九番目の少年 (はたけのなすび)
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単発編
■■■くんの今日のべんとう【エイプリルフール】


エイプリルフールネタ。



 

 

 

 

「あの人たちは、もう……」

 

 朝、家の片付けを終えた後のことだ。

 居間のテーブルの上に、置きっぱなしの弁当箱を二つ見つけて、俺は額を押さえていた。

 

「忘れ物はないかって言ったら、無いって言ってただろ……」

 

 だのに揃って昼飯を丸ごと忘れるとは、変なところで似たものな人たちだなぁ、と思いながら、俺は腕につけた時計を見る。

 時刻は八時。走れば弁当を二つ届けることくらい訳ないだろう。俺の用事は九時からだから、普通に走ればまだ間に合う時間だった。

 あの二人の行き先はわかっているのだから。

 

「……よし」

 

 制服の上着を羽織って、弁当箱をカバンに詰める。

 十二月ともなれば、この冬木市も寒くなる。かと言って、コートを着ていては足が遅くなるので、普通に制服のままで走ることにした。

 白い息を吐きながら、坂道を下る。そのまま横断歩道を渡ろうとしたところで─────曲がり角から人影が現れる。

 

「とっ!」

 

 なんとなく気配はわかっていたから、ぶつかることもなく曲がり角の手前で止まる。

 果たして現れた金髪金眼の少女は、こちらを見て、ふんとふてぶてしく鼻を鳴らした。

 

「あら、アンタじゃない。朝も早くから、あくせくと忙しないヤツね。ごっ苦労さん」

「オルタ、またあなたはそんなことを……」

 

 もう一人現れたのは、金髪紫眼の少女。

 彼女らは二人共、双子以上に顔立ちが似ていて、同じ制服を纏っていた。

 紫の目の少女、ジャンヌはオルタをそうして咎めてから、俺の方を見た。

 

「しかし貴方も、あまり急いでいては危ないですよ。道を渡るときはしっかりと確認を、余裕を持って朝早く起きることもおすすめです」

「ああ、悪い。届け物の途中だったから……」

 

 昼飯忘れた人らがいて、と弁当箱三つが詰め込まれたために変形した学生カバンを叩くと、オルタは鼻で笑った。

 

「あいつらに昼飯作って、しかもお届けサービス?そういう物好きは、あの赤毛だけかと思ってたわ」

「オルタ!」

 

 ジャンヌに言われて、オルタは耳をふさいで大して上手くない口笛を吹いて誤魔化した。

 俺としては苦笑するしかない。

 さすがに穂群原のブラウニー先輩と同じと言われても困る。あそこまでのお人好しはそうそういないし、いてたまるかと思う。

 

「ま、俺はこれで。またな、ダルク姉妹。妹さんにもよろしくな」

「はい、ありがとうございます。リリィにもそう言っておきますね」

「ちょっ、待ちなさい!誰が姉妹よ、誰が!そもそもどっちが姉なのよ!逃げるなこら!」

 

 がおうと吠えたオルタとにこにこ微笑むジャンヌを置いて、俺はまた走り出す。

 その後ろから、ジャンヌの声が飛んだ。

 

「それと!今日の約束に遅れては行けませんよ!あの子、楽しみにしていましたから!」

 

 返事代わりに手を振って、俺は再び進むことにした。

 先に行くべきは、街の商店街である。そこがバイト先なのである。

 俺ではなく、昼飯を忘れた片割れの。

 数分も走れば商店街にはすぐ着いたが、商店街を通っても、店の大半はまだ開いていない。

 

「泰山か……。一回行くのもいいかもな、ガタイが良いほうの教会の神父曰く、麻婆豆腐が美味いって言ってたし」

 

 閉まっている飯屋の看板の一つを横目に見ながら走って、走って走って、俺は一つの魚屋に辿り着いた。

 運良く、探していた人物は店先で旗を立てていた。手にしているのは、青地に赤い文字で、大漁とでかでかと書かれている目立つ旗だった。

 

「ん?お、坊主じゃねぇか。どうした?」

「昼飯の届け物。弁当、忘れてただろ。ランサー」

 

 俺の気配に気づいてか、振り返ったのはよく目立つ青い長い髪を束ねた、俺より随分背の高い男である。

 バイトとして最近入ったばかりなのに、快活で馴染みやすく、魚を売るのも上手いと評判らしい。

 そして、俺が世話になっている人でもある。

 

「悪い悪い。いやぁ、朝ドタバタしてたから忘れちまってたぜ」

「だと思った。……それにしても、喧嘩翌日に親子揃って弁当忘れるなんて、似たもの親子だな、あなたたちは」

「っせぇ。そもそも、アイツがゲイ・ボルク寄越せってつっかかってきたのが原因だろうが」

 

 減るもんじゃないし、さっくり四の五の言わずに教えてやればいいのに、と思いながら、俺は弁当をランサーに渡す。

 

「おぅ、ありがとな」

「どうも。あ、中は衛宮センパイに習った通りに作れてるからな」

 

 そいつは助かる、とにやりと笑ったランサーは、思いついたのかちょっと待ってろ、と一度店に引っ込む。

 何だろうと首を傾げていると、すぐに出てきた。手には、鮭を一匹持っている。

 鱗に艶があり、目もそれほど濁っていない。ひとかかえもある、えらく立派な鮭だった。

 

「お前、これからあいつらんとこへ行くんだろ。これ、手土産ってことで頼むわ」

 

 ずしりと重い魚を手渡されて、俺は目を白黒させた。

 

「それで、鮭?何故に鮭?」

「良いのが入ったんだよ。心配すんな、俺の奢りだからな」

 

 鮭といえばフィン・マックールのほうでは、と思わないでもなかったが、確かにこれから行くところを考えれば、何かあったほうがいいのは確かだった。

 

「で、夜辺りに俺が酒持って行くって赤毛の坊主に伝えとけ。お前も、あの嬢ちゃんを誘って来ればいいじゃねぇか」

「……了解。じゃあ、またな、ランサー」

 

 これは絶対ケルト式酒盛りをするつもりだなぁ、と思いつつ、鮭を背負ってまた俺は走り出した。

 高校の制服を着た人間が、休みの朝からひと抱えもある鮭を一匹背負って走るのは目立つが、元々この冬木市には目立つ外見の外国人が多い。彼らに比べれば、俺は全然目立たないほうである。

 だから大丈夫というわけではないのだが、ともかく他に運び用もないのだ。

 商店街を抜けて、俺が次に向かうのは坂の上の住宅地。

 坂を下ったり上がったり、この街は全体的に土地の高さに差がある。疲れるときもあるが、体の鍛錬には良いから、良い街だと思っていた。

 そんなふうに進んで、見つけたのは広々とした武家屋敷だった。

 来るもの拒まずといったふうに、またもや門は開けっ放しである。この家を襲う戯けなどいるわけないとは思いながらも、家主には後で言っておこうと決める。

 門をくぐって、家の扉の横のインターホンを鳴らすと、どたどたと忙しない足音が近づいて来た。

 

「はいはーい!おはよー!……って、キミか!」

 

 がらがらと、勢いよく扉を開けた勢いで飛び出てきたのは、桃色髪の少年。

 俺の頭の横から顔を出している鮭を見たのか、元々大きな瞳がさらに見開かれるのを俺は見守った。

 

「おはよう、ライダー。朝早くから悪い。……届け物なんだけど、衛宮センパイはいるか?」

「いるよ。呼んでくるから上がっといてよ」

「いいよ、ここで。邪魔しちゃ悪いし、この後、行くところがあるから。あ、これは青いランサーからのお土産な」

 

 背中の鮭を下ろし、ライダーに鮭を渡す。

 

「立派な鮭だなぁ。さすが光の御子」

 

 でもこれは別の人の持ちネタじゃなかったっけ、と首をひねりながら、ライダーは取って返して廊下の奥へ消えた。

 ほどなく、黒いエプロンをつけた赤毛の少年がひとりだけで戻って来た。

 

「よ、衛宮センパイ。朝早くに悪い」

「おはよ、皆起きてるから大丈夫さ。それにしても、アイツの昼飯だって?」

「そう。昨日の夜に港でケルト式親子喧嘩して、帰宅して、で、その勢いのまま朝出たから、忘れたらしい。ちなみに、喧嘩の原因はまた奥義の継承云々」

 

 ケルト式親子喧嘩の何たるかを知る彼は、それを聞いて顔を引きつらせた。

 

「大変だなぁ、お前。自分の朝飯食ったのか?」

「あんたは、俺の母親か。ちゃんと食べてるよ。そっちこそ、同居人が増えて平気か?具体的に言うと飯代とか」

「ああ、ライダーはよく食う奴だけど、ジークは料理に興味があるし、今も朝飯の支度、手伝ってくれるてさ、結構楽しいぞ。それに……やっぱり、男が増えたからな」

 

 最後だけ声を低める衛宮センパイに、思わず苦笑する。

 衛宮家の人間は多いのだが、何故か男女比が極端で、少し前までは六対一や八対一の割合で男が少なかったのだ。

 居候が二人増えて六対三ならば、それは随分違うことだろう。

 

「そっか。ライダーもジークも男三人のほうが楽しそうだしな」

「え、ライダーもなのか?あの子は、女の子じゃないのか?」

「いや、男だが」

「なんでさ!?」

 

 驚く衛宮センパイだが、なんでさと言われても何でだろうな、としか返しようがない。ライダーに関しては、彼はそういう不思議なヒトなのだと受け入れるのが、一番楽である。

 ふと時計を見て、俺はそろそろ時間が迫っていることに気づいた。

 

「あ、もう時間が来るから俺はこれで。それじゃ、弁当は頼んだ」

「り、了解……」

 

 心なしか精神ダメージでも負ったような衛宮センパイに、俺はカバンから弁当を渡した。

 

「それと、さっきライダーに渡した鮭、あれは青いランサーからの土産だからな。今晩、あの人、酒持って押しかけてくるぞ。多分、喧嘩の気まずさをどうにかしたくて」

「なんでさ……。なぁ、お前とあの子は、今晩ヒマだったりしないか?」

「俺は空いてるが、あっちはなぁ……」

 

 知らない、というと衛宮センパイは、梅干しでもなめたような顔になった。

 

「俺だけかもしれないが、手伝いには行くよ。この家が壊れるのは、俺も嫌だから」

「助かる、じゃあな!」

 

 じゃあな、と衛宮センパイに手を振って扉を閉める。

 門をくぐるとき、庭の方から地響きの音がしたが、そちらには足を向けなかった。

 十中八九、蒼の騎士王に挑んでいる『彼』が、またもふっ飛ばされた音なのだろうと想像できたからだ。

 多分、朝に騎士王にああやってふっ飛ばされた後は、昼になれば街外れの城で狂戦士に挑みに行くのだろう。そのための弁当なのだ。

 

「あいつが親父殿を倒せるようになるのは、いつになるんだろうなぁ……」

 

 何年かかるのやら、と肩をすくめながら、今度は坂道をまた駆け足で下る。

 待ち合わせる場所は、穂群原学園の正門前。ただ、部活のものを買いに行くというだけだが、何となく、俺は俺の心が沸き立っているのを知っていた。

 到着時間は、八時五十分。

 十分前だというのに、校門前にはすでに佇む人影があった。

 その一人は、こちらの足音を聞いたのか、前髪を弄っていた手を止める。

 

「お、おはようございます!」

「おはようございます、先輩」

 

 そう、目の前に立つ彼女は、先輩なのである。俺よりひとつ歳上で、同じ美術部の先輩後輩。

 彼女のほうも後輩の俺に敬語を使うが、基本的に彼女は誰に対してもあの言葉遣いだ。

 朝に見かけた白と黒の聖女たちとよく似た、しかしどこか異なる顔を綻ばせて、先輩は手にしていた小さなコンパクトを制服のスカートのポケットにしまった。

 

「じ、じゃあ行きましょうか」

「はい、今日はよろしくお願いします。先輩」

 

 ぺこりと、弓道場での振る舞いに倣って頭を下げると、先輩は手を胸の前で振った。

 

「あ、き、今日はそんなに固くならなくてもいいんですよ。ほら、ちょっと買い物に行くだけですし、ね?」

「……そうですね。部活の一貫ってだけですよね」

 

 その通りなんだが、胸の奥で風船が弾けてしまったようだった。

 

「あ、えっと……でも、私はあなたと出かけられるのは嬉し……」

「え?」

 

 俺が反射的に聞き返した途端、先輩のほうが油の切れたブリキ人形のように固まってしまう。

 こちらもこちらで、朝から走り続けてもなんともなかった顔が、今更火照ってくる。

 頭の中でこのヘタレ、とあいつにげらげらと笑われているような気がして、俺は自分の頬を叩いてから、先輩の顔をちゃんと見た。

 

「……じゃ、先輩。改めまして、今日はよろしくお願いしますね。スケッチブックとかなんとか、そういうものを買う場所、俺、まだ知らないんで」

「はい!任せて下さい!」

 

 初っ端から慌ただしい俺の一日は、そんなふうに始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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 スケッチブックに色鉛筆、写生用の鉛筆にと屋外スケッチがメインの気楽な部員とはいえ、揃えるものは多かった。

 途中で先輩が気になるというぬいぐるみショップに立ち寄ったりもして、結局買い物が終わった頃にはとっくに夕方になっていた。

 買った物が詰め込まれたカバンを担いで歩く俺の横で、先輩は何か気になるのか頬を両手で押さえていた。

 

「昼ごはんのお弁当のサンドイッチ、食べすぎたでしょうか……。太ってしまいそうです」

「そんなことないと思いますけど。親父殿とかあいつに比べたら、先輩は少食すぎです。っていうか、沢山食べてくれて俺としては嬉しかったですよ、あれ、作ったの俺だから」

 

 なんて、そんなことを言い合う。

 夕暮れの空の下、俺たちはそろそろ分かれ道に差し掛かっていた。

 

「そうなんですか?とっても美味しかったですよ」

「衛宮……先輩に教わったんです」

「なるほど。衛宮さんですか。あの人は確かにプロみたいですよね。私も、習おうかなぁ……」

 

 その流れで、今日の朝のことと、衛宮家酒盛り大会のことも思い出す。

 あの嬢ちゃんも誘えよ、というランサーの言葉までついでに思い出した。

 

「あ、せ……」

 

 俺が言いかけた、正にそのときだ。

 

「いた!ちょっとそこのアンタ!」

 

 急に背後から現れたのは、朝に会ったオルタ。

 ずんずんと近寄って来た彼女は、そのまま俺の腕を凄い力で掴んだ。

 

「見つけた!アンタもあの家に呼ばれてるんでしょ?さっさと来なさい!」

「は?」

「衛宮の家の酒盛りよ。あそこの家主と騎士王サマと、白いのと小さいのとジークと桃色騎士!揃い踏みしすぎなの!私一人じゃ嫌なの!あの、しあわせ空間は!」

 

 吠えたオルタの言葉で、事情はわかった。

 多分、ライダーがジャンヌに声をかけて、そのまま二人揃っては衛宮家で晩御飯でも呼ばれたのだろう。

 

「く、黒の聖女様、白い聖女様も小さい聖女様もいらっしゃるのですか?」

「そうよ!……って、ああ、あなたもいたのね。ちょうど良いから、あなたも来なさい!」

 

 二人まとめて道連れよ、というオルタの目は、金色の宝石を嵌め込んだように据わっていた。

 彼女の肩越しに、俺は先輩の方を見る。先輩も何だか困ったような顔して、結局俺たちはそのまま黒い聖女に引きずられて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮邸の畳の一室には随分大勢が集まっていた。

 家主の衛宮士郎に、その相方の騎士王セイバー。彼の弓道の後輩である間桐桜に、彼女の相方であるライダー・メドゥーサ。そして同級生の魔術師、遠坂凛。

 ここに、ご近所さんの藤村先生と居候中のジークとライダー・アストルフォと白いほうのジャンヌ、それから小さいジャンヌが加わる。

 これだけの人間が、ひとつのテーブルを囲んで鮭料理を楽しんでいるのだから、最早衛宮家は小さな宴会場になっていた。

 そして、この集まりの言い出しっぺである青いランサーと、彼に雰囲気の似た少年もいる。尤も、彼ら二人はテーブルを囲む他の面々と違って、縁側で並んで座るだけになっていた。

 

「衛宮センパイ、こんばんは」

「こんばんは」

 

 もう酒が入っているのか、騒いでいる藤村先生を躱して、先輩とオルタと俺は、ほくほく顔で鮭の切り身を食べている騎士王のさらに隣で、蜜柑を剥いている衛宮センパイの向かいに座った。

 

「お、結局来たんだな。二人とも」

「オルタに捕まったんで」

「こんばんは。お邪魔します、衛宮さん」

 

 先輩は小さくお辞儀して、その拍子に金色の綺麗な髪が揺れ、俺はまた目を逸らした。

 

「おう!やっと来たのか、坊主!」

 

 そして、腰を落ち着ける間もなくランサーが俺を縁側から手招きしているのが目に入る。

 四人に断ってから縁側に出ると、部屋の騒ぎの音がすっと遠のき、冷気が足から這い上がって来た。

 ランサーの横に座っている俺より年下に見える少年は、聞かん気そうな顔で腕組みをして無言だった。

 紅い目がふと、俺の方を見る。

 

「なんだ、おまえも来たのか。あの先輩とかいうのと、逢引きに行ってたんじゃないのか?」

「……あ、逢引きって誰が言ってたんだ、それ」

「そこのランサーが」

 

 実の息子─────コンラに指摘されて、ランサー────クー・フーリンは頭をかいた。

 

「おぅ。まァ、間違っちゃいねぇだろ」

「買い物に付き合ってもらってただけだ。変なこと言うな。あの人に迷惑がかかる」

「大体、その人に色恋沙汰のことは聞かないほうがいいぞ。それで腸ぶち撒けた英雄なんだから」

「……どっちのガキも、知ったように言いやがるな」

 

 次の瞬間、俺もコンラも凄い力で頭を握られて、髪を無茶苦茶にされた。

 

「やめろっての!クソ親父!ガキ扱いすんな!」

「やめてほしけりゃ、俺に勝ってみせろや。コンラ」

「上等だ!表出ろ!」

「ちょっと落ち着け!もう表出てるから!」

 

 すぐに戦装束になろうとするコンラを、俺は慌てて止めた。いくらなんでも、人様の縁側で騒ぐのはまずい。

 がるる、と狼の仔のように唸るコンラと、それを見ながら苦笑しているだけのクー・フーリン。

 コンラを何とか止めている俺の背に、声がかかった。

 

「あ、あの、皆さん?お料理、どうかなと思ったんですが……」

 

 皿とフォークを持った先輩が部屋の明かりを背に立っていた。

 コンラは先輩相手には何故だか静かになる。元のように縁側に腰掛けた彼の手の上に、先輩はアルミホイルに包まれた鮭の切り身の乗った皿を置いた。

 

「衛宮さんに聞いたら、コンラさんもまだと言うので。あの、良ければご一緒に」

「食っとけ食っとけ。赤毛の坊主の飯は美味いからなぁ。嬢ちゃんも食うんだろ?」

「は、はい!頂きます!」

 

 ランサー、コンラ、俺、先輩という並びで、縁側に座る。

 

「うま……」

 

 一口食べて、ついフォークを握ったまま呟くと、先輩とコンラと声が三人分重なった。

 

「美味いな、これ。なぁ、おまえもこの料理、作れないのか?」

「……すぐに俺に頼むんじゃなくて、たまには自分も料理をやってみろよ」

 

 えー、と料理を頬張りながら面倒くさげにコンラは鼻を鳴らした。

 

「それなら、わたしも衛宮さんに教わりたいです!こちらの料理、まだ知らないこともありますし……!」

 

 先輩はそう言う。

 ランサーは相変わらず、酒を片手にしていた。片頬に浮かんでいるのは、少し奇妙な形に見える微笑みだった。

 汁のよく染み込んだ料理を味わいながら、ふと足元に目をやると、高さの違う影が四つ、並んでいるのが目に入った。

 後ろからは、陽気な笑い声とおしゃべりの声が高くなったり、低くなったり絶え間なく流れていた。

 

「ノインくん?」

「あ、いえ何でもないですよ。レティシア先輩」

 

────ただ何となくずっと、こんな時間が続けば良いのに。

 

 何故か、そう思ってしまっただけなんです、と俺は隣の少女に言うことはなく、目を閉じて月を見上げるのだった。

 

 

 




ここだと彼は、美術部でのんびり絵でも描きつつ、先輩に料理でも振る舞いつつ、居候先の親子喧嘩に巻き込まれるのが日常。
尚、教会の神父は二人だったり。

以上、エイプリルフールネタでした。
尚、本編では大して触れていませんが、レティシアのほうがデミ少年より一つ歳上です。


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北米神話対戦編【記念短編】

バレンタイン記念ということで、続きませんがどうぞ。


 

 

 

 ひゅ、と耳のすぐ脇で笛を吹くような音がした。

 走りながら、全力で横に跳ぶ。万全ならば、音を置き去りにしたような速さを出せるのに、重い手足はそこまでの速さを持って動かせない。

 それでも、後ろから迫って来た刺突は避けられた。

 首筋から赤い血が飛ぶ。が、首ごと持って行かれるよりは遥かに良い。

 

「ほぅ、またも避けるか。上手くなったものよな」

 

 思ったよりも間近で聞こえた、涼やかな女の声。美声ではあるのだが、現在においては怪物の咆哮のほうがマシだった。

 振り返りつつ、自分の血で空中にルーンを描く。しかし盾のルーンは、伸びてきた紅い槍に砕かれた。

 

「小手先よな。さて馬鹿者、一体いつまでそうして逃げる?」

「……あんたさんが、諦めてくれるまでだが」

 

 青空の下、砂塵舞う大地で向かい合う影は二つ。

 紅い魔槍を持つ黒衣の女と、無銘の槍を握る青い革鎧の少年だった。

 血で濡れた首筋を押さえる小柄で幼さの残る少年を見て、黒衣の女は嬉しくて堪らないという風ににやりと笑った。美しい女の蠱惑的な微笑みに、少年は全く心を動かされた様子はなく、ただ顔をしかめた。

 

「有り得ぬなぁ。それにしても、何故そこまで避ける。父と戦うのは生前から変わらぬお主の望みだろうに」

「このまま戦ったら生前の二の舞だから、だよ。あんたさんは二回も父親に息子を殺させるつもりか」

 

 しかめ面のままの少年を前に、黒衣の女は槍を肩に担いで頷いた。

 

「あ奴が弱ければそうなるだろうよ。それよりも、さっさと馬鹿弟子を表に出さぬか」

「断る。あっちは狂った親父さんを見て怒ってる。怒っている今、あんたさんの前に出したら、また煽られて突撃するだけだ。だから落ち着くまで俺が変わる」

 

 項でくくった少年の黒髪が、砂混じりの風に揺れた。

 

「それがあ奴の願いならば、お主に止める権利は無かろう。そもそもお前は本来、馬鹿弟子の霊基にこびり付いている幻だろう。とく消えよ」

「嫌だ。幻でも、俺は消えるまではここにいる。そもそも、あんたさんはこいつを勝たせる気はない。ただ狂王を試したいだけだろう。それじゃあ、絶対に勝てない。こいつがこいつの手で倒せなきゃ意味がないじゃないか」

 

 今度は黒衣の女は薄く笑った。

 

「ふむ。まあ、儂の思惑に関して否定はせぬよ。記憶を閲覧しただけとはいえ、なかなかよく分かっているではないか」

「……性悪な女王様だな、あんたさんは」

 

 少年は吐き捨てるように言い切った。

 次の瞬間女が踏み込み、彼はたまらずに吹き飛ばされる。

 槍を地面に突き立てて、なんとか岩壁に叩きつけられるのを防いだ少年の鼻先に、朱槍が突きつけられる。

 女は首をゆっくりと傾げて、一言一言を噛んで含めるように告げた。

 

「これが最後だ。馬鹿弟子を表に出さぬか、意地を張るのも大概にせよ。でなければ生命を貰うぞ」

 

 女に向けて、そのとき少年は初めてにやりと笑った。

 

「あんたたちは、そればかり言うんだな。お国柄ってやつか」

「何?」

 

 何でもない、と少年は槍を持つ手に力を込めた。

 

「何度だって俺の答えは変わらない。……()()()()()

 

 たちまち女の槍が振り上げられ、少年は横に構えた槍でそれを受け止める。

 甲高い音と共に、北米大陸の大地が抉れ跳び砂塵が辺りを覆った。

 不吉なほど眩しい光輪を頂いた、蒼穹の下での出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

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 高い空と砂塵舞う大地。場所は北米大陸にして、時は十八世紀。

 

「時代で言うなら、南北戦争のころ……って話だったよね」

 

 思わずそんな独り言を、わたしは呟いてしまう。砂っぽいテントの中、ぎしぎし軋む簡易寝台の上に腰かけたまま。

 目の前でわたしの腕やお腹を見ていてくれていた女の子が、その一言で顔を上げた。

 

「先輩?もしかしてまだ傷が……」

「あ、ごめん。マシュ。なんでもないよ」

 

 ぱたぱたと両手を振ってアピール。わたしはもう大丈夫なんだって言わないと、この盾の女の子は心配してしまうから。

 そうしてみせると、マシュはほっとした顔になってくれた。サーヴァントとしての紫の鎧を纏っているのに、そういう顔をするマシュは勇ましさというより可愛いと思う。

 

「あんた、傷は治ったのか?」

 

 マシュの笑顔を十分見る前に、ぶっきらぼうな声が入り口から飛んで来た。出入口にもたれるようにして、腕組みをした小柄な男の子が立っていた。

 

「あ、はい……」

「じゃあ、出てったほうが良い。ここは、婦長の戦場だから追い出される」

 

 そういう男の子は、自分も頭のところに包帯を巻いていた。血が滲んでいるのではなく、砂埃にまみれている。包帯だけでなく、この子は着ている服も、項の辺りで束ねている黒い長めの髪も砂だらけだった。

 彼は()()()()()()()。わたしとマシュとサーヴァントのみんな、つまり今現在カルデアからレイシフトしてきた全員がお世話になっているキャンプにいた男の子である。

 自分も負傷しているらしいのに、あちこちを駆け回って彼言うところの『婦長』という人の手伝いをしているらしい。実のところ、わたしの手当てを担当したのはこの子だった。

 幼い見た目より大人っぽい振る舞いと物言いをする彼はカルデアにいるサーヴァントの一人、アンデルセンと少し似ていると、内心わたしは思っていた。

 

―――――それにしてもこの赤い目、どこかで見たような?

 

「あんたも災難だったな。戦場に巻き込まれて弓で吹っ飛ばされたって?」

「はい……」

 

 男の子はそう言う。そしてそれが真実なのだ。

 第五特異点、北米大陸にレイシフトしたわたしたちは、到着早々に戦場に巻き込まれた。そこでわたしは迂闊にも、流れ弾に巻き込まれ吹っ飛ばされて負傷。

 そのまま救護キャンプに運び込まれて今に至るという訳だった。

 

「あそこで弓を引いたサーヴァントに、悪気はなかった。ただ、手加減が上手くないらしくて、勘弁してやってほしい。ともかく、あんたたちが出て行くって言うなら支度の手伝いはする」

 

 うん、とそのまま頷きかけて、わたしは固まった。

 今この男の子は、サーヴァントと言った。それは、普通のこの時代の人間だったら知るはずのない言葉だ。

 

「ま、待って下さい!あなたは、この時代の方では?」

「は?」

 

 男の子は、もたせかけていた背中を離して首を傾げる。

 

「違うぞ。俺は人間じゃない。あんたを間違って弓の一撃に巻き込んでしまったのと同じサーヴァントだ」

「え、えぇぇぇぇぇっ!?」

 

 驚く声は二重奏。わたしとマシュの二人分だった。男の子はうるさそうに耳を押さえる。

 

「気づいていなかったのか?」

「……はい」

 

 男の子はそうか、と無表情で頷いただけで、すたすたと天幕から出て行った。

 あまりの呆気なさにぽかんとなってしまう。

 

「あ、ま、待って下さい!」

 

 我に返って、わたしとマシュは追いかけた。

 垂れ幕を持ち上げて飛び出たところは天幕の海だ。どこのテントにも負傷者がいて、どこも人の気配が満ちている。彼の気配はその中に紛れ込んでしまっていた。

 

『あれ、いなくなっちゃったのかい?彼?』

 

 ピピ、という電子音と共にわたしの持つ通信機から響いたのは、耳慣れたドクターの声だった。

 彼はドクター・ロマンことロマニ・アーキマン。わたしたちの旅をカルデアからずっとサポートしてくれているお医者さんで、カルデアの今の指揮官でもある。

 

「はい、どうしましょう。せっかく話をしてくれそうな現地サーヴァントの方だったのに……」

『うーん。どうもそこいらには、サーヴァントが数騎はいるようだね。彼らを探してみるべきじゃないかな?』

 

 はい、とわたしとマシュが答えかけたところで、また別な人影が現れる。

 紅い長い髪と白い戦装束、剣と丸い盾を持った綺麗で優し気な女の人、ライダーのブーディカだった。

 

「マスター、大丈夫?えらい吹っ飛ばされ方していたけど」

「あ、ブーディカ。ごめん、心配かけちゃって……」

「いいっていいって。何ともなかったならそれが一番。ところで状況は分かったかい?」

 

 軽快な声と共に現れた彼女は、今度は真面目な声でそう言った。

 広大な特異点を駆け巡ることが予想されたため、チャリオットを持つ彼女が今回カルデアからついて来てくれたサーヴァントの一人に選ばれた。

 マシュとブーディカ、それにもう一人の、計三騎でわたしたちはこの特異点に挑むことになる。召喚サークルを設置できれば交代も可能だが、現在拠点を発見できていなかった。

 マシュは悩まし気に頬に手を当てて答える。

 

「それが……事情を説明してくれそうな現地サーヴァントの方がおられたのですが、どこかに行ってしまって」

「おや。それは困った。あたしの方ももう一人サーヴァントを見つけたんだけど、これがさっぱり話が通じなくてさ」

「バーサーカーみたいな感じなの?」

「うーん、どうなんだろうね。でも、それに近いかもね。すっごく手際よく、傷ついた人たちを治していってるんだよ?ただ、全然こっちの話を聞いてくれてない感じがしてさ」

 

 マシュと顔を見合わせる。

 人当たりのいい、人を惹き付ける笑顔の持ち主であるブーディカをしてそう言わせるとは、とわたしたちは同じように戦いていた。

 三人して頭を抱えた、まさにそのときだ。

 離れたところから、叫び声が聞こえた。天幕の海を抜けて聞こえたのは、悲鳴と怒号。

 フランスで、ローマで耳にした、恐怖を煽られた人々の声だった。

 さっとマシュとブーディカの顔が一変する。多分わたしも、同じだったろう。

 

「行ってみよう!」

 

 叫んで駆け出す。向かう先は、一際大きな悲鳴の上がった方角だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天幕の間を駆け抜けて、野営地と荒野の境目にわたしたちはたどり着く。そこにいたのは、二つの人影だった。

 

「いやぁ、どうやら敵さんが現れたらしいな。あんなにたくさん押し寄せているよ」

「そのようですね」

 

 一人は緑の髪の青年で、わたしたちには見慣れたサーヴァント、アーチャーのダビデ王だった。でも、もう一人は知らない。

 流麗な白い衣を纏った青年で、手にはとても大きな弓を持っていた。色は浅黒く、纏う気配が尋常ではなく濃い。

 時代に合わない装備と佇まいからして、彼もまたサーヴァントだった。得物からしたら、恐らくアーチャーだと考える。

 ……恐らく、だけれど。サーヴァントのクラスを得物で特定しようとすると、手ひどく失敗したりするのだ。

 ダビデがわたしたちに気づいたのか、やあやあと爽やかな表情で振り返った。

 

「マスター、もう傷の具合は良いようだね」

「……うん。ありがとう。それで、一体今はどういうこと?」

「見ての通り。地平線からわらわらと敵兵だよ。どうやらここを攻めるつもりのようだね」

 

 彼が手で指し示した方向には、確かに大勢の人間たちの姿がある。

 皆殺気立っていて、けれど装備は古い。近代の北米大陸で絶対に見かけないような、鎧に槍、剣に盾なのだ。その姿には見覚えがあった。

 

「ケルト兵……!」

『こちらでも確認できた!立香ちゃん、戦闘だよ!』

 

 切羽詰まったドクターの声がする。

 そのとき、これまで黙っていた白衣の青年、推定アーチャーが振り向いた。

 

「……なるほど。貴女が先ほどの……」

 

 わたしの顔を見るなり眉を思い切り寄せて、そのアーチャーは申し訳なさげな表情だった。

 その肩をダビデがにこやかに叩いた。

 

「そう!きみがさっき誤って巻き込んでしまった、僕たちのマスター、藤丸立香だよ」

 

 言われた途端にアーチャーがますます申し訳なさげな表情になり、ダビデはこちらに向けて片目を瞑った。

 いまだよ、とでも言うように。

 わたしは思い切って、一歩踏み出すと、お腹に力を込めて叫んだ。

 

「えーと!恐らくはアーチャーのそこのあなた!……詳しい事情はともかく、今は彼らを倒すのを手伝ってください!野営地を襲われる訳にはいきませんから!」

「……分かりました。どうやら貴女は、彼ら全員を従えている稀有なマスターのようだ。此度は貴女の指揮の下で戦いましょう」

 

 よし、と拳を握る。ごり押しでもなんでも、現地サーヴァントの人たちとは協力関係を築いていければ何よりなのだから。

 

「マシュ、全体のカバー!ブーディカは近づかせないよう戦車で攪乱!ダビデと多分アーチャーさんは、遠距離から削って!」

 

 そう叫べば、全員が動きだしてくれる。

 わたしはそれを見ながら、令呪のある手を握りしめる。

 北米大陸に降り立って最初の戦闘は、こうして始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の入道雲のように地平線から湧き出していたケルト兵は、実際すぐに撤退した。

 というか、白衣のアーチャーとダビデが遠距離から大地を抉るような攻撃を放ち、ブーディカとマシュが向こうから放たれる礫や矢をすべて防ぎ切ったのだ。

 そうなると不利とみたのか、彼らはあっという間に退却する。

 

「戦闘、終了……でしょうか?」

「ええ。後ろに迫っていた新手も撃退されたようですしね」

 

 大盾を下ろしたマシュに応えたのは、白衣のアーチャーだった。

 後ろに敵兵がいたことに気づいていなかったわたしとマシュは、顔が青ざめる。

 

「表も裏も両側から挟み撃ちするつもりだったらしい。撃退できたから支障はない」

 

 その空気を破るみたいに、また別の気配がひょっこりと現れた。

 天幕の間から出てきたのはあの男の子。さっきと違うのは、頭の包帯がずれてマフラーのように首の周りに落ちていることと、槍を持って青い革鎧を付けていることだ。そういう格好をすれば、確かに彼は紛れもないサーヴァントだった。

 さっきは多分、スキルとか特性とかでこちらが悟れなかったのだんだろう。

 その隣にいるのは赤い軍服に似た衣装を着て、腰に大きなポーチと拳銃を付けた女の人である。怖い、というより厳しい表情で彼女は男の子を見下ろしていた。

 

「ええ。殺菌消毒を手助けしてくれ、感謝します。ですが、それとこれとは話が別です。あなたは早急に治療を受けるべきです。大人しくしていなさい」

「不要だ、婦長。傷はもういい。あとは自分でできる」

 

 男の子と女性は、互いに全然譲る様子が無い。

 どうしようかと思ったとき、ブーディカがひそひそ声で耳打ちしてくれた。

 

「マスター、さっきあたしが言った推定バーサーカーがあの女の人だよ」

「そうなんですか!?……それに、あの少年がわたしたちの出会った現地サーヴァントの方です」

 

 同じくマシュが、ひそひそ声で答える。

 そのとき、黙ったままだった白衣のアーチャーがすたすたと歩み出して、男の子に近寄った。

 

「少し冷静になりなさい。そちらの言っていた星読みのマスターがおられるのですよ」

 

 そのまま、猫の子でも扱うようにぐわし、と男の子の襟首を掴んで婦長から引っぺがす。

 

「……知っているよ。さっき話したんだから」

 

 どこまでも不機嫌そうな男の子は、アーチャーの手を払いのけて、わたしとマシュのほうに近寄って来た。

 わたしの前に彼は立って、片手を差し出してくる。

 

「改めてこんにちは、カルデアのマスターとサーヴァント。俺はアーチャーのサーヴァントだ。一応、あんた方を待ってた者だ」

 

 差し出された手と反対側の手に槍を握ったそのサーヴァントは、そう言ってほんの少し唇の端を吊り上げた。

 

―――――あ、やっぱり槍持ってるけどランサーじゃないんだ。

 

 そんな感想を抱きつつ、わたしは同じように手を差し出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白衣のアーチャーはアルジュナ、赤い軍服のバーサーカーはナイチンゲールと名乗った。そして、青い鎧のアーチャーは誓約があると真名を言わなかった。

 じゃあ、アーチャーさんとお呼びしていいですか、とマシュが言うと、アーチャーだけで良いと言われ、わたしたちは彼のことをアーチャーと呼ぶことになる。

 ともかく、アーチャー二人は、この大地を攻め滅ぼそうとしているケルト側に抵抗しているサーヴァントで、ナイチンゲールはとにかく患者がいるから召喚された、の一点張りである。

 しかし彼らは一様に、人理定礎の破綻を良しとしていない。わたしたちの味方についてくれる可能性があった。

 

「私たちは、恐らくこの時代を守るために召喚されたということでしょう。それならば貴方がたに与するのもやぶさかではありません」

「じゃあ、きみたちは人理を守るためにぼくらのマスターに手を貸してくれる、ということでいいんだね?」

 

 念押しするように言ったのはダビデ。

 アルジュナという名のアーチャーは躊躇いなく頷き、もう一人のアーチャーはやや歯切れが悪かった。

 

「俺は全面協力って訳でもない。あんたたちが向こうの王を倒すっていうのなら手伝うが、俺の目的はその王個人を倒すことだからな」

「つまり、人理は二の次ということかい?」

 

 そう言ったのはブーディカ。

 

「王を倒したいんだよ、俺は」

 

 アーチャーは肩をすくめる。

 

「どちらでも構いません。あなた方が、この地における一番の病巣を取り除けると言うなら私は行きましょう。さあ、早急に!」

 

 婦長ことナイチンゲールはこう言って譲らない。見た感じではナイチンゲールとアルジュナは同じことを言っているが、アーチャーだけは違う、ということでいいのだろうか。

 

「別に後ろから令呪を刺したり斬ったりしない。王を倒す邪魔をしなかったら」

 

 わたしの視線をどう見てくれたのか、アーチャーは手をひらひら降って言う。

 

「ちなみにあんた方、敵がどういうのなのかは分かってるのか?」

「いえ……。ケルトということは知っているのですが……」

 

 マシュが目を伏せがちに答え、アルジュナが続けた。

 

「では補足をいたしましょう。大まかに言えば、相手の首魁はクー・フーリン。その他、コナハトの女王メイヴ、フィン・マックール、ディルムッド・オディナなどが確認されています。これで全員ではなく、まだ英雄は控えていると思われますが」

『ケルト神話出身の英雄が時代を超えて揃い踏みじゃないか、どうなってるんだい!?』

「揃い踏みだろうが、私たちのやるべきことに変わりはありません」

 

 狼狽えた声のドクターにぴしりと言いのけたのはナイチンゲール。でも、ドクターの声とわたしの考えはほぼ同じだった。

 アーチャーがぼそりと付け加える。

 

「それと、スカサハだな。影の国の女王スカサハ。彼女は今回敵方だ」

『えー!?』

 

 ドクターの驚きようからして、その人はきっと凄く強い英雄なのだろう。でもわたしには何とも聞き覚えがなく、首を傾げてしまう。

 

「先輩、スカサハとは言わばケルトの数多の英雄たちの師匠のようなものです。クー・フーリンや彼の息子コンラに、教えを授けた影の国の女王と言われています」

「要するにとんでもなく強いってことだよ」

 

 マシュとブーディカの言葉に、わたしも絶句である。

 

「あの人はえらく強い。俺も一度戦ったが、誓約(ゲッシュ)を逆手に取られて滅多打ちされた」

 

 渋い顔のアーチャーの怪我はそのときのものだったらしい。

 スカサハは、それから大地を一人で彷徨っていたアルジュナのところにいきなり現れ、満身創痍のアーチャーをぶん投げて押し付け、自分はケルトの方へ向かう旨を告げたと言う。

 神に操られた小僧っ子と名も無き小僧っ子、という言葉を彼らに残して。

 押し付けられたとはいえ、放置すれば消滅しかねないというところまでぼろぼろにされたサーヴァントを放置するのも気が引け、そのままアルジュナは怪我人を片っ端から治しているというナイチンゲールのキャンプを訪れたのだという。

 

「ですからあなたは怪我人なのです。せめて包帯を巻き直させなさい」

「だから、残りは自分で治せるって言ってるだろうが……!あなたのやり方はキツイんだよ。戦いにくいんだ」

 

 患者を治療しなければ収まらない拳銃を携えた婦長と、怪我は治ったと言い張る槍を構える弓兵は、反りが合わないのかさっきから喧嘩腰である。

 

―――――この人たち、本当に看護師と弓兵なんだよね?

 

 そんなことを考えてしまう。

 というより、毛を逆立てたアーチャーがナイチンゲールを避けているというのか。

 

「……えーと、でもそれだけ相手方が強大なのに、この大地が完全にケルトとなっていないのはどうして?何か理由があるのかしら?」

 

 場を繕うように言ってくれたのはブーディカだった。

 

「ええ。アメリカの大統王を名乗る機械兵団が存在し、ケルトと合戦を繰り広げています。私たちは、貴女がたが来る前はそちらに合流しようかと考えていました」

「あ、それがさっきの……」

 

 わたしたちが見た戦場を思い出す。

 ロンドンのバベッジ教授にも似た、機械鎧を纏った兵士が確かにいた。彼らが、反ケルト勢だったのだ。

 そうか、と頷くとアルジュナが何故か頭を下げて来た。

 

「あのときは、誠に……本当に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」

「あ、いいえ!いきなり戦場に出て来たのはこっちだし……」

「わたしが、先輩をお守りできなかったのが悪かったんです」

 

 マシュと二人でわたわた手を振って弁解すると、アルジュナはようやく顔を上げてくれた。

 ドクター曰く、彼もマハーバーラタというインドの大叙事詩の中心人物だそうだ。

 ……まぁ確かに、物言いから振る舞いから生真面目で、如何にも正統派な英雄っぽい印象の人ではあった。それにさっきも、弓の一撃でミサイルのように大地を抉っていたのだ。

 その人を小僧呼ばわりしたスカサハとはどういう人物なのだろう。

 そう思っているとアーチャーが頬杖をついて言った。

 

「あんた、それだけ気にするなら、カルデアマスターと仮契約すればどうなんだ?バ火力持ちのあんたが手を貸せば、丁度いいだろう。見たところ、カルデア方は護りは上手いが火力が少し足りていないようだから」

「馬鹿とは失礼な。……ええ、ですが貴方の言うことにも一理ある。カルデアのマスター、宜しいですか?」

「もちろん、助けてもらえるならお願いします」

 

 仮契約すれば、こちらからサーヴァントへ魔力や何やらのバックアップを行えるようになる。それだけでなく、仮契約はそのサーヴァントがわたしたちカルデアに力を貸してくれるという確かな意思表示でもあるのだ。

 アルジュナと仮契約しつつ、ちらりとアーチャーの方を見る。

 彼は、どことなく雰囲気や物言いに険しさがある。棘を持つ山嵐みたいに、あまり近寄られたくないという気配を放っている。アルジュナやナイチンゲール相手にはその気配は薄いが、わたしたちに対してはそういう感じを隠していない。

 でも、今の言い方はこちらに手を貸してくれていた。

 ちょっと掴めないなぁ、と内心呟く。

 

「契約は済みましたか?ならば早く行きましょう」

 

 ナイチンゲールが待ちかねたように立ち上がった。

 

「ちょっと待ちなさい、フローレンス。勝手に行かせるわけがないでしょう」

 

 これまた凛とした声が響き渡る。

 わたしの視界の端では、アーチャーが頭痛を堪えるように額を押さえていた。

 

 

 

 

 

 

 




ここで切ります。次から本編へ戻ります。

それから、今後の更新について活動報告を書きました。
ご参照下されば幸いです。


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外典編
act-1


初めましての方も、こんばんはの方も、よろしくお願いします。




 

 

 

 

 

 

 

 

  ぼんやりと微睡みの中にいると、瞼の裏に浮かぶものがある。

 灰色の空の下に広がる荒れた海だ。切り立った崖の縁に立ち、自分はそれを眺めている。

 波は岩がむき出しになった崖にぶつかっては白く砕けて行く。海鳥の鳴き声と、風の吼える音だけが聞こえている。

  その光景の中に、己はずっと佇んでいるのだ。

 ただ海に焦がれて、水平線の向こうにある何かを眺めている。身を切るような風も気にすることなく、ただ一心に。

 

  一体、何を求めていたのだろう。

  答えは今も、見つかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人として生まれ、人以上の存在へと昇華された者たちがいる。

 人知を超えた力を振るう者、彼らは英霊と呼ばれ、伝承、神話の中で生き続けている。

 

 だが、信仰すら得ている場合もある彼らを、再び人の世に降ろそうという者たちがいた。

  不敬とも不埒ともとれる所業を成そうとしたのは神秘の探求者、魔術師。彼らは神話に刻まれた英霊を再び現世に降ろそうと考えたのだった。

  無垢な魂と十分な魔術回路を持つ子どもの中に英霊を降ろして人と融合させ、新たな命としてこの世に再誕させようとしたのだ。

 だが、その試みはそう上手くは成功しなかった。

  触媒にされた者の中に英霊は見事降臨したものの、その英霊は魔術師たちを相手にしなかった。

  お前たちの求める英雄になどならない、と拒否したのである。けれど逆に、触媒の中から退去することも、その英霊は行わなかった。

 退去は、触媒の死を意味したからだ。

 時間と金、生命を使って得られたものは、純正の英霊はまず魔術師には力を貸さないということだった。

だが、実験に加わっていた魔術師たちは、諦めなかった。

  中に英霊を宿した成功例を、魔術師としての狩りに向かわせ、極限状態に置いたのだ。

  追い詰められれば、英霊が力を貸すのではないかと思ってのことだった。

 結論から言えば、それは成功した。

 触媒は不完全とはいえ英霊としての力を振るい、生き延びることに成功したのだ。

 だが、彼らはさる巨大な一族の者たちであり、生きた英霊を手に入れた彼らは、一族の長に睨まれることになる。

 結果、彼らは一応の成果である英霊との融合体を長に差し出すことになった。

 人と英霊の融合体、デミ・サーヴァントと呼ばれるようになった成功例は長に引き渡され、彼のサーヴァントとして扱われることになる。

 

 一族の名はユグドミレニアと言い、長の名はダーニックと言った。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの手により、聖杯大戦が引き起こされる、一年前のできごとだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ルーマニアの一都市、トゥリファスにはミレニア城塞と呼ばれる城がある。

 この地に根付いているユグドミレニア一族の根城であり、牙城。

 長らく人の気配が絶えていたその城に明かりが灯るようになったのは、ここしばらくの話であった。

 城には数名の魔術師たちが入り、魔導仕掛けの人形であるゴーレム、人造生命体ホムンクルスなどが次々と城内で生み出されていった。

 緊迫した様子の人々が入り乱れて動くさまは、戦の前準備のようだった。

 いや、そうではないのだ。

 実際に、この慌ただしさは戦の準備だった。

 ユグドミレニア一族の長、ダーニックによって起こされた聖杯戦争に備えての軍備なのだ。

 その殺伐とした空気の中、城壁の上に立って慌ただしく行き来するホムンクルスを見下ろす人影があった。

 歳は十代半ばか後半に見える、痩せた少年である。

 ナイフで無造作に切ったような黒髪と、くすんだ色合いの赤い瞳を持つ彼はぼんやりとホムンクルスたちの無表情を眺めていた。

 ふいに少年が振り返る。

 城壁に繋がる階段の入り口に、同じかやや年上に見える別な少年が立っていた。

 彼の名は、と黒髪の少年は記憶をたどり、すぐに思い出した。

 確か、カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。姉のフィオレの補助のため聖杯戦争に赴き、そのままマスターになってしまったという経緯の魔術師だった。

 

「お前、こんなところにいたのか。ダーニックが来るように言っていたぞ」

 

  眼鏡をかけたカウレスはそう言いながら、黒髪の少年に近づく。

 彼は一礼して口を開いた。

 

「分かった。すぐに行く。伝言、感謝する」

 

 少年は言って、カウレスの横をすり抜けて歩き出した。

 だが、カウレスは彼の後に続いてやって来た。

  そのまま廊下を歩きながら、カウレスは何気ない風を装いながら口を開いた。

 

「なあ、聞いても良いか?」

「答えられる範囲でなら、構わない」

 

  淡々と少年は返し、カウレスはやや躊躇いがちに問うた。

 

「お前が、姉さんの言っていたユグドミレニアの人工サーヴァントなのか?」

「正確にはデミ・サーヴァントだ。人と英霊の融合体だ」

「……で、今回、聖杯戦争に参加するのか?」

「俺の契約者は御当主だ。彼が参加するのならば、サーヴァントは戦わなければならない」

 

 無表情に答える少年に、カウレスは一瞬気おされた。

 この少年は、ユグドミレニア内のある一派が生み出したという存在だ。

 精霊にも等しい英霊を、そのために生み出され調整された人間の子どもの中に降臨させ、人としての英霊を再度生み出す、というデミ・サーヴァント実験。

 この黒髪の少年はそれの唯一の成功例とされている。

 つまり、彼の中には英霊が降ろされ、息づいているのだ。

  今は、ユグドミレニアの魔術師の一員のような顔をしているが、いざ戦闘となれば彼は英霊から借り受けた力を存分に振るう。

 彼はユグドミレニア一族の長、ダーニックの一体目のサーヴァントであり、カウレスもその存在は知っていた。

  今回の聖杯大戦においてもユグドミレニア側の“黒”の戦力に数えられている。

 魔術協会側の“赤”が擁するサーヴァントとも戦うことを想定されて、このデミ・サーヴァントは城塞にいるのだ。

  まさか、これまでユグドミレニアの最高戦力と言われていた相手が、自分とそれほど歳の変わらない少年だとは思っていなかったのだが。

 

「何だ?」

「い、いや何でもない」

 

 血の色にも似た赤い瞳に睨まれ、カウレスは目を逸らした。そうさせる何かが、少年にはあった。

  無言で廊下を歩き、分かれ道に差し掛かって少年はカウレスに一礼した。そのまま彼は歩き去って、廊下の端に消える。

 姿が消えて、カウレスは無意識に詰めていた息を吐き出した。

 

「……変な奴」

 

 ついそんなことを呟いて、カウレスも歩き去る。

 今日、カウレスはユグドミレニアのマスターとしてサーヴァントを召喚するのだ。

 それが当主のダーニックの起こした聖杯大戦に選ばれた魔術師としての役目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重厚な造りの扉を、少年は躊躇うことなく叩いた。

 

「入れ」

 

 少年は無表情のまま、扉をくぐる。

  中には人影が二つあった。

 窓辺に立って外を眺めているのは黒く、古めかしいが品の良い衣装の男。机の側に立ち、書類を手にしているのは、白を基調にした衣装を纏い杖を手に持った若々しい男だ。

  前者は少年の記憶にはないが、後者は彼の現在のマスターにしてユグドミレニア一族の長、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアである。

 

「到着しました。要件は?」

 

 彼らの中間に立ち、少年は礼をした。

 窓辺の男は振り返り、少年を眺めた。

 人間を見る目ではなく、調度品の真偽を確かめるかのような眼だった。人の上に立つ者が持つ鋭い気配、彼の持つ莫大な魔力が彼に向けられるが、少年は特に反応を返さなかった。

 

「ダーニック。この者がお前の言うデミ・サーヴァントか?」

「如何にも。数年前、我が一族の一部が手がけた人と英霊の融合実験の唯一の成功例でこざいます、()()()()

 

 ランサーという名に、少年の片目が微かに見開かれた。

 では、この黒衣の男がダーニックの正式なサーヴァントということになる。

 正規の英霊はやはり気配が違う、と少年は内心で思った。

 英霊に力を貸りているに過ぎない少年は、彼らに比べれば劣る部分が多々あるのだ。彼自身、それは最も分かっている。

 ランサーは自然な様子で眼前に立ち続ける痩せた少年を見下ろした。

 少年は黙って、王でありサーヴァントであるランサーの視線を正面から受け止めた。

 

「……ふむ。では、この者の中にいる英霊は?」

 

 ダーニックが答えるより先に、少年は首を振った。

 

「それには答えられない。俺に力を与えてくれた英霊は名乗らないままだったからだ」

「では貴様は、何処ともしれぬ英霊を宿している、ということか?」

「ええ。この者を生み出した一派が資料を破棄したために……。ですが、アーチャーとしてのこの者の力は証明されています。使い方次第では、正規のサーヴァントに対しても戦力になり得るかと」

 

 このダーニックとは一年ほど主従関係にあるが、彼は少年に戦闘力以外の何かを期待したことはない。

 発達した情緒や豊かな感情など、下手に持たせれば危険なものからは隔離して、命令だけを下す。

 実に合理的な魔術師らしさだと少年は認識している。

 認識していて、けれど不満は感じない。己は、感情そのものが多分鈍いからだろうと少年は結論付けていた。

 だが、このランサーのように確固たる貴族的な自我を持つ者相手に同じことをすれば、ただでは済まないだろうとも感じていた。

 

  しかし、危機感を覚えるからと言って、少年は何か行動する訳ではない。

 

「そうか。では、貴様も我が配下に加えるとしよう。名は何と言う。クラス名ではない。貴様の名だ」

 

 少年は束の間ランサーの視線を受け止めるが、一瞬戸惑う。

 

「……ノイン。俺の名は、ノイン・テーター」

「ではその力、存分に我ら“黒”の陣営のために振るうが良い。貴様の英霊としての誇りと名、その働きに期待しよう」

 

 ノインはゆっくりと頷いた。

 ランサーは彼から興味を失ったように、窓の外へと視線を戻す。

 その背を、ノインは奇妙な者を見るように目を眇めて見た。

 ダーニックが咳払いして退出を促さなければ、考え事に耽っていただろう。

 一礼して、部屋を出る。

 赤い絨毯の敷かれた廊下は、歩くノインの靴音を吸い込んだ。

 

―――――俺の名前に、誇り、か。

 

 ノインという名前は、単に番号順で付けられたもの。試験管に貼られたラベルと大した違いはない。

 それをわざわざ手ずから聞き出し、あまつさえ誇りに期待すると言い渡してきたランサーは、ノインにとっては異質な存在だった。

 

―――――よく、分からない。

 

 ノインの令呪を握っているダーニックとランサーは、聖杯戦争に勝利するという利害で一致している。

 恐らく、仲違いはあるまい。

 ノインは聖杯に願いはない。万能の願望機と言われても、そんなものの使い方など思い付かないのだ。

 令呪を持つ者に戦えと言われたために、ただ戦うだけ。詰まる所彼は、けしかけられて戦い続ける闘犬と大差はないのだ。

 しかし、彼には他の生き方など分からない。

 戦う力以外を求められたことなど無かった。

 

「あ、いたいた!そこのデミ!」

 

 呼ぶ声に、ノインは振り返った。

 後ろから近寄って来た巻き毛の小柄な少年を、ノインは黙って待ち受ける。

 

「やっと見つかった。ねぇ君、今から先生の工房に来てくれよ」

 

 少年、ゴーレム造りの魔術師、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアは、屈託なく言う。

 彼が先生というのは、彼本人が呼び出した“黒”のキャスターに他ならない。

 “黒”のマスターに選ばれた彼は、いち早くサーヴァントを呼び出して、彼と共に兵隊となるゴーレムを造り続けている。

 その過程で、ロシェは自分より遥かにゴーレム造りとして優れているキャスターを先生として慕うようになったそうだが、ノインには関係は無かった。

 少なくとも、これまでは。

 

「いいだろ、デミ。今晩には本当のサーヴァントが喚ばれるんだし、君、今は暇だろ?」

「ああ」

「じゃあ決まりだ。先生がさ、サーヴァントとの融合体である君の魔術回路を見ておきたいって言うんだ」

 

 だから行こう、とロシェはお構い無しに先に立って歩き出した。

 彼はいつもこうで、ノインをデミとしか呼ばない。

 その彼が師と仰ぐキャスターが、ノインの魔術回路にわざわざ興味を持つ。

 

 厄介な話に違いない、とノインは嘆息し、ロシェの後を付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、貴様の言ったデミ・サーヴァントか」

 

 少年の辞した後の部屋で、ランサー・ヴラド三世は己のマスターに問い掛けた。

 ダーニックは恭しく答える。

 

「如何にも。生身であるため制約はございますが、魔力供給は原則として必要とせず、低級の死徒ならば単独で問題なく屠る力を持っております」

 

 ノインという個体名のデミ・サーヴァントは、ユグドミレニアの一派が生み出したモノだ。

 生み出すコストと比して成果が釣り合わなかったために頓挫した実験の生き残りである。彼以外の被験者は、すべて失敗した。

 ダーニックに背を向けていたランサーは振り返って口を開いた。

 

「だがダーニック、あの者は弱いぞ」

「それは……」

「力ではない。かの者は未だ英雄足る者の気配を持たぬ。戦奴と変わらぬ者に過ぎん。化物の相手ならできたとしても、正道の英霊の気に呑まれる。尤も叛逆を恐れて、貴様ら魔術師は敢えてそうしたのであろうがな」

 

 嘆かわしいとでも言いたげに、ランサーは首を振った。

 

「才ある英雄の芽を持つ者を、あのような戦奴隷に仕立て上げた所業の是非は問わぬ。だが、今後同じ扱いをするのを余は好まぬ。使い潰すには惜しい才はある故、な」

 

 それだけを言って、ランサーは霊体となってダーニックの眼前から消えた。

 気配が失せてから、ダーニックは椅子に座りため息をついた。

 

「使い潰すことはならぬとの仰せ、か」

 

 ダーニックはふと、傍らにおいた書物を見た。絡み合う蔓草のような紋様が刻まれているその書物は、ノインの擬似的な令呪だった。

 アーチャーのデミ・サーヴァント、ノイン。

 皮肉のつもりか生産者によってノイン・テーターと名付けられた彼は、ダーニックに逆らったことはない。

 出自故か、彼には自我も薄く、命じたことには従順だ。少なくともダーニックやユグドミレニアのマスターたちはそう認識している。

 駒として扱うにはむしろ好都合だとダーニックは思っていたのだが、あのヴラド三世にはそれが気に食わなかったようだ。

 よりにも寄って、英霊の誇りと来た。

 造られた人形風情にそんなものがあるとは、ダーニックには思えなかった。

 ルーマニアにおける護国の英雄、ヴラド・ツェペシュは、存外扱いづらいと結論付けざるを得なかった。

 だが、ユグドミレニアの七騎のサーヴァントすべてが揃っておらず、聖杯大戦が始まってすらいない今、陣営の要と一族の長たる己が不和になっては致命的だ。

 故に、ノインに関してダーニックはランサーの提案を入れざるを得ない。

 

 ままならないと思いながらも、ダーニックは立ち上がる。

 もしあのデミ・サーヴァントが正規のサーヴァントに大幅に劣るようなら、キャスターに与えてしまうのも選択肢の一つとして考えていたのだ。が、それも修正しなければならなくなった。

 

 ダーニックはふと、窓の外へ目をやる。黒髪の痩せた少年が、ちょうど陽のあたる中庭を横切っていた。

 彼は、キャスターのマスターであるロシェに先導されて歩いている。

 使い魔風情が思わぬ所で生命を拾ったものだとダーニックは思い、キャスターの工房へ繋がる通信道具へゆっくりと手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャスターの宝具には、『炉心』と呼ばれるパーツが必要になるのだと、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアは嬉々として語った。

 “黒”のキャスター、高名なゴーレム造りのアヴィケブロンの宝具は、ロシェ曰く至高のゴーレムだという。

 だが、キャスターは宝具を元々持って現界する訳ではない。

 材料を集め、然るべき手順を踏んで初めて、至高のゴーレム『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』は完成するそうだ。

 それには、一つ重要な部品がいる。

 ゴーレムの心臓たり得る、()()()()()()である。

 こればかりは代用品が効かず、キャスターの宝具起動のためには必ず一人の魔術師を食い潰さねばならないのだ。

 

「それに、ただの魔術師じゃ駄目で、素養が必要だ。ただ魔術回路があるってだけの人間は、『炉心』になれない」

 

 それこそ英霊の受け皿になっているデミ・サーヴァントならばあるいは最適かもしれない、とふとキャスターが漏らした一言をロシェは聞き付け、ノインを工房に連れて来たそうだ。

 工房へ連れて行く目的を話さないロシェを、流石にノインは不審に思い、殺気混じりにロシェを問い詰めた。すると、彼は仕方なさそうにそれらを白状し、ノインを唖然とさせた。

 

「でもダメだってさ、ランサーが君を使い潰すのはならんってダーニックに言ったみたい」

 

 それを臆面もなく本人の前で言う辺り、ノインは流石に顔をしかめた。

 

「ゴーレムにされるのは御免だ」

「でも君、ダーニックには逆らえないだろ?」

 

 ロシェの返しに、ノインは今度こそしかめ面になった。

 

「……どこの世界にゴーレムになって喜ぶ馬鹿がいる。そちらだってゴーレムは造りたいがゴーレムになりたくはないだろう」

「そりゃそうだよ!ゴーレムになったらもうゴーレムを造れないじゃないか!」

 

 流石に今のはまずいと思ったのか、ロシェは咳払いした。

 

「安心しなよ。君を炉心にはしない。だから正直に言ったのさ。代わりにちょっと手伝ってもらいたいだけさ」

 

 こういうやり取りをすると、本当に己は魔術師相手にしてみれば人形か使い魔なのだなと、ノインは思わざるを得ない。

 大願、大望、悲願、宿願。

 そういうものに一族代々立ち向かってきた者たちにしてみれば、魔術実験のために生み出され目的もない己は、人の形をしていても同じ人とは考えることができないのだろう。

特に、子育てすら全てゴーレム任せというフレイン家の人間故、ロシェはゴーレム以外は尚更関心が薄い。

 

 ともあれ、炉心として、次にキャスターが目を付けたのはホムンクルスだという。

 今、このユグドミレニアは大量のホムンクルスを抱えているのだ。

 戦闘用、雑用係など様々に別れているが、彼らの中の多くは地下にいる。

 地下の魔力供給槽の中で、“黒”のサーヴァントたちへの魔力を搾取され続けているのだ。

 そのお陰で、“黒”のマスターたちはサーヴァントへの魔力供給により疲弊することもなく、常に全力の戦闘が行えるという仕組みだ。

 使い潰されるホムンクルスたちの犠牲はあるが、ホムンクルスとは元々そう言った目的の為に鋳造される存在である。

 ノイン以上に自我は希薄で、命じられたことのみ淡々とこなす。そういう者たちだ。

 

「君、眼力そのものは英霊なんだろ?それで魔術回路が特に良さそうなホムンクルスを選ぶの、手伝ってくれよ」

 

 手伝うも何も、彼らは既に地下の供給槽のある部屋に辿り着いていた。

 実の所、ホムンクルスの無表情が苦手なノインは気が進まなかった。

 だが、既にロシェは中に入って手招きしている。

 薄暗く、ホムンクルスたちの浮かぶ水槽だけがぼんやりと黄緑色に発光している部屋の中に、青い衣装の仮面の男が立っていた。

 

「ロシェか。……横の君は」

「アーチャーのデミ・サーヴァント。ノイン・テーターだ。ホムンクルスの選定を手伝うために来た」

「ああ、君が……」

 

 キャスターは理解したように頷いたが、表情は仮面に隠されている。

 

「ロシェ、先日言ったように炉心になるホムンクルスの選定はまだ先だ。必要とあればそこのアーチャーに手伝わせるのも手だが、まだそのときではない」

「あ……すみません。先生。僕、気になってしまって……」

 

 打って変わって子犬のように萎れるロシェに、ノインは無言で引いた。

 

「良い。君の期待も分かる。だが今は通常のゴーレムを作製すべき時だ」

「はい!」

 

 それから、素直に返事するロシェとキャスターは、ノインなどいないかのようにゴーレムのことについて語り出した。

 熱中しだした魔術師たちは、周りのことなど容易く見えなくなる。ノインはその場から離れることにした。

 薄暗い廊下には、供給槽の中に浮かぶホムンクルスたちの影が不気味な藻のようにゆらゆらと揺れている。

 その影の一つが、ふと自ら動いた気がしてノインは足を止めた。

 顔を上げてみれば、そこには少年の形をしたホムンクルスが一体、供給槽の中にいた。

 見てくれだけで言うならば、ノインとあまり変わらない年齢だろう。だが彼らは急造されており、実年齢は三ヶ月かそこらだ。

 薄く開いている瞳は鮮やかな赤。白髪は培養液の中で海月のように揺らめいて、手足は棒のようで力も入っていない。

 ホムンクルスが自ら動いたように見えたのは、気のせいだったようだ。

 しかし、ホムンクルスのどこを見ているのか分からない虚ろな視線からノインは目を逸らした。

 背後では急造の子弟が忙しく意見を交わす声がする。

 それが急に煩わしく聞こえて来て、ノインはもう後も見ずに地下室を出た。

 

 今晩、“黒”は残りの五騎のサーヴァントを召喚するが、その場には近付かないようにとダーニックから言われているのだ。

 デミ・サーヴァントは英霊そのものを再び誕生させようとしたモノだが、英霊によっては自分たちの生が侮辱されたと感じる者もいる可能性がある。

 故に、各サーヴァントの性質が分かるまで姿を見せるなと、ノインはダーニックから言われていた。

 ランサーに引き合わされたのは、彼ならば問題なかろうとダーニックが判断したからで、キャスターはそもそもゴーレムと聖杯戦争の趨勢以外に興味がない。

 彼ら二騎は今のところ問題は無かった。が、残りはどう出るか分からないのだ。

 

 適当に見張り台にでも行くか、とノインは城壁の方へ足を向ける。

 

 その日の夜、ミレニア城塞内部で発生した莫大な魔力の奔流をノインは一人、見張り台に座って星空を見上げながら感じ取ることになる。

 冷たい夜気を感じ、白い息を吐きながらたった一人で迎える寒い夜。

 少年の聖杯大戦はそうして始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




イメージは、ロマニにもダヴィンチちゃんにもフォウにも、ぐだにも出会えなかったマシュ。
情緒、感情、その他諸々はこれから。

彼の名前と中の英霊に繋がりはなし。ノイン・テーターとは名付けた者のただの皮肉。


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act-2

感想、評価下さった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 ミレニア城塞の周りにはイデアルと呼ばれる森林がある。

 日が昇っていようが鬱蒼と茂る葉と聳え立つ木々のせいで森の中は常に薄暗い。おまけに、魔術的な罠が山と仕掛けられ、キャスターのゴーレムまで待機している。

 ミレニア城塞と同じく一流の魔術師であろうとまず侵入できない堅牢さを誇っているが、サーヴァントならば話は別である。

 宝具で突貫する、焼き払う。魔術を解析し、利用する。対魔力スキルで押し通る。気配遮断で逆に隠れ潜む。

 どれでも取り得る選択肢で、有事の際にはこの森も多少の足止めにしかならないだろうと、半分だけがサーヴァントの少年は考えていた。

 デミ・サーヴァントの己でも、時間があれば突破できるのだから、正規の英霊にできない訳がない。

 

 朝靄の中、一人森の中で槍を振るいながら、少年、ノインは考えていた。

 そうなったらなったで、こちらのサーヴァントが迎撃に出るのだろう。

 魔術世界を統べる協会と、万能の願望器を掲げる最大規模の魔術師一族との決戦だ。どちらが勝とうが被害は甚大になる。

 とはいえ、“赤”のサーヴァントの姿すら掴めていないから、ノインには何とも言えなかった。

 

 頭の片隅でそんなことを思いながら鍛錬をするノインの格好は、ユグドミレニアの魔術師としてのものではなくサーヴァントとしての武装である。

 心臓や肺など急所の部分だけを守る群青に染められた革の軽鎧、腰に付けているのは投石器と、他の武装はそれに今振るっている槍と短剣。

 弓兵という割に弓は無く、槍兵の装備に近い。

 とはいえ、弓がない方がクラスを特定されにくくなるとノインとしてはむしろ好都合に思っていた。

 

 槍を構え、振り下ろす。虚空に敵を幻視して、その一撃を受け止める。

 受け止めて弾き、刃を返して相手の喉元を突く。躱されれば、距離を取ってまた攻撃へ転じる。

 無意識に仮想する敵は、魔術協会側の呼び出す“赤”のサーヴァントだ。

 聖杯大戦とは、“黒”の七騎と“赤”の七騎が万能の願望器を求めて行われる乱戦である。ノインは聖杯の喚び出したサーヴァントではないが、立場は“黒”。敵になるのは“赤”だった。

 

 ノインは、ひたすらそうやって自分に力を与えてくれた英霊の記憶と技術をなぞる。

 初めは魔術師の目にも捉えられるほどの速度で、次第に動きを徐々に速め、生身の人間ならば残像しか見えなくなるほどの速さへ移る。

 代償を払って手に入れ、数年かけて体に慣らしてきた力とはいえ、使い続けなければ引き出し方は忘れていく。

 忘れてしまえば、デミ・サーヴァントとしてのノインは役に立たなくなるのだ。

 失ってしまえば、本当にただの人形になってしまう。

 何もなければ毎朝かかさず行うこの鍛錬も、楽しいと思ったことはない。必要だから、行うだけだ。

 

―――――小一時間も経った後。

 

 ノインは動きを止めて、額の汗を拭う。

 それから手近な、苔むした倒木に腰掛けて上がった息を整える。

 しばらくじっとしていると、チチチと鳴きながら小鳥が飛んできて枝に止まった。続けて、木の洞からは栗鼠が顔を出す。

 ノインは黙って、私物の入ったずた袋から朝食の残りであるパンの欠片を取り出した。

 それを踏み荒らした草地の上にばら撒くと、小鳥が数羽舞い降りて来て啄んだ。

 果物も転がすと、栗鼠は木から降りてきて小さな黒い鼻を動かして匂いをかぐ。

 ノインは膝の上に肘を置いて頬杖をつき、その様子をぼんやりと眺める。

 魔術塗れの森の中では生き物の数も他所より少ない。これだけ集まるのはあまりないことだった。

 最初など、小動物の気配はノインがやって来るたびに消え失せていた。食べ物を撒いてみても変わらなかった。

 だが、何度も鍛錬を繰り返しているうちに、小鳥や栗鼠は少なくともこの生き物が敵でないと悟ったらしい。

 今ではノインが動きを止める頃を見計らって向こうから姿を見せるまでになった。ただ、彼らは一度もノインの手の届く範囲に近寄ることはない。

 その距離が心地良かった。もしもサーヴァントの力で触れて、この小さな生き物たちを潰しでもすれば、取り返しがつかないから。

 そんなことは絶対に無いだろうと思うのだが、万が一があると思うとノインは怖いのだ。

 そんなことをデミ・サーヴァントが怖がるとは恐らく誰も思いはしないだろうが。

 何にしても、誰にとっても離れて見るほうが良い。

 

 鍛錬は何とも思わないが、鍛錬の後のこの時間は好きだった。

 

 いつもなら十数分こうした後に城へと戻るのだ。が、今日はいつもと様子が違った。

 小鳥たちがふいに頭を上げたかと思うと鳴いて飛び去り、栗鼠は脱兎の如く逃げ去る。

 

 何かの気配が近づいてきたからだ。

 ノインは動かないでそれが近づいて来るのをただ待った。

 

「あ、いたいた!おーい、そこの君!」

 

 やがて木の間から、ひょっこりと顔を出したのは一人の少年だった。

 桃色の髪を後ろで一本の三つ編みにして束ね、着ているのはホムンクルス用の簡素な衣装だ。

 愛らしい少女にも見えるが、とんでもない。彼の持つ神秘はあのランサーと同質のものだ。

 

「……ライダー、か?」

「うん!君は、えーと……アーチャーなんだっけ?」

 

 ノインは黙って頷き、サーヴァントとしての武装を解除。ユグドミレニアの魔術師としての服装になった。

 彼は“黒”のライダー。

 先日、黒魔術師セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアに召喚されたサーヴァントである。

 真名はシャルルマーニュ十二勇士の一人、アストルフォ。伝説では名うての色男であり、現界した姿は完全に可愛らしい少女騎士に見えるという変わった英霊だった。

 

「よろしくね、ボクはシャルルマーニュ十二勇士のアストルフォ!」

 

 そう言って手を差し出すアストルフォに、ノインは手を取りながら答えた。

 

「……ノイン。ノイン・テーター。アーチャーのデミ・サーヴァント」

「ノイン?そんな名前の英霊、いたっけ?」

「いない。ノインは俺の名前だ。力を借りている英霊の真名は、すまないが言えない」

 

 ふぅん、とか、へぇ、とか言いながら、ライダーはしげしげとノインを見た。

 その真っ直ぐな視線から、ノインはつい目を逸らす。

 

「ライダー、俺に何の用だ?」

「いやぁ、用って訳じゃないんだけど、君も“黒”のサーヴァントなんだから、会ってみたいなぁって思ってさ。ボクらが召喚されても、君だけどこにもいないんだもの」

 

 それはダーニックに言い含められていたからなのだが、ノインは言わなかった。

 

「そうか。手間を取らせてすまない」

「良いって!にしても、君、デミ・サーヴァントなんだって?半分人間ってコト?」

「ああ」

 

 どうやらライダーはデミ・サーヴァントそのものに嫌悪はしていないらしい。

 ただ人と英霊の融合体というものに興味があっただけか、とノインは結論付ける。

 

「用は、それだけか?」

「うーん……そう、なんだけど。ボク、今から街に降りようと思ってさ。でもよく分からないこともあるし、誰か手の空いてる人いないかなぁって」

 

 ライダーはそう言って、ノインをちらりと見る。サーヴァントが街に降りるのか、とノインは驚いた。

 

「……偵察にでも行くのか?」

「違う違う。単に遊びに行くだけだよ。この時代の街とか人とか、ボクはそういうのが見てみたいんだ!だって、楽しそうだろ?まだ大戦は始まってないんだし」

 

 なんの衒いもなく言うライダーにつられて、ついノインは頷いてしまう。

 しまったと思う前に、ライダーはがっしとノインの手を取った。

 

「じゃあ行こう行こう!」

 

 断りかけたが、思い直してノインは頷く。

 今日は特に何か命令は下されていない。朝から昼は、鍛錬以外にやることがなかった。

 それに、この英霊一人を街に行かせると後が怖い。勘だが、ライダーは何かとんでもないことを引き起こしそうだった。

 

「やった!いやぁ、話の分かるデミサバくんで嬉しいな!」

「変な略称を付けないでほしい。呼び方ならデミでいいから」

「分かった。じゃあノインだね!」

「……それで良い。でも少し待ってくれ」

 

 ノインは言って、残りのパンくずと果物を、すべて草地に撒いた。こうしておけば自分たちが去った後に、適当に小鳥や栗鼠が食べるだろう。

 これで良いと振り返ると、ライダーは驚いたように眼を瞬いていた。

 

「?」

「や、何でもないよ」

 

 それでも意外そうに、ライダーはノインを見ていた。

 引っ張ろうとするライダーの手を離して、ノインは彼の後に続く。

 ”黒”のライダーは初めて会う人間だな、とノインは思いかけて訂正した。彼はただの人間ではなく、英霊だ。普通と違うこともするだろう。

 そう考えて納得する。

 だがこの後、街中で散々ライダーの破天荒さに振り回されるとは、まだノインは知らなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼、あなたが一騎目のアーチャーですか?」

 

 街中でライダーに引っ張り回されてから、ミレニア城塞に戻ったノインを、今度は別のサーヴァントが廊下で呼び止めた。

 草色の革の軽鎧を纏い、静かな森の静けさを漂わせる青年、アーチャーのケイローンである。

 ユグドミレニア本来のアーチャーで、ギリシャ神話にその名を轟かす大賢人でもあった。

 伝説では彼はケンタウロスで、半人半馬のはずなのだがサーヴァントとしての姿は人間の青年そのものだ。だが、力は間違いなく一級のサーヴァントである。

 ついでに言えば、彼はライダーやノインよりかなり背が高い。

 自然、ノインは見上げるような格好になる。

 

「うん、そうだよー!」

 

 ノインが答えるより先に、まだその場にいたライダーが言った。

 一騎目というより、ノインは自分を番外のサーヴァントだと思っているのだが、ライダーの後では訂正がしづらい。

 仕方無しに頷く。

 

「一応、そうだ。……俺に何か用か?」

「ええ、あなたの霊基に少し興味がありまして」

 

 ケイローンは言って眼を細め、ノインを見下ろした。

 大賢者の眼力には、借り物の霊基はどう映るのだろうか、ノインにも気になる所ではある。

 しばらく黙ってから、ケイローンは口を開いた。

 

「なるほど。人の子を基盤に英霊を降ろす。しかし降霊術だけではないようですね。複数の魔術基盤の組み合わせですか」

「そうだと聞いている。それに、魔術だけじゃない。俺を生んだ技術には科学というのも混ざっている。情報は御当主が握っているが、あなたが問えば開示するだろう」

 

 ケイローンの眼は、何もかも見透かすようだったが、それで威圧感を感じることはない。

 為政者のランサーとはまた違う視線だ。魔術師であり、貴族でもあるダーニックとも、天真爛漫な騎士のライダーとも違う。

 

―――――これが教師の眼、なのか?

 

 ノインはゆっくり首を傾けた。

 一方、ライダーの方はむずがるように上体を揺らしている。

 

「ケイローン、ボクらもう行ってもいいかな?」

「……ライダー、真名」

 

 ノインがぼそりと言うと、やば、とライダーは口元を押さえた。

 

「ごめん間違えた、アーチャーだアーチャー!」

 

 流石にノインも白い眼になる。

 ノイン本人は己の裡にいる英霊の真名を知らないため、真名が知られて弱点を突かれることはない。

 だがケイローンはヒュドラの毒が生命を落とす原因となった、という逸話がある。

 まだ見えたことはないが、“黒”のセイバーも真名の漏洩が弱点に繋がる英霊らしく、彼のマスターはセイバーが口を効くことすら禁じたとか。

 真名というものは、それほど重要な情報なのだ。

 

「ヒュドラの毒が用意されないとも限らない。気をつけた方が良い、ライダー」

「うぅ……だからごめんってば」

「謝るべきは俺じゃない。問題になるのはアーチャーの方だ」

「そこまでで構いませんよ、ノイン・テーター。ライダーをあまり凹ませるものでもありません」

 

 分かった、とノインは口をつぐんだ。

 どうもライダーの影響か、今日は普段以上に口数が多くなっている自覚はあった。が、何とも加減が分からない。そのためか、つい言い過ぎてしまったらしかった。

 

「悪い、ライダー。俺は話すのに慣れていないみたいだ。別に、そちらを凹ませるつもりは無かった」

 

 礼をして、ノインは場を下がる。

 そう言えば、アーチャーは自分の名前を誰から、いつ知ったのだろうか、と首を傾げながら。

 ライダーは微妙な表情でそれを見送り、アーチャーの方を見た。

 

「アーチャー、あいつ、どう思う?」

「率直に言えば、あまり好ましい素性ではありませんね。……英霊を無垢な人の子の中に降ろし、新たな生命体として生かす。理論は理解できますが、動機は理解できない」

「んー、でもそれはあいつのせいじゃないとボクは思うな」

「ええ。彼には英霊の力を誇っている様子はなかった。年齢を鑑みても、自ら望んで背負った訳ではないのでしょう」

 

 アーチャーは頭を振る。嘆かわしいと言いたげだった。

 

「とはいえ、彼も戦うでしょう。直接聞きましたが、彼はダーニック殿のサーヴァントです。何より、彼本人に戦いを避けようという気がないようだ」

「やっぱり、アーチャーから見てもそうなのか」

 

 パラメータだけでいうなら、ノインはライダーを上回っている部分もある。つまり、戦力として数えられているのだ。

 何より、ノイン本人に戦いを忌避する様子がなかった。戦えと言うならば戦う、と淡白な反応しか返さない。

 半日彼を引っ張り回してみて、ライダーにはそれが分かった。

 ぶっきらぼうで無愛想、無表情だが、悪い少年ではない。根は良いやつだとライダーは思っている。

 

「むむむ……。召喚されて、まさかあんなサーヴァントがいるとは思ってなかったよ。悪い奴じゃないだけにさぁ……」

「同感です。“赤”のサーヴァントと彼は、できるならなるべく戦わせたくないものです」

 

 数多の英雄の師だった賢者はそうしてため息をついた。

 一目見れば未熟と分かる少年だった。技量や力、サーヴァントとしてのパラメータの話ではなく、英雄の何たるかを彼は知らない。

 数多の生命を飲み込み、忘却して来た長い長い人類史の中で、尚名前を残す者たち、それが英雄だ。

 力を借りていると言っても、彼は英雄ではない。端的に言えば、力に見合う精神が追い付いていないのだ。

 寄って立つもの―――――喩えば、故郷や愛する者、忠義を捧げる者、己の信念、信頼できる友、あるいはマスター―――――がなく、心の芯を持たない。

 それでどうして戦えよう。あたら生命を落とすだけだ。

 アーチャーと同じく、ライダーもそれは肌で感じたのだろう。

 

「そうだよね……。よーし、ボク頑張るぞ!あいつが出て来なくても良いくらいにさ!いや元から頑張るつもりだったけど、余計にね!」

 

 ふん、とライダーは握り拳を作る。

 アーチャーは束の間呆気にとられ、すぐ相好を崩した。

 

「ええ、そうですね」

「ようっし、じゃあ、ちょっとあいつと打ち合いでもしてみようかな。あ、でも弓兵って言ってたし、弓の方が得意なのかな。んん?でもその割には弓、持ってなかったような……あれ?」

 

 あれぇ、とライダーは今度は頭を抱えて悩みだした。

 

「……疑問ならば、彼に聞いてみれば良いでしょう。しかし、打ち合いも程々にしましょうね」

 

 うん、と答えてライダーはノインが消えた方向へ駆け去った。

 それを見届け、アーチャーも姿を消し、廊下には誰もいなくなったのだった。

 

 

 

 

 




断言致しますが、アストルフォ√ではありません。

ちなみにデミ鯖の歳は16、身長165cmです。

基本パラメータは以下の通り。

筋力:C
耐久:C
敏捷:A
魔力:A
幸運:E
宝具:-




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act-3

感想、評価下さった方ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 サーヴァントの相手はサーヴァントが行う。

 それが、今や世界各地で行われるようになってしまった聖杯戦争のセオリーだ。

 そもそも、聖杯戦争は元々冬木という日本の都市だけで行われる魔術儀式だった。

 だが、第二次大戦の頃に行われた聖杯戦争にダーニックが参戦したことで、冬木での儀式は終わりを告げた。

 彼はナチス・ドイツと協力して、儀式の要である大聖杯を強奪。その後、彼らすら欺き粛清して、大聖杯をルーマニアに隠したのだ。

 その過程で、聖杯戦争の魔術式は流出。

 成功すれば、万能の願望器を降臨できる儀式は模倣され、世界各地で亜種聖杯戦争と呼ばれる闘争が行われるようになった。その結果、魔術師の頭数が減るという時代に突入しているのだから笑えない。

 

 そうしたことは自分たちの生み出される何十年も前の出来事ではあったが、ノインはそういう事柄を歴史のように聞いて、知っていた。

 それは同時に、その頃から一念をいだき続けて今に至るダーニックの願いの強さを思い知らされることでもある。

 ともあれ、幼子が老人になるほどの時を経た今、大聖杯はミレニア城塞奥深くで魔力を湛えて鳴動し、十を超えるサーヴァントたちが喚び出され、聖杯大戦が始まろうとしている。

 そういう状況でも変わらないことある。

 マスターがサーヴァントを相手取ることはまず蛮行と見なされ、サーヴァントが積極的にマスターだけを殺しに掛かることは例外と見られているということだ。

 特に誇り高い英霊であればあるほど、マスター殺しは好まなくなるとか。

 アサシンというマスター殺しに長けたクラスもいるが、大方の英霊は英霊同士での戦いを望むものである。

 それならば、両方の特徴を受け継いだ者は、どう戦うのだろうか。

 だが、デミ・サーヴァントという存在を、ノインは己以外知らない。

 ノインの強みはサーヴァントとして戦うための魔力を自前で補えること。そして普段はただの魔術師として振る舞えるため、サーヴァント化を解けば隠密性が高いことだ。

 逆に弱みは宝具が使えないことだった。

 というより、使えることは使えるのだが正式な真名開放ではないのである。

 

「じゃあ君、真名の分からない英霊の力を使ってるってコト?」

 

 イデアル森林の倒木の上、鎧を装着したライダーと同じくサーヴァントの装束になっているノインは並んで座っていた。

 最近、ノインのいる所によくライダーが現れてはよく話しかけてくるのだ。

 ちなみに、ノインが次点でよく出会うサーヴァントはアーチャー、次に会うのはバーサーカーである。

 バーサーカーには匂いを嗅がれた後唸られたが、たまに彼女がマスターと共にいる所を見かければ会釈程度はする。

 そういうときの様子を見るに、バーサーカーは狂戦士だが、マスターのカウレスと仲はそれなりに良いらしい。

 

 逆に主従関係が問題なのが、ライダーとそのマスターだった。

 ライダー曰く、マスターのセレニケにやたらと執着されて正直なところ辟易している、のだそうだ。

 大変だなと、ノインは在り来たりなことしか言えない。

 それでもライダーは木石とホムンクルス、ゴーレム以外の話し相手がいるなら、別に構わないらしくちょくちょくやって来る。

 そんなライダーは、今はノインの中の英霊が気になると言い出したのである。

 首を傾げるライダーに、ノインは頷き返した。

 

「そうだ。だから俺は、宝具が完全に使えないんだ」

「君の宝具って投石器なんだっけ。……参考までに聞くけど、それでどこら辺が弓兵なの?」

「俺にも分からない。恐らく投擲が攻撃手段だから、じゃないのか?」

 

 そう言ってノインは傍らの槍を見た。

 先程までこれでライダーと打ち合っていたのだ。勝負はノインの勝ちだった。速さに勝るノインがライダーを翻弄して勝ちを収めたのだが、互いに本気では無かった。宝具も使わなかった。

 それでも森は倒木が更に増えるという有様になったが、デミ・サーヴァントとサーヴァントの手合わせだからこんなものだろうと、ノインは思っている。

 勝っても特に高揚もしなかった。

 高揚と言うより、味わったのはデミ・サーヴァントの自分でもサーヴァントと思ったよりも戦えそうだという、安堵感だ。

 でもライダーの宝具が解禁ならば勝敗も分からないよな、とノインは木々の隙間から見える空を仰ぎ見た。

 

「ま、君のクラス認定はともかくさぁ、それじゃいざってとき困るだろ?だからもうちょっと特訓しようよ」

 

 宝具である黄金の馬上槍を引き寄せるライダーに、ノインは首を傾げた。

 

「特訓と言っても、こうやって打ち合い続ければ分かるのか?」

「んー、何かこう、ヤバッて思ったときに、ビビッと来るときないかなぁ?」

 

 それは多分直感に優れたライダーだけだと言いながら、ノインは槍を消し、サーヴァントとしての装束も解いて立ち上がった。

 

「あれ、どっか行くの?」

「当主に呼ばれている。だから特訓は無理なんだ。手合わせは……その……ありがとう」

 

 慣れない言葉を、少し言い淀みながら口にしたノインに、ライダーは軽く手を振った。

 

「良いって良いって。でも、君の真名が分かったら教えてくれよ」

 

 約束する、とノインは頷いて歩き出す。

 ノインは、ライダーのことは嫌いではない。善性の騎士相手に、こちらの接し方が合っているのかという疑問が残っているだけだ。

 ただ、彼のマスターであるセレニケは問題だった。

 セレニケは黒魔術師である。

 生業に生贄を用いるため、ほとんどの黒魔術師は血生臭くなる。だが、彼女は普通に輪を掛けて強烈だった。

 彼女自身の性格が残酷で、生贄を楽しんで殺すという話もある。

 城内で何度かすれ違ったことはあるが、ノインの鋭い嗅覚は彼女から漂う血と臓物の臭いを捉えている。そのときばかりは、感情が出にくい自分の鉄面皮に感謝した。

 そのセレニケだが、どうやらライダーに一方ならぬ感情を抱いているらしい。英霊をそのように扱って怖くないのだろうかとノインは思うのだが、彼女は一向気にせずに劣情をライダー相手に吐き出しているとか。

 そのセレニケは、最近ノインの姿を見かけるたびに睨んでくる。ライダーに親し気に話しかけられていることが、彼女の気に障ったのだ。

 ノインとて不完全とはいえサーヴァントだから、自分がセレニケに殺されるとは思わない。が、魔術師に嫉妬されるのは、端的に言えば面倒だった。

 

 ともかく、聖杯大戦とやらが始まってから、初めてのことばかりだ。

 英雄らしくあれと命じられ望まれること、誰かと話していて楽しいと思うこと、教え導くような優しい視線の持ち主と出会うこと。

 どれもこれもこれまではなかった。

 自分に新たな変化を齎すのが、皆死者なのだと少年は気付いていない。

 気付かないまま、彼は主の部屋を訪れる。

 

「失礼します、ノインです」

 

 一礼し、ノインはダーニックを見やった。

 書き物をしていた魔術師は顔を上げると、机の上に乗せた紙束を指し示した。

 それを手に取り、ノインは眼を見開く。

 

「マスター、これは……」

「”赤”のマスターの一人が、発見されたという情報だ。あちらも既にサーヴァントの召喚は済ませたらしい」

 

 が、“赤”の内、一騎だけは単独行動を取っているという。

 

「サーヴァント中、最優と謳われるセイバーとそのマスターは他の組との合流を拒んだようだ」

「……こちらのアサシンのようにですか?」

 

 ダーニックの眼が鋭くなり、ノインは言葉選びを間違えたことを悟る。

 ライダーと話すようになったせいか、口が軽くなっていた。

 

「アサシンを離反したと見做すのは早計だ。口を慎め」

「はい、申し訳ありません」

 

 “黒”のアサシン、ジャック・ザ・リッパーだけはミレニア城塞ではなく、東の島国、日本の東京で召喚されている。

 マスターに選ばれた魔術師と相性の良かった土地が東京だったためにそういうことになったのだが、召喚されているはずのアサシンの主はまだこちらに接触して来ていない。

何か不手際があって遅れているだけ、という話では無いだろう。最悪、アサシンは“赤”側についたか、殺されたとも考えられる。

 そして、気配遮断による隠密やマスター殺しを旨とするアサシンが本当に欠番になったのなら、その穴に充てがわれるのはノインだろう。

 

「失言は許す。だがお前は、これからそのサーヴァントとマスターの偵察に行け。その者たちはどうやら、ここトゥリファスを探る腹のようだ」

 

 当初はゴーレムやホムンクルスたちだけを差し向けるつもりだったが、デミ・サーヴァントの技量が如何ほどか、ランサーが試すと言ったそうだ。

 最優のセイバーの首を獲れとは言わぬ、だがかの者の技量を引き出す程度はしてみせよ、とランサーは命を下した。

 それくらいはこなせると、ランサーはノインを位置付けたのだ。

 

「承りました」

「では行け。ホムンクルスは既に向かい、ゴーレムは街で待機させている」

 

 ノインは頷き、踵を返す。

 ダーニックの視線が何故か常より鋭い気がして、とにかく立ち去りたかった。

 部屋を辞すると何故かほっとした。

 自室に戻って夜闇に紛れる服に替え、城を出る。

 だが出ようとする直前、ノインはまた呼び止められた。

 

 呼び止めたのは、“黒”のアーチャー、ケイローンと車椅子に乗ったそのマスターである。

 車椅子の少女は、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 カウレスの実の姉で、ユグドミレニアの魔術師の中では図抜けて優秀だ。ダーニックの次の当主だとまで言われている才媛だった。

 

「街に出るのですか、ええと……」

 

 フィオレは、車椅子を押しているアーチャーと佇んでいるノインの間で一瞬視線を彷徨わせた。

 どちらもアーチャーなのだ。呼び方に戸惑ったらしい。

 

「デミでもノインでもどちらでも良い」

「……ではノインと。改めて聞きますが、あなたは街に出るのですか?」

「出る。セイバーが発見されたので、偵察に行く」

「ですがノイン、セイバーは最優と言われています。それは伊達ではないでしょう」

「分かっている、アーチャー。俺だって自分の生命は惜しい」

 

 感情の乗っていない声でノインは返し、アーチャーは一瞬瞠目してから続けた。

 

「あなたへの撤退の指示は、ダーニック殿ではなく私が行います」

「アーチャーが?何故だ?」

「私は軍師でもありますから。ですから、念話による指示には即従うように」

「……分かった。あなたの判断は信じている」

 

 フィオレに目礼し、ノインは外へと歩き出した。

 足を早めながら、これで直に会った“黒”のサーヴァントとマスターは、五組だなと考える。

 こちらの最優のセイバーは、まだ知らない。どこかの高名な騎士らしいが、普段は霊体化していて見たことはないのだ。

 マスターのゴルド・ムジーク・ユグドミレニアの方は、ホムンクルスの魔力供給槽の近くで見た。だが、それなりの錬金術師という彼はやはりノインを見てもダーニックやロシェと似た無機質な眼しかしなかった。

 

 憎悪を込めてくるセレニケはさて置いて、フィオレの視線はカウレスと似ていたなとノインは考える。

 眼の前の存在が、英霊なのか人なのか、サーヴァントなのか人形なのか、自分はどう接すればいいのか素直に戸惑っていた。

 魔術師にしては素直な性格なのだなと、ノインは思い、それきりフィオレのことは一時忘れることにする。

 眼の前の任務がよほど重要だったからだ。

 

 “赤”のセイバー。

 どのような敵かは知らない。その英霊とマスターがどのような願いを聖杯に託すのかも。

 だけれど、敵を調べるのが任だと、少年は決め、風のように夜闇を駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さほど時間はかからずに、ノインは城下町であるトゥリファスに辿り着いた。

 通信で車で街へ向かっていたホムンクルスたちの集まっている場所に向かう。

 ノインが見つけたときには、既に彼らはそこで武装を完了させていた。

 屋根から飛び降りて来た彼に気付き、男性型と女性型のホムンクルス数体が駆け寄って来る。彼らの手には斧槍や弓、剣があった。

 

「状況は、分かるか?」

「はい。“赤”のセイバーと思しきサーヴァント、それにマスターらしき男が発見されています。場所は補足していますが、どうしますか?」

 

 ふと、感情表現の豊かなライダーと話した後のせいか、ノインは彼らの無表情と淡々とした口調が普通より冷たいものに見えた。

 頭を振って、それを追い払う。

 ホムンクルスは最初からこういうもの。自分はそれに慣れているはずだ。

 

「デミ・アーチャー様?」

「何でもない。……“赤”のセイバーのマスターは、情報によれば死霊術師(ネクロマンサー)だ。そっちにはゴーレムを行かせろ」

 

 死霊術は、死者の魂や肉体を使う。戦闘ともなれば、それらを扱って相手を呪い殺すのだ。

 “赤”のセイバーのマスターは時計塔から派遣されて来た獅子劫界離という男だ。彼には、ノインもダーニックに命じられた仕事の中で出会ったことがある。

 戦場に極端に特化した、強面の手練の魔術師だった。ダーニックが生まれ付いての貴族ならば、彼は生粋の傭兵だ。

 彼を知るからこそ、ノインは死霊術は生者相手にはよく効くが、正真正銘の人形であるゴーレムには効きが弱いだろうと判断する。

 

「それから、セイバーの相手は俺がやる」

「では、我々は?」

「人払いの結界と、魔術での補助だ。俺には対魔力スキルがあるから、攻撃に巻き込んでも構わない。セイバーの足場でも崩してくれれば良い。それと撤退のときのバックアップもだ」

「了解しました」

 

 ノインは頷いて、サーヴァントの姿となる。

 淡い光を放つ魔力が彼を取り巻く。それが晴れた後には少年ではなく、デミ・サーヴァントが一騎現れていた。

 宙に浮いた槍を手で掴み、ノインは手に馴染ませるかのようにくるりと穂先を回した。

 

「よし、行くぞ。……それと、マスターと英霊に向かうのは避け、攻撃するなら遠距離からに留めろ」

 

 マスターやサーヴァントに向かえば、彼らは容易く殺されるだろう。

 ホムンクルスがそのために造られた生命体で、彼ら自身それに対して何とも思っていないとしても、生き物が眼の前で血をぶちまけて死ぬのをノインは見たくなかった。

 ホムンクルスは淡々と頷いた。

 

「承知しました。デミ・アーチャー様」

 

 そのややっこしい呼び方もどうにかしてほしいな、とノインは思いつつ、地を蹴って屋根の上に跳び上がる。

 ホムンクルスたちに念話で伝えられた位置に移動すれば、人影が二つ、街の中心部にあった。

 一つは体格が良く、背格好にぼんやりとだが見覚えがある。もう一つはかなり小柄だが、纏う神秘が桁違いだった。

 小さな方がサーヴァントか、とノインは当たりをつけた。

 彼らは、トゥリファスの市庁舎に向かっているらしい。そこにある塔はこの街で最も高かったはずだ。

 

「……まぁ、偵察のための場所は探すよな」

 

 呟いて、懐から石を取り出す。

 石には魔術と魔力が仕込まれ、即席の爆弾となっていた。

 腰の投石器を外し、それを装填する。

 

「―――――」

 

 ノインが呪文を囁くと、石は赤く発光し始めた。

 それ行け、とノインは大きく振り被って石を投げる。それが着弾し、爆発するのと同時に、槍を構えて自身も屋根から飛び降りたのだった。

 

 

 

 





自分がおらずとも英雄になっただろう人々の背中を、それでもそっと押せることが喜びだと言う教師と、英雄の力を背負わされただけの少年。

……大概えげつないことを書いている気が。


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act-4

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 少年が去った後の、城の中でのことだ。

 

「アーチャー、さっきの彼がデミ・サーヴァントなのですか?」

「ええ、マスター。名前はノイン・テーター。……尤も、ユグドミレニアの中では皆知っている名かもしれませんが」

 

 ミレニア城塞の廊下を進みつつそう会話するのは、アーチャーとそのマスター、フィオレだった。

 アーチャーはランサーから、トゥリファスで行われるセイバー戦を見、見解を述べるよう告げられた。そのために、魔術的な映像が届けられる大広間へ向かおうとしていたアーチャーに、フィオレが頼んだのだ。

 自分も見てみたい、と。

 だが、彼女の感心はセイバーではなく、遣わされたデミ・サーヴァントの方だった。

 

 英霊と融合し、人を凌駕する力を手にした少年、それがノイン・テーターだ。

 少なくとも、一般のユグドミレニアたちはそう認識している。だからこそ、彼を御しているダーニックの権威は尚更高まっているとも言えた。

 降霊術に長けたフィオレとしては気になっていた。特に、彼が英霊の姿にならなくとも、優れた身体能力を持つということが、だ。

 

 それは、フィオレの脚が動かないことに起因している。

 

 生まれ付いての魔術回路の変質で、彼女の脚は魔術を使い続ける限り麻痺しているのだ。

 フォルヴェッジ家を継ぐものとして魔術は捨てられない。けれど、フィオレは自分の両脚で大地を歩きたかった。

 だから、魔術回路をそのままに脚を治す。

 そのために聖杯大戦に参加することを決めたのだ。

 そこに、降霊術の一種によって高い身体能力を得た例の話を聞けば、興味も持つ。だから彼女はアーチャーと共に、大広間へと向かっていた。

 けれど、その前に当の本人と出会したのは予想外だった。

 遭遇した件のデミ・サーヴァントは、弟のカウレスより、少し背が低くて痩せていた。

 “黒”のランサーのように人智を超えた遥か遠い存在という雰囲気はない。無表情で目付きが悪いだけの、ただの少年に見えた。

 

「マスター、貴女から見て彼はどうでしたか?」

「……正直なところ、彼は本当にサーヴァントと戦えるのかと思いました。その、普通の魔術師にしか見えません」

「一対一でこちらのライダーを下す腕前はあります。ですが、セイバーの相手となると厳しいでしょう」

 

 フィオレは車椅子を押してくれているアーチャーの表情を伺いたくなった。

 デミ・サーヴァントとホムンクルス、ゴーレムを“赤”のセイバーへの撃退に向かわせる、と聞いたときアーチャーは難色を示した。

 彼では力不足です、とはっきり言ったアーチャーの言葉をフィオレは覚えている。

 結果としては、大戦が始まる前にアレが英霊としての振る舞いができるのか否かの見極めは必要である、とランサーの意見が通った。

 だが、任務は撃退ではなく偵察に代わり撤退のタイミングは、念話でアーチャーがノインに指示するという折衷案となったのだ。

 

「マスター、失礼を承知で言いますが、貴女は彼の英霊としての能力をどこか欲していませんか?」

「え?……いいえ、そういう訳では」

 

 英霊としての力、そこまではフィオレの想像していなかった。

 ただ彼女は、元は脆弱な肉体だったという少年がサーヴァント化で強化されたという話を忘れられなかっただけだ。

 

「それなら良いのです。彼の力には代償があり、重い対価を払っている。私はマスターにその道を歩んで欲しくはありません」

「それは……どういう」

 

 意味なのですか、と尋ねるためにフィオレは思わず上体を捻ってアーチャーを見た。

 賢者は黙ってマスターに向けて微笑む。

 どこか哀愁を含んだ笑みに、フィオレは何も言えなくなったのだった。

 

 弓の主従は黙ったまま進み、部屋に入る。

 明るく、美麗な部屋の中には既に他の面々が揃っていた。

 玉座についているランサーを抜かして目立つのは、明らかに落ち着かなげなライダーと、彼を睨むセレニケか。

 虚ろな表情のバーサーカー、泰然としたセイバー、仮面で表情の見えないキャスター、玉座につくランサーは、アーチャーたちの方を一斉に見る。

 けれどライダーだけは、気付かないのか虚空に映し出された映像を見ていた。

 映るのはあの少年。

 ノインは、街に到着したらしくホムンクルスと何か言葉を交わしていた。

 何か話し合った後、頷き合って彼らは別れる。

 

「ゴーレムを死霊術師に充てがい、己はセイバーの相手をするつもりですか」

「ホムンクルスは?」

「全員補助に回したみたいだよ」

 

 フィオレの疑問に答えたのはライダーだった。彼はやっほぅ、と気軽にアーチャーに挨拶し、手招きしている。

 いつも天真爛漫な表情のライダーはちらちらと不安そうに映像を見ていた。

 

「死霊術師に木偶人形、サーヴァントにデミ・サーヴァント。対応に間違いはないな」

 

 全員揃ったからか、ランサーは玉座の上で鷹揚に頷く。

 その中でライダーは小さく漏らした。

 

「そりゃ、多くを死なせない対応としては合ってるんだけどさ……」

 

 宝具も使えないのにムリしなくても、とライダーは頭の後ろで腕を組んで呟いていた。

 

「……ライダー、酷なようですが貴方がここで心配していても詮無いことです。撤退の時期を正しく彼に伝えることを考えましょう。私の意見を彼が聞かない場合、説得はそちらに任せたいのですが」

「分かってるさ。うん、頑固者を宥めるのは得意だったから、任せてよ!ボクはローランも宥められたんだから!」

 

 胸を叩いて請け負うライダーに、アーチャーは軽く笑って頷いた。

 その会話からして、ライダーもあの少年をセイバーに向かわせるのは反対だったのだとフィオレは察する。

 

「あの者はセイバーを見つけたようだな」

 

 ランサーは呟く。

 使い魔が送ってくる映像の中、槍を携え、鎧を纏ったサーヴァントと化したノインが動いていた。

 彼が屋根の上から石を投石器で投げ、石が地面に触れた途端、炎が画面を舐めた。

 

「ダーニック、あれがデミ・アーチャーの宝具なのか?」

「いや、違う。キャスター、あれはルーンだ」

 

 ダーニックは首を振る。

 画面の中では炎から飛び出してきたセイバーと、ノインがちょうど相対したところだった。

 全身を白銀の甲冑で固めたセイバーの大剣は帯電している。赤い雷光を纏った姿は正に力の塊で、革鎧と槍だけの少年は如何にも頼りなく見えた。

 ただ少年の表情の捉えどころのなさは変わらない。飛び掛かる獣のように、体勢を低くして槍を構えていた。

 

「“赤”のセイバーも……優秀のようだな」

「ええ、幸運以外のステータスにCランク以下が存在しない。……正しく、剣の英霊にふさわしいと言えます」

 

 ダーニックとアーチャーの冷静な声と見立ては続く。

 映像の中、ノインは破壊力を伴う赤雷に苦慮しているのか、密集する建物の壁を蹴って跳び回っている。

 そして、横殴りのセイバーの大剣を縦にした槍で受け止めるが、耐え切れなかったのか吹き飛ばされ、石壁に叩き付けられていた。

 だが、ノインは粉塵の中からすぐに飛び出す。

 手にしていた小石を彼が地表に叩き付けた瞬間、今度は氷の槍が虚空からセイバーへ襲い掛かった。

 だが、槍はセイバーに触れた瞬間消え失せる。

 

「高い対魔力スキルも有するのか。……セイバー、あれには勝てるか?」

 

 ランサーに問われ、“黒”のセイバー、重厚な鎧を付けた、褐色の肌を持つ青年騎士は頷いた。

 

「問題なく。だが、あの少年では倒し切るのは不可能だと思われる」

「ええ。これ以上の戦闘行為に意味は無い。退かせましょう」

「そのようであるな。アーチャー、指示は任せた」

 

 アーチャーが頷く。

 ふぅ、と密かに胸を撫で下ろしているライダーをフィオレは見やった。

 氷の槍を弾かれたノインは、再び防戦している。その彼目掛けて、何か物体が投げ付けられた。

 少年はそれを見てから弾く。が、“赤”のセイバーには十分過ぎる隙だった。

 今までとは桁違いの速さで突貫。再び槍ごとノインを吹き飛ばし、今度は彼の肩を掴んで焦げた石畳へ叩き付けた。

 大地が軋む。石の欠片が飛び散り、その中心で少年が血を吐いた。

 

「ダメだ、ダメだってば、早く逃げろよ……」

 

 ライダーの声が届いたのかノインは槍を手放し、倒れたまま剣を振り下ろしかけていたセイバーの前に小石を掬い投げた。

 直後、閃光弾のような光を放って小石が弾け、セイバーが一瞬怯む。

 その上体を蹴飛ばして跳ね起き、ノインは大きく後ろへ跳躍。そのまま屋根を飛び越し、画面からも消え去った。

 追おうとしたらしいセイバーはマスターから指示でも受けたのか止まり、霊体化する。あちらも撤退を決めたようだった。

 

 束の間、広間の空気が弛緩する。

 

「……強いようね、“赤”のセイバーもそのマスターも。特にあのマスター、短時間でゴーレムから逃れてサーヴァントの援護までして見せた」

 

 口火を切って呟いたのはセレニケだった。

 ダーニック、“黒”のランサーは共に頷く。

 

「後は“赤”のセイバーの真名、そして宝具の性能だろう。あのデミ・アーチャーではそこまでは引き出せなかったようだが」

 

 淡々とキャスターは言う。

 これにもまた、“黒”を率いる者たちは頷いた。

 

「力不足とはいえ、あの者は当初の目的は果たしている。あれもまた、我らの陣に集った英霊として認めよう」

「……御意のままに、公王」

 

 当主は頷く。少年は一先ず、彼らの意に応えられたのだ。

 

「あー、じゃあ、これにてお開きで良いかな?良いよね?」

 

 ちょっとボクは失礼するよ、とライダーは一礼してたちまち消え去る。

 セレニケが苛立たしげに呼び止めようとするのも聞かずに、彼は去って行った。

 向かった先は十中八九、あの少年の所だろう。彼らがいつの間に仲を深めたのか、フィオレには分からない。

 ただ、当主ダーニックがライダーの消えた場所を見る苛立たし気な視線だけは、フィオレの記憶に残ることになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城に帰り着いて、ホムンクルスたちと別れる。偵察の報告を行ったあと、ノインは寝床に倒れ込んでいた。

 眼を覆う手を退け、灯りに右手を翳して見れば、小刻みに震えている。

 その震えを見ていると、ああ、生きて帰れたと実感できた。

 “赤”のセイバーは桁違いだった。こう言ってはなんだが、“黒”のライダーより遥かに強かった。

 

―――――怖かった、な。

 

 雷で痺れた足と、叩き付けられた背中、傷めた内臓には自分で自分にかけた治癒魔術が効いている。半刻もすれば、痺れや痛みは取れるだろう。

 もう一度、上げていた腕を下ろしてノインは眼を覆った。

 じくじくとした痛みが身体中を苛んでいる。治癒能力も高いデミ・サーヴァントになって以来、痛みを感じ続けることはあまりなくなった。

 けれどこれはサーヴァントにやられた傷だった。

 あそこで、セイバーのマスターである獅子劫の投げた魔術師の心臓を加工した爆弾。あれを弾くときに失敗したとノインは思う。

 見ずに払い退ければ良かったのに、獅子劫の挑発に一瞬気を取られたのだ。

 はぁ、と息を吐いて寝床にごろりと横になる。

 寝床の上に置いた、手ずれのした本の背表紙が目に入った。

 色鮮やかな絵が表紙を飾る、子ども向けの本。読む訳でもなく、ただノインはそれをぼんやり眺めていた。

 

 だが、近付いて来る靴音にノインは気が付いた。本を寝床の隣にある机の上に置いて、半身を起こす。

 大きな音を立てて、扉を開けたのはライダーだった。気のせいか、桃色の三つ編みが逆立っているような気がした。

 

「ら、ライダー?」

 

 ずんずんと入って来たライダーは、寝床に腰掛けて首を傾げているノインの眼の前で止まると、両腰に手を当てた。

 

「君、ちょっと無茶がすぎるんじゃないのかい?」

「……“赤”のセイバーに挑んだことか?」

「そうだよ。宝具も使えないのに、何やってるのさ!?」

 

 怒っているライダーを前に、ノインは首を傾げた。

 

「何やってるのかと言われてもな……。俺はサーヴァントで、マスターがいる。マスターに命じられれば、サーヴァントは従うべきだろう?」

 

 戦うために喚び出されるのがサーヴァントだから、とノインは言った。

 俺は聖杯戦争のためのサーヴァントではないがな、とちらりとそんなことも思う。

 

「そうだけど、そうなんだけどさ!」

 

 あー、もう、とライダーは頭をかく。

 彼の眼は、服の隙間から見える布を見ていた。ノインは布に刻んだルーン文字を患部に巻いて回復しているのだが、彼はその視線を避けるように立ち上がってライダーと向き合った。

 

「俺の心配は良い。元々偵察のためだったし、普通なら存在しないデミ・サーヴァントをランサーが測ろうというのも当然だ。それに、怪我をしたのはあちらの挑発に気を取られた俺の責任だ。ライダーが怒ることではない」

 

 譲らないその言い方に、ライダーの眉が下がる。

 

「……分かったよ。でも、見てるこっちは気が気じゃなかったんだからな。それは忘れないでくれよ」

 

 今度はノインの方が視線を逸して寝床に元の通りに腰掛ける。

 ライダーはそのまま手近な椅子を引き寄せると座った。

 

「……確かに、ライダーがセイバーの相手をして、俺がそれを見ていたらやはり気が気ではいられなかったな。あのサーヴァントは、とても強かったから」

「真っ赤な雷とか出して凄かったもんねぇ。……あ、雷ならこっちのバーサーカーも出せるんだっけ?」

「フランケンシュタインの怪物、だったな。……彼女のどこが怪物なのか、俺には分からないんだが」

「あ、それはボクも同感かも」

 

 にやっと笑ってライダーはふと、机の上に置かれた本を見た。寝床と机、棚と椅子しかない殺風景な部屋に不釣り合いな、おとぎ話を集めた本である。

 ライダーの視線に、ノインは気づく。

 

「それ、君の?」

「ん、まぁな」

「開けてみてもいいかい?」

「構わないさ。でも、破るなよ」

 

 破らないよ、とライダーは言って優しい手つきで本を取り、端がもうぼろぼろになっているページを、そっと捲った。

 

「童話かぁ。君、意外なの読むんだね」

「珍しくもないだろ。何せアンデルセン童話だから」

「あー、有名な作家なんだっけ。何か聖杯がそういうこと教えてくれてるような……くれてないような」

 

 どっちだよ、とノインはつい苦笑した。

 

「ほら、もう良いだろ」

 

 そう言って彼は片手を差し出す。その上に、ライダーは本を置いた。

 受け取って、ノインはそれを棚に丁寧にしまった。

 

「大事なものなんだね」

「ああ。貰ったものだ」

 

 棚の扉を閉め、振り返ったノインの顔はもう元の無表情になっていた。

 その顔を見て、ライダーはふと気になることを思い出した。

 

「そう言えばさ、君、さっき“赤”のマスターの挑発に乗ったって言っただろ?……一体、何て言われたんだい?」

 

 寝床に腰を下ろしたノインは束の間凍ったように動きを止めた。

 

「あ、嫌なら良いんだよ!でもちょっと気になってさ」

 

 両手をパタパタと振るライダーに、ノインは首を振った。

 

「大したことではなかった。……お前はまだユグドミレニアの奴隷をやってるのか、と言われただけだ」

 

 前までならば無視していた一言なのにな、とノインは視線を床に落として呟く。

 ライダーの動きが止まった。

 

「以前、俺は仕事で獅子劫とは会っている。あちらも俺を覚えていたらしい。だからこその一言だったんだろう。あんなのに引っかかるなんて、俺もまだ駄目だな」

 

 言ってノインは肩をすくめ、ライダーが黙りこくっていることに気付いて眼を瞬いた。

 

「ライダー?」

「……何でもない。何でもないよ」

 

 ライダーは椅子から弾みを付けて立ち上がると、また腰に手を当てて宣言した。

 

「ともかく、君は今日は休むこと!ボクらと違って生身なんだからな!」

「いや、デミ・サーヴァントに人間と同じ休息は……」

「言っとくけどこれはアーチャーの伝言だからな、守らなきゃアイツに怒られるぞ!」

 

 う、とノインは詰まった。

 アーチャーは怒らせると間違いなく恐ろしい。多分、ダーニックよりも。そんな予感がした。

 降参だとばかりにノインは無表情のまま両手を上げ、ライダーはにこりと笑った。

 

「じゃ、またね」

「じゃあな、ライダー」

 

 ばいばーいと手を振って、ライダーは部屋を出て行く。

 足音が遠ざかるのを待って、ノインはまた寝床の上にゆっくり横たわった。

 デミ・サーヴァントに休息はほぼ必要ない。それでも、眠った方が傷の治りは速くなるだろう。

 

 そう思う間もなく少年の瞼は落ちて、意識が朧気になる。

 

 だから少年は、別れたライダーが廊下で一つの出会いをしているとは全く知らない。

 知らないまま、彼は一時の眠りに落ちて行ったのだった。

 

 

 




憑依継承(サクスィード・ファンタズム)により得たのは、自己流に昇華しているルーン魔術のスキル。
どう弄ったかは追々。彼の保有スキルはこれのみ。

クラススキルは、対魔力:B 単独行動:A

それはそれとして普通に真名がばれてそうだと思う今日この頃です。

連続更新はここまでになります。


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act-5

感想、評価、誤字報告下さった方々、ありがとうございました。

感想返信の一部が滞っていますが、私の下手な答えでは真名がばれそうだと判断したので、自主的に止めている次第です。

感想はすべて読ませて頂いていますし、真名考察もとても嬉しいのです。が、どうかご了承下さい。



では。


 

 

 

 ノイン・テーターという少年はホムンクルスが苦手だ。

 何を見聞きしようがさして動じない彼にしては珍しく、ホムンクルスの無表情や淡々とした動きは、見ていると何故か目を逸らしたくなるのだ。

 お前とて同様の生命だろうに、と魔術師なら言うだろう。英霊を降ろすために造られた人間と、魔術師のために造られた人造生命体に、何の違いがあるのか、と。

 片方がもう片方を苦手にするなど、鏡に映った己から目を逸らすのも同じだった。

 

 多分、それは正解なのだろう。

 ホムンクルスへの感情は、自分への裏返しだ。

 唯々諾々と従い、必要ならば生命も投げ捨てる。()()()()のような同胞が自分のすぐ隣で倒れても、動き続ける。

 止まるまで動き続けて、いずれ自分も骸を晒す。

 

 何も分からないまま、死地に赴くその様子を見ていられない。見たくないのだ。

 止めることなど出来もしないくせに。

 

 自分の感情の出処を知ることもなく、ただノインは、ホムンクルスが苦手なのだった。

 とはいえ、それを知る者はいない。

 周りの無関心と本人の無表情のために、まさか彼がホムンクルスが苦手とは誰に知られたこともなかった。

 しかし、聖杯大戦開始からノインが住むようになった城内には至るところにホムンクルスがいるのだから、意識せざるを得ない。

 廊下ですれ違いもするし、会釈されれば反応も返す。けれど踏み込みはしないし、供給槽のある場所には敢えて立ち入ろうとはしない。

 

 そんなノインの所に、いきなりホムンクルスが二体も現れたのだから、驚きもした。

 

「デミ・アーチャー様、供給槽より逃げたホムンクルスをキャスター様が探しておられます。心当たりは?」

「……無い」

 

 数時間の睡眠から、ホムンクルスが扉を叩く音によって覚醒させられたノインは、目を細めて答える。

 元々良くない目付きが更に不味いことになっているのだが、誰も指摘する人間はいなかった。

 

「分かりました。ダーニック様より、デミ・アーチャー様も捜索に加わるように、とのことですが」

「承知した」

 

 一礼して立ち去ろうとするホムンクルスたちの背に、ついノインは声をかけた。

 

「そのホムンクルスを、何故探しているんだ?」

 

 そもそも、サーヴァントまで駆り出してホムンクルス一体を何故探すのか。

 

「キャスター様によれば、ゴーレムの素体として必要だとか。しかし、《彼》はそうなる前に自力で逃走した模様です」

「分かった」

 

 ホムンクルスたちは今度こそ去る。

 見送って部屋の扉を閉め、ノインは扉に背にを預けて床に座り込んだ。

 何時だったか、ロシェが嬉々として語っていた炉心の話か、とノインは思い出した。

 サーヴァントとして有用と見做されなければ、己がそうなっていたかもしれない。そう思うと、ホムンクルスを見つけ出すことに対して複雑ではあった。

 それでも立ち上がって、上着を羽織る。

 結界に引っかかっていないのでなければ、ホムンクルスはまだ中にいる。ミレニア城塞が広いといっても空間は限られるのだ。

 遅かれ早かれ見つけられる。

 外へ出ようとノインが扉の前に立ったとき、また誰かの近寄る気配がした。

 

「ノイン!ちょっとごめんね、匿って!」

 

 同時にばんと扉が開かれ、飛び込んで来たライダーにノインは固まる。

 ライダーはか細い体躯の人間を一人、肩に担いでいた。

 

「ライダー……まさか」

「うん、ホムンクルスだよ?」

 

 廊下で助けてって言われたから、連れて来たんだ、と言うライダーに、ノインは絶句するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主が探せと言っているものを、眼の前に持ってこられたなら、サーヴァントはどうすれば良いのだろう。

 ノインがそうやって躊躇った一瞬の間に、ライダーは部屋に入ると、寝床の上にホムンクルスの少年を乗せてしまう。

 

「ライダー、これは……」

「んー、だからホムンクルスだろ。でも、何か具合が悪そうなんだ。診てやってくれないかな?」

 

 改めてノインはホムンクルスを見た。

 背はノインやアストルフォと同じほどだが、か細い手足を力無く投げ出し、肋骨の浮いた血の気のない胸を上下させて息をする様子は、今にも消えてしまいそうなほど、儚かった。

 その顔に、見覚えがある。ロシェに呼ばれて供給槽のある部屋に入ったとき見かけた、少年のホムンクルスだった。

 よりにも寄って、どうして顔を覚えてしまった奴なんだろう、と思う。

 

―――――浅く忙しない息をしているホムンクルスと、記憶の誰かがふと重なる。

 

 ノインはそう感じる自分に動揺しつつ、重い何かを押し出すように口を開いた。

 

「……駄目だ。俺にはできない」

「何で!?」

 

 信じられないものを見るようなライダーから、ノインは体ごと目を背けた。その前にライダーは回り込んで、正面から赤い瞳を覗き込んだ。

 

「この子、放っておいたら危ないんだよ!?」

「そいつはキャスターと、マスターが探しているホムンクルスだ。だから助けられない」

 

 無意識に手をきつく握りしめながらノインは答えた。

 

「ここにいると、連絡しないと」

 

 ノインがそう言った瞬間、ライダーは動いて扉の前に両手を広げて立ち塞がった。

 

「駄目だ、駄目だからな。行かさないぞ!」

「そこを退いてくれ、ライダー」

「嫌だ!」

 

 燃えるような瞳のライダーに、ノインは押された。

 

「大体そんなひどい顔して、君こそ何言ってるんだよ!」

「……ひどい、顔?」

 

 ノインは壁にかかった鏡を見る。

 瞳を大きく見開いた蒼白な顔の少年が、そこにいた。

 ライダーは広げていた腕を下ろして、静かな口調で言う。瞳に浮かんだ光の強さは変わらなかった。

 

「君はホムンクルスを庇ったろう。あれは君の意志じゃないのかい?彼らが無為に死ぬのを、君は受け入れられなかったんだろう」

「それは……だから」

「この子は、ボクに助けてって言ったんだ。こんな体で生きたいって言うんだ。……だから、ボクは見捨てないぞ。ボクの英霊としての誇りにかけて、絶対だ」

 

 ノインは本当にライダーの視線に耐え切れなくなって、足元に視線を落とした。

 ()()()()()()()()

 ランサーからも言われた言葉が、頭を駆け巡る。

 ()()()()()()()()()()()()()と、あの王は言った。

 心の底まで掬ってみても、ノインには自分にそんなものがあるとは思えない。

 

 けれど彼は、静かな部屋に響くホムンクルスの息遣いを耳から追い払うこともできなかった。

 

 しかし彼らが何かを言う前に、棚の上に置かれた通信用の礼装がけたたましい音を立てて鳴った。

 

『デミ・アーチャー、そこにいるのか?』

 

 冷え冷えとしたダーニックの声が響き、ライダーとノインは凍り付いたように固まった。

 ノインはゆっくり礼装の方を見て答える。

 

「……はい。何でしょうか?」

『供給槽からホムンクルスが一体逃亡した。貴重な素体だ。生かして捕らえろ。……それとも既に発見したか?』

 

 ノインの眼は、目の前のライダーと、そしてホムンクルスの間を彷徨った。

 血の色に似たノインの瞳に、紅玉のようなホムンクルスの瞳が映る。

 揺れる瞳の視線を感じながら、手足に力を込めて、デミ・サーヴァントは言葉を押し出した。

 

「……()()()()()()()()()()()()

『では急げ』

「了解、しました」

 

 ノインは手を伸ばして礼装の魔力を切った。

 眼の前にはライダー、後ろには浅い呼吸を続けるホムンクルスがいる。

 少年は一度だけ深く息を吐き、目を瞑った。

 

「ノイン……君……」

 

 英霊を宿す少年は、騎士の言葉を手を広げて遮る。

 

「俺の部屋じゃ匿うのは無理だ。簡単に監視できるし誰だって入れる。アーチャーの所に行け」

 

 あの人なら見捨てないだろうから、とノインは言って、ホムンクルスを手早くシーツで包んだ。

 そのとき、ホムンクルスの少年は初めてノインの顔を見る。ホムンクルスは、何か言いたげに口を動かしていた。

 

「……とっとと逃げろよ」

 

 認識阻害のルーンを包みに書き、ぼそりと言ってノインはホムンクルスの少年をライダーに渡した。

 

「ほら、早く行け。俺の誤魔化しなんて、いつばれてもおかしくない」

 

 主に嘘をついたこともない人間の偽りなのだから。

 

「う、うん!……え、でも、それじゃあ君が」

「今更、何言ってるんだ。ライダーはどうしてもそいつを助けたいんだろ?だったら行け」

 

 廊下に誰もいないのを見計らって、ノインはライダーとホムンクルスを外に押し出した。

 駆け出す寸前、ライダーは手を振った。

 

「ありがとう、ノイン!」

「静かに行け!気づかれるだろう!」

 

 器用に小声で怒鳴るノインに、ライダーはひゃう、と首を縮めると駆け去った。

 ノインはそれを見送り、彼らの行った方向とは逆の道に足を向けた。

 

―――――俺は、一体何をしたんだろう。

 

 嘘をついて、ルーンまで使って、ばれたなら本当に言い逃れのしようがないことをしている自覚はあった。

 ダーニックに知られたら、怒りは雷のように降りかかってくるだろう。自害も命じられる令呪を持つ彼の怒りは、素直に()()()()()()

 けれど、言ってしまった言葉は取り消せない。やってしまったことは戻せない。

 口下手なノインは、下手に誰かに会ったら誤魔化しきれる自信がなかった。

 それでもばれないよう、捜索しているふりをしているしかないなとノインは頭をかきながら廊下を進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、ホムンクルスはアーチャーの部屋に匿われることになった。

 魔術まで使っても発見できないという事態は、ダーニックやキャスターを苛立たせたようだが、見つからないものは見つからないのだから仕方ない。

 まさか、高名なサーヴァントが私室でホムンクルスを庇うなど魔術師たちには想像できることではなかった。

 ルーンで探せないのか、とダーニックに言われたときは、サーヴァントたちと大聖杯の魔力が入り乱れているせいで厳しい、とそれらしい理屈でノインは切り抜けた。

 アーチャーが、あり得る話です、とダーニックに取りなしてくれなかったら隠し通せた自信はない。

 隠し事に向いていないと思われるライダーとも顔を合わせづらくなって、ノインは一人見張り台にいた。

 眼下に広がるのは、夜闇に沈んだイデアル森林。森は静かで、生き物の気配はあまり感じない。朝に見ていた小鳥や栗鼠も、どこかに行ってしまったのだろうか。

 寂しいというより、戦況が変わってこの森が本格的に戦いの場となりそうな今、むしろ良いと感じた。

 

 ノインが“赤”のセイバーとの戦いで休息を取り、ホムンクルスで頭を悩ませている間に、戦況はまた変化したのだ。

 変化は二つ。一つはルーラークラスの現界が本格的に感知されたこと、それに“赤”のバーサーカーが陣地を突っ切ってこちらに向かっていることだ。

 

 ルーラーとは聖杯戦争を裁定するという、審判者のような役割を担うサーヴァントだ。

 中立な立場を取り、聖杯戦争の仕組みを超えて現世に干渉する者、或いは外部から干渉しようとする者を諌め、時には排除するのがルーラーの役割だ。

 普通なら喚ばれないイレギュラーなサーヴァントだが、十四騎が入り乱れる聖杯大戦となり、ルーラーが召喚されたということらしい。

 裁定のために、サーヴァントに対する強力な《特権》を持つと言うルーラーを自陣に取り込むために、ランサーは“黒”のセイバーとマスターのゴルドを遣わしたが、公平性を失うからと当のルーラーに拒絶され失敗したという。

 

 夜風で頭を冷やしながら、ノインは考えていた。

 後者の“赤”のバーサーカーのことは、彼にはあまり関心がない。出撃しろと言われたならば出るが、それも現れてからの話だ。

 ノインが気になるのはホムンクルスのことだ。

 ルーラーが無関係な人間を巻き込むことを良しとせず、聖杯大戦に中立な立場のサーヴァントなら、無関係な生命だからとホムンクルスを預けるのも方法だと思っていた。

 

 城にいてはどうせ居場所は知られてしまう。

 ライダーに出会わなければ見捨てていただろうが、結果としてノインはダーニックに嘘を付き、ホムンクルスを助けるために手を出してしまった。

 それなら彼には、生き延びてほしかった。

 

―――――まぁ、ルーラーがどんなサーヴァントなのか分からないからどうとも言えない、か。

 

 そう言えば、イレギュラーなサーヴァントで言うなら、デミ・サーヴァントも大概な存在ではある。

 本来からして、聖杯戦争は長くても二週間程で終わるもの。それがサーヴァントたちの現世に留まることのできる期限なのだ。

 が、ノインは死ぬまでダーニックのデミ・サーヴァントで在り続ける。

 力を借りている英霊が退去か消滅すれば、ノインはデミ・サーヴァントではなくなるが、生命を落としてしまうからだ。

 この世を去るその時まで誰かのサーヴァントであり続けて、ただひたすら命令通りに何かを壊して生きていく。

 

―――――その生の、一体どこに意味があるのか。

 

 生きるために久しく考えないようにして、心の奥に封じ込めていたことが頭をもたげて、ノインは長く深く息を吐いた。

 

 答えが欲しかった。

 自分はライダーのようにホムンクルスの少年を、助けたいと思って助けたのだろうか。

 命令に異を唱えずに死んでいく彼らが苦手なのは変わらない。

 けれど、生きたいと進み出たあの少年の手をノインは払い除けられなかった。誰よりも自分自身が、そうしたくなかったのだ。

 ライダーに頼まれたからでは、無い。

 

「何だ。じゃあ結局あれは、俺の意志じゃないか」

 

 口に出すと、少しだけ眼の前が明るくなる気がした。

 少なくとも、あの嘘は自分の意志でついたものだと決められた。

 従うだけの生き方をしている自分が、自分の意志で成したことなら、その選択の結果を何時までも怖がるのはよそう、とノインは思った。

 英雄の誇りに比べたらちっぽけな決意だとしても、それが少年の精一杯だった。

 

「―――――またここに居たのですか?」

 

 そうやって考え事に耽っていたものだから、いきなりかけられた声に驚いて、見張り台に頬杖をついていたノインはつんのめって危うく転落しかけた。

 

「おや、すみません。そこまで驚かせるつもりは無かったのですが」

「……」

 

 ノインを見下ろすアーチャーは、涼し気な笑みを浮かべていた。

 体を戻して、ノインは頭を下げた。

 

「アーチャー、さっきはありがとう。俺の下手な嘘がばれなかったのは、あなたのおかげだ」

「いえ、礼を言われることではありませんよ。私は貴方に酷なことを言いに来たのですから」

 

 首を傾げるノインに、アーチャーは淡々と告げた。

 

「貴方がたの助けたホムンクルスの彼は、率直に言って三年ほどしか生きられません」

 

 この場から助けられても彼の生命は短命で、更に短くなる可能性もあるとアーチャーは言う。

 

「……そうか」

「驚かないのですね」

 

 意外そうに見るアーチャーに、森の方へ顔を向けて、ノインは静かに答えた。

 

「魔術回路のために調整された生命は短命になりやすい。だから、そうじゃないかとは思っていた。あいつは魔力供給に特化しているだろうから、戦闘用と比べれば寿命はまだ長い方だ」

 

 戦闘用に身体能力を大幅に強化された個体など、数カ月の寿命なのだ。だから、あの少年はまだ長生きができる方だ。

 

「ええ、ですから私は彼に言いました。―――――()()()()()()()()()()()()、と」

 

 そこで初めて虚を突かれたように、ノインに表情が現れる。

 仮面のような冷たさが崩れ、まるで幼い子どものような面影が僅かに覗いた。

 

「難しいことを、言ったんだな」

「ええ、承知しています。ですが短い生だからこそ、彼は逃げてはならない。考えねばならないことはあります」

「考えても、それで分かると思うのか?きょうだいもいなくなってこの世に放り出されて、たった一人になっても?」

 

 森を見るのをやめ、少年は賢者を見上げて真摯に問い掛けた。

 

「ええ、私は信じています。生命にはそれを可能にする強さがあると。もちろん、あなたにもね。ノイン」

 

 アーチャーは柔らかく微笑む。

 

「……信じる、か。……あなたが言うと何というか……凄いな」

「そんなことはありませんよ」

 

 違うとばかりに、ノインは頑固そうに顔をしかめて頭を振った。

 

「あなたがそう思っても、俺にとっては違うんだ」

 

 それで用はそれだけなのか、と急に我に返ったようにノインは聞いた。

 

「いえ、“赤”のバーサーカーへの対処について、命令が下されるとのことなので、大広間に来て下さい」

「……分かった。すぐ行く」

 

 一足先に行くつもりなのか、アーチャーは微笑んだまま霊体になる。

 それを見届けてから、ノインも城の中へと戻って行ったのだった。

 

 




初めて反逆した話。
英雄には簡単にできることも、下僕にとっては難行。

ちなみに現在、
アストルフォ:164cm
ホムンクルス:165cm
ノイン:165cm
です。


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act-6

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 バーサーカーとは、狂戦士のことだ。

 サーヴァントに“狂化”という特性を付け、理性を損なわせる代わりに一部能力を上げる。

 “黒”のバーサーカーは、天才科学者フランケンシュタインの造り出した狂乱の怪物だった。

 だがどう見ても、バーサーカーは怪物とは程遠い、花嫁衣装の華奢な少女である。

 召喚早々、自己紹介を敢行したライダーに真名を広められてしまった彼女は彼を嫌っているというか、鬱陶しく思っているらしい。

 そんなの当たり前だろ、と話を聞いたときノインは呆れた。

 おまけにフランちゃん、などという呼び方までしたらそれは唸られもする。

 だけれど、彼女はマスターのカウレスとは良好な関係らしく、時々城内の花を摘んではそれをカウレスに渡したりもしているという。

 

 ともかく、“黒”のバーサーカーはそんな少女だった。だからノインの想像も狂戦士と言っても、どこか大人しやかなものになっていたのかもしれない。

 

 そんな思い込みは映像に映った“赤”のバーサーカーで、木っ端微塵になった。

 呆然とノインは呟いた。

 

「何だ、アレ」

「筋肉、だよね。どう見ても。筋肉の塊に笑顔を付けて手足がある感じ」

「……彼が真っ直ぐこちらに来ているとか悪夢なんだが」

「ボクに言うなっての!」

「……そこの二人、静かになさい」

 

 虚空に映し出されたバーサーカーの映像を見つつ、ぼそぼそと会話していたノインとライダーへ、フィオレの声がかかる。

 揃って二人とも口をつぐんだが、眼は映像に釘付けだった。

 “赤”のバーサーカーは“黒”のバーサーカーとは似ても似つかぬ、傷だらけの灰色の肌をした筋骨隆々の大男だったのだ。

 それだけならまだしも、常に微笑みを浮かべている。微笑みを浮かべたまま、抜き身の剣を引っ下げて一直線にミレニア城塞を目指しているのだ。

 兎にも角にも、何なんだあれ、というのがノインの正直な感想たった。

 あれほどの微笑みを浮かべる理由、浮かび続けられる理由が、理解できなかったのだ。

 

「ライダーは巨人を見るのは初めてじゃないだろう?皆あんなものなのか?」

「だ、か、ら!ボクが昔捕まえたのはあんなのじゃないってば。多分、バーサーカーなんだから理性がトン出るんだろ」

 

 理性の蒸発しているというライダーにまでそう言われては、身も蓋もなかった。

 広間の端に待機して話すライダーとノインを他所に、ランサーは玉座の上から指示を下す。

 ダーニックの進言により、あれは捕縛すると決まった。

 その先駆けとなるのは、ライダーである。

 改まってランサーの命を受ける華奢なライダーを、思わずノインは二度見した。

 

「拝命した。シャルルマーニュ十二勇士のアストルフォの名とこの槍にかけて先駆けを務めよう!」

 

 と、どこか楽しそうにライダーは名乗りを上げた。

 確かに、彼の槍の宝具の特性を考えれば適任だとノインも思っている。

それはそれとして、その名乗りはまさか敵の前でもやるつもりじゃなかろうな、とノインは心配になった。

 貴族で王でもあるランサーは満足げではあったが。

 

 “赤”のバーサーカーの捕縛はそれで良いとして、問題は彼を止めるつもりなのか“赤”のサーヴァントニ騎が追随していることだ。

 彼らが退かない限り、戦闘は避けられないだろう。

 ランサーの差配は、“黒”のセイバーとバーサーカーによる迎撃だった。

 アーチャーとデミ・アーチャーは後方からの支援である。

 

「ノイン・テーター。貴様の魔術は多彩だ。それで敵を撹乱し支援に努めろ。前線には出るな」

 

 ノインは視線を感じながら頷いた。

 玉座の横に佇むダーニックの手には、ノインの令呪の刻まれた書物があった。

 何時もなら書斎に置いているそれをわざわざノインにも見える場所にまで持ち出していることの意味に関しては、あまり良い予感はしなかった。

 

 ライダーやアーチャーたちと会話している所でも見られたのか、これまで機械のように従ってきたデミ・サーヴァントにこれまでと何かが違う変化がある、とダーニックは思うようになったのだろう。

 

 ホムンクルスのことがある限り、ノインはダーニックの眼に留まる行動はできそうにない。

 戦闘のどさくさでホムンクルスを連れ出して逃がすべきだとノインは思うのだが、ライダーに任せるしかなさそうだった。

 そのダーニックは、命令を受けたサーヴァントたちが持ち場へ向かおうとする中、ノインを手招いた。

 

「お前にも宝具の開帳を許す。アサシンは失ったものと見做し、その分はお前が務めるように」

 

 ノインは無表情で頷いた。

 アサシンはついに現れないものと見做され、ルーラーの説得にセイバーのマスターであるゴルドは失敗した。

 “黒”の陣営はデミ・サーヴァントを加えた七騎で戦いに挑むのだ。

 

「それと逃げたホムンクルスのことだが」

 

 踵を返しかけ、ダーニックの一言にノインは振り返った。

 何も面に現してはならない。主に悟られてはならない。そう言い聞かせてから、ノインは口を開いた。

 

「……捜索を続けますか?」

「無論だ。キャスターの宝具は切り札になる可能性もある。……忘れるな。起動のためにはホムンクルス以外だろうとも構わないのだ」

 

 蛇のような視線を少年は黙って受け止めた。

 これが脅しだとしても、屈する訳にはいかなかった。

 ここまで来たらもう意地だと、ノインは後ろで組んでいる手を握りしめた。

 

「承知しています。では、俺はこれで」

 

 一礼してノインは去る。

 いつも通りに見えるよう歩調を抑え、広間を出てからようやく手から力が抜けた。

 既にランサーたちと共に“赤”のバーサーカーの迎撃に出たであろうライダーへ、ノインは念話を繋げる。

 

『ライダー、すまないがやはり俺は動けそうにない』

『あ、やっぱり?……オーケー、じゃあ“赤”のバーサーカーを宝具で何とかしたらすぐボクが行くよ』

 

 ライダーの宝具と言えば、『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』か、とノインは思った。

 無銘で無骨なノインの槍とは違い、黄金で飾られた派手な見た目の馬上槍だが、あれで触れられたものは、膝から下を強制的に霊体化させられ転倒する。

 “赤”のバーサーカーのような、如何にも耐久力に優れていそうなサーヴァントの足を止めるにはさぞよく効くだろう。

 

『それにしても宝具が豊富だと聞いているが、幾つあるんだ?』

『うーん、四つだよ。あ、真名開放できるのは三つだけど。一つ忘れててさぁ』

 

 念話越しとはいえ、あっけらかんと言うライダーにノインは呆れた。

 だが彼も二つの宝具はあるが、一つは不完全。片方はノインの力不足のためか、使えば自爆しかねない危険物に成り下がっているため封印状態だ。

 要するに、ノインは真名に関して人のことをどうこう言えないのである。

 

『……真名、思い出せるといいな』

 

 そんな在り来たりなことを言って、彼は通信を断つ。

 外に出れば、物見台にアーチャーとそのマスター、フィオレが見えた。

 サーヴァントの姿となって地を蹴り、城壁を跳び越し、ノインは物見台に着地する。

 

「よろしく頼む」

 

 アーチャーに、というより驚いた顔をしているそのマスターに向けてノインは言い、腰にぶら下げた紐状の投石器を外して手に持った。

 

「それが貴方の宝具なのですか?」

「そうだ」

 

 不完全なスペルでの真名開放しかできていないのが現状だが、宝具は宝具である。

 手にはルーンを刻んだ石。魔力に満ちているが材料はその辺りに転がっていた、ただの石ころだ。

 森を見渡した瞬間、項の毛が逆立つような気配を、ふいに感じる。ノインの探知範囲内に、“赤”のサーヴァントたちが踏み入ったのだ。

 同時にアーチャーも弓を手に持つ。

 サーヴァントニ騎の臨戦態勢に、フィオレの顔が引き締まった。

 

 ノインとて弓兵のデミ・サーヴァントではあるから、視力は非常に優れている。

 眼を凝らすと遠くに“赤”のバーサーカーの狂乱が見えた。

 ゴーレムを叩き壊し、ホムンクルスを叩き潰し、驀進している。木は根こそぎにされ、バーサーカーの進み方と来たら重機そのものである。

 何故そうまでして、単騎でミレニア城塞を襲撃しようとしているのだろう。

 如何に白兵戦能力の高いバーサーカーでも、一騎で敵陣に飛び込むなど自殺行為に他ならない。

 尤も、そんな理屈が通じないからこその狂戦士なのだと考えることもできるのだが。

 

「“赤”のバーサーカーはランサーたちで十分のようです。私たちはニ騎に集中しましょう」

 

 アーチャーの指摘に、ノインは頷いた。

 “黒”のセイバーはランサーを除けばこちら側の最高戦力と見做されている。

 その彼は敵とどう戦うのかと視界を移し、ノインは眼を凝らした。

 サーヴァントらしい高魔力反応は四つある。

 そのうちの一つ、槍を携えた銀の軽鎧を付けた青年の姿をノインの眼は捉えた。

 遠目にも気配を捉えられる彼は槍を構え、正に“黒”のセイバーとバーサーカーを相手取っていた。

 

「槍……“赤”のランサーか?」

「待って下さい。そのサーヴァントは白髪の青年ですか?」

 

 フィオレの問いにノインは眼を離さずに首を振った。

 

「いや、違うが」

「でしたらランサーではありません。“赤”の槍兵は容姿と共にマハーバーラタの英雄、カルナと確認が取れています」

 

 ルーラーを発見した際に、“赤”のランサーと“黒”のセイバーは戦っている。そのときに判明したのだそうだ。

 それにしても、あの太陽神スーリヤの子であり、施しの英雄として有名なカルナが敵とはぞっとする話だった。

 

「では彼は……」

 

 どこの英霊なのだろうか、と言いかけ、ノインはアーチャーの様子に気付いた。

 気のせいか、アーチャーの動きが止まっている。

 

「……ノイン、彼はライダーです」

 

 断定するその言い方に、何故分かるのかとノインとフィオレは疑問符を浮かべた似た表情になる。

 だがノインが眼を離したその瞬間、セイバーが遥か後方から飛来した矢に吹き飛ばされた。

 

―――――向こうのアーチャーか。

 

 ともあれ、これは不味いとノインは振りかぶるや石を投げた。

 石は大きく弧を描き飛来し、“赤”のライダーへ飛ぶ。過たず彼目掛けて飛び―――――確かに着弾する。

 

「ッ!?」

 

 だが、驚いたのはノインの方だった。

 相応の魔力を込めた一撃だったのに、ライダーには傷一つ付かなかったのだ。

 どころか、ライダーの視線は確かに遥か離れているはずのノインを捉えている。唇を吊り上げ、彼は笑った。

 貴様如きの攻撃など通るものか、という自信に溢れた笑みだ。

 

「―――――いけない」

 

 だが、驚く暇はない。

 アーチャーの呟きでノインが我に返れば、“黒”のセイバーが大剣を掲げていたのだ。

 大剣に収束する莫大な魔力は、宝具発動の兆しだった。

 

「ノイン、ダーニック殿へ連絡を。あのライダーは私が抑えると。セイバーには撤退を」

 

 頷く暇も惜しい。

 無言でノインは念話を繋ぎ、ダーニックへ伝える。直後、収束された魔力は弾け、宝具の発動は止められた。

 あそこまで急な魔力の収束と解除は、令呪による補助が無ければ行えない。サーヴァントとして一年以上生きている少年にとって、それは確信だった。

 セイバーのマスターは、()()()()()()()だ。それも恐らくは二画。

 その選択の是非を、今考える余裕はない。

 

「ノイン、貴方はバーサーカーの援護を。それからマスター、襲撃の恐れもあります故、城内へ戻って下さい」

「分かりました、アーチャー」

 

 フィオレが立ち去る気配を感じながら、ノインは森の奥に目を凝らす。

 アーチャーが矢を放つのと、ノインが石を投擲したのは全く同じだった。

 石は空中で無数に分裂。雨のように森に降り注いだ。感覚でアーチャーがいると感じた方向への投擲である。

 木々が倒されていく中を、バーサーカーが突っ切っていくのをノインは見届けた。だが、そこに潜んでいたはずの“赤”のアーチャーの姿はなく、バーサーカーの咆哮だけが虚しく響いていた。

 撤退したのか、とノインが判断する側から森から今度は天駆ける戦車が飛び出す。

 乗り手はあの槍使いの青年で、“黒”のアーチャーへの再戦を誓う哄笑と共にあっという間に空の彼方へと飛んで行った。

 立て続けに物事が起こったが、“赤”のライダー、アーチャーは共に去ったと見て良さそうだった。

 

「“赤”のアーチャーは撤退したようだ。あのサーヴァント、本当にライダーだったのか」

「……ええ」

「?」

 

 珍しく歯切れの悪いアーチャーをノインは見上げた。

 何かあったのか、と問う前にノインの頭の中に冷徹な声が響く。

 

『デミ・アーチャーに告げる。その場はアーチャーに任せ。城へ戻ってキャスターの手助けをしろ』

「え?」

『聞こえなかったのか。ホムンクルスが発見された。セイバーが捕らえに向かい、連れて戻る。お前はキャスターの補助へ回れ』

 

 念話は断ち切られ、何も聞こえなくなる。

 半ば呆然と、ノインは振り返る。アーチャーはまだ空を見ていた。

 

―――――駄目だ。この人にばかり頼れない。

 

 咄嗟にそう思って、少年は見張り台から城内へ戻った。

 ライダーが、”黒”のセイバーとそのマスターを相手取ってホムンクルスを外へ逃がすなど、とても不可能なことに思えた。

 けれどどちらへ行けばいいのか、少年は立ち竦む。その彼にかかる声があった。

 

「ここにいたのか。手伝いたまえ」

 

 青い仮面のゴーレム使い、キャスターとそのマスターが現れる。

 

「助かったよ。デミはルーン魔術が使えるんだろ。”黒”のライダーがホムンクルスを連れて逃げちゃってさ。全く、面倒なことになったもんだよ」

 

 ホムンクルス一体が逃げたところで何にもならないのにさ、とロシェは鼻を鳴らしていた。

 

―――――デミ、か。

 

 デミ、デミ・サーヴァント、デミ・アーチャー。

 どれも自分を表す言葉だが、どれも違う。違和感があった。

 

―――――俺の名前はどれでもない。ノインだ。

 

 魔術師らしいロシェとキャスター。

 彼らはノインと呼ぶことは決してない。

 彼らはノインが自分たちへ手を貸して、ホムンクルスをゴーレムへと積み込む手伝いをすることに何の疑いも抱いていない。

 それはきっと、ダーニックも同じだ。彼らには彼らの夢があり、理想があり、生き方がある。

 半世紀以上の時を生きて尚、純粋に夢を追いかける生き方は、傲慢と切り捨てるには少年には重かった。

 数日前まで木偶人形のような生き方しかできなかった、してこなかった自分より、彼らの方がずっと積み重ねてきたものは重い。

 

―――――ああそうだ。それでもその重さがどうした。

 

 自分の意志で始めたことは最後までやる。

 英雄に力を借りている人間だというのなら、人形ではない確かな意志を宿して生まれ落ちたのなら、自分のものではない生命の一つくらい守りたい。

 

―――――俺がそう思うのは、間違いじゃないはずだ。

 

 だから、これから先行うことを怖がって躊躇っていては駄目なのだ。

 こちらに背を向けて歩き出しているキャスターとロシェ。

 彼らに勘付かれないよう、ノインはルーンを刻んだ石を取り出した。

 

「―――――」

 

 呪文を囁き、石を落とす。

 閃光のようにそれが弾けて、ロシェとキャスターの眼が眩む。

 その隙に、ノインは動いた。

 高ランクの敏捷ステータスを持つ少年は、正に一瞬で風になって走り出したのだった。

 

 

 

 




また反逆した話。
ってこう書くとスパルタクスの後輩かよ、と思います。




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act-7

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

―――――生きたいなら、迷うな!

