我は彼の奴隷なり (ふーじん)
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<超級>未到達編
第一話


十年振りくらいに据え置き機を購入してゲームにのめり込み。
合間合間でデンドロを読み直してたら辛抱堪らず書いてしまいました。
身内でデンドロ話で華を咲かせて疼きまくったんです、ごめんなさい。

現在も<小説家になろう>で連載中、かつ単行本を刊行中の削皮の二次創作です。
原作への愛と敬意を忘れず、最大限世界観へ迎合するよう、思いつき次第書いて不定期投稿したいと思います。


 

 □2043年某月某日

 

 その日私は、例えようのない興奮――或いは期待――を裡に秘めながら新世界へ降り立とうとしていた。

 ありきたりなヘルメット型ゲーム機。価格にして1万円前後という破格にすぎる値段設定はしかし、広告通りならば到底正気の沙汰ではないオーパーツらしからぬ価値を与えられている。

 まるで宝石を路傍の石も同然に投げ捨てるような、暴挙的すぎて違和感しかない一品。

 

「でも、これでもしどうしようもなかったら……」

 

 思い浮かべるのは数ある広告の一つ。

 痛覚を含めた五感の完璧な再現――その一文こそが私をこの胡散臭げな機器へ導いた文句だった。

 

 

 私、羽鳥霞はある疾患を抱えている。

 先天性無痛無汗症を発端とする、ある種の奇病だ。

 読んで字の如く痛みを感じず汗もかかない――のみならず、それに付随してその他の雑多な感覚を察知できない状態に生まれつきある。

 満足に機能する感覚は視覚と聴覚のふたつだけで、それゆえに私の半生は私を主観とした映画のようなものにすぎなかった。

 

 加減を知らず、痛みを知らず、危険を知らず、防衛も知らない。

 歩行はただの視点移動で、食事は温冷の区別も無い栄養補給。会話はいたずらに舌を傷つけ、一般的な活動が絶えず生傷を刻む。

 そんなだから普通の人と上手く付き合えず、社会にも適合できない私は、これまで介護を受けながら無味乾燥な暮らしを続けてきた。

 

 ……幸福だったのは、我が家が大いに裕福な家庭であったことだろう。

 資産家にして実業家の父はこんな私を大いに憐れみ、また愛してくれて、高価な映像機器などを並べて数々の映像作品をいつでも見られるように環境を整えてくれた。

 だからそれらで描写される"美味しい"、"いい匂い"などの概念はかろうじて把握している。実感と共感は伴わないが。

 

 ともあれ、そこへ嵐のように現れたのがこれ、<Infinite Dendrogram>だった。

 先にも挙げた通り、宣伝広告の一つに"五感の完璧な再現"を謳うこのゲームは、私にとって青天の霹靂と言えた。

 今もって原因の判らない奇病を患う私でも、このゲームの中でならば――もしかしたら、普通の人と同じ感覚を得られるのかもしれない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうした期待が湧き上がるのを、どうしても抑えきれなかったのだ。

 

 だから私は今日、このヘルメットを被る。

 未知なる<Infinite Dendrogram>の世界へと入門する。

 もし私が期待するほどのものでなかったなら、そのときは――――

 

 暗い考えを振り払い、機器を取り付ける。

 お手伝いさんのアシストを受け、安静を維持しつつ頭へすっぽりと。

 まぁ、感覚は無いのだけれどね。

 だけどこの意気込みだけは本物だ。

 

「…………いじゃ!」

 

 呂律が回らなかった。

 どうやらまた舌を噛んだらしい。

 

 

 ◇

 

 

「おっといらっしゃーい、新しいプレイヤーさんかなー?」

 

 意を決してゲームを起動した私の前に広がっていたのは、書斎のように見える一室だった。

 如何にも温かな……私が言うとまるで薄っぺらいな。映画的に言うと温かいというべきなのだろう内装で、これまたセンスの良い木製の安楽椅子に腰掛けた猫の歓待を受ける。

 ……猫かぁ、いかにもゲームらしい光景だ。妙に語尾を伸ばしたなんともいえない口調で、流暢な日本語を話す彼は、一体何者なのだろうか。

 

「えっ、あっ、こっ、こっ」

「なーにー?」

「こにゃ!!」

 

 ……失敗した。

 当たり障りなくこんにちはと言おうとしたのに、また噛んでしまったらしい。

 おかげで意味不明な奇声になってしまった。目の前のファンタジー猫も目をぱちくりしている。

 

「ご、ごめんなざっ……う、うまくじだまわらなぐて……」

「あ、あーあーあー、なるほどねー? これまた難儀なお客さんだー、大丈夫ー?」

「はい、すみません……」

「いいよいいよ、気にしないでー。なるほどねー、キミの目的も大体察せたよー。大丈夫、キミの望みは間違いなく叶うさー」

「そ、それって……」

 

 それは、もしかしなくても。

 そういうこと……なのだろうか?

 戸惑う私の不安を見透したように彼は笑みを浮かべ、間延びした声で自己紹介を始める。

 

「名乗り遅れちゃったね、僕は<Infinite Dendrogram>の管理AI13号のチェシャっていうんだー。よろしくねー」

「はひ!」

「うんうん、落ち着いて、焦らないでねー。ここは入り口で、ここでいろんな設定を決めてから<Infinite Dendrogram>に入ってもらうんだー。そのためにも、最初から一緒に設定していこうねー」

「た、たちゅかりまひゅ……」

 

 まさか!

 まさかこの猫がAIだなんて!

 いや、見るからに猫だから見た目人間じゃないのはわかってたけども、それでもきっと中の人がいるんだろうと思っていたのだけど……まさか完全自動?のAIだなんて。

 受け答えだとか、スムーズな進行だとか、細やかな気配りだとか、とてもじゃないけど私では及ばない高度なコミュニケーション能力……早くも<Infinite Dendrogram>の凄まじさに打ちひしがれる思いだ。

 

「それじゃあまず、描画選択から決めよっかー。現実視、3DCG、アニメ風の三つから選んでねー。今からサンプル映像流すよー」

 

 そういって彼が目の前に流したのは、それぞれ三種で描写された、同一の光景だった。

 同じ風景でも描画が違うだけで印象が全く異なる。特に現実視と3DCGの違いは、両者ともに立体映像なだけに、却って決定的な差異を感じた。

 

 私が選択するのは、当然決まっている。私の目的を考えるならば、一択でしかない。

 私はたどたどしく舌を回しながら現実視を指差した。

 

「うんうん、やっぱりキミならそれを選ぶと思っていたよー。それじゃあ次はプレイヤーネームを決めようねー」

「マグロで」

「……うん?」

「マグロどぇ」

「え、えー……それでいいのー?」

「はい」

 

 名前は、実は事前に決めていた。

 ちなみに自虐100%である。チェシャさんがマジかよって感じに一瞬チラ見したけど、マジです。

 ……我ながら、ひねくれすぎたかなぁ。

 

「ま、まぁ本人がいいなら、それで登録するよー。それじゃあマグロちゃん、次は容姿を設定するよー」

「容姿……ですか?」

「うん、キミが<Infinite Dendrogram>で活動する上でのプレイヤー……アバターだねー。老若男女を問わず、なんなら動物型でも全然アリだよー」

「ひ、人型じゃなくてもいいんですか……それは、すごいですね」

「でしょー? なにせ自由がウリのゲームだからねー、じゃんじゃん好きにカスタマイズしちゃってー。時間はいくらでもあるからー」

「なるほど……」

 

 時間はいくらでもある、か。

 私もたまの通院以外は引き篭もるばかりなので時間は有り余っている。

 なのでそのへんの事情や都合はどうとでもなる、考慮の必要はない。

 

 むしろ私の期待に応えられるだけのゲームならば。

 仮想と現実は容易に逆転してしまえるというのが私というものだ。

 ならばここは、全力でキャラメイクに取り組むべきだろう。

 

 そうなると動物型はまず除外、かな。

 性別を変えるのも、私としてリアルを追求するという目的にはやや沿わないだろうから、これも除外。

 年齢も同様だ。そうなると自ずと本来の私に近づくわけだが……

 

「あの……」

「どしたのー?」

「現実の私、を、投影することってできますか?」

「もちろんできるよー。……ほい、これでどうかなー?」

「おお……」

「現実の姿をベースにするプレイヤーは一定数いるからねー。ただ、現実そのままってのはあまりおすすめしないかなー。最低限細かいとこだけでも変えといたほうがいいよー」

「わかりました……」

 

 だんだん受け答えがまともに戻ってきた。

 ……こうして同一の人物と長時間会話をするってのも、いつぶりかなぁ。

 早くも私の中でチェシャさんへの好感度が上がっている気がする。ちょろいな私!

 

 さてさて、チェシャさんのアドバイスも踏まえてキャラメイクだ。

 私のパーソナリティは、通院する都度に毎回計測しているので大まかには把握できている。

 身長189cm、体重75kg。髪色は黒、瞳は焦げ茶。肌色はやや悪く、肌質は大いに悪し。全身に生傷の痕あり……こうして客観的に見ると、お世辞にも女らしいとは言えない身体だ。

 第一からして身長がおかしいね? スポーツ女子もびっくりの恵体だよ、持病のせいでまともに運用したことはないけど、これで健康体だったならどれだけ……と、何度羨んだことやら。

 ちなみに顔には自信アリ。完全に持ち腐れの死に設定だけどね。

 

 カスタマイズは、私の目的も踏まえて最低限にしておこうか。

 顔つき、体格などはそのままに、見栄えの悪い生傷の類だけ消して、あとは肌質も改善しとこう。

 髪色や肌色、瞳の色なんかも現実にはあり得ないカラーリングにできるようだけど、それらの部分は外見を判断する上で極めて重要な部位だ。そこを大きく変えてしまうのは()()()()()

 

 結果として出来上がったのは、細部を小奇麗に整えただけの、もしも健康な自分だったら――を体現したような私だ。

 客観的に見て、この図体だと前衛向きに思える。予定では、そうするつもりだけども。

 

「うんうん、決まったようだねー。それじゃあどんどん進めていくよー」

「はい!」

 

 その後も私はチュートリアルを進め、各種の項目を設定していった。

 初心者装備一式と初期費用を受け取り、初期装備にはオーソドックスなナイフを選び、<エンブリオ>を移植する。

 

 <エンブリオ>。

 これこそがこの<Infinite Dendrogram>における最大の特徴に他ならない。

 プレイヤーの趣味嗜好、プレイスタイル、バイタル・メンタルその他諸々から学習し、そのプレイヤーだけのオンリーワンを生み出す"可能性の卵"だ。

 私の。私だけの。私が生み出す私の可能性。私だけのモノ。左手の甲に輝く移植された卵型の宝石に目を落とし、意識して右手を動かし撫でる。

 一切の感触は無いが、何故か自然と心が暖まる気がした。

 

「<エンブリオ>の説明はいるかなー?」

「……いえ、あえて何も聞かずに行こうと思います」

「そっか。それもいいと思うよー。キミだけの<エンブリオ>、大事に育ててねー」

「はい、必ず」

 

 私がそう答えると、彼はなにが琴線に触れたのか、これまでで一番の笑みを浮かべて機嫌を良くしたようだった。

 上機嫌に地図のようなものを展開したチェシャさんは、弾む声で私に言う。

 

「それじゃあ最後に所属する国を決めるよー。光の柱があるでしょー? そこがそれぞれの国の首都の様子だから、じっくり眺めて決めてねー」

「どれどれ……」

 

 示された国は、全部で七カ国あるようだった。

 それぞれに際立った特徴があり、如何にもファンタジーらしい極端に区別された特色があるが……私が選んだのは、白亜の城が眩しい正統派中世ファンタジーな国、『アルター王国』だった。

 王国を選んだ理由に大きなものは特に無い。ただ単純に、奇を衒わずファンタジーを謳歌してみたいと、そう思っただけだ。

 

「アルター王国だねー、それじゃあ王都アルテアにごあんないー――の、ま・え・に」

「……まえに?」

「特別チュートリアルをやろっかー」

「?」

 

 状況を察せず疑問符を浮かべる私に、ぬふりと笑んだ彼は肉球付きの手を振る。

 すると、どうしたことだろうか。

 ()()()()()()()()()

 

「――――っ!? !!??!?!?」

 

 私の全身に突き刺さるこれまで感じたことのない"ナニカ"。

 苦しい――のでもない。

 心地よい――のでもない。

 否、それら全てであって、全てでない。ありとあらゆる"刺激"が私の脳髄を駆け巡る。

 これは、これはこれはこれは――――ひょっとして!

 

「すこーしずつ、すこしずつ慣れていってねー。だんだん落ち着いていくからー」

「あっ、あのっ、あのっ! これって、もしかして! チェシャしゃん!」

「勿論、キミが――マグロちゃんが期待してたものだよー。いきなり放り出すとびっくりしちゃうだろうから、あらかじめここで慣らしておかないとって思ったんだー」

 

 チェシャさんの気遣いを、私はまともに受け取れないでいた。

 待ち望んだ"刺激"。私がこのゲームに求めていた五感の一端を全身で受け取ったせいで、腰砕けになってしまったから。

 普通の人なら当たり前に感じているこの刺激……彼の口振りからすると、これでも相当抑えているのであろう感覚の覚醒と奔流に、私の全身は制御が利かなくなってしまっている。

 緩む頬、崩れる表情すら抑えきれない。否、そうした感覚を受信することにすら例えようのない快感を覚える私は、きっと傍目にはこの上なく無様に映るだろう。

 

 崩れる私を、しかし彼は優しく見守り。

 過呼吸を――ああ、空気ってこんな"味"がするんだ――繰り返す私は、彼の声に合わせて呼吸を落ち着かせ、全身の昂りをどうにか逃す。

 それでも人心地着いたときに――ああ、きっと私は相当酷い表情をしているだろう。顔面にへばりつく奇妙な感覚を両手で隠し、恥じ入るように彼へ問うた。

 

「……ごめんなさい、鏡ありますか」

「ハンカチもどうぞー。大丈夫、ゆっくりしていってねー」

 

 彼は私へ五感を授けたときと同じように鏡を取り出し、綺麗なハンカチも差し出してくれた。

 その厚意に甘えてハンカチで――これが肌触りか!――顔を拭き、初めて味わう涙や鼻水の味と感触を拭い取ってから、鏡を見て紅潮する表情をなんとか平生に整える。

 そうして鏡面に映っていたのは、現実で幾度となく見た生気の失せたマグロのような顔ではなく――今まさに魂で"実感"を堪能している、無様な女の姿だった。

 

「あり、ありがとうございまひゅ……」

「どういたしましてー。キミほど重篤なプレイヤーは稀だけど、やっぱり居ないわけじゃないからねー。なんにせよ、キミの望みが叶ってよかったよー」

 

 彼曰く、やはり私以外にも現実で何らかの疾患を抱えた人間は多いのだそうだ。

 言われてみればそれもそうか。なにせこの<Infinite Dendrogram>は世界的に売れている、今最も流行しているゲームと言っても過言ではない。

 母数が大きければその分引っかかるマイノリティも相当数に昇るだろう。中には寝たきりの半植物人間なプレイヤーや、極めて重篤な心臓病を抱える者もいるのだという。

 そんな彼らが今なお問題なくゲームを遊び続けているのだと言うのだから、最早この点において一切の心配は無用となった。

 

「ほんとうに……このゲームを信じてよかったでず……」

「泣かないでー! そんなのまだ序の口だから、この世界にはまだまだいろーんな刺激が盛り沢山なんだからー。美味しい料理とかー、いい香りのする花畑とかー、いろいろねー」

 

 なんてこった、ここはパラダイスか!

 彼の言葉ひとつひとつが私を魅了してやまない麻薬のようだ……これホンマ絶頂モンやでぇ。

 

 まだ見ぬ世界とあらゆる刺激を夢想し、じわりと汗ばむ拳を握る。

 ああ、この感触すらも愛おしい……これが生きてるってことなのか!

 そしてこれですらまだまだ一端にすぎないのであれば、この先に待ち受ける刺激はどれほどのものか……!!

 

「チェシャさん」

「?」

「私、頑張ります! 生き尽くします!!」

「……ふふふ、その意気だよー」

 

 断言しよう。

 最早私にとって、現実(リアル)とは<Infinite Dendrogram(この世界)>だ!

 

「さて、それじゃあ旅立ちの時だねー」

「ついに……!」

 

 チェシャさんの言葉に、自然と総身が震え出す。

 そんな私を見て、彼は最後の言葉を私に贈った。

 

「マグロちゃん。ここから先、キミは自由だ。何をしたっていい、何をしなくてもいい。この世界で生きるのも、この世界を去るのも自由だ。キミはキミの思う通りに生きることができる――()()()()()()()()()()()()()()()()()

「~~~~~ッ、はい゛っ!!」

「それじゃあ、キミの旅路に無限の可能性がありますよーにー」

 

 そう言うと彼は、いや、私以外の全ては夢か幻かのように掻き消え。

 私は直下に王都を臨む高空へと投げ出されていた。

 

 ……成程、自由落下ですね。

 この身体の中身が浮き上がるような感覚、ほぼイキかけました。

 

 

 




主人公がリアルで抱える症状についてですが、現実にそれらの症状を抱える方々を貶める意図は一切ありません。
あくまでも主人公の動機づけとして採用した設定であり、事実的根拠は一切存在しない、無知な作者の脳内設定によるものです。
ですので、リアリティさんを持ち出すのはどうかご遠慮願います。m(_ _)m

PS.
 この作品をご覧いただいてる方には言うまでもないでしょうが。
 「小説家になろう」にて<Infinite Dendrogram>絶際連載中です!
 書籍化も漫画化もしてるよ! きっとそのうち絶対アニメ化もするよ!!(願望)
 もうほんと最高に面白いのでみんなも読もう!!


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第二話

思いついた端から書いて、書き上げた端から投稿する。
それが私のスタイル。


 □自室 羽鳥霞

 

 

 結論から言おう。

 ()()()()()()

 

 

 □王都アルテア某所 マグロ

 

 

 高空に投げ出され、自由落下の末に王都アルテアの門前に降り立った私は、様々な刺激の濁流に呑まれ嘔吐した。

 現実での単なる視点移動にすぎない景色の変わり様とは違い、視点を移すにあたって様々に起こり得る各種物理現象が私に齎した刺激の数々は到底処理しきれるものではなく、エラーを起こした肉体は容易に私を不調に陥れた。

 

 嘔吐するにあたってこみ上げる胃液の味だとか、焼ける喉元の不気味さだとか。

 それらを全て言葉で表現するにはいくら時間を費やしても到底足りないのだけど、ここは敢えて"刺激"と総称しよう。

 ともあれ、生まれて初めて真っ当な感覚を得た私は、門前に降り立ってしばらくした今も満足に立ち上がれず、まるで死体のように大地に身を投げざるを得なかった。

 

 普通、あんな高空から着地すれば身体なんて木っ端微塵になってしまいそうなものだが、無事に降り立つまでを含めてチュートリアル、ということなのだろう。

 それよりも重要なのは、今なお全身を蹂躙してやまない刺激だ。もし最初の部屋でチェシャさんの厚意を受けていなければ、この降り立つまでの間で既に意識を手放してしまっていたことだろう。

 

 そうして大地に平伏すことしばらく。

 どうにかこうにか刺激を飲み込み終えてよろよろと立ち上がった私は、改めて周囲の景色を受け止めた。

 

 ――そのときの感動を、私は未だに言い表すことができない。

 土の香り。木々のざわめき。吹き抜ける風。

 温かい、冷たい、涼しい、気持ち良い、重い、軽い。

 誰もが当たり前のように感じ、しかし受け流している五感の彩りが、私にはこの上無い芸術にすら思えた。

 

 ふと私は、足元に落ちていた石を拾い、握りしめた。

 かつて現実で同様に動いたときはなんの感覚も受け取れず、加減知らずに力を込めた指がぽきぽきと折れたものだけど、今この瞬間には確かな圧迫を感じる。

 圧迫感を得て、しかし違和。妙な不足を覚えて思考するうち、思い当たることがあってメインメニューを開いた。

 

「あ、あった。これをONにしないとだね」

 

 見つけたのは痛覚設定だ。

 デフォルトではOFFに設定されてあるこの項目を切り替え、再び石を握り締める。

 すると今度は、大雑把に丸い石の各所に突き出た鋭角が私の手のひらを突き、得も言えぬ感触を生み出した。

 

「これが、()()ということ……」

 

 後になって振り返ってみれば、この瞬間こそが私を決定づけた契機だったのだと思う。

 香りだとか、涼しいだとか、ごく一般的な感覚よりも、その痛みこそを最大に受け止めた自分。

 

 好奇心は留まるところを知らず、握り締めるモノは自然と石からナイフに変わっていた。

 持つべき柄も持たず、無知な赤子のように刃を握る。

 裂ける皮膚、流れる血、じくじくとした熱と痛み。

 その切っ先を真正面から見据えて、高鳴る衝動に従った。

 

「――あは。あはははははは……!」

 

 意識してか否か、ナイフは私の左胸に突き立っていた。

 急速に減りゆくHP、心臓の破損、急所攻撃等々、私に起きた様々なバッドエフェクトを簡易ステータスが映し出す。

 

 そして()()

 刃の突き立つ左胸を中心に、全身を駆け巡る今日一番の"刺激"に私は脂汗を流し、膝を折って崩れ落ちる。

 

 痛み。痛み。痛み。ああ、これが痛いということ――!

 成程、たった一箇所を小さなナイフで突いただけだというのに、それだけで無駄に大きな身体は途端に動かなくなった。

 こんな、こんなものを皆は感じていたのか。

 過去に私が握手を交わしたとき、誰もが顔を顰めて私の手を振り払った。あれもきっと()()()()そうしたのだろう。見た目にはなんの傷も生じていないのに、私には理解できない"痛み"に従って。

 

 もちろん、この痛みが"本物"であるという確証はどこにも無い。

 そもそもこの痛みは、現実であれば死を意味する痛み。そして死の先を知るものが誰もいない以上、この痛みが真に死の痛みであるかなど、誰にも証明できはしない。

 

 今ここで死を迎える私は、本当の意味で死ぬわけではない。

 "デスペナルティ"を負って現実へ帰還するだけで、完全無欠に私が終了してしまうわけではないからだ。

 しかし、だけど。ただこの痛みだけは"本物"であると、去り行く私は信じたい。

 

 ――()()()()()()()()"()()()"()()()()()()

 

 強制ログアウトの間際、にわかに周囲が騒ぎ出すのを捉えた。

 ああ、そういえばここは門前だったっけ。なら人通りも多いっけなぁ……。

 薄れていく景色の中で、親切な誰かがなにかを私にしてくれているらしいのだけど、それは何の結果も出さずに光って消える。

 

 感激のあまり、ついつい"自殺"してしまったけれど、この痛みを味わえたなら後悔は無い。

 またすぐにログインすればいい――と私は思っていたのだけれど、()()()()

 

 デスペナルティの代償は、二十四時間のログイン制限。

 <Infinite Dendrogram>内時間において七十二時間、すなわち三日間の損失。

 

 現実に立ち返った私は閉ざされた感覚の中で即座に後悔し、絶望した。

 

 

 ◇

 

 

 たった二十四時間。

 以前までの私ならいくらでも無為に消費できた時間だけど、一度<Infinite Dendrogram>の味を知ってしまった今になっては、到底堪え切れるものではなかった。

 

 地獄のような二十四時間を経て、再度<Infinite Dendrogram>へログインした私。

 再び降り立った王都の門前、今度はうっかり自殺してしまわないよう、確固たる意思を己に強いる。

 メインメニューを開いてみれば、所持金がいくらか減っており、初期装備のナイフが失われていた。

 これもデスペナルティということだろう。所持品をランダムにロストしてしまうことを私は完全に失念していたが、それはまぁいい。

 所詮は初期装備、どうとでも取り返しがつくだろうからだ。

 

 それよりも重要なのは、デスペナルティそのものの重さだ。

 所持品のロスト――なんてものはどうでもいい。だが、現実に戻され、尚且つ二十四時間もそこで拘束されてしまうこと。

 ()()()()()なんとしても避けたい、真のペナルティに他ならなかった。

 

 そもそも私にとって、この甘美なる刺激の存在しない"現実"とは、本当に現実だろうか? ――そんなわけがない。

 "刺激"という絶対原則をこの身に焼き付けた以上、最早"現実(リアル)"とは<Infinite Dendrogram>に他ならない。

 二十四時間の地獄を経て私は改めてその事実を思い知り、この<Infinite Dendrogram>で生きていく上でデスペナルティこそを最も忌むべき要素として設定した。

 

 しかし一方で――私自身、非常に不可解であるとは重々承知しているのだが――あの"痛み"を忘れられない自分がいた。

 デスペナルティは恐ろしいが、それに至るまでの痛みは拭い難く印象的で――正直に言うと、いっそ"魅力的"と言っても過言ではないほどに忘れられないものだった。

 

 そう思うと私の手はごく自然にメインメニューへと伸び、初期装備を探そうと――ああいや、ナイフはロストしていたんだった。

 代わりにまた石ころを拾って、思いっきり握り締める。すると手中から突き刺すような刺激――痛み。ああだけど、これじゃ全然。

 むずがるように石を握った手を額に打ち付け、衝撃。視界がチカチカと明滅するような変化と、確かな痛み。ああだけどこれでもない。

 ならば次はと手を振り被ったところで、私の手を止める何者かの介入があった。

 

「待ちなさい! 一体どうしたんだねキミは。いきなり自分を殴りつけたりして、思わず手を出してしまったよ!」

「えっ? あっ……」

「ここ最近の<マスター>の奇行は珍しくもないが、キミはいくらなんでも()()()()のように見えるよ。まったく、少しは落ち着きたまえ」

「すっ、すみま……」

 

 私の手を止めたのは、門前の番をしていた兵士……と思しき人だった。

 あるいは騎士と言うべきか、白色の鎧を纏った彼は、このアルター王国に所属する者なのだろう。

 口振りからして私達プレイヤー――<マスター>とは異なる、この<Infinite Dendrogram>の原住民、ティアンであることが窺えた。

 

「ひょっとしてキミは、三日前にここで自殺した<マスター>かい? その日当番だった者が噂していたよ。いくら恐れ知らずの<マスター>とはいえ、躊躇なく自殺した者は初めてだ――ってね」

「あっ、はい……そのとおりです……」

 

 改めて指摘され、私はそこでようやく恥を悟り、思わず身を竦めた。

 確かに彼らからしてみれば、いきなり目の前で自殺する人間がいれば、そりゃあびっくりするだろう。

 今更ながら客観的に見て、自分がどれだけおかしな真似をしたのかがよく分かった。

 

 しおしおと縮こまる私に、門番のその人はなんとも言えない苦笑いを浮かべて、諭すように言った。

 

「……まぁ、さっきも言った通り<マスター>の奇行は珍しくもない。我々ティアンとは事情を異にしているのも承知している。とはいえ、街中であのような真似は謹んでくれたまえ。我々としても出動せざるを得なくなるのでね」

「で、ですよね……」

 

 まったくもってその通りだ。

 少なくとも街中でうっかり自傷行為に移ってしまうのは厳に戒めよう。

 

「見たところキミは全くの初心者のようだね? ここ最近はキミのような新たな来訪者は決して珍しくない。だからある程度キミを手助けすることもできる。まずは王都へ入ってなんらかのジョブへ就くといい。生憎私は案内できないが、誰かに訊けば快く教えてもらえるはずだ」

 

 そう言われてみて、そういえばまだなんのジョブにも就いていないことを思い出した。

 このゲームは複数のジョブに就くことができ、それらのレベルを上げることで強化を重ねていくものだ。

 就いた各種ジョブの合計を、そのまま合計レベルと呼び、大まかな強さの指標とする。当然、いろんなジョブのレベルを上げて合計値が高いほど強いというわけだ。

 

 それを踏まえれば現在無職の私は所謂最低ラインにすら達してないわけで、合計レベルも堂々の0だ。

 それなのにいきなり自殺を図るとは、私の事情が事情とはいえ随分と奇特に映ったことだろう。

 

 ともあれ、こうして親切に教えてくれる者がいる以上、彼の提案に従うべきなのは間違いない。

 私はこの<Infinite Dendrogram>を自由に生きるつもりだが、そのためにはまだ何の準備も整っていないのだしね。

 

 私は親切な門番さんに何度も頭を下げてお礼を言いながら、いよいよ王都の中へと踏み入った。

 

 

 ◇

 

 

 王都に踏み入った私は道すがら目的地を尋ね――実は結構、勇気を振り絞ったけど――無事到達。

 そこで諸々の手続きを終え、晴れて第一のジョブに就くことができた。

 選択したジョブはオーソドックスな【戦士】。他にも【蛮戦士】や【魔戦士】などの派生下級職もあったけれど、とりあえず奇を衒わずわかりやすい形でやってみようという試みだ。

 

 最初のデスペナルティでいくらか減ったとはいえ、初心者向けの低質武器を買うだけの余裕はまだある。

 寄った武器屋で相談したところ、まったくの不慣れであることを察した店主は、とても使い勝手がいいという棍棒の一種を提案してくれた。

 成程、これなら握って振り回すだけでいいと。確かに刃物を使うとして、ちゃんと斬るにも最低限の扱いがあるというものだけど、これなら不格好でも当てれば最低限のダメージは与えられるはずだ。

 

 私は意気揚々と店主に勧められるまま購入し、きちんと装備して街を出た。

 生憎と防具は買えなかったが、こちらは幸運にもロストせず初期装備一式を保持したままでいる。

 

 ウキウキと沸き立つ気持ちを抑えきれないまま、近くにあるという最下級モンスターの狩場へと向かい――見つけた。

 いかにも初心者向けのお手本のようなそのモンスターの名は【リトルゴブリン】。

 レベルにして1のまったくの初心者でも狩れるというチュートリアルモンスター一匹を前に、私は棍棒を構え――。

 

「ていっ!」 すかっ

「GIGYAッ!」 ボコッ

 

 ……あれ、おかしいな。

 慣れてないからかな、もう一度!

 

「せいっ、はぁ!」 すかっすかっ

「GIGIッ!!」 ボコッドシャッ!

 

 ――全然当たらない……。

 なのに向こうの攻撃はしっかり当たる。一撃で死なないあたりさすがチュートリアル用って感じだけど、痛みはバッチリ伝わってくる。

 向こうは当然私を殺すつもりで殴っているのだから、その痛みは相当のものだ。私のHPが底値に近づくほどに、その痛みは飛躍的に増していく。

 

 痛みそのものは、いくらでも我慢できるんだ。

 むしろ痛みが増すほどに、その……はしたないかもだけど、実は気持ちよくなってきつつあったりするのだけど。

 その痛みを乗り越えて攻撃に転じても、まるで当たらない。私も敵も全くの本気なのに、私の攻撃だけがへなちょこすぎて、まるでお遊びのようにすらなりつつある。

 私のへなちょこぶりを敵もついに察したのか、ニンマリといやらしい笑みを浮かべて、いよいよ嬲り殺しにしてきた。

 

 ――地獄の二十四時間、再来。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 結論から言うと、私は失敗した。

 この<Infinite Dendrogram>に期待したことではない。

 そこで生きようとする私の目論見こそを失敗していた。

 

 当初私は、この<Infinite Dendrogram>で自由に動き回り、華麗にモンスターを退治して、当たり前のように強くなっていくつもりだった。

 武器を防具を、スキルを使いこなし、ゲームとして当然のように"戦う"。

 

 そう、()()()つもりでいたのだ。

 ところが現実は、そんな幻想を真っ向から打ち砕いた。

 

 率直に言おう。

 およそ私に、世間一般的に"運動神経"と呼べる類の素養は、一切備わっていなかったのだ。

 

 冷静にならずとも、よくよく考えてみれば当然の話だ。

 私は今まで、ちゃんと動いた経験が皆無だった。

 視覚と聴覚以外の全ての感覚を持たずして生まれてきた私は、"運動"というものを実感してこなしてきた経験が無い。

 勿論、知識としては知っている。視覚と聴覚しか動かせない私の楽しみは、映像作品全般だったのだから。そこには当然戦闘を主としたものも含まれている。

 だけどそれは、見聞きして知っているだけで、私の経験ではない。体験すらもしていない。

 

 現実の私は日常の殆どを寝たきりで過ごし、食事も排泄も機械任せの人任せの、人形のようなイキモノだ。

 そんな私が、五感を得たからといって……どうして他の人と同じように動けるものだろうか。

 こうして自発的に立ち歩きできることさえもが奇跡なのに、そこから更に運動を――ましてや戦うための動きなどを、できるものか。

 

 初の敗北、二度目のデスペナルティ。

 二度目の現実という地獄を経て、そのときはまだ納得しきれなかった私は再び【リトルゴブリン】に挑むも……その結果は、惨敗。

 私は、倒せて当然の相手にすら勝てない、そもそも戦いのステージにすら上がれない、究極的な"運動音痴"だった。

 

「……………………」

 

 三度目のデスペナルティを終えて、ログイン。

 二十四時間の地獄から解放されて五感を愉しむ身体とは裏腹に、私の心は晴れない。

 或いはこれを"心の痛み"と言うのだろうか。肉体的なそれとは違い、物理的作用は一切無いにも関わらず、単なる痛みよりも尚耐え難い得も言えぬ感覚に、私は打ちのめされていた。

 

 既に九日間もの時間を浪費してしまった私は、大きく出遅れてしまっていることだろう。

 いや、それはいい。問題なのは独力ではそれに追いつけないという点だ。

 最下級のモンスターとすら満足に戦えず、あまつさえ惨敗するような<マスター>。かといっておとなしく非戦闘系ジョブに就くこともせず、パーティに居れば寄生プレイ待ったなしのお荷物要員……。

 

 そう、私は今でも戦いを諦めていない。

 ログイン初日、自殺したとき。

 ログイン二日目、初めて戦ったとき。

 自分から、敵から激烈な"痛み"を味わった瞬間の絶頂を、私は未だ忘れられないでいるからだ。

 あるいは最下級でありながら確かな殺気を伴って私を殺したモンスターへの……憧憬か。

 いずれにせよ、私がこの世界で求めることと戦いは不可分であると言えた。

 

 本音を言えば、私自ら矢面に立って直接戦いたい。

 だけどそれは私の事情で叶わず、誰かに戦いを託すしかない。

 そしてそんな私を戦闘へ連れて行ってくれる物好きな人間などおらず、私一人では赴くことすらできない。

 

 つまるところ、私が求めているのは。

 

 私という荷物を抱えて戦場へ赴き、

 私の代行として戦いを繰り広げ、

 私の糧となってくれる。

 

 そんな、どうしようもなく都合の良い、一笑に付すべき度し難い戦力だ。

 ……或いは、こんなどうしようもない私を受け入れてくれる誰か、を。

 

「あるはず、ないよねぇ……」

 

 我ながら本当にどうしようもない、わがままだ。

 現実なら、父の雇った人員が私の言うとおりに動いてくれる。

 だけどここにはそれがない。私は確かに"自由"を得たが、だけどそれを行使する力が無かった。

 

 ……諦めるしか、ないのかな。

 でも、諦めたくないんだ。だって待ちに待った私の理想郷だもの。

 せっかく手に入れたこの幸福を、追求せずに妥協したまま安穏と過ごすなんて……

 

「冗談じゃない――!!」

 

 悔しさに唇を噛み切って、その痛みを味わった刹那。

 

 

『それがそなたの望みか。汝まことに度し難く、傲慢であるが……しかしその意気や良し』

 

 

 どこからともなく、声が聞こえた。

 それは確かな自信に満ちた女性の声音で、聞くだに圧倒されるような、モンスターの殺気とも異なる迫力の漲る言葉だった。

 

 気づけば、左手の<エンブリオ>――卵型をした宝石が消え失せ、代わりに紋章が刻まれていた。

 その意匠は、例えるなら"血を流す乙女"、だろうか。タロットの刑死者のようにも見え、随分と剣呑な印象に思える。

 

 そして一方で私の前には……いつの間にか、見知らぬ少女が立っていた。

 その造形はゾッとするほど美しく――その小柄に合わせるなら"可憐"と称すべきなのだろうが――冷徹な瞳の奥に燃え盛る炎を宿しているように見えた。

 

「そなたが願い、余が応えた。余はそなたの心の奥底より生まれしモノ。<エンブリオ>、メイデンwithガードナー――名を、テスカトリポカ」

 

 ――これが私の……

 

「末永くよろしく頼むぞ? 我が<マスター>よ」

 

 これが私の、エンブリオ。

 私の選択は、失敗ではなかった――!

 

 




動機的に察していた方が殆どでしょうが。
主人公の<エンブリオ>はメイデンでした。


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第三話

デンドロっぽさが表現できてるといいな

・一部修正
固有スキルの効果を「戦闘中HPを消費し続け、攻撃命中時に一定の割合で回復する代わりに<エンブリオ>を強化する」というものに変更。
イメージとしてはディアブロ3バーバリアンのフューリーみたいな感じで。


 □マグロ

 

 

 メイデンwithガードナーのテスカトリポカと名乗った彼女を改めて見る。

 ついさっき感じたばかりだが、見れば見るほど美しい少女だ。

 身長は目算で150cm程だろうか、私と比べてすっぽり抱きかかえてしまえそうで、なんとも愛らしい。

 肌の色は黒……に程近い、濃い目の褐色。髪は長く腰まで伸びて、黒々と艶めくそれはまさしく鴉の濡れ羽めいて美しい。

 瞳は……宝石に例えるならそう、黒曜石が最も近いと思う。ガラスのように透き通った瞳は、漆黒の中に僅かな光を内包して妖しく揺らめいている。

 

 だが最も特徴的なのは、その装いだろう。

 肌を惜しげもなく露出し、僅かに局部を隠すのは黄金色をした装飾品に、薄い腰布。

 小柄にしては肉感的な起伏は紛れもなく"女"を香らせるもので、堂々とした佇まいや冷徹な表情と相俟って、さながら女王の如き威風を思わせる。

 

 総評して、エキゾチックな魅力に満ちた小さな女王、と言ったところか。

 フィクションで描かれる南米っぽい地域の住民のようにも見えるが、顔つきはしっかりと西洋のもの。

 ダークエルフっぽいとも言う。

 

「そなたの視線は甚だ不躾ではあるが、その賛辞は受け取ろう。余の美貌を余すことなくその目に焼き付け、余への忠誠を確固たるものとするがいい」

 

 ……見た目通り、気位も相当高そうだ。

 

「当然であろう? そなたは己の無力を嘆き、しかし尚も血肉を希求して代行者を願った。それに応えたのが余であるならば、余はそなたの庇護者であり、爪牙であり、女王である。即ちそなたは余への奉仕者に他ならず、助力を乞う代償として心から余に仕えるべきなのは自明の理よ」

 

 相当なんてものじゃなかった、これは暴君だ!!

 

「如何にも、この身は暴君である。――さて、いつまで余を見下ろしておる? 頭が高い、跪け」

 

 超展開に呆然としながら私の<エンブリオ>を見つめていると、そう不快げに吐いたテスカトリポカが私の足を払い、咄嗟に手をついて膝をつく私の背に腰掛けた。

 ちゃちな防具越しに感じる柔らかさにドキリとしたのは、秘密。ていうかこの子、ほとんど水着みたいな格好だから感触がダイレクトすぎる!

 ……正直、気持ちいいかも。こういうのを「柔らかい」って言うのかな、確かに実にナイスな……

 

「内心が漏れておるわ、愚物が。言っておくが余はそなたの心の裡より生まれしモノ、即ち一心同体であり一切の秘め事は通用せぬと心得よ」

 

 なん……だと……!?

 ついさっきまでのグヘヘな私の内心が筒抜けとな!?

 あっ、いたっ、いたい! 横腹をつねらないで! すみませんすみません、静粛にいたしますカトリ様!

 

「分かればよい。しかしなんだその呼び方は? ……まぁいい、それくらいの不遜は赦そう。他ならぬ余の半身であるからな、光栄に思うがいい。――さて、説明を始めるぞ?」

 

 あ、愛称は許してもらえるんだ。

 テスカトリポカって妙に長くて言いにくい名前だったから、つい咄嗟に呼んじゃったけど、よかった。

 確か南米の神様の名前だっけ? フィクションでは割と聞くけど、やっぱり南米っぽいのはそれがモチーフだからかな?

 

「余の根底となった印象については今はよい。それよりもこの世界における余の位置付けについてそなたに説明せねばならぬ。拝聴せよ」

「へ、へへぇっ!」

「あと、そなたは無理に喋らずともよい。耳障りだ」

 

 それって心のなかで話せってことです?

 ……あ、はい、そうなんですね、わかりました。だから蹴らないでください。

 その……変な気分になります……。

 

「我が<マスター>ながらまこと度し難い愚物よな。……ともあれ、まずは余の<エンブリオ>としての特性から語らねばなるまい。先に述べた通り、余のカテゴリーはTYPE:メイデンwithガードナー。このメイデンとは人間としての姿を基本形態とすることを表し、本質はそれに続く"ガードナー"の部分だ。このガードナーとは人ならざるモンスターとしての形態を持つことを表し、その性質は<マスター>を護衛することにある。……ここまでは理解できたな?」

 

 ま、まぁそれなりには。

 要は仲間モンスターみたいなものだよね。<マスター>は私だから、つまりカトリ様は私に従うポ◯モンみたいな……ごめんなさい、不遜を申しました!

 

「そなたの認識には異議あれど、概ねその通りだ。そなた自身痛感しておろうが、そなたは戦いにおいて無力でありながら尚も闘争を求め、その代行者として余を創造した。余の特性はその願いに応え、戦いに特化したステータスとなっている」

 

 私がお荷物な分、その不足を補う形で強いってことか。

 

「如何にも。とはいえ、言葉だけでは実感も湧くまい? メインメニューを見れば数値として表示されようが……ふむ、それも些か無粋、か」

 

 とりあえず、強いってことはわかった。

 メインメニューで確認できるってこともわかったけど、姿勢的に無理なので見れない。

 

 ……と思ってたら、カトリ様は私の背から降りた。

 これって、もう起き上がってもいいのかな? また跪けっつって足払い食らったりしない?

 

「何をうつつを抜かしておる、ついて参れ」

 

 あっはい、只今参ります。

 釈然としないけど、彼女だけが私の頼みの綱だ。甘んじて受け入れるしかあるまい。

 ……ドキドキしっぱなしなのは気のせいだっ!

 

 

 ◇

 

 

 カトリ様の三歩後ろ(横に並ぼうとしたら蹴られた)を維持しながらついていき、辿り着いた先は因縁深い【リトルゴブリン】との激闘の地だ。

 ……【リトルゴブリン】と激闘って。しかも負けてるって。改めて考えても雑魚すぎない私?

 

「都合良く一匹いたな。我が下僕、あそこに【リトルゴブリン】が見えるな?」

 

 ついに下僕認定までされてしまった。いやいいけどね。

 さておき彼女の声に従って見渡してみると、確かに【リトルゴブリン】が一匹、少し先にいるね。

 向こうはまだこちらに気づいておらず、粗末な木の棒を携えながら、うろちょろとしている。

 と思ったらカトリ様が小石を投げて挑発した。当然向こうも気づく。

 

 いきりたって猛然とこちらへ走ってくる【リトルゴブリン】。

 棍棒を振りかぶり、あわらカトリ様の頭が殴られようとしたところで――

 

「そなたなら、為す術もなく攻撃されていただろう。だが余は一味違うぞ?」

 

 棍棒を握る右腕を掴み上げ、余裕の表情で【リトルゴブリン】を捻じ伏せるカトリ様がいた。

 確かに、この時点で私よりも遥かに強いことは明確だ。私ならどうすることもできず殴られて昏倒していただろう。

 というか掴み取る動きがよく見えなかった。

 

「ステータスの差だな。ガードナーは個別にステータスを有し、<マスター>とは独立している。余のAGIと比べてそなたのAGIが下回るが故、捉えきれなかったのだろう。とはいえそこまで明確な差ではないはずだが……そなたの目が相当に節穴であるということだろうな」

 

 すみません、現実では映画とかしか娯楽がなかったんです。

 おかげで決して目がいいとは言えない。

 とはいえ向こうでの視力とかはこの世界では関係ないとは思うんだけど……。

 

「そして余の攻撃だが……この通り」

 

 カトリ様の返礼は拳。

 裏拳のように【リトルゴブリン】の顔面を打ち据えると、大きく陥没させて吹き飛ばした。

 ドチャッていうエグい音がして、思わず【リトルゴブリン】に撲殺されたことを思い出して、身震いする。

 

 あ、【戦士】がレベルアップしてる。

 今の一撃で【リトルゴブリン】を倒したのか。まぁ見るからに致命傷だったし、当然かな。

 

 だけど……成程、これがカトリ様の、私の<エンブリオ>の力か!

 正直言って、すごい。私なんかでは足元にも及ばない隔絶した強さ!

 敵が最下級のモンスターだったとはいえ、レベル0で事も無げにあっさり倒してしまえるのは、確かな成長性を思わせてならない。

 いける、カトリ様となら間違いなく私は強く――

 

「何を勘違いしておる? 今のはほんの戯れにすぎぬ。本番はここからよ」

 

 そんな私の甘い認識を打ち破って、カトリ様は駆け出した。

 ……あれ? 今なんかシルエットがおかしかったような?

 

 そう訝しむ間もなく、ややもして新たな影が私の前に飛び出した。

 

 

『これが余のガードナーとしての姿よ。ククク、人ならざるとはいえ美しかろう?』

 

 

 それは大きなジャガーだった。

 暗い灰褐色の毛皮に、より濃い黒の斑点模様を散りばめた黒いジャガー。

 現実のジャガーよりも二回りほど大きな身体は、私が乗ってもびくともしなさそうなほど見るからに頑強で、全身を覆う筋肉の隆起はこの上なく頼もしい。

 

 口元には仕留めてきた【リトルゴブリン】の亡骸を咥え……まじまじと見てると、それを私の前に投げ落とした。

 ……ちょっと、猫っぽいと思ったり。いや、ネコ科だけど。

 

『またぞろ不遜なことを考えているな、戯けめ。……ともあれ、これが余のガードナーとしての姿である。……そなたの知識を見るには、これは余の名の元となった神の化身でもあるらしいな? ククク、なかなかによい趣向ではないか。余は気に入ったぞ』

 

 そう言って、獣の顔でニンマリと哂うカトリ様。

 仕留めたばかりの【リトルゴブリン】の血肉の香りが、吐息となって顔面を擽る。

 ……失われたばかりの"命"の香りが、私を撫でた。その感触は、これ以上無く生々しい。

 

『さて、余の力量は見ての通りだ。しかし、これではまだ本領を発揮したとは言えぬ』

「これ、以上……?」

 

 思わず驚きが口をついて出てしまった。

 しかしカトリ様は咎める素振りを見せず、そんな私の反応こそを待っていたように愉しげにまた笑んだ。

 

『そうだ。<エンブリオ>最大の特徴――固有スキルというやつだな』

 

 なる、ほど……?

 聞く限りでは、そのまま各<エンブリオ>ごとに固有の、オリジナルのスキル……ってことかな。

 

『如何にも。当然、余にも固有スキルが備わっておる。そなたの奥底の願望を叶えるべく、自ずと生じた"力"がなぁ……?』

 

 …………?

 妙におかしな言葉尻というか、嘲笑うようなニュアンスに聞こえたのだけど、気のせいかな?

 ……あ、気のせいじゃないですね。めっちゃ顔近づけてニマニマしてますもんね、それ絶対いじめっ子の顔ですよね。

 

 

『――喜べ、我が下僕。そなたは余の"贄"だ』

「…………はいぃ?」

 

 

 ◇

 

 

「ァァァァアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――!!?!!?!?」

『クハハハハ……そうだ、喜べ! そなたの待ち望んだ"痛み"だ! ククク、よい囀りよなぁ……? そなたもさぞ甘美であろう?』

 

 こいつ暴君なんかじゃねぇ、ただのサディストだ!!

 こいつが私の"命"を吸い取る度、HPはガリゴリと減少していき、それに伴って激烈な痛みが全身に生じる。

 痛みはHPが底値に近づくほどに凄惨さを増していき、かと思えば俄にHPが回復したりして、それがまた無差別な緩急を生み出して慣れる暇すら与えない。

 

『好いぞ、好いぞ……余の牙、余の舌に広がる命の味わい、なんと甘美なることか! そなたが余に()()()()()程に我が五体は活力に満ち満ち、この上ない昂りに奮えるというものよ!!』

「ヒギィイイイイイイイイイイイイ――!!!?」

 

 テンションMAXなカトリ様が上機嫌に高笑いし、高速で狩場を駆け巡って手当たり次第に獲物を屠っていく。

 減って減って増えて増えて減って増えて増えて減って――忙しなく増減を繰り返すHPを尻目に、全身を駆け巡る痛みに絶叫しながら五体を投げ出し、喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。

 

 カトリ様――"狂獣姫"テスカトリポカ、第一形態の固有スキル。

 それは「<エンブリオ>を強化する代わりに戦闘中持続的にHPを消耗し続け、<エンブリオ>の攻撃命中時に一定の割合でHPを回復する」というパッシブスキルだった。

 

 ……そう、パッシブスキル。常時効果。

 それはつまり、カトリ様の戦闘中ずっと絶え間ない消耗と回復を繰り返し、無作為な痛みの波を味わうことに他ならない。

 その名もズバリ《贄の血肉は罪の味》。この場合の贄とは、前者の効果においては私、後者の効果においては敵、ということだろう。

 

 先程の説明時には効果を実感できなかったのは、消耗する間もなく【リトルゴブリン】を仕留め戦闘を終わらせていたからだった。

 今は【リトルゴブリン】の巣に突っ込んだせいで四方八方から攻め立てられ、結果として戦闘が途切れることなくHPが増減を繰り返しているというわけだ。

 

 トンデモねぇにも程がある!?

 いや確かにカトリ様は第一形態、しかも超低レベルの私のガードナーにしては異様に強いけれども!

 その理由がこれってどういうことだ! なんでこんな効果になってんだ!! ほとんどデメリットスキルじゃねーか!?

 

『ククク、そうかぁ……? そなた、本当にそう思っておるのか……? 余は言ったな、余の全てはそなたの願いによって生まれたと……クハハハハ、目を背けるなよ、我が下僕……いやさますたぁ……? そもそも、そなた――』

 

 痛みに喘ぎ、蹲る私の前に降り立って、口付けを交わすような距離で妖しく囁いたのは。

 

『そんなに厭うなら、痛みを感じぬようにすればよいではないか……』

「…………そ、それは」

 

 言われて、呆然とし。

 当たり前のように、痛覚設定をOFFにするという発想に至らなかった事実に、愕然とする。

 いや、だって、それは――

 

 

『ククク、それが答えよ。なぁますたぁ……? そなたが真に望んでいた戦いとは、こういうものよ』

 

『殴れば痛いし、殴られても痛い。つまるところ闘争とは痛みの売買に他ならず、彼我の痛みの多寡によって勝敗を決する商いのようなもの……それを己が手を汚さずして味わいたいというそなたの望み……』

 

『それを過不足無く、余すこと無く味わい尽くせる()()()。至極真っ当で、妥当なものではないかぁ?』

 

『現にそなた……ククク、それが痛みに恐怖する者の表情(カオ)であるものかよ』

 

 

 ……………………改めて指摘されると恥ずかしいからやめろォ!!

 

 ああもうわかりましたよ! 認めますよ! これが私の望みだったって!

 ええそうですよどうせ私は変態ですよマゾヒストですよ! 現実があんなだからってこの世界でこんなスキルと<エンブリオ>を目覚めさせちゃうようなド変態ですよ!!

 だからなんだ! うっせーバーカ!! 私から生まれた<エンブリオ>のくせにわざわざ口に出して今更言うな!!

 

『ククク、なぁに……余は何も咎めはせぬさ。言ったであろう? 余はそなたより生まれたのだと、そなたの心底などとうに見透しておるとも。そんなそなただからこそ余は悦びに打ち震えるのだ……王たる余が矮小なそなたに伴侶のように寄り添い、奴隷のように奉仕し、兵の如く闘争を代行する……その理由の全てが、そなたにこそ在る』

 

 クッサ! はークッサ! なに言ってんのクッサイわぁほんと!

 私から生まれたエンブリオのくせにカッコつけすぎ! 気取りすぎ!

 ほんともう困るわー! カーッ、困っちゃうわー!! ……………………大好きっ!

 

『余も同感だ。そなたはまこと醜く、見ていると嫌悪に陥りそうになるが……それを補って余りあるほど、好ましいのも事実。余もそなたを愛しておるよ』

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その後私達はカトリ様の気が済むまで戦闘を続け――

 最初のジョブに選んだ【戦士】のレベルが10に達したころ、このジョブが私のスタイルと全く噛み合わない死にジョブであることを思い出し、リセットした後王都へ戻って【従魔師】へ新たに就いた。

 

 当然その【従魔師】も、カトリ様の気が済むレベルまで上げた。

 すげー痛い(小並感)

 

 




【狂獣姫 テスカトリポカ】
<マスター>:マグロ
TYPE:メイデンwithガードナー 到達形態:Ⅰ
紋章:“血を流す乙女”
能力特性:生贄(サクリファイス)
スキル:《贄の血肉は罪の味》
モチーフ:アステカ神話における生贄を求める神"テスカトリポカ"
備考:褐色エキゾチック少女。ロリではない。露出過多。ドS。<マスター>が成人済みなのでエロい
食癖:(レア)しか食べない。専ら果物を常食

※枕詞を「狂神女王」から「狂獣姫」に変更(最初期としては大仰すぎたため)


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第四話

・2019/09/13 加筆修正
 主人公の<エンブリオ>によるステータスのマイナス補正の内容を変更。

 理由:基本仕様としてのマイナスステータス補正はTYPE:ボディの共通仕様だと判明したため。
 修正:固有スキル《人身御供》を習得。本来のステータス補正をゼロにした上で、このスキルの効果により全ステータス補正にマイナス修正を適用。
 結果:ステータスのマイナス補正の理由を変えただけで、修正の前後で主人公の戦力に変更はありません。


 □【高位従魔師】マグロ

 

 

 カトリ様は、私自身の不足を補うが如くなにかと器用な<エンブリオ>だった。

 まず初めて孵化した時と同様に、戦闘の全ては彼女が代行してくれている。

 野を駆け、敵を察知し、追い詰め、蹂躙する。さながら本物の野生動物のように鋭敏な感覚を以て、極めて効率的に討伐数を重ねていく彼女のおかげで、私は戦わずして多大な経験値を獲得できている。

 レベリングも他の<マスター>と比べて素早く、私は早くも【従魔師】をレベル五◯まで上げ(カンストし)、他にも幾つかの下級職を育て上げた後、直接の上級職である【高位従魔師】に就いてそのレベリングへ移っている段階だ。

 

 客観的に見て、私のカトリ様は他の<エンブリオ>と比べて妙に強い。

 同じガードナーでも頭一つ抜きん出たステータスは、彼女だけを見れば一種のチート(ズル)のようにも思えるだろう。

 

 だが当然のことだけど、何の代償も無しにそのような恩恵を受けられるはずもない。

 一番最初に覚えた固有スキルの影響もあるにはあるけど、あれだけで今ほどの強さを得られるわけがない。所詮はスキルだしね。

 カトリ様の()()の背景には、必ず私の()()があった。

 

 それは<マスター>へのステータス補正。

 通常、如何に適正が低くとも少なからずステータスを底上げする筈の補正が、私の場合は()()していた。

 元々ステータス補正がゼロだった私の<エンブリオ>だけど、カトリ様が第三形態に進化する際に覚えた固有スキル《人身御供》。全ステータス補正にマイナス修正を与える代わりにカトリ様へ特殊な成長補正を与えるスキルによって、私がジョブレベルの上昇によって得るステータスは本来よりも大きく減少している。

 そしてそのマイナス補正は進化を重ねるたびに一層深刻化し、<マスター(わたし)>はより弱く、一方で<エンブリオ(テスカトリポカ)>はより強くなり続けていた。

 

 おかげで私のステータスは上級職にありながら非戦闘系の下級職にすら劣る数値で、私自身の運動の才能の無さによって、このゲームを始めたてのルーキーにすら惨敗を喫する有様だ。

 およそ戦闘において無敵を誇るカトリ様が敗れる一番の理由は、<マスター>たる私が先に死ぬことによるものが殆どだった。

 

 つまるところ私達の戦闘力はあまりにアンバランスで、最強のテイムモンスター(ガードナーは分類的にはそうなる)と最弱のマスターという、相手によってはカモでしかない歪さに彩られていた。

 

 そんなスタイルだから、戦闘時の私の役割はひたすら《贄の血肉は罪の味》の痛みに堪え、気配を殺して隠れ潜むことになる。

 隠れるのに秀でたジョブにも就いていないから隠れるのはほとんど気休めで、大抵は見つかる前にカトリ様が戦闘を終わらせてくれるのだけど、たまに強敵相手にカトリ様の手が間に合わず見つかって殺されてしまうこともあった。

 そうして失意のうちにログアウトして、二十四時間を耐え抜きログインすると、カトリ様からはこっ酷く叱られ、だけど最後には心配してくれるのだった。

 

 とにもかくにも、私の<Infinite Dendrogram>における生活の全ては、カトリ様に依存していると言っても過言ではない。

 そのため私の生活の殆どはカトリ様への従事に費やされ、昼も夜も無く日頃私のために働いてくれるカトリ様に恩返しをすべく、あの手この手でご奉仕するのだった。

 

「ほれ下僕、左右に蛇行しておるぞ。まっすぐに進まぬか、この戯けめ」

 

 だから、そう……

 

「レムの実だ、レムの実をはよう買って参れ!」

 

 この扱いは……

 

「好いぞ、好いぞ……少しは上達したではないか……。もそっと上を重点的にな……」

 

 恩、返し……

 

『うむうむ、やはりブラシは毛先が硬いものに限――』

「っしゃあオラァイ!!!」

『ぬわーっ!? な、なにをするかー!』

 

 いくらなんでも甲斐甲斐しすぎなんじゃい私ぃ! 奴隷か!!

 思わずブラシも投げ捨てるわ!

 

 ガードナー形態でブラッシングされるに任せていたカトリ様が、毛並みを逆撫でるブラシの勢いに驚いて飛び上がる。

 あれから更に一回り大きくなった黒いジャガーに取り押さえられじたばたともがく私。

 ステータスに差がありすぎるせいでビクリともしない、これだからガードナーは!

 

 戦闘力のほぼ全てをカトリ様に依存する私は、戦闘外でのほぼ全てを彼女への奉仕に当てている。

 だけどなぁ……そのためにジョブの習得枠を複数使って慰労するとか極端すぎる!

 なんだよ【整体師】に【動物美容師】って! マッサージとグルーミングのためにわざわざ取得して実践するってよっぽどだよ!

 

 ちなみに前者はメイデン形態に、後者はガードナー形態に奉仕するためのものだ。

 ステータスのマイナス補正があるとはいえ、それでもティアンの一般人程度の能力値はあるので習得自体は可能だった。

 私が戦えないのは、戦闘時の咄嗟の判断や運動が壊滅的だからで、日常面においては大丈夫なのだ。

 とはいえぶきっちょ寄りなのでレベル上げにはそこそこ苦労しているが。

 当然ながらこれらのジョブのステータス補正は低く、精々DEXがほんのり上がる程度だ。

 

 それにさぁ、だいたいさぁ……!

 

『な、なんだ……?』

 

 お金がもう、全ッ然無いんだよ! 生活苦だよ!

 素寒貧の貧乏生活待ったなしなんですぅー!!

 カトリ様が高級な果物やら手入れ用品やら化粧品やらをご所望されやがるせいで出費が嵩みまくってるんですぅー!!

 見ろよ、この無残な所持金をよぉ!

 

『な、なんだと!? そんなバカな、あれだけモンスターを狩っておきながら何故……ッッ』

 

 おわかりに、なられませんか?

 

『わからん……以前はこんなことはなかったはずだが……』

 

 はい、そこでメインメニューをご覧ください。

 ここ、スキル一覧あるでしょ? この項目、見てみ?

 このスキル、なんて言うんだっけ?

 

『ぷれでぇしょん・らーにんぐ……はっ!?』

 

 「はっ!?」じゃねーよまさしくそれが原因だよこんにゃろう!

 これを覚えたせいでバカスカバカスカドロップ品貪りやがって!

 

『し、しかしだな……余が力を得るためには仕方あるまい……?』

 

 カトリ様が<エンブリオ>として進化する際、三番目に覚えた固有スキルが()()だ。

 その名も《プレデーション・ラーニング》。倒した敵がドロップするモンスター素材を文字通り()()することで()()するというラーニングスキルだ。

 厄介なのは必ずしも習得できるとは限らない点で、むしろ確度としては極めて低確率だ。

 目算で一桁%、覚えようとすると大量にモンスター素材を消費しなくてはならない。

 

 その上で問題となるのが、この<Infinite Dendrogram>ではモンスターがお金(リル)を直接ドロップしないという点。

 すなわちお金を得るにはアルバイトをするか、クエスト報酬を受け取るか――或いはモンスター素材を売却するのが基本ということだ。

 

 そう、売却。モンスターのスキルを覚えるには素材を食べないといけないが、そうなると当然素材は失われて売却できなくなる。

 そして根っこは戦闘第一なカトリ様はより強くならんがため、ドロップする端から素材を捕食していってしまうため、これを覚えてからというもの売却による収入をアテにできなくなったのだ。

 覚えるべきスキルを持たないモンスターのドロップも、殊更(レア)を好む食癖を持つカトリ様によって大半が貪り食われてしまう始末。普段果物しか食えない分、血肉の味はより格別とは彼女の談である。

 

 そうなると収入は直接金銭を受け取れるアルバイトかクエスト報酬に頼らざるを得なくなるわけで、前者は少額に留まり、後者は野良狩りメインな私達では滅多に受けることがない。

 そんな状況下でカトリ様は以前と変わらず贅沢を申されるのだから……今まではなんとかやりくりしてきたが、それもついに限界を迎えてしまった。

 

『つ、つまり……?』

 

 はい、カトリ様。

 そういうわけなので今後しばらく、贅沢は一切禁止です。

 

「な、なんとぉーっ!?」

 

 宣告するとあまりにショックだったのか、メイデン形態に戻って頭を抱えるカトリ様。

 私? 私は普段から全然贅沢してなかったから平気。苦しむのは贅沢三昧だったカトリ様だけということだ、ケッケッケッ……!

 

 とはいえ、まぁ。

 カトリ様のせいで困窮しているとはいえ、そのおかげで戦力は十分備わりつつあるのだから、トントンと言うべきだろう。

 なにせ低確率とはいえ試行回数が膨大なため、自ずと覚えたスキルも膨大な数になり、様々な場面に対応できる万能性を発揮できるようになったからだ。

 

 第一の固有スキルによる強化、素のステータスによる戦闘力も相俟って、私達は王国における討伐ランキングでも上位に位置している。

 ……まぁトップ陣は頭おかしいポイントを稼いでてまさしく桁違いだったりするので、実際どんな狩り方をしているのか一度見てみたいものだけど。

 

 ともあれ、しばらく続いた休養期間もこれで終わり。

 これからはまた狩り暮らしが続くレベリングタイムだ。なぁに時間はたっぷりあるさ、食糧もコツコツ買い込んでいたしね。

 

「やむを得まい、な……余としたことが、些かばかり享楽に耽りすぎたようだ」

 

 そうやって切り替えや反省の早いところ大好きですよ、カトリ様。

 さ、また横になってくださいな。最後の香油ですけど、綺麗に毛繕いいたしましょうね。

 

『今度は逆撫でぬように気をつけろよ。ふぅ……』

 

 ああは言ったけど、こういう時間は嫌いじゃないんだよね。

 限度を覚えてほしいだけで。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 今日の狩場に向かう。

 王都内ではカトリ様を乗せた人力車を曳き、門前でそれを仕舞うと今度はガードナー形態になったカトリ様に乗ってフィールドを進む。

 この人力車は戦闘外での労力を厭ったカトリ様の発案により購入を強いられたもので、カトリ様曰く「王たる者が下々のように歩くなど言語道断」とのこと。

 カトリ様のファッション王様スタイルは進化を重ねるごとに酷くなり、それが普段の出費に繋がる一因でもあった。

 

 とはいえ、フィールドでえっちらおっちら人力車を――ましてや貧弱な私が――引いているとカモ以外の何者でもないので、外では渋々ながらもカトリ様の背に乗ることを許されている。

 一緒に走ればいいじゃないかって? 馬鹿を言ってはいけない。私とカトリ様のステータス差は桁違いすぎて、私に合わせる方が不利だし寧ろ疲れるとは彼女の言だ。

 

 そういう事情があって、私のサブジョブの一つには【騎兵】がある。

 理由は当然《騎乗》目当てだ。これが無いとカトリ様にしがみつくことすら儘ならない。一度それで落っこちて危うくデスペナルティになりかけたし。

 

 そのカトリ様の背から眺める景色は、正直に言って私では遠く理解が及ばないものだった。

 なにせ()()。私とカトリ様のAGIの差で両者の認識できる速さと時間には大きく開きがあり、カトリ様にとっては巡航速度でも、私の目にはリニアから眺める至近風景の如く超高速だ。

 時折全身に奔る痛みにすれ違いざま敵を屠ったことを把握はするけども、どんな敵をどうやって倒したのか、そうした具体的なことはその瞬間の私にはまるで分からなかったりする。

 

『そろそろ狩場につくぞ。そなたは適当なところに……うむ?』

 

 そうしてカトリ様に任せることしばらく、目的地に近づく最中にカトリ様が訝しげな声を上げた。

 すんすんと鼻を鳴らし、嗅ぎ取る匂いにいつもとは違う異変を察知したのか、私を木陰に寄せてそこへ隠れるように命じる。

 

『先客がいるようだな。随分と派手にやっておるらしい』

 

 成程、PKの可能性有りと。

 この一帯は高レベルモンスターが数多く生息するエリアだから、現在の環境だとわざわざここで<マスター>を狩るなんて真似普通はしないと思うけど、念には念を、だね。

 

 実際PKなんてものはその場の思いつきやなんとなくといった軽い気持ちで行われることが多い上に、<マスター>間での殺し合いは合法なので、他の<マスター>を見てもなかなか油断ならなかったりする。

 私も最初の頃は、狩場で遭遇した人の良さそうな<マスター>に挨拶しようとして、そのまま殺されたこともあった。

 あのときはショックだったなぁ……完全に不意打ちを食らって現実に引き戻されたものだから半狂乱になって、いつも以上に二十四時間が苦しく感じたっけ。

 その後はカトリ様と一緒に復讐に燃えて、デンドロ時間で四日くらい探し回って追い詰めたっけか。向こうはゲーム感覚だから最後までヘラヘラしてたけど、代わりにリルはしこたま分捕ってやったもんだ。

 

 あ、ちなみに私はPKしないよ。恨み買うのが怖いし、なにより旨味がそんなに無いからね。

 落とすリルもアイテムもランダムだし、アイテムに関しては消耗品以外の殆どが無用の長物になるので、報復以外では一度も自主的にPKしたことはない。

 

 そんな過去の出来事を回想しながら、去っていくカトリ様の背中を見送る。

 私は木陰に身を隠しながら気配を殺し、カトリ様が戻ってくるのをじっと待つ。

 

 これが私の戦闘スタイル。否、戦闘と称するのもおこがましい、みじめでひ弱な人任せだ。

 カトリ様の動向を察知する術は私には無く、身体に奔る痛みと増減するカトリ様のパラメータ、少しずつ増えていく経験値バーだけが彼女の行動の結果を示す。

 ……HPの増減と痛みが止まった。その後しばらく待つも、カトリ様が戦闘を再開する様子は見せない。

 

 どうやら無事に事が落ち着いたようで、私はほっと胸を撫で下ろす。

 とはいえ彼女が戻ってくるまで油断はできないので、心のなかで彼女のいち早い帰還を祈りながらじっと身を潜めて待った。

 

 そうして潜伏することしばらく、やがて足音が――これはカトリ様のものだ!――近づいてくるのを察知し、同時にキュラキュラという音も――

 ……キュラキュラ?

 

 

『見つけたクマー。あんたがコイツのご主人クマ?』

『違う、余がこやつの主なのだ』

『こんにちは』

 

 

 不審に思った私が顔を上げると。

 そこにはクマとジャガーと戦車がいた。

 

「……………………」

 

 ――殺られる……!

 命の危機を察した私は、その場で迷わず土下座した。

 

 




我らがクマニーサン登場
今後二次創作が流行ったなら、間違いなく引っ張りだこですね(

・現在の主人公のジョブ一覧(一部)
 メインジョブ:【高位従魔師】
 サブジョブ:【従魔師】【整体師】【動物美容師】【騎兵】


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第五話

※第三話にて固有スキル効果を修正しました。



 □【高位従魔師】マグロ

 

 

『お嬢さーん? さすがの俺も初手土下座は面食らうクマ、クマは悪いクマじゃないクマー』

 

 ある日森のなかでクマと出会った私。

 土下座はこちらに害意が無いことを示す精一杯の所作のつもりだったのだが、よくよく様子を窺ってみれば彼はクマではなく<マスター>だった。

 

 いや、クマには違いないけど。

 妙にファンシーだしずんぐりむっくりしてるし、ちゃんと見ればキグルミだった。

 とはいえ外でキグルミ着込むなんて正気の沙汰じゃないし、傍に<エンブリオ>と思しき戦車を伴っていれば、どっちにしろ見た目の脅威度は大きかったが。

 

『……あんたの<マスター>、随分と面白おかしいやつクマ?』

『はぁ、情けない……みっともない姿を晒すでないわ、戯け』

 

 呆れた様子のカトリ様に足蹴にされ転がされる私。

 そこでようやく彼らが敵ではないことを悟り、土埃を払ってカトリ様の背に隠れる。

 ……と思ったら尻尾で前に押し出された。ひぎぃ。

 

『おっすおっす、俺はシュウ・スターリングクマ! こっちは俺の<エンブリオ>のバルドル、よろしくクマー』

「……えと、その、マグロです。こっち……ていうかそちらの方は、私の<エンブリオ>のテスカトリポカ、です」

 

 彼は随分と気さくというか物怖じしない性格の人だったようで、「よろしくクマー」とこちらの手を握ってぶんぶん振り回す。

 ……このクマ、妙に力が強い。腕千切れそう。きっとこの人も私なんかよりよっぽど強いんだろうなー。

 

『マグロちゃん、だっけ? その名前には見覚えがあるクマ、確か討伐ランキングに載ってたクマー』

「え、あ、はい、おかげさまで、その……載らせていただいてますです」

 

 普段カトリ様としかまともに会話してないせいで、イマイチ距離感を掴めず言葉に詰まる。

 なにより如何にも人好きのするっぽい彼のような人間(今はクマだけど)は、私の周囲には無いタイプだから余計に困った。

 

『下僕よ、そなたはとことん鈍いな?』

 

 はぁ、なにがでしょうか?

 

『目の前のそやつはそなたの先達ぞ、討伐ランキングの上位ランカーだ』

「それは、すごい……」

『いやぁ、照れるクマ~』

 

 実際凄い。あの馬鹿みたいに桁違いなポイントを叩き出す理不尽ランカーの一人とは。

 しかもそれがクマとは。でも見るからに強そうな戦車を従えているところを見ると、想像はつかないがそれくらいやらかしてもおかしくはないように思える。

 

『まさに我らが乗り越えるに相応しい壁というわけだ。ククク、今は及ばずとはいえ、目標が高いのは実に好いものよな』

『おっ、チャレンジャークマ。俺はそういうのどんとこいクマ、やれるもんならやってみろクマー』

 

 バチバチと火花を散らす二人。

 スターリングさんの人となりはともかくカトリ様は克己心旺盛なので、自分より強い相手を見ると闘志を燃やさざるを得ないのだ。

 そうなると狩りのハードルが上がるというもので、ほぼ二十四時間ぶっ通しで暴れ回ることもしばしば。その煽りを食らうのは当然私というわけだが。

 

「その、スターリングさんもこちらで狩りを? 先客がそちらなら、狩場を変えたほうがいいですかね……」

 

 久々に外で出会ったマトモ? な人物なので、意を決して話しかけてみる。

 すると彼は鷹揚に手を振って、「そんな小さいこと気にすんなクマー」と私の頭を撫でた。

 このさり気なくも不審を抱かせない撫でスキル、こいつ相当デキる……!

 

『袖振り合うも多生の縁クマ、そちらさえよければ一緒にどうクマ? 同じレベル帯でパーティ組むなんて滅多に無いから、寧ろ嬉しいし』

「ああ、たしかに……この辺は人少ないですもんね。私もこの辺で人に会うのは初めてですし」

『そうそう、だから折角だしパーティ組むクマ。フィガ公(ダチ)とはこういうことできないから新鮮クマ!』

 

 ダチ……お友達のことか。やっぱりフレンドは多いみたいだ。

 向こうから申請されたのを了承してパーティを組む。

 同時に見えるようになった彼のステータスには【破壊者】のジョブが。

 ステータスも貫禄のSTR特化型で、STRの補正に優れた壊屋系統であることを抜きにしても、随分と偏ったステータスだ。

 

「すごい……」

『マグロちゃんは【高位従魔師】クマ? <エンブリオ>もガードナーっぽいし、確かに相性いいクマ』

「あ、ごめんなさい。その、私……」

 

 だけどそうなると余計に悪目立ちするのが私のステータスだ。

 私はリソースの殆ど全てをカトリ様に捧げているせいで、私自身のステータスは軒並み最底辺というのは既に知っての通り。

 如何にカトリ様が強いとはいっても、ガードナー共通の弱点である<マスター>の私が人一倍死にやすいせいもあって、戦力としてはとてもじゃないが安定しない。

 

 ……つい流れでパーティ申請を受けちゃったけど、幻滅されるかな……。

 正直まともな<マスター>なら即解散レベルだし、誘ってくれた彼には悪いけどやっぱり私は――

 

『ん? ……ああ、そういうことか。気にすることないクマ、このステでここまでやってこれてる時点であんたも相当ヤベークマ』

「えっ……?」

『見た感じソロ専クマ? なのに俺とほぼ同レベルなのは普通じゃありえんクマ。そんなことができるのは素でよっぽどヤベーやつか――』

 

 彼はファンシーなクマ顔に凄みを乗せて。

 

 

『それ以上に()()()<エンブリオ>を持ってるか、だろ?』

『ク――クククハハハハハ――!!』

 

 

 その彼の言葉に呵々大笑したのは、ここまで成り行きを見守っていたカトリ様だった。

 ここ最近で一番の上機嫌っぷりを見せ、言い放ったスターリングさんの肩をバシバシと前足で叩く。

 私にも見せたことのないような、口角を上げて牙を剥いた獰猛な笑みを見せた。

 

『見る目があるではないか、クマの戦士。いかにも我が<マスター>は貧弱極まりない弱者なれど、その<エンブリオ>たる余は別よ。貴様のその曇りなき眼に、我らの力をとくと焼き付けるがいい!』

 

 うっわめっちゃテンション上がってる!

 ヨイショされて露骨に舞い上がってる! しかもすげー強そうなこと言っててすげー恥ずかしい!

 ヤメテ! それで私があっさり死んだら一生の恥だから!!

 

『あんたの<エンブリオ>、結構チョロいクマ?』

「言わないであげてください、普段あまり評価されないんです……」

 

 ああ、なんだかいつも以上に死にたくない気持ちが酷い……

 ううっ、胃がズキズキしてきた……

 

 

 ◇

 

 

 そんな私の不安はまったくの杞憂だった。

 

『ヒャッハー! モンスターは乱獲クマー!!』

『クハハハハ! 爆ぜる風、抉れる大地、薫る血風! 好い、実に好き狩りだ!!』

 

 飛び交うのは弾薬、爆薬の雨あられ。

 スターリングさんの<エンブリオ>――バルドルという名の戦車だったものは陸上戦艦と言うべき無限軌道付きの巨大兵器へと姿を変え、道行くモンスターを轢き潰しながら遠方の的までもマップごと爆撃している。

 彼曰く「この形態だと火力控えめクマー」とのことだ、とてもではないがそうは思えない火力の波だ。

 

 その一方でカトリ様はというと、そんな彼の爆撃の隙間を縫って戦場を駆け、高笑いしながら範囲攻撃スキルをメインに弱った敵を狩り尽くしていく。

 一定範囲内の敵位置と大まかなHPを把握する《ライフサーチ》。

 同じく一定範囲内の敵に音波ダメージを与え、抵抗に失敗した敵を極短時間スタンさせる《大咆哮》。

 自身の周囲にカマイタチの結界を展開する《リッパーサイクロン・アーマー》。

 いずれも普段の狩りでは使うことのない掃討用スキルだが、スターリングさんの撃ち漏らしを掃除するにはうってつけのラインナップだ。

 その上で《贄の血肉は罪の味》の効果も合わされば、さながら戦いは無双ゲーの如き様相を呈している。

 

「かと、カトリ様! 暴れるのはいいんですがもう少し丁寧にお願いします! 外れると回復が間に合わない~~!?」

『クハハハ、まだ死ぬには早かろう? 水を差してくれるなよマスター!』

 

 呈している、のはいいのだけど。

 テンションが上がるあまりいつもより雑になっているせいで、攻撃を外すことも多くスキルによる消耗と回復の釣り合いが崩れがちなのは困ったものだ。

 第一の固有スキル《贄の血肉は罪の味》は、進化を重ねた今では強化倍率も跳ね上がって、素晴らしい効果を出してくれているのだが、その分減少速度と回復量が上がり余計に安定性を失ってしまっている。

 つまりカトリ様が油断すると私の死が近づくというわけで、意地の悪いことに狙ってそうしてる節もあるのが憎らしい。

 

『俺もいろんな<エンブリオ>を見てきたけれど、マグロちゃんのほどヘンテコなのも珍しいクマ。いないことはないけど、最初のスキルでそういうのが発現するってよっぽどクマ』

 

 返す言葉もねぇ。

 私自身かなり鬱屈してるとは思うのだけど、<エンブリオ>がそうなっている以上、それが私の願望であることは否定できないのが悔しい。

 

 だけどその理屈で言うと、スターリングさんの<エンブリオ>も相当なんじゃないかなぁと思ったり。

 だってそれ、根っからの脳筋仕様ですよね? 乗ってる間はいいけど、見た限り狭い場所とかだと使えないはずだし。

 それなのにトップランカーを恣にしてるのは流石と言うしかないですけど。

 

『これでも素のスペックには自信あるクマ。足りない部分は技術で補えばいいクマー』

 

 まさかのリアルチートでござったか。

 ……そこは素直に、めちゃくちゃ、妬ましいくらい、羨ましいけど。

 まぁでも、この世界ではステータス面は皆平等だし、愚痴っても仕方ない。

 

『それに俺のバルドルもそこまで便利じゃないクマ。こうやって攻撃するたびに弾薬を消費するから、派手にやったあとはフォローがしんどいクマー。……いやマジで』

 

 最後の一言はガチトーンでしたね。成程金食い虫でもあったか。

 一般にはキャッスルやチャリオッツ系列に多い《弾薬製造》だけど、スターリングさんのバルドルにはそのスキルが組み込まれているみたい。

 さっきからバカスカ撃ってる弾薬の嵐もそれによるものだとか。……大丈夫なんです?

 

『あ、それは大丈夫クマ。いつもよりコストの低い弾薬だし。普段は自力で倒さないといけないからコスト嵩むけど、今はかとりんがいるから削るだけでいいクマ。超大助かりクマー』

『馴れ馴れしい奴め……まぁいい、特別に許そう』

 

 かとりん!?

 そして満更でもなさそうなカトリ様……えっ、じゃあ私もそう呼んで「戯けめ、貴様は下僕だ。客人とそなたでは天と地ほどの差がある。身の程を弁えよ」ですよねー……。

 強い者が大好きなカトリ様だから、スターリングさんはモロにその好みに合致したんだろう。

 全<マスター>中最弱を争える私には許されない扱いだ、およよ……。

 

『さて下僕、余の感知範囲内に敵はいなくなったようだ。しばし休息を挟むとしよう』

『ちょうどいいクマ、それじゃあちょいとドロップ回収タイムに入るクマー』

 

 了解です。私もポーション飲んどきまーす。

 今回は消耗が勝った分いつもよりHPの減りが激しかったせいで、実は割りとピンチなんだよね。

 戦闘中はとてもじゃないけど飲む余裕が無いから、こうして合間合間にコンディションを整えとかないと、次の戦闘で満足に動けないし。

 そういうわけなので一本いっときますか! キュポンとな。

 

「……あれ?」

 

 今まさに飲もうとしていたHP回復ポーションがなくなっている。

 中身じゃなくて器ごと消えてるんですけど……カトリ様のいたずらじゃあ、ないよねぇ。

 カトリ様はそういうお戯れはされないし、またドジして落としてしまったのかと思ったけど、やっぱり無い。

 

 あちこち探し回ってみるけど、やっぱり無い。

 ていうかよくよく見てみると、さっきまで戦ってた敵の――

 

『クマー!?』

「! カトリ様」

『乗れ下僕、急ぐぞ!』

 

 遠くへドロップ回収にいっていたスターリングさんの悲鳴が上がった。

 カトリ様の背に飛び乗り、彼のもとへ急ぐ。

 彼のピンチかと思い、全速力で駆けつけてみればそこには……

 

『ふてぇ野郎クマ! 俺のおまんまを根こそぎ奪いやがったクマー!!』

「KYUUUUKYUKYUKYU!!」

 

 妙にデカいカンガルー(のようなもの)に弾丸をばら撒いているクマがいた。

 

「な、なにごとですか!?」

『言ったとおりクマ! コイツが俺たちのドロップ品を取ってったクマ!!』

『なにィ!?』

 

 その言葉に目を剥いたのはカトリ様。ちなみに私もだいぶショックを受けている。

 下手人だとかいうモンスターを見てみれば、カンガルーらしくお腹に具えた袋にあちこちからいろんなものが吸い込まれていくのがわかった。

 今まさにスターリングさんの弾丸までもそのまま吸い込んでいって、超火力のはずの弾丸でダメージを負った様子も無い。

 そしてその頭上には――

 

「【旋風徴獣 サイクロンポケット】……?」

『<UBM>か! しかも遠距離メタ性能クマ!』

 

 ゆにーく・ぼす・もんすたー?

 なんだ、それ。初めて聞く単語だけど、語感的にボスモンスターの一種なんだろうけど……

 

『世界に一体しか存在しない固有ボスのことクマ! 大抵は普通のボスより数段強くて、倒すと専用の特典装備がもらえるクマ!』

「そんなのがいたんだ……」

 

 この世界で暮らし始めてそこそこ経つけど、そんなのがいるだなんて初めて知った。

 倒せば特典を貰えるなんて、いかにもゲームらしいボーナスエネミーだけど……

 

「KYUUUUUUUUU!!!」

『ッ、速いな……!』

『見たところAGI特化タイプクマ。そんじょそこらの敵では到底追いつけないクマ!』

 

 妙に可愛らしい声とは裏腹に、全身の筋肉は発達しているどころの話ではなく。

 特にその両脚は異常なくらい発達していて、見るからに強靭を誇っている。

 やがてそれは私の目にはまるで映らない速度を以て、バネのように跳ね回り始めた。

 

『余の索敵で捉えられぬのが不思議だったが……成程。こやつ、余の感知範囲の外から一瞬で跳ね飛んできたかッ!』

『大した瞬発力と脚力クマ。耐久は低そうだけど、体当たりでも食らったらひとたまりもないクマ』

 

 それって最悪じゃ……!?

 少なくともそれじゃあ逃げるに逃げられない、倒すしかなさそうだけど……でも勝ち目はあるの!?

 カトリ様はどうにか目で追えているようだけど、攻撃を当てるのも躱すのも簡単ではなさそうだし、遠距離攻撃は袋に吸い込まれるしで打つ手が無いんじゃあ……

 

『…………』

『ぬぅ、余とて尻尾を巻いて逃げるつもりは更々無いが、アレのスピードでは二人がかりでも千日手――』

『…………あ、これ余裕クマ』

『――なに?』

 

 え、マジで?

 あっけらかんとした彼の言葉と余裕の態度に訝しむも、彼は悠然と手を振って。

 

『バルドル、近接信管弾頭に切り替えて斉射クマー』

『了解』

 

 そう指示するや否や、バルドルの全砲塔から彼の言う近接信管弾頭が降り注ぎ、【サイクロンポケット】の袋にそのまま吸い込まれようとして……

 

『――起爆』

 

 その直前、一斉に爆破してそのまま【サイクロンポケット】を呑み込んだ。

 

 

 【<UBM>【旋風徴獣 サイクロンポケット】が討伐されました】

 【MVPを選出します】

 【【シュウ・スターリング】がMVPに選出されました】

 【【シュウ・スターリング】にMVP特典【はいぱーきぐるみしりーず さいくろんぽけっと】を贈与します】

 

 

「……………………」

『……………………』

『いやぁ最初はびっくりしたけど、こいつアホクマー。こんなに楽して特典GETクマー』

 

 のんびりとそう言ってほくほく顔(な気配)のスターリングさんを横目に、私とカトリ様の心中は一致した。

 すなわち――

 

((しゃ、釈然としない……))

 

 一連の緊張感とシリアスを返せ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

『今日は付き合ってもらってありがとうガル。……俺だけがいい思いしてて本当ごめん』

「いえ……こういうのは巡り合わせですから……」

 

 王都アルテアへの帰路につき、その道中で言葉を交わす。

 帰りは彼が送ってくれるということで、その厚意に甘えて私とカトリ様は戦車モードのバルドルへ相乗りさせてもらっていた。

 

 結局あの<UBM>にそれまでのドロップ品を盗られてしまったせいで仕切り直しとなり、私達は改めて狩りを再開する運びとなった。

 おかげであの辺の一部生態系は根こそぎ狩られ、しばらくは狩場に使えない有様となってしまったが、さておき。

 

「うむ、悔しいが我が下僕の言うとおりだ。そなたが我らよりも強かっただけのこと。それを僻むは愚者の行いよ、気にするな」

『そう言ってもらえると助かるガル。しかしこれ、俺にはうってつけの特典武具ガル、超便利ガル』

 

 そう言って上機嫌なスターリングさんの周囲には、轢き潰したモンスターたちのドロップが吸い寄せられている。

 彼が得た特典武具、【はいぱーきぐるみしりーず さいくろんぽけっと】なるアイテムは、その名の通り【サイクロンポケット】の姿を模したカンガルー型のキグルミで、「自分に所有権があるドロップアイテムの自動回収」なるスキルがついた、超便利機能付きの高性能きぐるみであった。

 ……くそう、正直めっちゃほしい~~!! ああでもキグルミだと色々厳しいところも……ああでもそのスキルはすっっっっごい羨ましい!!

 

「下僕よ、不躾な目で見るでないぞ。潔くせんか」

「ううぅ……すみません……」

『いや、気持ちはわかるガル。立場が逆なら俺も超悔しいガル』

 

 お互いコスト面で苦労するタイプだから、その言葉には重い説得力があった。

 まぁ、どちらかと言えばスターリングさんの方が余計に厳しいようだから、仕方ないか。

 

『そんなマグロちゃんに朗報ガル。レアなドロップ品や<UBM>を狙うならうってつけの場所があるガル』

「ほんとですか!?」

『うん、王都の墓地区画にある<墓標迷宮>っていう神造ダンジョンなんだけど、そこでなら高レベルボスやレアモンスターが出現しやすい上に、極稀に<UBM>も出没するっていう話ガル』

「ほう、神造ダンジョンか。余の運営側の記憶に情報があるな、確か深層未踏の高難易度ダンジョンだったか」

『そうそう、マグロちゃんとかとりんなら結構いい線いくと思うガルから、気が向いたら行ってみるといいガル』

 

 運営側の記憶って……ああそうか、メイデンの自我って私とこのゲームの両方から構成されてるんだっけ。ならそういうことを知ってることもあるのか。

 

「これまでは時期尚早と見て言い出さずにいたが、よい機会かもしれぬな」

 

 次なる獲物を見つけ牙を剥くカトリ様。いや~キツイっす。

 ていうか今回の<UBM>もスターリングさんがいたから楽勝だっただけで、私達だけだったら勝てたかどうかもわかんないじゃん?

 それなのに<UBM>が出るからってわざわざ行くなんて、私はちょっとご遠慮したいところなんだけど。

 

「……はぁ~、我が<マスター>ながらなんと情けない。そこは意地を張ってでも「楽しみだ」くらい言えんのか」

「私の方針はいのちだいじになんです!」

『かとりんは男前ガル、マグロちゃんは慎重ガル。二人合わせてちょうどいいガル』

 

 まぁ、そこは、否定しませんけど。

 そんなこんなで和気藹々としているうちに、王都の門前についた。

 運んでくれたバルドルに礼を言い、その<マスター>であるスターリングさんにも改めて頭を下げる。

 

「おかげさまでいろいろと助かりました。また機会があったらよろしくお願いします」

「うむ、世話になった。ああは言ったがそなたが居なければかの<UBM>に我らの命が危ぶまれていたのは事実。此度の活躍、褒めてつかわすぞ」

『光栄ガルー。こちらこそまた一緒に狩りいくガル』

 

 ……最後まで気持ちのいい人だ。

 こうやって誰かと長時間行動を一緒にするなんて初めてだけど、彼とならそれが苦じゃないのがなんだか妙に嬉しかった。

 まぁ、狩場にはまるで優しくない人だけどね。私達も同罪だけど。

 

「それじゃあ私達はこれで。カトリ様、戻りましょう」

「うむ。では下僕よ、輿を用意せい」

 

 アイテムボックスから一人乗りの人力車を取り出すと、カトリ様が悠然とそこへ座った。

 私は持ち手を握り、そのまま車を牽く。もう長いこと使ってきたせいで、随分と慣れてしまった。

 

 最後にもう一度スターリングさんに頭を下げ、そのまま王都へ入っていく。

 その背後で彼がぼそりと言い放った呟きには、気づかないまま。

 

 

『…………あれが噂の"土下座姫"だったか。世の中広いなー……<レジェンダリア>の連中よりはマシだけど』

 

 

 ……なんだかとても不名誉な称号が広まっている気がする。

 

 




クマニーサンが異様に使い勝手よくてヤバイ第五話。
間違いなく今後二次創作が流行る上でキーパーソンになる(確信)

そして原作では屈指の楽勝UBMとしてさらっと流されたサイクロンポケット。
具体的な描写は捏造ですが、少し絡めてみました。


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<超級>覚醒編
我らに栄光は無く、ただ頂の縁に手をかけるものなり


いきなり時間軸が飛んで「超級覚醒編」です。
唐突すぎるって? ネタが思いついちゃったから仕方ない。
三話分くらいの量になってしまいましたが、舞台を考えるとこれでもまだ足りないくらいな気もします。

ともあれ、ご覧ください。
……こんぐらいすれば<超級>なっても許されるよね?(不安げ)

あ、今更ですが拙作は原作「Infinite Dendrogram」を読破していることを前提としております。
よしなに。

※一部修正
 内容:最終的に削ったHP量を「三割」から「一割」に変更
 理由:いくらなんでも大袈裟すぎたと判断したため。


 □【三極竜 グローリア】出現より五日

 

 

 その凶報が轟いたとき、アルター王国全域に激震が奔った。

 <雷竜山>より現れ、その長【雷竜王 ドラグヴォルト】を屠りし異形の三つ首竜。

 観測員の報せにより【三極竜 グローリア】と名の判明した<SUBM>の手によりルニングス公爵領は壊滅に追い込まれ、王国随一を謳った豊かな穀倉地帯は今や土壌すらも死する無毛の地となった。

 

 その悍ましきと救えなさは、土地のみならずそこに住まう人々全てが諸共に絶滅したことだろう。

 刹那の間もなく死した彼らには知る由もないが、<絶死結界>なるスキルによって強者ならぬ弱者は生きる価値無しと無慈悲にその命を刈り尽くした。

 

 当の【グローリア】にとってその力はある種呼吸にも似た当たり前の生態で、たまさか紛れ込んできた小虫を踏み潰した程度のものでしかなかったが、規格外のスケールを誇る【グローリア】の力からすれば、それは有象無象の<マスター>、ティアンにとって抗いようのない天災そのものだった。

 

 そして忌まわしき邪竜の進撃は王都へと向けられ、その軌道上に位置する城塞都市クレーミルにて決死の絶対邪竜戦線が構築されるに至る。

 

 戦線を担う戦士たちの集団は、四つ。

 

 一つは【大賢者】の徒弟たる、筆頭【賢者】フリゲルト率いる王国でも有数の魔法使い(【賢者】)たち。

 

 続けて純白の法衣や僧衣、甲冑に身を包んだ、フォー・ベルディン枢機卿率いる王国の聖職者たち。

 

 更にそれら二つとは距離を置いて展開した、濃緑の軍服に身を包んだ皇国第二機甲大隊。同盟国であるドライフ皇国からの救援たる<戦車型マジンギア>(【ガイスト】)の群れ。

 

 最後に――王国クランランキング第二位、<バビロニア戦闘団>。

 四集団の内最も異質にして、最前線クレーミルに本拠地を置く<マスター>たちの一団である。

 

 彼らはいずれも強壮無比たる戦玄人。およそ尋常な会戦では負けはすまいと確信を以て断言できる大戦力だ。

 四者四様に士気高く戦意に満ち溢れた彼らは、今日までの【グローリア】による度重なる凶報にも決して屈せず、此処で邪竜を討たんと集った勇者たちであった。

 

 いずれも恥じることなき勇者たち。

 その誇り高きは詩人の爪弾く弦の美しきに語られ、後世の永きに渡って語り継がれるべき英雄譚となるだろう。

 

 

 ――――その果てに勝利を得られたならば。

 

 

 現実は非情である。

 彼らは皆勇敢だった。己の命すら擲ち、見知らぬ多くの誰かのために、自らを犠牲にして明日を勝ち取らんとした真なる勇者たちであった。

 しかしそうした健気な奮闘を、【グローリア】は己の強さにて蹂躙する。

 

 一切の容赦無く、呵責無く、慈悲も無く。

 その極光の吐息で。絶死の結界で。無双の巨体で。

 一切合切を打ち砕き、彼らを、彼らの守りたかったものを諸共に崩壊せしめた。

 

 【三極竜 グローリア】の出現より四日目。

 城塞都市クレーミルは彼らの奮闘虚しく突破され、壊滅の憂き目に遭った。

 

 無論、何の成果も無く敗北を喫したわけではない。

 <バビロニア戦闘団>オーナー、フォルテスラの活躍により【グローリア】は心臓を潰され、その再生に丸一日を費やした。

 当初の想定では一週間で王都へ到達していたところを、一日もの時を稼ぐことができたのだ。

 

 この戦果は大きく、王都宮廷は次なる打開策を練るべく奔走し、やがて王国が誇る三名の<超級>が参陣する運びとなった。

 故にこれは、彼ら三名の大英雄による悪しき邪竜の討伐劇――

 

 ――()()()()

 

 これより演じるは、彼ら真なる英雄と並ぶべくもない。

 その時はまだ高みに()()()とある主従の、称賛されざる()()()である。

 

 

 □

 

 

『……筆舌に尽くし難き威容よ。彼の者の力量、およそこれまでの数ある強敵、<UBM>とは比べるべくもない。それでも本当にやるのか?』

「…………」

 

 それは彼方にクレーミルを臨む大地より、隠し切れぬ()()を多分に含んだ言葉だった。

 およそ一〇メテルほどの巨体を誇る黒き四足獣――名をテスカトリポカとする<エンブリオ>の、柄にもない気遣いの声であった。

 

 問いかける先は己の背に乗る彼女の<マスター>、マグロ。

 全身の形をすっぽりと覆い隠す衣に身を包んだ、<Infinite Dendrogram>最弱の一人。

 しかして【獣神】の肩書を背負う、準<超級>の猛者の一人でもあった。

 

『らしくもない感傷だな。我らならばどこへなりとて高飛びもできよう。ほとぼりの冷めた頃合いに舞い戻れば良し、周囲の目など元より考慮の外であろうに。……それなのに何故、そなたは敢えてこの戦いに踏み入らんとする?』

 

 それは徹頭徹尾、この弱くも愛おしい<マスター>を想っての言葉だった。

 テスカトリポカが言外に含めたマグロの()()への言及、それらは全て真実である。

 マグロは弱い。およそ全<マスター>の中でもこれほど弱さを徹底した者は、おそらくどこを探しても存在しないだろう。

 その力、およそ戦闘職に無いティアンにすら容易に負け得る、弱さの極みであるかのような女。

 この<Infinite Dendrogram>の世界に根付いてより、変わらぬ弱さを抱え続けてきた彼女は、およそ強大極まる【グローリア】へ挑むに相応しからぬ、当の邪竜すらも迷うこと無く認める()()であった。

 

 そんな弱者が絶対強者へ挑む無謀を、どうして他ならぬ彼女の<エンブリオ>が許せよう。

 故に彼女は常の傲岸不遜の皮を脱ぎ捨て、マグロへ優しく囁く。

 諭すような声音で、「引き返すならば今のうちだ」、と。

 

 ――しかし、しかしだ。

 

 それでもマグロには、この場を譲れない理由があった。

 かの邪竜の睥睨する先には、彼女が何より愛する王都があるのだから。

 かの邪竜は、愛する王都をこれより絶滅せんと進撃を果たそうとしているのだから。

 

「わた、私は……」

 

 この世界に降り立って、四年近く。

 最早<Infinite Dendrogram>は、マグロにとって生きるべき世界そのものであり、命を賭して護るべき対象であった。

 初めて王都の門前に降り立って感じたあの感動は未だ色褪せず、年月を経るごとにその情動は寧ろ激しさを増し、彼女の中で確固たる()を芽生えさせるに至る。

 その愛の矛先が向かう()()――ひいては己の()()たる王国が滅亡の危機を迎えんとする今、一体何故目を背けられよう。

 

「明日も、明後日も、その次の日も、いつまでも」

 

 ――カトリ様と一緒に、王国のレムの実が食べたい。

 

 テスカトリポカは、吼えた。

 

『――ク、クハハハ……なぁ、()()()()?』

「ええ、()()()()()()()

 

 

「『()()()()()()()()()()()』」

 

 

 たとえ一寸の虫の如き<マスター>とて。

 その五体には五分の魂が宿るのだ。

 

 

 □

 

 

 思わぬ反撃によって尾と翼、そして心臓を失った【グローリア】が再生を果たしたとき、まず選択したのが進撃であった。

 尾は諸事情により再生できず、翼もまた別の理由で同様に再生を果たせないまま、心の臓のみを再稼働させて超竜が向かう先は、南東の方角、その直線上にある王都アルテア。

 

 通常、人々がクレーミルから王都へ向かう際に選択するのは、少し経路を迂回する<ウェズ海道>であるが、【グローリア】はただ真っ直ぐ、幅・長さともにキロメテル級、深さに至っても数百メテルもの亀裂を刻む<ノヴェスト峡谷>を縦断する進路を取らんとした。

 

 その進路のために、王都到達のための時間は大いに短縮され、戦線無き今王都の寿命は刻一刻と削られていくは必至。

 頼みの<超級>も未だ出揃わず、ただ無為に超竜の進撃を見過ごす他ない恐怖を味わざるを得ないのかと多くの人々が諦観に染まらんとしたとき……。

 

『Flulululululu……lu?』

 

 【グローリア】は三つ首を擡げて、己に迫らんとする影を一つ認めた。

 それは<ノヴェスト峡谷>に差し掛かろうとした超竜の真正面から真っ直ぐに、恐るべきスピードで肉薄する。

 影は躊躇わず、【グローリア】の展開する<絶死結界>の圏内に踏み入った。

 

『我らに資格ありということか。そうでなくてはな』

 

 <絶死結界>の内においてなお絶命に至らぬ命とは、即ち彼らの()()を乗り越えた強者に他ならない。

 その事実に三つ首の中でも最も臆病な"二本角"がまず怯え、"一本角"は新たなる獲物の出現に歓喜し、"三本角"はしかし我関せずを貫き双眸を伏せていた。

 

 結果としてまともに影を認識したのは一本角のみだった。

 彼が認めたその影は、およそ己の巨体とは比べるべくもない……()()()一〇メテル足らずの四足獣に、その背に跨る更に小さなイキモノ。

 【グローリア】の目からすれば鼠に羽虫がくっついたような脆弱さ。しかしこれが己に立ち向かえるだけの資格を有する"強者"の端くれであることに間違いはなく――

 

『何を呆けておるか、戯けめ』

 

 その、抱いて当たり前の余裕を振り払うように、小さき獣の爪牙が奔った。

 優越を湛えていた三眼一本角の頬を引き裂くその速さは、亜音速の領域にいる【グローリア】をして尚速いと認識せしめる音速攻撃。

 金色の鱗を断ち、僅かとはいえ流血を強いるに至ったその一撃を一本角は認め。

 

『そうだ、それでいい。――来い。我らは少しばかり、刺激が強いぞ?』

 

 獣の挑発に口角を歪め、獰猛なる哄笑と共に口腔より光を照らした。

 その光を全身に浴びたテスカトリポカは、即跳躍に移りその場から逃れる。

 

『あまりに露骨な兆候よな、差し詰め予測線といったところか』

 

 テスカトリポカの推測は正鵠を得、光より逃れた直後に射線上にあった万物は()()した。

 極限まで圧縮制御された光の吐息が、照らす領域にのみ究極のエントロピーを収束させ貫いたのだ。

 

 これこそが三つ首の内最も獰猛にして、何よりも蹂躙を好む三眼一本角が誇る絶技――《OVERDRIVE(終極)》。

 およそこれを耐え得る手段は存在しない、【三極竜 グローリア】究極の矛である。

 

 真っ先に回避を選択したテスカトリポカの判断は最適解だった。

 一本角は避けられるや否やその事実を三眼を歪めて愉しみ、長い首を鞭のように振り回した。

 すると当然、口腔より今なお照射され続ける《OVERDRIVE(終極)》もその軌跡に合わせて乱舞する。

 

 エントロピーの究極制御下にある極光は、傍目にはただライトを振り回すような軽やかさ。

 余波も余熱も無く、いっそ美しさに見惚れそうなほど、光の外にある者からすれば脅威を悟りにくい静謐の光線。

 しかし一度それが刻む傷跡を目撃すれば、間違っても美しいなどという暢気な思考は抹殺されるだろう。

 踊る首に伴って跳ねる光線は、その軌道のままに大地を深く切り取っていた。

 

一度(ひとたび)直撃すれば即、死――否、掠るだけでも欠損は免れぬか。即ち被弾は一切禁物ということ……)

 

 《軽業》《空間跳躍》《姿勢制御》《力場生成》《加速》――無数の身体操作スキルを発動させながら、絶えず爪牙の連撃を加えつつテスカトリポカは思考する。

 初手で【グローリア】の反応を探り、その結果から全スキルを身体操作に収束させての回避行動。

 その後も《贄の血肉は罪の味》による消耗の補填程度に攻撃を加えていたが、それらの総合的な解としてテスカトリポカはある結論に至る。

 

 

(こやつ、HPこそ規格外ではあるが――それ以外のステータスは()()()()()()()な。感覚的にAGI(素早さ)が一万以下、その他が五万未満といったところか)

 

 

 テスカトリポカは至極冷静にそう判断を下した。

 ……恐るべきことに、未だ第六形態に過ぎない準<超級>止まりの<エンブリオ>が、この恐るべき超竜――【三極竜 グローリア】に比肩するスペック(ステータス)を有するという規格外。

 無数のスキルをも同時に発動しながら、それほどの出力を果たすその不思議。

 当然それには、仕掛けがあった。

 

(マスターが健在で漸く、か。成程、成程……)

 

 僅かに向けた意識の先には、光り輝く長紐があった。

 テスカトリポカの顎門からその背へ伸び、背負う<マスター>の手に握られるそれは()()

 名を【神心騎英 ベレロープ】というそれは、主の手に握られる限り極大の《騎獣強化》を齎す古代伝説級武具であった。

 元は古の騎兵であったその特典武具は強化効果の他にも《バランサー》《慣性制御》等のスキルを有し、決して《騎乗》が得意と言えないマグロであってもテスカトリポカの動きについていくことを可能としていた。

 

 そこへ更に敵対者がいる限り発動し続ける《贄の血肉は罪の味》による強化、過去に屠った無数のモンスターからラーニングしたスキルによる効果を以てこの規格外のスペックを発揮せしめている――()()()()()()

 

 その程度のことでたかが<上級エンブリオ>如きが単独で【三極竜 グローリア】――<SUBM>に対抗できるはずがない。

 それを無償で叶えるなど道理に合わない。それを可能とするほど、この<Infinite Dendrogram>は甘くない。

 

 最大の要因は三つ。

 

 一つは特典武具【神心騎英 ベレロープ】。

 一つは超級職【獣神(ザ・ビースト)】の特性。

 一つは――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にあった。

 

 

 まずは【獣神】。

 これは読んで字の如く【(ザ・ワン)】の称号を含んだ、スキル特化超級職群の一つである。

 その特性はズバリ、()()()()()()()()()()。あるいはモンスター特化と言うべきか。

 【従魔師】等の魔物使い系統に分類されながらそれとは独立したこの超級職は、「従属下にあるモンスターを調整する」ことに特化している。

 即ちテイムモンスターへ外部からスキルを覚えさせ、そのスキルを改造・調整し新たなモンスタースキルを創造する。そうした離れ業が可能となる。

 基本骨子がテイムモンスターへの作用に特化している分、<マスター>へのステータス補正は皆無。覚える固有スキルもあくまでモンスタースキルへの干渉に留まり、モンスターそのものを変貌せしめるものではない。

 

 そこは同様にモンスターに特化した【研究者】系統、ひいてはその超級職たる【大教授】などに似ながらも大きく差別化されるところだろう。

 あちらはモンスターそのものの創造を可能とするが、【獣神】にはそれができない。

 あくまでも既存のモンスターを主体として効果を発揮する超級職だ。

 

 こうした特性から、取得過程で複数体使役しているであろうテイムモンスターたちのスペックを底上げし、強力な軍勢を構築するのが本来あるべき運用方法である。

 

 

 一方でマグロ――即ち<マスター>、ないしは<エンブリオ>。

 彼女らは一見して普通の主従である。TYPE:メイデンという珍しいハイブリッドカテゴリーを含んではいるが、典型的なガードナータイプだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 マグロは初めての戦闘で己の適正の無さを思い知り、真っ先に自ら戦う選択肢を放棄した。

 そして代行者となる者を渇望し、その結果テスカトリポカは生まれた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あらゆる戦いの可能性を棄てた。

 如何なる<マスター>であれ少なからず持ち得る、ありとあらゆる()()()()

 命の絶対量たるHPも。魔法やスキルを行使するためのMP、SPも。

 効率良くダメージを与えるためのSTRも。戦いのステージへ上がるためのAGIも。

 攻撃を耐えるためのENDも。万物を生み出すためのDEXも。

 そして無形の加護を得るためのLUCも。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ、だけど……()()()()()()

 ちっぽけな自分の可能性()()()を全て捧げた程度で、()()()が満足されるはずがない。

 だから更に身を削った。とても大事な、何よりも大事な()()()()()()()()()()()()()

 

 そうして最初に生まれたのが《贄の血肉は罪の味》。

 現実から逃避し、異なる世界に生を見出し。

 多くが仮初のものと認める命を真実であるかのように捉え、なのにその命を擦り減らす極限に悦びを覚える。

 そんな度し難く罪深い生贄の、奉じる神に捧げる血肉と命。

 

 ()()()()()()()()

 ただ強力なだけでは手詰まりだ。格下は倒せども、より強い敵にはこれでは勝てない。

 自ら棄てたあらゆる可能性の代わりに、あらゆる手段を神の手に捧げねば。

 

 そうして次に生まれたのが《プレデーション・ラーニング》。

 あらゆる恵みを神に捧げよう。たとえそれが自らを困窮と破滅に導くとも、それで神がより強力になられるのなら。

 次なる贄は貴様だ獲物めら。死んで屍を残して糧となれ。我が神の血肉となれ。

 幾千幾万の屍を積み上げれば、きっと神は応えてくださるだろうから。

 

 <下級エンブリオ>として目覚めた神に、まずは己を捧げた。

 <上級エンブリオ>として成長した神に、次は敵を捧げた。

 

 

 本来【獣神】は数多のモンスターを従える者にこそ相応しい超級職である。

 だがマグロは、唯一柱の(テスカトリポカ)のみを信奉し、やがて【獣神】の名を体得した。

 

 本来大勢に恵まれるべき【獣神】の力を、ただ一柱に。

 あらゆる魔物を幾千幾万、屠り喰らい嚥下し消化し、その全てを神の血肉に変えて。

 

 <エンブリオ>――【狂神獣妃 テスカトリポカ】

 カテゴリーはTYPE:メイデンwithルール・ガーディアン。

 その能力特性は生贄、犠牲、そして――信仰。

 固有スキルによるマスターへのステータス補正は、()()()()()()()

 全ての可能性は<エンブリオ>に。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」、という。

 格上殺し(ジャイアントキリング)の、歪なカタチ。

 

 

『SHUOOOOEEEAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?』

『加減は無しだ、超竜。我らは一切の過信無く、慢心無く、徹頭徹尾貴様を殺す』

 

 現在のテスカトリポカのスキル構成は、HP・SPの自動回復並びにAGI特化。

 生存能力、継戦能力、回避能力に特化した長期戦スタイル。

 

 駆ける獣は今や超竜を超越し、黒い嵐となって一方的に巨体を削る。

 彼我の体格差から三つ首を陥とすには至らねども、巨躯のあらゆる箇所を爪で引き裂き、牙で食い千切り、確かな流血を超竜に強いた。

 

 《贄の血肉は罪の味》による消耗の兆しが感じられぬほどの超高速、超連撃。

 減った端から回復し続け、ほぼ全快を維持したまま、テスカトリポカの体感時間で数分が経過したが――

 

(敵に変化の兆しあり――傷? 成程、そういうこともあるか)

 

 【三極竜 グローリア】の全身に刻んだ裂傷が変化し、まるで歯のない口のように形を変えたのを認識して。

 彼女は迷わず、その口の直線上から身を避けた。

 

(やはりな。口から放たれる極光を矛とする以上、他に口が生まれればそれもまた矛を有するなど……想像するに難くない)

 

 さながら針鼠のように全身から極光を吐き出す【グローリア】を前に、テスカトリポカは尚も冷静を崩さない。

 初見殺しを初見で躱すことの難しきは、この<Infinite Dendrogram>に馴染みが深い者ほど思い知ることであろう。

 だがテスカトリポカは、マグロは。モンスタースキルに特化した【獣神】である。

 モンスターの特性、生態、スキル、攻撃方法、その他諸々から、()()()()()()()()()()()()()()()()を想定する程度、今の彼女らには難くない。

 

 【グローリア】は全身を駆動させ、無作為に刻まれた全身の口から放たれる極光を周囲にばら撒いた。

 唸る首も合わされば、一見して逃げ場など無いように見える無差別攻撃。

 しかしテスカトリポカは【グローリア】に勝るAGIを以て体感時間の差からそれを避け――

 

 避け続けて、幾度目かの攻撃で初めて、傷を負った。

 

(尾が一部削れたか。戦闘に支障は無い。しかし……? ――ああ、成程。()()()()()()()

 

 【グローリア】にAGIで勝り、受ける筈のない攻撃を僅かに掠めたその理由。

 超竜に捉えられるはずのない獣の瞬発を、しかし捉え得たギミックをテスカトリポカは察する。

 

(HPの低下に反比例して強化が掛かる仕組みか。成程、長期戦は無謀か)

 

 名を《起死回生》。

 テスカトリポカの推測した通り、HPが低下するほど却ってステータスを増すスキルである。

 

 これまでのテスカトリポカの一方的な攻撃で【グローリア】は少なくないHPを減損し、その分ステータスも――当然AGIも上昇している。

 そのために彼我のAGI差が狭まり、僅かにその変化を見逃したテスカトリポカは、尾の一部を極光により失っていた。

 

(上昇するのはAGIだけではあるまい。その他のステータスも……HPとMP、SP以外は軒並み上がると看做すべきだろう。問題はその上昇率だが……)

 

 テスカトリポカは【グローリア】の動きを観察し、結論を得た。

 

(ああ、これは我らでは殺せぬな。根本的なスペック差が此処で刺さるか)

 

 【グローリア】の、少なからず減損したとはいえ総HP量からすれば微々たる量の、その変化でさえこれほどの強化を得られる出力差に、テスカトリポカは早々に見切りをつけた。

 

(他のステータスに比べてAGIだけが極端に低い印象だが、それもいつまで信じられるかは不明よな。仮にステータス比が変わらぬとして、このまま強化が続けば遠からず余の攻撃ではダメージが通るまい。最大値の半分もいけるかどうか……おそらくは不可、であろうな)

 

 そこで初めて、テスカトリポカは<マスター>と言葉を交わした。

 念話を開き、状況を伝える。

 

【マスター】

【はい】

【討伐は不可能だ。想定していたとはいえ、こうなれば遅滞戦術に切り替えざるを得ん】

【……はい】

【……すまぬな、マスター。至らぬ我が身を呪うがいい】

【いえ、至らぬのは私です、カトリ様。最早捧げられるものなどひとつしかないのに……】

【ああ、そうだ。悪いなマスター、これよりそなたの()を余が喰らう。死は逃れられぬ……そして】

【ええ、カトリ様】

【ここからは地獄だ、一秒でも長く耐えよ】

 

 それは、知る者にとってはあまりに無慈悲な宣告。

 誰よりも()を恐れる<マスター>へ、逃れ得ぬ()を告げる最終手段。

 そしてなにより、これより始まるのは、およそ五感を得る知性体にとって極限の"儀式(拷問)"。

 

『覚悟せよ超竜。我が最愛の<マスター>、その地獄の歌声を』

「あとはお任せします、カトリ様」

 

 マグロは《瞬間装着》を発動し、装いを変えた。

 それは上半身、下半身、篭手、ブーツ。四ヶ所を埋める漆黒のレザーだった。

 それはいっそ息苦しい程に四ヶ所からマグロの全身を拘束し、その各部には奇妙な……ビーカーのような容器が身体側に口を密着させ幾つも生えていた。

 それらの容器には様々な色をした溶液が満たされ……どこか不気味な、化学的な恐怖を漂わせる。

 

 その装備の名は【延命投与 オーバードーズ】。

 あらゆるポーション類の薬効を高め、持続的に投与することで継続回復を可能とする伝説級武具。

 かつて<UBM>だった頃は、犠牲者を無理矢理に賦活させ、魂魄擦り切れるまで支配せしめた曰く付きの防具である。

 

 それを身に纏ったマグロは、次いで左手の紋章を胸の前に置いた。

 血を流す乙女の意匠、その図の如きをこれより体現するために。

 

 

我は彼の奴隷なり(テスカトリポカ)

 

 

 瞬間、この世のものとは思えぬ絶叫が轟いた。

 

 

 ◇

 

 

 その絶叫は紛れもなくマグロのものだった。

 しかしその声は彼女のものとは思えぬほど――否、およそ人間の発してよいものでは無いほどに痛哭である。

 

 その理由は、彼女のHP。

 現在値ではなく、()()()

 本来の値からして実に()()()()()()H()P()が減損していた。

 

 先も述べた通り、【狂神獣妃 テスカトリポカ】の能力特性は生贄、犠牲。

 弱いマグロが強さを求め、ただ只管に己が<エンブリオ>に全てを捧げたのが彼女だ。

 

 その彼女の名を冠する必殺スキルとは、果たしてどのようなものになるか。

 ……想像するのは難しくはないだろう。何かを()()にするものであることは明白。

 

 ではなにを?

