは間違いではないが正しくもない。俺は元よりお前の忠誠を疑ってはいないからな。ただ、仲間との決別は必要だ。お前には辛い事かもしれんが、これから殺し合う相手だ」

 

一刀のその言葉で星の表情に暗い影を落とす。

 

「あ、主はどうして私をそこまで信じられるのですか?私は苦楽を共にした仲間を裏切る女なのですぞ」

 

「何故、信じられるのか……決まっている、俺は俺を信じているからな。そして俺はお前を見込み、お前を欲しいと思った。故にもしお前が俺に反旗を翻すなら、それはお前が俺を裏切ったのではなく、俺が俺を裏切ったという事にしかならん」

 

「私が主に刃を向けたら?」

 

「その時は……」

 

「その時は?」

 

「俺が死ぬだけだな」

 

そう言って一刀は笑う。その笑顔はどこまでも自然で何処か儚い笑顔だった

 

「……主はずるい。そんな顔でそんな事を言われたら主を裏切れぬではありませぬか」

 

「そうさ、俺はずるい男なんだ。……星、お前が本当に辛いなら蜀との戦でお前を外してもいいんだぞ」

 

「いえ、そこまで主に甘える訳にはいきませぬ。それに主も魏と戦うのでしょう?」

 

「あぁ」

 

「魏の者が主の眼前に立った時、その剣でその者を斬れるのですか?」

 

「斬るさ。敵が敵である限り」

 

一刀は既に割り切っている。今、自分が守らなければいけないのは、今、居る自分の仲間であって、かつて情を交わし、肌を重ねた相手であろうと、今の仲間に危害が及ぶ可能性があるなら斬るだけだった。

 

「まぁ、何にしてもお前はもう俺の身内だ。諸葛亮や馬超はお前を責めるだろうが、俺が何とかしてやる」

 

一刀はそう言って星の頭を軽く撫でる。

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「お前のかつての仲間の心に大きな傷を負わせる事になるだろうな。それは許してくれ」

 

「それはどういう……」

 

「星、行くぞ」

 

星との会話を無理矢理中断して、一刀は仮面を被る。そして諸葛亮と馬超の居る客間に訪いを入れる。

 

「高長恭だ。星を連れて来た。入ってもいいか?」

 

「……どうぞ」

 

諸葛亮の応答、それを聞いた一刀は扉を開ける。扉を開けた先に待っていたのは悲しげな諸葛亮と怒りを前面に出している馬超。

 

「……星さん」

 

「星!!お前!!」

 

「朱里……翠……」

 

「この裏切り者!!」

 

「翠さん待って下さい!……星さん、星さんが高長恭さんに降ったというのは本当何ですか?」

 

諸葛亮の問いかけに星は一度大きく頷く。

 

「……どうして!?どうして何ですか!?」

 

「言い訳はしない。私がお主達を裏切ったのは真だ」

 

「こんのぉ!!お前がそんな奴だとは思わなかった!!飄々として良く皆をからかう奴だけど汚い真似はしないと信じてたのに!!」

 

「……」

 

部屋に鳴り響く糾弾の声、その声に悲痛な顔をする星。そんな星の顔を見て、一刀の中のナニカのスイッチが入る。

 

……さて、そろそろペラ回すか。

 

「裏切り者裏切り者と五月蝿い奴らだなお前らは」

 

「っ!」

 

その声で部屋は静寂に包まれる。

 

「お前らは星を裏切り者と言うが、別に星は何も裏切ってなんぞいない」

 

「「「!?」」」

 

一刀の言葉に糾弾していた諸葛亮と馬超、糾弾されていた星、双方が疑問符を浮かべていた。

 

「まずは星、お前に聞こう。お前は何故、劉備に仕えようと思ったんだ?」

 

「それは……桃香様の理想に共感したからですな」

 

「皆が笑顔で暮らせる国という奴か。……諸葛亮よ、お前が劉備に仕えた理由は?」

 

「……星さんと同じです」

 

「なるほどな、ではお前達は劉備が理想を持たぬただの村娘なら劉備に仕えたか?」

 

「仕えませぬ」

 

「……仕えていません」

 

「と言う事は、お前達は劉備に仕えたのではなく、劉備の理想に仕えたと言う事になるな」

 

「「……」」

 

一刀の言葉に黙り込む二人、馬超はそんな二人の成り行きを見守っていた。

 

「さて、諸葛亮、次はお前に先に聞こう。お前が見てきた中で蜀とこの荊州、どちらが栄えていた?」

 

「……荊州です」

 

「どちらの民が笑顔で暮らしていた?」

 

「……それも荊州です」

 

その答えを聞いて一刀は薄く笑う。

 

「劉備の理想は皆が笑顔で暮らせる国ではなかったか?なのに現状はどうだ?」

 

「っ!それは!!」

 

「では次は星に聞こう。星、今年の俺の領地での餓死者の数は?」

 

「一人もいませぬ」

 

「「!!」」

 

星の答えに二人は驚愕の表情を浮かべる。そう、この時代、餓死者を出さないというのはそれだけ難しい事なのだ。

 

「俺の領地から流民になった者は?」

 

「それも一人も」

 

「では蜀から俺の領地に流れ込んだ民の数は?」

 

「数万を数えましょう」

 

「……」

 

俺と星の問答に諸葛亮の顔に苦渋の感情が浮き出る。一刀はそんな諸葛亮にさらに追い打ちをかける。

 

「諸葛亮、皆が笑顔で暮らせる国という理想を掲げる劉備の国から笑顔どころか、飢餓で苦しむ民が俺の所へやって来る。これは一体、どういう事なんだろうなぁ?」

 

「……」

 

「お得意の弁舌で何とか言ったらどうだ?はっ!何も言えないよな。何故なら何を言った所でこういう結果が出ている以上、口先だけの言葉にしかならないしな。……なぁ、お前らは星を裏切り者と言った。だが、星にしろ、諸葛亮、お前にしろ、お前達が仕えたのは劉備の理想だ。そしてその理想に俺と劉備、どちらが近いと思う?」

 

「……」

 

「どうして何も答えない?劉備の政が俺の政を上回っているなら胸を張って劉備だと答えられるはずだ」

 

「それは……」

 

「だから断言してやる。俺の政の方が劉備の理想に近い。故に言える。星が劉備を裏切ったんじゃない。劉備の理想に魅せられ劉備に従ってきた星を劉備が裏切ったんだ!だから星は俺の下に来た。劉備の理想に近い俺の下へな」

 

「それは詭弁です!!」

 

「ほう、詭弁と言うか、ならば納得出来る言葉を言ってみるがいい。言っておくが、俺が納得出来る言葉じゃない。飢餓に苦しみ生まれた地を離れなくてはいけなくなった元はお前達の民が納得出来る言葉をな!!」

 

糾弾していた立場から逆に糾弾され、諸葛亮の顔が青ざめる。そんな諸葛亮を宥める様に一刀は声を掛けた。

 

 

「なぁ、諸葛亮、お前は本当に今のままで良いと思っているのか?」

 

「どういう事でしょうか?」

 

「はっきり言って劉備ではお前を使いこなせない」

 

「お前!!桃香様を馬鹿にするのか!?」

 

一刀の言葉に馬超が激昂するが、

 

「馬超、お前も後で話をするから今は黙ってろ」

 

即座に切り捨てる。

 

「諸葛亮、お前は多くを学び、それを生かす為に励んできたんだろ?でも自分の能力を活かし切れていない、そう思う事はないか?」

 

「……」

 

一刀の言葉に思い当たる事があるのか、諸葛亮が黙り込む。

 

「勘違いしないで欲しいのは、別に俺は劉備を見下しているわけじゃない。夢見がちな所が行き過ぎている部分もあるが人格という面では文句はないし、器もある。……ただ、本人の能力が足りてない。例えば、こういう事はなかったか?お前がある政策を考える。その政策を行えば国にとって良い効果が得られる政策だ。お前自身もそう考えて劉備に提案するが、劉備にはその政策がどう良いのか理解出来ず、または周りの関羽辺りに反対され結局廃案になるといった事だ」

 

「……あります」

 

「だろうな、それが俺が劉備の能力が足りないと言った理由だ。いくら良い政策だろうと上に立つ者がその政策の良さを理解出来なければ机上の空論になり果てる。それに劉備の周りには劉備を妄信する人間が多すぎるしそういう人間は勝手に劉備の意を汲もうとするだろう。諸葛亮、お前が本当に自身の才を思う存分振るいたいのなら、先の乱世なら主君は劉備ではなく曹操を選ぶべきだった。曹操なら器もあり中身も伴っている。お前の才を限界まで絞り尽くしてくれただろう」

 

「……では今なら?」

 

「俺だな」

 

一刀はそう断言する。

 

「曹操は切れ味が鈍っているし、孫権は排他的で派閥争いが激しい、司馬懿は器も能力もあるだろうが、お前とは致命的に合わんだろう」

 

「そうですか……」

 

「諸葛亮、俺の下へ来い!お前もこの荊州を見ただろう。俺ならお前がどんな政策を出して来ても理解してやれるし、その政策が良い物なら金も労力も惜しまん。俺はお前ほどの者がこのまま腐っていくのを見たくない」

 

一刀の突然の誘いに諸葛亮本人のみならず、星も馬超も驚きの顔を浮かべていた。

 

「……それは出来ません」

 

「そうか……だが、気が変わったならいつでも来い。俺は丞相の地位を空けてお前を待っている」

 

正直、丞相は風にやらせてもいいんだが、風は絶対やりたがらないし、風が向いているのは内政より謀略だと一刀は思っていた。

 

「お誘いをお受けする事は叶いませんが、過分な評価して頂いた事は感謝致します」

 

諸葛亮が丁寧な言葉遣いで一刀に頭を下げる。

 

……これでいい。

 

一刀も元より、諸葛亮がすぐにこちらに寝返るとは思っていない。だが、諸葛亮の心に楔を打ち込めた。その楔は後々に効いてくる。……だから今はこれでいい。

 

「さて、次は馬超お前だな」

 

一刀は諸葛亮との会話を切り上げ、馬超を正面から見据える。

 

「馬超、お前は散々、星を裏切り者と罵っていたが、俺からすれば本当の裏切り者はお前だと思うぞ」

 

「わ、私は裏切りなんて!」

 

「馬超、お前は何で劉備に仕えたんだ?」

 

「私も桃香様の理想に「違うな」」

 

「!!」

 

「確かに劉備に仕えてからは劉備の理想に魅せられたかもしれないが、劉備の下へ向かった時はそうではなかったはずだ」

 

「それはどういう……」

 

「馬寿成」

 

「!!」

 

その一言で馬超の身体が一瞬震える。

 

「お前が劉備の下へ向かった理由は馬騰、お前の母親の仇を取る為だ。違うか?」

 

「それはそうだけど……」

 

「ならば、お前は一体、今、何をやっている?」

 

「何をって」

 

「仇討ちはどうした?まさか、劉備の理想にどっぷり浸かって諦めたとでも言うつもりか?」

 

「やろうとしたさ!!でも私達は曹操に負けたんだ!!」

 

「だからどうした?確かにお前達は曹操に負けた。けれどお前は生きているじゃないか。生きているのに仇討ちを諦め、劉備の理想という免罪符にしがみつき、のうのうと生き恥を晒すんだな」

 

「違う!母様は……母様は復讐なんて望んでいない!!」

 

「かもしれない。お前の母親は傑物だと評判だったからな。恐らく最後の時まで娘のお前や涼州の民の事を安じただろう。では聞くが、その時に曹操に対する恨みがなかったと言えるのか?」

 

「それは……言えない」

 

「なぁ、馬超、お前は不公平だとは思わないか?劉備や孫策は戦に負けても誰も喪わず、そのまま国を任せてもらえた。袁紹は国は失ったが生命は長らえた。けれどお前の母親だけは曹操に殺された。どう考えても不公平だよな」

 

「母様は病で先は長くなかった……」

 

「そうだとしても、曹操が攻めて来なければ、お前や馬岱と最後の時を家族で過ごせたはずだ。決してあんな非業の死を遂げていい人物ではなかった」

 

「お前が母様の何を知っている!!」

 