 

 そう言われ、走り出したホムンクルスがいた。

 名前はなく、ただ生きたいと願って供給槽を飛び出した少年の形の人造生命体。

 サーヴァントたちに庇われ、ライダーと共に外へと出た彼は、追い詰められていた。

 ここまで手を引いてくれた“黒”のライダーは、追ってきたセイバーに抑え込まれて動けない。

 歩くことも満足にできない彼は、セイバーのマスター、ゴルドに捕まりかける。

 それに、魔術で反撃したのは自然な行為だったろう。

 だが、彼の魔術は造り手であるゴルドとの相性が悪かった。

 魔術は難なく封じられ、しかもホムンクルスに生命を狙われたという事実そのものに激昂したゴルドに、彼は殴り倒された。

 魔術で補強したゴルドの鉄腕によるその一撃だけで、彼の心臓は呆気なく破裂する。

 鮮血が口から溢れて、彼は凍えそうな地面の上に倒れて動けなくなる。

 それで、彼の死は避けられなくなった。

 まだ怒りの冷めやらぬゴルドに何度殴られても、最早何も感じない。

 意識が朧になって、砕けて行く。

 その間際に、ふと一つだけ思い出した言葉があった。

 顔も定かでない誰か。“黒”のアーチャーでもライダーでもない、別の誰かに言われた言葉。

 

 乾いた血のような錆びた赤色の眼と共に、“とっとと逃げろよ”というたった一言がホムンクルスの脳裏に蘇る。

 

 ここで死んだら、あの誰かに言われたことも無駄になるなとホムンクルスは思う。

 それは残念で申し訳ない。それでも、もうどうしようもなくなってしまったと、意識を手放しかける。

 

 その刹那に、何か固い手に支えられた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――頭に響く主の声も無視し、走って、走り続けて、それでも少年が結局間に合うことは無かった。

 

 城の裏手の森についた時には、もう終わっていた。

 立ち塞がったゴーレムを破壊して、直接送られてくるダーニックからの念話も聞き流して、けれど、ノインは間に合わなかった。

 眼の前の光景を見れば、何があったかは分かった。

 木に背を預けて地面に座り込んでいるのはホムンクルス。見下ろしているのは、一人の男の魔術師、名前はゴルド。

 ホムンクルスの少年の口からは血がこぼれていて、何よりその顔には生気が無かった。

 傷付いて死ぬ人間は多く見たから、どういう顔になれば危ないかはすぐ分かるのだ。

 あのホムンクルスは、もう助からない。

 ホムンクルスを余程殺したいのか、ゴルドが腕を振り上げた瞬間、ノインは動いた。

 ゴルドとホムンクルスの間に割り込み、魔術で補強されて鉄のようになった拳を片手で受け止める。

 痩せて無表情なデミ・サーヴァントに拳を簡単に受け止められ、それでゴルドはようやく我に返った。

 

「お、お前はダーニックの……!」

 

 デミ・サーヴァントの錆びた赤い瞳は、氷のようにゴルドを見ていた。

 彼の背後には、血を吐いているホムンクルス。

 生かして捕らえろとダーニックに命じられた個体は、冬の最中の虫のように死にかけていた。

 任務の失敗という事実に、ゴルドは冷水を浴びせかけられたように感じた。

 

「ち、違うぞ!私は悪くない!そのホムンクルスは、私を殺そうとしたんだ!」

「……反撃した、ということか?」

「そ、そうだ!貴様、ダーニックに捕縛を命じられたのだろう!?何故もっと早くに駆け付けなかった!?」

 

 デミ・サーヴァントの少年は、ゴルドの言葉を聞いても瞬きもしない。

 ざんばらの黒髪の隙間から覗く赤い眼は、ホムンクルスと同じほど感情を伺わせず、ゴルドをただ見ていた。

 そのまま、少年はゴルドの拳を掴んでいた手を解くと、ホムンクルスの方へ屈み込む。

 ホムンクルスを抱え起こす手は、幼子を抱えるときのように優しく、赤い眼は哀しそうに細められていた。

 直前までの、ゴルドに向けられていた氷のような無感情さは無くなっていた。

 その表情にゴルドは、この少年がホムンクルスを思いやっていることを認識した。

 

「貴様、貴様もライダーと同じか……!?」

「同じというのがホムンクルスを助けたいと願っていることを意味するならばそうだ。マスターは俺に、ここへ赴けとは言っていない」

 

 ホムンクルスの血を袖で拭い、ノインは彼の額にルーンを描いた。

 それは痛みを和らげ、暖かさを与えるだけのもの。

 心臓が破裂していては、ルーン魔術でももう手の施しようがなかった。

 恐らく、莫大な魔力か、オリジナルのルーンを十分に扱えるならば話は違うだろう。けれど戦闘へ特化しすぎ、劣化したノインのルーンでは心臓の完全な再生はできなかった。

 そして、心臓を無理に再生したとしてもゴルドによって体中が既に痛めつけられている。

 こうなっては死に至る僅かな生から、少しでも苦しみを取り除くことしかノインにできることはない。彼では、ホムンクルスの生命を繋ぎとめられない。

 

「デミ・サーヴァント、貴様まで何故そいつを庇う!?ただのホムンクルスではないか!?」

「……俺にも俺の行動の理由を上手く言葉にできない。だが、それはともかく俺のマスターはいずれここに来るぞ」

 

 この事態をお前はどう釈明するのか、とでも言いたげに無感情なはずのサーヴァントの少年は錬金術師を見た。

 

「君!大丈夫かい!?」

 

 硬直するゴルドの横をすり抜けて、ライダーが現れる。

 彼も同じように、ホムンクルスの少年の傍らに屈み込んだ。

 

「ノイン!?何で……」

「命令違反してやって来た。だが……」

 

 後が言葉にならずにノインは俯いた。

 ()()()()()()()()()()()と、少年は思う。その一言が、虚ろに胸の中を通り過ぎて行った。

 

「……助けられないのか、デミ・アーチャー」

 

 直前までライダーを抑え込んでいたはずのセイバーに問いかけられ、ノインは驚く。

 セイバーは淡々と、少年と彼の支えるホムンクルスを見下ろして問うた。

 

「どうなのだ?」

「……心臓が潰れている」

「そうか。……マスター、造り手のあなたでも治癒は不可能か?」

「き、貴様ら、黙らんか!何故だ、何故そいつに拘泥する!?ただの人形だろう!」

 

 怒りで顔が赤紫になっているゴルドを、ノインは無言で見つめた。

 そうだろうな、と頭のどこか冷静な部分が呟いた。

 魔術師の生き方に照らし合わせれば、喚び出された使い魔と魔術実験の被験体とが一緒になって、造られた人形一つを生かそうという事態など、考えたこともないだろう。

 頭の中を痛めつけるほど響いていた念話は既に途絶えていた。その沈黙が何を意味するのか、それを極力ノインは考えないようにしている。

 

「救う気はないか、マスター?」

「うるさい!黙っていろと言った――――」

 

 直後起きたことに、ノインは固まった。

 ”黒”のセイバーはゴルドの腹を殴ったのだ。体から力の抜けたゴルドが倒れるのを、信じられない思いで見る。

 彼の体を地面に横たえた後、それどころかセイバーは、甲冑、帷子までも解除してしまう。

 

「セイバー、何を……?」

「心臓が潰れた、と言ったな。ならば……ここに代わりはあろう」

 

 待て、と止める暇もなかった。

 ”黒”のセイバーは自らの胸に手を押し当てるや否や、そこから心臓を抉りだしたのだ。

 蔦を引き千切るような耳障りな音がする。鮮血が飛び散って、ノインの頬にも飛んだ。

 

「セイバー!?ちょっと待って、何を……!?」

 

 ノインの手から、セイバーはホムンクルスの体を抱き取る。

 

「俺の選択の結果、彼は生命を落としてしまった。……ならば、俺は彼に捧げねばならないモノがある」

 

 そう言うと、彼はその心臓をホムンクルスに()()()()()()

 心臓は彼の体の中を滑り落ち、胸の辺りに留まって強く脈打ち始めた。

 

「う、そ……だろ」

 

 呆然とノインは呟く。

 

「待て、セイバー、君……!」

 

 ライダーの叫びにノインは我に返った。

 剣士の足元は既に、金色の粒子に変わりつつある。当然の結果だった。

 サーヴァントの霊核の宿る心臓を抉り取ったのだ。”黒”のセイバーはここで消滅する。

 

「ライダー、感謝する。俺は俺が危うく目指したものを見失うところだった」

 

 その言葉の意味は、ノインには分からない。けれど、セイバーは彼の方も振り向いた。

 セイバーは何も言わず、呆然と自分を見上げる痩せた少年を見て、ただ微笑んで頷いた。

 その微笑みも金色の粒子へと還り、消え去っていく。

 

「セイバー、あなたは、どうして……」

 

 ノインが問いかけるより前に、”黒”のセイバーは消滅する。後には何も残らない。

 ただ、彼のマスターだった男が倒れているだけだ。

 ライダーとノインはしばし、セイバーの消え去った場所を我を忘れて見つめた。

 

「―――――あ」

 

 だが、そのときホムンクルスのうめき声がした。

 

「生きてる!生きてるのかい、君!?」

 

 心臓の位置に手を当て、ライダーは叫んだ。

 確かな鼓動を感じ取り、ライダーは感極まってホムンクルスの首にむしゃぶりついた。

 

「生きてる、生きてるよぅ……!良かった、ああ、本当に!」

 

 涙混じりにライダーは何度も良かった、と呟いた。

 ノインも頷き、けれど何も言わなかった。というより、言えなかったのだ。仕方なし、どこかぎこちなく彼はたった今生命を取り戻した少年に問いかけた。

 

「……大丈夫、か?」

「あ、ああ。でも……俺に、何が起こったんだ?」

 

 半身を起こしたホムンクルスは、自分の手を眺めて呟く。

 そこにはもう、息をすることすら力を振り絞っているような儚さはなかった。ライダーやノインとほぼ同じほどだったはずの背丈も、随分と伸びている。

 

「何だっていいじゃないか!君は生きてる、ねえ、そうだろ!ノイン!」

「そうらしい。心臓も……問題なく機能している」

 

 どういう理屈か、ノインにも分からない。

 けれど見たところ、ホムンクルスは生まれ変わったような体になっているようだった。

 その腕を引っ張ってノインは立ち上がる。ふらつきも、眩暈も特に感じてはいない様子で立ち上がるホムンクルスを見て、彼は小さく安堵の息を吐いた。

 

「……これなら、一人でも大丈夫そうだね。キミ、ここからは一人で行くんだ」

「そう、だな。セイバーの消滅は伝わっているだろう。多分すぐ他が来る。セイバーのマスターも、連れて帰らないといけないしな」

 

 ライダーとノインはゴルドの方を振り返る。

 彼はまだ、眼を覚ます気配がなかった。そして眼を覚まさないうちに、ホムンクルスは逃げるべきだった。

 

「あ、そうだ。何かあるか分からないし、これ上げるよ」

 

 そう言って、ライダーは腰の剣を外すとあっさりと手渡してしまう。

 渡されたホムンクルスは戸惑ったようにそれを見、ノインの方に困ったような視線を向けてきた。

 

「大丈夫大丈夫!ボクには他の宝具もあるから、それはキミにやるよ、護身用さ!」

「……と、そういうことらしい。この森にはまだ使い魔が仕込まれている。サーヴァントの武器は有効だろう」

 

 でも人里に降りたら、それは隠しておけよとノインは言った。

 

「ひと、ざと……?」

「この街の周りには村がある。そのうちのどこかに行けばいい。でも、トゥリファスの街には絶対に近寄るな。あそこはユグドミレニアの管轄だから。それからシギショアラも、協会の魔術師がいるだろうから避けろ」

「そうそう!人里に降りて、そこでキミは自由に生きるんだ!誰かと出会って、誰かと暮らして、そういう風に生きてゆけばいいのさ」

 

 ホムンクルスの少年は、剣を抱きしめたままノインとライダーの間で視線をさ迷わせていた。

 そうやって見てみれば、彼は明らかに背が高くなっている。それが少し、ノインには悔しかった。

 

「いいから行けって。ええと……」

 

 名前を呼ぼうとして、そう言えば彼の名前を知らないことにノインはようやく気が付いた。

 

「あ、そう言えばボクたち、キミの名前も知らないや。何て言うの?」

「聞いていなかったのか、ライダー?」

「えー、仕方ないだろ。色々どたばたしてたんだからさ。それで何て言うの?聞かせておくれよ」

 

 ホムンクルスの少年は、しばらく黙った後、胸に手を当てた。”黒”のセイバーの心臓が鼓動している場所だ。

 

「……ジーク。俺の名前はジークだ。今から俺は、そう名乗る」

「ジーク?……そうか、良い名前だと思うぞ。じゃあな、ジーク」

 

 軽く手を振って別れようとして、ノインはジークが何か言いたげにしていることに気が付いた。

 

「?」

「いや……すまない、そちらの名前を聞いていなかったと思って」

「あ」

 

 そう言えばそうだったな、とノインは思い出して頬をかいた。

 名前を聞くどころか、まともに言葉を交わすこともこれが最初だ。そして、最初で最後の機会になるだろう。

 ノインは胸に手を当て、ジークの紅玉のような瞳を見て答えた。

 

「ノイン。俺はノイン・テーターだ」

「分かった。……ライダー、それにノイン。ありがとう、本当に」

「お礼何ていいさ!ボクは何にもしてないんだし」

「俺は本当に何もしていない。礼は不要だ」

 

 結局間に合わなかったのだから、自分は本当にこの少年に何もしていないし、できていない、とノインは思う。

 それでもジークは首を振った。

 

「あなたたちは俺を庇ってくれた。それは俺には嬉しかった」

「そっか。……でも、もうキミは自由だ。村に行って、誰かと出会って、自由に生きていけばいい!」

 

 なんて素敵なことなんだろう、とライダーは歌うように言った。それでも、ジークはまだ戸惑っているようだった。

 自由、と言われてもそれがどんなものかはノインにもよくは分からない。

 自由な生活、自由な心、そういうものを説明することはノインにはできないのだ。あまりに遠すぎるから。

 けれど知らなくてもその価値は何となく感じられる。それをジークがこれから得られると思うと、嬉しかった。

 

「……本当に早く行った方が良いぞ。セイバーのことも報告しないといけないからな」

「あ、あー。そうだよね」

 

 ライダーは乱暴に頭をかいて、森の奥にそびえる黒いミレニア城塞を見上げた。

 そして視線を戻すと、満面の笑顔でジークに手を振った。

 

「じゃあね、ジーク!」

「こちらはこちらで何とかする。気にせず忘れて行けよ」

 

 ほら、とノインは森の奥を手で示した。

 ジークは少し躊躇いがちに後ずさり、それから森の奥へ走り去る。

 足音と気配が遠ざかるのを確認して、ノインは息を吐いた。

 ジークへ向けてぶんぶんと手を振っていたライダーは、手を下ろすと真面目な顔になってノインを見た。

 

「この状況、どう説明すればいいと思う?というか、何かいい考えはあるかい?」

「どうもこうも……ありのままを言うしかないだろう」

 

 ノインは肩をすくめる。

 ライダーは似合わない真面目な顔で続けた。

 

「ボクがムリにキミを巻き込んだって言えば……ってアイタ!」

「すまない。手が滑った」

 

 軽くライダーの肩をどついたノインは、しれっと答える。

 

「今更それは通じない。特にランサーには。あまり変なことを言うな。一人の失態より二人で被った方がまだマシだ」

「でもさ……キミのマスターは」

 

 それを考えると、ノインはため息をついた。

 炉心の有力候補だったジークがいなくなった。それはつまり、他の優秀な魔術回路を持つ者を捧げなければならなくなったということになる。生身の魔術師の中で最も優秀な回路を持つのが誰か、分からないほどノインは鈍くなかった。

 生まれついての貴族で、長年魔術師として生きてきた男の怒りの深さも、その激しさもノインは理解している。

 理解していて、それでもノインはへらりと下手くそに笑った。ただ、眉を下げているライダーを安心させるために。

 

「まあ、何とかなるさ。ほら、戻るぞ」

 

 ライダーの肩を叩いて、ノインはひょいとゴルドを片手で抱え上げた。

 最後に一度、森の奥を振り返り白い月を見上げたデミ・サーヴァントの少年は、黒い城へと足を向けて歩き出したのだった。

 

 

 

 




選択し、決意し、行動した。
その結果、何が変わった?

ちなみに小説版準拠なため、ルーラーは来ていません。

話に一区切りついたので、少し更新が開きます。
少々お待ち下さい。


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act-8

申し訳ありません。前話で一区切りと言っていましたが、誤りでした。こちらがそうです。
とんでもない間違いに関してはご容赦を。

では。


 

 

 

 どこからともなく、雫の落ちる音がする。

 一定の感覚で響くそれを聞きながら、ノインの意識はぼんやり形になった。

 頬に感じるのは冷たさ。頭の芯には爆発しそうなほど熱さ。

 手足の感覚を探りながら、ノインはゆっくりと身を起こした。

 じゃらり、と耳障りな音がする。眼を擦ると、手首に嵌められた枷が見えた。

 

「……」

 

 直前の記憶がどうも曖昧で、ノインは熱のある額を押さえた。

 眼の前には鉄格子があり、床は冷たい石が敷き詰められている。自分の手首には鎖の付いた枷がついていて、片方の足首にも鉄枷が嵌められている。そこから伸びる鎖は壁に打ち付けられた鉄輪に結ばれていた。

 それを見て、ノインはまた眼を擦った。

 後は、体中が怠かった。

 有り体にいうと、魔力が全身に回らない。サーヴァント化もできなくはないだろうが、実行する気にはなれなかった。

 

「ノイン?起きたのかい?」

 

 鉄格子の向こう、通路を挟んだ牢屋からから聞き覚えのある声がする。

 

「らい……ライダー、か?」

 

 自分のものと思えないような嗄れた声が出て、ノインは咳き込んだ。血の混じった痰を吐いて口元を拭う。

 前を見ると、ライダーがいた。

 ただ見た目は痛々しい。手を杭で貫かれて壁に縫い止められ、流体ゴーレムで動きを封じられている。

 それでもライダーは、笑っていた。ただ、いつもとは少し違っている。涙を堪えるような、無理をしているような、そういう笑顔だった。

 ライダーの隣の部屋には、同じく流体ゴーレムで固められた“赤”のバーサーカーがいる。こちらも笑っていたが、彼からノインはきっちりと視線を外した。

 

「うん!で、ちょっとキミ、大丈夫なのかい?」

「……体が怠いがそれくらいだ。ライダーは?」

「ボクはサーヴァントだからね。平気だよ」

 

 そうだった、とノインは頭を振った。

 記憶を辿るために、少年はこめかみを指で叩く。

 

「おーい?」

「問題はない。……俺はどれくらい寝ていた?」

「一時間、くらいかな。多分だけど」

 

 そんなものかとノインは思いながら、立ち上がった。手足を振ってみると、問題なく動いた。

 何があったかを思い出す。

 一時に瀑布のような怒りと、氷のような視線と、喜悦で光る瞳とを思い出し、ノインは呻いた。

 

「……もう、二度とごめんだ。あんな怖いの」

 

 思い出してノインは呟く。

 それでも、ゴーレムに放り込まれていないだけマシだなと思う。

 

 ライダーとノインは今、城塞の地下牢にいた。彼らは共に“黒”のセイバー消滅の叱責をされる形で、幽閉されている。

 ライダーは流体ゴーレムとランサーの杭で封印され、霊体と比べれば傷の治りにくい生身のノインはそこまでされていないものの、やはりサーヴァント化を封じる特製の枷が嵌められていた。

 セイバー消滅を知ったランサーは当然激怒し、その結果がこれだった。

 セイバーの真名は、ネーデルラントの竜殺し、ジークフリート。

 それほど名高い勇者が戦いもせずに自害を選んだのだ。それも消耗品だったはずのホムンクルスを一体救うためだけに。

 ライダーと、それにノインはセイバーの自害を止められずに唆したということになり、罰を受けて閉じ込められることになった。

 

 だが激怒していたのはランサーだけでは無かった。

 ノインのマスターであるダーニックは、ライダーと共に状況の説明をするノインを見、ただ聞いていた。

 聞いて、それからダーニックは淡々とライダーとノインを地下牢へ移送し、彼らを封じ込めた。

 立ち去る寸前、彼はついでのように令呪を使い、ノインに魔術に抵抗するなと命令を下した上で、セレニケに引き渡したのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()、と言い置いて。

 ライダーに固執し、彼と親しくしていたノインをセレニケは疎ましく思っていた。そこに下された命令に、彼女は嬉々として従ったのだ。

 同時に、殺さない程度に痛めつける、という指令をも彼女は守った。

 守ったからこそノインは生きていて、今、全身を鈍痛が苛んでいる。

 デミ・サーヴァントの体を本気で壊しにかかるとは、あの魔術師は何を考えているのか、とノインはため息をついた。

 

「ノイン?」

 

 鉄格子の向こうでライダーは不安げに見ていた。

 セレニケがノインの独房にいる間、彼はずっとそこにいるしかなかった。多分、それもセレニケは織り込み済みだったのだろう。

 残忍極まりない性格の黒魔術師で、少年趣味者というのがセレニケだ。

 彼女はライダーに執着し続け、けれど絶望や嘆きとは無縁な彼を嬲りたいと苛立っていた。

 アストルフォの理性は蒸発していて、自分に加えられる侮辱や痛みにはてんで頓着しない。けれどそれが、他の誰かだったなら話は別で、彼にとって親しい者なら猶更だ。

 実際、セレニケがノインの独房に入ったときも、彼は止めようとしていた。やめろ、そんなことするな、と。

 当たり前だが、セレニケが聞くはずもない。

 そんなことを言ったところで、彼女はライダーの嘆きを啜って喉の渇きを癒そうとするだけだ。

 自軍を乱した罰を受けるのは仕方ないにしても、ライダーが自分のことで嘆くのはノインには耐えられなかった。

 だからノインは早々に、自己暗示で意識を閉じて体の中に引き籠ったのだ。痛みを感じなくなるように、叫び声を上げなくなるように。

 拷問され続けるのに耐えられるほど、自分は強くないから。

 根負けしたのはセレニケで、適当に壊した所を治してから一先ず開放した、ということらしい。

 暗示を少しばかりやりすぎて記憶を呼び戻すのに時間がかかったが、まあこれだけで済んで良かったな、とノインはため息をついた。

 鉄格子にぎりぎりまで近寄って、不安そうにこちらを見ているライダーに手を振る。

 枷が邪魔だったが、仕方なかった。

 

「良かったよ。キミ、途中から人形みたいになっちゃったから……」

「ああ、それは自己暗示だ。そっちのマスター、怒ってなかったか?」

「……うん、かなり」

 

 言ってライダーは肩を落とした。彼も壁に磔にされているから、その動きは僅かなものだったが、ライダーの意気消沈ぶりはさすがに分かった。だからノインは先に言った。

 

「ライダー。俺は自分で行動して、こうなった。ライダーのせいではない」

「でも、ボクのマスターがキミにしたことは……ボクがキミのところに行かなかったら……」

「それはセレニケの性格だろう。それこそライダーのせいじゃない」

「でもさ!」

 

 言いかけて、ライダーは項垂れた。

 本気でそう思っていると、赤い瞳が言っていた。

 ノインもノインで、首を傾げる。

 ライダーにはむしろ感謝しているのに、謝られてもどうしたらいいか分からない、というのが本音ではあった。

 ダーニックに逆らったのは結局ノインだ。自分の意志で何かを選択し、行動した。

 何かを選択して行動したこと、それ自体が彼にとっては、変化だった。僅かばかりの自由な判断は恐ろしかったが、それでも同時にノインには清々しかった。

 だから、これで良いのだとそう思っている。

 

 無論、ダーニックやランサーにとって、”黒”のセイバーが脱落したのは許せない出来事だというのは理解できる。

 ただセイバーが脱落した理由は、ノインにも理解できていないのだ。

 

「なぁ、ライダー。セイバーはどうしてジークに心臓をやったんだ?彼にも聖杯に託す願いはあったんじゃないのか?」

 

 それを擲ってでも彼はジークを救った。

 彼の行動にはノインも感謝しているが、何故なのかが分からない。

 口を効いたどころか、まともに出会ったのもあれが初めてで、そして最後になってしまった。

 

「うーん、ボクにも何とも……。でもアイツは何というか……己の信念に殉じたってやつだよ。彼の信念に照らしてみたら、ジークをあそこで助けることは聖杯に託す願い以上に意味があったんだろ」

「そういう……ものなのか?」

「アイツが志を全うできていてほしいっていうボクの願望も入ってるのは否定しないけど。でも最後にジークフリートが満足そうだったのは間違いないと思う」

 

 ネーデルラントのジークフリートといえば、非業の最期を遂げたことで知られている。

 そういう彼が召喚に応じたということは、何か大切な願いがあるからだとノインは思っていたのだが。

 

「それはどうなんだろう?伝説がどんなものであろうとも、自分の人生に満足してる英霊ってのは結構いるんじゃないかな」

 

 だってボクだって割と散々な戦いで死んだわけだけど、それをどうこうしようとかは思わなかったわけだし、とライダーは言った。

 

「……俺には、そういう捉え方は分からないな。自分が死ぬときに、そういう風には考えられないと思う」

 

 デミ・サーヴァントとはいえ、自分は力を借りているだけ。ただ、魂を受け止められるように造られているだけの人間だ。

 それで何となく黙ってしまう。けれど、ただでさえ薄暗く湿っぽい地下牢なのだ。何か話していなければ落ち着かない。

 

 というか、沈黙するとライダーの横のバーサーカーが微笑みながら叛逆だの、圧政だのとぶつぶつ言う声がやたらと響くようになるので、それは勘弁だった。

 

「そう言えば、ライダーの願いっていうのはあるのか?」

「ん?ボク?……特に無いかな。強いて言うなら第二の生を楽しみたいけど、もっと大事な願いを持ってる誰かになら譲るつもりだし。特にランサーとかさ」

 

 ライダーらしいな、と苦笑しかけて、ノインの耳はふと物音を捉えた。

 地上と地下牢を繋ぐ階段に、人影が一つ現れる。

 

「デミ・アーチャー。出ろ。公王がお呼びだ」

 

 温度をまるで感じさせない声で、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは少年に告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノイン・テーターがダーニック個人のことに関して知っている事実は実の所然程無い。

 令呪を握っているマスターで、ユグドミレニア一族の長。

 放置しておけば、そのまま何処かへ流されただろう実験体だった自分を拾い上げた魔術師。長い時を生き、願いをいだき続ける男。

 それくらいだ。

 生命を救われたという意味では、恩人ではあるのかもしれない。

 セレニケに引き渡されたことへの恨みや憎しみを向けるには、ノインはサーヴァントとして生きてきた期間があまりに長かった。

 ランサーの部屋へ向かう間、ダーニックは何も言わない。廊下には、ノインの手枷に付いた鎖が立てる音しかしない。

 時々すれ違うホムンクルスがこちらを見ているような気もしたが、気のせいだろうとノインは判断した。

 振り向かず、不意にダーニックが口を開く。

 

「デミ・アーチャー。貴様は自分のしたことが分かっているのか?」

「……分かっています。ジ……ホムンクルスを助けました」

 

 瞬間、ダーニックは振り向きざまに、手にした杖をノインに振るう。咄嗟に腕で顔を庇ったノインの、手首の枷に杖は当たり、甲高い音が響いた。

 魔術師は少年を見下ろし、喉元に杖の先端を突き付けた。

 

「貴様……この戦が始まってより、何を考えている?サーヴァントとしての己を忘れたわけではあるまいな」

「……忘れて、いません。ただ―――――」

 

 一つくらい、自分で決めたことをしたかった。それだけだ。

 

「決めたこと、だと?貴様は所詮サーヴァント。我らによって造られた、英霊の紛いものだろう」

 

 それを聞いて、ノインは全身の血が冷えていくように感じた。

 彼がそう考えているとは思っていた。が、改めて叩き付けられた言葉は、予想以上にノインの胸を貫いていた。

 

「違う……違い、ます。俺は俺です。英霊でも何でもない、ただの人間です」

 

 首を振るノインに、杖を下ろしてダーニクは言葉を浴びせかけた。

 

「今更まともな人間を志すのか、使い魔風情が」

 

 告げられた一言は決定的だった。

 ダーニックにとって英霊の紛い物は、人間ですらないのだ。

 黒く深い谷が、自分とこの主の前に長々と横たわっているようにノインは感じた。

 何を叫んでも聞こえはしないほど、その谷の間は隔たっている。

 無言になる彼の前で、ダーニックは再び前を向いて歩き出した。

 靴音を響かせて歩くその背中に従って歩きながら、先程の一言がまたノインの耳に蘇った。

 

――――――()()()()()()()()()使()()()()()、だとこの人は言った。

 

 けれどダーニックは、“黒”のランサーに臣下の礼を持って仕え、彼を敬っている。

 その違いに、どうしようもなく嫌な予感がした。

 

「着いたぞ」

 

 だが思考は中断せざるを得なくなる。

 辿り着いたのは“黒”のランサーの私室である。

 ごくりと、ノインの喉が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中、ランサーは豪奢な椅子に腰掛けて鮮血のような色の葡萄酒が注がれた盃を傾けていた。

 鎖の音を立てながら、ノインは部屋に入る。

 背後で重々しい音がして、扉が閉まった。

 少年はたった一人で、この苛烈な王と向かい合わなければならない。

 ランサーは静かな調子で口を開いた。

 

「ノイン・テーター。その名の意は九の殺人者。……因果な名を持つ者よ。英霊の力を宿しながら、悍ましき化生の名を背負うか」

「……」

 

 玉座の上で嵐のような怒りを顕にしていた姿との違いに、ノインは戸惑う。

 

「答えよ。貴様は何故ホムンクルス一体を助けた?」

 

 盃越しにランサーはノインを睨めつけた。

 答えを誤れば、串刺しにされると予感がする。

 けれど、正解など分からない。心を正直に話すしかなかった。

 

「……助けたかった、からです。彼は生きたいと望んでいたから」

 

 魔力を与える為だけに生まれたとしても、それでも彼はノインを見て、眼で訴えていた。

 

「自分の生命の使い道を、最初から決められ消費されるのは嫌だと彼は思って、行動しました。だから……だから俺は彼を死なせたくなかった」

「では問おう。弱者を救いたいと願うその心、それは貴様に力を与えている英雄の誇りか?」

 

 ランサーは盃を傍らの机に置き、眼を細めて問うた。

 ノインは考える間もなく首を振る。結論は出ていた。

 

「いいえ。あれは俺の意志でしたことです」

 

 自分の裡にいる英雄の願ったことだと言えば、ランサーは納得するのかもしれない。

でも、それは嘘だ。

 ノインには英雄の声など聞こえない。《彼》の望みも誇りも分からない。借り物の力を振るっているだけなのだから。

 ただの人間の意志は、ランサーのいう誇りと比べれば矮小かもしれない。それでも、いや、だからこそ嘘は言えなかった。

 

「ライダーに唆された訳でもないと申すか?」

「ライダーは機会を見せてくれました。でも、俺を唆してなどいません」

 

 唆すなどという頭の良いことができるなら、アストルフォではないな、とそんなことをちらりと思った。

 

「……そうか」

 

 ランサーは盃を取り上げ、優雅に傾ける。

 それから少年を見た。

 

「牢へ戻れ。ノイン・テーター。セイバーを自害させた過ちは許さぬ。だが、貴様の誇りは感じ取った。ライダー共々、今後も我が配下として努めよ」

「分かり……ました」

 

 全身の力が抜けかけるのをノインは必死で止めた。

 ランサーが手を叩くと、待機していたらしい女性型のホムンクルスが現れる。

 公王が首を振る。ホムンクルスは恭しく礼をするとノインの手枷の鎖を引いた。

 

 扉が閉じられる刹那ノインは振り返りかけ、思い直して止める。

 軋む音とともに扉は少年の背後でゆっくりと閉じられたのだった。

 

 

 

 




デミ少年の口の拙さとダーニックの貴族意識の高さでは理解は一生不可能という話。

ちなみにノインテーターですが、ドイツ・ザクセン地方の吸血鬼から。疫病の流行と共に現れ、退治方法がレモンを口に詰め込むという謎。

ともあれ、チャプター1が終了。次でルーラーかなぁ、と。


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act-9

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 何事もなく牢獄に戻って来たノインを見たライダーは手放しで喜んだ。

 “赤”との戦いが始まるまで幽閉は続くしいつ開放されるかも分からない、という話にも、てんでへこたれることもない。

 

「隣人がバーサーカーだけだったらボクも退屈で死んじゃったかもしれないけど、キミもいるしね」

 

 彼の理屈としては、そういうことらしかった。

 さすが、魔女によって木に変身させられたこともある英雄の言葉は違うなと、ノインは妙な所で感心した。

 そういうライダーは、にこにこと笑ってからふと表情を一変させ、真面目な顔になった。

 

「でも本当に大丈夫だったのかい?キミ、マスターに反逆したワケだろ」

 

 それは、とノインが口を開く前に、ライダーの隣から声がした。

 

「叛逆……叛逆と言ったかね?圧政者の走狗よ」

 

 流体ゴーレムによって固められている“赤”のバーサーカーである。彼は頭をもたげて鉄格子越しにノインを見ていた。

 だから、何故、笑っているのだ、とノインは床に座り込んだまま無言で後退った。尤も牢屋が狭いのと鎖があるために、すぐ背中に石壁を感じて止まる。

 バーサーカーはノインの様子は一向気にした風もなく、少年を真っ直ぐに見ていた。

 

「さてどうなのかね、君?」

「……そちらのような反逆をした訳ではない。俺は、主の命令を聞かなかっただけだ。剣闘士スパルタクス」

 

 強大なるローマ帝国に反旗を翻した剣闘士、スパルタクスはノインの答えにまた微笑んだ。

 

「だが、それこそ叛逆である。意志ある人間として生まれ落ちながら、走狗の道しか知らぬはあまりに理不尽。私は君の行いを、多いに肯定するとも!ああそうだ!さぁ、今こそ傲慢が潰え、圧政に裁きが下される時だ!」

 

 そのまま、バーサーカーは全身を揺する。みしみしと牢屋の天井が軋むような勢いに隣のライダーがうわぁ、と小さく声を上げていた。

 それを聞きながら、ノインは首を振った。

 

「……それはできない。バーサーカー」

 

 ランサーはノインを一人の人間の行いをしたとして許した。

 ノインが答えを誤れば彼は容易く殺していただろうし、苛烈な王に間違いはない。ないが、倒すべき圧政者かと言われれば違う気がした。

 誇りがあると認めてくれた彼を、ノインは純粋に裏切りたくなかったのだ。

 

「では今一度、君は圧政者の走狗に立ち戻ると言うのかね?」

「そうは言っていない。俺も人形に戻りたくはないから。ただ……」

 

 ただ、これから何が起こるのか、その中で何をすればいいのかノインには分からない。

 戦えと言われれば戦うと言う機械の様な在り方は、主に公然と逆らって生き延びた今、少年の中で揺らいでいた。

 けれどそれをどう言えば良いのか。

 

「己の在り方に疑問を抱くか、未だ何者でもない少年よ。それこそ正に叛逆への一歩である!ああ、何と喜ばしきかな!」

 

 またもや牢屋の壁がバーサーカーの身動きに合わせて軋み、今度はライダーが引いて流石に堪りかねたのか叫んだ。

 

「ちょっとぉ!?何でキミたち普通に会話してる……ってかできてるんだい!?特にノイン!キミひょっとして狂化スキルEXとか持ってるんじゃないのか!?」

「デミ・アーチャーにそんなスキルはない」

「何たる世迷い言を言うのか、権力者の走狗よ!我が筋肉には一片の狂いなどあらず!我が志に曇りはなく、正に昂ぶっているのだから!」

「キミはちょっと黙っててくれよバーサーカー。ホントにバーサーカーだなぁ、もう!」

「だが有り得ぬ!私はひたすらに進み続けなければならぬのだ!」

「あー、キミが進むのは分かったよ肯定するよ!でもちょっと待てって!せめて今ここで牢屋を壊すなっての!ボクらまで生き埋めになっちゃうじゃないか!」

 

 壁越しに喧々やり合うライダーの必死な様子と笑みを絶やさぬバーサーカーを見て、ノインは腹の底がどうしてだか痒くなる。

 その疼きは抑えられず、彼はついに声を上げて笑った。

 手足の鎖をがちゃがちゃと鳴らしながら、犬が吠えるような声を立てて笑い転げる少年を見て、ライダーは眼を丸くして驚く。

 彼がノインの笑いを見るのは、初めてだったのだ。

 

「す、すま、ない。笑う所ではないと、思うのだが。つい」

 

 ノインは目尻に浮かんだ涙を拭いながら言う。

 抑えられない感情の昂りが、笑いという形で噴出したのだ。何一つ笑える状況ではないのに、こんなに笑えてしまう自分がおかしくて、ノインはまた肩を震わせて笑った。

 

―――――ここまで笑ったのは、そう言えばいつぶりだったかな。

 

 と、そんなことを思いつつ一頻り笑って、それで少年はようやく静かになる。

 そうなると今度は感情を爆発させたせいか、ひどく頭の芯が重かった。

 

「おーい?もしかして疲れたのかい?生身なんだからさ、無理せずに寝なよ」

「……そうだな。そうさせてもらう」

 

 そのままノインは自分の腕を枕に横になる。

 枷が邪魔で床は冷えていたが、デミ・サーヴァントにはどうということもない。

 暗示で脳を酷使した疲れも相まって、彼の意識はすぐに闇に沈んでいった。

 

「……寝たのか」

 

 ノインが寝静まってすぐ、ライダーは呟く。

 石床の上で、痩せた獣の仔のように丸まって眠る少年をライダーは複雑な想いで見ていた。

 仮面のような無表情が抜け落ちると、まだ幼さが残っているのがライダーには分かった。

 気付けば、お隣さんのバーサーカーも流石に静かになっている。もしや、あれで意外と紳士なのかもしれない、とライダーは磔のまま器用に首を捻った。

 

 ライダーはノインのことを、最初はちょっと面白そうなサーヴァントだと思って話しかけただけだった。

 それがそのまま続いて、こうなってしまった。

 ライダーが気軽にホムンクルスのことで頼らなければ、ノインがこうなることは無かったのだ。

 けれどそれを、ノインは災難だと全く思っていない。どころか、ライダーに感謝している。これではどうしようもない。

 

「ノインは眠りましたか、ライダー」

 

 唐突に粒子が人型になり、ライダーの前にアーチャーが現れる。

 

「うん。疲れもするさ。やっぱり人間だもの」

「……せめて私が言えばここまでのことには」

「そりゃ言わない約束だよ、アーチャー。軍師が王様と対立し過ぎちゃいけない」

 

 賢人ケイローンの取りなしがあったなら、ライダーとノインへの罰も今少し軽く済んだかもしれない。

 けれどライダーもノインも、彼の手助けを求めなかったのだ。自陣でこれ以上の対立を起こしてはならなかったから。

 ライダーは気軽に続けた。

 

「あ、そうだ。ホムンクルスなんだけど、あの子はジークって自分に名前を付けて、元気に旅立ったよ。体とかも立派になってたし、あれなら何だってできるよ」

「それは良かった」

 

 アーチャーは微笑み、言葉を続けた。

 

「どうやら、ルーラーがこちらへ向かっているようです。恐らく例の一件のことでしょう。サーヴァントが脱落して尚、心臓だけが誰かを生かしているというのは異常事態です」

「ボクらに説明を求めに来るかもしれないってコト?」

「ええ。……それともう一つ、彼女はまた別のイレギュラーに目を止めるかもしれないので」

 

 アーチャーはちらりと振り返って、ノインの方を見た。

 ユグドミレニアの中に深く組み込まれたサーヴァントでありながら、ある意味最も聖杯と関わりのない者だ。

 “赤”と“黒”のどちらが勝とうとも聖杯を得ることは有り得ないと最初から決まっているサーヴァント、それが彼だ。

 

「そっか。分かったよ。ノインが起きたらボクからも言っておく。ありがとね、アーチャー」

 

 アーチャーは頷き、霊体になる。

 静かになってしまった牢屋で、ライダーは一人小さな寝息を聞きながら、ノインが目覚めるまで虚空を眺め続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーラーという存在が近付いている、らしい。

 そう聞かされて、目覚めたノインは首を傾げた。

 

「ほら、ボクらはセイバーの心臓だけが現世に残るっていう特級のイレギュラーの目撃者なワケだし」

 

 聖杯戦争の仕組みを守るルーラーの査定の対象かもしれない、ということだそうだ。

 

「聖杯戦争を守る……。ルーラーの役目とは大変そうだな」

 

 単騎で十四騎が現世へ与える影響を抑え、マスターたちの行動も必要ならば止める。

のみならず、役目を全うしても別にそれで本人の願いが叶えられるわけでもなく、相棒のマスターもいない。

 それが可能と目される強力な英霊がルーラーに認定されるだろうとは言え、何とも難行だ、とノインは思った。

 

「この棚上げにボクは突っ込むべきなのかなぁ……?」

「どこがだ?……いや、そうか。デミ・サーヴァントも大概にイレギュラーだな。ルーラーの粛清の対象だろうか?」

「発想がおっかないよ!粛清より穏健な考えしないのかい!?」

 

 無さそうだなぁ、とノインの表情を見てライダーはため息をついた。

 

「とにかく、ルーラーがここに来るかもってコト!忘れないでね!」

「分かった」

 

 答えた瞬間、ノインはまた外に気配を感じる。

 アーチャークラスだからか、どうもノインの方が探知は得意らしい。まだライダーは気付いた様子がなかった。

 ノインは立ち上がって入り口を見やる。

 

「ライダー、誰か来るぞ」

 

 それが言い終わるか終わらないかのうちに、階段の上に現れる者がいた。

 銀の甲冑と金の髪、紫水晶のような瞳が、獄の中に吊るされた小さな明かりに煌めく。

 灯火の下、凛と背筋を伸ばして立つ騎士の装いの少女に、ノインは見惚れた。

 

「あれ、キミはどちらさん?」

 

 ライダーの気楽な一言で、ノインは我に返る。そうでないなら、何時までも呆然としていただろう。

 少女はライダーに気付くと近寄り、胸に手を当てて名乗った。

 

「貴女が“黒”のライダーですね。私はジャンヌ・ダルク。此度の聖杯大戦の管理を行うため召喚された、ルーラーのサーヴァントです」

「あ、キミがそうなんだ。よろしくね」

 

 ルーラーは気軽な調子のライダーに頷き、ふと首を巡らせた。

 鉄格子のこちら側と向こう側で、血の色の瞳と紫水晶の瞳が互いを捉えた。

 戸惑うようにルーラーの瞳が細められる。

 

「それに貴方は……“黒”のアーチャー?いえ、この反応は……貴方は、人なのですか?」

「……俺は、人だ。デミ・サーヴァントでもあるが」

「いやいや、その説明じゃ分かんないだろ」

 

 ライダーにルーラーは首を振った。

 

「……いえ、何となくですが分かります。貴方は確かにこの時代の人間ではありますが、同時に英霊の力を宿している、ということですね」

 

 頷きつつ、ノインも同じく目を細めた。

 ぼんやりとした勘だが、眼の前のルーラーの状態がただのサーヴァントではない気がしたのだ。

 

「そちらもそちらで……誰が中にいるんだ?あなたの人格は英霊のようだが……誰かを核にして現界したように見える」

 

 我知らず、ノインの眼が更に鋭くなる。

 ルーラーは少し驚いたようだったが、すぐに答える。

 

「貴方は、私の状態が分かるのですね?」

「感覚で感じ取れる。俺のようなデミ・サーヴァントではないようだが」

「はい。私に体を貸してくれている少女は確かにいます。しかし彼女は、聖杯の力によって護られていますよ」

 

 それでノインの眼の険が消えて元に戻り、ルーラーは柔らかく微笑んだ。

 

「ええ、貴方が案じなくとも、彼女は大丈夫です。……ところで、貴方の名前は?」

 

 少女に真っ直ぐに問われ、少年は僅かに躊躇ってから答えた。

 

「……ノイン。ノイン・テーターだ」

「ではノインにライダー、昨晩、貴方がたの目撃したことについてなのですが……」

「あ、そっちは最初から見てたボクが話すよ。ノインは何か間違いがあったら言っておくれ」

「了解だ」

 

 うん、とライダーは頷いて語りだした。

 昨晩起きた、奇跡のような事の顛末、その全てである。

 聞き終えて、ルーラーは考え込むように顎に手を当てた。

 

「そうですか。“黒”のセイバーがそのようなことを……」

 

 ライダーは大きく頷いた。

 

「……まぁ、そんなこんなでボクらはここにいるってワケ。バーサーカーもいて、ノインと妙に話が合ったりしてるから、あんまり寂しくはないんだけどね」

「妙な話を継ぎ足さないでほしい。彼と俺が噛み合っていたと思うのか?」

「うん!結構話が合いそうに見えてたよ」

「やめてくれ。叛逆の英雄の信念に俺が釣り合うわけない」

 

 ルーラーを挟んで盛んに言い合う彼らに、驚いていた当のルーラーの表情が和らいだ。

 

「話は分かりました。セイバーはホムンクルスに心臓を与えて消え、そのジークというホムンクルスは自由に生きるために旅立った、と言うことですね」

「そうだ。彼は山道へ向かった。恐らくまだ周辺の村にいると思うが」

「なるほど。ありがとうございました」

 

 ルーラーは頷く。

 ノインが自分を見ている視線に気づいたのか、彼女はそちらを見た。

 

「ルーラー、あなたは彼に会うのか?」

「ええ。彼はまだサーヴァントとしての気配があります。ルーラーとして一度相見えなければなりません」

「あー、一応聞くけど、ジークを戦いに巻き込む……ってワケじゃないんだよね?」

「ええ。貴方がたの話を聞く限り、彼は生きたいと願って行動し、ここから逃げ果せた。そうであるならば彼は被害者です。ルーラーとして、過度な干渉は行わないつもりです」

 

 ただセイバーの心臓が消えていないせいか、彼はサーヴァントとしての気配を持っている。故にルーラーとして、一度は様子を見ねばならないという。

 そういうことなら分かる、とノインは納得した。

 だがルーラーはまだ立ち去らず、鉄の格子越しにノインに視線を注いでいた。

 

「……何だ?」

「あなたは……聖杯の喚び出した英霊を身の内に宿しているのでは無いのですね。……この戦いよりも以前から、そうして生きて来たのですか?ずっと、そうやって?」

「そうだ」

 

 少年は無表情に答え、ルーラーは微かに身を乗り出して重ねて尋ねた。

 

「貴方はそれでも、聖杯を欲しているのではないと?」

「俺にそのような権利は無いし、願いも無い。だが、俺の令呪を持つ当主は願いがある。だから参戦しただけだ」

 

 その在り方も今となっては揺らいでしまってはいるが、それでもノインはそう口にした。

 

「……分かりました。貴方はサーヴァントでもマスターでもありませんが、それでも尚“黒”側の一員として戦う覚悟なのですね」

 

 ノインは頷く。

 何故だが、ルーラーの視線が気になって落ち着かなかった。優しさというか気遣いというか、そういう類いの眼で、少女は少年を見ていた。

 

「色々とありがとうございました。ライダー、ノイン()。貴方がたに勝利があらんことを」

 

 ルーラーは微笑み、靴音を鳴らして去って行った。

 牢屋に再び沈黙が降りる。

 

「今のがルーラーか」

「うん。あのジャンヌ・ダルクとは意外だったしそれに……綺麗な娘だったね」

「ああ、そうだな」

 

 即答してから、ノインはライダーが物珍しそうにこちらを見ているのに気付いた。

 

「何だ、ライダー?俺の顔に何か付いているのか?」

「いやぁ、別に?ただキミにもそういうトコはあったんだなぁって」

 

 ライダーは愉快そうに笑い、ノインは首を傾げる。

 陰鬱な牢の中、彼らはそうして時を過ごして行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




スパPの勧誘(失敗)、突っ込み役に回ったライダー、ルーラーとの初対面の話。

デミ少年はまともな部分もある16歳。怖がりも驚きもしますし、見惚れもします。
表にしない/できないだけで感性は割りと人並み。


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act-10

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 “赤”のセイバー・モードレッドは、召喚されてから初めてサーヴァントと交戦した。

 相手は“黒”、少年の姿をした槍を持ったサーヴァント。ただし彼女はそれを偽物と断じていた。

 

―――――正規のサーヴァントとデミ・サーヴァントはやはり違うのかねぇ。

 

 セイバーのマスター、獅子劫界離はそう思う。

 彼らは“黒”のサーヴァントとホムンクルス、ゴーレムたちとの前哨戦をトゥリファスで繰り広げた後、“赤”の陣に近いシギショアラへと戻っていた。

 要件はシギショアラで起きている連続殺人事件。いずれも協会の手配した、バックアップのための魔術師が心臓を抉り取られて殺されており、獅子劫はそれを魔力供給目当てのサーヴァントの犯行と考え、これを倒すために行動することにした。

 魔術師を殺し尽くした街に、再び魔術師が現れればまず襲われる。

 詰まる所、獅子劫は大胆にも自分を囮にしたのだった。その方針をセイバーは面白がりつつ肯定している。

 彼らはそういう関係で、それがうまく行っていた。

 そうやって街を歩きながら、ふと傍らのセイバーを見る。叛逆の騎士は思い出したように口を開いた。

 

「なあマスター、前トゥリファスで襲って来たいけ好かない餓鬼のアーチャーがいただろ。あれ、また来ると思うか?」

「そうだろうな。あれは言ってみりゃユグドミレニアの一番目のサーヴァントだ」

 

 デミ・サーヴァント、ノイン・テーター。

 聖杯大戦開始前は、ユグドミレニアの最強の手駒として知られていた。

 だが、あの少年をそもそも生み出した一派がユグドミレニア内で姿を消し、残された彼が当主ダーニックの擁するサーヴァントになったという噂が立ってからは姿を見せなかった。

 実験体にでもなったのかと思いきや、サーヴァントの相手をする為に参戦していたとは獅子劫も予想外ではあった。

 それにしても、九の殺人者とはよく言ったものだ、と獅子劫は思う。

 数年前の仕事で見かけたことがあるが、小柄で痩せた幼い子どもが、無表情に魔獣の頭を殴って潰し、藻掻く魔術師を躊躇いなく槍で串刺しにする様は、いくら外道相手とは言え、獅子劫をしてなかなかにぞっとするものだった。

 魔術師ならば外見年齢と精神が食い違うこともあるが、あれは中身と見た目は同じだろう。

 だからこそ歪だったのだ。

 

 おまけに正規のサーヴァント相手でも、ある程度戦えることが分かった。

 マスターの贔屓目抜きに見ても、破格のサーヴァントであるセイバーを、デミ・アーチャーは傷を負いつつも正面から相手取って逃げおおせているのだから、警戒の度合いは上げておくべきだった。

 

「そんなにあのサーヴァントは気に触ったか?」

「当たり前だ。デミ・サーヴァントだと言うが、腑抜けた顔付きが気に食わん。ホムンクルスに英霊を被せた、鬱陶しい人形か何かかと思ったぞ」

「一応だがあいつはホムンクルスじゃない。噂ではデザインベビーという話だぞ」

「どっちでも良い。とにかく、次に会えばオレはあれを必ず仕留める」

 

 科学と魔術を混ぜた異端の技術で造られた存在で、だからこそ彼を生み出した者たちは姿を消して、というより消されてしまったのだろう。

 だがそんなことは、五世紀の騎士であるセイバーには関係ない。

 彼女は槍を扱う弓兵という敵に逃げられたことが苛立たしいのだ。

 確かに、まともに戦えば危なげ無くセイバーが勝つだろうと獅子劫は考えている。

だがそれはあちらも当然の様に理解しているはず。それならば、まともに戦おうとする訳がない。

 むしろ彼を警戒するべきなのは、獅子劫の方である。あの少年がアサシンの真似事でも始めては厄介だった。

 三騎士を模したサーヴァントとはいえ、彼はセイバーのように真っ向勝負に拘ったりはしない。無関係な一般人を巻込むことも、ユグドミレニアに命令されれば厭わない可能性もある。

 ついでに彼は、獅子劫の扱う魔術も特性も理解しているというおまけ付きだ。

 

「魔術師ってのは変わらんな。何でそんな危険な紛い物をわざわざ造る?」

「まあ、降霊術の極点の一つでも目指して、ユグドミレニアの命令に忠実になるように造ったんだろうさ」

 

 命令どおりに無感動に、敵を殺し続ける機械人形。それが獅子劫の記憶するノインという少年のすべてだ。

 

―――――だがそれにしては動揺していたか?

 

 遭遇戦での獅子劫の挑発に、明らかにノインは反応していた。以前なら一顧だにしなかっただろう。

 内面に某かの変化はあったと考えて然るべきだが、自分たちにとってそれが良いか悪いか判断しづらいなと獅子劫は頭をかいて、街中へと進んで行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当たり前だが、閉じられた獄の中というのは時間の観念が曖昧になる。

 空の見える窓でもあれば別なのだが、地下牢にはそれもない。

 閉じられた何もない場所にいるのは、ノインには初めてのことではないし、半ば瞑想状態のようになってただぼんやり時を過ごすのは得意なことなのだが、ライダーはどうなのだろうかとノインは少し気にしていた。

 何せ、シャルルマーニュ十二勇士のアストルフォは空飛ぶ騎士。何処までも自由で天衣無縫で、遥か月にまで理性をふっ飛ばしていた、ある意味規格外の存在だ。

 そんな彼はライダーのサーヴァントとなっても、天翔るヒポグリフは宝具として持ち込んでいるそうだ。

 

「試し乗りもしたけど、やっぱり空飛ぶのは気持ち良いよねぇ。こう、ビューンと行く感じがたまんないよ」

 

 空を飛ぶのはどういう風なんだ、とノインが尋ねてみた返答がこれだった。

 それを聞いて何となく、アンデルセンのおやゆび姫が燕に乗った話を思い出すノインである。

 

「キミ、意外とファンタジーな発想するなぁ。ひょっとして絵本好き?」

「絵本はあまり読まない。あの話は何度も聞いたから覚えているだけだ」

 

 そのような会話をするほど、彼らは時間を持て余していた。

 その間も、兎にも角にもライダーはノインに話しかけて来た。

 己のことを尋ねられて語ることだけでなく、誰かと他愛無い会話をすることにそもそも慣れていないノインは、話すのに頭を必死に使わなければならなかった。

 何気ないところで詰まったり話が後戻りしたり、言葉が足らなかったりと、決して滑らかな語り手ではないのだが、ライダーは一向気にしなかった。

 逆に、ノインはライダーからシャルルマーニュ十二勇士の話を聞きもした。

 アストルフォは伝説の正に当事者な訳で、面白おかしく語るのも上手かったのだ。

 横には、ローマ帝国史上最大の剣闘士反乱の当事者もいたのだが、そちらは敢えて聞かないことにした。

 セレニケも拷問で多少は溜飲を下げたのか、またはランサーに止められたのか、一度訪れて以来来ることもない。

 気にかかることと言えば、ルーラーとジークのことだ。彼女は彼を見つけたのだろうか、考えてもどうしようもないが、外の情報が無ければ気に掛かりもする。

 ノインがそれを言うと、ライダーは逆に尋ねてきた。

 

「ルーラーが気になるのかい?」

「そうだな。ジークにはセイバーの心臓がある。英霊の体の一部は貴重な聖遺物だから、ルーラーがその危険をジークに伝えてほしいと思う」

「……そういう気にかけ方なワケか。いや、分かるんだけどもさぁ」

 

 そのような会話を挟みつつも、囚人たちは波風立つこともなく、それなりに状況に適応していた。

 

 とはいえ、それが一時だけのことなのだろうと誰もが分かっていた。分かっていて、口には出さなかった。

 

 果たして、ホムンクルスたちが牢に現われて決戦を知らせに来たときも、彼らは大して驚かなかった。

 

「よーし。やっと自由に動けるのかぁ」

 

 杭と流体ゴーレムから解放されたライダーは嬉しそうに腕を振り回し、ノインも枷が外れた手首を擦った。

 直後に魔術回路を励起させ、ノインはサーヴァントの姿となる。槍は顕現させなかったが、革鎧、投石器などが問題なく現れるのを確かめた。

 それを見届けたホムンクルスは、淡々と告げる。

 

「ライダー様、デミ・アーチャー様。空と地上からの敵影を既に多数を確認、他の皆様は城壁の上に集結しているとのことです。更に空中庭園の接近も確認されております」

「……空中庭園だって?」

「あんまり気にするなよ。空から大っきい敵が来たってだけじゃない?つまりそういうことなら、ボクとヒポグリフの出番だろうね。行こ、ノイン!」

 

 気軽に駆け出すライダーの後を、ノインも追う。前のような“赤”のセイバーと同じか、それを上回っているかもしれない存在が攻め寄せてくるかもしれないのだ。

 

―――――怖い、な。

 

 そう思いながら、彼は前へ行く足を止めることはない。

 ちらりと牢の暗がりの中でまだ留まっているバーサーカーを振り返ってから、彼も何かを振り切るように前を向いてライダーの後に続いて地上への階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーラーはふと、遠くに聳えるミレニア城塞を見た。

 

「ルーラー?」

 

 彼女の傍らには、ジークという名前を持つ少年がいる。“黒”のライダーたちに助けられてあの城から逃げ出し、けれど再び仲間たちのために戻ると決めたホムンクルスの少年だ。

 

「いえ、何でもありません。ジーク君」

 

 未だ城の中で消費されている仲間を助けたい、という彼の決断をルーラーは止められず、こうして共にミレニア城塞を視界に収める場所にまで共に進んで来た。

 ルーラーは聖杯大戦開戦からこの方、不可解な行動―――――ルーラーの抹殺指令、“赤”のマスターからサーヴァントへの指示の無さなど――――――を取る“赤”の陣営を問い質すため。

 ジークは城に向かい、同胞のホムンクルスたちを解放するため。

 キミが戻ってくるために助けた訳じゃない、と“黒”のライダーなら、ジークを見て言っただろう。

 何故戻って来たのか、とノインなら無表情にジークに尋ねたことだろう。

 ただし彼らはここにはおらず、ホムンクルスの少年はこうして剣を携え、裁定者と共に舞い戻って来てしまった。

 

「ジーク君、良いですか?私はこれから戦場に、貴方は城へと向かいますが、“黒”のサーヴァント又はマスターに会えば私の名前を出して下さい」

 

 それで、少なくとも即座の誅殺は避けられる可能性がある。

 彼を助けるために動いた“黒”のライダーとアーチャー、それからあの少年以外のサーヴァントやマスターがジークに対してどう反応するか、ルーラーには測りかねた。

 ジークは頷き、ライダーから与えられたという剣を叩く。

 ルーラーは頷いて、更に戦場へと近付くべく歩き出した。

 彼女の勘はやはり、この聖杯大戦における何らかの異常を訴えている。そもそも、本来なら霊体として召喚されるはずのルーラーがフランス人の少女に憑依して現界すること事態がおかしいのだ。

 

―――――もしや、“黒”のイレギュラーな英霊召喚が関係しているのだろうか?

 

 そうなると思い出されるのは、鉄格子越しにルーラーと向き合った少年である。

 ノインと名乗った彼は初見でルーラーの中の少女、レティシアを感じ取って、ルーラーを睨んで来た。

 けれど、彼にはルーラーへの敵意があったのではない。彼女の依代となって体を貸し与えている、レティシアの方を案じていたのだ。

 ルーラーはジークに尋ねる。

 

「ジーク君、貴方はノインというデミ・サーヴァントの少年をどれくらい知っていますか?」

 

 人と英霊の融合体、デミ・サーヴァントという特殊な事例は、聖杯によってルーラーに与えられた知識にもない。

 だが、彼を生んだのは間違いなくユグドミレニアだ。ホムンクルスとは言え、彼らによって鋳造され、そこにいたジークなら何かを知っているかもしれなかった。

 

「あまり、俺も詳しいことは知らない。彼のマスターが当主のダーニックであることと、クラスがアーチャーだということくらいだ」

 

 後は彼が俺を助けてくれたことだけだ、とジークは言った。

 そうなのですか、とルーラーは答えて進みながら考えを続ける。

 彼女の勘を刺激しているのは、果たしてあのイレギュラーなサーヴァントの少年なのだろうか。

 

 俺に願いを叶える権利はなく、そもそも願いが無い、と淡白にノインは言っていた。そこに嘘はなく、ただ淡々と答えていた。

 

 言葉や態度の通りに心まで冷めきっているのかと思えば、彼は自分が罰を受けることを見越してまでジークを庇ったり、サーヴァントの依代となっている少女をまず案じるなどという行動も取っている。

 心の表し方が、何とも不器用な少年だとルーラーは思う。

 ライダーと彼に勝利があらんことを、とルーラーは言ったが、ライダーはともかくノインが聖杯戦争で勝つことはユグドミレニアにとって想定されていない出来事だろう。

 聖杯に見初められたマスターという訳でも、聖杯によって現界したサーヴァントという訳でもないのだから。

 だから彼には、闘争で生き残ったとしても報酬も何もない。ただマスターに応えて敵を倒すこと。それだけのために戦うのだ。

 聖杯大戦調律のためにのみ戦うルーラーと、どこかしら同じ孤独を抱えたサーヴァントとも言える。

 

―――――でも、彼について考えるのはここまで。

 

 ノインはルーラーに“黒”の側で戦うと宣言した。ホムンクルスたちと同じように、彼は自らの意志で戦いに赴くと言ったのだ。

 ならばルーラー、ジャンヌ・ダルクとして取るべき行動は見守るだけである。

 故にそれ以上、彼に踏み入るべきではないとルーラーは思った。

 

 思考を断ち切り、彼女は前を向く。

 空には月を覆い隠さんばかりの巨大な空中要塞が浮かんでいる。

 “赤”の陣営は、あれを用いてユグドミレニアの拠点に攻撃を仕掛けたのである。

 “赤”の陣営に問い掛けるため、ルーラーが向かわなければならない場所もあそこだった。

 そうして彼女とジークが遠目に見る中で、空中要塞から無数の光の矢らしきものが放たれ、戦場となっている草原に降り注ぐのが見えた。

 

「まさか、宝具―――――!」

 

 ジークが呟く。

 間違いなく、“赤”のサーヴァントの誰かが宝具を開放したのだ。

 草原にはサーヴァントたちの他に、無数のゴーレムとホムンクルスが蠢いている。そのまま落ちれば、彼らは壊され矢で殺されるだろう。

 だが、光の矢は地上から放たれた雷撃と無数の炎の礫によってその大半を迎撃された。

 

「あれは……」

 

 恐らくは“黒”のサーヴァントたちによる宝具で、矢を迎え撃ったのだ。

 ルーラーは武器でもある聖旗を召喚し、それを握り締めた。

 

「ジーク君、急ぎましょう。すでに戦端は開かれています」

 

 頷く少年と共に、ルーラーは爆音が轟き、地響きの伝わって来る戦場へと駆け出したのだった。

 

 

 




槍を持った弓兵に逃げられたら叛逆の剣士は怒る話。

そして割りと時間は飛び飛びで大乱戦一歩手前へ。




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act-11

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 地平線から蝗のように押し寄せる骸骨の群れ。その名は竜牙兵。それを迎え撃つのは、剣や槍を手にしたホムンクルスとゴーレム。

 この戦場において、彼らは兵である。

 彼らのざわめきを聞きながら、ノインは動悸を抑えて走っていた。彼の横には、キャスターのゴーレムに騎乗したランサーがいる。

 馬と並走しながら、ノインは辺りを見ていた。

 ここはミレニア城塞前の草原。

 “赤”と“黒”の全面対決。その只中にノインはいた。

 

 兵団と兵団との大規模な戦いなど、当然のことだがノインは見たことがない。

 自分に力を貸してくれている英霊は、このような光景を見たことがあったのだろうか。

 そのときの記憶を受け継いでいたなら、押し寄せる敵兵とサーヴァントを怖いと思うこともなかったのかもしれない。

 

 だが、所詮は無い物ねだりだ。

 

 この大地は今は戦場だ。躊躇えば死ぬ。そして躊躇いがなくとも、死ぬときは死ぬ。呆気なく何の意味も無く。

 

 アーチャーとしてのノインの感覚が、莫大な魔力を感知したのはそのときだ。

 見上げれば天から降り落ちる無数の光輝く矢。恐らくはあちらのアーチャーの宝具かと、当たりをつける。

 

「バーサーカー、撃ち落とすぞ」

「ゥウウ!」

 

 唸り声を上げて肯定するバーサーカーは、巨大な戦槌を掲げ、先端に取り付けられた球体から雷を迸らせた。

 ノインも腰から投石器を外し、石を装填。

 

「――――――」

 

 仮の真名を呟き、石を空中で分裂する魔弾へと変える。

 空から雨のように落ちてくる矢を、ノインは正面から見た。目を逸らさない。

 宝具は怖い。無論、死ぬことも。怖くて堪らないが、それでも耐えた。

 バーサーカーが猛りながら大地に戦槌を叩き付け、ノインは下から上へ石を投げ上げた。

 空へ昇る竜のように立ち上る雷撃と、空中に舞った石は分裂して炎の球となり、天からの災厄を迎え撃つ。

 爆音が連続的に空で響いて、辺りを束の間明るく染めた。

 けれど、災厄の大半は叩き落とせても、すべてを凌ぎ切るのはやはり不可能だった。

 “黒”のランサーとバーサーカー、ノインの立つ位置はまだ無事だが、撃ち漏らした矢に襲われた大地は穴だらけになり、ゴーレムと竜牙兵の残骸、ホムンクルスの亡骸が転がることになる。

 宝具による矢を防いだと判断したバーサーカーは、雄叫びを上げて走り去った。敵を求めて彼女は戦場を駆け抜けて行くのだろう。

 馬上の王は冷静に言った。

 

「―――――なるほど、これが敵の露払いということか」

 

 ノインが見上げれば、空に漂う空中庭園からは、凄まじい勢いで空中を走る戦車が一台飛び出していた。

 “赤”のアーチャーによる先制攻撃の後、間髪入れずに“赤”のライダーが出撃したのだ。

 “黒”のアーチャーによれば、彼はアキレウス。ギリシャ神話に名を轟かす、神速の英雄で、アーチャーの愛弟子でもある。

 アーチャーが明かしたところによれば、彼は神性の持ち主でなければ、踵を除いて体に傷をつけることすらできないという破格さだ。

 

 彼の相手は“黒”の陣営で唯一神性スキルを持つのアーチャーが行う。

 “黒”のバーサーカーは遊撃、ライダーはヒポグリフにより空中庭園へと向かい、キャスターはゴーレムによる支援と、時期を見計らっての“赤”のバーサーカーの解放を担当する。

 マスターである魔術師たちは城の中で戦場を見守っている。

 そして大将である“黒”のランサーは、馬を駆って先陣を切っていた。

 ノインは彼の補助、或いは盾だ。

 つまり大将首を狙って来るだろう“赤”のサーヴァントたちを前線で迎え撃つのだ。

 それが、“黒”のランサーの戦の差配だった。

 大将が前線に出るという事態だが、“黒”の陣営はセイバーとアサシンを欠いている。対して相手はバーサーカーこそ失ったものの、その他のサーヴァントは健在である。

 陣営中最強のランサーが後方にいては、勝てる目算が立たないが故の判断だった。

 

「―――――来たか」

 

 ランサーが呟き、既に敵影を捉えていたノインは無言で頷く。

 戦場を突っ切って向かって来る気配が二つ。

 いずれもサーヴァントだ。

 

「ノイン・テーター。貴様は“赤”のアーチャーを迎え撃て。ランサーは余が叩く」

「了解しました」

 

 ノインも武装である槍を召喚する。

 己の身の丈ほどある無銘の槍を構える彼を、ランサーは馬上から冷然と見下ろした。

 

「今更、貴様やライダーが反省しているかなどという些事は問わぬ。存分に働き、蛮族どもを殺せ。躊躇いなく、殺し尽くすのだ」

 

 苛烈な命令に少年は頷いた。

 敵は既にはっきりと見える位置にまで近付いていた。翠の衣装を纏い大弓を持つ少女と黄金の鎧を付け、長槍を携えた青年である。

 少女―――――“赤”のアーチャーが馬上のランサー目掛けて放つ矢を、ノインは槍で叩き落とした。

 誘うつもりか、一瞬足を止めたアーチャーは“赤”のランサーから離れて行く。

 

「行け。貴様を避けて余の杭を展開するつもりはない」

 

 ランサー同士、アーチャー同士で戦えという命だった。

 ノインは身を低くすると、放たれた矢のように飛び出した。一直線に“赤”のアーチャーへ突き進む。

 アーチャーは焦る様子もなく一度に三本の矢を放つ。

 心臓と両足を狙った矢を、ノインは二本を叩き落とし、一本はぎりぎりで躱した。革鎧が抉られるが傷はない。

 だが、その隙にアーチャーは更に距離を開け、機関銃のような勢いで次々と急所目掛けた矢を撃ち込んできた。

 距離を詰めたいノインを、近寄らせず射殺すべくアーチャーは疾駆している。

 脚の速さは数値で言えば恐らく互角だと感じる。だが、アーチャーの動きは、まるで人から逸脱したような無軌道さで先が読めなかった。

 獅子の耳と尾を持つ、獣じみた挙動の女の射手。

 人の形を取っていても馬の尾があるケイローンと、もしかして同郷だろうかとそんなことを思う。

 背後では爆音と大地の振動。それに炎の熱気を感じ取る。“赤”のランサーなのだろうが、振り返る余裕はない。

 矢を切り落とし、前へ進もうとした所で、悪寒を感じてノインが宙へ飛ぶと、たった今踏み締めていた大地から杭が生える。

 “黒”のランサーの宝具、『極刑王(カズィクル・ベイ)』の余波だった。

 かつて、ヴラド・ツェペシュはオスマントルコの兵士を串刺しにし、敵兵を恐怖によって撤退させた。

 その逸話は、彼の『領土』の空間に無限とも言える大量の杭を顕現させる形で、宝具として昇華されている。

 そしてトゥリファス一帯は既にランサーのスキル『護国の鬼将』によって彼の領土と化している。

 

 故にこの戦場のあらゆる場所において、ランサーは杭を生み出し続けることができるのだ。

 

 杭の余波はアーチャーにも襲い掛かっていたが、彼女も同じく難なく躱し杭の陰から正確にノインを狙い撃つ。

 だが辺りが杭で埋められ、彼女の動きも先程よりは制限されていた。

 両足に強化のルーンを叩き込んで、ノインは更に加速。ようやくアーチャーに辿り着き、槍を振り下ろした。

 アーチャーは弓で一撃を受止める。

 乾いた音がして、大弓と槍越しにノインとアーチャーは互いを真正面から見た。

少年を見たアーチャーの顔が、僅かに顰められる。

 

「……そうか。汝か、神父の言った木偶の英霊とやらは」

 

 呟きの意味はノインには分からない。

 分からずとも関係はなかった。

 戦いになれば、ノインの思考は熱が無くなる。裡から来る衝動に全身を委ねて戦うのだ。

 怯える心が叫ぶ声は何処かに押しやられて、変わって戦うための力が彼を支配する。それが英霊と融合した少年が手に入れたものだった。

 精神が上書きされ、戦うための最適の思考になる。

 戦い続ける間は、自分が違う存在へと置き換えられている感覚を味わいながら、無言無表情でノインは槍を押し込む。

 舌打ちしたアーチャーは、片手に矢を召喚。それをノインの眼を狙って突き出す。

 彼女の一撃を首を捻って逸れたが、アーチャーに腹を蹴られてノインは十数メートルも吹き飛んだ。

 竜牙兵の群れに突っ込み、彼らを巻き込みながら吹き飛んだノインは四肢に力を込めて止まり、立ち上がって頬を拭った。

 剣や槍を構え、不格好に体をゆらしながら操り人形のような動きで襲い来る竜牙兵を纏めて槍でなぎ払い、アーチャーを探す。

 風切り音に無意識に反応、体を捻るが背中に板で叩かれたような衝撃が走って、ノインはふらついた。

 革鎧に刺さった矢を抜き取りながら振り向いて、ノインは投石器で石を投げた。

 魔力光を纏った礫は大地を穿ち、辺りを一時真昼のように明るく染め上げる。

 だが、ノインは構えを解かない。

 真の英霊が、あの程度で殺されるはずがないのだ。

 果たして、再び光の矢が空を割って降り注いできた。だが、矢の雨はノインだけではなくその後方にも降り注いだ。

 

「……?」

 

 何故そこを狙うのか、と少年は首を巡らせ、理由を理解した。

 

「圧政者よォオ!」

 

 大地を震わすような雄叫びを上げて、重機のような勢いで突っ込んでくる“赤”のバーサーカー。

 背に“赤”のアーチャーの矢を無数に突き立てた彼は、ノインと彼女がいる戦場を捉え、正に突っ込んで来ていた。

 ノインすら見えていないのか、バーサーカーは愚直に進んで来る。彼の進行方向にいるノインは、転がって彼の突進を避けた。

 その背中には針鼠の棘の様に矢が突き立てられている。だが、バーサーカーの背中の肉はあっと言う間に盛り上がり、矢を押し返した。

 その分、バーサーカーの体が膨れ上がり、益々声から理性が吹き飛んだ。

 

「……暴走、しているのか」

「バーサーカーとはそういうモノ。“赤”のランサーの邪魔はさせん。さて、ああなった狂戦士に敵の区別がつくか?」

 

 杭の山のどこからかアーチャーの声がする。

 バーサーカーは笑いながら手にした剣を振るい、大地を割る。その背中にまたも矢が突き立てられた。

 肉が泡沫のように盛り上がって矢が外れ、またもバーサーカーの姿形が変わる。更には空中庭園から砲撃までもが降り注ぎ、ノインは飛び退いた。避けるどころかバーサーカーはそれを受け入れるようにして光に呑まれ、雄叫びを上げるが彼は消え去らない。むしろ体が膨れていった。

 肉体がぼこぼこと音を立てて膨れ上がり、竜牙兵を圧し潰していく。バーサーカーの顔が肉の中に埋もれていき、余りのことにノインは唖然となった。

 バーサーカーが手にした剣を振るう。その余波でノインは再び吹き飛ばされた。

 狂戦士の変貌ぶりに、気を取られたその隙が致命的だった。

 アーチャーに蹴り飛ばされたときの倍以上の距離をノインは飛ばされ、竜牙兵の群れに叩きつけられる。

 

「ッ……!」

 

 骨の山と化した竜牙兵の中からもがいて立ち上がり、ノインは血を吐いた。

 遠目には”赤”のバーサーカーの姿が見える。膨れ上がり続ける彼は、それでもどこかへ行こうとしていた。

 炎と杭で辺りを破壊し続けている”黒”と”赤”のランサー同士の戦場にではない。どうやら”赤”のアーチャーは、バーサーカーをどこへか誘導するつもりらしい。そのために邪魔なノインをバーサーカーに排除させたのだ。

 肉でできていた小山のような姿となって進んでいくバーサーカーをノインは見た。

 あれが、話に聞いていたバーサーカーの宝具『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』なのだろう。

 牢屋で言葉を交わしていた時の面影など無くなり、あまりに悍ましくなったその外見が、ノインの心に何とも言えない思いを呼び起こした。

 

「……」

 

 自分で自分の頬を殴って、ノインはその想いを打ち消す。

 バーサーカーの宝具は確か、臨界点を超えれば爆発する広域破壊宝具。他のサーヴァントたちのように、霊体化して即座の離脱行動を取れないノインには、命取りになる宝具だ。

 或いは”赤”のアーチャーや、庭園から砲撃を振り注がせてきたサーヴァントは、それを狙っていたのかもしれない。

 いずれにしても戦場の方へ戻らなければ、とノインは再び走り出す。

 ふと空で魔術砲撃の放たれる轟音が轟いたのはそのときだ。

 見上げれば、夜空に巨大な魔術式が展開されている。そこから放たれたと思しき魔術の光をノインは注視する。

 見知った人影が一つ、石のように落ちていくのが見えた。

 

「まさか……ライダー?」

 

 ヒポグリフで空中庭園へと挑んだ彼が、撃墜されたとしか思えなかった。

 どちらへ向かうべきか、ノインの足が止まる。

 だが、それを許さぬとばかりに、またも庭園からの魔力砲撃がノイン目がけて襲い掛かって来た。

 それを避けるように、ノインは走り出す。誘導されていると知りつつ、彼は駆け回るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふむ。あれがマスターの言っていた出来損ないとやらか」

 

 戦場を俯瞰する空中庭園。そこに君臨するのは、”赤”のアサシン、女帝セミラミスである。

 庭園内に置かれた玉座に腰を下ろしたセミラミスの周りには、幾つもの魔術式が展開され戦場を映し出していた。

 ある術式には、単騎で戦場を駆けている金髪の少女、ルーラーが映し出され、また別の術式には森林内を駆ける白髪の少年、彼女のマスターであるシロウ・コトミネが映っていた。

 彼が相手をしているのは、”黒”のバーサーカー。狂乱する人造人間をシロウはぎりぎりで相手取っていた。

 自らの願いの是非を問う、という理由で戦場に飛び込んだシロウを、アサシンは見ていた。そのようなことのために、自分の命を敢えて危険に晒すことを通常ならアサシンは許さない。

 しかし、彼女はシロウの気概を聞き、彼を戦場に送り出した。

 だが、それも終いだ。アサシンの眼前ではルーラーがシロウへ向けて疾駆していた。

 

「マスター、ルーラーが迷わずお主に突き進んでいるぞ!急げ!」

『分かっています!』

 

 アサシンの指示を受けて、シロウが離脱を開始する。

 彼女はそれを見届け、また別の映像に眼を止めた。そこには、戦場を駆け回る別の黒髪の少年が映し出されていた。

 

「出来損ない。それも矮小な魔術師の木偶人形か……。目障りだな」

 

 彼女が指を振るえば、砲撃が降り注ぐ。それを、デミ・サーヴァントである少年は器用に避けていた。

 故にますます忌々しい。速さだけはあるな、とアサシンは玉座の肘置きを指で叩いていた。

 アサシンはマスターのシロウから、あれがどういう存在かを聞いていた。

 曰く、あれは人々の願いを背負わされて生まれたもの、だという。人間を超える人間を創り出すために行われた、魔術と科学を組み合わせた実験体。

 ある意味では、私の願いを別の形で昇華したものかもしれない、とシロウは述べていた。同時に、あれは決して己の願いとは違うものだとも。

 彼はどうやら、何か苛立ちにも似た感情をあのデミ・サーヴァントに向けているようだった。

 だからというわけではない―――――と少なくとも本人は思っている―――――が、アサシンはあのデミ・サーヴァントを排除しようとしていた。脱落させても聖杯に魔力を注ぐわけでもない欠陥品だが、だからこそうろつかれるのは面倒だった。

 

「そう言えば、彼奴を眼の敵にしていた剣士がおったな。……ぶつけてやるのも手だろうて」

 

 ”赤”のセイバー・モードレッドとそのマスターは、今、街から車を使って戦場へと一直線に向かっている。

 そちらへデミ・サーヴァントを誘導するべく、アサシンは砲撃をさらに降り注がせるのだった。

 

 

 




今更ながら、仮に今デミ少年とスパPが戦うとデミ少年に不利。
一撃で消し飛ばす火力がありませんし、霊体化して逃げることもできませんからして。顔見知りの変貌ぶりに驚きもしますし。


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act-12

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 ヒポグリフに乗って空を駆け、空中庭園に挑んだまでは良かった。

 だが、相手の魔術砲撃は予想以上でライダーは、結局叩き落されてしまったのだ。宝具の性能を十全に発揮したのなら攻略できたかもしれないが、そのために消費される魔力供給用のホムンクルスたちのことを思い、つい魔力消費を控えてしまったが故の当然の結果だった。

 

「イタタ……。やっぱり強いな、あのお城。あんなの造るなんて何者なんだよ、”赤”のアサシンってのはさ」

 

 大地に叩きつけられ、それでも宝具のお陰か軽傷で済んだライダーは起き上がる。空には変わらず浮遊している、宮殿とも庭ともつかないものがあった。

 そこからはひっきり無しに戦場めがけて砲弾が放たれている。地面に着弾し、爆発する音がよく聞こえた。

 

「おーおー、派手にやってら。……アイツ、大丈夫かなぁ?」

 

 ライダーが思い描いたのは、ランサーと共に最前線に配置されたあの少年。

 白兵戦能力だけならライダーよりは上だが、どこかしら危うさが目立つ少年だ。考え出せば、宝具がまともに使えない所や多分本質的には怖がり屋な所やら何やら、それはもう色々とある。

 

――――――まあ一番心配なのは、アイツのマスターが簡単にアイツを捨て石にしそうなところなんだけど。

 

 そこまでは、ライダーにはどうにもできない。大体自分とて、マスターとの関係が上手くいっている方とは言えないのだから。

 

「あーもう、あんまり暗く考えるのは無し無し!アイツだって何やかんやでしぶといし!」

 

 多分大丈夫、とライダーは頭を掻きながら結論付けた。しかし、これから自分はどこへ戦いに向かおうか、とライダーは辺りを見回す。

 だがそこへ、わき目も振らずに突っ込んでくる現代の車が一台あった。

 

「嘘ォ!?」

 

 反射的に横に転がり、ライダーはその車を避ける。

 突っ込んできた車は回転しながら、急ブレーキ音と共に止まる。

 

「ええい、鬱陶しい!」

 

 車から飛び出してきたのは、二人の人間だった。車のドアを蹴り飛ばした金髪を束ね現代風の衣装に身を包んだ少女と、黒革のジャケットを着た大男。少女の方はともかく、男の方にライダーは見覚えがあった。

 ノインが”赤”のセイバーとの偵察戦に駆り出されたときの映像に映っていた死霊術師、”赤”のセイバーのマスターだ。

 

「……」

 

 ということは、この少女があのゴツいセイバーの鎧の中身だったのか、とライダーは少し驚いた。

 少女は地面に尻餅をついたままのライダーにようやく気付いたのか、近寄ると口を開いた。

 

「いよぅ、お前が”黒”のサーヴァント……ってことでいいんだよな?」

「あー、うん。如何にもボクは”黒”のライダーだ。そっちは”赤”のセイバーってことでいいんだよね」

 

 飄々と言いながら、ライダーは立ち上がる。

 またこれは自分では勝てそうにない奴が出て来たなぁ、と内心思う。

 だが、手には黄金の馬上槍を顕現させ、ライダーは“赤”のセイバーと向き合った。

 

「おい貴様、騎乗兵のくせに馬はどうした?」

「まぁ、ちょっと色々あってさ一休みさせてるとこだよ」

 

 庭園の攻撃を受けたときに、ヒポグリフは怪我をしている。だから完璧に事実なのだが、言った瞬間セイバーの眉が顰められた。その彼女に後ろのマスターから声がかかる。

 

「セイバー、俺は退散するぞ。後はお前さんに任せた」

「んだよマスター、残ってオレの勇姿を見ていかないのか?」

「ここがこんな場所じゃなきゃ残りたいもんだがね」

 

 マスターは辺りを見回した。そりゃそうだ、とライダーは思う。

 ただのサーヴァント同士のぶつかり合いの余波だけで、地面が揺れていて轟音も轟いている。ユグドミレニアのマスターたちとて、危険を避けて城に立て籠もっていた。

 

「しゃあねぇか。それじゃあな、マスター」

 

 気軽に返答して、セイバーは自分のマスターが些か形の歪んだ車に乗り込んで走り去るのを見送った。

 

「さて、そんじゃ待たせたな。“黒”のライダー!」

 

 セイバーは全身に白銀の鎧兜を纏うと手に大剣を召喚。切っ先をライダーに突き付けた。

 

「やれやれ、怖いなぁ、もう」

 

 ともあれ、これがサーヴァントの戦いなのだから仕方ないとライダーも槍を構える。

 だがその前に、セイバーはライダーに問うた。

 

「っと、そういや戦う前に聞いとくが、お前らのとこのサーヴァントのセイバー、自害したってのは本当か?何でだ?」

「本当だよ。……まぁ、傍から見たら内輪揉めで、彼からすると自分の信念を貫いたってヤツかな」

「それでくたばったってか?“黒”のセイバーはとんだ田舎騎士だな。おまけにそいつが消えてあの出来損ないのアーチャーがまだ生きてんのかよ」

 

 セイバーは剣を肩に担ぎながら嘲笑うように言う。彼女が何でもない事のように告げたその一言に、ライダーは顔を顰めた。

 

「……どっちも否定できないね。確かにセイバーは消えてしまったし、ノインは完全なサーヴァントじゃない。……それでもさ、あの二人は、キミみたいなチンピラのセイバーに馬鹿にされていい人間じゃないのさ」

 

 たった一つの生命を守るためにすべてを捨てた英雄と、自分だって恐いくせに気にするなと誰かに不器用に笑いかけるような少年。

 彼らを己の無鉄砲さに巻き込んだ自分にその資格はないかもしれない。それでも彼らを、彼らの死と生を馬鹿にされることにライダーは怒った。

 

「……よく吠えたな。雌犬が。その大言に見合う力があるのか見物だぜ」

 

―――――あー、これはヤバいなぁ。

 

 正直なところ、ライダーは自分が“赤”のセイバーに勝てるとは全く思えない。けれど逃してくれるとはもっと思えないし、逃げたくない。

 故にライダーは黄金の馬上槍を構えて、“赤”の剣士と相対する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜牙兵、ホムンクルス、ゴーレム。そしてサーヴァントとデミ・サーヴァントが入り乱れる戦場。

 そこを一人の少年が駆けていた。手にはサーヴァントの剣を持っているが、彼はサーヴァントではなくホムンクルスである。

 彼の名はジークと言った。

 同胞たちのために死地へ戻った彼は、今は撃墜されたライダーの元へと駆けていた。

 城へ戻ったジークは、マスターたちが戦場に集中している隙に同胞たちを解放することに成功した。だが、そのとき彼は天から落とされるサーヴァントを見かけてしまったのだ。

 それはヒポグリフで庭園に挑み、砲撃によって撃墜されたライダーだった。

 自分にとっての恩人である彼を見かけたジークは、城のホムンクルスたちを戦闘用の同胞に任せ、自分は一路ライダーの元へと駆けていた。

 彼の元に辿り着いても、ジークは自分に何かができるとは思っていない。

 ただ、恩人の危機に彼は居ても立っても居られなかったのだ。それは、人が見れば蛮勇と言われる行動だった。

 戦場では砲撃が大地を穿ち、竜牙兵が跋扈している。

 その只中を駆けながら、ジークはライダーの元を目指していた。

 手にしたライダーの剣と魔術を行使しながら、ジークは竜牙兵を避ける。鋳造された際に挿入された魔術を組み合わせれば、サーヴァントたちのように一蹴はできないまでも、何とか竜牙兵を凌いで進むこともできた。

 駆け続けたその先に、ジークはライダーを見つけた。彼の前に人影がいて、地面に倒れた彼に今しも剣を振り上げようとしている。

 それを見た瞬間、ジークは飛び出していた。

 

「待て!」

 

 全身に白銀の鎧を纏ったその何者かは、ジークの方を振り返る。手には重厚な騎士の大剣が握られており、その刃は地面に倒れたライダーの首元に突き付けられていた。

 ジークはライダーから与えられた剣を構える。覚束ないその構えを鎧の騎士、”赤”のセイバーは意外そうに見た。

 

「へぇ……。お前、ホムンクルスか」

 

 兜越しの視線が恐ろしかった。小柄な騎士から放たれる威圧感に、足が震える。それでもジークは、言葉を押し出した。

 

「ライダーから離れろ!」

「ば、バカかキミは!何してるんだ、早く逃げろ!」

 

 剣を向けられ、動けないライダーが叫ぶ。

 ジークがそちらに気を取られた一瞬で、”赤”のセイバーは突進していた。剣がギロチンの刃のように、ジークへ向けて振り上げられる。

 だが、直前でセイバーはどうしたことか後ろに飛び退く。

 ジークの横を何かが掠めるように飛び、乾いた音がした。

 見れば、セイバーの脇腹の部分の鎧が砕け、その足元には槍が突き刺さっていた。

 誰の物か確かめる間もなく、ジークは突き飛ばされる。気付けば短剣を持った少年が一人、彼に背を向けて立っていた。

 

「の、ノイ……」

 

 言いかけたジークの胸倉を引っ掴んで、振り向いたノインは彼を引き寄せる。そしてその額に頭突きを見舞った。

 鈍い音がして、ジークの眼の前に星が飛ぶ。燃えるような眼で、ノインはジークを正面から射抜いた。

 

「馬鹿かあんたは、何だってこんな―――――」

「ノイン、前!」

 

 ライダーの叫びにノインが反応。

 短剣を掲げて、ノインは再び突っ込んできたセイバーの騎士剣を受け止める。だが、押し込まれてノインの足が下がった。

 白銀の兜の奥、強く光る眼がノインを捉えていた。

 

「貴様、あのときの似非アーチャーか!」

「……だったら、何だと……言うんだ!」

 

 ルーンで出鱈目に引き出した渾身の力で、ノインはセイバーの剣を押し返す。火花が飛び散り、無茶な強化をした反動で腕に嫌な感触が走ったが、敢えて無視した。

 押し返され一歩下がったセイバーは、後ろも見ずに赤雷を纏わせた剣を振るう。後ろから馬上槍を手にして飛びかかろうとしていたライダーは、雷に打たれ全身を痙攣させながら地面に倒れた。

 一撃でライダーを沈黙させたセイバーは、剣を腰だめに構えた。

 

「ちょうどいい。貴様から殺してやる!出来損ないのアーチャー風情が!」

「……やれるのならやってみろ、”赤”のセイバー」

 

 セイバーの大剣と比べれば余りに小さく頼りなく見える短剣を持ち、ノインは答えた。

 初手の槍を躱されたことが痛かった。だがあそこでああしなければ、ジークが叩き斬られていたのだ。

 本来の得物である槍は今は地面に転がっているが、取りに行くにしてもセイバーが立ちふさがっている。投石器ではこうも距離を詰められては難しい。短剣一本で、何とか凌ぐしかなかった。

 さらに悪いことに、今まで散々庭園から砲撃で狙い撃ちにされ、防御に使ったルーンの石が尽きかけている。気力はまだあるが、それも万全とは言えなかった。

 自分をここまで引きずり回した何者かが、”赤”のセイバーに自分を始末させるつもりだというのなら、全く以てその策に嵌ってしまったと、ノインは自嘲したくなる。

 だが、やるしかなかった。

 

「ハッ……上等だ!」

 

 セイバーが吼える。

 魔力を放出し、弾丸のように突っ込んでくる剣士をノインは紙一重で避けた。大地を転がり、咄嗟に手が掴んだ石に氷のルーンを刻んで投げつける。

 

「そう同じ手を、何度も食らうかよ!」

 

 だがセイバーは、石を空中で薙ぎ払う。発動させる前に石は真っ二つに砕かれ、遥か彼方に飛ばされた。

 兜の奥で、セイバーが笑った気がした。振り下ろされる大剣の下、ノインは頷く。―――――狙い通りだった。

 

「Bis!」

 

 しゃがみ込んで地面を叩き、掌に仕込んでいた魔術を発動。土が盛り上がり、壁のようになってセイバーとノインの間に立ちふさがった。

 

「雑魚が!」

 

 だが、セイバーは意にも介さない。放出した魔力で一瞬も止まることなく前進して土壁を砕くと、突きを見舞った。

 咄嗟にノインは体を捻るが、躱し損ねて刃が脇腹を切り裂く。ついでとばかりに籠手で覆われた腕で腹を殴られ、ノインは地面に叩きつけられた。

 血を吐いて地面に倒れた少年を、セイバーは見下ろす。

 

「街中んときは、もう少し骨があるかと思ったんだが……。こんな平野で、オレの相手をしようとしたことが間違いだったな」

「……」

 

 確かに、遮蔽物のある街中ならいざ知らず、魔力放出スキルを持つセイバーと正面から平野で戦うなど、無茶も良いところだった。

 ”赤”のセイバーは強い。どうしようもなく、ただただ強かった。

 それでもまだ立ち上がろうともがくノインの手から、セイバーは短剣を蹴り飛ばす。

 

「あばよ、偽の英霊もどき」

 

 霞むノインの視界の中、両手で振り上げられた大剣に冷たい星の光が反射して、煌めいているのが見えた。

 血濡れて禍々しい剣のはずなのに、それをノインはやけに綺麗だと思う。

 

「―――イ―――ン!」

 

 だが誰かに名を呼ばれ、意識が引きずり上げられる。

 見上げると、こちらに向けて飛んでくる槍が見えた。予想外の方向からの槍に、一瞬だけ”赤”のセイバーの気が逸れる。

 その瞬間、正に獣のような動きでノインは跳んだ。セイバーの肩を足場にし、宙の槍を掴み取る。

 赤”のセイバーの背後に、ノインは飛び降りる。同時に再びルーンで急激に力を上昇させた。

 そのまま両手で持った槍を棍棒のように振るい、ノインはがら空きの”赤”のセイバーの背中を殴りつけた。

 鐘を叩いたような音と共に、セイバーが吹き飛ぶ。直後に強化が切れ、ノインは反動で力が抜けて膝を付いた。

 

「大丈夫か!?」

 

 ノインに駆け寄って来たのはジークだった。先ほど槍を投げてくれたのも、彼らしい。

 気遣うように肩に伸ばされた彼の手を払いのけ、ノインは槍に縋って立ち上がるとジークを真正面から見た。

 

「答えろ、ジーク。どうしてここにいる」

 

 爛々と燃え盛る血の色の眼にジークは押された。痩せた無表情な少年の全身から、炎のような怒りが噴き出していた。

 

「答えろ。何故だ。あんたは、一番ここにいてはいけないはずだ」

「俺……俺、は」

「仲間を助けようとしたのか?そうだとしたら尚更だ。どうしてここに来た。仲間たちが大事なら、彼らと共にいるべきだ」

 

 ジークが何か答えようとしたときだ。

 その瞬間、”赤”のセイバーを吹き飛ばした方角から、莫大な魔力が立ち上ったのだ。

 見れば土埃の向こうで、兜を脱いで素顔を露わにした碧眼の少女が、大剣を両手で構えていた。

 夜の闇の中で、眩い赤雷を放出し続ける大剣には、禍々しい程の魔力が束ねられている。

 宝具だ、とノインは直感する。間違いなく、”赤”のセイバーは宝具を解放しようとしていた。

 それも収束する魔力の量から察するに、ここら一帯を吹き飛ばしても余りある威力だ。ついに逆鱗に触れてしまったのか、少女の整った顔は憤怒に染まっていた。

 逃げなければならない、とノインは反射的に思った。あれは防げない。自分にもライダーにも、不可能だと悟る。

 

 だがどう逃げればいいかと、考える暇もなかった。

 ずしん、と大地が震える。戦場を照らしていた月の光が翳り、ノインとジークは揃ってそちらを振り仰いだ。

 最初に眼に入ったのは小山のように膨れ上がった異形の姿である。恐竜に似た三つの頭と鞭のような八本の腕が蠢き、昆虫のような大量の足がその巨体を支えていた。

 

「……バーサーカー」

 

 呆然とその変わりようにノインは呟く。

 異形になり果てた狂戦士と、憤怒に燃えた恐るべき剣士。

 咄嗟に動けない少年たちの眼の前で、巨人は足を振り上げる。その踏み込みに大地がぐらりと、不穏に揺れたのだった。 

 

 

 





デミ少年が怒ったが、同時に“赤”のセイバーも怒らせた話。共に口より先に手が出るタイプ。

あと敵の止めはしっかり刺すべき。


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act-13

感想下さった方、ありがとうございました。

では。





 

 

 

 

 

 

 攻撃されるたび、文字通り傷を力に変えて凄まじい速度でヒトの形からかけ離れていく“赤”のバーサーカーの特性は、戦場の他のサーヴァントからも認識されていた。

 その中で、真っ先に気付いていたのは“赤”のアーチャーだった。

 彼女は自らの宝具『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』により、彼を肉片になるまで切り刻むものの、結局バーサーカーの再生力に上回られてしまったのだ。

 ばらばらの状態から肉体を再構成したバーサーカーは、どこまでも彼女を付け狙う。

 正に悪夢のような再生力を前にし、これは自分では打つ手なしか、と思ったとき、アーチャーは庭園のマスターの代理人であるシロウ神父から指示を受けた。

 バーサーカーをルーラーにぶつけるので、誘導しろ、というのだ。

 汝を苛立たせるデミ・サーヴァントには宛てがわないのかと聞くも、彼には“赤”のセイバーを押し付けるという。

 それならば、とアーチャーは戦場を駆け、ルーラーの前に“赤”のバーサーカーを誘導する。

 ルーラーは聖杯大戦の管理を任されたサーヴァントであり、そのために各サーヴァントに二画分の令呪を与えられている。ある意味では、聖杯大戦最高の権力を持っていた。

 圧政者、強者に叛逆するという思考回路で固定されているバーサーカーは、狙い通りにルーラーを眼にした途端、アーチャーから彼女へと標的を変えた。

 それを確かめると、“赤”のアーチャーもその俊足で離脱する。遅かれ早かれ、“赤”のバーサーカーは限界を迎えて爆発するのだ。それに巻き込まれては堪らなかった。

 

 

 一方、バーサーカーを押し付けられる形になったルーラーは苦慮することになる。

 彼女は中立の裁定者である。自らサーヴァントを滅することは許されていないし、ルーラー自身、自分を厳しく戒めていた。

 だがバーサーカーはお構いなしに、彼女に豪腕を振るう。彼の手により砕けたものはただの岩すら魔力に犯され、砲弾のように襲い掛かってくるのだ。当たればサーヴァントとて傷を負う。

 攻められないルーラーは、ひたすら専守防衛に徹し、耐えるしかない。この戦場から離脱するのが正解なのだが、その隙もなかなか見出だせない状況だった。

 ルーラーとしての感知能力は、既に大方のサーヴァントがバーサーカーとルーラー周辺から撤退していることを感じ取っている。

 “黒”側の狂った戦士、バーサーカーすらマスターの指示を受けたのか既に離脱していた。それほど、この“赤”のバーサーカーは危険とみなされたのだ。

 だが、まだ爆発の被害が及ぶ場所に数騎が留まっていた。

 はっきり感じられるのは、“黒”と“赤”のそれぞれ一騎ずつ。そして、その他の反応もあった。

 正規のサーヴァントたちと比べればややあやふやな反応だが、それでもまだ存在している。確かめずとも、英霊と融合したあの少年だとルーラーは直感していた。

 それどころか、弱々しいサーヴァントの反応まである。こちらはあの、ホムンクルスの少年ではないのか。

 二人とも霊体化などできないはずなのに、何故逃げないのか、その小さな焦りからかルーラーはバーサーカーの一撃を受けて吹き飛ばされた。

 自分を受け止めたせいで壊れた竜牙兵の残骸を掻き分け彼女は立ち上がるが、踏み潰すつもりかバーサーカーが既に足を振り上げている。

 武器でもあり最強の護りでもある聖旗をルーラーが構え直したときだ。

 ふいに、戦場の一角から凄まじい魔力が立ち上る。ルーラーどころかバーサーカーすら、そちらを見た。

 禍々しいほどの激しさで放電する赤い雷が、闇を切り裂いていた。爆発寸前のバーサーカーのこんな間近で宝具を解放するつもりなのかと、ルーラーは顔を歪める。

 

「雄々ォオオオオ!あれぞ正に圧政者の驕り!我が鉄槌を下し、安らかな眠りを齎すべし!」

 

 そしてあろう事かバーサーカーは増えた足を使って跳躍し、一気に魔力の方へと突き進む。ルーラーも追うが、彼の跳ね飛ばしてくる岩が弾丸のように彼女の行く手を塞いだ。

 遠目には、まだ幾つか人影がある。彼らはまだ気付いていないのだ。

 

「貴方たち、そこから逃げなさい!」

 

 ルーラーの叫びだけが、ただ戦場に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――逃げなさい!

 

 そんな声が、何処かで聞こえた気がした。

 声に体が勝手に反応する。金縛りにあったようにまだ動けないジーク目掛けて鞭のように撓る腕を認識、彼を突き飛ばして転ばせ、ノインは自分も地面に転がって避けた。

 

「圧政者に鉄槌を!走狗に安らかな眠りをォォオ!」

 

 理性が完全に吹っ飛んだ叫びを上げながら、バーサーカーが更に腕を振り上げる。今の彼にはノインもジークも、等しく倒すべき者にしか見えていないのだ。

 動こうとするも、斬られた脇腹に鋭い痛みが走り、思わずノインの動きが止まる。

 地面に倒れたまま振り上げられた腕を見上げるしかないノインの顔の上に、バーサーカーの異形の影が落ちた。

 

触れれば転倒(トラップ・オブ・アルガリア)ァァッ!!」

 

 間一髪で滑り込んで来た“黒”のライダーの馬上槍が、“赤”のバーサーカーの腕に触れる。力も勢いも足りないその一撃を受けた瞬間、バーサーカーの脚が消失した。

 大地を震わす地響きを立てて、彼は横に倒れた。

 それでもバーサーカーの八本もある腕は止まらない。ノインとジークを背後に庇い、何とか槍で腕を払い除けながら、ライダーが叫んだ。

 

「や、めろってんだ!スパルタクス!キミの、英雄としての誇りは、弱者を守るコトなんだろう!確かに、確かにボクは騎士で、英雄だ!英霊だ!キミからすれば、敵だろうさ!」

 

 ライダーは理性などとうに無いはずの狂戦士相手に叫び続ける。

 

「だけど!ノインは、ジークは、違うだろう!キミが、二人を、殺すなァッ!」

 

 ライダーが鞭のような腕を一本跳ね上げた瞬間、バーサーカーの動きが束の間止まる。

 だが、同時にノインは肌が粟立つ魔力を感じた。

 首を巡らせて横を見れば、そこにはいよいよ禍々しい剣を振り上げたセイバーがいる。

 ライダーもジークも、気付いたようにそちらを見るが遅い。どうすることもできない。

 せめて少しでも逃れようとノインが立ち上がった瞬間、バーサーカーが動いた。

 脚の代わりに腕で体の向きを強引に変え、セイバーの方に挑んだのだ。

 今しかない。ノインはライダーとジークの胴を纏めて抱えると、全力で後ろに飛び退る。

 

「にょわっ!?」

「ッ!?」

「喋るな!舌を噛むぞ!」

 

 脚力を振り絞った渾身の一跳びで、バーサーカーとセイバーから一気に距離を取る。

 ライダーとジークと共に岩陰に転げ込んで伏せると、ノインは覚えている限りの防御のルーンを岩に刻み付けた。

 

我が麗しき(クラレント)―――――」

 

 セイバーの真名を唱える声が聞こえる。岩陰からノインが覗くと、異形のバーサーカーが一直線に邪剣を振り上げる剣士へ向かっていた。

 遠く離れていたが、ノインにはあのセイバーは不敵に口を歪めて笑っているのが見える気がした。そして―――――恐らくバーサーカーも笑っているのだろう。そんな気がした。

 

「―――――父への叛逆(ブラッドアーサー)ァアアアッッ!」

「雄々オオオオオオォオオッッッ!」

 

 赤雷が肉を焼き焦がす臭いが鼻に届く、大地が砕け、空気が震える。

 盾にした岩がみるみるうちに削られていくのが感じ取れた。

 強化の術式へ魔力を流し込み、ただただ耐える。歯を食い縛った口から、血が流れる。

 赤雷の熱を頬に感じながら、ノインは魔力を込め続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――駄目!

