異能の鍵。【完結】 (イーベル)
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狼との会合。

 夏が終わり、すっかりと冷え切った空気の夜。深夜と呼ばれる時間帯に俺はダボダボの服を着て家を飛び出していた。パトロールである。

 とはいっても俺は警官ではない。一介の高校生二年生だ。こんな時間に歩いていれば逆に補導されるのが現実。だけれど、この町は違う。

 俺の他に出歩いている人物はいないのだ。

 その深夜に見回る警官も、酒屋に集まる大人も、学業よりもこの時間が本業だと言わんばかりの不良でさえも、この時間には皆無。つまり俺を見ている人物はいない。よって補導される心配はない。

 では、この個人的に行っているパトロールに何の意味があるのか。誰もいないのなら見回る必要はないじゃないか、と。そう思う人もいるだろう。

 確かにその通りだ。問題を起こすのが人であるのならば、ここにいない以上する必要はない。だが、この町ではここ数ヵ月で()()()()()()()()が問題を起こしている。それによって今ではすっかり人が外に出なくなってしまった。

 俺はその原因を探るべく俺はこうしてパトロールをしてるのだが……。

「結局、今日も手がかり無しか」

 結果は言葉通り。始めてから一週間経ったが、その手掛かりは掴めないでいる。ふとポケットに入れていた懐中電灯を見ると二時手前で、そろそろ家に帰らないとまともに授業を受けることができなくなってしまう。(言ってて悲しくなるが)友達という友達がいない俺にとってはノートを取らないのは死活問題なのだ。

 方向転換をし、家に向かう途中、自分の通う学校の目の前を通った。いつも見ている田んぼに囲まれた校舎とグラウンド。その(すみ)に違和感のあるものが目に映った。

「あれは……人か?」

 うっすらと見えるその姿は確かに人に見えた。そいつは屈伸をしてから何度かその場でジャンプすると、その場で屈みこんだ。何をしているのかまるで分からない。少しでも目に焼き付けるために目を細めるとその瞬間。しゃがんでいたそいつは立ち上がって猛スピードで走って来た。その速さはさながら弾丸、いやジェット機が迫ってきているかのよう。明らかに人がだせるスピードでは無い。

 背中に冷汗が伝う。俺はポケットから素早く一つの鍵を取り出し、すぐ近くの木の陰から横目で見る。もしあの人影の正体がここ数ヵ月で暴れているナニカだとしたら、これ以上被害を出さない為に倒すしかない。

 左手で拳を握り、その手の甲に鍵をあてがう。そして逆の手で差し込む。

能力解放(アンロック)、『狼の(ウルフ)――」

 能力を開放するための言葉をつぶやき、鍵を回そうとしたその時。突然そいつの足が止まった。はぁ、はぁと荒い呼吸音が聞こえた。すぐ近くの街灯に照らされて明らかになった。見覚えのあるその姿に手が止まる。

 耳にかかる程度の黒髪。ほんのりと日に焼けた小麦の肌。へそ丸出しのウェアに太ももに張り付くスパッツ。間違いない。帰り際のグランドでいつも目で追ってしまうクラスメイトだ。

高梨(たかなし)志歩(しほ)……?」

 こんな深夜にしっかりと陸上部のユニフォームまで着て何をしているんだ? その目的がサッパリわからない。

 だがここ数日で初めて見つけた異常。違和感のある光景だ。もしかすると彼女がこの騒動の手がかりになるかもしれない。

 どうする……接触するか? いや、彼女の目的がはっきりとしない以上それは危険だ。まだ敵か味方かもわからないってのに焦ってどうする。落ち着け。観察してから決めよう。見つけて数秒で判断するのは早計だ。

 そんな事を考えている間に彼女はタオルで汗を拭い。さらにジャージを上に羽織って、肩掛けのバッグを背負っていた。どうやら帰る支度をしているみたいだ。

 となると今日はこれ以上彼女から情報を得ることは難しい。だが、彼女が何かに関わっているかもしれないという事は分かった。何も情報が無かった頃に比べれば大きな進歩だ。明日以降の糧にしよう。

 そう決めて立ち去ろうとしたときだった。突然彼女が甲高い叫び声を上げたのは。

 素早く視点を戻すと、彼女は尻餅をついて後ずさりをしていた。口を細かく動かして言葉にならない声を上げている。瞳は恐怖で歪みじんわりと涙が滲んでいる。

 彼女をそこまで追い込んだのは、大型犬の様な姿の影でできた獣。

『魔物』

 それはこの町に現れる人では無いナニカ。姿形は様々。目的は不明だが、分かっていることは能力を持つものを襲う事だ。

 この状況から彼女が使用者(プレイヤー)であることは確定。だとすればあのジェット機の様な疾走も納得できる。そしてこのまま身を潜めていれば、彼女を更に追い込み、その能力の全貌を拝む事ができるかもしれない。敵か味方か区別が付くかもしれない。

 だけど、それはよろしくない。きっと教室で彼女を見るたびに助けなかった事を思い出して、嫌な気分になる。それはゴメンだ。

 なら俺が取るべき行動は一つ。

能力解放(アンロック)――『狼の魂(ウルフ・ソウル)!!」

 先ほど中断した言葉を口にしつつ、左手の甲に鍵を差し込むと、鍵に宿る能力を叫び、回した。鍵がゆっくりと体に飲み込まれると、手足や顔の形状がメキメキと音を立てて変形し始める。華奢(きゃしゃ)な人間の腕から白い体毛の生えた力強いものへ。歯も肉を切り裂くための牙へと、鏡を見れば顔つきはきっと狼そのものになっているだろう。

 完全に変形が終わったところで、大きく息を吸って月に向かって遠吠えをした。

「さあ、食うか食われるかの勝負といこうぜ」

 魔物たちはその脚を止めて俺の方へと体を向ける。俺は歩いてグラウンドへと足を踏み入れると、それを|合図に一斉にこちらへ群がってくる。その数十匹。

 俺は強化された両足で思いっきり大地を蹴って魔物へと飛びかかった。瞬時に先頭の一匹の目の前に到達。右手の爪でその首を跳ねた。

 着地して、今度は足で二匹目は腹を蹴り飛ばす。三匹目は顔を殴る。四、五、六、七……と本能が赴くままに身体を動かして魔物をさばき切る。そして八匹目の喉笛を噛み切ったところで残っていた二匹がグランドから立ち去って行く。