「知らんよ、だがなお前の母親の最後は知っている。……俺はあの時、あの場に居たからな」

 

「!!」

 

「星は知っているが、俺は先の乱世の時、曹操の下に居た。だからお前の母親の最後の姿を見ている。毒を飲んで苦悶の表情で死んでいたよ」

 

「かあ……さま……」

 

呟く馬超の声が震えていた。実際は一刀はあの時、華琳に追い出された為、馬騰の亡骸は見ていないのだが、そんな真実はどうでもいい。この場合、大事なのは俺から聞かされた馬騰の最後を馬超がどう考えるかだ。 

 

「どうせ曹操の事だから馬騰は誇り高く死んだと伝えられたんだろう?俺にはとてもそうは見えなかったがな」

 

「かあさま……かあさま……」

 

「俺にはお前の後ろで馬騰が佇んでいる姿がはっきりと視える」

 

馬超がその言葉に反応して後ろを振り向き驚愕したままその場に座り込む。

 

「母様!!」

 

「翠さん!」

 

「翠!」

 

そんな馬超に諸葛亮と星が声を掛けるが、一刀はそれを無視して馬超に近づき、耳元で語り掛ける。

 

「馬超、お前が視える馬騰はどんな顔をしている?笑っているか?それとも憎悪の表情を浮かべているか?」

 

勿論、一刀には馬騰の姿など視えていない。だが、馬超にその姿が視えているなら、それは馬超の罪の意識が見せている幻だった。だから一刀はその罪悪感をさらに煽る。

 

「馬超よ、お前はいつまでぬるま湯に浸かり、自分を……そして母親を裏切り続けるつもりだ?」

 

「母様ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

人には触れられたくない心の傷がある。一刀は自分のそれに人が触れる事は許さない。けれど必要とあれば自分は相手のそれをさらに踏みにじる。その相手が敵であるならばなおさらだ。

 

それを外道と呼ぶなら好きに呼べばいい。

 

馬超の幻の母親に赦しを乞う声を聞きながら一刀は冷たく嘲笑うのだった。

 

 



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人の夢

黙り込む諸葛亮と未だに座り込み、母親への懺悔の言葉を繰り返す馬超を置いて、一刀は星を伴って客間を出る。

 

「主!庇って頂いた事には感謝致しますがいくら何でもあれは!!」

 

「俺を軽蔑するか?」

 

「……」

 

「まぁいい。星、この後の仕事はいいから、俺と一杯付き合え」

 

一刀は星の顔を見ないまま、それだけを言って歩き出す。後ろから自分に着いてくる星の気配を感じながら、ふと、外の景色を眺める。

 

木々の葉は枯れて落ち、風は身に染みる冷たさとなって身を襲う。

 

この世界に戻ってから三度目の冬。

 

一刀は冬が好きだった。

 

昔は春や夏を好んでいたが、元の世界での戦争を乗り越えてからは世界の静寂を感じる冬を好む様になった。静寂の中で元の世界の仲間を思い出す。そして思う。

 

……自分はこうして後何回、この冬を迎える事が出来るのだろうか?

 

一刀は二十五でまだまだ若い。けれど自分は寿命を全うする事はないと一刀は何故か確信していた。

 

それならそれでいい。一刀にとって死は古い友の様な物だ。自分に会いに来たなら、その時は死んでやればいい。

 

「……主?」

 

突然、立ち止まった一刀に様子を伺う様な表情で声を掛けてくる。そんな星に対して一刀は軽く笑って

 

「何でもない」

 

それだけを言って、再び歩き出す。

 

自分の自室に着いた一刀は部屋付きの侍女に酒と軽く摘む物を頼み、部屋に入る。

 

「好きな所で寛いでいいぞ」

 

「ふむ、では遠慮なく」

 

席を取る星を眺めながら、一刀は被っていた仮面を取る。そしてまもなくやってきた酒とつまみと二人分の盃。その片方を一刀は星に渡し酒を注ぐ。

 

「では一献ってな」

 

「これはこれはありがたく。……では私からも」

 

星に酒を注がれた盃を一刀は一息で飲み干す。

 

「良い呑みっぷりですな主よ」

 

「別に大した事はない。俺が居た所の酒に比べると酒精は薄いしな」

 

「ういすきやぶらんで、わいんと言いましたか、主が作らせている酒は酒精が強い上に味が良く高値で取引されているとか……私も一度呑んでみたいものですな」

 

一刀がこの世界に戻って来て作り始めた故にまだ蒸留具合が足りていないが、それでも今までにない酒という事で飛ぶように売れていた。

 

「買えば良いじゃないか、富裕層向けに作ってはあるが、お前の給金なら十分に手が届くだろう?」

 

「良い女は色々と物入りなのですよ」

 

「メンマを買うのが良い女か……」

 

「うぐぅ!」

 

言葉に詰まる星を見て、一刀は思わず笑ってしまう。

 

「まぁ、機会があるなら一度買ってみるがいい」

 

「今、出してくれても良いのでは?」

 

「あれ等の酒は真剣な話をする時に呑む酒じゃない。一人の時に呑む酒さ」

 

「それはどういう?」

 

「呑む酒にも種類がある。宴会で皆で呑む酒、大事な人と呑む酒……この場合は結婚した相手や恋人だな。後は一人で呑む酒」

 

「……」

 

「で、一人で強い酒を呑むって時は大体、気を紛らわしたい時や嫌な事を忘れたい時と相場が決まっている。……が俺は違う」

 

「違うとは?」

 

「大事な事を忘れたくない……忘れちゃいけない時に強い酒を呑むんだよ。しいて言うなら懺悔だな」

 

「懺悔……」

 

「俺が今まで犯してきた罪、守れなかった仲間に対する後悔、普通の人間は僧や信頼出来る相手に聞いてもらうんだろうが、俺は誰にも言えない。だから酒瓶の中に吐き出す。その行為で忘れちゃいけない事を再び自分の心に刻み込むのさ」

 

「何故、誰にも言えぬのですか?」

 

「楽になりたくないからだ。誰かに話を聞いて貰えば楽になるだろ?俺はそれが嫌なんだよ」

 

一刀も一度だけ誰か……自分が帰って来るのを信じて全てを捨ててくれた凪に語った事がある。確かに楽にはなった。そして楽になった自分を一刀は恥じた。自分の罪や戦友の死はそんな事で楽になっていい事ではない。それ以来、一刀は誰かに自分の過去の傷を話す事はしないと決めた。

 

「……難儀な生き方をしておりますな」

 

「だが、俺はそんな自分が嫌いじゃない。だからこれでいいんだ」

 

そう、精々自分は苦しんで生きていけばいい。死んだ戦友はもう苦しむ事すら出来ないのだから……

 

「さて、お前が話したいのは馬超の件だな?」

 

一刀は本来話すべき本題に話題を移した。

 

「ええ、あんなに追い詰めなくても良かったのでは?それも亡くなった母親を利用する様な形で……」

 

「星、人が一生で関わり合える人間とは何人くらいだと思う?」

 

「主!今は翠の事では「まぁ、最後まで話を聞け」」

 

「……」

 

一刀がそう言うと星は黙した。そんな星を見て一刀は話を続ける。

 

「普通の村人なら数十人から数百人、俺達の立場なら数十万人から数百万人に膨れ上がる」

 

「それが何か?」

 

「では、その中でコイツの為なら死んでやってもいいと思える人間は何人居る?」

 

「それは……」

 

「精々、数える程度だろ?俺にとってお前はその中に入っている。そして馬超は入っていない。むしろ俺がそう思う人間を殺す可能性のある人間だ。だから俺は馬超にやった事を後悔していないし、必要とあらば同じ事をするだろう」

 

「……」

 

どこか難しい顔をしている星、一刀はそんな星に向かって呟く。

 

「皆が笑顔でいれる国」

 

「それは桃香様の……」

 

「あぁ、劉備の理想だ。だが、劉備は曹操との一騎打ちの時にこうも言った。自分の周りの人が笑っていてくれればいいと。ただあの乱世の時はそれすらも難しかった。だから劉備は立った。皆が笑顔をいれる国を作ると、そこにある矛盾を考えないままに」

 

「矛盾……」

 

「そうだ、矛盾だ。前に言っただろう。劉備の言う皆はどこまでが皆なんだ?食い詰めて賊になった者や五湖の者は入らないのか?」

 

「……」

 

「俺はさっき、諸葛亮に劉備の理想に俺が近いとは言ったが、俺は劉備の理想なんか目指す気はない。何故ならその理想は不可能だからだ」

 

星は納得いかなそうな顔をしているが、構わず一刀は話を続ける。

 

「だってそうだろ?人は一人一人違う。大事している物も違えば求めている物も違う。そしてそんな人間がこの大陸には数千万人居る。それだけの人間が同じ理想を掲げるなんて無理に決まっている。星、お前もそうだ、お前も劉備の理想の下に戦い、一応、三国同盟で大陸は平和になった。だが、こう思わなかったか?物足りないと」

 

「……思いましたな」

 

「それはお前が趙子龍という人間だからだ。槍の鍛錬に励み得た己の力を使う機会がなくなった。だから物足りなさを感じたんだろ?」

 

「否定は出来ませぬ」

 

「けれど普通に暮らしている大多数の民は戦が無くなって良かったと思ったはずだ。……ほら、この時点でお前と民が求めている物は違う」

 

「主、私は」

 

「お前が無闇な戦を求めている事ではないのはわかっている。俺が話したのはあくまで例だ。劉備が理想が不可能だというな」

 

「では主の理想とは?」

 

「俺にとって大事な者達、俺に着いて来る者達に出来る限りの幸福を与える事だ。その中で敵となる者を苦しめる事もあるだろうが、俺はそれを是とする。そうしてでも俺はお前達に笑っていて欲しいからな」

 

「……」

 

「そしてその理想により、幸福に出来る人間を少しずつでも増やしていき、最終的にこの大陸全土、いや五湖やその先へ拡げていけたらいいと思っている」

 

「それは桃香様の理想に近いのでは?」

 

「それは違う。俺には劉備と違って皆という意識はなく、あくまで自分の手の届く範囲でと決めている。俺は俺にとって大事な人間や俺に着いて来る人間が幸福ならそれでいいからな。正直言ってそれ以外の人間は知らんしどうでもいい。だから馬超を追い詰めた様な事も出来る。まぁ、それでも俺の手は劉備のそれより遥かに長く幸福に出来る人間も多いだろうが」

 

そう、言ってしまえば一刀はエゴイストなのだ。それは一刀だけではなく、華琳も司馬懿も孫策や孫権もそうだろう。劉備は認めないだろうが、エゴイストである事は間違いない。理想に酔ってそれを自身で認めないから一刀は劉備を認める事が出来ないのだ。

 

そして争いが互いを傷つける物とわかっていながら理想という名のエゴを掲げ争い合う。それが人という種の業だった。

 

「納得は出来たか?」

 

「いえ、全部は納得出来ませぬ。ですが主の言っている事は理解は出来ます」  

 

「それでいい。全部を納得する必要はない。俺とお前は違う人間なのだから全ての意見が一致する事はまずあり得ない事だ。お前も言いたい事があるならこれからも今回みたいに遠慮なく言え。そうしないと伝わる物も伝わらないからな」

 

必要な事を話し終えた一刀は盃に酒を注ぎ、唇に湿らす様に呑みながら呟く。

 

「それにしても皆が争いもなく笑顔でいれる国か……まさに人の夢だな」

 

一刀が居た西暦二千年代でも人間がなし得ていない劉備の理想。もし、それをなし得たなら人という種は次の段階に足を踏み入れる事が出来るのではないか?