 あらゆる可能性を<エンブリオ>、テスカトリポカそのものに捧げたマグロが、これ以上何を捧げられるというのか。

 ましてや<エンブリオ>の名を冠する必殺スキルである。その効果は概して劇的で、まさしく必殺級である必要がある。

 最早出涸らしのような<マスター>から尚も搾取し、必殺を冠し得るほどの効果を見込むには……それ相応の代償が求められた。

 

 それこそが即ち()()H()P()

 何もかもを捧げる風にパーソナリティを固めたマグロの、最後の手段。

 

 その効果は至極単純。「減損した最大HP量に反比例したテスカトリポカの強化」。

 強化効果は発動時より敵対者が存在しなくなるまで続き、その敵対者が消え戦闘が終わったあとも減損した最大HPは元には戻らない。

 回復するにはデスペナルティを経て完全回復する他に無く、どの<マスター>よりもデスペナルティを恐れるマグロにとって、正真正銘最後の手段と言うべき必殺にして必死スキル。

 

 その上でも九割もの最大HP減損は恐るべき強化倍率を叩き出し、<SUBM>と<上級エンブリオ>の出力差を踏まえて尚【グローリア】に倍するステータスをテスカトリポカに授けた。

 無論、それは一時的なものである。死に瀕すれば瀕するほどより強靭を実現する【グローリア】を相手には、必ずどこかで頭打ちになることは必至。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

『控えよ超竜。そして刮目せよ、我が至高の贄の流血と歌声を。貴様に聴かせてやるには惜しい調べだ』

 

 痛みに焦がれ、多大な痛みに慣れているマグロをして絶叫に至るのは、その不安定極まりないHPの増減にある。

 第一の固有スキル《贄の血肉は罪の味》は、第六形態に至った今発現当初とは比べるべくもない強化倍率を叩き出す代わりに、時間当たりの減少速度も著しく上昇している。

 その中で九割もの最大HPを失えば……消耗は即ち死の領域であり、スキルが齎す痛みは死に近づくほどに苛烈さを増す。

 

 その上で併用した【延命投与 オーバードーズ】は、セットしたポーションの薬効を著しく高める代わりにある種の副作用を齎すようになり、一部病毒系状態異常を誘発する。

 そのラインナップはHPを消耗する状態異常以外の()()

 即ち《酩酊》《衰弱》《宿酔》《風邪》……どれか一つでも著しく戦闘力を損なう極悪状態異常群である。

 

 だがマグロは元より自発的な戦闘能力の全てを放棄した異質の<マスター>。

 故に副作用さえ無視すれば最大限のメリットを受けられ――死ぬことがない。

 否、死ぬことが()()()()。チャンバーにポーションが満たされる限り、延々とこの苦しみを味わいながら生かされ続ける。

 飛躍的に高められた薬効は少量でも劇的な回復効果を発揮し、そもそものHP量が極小のマグロを対象とすればその持続時間は、およそ途切れる可能性を考慮せずともよくなるほど。

 

 故にマグロのHPは最大値からして底値に達しかけながらも枯渇しない。

 一見して減損した最大HPの範囲内で常に最大値を保ち続けるように見えるが、違う。

 

 HPは常に増減を繰り返している。

 一瞬の消耗と一瞬の回復。それらがせめぎ合い、しかし最大値故に下限と上限を行き来し続ける。

 地獄の苦痛を伴う臨死と賦活を、呪われし特典武具で延々と維持されながら。

 地獄に地獄を重ねた無間地獄の如き有様をして、マグロは健気にテスカトリポカを支え続ける。

 

(わた、わたしが……)

 

 痛苦に悶える身体とは切り離された意識でマグロは思考する。

 およそ常人には不可能な、あらゆる痛みに敏感かつ鈍感という矛盾した性癖を芽生えさせた彼女だからこそ可能な、思考。

 弾け飛びそうな濁流の中、自我を繋ぎ止め思いを馳せるのは、未だこの場に参じぬ三名の<超級(英雄)>。

 

(わたしがここで頑張れば、あなたたちは()()()()ますか……?)

 

 この期に及んで彼女が想ったのは、きっとかの大敵を討ち滅ぼしてくれるだろう三名の姿。

 いずれも王国に名立たる<超級>だが……それ故にきっと、その腰は軽くはないだろう。

 超竜が()()<バビロニア戦闘団>すらも壊滅に追いやった今、最早王国の希望は彼らしか無いはずだ。

 

 ああ、でも。だけど。

 それでも、()()()()()()

 彼らが間に合わなくなる可能性もあるかも()()()()

 観測班の予測を外れ、超竜が即座に活動を再開するかも()()()()

 予定より早く王国へ到達し、その猛威と絶望を揮うかも()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()――!

 

 そう考えると居ても立ってもいられなくなった。

 もしこの王国が滅びれば、私はどこで生きればよいのだろう。

 あるいは他国に流れて生きる術もあるかもしれない。

 だけどこの<Infinite Dendrogram>に降り立ってより、長く王国で培ってきた幸せが消えてなくなるなんて。

 

 そんな未来は到底許容できなかった。

 何よりも大事な()を賭してしまえるほどに。

 

 <マスター>とティアンの命は等価ではない。

 前者にとって命は幾らでも存在し、時間こそ消費すれ代えの利くものだ。

 後者にとって命は一つしかなく、決してかけがえのない大事なものだ。

 

 その確固たる事実の狭間にありながら、<マスター>なのにティアンの如く命を惜しむマグロ。

 そのマグロがこうも命を削って、いつ灯火を吹き消すともしれぬ最前線に身を置くということがどれほどの重みを持つのかを、きっと誰も知らない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 他ならぬマグロの<エンブリオ>であるテスカトリポカだけは。

 

【カトリ様……】

【ああ】

【一秒でも長く……一分でも長く……一日でも長く……】

【ああ……!】

 

【――()()()()()()()

【――()()()!!】

 

 その念話を最後に、マグロからの交信は途絶えた。

 残るは絶叫。そしてその中で尚も手綱を握り締める<マスター>の細腕のみ。

 

 狂獣を象る神は、贄の献身に吼えた。

 

 

 ◇◆

 

 

 そうしておよそ半刻後。

 体感時間にしてその数倍の時を経て遂に、勝敗は決されようとしていた。

 

 超竜、【グローリア】――三つ首ともに健在。しかし全身には無数の裂傷、無数の口が開く。

 <マスター>【獣神】マグロ並びに<エンブリオ>【狂神獣妃 テスカトリポカ】――満身創痍。

 

 いつしか絶叫は止み、喘ぐような呼気だけが響いていた。

 何のことはない。最早絶叫すら絞り出せぬほどに喉を酷使し、遂に潰れてしまっただけのこと。

 手綱を握るマグロは、しかしその手だけをかろうじて形を残し、他は四肢、体幹の三割、即座に致命に至らぬ臓器を複数損失し、最早上体と右手、頭部のみを残すばかりとなっていた。

 寧ろそれでも手綱を手放さぬ執念こそ恐るべきで……それでも尚死に切れぬ()()がまた、悍ましい。

 

 テスカトリポカは、マグロに比べれば幾分も()()だった。

 全身に傷を負い流血も酷く、HPも風前の灯火であったが、それでもマグロと比べれば本来のカタチを留めていた。

 それはテスカトリポカが四肢のいずれかを欠損すればそこで全てが決してしまうという事前の打ち合わせにより、極限状況でテスカトリポカの無事を優先した結果であった。

 それ故に幾度となくマグロを極光に晒すこととなり……その上で最大限マグロを生かすべくテスカトリポカが尽力した結果が、これだ。

 

 知らぬ者には無様に見えよう。無謀のツケと哂われよう。

 だが本来<超級>を当てるべき()()へ<上級エンブリオ>に過ぎぬ身が挑んだ結果として見れば――この戦果は全くの()()であった。

 なにせ未だデスペナルティに陥っていないのは勿論、<エンブリオ>だけとはいえマトモな形を留めているのに加え――

 

『Flulululululu――』

 

 【三極竜 グローリア】のHPが()()()消耗しているのだから。

 

 この結果は【グローリア】にとって驚くべき光景であった。

 強さの判別に優れる【グローリア】からして明らかな()()である彼女ら二人を相手に、少なくとも一本角は明確に蹂躙の意思を見せたというのに、未だ生存している。

 眠るように双眸を閉じていた三本角までもが片目を上げ、その結果を齎した二人を視界に認めていた。

 

 そして【グローリア】は惜しむ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()……。

 或いは三つ首のいずれかが、屠られていたかもしれない。

 そう思うと彼らの至らなさが惜しくてならず、無念だった。

 

 しかし現実は無情だ。結果も同様に非情である。

 勝敗が決した以上、最早彼らは()()ではない。

 眼前より消え失せるべき()()である。

 

 故に一本角は顔を二人の目前に据え、口腔を開いて極光を湛えた。

 それがせめてもの餞であるかのように、瀕死の二人を屠るには過剰に過ぎる奥義を放たんとする。

 

 その極光を前にして、二人は。

 遂にHPが底をつき、やがて端から光の粒になりつつあるマグロは。

 そんな己がマスターを止める術も無く、今極光に呑まれんとしているテスカトリポカは。

 

(ああ……()()()……()()()()()()()()()……)

()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 最後まで無念を噛み締め、涙を流した。

 

 たった半刻に過ぎない時間稼ぎ。

 おそらくはいてもいなくても()()()()()()()()孤軍奮闘。

 誰にも知られず、誰に求められることもなく、人知れず挑み敗れて消え行く今際。

 その結果がこれであることが、()()()()()()()()()……!

 

(ますたぁ、われらにはむだがおおすぎた)

(わたしたちにはチカラがたりなかった)

(あるべきスガタをみうしなっていた)

(ずっとイケニエをむだにしていた)

(ヨのあるべきすがたはここにあった)

(わたしがしんじるべきかみさまのカタチはああだった)

 

 無謀な挑戦により思い知った【グローリア】の三大コンセプト。

 "純粋性能"、"多重技巧"、"条件特化"。いずれも二人の上位互換。

 畏敬すべき()()の姿を脳裏に焼き付け、これより二人は消滅する。

 

 その高みを踏破する栄光を浴びる誉れに授かれず、その魂魄を身に纏うこと叶わぬ至らなさを噛み締めて。

 ただ頂の縁に手をかけるものなれど――――

 

(ああ、でも)

(ええ、でも)

 

 それでも尚、二人は折れず。

 睨め上げるような羨望を以て、こう吐き捨てるのだ。

 

 

((――――()()()()))

 

 

【致死ダメージ】

【蘇生可能時間経過】

【パーティ全滅】

【デスペナルティ:ログイン制限24h】

 

 

 ――――()()()()()()

 

 




はい、というわけでまさかのグローリア戦でした。
時系列的には<バビロニア戦闘団>の壊滅後、【グローリア】が丸一日かけて心臓を再生した直後になります。
主人公たちの介入で【グローリア】の進行が半刻分だけ遅れました。

原作では結局<超級>を生み出せずに終わった【グローリア】戦。
拙作では主人公が<超級>に覚醒するきっかけとして利用させていただきました。
たぶん管理AIたちはびっくりしてます。「よくやった」くらいには思ってくれるんじゃないでしょうか。
主人公たちの<超級>としてのスペックとかは、いつか描写していきたいと思います。

……とりあえず、作者として書きたい部分は一気に書いてしまった感じです。
勿論今後も更新は続けたいと思いますが、何分原作も予断を許さぬ状況ですし、完全にオリジナル話を作るとなると時間も要しますので、やはり不定期投稿になってしまうことを予めご了承ください。

……原作のグローリア戦、いいよね。
まぁどの章も最高に面白いのですが、グローリア戦は特に際立ってると思います。
そんなグローリア戦に介入して、他キャラと関わらずに終わったとはいえ、こういう話を展開してしまったのは、やり遂げた感と同じくらいやってしまった感もあったり。
それでも面白いと思っていただける読者様がいらっしゃるなら、作者は嬉しいなって。

長々と失礼いたしました。
それでは。


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<超級>編
一年振りの帰郷


先に言っておきます。
<ゴブリンストリート>ファンの皆様ごめんなさい!

※一部修正
 状態異常攻撃の内容を変更。
 それに伴って描写も微修正。


 

 □【獣神】マグロ

 

 

 西方から吹き荒ぶ風は冷たく、乾き切って砂を巻き上げる。

 何もかもが風化し不純物を含まない大気は宙の果てまでも映し出し、満天の星明かりを湛えている。

 日も沈みきった夜だというのに不思議なほどの眩さを誇る此処は<ヴァレイラ大砂漠>。

 大陸中央に位置する商業国家カルディナの領土の九割九分を占める無窮の荒野の、最西端だった。

 

(綺麗だなぁ……)

 

 心の底からそう思う。

 環境汚染とは無縁の<Infinite Dendrogram>で、自然はいっそ生存が過酷なほどに原始の姿を見せることも珍しくもなく、この<ヴァレイラ大砂漠>から見上げる夜空は、外界を漂うグランバロアの船上から見上げるそれと甲乙付け難く美しい。

 日中は照り付ける太陽でそれも難しいのだけど、この砂漠特有の身を切るような寒さと引き換えに照らし出される星空は、きっとカルディナ一の大芸術なんじゃないかな。

 

「どうですお客人、カルディナの夜は。言っちゃあなんですが、大したもんでしょう」

 

 乗り込んだ竜車を駆るカルディナ商人のおじさんが自慢げに誇る。

 私はコクコクと何度も頷いて同意しながら、視線を夜空から竜車の向かう先へと移した。

 

「街で見上げる夜空も活気があっていいんですがね、しかしゴミゴミしてるのも否めない。この遮るもののない絶景を見渡せるのは、あたしのような行商人の特権ってやつですなァ」

 

 目を細めて懐かしむように思いを馳せるこのおじさんは、もう四十年もカルディナとアルター王国を行き来する行商人なのだという。

 竜車を牽く【二瘤亜竜(バクトリアン・デミドラゴン)】に似てでっぷりとした体格の彼は、カルディナでも有数の実力を誇る大商人の一人でもある。

 コルタナに本店を置き、彼自身はとうの昔に息子さん(婿養子らしい)に跡目を継がせているのだけど、この風景を忘れられず単身で今も行商に乗り出しているのだとか。

 その見た目に反しておそろしくフットワークの軽い御仁である。濃い褐色に灼けた肌は彼の年季の証とも言え、なんとも人好きのする気のいいおっちゃんであった。

 

「いやしかし、<マスター>さんってのは凄いもんですな。あたしが若造の頃は大勢護衛を掻き集めてえっちらおっちら砂漠を越えたもんですが……いやはや、こんなにも身軽な砂漠越えは初めてですわい」

 

 彼――ムッタゴさんと出会ったのは数日前、"商業都市"コルタナだ。

 ちょうどその頃王国への足を探していた私と、同じく王国へ向かうため護衛を求めてギルドへ求人を提出しにきた彼とで受付前で出会い、偶然にも目的地が一致したことで話しかけられたのがきっかけだった。

 

 最初は私が<マスター>ということで若干渋られたのだけど、私は他の<マスター>みたいに飛ばされたり(ログアウト)しないからということを説明。

 というのも<マスター>ってログイン時間の関係でこうした長期間拘束される護衛依頼には向かないのだけど、その点私は食事も排泄も機械任せだからオールオッケー。

 睡眠についてもショートスリーパーな私にとっては大した問題でもなく、お安くしときますよって売り込んだこともあって了承を得られたという経緯だ。

 

 その結果は……この上機嫌なムッタゴさんを見ればお分かりいただけると思う。

 なんだかんだで<超級>な今の私達なら、まぁ彼一人を護衛するのは難しくないし。

 現に今もカトリ様が周囲を警戒してくれている。一方で私は何もしてない。

 <超級>になった今でも……というか、<超級>になってから余計にこの他力本願スタイルに磨きがかかったような気もしたり。

 

 そんなことをつらつら考えていたらカトリ様に動きアリ、と。

 ……魔蟲の巣かぁ。やっぱりこの辺というか、砂漠は多いよね、魔蟲。

 コルタナ南西の【サンドホール・ワーム】の巣ほどじゃないけど、ちょっと探ればうじゃうじゃ見つかる。

 

 カトリ様がささっと首を突っ込んで……うん、処理。戻ってきたカトリ様の頭を()()()()()労うと、かぷりと甘噛みされた。

 アイテムボックスから果物を取り出して差し出すと、あっという間に平らげられた。

 

「お連れ様にも大変助けられまして、いやぁありがたいことです。こりゃいい商いをさせていただきましたなァ」

 

 調子よく声を弾ませる店主に、カトリ様が呆れたような視線を向ける。

 それに気づいてか気づかないでか、カトリ様へ高級フルーツを差し出して頭を下げるムッタゴさん。

 

「これは失礼を。ささっ、こちらもどうぞ。あなた方に出会えたのは天の配剤ってやつでしょう。頼らせてもらいますよ」

 

 ほんとに調子のいいおじさんだ。それが嫌味じゃないのが如何にも人徳、って感じなのだけど。

 当たり前と言わんばかりに果物を一口に呑み込んだカトリ様に代わって頭を下げる。

 

 彼との旅は話題が尽きず、いろんな成功談失敗談、笑い話に泣き話なんかを語り聞かせてくれるものだから、すっかり退屈しない。

 普段は()()()ささっと国境を越えてしまうから、こんなに時間の掛かる国境越えは久々だけど、さすがに<ヴァレイラ砂漠>を単身で越えるのはしんどいって言うものだしね。

 その点で言うとムッタゴさんの依頼に食いつけたのは、私にとってもすごく運が良かった。

 

「今回の商いは期待できますからね。なんせ<超級激突>! 遠路遥々黄河からやってきた<超級>とギデオンの決闘王者がぶつかるってんですから、そりゃあもう過去にない大盛り上がりでしょうなァ。実を言うとですね、今回の商いは半分以上それ目当てでもあるんです」

 

 そう言って取り出したチラシにはデカデカと「<超級激突>!!」の煽り文句。

 黄河の決闘ランキング第二位――迅羽さんと、ギデオンの決闘王者――【超闘士】フィガロの簡易プロフィールと共に、その他ランカーたちによる前哨戦などのプログラムが紹介されている。

 

 読み終えて、そっと懐から同じく紙面を取り出すと、ムッタゴさんと顔を見合わせて互いに頷いた。

 

「ほほう、あなたも……」

「…………」

 

 ……何を隠そう、私の目的も実はこの<超級激突>なのである。

 カルディナに渡る前に身を寄せていた黄河で聞きつけたんだけどね、それが確実だって分かって先んじてギデオンに向かおうと準備したわけだ。

 まぁ黄河から王国まではかなり遠いから、急いだところですんなり到着ってわけにはいかないんだけども。

 

「っと……そろそろ日が昇りますな。この調子なら昇り切る前に砂漠は抜けられるでしょう。そのあとは<クルエラ山岳地帯>の麓で一泊してから山を越えますよ」

 

 <クルエラ山岳地帯>か……何もかもが懐かしい気分だ。

 もう一年近くになるのかな? ()()()からすぐに王国を発ってあちこちを巡っていたから、こうして王国領に足を踏み入れるのはその日以来だ。

 

「ご存知かとは思いますが、あの一帯は山賊どもの根城ですからね。御二方には期待しておりますよ。……まっ、ここまでの道中を思えば、安心だとは思いますがね!」

 

 ……ムッタゴさんの欠点を一つ上げるとすれば、この妙にフラグを乱立させるような楽観的なところかな。

 どうにも<マスター>に憧れを抱いている節が強く、無謀にも私達だけを護衛に砂漠越えするような御仁だし、そこだけは心配。

 大商人なのにそれでいいのかなぁ……まぁ、お仕事はちゃんとしますけどね。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 何か騒動が起きると思った? 残念平和でした!

 あからさまにフラグを立てたムッタゴさんだけど、彼の言に反して<クルエラ山岳地帯>の道中は至って平穏なものだった。

 カトリ様の索敵範囲にちらほら反応は見えるらしいけど、いずれもこちらを襲う気配は無しとのこと。

 それが如何なる理由によってかは分かりっこないけども、結果として面倒が起きないのならばそれに越したことはない。

 ひょっとしたら小道を進んでいるのが功を奏したのかもしれないね。一般的な商隊ならともかく、私達はムッタゴさんの竜車一つだけの身の軽さだから、こういう入り組んだ経路も取れるというのは強みだ。

 

 この辺の山賊は単なる傭兵崩れや落伍者の類ばかりではなく、噂ではカルディナの息が掛かった手の者も混じっていたりしてるらしくて、王国・カルディナ共に迂闊に手の出しにくい微妙な立地であるらしい。

 そういう国際情勢ってやつはよくわかんないんだけど、要は上手いこと牽制しあっている面もあるので、結果として均衡が取れているってことなんだろう。

 もしくは単純に気づいてないだけなのかもしれないけど、まぁいいや。

 

 王国からカルディナへ渡ったときは自力で()()()()()()ものだから、その辺まるっとすっ飛ばしちゃったんだよね。

 直後に砂漠で見通しの甘さをまざまざと思い知らされたのも、今となっては良い思い出だ。

 

「なんだか懐かしいなぁ……」

「おや、お客人は王国に御縁がおありですかな?」

「ええ、王国出身ですから。といっても戻ってくるのは一年振り……なんですけどね」

 

 ――そう、もう一年にもなるのだ。

 あの【グローリア】との戦い、その敗北から。

 あの時王都を発ってから諸国を周遊していた一年間で、王国はすっかり様変わりしてしまっている。

 

 まず【グローリア】に関してだけど、結局アレは私が死んだあとに王国が誇る<超級>三人が討伐を果たしたらしい。

 MVP特典として三者それぞれに特典武具が与えられたらしく、再ログインしたときには既に王国中お祭り騒ぎで、特に王都では昼も夜も無く彼らを<アルター王国三巨頭>として誉め讃え、飲めや歌えやの大賑わいだった。

 

 一方で私はというと、【グローリア】との戦いで感じたあれこれが未だ尾を引いていた具合で、どうにもお祭り騒ぎに乗じる気にもなれず一人悶々として、いつの間にか自分も<超級>に到達していたことに気づいてびっくりしていた。

 ある意味これが私のMVP特典かなと思いながら詳細を確認してみると――噂には聞いていたが、<上級>と<超級>とでこれ程の差があるものかと戦慄した覚えがある。

 

 ただまぁ第七形態に至ったカトリ様のこともあって余計に王国だけで活動することの限界を悟った私は、そのまま国を越えて活動する決心を固めた。

 その日の内に身の回りの整理をつけると、必要最低限の準備を整えて出国。

 その後カルディナ、黄河、天地……と各国固有のモンスターなんかを狩りながら旅をしていたら、今度は王国と皇国との間で戦争なんてものが勃発した。

 

 あの時の衝撃といったらなかった。

 王国出奔までの四年近くを過ごした中では、まさか王国と皇国とで戦争に発展するまで関係が悪化するなど想像だにせず、そもそも私が知る王国と皇国は仲良しさんとばかり思っていたから、完全に度肝を抜かれた。

 

 その上で更に私を驚かせたのは、その戦争が実質王国の敗北で終着したこと。

 なんでも【グローリア】戦で活躍したスターリングさんを始めとする<三巨頭>がまさかの不参戦を表明し、一方で皇国は当時所属していた<超級>やその他有力者全員が参戦したために戦力差は絶望的なまでに広がっていたのだとか。

 

 ……私としては、フィガロさんはともかくスターリングさんが参戦しなかったことが強く気になるところだけど。

 前者は常々ソロ専門を表明しているから分からなくもないけれど、スターリングさんの場合はとてもじゃないけどみすみす見過ごすような人とも到底思えないだけに余計に不思議だった。

 ちなみに最後の一人――王国トップクランのオーナーさんに関してはよくわかんない。接点無かったし。ただ元々王国と不仲っぽい噂は聞いていたので、その辺の事情が拗れたんじゃないかな。

 

 ともあれ、結果として王国は皇国に惨敗。王様や噂の【大賢者】も討ち死にした挙句、多くの騎士団も壊滅に陥ったようで、あわやそのまま併呑か――というところでカルディナの横槍が入って一時休戦と相成った……らしい。

 これらの情報は全て<DIN>で高いお金を払って手に入れたものだ。速報が飛び交う端から購入していったから、随分と散財したものだけどね。

 

 当時の心境は……とてもじゃないけど言葉では言い表せない。

 あの【グローリア】のときでさえ最大級の王国の危機で、そのときは私もまだ王国内にいたから私なりに行動を(その意義はともかくとして)起こすことができたけれど、皇国との戦争に関しては完全に蚊帳の外だったから、本当にまいった。

 

 もしあのとき私が王国にいたなら……とは、当時何度も考えたものだけど。

 だけど当時天地にいた私に戦争へ参ずる術は無く、指を咥えて続報を待つしかなかったのが、未だに悔やみ切れない。

 ……そもそも、あの大惨事からたった半年足らずで更なる凶事が王国を襲うなんて、とても信じたくはなかったのだけど。

 

 そういう意味で、私の皇国に対する想いは複雑だ。

 何故? どうして? という疑問がまとわりついて解けない。

 国同士のことだからきっと余人には知れぬ思惑があったのだろうけど、それに巻き込まれる民としては堪ったものじゃないだろう。

 私もまた、気持ちは今も変わらず王国民であるからこそ、当時その場に居合わせなかった間の悪さを嘆かずにいられない。

 ……思い上がり、なんだろうけどね。

 

『最早過ぎたことだ。急くなよマスター、そなたが為すべきは後ろを振り返ることではなく、前を向くことだ』

 

 なんて思い悩んでいたら、珍しくカトリ様が気遣ってくれた。

 ()()姿()のときのカトリ様は割りと無口だから余計にギャップがあって、それが却って嬉しくなる。

 指で擽るように撫でてから果物を差し出すと、彼女はそれを一呑みにした。

 

『美味い。……しかし王国か、たった一年で何もかもが懐かしく思える』

「そうですね……またレムの実を食べたいものです」

 

 本当に。

 いろいろと思うところがあっての出奔と帰郷だから、余計に気持ちがセンチメンタルになってしまうのかな。

 ……あんまりしんみりするのも柄じゃないな、もっと楽しいことを考えないと。

 

「今日の夜にはギデオンへ着くようですよ。楽しみですね、<超級激突>」

『そなたは本当に好き者よな。いっそ参加してみてはどうだ? 余も力を揮うに吝かではないぞ』

 

 第七形態になってから随分と落ち着きを増したカトリ様だけど、根っこのところで戦闘狂なところは相変わらずだ。

 私が闘技者に、かぁ。考えたことはなくもない。

 私自身はともかく、カトリ様なら結構いいとこいけそうだし、ランカーの仲間入りもできるかもしれないけれど。やっぱり……

 

「私はガラじゃないですよ。いつも言ってるじゃないですか」

『……そうだな。そなたが闘技者など……肉食獣の檻に生肉を投げ込むようなものであった』

 

 その通りなんだよなぁ……結局私は、<超級>になっても弱いままだし。

 だからこうして、今もカトリ様に頼り切り。彼女の助けが無ければ満足に生きていけない私だから。

 まぁ、今更なんですけども。

 

 闘技ファンになったのは、その反動なのかもしれないね。私自身がああいう風に戦えないからこそ、ああいう人達への憧れが強くなる。

 そういう意味で今回の<超級激突>は、私にとっても良いきっかけとなったのだと思う。

 敗戦に陥った王国に気を揉みながら、一方で参戦もできなかった居心地の悪さに足踏みしていたところを、このイベントが背中を押してくれたのだから。

 

 ……スターリングさんにも会えるかな。

 結局【グローリア】との戦いのあと、彼とは一度も会わずに王国を離れたから、積もる話も結構ある。

 あと彼にだけは私が<超級>になったことを報告したいし。彼には随分とお世話になったからね。

 お互いにほぼログインしっぱなしなことは、フレンド画面で確認できていたんだけども。

 

「ムッタゴさん、少し仮眠をいただきますね」

「ん? おお、かしこまりましたぞ。周囲はよろしいですかな?」

「ええ、あとは私の<エンブリオ>が片付けてくれますので」

 

 そんなことをつらつらと考えていたら、ほんのり眠気が襲ってきた。

 なのでムッタゴさんに一言断って竜車に篭もる。身の安全はカトリ様が保証済みだからね。

 

 <超級>になって一番嬉しかったのは、こうして丸ごと任せて私は楽できるということだ!

 そういうわけなんでよろしくお願いしますね、カトリ様!

 

『愚物めが……』

 

 聞こえなーい聞こえなーい。

 あとが怖いとかも知らないわからなーい。

 ではではおやすみなさーい。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 寝入った<マスター>を見送り、テスカトリポカは周囲を見渡す。

 竜車は既に山頂を迎え、眼下に幾筋もの街道とその先のギデオンを臨む位置にあった。

 緩やかな下り斜面には、自分達の乗るものとは別の竜車が幾台か走る。彼らもまたムッタゴと同じくギデオンでの大興行に商機を見出したカルディナ商人達だろう。

 ムッタゴのような道楽行商とは違い、後列に幾つもの竜車や護衛を引き連れて、満載の荷と人員を誇る彼らは堂々と大道を渡っていた。

 

「あー……つまんねェ、獲物を前にお預けかよ。サクっと殺って奪っちまえば終いじゃねーの?」

「バッカ言ったろ、カルディナ相手は分が悪ぃって。オーナーだって今ログアウト中なんだ、<ウェズ街道>の二の舞いはイヤだろ?」

 

 そのように目立つ一団だからこそ、舌舐めずりをして付け狙う捕食者達も存在する。

 山間を貫く大道を山の中腹から見張り、望遠のマジックアイテム越しに荷を満載にした竜車を眺め、嘆息した。

 彼らは王国のPKクラン、<マスター>もティアンも区別なくまとめて略奪する<ゴブリンストリート>。

 

 誰もが恐れる悪名を轟かせる彼らだが、しかし今は慎重だった。

 以前依頼を受けて王国西部の<ウェズ海道>を封鎖していた頃にくらった思わぬ<超級>による粛清によって、当時そこにいたメンバー全員がデスペナルティとなり、その大半がそれまでの罪状によって"監獄"送りになったことで、彼らの活動は否応無く縮小せざるを得なくなった。

 

 その騒動の後帰還したオーナーの意向もあって河岸を変え、この<クルエラ山岳地帯>に拠点を移した彼らだが、現在はまた折り悪くそのオーナーがログアウト中のため、大物を前に我慢を強いられている。

 そうでなくとも、かのオーナーはカルディナとの摩擦を厭い、手出しを禁じていたであろうが。しかし下っ端にすぎぬ彼らにオーナーの意図を解する思慮は無く、命令と欲望の狭間でウズウズと身悶えしていた。

 

「見たとこティアンばっかじゃねーか。<マスター>もいないんじゃオレ達の敵じゃねーべ?」

「オーナーにブチ殺されてもいいんなら好きにしろよ、少なくとも俺はイヤだね」

「ンだよ……つまんねェの。あーあ、()()()()()()なのにつまんねェ」

 

 彼らは生粋の"遊戯"派であった。悪役RPが面白そうだから<ゴブリンストリート>に加入しただけの少年たちだ。

 それ自体は特段不思議ではない。多くのものにとってこの<Infinite Dendrogram>はゲームに過ぎず、彼らはその箱庭を自由に遊ぶ"プレイヤー"に過ぎないのだから。

 彼らの目には、あらゆる情報、あらゆる命が、精巧な3()D()C()G()かクオリティの高い()()()のようにしか見えないこともまた、その認識に拍車を掛けている。

 

 たとえば今この瞬間欲望に身を任せて、独断で眼下の商隊を襲い――少なくともティアンにとってかけがえのない命を奪ったとしても、彼らは愉しげに笑うだろう。

 有象無象のNPCの屍を漁りながら、大量の獲物を前に小躍りすらするかもしれない。

 命令に反したとしてオーナーの罰を受けるかもしれないが、けれど最後には笑ってその分け前に目を輝かせるに違いない。

 

 重ねて言うが、彼らのスタンスは何も間違ってはいない。

 この<Infinite Dendrogram>は自由だ。あらゆる生き方は個々人の主観によって許される。あらゆる悪事を働こうとも、運営がそれを誅する法は無い。

 しかしだからこそ――彼らを襲う()()()を止める法もまた、存在しない。

 

『愚物が……』

「あん? なんか言ったかオマエ」

「いやなにも……ッ、おい!」

 

 テスカトリポカは、彼らの欲望に満ちた吐露の全てを間近で聞いていた。

 左手に紋章を刻む彼ら<マスター>の存在を認め、その動向を探っていたのだが……彼らの振る舞いは、テスカトリポカの怒気を煽った。

 彼女の美観に照らし合わせて()()彼らがまずひとつハードルを下げ、次に彼らが<マスター>であることが更にハードルを下げ、最後に彼らがP()K()であることが彼女の横暴を後押しした。

 

「……? ッ、から、からだが動か、ねェ……!?」

「おいお前、そのカウントは……!」

 

 彼ら二人のうち、愚痴を溢していた男がまず異変を察知した。

 全身が金縛りにあったように動かず、伝えるべき感覚を五体から遮断する。

 簡易ステータスを見ればそこには【麻痺】【呪詛】【呪縛】【死呪宣告】、四種の状態異常。

 かろうじて【麻痺】は装備効果により深刻な影響は防げたものの、極めて強力な【呪詛】の影響で激化した【呪縛】が全身を拘束する。

 特に致命的な【死呪宣告】のカウントを止めようにも、彼のMPでは強化された【呪縛】をレジストするには到底足りない。

 その【死呪宣告】もまた【呪詛】の影響でカウントダウンを早め、それを恐怖に引き攣った顔で眺めながら――やがて彼は光と散った。

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」

 

 正体不明の死の宣告に恐れを為し、震える脚をもつれさせながらも逃げようとしたもう一人だが、それも叶わない。

 夜闇に染まりつつある<クルエラ山岳地帯>の、その夕日の向こうに何者かの視線を認めて――

 

「お、お、俺もぉおおおおおお!?」

 

 同様に四種の状態異常を負い、数秒の後に光を放って消えた。

 今わの際に、同じ恐怖に顔を歪めながら。

 

 

 ムッタゴの駆る竜車からカルディナ商隊の走る大道までおよそ七〇〇メテル。

 彼ら<ゴブリンストリート>の構成員二人が監視していた地点は、そこより更に二〇〇メテル。

 途中の迂回路も含めれば、その総距離――実に一〇〇〇メテル。

 

 

 テスカトリポカは、マグロのもとから()()()()()()()周囲約一キロメテルを()()見ていた。

 

 

 ◇

 

 

『……我ながら些か大人気なかったか』

 

 彼らにとっては不運だったろう。

 その欲望は結局未遂に終わり、本来誰も犠牲にならずに済んだ此度の山越え。

 しかし偶々、彼らにとっては他愛もない駄弁り愚痴を聞かれただけで、結果としてデスペナルティを負うはめになったのだから。

 

 テスカトリポカはチロチロと舌を風に晒しながら、今しがた仕留めてしまった名も知れぬ<マスター>たちを振り返る。

 彼らの言に必要以上に腹を立てデスペナルティに追い込んでしまった理由には、彼女もまた一年振りの帰郷に懐古を震わされたからか。

 かつて未熟だった頃、ああした手合に何度かPKされた思い出を、再び王国の土を踏んだことで思い起こされたからかもしれない。

 いずれにせよ今の一連の暗殺劇は、完全にテスカトリポカの八つ当たりであった。

 

『余も人のことは言えぬな』

 

 彼女はバツが悪そうに頭を振って、スルスルと数秒の間もなく竜車に舞い戻った。

 殺してしまった彼らには悪いが、日頃の行いと思って勘弁してもらおう。

 そう心のなかで言い訳して、彼女は久々に人間の姿に戻って<マスター>を枕に目を閉じた。

 

 




<超級>到達後なので、その力の一片だけでもなんとか描写しようと思いましたが。
……うん、ゴブストの下っ端二人には悪いことをしてしまいました。
エルドリッジ兄貴を当て馬にしなかったのがせめてものリスペクト。まぁこのあと迅羽さんにコロコロされるんですけどね(

ともあれそんなこんなで<超級>編です。
時系列的にはゴゥズメイズ討伐前後、フランクリンのゲーム開始前。<超級激突>に賑わうギデオンですね。
二次創作の観点からすると、結構面白い時間軸なので頑張っていきたいと思います。
基本的に一人称視点でゆる~く描写していくつもりです。
今後ともよろしくお願いしますね。


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再会、そして…… ~あなたと私でクママグロ~

クマニーサン便利すぎ定期


 

 □【獣神】マグロ

 

 

「毎度あり! お客さん運がいいねぇ、ちょうどそいつで品切れだよ」

 

 夜更けにギデオンに到着したあと、依頼は完了ということで報酬を受け取ってからムッタゴさんと別れ、宿で一泊したあとダフ屋へ直行し目当てのチケットを購入した。

 チケットというのは言うまでもなく<超級激突>のもので、せっかくだから少しでもいい席をと思ったのだけど……いやぁ間に合ってよかった!

 ほんとは到着してすぐに向かったんだけど、生憎と営業時間が過ぎてしまっていたものだから、先に完売するんじゃないかと夜を過ごす間気が気でなかったよ。

 朝起きて即行で向かったんだけど、ギリギリ最後の一枚を手に入れられてラッキーってとこだ。

 

 お値段は即金で二〇万リルと結構なモノだったけど、これでも<超級>の端くれだからね。

 ポケットマネーから二〇万リルPONとくれてやったぜふへへへ!

 ちゃーんとイベント中お金に困らないよう、お祭りを満喫できるだけの軍資金は用意してるしね。

 たまーに《窃盗》持ちのスリ<マスター>やティアンなんかもいるけど、そういうのは全部カトリ様が察知してくれるから問題なし!

 うふふ……闘技ファンとして今回のイベントをS席で眺められるのはファン冥利に尽きますなぁ。

 

「イベント開催までは暫くあるがどうする? この人通りだとおおっぴらに狩りをするにも不便であろう」

 

 カトリ様(街中なのでメイデンモード)がそう尋ねるけれど、もちろん答えは決まってる!

 さっきも言ったとおり、イベント期間中は余すことなくお祭り騒ぎを堪能するのです!

 久々にギデオンに来たんだから、ショッピングやらカフェやら食べ歩きやら、楽しめることは盛り沢山ありますしね。

 

「そういうわけなのでデートしましょうデート! カルディナは暑すぎてそういう気分じゃなかったですしね」

「まぁ……よかろう。フルーツパーラーでも回ってみるか」

「レムの実もありますよ、きっと」

 

 カトリ様も満更でもなさそうなので腕を組んで大通りを歩く。

 昔と違ってすっかり大きくなってモデル美女になられたカトリ様だから、持ち前の美貌もあって否応無く視線を集めて、<マスター>である私も鼻が高いというものだ。

 やっぱりねー私としてはねー、苦労を分かち合った<エンブリオ>が強くて美しくて頼りになるってのは……うへへへってあいたぁ!?

 

「妄言が鬱陶しい」

「しゅ、しゅみません……」

 

 久々のデート、もとい連れ歩きなので舞い上がってたら強烈なデコピンをもらってしまった。

 危ない危ない……あやうく頭がパーンってなるところだった。いや手加減してもらってるのはわかるけれど、ステータス差を知ってる身からすると気が気じゃないマジで。

 

 こほん……ともあれ気を取り直しまして。

 一年振りのギデオンだけど、この街はまるで変わらぬ姿のままで、私が知るままの賑わいを今も沸かせていた。

 出奔前はちょくちょく訪れていたから余計にそう思うのだろうけど、半年前の敗戦が嘘のように人々は活気に満ち溢れ、各国から訪れる観光客の呼び込みや売り文句が飛び交い、喧騒だけど暇しない熱気に満ちている。

 

 大通りにはいろんな一座のテントが張られて並び、様々な大道芸で色褪せないパフォーマンスの数々を披露する。

 極彩色の衣装とメイクをしたピエロが子供たちと戯れる一方で、猛獣使いに玉乗りジャグラー、これまた色彩豊かな芸人が拍手喝采を浴びて輝いていた。

 

「ほう、これは見事な演奏だな……見たところ<マスター>か、あれはレギオンだな」

「ほぁ~……」

 

 中でも一際異彩を放っていたのが、<マスター>と思しき四人組による演奏だった。

 正確には一人の<マスター>とその<エンブリオ>三人組による演奏、かな?

 鳥をモチーフにした帽子の<マスター>を筆頭に、ケンタウロス、コボルド、ケットシーをそれぞれ模した<エンブリオ>楽団によるオーケストラ。

 そう、オーケストラだ。たった一人の指揮者と三人の奏者だというのに、奏でられる楽曲はフルオーケストラ公演にも負けないどころか遥かに凌駕する壮大さで、道行く人々を釘付けにしている。

 メンバーのラインナップはまるで"ブレーメンの音楽隊"のようだけど、動物の真似事で終わる物語とは異なり、プロ顔負けの大演奏だ。

 

「素敵な<エンブリオ>ですね……」

「<マスター>の技量も凄まじいのだろう。聴衆を虜にする技の冴え……ふっ、こればかりは余とて敵わぬな」

 

 私達は戦闘特化ですもんね。

 戦いにおいては妥協も容赦も無いカトリ様だけど、戦い以外の場面では意外にも謙虚だ。

 結局のところ独りよがりの力しか持たない私と違って、これを奏でる彼らは無数の人々をこうやって感動に導くことができるのだから、戦闘一辺倒の虚しさを思わされる光景です。

 

 だけど本当、素晴らしい演奏だ。

 正直なところ、この<Infinite Dendrogram>でも他に聴いたことがないくらい、あまりに隔絶した技量じゃないのかな?

 間違っても路上の大道芸にするには惜しい腕前というか、貴族様のお抱え……いや、王宮御用達になっててもおかしくない。

 なんというか、ジョブやスキルだけじゃなくて、素の技量も相当なもののような気がする。

 戦闘以外でこれだけ凄い<マスター>もいるんだって、それだけで新鮮な発見だ。

 

「ちょっと御捻り入れてきますね」

「邪魔はせぬようにな」

 

 あまりに素晴らしい芸なものだから、さすがにこれをタダで聴いては器が狭いというものだろう。

 他の人の邪魔をしないよう背を屈めながらコソコソと近づき、金貨を数枚地面に置かれた帽子に投じた。

 するとそれに気づいた<マスター>さんが優雅に会釈して、指揮棒を振り上げる。

 

「おおっ!」

「気前の良い御仁ではないか、得したな」

 

 盛大なファンファーレ(しかもF○verだ)を演奏の途中に挟み、御捻りのお礼を返してくれた。

 ……なんだこの<マスター>さん、正直めちゃくちゃ好き。

 鳥帽子の影に隠れたお顔も、かなり渋くてカッコイイ老紳士だし、私の中で株がググーンと上がったよ今!

 

「この感動、アフロ松田さんに並びそうですカトリ様」

「……それはあの<マスター>に対して失礼ではないか?」

 

 アフロ松田さん最高じゃん!

 あんなぐう聖そうはいないんだよ!?

 

 

 ◇◇◇

 

 

 音楽隊の<マスター>さんから離れあちこちを歩いていると、彼だけでなく他にもいろんな<マスター>が思い思いのパフォーマンスを演じている。

 途中出店で買ったりんご飴やらベビーカステラやらを食べ歩きながら眺めるそれらは、ティアンには出来ない<エンブリオ>所有者だからこそ可能なド派手なパフォーマンスが目白押しだ。

 クオリティで言えば音楽隊のお爺さんに匹敵するものは無いけれど、それでもそれぞれの個性の具現化と言うべき<エンブリオ>による演出の数々は、細かい要素を打ち砕いて圧倒する熱気に満ち溢れている。

 中にはヒーローショーのような演目もあって、小さなお子ちゃまたちが釘付けになって目を輝かせていた。

 

「しかしそなたまで一緒になってかぶりつきというのは如何なものか」

「いいじゃないですか、こういうのに年齢は関係無いんですよ!」

 

 かくいう私も夢中になる観客の一人で、子供たちにまぎれて声援を飛ばすのでありました。

 ……別に恥ずかしくないよね? 他にもパパさんママさんもいるし。家族連れだろって? 知らんな!

 

 そうして一緒になって声援を飛ばしつついよいよクライマックス。

 正義戦隊<エンブリオファイブ>と雌雄を決するべく悪の親玉が登場するっぽい流れになってきたのだけど……

 

『クマママママ……クマも侮られたものクマー』

 

 出てきたのはクマだった。

 

『クマのハチミツドラッグ侵蝕計画を邪魔立てし、あまつさえクマの配下たちをも数多屠ってきた貴様らの奮闘……しかしそれもここまでクマー!!』

 

 ぐわーっと肉球の柔らかそうな両腕を掲げ、なんか悪玉っぽいコスチュームで着飾ったクマのきぐるみが吼える。

 一見してコミカルな外見で恐ろしさの欠片も無いのに、無駄に声が悪のカリスマたっぷりなせいでひょっこり泣く子もちらほら。

 よく見ると正義側にもちょっぴり気圧されてる人がいるような。おい、それでいいのか正義の味方。

 

『クマママ……怖気づいたクマ? それも無理からぬこと、所詮人間如きがクマに勝てるはずもないクマー』

 

 実際クマに人間が勝てるはずはないだろうけど、でもここデンドロだし。

 現実基準が全く当て嵌まらないこの世界でクマの優位性を語られても……いやまぁそういう流れじゃないんだろうけどね?

 そんなクマ魔王(仮称)は鷹揚に戦隊の皆さんを眺めると、ついで観客席に目を向けた。

 

『しかしクマは一切の油断も容赦も無いクマ、有象無象の貴様ら相手にも決して手は抜かないクマ……』

「なにをするつもりだ……っ、まさか!?」

『そのまさかクマー!!』

 

 推定リーダーっぽい赤の人が驚愕を示すと同時クマ魔王は観客席に飛び込み、子供たちを一抱えにしながら壇上に戻って……ってなんか私も巻き込まれてるんですけど!?

 

『ククク……どうだ、手出しできまい。正義を信じる無垢な子供たちに、彼氏も連れず一人寂しく正義に溺れるような独身女……貴様ら正義の味方にクマを討てるか? 貴様らの守るべき者を道連れに、このクマを、悪を討てるか!!』

「くっ……!!」

 

 なんか私さりげにめっちゃディスられたんですけどぉ!?

 ちみっこたちに私が紛れ込んでるせいでめっちゃ悪目立ちしてるんですけどぉ!

 こっそり震えて笑ってんじゃねーぞイエロー!!

 

『こういうのをなんと言うのだったか……ああそうだ、草不可避である』

『完全に愉しんでますよねカトリ様!?』

 

 一人逃れたカトリ様がめっちゃ満面の笑顔でこっち見てくる。

 ていうか引き笑いまでして涙目も浮かべてるし、ここ一番の笑顔がそれってすさまじく釈然としねー!

 こういうときだけ指差して笑ってんじゃないですよ!

 

 そんな心の中の絶叫を他所に演劇は続く。

 守るべきものを盾にされ苦悩し葛藤する正義戦隊、それを見て悪の三段笑いをあげるクマ魔王。

 舞台上にあがれて笑顔満面の子供たち。そして羞恥に悶える私……

 

 ていうかさぁ、今更だけどさぁ。

 一目見てそうじゃないかとは思ってたけど、やっぱりこのクマさんって……

 

「なにやってるんですかスターリングさん……」

『しーっ! 今は演劇中クマ、おとなしく人質になってるクマー!』

 

 呆れて尋ねると、小声でそう叱られた。

 やっぱこの人私とわかって連れ出してきやがったな、マジゆるせねー。

 

 

 ◇

 

 

「いやーお疲れ様でした! 子供山さん流石の人気っぷりでしたねぇ」

「完全にうちらが食われてましたよ、もっと精進しないとなー」

「いやでもあのナリであの演技はズルいっしょ、こっちも笑いこらえるの必死だったし」

「リーダー最後ほとんど素で笑うのこらえてたもんね」

『お役に立てたならなによりクマー。子供たちも大満足でナイス演劇だったクマ』

 

 なんだかんだで演劇が終わって楽屋裏。

 取り囲む子供たちに握手やら抱っこやらをせがまれながら、なんとか包囲網を脱出して、クマ魔王――もといスターリングさんは正義戦隊の皆さんに歓待を受けていた。

 ジュースやらお菓子やらを広げて、束の間の休憩時間を楽しむ傍ら、なぜか私もお招きされてこの場にいる。

 

 肩身狭そうにちびちびとジュースを飲む私に「アドリブとはいえ巻き込んじゃってごめんねー」とピンクの中の人。

 やっぱりあれスターリングさんのアドリブだったのか。そしてあの台詞は台本になかったのか。

 これはスターリングさんにじっくりオハナシを聞かないといけないよなぁ?

 ここにお呼ばれしたわけも、一人大人が子供たちにまぎれて舞台上に連れ出されるのを見かねた詫びにということらしい。

 つまり彼らから見ても私の醜態は相当目立ったというわけだ。ガッデム。

 

『いやはや悪かったクマー。見かけた拍子についつい連行しちゃったクマ』

「予想外の流れでしたけどウケてたからいいですよ……これでスベってたら完全に私戦犯でしたし」

「あはは、まぁウチがゆるめのヒーローショーがウリだから? 普段は巻き込むとしても親御さんだけなんだけどね~」

「細かい部分は子供山さんにお任せしてましたけど、ひょっとしてお知り合いです?」

『そんなとこクマー。久々に会ったからつい魔が差したクマ、すまんクマー』

「いやいや、全然オッケですってウチら。ウケれば正義だし、なぁ?」

「そうそう、正義の味方的に」

 

 そんなヒーロー戦隊の皆さんは数ある戦隊フリーククランのメンバーらしく、例のイベントに合わせて企画していたのだと言う。

 スターリングさんにゲスト出演してもらったのは、普段から子供山だの王国のクマさんだのと子供たちに大人気で有名だから、ダメ元でオファーを出したら一回だけならとOKを貰えたらしい。まぁスターリングさん、かなりノリいいですもんね。

 

『それじゃあ俺たちはそろそろ行くクマー。あとの公演も頑張るクマー』

「はーいありがとうございました! つっても子供山さん抜けたあとハードルすげー高いんですけどね~」

「ぶっちゃけ戦々恐々じゃんね。とりまおつでした、よければまた一緒に演劇しましょーね!」

 

 そして次の公演も近づいた頃合いで楽屋裏をお暇した。

 お詫びとしてやたら盛り沢山のお菓子詰め合わせをもらってしまった……さすがに一人じゃ食べ切れないねこれ。

 深々とお辞儀して別れると、いよいよスターリングさんと二人なわけだが。

 

「ほんとにもう、なんというか……相変わらずですね、スターリングさん」

『あっはっは、久しぶりクマー。一年振りくらいクマ? ずっとインしてたのは知ってたけど、こうやって顔合わすのはほんとに久々クマー』

「余もいるぞ、クマの戦士よ。変わらず壮健なようでなによりだ」

『かとりんもお久し振りクマ。なんだかまた成長したクマ? えらく別嬪さんクマー』

 

 カトリ様も姿を現して相変わらずの調子で挨拶を交わす。

 スターリングさんの言うとおり、カトリ様も<超級>になってまた一段と成長されたものだから、過去の姿を知るスターリングさんにとっても新鮮なのだろう。

 特にその、男性の視線を特に集めやすい格好だしね。スターリングさんはきぐるみのせいで視線がわからないけど、紳士だと信じよう。

 

「一年も音沙汰無くてごめんなさい。ちょっと思うところあってあちこち旅してたんです」

「余が<超級>に至ったのもあってな。そなたは知っての通りだが、王国にはないモンスターを目当てに、な」

『なるほどなぁ。<超級>か、道理で……<超級>!? マジで!?』

「マジです、マジマジ。ひょっこりなれちゃいました」

 

 いえーいと似合わないピースサインをしてみるけど、スターリングさんの反応は乏しかった。

 そんなに意外だったかな? 「マジか……」なんて心底ショック受けてるっぽいけど……まぁスターリングさんは特に私の弱っちいとこ知ってるからなぁ、余計にギャップあるのかも。

 

「でもその、戦争には参加できなくて申し訳なかったです……あのときは天地にいたせいでどうやっても間に合わなくて」

『あー……それは俺にはなんも言えねぇよ、参加しなかった俺にはな。……軽蔑したか?』

「まさか。スターリングさんのことですから、きっとなにか事情があったんだと思いますし……結局は自由意志ですしね」

『そっか……まぁ何にせよ再会できて嬉しいクマー!』

 

 ちょっとしんみりしてしまった空気をスターリングさんがおどけて振り払う。

 やっぱり彼は相変わらずだ。誰よりも強いのに普段は道化を演じて場を和ませてくれる。

 なんというか、もし私に兄がいたとするなら、彼みたいな人がきっと理想の兄なのかもしれない。

 

『とりあえず立ち止まって話すのもなんだし、適当に回るクマ? 俺はもう予定無いしな』

「いいんですか? ならお言葉に甘えて……」

 

 せっかくの彼からの申し出だから、私もとっておきを取り出そう。

 アイテムボックスを開いて取り出して装備しますは……これだ!

 

「じゃーん! どうです? 私も買ってみたんですよ、()()()()!」

『……マグロ?』

「ですです、実は前から結構憧れてたんですよね、着ぐるみ。あとちょっとおもしろいかなって」

『……眼がすっげぇリアルだな』

「グランバロア産なんですよ~。やっぱ魚と言えばあそこが本家って感じですしね!」

『……なぁかとりん、ちょっとこの子若干アホになってない?』

「言ってくれるな、実害は無い」

 

 えっ、なにその反応?

 年中着ぐるみなスターリングさんに合わせたコーディネートなのに……

 いいと思うんだけどなぁ、これ。「外海を生涯泳ぐ活きの良さをあなたに!」の売り文句が超イカしてたのに。

 

 




余談ですがアフロ松田氏のエンブリオはアフラ・マズダといいます(登場未定)


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早い再会

原作キャラを登場させるときはいつも緊張します。
何かご指摘等ございましたら構わずどしどしお寄せください。


 

 □【獣神】マグロ

 

 

 スターリングさんと並びギデオンの街並みを歩く。

 片や怪しさ満開ながらも愛くるしいデザインで道行く子供たちに群がられるクマ。

 片やその隣を歩く二足歩行のマグロもどきに扮した私。

 子供たちに向けて愛嬌を振りまくスターリングさんに合わせて私もはりきりキッズと戯れようとしてみたのだけど……

 

「びゃああああぁぁぁぁぁ……!!」

『なんでー!?』

 

 ……近寄る端から怖がられて泣かれてしまいました。はい。

 スターリングさんにまとわりついてたときはあんなにも笑顔満面だったのに、私が近づくと表情を一変させて後ずさる。

 両手でお菓子も広げて「こわくないよーおいしいよー」って優しく宥めてみても、何故か余計に距離を取られて終いにはギャン泣きされる始末。

 なんでや! 確かにちょっと大きくて威圧感あるかもだけどそんなんクマも一緒やんか!!

 

『ちょっとマグロネーサン、子供たちが怖がっちゃってるクマー』

『おかしいですよクマニーサン、東方のご当地お菓子とかキッズまっしぐらのはずマグロ』

 

 子供たちはスターリングさんの背中に隠れて、これじゃあすっかり私が悪者じゃないか。

 せっかく黄河や天地のご当地グルメを披露したというのに、なんて見る目のない子たちだよまったく!

 ……取り出したはいいけと着ぐるみ装備してるせいで自分で食べられもしないし。捨てるのも勿体無いのでスターリングさんに渡す。

 そこで初めてお菓子に興味を持った子供たちがスターリングさんを視線で追いかけ、彼が一口食べて「おいしいクマー」と言って差し出せば、今度は打って変わってお菓子に殺到しだした。解せぬ。

 

『――――――――』

『顔だけ真顔でも心の中で爆笑してるのが丸分かりなんですよクソァ!』

『やっぱそれダメだって。特に眼。子供なんてそういうのに特に敏感だから』

 

 子供に私の心はわからない……私が彼らを理解できないように。

 ぶっちゃけスターリングさんに合わせて着ぐるみデート♪ なーんて調子乗ったのは完全に失敗だったなぁと後悔しながら、さりとて今更着ぐるみを脱ぐのも負けた気がするとマグロ人間続行中な私です。

 勝敗ってどうでもいいことほどこだわること多いよね、きっとそれ。

 

『スタ……クマニーサンは子供たちの相手手慣れてるマグロ』

『まー普段から行く先行く先で注目集めてるし、人気者はつらいクマー』

 

 なんとなく語尾も着ぐるみに合わせてみる。……違和感半端ないなマグロ。

 対するスターリングさんは手慣れたもので、まるでネズミの国の名アクターのようだ。まぁ私行ったことないんだけど。

 なんというか、全体的にスターリングさんって器用だよなぁ。できないことって無いんじゃないかって思うくらい。

 

『ぶっちゃけなんで着ぐるみなんです? 初めて会ったときからでしたけど、今までなんとなく聞くことなかったですけども』

『いや、それがな……ちょっとトチってリアルそのままなんだよ、アバター。おかげで初期費用消えた』

『あー、それは仕方ない、のかな?』

 

 私もアバターはほとんど現実準拠だけど、そこまで気にしてないからなぁ。

 正直相当な有名人でもなければわざわざ隠し立てするようなこともないと思うし、母数も相当多いから特定の可能性もほとんど皆無だろうしね。

 ……まさか本当に超有名人って可能性も? いやぁ無いでしょ、ないない。

 

『おまけに特典武具もほとんど全部着ぐるみだから、まともな装備しようにも今更過ぎてなぁ』

『ああ、あるある。アジャストの結果か知らないけど、ありますよねそういうの。ていうかスターリングさんのそれ、特典武具だったんですねー。昔見たのとは別だと思ってましたけど』

『ん、まぁ一年前のアレのあとにちょっと<UBM>倒してな。ほらこれ』

 

 と言って装備の詳細画面を見せてくれたスターリングさん。

 ……なにこれ怖い。古代伝説級て、なんでそんな強敵からわざわざ着ぐるみなんてドロップするのか。

 いやでもこれ強いわ。確かにこの性能なら普段使いしててもおかしくはないけれど……

 

『最後のスキルが見えませんけど、そういう仕様です?』

『そういう仕様クマー。割りと秘密兵器なので詮索も無用クマー』

 

 ですよね。こういう情報って命綱ですし、根掘り葉掘り聞くのはマナーに悖るというものだ。

 ……少しでも見せてくれたのは親愛の証と思っていいのかなっ。ちょっと長年来の付き合いっぽくて憧れるなぁこういうの!

 

『ちょろいな、そなた……』

『しゃらっぷ。あ、中央広場に着いてたみたいですよ』

 

 いつの間にやら到着していた目的地にスターリングさんを振り返ると、そこには今まで以上にもみくちゃにされた子供山さんがいた。

 何十人と群がられて足の踏み場もないというのに、構わず歩いて子供たちを抱え上げ生きた遊具と化すスターリングさん。さすがはSTR特化、私なら間違いなく死んでるな(確信)

 

「何やってんだよ兄貴……」

 

 ちょっぴり羨みながら子供山を鑑賞していると、ふいにそう声をかける第三者が現れた。

 金髪のツンツンヘアーにちょっとダークな意匠の篭手具足……と少女連れ。

 カップルさんかなと思い、今しがた彼がこぼした言葉を理解して。

 

『おお、そこにいるのは我が愛しのブラザー、レイじゃないか!』

「いや、なんでそんな説明ゼリフ?」

 

 大きく両腕を広げて金髪の彼を出迎えるポーズをするスターリングさんで、彼らの関係がよくわかった。

 ちなみにそうする間も腕に子供たちを引っ掛けて人間ブランコ継続中である。マイホーム全開なパパさんか。

 でも、へぇ……スターリングさんって、弟さんがいたんだ。前々からお兄さんっぽいなぁとは思ってたけど、道理で。すごく納得。

 

「相変わらずすごい人気だな」

『まー着ぐるみは珍しいしな。いつもこんなもんクマー。今日は一段とだけど』

「祭りの日だから余計にか……っと、隣の人(?)は?」

 

 しばし歓談し合ってから、ふとこちらに目を向ける弟さん。

 心なしか私の人間としての存在に疑問を抱かれたような気もするが、ともかく。

 明らかに警戒の目で見られていることを察し、こわくないよーとヒレをぱたつかせてみる。

 ……あ、一歩距離置かれた。

 

『マグロちゃんクマー』

『マグロです』

「いや、見たまんまマグロなのはわかるけど……」

『いや、ネームがマグロなんだよ』

『マグロです』

「マジで!?」

「そこはシャケじゃないのか……」

 

 スターリングさんのご紹介に与り頭を……下げるのは(構造上)無理だったので、ヒレを動かして友好の意を示す。

 彼はそんな私の意を察してか、ヒレを掴んで握手(?)してくれた。

 

「えっと、レイ・スターリングです。よろしく……兄とはお知り合いですか?」

『マグロです。お兄さんには以前から大変お世話になってまして……実のご兄弟なんです?』

『リアルで兄弟クマー』

『成程……見たところその装備、特典武具ですよね? ひょっとして弟さんも<()

『うぉおおおおおおおお!?』

 

 突如としてニャン○ゅうみたいな声を上げたスターリングさんに引っ張られ壁際に追い詰められる。

 なぜだか焦った様子の彼に何事かと戸惑いながら、凄むスターリングさんに迫られ二の句を継げない私。

 

『秘密で』

『秘密って……<()

『そうそれ! とりあえず今は秘密にしといてほしいクマー!』

『えっと、その……はい、わかりました……』

 

 頷けないので必死に目と言葉で承諾すると、ようやく解放された。

 弟さんの前に何事もなかったかのように戻るが、案の定弟さんはジト目で怪しんでいるようだった。

 ……まぁ、突然目の前でクマがマグロを物陰に連れ込んだら何事かと思うよね。

 大丈夫、食べられてませんよ、私。

 

「おい兄貴、その人になんか脅してるんじゃないだろうな? ス――」

『<素敵大好き着ぐるみ愛好会>クマ! 俺達はこの国の<素敵大好き着ぐるみ愛好会>の仲間クマ、さっきのは愛好会の一環としてやってるパフォーマンスのネタが突然思いついたから居ても立っても居られなかったクマー!』

「いや、なんだよその<素敵大好き着ぐるみ愛好会>って……そうなんです?」

『え? あ、うん、はい……?』

『会員数二名クマー!』

 

 よくわからんがとりあえず流されておこう。

 思いがけず挙動不審なスターリングさんに面食らって、私もちょっとパニクってる。

 

「クマニーサンはともかく、そこのマグロネーサンは到底子供ウケするようには見えぬがのう」

「ばっ、失礼なこと言うなよネメシス! 人の趣味はそれそれなんだから……まぁ、眼はちょっとリアルすぎて怖いかな? とは思うけど」

「まさしく「死んだ魚のような眼」というやつだな」

『これ、そんなに不評ですかね……』

 

 活きの良さがウリだったのに、死んだ魚のようなとは……解せぬ。

 そしてさっきから静かだなと思ってたら、いつの間にかカトリ様が紋章に戻ってた。

 なんでだろ……まぁいいか。

 

『ところで、そちらの彼女さんは弟さんの<エンブリオ>ですか?』

「あ、はい。ネメシスっていって、メイデンなんですけど」

『メイデンかぁ……弟さんはいい<マスター>なんですね』

「ありがとうございます……? あ、俺のことはレイでいいですよ。弟さんってのもなんか、むず痒いし」

『それなら俺もシュウでいいクマー。レイと一緒だとスターリングさんじゃややこしいクマー』

『えっ、それはその……ハードルが高いというか、はずかしい……』

「『なんで?』」

 

 だって名前呼びとか、まるで幼馴染か一生モノの親友同士みたいで、敷居高いじゃん!

 ネームがそれしかないならともかく、フルネームで設定してるのを名前呼びなんて、その……照れる!

 あと根本的に誰かの名前を呼ぶことに慣れてない、ほんと照れる……。

 

「随分とシャイなマグロだのう。いや、表情はまったくわからんが」

『すみません……』

「まぁ本人がそういうなら、無理強いはしませんよ」

『あ、私のことは呼び捨てにしてください。敬語なんて畏まられても……恥ずかしい』

「そこは注文つけるのか御主!?」

『まぁまぁ、こういうやつだけどよろしくしてやってほしいクマー』

 

 ……こう、友達と遊んでたら思いがけず初対面のご家族が現れたという不安を分かってほしい。

 彼らの勝手知ったる身内ムーブはソロぼっちには肩身が狭いんです、はい。

 

 

 ◇

 

 

 あれからしばらく兄弟で歓談しあい、場所を移そうということで手近な店で食事しながら、となったのだけど。

 私はそれを辞退し、スターリングさんと別れてカトリ様と二人、中央広場で暇をつぶした。

 なんだか久々の再会みたいだったし、リアルでは長い間会ってないようだし、そんな兄弟同士の親交に水を差すのも悪いと思ったからね。

 決して身内同士特有の親密さに肩身の狭さを感じたからではない。私は気遣いのできる女なのだ。

 

「それにしてもスターリングさんはさすがだなぁ、子供だけじゃなくて小動物にもモテモテでしたね」

「…………」

 

 ふと思い出したのは、彼らとの去り際にクマ頭にへばりついていたヤマアラシっぽい小動物だ。

 よっぽどスターリングさんの頭の上が気に入ったのか、<マスター>と思しき女性(これまたクールな感じの美人さんだ)が言っても離れようとせず、なんとも愛らしい姿を見せてくれたので思わずほっこり和ませてもらった。

 大柄ながらも愛嬌たっぷりなクマ着ぐるみの頭に乗っかる小動物。もし手元に魔法カメラがあったらたまらず一枚お願いしてしまったに違いない。

 

 ……まぁその、私もちょっと羨ましくなって、小動物ちゃんを撫でようとして<マスター>のお姉さんにすごい顔で見られたのは、デリカシーがなかったかなと思うけど。

 正直めっちゃ怖かった。きっとよっぽど自分の<エンブリオ>に愛着がある<マスター>さんだったのだろう。

 やっぱりこの着ぐるみはウケが悪いなぁ、封印すべきだろうか……。

 

「そなたマジか」

「えっ、なにがです?」

「いや、気付いておらぬならばよい……」

 

 私には分かる。カトリ様のこの目は「どうしようもないアホの子を見る目」だということが。

 ……いやうん、お祭りで浮かれてる自覚はあるけど、そこまで憐れまれるように見られるほどじゃあ、ないとは、思うんだけど……ねぇ?

 やっぱり私も普段から注意かなにかをすべきだろうか。なにを注意すればいいのかわかんないけど。

 

「いや、やめろ。そなたが一人でなにかするのは地雷原を突っ切るカルガモを見守るより怖い」

「そこまで低評価でしたか……」

 

 《殺気感知》とか《危険察知》とか、その辺も全然だからなぁ私。

 どうせ警戒したところで私の場合死ぬときはあっさり死ぬから、警戒するだけ無駄なんだよね。

 その分カトリ様がその辺敏感だから、特に<超級>になってからは余計頼りっぱなしだ。いっそ依存と言っても過言ではない。

 

「まぁクマの戦士も警戒しておったからな、余が出る幕ではなかろう」

「???」

「気にするな。そなたが考えるだけ無駄なことよ」

 

 よくわからんがカトリ様の言うことに基本間違いはない、素直に聞いておくことにしよう。

 そんなこんなでしばし中央広場で時間を潰したあと、セミイベントの時間が迫ってきたのでそのまま中央闘技場へ向かう。

 ちなみに着ぐるみはもう脱いだ。さすがに闘技場でまでこれを着ていく勇気はない。スターリングさんはきっといつものままなんだろうけど。

 

 受付にチケットを提示してそのままボックス席へ。

 確かチケットに書かれていたのはLボックスだったかな、中央闘技場のボックス席で観戦するのも久々だから、より一層気分が高揚するというものだ。

 

 個人的に闘技場での興行は王国が一番だと思うんだよね。黄河はトップがトップだからちょっと格式高いし、天地は修羅の集うガチの国だから最早興行ではないし。

 ……本当の意味で命を懸けた決闘を見るなら、天地が一番なんだけどね。ただあそこ、基本野良死合(試合にあらず)で事前に勝敗を決して、闘技場はその結果を反映するだけだから味気がない。

 何度か在野でランカー同士の決闘を見たことあるけど、一度部外者の目を嫌う人に追いかけられて慌てて逃げた思い出がある。天地マジ怖い。

 

 指定のボックス席に向かうと、既に先客が三名ほどいた。

 やたら見目麗しい美少年&美少女のコンビと、メンズスーツにグラサンかけた怪しさ抜群の女性。

 様子を見るに彼らは知り合い同士のようだ。<マスター>同士の交友って見た目がチグハグなことも珍しくはないから、特段おかしくはない。カルディナにはアフロと幼女のコンビもいたし。

 

 とりあえず失礼にならないよう、軽く会釈だけして指定席に座る。

 カトリ様も適当なところに立って、大窓から舞台を見下ろしてセミイベントの開演を静かに待っていた。

 実はカトリ様が一番決闘を楽しみにしているんだよね。私は単純に見て楽しむだけなんだけど、カトリ様は闘技者を分析して己に組み込むために観戦する観戦ガチ勢だ。

 カトリ様のこういうところは昔から変わってない。だからこそ頼もしいのだけど。

 

「セミイベントの演目はなんだったか」

「第四位"黒鴉"ジュリエットさんと第八位"流浪金海"チェルシーさんの試合ですね。どちらも熟練の闘技者で、前座にしては豪華な組み合わせですよ」

 

 どちらも一年以上前からギデオンで活動している名ランカーだ。私も何度も彼女らの試合は観戦している。

 衆目に晒される闘技者のトップランカー勢ということで、特に手の内の知られている面々ではあるけれど、情報として知られるスペックと実際の戦い方はまったく別の話だ。

 むしろ手の内を知られながらランキング上位を維持する努力は細やかな戦法戦術にこそ現れ、何度観ても飽きがこないのが王国の決闘ランカーの面白いところだよね。

 カトリ様もそう思ってか、一挙手一投足を見逃すまいと舞台上を睨みつけていた。そんな彼女のイチオシは手数の広さという意味で決闘王者のフィガロさん。私? 私はビシュマルさん推しだよ。戦闘スタイルが親近感あって好きなんです。

 

「お飲み物でも買ってきましょうか? それとも果物でも?」

「要らぬ」

 

 すっかり観戦モードに突入したようだ。こうなると暫くは何を言っても動かない。

 これ以上は邪魔をするだけなのでおとなしく座席に戻り、お菓子を広げて静かに開演時間を待つ。

 そしてアナウンスが放送され始めたところで、新たにボックス席へ現れた人影が二つあった。

 

「マリー、ルーク、、バビ、お待たせ! 間に合ったか?」

「中央闘技場は広いのう。危うく迷いかけたぞ」

「大丈夫です、ちょうど今から始まるところですよ」

「えへへー、この部屋ひろーい! 超豪華だよ~♪」

「あっこらバビ、あんまりはしゃいじゃダメだよ。他のお客さんもいるんだから……」

「あ、お構いなく。…………あれ、弟さん?」

 

 見覚えのある少女を連れて入ってきたのは、同じく見覚えのある金髪ツンツンヘアーの少年だった。

 思いがけず早い再会に声をかけてしまったが、対する向こうは私が誰か分からず訝しんだ様子を見せる。

 ……あ、そっか。あのときは着ぐるみをつけてたんだっけ。

 

 私は無言でマグロ着ぐるみを《瞬間装着》し弟さんへ向けてヒレを振った。

 そしたら連れの美少女メイデンが吹き出した。

 初めてウケた。やったぜ()

 

 




マグロ着ぐるみはこれにて暫く封印です。
フランクリンのゲーム編が終わったら諸国漫遊編を書いてみたいですね。

余談ですが、二次創作を書いてると原作キャラとの絡みが楽しくて仕方ありません。
とはいえかまけてばかりでは話が進まないので、ぼちぼち山場へ持っていきたいと思います。


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ゲームスタート

はーい、用意スタート(


 

 □【獣神】マグロ

 

 

「なんだ、御主も観戦に来ておったのか。しかも同じボックス席とは奇遇だのう」

「あはは、ですねー。そちらはお兄さんとは別なので?」

「ああ、ちょっと用事ができたってさ」

 

 思いがけず早い再会を交わした弟さんコンビと談笑する。

 立ち話も何なので同じテーブルを囲み、席を寄せてまずはお菓子と飲み物を広げた。

 どうやら先客さんも彼のお連れ様だったようで、互いに軽く自己紹介を交わす。

 

 メンズスーツにグラサン姿の女性がマリー・アドラーさん。

 <DIN>所属の【記者】で、弟さんとは知り合って短いながらも既に親密な様子を見せる一家のお姉さんポジションってところかな。

 

 そんで絶世の美少年がルーク・ホームズさん。

 名前からして如何にも知性派っぽい彼は、そんな印象に違わず溌剌として利発そうなお子様だ。

 その彼の<エンブリオ>であるバビロンさんも、彼から生まれたガードナーらしく目を見張るほどの美少女だ。

 麗しすぎて目に毒なコンビである。

 

 総評して、いかにもデンドロを満喫してますって雰囲気満載のリア充集団である。

 どうしよう、早くも場違いな肩身の狭さを感じてきたぞぅ。

 

「だけど弟さん、始めたばかりの新人さんだったんですね。二つも特典武具を装備してるからわかりませんでしたよ」

「ああ、まぁ……なんていうか、巡り合わせが悪い? いや良いのかな? とにかくそんな感じでさ」

「普通のプレイヤーにとっては間違いなく不運のドン底ですけどね。【ガルドランダ】に遭遇したときもそうでしたが、生きた心地がしませんでしたよ」

 

 そうからかうのはマリーさん。

 何故か私を一瞥したあと妙に挙動不審で、そんな彼女をルークさんがこれまた何とも言えない表情で見ている。

 ……見た目の割に人見知りなのかな? ならあまり触れないでいてあげよう。

 目を見て話すのは大事だって言うけれどね、それがストレスっていう人種も中にはいるのだ。

 

「このお菓子おいしーい! この辺じゃ見ないよね? どっかのお土産~?」

「東方のお土産菓子ですよ、どんどん食べちゃってくださいね。他にもまだまだ沢山ありますから」

「すみません、僕の<エンブリオ>が……ほらバビ、食べ滓が落ちちゃってるよ」

 

 広げたお菓子に食いついているのはこの場の<エンブリオ>組、バビロンさんとネメシスさんだ。

 外では結局子供たちに配り切れなくて余らせていたのだけど、こうして喜んでもらえたのなら買った甲斐があるというものだ。

 見た目もあどけない彼女らが頬袋を膨らませて食べているのを眺めると、こちらとしても非常に眼福である。どんどんお食べなさいそうしなさい。

 

「御主、<エンブリオ>か?」

「……そういうそなたはメイデンのようだな。アレの弟の<エンブリオ>か」

「如何にも。名をネメシスと言う。御主はひょっとしなくともマグロネーサンの<エンブリオ>だな」

「……何の用だ」

「メイデンの<エンブリオ>同士交友しようと思っただけだ。愛想悪いのう、御主」

「…………」

「せめて名前だけでも聞かせてくれぬか? いつまでも御主呼ばわりも紛らわしかろう」

「……テスカトリポカだ」

 

 そして一方を見てみれば、壁の花になっていたカトリ様に話しかけるネメシスさんが。

 つっけんどんなカトリ様もカトリ様だけど、それに話しかけるネメシスさんも随分物怖じしないというか、神経の太い子だなぁ。

 カトリ様の困った顔も珍しい。若い後輩との距離感を掴めていないのか、傍目にはいっそ不機嫌そうにも見える表情だ。

 

「そういやマグロの<エンブリオ>って初めて見るな。俺と同じメイデンだったんだな」

「ええ、まぁ。あんな態度ですけど気に障ったならごめんなさい、でも嫌がってるわけじゃないんですよ。ただどう接したらいいかわからないだけで。普段メイデンとして触れ合うことも少ないですから……」

 

 ですからカトリ様、念話で助けを求められても私困ります。

 ここは年長者らしく、後輩の新米女神様を歓迎してあげてください。

 

「しかし同じメイデンでも、うちのネメシスとは随分違うもんだな。見た目に年齢差あるし、長いことこっちで暮らしてるとそうなるもんなのか?」

「ちょっと目に毒な格好ですよね。南国の女王様っぽい感じといいますか」

「ねーねールークー、バビもあんなないすばでーになれるかな?」

「……なれるといいね」

 

 バビロンさんの言葉にちょっぴり照れ気味なルークさん。

 まぁそうだよね、自分から生まれた異性の<エンブリオ>がナイスバディに育ったら、男の子心としては複雑だよね。

 そんな様子のルークさんを見てマリーさんは若干テンション上がってる気配。さてはショタコンだなオメー。わかるよ。

 

「っと、そろそろ時間ですよ皆さん。セミイベントの開始です」

「上位ランカー同士の決闘かぁ。これが前座なんて豪華だよな、楽しみだ」

「しっかり見て糧にしないと、ですね」

 

 そんな感じで和気藹々としていたら、マリーさんの言うとおりもう開始時間のようだ。

 彼らも三者三様の反応を見せて、これから始まる激闘を見逃すまいと集中している。

 意外にもルークさんの姿勢が思った以上にガチ勢っぽいのが印象的だった。戦闘に不慣れそうな見た目の割に、結構好戦的なのかな?

 

 カトリ様も腕組みしながら窓際に立ち舞台を見下ろす。

 ネメシスさんもその横に立って同じく舞台を見下ろしていた。

 こうして見ると見た目も性格もまったく違うのに、なんだか姉妹っぽくてちょっぴり笑えてくる。

 普段人付き合いしないカトリ様だから余計に。ネメシスさんがメイデンというのもシンパシーを感じる理由なのかな?

 

 ともあれ、私達にしては珍しく友好的な人との触れ合いだ。袖振り合うも多生の縁と言うし、ここは仲良く一緒に観戦するとしよう。

 今までの闘技観戦とは違う、友達と一緒の観戦が、図らずも私の心を高揚させていた。

 ……友達って言っていいよね? 自意識過剰じゃないよね!?

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □【聖騎士】レイ・スターリング

 

 

 兄と並んでインパクト絶大な着ぐるみ姿で初対面を果たした彼女は、兄と長年来の付き合いらしい<マスター>だった。

 マグロ、なんてアバターネームは奇妙だと思ったけど、この世界がゲームである以上取り立てておかしな名前というわけでもない。

 むしろこういうMMO型ゲームほどふざけた名前にする層ってのは一定数いるもので、そういう連中と比べるとマグロは随分とまともな方だろう。

 ……まぁ、着ぐるみを選ぶセンスはどうかと思うけど。

 

「長年来の付き合いって言ってたけど、そうなのか兄貴?」

『ん、まぁフィガ公ほどじゃないけど結構長い付き合いクマ。上級になって暫くしてからだったかな、初めて会ったのは』

 

 ネメシスの提案で入ったスイーツパーラーでお茶をしながら兄の話を聞く。

 話題は兄の<Infinite Dendrogram>での活動だったり、古馴染みのフィガロさんとの思い出話とか、いろいろだ。

 ここ最近で倒した【ガルドランダ】や【ゴゥズメイズ】の話から始まり、その延長線で兄とフィガロさんの初<UBM>戦の話になったんだが、そこでふと兄の古馴染みらしいマグロはどうなんだろうと思って聞いてみたのだけど、兄の反応は芳しくない。

 

『先に言っておくけど、あいつのことはあまり詮索してやらないでほしいクマー』

「それもプライベートな話か?」

『まぁな。フィガ公のこともそうだけど、あいつはそれに輪をかけてデンドロ(こっち)第一だからな』

 

 デンドロ第一……要は所謂廃人勢ってことなんだろうけど、兄の様子を見る限りそう単純な話でもなさそうだ。

 フィガロさんの強固なソロ方針もそうだけど、それに輪をかけてってことは彼女自身何か大きな事情を抱えているのだろうし。

 

「しかしクマニーサンの知り合いということは、それなり以上に強いのかの?」

 

 ふとネメシスが気付いたように兄へ尋ねる。

 そういやそうだよな、俺も二体の<UBM>を倒した今だから分かるが、兄が普段装備している着ぐるみは古代伝説級の特典武具なんだよな。

 てことは俺が倒した<UBM>よりも格上の敵を兄は倒してるというわけで、少なくともそんじょそこらの<マスター>よりはよっぽど強いはずだ。

 まぁ実際どこまで強いのかは、さっぱり知らんのだが。

 

 そうなると、そんな兄と随分親しげなマグロもそうできるだけ強いのかとは、俺だって考えてしまう。

 まぁでもこの兄のことだから、単純に気が合うからって理由で親しいだけなのかもしれないし、「兄と仲良し=強い」という色眼鏡は偏見だとも思うが。

 そう考えてしまうのは、やっぱりフィガロさんのインパクトが強すぎるせいだよな。

 

「で、実際どうなんだよ兄貴?」

『詮索するなって言ったばっかなのに興味津々クマー。まったく仕方のないやつクマー』

 

 あ、そっか悪い。強さ云々なんて、このゲームじゃ特に重要な情報だもんな。

 前もって注意されてたのに迂闊に尋ねてしまったバツの悪さに頭を掻きながら、やっぱいいと兄に言おうとして。

 

『まぁでもお前ならあいつと敵対するってこともないだろうし、あいつも取り立てて隠してるわけでもなし、ふんわりしたことくらいは言えるクマ』

「えらく前置きするな……」

 

 そこまで言われると余計に気になるというものだ。

 兄はクマ顔を凄ませて(?)、近づけた顔からゆっくりと言葉を発した。

 

 

『あいつとは戦うな』

「…………!」

 

 

 そう端的に言った兄の声は、これ以上無い迫力に満ちていた。

 この兄にそこまで言わせる彼女の底知れ無さに思わず息を呑み、恐る恐る尋ねる。

 

「そんなに……強いのか?」

『いやそれがまったく、ビビるほど弱っちいクマー』

 

 思わずずっこけた。

 あんだけ散々脅すように勿体つけておいて、それかよ!

 あっけらかんと言い放つクマ顔に釈然としないものを感じながら、コーヒーを一口飲んで落ち着かせる。

 

『いやもうほんと、あんなに弱い<マスター>は見たことないクマ。お前どころかティアンのおばちゃんにすらきっと負けるクマー』

「おばちゃんは強さのヒエラルキーの上位だと思うがのう」

 

 それはひょっとしなくても俺の記憶基準だろうか。

 

『まぁおばちゃんは言葉の綾にしても、正直今のレイでも余裕できっと勝てるクマ。俺が知ってる限りのあいつなら、そこは変わってないはずクマー』

 

 ……そこまで弱い弱いと連呼される彼女がいっそ哀れに思えてきたのだが。

 

『――()()()()()

 

 ……? 

 いまいちニュアンスがよくわからないけど……

 

『まーお前なら普通に接してれば大丈夫クマー。ちょっと世間知らずなとこあるけど、<マスター>としてはずっとマトモな部類だから、何かあれば相談してみるのも手クマー。人畜無害だしな』

「ん、ああ……わかった。それ以上は聞かないでおくよ」

 

 結局詳しいことはわからずじまいだったけど、悪い人じゃないってことだけわかれば十分だ。

 特に今は、つい先日【ゴゥズメイズ】やその配下の山賊連中と戦ったせいで、その辺敏感になってる節もあるし。

 ともあれ、もし次会うことがあれば世間話でもしてみよう。

 

 

 ◇

 

 

 そう思っていたのだけど、再会は思っていたよりもずっと早かった。

 そろそろ時間だと思い中央闘技場へ向かい、チケットで指定されたボックス席を訪ねてみれば、そこには先に席を取っていたマリーやルークの他に、見知らぬ女性が座っていた。

 

 女性にしては随分と背の高い人だな、というのが第一印象だ。

 目算だがひょっとすると兄よりも身長はあるんじゃないかというほどで、伸ばしきった黒髪と合わせて思わず「八尺様」のイメージが脳裏を過る。

 見た目は結構な美人だと思うけどな。美男美女の多いゲームだから、ルークみたいに際立ってってほどじゃないけど、近所で評判の別嬪さんレベルには綺麗だし。

 どことなく北国っぽい顔つきな気がする。日本人……だよな? アバターだけ見ればだけど。

 

 ともあれあんまりジロジロ見てるのも失礼なので、連れに声をかけて席に座ろうとして。

 そこで初めてその女性と目が合った。何故か驚いたように目を見開いた彼女は、その口を開いて。

 

「……弟さん?」

 

 その声にはひじょーに聞き覚えがあった。具体的にはつい一時間ほど前にも聞いたくらい。

 彼女は不意にマグロ着ぐるみに着替えると、前ヒレと思しき部位をパタパタとさせてこちらにアピールしてきた。

 それを見てネメシスが噴き出す。思ってたけどこいつ結構笑いの沸点低いよな。

 

「奇遇ですね、弟さんもボックス席で観戦だったんですねー」

「やっぱりマグロか、お前もこっちだったんだな」

「えへへ、実は闘技観戦が趣味でして……」

 

 趣味でボックス席のチケットを購入するあたり、結構なお金持ちな気がする。今の俺が言えたことじゃないけど。

 わざわざ律儀に席から立ってお辞儀をする彼女は、兄の友達とは思えないほど随分と腰の低い人間だった。

 ただ実際に立たれると余計に身長が目立つというか、兄以上に見上げる形になるのにはやっぱり違和感が拭えない。

 様子を見ていたマリーたちも若干警戒してる節が見えるし。

 

「レイさんのお知り合いですか?」

「ああ、さっき外で知り合ったんだ」

 

 尋ねるルークにそう答えると、彼は若干訝しむような顔つきでマグロを見上げていた。

 ルークにしては珍しい反応だな? 敵意があるとかそういうわけじゃなさそうだけど、ルークの考えてることは俺にもよくわからないから、とりあえずスルー。

 険悪でさえなければいいだろうしな。単純に身長差に気圧され気味なだけなのかもしれないけど。

 

 そこからは俺も改めて、仲間を交えて自己紹介を交わした。

 単純に名前を教え合うだけだけどな。マリーみたいに簡易ステータスウィンドウを見せてくるということもなかった。

 紹介ついでにしばらく話し込むうち、穏やかな面が見えてきたので仲間の警戒も解けてきたようだ。

 ……兄の言うとおり、パッと見和風ホラーっぽい外見に反して人畜無害そうだし、ネメシスやバビなんかは彼女の持ち寄ったお菓子ですっかり餌付けされている。

 

「うお、ほんとに美味い。なんていうか和菓子っぽい感じだな、こういうのってアシが早いんじゃなかったっけ」

「そこは生モノ用に時間停止型アイテムボックスに入れてましたから。せっかくなのでどんどん食べちゃってくださいね」

「うわー天地菓子とか久しぶりですよー。いやぁ悪いですねぇ、こんないいものをご馳走になっちゃって」

 

 マリーも餌付けられ組かな、これは。

 ルークは子供っぽいバビの世話をして、保護者っぽいし。

 んでネメシスはっていうと……今は窓際に立っていた別の人に絡んでいた。

 

「なぁあそこにいるのって、もしかしてお前の<エンブリオ>なのか?」

「あ、ええはい、カトリ様……じゃなかった、テスカトリポカって言うんです」

「お前の<エンブリオ>もメイデンだったんだな」

「あはは……」

 

 なんていうか、<マスター>とは正反対な印象のメイデンだ。

 ついでにうちのネメシスとも、メイデンとしての見た目も正反対と言うべきか。

 マグロほどじゃないけど女性にしては長身で、全身褐色の肌に露出の多い衣服。黄金の服飾が嫌味にならずこれ以上無く似合う、なんとなく南国の女王っぽいイメージ。

 更に言うと身体つきも出るとこ出て引っ込むとこは引っ込んだ、正直男の目を惹いてやまない目に毒なスタイルで、まじまじ眺めるのも気が咎められた。

 

「あんな様子ですけど決して不機嫌なわけじゃないですから、どうか気を悪くしないでくださいね。同じメイデンの子と話すのが慣れてないものだから、ちょっと戸惑ってるだけなんです」

「いや、それを言うならうちのネメシスのほうが大分失礼しちゃってるみたいだし、気にしてないよ。むしろ納得したっていうか」

「?」

 

 兄が言っていた「デンドロ第一」という言葉だけど、彼女の<エンブリオ>がメイデンならばその言葉も頷けるというものだ。

 なんていうかこう、俺が今まで見てきたどの<マスター>よりも穏やかというか、心底から<Infinite Dendrogram>を楽しんでるんだなっていう気配が伝わってきて、ちょっと安心する。

 ユーゴーも言っていたけど、メイデンの<マスター>は心のどこかでこの世界をゲームだと思っていないという共通点があるらしいし、そういう意味でも彼女のことは決して悪い人間じゃないということがよくわかった。

 

 ただその、自分の<エンブリオ>に対する姿勢としては、ちょっと変わってるなとは思うけど。

 まるで主人に仕えるように「カトリ様」と呼んで、あれこれ世話をしようとする姿には、はっきり言って主従が逆転してるんじゃないかなって。

 本来の関係を考えれば、メイデンの方がそういう態度になるのが普通じゃないかとは思うが……。

 

「そうは言うがの御主、私もキューコもそういうタイプではなかろ?」

「それもそうだな。……ちょっと想像してみたらさぶいぼ立ちそうになった」

「なにおー!?」

 

 ぽかぽかとネメシスの抗議を受け、悪かったとお菓子を差し出す。

 でもまぁ、そうだよな。<マスター>と<エンブリオ>の関係なんて様々だし、ああはしてても互いに信頼ありきのことだろうから、外野が口出しすることじゃない。

 むしろそれだけ自分の<エンブリオ>を気にかけているっていうことだから、見倣いこそすれ変に思うのはお門違いだろう。

 

 今度ネメシスを労ってやるかと考えつつ、席について始まろうとするセミイベント、そして<超級激突>を待つ。

 いろいろあった近頃だけど、今回のイベントでリフレッシュしたいしな。

 

 そう、思っていたのだけど――

 

 

 ◇◇◇

 

 

「なぜ貴様がここにいる……Mr.フランクリン!!」

『だぁぁぁいせぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁいッ!』

 

 その思いは、突如現れた闖入者によって丸ごと吹き飛ばされた。

 <超級激突>の決着、その瞬間に介入して大々的にテロを宣告した白衣姿の悪意――Mr.フランクリン。

 

 

 王国最大の仇敵とも言える皇国の<超級>との、因縁の始まりだった。

 

 




描写の都合上、初めて他者視点を書いてみましたが、どうでしょうね。
主人公の心理描写を代弁するという重責に苛まれながらも、精一杯トレースしたつもりです。
何かご指摘あればご遠慮無くお寄せください。

余談ですが作者はフランクリンのビジュアルイメージを灼○のシャナの教授っぽい認識でいました。
挿絵見ると思ってたよりずっとイケメンでびっくりです。
でも根っこで感情的で神経質そうな感じは十分なので、違和感無かったですけどね。


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勇者達の進撃

改めて述べますが、拙作は原作「Infinite Dendrogram」を読んでいること前提の内容となっております。
あらかじめご了承ください。


 

□【獣神】マグロ

 

 

 うわぁ、なんだか大変なことになっちゃったぞぉ。

 ってふざけてる場合じゃない、ヤバいヤバい。

 まさかこのタイミングでテロだなんて完全に予想外だ!