 追っても良かったのだが彼女を一人にしておくのは気が引けた。戦闘はここまでだな。俺は体を反転させて彼女のところへと目を向けてゆっくりと近づく。

 目が合った彼女は尻餅をついたまま慌てて後ろへと下がるがすぐに壁に背中がひっつく。そして涙目のまま、壁と俺を交互に見た。せっかく危機が去ったというのに、なぜだろうか? 疑問に思っていると彼女は震えながら口を開いた。

「わ、私は美味しくない!」

「は?」

 思わず聞き返してしまった。

「毎日肉とお菓子ばっかり食べるから栄養バランス傾いてる! きっとマズイ! だ、だから、食べないで!」

「いや、食べないから」

 キッパリと彼女の言葉を切って捨てた。何がどうなったらクラスメイトに人を食べるなんて誤解を生むんだ? 訳が分からない。

「だいたい、なんで俺が好き好んで人間食わなきゃ――」

 頭をひっかこうとしたとき、モフモフとした柔らかい何かに触れた。耳である。つまり俺は狼男の姿のままだ。そりゃあ誤解を招いても仕方が無いか。

 左手の甲に触れて『能力拘束(ロック)』と呟いて、浮き出して来た鍵を引き抜いた。パツパツになっていた服が元通りにダボダボになって、ゆっくりと人間の姿へと戻って行く。

「えっ? ちょっ、アンタ、白瀬(しらせ)!?」

「ああ、そうだよ」

 指をさして驚く高梨に、俺は頷く。

「なんでこんなところにいるの!?」

「こっちの台詞だ、高梨。こんな時に出歩くなんて危ないだろうが」

「それは、そうかもしれないけど……」

 両手の人差し指を付けたり離したりしながら目線を逸らす。そのあとパッと思いついたようにまた俺を指で刺した。

「ってか、さっきの何あれ! ケダモノになったり、さっきのあのなんかよく分かんない生き物と戦ったり……もう訳分かんないよ!」

「ケダモノとか言うな。狼だ、狼」

「一緒でしょ。人間から姿を変えたのが問題! 何なのあれ!」

「あれは……能力だよ。お前だって使ってたじゃないか。ジェット機みたいに走るのに」

「能力って、なに? 私は確かに走ってたけど、そんなんじゃなくて、ただ全力で走っただけ」

 とぼけたように高梨はそう答える。こいつ……誤魔化すつもりか? あのスピードは人間じゃ出せないだろうに。

「誤魔化すなよ。魔物が寄って来てたって事は使用者(プレイヤー)なんだろう?」

「だから、なにそれ。訳わかんない……さっきからゲームみたいな単語並べて。分かるように説明してってば。こ、怖かったんだから……」

 口元に手を添えて、涙目でそう言った。男は女の涙に弱い。少なくとも、俺にとっては。不覚にもドキッとしてしまった。――ってそうじゃなくてさ。

「本当に知らない、のか?」

「うん……」

「さっきの奴らも?」

「――うん」

 頷きながら指で滴を拭う。演技……には見えないな。俺の目が節穴なだけかもしれないけど。

 まあここで放置して立ち去るのも後味が悪いし、かと言って俺が話すのは得意ではない。となると……あの人に頼るしかないか。

「そうか。なあ、高梨。今から時間あるか? 少し長くなりそうだけど」

「ある。出席日数は問題ないから明日は最悪休んでもいいし」

「なら、ちょっとついて来て貰えるか。お前に合わせたい人がいるんだ」

 

 



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接触。

「病院……だよね、ここ。暗いし、もう営業時間過ぎてるみたいだけど」

「問題ないよ。だってここ、俺の家だから」

「へぇ、白瀬って医者の息子だったんだ」

「正確には『義理の』だけどな」

「ふーん」

「見ての通り表はもう閉めてるから、裏口から入るぞ。ついて来てくれ」

「はいはーい」

 間伸びた返事を返す高梨を後ろに付けて、手入れが届かず雑草が生い茂る庭を歩く。正直ここを通るのは嫌で仕方が無い。だって虫に刺されそうだ。可能なら別の場所を通りたいが、ここ以外に通る道は無い。だったら手入れをしろって話だなんだが、面倒な事を率先してやるほど俺は暇人ではないし、今から会いに行く()()()も、そんな雑用をしたことは一度だってなかった。

 だから、これからもこの横道は雑草が生い茂ったままなのだろう。

「ね、白瀬」

「どうした、高梨」

「これから会いに行く人は犬井(いぬい)さん……でいいの? 病院の名前が『いぬいクリニック』だったし」

「そうだな、名前は犬井リサ。俺の育ての親だ」

「へぇ、義理でも親子なのに苗字は別なんだ。どんな人なの?」

 そう聞かれてしばらく考える。あの人の印象、か。外面と言うのもある。多少取り繕った方が良いかと思ったが、あの人の事だ、そんなものは考えず俺の気遣いを無駄に帰すだろう。

 だから、思っているままに伝えることにした。

「――『自己中心的の極み』みたいな人だ」

「そ、そうなんだ……。どれぐらい?」

「どれぐらいって、そうだな。これはテレビを見ていた時の話なんだけど、地動説と天動説って分かるか?」

「それぐらいは知ってるよ。馬鹿にしないで。地球が止まっていて他の星が回るか、地球が回っているかみたいな感じの奴だよね?」

「まあ、ザックリだがそんな感じだ。紆余曲折あって今は地動説が信じられている訳だけど、あの人は両方違うって言うんだよ」

「へえ、どうして?」

「理由は、『地動説とか天動説とか知らんけども、私が生まれた時から地球は私を中心に回っている! よって『私道説(しどうせつ)』こそ正しい!』……だ」

 声色を少しまねながら彼女の言葉を口にした。それを聞いた高梨は微妙な顔をする。

「――ねえ、なんで犬井さんはお医者さんになれたの?」

「俺が知りたいよ……」

 ため息をつきながらポケットの中を探り、三つある鍵のうちの一つを取り出した。何の細工も無い鍵。それをドアノブに差し込み、開錠すると靴を脱いで上がった。高梨も小さく「お邪魔しまーす」と呟いてから続く。

 外から見た所二階には明かりが灯っていなかったので、きっとあの人はいつも通りあの部屋にいるのだろう。

 きょろきょろと薄暗い室内を見渡す高梨に一言「こっちだ」と声をかけて移動を開始する。足音だけが耳に入った。

「白瀬、こんな暗いのによく見えるね。やっぱり、えっと……ケダモノだから?」

「だから、ケダモノじゃない。狼だ」

「そうだった。夜目が効くの?」

「なっている間はな。今は標準の人間並みだ。でも、住み慣れた家なら誰だってこんなものだろう」

「それもそうだね。私も家だったら、夜トイレ行く時は電気付けないよ」

「……そうか」

 高梨にはデリカシーと言うものだ無いのだろうか。女子なんだし少しは隠して欲しい。だが、俺はそれを口にする事は無かった。なぜなら逆に意識していると想われるかもしれないからだ。そんなつまらない事で俺の印象を下げたくは無い。

