救えずとも、希望を託す (あんだるしあ(活動終了))
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救えずとも、希望を託す
―――では、“切り裂きジャック”の定義を再確認しよう。
まず、切り裂きジャックの正体。怨霊である。
次に、“切り裂きジャック”の出生。彼ら彼女らは、数万以上の見捨てられた子供たちの恨み辛み、ホワイトチャペルで堕胎され産まれることすら拒まれた胎児たちの怨念。そういった負の想念が集合し凝縮して発生した。
最後に、後世に切り裂きジャックの犯行の動機。――胎内回帰願望。お母さんのおなかの中に帰りたい。母の面影を求めただけの、“それ”にとっては自然の帰結として、女を解体した。
―――以上を踏まえて、それでも切り裂きジャックを
…………
………
……
…
赤のアーチャー―アタランテは、ジャックたちのいた地獄を見せつけられて、懸命に訴え続けた。
助けてあげる! 助けてあげる!
だって私は救われた。女は要らないからと父親が山に捨てた赤子の私を、月女神アルテミス様は拾って育ててくださった。
私だってあなたたちと同じだった! だけど救われた! あなたたちにだって愛される資格はある! あの喜びを、どうか、あなたたちにも――!
『わかった。きみがどうしてもジャックを助けたいなら、おれが手伝う』
アタランテはハッと顔を上げ、霧に
「
―――赤の陣営のマスターたる魔術師たちは、シロウ・コトミネによって傀儡化された。けれども、その中でただ一人だけ、シロウ・コトミネの暗示から自力で意識を取り戻した強靭なマスターがいた。
その一人こそが、アタランテの召喚者にしてマスターだ。
『視覚と聴覚をきみと共有していたから、おれにもきみが体感したものが伝わった。じきにパスを辿って、きみのところに辿り着く。……ごめん。きみが苦しんでいた時に、駆けつけるのが間に合わなくて』
「いや……いいや、それより! 汝は今、この子たちを助けることができると言ったのか? 助ける方法があるのか!?』
『おれんちの魔術理念では、だね。ただ、成功させるには、アーチャー、きみに命懸けでやってもらわなきゃいけないことがある。おれは、シロウ神父の暗示が解けた時、おれを見限らなかったきみに、そんな危ないことをさせたくない。できれば、断ってほしい。諦めてほしい。アーチャー、正体がどうあれ、ジャックは殺人鬼だ。それでも?』
「この子たちは
―――“切り裂きジャック”は、倒すことはできても救うことはできない。
ジャンヌは、目の前にいる無数の憐れな幼子たちに、揺るぎなく宣告した。
「――そんな」
「やだよ――」
「こわいよ――」
「わたしたちは、わたしたちは――」
狼狽え、怯え、恐れ戦く、数万を超える小さな少年少女たち。
ジャンヌはゆっくりと掌を差し出し―――
「待て!! ルーラー!!」
ジャンヌと子供たちの間に割り込む形で、赤のアーチャーことアタランテがいずこから着地した。
ジャンヌの虚を突いたのは、アタランテが一人の少年と連れ立っていたことだ。
巻き込まれた一般人を拾った、というわけではない。何故なら少年の手には令呪があった。ジャンヌにとっては驚くべきことに、赤の陣営には
「何のつもりですか。赤のアーチャー」
「貴様にこの子たちは殺させない。この子たちは、
「――貴女も理解しているはずです。この子たちが生きるということは、
「ああ、理解しているとも。だから私たちは、貴様が今与えようとした
訝しさに眉根を寄せたジャンヌに対し、アタランテのマスターらしき少年がようやく口を利いた。
「少しだけ時間を下さい。おれと彼女が考えた方法を試すだけの、ほんの少しの猶予を下さい。失敗した時は、おれたちを殺してくれていいですから。お願いします」
少年は深く頭を下げた。これにはジャンヌも面食らった。殺していいという破格の交換条件を、少年は誠実に、礼節に則って提示した。
しかも、アタランテを見るに、彼女はマスターと意向を同じくしている。
――この二名は本当に、命懸けで、切り裂きジャックを
ジャンヌは洗礼詠唱のために上げた手を――下ろした。下ろさざるをえなかった。
アタランテはマスターをふり向いた。
彼女より背は低く、少年と呼ぶにはまだあどけなさを残す男児は、この時、アタランテよりずっと大人びた瞳で、頷いた。
アタランテは踵を返して、果ての見えない子供たちの集団の前に立ち、笑って両手を広げた。
「
子供たちは何を言われたのかすぐに理解しなかったが、理解が追いつくなり、誰も彼もが顔を輝かせてアタランテへ殺到した。
ずるりと、皮膚の内側に入り込む。一人の子が足を掴んで、彼女の血管に入り込む。一人は神経に、一人は骨に、一人は内臓に、一人は筋肉に、一人は脳髄に。
「一緒にいて」
――うん、いてあげる。
「ひとりにしないで」
――大丈夫。ずっとそばにいてあげる。
「かえりたかった。おかあさんのおなかに、かえりたかっただけなのに」
――あなたたちの望む処へ帰してあげる。
「わたしたちがわるかったの?」
――いいえ。何も悪いことはしていない。
「わたしたちがきらいだったの?」
――いいえ、大好き。
一人、また一人と入ってくる子供の問い。アタランテは一つずつ丁寧に答えを与えた。
アタランテは愛しさで胸をいっぱいにして、子供たちの霊を全て我が身に―――特に、胎に導き、受け入れた。
霧が徐々に引いていく。
アタランテは膝を突いて、腹部を両手で抱えた。
痛みからではない。―――ここにいる。子供たちがいる。誰かに滅ぼされてしまう前に、どこより安全な場所に迎え入れることができた。
これでアタランテの役目は終わった。次の工程に必要な者は、アタランテではなくマスターだ。
「みんな、おかえり」
マスターが右腕でアタランテの肩を抱き支えた。左手は、黒く淀むアタランテの腹部を優しく撫でさすっている。
「帰れたね。やっと帰って来られたね。お母さんのお腹の中に」
“ここが?”