 

 セミイベントのエキシビションマッチを終え、本命の<超級激突>――"無限連鎖"フィガロと"応龍"迅羽、その決着がついたと思った瞬間にこの有様だよ。

 あちこちしっちゃかめっちゃかの大混乱で、特に大勢のティアンがパニックに陥って収拾がつかなくなり始めている。

 かくいう私もちょっと冷静になれそうにない。こういうときは一から順序立てて状況を整理しよう。

 

 まず<超級激突>の決着までだ。これはいい、ここまではイベントの予定通りだったからね。

 とりあえず私から言えることは「すごい」の一言だけだ。……小学生並みの感想だって? 仕方ないじゃない、私に戦術とか戦法なんて理解できっこないんだから。

 カトリ様の目を通して動きは見えていたけど、具体的にそれがどう凄いかってのはほら、こう……門外漢だから。カトリ様はしきりに頷いてたけど。

 

 まぁいい、問題は次だ。

 フィガロさんと迅羽さん、二人による激戦の決着がついた瞬間、二人が戦っていた舞台――正確にはそこに展開されていた結界内の時間が止められた。

 このため<超級>の二人は互いに満身創痍のまま、迅羽さんに至っては全身粉々に爆発四散したまま時間が停止したものだから、まったく動きようがない。

 

 で、更に次。

 そういう完全に水を差すような真似をしたらしい下手人が、時の止まった結界上部の中央に現れた。

 最初はペンギンの着ぐるみを装備していたから、私も「ひょっとしてこれも演出の内なのかな?」と思ったりもしたのだけど、横から強烈なプレッシャーを放ち出したスターリングさんの存在でこれが冗談じゃないことを把握した。関係ないけどすげー怖かった。

 そんでその謎ペンギンはしばらく貴賓室で観戦していたギデオン伯爵と問答を交わしたかと思うと、その正体を暴露。

 白衣に悪魔的な笑みを浮かべてた鬼畜眼鏡っぽいややイケメン、Mr.フランクリンが堂々と名乗りを上げたわけだ。

 

 そう、Mr.フランクリン。

 こと王国内において【魔将軍】と並んで国民、所属<マスター>のヘイトを稼ぎまくっているであろう怪人のお出ましである。

 私は一目見て察したね、「あっこれヤバイやつだ」って。

 なんというかね、一連のやりとりでふざけた言動連発してるせいで特に若い<マスター>なんかは侮ってる感じだったけど、あの人目がまったく笑ってない。

 なにもかもを打算しつくして道化を装って、ふざけた振る舞いで終始イニシアチブを握っていった彼の恐ろしさは、去り際に残していったモンスターの悪辣さからも見て取れるだろう。

 

 【オキシジェンスライム】、って言ってたっけな。

 私の把握しているなかでもでも該当する例がない、おそらく完全オリジナルと思しき青いスライム。

 オキシジェン(酸素)の名の通り、全身を液体酸素で構成されたそのモンスターは、迂闊に手を出した<マスター>と容易くデスペナルティに追い込み、たった一匹で場を支配していた。

 なにせ触れれば凍結&溶解、一般的に炎が有効と認識されているなかある<マスター>の炎攻撃を引火自爆することでカウンターし、大気中の酸素と結合することで瞬く間に自己再生。おまけに物理無効。

 所謂条件特化型に該当するモンスターだ。場にいる殆どのマスターにとって手出しの出来ない障害物と化した。

 

 で、最悪なのがその後。

 フランクリンはあろうことか第二王女であるエリザベート殿下を拉致し、ついでギデオン中にばら撒いたモンスター解放装置の存在を示唆。

 一時間後にはギデオンへばら撒かれた約五〇〇個もの装置が起動することを宣言し、それを止めたくば自分を捕まえて停止装置を奪ってみせろと挑発。

 その上で闘技場から<マスター>の脱出を許さないよう、舞台に展開されていたものと同じ結界を中央闘技場周辺に展開していた。攻撃すればその度に解放装置が一つ起動するギミックまで加えておきながら。

 そのせいで観戦に来ていた有力な<マスター>達――上位ランカーやスターリングさんの身動きが取れなくなった。

 

 まとめると「エリザベートが攫われたから救い出せ」「でも闘技場からは出られないように結界を張っておいたよ」「一時間後にはモンスターが一斉に放出されてギデオン壊滅のお知らせ」。

 ……うん、詰んだかなこれ。ちょっとどうしようもないな、無理に突破するとそれこそ本末転倒だし、割りとどうしようもないぞぅ。

 

 ……ふぅ、とりあえず脳内整理したおかげで少しは落ち着けた。状況はまったく改善されてないけど。

 どうしよっかなぁ、これじゃあ私もカトリ様も動きようがない。出口へなだれ込む人々の波に流されて外との行き来を遮断する結界に触れてみたけど、やっぱり通れない。

 たしかこの結界は決闘時に展開されるものと同質のものだから、一定レベル以下なら通り抜けられるはずなんだけど、私はレベルだけは無駄に高いせいで抜けられそうにない。

 これがステータスを参照してれば間違いなく通過できる自信があるんだけどね。……自分で言ってて悲しくなってきたな。

 

 どうしたものかと思い悩んでいると、近くにスターリングさんやその弟さんたちもいたので、とりあえず合流しとこうと思って近寄る。

 彼らもまた同様に結界のせいで立ち往生していたようで、弟さんなんかは特に悔しげに唇を噛み締めていた。

 

 ……やっぱり彼は、今まで見てきたどの<マスター>ともどこか違う。

 この状況に心底から危機感を覚え、あの悪漢の企てを止められないことに心で涙しているように見えた。

 それはまがりなりにも<超級>として最低限の安全を確保でき、どこかに余裕を持てている私とはまったく違う反応。

 そして同じメイデンの<マスター>でありながら、臆病な私とは違ってどこまでもこの騒動を引き起こした悪意への怒りに燃えているその姿は、それまでどこか浮ついていた私の心に冷水を流し込むようで、喩えようのない恥と申し訳無さを自覚させるものだった。

 

「スターリングさん……」

『マグロか。ちっと参った状況だな、どうも。いざとなれば無理矢理にでもなんとかできるが……そうなってもヤツの思う壺だろう』

 

 弟さんに声をかけることも憚られて、縋るようにスターリングさんの方を見れば、彼もまた同様に身動きの取れないこの状況へ苛立ちを隠せないようだった。

 彼の言う「いざとなれば」は、それこそ本当にギリギリ最悪にならない程度の策でしかないのだろう。

 少なからず彼の力を知っている私だからわかるけど、このままモンスターに蹂躙されても、彼が全力でフランクリンを討っても、導かれる結果は一緒だ。

 つまるところ、残されるのは無人の瓦礫と廃墟のみだ。

 

「弟さん、大丈夫でしょうか……その、随分と思い詰めてらっしゃるようだから」

『こればかりは仕方ねぇよ。事前に状況を詰めてた向こうが上手だったってだけだが……チッ、()()()()に気を取られすぎていたか』

 

 ファンシーなクマの着ぐるみ越しでも分かるほど、今のスターリングさんには余裕がない。

 彼もまた<超級>でありながら、この場において何も出来ない無力を噛み締めているのだろう。

 ……それに、先の戦争で王国を助けられなかったことへの負い目もあるかもしれない。あのとき話した彼の様子は、本当に悲しそうだったから。

 

 弟さんもまた、行き来を阻む不可視の結界を前に遣る瀬無さそうにしている。

 ほんとはこの結界を殴りつけてやりたいのだろう、握り締められた拳には今にも血が滴りそうなほど力が込められている。

 しかしその無為を悟ったのか、力なく拳を解いて……心底口惜しそうに結界に手を伸ばして――

 

「……………………え?」

 

 その手は呆気無く結界をすり抜けた。

 間抜けな声は彼と私、果たしてどちらのものだったのだろうか。

 目の前の現象が信じられないといった表情で、彼は振り向き。兄であるスターリングさんや、私、その他の人々に視線を彷徨わせていた。

 

『レイ』

 

 途端にざわめきだす群衆。

 しかしスターリングさんが静かに彼の名を呼ぶと、そのたった一言で場が支配されたように静寂が染み渡る。

 スターリングさんは極めて冷静に、真剣な声で。弟――レイさんの合計レベルを問うた。

 

 その答えは、四一。

 闘技への参加制限たるレベル五一に満たない、参加不能レベル。

 彼がそう答えた直後、スターリングさんの呵々大笑が響き、周囲はその答えの意味を察して騒然となった。

 

『そうか! そうだよなぁ! 俺としたことがうっかりしてた! お前なら通れるわなぁ……ハッハッハッ!!』

「ど、どうしたんだよ、兄貴……?」

『お前も知ってるんだろう? 闘技場にはレベルが五十以下のやつは参加できない。なぜなら――』

 

 ――なぜなら、レベルが五十以下だと結界が適用されなくなって保護できないから。

 

「……ああっ!?」

 

 その驚愕もまた、私と彼どちらが発したものかはわからない。

 だけど私は彼以上に驚いていた。ていうか私は馬鹿だ!

 

 そうだ、そうだよ! ついさっきレベルのせいで通れないって考えたばっかじゃん!

 よくよく考えれば、言われてみれば、なにもこの場にいるのは皆が皆、結界を通れない<マスター>ばかりじゃない!

 もちろん殆どはそうだろうけど、レイさんみたいに結界をすり抜けられる()()()()<マスター>も、まったく居ないってことはないはずだ!

 

 それに気付いた大勢の<マスター>が周囲に呼びかけ、場は一転して攻勢のための準備に躍り出た。

 完全に詰んだと思われた状況から、一筋の活路を見出し誰もが興奮と熱気に浮足立ち、この結界を出て周囲へ反撃に出る志願者を募り、ありったけのバフや回復アイテムを持たせていく。

 

 結果として揃った数は二二名。

 全体数から見れば圧倒的に少ない、とても反撃には足りない少数勢力だろう。

 その実力も<下級>、それも限りなく<初心者(ルーキー)>に近い力量でしかないともなれば、本来はとても頼るに値しないものに違いない。

 だけどこの場においては彼らだけが希望だ。そして間違いなくデスペナルティの危機が濃厚でありながら、尚も臆せず名乗り出た勇気こそは、今このときは紛れもない勇者達。

 

「だけどこの状況、あのフランクリンが読んでいないはずがありません。少し冷静になればいずれ誰かが気付けたことです。間違いなく罠ではないかと」

『ああ、そうだな。あのフランクリンのことだ、俺達がこう出ることは想定済みだろう。その上で抜け道を残していたということは……きっと他に思惑があるんだろうよ。それも、とびきり趣味の悪いやつがな』

「ですが僕達は攻勢に出るしかない、そうですよね?」

『ああそうだ。そしてレイ』

「ああ」

 

 ルークさんの忠言を、スターリングさんはやはり心得ていたようだ。

 そしてレイさんに向き直り、改めてその意志を問う。

 

『これはまず十中八九フランクリンの罠だ』

「そうだな」

 

 仮にこの結界を抜けたとしても、待ち構えるのはフランクリン配下の熟練プレイヤー達やモンスター軍団、そして他ならぬ<超級>であるMr.フランクリン自身。

 まず間違いなく、外に出た彼らのほとんどは死ぬだろう。その勝率は限りなく低く、縋る藁すらも無いような激流であることは必至。

 それでも立ち向かうのかと、スターリングさんは。言葉の端に今なら引き返せるという優しさからの言葉を秘めて、レイさんに問うた。

 

 対するレイさんの答えは――

 

「なら逆に聞くぜ、兄貴」

 

 ――俺がそれで諦めるような、物分りの良い奴だと思うかい?

 

 ……ああ、彼はやっぱりスターリングさんの弟なんだ。

 いや、違う。彼は彼だからこそ、本心からそう思っているんだ。

 スターリングさんと――兄と比べれば無力と言ってもいいのに、兄と同じ<超級>であるフランクリンを止めようと覚悟しきっている。

 

 その姿のなんと誇らしいことだろう。

 スターリングさんは心底嬉しそうに、この誰に見せても恥ずかしくない自慢の弟を誇りに思い、その肩を叩いて【身代わり竜鱗】を手渡した。

 

『持っていけ。【ブローチ】は切らしてるしそれも一枚しかないが、な』

「サンキュー兄貴、助かるよ」

『なに、今から助けられようとしてんのは俺達さ。気にせず持ってけ、惜しむなよ』

 

 その二人の姿があまりに眩しくて、私は一瞬忘我していた。

 だけどいよいよ彼らが出撃する段になって我を取り戻し、何か私も助けになれないかとアイテムボックスを漁って……あった!

 

「ま、待ってください!」

「マグロ? どうしたんだよ、そんなに焦って」

「わ、私からもお渡しできるものがあります……!」

 

 取り出したのは十数枚の【身代わり竜鱗】。

 生憎私も【ブローチ】は自分の分しか持ち合わせが無くて、【竜鱗】は【ブローチ】に比べれば比較的手に入りやすいから、予備はいくらかあったんだ。

 ほんとはこの【ブローチ】も渡せればいいんだけど……うう、ごめんなさい。こればかりは命綱なので勘弁してください!

 代わりに【竜鱗】は全部差し出すから! これならレイさん以外の二二人、まだ行き渡ってない人への保険にはなるはず!

 

「お、お前いいのか、こんなに……? これ、安くないんだろ?」

「いえ、いいんです。お役に立てないんだから、せめてこれだけでも……。その、返すとかは考えなくていいんで、惜しまず使ってください……! その、他の皆さんも、御武運をお祈りしてますから!」

 

 一人一人に手渡して、どうか無事に帰ってきてくれるよう頭を下げる。

 本当に、これくらいしか私にできることがないのが恥ずかしい……でもその恥を呑み込んでここで渡さないと、きっと後悔するだろうから……。

 

 彼らからはお礼も言ってもらえたけど、どうか気にしないでほしい。

 これがせめてもの助けになるのなら、それが最大の幸福だ。彼らの無事こそが今の私の望みだ。

 

「すみません、引き止めちゃって……その、月並みですけど、頑張ってください!」

「……ああ、ありがとう。それじゃあ言ってくるぜ……兄貴、マグロ、皆!」

「いきましょう、レイさん!」

「ああ、いくぞルーク! ……ネメシス!」

「応!」

 

 そして彼らは意気軒昂に、結界から飛び出していった。

 ここからでも見える敵の布陣、彼らを待ち構える上級<マスター>たちの群れに、猛然と。

 あとは彼らを信じることしかできないが……未熟な彼らだけを送り出さざるを得ない無力感が、やっぱり拭えない。

 

『大丈夫だ、あいつらなら。ここは信じて待つのが先達の役目ってやつさ』

「そう、でしょうか……」

『ああそうさ。俺達は結界の問題が片付いたときに備えて、結果を待とう。なぁに、いざとなれば……な』

 

 スターリングさんはそう言い残して、闘技場中央への舞台に向かっていった。

 他の<マスター>たちは結界から離れず彼らの行く末を案じている。ティアンの皆さんはフランクリンのモンスターが沸き出ていない、安全な一角へと避難していた。

 私は――――

 

『中央はシュウに任せておけ。あやつがいれば()()()()もおいそれとは動けぬだろうさ』

「カトリ様……?」

『我らは……そうさな、ゴミ掃除といこう。あの青い粘塊は有象無象には荷が重かろう』

 

 ……そっか、そうだね。

 私達は私達なりに、できることからやっていこう。

 外で頑張る彼らと比べれば微々たるものだけど、小さなことからコツコツと、だね。

 

 

 私は()()()()()()カトリ様の感触を確かめながら、闘技場へ放たれたモンスターの掃討に向かった。

 

 




反撃に躍り出た二十二名の勇者達の活躍は、是非とも原作をご覧ください。
彼ら、もといレイとルークの活躍は、原作で全てが描かれております。
拙作ではあくまで主人公の視点を主軸に物語が進む都合上、描写をばっさりカットしておりますが、彼らの活躍は本当に手に汗握るものです。
つまり原作こそ至高です。拙作でもし興味をお持ちいただけた方がいらっしゃるならば、是非とも原作を読んでいただけるようお願い申し上げます。

まぁ私ごときが宣伝せずとも、拙作をご覧いただける方の殆どは既に原作の素晴らしさはご承知かと思いますがw
それでも何度でもいいます。デンドロは最高だ!!


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<超級>、双び翔び立つ

日刊上位になってたのを目撃してしまった……
それもこれも偏に読者の皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。
今後も頑張っていきたいと思います。

※一部修正
内容:フランクリン製モンスターのドロップアイテムについて修正・加筆
   最後の展開を一部変更。主人公も道連れに

理由:前者は作者の読み込み不足・見落としのため
   後者はテスカトリポカが主人公を置いていくはずがないと思い直したため

急な修正、深くお詫び申し上げます。


 □【獣神】マグロ

 

 

「ところでカトリ様、フランクリンはこの程度で事を収めるような人物だと思いますか?」

『十中八九、更なる策を用意しておろうな。ああいう手合は概して事を起こす時点で既に詰みへ持っていく運びが多い』

 

 受付ロビー前、出口の喧騒から遠ざかってカトリ様に問う。

 レイさんたちを見送ったあと気になったのは、他ならぬフランクリンのことだった。

 私が感じた第一印象と、巷で噂される彼の人物像。両者を照らし合わせてみればこの騒動は――実に手緩い。

 

『あの美童の賢者も指摘していた通り、この騒動は本来彼奴にとって不要であるべき手段。単にこの都市を落すだけならば、それこそ闇夜に紛れてモンスターを放つだけで十分に過ぎよう』

「つまり目的は単なるギデオン陥落にはないと……なら」

『左様。彼奴が摘まんとしておるのは都市ではなく人。即ち()であろうよ』

 

 なるほど、心か。

 テロの宣言、長ったらしい説明の数々、敢えて脅威を見せつけるような演出。

 その上で冷静になれば気づけるだけの穴をわざと残し、九死に一生を見出させる真似。

 そこに彼のパーソナリティを加えて考えれば、導き出される答えは一つ。

 

「――上げて落とす、ですか」

『取り残された<マスター>共の目に不安が拭え切れぬのもそれが理由であろうよ。誰もが彼奴の一挙手一投足を見守り、()()()()()()()()だろうと恐々としておる』

「率直に言って人格最低ですね……」

『そうかな? それは言い換えれば、それだけ彼奴にとって本気であるということ。手段の是非はどうあれ、あれはまさしく真剣そのものよ』

 

 カトリ様の言葉には、彼を脅威と見る意思はあれど、決して侮蔑や嘲りの感情は含まれていなかった。

 ……そのカトリ様の心境は、実を言うと私にも理解はできる。彼の目はまったく笑っていなかったし、ふざけた言動とは裏腹に、必ずこの街を、人を――いや、()()()()という絶対的な意志があった。

 

 弱い私には、そういう誰かの強い意志というものが、なんとなく分かる。

 普段はそれこそ漠然とした感覚でしかわからないけれど、今回の彼は万人に事態の深刻さを見せつけようと振る舞っていたので、私にもその思惑を窺い知れた。

 

『少なくとも余はあれが嫌いでないよ。一度語らってみたくもある。――無論、こうして敵対する立場にある以上、この場においては斟酌は有り得ぬがな』

 

 クツクツと噛み殺すようにカトリ様が笑う。

 決してPKの類を好む性質ではない彼女がこうも面白げなのは、それだけフランクリンのことを――その人格はともかく――買っているからなのだろう。

 

 私達共通の認識として、PKは忌むべきものである。

 それは私がデスペナルティを恐れるからであるし、単純に不愉快であるからでもある。

 しかしそれにも例外があり、一つは<マスター>間でのPK。もう一つはそれが()()()()()()()()という覚悟の上でのPKだ。

 

 フランクリンの場合、それが後者に該当したのだろう。

 それだけ彼は、本気でこの街を落そうとしている。ひいては、その背後にある王国そのものすらも。

 聞けば先の戦争においてもある意味最も活躍したのは、フランクリン率いるモンスター軍団であったという。

 莫大的な資産を投じ造り上げた、王国側の戦力を絶対的に圧倒する悪辣かつ脅威のモンスター達によって、完膚なきまでに国王を屠ったことからもその本気の度合いが見て取れる。

 空巣めいたカルディナの横槍が無ければ、今頃王国は皇国の領土となっていたはずだ。フランクリンという、恐怖の爪痕を深く人々の心に刻みつけて。

 

 つくづく、力量と人格は必ずしも一致しないという典型例のような人物だ。まぁ<超級>なんて大なり小なりそんなものだけど。

 私自身、彼のその力には大きく興味がある。まがりなりにもモンスターに精通する超級職を頂く以上、彼の造り上げるオリジナルモンスター達には興味が尽きない。

 だけどそれが明確な悪意を以て私達に敵対するとなると、それがどんなに恐ろしいのか、今まさに痛感する限りだ。

 

 だけど……

 

「私達で対処できるレベルだったのは幸いでしたね」

『彼奴にとっては片手間に過ぎぬ代物であろうがな。しかし見れば見るほど興味深い、よい()になりそうではないか』

 

 カトリ様の()()()で光の粒子と化して消えた【オキシジェンスライム】のドロップアイテムを回収しながらほくそ笑む。

 かの【大教授】お手製のオリジナルモンスターだ、ラーニングできるスキルにも期待が持てるというもので、ちょっとしたボーナス気分だね。

 

 いやはや、だけどラッキーだったなぁ。

 コストをかけるのを嫌ったのかは知らないけど、【即死】耐性が無効化ではなかったおかげで、ほとんど消耗無くお掃除できたのは本当に運が良かった。

 これがもし【石化】や【即死】の無効化持ちだったら、幾つかのスキルで強化した上で《丸呑み》からの《消化》なんていう手間をかけないといけなかったところだしね。

 

 それでも闘技場は広いから、隅々まで回ってお片付けするのに時間が掛かってしまった。

 一通り掃除してから、なんとなく舞台の結界内に取り残された二人が気になって一般観客席に戻ってみたけれど、やっぱりこっちは手出ししようがないよねぇ。

 なんとも手持ち無沙汰な感覚のまま、手近な席に座って天を仰ぐ。なんというかなぁ、振り返ってみるとここ一年の王国は呪われてるんじゃないかってくらい不憫だよね。

 【グローリア】しかり、戦争しかり、漸く戦禍の傷跡も少しは癒えてきたと思った矢先にフランクリンのテロだ。

 こりゃ彼の買った恨みも相当だよねぇ。恨むだけで人が殺せるなら、今頃彼は百万回は軽く死んでそうだ。

 

 と思っていたら、またも騒然としだす闘技場。

 何事かと周囲を見渡してみれば、闘技場のあちこちに――のみならず、ギデオンの各所から、どこにいても()()が見えるように投影された映像があった。

 

『成程。これが彼奴の手か』

 

 面白そうにカトリ様が笑う。

 視線の先には、ギデオン西部の<ジャンド草原>でフランクリンと対峙する近衛騎士団と――他でもないレイさんの姿が映し出されていた。

 

 

 ◇

 

 

 案の定、フランクリンの目的はギデオンという都市そのものではなく、それが属す王国、そしてそこに住まう人々の心を折ることにあった。

 フランクリン作の【ブロードキャストアイ】なる中継用モンスターによって、今まさにフランクリンと対峙するレイさんと近衛騎士団とのやりとりがリアルタイムで放送されている。

 それらの生中継は中央闘技場を始めとしたギデオンの各所――のみならず王国にまでも届き、およそ主要人物のほぼ全てに事態の推移が知れ渡っていると言ってもいい。

 これほどの大規模な計画、相当前から綿密に企図されていたに違いない。それも彼個人の思惑ではなく、おそらく背後には間違いなく皇国の関与もあるだろう。

 表向きには無関係を装うだろうけど、間違いなく関与はあるはずだ。私にすらそう思えるのだ、きっと誰もがそう考えているに違いない。

 

 そして今まさに決着をつけようとフランクリンと直接対峙する彼らを敢えて中継する意図。

 それも彼が中継の最初に宣言した通り、彼らの敗北する様を衆目に晒すことで完膚無きまでの敗北を王国に突きつけることにある。

 王国に住まう多くの<マスター>、そして<超級>までもが身動きを許されないまま、力量に乏しい一握りの<初心者(ルーキー)>達と、現王国の保有する唯一最大の固有戦力と言える近衛騎士団が為す術もなく敗れることで、フランクリンに、ひいてはその背後にある皇国へ逆らう気力を粉々に打ち砕こうというのだろう。

 そしてその計画はフランクリンの圧倒的優勢によって成されようとしており、見守るしかない人々が希望を託さざるを得ない相手は、彼と比べてあまりに無力。

 

『悪辣だな。そして容赦がない。……いや、そうだな。これでもあれにとってはまだ()()か』

「どういうことでしょうか?」

『あれが映し出す彼奴と王国戦力の決着、それだけで事が終わろうはずもないということだ。王国側がこのまま敗れれば即ち敗国、万が一勝利したとてあれの次なる策の前に立ち向かえるかと言えば――危ういな』

「ではこの状況、どう推移したとて詰みと?」

『さて、どうかな。彼奴との勝敗のみを決着と見るならば、そうなるだろう。だが、もしその裏で動く影があらば……はてさて』

 

 見守る中継の先では、レイさんと近衛騎士団が一つの巨大な肉塊――フランクリン曰く【RSK】なるモンスターと戦いを繰り広げている。

 怪物の巨体から生えた触腕、それが縦横無尽に叩き付けられ騎士団の連携を見出し、ばら撒かれる光弾を銀色をした人工馬に騎乗したレイさんが凌ぎながら少しずつ攻撃を加えていく。

 しかしそれらは決して有効打になりえず、レイさんと騎士団はどうにも攻めあぐねているようだった。

 その様子を見てフランクリンは愉快そうに、彼らの奮闘を外部から嘲笑っていた。

 

『どう見るかね?』

「そうだな……」

 

 カトリ様が誰へともなく問いかけると、いつの間にかスターリングさんがすぐ傍にいた。

 いや、それがスターリングさんだとはすぐに結び付けられなかった。

 なぜなら彼はいつものファンシーなクマの着ぐるみ姿ではなく、野性味極まる熊の毛皮を上半身に纏っただけの、筋骨隆々とした中身を晒していたから。

 

「スターリングさん? その格好は……」

「この姿を見せるのは初めてだったな。取り敢えず場内の掃除に感謝しとくぜ」

「いえ、それはいいんですけど……ひょっとしてそれが、例の?」

「ああ、所謂()()()()()()ってやつだ。詳細は見えないだろうけどな、とっておきってやつだ」

 

 成程、スターリングさんも本気ってわけだ。

 いつもの愛嬌を振り撒く子供山さんとは打って変わって、歴戦の戦士そのものな風格と迫力を放つ今のスターリングさんは、紛れもなく本気なのだろう。

 彼のリアルでの姿を知ってはいても、こちらで着ぐるみを脱ぐ姿を見たことはなかったから戸惑った。何らかの思惑で普段ひた隠しにしている()()を晒すほど、ということ。

 

「んでかとりんの質問だったな。まぁ単純に考えて、レイにメタ張ってるってことだろ」

『で、あろうな。そなたの弟は見たところ【聖騎士】、それに何らかの理由で対抗策を設けているのであれば、ジョブを同じとする騎士団もまた同様に思惑に嵌っているということか』

「わからないのが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って点だが……」

『ふむ。どうやら解答の時間のようだぞ、シュウよ』

 

 完全に二人だけの会話になってて蚊帳の外な私。まぁいいんですけどね。

 それにしてもスターリングさん、()()()()()()を見ても驚かなかったな……一年前最後にあったときとは随分変わってるから、ツッコまれるかと思ったんだけど。

 

 まぁそんなことは今はいいんだ、置いておこう。

 カトリ様が示唆した通り、中継先では窮地に陥ったレイさんへフランクリンが意気揚々と種明かしをしているところだった。

 【RSK(レイ・スターリング・キラー)】の名の通り、そしてカトリ様とスターリングさんが推測した通りに、あの怪物はレイさんの攻撃手段全てを無効化ないし無力化させる、まさしくレイさん殺しの条件特化型モンスターだった。

 

 私は知らなかったのだけど、どうやらレイさんは【猛毒】【酩酊】【衰弱】の三重状態異常と、火属性と聖属性の攻撃スキル、そして特定の対象から受けたダメージ量を参照するカウンタースキルを駆使して戦う格上殺し(ジャイアントキリング)仕様のビルドらしい。

 それを【PSS(ピーピング・スパイ・スライム)】なる諜報用モンスターで知り得、結果として造り上げられたのが三種の状態異常と二種の属性攻撃を無効化し、自らは攻撃せず自己生成した眷属で攻撃してカウンターのタゲを取らない【RSK】というわけだ。

 

 ……まぁ、フランクリンの説明したことをそのまま言っただけで、具体的にどういうことなのかは明確に把握できてないんだけど。

 カトリ様とスターリングさんはそれで得心がいったのか、苦々しくもそんなモンスターを用意してしまえるフランクリンの手腕に舌を巻いているようだった。

 とりあえずはっきりと分かるのは、状況はレイさんにとって圧倒的不利ってこと。ただでさえ勝ちの目の少ない反撃ではあったけど、まさかピンポイントでレイさんを封殺するようなモンスターが用意されていたなんて、フランクリンはどれだけ執念深いのだと戦慄する思いだ。

 

『どうするかね。最早已む無しと見て出るかね、【破壊王】?』

「……舐めんなよ、なんてったって俺の弟だぜ? このままで終わるはずがないさ。それに見ろ――」

 

 ――あいつの目は、まだ死んじゃいねぇ。

 

 そう全幅の信頼を寄せる兄の期待に応えるように、画面向こうのレイさんは尚も屈せず立ち上がっていた。

 フランクリンにとってみれば、一連の説明はレイさんの心を圧し折るためのダメ押しだったのだろう。

 説明中始終優位に立った笑みを浮かべながら、最早打つ手は無いのだとレイさんの心を摘むべく悪魔の囁きを奏でた。

 しかしレイさんは、そんな彼の目論見に反して――むしろ不敵に笑い、「タネが分かって安心した」と安堵する余裕すら見せて、真っ向からフランクリンに歯向かった。

 

 それがフランクリンにとっては不愉快だったのだろう、所詮負け惜しみと嘲りつつも苦虫を噛み潰したような表情を隠せていない。

 そしてレイさんはそんなフランクリンに応えるように愛馬を嘶かせると――暫くして光も通さぬ漆黒の膜を展開した。

 

「あれは……」

『直前に周囲の風景が歪むのが見えた。あそこへ辿り着くまでに空を翔けていたのを踏まえるに、おそらくは風属性の魔法かスキルと見える。圧縮空気の類だろうが……相当強力だな。およそ生半な戦闘系超級職にも難しい、ましてや<下級>には到底不可能な現象だ。おそらくはレイの装備していた特典武具のいずれかによるものと見るべきだろう』

「さすがに目がいいな。大体合ってるだろうよ。俺も詳細は聞いてねぇからわからんが……見ろ、フランクリンのやつが慌ててデカブツを動かそうとしてるぜ」

『だが間に合わぬようだな。ククク……獲物を前に舌舐めずりをしているからだ、戯けめ』

 

 カトリ様が、心底愉しげに哂った次の瞬間――漆黒の膜は爆ぜ、その効果範囲から逃げ切れなかった【RSK】の外殻を粉々に四散させていた。

 しかしそれで尚も死にきらないあたり、【RSK】の耐久力も相当に桁外れと言えるだろう。更には少しずつ自己再生を始めながら、欠けた肉体を修復していくが……その前にレイさんが白馬を駆って肉薄し、その傷口の亀裂から左腕を突っ込んだ。

 そして、暫しの間の後に――炎が噴き出す。

 

『成程、考えたな。あれの無効化能力はあくまで外皮に限ったものか。内部まで作用せぬのはコストの限界か、それ以外かはともかく……ククク、実に面白い。シュウよ、そなたの弟は実に良き戦士よな。好い、好いぞ』

「土壇場で恐ろしいほど機転が利くのは割りと昔からだったが……変わってねぇなぁ、まったく!」

 

 おおう、二人ともこれ以上無くご機嫌だ。すげー楽しそう。

 なんていうか完全に二人の世界どころか男の世界形成してるんですけど、カトリ様あなた女性ですよね?

 完全についていけない流れに疎外感を覚えつつも、今はレイさんが見事勝機を掴み取ったことを喜ぼう。

 レイさんの突っ込んだ左腕からは、いかなるギミックによるものかは知れないけれど、とても<下級>が出していいものではない大熱量が放たれ、あの【RSK】を内側から全身の隅々までを焼き尽くしていた。

 あれほどの巨体も、脅威の回復能力も、あの熱量を前には何の意味も為さない。【RSK】は耳障りな断末魔の悲鳴をあげながら、やがて黒い燃え滓と化して光の粒子と消えた。

 

 途端、沸き上がる大歓声。

 勝利を示すように振り上げられたレイさんの右腕を誰もが追って、その勝利が揺るぎないことを察して口々に歓声をあげる。

 敗北への絶望と諦観から一転、ギデオンは逆転勝利の奇跡に沸く。それはきっと王国でも同様だろう。もし王国の大地に口があれば、大音声でその勝利を称えているに違いない。

 

 だけど、フランクリンの脅威を良く知る歴戦の<マスター>たちは。

 傍らに座るカトリ様とスターリングさんは。

 そして他ならぬ私は。

 

 それぞれの抱く感情と共に、その熱狂を外に置いていた。

 そして見上げて思う――このままでは終わらない、と。

 

「野郎……やっぱり持ってやがったな」

『容易に察せたことだな。()()()()()()()か』

「ほんっっっっっっっっとに性格最悪ですね、あの人!?」

 

 びっくりするわ! まさかそこまですることはないだろうという一線を軽く乗り越えてくるその容赦の無さ!

 お約束や暗黙の了解なんて知ったこっちゃねぇとばかりに、レイさんの勝利で破壊されたはずのモンスター解放装置の予備リモコンを、これ見よがしに取り出して。

 彼の奮闘を嘲笑うように、時限装置のないそれをレイさんの目の前で連打する。

 画面の向こうで、気絶したレイさんに代わってネメシスさんが激昂するのが見えた。

 

 こうなってしまえばあとはなるようにしかならない。

 モンスターの解放装置は、彼の切り札であると同時、私達を場内に縛り付ける人質でもあった。

 それが意味をなさなくなったということは、最早この場の<マスター>たちが遠慮する必要も消えてなくなったということ。

 そうなれば私だって――

 

『落ち着けマスター。焦らずよく見ろ』

「カトリ様!? 何を暢気な……」

「そうそう、どうやらあいつの他にも上手くやってくれたやつがいるみたいだぜ」

 

 憤る私をなだめる二人の視線の先を追えば、画面向こうで余裕の表情から一転、不愉快げに訝しむフランクリンの姿がある。

 そしていくら押しても反応の無いリモコンを投げ捨てると、長い溜息と共に吐き捨てるように言った。

 

「誰かが装置を回収して無力化してくれたようだな」

『これで彼奴の言うプランAとプランBが無為と化したわけだが』

「ああ、どうせあいつのことだ。()()()()()()()()()()()だろうさ」

「えっ? …………えっ!?」

 

 完全に私を置いてけぼりにして通じ合っている二人に戸惑う私。

 フランクリンの目論見を二度も外してなお、スターリングさんは警戒を緩めず、カトリ様も映像から目を離していない。

 そして私と同じように、多くの人々が固唾を呑んで中継を見守る中、フランクリンはいよいよ観念したように――しかし私達の希望を真っ向から打ち砕く()()を口にした。

 

 

『プランC(クライシス)……五六八二六体の改造モンスターによるギデオン殲滅作戦を開始しますねぇ』

 

 

 ――まるで時が凍ったかのようだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「頃合だな、行くか」

『動くか、シュウよ』

「あの、えっと……?」

 

 フランクリンの絶望宣言と同時、スターリングさんは席を立った。

 向かう先は闘技場中央、時の止まった結界に囚われた<超級>二人のもと。

 カトリ様も当然のようにそれへ付いていき、私は戸惑うままに二人のあとを追うしかない。

 

 そして誰もが中継に視線を向けた中、スターリングさんが舞台の結界へ近寄ったかと思うと、そのまま無造作に拳で結界を打ち砕いた。

 <超級激突>を演じていた二人を囚えていた結界が無力化され、フィガロさんと迅羽さんは試合開始前の姿のまま、万全の状態で解放される。

 長らく保護空間に幽閉されていた反動か、しばし状況を飲み込めずにいたようだけど、それもフィガロさんがスターリングさんの姿を認めたことで得心が行ったようだ。

 

「シュウ、動くんだね?」

「ああ、ここは任せた。地下の奴や、観客席の二人が何かやりそうだったら止めてくれ」

「了解、任せて。……そちらの方は?」

「うオ、デケーなオマエ! 何食ったらそんななるんダ?」

 

 自由を取り戻したフィガロさんは以心伝心で了解を得、そして傍らに立つ私を訝しむ。

 迅羽さんも同様に……なんか見るとこが独特だけど、うん。

 思いがけず<超級>の有名人二人に話し掛けられたせいで、緊張して言葉が紡げない。

 ちなみに食べてるのは流動食と点滴ですが……デカさで言ったら迅羽さんの方がよっぽどですよね?

 

「こいつは何度か話したことあったろ、マグロだ」

「ああ、シュウのお友達の……フィガロです、よろしくね」

 

 スターリングさんのお友達補正で握手してもらった! しかもめっちゃ自然に!

 あの超有名人! ギデオンの一大スター! 決闘王者の生握手もらっちゃった!

 なにこれすごい幸せ……!!

 

「お前、ちょっと顔がキモいゾ……」

 

 迅羽さんにそんな風に言われてるけど、気にしない!

 一闘技ファンとして王者に握手してもらえるなんて、一生モノの思い出だもん!

 

「それでシュウ、キミが連れているとうことは、もしかして?」

「ああ、<超級>だ。外でちょいと、手伝ってもらう」

「えっ、なにそれ初耳なんですが……!?」

『正確には余が、だがな』

「あン? ――――()()?」

 

 寝耳に水な発言にテンパる私を他所に、カトリ様が当たり前のように了承する。

 私からスターリングさんへと巻き付く相手を変え、二股に割れた舌先を大気に曝しながら、訝しむ迅羽さんに目を向ける。

 

『話はあとにさせてもらおう。"無限連鎖"フィガロ、"応龍"迅羽、先の戦い見事であった。事が済めば是非一度語らいたいものだ』

「成程……うん、いいね。()()()()()()()()()()、一度手合わせしてもらっても?」

『願ってもない申し出だ、是非とも頼む』

「……なんダ、お前? 実はティアンの一般人とかじゃねーノ? マジで<マスター>なのカ?」

 

 《看破》で私のステータスを見抜いた迅羽さんに心底憐れまれるような声音で言われた……さすがにつらい。

 

「お喋りはその辺にしといて、そろそろ行くぞ。かとりん、()()()か?」

『任せておけ。そなたが走るよりは余程速い』

「なら頼む。ていうわけでマグロ、行くぞ」

 

 言うや否や、カトリ様が私の身体に巻き付き《透明化》。口でスターリングさんを咥えて吊り上げる。

 そして《伸縮自在》で延長化した胴をバネのように撓めて力を溜めてから――跳躍。

 純粋なSTRによる脚力で、そのまま西の彼方へ飛び去っていった。

 

「きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!!?」

 

 当然私もそれに巻き込まれる。

 気分はさながら逆バンジー。ただし超音速で。

 カトリ様のバリアが無ければ即ミンチと化していたのは想像に難くない。

 

 そしてここまで全部、事後承諾の私蚊帳の外である。

 ……なにこれ悲しい。いくら私が役立たずだってさぁ、二人だけで通じ合ってんじゃないですよもう!

 

「……まぁ元気出せヨ、ナ?」

「お気遣いありがとうございますううううぅぅぅぅぅ――!!!!」

 

 試合中はヒールプレイ全開だったけど、去り際の迅羽さんは思いの外優しかった。

 あとでサインねだったら書いてもらえるかな、ちょっとお願いしてみよう。

 

 でもまぁ、あれか。

 五六〇〇〇……くらいだっけ? それなら、まぁ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 解放装置の懸念もなくなったし、あとは野となれ山となれだ。

 ……ところで下とか二人とか、何のことだろう?

 

 

 




四連休(金曜有休)による更新頑張るモード終了。
次はフランクリンのゲーム編のクライマックスですが、次回投稿しばしお待ちください。
月曜からは11月最終週ですので……どうかご了承ください。


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歪なるカタチ、其の名は――――

なんだかレビューを頂いてました……!
何気なくトップページを眺めて見つけた拙作のレビュー。
まったくの初体験に、なんと言い表したものかわかりません。
あまりに嬉しすぎて言葉もない状態です。
あまりにも嬉しいものだから、張り切ってクライマックス書き上げました。
主人公の<超級エンブリオ>のお披露目です。どうかお納めください。


 ■<ジャンド草原>

 

 

 五六八二六体の改造モンスター。

 そのいずれも亜竜級以上であることの意味するところは、およそ直截的に過ぎる絶望であった。

 その先駆けとして放たれた"スーサイドシリーズ"なる五〇〇〇体もの改造モンスターたちは、雑多な戦力算出を省いて言えばおよそ上級戦闘職五〇〇〇人分に匹敵する。

 対し迎え撃たんとするは下級・上級職を混合して二十一名。それとは別に"超級殺し"であるマリー・アドラー一名もいるが、"奏楽王"ベルドルベルとの激戦を征して馳せ参じた彼女は万全の状態には程遠く、現時点では精々が純竜級に匹敵する程度にその戦力を落ち込ませるだろう。

 比較して彼我の戦力差は――およそ比べるに値しない、絶対的な差であった。

 

 "スーサイドシリーズ"を始めとするフランクリン配下の五六八二六体の改造モンスター群。

 これは大別すれば"広域制圧型"に分類される戦闘スタイルであり、こと防衛戦において攻勢に回る限り圧倒的優勢を誇る究極の布陣である。

 ましてや個々の戦力が防衛側戦力の多くに匹敵、ないし凌駕するとあれば、それに抗うのは水面に浮かべた木の葉へ激流に遡ることを期待するが如く虚しい。

 しかし、そうした圧倒的劣勢にありながら尚も()()()抗えているのは、偏に<マスター>であるが故の奇跡だろう。

 

 ティアンと<マスター>の違いを最も決定付ける要素とは、即ち<エンブリオ>の有無に他ならない。

 ジョブによる各種補正とレベル、装備によってのみ戦力を決定づけられるティアンと異なり、<マスター>はそこへ更に<エンブリオ>によるステータス補正、そして固有能力による恩恵を受ける。

 彼らフランクリンの猛威に対抗するギデオン側<マスター>達の数は僅か二十二名。しかしそれらは皆各々強力な固有能力を有しており、その多様性はおよそ計算に組み込むには広すぎる。

 

 ある者は魔法、スキルでダメージを。

 ある者は各種バフによる全体支援を。

 ある者はデバフによる敵勢の弱体化を。

 ある者は自ら切り込み、またある者は壁となって大軍を押し止める。

 

 それらの連携はフランクリンの改造モンスターには持ち得ない、人間であるからこその連携の妙。

 個々のスペックで圧倒的に上回りながら、尚も彼らを圧倒し切れないのは、優れた多様性、高水準のスペックを有しながら"自滅(スーサイド)"の名の如く直進蹂躙しか組み込まれていない哀れな被造物の限界であった。

 

 フランクリンはそれらの光景を己の<超級エンブリオ>――【魔獣工場 パンデモニウム】の上から眺めて、呟く。

 さて、どうしようか。このまま彼らを眺めていても、いずれ拮抗は破れ圧倒できることは明白。

 元より"スーサイドシリーズ"は現在保有する全戦力の十一分の一に過ぎない末端勢力でしかない。

 後ろに控える残る五万余の改造モンスター達がある以上、最早己の勝利は確定している。

 であるならば、このまま手出しせず静観に徹するのが最も()()()だろう。

 

 だが、しかし――

 

『うん、そうだねぇ。このまま見てるのも楽だけどねぇ……?』

 

 彼らの奮闘を高みから見下ろし、フランクリンは口角を上げる。

 その奮戦を賞賛しながら、一方で双眸は全く笑わず、お道化て珍妙に振る舞う全身とは裏腹に心中には苛立ちが募る。

 

『なんていうかさぁ、頑張っちゃってる彼らの悪あがきでさぁ、ちょっとした希望ってやつが生まれるのも、癪だよねぇ?』

 

 フランクリンは狡猾である。その脳髄には常に明晰な計算と悪辣な打算が渦巻き、容赦という蓋のない精神性がその着火爆発を増長させている。

 決して誰にも隙を見せず、勝利のためには一切の労力を惜しまず、目的達成のための手段を常に模索獲得し続ける陰謀家である。

 しかし一方で、その性根には――誰にも負けたくないという、極めて感情的な激憤が燻っていた。

 故に。

 

『だからやっぱり、腹が立つから殺そうかねぇ?』

 

 故に、フランクリンはダメ押しの一撃を選択した。

 放たれた"スーサイドシリーズ"でも一際異彩を放つ恐竜。近衛騎士団を文字通り()()()()()いた【DGF】に命じ、悪あがきに藻掻く<マスター>達の蹂躙を開始した。

 

 劣勢の中かろうじて戦線に立っていた数名の<マスター>を鎧袖一触にデスペナルティへ追い込み、続く巨体の連撃で更に数名絶命させる。

 全身に纏う赤いオーラは【DGF】がフランクリンの秘蔵であることの証左。とある<UBM>の特典武具を素材に習得した《竜王気》が、あらゆる物理・魔法ダメージを減衰させ、防衛側唯一の超級職であるマリーの弾丸すらも事も無げに耐える。

 この場において現状最大の火力を有するマリーの通常手が通用しない【DGF】に対し、彼女はリスクの高い必殺スキルの使用を判断するが、その束の間。

 

 突如として矛先を変えた場所には、ギデオン防衛戦力の筆頭たるレイ・スターリングの姿。

 フランクリンが最も執着する宿敵である彼を、フランクリンの配下たる【DGF】が最優先撃滅目標に定めるのも不思議ではない。

 【DGF】の目標がマリーであったならば、反撃して倒す目はあり得たかもしれない。

 しかし既に満身創痍の体を晒す今のレイに、明確な敵意を以て殺しにかかる【DGF】に対抗し得る手段はおよそ、無い。

 

 巨獣の矛先から逃れられぬことを察し、しかしレイは諦観に至らず。

 五体を砕き命を獲らんとする巨獣の肉薄に冷静を以て応じ、一か八かの即応反撃を狙って、黒大剣を構える。

 己がメイデンと一言、二言。致命の一撃に残る全身全霊を以て応える決心を固めて――

 

「待たせたな、レイ。あとそういう博打はもうちょっと格好良い場面でやるクマー」

 

 誰にも悟られず、知られず。

 コマ落としのように突如現れた熊毛皮の戦士に阻まれた。

 

 天高く衝くように蹴り上げられた片脚。

 一見して珍妙な格好を取る戦士の前に、【DGF】の姿は無い。

 否、およそ見渡す周囲のどこにもその姿は見られなかった。

 極一部、彼の動きを追えた極々少数の<マスター>のみが、彼の衝き上げた爪先の彼方にその痕跡を見つけた。

 

 猛威を奮った恐竜(【DGF】)は、戦士の一蹴りで空の彼方に蹴り飛ばされていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □<ジャンド草原>遠方

 

 

「うっわー……ほんといつ見てもあり得ない腕力(STR)してますねスターリングさん。いや、この場合は脚力ですか……」

「ククク……全く清々しいまでの暴力よな」

 

 場所は少し離れて、<ジャンド草原>戦場の遠方。

 《光学迷彩》によって通常の視覚から逃れた【戦神艦 バルドル】の艦橋で一連の光景を観戦し、各々の感想を述べる二つの人影。

 恐れ戦くのは【獣神】マグロ、愉しげに笑声を漏らすのはその<エンブリオ>、【狂神獣妃 テスカトリポカ】。

 中央闘技場から西へ向けて急ぎ、その途中で現在戦場で大立ち回りを演じる熊の戦士――シュウ・スターリングを投下し、今は彼の<エンブリオ>であるバルドルで待機する二人であった。

 

 戦場から数キロメテルは離れたこの場所から間近で見ているように戦況を把握できているのは、偏にテスカトリポカによるもの。

 無数保有するスキル群から視覚の強化に長けたスキルをいくつか並列発動し、それをマグロと共有させて、見ている光景を同じくしている。

 今メイデン体となっているテスカトリポカの各種ステータスは、()()()()()()ガーディアン体のそれと比べて大きく落ち込むが、しかして軽く数万を誇る規格外のAGIで認識する立ち回りは、目の肥えたテスカトリポカをして眼福と言わしめる凄まじいものだった。

 

 今戦場で戦いに興じるシュウと、それを眺めるテスカトリポカのAGIの差により、テスカトリポカの知覚におけるシュウの体捌きはスローモーションのそれであるが、それでいて尚テスカトリポカに舌を巻かせるシュウの体術の凄まじきは、たかだか音速であるか否かの些細な垣根を越えて恐るべき脅威として映っていた。

 なにせシュウと比較して圧倒的にAGIが上回る改造モンスターが、その彼に一撃すら加えられていない。

 いかなる方向、いかなる速さ、いかなるスキルを以てしてもその悉くをシュウが先んじて潰し、まるで未来を読んだかの如く置かれた拳に触れて雲散霧消と消え果てる。

 さながらシュウの拳という棘に自ら刺さりにいく早贄のように、その光景は度を越えて異質であった。

 

「リアルで格闘経験がある……んだったかな。話には聞いていたけれど、実際目にするとやっぱりすごいなぁ」

「あれで未来予知ではなく単なる先読みだというのだから、まったくシュウには脱帽させられるわ。ククク……堪らず胎が疼くというものよ……」

 

 こと強者であるもの、強者であらんとするもの、あるいは強者に至らんとするものを好む性質のテスカトリポカは、まさしく絶対強者の暴威を揮うシュウに陶酔の表情すら見せ、離れて尚届く()()の余波に臍下を切なげに撫でる。

 マグロはそんな己が<エンブリオ>の様子を据わった目付きで睨み、咎めるように嘆息した。

 

「……まぁいいです。それで、どうですか?」

「ククク、さてなぁ……」

 

 淫靡な側面を醸し出す己が半身への追及を避け、戦況の是非を問う。

 テスカトリポカははぐらかすように曖昧に応え、破壊に舞い吹く、しかし届かぬはずの血煙を嗅ぎ、酔うように唄った。

 マグロの視線が一層据わって突き刺さる。

 

「さて、さてさて。彼奴はどう出るかな? いや、分かりきったことか。出番かな? クク、そろそろであろうな……」

 

 しかしその視線を気にした風も無く、戦況の推移を見つめるテスカトリポカが待ち遠しげに呟いた。

 テスカトリポカが――否、彼女とバルドルの両名が前線で暴れるシュウと離れて隠れ忍んでいるのは、フランクリンの動きを警戒したシュウの提案によるものだった。

 警戒というよりは、およそ確信していたのだろう。五〇〇〇からなるスーサイドシリーズの次なる手を読んだシュウの断定的な指示により、来るべき時を待ってマグロ含む三名は暫時観戦に興じていた。

 

 彼女らが眺めている間にも、見る見る内にフランクリンの先駆け五〇〇〇体が消えていく。

 さながら往年の無双系アクションゲームの如く個を以て多を圧倒していくシュウの表情に何ら疲労の影は無く、一切の消耗も見せずに凶悪極まるモンスター達が一方的に屠られる。

 その一部始終をフランクリンは当初戦慄の眼差しで見ていたが、しかし不意に僅かな笑みを浮かべると口角を上げて次なる手を打とうとした。

 観測に徹し、観戦に興じたバルドルとテスカトリポカ両名の知覚はそれをすかさず捉え、機の到来を察知し各々に課された役割を果たすべく動き出す。

 

 バルドルの全身――<超級>としての現身たる超弩級陸上戦艦の巨躯が鳴動を開始し、それに合わせテスカトリポカは跳躍し艦橋の頂上に立つ。

 バルドルの最高所から彼方の戦場を見据え、獰猛な笑みを浮かべ。ふと思い立った()()に視線をバルドルに向けた。

 

「折角だ、バルドルよ。ここは一つ競い合いに興じてはみぬか?」

『…………』

「シュウが好きにやれと言ったのだろう? ならば気兼ねする必要もあるまいて。どうだ?」

『――――了解。盛大にいきます』

「ククク……胸が踊るわ、高鳴りを抑え切れぬ!」

 

 フランクリンの改造モンスター、残る五万余が先駆けたる五〇〇〇とは動きを異にして散開を開始する。

 シュウの推測通り、各自まったくの別経路で、しかし確実にギデオンを攻め落とす侵攻ルートを辿り始めた魔獣の大波を、しかし両名は愉しむ余裕すら見せて応じた。

 

 

 バルドルは艦体の各部に搭載された全砲塔を起動し――

 

 ――テスカトリポカは艦橋から真っ直ぐに()()()

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 □■<ジャンド草原>

 

 

 フランクリンからすれば、想定の端にあったとはいえ思いがけぬ損害を齎した【破壊王】シュウ・スターリングの参戦。

 彼の推測を遥かに越えた"STR極振り"の暴威を生来の格闘技術と戦闘センスによって振り撒き、スーサイドシリーズ五〇〇〇体を蹂躙してみせたシュウに対し、しかしフランクリンの反応は笑みだった。

 成程確かに、彼の"個"としての武勇には恐れ入った。まったく脱帽モノだ。たかだか五〇〇〇程度では脅威にもならない。それは認めよう。

 しかしその強さはあくまで"個"に限ったもの。シュウ・スターリング自身はフランクリンの改造モンスターでは対抗し得ない最強無敵の存在であろうが、それはあくまで彼個人のみだ。

 フランクリンの目的は違う。最初こそ彼の絶大極まる力量に驚かされこそしたが、そもそもフランクリンの目的はシュウ・スターリングではなく、その背後にあるギデオン――ひいては王国民の心。

 

 触れれば即死を意味するシュウの通常攻撃は確かに改造モンスター達を屠っているが、その処理能力にはどうしても限界が存在する。

 彼は突出した個でこそあったが、しかし残る五万余のモンスター群を堰き止めるにはあまりに小さい。()ではなく、その()が。

 

 故に対処の手としては、至極単純。残るモンスター達を彼にはぶつけず、散開させてバラバラの方向からギデオンにけしかければいい。

 それだけでフランクリンの目的は達成され、前線に立つ彼らの奮闘とは無関係にギデオンは落る。王国の主要都市、多くの民にとっての拠り所であるギデオンさえ陥落すれば、それだけでフランクリンの目論見に叶う。

 

 そうほくそ笑んで――――続く轟音にフランクリンは己の失策を悟った。

 

『一体、何が……ああ、畜生ッ! そうか、"戦艦"か……ッ!』

 

 フランクリンが把握する、【破壊王】に関する確度の高い情報の一つ。

 曰く【破壊王】の<エンブリオ>は"戦艦"であると――。

 今の今まで【破壊王】個人の白兵戦闘力に目を取られ失念していたが、もしその情報が事実であったとすれば、およそ予想し得る彼の()()戦力は、フランクリンにとって絶望的に相性の悪い敵であった。

 

 即ち広域殲滅型。

 個を以て多を蹂躙し得る、広域制圧型の天敵中の天敵。

 ましてやそれが素手の一撃で改造モンスターを屠る彼のSTRに準拠するものならば、およそ考えられる限り最悪のケースだ。

 

 その考えを肯定するように遠方の<エンブリオ>、シュウの相棒たる【戦神艦 バルドル】が砲火を打ち鳴らす。

 無数に露出した発射管、銃座から点火・放射の輝きが見えたかと思うと、天地を覆い尽くしてモンスターと草原を蹂躙する砲撃の雨霰がフランクリンの配下を削る。

 一撃一撃が一個の改造モンスターを百度殺して余り有る超火力を以て魔獣の大波を撫で、残る戦場には欠片一つの痕跡すら見当たらない。

 第一斉射だけで一万近くのモンスターが屠られ、その相性差にさしものフランクリンも己の敗北を悟った――その刹那。

 続く奇妙な音の波に「今度は何事かねぇ!?」とフランクリンが周囲を見渡した。

 

 ――そしてそれは()()

 

『KETERRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR――――』

 

 サイレンとベルが入り交じったような怪鳥音を発するそれは、赤い鳥であった。

 赤、紅、朱、緋――ありとあらゆる()の色調で極彩色を描くそれは、強いて喩えるならば七面鳥を飛翔に適した形に組み替えたような、奇怪ながらもどこか美しい魔鳥であった。

 それが五〇メテルにも及ぶ巨体を空に浮かべながら、広げた両翼を含めれば一〇〇メテルを超える威容を纏い、砲撃の飛んできた方角から上空へ舞い上がり――

 

 ――次の瞬間には蹂躙に踊る軍勢の只中にいた。

 

『見え――超音速! あの巨体で、速すぎるんじゃないかねぇ……!?』

 

 ステータス値には乏しい【大教授】であるフランクリンの目には到底追えない、超音速機動による肉薄。

 状況から推測するに【破壊王】の"陸上戦艦"の戦力、しかしおそらくは別の手によるものであろうと当たりをつけるが、それをしてもあまりに()()()()

 陸上戦艦の存在する地点とここまでは、どう少なく見積もってもキロメテルの距離があるが……その距離を秒の間も無く飛び越えたその速さは、超音速域にあって尚神速。

 その域の無いフランクリンからすれば瞬間移動にすら同じ超高速を、しかし彼はそれから連想できた情報に戦慄を覚える。

 

『まさか"怪獣女王"じゃあるまいし、あの巨体であの速さは気味が悪いねぇ……それに私の()()にも無い……』

 

 フランクリンは【大教授】のパッシブ奥義、《叡智の解析眼》を以て赤き魔鳥を見据える。

 しかし暫しの後に舌打ちし、顰めた表情でそれを睨みつけた。

 先の【破壊王】とは異なり、まったくの()()()()()()である未知の戦力に脅威を抱きながら。

 

『……私の《叡智の解析眼》が機能しない。つまりあれは、<エンブリオ>ってことだろうねぇ……しかもあの出力、間違いなく<超級>……』

 

 生物限定で絶対の情報アドバンテージを誇る《叡智の解析眼》。

 それが機能しないということは、あの魔鳥はつまり()()ではない。

 しかし非生物でありながらモンスターの如き生態を有する存在が一つだけ存在する。

 

 即ち<エンブリオ>。

 ガードナー系列の<エンブリオ>ならば、彼の()をすり抜けたのも理解できる。

 

『――まさか第二の【獣王】って言うんじゃあないだろうねぇ……?』

 

 その独白に、魔鳥は心掻き乱す怪鳥音で応えた。

 

 

 ◇

 

 

 バルドルの艦橋から飛び立ったテスカトリポカは、己が脚力で到達した遥か高空にてその姿を変えた。

 雲海に遮られ地上からは見えない天の領域にて、褐色の女王を形作る五体が奇妙な変容を経る。

 全身を覆い隠す煙が過ぎった次の瞬間には、二メテルに満たない女の全身は、恐るべき巨躯を誇る怪鳥のそれへと変じていた。

 

『ククク……久しいな、この姿は。日頃は"白"ばかりで片付いていたからなぁ……』

 

 赤の色調で極彩色を纏った魔鳥は、その威容(異様)に相応しい名状し難き異形の声音で哂い、雲下に広がる魔物の群れを見据えて目を細める。

 その姿こそは他ならぬテスカトリポカ本人であり――彼女が<超級>(第七形態)に至ることで得た()の一端であった。

 

『バルドルめ、あれほどの火力とはまったく感服する限りだ。しかし、いかん、いかんぞぉ……このままでは余の喰らう分が減ってしまうではないか……』

 

 今も数多の砲撃でフランクリンの軍勢を屠るバルドルにより一層の対抗心を燃やし、同時に初めて既知の<超級>と轡を並べて戦う興奮に身を震わせ、赤き魔鳥と化したテスカトリポカは姿勢を変える。

 長い首を真下へ向け、両翼を広げ、風を掴み――地球のジャンボジェットに匹敵する巨体で軽やかに宙空へ留まりながら。

 

 次の瞬間には、雲海を引き裂き地上へと舞い戻っていた。

 直下に砲撃中にあるバルドルを間近に見据え、その次の刹那には直角の方向転換で地面スレスレに飛翔し、目的の戦場までに横たわるキロメテルもの距離を一跨ぎでもするように詰めて敵陣の只中に躍り出る。

 一連の行動は音速の十倍以上を誇る神速で行われ、物理的作用で生じるはずの衝撃波は、しかし世界の法則によって微風に留まる。

 その巨体で飛翔を可能とするのは数多の風属性魔法、重力制御スキル、姿勢制御に形態変化スキル――およそ羅列して詳細を語るには徒労に過ぎる無数のスキル群を、【獣神】の特性によるモンスタースキル干渉で分析・統合し、より強力なスキルとして昇華せしめたことによるもの。

 

 最早そのまま激突するだけで致命の奥義になり得る超高速機動であるが、しかしテスカトリポカは敢えてそうせず、一見して無防備にも敵陣の只中へ降り立った。

 果たしてそれは慢心か、はたまた余裕によるものか。否定はできまい、今のテスカトリポカは一種のトランス状態にあり、一年振りの故郷で己が得た力の一端を衆目に晒す快感に酔っている。

 だが、それが彼女の命を危ぶむかと言えば――それを危惧するにはあまりに。あまりに彼我の実力差は開き過ぎていた。

 

 【破壊王】とその<エンブリオ>と目される"陸上戦艦"が蹂躙する戦場の只中に、突如として現れ出た詳細不明の魔鳥。

 誰もがその未知に注目し、憶測を口々に交わし合い推移を見守る中、テスカトリポカは異形の声音で宣言した。

 

 

『KETERRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR――《偽・絶死結界》』

 

 

 そのスキル宣言と同時、彼女の周囲半径五〇〇メテルに存在した敵性モンスターの悉くは()()()()()

 

 

 ◇

 

 

 【獣神】マグロ並びに【狂神獣妃 テスカトリポカ】にとって最大最強の敵とは、即ち【三極竜 グローリア】である。

 およそ真っ向からぶつかり合って純粋に()()()したのは、テスカトリポカにとって【グローリア】のみであり、他の如何なるボスモンスター・<UBM>でさえ、単純な力量を比べたならば常にテスカトリポカが圧倒してきた。

 マグロという()()の<マスター>の存在により常に敗北の危険を抱えてはいるが、それでも尚純粋に彼女らを上回ったと断言できる敵は、【グローリア】をおいて他に無い。

 故にその超竜との激闘、そして敗北は、彼女らにとって極めて大きな影響を与えていた。

 

 それというのも【グローリア】のコンセプトとテスカトリポカの本質に、共通を見出だせる点がいくつか存在したことが大きいだろう。

 即ち数多具えた特殊能力(スキル)を以て、より適した"()()"の形へと自己を練磨していくその性質。

 実際の手順は異にすれど、目指すべき方向性は同一のそれであったが故に、より完成度の高い()()であった【グローリア】にテスカトリポカが敵わず敗れたのは、ある種自明の理と言えよう。

 

 故にテスカトリポカは考えた。

 かの超竜に敗れ、再戦の機会が失われた今、己が目指すべき()()()とは如何なるものであるかを。

 思い返すほどに【グローリア】の完成度は高く、後の<三巨頭>による奮戦無くば一国を滅ぼして尚止まらず、際限無き進化を辿っていただろうことは想像に難くない()()

 彼に敗れたその理由を分析し、彼を超越し得る解を求め試行錯誤を無意識に那由多繰り返したテスカトリポカが得た答えとは――即ち多様性であった。

 

 無論、これまでも無数にラーニングしたスキル群により、通常の<エンブリオ>を遥か凌駕する手札を有していたテスカトリポカである。

 そして更に<マスター>であるマグロの潜在資質が己を()()にしてでもテスカトリポカを強化することを求め、スキル特化型のガードナーが陥りがちな素のスペック不足という問題も解決していた。

 スキル特化型、ステータス特化型の両者と比較しても何ら遜色ないどころか凌駕し得るスキル・ステータスの高水準での両立を実現したテスカトリポカだが、【グローリア】との戦いを振り返るうち、ある陥穽を見出した。

 

 ――数多あるスキルを活かすに、己の身体は不足が過ぎる。

 

 それはステータス値の問題ではない。

 単純に身体の形態が無数のスキル群と比較して活用するに無駄が多すぎ、結果として己の持ち得る手札の多くを活かしきれていないことを自覚したのだ。

 例えば風を掴んで空を舞うスキルがあったとして――四足獣では鳥ほどにそれを活かせぬだろう。

 あるいはブレス、あるいは魔法、あるいは大質量を前提とする物理攻撃。いずれのスキルも単体で見れば強力無比な手札だが、それをジャガーを模した身体で行使するには、足りないものが多すぎた。

 

 ――ならば増やそうではないか、己の身体を。己が持ち得る全ての可能性を発揮し得る現身を。

 

 そしてテスカトリポカは主マグロの深層領域までも走査し尽くし、やがてある概念に行き当たった。

 己を構成するモチーフとなった、古代南米神話に見えるトリックスター。

 数多の姿と権能を持ち、時に荒ぶり、時に慈しみ、生贄を求め、信徒を庇護する絶大なる神。

 かのテスカトリポカは、一説には四柱存在するという。

 即ち黒、白、青、赤のテスカトリポカ。

 そして彼を象徴するイキモノの形には、ジャガー、蛇、人、七面鳥。

 彼は無数の権能を誇る主神にして、無数の魔術に精通する魔法使いであり――

 

 ――変身(ナワリ)の名人とされる。

 

 此処にテスカトリポカの<超級>は確定した。

 永きに渡る蛹の季節を終え、<超級>に至り初めて羽化する。

 そして生まれたのは、ある意味で最も単純にして、ある意味で最も悪辣なる、恐るべき<超級エンブリオ>であった。

 

【狂神獣妃 テスカトリポカ】など過去の姿。

 <超級エンブリオ>、【()()()() テスカトリポカ】の新たなるスキル、《四狂混沌》。

 モチーフの逸話に擬え、四つの身体を持つ変身能力。

 

 即ち、

 

 第一相――最優最強、個人戦闘型白兵決戦形態、"黒き狂獣"

 第二相――悪質悪辣、状態異常特化暗殺武装形態、"白き毒蛇"

 第三相――強力無比、対地対巨獣特化広域殲滅形態、"青き巨人"

 第四相――滅尽滅相、対空対生物特化広域殲滅形態、"赤き魔鳥"

 

 以上四相、()()()()()()()()()()()()()()()()()()に応じてその姿を変じ、常に最たる優位に自らを置く"究極の汎用性"。

 恐るべきはいずれの形態も用途別に振り分けられたステータスを有し、各々に適したスキルを再配分することで最高効率で使用可能、たとえ一つの相が敗れたとしても即座に異なる相へ変じることで無傷に立ち直り、その四相全てを打倒するまで決して戦闘能力を失わない"究極の継戦能力"。

 そして追い詰められればマグロの有する【■■】によって、()()()()()()敵対者を屠る"究極の報復能力"。

 

 代償として捧げたのは、【獣神】を始めとする数多の従魔師系統職に就いたことで得た従属キャパシティと()()()()()()()()()

 これより先、テスカトリポカ以外に如何なる魔物をも従えず、誰一人として戦友としない。本来あるべき【獣神】の姿に真っ向から反する()()を以て、<超級エンブリオ>としてのテスカトリポカは完成した。

 

 

 ◇

 

 

 これらの性質の根底に、【グローリア】の影響が見られることは主従も認める事実である。

 故に今、第四相――"赤き魔鳥"のテスカトリポカが行使したスキルもまた、かつて脅威を覚えた【三極竜 グローリア】その二の首、単眼二本角の究極奥義の模倣であることを認めよう。

 

 故に《偽・絶死結界》。正式名を《夜の風》。

 その奥義を構成するのは数々のドレインスキル、結界スキル、闇属性魔法スキル、識別スキル。

 即ち標準効果範囲半径五〇〇メテル以内の敵性生物()()を対象に、闇属性魔法を核とするため一切の非生物に影響を与えずHP・MP・SPを吸収し枯死せしめる識別型広域殲滅スキル。

 更にドレイン能力による攻撃という性質上、対象となる敵の数が多いほどその回復量は攻撃に伴う消費を補って尚上回り、敵の存在する限り継続可能な優れた利便性。

 そしてそれを展開するテスカトリポカは空という絶対領域を超音速で飛行するため、対抗策無きモノはその影に触れるだけで自覚する間も無く死に至る。

 

 そして今この時、()のテスカトリポカの毒牙にかかったモンスター達は。

 如何に同じ<超級>たるフランクリンの手が加えられているとはいえ、単純な戦力比では亜竜級以上純竜級以下に過ぎず――己が<マスター>までも犠牲にした究極特化ガードナーであるテスカトリポカとの実力差は絶大。

 故に生半な抵抗力しか持ち得ない大半のモンスターは展開と同時に即死に至り、そうでないものも続く闇属性魔法で悉く死に絶えた。

 

『KETERKETERKETERKETERKETERRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!』

 

 大量を獲物に狂喜する魔鳥の囀りに誰もが慄き、天を仰いだ。

 しかしそれに思考を巡らせる間も許さずバルドルの砲撃が着弾し、残る敵が撃滅される。

 赤き魔鳥と陸上戦艦は互いに競い合うように逃げ惑うモンスター達を追いかけ包囲し――やがてフランクリンの大軍勢は姿を消した。

 その唯一の痕跡は、その痕に遺されたドロップアイテムの光のみ。

 

 これぞ【獣神】マグロの<超級エンブリオ>。

 極一部の情報通は知る、彼女とその相棒の最たる異名。

 "四大魔獣"――――最も優れたるモンスターの一柱である。

 

 




超級編の第一話で下っ端マスターをキルしたのは、白モードによるものです。
《伸縮自在》で身体を一キロ程伸ばして索敵し、たまたま聞き拾ったマスターたちの発言にイラッときて特化させた状態異常で葬りました。
実は割りと物理的に体を張っていたのです(

超級としての特性は生贄、そして変身でした。
一つの形態を倒したところで、第二、第三の姿が現れるラスボスっぽい仕様です。
ちなみにデスペナからの三日後復帰でグローリアの《既死改生》再現、みたいなイメージ。

話は変わりますが、レジェンダリアの決闘王者である脱がし魔の超力士さん。
作者の脳内では完全にやらない夫イメージになってしまいます。普段見てるやる夫スレのせいでイメージが固まっちゃったぜ。


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その後の彼ら

お待たせしました。
駆け足ですがこれで「フランクリンのゲーム編」は終わりになります。
今後は一話完結式の幕間を挟みつつ、諸国漫遊編を投稿していきたいと思います。
これまで以上に不定期投稿が続くと思いますが、よければどうかお付き合いくださいませ。


 □<ジャンド草原> 【獣神】マグロ

 

 

 カトリ様が飛び立ったと同時、スターリングさんのバルドルさんが砲撃を開始してしばらく、ジャンド草原を埋め尽くしギデオンを呑み込まんとしていたモンスターの群れは、それがまるで幻であったかのように姿を消した。

 とはいえ跡形もなく消えたのはモンスターだけで、めちゃくちゃに破壊された地形は最早草原ではなく荒野と呼ぶべき有様なのだけれど、つくづく【破壊王】の<エンブリオ>らしい大破壊っぷりだ。

 その合間を潜り抜けてはしゃぎ回ったカトリ様も随分と目立っていた。倒したモンスターもバルドルさんと競い合いながらも数万を数え、そのドロップアイテムで懐も温まるというものだけど、それはそれとして。

 

「おげぇぇぇぇぇぇぇぇ……」

『!?』

 

 私は絶賛副作用に苛まれていた。

 というのもアレだ、派手に敵を食い散らかしたのはいいけど、バルドルさんとの共同作業だったおかげで敵がすぐ片付いて、だけど大本であるフランクリンの敵対意思はカトリ様に向けられたままだったから、《贄の血肉は罪の味》の効果が継続しっぱなしで、私のHPがゴリゴリ削れまくっているのだ。

 場に残された唯一の敵対者であるフランクリンを殴ろうにも、向こうには人質がいるから現状手出しはできないわけで、バルドルさんの砲撃で彼の注意を引く間カトリ様は悠然と滞空するのみ。

 そのせいで私の回復が追いつかず、やむを得ず【オーバードーズ】を使用したものの、その副作用である【風邪】だの【酩酊】だの【宿酔】だので体調が最悪に陥ってしまっていた。

 

 こみ上げる胃の内容物をエチケット用【アイテムボックス】に吐き出す。

 強敵相手にはよくあることなので対策は常備してある。間違ってもバルドルさんの艦体に撒き散らしてはいけない。

 バルドルさんのセンサーがギョッとした様子でこちらを向くが、本当に申し訳ない。こればかりはどうにも堪え切れないんだ。

 

『ふぃーただいまクマー』

「お、おかえりなさい……」

 

 淑女にあるまじき醜態を晒していると、カトリ様の背に乗ったスターリングさんが前方甲板へ帰ってきた。

 戻ってきたスターリングさんは北欧蛮族風の装いではなく、見慣れた着ぐるみ姿に戻っていた。

 ということはつまり、決着はついたということなのだろう。私の肉眼では現場までの遠距離は見通せないが、スターリングさんの表情はどこか誇らしげで、嬉しそうに笑っていた。

 

「余も戻った。……惜しくも余の負け、か」

「お疲れ様です、カトリ様。スターリングさんにバルドルさんも。やっぱり凄いですね、さすがに」

『照れるクマー』

『今日はスッキリしました。日頃溜まった鬱憤の七割を解消できました』

『え、そんな我慢してたクマ?』

 

 三者三様の反応を見せる彼らに微笑ましく思い、私も【オーバードーズ】を外す。

 残った状態異常はしばらくすれば消えるのだけど、いつまでも青い顔して水を差すのも申し訳ないので【劣化万能霊薬】でパパっと治す。

 全身に纏わり付いていた倦怠感が消え去ったのを確認して、改めて私はスターリングさんに向き直った。

 

「改めてお疲れ様です、三人とも。これでフランクリンの脅威は過ぎ去った――と、考えていいのですよね?」

『今のところはな。だがアイツがこうして派手に動いた以上、背後に皇国の大きな動きがあると見るべきだろ。きっとそう遠くないうちにまた戦争が始まるだろうな』

「戦争、ですか……やはり」

 

 フランクリンの騒動は、その戦争を経ずして王国を併呑するための謂わば前哨戦のようなもの、だったということか。

 彼自身はレイさんへの個人的な因縁を強調した口振りだったけれど……こうして彼が敗北した以上、やはり戦争は避けられないのだろうか。

 

『とは言っても今回の騒動で俺が表舞台に立ったから、ひょっとすると講和を持ち出してくるかもしれないけどな』

「それって、今度はスターリングさんも参戦するということです?」

『まぁな。(レイ)は間違いなく見過ごせないだろうし、それを()が見てるだけってのは……恥ずかしいだろ、やっぱ』

「……ほんとに仲が良いんですねぇ」

 

 薄々感付いてはいたけれど、やっぱりスターリングさんってブラコンだ。

 弟のレイさんも兄を信頼しているようだったし、その弟が絶望的な状況の矢面に立って一筋の希望を手にしたのだから、兄として鼻が高いのだろう。

 戦場へ赴くときも心なしかウキウキしていたようだったし、兄弟姉妹のいない私からすればちょっと羨ましい。

 

「ところでそのレイさんはどうしたんです? てっきり連れてくるものと思ってたんですが」

『あいつの仲間がいるからそっちに任せてきたクマー。……いい仲間持ってやがるぜ』

「そっか……なら安心ですね」

 

 仲間、というのは闘技場からの出陣前に見たあの美少年のことだろう。

 彼もまたあの状況で真っ先に名乗り出たあたり、如何にもレイさんの友人らしい人だった。

 あのレイさんが仲間ないし友達にする人物だ、きっと良い人なのだろう。

 

 騒動が収まった今振り返ってみると、フランクリンの思惑は一転してギデオン、ひいては王国の人々を鼓舞するものに変わり果てたように思う。

 人々の心を折るはずが僅かな勇士達の活躍で逆転劇を演出し、フランクリンというわかりやすい"悪"が打倒されたことによって、折れるはずの心に再び強い光が差した。

 王国民の結束は、フランクリンの悪意によって却って固まったように思える。

 

 その立役者となったレイさんの行動はまさに"英雄的"で、今や王国中から彼の名を称える声が聞こえてくるようだ。

 かくいう私もそんな彼に魅せられた者の一人で、彼のみならず彼と共に戦場へ赴いた"初心者"達への敬意が溢れて留まるところを知らない。

 ……どうしよう、実力だけを見れば格下なのに、すっかりファンになってしまっている私がいる。

 また今度、お話でもしてみようかな。

 

『それじゃあ俺達もお暇するクマー。このあと寄ってくところあるんだけど、マグロも一緒に来るクマ?』

「いいんですか? ならお言葉に甘えます」

 

 騒動も終着し、特に予定もなくなった夜のお誘いだ。喜んで承諾する。

 この後に続くであろう復興作業に後ろ髪を引かれる思いもあるが、生憎と私達にはそれで役立てそうな手段は持ち合わせていない。

 とりあえず浮いたお金だけでも匿名で寄付する程度にして、今は彼のお誘いに乗るとしよう。一年振りの再会だから、積もる話はまだまだある。

 

 懐かしの戦車形態に戻ったバルドルさんに同乗し、人目を避けるようにギデオンの街へと戻る。

 道中でフランクリンの改造モンスター達から回収したアイテムを前にスターリングさんと一緒に一喜一憂しながら、数時間もすれば白み始める夜空をふと見上げた。

 

「カトリ様」

「うん? なんだ」

「やっぱり王国は楽しいですね。不謹慎だけど、やっぱり懐かしいです」

「……で、あるか」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □決闘都市ギデオン十二番街 【獣神】マグロ

 

 

 とまぁ、感慨に耽っていたのはいいのだけど。

 

「あの、スターリングさん? ここってかなりお高いところなのでは……?」

『まぁまぁ、気にするなクマー』

 

 スターリングさんのエスコートで訪れたのは、十二番街にあるギデオンでもトップクラスの高級クラブ。

 闘技観戦でたびたびギデオンを訪れていた私でも利用したことのない、一見さんお断りオーラばりばりの高級店を前に私のハートはすっかり萎縮してしまっている。

 ここって確か、お偉いさんも御用達のブランド点だったと思うのだけど、スターリングさんは構わずクマの着ぐるみ姿で立ち入ろうとしていた。ドレスコード大丈夫かこれ。

 対するカトリ様は堂々としたもので、クマと並んで踏み入る様は却っていっそかっこよかった。

 

『フィガロ名義で予約してたシュウ・スターリングクマー。連れは来てるクマ?』

「ふぃがっ――!?」

「ようこそお待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

 見るからに洗練された立ち居振る舞いのスタッフに案内され、奥の最高級個室の前に立つ私。

 着ぐるみの装いにも一切動じずにこやかにエスコートしてのけたスタッフも然ることながら、それ以上に思わぬビッグネームの登場に私の脳内はパンク寸前だ。

 もう迂闊に歩くことすら憚られ、スターリングさんの背中にしがみついて恐る恐る周囲を見渡す。――あかん、これ高いやつや……!

 

「やぁいらっしゃい、待ってたよ。……おや、彼女も一緒かい?」

『おーっす、一人……二人? 増えたけどいいよな』

「オ? なんダ、デカノッポも来たのカ。まぁ座れ座レ」

 

 個室の扉を開けたその先にはフィガロさんと……あろうことか<超級激突>の片割れ、"応龍"の迅羽さんまでもがいた。

 最高級クラブの、最高グレードの個室で、名にし負う三名の<超級>と同席する。私の限界はここで壊れた。

 

「ってお前鼻血出てんじゃねーかヨ、こえーヨ!?」

「ずみまぜん……興奮しすぎて……」

 

 超々有名人の<超級>三人、しかもそのうち二人は決闘のビッグネーム。闘技ファンとしてこれ程の幸福が他にあるだろうか? いや無い。

 他のファンに知られればリンチ必至なこの世の天国に、私の興奮が高まりすぎて鼻から流れ出てしまった。軽度の【出血】も負うほどに。慌てて薬を飲んで治す。

 

 気を取り直して席につくも、まだ私の心臓は収まりを見せない。

 なんだろうこの、私場違いすぎない? いくらスターリングさんの知人だからといって、ここに居て本当にいいのかな? ひょっとして夢だったりしない?

 

「…………サインいただけますかッ!?」

「唐突だなおイ。まぁいいけどヨ……」

 

 思わず色紙を差し出した私に呆れた様子の迅羽さんだけど、鋭利な義手でサラサラと器用にサインを書いてくれた。達筆だ!

 ついでとばかりにフィガロさんも書いてくれて、一つの色紙に二人もの<超級>のサインが書き込まれた。なんだこれ、家宝にしなきゃ……!

 

「賑やかな子だね、シュウ。見てて面白いな」

「挙動不審すぎてちょっとキモいけどナ。喜んでもらえるのは闘技者として悪い気はしねーけド」

『グラスは行き渡ったクマ? そろそろ乾杯するクマー』

 

 思わぬサプライズに不安から一転幸福の絶頂にあった私。

 スターリングさんの音頭で我に返りグラスを掲げれば、チンとグラスを突き合わせて駆けつけ一杯飲み干した。

 おいおい、これじゃあまるで私、リア充みたいじゃあないか……!!

 

『――ぷはーっ!! この一杯のために生きてるクマ! 今夜の疲れはこれで吹き飛ばすクマー』

「お疲れさま。ここの払いは持つから好きに呑んでね。迅羽もマグロもね」

「すみません、おしかけちゃって……ほんと、迷惑でなければいいんですが……」

「図体デケェくせにちいせぇこと気にすんなヨ。中継、見てたゼ? 派手にやるじゃねーノ」

 

 口当たりの良い果実酒を飲み干して、一息ついて改めて今の状況を顧みる。

 なんというか、友達の友達の家にお招きしてもらったようななんとも言えない肩身の狭さを感じながらも、気の良い彼らに饗されて緩む表情を抑えきれそうにない。

 一応私も<超級>の端くれとはいえ、大陸中に勇名を轟かす彼ら三名と比べれば無名に等しいフリーだから、気分はベテランを前にしたひな壇芸人である。

 

「あの鳥が君の<エンブリオ>なのかな? 闘技場で見たときとは姿は違っていたけど」

「白蛇から赤い鳥だロ? ガードナー系列っぽいよナ、レギオンカ?」

 

 そして見知らぬ<超級>を前にして語らうことと言えば、まずはその戦力に関してだ。

 私はあまり他の<超級>と遭遇することはないから実感は少ないのだけど、多くの<超級>にとって対抗馬となり得るのは古代伝説級以上の<UBM>か、あるいは同じ<超級>くらいしかいないため、自然とその戦力を探るようになるらしい。

 その点で言えばつい先日王国に戻ってきて、これまで特に表沙汰になってない私のことは、彼らとしても気になるところなのだろう。

 誰もが知る有名人が私に注目しているこそばゆさに何とも言えない気分になりながら、自己紹介としてカトリ様も紹介することにした。

 

 とは言ってもここに来るときもメイデン体のまま入ってきたから、二人も彼女が私の<エンブリオ>であることは察していただろうけど。

 《紋章偽造》とかも使ってないしね。左手の紋章が無い以上はティアンだけど、ただのティアンがスターリングさんに連れられてここに来る筈も無いし。

 

 それまで物静かに果物を頬張っていたカトリ様も、彼女なりに最大限の敬意を込めた礼をしていた。。

 と言っても軽く頭を下げる程度で、あとは遠慮を忘れたようにテーブルの果物を頬に詰めていたけれど。

 これでもカトリ様的にはかなり丸い対応の方だ。興味もない相手には姿も見せず無視するだけだし。

 

「メイデンか……」

「割りと珍しいナ、メイデンの<超級エンブリオ>ってのハ」

『身近な例でいうとあの雌狐くらいだしな。いや、あいつのメイデン自体は大分マトモだけど』

 

 カトリ様がメイデンであることを知ると、フィガロさんは考え込むような様子を見せた。

 迅羽さんは単に珍しいものを見たって程度だ。その珍しいものってのは私とカトリ様の関係を見てのものでもあるだろうけど。

 まぁ、私の姿勢が変だっていう自覚はあるよ、流石に。今更変えられないし変えるつもりもないけどさ。

 

 だけど雌狐? って誰のことだろうか。スターリングさんらしくない口振りだ。

 フィガロさんも心なしか楽しそうにない表情だし、この二人をして苦虫を噛み潰させる女狐さんとやらがすごく気になる。

 聞けそうにないから、追求は避けておくけど。

 

 それはそれとして、さっきからひじょーに気になってることがひとつ。

 

『さっきからチラチラ見える横顔とか声とかで思ってたけど、お前やっぱ子供なんだな』

「それ! 私もそれ思ってました! 迅羽さん実はかなり幼いですよね?」

「今年で十歳だゾ? もう十分にレディだろーガ」

 

 スターリングさんが私の心の中を代弁してくれた。

 そうなんだよ、観客席から眺めてるときは気づかなかったけど、こうして間近で話してると迅羽さんの素顔が思ってた以上に若いっていうか、幼いことに気付いてうずうずして仕方なかったんだ。

 でもそれを率直に問い質すのも気が咎めるし、モヤモヤするなぁと思ってたんだけどさすがはスターリングさんだ。彼の底なしのコミュニケーション能力ならばやってくれると信じていた!

 

「幼いというと【抜刀神】もアバターと然程変わらないらしいね。意外といるよね、天才児」

『お前がそれを言うかフィガ公ー。てかそれを言うなら天才児ってより天災児だろ』

「幼いと言えばカルディナの【罪狩】ちゃんもそうでしたねー。すごくいい子でしたよ」

「【罪狩(クライムハント)】の噂なら砂漠越えのときに聞いたナ。なんだっケ、カルディナ上位クランの……」

『ひょっとして<ケルベロス>のオーナーか? また珍しい相手と知り合いなんだな』

 

 カルディナの悪党連中が泣いて逃げ惑う賞金稼ぎクランのオーナーだから、あちこちに知り合いのいるスターリングさんや、国家の特使としてカルディナを横断してきた迅羽さんは聞いたことがあるんだろうね。

 例のアフロ松田さんもそこの所属だし、一年前カルディナを旅したときには大変お世話になったものだ。

 【罪狩】ちゃんは確か迅羽さんと同年代だったかな? 一年前の時点で「今年で九歳なー」って言ってたから……やっぱりそうだ。

 

「つかレディの年齢だけ聞いてるんじゃねーヨ。そういうお前は幾つなんだよクマ公」

『俺? 俺は今二七クマー』

「僕は二一だね」

「私は二二くらいだったかな?」

「うワ、おっさんじゃン。いい年してクマの着ぐるみってどーヨ?」

『冷静に言われると割りとガチで傷つくからやめろ』

「あはははは」

 

 そう言うスターリングさんの声には隠し切れない哀愁が込められていた。

 そっかー、スターリングさんもう三十路近かったのか。リアルで会ったときは若々しすぎる肉体のせいで気づかなかったけど、もう子供がいてもおかしくない年齢なのか。

 ……思いがけず生々しい話を連想してしまった。忘れよう。

 

「ところで迅羽はこれからどうするんだい? イベントも終わったし、すぐに国へ帰るのかな?」

「うんニャ、皇子の護衛の仕事が残ってるから暫く王国に滞在だナ」

『マグロはどうするクマ? また旅か?』

「いえ、私も暫くは王国に腰を落ち着けようかなと。ここ最近は物騒ですしね、戦争の件もありますし」

「あー、皇国とヤリ合ってるんだっけカ。お前らんとこも大変だナ、こっちも他人事じゃねーけド」

 

 何にせよ国が抱える問題というのは大きすぎて、如何な<超級>と言えど手出しが難しいというわけだ。

 むしろ今日のフランクリンのせいで<超級>の有する戦力というものが嫌でも見せつけられたわけで、今後はより一層の慎重を期さざるを得ないというものだろう。

 それはそれとして、大事な皇子様の護衛を任ぜられるなんて、やっぱ迅羽さんの影響力って半端ないよね。中身が十歳だなんてとてもじゃないけど信じられないや。

 ……いや、私が物を知らなすぎるだけかな、これは。

 

「とりあえずは王国のダンジョンにでも潜ろうかナ。こっちでドロップするアイテムにも興味あるシ」

「あれ? でも<墓標迷宮>って王国所属じゃないと<マスター>は潜れないんじゃないでしたっけ?」

「マジデ? あーどうすっかナ……」

「迅羽は国賓だし、その辺は融通利くんじゃないかな?」

『つってもソロだと延々潜るのはいろいろキッツいからなー』

「ふーン、まぁあとで聞いてみるかネ。もし潜れるならどうよ一緒ニ?」

「僕はソロ専門だからね」

『俺もしばらくはギデオンから離れるつもりはないクマ。マグロはどうクマ?』

「はわっ、私ですか!?」

 

 思わぬキラーパスにびっくりする私。

 

「そりゃいいナ、オレもこいつの戦力に興味あるシ。でも中継で見たサイズだと潜れねーよナ? 白蛇でも戦えるのカ?」

「中層までなら問題はない。だがそれ以前にだな……」

「スキルの都合で組めないんですよね、パーティー」

「なんだそりゃ。難儀なスキル持ってんだナ。ならしょうがねぇ、ソロで寄ってみるカ」

 

 そこから話題は王国の実力者に移ったりして、フィガロさんがギデオンのトップランカーたちを紹介する約束を交わしたり、スターリングさんが目ぼしい討伐ランカーを紹介しようとして断念したり、<超級>ならではの話に華を咲かせた。

 私から紹介できる相手は国内にはいないんだよね、そういう実力者と知り合ったのは旅を始めてからで国外の人達ばかりだし。

 <超級>になる前からの知り合いといえばファンタズマゴリラさんだけど……彼もレジェンダリアだしなぁ。

 見知らぬ誰かと野良PTを組むなんてことはしてこなかったから、その点私の世界は妙に狭くて広かったりする。

 

 そしてスターリングさんとフィガロさんが口を揃えて「あいつはやめとけ」と言う王国のクラン一位。

 名前だけなら私も知ってる。<月世の会>のオーナーさんだよね? リアルでも<月世の会>からは勧誘があったけど、断っていたから繋がりは無いんだよね。当時は理念というか他者への興味も全く無かったし。

 スターリングさんの口振りからすると、例の雌狐ってのがそこのオーナーさんのことのようだけど……やっぱり黒い噂って本当なのかな? 関わるつもりもないからいいんだけど……。

 

『話は変わるけどよ……闘技場の方は誰が動いた?』

 

 そんなことをつらつらと考えていたら、スターリングさんが真剣味を帯びてそんなことを問うた。

 言葉の意味は分からなかってけれど私以外の二人にはそれで伝わったらしく、"物理最強"だの"魔法最強"だのといったビッグネームが話題に飛び交う。

 ……いたの?

 

「そなたに話したところで何の役にも立たぬからな」

「カトリ様は気付いていたんですか?」

「……普通は()ればわかるのだがなぁ」

 

 呆れられてしまった……。

 一応私も《看破》は取ってあるけど、あくまでモンスター用だし。

 そもそも<マスター>を《看破》するという習慣が無いからそういうのに疎いんだよね。

 カトリ様はその辺用心深いから把握してることが多いけど、私に累が及ばない限りは放置してるし。それこそ私に伝えるだけ無駄だからね。

 外部の掲示板やサイトとかで情報収集することも、最低限にしかログアウトしない私にとっては縁の遠いものだ。

 そんなだからこの手の話題になると置き去りになるのが私である。

 

「……なァ、こいつ大丈夫カ? まがりなりにも<超級>でこの無防備っぷりはねーだロ」

『競争相手がいないからなー。独自路線突っ走りすぎて逆に人畜無害ってタイプだし』

「その割には今回連れ出したのは何故かな?」

『かとりんが乗り気だったのと、実力が見たかったってところクマ。このタイミングで<超級>戦力が増えるって割と爆弾だし』

「ああ、僕と似たようなタイプか。なんだか親近感が湧くね」

『……確かにお前とは似通ってるかもな』

「お前大丈夫カー? さすがにダンジョンでのんびりしててヤラれるのだけはフォローできねーゾ?」

「す、すみません……」

「マスターはともかく、余の戦力はあてにして問題はない。そなたの手を煩わせるつもりはないよ」

 

 わかってはいたけれど、やっぱり私、<超級>としてはおかしいよねぇ。

 ほんとに今更だけど、こうも心配されるとやっぱり気になる。迅羽さんなんて若干ガチだし……。

 

『マグロの場合は下手に先入観与えるよりも、このまま自然体でいてもらったほうが多分都合がいいクマ。そういうわけだからこっちのことは気にすんなクマー』

「はぁ……そういうことでしたら、わかりました。あ、でも何か困ったことがあったら言ってくださいよ? 私だって恩返ししたいんですから!」

『気持ちはありがたく受け取るクマー。……ま、いざという時は頼むわ』

 

 ぬう、スターリングさんはほんとに分かってくれているのだろうか。

 ただでさえトラブル体質なんだから、何かあったとき心配するのは周囲なんだぞう。

 ……でもスターリングさんのことだから、逆に信頼されきって心配もされないかしら。

 

「あ、そうだ忘れてた。今度都合がついたら試合しようよ。マグロのテスカトリポカにも興味あるし、迅羽も他のランカーと戦ってみたくはない?」

「お、いいナ。ならついでにフレンド交換もしとこうゼ」

「マグロもいいかな? フレンド交換」

「あ、はい! 光栄です!」

「あはは、固くなることないよ。同じ<超級>だし、シュウの友達だしね。友達の友達は友達、だろ?」

『そうそう。マグロは緊張しすぎクマ、もっと自分に自信を持つクマー』

 

 なんやここ天国か。

 今日という日は私にとって幸運の連続すぎて興奮がヤバイ。ヤバすぎて鼻血どころから涙まで出そうになる。

 ……こうして誰かと仲良くするってめったに無いから、余計に刺激が強い。

 

「泣くなヨ……情緒不安定にも程があるだろお前……」

「愉快な子だね、シュウ」

『迅羽と足してニで割ったらちょうどいいんじゃね?』

「やだよそレ。……身長だけ寄越せヨ」

『身長いくつだったっけ?』

「一八九センチだったかな……? 大体リアルのままですけど」

「三十くらい寄越せヨ、そんないらねーだロ」

「だったらアバター作成のときに盛ればよかったのに」

「そんなみっともねーマネできるかヨ!」

『妙なところで律儀なやつクマー』

 

 やっぱりこの人達、良い人だ。

 王国に戻ってきて、本当によかった。

 

 その後も打ち上げは日が昇るまで続いた。

 

 




 <マスター>というよりはたまたま<UBM>を手懐けてしまったティアンみたいなポジション、それが主人公。

 ◇ちょっとした人物紹介

・ファンタズマゴリラ
 レジェンダリア所属、王国との国境近くの<迷いの森>を拠点とする<マスター>。準<超級>。
 ゴリラアバターの紳士。まだ<超級>でなかった頃のマグロと共闘してある<UBM>を打ち倒した。
 過去回想のレジェンダリア編で登場予定。
 原作者の海道左近氏が活動報告で言及したゴリラとは別人。お蔵入りしようと思ったがネタを思いついてしまったのでいつか書く。

・アフロ松田、【罪狩】ちゃん、???
 カルディナ所属、賞金稼ぎクラン<ケルベロス>のオーナー。三人で共同運営している。アフロ松田以外は準<超級>。
 <超級>到達後カルディナを横断していたときに知り合い、ある騒動に巻き込まれた。
 【罪狩】ちゃんはカルディナの天災児枠。罪人に限り無類の強さを誇る。
 諸国漫遊編のカルディナ編で登場予定。


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過去回想 レジェンダリア編
ある日森の中で■■■に出会った


ちょっと余裕ができたので投稿。
ネタが思いついてホットな状態だと書きやすい書きやすい。
導入部分なので短めです。


 □決闘都市ギデオン とある宿の一室

 

 

「少し遠出をしませんか?」

 

 決闘都市ギデオンの六番街、少々値の張る高級宿の一室でマグロが徐に言った。

 寝台に寝そべるテスカトリポカは、全身を揉み解すマグロの指に目を細めながら、珍しくも自主的に提案した己がマスターに、気怠げな調子で問い返す。

 

「その心は?」

「運良く【獣神】になんて就けちゃったじゃないですか。あれを活かすためにもそろそろ王国のモンスターだけじゃ頭打ちかと思うんです」

「ふむ……」

 

 マグロが挙げた【獣神】なる単語。それは長らくロストジョブと化していた超級職の名である。

 つい先日、とあるモンスターからスキルをラーニングした際に取得条件が満たされ、表示されたアナウンスに従った末に就くことができたそのジョブは、数ある【神】シリーズと同様にある特定のスキル群に特化していた。

 モンスタースキルに特化したそれの概要を読み解いていくうちに、マグロは王国内のモンスターだけを狩ることの限界を感じ、一晩考えた末に今の提案に至った。

 

「王国内の主要なモンスターは殆ど狩り尽くしましたし、ラーニングしきったですよね? 最近は<UBM>とも遭遇しないし、他国の固有モンスターならマンネリ化も打破できるんじゃないかなーって」

「成程、悪くないな……」

 

 従者が王へ奉仕するが如く、裸体を曝け出すテスカトリポカの全身を揉み解すマグロ。

 【整体師】をカンストまで鍛え上げた指先から繰り出される按摩の数々は、不器用なマグロでありながら熟練を発揮せしめる技の冴え。

 元よりテスカトリポカを癒やすためだけに培われた技術の数々は、気難しいテスカトリポカをして至福と言わしめる極上の快楽。

 蕩けていく意識に瞼を閉じながら、半ば寝言のようにテスカトリポカは問うた。

 

「あてはあるのか?」

「西方三国のどこかがいいかなと。グランバロアはちょっと怖いので外して……そうですね、レジェンダリアなんてどうです? あそこ、ユニークなのが多いらしいじゃないですか」

「魔法と幻想の妖精郷か……興味はあるな」

 

 中央大陸南西部、西方三国の南に位置するレジェンダリアは、テスカトリポカの言った通り黄河と並んで随一の魔法技術を誇る魔法の国だ。

 その国土には他国と比べるべくもない濃密な自然魔力に満ち溢れ、自然現象として強大な"魔法"が発生し得るという、この世の魔境である。

 国民となるティアンにはエルフにドワーフ、巨人に吸血鬼などの亜人が数多く見受けられ、言うなれば最もわかりやすいファンタジーの国であった。

 そうした土地柄故、生息するモンスターもまた多種多彩な環境に適応した独自性の高い種が豊富であり、魔道具素材の多くはこのレジェンダリアから産出されることからも、その特異性が窺い知れるだろう。

 モンスターの個性とも言うべきスキルを最上の獲物とする二人にとって、レジェンダリアは宝の山にも等しかった。

 

「どうです? カトリ様さえよければ明日にでもここ(ギデオン)を発とうかと思うんですが……」

「よかろう。であれば身支度を整えよ、余は寝る」

「わかりました。では明日、日の昇った頃に出発しましょう」

 

 かくして初の外国旅行は始まった。

 

 

 ◇

 

 

 レジェンダリアへ踏み入る上で、決して忘れてはならないことが一つある。

 それは「不用意に道を外れるなかれ」、だ。無事に魔境を旅するならば、土地に詳しい案内人を雇うことを誰もが忠告される。

 その理由には数え切れぬ程の要因があるが、最たるものは<アクシデントサークル>という自然"魔法"現象になるだろう。

 

 レジェンダリアの国土を漂う自然魔力の濃度が一定値を超えることで発生するそれは、通常魔法系超級職の奥義ですら至難を極める"空間転移"現象をも含む数々の魔法効果をランダムに発動し、巻き込まれた哀れな犠牲者を良くも悪くも――まさしく、生かすも殺すも気まぐれに翻弄する。

 土地勘に優れたものならば事前に察知して難を逃れることもできようが、そうでなくばたちまちそれと、あるいは過酷極まる超自然的環境に呑まれ、その命を取り零すことになるだろう。レジェンダリアが他国から攻め入られぬ最たる理由がそれだ。

 

 そしてそれとは別に、他国からの物味遊山を阻む理由がもう一つ、アルター王国との国境沿いに展開していた。

 <迷いの森>と呼び慣わされる原生林の如き環境の数々は、その土地そのものが内包する魔力によって微弱な幻惑作用を発し続けており、踏み入る者の五感を乱して路頭を迷わせる。その効力は奥深くへ踏み入る程に強力となり、運良くば森から追い出され、悪くば猛獣の顎が如く更に奥へ奥へと誘っていく。

 そうしていつしか深みに嵌って彷徨う犠牲者を、やがて本物の"猛獣"が牙を剥いて貪り喰らうのだ。

 

 故にレジェンダリアは魔境である。

 この国に生まれ育つ者は第一に国を取り巻く自然の超自然的脅威の恐怖を教え込まれ、そこを無事に潜り抜ける()を叩き込まれる。

 そうであるが故に無事を保証できる道を知り得る"案内人"は引く手数多であるし、多くが王国との国境、関所周辺の宿場町にも駐留している。

 レジェンダリアへ訪れる旅人は皆そこで案内人を雇い、高額の報酬と引き換えに己の命を買うのだ。

 

 そういう意味で――マグロは極めつけの()()()であった。

 

「や、やばい……ちぬぅ……」

「うーむ、流石は"魔境"レジェンダリア。王国と隣接しているとは思えぬ異質振りだな……」

「おなかすいたぁ……!」

 

 旅人が心得るべきセオリーを無視し、ギデオンからそのまま一直線に南下して国境を越えたマグロは今、猛烈な【飢餓】に苛まれていた。

 それというのもこの愚か者、"国境"の概念を碌に把握せず、関所も通らずに単身で国境を越え、その先の<迷いの森>へと迷い込んだのである。

 

 他国と海洋で隔絶され、国境の概念に乏しい日本人<マスター>にはままある現象ではあるが、ことレジェンダリアにおいてその過失は致命的であった。

 森の外へと弾き出されていれば良かったものの、運悪くもそのまま奥へと誘い込まれ、旅糧も尽き既に四日が経過している。

 その経過日数すらもメニューウィンドウの表示によってかろうじて把握できているだけであり、周囲の環境は昼夜の区別すらも儘ならない鬱蒼と生い茂る密林の如き様相であった。

 一言で言えば、二人は遭難していた。

 

「誰ぇもうレジェンダリアに行こうなんて言ったの……」

「そなただが」

「なんで道順通りにいかなかったのよぅ……!」

「それもそなただが」

「ううぅ……きっと私はここで死ぬんだわ……!」

 

 ガーディアン体と化したテスカトリポカの背に倒れ込みながら泣きべそをかくマグロ。

 単純な痛み苦しみには耐えられても、空腹が齎す【飢餓】にはさしものマグロも耐えられず、遭難生活四日目に突入してからはテスカトリポカに背負われるだけのお荷物と化していた。

 たまに遭遇するモンスターとの戦闘で発生する痛みだけが、その空腹を紛らわす数少ない刺激となり、譫言のように泣いては痛みに咽び喜ぶその姿は、傍から見れば新手のアンデッドと見紛うばかりだろう。

 アンデッドからしてみても、同類に見られることを拒否する無様であったが。

 

 対するテスカトリポカと言えば、マスターとは打って変わって余裕の表情である。

 極論を言えば元より飲食の必要がない<エンブリオ>である彼女は四日続きの絶食にも耐えられたし、遭遇したモンスターのドロップを消費してのラーニング作業が食事の代替行為となっていたこともあり、ちょっとしたピクニック気分が続いていた。

 元より第六形態に達したエンブリオとしては規格外の強さを誇る彼女からすれば、如何な新天地の見知らぬモンスターといえ屠るに労しないこともある。

 

 マグロにとっての最たる不運は、四日も森を彷徨っておきながらこれまで一つ足りとて食用に足るアイテムを得られていないことか。

 飲水は(たまに中ることがあるとはいえ)たまに見かける湧き水から確保できているとはいえ、それだけでは【飢餓】を回復するには到底足りない。

 リアルでは空腹の感覚すらも感じない体質なだけに、ゲームシステム上不可避である【飢餓】の苦しみは、あらゆる苦痛に快楽を見出すマグロをして音を上げる拷問であった。

 結局のところ、生きとし生けるものみな食からは逃れられぬのである。

 

「木、木、木、モンスター、木、モンスター、木、木、木――」

「本格的に壊れてきおったな、戯けめ……」

 

 いつしか目に映り込む風景を諳んじるだけの機械と化したマグロに呆れ返りながらも、歩みを止めず森を彷徨い続けるテスカトリポカ。

 なんのかんの言ってここまで一度も放り出さず、背に乗せたまま出口を求めて歩き続ける彼女は実にマスター想いの<エンブリオ>と言えよう。

 しかしその献身を嘲笑うが如く森は一層深く木々を生い茂らせ、右も左も分からない霧中を演出する。

 いよいよ手詰まりを覚悟する段になり、最早<迷いの森>を焼き払う以外に無いかと思い至り始めた頃合で、背のマグロが更なる奇行を演じ始めた。

 

「木、木、木、木木木木木木きききききききキキキキキキキキ――!!」

(あ、これ本格的にマズいやつでは?)