 閑話休題。

 脚を進めてたどり着いた部屋。その扉の隙間からうっすらと明かりが洩れている。カチカチと何かを操作する音が外まで聞こえてた。変わりないその様子に呆れながらもドアを回す。

「ただいま、ハカセ」

 そう言うと彼女はゲームのコントローラーを握りながらこちらに振り向いた。伸びっぱなしでボサボサの髪。真っ白だけど、くたくたの白衣。

 器用に画面を半目で見つつ、アイスの棒をくわえたまま俺へ命令する。

「お帰り、(れん)。早速で悪いんだけどさ、コンビニでアイス買ってきて~。味はバニラな。絶対バニラ。それ以外は認めないから」

「なっ、あんた、もう一箱開けやがったな! 俺は昨日、アイスは一日一本って言ったろ!」

「だって美味しいんだからしょうがないじゃーん。止められない止まらなーい」

「いい大人の癖していい加減にしろよ!」

「はっはー、分かってないなー漣。アイスはいつまでだって美味しいものだぜ」

「決め顔で言っても誤魔化されないからな」

 そんな掛け合いをいつもの様にしていると、俺の後ろでクスクスと高梨が笑いをこぼす。それに反応してハカセは彼女の存在を認知した。

「おっと、遅いと思ったらお客さんか。こんな夜遅くって事はただのお友達じゃ無さそうだね。ガールフレンド? それともセッ――」

「ちょっと黙ってろ!」

「えー気になるじゃんか。秘密にしないで教えてくれよー」

 ハカセは口をとがらせてうざったらしい言い回しでそう言った。ちょっと口を開くたびにこれだ。ハカセは『自分が面白おかしくなれればそれでいい』のスタンスなので、相手の事は気にしない。もし高梨と一対一で会話させたら彼女の疑問は解決することなく日が昇るだろう。

 だから、俺が制御しなければならない。そう思うと少しだけ胃が痛んだ。

 後ろに居た高梨が前に出て、俺と並んたのを機に紹介を始める。

「こちらはクラスメイトの高梨志歩。我が校が誇る陸上部のエースだ」

「初めまして、高梨志歩です。漢字は高低差の高に、果物の梨、(こころざし)を歩むと書きます。よろしくお願いします」

「……ご丁寧にどうも。私は犬井リサ。君に習って言うと、動物の犬に、『井の中の蛙』の井、それにカタカナでリサだ。気軽にリサさんとでも呼んでくれ。で、君は何の用でこちらに来たのかな? 漣に君の様な可愛い子をナンパできる話術があるとは思えないし、今まで友達と言う友達を家に連れて来たことなんてなかったからね」

「うるせえよ、余計なお世話だ」

 友達は居ても、あんたに合わせたくなかっただけだ。

「こいつは使用者(プレイヤー)だよ。とは言っても、目覚めたばかりで何も知らない。初歩的な話すらも、だ。そこら辺の説明をお願いしようと思って連れてきた」

「連れてきた、じゃないよ。ったく人使いが荒い。私は忙しいんだよー。今も助けを求める仲間が大勢いるんだから」

「画面の中に、だろ? そんな事言ってるとアイス買って来てやんないぞ」

「それは卑怯! 横暴だ!」

「だったら話してくれるよな、ハカセ」

「うぅ……しょうがないなぁ。アイスには代えられない」

 ハカセはそう言って頭をかき、ゲームのコントローラーを手放す。床から立ち上がり、近くにあったソファに体を預けた。

「まあ、座ってくれよ。立ち話も疲れるからね」

 彼女とは机を挟んで反対にある二人掛けのソファに俺達は並んで腰をかけた。

「さて、お嬢さん。漠然で申し訳ないけど、君はどこから聞きたい?」

「えっと……じゃあ、さっきも話していた使用者(プレイヤー)についてから、お願いします」

 フリーダムな彼女の話を聞いて話しにくいのか、言葉に詰まりながらそう言った。

「そうか、ならそこから話そうか」

 ハカセは足を組んで、間を空けると再び口を開く。

使用者(プレイヤー)、世界各地で古くからある、伝説、伝承、物語……それらのモデルとなった者たち。ある者は英雄。あるいは化け物。神と呼ばれた者もいただろう。そういった空想の具現者、人間を超越した者たち。ざっくばらん言えば超能力者だ」

「超能力者、ですか? 物を宙に浮かせたりだとかそういった感じの?」

「そう考えてくれて構わない。その種類は多岐にわたり、人の想像力だけその数は増す。実現できぬことなどないというほどにね」

「それは、すごいですね。じゃあ私もいろいろできるようになるんですか?」

 それを聞いて高梨は食って掛かる様にハカセに顔を近づけた。

「うーん、それは難しいかな。君がどんな能力を持っているのかは知らないけれど、基本的に能力は一人に付き一種類まで。まあ、例外はあるけどね」

「そうですか……でも私はこれから普通の人よりもっと、すごい事ができるようになるって事ですよね? その使用者として!」

 一度肩を落とした後、目を輝かせ明るく振る舞う。分かりやすいな。もし彼女に犬の様な尻尾があったなら、ブンブンと振り回されているだろう。

 そんな彼女をこれ以上ぬか喜びさせないために俺は口を挟む。

「否定はしない。俺達使用者は確かに常人に比べて大きな力を引き出す事ができる。俺がさっきお前の前でやって見せたようにな。だけど、大きな力には代償は必須だ。車にガソリンが必要な様に、家電を使うのに電気がいるように、能力を使用するには――」

「『命』を、使う」

 俺の言葉を遮って、ハカセがそう言った。目を見開いて言葉を失う高梨を考慮せず、ハカセは続ける。

「能力を使うには『命』と言うエネルギーを通常の倍以上に消耗する。強力であればあるほど、その消耗は激しい。だから――――()()()()()()()()()