 

 赤雷が解き放たれた瞬間、ルーラーは走り出していた。だが間に合わない。

 “赤”のバーサーカーは真正面からセイバーに突撃した。セイバーの放つ宝具を、抱きしめるように受け止めたのだ。

 バーサーカーの小山のような体はたちまち焼き焦がされ、三つに増えた頭のうち二つが瞬時にして潰れる。

 だがバーサーカーは消え去らなかった。

 空気を震わせる叫び声と共に更に前進。赤雷をほぼ飲み込み、体の大方を消し飛ばされながらも留まったのだ。

 ルーラーが駆け寄ったときには赤雷は止まり、バーサーカーの体は燻る残骸となって地面に散らばっていた。

 それの背後には、半ば溶解しながらもまだ原形を辛うじて残している岩が一つあった。

 その陰にルーラーは駆け込んだ。

 

「あれ、ルーラー!?」

 

 真っ先に反応したのは、“黒”のライダーだった。泥と血だらけになった顔を上げ、まん丸に眼を見開いている。

 その横には同じく土まみれだが無事な姿のジーク。それから岩に背中を預け、脇腹に血を滲ませた蒼白な顔のノインがいた。

 

「貴方たち―――――」

 

 無事ですか、とルーラーが確かめる前に背後でまだ何かが動く気配がした。

 彼女が振り返れば、驚くべきことにまだバーサーカーの肉片が動いていた。焼け焦げた体の欠片たちが芋虫のように地面を這いずって一つに集まり、先程よりも悍ましい何かの形を取り始める。

 

「貴様ら―――――!」

 

 遠くには怒りを滲ませる“赤”のセイバーもいる。だがその暇にもバーサーカーは止まらない。

 彼の宝具『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』はもう暴走しているのだ。恐らく、本人にすら止められるものではない。

 

「ここから離れなさい、“赤”のセイバー!巻き込まれますよ!」

 

 ルーラーの叫びが聞こえたのか、或いは流石にマスターに止められたのか、セイバーは舌打ちしつつも霊体となってこの場から去った。

 これでセイバーの安全は確保できたから良いとしても、まだ駄目だった。

 ルーラーの眼の前にはデミ・サーヴァントのノインと、ホムンクルスのジークがいる。生身の彼らに霊体化して逃げる選択肢はない。

 おまけに二人とも傷を負っていて、少なくともすぐには爆発の範囲内にまで逃げ出すことは不可能だった。

 唯一霊体となって逃げることのできるライダーは、一向動く気配が無い。

 

「ライダー、貴女も……」

 

 ルーラーは言いかけるが、ライダーは首を振った。

 

「……逃げない。逃げないからな、ボクは!ここで二人を見捨てるなんて、できるわけ無いだろ!」

「―――――そう、ですよね」

 

 そうだと思った、とルーラーは頷く。

 シャルルマーニュの十二勇士アストルフォは、こんなところで逃げようとする性格ではない。

 ノインを庇うようにしているジークも同じなのか、ルーラーの視線を受けて首を振った。

 

「……そちらはそちらで、何故逃げない?あなたの中、には別の誰かがいるだろう」

 

 おまけに最も傷付いているノインにまで問われ、ルーラーは一瞬瞠目した。

 揃いも揃って彼らは互いをかばい合い、他人のことばかりだ。

 ライダーもノインも、それにジークもただ愚かで脆く、弱いだけなのかもしれない。それでも彼らをただの愚か者だと切り捨てることが、ルーラーにはできなかった。

 再び眼を見開いたときには、ルーラーの紫水晶の瞳に強い意志が宿っていた。

 

「―――――いいえ、私とてここで逃げる訳にはいかないのです。良いですか。皆さん、私の後ろから決して出ないように」

 

 そもそも、ジークをここに連れて来たのは自分だった。ライダーやノインは彼を庇って戦っていた。

 だから―――――喩え今から行うことが逸脱行為だとしても―――――これくらいならば許されるだろう、とルーラーは決断した。

 そしてルーラーにも、さっきのライダーの叫びは聞こえていたのだ。ルーラー個人の感情で言うならば、よりにもよってスパルタクスに彼らを殺させたくはないと思ったのだ。

 柄に巻き付けていた旗を、ルーラーは解き放つ。聖女ジャンヌ・ダルクの象徴でもある聖旗が闇夜にはためいた。

 ライダーたちを背後に、ルーラーは然と前を向く。

 裁定者の眼前には小山のような狂戦士。既に彼の顔は膨れ上がった肉の中に埋もれて、判別することはできなかった。

 

「スパルタクス。貴方のような英霊に、無辜の民を傷つけさせる訳にはいきません」

 

 圧政に立ち向かい、弱者を救済することを求め続けた求道者、スパルタクス。彼は正に、第二の生における最後の一撃を放たんとしていた。

 恐らくは、第一の生を含めても生涯最強のそれを受けるのは、聖杯大戦の裁定者である。

 鳴動するバーサーカーの肉塊を前に、ルーラーは両手で旗を構え直した。魔力で肥大化しきった体はもう間もなく自壊し、溜め込んだ傷のすべてを攻撃として解き放つのだろう。

 魔力で肌が粟立ち、大地が震える。それでもルーラーは眼を逸らさない。

 

「―――――我が旗よ、我が同胞を守り給え」

 

 バーサーカーが遂に臨界点を越える。

 瀑布のように押し寄せる暴力的な光を前に、ルーラーは宝具の真名を高らかに謳い上げた。

 

我が神は(リュミノジテ)―――――」

 

 それを、ノインは見ていた。

 襲い来る光に立ち向かう小さな背中に、迷い無く旗を握る彼女に、素直に彼は見惚れていた。

 

「―――――ここにありて(エテルネッル)!」

 

 戦場で兵士たちを導き続けた救国の聖女の旗は、バーサーカーの一撃を真っ向から防いだ。

 それは、ルーラーの持つ規格外の対魔力スキルを防御力に変換する究極の護りだ。

 ありとあらゆるものを消し飛ばす光の渦に、歯を食い縛って彼女は耐える。

 背後の三人、そしてルーラーを光が飲み込む。眩さに堪らず眼を伏せたくなるが、ノインはルーラーから眼を逸らせなかった。

 永遠とも思える時間の後、光が静まる。焼け爛れ、大きく抉れた大地を前にしながら、ルーラーは背後の彼らを振り向いた。

 

「……無事ですね、良かった」

 

 心底安堵したような微笑みと共に告げられた言葉に、ノインはただ頷いた。

 

「い、生きてるよぅ……。ホントありがとう、ルーラー!」

 

 ライダーが立ち上がり、ルーラーの腕を取ってぶんぶんと上下に振る。

 

「……ありがとう、ルーラー」

「助かった。……ありがとう」

 

 ジークとノインも答え、ルーラーは少し困ったように頬をかいた。

 

「いえ、これはその……。そう言って頂けるようなことでは……」

「?」

 

 ルーラーの微妙な歯切れの悪さに、ノインが首を傾げたそのときだ。

 

『―――――生きているのか、デミ・アーチャー。生きているなら、空を見ろ』

 

 ばち、と頭の中で撃鉄を起こされたように何かが切り替わった。

 戦いの最中、完全に無意識に念話を断っていたのだが、ノイン自身の気の緩みからついに補足され、繋がったらしい。

 

「……はい、マスター」

 

 ライダーとジーク、それからルーラーが、ノインの方を気遣うように見てくる。彼らの視線を避けるように、ノインは眼の上に手を翳して空を見上げた。

 

「何だ……?」

 

 空に浮かぶ巨大な空中要塞は、移動していた。

 バーサーカーの爆発の際は、上昇して難を逃れたらしい城が、半壊しているミレニア城塞の上空に留まっていたのだ。

 そう、ミレニア城塞は壊れていた。壊滅とまではいっていないが、半ばは瓦礫と化している。

 戦場を薙ぎ払うだけに留まらず、バーサーカーの一撃があそこまで届いたのかと、今更ながらにその威力に背筋が寒くなった。

 

『命令だ。今すぐ庭園に赴き、大聖杯を奪い返せ』

「大聖杯……」

 

 それは城塞の地下深くに隠されていたのではないのか、とノインは聞き返しかけ、また唖然となった。

 ミレニア城塞の中から上空の要塞へ、光り輝く何かが上っていくのだ。糸で引き揚げられているかのようにゆっくりと、だが確実にそれは要塞に飲み込まれていく。

 誰かに教えられるまでもなく、分かった。理解した。

 あれこそが、冬木の大聖杯だ。この距離からでも感じ取れるほどの、莫大な魔力が渦巻いている。

 あの光と比べれば、肥大した体に詰まっていたバーサーカーの魔力も遥かに見劣りした。

 

「何……アレ?……って大聖杯じゃないか、え、奪われかけてないかい!?」

 

 この場の全員の驚きをライダーが代弁した。

 

『状況は理解したか?私と公王も要塞へ向かう。貴様は庭園に急行し、ライダーは城の守りに向かわせろ。……それを以て、そこにいるホムンクルスを庇ったことは不問とする』

 

 どうやら、ダーニックにはここでの出来事も知られていたらしい。はい、とノインは答えた。

 

『急げ。事は一刻を争う。ライダーのマスターの癇癪を、何時までも私が収めると思うな』

 

 それだけ言って、念話は鋏で切るように断ち切られた。

 戸惑っているようなジークとルーラーを見、ノインは説明するべく口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 





理性蒸発ライダーと狂化EXバーサーカーの叫び合いとか……。

一応書いておきますが、ヒロインはいます。


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act-14

感想下さった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 生命が助かった安堵に浸っている場合ではなく、そういう訳で庭園へ急げと言われた、とノインは単刀直入にライダーに告げた。

 

「サーヴァント使いが荒いなあ、もう!」

 

 ライダーはそうは言ったものの、ノインがダーニックに言われたことを、ジークやルーラーに聞こえないよう念話で告げると、表情を引き締めた。

 

「仕方なしかぁ。……よし、ヒポグリフ!超特急で戻るぞ!」

 

 嘶くヒポグリフを召喚し、ライダーは飛び乗る前にジークに向き直った。

 

「……助けてくれてありがとう。でも、あんなことボクは望んでない。……さっきノインに頭突きされてたからボクは何にも言わないけど、もうやっちゃダメだからな」

「……分かった」

「うん、いい返事だ」

 

 ジークフリートの心臓が鼓動しているジークの胸を、ライダーは指でとん、と優しく突き、ヒポグリフに跨った。

 

「あ、ルーラーはどうする?ぎりぎり三人乗りできなくもないけど」

「私は走って行きます。ご心配なく。全力で走ればすぐに追い付きますので」

 

 宝具で“黒”を助けた上に“黒”の騎乗兵に手助けされては、流石にルーラーとして公平性に欠けると判断したらしい。

 ルーラーよりも、むしろあちこち損傷が回復していない自分たちのほうが遅れるかもしれないな、とノインはヒポグリフを見上げ、幻馬が自分たちに負けず劣らずぼろぼろなことに気付いた。

 

「ライダー、この馬、かなり怪我していないか?」

「あ、ヤバ。さっき砲撃で叩き落されたんだった!……おーい、イケる?……うん、頑張ってくれ!」

 

 不満そうな呻き声を上げるヒポグリフの首筋を撫で、ライダーはほら、とノインに手を差し出した。

 これで二人乗りが大丈夫なのか、と思いつつノインはライダーの後ろに収まる。

 申し訳程度に、ノインはライダーとヒポグリフ、それと自分に治癒のルーンを描いた。脇腹の傷だけでも治さなねばならなかった。先程のように動きを止める訳にはいかない。

 

「お、ありがとノイン。―――――そら、行くよ!」

 

 ヒポグリフが飛び立つ直前、ノインはジークとルーラーの方を見た。何となくだが、彼らとは再び会う気がした。

 それも、赴く庭園から自分が無事に帰って来られたらの話なのだが。

 じゃあな、と言う代わりにノインは小さく手を振った。ジークが何か言おうとした途端、凄まじい勢いで上へ引っ張られノインは慌ててライダーに掴まる。

 

「……!……!?」

「おっ、珍しく驚いてるねぇ!まぁ、初めてだもんね!」

 

 正面から吹き付けて来る風にぼさぼさの髪をはためかせ、眼をぱちくりさせているノインを見ながら、ライダーは愉快そうに笑った。

 ルーラーやジークも、あっという間に後ろに流れて行く。そうなると今度は、戦場だった場所がよく見えた。そこここで煙が上がり、ゴーレムや竜牙兵の残骸、ホムンクルスたちの体が転がっている。

 ここまで感じていなかった、様々なものの焦げる臭いが押し寄せて来て、ノインは軽く眩暈がした。

 

「……ライダー。聞いても良いか?」

「ん?何だい?」

「バーサーカーのことだ。彼の誇りとライダーは言っていたが、それは、結局何だったんだろう?」

 

 怪物のような姿の彼にライダーが英雄の誇りを問いただした時、彼の行動は確かに変化した。姿形がいくらヒトから離れても、誇りというのを尚持ち続けていたからこそなのだろう。

 最初にノインに誇りという言葉を告げたのは、”黒”のランサーだ。

 彼には自らに被せられた化け物、吸血鬼の汚名を誇りにかけて晴らすことを望みとしている。

 ”赤”のバーサーカーは彼を打ち倒すことを望んでいた。それは結局敵わなかった。敵わないまま、彼は死んだ。

 様々なものを巻き込み、破壊をまき散らした末の死だったが、彼がいなかったら間違いなく”赤”のセイバーに自分たちは殺されていたのだ。

 とはいえ、ルーラーがいてくれなかったらやはり爆発で死んでいたろうとは思う。

 ルーラーの煌めきとバーサーカーの破壊の光を思い出すと、ノインの心は複雑だった。

 単純に悲しいのかと言われると―――――違うのだ。

 ただ、この世から何かが一つ砕けて墜ちて、燃え尽きた。そして失われたそれは、もう二度と元には戻らないのだと、そう思った。

 

「うーん、それはねぇ……ボクには言えない!」

 

 ライダーはヒポグリフの手綱を握って言い放ち、ノインは押し黙った。

 

「ボクが何か言ってしまったら、それがキミの答えになってしまうだろ。だから、キミには言えない。キミが感じたことがキミの答えだよ」

「つまり、自分で答えを出せと」

「そういうこと!ボクらは考えて、感じて、行動する心がある人間なんだから。あ、こういうのはアーチャーの言いそうなことだけど」

「……そうか」

 

 騎士アストルフォ、闘士スパルタクス、聖女ジャンヌ・ダルク、賢人ケイローン、公王ヴラド・ツェペシュ。

 彼らの真名は知っていても伝え聞く物語をいくら知っていても、それはただの情報で、断片だ。

 結局は、自分で関わって得たものを通してしか、彼らのことなど理解できるはずもないのだ。

 ノインの主は、彼にそのようなことを望まなかった。

 理解など、感情など、お前には不要だとダーニックは断じていた。詰まる所は、ノインが使い方を誤れば危険な道具だからだ。

 魔術師として、正しい対処だ。

 この世に生誕した方法からして、確かにデミ・サーヴァントは真っ当ではないから、それ故の当たり前なのだろうと認識していた。だから今までは、その虚ろさに気づいてはいても何も思ったりはしなかった

 それでも、虚ろでも木偶でも、自分は今を生きている。そう感じるようになってしまった今は、ノインは元には戻れなくなっていた。

 

「……まぁ、いずれにしても目の前の任務が先だな」

「そうだねぇ。色々考えるのは生き残ってからさ。ともかく、庭園にどうやって入るつもり?」

「途中で飛び降りる」

「オッケー、了解!」

 

 頷き返して、ノインはライダーの肩越しに前を睨む。

 半壊したミレニア城塞と大聖杯を飲み込みかけている空中庭園は、もうすぐそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、ややふらつきながらそれでもかなりの速さでヒポグリフは飛び去っていった。その光景を、ルーラーは大地に立って眺める。

 ライダーの後ろに乗ったノインの顔は若干引き攣っていたように見えたのだが、気のせいだと良いと思い、ルーラーは頭を振った。

 

「さて、ジーク君。……貴方はここまでです」

 

 ルーラーはホムンクルスの少年に告げ、彼も頷く。

 ノインにしろ彼にしろ、表情の変化に乏しい。それを含めて、ルーラーは彼らが似ている気がした。

 自己がまだ定まっていないから、他人の為に簡単に自分を捨て石にできてしまう危うさがそっくりだ。

 ジークとノインの違いは、戦う力があるかないか。救いたいという同胞がいるかいないか。

 だからノインは戦い、ジークは同胞の所へ戻らなければならない。

 

「分かっている。……ルーラー、すまなかった。あなたに危険に身を置くなと言われていたのに」

 

 それでも彼は、ライダーを助ける為に動いてしまったのだろう。

 ルーラーは小さく微笑んだ。

 

「それが分かってくれたなら、ライダーもノイン君も喜びますよ」

 

 ノインに至っては頭突きまでしたようだし、とルーラーは内心呟いた。淡々とした雰囲気に反して、口より先に手が出る人間らしい。

 

「では、ジーク君」

 

 そう言い残して、ルーラーは駆け出す。この聖杯大戦の裏に何かあるとするなら、それは空中庭園にいるはずの“赤”の陣営が鍵を握っているはず。

 その予感に突き動かされ、彼女は庭園へと走り去る。

 残されたジークは、しばらくヒポグリフとルーラーの去った方を見ていたが、やがて辺りを見回した。

 彼が岩陰の土の中から拾い上げたのは、ライダーの剣だった。土に埋もれても汚れの無い、闇の中でも輝く刃とそこに映る自分の茫洋とした顔を見て、ジークはそれを腰の鞘に収める。

 同胞のホムンクルスたちのところへ、戻らなければならない。戦場でさっきの爆発に巻き込まれた者がいたら、彼らも助けなければならない。

 今はただ、自分にはそれしかできない。

 自分を助けてくれた人、自分のために怒ってくれた人の顔が過る。生まれて半年も経っていない無力な自分では、結局彼らに何も返せないのだろうか。自分一人の力で、同胞を守ることもできないのだろうか。

 当たり前のはずのそれが今更思い出されて、ジークはまたヒポグリフの消えた空をつい見上げる。

 彼らの姿は、既に空の中の一つの点になっていた。

 それを見届けて、ジークも走り出す。打ち付けた体は所々痛みがある。宝具の熱で火傷でもしているのかもしれない。

 けれど、そんな痛みはなぜか気にならなかった。

 大地を踏んで走る度、どくん、と受け継いだ心臓が鳴る気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、バビロンの空中庭園かと思ったが……」

「違うみたいだけど、分からないなぁ。“赤”のアサシンの顔も見たけど、どっかの女王様だね、あれは。でもそれ以外はさっぱりだ」

 

 そんな会話をしながら、ライダーとノインは庭園付近に到達した。一度砲撃で叩き落されたライダーは流石に慎重になり、近くにまで接近するのを躊躇ったのだ。

 そろそろ頃合いか、とノインは槍を手に持った。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 軽い掛け声と共に、ノインはヒポグリフの背中から飛び降りる。

 落下しながら、ノインはルーンで風を操りつつ壁面に槍を突き刺す。それに片手で掴まったかと思うと、槍を支えにくるりと体を回し、壁面を蹴ってあっという間に庭園へ入ってしまった。

 野生の猿顔負けのような動きに、ライダーはうわぁ、と驚きの声を上げる。

 てっきり飛び降りて地上から行くのかと思ったのだが、降りずに乗るとは想定外だった。

 器用なことするなと思いながら、ライダーは城塞へ戻るべくヒポグリフを降下させるのだった。

 

 中に入ったノインは、気配を辿る。

 話では“黒”のアーチャー、キャスター、ランサーとダーニックが庭園に直接赴いている。流石に城塞を完全に空とするわけにはいかないから、“黒”のバーサーカーは地上にいるという。

 そしてユグドミレニアの当主で、マスターでもあるダーニック自ら出向くことが、そのまま彼の焦りを表していた。

 確かに大聖杯を丸ごと強奪されるなど、予想外だったのだろう。このような大規模な宝具を展開できことを考えれば、“赤”の布陣は昨日今日で立てられたものではない気がした。

 大聖杯が奪取されかかっている事態だというのに、ノインはそうしてどこか状況を俯瞰していた。

 聖杯自体にノインは拘りがあるわけでは無いのだ。感じたことのない密度と規模の魔力の塊に心底驚きはしたが、ルーラーに会ったときのように見惚れはしていない。

 ノインは無色の魔力は魔力でしかないと、切り捨てていた。

 サーヴァントのくせに願望機たる大聖杯を前にそんな反応なのか、と魔術師たちならば眼を剥くだろうが、心奪われなかったのだから仕方ない。

 しかし、彼の主は半世紀以上もそれを求め欲し、このような戦いまで引き起こした者なのだ。

 

――――――だからこそ、嫌な予感がする。

 

 間に合えばいいのだが、と思いながら“黒”のサーヴァントたちの反応を辿るノインは、庭園内を駆け抜ける。

 植物や水が、何故だか下から上へ流れて行く奇妙さは捨て置いた。

 

「ノイン!」

 

 やがて、飛び降りた先で呼び止められノインは急停止した。見ればアーチャーとランサー、キャスターがいた。

 ノインを呼び止めたのは“黒”のアーチャーである。

 

「無事でしたか。“赤”のバーサーカーの宝具に巻き込まれたかと思いましたよ」

「……あ」

 

 まさか、ライダーどころかジーク共々爆心地にいてルーラーに助けられていたとは“黒”のランサーがいる場所では言えなかった。

 結局上手く言えずに、ノインは詫びを込めてアーチャーに小さく頭を下げると、彼らと共に走り出した。

 

「アーチャー、俺のマスターは?ここに来ているらしいんだが」

「姿が見えません。我々とは別行動を取ったようです」

「ここはサーヴァントの戦場だから、何処かに隠れているのだろう」

 

 ゴーレムを引き連れたキャスターが言い、ノインは頷いた。恐らく“黒”で最も聖杯を欲しているだろうランサーは先頭を疾駆していて、何も言わない。

 その彼が立ち止まる。

 教会の聖堂に似た幅の広い廊下の先に、数騎のサーヴァントがいたのだ。

 “赤”のランサーとライダーは槍を、“赤”のアーチャーは弓を構えている。

 大聖杯の気配この先にある。しかし、“黒”は取り戻したいならば彼らを倒さねば先に進めない。単純な話だった。

 

「アーチャー、ノイン・テーター。お前たちは“赤”のライダーとアーチャーを相手取れ。余は“赤”のランサーを倒す。キャスター、ゴーレムでの援護を担当しろ」

 

 指示に、“黒”のサーヴァントたちは散開した。

 動いた瞬間、ノイン目掛けて“赤”のアーチャーの矢が襲い掛かる。

 槍で叩き落とすも、既にアーチャーの姿はない。彼女は壁に取り付き、そこから矢を放つ。

 獣のような軌道は相変わらず読めない。それでも反応速度で叩き落とせなくはなかった。それに先程の戦場よりここは狭い。それならばまだ、やりようがあった。

 ノインも壁を蹴って駆け上がり、槍を滑らせる。アーチャーは更に駆けながら、振り向きざまに矢を放った。

 それを炎のルーンで焼き尽くし、炎の陰に隠れて更にノインは走った。

 追い付き、アーチャー目掛けて槍を突き出す。手にした大弓で彼女はそれを受けた。

 そこへ“赤”のランサーが放出した炎の余波が到達した。アーチャー、ノインは双方飛び退き、再び中空で激突。

 二人は軽業師のように、空間を所狭しと駆け回りながら戦い続けた。すれ違いざまにアーチャーの矢がノインの頬を切り裂けば、槍がアーチャーの腕を掠める。

 双方決定的な一撃が放てず、アーチャーとノインは距離を開けて着地した。

 

「手詰まりか、デミ・サーヴァントとやら」

「お互いにな、“赤”のアーチャー」

 

 “赤”のアーチャーもノインも宝具は広域破壊型。狭い空間では味方を巻き込みかねないため、二人とも封印せざるを得ない。

 だが、状況的には自分の方が不利だとノインは無表情の下で考えていた。

 ここに来るまでの消耗が思っていたより激しかったのだ。“赤”のアーチャーは涼し気に弓を構え、泰然と立っているが、ノインは体の傷が治りきっておらず、消費した魔力も取り戻せていない。

 アーチャーもそれは察しているのだろう。だから彼女は全く焦っていない。ノインの強がりも見抜かれているだろう。

 畜生、とノインは血の味のする唾を飲み込んで槍を構えた。

 ”赤”のアーチャーが少年の有様を見て不敵に笑い、矢を弓に番えたそのときだ。

 ノインは別の気配を感じた。見上げれば、サーヴァントたちの戦う場所を見下ろせる位置にダーニックがいる。

 何故そんなところに、というノインの驚きを感じ取ったのか、ダーニックはデミ・サーヴァントの少年を見下ろした。少年と魔術師の眼が空中でぶつかる。

 ダーニックの手には、ノインの令呪が刻まれた書物が握られていた。

 それで一体何をするつもりなのか、ノインは戸惑う。それを隙と見たのか、アーチャーの矢が放たれ、ノインはそれを後ろに跳んで危うく避けた。

 その様子をダーニックは冷然と見下ろすのだった。

 

 

 

 

 




というわけでダーニック登場。

スパルタクスがヒロイン扱いとはこれ如何に。

真名当てとヒロイン当てなのですが、やはり上手く返答できずに返信できそうにない作者です。すみません……。


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act-15

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 確かに、ただ流されて消えるだけだったろう自分を掬い上げてくれた人ではあった。生命以外の何一つ、彼は救ってはくれなかったが、恩があるのは間違いない。

 貴様は生きている限り私に従えと、何時だったかノインに命令を下した主は、彼を見下ろして令呪を突き付けている。その歪んだ顔を見て、少年は眼を細めた。

 主、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはつまりここで令呪を使うつもりなのだろう。大聖杯を奪い返すために。その過程で、駒の一つは使い潰してでも。

 そういうことなのだろうと予測できた。できたが、胸に広がったのは恐怖ではなく哀しみだった。

 自分とこの人とは一生―――――喩えどちらかが死んだ後でも―――――同じ眼で世界を見ることなどないと、そう悟ってしまったからだ。

 

「―――――令呪を以て告げる。デミ・アーチャー、“赤”のサーヴァントを殺すまで止まるな」

 

 一瞬で令呪の魔力が全身に絡み付いた。強制的に一部パラメータが引き上げられ、ノインは槍を構える。

 しかし、予想していたほどの強制力では無かった。一画だけで終わりなのかと思う。

 

 ―――――当然、そんな訳はない。ダーニックは更に令呪を向ける。

 彼が見下ろすのは、この戦争の中で奇妙に螺子曲がり、用を無さなくなりかけている使い魔だ。

 それがヒトの形をしていることも、まだどこか幼さを残した少年であることも、ダーニックにとってはただの器の話でしかない。

 器にも心があると、彼は終ぞ認めはしない。彼の世界の常識からすれば、認められる訳がないのだ。

 ダーニックにとっては、彼の中に英霊がいること、一級品の使い魔であることにしか意味はないのだ。どの道、自分たちと同じ魔術師ですらない。使われるために造られた生命たちの一つなのだから。

 故に、使い潰すには頃合いでこれ以上残しては、禍根を生むだけだと彼は判断した。

 

「重ねて告げる。()()()()を解放し、殺せ。殺すまで止まるな」

 

 不穏に令呪が赤く輝き、そこで初めて少年が苦悶の声を上げた。槍を動かそうとする己の手を、己で押さえつけようと藻掻いている。

 それすらダーニックには、不可解で不快だった。

 あの使い魔は自分の意志で第二の宝具の展開を封印している。彼には制御不能であり、展開すれば無差別に人を殺し、加えて使う度自我を蝕むものであるからだ。

 これまでいくら危機に陥っても、解放しようとしなかったのはそのためである。

 その意志も、ダーニックには邪魔である。

 聖杯への願いすら持たぬ使い魔が千界樹の悲願を阻むことなど、許されることでは無い。

 

「ダーニック、貴様。あの者に何をした?」

 

 空中庭園内に移り領土を離れてしまったことで知名度の恩恵を失った“黒”のランサーは、“赤”のランサーに打ち込まれ、劣勢を強いられていた。

 それでも“黒”のランサーは、一撃を加えて“赤”のランサーから距離を取ると冷え切った声でマスターの名を呼んだ。

 彼の敗北もまた、ダーニックには許容できるものではない。自らの夢が潰えること―――――それだけは避けねばならないのだ。

 

「何をしたとは異なことを。勝つための手を打ったに過ぎません」

 

 少年が槍の石突きを庭園に叩き付ける。そこから吹き上がるのは淀んだ瘴気だった。

 生あるものを食らう黒い禍つ風が、庭園内を吹き抜けた。戦っていたサーヴァントたちも一瞬手を止めるほどの気配が漂ったのだ。

 渦中の少年は、それを押さえつけようとまだ足掻いていた。

 

 陸に引きずりあげられた魚のように喉を鳴らして喘ぐ少年の意志に反して、黒霧は押し留められない。霧は彼に纏わり付く。

 ニ画の令呪には抗いようがないのだ。僅か数秒で抵抗は終わった。

 少年は禍々しいそれを背負い、槍の切っ先を“赤”のアーチャーに突き付けた。

 彼の眼は虚ろで、ただ空っぽの殺意だけが膨れ上がっている。なるほど正気を失わされたのか、と“赤”のアーチャーは矢を向ける。

 “黒”のアーチャーは振り向いて痛ましげに眉をひそめ、彼と対峙している“赤”のライダーは鼻を鳴らした。

 彼からすれば、()()()()()()()()()。風には冥府の気配が宿っている。ただの人間の小僧っ子の中に何を押し込めたのかと、彼はあの少年のマスターらしき魔術師を睨む。

 ”赤”のライダーと同じく、”黒”のランサーもまた不愉快にダーニックを睨みつけた。

 

「王よ、貴方もお分かりでしょう。そのままでは“赤”のランサーには勝てない。ならば貴方も―――――宝具を解放すべきでしょう」

「……貴様、余に何と申した。あれは使わぬ。使わぬと言っただろう、忘れたか!喩えここで死すとも、決してな!」

 

 忘れているのはお前の方だと、使い魔風情が何を抜かすのかと、ダーニックは手の甲に刻まれた令呪を憤怒に燃える“黒”のランサーに向けた。

 

「令呪を以て命ず。ランサー、『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』を発動せよ!」

「ダーニック――――――貴様ァァァァァァァッ!」

 

 自らを化け物へと変える宝具の発動へのランサーの激怒もダーニックには問題ではない。

 彼の王として貴族としての誇りが今を生きる我々一族の悲願よりも優先されて良い筈がないのだ。

 所詮はサーヴァント、使い魔なのだから。

 

「余は吸血鬼などではない……無い……のだ!」

 

 ランサーもまた苦悶の声を上げた。

 『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』は、彼を伝説の存在吸血鬼へと変貌させるのだ。彼の最も忌み嫌う吸血鬼そのものへとランサーを変革させ、英雄としての側面を食い潰す、呪われた宝具であった。

 

「いいや、お前は吸血鬼、吸血鬼ドラキュラだ!貴様の誇りなど知るものか!」

 

 だがそれこそダーニックの狙いだった。絶大な力を持つ吸血鬼こそを望む。誇り高い護国の鬼将はここに不要となった。

 ダーニックは右手を掲げ、更に唱える。

 

「重ねて命ず、大聖杯を手に入れるまで―――――」

 

 瞬間。

 ―――――虚空に、鮮血が散る。

 刃物が肉を断つ鈍い音が響き、何かがダーニックの足元に落ちた。

 それは、二画の刻印の刻まれた手首、そして一振りの短剣だった。

 

「な……に……?」

 

 理解できない。何故、足元に自分の手首が転がっているのか。

 あまりの事態にダーニックの動きが止まる。その瞬間、“黒”のランサーが動いた。

 既に英雄としての面影はその面貌より消え去っている。彼は怒りの咆哮を上げて跳躍。そのままダーニックの心臓を穿った。

 

「貴様の……思い通りには……ならぬ!」

 

 “黒”のランサーの腕がダーニックの胸から引き抜かれ、噴水のように胸の穴から血が吹き出す。倒れながらも、ダーニックは見た。

 あの使い魔が、こちらを見上げている。何かを投げたばかりのように片手を上げ、腰には空の鞘がある。

 そして、狂気で塗り潰されていたはずの赤い眼は、いっそ哀しげとすら言える光を宿してダーニックを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――頭が割れそうなほど軋んでいた。

殺せ、喰らえ、飲み込んでしまえと宝具を解放した途端に囁く声が頭に響く。

 

『殺せ、止まるな』

 

 ノインがダーニックから与えられたのは、突き詰めればそのような単純な命令である。

 主からかけられた二画の令呪は、ノインに中身のない殺意を掻き立てた。

 それに従い、意識が吹き飛びかける。殺意に体を預けてしまいそうになる。その刹那に、主が王を嘲る声が聞こえた。

 

―――――所詮は使い魔。貴様の誇りなど知ったことか。

 

 やはりそうだったのか、と思った。自分でも不思議なくらい、ノインは驚きはしなかった。

 貴様の誇りに期待する、というもう遠くなった日の“黒”のランサーの声が過り、今しがた彼が上げた悲惨な絶叫が耳の奥に突き刺さった。

 そこからのノインの動きには、ほぼ意識が働いていなかった。

 滑らかな動きで鞘から短剣を引き抜く。振り被り、ダーニックの手首を切り落とすように短剣を投擲した。

 狙いは過たない。英霊の力を借りれば容易い芸当だった。

 令呪が刻まれたまま、ダーニックの手首が千切れ飛んで石ころのように落ちる。発動を妨げられた令呪が明滅するのが、跳躍した“黒”のランサーの手刀がダーニックの胸を貫くのが、見えた。

 見上げれば、ダーニックと視線が合う。手刀が引き抜かれた反動で、彼の体はもんどりうって広間へと落下する。

 ノインは、正面から彼の顔を見た。

 驚愕で大きく見開かれたダーニックの眼がどす黒い憤怒に染まり、しかしそれを上回る速さで彼の眼から生命の光が消えていく。

 

 それを見届けるまでがノインの限界だった。

 ノイン・テーターという少年としての思考が消え、殺す為に最適化された生き物へと中身が上書きされる。

 

「面妖な……!」

 

 “赤”のアーチャーが彼目掛けて矢を放つがそれは宙で掴まれ、無造作に投げ捨てられる。

 虚ろになった血の色の眼が、アーチャーを捉えた。

 そして彼女の眼の前から、ノインの姿が消える。

 

「ッ!?」

 

 アーチャーは反射的に後ろへ跳んだ。それは幸いだった。突き出されたノインの槍が床を穿り、石の床を粉々に砕いていたのだ。

 先程までとは違う。一撃が格段に重くなっていた。

 

「―――――」

 

 明らかに正気を失くした眼でノインは敵を見る。“黒”のランサーのように叫びを上げることなく、ただ静かに少年の中身は壊れていた。

 

「それは、お前の器に過ぎた力だ」

 

 “赤”のアーチャーが下がるのと入れ替わりに、静かに“赤”のランサーが少年へ槍を向けた。

 通常ならば自分では決して敵わないとノインは判断し、撤退した敵だ。だが今の彼にその判断は下せない。

 敵が変更されたと認識。ノインは絡繰人形のような動きで“赤”のランサーへと槍を向けた。

 

「……お前が戦うというならば是非も無い」

 

 “赤”のランサーは槍を構え、ノインも同じく彼を見る。

 だが踏み込んだ瞬間、ノインの方が動けなくなる。彼を止めたのは、“黒”のランサーの杭である。

 吸血鬼になり英雄としての得物を失った彼は、杭で以てノインを閉じ込めた。手足を貫くのではなく杭で彼の周りを囲い込み、動きを止める。

 杭に閉じ込められた中心で、戸惑うようにノインは辺りを見回した。その様子は、檻に入れられた獣の動きに近い。“黒”のランサーは、仔細構わずに近寄ると少年の首を掴み小柄な彼を持ち上げた。

 

「ランサー、何を……」

 

 声を上げかけるのは“黒”のアーチャー。だが、ランサーはそちらを見ることなくノインの首を握り、意識を失わせる。

 力の抜けた少年からランサーは手を離し、ノインは床に倒れ込む。彼の手から槍が落ちて転がる乾いた音が響き、同時にサーヴァントの姿が解れた。

 

「……」

 

 サーヴァントたちは一様に動きを止めた。悲痛な顔をする“黒”のアーチャー、仮面で表情の見えない“黒”のキャスター、そして無表情なまま立つ“赤”のランサーへ、目を向けた。

 誇り高いヴラド三世であるとは言い難い姿形の彼は、ただ重い息を吐いた。 

 奇妙な膠着状態になった広間に、そのとき足音を立てて駆け込んで来た人影が一つ。

 聖旗を持ち、鎧を付けた金髪紫眼の少女である。ルーラー、ジャンヌ・ダルクだった。

 広間には彼女を狙った“赤”のランサーにバーサーカーを押し付けたアーチャーもいたが、彼女は一切彼らを見ることなく、佇む“黒”のランサーのみを注視していた。

 かつてルーラーがミレニア城塞で邂逅したときの誇り高い貴族の風貌は、最早彼にはなかった。隠し切れない牙が口元に生え、黒い外套はずたずたに切り裂かれたように無残なものになっている。

 護国の英雄としての得物だった槍も消え失せ、ただ彼の影に不気味に揺らめく杭だけが宿っていた。

 それでもルーラーは、彼を“黒”のランサーと即座に見抜いた。

 彼女の眼は、心臓を抉られたランサーのマスターとその傍らに落ちている令呪の刻まれた手首と短剣。―――――そして床に倒れている少年を見た。

 

「これは……」

 

 ここで何かがあった。

 聖杯大戦にとって致命的な何かが生誕しかけ、しかし誰かに防がれて生まれ出ることはなかった。ルーラーはそれを察した。

 

「遅かったな、聖女よ」

「貴方はヴラド三世……。その姿は」

「裏切りの結果だ。生前と変わらん幕引きになるとはな」

 

 ルーラーは痛ましげに眼を伏せる。彼女は察していた。この“黒”のランサーは伝説の吸血鬼である。

 聖なるものを忌み嫌い、陽光を浴びれば塵となり、そして人を吸血する魔性のもの。それに堕ちてしまっては元には戻れない。

 命令を下したマスターがすぐに命を落としたためか、ランサー本人の意思の強さゆえか、彼の英雄としての自我はまだ僅かながら残り、その部分はルーラーに死を望んでいた。

 異教徒である”赤”のランサー、ライダー、アーチャーたちに怪物として滅せられるより、同じ神を信じる聖女による浄化を彼は望んでいた。

 それにこのような吸血鬼の姿に堕ちた以上、心臓を貫かれ、首を落とされた程度で簡単に死ぬとは限らないのだ。

 先ほどまで戦っていたランサーはそれを察したのか、何も言わずに槍を下げている。

 “黒”のランサーは促すように頷き、ルーラーは前に出た。

 聖女ジャンヌ・ダルクは、吸血鬼を詠唱により滅することはできる。”黒”のランサーの望まない怪物としての終わり方になるが、やむを得なかった。

 

「この、ような……結果に、なったこと、面目無い。アーチャー、そしてキャスターよ」

「……考えを変える気はないのか?ランサー、こう言っては何だが、その姿の君は強いだろうに」

 

 稀代のゴーレム使いは、ただ事実だけを述べる。残った自我をかき集めて言葉を述べたランサーの瞳に、束の間激情の焔が灯り、しかしすぐに消え失せた。

 彼は首を振った。その気はない。自分はここでこの世を去るのだと。

 今はまだ、彼には英霊としての自我がある。だが、時が経てば確実に失われる。吸血鬼に完全に飲み込まれてしまうのだ。

 

「……後の戦いは引き受けましょう」

 

 任せる、と言うようにランサーは”黒”のアーチャーに向けて頷いた。

 ダーニックがここで倒れた以上、次のユグドミレニアの長は”黒”のアーチャーのマスターであるフィオレだろう。

 アーチャーとてそれは分かっていた。

 ルーラーが歩み出、ランサーに向けて右手を翳した。

 

”主の恵みは深く、慈しみは永久に絶えず”

 

 ルーラーの澄んだ声で洗礼詠唱が響く。魔性のものを浄化し無に帰す聖句に、ランサーの体からしゅうしゅうと煙が上がり始めた。

 魔のものとして浄化され、彼は昇天していく。吸血鬼の汚名を晴らしたいと望みながら、ここで彼は吸血鬼として滅びる。

 

”貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至るべき道も知らず”

 

 聖女の声はただただ朗々と空間に響き渡った。一つの一つの言葉が、吸血鬼をこの世から引き剥がしていく。

 失意も無念も、胸が焦げ付きそうなほどにある。それでもこの敗北は受け入れなければならなかった。

 

”深い闇の中、苦しみと鉄に縛られし者に救いあれ”

 

 足元で眼を閉じて倒れたままの少年を、ふと彼は見下ろした。いずれは切れるだろうが、令呪の縛りはまだ有効である。少年は、目覚めればまた自動で敵を殺す一個の機構のままだった。

 何にせよ、この配下の目覚めより自分の消滅は早い。少年に何か言葉をかける機会は二度と訪れないだろう。

 何を想い、何を以てこの痩せ犬のような眼をしていた少年が、ダーニックに叛逆したのか問うてみたい気もした。

 

”―――――去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)

 

 詠唱が完成する。

 彼の意識はばらばらに分解され、無になっていく。

 そうしてヴラド三世であったサーヴァントは、静かにこの世を去る。後には、ただ一掴みの灰だけが残った。 

 ほんの僅かな時間、誰もが沈黙する。

 

 ―――――静寂を打ち壊すように、広間に靴音が響いたのはそのときだった。

 広間の奥の暗闇から、何者かが姿を現す。その気配をいち早く察したのはルーラーだった。

 

「何者です!」

 

 旗の穂先を構えるルーラーに対し、暗闇から歩み出たのは銀にも似た白の髪と褐色の肌の穏やかな風貌の少年だった。

 サーヴァントたちの視線を受け、彼はゆっくりと微笑んだのだった。

 

 

 




誇りが二つ。人間が二人。
彼にはどちらも遠く、尊い。けれど彼は片方を選び片方を殺した。

act-6で少しだけ出た第二宝具。不完全発動。


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act-16

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 暗闇から灯りの下へと歩み出た白髪の少年は、極めて穏やかな表情で辺りを見渡した。

 その瞬間、僅かな時間だが“赤”のサーヴァントたちの動きが硬直した。マスターとの繋がりが揺らいだのだ。

 繋がりはすぐに確かになったが、大英雄である“赤”のランサーやライダーすら膝を付きかけるほどの衝撃が走ったのである。

 広間の空気は一層重苦しいものになるが、彼はその中を悠然と進むとルーラーと向き合った。

 信じがたいものを見るような厳しい視線を注いでいるルーラー、彼の登場に戸惑いを隠せない”赤”のライダーとアーチャー、そして油断なく身構える”黒”のアーチャーとキャスターを、彼は凪いだ顔で見た。

 彼の顔に表情が現れたのは、ダーニックの亡骸とデミ・サーヴァントの少年に視線を向けたときである。怒りと驚きが張り付いたダーニックの死に顔、サーヴァント化が解けた姿のまま気を失っているノインを見たときだけ、彼は顔を奇妙に歪めた。

 

「貴方は―――――」

 

 だがそれはほんの一瞬のことで、すぐに消え失せる。

 ルーラーはまだ驚きで目を見開いていた。ルーラーとしての特権の一つ、スキル・『真名看破』を持つ彼女には、眼の前のこの少年がどういう存在か見抜くことができる。

 だが、見抜いたその真実に彼女は驚愕していた。

 

「初めまして、今回のルーラー。私が”赤”のマスター、シロウ・コトミネです」

「十七人目の―――サーヴァントだと……!?」

 

 ”黒”のアーチャー、ケイローンですら驚いていた。この少年はマスターと名乗った。だが、彼から立ち上る気配はサーヴァントのものだ。

 ノインのようなデミ・サーヴァントの気配ではない。この少年神父は、紛れもない英霊だった。

 

「いえ。十七人目、という言い方は正確ではありませんよ、ケイローン。私は厳密に言えば、一人目のサーヴァントです。それに――――」

 

 つ、と神父の眼がノインに向く。そこの少年をサーヴァントに加えるのか、と言いたげだった。

 ルーラーはその視線を避けるようにノインの前に立ち、旗の穂先を真っ直ぐに向けた。

 

「何が目的なのです。―――――ルーラー、()()()()()()

 

 ルーラーは彼のクラスと真名を明かす。

 真名よりも、サーヴァントたちは彼のクラスに驚いた。聖杯大戦のルーラーは既にジャンヌ・ダルクがいる。であるならば、彼の存在はあり得ないはずなのだ。

 

「一人目……なるほど。貴方は第三次聖杯戦争のルーラーというわけですね」

「その通りです。そして今、私は“赤”のマスターでもあります」

 

 厳しい調子の“黒”のアーチャーの言葉にもシロウは穏やかな表情を崩さなかった。

 崩さないままシロウはルーラーを見やる。

 

「私が何を考えているのか、と言いましたね。それにはお答えしましょう。―――――我が望みとは、つまり全人類の救済だよ、ジャンヌ・ダルク」

「何を……言っているのですか」

 

 銀の穂先が揺れた。

 夢物語のような願いを、一点の曇りもなく告げる彼にルーラーは動揺する。

 だがそれも一瞬のこと。彼女は毅然としてシロウを睨み据えた。

 

「そのために聖杯を欲すると?」

「ええ」

 

 すべての人類を救済する。そのために聖杯が必要なのだと、シロウは告げた。

 狂人の世迷い言だと切って捨てられない、鋼よりも硬い意志と真っ直ぐな想いがそこにはある。

 

「ならば神父、我らのマスターはどうしたのだ?」

 

 射殺しそうな眼で“赤”のアーチャーが問い、答える前にシロウの横に黒衣の女帝が現れた。

 

「貴様らの元マスターならば、生きてこの庭園の何処かにはおるさ。人の形は保たせている故な」

「……そうか」

 

 アーチャーは呟くと同時に、シロウとアサシンの心臓へ向けて二本の矢を放つ。だがそれは、アサシンの展開した魚鱗の盾と、“赤”のランサーによって防がれた。

 

「ランサー!お前はこいつをマスターだと認めるのか?」

 

 腹立たしげに叫んだライダーに、矢を掴んだランサーは頭を振った。

 

「オレとてマスター替えを認めた訳ではない。だが問い質すべき事実を聞かぬまま首を獲るのは早計だろう」

 

 冷静なその言い方に、激情を冷まされたかのようにライダーとアーチャーは引いた。

 だが彼らの視線は未だ厳しく、シロウとアサシンに注がれている。それをものともせず、シロウはルーラーと“黒”のアーチャー、キャスターを見た。

 

「さて。―――――貴方がたにはここで滅んでいただきます。特に“黒”のアーチャー。貴方はランサーとダーニックが斃れた今、“黒”の支柱となりうる存在でしょう。それにルーラー、貴女は必ず我が望みを阻もうとする。故に見逃せません」

 

 そこまでを言い切り、シロウは“黒”のキャスターを見やった。

 

「ですが、アヴィケブロン。私としては貴方に降伏を勧めたい。いえ……というより、こちらと手を組まないかという勧誘ですね」

「おや、僕にかい?」

「ええ。私の予想が確かならば、貴方の望みと私の望みは重なり合う事なく達成されます。逆にそちらの側にい続けたとしても、貴方は()()()()()を得て、己が望みに手が届くと思いますか?」

 

 “黒”のキャスターの動きが止まった。

 仮面に覆われた彼の顔が、ダーニックと、そしてノインの方を向いた。

 

「キャスター、まさか……」

 

 “黒”のアーチャーはキャスターを見る。ゴーレム使いは肩を竦めた。彼はただ軽く前へ歩み、シロウへ手を差し出した。

 

「君の提案を受け入れよう。“赤”のマスター」

 

 シロウは微笑み、キャスターはその手を取って“黒”のアーチャーを見た。

 

「そういう事だ。僕はこちら側に付く。僕の願望は、そちらのやり方では残念ながら達成できそうにないようだからな」

「―――――では、君は我々の敵になったということだな」

 

 冷たい声と共にアーチャーの矢がキャスターへ向けて放たれるが、それは“赤”のアサシンの魔術によって逸らされ、庭園の天井を破壊するに留まった。

 恐らくいくら撃とうが同じことだ。アサシンの魔術だけでなく、ランサーの槍もシロウを守るように構えられている。

 “黒”のアーチャーもルーラーも、再契約が成されるのを見ることしかできない。

 ロシェ・フレイン・ユグドミレニアとの契約をあっさりと破棄し、シロウとの契約を果たしたキャスターは彼らに向き直った。

 

「キャスター、早速ですが彼らを包囲して下さい。それと―――――あのデミ・サーヴァントは貴方が利用して構いません」

「了解した」

 

 言うが速いか、キャスターは指を振るう。壁の一部を用いて起動したゴーレムが瞬時に立ち上がり、ノインの前に立っているルーラーへ向けて拳を振るった。

 

「ッ!?」

 

 彼女は咄嗟に危なげなく跳んで躱す。しかし、それで生じた隙に別のゴーレムがノインを掴み上げた。

 

「ノイン!」

 

 “黒”のアーチャーがゴーレムへ向けて矢を放つが、新たなゴーレムが立ち上がり身を呈してその矢を防ぐ。

 ノインを荷物のように掴んだままゴーレムは場から高速で立ち去り、後を追おうとしたルーラーたちの前には何十体ものゴーレムによる壁と“赤”のアサシンの展開した大量の魔術式が立ち塞がった。

 

「先程も言いましたように―――――貴方がたにはここで滅んでいただきます。アーチャーとライダーは……」

 

 言いかけ、シロウは苦々しい顔をしている彼らに気づく。“黒”を助けることもしないが、さりとてシロウに進んで協力するつもりはないと彼らの眼が言っていた。

 

「ランサー、貴方はどうです?」

「ここで討つべき敵ではある。だが神父、それは敵わん」

 

 “黒”のアーチャーとルーラーを見ることなく、ランサーは広間の奥を見ている。

 

 赤雷が広間へと飛び込んで来たのは、正にそのときだった。

 大剣を持った金髪の少女―――――“赤”のセイバーはただ一太刀でゴーレムを両断。“赤”のランサーの槍による一撃を防ぐと、不敵に笑った。

 

「セイバー、貴様、我らを裏切る気か!」

「ハッ、どの口がほざきやがるこの毒婦が!オレのマスターの命を狙った時点で、手前らはまとめてオレの敵なんだよ!」

 

 セイバー、モードレッドは再び赤雷を迸らせる。それに合わせるかのように、彼女の背後から煙幕がいくつも投げ入れられ、広間に煙を撒き散らした。

 

「ええい、鬱陶しい!」

 

 女帝の腕の一振りで煙幕は払われるが、その頃にはルーラー、アーチャー、そしてセイバーの姿は掻き消えていた。

 

「……僕が行こう。何れにしろ、宝具を起動させねばならないからな」

 

 真っ先に動いたのは“黒”のキャスターである。

 彼はダーニックの側に無造作に転がっているノインの令呪である書物を拾う。そのままゴーレムに自らを担がせると、その場から姿を消した。

 だが彼は、白兵戦能力の最も低いキャスターである。

 

「おい、キャスター単騎を行かせてよかったのかよ」

「言って止まるものではありません。彼の望みは彼の祈りから来るもの。それを証明するために動いたのでしょう」

 

 ライダーの問い掛けに謎掛けのような口調でシロウは答え、キャスターの去った方向に一瞥をくれる。そして、眼を背けると床に転がる一つの遺体に歩み寄った。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアと、かつて呼ばれていた男は、物言わぬ骸となっていた。

 心臓があったところには風穴が開き、驚愕と憤怒が奇妙なまでに若々しい顔に張り付いて、凄まじい形相を作っている。

 彼の傍らには令呪の刻まれた彼自身の手首と、刃に血の付いた短剣が転がっていた。

 持ち主が死んだ故か令呪は消え失せ、短剣も魔力の粒子へ還った。

 

「……」

 

 シロウは無言でダーニックの瞼を閉じると、立ち上がった。

 

「“黒”のランサーにならともかく、デミ・サーヴァントに叛逆されるとは愚かなマスターよな。そ奴、第三次でお前を出し抜いた者であろうに」

 

 アサシンの皮肉気な言い方に、シロウは苦笑する。

 確かにこれは彼にとって予想外でもあったのだ。デミ・サーヴァントが叛逆したことも、ダーニックがここで殺されたことも。どちらも同じほど予想に反していた。

 それでも予想外を成したデミ・サーヴァントの少年は、キャスターの願いが叶えば生命を落とすだろう。だから、シロウは彼から無理矢理にでも思考を逸した。

 殺気を収める気のないライダーとアーチャー、感情が全く読み取れない無表情のランサーへ、彼は超然とした笑みを浮かべてみせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――はてさて。

 

 城へ戻ったものの、一体どうしようかと“黒”のライダーは思考していた。

 バーサーカーと共に城の守りを受け持てという話だったが、竜牙兵などは既にいない。全戦力を庭園へ集結させたのだろう。

 それなら自分も庭園に行きたいと言ったのだが、令呪をちらつかせるマスターからの許可が降りなかった。

 仕方無し、ライダーは“赤”のバーサーカーによって破壊されてしまった城塞の確認に行くと、これはもうひどい有様だった。

 ホムンクルスたちを下敷きにして、岩壁が倒れている。城の壁面は巨大な槌で殴られたように一部抉られていたり、融けている部分まであった。

 瓦礫を退かしたり引いたりして、ライダーは彼らを引っ張り出しては別のホムンクルスに渡す。

 もう息の絶えてしまったホムンクルスも、まだ息のあるホムンクルスも皆ライダーは、仲間の所へ連れて行った。

 彼らは感情の薄い顔のまま、礼を言っては仲間を連れて行く。その顔を見ていると、やっぱり彼らにはジークと同じ面影があるなあとライダーは思う。

 既にライダーも魔力をホムンクルスから吸い取っている。そんな自分が彼らの救命など今更な話だが、かと言って見捨てられる訳もない。

 地下の魔力供給槽とてこれでは無事かは分からないなぁ、とライダーは顔を顰めた。

 

『ライダー、どこに居てもいいわ。今すぐに地下に来なさい』

 

 そんなときに入ったのは、マスターのセレニケからの念話である。

 

「へ?ちょ、マスター?」

 

 何がどうして、と聞く暇もなく念話は断ち切られる。

 嫌な感じがすると思いつつ、城塞地下へライダーは駆け付ける。

 するとそこには、マスターたちとホムンクルスたちとが睨み合っていた。マスターたちの先頭にはフィオレ、ホムンクルスたちを庇うようにして立つのはジークと斧槍を持った少女型のホムンクルスだった。

 ライダーは彼らのちょうど狭間に駆け込んでしまったのだ。

 

「あー、誰か教えてくれると有り難いんだけどさ、これどういう状況なのかなぁ?」 

 

 努めて能天気な声を出す。流石にライダーとて状況が不味いことは分かっていた。

 

「……ホムンクルスたちが自由になりたいんだとさ」

 

 答えたのは“黒”のバーサーカーを連れているカウレスだった。

 ゴルドは苦虫を噛み潰したような顔をしていて、フィオレの表情は硬い。カウレスとバーサーカーは困惑し、ロシェは鬱陶しげで、セレニケは―――――不気味なことに―――――微笑んでいた。

 自分のマスターが獲物を前にしたときと同じ顔していることにライダーは嫌な予感しかしない。

 前にセレニケがあの顔を見せたのは、ノインを拷問にかけようとするときだったから尚更だ。

 

「馬鹿げている!お前……お前はライダーとデミ・アーチャーの助けた魔力供給用のホムンクルスだろうが!それに貴様は……戦闘用ホムンクルスだろう!持ち場に戻らんか!」

「……戻った所で、事態は既に俺たちの手を離れている。このままでは無為に死ぬだけだ。ならば、少しでも同胞を生き延びさせたいのだ。ユグドミレニアの魔術師」

 

 ゴルドと向き合っているジークは一歩も引かない。その後ろではホムンクルスたちが、供給槽から仲間たちを引っ張り出していた。

 

「生き延びて、それでどうするのです、ホムンクルス。貴方がたには寿命など残されていない。それに、私たちはまだ聖杯大戦を諦めた訳ではありません」

 

 フィオレは冷静に言い、背中に彼女の礼装である接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)を展開した。

 

「そうだよ。特に君、先生が求めてたホムンクルスだろ?」

 

 ジークを指差したあと、ロシェは呪文を唱えた。廊下からゴーレムたちの駆動音が聞こえ始め、ホムンクルスたちの顔が凍った。

 

「君が逃げたせいでセイバーが死んで、こっちは大わらわだったんだよ。まぁ、ゴーレムの素体候補は君とあのデミで二つあったからマシだったけどさ」

 

 あっけらかんと告げるロシェに、ジークの顔が始めて歪んだ。自分だけでなくノインも素体の候補だということを彼は今まで知らなかった。

 そして、自分が逃げれば必然素体は一つに絞られたはずだ。その意味が分かって、ジークは青褪めた。

 

「でもあっちはダーニックが使うっていうんだから、困ってたんだよ。でも君が戻ったって言うんならちょうど良い。逃がす訳にはいかないよ」

「……ちょっと待ってくれ、キャスターのマスター。今なんて言ったんだい?」

 

 流石にライダーにも今の言葉は聞き過ごせなかった。今の言い方では、ダーニックがノインを使い潰すつもりにしか聞こえない。

 ロシェは首を傾げて告げた。

 

「知らなかったのかい?ダーニックはあのデミをここで使い潰すんだろ。だから令呪だって持って行ったんだし」

 

 君が宝具であいつを庭園に連れて行ったんだから知っていると思っていたのに、とロシェは言った。

 あまりのことに、ライダーは立ち尽くす。

 ライダーは無論そんなことは知らない。ノインだって知らないだろう。

 それに、ノインにその気がなくとも、令呪を使われたらどうなるのか、サーヴァントであるライダーには分かってしまう。

 

「そん……な……」

 

 ライダーは愕然と呟く。その様子を彼のマスターはただ一人、満足げに見ていた。

 こうしてライダーを絶望させるために、彼女はここまで何もして来なかった。要するに、彼女なりに耐えていたのだ。

 セイバーの心臓を与えられたホムンクルスは忌々しいが、彼と同じようにライダーと親しくしていた上にセレニケの拷問を受けても平気な顔をしているデミ・サーヴァントは、彼女にとっては更に憎かったのだ。

 自分の手で友人を死地に追いやってしまったと悔いる英霊の苦悩は、セレニケにはただの喜びでしかない。

 フィオレ、カウレスには彼らの会話の意味のすべては分からない。ただ同族とは言え血腥いセレニケの笑みは、姉弟にとっても不吉に見えた。

 しかし、それとホムンクルスを自由にすることとは話が別だ。

 地下室にぴりぴりとした緊張が走ったときだ。

 

『ライダー!聞こえていますか!』

「わひゃっ!?」

 

 唐突に頭が割れそうな勢いの念話が響き、ライダーは耳を押さえた。同じように、フィオレも耳に手を当ててる。

 

「る、ルーラー?」

『ああ、良かった!繋がりました!……良いですか、前置き抜きで言います。よく聞いてください』

 

 裁定者は自分自身を落ち着かせるように言葉を切り、端的に告げた。

 

『“黒”のランサーとダーニックは倒れました。そして……もう一人のルーラーが現れたことで聖杯大戦の構図が崩れています。……更に、“黒”のキャスターは貴女がたを裏切り、宝具でそちらを攻撃するつもりです』

 

 そんな馬鹿な話がと、言い返せない迫力でルーラーは続ける。

 

『それに、キャスターはノイン君を宝具に使うつもりで連れて行きました。貴女の宝具で追えるのであれば、追ってください!キャスターの所在は私が伝えます!』

「……分かった!」

 

 ともあれ、ライダーは最後の部分を聞いた途端に前半の流れを瞬時に忘れた。

 まだノインは助けられるのだ。

 フィオレもアーチャーから念話を受けたらしく、顔を蒼白にしていた。

 

「……全員、一旦ここを退避します。ホムンクルスたちも逃げなさい。ライダー、あなたは行ってください。Aランクの対軍宝具を発動させる訳には行きません」

「了解!」

 

 ライダーは踵を返して走り出す。マスターの方には全く視線をやらなかった。

 中庭に飛び出し、彼はヒポグリフを召喚した。疲弊したままの連続召喚にヒポグリフが唸るが、ライダーはその背中に飛び乗った。

 

「……お願いだよ、頑張ってくれ!これが済んだら、好きなだけ休んでいいからさ!」

 

 ライダーが首を叩くと、ヒポグリフがようやく前を向いて、地を蹴った。翼持つ幻獣が空に舞い上がり、ライダーの桃色の髪が夜風に靡いた。

 ルーラーに教えられた場所へ、夜闇を切って飛ぶ流星のように幻獣は駆けていった。

 

 

 

 

 




ロシェに悪意はない。一切。
自分と尊敬する師の願いにただ忠実なだけ。

そして多分ヒポグリフが一番働かされている。


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act-17

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 ざぁざぁと潮騒の音が聞こえてくる。

 瞼を開くと自分の前には果てしない灰色の海があって、足は岩壁のすぐ縁にあった。

 

―――――これは夢だ。

 

 それも久しく見ていなかった、英霊の記憶が見せる幻だ。

 デミ・サーヴァントになってから、ノインは眠りに落ちるか、意識が完全に断絶すると、いつもこうして英霊の記憶を夢として見る。

 あまり見過ぎると、そのうち自分の記憶なのか英霊の記憶なのかが朧になりそうになる。それが怖いから、ノインは普段からほとんど眠らないし、眠ったとしても極めて浅いものにしかならない。

 だったら何故今回はここに来たのだろうかとノインは思う。

 

―――――ああ、そうか。令呪か。

 

 令呪を切った主の冷徹な声を思い出した。

 驚愕と憤怒に染まった主の眼から、生命の光が消えていく様を思い出した。

 ただしそこから後が、全く思い出せない。それがひどく不安だった。

 

―――――死んでいないのは確かだが。

 

 夢を見ているというのなら、現実の自分はまだ生きているのだろう。死ねば夢見ることもなくなるのだから。

 眼の前の果てのない海を見る。荒々しいそれを見ていると、唐突にこの向こうへと行ってみたいという想いが湧いてきた。

 

―――――行きたくて行きたくて、堪らない。これを渡れば、きっとそこに会いたい人がいる。

 

 胸を焼き尽くすような勢いで湧き上がってきたその想いをノインは否定する。

 それは自分の感情ではない。力を貸してくれている英霊のものだ。

 自分には海を越えてまで会いたいと願うような人などいないから、だからそういう感情は生まれようがない。

 

―――――いや、違うな。

 

 会いたい人たちならいた。

 ライダーとは能天気にまたなと別れたし、戻って来てしまった無鉄砲なジークには何か言わないと気が済まない。それとまだ会っていないが―――――ルーラーの中にいる誰かがいる。何となく彼女には会ってみたいと思っていた。

 何かをしたいと、そう思う。他の誰でもない、ノイン自身がそうしたい。

 英霊の熱情に自分を侵食させて、荒々しくも美しい海の側に留まっている訳にはいかなかった。

 この海を渡っても誰にも会えない。ノインの帰るべき所は現実の世界だった。

 

―――――ここには何も無いから、心が穏やかでいられる。

 

 でも、自分一人だけが味わう穏やかさは、不要だった。

 そうと決めたならとっとと起きなければならないと、ノインは腰から短剣を抜いた。

 この夢から目覚める術は二つある。一つは自分の自然な覚醒を待つこと。穏やかで緩やかなやり方だが、時間が一分一秒惜しい今はやっていられない。

 だから、かなり荒い二つ目の方法しかない。

 短剣の銀の刃に映る顔を見る。あまりやりたくないのだがと思いつつ、ノインは刃を自分の首に当てた。

 夢から覚めるための二つめの方法とは、夢の中の自分を自分で殺すことである。

 無意識の幻の中にいる自分が死ねば、現実の自分は動き出す。

 何度かの経験からすると、この記憶の見せる夢の世界はそういう法則で成り立っているのだ。

 刃の冷たさを感じながら、ノインが目を閉じて手に力を込めたとき、後ろに気配を感じた。

 岩の上に立つ、布の靴を履いた足が視界の片隅に入り込む。靴はサーヴァントになったときの自分が着けているものと、同じ形をしていた。

 今までのように『彼』は何も言わない。ただ背中に確かに視線を感じた。刺すような、とまではいかないがあまり暖かいものではない。

 当然だろうな、と思う。英雄の力を借りているのに、こんな体たらくでしか生きていられない存在だ。さぞ歯痒いのだろう。

 しかしそれを振り払うように、ノインは短剣を持つ手に力を込めると、一気に喉をかき切った。

 

 たちまち世界に、罅が入る。

 

 体から力が抜け、潮騒の音がみるみる遠くなった。空にはすぐさま蜘蛛の巣のような罅が走り、呆気なく世界が割れた。

 ノインの意識は、暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛む体に意識が戻って来る。

 最初に戻ったのは触覚だった。体が全体に重く感じる。

 次に戻ったのは聴覚。奇妙に静かで、少なくとも剣戟の音はしない。

 血の臭いは感じ取れず、ただかなり間近にサーヴァントの気配が一つあった。

 ノインは薄目を開ける。

 見えたのは“黒”のキャスターの背中だった。湖に向き合い、何か器具でも扱っているのか手をしきりと動かしている。

 動こうとして、ノインは体が上手く動かないことに気づいた。流体ゴーレムに枷のように手足を固定され、ノインは草地に転がされていた。

 片腕を動かしてみたが、ゴーレムの枷は硬い。弱ったこの状態では、少なくともすぐには破壊できそうになかった。

 

「……眼が覚めてしまったのか。この短時間で正気を取り戻すとは、想定外だな」

 

 その気配を察知したのか、キャスターが振り返る。表情はやはり仮面に隠されて分からなかった。

 というより、キャスターの表情どころかノインには状況が分からない。

 庭園にいたはずなのに、何故ここに居るのかが理解できない。キャスターが自分を捕らえている理由は、何となく分かったが。

 

「……どこだ、ここは?」

「そちらかい?僕が君を捕えた理由は聞かないのかね」

「聞かなくても分かる。裏切った俺を『炉心』にするんだろう」

 

 巨大過ぎて最初見えていなかったのだが、眼が慣れれば湖に、岩と植物で造られた巨人が半身を浸して佇んでいるのが見えた。

 キャスターの宝具、『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』、又の名を原初の人間(アダム)というのがあれなのだろう。

 

「……ああ、なるほど。君は自分がダーニックを裏切ったから『炉心』にされると考えた訳か」

 

 それは違う、とキャスターはノインに背を向けて作業へ戻りながら答えた。

 

「“黒”を裏切ったのは僕の方だ。“赤”の陣営に付けば、君を『炉心』にできるからだ」

「……」

 

 言われた意味がすぐに頭に染み込まず、ノインの瞳が丸く見開かれる。

 

「正直な所、君とロシェは資質の面で甲乙つけがたかった。だが、より良い形での成就が望ましいんだ」

「……俺がマスターではないから、使うことにしたと言う訳ではないのか?」

「いや、やはりロシェよりも英霊と混ざり合った影響の出ている君の回路の方が良いと判断しただけさ。……それに、裏切る裏切らないで言えば、僕に比べて君は余程マシだと思うね。君はダーニックには逆らったが、公王を裏切った訳ではないのだから」

 

 キャスターの言葉は“黒”を裏切った自分への自嘲のようにも取れた。

 マスターへの情ではなく、単純に質の観点で見た場合デミ・サーヴァントが良いと判断したのだと言う彼に、ノインは唖然としていた。

 ロシェとキャスターは、良い師弟に見えていた。弟子は師を尊敬し、師はその敬意を受け取り技術を学ばせる。そういう関係だと思っていたのだ。

 確かに彼らは揃って無機質な眼でジークやノインを見ていた。が、それは自分たちが彼らにとっては材料だからで、対等な魔術師へは向ける感情からして違うのだろうと思っていたのだ。

 けれどキャスターは、そのマスターすら公平に材料と見なしていたのだ。

 

「……ロシェ・フレイン・ユグドミレニアはあんたを慕っているんだぞ?それなのに、あんたは何も思わなかったのか?」

「ロシェに慕われることが心地良かったことは認めよう。だが、僕も僕の悲願を諦めることはできないんだ」

 

 枷に囚われながら、自分を睨み上げる少年の方を振り返って、キャスターは奇妙なものでも見たように首を傾げた。

 

「何故君が(いか)るのかね?僕が召喚される以前に、ロシェと交流があったのかい?」

「ある訳無いだろう、そんなもの。あんたが、あんたを信頼している人間を犠牲にしようとしていたことに腹が立つんだ」

 

 叩き付けるように言ったノインに、キャスターは肩を竦めることで応じた。

 

「弁明はしない。だが僕はロシェでなく君を選んだし、その結果として犠牲になる君は僕を恨む資格がある」

「ここにいるのが俺じゃなくてロシェだったとしても、あんたは同じことを言ってあいつを惜しみながら殺したんだろう?……恨む資格の有無なんて、殺されようとする側に何の意味がある。そんな悔いなど捨ててしまえ。不愉快なだけだ」

 

 そちらの身勝手な感傷など知るか、とノインは獣が唸るように言った。

 

「……君にはやはり確固たる我があるようだな。歪なのは否めないが。ダーニックの話より君は余程強い人間だったようだな。それとも、この闘争の間に強くなったのかね?」

 

 ノインは答えない。というより答えられない。

 キャスターは嘆息するように言って、ノインの令呪である書物を取り出した。三画すべてが消えていたはずのそれは、一つだけ輝きを取り戻していた。

 

「君の令呪は、空間転移などの高度な現象は起こせず、君の強化も行えない。が、強制力は高く魔力を注ぐことで補填できるという特殊なものだね?―――――これは令呪というより、君を精神的に戒めていた刻印だ。……確かに年単位でデミ・サーヴァントを御すために必要な措置ではあるが」

 

 図星を指されてノインが顔を背けた。

 

「暴れられても面倒だ。補填した分を使わせてもらうとしよう。……()()()、デミ・アーチャー」

「……ッ」

 

 ノインはまた体に魔力が絡み付くのを感じた。この数時間だけで一体自分はどれだけ令呪に縛られれば良いのかと、そんなどうでもいいことが頭を過る。

 これでノインは満足に動けなくなる。

 それきり興味を失くしたように背中を向けるキャスター。

 彼の視線が外れた瞬間、ノインは全身に力を込め、次に来る衝撃に備えた。

 

恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)ッ!」

 

 天から響いたのは、正に耳を劈くような音と、凄まじい衝撃波。

 それがノインとキャスターに叩き付けられ、ノインは吹っ飛び、キャスターは石のように湖へ叩き落された。

  宝具でノインを吹き飛ばした場所に、ヒポグリフが舞い降りると粒子となって消える。その背中から飛び降りたのは、“黒”のライダーだった。

 

「ノイン!まだ生きてるかい!?」

「……今ので死にかけたぞ!」

 

 念話で急襲するとは言われたものの、宝具の大音量は流石にノインにも響いた。

 だが助かったのは事実だ。

 

「あ、じゃあ平気だね!」

 

 屈託なく言ったライダーはノインの手を拘束している枷を全力で殴るが、罅が入るだけに留まる。

 

「硬ッ!キミも力込めてくれよ!」

「やっているが、体が動かないんだ」

「また令呪か!じゃあこれでマシになるよ!多分!」

 

 ライダーは、懐から取り出した魔導書をノインに押し付けた。戸惑うが、確かに体が軽くなる。

 ノインが込める力とライダーの怪力スキルが合わさり、ようやく枷が砕け散った。足の枷も同じように叩き壊した所で、ノインはサーヴァント化して立ち上がる。

 その頃には、キャスターが復活していた。彼が指を動かすと、辺りの土からゴーレムが立ち上がり、二人を囲い込む。

 キャスター本人が直に操るゴーレムは、並のものとは動きが違う。“赤”のセイバーとすら、短い時間ながら互角に撃ち合えるのだ。それが十数体現れる。

 

「ライダー、君か」

「そうだよっ!裏切りだなんてどういうつもりなのさ、キャスター!」

「願いの為の行動、と言えば君は納得するかい?」

「するもんか!してやるもんか!」

 

 断言したライダーに、ゴーレムの豪腕が襲い掛かる。ライダーがそれを避けた所にノインの槍が伸びて、巨人の腕を叩き壊した。

 だが、次がすぐ押し寄せる。

 ノインは舌打ちし、ライダーを片手で担ぐと殴り掛かってくるゴーレムの腕を跳んで避け、逆にその腕を駆け上がる。続けてゴーレムの頭部を踏み台にして囲みを抜けた。そのとき足に力を込めたせいでゴーレムの頭部は砕け散る。

 

「うわわっ!?」

 

 驚愕するライダーの声も構わず、兎のような跳躍力で跳ねたノインは、湖を囲む森まで跳んだ。

 ただそこまでがノインの限界だった。ノインはライダーを地面に下ろすと、草地に膝を付いてしまう。ぐらりと意識が揺れた。

 元から疲弊していた所に、三画の令呪で行動を縛られたことが体への負荷になっているのだ。

 『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』を背に、キャスターは更にゴーレムを向かわせるべく手を伸ばす。

 だが、風切り音が響いた。

 飛来したのは三本の矢。並のサーヴァントの知覚の範囲外からの狙撃が、キャスターと彼の宝具を襲う。

 

「く……。もう来たのか」

 

 宝具の頭部を砕こうとした矢を障壁で弾き、引き換えに肩を矢で貫かれたキャスターは、空を睨む。

 

「ノイン君、ライダー!」

 

 森からルーラーが現れ、ゴーレムとキャスターを睨み据え旗を正眼に構えた。

 キャスターは嘆息した。

 

「……余計なことを喋りすぎたな」

 

 感情が薄いとダーニックが言っていたはずのデミ・サーヴァントが見せた、奇妙なほど真っ直ぐな怒りに対して、キャスターは妙な問答をした。

 予想外に早くデミ・サーヴァントが令呪から抜け出たこと、その彼がマスターを犠牲にしようとしていたキャスターの罪悪感を突く糾弾をしたことで、致命的に時間を取られた。

 ルーラー、“黒”のアーチャー、そしてライダーまでもが揃ってしまえば、キャスターでは勝ち目がない。

 直後の彼の行動は速かった。

 左手に術式を展開すると、それで自分の心臓を貫いたのだ。

 

「なにを!?」

「自分を……燃料にする気だ」

 

 ノインの言葉通り、キャスターの体は粒子になりゴーレムの中へ取り込まれる。

 ゴーレムが眼を覚ますかのように身震いする。岩にしか見えなかった頭部が動き、眼球が二つ姿を現す。

 魚の眼のようにぎょろりと動いたそれは、ルーラーたちを捉える。そこにキャスターの視線が生きているとノインは感じた。

 ゴーレムの片腕が伸ばされる。ライダーは自力で避け、ルーラーはノインを抱えると跳躍した。

 ゴーレムは明らかにルーラーとノインの方を狙う。

 

「何故動くのですか!?キャスターはいないのに……」

 

 ルーラーに担がれて振り回されつつ、ノインは意識を繋ぎながら答える。

 

「『核』が欲しい、んだ」

「『核』?」

「……アレは、部品が足りてないまま起動した機械だ。だから、生きるための部品を求める。……この場合は、俺だな」

 

 要するに、生きたいから俺を取り込みたくて暴れてるんだ、と少年は淡々と答えた。

 原初の巨人は彼の言葉通りノインの方を狙って、湖から今にも這い上がろうとしていた。

 そこを狙って、アーチャーの矢が飛来する。しかし脳天に飛んできた矢を、巨人は掴み取った。

 その反応速度に誰もが驚愕する。加えてもう一つ。ノインに砕かれた腕が再生していたのだ。片腕が岸を掴み、湖から巨人は体を持ち上げかける。

 

『ルーラー、アレには核が二つあります。心臓と頭部、同時に壊さない限り動き続けるでしょう。……魔力切れを待つ手もありますが、予想できない進化を遂げる可能性もある』

 

 “黒”のアーチャーからの念話がルーラーに届いたのはそのときだ。

 ここで倒すべきとルーラーの直感は囁いていた。ただこのままでは手が足りていない。

 ノインが口を開いた。

 

「ルーラー、俺を降ろせ。一度だけ俺があれの動きを止める。その隙に頭と心臓を砕け」

「……できるのですか?」

「できる。一度だけだが」

 

 四の五の言う暇は無かった。

 ノインは地面に立つと槍を換装。穂先にルーンを描くと、眼先でこちらに手を伸ばしている巨人を見た。

 それは、一人の魔術師の生命と悲願を組み込まれた原初の人間(アダム)だ。荒々しいがどこかそれをノインは美しく神々しいと感じた。人にそう思わせる気配を、この巨人は発している。

 ノインは“黒”のキャスターがこのゴーレムをこの世界に生み出そうとした理由は、知らない。

 愛弟子を生贄にすることを考えるくらい、崇高なものだったのかもしれない。喩えば、万人の幸福を願うような、綺麗なものだったのかもしれない。

 それでも、ノインはここを生きる為に借り物の力を振るってこれを砕くのだ。

 はぁ、と息を吐いて少年の体が沈む。そのまま、何の予備動作もなく彼は槍を放った。

 真正面からの芸の無い一撃を巨人は苦もなく受け―――――押し込まれる。

 疲弊し、脱力しているはずの人間が放ったものとは思えないほどの威力に巨人の体が傾ぐ。

 だがそれだけだ。槍は止められる。両腕を使えば造作ない。

 

 だが、それで良いと、少年はもう一度腕を振るう。

 

 巨人の視界は、放たれた小石を捉えた。魔力を込めた一撃。だが小さい。

 払い除けられ小石は敢え無く湖に落ちる。

 瞬間、湖のすべてが凍り付く。必然、片脚が未だ水中にあった巨人は動けなくなった。

 

「よーし!ありがと、ノイン!」

 

 陽気な声と共にがら空きになった巨人を背後から急襲したのは、“黒”のライダーである。

 天から舞い降りる幻獣の勢いを乗せたライダーの槍の一撃は頭を、射手の一矢は心臓を、それぞれ過たず撃ち抜いた。しかし砕かれた巨人の破片が、もう力を使い果たして動けなくなった少年へ雨霰と降り注ぐ。

 勿論、岩は少年の頭蓋を砕くことはなかった。翻った聖旗が降り注ぐ岩をすべて砕き、ノインは守られる。

 それを見届けて、彼はすとんと腰を落とした。まるでもう、立っている力すら無いというように。

 ルーラーは駆け寄り、少年の額に手を当てた。

 

「ノイン君、どこか怪我でもしたのですか!?」

「違う。……ただ、疲れただけだ」

 

 本当に、本当に今日は疲れただけだ、とノインは言って、へらりとルーラーに笑ってみせたのだった。

 

 

 

 





“黒”のキャスター、脱落。

結局働かされたヒポグリフ。



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act-18


感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。
もしかしたらですが、操作を間違えて感想を消してしまったかもしれません。そうだったとしたら、誠に申し訳ございませんでした。

では。


 

 

 

―――――強い、人なのだろうか。

 

 最初に、少女はその少年と出会ったときそう思った。

 と言っても少女は少年と直に言葉を交わしたのではない。聖女ジャンヌ・ダルクという殻に守られながら、少女は少年を初めて認識した。

 ぼさぼさの黒い髪の奥から覗いている、くすんだ赤色の眼が少し怖かった、と思う。

 それこそホムンクルスたちの綺麗な紅玉のような瞳とは違っていた。喩えるなら、あれは血の色だった。

 その血の瞳を細めながら、彼は最初にルーラーに問うていた。()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そのとき、少年はまるで怒っているみたいに怖い顔になっていた。

 けれど聖女が、私の中の彼女は守られています、というとすぐ目付きから険しさが取れたのを少女はよく覚えている。

 少年は表情が和らぐと、印象が大分変わる人だった。

 無表情で黙っているうちはぐんと大人に見えたけれど、笑えば多分そんなに怖くもない気がした。自分と歳もそれほど変わらないか、もしかしたら彼の方が歳下なのかもしれない。

 そう思いながら直に話もせず、そのときはそれきりで別れた。でも別れ際に、聖女は彼に尋ねていた。

 あなたも戦うのか、と。

 戦う、と少年は答えていた。躊躇いなく、淡々と返していたように見えた。

 彼は少女のように、聖杯によるルーラーの殻という奇跡で精神を守られていない。もちろん、並の人間とは比べ物にならない力を扱っているのだが、英雄豪傑と向き合い、彼ら相手に立ち向かう精神や心は彼自身のものだ。

 だから、精神も強いから英雄のような強い力が使えるのか、とそんな風に少女は思ったのだ。

 何故って、少女が彼のようにルーラーの力を与えられて、それをルーラーとして振るえと言われてもできはしないからだ。

 インドの大英雄に槍を向けられたとき、串刺し公と相対したときの聖女のように毅然と立ち向かうなどできると思えない。

 きっと心が先に負けてしまう。戸惑って怖くて、何も出来ない。少女はそう思う。

 だからあの少年は、きっと強い人なんだろうと少女は感じたのだ。

 それができる強い人だから戦えていられるのだろう、と。

 

 あのホムンクルスの少年、ジークに会ったのはルーラーと彼が別れた後だ。

 ジークは少女からすれば信じられないくらい純粋で綺麗な存在だった。仲間のために戻りたいというホムンクルスの少年と、少女の外側である聖女はしばらく共に行動していた。

 彼も少女には眩し過ぎるくらいだった。

 あの少年、ノインはまだしもデミ・サーヴァントである。でもジークは違う。

 英雄の心臓が胸の中で鼓動しているが、だからと言って何も強くはない。せっかく、恐怖を乗り越えて掴んだ自由を仲間のために自分で手放す。何処か間違っているけれど、それでも少女はその行いを尊いと感じてしまった。

 その少年とも、ルーラーは聖杯大戦最初の戦場となる草地で別れた。

 

―――――やっぱり、私にはできないことだ。

 

 だから、ただ見届ける。目を逸らさないですべて見届けようと思った。それが、聖女ジャンヌ・ダルクの助けに応えた自分の成すべきことだから。

 

 少女のそんな決意は、無為なのかもしれないと思えるほど聖杯大戦は一夜で激化した。

 

 ホムンクルスたちが死ぬ。竜牙兵が、ゴーレムが壊れる。太陽の炎と大量の杭がぶつかり合う。果ては雷撃に魔術砲撃までもが所狭しと降り注いだ。

 敵を倒すための手段には何でもあり得るとばかりに大地が蹂躙される。

 戦のただ中でルーラーは走り続けた。

 微笑み続ける巨人を掻い潜った先、別れた少年たちと一騎のサーヴァントがいたのには驚いた。

 彼らを滅ぼそうと“赤”の剣士が放った光線をすべて受け止めた巨人が爆散し、その際の破壊はルーラーが宝具で以て受け流すという結末が、“黒”と“赤”の全面対決初戦の幕引きになった。

 幕引きと同時に大地には破壊の爪痕が残り、ユグドミレニアの城は抉れた。

 そこまでやって、初戦の幕引きでしかなかったのだ。

 二戦目は“赤”のサーヴァントが造り上げた空中庭園へ移行した。

 ここでジークは仲間たちの為に城へ、“黒”のライダーとノインは庭園へ向かうことになった。

 ルーラーはライダーの手を借りず独力で庭園へ向かうことを選んだ。

 やはり少女はその内側からすべてを見ていた。

 少女にとっては、とても怖いだけの微笑みの巨人が爆発して跡形も無くなったとき、ノインはどこか遠い眼で破壊の痕を眺めていたことも、彼女は気付いていた。

 

 別れた後にあったのは、三度目の邂逅である。

 ルーラーの辿り着いた庭園内は混迷を極めていた。ノインのマスターだった魔術師の男は赤く染まって死んでいて、ノインの意識はなくて倒れている。そして極めつけに、本物の吸血鬼が現れていた。

 しかし、その吸血鬼はあの誇り高かった“黒”のランサーだったのだ。彼は英雄としての側面を保ったままの自死を選び、ルーラーによって消滅する。

 

 ルーラーの視点を借りて俯瞰する少女の目の前で、そうやって次々誰かが倒れては消えていった。

 

 果てはもう一人のルーラーまでもが現れ、少女は訳が分からなくなった。聖杯戦争に関する知識はある程度少女にも与えられてはいたが、それを整理する心のゆとりがない。

 間近で安全に見ていられる自分の混乱がこれでは、渦中の人物たちは尚更のはず。

 それでもやはり、事態は何一つ彼らを待たないのだ。

 天草四郎というルーラーから誘いをかけられた“黒”のキャスターが、仲間を裏切って“赤”に付く。

 そして裏切りの条件として、彼はノインを荷物のように持ち去った。

 何のためにキャスターがそうしたのか、少女には分からない。分からないけれど、嫌な予感はした。

 ここで見失ったらきっと、呆気なくあの少年も死んでしまうと感じた。

 さっき光線を戦場に放った“赤”のセイバーの助力を得、“黒”のアーチャーとルーラーは庭園から逃走。立て続けに“黒”のキャスターを追撃した。

 キャスターに追い付いた先の湖には、“黒”のライダーとノインがいた。まだ生きている彼らを見たときの暖かな安堵を少女はルーラーと共有する。

 そうして、“黒”のキャスターの悲願であるという一際巨大なゴーレムは、その場のサーヴァント総出で叩き壊された。

 そうしてやっとあのノインという少年は動けなくなったまま、へらりと笑ったのだ。

 ルーラーの眼を通して、少女はその微笑みを見た。

 道に迷って今にも泣き出しそうに見える、子どもみたいな笑みだった。楽しさも嬉しさも何も感じていないのに無理をして、自分じゃない誰かを安心させるためだけに浮かべた、他人のための微笑みだった。

 壊れそうなのに、壊れかけの自分を繕って作り上げた優しいだけの空っぽの微笑みだった。

 それを見て、少女は自分の勘違いを悟った。

 この人は私が思っていたように強くなんか、無いのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 道の先に抉れた城が現れ、ノインは眼の上に手を翳した。

 ルーラー、ライダー、そしてノインは湖から一路ミレニア城塞へ戻っていた。“黒”のアーチャーは先に戻って事の次第を言っているらしい。

 初戦を終え、てっきりルーラーは街へ戻るものとノインは思っていたのだが、どうもそう言っていられない異常事態が起こったため、彼女は一時“黒”と共闘するという。

 庭園で自分の自我が一時吹き飛んだ後何があったかを、ノインはまだ正確に分かっていなかった。一先ず城に戻り、生き残った“黒”の陣営の前で説明するとルーラーに言われたのだ。

 それは了解したものの、ノインはひとつだけ尋ねた。

 “黒”のランサーはどうなったのか、と。

 一瞬躊躇った後、彼は英雄のまま『座』へと還りました、とルーラーは答え、ノインはそれを信じた。というより信じたかったのだ。

 そうして彼らは、城への道を歩いている。

 つい数時間前にヒポグリフの背中から眺めたときより、地上に立ったときの方がより城の傷口が痛々しいとノインは思った。

 ひどい有様だな、と思わず息を吐くと、隣のルーラーがノインを覗き込む

 

「ノイン君?」

「何でもない。城の壊れ方が思ったより激しくて驚いたんだ」

 

 バーサーカーの爆発は凄かったんだな、と言ってノインは道を塞いでいる瓦礫をひょいと乗り越えた。

 乗り越えるとミレニア城塞正門が見える。そこには“黒”のバーサーカーとカウレス、ロシェがいた。

 魔術師たちの表情は一様に固い。

 三人が近寄ると、ロシェが動いた。

 傷ついて埃まみれで感情が欠け落ちているような無表情だが、自分の足で立っているノインを見て彼は顔を歪める。

 

「なんで……何で君が生きてるんだよ、デミ・サーヴァント」

「……」

 

 自分よりも小柄な少年に睨み付けられ、ノインは無言で眼を細めた。

 尊敬していた師が自分たちを裏切ったことより、彼が死んだことの方がロシェには重要だったらしい。

 原初の巨人(アダム)が完成すれば“黒”の陣営がどうなっていたかという判断ができなくなるほど、彼はキャスターを慕っていたのだろう。

 

「答えろよ!どうしてだよ、何で君が生きてて先生が死んだんだ!」

 

 ライダーが気色ばみルーラーが口を開きかけたが、ノインは彼らの袖を引いて止めると、ロシェと目線を合わせた。

 

「そうだな。“黒”のキャスターは死んだ。でも、俺は最初にあんたに言った。ゴーレムになるのは御免だと」

 

 だからその通りにしただけだと、ノインは淡々と言った。

 

「あれは……あれは()()()の夢だったんだ!それを……!」

 

 拳を握りしめて震える少年を、ノインは首を傾げて見つめる。

 この様子では本当に、ロシェは知らなかったのだ。

 師と自分の夢だと言っているその願いの為に、師は躊躇いなく裏切りをし彼自身も生贄にされかねなかったことを。

 この少年にその事実を告げたら、彼はどうなるのだろうと純粋で残酷な疑問がノインにふと生まれる。

 けれど、目尻に涙すら浮かべているロシェの顔を見るうち、その疑問を上回る温い悲しみと、ぼんやりした怒りが同時にノインの胸を刺した。

 フレインの家の者はゴーレムに育てられ、ゴーレムを造り続ける。“黒”のキャスターは、ゴーレムしか知らなかったこの魔術師が、初めて認識しできた尊敬できる他人だったのだ。

 ただし、キャスターはロシェが彼を信じていたほどロシェを信じていなかった。

 自分が信じている相手が、同じく鏡のように自分を信じてくれているとは限らない。

 ロシェという魔術師はデミ・サーヴァントでも知っていることすらも忘れていたのか。それとも、そんなことも知らなかったのだろうか。

 

「……優しい夢の中で生きてられるなんて、幸せな奴だな、あんたは」

 

 つい、憐れむように哀しむようにノインは言った。言ってしまった。

 激昂したのか掴みかかろうとするロシェを、カウレスが止める。

 

「もうやめとけって。……“黒”のキャスターは俺たちを裏切った。こいつやライダーやアーチャーたちがいなかったら、ここだって攻められてたかもしれないんだぞ」

 

 “黒”のバーサーカーがカウレスの言葉を肯定するように唸る。

 けれどロシェは収まらない。ノインに指を突き付け叫んだ。

 

「このデミ・サーヴァントだって、僕らを裏切った!アーチャーが言ったじゃないか、ダーニックを最初に斬ったのは、こいつなんだろう!」

 

 カウレスが言い淀む。

 けれどそのとき、旗の石突が石畳を叩く乾いた鋭い音が一同を打ち、静かな声が響いた。

 

「……そこまでにしなさい。ユグドミレニアの魔術師。彼は、それと引き換えに貴方がたの君主であった王の誇りを守りました。……それに、ジャンヌ・ダルクとして断言しましょう。彼処で貴方がたの長、ダーニックを止めなければ、彼は暴走し、世界にとって致命的な何かが生まれていました。そうなった場合、私は彼を打倒したでしょう」

 

 神からの啓示を聞き届ける、澄み切った救国の聖女の声に流石にロシェは怯んだようだった。手を下ろし、ノインをきつい眼で睨むと、城の中へ姿を消す。

 辺りに、何とも気不味い沈黙が満ちた。

 

「……あいつはああ言ったけど、俺たち全員があんたのことをただの裏切り者って思ってる訳じゃない。ただ何があったか、正確に知りたいんだ」

 

 カウレスが頭をかきながらやや躊躇いがちに言う。

 

「一応、さっきアーチャーから庭園で何があったかは大体聞いてるんだ。で、これからもう一度ルーラーとあんたの話も合わせて聞きたいんだが……」

「構いません」

「俺もだ」

 

 ルーラーとノインは頷く。カウレスはついてきてくれと言いながら、バーサーカーと共に歩き出した。

 ライダーは歩きながら、ノインの顔を覗き込んだ。

 

「ノイン、キミ、ホント大丈夫なのかい?……いや、待って。キミはそうじゃなくたって大丈夫としか言わないよね。ね、ルーラー?」

「ええ、でしょうね」

 

 二人揃ってそれは酷くないかとノインが言いかける前に、足音が聞こえた。

 

「ライダー、ノイン、ルーラー!」

 

 聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、三人は振り向く。息せき切って駆けて来たジークにライダーがぱっと笑顔になった。

 

「ジーク!無事だったんだね!」

「それ、は、俺のセリフだ。……良かった。貴方たちが帰って来て」

 

 そう言って笑顔を浮かべたジークの鈍い銀色の髪を、ライダーはがしがしとかき混ぜた。

 ジークが戸惑ったように首を傾げる。

 

「なんでもないよ。……あ、ジーク。ちょっと頼むよ、ノインが無茶に動かないように抑えといて」

「は?いや、普通に歩けるぞ。俺は……」

 

 言いかけたノインの肩をライダーが軽くどつく。それだけでノインの体がふらつき、顔が痛そうに歪んだ。

 

「ほら見ろ、足元フラフラじゃないか。ジーク、ちょっとこの頑固者に肩貸してやって」

「分かった」

「ちょっ!今のはそっちが叩いたからで……待て!平気だって……!」

 

 ジークに思っていたよりも強い力で肩を掴まれて、珍しく慌てるノインをライダーはにやにやしながら眺めていた。

 

「おい、ライダー!」

「あーあー、聞ーこーえーなーいー!聞いてやらないぞ、ボクは」

「……ノイン、暴れないでほしいんだが」

 

 ジークにぼそりと言われては、ノインも動きを止めざるを得ない。下手に暴れてはジークの方が怪我をするからだ。

 毛を逆立てて威嚇する猫のようにライダーを睨んでいるノインと、頭の後ろで手を組み明後日の方向を向いて口笛を吹いているライダー、それにノインを不器用に引っ張り支えながら歩くジーク。

 城へ歩いていく彼らの背中を、じっとルーラーは見ていた。優しさと穏やかさと、ほんの少しの別の何かが混ざりあった、そういう微笑みだった。

 

「ルーラー、どうかしたか?」

 

 ノインの声に、ライダーとジークが振り返る。ルーラーは彼らに向けて首を振った。

 

「いえ、何でもありません。さ、行きますよ、皆さん」

 

 鎧を解除して、ルーラーは先に立って歩き出し、その後を元気にライダーがついていく。一度顔を見合わせてから、ノインとジークも彼らに続いて歩き出したのだった。

 

 

 

 




相容れない相手というのはいる話。

ヒロインはいますよ、いますから。
ただデミ少年のコミュ力が上がって心が多少まともな形になってからでないと、どうにもならないので。


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act-19

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 カウレスとバーサーカーの案内に従って通された先は、ユグドミレニアの血族たちのための会議室だった。

 整えられているが、ノインはシャンデリアやテーブルに魔術による修繕の痕を感じた。

 ここにも“赤”のバーサーカーの一撃の余波が来て、それをフィオレたちが直したのだろう。

 そう言えば自分の部屋はどうなったのだろう、と思う。

 部屋と言っても、睡眠をほぼ必要としないノインにとっては、この城にいる間何もしない時にいた部屋でしかない。

 だから、愛着のある場所ではないのだ。ノインが自分のものと言えるもの、大切なものはあの絵本だけで、それだけはルーン魔術で護った棚に入れているから大丈夫だと思う。

 ただ部屋の方は、余波が来た方向から察するに多分無事では済んでいない。

 ともあれ、これからのやり取り次第ではそもそもあそこに二度と戻らないかもしれないのだ。

 ダーニックがいなくなった今、暫定的にユグドミレニア当主の座を継いでいるフィオレと、その隣に座っているカウレスとゴルドのやや強張った顔を見ながらそう思った。

 彼らと対照的なのがセレニケである。先程からずっと彼女は無表情でノインとジークを凝視している。

 そしてロシェだが、工房に引き篭もってここにはいなかった。

 “黒”のキャスター消滅が衝撃でものを考える余裕が無くなっているのか、それともノインと顔を合わせたくないのか、どちらでもありそうなだけに、何とも判断がつかなかった。

 

「―――――以上が私の見聞きしたものです」

 

 庭園での戦い、湖での一件を今まさにルーラーが語り終える。

 自分が意識を失くした間に、もう一人のルーラー、天草四郎が現れていたことにノインは驚いていた。

 そう言えば相対した“赤”のアーチャーが、神父がどうとか言っていたが、あれが天草四郎のことだったのだ。

 しかも目的が、荒唐無稽にも全人類の救済と来ている。

 彼はそのために、“赤”のマスターをすべて出し抜いてサーヴァントたちを配下に収め、大聖杯を強奪したのだ。

 恐るべき所業と言わざるを得ない。

 

「全く以て馬鹿馬鹿しい!そんなことができる訳がない!」

 

 実際ルーラーから二度目に話を聞いたゴルドはそう言ったし、大抵の人間なら、彼と同じ反応になるだろう。

 そして無表情の下で、ノインは戸惑っていた。人類の救済など意味が分からなかったのだ。

 アーチャーによれば、彼は極東の島国、日本の英霊。ジャンヌ・ダルクのように聖人として認定はされていないが、数々の奇跡を起こした逸話を持つ。

 今から凡そ四百年ほど前に三万七千人の参加した反乱の旗頭となるが、敗れて彼を含めた反乱軍は皆殺しにされた。

 アーチャーの説明の間も、ノインは首を傾げていた。

 等しく万人が幸福になれる方法など、この世にある訳がない。できるとしたら、おとぎ話の中の機械仕掛けの神様だけだろう。

 絵本の中にしかない幻想が、そこから抜け出して現実に立ち現れたような、そんな落ち着かない気分になる。

 

「できる、できないは問題ではないと思います。天草四郎は、人類の救済と願いを定めている。それを可能にする為の彼なりの方法を持ち、大聖杯によって叶えようとしているとみるべきでしょう」

 

 “黒”のアーチャーが落ち着いた声で彼の見解を述べた。

 

「つまり、彼の方法が本当に救済になるかは分からない。それどころか、それが人類にとっての厄災になる可能性があることが問題……ということか?」

 

 ノインが言うと、ユグドミレニアの魔術師たちは一斉に彼を見た。

 まるで、人形が口を利くのを初めて見たというような顔をされているのは、あまり良い気分にならない。けれど考えてみれば、ノインは彼らの前でまともな口を利いたことがなかったのだ。

 ルーラーは一向気にした様子もなく、ノインの言葉に頷いた。

 

「ええ。私もそれを懸念しています。……それにルーラーがサーヴァントを率い、聖杯を用いて願いを叶えようとするなど既に道を逸脱した行為です。それに世界改変ともなれば、止めなければなりません」

 

 だからルーラー、ジャンヌ・ダルクは“黒”に一時協力するという。

 

「ええ、協力を受け入れます。セイバーとランサー、キャスターを失った今、私たちに戦力は必要ですから」

 

 フィオレが頷く。

 “黒”はとにかく空中庭園に追い付き、大聖杯を取り返さねばならない。けれど当然、あちらも迎撃するだろう。

 最大戦力の二騎が欠けた今、助力は必要だった。

 

「戦力で言うとさ、あっちのセイバー、手伝ってくれたりしないかな?」

 

 そう言ったのはライダーだった。

 “赤”のセイバーは庭園からの脱出の際にルーラーと“黒”のアーチャーに手を貸したがそこから別れてここにはいない。けれどルーラーの感知能力ならば探し出せる。

 

「協力とまではいかなくても、お互い背中を刺さないっていう不干渉の協定は結ぶべきだろうな。あっちだって庭園を追いかけなきゃならないのは俺たちと変わらないはずだ」

「……そうね。彼らには接触しましょう」

 

 カウレスの言葉にフィオレは答える。

 それから彼女は、ノインとジークの方を見た。

 

「ノイン・テーター。貴方がダーニックおじ様に刃向かった状況は理解しています。ですが、貴方が何故あのような行動を取ったのか。それを語って下さい」

 

 視界の端でセレニケが忌々しげに眼を細めているのを見ながら、ノインは口を開いた。

 

「俺にとっては、あのときマスターの願いよりランサーの願いの方が重要だったからだ」

 

 ダーニックがランサーの令呪を重ねて何をしようとしていたのか、ノインには判断できなかった。

 ルーラーの『啓示』によれば、世界に悪しき影響を及ぼす何かが生まれかねなかったらしいが、それは結果論だ。

 少なくともあの時、ノインはそんなことは考えていなかった。

 ただあの誇り高い、ノイン・テーターを人間だと言った王の無惨な断末魔を聞いていられなかったのだ。だから主を斬った。

 ノインは自分に向けられたダーニックの末期の怒りも忘れていない。後悔はしていないし、恐怖もない。

 自分はランサーの誇りを選んで片方を斬り捨てたというその結果だけを、ノインは噛み締めていた。そうするより他にないのだ。

 

「では、おじ様が貴方に令呪で命令を強制したことで斬ったのではないと?」

「違うとは断言できない」

 

 令呪で正気を奪われる寸前だったために、ノインの自我や理性もあのとき消えかけていた。

 ランサーの声を聞いたことは覚えている。ダーニックの末期の瞳も覚えている。

 正気と狂気と本能と、何もかもが泥のように混ざり合った状態での自分の心を説明するのは、難しかった。

 

「おい、真面目に答えろ。我々は本心を語れと言っているのだぞ。お前は自分の行動が自分でも分かっていないのか?」

 

 ゴルドは苛立たしげに机を平手で叩いた。

 けれど、本心を淀みなく語れるならノインにも苦労はないのだ。

 

「……確かに俺はマスターを恨んでいたかもしれない」

 

 令呪で自我が壊れかけたから、箍が外れてその感情が吹き出したと、そう言った方が彼らにとっては納得しやすいのだろうと思う。

 けれども、自分がダーニックを恨んでいるのかいないのか。ノインには本当に分からなかったのだ。だからすぐに答えられない。

 これまでの自分の人生に、ずっとずっと影を落としていた人間だから。彼の影が消えることなんて決してないと思っていたし、まさか自分の手で消すことなんてあり得なかったからだ。

 一つ一つあのときを思い出すように、ノインは言葉を継いだ。ルーラーやライダー、ジークたちがどんな顔をして自分を見ているかは確かめなかった。

 

「俺はあなたたちを裏切るつもりはない。自分が聖杯戦争の為のサーヴァントの一人だという自覚はあるし……戦いたいとも思う」

「出来損ないの人形風情が、信用されたいと言うのかしら」

 

 セレニケの侮蔑に、隣のジークが身じろぎする。机の下で彼の手を抑え、ノインは首を振った。

 

「今更、あなた方に信用されたいとは思わない。俺がしたことを考えれば信じてほしいと言うことが欺瞞だろう。……それとも、あなたは俺があなた個人を恨んでないのか気にしているのか?」

 

 セレニケの顔が怒りで歪む。

 それを遮るように、フィオレが咳払いをした。

 

「セレニケ、そこまでです。……ノイン・テーター。今、私たちには確かに一騎でも多い戦力が必要です。あなたがこちら側について戦うと言うなら受け入れましょう。おじ様の件に関しては一時不問にします」

 

 ですが令呪はどうしたのですか、とフィオレは尋ねる。

 

「それなら私が持っています」

 

 ルーラーが湖から回収していた書物を取り出した。

 

「では、ルーラー。それは貴方が持っていて下さい」

「良いのですか?」

「ええ。本来、聖杯大戦のサーヴァントすべてがルーラーに令呪を握られているのですから」

 

 だからデミ・サーヴァントの令呪も貴女が管理して下さい、とフィオレは言った。

 彼女は改めてノインの眼を見る。

 

「……変わりに、私たちは貴方個人と魔術契約を結びます。対価として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ではどうでしょうか?」

「え?」

 

 ノインではなく、ジークとライダーが同時に声を上げた。

 カウレスとフィオレ、“黒”のアーチャーとバーサーカー以外の全員が驚く。

 ノインも勿論のこと驚いていた。フィオレとアーチャー、それから誰より呆気にとられている横のジークの顔を順番に見、彼は頷いた。

 

「……分かった。その話、受けよう」

「では、そのようにしましょう」

 

 強張っていたフィオレの顔がやや緩む。

 自分がジークたちホムンクルスに情が移っていることは、彼女に見抜かれていて、かつフィオレはそれを利用した方が得策と考えたのだ。或いはアーチャーが教えたのかもしれないが。

 ともあれ確かに、ノイン・テーターというデミ・サーヴァントを繋ぎ止めておくには令呪よりも有効だった。

 自分でそれは認めざるを得ない。

 正式な契約は明日となったが、フィオレとノインは互いに簡易的に契約した。

 ユグドミレニアはホムンクルスたちを今後搾取せず傷付けない。ノインは彼らに協力し、彼らを害さない。

 そういう取り決めになった。

 契約を終えたフィオレは皆の前で宣言する。

 

「空中庭園へ到達する具体的な方法は明日話し合いましょう。“赤”のセイバーへの接触方法は明日伝えます。今は体を休め、今後に備えるように。……空いている部屋は好きなように使って下さい」

 

 皆頷くか、賛同の声を返す。

 フィオレはアーチャーやカウレス、バーサーカーたちと共に退室し、ゴルドやセレニケも後に続く。セレニケだけは最後に振り返ってノインとジークに一瞥をくれたが、何も言わずに出て行った。

 部屋にはルーラーとライダー、ノインとジークが残される。

 ライダーが、ぱんと手を叩いた。

 

「とりあえず、みんなお疲れだね」

「ええ」

 

 会議の間再び武装していたルーラーが、私服に変わる。ルーラーの私服というより、彼女の『中身』だという少女のものなんだろうな、とノインは思った。

 

「私は一旦逗留している教会に戻ります。明日、戻って来ますので。……良いですか、ジーク君にノイン君。貴方たちはよく休んでくださいね。二人とも生きている体があるのですから」

「……ああ」

「……分かった」

 

 そうは言うものの、ジークはホムンクルスたちに何がどうなったかを伝えねばならないしそれが済めば彼らの面倒をまだ見るつもりだった。ノインはノインで、自室から絵本を回収した後はあまり休む気がなかった。

 無論二人とも体も心も芯から疲れている。ただやることがあるのと頭が一杯なのとで、眠れそうになかったのだ。少なくともこの状態で眠れば確実に良い夢が見れないと思った。

 結果、誤魔化すのが下手な二人はそれぞれ別の方向へ眼を逸らしつつの生返事になり、当然のようにルーラーに内心がばれた。

 

「ライダー、良いですか?この二人がくれぐれも何か引き起こさないように、巻き込まれないように見張りをお願いします」

「オッケー!……でもさルーラー。ボクが言うのもあれだけど、もうちょい人材選んだほうが良いんじゃない?ボク、自慢じゃないが理性無いんだぜ」

 

 ライダーの言い分に、ルーラーは大きく頷く。

 

「分かっています!分かっていますし私も大いに不安です。ですが、貴女以外頼れる人がいないじゃありませんか……!」

「ちょっとそこまで言われたら傷付くよ!?」

 

 ジークが微妙な顔でノインの方を見た。

 

「俺たちはここまで信用がなかったのだろうか?」

「……無かったみたいだな」

 

 肩を竦めて答えると、ノインは立ち上がった。

 

「流石に俺も疲れてる。勿論無理にでも休むさ。あなたも……というか、あなたたちも休むんだろ?」

「え?―――――ええ」

「じゃあまたな。ルーラーもライダーもありがとう、さっき助けてくれて。嬉しかった」

 

 ノインはそう言って部屋から出て行った。

 ぱたん、と部屋の扉が閉じる。

 そのあっさりした姿の消し方にしばらく誰も何も言えなくなる。

 ジークも椅子から降りた。

 

「俺も行かないと。……本当にありがとう、二人とも」

 

 ジークも部屋からいなくなり、ルーラーとライダーだけになった。

 

「じゃあ、ボクも行かなきゃ。ほら、ボクのマスターが何かやらかさないか気になるし」

「はい。……あ、あのライダー()()!」

 

 霊体化しかけていたライダーは、ルーラーの最後の一言に動きを止めた。

 

「ん?なーに?」

「あ、あの……その、お二人をお願いします、ね」

 

 先程までと違う、何処か頼りなげな風にルーラーは言った。

 ライダーは一瞬きょとんと首を傾げ、納得がいったように頷いた。

 

「あ、そっか。そうかそうか。うん、分かってるよ、キミもね」

 

 ばいばーい、とライダーは手を振って消えた。ルーラーは一人、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いて部屋から出て行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ……ひどいな」

 

 自分の部屋、だったはずの場所を見て、ノインは頬を掻いた。

 軽く触れた途端にドアが音を立てて内側に倒れたから、嫌な予感はしていたのだが中は想像を超えていた。

 壁には大穴が開いて、外が見渡せる。暴風が通り抜けた後のようにベッドと机と椅子は倒れ、一部が焼け焦げていた。

 風が中を吹き抜けて、ノインの髪が巻き上げられる。一歩中に入ると靴の裏でガラスの割れる感触がした。

 魔術を使えば直せるだろうがさすがにこれでは手間がかかる。何処かの部屋を借りようとノインは決めた。

 

「……まぁ、爆風にやられたんだから、こんなものだな」

 

 それでも瓦礫を退けると無事な戸棚が見つかり、ノインは安心した。

 解錠の呪文を唱え、中から絵本を取り出す。傷一つないことを確認して、ノインは絵本を胸の前で抱き締める。

 ほっと息を吐いて、ノインは表紙を優しく撫でた。

 

「ノイン、部屋にいるのか?」

 

 ジークの声に、いるぞとノインが答えるより先に、ばたん、と大きな音がしてドアが部屋の中に倒れた。

 

「……」

「……」

 

 敷居のところに立つジークは、ちょうどノックをしようとしていたらしい。片手を丸めて上げた、正にその状態で固まっていた。

 開いた穴からまた風が吹き込んで、部屋の埃が舞う。冷たい夜風にジークが小さくくしゃみをした。

 

「……とりあえず、話なら他の場所でいいか?」

「……そうした方が良さそうだな」

 

 ドアを枠に嵌めなおし、絵本を手に持って、ノインは部屋を出て行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 




少しだけ表に出てきた彼女。
多分次で出会う。

チャプター2がこれで終わり。


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act-20

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 寝床なんて正直ノインにはどこでだって良かったのだが、結局ジークたちホムンクルスが借り切っている大広間に寄せてもらうことになった。

 一応の暇を出された彼らは、城塞のあちこちから集めてきた布で寝床を作り休んでいる。広間だけには収まらず、廊下にまで寝床ができていた。

 彼らの中には草原の戦いで傷ついた者たちもいる。

 ノインも一応治癒の魔術は使えたし、さすがに血塗れの彼らを放置するわけにも行かないため、なし崩し的に彼らの手当ての手伝いをすることになった。

 ついでにルーン石でホムンクルスたちを守る簡単な結界も張った。執念深い黒魔術師のことをノインは忘れていなかったからだ。

 生き残った数十人のホムンクルスのリーダーは、少女の姿をした戦闘用ホムンクルスになったそうで彼女の指示でジークとノインはあちらこちらを見て回った。

 数時間手伝った後、ジークとノインはその彼女に一旦ここを離れて眠って来いと告げられる。

 

「ここも落ち着いた。それにどうやら私たちの生みの親が手助けしてくれるようだ。だから休んでこい。ひどい顔だぞ」

 

 生みの親、つまりゴルドのことなのだが、彼はどういう風の吹き回しか彼らに適切な処置を施しているという。

 理由は分からないが、そういうことなら有り難いとジークとノインは広間の片隅に作った寝床の上に座った。

 

「そう言えばジーク、さっき何の話をしかけてたんだ?」

 

 ノインが言うと、ジークの動きが止まった。

 

「……ノインにありがとうを言っていなかったと思ったんだ。……ありがとう、色々……本当に色々助けてもらっている」

「あ、ああ」

 

 うん、とノインはぎこち無く頷いた。返し方がよく分からないのだ。

 気にするなと簡単に言っても気にするだろうし、と心無しか申し訳無さそうな風に見えるジークを見ながら、ノインは立てた膝の上に顎を乗せた。

 

「あんたたちの身の安全が俺で保証されてることなら、気にする必要は無いぞ」

「……でも、それで結局ノインはまだユグドミレニアに縛られている。そんなこと、俺たちは望んでいなかった」

 

 やっぱりそう思っていたのか、とノインは膝を戻すとジークの方を向いた。

 暗がりの中で赤い眼がジークを真っ直ぐ見ていた。

 

「違う。言っただろ、俺はまだここに関わりたい」

 

 マスターがいなくなっても柵の一つが無くなっただけだ。ノインがユグドミレニアの手で生み出されたデミ・サーヴァントという事実には何の変化もない。

 デミ・サーヴァントでなくなれば、変わるのかもしれない。けれどデミ・サーヴァントで無くなるということは、ノインには死ぬと同じことだ。英霊が退去すれば、生命を落とすのだから。

 だから死にでもしない限り、ユグドミレニアの影はずっとノインの人生の中に在り続ける。ダーニック一人消えても、変わりはしない。

 

「……それに、ここにはまだあの人たちがいる。今ここであの人たちをこんな騒ぎの中に残すのは嫌だ」

 

 ライダーやルーラー、アーチャー。

 当たり前のようにノインをそこにいる人間と同じに扱った彼ら。彼らは事態を解決するために願いを叶えるために戦うだろう。

 彼らがいて、自分の中に少しずつ忘れていた何か、暖かい何かが元に戻ってきている。そんな感じがするのだ。

 

「まぁ、そうは言っても俺はあの人たちより弱いからな。何もできないかもしれない。それでも、無関係でいたくないんだ」

 

 単純に、英雄たちとこれからも戦わなければならないという恐怖よりそういう感情の方が上回った。

 ユグドミレニアへの諦観だけではない、自分個人の望みだった。それを叶え続けるために、まだここにいたいのだ。

 

「そういうことだから、ジークは色々気にするな。というか、俺より十六歳は下だろ?あんたは一人じゃないんだし、気にせずこっちに頼っていたらいいと思う」

 

 ジークたちは、生まれて三ヶ月かそこいらだ。ノインは確実にその歳なら誰かに頼って生きていた。

 まして仲間たちの命がかかっているのなら、なりふり構わないくらいのが当たり前でそうすべきなのではないのだろうか。

 けれどそこで言い切れないのがジークの性格なのだろう。

 

「……それでも、はいそうですかとは言えないぞ、俺は」

「だよな。知ってた。……あ、それとあんたが仲間から離れてセイバーの前に出たこと、俺はまだ怒ってるからな。多少俺に申し訳ないと思うなら、あんなこと二度としてくれるな。ライダーやルーラーだってきっと同じことを言うと思うが」

「分かっている。もう二度やらない。ノインの頭突きは痛かったしな。……何でやれたのか、今となっては分からないくらいだ」

 

 ろくに使えもしない剣だけを持って“赤”のセイバーの前に出たあのときを思い出し、ジークは自分で自分の二の腕を掴んだ。

 そうしないと震えが止まらなくなりそうだった。

 その様子をノインは見ていた。

 

「本当にそうしてくれ。あんたたちは、お互いきょうだいみたいなものだろう。きょうだいがいなくなったら、悲しい」

 

 最後だけ、ノインの赤い眼が持ち出してきた絵本に落ちた。

 

「ノイン?」

 

 何でもないさ、とノインは肩を竦めると、ごろりとジークに背を向けて横になった。

 

「俺は寝る。そっちもさっさと寝ろよ」

 

 淡々と言ってそれきりノインは静かになる。寝た振りなのかもしれないが、もう話すことは無いという意思表示だった。

 ジークも毛布を被って眼を瞑る。そうするとあちこちで仲間たちの立てる息遣いが聞こえた。

 今日一日だけで、何人も同胞が死んだ。互いの間に緩い繋がりのあるホムンクルスたちは、仲間の死を感じ取れる。何度も何度も手の中から水が零れ落ちていくような喪失の感覚を味わった。

 それでも今このときだけは、確かに仲間たちの生命が感じ取れた。

 漣のような音に包まれながら、ジークの意識はゆっくり解けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日である。

 朝というより昼手前くらいの時間。顔に当たる日差しでジークは目覚めた。

 隣の寝床は既に空で、綺麗に畳まれた毛布の上に絵本とルーン文字の刻まれた丸い瓦礫の欠片が乗せられている。

 ノインにとっては、その絵本はわざわざルーンで保護魔術をかけるくらい大事なものなのだろう。

 表紙には色鮮やかな草花や赤と黒の燕、橙色の灯りを持った女の子の絵が描かれていた。

 普通の童話を集めた絵本だ。けれど随分よく読まれたようで、表紙は手ずれしていた。

 何というか、ノインはあまりそういうものを読むようには見えないのだがとジークは首を傾げた。

 

「や、おはよー。ジーク。良く寝たみたいだね、よしよし」

 

 声をかけられて振り返ると、見慣れた“黒”のライダーがいた。手にはガラスと金属でできた器具が入った箱を持っている。呼吸する際の補助のための道具に見えた。

 ジークの視線に気付いて、ライダーが箱を持ち上げる。弾みで器具が擦れ合う音が聞こえた。

 

「あ、これ?ほらボクもちょっとした手伝いさ。でもフィオレちゃんから呼ばれそうなんだけども……」

「俺がやる。ありがとう、ライダー」

「うん!じゃ、これパス。……あ、そうだ。ノインがどこ行ったか知らない?」

 

 ライダーから箱を受け取りながら、ジークは首を振った。

 

「すまない。分からないな。俺が起きたときはこうだった」

「そっかー」

 

 むむ、とライダーが首を傾げたとき、偶々通り掛かった少女のホムンクルスが立ち止まった。

 

「彼なら小石を拾うとか何とか言って外へ出たぞ。それとジーク、その器具はこっちで要る。付いてきてくれ」

「あ、そうなのか。ありがと!……えーとキミ、名前は……?」

 

 少女はライダーに向け、胸に手を当てて名乗った。

 

「私はトゥールだ。ゴルド殿に昨日付けで名前をもらった」

「オッケー、トゥールちゃんだね。覚えたよ!」

 

 ライダーは明るくそう言って走って行った。

 フィオレからの指示はさて何なのだろうと思いながら、ジークもトゥールに続いて彼と逆の方向へ歩み出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノインのルーンの使い方は、銃の弾と似ている。

 小石にルーンを刻んで持っておく。魔力を流す。込めた魔術が発動する。それだけだ。

 文字を書く時間が存在しないので早く発動できるが、一度きりの使い捨てなので弾が無くなれば使えなくなるのだ。

 “赤”のセイバー相手では対魔力に阻まれたが、それでもゴーレムと戦ったときのように込めた術の規模が大きければ、湖をある程度ならば凍らせられる。

 が、昨日だけで作っていた石はすべて無くなってしまったので拾い集めて作らなければならなかった。

 幸い、石は砕けた城の瓦礫辺りをうろつけば幾らでもあった。ノインが魔力を流しやすい丸い方がいいのだが、魔術を使えば加工も楽なので形はさして問題ではない。

 石を拾いながら、ノインは城の周りを巡る。

 遠目に見る草原はあちこちが抉れ、焼け焦げていた。恐らく“赤”のランサーと“黒”のランサーの戦いの後だ。

 こちらのランサーが最高の状態ですら、“赤”のランサー相手では拮抗するので限界で、庭園では軽くあしらわれていた。

 率直に言うと、誰がどうやれば“赤”のランサー、マハーバーラタの大英雄カルナに勝てるのか想像ができない。足止めでも至難の業だ。

 彼だけでなく、トロイア戦争の大英雄アキレウスも、最速の女狩人アタランテも、そして庭園の主、最古の毒殺者セミラミスも、皆“黒”のほぼ全員より強い。それに姿の分からないキャスター、ルーラーである天草四郎もいる。

 “赤”のライダーに傷をつけられるのは“黒”のアーチャーだけだから、彼の相手は決まっている。

 “黒”の残りはライダー、バーサーカー、ノイン。味方は共闘関係のルーラー。“黒”のアサシンは数えられないし、“赤”のセイバーと組めたとしてやっと六対六。

 数は同数だが、質で言えば負けている。というより、あちらが反則級に揃い過ぎているのだ。

 半端なサーヴァントとは言え、何かできないかと考える。このままでは勝ち目は零に等しい。

 すぐに思い付くのは第二宝具だ。単純に威力がある。ただし使うと理性が消える。

 力を貸し与えてくれている英雄本人だったなら、あんな無様なことにはならないだろうとは思うのだ。

 ノインができないのは偏に『彼』の真名を知らず、本当の意味で向き合えていないから。それができたとして、勝てるのかと言えば全くそんなことはない。ただ選択肢は増える。

 

「ルーラーが見れば真名は分かるのか……?」

 

 断崖絶壁に住む山羊のように身軽に瓦礫の中を跳びながら、ノインは呟いた。

 ルーラーの特権の一つにそういうものがあった気がする。

 頼めば視てくれるのだろうか。それとも陣営に肩入れしないルーラーの決まりに抵触するだろうか。

 

「……聞かないと、分からないな」

 

 大き目の瓦礫の上にひょいと着地して、ノインは城へ至る道を眺めた。

 ふと、その道の上にきらきらした何かが見えた。眼を細めるまでもなく、アーチャーの視力はそれが誰かを教えてくれる。

 長い金髪の少女、ルーラーが瓦礫の上のノインに小さく手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーラーは街で泊めてもらっていた教会を引き払って来たのだという。今後のことを鑑みて、ミレニア城塞に逗留するそうだ。

 

「ノイン君もジーク君も、ちゃんと休めたようですね。良かったです。ちなみに、ジーク君は?」

「俺が出たときはまだ寝ていたな」

 

 ルーラーと並んで城へと戻りながら、ノインはそう答えた。

 

「そうですか……。因みに彼に何か変わった所は?」

「魘されている様子はまだ無かったし、呼吸脈拍共に正常だった。……心臓も問題ないと思う」

 

 ほぅ、とルーラーは息を吐いた。

 ジークの心臓は“黒”のセイバーのものだった。恐らく本来ならサーヴァントの消滅により消えるはずのものがジークの魔術回路と結び付いて受肉し、生命力を与えているのだろう。

 だがそれは、英霊という常人なら潰されかねない魂の欠片を取り込んだことになる。

 今の所ジークにその兆候は無いが、下手をすればジークの心が“黒”のセイバーの記憶や感情で塗り潰されるか、身体が耐えられなくなる可能性がある。

 英霊の一部が生命体にどれだけ大きな影響を与えるかは、多分世界でノインが一番よく知っている。

 そのノインが問題ないと言ったことに、ルーラーは安堵していた。

 彼女はふと笑顔になると言った。

 

「ノイン君、そう言えば貴方はレティシアのことも気にしていましたね」

「レティシア?」

 

 それは誰だ、とノインはきょとんと首を傾げる。

 聞き覚えがない名前だったからだ。

 

「あ……。すみません、ちょっとうっかりしていました。そうでしたね、貴方たちはまだ出会っていませんでした」

 

 ルーラーは一度眼を閉じ、開く。

 さっきまでと同じはずの紫水晶のような瞳がノインを見、気恥ずかしそうに少し逸らされる。ルーラーの見せない反応だった。

 

「きみが……レティシアなのか?」

 

 ジャンヌ・ダルクの依代である少女は、こくんと頷いた。

 

「は、はい。……ええとこれは、初めまして、になるんでしょうか?()()()()()()()()()

「あ、ああ。……初めまして、レティシア。ノインだ。ノイン・テーター」

 

 はい、とレティシアは頷いた。

 

「俺の名前、知っていたのか?」

「その、私は聖女様の見ているものはすべて見せて頂いています。だからあなたのことも、ジークさんやライダーさんのことも見ていました」

 

 言うなれば、レティシアは映画館の観客のようなものだ。

 ルーラーというスクリーンを通してレティシアは聖杯大戦をずっと見ていた。干渉されず、干渉せず、ただあるがままに。

 

「そうなのか。じゃあ驚いただろう。突然聖杯戦争に巻き込まれて」

「それは……はい。でも聖女様は私のことも気にかけて下さっていますから、平気でした」

 

 そうは言うが醸し出している雰囲気からして、多分レティシアは神秘を知らなかった人間だ。

 普通の日溜まりの中で生きている少女。それは今までのノインの人生の中で、関わったことのない、現れたことのない人だった。

 知らずに立ち止まっていたノインは、また歩き出した。レティシアも歩き出すが、微妙にノインと距離が開いていた。

 

「?」

「あ、す、すみません!つい……。私、男の人に慣れていなくて……」

「……悪い。気付かなかった」

 

 よく考えれば、デミ・サーヴァントの気配は普通の人間なら怯えても仕方ないものだ。

 けれど、この少女にそういう反応をされるのは何となく堪えた。珍しくも顔に出ていたのか、レティシアは手をぱたぱたと振った。

 

「ノインさんが苦手な人って訳じゃありませんよ!そういう意味じゃありませんから!」

「そ、そうなのか?」

「はい!」

 

 大きく肯定して、レティシアは急に黙った。

 

「あの、少し変な事かもしれないんですが、聞いてもいいですか?」

 

 構わない、とノインが頷くとレティシアは言葉を探すように胸の前で指を絡み合わせた。

 

「ノインさん……は怖くないんですか?英雄の人たちと戦うこと。……私は見ているだけです。でもノインさんは、ノインさんとして戦っているんでしょう?」

 

 だからその、とレティシアは俯いてしまった。

 しばらく黙って、二人は歩き続ける。靴音だけが響いた。

 

「……怖いよ。怖いさ。俺はここにいる誰より弱いから」

 

 力ではない。一番心が脆いのだ。そして、心が折れたら戦えない。

 それなのに何故、とレティシアは言いたげだった。何となく、もう遠くなった薄紫の色合いの()()の瞳とレティシアの紫水晶のような瞳が被る。

 ノインの口が開きかけたとき、陽気な声が響いた。

 

「あ、いたいた!おーい、ノインにルーラー!フィオレちゃんが呼んでるよー!」

 

 門のところで、ぶんぶんとライダーが手を振っている。大声に驚きながらノインも手を振り返して、レティシアの方を見た。

 

「ライダー……!全くもう貴女は……!」

 

 呆れ顔で額に手を当てているのは、既にルーラーだった。レティシアは今の一瞬で彼女と入れ替わったのだ。

 気を取り直したのか、ルーラーは先を指差した。

 

「行きましょう、ノイン君。フィオレの用が何なのか気になります」

 

 ルーラーの言葉に頷いて、ノインも城へ向かう。またレティシアと話せる機会があれば良いと、そんなことをちらりと思った。

 

 

 

 

 

 




少女はやや男性恐怖症気味。

act-1の頃より流暢な物言いもできるように。
次なるは霊基問題。けれどその為に向き合わなければならないものがある。

というチャプター3です。


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act-21

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 フィオレからの要件は二つだった。

 一つ目は“黒”のアサシン、ジャック・ザ・リッパーの調査である。

 アサシンは“黒”に合流していない。それどころか、シギショアラの魔術協会の魔術師や民間人たちを殺し回った後、トゥリファスにいるユグドミレニア一族の魔術師すら殺している可能性があるという。

 既に十人もの血族と連絡が取れなくなっているのです、と言うフィオレの顔色は良くなかった。

 “黒”のアサシンは日本で召喚されているはず。そこから辿って、日本からルーマニアのシギショアラを訪れた人間だけを探した結果、一人該当者が現れた。

 名前は六導玲霞。

 日本人の若い女性で、どうやら魔術を知らない一般人。アサシンのマスターとなるはずだった相良豹馬により、召喚の生贄とされるはずの女性だった。

 相良豹馬はサーヴァントに殺され、六導玲霞がアサシンのマスターとなったということになる。

 けれど、元が一般人ならばまず魔力の補充は見込めない。アサシンこと切り裂きジャックはそれ故に魔術師含む人間たちを襲って殺し、魂食いによって魔力を得ているのだろう。

 これを放置しては神秘の漏洩どころではない大惨事な上に、既に魔術師以外にも犠牲者が出ている。

 庭園に赴く前の三日。つまり乗り込むための手段が整うまでの三日で是が非でもアサシンを何とかする。

 それがフィオレの下した結論だった。

 

 二つ目の要件は、“赤”のセイバー。

 彼らとは全面的な協力関係とまでは行かなくとも、庭園で他の“赤”を倒すまでは互いに殺し合わないという約定が要る。

 よって“黒”から誰かが赴き、彼らを説得しなければならない。

 

 時間が限られる今、どちらかを片付けてから片方に取り掛かるわけにはいかないため、解決は同時進行させることになった。

 

 一つ目のアサシンの調査には“黒”のアーチャー、カウレス、ライダー、魔術に長けたホムンクルスたちが動く。

 そして二つ目の説得だが、これはこれで妙な配役になった。説得役としてノイン。場所を導くためにルーラーが行くことになったのだ。

 探知能力で協力してくれるというルーラーはともかく、何故自分がとノインは思ったのだが、マスターの獅子劫と面識があるでしょう、とフィオレに切り返された。

 幸いにして仕事で鉢合わせして共闘したことはあれど、ノインと獅子劫は殺し合ったことはない。

 聖杯大戦が開始された後は彼らとも戦っているのだが、それは“黒”のライダーにしろアーチャーにしろ同じことだ。

 セイバーと因縁がないのはバーサーカーだけだがそもそも彼女は会話ができないし、フィオレの護衛に就くようカウレスが彼女に言った。そのために無理だった。

 フィオレは当主代行の任がある上、礼装の形の問題で昼は派手に動けない。ゴルドはホムンクルス関連で駆け回っていたし、セレニケはどう考えても“赤”のセイバーのような騎士に嫌われるとアーチャーが判断した。工房に篭ったままのロシェは外される。

 結果、それならマスターと繋がりがある人間が良い、ということになったのだった。

 

「口が下手なんだが、俺は」

 

 引き受けたものの、ノインはまだ首を捻っていた。

 外では目立つ赤い眼を隠すために目深に野球帽を被っていること以外、ノインの格好には特徴がない。

 目立たないように敢えてそうしているのだが、人目を惹く美しさと千軍を率いたカリスマ性があるルーラーと動く以上全く意味がなかった。

 

「アーチャーによれば、虚飾ができないノイン君の方が“赤”のセイバーのような直情型に対して与える不快感は無いだろう、という話でしたよ。自信を持ちましょう」

「……ああ。……正直、早くこっちを片付けてライダーたちの方の手伝いに行きたいし、頑張るか」

 

 調査だというのに可愛い服というのに拘って結局女物の服を持ち出し、ルーラーを呆れさせたライダーである。

 心配と言えば心配ではあった。

 

「城のジーク君も何かに巻き込まれたりしていないといいのですが……」

 

 “赤”のセイバーの反応がある町外れへと進みながら、ルーラーは言う。

 頬に手を当てて首を傾げている様子は、本当にジークを気遣っていると分かる。何の気無し、ノインは口を開いた。

 

「ルーラーはジークが好きなんだな」

 

 途端、ルーラーが固まる。

 

「……ノイン君、それはどういう意味でしょうか?」

 

 やや低い声で問い掛けるルーラーにノインは無表情のまま答えた。

 

「ジークを好いているんだな、という意味だが?気にかけているだろう?」

 

 それこそライダーみたいに、とノインが言うとルーラーは赤くなって俯いた。

 

「ライダーみたいに、ですか……」

「……?まぁ、彼のような同性の友人という気安さは無いかもしれないが―――――」

 

 ノインが言いかけ、ルーラーがまた固まる。今度は何だろう、とノインは不思議に思った。

 

「ノイン君、今何と言ったんですか?ライダーは『彼』なのですか?『彼女』ではなく?」

「ん?ライダーは男だろうと言ったんだが」

「え、えぇえっ!?」

 

 そこまで驚くか、とノインが思うほどルーラーは大声を上げた。道行く人が振り返るほどの声に、慌てて二人は早足になり視線を躱す。

 しばらく進んで人の目が遠ざかってから、ノインは改めて尋ねた。

 

「ルーラー、まさかライダーが少女だと思っていたのか?」

「……はい」

 

 相対した全サーヴァントの真名を把握できるルーラーなのに、何故そんなことになるのだろうか。

 若干白い目になったノインに、ルーラーは拳を握って言い募った。

 

「だってあんなに可憐なんです!間違うじゃありませんか!それに彼は宝具でステータスにイタズラ書きをしていて、性別を塗り潰しているから、分からなかったんですっ!」

「ま、まぁ……それは確かにそう……だな」

 

 改めて聞くと何やってるんだライダー、とノインは今度は呆れて肩を落とした。

 ステータスにイタズラ書きした宝具とは、十中八九魔術を無効化するというあの魔導書だろう。ノインもあれに助けられたから効果のほどは知っている。

 ルーラーの眼ですら見抜けない隠蔽を可能にする宝具の性能に驚くべきなのか、それだけのものを持っているのに性別を隠すイタズラへ走ったライダーに驚くべきなのか。

 気を取り直したのか、ルーラーはこほんと咳払いして続けた。

 

「逆にノイン君はどうして分かったんですか?」

「本人があの格好は女装みたいなもので、親友を落ち着かせるためにやったことだと言っていたからだ」

「ああ、なるほど。……いえ、待って下さい。それにしてはさっき、可愛い服にかなり拘っていましたよね?」

「単に好みの問題だろう。色が綺麗で派手な方が好きとか、そういうことなんじゃないのか?」

「何たる自由な……」

 

 頭を抱えたルーラーは、頬を両手で押さえてほぅ、とまた安心したような息を吐いた。

 今の会話の何に安心したのだろうかとノインは首を傾げる。

 その疑問の視線に気付いたのかルーラーは、はっと我に返ったように眼を見開く。

 一つ首を振って、彼女はノインの方を見た。

 

「話は変わりますが、ノイン君はレティシアとお話できたようですね」

「……できたが、怖がられたぞ」

「男の人に慣れていないだけですよ。だって彼女はノイン君個人が怖いとは言っていなかったでしょう?レティシアはとても……とてもいい娘です」

 

 それは同じように思っていたからノインは頷き、ルーラーは微笑んだ。

 

「では、また話してあげて下さい。あの娘と話すことは貴方にとっても大切なことだと思います」

「は?いや、待っ―――――」

 

 ルーラーが瞬きする。

 開かれた紫の瞳には再び違う色合いの光が灯っていた。

 

「こ、こんにちは。ノインさん」

「……ああ、うん」

 

 話すと言ったって何をどうしろと、とノインは頭を抱えたくなった。

 魔術も神秘も一切を抜きにした話などできる気がしないのだ。

 

「ノインさん?どうかしましたか?」

「いや、何でもない……」

 

 この少女は丁寧な物の言い方をするなぁ、とそんなことくらいしかノインは考えられない。

 

「あの、聖女様によるとこの先に“赤”のセイバーさんがいるようです」

 

 どうやら、ルーラーは中でレティシアに助言を与えているらしい。それなら進むには支障はない。

 

「この先というと……墓地になるのか。ということは、死霊術師のマスターも一緒だろうな」

「ちょうど良かったですね」

「そうだな。街中でセイバー単体と出くわしたくない」

 

 表面上、トゥリファスは穏やかだ。

 草原の合戦は隕石の落下ということで隠し通したらしいが、さすがに住人たちも()()()()()()()()()ことには勘付いているだろう。

 ただここはユグドミレニアに支配されている街であり、誰も指摘しないためにいつもと変わらないような時間が流れている。

 混乱を避ける為には、街中でセイバーと出くわして戦いになるのは避けたかった。

 

「そういえばレティシア、きみが住んでいる所もこんな街なのか?」

 

 中世の気配がまだ残っているトゥリファスの街並みをノインは手で指し示した。

 

「ええと……私は宿舎のある学校に通っていて、そこに住んでいるんです。両親とは時々会えますが、普段は静かに祈ったり学んだりしているだけです。だからその……あまり街で遊んだりはしないんです」

「……」

 

 少女が何気ない風で言った両親と学校という言葉が、ノインには少し刺さった。普段なら何とも思わないのだが。

 帽子のつばを彼は半ば無意識に引き下げた。

 迷う様子も見せず墓地へと向かう少年の後を、少女は付いていく。付いていきながら、自分より背の高い少年を見上げて彼女は尋ねた。

 

「ノインさんは街のことをよく知っているんですか?」

「地図は覚えている」

「お店とかは?」

「……そういうのは分からないな。ライダーと街に降りたことはあったが」

 

 ほんの数日前、ライダーに付き合って街中に出たことと、あちこち連れ回されて彼が起こす喧嘩や巻き込まれた騒ぎを収めるために奔走したことを、ノインは思い出す。

 

「ライダーさんと、ですか?」

「彼が召喚された翌日のことだ。街に行ったんだが、あの通りの自由人だからな。行く先々のトラブルに片端から関わりたがったんだ」

 

 口下手なノインでは言い包めて収めるのも上手く行かず、かと言ってデミ・サーヴァントの膂力で解決しようとすると怪我人が出かねないため、大体何かあればひたすら謝るか逃げるかの二択だった。

 どうしてそこまで誰かと関わりたがるのかと聞けば、人が好きだからと言うのがライダーの理由だった。

 自分が関わることで何かが変化するかもしれない人間たち。彼らに関わることで変化するかもしれない自分。

 全て引っくるめてライダーは人間が好きで、だから関わりたがるのだ。

 ライダーの人柄が分かった今なら、理由は彼らしいと納得できるものなのだが、初対面だったときに彼に巻き込まれた方は割りと溜まったものではなかった。

 

「それでも、きっとノインさんは楽しかったんですね。そんな風に見えます」

「ん……。まぁ、そうだな」

 

 楽しいというには強烈で、疲れただけかというには色鮮やかな時間だった。

 ただ、非常などたばた騒ぎではあった。どこを回ったかあまり覚えていないくらいには。

 苦笑のようなささやかな表情が少年の顔を過る。それをレティシアは確かに見て取った。

 いつか彼女が思ったときのように、小さくとも一度笑ってみれば少年はまた印象が異なった。

 錆びた血の色みたいだと思った瞳も、午後の明るい光の加減なのかずっと優しい色に見えた。喩えるなら夕焼けのような、そんな何かだと少女は思う。

 

「レティシア?」

 

 少女から数歩離れて振り返りながら、きょとんとノインが首を傾げていた。

 彼は最初に会ったときと同じ無表情で、艶のない黒い髪もその隙間から覗く鋭い赤い瞳も何も変わっていない。それでも、もう怖い人だとは思わなかった。

 そのとき、優しく穏やかな内側で見守ってくれている聖女の存在をレティシアは感じた。

 

「あ、な、何でもありません!さ、早く行きましょう!」

「それなら良いが……」

 

 何故急に張り切るのだろうな、と少年は自分を追い抜いて進み出す少女に向けて一度肩を竦める。

 それから早足で先に進む少女の小さな背中を、見失わないように追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想通り、着いた先は墓地だった。

 死霊術が潜むにはなるほど最適な立地だな、とノインは思う。

 潜むとしたら地下の納骨堂だろうかとノインが入り口に視線を向けた途端、まさに中から扉を蹴倒して人影が現れる。

 

「よぅ、のこのこ何しに来やがった?偽アーチャー」

 

 剣を引っさげ、不敵に獰猛に笑うのは少女、“赤”のセイバーだった。

 何も持っていないことを示すため、ノインは両手を広げて上げた。

 

「こちらに戦う意志はない。それより、話を聞いてほしいんだが」

「……おい、それは同盟の話か?」

 

 そうだ、と両手を上げたままノインが頷くとセイバーは舌打ちをした。

 

「やっぱりな。マスターの読み通りかよ」

 

 その言葉に答えるように、彼女の背後の暗がりから男が現れる。

 傷だらけの強面の魔術師、獅子劫界離は気楽そうに言った。

 

「な、俺の言った通りだろう?ユグドミレニアからの接触があるってな」

「うるせぇよ。つうか、こいつが出てくるとは聞いてねぇぞ」

「ま、そりゃ俺も予想外だったさ。よう、デミ・アーチャー、ノイン・テーター。まだ生きてたのか?大概悪運が強いな、お前さんも」

「俺は見ての通り生きているだけだ。獅子劫界離。それに悪運はそちらもだろう」

 

 表情一つ変えずに淡々と宣ったノインを、獅子劫は意外そうな眼で見た。

 レティシアからルーラーへ既に入れ替わりを済ませている少女は、死霊術師、デミ・サーヴァント、サーヴァントの間で視線を彷徨わせるが、静観を選んだのか黙っていた。

 上げていた手を下ろして、ノインはゆっくりした動きでフィオレから預かった書状を取り出す。封筒を草地に置き、数歩下がった。

 

「ユグドミレニア現当主フィオレ・フォルヴェッジからの書状だ。読んでほしい。俺の役はそれを届けることだから」

 

 セイバーは鼻を鳴らして拾い上げると、一度開封してから獅子劫に手渡した。

 用心深いことだとノインは思う。

 対魔力スキル持ちのセイバーが呪いがかかっていないか確かめるのは分かる。だが、それをこの誇り高そうな騎士が躊躇いなくやっていた。

 獅子劫が手紙に目を通す間、セイバーは剣を持ったままでやはりノインを睨んでいた。

 

「マスターが同盟組むにしても、先に言っとく。―――――オレは貴様が気に入らん。オレの前に二度も立ち、宝具まで使わせて死にもしない。羽虫みたいで鬱陶しいんだよ」

「理解はしている。俺がアーサー王配下の騎士に勝てないのは道理だ」

 

 それにしては些か嫌われすぎている気はしたが、多分こういうのを性格が合わないと言うのだろうな、と感じた。

 

「分かっていて、じゃあテメェは何でのこのこ来てんだ。そこのルーラー頼みか?」

「セイバー、それは……」

「そちらの隠れ方が上手く場所が不明だったために頼んだだけだ。協定云々に彼女は一切口を挟まない」

 

 しばらく沈黙した後、セイバーは剣を消す。それだけで威圧感が多少なりとも減った。

 獅子劫の方を振り返りつつ、彼女は

 

「おいマスター、返事はどうすんだ?断るってんならオレはすぐにこいつを叩き斬るぞ」

「やめとけセイバー。それは面倒だ。……話は受ける。ノイン・テーター。他の“赤”を倒すまで、我々は“黒”と敵対しないことを約束しよう」

「必ず、当主に伝える」

 

 死霊術師は頷き、少年は了承する。彼らはその場で別れた。

 

 

 

 





早々にばれた、どこかの天真爛漫騎士の性別。


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act-22

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

「う~ん……」

 

 トゥリファス市街のとある屋内にて、頭を捻っている少年が一人いた。

 “黒”のライダー、アストルフォである。

 

「どうした、ライダー?」

 

 彼に問い掛けるのは、“黒”のバーサーカーのマスターのカウレスである。

 街に“黒”のアサシンの調査のため赴いた彼らは、担当区域を分けて調査にあたっていた。

 ケイローンと魔術に長けたホムンクルスは新市街。カウレスとライダーは旧市街をそれぞれ担当する。

 理性蒸発のアストルフォと組んで動くのか、とカウレスは内心どうなるか心配したのだが、意外やライダーは案外普通に、むしろ精力的に動いた。

 マスターの鬱憤が溜まることは今のところはなるたけしたくないし、と、ライダーがぽつりと出掛ける前に言った一言は恐らく彼の本音だろう。

 ともあれ、消息を絶った血族の住居に赴いたカウレスたちは、そこで血族を発見した。

 ただし彼らは、拷問されて殺された痕を残す骸になっていた。

 その死に顔は凄まじく、焼き殺されたものすらあった。さすがにカウレスも肉の焼けた臭いに耐えられず、朝食を洗い場で吐き出してようやく収まった。

 魔術の防御を紙のように破って彼らを殺した手口からして、これは“黒”のアサシンなのは間違いない。

 まだ顔色がやや悪いカウレスと逆に、ライダーは珍しく厳しい表情で遺体を観察している。

 

「なぁ、何か分かったのか、ライダー?」

「いやぁ、こっちはえらく拷問されてるんだなぁって。一つ前の魔術師はただ殺されてただけだったろ?」

 

 確かに、とカウレスは思い出した。魔術師は彼以外にも殺されていたが、そこの彼はただ心臓を抉られているだけだった。

 

「拷問された奴と、されてない奴がいるってことか。じゃ、アサシンは狂ってるわけでもない。……アーチャーたちの方も同じかもしれないな」

「連絡して聞いてみようよ」

 

 アーチャーたちに同行したホムンクルスとの通信を繋ぐカウレスと共に、ライダーは家を出た。

 外に出れば、遠くにミレニア城塞が見える。

 

「連絡が付いたぞ。ここから近い新市街にいるらしいから合流しようってさ」

「オッケー!」

 

 ライダーは明るく言いながら歩き出す。

 そのまま、何でもない風に彼はカウレスに問い掛けた。

 

「ねぇ、そう言えばバーサーカーとは大丈夫なのかい?」

「大丈夫って……どういう意味だ?」

「いやさ、大聖杯取られちゃっただろ?ボクは聖杯への願いとか特に無いからその分平気だけど、バーサーカーは違うし」

「ちょっと待て。お前、聖杯への願いとか無かったのか?」

 

 願いがあるからサーヴァントはマスターに従うもの、というのが魔術師の常識だ。

 特にライダーのマスターのセレニケは、真っ当な魔術師から見ても残虐過ぎる行為に手を染めている。

 その彼女をマスターにし続けているからには、ライダーにも聖杯への願いがあるからかと思っていたのだが、違っていたのかとカウレスは驚いた。

 

「んー?特にどうしても叶えたい願いってのは無いよ。ボクはボクの力が必要って言ってくれる誰かの為に召喚された感じさ。あ、聖杯に第二の生を願うってのも考えなくはなかったけど、この状況じゃ言ってられないしねぇ」

「……へぇ、そういう英霊もいるんだな」

 

 そう言うカウレスとて、聖杯への願いは実の所はっきりと決まっていない。根源に興味はあるが、戦いの中で例えばフィオレが生命を落とせば、きっと彼女の蘇生を願うだろう。

 だから願いが無いというライダーのことも予想とは違ったことに驚きつつも受け入れられた。

 ただ、彼のサーヴァント、フランケンシュタインの怪物は違う。

 彼女は聖杯に自分の伴侶を願っている。生みの親、ヴィクター・フランケンシュタインの手で自分の伴侶となるべき相手を生み出してほしいのだ。

 けれどそれは、死人に生者を生み出してもらうということで、正に奇跡でもなければ叶えられない願いだ。

 

「……必ず時間を作ってアイツと話すつもりだよ。この状況じゃ難しいってことをさ」

 

 確率がどれだけ低くても、不可能だとは言い切りたくない。バーサーカーの願いを叶えられる可能性があるなら、カウレスだって掴みたいのだ。

 ただ誰かから愛されたかった、という相棒の少女の願いを叶えたいと思うのは人情というものだろう。

 

「……キミとフィオレちゃんは良い感じなんだよね。良いことだよ」

 

 むむむ、とライダーは腕組みをしている。けれど、カウレスを眺める瞳は優しかった。

 

「アーチャーも願いがあるサーヴァントなんだっけ?」

「だと思う。流石に聞きづらいから確かめたりはしてないが」

「だよねぇ」

 

 願いがない英霊と、願いのある英霊。

 “黒”の中でもそれは別れている。同じことは、あっち側にも言えるんじゃないだろうか、とカウレスが呟くとライダーはさらに首を捻った。

 

「だよねぇ。“赤”のサーヴァントたちは、そこら辺どうするんだろ?だって人類救済っていう天草四郎のどデカい願いに聖杯使っちゃったら、他の願いを叶える余地とか無さそうだし、七人全員ボクみたいにお気楽って訳でも無いだろうし」

「令呪があるから言うことを聞かざるを得ない……ってことは?」

 

 言ってしまってから、カウレスはそれも十分ではないと思った。

 現に令呪を使われながらも、主を斬ったサーヴァントはいる。

 彼も直後に自我は呑まれたらしいが、性能はともかく精神面が英雄の領域に到達していない少年で令呪にある程度逆らえたなら、完成した英雄たちに令呪が何処まで通用するか分からなくなってくる。

 とはいえどれもこれも、ここで考えても想像にしかならない。

 

「結局、“赤”が一枚岩じゃない方が、俺たちには良いんだが、そう上手くいきゃ苦労はないよな」

 

 違いないねと、ライダーは頷き、急にこめかみを押さえた。

 

「どうした?」

「ルーラーから通信だよ。“赤”のセイバーたちとは協力関係は築けたって。ノインはフィオレちゃんに報告するから城に戻るけど、ルーラーはこっちに合流するってさ」

「早いな。もっと手間取るかと思ったぞ」

「口下手ノインも上手くやったんだねぇ」

 

 うんうんと頷くライダーを見て、ふとカウレスは、数日前に初めて会ったノインを思い出した。

 無機質で冷淡で、正にそこにいるだけの人の形の使い魔そのもののような少年だった。あれで自分より歳下だと聞いたときは、カウレスは驚いたものだ。

 その彼が当主に逆らい、ホムンクルスを庇い、まだこの戦いで生き残っている。先だっての会議でも、話し方にも変化はあった。

 それはこのライダーやアーチャーたちとの接触が原因なのだろう。

 ダーニックが令呪を斬り落とされることになったのも、多分その部分を見誤ったからだろうとカウレスは冷静に捉えていた。

 魔術師として貴族としての長い長い人生を歩んだ故に、ダーニックは急に人間らしくなったデミ・サーヴァントを認められなかった。

 それにカウレスは、ロシェがノインへ怒りを叩き付けた様も見ていた。彼もノインを人間としては見ることができていない。だから尚の事、師を奪われたと怒った。

 ダーニックが令呪を斬られ、ランサーに殺されたときもきっとあんな風に起きたことを認められないままの最期だったのだろう。

 結局、他者を認められなかった魔術師は対価を自分自身の生命で支払う羽目になった。

 あれはただそれだけのことだと、カウレスはどこか突き放していた。

 ノインを恨むこともないし、彼の過去に何があったとしても同情することもない。ただ味方の一人として見ればいた方が有り難い。そういう存在だ。

 それにしても、とカウレスは一度思考を打ち切る。

 早く“黒”のアサシンのこの一件を解決したいなと、カウレスは空を見上げてため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか、“赤”のセイバーとは―――――」

 

 ミレニア城塞内部。

 当主の執務室で、フィオレに獅子劫とセイバーとの話し合いの結果をノインは伝えた所だった。

 フィオレは満足そうに頷いている。

 彼女の傍らにはバーサーカーが護衛のように佇んでいて、虚ろな表情ではあるものの、ノインから眼を離してはいない。

 カウレスに置いて行かれたのが不満なのかもしれないな、とそんなことをふと思う。

 

「分かりました、ノイン・テーター。あなたはカウレスたちが戻るまで城で待機していて下さい」

「了解した」

 

 一礼し執務室を出て、廊下に出る。

 窓の外には“赤”のバーサーカーの一撃で壊された城壁が、傾いた日の光に照らされて無惨な姿を晒していた。

 あれの修理でもしようか、とノインが思った所で気配を感じる。

 

「おい、もう帰っていたのか?」

 

 廊下の曲がり角から現れたのは、トゥールとジーク、それにゴルドという三人である。見たことのなかった組み合わせに、ノインは一瞬呆けた。

 

「デミ・アーチャー、聞いているのか?」

 

 苛立たしげにゴルドは腕組みをする。

 

「……すまない。少し見たことのない面子だったから驚いただけだ」

「そんなことで驚くのか、お前は」

 

 それを言うなら、こうしてゴルドがホムンクルスの手助けをしていることの方が驚天動地なのだが、と言いかけてノインはやめた。

 肩を竦めるだけに止め、セイバーとの協定が成立したことを手短に語ると、トゥールが様々な器具の入った箱を抱えた無表情のまま頷く。

 

「成功して良かったな。セイバーに斬られていないかと心配していたぞ……主にジークが」

「おい、トゥール……」

「事実だろう。しかし、それなら何故お前だけが戻った?アサシンの探索に行かなくて良いのか?」

 

 答えたのはノインではなく、ゴルドだった。

 

「ああ。こいつとあのライダーを一緒にするとロクでもなさそうだから、止めた。お前たちは組ませると途端に行動の予想が付きにくくなると判断したまでだ」

 

 それが理由か、とゴルド以外の三人は顔を見合わせた。

 

「……まぁそれはともかく、何か手伝うことはあるか?」

「それならジークと器具運びを頼む。負傷者も体の弱い者もまだいるからな」

 

 トゥールから箱を渡され、嵩張りはするが全く重さは感じないそれをノインは受け取った。

 彼らと別れ、ジークとノインは歩き出した。

 

「今更だが、ノインの力は凄いな。それは、俺やゴルドでは持ち上がらなかった箱だぞ」

 

 ぼそりとジークに言われ、ノインは持った箱を見下ろす。それでトゥールが持っていたのかと納得した。

 さっきの三人の中で一番華奢に見えるが、戦闘用ホムンクルスだった彼女の身体能力は寿命を犠牲にした分図抜けている。

 研究者型魔術師のゴルドや、元が供給用ホムンクルスだったジークとは比べるまでもない。

 

「俺はデミ・サーヴァントだぞ。これくらい持てないと格好がつかない」

「格好の問題なのか……」

 

 そうだ、と軽く言おうとしてノインは廊下の先に少し嫌な気配を感じる。

 現れたセレニケにノインとジークは微かに眉をひそめ、彼女の方は露骨に舌打ちをした。

 

「もう戻ったのかしら、デミ・サーヴァント」

 

 横を通り抜けようとして呼び止められ、ノインは仕方なし振り向いた。

 セレニケの眼は変わらず憎悪で凍っている。何がどうしてここまで憎まれているのか、ノインに理屈は理解できても実感が湧かない。ジークも同じようなものである。

 彼らは共に、愛憎の激しさを知らないからだ。

 それ故に彼らがセレニケを見る瞳はどこか茫洋とした熱のないものになり、尚更彼女の堪に触った。

 

「……見ての通りだ」

「そう。それでお前はホムンクルスなんて道具と行動している訳ね。道具同士、情が湧いたのかしら?」

 

 ノインにはやはり、セレニケの感情の激しさは分からなかった。

 分からないために、返す答えもどこかずれていた。

 

「あなたがどう思おうがあなたの自由だ。でも城でホムンクルスたちにちょっかいをかけようとするのはやめろ。彼らはあなたの不満の捌け口ではない」

 

 指摘され、セレニケは手にした木製の鞭の柄を握り締めた。彼女によって拷問にかけられたことも、少年は些細なこととして問題にしていなかった。つまり、相手にされていない。

 道具風情がと思うが、ランサーの杭もダーニックの令呪も無くなった今、数日前のようにデミ・サーヴァントの体を壊すことはできない。それにこの状況で、フィオレが許すはずもない。

 セレニケは少年には敵わない。その事実が一層感情の昂りに拍車をかけていた。

 

「そう……。あくまでもセイバーを犠牲にしたそこの恥知らずの肩を持つのね。そうして脆弱な道具同士馴れ合っていなさい」

 

 捨て台詞を吐いて、セレニケは廊下を曲がって消える。

 彼女の姿が見えなくなってから、重い荷を下ろしたときのように、ノインは深く息を吐いた。

 ふと横を見ると、ジークの顔がやや青褪めていた。黒魔術師の指摘は、確かに彼の急所を突いていた。

 そのまま歩き出すが、しばらくどちらも何も言わない。ややあって、ジークがぽつりと言った。

 

「……改めると、やはりこちらの陣営はセイバーがいないのが致命的なんだな」

「……」

 

 ノインは黙って先を促した。

 

「セイバーが死んだのは――――やはり俺がいたのが大きな理由ではあったことに、間違いはないんだな」

「なぁ、まさか心臓を媒介にデミ・サーヴァントのようになれないか、なんて考えているのか?」

 

 問い返されてジークは黙る。その行動が答えだった。

 箱を抱え直して、ノインは平坦な声で言った。

 

「成功例がいるからできると思ったのかもしれないが、誤りだ。心臓は確かに触媒になる。憑依ならできるかもしれない。でもデミ・サーヴァントにはなれない」

 

 何故と言いたげなジークに、ノインは言葉を選ぶように一度片目を閉じてから語り始めた。奇妙に平坦な、感情を殺した声だった。

 

「……サーヴァントの依代として造られた存在たちでも、偶然に頼るしかなかった。十年そのために生きた人間でもそれなら、三ヶ月のジークにはできない」

 

 人と英霊を融合させる、デミ・サーヴァント実験。その被験者が一例だけということは無論なかったと、ノインは淡々と語った。

 

「俺たちは十人いて、俺は九番目だった。末っ子さ」

 

 けれど、ノイン以外は皆いない。この世の何処にも、彼らはいない。兄や姉は順に櫛の歯が欠けていくようにいなくなってしまった。

 どうしてそうなっていったかは、忘れた。

 

「融合実験の後も生きていたのは俺と十番目(ツェーン)だけだった。あいつは遺伝子で言えば、俺の双子の妹だったよ」

 

 優しくて儚くて、おとぎ話の絵本が好きで、どうしてもサーヴァントという戦う為の機構になれない少女だった。

 そして融合は成ったはずなのに、ノインも十番目(ツェーン)も全く英霊としての力が引き出せなかった。それを引き出す為の実験でノインは生き残り、彼女は帰らなかった。

 

「英霊の魂は本人に悪意がなくても、ただ存在だけで人を殺してしまう。それだけ大きくて、途轍もないものだ。仮にセイバーを憑依させたなら、あんたは遅かれ早かれ自分でいられなくなる」

「死ぬ、のか……?」

「生命が削られ、魂が軋む。自分の中から何かが欠けて、壊れていく。……そうなりたいのか?」

 

 死にたいのかと、遠回しにジークは尋ねられていた。

 答えられない彼に、ノインは最後に言った。

 

「あんたには“黒”の九番目のサーヴァントになんて、なってほしくない」

 

 前だけを向いて歩きながら、ジークの顔を見ずにノインは言った。

 いつも淡々としているノインの、珍しい乱暴な語気だった。話したくないことを話したために、そういう口調になったのだ。

 二人分の足音だけがしばらく磨かれた床に反響する。ジークの横を歩くノインの顔は人形に戻ったように、暖かみが欠片もなかった。

 何か言おうとジークが口を開いた、そのときだ。ノインの足が止まった。

 

「待て……。何か不味い……!」

 

 箱を下ろして、ノインが窓に駆け寄る。

 そこには夕日に照らされる城壁と瓦礫を片付けるホムンクルスたちが見えていたはずなのに、今や何も見えなくなっていた。

 濃く白い霧が、外に立ち込めていたのだ。

 

「霧……」

 

 魔術を操る英霊の眼で、ノインは霧を見ていた。

 

「あれは……宝具だ!襲撃されてるぞ、この城は……!」

「誰にだ?」

「アサシン。―――――マスター殺しのサーヴァントだろう」

 

 燐光を纏ったノインがサーヴァントになる。槍を持ち走り出す寸前、ジークに向けて叫んだ。

 

「外の仲間たちをどうにかしろ!こっちはマスターの方へ行く!」

 

 風となってノインは消える。ジークも窓の外を見てから、彼とは逆の方へ走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 





きょうだいがいたという話。

絵本は読まないと言う人間が、何度も読まれた本を大事に持っていたのは妹のものだったから。


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act-23

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 ミレニア城塞に不吉な白い霧が立ち込めるほんの少し前のことだ。

 結果的に、“黒”のアサシンの狙いに最初に気付いたのは、カウレスだった。

 ルーラー、アーチャーたちと合流したカウレスは、各々が調べた先で見た遺体の状態を突き合わせた。

 ライダーとカウレスが考えたように、魔術師たちの中には効率的に魔力を摂取できる心臓をただ抉られて殺されている者と、何かの情報を引き出す為に拷問されてから殺された者がいたのだ。

 犠牲者の選別を行っている時点で、アサシンのジャック・ザ・リッパーは血に狂った殺人鬼ではない。

 おまけに一度相対したアーチャーとフィオレの記憶から、自分に関する情報を根こそぎ抹消する、何らかのスキルか宝具まで持ち合わせているのだ。

 そこまで暗殺者として優秀なサーヴァントが、拷問で一体何を手に入れようとしたのかが重要になる。

 カウレスの使った降霊術で死者の念を再生した結果、拷問されている魔術師は城への潜入方法を聞き出されてから殺されていたことが分かった。

 つまり“黒”のアサシンの狙いは、ミレニア城塞への侵入。そしてマスターの暗殺である。

 隠れ潜み続けるのではなく、本気でアサシンは自分以外の“黒”を潰そうとしていたのだ。

 それを悟ったとき、カウレスは全身から血の気が引く思いがした。

 そうと分かれば、城に取って返さなければならない。城にいるサーヴァントは、バーサーカーとノインだけ。マスターはフィオレとセレニケがいる。

 降霊術を行った地下から飛び出し、カウレスは外への階段を駆け上る。

 

「アーチャー!城に急いで戻ってくれ!アサシンの狙いは城にいるマスターだ!姉さんが危ない!」

 

 姉と繋がる携帯の番号をカウレスが押し終わる前に、アーチャーは既に姿が消えていた。最速で城へ戻ったのだろう。

 電話でカウレスはフィオレに急を告げる。しかし、途中で妨害されたように通話が切れた。画面は圏外になっており、それがどうしようもなく嫌な予感を掻き立てた。

 カウレスとアーチャーに続いて、屋内から飛び出したライダーが彼に詰め寄る。

 

「ねえキミ、つまり、アサシンはもう城にいるのかい!?」

「その可能性が高い!結界の解除コードを知ってた奴が殺されたのは、数時間も前だ!あんたたちも早く戻ってくれ!」

 

 言うと、ルーラーとライダーの顔がさっと青褪めた。

 まだ日は沈んでおらず、人影はあるが言っている場合ではない。ライダーとルーラーもアーチャーの後を追って正に飛ぶような勢いで駆け出し、たちまち姿が見えなくなった。

 カウレスもその後から、全力で追いかける。

 姉と相棒の姿が走るカウレスの頭を過った。

 とにかく無事でいてくれと祈りながら、もどかしい程遠く見える城塞へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧はあっという間に、城の中にまで忍び込んで来た。

 城内のゴーレムが壊れて倒れていることから、何らかの攻撃性がある霧だとノインは判断する。

 デミ・サーヴァントだからか、ノインに痛みはない。ただ、体が妙に重かった。敏捷ステータス辺りが低下しているのかもしれないが、それでもノインは速いのだ。

 “黒”のアサシンの狙いがマスターの暗殺だと判断したとき、真っ先にノインが思い出したのはセレニケである。

 フィオレの側にはバーサーカーがいる。が、セレニケにはいない。彼女の人と成りがどうあれ彼女はライダーの命脈を握っている。

 ノインが廊下を駆け戻ると、既に白い霧が立ち込めていて先が見通せなくなっていた。それでも数メートル先に、ぼんやりと動くセレニケらしき人影が見えた。

 ―――――ぴり、と殺気が肌を刺したのはまさにその時だった。

 

―――――不味い!