「キキキキキキゴリラキキキゴリラリラリラリラ――」

(さらば、我がマスター……)

 

 遂には居もしない大型霊長類の名を羅列し始め最早言語の体を為さない奇声を発する装置となったマグロに、さすがのテスカトリポカも主の冥福を祈った。

 そんな益体もない茶番を繰り広げながら、さてどうしたものかと視線を彷徨わせたとき――それはいた。

 

「ウホッ」

「…………」

 

 ――それは紛れもない霊長類最大種(ゴリラ)であった。

 自然魔力の集積が織り成す霞の向こう側に、威風堂々たる森の賢者が立ち尽くしている。

 彼(?)は染み渡るような重低音で一声鳴くと、つぶらな瞳でじっと二人を見据えていた。

 

「…………???」

「…………!」

「ッ!?」

 

 テスカトリポカは困惑した。

 ひょっとしてこれはマスターの幻覚が感染ったのではないか? まずはそう考え、しかしステータスは一切の異常を示さずその推測を否定する。

 ならばモンスターか? しかし目視したときに表示されるはずのウィンドウは現れず、その推測も否定される。

 テスカトリポカは、彼女にしては非常に珍しいことに呆気に取られ、息を呑んで彼を注視する他になかった。攻撃を加えなかったのは、彼から一切の敵意が感じられなかったからだろう。

 その証拠に《贄の血肉は罪の味》の発動の兆しも見えず、マグロを痛みで覚醒させることもなかった。

 

 結果取り残されるはジャガーとゴリラ。

 両者ともに密林を住処とする大型哺乳類たちである。テスカトリポカは困惑した。

 

「そなたは……何者だ……?」

「…………」

 

 おそらくテスカトリポカにとって初となる、困惑に満ちた誰何。

 これまで如何なる外敵も捻じ伏せてきた無敵の守護獣が、対峙する相手を測りかねて直々に問う。

 対するゴリラは沈黙を保ったまま、ゆっくりとナックルウォークで歩み寄った。

 

「怪しいものではない。私の名はファンタズマゴリラ、レジェンダリア所属の<マスター>だ」

 

 それはひょっとしてギャグで言っているのか? ――テスカトリポカの心中はそれに尽きた。

 だが、彼が<マスター>であるならばこの不思議も頷ける。これまで実際に見たことはないが、動物の姿形をした<マスター>もいるという噂は彼女も聞き及んでいたからだ。

 とはいえその大部分は人としての形を多く残した亜人に留まり、ここまで動物に寄せたアバターはやはり稀であったが。

 

 彼――ファンタズマゴリラは聞き惚れるような重低音で名乗りを上げると、腰ミノに吊り下げた革袋型の【アイテムボックス】から一房のバナナを取り出した。

 それはひょっとしてギャグでやっているのか? ――そんなテスカトリポカの疑問を他所に、連なるバナナの一つをもぎり取り、呻くマグロへと差し出す。

 

「どうやら道に迷っているようだね。これを食べなさい、他国の者に<迷いの森>の洗礼は辛かろう」

「バナナ――ッ!!」

 

 よく見れば差し出す右手とは逆の手には、<マスター>の証である紋章が輝いていた。

 見慣れた果実を前に飛び起きたマグロが喜び勇んでそれを奪い取る。

 そして皮を剥いて頬張れば、それまでの醜態が嘘のように表情を綻ばせ、うめぇうめぇと咽び泣きながら平らげた。

 あまりの空腹に我を忘れて貪る様は、さながら獣のようであったという。マグロの人間性は限界が近かった。

 

「ありがとう見知らぬゴリラさん……! あなたのおかげで私は救われました……!!」

「礼を言われる程のことではない。君のような手合は多くはないが珍しくもなくてね、定期的にパトロールをしているのだよ」

 

 そう言うとファンタズマゴリラは背を向け、のしりのしりとナックルウォークで歩き出す。

 戸惑う二人に振り返ると、手を振り招いて言った。

 

「付いて来なさい、人の居るところまで案内しよう。何、私がいれば五里霧中を彷徨うようなことはもう無いとも」

 

 テスカトリポカの腹筋はここで限界を迎えた。

 

 




今更ですがレジェンダリアについての描写には捏造を多分に含みます。ご了承ください。


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エルフの隠れ里withゴリラ&マグロ&ジャガー&■■■

安西先生……特典SSが、ほしいです……


 □【獣神】マグロ

 

 ある日森の中でゴリラと出会った。

 ……は冗談として、あわや飢え死にするところをファンタズマゴリラなるゴリラアバターの<マスター>に助けてもらった。

 さすがの私も空腹という根源的欲求の前には心折れざるを得なかったようだ。あのとき差し出されたバナナの味は生涯忘れることはないだろう。

 正体を失っていく意識と景色の中、一際目立つ黄色の湾曲はさながら夜闇に輝く三日月の如し。

 手の届かぬ天上の月を手中に収め、羽衣の如き皮を剥き頬張るあの甘味。さながら私はかぐや姫(?)。

 ……んっんー、思いがけず詩的な表現になってしまったな。極限に追い込まれることで眠れるセンスが開花してしまったかも!

 

『いつにも増して愚にもつかない戯言を口走っておるな、たわけめ』

「~~♪」

 

 そんな私は今、ファンタズマゴリラさんの案内で森の中を彷徨い歩いている途中である。

 彼からは他国とは一風変わったレジェンダリアの特徴を教えてもらい、単身道を外れて森を往くことの無謀さを滾々と諭されたところだ。

 彼曰くそうして自滅する輩は後を絶たないのだそうが、それでもログアウトもせず【飢餓】を抱えたまま四日間も懲りずに彷徨う<マスター>は私が初めてだという。

 ……そうだよね、一旦ログアウトしてセーブポイントに戻ればよかったんだよね。基本死ぬまでログアウトすることのない私にその発想は無かったわ。

 そう言ったらファンタズマゴリラさんには笑われたけど。

 

「しかし君は運が良いな。四日も外に居て一度も<アクシデントサークル>に巻き込まれなかったとは。対策装備が無ければ二日と経たず何かしら起き得るものなのだがね」

「あはは、悪運が強いのかもですね。ところでその<アクシデントサークル>って、どんなことが起こるんです?」

「空間を転移したり、自然発火したり、体内に発生した水流で溺れたり、妙なマーキングをされて四六時中モンスターに付け狙われたり……大抵のことはあり得るのではないかな?」

 

 なにそれこわい。

 完全に怪奇現象やんけ……いやまぁ物理を超越した魔法現象だから、何でもありっちゃありなのだろうけど。

 

「特に空間転移は厄介だな。距離が短い場合もあれば長い場合もある。転移先は場所を選ばないせいで遥か高空に投げ出されたり、見知らぬ海上に放り出されたり、<マスター>であっても死に至る例が特に多い。いわんやティアンにとっては死活問題だね」

「うひぃ……さすがに次からは気をつけます……」

「そうしたまえ。主要な都市に行けば魔力を散らすための携帯魔道具も置いてある。レジェンダリアで長旅をするなら必需品だね、あとで紹介しよう」

「ありがとうございます……本当に重ね重ねお世話になってしまった」

「なに、気にすることはない。行き交う先で困っている者がいれば助けるのは当然のことだ」

 

 そう事も無げに言い放つファンタズマゴリラさん。その様は紛うことなきイケメンであった。

 実際ゴリラアバターであることを抜きにしてもイケメンである。最初こそ瀕死から立ち直って一目見困惑したものの、話してみれば至極真っ当な紳士の中の紳士だ。

 たとえリアルゴリラ然としたナックルウォークが様になっていたとしても、最低限の局部を隠しただけのネイチャースタイルであったとしても、ていうか完全にゴリラであるとしても、彼は紳士なのだ。

 よしんば彼が世界二位だったとしても、心ある者は世界一位であると彼を指して言うだろう。

 つまるところゴリラis正義なのだ。

 

「ところでこんな広い森の中でよくも私を見つけられましたね? ファンタズマゴリラさんに会うまで他の誰とも遭遇しなかったんですが」

「ゴリラでいいとも、私の名前は長いからね。君を見つけられたのは簡単なことさ、森が私に教えてくれた」

 

 森がゴリラさんに……なんとパワー溢るるゴリラワードであることか。

 まさに"森の賢人"の異名を持つゴリラの通りに、彼の一言一句には有無を言わさぬ説得力があった。

 やっぱりゴリラってすごい()

 

『具体的にはどういうことだ?』

「【森王(キング・オブ・フォレスト)】としての特性でね、森の中にある限り大抵の事象は私の耳に入るのだよ」

『ほう、超級職か……道理で只ならぬ気配を発するものよ』

「そう血気に逸らないでくれたまえ。私はしがないただのゴリラだよ」

 

 ナチュラルに自分を<マスター>ではなくゴリラと称する筋金っぷり。やゴす。

 曰く【森王】とは環境依存型の魔法職の一つで、【森祭司(ドルイド)】というジョブの系統の超級職なのだという。

 文字通り森林での魔法行使に特化し、活躍できる環境を限定される分、条件が合えば凄まじい性能を発揮するらしい。

 すごく興味がある。森でゴリラが荒ぶってる画像くださいpart2。

 

「だとしてもこの広い森の中をパトロールですか。すごいなぁ、一度遭難した身からすると想像も付かないです」

「ははは、大したことじゃないさ。パトロールとは言ったが、言葉の綾だったかな。実際は所用のついでに君を見つけたに過ぎないのさ、期待を裏切るようですまないね」

「いえそんな……実際助けてもらったのは事実ですから。それよりも所用の方が気になるんですが、お聞きしても?」

「ああ、構わないよ」

 

 そう朗らかに言うと彼は、腰ミノに吊り下げた革袋型の【アイテムボックス】から幾つかの野草を取り出す。

 あるいは色とりどりの花々だろうか。匂いの良いものから悪いものまで、雑多な植物が握られていた。

 

「友人の頼みでね、近場には生えていない香草を幾つか採取していたのだよ。見てみるかい?」

「……………………どくとくなにおいですね」

「ははは、臭いだろう? しかしこれが良い香料になるのかもしれないのだそうだ。門外漢だから詳しいことは知らないがね」

 

 ゴリラさんも同様に一嗅ぎして、堪らず鼻を摘んで【アイテムボックス】を仕舞う。

 その仕草はわざとなのだろうか、如何にも大袈裟でユーモラスだった。

 ていうかこの人(?)、ほんと見てて飽きない。

 

「実は今から行く場所に私達の仮拠点があってね。まずはそこへ案内するつもりだ。生憎だが私もクエストという形で活動している身でね、すぐさま君を送り届けられそうにない。すまないね」

「いえいえそんな! むしろ私にお手伝いできることはありませんか? 助けてもらってそれっきりじゃあ、さすがに悪いですし」

「そうかい? ふむ……」

 

 ゴリラさんは一転して、鋭い視線を瞬時向けると、次の瞬間には驚いたように目を見張った。

 

「なんと、君も超級職だったのか! 【獣神】……? 聞き覚えのないジョブだな、字面からして【神】の一種か……」

『盗み見して黙考するは褒められた真似ではないぞ、ファンタズマゴリラとやら。恩がある故これ以上咎めはせぬがな』

「あ、すまない……紳士として大変失礼な真似をしたね。申し訳ない」

 

 どうやら《看破》されていたようだ。

 レベルはともかく私のステータスは軒並み低いので、同じ超級職の《看破》なら主なステータスは全て見抜かれたと考えていいだろう。

 まぁ私の場合、別にどうってことないんだけどね。むしろ<マスター>としては基本だし、初見《看破》って。

 

「手伝ってくれるとの申し出はありがたいのだが、下手な者には任せられないのもあるのでね。失礼ながら勝手に《看破》させてもらった。……その上で言うが、君は実に面白いステータスをしているね?」

「あはは、やっぱりお邪魔でしょうか?」

「とんでもない、むしろ納得したよ。どうも君と君の<エンブリオ>の実力が不釣合いなようだから、気になっていたんだ。成程、君は所謂ガードナー特化型だね?」

「はい、仰る通りです。私はともかく、カトリ様は頼りになりますよ」

「カトリ様、か。今更だが君の名を教えていただいても?」

『テスカトリポカという。見知り置くがよい』

「ほう! 南米の荒ぶる神がモチーフかね、興味深いな……いやすまない、またも脱線してしまうところだったね」

「いえいえ」

 

 ゴリラさんの気持ちはわからないでもない。

 実際<エンブリオ>の名前って、地球の神話や寓話、伝説上の偉人に英雄、果ては自然現象まであらゆる概念から名付けられるから、それだけでちょっとした世界観だよね。

 私もカトリ様が孵化したあとにモチーフのことを調べて、こんな偶然があるのかと驚いたものだ。

 生贄を求める超強い神様って、まさしく私が望んだ守護者そのものだもんね。

 

「実際のところ、<マスター>と<エンブリオ>の間には不思議な結び付きがある。どんな<マスター>であっても、己が<エンブリオ>のことは表向きどうあれ、心の深いところでは受け入れる部分があるようだしね。そのことを研究している知り合いもいるが、果たして実態はどうなのだろうねぇ……」

「ほんとに不思議なゲームですよね、<Infinite Dendrogram>」

『…………』

 

 長年プレイしてきた者共通の「デンドロすげー」感を共有して笑う。

 カトリ様は何故か沈黙を保っていたけど、どうしてだろう? まぁいいか。

 

「っと、言った矢先にまたも脱線してしまった。話は戻るが、君の申し出はありがたく受けさせてもらおう。君のように強力な<マスター>と<エンブリオ>がいれば心強いからね。実を言うと、私はあまり戦うことは得意ではないのだよ」

「戦うことなら任せてください! 私のカトリ様は最強ですから!!」

『その言は当然だが、そのポーズはやめろ』

 

 グッと右手を握ってガッツポーズ。ここに込められた気合がカトリ様はお気に召さないらしい。解せぬ。

 ともあれ、単純に戦うことならうちのカトリ様の右に出るものはいない。なんせカトリ様だからね、当たり前だよね!

 

「ははは、頼もしいことだ。詳細は拠点で詰めることにしよう。もうすぐ日も暮れる、さすがに<迷いの森>での野宿は怖いからね。急ぐとしよう」

 

 そう言って行軍を再開する。

 その間にもゴリラさんからは、レジェンダリアの様々なことを教えてもらった。

 

 レジェンダリアの有名人だったり、危険人物だったり。

 役に立ったり立たなかったり、面白おかしいトークを小気味よく放つゴリラさんは、アバターに反して実に社交的な人柄のようだった。

 話の内容ひとつひとつがめちゃくちゃおもしろいのだけど、総じて思うのはレジェンダリアって変人の巣窟なのかなってこと。

 決闘トップの全裸レスラーさん。クラントップのロリショタ仮面さん。討伐トップの変身魔さん。いずれも王国にはいない変な逸話に塗れた<超級>たちだ。

 それ以外の面子には【妖精女王】のカップのフチを舐め回して監獄送りになった怪人さんや、道行く女性に便意を催させる<エンブリオ>で悪さしまくって監獄送りにされた変態さんとか、実にバラエティ豊かだ。

 ……ごめん、無理あった。やっぱり変態だ! 特に後者が意味不明すぎておぞましすぎる。一体何者なんだ№J-334氏……()

 さすがのゴリラさんもこれを話題にするのは失敗だったなってバツが悪そうだった。

 

 そんなこんなで森を歩くことしばらく。

 そろそろ日も没して暗くなるだろうという頃合で、景色の先に木々以外の光景が見えた。

 

「おお、見えてきたね。あそこが拠点だよ」

「あれは村……ですか?」

「うむ。数あるエルフの<隠れ里>の一つだ。その一角を間借りさせてもらっているんだ」

 

 ゴリラさんの指し示す先には、森を切り拓いて設けられた、極々小規模な集落があった。

 そこで暮らす人々は、王国でよく見る人間のそれとは違い、線が細く背が高く、耳の尖った見目麗しい亜人種――俗に言うエルフだ。

 魔法の森の中にひっそりと営まれるエルフの集落。如何にもファンタジックな光景に堪らず私のテンションも上がってくる。

 

「おおぉぉ……!!」

「お気に召したようだね。王国ではあまり亜人は見ないのかな? 他国から訪れる者は皆そうやって驚くよ」

「すごい……さすがレジェンダリア、メルヘンとファンタジーの魔法の国だぁ……!」

 

 思わず感嘆の念と共にそう呟くと、ゴリラさんは微笑ましげに目を細めた。

 魔法の国の迷いの森にあるエルフの集落とゴリラ。最早私のファンタジー感は森とエルフとゴリラに支配されたと言っても過言ではない。

 最早この一日で一生分のゴリラとファンタジーに触れたのではないかと思うほど、私の脳裏はゴリラとエルフに染められていた。縮めてゴリフ一色だ。

 

「っ! ゴリさまだー!」

「おお、ファンタズマゴリラ様! お戻りになられましたか!」

「これはこれは【森王】様、おかえりなさいませ」

「おかえりなさいゴリさま!」

「「「ゴリさま~~!!」」」

 

 ゴリラさんが彼らの目に留まるなり、あちこちから駆け寄るエルフ達の姿がある。

 小さな子供からお年寄りまで、誰もがゴリラさんの帰還を喜び満面の笑みで出迎えていた。

 特に子供たちは群がるなりゴリラさんの身体によじ登り、人間(?)遊具にしてじゃれついている。

 そんな彼らを拒みもせず片端から抱え上げるゴリラさんは、まさに森の賢王に相応しい貫禄と包容力である。

 ゴリラとエルフは相性がいい、これってトリビアになりませんか?

 

「出迎えありがとう、皆。カッツォは奥かい?」

「ええ、カッツォ様なら奥の小屋にいらっしゃいます。かれこれ半日はこもりきりなのですが……」

「あいつめ、また時間を忘れて没頭しているな。ありがとう、とにかくあいつのことなら心配はいらない。私が訪ねてみよう」

「お願い致します。せめてお食事だけでも召し上がっていただければ……おや、そちらの方は?」

「知らない人とネコ? ネコだー!」

 

 ゴリラさんを出迎えていた村人たちが、私に視線を移して訝しむ。

 そういえばここまでカトリ様に跨りっぱなしだったの己の失礼を悟り、降りて深々と頭を下げた。

 子供たちは物怖じする様子もなく、フリーになったカトリ様に纏わり付いていたが。割りと怖いもの知らずだねチミたち。

 

「ああ、彼女は森で出会った<マスター>だ。我々の手助けをしてくれるというのでね、勝手ながら連れて帰ってきた。すまないね、彼女の寝床を用意してもらっていいかな?」

「マグロと申します。こちらは私の<エンブリオ>のテスカトリポカです」

「おお、ファンタズマゴリラ様のお知り合いでしたか! であれば歓迎しましょう、しばしお時間をいただければ寝床もご用意させていただきます」

「ありがとう、助かるよ」

「ありがとうございます、お世話になります!」

「いえいえいえ、他ならぬファンタズマゴリラ様のお連れ様ですから!」

 

 ゴリラさんの名前は思った以上に大きいらしい。

 一般的に気難しく排他的なイメージが強いエルフにこうも受け入れられてるって、一体何をしたらこうなるんだ……。

 私の中でゴリラさんのイメージは膨れ上がって留まるところを知らない。

 

「それでは戻って早々で悪いが、カッツォの様子を見てくるとしよう。彼女との顔合わせもしなければいけないのでね」

「はっ、どうぞごゆるりと……もう半刻もすれば御夕食が出来上がりますので」

「ありがとう」

 

 そう世話役っぽいエルフに言って子供たちを降ろすと、彼は私を手招いて奥へ進んだ。

 

「すごい人気振りですね」

「ははは、どうもね……【森王】の称号は彼らにとって特別な意味を持つようだ。この肩書を継いでからというもの、良くしてくれるのはありがたいのだが、時折期待を重くも感じるよ」

 

 そう首を掻いて照れるゴリラさんは、言葉とは裏腹にとても嬉しげで誇らしいようだった。

 彼の様子を見て思うのは、彼ほどにこの世界に根付いて生きる<マスター>は、きっと幸福なのだろうという一方的な想いだ。

 森で助けられたときからそうだったが、ゴリラさんはこれまで出会った<マスター>の中で群を抜いて私の憧れになりつつある。

 つまるところゴリラさんはイケメンなのだ。姿形ではない、その魂がイケメンなのである。

 

「ここが我々がお借りしている小屋だ。少し待っていてくれたまえ」

「あ、はい」

 

 そして村の奥にある小屋の前に辿り着くと、彼は玄関の戸を潜って奥へと入った。

 周囲を様々な植物で取り囲まれた、一見してファンシーなお住いである。

 といってもガーデニング目的ではなく、薬効かなにかを求めてか奇抜な匂いを撒き散らす植物たちは、お世辞にも良い香りとは言えないものだったが。

 これをどうするんだろうと不思議に思って眺めながら待っていると、しばらくして扉が開き、のっそりと顔を覗かせる人影があった。

 

「おう、お嬢ちゃんがゴリの連れかい。せめぇとこだがまぁ上がんな、茶くらい淹れらぁ」

『ぱぶっふぉ!?』

 

 出てきた彼は、へんてこりんな鼻眼鏡を着けた豚人種(オーク)だった。

 カトリ様、今日は異様に笑いの沸点が低くないですかね?

 

 




今回だけで半年分くらいゴリラゴリラ言った気がします。

 ◇ちょっとした人物紹介
・№J-334
 ナンバージョークみみし、と読む。レジェンダリア変態勢の一人。
 【下劣視姦 カンバリニュウドウ】という名の<エンブリオ>を有し、対象に強烈な【便意】の状態異常を齎す固有能力を用いて、道行く女性の慌てふためく様を鑑賞することを何よりの愉しみとした漢。
 無駄に実力が高く長年に渡り生き延びていたが、「状態異常を反射する」固有能力を持つ<エンブリオ>の<マスター>に返り討ちに遭い、衆人環視のもと盛大に脱糞した挙句袋叩きに遭いあえなくお縄となった。
 数多の変態が集うレジェンダリアにおいても極めつけの変態として伝説となり、今なお最大級の嫌悪を以て語られる「世界の半分を敵に回した漢」。
 見た目はなんか野球してそうな亜人っぽいなにか。当然のことながら懲役は長く出所の見込みは無い。


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不穏の訪れ

主人公以外のオリキャラの設定やエンブリオを考えるのは何気に初の試みですが。
思いの外アイデアが浮かんできて執筆が捗ります。

・修正
内容:テスカトリポカのコーヒー描写について
理由:メイデンとしての食癖(生しか食べない)を失念していたため。


 □【獣神】マグロ

 

 鼻眼鏡のオークさんに招かれて踏み入った小屋は意外や意外、とても整理整頓の行き届いた綺麗清潔なお部屋だった。

 室内をほんのり漂うこの香りはなんだろう? なんだかとっても安心する匂いで、意識して嗅いでしまうのではなく、自然な呼吸と共に一息ついてしまうような、そんな香りだ。

 随所に飾られたインテリアも品があって素敵だし、総評してとってもおしゃれなお住まいだった。

 ただサイズだけが使用者に併せて大きめなのが、ちょっとだけ新鮮だけど。

 

「まぁ座りな。話は一息ついてからでもいいだろ。おうゴリ、アレはどこに仕舞ってたっけか」

「そこの戸棚じゃなかったか? せっかくだ、アレも空けてしまおう」

「んだな、プライベートの客なんていつ振りだかなぁ、ガハハ!」

「あの、お構いなく……」

 

 身長にして三メートル近いゴリラとオークがファンシーおしゃれなお部屋をあちこち動き回るのは、一周してコミカルというかユニークというか。

 厳ついアバターに反してとても心遣いの行き届いた彼らは、ひょっとしなくてもすごく良い人(?)なのかもしれない。

 

 あれよあれよと言う間にテーブルの上へ並べられていく焼き菓子たちに、早くも私のお腹は空腹を訴える。

 つい数時間前の【飢餓】を未だ忘れられていなかったのか、盛大に鳴き声を上げたお腹に顔を真っ赤にしてると、オークさんが振り向いてにやりと笑った。

 

「四日も森を迷ってたんだろ? 遠慮せず食っちまいな、腹が減ってちゃ話もできねぇだろ」

「ところで君は紅茶派かね? コーヒー派かね? どちらも良い茶葉と豆があるのだよ」

「余は遠慮しておこう。(レア)しか食さぬ性ゆえな」

「えと、それじゃあ私は紅茶で……」

「ああ、そう言えば人に近いガードナーはそういった傾向があるのだったね。ならコーヒーはカッツォの分だけでいいか、私はどちらかと言えば紅茶派なのだよ」

 

 そして淹れられたコーヒーに紅茶は、格段と香りの良い一杯だった。

 実のところ派閥を分けられるほどに両者を飲んだ経験のない私には、どちらがどう美味しいのかはまるでわからないのだけど、それでも匂いだけで間違いなく美味しいことを確信させる香り高さは、素材の良さ以上に淹れる者の腕が良いのだと有無を言わさず納得させた。

 

「……おいしい」

 

 一口飲んでその味わい深さに圧倒される。

 なんだろう、すごいとしか言いようがない。筆舌に尽くし難いとはまさにこのことだ。

 一口飲んだあとは自然と手が焼き菓子へと伸び、それを同じく一口齧った直後にまた紅茶を啜ると、焼き菓子の食感や甘さと相まってより一層の旨味が口中に広がった。

 この感動は過去に類を見ない衝撃だけど、果たして彼らは一体何者なのだろうか。ゴリラさんはともかく、オークさんは果てしなく謎である。

 

「よいしょっと……さぁてオレも小腹が空いたな、まずはこいつらを片付けちまおうぜ。話はそれからでも遅かねぇだろ」

「レディ二人を招いてのお茶会は心躍るね。男二人だとその辺りどうしてもなぁ」

「絵面もシュールだしな! ガハハハッ」

 

 同じテーブルを囲んでゴリラとオークと私とカトリ様、四人で素敵なティーパーティー。ちなみにカトリ様はちゃんとメイデンモードだ。

 なんだこの空間って傍目から見ればシュールだろうけど、実際にこの場にいればそんな疑念は跡形もなく吹き飛んでしまうことだろう。

 サクサクと焼き菓子を頬張る音だけが響き、しばしの物静かな平穏が訪れる。といってもレアを好む食癖のカトリ様は手を付けてなかったけど。

 見かねたゴリラさんが例のバナナを提供してくれたけど、バナナを頬張るカトリ様ってなんか妙にシュールに見える。

 それはそれとしてオークさんの鼻眼鏡だけが異様に目立っているのが気になった。そのせいでカトリ様は今も彼を直視できずにいたり。

 

「さぁてと片付いたな。とりあえずはよく来たな嬢ちゃんたち。ゴリが言うにはオレ達を手伝ってくれるんだって?」

「あ、はい。ゴリラさんには大変お世話になりましたから……彼の手助けになれれば、と」

「よくできた嬢ちゃんじゃねぇの、ありがたいねぇ。実んところ正面切って戦うにぁちょいと不得手なもんでね、単純に戦力が増えるのは助かるぜ」

「それについてなんですが、具体的には何をしてらっしゃるのでしょう……?」

 

 そう尋ねると彼はふむとしばし考え込み、懐から何かを取り出した。

 これは……小瓶? 中に少量の液体が入った、手のひらよりも随分と小さいサイズの小瓶だ。

 デザイン良くカットされたガラス製が、如何にも高級志向っぽく品良く目立つ。

 

「嬢ちゃんならこれ、ホワイトの三番だな。間違いなくこれが一番似合う」

「香水……ですか? あれ、これどこかで見たような……」

「ギデオンの高級街で見た覚えがあるな」

「…………あっ! これって超高級ブランドのアレだ! 前見たときすっごい人並んでたやつ!」

 

 以前ギデオンでショッピングをしていた際に、とある高級店で長蛇の列を築いていたのが確か<カッツォブランド>だ!

 レジェンダリアに本拠地を置く名ブランド中の名ブランドで、西方三国の紳士淑女に絶大な人気を誇るドン・カッツォの<カッツォ・ナンバーズ>!!

 ……あれ? 確かさっきゴリラさんが彼のことをカッツォって……まさか!

 

「もしかして、【調香王(キング・オブ・パフューム)】カッツォさんですか!?」

「ガッハッハ、驚いたか? そうさオレが"レジェンダリア一モテる豚"、"調香界の貴公子"ドン・カッツォ様だ!!」

 

 思わぬビッグネームの登場に思わず手が震えだす。

 【調香王】ドン・カッツォと言えば界隈で知らぬ者はいない、数年前から調香界で名を轟かせ右に出るものはいない絶対支配者!

 一嗅ぎすればたちまち万人を魅了するその香水は、かの【妖精女王】も殊更に愛用するというビッグブランドだ。

 それがまさか……まさか、まさかこの人だったなんて! おしゃれには無頓着な私でも名前だけは知っている、間違いなく<Infinite Dendrogram>でもトップクラスの有名人だ!

 

「うわぁ、うわぁ! お会い出来て光栄です! カッツォさんの香水は持ってなくて、知ってるのは名前だけですけど……ソンケーしてます!」

「おうおう、そう言ってもらえると嬉しいねぇ。それはお近づきの印に取っときな、気に入ったらまた注文してくれ。オーダーメイドも受け付けてるからよ」

「いいんですか!? やったー! ありがとうございます!」

 

 こんな超有名人から手渡しでオリジナルブランドの香水を貰えるなんて!

 森を四日も彷徨ったときは最悪だと思ってたけど、なぁんだレジェンダリアって最高じゃん!

 

「……自分で貴公子と名乗るのはどうなんだ?」

「いいんだよ、周りがそう言ってんだから。実際モテるのも貴公子も間違いじゃあねぇしな!」

「それはリアルでの話だろう、まったく……マグロくん、こうは言ってるがそう畏まるような相手でもない。気を楽にしてくれたまえ」

「えっ? ……あっ、はい……すみません」

 

 思わぬ有名人との直接交流に舞い上がっていたけど、ゴリラさんに諭されて急に冷静になる。

 いくら相手が相手とはいえ、これからお仕事の話をしようというときに浮かれきってはしゃいでしまったのは素直に恥ずかしい……自分のこういうミーハーなとこがたまにイヤになるなぁ。

 幸い二人とも気を悪くはされていないようだけど、カトリ様のジト目が全身を突き刺した……うぅ。

 

「とまぁ派手な自己紹介になっちまったがオレはこういうもんだ。仕事ってのもオレの本業に関わることでな」

「そういえば道すがらゴリラさんも仰ってましたね。この辺の植物が材料になるとか」

「実際に売り物になるかはその後の調整次第だがな。時折インスピレーションを求めて無作為に採取することがあるんだよ。つってもオレ一人じゃ碌に戦えねぇから、そんときはいつもゴリの野郎を頼ってんだけどな」

「毎度どこぞの奥深くまで走らされて扱き使われているよ」

「ガハハハハ! その分報酬は惜しまねぇから許せや!」

 

 成程、そういうことだったか。

 小屋の周囲にある独特な匂いの植物たちも、そうして採取してきたサンプルの一部なのだろう。

 聞き齧った知識では、香水の原料ってお世辞にも綺麗じゃないモノからも作り出されることがあるらしいし。

 原材料がいかにゲテモノじみていても、それを美しく整え香り高い一品に仕上げるのが、まさに【調香王】を頂点とする調香師系統の腕の見せどころというわけだ。

 

「そうなると私達の役目はお二人の護衛ということになるんでしょうか?」

「だな。採取つっても素人目にはどれがどれだかわかんねぇだろ? そこはオレの役目で、ゴリは経路の確保と周辺警戒、嬢ちゃんらはいざというときの実行班ってわけだ」

「そういうことなら任せておけ。単純に戦い合うなら余の右に出るものはいない。そなたらの命は保証しようとも」

「おう、助かるぜ。超級戦闘職の実力ってやつを見せてもらおうじゃねぇの。働きが良けりゃボーナスも付けるから精々張り切ってくれよ!」

「ボーナス……? えと、私達は恩返しでお手伝いさせてもらいたいだけで、報酬なんて……」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! これはオレのビジネスに直結する話だ。ビジネスには報酬は付き物、タダ働きなんて犬も食わねぇようなこと言うんじゃねぇ!!」

 

 そう叱りつけるカッツォさんの表情は至極真剣なものだった。

 こちらとしてはそういうつもりはなかったものの、それが彼の主義に反してしまったことを察して平謝りする。

 

「……っと、怒鳴っちまって悪かったな。だがなぁ嬢ちゃん、そうほいほいと安請け合いするもんじゃねぇぜ? 世間様での立場は違えど、こいつぁ対等なビジネスの話だ。それに【獣神】なんて超級をタダで扱き使っちまえば、オレの名が廃るってもんよ。自分の価値ってやつをまずは自覚しな、でねぇと真っ当な付き合いはできねぇぜ?」

「はひ、気をつけます……」

「おうおう、分かりゃあいいさ。……ほらよう、そうしょげんなよ、オレも悪かったって。ほら食え食え」

 

 一転して優しげになったカッツォさんに勧められるままにお菓子を頬張る。

 目上の人に心から叱られた経験がほとんど無いせいでびっくりしたけど、彼の言うことは至極尤もだ。

 彼はまがりなりにも仕事の一環としてゴリラさんとの活動に臨んでいるのに、そこへタダ働きでいいですよなんて浮ついたことを言うものがいれば、そりゃあ勘気に障るというものだろう。

 ならばここは彼らの警護を任された者として、誠心誠意彼らの脅威を退けることに集中すべきだ。

 ……そう覚悟はするけれど、それはそれとしてお菓子とお茶が美味しい。

 

「……さて、そうと決まれば詳細を詰めていこうか。拘束期間に最低報酬、ボーナス基準にその他諸々、定めるべきところはまだあるからね」

「おう、んじゃあ【契約書】も用意すっか。ギルドを通してねぇからな、念のためだ」

「そういうものなんですか?」

「契約内容を形に残すってのは大事だぜ? 余計なトラブルを背負い込まずに済む。口約束したあとに言った言わないなんざ、オレぁ勘弁だからな」

「要は仕事に対する姿勢の話さ。君も覚えておくといい、【契約書】の取り決めがあれば物事はスムーズにいくからね」

「なるほど……覚えておきます!」

 

 そうして彼らとの仕事が始まった。

 

 ◇◇◇

 

 拘束期間は七日。寝起きは彼らとは別の小屋を借りて、日の昇る間は彼らの探索に付き合う形で依頼は開始された。

 ゴリラさんの先導で道なき道を往き、人跡未踏の<迷いの森>深部を潜行する恐怖が無かったと言えば嘘になる。

 が、しかし。その懸念を補ってなお余りある二人の能力が、実に環境に適応して凄まじい効力を発揮していた。

 

「お、こりゃいいな。おいゴリ、十分……いや五分隠蔽頼む」

「了解」

 

 鼻眼鏡をかけたカッツォさんが何事かを捉えると、ゴリラさんが消臭、消音、光学迷彩効果を併せ持つ結界を展開し、迸る魔力が周辺の木々に作用して潜伏する。

 これにより半径五〇〇メートル以内はたとえ小動物一匹たりとて捕捉から逃れられないゴリラさんの領域と化し、いざとなれば外敵を迎え撃つ食獣植物の縄張りともなった。

 一度探知に優れるイノシシ型モンスターが私達の存在を察して突撃してきたが、領域に一歩踏み入るなり四方八方から刃と化した木の葉、槍と化した根に切り裂かれ貫かれ、十秒経つ間もなく光の粒子と化して散った。

 そのモンスターはレベルにして五〇以上のボスモンスターらしいのだけど、これでゴリラさんにとっては本気の十分の一ですらないらしい。

 ゴリラさんは謙遜していたが、こと森の中において彼の戦闘力は準<超級>の中でもトップクラスなのは間違いなかった。

 

「私まだ仕事できてないんですけど大丈夫かな……」

「おっほ、こりゃ良質だ! 抽出すれば……ブラックか? レッドかな? いいねぇ、意欲が高まるぜ」

『【調香王】の、一歩下がれ』

「っとあぶねぇ、助かったぜ」

 

 あまりにもゴリラさんが凄まじすぎるせいで出番がなく、ほんのり不安になってたらカッツォさんの足元をうろつく魔蟲種がカトリ様に踏み潰された。

 これは王国でも見たことあるな、強力な毒を持つタイプだ。見た目数センチの小さなナリして実力は亜竜級上位の、地味に初見殺しなモンスターだね。

 素材の探索に夢中になってるカッツォさんだけど、確かにこれは護衛がいるわけだ。

 

「おし採れた。もういいぜゴリ、次行こう」

「このモンスターのドロップはどうします?」

「毒腺か……使えないこともねぇな、採っておこう。意外な原料と反応しておもしれぇ結果になることもあんだ、こういうのはな」

 

 そう言って【アイテムボックス】に放り込むカッツォさん。

 探索中に入手したアイテムは全て一度カッツォさんに見てもらい、彼の要求を最優先に回される。

 今のところ見るからに向いてそうな花々や、それとは逆にとてもではないが香水にならなさそうな鉱物なんかも、全てカッツォさんの懐に収まっている。

 下級のうちはある程度常識的な素材でしか《調香》できないらしいけど、その頂点でもある【調香王】のカッツォさんの手に掛かれば、極論モンスターの汚物からでも素晴らしい逸品が出来上がるのだとか。

 詳しい部分は企業秘密だとかで教えてもらえなかったが、世に出回って人気を博する香水の中には、とてもではないが人様に教えられない原材料のものも存在するという。

 ……裏方を探るのはよくないね、うん。まぁでも健康上の問題は無いのは確からしいから、いいのだけど。

 

「ん、モンスターの糞が落ちてやがるな。……この種には含まれない匂いだ、固有種か? 餌は何食ってやがる……」

 

 道端に落ちていた糞に注意を向けると、カッツォさんはそれに鼻を近づけてなにかを嗅ぎ分けているようだった。

 その光景に当初こそ面食らったものの、彼曰く生物の排泄物を始めとする残留物には、余人が思ってる以上の情報が残されており、そこから新たな発見やひらめきが多々得られるのだという。

 そう語る彼の根拠のほどは、私達には察知もできない痕跡からの追跡、その先に待ち受ける残留物の主が何よりも明白に証明している。

 それらはすべて、彼の<エンブリオ>に理由があった。

 

 名を【眈々嗅々 ミルメカグハナ】というそれは、TYPE:カリキュレーターなるアームズ系列カテゴリに属する<エンブリオ>で、初対面時に着けていた鼻眼鏡がそうだったらしい。

 固有能力としては「視覚・嗅覚の大幅な強化」で、彼にしか見えない視覚・嗅覚情報が彼の【調香王】としての活動に大きく役立っているのだとか。

 現に彼が反応を示した場所では、必ず何かしらの成果物を得られている。それは素人目には用途もわからないガラクタにしか映らないが、カッツォさんにとってはまさしくお宝なのだろう。

 手に入れるたび一喜一憂するその様は、とても世を席巻する【調香王】とは思えないほど、純粋でなんだか子供っぽい印象だった。

 

「悪口みたいに聞こえるかもですけど、トリュフを探す豚みたいですよね」

「言い得て妙だな。事実豚の嗅覚はある一面において犬を上回るという……特に好物を探し当てることに関しては他の追随を許さないと聞くが、あいつにとってみれば森はまさに宝の山だからな。あながち間違ってはいない」

「おうおう、豚を馬鹿にするんじゃねぇよ! 豚ってのはなぁ、人間が思ってる以上に綺麗好きで力強くて、繊細で可愛らしい生き物なんだよ。体脂肪率だって人間に比べりゃずっとスマートなんだぜ? 臭くてすっとろくて肥満体ってなぁ偏見さ」

「アバターがオークなのは?」

「単純な話さ、オレは豚が好きだからな。尊敬してると言ってもいい! だからこうして肖ってるのさ」

 

 そう豪語するカッツォさんは、この上ない自信に満ち満ちていた。

 ……機会があれば豚についてもっと詳しく調べてみよう。これはちょっとした啓蒙だ。

 だからといってオークを豚の延長線上に置くのはどうかとも思うが。だけどそう指摘するのは野暮というものだろう。

 私は相槌を打ちながら、その後も彼の探索に付き従った。

 

 なるべく交戦を避けるように森を歩いているだけあって、モンスターとの遭遇は少ない。

 ゴリラさんの隠蔽魔法や退散魔法もあって、中型以上の通常モンスターは自らこちらを避けていくように散っていくが、それでも脅威はゼロにはならない。

 それはゴリラさんの結界を無理矢理突破できる大型モンスターや、あるいはカッツォさんが採取に踏み込んだその場所に根付く小さな有毒モンスターだったりして、回数こそ少ないものの決して気を抜けない時間が続いていた。

 

「マグロ君、一匹そちらへ抜けた。迎撃を頼む」

「わかりました。……カトリ様!」

 

 今もまた一匹、ゴリラさんを抜けて後衛へ迫らんとするモンスターが躍り出る。

 一頭の強力な魔物に統率された中規模程度の魔物の群れは、単純な物量によってゴリラさんの迎撃結界を突破しようとし、しかしその大多数を削られながらも頭目を送り出すことに成功する。

 だけど悲しいかな、単に強いだけのモンスターが一匹だけじゃあ、うちのカトリ様には敵いっこない。必要以上に森を荒らすことを望まないゴリラさんの意を汲んで最低限の強化スキルを行使するに留めたカトリ様だけど、それだけでボスを一蹴するには十分に過ぎる。

 カトリ様の一見して可愛らしい猫パンチによってボスは吹き飛び、そのまま敢え無く光の塵となった。

 

「凄まじいダメージだな……<上級エンブリオ>は数あれど、第六形態でここまでのパワーを持つガードナーは珍しい」

「あはは、カトリ様だけが私の取り柄ですから……こうでなくちゃ困るというものです」

 

 雑魚の殲滅を終えたゴリラさんの言葉にそう返す。

 私が弱い分カトリ様が強いのが私達だ。<エンブリオ>としての特性でそうである以上、私のカトリ様は同格以下の誰よりも強くてはならない。

 そうは言っても<超級>にはさすがに負けるんだけどね。スターリングさんのバルドルさんなんてあんなだし、昔はそうでもなかったけど第六形態になってからはより一層の格差を感じちゃうなぁ。

 

「オレからすりゃあどっちもどっちだがな。前線でガチンコかます連中はどいつもこいつも人間離れしすぎてわっかんねぇよ、こちとら知的なインテリだからな!」

「私からすればカッツォさんみたいな生産職には憧れありますけどね~」

「隣の芝生は青い、というやつだね。さてカッツォ、そろそろ日が暮れるがどうするかね?」

「今日のところはこれでいいだろ、まだ数日残ってるしな。今日はもう帰って休もうぜ」

「了解。ならば私のあとについてきてくれ。くれぐれもはぐれないようにな」

「あはは……もう遭難は懲り懲りですよ」

 

 一転して帰路につき、村を目指して道なき道を往く。

 ゴリラさんの先導は<迷いの森>にあって迷うことなく、果たしてどのように森が見えているのか、足取りは淀むことなく歩を進めていく。

 その上で後続の私達が通りやすいように魔法で道を整備してくれるのだから、森の中での彼の安心感に脱帽しきりだった。

 ちなみに通ったあとの道は元通りの地形に戻っている。これもまた【森王】ならではということなのだろう。

 そう思っている間にも件の村に到着していた。

 

「皆、今戻った」

「ただいま戻りましたー」

「あん? いやに辛気くせえじゃねぇの。どしたい、一体?」

「これは皆様……申し訳ありません、お出迎えもできず……」

 

 しかしいつもなら盛大に出迎えてくれる村人達はおらず、村中は奇妙な悲壮感に満ちていた。

 元気いっぱいの子供たちもどこか怯えた様子で、縋るようにゴリラさんやカトリ様にしがみついてくる。

 果たして何があったのか、訝しんだゴリラさんが村長さんに問うと、彼はしばし逡巡した後、意を決したように重く口を開いて言った。

 

 

「恥を忍んでお頼みします! どうか……【ユニケロス】を討伐していただけませんか!?」

 

 

 ――それはある意味で最も恐ろしい"強敵"との戦いの幕開けだった。




次回、<UBM>戦……かも?


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【絶倫狂角獣 ユニケロス】

これがレジェンダリアだ!!!!!!!!!!!!!


 □【獣神】マグロ

 

「【ユニケロス】……?」

 

 聞き慣れない言葉を口にした村長さんの顔は、恐怖の蒼白に血の気を失った悲壮なものだった。

 彼だけじゃない、その言葉を耳にした誰もが息を呑み、引き攣る声音で恐怖に震え出す。

 小さな子供はまるでお化けでも見たかのように泣きじゃくり、大人達にしがみついて身を縮こまらせていた。

 それほどまでに彼らにとって恐ろしいものであるらしい、その【ユニケロス】とやらは。

 語感から察するに、おそらくは<UBM>なのだろうけど……それにしたって尋常じゃない怯えっぷりだ。

 話が見えず、私とカトリ様、そしてカッツォさんは首を傾げる。

 

「【ユニケロス】……確かですか?」

「は、はい! 西の里でかの聖獣を見たと……早くも娘が一人、攫われて……」

「なんということだ……まさか師匠から伝え聞いた怪物が、現れるとは……」

 

 しかしゴリラさんだけは違う反応を示した。

 彼らの感じている恐怖を理解できているようであり、これがただならぬ事態であると認識しているようだった。

 彼は怯える村人たちを宥めると、まずは村長以外を家に帰し、決して外へ出ぬよう言い含めた上で私達をとある場所へと案内した。

 村長も一緒に入り込んだのは、村の中央にある集会所。普段は富の分配や全体方針の決議に用いるという場所で、村長を取り囲むようにして座る。

 

「おいゴリ、自分だけでわかってねぇで説明しやがれ。連中の様子は只事じゃねぇ、何が起きてやがる?」

「それについては私からご説明いたします……」

 

 恐怖に震える身体を押して、ぽつりぽつりと語り出すエルフの村長。

 彼らが恐怖するモノの名は、とある昔話に端を発した。

 

 ◇◇◇

 

 古来よりエルフが隠れ住む魔法の森には、あるお伽噺が共通して語られる。

 それは今の立憲君主制の形を取るより以前、数多の幻想生物が群雄割拠した時代に森を統べた、一頭の偉大なる聖獣の物語。

 

 現代でもなお非人間範疇生物(モンスター)としては例外的に"聖獣"として神聖視されるユニコーン種。

 その中でも最も美しく、最も強大で、叡智に富み、心穏やかにして慈しみ深く、万物を癒やす奇跡の角を額に掲げた"王"がいた。

 彼の名は【ユニケロス】。その慈愛を以て魔法の森の頂点に立つ、ユニコーン種の王。

 

 彼とエルフの交流は、とある泉で彼の王とエルフの乙女が邂逅したことから始まった。

 数多の物語が後世に伝える内容からすれば、それは互いに一目惚れであったという。

 片や人間、片やモンスター。姿形も生態も全く違う互いにとって異形の男女は、しかしその心優しきで通じ合い、瞬く間に恋に落ちたのだ。

 

 ◇◇◇

 

「ここだけ聞くとよくあるお伽噺みたいですけど……」

「いい話じゃねぇの。それがどうしたってんだ?」

「多くの伝承でこの冒頭は共通しております。しかしこの話には続きがあるのです……」

 

 ◇◇◇

 

 王と乙女の恋はしばし続いた。

 片や高潔なる王、片や穢れ知らぬ乙女である。時に寄り添い、時に語らうだけの純な交流が長らく続き、互いに恋慕すれど触れ合うだけで赤く恥じ合う純朴さであった。

 しかしその触れ合いも長く続くほどに募る想いに揺れ動き、やがて乙女の方からより深く愛し合うことを申し出るに至る。

 

 ◇◇◇

 

「……おお、乙女さん積極的ですね……!」

「なぁ、ちっとむず痒くなってきたんだがまだ続くのか?」

「しかしそれが悲劇の始まりでした……」

 

 ◇◇◇

 

 王と乙女は遂に結ばれ、二人はより一層互いに愛し合うようになった。

 逢瀬はより頻度を増し、回数を重ね、泉を二人の愛の巣として睦み合う日々。

 しかしそれを快く思わない者もまた別にいた。誰あろう、乙女の王であった。

 泉近くの集落群を纏める王であった彼は、如何な聖獣とはいえモンスターでしかない【ユニケロス】と娘の関係を認められず、ましてや結ばれることなど許すわけもなく二人の仲を引き裂いたのだ。

 

 ――魔物と通じて純潔を失った、姫たる乙女の命を散らすことで。

 

 そして"王"は狂った。

 愛する乙女と引き裂かれ、その命までも奪われたことへの怒りに狂い――狂気の果てに殺戮を繰り広げた。

 【ユニケロス】の逆鱗に触れた父王とその配下達は、彼の治める集落ごと絶滅の憂き目に遭い、しかし【ユニケロス】もまた父王達の決死の反撃で傷を負い、どことも知れぬ奥深くへと去っていったのだという。

 

 その後時は流れ、国体が変わり、現代のレジェンダリアに至った今も尚。

 国土に点在するあらゆる森に神出鬼没に現れ出ては、かつて陥った狂気のままに凶猛を振るい、森に住まう知性を脅かしている。

 特に女を好んで連れ去るのは、かつての乙女の面影を狂気に曇った眼で捉えているからだという。

 無論、連れ去られた女たちの行く末は語るまでもない――――

 

 ◇◇◇

 

「そりゃあまた、ストレートにおっかねぇ話だな。皆が怯えるのも無理はねぇ、とんでもねぇ通り魔みたいなもんじゃねぇか」

「お伽噺が実話かどうかはともかくとして、確かに放っておけない話ですよね……」

 

 お伽噺がいつ頃の話かは知らないけれど、長寿で有名なエルフをして昔話と称する物語だ。数年数十年ではきかない、きっと百年単位で昔の話だろう。

 一説に歳経た<UBM>ほどその実力は増し、数百年級ともなればおそらくは古代伝説級を最低ラインとして考えてもおかしくはないはずだ。モノによっては神話級という可能性すらあり得る。

 私の持つ古代伝説級特典武具の【ベレロープ】も、元は【聖剣王】の時代に名を馳せた英雄の成れの果てだから……うん、やっぱり危険な相手だ。

 

「私が師匠――先代【森王】からも、レジェンダリアの森に潜む最大級の脅威の一つとして聞き及んでいる。その座を継いだ今代【森王】としては、ここで奴を討ちたいところなのだが……」

「オレぁてっきり、経緯が経緯だから乗り気でないものと思ってたんだがよ?」

「個人的に思うところが無いわけではないが、その真偽も定かではない昔の話だ。現に今なお脅威である以上、今を生きる者達を優先するのが【森王】としての私の責務だよ」

 

 そう語るゴリラさんの面持ちは、今までにない真剣味を帯びたものだった。

 これまでの振る舞いの端々から察せられていたことだけど、彼のスタンスは所謂典型的な"世界派"のものだろう。

 今の言葉からして先代【森王】のティアンと交流を重ね、ある意味正統な手段を以て【森王】の座を就いた彼にとってみれば、今の状況は決して看過できることではないのはよくわかる。

 となれば当然、私達のやるべきことも決まった。

 

「それなら迎え撃ちましょう。幸い私も<UBM>の討伐経験は古代伝説級までならあります。決して足手まといにはならないはずです!」

「……いいのかい? 我々としてはありがたいが、君に特典武具を与えられるよう考慮する余裕はきっと無いよ?」

「特典武具なんて結局はおまけです! それよりも確実に倒すことを考えないと、エルフの皆さんも困っちゃうんですよね? なら協力は惜しみません!!」

 

 まぁ欲しくないと言えば嘘になるけど、優先順位は低い。なによりエルフの皆の命には代えられないしね。

 結果的に誰の手に渡ろうが、それはそれ。今は【ユニケロス】を確実に仕留めることだけを考えなきゃ。

 なにせ敵はエルフ基準で大昔から生き延びている<UBM>だ。たとえこの場に超級職が三人いたところで、決して勝利を約束できる相手ではない。

 ましてやカッツォさんは非戦闘職だし、実質前線で戦えるのは私達とゴリラさんだけ。持てる手段の全てを使って臨まなければ、きっと勝てない戦いなのだから。

 

「……ありがとう! 君の助力を心から嬉しく思うよ。ならばここからは時間との戦いだ。……村長! 動ける者を集めて《結界》は敷けるかね? 近隣の集落とも連絡を取って包囲網を敷く! 最低限互いに情報を共有できるだけの体制は整えておきたい」

「……は、はっ! かしこまりました! 若衆を募って全力で当たらせます!」

「<UBM>の出没に触発されてモンスター達が暴れ出す可能性も高い。くれぐれも慎重に……カッツォ」

「ああ、オレは追跡と捕捉だな。おう嬢ちゃん、ちっとばかし手ェ借りるぜ」

「護衛ですね? わかりました」

 

 ゴリラさん率いるエルフ勢で場を整え、その間に感覚に優れるカッツォさんが痕跡を探り、単純戦力としての私が彼の護衛につく。

 カッツォさん曰く、彼の<エンブリオ>を以てすれば情報の取捨選択・統合分析は十分に可能とのことだ。カリキュレーターなるカテゴリはそうした方向性に特化しているのだという。さながら警察犬だ、カッツォさんは豚だけど。

 といっても目標となる【ユニケロス】の直接の痕跡が無いから、周辺情報から導き出す必要があるとのことで、しばらくは地道なフィールドワークが続くらしい。

 

「早速動こう。カッツォ、マグロ君、くれぐれも気をつけてね」

「皆々様、ありがとうございます。私共も全霊を尽くしますので、どうか……!」

「はい!」

 

 こうして私達の対【ユニケロス】戦線は幕を開けた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■レジェンダリア北方・<迷いの森>

 

 

 凶猛を息巻かせ邁進する影があった。

 荒ぶる吐息は熱風の如き灼熱を胎み、沸いた血潮は豪壮無比の巨躯を突き動かす。

 その双眸に滾る獣欲の限りは、人間範疇生物(ティアン)非人間範疇生物(モンスター)の区別無く、度し難い意志をその視線に宿していた。

 

「追え! 追え! 追え! 娘を取り返すのだ!!」

「婚姻間近だぞ!? なぜよりにもよってこんな時に……!!」

「貴様なんぞにくれてやるものかよ、この狂獣がぁ!!」

 

 森を駆ける四足の獣に追い縋るのは、とある隠れ里のエルフの戦士達。

 獣に奪われた彼らの身内を、穢れ知らぬ乙女を取り返すべく、各々の武器を掲げて必死に追撃していた。

 

 彼らはいずれも力量に優れた戦士にして魔法使い達である。

 矢を番えて放てば過たず目標を射抜き、それを一息にニ矢三矢と放てば各々が確実に急所を捉えた。

 一方で【森祭司】でもある彼らが魔力を解放すれば、それに呼応した木々達が尖兵となって鋭い枝葉を獣に向けた。

 元より森は彼らの庭、恵みも脅威も知り尽くした己が領域である。

 こと森中の戦いにおいてエルフの右に出る者は無く、彼らは叡智を湛えた美貌の種族であると同時に、恐るべき狩人でもあった。

 

 だが……

 

「そんな……確かに心臓を射抜いたのに!?」

「全身貫かれてもビクともしねぇ!? まさか本当に"不死身"だってのか!?」

「傷が、再生して――――ぅぁあああああああ!?」

 

 単なる獣であればたちどころに仕留めていたであろう致命の数々。

 最小限の攻撃を以て糧を仕留める矜持を捨ててまで放った過剰攻撃に、しかし獣は倒れない。

 脳髄、心臓、肺腑、大腸小腸――生命維持に必要不可欠な主要臓器を損なって尚、痛痒を感じた様子も無く屹立する。

 ただ一点、額に生え伸ばした"宝角"を爛々と金色に輝かせて。

 

 輝ける宝角は、万物を断つ絶剣と化して追手のエルフの一人を引き裂いた。

 長い首を縦横無尽に振り回しての斬撃。熟練の戦士でもあった彼の眼をして捉えきれぬ動きで描かれた軌跡は、その五体を十を数えるよりも多く割断し、その命を即死せしめた。

 

「お、お兄ちゃああああああん――!!?」

『ブルルルルルル――』

 

 攫われた少女にとって掛け替えのない肉親だったのだろう、悲痛に満ちた悲鳴を上げるもその手は届かない。

 代わりに嘲るような嘶きを上げて、態々人語を介して獣は嗤った。

 

『ヒトオスに用は無い。歯向かわねば捨て置いたものを……脆い木っ端が我を止められると思うたか』

「はな、離して! あたしはあんたなんかと……!?」

『そうはいかぬ、我が三七六番目の嫁よ。我と汝はこれより聖なる泉で祝言を挙げ、未来永劫添い遂げるのだ――』

 

 馬上に拘束され、首筋を渾身の力を込めて叩く少女の抗議も意に介さず、一方的に狂った愛を囁く獣。

 既に半日もの間追走と逃走は繰り広げられ、遂に体力の全てを使い果たして倒れ込んだエルフの戦士達を振り切り、獣は一見して優しげな眼を醜悪に歪める。

 弧を描いて開かれた唇からは、とても聖獣とは思えぬ欲望の限りが臭気となって少女を撫でた。

 

『――汝の命が続く限り、なァ?』

「い――いやぁああああああアアアアアアアアアアアアア!!?」

 

 美しきその姿とはまるで似つかわしくない、糞尿に集る蝿にも劣るその声音。

 その言葉の意図するところを少女は察し、いよいよ箍が外れて絹裂くような悲鳴を上げた。

 

「離して! 降ろしなさい!! あんたと結ばれるなんて死んでもごめんよ!? お兄ちゃん、助けて……お兄ちゃん、お兄ちゃああああああん――――!!」

『ブルルルルル……誰もが最初そうして拒んだものだが、最後には皆一様に我の虜となったものよ! なぁに案ずることはない、我が()()を以てその身余さず極楽浄土へと誘ってくれようぞ!』

 

 放たれた言葉と共に()()()()もう一本の()()

 少女の位置からは窺えぬそれの矛先が紛れもなく己に向けられていることを察して、彼女は狂乱した。

 己の辿ろうとしている悍ましい未来を予期し、いよいよ必死になって拘束を振り解こうとする。

 目の前で死んだ兄のことも忘れて、ただ只管に声を上げて助けを求めた。

 

 しかし揺るがない。霊都から外れた森に居を構え、追手の彼らほどではないにしろ一端の戦士に相当する力を持つ少女の腕力を以てしても、獣の背から飛び降りること能わず。

 獣の力によるものか全身を拘束する蔦は、しかし本来の膂力を以てすれば容易に引き千切れるはずのそれ。

 だが敵わない。この獣に一目射抜かれてからというもの、少女の全身は腰砕けになったかのように力を奪われていた。

 

 少女の反抗を愉悦の対象に、下劣に哂う獣は欲望に満ちた嘶きを上げた。

 

『ブルルルル……さぁ我らが愛の巣はもうそこだ、我が三七六番目の嫁よ。我が寵愛を以て汝は法悦の極みに達し、その命果つるまで我が無聊の慰めとな――――ぬぅ!?』

 

 疾走し、少し先に獣の言う"愛の巣"を臨む地点で、急遽獣は歩みを止めた。

 鼻息荒く収縮する鼻孔、嗅ぎ捉えた異物の存在を察知し、油断なく見据えた先に――それはあった。

 

 

「クセェ、クセェ……鼻が曲がりそうな悪臭だぜ、こいつぁ……」

 

 一つは右。

 三メテル近い巨体を洒落た赤コートで装飾し、奇妙奇天烈な鼻眼鏡で異彩を放つ――(オーク)

 彼は心底不愉快そうに顔を顰め、獣の放つ欲望混じりの悪臭に吐き捨てた。

 

 

『道化とするには下劣が過ぎる痴れ者よな。品位無き力など論ずるに値せぬ』

「こんな<UBM>もいるんですね……」

 

 一つは左。

 その背に見慣れぬ人間の女を乗せ、見下げ果てた目で睥睨する――ジャガー。

 声音からしてこの黒き獣もまた女であることが窺え、その声音は突き刺すように冷たく鋭い。

 背に乗った女の方は……とりあえず獣の食指が動くものではなかった。

 

 

「――伝承に語られた内容を踏まえれば、情状酌量の余地も無いではないかと思っていたが……」

 

 残るは中央。

 豚と並ぶ巨体を、前傾姿勢に屈ませ地に拳を突くそれは、黒々とした体毛に幾筋かの白を交えた――ゴリラ。

 筋骨隆々と逞しい体躯に反して穏やかな声音のそれは、しかし獣への敵意を隠さない。

 清らなる乙女を拐い、愚にもつかぬ欲望を垂れ流しに囀った獣への正しき怒りを胸に、真正面からその顔を射抜いていた。

 

 

『なんだァ、貴様らは……』

「君の敵だとも、【ユニケロス】。かつて偉大なりし、今は堕ちたる()()()よ」

 

 ゴリラの言葉には敬意と失望と、拭い切れない侮蔑が込められていた。

 彼の発した言葉の意図するところを察し、獣は噛み締める。

 

 かつて遠い昔、己をその名で呼ぶ者達がいた。

 今となっては鮮明に思い出すことも能わぬ色褪せた記憶。

 己が衝動の根源が眠る原初の思い出を刺激され、獣は獰猛な笑みを浮かべた。

 

『そうか、貴様が今の【森王】か。かつて我と一番目の嫁の仲を引き裂いた男も、その名を冠しておったわ』

「……これも因果というものだろう。かつての森の王、いと気高き聖獣よ。故あって貴方の命を頂戴する」

 

 ゴリラは己が目的を告げ、獣はそれに応えた。

 高まる殺気は物理的作用を錯覚せしめるほどに濃く、<迷いの森>を慄かせる。

 乙女を縛る蔦の拘束はいつの間にか解かれ、獣は単身強敵たちとの死闘に臨まんとする。

 

 

 此処に役者は集った。

 かつて王の名で呼ばれ、いま王と称される森の覇者たち。

 

 オーク。

 ジャガー。

 ゴリラ。

 ユニコーン。

 

 それぞれ姿形も全く異なる獣たちが、己が信念を掲げて激突する。

 獣ならざる人の乙女は見守ることのみを許され、史上最大の野生闘争が幕を開く!!

 

「――往くぞ【ユニケロス】! 貴方の凶行、【森王】ファンタズマゴリラが終止符を打つ!!」

『やれるものならやってみろ、穢れたヒトオス共がぁああああああアアアアアアアア――!!!』

 

 

 対【絶倫狂角獣 ユニケロス】戦――――開始ッッ!!!

 

 




本当は戦闘開始までのあれこれを描写するべきかなとも思いましたが、敵も明確だし森で万能のゴリラさんもいるのでサクッと省略しました。
この一戦を書きたかったがために始めたレジェンダリア編です。お納めください。

……真っ当な戦闘描写は久々なので頑張ります!


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世界の合言葉は森

これが私の全力です。
ゴリラのことばっか考えてたレジェンダリア編でした。


 □レジェンダリア北方・<迷いの森>

 

 戦端を開いた直後、真っ先に異変を察したのはテスカトリポカであった。

 ファンタズマゴリラが地に手をついてスキルの準備段階に入り、その間を保たせるための足止めに【ユニケロス】へ肉薄したテスカトリポカ。

 後方に控えて支援に徹するカッツォのものも含め、この場に居るいずれの<エンブリオ>も第六形態。

 内、特性と傾向により単純なスペックで他を圧倒するテスカトリポカが前衛として機能するのは当然の話で、各種ステータス値は並の<UBM>に匹敵するか、或いは凌駕し得る。

 直前の《看破》で見抜いた【ユニケロス】のスペックと比較しても、テスカトリポカは決してそれに劣るものではない。

 事前に取り決めた策の通りに、テスカトリポカは【ユニケロス】を取り抑えられるはずだった。

 しかし……

 

『ぬぅ……!? 余の全霊を発揮できぬ……』

『ブルルルルッ! メス如きが我の前に立ち塞がろうなど不届千万! 我の一瞥に腰砕けになるがいいわ!』

 

 【ユニケロス】と相対するテスカトリポカの動きは、酷く精彩を欠いていた。

 敵の肉を強かに打ち付ける剛力も、巨躯を跳ね回す脚力も、あるいは敵の攻撃を容易に受け止める頑強も。

 その全てが腑抜けたように全力へ届かない。

 目の前の雄に歯向かうことを身体が拒むように、その意に反して宿る力は頼りないものだった。

 

「――! 《雄性の支配》、対女性特化の弱体化デバフですッ!」

 

 テスカトリポカの感覚と《同調》し、二度目の《看破》で簡易ステータスを見抜いたマグロが叫ぶ。

 スキルが発動したことにより明らかとなったその弱体の正体は、【ユニケロス】に敵対する()()に限定して効果を発揮する《衰弱》の状態異常。

 対象が限定される反面、より強度を増した状態異常は、ステータスの総合値で勝るテスカトリポカをして尚抗い切れぬ深刻なもの。

 同じ女性であるマグロにも当然その効果は及んでいるが、元より貧弱極まるステータスの彼女には大した影響ではない。

 しかし、元のスペックが圧倒的であるテスカトリポカは、だからこそその脅威を最大限に感じていた。

 

『ブルルルッ、しかし我こそ驚いたぞ。我が面前でメスが尚も立ち上がり、我を阻むなどと! 一体どれ程の力を具えているのだ、汝は!!』

『舐めるな、元より我と貴様ではあるべき力、その本質が違う。余は我がマスターの現身、力の代行者。より最優絶対たる守護者ぞ……貴様のような畜生如きに膝を屈する余と思うたか!!』

『吼えるではないか、メス! しかしいつまで抗い切れるかな……?』

 

 恐るべきは《衰弱》による全ステータスの半減を受けて尚、古代伝説級<UBM>である【ユニケロス】に伍するテスカトリポカの凄まじさであろう。

 本来であれば《衰弱》に罹ったと同時屠られていてもおかしくはないところを、足止めを十全に果たしているのが異常なのだ。

 

 【ユニケロス】は、かつての同族たるユニコーン種から逸脱した巨体の己に匹敵し、且つ純粋腕力を以て突進を阻むテスカトリポカに内心舌を巻きながら、しかし浮かべた余裕を崩さない。

 なぜなら彼には余裕を保つだけの理由があった。その証拠に、行く手を阻むテスカトリポカの表情に苦渋が滲み出す。

 

『我が光輝に満ちた貌を拝し、跪けメス。我が雄性の昂りは汝の雌性を蕩けさせて尚支配するのだ!!』

『おのれ小癪な……ッ!!』

「《誘惑》……!!」

 

 《雄性の支配》、第二の効果。

 それは直接対峙した雌性への強力な【魅了】。

 並のモンスターやティアン、あるいは<マスター>でも、彼と相対すれば忽ち心奪われ、彼を至上と仰ぐ絶大なる"魅力"!

 

 テスカトリポカが【ユニケロス】の齎す【魅了】を無効化できているのは、スペックによる単純な耐性もあるが、それ以上に以前より設けていた対策が大きい。

 それというのも全戦力を己がガードナーに頼る典型的なモンスター使役型であるマグロにとって、最大の脅威の一つが【混乱】【魅了】に代表される支配権の喪失だからだ。

 

 万が一にもテスカトリポカが己が支配下から離れ、主であるマグロに歯向かうようなことがあれば――その先に待ち受けるのは逃れようのない"死"である。

 元より己で代替可能なリソースの全てをテスカトリポカに捧げたマグロにとって、テスカトリポカが敵対することは決してあってはならない事象である。

 故に、特に精神系に属する状態異常への対策は万全を期し、如何な<UBM>の固有スキルによるものであろうと、その防護を崩すまでには至らない。

 当然のことながら、主であるマグロもこれら状態異常にだけは対策している。簡易ステータスの一覧に【魅了】の二文字が見えた瞬間、【オーバードーズ】経由の【覚醒剤】で精神系状態異常を無効化していた。

 

 しかしながら、決して少なくないスキルを状態異常への対抗に回すために、攻め手に回す余力に不足が生じる。

 テスカトリポカが【魅了】され【ユニケロス】の戦力と化すという最悪の事態こそ免れているものの、当初見込んでいたテスカトリポカという最大戦力が封殺された影響は大きい。

 もし何の妨害も無ければ、テスカトリポカのスペックだけで圧倒するつもりであったからだ。

 

 だが、それが叶わぬとなれば、是非も無し。

 テスカトリポカは己を蝕まんとする【ユニケロス】の暴威に、しかし嗤って言った。

 

『余に感けている余裕があるのか? 彼我の人数差さえ失念したか、戯けめ』

『ぬぉっ!?』

「待たせたな、【ユニケロス】。ここからは私もお相手しよう」

 

 目前のメスを圧倒する優勢に意識を傾けていた【ユニケロス】が、不意に横腹を徹る衝撃に呻き声を上げ、その下手人を捉えた。

 その相手はゴリラ。相対する四足獣たちと比べれば小さく、しかし豪壮なる類人猿の勇者は握り拳を構え、【ユニケロス】の空隙を突いて連打を浴びせる。

 

『ぬ、ぅ、ぅおおおおお……!? 重く、裡に響くッ……!』

「森は私の味方だ。巨大な彼らの力を借りれば、私の非力とて君を打ち据えるには足るとも」

 

 系統的には魔法系後衛型の超級職である【森王】。

 その特徴は後衛職らしくMPへの補正に優れているが、それとは別にもう一つある。

 それは一部の環境依存型ジョブに多く見られる、特定環境における強力なバフ。

 ファンタズマゴリラの就く【森王】の場合、それはその名の通り森の中における絶対的な優位性として現れ、森で戦う限りにおいてMPの自然回復力は加速し、同条件内でのみ行使可能となるスキルはいずれも強力。

 故に森という限定領域で戦う【森王】は、その名の如く抜きん出た戦闘能力を発揮する。

 

 テスカトリポカが最初に時間を稼ぎ、積み重ねられる限りのバフを積んだファンタズマゴリラの全ステータスは、それぞれが特化型超級職のそれに匹敵する。

 そして極まったステータスから繰り出される肉弾戦と、習得した魔法スキルによる選択肢の数々は、絶対的なアドバンテージとなって【ユニケロス】に優越する。

 

 地球に実在し、"森の賢王"と称されることもあるゴリラ。

 そのゴリラの似姿を取り、同じ名を称号に持つファンタズマゴリラ。

 しかし彼にはもう一つ、似て非なる二つ名が与えられていた。

 

「カトリ君、往くぞ」

『良かろう。此度はそなたに合わせよう、遅れるなよ!』

「無論!」

 

 すなわち"森の拳王"。

 メインジョブに【森王】を戴き、常の戦闘スタイルも典型的な魔術師である彼は。

 しかし同時に、拳士系統職の業をも修め、サブジョブの上級職に【剛拳士】を置く優れたインファイターでもあった。

 ゴリラの拳は――――強い!

 

「墳ッ、――破ァッ!!」

『GURRRWOW!!』

 

 単純な一撃の威力に優れる【剛拳士】の拳が【ユニケロス】の身体を穿ち、テスカトリポカが発動した無数の攻撃スキルがそのダメージを加速する。

 急所を貫く連携は【ユニケロス】のHPを大幅に削り、その動きすらも衝撃で乱し劣勢に追い込んでいた。

 

 ファンタズマゴリラの体捌きはまさしく見事で、実に堂に入ったものだ。

 小刻みなステップは敵の捕捉を惑わせ、リズムと呼吸の一致した一撃は身を上回る大岩をも一撃の下に粉砕する。

 常の紳士的な振る舞いとはかけ離れた猛獣の如き一撃は、【ユニケロス】の臓腑を震撼させ悶絶に陥らせた。

 

 だが、二人の表情は優れない。

 確かに急所を捉えたはずの一撃は、数秒の間を置くと何事も無かったのように立ち直る【ユニケロス】の姿で無為であったことを示す。

 並の<UBM>であったならばたちどころに粉砕していたであろう連撃。

 しかしそれは、こと"回復力"に優れる【ユニケロス】にとっては痛痒に等しかった。

 

『ブルルル……今のは効いたぞ、人間共。しかし我が"宝角"がある限りこの身は不滅! 汝ら定命のサル共が我が命を殺るなど、百年賭したとて及ばぬわ!』

「尋常ではないタフネスだ。これは骨が折れるね」

『折るならばアレの角にしてやれ、ファンタズマゴリラよ。あれこそが奴の力の源であることは一目瞭然』

『試してみるか? だが、何故我が角が()と称されるのか……理解が及んでおらぬようだな』

 

 光輝を発して巨体を修復する角を掲げ、見下ろす【ユニケロス】が哂う。

 内部に蓄積されたダメージも癒え、五体満足で二人に向き直り――駆けた。

 

『教えてやろう。――――傷つけること能わぬからこそ、我が()は至上の()なのだァ!!』

「ッ! 避けろカトリ君!!」

『チィッ……!』

 

 角を突き出し駆ける【ユニケロス】は、その身余さず破城槌に等しい脅威であった。

 ありは只管に巨大なバリスタから放たれる矢であろうか。

 巨体を支える筋骨。集積したそれが齎す重量。それが超音速に迫る速度で疾走する様は、さながら天を横切る流星の如し。

 間違っても受け止めてはならない超速度高質量の体当たりに、射線に置いていた身を翻し咄嗟に避ける。

 続いて轟いた轟音は、直線の先で大樹を木っ端微塵に打ち砕いた【ユニケロス】が齎したものだった。

 

『成程、これを避けるだけの領域にはあったか。それでこそよ、人間共。我が恋路を邪魔立てした狼藉者、早々果てては嬲り甲斐が無いというもの!』

『闘争で戯れるか、愚物め。かつての王の名が疑わしい程に、貴様は浅ましいな』

『抜かすか、メスが。跳ねっ返りもそこまでいくと寧ろ清々しい――否、ふむ……成程……』

『……なんだ……?』

 

 嘲り、哂う【ユニケロス】の表情が一転して思い悩む様子を見せるのに、テスカトリポカが底知れぬ気味の悪さを感じて一歩距離を取る。

 その直感は正しく、再び顔を上げた【ユニケロス】が見せた表情は、テスカトリポカをして怖気の走る醜悪に歪んだ笑みだった。

 

『汝、よくよく見れば実に美しい。まさしく我が花嫁に足る美貌の極みよ。――決めたぞ。三七六番目の嫁共々、汝を三七七番目の嫁として寵愛しれやるとしよう』

『…………………………………………は?』

 

 たっぷり数秒の間を置いて口をついて出た言葉は、テスカトリポカらしからぬ間の抜けた一言であった。

 当然のように言い放たれた【ユニケロス】の言葉が心底理解できぬとばかりに、ここが戦場であることも忘れて呆然とする。

 それ程までに理解し難く、度し難い言葉であったが故に。

 

『そうと思えばこれまでの無礼も可愛く思えてきたではないか! これまでの嫁は皆我が宝角の前に従順であったが、中にはこうした跳ね返りがいてもよいものと思えてきたぞぅ! 寧ろ滾る! 燃えるというものではないか! 夜毎組み伏せ蹂躙し、その果てに屈服せしめる快感……おお、これぞまた法悦、愉悦! 我ながら実に冴えた名案ではないか!!』

『……………………おい』

『しかしあれだな、そうなると上に乗るメスが邪魔だな。見てくれは悪くはないが、ヒトメスにしては大きすぎる。我が寵愛を注ぐには値せぬな……』

 

 テスカトリポカの言葉も効かず、身勝手な皮算用を垂れ流す【ユニケロス】。

 一方であまりに無残な流れ弾を食らって涙を浮かべる人間(真)の女が一人。

 

「――――私、変態獣にディスられるほど見た目アレですか……?」

「そんなことはない、そんなことはないぞマグロ君! 君の大きさは抱擁力の発露だとも!」

 

 割りとガチで凹むマグロを精一杯フォローするゴリラの虚しさよ。

 その一方でテスカトリポカは言葉にならない鬼気を発しつつあった。

 

『ああ、そういえば汝らはアレか、<マスター>とかいうヒトモドキ共であろう? 我が麗しき黒獣の嫁よ、汝はそこなヒトメスの守護獣であったか。確か……<エンブリオ>と言うのであったな? ならばそのヒトメスを始末するわけにもいくまいか……やむを得まい。我が審美には適わぬが、特別に生かし、我に仕える栄誉を与えよう! おお、なんと我は寛大なのだ!!』

『ころちゅ』

「カトリ様、舌噛んでます!」

 

 怒りの余り呂律が回らず、舌っ足らずな殺意を漏らしたテスカトリポカに慄くマグロ。

 未だかつてここまで彼女の怒りを買った敵は無く、こうも心乱されるテスカトリポカを見るのもまた初めてであった。

 万が一にも奴の欲望が実現しようものなら……想像するだけで身の毛がよだつ。

 エルフの娘はともかく、<マスター>であるマグロとその<エンブリオ>であるテスカトリポカは、最悪自死機能による離脱が可能ではあるが、それは二人のスタンス上、最悪の奥の手でしかない。

 そうでなくともこのような獣への敗北は、マグロはともかくテスカトリポカにとって到底許容できぬ結末である。

 

 テスカトリポカは、一周して無表情を描いた顔で【ユニケロス】に肉薄。

 己を蝕む【衰弱】が嘘のような身軽さで、伸ばした爪が薙ぐ先は獣の下半身。

 身勝手な皮算用に熱り立つ()()()()()の根元を狙い、過たず断ち切った。

 ファンタズマゴリラとカッツォは思わず内股になった。

 

『ぬふぅっ!?』

『虚勢してやる、下劣な獣め。貴様が如き下衆の血統が後世に残るなど到底許容できぬ!!』

『ぶ、ブルルル……今のは効いたぞ、我が三七七番目の嫁――否、麗しの嫁よ! この傍若無人な振る舞い、しかし汝の美しさの前には許される! 何としても我と汝の間に仔をもうけたくなるというものよ!!』

 

 しかし【ユニケロス】が固有する回復能力はこれほどまでに強力なのか、生物として、雄として最たる重要器官とも言える()()すらも瞬く間に再生せしめる。

 これでおよそ、傷痍系状態異常すらも苦もなく回復することが判明したが、それはそれとして手段が他にとって猟奇的過ぎたために戦いに臨むゴリラの顔は蒼かった。

 

『そうとなれば遊んではおられぬな! 我が麗しの嫁よ、汝とのじゃれ合いは楽しいがこの場は他が邪魔に過ぎよう。ヒトオス共を鏖殺した後、三七六番目の嫁共々我らが愛の巣でじっくりと愛してやろうではないか!!』

『ふざけた奴だ……面妖な固有スキルさえ無ければ囀る暇も無く葬ってくれるものを』

『ブルルルルルッ……いくぞォッ!!』

 

 意気揚々と駆け出す【ユニケロス】。

 超音速に迫る速度はそのままに、今度は体当たりのみならず振るう首に合わせて乱れ舞う宝角の斬撃が結界を成した。

 縦横無尽に揺れ動く首の先で描かれる斬撃の軌跡がその只中にある万物を断ち、二人の攻め手を寄せ付けない。

 自然と距離を取らざるを得ない【ユニケロス】の攻勢。しかし避けるたび、徐々に徐々にとその速度を増していく馬体と斬撃に脅威を覚え始めて漸く二人は【ユニケロス】の特性を理解した。

 

「対雌性、自己再生、そして……」

『自己強化――これが奴の特性か!』

「対雌性以外は典型的な純粋性能型です、だけど古代伝説級だけあってその出力が段違い!」

 

 まさしくその三種が【絶倫狂角獣 ユニケロス】の特性だった。

 対雌性――女性、あるいは女魔物に限定して不可避の弱体を強いる条件特化型性能。

 そして古代伝説級<UBM>である素の性能を底上げする、単純にして強力な再生能力と強化能力。

 不滅にして不朽の獣はただ純粋に強く、こと雌性を相手にすれば絶対有利。

 

 尋常の相手であれば、瞬く間に蹴散らされて終わりの強敵。

 テスカトリポカとファンタズマゴリラ、二人が今なお無事でいられるのは、殆ど相性差によるものが大きい。

 前者は諸事情による規格外性能での力押しだが、後者は戦場が森という、彼にとっての絶対領域であることがなによりのアドバンテージとして働いている。

これがもしも森以外の環境だったならば彼は為す術もなく敗れ、テスカトリポカもいずれは持久力の差から劣勢に追い込まれ、遠からず敗北を喫していたことだろう。

 

 現実はそうとはならず、味方側の状況は有利を維持している。

 しかしいよいよ本領を発揮し、己が力の全てを出した【ユニケロス】の再生能力と強化能力は時間を経るごとに強度を増し、手をこまねいていては到底手出しできぬ領域に到達してしまうだろう。

 無論それは無尽蔵に、あるいは無限に続くものではないだろうが、この一戦に臨む限りにおいては考慮の必要も無い。

 つまるところ、二人は手のつけられなくなる前に何としても【ユニケロス】を打倒する必要があった。

 

 ――そしてそのための手段も当然、用意していた。

 

「ゴリ、()()()()()()!!」

「ッ! よくやってくれた!!」

 

 突如声を上げたのは、これまで戦線に加わらず後方に控えていたカッツォだった。

 彼はこれまで投げ捨てられたエルフの娘を回収し、【獣避けの香】を炊くと同時に潜伏。

 ファンタズマゴリラから託された()()()()の維持に努めていた。

 

 本来であれば到底戦闘状態に入った<UBM>から身を隠すには足りない【獣避けの香】。

 しかし【調香王】の彼が特別に調合し仕上げたそれは、獣の目前で使用したとしても即座に退散せしめる程の効力を発揮し、互角に戦い得るテスカトリポカとファンタズマゴリラ、両者を同時に相手取る現状如何な古代伝説級<UBM>である【ユニケロス】とて、彼らを排除せずカッツォに迫るのは不可能。

 そうして形成した安全地帯において、カッツォは()()()()()()()を終え、その合図をファンタズマゴリラに発したのだ。

 

 合図を得ると同時にファンタズマゴリラは前線を退く。

 これまで前線を維持していた戦力が欠けた分は、マグロが必殺スキル《我は彼の奴隷なり(テスカトリポカ)》を最大HP五割減で発動することによって補う。

 突如として跳ね上がったテスカトリポカのステータスに【ユニケロス】が驚愕を示すと同時、向上したステータスによって《雄性の支配》による【衰弱】を力尽くで無効化し、()()()()()()に注力した。

 必殺スキルの代償を最大HPの五割に留めたのは、如何に強化したとて変わらず付き纏う【衰弱】によってトドメを刺すには至らぬことを察し、足止めに徹したが故のことだ。

 

 そうして稼いだ時間は――【森王】最大最強、()()()()()()の開帳を許した。

 

 

「――――《世界の合言葉は森(シャングリラ)》!!」

 

 

 カッツォが守り、テスカトリポカが時間を稼いだこの一瞬。

 戦場へファンタズマゴリラの宣言が轟く。

 それは今の今まで準備段階にあった彼の<エンブリオ>の起動と、その必殺スキルの解放を告げる言葉。

 

 それは森であった。

 それは人であった。

 否、そのどちらでもあり、どちらでもなかった。

 

 全長一〇〇メテル超。

 総体積、計測不能。

 その威容、ゴリラ。

 

 それは戦場となった森をそのまま人型に成形し、立ち上がらせたような威容の巨人。

 拳をついた前傾姿勢は、しかしそれが人間でなくゴリラであることを悠然と示す。

 巨大極まる全身は大樹の根と幹を血管と骨格に、土を肉とし、鬱蒼と生い茂る葉を毛皮とした、まさしく()()()()であった。

 

 これぞ【森王】ファンタズマゴリラの<エンブリオ>。

 【理想森人 シャングリラ】、真の姿。

 

 TYPE:ルール・ガーディアンに属するシャングリラは一風変わったガードナーである。

 初期状態は拳程の種子でしかないそれは、森の大地に埋めることによって徐々に成長を果たす。

 時間をかけ、周囲の養分を喰らい、果ては大地や木々を取り込んで"生誕"を果たすそれは、即時性は皆無なれど一度産まれれば強力無比。

 種子状態で栄養を取り込む時間が長くなるにつれ生誕時のスペックは向上し、生誕後も森からのバックアップを受けて自動回復、自動修復、自動強化機能を獲得する。

 それらの機能は時間を経るごとに強度を増し、巨体を構成する"森"もまた成長しより大きく育ち、まさしく生ける森となって敵を打倒可能なレベルにまで成長し続けるのだ。

 

 そして必殺スキル《世界の合言葉は森(シャングリラ)》の効果もまた簡潔明瞭。

 多くのガードナータイプに見られる合体融合スキルである。

 性能としては多くを持たない。精々がファンタズマゴリラとシャングリラ、双方のステータスを合算し、フルシンクロでの巨体の操作を可能とする程度だ。

 だがそれを、【森王】であるファンタズマゴリラが行使した場合、その意味は全く異なる。

 

 シャングリラは森でのみ生誕可能なガードナーである。

 そして生誕したシャングリラを構成するのは、その土壌となった森そのもの。

 すなわち【森王】の領域であり、一体化した今シャングリラは歩く領地そのものである。

 そこに【森王】の奥義《森羅万象》の効果、一定範囲内の森林環境の極大強化・使役を踏まえれば――それはまさに、無敵の巨人。

 

『なっ――あ、ぁあああああアアアアアア!?』

 

 今も目の前で見る見るうちに大きく()()していくシャングリラに、【ユニケロス】が堪らず驚愕の悲鳴を上げる。

 それも無理からぬことだろう。周囲の森林環境全てが一個の生命体として集約し、遥か高みから己を見下ろしているのだから。

 ましてやそれの放つプレッシャーが己を遥か上回り、獣の直感として把握できたスペックの全てが、己を遥か超越する神話級のそれであるが故に。

 

 そしてその全身に【森王】渾身の魔力によって強化が施された今、巨人に立ち向かうは一匹の虫が森を食い尽くすに等しい難行。

 あまりの巨大さ故に一見してのろまに見える動きは、しかし音速を何段にも超越する速さで、遥か目下の小さな獣を蟻を優しく摘むように持ち上げた。

 

『本当なら、このような力は揮わずに済むのが最上なのだ。私の力は、森を守るには些か()()()()()からね』

『はなっ、放せ! ぐっ、ぅぅぅうううううおおおおおオオオオオオオ――――!!!!?』

『無駄だ。こと森林の支配において【森王】たる私に敵う者はいない。君もかつて森の王と呼ばれたモノらしく、多少は心得もあるようだが……無駄な足掻きというものだ』

 

 いつの間にか二〇〇メテルを超えていた巨人から、ファンタズマゴリラの声が響く。

 木々のざわめきや虚を吹き流れる風の音が折り重なったようにして響く不思議な声音は、身を切るような哀しみに満ちていた。

 同じ森に住まう者として、その住人を屠らねばならない無念に満ちた声だ。

 あるいはかつて偉大だった王の晩節を哀れんでのことなのかもしれない。

 

『もし貴方が狂気に陥らず、今も高潔な王であったならば……私はきっと頭を垂れるか、あるいは貴方との友誼を望んだかもしれない。今となっては詮無いことだろうが、そうした可能性を惜しまずにはいられなかった』

『痴れ者が! 王たる我を貴様如きヒトモドキが同列に語るか!! その無礼、万死に値する――!!』

 

 憤る【ユニケロス】の言葉も、今となっては虚しいばかりだった。

 今のファンタズマゴリラが彼の怒りに脅威を覚えるには、彼はあまりに矮小過ぎた。

 ファンタズマゴリラがたっぷりと時間をかけた己が<エンブリオ>、その切り札を切った以上、最早勝敗は決し何人足りとて覆すこと能わず。

 

『さらばだ、かつての王。【絶倫狂角獣 ユニケロス】よ』

『ぐ、ぅ、ぅぅぅぅぅぅぅぅううううううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!??!?!!?!?』

 

 最後に別れの言葉を告げて、巨人と一体となったファンタズマゴリラが【ユニケロス】を摘む指先に力を込める。

 一点に森の重さが集約し、その身を潰す土塊と木々の指先は遥か地下で蠕動するプレートの如き圧力。

 まさしく森に圧し潰される恐怖と脅威を全身に味わい、【ユニケロス】は最後の絶叫を上げた。

 

『これが、これが我の最期と言うか!? この我が羽虫のように潰されて死ぬというのか!! おォ……我が、我が宝角が折れる……我が光輝に満ちた角が、小枝のように……! ……森が、森が我を殺すというか――――!!』

 

 これまでただの一度も傷を負わなかった宝角が呆気無く砕け、力の源たる角を失った五体は一切の再生の兆しを見せず圧し潰されていく。

 豪壮を約束していた強化は霧消し、あらゆる雌性を魅了するカリスマもまた、潰えた光輝と同様に失われた。

 最早遺されたのはただの馬と変わらぬ馬体のみ。元がユニコーンであったことすら窺えぬほど、見る影もない無残なものであった。

 

 

『――――――――――――――――エルメダ』

 

 

 今わの際にただ一言。

 かつて真に愛した乙女の名を呟いて、【絶倫狂角獣 ユニケロス】は消滅した。

 

 

 

 

 【<UBM>【絶倫狂角獣 ユニケロス】が討伐されました】

 【MVPを選出します】

 【【ファンタズマゴリラ】がMVPに選出されました】

 【【ファンタズマゴリラ】にMVP特典【絶倫宝角 ユニケロス】を贈与します】

 

 

 

 

 




通称シャンゴリラモード。実質ゴリラオンステージ。
主人公は、主人公枠らしからぬボス仕様なので弱体化食らった上に脇役でした。
レジェンダリア編の主役はゴリラだったのでご容赦ください。
シャングリラという名前を使いたいがために数日脳みそこね回した作者がいるらしいですよ(

それはそれとして海道先生のクリスマスプレゼント素敵でした。
醤油さん、ネタ枠とばかり思ってたらめっちゃ主人公でしたもの。
いつか本編登場するときが待ち遠しいですね。ゴリラなんて書いてる場合じゃないですよ、書きましたけど。


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エピローグ

年内最後の更新です。


 □【獣神】マグロ

 

 周囲の土地を取り込み、巨人と化した森と一体となったゴリラさんの一撃が決まった。

 アナウンスが周囲に流れ、【ユニケロス】が確実に討伐されたことが周知される。

 MVP対象者の宣言を以て《贄の血肉は罪の味》と必殺スキルの効果も終了し、私は久しく無かった強敵への緊張を解き、そのまま嘔吐した。

 

「おげぇぇぇぇぇぇ……」

『余の背から降りろ馬鹿者!』

 

 カトリ様に振り落とされ、投げ出された地面に手をついてぶち撒ける。

 いやほんとね、すっごく久々に【オーバードーズ】も必殺スキルも、持てる手札全て使ったから、その反動が半端ない。

 特に精神系状態異常を回復する【覚醒剤】なんてただでさえ副作用が強いのに、【オーバードーズ】のせいで余計に深刻化したものだから、ちょっと気分は最悪だ。

 この特典武具、効果だけ見れば前衛垂涎の品なのに副作用のせいでほぼ産廃化してるのがネックだよね。私にとっては命綱の一つだけど。

 

「おいおい、嬢ちゃん大丈夫か?」

「大丈夫です、すぐ収まりますから……特典武具のデメリットなせいで無効化もできなくて……」

「厄介な特典武具もあったものだね。ともあれ皆、お疲れ様だった」

 

 必殺スキルを解いたゴリラさんが降りてきた。

 その額には【ユニケロス】から生えていたものを彼に合わせるように小型化した、見るも美しい輝く角を生やしている。

 これが【ユニケロス】から手に入った特典武具なのだろう、不思議とゴリラさんによく似合っていた。

 

「おう、それがアイツの特典武具か。えれぇ綺麗なモンだな、来歴はともかくよ」

「些か名前に難があるが、効果は有用だね。自動HP・MP・SP回復に、MPを消費しての自己強化……魅了を始めとするデバフはオミットされたようだね」

「ゴリラさんにアジャストした結果ですね、よくお似合いですよ」

「そうかい? それはありがとう。ステータス補正も実に私向きでなかなか気に入りそうだよ」

 

 それならよかった。

 特典武具が惜しくないと言えば嘘になるけど、皆が全霊を賭して戦った結果だ、悔いは無い。

 特典武具のために貢献度を意識できるほど、容易い相手でもなかったし。ほんと、対女性特化なんて私達に対してメタすぎだよ。おかげでカトリ様も本気を出せず不完全燃焼っぽいし、【ユニケロス】の性格もあってご機嫌斜めのご様子だ。

 

『ふん、聖獣のUBMと聞いておったから如何程のものかと思えばあのような変節漢とはな! 本来であれば余が相対するに到底足りぬ愚物であったわ』

「まぁまぁ、カトリ様。今回はエルフさんたちのこともありましたから」

『そうでなくば誰がこの爪牙を振るうものか。ええい彼奴の穢れを潰した爪が痒くなってきた気さえするぞ……マグロ、今宵はより入念に手入れせよ』

「かしこまりました~」

 

 まぁね、直接ちょんぎっちゃったのは気になるよね。

 あれ、こっちに未成年がいたらどうなってたんだろう。そこだけが今更妙に気になってきた。

 

「ところで攫われたお嬢さんは無事かね?」

「おう、傷一つ付けてねぇさ。ただ緊張で気を失ったみてぇだな」

「送り届けているうちに目を覚ますだろう、ここで起こすこともあるまいさ」

「……ところでそのぅ、この辺の森はどうするんです?」

 

 私が指摘したのは、戦闘の余波でしっちゃかめっちゃかになった周囲一帯だ。

 といっても【ユニケロス】が破壊したのは大木が一つ二つ程度で、大部分はゴリラさんの<エンブリオ>によるものだけど。

 彼の<エンブリオ>、これまでに類を見ないタイプだったから驚いたけど、確かにこれは()()()()()よね。ゴリラさんが極力使いたがらないのもよくわかる、本末転倒だもの。

 

「ん、ああ……補修しておかないといけないな。此処の森には悪いことをした、少し待っていてくれ」

「おう、んじゃあこっちも残った罠を片付けねぇとな」

「あ、お供します」

 

 ゴリラさんが巨人を少しずつ解体し、【森王】のスキルで元の形へと土地を戻していく。

 足元から沈み込むようにして縮んでいく巨人は、地表に土を敷き、その上に骨格と毛皮と化していた木々を植え、傷ついたあれこれを環境回復魔法で修補していく。

 こうした環境の修正と維持こそ【森王】本来の役割とはゴリラさんの弁だ。

 

 一方でカッツォさんも、【ユニケロス】を誘い込むために仕掛けた罠を解除している。

 これは彼独自のオリジナルレシピで調香された一種の誘導剤のようなもので、人間には察知できない極微量の匂いで獲物を惹き付け、これによって私達は【ユニケロス】を待ち伏せすることができた。

 彼曰く、魔獣の類ならまず間違いなくかかると太鼓判を押す代物で、その効果の程は現在の結果がなによりも証明している。

 

 

 私達の作戦は極めてシンプルだった。すなわち「誘い込んだ上で時間稼ぎ」というもの。

 【ユニケロス】の居場所自体はすぐに分かった。森での探知能力に優れるゴリラさんがいたし、強力してくれたエルフの皆も多くが【森王】の下位ジョブである【森祭司】。

 力を合わせてサーチ箇所を分担すれば捕捉は容易く、加えて直接娘さんを攫われた集落の戦士達が追手をかけ、【ユニケロス】の足並みを乱してくれたのも大きい。

 ネックは奴が攫ってすぐに娘さんをどうこうしないかだったが、幸いそこは奴の妙な美意識に救われたというものだろう。もしどこぞの野外で即直結なんてされたら、娘さんの無事は定かではなかった。あのサイズ差だしね。

 

 私はカッツォさんをカトリ様に同乗させ、彼の指定するポイントへ【罠】を設置していた。

 リアルタイムでゴリラさんと通信しながら、【ユニケロス】の動きに合わせて微妙に配置を変え、風向きや周辺環境その他諸々のデータを把握しながら、奴を誘い込むように仕掛けていくのは本当に骨が折れた。

 本来であれば到底処理し切れない即時対応の罠設置。それを可能としたのはカッツォさんの【ミルメカグハナ】あってのことだ。

 演算処理能力に特化したカリキュレーターに分類される【ミルメカグハナ】は、匂いの拡散をシミュレートして短時間の予測結果を算出し、視覚化する。

 本来の用途とは違うけれど、言うなればレーダーマップのように能力を発揮して、綱渡りながらも【ユニケロス】を待ち受けることができたのだ。

 

 そして戦場が確定し、ゴリラさんも<エンブリオ>の起動準備を開始し、その時間を稼ぐためにカトリ様が先発を務める。

 その間にゴリラさんも自己強化を整え、そこからは一緒に【ユニケロス】の足止めに注力し、ゴリラさんの必殺スキルが使用可能になる段階まで<エンブリオ>――【理想森人 シャングリラ】を守り抜いて、と。

 本当に最初から最後まで忙しない戦いだった。

 

 もし奴を誘い込むことができなかったなら、AGI差によって追いつけず、唯一追いつくことのできる私達も、女性であることが災いして【ユニケロス】を倒し切ることができなかっただろう。

 なまじ中途半端に戦えてしまえるだけに奴は脅威を覚え、潜むようにして逃げられてしまえば娘さんを取り戻すことすらできなかったはずだ。

 どれ一つ欠けても成し得なかった戦いに、今更ながら戦慄を覚える。

 

「うっし、こんなとこだな。取り零しはもう無いぜ」

「あ、はい。じゃあ戻りましょう」

 

 そんなことをつらつらと考えていたら、罠の回収を終えたカッツォさんがそう声を上げた。

 彼にしか察知できない極々微量のマーキングを嗅ぎ取って回収し、旅人を迷わす森も来た道に残った匂いをカッツォさんが辿ることで問題無く合流する。

 戻った先では処置を終えたゴリラさんが待っていて、気を失った娘さんを横抱きにしていた。

 

「悪いがこの子を乗せてあげてくれるかね? あんなことがあった後だ、男が背負うのも憚られてね……」

「あ、そうですね。ならこちらでお預かりします」

 

 ゴリラさんから娘さんを受け取――ろうとして取り落としそうになったので、カトリ様が尻尾を伸ばして背に乗せる。

 振り落とされないよう私の前に乗せて支えながら、一路集落へ向けて出発した。

 

 ◇

 

 エルフの隠れ里に戻ると、あちこちから皆が集まって私達を取り囲んだ。

 長年レジェンダリアの森を脅かしてきた古代伝説級<UBM>の討伐、その報せを何より喜ぶのは他ならぬ彼らだ。

 彼らはゴリラさんの討伐完了宣言に歓声を上げ、あるいは涙を流し、感極まって大声を上げるなどして、またゴリラさんの額に輝く角を見るなり地に額をつけて拝み倒す者まで現れだして、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。

 

 彼ら曰く、歴代最強と名高い今代【森王】ファンタズマゴリラの高名は前々より聞き及んでいたが、【ユニケロス】を討伐した今より一層その勇名は轟き、また討伐の証たる特典武具を装備したゴリラさんの偉容も相俟って、最早崇拝の対象ですらあるらしい。

 そもそもがエルフにとって特別な意味を持つ【森王】の座が、長年の宿敵たる【ユニケロス】を討伐したことで箔が付き、ゴリラさんの人柄もあって神か王の如き立ち位置だ。

 

 姿形も違うゴリラにエルフが熱い視線を送る光景はなかなかシュールで、本気で惚れ込んで秋波を送る年頃の娘さんなども現れだして、ゴリラさんは慌てふためいていた。

 中には旦那さんがいるにもかかわらず熱く潤んだ目を向ける奥様方もいたりして、旦那さんたちは気が気でないだろう。

 そんな彼らもゴリラさんを取り囲んで飲めや食えやで絡むあたり、そうした心配は無用だろうけど。

 

 カッツォさんは元々名ブランドのオーナーだけあって有名で、特におしゃれに気を使う婦女子のカリスマ的存在であることもあって、こちらもこちらでモテモテだ。

 そしてゴリラさんの気を引きたい乙女達の恋のお悩み相談なんかも頼られたりして、その一助となる香水を紹介するなどしてちょっとした恋のキューピッドになってたりも。

 

 私? 私は普通に歓迎されて楽しんでるよ。

 二人と違って皆との交流も日が浅いから取り立てて特別なこともなかったけれど、討伐の要となったことを素直に感謝されて、集落特産の美味しいお酒や食べ物を振る舞われて舌鼓を打ってる。

 カトリ様はガードナー体では子供たちに、メイデン体では年頃の男の子たちに懐かれて、澄ました顔ながらも差し出される果物を拒まず受け取ったりして満更でもない様子だ。

 

 つまるところ皆が皆、戦勝の喜びに沸いていた。

 だけどそれも一段落してくると、戦後処理のために外へ出る若者も出始め、死傷者の把握や傷ついた森の修復に乗り出し始めた。

 

 ……これはあとになって知ったことだけど、やはり犠牲者はゼロとはいかなかったらしい。

 特に直接娘さんを攫われた集落からの追手、そこから出た死者の一人が娘さんのお兄さんだったということは、彼女にとっても埋めがたい傷で、私としても気がかりだ。

 今は村長さんの家で安静にしている娘さんだけど、彼女が目を覚ましてこの事実を認識したとき、果たして彼女はどうするのか。

 その後の身の振り方は、当事者ならぬ私達に分かるものでもない。せめてもの幸福を祈るばかりだ。そして亡くなってしまったお兄さんの冥福も。

 

 ちょっとしんみりしちゃったな。

 本当に、この手のクエストではよくあることと言えばそうなんだけど、やっぱり関わった範囲で犠牲者が出るとどうにも後味が悪い。

 気分を切り替えて今後のことを考えるにしても、どうしよっかな。

 【ユニケロス】との戦いの終盤、自己強化を使い始めた奴に対抗するため私も必殺スキルを使ったけれど、デスペナするまで続く五割の最大HPの損耗がかなり痛い。

 代償はもっと少なくてもよかった気がするしなぁ……この必殺スキル、イマイチ力加減がわからなくて毎回難儀するんだよね。五割は完全に無駄遣いだったや。

 

「マグロ君、此処にいたのか」

「お疲れ様です、ゴリラさん。モテモテでしたね」

 

 酒気で火照った身体を夜風で涼ませているとゴリラさんがやってきた。

 からかうようにそう言えば彼は照れたように首を掻いて私の隣に座る。

 共に見上げるレジェンダリアの夜空は、王国で見るそれよりも幾分か幻想を増して輝いているようだった。

 

「今回は本当にありがとう。君がいなければ奴を討伐することはできず、彼らは今も脅威に怯えていたままだっただろう。本当に感謝している」

「いえ、そんな……先に助けていただいたのは私の方ですし。今回の戦いをお手伝いさせてもらったのも成り行きですよ」

「成り行き、か。……であれば君という実力者へ巡り会わせてくれた幸運にも感謝しよう。誰一人欠けても勝ちを拾えなかった戦いだ。エルフの皆は一様に喜んでいるが、私も我が事のようにそれが嬉しいよ」

 

 そう言ってバナナを頬張るゴリラさんの横顔は慈愛に満ちていた。

 差し出されたバナナを受け取り私も頬張る。カトリ様も頬張った。

 三人並んでレジェンダリアの夜空の下、食べるバナナは勝利の味がして、格別だ。

 

 そこから話し合う内容は、他愛も無い世間話だ。

 あとは先の戦いであれが凄かった、これには助かったなどと、互いに称え合って戦勝を祝する。

 あるいはこの<Infinite Dendrogram>での生き方だとか、なぜこのゲームを遊び始めたのかとか、ややプライベートな話にも踏み込んだりして、私と彼はすっかり戦友だった。

 

「ところで気になってたんですけど……」

「なにかな?」

「ゴリラさんはなんで、ゴリラアバターにしたんです? 動物型マスターって珍しいから気になって……」

 

 ふと私は、気になっていた疑問を口にした。

 それに対し彼は、しばし考え込むように視線を切ったあと、数秒の間を置いたあとぽつぽつと語り始める。

 

「私はね、リアルでは薄情な人間だったんだよ」

「え……」

「一言で言って金の亡者だった。資本主義の狗と言ってもいい。この世の全ては金で買えると思っていたし、あらゆる難事は金で解決すると思っていた。父から継いだ事業の発展拡大に腐心し、家庭も顧みず只管に利益を追求していた」

 

 ゴリラさんの口から語られた言葉は、今目の前にいるゴリラさんとは似ても似つかない、全く別の人物像だった。

 

「家族としての幸福すら、金で実現できると確信していた。いっそ信仰すらしていたよ。金に不自由無くば幸福だろうと疑いもせず、日に日に笑顔を失っていく妻の顔すら見もせずに、我が社の利益だけを求めて周囲を食い荒らしていた。……だけどある日、妻が子と共に家を出て、私は独りになった」

 

 実業家の夫から、妻が子供と共に出ていった。

 そこだけを聞くと不躾な邪推をしてしまうのだけど、彼は首を横に振ってそれを否定する。

 

「妻に別の男ができたわけではない。金を持ち逃げされたわけでもない。彼女は子供だけを連れて、他の何も持たずに私のもとを離れていった。そして出ていった妻は別の地で安アパートを借りて、慣れないパート仕事に従事しながら細々と暮らしていたよ。人を遣って調査したが、二人は貧しい暮らしぶりにもかかわらず笑顔で過ごしていた、と……私は報告を受けた」

 

 そして重い溜息を吐いたゴリラさんの背中には、悔やんでも悔やみ切れない想いがのしかかっていた。

 

「……私は、私という人間を見限られたせいで妻子に逃げられたのだと思い知り、愕然としたよ。それまで信じていた価値観が根底から打ち砕かれた衝撃は今でも忘れられない。失って初めて、それまで寄り添ってくれていた妻子のありがたみを理解したんだ」

「…………」

 

 言葉もない、とはこのことだ。

 人生経験の希薄な私には、その百分の一すらも理解できていないけれど、彼の味わった衝撃の強さは、今の言葉だけでもありありと伝わってくる。

 

「すると途端に、有り余るほどの金がひどくつまらないものに見えた。無論、金が害悪であるとまでは言わないが、必要以上の金を貯め込むことの虚しさを一度自覚すると、それがいつまでも付き纏った。だから私は、決めたんだよ」

「なにを?」

「もう一度ゼロからやり直すことをさ。私は事業を信頼できる人間に任せ職を辞し、身一つで再スタートを図った。日雇いの仕事で食いつなぎながら日々を過ごし、ある日ボロの食堂で眺めていたテレビ番組を見て――天啓を得たんだ」

 

 ……ん?