「え?」

「は?」

 突拍子も無く告げられた言葉に俺も思わず聞き返してしまう。そんな話をされた事は一度だってなかった。嘘なのか本当の事なのか判別はできない。

「力強い命を、能力者の命を口にすることで少しでも生きながらえる。君の様な若い女の子は良い養分になって――――」

「イヤァァアア――!」

 高梨は叫びを上げて俺を思いっきり殴り、その脚で窓を突き破ってここから飛び出した。ロケットの様に爆発的なスタートで屋根から屋根へ飛び移り、遠くへ逃げていった。

 とてもじゃないが通常の人間に出来るような芸当では無い。能力をまた、使わせてしまった。

「おいハカセ、何やってんだ。あんな嘘ついて。俺達使用者に命を回復する方法なんて無いだろうが!」

「いやー、彼女の能力を実際に見たくてね。精神的に追い込めば能力を使ってくれると思ったんだけど、まさかこんな簡単に行くとは思わなかった」

 頭をかきながら、あっけらかんとそう言い放つ。ああ、しくじった。こういうことになる前に止めたかったのに……。様子からしてあの突拍子の無い発言は嘘だったか。

「だから、あんたのそういう身勝手なの止めろって言ってるだろう!?」

「だって気になったんだから仕方が無いじゃん?」

「じゃん? じゃねぇよ。くそ、まだ日は昇ってないんだぞ! あんなに全開で能力を使ったら――」

「魔物に襲われるかも、ね。でもそれで彼女の力を完全に知る事ができる。漣の事だ、どうせ助けちゃって能力の全貌を暴いていないんだろう?」

「それは、そうだけど……」

「いつも言ってるだろう。他人の為に能力を使うのを止めろって。さっきも言ったけど文字通り『命』、削ってんだぜ」

「そんなの、分かってるよ……」

 ハカセに言われた言葉。それは能力に目覚めてから常々言われ続けていた言葉だった。そのたびに自分に言い聞かせている台詞を、いつもの様に返す。

 

「それでも、俺はただ、他人を助けて『カッコイイ』、『スゲェ』って自分に酔って、気持ち良くなりたいだけなんだよ!」

 

 ハカセにそう捨て台詞を吐いてから、割れた窓から飛び出すと、再び狼の鍵を差し込んだ。



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人食い森。

 月下に白い体毛をなびかせながら彼女の後を追う。夜目が効く狼の姿ではあるものの、彼女の姿は俺が外に出た時点では捉えることができなかった。彼女の足はそれだけ速かったのだ。

 だから俺は決して褒められない手段に出た。抵抗はあったが、ためらっている間に彼女が何者かに襲われるかもしれない。そう思うと、やらざるを得なかったのだ。許して欲しい。

 

 そう、俺は……高梨のバッグにあったタオルの匂いを嗅ぎました。

 

 年頃の女の子がかいた汗を吸ったタオルの匂いを、嗅いでしまいました。 

 

 この野郎! 常人ぶってただの変態じゃねぇかって? いやまあ、確かにゾクソクと背徳感を覚えた。だが理由もなしにやったわけでは無い。先程も言ったが、非常事態だったのだ。

 今の状態の俺は狼としての力も併せ持つ。嗅覚も発達している。警察犬の様に匂いで追跡することも可能だ。だから彼女が残して行ったバッグを漁って、その中で強く匂いが付いた物の匂いを嗅いだのだ。それがたまたま、タオルだっただけの事。タオルの匂いが嗅ぎたかったから嗅いだわけでは無い。

 話を戻そう。

 幸いのことながら、今日は雨は降っておらず、匂いも時間が経っていないので残留している。その形跡を四足で駆け抜けた。しばらくすると住宅地を過ぎ、森に出る。

「おいおい……勘弁してくれよ」

 パニックになっていたからどこに行ってもおかしくは無いとは思っていたが、よりにもよってここか。この町に隣接する森。ここは俺達使用者(プレイヤー)にとって危険地域。『人食い森』とさえ呼ばれるこの場所。

 手入れされず、うっそうと生茂った木々は太陽を遮り、魔物たちの楽園と化しているのだ。足を踏み入れただ時点で魔物に食らい尽くされる可能性がある。その人物が例え使用者であってもだ。

 そして、もう一つ。魔物の出現に時間制限も無い。

 どういうことかと言うと、魔物は日光に弱い。日が当たれば彼らの肉体は消滅する。だがそれは本来であれば、の話。この森には日光は届かない。日が昇っても夜に真っ暗な状態が続く。二十四時間深夜帯だ。

 だけれど、ここで立ち止まる理由にはならない。彼女がこの先にいるのだ。助けを求めているとは限らないけれど、ここで立ち止まってしまったら親父やお袋に顔向けできない。

 一度ポケットに入ってた懐中時計を確認する。時刻は五時丁度だった。この時期の日の出まではあと三十分ほど。そのタイミングで彼女を連れて外に出れるかがキーポイントだな。

「厳しいけど、やるしかないよな」

 四足になって、危険地帯に足を踏み入れた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 彼女の匂いは、森の中まで続いていた。だが、途中からそれに混ざり始めた血の香り。段々と濃くなるそれに、俺の心臓はより一層素早い鼓動を打った。

 四足がテンポよくリズムを刻み、トップスピードを維持し続ける。直線に走るのではなく時折フェイントを混ぜた不規則な走りで魔物をまいた。

 そしてようやく、木に寄りかかった彼女の姿を捉える。着ていたジャージはボロボロ。所々が赤く血に染まっていて、痛々しく右腕を押さえていた。視線の先には校舎で相手にした魔物。数もさっきよりも多く、一回り大きな群れの(おさ)までもが姿を現していた。仕留め損ねた二匹が彼女を追い詰め、森へ追い込んだと考えるべきか。

 まあいい。何はともあれ、

「間に合った!」

 彼女と獣たちの間に入り込む。獣たちは俺の出現にひるんで、バックステップで間を取った。

「し、白瀬……」

 震えた声で彼女は俺の名前を呼んだ。

「悪い高梨、遅れた。走れるか?」

「ゴメン、無理だ。さっき足を噛まれてから力が入らない」

 高梨のふくらはぎには深く食い込んだ歯形があった。肉がえぐれていて思わず視線を逸らしたくなる。だけど、あのハカセなら治せない範囲では無い。

「分かった。俺の背中に乗れ、こっから逃げるぞ!」

 俺は屈んで背中を下げ、彼女が背中に乗って手に首を回す。それを確認すると脚を伸ばした。

「わ、高っ……」

「しっかり捕まっとけ。舌噛むからなるべく口は開けないでくれよ!」

 そう呟いて、四足で大地を蹴った。魔物たちも同時に俺達を追いかけてくる。やはりそう簡単に諦めてはくれないらしい。

「高梨、もっと揺れるけど我慢してくれ」

 一度声をかけて、行きにも酷使していた不規則な走りを実行する。高梨には負担をかけるが、死ぬよりはマシだ。

 走りながら緩急を付けたり、ときには木に飛び乗ったりして魔物たちをまいていく。それによって小型の魔物はそれについてこれず振り払う事ができた。だが――

「チッ、しつこいな。伊達にボスやってる訳じゃ無いか」

 一匹のボス。体も一回り大きな個体が俺にピッタリとマークしてきていた。高梨を背負って、スピードが落ちている今。追いつかれるのは時間の問題だ。

 どうする? ここをどうやって切り抜ける?