 

 跳躍し、槍を構えてノインはセレニケの前に立った。

 突然霧の中から現れたノインにセレニケは驚いたように眼を見開いたが、直後に自分を取り戻したのか鞭で廊下をぴしりと叩いた。

 

「これはどういうことなの!?」

 

 口を開きかけるより先に、ひやりと冷たいものがノインの首筋を撫でた。

 

―――――へんなの。あなたはとってもおいしそうだけど、ちょっと食べにくいかも。

 

「ッ!?」

 

 あどけない誰かの声が耳元で響き、ノインは背後に向けて槍を振るう。

 何かを斬った感触はあった。だが、浅い。

 

―――――いたいなぁ。ひどいことするのね。

 

 声が霧の立ち込める廊下に反響し、感覚が乱される。脳に霧が毒のように染み込んでいる感触があった。痛みは感じない分、不快感が募った。

 すぐ間近にいるのは確かなのに、場所が掴めない。

 

「デミ・サーヴァント、聞いているの!?」

 

 耳に突き刺さる甲高い叫びを上げたセレニケに、集中力が掻き乱される。

 彼女の方を振り向いた瞬間、ノインは見た。

 セレニケの背後に、人影があった。

 子どものように小柄な、黒い靄―――――呪詛を纏った誰かが正にセレニケの背中に触れるのを見たのだ。

 唄うような、嗤うような、呪いの声が囁いた。

 

―――――『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)!』

 

「ッ!」

 

 反射的にノインは手を伸ばした。伸ばして、セレニケの腕を掴む。

 だがセレニケの腹が膨れ上がり、眼球がぐるりと裏返った。

 直後に水の詰まった風船が弾けたような音がする。

 ぬるま湯のような何かが顔にかかり、視界が一瞬真っ赤に染まった。

 

「な……!?」

 

 ノインの掴んでいたセレニケの腕が、がくりと落ちた。腸が、肝臓が、鮮血が、臓物の何もかもが廊下にぶちまけられている。

 糸の切れた操り人形のように、セレニケの体は自分の血溜まりの中に倒れ込んだ。

 鮮血が跳ねて、ノインの頬に飛んだ。鉄臭い臭いが鼻腔を満たす。

 セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアは、疑いようもなく死んでいた。

 

―――――ひとりめ!

 

「アサシン―――――!」

 

 子どものような小さな影が、霧の中へ消えかける。

 その刹那にノインは雷光のような勢いで槍を滑らせた。今度は逃さず、槍がナイフを持った小さな肩に深く突き刺さる。

 アサシンを槍の穂先に引っ掛けたまま、ノインは槍を振り回し霧の中から暗殺者を引き摺り出して、壁に叩きつけた。

 槍を引き抜いてとどめを刺そうとしたところで、ノインの槍が一瞬鈍る。

 霧から引き剥がされ姿を現したのは、短い銀髪の幼い子ども。まだ幼くあどけない顔立ちの、小さな体躯の少女だったのだ。

 予想外の姿に、ほんの刹那ノインの動きが止まる。

 それでも躊躇いは瞬間で掻き消える。少年が槍を振り下ろそうと動いたときだ。

 

「えっ……!?」

 

 横合いから、予想外の声がした。

 ノインの眼が動くより前に、倒れたままだったアサシンが下から掬い上げるようにして、手から光る何かを放つ。

 標的に光が突き刺さる前に、ノインは動いてそれを叩き落とした。

 からんと乾いた音がして、銀色の細いメスが二本、廊下に落ちる。

 

「え、デミなのか……!」

 

 庇われた誰か―――――ロシェは呆気に取られているようだった。だが、ノインに彼を構う余裕はない。

 アサシンはノインがメスを防いだその時間で霧に飛び込み、姿を消していたのだ。

 

―――――いたいことをした。わたしたちを、刺した!

 

 そんな呪いじみた叫びだけが、廊下に反響する。サーヴァントの殺意を初めて直に、まともに浴びたロシェは尻餅をつく。

 更には霧を吸うと肺に刺すような痛みが走った。咳き込むとロシェの手には血が付いていた。

 

「なに、何なんだよ、コレ……!?」

「呪詛だ。このアサシンは呪詛使いなんだよ。セレニケがそれで殺された」

 

 ロシェはそこで、ようやくセレニケの死体に気付いた。流れる血が、彼の茶色い革靴を暗い色に染める。

 血族の無惨な死体を目の当たりにして、ロシェの喉が呼子の笛のように鳴った。

 そこから視線を逸しロシェは頭から彼女の血を浴びて、全身が血塗れになっているデミ・サーヴァントの背中を見た。暗殺者の殺気を浴びても、その背中は揺らいでいなかった。

 槍を構えているノインは全く気が抜けないのだ。セレニケを殺したのは恐らく呪詛である。

 対魔力スキルのある自分ならば、毒性の霧も呪詛もまだどうにかはなる。

 だが、ロシェを何が引き金か分からない呪詛から守るのは、ただの攻撃を防ぐより難しい。それに霧が解除されなければ、彼は毒で殺されてしまう。

 息詰まる時間が流れた。

 そのとき何処か遠くで、何かが壊れるような音がした。

 それを合図にしたかのように、急に殺気が薄れた。

 

「もう来ちゃったの。おもってたよりはやいね」

 

 霧の中から、銀髪の少女が現れる。

 肩から血を流す少女はナイフをくるりと回すと、切っ先をノインに突き付けた。

 アイスブルーの瞳が飢えた獣のように光っていた。

 

「つぎは、ぜったいかいたいするからね」

「待て、アサシン!」

 

 ノインは叫んだが、アサシンが止まる訳もない。

 少女はガラス窓に体当たりをすると、外に立ち込める霧の中へ姿を消す。

 

「くそ……!」

 

 ノインも後を追おうとし、片足を窓枠に掛けたところで思い付いて振り返った。

 

「ロシェ!おい、ロシェ・フレイン・ユグドミレニア!」

 

 まだ尻餅をついたままだった少年は、鋭いその声に首を巡らせて反応する。

 

「監視用のゴーレムがいるだろう!この廊下の映像と音声の記録を撮るんだ!」

「あ……!」

 

 呆然としかけるが、ロシェはすぐに意味に気付いたのか立ち上がった。

 彼がどう動くかを確かめる前に、ノインは窓枠を蹴り、底が見えない霧の中に飛び込んだ。

 内臓が浮き上がるような浮遊感を味わうがそれはすぐに止まり、足元に硬い地面を踏み締める。

 霧による痛みはないが、とにかく視界が悪く、勘が狂わされる。

 直感スキルでもあれば、とちらりとそんなことを思った。

 前に進む。彼方から小さな足音が聞こえた気がする。

 

―――――軽い足音……?子どもか?

 

 アサシンは子どもだったのかどうか。

 考えようとしてノインは自分がそれを思い出せないことに気付いた。

 

「やられた……!」

 

 記憶から己の存在を抹消する、アサシンの特性が発揮されていた。

 ノインには最早アサシンの姿形も、攻撃方法も思い出せなくなっている。鮮明なのは腹の中をぶち撒けて死んだセレニケの遺体だけだ。

 それでも、聞こえる物音を頼りに進もうと踏み出したときだ。

 

「ノイン君!」

 

 呼びかけられ、ノインは止まる。槍を手の中で滑らせかけ、引き戻した。

 現れたのは鎧を付けた聖女。険しい顔のルーラーがそこに立っていた。

 そして彼女が現れると時を同じくしたのか、霧が晴れていく。気付けばノインは夕焼けで橙色に照らされる中庭に立っていた。

 既に気配が無い。完璧にアサシンに逃げられていた。

 槍を引き、ノインはルーラーの血相が何故か変わっているのを見た。

 

「どうしたのですか、その血は!?」

「あ」

 

 完全に忘れていたが、ノインはセレニケの血を頭から浴びていたのだ。

 鎧から顔から全身が真っ赤で、髪の先から血が滴っている。驚かれるのが当たり前だった。

 

「……俺の血じゃない。これはセレニケの―――――」

 

 言いかけ、ノインは思い当たった。

 セレニケが死んだ。つまり、ライダーのマスターが消えたのだ。

 マスターのいなくなったサーヴァントは、遅かれ早かれ消滅してしまう。

 

「ルーラー!ライダーは!?」

 

 今度はノインが焦る。

 ルーラーは寸の間黙り、複雑そうに後ろを振り返った。

 

「ライダーたちは間もなく来ます。彼らは無事なのですが……」

 

 それにしては歯切れの悪い返答だった。

 何かあったのかと問う前に、彼女の背後から人影が二つ現れた。

 

「ど、どうしたんだい、それ!?」

 

 ライダーの大声で、ノインは彼の方を見た。その横にはジークがいて、右手の甲を左手で押さえている。指の隙間からは刻印が見えていて、その意味が分からないノインではなかった。

 強い風が吹いて、瓦礫の欠片が落ちる。かつんと乾いた音が、三人の間で響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレニケが死んだとき、ライダーには無論その異変は伝わった。

 魔力供給のラインが断たれ、ライダーの体から力が抜けていく。そこに出くわしたのが、外にいた仲間を探していたジークだった。

 消滅しかかっていたライダーを何とかできないのかと、ジークはルーラーに尋ねた。

 彼女には令呪があり、ジークにはサーヴァントの欠片が鼓動していた。二つの要素が組み合わさり、ジークは”黒”のライダーのマスターとして成立することになった。

 アサシンの襲撃が終わったのち、再び血族用の会議室でジークとライダー、ルーラーは何があったかを述べた。

 そんなことがあるのかと、彼らから事情を聴いたフィオレは額を手で押さえた。

 

「サーヴァントの心臓が何らかの作用を及ぼしたのかもしれません。彼の令呪はマスターたちのものとは些か異なっていますし」

 

 ”黒”のアーチャーの落ち着いた声の見解で、フィオレに頷く。実際ジークの令呪は、ユグドミレニアの者たちの赤いものとは異なり黒かった。

 それでもセレニケの死という衝撃を受けたからか、フィオレの顔色は悪い。カウレスとバーサーカーはそんな姉を心配そうに見ていた。

 

「ともかく、起きたことは仕方がありません。ライダー、ラインはきちんと繋がっていますか?」

「うん。それは無論。魔力もたくさん流れて来てるよ」

 

 元々魔力供給用のホムンクルスだったジークである。ライダーに流れる魔力は、セレニケがマスターだった頃より多い。

 だが、それはそれとしてこのままジークをマスターとして認めて良いのか、ユグドミレニアの長としてフィオレは迷っていた。

 マスター権だけで言うなら、ゴルドやロシェがいるのだ。ジークの令呪を移せば、また彼らはマスターになれる。

 

「ライダーのマスターはそいつのままでいいと思う。ホムンクルスなんだから供給できる魔力の量で言えば、僕たちより優秀だろ」

 

 テーブルの上に廊下に仕掛けていた監視用ゴーレムの残骸を並べながら、ロシェがややぶっきらぼうに言った。

 

「それはそうかもしれませんが、あなたは構わないのですか、ロシェ?」

「別に。僕は元々先生以外と契約するつもりは無かったし、ライダーと相性がいいのは僕やゴルドよりそいつだろ」

 

 ゴルドも同じ意見なのか、肯定の唸り声を上げた。

 

「それよりも、こっちを見てくれよ。当主様」

 

 アサシンを追う直前にノインが叫んだ一言で、ロシェは廊下の監視ゴーレムから、ぎりぎりで映像を取った。

 ほとんどは霧のせいで壊されていたが、僅かながら声が拾えていた。

 聞こえたのは、奇妙に籠った何人もの声が重なっているかのような声。それも、どことなく幼い人間が話しているように聞こえた。

 もう一つの音声はアサシンが呪詛使いだと叫んでいたノインの声である。だが、それも覚えていないノインは首を捻っていた。

 

「アサシンは子どもなのか……?」

「何で忘れてるんだよ。こいつと戦ったんだろ?」

 

 そうは言っても記憶が消されているんだから仕方ない、とノインはロシェに向けて首を振った。

 呪いを扱う黒魔術師の血を全身に浴びたことをルーラーに心配され、問答無用で頭から聖水をぶっかけられたノインは、まだ濡れている髪のまま会議に参加していた。

 

「それでも、このアサシンが呪詛使いだってことは分かっただろ」

「ええ。ロシェとゴーレムのお陰ですね」

 

 フォルヴェッジの姉弟に言われ、ロシェはやや得意げに鼻を鳴らした。

 アサシンの殺気に中てられていた彼だが、ゴーレムが絡むと途端に元に戻るのだな、とノインはその様子を見て思う。

 加えてカウレスが携帯のカメラで撮影していた白い霧の映像を持ち出した。

 ルーラーが口を開いた。

 

「霧と呪詛……。アサシンは或いは悪霊の類かもしれませんね。ジャック・ザ・リッパーが魔術師とは思えませんし」

「それなら、ルーラーの洗礼詠唱が有効となるでしょう」

「うーん、それは良いけどさ、問題はどうやってアサシンを倒すかってことだねぇ?」

 

 一度失敗したからには、もうアサシンは城にはやってこないだろう。

 潜伏していると思われるトゥリファスに向かうしかないのだが、どこにいるかがルーラーの探知能力でも分からない以上、こちらから先制攻撃ができない。

 

「囮で誘い込む、か?」

 

 ぼそりとジークが発言する。

 危険だが、時間が限られている今、それが最善の手だった。だがそうなると問題は、誰が囮になるのかということになる。

 会議室に沈黙が落ちた。

 

 

 

 

 





連続殺人鬼は怖い話。
セレニケが脱落しました。


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act-24

感想、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 囮という言葉が出たとき、ユグドミレニアの魔術師たちの視線は卓の上を彷徨った。

 庭園の追跡を優先させる以上、虱潰しに探すという方針は時間がかかるため取れない。

 狩りやすい獲物に見せかけた囮でアサシンを誘い込んで、潜ませたサーヴァントたちで殲滅する。それが手なのは分かってはいるのだが、逆に言えばアサシンも作戦を予期しているだろうということだ。

 現にユグドミレニアとルーラー側はアサシンの城への襲撃を防げずに、一度裏をかかれているのだから。

 けれど、アサシンも“黒”を討つつもりなのは間違いないから、こちらの作戦に敢えて乗ってくるとも考えられる。

 確かなことは、囮が誰であれその人物は危険を伴うということだ。

 サーヴァントが囮をできれば良いのだが、気配であからさまに罠と悟られてしまうだろう。流石に大っぴらに歩くサーヴァントを襲撃するほど、アサシンが短絡的な訳がない。

 この場にいる中で一番死ににくい生身で、アサシンの獲物である優秀な魔術師に擬態できる人間が誰なのか、それももうとっくに分かっている。

 

「囮なら俺がやるが……」

 

 ノインがそう言うと、魔術師たちは目を逸らしたり頷いたりと各々な様々に反応する。

 それを横目に見ながら、ノインは言葉を続けた。

 

「けれど正直、俺にアサシンが引っ掛かるか分からない。顔を見られているし、戦ってもいるからだ」

 

 問題はそこになる。

 デミ・サーヴァントという存在は予想されていないだろうが、人間の気配をしていながらサーヴァントと戦える特殊さを持つことはアサシンにも分かったはずだ。

 そんな存在がうろうろしていて、仕掛けてくるのだろうか。

 

「何だよ、それじゃ役に立たないじゃないか」

「ロシェ!」

 

 フィオレが尖った声を出し、ロシェは横を向いた。

 霧の異常を察知し、篭っていた工房から出てきた所をノインに庇われた彼は、そのまま引きこもる場所に戻らなかった。その様子からして、ユグドミレニアの魔術師としては持ち直していたらしい。

 が、やはり師の願いを壊し自分が罵った張本人に庇われて守られたという事実が簡単に飲み込めないらしく、ノインにだけ妙に当たりがきつかった。

 英霊としての風格らしいものが無い分、そういう感情を向けやすいのだろうとノインは考えていたし、自分にだけロシェの感情の矛先が向いて、ルーラーやライダーたちに行かない限り特に何かを思ったりはしない。

 むしろ、尊敬する相手を喪った哀しみからこれだけ早く立ち直れたことは良かったと思うし、それができたロシェに驚いていた。

 ライダーが腕組みをして真面目な顔で言った。

 

「……変装するとか?ほら、女装とかしたら分からないんじゃないかな。ノインってボクと同じくらいの体格だしさ」

「いやいやいや、いやいやいや、何を言っている。無理だろう」

 

 体格だけで上手い変装ができる訳がない。

 それに何なんだ女装って、とノインはぶんぶん手と首を振った。

 

「えぇえ〜?ノインなら行けると思うけどな」

「ライダー、真面目に考えて下さい」

「むぅ、ひどいぞルーラー。ボクは真面目だってば!」

「尚更駄目じゃないですか……」

 

 ルーラーが頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てる。

 それで、セレニケの死という事実で重くなる一方だった空気がやや軽くなったのをノインは感じた。

 カウレスが一つ咳払いをする。

 

「女装はともかく、サーヴァントの気配を隠して動けるのはそいつだけだろ。……囮なら俺がやるから、ノインが隠れて護衛ってのでどうだ?」

「ゥウ……」

 

 カウレスが言うと、それまでじっと黙っているだけだったバーサーカーは、眉をひそめながら彼の服の裾を引っ張った。

 カウレスは一度黙ってから、バーサーカーに聞かせる意味も兼ねてかゆっくりした口調で続けた。

 

「姉さんはアーチャーのマスターとして知られているだろ。それにゴルドのおじさんとロシェより、俺の方が足が速い」

「ゥウウッ……」

 

 しかし納得が行かないのか、バーサーカーは唸っている。カウレスは困ったように茶色い髪をかいた。

 そこに静かな声が響いた。

 

「待て。……囮なら、俺がやる」

 

 ジークだった。

 ルーラーとライダーがぎょっとしたように目を見開く。

 

「ちょ、マスター、本気かい!?」

「本気だ。……俺はアサシンが許せない。あいつの霧で仲間が一人死んだんだ。仇を取りたいと思うのはおかしいか?」

 

 いつも無表情なジークの眼が燃えていた。

 外にいたホムンクルスたちのうちの一人、少女の姿をしていたジークの仲間が、霧の毒で殺されていたのだ。ただそこにいただけで巻き込まれ、少女は死んだ。

 それを許せないとジークは静かに激しく怒り、アサシンを憎んでいた。

 

「おかしくないが、危険だぞ。分かっているのか?」

「分かっている。誰がやっても、これは危険だろう」

 

 それなら自分からやるという意志のある人間が行うと、ジークは言った。

 名乗りを上げたカウレスも本音で言えば囮がやりたい訳ではない。

 ジークもカウレスも、サーヴァントを相手にして生き残れる確率なら有り体に言うと、然程変わらず低いのだ。

 それにどちらもマスターでもある。それなら、意志があるかないかで決めることは道理ではあった。

 

「でも、でもさ……君がそんなことしなくても」

 

 けれど、道理がその通りでも納得がいかない。バーサーカーもライダーも同じようにマスターの安否が心配なのだ。

 また空気が淀みかけたとき、急にルーラーが手を上げた。

 

「あの、一つ提案があるのですが―――――」

 

 そうして彼女から告げられた案に、誰もが驚いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、会議の終わったその夜少女は目覚めた。

 微睡みから緩やかに意識が浮かび上がって、覚醒する。目を開けると、暗闇に沈んでいる見慣れない天井が見えた。

 

「聖女、様?」

 

 少女、レティシアはその名を口に出した。

 レティシアは眠っていた。アサシンへの対策を話し合う会議で一つの提案をルーラーに対して言ってから、彼女は内側に籠もっていたのだ。

 いつもならルーラー越しに外界を見続けるのにそんなことをしたのは、ただノインの顔を見れなかったからだ。

 ルーラーを通してレティシアのしたある提案で、ノインは呆然とした顔になっていた。

 まさかそんな表情をさせてしまうとは思っていなくて、ついレティシアは幼い子どもが頭を抱えて丸くなるかのように閉じこもった。

 そうして会議が終わり、各人が明日に備えて引き揚げた。ルーラーは睡眠を取るため部屋に戻り、レティシアも同じく眠る。

 しかし、数時間ほど眠ったルーラーの意識が軽くレティシアへ接触してきたのだ。

 目覚めて外を見た方が良い気がする、と。

 だからレティシアは自分としての意識を持ち、自分の体で三度目の覚醒をした。

 音を立てないよう、借りている部屋の扉を開ける。廊下には月に照らされたガラス窓の格子の影が落ちて、不思議な紋様を描いているように見えた。

 静かだが、城の全員が眠りに付いている訳では無い。魔術師たちは各々何かの作業に取り組んでいる。

 それでも、レティシアのいる廊下は彼女の

靴音が聞こえるくらいには静かだった。

 ルーラーの借りた部屋は、ホムンクルスたちが眠っている場所に近い。すぐに彼らの眠る場所につく。

 そこにはジークと、彼のサーヴァントになったライダーがいる。彼らが眠っている大広間の片隅をレティシアが覗くと、ライダーは毛布をうっちゃってジークに抱き着くようにして眠っていた。

 レティシアの中で、ルーラーがライダーに怒った声を上げている。

 

―――――もう、ライダーったら!

 

 そんな聖女の声にレティシアは胸の奥が暖かくなるような気持ちになる。

 そっと足音を殺して近寄って、ジークとライダーに毛布をかけてから、レティシアは辺りを見渡した。

 ジークの横には空いた寝床が一つある。毛布は丁寧に畳まれていて、その上に絵本だけが乗せられている。

 

―――――そこは、ノイン君が使っている場所だと思います。

 

 ルーラーは教えてくれたが、当人の姿は無かった。

 

「おい、ルーラー。そこで何をしている?」

 

 急に話しかけられ、レティシアは驚いて飛び上がりそうになった。

 振り向くとそこにはトゥールがいて、無表情にレティシアを見下ろしていた。彼女が慌てて口を開こうとした気配を察してか、トゥールは人差し指を唇に当て、声を抑えてほしい、という仕草をする。

 気付いたレティシアが何度もこくこくと頷くと、トゥールは小声で言った。

 

「……ジークに会いに来たのか?」

「ええと、あの……」

 

 トゥールはレティシアの視線を辿って空の寝床を見ると、納得したように肩をすくめた。

 

「ノインの方か。彼ならさっき出て行った」

「え?……どこに?」

「さあな。だが、サーヴァントの気配を探ればルーラーのお前なら分かるだろう」

 

 当たり前だが、トゥールはレティシアをルーラーと思っていた。

 

「あ、そ、そうですよね。うっかりしていました」

 

 トゥールにやや胡乱気な眼で見送られながら、レティシアは大広間を出る。

 ついおどおどした声で言ってしまったことに頬を抑えて息を吐いてから、レティシアはふと窓の外を見た。

 何かの影が過ぎったように見えたのだ。

 窓から下を見下ろすと、確かに動いている人影が見えた。

 城の外、開けた場所で目にも止まらないくらいの速さで動き回る人影が二つある。

 空中で交差した後、彼らは距離を開けて止まった。それでレティシアには、彼らが誰だか分かった。

 片方は黒い髪の少年で、片方は若草色の装束の青年である。

 

「ノインさんに、“黒”のアーチャーさん?」

 

 レティシアはつい呟く。

 まるでそれを合図にしたかのように、彼らがまた動いた。

 少年が踏み込みレティシアの視界からその姿が消える。だが、青年はあっさりと少年の腕を取って投げ飛ばした。

 鞠のように跳ねた少年は城壁を蹴って無理に軌道を変え、離れた所に着地―――――しようとして先回りしていた青年に、襟首を掴まれて地面に叩き付けられた。

 地面が撓む。

 その瞬間をレティシアは確かに見た。

 地面に大の字になって倒れたのは少年。彼は、一度両手で悔しげに顔を覆った後、何も無かったかのように起き上がって、青年に丁寧に頭を下げた。

 作法に則っているようなものではないけれど、真っ直ぐな感謝の念が込められている。そういう礼だった。

 青年は満足そうに微笑んだように見えた。

 彼は一言二言少年に話し掛け、少年が頭を上げて首を傾げると、そのまま霊体になって消え失せる。

 後に残された少年は、サーヴァントの装束を解く。

 辺りを見回してから転がっている瓦礫の上に腰掛けた。そのまま何をするでもなく、足をぶらぶらさせながら星空を見ている。

 

―――――行かなくて、良いのですか?

 

 レティシアはその一言で我に返った。

 

「邪魔にならないでしょうか?」

―――――そんな訳、ありませんよ。

 

 窓のガラスに優しく微笑むルーラーの姿が映っているように見えた。

 背中を押されたようにレティシアは歩き出す。見張り台へ繋がる階段から外へ出ると、冷たく澄んだ夜気を感じた。

 下を覗くと少年は変わらずそこにいた。階段を降りようとしたところで、足元の小石に靴が当たり、乾いた音が響く。

 途端、梟のように首を巡らせて少年が城壁を見やった。

 無表情が綻び、赤い眼がレティシアの姿を捉えて見開かれる。

 

「……レティシア?」

 

 自分の名前を呼ばれた少女は気恥ずかしそうに微笑みながら、小さくノインへ向けて手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喧嘩をしていた訳でも何でもなく、アーチャーに教えを乞うていたとノインはレティシアに説明してくれた。

 アーチャーは『神授の智慧』というスキルを持っている。

 これは英霊としての特殊な出自に由来する以外のスキルを、マスターの同意があれば他のサーヴァントに与えることができるという破格のものである。

 とはいえ、ほとんどの英霊は一つの完成体故に英霊にまで昇華されるのだから、まず新たなスキルを求めないし、聖杯大戦のような形でもない限り、そもそも他のサーヴァントに教えを授けるようなことは起きない。

 だが、ノインはサーヴァントでもあるが未熟で完成には程遠い。逆に言えば成長の余地があった。

 だから案自体は前から考えられてはいた。が、ダーニックを斬っている彼をそこまで信用して良いのかと、アーチャーのマスターであるフィオレが躊躇っていた。

 けれどアサシン襲撃の際、辛うじて残った記録でノインが失敗したとはいえセレニケを守ろうとしていたこと、ロシェを庇っていたことが分かった。

 自分を拷問にかけ、普通なら恨んでいるだろうセレニケ相手でもそういう行動を取るのならノインは信用に足る。

 フィオレはそう判断し、アーチャーに指示を出した。

 思いがけなかったことをアーチャーに言われ、ノインは戸惑ったものの受けることにしたそうだ。

 

「スキル……とは一つの魔術のようなものですのね?どうして殴り合いに?」

 

 他の教え方は無かったのですか、とレティシアが尋ねると、ノインは鼻の下を手で擦りながら簡潔に答えた。

 

「格闘術のスキルだからな」

 

 実際にやらなければ覚えられないでしょう、とアーチャーが言ったそうだ。

 様々なスキルを持つ大賢者がノインに授けることにしたのは格闘の術だった。

 ノインとて戦闘型のサーヴァントと融合しているから無手で戦えない訳ではない。だがスキルにまで昇華されるほど完成していない。

 故に槍を手放してしまうと君は途端に脆くなる、とアーチャーに指摘され格闘を伝授されることになった。

 レティシアが見ていたのはほんの一部だけで、アーチャーに数時間あしらわれ続けていたそうだ。

 

「でも、お陰で覚えられた。十全に、とはいかないかもしれないけどな」

 

 そう語る少年はどこか嬉しそうだった。

 彼の隣に座った少女は、頬杖をついた。

 

「男の子は、皆さんやっぱりそういうの好きなんですか?殴り合いとか……」

「いや、別に好きな訳ではない。ああいう人に何かを教えて貰えたのが、嬉しいんだ」

 

 ロシェの気持ちが少し分かった、とノインは苦笑しながら言った。

 

「それなら先生と呼ばないんですか?アーチャーさんは気になさらないと思いますよ」

 

 レティシアが言うと、ノインの眉が少し下がった。

 

「……俺はそうは呼べない。彼はフィオレのサーヴァントだから、俺が言うのは何だか妙だ」

 

 どう妙だとは言えないが、とノインは困ったようだった。けれどすぐ、思い付いたように少年は顔を上げた。

 

「レティシアの先生にも、彼みたいな人はいるのか?学校に行っているんだろう?」

「え?……ええと」

 

 頭の中に何人かの人たちの顔が浮かぶが、幾ら何でも、神話の中の大賢者と比べてどうこう言える気がしなかった。

 けれど、ノインはレティシアの話の先を促すように黙ったままだ。

 ぽつぽつと、この事態に巻き込まれる前の日常を少女は語る。記憶を手繰るうちレティシアの言葉は滑らかになり、ノインは首を横に倒したまま聞いていた。

 何となくその仕草で、レティシアにはノインが猫の子みたいに見えた。喩えるなら、塀の影にできた暗がりからこっちをじっと覗いている、黒い仔猫だ。

 自分がそんな風に見えているなんて、きっとこの人は思いもしていないんだろうな、と思うと胸の奥に灯りが一つ点ったように感じた。

 レティシアは彼女にとっての他愛もないことを語って、ノインはすべてを聞いた。

 

「あ……すみません。私ばっかり話してしまいました」

 

 ふと我に返ってレティシアが言うと、ノインは慌てたように首を振った。

 

「そんなことない。楽しかった。謝られても……その、困る」

「そうですか?」

「そうだ。俺はきみの話が聞いてみたかっただけだから」

 

 何気なくノインから、レティシアは頬を押さえて横を向いてしまった。

 

「レティシア、どうかしたか?俺は、何か変なことを言ってしまったか?」

「……いいえ。ノインさんはそういう人なんですね。私、少しだけあなたのことが分かりました」

 

 頬を押さえていた手を離して、レティシアはノインを見た。

 

「俺のことが?」

「はい」

 

 少年は自分のことを尋ねられると、すぐきょとんと戸惑い顔になる。迷い子のようになってしまう。

 レティシアにはそれが寂しかった。何か言いたくて、口を開く。

 

「あ、あの、ノインさん。ノインさんはさっきアーチャーさんに何を言われていたんですか?」

「……それも見ていたのか」

「す、すみません。覗き見するつもりじゃなかったんです」

 

 分かっている、とノインは頷く。

 別に隠さなくちゃならないことでもないから、と言葉を続けた。

 

「名前を、早く見つけなさいと言われたんだ」

 

 己の中の英霊、力を貸してくれている『彼』の真名を得なさいと、アーチャーは言った。

 ルーラーにただ聞くのではない。自分の内側にいる『彼』に問いかけ、答えを自分で得なければならない。

 

「誰かに与えられては意味がなくなる。が、名前を得て力をきちんと借りられたなら、まだ強くなれるから」

 

 そうすることは君がこれから先、生き残る力になると告げられたそうだ。

 真名を知ることをノインが試したことは無い訳ではなかった。けれどいつも上手く行かなかったから、いつしか諦めていた。

 そうアーチャーに言うと、彼は微笑んで告げた。

 今のあなたならば可能性はある、と。その言葉を、ノインはもう一度信じることにしたそうだ。

 

「真名を……知らないのですか?」

「ああ。知らない」

 

 知らない誰かの力を受け入れて戦うなんて怖いのではないのか、とレティシアは声を失った。

 彼女もルーラーを宿しているけれど、それは彼女があの聖女ジャンヌ・ダルクだと分かっていたからだ。

 もし誰か分からなかったなら。全く知らない英霊に体を貸してほしいと言われたならば、自分は頷けたのだろうか。

 そのレティシアの不安を見て取ったのか、ノインはあの笑みを浮かべた。へらりと気の抜けた、悲しくなる微笑みだった。

 

「明日、アサシンを討伐できたならそれから瞑想でもして名前を尋ねに行く。……自分の内側に行くっていうのも、変な話だけどな」

「明日ですか?」

「明日だ。そのためには、明日の夜もこうしてここに帰って来なくちゃならない訳だが」

 

 そこまで言った所で、急にノインは足元の小石を拾うと、ひょいと投げた。

 弧を描いて飛んだ石は数メートル離れた大きな瓦礫に当たる。

 

「うひゃっ!?」

 

 ぴょんと飛び出たのはライダーと彼に手を引かれたジークである。

 驚く少女と頬杖をつく少年に、ライダーはにこにこと、ジークはややばつが悪そうに笑みを浮かべたのだった。

 

 

 





ライダーとデミ少年の身長は一センチ違い。
デートをやや近距離で見守る役に決定。
ギリシャ系格闘術を履修。


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act-25

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 ライダーたちには話を盗み聞きするつもりなど全く無く、単に散歩をしようと歩いていたらレティシアとノインの姿を見かけ、そのまま話しかける時期を外して、岩陰に隠れてしまっていたそうだ。

 

「別にライダーたちが隠れる必要なんかないだろう?」

「や、それはちょっとほら雰囲気とか……。ねぇ、ジーク?」

「さして隠れなくとも良かっただろう?現にすぐにばれたぞ」

「ああ、うん……。キミたちはそう言うよね」

 

 レティシアだけに向けて、ライダーはちょっとだけ片目を瞑ってみせた。

 それから頭をかいて、近くに腰掛ける。その隣にはジークが座った。ノインとレティシアも場所を詰める。

 壁の一部だったテーブルのような形の大きな瓦礫は、四人が円を描くように座っても、まだ僅かに余裕があった。

 

「まあ、バレちゃったのは仕方ないや。で、ノインにレティシアちゃん。キミたちは何を話してたんだい?」

 

 言われて、レティシアとノインは顔を見合わせた。改まったことを話していた訳でもないからだ。

 一方、レティシアの名前を聞いてジークは不思議そうな顔になった。彼もレティシアの名前はルーラーから聞いていたが、実際に表に出ている彼女に会うのは初めてだったからだ。

 レティシアがジークの様子を見て気付いたように胸に手を当てた。

 

「あ、初めましてになりますよね、ジークさん。……私がレティシアです」

「初めまして。……ジークだ」

 

 レティシアがルーラーに比べれば気弱げに見える微笑みを浮かべた。

 

「この面子で会うのは初めてだよねぇ。ちなみにルーラーは起きてるの?」

「起きていらっしゃいます。……ええと、ライダーさんに、こんな時間にどうしてジークさんを外に連れ出したのかお尋ねしたいそうです」

 

 中に居るルーラーの代弁をするレティシアに、ライダーはうへぇと首を縮めた。

 

「やー、何となくだよ。レティシアちゃんが何で外へ出て行くんだろうなぁってちょろっと覗いたらジークも起きてさ。レティシアちゃんは何で外に?」

「私はその……ノインさんとアーチャーさんが―――――」

 

 スキルを得るための大立ち回りをしているのを見たからだ、とレティシアが言うとライダーとジークは目を丸くした。

 

「そんなことができたのか」

「さっすがケイローンだねぇ。で、覚えられたのかい?」

 

 ノインが頷く。

 

「もう?早くない?」

「俺に力を貸してくれている『彼』のお陰だろう。『彼』がいないと俺は何もできないから」

 

 ノインは肩を竦めて何でもないように空っぽの瞳で言った。

 む、と眉を八の字にひそめたライダーの手が手刀の形になる。

 

「そんなこと、ありませんっ!」

 

 けれど手刀がノインの額に炸裂する前に、レティシアの声が響いた。

 大声を出した彼女はすぐぱっと口元を覆って、耳元が熟れた林檎のように赤くなる。言われたノインに聞いたジークはぽかんと眼と口を開けた。

 

「ご、ごめんなさいつい!」

「謝らなくて良いよ、レティシアちゃん。今のはノインが無神経なんだから。……あー、しかもその顔分かってないみたいだし」

 

 ライダーはまだ戸惑い顔のノインの額に手刀を叩き付けながら言った。

 

「……痛い」

「そりゃそうだよ。あのね、ノイン。自分に何にもできないなんて簡単に言うなっての」

 

 ライダーはジークの方へもちらりと視線を向けながら言った。

 

「ほら、レティシアちゃんも何か言ってやれよ。キミはノインをどう思ってるんだい?」

 

 ほらほら言ってみなよ、とライダーは足をばたばたさせながらレティシアを促した。

 矛先を向けられ、彼女は言いあぐねて手を組んだ。いくつもの言葉が、少女の中で巡って消える。

 まだどこか呆気に取られているような顔をしている少年の赤い瞳を、レティシアはしっかりと見た。

 

「……ノインさん。何にもできないなんて、寂しいことを言わないで欲しいんです。英霊の力があっても無くっても、ノインさんは変わりません。―――――あなたは、あなたです」

「……俺は、俺?」

「はい」

 

 少女は頷いて言葉を切り、静けさが五人の中を漂う。

 言われた少年は、それでもどこか言葉の意味を受け取り損なったような、頼りない表情だった。

 そこで一度、レティシアが瞬きをする。

 もう一度見開かれた紫の瞳は、少し違った種類の光を浮かべていた。

 

「ノイン君。レティシアは一度戻りました。……でも私からも一言。あの子の言葉をずっと覚えていてあげて下さい」

 

 ルーラーは静かに優しく言った。

 

「今の言葉の意味が分からなくとも、良いのです。ただ時々思い出して、考えてあげて下さい」

「……分かった」

 

 素直に答えた少年に、ルーラーは微笑みを浮かべる。

 

「ジーク君もです。今の言葉の意味を考えてみて下さい」

「俺もか?」

「はい。あなたたちはそういう所が似ています。……良いですか?自分を得るために、危険を犯すことは無いのですよ」

 

 あなたたちはここを離れても、庭園に向かわなくても、構わないのです、とルーラーは変わらない口調で続けた。

 

「あなたたちは確かに、ユグドミレニアの手で造られた生命です。それは最早変えようのないことです。生まれる場所は選べませんから。けれどあなたたちは今、生きる道を選べる所にいるのです」

 

 神の声を聞き旗を持った少女は、真摯に彼らに問い掛けていた。

 

「今すぐ、答えなくてもよいのです。それでも覚えていて下さい。ジーク君、ノイン君」

 

 ジークはこくりと、ノインはゆっくりと頷いた。

 それを見て、ライダーは両手で彼らの背をばんばん叩いた。

 

「……ライダー、痛いんだが」「同じく」

「ちょっと、キミたち何でそういう変な所で意気投合するのかなぁ!?」

 

 偶々だ、とジークとノインは声を揃えて肩を竦めるところまでそっくり同じ動きで言った。

 二人とも、ライダーがさっきほんの瞬きする間だけだが悔しそうな悲しそうな複雑な顔でジークの手の令呪を見たことには気付いていた。

 そして二人とも、ライダーにそういう表情が似合わないとも思っていた。

 がおう、と吠えたライダーをノインが宥めているのを横目で見ながら、今度はジークがルーラーの方に顔を向けた。

 

「そう言えばルーラー、聞きたいことがあるのだが良いか?」

「ええ、何ですか?」

「……天草四郎の、願いのことなのだが」

 

 無表情ではあったが、ジークの眼は真っ直ぐだった。ライダーとノインも動きを止める。

 

「全人類の救済。それはどういうものなんだろうと、考えてみたんだ」

 

 考えてみたが、一体どういうものか、ジークには予想が付かなかった。

 付かないまま微睡んでいて、それで眼が冴えてしまったのだという。

 

「全人類を救う。世界を救う。言葉の意味は分かっても……でも世界が何か俺には分からないんだ」

 

 ルーラーは唇を噛んだ。ライダーは首を曲げ、ノインはジークの顔を見知らぬ誰かを見たように眺めた。

 

「ルーラー、世界とは何なんだろう?」

 

 彼らの座っている場所からは、トゥリファスの街の灯りが見えていた。人口二万の街は、夜であろうと光が完全に絶えてしまうことはないのだ。

 しかしジークの生きてきた時間の中で、彼の出会った人間はこの場の数人と、城の者たちだけだ。

 

「……難しい、問いですね。世界は確かに明瞭に()()()()()()とは言い難いものです」

 

 取り出してカタチを示すことはできないけれど、それでも確かにそこにある。

 六十億が犇めき合って生きているその場所が、世界だ。

 

―――――世界が何か、か。

 

 ルーラーに曇りのない眼で尋ねているジークを見ながら、ノインは心の中で一人呟いた。

 単純に世界の形なんてものをノインは思い描いたことがなかったのだ。そんな上等で、深い問いなんて思い描いてみる余裕など、なかったとも言えた。

 きょうだいたちと生きていたときは、まだそんなことを考えたこともあった気がする。

 あの頃の世界とは、皆で生きていく大切に思える場所だったからだ。

 けれど、彼らは皆去ってしまった。ノインだけを残して。

 皆いなくなってその後は、冷たい眼の魔術師たちと、人間からどうしようもないほど外れてしまった体になった自分自身しか、ノインの周りにはいなかった。

 

―――――ああ、そうか。

 

 ジークとルーラーと、ライダーが話し合う様子を見て唐突にノインは理解した。

 自分以外の誰か、同じ場所にいてくれる誰かが側にいるのだと感じなければ、世界なんて無いも同じなのだ。

 彼らの顔を見てそんな思いが湧き上がってくる。何だかすうっと辺りの音が遠くなる気がした。

 つ、と赤い眼が星空に泳いだ。

 星々は冷たく静かに、決して手の届かないところで輝いて、少年を見下ろしているだけだった。視界を、透明な星が一つ横切って落ちていった。

 

「……ノイン?」

 

 ライダーに声をかけられ、ノインは視線を彼らに戻した。

 

「ん?」

「ん、じゃない。黙っちゃうから何かと思ったよ」

「別に、何でもないさ。……人類救済の話だったか」

 

 そんなことが本当に可能なのだろうか、とジークは次に問いかけていた。

 ノインは腕組みをし、端的に見解を述べた。

 

「無理だろう」

「またばっさり言うね」

「救済を、人に幸福を与えて満たし争いを根絶させることとしてもな、幸福の感じ方は皆違うだろう。それをすべて満たして安らぐ世界なんてあり得ないと思っている。無理矢理やろうとすれば、それこそ意志を剥奪でもしない限り不可能だろう」

 

 “赤”のバーサーカー、ダーニック、“黒”のランサー、“黒”のキャスター。彼らの顔がノインの脳裏を過ぎる。

 彼らは皆違った誇りと道を掲げていた。

 

「でも天草四郎は確か、七十年以上も探し求めていたんだろう?なら、何か考えつかない方法を見つけているかもしれない。それが正しかったら、ノインはどうする?賛成するのか?」

 

 あ、とジークに問われて虚を突かれたようにノインは口を開けた。人類救済なのだから、ノインもその枠には入っている。

 自分自身をも救ってくれるものとして、天草四郎の願いを問うことを忘れていたのだ。

 けれどノインは黙ってから首を横に振った。

 

「……それでもやはり、しないと思うな。どんな方法であっても、聖杯による人類救済とは天草四郎の観点から、俺たち人類を彼の望む方向へ上書きするってことじゃないのか?それは嫌だな」

 

 自分の内側に見知らぬ他人を上書きされ、それでも尚生きている少年にとってみれば、個人の書き換えという行為は本能的に厭わしくて堪らなかった。

 押し付けられた運命を歩いて来たのだとしても自分はその道をここまで歩いた。出会いと別れを繰り返して来た。

 そうやって生きている中で、もう一度だけ自分と名乗れる何かを掴みかけているのに、またも書き潰されてしまうのは嫌だった。

 お前は間違っているから直してやると、断定されたくないのだ。

 七十年の探求に比べたらちっぽけな矜持だが、彼のような大局なんて考えたこともない矮小さだが、それでも譲れなかった。

 誰かに人生を救済されたいとは、思わない。

 自分を救ってほしいと頼んではいないし、これから先頼むつもりもないのだから。

 見も知らぬ優しい何か、誰かに縋って生き方を預けてしまったら、本当に惨めになってしまう。己が誰かに救ってもらわなければいけないほどどうしようもない奴なんだと、認めてしまうことになるのだ。

 

―――――つまりは世界なんてものが見えない俺の、強情だな。

――――()()()()()()という信念を受け入れられないのだから。

 

 そんなことを考えて、ノインの口元がほんの僅か吊り上がった。

 

「そうだね、人は救われてばっかりじゃ生きてる意味が無い!それにそんな方法があるなら、誰かがとっくにやってるって話さ」

 

 ぐしゃぐしゃとライダーはジークとノインの髪をかき混ぜた。

 少しでも人を知ろうとしている少年と自分自身に立ち戻ろうとしている少年は、似たような無表情でされるがままになっていた。

 彼らの様子を見て、ルーラーはこほんと咳払いをする。

 

「では皆さん。夜明けまで僅かとは言え城に戻って休みましょう。思い掛けなく長く話してしまいましたが」

 

 ルーラーの声を合図に瓦礫から降りて、彼らは城へ戻る。

 ライダー、ジーク、ルーラー、ノインの順で見張り台の階段を登っているとき、ノインは前をゆく少女に話しかけた。

 

「ルーラー、明日、本当にあなたも出るのか?」

「ええ。……私は、知っての通り特殊な憑依サーヴァント。サーヴァントとしての私を抑え込めば、気配を人間のものに擬態することも可能です」

 

 会議の結論として、囮はジークとルーラーになったのだ。

 ルーラーの言うように、彼女ならばサーヴァントとしての気配を隠すこともできるから、と。

 が、それはサーヴァントであるジャンヌ・ダルクを抑え込むということで人間のレティシアの部分が表に出やすくなる。その状態では、能力値ではただの人間とそう変わらなくなるのだ。

 アサシンに襲撃された場合、どれだけ迅速にルーラーへ完全に戻れるか。

 それを誤れば危険になる。

 

「腑に落ちないのですか?この案を提案したのが、レティシア本人だということが」

 

 少年に向け、聖女は振り返って聞いた。

 

「ああ」

 

 簡潔にノインは答える。

 ルーラーは無表情な少年の顔を眺めた。ルーラーの内側では少女の気配が今もある。

 

「それでも、あなたが腑に落ちなくてもレティシアは譲らずに提案しました。その決断は……変えられません」

「……分かっているさ。あなたもレティシアも、明日は気を付けてな」

「貴方もですよ、ノイン君」

 

 そうだな、とノインは無表情に頷いた。

 その頃には彼らは城内に辿り着いていて、ルーラーは自室へ、ライダーたち三人は大広間に向かうため別れる。

 じゃあね、とライダーは気楽にルーラーに手を振って、ジークとノインの腕を引っ張っていった。

 それを見送って、ルーラーは一人歩き出す。

 思い出すのは、ついさっきまでの会話だ。

 ジークのこともノインのことも、レティシアは見ていた。いつも彼らのことを気にかけていた。

 だから彼らの助けになることを思い付き、提案したのだ。そうしたいと思ったから。

 けれどルーラーには、彼らを見ていて気付いたことがある。

 ジークもノインも、危ういのだ。自分を考慮していない。だから危険を成すとき、躊躇うことがないのだ。

 ジークに関して言えば、ルーラーには彼の考えは分かる気もした。 

 彼は生まれたときから、生きる時間が自分に限られていると知っている。それ故に人生において迷う時間を持てなかった。英霊の心臓で寿命が伸びた後も、その感覚は残っている。

 決断に躊躇う時間がないから、こうと決めたことをやり切ろうとしてしまうのだ。

 では、翻ってノインはどうなるのだ。

 行動の躊躇いなさと、英霊を当たり前に恐れるちぐはぐさ。

 彼にはジークのように何かをやりきるという頑固さは()()。悩んで迷って怖がって、デミ・サーヴァントでさえ無かったら、多分普通の、寧ろ穏やかな気質の少年だっただろうとさえ思う。

 それなのに、似合わない躊躇いのなさだけがある。

 

―――――もし、ジークと似たその危うさが、彼と同じ原因によるものだったなら?

―――――残り時間が少ないが故の思い切りの良さだったとしたら?

 

 ルーラーは足を止めた。

 無償の奇跡はない。

 奇跡とは代償がなければ訪れない。

 少年の生命を一つ救うために、英霊が一人生命を差し出した。

 対価とはそういうものなのだ。

 聖女にして聖杯大戦の裁定者は、それをよく知っていた。

 憑依サーヴァントという一つの奇跡も、聖杯という神代の代物にも匹敵するアーティファクトにより可能になっているのだ。

 

 では、デミ・サーヴァントの対価は?

 

 何を対価に英霊という奇跡の力をただの人間が扱えているのか、誰も知らないのだ。

 知っているのは恐らく、彼本人と彼のマスターだった魔術師だけ。

 

 ルーラーの奥で、少女が一人息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

 





五人で会話。

天草とは見ている世界の次元が違うからこうなる。
彼の願いを知った場合は……。


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act-26

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

ランキングに載れていたようで嬉しかったです。

では。


 

 

 

 

 翌朝眼の下に隈を作っていたのはカウレスだった。

 廊下に出たライダー、ジーク、ノインの三人に出くわしたカウレスは、挨拶のためにか片腕を上げたが眼の下が黒かった。

 

「あれ?どしたの、その隈?」

 

 気軽に尋ねたライダーに、カウレスは窓のガラスの方を見た。窓に映った自分の顔を見て、ようやく隈ができていることに気付いたらしく彼は眼を擦った。

 

「まあ、昨晩ちょっとな。バーサーカーと話してたんだよ。ほぼ徹夜になったけどな」

 

 昨日から数えて三日ほどろくに寝ていないから隈ができたが、思考自体に淀みはないぞと彼は肩を竦めた。

 

「そうなのか。で、バーサーカーは?」

「ウゥ!」

 

 ノインの言葉を待っていたかのように、廊下の陰からひょこりと現れたのはバーサーカー本人。

 ライダーは驚いて仰け反り、バーサーカーはそれに少し気を良くしたように鼻を鳴らすと、カウレスの手を引いて歩き去ってしまった。

 

「びっくりしたぁ……」

 

 そう言いつつも、ライダーはふむふむと頷きながらカウレスとバーサーカーの後姿を眺めて頷いていた。

 ジークとノインは首を傾げた。

 

「どうかしたのか、ライダー?」

「まぁ、ちょっとね。あの子たちはいいコンビだなあと思ってさ。ほら、バーサーカーは願いがあるサーヴァントだから色々あるってことさ」

 

 ともあれ、ボクらは行こうか、とライダーは二人を引っ張り、ホムンクルスたちのための食堂へ向かった。

 アサシン討伐のため、ジークとルーラー、離れて見守るノインが街へ向かうのは今日だが、腹が減っては何とやらである。

 食堂には既に料理の上手いホムンクルスたちが鍋をかき混ぜ、そこからは美味しそうな匂いが漂っていた。何人かはテーブルに付いていて、ジークたちが入って来ると数人は軽く目を上げた。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 後ろからかけられた声に、ノインは振り返る。

 昨日と変わらない様子で、ルーラーはそこに立っていた。レティシアの方じゃないんだな、とノインは何となく思う。

 

「あ、おはよう、ルーラー!」

 

 そう言うライダーは、もうホムンクルスたちから湯気の立つ煮込み料理の入った器を貰っていた。

 

「サーヴァントに食事は要らないのでは?」

「それはそうだが、余裕があるなら楽しみたいものだろ」

 

 不思議そうにしているジークにノインは答える。

 

「なるほど。ルーラーは腹が空くと動けなくなっていたが、あれは憑依サーヴァントだったからか」

 

 ジークに肯定の頷きを返しながらも、それにしても空腹で動けなくなる裁定者とは、とノインはやや胡乱気な視線をルーラーに向ける。

 ルーラーは頬がほんのり赤く染まった。

 

「じ、ジーク君、それは言わなくっても……!」

「ねえ、そこの三人とも早く食べようよ!料理が冷めちゃうよ!」

 

 ずっと料理を前にしていたライダーが堪り兼ねたように言い、ノインはつい苦笑した。

 

「よく食べるんだな……」

 

 それはそれとして、食卓に付いたルーラーの食べっぷりを見て、ジークが呟いた。つい、本音が出てしまったのだろう。

 皿を順調な速さで空にしていたルーラーの動きがぴたりと止まった。

 耳が赤くなっていくのを見て、ノインは見かねて口を開く。

 

「憑依サーヴァントな分、必要とするエネルギーが多いんだろう。……きっと」

「我々の料理が美味いからつい食べてしまう、ということは考えないのか?」

 

 エプロンを付けたホムンクルスが一人、腰に手を当てて四人を見下ろしていた。

 

「無論、とても美味しいです。ありがとうございます」

「ふむ。それならお代わりはいるか、ルーラー?」

 

 ルーラーの眼が、器とホムンクルスとジークの間を行ったり来たりする。

 結局、彼女は俯きながら皿を差し出した。

 

「い……いただきます」

「うむ。よく食べると良い」

「あ、ボクもお代わり欲しい!」

「お前はさっきも食べただろう。正規サーヴァントは多少控えろ」

 

 むす、とライダーの頬が膨れ、くくく、とジークとノインは笑いを漏らす。

 そのノインとジークの器に、ホムンクルスは一杯に料理を入れた。

 

「あ……ありがとう。でも、俺も良いのか?」

 

 俺だってサーヴァントなのに、とノインが言うとホムンクルスは軽く肩を竦めた。

 

「何、お前は生身だろう。そこの同胞を守る任務がある者にはちゃんと力をつけてもらわねば」

 

 やや得意げに見えるホムンクルスの横顔を、ノインは見上げる。

 そう言えば、こんな風に食事をとるのは何時ぶりだったかと、そう思った。

 

「……分かった」

 

 呟いて、ノインは匙を手に取って料理を口に運ぶ。

 温かさと塩がよく利いた肉と野菜の味が、口に広がった。

 

「美味いな」

 

 ノインが呟くと、当然だろうとホムンクルスが無表情のまま胸を張った。

 それを見たノインはつられたように頷くとまた一口啜る。ジークも同じように食べ始める。

 その様子をルーラーは、少し沈んだ紫水晶の瞳で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アサシンの出現は、夕刻か夜が予想された。元々サーヴァントが現れるのはその時間帯であるし、アサシンが悪霊使いなら昼日中悪霊を出す確率は低い。

 なので探索なぞ夕刻からと思っていたのだが、意外やルーラーは昼から出ようとジークを誘った。

 街の地理に慣れないジークに、少しでも慣れてもらおうと言い、別に構わないと最も近くで護衛することになったノインは了承。戸惑い顔だったジークもなし崩しで出ることになった。

 

「うぅ……ボクも行きたかった」

 

 膨れたのはライダーである。余程ジークと街で遊びたかったらしい。

 この状況だと本当に嫌味でなくライダーの呑気さが救いだなとノインは思った。

 そう思うノインの格好は、変装のため髪を茶色に変え眼は黒くなっていた。

 普段ぼさぼさの髪を丁寧に撫で付けられて眼鏡をかけ眉間に皺の寄ったノインを見た瞬間、ライダーの機嫌は直った。

 愉快だねぇ、とにやにやするライダーに、ノインはさらに皺が深くなる。

 

「大分印象が変わるな。とても真面目に見える」

 

 ジークの正直すぎる感想についにライダーが爆笑。フィオレやカウレス、アーチャーたちまで苦笑し、今度はノインがやや臍を曲げた。

 貴様らそんな腑抜けで大丈夫なのかとゴルドに指摘されて、一同は動き出す。

 そうなればなったで、ノインは自然に街中に溶け込んだ。

 ルーラーと歩くジークを、ノインは建物の屋上から眺める。見せかけの欠伸をする彼は、気配も見た目もまるきりそこらの暇を持て余した少年でしかない。

 

『ノイン。ルーラーたちは?』

「普通。極めて。楽しそうに街を見てるぞ。警戒はしているが」

『それなら良いのです。身構えすぎては囮とは言えない』

 

 アーチャーとの念話に答えながら、ノインは眼鏡越しに街を見る。

 ジークではないが、トゥリファスの街には人が多い。日差しの下、陽光を浴びて歩いているジークとルーラー、それに彼らの周りにいる男や女、子どもや老人をノインは見ていた。

 

『悩み事ですか?』

 

 アーチャーの落ち着いた声に、ノインは答えるのが遅れた。

 その一瞬の沈黙が彼の言葉を真実と認めてしまっていた。

 

『言葉にしてみなさい、ノイン。貴方には、言葉によって自分を他人と共有することが必要です。貴方がこの後向き合わなければならないのは、貴方の中にいる英霊ですから』

「……?」

 

 ノインは首を傾げた。

 つまり、悩みがあるなら言葉で示せと言うことらしい。

 

「それは今、必要なことなのか、アーチャー?」

『ええ。勿論、眼下の光景から気を逸らさずに』

 

 難しいことをさり気なく言う人だなと思いながら、ノインは眼を細めた。

 かと言って、自分には悩みなど無いように思えた。

 

『ではやり方を変えましょう。……ノイン、君には何か望みはありますか?』

「望み?」

『聖杯にかけるようなものではありません。何かしたいこと、例えば聖杯大戦が終わったら貴方はどうしたいのですか?』

 

 聖杯大戦が終わった後のことはアーチャーには関係ないだろうに、という思考が一瞬過りノインはその皮肉気な考えを打ち消した。

 

「望み……。……何だろう。これが終わったその後のことは……特に無い、のかもしれない」

 

 言った途端、そんな情けない答え方があるかとノインは自分で自分を殴りたくなった。

 ふとそのとき、レティシアの顔が過ぎった。

 そうするとするりと、自然に言葉が口から漏れた。

 

「学校を見てみたい、な。行きたい訳じゃなくて……見てみたいんだ」

 

 レティシアのいる世界が知りたかった。

 多分自分は一生そういう所へ行くことなんてないし、そこから来る誰かと触れ合うこともないと思っていた。だから夢も見なかった。

 けれど奇跡みたいに、一人の少女と出会えた。

 彼女の言葉と明るい表情の向こう側に透けて見える世界は、優しくて暖かかった。

 何より、楽しそうに語る彼女自身がとても綺麗だった。

 だから―――――。

 

―――――レティシアと、もっといたい。

 

 唐突にその感情が湧き出て、ノインは狼狽えた。思ってはいけないことを思ってしまった怖さが、胸に刺さる。

 黙る少年に、アーチャーは極めて落ち着いた声で語りかけた。

 

『この戦いが終わった後、私たちは座へと還ります。しかし、君はそうではない。君の世界が終わる訳ではないのです。……残り時間が、どれほどのものであっても』

 

 そうか、と耳朶に染み込むアーチャーの落ち着いた声を聴いてノインは理解した。

 

「知っていたのか、あなたは。俺の時間のことを」

『ええ』

 

 ノインは深く息を吐いた。

 医術にも精通するケイローンの眼は、やはり誤魔化せなかったのだ。けれどアーチャーはそれを誰にも言っていない。その気遣いにノインは感謝した。

 ノインの生命の残りは少ないのだ。元々、魔術回路と魂の質を優先して造られたデミ・サーヴァントの素体たちは体が弱い。

 設定された寿命は三十年で、英霊と融合したことは体に重い負担を強いた。

 残りは長くて二年。十八歳でノインは死ぬし、戦い続けていればもっと短くなるだろう。

 アーチャーの落ち着いた様子からして、最初から見破っていたのだろう。けれど彼はそれを誰にも告げていない。

 その気遣いにノインは感謝した。

 誰かに告げても、どうにかなるものではないのだ。怪我でも病気でもなく、ただ順番が来たというだけ。運命とか天命とか言うものが、尽きてしまうのだ。

 知られたらきっと、ライダーやルーラーたちを心配させるだけだ。

 戦うことなんて本当の英霊に任せておくべきだとと止められるだろう。“赤”のことを考えれば、そんな余裕があるはずがないのに。

 

『けれど君は、聖杯に延命を望んでいなかった。令呪を宿さなかったのが何よりの証ですね』

 

 願いのないものに聖杯は権利を与えない。救いを求めない者は、どうやっても救われない。

 生きても死んでもどうせ同じで、世界も人も自分自身も等しく何もかもどうだっていいという人形は、壊れるだけだったのだ。

 けれど、聖杯大戦を切っ掛けにして人形は人間に返ってしまった。人形のままでいたくないと、操り手の糸を自分で断ち切ってしまったのだ。

 

 人形から人間になって得たのは、ちっぽけな願いと、脆くて怖がりな元の自分自身。

 そうやって自分を取り戻した時には、それから別れを告げなければならないという現実があったのだ。

 

―――――ああ、それでも。進むことをやめることはできない。

 

 デミ・サーヴァントだから、天草四郎の救済が疑わしいから、そういう理由もあるけれど、一番の理由は結局ここから逃げても何一つ変わらないからだ。

 ただの孤独に価値を与えてくれた人たちと、あの少女をここに残して、もしそれで彼らが死んでしまったとしたら、その瞬間に心がもう一度死んで二度と元には戻らないだろう。つまりそれが、怖いのだ。

 

「なあ、アーチャー。こんな風に思う俺は、こういう生き方しかできない俺は―――――」

 

 ―――――どこか、おかしいのかな、と問う声は、寸でで止められた。

 街の所々にばら撒いたルーン石の結界に、何かが引っかかったのだ。例えるなら、外から中へ誰かが入って来たような感覚が走った。

 ノインの中で思考が切り替わる。

 

「……何かが来た、気がする」

 

 元の温度を感じさせない声になった少年に、”黒”の弓兵は固い声で応じた。

 

『敵ですか?』

「分からない。気配が一瞬だけだったから」

 

 何かが侵入した気配を、ノインの感覚は確かに捉えていた。しかしそれは一瞬で、すぐ街の中に紛れてしまったのだ。

 千里眼にも匹敵する眼を持つアーチャーにもはっきりとは気配を感じさせないほど、隠密に長けた何か、或いは誰かだった。

 

『分かりました。その気配には注意を払いつつ、ルーラーたちから眼を離さないように』

「分かった」

 

 どこかへ移動するつもりなのか、ルーラーがジークの腕を引っ張って歩き出していた。

 その様子にふと頬を緩ませながら、ノインも目立たないように歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体、どこに彼は隠れたのだろうか。

 レティシアがそう思ってしまうくらい、街の中の誰かに紛れたノインの気配は分からなかった。

 木の葉を隠すのは森の中、と言うのではないが、そうやって紛れてしまうと本当に分からなかった。

 少女は変わらず、聖女の中で外を見守っていた。

 アサシンを倒す、という任務のためなのだけれど、聖女は楽し気にジークを街を回っていた。

 けれど時々、聖女の意識はどこかへふわりと浮いてしまう。

 

―――――残り時間。

 

 その言葉の意味を考えてしまうのだろう。

 それはレティシアも同じだった。けれどまさか、ノイン本人に尋ねるわけにはいかない。

 あなたはもしかして、それほど長く生きられないのではないのか、などと。

 尋ねたとしてもきっと正直に答えてくれないと思う反面、あの無頓着さなら簡単に知りたいことを教えてくれそうな気がした。

 けれど仮にそうだと、肯定されてしまったらと思うと、レティシアは全身が竦んでしまう。どうしたらいいのか、分からなくなる。

 彼はこの戦いに関わることをやめないだろう。

 ルーラーとてそれは分かっている。戦いの場から遠ざけることは、彼の意志を殺すも同じだ。彼女と視点を共有するレティシアも同じくそう思っている。

 それで言うならジークもそうだ。彼も戦いを選択してしまった。英霊の生命を継いだ責任があるからと。

 ルーラーがジークへ向けている感情にレティシアは何となく気付いている。聖女は決して、その感情を認めないだろうということも。

 けれど、違うのだ。

 ルーラーからそうしてジークへ向ける眼差しとルーラーがノインへ向ける眼差しは違う。レティシアがジークへ向ける感情と、ノインへ向ける感情の色が異なるのと同じだ。

 その感情の色合いはどちらも穏やかなのには違いはない。ただ、異なるのだ。

 けれどその違いを、どうやって聖女に言えばいいのだろうか。

 貴女の想いは間違いではないのですと、どう告げればよいのだろう。

 少女は一人、世界を俯瞰しながら考えあぐねる。

 だからさっきから、ルーラーの視点を通してノインの姿をつい探してしまうのだ。自分に無頓着でぶっきらぼうだが、夕焼けみたいに優しい少年の眼差しを。何となく心強くなるから。

 そうしていると、一つの言葉が胸に木霊した。

 

―――――もっと、違う風にあの人と出会えなかったのでしょうか。

 

 もっと穏やかな場所。例えば昼下がりの公園の木陰で。

 冷たい生き死に何て関係ない緩やかな時間の中で、ただ偶々出会えなかったのだろうか。それこそ、お互いが学生として。

 つい、そんなことを思ってしまう。

 けれどその都度、少女はその考えを打ち消す。

 この争いが無ければ、この中に飛び込まなければ、隔てられた世界に生きていた自分たちが出会うことはあり得なかった。

 どれだけ殺伐とした場所であってもこの形で出会ったのなら、その中で関わり合っていくしかない。

 見ているだけの自分にも考えることはできるからと、少女はそうして世界を観測し、俯瞰し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 





少年少女の考え事。
メンタルを構築しないと霊基を得られないし、何処かの作家にまとめて殺されるという。


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act-27


感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 異変は、何の前触れもなく唐突に始まった。

 夕方、カフェにいたジークとルーラーの周りに霧が立ち込めたのだ。

 気付いたときには霧は街を覆い尽くし、喉を焼かれた人々の悲鳴が至るところで上がる。ここまで激烈にアサシンが仕掛けてくるとはジークには思いも寄らなかった。

 ルーラーは席を蹴って立ち上がり、一瞬でサーヴァントに立ち戻る。

 

「すぐに家の中に入りなさい!」

 

 軍団を指揮した彼女には、己の言葉を人々に信じさせるカリスマのスキルが備わっている。

 唐突に現れた鎧姿の少女に驚くこともなく、動ける人々は従う。ジークも動こうとして、近くから聞こえる女性の悲鳴を聞き付けた。

 ルーラーは、とみれば彼女はそこかしこで倒れた人々に駆け寄っている。

 意を決し、踵を返してジークは霧の中に踏み込んだ。

 進んだすぐ近くに、長い髪の女性が倒れ伏している。

 

「しっかりしろ!」

「あ、ああ……あの子、わたしの子どもが……!」

 

 駆け寄ると女性はジークの腕に縋り付いた。鼻や眼、口からは霧に焼かれたせいか血が流れていた。

 

「あなたの子どもは探し出す!だから早く―――――」

 

 逃げろ、と言いかけたジークは、胸に冷たい物が当たるのを感じた。

 視線を下ろす。

 黒光りする小さな銃がジークの胸に押し当てられていた。

 何が起きているのかわからず、ジークは女性の顔を覗き込んだ。そこには穏やかで甘やかな女の微笑みがある。

 

「―――――ええ、信じているわ」

 

 女性の笑顔と炸裂する火薬の光。しかし、ジークは何の衝撃も感じなかった。

 

「え……!?」

 

 驚きの声を上げたのは女性の方。

 光る文字の刻まれた小石を核に展開された障壁がジークを覆い、銃弾から守っていた。

 戸惑う女性の後ろに音も無く降り立った影が一つ。赤い眼が霧の中でも光っていた。

 

「悪いな」

 

 女性が振り向く前にノインの手刀が彼女の首を軽く叩く。意識を失くした女性は呆気なく路上に崩折れた。

 完全に女性の意識が絶たれているのを確認してから、ノインはジークの額を指で小突いた。

 

「急に動くな。びっくりしたじゃないか」

 

 自動展開する障壁が無かったらこれで死んでいたぞ、とノインは女性の握っていた拳銃を拾い上げるとくるりと回した。

 その冷たい金属の光に、今更ながらジークは足元から寒気を感じた。

 

「……普通の人だと思ったんだ」

「それは俺もだ。あんたに銃を向けてなくて、手にこれが無かったら絶対マスターだとは見抜けなかった」

 

 ノインは女性の手の甲を指さす。

 そこには赤い令呪が刻まれていた。

 

「つまりこの女性が……」

「“黒”のアサシンのマスター、六導玲霞って訳だ。俺みたいに変装していたようだな」

 

 意識を失って倒れている彼女は資料の写真と、眼の前の玲霞は髪や眼の色が異なっていた。

 マスター自身がジークをルーラーから引き離して始末し、その間にアサシンがルーラーを襲うという捨て身の計画だったのだろう。

 それを立案して実行した彼らに、ジークは先程とは違う寒気がした。この霧にしたところで、恐らく街のすべてを覆う大掛かりなものだ。

 ただ彼らは、もう一人のサーヴァントもどきに気付かなかった。

 

「後はルーラーが上手くアサシンを倒せれば良いんだが……」

 

 けれど一向に霧の晴れる気配がない。

 それどころか、ふらりふらりとそこ此処に小さな人影が現れた。

 

「子ども……?」

 

 ジークが呟く。

 ばらばらと路上に現れ、ノインたちに近づいて来るのは子どもたちだった。手には包丁やナイフを持ち、眼は虚ろ。背中には黒い霞が取り付いている。

 明らかに正気ではなかった。

 

「悪霊憑き……!」

 

 アサシンだ、とノインは歯軋りした。

 どういう手段を用いたのか、アサシンは悪霊を彼らに取り憑かせて操っている。そしてルーラーならいざ知らず、ノインには悪霊だけを祓い子どもを救うようなことはできない。諸共傷付けてしまう。

 子どもたちの足取りはゆらゆらと覚束なく、数が多いのだ。

 そして三十から四十人もの子どもたちは、ノインとジークを見止めると信じられない速さで襲い掛かってきた。

 

「退くぞ!」

 

 玲霞とジークを抱え、ノインは跳び上がった。一瞬遅く子どもたちが彼らのいた所に群がり、刃物が石畳を叩く。霧の中に火花が飛び散った。

 あまりの光景にジークは身震いする。

 ノインは道の両脇にある建物の上に着地し、しかめ面で下を見下ろしていた。子どもたちは人形のような眼で、手の届かない高さに跳び上がった彼らを見上げていた。

 

「アサシンに気付かれたか」

「そのようだ。この霧の濃さじゃアーチャーからの援護も期待できそうにない。これは、多分アサシンの宝具だ」

 

 ノインの眼が玲霞を見下ろす。

 サーヴァントを倒す―――――つまり殺すには、楔となっているマスターを亡き者にするという方法がある。

 そしてアサシンのマスターはここに居る。

 

「ノイン……?」

 

 ジークが声をかけるとノインは、無表情で振り返った。

 

「このマスターは全くアサシンに魔力を送れていない。だから殺した所でアサシンはすぐ消えないさ。むしろ逆上して滅多やたらに魂喰いをされる方が危ない」

 

 冷たい言い方でノインは肩を竦めた。本気なのか建前なのか、分かりづらかった。

 ともあれノインには玲霞を殺す気はないらしい。ジークは少し妙な安堵を感じた。

 

「ジーク、ライダーは呼べるか?」

「令呪を使えば恐らく。ただ念話は妨害されている」

「令呪は待とう。しかし、俺の方も駄目だ。ルーラーとも繋がらない」

 

 判断するための時間は短い。

 眼下の子どもたちからも悪霊を早く引き剥がさなければ、魂が汚染されて取り返しがつかなくなる。彼らまで悪霊と化してしまうのだ。

 

「―――――よし、ルーラーを探そう」

 

 言って、ノインは立ち上がった。

 

「ジーク、このマスターを抱えてついてきてくれ。屋根の上を走ることになるが」

「それくらいはできる」

 

 よし、とノインは頷いて駆け出した。

 軽量化の魔術をかけた玲霞の体を抱えて、ジークも後に続く。

 何か導でもあるのか単に勘が良いのか、ノインは躊躇いなく一つの方向に進む。その背中をジークは遅れないようについていった。

 しばらくして、先から金属がぶつかる音が聞こえてくる。ルーラーの声も耳に届く。

 一段低くなった建物の屋根から地面へ飛び降りかけた刹那―――――やおらノインが振り返って、ジークの背後に短剣を投擲した。

 

 キィン、と耳障りな音が響いた。

 

 ジークの横をすり抜け、入れ替わるようにノインが出る。

 その装束は既にサーヴァントのもので、手には槍が握られていた。

 

「おかあさんを、はなせぇぇっ!」

 

 狂気を孕んだあどけない声音の絶叫が響いた。

 槍と肉切り包丁がジークの間近でぶつかり合う。

 霧の中から襲い掛かってきたアサシンの一撃を弾き、踏み込みながらノインは叫んだ。

 

「走れ!ルーラーはそこにいるぞ!」

 

 鞭打たれたようにジークが走り出す。

 屋根の縁から遥か下の石畳を見下ろし、ジークは躊躇いなく跳んだ。

 ジークの両脚に衝撃が走る。けれど咄嗟に魔力で強化したせいかすぐに走り出せた。

 

「ジーク君!」

 

 刃物を振りかざして群がる子どもに聖水を振りかけ、浄化し続けていたルーラーは、少年に気付き子どもたちを強引に突破するとジークに駆け寄る。

 

「ルーラー、ノインとアサシンが……!」

 

 そこで戦っている、とジークが指差した瞬間、彼らの背後の石畳が轟音と共に割れる。辺りに、土埃が立ち上がった。

 視界が明瞭になった後、クレーター状に凹んだ石畳の中心に叩き付けられているのはアサシンだった。

 肩と腕から真っ赤な血を流し、獣のように呻いている。

 その横に飛び降りたノインは無表情に槍をアサシンの喉元に突き付けた。その頬には、赤い血が点々と飛んでいる。

 見慣れたはずのノインの顔がそのときだけジークには何故だか恐ろしかった。

 姿を現したアサシンの姿に、ルーラーとジークは驚く。痛みでアイスブルーの瞳に涙を溜めている暗殺者は、銀髪の幼い少女だったのだ。

 少女は憎悪に凍った瞳でノインを見上げる。少年は血色の眼で見返した。

 

「よくもわたしたちの、おかあさんを……!」

「こちらは彼女を殺してはいない。お前とは違う」

 

 無感情に言ったノインが槍を振り上げる。穂先が煌めいたそのとき、不意に進み出たルーラーがノインの腕を掴んだ。

 

「待って。……彼女は私が浄化します。魂をあるべき所に還さなければ」

 

 何故、という風にノインが首を傾げる。浄化しようが霊核を破壊しようが、成すことは結局のところ変わらないのにと言いたげだった。

 ルーラーはノインの腕を掴んでいる手に力を込めた。

 

「お願いします、ノイン君」

「……分かった」

「ありがとうございます」

 

 そう言ってルーラーは屈み込み、アサシンの額に手を当てた。

 少女の顔が歪む。本能的に、これからルーラーの行おうとしていることを察したのだ。

 

「やだ!やだやだやだ!おかあさん!やだよぅ!」

 

 手足から血を流しながら叫ぶ彼女を、ルーラーは痛ましげに見下ろす。

 彼女とアサシンを見ていられなくて、ジークはふと視線を逸らす。

 逸した先で、玲霞の手が輝いているのをジークは見た。

 

「―――――アサシン、逃げて!」

 

 玲霞が叫び刻印の一画が消え去るのと、ジークが彼女に飛びついて腕を掴むのと、アサシンの体が粒子になって消えるのは、ほぼ同時だった。

 玲霞は力尽きたようにまた倒れ込む。けれど彼女の目的は果たされた。

 ルーラーは一瞬呆然と、何も無くなった目の前の光景を眺めた。

 中で見ている少女の眼の前で、ノインに幼い子どもの形をしたものを殺させたくないとルーラーは思わず彼を止めてしまった。

 その判断がこの事態に繋がってしまった。けれど悔いている余裕はない。

 

「ルーラー!」

 

 ルーラーの耳にノインの声が突き刺さった。

 悪霊を憑かされた子どもたちがまた動き出していたのだ。

 ジークの方にも彼らは近寄って来る。一先ず玲霞を抱えてジークが動こうとしたときだ。風切り音が聞こえる。

 咄嗟にジークが玲霞の体を引いて避けた瞬間、彼の方に黒く塗られた矢が掠めた。

 

「ぐ……!」

 

 ジークに気付いたノインとルーラーが走り、放たれたニの矢、三の矢を叩き落とした。

 ノインがルーン石を投石器で投げ、石は空中で砕けて数メートル先の建物の陰に氷の槍を降らせる。そこに隠れていた一人の少女が飛び出た。

 翠の衣に黒塗りの大弓。“赤”のアーチャー、アタランテだった。狩人は矢を番えたまま、厳しい顔でルーラーたちを見た。

 

「解せんな。汝らはアサシンを討伐するのだろう?手を貸してやろうというのに何故阻む?」

「……何度も戦った相手を、すぐ信じろと?」

「信じる必要はない。この件に関してのみ、だ。アサシンは街の子どもたちを巻き込んだ。故に倒さねばならぬ。そこを退け」

 

 意識が戻りかけているのか、玲霞が身じろぎした。ノインはちらりと彼女を見て、眠りの魔術をかけ、アーチャーに向き直った。

 彼女はそうは言うが、相手は矢を番えたままの狩人である。ノインは疑わしげに槍から手を離さない。

 アーチャーはふんと鼻を鳴らす。それからやおら無造作に、ルーラーたちの背後に矢を放った。

 

「っ!」

 

 隠れて玲霞を取り返す隙を伺っていたアサシンが撃ち落とされ、熟した果物のように石畳の上に落ちた。

 

「そら。これで良いだろう。私は帰る」

 

 言って、アーチャーはすぐさま姿を消した。

 ルーラーは背後を振り返る。銀髪の少女は矢で縫い止められ、それでも足掻いていた。玲霞の方へと手を伸ばしていた。

 

「お、おかぁ、さん……」

 

 その胸にルーラーは再び手を当てる。

 今度こそは間違うことはできなかった。どれだけあどけなくても、アサシンの本質は殺人鬼。

 きっと元は弱く儚い、怨霊ですらない“誰か”の集まりだったのだろう。それが寄り集まって人の形を取り、ついに十九世紀のロンドンにおいて、ジャック・ザ・リッパーとして確立してしまった。

 人々を殺めた殺人鬼として世界中に伝説がばら撒かれてしまった。結果、この霊魂たちは無害な子どもの霊としてではなく、人を害する悪霊として世界に記録され反英霊になった。

 アサシンが元々は幼い子ども、それも恐らくは生まれることすらできなかった霊たちの集合体であることを、触れたルーラーは見破ってしまっていた。

 被害者だった幼子たち。それを浄化し、消し去ることをルーラーは歯を食い縛って実行するしかない。

 怨霊となってしまったからこそ、彼らは滅ぼすしかない。最早悪霊となった彼らは子どもとしての安らぎは得られない。存在するだけで、世を蝕んでしまう。

 ルーラーができることは、迅速に痛みなく彼らを送ることだけだった。

 

“主の恵みは深く、慈しみは永久に絶えず”

 

 藻掻いていたアサシンの動きが、ルーラーの洗礼詠唱の一節で弱まる。

 吸血鬼すら浄化した聖女の詠唱は、霧の街に朗々と響いた。

 

「あ、あぁ、ああぁあ……」

 

 声を上げるアサシンの側に、そのときノインが屈み込んだ。彼女の眼を両手で覆い、何か呪文を唱えた。

 獣の仔が鳴くようなアサシンの叫びが止まる。低い、聞き取れない声でノインは呪文を唱え続けた。

 ルーラーの詠唱を阻む訳でもなく、ノインはただ淡々と唄のような言葉を唱える。

 見守るしかできないジークには、その光景は長いもののように思えた。けれど、本当は十数分にも満たないできごとだった。

 最後の一節を、ルーラーは唱える。血が流れる程に唇を噛み締め、聖女は洗礼詠唱を完成させた。

 

“―――――去りゆく魂に、安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)

 

 瞬間、花火のようにアサシンの輪郭が砕け散った。金色の粒子が弾け、空へ上っていく。

 ルーラーとジークは空へと消え去る魔力の残滓煌めくを見上げ、ノインは地面に残っていた血の跡が消え去るのを俯いてじっと見ていた。

 同時に霧が晴れていく。

 気づいたときには、元の黄昏時のトゥリファスの街の中に四人は引き戻されていた。

 

「終わった、のか?」

「……ああ」

 

 サーヴァントの姿を解いたノインは立ち上がる。ジークの見た頬に飛び散っていた血は、もう消えていた。

 ノインの体に一瞬だけ、黒い靄が絡み付いていた気もしたが、ジークが瞬きしたときには何も見えなくなっていた。

 

「ノイン君、最後に何をしていたのですか?」

「幻影を見せただけだ」

 

 ノインの知る優しい世界。それを再現した夢幻を見せたという。

 アサシンが暴れて抵抗し、万が一浄化が失敗しないために幻覚を創ったとノインは淡々と言った。

 感情を感じさせないその言い方は、何処か奇妙で何かを押し殺しているようにルーラーとジークには聞こえた。

 凹んだ石畳を、暗い眼でノインは見ている。

 急に空気を吹き飛ばすような明るい声が響いた。

 

「おーい!マスター!ルーラー!ノイン!……って、怪我してるじゃないか!?大丈夫なのかい!?」

 

 向こうから走って来たのは、“黒”のライダー。

 彼はジークに飛び付きかけ、彼の肩に血が滲んでいるのを見て仰天した。

 

「ああ。“赤”のアーチャーの矢が掠めたんだ。深い傷ではないから大丈夫だ」

「大丈夫に見えないよ!?」

 

 ライダーは心配そうにおろおろとジークの傷の具合を見る。けれど一先ずジークの言うように大した傷でないと分かったのか、肩を撫で下ろした。

 

「良かったぁ……。それでアサシンは?」

「討伐は完了した。マスターはここにいるが。それとライダー、“赤”のアーチャーはどうした?」

「あー、うちのアーチャーがやりあったんだけど、あっちが逃げの一手で仕留め損なったってさ」

 

 そうなのか、と頷きながらノインがまだ意識を失ったままの玲霞を指し示す。

 ライダーは軽い足取りで近付いて、彼女を抱え上げた。

 

「じゃ、この人はボクが連れて帰るね。キミたちは後からゆっくり戻って来なよ。顔色、あんまり良くないからさ」

 

 そう言って、ライダーは屋根を跳び越して去って行った。

 後にはルーラー、ジーク、ノインが残される。

 

「憑依されていた子どもたちが気になります。彼らを一通り見てから帰りましょう」

 

 ルーラーの静かな声に、ジークとノインは頷いた。

 最後にもう一度だけ、ノインはアサシンの消えた場所を振り返る。

 無邪気にセレニケを殺し、母を求めて泣き、純粋な殺意を叩き付けてきた子どもはもうこの世のどこにもいなかった。

 ノインは一度目を瞑る。

 それから眼を開けて、ルーラーたちが歩き出している方へついていったのだった。

 

 

 

 

 

 





霧の都の地獄は展開されなかった。けれど少女は消され、母は生かされ、残滓が微かに残った。

そして空中庭園攻略の難易度が上昇。
冷静なアタランテの狙撃と、アキレウスをまともに相手にしなければならなくなった。


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act-28

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 あなたのサーヴァントはもういない、我々が討伐した、とフィオレはユグドミレニアの長としてその女性に告げた。

 そう、と美しく儚げな彼女は眼を伏せる。

 折れそうなか弱く見えるその女性、アサシンのマスター、六導玲霞は次の瞬間、フィオレを真正面から見た。

 狂気すら感じさせる澄んだ眼で見つめられ、フィオレは表には出さないながらも内心たじろいだ。

 けれど玲霞はフィオレを糾弾することはなく、ただあの子を殺した人たちの一人と話がしたい、とだけ言ってそれきり貝のように口を閉ざした。

 アーチャーに促されて、フィオレは部屋を出る。

 アサシンを討伐し、捕らえた玲霞を閉じ込めている部屋の外に出れば、佇んでいるジークとライダーがいた。

 

「何故貴方たちがここに?ルーラーたちは?」

「ノインがいないのでルーラーが探している。俺がここにいる理由は、まぁ……何となくだ」

 

 素っ気なく言うジークと部屋の扉をフィオレはつい見比べる。

 ジークは玲霞の要求通りの人間だった。フィオレが玲霞の要求など聞く必要はないのだが、彼女には玲霞の燃えるような瞳が忘れられない。その戸惑いをフィオレは表に出してしまった。

 車椅子の肘置きを握り締めるフィオレを、ジークは黙って視線を注いでいる。

 意を決して、フィオレは口を開いた。

 

「……アサシンのマスターがあのとき街にいた人と話をしたいと言っています」

 

 その言葉を予想していたかのようにジークは頷くと、扉の方へ向かった。ライダーが黙ってその後をついていく。

 

「ジーク、何も君だけが向き合うことはないのですよ」

 

 アーチャーの言葉にも、背中を向けたままのジークは軽く頷いただけだった。ぱたんと扉の閉まる軽い音がして、彼の姿はもう消えていた。

 フィオレは思わず、車椅子を押してくれているアーチャーを見上げる。

 

「……あの場にいたマスターとして、彼には思うところがあったのでしょう。マスター、けれどこれでアサシンは討伐されたのです。我々は庭園への対策を決定せねばなりません」

「そう、ですね。早く戻らなければ」

 

 自分はユグドミレニアの長なのだから。先程玲霞の視線に怯んでしまったが、あんなことは二度とやってはいけない。正しく長として在り続けるのならば。

 これから先きっとああ言うことは何度もあるだろう。

 長として振り切って、眼前に迫る空中庭園の問題を何とかしなければならなかった。

 それでも、車椅子で進みながらフィオレは閉じられた部屋の扉を振り返りそうになった。

 その少女の様子を、アーチャーは複雑な色合いの瞳で見下ろしているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子と寝台だけの部屋で、玲霞は腰掛けることもなく佇んでいた。

 ジークとライダーが入ってきた物音を聞き付けて玲霞は振り返る。その気配はやはり何処からどう見ても、一般人で何ら魔術の気配は感じ取れなかった。

 立ち方や歩き方を見ても、彼女には武術の心得すらない感じがあった。それなのにアサシンの霧で自分が傷付くことを承知で踏み込んで来て、銃を慣れた様子で扱ったのは、驚きだった。

 六導玲霞にそれだけの願いがあったのか、それともアサシン個人に思い入れがあったのか。

 玲霞の瞳の異様な輝きを見れば、どちらなのかは明らかだった。

 

「あなたは……あのときのマスターね」

 

 玲霞は冷たい、けれどどこか霧の彼方を見ているような茫洋とした瞳のまま尋ねる。

 ジークは頷いた。

 

「“黒”のライダーのマスターのジークという」

「そうなの。それで、私を殺しに来たの?」

 

 玲霞は平坦な声で尋ね、ライダーは顔をかすかに歪める。ジークは首を横に振った。

 

「俺たちはあなたをこれ以上害さない。その理由が無いからだ。戦いが終わるまではここにいてもらうが」

 

 玲霞を解放して魔術協会に身柄を押さえられでもしたら、諸々面倒になるかもしれない。

 そのためフィオレは戦いが終わるまで彼女を城塞内に留めおくことを決めた。聖杯大戦が終われば、密やかに日本に返すつもりなのかそれ以外の方法を取るのかは知らないが、フィオレには玲霞を粛清するつもりはないらしかった。

 その話を聞いたとき、フィオレは一族の長としては随分と甘い、とジークは先代の長の顔を思い浮かべながら思った。

 けれど今の玲霞は、自分のことなどどうでも良いと考えているように見えた。

 

「そう。あなたたちはもう、私を放っておくのね。あの子のことは消したのに」

 

 何故なら、生命が惜しいならこんな捨て鉢な物の言い方はしないだろうから。

 親を求めて泣き叫んでいたアサシンを、彼女は子どものように思っていたのだろう。

 ジークにはアサシンを討伐したことは間違っていたとは思えない。そうしなければ、被害はさらに拡大しただろうし、ジークも同胞を殺めたアサシンを憎んでいた。

 ただ、玲霞の持つ親から子への愛情とそれ故の憎悪をジークは感じていた。

 ジークにそういう愛情の実感はない。

 ホムンクルスに親はなく、幼い子どもとして生まれる訳でもない。だから根本から分からないのだ。

 幼子の霊魂たちと、眼の前のこの女性の間にあった母娘の絆など、理解できようはずもない。

 けれど、理解できずとも玲霞にとってアサシンが大切だったことは十分過ぎるほど感じ取れた。

 親はいなくとも、大切だと思える人々がいるからこその感覚だった。ジークもライダーやルーラー、ノインが殺されれば、物の道理などかなぐり捨てて怒り、殺した相手を憎むだろう。

 実際ジークは同胞を殺したアサシンを、生まれて初めて憎悪していたのだから。

 だからあの場にいて討伐に手を貸した自分が、玲霞に告げる言葉がないことも分かっていた。

 

「俺からはもう、あなたに言えることはない。ただ、アサシンは俺たちの側の人間を殺し、俺たちはあなた方を放置できなかった」

 

 だから戦い、だから殺した。それ以上でもそれ以下でもない。

 ジークが部屋を出ようとしたとき、視界に何かが閃いた。反射的に右手で受け止めて見れば、それは小さな携帯電話だった。

 子ども用にも見えるそれを投げ付けた玲霞は、燃え盛る炎のような瞳でジークを見ていた。

 

「ひと殺し。あなたたちはひと殺しよ。私を殺そうとして、あの子のことも殺して、願いを踏み躙った」

 

 あの子はただ、あたたかい所に還りたかっただけなのに、と玲霞は呆然とした顔の少年に指を突き付けて叫んだ。

 呆然としたのは一瞬で、ジークは眼の前が怒りで赤くなった。しかし玲霞の壊れそうな表情を見て、怒りはゆっくり鎮まった。

 ジークは何も言わないことを選んだ。

 手をきつく握り締め、彼は黙って部屋を出る。ライダーはジークの顔を覗き込んだ。

 

「マスター、大丈夫かい?」

 

 大丈夫、と答えようとして違う言葉が

口をついて出た。

 

「……分からない。分からないんだ、ライダー」

 

 手の中の小さな携帯電話を見下ろしてジークは言う。

 彼にとっては、アサシンは倒すべき敵でしかなかった。同胞を殺し、ノインのことも殺そうとしていた。ジーク自身、玲霞に銃で撃たれた。

 それでも六導玲霞には愛する子どもだったのだ。ひと殺しだと、自分が撃ち殺そうとした張本人である眼の前のジークを正面切って糾弾するほどに。

 それが逆恨みだと、簡単に断じることができれば良かったのに。

 彼女の激情と比べれば、殺そうとしたから反撃しても当然という理屈は頼りなく思えた。自分には感情が薄いと、ジークが自分で自覚しているからだ。

 大切な人を殺された故の憎悪は、理屈ではない。割り切りも諦めも、できる訳がない。

 これまでの短い生で、ジークも死ぬかもしれないと思ったことは何度もあった。

 ロシェや“黒”のキャスターは、ジークの生命を簡単に摘み取ろうとしたし、ゴルドにジークは一度殺された。

 でも彼らは、結局のところジークを道具として扱っていた。ロシェたちは言うに及ばず、ゴルドの怒りも急にそれまで何の問題もなく扱えていた道具が、急に制御不能になったことへの苛立ちが勝っていた。

 ジークは、自分で培った今までを肯定され許されることはあっても、否定されたことはなかった。絶対に許さないと、憎まれることもなかった。

 ジークという個人を一人の人間として憎いと断言し、感情の刃を叩き付けてきたのは、六導玲霞が最初なのだ。

 アサシンが消えたと言うのに、変わりにジークの心を占めたのは虚しさだった。仇を取れたという想いも実感も何処か遠かった。

 ふと、ロシェに罵られても何も返さなかったノインの姿を思い出した。

 彼に罵倒されたままで良いのかと、ジークは一度ノインに尋ねたことがある。昨晩、眠る前だったろうか。

 少し困ったように黙った後、ノインは答えた。

 

―――――俺はロシェの尊敬する人の悲願を壊したのだから恨まれるのは当然だ。大事な人を失くした痛みから立ち直れたなら、それは良いことじゃないか。

 

 と、ノインはへらりと笑っていた。

 あんたは俺よりずっと歳下なんだから、好きにこっちを頼れば良いのだと何時だったか言っていたノインの言葉も思い出した。

 その通りだったんだ、とジークはあのとき何の気無しに受けとっていた言葉の意味を噛み締めた。

 

「俺はまだこの世のことを、何も知らないんだな。……事の道理というのはもっと単純なんだと思っていた」

 

 決して割り切れない愛と憎しみと、それを向けられても尚、生きてゆかなければならない人の業があった。

 ジークはずっと自分は人に憧れていたのだと想った。これまで彼が深く関わって来た人々、ルーラーやライダーたちは、明るかったし強かった。

 ホムンクルスに縁遠い、確固とした自分の意志を持っていた。

 多分、人の光の部分を多く持つのが彼らだったのだ。

 そんな彼らでも、玲霞はひと殺しだと言うのだろう。私の愛したあの子を奪ったのだから、と。

 ルーラー、ジャンヌ・ダルクも、あんな風にどうにもできない人の憎しみをぶつけられて火刑に消えたのだろうか。

 そうやって誰かを殺して世界を回して行くのが、人間なのだろうかと一瞬思った。

 ジークには自分の中に生まれたこの感情を、言葉で表すことはできなかった。

 けれど、手放しで躊躇いなく人の世すべてを肯定することは、もうできないとだけ分かっていた。

 そう呟くジークの肩を、ライダーは優しさと親しみを込めて叩いた。

 

「うん。キミはまだ子どもなんだもの。好きなだけ悩めば良い。でもだからこそね、あんまり難しいコトばっかり抱え込むなよ」

 

 ね、とライダーは首を傾けた。

 その笑顔に、ジークはつられて小さく笑った。

 

「……ありがとう、ライダー」

「お礼なんて良いのさ。……ボクだって、本当は弱い未熟者なんだ。もっと強かったらさ、頼もしい言葉を堂々と言えるのに、こんな言い方しかできなくてごめんね」

 

 それでも荷物は一緒に持てるから、とライダーは笑って言い、ふと顔を曇らせた。

 

「……あっちも、キミくらい素直ならもうちょっと楽になるのにね。暗いところにいた方の時間が長いから、そう簡単に行かないのが問題だよ」

 

 でもそれは、あの子に任せるしかないなぁと、ライダーはため息をついてジークの髪をくしゃりと撫でたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと視線を下ろすと、床の上のガラス片に暗い眼をした少年の顔が映っていた。

 ぼさぼさの黒髪の隙間から見える瞳は血のように赤く、ただ痩せっぽちで小柄な少年だけがそこにいた。

 二つの赤いその瞳は、ひどく淀んで暗かった。

 頭を振って、ノインは顔を両手で覆う。

 彼が今一人いるのは、前の自室だった場所だ。

 ”赤”のバーサーカーの爆発で壊されて廃墟のような有様になっていたが、ただ一人になりたかったノインの行ける場所はここしかなかった。

 街から城に戻ってから、彼の耳の奥ではアサシンの声が木霊し続けていた。誰かに顔を見られたくなくて、ノインはここに来た。

 アサシンが消滅する最期のときまで直接触れていたからか、ノインの中をジャック・ザ・リッパーを構成していた魂たちは通り抜け、彼の中に爪を立てていたのだ。

 魂が汚染されている訳ではない。けれど彼ら彼女らがどういう存在だったのか、ノインには正確に読み取れてしまい、その声を聞き続けていた。

 彼らはただ自分たちを嘆いていた。

 

 どうして誰も助けてくれなかったのか、と。

 救って欲しかったのに、とても可哀想なわたしたちは、他にどうすれば良かったのか、と。

 

 悪ではなかった幼子の集合体。

 十九世紀ロンドンの暗闇の中、膨れ上がる大都市で声を上げることすらできずにすり潰された子どもたち。

 それがジャック・ザ・リッパーの正体だった。

 

 物として消費されていった彼らの記憶は、その嘆きは、英霊になるために造られ、一人また一人といなくなってしまった仲間たちにどうしようもなく似ていた。

 

 その共感のために、ノインは声をどうしても振り払えなかった。

 普通なら、低級な悪霊の憑依など黙殺することもできるのに、自分の中に彼らと同じ部分があると無意識に認めてしまったがために。

 振り払えない悪霊は怨念を増幅させる。ルーラーに浄化してもらえれば良いという、当たり前の考えも焦燥した頭には思い浮かんでいなかった。

 そしてジャック・ザ・リッパーに手を下した本人には、彼らを悼む資格もないと少年は定義していた。

 痛みはなく、ただ心の奥が軋んで罅が入って、暗闇から響く声がその隙間に染み込んでくるようだった。

 

―――――ころしてしまえ、うらんでしまえ。世界はみにくいものだから。

―――――あなたはそれを、よく知っているはず。なのに、まだ生きていたいの?

 

 囁きが途切れないのだ。

 自分の肩を自分で抱いて、ノインは床に膝を付いた。

 

―――――違う。そうじゃない世界だって、この世の何処かにはあるはずなんだ。

―――――俺はこの世界を恨みたくない。

 

 このたった数日だけでも、自分はそのあたたかい欠片に触れられた。

 だから、違うはずなんだと少年は聞き分けのない幼い子どものように頭を振り続けた。

 辺りには誰もおらず、沈黙だけが側にあった。この世にたった一人になってしまったかのような寂しさが骨身に沁みた。

 けれど、そのとき。

 何処からか、足音が聞こえる。きぃ、と音がしてがたついた部屋の扉が開いた。

 柔らかい手が肩に置かれ、ノインは顔を上げた。

 

「ノインさん……?」

 

 真暗な闇にも光を灯す星のような紫の瞳と金色の髪の少女が、そこにいた。

 

 

 




悩むジークと神経すり減っているデミ少年。

デミ少年は見下されることや、自分より格上の相手からの圧力には耐性がある。
ただそれ以外は……。


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act-29

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 レティシアがノインを見つけたのは、偶然では無かった。

 城に戻った後、誰も気づかないうちにノインはするりと消えたのだ。その消え方は、自分がいなくなることを悟られないよう、敢えてしたのだと思わせた。

 嫌な予感がした。

 頬に血を飛び散らせて、槍をアサシンに突き付けていたノインの姿を、それを見たときに聖女の内側で身を竦ませるしかなかった自分を、レティシアは思い出す。

 見つからなかったら、自分は二度とノインにあんな風に手を伸ばせなくなるのではないか。

 そう思ってルーラーの探知能力で以て探せば、ノインは一人、壊れた部屋の中心で蹲って座っていた。

 寒さを堪える子どものように、座り込んで肩を抱いて、頭を振っている。

 それを見た途端、レティシアは表に出て駆け寄っていた。

 

「ノインさん……?」

 

 始めて触れた少年の肩は、思っていたより硬くて細く、筋張っていて温かかった。ここに生きて、呼吸している人間のあたたかさだった。

 

「……レティ、シア?」

 

 しかし顔を上げたノインの周りには、微かな黒い靄が蟠っていた。禍々しいそれは、アサシンが子どもたちに憑かせた悪霊を、嫌でも思い起こさせた。

 

―――――憑依とまでは行っていませんがこれは……。

 

 アサシンのほんの小さな欠片をいつの間にかノインが取り込んでいる、とルーラーはレティシアの内側で切羽詰まった声で言った。

 ジークが気付いた一瞬の異変。それを追ってここまで来た。ジークの思い過ごしなら良かったのに、とレティシアは唇を噛む。

 

「何で、ここにいるんだ?」

「ノインさんこそ、一人で何をしているんですか」

 

 つい、レティシアは咎めるような口調になり、ノインは自分の頭から手を離して小さく頭を振った。

 

「何も……少し、頭が痛いから」

 

 そんな顔でそんな強がりなど、聞きたくもなかった。

 

「……ノインさん、あなたはアサシンの何を見たのですか?」

 

 悪霊は受け入れてはならない。共感してもいけない。受容は怨念を巣食わせ、共感は怨念を膨れ上がらせ、憑かれた側も憑いた側も共に壊れてしまうのだ。

 だからルーラーは、アサシンを完全に浄化する方法を選んだ。最早、何をしても救えないと判断したからだ。

 見なくとも良いというルーラーの意見を断って、レティシアはアサシンとの戦いも彼らの正体が何であったのかも知っていた。

 子どもたちの慟哭と、それでも彼らを消さなければならないルーラーの苦悩をレティシアは感じた。哀しくて痛くて、胸が潰れそうになった。

 同じものをノインも見ている。けれど彼は感じるだけに留まらずその一部を取り込んでしまい、半ば受け入れている。

 だからレティシアは尋ねた。

 あなたは何を彼らの中に見たのか、と。

 少年の肩に、レティシアは両手を添えた。彼女のあたたかさが伝わったのか、強張っていたノインの肩が下がる。

 ぽつりと彼は口を開いた。

 

「子どもを見たんだ。……たくさん、たくさんいて、でもみんな死んで流れて、生まれてすらいなかった。……ものみたいに、つぎつぎ捨てられてた」

 

 ジャック・ザ・リッパー。

 子どもたちの怨念が人型を取った殺人鬼。母の温もりを求め、人の(はらわた)にしかそれを感じ取れなかった、哀しい霊魂たち。

 それが彼らであったのだ。

 

「何で……何であいつらを殺して、消して……それでどうしてまだ俺は生きてるんだろう」

 

 俺たちとあいつらは同じなのに、どうしてなんだろう、とノインは呟いていた。

 

「同じ……?」

「同じだよ。俺たちもあいつらも。何で、俺たちは……こんな風にしかこの世と関われないんだ……。昔も今も、何にも変わらないのか……」

 

 少年の眼が、哀しみと怒りで濁っていた。

 レティシアはノインが誰のことを言っているのか知らない。彼が、アサシンを通してかつての自分と亡くしたきょうだいたちに囚われているとは、予想し得ない。

 けれど一つのことは分かった。

 この人は誰か、大事な人たちを亡くしている。それが哀しくて、でも哀しみを表せなくて、自分たちをこうした誰かに怒りをぶつけたいのにそれもできなくて、抱え込むしかないのだ。

 自分の哀しみと怒りと、子どもたちの霊魂の感情の区別がつかなくなっている。

 

「同じ、だなんて……」

「同じだよ。あいつらも俺も、人を殺したんだから」

 

 母の温もりを求めて娼婦を殺めた切り裂きジャック。言われるがままに魔術師を殺したノイン。

 何も違わない、とノインは叫んでいた。黒い靄が、その泣きそうな顔の周りを取り囲んでいた。

 レティシアの内側でルーラーが焦っている。悪霊との同調が深まっていく。止めなければならなかった、今すぐに。

 迷っていられなかった。

 

「……え?」

 

 ノインの口から音が漏れた。

 彼の視界一杯に金色の髪が広がる。背中にあたたかい手が回されていた。

 

「な、なにを……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 そうと気づくまで、ノインには時間がかかった。

 ノインの肩に自分の額を押し付けて、レティシアはくぐもった声で言った。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ノインさん。私……私、あなたのことを何にも知りません」

 

 だからノインの怒りや哀しみを癒す言葉なんてかけられない。

 レティシアの知るノインは不器用で自分が強くないと知っていて、それでも諦めない、そういう男の子だった。

 でもその面は、彼のほんの一部だということもレティシアは知っていた。

 深く踏み込めば自分の知らないノインに必ず出会うだろう。もし、それがとても怖い顔だったならと踏み込めなかった。

 レティシアはジャンヌ・ダルクのような聖女でもない。一人では戦いの中にも飛び込めないただの小さな人間で、だから怖くて逃げてしまったのだ。

 

「私はあなたに、何にも尋ねられなかった。……怖かったんです。知らないところを知ってしまったら、あなたがどこかに行ってしまいそうな気がして……」

 

 口に出して、レティシアは何かがすとんと心に落ちて来た。

 自分の知らないノインの顔が怖かった。それは確かだ。

 でもそれを知られたからと、ノインが遠くに行ってしまうことの方がもっとずっと、怖かった。

 

「行かないで下さい……。あなたはまだ、生きているんです。ここに、確かにいるんです。だから……少しでも良いんです。私に教えて下さい。あなたがどうやって生きてきて……何に悲しんで何に怒っているのか」

 

 だから、死したあの子どもたちの霊魂たちと同じだなんて、哀しいことは言わないで、とレティシアの言葉の半分は、涙声に溶けた。

 ノインの両腕はだらりと体の横に落ちたままだった。

 

「なんで、きみがそこまで、してくれるんだ?」

 

 俺はきみに何もしていないのに、きみからあたたかい何かを貰うばかりだったのに、どうして―――――。

 

「きみが、泣いているんだ?」

「だって……あなたが全然、泣かないんですから……!」

 

 無茶苦茶なことを言っていると、レティシアは分かっていた。それでも言葉が止められなかった。

 ノインの肩に押し付けていた顔を上げて、レティシアは彼の乾いた頬を両手で挟み込んだ。

 赤い瞳に紫の瞳が映り込んだ。

 仮面に罅が入るようにゆっくりと、赤い瞳から透明な雫が一粒ずつ零れ、頬を伝って砕けて落ちていった。

 戸惑ったようにノインは自分の頬を触る。指先で震える水晶のような雫を、信じられないもののように見ていた。

 彼の周りで蟠っていた黒い靄が、潮が引いていくように遠ざかる。

 それを見届けてレティシアの全身にぬるま湯のような安堵が広がった。そこで彼女は、自分が、自分たちがどういう体勢かを思い出した。

 白い頬が鬼灯のように、上から順に赤くなった。

 

「きゃっ……!」

 

 咄嗟にノインからぱっと体を離したレティシアの体が、壁に開いた大穴に向けて倒れかかった。

 

「おいっ!?」

 

 手を伸ばしてノインはレティシアの片手を掴んで引き寄せる。

 勢い余って、ノインは彼女諸共仰向けに倒れ込んだ。石ころやガラス片の散らかる床に、受け身も取れずに背中と頭が打ち付けられる。

 

「……ッ」

 

 痛みはなかったが、少女一人のあたたかさと不思議な良い香りを感じた驚きで、ノインは眼を白黒させた。

 その上に乗り掛かる形になったレティシアは、尻尾を踏まれた子猫のように飛び退いた。

 

「す、すみませんっ!」

「……」

 

 床の上に仰向けになったまま、ノインは答えないで腕で目元を覆った。

 

「……だ、大丈夫ですか?」

 

 おずおずと、レティシアは彼の横にかがみ込む。

 ノインの腕の下からは涙が幾粒も零れて、瓦礫の上にぽろぽろと落ちていった。それでも口は弧を描いて、笑っている。低い笑い声が喉の奥で響いていた。

 ノインは身を振り絞るように泣きながら笑っていた。

 

「ノインさん?」

「……うん、俺は平気さ……平気じゃないけど平気なんだ。……ありがとう、レティシア」

 

 目元を隠したまま、少年は言った。

 また変な言い回しの強がりなのかとレティシアは思う。

 けれど身を起こしたノインの体には、黒い霞は何処にも無かった。眼は元の光を取り戻していた。

 頭を振って、ぼさぼさになって頬に張り付いた髪を指で整えて、ノインはレティシアに微笑みかけた。

 あのあやふやで哀しくなる笑いではない。雪解けの春の陽射しように優しい、見る者を安心させる笑顔だった。

 レティシアは少しだけ、その微笑みに見惚れた。心の奥で、何かが響いた。

 

「おい、おーい?もしかして、どこかぶつけたか?」

 

 気づくとノインは立ち上がっている。

 膝を付いたままのレティシアを気遣わしげに見下ろして、彼女の前で手をぱたぱたと振っていた。

 

「な、何でもありませんっ!私は大丈夫ですっ!」

 

 さっき、鼻先が触れ合いそうだった自分たちを思い出して、レティシアは両頬を押さえた。

 耳と頬が燃えるように熱かった。きっと真っ赤になっているのだろう。

 レティシアの表情の変化の意味をあまり分かっていなさそうで、それなのにどこまでも透き通っているノインの心配そうな眼差しを感じて、尚更蹲りそうになる。

 惚けた顔をした彼が恨めしいくらいで、部屋が薄暗いことがひたすら有難かった。

 

「何でもないならそれで良いんだが……」

 

 ノインはほんの一瞬躊躇った素振りを見せてから、レティシアに向けて、ほら、と手を差し出した。

 

「はい……」

 

 その手を俯いたままレティシアは握る。胼胝のできた硬い手だった。

 

「戻りましょうよ。ノインさん。ジークさんたちが心配しているんですよ」

 

 そもそもアサシンの靄を最初に見咎めたのはジークさんだったんですから、とレティシアが言うと、ノインは肩を縮めた。

 

「ああ……もう。何かすべてにおいて情けないなぁ、俺は」

 

 そう言いながらも、ノインの表情はどこか突き放したように明るかった。

 二人は外へ出ようとして、また軋む扉が枠から外れて倒れ苦笑することになる。

 扉をどうにか元の通りに嵌め込んで、二人は廊下に出た。

 

「……レティシア」

 

 歩きながらノインは口を開いた。

 

「さっき、俺の話を聞くと言ってくれたが……俺は話すのはあんまり上手くないし、長くなる」

 

 明日には庭園に飛び立つし、ノインは本来の霊基を得なければならない。ルーラーにも彼女の責務がある。

 時間を取って話すことはできない。

 

「だから、ひとつだけ聞いてほしい」

 

 俺にはきょうだいがいたんだ、とノインは言った。レティシアは頷いた。

 

「アイン、ツヴァイから始まってツェーンまで、兄さんと姉さんが八人。妹が一人」

 

 ノイン(九番目)以外の彼らがどこへ行ったのかをノインは言わなかった。ただそういう子どもたちが、いつかどこかにいたとだけ言った。

 

「……それに、ジークはちょっとだけだが、妹に似てるんだ。ライダーはツヴァイの兄さんに似ているかな」

 

 本人たちには絶対言えないけどな、とノインは苦笑していた。

 

「私は、誰かに似ているんですか?」

 

 小さな声でレティシアが問い掛けるとノインは首を振った。

 

「いや、レティシアはレティシアだ。()()()()()()()()()()()()()。……まぁ、華奢な女の子と似ているなんて、ジークにとっては嫌だろうから言わないでおいてくれ」

 

 冗談めかして言って、ノインは肩を竦めた。

 

「分かりました。誰にも言いません。私たちの秘密ですね」

「そうだな、秘密だ」

 

 また、くすりとノインが笑った。

 それを見届けて、レティシアはそっと自分の胸に手を当てた。

 

「では、ノインさん。私はそろそろ戻ります。空中庭園へ向かうための話し合いに行くのでしょう?」

 

 それは、ルーラーでなければできないことだから。

 

「そうだな。……またな、レティシア」

 

 手を振った少年に最後に一度笑いかけ、レティシアの気配が去る。

 変わって現れた少女は、ほぅ、と大きく息を吐いた。

 

「迷惑かけたみたいだな、ルーラー。悪かった」

「そんなことありませんよ、ノイン君。でも、良いですか?次から体の不調はきっちり言うこと。ジーク君も貴方も痩せ我慢が過ぎます!」

 

 ぴしりと言われて、ノインが後退る。

 そしてルーラーの内側では、先程の記憶をまた呼び起こしたレティシアが真っ赤になって身悶えしていた。

 その気恥ずかしさを感じている彼女を、可愛らしいとルーラーは寿ぎたかった。

 それを言おうとして、ルーラーは何かが心に引っ掛かった。

 眼の前にはノインがいる。ルーラーとレティシアは、同じ視点でノインとジークを見ている。向ける感情もそう違わないはずだと、ルーラーは思い込んでずっとやって来た。

 

「ルーラー?」

 

 きょとんと首を傾げている少年と、彼を間違いなく好いている少女。

 そのとき、何故だがこの城にいる別な少年の姿をルーラーは思い浮かべた。

 

―――――私と彼女では。

 

 持つ感情に、向ける想いの形にはっきりと違う何かがある。

 その想いに気づいて自覚してしまうことは、ルーラーをひどく恐れさせた。自分の中の芯が、揺らいでしまう。

 ノインに見られないよう、ルーラーはきつく手を握りしめた。

 

「いえ、何でも。行きましょう、ノイン君」

 

 素直に頷いてノインはルーラーについてくる。

 いつも軽いはずの彼の靴音が、やけに大きくルーラーの耳に響いた。

 それでも歩けば、目的の場所には辿り着く。

 馴染みの場所になりつつあるユグドミレニアの血族用の会議室の扉を、ルーラーは叩いた。

 

「すみません、遅くなり―――――」

 

 ルーラーが言い終わる前に、扉の内側から大声がした。何かとんでもないものを見て驚いたときのような叫び声に、ルーラーとノインは顔を見合わせてから扉を勢い良く押し開けて中に踏み込む。

 

「どうかしましたか!?」

 

 反射的に武装して入った二人が見たのは、変わりない部屋だった。

 フィオレにアーチャー、カウレスにバーサーカー、ゴルドとロシェ、ジークが席についている。彼らの視線がすべて向いているのはライダーの方だった。

 

「あ、やっほー。ルーラーにノイン」

 

 そんな彼は気楽そうに二人に気づいて片手を振った。

 

「どうしたのですか?」

 

 ルーラーに向けてジークが大きく頷いた。

 

「……どうかしたんだ。ライダー、今の発言をもう一度頼む」

「へ?や、だからあれだよ。ボクの宝具、魔術なら何でも何とかできるかも、って話」

「そのもう少し後。宝具の真名のことだ」

「えーと……だけど真名を忘れちゃって困ってるんだよねぇって……言った、けど?」

 

 段々自分が喋るにつれてルーラーの眼が、他の皆と同じように吊り上がっていくのをライダーは見た。

 彼女の横ではノインが、あちゃあと言う風に額を指で押さえている。

 

「あれ、何か……マズかった?」

 

 首を傾げるライダーに、不味いという次元の話ではないぞ、とノインは呆れ顔で首を振ったのだった。

 

 

 

 





喜怒哀楽が戻った話。
取り戻したそれらで内側の《彼》に会いに行こう。
ヒロイン云々はさて置いて、デミ少年が《きみ》と呼ぶのはレティシアだけ。


申し訳ありませんが諸事情により、今年の更新はこれで終いとなります。

それでは皆様、良いお年を。
来る2018年が、皆様に置かれまして幸多き一年となるように祈っております。


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act-30


明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

では。



 

 

 

 

 

 

 

 伝承に曰く、シャルルマーニュ十二勇士が一人アストルフォは、冒険の途中、善の魔女ロジェスティラから一冊の書物を贈られたという。それを使い、彼は邪悪な魔術師を退け冒険を成功させたと言われている。

 彼が英霊として昇華された後、その書物は宝具として今も彼と共にある。

 宝具としての効果は単純だが強力である。持っているだけでセイバー並みの対魔力スキルを持ち主に与えるし、実際それでノインも助けられている。

 更にこの書物、真名を解放すればあらゆる魔術を無効化するのだ。

 それこそ、空中庭園の砲撃魔術のような規格外の代物すら、魔術の括りに入るならばどうにかできる。

 ただし勿論、解放するには()()()()()()()()。当たり前のことだが、それが無ければ始まらないのである。

 それだというのに、ライダーは真名を忘れてしまったのだという。

 

「普通真名を忘れますか!?」

「ライダーに常識は通用しないからな……」

 

 良くも悪くも、と言うジークの言葉を聞いて、頭を抱えているのはルーラーである。

 現在、“黒”が空中庭園を攻略するのは不可能に近い。幾つか案は考えられているのだがどうにもこうにも成功率が低い。

 特に厄介なのは、アーチャーの狙撃に加えての空中庭園からの魔術砲撃である。その片方だけでも抑えられれば或いは、とフィオレは言う。

 その糸口になりそうな宝具を持っているんだけどとライダーが言い、けれどその真名を忘れてしまったのだとあっけらかんと告げた正にその瞬間に、ルーラーとノインは部屋の前に到着してしまったらしい。

 冷静なアーチャーでも驚いて大声が出るはずだ、とノインは半眼でライダーを見ていた。

 件の魔導書は今、卓の真ん中に置かれている。

 一目で込められた神秘は段違いであると感じ取れる書物である。魔術師たちには価値が分かるだけに、彼らは息を呑んでいた。

 

「ライダー、これが魔女ロジェスティラから貰った物なのですか?」

「うん。間違いないよ。開放すれば、あらゆる魔術をはね返せるはずだよ」

「でも真名が分からない、と……」

 

 フォルヴェッジ姉弟は顔を見合わせてため息をついた。

 

「ルーラーの権限で真名は分からないのか?」

 

 ゴルドの意見に、ルーラーは頭を振った。

 

「そこまでは不可能なのです。私に分かるのは各サーヴァントの真名までです。宝具までは何とも……」

「えぇ……。それじゃ、いよいよどうするんだよ?」

 

 ロシェの問いに答えられる者は誰もいない。

 

「待って待って!ボク、真名を思い出せる条件なら分かってるんだ!」

「それは何ですか?」

 

 アーチャーに静かだが圧を感じさせる声で問い掛けられ、ライダーは答えた。

 

「月の無い夜であること。新月なら、ボクは確実にこの本の真名を思い出せるよ」

 

 間違いなく、とライダーは真面目な顔で頷く。アーチャーは思案するように顎に手を当て、ノインは頭の中で暦を思い浮かべた。

 

「新月……。確かアストルフォは月に理性を奪われていたという伝承がありましたね。それ故月のない夜ならば理性が戻り、真名を思い出せる、ということでしょうか」

「次の新月となると、五日後だな。……つまり、この本を使うならば俺たちは五日待たなければならない」

 

 ノインの冷静な物言いに、フィオレは車椅子の肘置きを握り締めた。

 五日の遅れが引き起こす事態が幾つも彼女の頭に浮かんで消えているのだろう。

 現当主の迷いに、彼女のサーヴァントと弟は目配せし合っていた。

 

「……一旦、解散にしよう。これに関しては、俺と姉さんで話し合おうと思う。おじさんにロシェ、サーヴァントとジークとノインは下がってくれ」

 

 カウレスが手を上げて言い、フィオレは驚いたようだが受け入れるかのように頷いた。

 ゴルドやロシェは既にマスターではない自分たちの意見することでないと思っているからか、真っ先に退出する。バーサーカーはカウレスを案じるように見ていたが、アーチャーに促されて出て行った。

 残ったライダーとジーク、ルーラーとノインも、外へ出る。

 部屋を出、振り返ったところでジークはライダーの眉が八の字になっていることに気づいた。

 

「ライダー?どうかしたのか?」

「何でも―――――」

「ない訳がない。大方、真名を忘れた責任でも感じているんだろう」

 

 ノインは無表情で振り返って言い、ライダーは図星だったらしくうう、と唸った。

 

「ねぇ、ノイン。キミ、元気になったのは良かったし察しが良くなったのも喜ばしいんだけども、発言に遠慮が無くなってないかい!?」

「俺は元々こうだぞ。……というか、ライダーは伝承が絡んでいるから、ある程度仕方ない特性のようなものだろう」

 

 淡々と言って、それにな、とノインは肩を落とした。

 

「人のことなら俺が一番言えないだろう。英霊の名前がそもそも抜けているんだから」

 

 ああ、と四人の間に微妙な空気が漂った。 

 

「あれ?」

 

 廊下の先、彼らの前にアーチャーが現れ、彼はノインだけを手招きしていた。

 ルーラーやジークたちに手を振り、ノインはアーチャーの後に従った。これから彼が何をしようとしているか、分からない者はいない。

 

「おーい、ノイン。ボクにはよく分かんないけど頑張れよ!」

「ちゃんと戻って来いよ」

 

 ライダーとジークのあいさつにノインは振り返らないで片手を振った。

 彼らがいなくなってから、ジークはルーラーに問うた。

 

「ルーラー、君にはノインに力を貸してくれている英霊が誰か分かっているのか?」

「……はい」

 

 ルーラーは頷いた。

 立場上ルーラーが自分から教えることはしなかったし、ノインが尋ねて来なかったため彼女が発言することは無かったが、ルーラーは特権により相対したときに見抜いていた。

 

「そいつ、どんな英霊なの?あ、名前までは教えてくれなくていいんだけど、何かしかこう、伝承からして狂っているみたいな、そういうのじゃないんだよね」

 

 狂化ランクEXバーサーカーを間近で見てるからちょっと気になるんだよね、とライダーは続けた。

 ルーラーはジークの方も見る。彼とノインは似たような無表情なのだが、彼も気遣っているようだった。

 

「ノイン君と融合している英霊には、狂っているという逸話は持っていません。悪逆を働いた反英霊でもありません」

 

 それを聞いて、ライダーとジークの表情がほんの少し和らいだ。

 ルーラーが思いつく『彼』の特徴はもう一つある。

 

「彼は()()()()()()()()()()であり、道半ばで倒れた英雄たちの一人です」

「うーん?」

 

 でもそんな英霊はたくさんいるよね、と言いたげにライダーは首を傾げている。

 それこそ”黒”のランサーやキャスターは、完成した技量を持ってはいても正しく志半ばで斃れた英霊だった。というよりも聖杯戦争に召喚される英霊ならば、そうでない者の方が少ないだろう。

 そういう意味では、ノインの中にいる英霊の素性もありふれている。

 微妙に異なるのは、伝承の中でも完成されていないとされている英雄ということだ。

 ルーラーの気がかりはたった一つ。

 

―――――英霊として完成する前に果てた者が、もしこの世で器を手に入れられるかもしれないと判断すれば。

 

 再び生きている人間と同じように振る舞えるとしたら、『彼』はもしかしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ルーラーはそれを懸念していた。

 けれど現状では、”黒”に勝つ見込みはなく、ノインは言ったところで止まるような性格ではない。故に、彼女は止めなかった。

 右手で左の二の腕を掴むルーラーの内側で、小さな声が囁いた。さっきまで黙り込んでいた、レティシアだった。

 

―――――大丈夫です、聖女様。あの人は必ず帰って来ますよ。

―――――どうして貴女はそう言い切れるのですか、レティシア?