“おかあさんのなか?”
“暗いよ”
“なにも見えないよ”
“でも、でもね――とても、あったかいの”
「よかったね。じゃあ、見てごらん。遠い先に、小さな、本当に小さな光があるだろう? そこへ向かって踏み出してみて」
“遠いよ”
“小さいよ”
“せっかく帰ってきたのに”
“おかあさんがずっと一緒って言ってくれたのに”
“ここから出たくない”
「ううん。それだけはだめだ。だって、お母さんのお腹にいるなら、次は、
霧に閉ざされた世界にあって、今のみ、天の光は雲を割り、アタランテとマスターに、福音のように降り注いだ。
アタランテの腹部にあった黒い淀みが、どくん、と打った。
でも、恐ろしくはない。
これは生命が誕生する時に一番に鳴らす音。―――心臓の、鼓動だ。
「ありがとう」
顔を上げた。そこには黒ではなく、純白の衣にくるまれたジャックがいた。
「ありがとう」
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」
ジャックだけではない。アタランテ腹から黒色が抜けるごとに、清潔な衣にくるまった子供たちの霊が、次々と産まれていく。
「さあ! 行くべき場所はもうみんなわかっているね? みんなで手を繋いで、みんなで昇って行こう。おれたちは、きみたちみんなが往くべきとこへ行くまで、目を逸らさないから」
快活な笑い声がいくつも上がった。それを皮切りに、子供たちの霊は思い思いに笑い、手を繋ぎ、光の帯が照らすほうへと走って行った。
光を受けた子供から、淡い光球となり、風船のように天へと昇っていく。
最後に残った一人――ジャックが、くるりとアタランテとマスターを顧みた。
――ありがとう、おかあさん。ありがとう、
そしてジャックもまた淡い光球へ姿を変え、青い天へと昇っていって、見えなくなった。
ジャンヌはただ眼前の光景に目を奪われた。
切り裂きジャックは救えない――
「反英雄を、説得だけで、昇華した? アーチャー、貴女は今、何を……」
「勘違いするなよ、ルーラー」
アタランテが少年に支えられながら立ち上がった。
「この奇跡を成したのは私ではなくマスターだ。あの子らを迷わず滅ぼそうとした貴様ではなく、血の通った愛を知った我がマスターだ」
「……最も身を粉にした貴女がそう言うのですね。ですが、赤のアーチャー、貴女の体はもう……」
「ああ。あの子たちの穢れは私の胎に残留した。魔術に長けたこちらのアサシンでさえ祓えまいよ。だが、いい。よかったんだ。救えないなら、せめて明るい結末を。そして健やかな未来を――希望を、託せた」
アタランテの仮初めの肉体がエーテルへとほどけていく。彼女の第二の生が終わっていく。
崩れゆくアタランテの体を、少年は抱き留めた。
少年の腕の中で、アタランテは穏やかな笑みを浮かべたまま――消滅した。
原作を読んでから、構想と草案に丸3年。
投稿するなら今しかないと思いまして、一日かけて加筆修正して上げました。
当時これを思いついたきっかけは、事前に仏教の「胎内巡り」の知識があったためでした。
この儀式は、暗くて視界の利かない地下道をお母さんの子宮に見立てて、そこを潜り抜けることで、心身を浄化し、この世に再び生まれるというのが大まかな意味です。
オリキャラまで出してしまいました。完全にご都合主義的存在です。お許しくださいm(__)m
ここまでお読みいただきました読者の皆様、本当にありがとうございました。
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