 獣には無い人間の頭脳で考えろ! 

 その場で宙返りでもして方向転換するか?

 ダメだ。万全の状態ならまだしも、高梨が宙返りという動きに対応できるとは考えにくい。

 何か他の武器は?

 それもダメだ。『狼の鍵』の他にもう一つ鍵を持ってはいるが、この状態で鍵を差し替えるだけの暇を与えてくれるとは考えにくい。

 できたとして弱点を突けるかどうかも……いや、まてよ。弱点、はある。どの魔物にも共通して存在する弱点が! もうそろそろやって来ている! あとは通り道を作ってやればいいだけのことだ!

「高梨! 歯ぁ食いしばって腕に力を入れろ!」

 ギュッと首周りに彼女の腕が押し付けられた。俺はトップスピードを保ったまま垂直に上空へ跳ぶ。すぐ後ろに居た奴も虚を突かれた様だったが、即座に俺を追って跳んだ。

 目の前には木々の天井が迫って来ていて、勢いそのままに頭を突っ込んだ。そして、

「だぁぁあああ―――――!!」

 雄叫(おたけ)びを上げ、渾身の力で右の爪を振るった。目の前が切り裂かれ、分厚い緑のカーテンから淡い青色が顔を出す。上空から見下ろすと、口を大きく開けて迫る魔物がいた。

「これで、ゲームセットだ」

 日の光が魔物に降り注ぐ。ここは空中。方向転換もできず、弱点をもろに浴びたその体はゆっくりと灰へ姿を変え、霧散した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「ああ、くっそ……死ぬかと思った」

 森を抜けた先。日光が降り注ぐ原っぱで俺は大の字に寝転がった。身体は既に人間に戻っている。そんな俺を長座の高梨は見下ろす。

「……ゴメン。また私、白瀬に――」

「良いよ。別に謝られることじゃない。知らなかったんだから。それにその発端はうちの馬鹿ハカセだ。ったく、たちの悪い冗談ばっか言いやがって……。しばらくアイス抜きにしてやる」

 言葉を遮ってそう言うと、高梨は乾いた笑みを返した。否定できなかったらしい。

「でもさ、白瀬はあそこが危険地帯だって知っていた訳でしょ? どうして、助けてくれたのさ。私だったら見捨てて家に帰るよ。自分の命が大事じゃないの?」

「何言ってんだ。自分の命は大事に決まってんだろ。馬鹿じゃねーの」

「な、バカって言うな。バカって……! 私がバカならあんたはもっとバカ! メリットもなんも無いのに助けに来るんだから!」

 ビシッと人差し指で俺を指差してそう言った。確かに高梨から見れば、『見返りを求めない気持ちの悪い奴』である。

「メリット、ねぇ……」

「なんか無いの? でないと私は、その……気持ち悪くてアンタと話したくない」

「助けて貰ったのにそこまで言う!?」

 俺は考え始める。彼女を助けて得られるメリットを。外に出るときにハカセに話したアレでは納得してもらえるか怪しい。もう少し現実味のある物は……そうだ。

「あれだ。俺は高梨が陸上してるのを見るのが好きなんだ。いつも短いズボンかブルマで走るから、生足が良く見えるし、走った後に汗を(ぬぐ)う所も色っぽくて好きなんだよ」

 そう、これなら男子として健全な理由として納得してくれるだろう。

「うん……ゴメン。やっぱ話しかけないで」

「聞いておいてそれは酷くない!?」

 身体をひねって、腕を枕にして顔を伏せた。せっかく良い言い分を思いついたと思ったのに……。やっぱり思い付きで行動はするもんじゃないな。

 沈黙が辺りを支配する。風が草を撫でる音だけが耳に届いた。それが数分続いたところで、高梨が口を開く。

「そ、そんなに私の事を見てたわけ?」

「……まあ、帰り道につい、目で追う程度には」

「それを命を賭けてまで続けたかった、と」

「……はい」

 否定はできない。そういう行動に出ていた事は事実だ。

「白瀬はケダモノだね」

「ケダモノじゃない。狼だ」

「だいたいあってるじゃん。品性の欠片も無いという意味では」

「うぐっ……」

 ごもっともだ。あんな言い訳を思いつく時点で最低な人間の一人である。ハカセの事も馬鹿にはできなかった。

「でも、そんなケダモノに助けられてしまったのも、不本意ながら事実なわけで……」

 不本意ながら、とか言わないで欲しい。泣きそう。

「だから、報酬を……、いや、なんか違う。褒美を……うーん。まあいいや、ご褒美をあげます」

「別に要らないよ。そんなの嫌なら貰わない。さっきも言ったけど、俺は見てるだけでも十分だ」

「だから、アンタのそういう所が気持ち悪い。頑張ったのに、求める物がチープ過ぎるの!」

「非現実的な贅沢はしない主義なんだ。それにもし、仮にだけど俺が高梨に変な要求をしたらどうする」

「それはそれで受け入れる! だって、一つしかない命を助けて貰ったんだから……」

 弱々しくなって行く言葉を咳払いで区切って彼女は続ける。

「ともかく、遠慮せずになんでも言って」

「なんでも、ねぇ……」

 上から下まで舐めるように彼女の体を眺める。ダメだ。自分の健全な所を見せたいのにも関わらず、エロい事しか頭に浮かばない。どうする? どうするよ……俺。

「後五秒で言わないと、本当に口利かないから」

 高梨は俺に釘を刺して、秒読みを始めた。数字が進むにつれて俺の眉間に力が入り、求めようとする要求を考えるもなんだかニッチな物に寄っていく。残り一秒となったところで、俺は意を決して口を開いた。

「わかった。要求を言うよ。後悔しても、知らないからな」

「……うん」 

 高梨は少し間を空け、頷く。

「俺は、お前の……お腹を、も、揉ませて欲しい!」



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正当な報酬。

読んで下さっている方、感想を書いてくださった方、お気に入り登録をして下さった方に感謝しつつ、書きました。第四話です。どうぞ。


「ア、アンタ何言ってんの!? 訳が分かんないんですけど!」

 高梨は俺の力強い宣言に戸惑いながらそう言った。顔を真っ赤にして口元に手を当てながら、視線をあちこちに移動させている。

「なんでも言えって言ったのは高梨の方だろ。そこまで戸惑うなよ」

「それは、そうかもしれないけど。……なんだろう、予想していたベクトルからずれていたというか。その……もっとこう、『胸を触る』とか直接的な事を覚悟してたから、逆に恥ずかしいというか……