 

「人の夢……」

 

「そうさ、故に儚い」

 

だが、劉備の理想に辿り着く前に、人という種が滅びる方が早い。一刀はそう思っていた。

 

 



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偽りの王

「ちょっと成都に行ってくる」

 

「「「「「はっ?」」」」」

 

次の日、再び玉座の間に集まった凪達に向かって、一刀は近くに散歩に行く様な気楽な感じで言い捨てる。

 

「いや、馬岱を蜀に返す代わりに董卓を貰う事になったんだが、迎えはいるだろう」

 

「お兄さん、風達はそんな事、一言も聞いていないのですが……」

 

「あー、言うの忘れていた」

 

一刀の悪びれもしないその言葉に凪達は頭を抱える。

 

「そんな大事な事はちゃんと報告して下さい。それにしても董卓さんですか……それは晶さんの為ですか?」

 

「一刀様……」

 

風がニヤニヤした顔で、晶が瞳を少し潤ませて一刀を見つめてくる。

 

「あぁ、そうだ」

 

「一刀様、ありがとうございます!!」

 

頭を下げる晶に一刀は若干、罪悪感を感じる。確かに晶の為と言うのは嘘ではないが、一刀にはその他の目的もある。

 

一つは董卓の能力、先の乱世の時、賈駆の助力があったとは言え、あの魑魅魍魎が跋扈する洛陽を纏め上げた能力は傑物と言っていい。

 

それに彼女は元々、涼州の地方領主であった身、現代日本で例えるなら、田舎の市長がいきなり東京都知事になって仕事をこなして見せた様な物だ。はっきり言って半端ではない。

 

劉備の所では侍女の真似事をしているらしいが、能力の無駄遣い過ぎる。また、そんな事を許している劉備は馬鹿じゃないかとも思う。先の乱世の時は反董卓連合の後の生存を隠す為には仕方ない行動だとは思うが、反董卓連合を画策した袁紹が蜀にいる今になっては何の意味もない。

 

二つ目は董卓のコネ、涼州の地方領主だった董卓には五胡、羌族と付き合いがあった。一刀はそのコネを利用して涼州の先、康居、クシャーナ朝、パルティア等に使者を送り、交易の為にシルクロードの道を切り拓きたいと考えていた。

 

馬騰が生きていれば、彼女でも良かったが、彼女は既に亡く、馬超は知恵が足りない。馬岱では名が弱い。やはり董卓しか居なかった。

 

だが、一刀が董卓を求めている一番の理由は自分に万一の事がある可能性を考えての事だった。

 

一刀は戦場で死ぬ気はしないが、病で死ぬ事はあると考えていた。この時代、医療技術は未発達で、医学の学校も創設したが、一刀の医療の知識はあくまで医学書を読み込んだ程度の物で本職ではない。いや、本職であっても癒せない病は山ほどある。

 

平均寿命が80年を超えていた日本と違って、この世界では50年はない。故に後の事は考えないといけない。

 

一刀の考えでは自分がもし早死した場合、後は董卓に任せようと考えていた。一刀は董卓と話した事はないが、凪達に聞いた話では人格面も文句の付け所がないらしい。

 

董卓の能力、人格ならもし自分が死んだ場合でも、どのような形になるかはわからないが、自立を貫くにしろ、どこかに合流するにしろ、上手く軟着陸してくれると思っていた。

 

だが、それも全て董卓の信頼を得てからの話。故に一刀は自ら成都に出向くのだ。

 

「ですが隊長、隊長がご自身で行かれるのは危険です」

 

「虎口に飛び込む様な物ですねー」

 

「風、俺が虎如きでどうにかなると思っているのか?」

 

「そうは思わないですが、蜀の皆さんは侮れませんよ」

 

風の言葉に呼応する様に星が言葉を繋ぐ。

 

「風の言う通り、確かに主は虎如きではどうにもならんと思いますが、成都には恋、呂布が居ますぞ。それに呂布だけではなく、愛紗や鈴々、関羽や張飛も一騎当千の猛者である事は間違いありませぬ」

 

「呂布に関羽、張飛か、奴らが本当に俺より強いなら討たれてやってもいい」

 

「隊長!!」

 

一刀のどこか投げやりな言葉に凪が怒声を発した。一刀はそんな凪を宥める。

 

「凪、奴らが俺より強いならの話だ。前に言ったろう、俺は俺より弱い奴には負けてはやらん」

 

「ですが……」

 

「凪、心配せんで良い、一刀は負けんよ。……それにしても飛将軍呂布と一刀の一騎打ちは見てみたいのう」

 

「あぁ、私が月様の下に居た時は差が有りすぎて、呂布の武の限界はまるで測れなかった。一刀様に鍛えられて私も強くなった自負はあるが、それでも呂布には及ばんだろう。だが、一刀様が負ける姿も想像出来ん。一人の武人としては是非見たい勝負ではある」

 

「お前達の希望は叶うさ。蜀との戦、呂布とやるのは俺だ」

 

と言うより、一刀以外が呂布と戦えば間違いなく死ぬ。そんなリスクしかない勝負に仲間を使うつもりは毛頭なかった。

 

「先の事より、今は隊長の成都行きの話です。隊長、誰を連れていくおつもりですか?決まっていないなら自分が共に行き隊長を自分の命にかえてもお守りしてみせます!!」

 

凪が拳を握りしめ、真っ直ぐな瞳で一刀を見据えて宣言する。

 

「凪、それは駄目だ。お前には昨日任せた仕事をしてもらわないと。それに俺の為に命をかけるなんて真似は許さん」

 

「隊長!!」

 

「凪ちゃん少し落ち着くのですよー……ではお兄さんは誰を連れて行くのですか?」

 

「お前達の誰かを連れて行くつもりはないな」

 

「それは軍師として看過出来ませんねー。せめて黒鬼隊の人を連れて行って貰えますか?あの人達なら死に物狂いでお兄さんを守るでしょうし」

 

「俺は今回の件で黒鬼隊を動かす気はない。だが、まぁ、心配するな。ちゃんと手は打つ」

 

そう言った一刀の顔に浮かぶ表情は自信しかなかった。

 

「隊長、本当に大丈夫なのですね」

 

「大丈夫だ」

 

「……わかりました」

 

一刀が譲る気がないのがわかったのか、凪は渋々了承する。

 

「凪が言って駄目なら、儂らの誰が止めても無駄じゃろう。一刀よ、儂らは昨日言われた事をやればいいのじゃな?」

 

「頼む」

 

それで話は終わりだった。玉座を立った一刀は諸葛亮達の元へ向かう。

 

蜀へ戻る準備を整えていた諸葛亮達に一刀は一声掛ける。

 

「諸葛亮」

 

一刀の姿を見た諸葛亮は驚く。そして隣に居た馬超の表情に怯えが走ったのを一刀は見逃さなかった。

 

「……これは高長恭様、何の御用ですか?」

 

「いや、俺も成都に連れて行ってもらおうかと思ってな」

 

「えっ?」

 

「俺が返礼の使者だよ」

 

「はわわっ!高長恭様自らですか!?」

 

諸葛亮は信じられないのであろう。明らかに動揺していた。

 

「何か問題はあるか?」

 

「い、いえ、ですが私達の国は……」

 

「敵国だな。だが、俺にはそんな事どうでもいい」

 

「どうでも良くないですよ!!」

 

使者としての役目を果たすべく、一貫して冷静さを前面に出していた諸葛亮の仮面が剥がれるのを見て、一刀は笑う。

 

「諸葛亮、それでいい。表向きな場ならともかく、俺につまらん礼儀は無用だ。それと馬超、馬岱は連れて来ているから会ってやれ。一人で不安だったろうからな」

 

「あぁ、ありがとう……」

 

そう言って馬超は馬岱の居る方へ走って行った。

 

「少し立ち直った様だな」

 

そんな馬超の姿を見て一刀は呟く。

 

「元々、追い詰めたの高長恭様ですよね」

 

「そうだな、だが間違った事は言っていない」

 

「ですが、極論ではありました」

 

「それも否定はしない」

 

そう、一刀が馬超に言ったのは、あくまで一刀が馬騰の心を勝手に解釈した事。全てが間違っているとは言えないが、全てが正しいとも言えない。諸葛亮はその辺りの事を馬超に言ったのであろう。

 

「なるほど、上手く立ち直らせた物だ。流石は諸葛亮だな」

 

「あのままでは、暴走する可能性もありましたから」

 

「そうなってくれた方が俺としてはありがたかったが、仕方ないな」

 

一刀にとって、あの場での発言は星を庇う物であって、馬超がどうなるかは正直言ってどうでも良かった。利用出来るなら利用しようと思っていた程度の物だ。

 

「それより蒲公英さんを返して良かったのですか?月さんが貴方の下へ行くと了承した訳ではないのですよ」

 

「董卓は自分の身を惜しんで馬岱の命を見捨てる様な女なのか?」

 

「それは……」

 

「違うよな。ならば問題ない」

 

一刀と諸葛亮が話をしている間にどうやら出発の準備は整った様だ。

 

「じゃあ、出発するか」

 

一刀がそう一声掛けると諸葛亮は頷いた。

 

成都への道程、馬超と馬岱は一刀に近付こうとはしないので、一刀の話し相手はもっぱら諸葛亮だった。

 

「高長恭様は先の乱世の時、曹操さんの所に居たんですよね?高長恭様から見た曹操さんはどんな人ですか?」

 

「様はいらないぞ。……そうだな、俺はあの時、一部隊の隊長でしかなかったから、曹操と関わる事はほとんどなかった。だから客観的な視点で言うと、超世の傑と言っていい」

 

「高長恭さんから見ても、曹操さんはそれほどの方ですか……」

 

「この時代、この大陸で彼女以上の器と才を持つ者はいないだろう。過去を見ても光武帝辺りに匹敵するんじゃないか」

 

一刀の意見に納得出来るのか、諸葛亮が一度大きく頷く。

 

「だが、弱点がない訳ではない」

 

「弱点……ですか?」

 

「あぁ、何だと思う?」

 

諸葛亮は少し考える素振りを見せたが、わからなかったのか、顔を左右に振る。

 

「甘さだよ。お前の主君の劉備とは違った甘さ。彼女の能力故の慢心とも言ってもいい」

 

「慢心……」

 

「例を言うなら、先の乱世の時、お前達は袁紹の追撃から逃れる為に曹操の領土を通らせてくれと言って来た事があったな?」

 

「はい」

 

「その時、曹操は劉備を論破はしたが、結局、何も取らず自身の領土を通らせた。後々、敵になる事がわかっているのにだ。曹操は劉備の器を見て堂々と戦いたいと思ったのかも知れんが俺から見たら甘すぎる」

 

「……では高長恭さんならどうしましたか?」

 

「その場で皆殺しにしただろうな」

 

「!!」

 

「何か可笑しい事を言ったか?俺からしたらあの場でお前達を見逃す意味がわからない。あの場でお前達を殺しておけば、後のお前達の奇襲戦や定軍山、赤壁、成都攻略戦で死んだ数十万の兵も死ぬ事はなかった。死んだ兵の家族からすれば納得いかんだろう」

 

「それは……そうですね」

 

「そういう点で確かに曹操は英傑であるが、無駄に乱世を引き延ばした罪人とも言える。これは劉備も一緒だ」

 

「……」

 

「俺の曹操に対する評価はこんな所だな」

 

「では……桃香様をどう考えますか?」

 

「劉備か……」

 

一刀は少し考え、

 

 

 

 

 

 

 

 

『偽りの王』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一言で切って捨てた。

 

 

「それは……どういう事ですか?」

 

「言葉の通り、劉備は王であって王じゃない。少なくとも俺は劉備を王とは認めていない」

 

「何故……?」

 

「劉備が見せかけだけの王だからさ。確かに彼女は器はある。理想もある。人徳、優しさもある。だが、それだけだ」

 

「それだけって……」

 

「じゃあ聞くが、劉備の優しさとは誰に対する優しさなんだ?」

 

「それは民「嘘だな」」

 

「嘘じゃありません!」

 

「じゃあ何でさっきの袁紹の追撃の時、関羽を手放す事をしなかった?あの時、曹操は領土を通る代価に関羽を求めたらしいな。だが、劉備は拒否した。自分に着いて来る数万の兵がいるにも関わらずだ。それとも何か?自分に着いて来る兵は優しさを向ける相手でないと言うつもりか?劉備はあの時、関羽一人の為に数万の兵を見捨てた。それを忘れるな。まぁ、曹操にも同じ事を言われた様だが」

 

「……」

 

「確かに劉備は優しいさ。けどその優しさはあくまで自分や自分の周りの者に危害が及ばない時だけに出る上から目線の優しさ。気まぐれとも言っていい。そんな劉備を優しさを信じて死んだ兵に俺は同情するよ」

 