 

 聖女の内側で少女は言い淀んで、答え合わせをするようにもう一度口を開いた。

 

―――――男の子の意地ですよ。あの人はそれくらい意地っ張りです。

―――――だから聖女様、あなたはあなたの心と役目を見失わないで下さい。

 

 そう言って、レティシアは疲労からか沈黙したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノイン、分かっているとは思いますが、我々には時間がありません」

 

 廊下を早足で歩く、アーチャーの背中を追いかけながらノインは頷いた。

 明日にしろ五日後にしろ、六十年かけてきた天草四郎からすれば誤差の範囲内で、翻って“黒”には時間も強さも圧倒的にない。

 追い付けるとは思わない。が、ぎりぎりまで追いかけ続けなければならない。そのために必要なことを行うのだ。

 アーチャーが向かうのは地下だった。この城塞の中でノインの魔力の波長が最も合う地点だ。前から探して見つけ出していてくれたのだろう。

 扉の前でアーチャーは振り返った。彼が何か言う前に、ノインは口を開いた。

 

「ありがとう、アーチャー。ここまでで良い」

 

 に、と笑う。

 多分これから行うことを実行して良いのか、最後に尋ねようとしてくれたのだろう。本人を抜かせば、アーチャーはノインの体のことを知る唯一の人物だ。

 霊基を完全に受け継ぐことができれば、振るう力は強くなるだろう。しかし、代償も重くなる。

 マスターと自分のためには無情に宣告したって良いはずなのに、気にかけてくれた賢者に少年は感謝して、扉を一人で開けて閉じた。

 小部屋に入るとしん、と音が遠ざかる。

 部屋の中央の椅子に向かいながら、どこにも行かないで、と言ってくれたレティシアの顔が過ぎった。

 嬉しかった、本当に。それを言ってくれた彼女のことが、ノインは素直に好きだった。

 纏わりついていた霞を、あの一言が遠ざけてくれた。

 自分たちが殺めた子どもら。彼らへの償いなどできる訳がないし、できると思うことが誤りだ。

 ノインは、彼らをただ決して忘れずに覚えておくことにした。

 あの日の自分やきょうだいたちと混ぜず、彼らを彼らとして記憶することが彼の選んだ、名もなき子どもたちへのたった一つの礼だった。

 レティシアの言葉が無ければできなかった。

 

―――――うん、好きだな。彼女のことも、彼女の生きている世界のことも。

 

 ちゃんと頑張らないとなぁ、とノインは椅子に腰かけて目を閉じた。

 自分と外界を切り離すための暗示は、得意だった。辛くなったときに、何度もやってそうして自分の内側に閉じこもるためにだ。

 そうやって閉じこもっているときは、『彼』の存在を感じ取ったことは一度もない。それでも内側に、『彼』は確かにいるはずなのだ。

 ずっと力を、霊基を、貸してくれているのだから。

 槍を何度も握り、胼胝のできた自分の両手を見下ろす。一度、息を吸って吐き、眼を閉じた。

 ひゅるり、と奈落に落ち込むようにノインの意識は闇に沈み込んで分解された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――深く、深く、沈み込んでいく。

 

 足を下にして落ちていたようにも、頭を下にして落ちていったようにも思う。 

 どちらが上か下なのかも分からない。そのうち考えることもやめて、ただ落ちていくに任せた。風も感じないし、そもそも自分の体がどこまであって、どこまでが闇なのかも分からない。

 ただただ、下に落ちていく感覚だけが感じられる本物だった。

 ふと、昔、ずっと昔に聞いた物語を思い出した。

 確か兎を追いかけて、穴に落ちた女の子の話だった。奇妙な国をさ迷って、それでも最後には家に帰ることのできた女の子の物語だ。

 自分の追いかけるものは兎などという可愛らしいものではないし、落ちていく先も不思議の国ではなく自分の内側である。何と言うかとことん夢がない。

 そういう思考ができるようになった分、()()()()()()()感じがある。英霊が入る前の自分は、もっとよく笑ってよくしゃべる、今とかなり違う奴だった。

 

―――――あの頃は、しゃべっても聞いてくれる相手がいたからな。

 

 息を吐いて、前を見る。

 向かう先に光は無く、ただ一層分厚い闇の渦だけがあった。

 止める気も止まる気配もなく、自分はそこへ真っ直ぐ、石のように落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――唐突に闇が晴れたその先で、眼を開けた。

 

「ここは……」

 

 声が出たことにも驚いたが、目の前の光景にはさらに驚いた。

 ノインは真っ白いリノリウムの床の上に立っていたのだ。彼は廊下にいて、目の前にはガラス張りの部屋があった。

 部屋の中にある寝台はどれも模様一つない無機質なもので、それが十個あった。

 観察動物のための飼育箱のようだった。そして見覚えがある。

 ガラスの壁は割れていて、寝台はいくつか倒れている。染み一つなかった床は土塗れになっていた。最後の印象と大分異なっているが、間違いなかった。

 

「そうだろうな。ここはお前の最初の場所だ」

 

 かけられた声に、ノインは反応した。

 振り返ると割れた壁の穴の縁に、少年が一人腰かけていた。

 彼の背後には、何度か見てきた灰色の海が広がっている。ノインの背後には、壊れた研究所とでも言える建物が広がっている。

 荒れ模様の空と海を背負って、黒い髪の少年はにやりと笑う。

 その瞳はノインのようなくすんだ赤ではない。真紅に光っていて、どこか獣染みていた。

 片膝立ててノインをねめつけている小柄な少年は、幾つか歳下に見えた。項の辺りでノインより長い黒髪を無造作に紐で束ねている。

 装束は青い革鎧、右手には短めの槍。腰には革紐にも見える投石器。

 彼はノインがサーヴァントとして戦うときとほぼ同じ格好をしていた。少年がノインに似ているのではない。ノインが彼の力を借りているからだ。

 こうまであっさりと、本人に出会うと思っていなかったノインは、何と返してよいやら分からずに固まる。

 

「なぁんか言えよ。口が利けない木偶人形ってワケじゃ無いんだろうが」 

 

 獲物を狙う肉食獣のような荒々しさと残酷さ、年相応の子どものような純粋さが、細面の顔に表れている。

 友好的な感じはない。思えば夢の中での視線も、優しさとかそういうものを感じた試しはなかったよな、とノインは頬をかいた。

 

「初めまして、と言うべきなのか、俺は」

「阿呆か。初めてなワケが無い。何年お前の中にいたと思っている。おれはお前を見ていたが、お前はおれを見ちゃいなかった。今更振り返ったかと思えば、今度はさらに力を貸せだと」

 

 言葉に棘と殺気が混じる。

 この少年はどうやら、ノイン・テーターという人間を嫌っているらしい。それにしては饒舌ではあるが、手を差し出す気は毛頭ないと少年は態度で示していた。

 ノインは生唾を飲み込んだ。

 ここの己は自分一人。頼りになるのは何もない。戦うとき、これまでずっと頼りにしていた力の源と対峙しているのだから。

 

「……そうだ。それでも俺は頼む。俺は力がいるから」

 

 ふん、と少年は鼻で笑う。

 彼は屈んで足元にのびた影に手を突っ込むと、中から槍を取り出した。

 無造作に槍をノインに投げ渡す。ノインがそれを片手で受け止めると、彼は腰を下ろしていた穴の縁から飛び降りた。

 

「己のことも彼らのことも、何一つ顧みて来なかったお前に、ただで力など貸さん」

 

 槍の穂先がぴたりとノインの喉元を指し示していた。

 ノインは少年の顔と手元の槍を見比べた。槍の穂先に、青褪めた己の顔が映っていた。

 

「……まさか、あんたを倒せと?ここで?」

「出来なければお前の命を貰うまで。おれの知る戦士とはそう言うものだ。泣き言も聞かないし、おれはこれ以外の方法は知らない。力を寄こせと言うなら、こちらの領域で争え」

 

 灰色の海と灰色の建物だけの世界のどこか遠くで、雷が一度轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





デミ少年は、親愛も友愛もそれ以外も割とごっちゃである。
という訳で自分の中に潜りました。少年英霊の真名は次で開帳かと。


申し訳ありませんが、明日の更新はありません。


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act-31

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

新年早々嘘を付きました。更新できたのでしました。

では。




 

 

 

 分かり切っていたことだ。

 弾き飛ばされて背中から壁にぶつかり、血の味が広がる。体のどこが壊れたか、確認する暇もなく転がる。

 自分の頭のあったところに、叩きつけられたのは槍の穂先。地面が抉れ、ノインはそれに全身を叩かれて吹き飛んだ。

 体勢を立て直す間もなく、踏み込んできた少年に襟首を掴まれ、無造作に投げられる。水きりの小石のように地面を跳ね、崖までノインの体は飛ばされた。

 崖から下の荒海へ落ちかけ、何とか踏みとどまる。

 息をしようとしてノインは咳き込み、口の端から血が流れた。

 

「無様だな。お前は」

 

 その前に、少年が降り立つ。表情には余裕があって、鎧には傷どころか土すら付いていない。

 ここは己の意識の中。精神世界とでも言うべき世界だと、ノインは本能で悟っていた。

 この世界は大体半分に分かれている。

 荒れた空と海の広がる領域と、青空の下で無機質な研究所が佇む領域。前者が少年の心象世界を反映し、後者がノインの心象世界を表しているのだろう。

 つまりそれだけ、少年英霊の心象世界はノインの意識に食い込んで浸食している。

 少年は苛立たし気に、槍の石突を地面に叩きつけた。

 

「本当に無様だ。ノイン・テーター。戦士でもないどころか、なりたいと思ったこともないくせに、まだ戦えているお前がおれは嫌いなんだ」

「そう、なのか。でも俺は、あんたのことは嫌いになれない」

 

 少年の顔が理解しがたいものを見たように歪んだ。

 けれどノインの本心なのだ。彼がいて自分はまだ生きていられる。それに、この少年はノインを殺そうとしていなかった。

 ここでは、ノインはデミ・サーヴァントとしての力は全く使えていていなかった。体の頑丈さは変わっておらず魔力で身体能力を強化することは可能だが、槍や投石の技能の方が頭から抜け落ちたようだった。それを本来扱うべきなのは、少年の方だからなのだろう。

 それでも本来のノインの体は、息をするのも辛いような脆弱さだったからこれでもましだった。

 並みの人間よりかなり頑丈なだけ、というところにまで弱体化しているのに、ノインはまだ英霊を相手にして死んでいない。

 

「あんた、俺を、殺す気が無いんだろう」

 

 少年にその気があれば、とっくに刺殺されているのだ。そうなって当然だ。

 そもそも力を示せという時点で、即断即決で殺そうとはしていないのだ。

 

「は。甘いな。お前をここで殺せば共倒れになるから、おれにお前は殺せないと思っているのか?」

「……ここで俺が死んだら、現実の俺もここにいるあんたも消えるということか?」

 

 自分の精神に住んでいる自分以外の存在に心の中で殺されると現実の己がどうなるか、などという問題は、魔術的に考えると頭がこんがらがりそうだった。

 つまりここで死んだら、現実の自分はただでは済まないということらしい。

 そいつは知らなかったな、とノインは口元を拭いながら呟いた。

 そして少年の英霊の方も、人間の中に宿っている状態をどういう風に捉えているのかは知らないが、第二の生とも言えるだろう。

 少年はノインの考えを察したのか、鼻で笑って槍を無造作に肩に担いだ。

 

「言っておくが、おれは消えることに未練なんてない。第二の生が欲しいワケでもない。お前が気に入らないから、ぶちのめしているだけだ」

 

 少年は唸るように言って、槍を構える。

 ノインは槍の切っ先をだらりと下げたまま、口を開いた。

 

「じゃあどうして、あんたは六年も俺の中にずっといたんだ?そんなに俺が嫌いなら、出て行けば良かっただろうに」

 

 そもそもデミ・サーヴァントとしてノインが霊基を借りることを、許さなければ良かったのだ。

 そう言った途端、目の前から少年の姿が消える。

 腹に衝撃が走った、と思った次の瞬間には、ノインは再び研究所の壁に背中を打ち付けていた。それだけに留まらず、壁を二枚ほど突き破ってようやく止まる。

 真っ直ぐ突き進んできた少年に蹴られて吹き飛ばされたのだ。防御のために腹を腕で庇ったために、内臓や骨は無事だが、全身に電流で撃たれたような痛みが走り、腹を抱えてノインは呻く。

 ごろりと寝転がると割れた天井からは、泣きたくなるほど澄み切って遠い、青空が見えていた。

 右手はまだ槍を辛うじて握っていた。しかし、これを持っていてもどうしようもない。

 遠くからは、足音が聞こえていた。その気になれば一瞬で詰められる距離を歩いて来るということは、何というか本当に彼には嫌われているんだな、とノインは実感した。

 それでも自分があの少年を”赤”のセイバーのようにただ怖いと思えないのは、まだ情動の一部が壊れたままになっているからか、それとも六年も中に居てくれた気配だからか、さてどちらなのだろうと考える。

 結論としては、どちらでも同じだった。

 ここで説得できなければ、”赤”との戦いのどこかで斃れることになる。そうしたら、もう二度と誰にも会えなくなる。

 軋む全身に力を入れて、ノインは立ち上がった。

 

「何だ。まだ動けたのか」

 

 声がする。壁にノインが開けた穴から、少年の姿形をした暴虐の嵐が姿を現した。

 ノインは立ち上がって自分より少し小柄な彼を、真正面から見た。

 

「動けるさ。動かないと」

 

 ノインは言って、槍を放り投げる。

 乾いた音がして、部屋の隅に槍は転がった。

 

「何のつもりだ?」

「何のつもりも何も、槍も魔術も、あんたのものであって、俺のじゃないだろうが」

 

 戦うための力は借り物で、それを借りている本人に向けても通じる訳が無かった。使えない武器は邪魔なだけだ。

 ノインが両の拳を構えるのを見て、少年は虚を突かれたようだった。

 

「お前、馬鹿か?」

「そいつはどうも。馬鹿じゃなきゃ、ここまで来てない」

 

 この少年に借りた以外の力は、ノインにもたった一つだけあった。教えられて、得たものだ。

 ”黒”のアーチャー、ケイローン。彼が授けてくれた素手で戦うための技。それだけは、どう扱えばよいのか覚えていた。

 呆気に取られたように口を開けた少年は、次の瞬間空を仰いで呵呵大笑した。

 てっきり殺気を向けられると思っていたノインの方が、今度は呆気に取られる。

 両眼を手で覆って咳き込むほどに笑い続けた少年は、手を離すと、同じように槍を放り捨て投石器も放り投げた。

 拳を胸の前でかち合わせ、少年は引き裂くような笑いを浮かべた。どこか楽し気で、残酷で、無邪気な笑いだった。

 

「いいぜ。ノイン・テーター。お前が組み打ちでおれに挑むというなら、相手になろう」

 

 少年の体が沈む。

 同じように構えを取りながら、ノインはふと思いついたことを口に出した。

 

「一つだけ、俺からも聞きたい。あんた、名前は何て言うんだ?」

 

 名前も知らない相手に力を貸せと言い戦うのは、そう言えばとんだ無礼もあったものだと、今更思い当たる。

 それでは名を聞いてくれることも呼んでくれることもなく、ただ戦えと自分を使役していた、魔術師たちと同じだ。

 しかし、それを聞いた瞬間、少年の表情が一瞬消えた。あらゆる感情を排したような気配が漂う。

 何かを押し殺すように、少年は答えた。

 

「……戦う前には教えない。教えられない。どうしても知りたければ、おれを倒して自分で掴め」

 

 無造作に言い捨てた彼の指に、黄金の指輪が嵌っていた。その輝きがノインの目に入る。

 あれはノインのデミ・サーヴァントとしての装束に加えられていない見慣れない物である。それ故に目に付いた。

 ルーン魔術と投石器、黄金の指輪と己の名を名乗らない、少年の姿の英雄。

 情報の欠片がすべて噛み合って、ノインの頭の中で光が弾けた。

 一つ、思い当たる名前があった。とはいえ、それが正しかろうが誤りであろうが、現状には全く関係が無い。

 眼を閉じ、息を吸う。感じた匂いは、昔毎日のように感じていた『家』の空気と同じもので、それがどうしてだか哀しかった。

 

「―――――行くぞ」

 

 少年の声が低くなる。高まる殺気に、ノインも思考を切り捨て身構えた。

 ケイローンから教わった言葉と動きのすべてを纏う。そうすれば、痛みと傷で霞んでいた世界が少し輪郭と色を取り戻した。

 気がついたら、少年が目の前にいた。

 右から来る拳を防ぐために腕を突き出す。拳が当たった瞬間、電流に打たれたような痛みが再び走ったが、暗示をかけて無視する。

 少年の腕を掴み、逆の手でがら空きの胴にノインは拳を打ち込んだ。

 

「――――!」

 

 衝撃で顔を歪めたのは、ノインの方だった。

 岩どころか、鋼鉄の塊を殴ったような衝撃が脳天を突き抜ける。強化に回した魔力が足りなかったのだ。

 少年はにやりと笑う。ノインは掴んでいた手を離す。後ろに跳んで距離を取ろうにも、ここは狭すぎた。

 咄嗟に横に半身をずらす。空いた空間を少年の拳が通り抜け、風圧でノインの髪が揺れた。

 屈み、足を払う。人体の構造を把握しての一撃で、少年の体勢が崩れる。その隙に、開いた穴からノインは跳び出した。自分の心象領域から、少年の心象領域へたどり着いたところで、右側から風の音を聞く。

 両手で少年の蹴りを受けると同時に、魔力で身体を強化。渾身の力で、少年の小さな体を逆に投げた。

 くるくると軽業師のように空中で回り、少年は危なげなく着地する。余裕に溢れたその態度に、ノインはため息をつきそうになる。

 英霊と言うのは、本当に存在自体が理不尽だ。心底思う。それと一対一で相対するのは、本当に馬鹿にならなければやっていられない。

 

「凄い馬鹿力なんだな。それに格闘も慣れていると」

「……知らないでおれに組み打ちを仕掛けたお前の落ち度だ。槍ならともかく、おれはこれで負けた試はない」

「ああ、そうなんだろうな。組み打ちだったなら、あんたは海辺で生命を落とすことも、無かったんだろう」

 

 少年の動きが止まる。ノインは構わずに続けた。

 

「そうなんだろう?―――――光の御子クー・フーリンの息子、コンラ」

 

 少年――――コンラの顔から、表情が再び消えた。

 

「正解、か」

 

 『名を名乗ってはならない』、『行く道を変えてはならない』、『あらゆる挑戦に応えねばならない』。

 三つの誓約を守ったがために父であるクー・フーリンと一騎打ちをすることになり、魔槍ゲイ・ボルグで殺された幼い英雄、コンラ。

 それが、この少年の名前だったのだ。

 コンラはふんと鼻を鳴らした。

 

「知恵だけは回るのか。さすが小狡い魔術師だな」

「何言っているんだ。俺は魔術師じゃない。俺の中に居たなら、知っているだろう」

「……失言だったな。お前は魔術師でもない。戦士でもない。だから気に入らないんだ」

「戦士でもないのに戦うな、ということか」

 

 コンラは頷いた。潔癖なんだな、とノインは思う。

 

「戦士だけが戦って、それで話が済むのならこの世はもう少し良くなっている、コンラ」

 

 名前を呼んだ途端、コンラが再び拳を構えた。それを見ていないかのように、ノインは話を続けた。

 

「俺が戦士じゃないなんてことは、俺が一番よく知ってるさ」

 

 戦えるものだけが戦えばいいとコンラは言いたいのだろう。そうでない者は出しゃばるな、と。

 何かを為す力のあるものだけが、それに立ち向かえば良い。とても優しい理屈だった。

 その真理で世界が回っているのなら、デミ・サーヴァントもジャック・ザ・リッパーも生まれなかったに違いない。

 資格や力の有無を、世界が鑑みてくれることはない。

 たまたまその場に生まれてしまったから、たまたま才能を見出されてしまったから、たまたま居合わせてしまったから。

 そんな下らない理由で、この世の誰も彼もが理不尽に巻き込まれる。自分で選んだ道だと思っていても、状況に選ばされていることがある。

 それでも、生きているならその道を歩んでいくしかないのだ。

 これからの数日を生きるために、ノインは目の前の英雄を()()するしかない。

 幼い英雄のまま果てて、終ぞその真理を骨身に沁みて理解することは無かっただろう、少年相手に。

 

「もう一度言う。戦うための力が要るんだ。だから力を、貸してほしい」

「だからそれならば――――」

「いやいや、倒せだなんて無茶を言うな。あんた相手じゃあ、俺は殺されないようにするだけで精一杯だよ。だから説得する。舌を抜くまで喋るのはやめないからな」

 

 コンラは馬鹿を見るような眼になった。

 自分と違って、この少年は考えていることが素直に顔に出るんだな、と思う。

 

「減らず口を……!」

「あんたはそもそも、どうしてそこまで俺が嫌いなんだ?」

 

 踏み込んできたコンラの拳を、紙一重で躱してノインは尋ねた。

 

「知れたことだ!優柔不断で後ろ向きで、自分のことも置き去りにした!自分の望みも彼らの望みも、まとめて忘れてしまった恥知らずだ!」

 

 ひどい言われようだった。大体真実なだけに、言い返せない。

 

「大体何より苛立つのは、お前が!誰のことも恨んでいないことだ!」

 

 叫ぶと同時に、コンラは拳を振りかぶる。

 感情が高ぶっているせいか大ぶりな一撃だった。ぎりぎりでこれも躱すことができたが、風圧で頬が切れた。標的を失った拳は、地面を大きく陥没させた。

 

「恨んで!憎んで!尽きない恨みをぶつけて当たり前だろうが!お前の愛する家族も!お前自身をも奪った魔術師どもだぞ!」

 

 少年の感情が爆発した。

 魔力が吹き荒れ、風が巻き起こる。コンラの長い黒髪が風に千切れそうなほど暴れていた。

 

「それすらできないヤツが、人間に戻っただと?笑わせるな馬鹿野郎が!今もそうだ、おれを一度も恨んじゃいない!桁の違う力を振るうおれを、どうして理不尽なんだと憎まない!聖人にでもなったつもりか!」

 

 コンラの手がノインの襟首を掴む。

 防御のために胸の前で交差したノインの腕を、一切構わずコンラは殴り抜いた。石ころのようにノインが吹き飛ばされて、砂埃の中に姿が消える。

 陥没した地面の中心に立って、コンラは片目を覆った。

 

「おかしいだろうが、こんなこと……!」

「そうかよ。そう思うってことは、あんたは良い奴だよ。……腹立たしいくらいになァ!」

 

 唐突に、コンラの目の前にノインが現れる。

 幻術の己と入れ代わり、先の一撃をやり過ごしたぼろぼろの幽鬼のような少年は、両手をコンラの襟首にかける。

 蹴りかと身構える彼に―――――ノインは、頭突きを見舞った。

 

「――――ッ!?」

 

 コンラの体が、初めて仰け反る。その額から血が一筋だけ垂れていた。

 ノインの方はそれでは済まない。ありったけの魔力で防御しての頭突きだったが、額は弾けて流れる血が顔の上をを流れ、悪鬼のようだった。

 それでもノインは、コンラの襟首を掴む手の力を緩めなかった。血の中で眼だけが別の生き物のように、爛々と光っている。

 

「あんたこそ、何を見当違いなことを言ってるんだ……!俺が彼らを、憎まなかった、恨まなかった?そんな訳がないだろうが!」

 

―――――憎かったよ、殺してやりたかったよ、俺たちからまともに生きる機会を奪った何もかもすべてを!

 

 血を吐きながらノインが叫んだ。

 自分のものとは比べ物にならない感情の爆発に、英霊の少年が確かにたじろいだ。

 

「でもな、だったらどこまでを殺せばよかったんだ。ダーニックか?ユグドミレニアの全員か?それとも―――――俺たちを生んだ世界すべてか?」

 

 一度衝動に身を任せてしまえば、絶対に恨みは止まらない。憎悪は途切れない。それなら世界を恨めば良かったとでも言うのか。

 それこそふざけるな、とノインはコンラに指を突き付けた。

 

「下手な感情を見せれば、処分される。俺の生きていた場所はそういうところだ!俺は恨みを誰かに叩きつけて、自分だけ満足して死ぬ結末なんて御免だった、それだけだよ!」

 

 ――――世界にはきっと、きっとどこかに泣きたくなるほど優しくて、綺麗な場所があるから、そう、それこそおとぎ話のような機械仕掛けの優しい神さまだっているんだから。

 ―――――だから、諦めないで。生きてね、兄さん。

 

「それは、お前の妹の……!」

「そうだよ。俺は自分が生きるために感情を殺した。何処かにあるって言う優しい場所を見たかった!たったそれだけの人間を、聖人?あんたの方こそ大馬鹿野郎だ!その目は節穴かよ!何を見ていたんだ!」

 

 けれど、ノインという人間はそうして生きるために感情を殺しすぎて、そのうち何のためにそうやって振る舞うか分からなくなった。見せかけと自分の境界を、一人ぼっちの子どもは容易く見失って途方に暮れた。

 それをこの聖杯大戦という血塗られた奇跡の中で出会った人々が、思い出させてくれた。

 一番あたたかい少女の向こうに、妹が、兄が、姉たちが知りたかった優しい世界を垣間見れた。

 

「彼らを壊させたくない、どうしても、生きていてほしい!そのために力を貸せと言っているんだ!」

 

 最後の一言を全身から吐き出して、ノインの体から力が抜ける。英雄の襟首を掴んでいた手が離れ、ずるずると膝を付く。

 ノインに寄りかかられる形になったコンラは、けれど血まみれの体を突き放すことはしなかった。

 代わりに、耳元で囁く。

 

「おれの霊基をこれ以上使えば、体が壊れる」

「分かってる」

「それでも、戦うのか?」

「ああ」

「ここに居続ければ、お前はもっと苦しむ。それでもか?」

「気遣いは嬉しいけど、でも、受け取れない」

 

 ここで逃げたら本当に、一生後悔するから。

 誰も気遣ってなんかない、とムキになったように目を三角に尖らせるコンラに、ノインは痛みと疲労で濁った眼を真っ直ぐ向けた。

 

「昔のあんただって、そうだったんじゃないか。あの海を越えて相対した朱槍の戦士が、父親だって、分かっていたんじゃないのか?」

 

 戦えば死ぬかもしれなかった。それでもコンラという少年は戦いを選んだ。

 真正面から父親と出会うために。それが戦士として生きることを選んだ彼の、一番真摯な向き合い方だったのだ。

 哀しくなるほど愚直に生きて、それでこの少年は結局死ぬことになった。

 コンラは肩を落とした。

 

「おれと同じことをしたら、早死にするぞ。敵が誰かも、どういう奴らかも分かっているはずだ」

「そうなるかもな。でも、そうならないかもしれない。未来なんて、誰にも分からないだろ。だから俺は生きて来れたんだから」

 

 強がりでしかない答えを聞いて、コンラは体中の空気を吐きつくすような息を吐き、ノインの背中を叩いた。

 

「分かった。……分かったよ、ああ畜生。大馬鹿者一人なら死ぬだけかもしれないが、二人ならまだ何とかなるかもな」

 

 ―――――力を貸そう。アルスターのクー・フーリンの息子、コンラの名において、持てる力のすべてをノイン・テーターに貸し与えよう。

 

 ノインの体を近くの岩にもたせ掛け、その手を取ってコンラは宣言した。

 

「……でも俺は、あんたに勝ってもいないんだが」

「はあ?おれに勝つのが無理だと抜かしたのは、お前だろうが。さっき見事に頭突き決められたから、あれで決着にしといてやる」

 

 自分がただの少年の叫びに一瞬だけでも気圧されたことはおくびにも出さず、ノインの額を手のひらで何度も軽く叩きながら、コンラは言った。

 

「まあ、これで宝具はどっちもまともに扱えるようになるさ。特に二番目は蔑ろにすると師匠に殺されるから、というか影の国から殺しに来そうだから、そこんところは頼むぞ。本気で」

「あんたの師匠ってまさか……ああ、女戦士スカサハか」

 

 それは怖そうだ、とノインは寝言のように言った。

 ひどく眠かった。堪らなく、眠かった。

 堪える間もなく瞼が下がり、すべてが闇に消えて行く。

 

―――――頑張れよ、というぶっきらぼうな声が聞こえた気がした。

―――――ありがとうと言う前に、意識の糸がぷつりと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




真名開帳&意地の張り合い。
更なる修羅に進む前に心を折って止めたかった英霊少年、一番近くで自分を見ていた相手に見当違いなことを言われて怒ったデミ少年。
正しさはどっちにもあってどっちにも無い。

という訳で掴んだものと共に、いざ現実へ還ろう。



ちなみにコンラには七歳説もありますが、書く上で流石に幼すぎると感じたので少し引き上げました。


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act-32

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 何処か遠く深い所から、長く暗い道を真っ直ぐに落ちて行く。落下し続けたそのままの勢いで、ノインの意識は覚醒した。

 座っていた椅子から誰かに突き飛ばされたように飛び起きてよろめき、勢い余って頭から扉に突っ込む。

 

「う、わ……」

 

 ごん、と滑稽な鈍い音が部屋に響いた。

 デミ・サーヴァントの体だから扉にぶつかった程度痛くはないのだが、衝撃でノインは額を押さえた。

 

「戻れた、のか?」

 

 手を見る。

 肉が裂けて血が流れていたはずの手は、傷一つ無かった。額が割れている訳でもない。あれだけぼろ雑巾のようになっていた体に痛みもない。

 戻れた、ということらしい。

 それならば一体今は何時なのだろうと、それが気になった。体感としては数時間だが、精神世界での時の流れは当てにならない。

 扉を開けると、アーチャーの姿は無かった。代わりに、腰掛けていた椅子から跳び上がったのはジークとライダーである。

 

「おかえり、ノイン!」

「戻ったのか、良かった」

 

 そうは言うものの、二人はどこか心配そうだった。

 

「ただいま」

 

 片手を上げて、いつも通りにノインは返す。それでやっと、二人は頬を緩めた。

 

「良かったぁ……」

「……もしかしたら、俺と『彼』のどちらが戻るかで心配してくれたのか?」

 

 ノインが言うと、ライダーは少し目を逸らし、代わりにジークが答えた。

 

「ノインなら大丈夫とは思っていたのだが、気になっていた。その様子だと上手く行ったようだな。……だが、眼の色が変わったか?」

「俺の眼がどうかしたのか?」

「赤が濃くなっている。真紅に近いぞ」

 

 ノインは片目を反射的に覆った。

 多分、コンラの真紅の瞳に近くなっているのだろう。同調が深まった分、身体的特徴が受け継がれたらしい。そう言えば髪も少し伸びた気もする。

 

「ホントだ。で、ノイン。結局キミの中にいるのは誰だったの?」

 

 それは、と前髪を弄りながら答えようとしてノインは何となく精神的な引っ掛かりを覚えた。

 彼の名前は分かる。クー・フーリンの息子、コンラだ。負けん気の強そうなあの顔も、表情の一つ一つも覚えている。

 けれどそれをライダーたちに伝えようとすると、自分の内側でそれを差し止めようとする感覚があった。

 寒気のようなその感覚を無視して続ければ、違和感が倦怠感に変わるだろうという予感がある。

 ノインは口元を押さえた。

 

「名前……ちょっと待ってくれ。言える……はずなんだが、言いたくないんだ」

「んん?」

 

 ライダーが首を傾け、ジークは顎に手を当てた。

 

「サーヴァントの特性か?」

「多分―――――」

 

 答えかけてノインは思い当たった。

 コンラの死因ともなった、三つの誓約。ケルト神話に頻繁に登場する魔術的な契約、ゲッシュの存在だ。

 

「すまない。俺に力を貸してくれている英雄は、名前を名乗ってはならないんだ。名乗れないこともないが、やるとステータスが下がる」

「……何でそんな面倒なコトになってんの?」

「ケルトの誓約(ゲッシュ)だ。『彼』のゲッシュは『名を名乗るな』『道を変えるな』『如何なる挑戦をも受け入れろ』の三つらしくてな」

 

 コンラの霊基が完全に受け継がれた分、それもしっかりとノインに受け継がれてしまったらしい。今までは融合が不完全だから何の効力も無かったが、今後はそういかないことになる。

 そんな話は知らなかったぞ、とノインは心の中で尋ねてみる。コンラの声は聞こえなかったが、何となく申し訳ないと思っている気配が伝わって来た。

 一方、ジークはゲッシュの話だけで誰かが分かったらしく、ぽんと手を打った。

 

「なるほど。ケルトの伝説出身でその誓いを背負った英霊となると、真名はクー・フーリンの息子、コンラだな」

 

 流石英霊に纏わる知識を与えられて生まれたホムンクルスだな、とノインは思いながら頷く。

 自分から名乗るのは禁止だが、相手に言い当てられて解答するのはゲッシュに抵触しないらしかった。

 それに、ノインと名乗る分には恐らく差し障りはない。ノイン・テーターとは、ノインの存在につけられた名前で、コンラを表していない。名乗りを禁じるゲッシュは、英雄コンラの名を示したいと思ったときだけ、発動する仕組みらしかった。

 それよりも、残り二つの方が問題だった。こちらはノインの行動にもきっちり制限を加えてくると感覚が言っていた。

 ライダーは頭を抱えて桃色の髪を掻きむしった。

 

「や、ややこしい……。パワーアップのはずなのに何でそうなるんだい!?それだから幸運:Eなんだよぅ」

「む、それは少し聞き捨てならないぞ、ライダー」

 

 ノインの目がみるみる尖る。ゲッシュの存在はコンラの誇りの証だ。

 面倒なことになったのは否定しないが、『道を変えるな』は要するに空中庭園に向かわないという道を絶たれただけで、却って覚悟が固まる。

 『如何なる挑戦も受け入れる』の方は、そもそも他の敵サーヴァントが、デミ・サーヴァントに挑戦を叩き付けるとはあまり思えなかった。

 あくまで自分は挑戦する側であって、される側ではないというのがノインの認識なのだ。

 他のケルト圏の英霊がどうなっているかは知らないが、少なくともコンラのゲッシュは守っている分には、ステータスにプラスの補正が掛かるスキルなのだし、そういう訳だから何とかなるだろ、とノインは肩をすくめ、ライダーは肩を落とした。

 

「ゲッシュってのはボクらで言う、騎士の誇りとか誓いみたいなもんか。……さっきのはごめんよ、コンラの誓いを貶めるつもりは無かったんだ。たださぁ……」

「相手方にもルーラーがいるからな。ゲッシュを利用して嵌めに来るかもしれない。それが気にかかる」

「天草四郎か……」

 

 三人の間に静かな空気が流れ、ライダーが手をぱんぱんと叩いた。

 

「あー、この空気無し無し!とりあえずちゃんと融合できたんだから良かった!感じとしてはステータスも上がってるようだし!」

「そのようだ。耐久と筋力が上がっているぞ。後は、宝具のランクが見えるようになっている」

 

 サーヴァントのステータスを看破できるマスターの眼で、ジークはノインを見ながら言った。

 うん、とノインは一人頷く。不利になったことより、手に入れたものの価値を素直に喜ぼうと思った。―――――幸運が変わっていないらしいことはほんの少しばかり残念だったが。

 

「宝具を二つともちゃんと使えるようになったからな。……雑に扱うと、『彼』の師匠のスカサハが影の国から襲撃して来るらしいが」

「……何というかもう、そこまで来るとどこまでも物騒としか言えないな、ケルトは。というよりケルトだから物騒なのか。物騒だからケルトなのか。どっちなのだろう」

「おいちょっと待てジーク、大真面目にケルトを物騒の代名詞みたいに言うな」

「流石にそのツッコミはムリがあるってば。どう考えてもコンラくんバーサーカー入ってるだろ」

 

 ジークとライダーの額を小突くふりをしてじゃれ合いながら、力を示せ、出来なければお前の生命を貰う、というコンラの言葉をノインは思い出した。

 あれは何となく彼だけの言葉というより誰か、例えば師のような人間に送られた言葉であるような気がした。確か、コンラとクー・フーリンの師匠は共に影の国の女王スカサハだったはずだ。

 父との誓いを守るために生命までかけたコンラにとっては、父と同じ師から継いだものは自分が想像するよりも重要なのだろう。

 父親と呼べる存在がいないだけに、親子の繋がりというものは尚更犯し難い領域にあるようにノインには思えた。

 

―――――ありがとう。あんたの力を存分に使わせて貰うよ、コンラ。

 

 幼い姿の英雄の顔を瞼の裏に描きなら、ノインは心の中で呟いた。

 やれるもんならやってみやがれ、とでもあの少年ならば嘯きそうだった。

 少年の面影を一端脇に避けて、ノインは知りたいことを尋ねた。

 

「それで、俺はどれくらいここにいたんだ?」

「数時間というところだな。……それと、出発は五日先に伸びた」

 

 つまりフィオレは、すぐに急襲する作戦ではなくライダーの宝具を要とする作戦に切り替えたらしい。

 

「なるほど。……責任重大だな、ライダーもジークも」

「任せてよ!新月のボクは一味違うからさ!あ、それとフィオレちゃんからノインに伝言だよ。戻って来たら渡して欲しいってさ」

「?」

 

 何だろうと顔に疑問符を浮かべるノインに、ジークは紙を一枚手渡した。

 開いて中を読んだノインの表情がだんだんと固まる。

 

「何なに?なんて書いてあったの?」

 

 興味津々なのか覗き込んでくるライダーとジークの前に、ノインは額を押さえながら紙を突き出した。

 受け取って一読し、ジークが首を傾げた。

 

「ルーンで、爆弾を強化しろ……?」

「空中庭園に突貫させる飛行機に積む爆弾を、ルーン魔術で強化しろってことみたいだね」

「ああ。ルーラーが聖別してサーヴァントにも通じる爆薬にするとか言っていた奴だろうが……大丈夫なのかこれ、聖人スキルとルーンだぞ?変に誘爆したりしないよな?」

「さぁ……」

 

 どうせならルーン魔術も加えての強化爆弾を作るように、とのフィオレからの当主命令だった。

 結構な数の爆弾作りの注文に、ジークとライダーは同情したような目になる。確かにルーンの使い手ならできるだろうが、それにしたところで数が多かったのだ。

 アサシン討伐、霊基回復からのルーン爆弾大量生産と、ノインの仕事が立て続けなのは間違いなかった。

 しかしそれを言ったら、ゴルドにしろロシェにしろフィオレにしろカウレスにしろ、マスターたちの仕事が山ほどある状況は全員似たりよったりだ。

 

「ま、やれることがあるのは良いことだ」

 

 そう言うノインにジークは口を開いた。

 

「……ノイン。俺にも何か、手伝えることはあるか?」

 

 そうだな、とノインはジークの顔を見ながら、顎に手を当てて考える仕草をした。

 

「ライダーのお目付け役をよろしくな。絶対に彼が今後トラブルを起こさないよう頼む」

「分かった。必ずやり遂げよう」

「ちょっとマスター!ボクの信用度低くないかな!?ノインは笑うなよぅ!」

 

 涙目になりかけのライダーと生真面目に頷いているジークを見比べ、ノインは現実に戻って来て初めて笑みを浮かべただった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兎にも角にも爆弾である。

 ユグドミレニアの資産を投じて飛行機と共に手に入れたということだが、そんな大量の爆薬は城に運び込めない。置く場所もないし、持ち込んだ人間から情報が漏洩されれば洒落にならないからだ。

 よって空港近くの倉庫に隠したとのことで、ノインは翌日の昼から城を出てそこへ向かうことになった。

 ルーラーの聖別は聖人スキルを持つ彼女が祈ることで完了するらしいが、ルーンはあれこれ工夫した方が威力が上がるため、試行錯誤する分時間が必要になる。

 これは結構時間がかかる、とノインは倉庫内の山と積まれた爆弾を見上げていた。

 

「一つ残らず問題なく炸裂したとしても庭園の障壁を壊せるかは微妙だよなぁ……」

「ウウッ!」

 

 爆薬などが入った箱の蓋を開けて中身を覗きながらノインが言うと、一緒にここまでやって来た花嫁姿の少女、バーサーカーは、さっさとやれとばかりに唸った。

 ノインが妙なことをしないかというお目付け役として来たのが彼女なのだが、マスターのカウレスと離れたせいか不満そうだった。

 何でも、フォルヴェッジの姉弟は重要な儀式に挑むらしい。

 血族以外の人間には儀式が決して漏れないよう城から退去せよ、との命令が出るほどに。

 そんな訳だから、ライダーとジークも街の探索に行っているはずだ。

 ルーラーと彼女と共に常にいるレティシアは儀式の補助で城に留まるとのことだったから、ライダーは前々から言っていたようにジークと街を満喫できるんだな、とノインはその光景を想像して楽しくなっていた。

 ライダーはあんな感じの人間だから、ジークは色々楽しめるし学べるだろう。

 自分に人並みな情動を取り戻す切欠は、間違いなくライダーが与えてくれたと断言できるだけに、その点ではノインはライダーを頼りにしていた。

 しかし、ノインと逆にバーサーカーは自分も城から出されたのが面白くないようである。

 ノインが作業を始めると、バーサーカーはじいっと片隅に座って見て来た。人に懐かない大型犬に見られている気分になる。

 バーサーカーは時々ポケットから取り出した花びらをぶちぶちと千切っては、スカートの前に溜めていく。

 本当に不機嫌そうだな、とノインはそれを見て思った。

 ぶちんぶちんと花びらを千切る音が段々と無視できないほど大きくなって来たところで、ノインは思い切って先に話しかけた。

 

「……なぁ、バーサーカー。分かってると思うけど、カウレスはあんたを蔑ろにした訳じゃないと思うぞ」

「ウ!」

 

 ぱしんぱしん、とバーサーカーは平手で地面を叩いた。

 知っていても離れていることが嫌なのだろう。感情を露わにしている彼女の様子は、伝説のような狂った怪物などには全く見えなかった。

 頬をかきながら、ノインは何とか言葉を繋ぐ。

 

「俺の見張りだってユグドミレニアから見たら必要なことだろうし……それに多分、フォルヴェッジ家門外不出の儀式ってことは、継承に関わる儀式か何かだろ。そういうのは、かなりキツいものだ」

 

 サーヴァント召喚然り、デミ・サーヴァント降霊の儀然り、魔術儀式は非常に疲れるものだし、かなり体が痛むこともある。生命に関わることも珍しくない。

 そう言うとまたバーサーカーに唸られた。つまり何が言いたいんだお前は、とでも怒られているようだった。

 

「だからさ、弱った所をあんたに見せて心配かけたくない……ってカウレスは思ってるかもしれないってことだよ」

「ウ?」

 

 今度はきっと、どうしてとバーサーカーは言ったのだろう。

 マスターとサーヴァントだからそんなことを気にしなくて良いのに、と彼女は思っているのかもしれない。

 

「俺の想像だから違うかもしれないが、きっとあんたが女の子であっちが男だからだと思うぞ」

「ウゥ……」

 

 花嫁姿の、華奢で背の高い少女はきょとんと目を大きく見開いた。

 早口にそれだけ言って、ノインは下を向いて爆弾を強化する作業に戻る。

 炎のルーンと風のルーンをもっと上手いこと組み合わせて爆発力を高められれば良いのにな、と物騒なことを考えながらもさくさくと手は止めない。

 どうやら、あれからルーンのスキルも向上したらしく、どうすればより上手く使えるのか考えが回るようになっていたのだ。

 バーサーカーは、ノインの話を聞いてどう思ったのか持って来た花を千切らずに手の中で静かに優しく弄んでいる。

 ノインの考えなど本当は丸っきり見当違いかもしれない。自覚はあるがノインは人の心を斟酌するのに、まだ慣れていないのだ。

 だから後でカウレスに変なことを言うなと怒られるかもしれないが、そのときはそのときで怒られればいいかとノインは作業を続ける。

 それに、他に関してはともかく、カウレスが少女相手に意地を張りたい気持ちだけは何となく察せているとも思っていたからだ。

 

 結局、倉庫にあった爆薬はその日の残りをすべて使って強化が完了した。

 山と積まれた完成品を見ながら、これを使いきる日は四日先なのかとノインは思う。

 短いような長いような、奇妙な感覚に囚われながら、ノインはバーサーカーと共に城へと戻るのだった。

 

 

 

 




休みは終わり、普通の生活に戻りましたので更新は遅くなるかと。

ステータス変化後
筋力:C→B
耐久:C→C+
敏捷:A→A
魔力:A→A
幸運:E→E
宝具:-→A

ルーンスキルも向上。その他は追々。後は若干ケルト化。

真名当て、楽しんで頂けましたか?

ちなみにクー・フーリンズにデミ少年が会えば混乱でフリーズ。復旧した後は若親父殿、槍親父殿、術親父殿、狂親父殿と呼び分けして適度な付き合い。ただあのゲッシュは正直どうかと思う。
スカサハに出会った場合はヤバい奴だと察知し、遁走。ただし逃げられない。北米神話大戦はホント勘弁して下さい、となる。


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act-33

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 城に戻ったバーサーカーとノインが行き当たったのは、最早馴染みになっている光景だった。

 ライダーとジークとルーラー。この数日、ノインにとって一番関わりが長く深い彼らは、今日も今日とて三人で固まっていた。

 城の扉をくぐってすぐの広間で、三人は何やら話している。表情から察するに、漂っている空気は明るい。

 階段の手摺に座って足をぶらぶらさせているライダーが話す何かに、階段に腰掛けて彼を見上げるジークが生真面目に相槌を打ち、その隣にいるルーラーがそれを優しい表情で見守っては時折口を挟んでいる。

 

「あ、ノインにバーサーカーだ。お帰りー」

 

 気配に気づいたライダーが片手を振る。ノインは振り返し、バーサーカーは小さく唸った。

 ぴょん、と桃色の三つ編みを揺らしてライダーは手摺から飛び降りる。

 

「ルーン爆弾はどうだった?」

「改造はすべて完了した」

「そっかー。お疲れ」

 

 バーサーカーも頷き、霊体になって姿を消す。カウレスのところへ帰るのだろう。

 そう言えばコンラの霊基が使えるようになったが、霊体化はできないなとバーサーカーの消え方を見てノインは思った。

 できたら便利だろうなとは思うが、こればかりはどうしようもない。むしろできなくて当たり前なのだ。ノインは肉の体があって、まだこの世での寿命を終えていないのだから。

 

「ねぇ、ボクらはこれからユグドミレニアの皆が用意してくれた家に移るんだ。フォルヴェッジの二人の儀式の秘密、漏れたら駄目だからって。で、キミも行かないかい?」

 

 ライダーが言い、後ろでジークも頷いていた。

 ノインは少し考えてから口を開く。

 

「……ありがとう。後で寄らせてもらう。その前に行くところがあるから、先に行っておいてくれ」

「どこですか?」

「ロシェのところだ」

 

 ルーラーとジークは何故と言いたげに目を細めた。

 キャスターの死の衝撃からロシェは何とか持ち直したが、ノインへの当たりはまだきつい。その彼の元をわざわざ訪ねる理由はすぐには思い付かなかった。

 

「彼のところの映像記録に用があるんだ。それが済んだら行くから、先に拠点へ向かっていてくれ」

「ボクらが一緒に行ってもいいんじゃない?」

 

 ノインはライダーに向けて首を振った。

 

「この面子で行くとロシェが頑なになりそうだから、俺だけで行くよ。時間がかかるかもしれないから、先に行っておいてくれ」

 

 ルーラーとライダーとノインは、『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』を破壊した当人たちだ。だから、その彼らが全員で押し掛けたらロシェは良く思わないかもしれない。

 ここでこれ以上待ってもらうのも悪いから、先に行っておいてほしいとノインは言った。

 

「待つのは俺たちには苦じゃないぞ」

「いや、でも俺が気になるから。勝手だけどさ、またな」

 

 そう言って、するりとノインは城の奥へと去った。敏捷値の高いデミ・サーヴァントだからか、その動きは無駄なくらいに速い。

 下手くそな物言いだなぁ、とライダーは肩をすくめる。

 

「仕方ないや。マスター、ボクらは拠点へ行っとこうか」

 

 ほらほら、とライダーはジークの手を取る。ルーラーは、と見れば彼女は残るつもりなのかノインが消えた方から視線を外していなかった。

 ライダーに引っ張られながら、ジークはルーラーの方を見た。

 

「ではルーラー、ノインを頼んだ」

「ええ、もちろんです。彼には少し尋ねたいこともありますから」

 

 ルーラーはそう言ってジークたちに向けて片手を振る。

 どういう意味なのだろうかと考えながら、ジークはライダーと共に城を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャスターのためにダーニックが用意した地下の工房は、当事者たちが永久に去った今、そっくりそのまま弟子が受け継いでいた。

 入り口に立って覗くとホムンクルスたちの食堂である大広間よりも広い工房が、かなり薄暗い空間が一望できる。

 中では、人に近い形のゴーレムが稼働し、他のゴーレムを組み立て続けている。様子は魔術師の工房というより、映像で見たことのある自動車の生産工場というものに近かった。

 それでも人の話し声や気配もなく、ただゴーレムたちの駆動音しか聞こえないのは少しばかり気味が悪い。

 彼らの動きの中心には、机に向かっている巻き毛の少年がいる。

 開きっ放しの扉をノインが挨拶代わりに叩くと、少年は顔を上げた。

 

「……なんだ、君か」

 

 途端に顔を顰めたロシェに、それでもノインは軽く会釈した。

 

「何の用だよ。僕は暇じゃないんだけど」

「分かっている。それほど手間のかかる用ではない。戦闘の映像が記録されている魔道具ないしゴーレムを探しているだけだ」

 

 そう言うと、ロシェは無言で工房の片隅を指差した。

 魔道具の類はキャスターが見ていたものもあるから、目ぼしいものは皆ここにあるとノインは思っていた。偵察用のゴーレムが記録した映像を再生することがノインの目的であり、その程度ならノインの素の魔術の腕でもできる。

 その中でノインが探しているのは、“赤”のランサーがこちらのセイバーと戦ったときのものとランサーとの草原の戦いの記録だ。

 前者はともかく、後者はあれだけの乱戦だったから壊れて残っていない可能性もあるが物は試しである。

 ゴーレムたちの中をすり抜けて、ノインは床の上に積まれた魔道具の山の前に立った。

 仮に仕込まれている迎撃用の魔術が発動しようが、対魔力スキルがあるノインには効かないため、彼は無造作に魔道具を掻き回して探した。

 起動させては投影された映像を確認する作業を繰り返して、目的のものをノインは見つける。

 “黒”のセイバー、ジークフリートと“赤”のランサー、カルナの最初で最後の戦いの映像だ。

 それが収められた偵察用ゴーレムをノインは抱えた。

 

「ロシェ。これ、持って行って良いか?」

「いいよ、別に。それ取ったらさっさと消えてよ。当主代行にゴーレムを造るように言われてるんだから」

 

 庭園を急襲する雑兵と飛行機を緻密に操作する操舵手のゴーレムを、ロシェはフィオレに言われて作製しているそうだ。

 

「先生がいたんならもっとサーヴァントの相手ができるのだって造れたかもしれないけど、ムリだからね」

 

 どこか投げ槍な言い方からして、ロシェには聖杯をユグドミレニアの手に取り戻すということ自体、関心が薄いように見えた。

 彼の願いが何だったかをノインは知らないが、最早それは彼の中ではどうでも良いものになったのだろう。

 ロシェを見ると逆に、聖杯にあれだけ拘ったダーニックのことがノインの頭を過ぎった。

 自分自身を対価に差し出しても願いを叶えたかった男は自身のサーヴァントと共に既に亡く、願いを叶える気がなくなったマスターの生き残りは目の前で淡々と機械人形を造っている。

 視線を感じたのか、ロシェは頭を上げずに答えた。

 

「何だよ」

「何でもない。邪魔をして済まなかった」

 

 鳥の形の偵察ゴーレムを片手で振って、ノインは出口ヘ向かった。

 

「デミ・アーチャー」

 

 出て行けと言ってきたばかりの少年に呼び止められて、ノインは敷居のところで振り返った。

 ロシェは俯いたまま、今度は机の上に置かれた円筒状のものを撫でていた。見たところ、ゴーレムの部品に見えた。

 

「これさ、何か分かるか?」

「……ゴーレムの部品か?」

「そ。これも『炉心』さ。素材が見つからなかったら使えって話だったよ」

 

 でもさ、とロシェは声を潜めた。

 

「先生がそんな妥協したとは思えない。あの人のゴーレム造りの腕は最高だったんだから。こんなのはただのガラクタだよ。炉心は絶対、生きた魔術回路を持ってる奴じゃなきゃならなかったはずだ」

 

 しかしキャスターは、万が一のときはそれを持って自分の元へ来るようロシェへ告げた。

 その指令が出されることはなく、ロシェの師はノインを『炉心』にしようとした。が、もしもあのときこの()()()()を自分の元まで持って来いということをキャスターが言ったなら、ロシェは喜んで従っただろう。

 自分たちの悲願が叶うからと、躊躇いなく。

 しかし、今ロシェの手元に残ったものは偽物だ。彼はキャスターに嘘をつかれていたことになる。

 ロシェはそのことに気づいたのだ。

 彼は自分の方が『炉心』にされていたかもしれないという可能性に勘付きかけていた。

 しかし、尊敬する師は弟子の自分にそんなことができる人間ではなかったはずだと、ロシェは思いたいのだ。

 ゴーレムに育てられ、親の顔ではなくゴーレムの存在を教え込まれて、ただ機械人形を造り続けるフレイン家。そこで育った子どもには、他人の感情を自分と結び付けて推し測ることも、導いた答えに怯えることも、きっとろくにしてこなかったのだろう。

 おまけにその怯えを見せる相手が、蟠りしかないようなノインだ。

 感情を見せる相手としては最も適していないだろうに、とノインは内心思った。

 ノインは無表情の下で、ため息をつきたくなった。城へ戻ったあのときに、何でお前が生きていて先生が死んだんだ、とまで罵って来たのはロシェだ。

 いっそ何もかもぶち撒けてしまえば、自分の気が楽になるのだろうか。

 今は真紅へと変わった瞳を細めて、ノインはロシェを見る。

 けれどゆっくりと名残惜しげに筒を撫でるロシェの手を見て、ノインは感じた胸の奥のざわめきが遠ざかるのを感じた。

 キャスターがどんな人間であれ、ロシェが師のゴーレムの腕前ばかりに心を奪われて、その真意を全く理解できていなかったとは言え、彼らの間にあった信頼と憧れだけは本物だった。ただキャスターの中では、一番に慮るべきことでなかっただけで。

 思いのすれ違いには怒りを感じられない。ただ、虚しいだけだった。

 

「……さあな、俺はゴーレムになりたくなかっただけだから、彼の話なんてろくに聞いてない。ゴーレムを造ったこともないから、そっちの情熱も理解できない。彼の考えだってもう誰にも聞けない」

 

 顔色に気をつけて嘘と真実を同じように口にする。

 もう一度アヴィケブロンを召喚したとしても、その彼はロシェのことを知らない別人だ。

 仮にここに居た“黒”のキャスターの真意を幾らかでも理解できる誰かがいるとするならば。

 

「キャスターと同じゴーレム造りができる人間だけだろう」

 

 ゴーレム造りの道を極められたなら、頂点にいたアヴィケブロンと同じ世界だって見ることができるようになるはずだろう。

 そう言うと、ロシェはノインがこの部屋に来てから初めて顔を上げた。

 

「ここを生き延びられたなら、あんたには長い時間があるだろ、多分さ」

 

 キャスターの背中を追い掛ける人生でもなんでも好きにすることができる。

 ノインがそう言っても、ロシェはまだぼんやりした顔をしていた。

 これ以上はノインに言えたことではなかった。アーチャーのところに駆けて行ってどうすればよいか尋ねてみたいくらいだが、そんな時間は無いし彼はフィオレのサーヴァントだ。

 

「このゴーレムは持って行く。ありがとう」

 

 逃げるように言って、工房からノインは出た。

 早足で歩き、地上に上がって曲がり角を折れたところでノインは誰かとぶつかりそうになって急停止。反射的に体が反応し、ぎりぎりで後ろに飛び退る。

 

「ああ、お前か。ジークたちと街に行かなかったのか?」

 

 そこに居たのはトゥールだった。

 

「これから行くところだ」

「そうか。あいつらは何だかんだと広間で待っていたからな。あまり待たせてやるなよ」

「分かっている。それにしても、ジークの姉みたいだな」

 

 軽くトゥールが鼻で笑う。

 その様子を見て、ふと気になったことをノインは口にした。

 

「トゥール、あんたはどのくらい生きられるんだ?」

「二ヶ月というところだな」

 

 乾いた口調でトゥールは言った。

 

「そうか」

「まぁ、私たちはそう造られているからな。仕方ないさ」

 

 苦笑のつもりかトゥールは少し口の端を曲げ、少し声を落とした。

 

「とは言え、気掛かりはジークだな。同胞の面倒をよく見たがるが、私たちは皆あいつを置き去りにして一人にしてしまう。そうなったときに、軽はずみな人生を送らなければよいが」

 

 トゥールの声は事実だけを淡々と述べ、そこに自分たちの境遇を嘆く気配はなかった。だが、ジークへの気遣いは確かに感じ取れた。

 確かにジークは、自分の生命を借り物のように捉えている節があった。英雄ジークフリートの生命を授かった責任を感じ続けているのだろう。

 ジークフリートは、自分の意志でジークに心臓を与えたのだから自分の生命に後ろめたさを感じる理由などないのに。

 生命はすべて最初は授かりものなのだから憚ることない自分のものだと思えれば良いのになぁ、とノインは思う。

 

「危ないことをするなと、あいつをきちんと叱り飛ばしてくれるライダーやルーラーは、この世の客分だからな。聖杯戦争が終われば消えてしまう。あとジークと関わりの深いのはお前だが……」

 

 トゥールはノインを見て、紅い瞳を細めた。

 

「お前も……それほど長くはないんだろう?」

「……どうしてそう思う?」

「お前と私たちは人かホムンクルスかという差はあれど、目的があって生み出されたことは同じだ。特にお前は英霊という規格外の器になることを目的に生み出されたのだろう?」

 

 容赦なしに要点を突いてくるなとノインは思いながら頷いた。

 トゥールは続ける。

 

「英霊との対戦を想定して鋳造された私たち戦闘用は著しく寿命が短い。それならば、似たようなお前の寿命もまず人並みに設定できなかったはずだ」

「分かった、分かったよ。降参だ。あんたの考えは正解だ」

 

 両手をノインは上げた。

 

「隠したかったことだったのか?」

「そうだよ。言ってどうなるものでもないから」

「嘆かれたくなかったんだろう。それはお前の勝手だぞ」

 

 分かってる、とノインは肩を落とした。

 寿命のことは諦めて、受け入れている。自分はそれで良いともう決めた。

 そのことを隠したのは、戦いから遠ざけられたくなかったのと嘆かれたくなかったからだ。確かにノイン個人の事情だった。

 

「あんた本当に容赦がないな」

「煙に巻かれている時間はないからな」

 

 それでどのくらいなんだ、とトゥールは言った。静かな言葉なのに問い詰められている気分になる。

 諦めたようにノインは息を吐いた。

 

「……長くて二年。このままの生活を続けたら一年かそこらだな」

 

 デミ・サーヴァントのために造られた子どもたちの中では一番長く生きているのだが、そういう問題でもない。

 

「デミ・サーヴァントでなくなれば延びるのか?例えば、英霊と切り離せば……」

「残念だけど無理だな。彼が出て行くとその瞬間に俺は死んでしまうから」

「八方塞がりか」

「そういうこと。それこそ奇跡でもない限り、もうどうこうできる話じゃない」

 

 だから残るべき生命に対して、何かしていきたいと思う。何かを残していきたいと、どうしても強迫観念のように思ってしまうのだ。

 トゥールのジークへの気遣いもそういう部分があるのだろうし、ノインはコンラとより深く同調する道を選ぶことにその思いが表れた。生命を縮めると、分かっていたのにも関わらず。

 多分、まともな人間のやり方、考え方ではない。破滅的すぎる。ジークに自分を顧みろなどと、言えるはずがないのだ。

 

 ノインの手の中で、石でできたゴーレムが軋む音がした。

 

 自分自身の我は戻った。自分が何が好きで何を厭わしく思う人間か、はっきりと判断できるようになった。

 己の中身は、至極単純なのだ。自分に良くしてくれた人々が幸せであることを願い、彼らが傷つくのを見たくないというだけ。

 子どもの心をそのまま残して、十六歳まで生きてきたからそういうことになる。

 しかし何をしたら、自分が好きになった彼らが幸せなのかが分からないのだ。戦ってばかりで悲しいほど想像力が働かない。

 

「……人間(俺たち)が生きることは大変だよな。お互いにさ」

 

 ホムンクルスの少女は、とても人間臭い仕草で肩をすくめて鼻を鳴らした。

 

「全くだ。……庭園では、仲間をよろしく頼む」

 

 はいはい、とノインは鳥のゴーレムを軽く振った。

 少し決まり悪そうな顔にも見えるトゥールに、軽い笑顔を向ける。彼女はすれ違って廊下の奥に去った。

 ノインははぁ、と息を吐く。何となくぽーん、とゴーレムを鞠のように投げ上げて受け止めた。虚ろな石の眼と合う。

 

「何をやっているんだろう、俺は」

 

 呟いて、先へ行こうとしたとき廊下の陰から出て来た人影が一つあった。

 

「ルーラー?」

 

 蒼白な顔の金の髪の少女は頷き、ノインをひたと見つめていた。

 

 

 





真名開放に伴い、タグに付け足しました。
前話から通すとバーサーカー→ロシェ→トゥールの順でのコミュ回。

明日の更新はすみませんが、ありません。


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act-34

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 ジャンヌ・ダルクという少女は平凡な村娘だった。

 フランス、ドンレミ村のダルク家の子どもとして生まれて信心深く育ち、神の声を聞いて戦場へ向かい、故国を救い、すべてに裏切られながらも誰をも恨むことなく火刑に処され、聖女となった。

 啓示を受けたとは言え、村の少女だった彼女がそのようなことを本来ならできるはずがない。

 できるはずがないことを成したから、彼女は奇跡の乙女(ラ・ピュセル)ジャンヌ・ダルクなのだ。

 彼女の逸話を始めて聞いたときは、そこそこに衝撃を受けたと思う。

 人々のために、幸せな生活を捨てる。故国を救うために、人が異常になる戦場に自ら飛び込む。

 ノインにしてみれば、彼女は自分たちからは最も縁遠い人だなと、そう思った。

 自分は顔も知らない人々のために戦えない。幸せな生活と家族があるなら、絶対に捨てたくない。

 ルーラーとして顕現したジャンヌ・ダルクを見て、一層そう思った。聖女にして奇跡の乙女なのに、ジャンヌ・ダルクという少女はそんな仰々しさを一片も感じ取れないほど、愛に満ちて親しみやすかった。

 

 その少女は、今、ノインの目の前で蒼い顔で立ち竦んでいた。

 今表に出ている彼女はレティシアではないと、勘で分かる。

 青い顔になる理由は何かと考えて、すぐに思い当たる。十中八九、トゥールとの会話を聞かれていたのだ。

 ロシェのことがあり、トゥールとの会話に集中して、周りの気配を感じ取る感覚が鈍くなっていたとは言え、ルーラーが近くにいたことに気づかなかったのは不味かった。

 

「さっきの話……聞いてたのか?」

「……はい」

 

 やっぱりか、とノインは頭をかいた。ルーラーが聞いていたなら、当然レティシアも聞いていたのだろう。

 彼女が表に出てきていなくて良かったと不意に思った。

 ルーラーは青褪めたまま口を開いた。

 

「他に、このことを知っている人はいるのですか?」

「……トゥール以外なら、元マスターとアーチャーだけだ」

 

 他は誰も知らない。ライダーも、ジークも。

 手の中でゴーレムを弄びながら、ノインはともかくも歩こうとルーラーを促した。

 城を出るまでも出た後もルーラーは無言で、それがノインには痛かった。知られるつもりはなかったのに、あんなところにいるなんて巡り合わせの運が悪いとしか言いようがない。

 

「本当に、どうにもならないのですか?」

 

 固い足音が響く石畳の上を歩き始めて、どれくらいたったろうか。

 ルーラーが尋ね、ノインはトゥールに答えたときと同じ声で答えた。

 

「戦うのをやめても変わらない」

 

 少しでも良いと言えることがあるとすれば、ゆっくりと体が弱っていくような最期では無いことくらいだろうか。

 多分死ぬ直前まで、体は変わらないのだろう。ある日突然電池が切れたように動けなくなって、終わるのだ。

 

「そんな……」

 

 ルーラーは口元を手で覆った。

 

「戦いが始まる前から終わりは決まっていて、最初からこうなるんだ。……だから、あまりあなたたちには嘆いてほしくない……かな」

「……」

 

 歩きながら、ノインはルーラーを振り返った。聖女は黙って唇を噛み締めていた。

 彼女は多分、分かって納得してくれるとノインは思っていた。ルーラーであるジャンヌ・ダルクは兵を死地へと送り出し自分も共に死地を征く指揮官でもあったからだ。

 ただ彼女の見聞きしたものはレティシアにも伝わるから、言いたくなかったのだ。

 

「……何となく、気づいていました。ノイン君の状態は、謂わば人の手による奇跡です。けれどこの世に無償の奇跡など存在しません」

「……まぁ、元々不自然だものな」

 

 隠しておきたかったことなのに何となく察していたという面々が多すぎるなと、ノインはため息をついた。

 

「そもそも人間に英霊を降ろそうなんて考えた時点で、不自然で馬鹿な計画だからな。真っ白で無垢になるよう育てた子どもたちなら、成功するとでも思ったんだか」

 

 珍しい乱暴な口調で言って、ノインは暗い空を仰いだ。

 完全に無垢な存在など、無理に決まっている。

 英霊を降霊するための子どもらにだって、何かをしたいという望みはあった。

 外で遊んでみたいとか、風を感じてみたいとか、青空を見てみたいとか、そんな他人から見ればささやか過ぎるものだったけれど、子どもらにとってあれらは確固とした欲望で純粋な願いだった。

 子どもらがそう望むようになった時点で、真に無垢なものが欲しかった研究者たちの思惑など破綻していたのだ。

 それでも研究者たちは無理をして、実験を強行して、生まれたのは精神が子どものままのデミ・サーヴァントが一体だけ。

 精神も強化された人造英霊を目指した者たちにしてみればそれは失敗で、おまけに派手に実験をやり過ぎて自分たちは一族の当主に粛清されたのだ。

 愚かだなとしか言えないお粗末さ。その粗忽さから自分たちが生まれたのだから笑う気にもなれないが。

 英霊を人為的に創り出し、人類繁栄のための生命をこの世に生誕させる、という肩書だけはまともに聞こえた試みは、そうやってたち消えた。

 

「貴方が受け入れていることは分かりました。でも、レティシアやジーク君たちは哀しみ、怒ります」

「そう言われてもな。ここを切り抜けないと駄目なのは分かってるだろう?俺もレティシアもジークも生きている人間である以上、天草四郎の人類救済とやらが成就したら、必ず巻き込まれる。でも聖杯による人類救済なんて、俺は信用できないよ」

 

 人類繁栄のためにと創られたデミ・サーヴァントだからこそ、天草四郎の願いは何とも信じ難かった。

 

「それは……でも……」

「俺たちにはセイバーもいない。ランサーやキャスターもだ。皆消えてしまった。戦力差をこれ以上広げたらどうしようもなくなる。ジャンヌ・ダルクならば分かるはずだ」

 

 ルーラーが瞳を見開く。

 レティシアと同じ顔でそういう表情をされると、ノインにはざくりと胸が痛かった。

 慈悲深い聖女の面影がずれて、下から普通の少女が見えた気がした。

 しかし、それは一瞬でルーラーはノインを真っ直ぐに見た。

 

「決心は変わりませんか?」

「変わらない。俺のために俺は戦うよ。やっとそうしたいと言えるようになったから」

 

 天草四郎の思惑を恐ろしいと思う心、ルーラーの依代として戦場へ赴くレティシアと、ライダーに、彼のマスターとなったジークを案じる心。

 それらすべてを引っ括めて、ノインは自分の意志で戦う道を取った。

 ルーラーは目を伏せる。

 最も好いたきょうだいたちと永遠に別れ、冷たい世界にいたことで壊れていた精神を、この数日の触れ合いと戦いの中で、驚異的な速さで組み直し取り戻した。

 それは、生命の残り少なさに急き立てられてこその速さなのだ。

 残り時間のないことを骨身に沁みて理解しつつ、その中で少年は精一杯に生きようとしている。

 けれど己が己として生きるために、戦いの中へ進むというのは余りに矛盾している。その矛盾に、多分当人も薄々勘付いている。

 それでも、ノインには自分で自分の選択した道を進みたいと願う思いのほうが、死を恐れる心より強いのだ。

 夕焼け色から紅へと変わった眼を見て、ルーラーはふと思う。

 

―――――レティシアではないけれど。

 

 どうしてもっと優しい世界に、この少年は生まれてくることができなかったのだろう。少女に出会うことができなかったのだろう。

 

 無駄と知りつつ、ルーラーは問いを思い浮かべずにはいられなかった。

 しかしそれも、一体誰に向けた問いになっているのか。

 ノインにか、或いは彼らを生んだ研究者たちか、それとも何も悪いことなどしていなかった子どもらに、そういう定めを背負わせた世界、そのものにだろうか。

 ルーラーの目の前のこの少年はこうやって生まれて、火花のような速さの一生しか知らないで駆け抜けなければならない。

 それでも火花として輝けただけ幸せなんだと、少年は言うのだろう。

 彼の魂を慮って目を伏せはしても、彼を憐れむことを彼女は絶対にしない。それは何よりの侮辱になるからだ。

 ルーラーは目を瞑る。

 彼女の中の少女は、黙していた。静かにそこにいて、ルーラーを通して目を逸らさないで少年を見て、考えていた。

 その一途さはルーラーの胸に重く響いていた。

 

「……では、ノイン君。ジーク君とライダーのところに行きましょうか」

「あ、ああ」

 

 少し意外そうに、ノインは目を見開いていた。恐らく、まだルーラーに追求されると思っていたのだろう。

 

「貴方の意志を私もレティシアも尊重します。城で聞いたことをライダーたちには言いません」

「……ありがとう」

「それより、貴方の方こそ隠し事に向いていないのに大丈夫なのですか?」

 

 貴方は隠し事が下手だと、ルーラーは人差し指をぴんと立てて言った。

 無表情だからこれまでは隠し事をするのもどうにかなったのだろうが、表情が柔らかくなった分、見破られやすくなっているのだ。

 

「む……」

 

 根が素直なのだろう。半ば冗談めかして言ったルーラーの言葉に、ノインは真剣に困り顔になった。

 その彼を誘って、再びルーラーは歩き出す。

 変化していると、ルーラーは隣で首を捻りながら歩む少年を見て思った。そんな表情を、数日前に牢で会ったときの彼ならば浮かべることはできなかっただろう。

 この少年も、ジークも、それにレティシアも、皆変わっていくのだ。生きている限り、彼らは変わり続ける。

 彼らの一人ひとりは弱くて、世界を恐れている。それでも彼らはその中を生きていくのだ。決して変わらぬものと変わらないものを心に懐きながら。

 不変の英霊となった少女には、彼らは眩しく愛おしかった。

 それだけに、ルーラーの胸の底はじりじりと炙られていた。

 ルーラーは彼らの力に頼っている。

 レティシアの身体を借りねばルーラーは現界できず、“黒”と“赤”の戦力差はノインの言うように歴然で強さに貪欲にならざるを得なくなっている。

 “赤”の彼らを撥ね退けるだけの力がないことに、ルーラーは横を歩くノインに見られないよう唇を血が出るほどに噛み締めた。

 

「ルーラー、あんまりあんたも思い詰めすぎないほうが良いよ」

 

 急にノインはルーラーを見ずに軽い調子で言った。似つかわしくない気楽な雰囲気が一瞬面に出た。

 しかしルーラーが確かめる前に、ノインの雰囲気は元に戻っていた。ルーラーが目を見開いているのを、彼は不思議そうに紅い眼を瞬かせている。

 

「どうかしたのか?」

「……いえ。でも今、眠っていませんでしたか?疲れているんじゃありませんか、ノイン君?」

 

 咄嗟に言ったルーラーの言葉をノインは疑った様子もなく、鼻の頭をかいた。

 

「居眠りなんて、したことないんだが」

「色々ありましたから、疲れているのでは?拠点についたら睡眠をたくさん取って下さい」

「そうさせてもらう。ベッドがあると良い。床で寝るのにも慣れたけど、やっぱり普通の寝床のほうが良いから。あと、ライダーに蹴られたくないし。あいつの寝相、凄く悪いんだ。よくジークのところに潜り込んでるし」

「そんなことしてたんですか、彼は……!」

 

 頭を抱えてから、ルーラーはこほんと咳払いをする。それからベッドくらいありますよ、と明るく言った。

 そのまま、二つの人影が街を進んで行く。

 ルーラーもノインも互いに特に口を利くこともない。かと言って気づまりな沈黙かと言えばそういうこともない。街を歩くということそのものを、ノインは楽しんでいる風だった。

 しかし、どうもすんなりとは拠点へは辿り着けないらしい。

 人気のない道に差し掛かったとき、ばらばらと数人の男たちが飛び出してきて二人の行く手を塞いだ。

 全員にやにやと笑みをこぼしている。それを見て、何とも嫌な笑い方だと呟きながらノインは眉をひそめていた。

 

「ここらのごろつきか」

「そのようですね」

 

 ルーラーは嘆息した。

 中身はともかく、ルーラーは華奢な少女でノインは細っこい少年に見える。言ってしまえば、二人とも与し易い外見なのだ。

 だから想定内と言えばそうなのだが、こうも直接的に絡まれてはため息をつきたくなった。

 ノインも似たような感じなのか、ひたすら面倒そうに眼を細めていた。しかし今にも飛びかかりそうに左脚をわずかに下げている。

 

「ノイン君、あの……」

「分かってるさ」

 

 言った端から、軽く石畳を蹴る音が響いたかと思うとノインの姿が男たちの前から消え失せる。

 そのまま何が起こったか分かる間もなく、彼らは一人残らず地に倒れた。

 その背後にノインは降り立つ。やったことは至極単純で彼らの後ろに回って、手刀で首を軽く叩くのを五回ばかり繰り返しただけだった。

 何の問題も無く無力化できたのに、ノインの表情はあまり明るくなかった。

 

「ノイン君?」

「あ、すまない。何でもない。……でもあんまりこういうことはやりたくないからさ、屋根の上を行きたいんだが良いか?」

 

 屋根の上を歩いていればまさか絡まれないだろうから、と三角屋根の連なる街の空を指差して、ノインは言った。足元に倒れている男らを見る眼は複雑な光を宿している。

 ルーラーは頷いた。

 

「そうですね、気配を消していけば街の皆さんにも見つからないでしょう」

「足音もな」

 

 二人は軽々と跳んで屋根の上へ跳び乗る。

 地面からはかなりの高さだが、彼らにはどうということもない。

 道を横切るのは猫くらいなもので、彼らもかなりの速さで向かってくる人間二人を見れば、驚いて脱兎の如く姿を隠した。

 そのまま進めば、ユグドミレニアが用意した拠点に着く。庭園に向かう三日後にはここから旅立つことになるのだ。

 一見、他の家屋と何の違いもないように見える。地面に飛び降りて、ルーラーは窓の灯りがまだ点いているのに気がついた。

 ノインが叩くより前に、内側から勢い良く扉が開いた。

 

「やぁやぁ待ってたよ!ちょっと遅いからさぁ、迎えに行こうかってジークと言ってたところなんだ」

「そんなに子どもじゃないぞ、問題ない。ライダーこそ何事もなく着けたのか?」

「……まぁ、少し絡まれた程度だから許容範囲だ」

 

 扉で鼻の頭を打たれそうになったのを避けたノインが問う。

 ライダーの後ろからジークがひょっこり現れて答えれば、彼はたははと視線を明後日の方向に逃した。

 

「うん。だけどそれもボクが何とかしたからね!問題ない問題ない!さぁ入ろうよ。ルーラーもおいで」

 

 手招きするライダーとジークに導かれ、ルーラーとノインも明かりの溢れる玄関に足を踏み入れる。

 彼らの背後で扉がぱたんと音を立てて閉じたのだった。

 

 

 




コミュ回は後数話。それが終われば飛びます。

最近リアルが立て込みだしたので、更新速度が落ちます。感想返信も遅れていてすみません。全て読ませていただいています。


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act-35

評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 半分忘れかけていたが、そう言えばそもそもこれを取りに行っていたんだよなと、ノインが言いながら取り出した鳥の形の監視ゴーレムに、一番興味津々になったのはジークだった。

 “黒”のセイバー、ジークフリートと“赤”のランサー、カルナとの記録だと言うと、再生して見せてほしいと彼のほうから言ってきたのだ。

 言われてみれば、セイバーの戦う様子を見たことがないのはジークだけで、しかし心臓を得て一番彼と縁深くなったのは彼だった。

 知りたいと思うのは当たり前だなと、そう思いながらノインはゴーレムを操作する。と言っても、ノインが見たいのはランサーのほうだった。

 ルーラーが風呂に入る間に、居間で映像は再生された。彼女から、自分は直に見ているから先に見ていて下さいと言ってきたのだ。

 流れ出した映像は、居間から言葉を奪った。

 

「鬼みたいに強いな」

「だねぇ……」

 

 そう言いつつライダーはソファの上に引っくり返り、ノインは机に突っ伏した。彼らが見るのは、“赤”のランサーである。

 映像の中、槍を扱う彼はセイバーと共に大地をこの世の地獄へと変えていた。一撃一撃がひたすらに重く速い、そして上手い。

 大叙事詩マハーバーラタの施しの英雄だものな、とノインは諦めに近い思いで映像を眺めていた。

 ライダーが口をへの字にして、ソファの上から腕を伸ばし映像を吐き出し尽くしたゴーレムを指で突きながら言う。

 

「しかもこのときの赤ランサーって、本気じゃないんだろ?どんだけだよ」

「そうなのか?」

「多分だが、ランサーはマスターを慮っている。草原での戦いの魔力放出はこれの比ではなかったし……宝具だって解禁していないんだから」

 

 ライダーが乗っかっているソファに背中を預けて床に置かれたクッションの上に座っているノインが言うと、彼の隣に座っていたジークも凍った。

 

「えーと、赤ランサーの特徴は、間違いなく宝具っぽいあの鎧、下手な宝具よりも高威力な魔力放出。それに本人の武芸。……あとは何だろう?」

「攻撃宝具だろうか?マハーバーラタにはブラフマーストラとかいうビームみたいなのが出てくる。施しの英雄も当然扱えていたはずだ」

 

 真面目に“赤”のランサーの戦力を数えたところで絶望的になっただけである。

 ライダーは再びソファに突っ伏し、ノインははぁ、とため息をつく。ジークは二人の間でおろおろと視線を彷徨わせた。

 

「“赤”のライダーに傷付けられるのは神に連なるケイローンだけ。そして、“赤”のアーチャーはこちらのマスターたちを確実に狙ってくる。だからここに一騎は必要になる」

 

 ノインが顔を上げて言い、ジークは後を引き継いで口を開いた。

 

「ライダーはヒポグリフと魔導書で、庭園の砲台を壊して回るとして……」

「だから“赤”のランサーを足止めするのは、俺かルーラーかのどちらかになるな。バーサーカーはマスターを守る側に着くだろうし、彼女は基本的に突貫型だから行かせられない」

 

 やっぱりかぁ、とライダーがまた突っ伏した。

 

「普通あれだけ魔力をバカ食うサーヴァントなら、マスターが自滅しそうなもんなんだけどな」

「確かに普通の聖杯戦争なら自滅を狙うだろうが……今回天草四郎は、大聖杯に溜まっている魔力を“赤”のサーヴァントの維持に回せるんだろう?なら魔力切れは望めない」

「だぁぁっ!どーすんだよっ!鬼強い赤ランサーに無限魔力なんて持たすなっての!」

 

 ソファから顔を上げたかと思うと、そのままごろごろとライダーは頭を抱えて転がる。桃色の長い三つ編みが、動きに合わせて猫の尻尾のようにソファの上を転げ回った。

 そのままライダーが呻き声を上げる。

 

「何かないの?弱点になりそうな逸話とかさぁ」

 

 ふむ、とジークが腕組みをした。

 

「施しの英雄カルナは、確かにマハーバーラタでは倒される側の存在で、最強の敵の一人として位置付けられている。神の策により最強の護りだった黄金の鎧を奪われ、英雄アルジュナによって撃ち落とされたのがカルナだ」

「つまり、神までもが出張って来て寄ってたかって倒そうとしなければ落ちなかった英雄だってことなんだよな……」

 

 それが敵として存在しているのだから部屋の空気は重くなった。

 信仰の元となる逸話に縛られるサーヴァントは生前の死因が大きな弱点となる。

 例えばアキレウスなら踵、ケイローンならヒュドラの毒がそれに当たるのだ。ノインもコンラの死因であるクー・フーリンとゲイ・ボルグの弱点を恐らく引き継いでいるから、その組み合わせには対応できると思えない。

 今回はどちらにもアルスターに連なる英雄がいないらしいのが救いだが。

 しかしカルナの場合は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを逸話が却って証明している。

 直接の死因が鎧を奪われたことだとしても、どうやって鎧を奪うのか分からない。

 

「“赤”のランサーはまともに相手すること事態が駄目な相手だ。ひたすら撹乱して戦場から引き離すしかない。彼に戦いを始めさせないことに尽きるな」

 

 一騎でも一人でも多く、庭園に辿り着いて、聖杯を奪い返すか破壊する。それが“黒”の勝利条件なのだから。

 転げ回るのをやめたライダーは、ソファに寝転がったまま言った。

 

「足止めとか撹乱とか、ボクの得意分野なんだけど……」

「砲台の破壊優先で頼む。あれでフォルヴェッジ姉弟やジークが落とされたら詰むから」

「分かってるよぅ。キミこそ積極的にあんなのを引き受けたりするなよ」

 

 しないと言い切れたらいいんだけどな、とノインは肩をすくめた。

 ここまで最初から追い詰められていては強いも弱いも言っていられないという、破れかぶれのような心持ちになっていたのだ。

 

「“赤”のセイバーの動向はどうなのだろう?」

 

 ぽつりとジークが呟く。

 モードレッドと獅子刧界離たちも庭園には乗り込むだろうが、あちらと“黒”やルーラーはほぼ相互不干渉だ。

 クッションの上に座ったまま、ノインは手のひらに顎を乗せて答えた。

 

「アテにしないほうがいいと思う。あっちは“赤”のアサシンを相手してくれていてほしい。……あと個人的にだが、“赤”のセイバーは苦手だ」

「キミ、やたらとあの猪突猛進騎士に嫌われてるもんねぇ」

 

 何故だろう、とジークが首を捻り、知るわけないとノインが呻いた。

 霊基が強化された今は違うかもしれないが、草原で敵対したときにはノインは普通に彼女相手に押し負けている。墓場まで赴いたときもそうだったが、格下相手にそれほど敵意をむき出しにする彼女の理由が知れなかった。

 何というか、正面切って気に食わないとまで言われてもそこまでノイン本人に彼女を嫌う理由がないために、宙ぶらりんな感じがするのだ。

 

「モードレッドはコンラとも関係ないのに。俺が知りたいくらいだよ」

「性格とかが嫌われてたり?」

「……」

 

 無邪気にライダーに言われ、肩を落としたノインの背中をジークが軽く叩いた。

 

「あまり気にしないほうがいいと思うぞ。どこまで行っても、合わない相手と言うのはいるものだろう」

「どうも。……でもまさかあんたに慰められるようになるとはな」

「どういう意味だ?」

「言葉通りだ。人は変われば変わるものと今更思っただけさ」

「あはは、ノインが気取ったこと言ってら」

 

 けたけたとライダーが笑い、手足をばたばたさせる。明るい笑い声に、ジークがつられて微笑み、ノインは苦笑した。

 

「暗くなっても仕方ないしな。それはそうとライダーは早く真名を思い出せよ。そもそも早く思い出さないと、贈り物の名前を忘れられているロジェスティラが嘆くんじゃないのか?」

「し、しれっとした顔で痛いところを……!……魔術万能攻略書(ルナ・ブレイクマニュアル)じゃやっぱりダメ?」

 

 首を横にこてんと倒したライダーに、ジークとノインは顔を見合わせ声を揃えて言った。

 

「駄目だ」

 

 一瞬でソファに撃沈したライダーを見た二人から、笑い声が漏れる。

 

「あれ、皆さん……?」

 

 濡れた髪を拭きながらルーラーが現れたときには、彼ら三人はそれぞれに笑っていた。

 “黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦闘記録を見た後にしては明るい空気に、ルーラーは戸惑い顔になる。

 

「あ、ルーラーだ。じゃ、次はボクが入るね」

 

 ライダーがソファから飛び降りて部屋を出、入れ替わるようにルーラーが腰掛ける。

 

「どうかしたのですか?なんだかとても楽しそうでしたけれど」

 

 少女に問われて、少年二人は首を傾げた。改めて言われると、さてそこまで何が愉快だったのかは答えられない。

 見たものは絶望的な破壊を齎すサーヴァントの戦いだけなのだから。

 追い詰められたら却って、人間は笑いたくなるものなのかもなと、ノインはそう思ったが口に出すのはやめておいた。流石にそれが、言わないほうが良いことだというのは分かる。

 

「“赤”のランサーの戦いを見ただけだ。凄まじいなと思った」

「施しの英雄カルナですね」

「そう言えば、ルーラーは最初彼に襲撃されたんだったか。何か宝具の手掛かりになりそうなこと、言っていたか?」

 

 そうですね、とルーラーは下ろした長い金の髪を白い指で梳りながら遠いところを見る眼をした。

 湯上がりの良い匂いが鼻をくすぐり、ノインは思わず彼女から視線を逸した。ルーラーは全くそういう様子に気づかないのか、考え深げな顔で口を開いた。

 

「私の特権を考慮して、一撃のみで決着をつけると言っていましたね。けれど私との戦闘になる前に彼は“黒”のセイバーとの戦いに移行しましたから、直接は目の当たりにしませんでした」

「令呪と対魔力を持つルーラーを一撃できるという自信があるのか」

「そこまでは何とも……」

 

 とにかく“赤”のランサーには、想定する以上の破壊力があると仮定したほうが良いなと、ノインは思った。

 ルーラーの『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』と、使えるようになったノインの宝具には高い防御力があるが、対抗できるのかできないのか見てみなければ分からないというのが怖い。

 考え込むように顎に手を当てているジークや、頬杖ついているノインとをルーラーは少し憂い顔で眺めていた。

 彼女の様子に気づいたのか、ジークが首を傾げた。

 

「ルーラー、何か心配なのか?」

 

 ルーラーは否定のつもりか手を上げかけるが、結局ジークの紅い眼を見て思い直したように手を膝の上に置いた。

 

「……もしかして、“赤”のサーヴァントたちのことではないのか?」

「となると……天草四郎か」

 

 彼がどうかしたのか、とジークは重ねて問い掛けた。ルーラーははい、と頷いたあと、耳に髪を掛けてから尋ねた。

 

「聞いてみたいのです。二人は天草四郎についてどう思っていますか?」

「敵の首魁……っていう答えが聞きたい訳じゃあないんだな。その様子だと」

 

 ノインは乱暴な仕草で頭をかいた。数日前より伸びた髪が乱れる。

 ジークはしばらく黙ってから口を開いた。

 

「人類救済というのは、俺には正直よく分からない。でもそれを目指している彼が恐るべき人間だと思う」

「……前にも言ったような気がするけど、俺も同じだな。一人の人間としてどうこう、とまでは喋ったこともないから分からない。相手の首魁でとんでもない願いを掲げているという印象しかない」

 

 正直な答えにルーラーは自分の頬を両手で押さえた。

 庭園で相対した彼は、下手をすれば己のサーヴァント以外を敵に回す状況でも微笑み、人類救済という聖人の願いを謳い上げていた。

 聖人に似つかわしくない感情が僅かながらに溢れたのは、ダーニックの遺体を見たときと、それにノインを見たときだけだ。

 

「ノイン君、貴方は天草四郎……いえ、シロウ・コトミネに会ったことは?」

 

 少年は両手を振って否定した。

 

「ないない。あったらあの気配は流石に覚えてる」

「そうですよね……。英霊コンラのことを考慮してもアイルランドと日本では、接点など無いはずです」

 

 その割に天草四郎は一瞬ノインを見たときに、苛立ちを見せた気がした。あのときのノインは正気でなかったから、言葉を交わした訳でもない。

 ノインの言うように彼個人と天草四郎は、まるきり他人のはずだ。

 

「でも、あっちは俺を知ってたとしても不思議じゃないだろう。俺の元マスターの動向くらい彼は調べていたはずだ」

 

 ダーニックは一度は聖杯を奪ったのだから、天草四郎の仇敵と言っていいだろう。だから仇敵の配下相手に良い感情など持たないほうが当たり前だとノインは言う。

 どちらにしても、彼はあまり天草四郎から向けられた苛立ちや嫌悪を大きく捉えていないようだった。

 

「そんなに気にしなくて良いと思うぞ、ルーラー。これ以上悩みを増やすのは良くない」

 

 果てはそんな風に逆に気遣われて、ルーラーは眉尻を下げた。

 得体の知れなさが怖くないのかと聞くと、ノインは唸って答えた。

 

「俺は“赤”のセイバーのほうがおっかない」

「……彼女がどれだけ苦手なんだ」

 

 ぼそりとジークが言うと、ノインはふんと鼻を鳴らして開き直った。

 

「仕方ないだろ。初対面で石畳に叩き付けられたし、宝具撃たれたし、人の話をまともに聞いてくれなさそうだし、会う度にキレてるし……あとマスターの顔が強面だし」

「前半はともかく最後は子どもか。ノインは俺より歳上だろうに」

「苦手なものに歳は関係ないだろ!」

 

 珍しくむきになったノインとジークの言い合いに、ルーラーは呆気に取られてからくすりと笑った。

 

「ほらルーラーに笑われたじゃないか」

「ライダーじゃないがあんたは本っ当に口が立つようになったな!」

「話を聞いてくれる相手が沢山いてくれたからだ。ノインだって同じじゃないのか?数日前より口数が増えたとライダーが言っていたぞ」

 

 妙に悔しそうにノインは頷いた。

 恐らく、弟か何かのように思っていた相手から正論をぶつけられてそれで悔しそうな顔になるのだろうとルーラーは思った。

 

―――――聖女様、あの人の場合は多分妹だと……。

 

 小さくルーラーの中で声がした。眠ったように黙っていたレティシアの声だった。

 表に出たいのかとルーラーは入れ替わろうとするが、レティシア自身がそれを止めた。

 

―――――いいえ、このままで良いんです。私、今は何を言っていいか分からないから。……だから見守らせて下さい。あの人たち、とっても楽しそうですから。

 

 それきりレティシアは奥へ戻る。

 ルーラーは意識を目の前に集中させた。

 まだ喧々とジークとノインはやり合っている。楽しそうなのは良いことなのだけれど、何処かで止めないと際限が無さそうだった。

 ぱん、とルーラーは胸の前で軽く手を叩いた。

 

「二人とも、今日はそこまでです。早く寝て、きっちり疲れを取って下さい。ライダーが戻って来たら、ノイン君がお風呂に行くのです」

 

 言い合っていた割に、二人ともがそっくり同じ仕草で素直に頷いた。

 

「それから明日は……」

 

 きょとんと今度は二人が首を横に倒した。一瞬詰まってから、ルーラーは言った。

 

「明日は、街に出ましょう」

 

 何かをするためでもないし、何かやらなければならないことがあるのでもない。

 ただ五人で街に出て、遊んでみましょうとルーラーは言った。

 虚を突かれたための沈黙が少しの間漂う。

 

「いいな、楽しそうだ、それ」

 

 先にノインは手を上げて賛成してから、ジークの顔を覗き込んだ。まだ彼が戸惑い顔をしていることに気づいて、ノインは背中を軽く叩く。

 

「良いじゃないか、行こう。俺は行きたいよ」

 

 な、と言いにこりと笑ったノインにつられるように、ジークも微笑みを返したのだった。

 

 

 

 

 

 




真面目に考えて誰がどうすんだよあの赤の槍兵、という話。

次回は遊ぶ。


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act-36

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 ライダーに幸運:Eのアーチャーだと言われたことを、ノインはふと思い出した。

 あのときは指摘されたことをそのまま認めるのが引っ掛かったから、反論してしまったのだが、本来英霊コンラのものであるはずの厄介な誓約を背負い込んだり、全く因縁などないはずの敵方の首魁に睨まれていたり、まあ言われてみれば己はそこそこ不運かもしれないと、思わないでもない。

 とはいえ、流石にこれは勘弁してほしいと、ノインは無表情の下で沈んでいた。

 

「あんだよ、てめぇ。辛気臭いことでもあったか?」

 

 その空気を悟ったのか、現在彼の目の前にいる少女は凶悪な目付きで睨んできた。

 ノインはゆっくり首を振る。

 

「何でもない。それより“赤”のセイバー、聞いていいか?」

「何だ。つまらん事を聞いたら斬るぞ」

「往来で刃傷沙汰はやめろ」

 

 一度言葉を切ってから、ノインは一言一言区切るように少女、“赤”のセイバーに告げた。

 

「どうして、俺が、あんたに、飯を奢っているんだ?」

 

 場所はトゥリファスの市街。

 ユグドミレニアの城から離れた、往来に面するレストランの席で、一人の少女と一人の少年が向き合って座っていた。

 その片割れ、美しいが目付きの鋭い金髪の少女は、黒い髪の醒めた目付きの少年の問いをふんと鼻で笑い飛ばした。

 

「オレが歩いてたところにふらふら現れたのはお前のほうだ。民ならば、王に飯の一つくらい奢れ」

「俺はあんたの民じゃないだろ。その理屈に俺まで当て嵌めるな。というか、王が飯を集るってそれはどうなんだ」

「じゃあこう言ってやる。つべこべ言わずに奢れ」

「……そう言われたほうがまだ納得できる」

 

 要は野盗にでも会ったと思えば良いのだ。

 当然そんな本心は出さずに、ノインはセイバーの空にした皿を数える。十皿以下なら手持ちで払えるのだ。

 既に空になった皿は七つで、料理が載っているのは二つだからぎりぎりで食い逃げと言われることはない。

 香ばしい良い匂いのする分厚い焼けた肉を噛み千切りながら、セイバーはじろりとノインを見た。

 

「そもそもどうして一人でいる?あの小うるさい雌犬と、ホムンクルスはどうした?それにあの本来のルーラーもだ。貴様らいつもつるんでいただろう」

「雌犬?」

 

 誰だそれ、とノインは首を傾げかけて思い当たった。

 どうやらこのセイバーも、ルーラーのようにライダーを少女と思っているらしい。面白そうだから訂正はいいか、とノインは勝手に決めた。

 

「ライダーとジークは街の何処かにいる。ルーラーもだ」

「てめえは迷子にでもなったのか?」

「ここまでは一緒に来たが、逸れた。……だからまあ、迷子と言えばそうだな」

 

 だっせぇ、とセイバーは笑う。

 実のところ、念話を使えば合流も簡単にできるのだが、セイバーと彼ら四人が出会うと確実に面倒になりそうなので、ノインはセイバーに絡まれた時点で念話を切っていた。

 というか何故こうなったのか、とノインはぼんやり思い出す。

 

 まず街についた途端、楽しそうな音楽を奏でている見世物を見つけたライダーがジークの手を引いて駆け出した。

 ルーラーが慌てて止めに走り、ノインも後を追おうとしたのだが、運悪く近くにいた小さな女の子にぶつかり、彼女が持っていた風船を空へ飛ばしてしまう。

 たちまち大粒の涙を目に溜めた女の子にノインは慌て、何とか並みの人間の範囲に見える身体能力で風船を追い掛けた。

 風船を捕まえて女の子に返すことはできたのだが、その頃にはライダーたちの姿は完全に見えなくなっていたのだ。

 それでとりあえず元の場所に戻ろうと歩いていたところに、不審な気配を感じ取った。

 気になって様子を見に行けばそれは“赤”のセイバーで、ノインはそのまま彼女に昼飯を奢る羽目になったのである。

 つまり、こういう状況になった半分は運で、半分は自分の行いのせいだと分かった。

 

「お前も庭園に行くのか?」

 

 一頻りげらげら笑った後、セイバーは唐突に真面目な顔で切り出した。

 

「行く」

 

 一言でノインは答える。

 

「そうか。ま、精々オレたちの足を引っ張るなよ。一応言っとくが、オレとマスターの獲物はあの毒臭いカメ虫女だ。手出しするんじゃねえぞ」

「カメ、虫……?……ああ、セミラミスか。天草四郎のサーヴァントだって言う」

「“赤”のアサシンだ。いけ好かない女帝は必ず落とす。邪魔をするなよ」

 

 更に言えば彼女は空中庭園の主で、ライダーを完封して空から叩き落としたサーヴァントだ。草原のときは、ノインも散々彼女の砲撃で狙い撃ちされて“赤”のセイバーの元まで誘導されたから、手強さはよく知っていた。

 その相手をしてくれると言うなら、阻む理由があるわけ無かった。

 

「あんたも聖杯に願いがあるんだよな」

「当たり前だ。お前は……」

 

 言いかけてセイバーは、令呪も何も無いノインの手を見て舌打ちした。

 

「そうか。お前は聖杯に喚ばれたサーヴァントでも、願いのあるマスターでも無かったな。それなのにまだ、この戦いにいるのか」

 

 ぶわりとセイバーの小さな体が急に大きくなったように感じた。

 感情一つで自分の気配を操るのは、確かに王者に必要なことだなとノインは妙に他人事のように思いながら答える。

 

「あんたにそんな風に言われる覚えはない。俺が戦うことに口を出すな」

 

 しかし頭の何処かは冷静なのに、口から出た言葉は完全に逆だった。

 剣呑な気配が二人の間を漂うが、セイバーはすぐに鼻を鳴らした。

 

「言うようになったな。差し詰めお前の願いは、最後まで残ることか?以前より大きな力に手を出して、そうまでして己の強さでも証明したいのか?」

「そんな証明、必要ない。俺は、俺に許された時間の限り、好きな人たちの側にいたいんだ。そして、その場所がここだったと言うだけだ」

 

 ノインの紅い眼とセイバーの碧眼が正面からぶつかる。

 感情が先走って言い過ぎた気がしないでもなかったが、この少女に心の底を透かされるような物言いをされるのはあまり気分の良いものではなかった。

 セイバーの見立ては見当違いだと思うだけに、よく知りもしない相手に好き勝手なことを言われているようでノインは反発したのだ。

 あの馬鹿でかい剣を抜いたりしないよな、と言ってしまってから思う。

 しかしセイバーは、逆ににやりと笑った。手に持っていた銀色のナイフを、肉に突き立てる。まだ熱い肉汁がノインの頬にまで飛んだ。

 

「良いぜ、よく吠えた。いけ好かない野郎だったがその面ならまだマシだ」

「……そうか」

 

 相変わらず勝手なことばかり言う、と思いながらノインは頬を拭ってから、自分の前に置かれた水の入ったグラスを傾ける。

 生温い水が喉を通り過ぎて行った。空になったグラスを置き、伝票を掴んでノインは立ち上がる。

 

「俺はもう行く。ルーラーたちの気配が来てるから」

 

 セイバーと顔を付き合わせて騒ぎにすることもない。

 

「金は払っておく。じゃあな」

「おう。足掻けよ、デミ・アーチャー」

 

 答える代わりに手だけ振り、店主に金を払ってノインは外に出た。大分財布が軽くなってしまったが、仕方ない。

 外は昼下がりの日差しが道を暖めていて、ふわあ、と欠伸が出る。

 ライダーやルーラーの気配が何となくある方へ足を向けると、程なく足音が近づいて来た。

 

「ノインさん!」

 

 店から二つ先の辻を曲がったところで名前を呼ばれて振り返る。

 通りを挟んだ向かい側で、長い金髪を三つ編みに編んだ少女が、伸び上がるようにして手を振っていた。

 紫の瞳の光の色合いが、朝見たときと違っている。

 左右を見てからノインは通りを渡った。駆け寄って来た小柄な少女は、彼を見上げてふわりと笑った。

 

「レティシアか。おはよう」

「おはようございます、ノインさん。……今はもうお昼ですけどね」

 

 くすりと、聖女でない少女は笑った。

 ノインが何か言う前に、ぱしんと軽い衝撃が頭の後ろに走る。振り返れば手刀を掲げたライダーと、その後ろにジークが立っていた。

 

「ったく、ボクらもいるってのに、全然気づかずにレティシアちゃんのほうへ行くんだから……。大体勝手に居なくなるなよ。心配したんだぞ……レティシアちゃんが」

 

 そもそもライダーが走らなければ逸れなかっただろ、と不満を言いかけて、ノインは最後の一言で黙った。

 レティシアのほうを見ると、あわあわと胸の前で手を握ったり開いたりしている。ライダーの言ったのは本当のことだったらしい。

 

「……うん、その……悪い」

「い、いえ!ちゃんと気配は分かっていましたから……」

「どこにいるかは分かったのに、ノインは念話を切っていただろう?何かに巻き込まれてないかが気になったんだ」

「……」

 

 巻き込まれたと言えば巻き込まれたよな、とノインは薄くなった財布の感触を思った。

 

「誰かと出会ったのですか?」

「会った。“赤”のセイバーだ」

 

 ノイン以外の三人の眼と口が丸くなる。

 

「いや、別にやり合ったとかそういうのではないぞ。飯代、払わされただけだ」

「“赤”のセイバーさんに奢ったんですか……」

「ちょっと目を離しただけでセイバーに集られるって大概だよね」

 

 レティシアとライダーが言ったそのとき、唐突にジークとレティシアの腹がそれぞれくぅ、と鳴った。

 ジークは腹を無言で押さえ、レティシアは耳まで真っ赤になる。

 

「んー、それじゃボクらもご飯、行こうよ。さっき、あっちに美味しそうなパイの店があったしね!」

 

 陽気にライダーは笑う。

 誰から言うともなく頷いて、四人は街の中心にある広場へ足を向けた。

 昼下がりだからか、人の数はそれなり多い。さっきノインがぶつかり、風船を飛ばしてしまった子と同じ年頃の子どもたち数人が、楽しそうに笑いながら四人の横をすり抜けて行った。

 彼らの母親なのか、数人の女性が軒先に立ったままその様子を眺めている。

 

「あ、ほら、あそこだよ!ジーク、お金ちょうだい!」

 

 立ち止まったライダーの手に小銭をジークが乗せた。ライダーにお金を持たせると後が怖いとルーラーが言い、ジークとライダーの財布は纏めてジークが持っていたのだ。

 ありがとう、と言ってライダーは店に突撃して行く。

 店はそれなり賑わっているようだから、四人では入らない。残りの三人は広場の片隅にあった長椅子に腰掛けた。

 そこからは広場の様子がよく見える。

 麗らかな日差しを浴びて人が行き来する光景を、ジークとノインは言葉を忘れたように眺めていた。

 

「二人とも、どうかしたんですか?」

 

 レティシアに声をかけられて、二人は眼を何度か瞬いた。

 

「ライダーに言われたことを思い出していた」

 

 午前、ジークとライダーはルーラーも一緒にノインを探しがてら街を回っていた。

 喧嘩している夫婦の仲裁をライダーが勝って出て大騒ぎになったり、転んだ子どもに駆け寄ったり、またもやどこかのごろつきに絡まれたり。

 城の中の人間と、僅かな時間匿ってくれた村の老人以外の人間とはほぼ向き合ったことのないジークには新鮮で、だからこそライダーに尋ねてみたのだという。

 

 どうしてそこまで人と関わろうとするのか、と。

 

 ライダーの答えは、単純だった。

 人が好きで、人と関わることが好きだから。自分が関わったことで、ちょっとでも何かが良い方向に転がったら、もうそれだけで十分幸せになれるから、と言ったのだ。

 

 こうして広場を見ていて、今日限りで二度と会うこともないだろう人々が過ぎて行く様を見て、ジークはそれを改めて思い出したと言う。

 

「そういうこと、考えるのか」

 

 ぽつりとノインが呟き、ジークはそちらを向いた。

 

「じゃあノインは何を考えたんだ?」

「俺か?」

 

 うーん、とノインは頭をかいた。

 

「何にも凄いことなんて考えてなかった。ただ穏やかだなぁって。……ああ、ジークの考え事をからかってる訳ではないぞ」

 

 生きる意味とか人類の尊さこととか、そういう大きなことを考えたのではなくて、ただ今見ているこういう光景が良いものだな、とそう思っただけだとノインは言った。

 

「でもおかしいよな。俺、街って場所には何度も出ているのに、こういう風に思ったことが今までは無かった気がする」

「……今は、楽しいのか?」

「ああ、楽しいな。何にもしないことが楽しいっていう時間は良いものだな」

 

 そこまで言って、昼下がりの広場のざわめきを聞くように耳を傾けながら、ノインはレティシアの方を見て苦笑した。

 

「……ちょっと今のは、爺さんみたいだったか?」

「そうですよ。ノインさんは、もっと何か……何かたくさんのことをしてからそういうことを言って下さい。せっかく街に来たのに、セイバーさんにご飯を奢って、広場をにこにこ観察するだけなんて、勿体ないじゃあないですか」

 

 思わす熱が入ったレティシアの後ろから、そのとき軽快な声が響いた。

 

「そうそう!全くその通り!お爺さんみたいな悟りはキミには早いよ」

 

 ひょこりと、長椅子の後ろからライダーが現れる。腕の中には、やや危なっかしげに四つの湯気の立ち上るパイを抱えていた。

 

「説明は良いから早くパイを取って取って!落っことしちゃう!」

 

 言われて、三人はまだ温かく香ばしい香りのするパイを、慌てて受け取った。

 

「ありがと!いやぁ、ちょっと焦った焦った!」

 

 とすん、と長椅子の背板を乗り越えたライダーは、ジークとノインの間に収まる。

 

「みんな、持ったね。それじゃいただきまーす!」

「い、いただきます」

 

 ライダーの音頭につられて、ノインの横に座っているレティシアがさくりとパイを齧る。

 美味しい、と言う言葉が彼女からこぼれ落ちる。

 

「ほらほら、キミたちも食べなよ。美味しいよ」

 

 促されて少年二人もぱくりとパイを齧る。ふわりとノインの顔が綻び、ライダーは満足げに頷いた。

 

「旨いな、これ」

「だろだろ?ね、ジーク」

「……ああ、そうだな」

 

 栗鼠が大きな木の実を齧るように食べている彼らを、ライダーはにやにや笑いながら眺めていた。

 

「食べたらどうする?っていうか、次は街の何処に行く?」

「まだ回るのか?」

「そうだよ。だってまだ何にも見てないじゃんか。それにノインとか、あっちのセイバーにご飯奢って午前潰してるんだし。もっとどっかへ行かなきゃ損だよ」

 

 キミは行きたいところとかあるかい、とライダーはノインの方を向いた。

 口をもぐもぐと動かしていたノインは中身を飲み込む。しかし、なかなか思い付かないのか首を捻っている。

 

「レティシアちゃんはどうだい?」

「わ、わたしですか?」

 

 レティシアは少し考える素振りを見せてから、口を開いた。

 

「じゃあ――――――」

 

 少女の提案に他の三人は頷いた。悪くない、どころか良い案に思えたのだ。

 四人並んでパイを食べ終わると、彼らは街を抜けていく。

 途中、やはりライダーは何某か通行人のトラブルに関わった。迷って泣いている子どもの親を探し、ジークの懐から財布を掏ろうとした若い男を軽く投げ飛ばす。

 露店に貼り付いて動かなくなったり、そうかと思うと突然駆け出して走る子どもらに混ざりたがったりと、他の三人を振り回した。

 とはいえ、止めようとは誰も思わなかった。

 ライダーだから仕方ないな、などと言いながら、彼と共に動いて街を真っ直ぐに抜けて進む。やがて街を抜けて、辿り着いた先は街と城を眺めることのできる丘の上だった。その頃にはとうに日が傾いていた。

 丘の草地に四人は誰から言うともなく腰を下ろした。

 

「こうして見れば、街も城も小さいな」

「そうだね。あの空間でここ数日ずっと駆け回ってたなんて、変な感じがするかい?」

「……少しな」

 

 丘を吹き渡る風に遊ぶジークの鈍い銀色の髪を、ライダーはくしゃくしゃとかき混ぜた。

 その様子をノインはまたぼうっと眺めている。レティシアはその顔を覗き込んだ。

 

「ノインさん?」

「や、何でも。でも、俺もこんな風にここを眺めたことはなかったな」

 

 レティシアも、あくせくしていた場所から離れてみれば、そこは思っていたよりずっと小さかったと思う。

 

「きみは、そもそも別の国から来てるんだよな。フランスだったか」

 

 急にそんなことをノインは言った。

 レティシアの故郷もルーラーと同じフランスだ。彼女と同じく、故郷に両親や友人を置いてレティシアはルーマニアのこの街を訪れている。

 これが終われば、レティシアはそこへ帰る。ルーラーとして訪れた国から、レティシアとして帰るのだ。

 そのときには、この場にいる人々とは別れているだろう。

 終われば座へ帰還するライダーとルーラーとは、もう二度と会えない。

 ジークやノインは、これから先立ち向かわなければならないものが山とある。

 そこに、ルーラーもいない自分では関われないとレティシアは誰に言われるまでもなく理解していた。

 万能の奇跡というものを端緒に集まり、集められた自分たちがこうやって揃うのは――――最後かもしれない。

 レティシアはそっと、隣に座る少年を見た。

 黒い髪が少し冷たい秋風に揺れていて、紅い眼に夕日が照り返して輝いていた。

 彼も自分もここにいる。その事実が痛い程胸に迫って来た。

 ふと見ると、草の上に傷だらけで節くれだった、けれども思っていたほど大きくはない手があった。レティシアはそっと、手を伸ばす。

 重なった手は、渇いて固く、けれども温かく脈打っていた。戸惑うように少年が顔を上げる。え、とあどけない声が零れる。

 熱いものに触れたように、ノインの手がレティシアの手の下でぴくりと跳ねた。けれど、振り払うような力は込められていなかった。

 ごく自然に、そのとき何故かレティシアは微笑むことができた。

 帰ろう、とアストルフォが言うまで、レティシアはその手の中の温かさをずっと感じていた。

 

 今はただ、それだけしか少女にできることはなかった。

 

 

 

 

 

 





act-1と比べれば雲泥の差で流暢に喋れるようになったデミ少年。ただしレティシア以外に対して。

すみません、今週もこれだけです。


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act-37

感想くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 サーヴァントたちと少年少女たちが、それから空中庭園に向かうまでに過ごした時間は、長いようで短かった。

 元々三日しかなかったのだ。日が昇って沈むのを数度繰り返しただけで、刻限は訪れた。

 その間、彼らは初めて街に出たときとほぼ同じことをしていた。街に出て、遊んで、日が暮れれば誰かと一緒に拠点に戻って眠る。それはジークとノインには生まれて初めてで、彼らは一様に楽しんでいた。

 無理に大人にならなくったって良いのになぁ、と彼らの様子を見ながら少し寂しそうに呟いたのはライダーで聞いていたのはレティシアだった。

 何度かルーラーとレティシアは入れ替わったが、レティシアはノインの前では結局笑っていることしかできなかった。

 これが終われば魔術との関わりが絶えてしまう自分には、これから先も魔術の世界で生きていく以外にないノインの望む生き方を止められない。

 年齢相応な楽し気な声を上げているノインの顔を見てしまえば、どうしてもその顔を壊してしまうような言葉が湧いてこなかったのだ。

 薄氷の上を渡って行くような時間は、レティシアにとってはあっという間だった。

 その時間が過ぎた後、城から離れているライダーたち四人は、フィオレたちとは異なり直接に空港へと向かうことになる。

 ユグドミレニアが手配し、トゥールが運転する車に彼らは乗り込んだ。

 黒塗りの高級車を見、中に乗り込んだノインは、はぁ、とため息のような気の抜けた声を上げた。

 

「こういう車、ノインにも珍しいのか?」

「乗ったことがあまり無かったんだ。車に乗るより自分の足で走ったほうが速かったから」

 

 どこかずれたようなノインの答えに、ジークは肩をすくめる。

 戦いの場になる空中庭園には、ジークたちマスターも向かうことになる。十騎を超えるサーヴァントたちの魔力の供給ラインが混線しているため、マスターとサーヴァントの距離が開きすぎるのを、フィオレとアーチャーが懸念したのだ。

 特に、ライダーと彼の持つ宝具は庭園攻略の要であるため、ジークもライダーの側について庭園へと向かう。

 つまり、生身で死地へと向かうのだ。

 そのことを考えるとジークも怖くないわけがないのだが、一対一でサーヴァントと相対することが決まっているノインがいつも通りにしているのを見ると、無闇に怖いという気が湧いてこなかった。

 

「ボクも飛行機、運転してみたかったのになぁ。騎乗スキルが泣いてるよ」

 

 おまけにジークの相棒のライダーは、腕を頭の後ろで組みながら緊張の抜けることを不服顔で宣い、ルーラーを呆れさせていた。

 

「飛行機の操縦はロシェの謹製ゴーレムがやってくれるんですよ、ライダー。心配は要りません。それより、魔導書の真名は?」

「大丈夫。今はまだだけど、日が沈めば絶対思い出せるから!」

 

 ぽん、とライダーは胸を叩いて宣言する。

 目を糸のように細めているルーラーと、最早何も言うまいとばかりに車窓からの風景を眺めることに決め込んでしまったらしいノインの渇いた表情は、この穏やかな数日間で見せていたものと変わりない。

 彼らも皆、緊張や恐怖を感じていないわけではないのだろう。それでも、それを感じさせない彼らを見てジークは拳を軽く握った。

 トゥールの手で滑らかに走る車は、程なく空港に到着する。

 到着して空港の建物を見上げたノインが首を傾げた。

 

「人の気配が無いが……」

「ああ。フォルヴェッジの姉が言っていた。この空港はユグドミレニアの財力で貸し切りにしたらしい」

「神秘の秘匿のためか。それにしても規模の大きなことをしたな」

 

 ジークが言うと、トゥールは肩を一つすくめた。

 

「彼らは既に中で待っているぞ。……ジーク」

 

 何だ、と振り返るジークの目を、トゥールは真っ直ぐに見た。

 

「きっちり帰って来い。城には戻っても戻らなくても良い。ただ生きて帰って来い。私たちからはそれだけだ」

 

 同じ紅色の瞳が交わって、ジークは強く頷いた。

 その様子をノインやライダー、ルーラーは見守っていた。

 

「お別れ、あれで良かったのかい?」

「ああ、良いんだ」

 

 待たせて悪い、とジークは言い、先に立っていたルーラーの後に続いた。

 空港の建物の中には、既に彼ら以外の全員が揃っていて、そしてやはり彼ら以外に人はいなかった。外からはゴーレムたちが動き回り、滑走路に並んだ飛行機に爆弾を積み、術式の点検をする音が、遠くに聞こえていた。

 ライダーたちの姿を見て取ったフィオレとアーチャーは軽く会釈をする。カウレスは片手を上げ、バーサーカーは黙ってその後ろに佇んでいた。

 

「よし、全員が集まったところで、どうやってあそこまで行くかの最終確認だ」

 

 カウレスが持っていた図を広げ、一同はそれを覗き込んだ。

 フィオレが車いすから身を乗り出して、地図に書かれた黒海の一点を指さした。

 

「空中庭園自体は、ルーラーの感知能力もあって場所の特定はほぼできています。ジャンボジェット機で飛べば、追いつくのに然程時はかからないでしょう」

「囮のジェット機に紛れて近寄り、何とか乗り込むって話だと思っているんだが」

「ええ、その認識で合っていますよ、ノイン」

 

 囮の機体にはノインが改造を施したり、ルーラーが聖別してサーヴァントにも多少は通じるようになった爆弾が詰め込まれている。

 といっても、大半は”赤”のアーチャーに撃ち落とされてしまうのだろう。

 

「マスターの俺と姉さん、ジークは目立たない小さい飛行機で後から行く」

 

 次にアーチャーがルーラーを見た。

 

「兎角に派手な“赤”のライダーとランサーより、狙撃手であるアーチャー、アタランテのマスターへの脅威は計り知れません。よってルーラー、サーヴァントの位置を割り出せる貴女の特権により彼女を抑えて頂きたい」

「ええ、分かっています」

 

 アーチャーは頷き、ライダーとノインのほうを見た。

 

「ライダー、貴方はもちろん魔導書とヒポグリフで砲台を破壊して頂きたい。あれが生きていると、我々すら庭園には満足に近づけないでしょうから」

「了解!」

「それから、ヒポグリフにもう一人乗せることは可能ですよね?」

 

 フィオレの問いにライダーは頷く。

 

「できるけど、誰を……ああ、そっか」

 

 フィオレとアーチャーの視線の先を辿って、ライダーはノインに行き着く。

 自分も飛行機を足場にして行くものと思っていた少年は、意外そうに目を微かに見開いた。

 

「俺もか?」

「ええ。貴方はライダーと共に接近し、遠距離から砲台をできるだけ破壊してください。弓兵のサーヴァントならば可能でしょう」

 

 弓兵と言われてもノインは弓を持っていないのだが、そんな冗談を言っていられる空気ではない。

 宝具の一つが投石であり、遠距離からの攻撃が可能なのは確かなのだ。

 

「分かった。だが“赤”のランサーが現れた場合は?」

 

 アーチャーは一瞬口籠ってから答えた。

 

「貴方の判断に任せます」

 

 こくりとノインは首を上下に振った。その肩をライダーがべしんと引っ叩く。

 

「オーケー、じゃキミはボクと組む訳だ。よろしくね!」

「改まって言うことでもないだろ。……よろしく、ライダー」

 

 怪力スキル込みのライダーの力に叩かれても、ノインはけろりとしたまま答えた。

 こほん、とフィオレが小さく咳払いをする。感情を押し殺したような冷静な声で、彼女は厳かに宣言した。

 

「では、皆さん。各自所定の位置へ。庭園にて無事な姿でお会いしましょう」

 

 最後の一言は、ノインには紛れもない彼女の本心に聞こえた。

 やはりフィオレ・フォルヴェッジは魔術師向きの冷徹な心がないのだろうか、とそんな事を思ったところで、ノインはぐいとライダーに腕を引っ張られた。

 

「よーし、じゃあボクらは外に行くよ!」

 

 ライダーの片腕は既にジークの腕に絡んでいた。

 不必要なくらい明るい声と共に、ライダーは二人を引っ張って行く。ユグドミレニアの魔術師とサーヴァントたちに一礼して、ルーラーがその後を慌てて追った。

 建物から出て、外の冷たい大気の中に転げ出て、ようやくライダーの足が止まった。

 

「おい、ライ……」

 

 引っ張られたまま走っていて、つんのめりかけたジークは声を上げるが、ライダーの肩が少し震えているのに気づいた。

 ノインは空を見上げる。

 今宵は新月。狂気の象徴たる月は姿を隠し、ライダーが理性を取り戻す夜だ。

 

「……ライダー、もしかして怖いのか?」

 

 ジークが問いかけるとライダーはゆっくり振り返る。振り返り、さらにしばらく黙ってから頷いた。

 

「怖いよ。ボクが弱いせいでキミたちが死ぬかもって考えたら、怖くて怖くて堪んないよ」

 

 そう言われて、ノインとジークは何となく顔を見合わせ、ライダーに視線を戻した。

 へら、とノインの顔が緩み、彼は肩をすくめた。

 

「その想いは、皆同じではないのか。俺だって怖いし、ジークもだろ」

「そうだな。俺の魔力が尽きるか飛行機が落とされて俺が死んでしまえば、ライダーは消えてしまうし、ルーラーもノインも危うくなる」

 

 静かにジークが言い、ライダーの眉が下がったが、構わずにノインとジークは続けた。

 

「自分が欠ける怖さより、自分が欠けたら仲間の誰かが危うくなる怖さが勝る感覚くらいは、俺にも分かるよ。今のライダーが感じる怖さは俺やジークも共有できるから……」

「同じ気持ちを分かち合える。それしかできないが、少しだけでも君の心配は和らがないだろうか?」

 

 俺たちは一騎当千とは縁遠そうな面子だからな、とノインは頬をかきながら言った。

 戦士のコンラが聞けば、何を弱気な、と怒りそうだとノインは内心思ったが、自分と彼とは、魂の色が似ていても生きて来た歳月で培った在り方が違うのだから、こればっかりは改まらない。

 うー、とライダーは頭を抱えた。

 

「キミたちが逞しくなったコトに喜びたいけどさぁ、ボクは自分の弱さが嫌になりそうだよ……」

「そんなことない。ライダーは、ライダーらしくあるときが一番強いんだ。俺を助けてくれたときみたいに」

「……失敗するかもしれないんだよ、マスター?」

「それならそれで、失敗したって良い。ライダーがライダーらしくあるのなら」

 

 唸っていたライダーは、しかしすぐに立ち上がった。気弱な光は消えていて、瞳がきらきら輝いている。

 その光を引き出したのは、マスターであるジークだ。

 それを見て、ノインは胸の奥に小さくて細い針が刺さったような気がした。

 自分にそういう心から信じあえる契約者というのがいないのだ。いないからこそ、ノインは自分がサーヴァントだとは名乗れない。かと言って普通の人間かと言われたら、もう頷けない。マスターと呼んでいた人間は、自分の手で殺めたも同じだった。

 小さい器だなと、自分で自分を少し笑う。同時に、そんなこと知るか、という吹っ切れた気持ちも湧いた。

 ぱん、と乾いた音がする。ライダーが自分の頬を両手で挟み込んで叩いた音だった。

 

「よし!気弱はここまで!新月のボクが一味違うということを、キミたちに見せよう!」

 

 ライダーは天空に向かって指笛を吹き鳴らした。月のない空から、翼持つ不思議な形の影が舞い降りる。

 鷲の上半身と馬の下半身を持つ幻想の馬、ヒポグリフはコンクリートの上に音も立てずに降り立った。

 そこへ、鎧の音を鳴らしてルーラーが追いついて来る。

 

「お、ルーラーじゃん。やっほー」

 

 ヒポグリフの羽毛に覆われた首を撫でていたライダーが気づいて手を振る。

 ルーラーの視線がジークに向いている。ノインは自分も、ライダーのようにヒポグリフの羽毛にやたらと気を取られた振りをした。

 ルーラーが、個人として、ジークに向ける言葉は、あまり人に聞かれたくないだろうとそういう風に思ったからだ。

 

「ねぇ、キミは良いのかい?レティシアちゃんとなんかさぁ……」

 

 ルーラーとジークの会話から意識をそらしてつつノインが顔を上げると、ライダーが見ていた。

 

「いい。今更改まったことは言いたくない。三日間、十分楽しかったから、俺はそれでいいんだ。それに……」

「それに?」

「レティシアの目を見て話すときだけは、言いたいことの半分くらいしか言えなくなるし、何を言ったらいいか分からなくなるんだ」

 

 どうしてだろうな、とノインが言うと、ライダーは、あー、と新月の空を仰いで嘆息した。

 そしてノインは、何故だがヒポグリフに髪を齧られ、前脚で蹴られかける。幻馬の体の半分は巨大な猛禽なのだ。嘴や鉤爪で突かれてはたまらない。

 

「おい、ちょっと!待て!何で突く!……ライダー!」

 

 ヒポグリフの主は、困ったような顔で苦笑いしていた。

 

「あー、ヒポグリフ、そのくらいにしておいて」

「そもそも、俺たちは途中まで飛行機に隠れて乗るだろう。今からヒポグリフを展開させなくてもいいんじゃないのか」

 

 前脚でしつこく蹴ろうとしてくるヒポグリフから逃げ回りつつノインが言うと、ライダーは額を押さえた。

 

「う、そうだったね……。景気づけで呼んじゃったけど……」

 

 ライダーが手を叩くと、ヒポグリフはかき消えた。

 

「それじゃ、ボクらも飛行機に乗ろうか」

 

 そうだなと頷いて、今し滑走路へ現れたフィオレたちのほうへ、ノインも向かうのだった。

 

 幻獣にじゃれかかられている少年に、そのとき眼差しを注いでいる少女がいた。

 表には出ずに、聖女の内側から見ている彼女。レティシアに、ルーラーはやはりライダーと同じことを尋ねていた。

 このまま、私が表に出たままで良いのですか、と。

 

―――――良いんです。改まった言葉を言ってしまうと、それだけで何かが一つ終わってしまいそうな気がしますから。

 

 この場で、レティシアという少女は見守ることを選んだ。

 

―――――あの人には、自分のしたいことを、したいようにしてほしいんです。わたしはそれを、見ています。

 

 ジークがライダーに告げたことと、同じことをレティシアも答えた。

 

―――――何一つ忘れないように、見ています。わたしにできることは、それだけですから。

 

 そう、聖女の内にいる少女は宣言するのだった。

 

 

 

 

 





マシュにとってのぐだは、彼にはいなかった。

いなくとも、世界は燃えず凍らず回り、止まらない。


それはそうとセミ様実装万歳。


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act-38

感想下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 月もない闇夜。

 地上七千五百メートルの高みに浮かんでいる城を目指して飛ぶのは、現代科学の鉄の鳥があった。

 十のジャンボジェットには、それぞれサーヴァントが潜み、マスターたちは後ろの小型のジャンボ機で空を駆けている。

 風を切って飛ぶジャンボジェットの先頭に立つのは、ルーラーたるジャンヌ・ダルク。庭園から放たれるだろうアーチャーの攻撃を先鋒として受けることを望まれている。つまり、旗振りが彼女の役目だった。

 その他の“黒”のサーヴァントは、各々ジェット機に潜み魔力反応を隠している。ノインがルーンによって改造を施した機体とあって、魔力反応は入り乱れキャスタークラスの魔術解析能力があっても、そう簡単にどこにサーヴァントがいるのかを見破ることはできなくなっていた。

 

「でも、片端から落とされたら目くらましも関係ないんだよな……」

「はいそこ、不吉なこと言うの禁止ッ!」

 

 一つだけ、二人一組になったサーヴァントとデミ・サーヴァントが乗り込んでいる機体があった。

 扉をぶち抜き座席を蹴倒して、無理っくりにヒポグリフをコックピットに呼んだライダーは、窓から外を見て呟いたノインの脳天に手刀を落とした。

 操縦桿を握るのはロシェが造った、運転技術を組み込まれたゴーレムであるため、二人は外を見て警戒していた。

 そこに来て、既にサーヴァントの格好になったノインがぼそりと不吉なことを呟いたものだからライダーは速攻で手が出たのだ。

 

『そうですよ、ノイン君。もっと元気の出そうなことをいいましょう』

 

 操縦桿の近くに取り付けられた通信用の魔術礼装からは、先頭にいるルーラーの声がこぼれた。

 

『俺たちはライダーとノインを信じている。だから思う存分飛んでほしい。そのための魔力は俺が必ず賄う』

 

 今度はジークの淡々とした声が聞こえ、ノインは通信機に向かって小さく頭を下げた。

 

「……分かった。すまない、三人とも」

「うんうん。まぁ、気持ちは分かるけどそうならないためのボクらなんだから、頑張ろうぜ」

 

 ライダーはにこにこ笑いながら、ヒポグリフの嘴をかく。くぇ、と気持ちの良さそうな声を出して幻馬は目を細めた。

 

「それにしてもルーラー、庭園は見えそうかい?そろそろ黒海の上空辺りだろ?」

『それはまだ。……いえ、待って下さい。確認できました!』

 