「え?」

「な、なんでもない! 好きにすれば」

 フン! と首を振って、顔を明後日の方向に向けた。

 好きにしろと言われても、何をどうしたらいいのやら……。『お腹を揉む』とは言ったものの、この瞬間を待ち望んで準備してきたわけでは無い。彼女が予想外だった様に、俺もこの要求が出て来たことが予想外だった。急かされ、唐突に思い浮かんだものを口にしただけ。

 だからと言ってここで、ボケっとしたままでいるのはどうかと思ったので、俺はゆっくりと彼女の腹部へと手を伸ばし始めた。

「――――失礼します」

「うん……」

 一言口にして気が付く。彼女はジャージ姿のままだ。魔物の攻撃によって所々破け、肌が見えているとはいえ、腹部はその生地にて覆われている。つまり地肌を触る事ができない。

 これは、頂けない。どうせ触るのであれば素肌の方が良いに決まっている。

「なあ、高梨」

「な、何! 触るならサッサとしてくれない?」

「ジャージ、たくしあげて貰ってもいいか?」

「な、何でよ!」

 自分の体を抱くようにして高梨は身を引いた。

「俺はジャージの上からじゃなくて、直接触れるつもりで言ったから……」

「そ、そんなの聞いてない!」

「高梨が遠慮するなって言ったんだろう? ジャージを触って妥協するわけないじゃないか」

 そう言うと、顔を正面に戻してうつむく。そして固く(まぶた)をつむったあと、覚悟したかのように見開き、上着の裾を掴んだ。

「わ、分かった。その代りなんだけど、触るのは後ろからにして。正面からは、やっぱり……恥かしいから」

「……了解」

 恥じらいとしおらしさが入り混じった彼女の表情に押されて、立ち上がり後ろに回って座る。そして持ち上がっている腕の隙間から手を伸ばした。

 彼女の腕が少しずつ更に上へと昇って行く。わずかながら衣擦れの音が届いて、それがまた俺の興奮を煽った。

「い、いいよ。触っても」

 日常でも発せられそうな何気ない一言のはずなのだけれど、今日はそれがとても色っぽく、官能的に感じられた。

 唾を飲み込む。一瞬だけ間を空け、右手人差し指からそっと放課後に眺めていた聖域に触れる。

 着地した人差し指から縦笛を吹くかの様に中指、薬指、小指と上から順番に動かし、逆の手も同じようにして手の平を密着させた。

 秋の陽だまりの様な(ぬく)もり、さらさらとした極上の触り心地が俺の手を通して伝わる。それを更に感じるために俺の指はプロスケーターの様に彼女の肌で踊った。

 表面を存分に味わい尽くしてからいよいよ本題。彼女のお腹を揉むために少し力を入れる。彼女がこらえていた声が少し漏れ出て、俺の興奮を更に煽った。

 指の腹には筋肉の弾力。手の平にはうっすらと浮き出た肋骨の固い感触。触っているだけで心臓は破裂しそうなほどに高鳴って――――

「ようし、その辺にしとこうか二人とも」

 二度手の平を叩いて俺達に水を差した人物がいた。ボサボサの長髪。ヨレヨレの白衣。その風貌は俺の記憶には一人しか当てはまらなかった。

「なっ、ハカセ! どうしてここに!」

「どうしてって……君が呼んだんだろう。怪我人が出たから車で来いってさ。それで来てみたらコレだろう……旬を過ぎたおばさんには目に毒だよ。場所ぐらい選んでくれないかな?」

「ぐっ……」

 ド正論だ。非の打ちようもない。ハカセを呼んだのを忘れてしまうほどに高梨が俺の心をかき乱したのもあるが、それでも俺はもっとしっかりとすべきだっただろう。

 だけどその反省をする前に一つ気になる事があった。

「というか、いつから見てたんだよ。いたなら声をかけろよ!」

「いつから、いつからねぇ……確か、『俺は、お前の……お腹を、も、揉ませて欲しい!』ぐらいからかな」

「最初から寸分たがわず記憶してんじゃねぇか!」

「だって面白そうだったから見ておきたくてね。思わず見入っちゃったよ。まさか君にあんな性癖があるとは……。一緒に暮らしていて気が付かなかったなぁ」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべつつ、彼女は話を続けた。

「まあともかく、怪我人もいるみたいだし、さっさと行こうか。さっき、話損ねた所も話しておきたいしね。(れん)はお嬢さんを車まで連れて来て。治療もそこでやってしまおう」

「……分かったよ」

 頷く。自分に非があるのも、調子に乗っていた事も分かっていたし。危機からは脱したとはいえ、彼女が怪我人であることは変わらない一刻も早く治療を受けさせたかった。

 ハカセが先を歩いて行ったのを見つつ、俺は立ち上がって彼女の目の前にしゃがみ込んだ。

「ほら高梨、行くぞ。おぶってやる」

「嫌。今のアンタに体を密着させたくない。この、ケダモノ……」

 力のない否定だった。お腹を腕で隠しつつ、うつむき顔を逸らした。髪の隙間からわずかに見える頬は紅潮しているのが見える。余程ハカセに見られたのが恥かしかったらしい。

「だから、ケダモノじゃない。狼だ」

「やっぱり大して変わらないじゃん」

「違うさ。有象無象の獣の中でも、狼は跳びぬけてカッコイイ」

「自分で言うんだ……」

 呆れた態度で、ため息をつきながらそう言った。

「で? おぶるのが駄目なら俺はどうやってお前を運んだらいいんだ。お姫様抱っこ、とか?」

「それは勘弁。肩を貸すだけで良いよ。片足は無事だし」

「了解」

 そう言って隣に立ち彼女の肩に手を回した。高梨は俺の体に体重をかけて立ち上がる。思ったよりも近くに止めてあったワゴン車に向かって歩く。

 先に歩いていた博士は車の鍵を開けて、トランクを開放していた。たどり着いた俺はその淵に彼女を座らせる。

「ハカセ」

「分かってるよ。治療する。本当は治療費をぼったくってやりたい所だけど、残念ながらそれをやると漣、怒るだろ?」

「当たり前だ。誰のせいでこうなったと思ってる。ハカセがあんな冗談言わなかったら高梨は……」

「はいはーい。分かってるって。そんなわけでお嬢さん。足、見せてくれないかい?」

「は、はい」

 高梨はハカセに歯形が残る右足を見せる。魔物から逃げ切った後、持っていたタオルで血を拭き取ったものの、傷跡は痛々しく残っていた。

「成程、聞いていた通りだ。この程度なら治せるよ」

「本当ですか!?」

「ただ、しばらく安静にして貰うけどね」

 そう言いながら、救急バッグからビンを取り出した。中身は透けて毒々しい濃い緑。その不気味な色の軟膏を傷口に磨り込む。染みるのか高梨は顔を歪めた。ハカセは慣れた手つきで真っ白な包帯を巻く。