「ではどうすれば良かったんですか!?」

 

「決まっている。劉備をもっと厳しい場に立たせるべきだった。彼女自身が理想の矛盾に苦しみ、苦渋を舐め、泥に塗れ、血に染まり、それでも立ち上がり、なお優しさを持ち続ける事が出来たのなら、その時、初めて劉備自身が夢見た理想の王になれただろう」

 

「……」

 

「まぁ、これに関してはお前達も悪い。劉備が理想が折れない様に理想の矛盾を見せない様にした。そして劉備の周りに居たお前達が優れていたから、劉備は現実と向き合わないまま、蜀の王という成功を収めてしまった。簡単に言えば甘やかし過ぎだ。もう矯正は効かんだろうな」

 

一刀の言葉に諸葛亮は黙り込んだまま何も言えない様子だった。

 

「俺が偽りの王と言った意味がわかったか?」

 

「私達が……桃香様を駄目に……してしまったんですね」

 

諸葛亮の瞳から雫が溢れる。

 

「いや、劉備も自ら気付くべきだった。それが出来ないのが劉備の限界なんだろう」

 

結局はそこだった。劉備は器はあるが、それは王になるべき器ではなかった。ただ、それだけの事。

 

「一刀」

 

そう言って、一刀は諸葛亮だけが見える様に仮面を外す。

 

「えっ?」

 

「俺の真名だ。昨日言った様に俺はお前を諦めるつもりはない。必ずお前を手に入れる。真名をお前に預けるのはその決意だ」

 

「はわっ!はわわっ!しょれは!?」

 

一刀の言葉に赤面しながら動転する諸葛亮。そんな諸葛亮に微笑みながら一刀は語り掛ける。

 

「答えはすぐじゃなくていい。もし、お前がもう一度やり直したいと思うなら、その時は俺の下へ来て、お前の真名、心を俺に預けてくれ」

 

「…………………はい」

 

暫しの迷い、それでも諸葛亮ははっきりと返事をしていた。

 



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鬼炎

半月ほどの成都への道程、一刀はかつて華琳と歩んだ時よりも、元の世界で成都に行った時の事を思い出していた。

 

あそこが自分の人生の分岐点。はっきり言って一刀は成都が嫌いだった。華琳との別れは吹っ切ったからまだいいとして、あそこを出て間もなく、拉致されゲリラにされたのだ。 

 

成都が悪い訳ではないが、成都には嫌な思い出しかない。子供っぽい感情である事はわかっていた。だが、嫌いな物は嫌いなのだ。

 

だから一刀は成都をろくに見る事はしなかった。見るべき物がないからだ。ただ、生活に困っている民を見ると、諸葛亮達の目を盗んでこっそりと荊州に来いと勧誘はしておいた。

 

 

 

 

成都の宮城の前で一刀は一人でぼーっと突っ立っていた。今頃、諸葛亮が劉備に報告を行っているのだろう。

 

暇な時間があるなら刀の鍛錬でもしたい所だが、生憎と愛刀は荊州に置いて来ている。一刀が持って来た武器の類いは元の世界である人から譲られた短刀のみ。ワイヤーすら装備していない。その持って来た短刀は取り上げられない様にブーツに装着していた。

 

諸葛亮が城に入って四刻(一時間)ほど経った頃だろうか、蜀の兵士が一刀を呼びに来た。その兵士に着いて成都の城内を歩く。途中で十歳ほどの女の子が侍女と一緒に散歩をしていた。

 

その女の子が一刀を見て、遠慮がちに手を振って来たから一刀も手を振り返しておいた。物騒な仮面姿の自分を恐れず手を振って来た女の子は良い子なのだろう。ただ、あんな無警戒だと美人に育ちそうな顔立ちをしているから若干心配になる。

 

一刀は子供は好きだ。中東でも戦争の中で近くの村の子供と遊ぶのは一刀にとって心の癒やしだった。

 

……だが、そうして遊んだ子供は戦争に巻き込まれ皆死んだ。

 

だから、子供に対しては好きと同時に苦い思いも湧き上がる。自分の領地の子供は自分を慕ってくるが、一刀は必要以上に自分に近付けない様にしていた。

 

自分と居たら死んでしまう。そんな錯覚に襲われるのだ。

 

凪達との間に子は欲しい。欲しいが、自分は父親として我が子を守り育てる事が出来るのだろうかと不安になってもいた。

 

「今、考える事じゃないな」

 

首を左右に振り呟く。

 

考え事をしている間にいつの間にか、一刀は玉座の間の扉の前に到着していた。

 

「高長恭様、到着致しました」

 

「入ってもらって下さい」

 

自分の案内してくれた兵士と耳触りの良い女性の声。扉が開かれ、一刀は玉座の間に歩みを進める。

 

そこに居たのは、関羽、黄忠、厳願、魏延、諸葛亮、鳳統。赤毛の美少女は見覚えがないが恐らくは張飛、先の乱世から七年以上経っているから子供の姿のままではないだろう。メイド服の様な服を着ている二人が董卓と賈駆。そして玉座に劉備。

 

一刀は董卓の姿を見た瞬間、思わず目を奪われた。

 

輝く銀髪、透き通る様な透明感のある美貌、触れたら壊れてしまう様な儚さを感じるのに、どこか芯の強さも感じる。何と言うか言いようのない雰囲気を醸し出していて、形は違えどその存在感は全盛期の華琳に劣る物ではない。

 

 

……蜀の人間の目は節穴か?どう考えても君が玉座に座るべきだろう。

 

 

玉座の劉備と見比べて一刀は強く思う。

 

劉備自体に魅力がない訳ではない。人目を惹き付ける美貌、男好きのする身体、纏う雰囲気は人を安心させる物を感じる。

 

ただ、董卓と比べると格が二枚か三枚落ちる。

 

そんな一刀の気持ちを知る事はなく、劉備が声を発する。

 

「貴方が高長恭さんですか?」

 

その声には怒気が混じっていた。

 

「お初にお目に掛かる劉備殿、俺が高長恭だ」

 

「貴方が高長恭さんなんですね。私は貴方に言いたい事があります。貴方はどうしてそんな酷い事が出来るんですか!?」

 

 

 

……………………………はっ?

 

 

一刀は劉備が何言ってるのか理解出来なかった。

 

「劉備殿、何の事を言っているか悪いがわからん」

 

「惚けないで下さい!!荊州を無理矢理奪ったり、星ちゃん騙したり、月ちゃんを攫おうとしたり……」

 

劉備の苦情を聞きながら一刀は思う。

 

 

……コイツそこまでか!そこまで馬鹿だったのか!!

 

 

過大評価していた。劉備は人徳と優しさを持った女じゃない。ただの馬鹿女だ。平和な時代が続いたからか多分、先の乱世の時より馬鹿になってる。

 

……アカン。コイツは殺さないと害悪になる。

 

一刀は明確に劉備に殺意を抱く。そして言った。

 

「お前、馬鹿だろ」

 

言っていた。言ってしまっていた。

 

「「なっ!!!」」

 

玉座の間に怒気が溢れる。それに構わず一刀は言葉を続けた。

 

「諸葛亮、お前、ちゃんと説明したんだよな?」

 

「はい」

 

諸葛亮が申し訳なさそうな顔をして一刀に応える。そのこめかみからは汗が流れていた。

 

諸葛亮の説明を理解してそうな面々は何とも言えない顔で一刀を見ていた。

 

怒っているのは、関羽と魏延くらいだ。それも隣の張飛と厳願に止められている。

 

「あー劉備、もう一回俺からちゃんと説明してやる」

 

一刀は外交の態度を投げ捨て素に戻る。馬鹿らしくなったのだ。

 

「まず、荊州だが、元々お前の領土じゃない。お前と孫呉が牽制し合っていたせいで、俺が荊州に入るまで豪族達が好き勝手し民が苦しんでいた。その間、何もしなかったお前に領有権を主張する権利はない!」

 

「でも!!」

 

「はいはい、次いくぞー」

 

一刀は劉備を無視して話を続ける。

 

「次は星の事だな」

 

「お前!星の真名を!」

 

「関羽はちょっと黙れ。……それで星を騙したって何の話だ?」

 

「貴方は賭けで星ちゃんを……」

 

「あぁ、その話か、確かに俺と星は賭けをしたよ。それが何か悪いのか?」

 

「悪いのかって……」

 

「あのなぁ、賭けの内容は知ってるだろ?一騎打ちで俺が勝ったら星を配下に星が勝ったら荊州を譲り渡す。なぁ、黄忠、この賭けってどっちが有利だと思う?」

 

「そ、そうね、内容は明らかに星ちゃんが有利ね」

 

声を掛けられると思ってなかったのか、黄忠が少し慌てた感じで一刀に返答する。

 

「そう、俺は明らかに不利な賭けに勝った。だからと言って、俺は無理矢理、星を配下にした訳じゃない。そうだろう諸葛亮?」

 

「ええ、星さんはご自身の意思で高長恭さんに従っていました」

 

「そんな!!星ちゃんが裏切るなんて……」

 

「劉備、お前さ、さっきから星の事ばかり言ってるけど、大事な事忘れてないか?」

 

「大事な事?」

 

「星の指揮下にあった二万の兵の事だよ。やった俺が言うのもあれだが、ほとんど帰って来なかっただろう?その家族に何かと補償はしてやったのか?」

 

一刀の言葉に劉備はしまったという顔をする。

 

「してないよな。その顔を見るに頭にもなかった様だ。働き盛りの男が死んだんだぞ。その家族が困窮しないと思っているのか?案の定、その家族達は俺の所に流れて来たぞ。殺した俺や、死んだ後、何とかしようとした諸葛亮や鳳統は恨んでなかったが、送り出して何もしなかったお前は恨んでいたぞ」

 

「あぅ、それは……」

 

「皆が笑顔で暮らせる国。お前の理想だが、どうやらその家族達はお前の中の皆には入らなかった様だ」

 

一刀の言葉に劉備の顔が青ざめる。

 

「それで董卓殿の事だが……」

 

「そう!アンタ!月をどうする気!?」

 

董卓の話題になった途端、今まで黙っていた賈駆が声を張り上げる。

 

「別にどうもしない。俺から見れば、劉備、お前に董卓殿は勿体無い。はっきり言って、その玉座を彼女に譲り渡せば間違いなく蜀を今より良い国にしたはずだ」

 

「……わかってるじゃない」

 

賈駆が小さくそう呟いたのを、一刀は聞き逃さなかった。

 

「董卓殿、俺の所には貴女を受け入れる準備がある。貴女が平穏に暮らしたいと言うならば、そう出来る様に取り計らうし、貴女が民の為にもう一度再起すると言うならばそれが出来るだけの役職を用意しよう」

 

「で、でも私は罪人です」

 

「反董卓連合の事を言っているなら、それは貴女の責ではない。あれは宦官と袁紹の責であって、あの時、洛陽に居たのが劉備なら反劉備連合、曹操なら反曹操連合になっていただけだ」

 

「わかっています。ですが……」

 

「董卓殿、申し訳ないが、貴女に選択権はないのです。貴女の身柄は馬岱の首と引き換えなのですから」

 

「そんな!!」

 

「黙ってろ劉備、俺は今、董卓殿と話をしている」

 

「貴様ぁ!桃香様に向かって!!」

 

激昂する関羽を董卓が精一杯の声を出して制止する。

 

「止めて下さい愛紗さん!……わかりました。私は貴方と共に行きます」

 

強い意思の籠もった真っ直ぐな瞳で董卓は決然と応えた。

 

「なっ!月!」

 

「月ちゃん!!」

 

「月が行くなら当然僕も行くわよ」

 

驚く劉備と関羽に、董卓の傍を離れない事を宣言する賈駆。

 

他の面々は馬岱の開放条件を理解しているので黙って成り行きを見守っていた。

 

「董卓殿、英断に感謝する。賈駆も共に来るなら歓迎しよう。俺の所は重役がかなり空いているからお前ほどの者なら役職は選び放題だ」

 

一刀が賈駆を褒め称えると

 

「そう……」

 

何とも言えない顔で赤面していた。

 

「俺の用事は終わった。これにて失礼する」

 

そう言って一刀は董卓と賈駆を引き連れて玉座の間を出ようとした瞬間、

 