 

「それはあるドキュメンタリーでね、そこではゴリラが紹介されていた。彼らの強く、逞しく、しかして心優しい自然に寄り添った生き方が、私の理想に思えた」

「折しも当時世間を賑わせていたこの<Infinite Dendrogram>が自由を謳っていることを知り、プレイし始め、アバター作成を担当してくれた……ああ、チェシャ君と言ったかな。彼に相談したんだよ、「ゴリラになることは可能か?」、とね。答えはできる、だった」

 

 チェシャさん何してますのん。

 

「私は喜び勇んでアバターを作成したよ。チェシャ君のサポートもあって満足の行くゴリラを形作り、ゴリラが棲むに相応しい森に溢れたレジェンダリアを所属国とし、ログインしてすぐに森へ踏み込んでいった。今にして思えばそこで死なずに済んだのは幸運だったな……地球には稀な不思議な活力に満ちた森で過ごすうち<エンブリオ>も孵化して……効果は君も知っての通りだろう? そして私は森の一員となることを決めたのだ」

 

 なんだろう、最初はいい話だったし、今もいい話なのだろうけど、それはそれとして内容が飛躍しすぎているような気がする……。

 でもゴリラさんの表情は真剣そのものだし、水を差すのは野暮だな。第一私も人のこと言えるような立場じゃないし。

 

「っと……すまない、随分と話し込んでしまったね。つまりはそういうことさ」

「なるほど」

 

 神妙な顔をして頷く。わかったようなわからなかったような、それはそれとしてゴリラさんの真剣さは本物だ。

 ただひとつ、分かったことがある。

 それは……。

 

「ゴリラさんは…………ゴリラなんですね」

「ああ――――私はゴリラだ」

 

 彼が生粋のゴリラであるということだ。

 私達はバナナを食べた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 夜が明けて、私達はカッツォさんの依頼を再開した。

 そして恙無くそれを終え、私達は円満に彼らと別れた。

 報酬として貰ったモンスターの分布図を手に、いつの日かの再会を約束して。

 

 その後当初の目的を果たす中でうっかりデスペナったりもしたけれど、レジェンダリアでの活動は極めて実りあるものに終わった。

 カトリ様もご満悦に終わったモンスター乱獲ツアーinレジェンダリア、その成果を手に意気揚々と王国へと帰還する。

 

 奇しくもそれは、後の【グローリア】事件。

 その発端となったルニングス公爵領絶滅、その一週間前のことだった。

 

 




というわけでエピローグです。
これにてレジェンダリア編は完結となります。
些か駆け足気味の中編となりましたが、完全オリジナルエピソードは書いてて実に楽しかったです。
読者の皆様も楽しんでいただけたなら、最高に嬉しいですね!

それでは今年はこれにて投稿納めです。
次回からは閑話を投げるか、同じデンドロ原作の別作を更新することになるかと思います。
これからも何卒よろしくお願い致します。

それでは皆様、良いお年を!


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Episode Superior Ⅰ Baten Kaitos
プロローグ


まことに勝手ながら、本エピソードをリメイクすることにしました。
改稿前のストーリーを御覧頂いていた方には大変申し訳ありません。
全ては作者である私の独断であり、他に意図するところは一切ございません。
作者の不徳の致すところ、読者の皆様にはご迷惑をお掛けします。

此度のリメイクで登場人物や設定等に変更はありません。
ありませんが、物語の道筋は改稿前とは大きく変わります。
ですが本エピソードを完結させる意思は全く変わりありません。
読者の皆様には何卒ご理解、ご容赦のほどお願い申し上げます。

最後に、改稿前のエピソードで感想を寄せていただいた方々。
此度はこのような仕儀となり大変申し訳ありませんでした。
大いに不満の残ることかと思われますが、何卒改稿後もお付き合いいただけるよう伏してお願い申し上げます。


 □■都市国家連合カルディナ・芸術都市カルカラン

 

 国土の九割以上を砂漠に覆われた大陸中央国家、カルディナ。

 昼は熱風吹き荒び夜は極寒が支配する過酷の地は、しかしその環境に反して七大国家中最大の富を誇る商業都市連合である。

 それは偏に富と財への飽くなき欲求、大陸中央という東西の橋渡しに目をつけた敏腕にして辣腕たる商人たちの弛まぬ努力の賜物であったが、しかし同時に拭い切れぬ強欲と悪徳の温床でもあった。

 

 そのカルディナを構成する都市の一つ、カルカラン。

 古今東西の芸術品が集積し、日夜価値を競い合う蒐集家(コレクター)たちのメッカ。

 通称"芸術都市"。ありとあらゆる美と技芸の結晶が渦巻く欲の坩堝。

 自然、有力者には審美に長ける者が多く名を連ね、有するコレクションの質と量が地位と名声に直結するとも揶揄される、如何にもカルディナらしい都市であった。

 

 そんな街で市長を務める者がいれば、それは即ち都市一番のコレクターであることを意味する。

 名をエリック・ダン。自らをして"カルディナ一の芸術通"、"美の伝道者"と名乗る彼は、その自尊に違わぬ【蒐集王(キング・オブ・コレクト)】の超級職をも有していた。

 名実ともに都市の、いや国一番のコレクターである彼の邸宅は、その華やかな地位と名声に相応しい豪華絢爛極まるものである。

 その邸宅の応接室にて、彼は子供のように心弾ませながら、喜色を満面に浮かべて待ち人の訪問を待ちわびていた。

 

「ううん、まだかな……一分一秒をこんなにも長く感じたのは随分と久しぶりだ。居ても立ってもいられないとはまさにこのことだな……」

 

 数多の絵画、彫刻が品良く飾られた応接室。

 いずれも名立たる名工・名匠の作であるが、彼が保有するコレクションの中ではこれでも等級の低いものばかり。

 真なる収集家たるもの、最も価値ある品々は衆目に晒されぬよう奥へ秘め置き、極少数の同好の士のみを招いて密やかに愛でるのが粋というものだ。

 そして今宵彼が招かんとしている客人は、その彼をして最も価値ある芸術を共に愛でたいと焦がれる相手で、その表情は熱病に浮かされるように潤んでいた。

 

 忙しなく部屋を歩き回る彼がおもむろに取り出したのは一枚の巻物(スクロール)

 古びた、端の擦り切れた羊皮紙は長い年季を思わせ、市長が後生大事に抱えていることからも頗る付きの逸品であることが推測される。

 愛撫するような手付きで広げた紙面に描かれていたのは、五線譜に踊る無数の音符記号。即ち楽譜であった。

 

「これが、あの……! おお……()()の唇で紡がれるこれを、私が、私だけが聴けるのだ……私、だけが!」

 

 陶酔して熱狂する彼の心中には、例えようのない優越があった。

 コレクターといった人種が求めるのは常に二つ。一つはより珍らしく貴重な品。もう一つはコレクションを自慢できる同好の士。

 しかし彼に言わせれば真なる醍醐味とは……手にした成果を誰よりも先に堪能できる()()にこそあるという。

 その法悦と比べれば、後に他者へ自慢し賞賛を浴びることなど、二番煎じにすら劣る些末なものに過ぎない。

 今の彼は、彼自身の言う優越への期待に浮かれきっていた。

 

「旦那様。お客様がお越しになられました」

「来たか……! 丁重にお連れしろ。そしてその後は事前に命じた通り一切の人を払うように。猫の子一匹通してはならん! これは絶対だ!」

「かしこまりました」

 

 扉向こうから告げられた女中の言葉に、市長は我に返って居住まいを正した。

 そして厳重に人払いを命じると、扉を挟んで待ち人の現れるを今か今かと待ち侘びる。

 やがて控えめなノックと共に艶やかな声音が響くと、彼は恋するような声音で入室を許可した。

 彼の幸福は、まさにこの瞬間から絶頂を極めたと言えるだろう。

 

 

 ――そして後日、彼は見るも無残な屍となって発見された。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □【獣神】マグロ

 

 グローリア事変が終結してしばらく。

 私は今王国を離れ、人肌炙る砂漠の国、カルディナへと足を踏み入れていた。

 <超級エンブリオ>へと進化したカトリ様の新たなる力が単身での出国を可能としたのもあるけれど、それ以上にこのまま王国で安穏としていたくないという、半ば使命感のような感情が旅する理由の根底にあったかもしれない。

 

 急な出国に際して、カトリ様は何も言わず私に付き合ってくれた。

 すぐには王国に戻るつもりもないことも含め、彼女は私の意を汲んで進路を西に向けてくれた。

 カトリ様らしい慰めだと思う。私はそんな彼女の慰めに甘え、赤い魔鳥と化したカトリ様を駆りながら、空路でカルディナの砂漠地帯へと踏み入った。

 

 その後の経緯を簡潔に言えば、大いに見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 絶えず吹き荒れる強風。巻き上がる砂嵐は容赦なく無防備な肌を削り、熱暑が容赦なく体力を奪っていく。

 カトリ様の方は<超級>ガードナー由来の頑健さでなんとも無かったけれど、生憎私のほうが砂漠の極限環境に適応できず、砂漠に入って早々に音を上げ這々の体でなんとか見つけた最初の街へ降り立つことになった。

 

 その降り立った街というのが、俗に"芸術都市"の異名を持つカルカランという街だ。

 カルディナの連合に属する都市国家の一つで、その名の通り古今東西の美術品・芸術品が集まるという華やかな街だ。

 各地からこの街を訪れる人々も多いようで、流れ者の私でも特に目立つことなく入国することができた。

 

 しばらくはここを拠点としてもいいかもしれない。

 道標の無い砂漠の洗礼を大いに浴びた私はすっかり疲労困憊し、ひとまずの宿を求めて街を彷徨う。

 が、ダメ。奇しくも今は街を上げての大イベントに繁忙を極めており、またそれを目当てにした旅行客が大勢訪れているため、ほとんどの宿が既に客を抱え込んでいた。

 たまに空いた部屋を見つけても予約済みであるというのだから大したイベントなのだろう。

 見通しの甘さは道行きのみならず、その日の寝床の確保にすら支障をきたしていた。

 

「結局どこも空いてませんでしたね……」

「時期が悪かった、ということであろうな。表通りは全滅か」

 

 結局ボロ宿一つすら確保できず、バザーの立ち並ぶ通りの一角で腰を下ろす。

 都市内でも猛暑は変わらず、リアルでは流したことのない滝のような汗が衣服を濡らしていく。

 入国の際に受けた衛兵さんからのアドバイスに従い、真っ先に日除けの外套を買って着込んだのはいいものの、流れる汗に歯止めがかかったようには思えない。

 日頃からこの国に住んでいる人達は一体どうやってこの暑さを凌いでいるのか不思議でならない中、せめてもの涼みに魔法で冷やされたジュースを買って飲んだ。

 ちなみにこの一杯で一〇〇リルだ、とんだぼったくり価格である。

 

「カトリ様はいいですよね、平気そうで。今ばかりは変温動物になりたいかも……」

「何を愚にも付かぬことを抜かすか、戯けめ」

 

 カトリ様はと言えば<超級エンブリオ>として新たに獲得したスキル、《四狂混沌》で変身可能な形態のうち、白蛇の姿となってこの猛暑など何処吹く風といった様子だ。

 普段のメイデン体では不快にすぎる。かといって紋章へ引っ込むのもつまらないと言った彼女は、今は白蛇モードで私の身体に巻き付いている。

 日除の長い外套から顔を覗かせたその様はまるで蛇使いのよう。ひんやりとして滑らかな鱗の感触が僅かに熱を和らげるが、それに頼って抱きつくと鬱陶しがられるのである。酷い<エンブリオ>だ。

 

「どこでもいい、せめて雨風を凌げるだけの場所は確保せねばな。この気候では野宿も危うかろう」

「夜は夜ですっごく寒いんでしたっけ。あー、こういうときに高性能な竜車があればなぁ……」

「ないものねだりをしても仕方あるまい。気は進まぬが、裏通りをあたることも考慮せねばならんな」

 

 カルディナの治安は決して良いものとは言えないことは、ある程度<Infinite Dendrogram>で暮らしているならば一度は耳にすることだ。

 他国とは違っていくつもの都市国家の連合に過ぎないカルディナはお世辞にも統制が行き届いた国とは言えず、治安の優劣は各都市の特色に委ねられる。

 そして多くの場合金銭の多寡が去就を決めるこの国において治安や司法とは、金次第でいくらでも歪められる程度のものにすぎない。

 ……というのは極論だろうけど、つまりはまぁ他の国以上に理不尽が罷り通る可能性が高いということだ。

 そんな国で宿も取らずに野宿をしようなど、どうぞ襲ってくださいと言わんばかりの蛮行でしかない。

 そういう意味でも寝床の確保は急務であった。

 

「あるいは夜間だけログアウトするという手もあるが……」

「……………………」

「――そなたには望むべくもないことだな」

「……すみません、カトリ様」

「構わぬ。そなたという半身がそういうものであることなど、とうに理解しておるつもりだ」

 

 この期に及んでもログアウトという当たり前の手段を取らないことに対して忸怩たる思いはある。

 けれどそれは、私が私である限り、決定的な不可抗力以外では決して取り得ない手段だ。

 我ながら破綻しているし、本末転倒だとも思う。だけどそればかりは譲れない、私の信念とも言えないただの未練だ。

 

「とりあえず裏通りを探してみましょうか。多少怪しくてもカトリ様がいれば大丈夫ですよね」

「ま、仕方あるまい」

 

 ひとまずの見通しを立て、億劫ではあるが腰を上げる。

 とはいえ本格的に裏道を通るのは怖いので、まずは表通りに程近い路地をあたってみよう。

 間違ってスラムなんかに迷い込んじゃったら、手段の有る無しはともかくとして怖いものは怖いからね。

 

 そう思って散策を再開してしばらく。

 なるべく浮浪者の多い通りを避けて踏み込んだ裏通りの一角で、思わぬものを見つけてしまった。

 

「…………」

「浮浪者じゃ、ないよね……左手、紋章あるし……」

「なんだ、行き倒れか?」

 

 表通りからすぐ近くの場所に、壁に背を預けて倒れ込む姿を見かけた。

 最初は浮浪者かと思って関わり合うのを避けようとしたのだけど、ふと覗いた左手に紋章があるのを見て同じ<マスター>であると気づき、その上女性というのもあってさすがに放っておけず近づく。

 気を失いかけているのか僅かな反応しか示さない彼女に、もしやと思って額に手を触れてみれば……体温が不自然に熱く感じる。

 

「【熱中症】だな。この熱暑に中てられたか」

「こ、こういう場合はどうすればいいんでしたっけ……!? ええと、とりあえず日の当たらない涼しい場所に置いて……す、水分補給も!?」

「落ち着け馬鹿者、まずは手近な店に連れて行くぞ。この気候だ、この手の輩の対処には慣れておろうからな」

 

 そ、それもそうか……!

 確かに日々をこの気候の中暮らしている地元民なら分かるかもしれない。

 最後まで面倒を見切れない浮浪者はともかく、<マスター>ならある程度処置すればその後は自分でなんとかできるだろうし見捨てるには忍びない。

 思わぬ拾いものではあったけど、ぐったりとして動かない身体を背負い、とりあえず手近なカフェへと向かった。

 

 

 ◇

 

 

「……もう大丈夫でしょう。しばらく安静にしていればじきに目を覚ますと思います」

「ありがとうございます……! すみません、急に押しかけてしまって」

「いえいえ、ご注文もいただきましたから。サービスの範疇ですよ」

 

 あまり猛暑に晒してもおけないと判断し、場違いであるとは承知しながらもカフェを頼ったところ、そこの店長は快く対応してくれた。

 室内はバッチリ空調の効いた快適空間で、そこの個室ともなれば決して安くないお値段だったけれど、そこを借りるのと合わせて割高な冷たいジュースも注文すれば、店側としては客として扱うに足るということなのだろう。

 これが単純に頼るだけなら門前払いだったかもしれないけど、とにもかくにもひとまずはなんとかなった。

 

 店内の奥まった場所にある個室の、柔らかいソファーに彼女を寝かせしばらく様子を見る。

 熱冷まし効果のある【薬効包帯】を巻き、ややもするとゆっくりと女性が伏せていた目を開いた。

 

「こ、こ……は……?」

「目が覚めましたか! お加減は大丈夫ですか? 飲み物を持ってきますね」

 

 状況をにわかに飲み込めず周囲を見渡す女性の無事を悟り、店員さんにお願いしてぬるめのお水を持ってきてもらう。

 たしかこういうときは一気には飲まさず、少しずつ飲めばいいのだったかな……。

 女性に確認を取り、自分で飲めることを確認すると、介添えしながら彼女が水を飲み干すのを手伝った。

 

「ふぅ……」

「【熱中症】が解除されたようだ。もう心配あるまい」

「よかった……こういうのって初めてだからホッとしたよ……」

 

 思わず胸を撫で下ろす。

 果たして<マスター>が【熱中症】で重症に陥るのかは定かではないが、無事治ったのなら何よりだ。

 火照っていた顔も通常の肌色に戻ったのを見て、まず間違いなく大丈夫という確信を得て安堵する。

 女性は寝起きのような気怠さを纏いながらも、ようやく状況が飲み込めたのか、こちらを向いて深く頭を下げた。

 

「なんだか助けていただいたようで……ありがとうございます」

「いえいえ、無事だったらよかったです。それよりどうしてあんなところで倒れてたので?」

「えっとぉ、たしか……散歩に出てたら、急にくらっとして……」

 

 そう眠たげに、ゆったりと間延びした口調で語る彼女は、果たして自分の危機を知ってか知らずか。

 私が言うのもなんだけど、随分と危機感が無いというか、独特な雰囲気の彼女に思わず調子が狂う。

 

「気づけば此処、でした……ひょっとして貴女がここまで……?」

「え、ええ、はい……【熱中症】だったので、涼しいところまで……と思って」

「まぁ、道理で涼しいと思ったわ……。うふふ、快適ね……」

「……まるでそなたが増えたかのようだな」

 

 えっ!? 私こんなイメージなんですか!?

 いくらなんでもこんな『のほほん』としてませんよ私!

 

「…………じー」

「え、あ、の……飲みます?」

「まぁ♪ ありがとうございます……」

 

 そんな彼女は私が飲んでいたジュースのグラスを凝視していた。

 まだ喉が渇いているのかなと思い同じものを注文しようとした矢先、躊躇なく飲みさしのグラスを取って残っていた中身を飲み干した。

 なんだろう、この……とにかく印象は……へ、変な人だなぁ……。

 

「はぁ……おいし。おかわりもいただけるかしら……?」

「なんとマイペースな。……此処までいくと見ていて面白くもあるな」

「マイペースっていうレベルじゃないような……。あ、すいませーん! オレンジジュース二人分くださーい」

 

 そうして運ばれてきたジュースも、彼女はごくごくと飲み干した。

 そしてまっすぐ私の顔を直視しながら、やんわりとした微笑を湛えたまま動かない。

 

「……? あの……?」

「ええと……そうねぇ」

 

 何を考えているのかさっぱり読めず疑問を浮かべると、彼女はしばし間を置いた後手を合わせて言った。

 

「ところで貴女、どちら様かしら……?」

「い、今更……!」

 

 本当に今更だった。

 どうやら彼女はマイペースどころか天然を突き抜けて、不思議さんだったらしい。

 

 

 To be continued

 

 



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マグロとクジラ

書き直したら書き直したでストーリーがもりもり湧いてきます。
読んでも書いてもデンドロは楽しいですね。


 □【獣神】マグロ

 

「マグロちゃんというのね。いいお名前ね、とっても美味しそう」

「は、はぁ……」

 

 そんな感想は初めて聞いた。

 仮にも人名を指して美味しそうとは、なんだかなぁ。

 ……って、そうじゃなくて!

 

「あの……あなたのお名前は?」

「わたし? わたしはクジラって言うのよ。うふふ、おさかな仲間ね」

 

 クジラは哺乳類だったような……。

 ともあれ、ネーミングに若干の親近感を覚えながらも、ここでようやく互いの名前が判明した。

 

 私が言えたことじゃないけれど、クジラというアバターネームも随分と独特だ。

 いや、クジラさん自身が独特の化身みたいな感じなので、ある意味ぴったりと言えばぴったりなのかもだけど。

 とりあえずツッコミどころとしては……クジラ要素どこ?

 

「そのクジラさんはどうして行き倒れてたんです? いや、散歩とはさっき聞きましたけど、いくらなんでも無防備すぎでは……?」

 

 これまた私が言えたことじゃないけれど、最低限の自衛手段は持っておいた方がいいと思う。

 あれ、私が最初に見つけたからいいけれど、もし心無い人間に遭遇してたら今頃どうなっていたかも知れないし。

 クジラさんくらい美人なら、それこそ想像も憚られるような目に遭っていてもおかしくはない。

 

 こうして改めて見てみると、クジラさんは随分な別嬪さんだった。

 なんというか自然な美しさというのか、狙って設定したのではなかなか出せない生来の色気というものが、このクジラさんからは漂ってくる。

 おそらくはリアルと然程変わりないのだろうこの美女が、お伴も連れずに行き倒れているなんて、つくづく何事も無くて幸運だったと言える。

 

「いつもは……そうねぇ、カイトくんが一緒なんだけど……。今日はたまたま、お出かけしたい気分になっちゃったから、つい……ね?」

「ね? じゃないですけど。お連れさんも今頃心配してるんじゃないです?」

「……あらほんと。これじゃあまた怒られちゃうわ……どうしましょう?」

「どうしましょうって……」

 

 なんというか、連れ合いのカイト某さんの苦労が偲ばれる。また怒られちゃう、のくだりで特に。

 日頃から頭を悩ませているんだろうなぁと容易に想像がつきつつ、本当に状況を理解しているのかどうかもあやふやなクジラさんに、私までなんだか溜息を吐きそうだった。

 

 というか、私がこうしてあれこれ考えざるを得ないあたり、この人の不思議っぷりは筋金入りだと思う。

 本当に……本当に私が言えたことじゃないけれど、身体ばかり大きくなった子供というか、一時も目を離せない心配さが拭えなかった。

 

「……仕方ない、か。それじゃあ私達と一緒にお連れさんを探しましょう。クジラさん一人だと、いつまたどこで倒れるかもわからないですし」

「あら、いいの? マグロちゃんったら優しいのね、とっても親切」

「放っておけないだけですよ……調子狂うなぁ、ほんと」

「ククク、そなたの珍しい姿を見れたな」

 

 カトリ様までそんなこと言う……柄じゃないってのは私が一番よくわかってるんですよ。

 なんというか、大きな妹ができたようで複雑な気分というか、こうも心配を煽られる人物というのも初めてだ。

 

 ていうかこの人、雰囲気的に私よりも年上だよね?

 いや、雰囲気で判断すると一気に怪しくなるけれど、細かい所作とか気配とかが、なんとなく年上っぽい気がする。

 体格で言うと私よりも頭一つ以上も小さいから、余計にややこしいんだけども。

 

「あら、可愛い子を連れてるのね? さっき聞こえたのはこの子かしら」

「あっ、ちょ……」

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか隣に移っていたクジラさんが、フードから顔を覗かせていたカトリ様の頭を指で撫でていた。

 気難しいカトリ様を堂々と愛でるまさかの蛮勇に一瞬狼狽するも、意外にもされるがままのカトリ様に目を見開く。

 

「まぁ、稚児の如き女の振る舞いに目くじらを立てる程ではあるまいよ。良きに計らえ」

「あら、すべすべ。つやつやしてていい手触りね。とってもおとなしいし、いい子ねぇ……」

 

 なんというか、ほんと子供みたいに物怖じしない人だ……。

 カトリ様が他所行きモードといえ大した胆力である。

 私が同じ真似をしようものなら間違いなくチョークスリーパーか噛み付きかを食らうというのに。ていうか大抵どっちもお見舞いされるんだけど。

 

「……? ひょっとしてこの子、マグロちゃんの<エンブリオ>?」

「あ、はい。そうですよ。カトリ様って言います」

「まぁ、カトリちゃんって言うの。うふふ、わたしはクジラっていうのよ。よろしくね?」

 

 いやさっき自己紹介してましたけど……。

 そんなド天然を発揮するクジラさんに構わずカトリ様は「良きに計らえ」の一言。

 これ、完全に手綱を私に明け渡してますよね? カトリ様。

 

 

 ◇

 

 

 当たり前のように持ち合わせの無かったクジラさんに代わってお金を支払い、お世話になったカフェを出る。

 そして同じく当たり前のように日除け服を持ち合わせていなかったクジラさんに、私が買ったのと同じところで購入……するどころか、店に置いてあった日傘の前で動かなくなった彼女へそれを買い与えすらして、二人して同じ装いで街を探し歩くことと相成った。

 

「ありがとうねマグロちゃん、こんなにいいものまで貰っちゃって。ひと目見て「この子がいいなぁ」って思ってたの」

「でしょうね……声が耳に入ってなかったし、テコでも動きませんでしたもんね……」

 

 正直見知ったばかりの人間にやることじゃないとは思うけれど、ああも少年のような目でじーっと立ち止まられてはどうしようもなかった。

 なまじ見た目が良いだけに注目の的だったし、悪目立ちするのも億劫だったので仕方なしに購入したわけだけど……それでこうも喜ばれては怒る気も失せるというものだった。

 

「♪ ――――♪」

 

 そのクジラさんはと言えば日傘を両手に跳ねながら、鼻歌まで口ずさむほどのご機嫌っぷりである。

 唇から紡がれる旋律は鼻歌らしからぬ美しさで、最初にお喋りしたときから薄々と思っていたのだけど、彼女の声は思わず聞き惚れてしまうほどに美麗なものだったことに気付いた。

 

「それ、《ほしのさかな》ですよね?」

「あら、わかる?」

「ええ、私も大好きですから、その歌」

 

 だからこそすぐにわかったのだけど、彼女が口ずさんでいた歌は私の大好きな《ほしのさかな》だった。

 もう十年も前になる古い曲だけれど、今でも鮮明に思い出せるあたり私にとっても思い入れの深い曲だ。

 というよりは、私にとっては半生を彩る魂の一曲とも言うべきか。

 それだけに思いがけず素晴らしい声で聴けたことに機嫌を良くしてしまう。

 

「十年間、何度も聞きましたから。……<Infinite Dendrogram(こっち)>に来てからはご無沙汰なんですけどね」

「そう……。……うふふ、やっぱりマグロちゃんはいい子ね。実はわたしもこの歌が大好きなの♪」

 

 そう笑みを深くするクジラさんは、心の底から嬉しそうだった。

 同好の士を見つけた喜びだろうか? しかしそれにしては彼女の喜びようは尋常ではなく、勢い余った私の腕にしがみつく有様だった。

 

「好きだという子はいても、大好きだっていう子は珍しいわ。もう随分と古い曲でしょう? なのにマグロちゃんったら本当に大好きって顔してるのだもの、お姉さんったらつい嬉しくなっちゃって……」

 

 そんなに露骨な顔をしていただろうか?

 片手で顔を揉みほぐしてみるも、そうとは思えないけれど。

 

 見透かすようなクジラさんの微笑みが、僅かな変化を見つけたのだろうか。

 まぁ確かに、好きな曲が同じと聞いて内心ちょっと舞い上がったのは事実だけども。

 それにしたってクジラさんの様子は大袈裟だと思う。

 

「それにしても……やっぱりクジラさんの方が年上だったんですね」

「うふふ、今年で二九よ。……あらやだ、もうすぐおばさんになっちゃうのね。もうお姉さんじゃいられないかしら?」

「そうですか? とても三十路前とは思えないですよ……あ、これお世辞じゃなくってですね」

 

 本当にお世辞でもなんでもなくて、クジラさんの美貌はとてもおばさんと言えるようなものではなかった。

 昨今の美容技術の発展は著しく、とりわけアンチエイジングの類は数世代前とは比べ物にならないと聞くが、それを抜きにしてもクジラさんは若々しいように思う。

 尤も、それは単なる見た目だけのことではなく、無邪気っぽい彼女の振る舞いも合わさってのことだと思うけれど……つまりは子供っぽいということになるのかな?

 

「マグロちゃんは……そうねぇ、二二、いや二一かしら? なんとなくそんな感じがするわ」

「……凄いですね、ドンピシャですよ」

「うふふ、やっぱり。だけど不思議ね、それよりもずっと幼い感じもするのよ。身体はそんなにおっきいのにね? ……うふふ、立派立派」

「褒めてます? それ」

 

 無駄にデカい図体は私も結構気にしてるんだけどなぁ。

 ほんと、この異常体質さえなければ健康体そのものなのに、感覚の有無だけで宝の持ち腐れなのだから遣る瀬無い限りだ。

 

「あとはそうね……女の子だもの、好きな人とかができれば素敵よね」

「好きな人……ですか?」

「そうよぉ、恋人とか、彼氏とか……旦那様とか。そういう人がいると、人生って変わるものよ?」

 

 私にはよくわからない概念だ。

 誰にも理解されない異常体質を抱えた私にとって、そうした他者との共感を前提とした理屈はまったく縁遠いものとしてあったから。

 友達がいることのポジティブな感情は、スターリングさんとの交流で得られているつもりだけど、クジラさんが言うような恋とか愛とか、生涯を連れ添うパートナーとしての見方は、思えば一度も考えたことがない。

 

「……よくわからない、って顔ね?」

「はい……」

「何度も何度も考えたり、頭から離れないこととか」

「やっぱり……無いかも。そういうので人の顔は、まったく……」

 

 そもそも私は、人の顔を覚えたことがあるだろうか。

 この世界ではない、生身の私が眠る向こうの世界で、他者を記憶に刻んだことが……。

 

「……あ、でも」

 

 人の顔を思い出そうとしても浮かんでこないが。

 代わりに一つだけ、確かな鮮明さで思い浮かんでくるものがある。

 

「さっきの歌は、やっぱり忘れられないですね」

「――――――――」

 

 クジラさんが口ずさんだ《ほしのさかな》。

 あれだけは、私が唯一心から好きになれた、自分以外のものだったように思う。

 我ながら的外れな答えだとは思うけれど、繰り返し想起する思い出と言えば、やはりこの曲だ。

 

 なんて、トンチンカンな答えにクジラさんは唖然としたようだけど。

 らしくもなく目を見開いて、開いた口までも覆い隠して私を見上げるクジラさんの表情が、なんともおかしかった。

 

「……わたしは好きな子がいるかどうかを聞いたのにぃ」

「あはは、すみません。やっぱり私、女の子って柄じゃないみたいですね」

 

 普通の女の子は、こういう所謂恋バナってやつに花を咲かせたりするのだろうけど。

 こればかりは私という相手が悪かったということで、彼女の期待には応えられそうになかった。

 

「ちなみにクジラさんはいるんですか? 好きな人」

 

 意趣返し、というわけではないけれど。

 問われたからには問わねばなるまいと思い、何気なく問うた。

 

「…………そうねぇ」

 

 ところがクジラさんは、浮かべていた微笑をにわかに消して。

 考え込むようにしてたっぷり間を置いてから、やはり何気ないように言った。

 

「……いたのよね、わたしにも」

「…………?」

 

 浮かべた表情の理由は、分からなかったけれど。

 

 

 ◇

 

 

 その後の私達と言えば、結局日が沈む頃になるまで街のあちこちを見て廻る羽目になった。

 クジラさんの連れ合いを探していたつもりだったのだけれど、道中のあちこちで彼女が興味津々に見て回るものだから、ほとんどショッピングのようになってしまった。

 当然当初の目的など果たせるわけもなく、何の成果も得られないまま今に至る。

 

「こんなに歩き回ったのは初めて! うふふ、いっぱい食べ歩いちゃった」

 

 一方でクジラさんはと言えば、両手いっぱいに屋台菓子やらおもちゃやらを抱えてご満悦である。

 特にお気に入りなのは王国のとある地方発祥だという風車のような【風星】というおもちゃに、レジェンダリア由来のそのまま食べられるという甘い花束のようだ。

 ちなみにそれらを含めたお土産の代金の出処は全て私の財布だ。前にも言ったが今の彼女は持ち合わせが無いので仕方がない。

 まぁ大した出費でもないから全然懐は痛まないしいいんだけどね。

 それはそれとして甘え上手というかなんというか、仕方ないなぁって風になってしまうのが彼女の人徳というものなのだろう。

 

「そういうそなたも随分楽しんでおったようだが?」

「だから言うに言えないんですよねぇ……街全体がお祭り騒ぎなのが悪いですよ」

 

 さすがは商業大国というべきか、屋台一つとってもセールストークが上手く、ついつい乗せられて買ってしまうのが悔しい。

 その上でクジラさんが子供のようにはしゃいでホイホイ釣られてしまうものだから、目を離せない立場としては無視するわけにもいかない。

 ……保護者になったつもりはないんだけどなぁ。らしくもない気苦労ばかりが重なる一日だ。

 

「ていうか本当に目当ての人を探さないとマズイですよ! 段々暗くなってきてるし……ううっ、冷え込んでもきてる……」

「うーん……カイトくんったらどこ行ったのかしら……」

 

 まるでそのカイト某がクジラさんから離れていったような言い草ですけど、逆ですからね?

 ていうか屋台にかまけて宿泊施設を一つもあたってないのはどうなんだこれ。

 いかん、クジラさんには任せておけないとわかっていながらついつい一緒になって楽しんでしまっていた。

 それもこれもお祭りムードが悪い。私が実はお祭り好きなのを狙って……ぐぬぬ。

 

「とりあえずメインストリートに戻りましょう。こうなったらもう衛兵さんに聞き込みするしかないですね……」

「はぐはぐ……そうねぇ、親切な人だといいのだけど……」

「とりあえずお菓子食べる手を止めて、お土産はこっちの【アイテムボックス】に仕舞っちゃってください。あげますから」

 

 予備の安い【アイテムボックス】にお土産一式を放り込んでクジラさんに渡す。

 ほんとにもう手のかかる人だけど、いい加減もう慣れた。

 これで悪意が一切無いというのだから、逆に面倒な人だと思う。

 

 そうこうしてメインストリートへと戻り、話が聞けそうな衛兵さんを探していると、ふいにクジラさんが駆け出した。

 

「ちょ、クジラさーん!?」

 

 呼び止める間もなく走っていく彼女を、ここで見失ってはまた振り出しに戻りかねないと足早に追う。

 まだ人通りの掃けきっていない時間帯、すれ違う人に謝りながらクジラさんに追いつくと、彼女は見知らぬ男性を抱きかかえていた。

 

「ねぇ見てマグロちゃん! カイトくんが見つかったわ♪」

「いきなり走らないでくださいよぉ……ハァ、またはぐれたらどうするんですか……けほっ。……それで」

 

 こちとらスタミナにはマイナスの意味で自信があるんだぞ、と息も絶え絶えに。

 目敏く見つけたというクジラさんの連れ合いが、意外な風体をしていたことに気付く。

 

 男性というか、男の子。それもクジラさんより更に頭一つは小さい、幼気な少年だった。

 淡い栗色をした巻き毛の、率直に言って天使のように愛らしい美貌の男の子。

 思わず見惚れて目を見張ると、彼は不機嫌そうな様子を隠しもせずに口を開き――

 

「ウチの馬鹿が世話になったようだな。恩に着る」

「え!? あ、いえ、お気になさらず……」

 

 ――見た目とは似ても似つかない重低音で礼を言った。

 思わぬギャップに度肝を抜かれたが、彼が不機嫌なのは私にではなく彼女へらしい。

 抱き着くクジラさんを鬱陶しそうにしながら、その美貌を歪めて長い長い溜息をついた。

 

「大方興味本位で出歩いて迷った挙げ句、熱暑に行き倒れたのをアンタに助けられた……と言ったところだろう。更に言えばそれからお祭り騒ぎを堪能してきたと見た」

「ま、まるで見てきたように的確な推理ですね……」

「実を言うと行く先々で似たようなことが毎回起きている」

「それは……ご愁傷様です。……いやほんとに」

「わかってくれるか……」

 

 苦労しているんだね? わかるとも!

 いやほんと、今日一日付き合っただけで相当大変なのに、これが毎回ともなると連れ添いの彼の苦労たるや想像するに余りある。

 互いに親近感を抱きながら、どちらからともなく固い握手を交わした。

 

「これでも大事な連れでな、アンタが助けてくれてよかった。本当に感謝している。何かお礼をしたいんだが……」

「いえいえそんな、袖触れ合うも……と言いますし。なんだかんだで楽しかったので気にしないでください」

「謙虚だな、アンタ。……ああ申し遅れた。たぶんコイツから聞いてはいるだろうがカイトだ。順序が逆になったが、よろしくな」

「あ、そうですね。私はマグロといいます、こちらこそ」

 

 連れ、というには彼は<マスター>ではなさそうだった。

 左手に紋章が見えないし、だとするとティアンなのかもしれないが……ひょっとしてレジェンダリア辺りの長命種族なのだろうか。

 別にティアンと<マスター>が組んで行動するのもおかしくはないし、気にするほどのことでもないか。

 

「とりあえず立ち話もなんだ、晩飯だけでもご馳走させてくれるか? 取ってある宿がある、そこで食おう」

「言われてみればお腹が減ったかも? そういうことでしたら、喜んで」

「ねぇカイトくん、わたしはもうお腹いっぱいなんだけど……」

 

 と、そこで空気を読まずクジラさんの一言が響く。

 それに対しカイトさんはギロリと目を向けると、まるで状況の見えてないクジラさんのほっぺたを引っ張りながら凄んだ。

 

「ところでクジラ、お前確かリルを持っていなかったよな? お前に任せておいたらいつ無駄遣いするともしれないから、俺が管理しているはずだが……その口元についてる食べ滓はなんだ?」

「れじぇんだりあのすいーつふらわー?」

「……性懲りも無くまた見ず知らずの人間に甘えたなお前! みっともないからやめろといつも言っているだろうが!!」

「ひゃあん!?」

 

 摘んだ指をそのままに引っ張って離した。

 クジラさんの柔らかい頬に指の跡が残り赤くなる。

 ……ああやっぱり、あれもいつものことなんだ。

 とことん甘え上手というかなんというか、よくぞこれまで無事にいられたもんである。

 

「本当に……本当にウチの馬鹿が申し訳ない……! 身内の恥でしかないが、せめて晩は好きなだけ食っていってくれ……」

「……ククク、見ていて飽きぬ主従よな」

 

 カトリ様的には面白いので万事OKらしい。

 まぁ私もたかが屋台の出し物だし、そこまで気にされるほどのものでもない。

 お金云々も含めて気にしていないことを伝え、彼女に代わり謝るカイトさんの頭を上げる。

 

「そこのアンタは……ああ、<エンブリオ>か。アンタも一緒で構わない、せめて晩飯で詫びさせてくれ」

「よかろう。余は(レア)しか食さぬ故、その旨取り計らってくれるとありがたい」

「……成程、メイデンか。わかった、そう伝えておこう」

「更に言えば、適当な宿を口利きしてくれると助かるのだがな?」

「…………あっ!?」

 

 そういえばそうだった!

 クジラさんにかまけてすっかり忘れてたけど、そもそもの目的それだった!?

 ヤバイ……もうこんな時間だよ! 今からじゃあいくらなんでも部屋を取るなんて無理……

 

「あー……成程、観光客か。その様子を見るにこの街は初めてか? この時期だと当日はどこも空いてなかったろう」

「そうなんですよ……探そうと思っててすっかり忘れてました……」

「重ね重ねウチの馬鹿が申し訳ない。そういうことなら任せてくれ、一人だけなら融通できる。生憎とそっちの……」

「テスカトリポカと呼ぶがいい」

「テスカトリポカにはその姿のままでいてもらうことになるが、大丈夫か?」

 

 どうやら彼がなんとかしてくれるらしい。

 図らずも今夜の寝床の目処が立った幸運に、一も二も無く飛びつく。

 

「ぜひお願いします! それだけでもうお礼としては充分すぎるので!!」

「わかった、こちらとしても詫びになるなら願ったり、だ。そうさせてもらおう」

「でも本当に大丈夫なんです? 実際どこも満室なのに、急にねじ込んだりなんて……」

「心配するな。ウチの馬鹿はこんなだが……これでも顔だけは利くんでな」

 

 そう言って親指で示されたクジラさんは、相変わらずの表情だった。

 ……ほんと独自の世界に生きてるな、この人。

 

 

 To be continued

 



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【歌姫】

書けるうちにどんどん書いて、書き上がった端から投稿するのが私のスタイルです。
ですので変わらず不定期投稿です。


□【獣神】マグロ

 

 カイトさんに連れられた先は、表通りに立ち並ぶ宿場を更に奥へ進んだ先。

 種々様々な高級店が軒を連ねる中央区の、一際目立つ最高級ホテルだった。

 周囲には着飾った紳士淑女達が無数行き交い、物々しく武装した兵士が厳しい目つきで警戒を密にしている。

 明らかに外縁のそれとは違う別世界の空気に萎縮しながら、場違いではないだろうかと周囲の視線を窺うようにして前を歩く二人の後を追った。

 

「お待ちしておりました。此度は当ホテルをご利用いただき、誠にありがとうございます」

 

 ホテルに入るなり、品のいい老スタッフが恭しく頭を垂れた。

 所作一つとっても洗練極まったそれは、おそらく専門のジョブに就いているのだろう。

 昼間に立ち寄ったカフェの店員とは遥かに隔絶した空気に、紛れもなく此処が本物であることを悟る。

 

「予定より遅れて済まない。急ではあるが晩餐の用意を頼む。……それと悪いが、部屋を一つ見繕ってくれ、こいつの客人でな」

「畏まりました。皆様はどうぞリストランテへ、すぐにディナーをご用意致します」

 

 ところが対するカイトさんの態度も堂々としたもので、自分の執事にそうするように指示を出すと、スタッフさんは私という場違いな来客への不審をおくびにも出さず、粛々と下がって動き出す。

 ……いやこれ、本当に私がいて大丈夫なのかな!? いくらなんでもここまで格式高いところだとは思ってなかったんだけど!?

 

「気にするな、……と言ったところで難しいだろうがな。連中とてプロフェッショナルだ、俺達の客と言っておけば無碍にされることはない」

「わ、私こんな格好で大丈夫なんでしょうか……!?」

 

 隅から隅まで贅を凝らした豪華絢爛。

 そんな極上空間に砂埃の舞う日除け姿は明らかに悪目立ちしていた。

 表立って非難する声は無いけれど、この空間と比べればあまりにみすぼらしい私の姿にあちこちで眉を潜められているような気がしてならない。

 こういう場所ではドレスコードが大事って、いくら無知な私でも知ってるんだよ!?

 

「そういえばわたしも汚れちゃってたわね。先にお着替えだけしちゃいましょうか」

「ま、こいつがこんな調子なもんでな。事前に言っているからスタッフも手慣れたもんだ。せっかくだしアンタも着飾っていきな」

「はやくもお礼の釣り合いが取れてない気がするんですけどぉ……!」

 

 いくらなんでもお礼のスケールがデカすぎる!

 私はもっと単純に、ふつーの宿を紹介してもらえるつもりでいたのに、このグレードは完全に予想外だ。

 あまりにも場違いすぎて、居た堪れなさや心細さのあまりに泣きそうにすらなってくる。

 

「まぁまぁまぁ。それじゃあマグロちゃん、こっちで一緒にお着替えしましょ♪ いろんなドレスがあるから迷っちゃうわねぇ……あ、そこのメイドさん。悪いけれどお手伝いしてもらっていいかしら?」

「かしこまりました。お連れ様もどうぞこちらへ」

 

 そんな私の心境を知ってか知らずか、相変わらずの様子でクジラさんが私の手を引き、手近なメイドさんも呼び止めて化粧室へ連行されていった。

 

 

 ◇

 

 

「あら可愛い♪ マグロちゃんはやっぱり暗色系が似合うわね、背丈があるからすっごく似合うわぁ」

「いっそころして……」

 

 数十分後、そこにはあれよあれよとおめかしされた私の姿があった。

 大きな姿見に映し出されたのは、首元から足元までを深い紺色のドレスで着飾ったデカ女が。

 普段は実用一辺倒な旅装で隠されていたものが、分不相応に上等なドレスのせいで却って悪目立ちしているようにしか見えない。

 普段はほとんど気にしていない体格も、とことんまで女性らしい装いにされては不格好さが目立ち、率直に言って恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだった。

 

「ほらほら俯かないで、しゃんとしてみせてちょうだい。……うふふ、マグロちゃんったらすごくスタイルがいいんだから、普段からもっとお洒落しないと勿体無いわ? そうだ、せっかくだからそのドレスもあげちゃいましょ! またどこかで必要になったら着てちょうだいね?」

「その機会が無いことを祈ってます……割と本気で」

 

 クジラさんが似合ってるだの可愛いだの言ってくれてるけど、こういうときの他者の評価ほど当てにならないと私の中では相場が決まっているのだ。

 ていうか私、何気にスターリングさんより背が高いんだよ? リアルで一度彼と会ったことあるけれど、男性としてほぼ理想形の細マッチョなスターリングさんより身長あるんだよ!?

 そんななのにドレスが似合うわけないじゃん! こんなの公開処刑だよ!!

 

「ふむ、馬子にも衣装といったところかな?」

「カトリ様までお世辞はやめてください……着替えが無いから我慢しますけど、ほんとに恥ずかしいんですから……!」

 

 正直デンドロライフ始まって最大の羞恥かもしれない。

 これがメイデンモードのカトリ様なら、本人の堂々とした雰囲気も相俟って本当に似合うんだろうけど。

 生憎今回は普通のガードナーとしての相席なので今も白蛇モードのままだ。

 一応店側にはクジラさんから説明がされていて、彼女の紹介を受けた<マスター>だからということで特別に許可を貰っているのだ。

 

「クジラさんは堂々としてますよね……慣れてるんですか? そういう格好」

「わたし? そうねぇ、お仕事のときはいつもこういう格好だから、もう慣れちゃったわねぇ」

 

 一方でクジラさんの方はといえば、私と違って服に着られるということもなく、堂の入った着こなしだった。

 所謂マーメイドラインというやつだろうか。惜しげもなく晒された肩から流れるようなカーブで艷やかな生地が輝き、身体のラインを品良く彩った上で裾のフリルがヒレのように波打っていた。

 まさに社交界の貴婦人というべき出で立ちで、周囲を圧倒する華やかさと存在感を演出している。

 私の付け焼き刃とはまったく違う、着飾ることへの歴戦を思わせる、プロのような佇まいだった。

 

 しかしこんな格好が仕事着だという彼女は、一体何者なのだろうか?

 周囲の視線からも彼女が只者でないことは既に察してはいるのだけど、彼女の口からそれが明らかにされる様子はない。

 これがティアンならば上流階級の人間か、あるいは王族関係者かとも考えられるのだけど、彼女が<マスター>であることは昼間に確認できている。

 正直なところ、根無し草がほとんどな<マスター>にあってこうした状況が似合うということに、まったく正体を掴めないでいた。

 

「さ、いきましょ。これ以上待たせちゃったらまた怒られちゃうわ。カイトくんったら短気なんだから」

「……むしろものすご~~~~く、気が長い方だと思うんですが」

「?」

 

 クジラさんへの付き合いが良いという一点で。

 その一言は、胸に秘めておく。

 

「ともあれ楽しみだな。如何なる馳走が饗されるのか楽しみでならん」

「…………」

 

 黒いドレスに巻き付いた白蛇って、まるで悪役令嬢みたいだなと思ったのは内緒だ。

 

 

 ◇

 

 

 リストランテで饗されたディナーは、これまた贅を凝らした極め付きのものだった。

 素材からして最上級のものばかりであることは間違いなく、それが一流の料理人の手によって吟味され、味を変え、姿を変え、見目も鮮やかに皿へ添えられテーブルに並べられる。

 拙いテーブルマナーをクジラさんの手助けも得ながら、切り取った料理を舌に乗せればたちまち至福が溢れ出る。

 どれ一つとっても極上の美味世界。およそこれ程の味は、かつてスターリングさんに連れられていった王都の<天上三ツ星亭>くらいのものだ。

 あの店が【天上料理人】たるダルシャンさんの腕前に反して大衆料理屋的な気風であるのを踏まえれば、わかりやすい高級ディナーとしてはこちらが勝るかもしれない。

 どちらも素晴らしい味覚を誇る以上、区別を付けるのは場の雰囲気以外になく、今この時に限っては此処こそが王者だ。

 

「お、おいひい……はぐ。こんなにご馳走してもらっちゃっていいんでしょうか……むぐ」

「そう喜んでもらえるとお招きした甲斐があるわぁ。まだまだあるからどんどん食べてね」

 

 ただのちょっとした人助けのつもりが、こんな豪華なお礼をいただくまでになるだなんて。

 これを所謂『海老で鯛を釣る』っていうのだろうか。昔の人はいいことを言ったもんだ。

 

 とはいえがっつくのもみっともないので、テーブルマナーのレッスンにも注力する。

 クジラさんはこれまた意外にも……というと失礼かもだけど、テーブルマナーも素晴らしく洗練していて、覚えの悪い私でもなんとか不自由なく食事できるほどには教え方も上手だった。

 ちなみにカトリ様は白蛇姿なのでそういう苦労は無い。今も各国の高級フルーツを丸呑みして悦に浸っているところである。

 更に言うとカイトさんも子供の見た目らしからぬ堂々とした食事姿で、クジラさんと並べるといかにも上流階級の御婦人と御曹司といった感じだ。

 

 素晴らしいのは何も料理だけではない。

 このディナーを演出する環境すらも極上そのものと言っていいだろう。

 部屋にはゆったりとした弦楽器の音色が響き、食事を厳かかつ上品に引き立てる。

 学のない私には弦楽器なんてギターとヴァイオリンの区別くらいしかつかないけれど、そんな私でも間違いなく名器とわかる調べが、料理が舌を愉しませるのと同時に耳をも愉しませていた。

 

 そんな何もかもが極上尽くしのこの空間だけど、一つだけ気になる点があった。

 それは弦楽器を演奏する楽団の傍に置かれた、弾く者のいない手付かずのピアノ。

 さらにその横には一段高い舞台が設けられてあって、その空白が奇妙な未完成を強調していてどうにも気になった。

 

「……あそこが気になる?」

「ふぇ!? あ、いや……その」

 

 そんな私の視線に気付いたのか、ふいにクジラさんが話しかけてきた。

 さすがに不躾だったかなと思い、取り繕うようにして答える。

 

「あそこで誰も歌わないのかなって……あ、もしかして特別なときにしか歌わないとか?」

 

 今この状況以上に特別なときって、それこそどんなのだよとは思うけど。

 所謂ディナーショーというものに使うのかもしれない。こう、大人な雰囲気の。

 少なくとも私には縁遠い話だろう。そうでなくともこの食事と演奏だけで充分すぎる。

 

 そう思って、愚にもつかないことを言ったと恥じたのだけど。

 彼女は何故か笑みを深くして、徐に席を立つとその舞台へと向かい、次いでカイトさんもピアノの方へ移った。

 

「今日は本当にお世話になったから、特別ね? 貴女のためのディナーショー、ぜひ堪能していってくださいな」

「タダ働きなど本来なら御免なのだがな。ウチのが世話になった礼だ」

 

 そうクジラさんが告げると同時、弦楽器の演奏の手は止まり。

 ピアノの前で腕を広げたカイトさんの、高音の一打からその()は始まった。

 

 

「――――♪ ――――――――♪」

 

 

 ――まるでこの場が天国に一変したかのようだった。

 

 クジラさんが唇から歌声を紡いだ瞬間から、この空間の全ては彼女の音色に支配される。

 リアルでは聞き覚えのない、言語すらも定かではない歌声。

 きっと<Infinite Dendrogram(この世界)>独自に伝わるのだろう名曲が、クジラさんという唯一人の歌姫によって天上の歌となって響き渡る。

 

 ぽかんと口を開いていたことにすらにわかには気づけない。

 きっと心底呆けた顔をしていたに違いない。思わず我を忘れるほどの名独唱。

 ふと視線を動かせば、さっきまで調度品の一部のように演奏に徹していた楽団の人達すらも、蕩けたようにその歌声へ聞き入っていた。

 

『…………――――♪ ――――、――――♪』

 

 擽るように高いクジラさんの歌声に、厳かな低音が重なる。

 鍵盤を弾き鳴らすカイトさんが発した重低音。バスの声域が完全なハーモニーでクジラさんのソプラノと共演する。

 歌声を彩るピアノの音色はそのままに、忙しなく盤面を踊る指とは正反対のゆったりとした重低音が、渾然一体となってこの世のものとは思えない空前絶後の合唱を奏でた。

 

「……………………」

「……………………」

 

 私もカトリ様も、語る言葉が見つからない。

 この感動を言葉にするのがあまりにも無粋で、ただただ聞き入ることがせめてもの敬意とその歌声に没入する。

 

 どれだけの時間が流れただろう。

 まるで時が止まってしまったかのような……あるいは止まってしまえと願わんばかりの時間に、やがて終わりが訪れる。

 

 恐るべきは二人の以心伝心か。

 楽譜も指揮も無いまったくのアドリブで、カイトさんの不意な変調にもまるで乱れることなく、彼の導きのままにクジラさんの歌は最後まで紡がれた。

 最後に入りと同じ高音の一打で締め括ったあとに、しばしの沈黙が横たわる。

 そして――――誰からともなく拍手が響き、それは一瞬にして万雷の喝采となった。

 

「ふわあぁぁぁ……!!」

「……至福よな」

 

 間の抜けた声すら取り繕う余裕もない。

 ただ両手を打ち鳴らすことだけを思い出したかのように、全身全霊の拍手を送った。

 

 私以外に喝采しているのは、先に演奏をしていた楽団の人と。

 給仕をしていた数名の男女に、たまたま歌声を聞き拾って顔を覗かせた見知らぬ客達。

 その中の一人がクジラさんの姿を認め、全身で驚愕を露わに、興奮のままに叫んだ。

 

「まさかこんなところで【歌姫(ディーヴァ)】の歌声を聴く栄誉に浴するとは! 素晴らしいっ……今日は素晴らしい夜だ!」

 

 感極まってクジラさんへ握手を求めようとした彼が他のスタッフに遮られるのをきっかけに、周囲では口々に【歌姫】の名を讃える声が溢れた。

 そんな周囲の様子に若干困ったような表情を彼女は浮かべ、カイトさんはというとこれまた露骨に不機嫌そうにしながら、元の席へと戻ってくる。

 

「……騒がしい聴衆共だ。黙して聞き入っていればいいものを、無粋な口上を並べ立てるから気が滅入る」

「褒めてくれるのはありがたいのだけど、ね? でも今日は邪魔しないでねってお願いしてあるから、マグロちゃんは気にせず食べてね♪」

「いや、さすがに無理があります……」

 

 「あの【歌姫】と席を共にしている彼女は誰だ!?」とか、そういう声があちこちから聞こえるし。

 見ず知らずの彼らがそうも騒ぎ立てるほどの有名人だとは思わなかったけれど、先程の歌声を聴けばそれも当然と頷けるものだった。

 

「それにしても……あんなに素晴らしい歌を聴けるだなんて、思いもよらなかったです。やっぱりお二人とも、そういう界隈の有名人なんですか?」

 

 何気なく聞いたことなのだけど、それを聞き拾った周囲の視線が「信じられない」とばかりに私へ向けられるのはどういうことだ。

 ともあれ、そんなことを気にしていてはおちおちお喋りすらできないので、努めて意識から排除する。

 

「そういう反応は新鮮だな……てっきりそうと知って近づいてきたのかとも思っていたんだが」

「?」

「うふふ、こういう素直な反応のほうが嬉しいわぁ。普段はどうにも、長ったらしくって……ちょっとうんざりしちゃうのよね」

「察するに、そなたらも超越者と推察するが」

 

 二人の言わんとするところが知れず、カトリ様だけが分かった風なのに疑問符を浮かべる。

 やがてカイトさんが吹き出すように小さく笑みを浮かべ、微笑むままのクジラさんを投げやりに親指で示して。

 

「こんなでも【歌姫(ディーヴァ)】なんだよ、コイツは。俺はその引き立て役ってところだ」

「こんなって酷いわぁ、もう!」

 

 まさかの超級職だった。

 いくらなんでも予想外すぎるわ。

 

 

 ◇

 

 

「おおう、ベッドも超ふかふか……! 身体がしずむぅ……!」

 

 まさかの超VIPとのディナーを終えてから、私は案内された部屋でベッドに倒れ込んだ。

 クジラさん――デンドロ芸能界を股にかける美貌の【歌姫】その人が彼女だったとは露知らず、図らずも大変なイベントに遭遇してしまったことを今更ながら理解する。

 私自身はそうした情報に通じているわけではないのだけど、あの周囲の反応から察するにとてつもない大物であるのは間違いないだろう。

 同席する私に突き刺さる羨望や嫉妬の視線が半端なかったし、ディナーを終えた途端に彼女も無数のファンに囲まれていた。

 あの様子ではプライベートもへったくれもないだろうが、これも有名税というものだろうか。

 単なる武力で名を馳せる多くの有名<マスター>とは違う、業界きっての才媛としての人気ということだろう。

 

「ていうかこれで一人部屋かぁ……普通に四人くらい余裕で寛げるんだけど」

 

 そんなセレブな彼女らだからだろうか、詫びにと用意してくれた部屋も当たり前のようにスイートルームだった。

 これで一人用だというのなら普段借りている安宿はなんだというのか。

 一つだけあるベッドがその証拠かもしれないが、これにしたって三人くらいが悠々と手足を伸ばせる超ビッグサイズである。

 そういうわけなのでカトリ様もメイデン体で堂々と、同じベッドの上に腰を下ろして備え付けのフルーツを摘んでいた。

 

「本当に今日は激動の一日でしたね……まさかここまで大仰なことになるなんて、思いもよらなかったですよ」

「まさしく奇縁というやつだな。余としては充分な寝床を得られて満足だが」

「クジラさんたちが居る間ならいくらでも泊まってっていいとも言われましたもんね。……セレブの財力恐るべし」

「そなたの生家も大変な資産家だったと記憶を見ているが?」

 

 あー……そういえば実家、というかお父さんがそうだったっけ。

 デンドロを始めるまでは周囲のことなんかまるで興味を持ってなかったから、全然気にしたことないや。

 今だから分かるけれど、私ってば体質を理由に世話されるばかりの箱入り生活だったから、とんだ親不孝娘だよなぁ……。

 

 まがりなりにも<Infinite Dendrogram>という新世界で四年ほど生きてきた身だ。

 お金を稼ぐことや人付き合いの難しさなどはある程度わかったつもりだし、<マスター>特権の無い現実で裕福な暮らしを維持するだけの収入を得ることの厳しさなんて、私如きには到底想像がつかない領域だろう。

 そこまで考えて、本当に今更ながらお父さんやお手伝いさんへの申し訳無さがこみ上げてきた。

 だからといって積極的にリアルへ戻ろうとも考えられないあたり、救いようがないと我が事ながら思ったりもするのだけど。

 

「……恩返し、かぁ」

「珍しく殊勝な言葉が出たな。旅に出て早くも思うところがあったか?」

「そこまで本気、というわけでもないんですけど。なんとなーく、お礼の一つでもするべきかなって……」

 

 お世話になったり助けられたりしたのならお礼をする。人として当然のことだ。

 こちらの世界に生きる『マグロ』としての私は、迷いなくそう言えるし、実際そうしてきたつもりだ。

 

 だけどリアルの……『羽鳥霞』としては、どうだろうか。

 そんなこと、一瞬足りとて考えたことはなかった……ように思う。

 周囲で誰かが私のために動いていたところで、視界に入らなければただの雑音、聞こえなければただの映像でしかなかったから。

 同じ世界を生きている感覚を共有できないから、同じ生き物に見えなかった――酷い解釈をすれば、そうなるように思う。

 

 それをスターリングさんは――椋鳥さんは笑って「中二病だな」ってからかってくれたけども。

 マグロとしての馬鹿な私をよく知るスターリングさんにリアルでそう言われたことは、何故だかとても嬉しく感じたのを覚えている。

 

 つまり何が言いたいかというと…………何が言いたいんだろう?

 ああもう、リアルとこっちを一緒に考えると頭がおかしくなりそうだ。

 自分で言うのもなんだけど、向こうの私とこっちの私でギャップがありすぎて、自分のことのように思えないせいもある。

 なんだっけ、あのとき椋鳥さんとは他に何をしたんだっけな……

 

「ふわぁ……、……眠気がぁ」

「馬鹿の考え休むに似たり、か。……クク、そなたらしい間抜け面よな」

「ひど――いと言えないあたり悔しい……!」

 

 そうこう言っているうちにも睡魔は容赦なく思考を蝕んでいく。

 寝巻きに着替えることすら億劫で、枕に頭を預ける余裕もないまま、倒れ込んだままの姿勢でゆっくりと目を閉じる。

 

「……………………そういえば」

 

 意識を手放す前にもう一度、脳裏であの歌声が再生され。

 

「なんだかすごく……懐かしい気がする……。……なんで、だっけ……」

 

 即座に記憶が見つからない、たとえようのなく強い懐かしさが胸を満たした。

 眠気にまどろんだ頭ではその答えを見つけられないまま、私は完全に眠りに落ちた――

 

 

「――――奇縁だな、何もかも」

 

 

 ――間際に呟かれた、カトリ様の独白も理解できないまま。

 

 

 To be continued

 



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地獄の番犬

 □【獣神】マグロ

 

 芸術都市カルカラン二日目の朝。

 寝慣れない柔らかさに違和感を覚えながら寝ぼけ眼をこすり、姿見の前で乱れっぱなしのドレス姿を見て自分がこのスイートルームに泊まったことを思い出した。

 クジラさんからプレゼントされた上物のドレスを台無しにしてしまったのを内心で詫びながら、軽くシャワーを浴びて着慣れた旅装へと着替える。

 貰っておいてなんだけど、やっぱり私にドレスはまったく似合わないと思う。とはいえ捨てるわけにもいかないので、後日クリーニングに出すことを脳内スケジュールに組み込みながらアイテムボックスに放り込んだ。

 

「カトリ様は……寝てるか。ふあぁ……どうしよっかな」

 

 同じベッドの上でまだ眠っているカトリ様を横目に、今日の予定を考える。

 街はまだまだお祭りムードが続き、見て回れるところもまだまだあるというこの状況。

 昨日は到着が昼過ぎだったことやクジラさんに振り回されたこともあり、あまり落ち着いて回れていなかった。

 土地勘も無いのでどうしたものかと予定を決めかねているうちに、ふと昨夜のことを思い出す。

 

「昨日はすごかったなぁ……あれってきっと、同じことをやろうとすればすごいお金かかるよね」

 

 世界の【歌姫】直々のプロデュースによる、私のためのスペシャルディナーショー。

 知る人が知れば血涙流して嫉妬に狂いかねない超サプライズだろう。

 彼女の立場や利害関係のしがらみを考えると、金を積んだからといって叶えられるとも限らない夢のひとときに違いない。

 そんな超VIP待遇をたまたま成り行きで助けただけの私にしてくれるなんて、彼女の高名を知りもしなかった世間知らずな身にはあまりに分不相応なことだ。

 

 とはいえ、まったくの善意で饗された一夜である。

 彼女の好意は素直に受け取っておくとして、今は自分が何をすべきかを改めて考える。

 さすがにもうクジラさんに付き合って、ということはないだろう。昨夜の様子を見るに彼女と会見したい人間は山程いるだろうし、昨日と同じように振る舞ってたら今度こそ嫉妬の視線で殺されかねない。

 

「本音を言うと、この部屋を自由にしていいっていうのも憚られるんだけどなぁ」

 

 一泊ン万リルするともしれない極上スイートルームだ。

 好きに使えと言って額面通り好きにできる度胸があるはずもなく、かといって断っては街への滞在すらままならないこの状況。

 更に言えば辞退なんてすればクジラさんは間違いなくしょんぼりするだろうし、カイトさんも機嫌を損ねそうだ。

 なんというか、あの二人は根っからの上流階級というか、まがりなりにも客人として認められた私が変に遠慮するほうが逆に面目が潰れるというレベルの人達だろう。

 

「とはいえあんまり長く滞在しても厚かましい気もするし……ニ、三日観光したら街を出ようかな?」

 

 ふとそう思いついてみたが、なかなかいい案かもしれない。

 それでもクジラさんは別れを惜しんで引き留めようとしそうだ……というのは私の自惚れだろうか。

 私の中ですっかりクジラさんのイメージが『手のかかる妹』みたいなポジションになっていて、思わず吹き出してしまう。

 実際のところはカイトさんがいるわけだし、そう考えるのもおこがましいのだけど。

 なんだかんだで彼女を好きになっている私がいた。友達……と明言するには、まだちょっと照れ臭いけれど。

 

「とりあえず……朝ごはんでも頼もうかな。ルームサービス……だっけ、確かそれで頼むんだよね」

 

 推察通りロビーとの通信用魔道具が置いてあるのを見つけ、おそるおそるも掛けてみる。

 ……どうやら合っていたようだ。さすがにプロフェッショナルというべきか、どもる私をまるで訝しむ様子もなく快諾された。

 

「……ってそうだ。私一人で部屋を取ってる体なんだから、カトリ様を隠さないと!」

 

 多くの場合<エンブリオ>は人数にいれないことが殆どなのだけど、さすがに堂々とメイデン体で寛いでいるのを見られると顰蹙ものだろう。

 眠りこけるカトリ様をなるべく刺激しないように揺り起こしながら、紋章に入るか白蛇形態になるかをお願いした。

 当然ながら寝起きが悪いカトリ様は渋々といった様子だったが、ルームサービスのフルーツを丸呑みするとなんやかんやでそのまま目が覚めた。

 

 

 ◇

 

 

「マグロちゃんおはよう♪ 昨夜はよく眠れたかしら?」

「おはようございます、クジラさん。おかげさまでグッスリでしたよ」

 

 部屋での朝食を終えた後、階下のラウンジにいくとクジラさんと会った。

 彼女は朝に強いのか、昨日と替わらない様子でぽやぽやしている。

 手招きする彼女に挨拶を交わしながら、テーブルに相席し彼女の淹れてくれたお茶を飲む。

 

「マグロちゃんは今からおでかけ?」

「そのつもりです。とりあえず見て回れるところは回ろうかと」

「これからどんどん観光客が増えてくるから、お店もいっぱい出されるものねぇ。マグロちゃんもやっぱり"オークション"がお目当てかしら?」

「オークション?」

 

 他愛のない会話の中、聞き慣れない単語を耳にし疑問符を浮かべる。

 オークションって、つまり競売のことだろうけど……それが何か関係あるのだろうか?

 

「これから年に一度の大オークションなのよ。マグロちゃんはこの街のことはご存知?」

「いえ、まるでなにも……実を言うとこの街を訪れたのも成り行きでして」

「なら知らないのも無理はないわねぇ。この街ではね、毎年この時期になると世界各地から沢山の珍品や貴重品が集められて、それを巡って丸十日間もオークションイベントが開催されるのよ~」

「世界各地から……それにオークションだけで十日間も。それはまたすごいですね……」

「数日前からひっきりなしに観光客が訪れてるけど、みぃんなオークションに参加するお金持ちや、彼らに雇われた用心棒だったりするわ。そういう人達をターゲットにして出店もいっぱい並ぶのだけど、それは昨日一緒に見たわねぇ~」

「確かにすごい人混みだとは思いましたけど……成程、入国時に言われたイベントってそのことだったんですね」

 

 実際気を抜けば即迷子になってしまいそうなほどの大行列だった。

 今にして思えばよくクジラさんとはぐれず見て回れたものだと思うよ、ほんと。

 

「とすると、ひょっとしてクジラさんもオークション目当てですか? こんなところに泊まれるくらいですし」

「あはっ、ふっふふふ……やだぁマグロちゃんったら。わたしがそんなお金持ちに見える?」

 

 むしろ名にし負う【歌姫】がそうでないことがあるだろうか。

 いやまぁ昨日は散々甘えられましたけど、最後は十分すぎるほどのお釣りが返ってきましたし。

 とはいえ不躾な質問だったことは確かだ、反省する。

 

「わたしは別口よぉ。オークションなんて興味ないし……贅沢もカイトくんがうるさいからしてるだけだしぃ」

「カイトさんが?」

「『然るべき立場には然るべき振る舞いがある』とか言って。全部あの子任せなのよねぇ」

「ああ、成程。マネージャーみたいなものですか。それなら納得です。……でもその割に財布の紐は握られてるみたいですけど?」

「贅沢しろっていうからお店のお菓子買い占めたら、『みっともない真似をするな!』って怒られちゃったのよぅ。言われたとおりにしたのに理不尽よねぇ」

 

 わかった。この人極端なんだ。

 空気を読むという考えがないから額面通りに受け取って、逆に恥を晒すことになるから彼が管理しているのだろう。

 つくづく苦労人だと彼の心中を察して敬意を抱く。でもまぁしっかり者のカイトさんと天然なクジラさんならお似合いではないだろうか。

 

「わたしがこの街に来たのは、オークションの前座に招かれたからよぉ。わたしの歌をぜひ披露してほしいって、市長さんにお願いされちゃったから……」

「意外とすんなり承諾したんですね?」

()()()()()()()()()()()()、それを望まれたのならそうするしかないもの」

 

 …………?

 なんとなく、ひっかかりを覚えるような……気のせいかな?

 一瞬だけ、クジラさんの目の色が変わったような気がしたのだけど、まばたきした瞬間にはいつものクジラさんだ。

 

「ところでマグロちゃんはオークションには参加しないの? <マスター>向けのマジックアイテムも出品されるらしいけどぉ」

「私はそういうのはあんまりいいかなって……そんなに持ち合わせもないですし、大金が動くのを見てると気が遠くなりそうで」

 

 こちとら普段の狩りの戦利品もほとんど全てカトリ様の供物だぞぅ。

 生活に必要な分以外は彼女が消費するものだから懐は常にかつかつだし、装備を必要とすることも無いのでそうした大きな消費とは縁が薄いのだ。

 ……なんせステータスが足りなくてほとんど初期装備以外は装備できないしね。例外は薬品類と特典武具くらいのものだ。

 そんなだからバルドルさんのために一〇〇万、一〇〇〇万単位で消費しまくってるスターリングさんにはちょっぴり引いてたし。

 いつも弾薬費が~って言ってるしなぁあの人も。戦闘に元手が掛かる人は大変だ。

 

「そっかぁ……あ、それならそうね! マグロちゃん、これをあげるわぁ」

「? チケット……?」

 

 ふと思い出したように笑顔を浮かべたクジラさんが差し出したのは、一枚のチケットだった。

 受け取ったそれを裏表見ながら……描かれた内容に目を見開く。

 

「コンサートの!? てことはつまり、クジラさんのですよね? ……いいんですか!?」

「つまらないものだけどぉ、もしよければ来てくれたら嬉しいわぁ♪」

 

 それはクジラさんがオークションの前座として務めるコンサートの、招待チケットだった。

 劇場は街一番の大ホールで、完全にオークションとは独立したプログラムで予定されている。

 前座と彼女は言ったが、おそらく世間的にはこれをメインと見る人も少なくないだろう。少なくとも彼女のコンサートを目当てに訪れるファンも多いはずだ。

 彼女の【歌姫】としての名声からすれば、喉から手が出るほどに欲しい人間は無数いるはず……間違ってもつまらないものなんかではない。

 少なくともこんなあっさりプレゼントされるものではないぞ……王国で例えるなら【超闘士】フィガロさんの決闘のボックス席チケットのようなものだ。

 

「もちろん行かせてもらいます! 昨夜に聴いてから私も好きになって……うわぁ、嬉しいなぁ……! 何から何まで、本当に申し訳ない限りです……」

「いいのよぉ、それはわたしが自由にできる分だからぁ。……うふふ、マグロちゃんにそうまで喜んでもらえたのなら、わたしもすっごく嬉しいわぁ♪」

 

 私としても意外なほど好感を示してくるクジラさんに首を傾げていると、彼女はにこにことした笑みを絶やさないまま口を開く。

 

「優しい人は好きよ。親切な人も、手を引いてくれる人も。……貴女は昨日、そのどれもしてくれたから」

「あ、いえその、改めて言われるほどのことでもないのですけど……」

 

 そこまで彼女の琴線に触れることだったのだろうか。

 彼女の感謝は大きすぎるくらいで、大したつもりもなかった私にはひたすらにこそばゆく感じる。

 

「それに貴女は、()()()()好きと言ってくれた――」

 

 そう言うと彼女は、身を乗り出して私の耳に唇を近付け――

 

 

「だからマグロちゃん。

 ――――コンサートには()()()()()?」

 

 

 ――ゾッと背筋が凍るような美しい声で、そう囁いた。

 

「えっ……?」

「うふふ……それじゃあマグロちゃん、わたしはもう行くわね。今からリハーサルがあるから……」

 

 驚く私に彼女は小さく笑みを浮かべながら、手を振って席を離れていった。

 その背中を見送り、囁かれた耳のこそばゆさに呆然とする。

 

「…………なんだったんでしょう?」

「さて、な」

 

 そこで初めてカトリ様が口を開き、白蛇の赤い瞳で彼女を見据えた。

 

 

 ◇

 

 

 その後私は中央区を離れ、雑踏犇めく商業区へと場所を移した。

 中央区を出る間際に渡された通行許可証を窃盗防止機能付きのアイテムボックスに仕舞い込み、落とさないよう大事に懐へ入れる。

 万が一にもこれを失くしてしまえばもう中央区に戻れない――というほどでもないのだが、再発行のために面倒な手続きを踏む羽目になるためだ。

 王国の場合全体的な治安がマシなためそう気にすることはなかったが、カルディナでは充分注意するよう中央区の衛兵さんにも注意されている。

 

 そうして再び足を踏み入れた商業区は昨日と変わらぬどころかますます盛況を増して賑わっており、外見や服装も様々な人達がひっきりなしに行き来してごった返していた。

 彼らのほとんどはオークションイベントで賑わう街の観光目的だろう。中には一見してモンスターのようにしか見えない人種(おそらくレジェンダリアの人だろう)もいたが、そんな彼らも現地のガイドに案内され興味深そうに出店を覗いていたりした。

 

 まさに異国情緒あふれる光景というものだろう。

 王国のギデオンでも西方三国からいろんな人種が集まったりしていたが、この街はそれに輪をかけて大規模だ。

 まさしく大陸の中心地に相応しい様相で、商業によって隆盛を極めるカルディナらしい風景だと言える。

 実のところ、彼ら観光客を眺めているだけでも新鮮なものばかりで、観光を楽しむには充分なものがあった。

 

「すごい……王国とは段違いの活気ですね。気候もあってくらくらしそう」

「余は雑踏はあまり好かぬのだがな。……それはそうと、ぼさっと突っ立っていては通行の邪魔であろう」

「っと、それもそうですね」

 

 否定するつもりはないけれど、これじゃあおのぼりさん丸出しだ。

 とはいえそうした外の人間には慣れているのか取り立てて注目されることもなく、紛れ込むようにして人混みの流れに乗った。

 そして改めて立ち並ぶ出店の品々を眺めていくが、多くはそのまま立ち食いできるような食べ物の屋台がほとんどで、たまにある土産屋の品揃えは明らかにグレードが低い。

 よく見れば出店を商う人間のほとんどは行商らしき旅装姿で、おそらくは一時的に間借りしているだけの外様なのだろう。

 まともな品の殆どはこの街に古くからある店舗で求められるに違いない。雑多な出店とは対照的に整然と立ち並ぶ店構えが、老舗の盤石を物語っているようだった。

 

「ただの旅行ならお土産を買ってもいいかもしれないんだけど……このまま東へ行くことを考えると荷物を増やしすぎるのも考えものですよね」

「東方に渡すような相手もおらぬしな。買うのは帰りでもよかろう……寄りつくとは限らぬがな」

 

 正直に言うと、現時点ではその場で消費できる食べ物以外に惹かれるものもない。

 土産物は良くも悪くも世界各地の品が並ぶせいでここで買う必要性を感じないし、老舗の品は品でなんらかのブランドなのか桁が一つ二つは違う高額商品ばかりだ。

 そういうわけなのでカトリ様が所望したフルーツ盛り合わせを手に、私も串焼きを頬張りながら冷やかして回るに留める。

 

「あ、カッツォ印の香水がありますよ。……うわ、やすっ!」

「眉唾ものだな……ラベルだけ似せた紛い物ではないか? そもそも香水のようにデリケートな代物、あの男が露店に置くなど許すはずもあるまい」

 

 言われてみれば確かに。

 カッツォさん曰く直射日光なんて香水の劣化を早める大敵らしいから、彼のプライドを考えるにこんな雑な管理はありえないか。

 ていうか相場の半分以下の値段ってそもそも真似るつもりがあるのかという話だ。

 売る側も買う側もわかりきった半ばジョークグッズのような代物かもしれないが、きっと本人が見れば怒り心頭だろう。

 この世界にもコピー商品や海賊版の魔の手は伸びていたということだ。世知辛いね。

 

 そんな感じに面白半分に物色しながら歩いていると、不意に背後から人にぶつかられた。

 物珍しさに見てるうちに不注意になっていたようだ、軽く頭を下げて謝罪すると共に道を譲る。

 

「チッ、気をつけろ」

「すみません、すみません……」

 

 思わず謝ってしまうのは日本人特有の性というものだろうか。

 相手が如何にもな強面の日焼けしたお兄さんというのもあって、視線を交わすように縮こまらせた。

 幸いにしてそれ以上絡まれることはなく、平穏無事にその背中を見送……った直後にカトリ様に締め上げられた。

 

『あんなわかりやすい手にも気づかぬか、戯けめ。まんまと盗まれおってからに……』

『えっ、嘘っ!? 大事なものはちゃんと窃盗防止用の……ああっ!?』

 

 カトリ様の指摘を受け慌てて確認してみると、大事に仕舞っていたはずの通行許可証が失くなっていた。

 ちゃんと防犯機能がついてるのにどうしてと思ったら……ふとミスに気づいて冷や汗を流す。

 

『……これ、一番グレードの低いやつでした』

 

 よく見たら最低限の防犯機能しかついてない、大昔に予備として購入した安物だった。

 財布と一緒だと危ないと思い適当な予備を使ったのだけど、それがよりにもよってこれだったとは。

 これじゃあ精々が下級職の《窃盗》くらいしか防げない。

 

『呑気に言っておる場合か、さっさと追え!』

『で、でももうどこに行ったか……!?』

『マーキングはしておるわ、戯けめ。余が案内する故とく走れ!』

『わ、わかりましたぁっ!』

 

 さすがはカトリ様だ、抜目がないし頼りになる。

 ついでに言うと索敵に長けた白蛇モードなのも助かった。正確には覚えてないけれど、追跡用スキルを振り分けていたおかげだ。

 カトリ様の指示に従って人混みを掻き分け、入り組んだ路地を曲がりどんどん表通りから離れていく。

 

 さすがに私の脚では追いつけそうにないけども、幸いにしてカトリ様の目には犯人の居場所が既に見えているようだ。

 とはいえのんびりしてて捨てられては堪らないし、息せき切って全速力で走り回る。

 ……だけどティアンの子供と大差ない私のAGIではロクに距離を稼げず、生来のどん臭さもあって目的地へ辿り着いた頃には熱暑を駆け抜けたこともあって汗ダクだった。

 

「げっ、居場所がバレてやがったのかよ! ……ってほとんどもう瀕死じゃねーか、馬鹿かお前?」

「ぜひっ、ぜひっ……げぇっほ、ヴォエッ……」

 

 ていうかもう既にいろいろと辛い。

 スリにさえ呆れられているのにも構っていられないほどに体力は限界だ。

 

「そんなザマでわざわざ追いかけてきたワケェ? ほっときゃ怪我せずに済んだのによ、馬鹿だなオメー」

「無駄な問答はいらん。盗んだものをすぐに返せ。即座に応じたのならば貴様ら如き木っ端など捨て置いてやろう」

「へぇ? 言うじゃん、見るからに弱っちそうなナリしてさ。別にこんな紙切れなんざいらねーけど、わざわざここまで来てくれたんなら改めて身包み剥いでもいいんだぜ?」

「……貴様、ティアンか。悪いことは言わぬ、すぐに返すがいい。余とて限り有る命を摘むには偲びない」

 

 嘯くスリの左手に紋章が無いことを認め、カトリ様が態度を和らげて(当社比)再度通告する。

 相手が<マスター>な一度目だけで問答無用だっただろうが、本当に死んでしまうティアンの命を無闇に奪うのは私達の本意ではない。

 だからこその忠告だったのだけど……その答えは刃だった。

 

「不死身の<マスター>様ならよぉ、きっとたんまり貯め込んでるだろうなぁ? なんせ中央区の許可証なんて持ってんだ、いいカモだぜアンタ」

「愚かな。彼我の実力差も見抜けぬか」

「こちとらこれでも上級職サマだぜぇ!? たかが蛇一匹連れた女に梃子摺るかよ!!」

 

 これだから悪いティアンは嫌なんだ!

 相手がPKならこちらも容赦なく反撃できるのに、不死身でもないティアン相手だと対処に困る!

 

 スリは吠えるや否や凶相を露わに跳躍する。

 片手に抜き身の刃を光らせて、疲労困憊の私の急所を狙ってくる敵を、しかしなんとか命は無事に留めるようカトリ様にお願いして――

 

「そこまでなー!!」

「うおォッ!?」

「ぬ……?」

 

 突如飛来した鎖に彼が絡め取られ、同じくして響いた声が激突を遮った。

 

「はなしはきかせてもらったな! おまえがはんにんなーっ!」

「ガキぃっ? それにこの鎖…………まさかっ!?」

「そのまさかなー!!」

 

 四方八方から伸びた鎖が蜘蛛の巣のように男を絡め取り、その鎖を伝って小さな影が飛び出す。

 それは私や男よりも頭一つ二つも小さい、淡い桃色の髪に白い肌をした少女だった。

 いや、それよりもずっと幼く見える。おそらくは二桁に届くかもどうか……そんな少女が亜音速で鎖の上を駆け抜けて男に接近し……

 

「テメェ、<ケルベロス>の――」

「おしおキーック! なっ!」

「グホァッ!?」

 

 その勢いのままに男の鳩尾へドロップキックを繰り出し、その意識を刈り取った。

 気を失って脱力した男から鎖が離れ地面へと投げ出される。

 それを今度は簀巻きにするようにぐるぐる巻きに拘束し、完全に無力化したあとでこちらへ振り返った。

 

「もーだいじょうぶなっ! わるいやつはポッポがやっつけたなっ!」

「あ、ありがとうございます……?」

「とられたのはこれな? もうなくさないようにちゅーいすべきな!」

 

 満面の笑みを浮かべながら落ちていた許可証を手渡してくる彼女は、今までに見たどの<マスター>よりもずっと幼かった。

 左手の紋章やさっきのアクションが無ければ箱入りのお嬢さんにしか見えない彼女が、仮にも上級職の悪漢をああも容易く退治してみせたことに面食らう。

 

「あ、はい……その、助かりました。改めてありがとうございます」

「おれーをいわれるほどのことでもないな! これがポッポのやくめな!」

「というと……?」

 

 疑問を浮かべると、彼女はキリッと表情を変えてポーズを決めながら堂々と名乗りを上げる。

 

「わるいやつらをとっちめる! カルディナのさばくをかけるじごくのばんけん、<ケルベロス>の"レフトヘッド"とはポッポのことなっ!!」

 

 意気揚々とした自己紹介だけど生憎……

 

「ごめんなさい、知らないです……」

「!! がーんだな、でばなをくじかれたなー……」

「す、すみません……」

 

 彼女の様子を見るに多分カルディナでは有名人なのだろうけど、ここに来て間もない私にはとんと覚えがなかった。

 露骨にしょんぼりする少女――ポッポちゃんを宥め、とりあえず手持ちにあった保存食の飴玉を差し出して機嫌を取る。

 

「くるしゅーないなー♪」

 

 チョロいもんだぜ。

 ころころと飴玉を転がし笑みを浮かべるポッポちゃんに思わずほっこりする。

 

「それにしても……都合良く駆けつけてくれましたね? 助かりましたけど」

「そりゃーねーちゃんみたいなデカいのがバテバテになって走ってればいやでも目につくな?」

「デカいの……」

 

 ちっちゃくて可愛らしい彼女に言われると余計に気にしちゃう一言だ。

 

「それにねーちゃんみたいなのはめずらしくないな。ぬすみにあったやつはよくああなるなー」

「そ、そうなんですか……」

「ひとめでスリってわかったな! そんでそんなわるいやつがいるならポッポのでばんな!!」

 

 詳細はわからないけれど、要は善玉ロール主体の<マスター>ということだろうか。

 世にPKを始めとした悪役ロールを主体とした<マスター>がいるように、それを取り締まる<マスター>も存在する。

 彼らの多くは悪名高きPKを狩ることを目的としたPKKだったりするが、彼女もそうした人間の一人なのだろうか。

 なんにせよそれに助けられた身としては、彼女の勇気ある行動に敬意を払うしかない。

 

「とりあえずこいつはポッポがれんこーしてひきわたしてやるな! シチューひきまわしの刑な!」

「あはは……そういうことなら、あとはお任せします。私じゃあどうすればいいのかよくわかんないんで」

「しんぱいごむよーな! ポッポにおまかせなっ♪」

 

 さすがに手慣れたものなのか即答をもらった。

 彼がどうなるのかは知れないが、まぁ深刻な被害は出てないし、他に余罪が無ければそう大したことにもならないだろう。

 ……実際は微妙なところだろうけどね。自ら上級職だって言って、<マスター>相手といえ迷わず命を狙ってきたくらいだし。

 

 まぁ、そのことはもういいや。

 それよりも重要なことが一つある。それは……

 

「あのー……」

「? どしたなー?」

「道、わかりますか?」

 

 カトリ様のナビに従って無我夢中で走り回ったせいで、すっかり自分の居場所がわからなくなったことだ。

 恥を忍んでポッポちゃんへ尋ねると、彼女は呆れたようにジト目で見た。

 すみません、こんな頼りない大人で……

 

 

 To be continued

 




リメイク版ケルベロス一人目登場。
あと前回の後書きに載せ忘れていた捏造設定を下記に。

歌姫(ディーヴァ)
 歌手系統超級職。読みが通常の命名規則から外れているのは【撃墜王(エース)】と同じ理由。
 男が就いた場合の名称は謎。作者としては考えていない。
 傾向としてはMPに特化し、それ以外のステータスは殆ど上がらない。
 スキルの多くがセンススキルでもあり、本人の資質に大きく左右されるジョブの一つ。
 職分としては支援系にあたり、バフやデバフ、精神系状態異常を得意とする。
 特徴としてとあるアイテム系列の使用に長ける。


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容疑者

  □【獣神】マグロ

 

 ポッポちゃんの道案内に従い表通りに出ると、彼女はそのまま詰所へとスリを引き渡しに言った。

 手を繋がれたままだったのでなし崩し的に私もその場にいたのだが、駐在の衛兵さんがやけにポッポちゃんに対し畏まっていたのが印象的だった。

 最初は子供連れが男を鎖で簀巻きにして引き連れてきたと(当然ではあるが)訝しげだったのに対し、ポッポちゃんが懐からあるものを見せた途端態度を一変させている。

 一方で私も当事者の一人として事情聴取を受けたのだけど、彼女の存在のおかげか極めて穏当に終わり、特段拘束されることもなく解放された。

 

「あの……」

「どうかなされましたか?」

「いやその、彼女に対して随分と態度が大袈裟だなぁと思って……」

 

 調書をまとめる衛兵さんに、ふと抱いた疑問を口にする。

 普通、<マスター>は公的機関とは親密になることは少ない。

 それというのも頻繁にログアウトによってこの世界から消失する<マスター>は公的信頼の面から重用しづらく、特に司法や官憲の類とは殆ど関わりを持たないのが一般的だ。

 にもかかわらず明らかに重要人物として扱われているポッポちゃんはその観点から言うと異質で、私としても気になってしまうのは無理からぬことだった。

 

「ああ、そのことですか。確かに我々は<マスター>との関わりは薄いですけどね、彼女は例外ですよ」

「と、言いますと?」

「彼女は【罪狩(クライムハント)】ですからね。我々にとっても決して無視できない重要人物ですから」

 

 そう思っての質問だったのだけど、彼は得心がいったように頷くとそう語った。

 【罪狩】……また聞き慣れない単語が飛び出てきたものだと思い興味深そうにしていると、彼は続けて口を開く。

 

「世の賞金稼ぎの頂点に立つ方ですからね、彼女の手によって捕らえられた高額賞金首は両手の指じゃあ足りません。治安を乱す犯罪者、世を震撼させる<UBM>……そんな無法者共を数多屠り、獄に繋いでおけるのも彼女の手腕によるものですよ。我々にとっちゃあ、一種の救世主、いやアイドルですなぁ」

「アイドル」

「いや<マスター>ってのは凄まじいもんですね、あんな幼気な子供がそんな力を得られるんですから」

 

 気を良くした彼はポッポちゃんのファンの一人だったのか、それからもいろいろ話してくれた。

 つまるところ彼女はカルディナを代表する有名人の一人で、<超級>ではないながらも大きな影響力を有する【超級職】の一人らしい。

 【罪狩】。【咎追(バウンティ・ハンター)】――所謂賞金稼ぎジョブの系統の頂点であり、こと賞金首に対して絶対有利を誇る屈指の武闘派とのこと。

 成程、道理でティアンとはいえ上級職を鎧袖一触にしてしまえるわけだ。

 彼ら世間の治安を担う側からしてみても、なるほどある種の神聖視をしてしまうのもわからないではない。

 

 まぁ中には公権に繋ぎ留めておけない<マスター>の手に超級職が渡ってしまうことを危惧する声もあるらしいけれど。

 特に<マスター>出現以前から長く務めるベテランにそうした意見は多いらしい。これまた理解できないでもない意見だ。

 とはいえ渡ってしまったものは仕方がないので、極力便宜を図ることで最低限協力を得られるよう努めている、というのが現在のスタンスらしい。

 幸いにしてポッポちゃん本人は極めて協力的で、彼女が率いるクランの理念もあって少なくとも表面上は良好な関係を築けているというのが彼の弁だ。

 

「クランというと、たしか<ケルベロス>でしたか。彼女がそんなことを言ってたような……」

「我がカルディナでも上位のクランですよ。所謂賞金稼ぎ集団というやつでして、カルディナの各地を巡って凶悪な犯罪者共を取り締まっておられます。もしこの街以外にも旅をされるなら、困ったときは彼らを訪ねるといいですよ。言っちゃあなんですが、都市によっては官憲はアテにならないんでねぇ……」

「それ、言っちゃっていいんですか?」

「おっといけない、今のはオフレコでお願いしますよ?」

 

 なんにせよ、随分と信頼の厚いクランのようだ。

 随分と詳細な情報に、余程のファンだということが窺える。

 彼らの目印だという三頭犬のシンボルを記憶に留め、いざというときは頼ってみようと思う。

 

「なんのおはなししてるなー?」

「あ、ポッポちゃん。そちらも終わったんですか?」

「こっちはバッチリな! やっぱりアイツ、<レブナント>の下っ端だったなー!」

 

 衛兵さんとの話が一段落したところで、奥からポッポちゃんが顔を覗かせた。

 見たところ彼女の方も話が終わったらしい。両手でハートマークを作って笑顔を浮かべる。

 にしても……<レブナント>? 聞き慣れない単語Part2だな。

 

「<レブナント>って?」

「ポッポたちが追ってるわるーいやつらな! 下っ端がちょーおおくてちょーめんどいやつらな!」

「野盗クランの一つで、正式名称を<レブナント・ネスト>と言います。我々ティアンにも被害が及んでいるので目下指名手配中ですが、今のところ中枢を捕らえるには至っておりません。幹部は<マスター>であるとだけわかっているのですが……彼らのおこぼれに与ろうとティアンからも食い詰め者が多数押し寄せて徒党を組んでるって具合です」

 

 端的にすぎるポッポちゃんの説明を衛兵さんが補足した。ほんとに事情通な御仁である。

 にしても碌でもない連中もいたもんだ。そういう手合いも世の中にはいると聞いていたけれど、実際に話を聞くとなんともいえない気分である。

 

「やっぱりポッポたちのよみはただしかったな! しばらくこっちでおしごとせんねんするな!」

「成程……でしたら我々も留意しておきましょう。もし何かあれば是非御一報を、協力して当たりたいと思っておりますので」

「ごりょーかいな! ()()()()()にもつたえておくなっ!」

「ええ、【獄長】殿にもよろしくお伝えください」

 

 彼らが心得たように示し合わせると、そこでようやく解放と相成った。

 昨日に引き続き、今日もまた随分とトラブルというかイベントというか、出来事の絶えない一日だ。

 

 とはいえ表通りにも戻れたし、事情聴取も終わって晴れて自由の身である。

 改めてこれからどうしようかと考えていると、クイクイと袖を引っ張るポッポちゃんの姿があった。

 

「どうしました?」

「ねーちゃんヒマな? よければポッポたちのとこくるな?」

 

 どうやらお招きのお誘いのようだった。

 

「私は別に構いませんけど……いいんですか? 急にお邪魔しちゃっても」

「ぜーんぜんかまうことないな! ふつーにお店もやってるからおきゃくさんならアフロもよろこぶなー!」

 

 それはひょっとしなくても客引きというのではないだろうか?

 だけどまぁ、私としても特に用事があるわけでもないので全然構わないが。

 それにせっかくのお誘いを無碍にするのも偲びないし、ここは素直に頷いておく。

 

「それでなー、それでなー! ポッポからもおねがいがちょこっとだけあるな?」

「お願い? なんですか?」

 

 そう尋ねると、彼女は屋台の立ち並ぶ区画を指差して。

 

「ポッポといっしょにお祭りまわってほしいな? ポッポだけだとあぶないからってダメいわれてるな……」

 

 …………いい子か!

 

 

 ◇

 

 

 その後しばらくをポッポちゃんと一緒に屋台巡りをしていった。

 昨日のクジラさんといい、初対面の人とばかり祭りを回っているけれど、ほんと今回は変な巡り合わせが多い気がする。

 二人ともとびっきりの美女美少女だし、私が男なら役得と思えたのかもしれないけれど……って後者は完全に事案じゃないか。危ない危ない危ない……

 ていうか二人して放っておけないという点で共通してるのがなんともおかしい気分だった。

 楽しいっちゃ楽しいんだけどね。普段人との関わり合いが無い分すごく新鮮だし。

 

「ていうか随分と買いましたねポッポちゃん……」

「ポッポいまさいきょーな!」

 

 綿菓子に焼串、その他諸々の食べ物を両手に食べ歩きしながら意気込むポッポちゃん。

 そういや昨日もまったく同じことをいい大人がしてましたね。いや誰とは言わないけれど。

 むしろちゃんと自分で買う分を持ち合わせているだけ、ポッポちゃんの方が賢いような……いやそれ以上は言うまい。

 

 そんなポッポちゃんだけど、やけに生き生きとしているのには理由があった。

 なんでもこの街へは仕事として訪れたため、おおっぴらに祭りを楽しむわけにはいかなかったそう。

 少なくとも他のメンバーは各方面への根回しや手続きで出払っており、また彼女一人で出歩かせるのも危なっかしいとのことで、結局今まで碌に祭りも楽しめなかったのだとか。

 

 まぁ周囲がそう心配するのも無理はない。いくら戦闘系の超級職とはいえまだ子供(なんと今年で九歳らしい)だし、決して治安がいいとは言えない場所で一人にさせるのも避けて当然だろう。

 犯罪者を相手にする超級職に就いておきながら過保護ではないかと思うかもしれないが、身内を心配してそうすることに問題があろうはずもない。

 そこを理解しているからこそポッポちゃんも大人しく聞き分けていたわけだが、それはそれとしてチャンスが巡ってきたならそれに乗じてしまうのも子供らしい我儘と言える。

 

 ……そこで私を頼りにするあたり、ほんとに大丈夫なのかと思わないでもないけど。

 知らない人に付いていったらダメと……いやこの場合はポッポちゃんが私を連れ歩いているので逆だけども。

 あるいは私が実は悪い人だったりしたらどうするのかと、迂闊な彼女へまず最初に苦言を呈したのだけどもね。

 そしたら純粋な目で「ポッポにはわかるな!」とか言われちゃえば、もう何も言えないですよ。子供の純真を裏切るわけにもいかない。……いや裏切るつもりなんてまったく無かったけどね?