「じゃあ走るのは……」

「うん。止めといた方が良いね。三日ぐらいは寝る前に傷口にこれ塗って、包帯を巻く事。今回は特別に両方タダにしておいてあげる」

「は、はぁ……」

 高梨は押し付けられたビンと包帯をおずおずと受け取る。そしてハカセはその隣に座った。

「んじゃ、治療も終わったところで話の続きといこうか、お嬢さん」

「はい。でも、今度は嘘を織り交ぜるのを止めて下さいよ」

「まあ、考えておくよ。さてまずは準備から始めよう」

 そう言いながら白衣の胸ポケットから一つの鍵を取り出した。鈍い銀色のそれを手の平に差し込む。

能力開放(アンロック)鍵の製作者(シール・クリエイター)

 鍵を回すと肉体に呑み込まれて、手の甲に錠前の紋章が浮かぶ。

「能力……? でも白瀬のに比べるとなんだか地味、ですね」

「ハハッ、正直だね。まあ、私のは体質を変化させる訳じゃ無いから、漣と比べて地味なのは当たり前さ。準備もできた所で話そうか。君が飛び出す前に言ったけれど、能力を使用すると『命』をすり減らす。さっきは面白そうだったから嘘を付いたけれど、その『命』は補充されることは無い」

 その説明を聞いて高梨は頷く。

「さっき漣はガソリンと車で例えていたからそれに習うけど、エンジンかけっぱなしの車はガソリンを消費し続けるように、能力の使いっぱなしは――」

「『命』を削り続ける。ですか?」

「御名答。呑み込みが早い。いいねぇ、若いのは。たまにいるよね、若い芸能人が才能を惜しまれながら見送られる……みたいな。あれは無意識に能力を使い続けた結果だったりする」

「でも……じゃあ、能力者はそのまま、命を削り続けて早く死ぬって事ですか?」

「そうだね。否定はしない」

「そんな……」

 表情が暗くなる高梨。相変わらず分かりやすいのだがハカセも人が悪い。あからさまに不安を煽るような言い方をする。これから話すことをある程度理解できている俺からすれば、ハカセの行動はマッチポンプもいいとこだ。

「だが、安心していいよ。この私にかかればそんな問題は些細な事さ」

「些細なって、解決方法があるんですか?」

「完全な物ではないけれどね。まあ、見てておくれよ」

 錠前の紋章のついた手を宙にかざすと、そこから半透明で何の装飾もされていない鍵が出現する。それを手に取って彼女にかざした。

 これが彼女の能力。人間の持つ異能力を制限することができる鍵を制作する力だ。それによって鍵をかけられた使用者(プレイヤー)は能力を封印され、疑似的な無能力者となる。無能力者と言う事は当然のことながら、命の使用は大幅に削減できる。俺も普段からこれによって能力を押さえつけていた。

「……といった感じで君の能力に鍵をかける。能力を使う時は私のよう能力名を宣言して、自分の体に差し込み回す。本当は使わないのが理想なんだけど、今回みたいにそうは言ってられないときもあるからね」

 ハカセも同じように説明を終えて、彼女に鍵を渡した。

「えっと、どうすれば……」

「どうすればって、決まってるじゃない。鍵をかけるの。体の好きな所に差せばいい。本当ならお代を頂戴したいところだけど出血大サービス、それもタダってことに……」

「それは、気が引けます。意地でも払わせてください!」

 高梨はハカセの言葉を遮った。俺のときもそうだったが、こいつは施しを嫌うというか、一方的にされっぱなしなのは好まないらしい。

「ふーんじゃあ、一千万」

「え?」

「一千万円って言ったの。払える?」

「それは……」

 それに対して法外な値段を要求したハカセ。戸惑う高梨を見ながら話を続ける。ハカセは自己中心的な性格なのだ。思い通りにいかないとこうやって強引にでも話進める。その癖を俺は小さい事から良く知っていた。

「払えないだろう? だから学割を適応してタダ……はやっぱ止めとこう。やって貰いたい事があったのを思い出した」

「な、なんですか!?」

 高梨はその言葉を聞いてハカセに食いつく。

「アイス、買って来てくれよ。バニラで。漣の奴、拗ねてさ。しばらく買って来てくれそうにないんだ」

 ハカセの言葉に耐え切れず。俺は割り込む。

「本人の前で言うか、それ。別に拗ねてねぇよ。ただ、自分の悪い所を見ようとしない態度にイラついただけだ。あと、そんな使い走りみたいなこと他人にさせんな!」

「正当な報酬だよ。漣だって貰ってたじゃんか! ずるだよ、ずるー!」

「ガキかアンタは! 少しは大人になれって!」

「フフフッ……駄目だ。耐えられないや。ゴメン」

 いつもの様に言い争っていると高梨が笑い出して、俺は口を止めた。見られ慣れていないだけあった何だか恥ずかしかったのだ。一瞬高梨を見て、すぐに視線を逸らした。

「分かりました。今度は私一押しのアイスもってお邪魔しますよ」

「ふふーん。物分かりいいね。気に入った。この鍵は君の物だ。遠慮なく使っておくれ」

「はいっ」

 元気よく返事をすると、彼女は笑顔で右手の甲に鍵を差しこむと、自身の能力に鍵をかけた。



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後日譚。

 翌日。俺は大幅に寝坊した。ハカセと車で高梨を送り届けた後、何を血迷ったか寝てしまったのだ。寝坊するのは分かり切っていただろうに。まあ、それすらも判断することができない程に精神をすり減らしていたともいえるか。

 眠い目を(こす)りながら人通りの少ない通学路を歩く。住宅地を抜け、田んぼに囲まれた校舎が見えてきたところで、反対側の通路から数時間前に分かれた彼女の姿が目に入った。