「もう!我慢ならん!!」

 

魏延が得物らしき棍棒で一刀に襲いかかった。

 

「止めんか!焔耶!!」

 

振り下ろされた棍棒は厳願の制止によって宙で止まった。

 

「ですが、桔梗様!コイツは桃香様を馬鹿にしたんですよ!!」

 

「馬鹿にされる様な事を言う奴が悪い。それより魏延、お前、今、自分が何をしているのかわかっているのか?」

 

「何ぃ!」

 

「お前は今、外交の使者、しかも他国の王に武器を向けている。これがどういう事かわからないのか?……劉備!魏延を斬れ!それでこの一件はなかった事にしてやる!」

 

一刀が劉備に対し、最後の助け船を出すが、

 

「えっ、そんな、焔耶ちゃんを斬るなんて出来ない……」

 

「この盆暗が」

 

劉備はそれに応える事が出来ず、そんな劉備を見て一刀が小さく吐き捨てる。

 

「じゃあ、お前達の誰でもいい。魏延を斬って劉備を助けてやれ」

 

一刀の言葉に蜀の将が迷いを見せる。魏延が悪い事はわかってはいても、斬る事には躊躇するのだろう。

 

そんな中、得物を抜いたのは関羽だった。

 

「関羽、お前が斬るか」

 

「何を勘違いしている。私が斬るのは貴公だ!」

 

「止めるのだ愛紗!」

 

「鈴々!何故止める!?あの男を斬れば月や詠はここを離れずに済むし、星も戻って来る!」

 

「違うのだ!あのお兄ちゃんすっごく強いのだ!」

 

野性の勘と言っていいのか、張飛は一刀の力量を見抜いた様だった。

 

「劉備!これがお前の答えと言う事でいいんだな!?」

 

「ぐあっ!」

 

そう言って、一刀は魏延を蹴り飛ばして戦闘態勢に入る。

 

「董卓殿、賈駆、少し離れていてくれ。どうやら、やり合う事になりそうだ」

 

「高長恭さん……」

 

「月!行くわよ!」

 

二人が一刀から離れる。それを確認した一刀は中腰の前傾姿勢を取りながら、ブーツの中の短刀を宙に放り出し掴む。

 

短刀の銘は【鬼炎】

 

これは一刀が元の世界で戦争を終えた後、日本で出会った男から酒の中の話で自分が戦争帰りで鬼と呼ばれていた事を言った時、

 

『カズトちゃん、鬼、言われとったんならこれやるわ。儂が長年使こうとった相棒や。カズトちゃんにならやってもええわ』

 

と言われ譲り受けた物。

 

一刀は日本に戻った後、慢心していた。戦争帰りの自分に勝てる人間なんてそうはいないと。

 

その慢心を一刀をぶちのめし、へし折ってくれたのが、その男。一刀が出会った中でも一番の男。一刀は今でもその男を尊敬している。

 

そして一刀がこれから取るのはその男の戦闘方法(スタイル)

 

「使わせてもらいます」

 

それは嶋野の狂犬と呼ばれ、伝説となった男の戦闘方法(スタイル)だった。




いつか閉話で日本での半年を書けたらいいなぁ。


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卑怯者

前半シリアス、中盤ちょいギャグ、後半シリアスって感じ。


一触即発の玉座の間、関羽と魏延以外の将も各々が武器を取り出す。

 

「気は進まんが、仕方ない」

 

「そうね」

 

「あのお兄ちゃんからは悪い感じはしないけど仕方ないのだ」

 

そんな将達を一刀は鼻で笑う。

 

「論戦で負けたからと言って、外交の使者を将総出でなぶり殺しか?仕方ないと言うなら黙って引っ込んでろ!この卑怯者共め!」

 

「ぬぅ」

 

「……」

 

「鈴々は卑怯者じゃないのだ!」

 

その時、外から蜀の兵、数十名が玉座の間に雪崩れ込んでくる。

 

「皆様!ご無事ですか!?」

 

「良い所に来た!入口を固めてその男を逃さない様にしろ!」

 

「関羽はこう言っているが、劉備、お前はこれでいいんだな?」

 

「……」

 

一刀が劉備を問い詰めるが、劉備は何も答えない。だが、その目には一刀に対する明確な敵意が宿っていた。

 

「諸葛亮!お前は本当にこんな国で、こんな主君でいいのか!?」

 

「わ、私は……」

 

「朱里ちゃんを誑かさないで下さい!!貴方は邪魔なの!!」

 

「化けの皮が剥がれたな劉備!何が皆が笑って暮らせる国だ!結局は自分に従わない人間は問答無用で殺そうとする独裁者じゃないか!」

 

一刀はさらに腰を落とし、ゆっくりと構えを取る。

 

「まぁ、いいさ。お前ら程度が俺を殺せると思うなら、その思い上がりを叩き潰してやる」

 

気を全身に巡らせ、バネの様な瞬発力で地を這うストライドで駆ける。

 

「こんのぉぉ!!」

 

立ち上がった魏延が一刀を迎え打つ様に棍棒を振り下ろすが、あえて飛び込み、前転で回避、加速を落とさないまま方向を左に切り返す。

 

「その武器、ここでは使えないとは思うが厄介だ」

 

一刀は厳顔に狙いを定め、さらに加速。

 

「だからここで沈め」

 

間合いに入り、厳顔を行動させる前に水面蹴り、態勢を崩した厳顔の脇腹に鬼炎を突き立てる。

 

「ぐあああぁぁぁ!!!」

 

「桔梗さん!!」

 

「桔梗様!!」

 

「「桔梗!!」」

 

一刀が厳顔に止めをさそうとするが、

 

「止めるのだ!!」

 

張飛が突っ込んで来る。

 

「ちっ!」

 

一刀は急いで鬼炎を抜き、厳顔の鮮血を浴びながら距離を取る。殺し切れてはいない。だが、厳顔は気絶しているし、しばらくはまともに動けないだろう。

 

「まず一人」

 

そう言った一刀の顔に狂気が浮かぶ。その狂気にその場に居る誰もが息を飲んだ。

 

「鈴々、焔耶、連携して行くぞ。あの男、尋常ではない」

 

「だから鈴々は言ったのだ!」

 

「あぁ、私の咎だ。それはあの男を討つ事で晴らさせてもらう。紫苑、援護を頼む」

 

「えぇ……」

 

「では私から行かせてもらう!桔梗様の仇ぃ!!」

 

魏延の攻撃、一刀はそれをスウェイで躱す。

 

「この関雲長の一撃、天命と心得よ!!」

 

関羽の豪撃もスウェイで躱す。

 

「うりゃ!うりゃ!うりゃぁぁぁ!!」

 

さらに張飛の連撃をスウェイで躱す。

 

猛将三人の一振り一振り、確実に死に至らしめる攻撃を一刀は黄忠の射線に入らない様にスウェイのみで躱し続ける。

 

「なんで……なんでなのだ!?当たっているのに当たらないのだ!!」

 

「一体どうなっている!?」

 

「この!訳のわからない事しやがって!!」

 

驚き、困惑する三人を見て一刀は思う。

 

……まぁ、初見じゃ驚くだろうな。俺があの人にされた時も驚いた物だ。

 

一刀のやっている事に一番最初に気付いたのは一刀から距離のある黄忠だった。

 

「……影よ。その人の避ける早さが早すぎて、その人の影がその場に残る。皆はその影を攻撃しているの」

 

「なっ!!」

 

「そんな事が出来る物なのか!?」

 

「……すごいのだ」

 

三人は一刀がやっている事がわかって驚愕しているが、この影残しはあの人からすれば序ノ口だ。

 

一刀はあの人と戦った時の事を思い出す。

 

あの時、一刀は自分が負けるとは思わなかった。相手は五十歳を過ぎた男で影残しには驚いたが、戦いは明らかに自分が押していた。だが、あの人が本気になった途端、自分はほとんど何も出来ずにぶちのめされた。あの理不尽な技によって。

 

 

 

 

……あの分身は反則だろぉぉぉ!!!

 

 

 

 

 

その時の苦い経験を思い出し、一刀は内心で絶叫する。

 

 

本気になったあの人はなんと十人に分身したのだ。いや、分身自体は今の一刀なら出来なくもない。身体に全力で気を巡らせ、超高速で動けばそういう現象は起こせる。けれどそれはあくまでそう見せると言うだけの事。分身は本体の動きに追従するし、実体はない。

 

だが、あの人の分身は違う。分身の一体一体が己の意識がある様に動き、実体もあったのだ。簡単に言えばあの人が十人に増えた様な物。

 

ただでさえ、やばいあの人が十人に増える。一刀にはどうしようもなかった。

 

ぶちのめされ、地に倒れた一刀にあの人はこう言った。

 

『カズトちゃんは三番目やな』

 

『三番目?』

 

『そや、儂が今まで喧嘩した相手では三番目に強いわ』

 

『上の二人は?』

 

『一人は儂の兄弟で、儂と互角ちゅうとこやな。もう一人は』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『儂よりゴツいでぇ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時の事を思い出した一刀は蜀の将との戦いの最中だというのに、思わず白目を剥きそうになる。

 

あのクラスが最低でも後、二人……

 

 

 

日本のヤクザ……やば過ぎだろ……

 

 

 

正直言ってこの三人は強いと言えば強いのだが、あの人ほどの怖さや理不尽さはない。

 

三人の力量を測り終えた一刀は勝負に出た。

 

「俺もそろそろ帰りたいから終わりにしてやる」

 

一刀は再び全身に気を巡らせ黄忠に向かって加速。弓の弦と持ち手の左手を鬼炎で斬る。飛び道具は邪魔だからだ。

 

「きゃあああああ!!」

 

 

「紫苑!貴様ぁぁ!!」

 

関羽の一撃を片手だけのバク転で避け、鬼炎を後ろ手で宙に放り投げ、前方に落ちて来た鬼炎の柄を蹴り抜いた。

 

「ぐっ!!」

 

一刀が蹴り抜いた鬼炎は関羽の右肩に突き刺さる。一刀は高速で関羽に近付き、鬼炎をえぐりながら引き抜く。

 

この一連の動きをあの人はドス流しと言っていた。

 

「ぐあああぁぁぁぁ!!」

 

あまりの激痛に関羽がその場でのたうち回る。

 

「愛紗ちゃん!!」

 

「愛紗!!」

 

「だ、大丈夫です。誰か!恋を呼んで来い!!翠と斗詩と猪々子もだ!!」

 

……ここまでだな。

 

一刀は見切りを付けた。これ以上暴れても切りがなくなる。ただ、もう少し蜀の将を減らしておきたい。厳願と関羽はしばらくは戦線離脱だろうが殺せてはいない。

 

そう思った一刀は一番近くに居た魏延に狙いを定めた。

 

魏延も一刀の視線に気付いたのか、棍棒を振りかざして一刀に突っ込んで来る。

 

「うおおぉぉぉ!!」

 

「そんな大振りが当たる訳ないだろ」

 

魏延の棍棒を躱し、その顔面を玉座の間の柱に向かって殴り飛ばす。

 

一刀は殴り飛ばされてた魏延を即座に追い、魏延の髪を掴み無理矢理起き上がらせて、その頭を柱に叩き付ける。

 

「死ね」

 

そして後頭部を殴り付け、崩れ落ちた魏延の頭を全力で踏み抜いた。 

 

頭蓋が割れる嫌な感触が足裏に伝わってくる。

 

魏延の身体は二度、大きく痙攣し、人からモノへと変わった。

 

「……え、えん…や…ちゃん……いやぁぁぁぁ!!」

 

「うそ、えん…やちゃん……」

 

「「焔耶ぁぁぁ!!」」

 

魏延の死に慟哭する劉備、呆然とする黄忠、叫ぶ関羽や張飛を見つめながら、一刀は冷笑を浮かべながら語る。

 

「お前達が斬らなくても結局こいつは死ぬ事になった。でもこいつが死んだのは自業自得だ。だが関羽や黄忠、厳顔は怪我をしただけ無駄だったな。……では、そろそろ俺は帰らせてもらうぞ」

 

「このまま帰すと思っているのか?」

 

関羽が右肩を押さえ、一刀を睨みながらそう告げる。

 