 ノインも雲海の切れ目に目を凝らす。

 射手の霊基を継いだ眼は、遠くに光を放ちながら空に浮かんでいる城の姿を捉えた。

 しかし、城というより外観は刺々しい巨大な鳥籠に近い。新月の暗闇の中、城が放つ魔力光は不吉なほど目立った。

 ルーラーの凛とした声が通信機を通して響き、各サーヴァントとマスターたちに緊張が走る。

 

「ノイン、乗って!」

 

 ヒポグリフに跨がったライダーは、ノインの腕を掴む。彼の後ろにノインは乗り、ルーンを刻んだ石を取り出した。

 

「キミの宝具、ついに正式解禁か。あれ、撃ち落とせるかい?」

 

 ライダーが指差すのは、みるみる大きく近付いてくる空中庭園を取り巻いて浮遊している十一枚の板だった。

 巨大な石板のように見えるあれが、『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』の誇る魔力砲台『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』だった。

 十一枚の黒棺の破壊。それがライダーとノインの役目だった。

 

「……分からない。この宝具も今の霊基もきちんと使うのはこれが初めてだから。……ライダーも、魔導書とヒポグリフでなんとかできそうか?」

「……ボクも分かんない。でも、やってやるさ。なんたって、マスターと約束したんだからね!」

 

 ライダーが魔導書を取り出して左手に掲げる。

 その瞬間、ぞわりと二人は背中に氷を突っ込まれたような寒気が走るのを感じた。

 このままでは不味いと、ノインは袋からルーン石を取り出した。

 

「飛び出すぞ!窓を壊す!」

「了解っ!」

 

 ノインが窓ガラスを魔術で叩き割ってヒポグリフが大空へ飛び出すのと、城から解き放たれた暴虐の戦車が、鋼鉄の鳥を轢断するのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ」

 

 爆炎を上げて、一つの機体が落ちて行くのをルーラーは確かに見、思わず叫び声を上げそうになった。

 たった今落とされたたのはライダーとノインが乗っていた機体だった。

 空中庭園から解き放たれた“赤”のライダーの戦車が、“黒”のアーチャーの元へと駆け抜ける線の上に、運の悪いことにたまたまあの機があったのだ。

 戦車は落とそうと思ってあれを落としたのでなく、目障りだから轢き潰したのである。

 旗を持つルーラーの手に力が入る。

 だが、すぐに頼もしい羽ばたきの音と共に幻馬がふわりと黒煙の中から飛び出した。

 ヒポグリフの背の上で、ライダーの桃色の髪と、ノインの青い革鎧が闇夜で微かに見える。

 ほっとルーラーは息を吐き、迫って来る気配を感じて旗を勢いよく振り抜いた。

 乾いた音と共に、黒塗りの矢が叩き落とされる。

 

「“赤”のアーチャー……!」

 

 ルーラーの叫びを合図にしたかのように、ひゅうひゅうと風が泣くような音と共に大量の矢が“黒”の陣営目掛けて放たれた。

 ヒポグリフが大気を震わす甲高い咆哮を上げながら、螺旋を描くように空の高みへと旋回して、矢を避けているのが見える。そして、残りのジャンボジェットに襲い掛かった大半の矢はルーラーによって防がれた。

 だが、追加とばかりに漆黒の板から魔術砲撃が放たれる。矢を払い落としたばかりのルーラーの足場たる機体へ、凄まじい熱量が迫る。

 その中心に飛び込む影が一つ。

 空高く飛んで矢を避けていたヒポグリフは、急に真っ直ぐに急降下して自分から砲撃へと突っ込んだのだ。

 星の光を束ねたような砲撃と比べれば、幻馬の体は如何にも小さく、容易く飲み込まれる。

 だが、ヒポグリフに、より正確に言えば幻馬を取り巻く淡い光を放つ無数の()()に触れた瞬間、砲撃は押された。

 何ものをも破壊する光が、ちっぽけな紙でできた盾に押される。

 砲撃と宝具の鍔迫り合いを制したのは、幻馬とその乗り手のほうだった。ライダーの歓声が聞こえてくるようだ。

 彼は、あらゆる魔術を無効化すると言う宝具を発動させることに見事に成功したのだ。

 

「……なんて、でたらめな」

 

 そう呟きながら、ルーラーは胸をなで下ろした。

 彼女が見守る間にも、ヒポグリフは止まらない。撃墜しようと追尾してくる砲撃を躱したながら黒棺にぎりぎりまで肉薄する。そして今度は一筋の光がヒポグリフの背中から放たれた。

 弧を描いて飛んだ光は黒棺に炸裂する手前で分裂し、無数の光弾となって降り注いだ。

 轟音と共に、黒棺の一枚は剥がれ落ちて行く。そのまま、ヒポグリフは旋回して隣の黒棺に突っ込み、これも叩き壊す。

 二枚の板が空中庭園から剥離したのだ。それだけで砲撃の密度がやや下がったように感じた。

 再びライダーの宝具が発動され、魔術砲撃を凌ぐ。その隙を縫うようにヒポグリフの脳天目がけて庭園から放たれた矢は、空中に描かれたルーン文字の盾がぎりぎりで弾き返した。

 

―――――皆、必死に戦っている。

 

 背後のマスターたちに矢も砲撃も届かせてなるものかと、ルーラーは改めて聖旗を構え直したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし!」

 

 サーヴァント同士の戦端が開かれている空から、少し離れた機体の中。

 使い魔の目を通して状況を見守っていたカウレスは、拳を握った。

 あれだけ発動に不安が付きまとっていたライダーの宝具。それが発動し、見事に砲撃を凌ぎ切ったのだ。

 

「ジーク、やったな!」

「……ああ」

 

 高ランク宝具の二つ同時使用というだけあって、そのマスターであるジークの魔力負担は大きく、魔力量の多い元供給用ホムンクルスと言えども顔色は徐々に悪くなっていた。

 それでも、彼は泣き言ひとつ言わずに、カウレスに向けて頷きを返した。

 

「今、黒棺が二つ落ちたわ。片方はノインで片方はライダーがやったみたい」

 

 同じように戦況を見守っているフィオレが言う。

 

「あいつの宝具も威力が増してたのか……」

「コンラの霊基を完全に受け継いだからな。力は増している。単独行動スキルのアーチャーだから、魔力もぎりぎり回せているようだ」

 

 カウレスが呟くと、ジークが答えた。彼は彼で、ライダーと視覚を共有させて戦況を把握している。

 ヒポグリフで空を縦横無尽に逃げ回りつつ、ライダーは砲台を狙っていた。といっても、魔術師の視力では彼らはちっぽけな光の点にしか見えない。時折、砲撃が炸裂して辺りが真昼のように明るくなる。

 このまま彼らが順調に黒棺を落としていってくれればいいのだが、そう簡単に行くとはカウレスにはとても思えなかった。ジークは魔力消費に耐え、フィオレは令呪の刻まれた手を握りしめて窓の外を伺っている。

 彼女のサーヴァントである”黒”のアーチャーは、”赤”のライダーとの一騎打ちに持ち込まれた。半ば予想していた展開だったが、彼らの激突だけで数騎のジャンボジェットが既に消費されている。

 こうなってはマスターには手が出せない。アーチャーとライダーの対決は、凄まじい速さで目で捉えられることなど最早不可能だった。

 姉のサーヴァントのことも気にかかるが、カウレスにはそれ以上に懸念することがあった。

 彼のサーヴァントであるバーサーカーのことだ。彼女には、空を飛ぶ術がないのだ。

 今、バーサーカーはまだ持ちこたえている飛行機を足場にして空に留まっているが、ルーラーが”赤”のアーチャーの矢か魔術砲撃を打ち漏らせば、或いは”黒”のアーチャーと”赤”のライダーの戦いの余波が飛べば、飛行機が落ちるのではないかと、カウレスとしては気が気ではない。

 頑張れと、令呪の繋がりを感じながら祈るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前後左右、凄まじい勢いで振り回される。

 だが、霊基が強化されたために、幸か不幸かノインの意識は完全にはっきりしていた。

 自分たちを狙って来る光弾の熱を感じ、矢の風切り音を聞く。

 怖いとはもう思えなかった。思うより先に、体が勝手に動くのだ。

 

「さあさあ、まだまだ行くぞ!『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』!」

 

 片手でヒポグリフの手綱を捌きながら、ライダーはもう片方の手に収まった魔導書を掲げる。書物が光り輝いて、ページが風に煽られたように夜空に踊り狂った。無数の紙片が飛び交って盾を形作り、今しもヒポグリフを叩き落そうとしていた砲撃を凌ぐ。

 だが、再び矢がヒポグリフ目がけて迫りくる。恐ろしいほど正確な狙いで放たれた矢に向けて、ノインは空中に盾のルーンを描いた。

 ガラスが割れたような音がして、物理障壁が”赤”のアーチャーの矢を防ぐ。その隙を見計らって、ノインも再び投石器に魔力を込めた。ヒポグリフから大きく身を乗り出して、腕を後ろに引く。

 

「叩き落とす――――『抉り穿て我が魔弾(クロッホ・ドリオレヒグ)』!」

 

 真名の開帳と共に放たれたのは、一つの石だった。石は閃光となって飛び、空中で無数に分裂すると流星群のような勢いで黒棺を破壊した。

 

「よし、これで三つ目!四つ目、行くよ!」

 

 空高く舞い上がったヒポグリフは、何度めかの突撃を敢行する。

 魔術防御と物理障壁を同時に展開し、弾幕をかいくぐった一撃は、四つ目の黒棺を見事に破壊した。

 その達成感を味わう暇もない。ノインは口の中にせりあがって来たもの吐き出した。手のひらを見ると、血がぽたぽたと零れた。

 膨大な魔力を体中にかけ巡らせた反動と、それだけの魔力をつくり上げて消費した虚脱感が同時に襲い掛かって来る。

 

「ノイン!?」

「前だけ見てろ!まだ行けるから!」

 

 口元に僅かに零れた血を拭って、ノインはライダーに叫んだ。

 それよりも、思ったより魔力の消費が堪えていた。ルーンで”赤”のアーチャーの矢を凌ぎつつ、二度宝具を撃ってこれなら、恐らく黒棺を破壊できるだけの威力のものは、あと三度ほど撃てて限界だろう。

 ヒポグリフの体当たりも後どれだけ続けられるか分からない。

 残る黒棺は七つ。すべて破壊できるか否かは賭けだなと、ノインは血の味のする唾を飲み込みながら思った。

 そのときふと、視界の片隅にバーサーカーの姿が映る。

 他の機から離れ、運悪く孤立してしまったジャンボジェットの尾翼に立ち、槌を構える彼女は、自分に向けて放たれた矢を雷で以て叩き落していた。

 ばちばちと暗闇で金色の光を放つ雷は矢を防ぎきるが、勢い余ったのか雷光が足元の飛行機の尾翼を消し飛ばしてしまう。

 がたんと飛行機が傾いて、みるみる高度が下がった。辺りにあった飛行機は、”黒”のアーチャーと”赤”のライダーの戦闘に巻き込まれてすでに破壊されており、ルーラーの飛行機はバーサーカーの足場とは離れてしまっていた。

 その瞬間、空を見上げたバーサーカーの瞳と、ノインの瞳が交錯した。

 

「ライダー、真下に降下してくれ!」

「オッケー!理由はあとで聞くよ!」

 

 内臓が持ち上げられるような浮遊感と共に、ヒポグリフがほぼ直角に突っ込む。墜落しかけの飛行機の上に取り残されたバーサーカーめがけて、ノインは叫んだ。

 

「バーサーカー!」

 

 ヒポグリフが飛行機の横を掠めた瞬間、ノインはバーサーカーの腕を掴んで引っ張り上げる。

 彼らが駆け抜けた直後に、バーサーカーが使っていた飛行機は黒煙を上げて雲海に沈んでいった。

 

「ウゥウ……」

「あ、危なかったぁ……」

「まだまだ危ないぞ。ライダー、庭園に降下できるか?」

 

 片手でバーサーカーの華奢な長身を抱えながら、ノインは言う。このままでは宝具が撃てないので、バーサーカーには空中庭園に先に降下してもらおうと思ったのだ。

 意図が読めたのか、ライダーは力強く頷いた。

 

「やってみる!」

 

 頼もしいな、とノインは頷く。だが次の瞬間、全身が総毛だった。

 途轍もない何かに狙われていると、本能が警鐘を鳴らす。

 一体どこから、と上を振り仰いだ瞬間、ノインは見た。黒棺の上に黄金の煌めきが見えたのだ。

 夜目にも目立つ鎧を輝かせ、屹立しているのは“赤”のランサー、カルナだった。

 彼の()に、怖気が走るほどの魔力が集められる。宝具を放つ気だ、とノインは直感した。

 

「宝具が来るぞ!」

「ヤバい!二人ともしっかり捕まって!キミの力の見せどきだよ、『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』!」

 

 黒棺の上に立ったランサーの眼から、凄まじい光がヒポグリフに向けて迸る。

 だが、ライダーが真名を唱えた瞬間、奇妙なことが起きた。

 彼らを焼き尽くさんと迫ったランサーの炎は、確かにヒポグリフに直撃した。しかし、ノインもバーサーカーも何の熱も感じない。

 気付けば彼らは無事な姿のまま、まだ空に留まっていた。

 戦う前にライダーから教えられた『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』の能力をノインは思い出した。

 

「次元を跳んだのか……」

「そういうこと!」

 

 ヒポグリフが再び降下していく。庭園の地面が近づいて来たところで、ノインはバーサーカーから手を離した。彼女は危なげなく庭園に着地し、空にいるノインたちを振り返った。

 

「行け!カウレスたちが来たところで合流しろ!」

「アウッ!」

 

 バーサーカーは一声吼えて、あっと言う間に駆け去った。そして息つく暇もなく、ライダーとノインは莫大な熱が高まっているのを感じた。

 

「もう一回跳ぶよ!」

 

 反応する間もなく、ノインの体は次元跳躍に巻き込まれた。

 一瞬吐き気のようなものを感じたかと思うと、もう元の世界へ戻っている。彼らの背後では、”赤”のランサーが槍を振り抜いた体勢のまま、冷徹な瞳でライダーたちを見ていた。

 

「なるほど。そちらの切り札は、魔術の無効化と次元の跳躍というわけか」

 

 落ち着いたランサーの声が聞こえる。

 位相の異なる次元へ束の間飛び込んで攻撃を躱すという出鱈目な方法も、彼にとっては大して驚くようなことではなかったらしい。

 槍が、幻馬とその背に乗った者たちを指し示した。

 

「お前たちに、これ以上空を駆けさせるわけにはいかない。悪いが、ここで墜ちてもらう」

「そんなコト聞いてやれるかっての!」

 

 ライダーが手綱をぐいと引く。

 幻馬は目にもとまらぬ速さで跳び出したが、ランサーは炎を射出して当然のようにその速度に追随して来た。

 黄金の槍が横一線に振るわれ、幻馬を捉えるが、槍が引き裂いたのはただの残像である。だがランサーはそれで動きを止めることは無く、離れた位置に出現したヒポグリフへ一直線に突貫して来た。

 

「なんなのさ、あのランサー、デタラメにもほどがあるよ!」

 

 器用に逃げ回りながら、ライダーが叫んだ。

 ランサーの動きは、ライダーたちが次元の狭間に飛び込んで再出現する位置を、正確に捉えているとしか思えない。おまけに、魔力消費を全く気にする必要が無いのか、大量の炎を放出してヒポグリフの速さに楽々と追いついて来ていた。

 ライダーが唇を噛みしめるのを、ノインは見た。

 彼の魔力供給はジークが行っている。こうまで消費の激しい宝具を立て続けに使えば、いくらジークと言えども体のほうがもたない。

 ライダーにもノインにも、それは分かっていた。

 

 ノインは不意に、全身を包んでいる夜風が重く温いものになって、纏わりついてくるように感じた。

 

 自分の手を見る。

 ほんの少し震えている手で拳をつくり、額に押し当てる。奥歯を噛みしめて、ノインは目を開ける。震えは収まっていた。体の奥に、ノインは震えを押し込めたのだ。

 

「ライダー、俺がランサーを留める。その間に、できるだけ多くの黒棺を破壊してくれ」

 

 体に絡みつくような温い空気は、ノインが感じている恐怖だった。しかし、今はそれを切り裂かなければならない。

 ノインが言った瞬間だけ、ライダーの肩が跳ねた。

 

「……分かった。でも、いいかい、絶対に死ぬんじゃないぞ!」

「ああ、もちろんだ」

 

 にやりと、ノインは笑った。

 その笑みを見て、ライダーは手綱と魔導書を握る手に力を込める。

 

「絶対だからな!」

 

 ライダーに向けて頷いた次の瞬間には、ノインは体をヒポグリフから引き剥がしていた。

 足を下にして体が石のように落下し、あっという間にランサーとライダーの姿が遠ざかる。

 だが黒棺の一つに足裏が触れた瞬間、ノインの体はそれを足場に弾丸よりも速く跳び出した。兎などを遥かに超えた異常なほど長い跳躍で、ノインは一跳びで距離を詰める。

 真正面に僅かに眼を見開き、驚いているようなランサーの姿を捉える。

 考えるより先に体が動く。

 雄叫びと共に、ノインは両手で握った槍を、ランサー目がけて全力で振り抜いた。

 甲高い金属のぶつかり合う音が、地上七千五百メートルの天空に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 





魔導書と幻馬と雷光と魔弾、インドビームと戦車型飛行機ミキサー、ミサイル級ギリシャ弓術と特大魔術砲撃、そして聖少女の旗が舞うという大惨事。

デミ少年の第一宝具、ようやく真名解禁。ネーミングは何かもうご容赦ください…。


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act-39


感想下さった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 デミ・サーヴァントとサーヴァントはどこが違うんだろうな、とジークはいつだったかノインに尋ねたことがあった。

 街に出たときだったかもしれないし、拠点の居間でくつろいでいたときだったかもしれない。いつどこでの出来事化は判然としないが、そのときはたまたまジークとノインしかいなかった。

 憑依サーヴァントのルーラー、正規サーヴァントのライダー、デミ・サーヴァントのノイン。在り様の違うサーヴァントが三人も揃うというのは、世界各地で亜種聖杯戦争が行われるようになったこの時代でも、もう二度とないだろう。

 そういう意味ではこれは稀有すぎる時間だと思う、と言うジークに、ノインは呆れ顔を向けたものだ。

 それを言ったら、あんただってサーヴァントの心臓で生き延びた世界でただ一人の人間だろうに、と自分を勘定に入れていなかったジークに、ノインは鼻を鳴らしていた。

 そう言ってから、ノインは考え込むように腕組みをした。

 竜殺しのジークフリートは、邪竜ファヴニールを倒したときに竜の血を浴び、背中の一点を除いて決して傷つけられない無敵の体を手に入れた。

 つまり、魔術的に考えると、彼はそのときに竜の因子を手に入れたのだ。

 だから、あんたにも心臓を介してそれが混ざったかもしれないが心配するほどのことではないだろう、とノインは言った。

 ジークが聞きたかったのは、サーヴァントの欠片を取り込んで自分の体が何か変化するのかなどということではなく、デミ・サーヴァントとサーヴァントは戦うときにどこか差は出るのか、ということだったのだが、ノインはそう受け取らなかったのだ。

 言い直そうとして、ジークは止めた。ノインの妙な勘違いとその意味を訂正する気にはなれなかった。

 結局、あのとき分かったのは、ジークの生み出せる魔力がより増えたかもしれない、ということだけだった。

 そして今、それをジークは実感していた。

 ライダーに供給している魔力は多い。『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』と『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』を駆使しているのだから当然とも言えた。

 恐らく、並みの魔術師だったら気絶しているだろう。

 だが、ジークは顔色が悪くなる程度で思考にも体の動きにも淀みは無かった。

 心臓が脈打っている限り、魔力を回し続けていられる。そんな予感があった。

 

「ジーク、ライダーとノインは?」

 

 機内から窓の外を眺めるカウレスが尋ねて来る。

 ライダーの視界を通じて外を把握しているジークには、現在庭園の周囲で何が起こっているのか分かっていた。

 

「ライダーはヒポグリフで黒棺を攻略している。ノインは……」

 

 飛行機の窓に、微かに赤い炎の光が反射する。

 遠目ながらまさに太陽そのもののような炎熱に、フィオレが驚いて目を見開いた。

 

「ノインはあの光のところ……”赤”のランサーの足止めに回ったらしい」

 

 予想できなかったとは言えない布陣とはいえ、ジークは手をきつく握りしめざるを得なかった。

 正面から”赤”のランサーの相手ができたのは、”黒”のアーチャーを除けば、ジークに心臓を与えて消滅してしまったジークフリート、ルーラーの手を借りて自害した”黒”のランサーくらいなものだ。

 完全に霊基を得たとはいえ、ノイン一人でやれるのかは全く分からなかった。

 

「そうですか……。今のところ、こちら側のサーヴァントが一騎も脱落していないのは幸いですが……」

 

 綱渡りもいいところだった。

 彼女のアーチャーも、”赤”のライダーとの激戦に突入している。ルーラーもライダーも誰も彼もが必死で守ると同時に攻めており、その攻め立て方の激しさ故か、ジークたちマスターの乗った飛行機はまだ落ちていなかった。

 マスターたちの見守る中で、爆炎の華がまた一つ庭園の上で咲いて、黒棺が剥離していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケルトの世界には、影の国という場所があるという。

 そこが現世と隔てられた場所なのか、黄泉の国のようなあの世なのか、それはどうとも捉えられない。

 ただ、伝承として影の国はアルスターやコナハトからの戦士たちが修行のために訪れる場であった。

 その国を統べる女王の名は、スカサハ。

 今なお人々の中で語り継がれるアイルランドの英雄クー・フーリンを、教え導いた女戦士である。

 彼の息子のコンラも彼女に鍛えられ、()()()()()を除く、ほぼ全ての戦う術を彼女から学んだ。ルーンも、石投げも、剣も、コンラは彼女から教えられ、それを己のものとした。

 その中の一つに、鮭飛びの術というものがあった。

 

「―――――ッ」

 

 ざざ、と煙が出そうな勢いでノインの足が黒棺の上を擦り、止まる。

 地上七千五百メートルの雲海に浮かぶ空中庭園。その鉄壁の防御であり、今は数枚が陥落した黒棺のうちの一枚に、少年は四肢を踏ん張って留まっていた。

 青い革鎧に大して傷はない。炎が掠めたのか、髪から焦げた臭いがしたがノインの意識にはまるで上らなかった。

 何事もなかったかのように黒棺の反対側に音もなく着地したのは、黄金の鎧が眩しい“赤”のランサー。

 表情の欠片も読めない白い顔が、ノインにははっきり見えていた。

 幻馬から飛び降りたノインは、ランサーにケルト戦士の秘技の一つ『鮭飛びの術』で仕掛けたのだ。霊基を引き継げて初めてできるようになった技で、これまで使えたことは一度もなかった。

 加速零の状態から、音を飛び越えて瞬時に加速できる俊足の踏み込みである。元々敏捷値が図抜けて高い英霊コンラのデミ・サーヴァントが行った鮭飛びの術は、ランサーの眼にも束の間捉えられないほどの爆発的な速さを生んだ。

 ランサーがそれに対処するために出来た隙により、ライダーとヒポグリフは上手く離脱に成功したのだが、ランサーはノインの槍を鎧で弾き、黒棺を一つ巻き添えに破壊するほどの炎を放出すると同時に蹴りまで放った。

 炎は多重展開したルーンで防ぎ、内臓目がけて放たれた蹴りは凌いだ。

 さらに地面をもう一度蹴って跳び、離れた黒棺の上に逃れることはできたのだが、ランサーの鎧に槍が当たった瞬間否が応でもノインは分かった。あれは、ただの槍では壊せない代物だ。

 どれを取っても、ランサーはノインの遥か上だった。

 切っ先を下げてしまいそうになる槍を、ノインは握り直した。

 しっかりしろ、と自分で自分を叱咤する。そんなことは、最初から分かっていたことだった。

 泰然としたランサーは、淡々と口を開く。

 

「お前はアーチャー……いや、デミ・サーヴァントだったか」

 

 ノインは無銘の槍を握って頷いた。

 

「そちらは、“赤”のランサー、カルナで間違いはないか?」

「如何にも。だがお前の相手をするつもりはない。オレの役目は”黒”のライダーの撃墜だ。退くがいい。マスターも願いも持たぬ者には、この戦場に留まる意味はない」

「それは聞けない。ライダーを墜とさせる訳にはいかない」

 

 ランサーの鋭い眼光が細められて、自分に向けられている切っ先の震えていない槍、とノインの顔の間で行き来した。ノインの言葉の裏を、見ているようだった。

 その眼の険が僅かに緩む。

 

「戦奴としての言葉と疑ったことを謝罪しよう。デミ・アーチャー。お前が自らの意志で友の為に戦うというならば、我が槍の猛威を以て滅ぼそう」

「……」

 

 そのときふと、ノインは“黒”のランサーのことが頭を過ぎった。

 彼は苛烈な槍のサーヴァントだった。“赤”のランサーも苛烈であることに変わりはない。

 ただ、ノインは公王の気配とはまた異なっていると感じた。その差異は、彼は王で、目の前のランサーは生粋の戦士(クシャトリヤ)だからだろう。

 本来ならきっと、“黒”のセイバーのような紛れもない英雄が“赤”のランサーの相手に相応しかったとも、思う。

 戦士(クシャトリヤ)が望むような人間たちは、誰も彼も消え去り、いなくなった。

 けれど、戦える者がいなくなったから自分が戦うのは仕方ない、などという気持ちで相対すればすぐに負けると直感できた。

 

「デミ・アーチャー、戦う前に一つ聞きたい」

 

 警戒を切らさないままのノインと逆に、ランサーはどこまでも淡々としていた。

 

「そう警戒することは無い。少し尋ねたいことがあるだけだ。お前の目的はオレと戦うためではなく、友のための時間を稼ぐことだろう。ならば、いくらかの問答をしても良かろう」

 

 それは確かにその通りだった。

 風吹きすさぶ黒棺の上で、ノインは槍を微かに下げた。

 

「……何を聞きたいんだ?」

「そちらのセイバー、ジークフリートのことだ」

 

 ノインは先を促すように頷く。

 初戦で彼らは戦って、映像の中では確か再戦を望んでいた。

 ゴルドの命令で、自ら口を利くことのなかったセイバーが、あのときだけはランサーと再戦を望む旨を口にしていた。

 彼がもう一度自分の意志で口を開いたのは、ジークを助けようとしたときだけだった。

 

「それが、どうかしたのか?」

「天草四郎から彼は消滅したと聞いた。しかし、完全に消えたのではなく未だ現世に名残があるとも。どういったことが起こったか、お前は知っているか?」

「……知っている。俺はその場にいたからだ」

 

 何もできなかったが、ノインは”黒”のセイバーの自害する瞬間を見ていた。そのときの様子を思い出しながら、ノインは言う。

 

「”黒”のセイバーは……ジークフリートは、彼の信念に殉じて生命を落とした。心臓を自分の意志で俺たちの仲間の一人に与えて、消えた」

 

 己の心臓を己の手で抉り出し、ジークに与えて尚、最後の顔は穏やかだった。

 あのときはノインも動転していてそんなことは考えられなかったのだが、思い返してみれば”黒”のセイバーは羨ましくなるような安らかな顔だった。

 

「彼の信念が何だったか俺には分からないが、不本意に消えたわけではない……と思う」

 

 その生命の欠片は、ジークを今も生かしている。

 そこまではノインも言わなかったが、その答えで満足したのか、ランサーは首肯した。

 

「そうか。今のはオレ個人の拘りだった。付き合ってくれたことに礼を言おう。……では、参る」

 

 ランサーの眼が再び鋭くなる。

 自分の周りを取り巻く空気が、突如として重く、圧し掛かって来るようにノインは感じた。槍を握りしめた瞬間、ふわりと風が吹いたような気がした。

 その瞬間には、ランサーがノインの目の前にまで踏み込んでいる。炎を噴出して生み出した、予想を超える速さだった。

 

 黒棺の上で、爆炎が夜空を彩った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 探知能力を持つルーラーは、恐らく”黒”の側の者たちの中では、最も状況を正確に把握していた。

 まず、バーサーカーが庭園に辿り着いた。ライダーの駆る幻馬は、宝具を駆使して砲台を半分以上破壊し、”黒”のアーチャーは未だ”赤”のライダーとの戦闘を続けている。そして、ノインはライダーたちから”赤”のランサーを引き離すために戦っていた。

 願わくば、ルーラーはノインが彼の相手をすることがないようにと望んでいた。望んでいたが、叶わなかったのだ。

 先程派手な爆炎が見えたあのときには、内心燃えるような焦燥にかられ、まだノインのサーヴァントとしての反応が生きていると知ったときは大いに胸を撫でおろした。

 誰にも彼にも猶予はないが、あの少年が最も危機に直面しているのは確かだった。

 ルーラーの乗るジャンボジェットが、庭園に近寄る。

 大きく跳躍し、何とか庭園に辿り着いた。その様もどこからか見られていたのか、すぐさま物陰から矢が襲い掛かる。それを弾き、ルーラーは庭園に着地した。

 林のように石柱が林立した不可思議な空間である。

 

「”赤”のアーチャー、アタランテ!姿を見せなさい!」

 

 返事は無い。あるはずもなかった。

 それでも叫んでしまったのは、焦りがそうさせたのだろうか。だが、アーチャーの気配も同時に遠ざかって行く。庭園の更に奥へと、アーチャーはすさまじい速さで進んでいた。

 

「私を、誘っているのですか?」

 

 それならば構わない、とルーラーは聖旗を握り直す。駆けだそうとしたところで、しかし彼女は足を止めた。

 感じていたサーヴァントの反応が一つ、消滅したのだ。

 

「……”黒”のアーチャー」

 

 ”赤”のライダーを相手取っていた彼が、消滅していた。

 最も頼りになる、堅実な彼の消滅をルーラーは一瞬目を瞑って悼んだ。だが今は、それよりも”赤”のライダーの残留のほうが気がかりだった。

 アーチャーは恐らく幾ばくかの傷を与えただろうが、ライダーはまだ消滅していない。

 ルーラーの目の前に、映像が浮かんだのはそのときだった。

 

『裁定者か、意外に早く辿り着いたものよな』

 

 空間に投影されたのは、黒衣の女帝の姿だった。

 

「”赤”のアサシン!」

『叫ぶな、見苦しい。……ふむ、貴様を見逃すのは業腹だが、我がマスターの命でな。大聖杯に繋がる道を辿って来い』

 

門は開いたぞ、と”赤”のアサシンは映像の中で指揮棒を振るように指を右から左へ滑らせた。

 ”赤”のアサシンの真名は、陰謀を張り巡らせた女帝、セミラミス。その彼女の言葉だけに、信じて良いものかルーラーはほんの僅かに戸惑った。

 

『何だ、疑うのか。それも良いが、貴様は速やかに我がマスターを止めねばならぬのではないか?今、庭園を跳びまわっている小僧と痩せ馬を駆る戦乙女は、貴様たちを我が居城に届かせるために、ああしているのだろう?』

「……ッ」

 

 アサシンが映像の中で口角を吊り上げた。

 

『デミ・サーヴァントだったか。確か、ユグドミレニアの生んだモノのうちの一体だったそうだが……。我がマスターはアレのことも調べておる。あの小僧が何の英霊を繋ぎとしているのかもな』

 

 哀れな者よな、とアサシンは嘲るように言って、姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






カルナ「(戦いに挑むその姿勢に)敬意を払おう」
デミ「……そうか(嬉しくない)」

彼らの認識の齟齬はこれくらいはあります。

すみません、今週の更新はこれだけです。


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act-40

感想くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 ”黒”のライダーは、一心に空を駆けていた。

 厄介な砲台の二つはノインが、一つは彼と”赤”のランサーがぶつかったときの余波で落ちた。ノインが飛び降りてから、ライダーが壊したのは五つ。

 残りはあとたった一つだった。”赤”のランサーとアーチャーからの攻撃が無くなった今、脅威は魔術砲撃だけである。

 それでも、ライダーは満身創痍だった。槍は先が折れ曲がり、何度も体当たりを繰り返したためにヒポグリフは苦し気に呻いていた。

 

「ヒポグリフ、まだ頑張れるかい?」

 

 それでも頼もしい声でライダーの愛馬は嘶いた。彼もライダーも額が割れて血が吹き出ていた。眼に垂れてきた赤い滴を乱暴に拭って、ライダーは前を向いた。

 思い出すのは、つい先ほどまで背中に乗っていた友人の一人だ。その重さは今は無い。

 見たことが無い異常な速さで飛びかかったノインと、それを軽々と炎で打ち払ったランサーとは、ライダーから離れたどこかへ跳んで行った。

 ヒポグリフやライダーたちから、ランサーを引き離すために敢えてノインはそうしたのだ。その行為に大いに助けられていた。

 どこへ行ったのかと思う間もなく、庭園のちょうど反対側で魔力が炎となって吹きあがっていた。

 

「あいつ……」

 

 炎の下まで飛び出して行きたいのを堪えて、ライダーはヒポグリフを駆る。紙片の盾と槍を構えて、一直線に向かう先は聳える黒棺だった。

 折れるほどに歯を食いしばり、魔術光の中に体当たりで突っ込む。

 

「あぁぁぁぁっっ!!」

 

 自分が何を叫んでいるのかも分からないまま、ヒポグリフとライダーは黒棺を砕ききった。しかし、力尽きたのかヒポグリフは光の粒子となって消えてしまう。ライダーの体は宙に投げ出された。

 

「と、と、止まってぇぇぇっ!」

 

 ヒポグリフの勢いそのまま、投石器の石のように吹っ飛ばされ、ライダーは庭園の石畳の上に落下した。手足を踏ん張って、ライダーはなんとか踏みとどまる。

 

「いったぁ……」

 

 それでも気絶しなかっただけ儲けものだと、ライダーは立ち上がった。

 

「到着……したはいいけど。ここっていったいどこなんだろう?」

 

 庭園とは聞いていたのだが、ライダーが落下したところはむしろ煉瓦造りの街だった。それも所々破壊されている。ライダーの突撃の衝撃か、”赤”のランサーとノインの戦闘の余波か、どちらにせよ女帝の庭園もそろそろ無傷ではなくなってきていた。

 しかしとにかく、ライダーはマスターのジークたちと合流しなければならない。そろそろ彼らの小型飛行機も、庭園に到着しているはずなのだ。

 全体どこに行ったのか、とライダーが辺りの気配を探ろうとして、彼の背後で日輪の炎熱の華がまたしても夜空を赤く彩った。

 赤々と夜空を染める焔の華を、ライダーは一瞬声もなく見上げるた。

 

「あいつ……」

 

 飛んで行きたいと思う。

 しかし、幻馬で向かっても来るな馬鹿、とノインに怒鳴られるだけだろうし、ジークと合流する必要があった。

 自分たちがこうして辿り着けたのだから、あいつも手早く切り上げられるはずだと、ライダーは走り出そうとして、近づいてくる気配に立ち止まった。

 建物の暗がりから現れたのは緑の髪の青年。か"赤"のライダーだった。

 

「おう、お前が"黒"のライダー、でいいんだよな?」

「そうだけど……何の用だよ」

 

 尤も戦場で会ったからには用なんてたった一つしかないだろうけど、とライダーはまだ完全に壊れていない馬上槍を構えた。

 

「キミがここにいるってことは、こっちのアーチャーは……」

「ああ。俺が倒した。積年の願いを遂げられたってことさ」

 

 やっぱりか、とライダーは唇を噛み締めた。そうだとは思っていたのだ。

 "黒"のアーチャーが倒れてしまったなら、残りはいよいよ後がない。"赤"のランサーを相手取れたかもしれない大英雄は、消えてしまったのだ。

 とはいえ自分も、こうなるとマスターとの合流どころではない。

 槍を構える"黒"のライダーに対し、"赤"のライダーは待て待てと両手を上げた。

 

「少し待て。俺はお前とやり合うために来た訳じゃない」

 

 そう言うと、彼は虚空から丸い大盾を取り出し、それを"黒"のライダーに向けて投げた。

 

「うわっ!?……って、これ宝具じゃないか?どうしろってんだよ」

「お前らにくれてやる」

「はぁ?……何で!?」

「何でもだ。先生……"黒"のアーチャーとの約束だ。詳細は省くが、それをお前たちにくれてやると彼と約した。だが、要らないなら返せ」

 

 眉を顰める赤の騎兵に、ライダーは盾を持ったまま後退った。

 

「要る!要ります!貰っておくよ!ありがとう!」

 

 調子良いやつ、と"赤"のライダーはその様子を見て鼻で笑った。

 

「じゃあとっとと行け、お前をやるのは気が進まんし、俺にはあっちに相手がいる」

 

 猫でも追い払うように手を振った"赤"のライダーは、やおら槍を取り出すと気合と共に空に向けて投擲する。

 槍は一筋の閃光と化し、今しも庭園の中央に突っ込もうとしていた戦闘機を掠める。

 凄まじい運転技術で直撃を避けた飛行機は、しかし翼の一部を抉られて中央からやや逸れたところに爆炎と共に落ちて行った。

 

「えぇ……」

「こっちのセイバーだろ、あれ。俺はあいつを倒す。アサシンはいけすかないが、こちらの要の女帝が落とされちゃマスターの願いが叶わんからな」

「じゃ、キミは天草四郎の願いに納得したのか」

 

 じりじりと後退りながら、"黒"のライダーは尋ねる。

 

「まぁな。あいつの方法なら、確かに人類は救済されるだろうさ」

「そうかい。じゃあ、一応聞かせておくれよ」

 

 "赤"のライダーは気負った風もなく無造作に頷き、天草四郎の唱える『方法』を口にする。"黒"のライダーは驚きで目を見張った。

 

「あー、そういう方法なのか……」

「そういうこった。規模が大きいだろ?」

「大きいけどさ……」

 

 多分ボクのマスターや、こっちでできたボクの友人はそのやり方を受け入れないよ、と"黒"のライダーは呟いた。

 それに自分も、今聞いた方法には両手を上げて賛成できなかった。

 

「そうか。不満があるなら止めてみろ、"黒"のライダー」

「もちろんやってやるよ。じゃあね!」

「馬鹿。宝具の真名を聞いていけ」

 

 真名を聞いて覚えたあと、"黒"のライダーは礼の言葉を一応叫んで駆け出す。

 抱えた盾はずしりと重い。重いが、不思議とそれが全く気にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐん、と地面が近づいてくる。

 ルーン石で風を起こして強引に体の上下を入れ替え、足に触れた地面を蹴り飛ばして跳躍。そうして伸ばした槍の穂先は、黄金の甲冑に阻まれて火花を散らせた。

 

「ッ……!」

 

 お返しのようにランサーが槍を突き出す。急所に噛み付く毒蛇のような一撃を、ノインは危うく避けた。それでも頬が切れて血が飛び、伸びかけの髪がざくりと斬られて宙に舞う。

 しかし、髪は術者の体の一部だ。斬られた髪に魔力を繋げ、ノインはそれを爆発させた。その爆発に紛れ込むように宙に飛ばしたのは炎のルーン、”アンサズ”が刻まれた小石だった。

 ランサーの目の前で爆弾と化した礫が爆散した。

 その隙で、ようやくノインは地面に飛び降りる。足裏に硬い地面を感じるノインの数メートル先に、ランサーは変わらない涼しい顔のまま降り立った。

 

―――――本当に反則だな。この英雄()は。

 

 ノインの槍は当たっていない訳ではない。光の御子、クー・フーリンとも渡り合った幼い英雄の技量と速さは、ランサーにもわずかながら届いていた。

 しかし、首や鎧の隙間など、甲冑で守られていない部分を狙ってつけた傷は躱されるか巧みに逸らされるかして、どうしても浅いものになり、それすらもすぐさま治されてしまうのだ。

 聖杯からの莫大な魔力を、ランサーは余すことなく使っていた。あしらわれている感が否めない。

 

―――――神々であろうと破壊不可能な鎧。それに自己治癒能力の促進と、恐らくは傷の軽減の効果も付いてるな。

 

 それこそ”黒”のセイバーのように、攻撃を敢えて受け、高い防御力で身を守りつつ相手を圧倒するようなやり方はコンラの戦う方法ではなかったのだろう。

 彼の戦い方は、速さにより攻撃を躱すことで敵を翻弄するものだ。だから彼の霊基を借りたノインと、周囲を一撃で薙ぎ払えるだけの火力を振るうランサーは、その時点で相性が悪いのだ。

 

―――――まあ、そんなこと知っていたけどさ。

 

 それなのにこうやって立っている辺り、自分もコンラのことを言っていられないなとノインはおかしくなった。

 自分の意志ひとつに自分の生命を賭けて戦い、生きる感覚は恐ろしく、同時に少年の心をこれまでにないほど昂らせていた。

 彼が冷静に時間を引き延ばす戦い方を続けているのは、先に行かせた聖女と騎兵、そのマスターの存在があるからだ。

 ランサーを倒すこと、ましてや彼と技量を競うことは、ノインの求めることではない。この戦場で、大事な人々を先に行かせることが自分の役目で、他のことは考えない。その想いがノインを踏みとどまらせていた。

 だが、ランサーはどうしたことか槍を地面に突き立てた。まるで戦いを止めるようなそぶりに、ノインも動揺する。

 

「少し待て。オレから一つ、頼み事をしたい」

「は?」

 

 切り出されたことが分からず、ノインは素のまま答えてしまう。

 

「こちらから提案がある。そちらにとっても利益になるかは分からないが、オレにとっては何にも代えがたいコトがあるのだ」

「……それは、あなたが聖杯にかけている望みと関係でもあるのか?」

 

 戦い始める前に数えるほどの言葉を交わしただけだが、このランサーの言動はノインには掴みにくかった。感情表現が率直なライダー、レティシアやルーラーと全く勝手が違う。

 敢えて言うならランサーの言い方は、思ったことを率直に話すジークに近いものがあった。

 彼は何も嘘を付いていない。本当に頼みごとがあるから、戦いを中断してまで自分に頼んでいる。

 そういう感じがした。

 ランサーはノインの問いにも首を振った。

 

「元よりオレに聖杯にかける願いはなかった。オレがここで槍を振るうのは、ひとえにオレを召喚したマスターが聖杯を手に入れることを望んでいたからだ」

「望んで……()()?」

「そうだ。だが、我らの本来のマスターは、アサシンの毒によって意識を奪われ捕らえられている。オレは彼らを守りたい。これが個人的なものとは分かっている。それでも、頼みたいのだ」

 

 言われたことがノインの頭に染み込むまで数秒かかった。

 つまり彼には自分の願いが無く、純粋にマスターのためだけに戦っていて、彼らが”赤”のアサシンに捕えられている現状を良しとしていない。

 あり方も雰囲気も、何もかも違うのにそのときノインは”黒”のライダーの姿を思い浮かべた。

 彼にも願いは無く、単に呼ばれたから手助けするために召喚に応じたといつだったか明るく言っていた。

 英霊も数が多い。そういう純粋に人助けのために応じてくれた英霊というのが、ライダー以外にいたとしてもおかしくない。

 ただそれが、余りに強大で、生前に悲運を背負った英霊の口から出たために、ノインは戸惑ったのだ。

 それをどう取ったのか、ランサーは首を傾げた。

 

「オレが彼らを守りたいと思うのはおかしいか?」

「……何も。俺たちのところにも、そういう英雄はいるから。それで、そちらは俺に何をさせたいんだ?」

「マスターたちの保護を頼みたい。そちらの魔術師たちと連絡はとれるか?」

 

 できなくもない、とノインは答える。

 

「保護と言っても方法があるのか?ここ、地上から七千五百メートルもあるんだろう」

「この庭園から地上に向けた転送術式がある。それを起動させて彼らを地上に送ったのち、彼らを保護してもらいたいのだ」

 

 そういうことなら確かに、ユグドミレニアの力ならできるだろう。

 ノインも槍を片手に持ち、念話を繋げた。

 繋ぐ先はカウレスだ。

 秒もかからず、カウレスが答えた。

 

『何だ!?……って、お前かよ!』

「ノインだ。こちらは現在”赤”のランサーの前にいる」

 

 念話の向こうで呆然とするカウレスが復旧する前に、ノインは淡々と状況を説明した。

 

「……ということだそうだが、ユグドミレニアとして彼らの保護はできるか?」

『戦後の交渉材料として彼らの身柄を確保することならな。俺たちとしてはやっておきたいよ。というか、お前たちのいるところは分かった。数分で着くから、俺たちも行くよ』

 

 交渉材料とはつまり協会相手の人質な訳だが、それでも彼らの生命は保証されることになる。

 

「……ユグドミレニアは彼らを保護すると言っている。数分でこちらに来るそうだ」

「そうか。それならば待とう」

 

 ランサーは頷き、槍から手を離して腕組みをした。立ち方にはやはり、どこにも隙がない。ノインは念話は続けていた。

 

『そちら、状況は?』

『俺たちは庭園に無事に着いた。でも……こっちのアーチャーが落ちた。"赤"のライダーも健在らしい』

 

 ノインは片目を瞑った。

 深く穏やかな瞳の色が心の底を横切った。

 

『……分かった』

『バーサーカーとは合流できたけど、ライダーとはまだだ。少なくとも倒されていないけどな。ルーラーは庭園の中心に向かってるらしい』

 

 カウレスの声は淡々としていた。そこにランサーの声が割り込む。

 

「相談は纏まったのか?」

「纏まっている。……それより、聞いてもいいか?あなたは、何故先に俺と戦ったんだ?」

「戦いを通せば、お前の人となりは分かる。如何せんお前は最初、己の主を斬っていたろう?故にオレの願いを頼んで良いものか、見極めたかったのだ」

「……」

 

 見極めの手段でランサーが命懸けの戦いを選んでいたことに、ノインは何も返せなかった。

 コンラなら受け入れて笑うかもしれないが、自分には無理だった。

 ランサーは無表情に口を開いた。

 

「分かったことは、お前は戦士としての名誉も、戦いの誉れも、何も必要としていない。恩義を受けた者や友、守ると決めた者たちのために戦う者だな。そのためなら泥を啜ろうが汚名をかぶろうが、一向気に留めまい」

「……だって、俺は戦士でもないからな」

「お前が、英霊の器を借りただけと己を卑下するのは構わん。だが、守るべき人々のために戦う人間を、オレたちは戦士と呼んできた」

 

 守るべき者と聞いて、レティシアの顔が浮かんだ。

 ここにいてと、彼女は子どもたちの魂に飲まれかけたノインに言った。言って、泣いて、引き止めてくれた。

 あの一言と水晶みたいな涙で救われて、まだここにいられる。彼女はノインの魂と心を守ってくれた。だから、レティシアが家族のところへ戻るために生命を守ると決めていた。

 そう思うのはノインには自然なことだった。そのために、怖いと思う心も飲み込んだ。闇雲に抑えるのではない。それを認めて戦うのだ。恐れも怯えも、自分の一部なのだから。

 

「……」

「どうした?」

 

 どうしたもこうしたも、自分でも言葉にできていなかった心を言い当てられては、ノインには何も言えない。

 むしろ、人の心を推し量る眼力まで規格外とはもう大概にしてほしいと、ここまでランサーが桁違い過ぎることに少しだけ笑いたくなった。

 

「それだけ他人の心を読めて―――――」

 

 大変じゃないのか、と言いかけてノインは止めた。

 わざわざ言うほどのことでもないだろう、とそう思ったからだ。

 折良く、カウレスとフィオレが現れたのはまさにその時だった。

 

 

 

 

 




モードレッド、相手が強制変更。


バレンタイン記念でfgo北米神話大戦編の導入を書きましたので、一時間後に上げます。
今は続かない、ただの記念と考えて頂ければ…。


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act-41

感想下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 瓦礫に覆われた道を乗り越えてやって来たのは、カウレスとフィオレだけだった。

 令呪の刻印があったはずのフィオレの手の甲は、空っぽになっている。それを見てようやく、”黒”のアーチャーがいなくなってしまったのだという事実がノインに圧し掛かって来た。

 感傷に浸りたかった。自分の中には彼から教わったことは、たくさんあった。

 けれどそれはできなかった。そちらに割く精神の余裕は無く、フィオレの頬には涙の筋が残り、この空間にはランサーの気配があるのだから。

 

「それで、”赤”のランサー、あんたの言うマスターってのはどこにいるんだ?」

 

 カウレスが言う。どこかで別れたのか、彼らの側にバーサーカーはいなかった。

 それを尋ねてみようかと思ったが、カウレスは横目でノインをややきつく見た。

 何も言うな、と言いたげなその視線にノインも口をつぐむ。

 

「ふむ、案内しよう。ついて来てくれ」

 

 ランサーのほうは気に留めた素振りもなく、歩き出した。

 その後ろをついていきながらカウレスは、傷だらけで火傷や小さな傷だらけになりながらも、自分の足で歩いているノインを見てしみじみした様子で呟いた。

 

「あんた、ちゃんと生きてたんだな……」

 

 さすがにノインは苦笑するしかなかった。蜘蛛の足のような礼装を付けて瓦礫の山を進みながら、フィオレが口を開いた。

 

「それでもひどい怪我です。治癒魔術は必要ですか?」

「余裕があるなら頼む。魔力は節約できるならしておきたいから」

 

 はい、とフィオレが簡易とはいえ治癒魔術をかける。火傷や裂傷で引き攣れた痛みを訴えていた手足が、すっと楽になった。

 

「ありがとう」

「いえ、礼を言うのはこちらです。……単刀直入に言って、あなたはどれだけランサーを留めていられますか?」

 

 こちらのことを全く気に留めずに、庭園内を悠々と歩くランサーの背中を見てため息をつきそうになりながら、ノインは答えた。

 

「留めるだけなら、十数分だろうな」

 

 それだけ引き延ばせたとしても、全く時間が足りないのは分かっている。

 カウレスは真面目な顔で呟いた。

 

「あいつの裏を、かけるか?伝承だとカルナって英雄は頼み事を断らないだろ?……例えば槍か鎧を手放してほしい、とか」

「それはさすがに……」

 

 無理なんじゃないのか、とノインが言う前に、ランサーが肩越しにカウレスとノインを見ていた。

 心の奥底まで見透かしてきそうな静かな視線に少年たちは口を閉ざし、ランサーはゆっくり首を振った。

 

「武器も防具も、オレは手放すことはできない。我が全力を以て戦うというのが、オレがサーヴァントとして結んだ誓いであり、槍や鎧を手放すことは、その誓いを破るに等しいからだ。だが、オレの身勝手な願いをお前たちが受け入れたのも事実だ。引き換えに頼みごとがあるならば言うがいい。出来る範囲で叶えよう」

 

 怒るでもなく淡々と道理を説くようにランサーに言われて、”黒”の三人は言葉を失い、立ち止まった。

 ノインは尋ねる。

 

「……そのあなたの全力は、ルーラーを滅ぼせるのか?」

「恐らくな。我が槍の暴威を以てすればルーラーに施された聖杯による護りも、或いは砕けるやもしれん」

「じゃあ、願いはこうだ。俺以外の全員……ルーラーを含めたみんなを見逃してほしい。あなたが出す全力の相手は、何が何でも俺がする。それなら、そちらが誓いを破ったことにはならない」

 

 少し考える仕草をした後、ランサーは頷いた。

 

「一理ある。了解した。オレの全力を以てお前一人を討ち滅ぼそう」

「ば……ッ」

 

 馬鹿か、と叫んで肩を掴みかけたカウレスの手は、歩き出していたノインにぱしりと払われ、叫びの続きは赤い眼に射すくめられて止められた。

 

「お前な、それだけルーラーが大事なのか?」

「そうだ。レティシアは俺の大事な人だ。ルーラーはジークの大事な人だ。俺も彼女に恩はある。二人共、焼き払われる訳には行かない」

 

 即座に切り換えされて、カウレスは詰まった。

 目の前の半英霊の少年は自分の力の程も知っている。死ぬかもしれないと分かっている。それなのに、そう言い切った。

 彼は心のどこかしらが、やはり壊れていた。どこまでも紅く、ランサーとは異なった種類の透明な光を宿している瞳を見て、魔術師の少年はそう悟る。

 いくら大事とはいえ、ほんの数日会っただけの、血の繋がりも何もない少女のために、あんな英霊に立ち向かおうとするのはおかしかった。

 けれどカウレスにそれは言えなかった。彼を造り出し、英霊を宿らせ、こんな風になるよう壊してしまったのは、紛れもない自分たちユグドミレニアだと思ったからだ。

 ―――――それに今は、その力と決断に頼らざるを得なかった。

 

「……分かった。頼んだぞ、デミ・アーチャー」

「了解した。当主」

 

 同時にカウレスは思った。やはり自分が、ユグドミレニアの当主を、ダーニックの跡を引き継ぐことになって良かったと。

 本当の英霊ではない少年相手に、”黒”の全員のために盾になれとは、相棒を失って気丈に振る舞いながらも、頬に涙の跡を付けている優しい姉では、きっと言えなかったろう。

 魔術師であるカウレスには、その言葉を言うことができた。喩えどれだけ、言葉とは裏腹の硬い表情をしていたとしても。

 彼の表情を見て、ノインは少し、ほんの少しだけ口の端を吊り上げて笑った。

 カウレスが初めて見た、デミ・サーヴァントの素の表情だった。

 

「あんたが死にそうな顔するなよ。別に勝算がまるきり零でもないからな。零だったら、あんなこと言えないし」

 

 一転して、自分とそれほど変わらない年相応の少し少年の顔になった半英霊を見て、カウレスの表情も壊れかけた。

 咳払いして、声の平坦さをカウレスは保つ。

 

「……お前、さっきは十数分そこそこしか止められないって言ってたよな?」

()を一切考えないで良いのなら、話は別だよ」

「そうか。じゃ、バテたあんたの回収もしないとな」

「助かる。頼んだ」

 

 それきり、彼らは何も言わずに”赤”のランサーの後に続く。

 

「着いたぞ」

 

 どれだけ歩いたのか、ランサーは一つの扉の前で立ち止まった。彼が押し開けると、中には椅子に座った五人の男女がいた。

 いずれも装束からするに魔術師で、いずれも虚ろな目であらぬ言葉を呟き続けている。

 この聖杯大戦で、これが本来なら戦うことを望まれていた"赤"のマスターたちの末路だったのだと思うと、感慨深く思う気がしないでもなかったが、今はただ木偶人形を見るような感じで、何もノインの心に感情を引き起こさなかった。

 

「それで、転送装置ってのはどこにあるんだ?」

「この部屋全体がそうだ。魔力を流すことで起動する。これ以上の人数でも起動は可能だ」

 

 さすが神代の女帝の宝具だとノインは部屋の空気を感じて思った。

 カウレスは部屋を眺めてから、フィオレの方を向いていた。

 

「姉ちゃん。……姉ちゃんはここまでで戻ってくれ。地上に戻って、こいつらの保護とかなんとか色々とやっておいてくれ。おじさんとも連絡取ってさ」

 

 頬の横に落ちた髪を埃で汚れた細い指で耳にかけ、フィオレは頷いた。

 

「……ええ、分かったわ。気を付けてね、カウレス。……それに、ノインも」

 

 自分も名を呼ばれると思っておらず、一瞬呆けた顔になってしまったノインを見て、フィオレは儚げに笑った。それから空っぽになった手を振った。

 ランサーが部屋に魔力を流すと同時、彼女は他のマスターたちと共に部屋から消え失せる。

 転移が成功したのだ。

 

「これでこっちの約束は完了した。じゃあ、”赤”のランサー、どこでこいつと戦うんだ?」

「案内しよう。闘技場らしいものを女帝が造り上げている」

 

 絶対あの馬鹿みたいな火力で庭園を壊されたくなかったからだろう、とノインは極小さな声で呟いて、それをカウレスが聞き拾った。

 同じ所を、ぐるぐる回っているだけなんじゃないだろうかとノインが思うほど、彼らは入り組んだ庭園を更に抜ける。

 

「……というか、カウレス。あんたはいつまでついてくるんだ?」

「あのな、誰がお前を回収するんだよ。それに、一応見届け人のつもりだから最後まではな。バーサーカーにはちゃんと言ってきてる。……ああ、危ないとかそういうことなら気にするな。大体、こんな神秘の激突があるっていうのに、魔術師だったら見逃すのは損だ」

 

 ノインはカウレスの答えに紅い眼を大きく見開き、眼を細めて肩をすくめた。

 

「……戦い出したら、あんたのことは絶対顧みられない。俺も……多分ランサーも、手加減できるような宝具じゃないから」

「そうかよ。じゃあ尚更俺のコトは気にするな」

 

 それでも行くから、とカウレスは言った。

 

「それよりお前の宝具というか切り札っての、間違いなくランサーに対抗できるのか?」

 

 さぁ、とノインは首を横に倒し、カウレスはおい、と思わず突っ込んだ。

 

「それなのにあんな啖呵切ったのか……!?」

「施しの英雄相手に、可能性があるってだけで十分だろう。それに俺は賭けたよ」

 

 そうでもしないと仕方ないだろ、とノインは目を逸らした。そうでも言わないと、ランサーを誰が止めるのだ。

 止められなかったら、彼はルーラーやライダーを灼き尽くす。それだけは駄目だった。

 

「着いたぞ。相談は終わったのか?」

 

 ランサーは二人を巨大な部屋に導いた。

 空間が弄られているのか、不自然なほど広い。確かにこれなら壊しまわっても平気だろうな、とノインは思った。

 ランサーはその空間に進み出て立ち止まる。ほぅ、と息を吐いてノインも槍を手に彼から数メートル離れたところに立った。

 

「名乗ろう。我が名はカルナ。太陽神スーリヤが子。そして“赤”のランサーとして、お前を討ち滅ぼそう」

 

 そちらも名乗るが良い、とでも言うようにランサーは槍をノインに向けた。

 

「……ノイン。ノイン・テーター。アーチャーのデミ・サーヴァント。だけど真名は言えない。言うと、俺は全力で戦えなくなるから」

 

 ランサーは目を細めた。

 

「ノインとはお前のたった一つの名だろう。ならば真名は不要だ。オレの前に立つのは、ただお前という戦士だ。それ以外ではない」

 

 不思議な感情が胸に走って、ノインは黙った。

 友人ではなく、敵としてランサーはノインを一つの人間として認めていた。

 それが嬉しくもあり、怖くもあり……ノインはただ槍を構えることを己の答えとした。

 

「では……」

「いざ」

 

 直後、槍と槍がぶつかり空間が爆発する。

 “赤”最強の槍兵と、“黒”の少年の戦いは、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

「ジーク!……マスター!」

 

 一人庭園の中を進んでいたジークは、急に名前を呼ばれて立ち止まった。

 曲がり角から体当りするようにジークに飛びついてきたのは“黒”のライダー。ただ、手には見慣れない大盾を持っていた。

 

「良かったぁ!無事で!……ねぇ、フォルヴェッジくんたちは?」

「彼らは……ノインの方だ。()()()()()()()。俺はライダーを探していた。ところで、その盾は何だ?」

「あ、これ?“赤”のライダーに貰ったんだ。真名もね」

 

 あっけらかんとライダーは言い、ジークは瞠目しかけてそれどころではないと意識をしっかり保たせた。

 

「……そうか。ライダー、俺たちは先へ行こう」

「ノインは?あいつ、無茶して“赤”のランサーのとこへ一人で!」

 

 駆け出しそうなライダーの腕を掴んで、ジークは努めて冷静な声で答えた。

 

「分かってる。……カウレス伝手で聞いた。あいつは彼の足止めに回った。俺や、ライダーや、ルーラーや……レティシアのためだ」

 

 戻って来ることをノインは望んでおらず、絶対勝てない訳ではない、とノインは言った。それをカウレスから聞いて、ジークは信じた。そしてカウレスも彼なりに、一つ考えがあるのだと言っていた。

 それを、ジークは信じた。

 

「……分かった。ボクらは先に行こう、マスター」

 

 そのとき、横合いから彼らの方へ駆けてくる足音が聞こえ、同時に魔術砲撃が降り注いだ。

 

「おい!」

 

 彼らの前に現れたのは、黒革のジャケットを着た巨漢。そして彼が引き連れてきた竜牙兵と魔術砲撃の雨だった。

 

「危なッ!」

 

 ライダーの魔導書が光り、槍が走る。

 たちまち魔術は打ち消され、竜牙兵は瞬く間に骨の山となった。

 

「助かったぜ。ライダーさんよ」

 

 飄々と言ってのけたのは、“赤”のセイバーのマスター、獅子劫界離である。

 

「なんでキミがここに?”赤”のセイバーは?」

「分断されたんだよ。ご丁寧にな」

 

 あ、そうだった、とライダーは思い出した。

 それで一人になったマスターを狙って、セミラミスの砲撃が降りかかって来たと言う。

 そこから自力で何とか逃げ続けていたという彼に、ジークは無表情の下で驚いていた。

 

「じゃあ、あんたは俺たちと行動してくれ。魔術ならライダーの宝具でどうにかできる」

「言われなくともそのつもりだったぜ」

 

 獅子劫は、そう言って顔の傷を際立たせるように笑ったのだった。

 

 

 

 




合流したり、離れたり。

海の向こうにて更新中につき、多分次も遅れます。


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act-42

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 勢い込んで、走り続けたルーラーがたどり着いたのは、玉座が据え付けられた謁見の間だった。

 しかし、その場に臣下は一人もおらず玉座には女帝セミラミスだけが存在していた。

 通信でルーラーを煽った女帝は、気怠げに指を振る。広間の一角が開き、下階への入り口が現れたことにルーラーは驚いた。

 

「何のつもりですか、セミラミス」

「何のつもりも何もない。我はマスターから貴様を下に通せと言われておる。マスターの願いは人類救済。それに至る方法を、あ奴は発見しておる」

「私にも、その方法を見せるというのですか。貴方たちに同調しろと」

「……正直、我は貴様が寝返るとは思わん。だがルーラーよ、貴様が身近な者に手を差し伸べ、その結果、聖女の名を得たものだというなら、無闇に壊すのは無策というものだ」

 

 あれは確かに、誰かにとっての救いを生むだろうよ、とセミラミスは続けた。

 甘言を弄する女帝の言葉を、ルーラーは元より信じるつもりはなかった。だが彼女よりも、天草四郎を止めなければならないのも事実。

 旗を握り直して走る彼女の背に、さらなる言葉が突き刺さった。

 

「急げよ。()()()()()()()()成り損ない、何時まで保つか見物よな」

「何を……!?」

 

 振り返る前に、ルーラーの背後で扉は閉じていた。彼女の前には、下へ長く伸びた階段しかない。

 先へ進むことしか、ルーラーには許されていなかった。

 

「……」

 

 無言のままに、サーヴァントの探知機能を発動する。この場には、正規サーヴァントと比べ、余りにあやふやな反応が二つある。

 一つはジークフリートの心臓の鼓動の証、もう一つはデミ・サーヴァントの反応だった。

 どちらもまだ反応が生きている。

 まだ、間に合うはずだと言い聞かせる。

 目の前には、眩く輝く大聖杯が鎮座している。天草四郎の姿はなかったか、あれさえ壊せば戦いは終わるはずなのだ。

 ルーラーの内側では、少女が一人、祈りを捧げるときのように沈黙しているままだ。

 故に、ルーラーは、早足で階段を下るその先に現れた人影を認め、“赤”のサーヴァントと感じた瞬間、問答無用で旗の穂先を突き出していた。

 

「どうわっ!?」

 

 響いたのは金属同士のぶつかる甲高い音と、男の声。

 自身を串刺しにせんとした旗から、飛来してきた矢によって守られた“赤”のキャスターは、尻餅をついた体勢から、優雅に立ち上がった。

 

「シェイクスピア、アタランテ……!」

「如何にも如何にも!しかし、開幕する前に舞台を幕ごと焼き払うのは、幾ら何でも非道ではありませんか?ジャンヌ・ダルク」

 

 仰々しい口調と裏腹に、キャスターは手に持った本を掲げる。

 宝具の発動か、とルーラーには予測できたが、射手の矢が床に突き刺さり、後退せざるを得なかった。

 姿を隠したまま、暗闇からアーチャーの不機嫌な声が響く。

 

「疾くせぬか。その宝具とやらで確実にルーラーを無力化できると言ったのは貴様だぞ、キャスター」

「そうでしたな。この様子では、よく絡め取られてくれることでしょう。────さぁ、我が宝具の幕開けだ!席に座れ!煙草は止めろ!写真撮影お断り!野卑な罵声は真っ平御免!世界は我が手、我が舞台!開演を此処に!────『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』!」

 

 高らかなシェイクスピアの声が、空間に響いた瞬間、ルーラーはそれまでと全く異なる空間に立っていた。

 緑の草原。遠くには村落と、教会の尖塔があった。鎧も旗も無く、遠い昔の村娘としての服を纏った自分が、故郷の村に佇んでいる事実に、ルーラーは驚く。

 辺りを見渡し、そこが間違いなくドン・レミの村だと理解したルーラーは、ふと目の前に人影があることに気づいた。

 

「貴女は……?」

 

 細い肩に低い背丈のその人間は、飾り気の全くない簡素な灰色の服を着て、細い手足は剥き出しなのが痛々しさすらあった。

 紛れもない幼子の姿に、ルーラーは紫の瞳を瞬かせた。

 

「……」

 

 ゆらり、と幼子が俯いていた顔を上げる。

 色素の抜けたような、白にも似た淡い髪が肩上で揺れた。髪は片目を覆い隠すように伸びていて、幼い少女は残った瞳でルーラーを見ていた。

 片目に宿る光の強さと、少女の気配の儚さは、悲しいほどにつりあっていなかった。

 少し目を離せば、そのまま青空へと消えてしまいそうな儚げな空気を纏わりつかせたまま、彼女は素足を踏み出してルーラーに一歩近付く。

 見覚えのないはずの彼女の透明な眼差しが、ふとルーラーの記憶の中の誰かと重なった。

 

「貴女は……誰ですか?」

 

 問いかけには答えず、少女はただ人差し指をルーラーの背後に向ける。

 そこには、ルーラーにとって見知った女性が現れていた。

 

「母さん……!」

 

 ルーラーが驚愕の声を上げると同じくして、空から“赤”のキャスターの声が響き渡った。

 

『ええ、紛れもない貴女の御母堂の心を持っている!これこそ我が宝具、開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)!貴女の人生を謳い上げ、その果てに貴女を絶望へと突き落とす、最高の舞台でありますれば!』

「私の歩んだ道を私自身に見せつけた程度で、私の心を折れるとでも?────ならば、あの子は誰なのですか?」

 

 ルーラーに、あの幼い少女の記憶はない。

 彼女はまだそこにいて、透き通った目をルーラーに向けていた。

 その目は、無垢な視線は、やはりルーラーの記憶を刺激する。しかし、それが何なのか思い至ることはできなかった。

 

『おや、ご存知ないと仰るか!しかし、まぁ、無理からぬことではありましょう。その幼子は貴女を知らず、貴女はその幼子を、その願いを、祈りを知らない!彼女は、細い縁ひとつで吾輩が選び、描き出した登場人物(キャラクター)!そしてそれだからこそ、彼女は貴女の案内役となり得るのです!あたかも、死者を導く墓守犬(チャーチ・グリム)のように!』

 

 一気呵成に捲し立て、シェイクスピアは姿を見せないまま口を閉ざす。

 風景に変わりはなく、ルーラーは依然として彼の宝具の影響下にあった。

 後ろには透明な少女が佇み、前には紛れもない涙を浮かべた実の母が立ち竦んでいる。

 ルーラーには、唇を噛むしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

─────英霊コンラの願いは、何だったのか。

 

 何時だったか、ノインは考えたことがあった。

 父を求めて、旅立って、父親からの唯一の贈り物である誓約に従い、父親自身の手で生命を絶たれることになった幼い英雄。

 人は悲劇と言うだろう。

 親が、行き違いから我が子を手にかけて、しかもそれは彼らの師匠によって半ば仕組まれていたことだった。

 コンラの師匠たるスカサハは、コンラの父親のほうを戦士としてより愛していて、彼のために親子の争いを止めなかった。

 だから、コンラは生命を落とすことになったのだ。

 それなのに、コンラは彼らを恨んでいない。

 ただ、届かなかったことを悔しく思っている。ゲイ・ボルクという父の絶技を引き継げず、それで生命を絶たれた自分の未熟に苛立ち、ひたすらに力を求めていた。

 ゲイ・ボルクが無いからか、彼はランサーでなく、アーチャーとしてノインの中に現界した。

 そのまま、数年もの時が流れて────。

 

─────アーチャーのデミのくせに、ランサーに一対一を挑むなんざ、お前はおれより阿呆だな!

 

 げらげらと、けたけたと、何処かで笑うコンラの声が聞こえた気がした。

 

─────が、嫌いじゃないぞ。今のお前の阿呆さ加減は!戦え、勝ち取れ!ノイン・テーター!

 

 首を狙って伸ばされた“赤”のランサーの槍の鋒に柄を当て、滑らせながら弾き、ルーン石をばら撒きつつノインはコンラの声らしき何かを聞き流しながら、跳ぶ。

 戦いの始まった広間は、最早破壊の限りを尽くされていた。

 光線と光弾がぶつかり合い、漏れ出た魔力の余波だけで床が剥がれて瓦礫だけが増え、その瓦礫も塵一つ残さず破壊の光に呑まれて消えていく。

 一撃当たれば消し飛ばされる、ランサーの眼や槍から放たれる攻撃を躱しながら、ノインは自分の中を、何かが侵食するような感覚を味わっていた。

 自分のものではない経験が、記憶が、勝手に体を動かしていくのだ。

 技の応酬、生命のやり取りに、怯えることなく戦い続ける性質は、ケルトの戦士たるコンラのものだった。それでいて、ノイン・テーターの自我は消えていない。

 精神か、或いは魂か、それらの融合を加速させながら、ノインはランサーに対応していた。

 しかし、槍を振るい、力を発揮するたびに、何かが恐ろしい勢いで自分の中からこそげ落ちて行った。その感覚にも、そろそろ慣れてしまいそうになる。

 失えば二度と戻らないそれは、きっと己の命数なのだろう。

 

─────これほどの戦士を、親父以外におれは知らない!クシャトリヤとやらも良きものだな!

─────おい、お前も少しは笑って戦え!楽しめよ!こんな機会は、二度と無いのだから!

 

 だが、コンラはノインの内側で歓喜しているようだった。少なくとも、そういう陽気な感情が伝わってくる。

 施しの英雄とやり合う絶望も、彼にはいつか父親を倒すための、学びを得られる良い機会でしか無いらしい。

 笑えるか馬鹿野郎、と精神世界でもう一度はっ倒したいが、そんな余裕はノインにはなかった。

 ただ、何でこの天然モノバーサーカーと自分の魂の相性が良いのか、気にはなったが。

 

─────でも、このままじゃお前のほうが保たないな。動けるうちに、宝具の二つ目を使えよ。

 

「知っ……てんだよ!そんなことは!!」

 

 ついに声に出して叫びながら、ノインは渾身の力で上から叩き付けられたランサーの槍を押し返した。

 耳障りな音がして、槍が軋むが構わなかった。

 そのまま魔力を両脚に叩き込んで瞬間的に強化し、ノインはランサーから距離を取った。

 瓦礫の間に着地し、ノインは槍を構える。止めどなく頬から流れ出る血を指で掬い取り、無言で宙に複雑なルーンを一瞬で描いた。

 ノインの周りで魔力が高まる感覚に、ランサーは槍を一度引く。

 

「……なるほど、勝負に出るか。ならばオレも、それに応えよう」

 

 このまま続ければ、ランサーの勝ちは揺るがない。

 デミ・アーチャーの少年は、動きではランサーに食らいついていたが、宝具でない彼の槍は、決して『日輪よ、具足となれ(カヴァーチャ&クンダーラ)』を突き破れない。

 半英霊の少年が、驚異的な速さで英雄の動きに対応できる代償は、彼自身の生命だろうとランサーには読み取れていた。

 生命と魂を燃やさねば、あのような動きはできない。それだけ本気で、少年は戦っているとランサーは納得した。

 続ければ、遠からず彼は斃れる。間違いなく勝利できる。

 だが、少年はランサーの全力を受けると言った。引き換えに、自分以外のすべてを見逃せと言ったのだ。

 故に全力の一撃を出さずに、徒に相手の敗北を待つのは、彼の道理に合わなかった。

 

 故に、彼は自らの鎧を捨てることを選んだ。

 

「……!?」

 

 その瞬間、ノインは驚愕した。

 ランサーを護る黄金の鎧が、彼の肉体から分離していくのだ。血が流れ肉が剥がれ、引き換えに彼の黄金の槍に恐ろしい魔力が収束していく。

 

「インドラの、槍……!」

 

 施しの英雄、カルナの高潔さに免じて、彼から鎧を奪ったインドラが与えたという、絶滅の一撃。

 それがこちらに狙いを定めたことを、ノインは肌で感じた。

 

「……」

 

 あれと比べれば、自分の腕も得物も、余りに頼りなかった。体はもう、内側から崩壊寸前だった。

 壊れた機械のように、ゼンマイの切れたブリキの玩具のように、いつ止まってもおかしくはなかった。

 防げるかもしれないという微かな希望が、ランサーの槍の穂先に集まる力が高まるにつれて、みるみる遠ざかって行く。

 

─────それでも。

 

 やると決めたことがある。

 二度と会えなくても良い。離れても、忘れられても、もう構わなかった。

 ただあの子が生きて、何処か遠い、幸せであたたかな場所に戻れる道を作りたかった。

 犠牲になるわけではない。ただ、そうしたいと心から想った。

 想って、だからそう想い続けるために、後もう少しだけでいいから生きたかった。

 強く、そう願う。

 

「神々の王の慈悲を知れ」

 

 ランサーの言葉も、不思議と遠くに聞こえた。

 ノインは槍を握る手に、力を込めた。

 

「絶滅とは是、この一刺。────灼き尽くせ、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!!」

 

 解放されたそれは、正に、この世の万物を焼き払い、灰燼に帰す一撃だった。

 熱が迫り、息ができなくなる。肌が焼けて、鎧の大半が呆気なく燃え崩れた。

 それでも尚と立ち続け、ルーンと槍を基点に、ノインが喚び出すは魔境への扉。

 

「────『偽・死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ・オルタナティブ)』!!」

 

 ノインの前に、黄泉の風を放つ禍々しい門が降臨した。

 一撃を放つランサーも、微かに驚愕する。絶対の一撃を門が呑み込み、内側に広がる闇へと溶かし込んだのだ。

 槍がこの世すべてを焼き尽くすならば、この世から外された異郷を以て抗う。

 日輪の輝きも、雷神の威光も、生命を吸い取り、亡霊溢れる影の国の闇を、余さず打ち払うには至らない。

 施しの英雄も、最期には冥府へと墜ちたことに、変わりはないのだから。

 ────だが。

 

「ぐ、が……!」

 

 効果範囲のあらゆる生命を吸い込む宝具。

 それすらも、インドラの槍は燃やし尽くそうとしていた。

 

────足りない!

 

 本来の持ち主ならいざ知らず、弟子が勝手に借り受け、しかもデミ・サーヴァントが開いた門は、脆かった。

 光を闇へと還すどころか、門自体が食い破られかけている。

 

「────!」

 

 己の喉から迸る絶叫は、ノインには聞こえない。

 令呪はない。奇跡は起きない。

 コンラと自分と、二人の力で抗うしかなかった。

 光が闇を喰らいつくさんと進み、闇はすべてを呑み込まんと誘う。

 二つが衝突し、空間が揺さぶられ、そして、すべてが零になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らから離れた場で、ただ戦いの余波に耐えながら、カウレスはすべてを見ていた。

 ランサーが槍を解放し、デミ・アーチャーが門を開いた。

 万物を消滅させる槍と、万物を呑む影の門。

 喰らうものと呑み込むもの、二つの激突を、カウレスは見届けた。

 瞬きの後、光が弾け世界が白くなる。

 眩しさに耐えかね、目を瞑った一瞬後に。

 

 カウレスは、何かが肉を穿つ鈍い音を聞いた。

 

 目を開けて、前を見ればノインの姿は、まだあった。

 あの一撃を受けて、人としての原型があること自体驚愕だった。少年は二本の脚で立っていて、傍らには彼の槍が、半ばから折れて転がっている。

 “赤”のランサーの姿も、あった。

 鎧が剥がれ、血が流れ、しかし彼の手には元の形へ戻った槍が握られていた。

 

 そして、その槍の切っ先は、ノインの胸に深々と突き刺さっていた。

 

「……ッ!」

 

 それを見た瞬間、カウレスは令呪の刻まれた手を、高々と掲げていた。

 

「“赤”のランサーを倒せ!バーサーカー!」

「ウ、アアアァアアアッ!」

 

 叫びと共にランサーの背後に空間転移で現れたのは、槌を構えた狂戦士。その全身からは、眩い雷光が迸っていた。

 カウレスの手から、三画の令呪が、赤く瞬いて消える。

 リミッターを瞬く間に弾き飛ばした、『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』が、巨大な木の形をした雷の槍が、ランサーとバーサーカーの頭上に顕現した。

 主諸共刺し貫かんとする宝具を、ランサーは目視する。

 彼はそれでも、冷静だった。

 槍を少年から引き抜き、バーサーカーを確実に仕留める。直撃さえしなければ、あの雷の宝具に耐えられるという目算があった。

 

「……!?」

 

 だが、槍が動かなかった。

 胸の中心を穿たれ、心臓を確かに破壊された少年が、槍を両手で掴んでいたのだ。

 ランサーが、確かに生命を絶ったはずの少年は、決して離さないと、胸に穴を開けたままに万力のような力でランサーの槍を握り締めていた。

 俯いた少年の口元が歪んで、笑ったように、ランサーには見えた。

 雷の宝具が、狂戦士の絶叫と共に落ちる。

 その切っ先は、過たず“赤”のランサーの霊核を貫き、破壊した。雷が、ノインの全身にも走り、彼の手からランサーの槍が滑り抜けた。

 だが、同時に白い花嫁衣装のバーサーカーの姿が粒子となって消滅していった。

 受けた損傷にさしものランサーもふらつくが、倒れるまでは行かなかった。

 逆に、力を失い槍の穂先から滑り落ちた少年の体は、ランサーの方へと倒れ込む。

 それをランサーは片手で支える。

 半英霊の少年の体を床に横たえ、ランサーは己の手を見た。

 端から順に、手が崩れ去って行く。

 それを彼が確かめ、受け入れた直後、崩壊が加速度的に、ランサーへと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カウレスはただ走り続け、その場へ駆け付けた。

 瓦礫に腰を下ろしているのは“赤”のランサー。その足元には、ノインが目を閉じて横たわっていた。

 カウレスへと、ランサーが澄み渡る湖面のような薄青の瞳を向ける。

 

「お前か。魔術師。先ほどの采配は見事だった。お前たちは、互いに良い巡り合いをしていたようだな」

 

 ランサーの心臓がある場所は、縁の焦げた穴が穿たれていた。

 たった今起きたあれは、バーサーカーの宝具『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』に、令呪三画を込め、放った一撃だった。

 すべてのリミッターを解除して使えば死に至る一撃を、バーサーカーは躊躇いなく放ち、日輪の英雄を落した。

 彼女に、死ねと、カウレスは命じたのだ。

 彼は、バーサーカーを最初は遠ざけていた。先に行けと、ランサーはノインが相手をするからと念話で言った。

 しかし、バーサーカーはそれを聞かなかった。

 ノインが戦い始めたとき、彼女のほうからカウレスに念話で話しかけてきた。

 宝具を使えと、タイミングを見計らえと、令呪を敵に使われたら、“赤”のランサーの約束も壊されてしまうかもしれないのだから、と唸り声と拙い言葉で苦心して言ってきたのだ。

 自分と同じ伴侶が欲しいと願った彼女が、どうしてそう言ったのか、どうしてここで終わることを選んだのか、カウレスは尋ねなかった。

 ただ、ノインが刺し貫かれた時を見計らい、令呪を切った。それが最大の隙だと見て取り、マスターとしての務めを果たした。

 彼女の死と、引き換えに。

 

「でも俺は、彼女を死なせた。……アンタと、コイツの戦いも邪魔をしたのは俺だ。コイツは、バーサーカーのことは何も知らなかったし、バーサーカーにあそこで行けと言ったのは、俺なんだ」

 

 だから、アンタがこの結果を恨むとするなら、その対象は俺だけだ、とカウレスは告げ、ランサーは頭を振った。

 

「お前が不意を討ったことを、オレは怒らん。戦場とはそういうもの。なりふり構わず、主への危険を排除しようとしたバーサーカーを、戦力に数えていなかったのは紛れもないオレの落ち度だ」

 

 そう言われてもカウレスは、表情を変えなかった。

 血が出るほど、拳を握りしめた。

 ランサーは無表情でその様子を見守り、消滅間際とは思えないほど淡々と言った。視線の先は、足元の少年へ向いていた。

 

「この少年……ノインとの戦いに、オレは些か興じ過ぎた。故に彼女の転移とお前の判断への対処が、僅かに遅れた。……それに心臓を貫かれて尚、ノインがオレの槍から手を離さないとは驚いた。この時代にも、良い戦士は生まれていたようだ」

 

 心臓のある場所を鮮血で染めた少年の亡骸を、カウレスは見下ろす。頬は血の気がなく、目は閉じられていた。

 火傷と傷だらけで血まみれの顔は痛々しく、眠っているとは到底言えなかった。

 結局、ノインも助けられなかったのだと思うと、カウレスは足から力が抜けるようだった。

 本音で言えば、彼を、死なせたくはなかった。

 

 それでも、ユグドミレニアの始めた戦いはまだ終わらない。終わっていないのだ。

 

 カウレスが踵を返そうとしたとき、不意に彼の足元で咳き込む音がし、ふと足を止める。そのまま目の前で、亡骸が動いて、血の塊を吐いた。

 ノイン・データーが、喉を抑えて血の混じった咳をする。

 のろのろと、黒い髪に赤い血をこびりつかせた少年は身を起こし、胸を押さえた。

 

「……?」

 

 あどけなさすら感じる顔で、ノインはカウレスの方を向いて首をゆっくり傾げた。

 死体が動いたわけではないことは、血の気の戻りつつある顔色を見たら明らかだった。

 

「ちょっ!?お、お、お前っ!?生きてたのか!?」

 

 カウレスは思わず、ノインに飛びかかって襟首を両手で掴み、前後に揺さぶる。ノインは目を白黒させた。

 

「ま、待て。揺らすな。酔う。……俺は、生きて……いる、のか?」

「いや俺に聞くなよ!?知りたいのはこっちだぞ!?」

「他に誰に聞けって言うんだ!?」

 

 蘇った少年も、それを見たはずの少年も、叫ぶだけ叫んで訳が分からず固まる中、ランサーだけは冷静に目を細めていた。

 

「死から蘇るとは驚きだな。……バーサーカーの欠片で蘇生したと見るべきか?……いずれにせよ、稀有な偶然で生命を拾った幸運に感謝すべきだ」

 

 何か言いかけたノインに、ランサーは首を振る。

 

「謝るな。オレはお前たちに、敗北した。心残りは……まぁ、無い。我が槍で心臓を一度貫いたとはいえ、オレは確かに渾身の一撃を受け止められた。お前はそれで、約束を果たしている」

 

 神殺しの槍を、黄泉の門で受けるとはな、とランサーはほとんど消えかけの体で肩をすくめた。

 影の国へ繋がる門は、本来女王のスカサハしか自由には操れない。ノインにできることは本当に、ただ開けて、しばらくの間全身全霊を込めて維持するだけだ。制御も何も無い。それとて、まかり間違うと自分が吸われて絶命する。

 言ってしまえば、ノインは影の国へいきなり神殺しの一撃を叩き込んだのだ。

 どういう繋がり方をしているか知らないが、領土に攻撃を誘導したことで、亡霊渦巻く魔境の女王の怒りを買ったかもしれないが、そうでもしないと、どの道燃え尽きていた。

 そして二度目の死へと行くランサーに、ノインが言うべき言葉はなかった。

 

「……わかった。さようなら、“赤”のランサー。俺たちは行くよ」

「そうだな。お前の道は、ここで絶たれなかった。だがお前の守るべき少女は、常にルーラーと共にあり、ルーラーはこのままでは天草四郎に敗北する。急ぐが良い」

 

 カウレスに片腕を掴んで引っ張り上げられながら、ノインは立ち上がった。

 最後に一度、ノインは既に向こう側が見えるほどに透けているランサーに頭を下げた。それから、少年たちは後を見ずに駆け出す。

 彼らの後ろ姿が広間を飛び出すと同時、穏やかな顔で目を閉じていたランサーは、輪郭を失って大気へ還った。

 破壊の限りを尽くされた空間には、それきり静寂が満ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 




“黒”のバーサーカー、“赤”のランサー、消滅。

片目の少女が誰かは少しお待ちを。

勝ち負けでいうとデミ少年は負け。
対応しきれず、心臓をマジで一度は潰されているので。
無論、なんの代償も無しで帰った訳ではない。
それも次で…。

感想、返せていなくてすみません。すべて読ませて頂いています。


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act-43

感想下さった方々、ありがとうございました。

無事に帰国できましたし、速度が遅くなると思いますが、続けていきます。

では。


 

 

 

「ノイン!カウレス!」

 

 走りながら名前を呼ばれ、カウレスとノインはつんのめりそうになりながら止まった。

 見れば、通路の反対側で“黒”のライダーが手を振っていた。

 彼の傍らにはジークと、それに何故か“赤”のセイバーのマスターがいた。

 

「“赤”のランサーはどうしたんだ?」

「彼なら消滅した」

 

 ジークに答えたのはノインだった。

 獅子劫がひゅう、と口笛を吹き、ライダーとジークが目を丸くする。

 

「倒したのか?お前だけで、あのランサーを?」

「俺だけじゃない」

 

 違う、とはっきりノインは首を振り、カウレスは彼の背後から口を出した。

 

「ともかく、ランサーと……バーサーカーはもういない。それでオッサン、あんたこそセイバーはどうしたんだ?」

「あ、セイバーなら赤ライダーの相手してるよ」

「苦戦しているみたいだがな」

 

 獅子劫は肩をすくめ、親指で轟音響く通路の窓の外を指差した。

 赤と緑の二つの流星が、宙で何度もぶつかり合って、庭園を破壊して回っているようにしかカウレスには見えなかった。が、あれが”赤”のセイバーとライダーなのだろう。

 

「見りゃわかるが、あいつらは下でやりあってる。それでノイン・テーター。お前さんは確か、アーチャーのデミ・サーヴァントだろ?援護射撃はできないか?」

 

 鼓動しているのを確かめるように心臓に手を当ててから、ノインは獅子劫に向けて頷いた。今の彼は、デミ・サーヴァントの装備ではなかった。

 彼の槍が折れて、鎧が燃えたのをカウレス思い出した。修復するところは、見ていなかった。

 

「……一度なら。保証はできないし、当たるかわからない」

 

 手を握ったり開いたりしてから、ノインは答える。

 庭園に辿り着いてから、常にデミ・サーヴァントの姿で居続けていた彼が姿を変えないのは、転身できないからではないか、とカウレスはふと思った。

 “赤”のランサーの槍が、確かにノインの心臓を貫いたのをカウレスは見ていた。そこから、彼が蘇ったのは、ランサーの言ったようにバーサーカーの宝具だったのだろうとは思う。

 彼女の召喚の触媒は、彼女自身の設計図だった。そこには、バーサーカーが最期に放つ雷は低い確率で第二のフランケンシュタインの怪物を生み出すと書かれていた。

 その雷に、心臓を貫かれていたノインはランサー諸共撃たれて、そして蘇っている。

 だが同時に、詳しくは知らないが、デミ・サーヴァントとは中の英霊が退去すれば生命を落とすはずだった。

 逆に言うと、一度生命を落とせば英霊は退去するのかもしれない。

 カウレスが考え込む間にも、話は進んでいた。獅子劫は鼻を鳴らして言う。

 

「一度なら十分だ。アキレウスの気を一度で良いから逸らせ。そこで俺が令呪を使う。で、セイバーが”赤”のライダーを倒す。……ま、無茶だろうがそれくらいやらなけりゃ、俺たちは全員時間切れだそ」

「それ、間に合わせたかったら協力しろってコトじゃないか……。ってか、ねぇノイン。キミさ、心臓に穴をこさえてるんじゃないのかい?」

 

 ライダーに血で赤黒く染まった服を指差さされ、ノインは目を落とす。

 貫かれたはずの場所に、見たところ傷はなかった。

 

「その……ちょっと、刺された」

「心臓を刺されてちょっとで済むか。ひどい怪我をしているのではないのか?」

「……仮にそうでも、休んでいる時間はない。そうだろ?ライダーとジークとカウレスは、先に行けばいい。ランサーが天草四郎はルーラーの天敵と言っていた」

 

 心配するな、とノインはジークの額を人差し指で軽く突いて、獅子劫の方を振り返った。

 

「獅子劫界離、早くしろ。セイバーと赤ライダーのところまで行くんだろう?」

「何でお前が仕切るんだ。……本当変わったな」

「生きてたら、誰だって多少は変わるだろ。ほら、さっさと行くぞ」

「ダメ!援護にはボクが行くから!」

 

 ライダーが獅子劫の腕を引っ掴んで、手すりを乗り越え、虚空に現出させたヒポグリフの背中に獅子劫と共に飛び乗る。

 跳び下りざまに、ノインの腕に彼は持っていた丸い大盾を押し付けた。

 

「宝具豊富なボクのほうが今のキミより援護には向いてるもん!ほら、さっさと行くよ、”赤”のセイバーのマスター!」

「おい!」

 

 大盾の重さによろめいたノインに向けて、ライダーは口の周りを手で囲って叫んだ。

 

「宝具の名前は、『蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)』!それで発動できるはずだよ、ボクの名に懸けてキミにそれを預ける!」

 

 そら行け、とライダーはヒポグリフの手綱を握り、幻馬は嘶く。しかし、ヒポグリフも乗り手同様に全身のあちこちがぼろぼろだった。

 ライダーたちが飛び去ろうとする直前で、ジークは手の令呪を掲げた。

 

「ライダー!必ず戻って来いよ!」

 

 令呪が一つ、輝いて消える。

 

「ありがと!マスター、ノイン!そっちもルーラーとレティシアちゃんのとこに行くんだぞ!」

 

 幻馬の甲高い声が鳴り響いたかと思うと、その影はライダーと獅子劫を背に乗せて、あっという間に飛び去った。

 

「あいつ……」

 

 大盾を押し付けられて、ノインが呟く。

 複雑で精緻な紋様があしらわれた、ひと目で宝具とわかる逸品である。

 しげしげと見ながら、ノインは首を振った。

 

「そもそもこれ、誰の宝具だよ……。アキレウス・コスモスってまさか……」

「ああ、”赤”のライダーの宝具だ」

 

 こともなげに言ったジークに、カウレスとノインは絶句した。

 

「理由と経緯を色々聞きたいが……。もう、いいか。だけどこれ、お前にも使えるのか?」

「十二勇士のアストルフォには自分の武器を人から借りたり、貸したりして自由に振るった逸話があるから……」

 

 サーヴァントが生前の逸話に縛られるという法則に則れば、大丈夫じゃないか、とノインは言った。

 最後に、多分と付け加えたのをカウレスは聞きとがめる。

 

「多分ってお前……」

「追いかけてる暇はないし、今更仕方ない。でも使えるとしたら、あんたたちよりまだサーヴァントに近い俺だろ」

 

 行こう、とノインはまた駆け出した。

 相変わらずその足は速い。ジークやカウレスよりも。しかし、やはり姿を変えようとはしなかった。

 

「ノイン、デミ・サーヴァントの姿にはならないのか?それとも、なれないのか?」

 

 走りながら、ジークがカウレスの尋ねたかったことを直球に尋ねた。

 

「……なれて、一度だな。もうあいつは……消えてしまった。彼の残滓しか俺の中にはない」

 

 ジークたちがはっとするほど静かな声で、ノインは言った。

 

「あいつがいなくなるのは、俺が死ぬときだけだと思ってた、から。……寂しいな。馬鹿みたいに戦うのが好きで、俺とは正反対なやつで、気なんか合わなかったのに」

 

 それでも、寂しいんだ、とノインは血と泥だらけの顔を、服の袖で乱暴に擦ってカウレスの方を振り返った。

 

「カウレスも、さっきは助かった。ありがとう。俺が生きてられるのは、あんたとバーサーカーのお陰だ」

「あれは、だからバーサーカーが……」

 

 言いかけて、カウレスは口を閉ざした。代わりに、尋ねたかったことを問うことにした。

 

「でもさ、俺が見た分だとお前、一度は絶対にランサーに殺されているだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでアーチャーが消えた。そういうことなんじゃないのか?体、どういう状態なんだ?」

「……おい、どういうことだ?一度殺された?それで大丈夫だと言ったのか?」

 

 ジークが単調ながらも低い声を出す。ノインがカウレスを横目で睨んだ。余計なことを、と言いたげに。

 そうしてからノインは続けた。

 

「ここら辺りの魔力を俺が吸っている感じだ。それで体と心臓が動いてる」

「それでわかった。バーサーカーの特性が、お前の中に引き継がれたんだ。あいつは、周囲の魔力を吸い取って、半永久的に生きられたから」

 

 そこでカウレスの言葉が一度途切れる。

 廊下の先に、竜牙兵が十体ほど現れたのだ。

 カウレスとジークが身構え、ノインが床を蹴って飛びかかる。

 骨が擦れ合う耳障りな音を立てて、剣を振り上げた竜牙兵の腰を狙い、ノインは手にした大盾を横に振り抜いた。

 五体ほどの竜牙兵が、体をまとめて真っ二つにされて崩れ落ちる。

 だが安堵する間もなく、後ろから聞こえてきた音に、カウレスとジークが振り返る。

 剣を構えて背後から襲って来た竜牙兵二体を躱しながら、ジークは彼らの膝の関節に触れた。

 

理導(シュトラセ)/開通(ゲーエン)!」

 

 ジークの魔術が行使され、竜牙兵の骨が粉へと分解された。

 反転して追いついたノインが、盾をギロチンの刃のように倒れた竜牙兵の胴に振り下ろす。

 かたかたと顎を動かして、立ち上がろうと藻掻いていた竜牙兵でも、胴を寸断されては身動きが取れなかった。

 虫のように手足を動かしていた、すべての竜牙兵の動きが完全に止まってから、ノインはジークとカウレスの方を振り返る。

 

「これくらい、大丈夫だって言っただろ?」

 

 先に行くぞ、と盾をくるりと回してノインは走り出す。

 ジークとカウレスも、その後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 ジャンヌ・ダルクの生涯と、”赤”のキャスターは言った。

 ドンレミ村の娘だったころ、救国のために戦った僅か二年、そして、敵に捕らえられて火刑に処された最期。

 宝具によって、ルーラーは己の人生を再現した劇の中に引きずり込まれたのだった。劇が終わるまで宝具は解除されず、中から破ることもできない。

 劇の中に現れる人々は、ルーラーを害する力を持たず、ただ彼女が生前に行ったこと、経験したことを演じては消えて行った。

 いや、演じているというよりも彼らは極めて本人に近かった。そこに、本物の魂があるのかと見まごうほどに。

 糾弾され、哀願され、ルーラーはそれでも止まるわけにはいかないと、彼らを退けた。

 行かないで、と哀願した母親の手を離し、何故我らを殺すのかと糾弾した敵兵を排除した。何故止まらなかった、と問うてきたフランス王には、ただ互いの道が異なっただけなのだと正論を説いた。

 自身を焼いた司教ピエール・コーションにも、ルーラーは心を乱されることはなかった。ただ、己と彼とは立場が異なっただけだと、恨むこともない。

 ルーラー、ジャンヌ・ダルクはそうして生前と何も変わることなく、己の道を曲げることはない。

 幻の人々は次々に消え去り、しかし一人だけ決して消えない少女がいた。

 気づけば二人は、ジャンヌ・ダルクの最期の場所、ルーアンの広場に立っていた。

 火刑台を背にしたルーラーの前には、前髪で片目を隠した華奢な幼い少女がいる。

 劇が展開される間、彼女は一言も口を利かなかった。ただ影のようにその場に立ち続け、たった一人の観客としてルーラーの生涯を見ていたのだ。

 

「貴女は、一体誰なのですか?」

 

 少女と目線の高さを合わせてかがみ込んだルーラーの目を、少女は片方の目で覗き込んだ。

 

「私はジャンヌ・ダルク。あなたの名前は、なんというのですか?」

「……わたしはあなたの知る人の、影のひとり。名前は(ツェーン)

 

 見れば、いつの間にか簡素な服を一枚着ていただけの少女は、小さな体に不釣り合いな紫の鎧を纏っていた。

 その転身の仕方に、ルーラーは見覚えがあった。聖杯大戦に留まると言った、デミ・サーヴァントの少年と同じだったのだ。

 

「貴女は、デミ・サーヴァントなのですか?ノイン君と同じ?」

「ちがいます。わたしは……わたしたちは、それにすらなれなかった影法師。そして(ノイン)の背負った、影たちのひとり」

 

 英霊ジャンヌ・ダルク、と少女は、真っ直ぐにルーラーを強い目で射抜いた。

 真っ直ぐな視線だった。

 その目をルーラーが受け止めたとき、また世界が暗転する。

 ルーラーが目を開けたとき、そこは薄暗い城の一室だった。石造りの壁と床、漂う空気は陰惨でルーラーは息を呑んだ。

 

「ここは、ジルの……」

「はい、ここはティフォージュの城。あなたの死をきっかけにくるってしまった、ジル・ド・レェの居城です」

 

 ツェーンと名乗った少女は、無表情のまま、ルーラーの背後を指さした。

 振り向いたルーラーの目は、一人の騎士の姿を捉える。

 暗がりから現れたのは、点々と血が飛び散った、白銀の鎧を身に付けた騎士の男、手には布で覆われた丸い包みを持っている彼は、ルーラーの姿を見とめて腕を大きく広げた。その後ろには、”赤”のキャスターの姿もあった。

 

「おお、聖処女ジャンヌ!このようなところで再び見えるとは!」

 

 ジル元帥は歓喜の声を上げる。ルーラーは彼の後ろに立つキャスターを睨み据えた。

 

「シェイクスピア、彼の幻すらも呼び寄せたのですか?」

「幻?いえ、彼は幻ではありません。彼は我々が聖杯の力に頼って呼び出したサーヴァント、そしてその幼子もまた、ただの幻ではございません。彼女に根付かされた英霊の霊基、それを頼りに召喚された、紛れもない死者の一人です!」

 

 振り返ったルーラーの視線を受けて、少女は無表情に歩み出、ジル元帥の手が握る包みの布を一気に剥いだ。

 中から現れたものに、ルーラーの喉が鳴る。

 

「ジル!貴方、貴方は……彼を!?」

「ええ、ジャンヌ。どうですか、この美しい彼は、銀の髪とルビーの瞳、私が生前に手にかけた少年の誰よりも、彼は美しい!」

 

 ジル・ドレ・レェ。フランス史上に殺人鬼として名を残す彼は、ジークの生首を高く掲げた。

 それを見て、ルーラーは顔を手で覆う。見たくなかったのだ、彼の、仲間と思っていた少年の、あまりに無惨な姿を。

 その彼女の目の前に、ふわりと音もなく少女が立つ。

 

「……どうして、ですか?ルーラー、どうして、あなたはなげくのですか?あなたはひとびとを慈しみ、けれど特定の誰かを慕うことはなかったはずです。ひとびとの選択を尊ぶから、彼らの運命の末路を悔やまない。……だからわたしたちのきょうだいにも、おなじようにした。そうでしょう?」

 

 幼い少女は、色素の薄い瞳で、ルーラーを見上げた。

 その彼女の手には、いつの間にか血に濡れて、二つに折れた槍が握られていた。

 ルーラーの内側、深いところで、息を呑む音がした。

 

「なのに、それなのにどうして、あなたは嘆くのですか?彼――――ジークとわたしたちのきょうだいに、なんの違いがあったというのですか?」

 

 少女の手から、血が零れる。ルーラーは、内側でレティシアが震えるのを感じた。

 

「その動揺、胸の痛みの理由は明らかですぞ、ジャンヌ!」

「……どういうことです、ジル」

「明確でありましょう。あなたは戦いの中で、ホムンクルスの少年を慕っていたのです!我を忘れ、取り乱すほどに!」

 

 ジル・ド・レェの言葉に、ルーラーの体が揺れた。

 自分が、たったひとりの誰かを恋い慕う。それは到底、有り得ないことに思えた。

 

―――――本当に?

 

 けれど、レティシアのことを、彼女がノインに向けていた想いと伝えた言葉を思い出すと、心が震えた。

 

―――――あの子は、レティシアは、ノイン君のことを。

 

 慕っていた。

 レティシアが流した涙は、ノインのためだけだった。

 

―――――それならば、(ジャンヌ)はどうだったのだ?ジーク君を……。

 

「見捨てたのですか?だから、とめなかったのですか?ごじぶんの心のために?わたしたちのきょうだい、最後のひとりを」

 

 気付けば、あの少女はまたもルーラーの前にいた。

 

「彼の死を避けるため、そのために、デミ・サーヴァントの少年が犠牲になることをあなたはわかっていたはずだ!あなたが彼を、殺すのだ!」

 

 違う、と否定しようとした。

 そんなことがあるはずがないのだと。

 自分には、誰かを村娘のように慕う権利は無い。

 自分が、裁定者のサーヴァントの役目を負った己が、今この世を生きている少年に恋をする。それは、とても罪深いことのように思えた。

 それを、ルーラーは心底理解しているはずなのだから。

 だが、反駁しようとした瞬間、ルーラーとしての権利の一つが発動した。

 この世に呼び寄せられていたサーヴァントが消滅するのを、彼女は感じ取る。

 

”黒”のバーサーカー、”赤”のランサー、そして――――儚い弓兵の霊基。

 

 呆気なく、一人の少年が死んだのだと、ルーラーは悟る。

 デミ・サーヴァントの霊基と、触媒の人間の生命は絡み合っている。英霊の霊基が消えたということは、彼の生命が失われたということだ。

 

「あ、ああ――――」

「”黒”のもう一人の弓兵が消滅いたしましたな、ルーラー。しかしこれで、死せる狂戦士と生ける少年の生命を対価に、あなたがたの最大の敵は退けられたのです!ホムンクルスの少年の生命は守られた!彼の犠牲によって!貴女が、予想していた通りに!」

 

 ルーラーは胸を押さえた。

 そうしなければ、耐えられなかったのだ。

 軋む心の底から、恐ろしい何かが顔を覗かせていた。

 今を生きる少年と少女。彼らの想いは、決して途絶えさせてはならなかったはずだった。見守るべきだったはずだ。

 そう思って、そう考えて、けれどルーラーはデミ・サーヴァントの少年を止めなかった。

 

 ―――――力が、必要だったから?

 

 それは確かにそうだった。彼自身、そのことをわかっていた。だから城には留まらなかった。

 

 ―――――けれどそれ以上に、ホムンクルスの彼が死なないようにと。

 

 そう、思ってはいなかっただろうか。

 

 ―――――等しく慈しむべき彼らに、私は区別をした?片方を……切り捨てた?

 

 自分自身の心の底に罅が入る。

 割れ目の隙間から覗く感情に胸を突かれて、言葉を失い膝を屈するルーラーの頬を、冷たい少女の両手が挟み込んだ。

 顔を上げれば、驚くほどの間近に少女の顔があった。

 

「あなた――――あなたたちは、わたしたちのきょうだいに、出あわなければよかったんです」

 

 色彩の乏しい瞳の中、ルーラーのそれとは異なる少女の瞳が、映り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




名前だけ出ていた十番目でした。
世界線が違い、大切な誰かと出会えなかった盾の乙女…と似て非なる女の子とでも。
彼女が何を思ってああ言ったか、ジャンヌの心情など追々なのでお待ちを。

ちなみに一時間後に、エイプリルフールネタを投稿します。ぎりぎりですが。


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act-44

感想くださった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 自分のほうがむいている、と大見得を切って飛び出してはみたものの、“黒”のライダーに確かな勝算があるわけもなかった。

 ただどう見ても、あの場で出るべきはもうデミ・サーヴァントでなくなった彼ではなく、れっきとしたサーヴァントで、まだ宝具を扱える自分のほうがいいと、()()()()頭で判断した結果だった。

 

「で、ライダー。お前さんに作戦はあるのか?」

「あるよ!」

 

 目立つヒポグリフから降り、獅子劫と共に物陰に潜んで上空の流星同士の激突を見ながら、ライダーは黄金の馬上槍を取り出した。

 

「これはね、当たれば必ず相手の足を掬えるんだ。まぁ、ボクらサーヴァント相手だと、膝から下の強制霊体化になるんだけど」

「ああ、つまり……」

「うん!ボクがこれを赤ライダーに当てる、キミが令呪を使う、セイバーが赤ライダーに勝つ!作戦は以上!質問は?」

 

 左手に槍を持ち、右手で自分の胸を叩いたライダーの前で獅子劫は肩をすくめた。

 

「ってことは、ひとつ間違えりゃ……」

「失敗だね。ま、さくっとやって合流しちゃおう。“赤”のアサシンに邪魔されたらマズいしね」

 

 あくまで気軽に、こんなことは何でもないのだとライダーは装って、獅子劫に不敵な笑いを見せた。

 正気か、とライダーの中では取り戻された理性が囁いていた。

 相手はあのアキレウス。ギリシャ神話最強の一角で、あのケイローンすら一対一で倒してみせたのだ。

 引き換え、“黒”のライダー、アストルフォにそこまでの武はない。シャルルマーニュ十二勇士のひとりだけあって、決して弱くはないが、アキレウスと比べられてしまえば力の差は歴然だった。

 敵との力の差を思い浮かべ、ふとライダーは笑いたくなった。

 “赤”のランサーに一対一で挑んだノインと、生命を賭してランサーを倒したバーサーカー。力の差といえば、彼らが正にそうだろう。

 ひとりずつでは、彼らは決して施しの英雄には勝てなかったに違いない。二人でも、どうして片方が生き残れたのかわからないくらいで────彼ら自身、自分たちが何故生き延びられたかなどと問われたところで、ろくろくわかっていないだろう。

 今世の仲間、“黒”の陣営の味方たちは、自分も含めてつくづく、目眩のするような格上相手に挑まなければならない宿命らしかった。

 それでも、得てして戦いは()()()()()()だと思うから、挫けていてはならないと、ライダーは笑うのだ。

 

「しかし、ヒポグリフで突撃だけじゃ弱いな。他に目くらましに便利な宝具はないのか?」

 

 腕組みをした獅子劫に言われ、ライダーは腰に下げた角笛をつい見た。

 

「そいつは、吹いて敵を追い散らしたっていう魔法の角笛か?」

 

 そうだよ、とライダーは頷いた。

 彼も使用を考えなかったわけではない。ただ、ヒポグリフ、『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』と合わせて、三つの宝具同時展開は躊躇われたのだ。

 何せ魔力消費が馬鹿にならない。

 さらにライダーは、砲台を壊す際、魔導書とヒポグリフの力を惜しみなく発揮させた。必要だから行ったことで後悔はしていないが、これ以上やってしまえば、下手をするとジークが倒れてしまうかもしれなかった。

 ここでひとりが倒れて動けなくなるのは、誰にとっても致命的だった。

 だが、機を見計らっていたのかジークから念話が入る。

 

『ライダー、魔力消費なら気にするな。強がりじゃない。どうもジークフリートの心臓は、俺に何か力を与えているらしい。魔力に余裕はあるし、倒れることもないだろう』

「それはそうだけど……」

『使ってくれ。惜しまずに。砲台でも言ったが、これは俺の役目だ』

 

 念話の糸を通じて、しばし二人の間に沈黙が流れる。ライダーは、そっと息を吐いた。

 

「了解。じゃあマスター。ボクは、遠慮なく行くからね。砲台のときとは、ワケが違うことになるだろう。それでもいいかい?」

『ああ。頼りにしている』

 

 そう言って、念話は途切れた。

 蚊帳の外になっていた獅子劫は、しかしライダーの顔を見て納得したように頷いた。

 

「マスターの指示か?」

「そうさ。これでボクはフルスロットルで行けるよ。ていうか、行くからね」

「了解。それじゃ、合図は俺が出す」

 

 頷いた獅子劫は姿を消すため物陰に潜み、ライダーは空中で戦う二騎により近くなる塔の先端へ飛び乗った。

 目を凝らせば、夜空を背景に、空中庭園を舞台に、叛逆の騎士と瞬足の英雄が戦うさまが見えてくる。

 槍と剣で斬り合い、建物を足場に交差して戦い続けているが、観察してみれば“赤”のライダーの動きは最初に黒の城に攻め入ったときより、精細を欠いているに見えた。

 きっと、いやまず間違いなく“黒”のアーチャーが、文字通りに一矢報いたに違いないとライダーは信じた。

 とはいえ、セイバーと互角にやり合っているように彼は変わらずに、ただ単純なまでに強かった。

 そこにこれもまた文字通りの横槍を入れに行くのだと、ライダーは召喚したヒポグリフに跨り、一度だけ体を震わせた。

 これは武者震いだからと、そんなことを思った。

 アキレウスからは宝具まで借りた恩はあるが、借りた宝具はノインに預けたからここで使うことはない。それで義理は通したと、思うことにした。

 

「力を、貸してくれ。キミの力を見せてみろ────ヒポグリフ」

 

 焦げてしまった鬣に額を寄せて、ライダーは呟いた。愛馬は、最後の力を振り絞るように嘶いた。

 

「よし!」

 

 狙うのは、一点突破。

 ヒポグリフには“赤”のランサーでも、初見では対処の遅れた次元跳躍がある。ただし、二回目は恐らく通じまい。

 槍をきつく握りしめた正にそのとき、セイバーが急に高度を下げた。吹き飛ばされたふうにして、ぐんぐんと地上へと近寄る。“赤”のライダーは、当然追撃するために追随していた。

 視界の端で、獅子劫が爆弾らしい何かを投擲した。剣を棍棒のように振り抜いたセイバーが、器用に背後のライダーへ向けて爆弾を飛ばす。

 呆れるほど上手い、息の合った攻撃だった。

 けれど、死角からの攻撃だったはずのそれにも当然のようにライダーは対応する。手にした槍で、魔術師の心臓でできた爆弾を苦も無く砕いた。

 空中で破裂した瞬間、中に仕込まれた呪血と爪が紫の毒と共に爆発する。

 傷を与えるには至らずとも、それで僅かに、“赤”のライダーの視界が塞がれる。

 掛け声も何もなく、今だとヒポグリフは躊躇わず空へと弾丸よりも速く飛ぶ。

 空へ翔ぶライダーと、落ちて行くセイバーの視線がその瞬間だけ絡んだ。

 兜を外し、金の髪を風になびかせて、少女の素顔を晒したセイバーは、すれ違う瞬間、どこか口惜しそうにライダーを睨んでいた。

 プライドの高そうな彼女のことだ。弱い自分の手など、借りたくなかったのだろう。

 そんなことを思う間に、ライダーは既にアキレウスの前にいた。唐突に次元を潜り、姿を現したもうひとりのライダーの姿は、瞬足の英雄からすると、空間転移して来たように見えたろう。

 ライダーは角笛の真名を────展開しようとしてやめる。間に合わないとわかった。

 真名を謳い上げ、魔力を込めて、巨大化させて、息を吹き込む。それでは遅い。遅すぎる。

 “赤”のライダーの槍は既に動いているのだから。

 “黒”のライダーは腰の角笛を掴み、それを振りかぶって、相手と自分の間に躊躇なく投げた。

 

「弾けろ!」

 

 持ち主の意に沿って、宝具は爆裂した。

 中に溜め込まれた魔力と神秘が、そのまま爆風と熱になり、二騎のライダーの間で炸裂する。

 “黒”のライダーは、その中へ脇目もふらず突っ込んだ。

 空駆ける戦車を使えない“赤”のライダーより、ヒポグリフに乗った彼のほうがこの空においては自由だった。

 黄金の馬上槍が、“赤”のライダーの脇腹を貫かんと伸びる。それはアストルフォにできる、最速の一撃だった。

 

「────しゃらくせぇ!」

 

 だが、アキレウスは対応した。

 槍で弾き、鋒を肩へとずらす。狙いは逸れて、馬上槍の穂先は彼の肩をかすめる。

 ヒポグリフの心臓へと神速の槍が放たれる。

 

「───ッ!?」

 

 心臓が抉られたヒポグリフの耳を塞ぎたくなるような悲鳴と、膝から下を失ったアキレウスの驚きの声が重なる。

 脚が消え、機動力を奪われた彼の背後に、鎧の騎士が現れたのはそのときだった。

 消え行くヒポグリフから仰向けに落下しながら、アストルフォはその様子を見た。

 驚愕の表情を浮かべたアキレウス。その首を、セイバーの白銀の剣が弧を描いて凪いだ。あたたかい血が、噴水のように吹き上がってアストルフォにも降りかかる。

 銀の刀身は滴る鮮血で染まり、束の間アキレウスの表情が不思議なほど穏やかに、まるで悪戯を終えて、満足した子どものような顔になった。

 落ち行く“黒”のライダーは、“赤”のライダーの楽しげな最期の笑みを見た。

 そこでアストルフォも我に返る。耳元では風が唸り、背中からなす術なく自分は落下しているのだ。

 ついでに言うと、上には剣を振り抜いたままの姿の“赤”のセイバーがいた。彼女にも宙を飛ぶ翼はなく、避ける余力もないのか、重力に引かれるがままに礫のように落下していく。

 彼らの下には、半球状の丸屋根を戴いた建物があった。

 

「うわぁぁっ!?ちょっと待ってぇ!ボクを潰す気かぁ!?」

「うるっせぇ!んなもん、てめぇで何とかしろや!“黒”のライダー!」

 

 怒鳴り合いながら、“黒”と“赤”の二騎は共に天井をぶち抜いて、石造りの床に叩きつけられた。

 ひび割れが蜘蛛の巣状に走り、床にはクレーターが二つ出来上がる。何とかセイバーに潰されることを免れたライダーは、蛙のような声で呻いた。

 

「し、死ぬかと思った……。それも味方に潰されてたんじゃ洒落になんないよ……」

「……チッ。生きてたのか」

 

 ひどい言い草だなぁ、とライダーは起き上がる。

 セイバー・モードレッドも同じく身を起こし、ふんと鼻を鳴らした。彼女に向けてライダーは片手を振る。

 

「やあ、セイバー。さっきぶりかな。キミらの勝負への横槍は謝らないよ。時間がないんだからね」

「わかってることをいちいち言うな、おしゃべりめ。マスターの指示だ。あいつを倒せたんだから、文句なぞあるものか」

 

 そういうわりに、セイバーは腹立たしげだった。手助けが入ったことでアキレウスを倒せたことは、やはり苛立たしいのだろう。

 しかし苛立たしさの矛先は、ひとえに押し切れなかった己だけに向けられていたようだった。

 すぐにセイバーは表情を引き締める。

 

「状況は?」

「あっち側で残ってるのは、アサシンとキャスターとアーチャー。それと天草四郎。“黒”で残ってるのは、もうボクだけだね。あとはルーラーだ」

「おい、じゃあ誰が“赤”のランサーを落としたんだよ」

「ああ、それはバーサーカーとノインだよ。バーサーカーはそのときに消えちゃって、ノインも心臓刺されて……。それで、生きてはいるんだけど、もうデミ・サーヴァントじゃない、かな?いや、どうなんだろ……。なんか、生命力はちゃんと持ってたし……」

 

 言葉にしながら自分までこんがらがり、首を捻るライダーを見つつ、訳がわからん、とセイバーは眉をしかめる。しかし彼女は、すぐさま不敵に嗤った。

 

「てことは、あのカメムシ女はまだいるわけだ。あいつの相手はオレたちがする。お前はマスターのとこへ行け」

「わかってる。キミらこそセミラミスに負けるなよ」

 

 かと言って愛馬も失ってしまったライダーでは、自力で走るしかない。

 ヒポグリフを亡くした悲しみは後で受け止めるとしても、今は全力で行くしかないのかと走りかけたそのとき、セイバーはライダーを止めた。

 

「……一応、貸しだ。道を縮めてやる」

 

 離れてろ、とセイバーは言い、素直にライダーは端へ寄る。円形の広間の中心にひとり立ったセイバーは、剣を振り上げる。

 

「あ、ちょ、まさか────」

 

 轟音と衝撃を予測して、耳をライダーが押さえて屈んだ瞬間、セイバーは真名を高らかに謳い上げた。

 

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)ァッ!』」

 

 赤黒く禍々しい魔力を纏った剣が、床に突き立てられる。

 その中心からセイバーは飛び退き、後には深い縦穴だけが穿たれていた。

 

「ここを落ちてきゃ下には行けるだろ」

 

 こともなげに言ったセイバーに驚きながらも、ライダーは穴の縁に近寄る。

 対軍宝具の一撃は、何層にも渡る庭園の床をまとめて砕いていた。

 宝具で作られたのだから、穴は深く暗い。庭園の最深部まで見通せそうなほど果てが見えず、そもそもどこに通じているかもわからないのだ。

 だが、ライダーは明るくセイバーを振り返った。

 

「ありがと、セイバー!」

 

 じゃあね、とライダーは軽い足取りで穴の縁を蹴って飛び降りる。

 桃色の髪が駒鳥の翼のように軽やかに揺れて、見えなくなった。

 

「これで、貸し借りはなしだぞ」

 

 何せ、セイバーにはこれからやることがあるのだから、貸し借りを考えるのは面倒だった。

 広間に、女帝の笑いが満ち始める。壊れた天井の穴が塞がれるのを見ながら、セイバーは白銀の鎧でもう一度身を包んだ。

 そして虚空に向けて、真っ直ぐに声を張り上げた。

 

「おい、どこかで見てんだろ、カメムシ女!お前らの最強の槍は、二つとも落ちたぞ!しかも、片方は貴様らが歯牙にもかけてなかったあいつらの手でな!────そりゃあ、焦るよなぁ!隠れてオレを閉じ込めることしかできないくらいには!」

 

 念話の向こうで、マスターが自分の挑発に呆れているのを感じた。だが同時に、彼は()()()()()と鼓舞してくれてもいる。

 それでこそだと、セイバーは兜の下で唇の端を吊り上げた。

 果たして挑発に乗ったのか、黒衣の女帝は高みに現れる。

 戦いの始まってからこの方、ずっと忌々しかったその姿を見とめて、セイバーは『燦然と輝く王剣(クラレント)』を構え直したのだった。

 

 

 

 

 

 

 





“赤”のライダー、消滅。
ヒポグリフ、消滅。

クラレントで地下をぶち抜き。

多忙に付き今後は週一更新になると思われます。
何卒ご了承下さいますよう、お願いいたします。


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act-45

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 冷たい手だった。

 その手のひらには皺がほとんど刻まれておらず、傷痕だらけでざらついているわけでもない。真っ白で真っ更な、小さな子どもの手だった。

 皺は年月と共に刻まれる。傷跡も重ねていけば、いつか生きた証になる。

 だからどちらもない手は人形めいて硬質で、薄氷のように滑らかだが頼りなかった。

 柔らかく小さなその手のひらは、ルーラーの頬を包んでいた。

 すぐに振り払えてしまいそうな、細い腕を伸ばした痩せた子どもなのに、透明な瞳はルーラーとレティシアの二人の少女を捉えて決して離さなかった。

 片方の瞳には、ルーラー・ジャンヌ・ダルクを、それにレティシアを、問い質す意志だけがあった。

 

「あなたはホムンクルスの彼が、好きなのでしょう?それは、聖女の愛ではなくて、もっと……もっと、ちがうカタチをしています」

 

 あなたのそれは()です、と幼い少女は断言した。

 

「それは……それは……!」

 

 正しきルーラーであるならば、紛れもないサーヴァント/死者であるならば、認められるはずがなかった。

 現世の少年を────ジークを、人を慈しむべき(聖女)が、普通の少女のように恋い慕う。

 それは、あってはならなかった。あってはならないことと、ルーラーは己を律していた。

 

────恋をすべきは、あたたかな感情を得るべきなのは、今を生きるレティシアで……ノイン君で。

 

────だから彼ら二人の関わりは、私には守るべき善きもので。

 

 そう思っていたはずなのに、それなのにルーラー()は、彼らに対して何をしてやれた?

 何を、彼らに選ばせた?

 

 ルーラーの手は戦慄いていて、目の前の少女は哀しみすら感じさせる声で続けた。

 

「あなたが彼を愛すこと、それをわたしたちは……とがめません。誰かを愛して、そのひとの無事をいのる。それはすばらしいことと、おもうからです。わたしたちも、きょうだいには、ほかのだれより、しあわせになってほしいからです」

 

 斃れたそこで時が止まったわたしたちに、恋は、わからないことだけれど、と幼い少女は、ルーラーの頬から手を離した。

 たちまち世界が復帰し、舞台は終わる。

 場所は変わらない大聖杯の前。ルーラーにも、鎧と旗が戻る。キャスターと、アーチャーの気配も戻る。

 しかし、ジル・ド・レェと、幼い少女もまた、消えていなかった。

 

「否定を、しないでください。目を、そむけないでください。傲慢だからと、()の願いを、けさないでください」

「彼……?」

 

 ルーラーは項垂れてしまっていた顔を上げる。

 大聖杯の中から姿を現し、空間に降り立ったのは、天草四郎時貞その人だった。

 白い髪は長く伸びて束ねられ、赤い陣羽織を羽織っている。聖職者というよりも、さながら王の凱旋のような晴れやかな姿をしていた。

 姿を現した敵の首魁なのに、ルーラーは旗を構えられない。

 彼の願いを壊さないでと、少女がルーラーに哀願した声が耳の奥にあって、抗わなければならないという気力が、湧かなかった。

 

「天草……四郎」

 

 折れていた膝に力を込めて、ルーラーは立ち上がった。

 

「ええ。ルーラー、ジャンヌ・ダルク。今ならば、貴女には我が願いを告げられる。教えましょう。私が掴んだ、人類を救済するための方法を」

 

 輝く奇跡の盃を背にして、かつて自らを聖人の紛いと定義した少年は、高らかに告げた。

 聖杯を以て、遍くすべての人間に第三魔法を適用する、魂を物質化に踏み切るのだ、と。

 

「魂の、物質化?つまり……」

「そう。人は老いることも死ぬこともなく、あらゆる苦痛から解放される。激情は抑えられ────穏やかな悠久の生を、人々は享受することになる」

 

 それが、どれほど死に瀕した生命でも、苦痛しかない生を歩まされた者であっても、救われるのだと、天草四郎は告げた。

 

─────苦痛しかない生。

 

 その一言で、篭手に覆われた手がぴくりと動いた。

 天草四郎は構わずに続ける。その傍らにはキャスターが現れて羽ペンを走らせ、アーチャーは弓に矢を番えていたが、その眼はルーラーではなく幼い少女に注がれていた。

 

「ルーラー、それでもあなたは、我が願いを否定しますか?死者が生者を導いてはならないという単純な理屈など越えて、私はすべてを救ってみせます。そうすると、決めたのです。あなたがたった今、失わせた生命に報いるのに、これ以上の(すべ)はないと私は断言します」

 

 どれだけ己の生を否定されようと、決して屈しなかったルーラーから、言葉はなかった。

 まだ狂気に呑まれる前の彼女の戦友は、痛ましげにその様子を見ていた。ひとりの、ただの少女のように、呆然と立ち尽くしたジャンヌ・ダルクに、ジル元帥は歩み寄った。

 

「ジャンヌ、彼の願いをよく聞くのです。彼の願いは悪ではない。彼の願いを受け入れ、救済を共に行う。そうでなければ私の罪も貴女の罪も、雪がれることはないのです」

「貴方の、罪……?」

 

 のろのろと繰り返したルーラーの目の前で、元帥の貌は変貌する。

 二つの眼球が膨れ上がり、笑みは不気味に落ち窪む。姿形が変わらないだけに、表情だけが狂気を孕むのは恐ろしい変化だった。

 瞬きの後、そこには救国の英雄ではなく、狂い果てた殺人鬼、数多の人々を欲望のままに虐殺したジル・ド・レェその人の姿があった。

 そこまで堕ちたのは、狂人になる道を選んだのは、彼自身だ。

 けれど、ジャンヌ・ダルクの死がなければ、彼女が己の運命を甘んじて受け入れなかったなら、或いは、この騎士はこうならなかったかもしれないというのも、事実だった。

 ルーラーの瞳が震えて、彼女は顔を手で覆う。膝から力が抜けたのか、床に膝を付いて頽れた。

 指の隙間から、彼女の嗚咽の声が響くのを聞き、“赤”のアーチャーは弓を僅かに下げた。

 

「これで聖女は終いか、マスターよ。必要ならばとどめを刺すが」

「いえ。今のルーラーは敵ではありません。我らの救済を破綻させようとはしないでしょう。これから来る者たちを考えれば、彼女を排除してはいけません」

 

 ふん、とアーチャーは鼻を鳴らし、ルーラーの傍らで呆と立つ少女に目をやった。

 

「キャスター、正直に答えろ。あの子供は誰だ?」

「おお、いつか尋ねられるとは思いましたが、やはり気になりますか。そうでしょうなぁ!我がマスターの願いに、すべての幼子の救済を願った貴女なのだから!」

「五月蝿い。いいから答えよ」

 

 アーチャーは苛立たしげに片脚を床に叩き付け、キャスターは一礼してから滔々と述べた。

 

「知れたこと。彼女はこの世のどこにでもある悲劇の犠牲。そのほんの一部に過ぎませぬ。かつて、消費されるために造り出された幼子たちがおり、彼らは無慈悲に使い潰された。彼女はその中のひとりで、今こちらの敵となっている槍使いの少年の、同胞(はらから)ですな」

「それは……草原で私の相手をしたあの者か?」

「如何にも!」

 

 そうか、とアーチャーは弓を完全に下ろす。

 草原で相手をしたサーヴァント擬きの少年を、アーチャーは覚えていた。目の前の幼い少女は、言われてみれば顔立ちに面影が色濃くあった。

 あの少年は既にアーチャーにとっては子どもではなく、敵の戦士のひとりだった。

 だが、この少女はアーチャーにしてみれば、守るべき子どもそのものだった。生きることを許されなかった、何の罪も犯していない、小さな子ども。過去のアーチャーと同じだったのだ。

 彼女らのような子を救いたくて、この世すべての子どもたちが愛される世界がほしくて、アーチャーは天草四郎に自らの望みをも託したのだ。

 思わず、少女の方へとアーチャーは歩み出す。

 

 ルーラーの嗚咽が止まったのは、そのときだった。

 顔を覆って泣き暮れていた聖女が、顔を上げている。顔を上げて、幼い少女を見ていた。

 アーチャーにとってその彼女は、折れた聖女ではない、別の誰かだった。

 けれどその気配が現れた瞬間に、幼い少女は肩を強張らせる。

 ルーラーと入れ替わりで現れた彼女は、その視線を受けても口を開いた。

 

「あなたは、ノインさんの妹さん……なのですか?」

 

 幼い少女はこくりと頷く。

 

「……はい。そしてあなたは……わたしたちのきょうだいに、世界を見せたひとですね」

 

 見せなかったらよかったのに、と少女は自分の二の腕を掴みながら言った。

 ルーラー─────否、レティシアはその目に、射抜かれたように思う。ノインと悲しいほどに面差しが似通った少女は、ルーラーではなくレティシアを真っ直ぐに見ている。そして、彼女はつい先ほど言ったのだ。

 

─────あなたたちは、ノインに出会わなければよかったのに、と。

 

 あなたたち、と言ってはいたが、彼女の言葉の矛先は、ルーラーでなく自分に向いているとレティシアはあのとき感じた。

 

「どうして、ですか?わたしは……ノインさんと出会ったことを、間違いと思いません。思ってもみません」

「まちがいです。会わなければよかったんです。あなたがいるから、ノインはあきらめられなくなった。きれいで、やさしくて、わたしたちには手のとどかなかった世界に、あこがれてしまった!」

 

 小さな拳を振り上げて、少女はレティシアの胸を叩いた。痛みはなかったが、衝撃が胸を貫いた。

 

「あきらめれば、くるしむことも……つらいと感じる心を得ることもなかったのに!わたしたちのことを覚えていたから、あのホムンクルスを、あなたを助けて、たたかいをつづけることもなかったのに!」

 

 あんな怖がりなのに、と少女は涙でふやけた声で叫んだ。

 癇癪を起こしたように、ぽろぽろと泣く幼い顔は、確かにノインとそっくりだった。”黒”のアサシンを倒したあの夜の、儚く泣いたあのときの顔だ。

 

「……」

 

 幼い彼女の言葉は、レティシアに突き刺さっていた。訳がわからないほどの激しい哀しみで、胸が張り裂けそうだった。

 自分の無力を、心底憎みたくすらあった。

 それでもレティシアは、前に一歩進んだ。

 決して膝を折ることなく、話し聞くこと。それがただの人間であるレティシアにできるすべてだった。

 天草四郎や他のサーヴァントの視線は遠くにあって、彼女の目の前にはツェーンしかいなかった。

 

「……ツェーンさん、あなたは、本当にノインさんのことが好きなんですね」

 

 きょうだいで────半身で、きっとレティシアよりずっとノインのことを知っているはずだ。

 好きだから、愛しているから。苦しんでほしくなかったと少女は泣いたのだ。

 その気持ちはレティシアにも伝わった。痛いほどに。

 それでもひとつだけ、言わねばならなかった。

 

「ノインさんに残っていたものが、苦しみだけだったと……わたしは思わないんです。そうだったら、あの人はもっと……冷たかった。ジークさんのことも、わたしのことも、見捨てられたはずです」

 

 ノインは、いつもぎこちなく笑っていた。

 へらりとした笑いは、誰かを安心させるための精一杯だったが、それでも彼は誰かを気遣うあたたかみを、元から持っていたのだ。

 ひとりぼっちになって心を失くしたのではなくて、奥にしまい込んで鍵をかけていた。その鍵を、きっと自分たちは緩めただけ。

 心を守っていたのは、ノイン自身なのだ。

 世界の美しさ、なんてそんな大層なものをノインが自分から得たとレティシアには思えなかったけれど、彼の気遣いは感じていた。

 

「だから……あ、諦めたほうが良かったなんて、そんなことを、言わないでください。わたしのことはいくらでも嫌ってくれていいんです。詰っても、憎んでくれても構わない。……でも、わたしはどうしても……苦しみだけの生を……あの人は送っていないと思います。わたしは、あの人のすべてを信じています」

 

 あれっきりでノインが本当に死んでしまったと、何故かレティシアは信じられなかった。

 現実から目を背けたのではなく────と思いたかったのは確かでも─────ただ漠然と、まだこの世の何処かで彼が生きていると思えたのだ。

 レティシアは、裡の聖女が顔を上げたのを感じた。あたたかい雫が、頬を伝った。

 一心に駆けてくる足音が、耳に響いたのはそのときだ。

 レティシアよりも上の空間を見た天草四郎は、目を細めた。

 

「……ほぅ、生きていたのですか」

 

 その言葉に応えるようにして、かん、と盾が石の床を打つ乾いた音が、地下空間に木霊する。

 聖杯の間の入り口に姿を現したのは、大盾を携えた黒髪の少年であった。彼と共にいるのは、ホムンクルスと魔術師の少年。彼らも皆、無事だった。

 二本の脚でしっかりと立つノイン・テーターは盾を構え、大聖杯とその周りに集まる人々を眺め渡したのだった。

 

 

 

 

 

 

 





過去と未来が言いたいことをぶつけ合っているところへ辿り着いた当人。

ちなみにデミ少年にも、埋もれた願いがあります。
ただそれは、天草四郎の語る平和な世界では、決して叶わないものだったりします。


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act-46

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 何処かで倒れていたほうがましだったのではないかと思わなくもなかった。

 手足も体もぼろぼろで、強化の魔術で補って動かしているだけ。宝具も使えず、魂に寄り添っていてくれた影は消えてしまった。

 自分自身が、デミ・サーヴァントなのか人間なのか。心臓を貫かれて蘇った時点で、普通の人間の範疇からは外れてしまったとは思っていた。

 いやそれどころか、生きているのか死んでいるのかすらわからないほど、体中が一分の隙も無いほど軋んでいた。

 

─────何故、俺は走っているんだろうか?