 

 そんなこんなで絶賛祭りを満喫中というわけであった。

 なんやかんやで私も楽しんでしまっているのでもうおあいこだ。

 私も冷たいジュースを買ったりしながら、好奇心の赴くままにあちこち見て回るポッポちゃんの後を追う。

 ……大半が食べ物屋台だけど。この熱暑の中あんだけ食欲旺盛なのも流石だなぁ。私には真似できない。

 

 とはいえいつまでもそうして遊んでいられるはずもなく。

 だんだんと日が傾いて来たのもあって、そろそろお開きにしないかと声を掛けた。

 

「ポッポちゃん、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないですか?」

「うな? ぐぬぬ……たしかにもうすぐ夜になっちゃうな……」

 

 なにがぐぬぬだ。

 もとい彼女は聞き分けをよくして屋台に見切りをつけると、そのまま屋台が並ぶ区画から離れていく。

 流した汗が吹き始めた夜風に冷やされるのに少し身震いしながら、辿り着いた先は繁華街の一画にある一見して小洒落たバー。

 看板には<BAR・センターヘッド>の文字と、ケルベロスのエンブレムが彫り込まれていた。

 

「ただいまなー!」

「いらっしゃい、<ケルベロス>カルカラン支部<BAR・センターヘッド>へようこそ! ……ってなんだ、ポッポじゃねぇか」

「おらおらー、ポッポさまのおかえりなー! ついでに客もいるなー!」

 

 ドアベルの鳴り響く扉を開け放った彼女を出迎えたのは、カウンターに立つバーテンダー姿の……アフロ。

 うん……そうとしかいいようがない。他に言いようがないくらいアフロが目立つ男性だった。

 

「客? おお、いらっしゃい。見ねぇ顔だが……まぁいい、歓迎するぜ。どうやらウチのが世話になったみてぇだしな」

「お祭りちょーたのしかったなっ♪」

 

 そう言ってカウンター席を勧めてくれた彼は、楽しげにそう報告するポッポちゃんへ苦笑いを浮かべた。

 ティアドロップサングラスといい如何にもアフロ推しな人っぽいけど、人当たりはそう悪い人でもなさそうだ。

 勧められるままにカウンター席に座り……なぜかその横へポッポちゃんも座った。

 

「とりあえずご注文は? ああ、お代なら気にしなくていいぜ。ポッポの連れだしな」

「ポッポはつめたーいオレンジジュースをごしょもーな!」

「なら……私もポッポちゃんと同じので。ええと……」

「ああ、俺はアフロ松田だ。気軽にアフロと呼びな、嬢ちゃん」

「わかりましたアフロさん。私はマグロっていいます」

「マグロね、OK覚えたぜ。っと……オレンジジュースだったな、ちょいとお待ちを」

 

 互いに自己紹介も交わし、彼はそのまま調理に取り掛かった。

 カルディナでは珍しい、冷凍したフルーツをそのままジューサー(っぽいマジックアイテム)にかけたキンッキンのスムージーが差し出される。

 冷たいというだけでも付加価値の高いカルディナにおいて、冷凍までした半ばシャーベットのようなスムージーは過酷な天候もあって実に美味しく、あっという間に飲み干してしまう。

 と同時に簡易ウィンドウが表示され、微量のバフが掛かっていることを知らされた。

 

「ひょっとして【料理人】ですか?」

「本業は別だがね、サブでその辺も取ってるんだ。これでも<ケルベロス>のサブオーナーだからな」

 

 やっぱり。

 メジャーな【付与術師】系統以外にも仲間へのバフを得意とするジョブはあるが、【料理人】はその一つだ。

 特徴として素材の質や調理の腕前で効果時間や効果量に変化があり、微量とはいえ長時間のバフが掛かっているこのスムージーは、そんじょそこらの駆け出しにできることではない。

 

「看板でそうじゃないかとは思いましたけど、やっぱりここも<ケルベロス>の拠点なんですね」

「主要な都市には大体あるぜ。そんな大きかねぇが、それなりのハコは確保してある。その辺も俺の裁量だな」

「他もバーだったりするんです?」

「全部が全部じゃねぇけどな、場所によっちゃディスコなんかもあるぜ」

 

 随分と手の広いクランのようだ。

 そう言えば王国では<月世の会>の施設なんかも多かったけれど、ちょうどあんな感じなのだろう。

 規模の広いランキング上位クランはそうした面でも派手だというし、まさしく組織力の為せる技というものだろう。

 

 そんな風に他愛もない会話を楽しみながら、ふと周囲を見渡すと店を彩る飾りの中に一部異質なものが混ざっていることに気付いた。

 それは所謂手配書というやつで……人相書きと共に大小様々な賞金が掛けられたそれらの存在が、バーをまるで西部劇に登場する酒場のように演出していた。

 

「うちは賞金稼ぎがメインだからな。ちぃと物騒だが……ま、勘弁してくれ」

「いえいえ、気にしたわけじゃないんですが……随分と多いんですね?」

「単なる食い逃げ常習犯から極悪犯罪者まで、ピンキリさ。中には全国指名手配されてる大物中の大物までいる……特に【犯罪王】とかな。さすがに戦力差がありすぎて手出しできてねぇが」

「でもすごいですよ。衛兵さんも言ってましたけど、あんなに信用を稼いでるクランって珍しいです」

「日頃の行いってやつかね。ま、俺達も温い渡世はしてねぇってわけよ」

「ほぁー……」

 

 ううむ、今まで独り身の個人主義でやってきた私にはわからない世界だ。

 とりあえず彼らがすごく頑張ってるということだけはなんとなく理解する。

 ……ところでさっきからポッポちゃんが妙に大人しいんだけど。

 

「何見てるんです?」

「【手配書】な! きょうのこーしんをチェックしてたなー」

「更新?」

「ポッポは【罪狩】だからてもちの【手配書】もとくべつせーな! せかいかくちのしょーきんくびじょーほーがぜーんぶのってるなー」

 

 アフロさんの補足も合わせて曰く。

 【罪狩】を頂点とする咎追系統は基本スキルとして《手配書(ビンゴブック)》というものがある。

 同名のアイテムには世界各地で指名手配されている賞金首の情報が載せられており、その内容は各地で寄せられた情報を基に自動更新されていくらしい。

 下級の間は更新頻度や開示される情報量にも制限があるのだけど、【罪狩】であるポッポちゃんの場合は《手配書》のスキルレベルもEXとなり、同期している【手配書】に載せられる情報も常に最新かつ確度の高いものとなるらしい。

 対賞金首に特化した咎追系統ならではの固有スキルと言えよう。こりゃ犯罪者にとっては閻魔帳以外の何物でもないな。

 

「ねーちゃんもみてみるな?」

「あれ、いいんですか見ちゃっても?」

「本人の了承があれば他者にも見せられるらしいぜ。うちもクランとして頼りにしてるし、嬢ちゃんももし何か情報があれば、教えてくれれば褒賞金も出すぜ」

 

 そういうことなら遠慮無く見せてもらおう。

 意識して探したことはないけれど、ひょっとしたらなにかあるかもしれないし。

 

 ……【犯罪王】ゼクス・ヴュルフェルは言うまでもないので省くとして。

 【盗賊王】ゼタ、【器神】ラスカル・ザ・ブラックオニキス、【殺人姫】エミリー・キリングストン、【魂売】ラ・クリマ、【死将軍】アリス・イン・デッドランド……<マスター>のみならずティアンまでも、罪状様々な犯罪者達が名を連ねている。

 有名なのもそうでないのもあるけれど、生憎ながら私が役立てそうなものはない。

 スターリングさんならこの辺の事情にも詳しそうなんだけどね。あの人も大概なトラブル体質らしいし。

 

 首を横に振って【手配書】を返すと、彼らも大して期待はしていなかったのか何を言うでもなく受け取った。

 それにしてもこんな凶悪な人達を狙うというのだから、賞金稼ぎというのも大変だ。

 だけどそれで上位ランカーにまでなるクランを率いているのだから、彼らの実力は疑いようもなく本物というものだろう。

 

「にしてもこんな時期にこの街にいるたぁ、アンタも観光かい? 見たとこご同業ってガラでもなさそうだしよ」

「あちこちを旅する予定で王国から出てきたんですが……その、慣れない砂漠で足踏みしてまして。今は羽休めといったところですね」

「なーるほど、他所から来なすったのかい。そりゃ大変だろう、他所からの人間は皆そういうからな!」

 

 砂漠の洗礼は誰もが通る道らしい。

 特に<エンブリオ>でゴリ押しが可能な<マスター>にその傾向は多いようだ。

 確かに命が一つきりのティアンだと、そんな危ない真似するはずがないもんね。

 

「皆さんはどうしてここに? やっぱりオークション目当てですか?」

「オークションっつーか、それを目当てに寄ってくるだろうハイエナ共を見据えて、だな。うちのもう一人のサブオーナーが発案したんだが、どうやら当たりだったみてぇだな」

「<レブナント・ネスト>でしたっけ。確かにああいう人達がいると、<マスター>はともかくティアンが危ないですよね」

「まったくだぜ。こっちも因縁ある相手だし、いい加減一網打尽にしてやりてぇんだが……そう思ってこの街にやってきたのはいいが、また妙な感じになってよ」

「妙な?」

「…………もののついでだし、まぁいいか。なぁアンタ、つい最近ここの市長が殺害されたって話、知ってるか?」

 

 思わぬ事件の気配に息を呑んだ。

 市長の殺害……それはカルディナに限っては大きな意味をもつからだ。

 都市国家の寄り合い所帯であるカルディナ連合において、市長の座は王位に等しい。

 つまりその市長が暗殺されたということは、他国においては王族の殺害に匹敵する重犯罪だ。

 

 まさかこのお祭り騒ぎの裏でそんな大事件が起こっていたなんて……

 と、そう考えてふと気付く。そんな状況なのに市井はまるでそれを知った風でもなく、まったくの無関係のように賑わいを見せていることに違和感を抱いた。

 少なくともこれが王国なら、市長……王国でいう王族に相当する人物が殺害されたとなれば、自粛して祭りなんてするはずもないと思うのだけど。

 その疑問を口にすると、彼は「ああ、他国から見るとそうなるよな」と言って説明を始めた。

 

「他所の国の人間じゃあピンと来ないかもしれねぇが、ここカルディナは都市国家の連合だ。各都市はほぼ完全に独立した支配体制を持つ一国に等しいし、市長はそれを左右する独裁者にも成り得る。市長の地位も選挙や世襲制など都市ごとに違う形で継がれるんだが……この都市はちと特殊でな」

「特殊?」

「ここは"芸術都市"、古今東西の珍品・名品が集積し、それを求めてコレクター共が鎬を削る【蒐集家】のメッカだ。そして、だからというわけじゃあないが……そいつらが保有するコレクションの質と量がこの街では地位と名声に直結する」

 

 それは、確かににわかには理解しがたい理屈だった。

 要は他者が羨むほどのコレクションを持つほど、この街では偉いということなのだから。

 まるで政治を顧みているとは思えない、稚拙な子供の理屈のようにすら思える。

 

「殺された市長ってのはその中でも【蒐集王】って超級職に就くほどのコレクターでな。だからこそそのコレクションを狙う者も多いし、敵も多い。正直、殺される理由なんざごまんとある。本人も決して出来た人間じゃなかったようだしな」

「でも、それが殺害が問題視されない理由にはならないと思うんですが……」

「言ったろ? コレクションが充実してる奴ほど偉いって。最悪なのがこの市長、蒐集にかまけるあまり妻子もおらず、血縁も他にねぇときた。そうなると殺された市長の財産はどうなる? なんせ正当に遺産を受け継ぐやつがいねぇんだぜ?」

 

 継ぐもののいない遺産。

 しかしそれは【蒐集王】という頂に至ったほどの者が遺した、莫大なまでのそれ。

 そして今は年に一度の大イベント。その目玉は……、…………!!

 

「オークション!」

「そうだ。死んだ市長のコレクションは今回の大オークションで競売に掛けられ、それに参加するコレクターの手に渡っていく。しかも市長と【蒐集王】の座、どちらも一挙に空いた大チャンスだ。……これだけでキナ臭ぇのがよくわかるだろう?」

「参加者の目的は単に出品物だけではなくて、それを集めることによってコレクションを充実させ市長の座を得ること。……そしてあわよくば【蒐集王】の座も得ようということ、ですね?」

「そういうことだな。どいつもこいつも目先の栄光に目を取られて、誰が市長を殺したのかなんざ気にも留めてねぇ。むしろ降って湧いたチャンスを考えれば、死んでくれてラッキーとすら思ってるだろうよ」

「いくら街の特徴といっても、酷いですね……」

「俺からすりゃあ"芸術"都市なんてとんでもねぇぜ。そんな高尚なもんかよ、精々が"競売都市"がいいところだろうぜ」

 

 芸術を冠したその名の裏には、悪臭漂う欲望の坩堝……ということか。

 強欲と、それによって積み上げられた富こそが支配に直結するカルディナだけど、だからといってそれはあまりに人道に反するように思える。

 ……それが王国という他国の道義に基づく傲慢だったとしても、この忌避感だけはどうしようもない。

 

「そんなだから碌に調査も進んでねぇって話だ。それよりも大事な大事な出品物に手がつけられないように、それを狙うハイエナ共の退治の方に注力してくれってお達しでな。業腹ではあるが、俺達としてもそうせざるを得ない。俺達は既に確定した犯罪者を仕留めるのが仕事で、犯人を暴くのが仕事じゃあないからな」

 

 そう自嘲するように言った彼だけど、それを責められる者はどこにもいないだろう。

 忸怩たる思いでそう吐露しているのがわかるだけに、私は何も言えなかった。

 

「そういうわけだから嬢ちゃん。悪いことは言わん、用が済んだらとっとと離れた方がいいぜ。……この街だけじゃねぇ、カルディナの都市なんて長居せずに越したことはないのが殆どさ。良くも悪くも金持ちの国だからな」

「……ご忠告ありがとうございます。大丈夫です、私もコンサートが終わったら離れるつもりですから」

「コンサート? ……ああ、そういや【歌姫】も来訪してんだっけな。もうとっくにチケットは売り切れてるもんだと思ってたが、よく手に入ったな?」

「いろいろあって、本人からいただいたんです、チケット。ほんとに偶然なんですけど……」

「……なんだと? 本人から?」

 

 彼女と出会った経緯を話していると、彼はだんだんと纏う気配を剣呑にしていく。

 そして語り終えるなりそう言ったアフロさんの眼光は、今までになく鋭いものだった。

 何が彼の関心を買ったのかわからないでいると、彼は口を開いて言った。

 

「さっき言った市長殺害の調査状況だがな、ひとつだけわかっていることがある。犯行時刻の直前、唯一市長と会った人物がいたんだが……」

 

 それは私にとっても思いがけない言葉で――

 

 

「それが当の【歌姫】だって話だ。

 ――――つまり唯一の容疑者らしい、現状はな」

 

 

 ――私の記憶に刻まれた彼女の笑顔が、罅割れたような気がした。

 

 

 To be continued

 



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くじらのうた

 □【獣神】マグロ

 

 剣呑な話題から更にしばらくして。

 あまり気の滅入る話をしても仕方ないとそこから互いの見知った情報や、旅事情などで花を咲かせ、ついでに夕飯も済ませてしまうことにした。

 アフロさんはリアルからして腕がいいのか、【料理人】を下級職でしか習得していないとは思えないほど美味で、店の雰囲気もあってちょっとした穴場の名店といった感じだった。

 お値段の方も半分道楽でやってるとのことからリーズナブルで、ポッポちゃんおすすめのオムライスを一緒に食べて、一息ついた頃には時刻はもう夜も更けて随分と経っていた。

 

 そこでふと門限を思い出し、そろそろ戻らないといけない旨を切り出す。

 中央区とその外では、治安上の理由からある時間帯以降の出入りが制限されており、その門限を越えてしまうと入場に面倒な手続きをしなければならないからだ。

 別れを惜しんでくれるポッポちゃんには悪いが、クジラさんの厚意で部屋を借りてる以上利用しないわけにもいかない。

 またいつか会うことを約束して、私は店からお暇することにした。

 

「お世話になりました。結局ご飯までご馳走になっちゃって……」

「いいってことよ、うちのが世話になった礼だ。お互い旅する身だからまたいつ会えるともしれねぇが……ま、機会があったら寄ってくれ。次はばっちりお代をいただくがな」

 

 そう言ってニカッと笑うアフロさんの白い歯が光る。

 風体は変わっているけれど、どこまでも親切な人だ。

 いろいろと騒動の多いカルカランだけど、なぜだか人との巡り合わせだけは良い。

 

「ポッポちゃんもまたね。といってももう数日はここにいるけれど……」

「う~……ポッポたちのほうがいそがしーからあそべないな……ちょーザンネンな……」

 

 一方でポッポちゃんはというと、いまだに袖を掴んで名残惜しそうだった。

 いつの間にか随分と懐かれたものだ。なにが彼女の琴線に触れたのかは知れないけれど、こうも惜しまれて悪い気がするはずもない。

 とはいえお互いに事情のある身。ぐずる彼女をあやすべく、またなんだかんだで世話になったお礼に、あるものをアイテムボックスから差し出した。

 

「? なになー?」

「レムの実をどうぞ。多分カルディナじゃあ珍しいと思うから」

 

 王国の特産品である高級フルーツだ。

 カトリ様のために買っておいたものだけど、今ばかりはカトリ様も許してくださるだろう。

 冷蔵魔法の付与された長期保存用アイテムボックスから取り出したそれは、瑞々しさをそのままによく冷えている。

 ポッポちゃんは差し出したそれをそのまま一口齧ると、幸せそうに笑顔を浮かべた。

 

「うまうまなー♪」

「なら、よかった。すみません、これくらいしかお礼できなくて」

「はっはっはっ、律儀だなぁ嬢ちゃん。……ありがとよ」

「いえいえ、こちらこそ。……それじゃあそろそろ戻らないといけないので、これで」

「おう。またいつでも遊びに来な、歓迎するぜ。ついでにこいつも喜ぶ」

「またなー!!」

 

 手を振る彼らに私も手を振って返し、背を向けて歩き出した。

 ここまで歓迎されたのも珍しく、すごく後ろ髪を引かれる思いだけど……旅をすると決めた以上、こうした一期一会は覚悟の上だ。

 良い出会いがあったと確かな思い出を胸に、私はホテルへの帰路についた。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

「考え事か、マグロよ」

 

 ホテルへの帰路の途中、私はふと店で彼らと話したことを思い返していた。

 街を挙げての祭りの裏で起きていた事件。それにより闇と欲望を増した支配階級の思惑。

 この街の政治に首を突っ込むつもりは毛頭無いけれど、それらの渦中にふと紛れ込む名前だけがいやに気掛かりでならなかった。

 

「差し詰め、あの【歌姫】のことだろうが」

「……やっぱりわかりますか?」

「戯けめ。思考を読むまでもなく顔に出ておるわ。大方あれが件の殺人へ本当に関与しておるのか、そんな愚にも付かぬことを考えておるのだろう?」

 

 図星だった。

 彼女が市長殺害事件の唯一の容疑者であるとの言葉。

 あのクジラさんに限ってまさか――そう思ってしまうのは、間違いだろうか。

 会って間もないにも関わらずそう考えてしまうのは、それだけ彼女へ親しみを覚えてしまっている何よりの証拠。

 振り回されながらも一緒に祭りを楽しみ、食事を共にして、極上の歌まで披露してもらった。

 それを彼女の優しさ、というのはまた違うのかもしれないけれど。だけどそれを私へのお礼と言った彼女が、そんな血なまぐさい事件に関わっているなんて、とてもじゃないが考えられない。

 

 率直に言って私から見た彼女は、別世界の住人という印象が強い。

 それは地位や名声によって住む世界が違うという意味だけでなく、浮世離れしているというか……言ってしまえば、そう、天使のような人だというのが近い。

 あるいは妖精のような、というべきか。俗世の穢れやしがらみとはまるで無縁の、壊れやすい宝物というのか。

 あの歌声を聴いて以来、彼女へ抱く超然とした印象はますます強く、だからこそ誰かの死と彼女が結びつくなど考えられなかった。

 

「それに動機が無いんですよね?」

「ふむ?」

「アフロさんが言うには、彼女と市長が会ったのは事件直前が初めてだったらしいじゃないですか。それまでは縁もゆかりもない……いくらなんでも初対面同士で殺しが起こるなんて考えられませんよ」

「そうだな」

「それに……市長の死因は……」

 

 市長の死因は、『胸部への大きな裂傷、及び出血多量によるショック死』。

 彼の胸は外部からもその中身が見えるほど無惨に引き裂かれ、その奥に秘められた心臓すらもズタズタになっていたそうだ。

 その表情もまた苦悶か悲哀か、およそこの世のものとは思えぬほど凄惨極まりないもので、とてもではないが正視に堪えるものではなかったらしい。

 調査に臨んだ鑑識官も堪らず吐き気を催すほどに、その死に様は異様を極めていた。

 

 もしこれが他殺だとしたら、一体どれほどの恨みを買えばこうなるのか。

 何者かの依頼による暗殺だとしてもあまりに異様。

 リアル以上に死が身近なこの世界と言えどあまりに残酷な死に様を、彼女が齎したのだとしたら……

 

「だからきっと、彼女は無関係ですよ。たまたま、タイミングが悪かっただけです」

 

 あまりにかけ離れたイメージに、やはり彼女ではないと考えた。

 あんなに素晴らしい歌を奏でられる彼女に限って――それだけを根拠に。

 私には犯行の何もかもがわからない。だからこそ彼女へ抱いた好意だけを信じる。

 

「そ、それにほら……気になるなら直接聞けばいいじゃないですか! ちょっと失礼かもしれないですけど、本人の口から殺してないって聞ければわかるはずです! カトリ様も《真偽判定》、持ってましたよね!?」

「…………そうだな」

 

 なぜか拭いきれない不安に声が震える。

 まるで彼女への嫌疑が我がことのように思え、知らず語調は必死になってカトリ様へ訴えていた。

 カトリ様は、なんの色も見せずただ一言。常と変わらぬ鷹揚さで、私を見据えるだけだった。

 

「か……カトリ様は信じてないんですか!?」

「余は何も信じておらぬし、疑っておらぬ。余はそなたにだけ味方するもの故」

 

 カトリ様は、事件の是非についてなんの興味も無いようだった。

 変わらず泰然自若として、私の守護者に徹するのみ。

 いつもは何よりも頼もしいそれが、今ばかりはとても冷たく思えてならない。

 

「だが、そなたが求めるのならば見定めてくれよう」

「カトリ様ぁ……!」

「果たしてそれがそなたの望みに叶うものであるかは知らぬが、な……」

 

 カトリ様はそう言うけれど、きっと大丈夫だ。

 あんなに素晴らしい歌声の持ち主が、あんなに悍ましい真似をするはずがない。

 だって彼女の歌声は、こんなにも()()()()()()()()のだから……

 

 

 ◇

 

 

「おう、今帰りか? 随分と遅かったな」

「あ……こんばんは、カイトさん……」

 

 結局門限ギリギリになって中央区へ入りホテルへ到着すると、ラウンジにはカイトさんが一人でいた。

 ソファに腰掛け新聞を広げる姿は大人っぽいのだけど、見た目が子供なせいで子供っぽさが拭いきれない。

 これで見た目に反して低い声でなければ、本当にただの子供にしか見えないからこの世界の人達は不思議だ。

 

「はっ……こちとら見た目と態度が似合わないなんて言われ慣れちゃいるがな、そうジロジロと見るもんじゃねぇよ。別に構やしねぇけどよ」

「す、すみません……。……ところでクジラさんは?」

「アイツなら部屋で作曲中だよ。譜面を書くのもアイツの仕事なんでな」

 

 それはすごい。所謂シンガーソングライターというやつだろうか。

 昨夜彼女のステージを聴いたときもそうだけど、ますます()()に似ているなぁ。

 ()()も確か、曲は全て自分で手がけてるんだったかな。演奏は流石に別の人だけど、作詞も作曲も全て彼女だったはずだ。

 ……私がクジラさんへ小さくない好意を抱いているのには、歌声も含めて雰囲気というか空気が()()に似通っているからかもしれない。

 だからこそ、今日聞いてしまった彼女の不穏な噂が、不安となって暗澹として晴れないのだけど。

 

「どうした? 辛気臭い顔だな」

「その……例の事件について、噂で聞いてしまって……」

 

 訝しむ彼にそう答えると、彼は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。

 彼としても本意では無いのだろう。謂れなき中傷への嫌悪が顔に表れる。

 

「それか……捜査の人間からも散々訊かれたがね、()()()()()()()()()()。無論、()()()()()

「そう、ですよね……」

 

 横目でちらりとカトリ様を窺う。

 彼女は黙して語らず、彼の言葉を否定しない。

 彼女が約束したことだ、間違いなく今《真偽判定》を発動しているのだろうが……

 

『嘘は言っておらぬな』

『!! よかったぁ……』

 

 結果は白。

 思わず安堵が胸を満たし、長い溜息を吐いた。

 

「なんだぁ? ひょっとして疑ってやがったのか?」

「そそ、そうではないんですけど……やっぱり、気になってて……。すみません、気分を害されましたよね……?」

「別にくだらねぇ噂如きで目くじら立てやしねぇよ。いちいち謝るな、鬱陶しい」

「あはは……」

 

 言葉は荒いが、彼なりに私を気遣ってくれたのだろう。

 彼の言う通り、くだらない噂だ。真偽もはっきりしている。

 ほんの一瞬とはいえ、無責任な言葉に踊らされて彼らを疑ってしまったことを激しく後悔する。

 アフロさんが悪いというのではないけれど、やっぱり彼らは無実だ。それがわかってただひたすら安堵した。

 

「一喜一憂するのはいいがな、この先もそんなじゃあ苦労するぜ? 嘘か真か、それぐらい自分で判断できねぇと足引っ張られるぞ。大体アンタ、俺が本当のこと言ったとも限らねぇだろうが」

「すみません、実は《真偽判定》を使ってました……本当にごめんなさい!」

「んなこったろうと思ったよ。アンタ、隠し事はできないタイプだな。表情でバレバレだ」

 

 《真偽判定》まで使って彼らを疑っていたことを平謝りするけども、彼は笑い飛ばして言った。

 本当に、馬鹿なことをしたと思う。ただの噂一つで、柄でもない疑念まで抱いてしまって。

 それもすっごくお世話になってる恩人相手に。……ほんと今日の私はどうかしてるよ。

 

「ナンセンスだが、まぁ暇潰しにはなったぜ。ほれ、もうこんな時間だ」

「あっ……ほんとですね、もう日付も変わっちゃう。すみません、それじゃあ私はそろそろ部屋に戻りますね」

「おう、じゃあな。……いい夢見ろよ」

 

 数々の非礼を詫びながら、逃げるようにしてラウンジを後にした。

 そのまま部屋に戻るとベッドに倒れ込み、シャワーすら浴びる間もなくそのまま眠気に身を委ねる。

 

「ほんと……そんなはずあるわけないのに……」

 

 疑念を振り切るようにして呟いた言葉。

 だけどなぜだろう、心に巣食う暗雲は未だ晴れないままだった――。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 □■芸術都市カルカラン中央区――ホテル

 

 マグロがラウンジを後にしてからしばらくして。

 カイトも新聞をアイテムボックスに放り込むと、そのまま階上へ昇っていった。

 

 目指すはクジラが篭もる最上階のスイートルーム。

 すれ違う人々が【歌姫】の片割れたる自分に阿るのをぶっきらぼうに振り払いながら最上階に辿り着く。

 ふと零した溜息。眉間に刻まれた皺を揉みほぐしながら角を曲がると、ふと何かにぶつかってたたらを踏む。

 

「……アンタか」

「如何にも」

 

 己よりも頭二つ以上も背の高い、褐色をした艶めかしい女。

 その姿では初対面なれど、既に幾度となく対面し言葉も交わしている彼女の正体を即座に察し、表情を消して見上げた。

 

「テスカトリポカさんよ、俺に何か用かい?」

「先に用件があったのはそちらではなかったかな? カイトとやら」

 

 今頃は眠りについているだろうマグロの<エンブリオ>――テスカトリポカがメイデン体でカイトを待ち構えていた。

 誰何と共に紡がれた彼女の言葉の意図を察し、彼はすぐに表情を戻した。

 

 俄に流れる沈黙。

 両者ともに口を閉ざしたまま、片方は足踏みしながら苦々しく見上げ、片方は腕組みしながら不遜に見下ろす。

 どちらが切り出すとも知れない沈黙。

 たっぷりと間を置いた末に先に口を開いたのは、見上げる小童の方だった。

 

「……アンタらは良いやつだ」

「ほう? これはこれは、賛辞の言葉痛み入るな。まさしく光栄の至り」

 

 ぽつりと呟かれた独白。

 それを誂うように大袈裟に答える女から、男は視線を切って続ける。

 

「アイツがああも楽しそうにしてるのは久々に見た。……ああ、本当に笑ってるのを見たのは随分と久しぶりだ」

「それについては、我がマスターも同じだと言っておこう。あれもまた、そなたの連れに懐いておるようだしな」

「そうかい、そりゃ光栄だ。……本当に感謝してるんだぜ? それこそ、アイツはアンタのご主人様を友達のようにすら思ってる」

 

 カイトは、己が連れ合いの幸福を噛みしめるように。

 心底からの敬意と感謝を口にして、――故にこそ、その絆を断ち切る言葉を紡ぐ。

 

()()()()()()()()。夜が明けたらこの街からはとっととオサラバしちまいな」

「あれはそなたの連れのコンサートを楽しみにしているようだが?」

「クジラには俺から言っておくさ。悪いことは言わねぇ、最初で最後の忠告だ。()()()()()()()()()()()()()()

「…………で、あろうな」

 

 意図を多分に含んだカイトの忠告。

 その全てを察してテスカトリポカは瞑目し、彼の精一杯の信号を噛み締めて。

 

「あれには伝えよう。――――が、決断を下すのは、あれだ」

「…………そうかい。その理屈は……よくわかるぜ。俺はそういうものだし、アンタもそうなんだろ?」

「同情はせぬが、共感はしよう。……余もそなたも、難儀な()を持つと苦労するな」

「それこそ今更さ。そういう(さが)だ、仕方ねぇ。……ああまったく、仕方ねぇもんだ」

 

 彼は髪を掻き乱し、彼女は踵を返して背を向けた。

 互いに伝えることを伝え、その是非は主に委ねられたことを悟りながら。

 最早言葉はなく、黙したまま正反対に歩き出す。

 

 テスカトリポカが己が主の寝る部屋に消え、カイトも己の部屋の前へと辿り着いた。

 彼の連れ合いは孤独を嫌う。周囲からその関係を邪推されながらも部屋を分けないのは、偏に彼女の意向があってのことだ。

 カイトは形ばかりのノックをしてから、返事を待たずに扉を開けた。

 途端、耳に届くたどたどしい旋律。クジラの口ずさむ鼻歌が、彼を誘うように響いていた。

 

「――――――――」

 

 その歌のもとへと向かうと、彼女は羽ペンを片手に楽譜と向き合いながら一心不乱に書き込んでいた。

 口ずさむ旋律は今まさに書き上げようとしている新譜のプロトタイプ。

 即興で歌を奏でると同時に譜面に起こし、さらなる旋律を重ねて肉付けしていく。

 

 およそ型の存在しない、一切の技巧を廃した天性の才覚に依る作曲風景。

 しかし彼女にとっての作曲とはこれだ。ただ感情の赴くままを唇が紡ぎ、その音に踊るようにして跳ねる指と、それに番えたペンに全てを託す。

 常軌を逸した尋常ならざる天賦の理屈。道理を無視して才気の発露。

 それは<Infinite Dendrogram(この世界)>に降り立つ以前からの、()()としての彼女の生態だった。

 

「…………()()()

「なぁに? ()()()()()

「そろそろ休め。根を詰め過ぎだ」

 

 呼び掛けた名は、この世界のものではない女の名。

 答えて出た名は、最早どの世界にも亡い男の名。

 

 この世界が知るはずもない、全ては終わってしまった番の名だ。

 その名を騙って彼女の名を案じる彼の顔は苦渋に満ちている。

 しかしその表情を彼女は己を叱りつける予兆だと捉えて、いやいやと首を横に振った。

 

「でもいま、すごくいいところなの。さっきから歌が止まらなくて、書いちゃわないと消えちゃうわ……」

「それでも休め。惣次郎()の言うことは素直に聞くんじゃなかったのか?」

「それは、そうだけど……でも大丈夫だから……!」

「休めと言ったら休め。お前の大丈夫はアテにならんからな……ああそうだ」

 

 彼は懐から小瓶を取り出すと、それを彼女に投げ渡した。

 不思議がる彼女に一言「飲め」と命令して、それに従い彼女は中身を嚥下する。

 

 飲み干された【HP回復ポーション】。

 その効果で()()()()()()左の親指が修復される。

 残された血の痕をカイトは拭い、彼はそのままクジラをベッドへ誘った。

 

「…………ふぅ」

「そのまま寝ろ。シャワーも……明日でいいさ」

「……()()()()()

()()()……いい加減俺を抱き枕にするのは卒業してほしいんだがな」

「…………やぁ」

 

 幼子のようにぐずるクジラに結局はされるがままになりながら。

 やがて彼女が寝息を立てるまでを見届け、彼はこっそりと腕の中から抜け出す。

 

 向かうはクジラが譜面を描いていたデスク。

 机上に残された()()()()()()()()()()を拾い上げ、彼は苦い表情で嘆息した。

 

()()()()……か)

 

 書き記された赤い記号の数々。

 その譜面が表す感情の色を察し、彼は長々と息を吐いて……虚空を仰いだ。

 

 

(――――恨むぜ惣次郎。……死人の願いなんて、呪いでしかないってのに)

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 否とは言えぬ御使いの己が身を彼は嘆いた。

 

 

 To be continued

 




我ながらホラー書いてる気分になってきました。


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思い出は遠く鮮明に、懐旧は淡く朧げに

本作品で恋愛要素は一切ありません。
それっぽい要素があるように見えても、物語の都合上のものです。
何卒ご理解とご容赦の程をお願い致します。

……原作キャラとの恋愛なんてほんと無理なんで!


 □某月某日・地球

 

 それは<Infinite Dendrogram>発売から一年程経った頃のこと。

 蝉時雨鳴り響く真夏の昼、男はある人物を待ち合わせてとある都市の駅前広場にいた。

 カジュアルな衣装から覗く鍛え抜かれた筋骨が、ありふれた装いを一流のファッションへ変える。

 背は高く、髪も長く、顔立ちも非常に整っているとあって絶えず周囲の注目を集めていたが、彼はそれを一瞥すらしない。

 ただ待ち合わせるだけで華やぐのを自然体とする彼の名は、椋鳥修一。

 彼は腕組みしながら空を仰いで、ぽつりと小さく呟いた。

 

「付き添いはあるって聞いてるが……」

 

 待ち人は()()()()を抱えているため付き添いを伴って待ち合わせ場所に来るとのことだったが、予定の時刻を過ぎてもまだ現れない。

 聞いていた事情が事情のため()()の安否も心配になり、「やっぱり迎えに行ったほうがよかったか?」と考え、まずは連絡をかけてみようと携帯端末を取り出したところで、視界の端に事前に聞いていた身なりを認め手を振った。

 

「よっ、無事に来れたみたいだな」

「お待たせしてごめんなさいね。思ってたよりも人が混んでいたものだから」

 

 声のもとへと杖をつきながら近寄った待ち人は、長身を白衣で覆った女。

 白の幅広帽を被り、長い袖とスカートで肌を隠すのは日射を厭うてのことだろう。

 垂らした長髪から覗く表情はどこか陰鬱で、無機質な人形めいた無表情。

 発せられる声音も冷たく平坦で、ともすれば真夏だというのにどこか背筋が凍るような、怪奇めいた印象の女だった。

 

「それではお嬢様、我々はこれにて。椋鳥様、お嬢様のことをくれぐれもよろしくお願い致します」

「確かにお嬢さんをお預かりしました。あとはお任せください」

 

 ここまで女を介助してきた付き人に畏まって答えると、修一はごく自然に女の手を取った。

 他者の介助と杖の支えがなければ歩行も覚束ない女への配慮だったが、当の本人にはそうした意図は見えず、ただ当たり前に示された行動に女は一瞬呆けたように瞠目し、次いで小さく呟いた。

 

「優しいのね」

「ん、そうか? にしても……()()()とは随分と印象が違うな、()()()

「そういう貴方は殆ど変わらないわね、()()()()()()()()

 

 飛び出た言葉は<Infinite Dendrogram(あちら)>では幾度となく、しかし現実(こちら)では初めて交わされる互いの名。

 こちらでは初対面ながら親しげに言葉を交わす彼らは、ある世界において深い友誼を結んだ友人同士でもあった。

 

 男の名をシュウ・スターリング。

 女の名をマグロ。

 

 しかしてその本名は――

 

()()()()()()()()()。椋鳥修一だ。よろしくな」

()()()()()()。羽鳥霞よ。よろしくね」

 

 仮想上の異世界とは大きく趣を異にする、聞き慣れた和名だった。

 

 

 ◇

 

 

 ことの始まりは何気ない一言だった。

 ある日<Infinite Dendrogram>内にてシュウとマグロが昼食を共にしていたときのこと。

 美食と談笑に花を咲かせる二人の傍を、仲睦まじい様子で寄り添う一組の男女が通り過ぎるのを、ふとマグロが注視したのをシュウが気にしたのがきっかけだった。

 

『どうした?』

「いえ……仲の良いカップルだなぁって」

 

 マグロは彼らの姿が見えなくなるなりすぐに視線を戻して、食べかけの料理を口に運んだ。

 彼らの姿を追ったのは特に大きな理由があってのものではないのだろう。あるいは本人もよく分かっていないのか。

 いずれにせよなんてことはない、ただの偶然の一幕だった。

 が、そこでぶっこんだのがシュウ・スターリング。

 いつにない反応を見せたマグロに興味を示し、いたずらっぽく軽い恋バナでも聞いてみようと口を開いた。

 

『ひょっとしてマグロも興味あるガル? お年頃ガル?』

「なにがですか?」

『デートとかカップルとか、そういうのだよ。気になって見てたんじゃないのか?』

「単純に仲良くていいなぁって思っただけですよ?」

 

 シュウとしてはからかいついでに聞いただけのことだったが、対するマグロの反応があまりに淡白だったせいで拍子抜けしてしまった。

 これが彼と交流がある他の女性だったなら誤魔化すか、あるいは「じゃあ今すぐその着ぐるみを脱げ!」と実力行使に出るかのどちらかであっただろう。

 しかしマグロのリアクションはそのどちらでもなく、まるで幼い子供が問われて返すような反応に、シュウは別の危惧を抱いて声を潜めて尋ねた。

 

『ちなみに恋愛経験って……あるか?』

「映画のベッドシーンみたいなことですか? 無いですねー」

『おおう……』

 

 まさかの返答に面食らうシュウだった。

 あまりにも情緒に欠けた発言に、彼は思わず天を仰ぐ。

 仮にも女性との食事の場で着ぐるみを着込む男が何を言うのかって感じだが、彼はマグロの女子力を案じた。

 

 それをきっかけに根掘り葉掘り聞いてみれば、出るわ出るわ恋愛要素皆無の半生。

 本来詮索するも無粋な話題なれど、当のマグロが何の恥ずかしげもなく訊かれるままにほいほい答えるものだから、シュウは図らずして彼女のプライベートまで知る羽目になった。

 そして恋愛観の欠如に生来の体質があることを突き止めた彼は、何を思ったかこんなことを言い出した。

 

『よし、いっちょあっちでデートでもしてみるガル?』

「デート……ですか?」

『そうそう。つってもそんな大したもんじゃないけどな。ふつーに出歩いて、映画とかでも見てみるガル』

「はぁ……」

『あとあれだ。さすがに何ヶ月もずっとインしっぱなしって聞いたら心配になるわ』

 

 なにせ経済的・環境的に可能とはいえ、重病人でもないのに月単位で寝たきりである。

 数少ない知り合いから"いつもインしてるマグロさん"の異名で呼ばれるのは伊達ではない。

 無論見方を変えれば言ってることは所謂直結厨のそれであるため無理強いはしないが、シュウ個人としては純粋にマグロの身体を案じて出した提案だった。

 

「うーん…………」

 

 で、一方のマグロはというと。

 まさかの申し出に面食らいながらも、彼の提案に下心を見てはいなかった。

 長年の付き合いで彼がそのようなことを言い出す人柄ではないことは把握していたし、自分を心配して言ってくれているのだとよく理解していたからだ。

 とはいえマグロとしては既に切り離したものとしていた現実が絡む問題。しかし他ならぬシュウの言うことだからと悩みに悩み抜いた末……

 

「……試しに、一度だけ?」

 

 結論としては「スターリングさんが相手だし、大丈夫か」という楽観から了承した。

 ちなみに紋章の中で見守っていたテスカトリポカは驚愕した。さながら引き篭もりが出歩くのを見た親の如く。

 次いでまがりなりにも前向きな進歩を見せたマグロに感じ入り、そのまま静観に徹した。

 

「たぶん、ていうか絶対、迷惑をお掛けすることになると思うんですけど……」

『大丈夫大丈夫、こっちから言い出したことだし任せるガル。あ、でも親御さんの了承は得といてほしいガル。事情もあるしな』

「てことはログアウトか……自発的にするのは久しぶりですね……」

『俺も大概だけど、マグロには負けるガル』

 

 そうと決まれば話は早かった。

 リアルでは珍しく自発的に目を覚ましたマグロに周囲が大騒ぎとなり、駆けつけた父に何事かと問われ「デートしたいから許可をくれ」と要約して伝えたところ、今度は逆に感極まった父から盛大に祝福されその日はホームパーティーとなり……等々。

 とにかく思いがけない騒動を経ながらシュウとスケジュールの都合をつけ、デート前日には交換した連絡先からマグロの父より修一へと涙と嗚咽交じりの感謝の言葉が送られるなどしながら今日に至る。

 

 そして当のデートはというと、修一の手慣れたエスコートもあって至極順調に進行していると言えるだろう。

 視覚と聴覚以外の感覚が無く、物欲の類も薄いマグロ――もとい霞へ合わせて映画巡りを主軸に、目と耳を楽しませる方向で博物館なども見て回った。

 そして合間合間の話の中で歌が好きだという霞の要望に応え、最後はカラオケボックスへと繰り出していた。

 何気に密室へ男女二人の構図だが、当然のように下心は皆無。なにせ女のほうがそんな情緒が皆無なのだから仕方がない。とはいえ、相手が修一でなければやはり危うかっただろうが。

 

「――――!」

「歌が上手いのね、椋鳥さん」

 

 そしてカラオケで輝くのが椋鳥修一という男である。

 昔取った杵柄を活かし美声を惜しげもなく披露しながら、新旧の名曲を熱唱メドレー。

 霞の拍手に迎えられ、ふぅと一息ついてマイクを手放す。

 

「これでも昔は歌手もやってたしな。ところで霞は歌わなくていいのか? 俺ばっかり歌っててもつまらないだろ?」

「つまらなくないわ。椋鳥さんの声もいいし、聴いててとても気持ちがいい……」

 

 一見して楽しそうな表情でもないし声音でもないが、内心は言葉の通りだった。

 むしろこんな淡々とした言葉しか返せないことに申し訳無さを覚えながら、霞は修一の目を見た。

 言葉も表情も感情を伝えるに適さない霞にとって、目こそが最大のコミュニケーションツール。

 修一はそんな霞の意を汲んだのか、気にした風もなく「そうか」と小さく返した。

 

「それに私、歌い方があまりわからないの。今もそうだけど、発音はできても抑揚のつけかたがよくわからなくて……向こうだとそんなことないのだけれど」

 

 自嘲気味の独白。

 言外に「つまらない女」でしかない己への侮蔑を吐露し、恥じるように視線を切る。

 対する修一はしばし考えてから、なんでもないかのようにこう切り出した。

 

「なら練習しようぜ」

「練習?」

「歌い方がわからないなら俺が教えるよ、これでも元プロだしな。それに歌えないっていっても好きな曲の一つや二つあるんだろ? なら好きな曲くらい歌えるようになろうぜ、勿体無い」

「…………勿体無い?」

「そうそう。せっかく綺麗な声してるんだからさ、フリータイムだから時間もあるし、気の済むまでとことんやろうぜ。俺ならいくらでも付き合うからさ」

 

 それは――霞にとっても初めての提案だった。

 大抵の人間は、否定を示した霞に追従しそれきり何も言わなくなる。

 しかし修一は当然のように……しかし一切の不快を感じさせぬまま、()()()()()と言葉をかける。

 甘やかすのではない。優しいのでもない。ただ対等の人間としてそう言ってのけた。

 

「……いいの?」

「いいもなにも、何を遠慮することがあるんだ?」

 

 なんの裏もないその目。

 ごく単純な好意として示された提案に、霞の心は普段にない動きを見せた。

 そしてそれは感覚を有さない霞本人には分かり得ないことだったが、ある種の筋肉運動を表情に伝え――

 

「お、こっちじゃ初めて笑った顔見せたな」

「――今、笑ってたのかしら?」

 

 それは歪ながらも確かな笑顔だった。

 本人にはわからずとも、唯一それを目撃した修一がそう言うのなら間違いないのだろう。

 霞は不思議そうに顔へ手をやり、やはり感触の伝わらない指先で頬を撫でた。

 

「向こうじゃいつも見てるのに、こっちだとさっぱりだったからなぁ。何気に男として危機感抱いてたぜ、仮にもデートなのにつまらないって思われたんじゃあ片手落ちだしな」

「……そんなことないわ。こっちでこんなにも楽しいって思えたのは生まれて初めてよ」

「それはそれで大袈裟だろ。で、曲は何にするんだ? 大抵の歌ならわかるぜ」

「女性の歌でもいいのかしら?」

「勿論。なにかリクエストがあるのか?」

「ええ……これを」

 

 端末を操作して表示したのは、一〇年程前に大ヒットした名曲。

 修一もよく知るところのそれに、彼は意外そうに霞を見た。

 

「<ほしのさかな>か、結構古いのを選んだな」

「意外かしら? ……ひょっとして子供っぽい?」

「そんなことねぇよ、今でもちらほら聴く名曲中の名曲だぜ? 俺のレパートリーもバッチリだ、これなら充分教えられるさ」

 

 そして始まった発声練習。

 童話のように単純ながらも深みのある旋律に合わせ、何度も何度も繰り返し歌う。

 最初はリズムも発音もままならない外れ調子の歌だが、決して途中で中断はせずに必ず通しで歌い上げる。

 そして一曲を終える都度に修一の指導と実践を受け、反省点と改善点を洗い出しながら、それを踏まえて何度も何度も。

 感覚の無い霞には察知できない喉の疲労を修一が見抜き、適度な休憩を挟みながら練習を繰り返し……三時間も経つ頃にはまだ荒削りなれども立派に歌としての体を成し遂げた。

 

「よっし、ここまでで一番いい感じだな! んじゃあちょっと長めに休憩すっか。ドリンクもおかわり欲しいしな」

「…………まるで自分の歌声じゃないみたい。本当に私が歌ったのかしら?」

「紛れもなくお前の努力の成果だぜ、霞。本人のやる気も充分あったしな、これくらい出来て当然さ」

 

 霞の小さな前進を修一は大きく賞賛した。

 これも普段感じ得ない心の動きとなって、表情が照れ臭さに歪む。

 それをまた修一に指摘され、霞は今日だけで自分に起きた変化の数に驚愕を禁じ得なかった。

 

「にしてもあれだな、随分と好きってのが伝わってきたぜ。そんなに好きなのか? この曲が」

「一〇年くらい前に初めて聴いて、それ以来ずっとね。好き……なのかも、今訊かれた初めて自覚したけれど」

「一〇年っつーとデビューから間もない頃か。そりゃ筋金入りだな」

「<Infinite Dendrogram>を始めるまではずうっと……この人の曲ばかり聴いていたわ」

 

 <ほしのさかな>――日本発のシンガーソングライター、入須いさなのデビューシングル。

 作詞・作曲を自ら手がけ、その感情豊かな独特の世界観は「童話の世界に迷い込んだよう」とも評され、老若男女、洋の東西を問わずデビュー直後から広く愛されてきた。

 今日に至るまで彼女の歌は絶えず支持され、入須いさなの名は今や東洋を代表する"歌姫"として世界各国に轟くほどだ。

 畑は違えどかのレイチェル・レイミューズに比肩する双璧として謳われすらしていると言えば、その実力たるや如何程のものかと知れよう。

 

「……だからこそ、活動を休止したと聞いたときはショックだったわ」

「ああ……マネージャーの事故死、だったか。デンドロ発売してすぐだっけ、一時期騒がれてたな」

「騒ぎはあっという間だったけれどね。……結局新しいマネージャーが就いたと広報があっても、再開はされなかったから」

 

 紛れもなく日本が世界に誇る天才の一人として地位と名声を恣にしていた彼女だったが、……しかしここ一年はその有名に翳りが見えていた。

 長年を共にしたマネージャーの急な事故死。それが果たして如何なる影響を彼女に与えたのかは定かではないが、結局その後も活動再開の目処は立たず沈黙を保っている。

 その事故の直前に発表されたシングルCD・<くじらのうた>をラストナンバーとして、彼女の栄光は歴史に埋もれようとしていた。

 

「その騒動からすっかり寂しくなって、<Infinite Dendrogram>を始めるまでは無気力……だったわね。だから曲を耳にしたのも今日が久々だわ」

「それでも一番に選ぶあたり、相当好きなんだな」

「そうね……、もし活動を再開したのなら……たまにはこっちに戻ってくるのもいいかもしれないわ」

 

 もしそれが叶えば、霞にとっても極めて大きな一步となるに違いない。

 生き甲斐の無い現実からの逃避で<Infinite Dendrogram>に没入する彼女の生き方は健全からは程遠い。

 それは言葉にしないながらも彼女を知る誰もが危惧するところで、あのテスカトリポカさえも心の奥底では案じていることでもあった。

 

 実のところ、今回の外出を誰よりも喜んでいるのは彼女と、霞の父である。

 そうでなければいくらゲーム内の知り合いと言えど、現実では初対面でしかない男へ一人娘を一時とはいえ預けることを許容できよう。

 むしろ感謝の言葉すら述べてしまうほどに、父の心中は穏やかならざるものだった。

 それを修一か意図していたか否かは、定かではないが。

 

「……湿っぽくなっちゃったわね。そろそろ練習を再開しましょう?」

「お、まだまだ気合充分って感じだな」

「今日のうちにマスターしておきたいの。またいつ来れるともしれないし……次は椋鳥さんもいないものね」

「え、なんで?」

 

 霞の言葉に、修一は目を丸くして彼女を見た。

 そして心底心外だとでも言うように、霞の目を見据えたまま言う。

 

「そんな水臭いこと言うなよ。もしまたこっち戻るのなら遊ぼうぜ。ていうか霞だけだと親御さんやお手伝いさんが承知しないだろ」

「…………いいの?」

「何のために連絡先交換したと思ってるんだよ。リアルで友達と遊ぶなんて普通だぜ、普通」

「ともだち…………」

「あれ? 霞の中で俺はまだ友達認定されてない?」

 

 おどけるように言った修一に、霞は静かに首を横に振り。

 今度は自分でもわかるくらい自然に、確かな笑顔を浮かべて言った。

 

「そういえば、()()は初めてだったわ。()()()()ならいるのにね」

「そりゃ光栄だぜ。――――んじゃあ練習再開すっか!」

 

 その後も二人は歌の練習を続け、夜が更けるまでそれは続いた。

 帰りは霞の家まで修一がエスコートし、楽しげな様子の霞に感激した彼女の父が修一を招いて盛大に祝おうとするなど……紆余曲折を経てその日は終わった。

 

 修一にとってはありふれた日常のワンシーン。

 しかし霞にとっては……過去になく大きな、かけがえのない思い出となった一日だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □【獣神】マグロ

 

 …………とても長い夢を見た。

 こちらの時間では何年も前の、久々にリアルで経験した一日の夢。

 自分でも驚くほど鮮明に覚えていたスターリングさんとのデートがリフレインし、様々な想いが胸に渦巻く。

 

 とりあえず……す、スターリングさんってやっぱりモテるのかな……?

 いやまぁあの見た目と性格だしモテないはずがないんだけど、それにしては異様に手慣れていたように思える。

 あの人のことだから世間に顔向けできないような付き合いはしてないだろうけど、まるで赤子の手をひねるような熟練のリード……あれは間違いなく人たらしの手腕だ。

 

 あの日リアルで初の友達ができたことや、お父さんが感激の余りに私をどうぞよろしくなんて早とちりしたりして、ほんともう慌ただしかったことをよく覚えている。

 デートのきっかけとなった恋愛観云々は結局わからずじまいに終わったけれど、久々にリアルで楽しいと思えた出来事だったから、こうして夢に見てしまうのもきっとおかしくはないのだろう。

 

 そして、あの日スターリングさんと何を楽しんだのかを思い出した。

 同時に先日のクジラさんのディナーショーで、何が引っかかっていたのかもはっきりする。

 

 ――似ていたのだ、彼女の歌が。私の敬愛する入須いさなのそれに。

 

 あの夜、眠りに落ちる間際で抱いた郷愁は、彼女の歌で想い起こされた私の半生への懐旧だ。

 それほどまでに私は彼女の歌声に入須いさなを重ね、その懐かしさの余りに単なる感動以上の感情を抱いていたのだろう。

 私の唇は我知らず震え……私にとっての魂の歌を拙く紡ぎ出す。

 

「…………――♪」

 

 あの日実感無き現実で幾度となく繰り返した旋律を口ずさむ。

 スターリングさんとの猛練習を経て荒削りながらも形を得た歌は、この世界でも不足無く響いた。

 あるいは、震える喉の動き、踊る舌のざらめき、形を変える唇の感触が旋律を肉付けしていき、私にとっての本当の歌のカタチを描き出す。

 そうして拙い完成を得た<ほしのさかな>は、果たして入須いさなの世界で泳ぐに相応しいものだろうか。

 答えを得られないまま終わりまでを歌い上げ、ふと思いを馳せる。

 こうも私の心を揺さぶる彼女の歌声、その理由は何故か。単に似ているからだけでは到底説明のつかない感動に、私の思考はある一つの可能性を見出そうとして――

 

「そなたの歌は初めて聴いたな」

「ひゅいっ!? か、カトリ様……起きてらしたのですか……?」

 

 不意の一言で煙のように消えた。

 思わぬ声の出現に間の抜けた悲鳴を上げ、ゆっくりと振り返る。

 てっきりからかうようにニヤついているものと想像していたカトリ様の顔は、しかし意外にも安らかなものだった。

 

「拙いが想いの宿った良い歌だ。そなたにも取り柄というものがあったのだな」

「え、えへへ……そうです?」

「気色悪い笑みを浮かべるでないわ、戯けめ。それより朝餉の用意をせよ。余が湯浴みをしている間にな」

 

 珍しく褒めてもらえたと思ったら、次の瞬間にはいつものカトリ様だった。

 それにしても気色悪い笑みだなんてひどい……向こうと違ってこっちでは普通なのに。

 ともあれカトリ様のご命令だ、彼女の要望どおり支度をしないと。確かルームサービスのはそろそろ飽きたと言っていたから……久々にアイテムボックスの中身を検める。

 

「……そういえばコンサートって今日だったよね」

 

 朝食の準備中、ふと思い出してチケットを確認する。

 ポッポちゃんたち<ケルベロス>の人達と別れてから、なんやかんやで三日が経っている。

 屋台巡りやお祭り騒ぎも一昨日までにはあらかた見尽くして、昨日は丸一日中央区でゆっくりしていたのだった。

 外と比べて人通りもおとなしく、治安も良い中央区は上流階級御用達の高級店が軒を連ね、外のお祭り騒ぎとはまた違った楽しみ方ができた。

 マジックアイテムもふんだんい用いられているのか、猛暑も和らいで心地の良い気候で、なんだかんだで溜まっていた疲労も昨日ですっかり回復している。

 まさに絶好のコンサート日和と言えるだろう。早くも夜が待ち遠しくなり、自然と身体が軽くなる。

 

「クジラさんもだけど、カイトさんの声もすごくいいんだよね。まさに極上のハーモニー……コンサートでは彼は歌うのかな? ……歌ってくれるといいな」

 

 あの二人が紡ぎ出す名合唱を想像し、ルンルン気分でカトリ様の朝食を整えた。

 

「早く夜にならないかな……♪」

 

 そう、このときまでの私は暢気に考えていたのだ。

 

 

 ――――その楽観が、最悪の形で打ち砕かれるとも知らずに……。

 

 

 To be continued

 




原作の方が激動すぎます。海道先生天才すぎる。
たまに二次創作の存在理由に疑念を抱くことも……
それはそれとして書くのがめっちゃ楽しいのでやめるつもりはありませんが。


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ほしのさかな

投稿が遅れて申し訳ありません。
クライマックス開始です。


 □【獣神】マグロ

 

 夜、にわかに色めき立つ中央区を進む。

 数日に渡って開催される大オークションの初日は、区外から絶え間無く流れ込む人の波が特徴を形作っていた。

 周囲を行き交うのはいずれも並ならぬ地位や財産を誇る上流階級の人また人。

 第一印象からして庶民とは隔絶した一種のオーラを纏い、中央区のそのまた中央に座す会場へと歩を進めていく。

 といっても徒歩で向かう者は少なく、大半は竜車の類に乗って悠然と大通りの真ん中を進んでいた。

 いずれも贅を凝らした豪奢な装いは、自らの誇る富をアピールする目的もあってのことだろう。そうした車に乗る者こそが真の上流階級であり、歩道を行く者は彼らにとってすれば成り上がりの下賤に過ぎない――そう邪推してしまいかねない格差が両者にはあった。

 

「ま、私はその中でもより格下なわけだけど……」

 

 とはいえ同じ歩道を進む彼らでも私よりずっと裕福なセレブなわけで、私は身を隠すように縮こまりながら歩道の更に端をぽつぽつと歩いていた。

 日はすっかり沈んで肌寒く、夜の帳は星明りを翳らせることなく降り注ぐ。

 昼間には日除けに纏っていた外套は、夜になると逆に内側からの熱を逃さない防寒具に早変わりだ。

 文字通り昼は涼しく夜は暖かいこれらはカルディナでは広く普及したマジックアイテムで、どんな場所でも比較的安価で手に入る砂漠の必需品だ。

 高級なものになるとデザインも洗練され、かつ常に快適な温度を保つというのだから便利なものだ。

 私以外の人達が思い思いに纏う衣装はいずれもそうした加工が施されたマジックアイテムであり、一見して無防備に見えても私が纏う無地の外套よりもずっと優れた効果を発揮している……らしい。

 

 私にとって意外だったのは、私がイメージする上流階級の姿とデンドロ内での実際の姿が大きく違うということだった。

 言ってしまえば私がイメージする上流階級と言えば所謂マフィアっぽい黒スーツだとか、ハリウッドスターのドレスだとかそういうものなのだけど、この世界における高級な装いというのはそうした型に嵌まらない実に多種多様なものであるらしい。

 少なくともリアルで一般的なスーツが普遍的な正装というわけではなく、一見して奇妙に思えるような出で立ちでも、それが周囲の認めるものであるならばその人にとっての正装として認知されるようだ。

 つまり高名な戦士にとっての正装は鎧姿などであるし、魔術師の類であるならばローブなども正装として認められる。

 そしてカルディナにおける上流階級の大半を占める商人達にとっての正装は、すなわち彼らが商う上で最適な装い……つまりは行商のための旅装といった、一見してそうは見えない出で立ちになる。

 無論、見た目は別として質は極上なのだけど。あるいは同じ上流に属する者ならばすぐそれと分かるさり気なさこそが粋というやつなのかもしれないが。

 

 ちなみにこれらの文化や風土はこの街の書店で購入したガイドブックからの情報だ。

 都市一つごとに特色が異なり、また全国から様々な文化を持った人種が無数に訪れるカルディナでは知ってて損はない豆知識である。

 そりゃあそうだよね。相手のこともわからないで商売ができるはずもないし。

 こと商いにおけるカルディナ民の熱意たるや、凄まじいものがあると思い知る限りだ。

 

 ……とまぁそういうわけなので、通行証もある以上そう卑屈になる必要も無いのだが、それはそれとして周囲のセレブオーラに圧力を感じてしまう私である。

 せめて目立たないよう隅っこを歩いてしまうのも許してほしい。たとえカトリ様が呆れた目で私を見ようとも!

 だって同じ歩道を歩く彼らからして明らかにオーラが違うんだもん。区外で多く見かけた一般市民やその他大勢の観光客とは明らかに格が違う。

 たまに見かける<マスター>も大半が非戦闘系で、おそらくは商人系統に就いて個人的な財を成したデンドロ長者だろうと思われた。

 

 ちなみにデンドロ長者というのは、文字通りデンドロ内でジョブなり<エンブリオ>なりで莫大な富を築いた金持ちプレイヤーのことだ。

 中には世界的にもトップランクの資産を誇る超弩級のプレイヤーもいたりするらしい。なんだっけ、マニ……なんとかさんとかいう人が中でも特に凄いとの噂だ。

 あとラ……なんだっけ、アフロさんのお店で見せてもらった指名手配犯の一人もそうした<マスター>の一人だとか。

 善きにせよ悪しきにせよ、金というものは持つ人は持っているようだ。

 

「あ、あれかな会場って。……ギデオンの中央闘技場と同じくらい大きい」

「建造物など富を表す上でうってつけであろうしな」

 

 そんなこんなを考えながら歩いていると、目の前に巨大建築物が現れた。

 決闘都市ギデオンの闘技場に似た、しかしそれとは違って天井の吹き抜けていないそれは、しいて例えるならオペラハウスに似ている。

 しかしリアルのそれよりもずっと大きく、高く、また広く。デザインも一流のデザイナーが手がけたのか、素人目にも一目で凄いと知らしめる威風を堂々と放っていた。

 まさしく芸術都市の面目躍如といったところだろう。街のモニュメントとしても相応しいそれは、紛れもなくカルカランの顔と言えた。

 

 そんな巨大建築物への入り口へと、無数の人間が列をなして続いている。

 私と同じくここまで歩いて来た人達は入場を今か今かと待ち侘びて、竜車に乗って訪れた者は待たされることもなくそのまま案内される。

 前者は上流の端に掛かった成り上がりか運良くチケットを手に入れた観光客で、後者は主催側から招待状が届くようなVIP、ということだろう。

 ここまで来る間にも薄々と感じていたことだけど、いざ入り口を前にするとより露骨に差が出るね。残酷なことだ。

 

 かくいう私もそうしたその他大勢の一人なので、最後尾に並んで順番を待つ。

 ごくたまに割り込もうとする姿も見えるのだけど、そうした連中は容赦なく警備兵に叩き出され最後尾へ連行されるか、酷い場合には退去されるなどしていた。

 金だけでは参列するに値しないということだろう。人間なんだかんだいって一定のモラルが重要ということだ。

 

「チケットのご提示をお願いします」

「あ、はい、どうぞ」

 

 そうして並んでいると、警備兵の一人がそう言ってチケットの有無を尋ねてきた。

 彼の眼光は鋭く、あらかじめ臨検することで偽造チケットなどでの入場を阻止しているのだろう。

 おそらくは高レベルの《鑑定》などによって判別しているのだろうが、世の中悪いことを考えるやつが尽きないものだ。

 無論私はクジラさんから直々にもらっているので、憚ることなく即座に提出した。

 

「拝見します。――――!?」

「?」

 

 提出したチケットを確認するなり、彼は表情を変えてチケットと私を交互に見た。

 その顔には驚愕が張り付いており、それまでの厳とした雰囲気を一変させて口を開いた。

 

「恐れ入りますが、このチケットはどこで入手されましたか?」

「クジラさんから頂いたのですが……」

 

 入手経路を問われてクジラさんの名前を出すと、彼は大きく目を見開いて慌てて頭を下げた。

 その後も二度三度、名前や身分などの確認を取られる。

 そして私を列から連れ出すと、そのまま長蛇の列を横目に最前列へと案内し始めた。

 

「大変失礼いたしました。マグロ様は招待状をお持ちですのでこちらからご入場が可能です」

「? …………あっ! そういうことですか!」

 

 そこでようやく事情を察した私。

 成程、クジラさんから貰ったチケットはVIP待遇のものだったらしい。

 言われてみれば確かに、コンサートのメインを飾る人物から貰うようなチケットがその他一般人が買うものと同じなわけもなかったな。

 おそらく先に入場管理の人に見せるべきだったのだろう。私の不手際だった。

 

 VIPを一般客と同列に扱ったことを謝罪する彼には申し訳ないことをしてしまった。

 彼らからしてみれば職務に関わる一大事だっただろう。場合によっては無礼を理由にクビを言い渡されるのかもしれないのだし。

 畏まる彼に私も詫びながら一時謝罪合戦をしたりして、案内に従っているととある部屋に辿り着いた。

 

「何かございましたら何なりとお申し付けください。それでは失礼致します」

「あ、はい……」

 

 そこは所謂ボックス席だった。ギデオンでも闘技観戦の折に何度か利用した、最高級ルームである。

 大体の配置は私がよく知るギデオンのそれと大して変わらないようで、中央に面した窓からステージが一望できる。

 テーブルには映像用のマジックアイテムが複数備え付けられていて、画面には無人のステージが各方面から映し出されている。

 これでクジラさん……【歌姫】の姿を間近で拝めるということだろう。一般席の最前列以上に近く見られるこれこそがボックス席の特権の一つということか。

 おそらくは音響に関しても眼下に広がる席以上に優れているに違いない。それが建築技術か魔法技術によるものかは知れないけれど、ボックス席ってそういうものだし。

 

「なんていうか……こんなとこまで至れり尽くせりとは思わなかったです……」

「ククク、そなたは運が良いのか悪いのか……」

 

 いつの間にかメイデン体で寛いでいたカトリ様がそう言うが、間違いなく幸運だろう。

 ていうかクジラさんと出会ってからというもの、まるでわらしべ長者のように最高級の待遇を得られているなぁ。主観では交換する藁すら持ってないのだけど。

 ここまでされるほどのものか、歓待の数々に掛かったお金を思わず考えてしまう無粋な私には、はっきり言って過ぎたものだった。

 

 でもまぁ、それはそれとして提供されたのなら素直に楽しんでおくのが吉というもの。

 ふっかふかで座り心地の最高なソファに身を預け、備え付けの冷蔵用マジックアイテムからジュースを取り出しグラスに注ぐ。

 勿論カトリ様の分を先に注いで、二人でソファに並んでグラスを傾ければ、たちまち私もセレブ気分というものだ。

 

「なんだか旅を勘違いしちゃいそうですよねぇ……最初の街でこんな贅沢覚えちゃったら、この先が辛くなるかも……」

 

 夢のような一時。だけどこれで本番にはまだまだ遠いのだから困ったものだ。

 しばらくすればここにクジラさんの歌が響き渡って、さらなる極上の中でこの優雅を味わえるのだ。

 まったくもって贅の極みというものである。これでは何のための旅だかわからなくなるよね。

 それを知ってか知らずか、カトリ様は相も変わらず悠然としたものだけど。

 もしここで高級フルーツに味を占めたとしても、この先ではもう用意できませんよ?

 

「戯けたことを……、……来客だな」

「ふぇ?」

 

 コンサート開始までの時間をゆったり楽しんでいると、ふいにカトリ様がそう言った。

 私には聞こえないけれど、感覚の鋭い彼女にはわかったらしい。

 席を立って扉を開け――ようとしたところで先に外から扉が開かれた。

 

「――マグロちゃん! 来てくれたんだぁ♪」

「クジラさん!?」

 

 客はなんとクジラさんだった。

 まさかの来客に思わず驚き、慌てて部屋に招き入れる。

 

「準備中じゃなかったんですか? ていうかわざわざ様子を見に来てくれたんですか!?」

「ちゃあんと来てくれたのか気になっちゃってぇ……スタッフさんにお願いして教えてもらったのよぉ」

 

 あっけらかんと言い放つクジラさん。

 本番直前に突如そんなお願いをされたスタッフさんには心で合掌しておこう。

 彼らからすれば気が気でないだろうけど、こんなの断れるわけないもんね……。

 

「ていうか本番もうすぐなのにいいんですか? 普通は打ち合わせとかするんじゃあ……」

「言って聞くなら誰も苦労はしないというものだ。……ウチの馬鹿がすまんな」

「あ、カイトさん……お疲れ様です?」

「察しの通り、早くも疲れそうだ……」

 

 ふとクジラさんの後ろからカイトさんが顔を覗かせた。

 どうやら彼女を追ってここまでやってきたらしい。その顔には疲労の色が強く浮かんでいる。

 コンサート前だというのにそうも疲れ気味なのは、彼女の我儘に振り回されているからだろう。

 見知らぬスタッフの皆さんと同様に、彼にも心で合掌しておいた。

 

「どうしてもお前がいるかどうか気になったようでな。せっかくの時間を邪魔して悪かった」

「いえそんな……むしろそこまで気にかけてくれているなら光栄です、私。こんなの他の人に知られたら嫉妬で殺されちゃいそうです!」

 

 カルディナが誇る世紀の【歌姫】に最高級ホテルの一室を提供されて、ディナーを共にし個人的に歌まで披露してもらって。

 本人から直々にコンサートの招待状を貰った挙げ句、こうして直接会いに来てもらえるなんて……それこそファンからすれば血涙もののファンサービスだろう。

 ていうか、単なる金銭で叶えられるとは思えないサプライズの数々だ。むしろ逆に私のほうが心配してしまうレベルだよこれ。

 

「ほんともう嬉しくて仕方ないんですけど……お二人こそほんとに大丈夫なんですか?」

「なんでぇ? お友達に会うくらい全然平気――」

「――なワケないだろう馬鹿め! 一目見れたなら即戻るぞ。裏方連中が右往左往しっぱなしだ!」

 

 案の定大丈夫じゃなかったらしい。

 クジラさんの耳を引っ張ってカイトさんが怒鳴りつける。

 本当にもう破天荒というかなんというか、クジラさんでなければ到底許されない無茶っぷりなのだろう。

 付き合いは短けれど容易に察せる彼女の振り回しっぷりに、思わず苦笑を浮かべてしまった。

 

「本当にお疲れ様です。……クジラさんもあんまり振り回しちゃ可哀想ですよ?」

「マグロちゃんまでぇ……ほんとはもっとおしゃべりしたいのにぃ」

「そういうわけなのでな、慌ただしいが急いで戻ることにする」

 

 結局碌に会話もできないまま、彼らは部屋を後にした。

 せめて通路まで見送ろうと扉を開け、名残惜しげなクジラさんの耳を引っ張るカイトさんが、ふと振り返って一言。

 

「……ああそうだ。非常口はあそこだ」

「? ありがとうございます……?」

 

 唐突に非常口を指差した彼の意図が掴めず疑問符を浮かべる。

 しばし間を置いて、おそらくこちらを気遣ってくれているのだろうと考え、訝しみながらも礼を述べた。

 どうして唐突にそんなことを……いやまぁもし火災とかがあったときに分からないと困るけども。

 まぁ、いっか。きっと彼が几帳面なのだろう。それにしたって気にし過ぎな気がしないでもないけど。

 そう思って二人を見送ろうと手を振ったところで、今度はカトリ様が背後から言葉を投げかけた。

 

()()()()()()()

「カトリ様……?」

 

 彼女の言葉もまた意図が掴めず、どういう思惑でそう言ったのか判然としない。

 カトリ様の思惑は私が知る由もないことは多々あるが、それにしたってあまりに脈絡の無い一言。

 その言葉が二人にとってどういう意味を持つのかはわからないが、言い放つカトリ様の表情は真剣そのものだった。

 

「マグロちゃん。()()()()()()()()()()()?」

「え? あ、はい……もちろん……」

 

 わからないまま、再会を求めるクジラさんの言葉に頷いた。

 振り返った彼女の表情に、またぶるりと背筋が震える。

 そして忘れていた妙な違和感を思い出し、その正体を掴めずに堪らず視線が泳いだ。

 

「戻るぞ、マグロ」

「戻るぞ、クジラ」

 

 偶然被さった声に頷き、最後にもう一度頭を下げて部屋に戻る。

 さっきまでの和気藹々とした空気は、いつの間にか消え去っていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■???

 

「~~~~♪」

「上機嫌だな、()()()

 

 開幕を待ち望まれるステージの舞台裏へ続く道。

 上機嫌に口ずさむ主の歌に彼は言葉を漏らす。

 

 童女のように弾む女。

 呟かれた言葉に振り返った表情は、常と変わらぬ嫋やかな笑み。

 細く弧を描く双眸からは、しかし茫漠とした視線が何を捉えるでもなく彷徨う。

 

「そんなに気に入ったのか? アイツを」

「ええ……だってわたしの歌を好きだって言ってくれたから。()()()()()だって気に入ったのでしょう?」

「好ましい人間だとは思うがな。世話焼きで人が好い。ガタイに見合わず子供っぽい、純朴なやつだ」

 

 返ってきたのは喜び。

 通わせた心の動きはカイト少年へとつぶさに伝わり、その想いを共有する。

 

 喜びに満ちた彼女の意思に相槌打ちながら通路を歩き、やがて舞台裏へ辿り着く。

 一斉に振り返ったスタッフの顔には安堵が色づき、忙しなく二人を案内しながら最後の詰めを進めていく。

 

 開幕まで間もなく、急ぎ調子で着替えさせられるクジラの装いは蒼。

 深い深い海の底のように、蒼くも昏い色彩をしたマーメイドドレスには、星が瞬くが如く装飾の煌めき。

 その装いに合わせたカイトの衣装もまた、夜の帳が如く漆黒をした燕尾服。

 二人並んで舞台袖へ控え、幕が上がるのを待っている間に、さらにカイトが口を開く。

 

()()()

「なぁに? ()()()()()

 

 返ってきたのは哀しみ。

 彼が彼女の名を。彼女が彼の名を。

 この世界のものではない名を交わして、彼女の心は哀しみに満ちる。

 

 否、それだけではない。

 哀しみが心を満たした端から怒りが沸き立ち、続く高揚の楽しみが心の海をかき乱す。

 あるいは憎悪。あるいは使命感。

 今は亡き名の音を皮切りに、喜怒哀楽の四元素からさらに分化した感情が絶えず沸き立ち、渦巻き、彼女の心を混沌に染め上げていく。

 

 あるいは狂気とも言えるその情動。

 外面には顕れない精神の大波が荒れ狂い、満ち引きし、カイトの心へ伝播する。

 内面を共有するが故に叩きつけられる狂った情緒の一切を、彼は眉一つ動かさず受け止める。

 

 聴いてほしい――聴かないでほしい。

 逃げてほしい――逃げないでほしい。

 止めてほしい――止めないでほしい。

 

 ありとあらゆる二律背反がクジラの中で渦巻き、歪な調和を導き出す。

 それはさながら寄せては返す波のように、静寂と鳴動を繰り返して彼女の心を反復していく。

 あまりに常軌を逸した精神構造。

 その理由を知るカイトは、己が主の哀れを想い嘆息した。

 

(もう何も見えていない、か。だけど仕方ない、それが今の望みなら……)

 

 彼の察した通り、最早彼女の目には何者も映ってはいなかった。

 ()()としての舞台を前に存在を切り替えた今の彼女にあるのは、ただ己の感情を歌い上げる意志それのみ。

 

 そしてその意志一つに全霊が傾けられたならば――従僕たる彼はただ従うのみ。

 幾度となく告げた忠告も警告も、それを叫んだ深層心理が失われた今となっては彼の口から代弁されるべくもない。

 平衡を曖昧と矛盾の彼方へ置き去りにした彼女が、心のどこかで叫んだ好ましき友への慟哭も今となっては――――

 

「開幕だ、()()()()

「ええ、()()()()()()()()

 

 ――――無限の想いを置き去りにして、幕は無情に上がる。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □【獣神】マグロ

 

 一度幕を上げた後は、ただただ圧巻だった。

 司会の前口上と共に舞台袖から現れたクジラさんは、夜の海のような装いでカイトさんと並び口を開く。

 伴奏は僅かに、弦楽のソロが奏でる最低限の旋律に合わせて紡がれた歌は、先日のディナーショーとはまた別格のそれだった。

 

 曲調は物悲しく、突き刺さるような悲哀が胸の内から込み上げる。

 去来する感情は離別か喪失か。例えようもなく愛しい半身を亡くした哀しみに暮れ、知らず涙が頬を伝う。

 見下ろせば客席に座す聴衆は皆が皆ハンカチを手に目元を拭い、啜り泣く声が潮騒となってこの部屋まで届くよう。

 

 人は歌だけでこんなにも感動を覚えられるものだったのか。

 そんな驚愕の新事実を確信してしまうほどに、彼女の歌は空前絶後。

 

 おそらく誰もがこのような悲恋が唄われるものとは思ってもいなかっただろう。

 来る大オークションへの熱狂を忘れさせるほどの悲哀、ともすれば気分を台無しにされたと激昂する声すら本来上がるはずだ。

 しかしそうした反感を問答無用に打ち砕く絶望的なまでの哀歌が、聴衆に選択肢すら与えずただ呑み込んでいく。

 

「うぁ……あう、えぐ……」

 

 私自身、胸を満たす哀しみのあまりどうにかなってしまいそうだ。

 流れる涙は視界を歪め、赤く腫れ上がる眼が熱いほどに痛々しい。

 ハンカチで拭うことすら忘れて、哀しみに暮れるままに止めどなく流れる涙を必死に両手で拭っていく。

 

「マグロ」

「ひっく、えぐ……っく……」

 

 カトリ様の声すら定かではないほど、沸き立つ情動が私を呑み込む。

 あまりに哀しくて、私の身体が私のものではなくなってしまいそうで、ただただ胸を突く哀しみに身悶えする。

 あるいはこれを()()()()()()()()()()()()()というのだろうか。

 その言葉の通りに私の両手は胸へと添えられ――――

 

「正気に戻れ、マスター!!」

「えっ――――」

 

 ――――()()()()()()()()した直前で、引き戻された。

 

「な、んで……痛――?」

「成程、()()()()()()であったか」

 

 カトリ様の強打で強制的に正気へ引き戻された私が見たものは、胸に突き立てられた己の指だった。

 痛みや正気の警告が意味をなさない自裁の動き。能動的な肉体限界を超越した、ただ哀しみという精神が肉体を凌駕して下される絶対命令。

 指の爪先が沈み込む胸からは血が溢れ、その痛みが取り戻した正気を維持させていた。

 

「マスター、【オーバードーズ】を装備しろ。【高純度覚醒剤】の継続投与もだ! また支配されるぞ!」

 

 そう指示を飛ばすカトリ様もまた、その支配に抗って冷や汗を流していた。

 にわかに状況を飲み込めず、ただ彼女の指示が正しいと従って【オーバードーズ】を《瞬間装着》し【高純度覚醒剤】を継続投与する。

 精神系状態異常を無効化すると引き換えに重度の病毒系状態異常を引き起こすそれを、【オーバードーズ】の力によってダメージ以外の症状へと変化させる。

 倦怠が重くのしかかる身体とは裏腹に明瞭を取り戻した思考が把握した現実は、あまりに……!

 

「そんな……! なんで!? どうしてこんなことが……ッ!!」

 

 窓から見下ろした眼下の光景はあまりに異様だった。

 クジラさんの歌で引き起こされた哀しみのままに、自ら胸を引き裂いて悶絶する聴衆の姿が広がる。

 老若男女を問わず、彼女の哀歌に聴き入っていた誰もが絶望に表情を歪め、ただ哀しみに暮れる心が肉体を支配して悲嘆の果ての自死を招いていた。

 

 人は、哀しみだけを募らせるとこう死ぬのだろうか。

 そう思わざるを得ない光景にふと、以前聞いた話を思い起こす。

 

「カルカラン市長の死因は……、――――!?」

 

 

 ――――胸部への大きな裂傷、及び出血多量によるショック死。

 

 

 ありえないと振り払ったかつての思考に、顔が青褪めていくのが自分でもわかった。

 この世のものならざる表情で死に果てていたという市長の死に顔。

 それと思しき顔を聴衆の誰もが浮かべて……一人、また一人と悲嘆と苦悶を極めて死に絶えていく。

 

「――――クジラさん……ッ!!」

 

 その果てに舞台で歌を紡ぐ彼女を見て――――私はようやく違和感の正体を悟った。

 

 …………彼女は、誰も見ていなかったのだ。

 常に浮かべていた表情。笑顔に弧を描く双眸の隙間から覗く眼光は、最初から最後まで冷たかった。

 私と祭りを巡ったあのときも。

 私と食事を共にしたあのときも。

 彼女は一度として()()()()()()()()

 むしろその逆――――()()()()()()()()こそが常に燃えていたのだ!

 

「あるいはそれだけではないのかも知れぬ」

「カトリ様……」

 

 カトリ様は、珍しく憐憫を声に乗せて嘆息した。

 

「メイデンたる我が身の対――アポストルの<マスター>とは概してそういうものだ。

 この世界への尋常ならざる怒り、憎しみが使徒(アポストル)を生む。

 この世を真と捉える<マスター>がある種の()()()から我ら(メイデン)を生むように――――」

 

 ジャガーへと身を変じていく彼女の表情は、既に獣のそれとなって一見して読み取れない。

 しかし絶体絶命の危機であることをその身で示し、私はそれに応えて背に乗った。

 

奴ら(アポストル)は<マスター>の()()()()()()()()()()()()()――使()()()から生まれる。

 己がマスターの願いを叶える道具たらんと、一切の異論や反論を挟むことなく……支配者(<マスター>)使徒(アポストル)として」

「だけどカイトさんは……クジラさんの道具のようには……!!」

「その振る舞いをあの女が望んでいたのだろう――当の本人が気づいていたかどうかは知れぬが、な」

 

 ならばこの惨状は、彼女が望んだことだというのか!?

 そんなこと……どうしたって信じられない! ……信じたくない……ッ!!

 だけど現に彼女の歌は人々を死に誘っていて――――その罪過は抗いようもなく重い。

 

「すまぬな、マスター。余にもあれの本質は見定められなんだ」

「カトリ様は、二人がそういうものだと知っていたんですか……?」

「あのカイト某がアポストルだとは気づいていた。

 しかしな、マスター。だからといって凶行を為すものとは限らぬ。

 憎悪や怒りが奴らを生んだとして、その後の生がそれらを癒やすこともまたあるが故。

 この世界を真と見ながら大悪を為す者もいれば、憎みながらもいつしか世界を認める者もいる。

 ……あの女が後者でなかったのは、マスターにとって悲運であろうが……な」

 

 あまりに……あまりに残酷な言葉だった。

 認めたくない事実だけが四方八方から襲ってきて、私の希望を打ち砕く。

 だけど、今。

 今も彼女が、彼女だけが知る理由によってこの凶行を止めないのならば――――!!

 

「彼女を止めるのが、私の役目だ……!!」

 

 流れる涙は彼女の歌とは別の哀しみで止まらない。

 意を決して手綱を――【ベレロープ】の手綱を取り、カトリ様へと指示を下す。

 

「カトリ様!」

「うむ。征くぞ、マスター!!」

 

 窓をぶち破って、彼女の歌うステージへと駆け出した。

 跳躍して駆ける宙空で、歌う二人の顔がこちらを向く。

 そうして見せた表情は、彼女は子供のように嬉しそうに、彼はひたすら無表情で。

 

「――――()()()()()()()()()()()!」

「お前たちがここにいる以上、こうなるしかないと分かっていたさ」

「クジラさん、カイトさん……! ()()()()()()()!!」

「ああそうとも、こうするしかないと承知しているが故に!」

 

 肉薄する瞬刻。

 カイトさんの身体が突如として膨張し、姿を変え。

 その巨体の背にクジラさんを乗せながら、悠然と空を泳ぎ出して天蓋を破る。

 

 それは、その姿は。

 打ち破られた天井。その上に広がる夜を泳ぐその姿は――――

 

 

「――――《ほしのさかな(バテン・カイトス)》」

 

 

 ――――孤独な()を泳ぐ、一匹の()()だった。

 

 

 To be continued

 



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憎悪の炎は地獄のように我が心に燃え

 ■ある女の半生

 

 入須いさなという女がいる。

 今や世界の歌姫と名高い女は、ある寂れた港町に生まれた。

 

 この時世に珍しく現代的な娯楽の少ない環境で、聴き拾った歌を口ずさみながら海を臨んで暮らす日々。

 漁業を営む男達の仕事唄を子守唄に育った彼女は、類稀なる歌の才を宿していた。

 幼い頃から浮世離れしていた風体で近しい人々の心配を買いながらも、そのまま生まれ故郷で一生を過ごせば世に知られず埋没していたその天稟。

 それを拾い上げたのは、たまたまその街を訪れていた一人の男だった。

 

 男の名を安住惣次郎といった。

 彼は芸能界の裏方に身を置く冴えない男で、うだつの上がらないままに日々をなんとなく生きていただけの人間だった。

 その彼がいさなの住む街を訪れたのはまったくの偶然だったが、その中でいさなの口ずさむ唄を聴き拾ったとき……彼はその旋律に天啓を得た。

 

 「この歌声を逃してしまえば、それは業界人として死んだも同然」――後にそう豪語した程の確信で、彼はいさなを誘った。

 当時齢一五でしかなかったいさなは当然徐に声をかけてきた不審な男を警戒したが、足繁く通っては頭を下げる彼の熱意にいつしか折れ、更に月日を重ねて両親の理解も得ると、生まれ故郷を離れて芸能界へ身を投じた。

 

 そこからの二人はまさに二人三脚。

 いさなの才を惣次郎は熱心に訴え、舞台を整え、これまでにない情熱を以て方々に働きかける。

 いさなもまたそんな惣次郎の熱意に応えるべく、己が才を磨き、溢れる情熱を歌に変えて……とある一曲を創り上げた。

 

 それこそが<ほしのさかな>。

 孤独なクジラの未知なる旅出を歌い上げた、入須いさなのデビューシングル。

 

 果たしてその反響は――――瞬く間に世を席巻した。

 ミリオンヒットを叩き出し、その独特の世界観とセンスから早くも"歌姫"の呼び名を得、さらなる活動を熱望された。

 惣次郎は己の確信が正しかったことに喝采し、いさなもまた故郷では味わえなかった極限の高揚に魅了され、より一層の活動を開始する。

 

 <さみしいしんかいぎょ>、<よるのうみ>、<すなのみみ>――数々の名曲を創り上げ、そのどれもが熱烈に支持され、いつしか国内のみならず海外までもその名声が響き渡るようになる。

 いさなは()()()()()としての地位を確固たるものとし、彼女をプロデュースしたことで大出世を果たした惣次郎もまたその地位に甘んじることなく、ひたすらにいさなの躍進がため腐心した。

 

 たどたどしい二人三脚はやがて比翼連理となり――いつしか想いをも重ねていた。

 親子ほどに齢の離れた二人だが、そうした差も厭うことなく、生涯唯一の伴侶と互いを想い、芸能界での活動の傍ら逢瀬を重ねる。

 デビューから既に十余年。その情熱は一時として冷めることなく、埋め火のように静かに燃えて、やがて結実を求めるに至った。

 

 恋人としての逢瀬を越えて、伴侶としての人生の共有を求めたいさなは、その想いを歌にした。

 長く、静かで。厳かにして貞淑な恋。その結実を求める一世一代のプロポーズ。

 溢れる感情は過去に無い熱となって楽譜を描き、やがて一つの曲となった。

 

 <くじらのうた>。

 孤独な旅の果てに安住の地を得た歓喜を唄ったその歌は、世の恋人達がこぞって真似歌う珠玉の恋歌として絶大な人気を得た。

 そしてその歌の真意を惣次郎が解せぬはずもなく、彼は先に告白させてしまったことを恥じながらも……喜んでその想いに応えた。

 

 入須いさなの幸福は、まさにその瞬間に絶頂を迎えた。

 彼女は想い通ったことに涙し、身内だけのささやかな式を挙げ、極少数の親しい人間から祝福を受けながら安住惣次郎と一つとなった。

 名を変え、居を変え、まさしく幸せそのものの新婚生活を過ごし、その幸福を活力にさらなる芸能活動に臨もうとした頃に、ある一報が世界を駆け抜けた。

 

 <Infinite Dendrogram>の登場である。

 「あなただけの新世界と可能性」を謳い文句に、当初は一握りの人間だけに注目された新型VRゲーム。

 誰もが半信半疑で受け止めたそのゲームに注目したのは、惣次郎だった。

 

「そういや新婚旅行がまだだったな……試しに買ってみるか」

 

 職業柄周囲の評判には耳聡い惣次郎は、謳い文句を信じて先行したプレイヤーの好評を聞き知っていた。

 従来の健康被害すら起こしかねない紛い物とは違う本物の世界。その評価を彼はひとまず信じてみることにしたのだ。

 なかなか取れないプライベートのせいで新婚旅行にもいけない彼女への負い目があり、せめて少ない時間で気分だけでも味わえるなら……と。そうした理由があった。

 

 いさなはゲームに興味はなかったが、惣次郎がそう言うのならと快く了承した。

 彼女にとってすれば結ばれて過ごすこの日々だけで充分すぎるほど幸せだったが、彼の夫としての意地や配慮を拒む理由も無い。

 もし本当に本物の世界で彼と二人、ただの夫婦として歩けたなら、それはきっと最高の思い出になるだろうから。

 

 そうして次のプライベートで、惣次郎は帰り道に<Infinite Dendrogram>を買ってくることをいさなに伝え、彼女は彼の帰宅を楽しみに待っていた。

 新婚旅行記念日を思いつき、豪勢な食事を用意して。彼とのディナーを楽しんだあと、件の新世界を共に歩くことに胸を踊らせて。

 

 ――そうして彼の帰りを待ち侘びる彼女の想いを、残酷な運命が裏切った。

 

 帰りが遅いな、と心配する彼女へ届いた一本の電話。

 見知らぬナンバーから掛けられたそれを訝しみながらも受話器を取った彼女が聞いたのは――――愛する夫の訃報。

 ゲームを買った帰り道、制御を離れ暴走したバイクに跳ねられて彼は命を喪っていた。

 

「――――――――――――――――」

 

 そのとき感じた想いを、彼女は今でも言い表す言葉を持たない。

 幸福の絶頂から奈落の底へと叩き落とされたとき、人は真の絶望を抱くことだけを彼女は知った。

 

 あるいはその瞬間からいさなは正気を失ってしまったのかもしれない。

 あまりのショックに言葉すら失って――それは夜が明けても戻らず、彼女は伴侶と共に歌声すらも喪った。

 ただ裡に滾る失意と絶望、そして憎悪が燃え上がり、彼女は誰が夫を殺したのか、殺意に漲る眼で続報を待った。

 温もりを失った夫の亡骸が眠る病院。彼の死に顔を見届けた後、ある一室で面会した加害者は、免許を取得したばかりの未成年だった。

 

 相手は保護者を引き連れ、代理人を伴いながら詫びていたが、いさなの耳にそんな言葉は届かなかった。

 ただ彼の命を奪った怨敵への憎悪と殺意が噴出し、その首を締め上げ――ようとしたところで取り押さえられる。

 常軌を逸した様子で彼の命を奪わんとするいさなを居合わせた者が必死に取り押さえ、加害者家族はその様子に後退りしながらも、事情が事情ゆえそれを咎められることはなかったが、その一件でいさなの立場は大きく不利となった。

 相手が未成年であることも踏まえ実質的な刑罰も望めず、多額の賠償金と保護観察で事が収まろうとしていることに、声なく慟哭するいさなは更に絶望した。

 

 いさなは現代社会の柵に復讐という手段すら奪われ、その感情の行き場を失った。

 愛する夫を喪い、彼と共に磨き上げた歌声を失い、復帰の見込みすらなくなった彼女は芸能界へ立ち戻ることも叶わず、世間的には諸事情による活動休止とだけ告知され、いさな自身はただただ塞ぎ込んだ。

 愛した彼と共に過ごした一軒家の一室で、噛み切り血の流れる指で楽譜を描きながら、そこへ刻まれた憎悪を歌い上げることもできず、ただ負の想念を募らせた楽譜ばかりを書き上げていく。

 そうして鬱屈した数日を過ごしていると、ある届け物が彼女のもとへ届いた。

 それは惣次郎の遺品の一つ。あの日の帰り道に彼が購入した、<Infinite Dendrogram>のハードだった。

 

 彼女はそれを見た瞬間、例えようのない憎悪を燃え上がらせた。

 あの日これを買わなければ、彼が死ぬことはなかったのだと。行き場の無い怒りをハードへ向けた。

 惣次郎といさなの分、二台届けられたハードの一つを彼女は傷つくことすら厭わず素手で破壊し、残るひとつをも叩き壊さんとしたとき、ふと脳裏に惣次郎の言葉を思い出した。

 

 ――――これで新婚旅行でもしてみないか

 

 あの日の夜、携帯端末からも再度言われた彼の言葉。

 今となっては最後の遺言となった言葉を思い返し、彼女はふと破壊の手を止めた。

 そして徐に箱からハードを取り出すと、それを装着して新世界へ旅立つ。

 それは偏に、ここでこれを壊しては彼の最期の言葉すら叶えられないという、ある種の使命感からの行動だった。

 

 出迎えたのは一見して猫のように見える不思議な生き物。

 管理AI13号を名乗ったそれのガイドをいさなは聞いてか聞かずか、曖昧な正気のまま言われるままにチュートリアルを終え、独り熱砂の街へと降り立った。

 

 そうして広がった新世界は――――狂気の淵にある彼女をして圧巻するほどのリアリティだった。

 活気に溢れた街並み。飛び交う人の声はいずれも本物と見紛うばかりで、聞きかじっていたゲーム知識のそれとは似ても似つかない。

 目に映る限りの命が真に迫って息づく光景に――――彼女の憎悪は再燃した。

 

 ――わたしの隣にはもうあの人はいないのに

 ――わたしがこんなにも苦しんでいるのに

 ――誰もが幸せそうに生きている

 ――その生命を謳歌しながら

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()――――

 

 

 当たり前の日常を誰もが生きる幸福に、いさなは嫉妬した。

 たとえようもない怒りが。狂おしいほどの憎悪が。

 ありとあらゆる負の感情が渦巻き、出口を求めて荒れ狂う。

 

 新たなる<マスター>――クジラが降り立ったのを目撃したティアンが誰何し。

 彼が知る由もない殺意を滾らせた彼女が、発作的に彼の命を奪わんとした瞬間。

 突如として左手の紋章が輝きを放ち、新たなる<エンブリオ>を孵化させた。

 

「俺はバテン・カイトス。

 <エンブリオ>、TYPE:アポストルwithガードナー。

 【千篇万歌 バテン・カイトス】。我が主の使命を果たすモノ。

 俺の全ては……()()()()、貴方の御意のままに――――」

 

 跪く天使のような少年は、愛しい彼の()をして忠誠を誓っていた。

 麗しい容貌は、いさなが夢見た二人の血を継ぐ空想の愛し子を具現化させたようだった。

 愛した夫と、夢見た子。二つの特徴を兼ね備えたクジラの<エンブリオ>は、共有する心でも絶対の忠誠を誓う。

 

「何なりとお命じを、マスター」

「…………惣次郎さん?」

 

 突き出た言葉は、愛しい彼の名だった。

 今は亡き彼の姿をバテン・カイトスに重ね、現実で失ったはずの声は新世界で愛しい彼の名を呼ぶ。

 その真意を察した忠実なしもべは、主の命に応え態度を変えて答えた。

 

「どうした、()()()?」

 

 それはかつて幾度となく聞いた、愛する彼そのものの振る舞いだった。

 一見してぶっきらぼうで、不器用で、しかしどこまでも彼女を案じる頼もしい姿。

 彼女はもしやと思って、さらなる願望を思い描いた。

 

「…………カイトくん」

「安直な名だな、()()()

 

 飛躍した思考が描いた、素直じゃなくなった年頃の子供の姿。

 浮世離れした母に呆れ、一見してぞんざいに振る舞いながらもその実どこまでも純粋に母を愛す子の姿。

 失われた可能性の果ての願望に、忠実なしもべは全霊で応える。

 

 いさなが思い描いた()()()()()を、バテン・カイトスは演じきってみせた。

 それが主の望みであるがゆえに。一切の異論や反論を挟むことなく、彼女が望む姿を演じる人形に徹して。

 

「……………………――――、♪」

「♪ ――――…………」

 

 ふといさなは、歌を紡いだ。

 失われたはずの歌声は、湧き出る想いをそのまま旋律を描く。

 その歌声に合わせてバテン・カイトスの男声が合唱し、やがて輪唱へ変調する。

 【千篇万歌 バテン・カイトス】は、彼女の全てである()に応えて産まれたが故、その調べは伴奏も無く極上の旋律を描き出した。

 

 ◆

 

 こうして後の【歌姫】と、<超級エンブリオ>【千篇万歌 バテン・カイトス】は産声を上げた。

 いさな――クジラの歌は瞬く間に<Infinite Dendrogram>を席巻し、一足飛びに【歌姫】という頂きへ彼女を導いた。

 そして【歌姫】としてクジラは想いを歌い上げるうち、バテン・カイトスはいつしか<超級エンブリオ>へと到達していた。

 後者はクジラが触れ回らぬ故余人の知るところではなかったが、それを抜きにしても隔絶した技量が彼女の【歌姫】としての名声を、歴代でも頂点に立つものとして誰もが認めた。

 

 クジラは感情が揺らめくままに歌い、唄い、詠い続け。

 数年も経ったある日、滞在していた"芸術都市"で市長からある願いを乞われた。

 

「おお、麗しき【歌姫】! どうかこの譜を私のために歌い上げていただきたい!」

 

 キザで自己陶酔がちな市長が差し出したのは、数枚の楽譜。

 それはただならぬ気配を放つ、【呪歌】を記した楽譜だった。

 

 世の【作詞家】や【作曲家】が創り上げる【楽譜】には、時として不思議な力が宿ることがある。

 それは一部の腕の立つ生産職が奇跡的に生み出す渾身の一作にも似て、いずれも通常の【楽譜】には無い効力を発揮する。

 歌手系統に就くものが扱う【楽譜】は、それを使用することで歌唱スキルを強化・変質させるものだが、その中でも特に強力なものは特別視され、それに描かれた譜は【呪歌】と呼ばれる。

 

 【呪歌】は、いずれも隔絶した効果を歌唱スキルで発動させることができる。

 それは超絶した【魅了】を齎したり、無双の剛力を仲間に与えたり、実に多種多様だ。

 【呪歌】が生まれる理由は定かではないが、一説にはそれが記された楽譜を作成した者の想念が密接に関係しているとも噂される。

 そしてその説を裏付けするように――――【呪歌】の多くはまた、禁忌の力を宿しもした。

 

 それは聴くものの精神を崩壊せしめるものであったり。

 あるいは飛ぶ鳥を墜とし、往く船を沈めるものであったり。

 【セイレーン】など一部のモンスターが行使するスキルにも似た害ある力だ。

 呪物や呪具にも似た性質から【呪歌】とも分類されたそれは、如何なる悪意によるものか、致命的なものほど巧妙にその性質を隠蔽することも多い。

 

 そして市長が差し出した楽譜はそうした【呪歌】の中でもとりわけ凶悪な……まさしく命そのものを危ぶませるそれであった。

 一方でそうした【呪歌】ほど極上の調べであることが多く、多芸に通ずる【蒐集王】でもある市長は、そのために半端にその楽譜が示す歌の素晴らしさを理解してしまい、歌い上げることを望んでしまった。

 よりにもよって歴代最高の【歌姫】にして、歌に特化した<超級エンブリオ>を持つクジラに。

 

 クジラは、己の歌を求める声を拒まない。

 かつて惣次郎が見出し、二人で磨き上げた歌声に絶対の自負を持つがゆえに。

 そして歌を唄うとき、加減するという発想もまた無い。

 彼女はいつだって全身全霊で、歌を紡ぎあげてきた。

 

 市長にとって不幸だったのは、差し出した楽譜が本物で、記された【呪歌】もまたそれに相応しい真性の()()であったことだろう。

 それはかつて動乱の時代に痛哭な別離を味わった誰かが、その想いのままに命と、死後の魂すら捧げて書き上げた哀歌。

 別離の苦しみを唄う旋律をひとたび聴けば、誰もが涙せずにはいられず、共感した【悲嘆】の果てに胸が張り裂けて死に至る絶望の歌。

 市長が自ら望み、彼のために歌われた【呪歌】は、クジラの技量も相俟って絶対不可避の絶望死を彼に齎した。

 

 クジラの歌によって死んだ市長。

 しかしそれは、彼女の主観にしてみれば殺人には値しない。

 彼女にとっては歌そのものが全てであり、それが齎す事象には一切の関心が無い。

 故にクジラの主観では「望み通りに歌った結果、()()()()()()()()()()()彼は死んでいた」という結果に行き着く。

 彼女は死んだ市長に一瞥すらくれることなく市長邸を去り、その後の取り調べも素直に答えた結果、意図せずして絶対的な容疑から逃れた。

 バテン・カイトスもまた、クジラの主観を絶対とするために、私心を持たないがために逃れている。

 

 そして、【呪歌】は。

 差し出された後、返す相手も無くクジラの手に渡ったそれは、歌い上げたクジラの心象を大きく揺さぶった。

 奇しくも痛哭の別離を唄ったその歌は、クジラの共感を強く招いた。

 共感し、揺り動かされた感情は【呪歌】の性質に沿って悲嘆へと収斂する。

 そして感情こそを歌の原動力とするクジラにとって、共感と影響の果て【悲嘆】に傾向した感情は、次に紡ぐ歌をその【呪歌】に定めてしまった。

 

 ――哀しい

 ――だから哀しい歌にしよう

 ――そういえば、次はステージで歌うのだっけ

 

 ――――()()()()()()()()――――

 

 それは常人にしてみればあまりに荒唐無稽な動機。

 しかし歌と、その源となる感情を基準とするクジラにとっては当然の結論。

 

 来るべき時に備え、クジラはカルカランでの数日を過ごした。

 その最中、気まぐれから独り出歩き、熱暑に耐え兼ね気を失っていたところをマグロに助けられたのはまったくの偶然だったが……その出会いが図らずもクジラから哀しみを一時忘れさせた。

 

 意識を取り戻したクジラがマグロを一目見て感じたのは、「背が高いな」という感想だった。

 奇しくも愛しい彼の背丈に酷似していたことから、クジラはマグロに惣次郎を重ね、それを理由に好意を抱いた。

 その後腕を組んで祭りを巡ったのは、かつて彼へそうしたように、彼の面影を見たマグロに甘えようとした無意識の行動。

 そして幸か不幸か、クジラにとって意外だったのは……そうした自分の我儘に困ったような、呆れたような様子を見せるマグロの反応がまた、如何なる奇縁か惣次郎に似ていたことだろう。

 性別も年齢も違えど、気がつけば小さなところに彼の面影を想わせるマグロに、クジラは過去になく関心を示した。

 彼女の住処を手配し、ディナーにまで誘ったのはそうした好意の延長線だった。

 まるで失われた時が舞い戻ってきたような高揚。しかし同時に、彼女は決して彼になり得ないという残酷な事実がギャップを生みもする。

 

 そしてその落差が、一時の正気をクジラに与えた。

 取り戻した、ではないのはそうと言うにはあまりに朧げな一過性の覚醒だからだ。

 そうして得た一時の正気で、クジラは哀しみと喜びに揺れる天秤に苦悩する。

 

 果たしてこの哀しみが真実なのか。

 それともこの喜びこそが事実なのか。

 

 クジラには決めかねる二律背反。

 鬩ぎ合う正負の感情が心に軋みをあげさせ、どうしようもなくクジラを追い詰める。

 追い詰められて――――クジラは。

 正気を再び奪われた彼女は、結論をマグロに委ねることにした。

 

 聴いてほしい――聴かないでほしい。

 逃げてほしい――逃げないでほしい。

 止めてほしい――止めないでほしい。

 

 二律背反の、どちらを彼女が選ぶのか。

 まったく道理に合わない選択肢を、クジラは一方的につきつけた。

 可能性の選択肢はカイトに代弁され、不確かな忠告となって彼女らへ届けられる。

 

 それを彼女が訝しみ、わたしのもとを立ち去るなら――――それでいい。

 だけどもし、その選択の意図を知るも知らずも、わたしを止めに来るならば――――それもいい。

 

 もし彼女が後者を選択し、己に終止符を打ってくれるなら。

 ひょっとしたらわたしは、初めて本当の()()をあげられるかもしれない――――!