「いや、帰るさ。……那由多、もういいぞ」

 

一刀のその声で那由多が玉座の横に舞い降り、劉備に剣を突き付ける。その周りは屍鬼隊の者達が固めていた。

 

「ひっ!」

 

剣を突き付けられ、劉備が微かに悲鳴を漏らす。

 

「桃香様!」

 

「桃香お姉ちゃん!」

 

一刀は劉備の身を案じる関羽と張飛を横目で見つつ、那由多と会話を続ける。

 

「高長恭様、お戯れが過ぎます」

 

「すまない。でも良く我慢してくれたな」

 

「高長恭様がこの程度の相手に負けるはずはありませんから」

 

「ありがとう。……さて、見ての通りだ。劉備の命が惜しければ、俺達を帰らせてもらおうか」

 

 

「卑怯な!!」

 

「外交の使者を寄って集ってなぶり殺しにしようとしといて、良くそんな事が言えた物だ」

 

「ぐっ!」

 

「これもお前達の選択の結果だ。あぁ、心配しなくてもいいぞ。俺達の安全が確保されたら劉備は解放してやる。俺達はお前達の様な」

 

 

 

 

 

 

『卑怯者じゃないからな』

 

 

 

 

 

 

そう言って笑う一刀。それはこの場の主導権が全て一刀に移った証だった。

 

 



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断罪

少し短いです。


「桃香!」

 

兵達が呼びに行ったのであろう、その場に居なかった蜀の臣が次々と駆け付けてくる。

 

「白蓮ちゃん!」

 

「何だこれ?一体、何がどうなったらこんな事になるんだ?……っ!焔耶!!」

 

玉座の間の惨状を見て、公孫瓚が驚愕していた。

 

「ちっ!面倒だな。鳳統!ここで何があったか、そいつらに説明してやれ!」

 

「あわ、あわわっ!は、はい、わかりました!」

 

一刀はその場に居なかった蜀の臣への説明を鳳統に任せて、董卓の元への向かう。

 

「董卓殿、嫌な物を見せてしまった。申し訳ない」

 

「いえ……」

 

それだけを言って、董卓は魏延の亡骸を悲しげに見つめていた。

 

「月、そいつを庇う訳じゃないけど、そいつに一切の非はないわ。悪いのは焔耶と愛紗よ。……まぁ、一番悪いのは桃香だけどね」

 

その声音は平常ではあったが、明らかに劉備を見限った響きだった。

 

「……わかってるよ、詠ちゃん」

 

「いや、直接、手を下したのは俺だ。恨むなら俺を恨んでくれてもいい。ただ、俺は俺のやった事を間違っているとは思わないし、後悔もしていない」

 

「それもわかっています。だから私は貴方を恨みません」

 

董卓の瞳には悲哀と強い意志が籠もっていた。それはその言葉が口だけではない証。

 

……やはり劉備とは違うな。

 

一刀は強くそう思った。元々、情の深い性格なのだと思う。悲しみは見せていたが、現実もしっかり認識していた。

 

今まで人の汚い部分も見てきたのだろう。その揺るぎない瞳の光から自分を見失っていない事がはっきりとわかる。

 

「……ありがとう」

 

董卓の瞳に一瞬、圧倒されそうになった一刀はその一言を返す事しか出来なかった。

 

その時、玉座の間に乾いた音が響き渡る。

 

「ぱい……れん……ちゃん」

 

どうやら、公孫瓚が劉備を頬を張ったらしい。那由多もそれを止めなかった様だ。

 

「……何でだ?何でお前は彼に謝罪しなかった!?」

 

「だってあの人は焔耶ちゃんを斬れって!」

 

「外交の使者で王である自分に刃を向けたんだぞ!!向こうの立場ならそう言うしかないだろう!!」

 

「それは……」

 

「桃香、お前は焔耶の何だ?主君じゃないのか!?……ひょっとしたら許されないかも知れない。それでも家臣が不始末をしたなら頭を下げ庇うのが主君であるお前の役目だろうが!!」

 

「……」

 

劉備と公孫瓚のやり取りを見て一刀は思う。

 

 

……あれっ?公孫瓚って有能じゃね?

 

 

一刀からすれば先の乱世では知らない内に、袁紹に負けて劉備の所に落ち延びた印象しか公孫瓚にはなかった。

 

一刀の中で公孫瓚の評価が急上昇していく。

 

公孫瓚の言っている事は正しい。部下の責めを負うのは、上に立つ者の務めだ。あの華琳でさえ、春蘭がやらかした時は自ら相手に謝罪していた。

 

「白蓮!お前、桃香様に向かって!」

 

「愛紗!お前もお前だ!!お前が一番、桃香を止めなきゃいけない立場だろうが!そのお前が焔耶に便乗して何をやっているんだ!!」

 

「い、いや、私は……」

 

「公孫瓚、そこまでにしておけ」

 

一刀は感情的になっている公孫瓚を止める為に口を挟む。

 

「劉備、公孫瓚の言っている事は何も間違っていない。お前が頭を地に付けて非礼を詫びるなら、多少の賠償金は取ったが俺はお前を許した。正確には許さざるをえなかった」

 

「えっ……?」

 

「お前にとっても今回の事は好機でもあった。少なくとも利点は三つある。……諸葛亮、教えてやれ」

 

「はい。まずは桃香様が地に頭を付けて謝る事で風評を得られました。家臣の為に自らそこまでする事で慈悲深いという風評を……」

 

「そんな事をすれば桃香様を侮る者が出てくるのではないか?」

 

「関羽、お前はもう少し物を考えてから話せ」

 

「なっ!」

 

「確かにお前の言う事は間違ってはいないが、それは曹操や孫策の様な覇道や力を前面に出す人間に対してだ。だが、劉備は違う。劉備は人徳や理想を前面に出している。侮る人間も多少は出てくるだろうが、それ以上に家臣の為にそこまでする優しさに感服する人間の方が遥かに多い。お前は劉備の筆頭家臣だろう。そのお前が劉備の持ち味を理解してないでどうする」

 

「あっ……」

 

言われて初めて理解したらしい。関羽の口から情けない短音が溢れる。

 

「桃香様にそうされたら、高長恭様は間違いなく桃香様を許します。これも風評の為に」

 

「そうだな、俺が死ぬなり、怪我するなりした場合は別だが、あの時、俺は無傷だった。相手の王がそこまでするのに許さないと俺の器が小さいと言われかねない。また、ここで寛容さを見せておかないと、これから俺に降伏する人間が少なくなる」

 

「そうすれば焔耶さんも死なずに助かりました。これが二つ目の利点です」

 

諸葛亮が布を掛けられた魏延の亡骸を見つめながらそう語る。

 

「最後は私達、蜀の家臣の引き締めです」

 

「引き締め?」

 

今度は公孫瓚が疑問を漏らす。

 

「白蓮さんは元々、上に立つ人でしたから意識は薄いかも知れません。……愛紗さん、もし愛紗さんが何か失敗して桃香様が愛紗さんの代わりに地に頭を付け謝罪します。そんな桃香様の姿を見て愛紗さんはどう思いますか?」

 

「桃香様に対して申し訳なく思うし、また、桃香様にそんな事をさせた自分に対して怒りが沸くだろう。……あっ!」

 

「そう、その気持ちは焔耶さんも同じです。そして自分の行動を見直すきっかけになるでしょう。焔耶さんだけではなく、桃香様のその姿を見た皆に波及する事になります」

 

「完璧な回答だ諸葛亮。……劉備、これでわかっただろう。お前が最悪な選択肢を選んだ事が。俺はお前に最後の機会を与えてやったのに。これでいいのかってな」

 

「あ……あ……いやぁ……」

 

劉備の全身が震え始める。それに構わず一刀はトドメの言葉を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『劉備、お前が魏延を殺したんだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

劉備は自分の失敗を理解したのだろう。涙を流しながら悲鳴を上げる。

 

「桃香様!!朱里!わかっていたなら何故、桃香様にその事を助言しなかった!!」

 

「馬鹿かお前。誰かに助言されてその通りにして謝罪しても意味がない。誠意がないからな。そんな事されたら俺は周りに何を言われようが謝罪を突っぱねた」

 

「ぐっ!それは……」

 

「こういう所で本来の人格と品性が表に出てくる。すぐに謝罪をする事を選ぶ公孫瓚、皆が笑顔で暮らせる国を作るなんて言いながら自分の意にそぐわないなら排除しようとした劉備、どちらが本当に王に向いているんだろうなぁ?」

 

そう言って、一刀は劉備に歩み寄り、泣き続ける劉備の顎を掴み、自分の方へと視線を向かせる。そして最後の毒を流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前向いてないよ。やめたら?王様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀のその一言で劉備はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 



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オーパーツ

その場に崩れ落ちた劉備に興味を失った一刀は兵の治療を受けながら、いまだ、気絶している厳顔の元へ向かう。

 

「どけ」

 

その一言で厳顔の治療をしている兵を退けた一刀は厳顔の腹部を蹴り上げる。

 

「おい、起きろ」

 

「がはっ!」

 

「桔梗!!貴方、桔梗に何するんですか!?」

 

黄忠の咎める声、一刀はそれをさらりと受け流す。

 

「別に本気で蹴っている訳じゃない。ただ、こいつには聞きたい事がある。だから起きてもらったまでだ」

 

とは言え、一刀のブーツは鉄板が入っているからそれなりのダメージはあるだろうが……

 

しばらく咳込んだ厳顔は辺りを見回す。

 

「桃香様!!」

 

「……」

 

だが、劉備は厳顔の言葉に何の反応も示さない。

 

「あぁ、劉備に剣を突き付けているのは俺の部下だ。一言で言えば人質だな」

 

「お主!」

 

「まさか、卑怯とは言わないよな?お前達がやった事に比べたら卑怯でも何でもない」

 

「むぅ……そう言えば焔耶は?焔耶は何処におる?」

 

厳顔のその問いに一刀は軽く魏延の亡骸の方へ首を振る事で答えた。

 

「え、えんや……焔耶ぁぁ!!」

 

「うるさい。何を騒ぐ事がある?馬鹿が馬鹿をやって死んだ。それだけの事だ」

 

「おのれぇ!!」

 

「少し黙ろうか」

 

一刀はそう言って喚き立てる厳顔の首筋に鬼炎を添わせる。刃の冷たさを感じたのだろう厳顔が口をつぐんだ。

 

「……それでいい。お前には一つ聞きたい事がある」

 

「……」

 

「お前のその武器、誰が作った?」

 

「何故、そんな事を聞く?」

 

「いいから答えろ」

 

「誰がお主なんぞに!」

 

どうやら素直に答えてはくれないらしい。だから一刀は那由多の方へ視線を飛ばす。那由多も一刀が言いたい事がわかったのか、劉備に突き付けた剣を軽く押し込んだ。

 

劉備の身体から滴る鮮血。それを見た蜀の臣は顔色を変えた。

 

「「「桃香様!!」」」

 

自分の身体に軽くとは言え、剣先が突き刺さっているのにそれでも劉備は項垂れたまま、沈黙していた。

 

こいつ壊れたか……?一刀は一瞬、そう思ったが、今は劉備に関わっている暇はない。

 

「厳顔、もう一度だけ聞く。お前の武器を作ったのは誰だ?」

 

「ぐっ!…………馬均と申す者だ」

 

一刀はその名を聞いて、自分の頭の中の三国志の人物を探る。

 

馬均……確か正史で足踏み水車を開発した魏の発明家。どうやらこの世界でも発明家らしい。

 

「そいつはどんな奴で今、何処に居る?」

 

「姿形は風采の上がらぬ男。場所はワシもはっきりとは知らん。だが噂では衝山の麓の村落で色々なからくりを作っている様だ」

 

衝山とは長沙の近くにある標高千三百メーターほどの山だ。一刀も黒鬼隊や屍鬼隊の調練で何度か訪れた事があった。

 

「俺の領地に居るのか、手間が省けるな。那由多、こちらへ」

 

一刀に呼ばれた那由多は劉備を抑える役目を屍鬼隊の人間に任せて、すぐさま一刀のそばへ駆け寄る。

 

そんな那由多の耳元に一刀は小声で語り掛けた。

 