 

 味方も敵も関係なく、次々斃れてしまった。

 この戦いには後何人残っていて、後何人が消え去るのだろう。

 次は自分かもしれなかった。

 

─────ああ、でも俺には、会いたい人がいるからな。

 

 対して、敵はもう大聖杯を手中に収めていたようだった。

 神々しい輝きを背にした姿を目にすれば、どれほどの愚か者でもわかる。

 かつての主が求め、欲し、魂まで捧げて尚手にすることのなかった奇跡の大釜が、持ち主を決めてしまったという事実は、ノインの心を見事に素通りした。

 魔力の塊も、奇跡の器も、そんなことはどうでも良かったのだ。

 聖杯の前で立つ金髪の少女と、彼女と向かい合うようにして立つ幼い少女を見た瞬間、ノインの中で時が止まったからだ。

 

「ルーラー!」

 

 ジークが叫ばなければ、そのまま凍りついていただろう。

 彼に名前を呼ばれて、こちらに背を向けていた金髪の少女が振り返る。

 その頬が涙に濡れているのを見て、それでようやく我に返る。

 

「誰だ……あの子ども?新しい“赤”のサーヴァントか?」

 

 カウレスが隣で呟くのが聞こえた。

 

「違う。あれは……」

 

 色彩に乏しい小さな少女が、ノインを見上げる。儚く薄い色合いの瞳と、血に似た赤色の瞳が交わった。

 全身の血が沸き立つような感覚が、ぼろぼろの体を駆け抜けた。音も匂いも消えて、気づけば足を勝手に前へと踏み出していた。

 

「おい、ノイン!」

 

 カウレスの静止の声も聞かずに、ノインは床を蹴った。階段の頂上から、ルーラーたちの前にまで一気に跳んで降りる。

 

「……ツェーン?」

 

 幼い────最期のときと変わらない姿の少女は、全身を震わせる。泣き出しそうなその顔と、涙の跡をつけたレティシアの顔を見て、ノインの中で何かが切れた。

 

「……誰だ」

 

 盾を握る手に力が籠もる。痛みも何もかも、頭の中から吹き飛んだ。変わって心を塗り潰したのは、初めて感じるマグマのようにどろどろした何かだった。

 赤い目にどす黒い感情を滲ませて、ノインは聖杯の前の彼らを見た。

 迷うように弓の先がふらついている“赤”のアーチャーと、見た目に反して極端に気配の薄い、白銀の鎧を纏う騎士は、ノインの視線からすり抜ける。

 

「……」

 

 無言のままノインの目が捉えたのは、天草四郎と“赤”のキャスターだった。

 間近で初めて感じた、ノインの全身から溢れている怒りの気配に、魔力で身体を強化して追いついて来たジークの足が僅かに止まる。

 

「待て、止まれ!」

 

 ジークが伸ばした指の隙間から、ノインの袖はすり抜けた。

 放たれた矢のような勢いで、ノインが盾を手にして“赤”のキャスターへ飛び掛かった。

 キャスターの首を狙った一撃は、前に出たアーチャーの弓で防がれる。

 天穹の弓とアキレウスの盾がぶつかり合い、互いに軋んだ音を立てた。

 

「お前、お前かぁっ!」

「こ、の……正気を失ったか!」

 

 得物同士で競り合う距離にあっても、ノインはアーチャーを見ていなかった。狂犬のように暴れる彼は、ただ“赤”のキャスター(シェイクスピア)と天草四郎だけを睨み据えていた。

 キャスターは羽ペンで顎の先をかきながら、肩をすくめる。

 

「おや、こうした形の悲劇は彼には少々効きすぎましたか?」

「……そのようだ。だが、こちらだけを憎悪している今は好都合です」

 

 天草四郎が、聖杯を操るべく手を動かす。既に十騎を超えるサーヴァントたちがくべられた聖杯からは、魔力が溢れていた。

 余った魔力を振るえば、サーヴァントの紛い以下になり下がった少年ひとり、吹き飛ばして無力化するのは容易かった。まして今の天草四郎は、己の宝具を用いて聖杯を完全な制御下に置いたのだから。

 今の彼は、天草四郎にとって進んで殺すべき邪魔者ではない。

 燐光を発する巨人の拳の如き形に魔力が練られる。振り下ろされる先は、完全に我を忘れて怒り狂っているノインだった。

 

「この……馬鹿野郎!」

 

 間一髪で滑り込んだジークが、ノインを体当たりで突き飛ばして共に柱の陰に転がり込む。レティシアとツェーンは、カウレスが庇い物陰に伏せた。

 彼らのいた場所に拳は振り下ろされ、床がずしんと下から突き上げるように揺れて震えた。

 そのまま間髪入れずに、ジークはノインの襟首を掴んで上体を持ち上げると、頬を平手で叩いた。

 

「落ち着け!ノイン!」

 

 あの幼い少女が誰かなど、ジークにはわからない。それでも、彼女とレティシアを見た途端に目の前の仲間が正気でなくなったことは否が応でも理解した。

 彼女はきっと、ジークにとってのトゥールたちなのだ。

 だからこそ、ノインに怒りで我を忘れさせるわけにはいかなかった。

 一度瞬きをしたノインの目に、元の理性の光が灯るのを見てジークは安堵する。

 

「戻ったか」

「あ、ああ。───ッ、避けろ!」

 

 今度は、頷きかけたノインがジークを突き飛ばして前に出た。二人の上に振り下ろされた拳を、頭上に掲げた盾でノインは受け止める。

 鐘を打ち鳴らすような音がして、盾を支える両手が痺れ、脚が石の床にめり込む。

 

「ぐ……っ!」

 

 直後、横合いから伸ばされたもう一本の腕の横薙ぎをまともにくらい、ノインは吹き飛んだ。

 背中から石の柱に叩きつけられ、目の前に星が飛ぶ。

 

「は、なるほどな。……もう大聖杯を手に入れたから、そういうこともできるわけか」

 

 瞼を押し開け、血反吐を吐き出して口元を拭って見れば、天草四郎とキャスターはまだそこにいた。彼らの今の標的は、ノインひとりだけのようだった。

 立ち上がろうとしたとき、ノインは駆け寄って来た誰かに腕を掴まれる。

 

「ノイン!やめて……とまって!」

 

 腕にしがみつくのは、幼い少女。

 それはもう、とうにこの世にいないはずのきょうだいの重みだった。

 

「……」

「吾輩の生んだ幻覚とお考えかな、少年よ。だが違うと言っておきましょう。彼女は紛れもなく、人格を有した者ですと。ま、ある種のサーヴァントですな」

 

 沈黙したノインをどう取ったのか、キャスターは言い続ける。

 

「これがお前の所業なら、差し詰めそこの騎士は、ジル・ド・レェか」

「如何にも!そしてそこの彼女は、そちらの双子の妹に相違ありません!」

 

 そんなことは、ノインにも言われずともわかった。どこの世界に妹を見間違うやつがいるのだ、と内心吐き捨てた。

 盾を杖代わりに、震える足でノインは立った。ルーラーの気配は近くにない。

 ()()()()()()()なのだろうと直感で悟った。

 

「ノイン……やめて。たたかわないで、あの人の願いをきいて」

 

 最期のとき、同じ背丈だったはずなのに、ツェーンの頭は今はノインの肩より下にあった。彼女の時は止まったままだが、ノインの時は否応にも進んでいるのだ。

 ノインは黙って天草四郎を見やる。睨む彼に、天草四郎は聖人のような微笑みを向けた。

 

「我が願い────全人類の救済へ至るための方法を、聞く気になったようですね」

 

 ごく平坦な口調で、天草四郎は願いを口にした。

 

「我が願いは第三魔法たるの全人類への適用。すなわち魂の物質化を行い、遍く人々を朽ちぬ存在へと変えるのです。すでにこの願いは聖杯に組み込まれ、稼働を始めつつあります」

 

 彼の意味するところは、全人類の不老不死であった。

 ひとが死ななくなる世界、永遠に生きられる世界。安寧の中、人々は永久に生き続け、生存を賭けた争いもなくなるだろう。そうなれば、残り少ない生命も生きていけるようになる。

 ツェーンが彼らを庇う理由も理解できた。

 

────俺に、死んでほしくないからか。

 

 彼らの手を取れば、生命は永らえるのだろう。ツェーンがそうしてほしいと思う理由も想いも、理解できた。

 何しろ、半身だったから。彼女の最期まで、感情を分かち合って来たのだから。

 もし些細な何かで生き死にが逆になって、ノインが六年前に死んでいて、今ここに喚び出されたのなら、同じように思ったろう。

 

─────でも。

 

 目の前の彼らの手など、取れなかった。

 取りたくなかったのだ。

 不老不死という天草四郎の夢は、心に何も彩りを齎さなかった。

 答えを待つように、微笑む天草四郎の前でノインは声を張り上げた。

 

「ルーラー!!あなたは戦えるのか?」

 

 願いを蹴り飛ばす答えに、天草四郎は意外そうに片眉を上げた。

 

「何故ですか?ノイン・テーター」

 

 生きたくないのかと問われ、ノインは盾を石の床に叩き付けた。

 

()()()()()()()()()()。でも、それ以上に俺はお前に、お前たちに腹が立っている。……お前の願いで染め上げられた世界なんて、お断りだ」

 

 過去を引き摺り出して、それに喋らせて、引き留めさせる。

 そのやり口に腹が立って仕方なかった。

 勝つために、ひとはあらゆる手段を用いるし、彼らは己のためにそうしただけだと頭では理解できていても、許せないという心に変化はなかった。

 

「俺の過去を書いて、楽しかったか?悲劇と銘打って書き上げれば満足か、劇作家。高みから見て嗤うだけの道化師が。お前たちは、俺にとって許せないことをした」

 

 それがすべてで、それだけのことが理由で、ノインは彼らの手を払い除けた。

 キャスターは大袈裟に肩をすくめ、天草四郎は目を伏せた。

 

「そう、ですか。……できるなら、あなたにはこちらについて欲しかったのですが」

「嘘はやめろ。お前は俺のことが嫌いだろう」

 

 ずっと苛立った目を向けられていれば、感じ取れる。

 紛れもなく尊い願いを、過去に囚われて蹴り捨てる人間は、聖人のような彼からすれば真逆だ。いけ好かなくて当たり前だろう。

 

「なんで……?」

 

 袖を引かれて、ノインはツェーンを見た。

 泣きそうな顔をしていた。そういう顔をさせたのは己だと思うと、胸を裂いて心臓を抉りたくなったが、それでも答えに後悔はなかった。

 

「忘れていてよ!なんで!わたしたちを覚えていてつらいなら、わすれてくれてよかったのに!」

 

 そうしたら、もっと自由に生きられたのに、とツェーンは泣いていて、ノインははっきり首を振った。

 

「忘れるのは嫌だ。俺がきみでも、きみが俺でも同じだよ。きょうだいなんだから」

 

 生者が死者にできることなど、ただ忘れないでいることだけで────それがあったから生きてこられた。

 自分が死んだら、たった九人の子どもたちは、存在してすらいなかったことになってしまう。

 

「俺……()()にとって、過去(きみたち)は重荷なんかじゃなかったし、これからもそうだ」

 

 天草四郎はきっと全人類の安寧という未来のために、過去を捨てたのだろう。

 過去も、普通のひととしての心も捨てて、人類を救うと決めて、彼はここまでの絵図を描いた。

 そうでなければ、遍くすべてを救うなどと、言えるはずがない。そのすべての中には、彼の愛した者たちを無惨に殺し尽くした人々も含まれているのだから。

 それだからこそ。

 過去があるから生きてきて、天草四郎の捨てたものを拾い集めて己を形づくったノインには、どこまでも彼とは相容れない。彼のつくる世界に、そのような人間の居場所はないだろう。

 

「ああ、それに、お前の願いが叶った世界じゃ……俺が最初に願ったことは永劫叶わないだろうし」

「最初に……?」

「最初だよ。ずっと昔、まあ俺がまだ子どもだった頃だ」

 

 悟られないよう、いつでも飛びかかれるよう脚に力を込めながら、ノインは言った。

 

「俺はさ、()()()()()()()()()()()。でも、不老不死の世界だと皆が変わらずあり続ける。無垢なままに漂うからこその平和が、お前の望みなんだろう?」

 

 聖杯戦争の中で、様々な人間に会って、別れた。傷つけたこと、傷つけられたこと、無くしたものも、得たものもあった。

 ああいう日々が、ノインにとっての生きている時間なのだ。

 

「使い道も、使いどころもない永遠の時間なんて、俺にとっては地獄だ。だからお前のことは絶対に認めない」

 

 最初は大人になれば────力があれば、きょうだいを守れると思ったのだ。

 そのための時間が、初めから用意されずに造られた子どもの、淡い望みだった。

 それでも、自分だけ皮肉なことに生き残った。だから、その願いは意味がなくなってしまって、忘れたものだった。

 そんなこともあって、それでも生きてきて、こうして相容れない人間に相対しているのだから、本当に人生はどういう物語になるかわからないものだと、そんなことを思った。

 

「お前たちから見れば、救済されるべきものに見えても、俺はこういう生き方を選んだ。選ばされたりもしたけど、結局こうしたのは俺だよ。だから、お前の語る理想とやらの世界で、俺は生きられない」

「では、あなたは私の敵ですね」

「そうだ。最初から、最期までな」

 

 そういうことだ、とノインは頷いた。

 さりとて、聖杯を抱えた受肉したサーヴァントに、彼の使役するキャスターとアーチャーのサーヴァント、それに一応あちら側らしい騎士ジル・ド・レェまでいては、手の打ちようがない。

 コンラは消えて残滓しかないのだから、アーチャーの狙撃に対応しきれるだけの速さは、今では出せない。できて精々、尋常でないほど取り乱していたルーラーが復帰するまでの盾役だけだ。

 しかしアーチャーはアーチャーで、様子が尋常ではなかった。弓が下りたままなのだ。まるで戦意が消えてしまったように、アーチャー・アタランテは武器を向けてこない。

 

「……?」

 

 何故なのか、ノインにはわからなかった。

 わからないまま、ただ場の雰囲気だけが張り詰める。

 天草四郎がため息をつく。

 重い荷を負うた老人のように、彼は深々と息を吐き出した。息を吐き尽くした後、彼の背後では巨人の拳のような魔力の塊が持ち上がる。

 

─────ああ、あれは駄目だな。

 

 防げないと、直感する。

 少なくともひとりでは、決して凌げそうにない。

 ルーラーの心を、ジークとカウレスが繋ぎ止められるかにかかっているのか、とノインが判断したときだ。

 みしりと、空間全体が不気味に揺れた。

 

「……!?」

 

 天草四郎たちにとっても予想外の揺れだであることは、彼らの表情を見れば明らかだった。

 地震のような揺れは、次第に激しさを増していく。

 ぴしりと、天井に割れ目が走る。ばらばらと瓦礫の欠片が落ちて来る。

 

 ノインが身構え、天草四郎が巨人の腕を頭上に掲げた正にその瞬間。

 

「ごめんちょっとみんな避けてぇぇぇぇえっ!」

 

 天井がごっそりと崩落した。

 雨霰と瓦礫が降り注ぎ、その中から聞き覚えのある声が響く。

 ノインはツェーンの胴を抱えて後方へ飛び退り、ジークたちの上に盾を掲げて防ぐ。

 その瓦礫の中を、桃色の髪を翻して器用に跳ぶ影があった。

 

「とっとと……よっと!」

 

 瓦礫を足場にして地面に着地したのは、“黒”のライダー。どうしたことか、彼は“赤”のセイバーのマスターの襟首を掴んでいた。

 

「やぁ、無事で良かった!ところで、これ今どうなってるの?」

 

 その場でくるりと回った“黒”のライダーは、唖然とするノインたちにいつも通りの笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

 




死者の理想が、生者に否定されました。
地雷踏んだのと、見ている視点が違うのが原因。

ライダーたちがダイナミック登場かました経緯は次回。

あとは、地味に昔の一人称は違うデミ少年。


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act-47

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 “黒”の最後のサーヴァント、ライダーは、“赤”のセイバーによって広間から抜け出すことができた。

 出来たが────一直線に、大聖杯とマスターたちのところまで辿り着けなかった。床をぶち抜いて下の階に降り、さてここはどこだとライダーは首を傾げたのだ。

 だがそれでも、なんとなく下へ行けば良いというのはわかっていた。さぁ行くぞ、と足を踏み出したところで、ライダーの前に現れたのは獅子劫だった。

 

「またキミか!」

「おう。悪いが、手伝ってくれないか?うちの騎士と女帝様だが、まぁ、ちょっとこのままだとヤバイんだ」

 

 神代魔術師のガチの工房に突っ込むからそうなるんだ、とライダーは口で言いつつも、“赤”のセイバーがそこに残ってくれたから、自分が抜け出てこれたことはわかっていた。

 二度目の共闘に否はない。

 

「そりゃね、ここでセイバーに脱落されたら、ボクらは詰むもの。ルーラーとノインとボクだけじゃ、誰かが相打ちになるくらい思いきらないと、残りの面子は倒し切れない。でもそんな結果、ボクは御免だしね」

 

 特にボク以外の二人とか、そういう躊躇に乏しいし、とライダーは言った。

 

「で、あの女帝様に一泡吹かせる策とかって、何があるの?ボクのほうは、もう魔導書と槍しか残ってないんだけど……」

「俺も令呪がニ画ってとこさ。つかぬこと聞くが、お前さん、毒に耐性は?」

「おいおい、いくらボクが芸達者でも、あのアサシンの毒はダメだよ」

「だよなぁ」

 

 空中庭園自体、“赤”のアサシンの領域だ。

 彼女と天草四郎は上に玉座を据え、下に大聖杯を収めている。

 恐らく、ルーラーたちは大聖杯に辿り着いた。本当ならば、ライダーはそこまで一気に行きたかった。

 ヒポグリフが生きていたなら、間違いなくそうしただろう。

 

「……ッ!?」

「ん?なになに?」

 

 獅子劫に動揺が走ったのはそのときだった。

 

「アサシンが切り札を出した。……ヒュドラの毒だな」

 

 ライダーの顔にも緊張が走った。

 ヒュドラ。その名はギリシャ神話に登場する、猛毒を持つ化け物だ。その毒に全身を蝕まれる痛みは、あの賢者ケイローン────つまりは“黒”のアーチャーですら耐えかね、死の安らぎを選ばせたという。

 

「……解毒は?」

「俺の手元に血清が二つだな」

 

 その一つをセイバーに使うと獅子劫は言った。

 ライダーは迷うことなく片手を突き出した。ヒュドラの血清は毒から抽出される。形を変えた毒を体内に取り込まなければならないのだ。それに、ヒュドラの血清ともなればサーヴァントであろうと傷を付けられる神秘である。

 

「キミ、念話でセイバーの場所はわかるだろ?ボクが突っ込んでコイツを使うよ」

「そっからは……よし、どうせなら派手にやっちまおう」

 

 獅子劫が思いついた案を口にする。

 ライダーは驚き、少し呆れた。そんな案、理性がトンだ状態の自分並みではないか、と。

 

「でもな、うちの王様は、聖杯も勝利も諦めちゃいないのさ。無論、俺もな」

 

 獅子劫に言われ、ライダーはそれもそうだと頷いた。何せ、味方の面々が尽く聖杯を要らないだの、願いがないだのと言うような人々ばかりだったのだ。

 聖杯戦争は、本来は願望機を奪い合うための殺し合い。

 情が交わされ、確かな絆が育めた聖杯大戦は、例外中の例外なのだ。

 そんな当たり前をうっかり忘れてしまうほど、大戦の中で会った人々は、自分にとっての()()()()が多かったのだと、“黒”のライダーはまた思った。

 

「……ねぇ、“赤”のセイバーのマスター」

 

 セイバーとアサシンの対決の場へ急ぎながら、ライダーは尋ねた。

 

「キミ、昔のノインを知ってるんだろ?」

「まぁな。ただの使い魔モドキのガキとしか思わなかったがな。何かの魔術実験で造られた奴なんだろう?」

 

 やっぱりそんな感じだったのか、とライダーは嘆息する。

 

「まぁ、そだね。ねぇ、ここでボクはキミらを助けるからさ、キミはこれが終わったらさ……」

 

 言いかけて、ライダーはやめた。この後、自分がセイバーを助ける代わりに生き残ったのなら、ジークやノインを助けてくれないかとまでは、さすがに言えなかった。

 彼らは彼で”赤”のマスターからしてみれば、敵なのだ。助ける義理はない。

 それに、戦いの最中に戦いの終わったあとの話をするのは縁起が悪かったのだ。

 

「やっぱりいいや、何でもない」

 

 玉座の間にまでライダーと獅子劫は戻る。ここまで来るに襲い掛かって来た魔術の妨害は、ライダーの宝具で撃退した。

 扉の向こうには、ヒュドラの毒が満ちた空間がある。獅子劫から受け取った血清の一本を、ライダーは躊躇いなく自分の首に突き刺した。

 痛みが電流のようにライダーの体の中を通り抜けた。

 

「ッ……。ヤバいな、これ。英霊じゃなきゃ死んでたよ」

 

 よし、行くぞとライダーは扉を押し開けた。後退しつつ、獅子劫が中に爆弾に加工した心臓を投げ入れる。

 

「セイバーァァァアッ!」

 

 叫んで駆け出した瞬間、ライダーの方へと“赤”のアサシンの召喚した毒蛇が口を向けた。

 

「邪魔だァッ!」

 

 ()()()()()()()()()()()槍が、大蛇の頭を掠める。

 

「何ッ!?」

 

 バランスを崩してのたうつ蛇と投げ込まれた爆弾に、アサシンの注意が一瞬向いた。

 ライダーはその隙に走った。大蛇の頭の横をすり抜けて、セイバーの傍らに滑り込む。

 つい先ほど別れたばかりの白銀の鎧の騎士は、目と口から血を流しながら床に蹲っていた。

 

「しっかりしろよ!王様なんだろ、キミ!」

 

 返事も待たずに、ライダーは注射器の中に封じ込められていた血清を、セイバーの首に打ち込んだ。

 

「貴様!」

 

 セミラミスの放った鎖が、ライダーの胴を直撃して吹き飛ばす。

 破壊された石壁の瓦礫の中にライダーは叩きこまれる。仰向けに倒れた彼を目がけて、さらにいくつもの魔術による光弾が降り注いだ。

 

「はは……遅いよ。……『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』!」

 

 ライダーは魔導書を掲げ、ほとんど囁くように真名を開放した。

 生み出されたのは、魔術を無効化する善なる魔女の秘術だった。

 ”赤”のアサシンの魔術は、書物が放つ輝きに弾かれ、ライダーを貫くことはできなかった。

 しかし、ライダーも咄嗟に動くことができない。襲い掛かって来る大蛇の顎とその背後の女帝を見上げ、ライダーはにやりと笑った。

 玉座に坐する”赤”のアサシン。その背後に、大剣を掲げたセイバーの姿があったのだ。

 白銀だった剣には、禍々しい赤い魔力が纏わりついていた。

 気付いたセミラミスが、防御壁を展開する。だが、セイバーのクラレントはそれを紙のように切り裂いた。

 そのままセイバーはアサシンの”肩先から腰までを、深く切り裂く。

 

「吹っ飛びやがれ!『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』ァッ!」

 

 振り下ろしかけた剣に、セイバーはさらなる魔力を叩きこんだ。

 さらに令呪の命令が、彼女の剣に一瞬で魔力を満たす。

 斬撃の形へと変形された彼女の魔力の奔流が、玉座の間の床を叩き壊す。

 

「あ、ちょっ!危ないだろぉぉ!」

「うるせぇ!これで下まで一直線だろうが!」

「そうだけどさぁ!」

 

 当然、瓦礫諸共ライダーとセイバーも宙に放り出された。

 真っ逆さまに下へと落ちて行くライダーの視界に、血を噴き出しながらもアサシンが転移で消えるのが目に入る。

 だがそちらに気を取られる余裕はなかった。

 すぐ近くを獅子劫が落下していたのだ。玉座の間の外にいたはずだが、崩落に巻き込まれてしまったのだ。

 それとも、彼もいつの間にか広間に踏み込んでいたのだろうか。ともかくも、彼だけが生身で放りだされてもがいていた。

 

「あー、もう!」

 

 魔術師ならば高所から落下した際の衝撃を押さえられるだろうが、ライダーは深く考える前にとりあえず手を伸ばして、彼の襟首を掴んでいた。

 そのまま、軽業師のように瓦礫と壁を蹴り、彼らは下へ下へと落ちて行く。

 下には光り輝く杯が見えていた。

 その正面には数人の人間が見える。彼らのうち何人かは、轟音と瓦礫と共に落ちて行くライダーたちを見て、驚いたふうに口を開けていた。

 

「ごめんちょっとみんな避けてぇぇぇぇえっ!」

 

 獅子劫を掴んだまま、ライダーはその叫びと共に庭園の最深部に降り立った。

 くるりとその場で周った彼の眼が最初に捉えたのは、ぽかんとした顔のノインだった。

 彼の腕には盾があり、その背後にジークとカウレスと、それにしゃがみ込んでしまっているルーラーがいた。さらには、ライダーには見覚えのない幼い女の子までがいて、彼は首を傾げる。

 女の子の面差しにはどこか見覚えがあったが、とっさに思い当たらなかったのだ。

 

「やぁ、無事で良かった!ところで、これ今どうなってるの?」

 

 ”黒”のライダーはそうして、首を傾げたまま、目の前の彼らに向けて問うたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちの台詞だそれは!」

 

 天上から降って来たライダーは、能天気なほどに明るく今がどういう状況かと聞いた。

 固まりそうになるが、すぐにノインは我に返ってそう叫び返す。

 叫び返しながら、ライダー目がけて放たれていた光弾を盾で弾く。それを放ったのは、天草四郎の傍らに出現した”赤”のアサシンだった。女帝は傷つき血が流れていたが、目は炯々と輝いていた。

 邪魔はさせない、と言いたげな気迫がその目に込められていた。

 しかし、アサシンの傷は剣で斬られたような傷だ、とノインが思った瞬間、ちょうど瓦礫を蹴とばして”赤”のセイバーの姿が現れる。

 彼女も彼女で血濡れだった。何があったのか知らないが、目元や口に血の跡がこびりついていた。

 それでも戦意は全く衰えていないのか、彼女は剣を肩に担いでにやりと笑った。

 

「”赤”のアーチャーに命ず!宝具『神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)』を用いて、”赤”のセイバーを押し留めろ!」

 

 だが、その瞬間空間に声が響いた。手を掲げて宣言したのは、アーチャーのマスター、天草四郎。

 彼はさらに令呪を掲げて命令を下した。

 

「続けてアサシンに命ず、全力で以てノイン・テーターを止めろ!」

「心得たぞ、我がマスター!」

 

 すべての令呪が消え、アサシンの死に体だった姿に力が籠る。光弾が飛び、ノインが盾を構えるよりも早く彼の体を吹き飛ばした。吹き飛ばされたその場所にアサシンの鎖が展開され、ノインは壁に抑えつけられた。腕ごと絡めとられ、盾が振るえなくなる。

 それに重なるようにして、アタランテの全身に黒い霞が纏わりついた。

 

「アァァァァァアッ!」

 

 獣のような咆哮が霞に取り付かれたアーチャーから轟く。霞が晴れたとき、先ほどまでの彼女の姿形は消えていた。

 翠の装束の代わりに、怪物と呼ぶにふさわしい異形の獣の皮が、彼女の半身に纏わりついていた。

 目は血走り、牙が口の端から覗いている。あまりの変貌ぶりに、壁に鎖で縫い付けられたまま、ノインは呆気に取られた。

 そのまま、彼女はアタランテだった何者かは、”赤”のセイバーへと突貫する。

 剣を盾のように構えて迎え撃とうとしたセイバーは、アーチャーの体当たりで吹き飛ばされた。

 二騎のサーヴァントはもつれ合って、闇の中へ消えた。獅子劫が舌打ちし、そちらの方へと駆け去る。

 

「この……!」

 

 ノインはもがくが、アサシンの渾身の魔力が注ぎ込まれた鎖は、一向に緩む気配がなかった。

 最後に残ったライダーに向けて、天草四郎は巨人の腕を振り下ろす。

 

「うわ、ちょっ!?」

 

 ライダーはすばしこく横へ跳んで避け、巨人の腕を掻い潜った。

 その隙に、ジークが腰の剣を抜いて走る。ノインを拘束している鎖に振り下ろすが、力が足りないのか剣が弾かれた。

 

「くっ……!」

 

 ジークとノインの顔が歪んだそのとき、もう一つの影が走った。

 小さな、子どものような体躯のその人間は、()()()()()速度で拳の殴打が降り落ちて来る中をすり抜けると、ノインの腕を捕える鎖に剣を振り下ろした。

 甲高い音を立てて、鎖が千切られる。解放された腕で、ノインはもう片方の腕を拘束していた鎖を引き剥がした。

 剣を振るったのは、半ば英霊の姿となった幼い少女だった。

 

「ツェーン……」

「そうだよ!もう、ほんとうにばかなんだから!」

 

 半分だけが紫の鎧、半分だけが簡素な服のままの少女は、怒ったように頷いて、今度はルーラーの下へ駆けた。

 

「おきて!」

 

 小さな少女は、ルーラーを揺すりたてる。

 ルーラーの顔が上がる。彼女の紫の瞳にノインと少女とジークの姿が映り込んだ。

 

「ルーラー、何が何だかわからないのだが、怪我でもしたのか!?」

 

 盾で拳を受け止めながら、ノインは叫んだ。

 

「ノイン……くん?」

 

 そうだ、とノインは拳を盾で払い除け、蹴り飛ばして後退させながら叫び返した。

 その体の周りでは、小さな雷がスパークし続けていた。大気に満ち満ちる魔力を吸いあげながら、ノインは体を動かし続ける。

 

「どう……して?」

「……バーサーカーが、アイツを生かしたんだ」

 

 相棒と同じ紫電を纏いながら戦うノインを見ながら、カウレスは答えた。

 

「詳しいことは俺にもわからない。それでも、まだアイツは戦ってる。ルーラー、あんたはどうなんだ?」

 

 ルーラーの視線が、傍らに倒れたままの旗に向けられる。

 救国の乙女の旗として、数多の兵士たちの前で掲げられた軍旗は、ジャンヌ・ダルクの無二の武器は変わらずそこにあった。

 

「そう……ですね。ええ、きっとそうなのでしょう……」

 

 旗をルーラーは手に取った。脚に力が込められる。

 魔力の拳に押され、ついに耐え切れなくなったノインの前に、一瞬で彼女は現れた。

 旗が一閃され、拳が手首のところで斬り取られる。続けて、ライダーを叩きつぶさんと迫っていた拳にも彼女は旗を振るった。

 同じように斬り落としたその塊を籠手で殴り飛ばして、ルーラーは真正面に佇む天草四郎を見た。

 彼もまた、ルーラーを見ていた。苛立たしげにも痛ましげにも見える、不思議な表情を浮かべていた。

 

「ジャンヌ……!貴女はまたも立ち上がるというのですか?人類救済という素晴らしき願いを目前にして!それを阻むために!」

 

 変わって進み出たのは、ジル・ド・レェだった。

 彼にも、殺人鬼に堕ちた彼にも、人類救済を願う優しい心はあったのだと、ルーラーは思う。

 ジル・ド・レェは、なおも言い募っていた。

 

「彼の……天草四郎の、人類救済の願いを、否定するおつもりか?それが貴女や私に与えられた、唯一の贖罪の機会であるというのに!犠牲になったそこの少年少女のような者たちを、数多救えるかもしれぬのに?」

「ええ、そうです。ジル。……確かに、私は過ちを犯しました」

 

 ルーラーの目が、ノインに向けられる。

 ノインは首を傾げた。ルーラーと彼女の戦友の言葉の意味を、考えあぐねているようだった。

 

「だからこそ……私は、ここで倒れることはできません」

 

 ノインと彼の小さな妹のやり取りは、ルーラーにもレティシアにも聞こえていた。

 大人になりたいまま生き続けてきたノイン、生きたいと世界に踏み出したジーク。

 彼らはいつも怯えていた。怯えながらも、流されながらも、それでも彼らは生きて来た。

 苦悩して来たその道のりで彼らは生きて来た。きっとこれからも何かに出会い続けて、変わり続けて行くのだろう。

 

 ルーラーはそれを見ることができない。けれど、その道のりの何と愛おしいことか。

 

 永遠に揺蕩う世界など要らないと、ひとりの少年は言った。

 自分の道のりのすべてを、救済されるべきものだと憐れむなと、怒ってもいた。

 奇跡に相対してもそう言った生者の言葉を、ルーラーは護ろうと思った。

 

「ノイン君、ライダー。……少しの間、彼の攻撃を止めていられますか?」

 

 故に、ルーラーは腰の剣に手をかけながら、その言葉を口にしたのだった。

 

 

 




乱戦中。
アタランテとの絡みはありますので、少々お待ちを。

以下、本編とは全く関係がありません。

アポコラボが来ました!万っ歳!
続編をどうしようかと迷っています。

以上です。


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act-48

感想くださった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 止めていられますか、と問うルーラーの手は、既に腰の剣にかかっていた。

 一度も抜いたことのない細身の剣で、ルーラーが一体何をするつもりなのか、ノインにはわからなかった。

 

「少し……ってどのくらいだ?」

「詠唱……いえ、空への祈りが終わるまで、です。約三十秒ですね」

「キッツ!」

 

 展開した魔導書でアサシンから放たれる魔術攻撃を弾きながら、ライダーが言った。

 

「マスター、ノインに剣投げて!コイツ、武器が無いから!」

「ああ!」

 

 ジークが投げてきた剣を片手で受け、ノインはそのまま鞘から剣を引き抜いて、飛んできた鎖を切り払った。

 剣はばちばちと音を立てて放電している。その紫電はノインの全身にも及んでいた。

 それはかつて、バーサーカーのものだった雷。周辺の魔力を吸い取り、自身を駆動させ続けるための擬似的な永久機関だった。

 鎖はノイン、光弾はライダーが弾き、アサシンの攻撃を寄せ付けない。

 

─────でも押し返せないぞ、これ。

 

 留めるだけで、ライダーもノインも精一杯だった。ここまでに受けた傷と消耗で、全身が悲鳴を上げていて、アサシンのほうにまで攻撃を押し返せない。有体に言って、反撃ができないのだ。

 彼らの背後にルーラーがいるのと同じように、アサシンの背後には天草四郎がいる。

 

「ノイン、避けろ!」

「ッ!?」

 

 天草四郎の方を見た一瞬の隙に、巨人の腕がノインを捉える。

 小柄な体が横に吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられた。直前で察知して後ろに跳んでいたとはいえ、全身の骨に響く衝撃が走り、ノインの意識が途切れる。

 同時に力の抜けた腕から盾が外れて、地面に転がった。

 盾を弾き飛ばすべくアサシンの鎖が伸びるが、一瞬速くツェーンが飛びついて、ライダーに盾を投げた。

 

「ありがとツェーンちゃん!」

 

 盾で腕を弾きながら、ライダーが叫ぶ。

 ツェーンは答えずに、すぐに倒れたノインに駆け寄り、瓦礫の山から彼を引っ張り出した。

 その体を担いで後ろに跳躍し、カウレスの前にノインを放り出した。

 

「魔術師さん、回復させて!」

「あ、ああ……」

 

 カウレスが回復魔術をかける間に、ツェーンはノインの手から剣を取り立ち上がると、ライダーの隣に立った。

 

「小娘、貴様は我らを裏切るか!?」

 

 アサシンの叫びに、ツェーンは怯えたように肩を揺らす。しかし叫びを振り払うようにして、前に出た。

 

「……すこしのあいだでも、あなたたちがわたしに時間をくれたことにはお礼をいいます。でも……やっぱり、わたしたちは、きょうだいのねがいのほうが大切なんです。あの子がああ言うなら、わたしたちはそれを守ります」

 

 死者の少女は細い剣を向け、天草四郎はため息をついた。

 

「そうですか。……ならば、私はそのあなたの想いも彼の想いも含めて、すべてを救済しましょう。……あなた方を、残らず排除してでも」

 

 ライダーとツェーン、ルーラーの周りに、腕が次々振り下ろされる。分断され、逃げ回ることしかできなくなっては、ルーラーの詠唱とやらは行えない。

 さらに新たに巨人の腕の一つが鳴動しながら立ち上がる。ライダーはそこに、極限にまで圧縮された魔力を感知した。あれが解き放たれれば、こちらは全員が消し飛んでしまう。

 さらにはアサシンが手を掲げた。

 

「全員、伏せろぉぉっ!」

 

 後先を考えずに飛び出したライダーと、天草四郎が魔力を開放し、アサシンがライダーたちだけに向けて毒を空間に放つのは同時だった。

 

「あぁ、もう─────『蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)』!」

 

 今はもう消滅したアカイアの英雄の盾は、過たず発動した。

 それは、アキレウスという英雄が駆け抜けた世界で以て、発動者を守るためのもの。

 防壁に巨人の腕が叩きつけられ、毒の霧が覆うがライダーの背後で庇われた者たちには、どちらの攻撃も届かなかった。

 護りの内側でノインがそのとき飛び起きた。

 せめぎ合う腕と盾を構えたライダー、半ばだけがサーヴァントの姿になったツェーンが、真っ先に目に飛び込んできた。

 どうも視界が赤いと額を拭い、そこで額が切れて血が流れていることにノインは気づいた。袖で適当に拭い、視界を開く。

 

「……」

 

 それから、剣の刃を両手で握ったルーラーの姿も目に入った。

 彼女の口からこぼれているのは神への祈りだった。

 膝をつき、手からこぼれる血を剣の刃に流しながら、ルーラーはただ目を閉じて祈っていた。

 こんなときだというのに────否、こんなときだからこそ、ノインはその祈りの姿に目を奪われた。

 そんなにも真摯に、心の底から祈りを捧げる人の姿を、見たことがなかった。

 レティシアと似ていて────やはり違うひとりの少女が、神へ捧げる()()の言葉だった。

 

「ジーク君」

 

 それが祈りの一節であるかのように、ごく自然にルーラーは少年の名を呼んだ。

 

「これは私の祈りで……私の、最期の炎です」

 

 ルーラーの剣を中心に、焔の華が開こうとしていた。

 それはジャンヌ・ダルクを灰燼に帰した、処刑台の焔。心象風景を具現化した、たったひとつの宝具だった。

 この焔を引き出し、顕現させた後、ジャンヌは消滅する。自分を焼き尽くした焔を解き放てば、あとには何も残りはしない。

 

────もう、会えないということなのか。

 

 石が落ちるように、ノインは理解した。もう自分とこのルーラーは会うことはないだろう、と。

 

「……会えないのか?」

 

 ジークが寂しそうな声で問いかけた。ノインにはそう聞こえた。

 一度この世を去ったサーヴァントは、喩えこの世に再び召喚されたとしても同じではない。一度目の召喚されたときの記憶は、ただの記録にしかならず、そこに伴っていた感情も想いも引き継がれない。

 

─────普通なら、そうなるんだろうな。それこそ、奇跡でもない限り。

 

 その道理をノインよりもよく知っているはずのルーラーは、それでもジークに向けて笑っていた。

 心細げにも見える彼を、励ますように。

 

「いいえ、私はいつか────いつか、あなたに会いに行きます」

 

 微笑んでいるルーラーを、ノインは見た。

 聖女の慈愛に満ちた微笑みではなく、もっと柔らかな優しい微笑みに見えた。

 それは彼女にとっての真実で、約束なのだとノインにも理解できた。

 その微笑みを見せてから、ルーラーはノインの方を見た。

 

「?」

 

 外では巨人の腕と毒が攻め立てているこの状況で、何で彼女が自分の方を見るのかノインにはわからなかった。

 

 首を微かに横に傾けている少年の顔をルーラーは正面から見た。

 十日と少し前、初めて牢の中で出会ったとき、デミ・サーヴァントだった彼はどんな顔をしていたろう、とルーラーはふと思う。

 

────ごめんなさい。

 

 その一言が零れかけて、ルーラーは唇を噛みしめた。

 シェイクスピアの糾弾は、その正しさは、まだ彼女の心に残っていた。

 だから、謝罪の言葉だけは言ってはならなかった。言ったらきっと、この少年はまた何でもないかのように笑う。口にすることで、彼に許しを求めてしまうことになる。

 気にしなくていい、とそうノインに言わせてはならなかった。

 本当に、心から気にしていないのだから。

 ジークや、レティシアを守るためだから、良いんだと、だって自分は、彼らよりも強く強くあるべき、そう造られたデミ・サーヴァントなのだからとノインは飲み込んでしまうだろう。

 そのどうしようもない鈍さと幼さに、まだ彼は気づけていない。

 それが見通せるだけに、ルーラーには何も言えなかった。

 

「ああ、なんか────すまないな、ルーラー」

 

 代わりのように、唐突に彼がそう言った。

 今度はルーラーが首を傾げる。

 

「何か、俺……あなたのこと、何にも心配してなかった。俺たちの中で間違いなく一番強いって、任せっきりだったな」

 

────でも、あなたでもそういう顔、するんだな。

 

 ()()()()()()()()()()()するんだな、とノインは言った。

 聖女ジャンヌにも少女の顔はあると気づかなくて、それで戦わせて、その結果、彼女は一度膝を折るところにまで追い詰められていた。

 だからそれに気づかなくてすまなかった、とノインは謝罪したのだ。

 

────レティシア。

 

 この子のことを、あなたは見ていられますか?

 

 ルーラーは胸の中で問いかけた。

 これから去る自分には、それだけしかできなかったから。

 

────はい。やっぱり、わたし、放っておけません。この人がわたしを置いて行こうとしても、追いかけます。

 

 そうでしょうね、とルーラーは胸中で今度は聞こえないように呟いた。

 

「……ありがとう、ジーク君、ノイン君」

 

 自分に言う資格がなかったとしても、それでもこの言葉をルーラーは言いたかった。

 この時の中でしか出会えなかった彼ら。これからどういう道を歩いてどこへ行くのだろう。

 

────それを見届けられないのは、残念だけれど。

 

 だからこそその道をつくるために、今ここで、ルーラー・ジャンヌは焔の剣を抜くことを決めたのだ。

 天草四郎の願いは、綺麗だった。美しくて、かけがえのないものだった。

 それでも、彼を認めて肯定して、その救済を世に解き放てば、少年たちから奪われてしまうものがあった。

 意味のない静寂も、長いだけの平穏も、価値はないという答えを彼は出した。

 迷いながらも己で導き出したひとつの答えの価値を信じて、ルーラーはそれを護るのだ。

 ライダーの悲鳴のような声が上がる。

 

「ルーラー!盾が割れるよっ!もうもたないっ!」

「ええ、わかりました!ライダー、タイミングは任せましたよ!」

 

 ガラスにひびが入るように、彼らを守っていた盾の世界が砕け散っていく。

 入れ替わるように、剣を握ったルーラーを核にして火柱が生まれた。

 アサシンの毒をも焼き尽くして蒸発させ、大気を燃やし尽くし、焔は真っ直ぐに大聖杯へと向かって行った。

 それでいて、間近にいるノインは熱さすら感じない。彼だけでなく、ジークもカウレスも、ライダーもツェーンも皆同じだった。

 ルーラーの選んだものだけを灰にする、規格外(EXランク)宝具・紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)は、ここに顕現した。

 

「おのれぇっ!」

 

 アサシンが、両手を前に突き出して全力の魔力障壁を展開する。

 彼女のマスターである少年もまた、手を掲げる。天草四郎もルーラーの解き放った剣の何たるかを悟ったのだ。

 焔の柱が直撃すれば、喩えアインツベルンの大聖杯だろうと、破壊されてしまうだろう。

 

「負けるものか、ジャンヌ・ダルク!」

 

 焔の剣の源に立ちながら、安らかな表情で手を組み、祈るのは紛れもない聖女だった。

 この世の人々が幸福であるように、という願いを、ジャンヌ・ダルクが理解できないはずもない。だから天草四郎は本心から、彼女に賛同してもらいたかったのだ。

 その試みはもう砕け散った。彼女は、これから先も傷つけあうことをやめない生命を────人間を、まだ信じると決めていたのだ。

 天草四郎は、彼らを信じられない。()()()()()()()()()()()()()()()()()と決めたから、彼はここまでのことを為したのだ。

 だからもう、微かに感じていた心を捨てて、敵としてルーラーを排除すべきときだった。

 そして、かつて彼女の同士だった元帥もその様子を眺めていた。

 裏切られても、死した後も、どこまでも人々を信じるのだと、美しい焔の剣を振るうことを決めた聖女のことを。

 

「ああ……聖処女よ。貴女は、何があろうとも、どこにいようとも、彼らを信じるのですね……」

 

 伝説の殺人鬼から、救国の英雄の姿へと戻りながら、彼は顔を覆って膝を付いた。

 その傍らで、天草四郎の宝具は回転をさらに早めていた。

 先程よりも強く、先程とは比べ物にならない量の魔力を集めて。

 かつて人々に触れることで奇跡を齎した彼の両腕は、サーヴァントとなった今、二つの宝具へと昇華されていた。

 大聖杯からの魔力を取り込み、圧縮し、触れた者を消滅させる暗黒物質を生み出す。

 ルーラーの焔に護られながら、ノインはそれが生み出されるのをただ見ていた。

 呆けてしまったかのように、何もできなかった。

 聖女の最期の焔と、聖人に最も近い少年の闇。

 ここまで至っても、まだここで生きていても、ノインには、人類をすべて救うという願いの大きさとそれを阻もうとする想いの大きさは、今ひとつ身に迫って来なかった。

 わかるのは、ただ彼らが必死に自分以外のもののために戦っているという事実だけだ。

 自分はただいつも、何かに必死だったっただけ。目の前の大切な誰かに死んでほしくなくて、ずっと足掻いて来ただけだった。

 

────だけど今、俺はルーラーと共にレティシアが戦うのを見てるしかできてない。

 

 ふと見れば、ジークとカウレスもまた、その焔と闇を見ていた。

 目の前の激突を、彼らは皆今はただ見ているしかない。

 そっと、地面に置いた手に何かが触れて、ノインは我に返った。

 片目が髪で隠れた幼い少女の手が、そこに重なっていた。傷だらけになったノインの手よりも薄く小さく、壊れてしまいそうなほどに華奢な手だった。

 ツェーンは、そっとノインの頬に手を振れた。

 

「大きくなったんだね、ノイン」

 

 さするようにその手がゆっくりと動いた。その手から徐々にあたたかさと厚みが失われていた。

 彼女は”赤”のキャスターが呼び出した、一時だけの影法師。本当の妹は、あの日からずっと死んだままなのだ。

 そうと思っていても、ノインには目の前の手を振り払うことなどできなかった。

 

「ごめん……。俺……また、きみたちを置いて行かなきゃならない、みたいだ」

「ううん、謝っちゃだめだよ。だって、ノインはまだ生きてるもの。生きてるなら、わがままでいいんだよ」

 

 あれだけ、あのひと相手にみえ張ったのに情けないよ、とツェーンは笑い、ノインはその通りだと苦笑いした。

 

「あ、でも、なさけないのはわたしもおんなじだ。……さっきね、あの子にひどいこと言っちゃった。ノインに会ってほしくなかったって言っちゃったの」

 

 ツェーンはルーラーを、その中にいるレティシアを見た。

 

「ほんとうはちがうの。会ってくれて、ありがとうって言いたかった。でも……うらやましくなっちゃって。あんなふうに、わたしもなりたかったなって思っちゃった。わたしたちがほしかったもの、あの子はたくさんもってるから」

 

 例えば、おとうさんとおかあさん、とか。普通に学校に通う毎日、とか。青空の下で笑うこと、とか。

 

「だから、ノイン、わたしのかわりにあの子に謝っておいて。わたしには、もうできないから」

 

 ちょっとたいへんかもしれない、あなたは口がうまくないから難しいかもしれない。

 わたしはそのことを、誰よりしっているけれど。

 

「でも、お願いね。わたし、もうそれだけでいいんだ。こころのこりとか、ほんとうはあんまりなかったし。なによりもね、わたしたちのその先をあるいてきたあなたを、知れた。それだけでけっこう幸せだよ、わたし」

 

 それを最後の言葉にして、幻の少女は溶けるように永遠に消え去った。

 ほほ笑みを浮かべていた小さな顔が光となって四散し、あとには何も残らない。あたたかさも、手の感触も、辺りを取り巻く薄暗がりの中へと飛び去っていった。

 彼女の持っていたライダーの剣だけが、瓦礫の上に転がっていた。

 拾い上げて触れても、柄にはあたたかさの欠片も残っていなかった。

 彼女が望んだことは、ほんの僅かなことだった。

 求めたのは、彼女の流した涙と比べたらつり合うはずもない、ほんのひとつまみの幸福だった。

 

────さよなら。でも俺、泣くのは、あとにするよ。

 

 幻の少女が消えれば、ノインは焔と闇のせめぎ合いの場に引き戻される。

 焔は進もうとし、闇はそれを呑み込もうとする。

 衝突し、打ち消しあい、広間の中央で太陽のような光が爆ぜた。

 

 

 

 

 





少し間を開けてしまいました。
最後へ向け、様々な人にさようならをする話です。
十番目ちゃんは良くも悪くも、九番目の意志が一番。他のことは二の次になってる子です。なのでわりとその他の願いは切り捨ても手放しもする。 

それからアポイベシナリオ、とても面白かったです。
アフタールートのようで、胸に来ました。


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act-49


お待たせしました。


 

 

 

 

 

 

 

 一際強く、激しく光が弾けた。

 眩しさに耐えかねて、ノインは腕で目を庇う。ともあれそれはほんのわずかな時間で、すぐに収まる。

 

「……あ」

 

 見えて来た光景は、未だ輝く聖杯と隻腕になった天草四郎。それから、頽れたルーラーの姿だった。

 

「ルーラー!」

 

 ジークが叫んで駆け寄り、その体を抱き起こす。

 ノインはそちらに行かなかった。剣を握って、彼らの前に立つ。

 死に行く人間は見て来た。退去するサーヴァントも。だからもう、ルーラーが『此処』にいないことが、気配でわかってしまったのだ。

 

「ジーク、下がっていてくれ」

「ノイン……」

 

 残ったのは、ジャンヌ・ダルクという英霊が退去したあとの核。レティシアだけだった。

 アサシンが鎖を飛ばしてくる。彼女も彼女で気配が薄れているのか、勢いに欠けている。

 大気に満ちる魔力を、ノインは束ねて体に行き渡らせる。”黒”のバーサーカーのものだった雷を迸らせ、押し寄せて来た鎖を叩き落した。

 大聖杯はまだ生きていた。ルーラーの焔の剣で破損はしていたが、それでは大聖杯は止まらない。

 これを放っておいたら、多分世界の全員が不老不死とやらになるのだろう。

 

 ノインは痛む肺で息を吸って、吐いた。空気には、灰と血の味が溶けている。

 輝きを目の前にしても、欠片も、不老不死になりたいとは思わなかった。

 生きてはいたい。ツェーンとの約束を果たさなければならない。

 それでもこのまま、あの聖人じみた微笑みを浮かべる少年の思い描いた世界では、自分が思う生き方はできないのだ。

 

「まだ戦いますか?」

 

 言葉で答える代わりに、ノインは剣の切っ先を彼に向けた。

 敵は四人。ひたすらに物陰に隠れてこちらを見ているキャスターは放置、膝を折った白銀の騎士も同じく。

 遠くでは微かに破壊音がしている。”赤”のセイバーとアーチャーはどちらも健在でまだ続けているのだ。

 

「あー、ちょっと!ボクもいるぞ!」

 

 ライダーが槍を構えて飛び込んで来る。それより先に、天草四郎が腕を振った。

 

「令呪を以て命ずる!アサシン、ライダーを足止めしろ!」

 

 たちまち鎖が力を取り戻す。空間の中を鎖が大蛇のようにうねって、アストルフォが吹きとばされる。

 

「ッ!令呪を以て命ず、ライダー!そこから逃れろ!」

 

 ジークが対抗するべく令呪を切った。

 ライダーの手足に力が戻るが、元から彼のスペックでは庭園内のセミラミスに届かない。

 

「このっ!しつこいんだよ、キミ!」

「それはこちらの台詞だ、ライダー!マスター、そ奴は任せたぞ!」

 

 切羽詰まったサーヴァントたちの叫びを、どこか静かにノインは聞いていた。

 まるで自分がふたつに別れてしまったようだった。

 ツェーンの、ルーラーの、彼女たちの二度目の死に、胸が張り裂けそうなほど泣いている自分と、ただ目の前の『敵』を認識して剣を向ける自分。

 少しだけ足を後ろに下げ─────一気に前に飛び出した。

 

「くっ!」

 

 天草四郎は、片腕でノインの突進を止めた。

 剣と刀がぎりぎりとせめぎ合って、火花が散る。

 サーヴァントの身体能力に、ノインの体の方が悲鳴を上げていた。魔術で痛みを誤魔化し、バーサーカーから受け継いだ心臓で体を動かす。

 翻って片腕を失くしたとはいえ、天草四郎はれっきとしたサーヴァントだった。

 それでも馴染んだ動きで、ノインは剣を振るう。サーヴァントの力は失われても、六年も振るった武術の動きの片鱗は体に染みついている。

 

「そこまで、我が救済を拒むのか、お前はっ!」

「……うん。そうだな。あんたの願いは、悪いものじゃない」

 

 自分より、よほど真摯に生きて来て、どうにもならないことをどうにかしようとして、その果てに人類はどうにもならないのだと結論付けた少年。

 その彼は、剣の向こうでノインを睨んでいた。今度は彼のほうが、ノインに怒りを向けていた。

 どうして理解しようとしないのかと、瞳が頑迷さを糾弾していた。

 ノインの中にあった、燃えるような怒りは冷めていた。ツェーンが光になって消えたときに、その炎は鎮められていた。

 あとには、熾火だけが残っている。

 

「でもあんたの結論を、俺は信じないよ。信じたら俺は、きっと生きていられないから」

 

 人間が皆どうしようもなくて、争いをやめられないという、彼の結論。それは肯んじられない。

 だって、そんなのは虚しすぎる。悲しすぎる。

 ひとりになってしまっても、ただ頑張って来た甲斐が、きっと美しい世界がどこかにあるからと明日を信じた意味が、どこにもないじゃないか。

 

「そんな言葉で!」

 

 耳障りな金属音と共に、天草四郎がノインの剣をはね上げた。

 彼も彼とて、諦めるつもりは毛頭なかった。

 目の前にいるのは、デミ・サーヴァントとして生まれた人間。そうあれかしと、犠牲になることを定められた生命。

 救われるべき哀れな生まれ方をして、生きるために手を血に染めて、それでも結局自分が生きるために不要だからと救いを求めない、間違った存在。

 

「我が前に立ちはだかるのか、お前は」

 

 天草四郎の剣戟が速く、鋭くなり、ノインの剣は重く、鈍くなる。

 刀がついに、ノインの剣を弾き飛ばす。

 剣がノインの手から落ちた瞬間、天草四郎は踏み込む。だが、ノインの姿はそこになかった。

 彼は、叩き落された剣には目もくれていない。

 大地を滑る蛇のように迫り、下から拳を天草四郎の胴に打ち込んだ。

 

「ガッ!」

 

 咄嗟に魔力で防御したが、それでも天草四郎は数歩後退する。

 その気を逃さず、ノインは今度は彼の手から刀を蹴り飛ばした。

 先ほどまでとは明らかにまた系統の違う、武術の動きだった。

 

─────コンラの力じゃ、ないもんな、これ。

 

 ”黒”のアーチャー、ケイローンにわずかな時間で習い覚えた、何とか言う名前の武術。

 鍛錬が激しすぎて、一体何という名前の闘術なのかすらろくすっぽ記憶できていないのだが、動きだけは叩き込まれていた。

 この武術は、人体を破壊するためにつくりあげられた動きだ。

 刀を落とされた天草四郎の手から黒鍵が飛び、ノインの左目が上から下に斬り裂かれた。

 視界が片方潰れるが、斬られるのは予想できていた。

 追撃で踏み込み、拳を叩き込む。

 

「貴様ッ!」

 

 突如空中に蜘蛛の巣のように張り巡らせれた鎖が、現れる。足を絡め取り、胴を穿こうとしてくる鎖を、ノインは跳んで避けた。

 ライダーと戦っていたセミラミスが、追い縋る彼を吹き飛ばし、一瞬で転移して来たのだ。手には魔力が収束し、毒が生成される一歩手前の段階だった。

 

「ッ!」

 

 咄嗟に、見様見真似でノインは魔力を束ねて雷撃を放った。

 天草四郎目掛けて放たれたそれを、セミラミスは身を乗り出して我が身で受けた。

 ただでさえ、損傷していた霊体の心臓に、サーヴァントとしての核に、音を立てて雷の槍が突き刺さる。

 

「……え?」

 

 予想していなかった“赤”のアサシンの動きに、天草四郎とノイン、双方の動きが一瞬止まった。

 

「戯け者!我を気遣うな!あれを倒さねば、お主の悲願は潰えるのだぞ!」

 

 消滅しながらも、張り手のようなアサシンの声で、天草四郎の意識は取り戻された。

 

「『天の杯(ヘブンズフィール)』!」

 

 呼びかけに応え、最後の巨人の腕が持ち上がる。“赤”のアサシンは、それと入れ替わるように消え去った。

 ノインが迫り来る拳に対して咄嗟に身構えた刹那、吹き飛ばされていたライダーがその間に滑り込んだ。

 

「ライダー、耐えろ!」

 

 合わせてジークが最後の令呪を使い、三画すべてが消えた。

 馬上槍と拳がぶつかり、ライダーの足元の地面が大きく陥没する。

 ライダーは顔を歪めて槍を支えながら、声を張り上げた。

 

「何してる!早く行けェッ!」

 

 ライダーの稼げる時間は数秒足らず。

 剣を拾い上げる暇もない。

 残る最後の魔力を、ノインは脚と拳に込めた。

 僅かな感覚だけを頼りに、身体が覚えていた戦士の秘技『鮭跳びの術』の模倣で、ノインは魔力の盾を跳び越して天草四郎の前に出た。

 半分になった赤い視界に、呆気にとられたような天草四郎の顔が見える。

 呆けたのはほんの僅かな間で、彼もまた、刹那で取り戻した刀を構えていた。首を狙って伸びる刃の一撃を─────ノインは、避けなかった。

 勢いを殺すことなく、彼はそのまま前へと踏み込む。

 二人の体が交錯し、鮮血が瓦礫の上に滴り落ちた。

 

「ぐっ……!」

 

 胸を押さえ、仰向けに倒れたのは天草四郎。

 正面から、何の小細工もなしに、ただ速さと力だけを乗せて突っ込んだノインの拳は、彼の胸を穿ち、心臓を破壊していた。

 

「……」

 

 同時に、ノインも肩から噴水のように赤い血を流して倒れ込む。

 黒鍵は左肩を深く切り裂き、長い傷を胴に残していた。ノインの体からだくだくと血が流れ、みるみるうちに顔色が白く儚くなっていく。

 

「はは……。相討ち覚悟、か。……そうまで、して、なぜ、お前は俺の願いを拒んだ?」

「……」

 

 ノインは、ただ全身の力を解き放つように、暗い天井を見上げて深い息を吐いた。

 

「……あんたには、わかんないさ」

 

 浅い息の下で一言を絞り出して、ノインは目を軽く瞑った。

 体がどんどん冷たくなっていた。心臓が一うちするたびに血と命が流れていくのを感じる。

 それでも、危なくはあっても、少なくとも今すぐには死にそうにはなかった。存外、バーサーカーの心臓は丈夫らしい。

 それとも自分の悪運が、強いのだろうか、とノインは思い、急に笑いたくなった。

 

「だが、ノイン・テーター。まだこちらには、彼がいる。お前に聖杯を壊す術はない」

 

────お前の負けだよ。

 

 天草四郎という男は、それを最後の言葉にしてこの世から去った。

 自分の手は、また生命をひとつ、この世から消し去ったのだという事実が胸に迫って来る。全身から、さらに速く生命のあたたかさが抜けていくようだった。

 瞼の裏の冷たい闇の向こう側から、こちらに近付いて来る足音が聞こえたのはそのときだ。

 瞼を押し上げてみれば、欠けた視界にこちらを見下ろす騎士の姿が見えた。

 

─────ああ、そう言えば。

 

 ジル・ド・レェという男が、まだ残っていたのだっけ、とノインはどこか冷めた頭で思った。

 騎士鎧を身に着け、厳しい顔をした彼の手には、剣が握られている。銀の刃に反射してきらめく光が、やけに眩しくて見ていられなかった。

 どうして真っ先にこちらのとどめを刺しに来るのだろうと、ふと疑問が湧く。振り上げた刃には、片目が斬られたもう無力な少年の顔が映っていた。

 刃を避けようにも、身体が動かせなかった。血を流し過ぎ、魔力を使い過ぎた。

 それでも僅かばかり全身に力を入れたところで、ノインの視界に金色が翻った。

 張りつめた声が、耳朶を打った。

 

「だめですっ!」

 

 ジャンヌ・ダルクの外殻もない、ただの少女は────レティシアは、躊躇いも見せずに、少年に向けて振り下ろされる刃の前に飛び込んだ。

 

「ッ!?」

 

 敬愛する聖女に似た面ざしが、意志の籠もった強い瞳が、ジル・ド・レェの剣の鋒を鈍らせる。

 

 その戸惑いの瞬間に、彼の体を暗闇から飛来した一本の矢が貫いた。

 

 ジル・ド・レェの体が大きく傾ぎ、間近で人が矢に貫かれるところを見たレティシアの喉が、ひゅ、と鳴った。

 篭手に覆われた手から剣が落ちて、音も立てずに魔力へと分解される。

 ジル・ド・レェは自らの胸に生えた矢を見下してから、驚きで目を丸く大きく見開いた少女と少年に目をやった。

 

「─────これで────」

 

 最期に何か、声にならない一言をこぼして、仮そめの姿で現世に現れた騎士は消え去った。

 

「ノインさんっ!」

 

 呆然としていたのはほんの一瞬で、レティシアは振り返ってノインの体を抱き起こした。

 彼女の服と手が、赤く染まっていく。レティシアの口から、悲鳴のような声が出た。

 

「か、カウレスさん!ジークさん!ち……ちが、血が止まりません!どうしたら……!?」

「そのまま傷口を抑えててくれ!止血する!」

 

 瓦礫を飛び越えて来たカウレスは、そのまま治癒魔術を発動させた。

 淡い光が、瓦礫と血溜まりを照らす。

 

「あんたはこいつを気絶させるな!名前でも何でも呼んで、とにかく寝かすな!」

「は、はい!ノインさん、聞こえてますか!」

 

 レティシアの叫びに、ノインは目を細めた。

 

「いや……そんな、叫ばなくても聞こえて、る、から。俺、は、だいじょう────」

「そんなわけあるかっ」

「そんなわけありませんっ!」

 

 同時に叫ばれ、半身を持ち上げかけていたノインは、はは、と短い笑いをこぼして、諦めたように頭を下ろした。

 

「おいおい、何だぁこのザマは?」

「……」

 

 瓦礫を踏みしめて、奥の闇から姿を現したのは“赤”のセイバー。そして、半身に獣の皮を纏った“赤”のアーチャーだった。

 彼女は、倒れた天草四郎の体と輝きつつも破壊の跡が痛々しい聖杯を見て、足を止める。

 

「遅いよっ!キミたち何やってたのさ!」

 

 ジークに肩を貸されて、ぼろぼろになったライダーが現れた。ともかくも無事な姿に、ノインはほっと息を吐いた。

 

「しゃあねえだろうが」

 

 顔をしかめながら、モードレッドは大聖杯を見上げた。半壊して尚、器は生きていた。

 人類を不老不死へ昇華すべく動き出す手前にある魔術機関である。

 その足元には天草四郎が斃れていた。

 胸には風穴が開けられているが、表情は穏やかだった。

 モードレッドは鼻を鳴らした。

 

「やったのは、お前か?」

 

 物言わぬ神父の骸から、血に染まっている少年へセイバーは目を向ける。

 

「ああ」

「そうかよ。にしてもお前、ひっでぇ有様だな。死に体じゃねぇの」

「……うる、さいな。そっちだって、似たような、もん……だろう」

 

 実際、“赤”のセイバーは鎧もあちこちが砕け、目の上からは血が流れていた。同じくアーチャーも、体のあちらこちらから血が流れている。

 しかし先程の矢は、彼女が放ったものらしかった。

 獣の皮を身に纏ったまま、聖杯の輝きをただ黙って見ていたアーチャーは、急にノインたちの方を振り返った。

 レティシアがノインを庇うように身を乗り出し、アーチャーは少し頬を緩めた。

 

「案ずるな。汝らと戦う気は既にないからな。天草四郎との契約は、切れている。……汝が彼の生命を絶った瞬間に、破棄することができた故な。今の私は、単独行動スキルで生きているだけだ」

「なんでさ、アーチャー?キミは聖杯に願いがあったんじゃないのかい?」

 

 警戒のつもりか、ひしゃげてしまった槍を消さずにライダーは問いかける。

 アーチャーは、ゆるゆると首を振った。

 

「それよりもノイン・テーター。汝の、妹だったか?あの幼子はどこへ行ったのだ?……教えてくれ」

 

 アーチャーの目を見上げ、少し黙ってからノインは応えた。

 

「……消えたよ。最期に……笑ってたけど」

「そうか……そうなのか」

 

 泣き笑いのような顔でアーチャーは、片手で顔を覆う。宝具でもある魔獣の皮と混ざり合った姿のまま、しばしアーチャーは黙していた。

 

「んでお前さんがた、何がどうなったか、聞いても良い雰囲気かい?」

 

 崩壊していく空間に漂う奇妙な静けさの中に、さらにもうひとりが加わる。

 最後に現れた獅子劫は、不味そうに煙草の煙を吐き出したのだった。

 

 

 

 

 

 





様々な人から与えられ、教わり、借りた力をかき集めて戦った話。

そろそろ終わります。


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act-50

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

「よし、壊すか」

 

 端的にジークがここで何があったのかを語ると、セイバーは剣を聖杯に向けて言った。

 

「いいのか?セイバー」

「構わん。どのみちこうなっちまえば、魔術師のサーヴァントでもいない限りどうにもならんだろう。もう聖杯は願いを受けて動き出してるって言うんならな」

「いや、魔術師のサーヴァント……“赤”のキャスターなら消滅していないと思うんだが」

 

 ノインに一通り治癒魔術をかけ終えたカウレスが言う。

 

「吾輩のことですかな?」

 

 柱の陰から現れたのは、キャスター・シェイクスピア。ちゃっかりと生き残っていたらしい。

 

「……」

 

 無言でノインから殺気が放たれるが、レティシアがびくりと肩を震わせるとすぐに収まる。

 それでも、ノインは睨むことはやめなかった。その視線を受けても、キャスターは飄々と、笑う。

 

「いやぁ、そう警戒せずとも、ぶっちゃけ吾輩もう戦力になりませんからな」

「だろうよ。……確かに此奴は宝具を使わせん限り無害だ。それより、本気で壊すのか?」

 

 アーチャーが呆れた表情を浮かべながら、セイバーに問いかけた。

 

「おう。おい、ノイン・テーター。お前、これを使われたくないんだろ?」

「そう、だが」

 

 レティシアに支えられながら、ノインは体を起こす。

 視界は、左目を斬られてから半分欠けたままだった。

 

「不老不死の世に興味はないし、マスターやオレが使えんのなら壊して構わんだろう。なぁ、マスター、それで良いか?」

 

 紫煙を纏い付かせた獅子劫は、煙草の火をもみ消しながら頷いた。

 

「こうなっちまえばな、誰も聖杯を止められんし、動かせないんだろ?霊脈を壊すんなら、ひと思いに壊したほうが協会からしてもマシだろうさ」

 

 神代級のアーティファクトに対して、余りにぞんざいな物言いだったが、獅子劫は本気で言い切り、“黒”の人々とレティシアに目を向けた。

 

「それより、どうやって脱出するんだ、お前さんがた」

「……あ、ヤバ。ヒポグリフ、いないんだった」

「ちなみに転移装置も使えませんなぁ。そこの彼が女帝殿を消してしまったので、庭園も崩壊間近です!『これが最悪だ、などと言えるうちはまだ最悪ではない』と言わんばかりに!」

「キャスターは一体……何をしに出てきたんだ?」

 

 ジークが首を傾げ、ライダーが手の打ちようがないと言わんばかりに肩をすくめた。

 キャスターは彼らのことも一向気にせず、仰々しく礼をする。

 

「それは無論、作家として結末を味わい、物語を記すためですが?……いえね、番狂わせがあったとはいえ、『不幸を治す薬は希望より他に無い』というひとつの答えが出たのに、逃げ遅れての全滅などという無様なオチでは、面白くない!ならば多少の手は貸しますとも!……しかし、じゃあお前に何ができるのかと言われれば特に術は無いんですがね!エンチャントしようにも、道具がないのですから!なので要は、見逃して欲しいという話ですな!」

 

 しかめ面でノインは口を開いた。

 

「……カウレス。こいつは、ほっとこう。本気みたいだから。それより、セイバー、本当にあれを壊せるのか?」

「ああ?疑ってんのか?テメェ」

 

 たじろぐノインに、アーチャーが弓を見せた。

 

「私もやろう。ここでは、私の願いは叶いそうもないからな」

「良いのかい?アーチャー。キミは、ボクと違って願いがあるから彼に手を貸してたんだろ」

「そうなのだがな……これに頼るのは止めたよ、ライダー。……何、これも子どもらが、健やかに大人になるためと考えるならば、強ち私の願いが、全く叶わなかったわけでもないのだ。また私は、何処かで願いを追うさ。諦めたわけではないからな」

 

 アーチャーは言って、薄く、儚く微笑んだ。

 最初に会ったときの、酷薄な狩人の印象を感じさせない微笑みに、ノインは驚く。レティシアも同じように、目を見張っていた。

 アーチャーは軽くノインとレティシアの頭を撫でた。

 

「汝らは驚かずとも、気に病まずとも良い。死なずにただ生きるだけの生命は、前に進む子どもらのための福音でないときもある。それを、わからせてくれたのだから」

 

 アーチャー・アタランテが言い終えたとき、測ったように床が不穏に鳴動した。

 

「時間が無いぜ!いいか、アーチャー。オレの合図で宝具で壊せ。壊したら、こいつらを掴んでここから飛び降りるぞ。お前、空飛べるんだろう?さっきそれで攻撃してきたんだからな」

「できるが抱えて飛べるのは、この状況では三人が限度だ」

「んじゃ、オレがマスターとそこの偽アーチャーを抱えて落ちる。それで良いだろ」

「ちょっと待て、勝手に……」

 

 ジークが言いかけるが、カウレスがそれを手で制した。

 

「“赤”のセイバーのマスター、ノインを連れてけるなら、連れて行ってくれ。こいつは、ユグドミレニアには戻らないほうが良いんだ」

 

 この戦いは最早終わりかけだが、ユグドミレニアにはその後嵐が起こるだろう。

 聖杯は壊れ、ダーニックは死んだ。それまでの柱が根こそぎにされてしまったのだ。

 次の当主と目され、血族の中で最も優秀な魔術師であるフィオレが、既に明らかに魔術の腕に劣るカウレスに、魔術師としての力を譲渡しているのだから。

 ユグドミレニアが生き残れるかの嵐の中、前の当主を間接的とは言え殺めた使い魔がのうのうと生きているとなれば、消そうとする者もいるだろう。

 ダーニックは当主として、見事に一族を率いていた。彼は恨みも買っていたが、彼から恩も利も受けていた相手は大勢いるのだ。

 彼らの暗い感情の矛先は、まだ生きている者に向かう。

 獅子劫には、カウレスが言葉にしなかったことも伝わったようだった。

 

「ああ、そういうことか。だが、俺がこいつに何かするとは考えないのか?カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア」

「あんたが、こいつを売り飛ばしたりできるならな。サーヴァントの宝具そのものの心臓を持った、魔術師だぞ」

 

 獅子劫はノインと、そしてセイバーの方をちらりと見た。

 

「やらんさ。俺も刺されたくはないし、ウチのセイバーが許さんだろう」

「わかってるじゃねぇか、マスター」

 

 頭上で交わされる会話の意味を、ノインは飲み込んだ。

 カウレスの考えは、ノインにも理解できた。彼は、一族から魔術に長けていないと知られたまま、当主になるだろう。

 カウレスがノインを庇えば庇うほど、それだけ当主としての彼の立場も悪くなる。そうなるのは嫌だったし、ユグドミレニアに今更戻る気にはなれなかった。

 しかしそうなれば、ジークに会うこともなくなるだろう。彼はユグドミレニアの城に残った仲間のところへ帰るのだから。

 

「じゃ、ここでお別れだな。ジーク、レティシア、ライダー」

 

 何とか立ち上がって、ノインは言った。

 

「え……?」

 

 ライダーは、心得たように寂しげな笑みを浮かべたが、呆けた声が二人から上がる。

 死線をくぐった直後では、二人ともそこまで考えが至っていなかったらしい。

 ライダーやノインができているのは、一種の慣れだった。

 

「俺は、いきさつは何であってもマスターを、当主を手にかけてる。……だから、いないほうが、色々面倒がなくて良いんだよ。そういうことさ」

 

 何か言おうとするレティシアをノインは遮った。

 

「だから、さよなら。二人とも、ちゃんと帰るとこに帰れよ。ジークはトゥールにもよろしく。レティシアは……うん、元気でな」

 

 言いたいことがあった。伝えたいことがあった。

 それでもそれは、言わないことにした。

 彼女には帰るべきところがあるのだから。

 だから早口に、何でもないことのように言って、笑う。

 目が斬られて、多分怖い顔になってしまったが、勘弁してもらうしかなかった。

 

「おい、別れは済んだか?やるぞ」

 

 セイバーの剣と、アーチャーの弓に魔力が蓄えられる。

 空間が軋み、崩落の速さが増していく。

 英霊ニ騎は、臆することなく魔力を集める。セイバーは剣を振り上げ、アーチャーは黒く染まった弓を引き絞った。

 その魔力光を見ながら、ノインはふとあることを思い出した。

 

「レティシア」

「は、はい」

 

 まだ戸惑っているのか、レティシアは胸の前で手を握りしめていた。その服には、血が飛び散り、裾は赤く染まって汚れていた。

 誰のものでもない、ノイン自身の血だった。

 

「ツェーンから伝言だ。……色々ひどいこと言って、ごめんなさいってさ」

「え?」

 

 レティシアが聞き返そうとしたその瞬間、セイバーとアーチャーは宝具を開放した。

 赤い真っ直ぐな光と、白い光の矢が、聖杯に突き刺さり、炸裂する。

 光の中、聖杯が砕け散る瞬間を、確かに彼らは見届けた。

 

「よし!全員走れ!」

「わかってるよっ!」

 

 獅子劫の号令一下、人々は瓦礫が降り注ぐ中を走り出した。ひとり、奈落の底に留まるキャスターの高笑いを背にしながら。

 魔力で身体強化ができない分、足の遅くなるレティシアはライダーが抱えて走る。

 落ちる岩はセイバーとアーチャーが払い除け、必死で前に進んだ。

 地下から間一髪で抜け出し、庭園の端にたどり着く頃には、人間たちの息は上がっていた。

 庭園上部にあった古代の街並みも、主の死に伴ってか、がらがらと音を立てて崩れて行く真っ最中だった。

 

「おし、出るぞ!」

 

 休む間もなく、ノインはセイバーに襟首を摑まれて引っ張り上げられた。

 隣では、アーチャーがカウレスとジーク、レティシアを抱えていた。ライダーは、霊体化してそのまま飛び降りるつもりらしい。

 足場が崩れ、柱が倒れて来る。時間切れだった。

 別れを言う代わりに、とりあえずノインは手を振る。

 レティシアと、視線がぶつかる。何か口を動かしたようだが、崩落の音がひどく、聞き取れなかった。

 

「舌噛むなよ!落ちても回収できねぇからな!」

「おい!」

 

 そしてセイバーは、獅子劫とノインを抱えて、そのまま庭園の縁を容易く踏み越えて、空へ身を踊らせた。

 

「─────ッッ!?」

 

 雲の海に頭から突っ込んだかと思うと、風が頬を叩く。

 天地が引っくり返ったかと思うと全身が揺さぶられ、ノインは目眩がした。

 

「魔力で適当に防御しろよ!何せ、魔力放出で落下しかできんからな、オレは!」

 

 そういうことは先にいえ馬鹿野郎、と普通ならノインは罵っていたろう。

 だが魔力がガス欠になる寸前では、衝撃を和らげ、体を守る術式を発動させるので精一杯だった。

 悪夢のような自由落下の時間は唐突に終わり、ノインは気づけば草地の上に転がっていた。

 どうやら、奇跡的に陸地の、岬のように海へ突き出した小高い丘の上に着地したらしい。

 

「起きたか。お前、英霊が抜けるとほんと弱っちくなるんだなぁ」

「……当たり前だろ」

 

 腕組みをしてノインを見下ろすセイバーは、口の端に煙草をくわえていた。

 しばらく気絶してしまったらしいと気づいたが、立ち上がる気力もわかず、ノインは半身だけを起こして空を見上げた。

 手の下には、朝露に濡れた草の感触がある。目の前には海が広がっていて、血の匂いではなく、草と土と潮の匂いが辺りに満ちていた。

 空の彼方にあるはずの、先程までいた庭園は、雲海の彼方に隠れていて見えなかった。

 獅子劫も空と海を眺めていた。黒塗りのサングラスが彼の表情を隠していた。

 

「セイバー、あんたもいくのか?」

「まぁな。マスターと暴れられたし、女帝にひと泡吹かせられた。願いは叶わなかったが、もういいのさ」

 

 に、とセイバーは碧眼を細めてから、今度は思い出したように眉をひそめた。

 

「だが結局、お前の首は繋がったままだな」

「……さすがにもう、勘弁してくれよ」

 

 その言葉を聞いて、彼女には殺すと言われていたことを思い出した。

 あれは確か、草原の戦いで、セイバーの宝具から、“赤”のバーサーカーによって守られたのがきっかけだ。

 それからルーラーに助けられた。その下にいるただの少女に気づいた。

 それからの記憶が、急にノインの頭の中に浮かび上がって来た。

 主の最後の憤怒の眼、叡智のゴーレム、幼い殺人鬼、ここにいてほしいという少女の声、街から見た夕日、賢者の言葉、心の中に宿っていた英霊の少年、消えて行く太陽の英雄、手を握った妹、真摯に奇跡を求めた少年。

 次から次へ、音と匂いと感情が泡のように胸の奥から吹き上がっては、弾けて消えて行った。

 気づけば、頬が濡れていた。

 右の目から透明か雫が溢れて、頬に飛び散った血を洗い流して落ちて行く。

 左の目からは、何も流れなかった。

 

 悲しいわけでもないのに、片目から涙があふれて止まらなかった。

 

「あれ……なんで、俺……」

「知るか、バーカ」

 

 じゃあな、とセイバーは手を振って、彼女のマスターの元へ駆け戻った。

 

「おいマスター、こりゃあ何だ?クッソ不味いぞこの煙草」

「そういうもんなのさ、セイバー」

 

 紫煙を吐き捨てて、セイバーはくるりと丘の頂上で朝日を背にして回った。

 

「あばよ、マスター。なかなかに楽しかったぜ」

「俺もだ、セイバー」

 

 それきりで、セイバーは朝日の中に消えた。

 ノインは目元を無茶苦茶に拭ってから立ち上がって、獅子劫に近づく。

 

「ノイン・テーター。そういやお前さん、その目はどうしたんだ?」

 

 振り返り、歩きながら、獅子劫は天気を尋ねるように言った。

 ノインは瞼の上から傷に軽く触れる。

 刀で斬られた眼は、痛みこそ薄れていたし血も止まっていたが、何も映さなくなっていた。だが、宝具並みの武器で斬られてこれだと思えば、幸運な話だった。

 前髪を伸ばそうか、とノインは思う。

 けれど、髪が目を覆い隠すまで生命が続くのかも、わからないんだよな、とそっと息を吐いた。

 

「ああ、これか……。天草四郎に刀で斬られた」

「見えてんのか?」

「全く駄目だ。何も見えない。おかげで、あんたみたいに怖い顔になった」

 

 丘を下る獅子劫の少し後ろを、足を引きずって歩きながら、ノインは言った。

 

「で、これからどうするんだ?」

「時計塔に戻るさ。聖杯は壊れちまったが、ユグドミレニアも倒れた。痛み分けってことで、報告に行かにゃならん。……一応聞くが、ついて来るのか?」

「ああ、もうルーマニアにいられない。ここはユグドミレニアの血が濃く根付いてるからな。ロンドンくらいまで離れないと。……というわけで、あんたについてくから、よろしく」

「ほんとに勝手な糞餓鬼になったな」

「そりゃどうも」

「いや、褒めてねぇよ」

 

 ノイン自身、ロンドンの魔窟である時計塔とこのルーマニアどちらがマシなのかはわからなかったのだが、とりあえず笑った。

 

「ちなみに、ノイン。お前さん、パスポートなりなんなりは?……ああ、その顔じゃ、まともなの持ってるわけねぇか」

 

 きょとんと首を傾げたノインを見て、獅子劫は頭を振る。

 ユグドミレニアに造られ、サーヴァントと融合し、さらに別のサーヴァントによって蘇生した少年である。

 生い立ちを鑑みれば、旅券どころか、戸籍があるかすら怪しい。というか、この分ではその類のものはまったく無いのだろう。

 またぞろ面倒な、と息を吐く獅子劫の後ろで、ノインは空を振り返った。

 果てもない蒼穹の向こうを見透かすように目を細めてから、ノインは丘を下る獅子劫のあとについていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 





ユグドミレニアとの別れ。
使い魔が主を殺めたのだからただで済むわけがない。
なら、死んだことにして離したほうが良い。

そして次はエピローグ。忘れ物してます、この少年。


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act-51

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 夢の中で、あの荒れた海を訪れることはもうない。

 あれは、コンラの霊基を借りていたがために、彼の過去が覗けていただけ。

 一度死んで、彼がいなくなったなら、夢を見ることはなくなる。

 そのはずだった。

 

「……」

 

 だが、ノインは気がつけばまたこの荒海を見下ろす崖の上に、ひとり立っていた。夢の中であることは確かなのだが、明晰夢とでも言うべきか、やはり意識がはっきりしていた。

 

「ふむ、その疑問は当然であろうな。彼奴が立ち去ったのだから、お主と我が弟子との縁は一度は切れておる」

 

 気づけば、岩の上にひとりの女性が佇んでいた。体の線を明らかにする黒い装束と、両手に持った朱色の槍二本。

 口元を布で隠しているが、覗いている眼は鮮やかな紅だった。

 目の前の女が誰なのか、ノインは悟る。

 

「影の国の、女王……」

「如何にも。我が名はスカサハ。影の国の主だ。そして、お前を呼んだのは私だ」

 

 覆面の下で、スカサハという女は口を吊り上げて笑った。

 

「我が弟子の一人の依り代になっていたのなら、わかっているだろう?私の国はこの世には存在しておらん。世界から切り離され、死という安らぎも得られなくなった霊が跋扈する、冷えた世界だ」

 

 そう。影の国とはそういうもの、らしい。

 コンラの記憶と、英霊としての知識の断片を覗き見ることのできたノインは知っていた。

 かの国の女王スカサハは、詰まるところ、殺し過ぎ、強くなりすぎて、()()()()()()()のだ。

 安らぎを奪われて、死霊の国を一人治め続けることになった女王。

 とはいえ。

 ノインには、彼女に同情するとか、境遇を哀れに思うとか、そういう感情は微塵もなかった。

 強くなりすぎて死ねなくなったのに、さらに強さを求めて闘争の技術を磨き続けるという頭の方向が、まずもって理解できないのである。

 そも、コンラとクー・フーリンが死闘を展開したのは、スカサハのクー・フーリンへの愛が原因のひとつだ。

 コンラがスカサハを恨んでいなくとも、師として他にやりようがあっただろうに、とノインは思っていた。得てして、当事者より他人のほうが、こういった場合苛立ちを覚えるものだ。

 あれやこれやで、ノインはスカサハの姿を認識した瞬間に、顔を引きつらせていた。

 彼女のほうは気にすることもなく、滔々と語っていた。

 

「だが先日、何処ぞの誰かが我が国へ通じる門を開いて、神殺しの一撃を叩き込みおった。拙い開け方で、一体何をする気なのかと思えば、大陸の神々由来の攻撃と来た。これで驚かないということはあるまい?」

「……」

 

 至極真っ当に考えれば、国土にいきなりそんなものを投下されて、何もせずに済ます王などいるわけがないのだ。

 ノインは、大きく息を吸う。言えることはひとつだった。

 

「申し訳、ありませんでした」

 

 そのまま、深々と頭を下げた。

 スカサハは愉快そうに、覆面を取ってノインを見下ろす。

 

「だがまあ、それはどうでも良いのだ。良い暇つぶしにはなったからな」

「……は?」

 

 間の抜けた声が出た。

 スカサハは一向気にしないのか、反射的に頭を上げたノインの顔をじろりと覗き込む。

 

「多少無茶な造られ方をしたと見えるが……この時代の神秘と、かかった時間の短さを鑑みれば、お前はなかなかに良い戦士だ」

 

 それだけに惜しくなってな、とスカサハは槍を手の中で回した。

 

「捨て置けば、お前の命数は然程経たずに尽きよう。本来はあそこで絶えていた運命を、無理矢理に先に進めたようなものなのだからな」

 

 やはりか、とノインは黙った。

 そんな気はしていたのだ。ただ言葉にされると、胸を打つ何かがあった。

 影の国の女王は、しかし笑みを浮かべる。

 

「しかし、それはつまらん。儂の国にあれだけの楽しみを届けたのだ」

 

 生きるが良い、とスカサハは言うが速いか、ノインの額にルーン文字を指で刻んだ。

 額が燃えるように熱くなり、ノインは草の上に膝をついた。

 

「何、を……?」

「少しばかり、お前の魂と生命をこちらに繋げた。何、私の国は死から切り離されている。死を遠ざけられていると言ってもいい」

 

 生命を延ばすというより、死を遠ざける。

 そのためのルーンを魂に刻んだ、とスカサハはこともなげに言った。

 

「死なずに生きてみせろ。技を磨き、戦士となれ。……あの一撃はなかなかに愉快だった故な、またああ言ったモノに関わるならば、いつか儂に届くだろうさ。……いや、そうでなくてはな」

 

 ノインは答えるどころではなかった。

 額から何かが体の中に流れ込んでくる。

 熱いのに、ぞっとするほど冷たい何かを孕んだ奔流が意識をかき混ぜていた。

 

「ではな。ノイン・テーターとやら。何、また暇になれば、夢の中に呼んで稽古でもつけてやろう。あの弟子が抜けたあとのお前は、ひどく弱いからな」

 

 玲瓏だが嗤うような響きを湛えた声が、遠くなって行く。

 意識が消えて、ノインは夢の中から弾き出された。

 

 

 

 

 

  

 

#####

 

 

 

   

 

 

 

─────そんなモノを見てから、どれだけ経ったんだろう。

 

 そんなことを考えた、朝っぱら。

 顔の半分を覆い隠すような黒い眼帯を付け、テーブルに頬杖をついたノインの前には、金髪の少年が目を輝かせながら座っていた。

 どんよりとしたノインの紅い隻眼と逆に、彼の青いふたつの目は輝いていた。

 

「それでさ!考えてみたんだけど、このメイドゴー────」

「フレッシュゴーレムに雷撃を落として動かす話なら却下」

「えぇ〜。君も知ってるだろ、ほら、エルメロイの姫さんが連れてる水銀メイド。成功したら、あの子みたいに凄いのができると思うんだよ!」

 

 試してみようじゃないか、と目を輝かせる、青年と少年の中間にいるような彼は、フラット・エスカルドス。

 現在のノインの同級生とも言える時計塔の学生で、目下のノインの頭痛の原因だった。

 最初の頃は遠慮もあったのだが、なんかカッコ良くなりそうだから、とフラットが勝手に、ノインの潰れた左目に魔眼モドキの宝石を入れようとして以来、遠慮は消し飛んでいた。

 

「やらないと言ったら、やらない。大体、フランケンシュタインの怪物をベースに、メイドゴーレムを造りたいとか、何考えてんだよ!」

 

 ばんばんばん、とノインが平手でテーブルを叩き、上に置かれた書物と書類が跳ねた。

 朝から下宿に押し掛けて来て、何を言うかと思えば完璧なメイドゴーレムを動かしたいから付き合え、とは何を言っているのだろうと、ノインは頭が痛かった。

 

「えー、だってフランケンシュタインの怪物ってのも、フレッシュゴーレムみたいなものじゃないかな?上手く行くと思うんだけどなぁ」

「……あのバーサーカーを、そんじょそこらの生肉ゴーレムと一緒にするなっての」

 

 ぼそりとノインがいうと、フラットは目を輝かせて半身を乗り出した。

 

「それ!やっぱり、君が参加してたって言う聖杯大戦の話だろ!フランケンシュタインの怪物にカバラのゴーレムマイスター、ギリシャ神話の賢者に、あのマハーバーラタの英雄に英国の文豪までがいたってホントなのかい?君も彼らと戦って、それで生き残ったんだろ?」

「……あんた、また教授の通話を盗み聞きしたな」

 

 隻眼を細めてノインが言えば、フラットは開き直ったように胸を張った。

 

「ちょっと弄ったら聞こえただけだから。それよりも教えてくれよ、聖杯大戦のこと。君も参加してたんだろ。デミ・サーヴァントとして!」

「大声で言うなって!それ、他の魔術師にバレたらマズイから喋れないって言ったろ!」

 

 バチ、とノインの前髪から小さな紫電が放たれ、フラットの額に直撃した。

 愉快な悲鳴を上げて椅子ごと後ろにひっくり返ったフラットを放置して、ノインは壁に引っ掛けている黒いジャケットを羽織った。

 

「あれ?どっか行くのかい?」

 

 何事もなかったかのようにフラットは尋ね、復活する。

 

「先生に呼ばれてるんだ。新しい生徒が来るから案内しろってさ」

「じゃあ俺も行く!」

「そっちは先に課題を片付けろと先生から言われてただろ……」

「気にしない気にしなーい。いざとなったら君に手伝ってもらうし」

「少しは気にしろ。それから俺を巻き込むな」

 

 このヤロウ、とノインのこめかみに青筋が立つ。フラットはそのまま、扉を開けた。

 

「ほらほら、早く行かなきゃグレートビッグベン☆ロンドンスターに怒られるよ」

「あんたは、一度こてんぱんに怒られて伸されてしまったほうがいいと思うんだが」

 

 そうして顔をしかめながら、ノインは部屋から外へと出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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 あれから、どうなったのか。

 時たま、あのときから何年も経ったように感じるが、数ヶ月前の出来事なのだと思い出すたび、ノインは、随分遠くまで来てしまったような心持ちになる。

 結局、ユグドミレニアは解散と相なったそうだ。

 当主になったカウレス・フォルヴェッジは、ユグドミレニアの持つ資産を売り払い、一族を解散した。彼らは元の、ばらばらの弱小魔術師たちになったのだ。

 対外的には、それだけだった。

 聖杯大戦を起こして魔術協会に弓引いた事実は、なかったことにされたのである。

 それで済むのか、と思ったが、協会側にも事情があった。

 “赤”のマスターに選ばれた、獅子劫以外の五人の中に、それなりに偉い魔術師がいたのである。

 その彼が、聖堂教会から派遣された天草四郎の奸計にあっさりかかって、戦うどころかまともな参加もできずに脱落したことは、彼の経歴の汚点となる。

 ならばいっそ()()()()()()()()()()()()()()()と、そういう流れになったらしい。

 ユグドミレニア全員の粛清という手も、なくはなかったが、協会にしてみれば千年樹に参加していた家のすべてを絶やすなど、面倒な話である。

 それならばらけさせ、利権もすべて奪い取ってしまって、元の無力な魔術師の家々にしても構わない、となった。

 “赤”のランサーに持ち掛けられた話に乗ったとき、つまり、彼のマスターを助けることを決めたときには、そういう流れになるとノインには予想できなかったのだから、その話を聞いたときは驚いたものだ。

 

─────ホント、何が幸いになるかわかったもんじゃない。

 

 あのとき、無茶をして影の国への門を開けたことで、彼の国の女王に目をつけられて、ノインは生きている。

 こういう話を、ノインは獅子劫とそれから現在の先生となった、ロード・エルメロイⅡ世から聞かされた。

 というより、獅子劫はエルメロイⅡ世にノインを押し付けたのである。戦後報酬の一環ということで。

 元デミ・サーヴァントで、サーヴァントの宝具を生命の源にしていて、おまけに原初のルーンの知識が残っている人間なんて抱え込めるか、ということだった。

 放っておけば貴重な素体として、一生ホルマリン漬けにされるところだ、と押し付けられたエルメロイⅡ世は額に皺を寄せていた。

 しかもそのまま、獅子劫はまたどこかへ流れて行ったのだ。一度だけ戻って来たが。

 ホルマリン漬けになりたくなければ、魔術師としてまともに研究成果を出せるようになれ、とそんなことを、いつも眉間に皺を寄せているエルメロイⅡ世から言われて、そのままノインは、時計塔の彼の教室に居着いている。

 

─────でも、俺、魔術師というより魔術使い向きなんだよな。

 

 そう思わないでもないが、とにかく今はまともな生活になれるほうが先だった。

 時々誰かに、槍で追いかけ回されるとんでもない悪夢を見て飛び起きたりもするが、戦えと命じられることも、英霊と一対一で向き合うことも、ない。

 だが一方で今の日常には、借りてきた衣のような馴染まなさを感じる自分もいた。

 それとも、こうやって生きていたら、いずれそういう感覚は薄れて消えて行くのだろうか。

 

「新しく来る生徒って、誰なのか知ってるのかい?」

 

 フラットの声に、ノインの意識は引き戻された。

 時計塔の廊下を通って、エルメロイⅡ世の部屋へ向かっていたのだ。

 どこか“黒”のライダーの天真爛漫さを、フラット・エスカルドスは思い出させる。

 尤も、あちらほど根っこからの善人というわけではないのに、それでいて生粋のトラブルメーカーのところがそっくりという、ノインに言わすと何ともはた迷惑な同級生だった。

 今回もフラットは何だかんだで、ここまでついて来てしまっていた。

 

「……まぁ、な」

 

 ノインは肩をすくめて答えた。

 多分、いつか来るのだろうとは思っていたのだ。

 

「じゃあ誰だい?知ってる人なんだろ」

「そうだが、どうしてわかった?」

「顔に出てるからね。友達少ない君がそういう嬉しそうな顔をするってことは、きっとその人間は君の友達なんだろう!じゃあ、僕としては大いに興味がある!」

 

 一言どころか、シェイクスピア並みに二言も三言も多かった。

 けれど友達と言われて、いつものように言い返さずにノインは考え込んだ。

 

「友達……なのだろうか。あちらがそう思ってくれていたら嬉しいんだが……」

「うわぁ、マジで悩んでるじゃないか。いつもの冷静さはどうしたんだ、このケルト脳くんは。しかもわりと面倒な方向に拗らせてない?」

「おい、ケルトを罵り言葉みたいに言うな」

 

 ノインの前髪から、紫電がまた飛ぶ。

 フラットは一歩飛び退った。

 

「ちょっ、タンマタンマ!わかったよ悪かったよ、君は立派なケルト馬鹿だ!あっ、でもどうせならその雷をゴーレムに────!」

「やらないって、言ってるだろうが!」

 

 ノインが叫んだ瞬間。

 

「……廊下で何を騒いでいる、お前たち」

 

 扉の一つが開き、中から長髪の男が顔を出した。彼の顔を見た瞬間、フラットは背筋を正して敬礼の姿勢を取る。

 

「あっ、どうもこんにちは!絶対領域マジシャン先生!ほら、ノインも!」

「俺にどういう挨拶をさせようとしてるんだあんたは!」

「二人揃って喧しい!少しは落ち着くということができないのかお前たちは!」

 

 廊下に、エルメロイⅡ世のカミナリが落ちる。

 その彼の後ろの部屋では、眼鏡にそばかす顔の少年が、呆気にとられたように目を瞬いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー、なるほど。君はこっちのノイン君の元マスターの家の現当主の、カウレス君?」

「家自体はもうないんだが……。まぁ、そんなところかな」

 

 エルメロイⅡ世のカミナリをくらって十数分後、三人の少年は、街中の公園に腰掛けていた。

 周りには、ノインが置いたルーン石で人払いと防音の結界が張られている。

 

「じゃあ、君たちは久しぶりなんだね」

「そうだな。……あれから、何があった?あんたは元気そうだが」

 

 結界を張り終えたノインが尋ねると、カウレスは少し黙った。

 視線がフラットに向いているのに気づいて、ノインは頭を振る。

 

「隠しても、フラットは普通に盗聴してくるから、意味ないんだ」

「信用ないなぁ」

「鏡と普段の行いを見てから言え」

 

 ぴしゃりと切り返すノインを見て、カウレスは少し頬を緩めた。

 

「まぁ、大変だったさ。ああ、でもあんたは、ユグドミレニアの家のことは大して気にしてないだろ。聞きたいのは、あいつらのことなんだろう?」

 

 ノインは頷いた。

 

「ライダーは消えたよ。アーチャーも。二人とも、満足そうだった」

 

 彼らと別れて、カウレスとジークが城に帰れば、先に戻っていたフィオレに涙ながらに出迎えられた。

 それに安堵する間もなく、そこからカウレスたちの戦後の処理が始まったのだ。というか、彼ら魔術師の戦いの本番はそこからと言っても良いくらいだった。

 

「魔術協会の調査からジークのことを隠すのは大変だったけど、あいつはそのままトゥールたちを看取るって、ゴルドのおっさんのとこに行ったよ」

 

 何せ、ジークフリートの心臓を持つホムンクルスだから、発見・回収されないようにするには大変だったそうだ。

 

「おっさんはぶつぶつ言ってたけど、ジークのこともトゥールたちのことも、身元を引き受けてたな」

「……あの人らしいな」

 

 フィオレはあのまま魔術師を辞めて、足を治すために努力している。

 ロシェはまたゴーレムの研究に戻った。アヴィケブロンの側でゴーレムの秘技に触れたことは、大いに糧になったそうだ。

 なにげに、彼が一番聖杯大戦で得をしたのかもしれない。

 

「俺は見ての通り、人質モドキで時計塔留学ってわけさ」

 

 自嘲するように笑ったカウレスの前で、フラットは拳を天に突き上げた。

 

「でもカウレス君、君は幸運だよ!なんと言っても、あのグレートビッグベン☆ロンドンスターに弟子入りできたんだから!」

「ぐ、グレート……なんだって?」

「覚えなくていい。エルメロイⅡ世をそのあだ名で呼ぶのは、フラットくらいだからな」

 

 なんだそれ、とカウレスは呆れた顔になった。

 

「で、そっちは?わりと……普通に生きてるみたいだが」

 

 元々体の寿命がつきかけていたところに、一度殺されて蘇生し、それからあれだけ魔力を馬鹿みたいに使い、体を酷使する戦闘をしたにも関わらず、だ。

 聞かれて、ノインはどう言えばいいのか少し考え込んだ。

 

「影の国から、簡単に死ぬなと軽く呪われたから……か?」

「いやいや、意味がわからないんだが!?」

「すまない。俺もよくわかってない。生きているからいいか、と放置していた」

「そんな適当な……」

 

 カウレスは額を押さえてから、言った。

 

「あの娘……レティシアだけど、家に帰ったよ」

 

 レティシア、とノインはその名前を小さく呟いて、柔らかく微笑んだ。

 

「そっか。……良かった」

 

 一番気にかけていたことだったから。

 頷くノインを見つつ、フラットは首をひねっていた。

 

「え、レティシアって誰のこと?君がそんな顔するってことはひょっとして────」

「フラット・エスカルドス。今すぐその口を閉じて黙るか、アンサズを体験してみるかどちらが良い?一度、原初のルーンに触りたいって、言ってたよな?」

 

 火のルーンを刻んだ石を、ノインは手の中に握り込んだ。

 その様子を見て、カウレスは苦笑する。

 

「それとあんた、城に忘れ物してたろ。あの絵本だよ」

「……ああ」

 

 ただひとつの形見だったが、状況だけにノインも諦めるしかなかったものだ。

 

「あれなんだけど、気づいたらレティシアが持って帰ってたんだ」

「はぁ?」

「だから、今日辺り絵本を渡しにロンドンに来るってさ。大切なものだから、絶対返したいって」

「ちょっ……!?」

 

 弾かれたようにベンチから立ち上がり、金魚のように口をぱくぱくさせるノインを見て、カウレスは肩を震わせて笑った。

 

「なんでそういう────!」

「あのな、巻き込みたくないっていうそっちの言い分もわかるよ。今も封印されるかどうか、結構ギリギリな線にいるんだろ?」

 

 図星を突かれてノインは押し黙る。

 フラットは二人の間できょろきょろと視線を彷徨わせていた。

 

「レティシアも何となく察してたよ。何せ、ジャンヌ・ダルクの依り代になれたんだから、勘は良い」

 

 魔術のことは知らなくても、レティシアはノインが生きなければならない世界の暗さは察していたのだ。

 それでも尚、と彼女の方からカウレスに連絡を取ってきたらしい。

 それこそ、戦場に自ら飛び込んた村娘のように。

 

「放っておくのか?多分、あの子は諦めないぞ。何せ、そっちがろくなこと言わなかったろ。納得がいってないんだってさ」

 

────それで、どうする?どうしたいんだ?会いたくないのか?

 

 カウレスは眼鏡の奥の瞳を細めて尋ねた。

 ノインはベンチに、糸が切れた人形のように、すとんと腰を下ろした。

 そのまま頭を抱えて、動かなくなる。

 十数秒の後に、ノインは立ち上がった。ひとつだけの目に、光が灯っていた。

 

「フラット、俺、今日の授業全部サボるから。先生に言っておいてくれ」

「オッケー!わかんないけどわかった!なんか面白そうだから、行ってこい!」

 

 悪い、と言いおいて、ノインはそこからいなくなった。本当に一瞬で、走って行ってしまったのだ。

 走ったら速いのは相変わらずなのか、とカウレスはベンチに腰掛けたまま上を見た。

 

「えーと、これって一体どういうことなのか、聞いてもいい流れ?」

「駄目かな。少なくとも、あいつが戻ってくるまではさ」

 

 見上げたロンドンの空を、羊のような白い雲がぽつぽつと流れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 何度も、わたしは自分に尋ねた。

 本当に良いのだろうか、と。

 繰り返し尋ねて、その果てに思った。

 もう一度、会いたい、と。

 放っておけないとか、引き留めたいとか、そういうのではない。わたしにそんなことができると思ったことは、一度だってなかった。

 護っていてくれた『彼女』がいないなら、わたしはただの小娘なのだということは、嫌というほどわかっている。

 それを知っていたから、あの人はあんなにもあっさりと、別れのために手を振れたのだろう。

 来なくていいよ、とあの人は笑うのだろう。

 こっちは暗いから、と言うのだろう。

 その光景を想像してみて、わたしは気づいたらあの城から、あの人が唯一大切にしていた本を持って帰っていた。

 そう思う彼と、そう思わせてしまうわたしの両方に腹が立ったから、こんな馬鹿なことをしたんだって、気づいたときには、何かあるかもしれないからと、カウレスさんにもらった連絡先を辿っていた。

 幸いにして、彼はパソコンが使える魔術師だったのだ。

 ()()()は普通に、毎日何とかしながらも生きてるみたいだと聞いて、そのときには、わたしは海を越える飛行機に乗っていたのだ。

 学校にも親にも、一体どう説明していいかわからなかったから、無断で飛び出てしまった。

 絵本を返さなくては、というちゃんとした理由もあったけれど、それが言い訳というか建前みたいなものだってことは、わたしが知っていた。

 だってまさか、本当はほんの数日会っただけの男の子にただ、もう一度会いたいだけなんだって、そんなこと、言えるわけがない。

 わたしが納得していないことを、他人に納得させるなんて、できっこなかった。

 飛行機の中でも、わたしはこれから、自分がとんでもないことをしようとしているんじゃないか、と何度も思った。

 

─────わたしにとっての彼、彼にとってのわたしは、友達なのだろうか?

─────それとも、違う何かなのだろうか?

 

 そんなことばっかり気になって、きっと直接顔を見たのなら、答えが見つけられることを望んだ。

 わからないままにして、何もかも忘れたように生きるには、彼とあの数日間の出来事は、心の奥に根を張りすぎていたから。

 

 思い返してみれば、最初に見たときは、ちょっと無表情な顔と錆びた赤い瞳が怖かった。

 最後に見たとき、彼は笑顔だったけど、あれは本当に楽しいときに見せた、明るいものではなかった。

 

 そして今、あの人は一体どんな顔で、どうやって、生きているのだろう。

 

 異国の街に降り立って、わたしは荷物を抱えて、空を見た。

 この同じ空の下に彼もいて、此処で生きているのだ。

 簡単なことがとても嬉しくて、つい頬が緩んだ。

 でも、時計塔なるところには一体どう行けばいいのだろう。人に聞いてどうにかなるものでもないことだけは、わかった。

 唯一の繋がりであるところの、魔術師の少年を、わたしが頼ろうとしたそのときだ。

 

「────!」

 

 雑踏の何処かから、名前を呼ばれた。

 少し掠れて低い、でも耳に心地よい声だった。

 街灯の下で、振り返って辺りを見回す。

 交差点を渡って行く人と車の流れは早く、目眩がしそうだった。

 そこを、足早に渡ってくる少年がいた。

 見覚えのない、黒い眼帯が顔の半分ほどを覆っていたけれど、それ以外の目立つ濃い紅い瞳と、癖のあるはね気味の黒い髪は、記憶にあるのと、そっくりそのままだった。

 人の間をすり抜けて、その人はわたしの目の前に立った。

 

「ごめん、レティシア。どこに居るかカウレスにちゃんと聞くの忘れてたから、魔術で─────」

 

 言いかけた彼の手を、わたしは気づいたら握りしめていた。

 あたたかくて乾いていて、わたしより少し大きい手だった。生きているひとの、優しい手だった。

 

────ああ、ちゃんと生きているんだ。ここに、いるんだ。

 

 そう思ったら、目の前が滲んでいた。

 戸惑ったように、彼の言葉が止まる。

 わたしをちょっと上から見下ろす彼は、ぽかんとあどけない表情で、そんな顔をしたら、何だかずっと年下の男の子に見えた。

 わたしに手を掴まれたまま、彼はそこに立っている。

 

「こんにちは、ノインさん」

 

 ちっとも悲しくなんかないはずなのに、なぜだか溢れてくる涙。それをそのままにして、わたしは彼の名を呼んだ。

 

「会いに、来ちゃいました」

 

 ほんとうは笑っていたかったのだけど、涙がぽろぽろ止まらなかった。

 わたしのその顔を見て、彼のひとつになってしまった目が、ふっと緩んだ。

 

「そっか……。会えて良かった……いや、違うな」

 

 そう言って、ちょっと彼は躊躇うように、手に力を込めた。

 

「俺は君に、会いたかったんだ」

「わたしも、です」

 

 どうしてそんなに強く再会を想ったのか、今どうして胸がうるさいくらい鳴るのか、()()その感情に名前はついていないけれど。

 

 こうしてここで出会えたことが、嬉しくて、堪らなかった。

 

 昼下がりの日の光に包まれて、ふわりと笑った彼の手を、わたしはもう一度しっかり握ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 














これにて閉幕です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

ここから先、彼らがどうなるのかはご想像にお任せします。
理屈はあれど、柵はあれど、会いたいと思うのは止められないというあれです。
まぁ、少年は時々夢の中でケルト式でしごかれるはめにはなってます。
ヴァサヴィ・シャクティを叩き込んだツケと、生命が続く代償と、あとは女王の暇つぶしです。

続きですが、ちょっと、北米神話大戦書きたいと思ってます。
クー・フーリンがいますし、授かりの英雄を書いてみたい欲もあるしで。
多分、前の単発とは違うことになりますが。

ともあれ、色々諦めきっていた少年が、前を向けるようになるまでの物語は、ここで終わりです。

それでは、ともかくもここまでお付き合い頂き、重ね重ねありがとうございました。


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番外乱闘:北米神話大戦編
Act-1



番外乱闘:北米神話大戦編開始です。

よろしくお願いします。

今回は、短めです。アバンタイトルなので。
本当に、前の単発とは諸々が異なったのはご容赦下さい。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仰向けになって見上げた視界には、高い空と白い雲、それに光の輪が広がっていた。

 頭の下には固い大地の感触がある。手の中には槍が握られているが、腕と脚に力が入らなかった。斬られた額や腕から溢れる血が、土に吸い込まれていく。

 そして自分の首元には、朱い槍の穂先が突き付けられている。動こうとすれば、首を貫かれるだろう。

 視線を槍に沿って持ち上げると、こちらを見下ろす紅いふたつの目とまともに視線があった。

 紅い瞳を持つのは、怪物じみた外見の男だった。

 槍か剣のような鋭い棘が何本も突き出た外殻と、複雑な文様の描かれた褐色の肌を持つ、丈高い戦士である。

 禍々しさを全身から放つ異形の男は、ぞっとするほどの無関心さで一言を呟いた。

 

「こんなものか」

 

 こちらを見下ろすのは何の色ものっていない、底なしの虚ろのような紅い瞳だった。

 瞳の持ち主からは、何の感情の揺らぎも感じ取れない。

 生命のやり取りに際する高揚も、向けられた殺意も、この怪物と化した狂王にはどうでもよいのだ。

 その目が、その有り様が、ひどく勘に触り、苛立たしい。そんな目は知らないと、いつかのように戦えと、吠えたのは自分自身だった。

 その感情に身を任せて戦いを挑んだ。

 だのに結果は、この有様だった。

 自分を殺した相手を殺し返すのは、今となっては至難の業。そうとわかって挑んでこれでは、悔しさに歯がみするしかない。

 全身の力を掻き集めて、途切れそうになる意識を繋ぎ止めて、一言だけを食い縛った歯の間から絞り出した。

 

「く、た、ばれ……!」

「そうか。だがここで、死ぬのはお前だ。ガキ」

 

 朱い槍が振り上げられる。

 放っておけば、勝手に消滅するだろう自分を殺すのに、心臓を刺す一撃は十分過ぎた。

 ()()()()()()()()()と思った、まさにそのとき。

 

─────いや、流石にそれは駄目だろう。

 

 耳元で、そんな声が囁いた直後。

 蒼穹を切り裂いて、雷の槍が自分たちめがけて降り注ぎ、大地を抉った。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁ、そんなことがあったんだっけなぁ……。あー、まだ体があちこち痛い」

 

 手に持った槍の柄で、自分の肩をとんとんと叩きながら、独り言を呟く少年がいた。

 収まりのやや悪い黒髪を、項のところで適当に紐で束ねている。犬の尾のようにのびたそれを、砂の混じった風に遊ばせる彼の手には、短めの槍が握られ、腰には革紐でできた投石器が吊るされていた。

 装束も奇妙なもので、古い作りの青を基調にした革鎧を、継ぎのあたった白いシャツと、擦り切れたズボンの上から身に着けていた。

 紅い瞳は鋭く前を向いているが、頬や額、服の隙間から見える脚や腕には、白い包帯が巻かれている。薄っすらと血が滲んでいる部分もあり、どこか痛々しい。

 それでも怪我人であることを感じさせないしっかりした足取りで、大地に足を叩きつけるようにして彼は歩いていた。

 彼の傍らを行くのは、荷物をくくりつけられた鹿毛の馬である。

 その背には、幼さが顔に残る砂色の髪の少年と、金色の髪を帽子の中に束ね、男の子の格好をした幼い少女が乗っていた。

 少年が手綱を握り、少女を腕の中に抱えるようにして馬を歩かせている。

 見かけで言うなら、彼らよりもひとつふたつ歳上である黒髪の少年は、馬の横をただ歩いていた。

 幼い少女は、隣を歩く少年の呟きを聞きつけたのか、馬から僅かに身を乗り出す。

 

「……?」

「ああ、何でもない」

 

 前見とけ、と少年は槍の穂先で赤茶色の大地を示した。

 といっても、彼らの先に広がるのは、道ではなくただただ荒涼とした大地である。

 人影は彼ら以外になく、時折動くのは天を舞う鳥か、地を這う蛇、それに乾いた風に巻き上げられて、地平線の彼方へ攫われていく砂塵だけだった。

 無人の荒野を、彼らは三人きりで進んでいた。

 

「なぁ、こっちで合ってるのか?ほんとに、みんなのところに行けるのか?」

「合ってるさ」

 

 鞍の上から、きつい日差しを避けるためのつばのついた革製の帽子を被った少年が、問いかける。

 風に混じっている砂から喉を守る布で口元を覆い、目の周りにそばかすの浮いた幼い顔を見上げて、黒髪の少年は大きく頷いた。

 馬上から、少年は尚も言い募る。

 

「なんでアンタにはわかるんだ?なんにも無いじゃないか」

「そりゃ、俺が魔術を使える人間だから。……っていっても、わかんないよな」

 

 うーむ、と素顔を風に晒したまま、黒髪の少年は考える仕草をした。

 

「ともかく、約束は守るさ。あんたらは俺を助けてくれた。だから見返りに、俺はそっちを西側の合衆国に連れていく。そういう話だろ?」

「そう……だけど。ぼくたちは、アンタの名前も聞いてない」

「名前なんていらないって、最初も言ったろ?呼び名がなくて不便なら……そうだな、俺のことはアーチャーって呼んでくれ」

「アーチャー?アンタ、弓なんてどこにももってないじゃないか」

 

 馬上で目を顰められ、黒髪の少年は頬をかいた。

 

「それを言われると痛いんだが……。まぁまぁ、細かいことは気にしない。真面目に言うとするなら、俺はちょっと、ここをどうにかするために遠くから呼ばれて来た、名無しの魔法使いみたいなものなんだよ」

「まほー?」

 

 幼い少女があどけない声を上げる。

 

「うん。いや、厳密には魔法使いっていう名前を使うのはアレというか、先生に怒られるんだがな。詳しい説明するのも良くないし、大体魔術って難しいからなぁ」

「ん……まほーつかいのアーチャーは、ようせいさんなの?」

「じゃあそれで良いや」

 

 黒髪の少年は明るい顔で苦笑する。

 その笑顔を見て、幼い少女はつられたように小さく笑い、しかし馬上の少年は張り詰めた無表情のままだった。

 それを見て、黒髪の少年は体の重さが存在しないような軽々とした動きで馬の上へ飛び乗り、砂色の髪の少年の肩を叩いて、自分の頬を引っ張り上げてつくった滑稽な顔を見せた。

 

「ほらほらー。多少は笑えよ。アレンはお兄ちゃんなんだろ。ほらエミリーもやってみ」

「うん!……おにいちゃんなんだろー」

 

 舌ったらずな声で、同じ顔をする妹に、幼い兄もついに吹き出した。

 それを確かめてから、黒髪の少年はまた音も立てず馬を騒がせることもなく、地面に跳び下りる。

 三人と一頭はそうやって、道なき荒野を進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────1783年、アメリカ大陸。

 

 この砂塵舞う大地の名前を知ったときは、驚いたものだ。

 二百年以上先の未来、ここは様々な人種が入り乱れる、世界で最も神秘の薄い超大国になっている光景を知る身としては、信じられないという気がした。

 

「だってなぁ。誰が想像できるんだよ。ケルトとアメリカが大陸を舞台に決戦とか……。B級アクション映画じゃないんだから。しかも、まだ俺の知る合衆国が存在してないし……」

 

 こんな組み合わせを考えたやつ誰だよ、と呟きながら、焚き火の横の地面に腰を下ろす黒髪の少年は、半分に折った粗朶を火にくべる。

 細い枝はぱちぱちと音を立てながら、あっという間に炎の舌に舐め取られていく。

 焚き火の反対側には、幼い兄妹が大地に直に敷いた布の上で、毛布にくるまって眠っていた。

 妹は兄の胸に頬をくっつけるようにして、兄はその妹の頭を抱くようにして、そうやって身を寄せ合い、彼らは寝息を立てていた。

 相手のぬくもりを求めなければ眠れないほど、彼らは不安なのだろう。

 無理もない、と少年は思う。妹は、まだ母親の膝にまとわりついていたい歳頃だろう。兄も妹の前では気丈にしているが、彼女が見ていないとき、目の縁に雫をにじませていることを、少年は知っていた。

 両親と別れてしまい、たった二人で、十数日前まで見知らぬ他人だった人間だけを頼りにして、旅をしているのだ。

 その心細さと恐ろしさが、多少なりとも理解できるだけに、少年の中には、こうなった原因を許せない気持ちが湧いてくる。

 

「人理焼却、か……」

 

 彼は立てた片膝に顎を乗せて、焚き火の橙色の炎を見つめた。

 どうやら信じがたい事に、人類の歴史は今、燃やされ、消されようとしているらしい。この異常なアメリカ大陸は、その支点となっている─────特異点と呼ばれる異常な時空間に存在しているのだ。

 そういうことのすべてを、少年は頭の中に刷り込まれた知識で知っていた。

 誰に教わったわけではなく、ただこの大陸に引っ張り出された時点で、彼はそれを頭に直接知らされたのだ。

 ここはアメリカ大陸であり、目下、ケルト神話群対アメリカ西部合衆国という二陣営が拮抗するという状況にある。

 つまりアメリカが、歴史の整合性はおろか、時代の区分も何もあったものではない異常な場所と化したことを、彼は理解していた。

 1783年といえば、正史では独立戦争の時期だ。大英帝国からの独立を願って、アメリカに住まう人々が決起し、勝ち、後の合衆国を建国する始まりとなった戦いである。

 だが、今はケルトの神話級の怪物や英霊たちが、押し寄せている。

 ケルトの彼らは、ひたすら破壊しか齎さない。支配した地域には魔物が跋扈し、理性も何もない戦闘狂いの兵士がうろつく。彼らは、ケルト以外と見れば襲いかかる。

 少年に言わせれば、多少の程度の差こそあろうが、どいつもこいつも全員狂戦士(バーサーカー)である。

 十八世紀の人々では、ろくに戦うことすらできずに餌食になるだけだ。

 銃弾や砲弾で撃たれようが、銃剣やサーベルで突かれようが、その程度はものともせずにケルト神話群は怯まずに進んでくる。

 何より、ケルトの英霊が一騎でも現れれば、この時代の武器や人間では、いくら数を揃えようがまったく太刀打ちできない。

 そんな状況では、軍属ですらない人々の状況は、輪をかけて悲惨である。

 彼が今守っている兄妹は、同属以外を容赦なく殺すケルトの支配域から、家族と共に逃れ出られた極めて幸運な人々の中にいた。

 だが、混乱の中で兄妹は両親と逸れてしまい、彷徨っていた。その折に何の偶然か、荒野でひとり襤褸雑巾となって倒れていた、黒髪の少年と遭遇したのだ。

 普通だったなら、兄妹はその少年を見捨てて去ったろう。だが、彼らは少年に手を差し伸べた。

 それから、わずか数日で襤褸雑巾の状態から動けるようになるまでに回復した彼は、その恩を返すためと、兄妹を守って旅を始めたのだ。

 少なくとも、彼らが無事に西部合衆国側へと辿り着けるまでは自分が守護しよう、と言い出したのは少年のほうだった。

 アレンとエミリーという名前の兄妹の家族が逃げた先は、大陸の西。そして彼らは、大陸の中央まで辿り着いていた。ここを越せば、ケルトの領域からは抜けられる。

 尤も、少年の抱える問題は、彼ら兄妹と別れたあとから始まるのだが。

 

「ああ、もう、俺みたいなモドキには荷が勝ちすぎてるっての。あの女王、これがわかってたのか」

 

 少年が髪をかきむしって小さく罵った直後、どこか遠くで、長く尾を引く獣の遠吠えが響いた。

 聞くものを不安にさせる轟きが聞こえたのか、妹のほそい肩がぴくりとはねた。

 

「お、かぁ……さ……」

 

 夢現なのだろう。誰かを探すように、小さな手がふらふらと伸ばされた。

 身を乗り出してその手を取ると、少年は小さく囁いた。

 

「……大丈夫。ここには獣も怖いものもいない。俺が見てるから、安心して寝てろよ」

「そ……な、の」

 

 握った手をそっと優しく下ろすと、少女はまた浅い寝息を立て始める。

 それを確かめ、肩まで覆うように毛布をかけ直してやってから、少年は深く息を吐きながら、満点の星空を見上げた。

 地上で彷徨う人々を見守るように空には星が瞬き、そして─────その瞬きを凌駕するかのように、円を描いた光帯が同時に空を蹂躙していた。

 

「愚痴っても仕方ないよな、うん。代わって出たのは俺なんだから」

 

 少年はふたつの紅い目で、天上の光輪を睨みながら言った。

 それから、一転した懐かしむような顔で無傷の()()を撫で、大きく息を吐いた。

 

「この子たちを送り届けて、それからのことも考えなきゃな。……()()()()()()()()

 

 話す相手がいないだけに、独り言が増えていることを自覚しつつ、少年は誓うように呟く。

 その言葉は、荒野を吹き渡る風に消されて、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 





カルデアがまだ来ていないアメリカから開始。
少年の外見と中身がどうなっているかはまた次回で。

ちなみに、apo登場サーヴァントから一騎加わる予定。


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Act-2

感想、評価くださった方、ありがとうございます。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 

 旅とは、過酷なものだ。

 日の下を歩き、乾燥した風を浴びるだけで体から水分は情け容赦なく奪われる。加えて荒野では、遮る物とてないのだ。

 幼い兄妹から、アーチャーと呼ばれるようになった少年はそう思っている。

 尤も、日差しのきつさや獣、喉の乾きなどは彼には何の妨げにもならない。生身でないサーヴァントとは、そういうものなのだ。

 過酷なのは、彼が守っている兄妹にとってだ。

 魔術で日差しと風を避け、水脈から水を魔術で引きずり出せるアーチャーがいても、一日中馬に乗って荒野を進み続けるのは、十歳になるやならずの子ども二人には厳しい。

 自分なら多少の疲労を魔術で誤魔化すこともできるが、一度でも反動が出れば、調整を施されたわけでもなく魔力に耐性がない幼い子らは耐えられないだろう。

 しかし、彼らの体調を慮りすぎてケルトに追い詰められたら元も子もない。

 通常ならばまだしも、様々な要因で大幅に消耗している自分では、兄妹を護りながらケルトの英霊の相手をするのは危険だと理解していた。

 だから彼らの旅は、常に体調と速度のぎりぎりの境界線にある。

 時折、ケルトの本隊から離れたと思しき戦士や魔物に襲撃されることもあったが、単体かつ散発的で、アーチャーひとりで対処できた。

 大の大人が何人でかかっても倒せないような化け物を、槍の一突きや小石の投擲で仕留めるたびに、彼らの返り血を浴びるたびに、アレンの視線が怯えを含むときがあったが、仕方なかった。

 少年の視線が刺さるたび、心の奥がちくりと痛むような気がしたが、そういうものなのだと割り切る。

 親がおらず、自分が妹を守らなければと気負う分だけ、兄であるアレンが身構えるのもわかるからだ。

 襤褸雑巾のような状態から数日で動けるようになるまでに回復したり、疲れも見せず何時間も馬と並走したり、寝ずの晩をいくら続けてもけろりとしていたり、そんなことができるのは、まともな人間でないことなどすぐわかる。

 幸いなのは、エミリーのほうにはそこまで怯えられなかったことだ。

 無邪気なのかなんなのか、彼女のほうはこちらが避けようとしても懐いてくるのだ。下手に振り払って泣かれてはたまらないので、むしろアーチャーは彼女の扱いに困っていた。

 そのまま、彼らは荒れた大陸の上で旅を続ける。

 大地の上に人の痕跡が見えるようになったのは、旅を始めて二週間と少しが過ぎた頃だった。

 轍の跡が見え始めたのだ。

 アレンは喜びを顔に表し、エミリーも、兄の様子から何か良いことがあると悟ったのだろう。にこにこと笑顔になった。

 

「……」

 

 逆に、アーチャーは浮かない顔になる。

 轍の周りには、獣のものと思しき巨大な足跡と、人の大きさの足跡が無数にあった。そして彼の嗅覚と聴覚は、突如として大気に混じりだした血生臭さと、人々の悲鳴を感じ取ったのだ。

 先へ行こうとする馬の轡を取って、アーチャーは岩陰に馬と兄妹を導いた。

 不満げに見上げてくる少年の肩を掴んで、一言一言区切るように言った。

 

「アレン。いいか、俺の後ろから離れて来い」

「え、どうして?」

「いいから、言われた通りにしろ。もし俺が逃げろと叫んだら、ひたすら馬を西に走らせるんだ。振り返らずに、走れ。妹と自分のことだけ考えて、逃げろ」

 

 言うなり、手の中に無銘の槍を顕現させた。

 先へと走り出そうとした彼の服の袖を、アレンは掴む。

 

「ちょっと、アンタ……」

「車が襲われているかもしれない。俺が行くが、何かあれば逃げろ。妹を守るのはお前なんだろ?」

 

 アレンの目が、兄の服の裾を掴んで、無垢に見上げている妹に注がれる。

 

「……わかった」

「よし、じゃあな」

 

 言い終えるか終えないかで、地を両足で蹴った。

 地を走るというよりは、空間を踏んで跳び越すような跳躍を繰り返して前へと進む。

 そのままの勢いで、街道に集る兵士の群れに突っ込んだ。

 槍を水車のように回転させ、まとめて兵士を空中に跳ね上げて突き殺す。

 ヒトの形をしてはいても、ろくな理性も有さず、ただ命じられたままに殺戮するケルト兵は、アーチャーにとってはただ淡々と処理するだけの的だった。

 ケルト兵たちは、一塊になっていた荷馬車の群れを取り囲むように襲っていた。

 その土手っぱらに、アーチャーが砲弾のような勢いで踏み込んだため、彼らの間に動揺が走る。

 

「そらそらそらァ!俺はここだぞ、殺してみせろ獣共が!」

 

 狂気的な笑みを────敢えて貼り付ける。返り血で黒い髪を真っ赤に染めながら、アーチャーは吠えた。

 

「戦いを挑まれて尚、弱者を的にするならやってみればいい!この腰抜けが!」

 

 嘲笑うかのように言葉を吐き出し、走りつつ槍を振るいながら叫んだ。

 荷車に取り付いていた彼らの耳にも、それは聞こえたのだろう。

 雄叫びを上げて、アーチャーへと狙いを変えた。

 

()()()

 

 笑みを吹き消しぼそりと呟いて、アーチャーは荷馬車の群れから、離れた荒野まで一直線に駆けた。

 そこでやおら反転し、ケルト兵が身構えるより先に、槍の柄を地面に突き立てる。

 

「落ちろ、『磔刑の雷槍(ブラステッド・ルイン)』」

 

 槍の穂先に雷が落ちて地面を走ると同時に、天空から地面に群れるケルト兵へ向けて無数の雷撃が降り注いだ。

 地面からの感電と、天空からの雷撃に撃たれ、焦がされ、ケルト兵たちは体から煙を発しながら斃れる。

 それでも完全な絶命に至らない彼らの足元に、アーチャーは作り出した水を流し込む。即席の水面に触れてルーンを刻めば、氷の槍が地面から生えて剣山をつくった。

 当然、水に囲まれていた兵は氷で以て根こそぎ串刺しになる。

 彼らの体はそのまま、光の粒子となって消えて行く。

 魔力で編まれたモノたちが、魔力へ還る光景をアーチャーは見て、はぁ、と深く息をついて槍についた血を払った。血が大地に転々と飛び、不思議な紋様を描いたようになる。

 

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』には及ぶわけもないけど……ま、こんなもんか。魔力は補填できたしな」

 

 槍を肩に担ぎ直して、なるべく顔や服に飛んだ血を拭いながら元来た道を辿る。どうせ魔力になって消えるものだが、視界が赤くては邪魔だった。

 荷馬車と馬でできた一団はまだそこにおり、槍を手にしたまま近付く少年の姿を見かけた途端、男たちは銃を携えて立ち上がった。

 警告される前にアーチャーは足を止め、槍を離して地面に落とした。

 

「止まれ!何者だ、お前は!」

「俺の名はアーチャーだ。一応言うけど、アレらの敵。銃でもサーベルでも構えたままでいいし、これ以上近づかないから、俺の話を聞いてくれないか?」

 

 数メートル離れたまま、アーチャーは叫んだ。

 銃を構え、軍人然とした厳しい顔の男がひとり、集団から歩み出る。

 

「良いだろう!貴様は何だ?西部合衆国のサーヴァントか?」

 

 ぴゅう、とアーチャーは口笛を吹いた。

 少なくともサーヴァントの呼称と存在を知っている者が、西部にはいることになる。或いは、彼らを率いているのがサーヴァント本人なのかもしれないが。

 

「俺は、合衆国のサーヴァントじゃない。が、あんたらの敵でもない。だから、俺に構うより先に進むほうが良いと思う。追いつかれたくはないだろう」

 

 軽い暗示の魔術を混ぜ込んだ言葉をアーチャーが言えば、相手は銃を下げた。

 

「……了解した」

「あー、ちょっと待て!もうひとつ!」

 

 あんたらの中にアレンとエミリーという名の、幼い兄妹と逸れた親はいないか、と問うた。

 本当はわかっている。彼らの中に、あの兄妹の両親がいることは、少し探索のルーンを使えば割れていた。

 共に暮らした血を分けた親子ともなれば、気配は似てくるものだ。

 果たして暗示の魔術を乗せた声に、再び男はかかった。

 いるぞ、という返答に薄く笑う。

 

「じゃあ、その二人を連れてくるから、ほんの少しだけ待っていてくれ」

 

 言って駆け戻って、鹿毛の馬とその上に跨る兄妹を連れて来れば、一団から中年の男女が飛び出して来た。

 

「おかあさん!」

 

 小さな女の子はそうやって、解き放たれた仔犬のように母親の胸に飛び込む。

 おかあさん、おかあさんと何度も言う声に涙が混じっているのをアーチャーは遠くから聞いた。

 父親と思しき、中年に差し掛かりかけている男は、よくやったというように兄の髪をかき混ぜている。

 その瞳に涙が滲んでいるのを、やはりアーチャーは見た。

 彼らが顔を上げる前に、音も立てずに後ろへと下がり、そのまま自らの気配と姿を、砂の混じる風の中に溶け込ませた。

 

「あっ!アーチャー!」

 

 そんな驚いた声を聞いた気がしたが、振り返らない。

 これであの兄妹はもう大丈夫だった。

 現在背後から接近してくる気配を、ここで迎撃できればの話だが。

 

「気づいていたか」

「……そりゃあ、な」

 

 荷馬車の一群の姿が地平の彼方の点になるまで駆け戻ったところで、少年は止まる。

 荒野にて立ちはだかるのは、兵士と魔獣、空飛ぶ飛竜を従えた男だった。

 鎧を身に着けた筋骨隆々の戦士であり、肩には奇妙な形の剣を担いでいた。

 

「ドリル剣……じゃないか。あんたは、セイバー・フェルグス。螺旋剣カラドボルグの使い手だな」

 

 アーチャーが呟いた言葉に男、アルスター伝説の英雄が一角、フェルグス・マック・ロイは片眉を上げた。

 

「そんなことを宣うお前は、何処の誰だ?その霊基は気配に覚えがある。だが、中身のお前の気配は知らんな」

 

 フェルグスの鋭い視線を受けて、少年は口元を緩めた。

 

「だろうな。だけど、あんたに教える必要は感じないし、俺がどこの誰かなんてどうだっていいんだ」

 

 ちょうどいい、()()が必要だったんだ、と槍でフェルグスの持つ剣、カラドボルグを無造作に示した。

 指されたフェルグスは、一瞬まじまじと少年の顔を見た後に、天を仰いで呵呵大笑する。

 

「面白いことを言う。だが当然、駄目だ。欲しければ奪え。それとな……その霊基も返せ。やらぬならばここで斃れろ。さすがに、その英霊を二度も()()()に殺させるのは忍びない」

「どちらも無理だな」

「だろうな。是非もない」

 

 フェルグスはカラドボルグを、アーチャーは無銘の槍を、それぞれ構えた。

 空と地上に犇めくワイバーン、獣、兵士の敵意を総身に浴びて、アーチャーは眉をしかめる。肌がちりちり傷むようで、落ち着かなかった。

 同時に、頭上を飛行して背後へ行こうと動いたワイバーンの頭を、槍の先端から生み出した雷が焼き焦がして、巨体を大地に落とした。

 フェルグスが意外そうに細めていた目を微かに開いた。

 

「護るのか?あれらはお前の仲間ではないだろうに」

「恩がある子たちが混ざっててさ。護るって言ったから、果たさないと。ゲッシュでもなんでもないが、約束は大事だろ?」

 

 軽口を叩きつつ、全身に薄っすらと紫電を纏う。

 目の前の相手の格は知っていた。

 真名はフェルグス・マック・ロイ。

 赤枝の騎士のひとりで、アイルランド神話最大の大英雄クー・フーリンとも肩を並べる戦友だ。

 彼の相手をしつつ、彼の従える怪物たちをも留める。

 至難の業だが、あれらひとつでも後ろに行くと、恐らくあの避難民たちと、それに彼らと共にいる兄妹は襲われるだろう。

 

「初っ端の戦闘の次はこれか。こっちもこっちで余裕がないってのに、なぁ……。ははは、やっぱりどれだけ経っても兄妹には弱いや、俺」

 

 自嘲するような軽い口調のまま、いっそう強く全身から雷を発した、そのときだ。

 

 彼方から飛来した青い閃光が、彼らの頭上のワイバーンに突き刺さり、炸裂し、群れを消し飛ばした。

 

「え……?」

 

 ぽかん、と間の抜けた顔で上を見上げる。

 空をみっしりと埋めていた飛竜の身体は肉の欠片となり、ばらばらと地上に落ちて来る。血や肉の雨が魔力へと還る光の中、我に返って辺りを見渡した。

 仮にも弓兵であるサーヴァントの視力は、すぐに矢が飛来してきた方向を見定める。

 遥かな丘の上、弓を構えているのは白衣を纏った長身の青年である。

 そして彼の身長ほどもある、長く大きな弓に、第二の矢が番えられているところまでが見てとれた。

 

「あ、ヤバ」

 

 呟くと同時魔力を両脚に叩き込み、後ろに跳んだ。

 次の瞬間、音よりも速い速度で放たれた矢は、地上に動いていた魔獣とケルト兵に着弾。そして爆裂した。

 

「……」

 

 無言のまま、砂煙の向こうの気配を探る。

 第二撃が弓から放たれた時点で、フェルグスは消えていた。気配の消え方の唐突な感じからすると、()()()()()()のだろうと、判断し、槍を下げる。そうなっては、追っても意味がない。

 視線をやれば弓を消すことなく、青年が丘から飛び降りるところだった。そのまま、こちらへ恐ろしい速度で接近して来るのを確認し、アーチャーは地面に座り込む。

 あの射手は明らかに、こちらが巻き込まれても構わない勢いで矢を放ってきたサーヴァントである。だが、最大速度で逃げても、今の自分ではあの弓で撃たれるほうが早い。それなら、留まって話をしたほうがまだマシだった。

 

「……ま、あのふたりは逃げられたようだし、親と会えたみたいだし、いいか」

 

 とりあえず約束は守れたようだと、そのまま後ろ向きに倒れ、手足を広げてごろりと地面に体を投げ出す。

 大の字になって見上げるアメリカの空は、白い雲と光輪が浮かび、嫌味なほどに高く、青かった。

 

 

 

 

 





というわけで、現在は名無しのアーチャー、他サーヴァントと接触。誰なんでしょうね…?