 

 いつしか一方的な選択肢は己の去就を左右するものにまで飛躍し、当日を迎えた。

 そしてマグロの存在を知り、クジラは歓喜する。

 ようやく自分を止めてくれるかもしれない運命の好敵手に、敬意と好意と殺意と敵意を抱いて。

 この思いの丈を受け止めてくれるかもしれないという、都合のいい身勝手を期待して。

 

 聴衆は、そのための贄だ。

 贄という認識すら彼女にとっては希薄だろうが、この想いが如何なるものか、それを伝えるための舞台装置だ。

 歌い上げる悲嘆を乗り越え我が前に立ったならば、はじめてわたしは彼女を()よう!

 

 果たして彼女は、幾千の死を飛び越え躍り出た。

 黒き狂獣の背に乗って、死を贖いに終止符を打たんと。

 

「――――私達が、止めます!!」

 

 ああ、嗚呼。

 彼女はやはり素晴らしい。

 悲嘆ならざる哀しみに流れる涙を認めたのに、どうしてか歓喜が止めやらない。

 ようやく正視を得た世界は、激情を歌う決死の劇場だった。

 

 故に――――

 

 

「――――《ほしのさかな(バテン・カイトス)》」

 

 

 ――――空泳げよ<ほしのさかな>。

 

 今こそ断罪の時。

 正しき怒りに燃える者は立ち上がれ。

 そして――――度し難き我が身の罪を問うがいい。

 

 

 To be continued

 




(・3・)<某ゲームで例えるなら
(・3・)<ド天然天才系アイドルとパーフェクトコミュニケーションを成功させまくって
(・3・)<その末に完全無欠のハッピーエンドを迎えてシナリオクリアしたけれど
(・3・)<次回作か外伝作との間で超絶鬱シナリオを公式が採用しちゃって
(・3・)<再登場時には闇堕ち・悪堕ちしていたという誰得仕様
(・3・)<大炎上不可避

デンドロを憎むのは、他に直接怒りを向けられる対象がいないから。
そして遺言になってしまったデンドロ世界での新婚旅行の約束が唯一遺された生き甲斐になってしまって。
それを使命としてしまったがための、アポストルの孵化です。
……理由付けとして妥当か、今でもちょっと不安。

実はカイトとのやりとりも、クジラの願望をカイトが演じていただけの人形遊び。
カイトの本来の性質は、ぶっちゃけ無機質的なまでに滅私奉公なんだけど
それはそれとしてやっぱり生きてるので、長年人形遊びに付き合ってれば疲れもするという。
何話か前で惣次郎へ吐いた恨み節は、実は素。

……ようやく背景を描写できたとほっと一息。
次からは本格的にバトります。


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破滅の引鉄は歌姫の詩が弾く

 □■芸術都市カルカラン

 

 泳ぐ、泳ぐ、ほしのさかなが夜空を泳ぐ。

 人間の稚拙な可聴領域では到底理解しきれない異次元の歌を響かせ、その巨体で悠然と舞う。

 

 中央区の大劇場を突き破って上空に躍り出たバテン・カイトスに、周囲の人間は皆一様に状況が飲み込めず、ただ唖然として昇りゆく白鯨を見送るしかできなかった。

 今宵この場所にて世紀の歌姫がその魅惑の声を披露することは既に周知され、それ故に劇場の崩壊と未知の生命体の出現とか即座に結びつかず、冷静な推測を妨げた。

 

 そうして立ち止まった彼らの耳に、奇怪な旋律が入り込む。

 それは美しい歌声のようで、上空に舞う白鯨の鳴き声のようだったが……不可解なことに位置もまばらな人々の末端に至るまで、まったくの同質で響き渡っている。

 遥か上空一〇〇〇メテル以上も彼方の白鯨。発生源と思しきそれとの遠近を問わず、誰も歌を聴き逃すことはない。

 本来起こり得るべき音の拡散や消失、反響などによる変質が一切なく、遥か彼方の歌声が耳元で囁かれるように、()()()()()()調()()()届けられる。

 距離による到達のタイムラグすら無い絶世の歌に――しかし人々は最初、脅威を覚えなかった。

 

 なぜならあまりにも美しかったから。

 歌という概念を知る知性ならばおしなべて聴き惚れる程に、その鳴き声(歌声)は素晴らしかった。

 いっそこのまま身を委ねてしまうのが極上の幸福であると確信してしまう程のメロディに、多くがそのまま目を閉じようとして……続く絶叫に微睡みを妨げられる。

 見れば至福に身を投じた聴衆の一人が刃を振り回し周囲を傷つけていた。その表情には歓喜の恍惚が浮かび上がり、どう見ても正気ではない。

 ある種の禁薬による中毒患者さながらに、何を見ているのかも定かではない陶酔した目で猟奇の限りを繰り広げる。

 

 その脅威に晒された有象無象が反撃にでる。

 同じく刃を手に凶行止めやらぬ彼を返り討ちにし――何度も何度も、彼が死に絶えても止めることなく過剰に報復を繰り返す。

 正当防衛にしてもあまりに過剰な酸鼻極まる残酷。その五体を切り刻み臓腑をぶちまけても尚止めやらぬ彼らの顔には、憤怒の凶相が浮かび上がっていた。

 

 気づけば狂気はそこかしこに伝播していた。

 あるものは喜んで自らの命を絶ち、あるものは嘆きながら親しい者の首を締め。

 あるものは笑って惨殺を繰り返し、あるものは怒号を上げて殴り合う。

 それは理性という箍が外れ、剥き出しの本能を無秩序に肥大させた畜生にすら劣る悪鬼の地獄。

 それを絢爛に彩るは、それを天国と見紛わせる極上の調べ。

 

 それはあまりに悍ましい、異次元の狂気の坩堝だった。

 

「状況は!? 正気を保っている者はいるか!」

「ダメです【獄長】! ティアンの人ら、みんなヤられちまってます!」

 

 怒号を発したのは軍服姿に褐色の少女。

 着飾ったエンブレムは<ケルベロス>。三頭目が一人【獄長】ヘルガ。

 上層部からの依頼を受け、イベント期間中の中央区の警護を任されていた彼らは、突如として巻き起こった異常事態に部下を総動員し、事態の収拾にあたっていた。

 

「間違いなくあのクジラが原因かと。いつぞやのグランバロアの<SUBM>を思い出しますが……」

「それとは別口のようです。おそらくは<エンブリオ>、この規模からすると……」

「<超級>かッ……!! だがこのような手合いは情報に無い。ポッポに連絡を取れ!」

「もう既に! 生憎御嬢の【手配書】にも情報は無いようです」

「つまり新手か。敵が推定<超級>とあらば打つ手も乏しい……まずはティアンの保護に徹する! 続け!!」

「了解!」

「確保!」

「収容!」

「保護!」

 

 ヘルガの指示を皮切りに、彼らは一斉に動き出す。

 【罪狩】ポッポ率いるレフトヘッドが<ケルベロス>最強の戦闘部隊であるように、彼らライトヘッドは最優の制圧部隊。

 普段はポッポ達戦闘班が捕縛した犯罪者を、然るべき司法の手へ引き渡すため護送するのが役目だ。

 その性質上、構成メンバーはいずれも対人・制圧能力に秀でたジョブや<エンブリオ>を有し、有事の際にはティアンの隔離と保護をも担う。

 

「起きろウィッカーマン!」

 

 ヘルガの紋章が輝き、巨大な人型を召喚する。

 それは街のどの構造物よりも巨大な、一体の巨人。

 金属の骨組みを露出させた一見してハリボテの如き身体は、よく見ればそれぞれが独立した無数の牢獄の集合体。

 あるいは無数の巨大な鳥籠を鎖で繋ぎ合わせたような歪な人型、その檻の巨人の名は【牢人形 ウィッカーマン】。

 TYPE:キャッスル・ガーディアン。数多の罪人を繋ぎ留め、裁きの場へ引き渡してきた動く牢獄である。

 

「全室開放! 総員収監せよ!!」

「イエス、マム!!」

 

 ウィッカーマンが己の身体を構成する無数の牢獄を開け放つと、そこへ部下達が確保したティアン達を次々と放り込んでいく。

 そしてそれぞれの牢獄が一杯になると獄は閉ざされ、収監された人々はいずれも力を失い無力化された。

 

 ウィッカーマンと【獄長】、両者に共通する特性である収監者の弱体化の重ねがけによるものだ。

 同格近い<マスター>であればまだ抵抗の余地は残されているが、無理矢理破って脱獄しようにもキャッスルとしての高耐久とガーディアンとしての高ステータスを併せ持つウィッカーマンの前には至難を極める。

 その上で「監獄・牢獄に類する構造物の耐久を高める」【獄長】の特性と、第六形態に達した<エンブリオ>としての出力が合わされば、ウィッカーマンはまさに難攻不落の生けるアルカトラズ。

 優秀な部下達の尽力もあり、次々とティアンを確保していくが……それでも尚、手が足りない。

 行動する今も進行形で、被害は拡大の一途を辿っていく。

 

「チッ、この歌のせいか……レベルのおかげでレジストできているが、カルディナのティアンには毒でしかないな」

「大騒ぎしてるときでもずっと聞こえてきますね。そういう<エンブリオ>なんでしょうか」

「この手の精神系状態異常は歌唱系スキルの十八番だったと記憶しているが……この出力、まさか【歌姫】か!?」

「クジラの出処は大劇場でした。今日は【歌姫】のコンサートだったはずです」

 

 その報告にヘルガは苦虫を噛み潰した。

 状況と、かねての容疑から見て【歌姫】による犯行であることはほぼ確実。

 しかし、これまでそうした犯罪とは無縁だった世界的有名人の突然の凶行には、彼女をして信じ難い思いもあった。

 ヘルガもまた、熱心ではないが【歌姫】のファンであったがために。

 裏切られたような思いが過るが、ヘルガは切り替えて思考を冷静にした。

 

 もとより犯罪に至る動機など、ピンからキリまで彼女は見てきた。

 時として理解の及ばない理由から凶行は起きることも彼女は知っていた。

 故に何故を問うことはせず、努めて事態の沈静化を模索する。

 

「報告。白鯨の()は区外にも及んでいます。観測班の結果を見るに、カルカラン全域が効果圏内のようです。おそらくはその更に外周にも効果が及んでいるものと思われます」

「中央区外でも同様の混乱を確認。御嬢が事態の収拾にあたっているようです。……御嬢がフリーなら白鯨を狙う手もありましたが、この様子では手が足りませんな」

「加えて<レブナント・ネスト>の動きもあります。火事場泥棒はあいつらの十八番ですしね、そちらの対処も必要でしょう」

「……戦線が広すぎるな。ほとんど詰みの状況、か」

 

 ヘルガは嘆息して空を仰いだ。

 事ここに至り、最早白鯨が<超級エンブリオ>であることは疑いようがない。

 《看破》の類が通用せず、これほどの大規模に致命的な影響を及ぼし得るのは、規格外の代名詞である<超級>くらいのものだと彼女はよくよく思い知っている。

 【地神】や【殲滅王】といった大規模破壊の代名詞は、性質上彼ら<ケルベロス>もよく知るが故に。

 この世界には見上げればキリが無いほどの上がいることをよく知る彼らは、未知なる<超級>との戦力差を既に察していた。

 

「敵の撃滅が望めぬ以上、ここは次善の策を採るしかあるまい。重要人物を可能な限り保護し、他都市か……議会へ応援を要請する必要がある。都市機能は放棄せざるを得ないだろうな」

「となれば、まずは効果圏内からの脱出ですな」

「ポッポに連絡を取り、確保した人間も収容していくぞ。……ウィッカーマンの腹が満たされるなど、あってほしくはなかったのだがな」

 

 この状況、どう足掻いても全ての住民を救い出せるものではない。

 中央区での救助活動も見切りをつけ、今すぐにでも脱出して応援を要請しなければこの惨禍は止まらない。

 原因であろう白鯨がカルカラン上空に留まるとも限らないのだ。

 あれがもし別の都市へ向けて遊泳を開始してしまえば、おそらくは歌の効果範囲もそれに合わせて動き被害を拡大させてしまうだろう。

 最終的にはあの白鯨を滅ぼす必要があるが、現時点ではそれが可能な戦力が無い。遥か上空を泳ぐ白鯨に有効打を届かせられるものはおらず、唯一可能なポッポも現状では住民の確保と保護に徹さざるを得ない。

 よしんば彼女が動けたとしても、<超級>相手では明らかに格が落ちる。相手に賞金がかけられていたならばまだしも、現時点で賞金首として手配されていない以上は、ポッポの戦力は大きく劣る。

 

「あるいは我々こそが既に()()()()()()というべきか。……嘆いていても始まるまい。各員、ティアンを回収しつつ外へ――なに?」

「ほ、報告! 大劇場跡から更に飛び立つ影アリ!」

「目標の向かう先は――空! 上空の白鯨を追っています!」

「白鯨への攻撃を確認! あれは……怪鳥種? ――怪鳥と白鯨が交戦に移りました!」

 

 踵を返そうとした彼らが目撃したのは、崩れた大劇場跡の瓦礫を突き破って舞い上がる、一羽の怪鳥。

 漆黒の空に瞬く星明りが映し出すのは、血のように赤い巨大な鳥。

 既存の如何なる怪鳥種とも特徴を異にするそれは、真っ直ぐに上空の白鯨へと向かい、攻撃魔法と思しき光弾を射出してドッグファイトを描き出す。

 

「次から次へと……! 今度は一体なんだ!?」

「不明です! しかしこちらへの攻撃意志は無いようです」

「であれば暫定的にアレを味方と判断し、白鯨への対応を任せるぞ! 一体どこの大馬鹿者かは知らんが、この隙を精々利用させてもらう!」

「了解しました! 住民の保護を急ぎましょう!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

『無事か、マスター』

「なんとか……! カトリ様が守ってくれたおかげです!」

 

 クジラを乗せたバテン・カイトスを追ってテスカトリポカは空を飛ぶ。

 AGIと魔法攻撃に秀でた赤き魔鳥の姿となって、その背に【神心騎英 ベレロープ】の手綱を取るマグロを乗せて。

 亜音速で空を泳ぐバテン・カイトスを超音速で追う間にも、歌声は一切の変質無く二人の耳に届いていた。

 明らかに物理法則を逸脱した現象。おそらくはそれこそが、先に相手が宣言した必殺スキルと思しき技の力であろうとテスカトリポカは判断した。

 

『マグロちゃん、ここまで来てくれるなんて……!』

「クジラさん……!」

 

 同じ高度に達し、前方を泳ぐバテン・カイトスの背からクジラの声が届く。

 数百メテルも離れた距離。吹き荒ぶ夜風はほんの数メテルの距離でも声をかき消すはずが、まるで耳元で囁かれたように明朗に響いた。

 前方にいるはずなのに、一切の位置感を悟らせない不可思議な発声。

 マグロとテスカトリポカは、心の共有で互いの耳元へまったく同じ声が届いていることを把握した。

 

『これがそなたらの力、というわけか』

『うふふ……わたしの声がどこまでも届きますように。そう……ここにはいない遠くへ逝った()()()までわたしの歌が届きますように――――』

 

 祈るように両手を絡めたクジラの独白は、マグロのみならず街の人々全てに届いていた。

 万人の耳に囁くように、まったく同じ声音ではっきりと伝わるのには、勿論理由がある。

 

 TYPE:アポストルの特性、ドミネーター。

 世界を部分的に掌握し、己に利する世界へと作り変えてしまう支配者の力。

 生粋の【歌姫】たるクジラにとってのそれは、一切の瑕疵無く己が歌声が響き渡る領域に他ならない。

 

 バテン・カイトスを中心とした半径二〇キロメテルの領域において、二人の歌は必ず届く。

 たとえ轟音が飛び交う中でも、歌は厳かに響き渡る。

 たとえ音を伝えぬ真空であろうが、空間そのものが音を伝え歌を響かせる。

 遥かな地中深くに潜み、あるいは物陰に隠れて耳を塞ごうとも……クジラの歌は鳴り止まない。

 

 即ちバテン・カイトスの支配する領域全てが、彼女の歌を演出する音響装置。

 その歌を阻まんとするならば――――()()()()()()を破壊する他に術は無し。

 

 それはかつて、どこまでも歌を広げることを願ったクジラの力。

 歌で世界を羽ばたかんとし、今は遠い世界に眠る愛する人へと鎮魂歌を届けんがため。

 されど悲しきかな、愛する者への鎮魂とかつて思い描いた願いは歪み、この世に生ける者全てを蝕む呪いとして君臨する。

 

『ねぇマグロちゃん、わたし今、なぜだかとっても嬉しいの。どうしてかわかるかしら?』

「そんなこと……! わかるわけ、ないじゃないですか!!」

 

 今も眼下では地獄が広がり、バテン・カイトスの紡ぐ歌で人々が苦しんでいる。

 歌手系統に代表される歌唱スキルが得意とする精神系状態異常。彼にとってはほんの余技でも、多くの無力なティアンにとっては致死の呪いに他ならない。

 発狂、憎悪、憤怒、歓喜、悲嘆、愉悦……ありとあらゆる精神的疾患が聴衆から理性を奪い、悍ましい共食いへ差し向けていく。

 そんな地獄を齎しながら、クジラの声音は女神のように美しく、天使のように純粋で――悪魔のように甘い。

 この残酷をクジラが生み出していることにマグロは哀しみを堪え切れず、涙しながら訴え叫ぶ。

 

「私、クジラさんと仲良くできて、嬉しいと思ってたのに……なんで、こんな……!」

『そう……あなたは()()なのね』

「なにがですか!?」

()()()()()()()()()()()()()ということよ』

「それが――」

()()()()()()()()()()()()だから。……だけどそれが嬉しいのかもしれない』

 

 クジラの囁きは寄り添うように聞こえ、故にその言葉にどれだけの想いが込められているのかがわかってしまう。

 人同士の会話ではなく、歌として感情を曝け出した今のクジラからは、この世界へのただならぬ嫌悪と憎悪が向けられていた。

 

 女神の美貌に天使の歌声。しかして悪魔の悪意は世界を脅かす。

 今宵初めてその力を露わにした超越者は芸術の都を第一の生贄に、その歌で破滅への引き金を引いた。

 

『マスター、最早これ以上の問答は無用。早々にアレを仕留めるぞ!』

「カトリ様……、――――はいっ!」

 

 テスカトリポカは、魔性に堕ちた歌姫は言葉では止められぬことを悟り、命を以て終止符を打つべく戦闘態勢に入った。

 同時にバテン・カイトスも動きを変える。ここまで互いに本領を見せていなかったのは明白。

 どちらかが問答を捨て去り、命を賭す覚悟を決めた瞬間こそ、今宵の行く末を決める頂上決戦。

 

 すなわち<超級激突>。

 今宵初めて衆目に晒される知られざる<超級>二人の、大喧嘩。

 

『わたしを止められるものなら、どうかわたしを止めて頂戴! あなたの手で止められるなら、わたしはようやく()()できる――――!!』

「本当に――――甘ったれすぎですよクジラさんはぁ!!」

 

 瞬間、絶世の大合唱が領域を駆け抜けた。

 これまでの小手調べとは違う、本気になったテスカトリポカをしてレジストにリソースを割かねばならないほどの歌声。

 【歌姫】固有のスキルレベルEXに達した《歌唱》による歌唱効果の一〇〇%強化、そして奥義《絶唱》によって極限強化された歌が、多重発声を可能とするバテン・カイトスの《合唱》や《輪唱》によって同時に歌われ、それらが不協和音になることなく極上のハーモニーとなって響き渡る。

 無論、代償としてクジラのMPは継続して目減りしていくが……MPへのステータス補正に特化した【歌姫】であるために早々に途切れるものではない。

 彼女の消耗を待つ持久戦を選べば、決着をつけるまでに周囲一帯の被害は最早取り返しのつかないレベルに陥るだろう。

 

 故に二人は速攻をかけんと飛翔するが――――それを不可視の衝撃波が阻む。

 数少ない攻撃系歌唱スキルである《ソニックヴォイス》、音の衝撃によって対象を破砕せしめるそれが【歌姫】の奥義とパッシブスキル、そして<超級エンブリオ>の大出力によって放たれれば、接触は即ち死を意味する。

 同じ<超級エンブリオ>のガーディアンであるテスカトリポカですら大ダメージを免れず、そのために徹底した回避を取らざるを得ない。

 

 しかし、本来であれば如何な大威力とはいえ所詮は音速止まり。

 超音速で飛翔する赤き魔鳥と化したテスカトリポカなら回避は容易いはずだが、その優位をバテン・カイトスの必殺スキルが殺していた。

 領域内全てにまったく同質の歌声を届ける必殺スキル。それは本来あるべき音の伝達速度限界を無視して任意の場所へ即座に音を発生させることが可能な、いわば擬似的な空間跳躍にも似た現象。

 そのために超音速であっても回避困難な遠隔起爆となり、ラーニングしたスキルで《魔力視》が可能なテスカトリポカだからこそかろうじて回避ができている。

 彼女でなければ衝撃波発生直前の僅かな兆候すら察知できず、同じく過去にラーニングした《魔力撃》による純粋魔力放出による相殺もできなかっただろう。

 テスカトリポカでなければそれだけで決着をつけるにあまりある、不可避にして不可視の致命攻撃。

 

 不幸中の幸いは、この攻撃が二人にだけ向けられていたことか。

 もし無差別に音波爆撃を繰り出されていたら、バテン・カイトスの必殺スキルの性質上、カルカランは一瞬にして灰燼と化していただろう。

 良くも悪くも今のクジラは二人しか見えていない。それが一筋の希望だった。

 

『……千日手だな。空中機動に関しては向こうに一日の長があるということか』

「この姿での動きをもっと練習する必要がありますね……そのためにもこの状況をなんとかしないと」

 

 超音速で飛翔するテスカトリポカだが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言い難い。

 <超級エンブリオ>に達してまだ二週間も経っていない今、テスカトリポカは新たに獲得した肉体の制御をまだ習熟しきれてはいない。

 歴戦の戦闘センスで不足を補ってはいるが、相手が格下であるならまだしも同格相手との戦闘では、僅かな不足は大きな不利となって重くのしかかる。

 

 対するバテン・カイトスは飛翔を得意としていたのだろう。

 テスカトリポカの付け焼き刃ではないその動きは、彼女の超音速機動に大きく劣る亜音速でありながら、巧みな位置取りによってテスカトリポカの攻勢を凌ぎ続けている。

 その上でバテン・カイトスの攻撃は距離や位置を問わない即応起点指定であるがために、状況は一見してテスカトリポカの不利であった。

 

『加えてあやつら、衝撃波以外にも()を唄っておる。それがどのような効果かは知れぬが……状態異常攻撃以外にも何かあるな』

 

 初手から継続して歌い続けられる精神系状態異常を齎す歌。

 直接的に二人を破壊せんとする音波衝撃。

 それとは別に、前者二つとは趣を異にする歌声が、大合唱にまぎれて延々と紡がれている。

 それは目に見える効果を齎さず、不気味なまでの静けさを以て今はまだ聴衆を魅了するに留まっていた。

 

「カトリ様、いつまで保ちますか?」

『切り詰めて半刻、といったところか。他の化身に変わればリソースは回復するが、あれが空を舞う以上この姿の他には打つ手はあるまいよ』

「クジラさんの方は多分私達よりも長く戦える……カトリ様、少しだけ時間稼ぎをお願いします!」

『承知した。なるべく早く調()()を終えよ!』

 

 カルカランの上空を縦横無尽に泳ぎながら、マグロはメニューウィンドウを展開した。

 表示されるのはテスカトリポカの詳細なステータス。各形態に振り分けられた無数のスキル群、発動中のものは文字列が発光し、未発動のものは暗く消灯している。

 <超級エンブリオ>への進化後、暫定的に振り分けられたそれらスキルは無駄が多く、故にマグロは土壇場での最適化を試みた。

 

 【獣神】はモンスタースキルに特化した超級職。

 従属下のモンスターが習得するスキルへの干渉を得意とするその性質は、言い換えればスキル面からのモンスターの育成を可能とする。

 元来【獣神】とはそうした手順によって従属モンスターを鍛え上げ、その種族の中でも最も優れた個体を創り上げることを本領とするジョブだ。

 しかしマグロは己の<エンブリオ>の特性から、テスカトリポカ以外の従属モンスターを切り捨てている。

 そして己すらも切り捨てて得た莫大なリソースを全てテスカトリポカに注ぎ込むことで、テスカトリポカをガードナーとして規格外の領域に押し上げている。

 即ちラーニング能力によって無数のスキルを獲得する下地を得ながら、ステータス特化型にも匹敵する純粋高性能を両立させるという暴挙。

 無論、真の意味で純粋ではないためにかの"怪獣女王"には後塵を拝するが……それは逆に言えば、かの"怪獣女王"に次ぐステータスを誇りながら、彼女には無い多彩さを駆使できるということでもある。

 そしてテスカトリポカは、戦闘力においては無力を極めるマグロに変わって全ての闘争を代行してきた歴戦のガードナーであり……その戦闘経験は数あるガードナー・従属モンスターの中でも最上位に達する。

 

 故にテスカトリポカは最優である。

 マスターまでも犠牲にした究極の原石を【獣神】として磨き上げた結果、それは至上の宝石として君臨する。

 世に覇を唱える"最強"達にも勝るとも劣らない、最も優れたガードナーとしての自負がテスカトリポカにはある。

 その彼女が勝利を得るために、マグロに託した。

 彼女の準備が整ったとき、そのときこそテスカトリポカがバテン・カイトスを仕留めるだろう。

 

 だがそれをみすみす見逃すクジラ達でもない。

 一見して優雅に歌い舞い泳ぐだけに思える所作は、その一つ一つが致死を振り撒く攻勢である。

 音波衝撃はますます苛烈を極め、相殺するテスカトリポカにも消耗の色が浮かぶ。

 精神を蝕む呪いの歌は、テスカトリポカにアジャストした状態異常耐性特化の特典武具と、【高純度覚醒剤】を継続投与する【オーバードーズ】によってレジストしているが、そうした手段の無い地上の人々は今も地獄を見ているだろう。

 それを顧みる余裕など今の二人には無いが、しかしそうした中でも必死に避難の指揮を取る者達の動きを認め、テスカトリポカは彼らの尽力に地上を託すことを決意した。

 

(あれは<ケルベロス>の者達か。この状況では心強い。あれらの尽力に応えるためにも、一刻も早くあやつらを仕留めねばならぬ。――――だが、これが<超級>か)

 

 テスカトリポカは心中で地上の人々の努力に喝采を送りながら、同時にたとえようのない高揚を覚えた。

 世に一〇〇といない極一握りの超越者達、<超級>。

 如何なる奇縁によるものかその頂上二組が今この場で対峙し、互いの命を喰み合う激戦に……テスカトリポカはどうしようもなく()を覚えた。

 不謹慎であることは百も承知だが、同じ<超級>として鎬を削る激戦に、普段は隠している戦闘狂としての側面が顔を覗かせていく。

 しかしその一方でマスターたるマグロの心中も理解し、その凶猛を表に出すことを彼女は自省した。

 

『互いに捻くれた<マスター>を抱えたものよな、バテン・カイトス。……余もそなたらの歌は大いに気に入っておったゆえ、此度の争いが残念でならぬよ』

『俺は、マスターの願いを叶えるだけだ。……アンタのようなメイデンとは違う』

 

 珍しくもテスカトリポカは、己の心中を戦場で吐露した。

 同じ<超級>の頂に達した<エンブリオ>としての同族意識か。

 はたまたかつて己がマスターの半生に彩りを与えた歌姫への敬意か。

 テスカトリポカにとっては非常に珍しく、撃滅の意志以外を敵手へと向けた。

 対するバテン・カイトスは、歌声を発したまま会話のための言葉を重ねて無機質に言い放つ。

 テスカトリポカは、その答えに遣る瀬無いように表情を変えた。

 

『そうさな。……そなたはそういうモノであろうよ。余としたことが益体もないことを言った』

『俺はマスターと共に歌うだけだ。――――見ろ、さらなる聴衆がやってきたぞ』

『ぬ――――?』

 

 感傷だけの会話。

 しかしバテン・カイトスの言葉と同時に、戦場へ響く歌に変調が加わる。

 音波衝撃と精神汚染の呪歌、それとは別に長らく響き渡っていた歌が、ここに至り大きく主張した。

 それは既に効力を発揮していた二つの歌よりも尚広く、必殺スキルの効果範囲の限界まで駆け抜ける。

 カルカランを越えて、その周囲に広がる砂漠の一帯へと。

 そしてそこからにわかに砂嵐が巻き上がって、カルカランへ迫り来る。

 その砂嵐の向こうに潜む影を、テスカトリポカの眼は詳らかに明かした。

 

『魔物の群れを引き寄せたか――――!!』

「そんな!? これじゃあ脱出することもできない……!」

 

 それは【歌姫】の歌声に誘われ集まった、無数のモンスターの群れだった。

 広大な砂漠に潜む無数の魔蟲種の群れ。地中深くに潜んで音を頼りに獲物を狙う数多の【ワーム】達が、【歌姫】が上空に坐すカルカランへと一直線に殺到する。

 互いに身を押し合い、へし合い……押し潰されることすら厭わずに、一刻でも早く【歌姫】の元へ集わんと全速力で。

 

 メジャーな歌唱スキルの一つである《魔物寄せ》。他系統のスキルにも同様のものが多く見られるスキル系統。

 多くは効率的な狩りのために用いられ、パーティー内でも重宝されるその歌が、【歌姫】と【千篇万歌 バテン・カイトス】の手によって極限強化され……本来の性能を越えた凶悪効果を齎した。

 惹き寄せられたモンスター達は、参集以外には一切の制限を課されてはいない。

 歌声の発生源であるカルカランへと到達した後は、無差別に獲物を喰らい合うだろう。

 共食いの性質を持つものは互いに喰らい合い……そうでないものは、街から逃げ出そうと密集した無力な人々を格好の獲物として、喜びながら貪り尽くすに違いなかった。

 

 最早、人々に逃げ場無し。

 彼らが集結した魔物の群れに食われ尽くす前に元凶たる【歌姫】を打倒する以外に、人々が助かる道は無い。

 

『うふふ……あはははは。アハハハハハハハッ――――!!

 さぁマグロちゃん、わたしを止めて! 止めてみせて! 止めて頂戴!!

 嗚呼……今夜はこんなにも月が綺麗だから、わたしの全身全霊で歌いきって魅せるわ!!』

「本当に……止める(殺す)しかないんですね……、――――クジラさん!!」

 

 地獄の釜の蓋が開き。

 

 

 ――――歌姫は破滅の歌を唄う

 

 

 To be continued

 




◆《ほしのさかな》
 バテン・カイトスの必殺スキル。
 バテン・カイトスを中心とした半径二〇キロメテルの空間が対象。
 領域内を己に利する音響装置へと改変して、音の限界を越えて常に理想的な状態で届けることを可能とする。
 領域内ではどこにいようがクジラとバテン・カイトスの歌は必ず聞こえ、たとえ真空や爆風でも遮ることはできない。
 またその歌声は領域内であれば位置を問わず同時に届くため、歌から逃げることもできない。
 領域内で歌を遮るためには、改変された空間そのものを破壊か断絶する必要がある。

(・3・)<つまりどういうことかというと
(・3・)<クジラとバテン・カイトスの歌限定のシーン攻撃(識別可能)
(・3・)<MUGEN的に言えば全画面攻撃

 掌握した世界をごく単純に改変するだけなので、アポストルの支配改変の中では条件が軽い。
 サンダルフォンとは違って常にバテン・カイトスを中心とするので、バテン・カイトスが動けば領域もそれに合わせてズレる。
 要は超高性能なマイクか劇場を擬似的に展開するだけのスキルだが、【歌姫】とのシナジーは推して知るべし。

(・3・)<これらの理由から
(・3・)<クジラの戦闘スタイルは広域殲滅と広域制圧のハイブリッドに分類されます


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バカは死んでも治らない

 □芸術都市カルカラン

 

 【歌姫】が呼び寄せたモンスターの群れは、カルカランの全周から押し寄せていた。

 目視でも確認できるほどに巻き上がる砂煙。大砂漠の下から上から、数えきれないほどの大群が潰し合うのも厭わずに殺到する。

 そのほとんどはカルディナの大部分を占める砂漠に棲まう魔蟲種であり、行商の死神として恐れられるモンスターの多くが集結していた。

 

 異形の数多いモンスターの類でもこと異彩を放つ魔蟲種の群れ。

 常人の目には到底判別のつかない有象無象だが、心得のあるものならば彼らの思考に理性の色が無いことを察せただろう。

 より正確に言うならば、本能すらも上書きするほどの【魅了】。本来ならば僅かに注意を引き付けて招き寄せるだけの《魔物寄せ》の類が、【歌姫】と<超級エンブリオ>の手によって逃れ得ぬ神の手となって彼らを一直線にカルカランへと駆り立てていた。

 

 幸いにしていずれも音速域には程遠い種ばかり。

 カルカランへの到達には少しばかりの猶予があるが……その時間は、住民を避難させるにはあまりに短い。

 群れの存在が無くとも都市外への脱出は生存の保証は無い難事であるのに、より具体的な形で文字通り壁として立ち塞がる以上、最早住民の逃げ場など無いに等しい。

 万が一逃れようにも、それはモンスターの群れを突破し、その後の砂漠を単独で踏破できる極一部の強者に限られよう。

 

 その一握りの大半を占める<マスター>は、ほとんどが詰みを悟ってログアウトしている。

 彼らの多くはごく一般的な()()()()()――すなわち遊戯派であり、打開も望めぬ絶対的不利な状況に付き合う道理も義理も無いため、当然の選択だ。

 彼らにとってのティアンは所詮「よくできたNPC」でしかなく、その生死に一喜一憂などしていられない。

 その判断から早々に離脱を選んだ彼らを責められる者は、少なくとも<マスター>の中にはいないだろう。ひとつきりの命しかないティアンはともかく。

 

 しかしながら一方で――この逆境を見捨てずにいる<マスター>もまた存在する。

 彼らもまた様々な理由――個人的な友誼、集団としてのしがらみ――でこの場に残ることを選んだ者達であり、それ故に勇敢に、迫り来る脅威の波濤へ立ち向かおうとなけなしの勇気を振り絞っていた。

 

 群れの中でも比較的AGIの高い種が到達したのを片端から迎撃し、街への侵入を阻んでいく。

 当初こそ善戦していた彼らだが、次第に群れそのものが近づくにつれて到達するモンスターの数が増えてくると戦線の縮小を余儀なくされ、確保できた僅かな人々を可能な限り一箇所へ押し留め、ほぼ無人となった街並みを盾に全周囲からの襲撃を迎え撃っていく。

 戦線に身を投じる彼らは<マスター>のみならず戦闘職に就いたティアンも多く交え、決死の覚悟で襲い来る魔の手を振り払っていく。

 その中でも特に目覚ましい戦果を挙げているのが……戦場へ蜘蛛の巣と張った()を伝って駆ける、一つの小さな影だった。

 

「おほしさまキーック! ――な!!」

 

 文字通り綱渡りのようにして鎖の上を全速力で駆けるのはポッポ。

 その動きは一万を超えるAGIによって超音速に達し、その勢いのまま放たれた飛び蹴りで目につく敵を片端からぶち抜いていく。

 その多くが強固な外殻によって覆われている魔蟲。また生半可な部位欠損も各部に存在する神経節によってある程度補えもする異形の蟲達だが、ポッポの繰り出した一撃はその矮躯に反して魔蟲の五体を木っ端微塵に打ち砕き、問答無用に無力化していった。

 

「つぎからつぎにキリがないなー!?」

【ボヤくんじゃねーぞポッポ! 次は南だ、任せたぞ】

「ポッポにおまかせ…………なー!!」

 

 通信用マジックアイテムでアフロ松田と言葉を交わしつつ、仲間の飛ばすナビ用<エンブリオ>の案内に従って、最短効率で敵性脅威を沈黙させていくポッポ。

 戦域を駆け回る足場となっている鎖は彼女の<エンブリオ>、【封鎖猟犬 ライラプス】。

 拘束と捕縛に特化したポッポの<エンブリオ>は、延長限界まで射程を伸ばして彼女の足場を構成しながら、尚もありあまる射程で可能な限りのモンスターを【拘束】していく。

 第六形態に達したアームズの耐久力は精々が純竜級を上限とするモンスターなどに打ち破れるものではなく、捕縛された端からその場に縫い留められポッポの制裁を待つばかりとなる。

 生憎ながら群れの数が多すぎるために全てを制圧するには到底足りないが――それでも尚一〇〇〇を超えるモンスターを一挙に足止めしているのは、まさしくポッポの力量あってのことだった。

 

 《自動索敵》、《自動攻撃》、《自動捕縛》。

 三種の自律行動能力は事前にポッポが設定した通りに働き、最下級の雑魚は捕縛するまでもなく鉄の鞭となって倒し、次なる獲物を求めて鎌首をもたげては、討伐を満たせぬ強敵に巻き付いて【拘束】する。

 十重二十重にも連なる鎖の奔流こそは、【罪狩】ポッポが最も信頼する猟犬である。

 

「ジャマするんじゃないなー!!」

 

 そうして猟犬が捕らえた獲物を一撃で仕留めていく力こそ【罪狩】の正体。

 咎追系統に共通する『対象の賞金額に比例したステータス補正』の特性、それのEXに達したスキルレベルによる最大倍率――ではない。

 余程凶悪な生態を持つか<UBM>でもない限り、野生のモンスターが賞金首になることはないからだ。故にその効果は発揮されていない。

 

 ポッポの()()()()()()()()()()()()()()()()の理由はまた別。

 それこそが咎追系統超級職である【罪狩】の奥義、《トータルバウンティ》。

 『これまでに討伐した賞金首の報酬金額の総計に比例した()()()()()()()()()』によるもの。

 賞金稼ぎの頂点として数多の高額賞金首を討伐してきた、歴代でも最高報酬総額を記録するポッポにのみ許されたステータスの暴力。

 <UBM>でもない有象無象のモンスターなど、勢いをつけて殴るだけで仕留めるに容易。

 すなわち蜘蛛の巣と張った鎖はまさしく捕食者の罠であり、その上を縦横無尽に駆け回るポッポは絶対の処刑執行者であった。

 

「ショーキンがかかってたらちょーおいしーのにもったいないな! こんやはタダばたらきなー!?」

【そりゃお前、こんな状況で賞金出せるやつなんざいねぇだろうよ】

「せちがらいよのなかなー!! ――――キーック!!」

 

 故にポッポは賞金首を倒せば倒すほど上限知らずで強化されていく。

 とはいえ劇的にステータスを上昇できるほどの高額賞金首などそうはおらず、その成長は非常に微々たるものだが。

 そういう事情もあってポッポは金銭の契約にはシビアであった。少なくとも今タダ働きを嘆くくらいには。

 その鬱憤を晴らすように、哀れな獲物は形も残さず木っ端微塵である。いずれも二万に迫るAGIとENDとSTRが繰り出す超高速質量攻撃を受けて無事でいられるものなど、この群れには存在しない。

 ポッポの得意技たる飛び蹴りの前に呆気なく散っていくのみ。まさしく鎧袖一触であったが、そのポッポの奮闘をして劣勢を覆せないほどに敵の物量は圧倒的だった。

 

【――朗報だ、ヘルガがこっちに合流する。保護した住民をこっちで受け入れ次第、戦線に突入するとよ】

 

 そこへ三度アフロ松田からの連絡が届く。

 それは中央区の警護を任されていたヘルガが、追加戦力として戦線に参入するとの報せだった。

 己と並ぶ大戦力であるヘルガ参戦の報せに、ポッポの目が期待に色めく。

 共に部隊を率いる筆頭戦力である二人が戦場に揃うことの意味を、ポッポは誰よりもよく知っているがために。

 

「ならポッポのやることは……」

『久々の連携だ! いくぞポッポ!!』

「りょーかいな、ごくちょー!!」

 

 ポッポの独白に答えるように、瓦礫と化した街並みの向こうから巨人が現れる。

 五体の全てが牢獄の人形、【ウィッカーマン】。保護のため収監していた囚人をアフロ松田に預け、全室を空けた牢人形が、その獄の扉を開けてポッポの行動を待ち構えていた。

 心得たり、とポッポが頷く。

 

「おまえらまとめて――――ボッシュートなー!!」

 

 ポッポの宣言と同時に、足場を構成していた鎖が波打った。

 捕らえられ、ポッポの処刑を待つばかりだった大量のモンスターが引き摺られ――ウィッカーマンへと殺到する。

 それをウィッカーマンは門戸を開いて待ち構え、全身の牢獄に次々と収監すると、満杯になった端から閉じ込め、その全身をモンスターで満たしていく。

 自由になったライラプスは次なる獲物を求めて都市外へと矛先を向けると、群れから手当たり次第にモンスターを引っ張り出し、それも次々とウィッカーマンへ放り込んでいった。

 

『全敵収監! 往くぞ――』

 

 そうして全身ギュウギュウ詰めに魔蟲を収め、歩く蠱毒の壺と化したウィッカーマンが群れの前へと躍り出る。

 成程確かに、その巨体は迎え撃つに適した戦力を発揮できるだろう。しかし如何に巨大で強力とはいえ、その鈍重では群れの全てを阻むには到底足りない。

 あるいは自棄の蛮勇か――戦線で戦う誰かがそう邪推した瞬間、ウィッカーマンが様子を変えた。

 

『――《火葬戦鬼(ウィッカーマン)》!!』

 

 【獄長】ヘルガの宣言で、ウィッカーマンは全身を炎で覆った。

 瞬間、鈍重だった動きは嘘のように俊敏を発揮し、燃え盛る全身で拳を繰り出し群れを殴り抜き、触れる端から炎が燃え移って延焼していく。

 炎はモンスターの全身を火種として燃え盛り、暴れ、乱れて、群れへと炎を撒き散らし果てていく。

 そうして群れに混乱が奔る中を炎の戦鬼と化したウィッカーマンが駆け抜け、増大化したステータスの暴力をその巨体で繰り出して散々に掻き乱していく。

 

 これぞ【牢人形 ウィッカーマン】の必殺スキル、《火葬戦鬼》。

 囚人を薪として全身を燃え上がらせ、その炎尽きるまで暴れ回るガーディアンとしてのウィッカーマンの姿。

 

『ポッポ、薪を絶やすなよ。獲物は無数にいる、いくらでも持ってこい! 今宵のウィッカーマンはいくら喰っても喰い足りることはないぞ!!』

「いわれなくてもなー!! ……でもぶっちゃけちょーしんどいなー!?」

【がんばれよー。こっちも負傷者の治療してってっからなー】

 

 その性質上、その身に(囚人)がある限り効力が続くのがこのスキルの利点だ。

 そして捕縛に適したライラプスの能力は薪の追加投入にうってつけで、燃え盛り暴れ回るウィッカーマンへと隙間を縫って捕らえた獲物を放り込んでいく。

 極稀に存在する巨獣や大群の賞金首への連携戦術だったが、ポッポにとっては単なる重労働でしかないのが玉に瑕だった。

 

『とはいえ全ての敵を駆逐するには至らんな。精々が勢いを弱める程度でしかない、都市内への浸透は防ぎきれないだろう……()()()()もいるようだしな』

「メンバーがみんないればなんとかなるっぽいけどなー……」

 

 収監した敵を燃料に音速に迫る機動力で群れを駆逐していくウィッカーマンだが、善戦すれど群れの数は尽きるにまだまだ遠い。

 必殺スキル使用後は広域殲滅を得手とする炎のウィッカーマンでさえも、圧倒的物量の前では力不足。

 カルカラン周囲一帯の生態系を根こそぎ呑み込み迫る波濤だが……しかしそれすらも全てではない。

 大移動を開始して空隙を生んだ生態系を侵略せんと、更に外の生態系が押し寄せ……領域に達した端からクジラの歌に惹かれてカルカランを目指す。

 そうした負の連鎖が織りなすスタンピードは止まらず、それを招く災禍の歌もまた鳴り止まない。

 戦場を駆ける誰もが奮闘の無意味を悟りながら、()()()()()()と諦め切れず、その力尽きるまで奔走する生存競争。

 

『やはり大元を絶たねば埒が明かんな。アフロ、上空はどうなっている?』

【……膠着状態、だな。互いに攻めあぐねてるが……このままだと不利なのはこちら側だ。詳しい戦況は悪いがわからん。観測しようにも余波で吹き飛ぶ】

『……あれが敵を打破してくれることを期待するのは厳しいか?』

【わからん。正直な話、戦いの規模が違いすぎて把握しきれん。……職業柄<超級>連中の派手なやらかしは聞いてはいたが、実物を見ると大違いだな。成程、こりゃ手が届かん】

『せめてポッポの手が空けば……あるいはいけたかもしれんが』

 

 【封鎖猟犬 ライラプス】の必殺スキル。

 単体の対象を、距離や障害を無視して捕縛し引き寄せる《いぬのおまわりさん(ライラプス)》を即時使用していたならば、上空を舞うクジラの主を捕らえ、あるいは仕留めることができていたかもしれない。

 しかし初手で必殺スキルを切るという判断は、事変勃発当初の混乱の中で導き出すには酷と言うもので、押し寄せる魔物の群れに対応せざるを得ない今となっては最早後の祭りである。

 そも容疑的にはともかく戦力的にはまったくのノーマークであった【歌姫】が発端となってこの事態が引き起こされるなど、事前に察知するにはあまりにも無理があろう。

 後手に回った無念を噛み締めながら、ヘルガは通信を発した。

 

『アフロ。住民を可能な限り連れ出すとして……いくらいける?』

()()()。単純に人手が足りん。戦力もだ。上の決着がつくか、こっちが群れを殺し尽くすか……どんな結果になるにせよ、俺達にできるのはギリギリまで避難場所(ここ)を守り抜くことだけだ】

『……やれやれ。割に合わん仕事にも程があるな』

「おしゃべりしてるヒマないなー!? ポッポだってちょーがんばってるのにノンビリしてるんじゃないなー!!」

 

 絶望的な戦況に、努めて皮肉を返すヘルガへポッポの怒号が飛ぶ。

 さながら炭水車の火夫の如き重労働で、今もひっきりなしに()を投げ込むポッポの顔には、小難しい考えなど一つも浮かんでいない。

 良くも悪くも目先のことに真っ直ぐな戦闘隊長の姿に、ヘルガは答えの出ない思考を放棄した。

 

『……ポッポの言う通りだな。確かに、口論したところで意味は無いか。今は目の前の敵を屠ることだけに専念しよう』

「うりゃりゃりゃりゃりゃ!! なー!!」

 

 そしてより一層炎を燃え盛らせ、群れの只中へ殴り込まんとウィッカーマンを指揮するヘルガ。

 その号令を下そうとした間際へ、再びアフロ松田の通信が届いた。

 

【――待て。状況が変わるぞ】

『どうした?』

()の動きに変化がある。これは……鳥の方だ! 消え――!?】

『なんだと!?』

 

 言うや否や、遥か上空から彗星のように赤き魔鳥が降下し――――

 

 

 ◇◇◇

 

 

(空戦である以上他形態への変化は悪手。切り札の()なら空中機動もある程度はできるけど回避に難あり、白兵距離になるまでは保留)

 

 カルカラン上空でバテン・カイトスと千日手を繰り広げるテスカトリポカの背で、マグロはウィンドウのみを注視して作業に没頭していた。

 時折身を掠める衝撃がマグロの聴覚から音を奪う。おそらくは鼓膜が破損したのだろう、しかしそれでもバテン・カイトスの掌握した世界は歌を伝え、逃れ得ぬ旋律を響かせる。

 

 ()()()()()()()()()()()()マグロはウィンドウと格闘する。

 そこには何の気負いも無ければ、恐れもない。

 課された役目を果たし終えるまでの時間をテスカトリポカが買うと言った以上、マグロにそれを疑うという発想は無いからだ。

 

(AGIを補正する全スキルを()に設定。攻撃スキルは射出系を排除、()()()()()()()()()()()()()()()()。代わりに展開型スキルを設定、各種サポートスキルを吟味……戦況を考慮して識別可能にしたいけれど、ぶっつけ本番でいけるかな? ……カトリ様なら大丈夫か、()()()()()()()()()()()()()()()。……威力はどうかな、第七形態での戦闘は初めてだから、ちょっと感覚が掴めないな。そこもカトリ様に任せちゃおう。発動スキルの選別を邪魔しないよう明らかに無駄なものは省かなきゃ。……この戦いが終わったら本格的に整理しないと)

 

 さながらプログラマーがコマンドを入力するように、画面上で指を踊らせ次々に設定を決めていく。

 かつて形態を一つしか持たなかった時分には大半が死蔵されていたラーニングスキル群。軽く一〇〇〇を超えるラインナップの全てに目を通し、即断即決を下していく。

 その作業の傍らで地上の戦況に視線を向ければ、一画に避難し寄り集まった住民を守るべく、全周から押し寄せる魔物の群れを迎撃する戦士達の姿が見えた。

 そこには当然、<ケルベロス>の姿もある。燃え盛る巨人が群れの只中に突っ込み、その豪腕を振り回していく。

 

(……速いな、必殺スキルかな? ()よりも速いね。それでも大局的には不利か、ならやっぱり青での蹂躙は却下。強化した《巨大化》を使うという手もあるけど、それだと人々の安全を保障できない。街や人を無視していいなら手っ取り早いんだけど、いいわけがないし。でも参考にはなりそうだね、ゴリラさんのと合わせて覚えておこう)

 

 縦横無尽に飛翔して姿なき爆撃音波を回避するテスカトリポカが生み出す慣性と空気抵抗は、本来であればマグロの虚弱な身体など容易に死へ追い込む。

 それを【神心騎英 ベレロープ】の装備スキルで無効化するも、降り注ぐ攻撃の余波がマグロを傷つける。

 それはある種の持続的なダメージとなって、《贄の血肉は罪の味》と併せてマグロのHPを急速に削るが、それを【延命投与 オーバードーズ】による【HP回復ポーション】の継続投与で補い、その均衡を瀕死の領域で危うく保つ。

 鬩ぎ合うHPの表示ゲージは筆舌に尽くし難い痛苦をマグロに与えるがそれをおくびにも出さず、常人ならば気が触れる程の痛みを呑み込んで、マグロはひたすら設定に集中する。

 

(鎖はポッポちゃんかな、きっと。あれも参考になるね、()の方向性を決めるのに役立ちそう。制圧に向いたスキルはこっちに設定することにしよう。滞在中にも思ってたけど、白は隠し武器的に用いるには便利だし。とりあえずポッポちゃんの鎖を参考に、物理的な射程延長スキルはこっち。リンクさせるのは《伸縮自在》でいいかな。今までは黒のしっぽを伸ばして武器にするのに使ってたけど、今となってはわざわざそっちで使う意味も無いし。……うん、決まり)

 

 その身を蝕むのはHP消費によるダメージだけではない。

 【オーバードーズ】の副作用に加え、精神系状態異常を無効化するための【高純度覚醒剤】が生来持つ副作用が【オーバードーズ】によってより深刻化し、まともな思考すらも脅かす。

 絶え間ない吐き気。内臓が液化しかき回されるような嫌悪感。

 直接的なダメージにつながらないだけでそれ以外の負荷を全て汚水で煮詰めたような不快感を、しかしマグロは耐えている。

 まともな<マスター>ならば戦闘行動など到底不可能なデメリットの嵐。

 しかし元より戦闘行動の全てをテスカトリポカに委ねたマグロにアジャストした特典武具は、彼女に限ってのみその不利益を利点に変える。

 

 どこまでも身を削り、己が<エンブリオ>に全てを捧げ尽くすというマグロのパーソナル。

 <エンブリオ>がそうであるように、特典武具もまたマグロにデメリットを強いる代わりに、いずれも強力なスキルを備えてアジャストすることが多い。

 【延命投与 オーバードーズ】はその中でも特にその傾向が顕著であり、余人には忌まわしき呪具でしかないそれも、マグロにとっては紛れもなく生命線であった。

 

(……よし、粗方完了したかな。これ以上はこの場では考えつかないや。タイムリミットも近いし、あとはカトリ様次第だね。……ということはつまり、何も問題無いってわけだ)

 

 激動の空中戦を余所に作業へ没頭していたマグロが、ややもして区切りをつけた。

 気づけば全身には大小様々な傷が無数刻まれ、【オーバードーズ】によって歪に治療された傷跡が生々しく奔る。

 傍目には痛ましい限りの惨状。しかしそれを、やはりまったく気に留める様子も無く、己が役目を果たした安堵のみを浮かべて小さく笑顔を見せた。

 

『仕上がったか、マスター』

「はい、カトリ様。私に出来る限りのことは、全部」

 

 満身創痍とは裏腹に晴れやかな様子のマグロに、テスカトリポカは一言『大義であった』と労いを口にする。

 そして最後の手段を取るべき時が訪れたことのみを思考し、マグロはこれが互いに交わせる最期の言葉であることを悟り、敵対するクジラへ口を開いた。

 

「クジラさん」

『可哀想に、マグロちゃん。とっても痛々しくて、見てられないわ。……そしてあなたではわたしを、止められないのね』

 

 事ここに至り、彼女が命乞いをするはずもないと理解していたクジラは、別れのときが来たと覚悟して憐れみを述べた。

 結局、自分を止められるものが彼女ではなかったという無念を抱えながら、しかしここまで健闘してくれたマグロへの感謝を覚えて、せめて最高の葬送曲を歌おうと、クジラは努めて笑顔を浮かべる。

 細めて歪めた双眸に、やはり憤怒と憎悪を湛えながら。

 

『せめてわたしの歌でお別れを。わたしを止めてもらえなかったのは残念だけど、あなたは精一杯頑張ってくれたから――』

「いいえクジラさん。()()()()()()()

『――――――――え?』

 

 誰の目にも有利不利が明らかな戦況。

 マグロは満身創痍で、テスカトリポカの消耗は大きい。

 一方でクジラは無傷で、バテン・カイトスの消耗は微々たるものだ。

 なのに勝利が揺るぎないものであるように、断固とした確信を以て宣言するマグロに、クジラは思わず呆気に取られた。

 

「私は誰よりも弱いけれど、カトリ様は最強ですから。……もう準備は終わりました。あとは勝つだけです」

『……強がりかしら? そんな有様で、何が出来ると言うの。そんな、今にも死んでしまいそうな身体で――』

「そうですね。だから――――」

 

 全身に刻まれた傷。

 オーバードーズの副作用。

 かろうじて生きているだけの半死半生が勝利を宣言したところで、それは強がりですらない。

 敗北の事実を認められない滑稽さだけが虚しく響くだけだ。

 

 そんなクジラの思いを余所に、マグロは立ち上がり。

 そのまま歩いてテスカトリポカの頭上に立つと……そのまま空へ身を投げて。

 

「――――死ぬことなら、できるんですよ?」

『マグロちゃん……!?』

 

 狂ったか。

 そうとしか思えない突然の奇行に、クジラは戦いも忘れて悲鳴をあげる。

 暴力的な勢いで、暴風を纏いながら落下していくマグロ。

 切り裂く風がかき消す中で、しかし必ず届いているだろうとの確信を以て、マグロはクジラへ別れを告げる。

 

「さようなら、クジラさん。あなたの歌が、私は好きよ」

 

 この世界に生きるマグロとして。

 現実の地球に生きる羽鳥霞として。

 両方の想いを乗せて贈った最期の言葉は、ただただ純粋な歌への賛辞。

 その言葉の意味を図りかね、頭からただ墜ちていくマグロを視線で追って……

 

「《我は彼の奴隷なり(テスカトリポカ)》」

 

 必殺スキルの宣言と同時。

 その嘴でマグロの五体を噛み砕き、嚥下した。

 

 

我が奴隷(マスター)の死を餞として逝け、()()()()()()

 

 

 ――――テスカトリポカの鬼気が立ち昇った。

 

 

 ◇

 

 

『な、にを――――!?』

『……正気か、テスカトリポカ!?』

 

 目の前で突如繰り広げられた自死。

 <エンブリオ>が己が<マスター>を手に掛け死に追いやった常識外の行動に、クジラとバテン・カイトスの理解が遅れる。

 如何なる理由で己がマスターを手に掛けたかは知れないが、そんなことをしてしまえば遠からずテスカトリポカも消失することは想像に難くない。

 主のマスターが死んでしまえば、復活までの間<エンブリオ>もこの世界から消失し休眠に陥ることは、<Infinite Dendrogram>のプレイヤーならば誰もが当たり前に理解している事実だ。

 復活不可能となるまでに蘇生できれば死を免れるが、あの死に様では即死は不可避であろう。

 そうでなくとも<エンブリオ>が<マスター>を死に至らしめる理由を理解できずに、とりわけ主への絶対服従を前提とするアポストルであるバテン・カイトスは、誰よりもその凶行を呑み込めずにいた。

 

『テメェのマスターを手に掛けるなぞ、どういうアタマしてやがる!?』

『ククク、初めて()を晒したな、バテン・カイトス。そんなにも理解が追いつかぬか?』

 

 激昂するバテン・カイトスに笑声をあげるテスカトリポカ。

 それがあまりにも腹立たしく、バテン・カイトスは滅私も忘れて怒りを露わにした。

 

『そなたはもう少し、周囲に無関心なのかとばかり思うておったが……』

『有象無象なら、そうだろう! だが俺達はアンタらを気に入っていた! ……いや、今もそうだ。俺は俺であるがためにアンタらと敵対しているが、それとは別に感謝もしている! せめて仕留めるにしても……だけどなんだ、それは!?』

『そなたらアポストルのように言えば……我が主の御意のままよ』

『なに……? ――――いや待て』

 

 まるで言葉遊びのような会話の応酬。

 挑発のようにすら見えるテスカトリポカの言にバテン・カイトスは再び激昂しかけて……ふと違和感に気づく。

 

『テメェ……()()()()()()()()()()()()!?』

 

 それは、間違いなくマスターがこの世界から消失したであろうにもかかわらず、平然と存在を保つテスカトリポカへの疑問だった。

 その言葉を待っていたと言わんばかりにテスカトリポカは怪鳥の貌を愉悦に歪め、嘴を舌で舐めて嘯く。

 

『無論――――今も生きておるからよ、我が腹の中でなァ』

『ば……馬鹿かテメェ――――!!?』

 

 バテン・カイトスの絶叫を受けて、テスカトリポカは飛翔を開始した。

 そしてその一連の挙動は……二人の目に映ることすらなく実行される。

 それは超音速すら置き去りにする超々音速の機動。AGIにして一〇万を超える超常の領域――を更に超える、認識外の加速だった。

 

『さて、問答を重ねている時間が惜しい。まずは邪魔者を片付けることにしよう』

 

 マスター不在のテスカトリポカが、自由速度の落下から一転して超々音速で翔けて向かったのは、カルカランの周囲から押し寄せるモンスターの群れ。

 今も地上の<マスター>達が奮闘を重ねる戦場を上空から睥睨し、彼女は殲滅の意思を言葉にした。

 

 そしてその言葉の通りに――――次の瞬間には包囲網の一角が()()した。

 

『何事だ! 何が起きた!?』

「ポッポの眼でもおえないな……」

 

 突然の大変化を目撃したヘルガとポッポが目を剥いて叫ぶ。

 その二人の目に止まるようにテスカトリポカが燃え盛るウィッカーマンを止まり木にして。

 

『よくぞ持ち堪えた。そなたらの健闘、大義である』

「えらそーなデケーとりな!!」

 

 傲岸そのものの振る舞いに思ったまま感想を零すポッポ。

 テスカトリポカはそんな彼女の様子に面白げに見やると、クツクツと笑って翼を広げる。

 

『有象無象は余が始末してくれる故、そなたらは生き残りを案じてやるがいい』

『……いろいろと言いたいことはあるが、一つだけ。……任せていいんだな?』

 

 訝しみながらも、確信を抱いて問うヘルガの言葉にテスカトリポカは鷹揚に頷き。

 そのまま跳躍して、去り際に言葉を残した。

 

『無論。勝利こそが我が贄(マスター)の願い故にな』

 

 そうして再開した超々音速飛行が魔物の群れを蹂躙し、モンスターの屍を轍に晒す。

 視認不可能な神速飛行物体が風の如く通り過ぎるたびに、その軌跡上にあった群れが切り刻まれ、押し潰され、凍て付き、燃え上がり、あるいは力尽きて斃れ、無数の死に様を曝け出す。

 それはテスカトリポカを中心として展開された無数の攻性スキル。テスカトリポカが培った戦術観と直感で無意識的に選出された最高効率の殺傷手段の数々。

 より短時間で、より多くを、より確実に屠るために、マグロが下準備を整え、テスカトリポカが揮う滅びの飛翔。

 当代【獣神】の最高傑作たる"神獣(テスカトリポカ)"が初めて衆目に晒した、必勝の舞であった。

 

『必殺スキル……そう言えばテメェはまだ使っていなかったな』

『些かクセが強くてな、今や軽々に使えぬ厄介者よ。なにせ使えば死は免れぬ故な』

 

 己のHP上限を犠牲にテスカトリポカを極限強化する必殺スキル、《我は彼の奴隷なり》。

 ひとたび発動すれば死ぬまでペナルティを解除できない諸刃の剣だが、【グローリア】との死闘を終えたある日、マグロはふと疑問を抱いた。

 捧げる上限を費やせば費やす程に効力を増す《我は彼の奴隷なり》だが……全て捧げきったならどれほどの効果があるのだろう、と。

 それは【グローリア】との戦いにおいて初めて実用可能限界で必殺スキルを発動し、尚も力及ばず敗れた無念から生じた疑問だった。

 

 HP上限を捧げ尽くせば即死に至る以上検証のしようがない疑問だったが……ただ一つだけその疑問を解消する手段が存在した。

 死兵系統が覚える唯一の固有スキル、《ラスト・コマンド》。

 死して尚効果時間内において活動を可能とするそのスキルは、幸か不幸かテスカトリポカの必殺スキルとこれ以上無くシナジーした。

 そして一度検証してしまえばこれ以外の使い方は考えられぬほどに、そのシナジーはマグロのパーソナルと実用に合致し、マグロは己の構成(ビルド)を遂に定めた。

 

 設定可能な下級職枠の一つで【死兵】を極め――――残る上級職枠すらも【死騎】に設定し、戦法の主軸としたのだ。

 王国を発つまでの間にそれらニ職のレベルをカンストさせて、《ラスト・コマンド》のスキルレベルも一〇まで上げた。

 短期間に下級職と上級職と言えど極められたのは、偏にレベリングに長けたテスカトリポカの戦力あってのことだが。

 

 結論を言えばマグロの()と引き換えに得られる強化は――――、一〇倍。

 必殺スキルの発動後、《ラスト・コマンド》の効果時間中、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 MPとAGIに特化した第四相・"赤き魔鳥"のAGI基本値は、常時発動のステータス補正スキルを踏まえれば……五万。

 必殺スキル発動後は五〇万に及び、そこへ更に任意発動のバフスキルを重ねがけすれば、その総計は一〇〇万を超える。

 スキルレベル一〇に達した《ラスト・コマンド》が許す死後の数分間を、その暴力の極みに達したステータスで蹂躙できる。

 無数の手札を備えたテスカトリポカが、一時的にとはいえ"物理最強"を遥かに凌駕するステータスで。

 

 ごくありふれた強化型必殺スキルは、《ラスト・コマンド》とのシナジーによって真なる必殺と化した。

 無論、その性質上必殺スキルの発動はマグロの死を確定させるが、余程の絶対的相性差でもない限り……マグロとの戦いは相打ちを意味する。

 それはさながら死して尚致死毒を遺すある種の小動物にも似た報復機能であり、一見して最弱無害なマグロを劇薬に変える悪魔の手札。

 殊更に悪辣なのは、まるでこのシナジーを見越したかのように必殺スキルの発動には口頭での宣言を必要としない点であり、たとえ不意打ちでマグロを即死せしめたとしても、自動発動の《ラスト・コマンド》中にマグロが思考すれば……極限強化されたテスカトリポカが報復を果たすだろう。

 

 マグロの役目とは、死後に発動する《ラスト・コマンド》中にテスカトリポカがクジラとバテン・カイトスの両名を仕留めるための手札を用意することだった。

 そのための戦闘中のスキル設定。無防備を晒し、それをテスカトリポカに護らせてまで強行した理由である。

 故に手札を揃え、マグロが後事を託して自ら死を選んだ今――――テスカトリポカを止められるものは何も無い。

 サービス開始当初からオンにされたままの痛覚設定で、今も死に至るどころか死と等しい痛苦のもと、テスカトリポカの腹の中で消化・吸収される感覚をあますことなく感じながら、死後の数分間をマグロは生きたまま味わっている。

 マグロが痛覚設定をオンにしていることなどクジラとバテン・カイトスは知るはずもないが……もし知ったならば、そのあまりに想像を絶する狂気と性癖に、最大級の悍ましさと共にこう吐き捨てただろう。

 

 ()()と戦うのは()()()()()()――――と。

 

『どういう思考回路してやがる……好き好んで【死兵】なぞ! あまりにも……台無しじゃねぇか!?』

『まったくもって否定できぬな。我がマスターの大愚は一周回って大賢なのかもしれんが』

 

 一〇〇万を越えたAGIを以てすれば、包囲網を築く魔物の群れなど一歩で跨げる小さなもの。

 圧倒的な物量を誇った魔物の群れは瞬く間に駆逐され、カルカラン周囲の生態系を根絶やしにし、歌に惹き寄せられるモンスターの一匹すら残さず消した。

 絶望的な状況から一転してあまりに呆気ない、まるで冗談かなにかのような決着に、戦っていた全ての人間がしばし理解を手放した。

 

『さて……些か興を削ぐ顛末かも知れぬが……歌はどうした? よもや言葉を失ったとは言うまいな?』

 

 クジラもバテン・カイトスも歌すら忘れるほどに呆然とする急展開。

 ことの全てを理解しているのは、事を仕掛けたマグロとテスカトリポカのみ。

 彼女は皮肉るように声を投げかけ、遠目にも分かるほどに嘴を愉悦に鳴らしていた。

 

『……最後に一つ、余からも問おう』

『……なにかしら?』

 

 硬直した空気を打ち破るように、声色を変えたテスカトリポカの声が響く。

 通常ならば到底届かぬ遠距離からの独白を、クジラの耳は正確に拾い、言葉を返して次の言葉を待った。

 

()()()()()()?』

『え……?』

 

 なんでもないように投げ掛けられた、何気ない言葉。

 まるで癇癪に泣き疲れた子供をあやすような穏やかさで、テスカトリポカはクジラに問う。

 

『稚児の駄々は耳に障って好かん。余に歌を捧げるならば、もう少しマシな顔になって出直してこい』

『…………ふふ』

『まぁ、我がマスターに聴かせてやるならば、その程度で充分かもしれぬがな』

『……うふふ、あははは。アッハハハハハハ!!』

 

 クジラは腹を抱えて笑い、眦に涙すら浮かべて呵々大笑した。

 あまりに軽い、あっけない限りの短い言葉。

 しかしそこに込められた想いを察して、クジラは心の底から笑う。

 

『ま、マスター……?』

『あっはっははは……はぁー、おっかしい! ほんとうに、こんなときに、そんな言葉……』

 

 都市を壊滅に追いやる惨劇を齎したとは思えない童女のような声が、必殺スキルを通じて領域内に伝播する。

 地上の人々はクジラの声だけが届き、如何なる経緯で彼女が笑うに至ったのかを掴めず、ただ次なる脅威を警戒した。

 そんな地上の緊張を知らぬとばかりに、上空では一変して和やかな空気が満ちる。

 

 ――――両者共に、決着がついたことを察していた。

 

『まるでデウス・エクス・マキナね、あなた。なにもかもが台無しよ、歌いたい気分でもなくなっちゃった』

『そうか、ならば……』

 

 テスカトリポカがバテン・カイトスの目前に滞空し、その鉤爪を開く。

 

『ならば死ぬがよい、【歌姫】とその使徒よ。我らと汝らの友誼は変わらず、故に引導を渡してくれる』

『そうね。……こっちでもう会えそうにないのは、ちょっぴり寂しいけれど』

 

 一瞬にして数キロメテルの距離を取り、次の一瞬でその距離を詰める。

 弾丸と化した赤き魔鳥の全身は、同サイズの白鯨を過たず捉え、その鉤爪の鋭利と加速を以て引き裂かんとし。

 

 

 それを阻むように最大出力の破砕音波が二人の周囲に壁のように展開され――――

 

 ――――それを強引に突き破って、最期の抵抗を蹂躙した。

 

 

『ああ……』

 

 バテン・カイトス諸共に引き裂かれ、無惨を晒し死にゆく美貌に笑みを浮かべながら。

 地に墜ち逝くクジラは、手を伸ばして満天の夜空を仰いだ。

 

『そういえば()()のは初めてね。……まるで夢から醒めるよう』

 

 疲れ果てて耐え難い現実に戻るのではなく。

 やりきれぬ憎悪と共にこの世界へ踏み入るのではなく。

 そのどちらにも無い、久しく感じなかった晴れやかな心を自覚して、クジラはそっと目を閉じた。

 

『……そうね、次はあなたのための歌を唄いましょう――――マグロちゃん』

 

 自分を止めるためにこの世界での命すら擲ったマグロに敬愛を抱きながら。

 ふと込み上げた想いを歌にすることを決意して、別れの言葉を口にした。

 

 

『さようなら。――――またね』

 

 

 そうしてクジラがデスペナルティになるのと同時。

 《ラスト・コマンド》の効果時間限界を迎えてマグロもデスペナルティとなり、それに合わせてテスカトリポカも光の塵と消えた。

 

 

 To be continued

 




(・3・)<結論
(・3・)<<超級>は大体どいつもこいつもアタマおかしいし傍迷惑(例外アリ)

 ◆マグロの切り札について
大半の方がお察しだったように、《ラスト・コマンド》でした。
これとの組み合わせのせいでクッソ使いにくいことで定評のあるテスカトリポカの必殺スキルがトンデモ地雷と化します。
小分けに必殺スキルを使うのではなく、ドカンとリソース全ブッパすることによって、時間制限付きで頭おかしい性能になりました。
大体の戦いで最悪相打ちにまで持っていける、相手にとっては嫌がらせ以外の何者でもないビルドです。
勝てる勝てないの領域ではなく、戦っても得られるものがほとんどないという意味でマグロは有害です。
マグロにとっても退屈極まりないリアルへの強制退去を強いられるので、本当に奥の手です。
大体はこんなん使うハメになる前に逃げます。今回逃げなかったのは、それだけクジラのことを真剣に想っていたからだとご理解ください。

ちなみにマグロのジョブ構成は以下の通り。

 下級職:【従魔師】【死兵】【整体師】【動物美容師】【騎兵】【冒険家】
 上級職:【高位従魔師】【死騎】
 超級職:【獣神】

戦闘能力を完全にテスカトリポカに依存しています。
【整体師】と【動物美容師】は彼女のケアのためですね。
【冒険家】は少ない枠でいろいろと便利なスキルが習得可能だからですね。

賛否両論ありそうなあっけない幕切れでしたが、これでクライマックスバトル終了です。
次回かその次の回をエピローグにして、本エピソードを完結させたいと思います。
途中で全体からの書き直しを挟み、それでもなお不足はあろうかと思いますが、私なりに全力を尽くしたつもりです。
アポストルという扱いの難しい題材を持ち出してまで書き始めた本エピソードでしたが、それだけに書いててとても楽しかったです。
書き手として私が楽しめたように、読み手の皆様が本エピソードを楽しんでいただけたなら、それに勝る喜びはありません。
……ごめん嘘ついた。原作に触れてくれる人が増えるほうがもっと嬉しいや!

ともあれ、残り少なくなりましたが、もうしばらく拙作にお付き合いください。
それでは~


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エピローグ

 □羽鳥霞

 

 リアルへの放逐は死に似ている。

 実際は似ているどころではなくて、あちらの世界での死を経ているから実際死んで蘇ったようなものだけど……甦った実感が持てないのは、考えものかしらね。

 ほんの数秒前まで全身を苛んでいた臨死の痛みと苦しみが消え失せ、まったくの無に放り出される感覚は、あちらの世界で過ごす時間が長ければ長いほどに苦しみが増す。

 長い眠りに視界は霞み、生命維持装置の静音だけが一定のリズムを刻む自室は、耳鳴りがうるさいほどに静かだ。

 

「……レジェンダリアの後と、【グローリア】戦の後、そして今回か」

 

 指折り数えたのは直近でリアルへ戻ることになった要因だ。

 振り返ればそれ以前と比べて異例なまでにデスペナルティの頻度が増していて、偶然にしても運命的なものを感じずにはいられない。

 レジェンダリアのときは単なる不注意からのデスペナルティだったけれど、後者二つはあちらの世界での死すら覚悟して自ら臨んだ戦いの結果だ。

 それを不服に思うわけではないけれど、あちらでの命すら賭してしまうほどの戦いがこうも立て続けに起こったのでは、自嘲や皮肉の一つでも言いたくなるというものだろう。

 ……特に今回の件は、相手が相手だった。私の半生そのものと対峙したとすら言える事態に、さすがの私も動揺を抑え切れない。

 実感を抱けない心臓の鼓動が、きっと大きく高鳴っているだろうことが容易に想像できた。

 

「……入須いさな」

 

 <Infinite Dendrogram>と出会うまでの人生に彩りを与えてくれていた魂の歌姫の名を呟く。

 数百万以上にも昇るユーザー数。リアルでいうユーラシア大陸並に広大な世界。

 まるで砂漠の中から一粒の宝石を探し当てるような奇跡的確率の中で彼女と戦ったという事実が、今となっては夢のようにすら思える。

 ……惜しむらくはその余韻にすらこちら側では浸ることができないということだけど。

 音と光以外を問答無用に奪い去る我が身の不具が、今ばかりは無性に腹立たしかった。

 

 そんなことを考えていたら、不意にドタドタと外が騒がしくなる。

 乱暴なノックのあとに応答する間もなく扉を開け入り込んできたのは、私の世話役である女中親子の娘の方だった。

 

「おおおおおお嬢様、お戻りになられてたんですかァ!?」

「ええ、ちょっとデスペナルティになっちゃってね。悪いわね小鳥、こんな時間に」

「いえ、起きているお嬢様の御姿を見られて安心しました! ええと、お夜食はご入用でしょうか?」

「いらないわ、ずっと点滴があったから。……それにしても」

「?」

「あなたもこのゲームを遊んでいたのは知らなかったわ」

「ふぇっ? ……ぁぁあああああああ申し訳ございません! これは、そのう……」

 

 どれだけ慌てて起きたのか、頭に嵌りっぱなしの<Infinite Dendrogram>のハードにも気づいていない小鳥に苦笑する。

 生命維持装置は私が覚醒すると同時に自動でナースコールが入るようになってるから、それで慌てて起きたのでしょうけど……だとすると悪いことをしたなと思う。

 仕事とはいえまったくの不規則に寝起きする私の世話のせいで、せっかくのデンドロ生活を邪魔してしまったのでは、世間でいうところのデンドロ廃人の一人としては詫びることしかできない。

 そういうわけなので私としては特に何も気にしていなかったのだけど、彼女の方は見咎められたと思ったのか慌ててハードを取り外していた。

 

「いいわよ、別に。それが楽しいことは私がよく知っていることだし。それにほとんど寝たきりだから暇だものね」

「も、申し訳ございません……」

 

 やはり立場の違いもあってか、私にそのつもりは無くても彼女にしてみればバツが悪いのだろう。

 彼女ら親子には長年お世話になってるし、付き合いだけで言えばほとんど幼馴染のようなものなのだけれど……以前までの私が没交渉気味だったのもあって、親交という面では希薄なのが災いしていた。

 とはいえ彼女も<Infinite Dendrogram>のプレイヤーということも今わかったのだし、せっかくの機会だからこれから交流を深めていくのもいいかもしれない。

 ……だからといってそうするために、自発的にログアウトするつもりも無いのは、我ながらどうかとも思うけど。

 

「それでお嬢様、如何なさいましょうか? デスペナルティということは今から二四時間はこちらにおられるのですよね? 生憎旦那様は海外へ出張なされてて、お屋敷には戻られないのですが……」

「そうねぇ……」

 

 小鳥の登場で思い悩んでいたあれこれが吹き飛んでしまって、なんだか一気に時間を持て余してしまった。

 このまま小鳥とデンドロ談義もいいかと思ったのだけど、先程から彼女はしきりにハードを気にしていて、なにやらあちら側での用事がある様子だった。

 そうなると無理にこちらへ引き留めるのも悪いし……と、そこまで考え込んでふと思い浮かんだことがあった。

 

「そういえば小鳥、オーディオは用意できるかしら?」

「ああ、音楽ですね! ゲームの前にはよく聴いておられましたものね、お嬢様は」

「この前起きたときはお父様が在宅だったから、そういえば久しぶりね。それで曲は――」

 

 リクエストは当然、入須いさなの名曲達。

 今の私がこちらの世界で求めるものといえば、彼女の歌以外にありえない。

 奇縁によって死闘を繰り広げることとなった今、彼女歌を聴くことでその想いを偲ぶことこそが、私にできる唯一最大の表敬であると、ふと思いついたのだ。

 

「…………」

「どうしたのかしら?」

「……いえ、なんでもありません。すぐご用意いたします」

 

 テキパキと機器を接続し用意を進めてくれた小鳥だけど、ディスクジャケットを目にした瞬間苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのに首を傾げる。

 彼女が睨みつけていたのはデビューシングル<ほしのさかな>のジャケットで、そこには童話のテイストで白鯨が描かれていたが……それがどうかしたのだろうか?

 私が入須いさなの歌を好んでいることくらい彼女も知っているはずだけれど……問い質すと我に返ったように表情を戻して、彼女はそのままセッティングを終えてしまった。

 

「お待たせしました。リモコンはこちらへ、またご用命がございましたら何なりとお申し付けください」

「ええ、ありがとう。ごめんなさいね、お楽しみのところを邪魔してしまって」

「いえいえいえ! こちらこそお見苦しい真似をして申し訳ございませんでした! ……ところでそのう、母にはどうか内密に……」

「……ふふ、わかってるわ。鳳翔さんには内緒ね?」

 

 今初めて知ったのだけど、彼女は意外とおっちょこちょいな人物のようだった。

 頭を下げながら両手を合わせて謝意を示す小鳥に、これまでには無かった親近感を覚える。

 思えば過去の私は何をするにしても無関心で、彼女らとまともに向き合ったことが無かったのだろう。

 ……そういう意味では、やはりあちらの世界での影響は私にとってとても大きいものなのだと強く感じる。

 

「それでは私は失礼致します。機器はお嬢様がログインされてから片付けておきますので!」

「ええ、お願いね。それじゃあ……おやすみなさい」

 

 立ち去る小鳥を見送って、私はリモコンを操作する。

 デビューシングルからラストナンバーまで、入須いさなの十年の軌跡をなぞるべくリピート再生を開始した。

 

 入須いさなの歌は、それぞれが一つの大きな物語を構成していると世間には評価されている。

 デビューシングルの<ほしのさかな>からラストナンバーの<くじらのうた>までの各曲が密接に絡み合い、一つの旅路を紡いでいるのだ。

 それは孤独な海を心細いまま泳ぎだしたほしのさかなが、やがて安住の地を見出し愛を唄うまでの一大叙事詩。

 まさしく一つの童話を歌声に乗せて紡ぎあげたその世界観こそが入須いさなの真骨頂であり、ファンは皆傍観者となって物語に没入する。

 

 だからこそ思わざるを得ない。

 幸福に満ちたエンディングを歌い上げた彼女が何故、あの世界でああも悲嘆に暮れていたのかと。

 一ファンでしかない私には到底知り得ない彼女の苦悩を歌から偲び、これから先の彼女の行く末を案じずにはいられない。

 

「……また、お話ができればいいのだけどね」

 

 それが到底叶わぬ夢であると半ば確信しながら、私はリアルでの二四時間を入須いさなの歌に包まれて過ごした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □【獣神】マグロ

 

 二四時間のログイン制限を終えて再び降り立ったカルカランは、今もまだ復興作業の只中にあった。

 クジラさんの歌で正気を失った人々の暴動で街並みは荒らされ、呼び寄せられた魔物の群れに都市を護る外壁は大半が崩れてしまっている。

 死傷者の数も相当数に昇り、今なお生死不明の要救助者の捜索に追われているようだった。

 

「たった一人の超越者が牙を剥いただけでこの有様よ。とかくこの世界は個の武勇が大勢を決する、言うなれば英雄の時代だ。……良くも悪くもな」

「カトリ様」

 

 ログインするなり紋章から現れて、メイデンとしての姿で傍らに立つカトリ様。

 彼女は私の顔をまっすぐ見据え、鷹揚に頷いて口を開いた。

 

「大儀であった、とまずは褒めておこう。そなたの献身により勝敗は決し、一夜の騒動は鳴りを潜めた」

「……私にはあれくらいしかできませんから」

 

 我ながら不格好なやり方だったと今になって思う。

 想像だにしなかった私と同じ<超級>との激突。ただの優しいお姉さんとしか見ていなかったクジラさんへの不理解。

 あまりの急展開に勢い任せに止めに回ったのはいいけれど、結局のところ力押しでの解決にしかなっていなくて、これで本当に良かったのかと今でも疑問が残る。

 胸を張って誇るにはあまりに犠牲が多く、その元凶たるクジラさんへの感情もあまりに複雑で、私の気分はまるで晴れやかとは程遠かった。

 

 ……そう思い悩んでしまうのも、この世界に生きる<マスター>としての実感を得られているからなのだけど。

 リアルにいる間は完全に切り離されていた生の実感がこの世界ではあまりに生々しく、刻まれた爪痕の深さにどうしてもネガティブになってしまいそうになる。

 羽鳥霞としてクジラさん――入須いさなの行く末を偲ぶ一方で、マグロとしては彼女の齎した災禍への憤りもまたあるのだ。

 結局のところ、私は込み上げる感情のはけ口を失ってしまっていて、こうやって一人悶々としているしかないのだった。

 

「そうして煩悶とするのもそなたの味、か。まぁよい、そなたにしてみれば初めてモンスター以外の同格と鎬を削った一戦だ。齎された悲劇を嘆くなとは言わんが、せめて己の糧とするようしかと噛み締めるがよい。あの歌姫にとっては、そなたの前進こそが餞になろうしな」

 

 腕組みそっぽを向きながら、持って回った慰めを口にするカトリ様。

 カトリ様のこうしたブレずに傲岸不遜なところが、私にとっては何よりも頼もしい。

 ひたすら弱い私から生まれた、ひたすら強い<エンブリオ>。私にとっての神の理想像がカトリ様であることに、最早疑いようもなかった。

 

「……さて、どうしましょうか。この様子じゃあ街に留まるのも邪魔でしょうし……」

 

 しばらく思い悩んだ末に一応の区切りをつけ、今後の対応を考え出した瞬間。

 

「ねーちゃんもどってたなー!!」

「ようやく見つけたぜ、マグロ」

 

 背後から私を呼ぶ声が届き、振り向くとそこにはポッポちゃんとアフロさんがいた。

 二人ともくたびれた作業着姿で、復興作業に従事していたことが見てとれる。

 

「こんにちは、お二人とも。……よかった、無事で」

「なんとか生き延びたぜ。部下には少しばかり犠牲も出ちまったが……」

「そっちはそっちでリアルでれんらくついてるな!」

 

 話を聞いたところ、彼らはあの襲撃を乗り越えたあとそのまま復興作業に移っていたらしい。

 外部への応援要請も出し、今はそうして到着した復興支援部隊の第一陣と共に現場の指揮を取っているのだとか。

 最大限こちら側へログインできるようリアルの都合もつけて、ひとまずの目処が立つまではカルカランに残る手筈らしい。

 まったくもって頭が下がるばかりだ。彼らの献身には住民も大いに助けられているようで、話し込んでいるこのときにも行き交う人々から感謝の言葉を贈られてもいた。

 

「すごいですね……素直に尊敬します、本当に」

「そうでもないさ。実際に元凶を仕留めてくれたアンタほどじゃあない」

 

 そうした光景を見て感心していると、ふとアフロさんがそう切り出した。

 サングラス越しでもはっきり分かるほどに、その視線には確信が満ちている。

 私は、よもやバレているものとは思っていなかっただけに知らず目を見張った。

 

「……気づいてたんですか?」

「ウチのメンバーに状況の把握に長けたやつがいてな、上空での戦いはモニタリングしてたんだ。騒ぎの最中は手出しできなかったが、現行犯の証拠を押さえるのにも必要だったからな」

「ということはつまり……」

「ああ、ホシが【歌姫】だってことは断定できてる。議会へは昨日連絡が届いて、即指名手配もされた。……十中八九"監獄"行きだろうな」

「そう……ですか……」

 

 やはり、彼女は指名手配されていたらしい。

 あれだけ大規模な騒ぎを起こせば隠し立てもできないだろうけど、それでも議会の動きは迅速だったということだろう。

 カルディナの議会のことはあまり知らないが、彼らをして今回の事件は重く見ているに違いない。

 

「【歌姫】としての名声も今や悪名へ真っ逆さまって具合らしいな。……中には過去の舞台の記録にプレミアがついて、好事家がこぞって集めだしてもいるらしいが、な」

 

 都市一つがほぼ機能喪失という、被害の規模が規模なだけに【歌姫】の名は忌み名として早くも広く知れ渡り、誰が呼んだか"サイレンの魔女"などと恐れられてもいるらしい。

 迅速な指名手配も、これだけの犯行をしでかした<超級>という超越者が再び猛威を振るわないようにするための措置と考えれば、彼らの対応は決して間違ってはいない。

 あの日カルカランにいた大多数の人々にとって、クジラさんは今や忌まわしき魔女でしかないのだから。

 

 私は、そんな彼らよりも少しだけ彼女と交流が深くて、決して悪いだけの人ではないことを知っているだけだ。

 彼女には彼女なりの大きな理由があったことを私も察してはいるが、だからといって彼女を弾劾する人々の声が間違っているとは口が裂けても言えなかった。

 

「とまぁ、そういうわけで現在復興作業中なわけだ。幸いウチはその手の経験もあるしな、人手が足りないってんで総出で取り掛かってるところさ」

「ええと、リアルに影響しない程度に頑張ってください……?」

 

 HAHAHAと乾いた声をあげるアフロさんは随分とお疲れ気味のようだった。

 サングラスで見えないけれど、なんとなく隈もできているような様子だ。

 ポッポちゃんの方も<エンブリオ>が捜索に最適ということもあって、あちこち引っ張りだこで休む暇も無いらしい。

 事が片付いたらちょーこーきゅーおかしを大人買いするのだと息巻いていた。どうでもいいけど大人買いってやってることは子供だよね。

 

「そういうわけだからよ、ひょっとしたらお前さんの方にも議会側から取り調べがあるかもしれねぇが……」

「取り調べって……どうしてです?」

「そりゃあアンタ、元凶の<超級>を真っ向から食い止めたフリーの<超級>なんて、向こうとしても爆弾だからな。最近は妙な動きも噂されてるし、ひょっとするとひょっとするかもしれねぇぞ」

 

 言われてみれば確かに、<超級>に対抗できるのは同じ<超級>だけという事実上の不文律がある以上、目をつけられるのも当然……なのかな?

 正直、つい最近まで第六形態止まりだった身としては、数少ない<超級>としての実感が薄くて、そうも大袈裟に取り沙汰されることに違和感しか無いのだけど。

 第一私がよく知る<超級>と言えばスターリングさんやフィガロさんくらいで、彼らと私が同格なんてどうしたって思えないのが本音だった。

 

「よくはわからないんですが……偉い人と関わるのは苦手なので、こっそり逃げる……とかは?」

「いいんじゃねぇか? 向こうから要請はあるが、アンタがそれに従う義理は無いしな。流れの<マスター>がなんとかしたなんて話はどこにでもあるしよ。アンタがそう望むなら俺達は口裏合わせるぜ」

「ねーちゃんもう行っちゃうな……?」

 

 アフロさんは理解を示してくれたが、ポッポちゃんは私が街を離れるつもりということを察して上目遣いで見上げてきた。

 ……そんな風にされるとすごく後ろ髪を引かれるからやめてほしいのだけど、とはいえポッポちゃんみたいな小さい子にこうも懐かれると、やっぱり悪い気はしないし強くも言えないわけで。

 私としても非常に心苦しく、また断腸の思いではあるが、今日にでも街を離れる意思を強く表明すると、彼女は散々渋ったが最終的には折れてくれた。

 とはいえそれだけでは何なので、フレンド登録を互いに交わしておく。ほとんどログイン状況を知るだけの機能だけど、登録してるだけでなんとなく心が繋がった気分になれるこれは、旅を始めた今の私にとっては思い出の証のようなものだ。

 アフロさんもポッポちゃんも快く応じてくれて、私としてもとても嬉しい。

 早くも旅の醍醐味を味わえた私がほくほく気分でいると、そこへ新たに呼びかける声が現れた。

 

「む、二人ともどうした? ……知り合いか?」

「おう、ヘルガか。ほれ、こないだ言ってたウチの客で……」

「クジラをぶったおしたすげーねーちゃんな!」

「そうか! 貴方が例の! 先の騒動では助けられたな、感謝す……る……!?」

「?」

 

 二人が親しげに言葉を返すのに私も振り返ると、そこには褐色の肌をした……所謂ダークエルフっぽい容姿の女性がいた。

 物々しい軍服のような衣装に身を包み、軍帽を被った彼女は喜色を浮かべて私の手を取り視線を合わせると、そこでなぜか硬直して目を大きく見開いていた。

 

「あの、なにか……?」

「おじょっ……いえその、すまない。……不躾だが、そのアバターはリアルの……?」

「アバター? ……ああ、特に大きくは変えてませんけども」

「おいヘルガ、会って早々アバターの詮索はマナーに反するんじゃねぇか? アンタも軽々しく答えるもんじゃねぇぜ、用心しな」

「え? ……あ、そっか。そうでしたね、すみません」

 

 そういえばその辺は詮索無用が常識なんだったか。

 リアル云々を考えることが普段無いから失念していたけど、場合によってはリアルの身分がバレることにも繋がりかねないんだったよね。

 ていうかスターリングさんがまさにその都合で着ぐるみ装備なんだったよ。リアルで会ったことあるから忘れてたけど。

 

「ところでその、ヘルガさん? は、大丈夫です……?」

「いや、すまない……本当にすまない。少しその、個人的な事情で驚いたというかなんというか……大変失礼をした。本当に申し訳ない!」

「そ、そんな頭を下げられることでもないんで! 気にしてませんから!」

 

 ひとしきり百面相を繰り広げたあと、真っ赤になって頭を下げたヘルガさんに慌てて首を振る。

 彼女が以前二人が店で言っていた<ケルベロス>三頭目最後の一人、ごくちょーさんなのだろう。

 しかしそんな彼女の今の様子は二人にとっても意外だったのか、キョトンと目を丸くしていた。

 

「……ヘルガ、お前疲れてんのか? 無理せず休めよ? なんだったらリアルのほうで寝てきてもいいんだぜ?」

「いや、本当にすまない。恥ずかしいところを見せてしまった。今のことはどうか忘れてくれ、頼む!」

「別にいいけどよ……」

「へんなごくちょーなー?」

 

 見た目の印象的に厳格な人物っぽいことは察せられるのだが、見せた一連の様子が様子なので、私の中でのヘルガさんはすっかり変な人として印象付けられてしまった。

 咳き込みして取り繕う彼女を微笑ましくも思いながら、改めて感謝を述べるのに私も同じく感謝の言葉を返す。

 

「改めて……先の騒動では助けられた。貴殿が上空の白鯨と交戦し打ち勝ってくれたことは、部下の観測で把握している。勝手ながら記録映像は物的証拠として議会へ提出させてもらったが……貴方のおかげで最悪の事態は免れた。クランを代表して、また住民に代わって御礼申し上げる」

「こちらこそ、<ケルベロス>の皆さんが避難を指揮してくれたおかげで専念できましたから……お互い様かと」

「で、あれば我々も奮戦した甲斐があったというものだ」

 

 ヘルガさんは笑みを浮かべて私を見上げ……かと思ったら視線を合わせきれずに泳がしているが、ひょっとして印象に反して人見知りなのだろうか?

 だとすれば言及するのも酷だろうなので、見ないふりをして感謝を受け取ることにする。

 

「議会からも是非一度会って話がしたいと要望が来ているが……」

「すみません、そういうものとは縁が遠く、苦手でして……」

「成程、了解した。……ということは街を離れるおつもりで?」

「はい、今日にでも」

「承知した。であれば議会へは上手く言っておこう。何、彼らも<マスター>の事情には明るいからな、そう気にすることでもない」

 

 随分と頼もしい言葉だった。何分そういった交渉事とは無縁なものだから、代わりに彼女が説明してくれるならこちらにとっても都合がいい。

 私としてはあくまでも身一つで諸国を巡るつもりなので、あまり大袈裟なことにはしたくないのだ。

 ……あれだけ派手に戦っておいて何を今更って感じだけど、あれは不可抗力だからノーカンだ、ノーカン。

 

「街の方は大丈夫なんでしょうか? 被害を抑える余裕が無かったですから……」

「建造物はどうとでもなる……だが政治中枢はダメだな、要人の殆どが亡き者となり、都市を治められる人間がカ皆無だ。おそらくは議会の直轄になるか、そうでなくとも議会指導の下で根本的に再構築する必要があるだろう。他都市を頼って離れる住民のことも考えれば、以前までの規模に立ち戻ることは不可能に近い。……最早"芸術都市"としては死んだも同然と言えるな」

「そんな……」

 

 想像してた以上に重い実情に、言葉を失う。

 平和な日本育ちには到底分かり得ない、拠り所を失うという絶望に晒されたティアンを想うと、何を言っても言葉が軽く思えて、ただ口を噤むしかなかった。

 そんな私の反応を悟って、ヘルガさんは慰めるように微笑を浮かべて言う。

 

「貴方はよくやってくれた。貴方がいなければ街どころか人命さえも砂漠の砂と消えていたのだから、感謝こそすれ咎めることはできまいよ。それに言ってはなんだが、古来より過酷な砂漠に住まうカルディナ民は皆逞しい。貴方が悲観する以上に、彼らは上手くやっていくだろう。その旅路を激励はしても、憐れむ必要はない」

「ちなみにいまクエストてんこ盛りでちょーおーいそがしな! ごえーやぶっしちょーたつでてんてこまいなー!」

「転んでも商機だけは手放さないのがこの国の美点でもあり欠点でもあるからな。まぁそういうことだ、お前さんはよくやった。胸を張りな!」

 

 力強くそう語る彼らの表情には、意地や強がりはあっても虚勢は全く無かった。

 この世界では殆どを王国で暮らしていた私には知り得ない、砂漠の民への信頼がそこにはある。

 そんな彼らの言葉に私も励まされて、後悔に暮れていた心中にはいつの間にか光が差していた。

 

「そう、ですね……すみません、侮辱でしたよね」

「まぁその分悪徳に偏る輩が多いのもまた事実だが。実際今も火事場泥棒の類が絶えん」

「つーか芸術に傾倒しすぎてたツケが噴出した面もあるしな」

「ぶっちゃけじごーじとくてきな?」

 

 まぁしっかりオチもつけられたけれど。

 賞金稼ぎとして裏社会に接することも多い彼ら<ケルベロス>には、そうした気苦労も多いらしい。

 私は聞こえなかったフリをして、苦笑いするだけに留めた。

 

「っと……あまり長話もしてられんな。すまない、まだ仕事が立て込んでいるのでな。惜しくはあるがそろそろ失礼させてもらう」

「あ、そうですね。すみません引き止めちゃって。……その、頑張ってください!」

 

 通信用と思しきマジックアイテムを取り出しそう言った彼女へ、月並みではあるがエールを贈る。

 この街から離れる私に出来ることはもう何も無いが、彼らへの敬意と信頼だけは本物のつもりだ。

 いっそ薄情ですらある私の言葉だが、彼らは笑みを浮かべて頷いた。

 

「街の英雄にそう言ってもらえたなら心強いな。貴方も良い旅路を」

「達者でな。またウチのモンを見かけることがあったなら、是非寄ってってくれよ」

「ぜったいまたあうなー!」

「はい、必ず」

 

 最後に深々と頭を下げて、彼らと別れた。

 復興作業に忙しなく行き交う人々の間を遡って、崩れた外壁の大門へ出る。

 訪れたときには来訪を歓迎してくれた衛兵の姿が無いことに一抹の寂しさを覚えながら、街からしばらく離れた砂漠の中でカトリ様を離した。

 

「たった数日で変化の続く滞在だったが」

「ええ、いろいろあったけれど、旅を始めてよかったと心から思います」

 

 白蛇から赤い魔鳥へと姿を変え翼を広げるカトリ様に頷く。

 あの夜の事件には、かつての【グローリア】による旧ルニングス公爵領の惨劇を思い起こして複雑な気持ちがあり、今もそれは変わらないけれど。

 それでも人は逞しく生きていくのだとその姿に勇気を貰えた気がして、決して悲しいことばかりの数日ではなかった。

 この広い世界を生で見てみたいという思いも含んでの旅だけれど、早くもその意義の一部を達成できて、私の中の世界観は僅かに、しかし確実に広がっていることを強く感じる。

 

「さて、まだカルディナを出るには早かろう。河岸を変え、別の都市へ向かうとしようぞ。余もカルディナ固有のモンスターを味わい尽くせておらぬ故な」

「さすがに今回みたいな騒ぎはもう勘弁ですけどね。……ところで空を飛ぶのはもう大丈夫です?」

「あの一夜でもう慣れた。さぁ乗れ、日が沈む前に次の都市へ向かうぞ」

「はい。よろしくお願いしますね、カトリ様」

 

 身を屈めたカトリ様の背に乗り、【ベレロープ】の手綱を取る。

 <超級エンブリオ>になって、まるでジャンボジェットのような大きさだけれど、【ベレロープ】さえあれば振り落とされることはない。

 【オーバードーズ】と並んで頼りにしている【ベレロープ】が結ばれたことを確認して、カトリ様は大きく羽ばたいた。

 景色はあっという間に切り替わり、遥か上空から果てしない砂漠の地平線を望む。

 そして小さくなっていくカルカランを最後にもう一度振り返って、私は"芸術都市"カルカランに別れを告げた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 □■"監獄"

 

 地球時間で七ニ時間後、<Infinite Dendrogram>では九日も経った頃。

 入須いさなは再び<Infinite Dendrogram>へログインし、見知らぬ土地へ降り立った。

 そこは舗装されていない剥き出しの土の道と、うら寂しい木造建築が立ち並ぶ荒涼の街。

 大陸の人々に地獄のように語られる"監獄"は、一見して西部劇の舞台のような景観で彼女を出迎えた。

 

「わたしも噂の"監獄"送りねぇ……」

「しでかしたことのツケにしては随分と温いもんだ」

 

 のんびりとした口調でそう呟くクジラに、低い声の少年が皮肉げに返す。

 【歌姫】クジラと、その<超級エンブリオ>【千篇万歌 バテン・カイトス】が、何処とも知れぬ"監獄"で再び出会った。

 その事実を咎めるように、バテン・カイトスの方は敢えて憎まれ口を叩いて言葉を続ける。

 

「てっきりもう会うことは無いものと思っていたんだがな。世話の焼けるマスターから解放されて清々したと思いきや、また逆戻りだ。まったくお前も暇なことだ。少しは前向きになれたものと思っていたが、性懲りも無くこんな世界へ戻ってくるんだからな!」

 

 アポストルらしからぬ反発を口にし、再会を拒むように悪態をつくバテン・カイトス。

 その彼の真意をクジラは悟って、言葉で返すのではなくただそっと抱き締めて応えた。

 

「……なんだ、まだ俺が必要なのか? 散々甘えてきて、まだ足りないのか?」

「いいえ、()()()

()()()()……」

 

 少年を抱き締める力を強くして、クジラは初めて正気で彼を見た。

 彼の声に想い人の面影を見るのではなく、彼の姿に生まれてくるはずだった愛し子を重ねるのでもない。

 一組の<マスター>と<エンブリオ>として、ただ真っ直ぐに互いを直視する。

 

()()()()()()()()()

「……ふんっ。少しはマシな顔になったな、()()()()。もう目は覚めたか?」

「そうね。思いっきり歌って、思いっきり喧嘩したら、なんだかすっきりしちゃったかも」

「たかが癇癪一つを晴らすのに傍迷惑なことだ。これだから我がマスターは! ……やはりまだまだ、一人にするには不安が尽きん」

「うふふ、そうね。わたしもカイトがいなければ困っちゃうわ。だってわたしの<エンブリオ(マネージャー)>ですものね?」

 

 そっぽを向くバテン・カイトスに、吹っ切れた表情で微笑むクジラ。

 彼の耳は紅く染まり、彼女の声音には穏やかさが満ちる。

 あの一夜までに渦巻いていた狂気は鳴りを潜め、雨上がりの空模様のように、光差す晴れやかさがそこにはあった。

 

「で、だ」

「なぁにカイト?」

「こじれ続けていた歪な関係を抱擁一つで有耶無耶にしようというお前の媚はいいとして」

「あぁん、媚だなんてひどい」

()()はどうする? なんかすっごい勢いでこっち来てるんだが」

「まぁ、おっきい……なにかしら、アレ」

「なんだろうなぁ……碌でもない予感だけはするんだけどなぁ!!」

 

 二人だけの空間に見ないふりをしていたバテン・カイトスだったが、いい加減素面に戻って現実を再度見直す。

 最初に荒涼の街と言ったのは間違いではないが、それは単純に寂れているというだけではなく……現在進行系で瓦礫の山へと変えられゴーストタウンと化しつつある光景からの逃避だった。

 

『私の前でいちゃついてんじゃないわよォォォおおおおお!!!!!』

 

 具体的には何かって?