「那由多、ここを出たら、すぐにその馬均という男を屍鬼隊に命じて確保させろ。何ならお前自身が出てもいい。ただ、絶対に逃すな。確保に成功したらこちらに勧誘しろ。そして馬均が勧誘に乗るなら問題ない。だが、応じなかった場合は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺せ」

 

 

 

 

 

 

 

一刀のその命令に那由多は目で頷き、再び劉備の元へ戻った。

 

改めて、一刀は厳顔の武器を見つめる。……どう考えてもこの時代にあっていい武器ではない。

 

この武器は小型にして改良化すればリボルバー銃に、大型にして改良化すれば連装式の大砲になる。そんな武器がもし量産されてでもしまえばこの世界の戦争が一変してしまう。

 

何より一刀が懸念しているのは、こんな武器を作れる人間が誰の手綱も受けずに自由な状態でいる事。

 

「冗談じゃない」

 

心中の焦燥が思わず呟きとなって漏れる。一刀にとってこの世界に戻ってから初めてと言っていい明確な脅威。銃器の恐ろしさは自分が誰よりも知っていた。

 

一刀にとって幸いだったのは、蜀の人間が誰も、それこそ遣い手である厳顔でさえ、この武器の真価を理解していない事。

 

蜀の人間がこの武器の真価を理解し、馬均を招聘して改良、量産化していれば、自分はかませ犬に成り下がっていただろう。

 

一刀は何が何でも馬均を確保したかった。自分の管理下に置いて置かないと安心出来た物じゃない。管理下に置けないなら必ず殺すとも那由多に命令した様に決めている。

 

こんな伏兵がいるなんて思いもよらなかった。一刀が天下を平定すると決めた時、自分の敵になる事をもっとも恐れた相手は華琳でも劉備でも孫策や孫権でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

……一番に恐れたのは真桜だった。

 

 

 

 

 

 

 

一刀は正面からの戦争や国の経済力で他国に負けるとは思わない。自分が鍛えに鍛え抜いた黒鬼隊、諜報や工作員として他国を圧倒する屍鬼隊。国は交易により富み、食糧は一刀が元の世界から持ってきた芋類で民は最低でも飢える事はない。

 

まさに富国強兵。それを地で行く一刀の勢力をひっくり返す可能性があるのが、技術という物なのだ。

 

例えば真桜の螺旋槍。あれもこの武器と一緒でオーパーツと言っていい。この武器ほど、戦争で使える訳ではないが、量産すれば開墾や治水工事、道路整備などに破格の性能を発揮するだろう。

 

実際に張三姉妹の舞台をあっという間に作りあげた事でその事は実証済みだ。

 

だから一刀にとって真桜の身柄を確保するという事は、最優先事項に入っていた。それだけ技術者や発明家というのは重要だった。

 

一刀は厳顔の元を離れる。向かったのは魏延の亡骸。

 

そこで魏延の得物である棍棒を持ち上げ、再び厳顔の元へ向かう。

 

自分の気を棍棒に通し、その棍棒を上段に振り上げる。

 

「お、お主、何を!?」

 

真桜の螺旋槍はまだ良い。武器としてそれほど脅威ではないし、武器以外の使い道が山ほどある。だが、この厳顔の武器は違う。他の用途がほとんどない。あくまで戦う為の、殺戮兵器になる可能性が高い武器。

 

 

 

 

 

 

 

……故に一刀はこの武器の存在を許す訳にはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

一刀は振り上げた棍棒を全力で厳顔の武器に叩き付けた。

 

強烈な破壊音と共に厳顔の武器が弾け飛ぶ。

 

その場に居る人間の視線が一刀に注がれる。それを気にする事なく、一刀は一仕事終えたと言わんばかりに棍棒を放り投げた。

 

「ワ、ワシの豪天砲が……」

 

「お前の武器はこの時代には早すぎる。新しい得物を探すんだな」

 

自分の得物が弾け飛ぶ様を見て、呆然と呟く厳顔に一刀はそう囁いた。

 

 

 



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飛将軍の洞察

「さてと、そろそろ帰るか」

 

厳顔の武器を破壊し終えた一刀はおもむろにそう呟く。

 

「董卓殿、賈駆、何か持って行く物があるなら、用意する時間ぐらいは待つが?何も持って行かないなら必要な物は言ってくれれば、此方で用意しよう」

 

「いえ、大丈夫です。それから私の事は月とお呼びください」

 

「ちょっと!月!」

 

一刀に真名を許した董卓に賈駆が気色ばむ。

 

「良いのか?俺に真名を許しても?」

 

「構いません。これからお世話になるお方ですから」

 

「……そうか、ならばこれからは月と呼ばせてもらおう。俺の真名は荊州に到着したら預ける。ここは他人の耳が多いからな」

 

「はい。……詠ちゃん」

 

月が賈駆を瞳を真っ直ぐ見つめる。

 

「……うぅ〜!わかったわよ!私の真名は詠よ!これでいいわよね!」

 

月の無言の圧力に耐えられなかった賈駆がやけくそ気味に一刀に真名を預ける。

 

「いや、無理に真名を預けなくても良かったんだが……」

 

「何よアンタ!月の気持ちを無駄にする気!?」

 

「お前は真名を預けたいのか、預けたくないのか、どっちなんだ?」

 

「預けたくないに決まってるじゃない!アンタみたいな顔も見せない怪しい奴に真名を預けたいと思う方がどうかしてるわよ!」

 

「賈駆、お前それ、その怪しい奴に真名を預けた月を侮辱してるからな」

 

「詠ちゃん……」

 

「あぁぁ!ち、違うのよ!月!私はそんなつもりで言ったんじゃ……」

 

「じゃあ、どういうつもりで言ったんだ?」

 

「アンタは黙ってなさい!あー!もう!詠で良いわよ!」

 

怒ってそっぽを向きながらそう吐き捨てる詠に一刀は思わず笑ってしまう。

 

「何が可笑しいのよ!?」

 

「いや、面白い奴だと思って」

 

「アンタ、私を馬鹿にしてるでしょ!?」

 

「そんなつもりはないさ、これからよろしくな、詠」

 

「アンタなんかとよろしくしたくないけど、月の為だもの、よろしくしてあげるわよ」

 

「詠ちゃん、そんな言い方……」

 

「別に構わんさ、公式な場でないなら言葉遣いをいちいち気にするほど、上品な育ちじゃないんでね。月もこれからよろしく頼む」

 

「はい」

 

そんなどこか、和気藹々とした一刀達の会話を蜀の人間は苦々しい表情で見つめていた。

 

「で、お前は俺に用でもあるのか?」

 

一刀は自分に向けられる視線の中でも、一際、強烈な視線を向けている人間に話しかける。

 

「……お前……強い」

 

「あぁ、お前より強いぞ、呂布」

 

一刀は自分に視線を向けていた飛将軍呂布にそう応える。それと同時に瞬時に体内の気を眼球に集めた。

 

 

一刀は気を凝縮した眼球で呂布を解析する。これは一刀が新たに会得した気の使い方、わかりやすく言えば、某七つの玉を集める漫画のスカウターみたいな物だ。勿論、漫画みたいに数値でわかる訳ではなく、体内の内部情報、例えば、骨の密度や身体どの部位がどれくらい鍛えられているか等の大雑把な物、それでも十分に役に立つ。関羽達に使わなかったのは、使わなくても大体の技量は見抜けたから、逆に言えば、呂布は使わなければ測り切れなかったという事。

 

その眼球で呂布を視た一刀の背中に一筋の冷たい汗が伝い落ちる。

 

 

……うわぁ、マジか……お前より強いって言ったけど勝てんのこれ?

 

 

思わず、素に戻ってしまうほど、呂布の情報は凄まじい物だった。

 

尋常でない程の骨密度と筋密度、それなのに天性の身体の柔軟さがその動きを阻害してない。まさに戦う為に創られたと言っても過言ではない身体だった。

 

恐らく、ヒュペリオン体質だろう。筋肉が表に出てないのは、無意識に気の膜で筋肉を体内に押し留めている。

 

さっき、戦った張飛や多分、季衣や流琉もヒュペリオン体質だろうが、呂布のそれと比べると明らかに劣っていた。

 

「……お前……今、何した?」

 

「別に何もしちゃいない。お前を視ただけさ」

 

……勘までいいのか、厄介だな。

 

それが、一刀が呂布に抱いた感想だった。

 

「……お前……何で……そんなに強い?」

 

「んっ?どういう事だ?」

 

「……前は……弱かった」

 

「何を言ってる。俺とお前は今日が「……白い煙の人」」

 

 

なん…だと!?

 

 

呂布の一言で先程まで一筋だった冷や汗が全身から噴き出して来る。

 

何故わかった!?自分が先の戦乱で呂布の前に姿を現したのは、あの時の華琳を救う為に飛び出したあの一瞬だけ。あの一瞬で自分を認識していたのか!?七年も前の事で自分は今、仮面を被っているのに!?

 

一刀は驚愕の余り、思わず声を挙げてしまいそうになるが、何とかそれを飲み込み、平静な表情を取り繕う。今日ほど表情を隠す仮面が有り難かった事はない。

 

「何の事を言ってるかは知らんが、お前の勘違いだろう」

 

「……」

 

そう、言葉を絞り出した一刀に何処か納得いかない感じで呂布は首を傾げる。

 

「そんな事より、月と詠に別れを告げなくていいのか?長い付き合いなんだろう?」

 

何とか会話を逸らす為に、一刀は呂布の意識を自分から月達に向ける様に誘導する。

 

「……月……詠……行く?」

 

「恋さん、ごめんなさい」

 

「……(フルフル)……また……会える」

 

「はい、それまで恋さんもお元気で」

 

「……(コクコクッ)」

 

「まぁ、恋の事だからその心配はしなくて大丈夫そうだけどね」

 

「……月達も……元気で……」

 

月達に別れを告げた呂布は再び一刀に視線を向ける。

 

「……お前……嫌な感じしない……月達……お願い」

 

「わかった、俺の力が及ぶ限り、全力で守ると約束しよう」

 

その言葉は一刀にとって掛け値なしの本心だった。自分には二人に対する責任が出来たのだから。それがわかったのだろう、呂布も柔らかい笑みを浮かべて一刀に礼を言った。

 

「……ありがとう……恋の事は恋でいい」

 

「お前の真名だろう?いいのか?」

 

「……いい」

 

「……そうか、悪いが恋、俺の真名は此処では言えない。次に会った時に俺の真名を預けよう。……まぁ、次に会うのは恐らく戦場だろうが……」

 

「……(コクコクッ)」

 

恋が頷いたのを、見届けた一刀はゆっくり、三人に背を向けて歩き出す。これから荊州への帰途につくのだが、最後にやらなければならない嫌な仕事が残っていた。

 



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騷しき闖入者

一刀が向かったのは、魏延の亡骸の下だった。そしてその亡骸を肩に担ぎ上げる。

 

「お主、焔耶をどうするつもりじゃ!」

 

一刀の行動を咎めたてる様に怒声を発するが、それを気にする事もなく、一刀は淡々と答える。

 

「決まってんだろ、晒すんだよ」

 

「晒す……じゃと?」

 

「あぁ、成都の民に見せ付ける様にな」

 

「何故、そんな事をする!?武人の亡骸を辱めて楽しいのか!?」

 

傷の手当てを終えた関羽が一刀に問い詰める。

 

「はぁ?そんなつまらん理由でこんな面倒な事する訳ないだろ」

 

「では何故!?」

 

「そんなの今回の一件、どちらに非があるか、はっきりさせる為に決まってる」

 

「あわわっ!それは!」

 

「何だ、鳳統?何か不都合な事でもあるのか?」

 

「それは……」

 

「大方、宮城内で起こった事だから、此処に居る者達に箝口令を敷いて今回の事をなかった事にしようとでも目論んだか?魏延は病にでも倒れた事にして、しばらくした後に病で亡くなったとでも民に伝えるつもりだったんだろ?」

 

一刀の言葉に鳳統の顔が青ざめる。その顔色が答えだった。

 

「まぁ、捕虜返還に来た外交の使者である他国の王を相手に非がないのに、なぶり殺ししようとしたなんて、民に知られたら、劉備の風評はがた落ちだもんな。そりゃ、隠しておきたいわな」