次の更新はしばらく開きます。


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Act-3

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 丘の上から弓を携えて現れた青年は、言うまでもなくサーヴァントだった。

 白と青を基調にした流麗な衣を身に着け、手には身の丈ほどもある、神気の籠もった長弓を持っている。

 青年の褐色の肌と黒髪、顔立ちと気配を見、アーチャーは思った。

 

─────この英霊は、()()()()()出身だ。

 

 纏う神気に覚えがあったのだ。

 アーチャーの主観からすれば、もう随分と前、軽く十年は前の話になるが。

 

「助太刀させて頂きました。さて、貴方はあの魔獣たちから避難民を庇っていた、ということでよろしいでしょうか?」

 

 アーチャーのほうが無辜の民を守る為に戦っていると見て取ったために、この英霊は矢を放ったそうだ。

 その言い方からするに、召喚されて間がないのだろう。彼はケルトとアメリカの対立構造も、この大陸がそもそもどういう混沌(カオス)に叩き落とされているかも、まだよく把握していないらしい。

 その上、アライメント的に善よりなのだろうと判断する。

 

「……そうだな。一応、礼は言っとく。助けてくれてどうも」

 

 腰を下ろしていた地面から立ち上がり、アーチャーは改めて目の前の英霊を見た。

 格の高さとでもいうのか、霊基の規模というのか、目の前の青年は纏う空気が強かった。

 

─────でもインドだし、なぁ。

 

 己の感覚でいうならば、十年は前に会った忘れられないインドの英霊のことを思い描けば、妙に納得してしまう自分がいた。

 それより、彼のほうが背が高いため、見上げるような格好になるほうが気になった。

 元の身長ならこうまで差はないんだが、とアーチャーは今の姿を若干儚む。

 

「俺はアーチャーのサーヴァントだ。で、名前もアーチャーと名乗ってる。ややこしいが、真名を言えないのでこれで勘弁してくれ」

「は?貴方は弓兵のサーヴァントなのですか?」

 

 青年の純粋に驚いた視線が、手に持つ槍に注がれるのを感じ取って、アーチャーは片手で顔を覆った。

 

「もう何度目だよこの流れぇ……。いいじゃないか弓がないアーチャーがいたって……!聖杯大戦でも言われたけど、俺にはどうしようもないんだ……!」

「それは失礼しました。その様子では気にしていたのですね」

 

 あまり申し訳ないとは思っていなさそうな顔で、青年はアーチャーを見下ろした。

 見た目で言うならば、アーチャーは青年の半分以下程度の年齢の、小柄な少年である。そのせいなのか、白衣の弓兵の口調や彼を見る視線はやわらかだった。

 

「私にとって真名は隠すものではありませんし、名乗ってしまいましょう。我が名はアルジュナ。見ての通り、弓兵のサーヴァントです」

 

 名乗りを聞いたアーチャーの瞳が大きく見開かれ、無意識に半歩足が下がり、アルジュナが眉を微かにひそめた。

 

「貴方のその、脆弱な霊基の状態からして恐れるのはわかりますが、そのような態度を取らずとも良いでしょう」

「え、あ、いや、怯えたんじゃないんだ。ただ、ちょっと驚いて……」

 

 怯えではなく純粋な好奇心から、目を何度も瞬かせて、アーチャーはサーヴァント・アルジュナを眺めた。

 

「そうか……。じゃ、あなたが“赤”のランサーの……カルナの宿敵の、()()アルジュナなのか」

 

 それを聞いた瞬間、アルジュナの目の色が変わる。黒い双眸が更に闇のように一瞬だけ濃くなったのに気づいて、アーチャーは首を傾けた。

 

─────これ、またなんかやらかしたっぽい。

 

 それしか、アーチャーにはわからなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝承を紐解けば記されていることだが。

 インドの大叙事詩『マハーバーラタ』は、カウラヴァとパーンダヴァという二つの家が王位を巡って争う物語である。

 カウラヴァには百の王子が、パーンダヴァには神の血をひいた五人の王子がおり、彼らは血縁で言うならば従兄弟にあたる。

 だが、結論から言うと彼らは王座をかけて親族で戦い、クルクシェートラの野原を血で染めた後に、カウラヴァ側は死に絶え、パーンダヴァ側が王位を継いだ。

 神代の物語とあって、『マハーバーラタ』には数えきれないほどの数多の英雄や神々、精霊や悪魔が登場する。クルクシェートラの戦いすらも、人間側が神々の思惑にのったりのせられたり、巻き込まれたりして引き起こされたとも言えるのだ。

 その数多の登場人物の中でも核になる数人の中に、アルジュナという英雄はいる。

 叙事詩の中で、彼はパーンダヴァの第三王子であり、雷霆神インドラの息子であり、類稀な武芸者で弓の達人の、非の打ち所のない人物として伝えられている。

 『輝く王冠(キリーティ)』、『抑えられない者(ジシュヌ)』、『富を勝ち取りし者(ダナンジャヤ)』等々、様々な二ツ名を持ち、今も讃えられている。

 伝承によれば、バラモンと法を尊び、武士(クシャトリヤ)の勤めをよく守り、神々にも深く愛され、()()()()()()()()()を敵とした、紛れもない善なる英雄だ。

 

─────ということに、なってるんだよなぁ。

 

 英雄アルジュナに関するアーチャーの知識はこれだけだ。伝えられている範囲のことだけしか知らない。

 だがそれ故に、彼が最後の戦いにおいてカウラヴァの将軍、施しの英雄カルナを討ち取った者だということも、アルジュナとカルナが異父兄弟ということも、当然知っていた。

 

─────それにしても、カルナの名前が出たときの、目の色の変わり方は妙だったような。

─────気のせいか?

 

 気にはなったが、同時に気にしないことにした。

 伝説に残る英雄が、何を見て何を考えて生き、死んだかなどわかりようもない。

 アーチャーは、サーヴァントとして召喚された彼らに敵や味方として相対したことはあるし、そのうち一人は『マハーバーラタ』の英雄だった。それは、鮮烈な記憶として脳裏に刻み込まれている。

 だが、英雄の一生からすれば、瞬きのようなほんの僅かな時間に過ぎない。

 それにしても、カルナの名前が出た途端のアルジュナの反応は予想を超えていた。

 うっかりカルナに出会って戦ったことがあると漏らした過去の自分を、殴り飛ばしてやりたかった。

 なにしろ、まともに説明しようとすればこんがらがるくらいややこしい上、口下手なのだ。

 既に、期せずしてとある女王の地雷を踏み抜いたがために、霊基を消耗させるはめになったという前科があり、それを思い出すと口が重くなった。

 

「……えと、だから、俺が昔に戦った聖杯戦争にカルナが“赤”のランサーとして現界していて、そのときは敵だったんだ。ああ、でも結果としては、俺や他の友人たちも助けられた恩人でもあるから、感謝もしているし……」

 

 まとまった説明をできずに、言葉を拙く並べながら荒野を歩くアーチャーを、アルジュナは見下ろしたまま、同じ速度で歩んでいた。

 

「それで、誰があの男の相手をしたのですか?」

「俺ともうひとりと、友人の相棒だったバーサーカーだ」

 

 再び無人の荒野を行くことになったアーチャーだが、行動を共にするのは幼い兄妹と馬ではなく、アルジュナだった。

 兄妹を連れて突っ切って来たケルトの領域に、事情があるから戻るというアーチャーに、アルジュナはそのままついてきたのだ。

 頼もしいと思うより、こっちに来ずに西部に行って、合衆国の助太刀でもしてくれ、というのがアーチャーの本音だった。

 今からやろうとしていることは、隠れて行いたいのだ。それなのに、アルジュナのような気配の目立つ英霊がいては、やり辛いのである。

 かと言って、相手が相手だけに断りもできず─────というより、断りづらい雰囲気を感じたがために、結局そのまま進んでいた。

 

「では、三騎でかからざるを得なかったということですね」

「まぁ、そう……だな。……ランサーは、あり得ないくらい強かった。()()()()()()()、そもそもこっちの攻撃が鎧でほとんど効かなかったんだ。……あなたがアルジュナならば、知っていると思うが」

「当然です。ということは、貴方は鎧を纏ったあの男と戦ったのですね」

 

 アルジュナの言葉に頷きながら、アーチャーは遥かな地平線を見る。

 遠くに見えるのは山脈であり、空に鎮座するのは相変わらず輝き続ける光輪だ。

 

「それでこっちも聞きたいんだが、アルジュナは聖杯に喚ばれたサーヴァントでいいのか?」

「ええ。マスターがいないという召喚には戸惑いましたが、人理焼却という異常下ではそれも頷けます。そして我々は、その異常を解決するためのカウンターとして喚ばれたと解釈していますが。……貴方もそうなのですか?」

 

 あー、と気の抜ける声を上げながら、アーチャーは地平線の彼方に聳え立つ、遥かな山に目をやった。

 

「なんですか、その妙な歯切れの悪さは?……そも、この大陸では、ケルトとアメリカのせめぎ合いが起きていると言っていましたが、アーチャーはどちらのサーヴァントなのですか?その気配からして、先程の剣士と同郷なのでは?」

「待った、ちょっと待ってくれ。ひとつずつ答えるから」

 

 こほん、とアーチャーは小さく咳払いをし、指を一本立てた。

 

「ひとつ。俺は、この状況を解決したいとは思っている。本来の時代に属する人間を傷つける気はないし、できるなら正史の流れに戻したいし、何より俺が戻りたいと思っている」

 

 だが、ただのサーヴァントでは、その方法がわからないのが問題なのだ。この事態を創り上げた者の手段も首謀者も、アーチャーは知っている。

 知っているからこそ、自分では特異点を解決するには手が打てないのだと理解してもいた。

 

「ふたつ。確かに、俺を最初に喚んだのはケルト側なんだ。ケルトにいる聖杯保有者が俺を召喚した元の主さ。……だからっつって、そんな睨まないでほしいかなぁ!元って言ったろ!今は縁が切れてるんだから!」

 

 小さい手をぶんぶんと大きく振ってアーチャーは否定する。

 

「切れている、ということは?」

「あいつらの命令を聞きたくなくて、契約を振り切って飛び出してきたんだ。で、そのときにちょっと色々あった」

「色々……。なるほど、その傷はそういうことですか」

 

 アルジュナの目が、少年の額や腕に巻かれている包帯に向く。

 視線に気づき、アーチャーは頷いてから、包帯を取った。

 その下には傷はない。元々、治療のために巻いていたわけではなかった。外見だけなら、体を編んでいる魔力を弄ればいくらでも取り繕えるし、サーヴァントの傷に普通の手当ては効かないのだ。

 なのにこんなことをしていたのは、治療の真似事だった。

 何もしていないまま放ったらかしにしていると、あの兄妹が痛々しそうな顔をしたから巻いただけである。

 包帯を炎で燃やし、灰を風に飛ばす。

 そういえば鎧の下に着ている服も、彼らの借りものだったことを思い出したが、今更返しには行けなかった。

 

「だから、俺はアメリカ側にもケルト側にもついてない。ただの野良。強いて言えば、はぐれサーヴァントさ。で、俺の願いは至極単純。狂王クー・フーリンと、聖杯を持つ女王メイヴを倒すことだ」

 

 手を払って、灰の最後のひとかけらを風に飛ばしながら、アーチャーは軽く言った。

 アルジュナはしばし黙したあと口を開いた。

 

「……難儀な道を取るのですね、貴方は。聖杯を持つ主を裏切り、契約を切る。言うは易いが、それはサーヴァントにとって大きな枷でしょう。その損耗具合からするに、かなりの負担だったはずだ」

「……」

 

 今度はアーチャーが渋い顔になり、アルジュナは少年サーヴァントのその様子を見て、ほんのわずかに口元を緩めた。

 

「貶しているわけではありません。事実と思ったことを言ったまでです。……しかし、そうまでするなら、何故アメリカ側から離れるのですか?彼らの敵がケルトと言うなら、貴方は彼らと共に戦えるはずです」

「それは……」

 

 言いかけ、不意にアーチャーは槍を顕現させると同時に、厳しい顔で天空を見上げた。

 

「どうし────」

 

 問いかけたアルジュナもまた、表情を引き締める。

 そして二人は同時に、左右へ別れて飛び退いた。空いた空間に、遠方から飛来してきた朱い槍が突き刺さり、大地を丸く抉り取る。

 

「今のを避けられるようにはなったか。ノインの小僧。以前ならば串刺しになっていたろうな」

 

 クレーターの中心に降り立った人影は宣う。砂埃が晴れたあとに姿を現したのは、朱い槍を持つ黒衣の女だった。

 玲瓏なその声を聞き、姿を見た瞬間、心底嫌そうにアーチャーは顔をしかめた。

 クレーターの底に立つ彼女と、縁に立って紫電を体に纏うアーチャーの視線が交わる。

 

「ほう。ようやく仲間まで見つけたか。それも半神の小僧の。予想通りではあるが────思ったよりは速い。運が悪いのか良いのか、つくづくわからんやつだな」

 

 アーチャーの刺すような視線などどこ吹く風で、大地に降り立ったのは、貴人の風格を漂わせる女戦士である。

 己めがけて放たれた矢を、彼女は朱い槍を回転させて弾き飛ばした。

 

「なっ!?」

 

 自らの矢を撃ち落とされたアルジュナの、驚愕の声が上がる。

 

「温いな。名こそ高いが、所詮は神に愛されただけの若僧か」

「何を……!?」

「挑発に乗るな、アルジュナ!彼女は()()()()だ!神殺しだぞ!()()()()()!」

「そのとおり、そして、お前の師匠でもある」

 

 肌が粟立つのを感じると同時、アーチャーは勘に任せて槍を回転させ、縦に持ち替えた。

 瞬間、横合いから叩き付けられるようにして振るわれたスカサハの紅い槍がぶつかり、耳障りな音が木霊する。

 そのままスカサハは動きを止めることなく、片方に持った槍を振るう。串刺しになる寸手のところでアーチャーは槍から手を離し、自分の体を宙に投げ出した。

 そのまま地上を転がり、立ち位置を入れ替えるようにクレーターの底へと落ち、突き立っていた槍の一本をスカサハ目掛けて投擲する。

 それに合わせ、再びアルジュナの弓から一撃が放たれる。

 

「だから、温いと言っているだろうに」

 

 槍と矢がぶつかり爆発する瞬間には、既にスカサハの姿はない。

 一瞬で飛び退り、安全圏から涼しい顔で真紅の槍を向ける女戦士を見て、アーチャーの頬を冷たい汗が伝った。

 

 

 

 

 

 




察せられてるとは思いますが、北米編ではアルジュナとの関わりが多いです。

というわけで、表の精神の名前はノインでした。
聖杯大戦終了時(16歳)から10年以上時間が経過しているのでアラサー。つまりロマニと同じ枠。
外見は違ってますが。


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Act-4

感想、評価、誤字報告くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 

 砂塵舞う大地の上に、元気な吠え声が轟いていた。

 

「ふざっけんなー!ふざっけんなー!もうほんと、ふざっけんなー!」

「嵐のようでしたね……」

「意志がある分、嵐より質が悪いぞ……!」

 

 太陽が地平線の彼方に没したあとの、闇に沈んだ平原を、変わらずアルジュナとアーチャーは進んでいた。

 襲撃してきたスカサハは、二騎を相手取って散々荒れ狂ったあと、来たときと同じように唐突に姿を消したのだ。

 暴れるだけ暴れ、まだこんなものかと鼻で笑って、ふいと去って行ったのである。

 変わったところといえば、前衛に回ったアーチャーに生傷が増えたことである。

 治りかけだったところまで再び損傷することになったため、幼い顔は歳に合わない、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。

 

「所も人も構わず襲撃して来てほんとあの女王は……!」

「荒れるのはなんとなくわかりますが、全体どういうことなのか、説明をお願いしたい」

 

 がるがるると尖った犬歯を剥き出しにして唸っていたアーチャーは、アルジュナに指摘され、我に返ったように頭をかいた。

 

「そうだった。───巻き込んでしまった謝罪もしていなかった。彼女はスカサハ。影の国の女王、スカサハだ」

 

 神を、魔獣を、精霊を殺し、英雄を鍛え、愛し、戦う、ケルト最強の女戦士にして、影の国の女王である。

 

「鍛え過ぎ、戦い過ぎ、殺し過ぎて死ねなくなった。()()()、戦いの中で殺されたいっていう超難儀な人だよ。……で、俺は昔にちょっと彼女の国に対してやらかして、以来因縁がついて回ってるんだ」

「貴方とは師弟関係かと思いましたが、違うのですか?弟子と呼ばれていたような」

 

 アーチャーは亀のように首を縮めた。

 

「恐ろしいことを言わないでくれ。あっちが勝手にそう呼ぶんだ。弟子入りした覚えなんかない。俺の先生は時計塔にいるよ。あぁあ、でもこの時代の時計塔って崩壊してるんだった……。畜生……」

 

 頭を抱えて呻き出したアーチャーを、アルジュナは眺める。

 

「ですが、ノインと呼ばれていましたよね。あれは貴方の真名では?」

 

 悪戯がばれた子どものように、アーチャーは片目を瞑る。実際見た目は幼いために、その様な表情をすれば、本物の子どものように見えた。

 

「そうだけどそうじゃない、というのか。どういえばいいんだろう……。ともかく、説明したいんだが、本当に申し訳ない。俺からは自分の名前が名乗れない。下手に名乗ると、誓約(ゲッシュ)を破ったことになってしまうから。破ると、ステータスが下がるんだ」

「では、私からノインと呼ぶのは構わないのでは?クラス名で呼ぶのは被っていますので、名のほうがわかりやすい」

「構わない」

 

 こくりと頷くと、項で束ねたアーチャー・ノインの黒い髪は子犬の尾のように跳ねた。

 

「さて、あの戦士────スカサハは星を探せと言っていました。貴方はどうするのですか?」

 

 生真面目な言い方に、ノインは肩をすくめて答えた。

 

「俺は俺でやることがある。アルジュナが星を探すなら、そっちへ行けばいい」

「ほう。助太刀は必要ないと?」

 

 淀みなく大地を駆けていたアルジュナの足が急に止まる。ノインも止まり、槍を肩に乗せつつ頷いた。

 

「狂王を……聖杯で黒く染まったアルスターのクー・フーリンを、倒したいんだ」

 

 時代の流れを正すため、特異点の修正を第一に考えるならば、スカサハの言うように星を探すべきなのだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()とノインは言った。

 

「でも、これは俺の意地だから。他人には頼めないよ」

 

 狂王を倒すことと、人理復元のために戦うこと。二つを天秤にかけて、個人の情を取ったのだから。

 アルジュナは少年を見下ろし、その答えを聞いてから顎に手を当てた。

 

「理解はしましたが、その貧弱な状態でどうするつもりですか?」

「……考えがないわけじゃない。賭けにはなるが」

 

 分の悪い賭けなのは知っているが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だから、ノインにとっては今回もそうするだけだった。例え、外見が変わっていようが、もう二度となるまいと思っていたサーヴァントになっていようが関係はない。

 

「で、だからアルジュナはどうするんだ?このままケルト側へ行くのは俺の拘りだから、そっちは自由に動けば良い。“赤”のラ……じゃない、英霊カルナに関する話は、さっき言った以上のことはないから」

 

 ひらひらと槍から離した片手を振りながら、ノインは言った。

 なんとなくだが、アルジュナという英霊は大義のために動きそうな型の人間に思えた。

 つまり、大義や誇りという壮大なものに生命をかけられる人間だ。

 

 いつかの昔に敵になったあの少年や、導いてくれた聖女のように。

 

 目的が善なるものであるなら、尚更良いのだろう。それなら、人理復元のために戦うというのは、議論の余地なく『正しいこと』だと思えた。

 

 人理を破壊したいと望む側でないのなら、或いは人理を曲げてまで叶えたいような願いもないのなら、人理復元には、最優先で手を貸すべきなのだろう────普通なら。

 だが、それに背を向けて私情を取ることを選んだ。

 

 スカサハのいう『星』とやらも、見当がつかないことはない。恐らく、この時代の流れの外から、特異点を解決するために現れる、魔術なりなんなりを修めた人々なのだろう。

 千里眼を持たないまでも、魔境の智慧者である女王なら、そういう時の流れを見透かせても何の不思議もない。

 

─────それだけの慧眼を持つ人の望むものが、『死』だというんだからなぁ。

 

 救いようがないと、思う。

 『死』を逃したスカサハにしろ、この特異点の狂王と化したクー・フーリンにしろ、それに()にしろ、彼らの間の因果は縺れて、この大陸にまで持ち越されている。

 

 その因果線に、わかっていて関わろうというのだから。

 

─────俺も、大概馬鹿かもしれない。というか、馬鹿だな。

 

 だからこそ、自分の馬鹿に他人まで巻き込めないのだ。

 英雄やサーヴァントという括りではなく、単なる人としての判断だった。

 

 少年姿の英霊は、紅い目で真っ直ぐアルジュナを見上げた。

 数秒沈黙が降り、アルジュナは肩をすくめた。

 

「『星』とやらが如何なるものか明確にわからない現状、目的もなく大地を彷徨っても意味がありません。ならば、ケルトの王を倒す方法が、ないわけではないという貴方に付き合うのも良いでしょう」

 

 それに、とアルジュナは物を教える教師のように指を一本立てた。

 

「貴方のような幼い英霊を捨て置くのも、年長者として気が引けますから」

 

 ノインの目が丸く見開かれた。

 基本的に、サーヴァントは全盛期の姿で召喚される。

 名の知れた英雄が、たまさか幼い頃の姿で喚び出されることもあるらしいが、大抵は年端もいかない少年が喚び出されたのなら、そこがその英雄の最盛期だったことになる。

 幼いまま斃れたか、或いは成長しなかったかのどちらかだ。

 だからアルジュナが、ノインを幼く未熟な英雄と判断するのも無理はないのだが、聞いた当人はなんとも微妙な顔になった。

 

─────俺、子どもじゃないんだけどなぁ。

 

 二十代も半ばを過ぎているのだ。

 しかし、十歳ほどの見た目では、どうにもこうにも説得力がないし、一から説明する時間もない。

 というか、幼く見えるのもさることながら、手足が縮んで体の間合いが変わったことと、視界が再び開けたことが、戦いづらさに繋がり、個人的には大いに困ってもいるのだった。

 

「……わかった。ありがとう」

「礼には及びません」

「そうか……。でも俺、そんな子どもじゃないからな?普通に中身は大人だからな?未熟なのは確かだが、あまり子ども扱いされても、その、なんだ、困る」

「ええ、わかっていますとも」

 

 アルジュナの薄い笑みは、完全に、背伸びする子ども相手のものであった。

 絶対わかってないな、とノインは察知した。同じ時代のインド出身で、異父とはいえ兄弟でも、あちらとは随分違うのだなぁと遠い目になる。

 とはいえ、かの授かりの英雄からすれば()()()()()()()()()()()()未熟の一括に収まってしまうのかもしれない。

 

「じゃあ、よろしく、アルジュナ」

「こちらこそ、ノイン」

 

 ノインが片手を差し出し、アルジュナが少し戸惑ったあとその手を握る。

 (マスター)従者(サーヴァント)というわけでも、友というわけでもない。

 ただ、夜闇の中で手を結んだのだった。

 

「まずどうするのですか?」

 

 そうだな、とノインは東へ目をやる。

 

「さっきの剣士……フェルグス・マック・ロイの気配を追うつもりだが、その前に」

 

 若干言いにくそうに、堂々と佇むアルジュナのほうへ視線を巡らせた。

 神から賜わった弓を携えたその姿はやはり神秘が高く、汚れのない白衣も夜の中では大いに目立っていた。

 そしてノインにわかるならば、他のサーヴァントもわかることだろう。

 

「もうちょっと気配を隠してほしいというか……。ひょっとして、『気配遮断』スキル、持っていないだろうか?」

「それはアサシンの領分でしょう。私は持ち合わせていませんよ」

 

 そりゃそうだよな、とノインは苦笑いするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広大無辺な北米大陸を、ひたすら進む。

 アルジュナもノインも、どちらも騎兵のサーヴァントではないため、移動は己の足のみになるが敏捷値が高いこともあり、馬などより遥かに早く進むことができる。

 あの兄妹に合わせていたときとは比ぶるべくもない勢いだった。

 その中途で見かけるケルトの魔物や兵士は、大概アルジュナが消し飛ばした。

 遠方から射撃するなどという話ではなく、アルジュナの目に止まれば、即彼の持つ神弓ガーンディーヴァが唸り、地面ごと彼らを消し飛ばすこともざらだった。

 弓とは標的を狙撃するための、射抜く武器で、肉の一片残さず敵を消すものではないのでは、と思わないでもなかった。

 が、そういえばギリシャの射手も、一矢でジャンボジェットを撃墜させるわ、戦場に矢の雨を降らせるわと似たようなことをしていたことを思い出す。

 

─────神代はあんな反則級でも、ザラなんだなぁ。

 

 四度そこいら見る頃には、慣れてしまっていた。

 むしろこの大陸に降り立ってから、何かにつけて、あの二十日にも満たない『昔』の記憶が頭をよぎる瞬間が増えていることが、懐かしいようなどこか薄ら寒いような不思議な気分が抱かせた。

 インドの英霊に宝具で追われて、空間跳躍で逃げ回ったときは必死過ぎて全く思い至らなかったが、今思うと、あの一撃も多分当たれば蒸発するような威力だったのだろう。

 

「インドビームは怖かったんだなぁ……」

「は?今なんと?」

 

 ガーンディーヴァを引き終わったアルジュナについ漏れた呟きを拾われ、見ていたノインは頬をかいた。

 

「いや、アルジュナを見てると“赤”のランサーのことを思い出してさ。目からそんな一撃を撃ってきたなぁって」

「……そのときは如何様に?」

「仲間に、次元跳躍ができる馬を持ってるライダーがいたんだ。ヒポグリフって凄くカッコ良い幻獣で、それに乗って次元を跳びこえて避けた。それだけじゃ足りなくて、迎撃することになったが」

 

 恐ろしいが懐かしいなぁ、と記憶の底から引っ張り出してきたもう遠くなってしまった仲間の姿を思い描いた。

 

「相当に激しい戦いだったようですね、そちらの経験した聖杯戦争は」

「でもそこまでやっても、結局聖杯は壊れて……というか壊してしまったんだけどな。それに、激しさで言うならここのが酷いだろう」

「それは確かに」

 

 この時代の一般人のみならず、女子供まで巻き込んで、大陸全土で聖杯戦争など、冗談も大概にしてほしかった。

 聖杯によって、アルジュナが人理守護のためにカウンターサーヴァントとして呼ばれたのなら、彼に匹敵するサーヴァントがいることになる。

 頭の痛くなる話だが、スカサハが正にそうだろう。

 授かりの英雄相手に、神に愛されただけの若僧、などと言ってのけ、事実宝具を使っていない状態とはいえ、彼の矢も防いだのだから。

 一見誇り高そうなアルジュナだが、スカサハに言われてからも表面は落ち着いていた。

 だから、彼女の軽蔑を気にしていないのかとも思ったが、時たま何かの拍子でスカサハの名前が出ると、す、と緞帳が落ちたように瞳の奥が暗くなるのを見てノインは察した。

 彼なりに、ひどく気にしているのだと。

 それから、その話には触れないでおこう、とも。

 こちらに来たのも、スカサハとの再戦を願ってのことかもしれないとすら思えた。

 救いはといえば、スカサハがクー・フーリンと共に破壊を撒き散らさずに、放浪していることだろう。かと言って、何が狙いかもわからないし、味方でもない辺り、難儀な存在であるのに変わりはないのだが。

 そんなこんなでノインのルーンで気配を探りながら大地を進んでいた二騎が、フェルグスの痕跡を見つけたのは、丸一昼夜経った後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





(マスター)従者(サーヴァント)でもなし友でもなし、因縁もなし。
何なのだろうか、この二人。
そしてスカサハのことは師匠と呼びたくない模様。

精神アラサー(27~28歳)だから少年とは言えなくなってますが、タイトルはこのままで…。外見は少年なので…。


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Act-5

感想、評価、誤字報告くださった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 ─────自分は今、夢を見ている。

 

 何処にでもありそうで何処にもない、換えの効かない時間の中、ただ生きている人々の夢であり、記憶である映像を漂いながら、閲覧している。

 

────■■■さん。

 

 そう呼ばれる誰かがいる。否、誰かではなくそれが記憶の持ち主の名なのだろう。

 だが、何と呼ばれているのかは、風のような異音が混ざり込んでよく聞き取れなかった。

 

─────■■■■■、どうかしたか?

 

 そう記憶の主は、答えている。自分には聞き取れない誰かの名前を呼んでいる。短い言葉の中に、楽しさと、愛しさを込めて。

 何という名前かは、変わらず雑音が重なって聞き取れない。

 この場所は、どこだろうと思う

 視界に広がるのは、そう。陽の光とざわめきに溢れた街の中だ。

 人が行き来し、鉄の車が喧しい音を立てながら脇を過ぎていく。空から石造りの塔に見下されていて、足は石畳を踏み締めている。

 ただ不自然なのは、左の視界が欠けていて、狭いことだ。

 この記憶の主は、きっと片目がないのだとすぐ気がついた。

 

─────あれ、ちょっと見てみませんか。

 

 その言葉を聞いて、視界が巡る。

 薄く透明な硝子の板に、二人の姿が映っていた。

 一人は若い、まだ少女の面影のある女だった。長い金色の髪を一つに編んで束ね、碧眼の奥に星のような明るさを湛えている。細い指で、隣の人間の上衣の袖をつまんでいた。

 袖をつままれているのは、背の高い青年である。少し癖のついた黒い髪をして、顔の半分ほどを眼帯が覆っていた。

 瞬きをすれば、手が少し動けば、硝子の中で青年も同じ仕草をした。だから、この青年が夢の主で、今己が視点を借りている者なのだ。

 一つしかない彼の目は、錆びた赤色だった。乾いて凝り固まった血の色に、似ていた。

 それでも、硝子の板に映る瞳は、優しかった。

 賑やかで明るい街の中に在ってさえ、どこか後ろに陰を背負っているような青年なのに、隣の彼女に向ける目は、あたたかみに満ちていた。

 二人ともが、持ち手のない小さな紙袋を腕に抱えていた。薄茶色の紙袋からは、紅い林檎やパンが覗いたり、はみ出したりしていた。

 硝子窓の向こうは書店なのか、書物が詰め込まれた棚が見えている。

 往来からよくわかるようにするためだろう。硝子窓のすぐ真下には机があり、書物が一冊開いたまま置かれていた。

 色のついた挿絵と、彩色された飾り文字。幼い子が喜ぶような、そんな書物だった。

 

────絵本、か。好きだな、そういうの。

────あなたもでしょう?

 

 金の髪の彼女に見上げられ、青年は紅い林檎の入った紙袋を抱えたまま、頷いた。

 

────ん、まぁな。じゃあ、寄り道してくか。

────はいっ!

 

 頷いて、応えて、笑い合う。

 彼らにとっては、これが何でもない日で、けれど何より大切なのだと、見ているだけの自分にも感じ取れた。

 ただひたすらにあたたかで穏やかな、陽だまりの光景が見えたところで、ぐにゃりと景色がぶれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────イン───ノイン!」

 

 耳元で名を呼ばれて、一瞬だけ途切れた意識が浮上した。

 

「あ、ああ。……すまない。ちょっとぼけていた」

「しっかりしなさい。目が虚ろになっていましたよ。探索の魔術での消費がきついならば、私が一人で片付けますが?」

「いや、大丈夫。やれるさ、あなたに頼ってたら意味ないからな」

 

 やや高い位置から呆れた視線を送ってくるのは、白衣の青年、アルジュナ。

 それに、闇に沈んだ地平線と大気に混じる砂の味。

 

─────そうか、俺は北米大陸にいたんだっけ。

 

 時代も場所も、恐らく空間と世界すら飛び越してしまった果てにいるのだ。

 だから自覚させて、己に言い聞かす。

 自分が何処の誰で、これから何をしようとしているかを、何をしなければならないのかを。

 さもないと、主軸がぶれるからだ。

 それは、まずい。少なくとも、今はまだ。

 槍を顕現させて、柄をしっかりと握った。その様子を見てか、アルジュナはひとつ頷く。

 

「しかし、これほど早く見つけられるとは、思いませんでした。……貴方は優秀な狩人かなにかだったのですか?」

「ははは、そういうのだったら、もうちょっと手際良くできてたんだけどな」

 

 さらりと誤魔化して、夜の闇でも問題なく見透かせる目で、眼下の大地を眺める。アルジュナとノインがいる崖の下には、小さな村が広がっているのだが、正にそこはケルト兵たちに襲われようとしていた。

 村にすでに人の気配はない。人の血の臭いはないから、既に破棄されたのだろう。

 ケルト兵たちを率いているのは、螺旋剣を持つセイバー・フェルグスである。

 相対したときに覚えた気配を魔術でノインが辿り、見つけたのだった。丸一日費やしての追跡が早いのか遅いのかはよくわからない。

 

「じゃあ、さっきの通りで頼む」

「ええ。私が砲台、そちらが遊撃でしょう。巻き込まぬよう努力はしますが、何分敵を殲滅することを優先させますので」

「了解。それくらいなら、多分大丈夫さ。俺、脚だけは速いから」

 

 じゃあ、と槍を持ったまま、崖から身を踊らせた。

 十数メートルの自由落下の後に、足が地面を踏みしめると同時に地を蹴る。

 魔獣の類も兵士もすり抜けて、狙うのは剣士のサーヴァントだけだった。

 姿を見つけ、転身して槍を横に薙ぐ。

 金属音が響き、槍を持つ手に衝撃が走る。

 気配を消した死角からの一撃を、フェルグスは受け止めていた。

 

「お前か!」

 

 言葉とともに繰り出された蹴りを避け、後ろに跳んで距離を取る。

 

「俺を追ってきたわけか。相変わらず妙な気配のままだな。偽アーチャー」

「無論。……その呼び方も久しぶりだ。偽というより、今は代理だがな」

 

 呟きをどう取ったのか、フェルグスはカラドボルグを肩に担いだ。

 

「お前の魂胆もわかる。わかるが、悪いことは言わん。それは無謀というものだ。英霊となってから、己の死を引っくり返そうとするのか?戻って来い、()()()

 

 そちらの名を呼ばれて、ノインは片頬を吊り上げた。

 

「そういうのは、俺じゃないおれに言ってくれ。……まぁ言ったところで止まらないと思うし、止まるくらいなら俺は出てきてないんだが」

 

 さすがに喋り過ぎだと、槍を構えると同時、全身に紫電が纏わりつく。

 やむを得ずに誓約(ゲッシュ)をひとつ破ったために、低下したステータスを補うには、毎度こうするしかないのだ。

 あくまで槍を下げない少年に、フェルグスはため息を一つついてから螺旋剣を向けた。

 彼らの周辺では兵士たちが木っ端のように吹き飛び、空を飛ぶ飛竜が消滅していく。

 爆発の明かりが、螺旋剣を不吉に輝かせていた。

 しかし、轟音と爆風の激しさに反して、村の建物への被害が驚くほど少ないのは、流石のアルジュナの技量としか言えなかった。

 

「時間も無し、か。やれ、この周辺ではぐれサーヴァントが確認されたから来たというのに、こうなるとはな」

 

 彼らがわざわざ廃村に集っていたのはそういう裏があったのか、と槍を構えたまま納得した。

 やむを得んか、と深く息を吐いたフェルグスの両手が剣に添えられる。

 ぴり、とニ騎の間に触れれば切れる緊張の糸が張られたそのときだ。

 いつかのときのように、何かが飛来してくる。

 キン、と甲高い音がした。首を狙って飛んできた小さなナイフが、槍で叩き落とされた音だった。

 フェルグスも同じように、放たれたナイフを打ち落とした。

 続けて、突如として村を中心に霧が立ち込める。白く濃いその霧の中に呪詛の気配を感じ取り、眉をしかめた。

 

─────おい、待て、あの子までいるのか、ここ。

 

 霧はあっという間に村をくるみ込み、フェルグスとノインのところにまで押し寄せる。

 その靄の中でフェルグスの剣に光が収束されるのをノインは、見た。

 

「ちと面倒だが……まとめて吹き飛ばせば問題あるまい」

「ッ!」

 

 フェルグスが螺旋剣カラドボルグを振るい、三つの丘を吹き飛ばしたことがある。虹の輝きの中に、その逸話を思い出す。

 即座にフェルグスから背を向けて霧の中に飛び込んだ。

 踏み込んだ瞬間、音のない吹き矢のように迫って来た気配に向けて盾のルーンを展開した。

 ルーンの障壁にぶつかり、突進を止められたのは小さな子ども。護りに跳ね飛ばされ、地面に転がったその襟首ねっこを引っ掴んで、壁を伝って屋根に出た。

 鮭跳びの術で屋根を蹴って、高く空に跳び上がれば、眼下で村が虹の光に正に飲み込まれるところだった。

 宝具の真名開放と共に、カラドボルグは村を跡形なく吹き飛ばす。あれでは、村人たちは故郷に戻ることは叶わないだろう。

 息つく間もなく、連れ出せた子どもは、ノインを振り解こうと、メスと肉切り包丁を振り回して暴れまわった。

 頸動脈を狙ってくるメスは首を捻って避けたが、頬を掠めて、皮膚が薄く斬れた。

 

「暴れるな!()()()()()()()()()()()!俺が引っ張り出さなきゃ、あんた、あれで消されてたぞ!」

 

 真名を言い当てられてか、ノインが掴んだ銀髪の幼い少女は動きを止めた。

 小さな顔に灰色の不信をありありと浮かべ、低い声で尋ねる。

 

「なに、なんなの、あなたは?わたしたちのこと、知ってるの?」

「ここでは敵じゃないってだけだ。ほら、手は離すからどこかへ行け」

 

 着地すると同時に襟首から手を離す。

 村を舐めている炎を灯りにして照らし出された顔は、まだあどけない。十歳ほどの少女のものだった。

 氷のような薄い青の眼に、ナイフとメスを持った、幼い猟奇殺人鬼。

 ノインにとっては覚えのあるアサシン、ロンドンの切り裂きジャックは、一歩、二歩と伺うように後退ってから、あっという間に闇の中に溶けた。

 

「ッ!」

 

 直後、背後から唸りを上げて振り下ろされたのは螺旋剣。

 槍で受け止めると、足が地面に沈んだ。

 背筋を冷たいものが走る。

 今の状態で力比べに持ち込まれては、押し負けるのだ。

 

「だ、あぁぁぁっ!」

 

 ルーンで一瞬だけ筋力を引き上げ、押し返すと同時に後ろへ跳ぶ。そのまま地面を槍で叩いて雷を発生させた。

 

「『磔刑の雷樹(ブラステッド・ルイン)』ッ!!」

 

 空から紫電が降り注ぎ、フェルグスはそれを何の躊躇いなくカラドボルグを一振りして切り払った。

 電気に体を焼かれながらも、雷を雲散霧消させる姿にノインの呼吸が一瞬止まった。

 確かにあれは魔力を収束させた雷で、高い神秘で斬られたらほつけるが、それにしても躊躇いなく切り飛ばされたのは初めてだった。

 にやりとフェルグスは嗤う。

 

「いつの間にこんなものを扱えるようになった?何れかの宝具か?」

「……そんなところだ」

 

 教える義理はないし、言ったところで理解されようはずもない。彼が紛れもないケルトの英雄たればこそ。

 

「参った参った、やっぱり神話のサーヴァントは強いわなぁ」

 

 所詮自分の扱える神秘程度では、切り崩せる相手ではない。

 ではどうするのか。

 

「正面から斬るしかない、か」

 

 心臓に、全身に、紫電を宿らせて、槍を構える。

 腰を落とし体を低く沈めて、槍の切っ先を深く下げる。獲物へ飛び掛かる獣を思わせるその構えに、フェルグスの眉が跳ね上がった。

 

「それは……」

「知ってるよな」

 

 この英雄の盟友たるアルスター随一の英雄の、師匠から習い覚え込まされた技なのだから。

 

「十年以上も夢の中で教わって来たんだ。俺自身が泡だとしても、技は借り物とは言えない」

 

 殺されながら、文字通り血反吐を吐きながら叩き込まれたのだ。

 何せ、ノインという人間は非才だから、そうでもしないと、てんで使い物にならないと言うのが女王の言葉である。

 頼みもしないのに、夢の中までさんざ殺しに来て、人を殺して殺される感触を忘れるのを許さない女王には、全く以て感謝できためしはなかったが。

 

 このときばかりは、これしか頼るものがなかった。

 

「行くぞ、英雄」

 

 久方ぶりの、本物のサーヴァントとの戦いに、全身で感じ取れる殺気と闘気に、にやりと口の端を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 




関西圏の皆様におかれましては、地震は大丈夫でしたか?
当方も揺れを感じました。怖かったです。

というわけで、健在報告兼ねての更新となりました。

ジャック登場。原作開始前に、フェルグスが倒したというサーヴァントの一体ということにしておいて下さい。


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Act-6

感想、評価、誤字報告下さった方々、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 全身の骨が、外れるかと思った。

 げほ、と血の塊を吐くとそのまま倒れそうになる。だがほとんど気合だけで両脚に力を込めて、何とか踏み止まった。

 心臓を貫いた槍を引き抜く。思ったよりも深々と刺さっていた槍を抜くのに、両手の力が必要だった。

 肉の潰れる音がして、生暖かい血が頬にはねた。

 

「ここまでか……」

「ああ。今回のあなたの現界は、ここまでだ」

 

 心臓のあった位置に穴が穿たれた英雄、フェルグスは薄い笑みを浮かべた。

 

「そこまでできるなら、そら、持って行け。使うのは骨だろうがな」

 

 片手で投げられたカラドボルグを両手で受け止める。捻じくれた、奇妙な形の刃を持つ宝剣は、ずしりと重かった。

 

「終ぞ、表のお前が誰かはわからず仕舞いか。本当に名乗るつもりはないのか、コンラではない何者かよ」

「名前も、何もかも俺には不要なんだよ、フェルグス・マック・ロイ。俺はただのアーチャーさ。……狂王は必ず倒されるから」

 

 そうか、と笑みを残して、英雄が一人消え去った。瞬間、目眩いが襲いかかってまたも倒れそうになる。

 

「でも……勝てた、な」

 

 握ったカラドボルグは、巨大な円錐形という奇妙な形の剣だった。

どう見ても奇天烈な形としか言えないのに、それで斬るわ殴るわ吹き飛ばすわと、フェルグスは自由自在に戦った。

 呪いの朱槍でも何でもない、無銘の槍一本で何とかできたのは奇跡だった。

 

「最後何か、手加減されてたような……」

 

 そんな気がしたし、間違いないと思う。

 途中まで拮抗していたのに、中途から急にこちらへ流れが傾いたからだ。

 槍で心臓を穿く瞬間、フェルグスは何処か安堵したように笑っていた。思い返せば、後を託せるとでも言いたげな表情だった。

 

「……」

 

 それでも、ノインの手にはカラドボルグがあって、フェルグスという英雄はたった今消滅した。

 一つ目の目的を達したのだが。

 

「喜べは、しないなぁ」

 

 実際のところ、スカサハに扱かれたあの時間は、ひたすら斬り殺され倒す時間だったとも言える。夢の中では死がないために、本当に無茶ができてしまうのだ。

 首が飛ぼうが心臓が破裂しようが、夢の中では即座に元に戻せるのだから。

 スカサハの鍛錬というのは、極東に伝わる修羅道もかくやというやり方だった。

 だから、自分がどれだけ強くなっているのか全くもって、わからなかったのだ。

 体感時間にすれば十年では効かない長い間、一体、何百回何千回朱槍に穿かれたか斬られたかは数えきれない。

 正直、それで正気を保っていることのほうを褒めてほしいくらいである。

 

「いや、落ち着け俺。誰に褒めてもらうんだよ」

 

 少なくとも、世界一面倒くさい、あのケルトの女王ではなかった。

 空を見上げてみれば、既にしらじらと夜が明け始めている。何処にいようが、夜明けの空模様だけは大して変わりないらしいと思うと、懐かしさでため息が出た。

 今は会えない人たちと、届かない場所を想って。

 

「……会いたいなぁ」

 

 自分が誰に会いたいと願っているかは、考えるまでもなかった。

 ともあれ今はどうにかなったのだと、手にした剣を確かめる。

 異形の剣は、振ってみると意外に手に馴染んだ。何となく魔力が自分から剣へと注がれている感じもあって、試しにその繋がりを切ってみると剣は溶けて消え、繋ぎ直すとまた顕現した。

 曲がりなりにも本来の所有者から預けられたため、使えるようになったのだろう。或いは、戦って奪うという戦士の法則が適用でもされたのだろうか。

 

「……ジークがライダーの剣を借りたときと同じってことにしておこう」

 

 少なくとも、この特異点下だけなら、カラドボルグを扱えそうだった。

 ともかくアルジュナの方へ戻ろうとそちらへ足を向ける。言葉通りに、彼は崖の上からフェルグス以外のケルトを根こそぎにしていた。

 最初に飛び降りた崖の上にひょいと戻る。そこで、ノインは固まった。

 崖の上で弓に魔力の矢を番えているのはアルジュナで、その鏃の先には腕を押さえたジャック・ザ・リッパーがいたのだ。

 アルジュナの顔は厳しく、アサシンの少女を見下ろしていた。

 崖の上に現れたノインを見た瞬間、アサシンが獣のように動き、その陰に隠れる。いきなり背後からしがみつかれて、ノインは驚いた。

 

「退きなさい、ノイン。その少女は魔のもの。悪霊でしょう」

 

 故に滅する、とアルジュナの目が言っていた。

 

「いや、ちょっと待った!」

 

 腰にしがみつかれたまま、ノインは後ろを振り返った。

 

「アサ……ジャック・ザ・リッパー。あんたは、この大陸に来てから()()()()()()?」

 

 早く答えてくれ、と思いながら問い掛けると、ジャック・ザ・リッパーは首を振った。

 

「ほんとうか?」

「わたしたち、にんげんはまだ誰もたべてないよ。へんな竜とか怪物はおいしそうだったから解体したけど。そこの人は、たべさせてくれなかったもん」

 

 よりによってアルジュナを喰おうとしたのか、とノインは軽く気絶したくなった。

 

「ジャック・ザ・リッパー。ここで死にたくなかったら、とりあえず俺の言うことを聞け。いいか、絶対に人を喰うな。喰うならケルトにしろ」

「……ん、いいよ。さっきわたしたちを助けてくれたしね。それに、あなたはあなたで、たべにくそうだもの」

「そりゃどうも」

 

 しがみつかれたまま、ノインはアルジュナに向けてそろそろと両手を上げた。

 

「アルジュナ、この子、魔力さえあれば見境いなしには人を喰わないから、連れていけないか?」

「は?」

「いや、斬られかけたあなたが怒るのは無理ないんだが」

 

 ケルト側じゃない貴重なサーヴァントなんだから、とノインは言い募った。

 

「この子が誰かを喰わないように、俺が見てるからさ」

 

 アルジュナの弓は下りない。黒い瞳には硬い光が宿っていた。

 

「その者の行動すべてに責任を取るということは、即ちその者が人を殺めたときに、誰よりも先に、貴方が彼女を殺すということに他なりませんが?」

「わかっている。必ずそうする」

 

 赤い目でアルジュナを見て、きっぱりとノインは頷いた。背後に背負ってしまった重みを感じながら。

 一秒、二秒と息詰まる時間が流れた。

 

「……わかりました」

 

 アルジュナの手からガーンディーヴァが消える。ノインも両手を下ろした。

 

「貴方は変わり者のようですね。アサシンの、それも悪霊の反英雄を助けようなどと……」

 

 流石の慧眼にノインは目を見開く。

 

「とにかく、ありがとう。アルジュナ」

 

 ややため息混じりに、アルジュナは答えた。

 

「礼には及びません。そちらの首尾は?」

「成功だよ」

 

 カラドボルグを展開して軽く振り回すと、アルジュナは驚いたのか目を見張った。

 

「本当に手に入れたのですか……」

「なんだ、疑ってたのか?……まぁ、無理ないか。俺、弱いもんな」

 

 それもこれも、破り捨てたゲッシュのせいだが。

 大体何であんなもの息子に贈るんだよ若い頃の親父殿は、と届きもしない恨み言を言ってしまいそうで、口を噤んだ。

 その様子をアルジュナが見て、何か言いかけたときだ。

 

「ねぇねぇ、あなたたちは、わたしたちが誰か、きかないの?」

 

 ノインの陰から出てきた少女はメスをお手玉しながら尋ねる。

 

「悪い。……あんたの名前は?」

 

 くるくるとメスを回しながら、少女は笑った。

 

「わたしたちはね、ジャック・ザ・リッパー。アサシンだよ」

「俺はノイン。アーチャーだ」

「ノイン、ノインかぁ。うん、おぼえた!槍しかつかえないみたいなのにね!」

 

 あどけない口調で言われて、ノインが胸を押さえる。

 それであなたは、とジャックのアイスブルーの目がアルジュナに向けられた。

 きらきらした視線で見上げられ、やや辟易した様子でアルジュナは額を押さえつつ答えた。

 

「……アーチャー・アルジュナと申します」

「ふぅん。そっか。じゃあ、あなたたちふたりともアーチャーなんだ」

 

 しげしげと、ジャックはノインの顔を覗き込む。

 

「ねぇ、あなたは、何処かでわたしたちに会ったことあるかな?はじめっから、わたしたちの名前をしってたよね?」

「……」

 

 押し黙ってから、ノインは屈んでジャックと目の高さを合わせた。

 

「別の聖杯戦争でちょっと、な」

「ふうん、あなたはわたしたちのてきだった?それとも、みかた?」

「敵だったよ」

 

 アルジュナが驚くのを視界の端で見ながら、ノインはジャックから目を逸らさなかった。

 メスを指で弄びながら、ジャックは首を左右に傾けている。

 

「そっか……そうなのか。んー、でも、いまは敵じゃないから、いいや」

「いいのですか」

「だって、わたしたちはノインみたいな人、しらないからね。そういうこともあったんだなって、言うだけだよ」

 

 メスを腰の鞘に収めてから、ジャックはノインとアルジュナを見比べた。

 

「それで、ふたりともアーチャーなんだ。ここにはアーチャーが多いんだね」

「待て、どういうことだ?あんたは、俺たちやフェルグス以外のサーヴァントに出会ってたのか?」

 

 うん、とジャックはあっさり頷いた。

 

「ここから離れたまちだよ。みどりの弓を使うサーヴァントと、銃をもってるサーヴァント、どっちもあの怪物たちとたたかってたっけ」

 

 近くまで寄ってみたが、特に助ける理由もなかったので、サーヴァントたちが護る街を通り過ぎて、そのまま大陸をうろついていたのだと、ジャックは淡々と語った。

 

「レジスタンスって名乗ってたよ、あのひとたち」

「レジスタンス……抵抗勢力か」

「となれば、ケルトに対していたのは、西部合衆国だけではなかったということになりますね」

 

 ケルトの本拠地から一直線で必死に逃げる間には、聞けなかった名前だった。

 

「じゃあ、何でレジスタンスは合衆国側に合流しないんだ?」

 

 元ケルト側のサーヴァントで、所かまわず襲撃してくる女王に追われているから、迂闊に人の群れに入れない、などという七面倒なノインとは違うだろう。

 アルジュナは顎に手を添えた。

 

「……考えてみれば、合衆国とやらは如何様にしてケルトに勝つつもりなのでしょうか?聖杯ある限り、ケルトの物量は途切れないはずです。それなのに合衆国は、この時代の人間を強化して物量戦を挑んでいる。前線に出せるサーヴァントの数でも、恐らくはケルトに劣っている。物量で張り合おうとする限り、敗北するのは時間の問題でしょう」

「そういうとき、アルジュナならどう戦うんだ?」

「サーヴァントを揃えての電撃作戦か、或いは首魁の暗殺。そんなところでしょう。何れにしても、このまま正面から戦うようではすり潰されます」

 

 淀みなく言って、アルジュナはノインとジャックが聞き入っているのに気づいた。

 

「何です、鳩が豆鉄砲を食らったように」

「えー、すごいなぁって」

「同じく」

 

 外見だけならば、年端も行かない少年少女姿のサーヴァントたちは、揃ってぱちぱちと手を叩いた。

 毒気を抜かれたように、アルジュナは首を振る。

 

「レジスタンスのサーヴァントが合衆国に与しないのは、物量で押そうとする合衆国の不味さに気づいているからってことか?」

「そこまでは何とも。しかし、可能性はありますし、不味いのは我々も大差ありません。状況を知るためにも、レジスタンスとやらに合流するべきでしょう。そもそも、先の戦いで消耗しているでしょう、ノイン」

「そうなの?」

「う……」

 

 じ、とジャックに見られて、ノインは頷いた。

 確かに外見だけは補修して取り繕ったが、色々と傷が増えたのも事実だった。

 

「でも、そこまでじゃないぞ。放っとけば魔力は補填できるから」

「ならば、何もせずに貴方を放っておく時間が必要ですね。さしずめ、貴方は心臓を基点とした魔力収集機能でも有しているのでしょう。しかし、それとて回転させすぎれば破綻するでしょうに」

「そんなとこまで、わかるのか?」

「目は良いので」

 

 簡潔な答えにノインは目を丸くし、頭をかいた。

 

「……ジャック、彼らがいた街までの案内を頼めるか?」

「うん、いいよ!とちゅうで怪物にあったらわたしたちがかいたいするね!」

 

 元気が良いんだな、と肉切り包丁を構えるジャックに、ノインは肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 高い空と砂塵舞う大地。時は十八世紀の北米大陸。

 森の中の匂いを味わいながら、わたしは手持ちの通信機のスイッチを入れた。

 

「所定の場所に到着しました、ドクター」

「こちらマシュ。はい、マスターと共に到着です」

 

 片目を髪で隠した盾の女の子、わたしの後輩、マシュ・キリエライトと一緒に答えると、空間にホログラムが浮かんだ。

 映し出されたのは、優しげな雰囲気の白衣の男の人だった。

 

『うん、こちらでもキミたちの存在は確認できてる。状況は?』

「森の中てす。でも、どうやら近くで戦闘が始まっているようで音がしてます。偵察に出ようと思うんですけど……」

『あくまで慎重にな。マスター』

「はい、わかってます!()()先生」

 

 先生と、わたしは画面に現れたもう一人を呼んだ。長髪にスーツの、眉間に皺が寄った男性である。

 サーヴァント・キャスター、真名は諸葛亮孔明。

 ロード・エルメロイⅡ世という人を依り代にしているという、カルデアのサーヴァントの中でも一風変わった人である。彼が画面の向こうで更に答えようとしたとき、遠くで雄叫びが聞こえた。

 獣の吠えるような、理性が明後日へかっ飛んでしまった人間のような、ゾッとする声だった。

 

『おい、何だ今の叫びは。ケルト戦士じゃあるまいな』

「わ、わかりません。確かめに行きます」

 

 やたらと具体的な例えを出したエルメロイⅡ世を不思議に思いながらも、わたしはそう言って、マシュに向けて頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




年端も行かない少年少女の引率に見えそうなアルジュナ。
ただし片や中身二十代半ば。片や中身無垢な悪霊。

そしてカルデア勢到着。
オペレーションに混ざるエルメロイⅡ世。


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Act-7

感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

「結局、貴方という英霊は何なのですか?」

「ん?」

 

 ジャックの案内に従い、打ち捨てられた街から街を通って大陸を旅する最中、唐突にアルジュナが問うて来たのは、そんなことだった。

 

「言ったじゃないか。俺は────」

「ただのアーチャーというのは聞きました。ですが、ケルトの英雄に縁がある割に、まるで未来から来たかのようなことを口走っているでしょう?」

 

 アルジュナに訝しげな目を向けられて、ノインは以前、時計塔に先生がいると言ってしまっていたことを思い出した。

 

─────それにしても、()じゃなく、()と来たか。

 

「コンラ、とあのセイバーに呼ばれていたでしょう?それは、ワシントンにいるという狂王クー・フーリンの息子ではありませんか」

「あ、あー。そっか、それか。そりゃ怪しまれるのも当たり前だな」

 

 おまけにフェルグスの言葉まで聞かれていたらしい。かなり遠かったというのに、口の形を読み取って理解でもしたのだろうか。

 それはさておき、そろそろ疑われて当然だった。

 人の捨てた街を破壊していた四足の魔物を嬉々として解体し、その心臓を喰らって魔力を補填しているジャックを見つつ、ノインは首を傾けた。

 

「俺に親というのがいたことはないよ。……だから、クー・フーリンの息子は俺じゃないし、そう呼ばれていいのも天地にひとりだけだ」

 

 では、今ここで、アルジュナの目の前で物を考えて口を利いているノインが、何なのかと言うならば。

 

「この時代から……そうだな。大体二百年後に生まれて、コンラっていう英霊の依代になってたことがあるだけの人間だよ」

「貴方はサーヴァントとして、聖杯戦争に参加したのでは?カルナとその折に戦ったのでしょう?」

「それはデミ・サーヴァントとしてな。それで、六年間も依代になってたからか……あの女王の差金かは知らないが、今回コンラが喚ばれたときに巻き込まれたらしくてさ」

 

 ノインとは、恐らく人理焼却という異常下だからか、混ざってしまった人格なのだ。

 元々泡沫のような淡いものである。

 喚ばれたときも、己の意識というもの自体あまりなく、ただスクリーン越しに外界を覗いているような、ぼんやりしたものだった。

 

「見ているだけのつもりだったんだが、召喚されたコンラは、クー・フーリンを見た瞬間に怒り狂ってしまってなぁ。バーサーカーかと思うくらいだったよ」

 

 メイヴのためだけの、聖杯で造られた親父など認められるかと荒れ狂い、彼女に隷属して人理焼却側につくのを拒んだ。

 そのときに破られたのは、『進む道を違えてはならない』という誓いである。

 メイヴに叛逆したために、召喚者が定めていた道を違えたことになり、力を奪うゲッシュの呪いが発動したのだ。

 結果、コンラはほとんどなす術もなくクー・フーリンに敗れた。

 とはいえ、元々神話において、コンラを殺したのはクー・フーリンである。伝承の因果に囚われ続ける英霊は、宿業に勝てない。

 普通に戦えば、コンラは同じように呪いの朱槍で死ぬだけだろう。

 

「放っといたら、コンラは殺されてた。二回も親が子を殺すのをただ見てるだけなんてなのはこう、うまく言えないんだが……駄目だろ?そう思ったら、入れ替わってたんだ」

 

 何もなかったなら、ただの人間が英霊の魂を押し退けて、表に出るのは無理だったろうが、敗れた直後で弱っていたのが却って幸いした。

 が、入れ代わったところで、ノインではそのままクー・フーリンに勝てるはずもないのでとにかく全霊で逃げた。

 逃げ切れたのだが、そのときに魔力が尽きて倒れたところをあの兄妹に拾われたのだ。

 

「だから代理と言ったのですね。英霊の願いを、人間が代行して叶えるつもりなのですか?」

 

 鋭いアルジュナの視線を受けても、ノインは軽く肩をすくめただけだった。

 

「そんなに大層じゃないよ。ただ、今は俺よりあいつのほうが困ってるから、出て来ただけだ。親子の仲って、俺が思うより何倍も難しいんだな」

「では貴方は────」

 

 アルジュナが何か言いかけた瞬間である。

 

「ノインー!」

「うわっ!?」

 

 幼い声と共に、ノインの顔面に脈打つ心臓が投げつけられた。

 顔に当たるぎりぎりで受け止めたノインが心臓の飛んできた方向に目をやると、魔獣の返り血を浴びたジャックが、ナイフをぶんぶん振りながら笑っていた。

 

「いきなり何するんだ!?」

「それ、食べたらおなかふくれるよ?ノインにいっこあげる!」

 

 元々魔力で生み出された魔獣の心臓だから、確かに食べれば幾らか魔力は回復するだろう。

 連戦しているノインには、確かにありがたかった。

 ただ、いきなり顔面にどくどくと音がする血塗れの心臓を投げつけられて、しかもそれをそのまま食べたことなどノインにもない。

 しかし、捨てたら捨てたでジャックは悲しむ、というより拗ねるだろう。

 ジャックの認識では、ノインはフェルグスとアルジュナから庇ってくれた恩人ということになっているらしい。それに、外見年齢だけならそう大差ないことも手伝ってか、妙に懐いていた。

 懐いてくれる子どもを泣かすことは、できなかった。

 

「……」

 

 黙ってしまったアルジュナが見ている前で、ノインは火のルーンを描いて、心臓を焼く。

 とりあえず焼いてから齧った心臓は、ひどく生臭くて、鉄の味が鼻の奥いっぱいに広がった。

 

「おいしい?」

 

 解体しつくして気が済んだのか、ジャックはナイフもメスも腰の鞘に収めて、ノインたちの側までくる。

 

「……塩かけて焼いて食ったらもっと美味くなると思う」

「そっかぁ。じゃ、つぎからはそうしよう」

「今ここに塩なんてないだろ」

「えー、じゃあノインがつくってよ。魔術、つかえるんでしょ?」

「いや、魔術は万能じゃないからな。……塩なら、まあ何とかはなるが」

 

 口の周りに血をつけながらも完食はするノインと、にこにこと笑うジャックを、アルジュナは不思議そうに見ていた。

 

「ジャック、それ食ったら行くぞ。アーチャー二人を見た場所まで、あとどのくらいだ?」

「んー?もうすぐだよ。もうすぐだから、もうちょっとたべたい!おなかすいた!」

 

 無邪気に笑うジャックの頬には、魔獣の血が頬紅のようにとんでいた。

 服の袖でそれを拭いながら、ノインはあやすように言った。

 

「進んだら多分、もっと新鮮な心臓食べられると思うけどな」

「ほんとー?」

「ほんとほんと」

 

 じゃあ行く、と軽々跳躍して先頭に立つジャックの後に、槍を肩に担いだノインと弓を手にしたアルジュナは続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マシュとわたしは、戦場を見ることのできる場所にいた。

 森の木の陰から、大平原で戦う彼らを覗き見ているのだ。わたしはそのまま、手首についている通信機に向けて話しかけた。

 

「ドクター、あの、戦ってるのがどう見ても昔の戦士とロボットなんですけど」

「はい。マスターの言うように、十八世紀の装備を使っているのは一部です。ロボットの形状などは、ロンドンのバベッジ教授のものと似ていますし、戦士たちは装備から鑑みてケルト神話群かと」

 

 ひとつ前の特異点、霧深いロンドンで(まみ)えたチャールズ・バベッジ教授は、蒸気機関でできたロボット服みたいなのを着ていた。

 今、槍や剣で武装した、マシュに曰くケルト兵団と戦っているロボットたちは、彼とよく似ていた。

 

『歴史の流れでいうなら、明らかにおかしいのはケルトのほうだね。だけど、ロボットも奇妙だ。そっちからなにか意見はあるかい?』

『……』

「あの、孔明先生?せんせー?」

 

 通信機の向こうにいるドクターはいつものようにちょっとゆるふわな声で説明してくれるのに、謹厳だが頼もしい孔明は水を向けられても黙ったままだった。

 映像は出していないが、多分これは額にマリアナ海溝みたいな深い皺を刻んでいるだろう。

 

『よりによって、ケルトか。あの万年狂戦士どもか。……おいマスター、ぱっと見たところで良い。そこいらに黒い眼帯をつけた黒い髪の男はいるか?槍か、投石器を持っているかもしれんが』

 

 なんだろうその具体的な言い方は、とマシュと顔を見合わせる。

 デミ・サーヴァントである後輩はふるふると首を振った。わたしのほうからも、そんな人は見えなかった。

 雄叫びを上げているケルト戦士は、正直怖い。彼らに向けて一糸乱れぬ動きでマシンガンを乱射しているバベッジ風ロボットもだ。

 だからどちらにも見つからないよう、マシュと二人で森の陰にいるのだ。戦局としては、ケルトのほうがやや押しているように見えた。

 

「いえ、発見できませんが」

『そうか。いや、今のは忘れてくれ。ケルトに縁があるとはいえ、そうそう来ていてたまるか』

 

 ぶつぶつと言い出す辺り、いよいよ様子が変だった。

 

「あのー、孔明先生?その人は誰なんですか?ケルト神話に知り合いが?」

 

 諸葛孔明のサーヴァントは、依代だというロード・エルメロイⅡ世の人格が表に出ている。

 この言い方からするとその誰かは、エルメロイⅡ世としての知り合いなのだ。

 

『いない。だが、私の記憶の中には、ひとり、ケルトの元デミ・サーヴァントがいる。人理焼却下の特異点ともなれば、私のように喚ばれているかもしれんと思ったまでだ』

「え!?」

「はい!?」

 

 マシュと揃って驚愕の声を上げてしまう。

 マシュと同じデミ・サーヴァントで、しかも元がつく知り合いとは何なんだそれは、としか言えない。

 わたしたちの驚愕は置いたまま、孔明はそのデミ・サーヴァントについて語った。

 

『もしそいつ────ノインという名前の元アーチャーだが、その彼がアメリカ大陸にいるなら、恐らくお前たちの力になってくれるだろう。ケルトに染められ気味の馬鹿だが、人理を燃やす側にもつかん、絶対にな』

 

 さらっとケルトを罵ってませんかこの大軍師系サーヴァント、と思いつつマシュと顔を見合わせる。

 ちょっと困ったように首を傾げているマシュである。

 そのデミ・サーヴァントさんのことをもっと聞きたいが、状況柄聞けないのを残念に思っている。

 そんな顔をしていた。

 

『と、とにかく、キミたちは状況を判断しつつ、聖杯の場所を探ってくれ』

 

 はい、と声を揃えてマシュと答える。

 そろそろと戦場を覗く。また新たな動きが出たのはそのときだ。

 ロボットとぶつかり合っているケルトに体当りするように、別の一団が現れたのだ。

 

「新たな一団を確認しました!先頭に、先住アメリカ人の装束の男性!恐らくサーヴァントです!」

 

 三つ目の集団の先頭には、確かに人間離れした動きと気配の男性がいた。

 つまり何だろう、このアメリカ大陸はケルトとロボットとサーヴァントに率いられた軍団と、三つ巴状態にあるということなのか。

 

「ちょっと無茶苦茶なんじゃないでしょうかこれ……!」

『あー、藤丸くんしっかりしてくれ!エルメロイⅡ世もそんなとこで頭を抱えないで!』

 

 通信機の向こうもこちらも軽く地獄である。

 そのときだ。

 

「マスター!伏せて下さい!」

 

 がぃん、とお腹に響く音がした。

 マシュが飛んできた砲弾を打ち払う音だ。

 マシュの盾はいつものようにわたしを守ってくれたが、余りに見事にやり過ぎたのだろう。

 ロボット兵団の一部が、こちらを捕捉した。砲弾が飛んできて、森の木々が根こそぎにされて、こちらの姿が顕になる。

 銀の銃口がわたしたちに据えられる。喉が干上がるが、それでもぐっと歯を食いしばっだ。

 

「っ!戦闘に移行します!マスター、指示を!」

「うん!ひとまず今は撤退!行こう、マシュ!」

 

 わたしたちカルデアの、アメリカ大陸初めての戦闘は、そうやって幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 




新作書いていたり、リアルが忙しかったりで遅れました。

すみません。


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Act-8

感想、評価下さった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 ジャックのいうように、確かにそれからすぐ目的の街には辿り着けた。ルーンの魔術で軽く気配を探れば、確かにその街の中にはサーヴァントの反応があった。

 だが、しかし。

 

「街、めっちゃくちゃ包囲されて攻められてるんだが」

「わたしたちが通ったときもそうだったからね。アーチャーふたりでがんばってたみたい」

 

 少しびっくりしたようにいう幼い少女は、敢えて助けようとかそういう意図はないらしい。

 余り、関心がないのだろう。

 かと言ってノインも、現在街を攻め立てているケルト兵すべてを消し飛ばすような火力を放てば、また消耗してしまう。

 詰まるところ、インドの火力に頼るしかなかった。

 

「……アルジュナ。頼む」

「承知しました。下がっていなさい、二人とも」

 

 わかった、と素直に元気よく返事したジャックは、十数歩下がる。

 ガーンディーヴァの威力を知っているノインも、同じく下がった。

 荒野に並んで立ち、アルジュナの攻撃を見ながら、何となく思ったことを口にする。

 

「なぁ、ジャック。あんたは、もしマスターがいて、そいつと契約したなら、そいつのことをおかあさんって呼ぶのか?」

「うん。おかあさんはね、あったかいお腹をしているひとなの。そんなひとがいたら、けいやくして、マスター(おかあさん)になってほしいな」

 

 どかんばこんとケルトが大地ごと吹き飛ぶ音を聞きながら、ノインは何とも言えない顔でジャックを見下ろした。

 

「マスター、か……」

「なあに?ノインはほしくないの?おかあさん」

「ん、まぁ、俺はもう母親とかそういうのはいいんだ」

「えー。ノインだってわたしたちとおんなじ子どもなのに」

「違うっての。それにマスターはなぁ、良い縁があれば良いんだが、今までのマスターとか召喚者がちょっとあれだったから、微妙に怖い」

 

 ノインは苦笑いを浮かべ、ジャックはうーんと細い腕を組んだ。

 

「ノインはおかあさんとはぜんぜんちがうけど、でもちょっと、ちょっとだけわたしたちと似てる感じがするね。どうしてだろう?アサシンでもないのにね」

「……そうだな。ジャックのその勘は正しいよ」

 

 よくわかるんだな、とノインは小さな少女─────といってもそこまで目線の高さは変わらない─────を見下ろした。

 一際大きな大地を震わす音がしたかと思うと、静かになる。弓を構えた白衣の青年は、二人を振り返った。

 

「済みました。主に兵士でしたが、魔術師らしき者も混ざっていましたね」

「うん、ありがとう、アルジュナ。あと、それは多分ドルイドの奴らだなぁ。にしても、兵士にサーヴァントにドルイドって、もうやることなすこと何でもありだな。あのチーズ女王」

「物量で押すのは基本でしょう。愚痴っても致し方ありません。……待ちなさい、なんですかチーズ女王とは」

 

 ノインは首を横に倒した。

 

「知らないか?メイヴって、投石器でチーズを頭にぶつけられて死んでるだろ」

「ああ、そういえば……。ちなみに、貴方の投石器で同じことは?」

「俺が見たときは、がちがちにチーズ対策してたから望み薄い」

 

 チーズ対策などと、言葉だけ聞けばふざけているようだが暗殺を考えれば真面目な話なんだよなぁ、とノインは真面目な顔のアルジュナを見る。

 まだ微かに紫電を放つガーンディーヴァを手から消し、アルジュナは肩をすくめた。

 

「ともあれ行きましょう。ジャック、その得物は片付けなさい。刃物を携えて友好を図る輩はいませんよ」

 

 肉切り包丁二振りをベルトから抜いていたジャックは頬を膨らませた。

 

「むー」

「むくれてもだめだから。今回はアルジュナが正しいから」

 

 ほら行くぞ、とノインは言って、周囲が穴だらけになった街へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、正直なとこ助かりましたわ。で、オタクらは……。へぇ、アーチャー二人にアサシン一人?それで大陸を旅して回ってるんですかい」

 

 焦げて傾きかけた門の下にて、街中にいた二人のサーヴァントのうちの片方、緑の衣に明るい髪色の青年、アーチャーであるロビン・フッドは、まずそう言った。

 荒野の街には、まだ住民がいた。彼とその相方のサーヴァントは、彼らを守るために孤軍奮闘していたのである。

 

「うんうん。助かったよ。あ、僕はアーチャー。ビリー・ザ・キッド。よろしく」

 

 拳銃を腰に吊っている、金髪の少年と青年の中間にも見えるサーヴァント、ビリーは人懐っこそうに笑った。

 彼らの後ろからは、街の住民たちが数名建物の陰から姿を覗かせている。

 手にはこの時代のものである銃が握られているが、やはりケルトの狂戦士たちの装備と比ぶれば、如何にも頼りない鉄の筒に見えた。

 

「こちらはアーチャー・アルジュナと申します」

「同じく、アーチャーのノインだ」

「えーと、わたしたちはね、アサシンのジャック・ザ・リッパー!」

 

 各々ひとまず真名を名乗ってから、ロビン・フッドは口を開いた。

 

「で、オタクらはケルトの側じゃないってんだな。だけども、そっちのあんたは……正直なとこケルトのサーヴァントに見えるんですがねぇ?」

 

 鋭い視線がノインに向けられる。ルーン文字の刻まれた鎧と投石器を持っていれば、疑われるのは当然だった。

 

「ああ、確かに俺の霊基のベースはケルトの英霊で、元々の召喚主は女王メイヴだよ」

「おやこいつぁ驚いた。隠すことでもないと」

「だってもうバレてるだろ。でも、紆余曲折あってこちとらケルトの裏切り者なんだ。だから、あんたがたの味方だよ」

 

 やや戯けながら、ノインがふざけた敬礼をすると、アルジュナが呆れたように首を振った。

 

「彼は終止このノリですし、あからさまに怪しいところや隠し事も多々ありますが、狂王をつけ狙う心は本物です。人理を崩壊させんとする側でもありません。このアルジュナが保証します」

「微妙に辛辣だなぁ!?全体的に否定しづらいけど!」

「うん。わたしたちもそうおもうよ。でもノインは、変なことはしないから」

「だからジャックはナイフを出すなって!」

 

 遊びのつもりか、くるくると曲芸のようにナイフをお手玉するジャックを慌てて止めるノインを見つつ、ロビンはふぅと鼻から息を吐いた。

 

「了解っと。確かにオタクは違うみたいだ。あいつらみたいにバーサーカーでもなさそうですわ」

「そうだね。ケルトにも色々いるってことかな。君みたいに、子どもな英霊もいたんだね」

 

 ロビンは篭手に収まった弓を、ビリーは腰のホルスターにかけていた手を下ろす。

 ノインは小さく頭を下げた。

 

「ありがとう。あ、でも俺そんなに子どもじゃないから。多分あんたたちより歳上だからな」

「もうその訂正は諦めたほうが良いのでは」

 

 ちぇっ、と子どもっぽく口を尖らせてみせてから、ノインはロビンとビリーの方を見た。

 

「それで早速で悪いんだが、この大陸は、今はどうなっているんだ?……ケルトと、合衆国と、あんたがたレジスタンスの三つがいるのはわかったんだが、あんたがたと合衆国の関係がよくわからない。味方、というのでもなさそうに見える」

「ぶっちゃけたこと言うねぇ。でも確かに そうなんだよね。合衆国の王様は物量でひたすら勝とうとしてて、ちょっと付き合えないかなぁって話なのさ。で、従わない僕らみたいなアウトローも、敵扱いってわけ。困ったもんさ」

 

 まぁ、話は街に入ってからしようか、とビリーは手招きしながら言う。

 

「そんじゃ、オレはそこらにトラップでも仕掛けてきますわ。そいつらのこと頼んだぞ」

「オーケー。行ってら、グリーン」

 

 ロビンは街の外へ向かい、ひらひら手を振るビリーの後について、ノインたちも街に入る。建物の所々には矢が突き刺さり、壊れているものも多くある。ものの焦げる臭いと鉄の臭いが、街中に漂っていた。

 

「ケルトの襲撃ってよくあるのか?」

「まぁそこそこには。今のところ、僕とグリーンでなんとかなってるけどしつこくてさぁ。……いやぁ、でもさ、正直なところ、そっちのアーチャーのお兄さんが撃ってきたときは街が消えるかと思ったよ」

「それは申し訳ありませんでした。手心は加えていたのですが」

「え、あれで手加減してたのかい?街の周りが穴ぼこだらけなんだけど」

 

 目をまん丸にしているビリーに、ノインは頷いた。

 

「あれで、だ。深く考えないほうがいいぞ、拳銃王。アルジュナの言ってることは神代サーヴァントの世界の話だから。しかもインドの」

「……そうするよ。って、神話出身はそっちもじゃないのかい?ケルトだろ、君」

「俺はちょっと事情がある」

 

 訝しげに首を傾げながら、ビリーは街を歩く。街には破壊の跡がやはり目立ち、怪我人のうめき声も聞こえていた。

 

「俺、ルーン魔術の治癒は使えるぞ。あと、ジャックも外科手術のスキルで傷の手当はできる。……だよな?」

「うん!」

「そうかい。じゃあ、頼もうかな」

 

 はーい、と返事をするジャックと共に、ノインは小屋にまとめて寝かされている怪我人のところに向かった。

 幼い子ども二人とあって、不安げな表情になる彼らも、魔術とスキルで立ちどころに治る傷に、目を丸くする。

 

「ねぇ、君、治癒魔術は得意なのかい?」

 

 怪我人の手当をし終わったノインに、小屋の外の樽の上に腰掛けたビリーが尋ねた。

 

「一通りはできる」

「魔術による呪いも、わりとなんとかなったりする?」

「モノにより」

 

 それがどうかしたのだろうか、とノインは首を傾げた。ビリーは説明する教師のように指を立てた。

 

「いやさ、僕らの仲間が、サーヴァントをひとり他所の街で匿ってるんだけど、その彼、心臓をケルトの呪いで壊されかけててさ」

 

 ()()()()()()()と聞いて、ノインの目が細められる。それには気づかないのか、ビリーは淡々と言った。

 

「凄く強い英霊らしいんだけど死にかけてて、なんとかならないかって、僕らの仲間は今合衆国側の土地に行ってるんだ」

「何故ですか?」

「あっちが張ってるキャンプの一つに、片っ端から人を治して回る凄い腕利きの看護婦がいるらしいんだ。多分サーヴァントだろうけど、彼女の手を借りられたら治せるかもしれない」

 

 幅広い時代からの召喚にノインは内心驚いた。

 看護婦で英霊となれば、そうとう近代だろう。

 ビリー・ザ・キッドやジャック・ザ・リッパーのような新しい英霊がいるかと思えば、アルジュナやスカサハたちのような旧い英霊もいる。

 この特異点の仕掛け主は、誰だか知らないが正気じゃないと改めて思った。

 

「看護婦のサーヴァント?ナイチンゲールとかか?」

「かもね。まぁ、そんなわけで僕らも医者を探してるのさ。君は、同じ系統の魔術使いなんだろ。どうにかできそうかい?」

「様子を見ないことにはなんとも言えないところもあるが、でも食い止めるだけならある程度は可能だ。心臓潰しの槍の呪詛なら、つくりは判る」

 

 心臓を喰らうその呪いとは、十中八九、クー・フーリンの魔槍、ゲイボルグの呪いだ。

 コンラを殺した槍の呪詛を受けて、それでも生存している英霊とはさぞ強いだろう。

 アルジュナも同じことを思ったのか、口を開いた。

 

「その負傷している英霊とは誰なのですか?」

「えっと……確か、ラーマだったかな。クラスはセイバーで。そう名乗ってるってジェロニモが言ってた」

 

 今度はアルジュナが驚きで目を見張った。

 ラーマの名はノインも知っている。

 インドにおいて、21世紀でも尚讃えられている理想王。『マハーバーラタ』と並ぶ大叙事詩、『ラーマーヤナ』の主人公である。

 

「ラーマ王が?あの理想王すらも、呪いで死に瀕しているのですか」

「そうだよ。クー・フーリンにやられたんだってさ」

 

 よほどの衝撃だったのか、アルジュナは片手で口元を押さえた。

 よくわかっていないらしく、ジャックはこてんと首を横に倒し、そのままノインの袖を引っ張った。

 

「ノイン、ラーマって?」

「むかーしむかしにいた、インドのえらい王様さ。アルジュナたちの大先輩ってところかな」

 

 ひそひそ言うジャックとノインの前で、ビリーは両手を広げた。

 

「で、どうする?君の助けが要るんだけどな」

「ノイン。完治できずとも、良いのです。延命を図れるならば頼みたい。かの理想王がこの地に顕現しているならば、死なせる訳にはいきません」

「……」

 

 血の臭いが混ざった乾いた風を頬に感じながら、少し、考えた。

 他でもないコンラを殺した父親の槍の呪いを、食い止めてほしいと言われるなんて、因果なものだとそんなことを思う。

 

「……了解した。案内頼めるか?」

「よし、そうこなくっちゃ。じゃ、僕はロビンに伝えてくるよ」

 

 にやりと笑って、ビリーは何処へか消えた。

 西へ東へ大陸を駆けずり回る旅は、まだまだ終わりそうにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





アーチャーカルテット@アメリカレジスタンス
それぞれの主武装→大弓、短弓、拳銃、槍


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Act-9

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 

 ビリー・ザ・キッドとロビン・フッドの仲間は、ジェロニモというらしい。

 

「ジェロニモって、あのアパッチ族の?」

「そのジェロニモだよ。キャスターで、頼りになるシャーマンさ」

 

 屈託なく笑うのは、開拓者である拳銃王。

 信頼してるんだなぁ、とノインは走りながら思う。

 あれから、呪いを止めることを引き受けて、街を出てから一路向かうのはジェロニモが向かったという戦場だった。

 大陸を走るのは、ビリーとノインとジャック。アルジュナとロビンは街に居残った。

 

「ノイン、アルジュナおいてきてよかったの?」

「遠距離から街を守る砲撃できるのは、アルジュナだけだろ。あと、こっそり行かなきゃならないのに彼がいたら気配強すぎで目立つ」

「後半が本音だよね。わからなくもないけど。まぁ、一緒に残されるって知ったときのグリーンの顔は見ものだったね」

 

 けらけら笑うビリーに、ノインは肩をすくめた。

 

「でも、そのラーマがいる町に行かなくていいのか?合衆国の領土へ向かう方角だろ、これ?」

「そう思ってたんだけど、なんか一度通信した限りじゃ、ジェロニモのほうもごたついてるというか……。味方になりそうな一団がいたらしいんだけど、看護婦さん諸共合衆国に捕まっちゃったらしいんだよね」

 

 とんでもないことを言われて、ノインの顔が固まった。

 

「え?」

「だから彼らの救出任務を先にするってことで、よろしく。というわけで、僕らは一路合衆国の本拠地まで行くぜ。いやぁ、索敵隠行のできる魔術使いと、気配遮断が高ランクのアサシンがいてくれるから助かるよ」

「さり気無く話の難易度引き上げてた!?聞いてないぞ!」

 

 確かめないほうが悪いよ、とまったく悪びれるところのない少年悪漢王である。

 

「そりゃ尚更アルジュナは来られないなぁ……。で、その味方になりそうな人たちって誰だ?サーヴァントか?」

「違うらしいけど、立て込んでるみたいだから詳しく聞けてないな」

 

 もしかしたら、と思う。

 それが、スカサハの言っていた『星』とやらなのかもしれない。だとしたら、ノインも、彼女が言ったように『星』に引き寄せられてしまったことになる。

 

「なんか嫌な予感がする……」

「おいおい。しっかりしてくれよ。アメリカ合衆国の陣は手強いんだから。カルナ将軍がいるって話だし」

「待った待て。今なんてった?」

 

 思わず足が止まる。

 急に立ち止まったノインの肩に鼻の頭をぶつけたジャックから抗議の声が上がったが、ノインの耳は彼女の声も素通りさせた。

 

「だから、カルナ将軍だよ。凄く強い槍使いって話さ。……そういえば、アルジュナと同郷なんだっけ、確か」

 

 同郷どころか、カルナはアルジュナが殺した宿敵なのだが、ビリーは淡白に構えていた。

 ノインから見ると、アルジュナはかなりカルナに執着しているように見えた。機会があったら、再戦を挑みそうだと思えるほどに。

 それほど、名前が出たときの目の光り方が、尋常でなかったのだ。

 本当にあの弓兵がいなくて良かった、と胸を撫で下ろす。でなければ、合衆国の本拠地が焦土になるまでやり合いかねない。

 そんな予感がした。

 

「カルナ……カルナかぁ。彼を誤魔化して潜入するのか……。どこかに、次元を飛び越せる馬を連れてるライダーとかいないだろうかなぁ」

「いるわけないだろ。それにしてもやけに凹むね。戦ったことあるのかい?」

「昔に聖杯戦争で一度だけな」

「へぇ。感想はなにかあるかい?」

「見たら逃げたい」

「へたれー」

 

 指さして笑ってくるジャックに、ノインは苦笑を返した。

 

「はいはい、ヘタレで結構だよ。……そういえば、合衆国側のサーヴァントってカルナ以外で誰がいるんだ?」

「知らないでここまで来てたのかい」

「うん、しらない!わたしたちはケルトたちとしか、たたかってないもん」

 

 ノインも、ケルト側のサーヴァントとは交戦したり追撃されたりと関わりはあるが、合衆国側のことはあまり知らなかった。

 

「じゃあ、走りながら軽く言うよ。あっちはトップにエジソンがいる。これが王様を名乗ってるんだ。あとはエレナ・ブラヴァツキー夫人だったかな」

「発明王と神智学の権威か。……ビリーもそうだが、近代のサーヴァントが多いんだな」

「それをいうならジャック・ザ・リッパーもだよね。それから僕らの仲間には、あとエリザベート・バートリと皇帝ネロもいるよ」

 

 予想よりも多いサーヴァントの数だった。

 そんなことを話しながら進むうち、やがて行く手にちらちらと、人の手で整備されたような道や馬車が見えるようになる。

 

「とと、そろそろ合衆国側に入るから気をつけてくれよ。君たち、見た目で警戒されやすいから」

「了解」

 

 言って、ノインは鎧と槍を消した。

 武装解除したノインの姿は、血と砂埃で汚れたシャツとズボンなので如何にも生命からがら、ケルトたちから逃げて来た難民に見えた。

 細い腰に刃物をいくつもぶら下げ、露出度の高い革の服の上から、ぼろぼろのコートを羽織っているジャックも同じである。

 人を避けたり、馬車をやり過ごしたりして進むうち、やがて彼らは城に辿り着く。ビリーはそれを素通りし、近くにある木立の中に入った。

 

「さてと、ジェロニモ。いるかい?」

「ああ」

 

 やおら、何もなかったはずの空間から、男がひとり現れる。真正面にたまたま立っていたジャックは跳び上がって、ノインの後ろに隠れた。

 

「すまない。驚かせる気はなかったのだが……」

 

 褐色の肌に白い染料で文様を描いた、ノインとジャックからすると見上げるような巨漢であるが、目は優しげだった。

 

「あなたがジェロニモか?」

「そうだ。キャスターのジェロニモ。魔術の通信で話は聞いた。君たちがジャック・ザ・リッパーと……ノイン、だったか?」

 

 やや訝しげな視線だった。

 ノインなどという真名の英霊は、無論いないのだ。不思議に思われるのも無理はない。

 

「俺は英霊じゃないよ。ちょっとした特異点下での例外サーヴァントなんだ」

「ふむ。まぁ、この異常事態では、そういうこともあるだろう。早速だが作戦を話しても構わないか?」

「お願いする。……ほら、ジャック。アサシンが脅かされてどうするんだよ」

 

 むぅ、とびっくりしてしまったことに、むくれるジャックを前に押し出して、ノインは話を聞いた。

 ジェロニモの話は単純で、明快だった。

 彼はロビン・フッドから借りた、纏うと姿を消すことのできるマントの形の宝具、『顔のない王』を持っていた。

 それを使って城内に忍び込み、看護婦とその仲間を助け出す。ただし、脱出しようとすれば、必ず見張りをしているカルナに勘付かれる。

 彼の陽動ができないか、ということだった。

 またも彼と戦うのか、とノインは小さくなった己の手のひらを見下ろして、握った。

 

「わかった。俺の霊基の気配を全解放する」

 

 今の人格が何であれ、ケルト由来の霊基を持つのに違いはない。そんな気配が陣地でいきなり現れれば、カルナならば来るだろう。

 

「そのやり方では、君が一番に狙われるだろう。それで良いのか?」

「ん、でも確実に気をそらせるぞ」

「わたしたちもてつだうよ。わたしたちは、霧をつくれるの。みんな、あの中ではまよってくるしむから」

 

 ジャックは得意げに胸を張っていたが、その威力を知るノインは、毒の霧を思い出して微かに眉をしかめた。

 方向感覚は狂い、サーヴァントでもただでは抜け出せないあれなら、多少の時間は稼げるだろう。

 だが、だからこそそのまま使わせるわけにはいかないのだ。

 

「ジャック、あの霧を出すなら、カルナだけを囲むようにしてくれ。合衆国の人間は、ひとりも殺しちゃだめだ」

「なんで?じゃまならころしちゃおうよ」

 

 自然な幼い仕草で、ジャックは首を横に倒す。あどけなく、背筋が寒くなるほど澄んだ目を覗き込みながら、ノインは否と首を横に振った。

 

「一人でも殺めたら、相手は俺たちを倒すまで追撃してくるからだ」

「やりかえされるってこと?」

「そういうことだね。じゃ、僕も二人の援護に回るよ。ノインが引きつけて、僕と一緒に撹乱、ジャックが霧を張る。で、ジェロニモたちが離れたら逃げる。簡単だね、生命がけってこと以外は」

 

 違いない、と苦笑いするしかない。

 ジェロニモのほうを振り仰げば、アパッチのシャーマンは落ち着いた雰囲気を崩さずに頷いた。

 

「話はまとまったな。では、行こうか」

 

 四人は頷き合って、それぞれ動き出す。

 ジェロニモの姿は宝具の力で透明になり、ジャックは気配遮断を用いて消える。ビリーも多少気配を抑えれば、この時代の人間にも溶け込める。

 

 残るのはノインひとり。

 

 向かい合うのは、妙に近代的なつくりの城の壁である。

 

 念話による、ジェロニモの合図を感じ取った。

 

 一つ息を吐いてから、ノインは一瞬で武装を顕現させた。

 突如現れたにも等しい、ルーン文字の刻まれた革鎧と槍を持った、明らかに尋常でない気配の少年に、その場の誰かが反応するより先んじて、ノインは大声を張り上げた。

 

「合衆国の皆さん、こぉんにぃちぃはぁぁっ!!」

 

 普段なら決してやらない狂気を混ぜた叫びと共に、槍の穂先に雷を集める。

 放電する穂先を無造作に振り下ろせば、軌跡に合わせて解き放たれた雷撃が、城に降り注いだ。城壁に当たるが、何かの防御術式が張られていたらしく、電撃は壁を崩すには至らない。

 それでも、混乱を呼ぶには十分だった。

 

「て、敵襲だ!サーヴァントだぞ!」

「将軍を呼んでこい!」

 

 たちまち、周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。それを見ながら、ノインは何もしない。

 最初の一撃を放ってからは、だらりと下げた手に緩く槍を掴んでいるだけだった。

 彼らとまともに戦う気も、傷つける気もないのだ。この時代のただの銃なら、サーヴァントはいくら撃たれてもどのみち死ぬことはない。

 だがその瞬間、横合いから急速に近寄ってくる気配を感じて、ノインはそちらに反射的に槍を構えた。

 

「ッ!」

 

 全身の骨に響く衝撃を、強化魔術の重ねがけをした体で何とか受け止め、そのまま相手を見る。

 薄青い酷薄な視線とざんばらの白髪、幽鬼のような細い体躯に眩い黄金の鎧があった。

 ノインにとっては、かつての“赤”のランサー、施しの英雄カルナだった。

 

「ケルトの者か」

「見たらわかるだろ」

 

 振るわれる槍を、紙一重で避けた。

 ここでは、カルナは周りを巻き込みかねない大技を放つことはできないのだ。ならばとばかりに、カルナは黄金の槍を振るった。

 容赦なく急所を狙う攻撃を、いなす。首の皮が薄く斬られて、鮮血が飛ぶ。それでも首を落とされることは避けた。

 首の傷はそのままに、ただ力任せにがぃん、と耳障りな音と共に、ノインはカルナの槍をかち上げた。だが直後にカルナの蹴りが放たれ、腹にくらう。

 十数メートルも吹き飛ばされ、城から引き離されたノインの目の奥で星がとんだ。

 自分から後ろに跳んでいなければ、胴体が千切れていてもおかしくなかった。

 

「……貴様は」

 

 だが、カルナはそのまま槍を振るう手を一瞬止めた。

 

─────覚えられている?

 

 そんなわけはないと思った。

 ジャックは覚えていなかったし、ノインの姿はあのときとは違うのだから。

 

「カルナ君!何事かね!」

 

 離れた城壁の上からいきなり大声が響いたのはそのときだった。

 サーヴァントの視力で見れば、それが誰かは知れた。

 

「……ライオン?」

 

 人の体にふさふさした鬣を持つライオンの頭がくっついている。そうとしか、見えなかった。

 魔術か何かで声を届けているのだろう。小さく見える姿からは信じられないほどに朗々と、声が轟いていた。

 

「敵襲だ、()()()()。このサーヴァントの相手は、オレがする。兵士も必要ない」

「そ、そうか。うむ、わかったぞ!」

 

 それきり、獅子頭のサーヴァントの姿は見えなくなった。

 獅子頭がエジソンと呼ばれていることを確かめるより先に、ノインは槍を前に突き出した。

 黄金の槍の穂先と、無銘の槍の銀色の穂先がぶつかり合う。

 

「ぐっ……!」

 

──────強い、重い。

 

 ノインの槍がはたき落とされそうになったとき、鎧で守られていないカルナの顔に銃弾が雨あられと叩き込まれた。

 それを、眉一つ動かさずに槍でカルナは打ち払う。動きを殺さず、槍がノインの喉元目掛けてのびた。

 

「やぁっ!」

 

 上から襲いかかったジャックが、両手に持った肉切り包丁を叩きつけるように振り下ろし、槍の軌道をほんのわずか逸した。

 生まれた小さな隙に、ジャックの腰を抱えて、ノインは後ろに跳ぶ。

 砂を蹴散らして、二人は踏み止まった。

 

「その動き……お前は、オレと何処かで刃を交えたことがあるのか?」

 

 ジャックが隣でナイフを構える音を聞きながら、ノインは無言で槍を構えた。

 

「いつだったか、我が槍の一撃で生命を落としながら尚、生き返った者がいる。お前は、あの少年と同じ目をしているな」

「……っ」

 

 細められていたノインの赤い目が、見開かれる。槍を持つ手に力が籠もった。

 カルナの槍が構えられ、放つ戦意とは真逆にほんの僅かに口調が柔らかくなった。

 

「かの少年相手ならば、オレも存分にこの槍を振るえるというものだ」

「そうなるのかよっ!?だったら忘れといてくれたほうがよかったなぁ!!」

 

 『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』を受け流したときのツケは、スカサハだけで十分だし、それもノインは贖えていない。

 そう言いながらも、ほんの微かに口元が綻んでいるノインを見ながら、カルナは生真面目に片眉を下げた。

 

「それはすまなかったな。インドラの一撃を凌ぎ、殺されて尚蘇った少年だ。どうにも忘れ損なった。……しかしその反応、姿は異なっているようだが、お前はあのときの半英霊本人というわけだな」

「あ」

 

 最後のひと押しを、他ならぬ自分の手でやってしまったことに、ノインは頭を抱えたくなった。

 だけど、と先ほどとは違う意味で口角を吊り上げる。ジェロニモからの連絡が来たのだ。────もう大丈夫だ、と。

 

「……まぁ、いい。最初の目的は、もう済んだ」

「何?」

「ランサー、こっちはあなたと戦いに来たんじゃないんだよ。第一、きっとこの大地で、あなたが戦うべき相手は、俺なんかじゃない。────ジャック!」

「うん!」

 

 誰かを呼び込むように、ジャックが両手を広げる。彼女を中心にして、濃い霧が一瞬にして立ち込めた。

 カルナもジャックもノインも、諸共に巻き込まれる。小柄な少年と少女の姿は霧に飲まれてカルナの視界から消え失せ、気配も陽炎のように朧になって途絶える。

 

「……なるほど、ひとえにオレを留めるための宝具、ということか」

 

 呟いたカルナの全身から放たれるのは、魔力による業火。槍に炎が蛇のように絡みつき、辺りを覆う魔の霧の焼き尽くした。

 たちまち、辺りに日の光と暑く乾いた風が吹き込み、元の景色を取り戻す。

 だが、直前までその場にいたはずのサーヴァントたちは、跡形もなく姿を消していた。

 槍を振るい、炎の残滓を払ったカルナの耳には、エジソンの大声が届いた。

 

「カルナ君!そちらどうなっているのかね、ケルトのサーヴァントだと聞いたのだが!」

「ああ。どうやら逃げたらしい」

 

 本腰を入れて襲撃する意図は、毛頭なかったようだ、と答え、カルナは光輪の座する空を見上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 





覚えてもらっていたのは嬉しいが、嬉しくない話。
そして16歳の頃より感情表現豊かになっている。


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Act-10

感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 泥のような眠りから、わたしを引っ張り上げたのは、軽快な電子音だった。

 ピピ、ピピ、という聞き慣れたアラームを感じ取って、わたしの意識はふわりと浮き上がる。

 

『お、起きたかい?立香ちゃん』

「……おはようございます、ドクター」

 

 あくびが出そうになるのをこらえながら、わたしは手首についた通信機からの声に応えた。

 

『睡眠時間は六時間。今は朝の八時というところだね』

 

 あれからそんなに眠っていたのか、と思った。

 あれから、というのは、アメリカ西部合衆国大統王トーマス・エジソンの本拠地から、わたしたちが逃げ出せてからになる。

 わたしが今いるのは、助けてくれた現地のサーヴァント、キャスター・ジェロニモたちレジスタンスの味方がいる街のひとつだ。

 何故逃げ出すことになったかというと、合衆国大統王エジソンに、わたしは協力できないと告げたからだった。

 彼も、聖杯を手にこの大地を蹂躙するケルトを倒したいとは言っている。けれどその後、彼はこの特異点を修正することはなく、そのままにして、アメリカだけでも人理焼却から救おうという腹だった。

 わたしたちカルデアは、特異点を元の歴史の流れに直すべく、レイシフトを繰り返している。

 過程は同じでも、目指すところの終着が違うのだ。

 だから、わたしは協力できないといい、エジソンは邪魔をされては困るとわたしたちを囚えた。

 さてどう逃げ出したものかと首をひねっているときに、現れたのがジェロニモである。彼は、特異点の解決のために動いているレジスタンスだった。

 ジェロニモと、彼の仲間のひとたちに助けられて、わたしたちはエジソンたちの城から逃げ出せた。

 が、どうしたって、生身のわたしはマシュやナイチンゲールのように休む間もなくは動けない。だから、街の一つに立ち寄り、休息していた。

 確か、眠りに落ちる前にジェロニモは囮になった仲間と合流できてちょうど良い、とそんなことを言っていたと思う。

 

『バイタルサインは安定してるよ。オールグリーンだ』

「いつもありがとうございます。……あの、マシュは?」

『彼女なら外だ』

 

 ホログラムの中に浮かんだのは、いつものドクターともう一人。眉間の皺が凄い、諸葛孔明(ロード・エルメロイⅡ世)である。

 

「あの、孔明がいつにもまして怖……じゃない、真剣な顔なんですけど?」

『私のこの眉間の皺の理由なら外にいる。ああ、それからマスター。味方のサーヴァントを見ても、驚かないように』

 

 なんでだろう、と思いながらも、わたしはいつものように返事をして、寝ていたベッドの横に置いていたブーツに足を入れた。

 木の扉を押し開くと、そこには如何にも西部劇にでてきそうな街並みがあらわられる。

 砂埃に霞む酒場と、脇に樽の積まれた、土がむき出しになっている道に、思わず目を見張った。

 急に隣で、がた、と音がした。

 反射的に体が反応する。

 

「……え」

 

 しかし、そこにいたひとを見て、驚いた。

 建物の壁に背を預けて俯き、槍を抱いたままに目を閉じて立っているのは、わたしよりもやや背の低い男の子だったのだ。

 長めの黒い髪を項で束ね、あちこち汚れ破れて、元の色が定かでなくなりつつある白っぽいシャツと、膝のところが擦り切れそうになっているズボンを履いていた。

 

「あ、おきたんだ」

 

 その男の子の陰から、銀髪の頭がひょこりと覗いた。姿を見せたのは、アイスブルーの瞳と、男の子よりも小柄な体躯をした、幼い女の子である。

 喉が、笛のような音を立てて鳴りかけた。

 

「ジ、ジャック・ザ・リッパー?」

『落ち着け。彼女はロンドンのあれとは別人だ』

 

 通信機からは、孔明の声。

 ひとつ前の特異点のロンドンで、わたしたちは霧に紛れて、殺人の凶行を繰り返していたジャック・ザ・リッパーと戦った。

 そのときの記憶は彼女のスキルで消えてしまっていてよく覚えていないが、辛うじて撮れた映像記録の中の彼女と、目の前の彼女は、あのときと同じ姿だった。

 がた、とまた音がしたのはそのときだ。

 音を立てたのは、槍を抱えている男の子。

 船こぎをするひとのように、彼の頭はぐらぐらと前後ろに揺れていた。今のもさっきのも、揺れた頭が壁にぶつかった音であったのだ。

 それでも目が開かない。

 

─────どれだけ器用に寝てるのこの子!?

 

 わたしもよくレムレムしているなんてマシュに言われるけれど、これで起きていないっておかしいだろう。

 深い、地獄の底から響くようなため息が、通信機から出たのはそのときだ。

 

『マスター、すまないが、そこの居眠り馬鹿の耳元に通信機を掲げてくれ』

 

 こうかな、とわたしは孔明の言うように、通信機を男の子の耳元まで持って行く。

 嫌な予感がしたのか、ジャック・ザ・リッパーは、ぱっと小さな手で、白い貝殻のような両耳を覆った。わたしも空いている片手で、片耳だけを覆う。

 

『いつまで居眠りをする気だノインッ!仕事を倍にされたいのかお前はァッ!!』

「だっ、ばっ!ね、寝てませんよ先生!」

 

 変化は劇的で、男の子は文字通り三十センチばかり地面から跳び上がって、盛大に軒先に頭をぶっつけた。

 ごちんと鈍い音がしたけれど、欠けたのは軒先の板のほうである。

 

「あ、あの大丈夫?」

 

 ん、と脳天を押さえた男の子が、ノインが頷く。そこでようやく、彼はわたしに気づいたようだった。どこかで見たような赤い目が、すうっと剃刀の刃のように細められる。

 

「ああ、起きたのか。カルデアのマスター」

 

 見た目より落ち着いた、低い声だった。

 なんとなく、こういう雰囲気にも既視感がある。

 ロンドンで助け合い、今はカルデアにいるサーヴァント、アンデルセンがちょうどこんな雰囲気を醸し出している。彼は少年の外見をしているが、精神は成熟した大人なのだ。

 マシュやわたしより年下に見えるけれど、案外上なのかもしれなかった。

 

「よくねてたね、ノイン」

「……起こしてくれよ。びっくりしたじゃないか」

「だって、あんまりおもしろいねかたしてるから、放っといちゃった」

「こんの、悪戯娘っ!」

 

─────んん?そうでもないかな?

 

 きゃあきゃあ笑うジャック・ザ・リッパーにじゃれかかられて、引っぺがそうとどたばたしている姿は、先程までの落ち着きとは逆に、子どもっぽかった。

 しかしそれでも、槍といい、気配といい、多分彼もサーヴァントなのだろう。

 ジャックと、このノインという名前らしい男の子のじゃれ合いを、止めていいのかどうなのかと迷うわたしの耳に、聞き慣れた声が届いた。

 

「先輩、起きられたんですね!おはようございます!」

「マシュ!おはよう!」

 

 ととと、と道の向こうから紫の鎧のまま、走ってきたのはマシュ。いつもの笑顔を見て、こちらまで顔が綻ぶ。

 

「────そうか、あの子が。そうなのか」

 

 ふと、そんな低い呟きが、聞こえた気がした。

 振り返って見ると、赤い目と視線が交わる。

 何故だか、彼は瞳の奥で、懐かしむような光をマシュに向けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めてよろしく。俺はノイン」

「わたしたちはジャック・ザ・リッパー」

「それから僕はビリー・ザ・キッド。よろしくね」

「はい。わたしはカルデアのマスター、藤丸立香です」

「先輩のデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトです」

 

 城から逃げるときに出会わなかったサーヴァント─────こちらが逃げるときに、囮になってくれたという三騎とわたしたちは、改めて街の酒場のテーブルを囲んで座り、挨拶を交わした。

 城の見張りは、ランサー・カルナだった。ドクターとマシュと孔明曰く、桁違いに強大なサーヴァントで、実際こちらも彼が軽く放ったブラフマーストラという超インドビームの余波だけで気絶してしまっている。

 彼らはその彼を止めて、逃げて、ここまで戻って来たのである。

 

「あの、本当にありがとうございました」

 

 マシュと二人で頭を下げる。

 

「こちらもこちらで、レジスタンスに信用されるためにやったことだ。きみたちのためだけというわけではないから、気にしないで良い」

 

 アーチャーのサーヴァント、ノインはそう言った。

 彼は、元はケルトの女王メイヴに召喚されたサーヴァントだった。が、召喚されて早々に彼女を裏切り、ジャックと共にレジスタンスに合流したのは、つい先日なのだという。

 

『外見だけが英霊コンラ、中身はノイン。ケルトならば、お前ももしや喚ばれているかとは思っていたが、そのようなややこしい事態になっているのは予想外だぞ』

「それを言うなら、こっちは先生が英霊の依り代になってサーヴァント化していることが驚きなんですが。しかも、諸葛孔明って」

 

 ついでに言えば、彼は諸葛孔明、もといロード・エルメロイⅡ世の教え子のひとりでもあった。ちなみにノインの外見は幼いが、中身は二十代も後半らしい。

 

『それは私も驚いている。だが、私やお前の事情は今は些細なことだ。重要なのはこの特異点の解決だからな』

「そうですね。……ありがとうございます、先生」

 

 と、師弟はあっさりとその話を終わらせた。わたしだったら、もっと取り乱していたと思うのだが、孔明にもノインにも特に気負ったふうもない。

 それに、わたしが眠っている間に、カルデアの孔明とノインは互いに現状は伝えあっていた。

 伝えあってから、寝ているわたしの護衛というのでノインとジャックはあの場にいたのだ。

 その割にノインはそれはもう深く寝ていたのだが、多分魔力不足とかそういうのが祟ったのだろう、と思う。大英雄から逃げてきたところだったというのだし。

 サーヴァントの中で、あそこまで居眠りを決め込むひとに出会ったことは、ないのだけれど。

 そんなことをつらつら思っていると、おずおずとマシュが手を上げた。

 

「あの、コンラといえば、クー・フーリンの息子さんですよね。ノインさんはそのかたのデミ・サーヴァントなんですか?」

「元、だよ。昔はそうだったが、コンラは俺の中から消えてしまったから、俺の体は普通の人間だよ。その縁で今は意識だけがこうやって喚ばれてサーヴァントの代理みたいなことになっているが、な」

 

 孔明にどやされていたり、ジャックとじゃれていたときとは違う、落ち着いた言い方だった。

 優しげな目は、まるで兄が妹を見るようで、マシュより歳下に見えるのに不思議とそういう目がしっくり来た。

 

「マシュ。貴女が同じデミ・サーヴァントとして彼を気にかけるのはわかりますが、今は患者を優先して頂きたい。さぁ、私を必要としている患者は、どこにいるのですか?」

 

 ぴしりと言い切ったのは、バーサーカー・ナイチンゲール。この地で知り合った英霊で、規格外の狂化スキルを持ち、ひとの話をこれっぽっちも聞かないが、ひとの治療に全身全霊であたる看護師長である。

 

「は、はい。失礼しました!」

 

 マシュが背筋を正すのと同時に、テーブルの真ん中に置かれた通信機から、ドクターの柔らかい声が場に滑り込んだ。

 

『えーと、それではレジスタンス側の君たちに事情を聞いてもいいかい?君たちは、ラーマの治療法を探しているという話だったが』

「ああ。そこのノインは呪いの仕組みはわかるが、治療となるとやはり専門家に頼みたいのだ」

「わかりました。では、その患者のいる街に案内して下さい。今すぐに!」

「ナイチンゲール、ちょっと落ち着いて。あの、今、レジスタンスの人たちは何人いるのか、聞いてもいい?」

 

 街の外へと突撃しそうなナイチンゲールを止めて、気になっていたことを尋ねる。

 

「僕らの味方のサーヴァントは、後四人だよ。まぁ、皆ばらばらに街を守ってるからここにはいないんだけど」

 

 ビリーがいうには、ロビン・フッド、エリザベート・バートリー、ネロ・クラウディウス、アルジュナの四騎がまだいる。

 オルレアンやセプテムでも共に戦ったエリちゃんとネロ皇帝がいるということに、小さくほっとする。

 一方、ドクターはそれどころではない反応だった。

 

『アルジュナだって!?カルナの宿敵じゃないか!?そんな彼までいるのかい!!』

「あー、そういえば、スカサハ女王もこの大陸にはいるな。それから、クー・フーリンは狂化されて、とんでもなく強さに狂った暴君になっている」

『おい、影の国の女王本人がいるとは聞いていないぞ!それにクー・フーリンの狂化だと!?』

 

 ついでとばかりに付け足したノインの一言に、通信機の向こうのカルデアがまた阿鼻叫喚になる。

 クー・フーリンと聞いて、わたしとマシュは顔を見合せた。

 キャスターのクー・フーリンには、最初である冬木へのレイシフトの際に、何度も助けられた。頼もしくて、彼がいなかったら絶対に、わたしたちはあそこを生き延びられなかったろう。

 その彼が、ランサークラスでの召喚を望んでいたことは覚えているが、バーサーカーとして召喚されたということなのだろうか。

 わたしの疑問に、ジェロニモはかぶりを振った。

 

「いや、恐らくは、メイヴが聖杯で霊基に手を加えている。本来なら有り得ないサーヴァントだろう」

「コンラもそれでおこっちゃってうらぎったんだよね、ノイン?」

「まぁな」

 

 床に届かない足をぶらぶらさせて椅子に座るジャックに尋ねられ、ノインは頷いていた。

 

『えーと、コンラはクー・フーリンに殺されているよね。その霊基でサーヴァント化している君にとって、彼は天敵じゃあないのかい?』

「それがどうかしたのか?カルデアの司令官。足を止める理由にはならない」

 

 通信機越しにドクターへ向けられたのは、マシュと話していたときとは全然違う、温度の感じられない声だった。

 ビリーとジェロニモが、物珍しそうな顔になる。

 

「あ、あの!」

「ん?」

 

 思わず声を上げてみれば、ノインは片目だけを瞑ってわたしのほうを見やった。

 怒っては────いない。

 

「じゃあ、これからそのラーマがいる街に向かいましょう。それからもう一度、今後を話し合いたいです」

「ああ。だがカルデアのマスター、マシュと、それに君は生身の人間だろう。なんらかの魔術による移動手段は行使できるか?」

 

 ジェロニモに言われ、わたしは頷いた。

 

「それなら、カルデアから車を持つサーヴァントを喚ぶよ」

 

 召喚に良い場所を見いだせなかったのとその暇がなかったから、カルデアからのサーヴァントはまだ召喚できていない。

 だけれど、カルデアには乗り物を持ったライダーがいるから、喚べさえすればなんとはなるのだ。

 

「そんなら、さくっと召喚して進もうか。カルナたちは追ってこないと思うけど、万が一があるし、ケルトに見つかると面倒だからね」

 

 うん、とビリーへ向けて答えて、わたしたちは席を立った。

 街で一番良い霊脈をドクターからのスキャンで教えてもらい、マシュの盾をセットする。

 原理は正直よくわかっていないのだけれど、ともかくこうやればカルデアで契約してくれたサーヴァントの皆を喚べるのだ。

 とはいえ、一度に出せるのはマシュを含めて三人だから、実質的に喚ぶのはふたりまでになる。

 今回は特異点そのものが広大だから、『足』を持つサーヴァントを喚ぶのは、決まっていたことだ。

 

「カルデア式の召喚か……。俺の知っているのとは違うんだな」

 

 しげしげマシュと盾を眺めているノインの周りでは、相変わらずジャックが跳ね回っている。

 あの子はひとつ前の特異点では殺人鬼ではあったはずなのだが、今の姿は歳の近いお兄ちゃんに戯れる妹に近かった。

 だが、その彼の背中に立つ赤い軍服姿があった。

 

「そこの貴方、隠していますが、怪我をしていますね?」

「え?や、うん、そうだが放っとけば治……」

「貴方が、そういって全く治そうとしないタイプの人間なのは目を見ればわかります。貴方は己の行動で、生命を軽くしている。─────よろしい、頭と体の治療が必要ですね」

 

 ナイチンゲールの腰の拳銃が光る。

 ノインは後ずさり、ジャックはぴょんと兎のように跳んでわたしの足元にくっついて来た。

 

「いやちょっと待て。婦長。それ拳銃だろう、どう見ても。何故俺に銃口が向いている?」

「ええ、殺してでも治すために必要なものです。まず動かないでいてくれないと、診察も治療もできませんから」

「いや、意味がわからないんだがっ」

 

 叫んで跳び避けたノインの足元を、ナイチンゲールの拳銃の弾丸が容赦なく抉った。ビリーはそれを指さしてケタケタ笑い、ジェロニモは額を押さえていた。

 

『……マスター、あの二人は放っておけ。言ったところでナイチンゲールは止まらん。それよりも召喚だ』

「だいじょうぶだよ。ノイン、わたしたちとおなじくらいすばしこいから」

「う、うん」

 

 さらっと弟子を見捨てる師匠とジャックだが、これはわたしも賛成だった。

 

─────だって、ナイチンゲール怖いんだもん。

 

 そう言い聞かせてひとり納得していると、大地に盾を置いたマシュが、顔を上げてこちらを見た。

 

「マスター、設置完了です」

「うん、ありがとう、マシュ。じゃあ行くよ。ドクター、お願いします」

『オッケー。それじゃ、召喚システムを起動させるよ』

 

 たちまち輝く盾と、カルデアから届く魔力の奔流。

 二つが収まったあとには、ひとりのサーヴァントの姿が現れていた。

 

「はーい!お待たせしたわね、マスター」

「ううん。今回もよろしく、マリー」

 

 くるりと回ったのは、紅く可愛らしい衣装に、二束に束ねた白く長い髪を持つ、綺麗な青い瞳の少女。

 ライダー、マリー・アントワネットである。

 

「あら、貴方たちが今回の仲間なのね?よろしくお願いするわ。わたしはライダーのサーヴァント、マリー・アントワネットよ」

 

 あちらで拳銃の発砲音と悲鳴が上がる中、カルデアから来てくれた仲間は、そう言って優しく微笑んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 




屋根付き馬車持ちライダー、マリー・アントワネット召喚。

カルデアからのサーヴァントは、拙作SSでは普通に話す体で行きます。ご了承下さい。影の状態がよくわからず…。


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Act-11

感想、評価、誤字報告下さったかた、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

 

 また、夢を見る。

 夢という名の記憶を見るしかない状態になって、一体どれだけ経ったのだろう。

 閉じ込められているのと変わりない現状なのだが、きっと、己が思うより時は進んでいない。

 己で何かをするということができないから、時間の流れがゆったりとした歯がゆいものに感じられるだけなのだ。

 恐らく、それほど経たずにこの夢は途切れる。途切れたなら、()()()()()()()()()()

 

 やっと終わることができるのだ。

 己も、『彼』も。

 

 しかし、まだ終わらないままに、夢はつらつら形を変える。

 他愛ない生活、争いのない穏やかな毎日を営む、ただの人間の記憶だ。

 

─────レ■ィシ■

 

 徐々に雑音が途切れ出し、聞き取れなかった名もわかるようになってきていた。

 

─────はい、なんですか?■イ■さん。

 

 答える人間の姿形も、よく見える。

 金髪の長い髪をした、若い女性だ。

 内側の明るさが滲んでいるような、そんな明るく美しい瞳をしているが、己が知っている女王のような、恐ろしさと美しさをひとつのものにして併せ持った高貴さなどはない。

 ただ本当に普通の人間の女なのだ。

 善良で、ほんの少し芯が強いだけで、神秘を知ってはいても扱うことはできない。

 向き合うことと立ち向かうはできても、抗うことはできない。

 そんな女だ。

 

 だが、その彼女を、■イ■という名前の人間は、心底愛おしく思っている。

 有り体に言えば、惚れ抜いているのだ。

 何処がどうだから好きなのだ、というのでもなく、きっかけもどうだって良くなるほどに好きで、幸せでいてほしいとずっと思っている。

 それは、彼女も同じだ。

 彼らは互いを愛していて、だから共にいる。

 彼が純粋な人間とは呼べなかろうが、死の国に繋がることで生かされている歪な生命であろうが、そんなことは彼女には────レ■ィシ■という名の女には、関係ないのだ。

 優しさを不器用さでくるんでしまったそいつの心の在処を、その女性はわかっていたし、そういう在り方を選んだそいつを、だから好きなのだと言っていた。

 

 形を変えても英霊の力を宿し、鍛えれば英雄にだってなれるのに、そのために使える時間だってようやく手に入れたというのに、そいつは英雄に、欠片も興味がない。

 

 英雄になろうと思って、なりたくて、ついぞなれなかった己からすれば、ふざけるなと一言言ってやりたいと、思わなくもない。

 

 だけれど、それ以上に。

 

─────じゃあ何故そんなやつが、英雄の真似事なんかしているのだろうか。

─────しなければならない状況に、放り込まれたのだろうか。

 

 そのことを、理不尽に思うのだ。

 

 夢の終わりは、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視線だけで穴が開くものなら、そろそろ開くんじゃないだろうか。

 ガラスの馬車の御者席に座り、頬杖をつきながらノインはそんなことを考えた。

 

─────いや、本当に視線で殺しにくる人ならいたっけか。

 

 しかし、今ノインの方を見ている視線の主はその彼らではない。

 項の辺りにずっと、じいっとこちらを見つめる視線を感じるのだ。

 

「ねぇ、あの盾の女の子、君のことずっと見てるけど何か縁でもあるのかい?」

「縁というか、同じデミ・サーヴァントだからだろ。……ったく、ロードもそんなことバラさなきゃいいのに」

 

 存外広い御者席の隣には、ビリーが座っている。

 カルデアから喚び出されたサーヴァント、マリー・アントワネットはガラスの馬車を召喚する宝具を持ったライダーだった。

 マシュとそのマスター、藤丸立香に、ナイチンゲールとジャックは馬車の中にいて、ビリーとノインは御者席にいる。

 姿のないジェロニモは、敵の待ち伏せがないか、先行して確認しつつ先導してくれていた。

 少年二人が何故馬車に乗らずに外にいるのかといえば、襲撃への警戒のためという理由もあるにはあったが、なんとなく女性ばかりの馬車内にいて、居心地がこそばゆくなりたくないのもあった。

 特にノインである。

 マシュ・キリエライトからどうも見られているのだ。今も、馬車の窓越しにちらちらと覗かれている。

 彼女は、シールダーのデミ・サーヴァントである。昔のノインと同じように。

 だからなのか、マシュは何か聞きたげだった。その割に、視線が合うと目を伏せるものだから、ノインからはどうにもしようがなかった。

 

「でも彼女、ずっと緊張してるよね。マスターの女の子の安全に気を配ってて、聞きづらくなってるんじゃないか?」

「だろうな。何処かで休憩したときにでも話してみたいけど」

「気になるのかい、あの子のこと」

 

 まぁな、とノインは後ろへ流れていく荒野へ視線をやった。話の続きを促すようなビリーの沈黙に、ノインはふぅと息を吐いてから答えた。

 

「……あの子は、妹に似てるんだよ。ちょっとだけどな」

「へぇ、妹がいたのかい。ああ、そういえば、君本体はコンラじゃなくて人間で、生者なんだっけ。そりゃ家族もいるよね」

 

 はは、とノインは軽く笑った。

 

「でもな、俺の世界だとカルデアなんて組織は聞かないし、逆に彼らの世界だと聖杯大戦もなさそうなんだよな。だから多分、俺はカルデアのあの子たちからすると、並行世界の住人ってやつなんだろう」

「僕、魔術系の話はよくわかんなくなるからパスする」

 

 両肩をひょいとすくめたビリーに、ノインもこくりと頷いた。

 

「正直俺もわからない。検証しようがないからな。ロードが俺を知ってるのは、多分変な召喚のせいで、並行世界の記憶でも混ざったからかと思うんだが」

「でも、やっぱり確かめようがないから放っとくと」

「今はさ、多少おかしなことでも検証するより利用したほうがいい。だろ?下手に確かめて、奇跡が弾けてしまったら困る」

「そりゃそうだ。時間もないからね。……ちなみに、これからアルジュナに会うわけなんだけど、カルナと戦った言い訳とか考えた?」

 

 ノインは頭を抱えた。

 

「言い出した僕が言うのもあれだけど、そこまで気にするかい?」

「するよ。あいつ、カルナと一回戦ったって言っただけで、目の色変えて根掘り葉掘り聞いてきたんだぞ。絶対、いると知ったら勝負したがる」

「このアメリカを、全部放っといてかい?あんな生真面目そうな英雄が、そんなことするかなぁ?それにカルナのことなら、もう一回殺してるだろ。アルジュナはカルナに勝った。それが伝説の結末じゃあないか」

 

 さっぱりした、如何にもアウトローらしい物言いだった。

 ノインも本音を言えばそう思う。

 逆ならまだしも、自分が一度殺した相手を、もう一度殺したいと思うのだろうか。

 つまるところ、アルジュナの考えることはわからないのだ。

 戦士(クシャトリヤ)の名誉とか正義とか誇りとか、そういうものを背負いもしたことがなく、そもそも死んだことがない人間には。

 死にたいと思えるような後悔は、ノインにもある。あるけれど、ノインはまだ死んだことがない。

 紛れもない自分の世界の、自分の体で過ごしていた最後の記憶まで遡れば、己は精一杯生きている途中だった。

 だから、死後にまで持ち越すような情念の激しさの何たるかは、推し量ることはできても最後の一線がわからない。

 それでも、必要ならば授かりの英雄だろうとも、止めなければならない。

 

「ナイチンゲールがカウンセリングしたらどうにかなるか?」

「二丁拳銃で蜂の巣にするのを、カウンセリングと呼ばないよ。普通に説得すべきだと思うね。その場合、やるのは君かな。付き合いが長いのはジャックとノインだけど、あの子に説得はムリだろ」

「やっぱりか」

 

 あー、とノインが呻きながら、地平線に目をやると、はぐれ魔獣が目についた。

 聖杯頼みでやたらと召喚したからなのか、ケルトはすべての魔獣を統率していると言い難い。だから、ああして大陸を彷徨うはぐれものが出て、住民の脅威になったり、ジャックの良いごちそうになったりする。

 いずれにしろ、発見即排除が妥当だった。

 顕現させた槍を無造作に振る。穂先から雷撃が飛び出して、魔獣の四肢を痺れさせた。

 怯んだ魔獣の額を、一瞬でビリーの弾丸が貫いた。

 脳漿を撒き散らして魔力へ還る魔獣を、ノインはぼんやり眺めた。

 この大陸は、そんな光景がもはや風景の一部に成り果てている。空に飛竜がいても驚くより先にどこへ向かうのか襲って来るのかを冷静に計算するし、脅威と判断したなら躊躇いなく排除してのけている。

 つまり、己はこの事態に慣れているのだし、それを許容し始めている。

 慣れるべきなのはわかっているし、今の在り方は正しい。それでも、ただ機械的に戦うのは昔の、聖杯大戦より前の自分に引き戻されていくようで、落ち着かない思いがあるのも事実だった。

 とはいえ。

 その落ち着かなさこそが、己が変わった何よりの証なのだろう。

 だからきっと、その想いがあるうちは大丈夫なのだと言い聞かせている。

 

「ノインさん、ビリーさん、今何かありませんでしたか?」

 

 馬車の窓から身を乗り出して来たマシュを、二人は振り返って見た。

 

「ああ、はぐれ魔獣がいたから消しといたよ」

「えっ!?早くない!?」

 

 マシュのさらに横から、明るい髪色の少女が顔を覗かせる。カルデアのマスター・藤丸立香だった。

 

「だって僕、早撃ちなら負けたことないから」

 

 腰の銃を叩くビリーの横で、ノインは頷いた。

 

「とまぁ、ここに二人もサーヴァントがいれば敵が来てもわかるから、きみらは中に入っとけよ。日差しを浴びてるだけでも、人間にはきついだろ」

「……お兄さんタイプ?」

「誰がお兄さんだ誰が」

 

 ノインが赤い目をつり上げて三角にすると、あわわと立香は首を縮めた。

 しかしそのまま、立香は風ではためく髪を押さえながら尋ねる。

 

「あの、ノイン?ケルトのところから飛び出て来たって言ってたよね?」

「ああ」

「クー・フーリンとメイヴにスカサハの名前は聞いたんだけど、他のサーヴァントのコトはわからないかなって……」

「それは僕も気になるな。あっちの戦力について、何か知ってるならさくさく吐いてよ」

 

 はいはい、とノインは手をひらひら振った。言おうとしていたのだか、今まで言う機会がなかったことである。

 

「俺が知ってるメイヴの喚んだ英霊は、フェルグス・マック・ロイ、フィン・マックール、ディルムッド・オディナ、ベオウルフ、スカサハだ。フェルグスは倒したが、聖杯で再召喚しようと思えばできるってことは忘れるな」

「あら、随分と多いのね。それに女王が二人もいるの」

 

 また新たな声が、御者席と馬車内を繋ぐ小窓を開けて現れた。

 馬車の主である白髪の少女、フランス王妃マリー・アントワネットである。

 馬車の席に膝を揃えて座り、可憐に微笑む姿は愛らしく、魔獣蔓延る荒野を行く馬車が、まるでそこだけ宮殿であるかのようだった。

 フランス王妃であった少女は、ただ存在するだけで空気を華やかに染めていた。

 

「ノイン。あなたから見て、女王メイヴと女王スカサハというのはどんな人だったの?教えてもらいたいわ」

 

 曇りない笑顔である。

 その横ではナイチンゲールが無言で目を光らせていた。彼女は、ケルトを須らく除菌対象に認定したらしく、見れば見た分だけの敵をぶちのめすべしと決めてかかっているのだ。

 心なし王妃の隣の婦長から目を逸らしながら、ノインは記憶を辿った。

 

「女王メイヴは、厄介だ。聖杯が無くとも、自分の血を使うことで兵士を生み出せるし、恋人の一人の特技だった未来視もできると宣っていたな」

「未来視ですか!?」

「万能じゃなさそうだけどな。万能だったら、俺は逃げられてなかったろうから」

 

 それにしても脅威である。

 恐らく、己にかかる災厄なり敵なりを把握する程度のことはやってのけるだろう。

 そういうと、ビリーが眉をひそめた。

 

「なんだい、暗殺者泣かせもいいところじゃないか。作戦の練り直しが要るな」

「ころすの?解体しようか?」

「はいそこ、ジャックは刃物仕舞えって。婦長に取り上げられるぞ」

 

 窓越しにノインが言うと、ジャックは横に座っていたナイチンゲールからすぐ離れて、立香の側にくっついた。

 短い時間だが、彼女にもう早懐いたらしい。

 良いことだと思いながら、ノインは記憶を辿った。

 

「あとは……なんというか、メイヴは、あれ、愛に生きてるって感じだな。自分の愛で世界を滅ぼすのも厭わないし、勇敢な戦士なら何人でも恋人にしたいし、誘惑もする。そういう女王だ」

 

 立香とマシュは、それを聞いて顔を見合わせた。

 

「こ、これまたすごそうだね……」

「メイヴ女王は、多くの戦士たちの恋人であったとされていますが、事実だったようですね」

 

 若干引いている少女たちに、まぁ、確かに美しい女ではあったよ、とノインが言うと、ビリーがひゅうと口笛を吹いた。

 

「君もそういうことに興味はあるんだ。淡白な面してるから、まるっきり戦うことしか考えてないのかと」

「あのな、俺も普通に普通の男だぞ。それじゃただの修羅じゃないか」

 

 とはいえ、ノインにとってかけがえのない()()()()というのは既にいるから、メイヴを見たところで、綺麗に描かれた絵画か彫刻に感心するような印象しか抱かなかった。

 つまり全く、徹頭徹尾に、メイヴに対して女としては関心を(いだ)けないのである。だからこそ、それを察知されてメイヴを怒らせることになったのだ。

 

「あら、あらあら。じゃああなたには愛しい女性がいるということなのね?素敵だわ」

 

 頬を両手で押さえ、天真爛漫に尋ねるのはマリー・アントワネットだった。

 

「ああ、そうだ。彼女はあなたと同じ国の、優しいひとだよ。王妃(ラ・レーヌ)

 

 彼女の姿を思い出して、ノインは頬が緩むのを感じた。

 今はどうしようもなく遠いところにいて、会えないひとだけれど、だからこそ胸の中にある姿が霞むことはない。

 ふと、ノインは全員が黙ってしまったことに気づいた。

 

「なんだ、どうかしたか?」

「いや、その……ねぇ、マシュ?」

「は、はい!ノインさんが、とても大人っぽいやわらかい顔になっていました!新発見です!」

 

 心なし顔の赤いマシュは、こくこくと首を何度も縦に振っていた。

 

「そんな大袈裟な。大切なひとなんだ。姿を思い出せば、俺とて笑顔になりもするさ」

「はいはいはい!その()の話はお・し・ま・い!終了終了!肝心のスカサハのほうはどうなんだい?」

 

 ぱんぱんぱんとビリーが手を叩いた。

 む、とノインは唸ってから答えた。

 

「……彼女は凡そ何でもできるし、俺は絶対勝てない。最悪の予想だが、仮にクー・フーリン、スカサハ、メイヴが全員敵として来たなら、どんな手を使ってもいい。カルデアのきみらは逃げろ」

「え?」

「俺からは、今は他に言えない。第一、彼女は今のところ、きみらの敵か味方かは不明なんだ」

「それは、どういうことでしょうか?」

「スカサハは、アルジュナと俺を襲ってはいるが、この時代が滅びてしまえばいいと思っている節はなかった。で、何かを試すか探すみたいに大陸を彷徨ってる。嵐みたいな御仁だよ」

 

 本当に、頭の痛いことである。

 

「ロードとさっきの司令官にも伝えておいてくれよ」

 

 そこまでを言って、ノインはぼんやりと形が見え始めた街を槍で示した。

 

「そら、街が見えてきた。あれがラーマがいるっていう街だ」

 

 ガラスの馬車は車輪の音を荒野に響かせ、街へと進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





彼と彼女はそういう関係です。
何がどうしてそうなっていったかは、多分ちょろちょろ出てきます。
ともかく、概ね平穏と呼べる範囲内で生きてました。
だのにアメリカに引っ張られて来られてるという。


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