 昨日の様なジャージ姿では無く、高校の制服姿。ひらひらと動くスカートから覗く生足は、昨日のスパッツ姿とは違った魅力を感じた。

 彼女は俺より早く気が付いていたようで大きく手を振っている。俺はそのまま歩を進めて彼女と合流した。

「おはよう高梨。奇遇だな。お前も遅刻か」

「そっちこそ。あれだけ私に釘刺した癖に、白瀬も堂々と遅刻とはね」

「いや、俺は悪くない。最近布団が気持ちいいのがいけないんだ」

「何? その言い訳、頭悪いよ」

「ああ、違いない」

 そう言うと高梨は口元に手を当てて笑い出す。確かに俺はそこまで学は無い。だけれど、何もそこまで笑わなくてもいいだろうに。

「でも良かったのか?」

「何が?」

「朝練とかあったんじゃないのか? 陸上部のエースがこんなに堂々とサボってちゃあ、他の部員に示しがつかないだろ?」

「……まあ、いいんじゃない? たまには。文句言って来たら黙らせればいいよ。「この脚に言え!」ってね」

「それこそ頭悪いだろう。話し合いとか無いのか?」

「駄目だね。やっぱり白瀬は頭悪いよ。運動部ってのは、口より先に体が動く奴らだから。頭は飾りだよ」

「飾りって、使ってないじゃんか。悪い奴より酷いぞ、それ」

「そう言われればそうだね。ああ、駄目だ、自分で言ってて面白くなって来ちゃった……」

 お腹を押さえて、数時間前に俺が揉みしだいたお腹を押さえて、またまた笑い出した。彼女の笑いのツボは意外と浅いらしい。こうして話してみるまで気が付かなかった。

 そんな彼女を見ながらふと思う。

 こうして誰かと学校に来るのはいつぶりだったろう? 

 下らない、しょうもない話で笑ったのはいつぶりだっただろうか?

 ハッキリと思い出せない。

 俺は他人とは距離を置いてしまっていた。もちろん、表面上の付き合いはある。だが同時に、彼、彼女らとは根幹の部分で分かり合えない事も自覚していた。

 自分の抱え続けている秘密を共有できないのだから。価値観が違う。それは、理解していた。

 だから俺がこれまで本気で信頼を置けたのは、育ての親であり、同じく使用者(プレイヤー)であるハカセだけだったのだ。

 だから、彼女の笑いが収まったところで、一縷(いちる)の望みをかけて、願望を口にすることにした。

「なあ、高梨。もし、さ。良かったら俺と、その……友達に、いや、知り合いに……なって貰えるか」

「へ?」

 その発言を聞いて、高梨はポカーンと口を開けて立ち止まった。それにつられて俺も立ち止まる。彼女をしばらく見つめても返答は帰って来やしない。勇気を振り絞ったのにも関わらず、その返答が沈黙だとは、あんまりではないだろうか。

「なんか、言ってくれよ」

 会話の空白に耐えかねて俺は返事を急かす。

「あ、ゴメン。急に訳分かんない事言ってくるからさ」

 俺の言葉に対してはっとして、再び彼女は話し出した。

「友達ならまだしもさ、クラスメイトの時点でもう知り合いだし。そもそも、昨日あんなことをしてきた時点でそんな段階すっ飛ばしているよね。圏外だよ」

「そうか、俺は知り合いですら、嫌か……」

「いやいや、そうじゃな無くてさ。うーん、いいや。説明めんどくさいし」

 顎に手を添えて、少し考える仕草を見せたが、腕を頭の後ろで組んで歩き出した。

「なんだよそれ。気になるだろ」 

 雑な対応に文句をたれる。俺にに対して高梨は呆れたよう顔で応対した。

「だってさ、そんなの聞かなくたっていいじゃん。恋人とか彼氏彼女関係ならまだしもさ、友達って気が付いたらなってる物でしょ?」

「これが、コミュニケーション能力を極ぶりした人間と振らなかった人間の差か……。俺にはそんな事できないよ」

 だって友達と思っていたのに、「へ? 知り合いでしょ?」とか言われた日には軽く一日休めるぐらいに傷つくだろう? そんな目に会うぐらいなら、最初っから付き離して欲しいと思うのは、きっと俺だけでは無いはずだ。

「ふーん、意外。そんな小っちゃいこと気にするんだ? ケダモノだからもっとガツガツくるものだと思ってた」

「未知には臆病なんだよ。それと、ケダモノじゃない。狼だ」

「うん。知ってた」

 この数時間でもはやお馴染みとなりつつあるやり取りをすると彼女は微笑むと、小走りで俺の少し前に出てから振り向いた。

「もし私が昨日までの私だったら、白瀬なんて教室の隅でボケっとしてる変な奴ぐらいの認識でしかなかっただろうけど」

「いきなりヒドい言い様だな」

「口を挟まないでよ」

「はいはい」

「返事は一回にして」

「はーい」

「伸ばさない!」

「分かったよ」

 高梨は腰に手を当て、ため息をついてから続ける。

「それがさ、ケダモノやら、医者の息子やら、性癖が斜め上だ、とか……」

「……もっと良いイメージは無いのか?」

「今すぐ自分の行動を思い出してみたら?」

「――――すいませんでした」

「分かればいいの」

 うんうんと俺の認識に頷く。その後「じゃあ話を戻すよ」と言った。

「でもこうして話して、意外と面白い奴だなーとか。思ってみたりしてさ」

「そりゃどうも」

「だからさ。そんな奴と友達になれて良かったなぁ、なんて思ってたのに、その矢先にあの『知り合い』発言だよ。拍子抜けというか、がっかりするよね」

「そうか」 

 俺の考える友達、彼女が思う友達。その齟齬(そご)の結果があの表情だったわけか。納得した。あまり人付き合いが無いとこういう事になってしまうから困る。

 ともかく、友達と言うのはそこまで難しい事では無いらしい。考えを修正しておこう。

「ありがとう、高梨」

「うん? 何が?」

「言いたかっただけだ。自分の中でいろいろと解決したからな」

「そっか」

「ああ」

 再び横並びに歩いて、校門にたどり着く。今の時間は授業中で人が少ない。右左へと首を動かして誰も見ていない事を確認すると声をかけた。

「じゃあ高梨。これからもよろしく。その……友達として」

 真横に手を差し伸べると、彼女はそっと握り返した。

「ん、よろしく」

 すべすべとした白魚の様な指。その感触が神経から伝わる。その感触を味わいつつ、俺は校内に足を踏み入れた。

 新しくできていたらしい友達と一緒に。

 

『異能の鍵。』 完




そんなこんなで今回はここまでです。読んで下さってありがとうございました。


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