 

「あわわっ……」

 

「でもさ、させねえよ、そんな真似。……那由多!」

 

「はっ!既に手の者に今回の件を大陸中に広める様に命令を下しています」

 

「……俺はまだ何も言ってないが?」

 

「言われた事だけしかやらない者が貴方様に必要なのですか?」

 

口調は丁寧ながらも、何処かふてぶてしい那由多の言い様。才気走り過ぎだと思うが、その言い様は一刀にとって好ましい物だった。

 

一刀の下に来て、一番成長したのは、この那由多だ。本人もそれは自覚している。那由多はプライドが高い。故にこの言葉なのだろう。

 

頭を抑えようとは思わなかった。那由多はまだ二十歳を過ぎたばかりだ。若さ故の過ちは一刀がフォローしてやればいい。それよりも頭を抑えて、この成長を阻害する方が大きな損失だ。

 

「いや、流石だ。お前は俺の自慢の懐刀だよ」

 

「勿体無いお言葉です」

 

少し顔を赤らめながら、そう応える那由多に一刀は大きく一度頷いた。

 

「まぁ、そういう事だ。今回の一件を隠すのは諦めろ」

 

「えぇ、今回の事を隠すのは無理だと理解したわ。でも何で焰耶ちゃんを晒す必要があるの?貴方はもう大陸中に人を送ったのでしょう?」

 

これまで傷の手当てを受けながら黙って話を聞いていた黄忠が一刀に問い掛けた。

 

「それは信頼性の問題だな。他の国ならともかく、この国では余所者の俺の言葉より、劉備が否定すれば、劉備の言葉が信じられるだろう。魏延の亡骸は俺の言葉が正しいと証明する為の証拠だ。魏延の亡骸に剣を突き付けられた劉備が姿を現わせば、この国の民も俺を信じるだろうな」

 

「……」

 

一刀の言葉に黄忠は再び黙り込む。

 

「……もういいか?なら俺は帰らせてもらうぞ。劉備は益州と荊州の州境で返してやる」

 

「お前の言葉など信用出来るか!!」

 

「なら、関羽、お前が着いてくれば良い。他にも着いて来たい者がいるなら数名なら許可しよう。……ただし恋は駄目だ。何かあった時に天下の飛将軍を抑えるのは流石に俺も骨が折れる」

 

そう言って一刀は魏延の亡骸を抱えて、宮城の外に向かって歩き出すが、一度、立ち止まり、蜀の人間の方向に振り返る。

 

「あー、そうそう、これは忠告だ。俺が帰った後、落ちた風評を取り戻す為に努力するんだろうが、そう簡単に上手くいくとは思わない方がいい。お前達は『信用』を失ったんだ。その事実はお前達の背に重くのしかかる」

 

「あわわっ、それはどういう……」

 

「わからないか?諸葛亮、お前は?」

 

「……外交上、国に信用が大事なのはわかりますが、具体的には……」

 

「お前も鳳統もそれなりに良い所の生まれだったな。なら、わからないか。教えてやっても良いんだが、お前達が身を持って味わった方が良いだろう」

 

「それは……」

 

「諸葛亮、お前に免じて一つだけ教えてやる。お前達は民を笑顔にする為に頑張ってきたんだろうが、これからはその民から、地を這って生きている者達の怖さを知る事になる」

 

「!?」

 

「俺が言いたいのはそれだけだ。諸葛亮、また会おう」

 

一刀が諸葛亮に別れを告げたその時だった。今のこの場に似つかわしくない高笑いが聞こえて来たのは……

 

「おーっほっほっほっほっ!!」

 

その高笑いを聞いた瞬間、一刀は思わず額に手を当て、天を仰いだ。

 

そう言えば蜀にはコイツが居たんだった……

 

「あらあら、皆さん集まってどうかなさいまして?」

 

「姫ぇ、今、城下では桃香達が荊州の使者を襲ったって大騒ぎになってるじゃないですかー」

 

「そうですよ、だから急いで戻ってきたのに」

 

「そうでしたわね、ところで何故、劉備さんは剣を突き付けられているのでしょう?」

 

「それは襲ったけど、返り討ちにあったって、定食屋の親父が言ってましたよ。姫ぇ、ちゃんと話聞いてました?」

 

「猪々子!私に向かって生意気な口を利くのは、この口でして!?この口でして!?」

 

「ひはぁい!ひはぁい!」

 

「姫、文ちゃんの頬を引っ張っている場合じゃないですよ。私達、明らかに空気読めてません」

 

先程までの空気を全てぶち壊しにして、宮城に入って来たのは、かつて、華北四州の覇者として一刀と華琳の前に立ちはだかった袁本初その人だった。

 

 



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袁紹の選択

「猪々子!斗詩!兵に呼びに行かせたというのに、何処に行っていた!?」

 

突然現れた、袁紹達に関羽が怒声を上げる。

 

「いやぁ〜最近出来た定食屋が美味いって評判だから、食いに行ってたんだよ。麗羽様、美味かったすね?」

 

「えぇ、私が行く場所としては少し貧相でしたが、味は及第点と言ってもよろしかったですわ」

 

「相変わらず、麗羽様は贅沢っすね。あんな美味い店、そうないって。まぁ、アタイには斗詩の料理が一番だけどな」

 

「文ちゃん、それは言い過ぎ。流石に本職の人には叶わないよ」

 

因みに袁紹達が言っている店は、一刀が諜報活動の為に屍鬼隊の者に出させた店だろう。店の人間から今回の事を聞いたなら間違いない。

 

「猪々子!お前、この大事な時に!」

 

「いや、アタイ達今日は非番だし。ってか愛紗、肩、怪我してんじゃん。うわぁ、痛そー。……そっちの兄ちゃんに喧嘩売ったんだよな?」

 

そう言って、文醜は一刀に視線を飛ばす。そんな文醜を一刀は軽く睨みつける。一瞬、目線が合うが、文醜は少し慌てた様に即座に視線を外した。

 

「うげぇ!焰耶、頭潰されてんじゃん!」

 

文醜は一刀が肩に抱えている魏延の亡骸を見て、顔をしかめる。

 

「猪々子!お前!その様な言い方!」

 

「だって、城下で聞いた話だと、喧嘩売ったの焰耶の方なんだろ?じゃあ、じごーじとくじゃん」

 

「……文ちゃん、自業自得なんて言葉、良く知ってたね」

 

顔良が文醜に対してボソっと呟く。

 

「斗詩、何か言ったかぁ〜」

 

「ううん、何でもないよ」

 

「……まぁ、いいや、ってかお前ら馬鹿じゃね。アタイも馬鹿で喧嘩好きだけど、そんなアタイでもその兄ちゃんが喧嘩売ったらダメな相手だっていうくらいはわかるって。……麗羽様、その兄ちゃん怒らせないでください。アタイと斗詩の二人がかりでも、多分……麗羽様を守り切れない」

 

先程までと変わらない様子で、言葉を発する文醜だが、その手は僅かに震えている。

 

「猪々子、貴女は私を何だと思っていますの?貴女に言われなくとも、その様な事致しませんわ」

 

「お兄さん、私達は貴方に敵対する気はありません……」

 

一刀に向かって、そう言う顔良の額には汗が滲み出していた。

 

そんな三人に対して、一刀は口元だけ笑みを浮かべる。

 

「心配しなくても、何もする気はないさ」

 

先の戦乱で、散々やらかした袁紹だが、一刀個人としては別に何かされた訳ではなく、進んで殺そうとも思わなかった。

 

一刀の言葉に文醜と顔良は安堵の表情を表に出す。

 

「いやー!良かったぜ。呂布と兄ちゃん、どっちが強いかはわかんないけど、兄ちゃん、呂布より怖いし」

 

「文ちゃん!「だが!」」

 

「戦場で俺に敵対するつもりなら容赦はしない」

 

そう言って一刀は殺気を放つ。

 

その殺気に三人は顔を青褪めさせて何度も頷く。

 

「なら、いい」

 

それだけ言って、一刀は外に向かって歩き出す。思わぬ、時間を食った。今頃、荊州の一刀の執務室には竹簡が積み上がっている事だろう。

 

「少しお待ちになって」

 

何故か、袁紹が一刀を呼び止める。

 

「んっ?」

 

「貴方は何処へ参りますの?」

 

「はぁ?決まってるだろう。荊州に帰るんだよ」

 

「でしたら、私も共に参りますわ!」

 

 

 

 

 

 

……………………なんでさ?

 

 

 

 

 

「「麗羽様!!」」

 

「袁紹!お前、桃香様を裏切る気か!?」

 

「関羽さん、貴女は何を言っているのでしょう?私は貴女方が居て欲しいと懇願するから、今まで此処に居ただけで、劉備さんの配下になった覚えなどなくってよ」

 

「いや、懇願した覚えはないが……」

 

「その様な事はどうでも良いのです!」

 

「麗羽様、どうでも良くはないと思うんですけど……」

 

「斗詩、何か言いまして?」

 

「いえ、何でもないです……」

 

いきなりの事でフリーズした一刀は再起動を果たし、袁紹に言葉の真意を問う。

 

「袁紹、何でお前が俺に着いて来るんだ?」

 

「おーっほっほっほっほっ!!良くぞ、聞いてくださいました!私、もう、この田舎の益州の地は飽き飽きしておりますの」

 

「で?」

 

「城下の商人から今の荊州は洛陽より栄えていると聞きました。まさしく、華麗な私が住むに相応しい街ですわ!」

 

 

 

 

 

 

…………ちょっと何言ってるかわかんないですね。

 

 

 

 

 

「俺がお前を荊州に連れて行く事に、俺にとって利はあるのか?」

 

「当然、御座いますわ」

 

「その利とは?」

 

「私が荊州に行く事で、荊州がさらに華やかになりますわ!何故なら私は四世三公の袁家の当主、袁本初でしてよ!」

 

「……あっ、はい」

 

話がぶっ飛び過ぎて、一刀は頭痛がしてきていた。ふとっ、蜀の人間の方に顔を向けると、何とも言えない顔で一刀を見ている。

 

そんな視線を受けながら、一刀は袁紹の言葉を前向きに考える。

 

文醜と顔良は使える。特に顔良はある程度の文官仕事も出来そうだ。ただ、二人の主である袁紹に使い道がない。むしろ邪魔だった。

 

いや、一刀が外道に堕ちれば使い道がない事もない。袁紹は顔と身体と血統は間違いなく一流ではあるから、一刀が袁紹を孕ませて、その子供を外交の道具に使う事は出来る。

 

……流石にそれは出来ないよな。

 

そんな事をすれば、今、一刀に従っている人間の心が一刀から離れる。それでは何の意味もない。

 

一刀は暫し、考えて決断する。

 

「袁紹、着いて来るのは構わん。だが、その場合はお前達は俺の配下になってもらう。客将なんて甘えた立場を求めるなら、この話はなしだ」

 

「……わかりましたわ」

 

「顔良、文醜、お前達はそれでいいのか?俺の下に来たら、当然働いてもらう事になるが……」

 

「まぁ、私達は」

 

「麗羽様に着いて行くだけだし……」

 

「はぁ、わかった。俺の名は高長恭だ。真名は荊州に着いたら教える。これからよろしくな。」

 

「えぇ、これからは真名の麗羽と呼んでよろしくてよ」

 

「アタイの真名は猪々子だ。よろしくなアニキ」

 

「私の真名は斗詩です。宜しくお願いします、ご主人様」

 

「ご主人様……ご主人様かぁ……」

 

「はい、それが何か?」

 

「いや、何でもない」

 

正直、言いたい事は山ほどあったが、もう色々と面倒くさくなっていた一刀はその全てをスルーした。

 

「あぁ、月、詠、決まってから言うのも何だが、お前達は良かったのか?袁紹達と因縁はあるだろう?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「そんなの、今更よ。ボク達が何年、袁紹達と一緒に居たと思ってるのよ」

 

「そうか、それならいいさ」

 

そう言って歩き出し、外に出た一刀達を待っていたのは、多くの成都の民達だった。




袁紹、無事に泥舟(蜀)から抜け出せた模様。
スキル豪運。生存率と金運を跳ね上げる。


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