 悲哀に満ちた絶叫を発しながら街を踏み潰す()だよ。

 全長一キロメテルにも届く巨大な足がずしんずしんとクレーターを作りながら、今まさに傍目にはいちゃついているように見えた男女の二人組(クジラとバテン・カイトス)を目の敵にして、街並み諸共踏み潰さんと迫り来る途中であった。

 

『私はフィガロと会えないのにィィィいいいいいいいいい!!!』

「あら、悲しい音色。愛しい人と会えない恋煩いね。……遠距離恋愛かしら?」

「俺、正直女難はもう勘弁だ……!」

 

 そしていつの間にか逃げ延びてきた"監獄"住民の<マスター>が、新顔の二人にかけなしの良心から声をかけた。

 

「あんたニュービーだな!? 多分もうデスペナ不可避だろうけど最期に言っとくぜ!? ハンニャさんの前でいちゃつくんじゃないぜ、死にたくなかったらな!!」

「まぁ……」

「ヤバイからオイラは逃げるぜ、あばよ! また三日後になぁああああああああああああああ!!!!」

 

 言うだけ言って全速力で逃げ去っていった見知らぬ<マスター>。律儀な漢であった。

 そして足は最早目前に迫り、届くはずのない視界から確かな殺意の宿った視線が突き刺さり――

 

「ドリルぅ!?」

 

 二人の目の前で()がドリルに変形した。

 バテン・カイトス、ビビる。

 

『……あっ。ハンニャ様、彼らはカップルでは――』

『死ねェェェェええええええええええええええええええええ!!!!』

『ごめんなさい間に合いませんでした!!』

 

 何かに気づいた様子で別の声が響くが、続く主の殺意に制止は間に合わないと先に詫びる従者の声。

 大きく振り上げられた足は、頂点から二人を踏み潰さんと一旦静止して。

 

「そうねぇ……まずは一曲、いかがかしら?」

 

 やんわりと笑んだクジラの紡ぐ歌声に、そのまま止まった。

 昂ぶる精神を和らげる【鎮静】の歌が、【歌姫】の力によって遥か上空の主にまで届く。

 

『ハンニャ様、彼らはカップルではありません。<マスター>と<エンブリオ>の主従のようです』

『……………………そうなの?』

『はい。ですので一度ご再考が必要かと』

 

 精神に作用する【鎮静】効果がプレイヤー保護機能によって動作の強制停止に留まった隙に、先程引き留めようとした声が再び説得を開始した。

 そして先程までの荒ぶる声とは一転した穏やかな声が響く。

 

『……貴方達はカップル?』

「どちらかと言えば親子?」

「もうやめてくれ、俺が何をしたって言うんだ……」

 

 どこかズレたクジラの返答と、疲れ切ったバテン・カイトスの泣き言。

 その反応にしばしの間を置いて足は消失し、次いで空から一人の女性が降りて――もとい落ちてきた。

 小さなクレーターを作って着地した人物は、さっきまでの声の主とは思えない落ち着いた様子の大人の女性。

 その傍らには、どこかバテン・カイトスと似た雰囲気の美少年を伴っていた。

 

「ごめんなさいね、てっきりカップルかと思って。……見ない顔ね、ひょっとして新しい住人かしら?」

「ついさっきここへ来たばかりなのよ。外で迷惑をかけちゃって」

「あらそう……まぁ私も含め、ここの住人は皆そうらしいけどね」

 

 さっきまでの大騒動をまるで気にした様子も無く、場違いなほどのんびりと談笑する二人を、逃げ惑っていた<マスター>達は畏怖の視線で見守っていた。

 

「自己紹介が遅れたわね。私はハンニャって言うのよ、よろしくね」

「ぼくはサンダルフォンと申します。先程は失礼しました」

「まぁ、ご丁寧に。わたしはクジラと申します。今日からよろしくお願いするわね、先輩」

「バテン・カイトスだ」

 

 バテン・カイトスは「よろしくしたくねぇなぁ」という内心を努めて隠した。

 和やかな雰囲気で自己紹介を交わした二組だが、やがてハンニャの方から詫びとして案内を提案される。

 良くも悪くも周囲を気にしないクジラは、いつものマイペースで快くそれを了承した。

 早くも親しげに談笑しながら去っていく二組を見送って、野次馬と化していた<マスター>達は、その背中が見えなくなってから重く長い溜息をついた。

 

 ――逆らってはいけない<マスター>が増えた、と。

 

 事実その予感は的中し、クジラは"監獄"を支配する超越者の一人として、"監獄"の<マスター>達から畏怖されることとなる。

 そして後に悪名高き【犯罪王】が(本人の意図はともかくとして)君臨してからは、彼の営む店で時折歌を披露する姿が見受けられたという。

 

 

 ――――"監獄"は今日も平和です。

 

 

 To be Next Episode

 




これにて本エピソードは完結です!
最終話が大幅に遅れ、大変申し訳ありませんでした。

一度リメイクを挟みましたが、なんとかエピソードを完結させられてほっと一息です。
当初のプロットからは大きく外れましたが、なんとか見れる内容にはなったかと思いたいですね。
オリジナルストーリーは大変でしたが、その分書いててとても楽しかったです!

いろいろと語りたいことはあるのですが、後書きだと長文になりすぎるので自重します。
その分感想返しとかでぶっちゃけることが多くなりそうですが……活動報告であれこれ語る需要なんて無いですよねぇ。

ともあれ、ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
私はこれからメタルマックスゼノとかTRPGのセッションとかがありますので、しばらくおとなしくなるかもしれませんが、それでもまだまだ執筆したい欲はありまくりです。
ひょこっと拙作や別作、あるいは同じデンドロで新作を書くかもしれませんが、そのときは生暖かい目で見守ってやってください。

改めて、ありがとうございました!


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Episode Superior Ⅱ Ivan the Terrible
【修羅】――前日譚


新章開始です。今回は天地編。


 ■修羅

 

 

 戦乱渦巻く合戦場。大陸と海を挟んだ極東の島国、天地。

 群雄割拠する武将達が覇を争い、幾百年もの古から血に塗れてきたこの大地は、混迷を極めた"三強時代"をして『極東の不可侵無法地帯』と云わしめ、長く魔境の名を恣にしていた。

 <マスター>が多く到来してからもその気質は何ら変わることなく、常にどこかで戦闘系超級職の奪い合い、命懸けの野試合が繰り広げられている。

 即ち()()()()()()を徹頭徹尾貫く修羅の国。それが天地。

 

 ――故に今宵繰り広げられる血戦もまた、この国においては日常に他ならなかった。

 

「…………」

 

 天地西部、黄河帝国との<境界>にほど近い山中に一人の老人があった。

 人里離れた森に庵を結び、他者と隔絶された孤独な暮らしを営み、一つだけ設けた質素な窯で器を素焼き、ごく偶にそれを売り払って金銭を得ているような見窄らしい老体だった。

 

 当然、彼を訪うような者もいない。

 だからこそ、彼の素性を知る者もほとんどいない。

 

 だが、武芸に通じた者が一目見たなら、すぐに彼の異常性を悟っただろう。

 一見して世捨て人の如き職人崩れ。しかしその実眼光は、鬼か妖かと見紛うほどに剣呑そのもの。

 

「――当代【修羅】、狂座殿とお見受けします」

「随分と、懐かしい名で呼ぶものだ……」

 

 じりり、と砂利を踏み締め誰何する声が響いた。

 長く麓とも交流を絶ち、ここに庵を結んでからは初めて己の業を呼ぶ客人に、彼――狂座は億劫そうにしわがれ声を発した。

 

 来客は、狂座老人とは対照的に若々しい、紅顔の美童だった。

 瑞々しい肌は生気に溢れ、声は静謐なれど年若く、色気がある。

 しかし唯一異彩を放っていたのは、身の丈とは不釣り合いなまでに巨大な西洋剣だろう。

 リアルでいう日本の刀槍を主流とする天地においてそれは異端でしかなく、それを背負う美童の手に浮かぶ紋章を見て、狂座は彼の素性を悟った。

 

「<マスター>か」

「【剣鬼】の狂獄と申します。貴方の命を戴きに参上しました」

 

 殺意を告げられた老人は、まるで驚く様子も見せなかった。

 それが至極当然のことであるかのように、泰然自若としたまま得心すらしてみせる。

 

「――儂の座が望みか」

「はい。今宵貴方の命を殺り、僕が新たな【修羅】となる」

 

 【剣鬼】とは、【武者】から派生する死狂い共の掲げる(ジョブ)であり。

 【修羅】とは、それら血腥い求道者の頂点に立つ超級職の名であった。

 

 ――即ちこれは、王位簒奪の布告に他ならない。

 

「…………」

「…………」

 

 それ以上の理由も疑問も両者には無かった。

 最低限の言葉を交わしたあとは、命刈り取る剣戟で魂を交わした。

 

 老人――狂座は《瞬間装備》で呼び寄せた愛刀を抜き放って小手を払った。

 美童――狂獄は初めから背負っていた大剣を振り下ろし、唐竹に割ろうとした。

 

 狂座の居合は音の壁を超えていた。

 狂獄が有するAGIよりも数段上の速度領域は容易く刃を届かせ、狙い過たず血肉を裂く。

 噴き上がる鮮血。しかし痛みに怯む様子も無く、構わず大剣が振り下ろされる。

 狂獄の<エンブリオ>であるその剣は、TYPE:アームズの特性で体感的な重量に縛られることなくもう片方の腕で振るわれ、嵐のような剣戟を見舞った。

 

 その尽くを狂座は交わし、老体が嘘のように八艘に飛ぶ。

 粗末な庵は瞬く間に崩れ去ったが頓着もしない。ただ身を置いた死地のみを意識に置き、知覚は尋常を越えて説明不能の理にて戦場を視渡す。

 

「…………」

「…………」

 

 崩れ行く庵の瓦礫から、槍を突き込む第三者があった。

 狂座の背後から放たれたそれをひらりと躱し、下手人の背後を取る。

 再び抜き放たれた居合は逆袈裟に槍手を割断し、ずるりとその上体を滑らせた。

 溢れる臓物。溢れる鮮血。いっそ冗談のように生々しい断面を覗かせ返り血を浴びた狂座は、ここでようやく目覚めたように双眸を爛々と輝かせた。

 

 だらりと垂れ下げた二刀流の構え。

 猫のように背を曲げ、足腰を屈めた姿勢は、刀を爪と見立てればまさしく獣の如く。

 幾十年もの年月を血風に明け暮れた【修羅】の当代が見せるその構えこそが、彼にとっての必勝必殺のそれであった。

 

 対する狂獄は、幾人もの配下を従えていた。

 最初に相対したときには隠していた麾下の死狂い共、その数三〇。

 内一人は先程殺られ、残るはニ九。いずれも狂獄とジョブを同じくする【剣鬼】である。

 彼らは皆一様に、狂座の掲げる【修羅】を狙った刺客であった。

 

「血が沸き立つような殺意。魂が震えるような血風。まさに若返るようだ。こうも直截的にこの身を狙われたのは、三十年は無かった」

「貴方の伝説は聞いています。【修羅】の座に就いてより幾星霜、無数の屍山血河を築き上げた貴方は、強すぎるが故にやがて排斥された。()()()()()。いつか天寿が貴方を攫うまで、その座は捨て置かれた」

「如何にも。つまらぬ仕置となったものだ。故に儂は俗世を離れ、このような場所に隠居した。粗末な庵を結び、【陶芸家】の真似事などをして、長らく死とは無縁でいた。……しかしどうだ、いよいよ天命も近づき、よもや畳の上で往生するのかと嘆いておったところに、これほどの猛者が現れてくれようとは」

 

 狂座は打って変わって饒舌になっていた。

 久しく嗅いでいなかった死の香りに血色を取り戻し、随分と見ていなかった己の座を狙う挑戦者に、頗る上機嫌となっていた。

 元よりこうして殺し殺されを望み、逢瀬(死合)を重ねる内に【修羅】へ成り果てていた彼にとって、今の状況が天上の楽土以外の何物でもなかった。

 つまらぬ最期を迎える前にこうして剣を交わしてくれる彼に、親愛の情すら抱いていたのだ。

 それは、剣に全てを懸けて死狂った彼にとっては、如何なる関係よりも強固な絆だった。

 

「先に断っておけば、僕は<マスター>です。仮にここで貴方に敗北しても、三日も経てば再び貴方の前に現れる。【修羅】の座を頂くまで、何度でも。故に、これから貴方に安息は無い。何度でも、何度でも、僕は貴方の命を付け狙う」

 

 狂獄は淡々とそう宣告した。

 それは常人にとってはあまりに理不尽な言葉だった。

 しかし彼はそれら一切を斟酌することなく、我欲のためにそれを貫くことを宣言した。

 

「僕と貴方の命は公平ではない。それを先に断っておきます。――理不尽だと思われますか?」

「いいや。――そういうこともあるだろう」

 

 狂座もまた淡々と、なんでもないように答えた。

 そこで狂獄は初めて、澄ました顔を崩して笑みを浮かべた。

 今この夜に浮かぶ三日月のような、冷たくも獰猛な笑顔を見せた。

 

()()()()。ならば是が非でも、今宵貴方の命を頂きたいというもの」

「年甲斐も無く血沸くというものよ。……しかし(わっぱ)、些か不勉強なようだな」

 

 互いに相好を崩し、心を通わせたのも束の間。狂座が好々爺のようにそう諭す。

 狂獄がその言葉の答えを探るよりも前に、彼は再び音を越えて跳ねた。

 

「――(【修羅】)を前に数を恃みとするとは、獣に肉を充てがうが如き愚行よ」

 

 その一言を発する間に、一息に五人の首が刎ねられた。

 血飛沫を浴びて老体はより精彩を増し、意気揚々と殺意を漲らせる。

 そしてそれは、錯覚でもなんでもなく、確かな現象として作用していた。

 

 【修羅】の奥義が一つ、《血祭》

 戦闘中に敵を仕留めるごとに、全ステータスを向上させるパッシブスキル。

 【修羅】の前では有象無象など贄でしかなく、長い天地の歴史では合戦場に現れた【修羅】が多勢に無勢をただ一人で制し、追随を許さぬ戦果を成し遂げた例が枚挙に暇がない。

 即ち多対一こそが【修羅】の本領であり、単独で屍山血河を築くからこその【修羅】とも言えた。

 

 狂獄は己の失策を素直に認めた。

 だが、恥でもなければ損失でもない。彼らは皆己の意思でこの場に参じた者達であり、彼自身としては単独でも何ら問題ではなかった。というよりは、元来はそのつもりでいた。

 しかし今ここにはいない彼の相棒が過保護と打算を発揮し、無理を言って同行させた向きがあった。そして配下達は元より【修羅】という目的を同じくした同志であるが故に、狂獄の当初の目論見は寧ろ抜け駆けでしかない。

 

 狂獄以下の一同は、目的が目的である故に必殺と必勝を期してこの場に臨んだ。

 例え悲願叶わず果てたとしても悔いなど無かった。死地の痛みも恐れも、何の足枷でもなかった。そうした人種でなければ、誰が【剣鬼】の道を征くものかとも言えたが。

 

 しかしその彼らが、今確かに恐怖していた。

 命知らずにして恐れ知らずの【剣鬼】。その上で相棒が施した特別な処置により、一層人間らしい情動を喪っているはずの死狂い共が、一人の老人を相手に意志を挫かれかけている。

 

 【修羅】の第二奥義、《修羅の貫目》。

 その効果は単純にして明快。殺意で敵を呑み【恐怖】させるデバフスキル。

 数多くある状態異常の中で【恐怖】の価値は様々に分かれる。

 常人にとってはそれだけでショック死もあり得るプレッシャーながら、熟練した戦士にとっては足止めにすらならないことも多い。

 その効果も一定せず、耐性が無くとも勇気を振り絞れば振り払うことができることもある一方で、素質の無い者にとっては拭い難い壁として聳え立つこともある感情。

 

 しかし【修羅】の放つプレッシャーは、それらとは次元が異なる。

 死を隣人とする戦闘職、その中でも日夜内乱に明け暮れる天地の住人――その修羅の国をして【修羅】と云わしめる化外が放つそれは、 如何なる猛者であれ完全な耐性を持たない限りは【恐怖】に呑まれる。

 その程度に大小の差はあれ、決して万全のパフォーマンスは望めない。狂獄もまた例外ではなく軽度の【恐怖】状態に陥り、配下に至っては行動不能に陥る者も少なくなかった。

 

 そして【修羅】が有する最後の奥義、《修羅場》。

 戦闘経過時間に比例して全ステータスを上昇させるパッシブスキル。

 

 以上三種。いずれも格下が舞台に上がることを許さず、弁えねば尽く糧と成り果てるスキルのみ。

 この特性こそが、戦場において初撃決殺を期さねば()()()()()()()()と恐れられる、【修羅】の修羅たる所以であった。

 

 呼吸を一つ二つ重ねる間に次々と配下を斬り伏せた狂座は、最早同じ戦闘系超級職に就いた<マスター>であっても、生半可な技量では太刀打ち出来ぬほどに()()()()()いた。

 長年の研鑽により主要スキルの尽くを極め、ジョブによらない技量もまた極意に達した彼は、狂獄にとっても間違いなく過去最大の脅威であった。

 否、一人だけ並び立ち得る好敵手の姿も思い浮かんだが、いずれにせよ今までにない難敵であることには間違いがない。

 

 戦場は、いつしか狂獄と狂座、二人だけの決闘空間と化していた。

 各々の打算で以て参じていた配下の生き残り達は、舞台を降りて趨勢を見守っている。

 【剣鬼】らしからぬ臆病と哂う者は誰もいない。舞台を降りた彼らは皆同じ穴の貉であったし、表舞台に立つ二人はそのような些事を気に掛けるような余裕を持ち合わせていなかった。

 

 【修羅】狂座もまた、己の前に立つ美童が過去最大の強敵であることを認めていた。

 隠遁生活でそれとなく届いていた<マスター>の噂。<エンブリオ>なる超常の力を宿した彼ら異邦人は、ティアンを軽々と超越する人種であると聞いていた。

 しかし、そうして前情報を抜きにしても、狂座は彼を認めていた。<エンブリオ>が無くとも、その気概は【修羅】の座を求めるに相応しい器であると確信できた。

 

(素質は間違いなく童が上であろう。いずれ儂を超えうる天稟であることは間違いない……が、()()()()()()()()

 

 だけど悲しいかな、彼には決定的に足りないものがあった。

 それは()()。生涯を【修羅】に捧げた狂座にあって、未だ年若い狂獄に無いもの。

 もし経験を同じくしていたなら、狂座は彼の足元にも及ばなかっただろう。しかし現実はそうではなく、素質において天と地ほどの差がある<マスター>とティアンという関係にあって尚、狂座は狂獄よりも格上であった。

 

 それは過たず狂獄も理解している。だからこそ、いっそ見苦しいまでの宣言を先に述べもしたのだ。

 だが狂座は、それを福音と捉えていた。たとえこの場で彼を撃退しても、彼は宣言通り必ず己の前に立ってくれる。

 そして今のような逢瀬を重ねる内、いつか彼が勝利する時がくる。そうして()を繋げられたなら、【修羅】に全てを捧げた狂座にとって、それに勝る幸福は無い。

 

(【修羅】の末期にしては出来すぎたものだ。儂に孫子(まごこ)がおれば、このような心地であったのだろうか……)

 

 狂座は全霊で狂獄を撃退し、返り討ちにし続けることを決意した。

 いつか終わりを迎えるそのときまで、死合を通じて彼に接し、【修羅】の全てを魅せようと覚悟した。

 不老不死にして不滅の存在たる<マスター>。その彼へと【修羅】の座を明け渡すもまた一興と笑い、必殺を示した。

 

 無論、それは手加減をするということではない。

 寧ろ一等苛烈に彼を斬り刻み、その意志を問う心づもりでいた。

 年若い彼を孫のように想うにしては、あまりに血腥い。しかし、だからこその【修羅】。

 

 それ以上の言葉を二人は交わさなかった。

 改めて全てを剣戟に、ただ命の取り交わしを求めて駆けた。

 一歩で音を超え、二歩で地を縮め、三歩で命を絶つ間合いに達した狂座は、二刀の切っ先を狂獄の急所に突き入れ、油断無く容赦無く躊躇無く、死を齎そうとして……。

 

「――――《■■■■》」

「…………おぉ」

 

 尚も彼の器を見誤っていたことを悟り、歓喜の内に敗北を認めた。

 

(人を、斬り……獣を斬り、妖を斬り――<UBM>も少なからず斬ってきたが――)

 

 末期の眼に映る異形を捉え、その姿を余さず心魂に焼き付けようと、猫のように凝視しながら走馬灯に思いを馳せ――

 

 

(――()()()()()()()()()()()に斬られて果てるとは、まこと浮世は面白きものよ)

 

 

 その言葉が、【修羅】最期の意思となって刃の露と消えた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「――対魔(つしま)さん。こちらは終わりましたよ。今から戻ります」

『おう、お疲れさん。どうだった? 随分と上機嫌じゃねぇか』

 

 血戦を終え、狂獄はアイテムボックスから通信用マジックアイテムを取り出して連絡した。

 やや間を置いて通話先から上機嫌な女の声が届き、からかうような声音で具合を問う。

 その言葉を受けて彼は、初めて気づいたように己を振り返り、首肯して同意を示す。

 

「そうですね、素晴らしい御仁でした。これほどの充足は滅多に無いでしょう。言葉では……とても伝えきれないのですが」

『かといって(おれ)がいたんじゃあ足手纏いだからなァ。まぁいいや、事の仔細は()()に訊くとでもするさ。ちゃんと確保してくれたんだろ?』

「ええ、遺体は回収しておきましたよ。死んだメンバーの皆さんも同様に」

 

 小箱のようなアイテムを手遊びしながら狂獄は答えた。

 自ら斬り伏せた狂座の亡骸が収まった棺――彼は【修羅】らしくそのためのアイテムボックスを持ち合わせていなかったので、狂獄が予備に彼の遺体を収めていた。

 そして彼だけではなく、彼との戦いで死んだ十数人の配下の遺体も同様にアイテムボックスに回収し、彼らの装備も同様に纏めていた。

 

『吾はてっきり、【修羅】の爺さんは弔いでもするのかと思ったんだがね』

「いえ……死ねばただの肉ですから。あの人もそのようなことに頓着するような性質(タチ)でもないでしょう。精々有効活用させてもらいますよ。彼もきっと許してくれるでしょう」

『ふぅん……ま、いいさ。それも男の世界ってやつだろうしな。吾としちゃァ元超級職の遺体が手に入るなら、それに越したことは無ェ』

「とはいえ元ですよ? 生きたままならともかく、亡骸ではリソースも消えて、大したアテにはならないと思いますが」

『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まァ単なる験担ぎとでも思って持ち帰ってくれよ。――あァ、得物は忘れず頼むぜ? あれはちゃんと打ち直すんだからさ』

「それは当然。ですが【数打物】ばかりですからね。早々に死にましたし、どれほど経験値(リソース)を積めたやら……」

『そこは吾の腕の見せどころさ、旦那が気にするこたァないさ。それじゃ、無事帰ってきなよ』

「お気遣いありがとうございます。それでは、また後程」

 

 通信を切り、狂獄が大剣を背負い直す。

 死体も得物も回収し終え、崩れた庵と染み付いた血痕だけが死闘を物語る廃墟を後にして、彼は下山を始めた。

 その後を生き残った配下達がついていく。その彼らを振り返り、狂獄は何気ないように尋ねた。

 

「ああ、そうだ。ここで僕を仕留めておきたいという方はいますか? 【修羅】の座が空いた以上、これが最後の機会ですからね。今なら正々堂々、受けて立ちますよ?」

「…………イエ」

 

 それは、狂獄から彼ら【剣鬼】達への気遣いだった。

 この機会を逃せば、間もなく彼は【修羅】の座へ就き、<マスター>である以上その座は永久に空くことはなくなるだろう。

 それは、定命のティアンである彼らにとって、己が道を塞がれるに等しい宣告だった。

 仮にここで狂獄を仕留められたなら、三日の猶予の内に【修羅】となり逃げ果せることも出来なくもないだろう。

 しかしそれは終わりなき逃避行の始まりでもある。当然ながら、狂獄もまた諦めなどせず、逃げる某かを追い続けるだろうから。

 

 彼らティアンからすれば意地の悪い問いである。

 狂獄にとってそのつもりはなくとも、事実としてそうでしかない。

 しかし彼らは、先刻まで抱いていたはずの野心をおくびにも出さず観念を示した。

 

 彼らは最早、心を折られていた。

 長きに渡り無敗を誇った歴代最強の【修羅】を降した童子に、心から屈服したのだ。

 

「変ワリナク、オ傍ニ置イテイタダケレバ」

「そうですか。それなら今後ともよろしくお願いしますね」

 

 狂獄は再び前を向いて、悠々と歩を進めた。

 その背を追う彼らの心中には、畏怖しか無い。

 

 

 新たなる【修羅】が率いる一団の名は<悪鬼夜行>。

 彼はその二大頭目の片割れ。武を司る"妖甲悪鬼"狂獄。

 天地に生まれた新たな<超級>が、永世の【修羅】となった。

 

 

 ――日を同じくして西方より獣の神が訪れたのは、全くの偶然である。

 

 

 To be continued

 



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西方よりの来訪者

メリークリスマス!


 □【獣神】マグロ

 

 

 カルカランでの<歌姫事件>から一月程を都市を巡って旅した後、そのまま南部から東海行きの船に乗り、紆余曲折を経て私は天地へ来ていた。

 紆余曲折と言うのは、海底二万メートル以上の深海で古代伝説級<UBM>と戦うハメになったこととかだけど、それはまぁいいだろう。

 

 天地へ赴いた理由は、そのとき知り合った<マスター>の好意で好きな場所まで送ってもらえる機会があったからで、ちょうど東海まで来ていたこともあり噂の天地への興味がふと湧き出たからだった。

 というのもグランバロアと天地は折り合いが悪いらしく、通常の交通手段は使えないらしい。出来なくもないが、何かと不便な手間をかける必要があるようだった。

 その点その<マスター>は海域の自由な行き来が可能な<エンブリオ>の持ち主であり、直接上陸するまではできずとも沖合くらいまでなら接近が可能だったのだ。

 

 そんなわけで今私がいるのは西部の港町である。

 街、というよりは漁村だろうか。活気はあるが規模は小さく、見慣れた日本風の顔つきが多く見えた。

 が、上陸手段が少しまずかったらしく……あわやお縄につきかねなかったのは内緒だ。

 

「そらねぇ、いきなり海からデカいのがやってきたもんだから、みんな海坊主だ海坊主だっつって大騒ぎさね」

「あはは、その節はご迷惑をおかけしました……」

 

 そうからかうように言ったのは酒屋の女将さんだった。

 昼は茶店もやってるそこの軒先で、お団子とお茶を頬張りつつ世間話に華を咲かせる中でそのときの話が出てきたのだ。

 まぁ秘密でもなんでもないのでぶっちゃけると、沖合から陸へ向かうのに水中行動に長けた"青の巨人"形態になっていたところ、うっかりそのまま上陸して騒ぎを起こしてしまったのだった。

 今でこそ笑い話にはなってるけれど、当時は見慣れないモンスターかあわや<UBM>かと大騒ぎになり、自警団に取り囲まれて一触即発にまでなりかけたのだから堪ったものではない。

 

 とはいえそれも十日も前の話である。

 なんとか事情を理解してもらったあとは、この村に暫く腰を落ち着ける中で頼み事やらモンスター退治やらを引き受ける内にどうにか打ち解けることができていた。

 それにはやはり<マスター>という立場が大いに役立っていた。元より異邦人としての認識が強い<マスター>なら多少の常識知らずは大目に見てもらえ、その上で村への貢献を果たせばある程度は水に流してもらえるというものだった。

 

 そんなわけで今日も一仕事を終えたところなので、こうしてのんびりお茶を楽しんでいる次第である。

 女将さんにも顔を覚えられ、こうして世間話できる程度には仲も深まった。

 

「カトリさんはお団子はダメだったのよね? 今日は柿があるからさ、これでもお食べよ」

「うむ、苦しゅうない」

「あははっ、まるでお武家様みたいだねぇ! 遠慮せずにどんどん食いな!」

 

 ……太っ腹なようだが、当然支払いはしている。

 どうやら懐が温かいことはすっかり見抜かれているようで、来るたびになにこれと出しては勧め、カトリ様もそれを献上品として遠慮無く頂くものだから、その裏で私の財布は良いように毟られまくっているのだった。

 女将さんが一番に親しげにしてくれたのも、こうして(無理矢理)売上に貢献しているからに違いない。

 

「しっかし、<マスター>ってのはやっぱり大したもんだねぇ。大陸から海を泳いできたんだろう? ウチじゃあ信じられないさね。普通は海の魔物にパックリいかれるもんだからさ」

「……海、怖いですよね」

 

 女将さんの言葉も当然だった。

 この世界の海というのはリアルとは比べ物にならないほど危険極まりなく、たとえ入念に準備していても容易く命を落としかねない魔境だ。

 棲息するモンスターの脅威も陸上の比ではなく、前触れもなく強力なモンスターや<UBM>が現れては猛威を奮うことも珍しくはない。

 事実深海での戦いはそうして巻き込まれたのだし、そこでカトリ様が水中に適応できてなかったなら、こうやって天地へ上陸することもできなかっただろう。

 

 そしてこの村は昔から続く漁村であり、海の恐ろしさは私なんかよりも余程知っている。

 沖での漁は常に命懸けで、だからこそこの村の男手は屈強であり、たとえ<マスター>であっても生半可な腕では返り討ちに遭うほど腕っ節が強い。

 そして得られる海の幸は値千金の恵みであり、内陸部の領地では高値が付く高級品……らしい。

 まだこの村以外の集落を知らないからピンとこないけれど、それもあってこの村は規模に見合わず景気がいいのだとか。

 

 この辺の事情は隠居した長老方を訪ねればいくらでも村自慢として聞かされることだ。

 当初こそすったもんだあったものの、今では酒の席をご一緒させてもらうことも結構ある。

 なんだかんだ言って外の人間が珍しいのか、他の国で見聞きしたことを土産話にすれば盛り上がるというのも当然の帰結で、この十日間は思いの外充実した滞在になったことは間違いないだろう。

 

 とはいえ、宿も無く厚意で村長宅に居候させてもらっている身だ。

 これ以上身を置くのも負担になるだろう。まだ親しくしてもらっている内にここを発つのが村への礼儀だ。

 私は明日にでも村を出る決心をし、女将さんとの世間話も程々に切り上げその旨を伝えた。

 

「あらま、そうなのかい。ま、でもそのほうがいいよ。言っちゃあなんだが、ウチは旅人が来るようなトコじゃないからねぇ……」

「最初にご迷惑をおかけしておきながら、村の皆さんには大変お世話になりました。これはほんの気持ちです。村の皆さんでよろしければどうぞ」

 

 そう言って差し出したのは、カルディナで購入した土産物のいくつかだった。

 金銭も考えたが、あまり直截的なのも生臭いかと思い、消費してしまえる食料品を選んでみた。

 小型のアイテムボックス丸々ひとつ、中にはカルディナとグランバロアの船上都市で購入したあれこれがぎっしり。

 

「あらま、こりゃご丁寧にどうもねぇ。……あらま、こりゃ異国のお酒じゃないか。ウチの男衆が喜ぶよぉ!」

「お口に合えばいいのですが……」

「大丈夫大丈夫、酔えりゃいいって助六がほとんどだからさ! この機会にガッポリ稼がせてもらおうかねぇ」

 

 そう悪どく笑う女将さんだが、気前良く振る舞うに違いなかった。

 

 

 ◇

 

 

 その日のうちに村長にも挨拶を終え、翌日。

 まだ日が昇って間もない早朝に村を出た私は、進路を東に向けて街道を歩いていた。

 村長曰く迷ったならばまず中央を目指せとのことで、そこには天地所属<マスター>の初期開始地点である都があるらしい。

 そこは天地に点在する大名家の力が及ばない中立地帯であり、どこぞの武家へ士官するのでもないのなら、まずはそこで方針を定めるといいだろうというのが彼の言だった。

 私としても士官するつもりはないし、あくまでも物見遊山のつもりでいるので、中央を拠点として適当な狩場でも見繕えたならそれで充分だ。

 

 中央までは幾つかの大名の領地を経由する必要があるが、街と街を繋ぐ街道を歩く分には思っていた程の危険は無い。

 代わりに各所に関所が設けられ、旅人や商人は幾らかの金銭を支払う必要があるのだが、<マスター>に関してはその義務が無かった。

 というのもやはり天地のティアンにとっても<マスター>というのは有望な戦力であるらしく、各地の大名が彼らの士官を狙って行き来しやすいように様々な便宜を図っているようなのだ。

 無論、各家の機密の類を持ち出されるなどされては堪らないので色々と対策もしてはいるらしいが、少なくとも真っ当に旅をする上では何の不便も無いように出来ている。

 

 私も各所の関所で勧誘を受けたりもしたが、やんわりとそれを断りつつ東へと進んでいく。

 流石に島国とはいえリアルの日本くらいには広い天地を徒歩で旅するのは時間がかかり、幾らかの夜を見送っていた。

 そうなると自然、野営の必要も出る。普通の<マスター>は夜間にはログアウトして日の出を待つのだが、私にはその選択肢は無い。

 なので当然日が暮れれば街道脇に陣を構え、火を起こして雨風を凌ぐためのテントを張る。

 しかしリアルとは違って便利なマジックアイテムの多い世界なので、一人旅でも野営の準備に手間取るようなことはなく、本来の旅を思えば段違いな程に快適な夜を過ごせていた。

 

 だが、リアルと違うのは野営の利便性だけではない。

 道行く旅人を狙うモンスターや盗賊、山賊といった脅威もこの世界には存在する。

 幸いにも後者二つにはまだ遭遇していないが、この世界のモンスターというのは火を恐れたりはほとんどしない。

 いや、リアルでも獣が火を恐れるというのは割と眉唾ものだったりするらしいけれど、モンスターはむしろ火の明かりを獲物の印として嗅ぎ付け率先して狙うフシがあった。

 

 基本的に街道沿いは領地を与る大名の尽力あって定期的に山狩りされたりなどしてある程度の安全は確保されているが、しかしそれも絶対ではない。

 武芸者でも無い限りは必ず集団行動を取って旅をするし、そうでなくば日の落ちる前には街へ辿り着けるよう相応の足を用意しておくのが普通だ。

 間違っても私のように一人身で歩いて旅するなんてことはしないし、呑気に火を起こして陣を構えたりもしない。

 現に私は夜を迎えるたびにモンスターの夜襲を受けているわけだが、しかしそこはそこ。<超級エンブリオ>にして最優のガーディアンであるカトリ様の力添えもあって、世間の常識など何処吹く風とこうして気楽な一人旅を送れていた。

 

「ふぅむ、極東のモンスター共も悪くはない。……が、やはり<UBM>と比べればちと格は落ちるな」

 

 などと仕留めたばかりのモンスターの素材を頬張りながらそう漏らすのはカトリ様。

 件の深海で戦った古代伝説級<UBM>。その特典は案の定と言うべきか【完全遺骸】として授与され、その日のうちに丸ごとカトリ様の胃袋に収まっている。

 そのカトリ様曰く素材の旨味にはモンスターの()が大きく関係し、強大かつ希少であればあるほど得も言われぬ美味なのだとか。

 その理屈でいえば普通は遭遇すらできない深海の古代伝説級<UBM>なんて、そりゃ強いしレアだしで美味しいことだろう。お誂え向きに水中行動に向いたスキルを高レベルで幾つかラーニングもできたのだし。

 しかしだからといってそれに味をしめられても困るというものだ。他と比べて格段に遭遇率は高い方という自覚はあるが、基本的に<UBM>はレアなのだ。特典を手に入れるどころか戦う機会すら無いという<マスター>が大勢いる。彼らが聞いたら憤死しそうな発言は、ある意味彼女が指折りの美食家であることの証左かもしれなかった。

 

「……ハズレか。やはり格下では数を喰らわねば大して実入りが無いな」

「よしんば得たとしても既存スキルと被ることも多いですしね。やっぱり安定した狩場が無いと効率悪いなぁ」

 

 メイデン体で寛ぎながら生肉を食み骨を齧っていたカトリ様が残念そうに呟く。

 味もやはりお気に召さなかったらしく、ドロップ素材はまだ幾つか残っていたがそれ以上手を付けるつもりも無いようで、私がそれをアイテムボックスに回収した。

 この世界で金銭を得るためのメジャーな手段がクエスト報酬とドロップの売却収入だが、私の場合まずカトリ様に献上した上で余り物を売り払うことになるので、狩ったモンスターの数に比べてその収入は大きく落ち込む。

 スターリングさんほど派手に散財するわけでもないし、金策に追われているわけでもないが、<超級>としてはかなり慎ましい部類だろう。

 ……ほんとになー、クエストもそれするくらいなら少しでも多くモンスターを狩りたいっていう節もあるし、カトリ様の特性上それが一番効率良いとはいえ、ままならないものである。

 

「あわよくば天地の<UBM>にも相見えたいところだがな」

「どうですかねー……ただでさえ激戦区らしいですし、強いティアンもたくさんいるようですし、余り物なんてほとんど無いんじゃないです? あ、情報も無いのに<UBM>を探し回るのはイヤですよ!?」

「わかっておるわかっておる。<DIN>で買えるような持ち合わせも無いしな。まったくつまらぬ……」

「まぁまぁ……、……?」

 

 気怠げに横向きに寝かけたカトリ様だったが、次の瞬間何かに気づいたように身を起こすと、そのまま白蛇形態に変身して私の身体に巻き付いた。

 それはつまり、要警戒ということだ。とはいえ私に出来ることなんて殆ど無いので、カトリ様がするに身を任せ、同じ方向を注視するに努めた。

 

「おや……旅人、ですか?」

 

 街道に隣接した森から姿を現したのは人だった。

 それも随分と小柄な、私よりも幾らも年下の男の子。

 クール系の、女装が似合いそうな顔つきで、女性人気とかが高そうな子だ。

 見た目だけを言うなら明らかにこの場には相応しくない子供だったが、その背には身の丈以上の大剣を背負っていた。

 付け加えるなら、その左手には紋章が浮かんでいる。<マスター>だ。

 

「ああ……驚かせてしまったのなら、申し訳ありません。こんな夜更けに小さな野陣でしたから、てっきり賊の【斥候】かと」

「あ、いえいえ! すみませんこちらこそ……私も<マスター>なので、今は旅の途中でして!」

「成程、そうでしたか」

 

 身の証を立てるように私も左手の紋章を見せ、害意は無いことを主張する。

 それを見て彼も得心したように小さく頷き、互いに畏まって会釈を交わした。

 

「女性がお一人で天地を旅ですか……見慣れない方ですが、随分とお強いようで」

「あはは、それほどでも……ええと、貴方の方も旅を?」

「ああ、申し遅れました。僕のことは……キョウ、とでもお呼びください。そして返答ですが、僕の方は武者修行……のようなものです。つい時間を忘れて、今の今まで狩りをしていたところでして」

「成程、天地プレイヤーなんですね。あ、私のことはマグロと呼んでください」

 

 ちなみに向こうの名乗りにはカトリ様の《真偽判定》が反応を示した。

 隠すつもりも無かったようだけど、やっぱり偽名らしい。とはいえ、初対面の相手に適当な偽名を名乗るのはそう珍しいことでもないので気にするようなことでもない。

 私? 私は隠す理由も無いから普通に名乗る。ちなみにマグロって名前だけど、例の漁村では思いの外ウケがよかったり。

 

「……随分個性的なお名前ですね」

「よく言われます」

「ああ、失礼。初対面の方に言うようなことではなかったですね、申し訳ありません。…………ふむ」

「?」

 

 慇懃な物腰は生来のもののようで、見た目も相俟って随分としっかりしたお子さんに見えた。

 まぁ<マスター>だから見た目通りの中身とも限らないけれど、それはさておき。

 どうやらキョウさんはカトリ様に興味があるようで、さっきからずっと視線が彼女に向けられていた。

 

「あの、カトリ様が何か……?」

「……いえ、随分とお強そうだと思いまして。僕も天地の武芸者の端くれですから、どうにも興味が……不躾ですが、手合わせなどは?」

「手合わせ? ええと……」

 

 これが天地クオリティというやつなのだろうか。

 目が合えばポ○モンバトルじゃないけど、野試合の申し込みなんて他の国では無かったから少々面食らう。

 お伺いを立てるようにカトリ様を見るけれど、彼女は興味が無いようにぷいと顔を逸らした。

 

「どうやらダメみたいです。ごめんなさい」

「そう、ですか……それは……残念ですが、仕方ありませんね……」

(すごく残念そうだ……)

 

 見るからに落ち込んだ様子のキョウさんに、思わず申し訳無さが過る。

 とはいえカトリ様が否と言っている以上私には何も出来ないし、彼には悪いが勘弁してもらうしかない。

 

「その、せっかくなので夕飯でもご一緒していかれますか……?」

「…………いえ、僕も人を待たせてあるので、折角の提案ですが遠慮させていただきます」

 

 せめてものお詫びに今用意しようとしていた夕飯に誘ってみるが断られた。

 たっぷり悩んだ様子だったけど、お腹は空いてるのかな? それにしては少し雰囲気も違う感じだけど、まぁいいか。

 

「急にお邪魔をして申し訳ありませんでした。賊でないならいいのです、お騒がせしました」

「ちなみに賊だったなら……?」

「容赦する理由も無いので糧にさせていただきましたが」

(物騒だけど正直だ……!)

 

 天地の住人ってこういうのが当たり前なのだろうか。強いカルチャーギャップを感じた。

 

「それでは僕はこれにて。要らぬ忠告とは思いますが、くれぐれも道中お気をつけを。他国がどうかは知りませんが、天地の夜は物騒ですから」

「あ、はい、お気遣いありがとうございます……」

 

 天地に来て一番の物騒発言は今しがたの彼だというのは言葉にはせず、会釈して背を向けた彼を姿が見えなくなるまで見送った。

 やがて暗闇に彼が消え、そこでようやくカトリ様がメイデン体に戻って再び横になる。

 憮然とした表情は何を考えているのかはわからなかったけれど、一言、寝入る直前に漏らした言葉が私の耳に届いた。

 

「匂うな……」

 

 ……ちゃんとお風呂に入れてないのが気に障ったのかな……?

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■天地西部・山中

 

 

「すみません、対魔さん。長引きました、今戻ります」

『熱が入るのは結構だが、あんま無茶はしてくれるなよ。まだ慣らしきってねェんだろ?』

「面目ないです。何分効率が段違いですから、つい熱中してしまって」

『まァいいさ。手勢もどうだい、上手く役立ってるかい?』

「それはぼちぼち、といった塩梅ですね。やはり時間が掛かります」

『だろうな。あー、吾も超級職か<超級エンブリオ>がありゃァ、ちったァ楽になるんだがねぇ』

「対魔さんはよくやってくれていますよ。お気になさらず」

『ありがとよ。んじゃ、温かいメシ作って待ってるぜ。早く帰ンなよ』

「はい、楽しみにしてます。それでは」

 

 彼は通信を切って、ふと背後を振り返る。

 駆け足で急いだ今は遠く離れた街道、その一点を見通して。

 

「…………余所者、か」

 

 目に焼き付けた()をそっと想った。

 

 

 To be continued

 




言うまでもなく天地の描写は捏造過多です。
今後原作が進展したときに矛盾も起きようかと思われますが、御容赦ください。


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失せ人探しの姫君

メリークリスマス……?


 □【獣神】マグロ

 

 

 その後も私達は幾つかの関所と街を経つつ東へと向かっていた。

 普通は竜車や馬車を利用する旅路を徒歩で行くものだから自然と日数は掛かり、中央の中立地帯に程近い距離まで来る頃にはこちらの時間で一週間が経過しようとしていた。

 ……徒歩とはいえ些か以上に時間が掛かりすぎた感は否めない。だけど合間合間の宿場町や城下町を観光しつつ進んでいれば、これでも割と先を急いだ方だ。

 

 別に時間に追われるような理由も無いのだけど、カルディナから始まった諸国漫遊の旅は力不足を克服するための武者修行の旅でもあるので、のんびり観光気分に浸っているわけにもいかない。

 私にとってのパワーアップとは、イコールカトリ様のパワーアップであり、カトリ様のパワーアップと言えばモンスターの乱獲とドロップ素材によるスキルラーニングだ。

 特にカトリ様は天地の固有種に興味津々であられるご様子で、暇さえあればモンスターを狩ろうとするのだから仕方がない。

 この数日で天地の風土にも慣れてきたのを見越して、ちょくちょく寄り道して適当な群れを殲滅したり、町では聞き込みして近い狩場へ赴いたりと、正直これさえ無ければ今頃とっくに中央に着いてたんじゃないかな。

 

「うむ……粗末な獲物とはいえ小腹を満たすには悪くない、悪くないぞ」

「以前と言ってることが違う……」

「余は切り替えが早いのだ」

 

 つい先日まで<UBM>に限るだとかなんとか、グルメ気取りなこと言ってたのに今ではこれだ。

 <UBM>討伐特典(高級料理)から一転して雑魚モンスターのドロップ(ジャンクフード)続きだけど、結局のところカトリ様は食えればなんでもよかったりする節があったりする。

 ……正直にそれを言うとお高いやつを献上するまでヘソを曲げるから口には出さないけど。

 

 今しがた狩り終えた獲物を頬張りながらカトリ様がしばし食事に励む。

 その間に私は散らかったドロップアイテムを回収しながらカトリ様が食事を終えるのを待ちながら、ウィンドウを開いてマップ画面を確認する。

 この調子だとそろそろ――

 

「それで、そろそろ西部の東端であったな」

「はい、次の町が最後の大規模拠点になるみたいです。そこから先は中立地帯のようですね」

 

 指先を舐め取りながらのカトリ様の言葉に頷いて答える。

 彼女の言う通り西端から東へ向けて十日程も歩いた今、私達は既に西部の東端まで辿り着いていた。

 そして中央への玄関口には一際大規模な――宿場や花街、各種ギルドに商店街を内包した一大拠点が構えてあり、日夜大勢の人々が往来しているらしい。

 

 ちなみにこうした拠点は中央の東西南北へ同じように設けられているらしく、様々な大名家の手の者が潜みながらも牽制しあい、絶妙な均衡を保つ半中立地帯として成り立っているようだ。

 なので他の領地と比べても格段に治安が良く、悪さをすれば忽ちお縄にかかることは間違いない。

 ……ってどこかの宿場町のおばちゃんが言ってた。

 

「ただ、出るときはともかく、入場には<マスター>でも手数料がかかるみたいですね」

「ふむ、だが問題無かろう? 金に困らぬ程度には素材は残しておったはずだしな」

「まぁそうなんですけどね」

 

 モンスターの素材はいろんな用途に使えるから常に一定の需要がある。ましてあちこちが激戦区の天地なら何をか言わんや。

 ある程度の規模がある集落ならどこででも買い取ってもらえるので、最初に漁村に滞在していた頃と比べれば今の懐は大分温かいのだった。

 

 そういうわけなので今後の路銀の心配も無く、カトリ様と雑談しながらゆるゆると街道を進む。

 ここまでくれば野営の必要も無く、日が暮れる前には辿り着けるだろう。そう考えながら進んでいくと、ややもして大きな門構えが聳えているのが見えた。

 

「あれですね。今は通行人も少ないようで、そう待たずに済みそうです」

「手間が少ないのであれば何よりだ。余は少し隠れておくぞ」

 

 そう言ってカトリ様は白蛇形態になって服の中へ潜り込んだ。

 <超級エンブリオ>になってからというもの、メイデン体や以前までのジャガー形態よりもこの姿で居ることがすっかり多くなってるなぁ。

 人目を避けやすく歩く手間が省け、なにより私の護衛に最適だから仕方がないのだけど、おかげで平時はすっかりカトリ様に乗ることも少なくなってしまった。

 

 ちょっぴり寂しい気持ちになりながら門へ近づいていくと、なにやら騒々しい様子が見えた。

 よく見渡してみると、どうやら門番さんと入場希望者が揉めているらしい。もう片方の門番さんが後続を捌く傍らで、長柄の槍を突き立て凄む男性の姿が窺えた。

 

「ティアン、<マスター>を問わず入場には金銭を頂戴する。例外は罷り成らぬと、何度言えばわかるのだ」

「で、ですが……」

「これ以上手を煩わせるならしょっ引くぞ! 女子(おなご)だからとて容赦はせぬ、素直にリルを用立ててから出直すのだな」

「…………申し訳、ございません」

 

 どうも入場料を支払えず門前払いを食らったらしい。

 しばらく問答を交わしていたようだけど、結局は入場叶わず追い返されるのが見えた。

 安くはないが法外では決してない入場料を用意しないままここまで来るとは、私が言うのもなんだが随分と間抜けな旅人さんだ。

 

 ちなみに余談だが、無理矢理押し通るのは絶対におすすめできない。指名手配されるのは勿論だけど、それ以前に門を預かる門番というのは正規兵の中でも特に腕利きのエリートで、ティアン同士ならほぼ確実に門番の方が戦力が上回るからだ。

 なにせ日夜どこの者とも知れぬ人間を見張り、いざというときにはそれを取り押さえられる腕っ節が要求されるのだ。治安上の観点から見ても、一番の腕利きを配属するのは当然と言える。

 まして天地ならカンストしててもおかしくはない。おそらくは詰所に控えた人員も含めてレベル五〇〇に達した猛者揃いだろう。間違っても逆らうなど出来やしなかった。

 

 名残惜しそうにしながらもすごすごと引き下がった旅人さんは、思いがけないことに華奢な女性だった。

 見目麗しく品の良い仕立物に身を包み、小さく眉尻を下げて悲しむ様は、旅人と言うよりもどこぞのお姫様のようにも見える。

 しかしそれにしては同行者がいる様子も無く、今しがた金銭で揉めていたこともあり、何やら訳ありであることが容易に察せた。

 

「……あの」

「へっ?」

「わたくしの顔に、なにか……?」

 

 どうにも目立っていたのでまじまじと眺めていると、彼女がこちらを見上げていることに気づいた。

 さすがに私の様子も不躾だったようで、不審げに窺う目と視線が合った。

 思わず自分を恥じ、慌てて頭を下げて謝罪する。

 

「す、すみません! さすがに失礼でしたよね、なにやら揉めているようだったので、つい野次馬してしまって……」

「はぅ、それは見苦しいものをお見せしてしまいました……、……?」

 

 彼女はそこでふと周囲を見回し、恐る恐るといった様子で小さく呟く。

 

「……ひょっとして、目立っておりましたか?」

「たぶん……かなり」

「はぅぅ……」

 

 そこでようやく彼女は自分が悪目立ちしていたことに気づき、小さく蹲って頭を抱えるのだった。

 

 

 ◇

 

 

「なるほど……まぐろさま、と申されるのですね。聞き慣れないお名前ですが、はて……?」

「まぁそこは<マスター>なので、天地の方からすれば変な名前かもしれませんね」

「<ますたぁ>……風の噂に聞く、旅の方……でしたか」

 

 そのまま彼女を見捨てて入場するのも忍びなく、立ち話も何なので手近な茶店(こうした門前には入場待ちの行列客を狙った小店がしばしばある)にお邪魔してお茶とお団子を頼んだ。

 私だけ食べるのも嫌味っぽいので彼女の分も頼んで持ってきてもらったのだが、彼女は一言礼を言うと行儀良く口にしてほっと一息吐いていた。

 

 その様子から見るに明らかに上流の、人に奉仕されることに慣れている類の人間であることが見て取れたが、そんな人物が何故一人身でこのような場所にいるのか。

 それを聞き出すにもまず自己紹介をと思い、互いに一服しながら名乗りあったのだが……なんというか、すごくぽわぽわしてる。

 ていうか、すごくデジャブを覚える。カルディナでクジラさんを拾ったときもこんな感じだったなぁと思いながら、彼女が切り出すのを待った。

 

「わたくしは……()()、と申します」

「ニエさん、ですか?」

「はい。そのように呼ばれておりました」

 

 私に負けず劣らず(?)へんてこな名前だと思ったが、そうでもないのかな?

 大昔の女性の名前がそんな感じだったって、テレビか何かで見たような気がする。

 おタエさんとか、おキヌさんとか、そういうのだと思えば別段おかしくはない……のかなぁ。

 

 ともあれ、そのニエさんが何故このような場所にいるのか。

 それを尋ねると彼女はじっと考え事をしたあと、ぽつぽつと静かに語りだした。

 

「人を……探していました」

「人、ですか……」

「はい。……話せば長くなるのですが――」

 

 ゆっくりと思い出すように語った彼女の話を纏めると。

 

 彼女はやはりさる大名家の姫君であるらしく、ある日流れの武芸者に助けられたのだという。

 長年領地を脅かしていた<UBM>。定期的に見目麗しい少女を供物に求めるその<UBM>にある時ニエさんは選ばれ、領とお家の安泰のためやむなく嫁入りに向かった。

 嫁入り、というのは件の<UBM>が供物の少女を花嫁と呼んで求めるからで(思わず変態<UBM>(ユニケロス)を連想した。訴訟)、その実態が如何なるものであるのかは誰も知らない。しかし過去には逆らったことでとんでもない被害を受けた事例があり、その祟りを避けるための苦渋の決断であったという。

 ともあれニエさんはそうして<UBM>のもとへ向かい、あわや<UBM>の毒牙にかからんとしたところで……

 

「その武芸者に助けられた、と」

「はい。……おもえばあの方も<ますたぁ>だったのかもしれません……」

 

 その武芸者というのがとんでもなく強かったそうで。

 突如として天から飛来しては、拳の一撃で<UBM>を仕留め、そのまま天を翔けてニエさんを領地まで送ったのだという。

 目にも留まらぬ一瞬の出来事で、ニエさんが我に戻った頃にはとっくにどこぞへ消え失せていたのだとか。

 

 ……うーん、聞くからにトンデモな話。これは間違いなく<マスター>の仕業ですね。そうでなきゃ天狗かな?

 ていうか強さは知らないけれど<UBM>を一撃粉砕ってそれ、ひょっとしなくても<超級>の仕業では?

 スターリングさんならやれそうというか、そういうことをしそうな心当たりはスターリングさんしか無いんだけど、彼はそんなほいほい空飛べるような感じでもないし、そもそも天地にはいないはず……いないよね?

 ……スターリングさんのことだからひょっこり訪れててもおかしくはなさそうだけど、それはさておき。

 

「ということは、その武芸者のことはろくにわかってない……ということです?」

「いえ……しかとこの(まなこ)に焼き付けております」

 

 さいで。

 

「うーん、活躍はすごいけれどさっぱり人物像が見えないですねぇ……具体的にはどんな方だったんです?」

「……とても、逞しい殿方でございました」

 

 逞しい……?

 

御髪(おぐし)は黄金に輝いて……手も足も太く、身の丈も高く筋骨隆々としておられて……眼も晴れた空のように青かったのを覚えております」

「い、意外とはっきり覚えてるんですね……」

「物覚えには、少々自信がございますので……」

 

 呆然としていた割にはすごい記憶力だ。

 とはいえそれだけ鮮烈な出来事、却って覚えやすいこともあるかもしれない。

 

「あと……」

「あと?」

「とても雄々しい高笑いがよく響いておりました……」

 

 ……なんだろう、今脳裏をとってもメリケンなアメフト体型のジョックが駆け抜けていった。

 高笑いて。『HAHAHAHA!!』とでも笑うのだろうか、白い歯を輝かせて。アメリカか。

 

「……ひょっとしたら」

「ひょっとしたら?」

「……あれが伝説の大天狗様なのかもしれません」

 

 …………それは違うんじゃないかなぁ?

 いや、デンドロのキャラメイクってめちゃくちゃ自由度高いから天狗っぽいアバターも不可能ではないだろうけど、話を聞く限りそれは間違いなくジョックだ。天狗ではない。

 欧米に天狗はいない。……たぶん。NINJAとサメはいるけど。

 

「大天狗様か、<ますたぁ>か……はたまた大天狗の<ますたぁ>様かは存じませんが……その件で一言物申したく、こうして野に出た次第です」

「それはそれは……」

 

 しかし話を聞くだけでも随分と濃い印象の人物だ。特徴的なのは探しやすくていいかもしれないけれど、だからってお姫様が単身追いかけるって……武家として大丈夫なのだろうか。

 そのことを尋ねてみると、彼女はそこで初めて言葉を濁し……そのまま口を閉ざしてしまった。

 さすがに深入りしすぎたかな。とはいえ、お家事情を詮索するのは天地の武家にはご法度だろう、一言詫びて素直に引き下がった。

 

「しかしなんでまたここまで? 聞く限りだと大分離れてますよね?」

「……この町には()()()()()()なるものがあり、そこへ依頼すれば失せ人を探してもらえる……と聞きました。ゆえに足を踏み入れたくおもったのですが……」

「ああ、成程。それなら確かに……って、依頼を出すならちゃんと報酬も用意しなきゃいけないんじゃあ?」

「……………………、!」

 

 いやそこでハッとされても。

 

「ちなみにですが、どうやって入場してギルドへ依頼するつもりだったんです?」

「物々交換で……よもやリルなるものが必要だったとは露知らず……」

「金銭がわからないって……今までどうやって暮らしてきたんですか……」

「身の回りは、すべて侍女が済ませておりましたので……」

 

 ああ、そういやこの人お姫様だった。

 生憎と知らない大名家だけど、ていうか天地の大名がどういうものかは全然知らないけれど、そこのお姫様ならリルを扱うなんてことがなくてもおかしくはない……のかな?

 

「だけど物々交換って……何を交換するつもりだったんです?」

「何分、物の価値はとんとわかりませぬゆえ、見せて選んでもらうつもりだったのですが……」

 

 といって彼女が巾着型のアイテムボックスが取り出したのは――種々様々なドロップアイテムの数々だった。

 てっきり私物のアクセサリーか何かと思いきやモンスター素材が大半のそれは、とてもではないが良家のお姫様が家から持ち出すようなものではない。

 中にはカトリ様すら関心を向けるような、明らかに強力なモンスターのレア素材なども混じっていて、彼女がこれを所有していることに困惑を抱いた。

 

「あの、これって……」

「道すがら、遭遇した()()()()()を仕留めた際の残り物です……どれほどの価値ともわからぬゆえ、とりあえず片端から拾ってまいりましたが」

「ほう、これはこれは……思いがけず、随分な芸達者のようだな」

 

 そう愉しげに笑って顔を覗かせたカトリ様が告げた言葉。

 それは私にとっても予想だにしなかった驚愕の内容。

 

 【剣豪】にえ――()()()()()()()()

 

「…………?」

 

 世間知らずそのものの表情でぼんやり俯く彼女自身が、恐るべき武芸者である証拠だった。

 

 

 To be continued

 

 

 



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白鷺の啼声は絶ゆ

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


 

 □【獣神】マグロ

 

 

「大変なご厚意、ありがとうございます。まぐろさま」

「いえいえ、こちらとしても有益な取引でしたから。お気になさらず」

 

 思いがけないニエさんの取引材料に面食らいながらも、私は彼女との取引を終えた。

 彼女が提示した素材の数々は、まだ私達の知らないモンスターのものが山ほどあり、カトリ様がいつになく好感触を示したのもあって丸ごとその場で買い上げ、多額のリルをニエさんへ支払うことになった。

 相場はわからないから、ひとまずニエさんが暫く金銭で困ることのないよう、ある程度常識的な金額をニエさんに支払い、足りない分をニエさんの要請に応じてその都度私が工面する、という風に相成った。

 ……うん、つまりしばらく行動を共にするということだね。

 

 っていうのも仕方ないよ、だってニエさんを一人にしてたら絶対路頭に迷いそうだったんだから。

 なにせ今の今までリルに触れたことがないっていう生粋の箱入りだし、なまじ戦闘力はあるから放置しておくのも怖いし。

 何より見て見ぬ振りをするにはあまりに頼りないというか、世間知らずというか、そんな人柄だから放っておくにおけなかったのだ。

 カルディナでクジラさんと関わったときもそうだったけど、つくづく私はこの手の人物と縁があるらしい。

 ニエさんの場合カイトさんのような保護者役がいないという点で些か難儀なのだが、そこはもう旅は道連れというやつで大目に見ることにした。

 

 幸い彼女の力量は本物で、入場する前に一度お手並みを拝見させてもらったところ……私の目には何が起こったのかわからないまま、ずんばらりと斬り捨てられたモンスターを目撃することとなった。

 曰く《剣速徹し》なる防御無視斬撃らしいけど、それ以前に素の力量が常人とは隔絶しているとのカトリ様のお墨付きで、少なくとも天地を旅する上では何ら不足無しとの評価だった。

 寧ろカトリ様のほうがニエさんを気に入ったようで、今後旅を共にする上で彼女が私の身辺を護り、仕留めたモンスターの素材をこちらが貰い受けることで、その他の世話を都合するという契約も交わすことになった。

 

 まぁなんやかんやあったが、頼もしい旅仲間ができたということだろう。

 私自身、彼女という確かな戦力が傍にいてくれるのはありがたいことでもある。

 や、カトリ様は絶対無敵だし自慢の最優ガーディアンだけど、それはそれとして隙が無いというわけでもないしね。

 それにカトリ様以外の話相手がいるというのは思いの外新鮮な心地だ。

 そういう意味でも彼女の同行は歓迎すべきことに違いなかった。

 

「さて、無事街に入れたわけですけど……まずは宿を取らないとですね」

「わたくしにはとんとわかりませぬゆえ、まぐろさまにお任せしとうございます」

「そこは任せてくださいな。これでも旅は長いことやってますし、宿の良し悪しくらいはわかりますよー」

 

 ちなみにほんとだよ?

 なんせ今の今まで家とかも買わず、寝泊まりは常にどこかの宿か野営だったからね!

 それにごく偶にある検診やデスペナルティ以外ではログアウトすることもないから、必然的にそうした知識は勝手に養われていったのだ。

 

 そういうわけなので手頃な宿をてきぱき確保!

 取り敢えず一週間で部屋を取って荷を降ろす。

 部屋は比較的上等なのを取った。部屋は良いのを取っておかないと、意外と後になって響いてくるからね。

 ニエさんとは別々で部屋を取ろうかとも提案したのだけど、やはり一人だと勝手がわからず不安があるとのことで相部屋となった。

 ……ここまで単身歩いてきた身で言えたことではないとは思うが、戦闘力はともかくそれ以外の面では普通以上に……以下に? おっちょこちょいというかなんというか、やっぱりお姫様なので仕方ないのかな?

 そんなお姫様が私みたいな下々の民と部屋を一緒にしてストレスでないのかと思ったのだけど、意外とその辺は図太いのか気にしてる様子は無かった。こりゃ図太いだけじゃなくて鈍いんだな。

 

「さて」

「はい」

「ひとまず拠点は確保しましたが、まずはニエさんの用件を済ませちゃいましょう」

「というと……件の冒険者ぎるど、でございますね」

「ですね。そこで依頼を出して、目撃情報か受注者が出るのを待ちましょう」

「報酬も前もってぎるどへ預けておくのでしたね」

 

 ちゃんと把握しているようでなにより。

 しかし注意点がいくつかあるのでそれを一つずつ確認していく。

 

「それであってます。けれどすぐに解決する、とは思わないほうがいいです」

「それはなぜでしょうか……?」

「第一に、人探しって依頼としては人気が無いんですよね。手間がかかる割には旨味も少ないですから。なので塩漬けになる可能性も見ておかないとダメです」

「なるほど、手間が……それは、仕方のうございますね」

 

 ほんのり残念そうなニエさんだが、こればかりは仕方ない。

 人探しって大変なんだよー? 捜索系スキルや探知系スキル、いろんな人への聞き込みに情報整理、その他諸々の手間暇をかけても、余程の緊急依頼や重要人物でも無いかぎり、討伐クエストほどの稼ぎにはならない。

 で、今回の場合問題なのはそれだけじゃなくて。

 

「第二。対象が推定……まぁほぼ確定ですが<マスター>ですからね。最初のうちはともかく、見つからないまま時間が経つとやっぱり塩漬け……というか、達成不可能になります」

「不可能……ですか?」

「これは私達<マスター>が、まぁ異世界からやってきてるからなんですけど……長いこと目撃情報が無いとなると、向こうの世界で何かがあった可能性がありまして、そうなると手出しはできなくなっちゃいます。ティアンの方だとちょっとピンとこないかもしれませんが、そういうものと思ってください」

 

 これも、珍しくはあるけどたまにある話だ。

 ある<マスター>と親しくしていたティアンが、長らく姿を見せない友人を心配に思って捜索依頼を出したが……実はその<マスター>はいつの間にかデンドロを引退していた、というものだ。

 まぁはっきりとした事例ではなくあくまでも噂でしかないのだけど、そういう話もちらほら聞くことがある。

 サービス開始当初はともかく、こちらの時間でもう数年も経った今ではティアンと友好を深める<マスター>も多く見るようになった。

 すると必然的に出逢いや別れも起こるのだけど、そうした中にはそのようなこともある……らしい。あくまでも噂だけどね。あったとしても外部に漏れるようなことでもないし。

 

「なのであっさり片付くかもしれませんし、いつまで経っても解決しないかもしれません。そこはよろしいですか?」

「……はい。もしそうであるなら、潔く諦めようと思います」

 

 ニエさんは逡巡したようだが、やがてゆっくりとそう答えた。

 こればかりは、納得できなくとも受け入れてもらうしかない。

 <マスター>である私はニエさんの気持ちがわかるとは決して言えないけれど、しかし彼女がそう答えたからには全力で協力したいと思った。

 

「わかりました。なら、それらを踏まえた上で依頼しましょう」

「なにからなにまで、忝のうございます。このお礼はいつか必ず……」

「いえいえ、契約通りですから。それに旅は道連れですし……袖触れ合うも、って言うじゃないですか」

「なんと情け深い……恩が募るばかりですね」

「大袈裟ですよぉ」

 

 畏まるニエさんに私こそ小恥ずかしくなり、やんややんやと謙遜しあって。

 その後善は急げと宿を出て、依頼すべく二人で冒険者ギルドへと向かった。

 ギルドは流石に盛況で、これはどの国も変わらないんだなと思いながら、発注受付の列に並ぶことしばらく。

 

「お待たせしました。次の方どうぞ」

「あ、私達の番ですよニエさん。ほらほら、早く前に出なきゃ!」

「はぅ……よろしくお願い致します……」

 

 張り出された依頼の数々や、併設された酒場で屯する冒険者達のあれやこれやに目移りしていたニエさんの背中を押し出す。

 ニエさんは緊張しているのか縮こまっていたけれど、受付のお姉さんはそういう人にも慣れているのか、落ち着かせるような微笑を浮かべて優しく応対していた。

 そしてニエさんのたどたどしい受け答えからばっちり依頼内容を把握して、それを書面に起こして確認……したところで、ふと驚いたような様子を見せた。

 

「あら……」

「あの、なにか……?」

「いえ、依頼の尋ね人ですけれども……ひょっとしてあの人かしら」

「もしかして心当たりが?」

 

 だとしたらすごくあっさり解決するんだけども。

 宿であれこれ注意した私がなんだか間抜けだが、でもニエさんにとっては朗報だろう。

 もしそうなったら、せっかく出来た旅の道連れが早々に居なくなってしまうのだが、それはさておき。

 

「心当たりというか、思い当たる節が一つしかないと申しましょうか……少々お待ち下さい」

 

 そう言うと受付のお姉さんは別の人に応対を引き継ぎ、奥へ引っ込んだあとしばらくしてから再び姿を現した。

 受付から酒場のテーブルへと場所を移していた私達のところへやってきて――その後ろから、ぬっと大きな影が姿を見せる。

 

「お待たせしました。お探しの方というのは、こちらの――」

「やぁ! キミが僕を探しているというお嬢さんかい!?」

 

 どこか困り顔なお姉さんの言葉を遮るように放たれた大音声。

 思わず二人して見上げれば、そこにはとても筋骨隆々として逞しい、輝くような金髪と白い歯の、アメフト体型というかアメコミ体型の――

 

「まぁ……、あのときの大天狗様……!!」

「HAHAHA!! TENGUだなんて……愉快なお嬢さんだ!」

 

 ――雄々しい高笑いが良く響く、コッテコテのジョックがそこにいた。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■白鷺領

 

 

 西白塔家を筆頭とする天地西方、その一角。

 西端と中央のちょうど中程にある小大名領。

 "侵さず、侵させず"を標榜し、長きに渡って中立を貫いてきた白鷺家。

 地球の日本史で言う毛利家に一部の<マスター>に例えられるその武家領は……寂れた静けさに包まれていた。

 

 人気はあるが、活気が無い。

 領民は皆一様に引き篭もって門戸を閉ざし、街路は神経を尖らせた警邏が巡回するばかり。

 そしてそれは白鷺家の本邸へ近づくにつれて剣呑さを増し、その正門は固く閉ざされ、厳重に封鎖された上で監視が四六時中付くという物々しさだった。

 

「……アテが外れましたね」

 

 その警備の様子を彼方から望遠鏡(マジックアイテム)で眺める影が一つ。

 大樹の枝に立って訝しんだのは、和装と西洋剣の少年――狂獄。

 とある目的のために隠れ里めいたこの領に赴いていた彼は、前情報と異なる領の光景に首を傾げていた。

 

『アテが外れた? どうしたってんだい?』

「領地深部への道が封鎖されてます。人っ子一人出入りが無い様子です」

『なんだそりゃ、どこぞの武家から襲撃でも食らったのかねェ』

「あるいは御家騒動か。それ自体は天地(ここ)では珍しくもないですが……」

 

 常日頃から携えている通信機から届く対魔の声。

 それに応えた狂獄の推測の両者ともこの天地では何ら珍しいことではない。

 天地西方の西白塔を含む四方の雄、四大大名ならいざ知らず、その他十把一絡げの小大名勢の小競り合いなぞ天地では日常茶飯事だ。

 御家の滅亡や興隆に至っても、珍しくはあるが無いではない。人知れずどこぞの武家が滅び、勢力図が塗り替わっているという事例も幾度となくあった。

 

「そんじょそこらの小大名ならともかく、白鷺家ですからね」

『西方有数の名家……つっても殆ど交流してなくて、世間じゃドマイナーだっつー話だがなァ』

 

 だが、そうした内乱から実力を以て隔絶してきたのが白鷺家だ。

 この天地にあって自領安堵に専念し、外部の干渉を跳ね除けることは決して容易ではない。

 寧ろ他に類のない難事であるが、それを長きに渡って貫いてきたのが他ならぬ白鷺家である。

 そしてそれを可能としていた理由こそが――

 

『んでも白鷺にァ長いこと懇ろにしてる<UBM>がいるって話じゃねェか、それが今更他所からちょっかい出されるかねェ?』

 

 対魔が言った<UBM>の存在である。

 確たる情報ではなく、あくまで風説の類ではあるが……白鷺家は何百年もの古にある<UBM>と契を交わし、代償と引き換えにその力を借り受けているという噂だ。

 その信憑の程は、かつて白鷺家に攻め込み生きて帰れた者があまりに少ないがために定かではないが、保有する土の狭さに見合わぬ大戦力の理由としてまことしやかに囁かれ続けていた。

 

「近頃は<マスター>の基準(レベル)も上がって、士官する数も増えてきましたが……僕の知る限りこの近辺にはそうした類は無いはずですね。周りも白鷺家とは比べるべくもない小大名ばかりですし」

『だからこそ旦那が<UBM>を頂戴しにきたんじゃねェか、<DIN>に高い金払ってまでもさ』

 

 しかしその噂は、果たして真実であった。

 手段の限られるティアンだけが存在した<Infinite Dendrogram>サービス開始以前ならばともかく、サービス開始後こちらの時間で三年以上も経った今では、大半の噂は詳らかにされている。

 そしてそうした情報収集に長けた<エンブリオ>を持つ一部の<マスター>によって、白鷺家に纏わる噂が事実であることも、少し前には判明していた。

 

 狂獄が白鷺領に赴いていたのも、その情報を<DIN>から得ていたからだ。

 長らく上級職に甘んじていた分の停滞を取り戻すべくレベリングに励む傍ら、<超級>となったことで飛躍的に向上した戦闘力で特典武具を得ようと、白鷺家が擁する<UBM>を討伐すべくやってきたのだが、彼はそこでふとある考えに思い至った。

 

「……ひょっとしたら、先を越されたかもしれません」

『あー、その可能性もあったな』

 

 同じ情報を買った他の<マスター>の可能性を彼は考えた。

 とかく戦闘熱心な<マスター>の多い天地だ、自分と同じように考えた<マスター>がいてもおかしくはなかった。

 <UBM>の情報は数ある商材の中でも取り分け高額な類だが、決して入手不可能ではない。

 

()()()もしてませんし、僕が買ったあとで他の<マスター>へ売られていてもおかしくはありませんね。これは失念していました」

『あっはっは、そりゃ旦那らしくもないヘマこいたもんだ! で、どうする? 文句でも言っとくかい?』

「正当な取引でしたし、そんなみっともない真似はできませんよ。ただ、そうですね。本当に<UBM>が仕留められたのか、その確認だけお願いできますか?」

『あいよ、ちょいと待ってな』

 

 一旦通話が切られ、しばらくした後に再び通信機が鳴った。

 随分と早い返答に既に察しをつけながらも狂獄は問うた。

 

「どうでしたか?」

『ドンピシャ。ついこないだ流れの<マスター>に討伐されたってさ。あっという間だったから人物は特定できてないらしいけど、多分<超級>だろうってさ』

「なるほど……それは、なんとも間が悪いというか、運が悪いというか。ということはあちらも僕以外には情報を売ってなかったと」

『奴さん、面目ないって謝ってきたぜ。おかげでタダで済んだ。で、こっからは有料なんだが……』

「構いません、お願いします」

『そう言うと思ってもう買ってる』

 

 長年連れ添った阿吽の呼吸で対魔は答えた。

 やはり日頃のことでは敵わないな、と狂獄は苦笑いを浮かべながらその続きを促す。

 すると彼女は周囲を窺うように間を置いてから、息を潜めるように小声で囁いた。

 

『様子が物々しい理由がわかったぜ。――白鷺家だが、領主共々一族郎党が殺されちまってるらしい』

「…………ほう」

 

 一転して空気が緊張に満ちた。

 対魔は小声ながら愉しむように笑い、狂獄も知らず笑みを深くする。

 一言呟いて沈黙した狂獄へ応えるように対魔は言葉を続けた。

 

「下手人は?」

『聞いて驚け、それがなんと――――だってよ』

「なるほど。……()()()()

 

 その答えに、狂獄は今日一番の笑顔を浮かべた。

 その気配の変化を察した対魔が、同じくからからと笑声を届かせる。

 

「それはなんとも()()()()()。特典武具は残念ですが、代わりには充分すぎる程ですね」

『派手にやるのは結構だが、取り零すなよ? あとついでだ、()()()にも喰わせてやってくれよ。どうせ一人じゃ手間だろ?』

「ええ、折角ですから手を借りたいと思います」

 

 二人はしばらく愉しげに笑いあったあと、一言交わしてから通信を切った。

 次いで狂獄は右手を掲げ――その甲に宿した【ジュエル】から光の塵が立ち昇る。

 それは四つの人の形を取って現れ大樹の太枝に跪く。

 

「【金童子】、【熊童子】、【星熊童子】、【虎熊童子】、此処ニ」

 

 現れた四つの内、狂獄へ最も近い一名が代表して名乗りを上げた。

 それぞれが地球は日本の伝承に名高い鬼の名を騙りながら狂獄へ頭を垂れる。

 彼らは皆一様に刀を佩き……人ならざる異形を一つ、二つ、その身に顕している。

 あるいは人型をしたモンスターかと思われたが、しかし狂獄の目にははっきりと()()()の名が見えていた。

 

「お疲れ様です。今回お呼びしたのは、今から狩りを行おうと思いまして」

「狩リ……デ、ゴザイマスカ」

「はい、()()()です。白鷺領の人達を一人残らず狩り尽くします」

 

 狂獄は至極あっさりと――恐るべき所業の実行を告げた。

 物怖じするどころか今にも楽しみといった、笑顔すら浮かべる余裕で以て殺戮を宣言する。

 

「畏マリマシタ」

 

 配下四人はまるで動じず、当たり前のように承知した。

 それが主命ならばと私を滅する振る舞いは、さながら武家の如く。

 

「遠慮は無しの早いもの勝ちでいきます。ただし決して逃さないこと。一人でも逃したら面倒ですからね」

「承知」

「そこだけ気をつければボーナスタイムです。千人は下りませんからね、選り取り見取りですよ」

 

 しかし彼らは武家ではない、忍でもない。

 いずれの家にも領にも属さぬ彼らは、ある時は傭兵、ある時は賊。

 だが最も知られる名はそのどちらでもなく――――鬼。

 <()()()()>。

 

「今回ばかりは僕も本気で狙っていきますので、皆さんも出し惜しみなくどうぞ。だけど重ねて注意しておきますが――」

「喰ラワバ根マデ」

「よろしい。……それでは今宵の鬼を始めましょう」

 

 彼らは、獲物たる領の人々を見据え。

 各々の得物を捧げて唱えた。

 

「――目覚めよ、《■■■■》」

「「「「()()()()」」」」

 

 そして五つの異形が白鷺領の夜を駆け――

 

 

 ――その日、白鷺の地から命が絶えた。

 

 

 To be continued

 





今章の<超級>が出揃いました。
謎のジョック……一体誰なんだ……?(

そして対魔という名前が対魔忍のタイプミスっぽいなと気づいて煩悶する作者。
「たいま」ではありません、「つしま」です。


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逢魔ヶ刻に嗤う影

 □【獣神】マグロ

 

 

「ええと、こちらがニエさんの探してた人で間違いないです?」

「はい、間違いありません……、容貌魁偉なことこの上ないお姿、見間違うはずもございませぬ」

 

 思わぬインパクトに押されながらニエさんに確認してみると、彼女は上から下までもう一度眺めしっかりと首肯した。

 容貌魁偉……、まぁ確かにその言葉通りの体格だし、聞いていた特徴そのままな人物ではある。

 

 腕も脚も、首まで太くガッチリしてて、背丈も私より頭一つ以上大きいし、パッツパツのシャツを着込んだ姿は見事なまでのアメフト体型――を通り越してアメコミのヒーローのような印象だ。

 何より顔付きの彫りの深さや、全身から溢れ出す溌剌さは、なんというか存在自体が濃いというか煩いまである。

 

「HAHAHA、素敵なレディにそうもまじまじと見られると流石の僕も照れるね!」

「あ、すみません。つい失礼なことを……」

「構わないとも! 人目を集めることには慣れてるからね!!」

 

 そんな不躾な視線に気づいた彼の言葉に謝るも、彼は鷹揚にサムズアップした。

 分かりやすいアメリカンな高笑いとセットで、キラリと光る白い歯が眩しい。

 本人の言う通り、一目見ればそうは忘れられない有り余る存在感は、全周囲から注目を浴びること請け合いだろう。

 

「おっと、僕としたことが自己紹介もまだだったね。僕はGA.LVER、旅の<マスター>さ!」

「あっ、私の方こそ! 私はマグロ、同じく旅の<マスター>です。そしてこちらが……」

「にえ、と申します。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません……」

「マグロくんに、ニエくんだね。よろしく!!」

 

 またも突き上がるサムズアップ。光る歯。一挙一動がダイナミックな人だ。

 そんな彼に見惚れたように、ぼんやりとした表情で顔を見上げるニエさん。

 

「がるばぁ、さま……」

「Hmmmmm、……?」

 

 噛み締めるように彼の名を呟いたニエさんに、GA.LVERさんは何かを悩む素振りを見せたが……それも一瞬のことですぐに消えた。

 彼からすれば唐突な尋ね人だし、怪訝に思うのも当然だろう。探していた当人を前に緊張しているのか、いつにも増して口数の少ないニエさんに代わり彼を尋ねた経緯を説明する。

 すると彼はすぐに心当たりに思い至ったのか、ぽんと手槌を打って笑顔を浮かべた。

 

「ああ、成程その件か! 確かにそうしたことがあったなぁ、遭遇したのはまったくの偶然だったんだけどね!」

「そうなんです?」

「あの頃は目的も無くあちこちを飛び回ってたからね! 武者修行……というのだったかな? いろんな場所でモンスターを狩り回ってるところで偶然見かけて、モンスターが彼女に無体を働いているようだったから討伐したのさ!」

 

 『それが<UBM>だって気づいたのは殴りかかってからだけどね!』と何でもないように言った彼だが、随分とトンデモな話だ。

 ニエさんから聞いていたとはいえそれでも話半分に受け止めていたのだけど、まさか本当に一撃でノックアウトして彼女を助け出していたとは。

 アメコミヒーローみたいだと一目見て思ったけど、その印象を裏切らないヒーローそのままの人物だというのが、彼の話を聞いていて抱いた感想だった。

 

「だけど嬉しいなぁ。わざわざお礼を言うために僕に会いに来てくれたんだろう? 決して短い道程じゃなかっただろうに、単身大名家のプリンセスがだなんて……」

 

 彼は俄に俯いて全身を震わせたかと思うと、次の瞬間には勢いよく顔を上げて咆哮した。

 

「――感動した!! そうも感謝されたのは初めてだよ! まったく、男冥利に尽きるってもんだぜ!!」

 

 ……しかも男泣きしながら。やっぱりサムズアップ付きで。

 どうやら感極まっていたらしい。全身から歓喜のオーラを迸らせながら、最高のスマイルを私達に向けていた。

 

「それほどか」

「そりゃあもう! なんせ正真正銘の大和撫子が、故郷を離れてまで会いに来てくれたんだぜ? そりゃあ男なら当然喜ぶさ!!」

 

 白蛇姿のカトリ様のツッコミにその表情のまま大きく頷くGA.LVERさん。

 『なんせ知り合いの女性と言えば皆おっかない』だとか、『はじめて女性らしい女性に出会えた気がする』だとか、彼の言う知人が聞けば激昂間違いなしの本音を漏らしている。

 彼をしておっかないと云わしめる女性達は果たしてどれほどの女傑なのかと戦慄もしつつ、しばらく歓喜に悶える彼を見守る。

 なんというか……根っからの善人オーラが眩い、これまであまり見たことのない人物で私も呆気に取られっぱなしだ。

 

「でも危ない真似をしたね。無事だったから良いけれど、一人で外を出歩くなんてレディがしちゃいけないぜ? 外は危険なモンスターが沢山いるし……悪党なんかもいるんだからね」

 

 『悲しいことだけどね……』と、遠い目をして注意を告げる彼の声には心からの気遣いがあった。

 ああ見えてニエさんが凄腕の【剣豪】だということを知っても、『そういうことじゃない』と首を横に振るGA.LVERさん。

 

「いくら腕に覚えがあると言っても、大事に育ててきた娘さんが単身飛び出せば家族の方もそりゃあ心配するってものさ。お礼を言いに会いに来てくれたのはとても嬉しいけれど、ちゃんとご家族には言ってきたのかい?」

「……そ、それは」

 

 それまで彼を凝視しきりだったニエさんが初めて動揺を露わにする。

 確かに今の今まで気にしてなかったというか、気にする前に流されていたけれど、いくら腕利きの【剣豪】とはいえ大名家のお姫様が一人で飛び出して追いかけるなんて、お転婆にしても程がある……気がする。

 大名が王国でいう貴族のようなものなら、それこそ追いかけるにしてもお供くらいは付けるものだろう。

 間違っても金銭を持ち合わせずに門前払いを食らうような真似はさせないはずだ。偉い人って、そういう体面とか気にするもののはずだし。

 

「ニエさん……?」

「…………」

 

 出会って間もない間柄とはいえ、確かに彼女の育ちらしからぬ軽挙妄動を不思議に思い、彼女に視線を向けてみると……彼女は思いつめた表情で俯いていた。

 ……それほどまでに想い焦がれていた、ということなのだろうか。確かに洋の東西は違えど御伽噺の王子とお姫様のような構図だけど、そういう色恋っぽい方面のことになると私はサッパリだからなー……。

 

「……申し訳ありません、わたくしが軽はずみでした。思い募らせたゆえのこととはいえ、なんとはしたない……」

 

 たっぷり間を置いた後、彼女はゆっくりと口を開いた。

 恥じ入るように小さく呟いたのは、彼女自身それを深く反省しているからだろうか。

 縮こまるようにして顔を袂で隠す彼女の肩を、GA.LVERさんは優しく叩いた。

 

「責めているわけじゃないさ、僕の方こそ意地悪を言ってごめんよ。キミの気持ちは確かに受け取ったとも」

「…………」

 

 隠した表情から潤みがちな瞳を覗かせるニエさん。

 そんな彼女を安心させるように、自信に満ち溢れた笑顔を見せるGA.LVERさん。

 ……成程、御伽噺のように救われた箱入り育ちの彼女が惚れ込むのも仕方がないような、確かに頼もしいことこの上ない佇まいだった。

 

 

 ◇

 

 

 そうして思いがけず呆気ない再会を果たした私達は、その後も暫し歓談を続けていたのだけど、やがてクエストの途中だったというGA.LVERさんが断りを入れて席を外したのをきっかけにお開きとなった。

 どうやら彼は人手の足りていない依頼を多く抱えているらしく、私達が訪ねるまでにも幾つものクエストを解決していたらしい。

 その殆どは人気の無い塩漬け依頼であり、それを積極的に消化してくれる彼はギルドにとっても代え難くありがたい人材なのだと、彼を案内してくれた受付のお姉さんが言っていた。

 成程、良い人だというのは間違いなかったらしい。様々な困りごとを解決してくれる彼はこの街でも人気者なようだった。

 

「いい人でしたねー、GA.LVERさん」

「はい……」

 

 GA.LVERさんと別れた帰り道、まだ日が沈むには早い昼過ぎをニエさんと歩きながら呟く。

 

「最初に話を聞いたときはどんな人なんだろうって、正直不安だったんですけど。全然いい人でびっくりしましたよ~」

「はい……」

 

 私としては、これまで出会ってきた<マスター>の中でも群を抜いて人の良い彼の人柄に感心しきりだったのだが、彼女の反応は鈍い。

 鈍いというよりは、上の空とでも言うべきか。彼と再会してからというものニエさんはずっと考え込んでいる様子で、どうにも周囲が見えていないようだった。

 

「……ニエさん?」

「はい……」

 

 案の定、私の声も届いていないようだ。

 身を屈めて覗き込むも彼女はそれに気づいた様子も無く、ただただ自分の考えに没頭しているようだった。

 

「ニエさーん?」

「…………はっ」

 

 気持ち強めに呼び掛けると、そこでようやく我に返って辺りを見回すニエさん。

 今の居場所がどこかも掴めていない様子で私と周囲を交互に見ると、しゅんと眉尻を下げて恥じ入る。

 

「申し訳ありません、まぐろさま。……どうにも、気がそぞろで定まらず……」

「そんなにGA.LVERさんのことが気になるんです?」

「…………」

 

 私の言葉に、彼女はなんとも言えない表情を一瞬浮かべて見せ、それを袂で隠した。

 その仕草の意図を私は把握しかね、疑問符を浮かべるに留まる。

 こういう心の機微だとかはほんとにもうさっぱりわからないので、私は彼女の言葉を待つしかないのだけど……そうして様子を窺っていると、やがてぽつりと小さく口を開いて彼女は言った。

 

「……まぐろさま」

「?」

「身勝手極まりない申し出を承知でお願いしたいのですが……、……今しばらく、この街へ留まらせてはいただけませんか?」

 

 深々と頭を下げてそう懇願する彼女の声音は、今までになく真剣味を帯びていた。

 そしてちらりと向けた視線の先は、GA.LVERさんと別れた冒険者ギルドのほうを追っている。

 それほどまでに彼が気になって仕方がないのかと、彼女の心中を共感できないまでも察して、私も頷く。

 

「いいですよ」

「っ! よろしいのですか? 何もかもまぐろさまにお頼りせねばならぬ身で、厚かましいことこの上ないのですが……」

「そういう約束ですし、この際だからニエさんの気の済むまでお付き合いしますよ! 中途半端なまま別れても、お互い気になって仕方がないですしね」

「まぐろさま……!」

 

 嬉しげに目を潤ませる彼女だが、何のことはない。

 私自身二人の行く末が気になって仕方がないのが事実だった。

 それにここでハイおわりと別れを告げて二人の縁を途絶えさせるのはあまりに偲びない。

 身分と立場を押して単身彼を追ったニエさんの健気な努力も知る身としては、事の結果がどうあれ納得できる結末を迎えてほしいというのが正直な気持ちだった。

 

「だけどご家族の方はいいんです? GA.LVERさんも言っていましたけど、やっぱり心配しているんじゃあ……」

「それは……」

 

 唯一の懸念をニエさんに尋ねると、彼女も暫し言葉に詰まるが……やがて首を振って。

 

「……お叱りは、あとでいくらでも受けましょう。……ただ、今はあの方を――がるばぁさまのお姿を見守りとうございます」

「それなら……いいんですけど……」

 

 いざというときは私も精一杯の弁護に回ろうと決意しながら、彼女の意に従うことを決めた。

 当初の目的からは早くもズレ始めた天地の旅だけど、これも縁だ。今ばかりは彼女の恋愛成就……なのかな? その助けになることに専念してもいいだろう。

 

 

「――お叱りは、――た後で、いくらでも。詫びましょう、……償いましょう」

 

 

 ……だからだろうか。

 彼女の表情の本当の意味に、私は最後まで気付けなかった。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■鬼

 

 

「――見つけた」

『そりゃいい。どんな様子だい?』

「……奇遇なことに、例の彼女も一緒のようです」

『例のってェと、旦那がご執心の余所者かい? そりゃまたトンだ偶然もあったもんだ』

「様子を見るに、すぐに街を離れるわけではなさそうです。暫くは静観することにします。あわよくば……この奇貨を上手く役立てたいところですね」

『吾としては例の姫さんを確保してくれりゃいいさ、他は好きにしてくれよ。出来る範囲で協力もするさ。とはいえ最近は、こっちの貸しに偏ってきた気がするけどね?』

「わかってますよ、ちゃんと返します。対魔さんの目当ては最優先で確保しますから。……彼女もイイですね、超級職でこそないものの、素質は充分かと」

『【剣豪】はレアだからなァ。他の派生上級職はいくらでもいるが、【剣豪】はそうはいない。()()にしろ()()にしろ、見込みは充分さ。とはいえ先の爺様で大分減ったし、()()の方を期待したいけどねェ』

「【()()()】ですか。僕としてもそれを期待したいところですね」

『ともあれ、頼んだぜ。慎重にな』

「はい。対魔さんの方もお気をつけて」

 

 

 ――逢魔ヶ刻に異形の影が嗤っていた。

 

 

 To be continued

 



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戦雲は夜に渦巻く

 □■天地中央西街・内区

 

 

 天地を開始地点とする<マスター>が最初に降り立つ中央の都。

 その四方に設けられた街は、常に人足途絶えることなく活気に満ち満ちている。

 それは中央と四方の物流の大要地だからという理由もさることながら、それ以上に約束された天稟である<マスター>を抱き込まんと画策する諸大名の手が裏表に伸びているからに他ならない。

 

 天地の<マスター>はその多くがいずれ中央から四方に飛び立つ。

 そして天地を選んだ<マスター>の多くは戦闘を目的にしているため、その<エンブリオ>も戦いに長けたものであることが多い。

 ティアンと<マスター>を分かつ最大要素は<エンブリオ>だ。そしてティアンと違って生来の才能に縛られない無限の成長性を誇る彼らは容易く歴戦のティアンを越えていく。

 内乱に明け暮れ常に戦力を求める諸大名らティアンにとって、彼らを見過ごす理由などあるはずもない。

 

 そうした背景があるからこそ、四方街に留まる<マスター>の数は賑わいとは裏腹に思いがけぬほど少ない。

 一時的な拠点とすることはあっても、能力が長じるにつれて河岸を変え、あるいは大名に見込まれ士官する。

 天地において名うての<マスター>とは即ち、在野の求道者か武家の戦力に大別されるのが一般的な認識だ。

 

「…………」

 

 ――という常識を、世間知らずのにえは町人から聞いた。

 この西街へ足を踏み入れ、意中の相手の背を追う内に自然と増えた交流で、にえの世界は大きく変わっていた。

 それまで交流の乏しい辺境の、より排他極まる白鷺領の主城の一画で育てられてきたにえの知見は狭い。

 

「おや、お嬢ちゃんったら今日もガルさんのおっかけかい?」

「はっ……ご、ご機嫌ようございます、店主殿」

「はいよ、おはようさん。まったくお熱いねぇ、他には目もくれず毎度毎度おっかけちゃってさ」

 

 そんなにえの近頃は、昼も夜も無く意中の相手……GA.LVERを追うことに注力されていた。

 目当ての彼は毎日冒険者ギルドで雑用依頼を請け負っては、飽きもせず熱心に仕事を果たしている。

 ある時は店番。ある時は人足。またある時は講談師の代行と実に節操が無い。

 加えてはその時々に応じたジョブに就き直すという徹底ぶりで、初めて彼を目撃したときの益荒男姿とは似ても似つかない、人が良いにしても良すぎるきらいばかりが目立つお人好しっぷりだった。

 

「今日は手前の茶店番だったかね? あの人がいると周りも繁盛するからありがたいねぇ。<マスター>ってのは流れ者ばかりと思ってたけど、ああいう御仁もいるんだねぇ」

「そうなのですか?」

「そうとも。どうにもあたしらティアンは眼中に無いっていうか、ほとんどが外で斬った張ったばかりで口を利くことも少ないしねぇ……。夜も宿を取らずに()()()? だっけ、そっちに消えちまうからね。そういうものだってわかってても、なんだか張り合いのない連中さ」

 

 にえは<マスター>というものをよく知らない。

 彼女の知る<マスター>はマグロとGA.LVERの二人だけで、他に交流を持つ相手はいない。

 たまに道端で、異邦の装いをしたそれらしい人物を見かけることはあるが、彼らは酒屋の店主の言う通り、どうにも忙しなく落ち着かない。

 だが見知った<マスター>二人はそうした例に当て嵌まらず、マグロは見知らぬ彼らのように消える様子を見せないし、GA.LVER程ではないが様々な依頼をこなして街に貢献している。そしてGA.LVERは言うまでもなく人々と打ち解け、完全に街に根付いていた。

 共通しているのは二人とも行き過ぎるくらいのお人好しで、一般的な<マスター>の参考にはならないという点だった。

 

「お嬢ちゃんの連れののっぽの姐さんも、そういう意味じゃあ珍しいねぇ。外からこっちにやってくる<マスター>は珍しいけど、見た目に反して人が好いしね」

「それは……わたくしもそう思います」

「ま、素行で言えばお嬢ちゃんが一番怪しかったけどね! 騒動も起こさないし、ガルさんがいいって言うから気にしてないけどさ」

「はぅ……」

 

 店主の言う通り、当初一番の問題児と目されていたのは他でもないにえであった。

 なにせ、常にGA.LVERを付き纏っているのである。決して邪魔にはならないよう、しかし一時も視線を離さず朝から晩まで、彼が姿を消すまでずっと。

 有り体に言って不審者そのものであり、ストーカー以外の何者でもなかった。普通なら警邏を呼ばれてお縄についていてもおかしくないところを無事でいられたのは、直截的な被害が無いことと、GA.LVER本人の口添えによるものだ。ついでに言えば見目の麗しさも味方していた。

 

「それにおっかけはお嬢ちゃんだけじゃないしね。年頃の娘はみんな黄色い声を上げてるもんさ。<マスター>じゃなきゃとっくに誰かを紹介されててもおかしくないだろうねぇ!」

 

 そう上機嫌に笑った店主の言葉は、GA.LVERを知る人間の多くが思っていることだ。

 彼は言葉を交わしたときの印象の通りに懐が深い。

 常に笑顔を絶やさず、人当たりも良く、その体格と異貌から子供達の興味を引いて群がられても何ら厭うことなく遊び相手にまでなっていた。

 それでいて腕っ節も強く、たまに現れる酔漢もあっという間に鎮めてしまう。

 こうも美点ばかりを並べられれば、誰だって彼を好いてもおかしくないだろう。

 彼は根っからの好漢にして快男児と、この西街では頗る評判であった。

 

「お嬢ちゃんほどお熱なのはいないけどね! 相手がガルさんだからよかったけど、もし他に好いた男が出来ても辛抱しなよ? 男ってのは案外、重荷がしんどかったりするからねぇ。重い女ってのは、背負う荷の中でもとびきり重いからねぇ」

「はぅぅ……」

 

 ニエ自身にそのつもりはないのだが、事実として彼女の奇行は重い女のそれそのものであった。

 相手が相手だけに許されてはいるが、そうでなくば忽ち牢の中であっただろう。

 改めて突きつけられると己の恥ずべき振る舞いに顔が真っ赤に染め上がるが、さりとて眼で追うのをやめられぬという始末のなさである。

 しかしそれも他に類を見ない美女がすれば、なんだかんだで愛嬌として映るのだから容貌というのは不公平なものだ。

 

「……っと、ぼやぼやしてたらかあちゃんにどやされちまう。いい加減店も開けないとね。お嬢ちゃんも今日は一日頼んだよ!」

「はい。お務めを果たしてみせましょう」

 

 からかう店主の野暮も暫し、やがて日を増すのを認めると彼はいそいそと暖簾を掲げ店を開けた。

 近頃のニエは、ただGA.LVERを追うだけでは迷惑になるということを知り、彼が働く場所の近くで自らも働きつつ見守ることを覚えていた。

 今日は手前の茶店で彼が店番をするので、ニエも酒屋の用心棒として私的な伝手で日雇いをすることになっている。

 ニエの就く【剣豪】の肩書きは、ある種の免状として彼らに受け入れられ、その腕を格安で買う引き換えに意中の彼の傍にいれるよう配慮が為されていた。

 

 言うまでもなくストーカーである。多少体裁を整えてはいるが、普通ならばそれでもアウトだろう。

 だがGA.LVERの寛容さとニエの腕前によって、この奇妙な交流は続けられていた。

 

「おはようございます!! ……おや、やっぱり今日も居たのかい? まったくモテる男は辛いね!!」

「ご、ご機嫌麗しゅうございます、がるばぁさま……」

 

 そして今日も逢瀬が始まる。

 快活な声で挨拶を寄越したGA.LVERに、ニエは蚊の鳴くような声で答えた。

 赤らめた頬を袂で隠すニエに、彼は付き纏われる苦をまるで気にした風も無く、変わらぬ親しさで笑顔を見せる。

 そんな二人の様子を、店主は微笑ましく眺める。

 

「おはよう、ガルさん。今日は店の団子があっという間に切れちゃうねぇ」

「HAHAHA! 今日の僕は【料理人】さ! きっと満足できる団子を提供してみせるとも!!」

 

 律儀な彼はこの日のためにメインジョブを【料理人】にしてきたようだった。

 西街のあちこちの料理店で依頼という名のアルバイトをこなしてきた彼は、その評判と相俟って今や筆頭売り子としてもウケていた。

 

「最近は味もわかるようになってきたのか、大分店の味を再現できてきたと思うんだ。店主のお爺さんにはまだまだだって言われるんだけどね、せっかくだからここの味を覚えていきたいね!」

「そりゃガルさん、秘伝を知られちゃあ身内にするしかなくなるぜ? 爺さんの孫娘はとっくに他所へ嫁いでっけどな!」

「HAHAHAHA!!」

 

 一つだけ不思議を挙げれば、彼はこれまでに幾度となく依頼に合わせたメインジョブでクエストをこなしてきた。

 いずれも下級職ではあるが、六つしかない枠を大きく超えて発揮される彼の多才っぷり。

 しかしニエが見た一撃で<UBM>を仕留めてみせた豪腕は、町中で見る彼のメインジョブからはまるで窺えない。

 まるで落差の激しい、あまりにもかけ離れた二面性をニエは不思議に思うも、しかしその為人だけは確かに思い知らされる。

 

 彼はひたすらに善良で、お人好しで、快男児。

 裏も表もなく、ただ良心が訴えるままに人々の困り事を解決していく知られざるヒーロー。

 それは彼の為人を知る誰もが認め……ニエもまた、例外ではない。

 

「――――っ」

 

 彼が笑顔を見せるたびに、ニエの心には影が過る。

 

 ――その眩しすぎるまでの善の光を前に、ニエの胸は唯痛みを増すばかりだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □天地中央西街・郊外

 

 

「ニエさんって、絶対情が深いタイプですよね」

「どうしたいきなり」

 

 狩りの最中にふとそう呟いたのは、モンスターの乱獲に勤しむテスカトリポカを眺めていたマグロだった。

 白蛇姿のテスカトリポカが隠れ潜むモンスターを始末している横での唐突な言及である。

 

 マグロ達は街でクエストをこなす以外は外での狩りに注力していた。

 ニエと探し人と引き合わせ、しばらくの逗留を求められてからは、二人の間に立ち入るのも野暮であろうと考え、あえてニエとは行動を別にしていた。

 

 寝泊まりする宿は同じだが、夜が更けて部屋に戻るとき以外は顔を合わせることもほとんどない。

 とかくGA.LVERに熱中しているらしいニエは早々に彼に付き纏う手筈を整え、マグロの手から離れていた。

 最初こそ不審極まりない彼女の奇行にこわごわとしていたマグロだったが、やがてGA.LVERの口添えのもと周囲の協力を得て半合法的に無事ストーキングを開始してからは、前述の通り放任するに努めていた。

 

「いやだって、もう一週間になるじゃないですか。いくら一目惚れ? 一目惚れなのかな……まぁ好いた相手にしたって、そうも追いかけたりするのかなーってふと思いまして」

「成程、そなたには到底理解できるはずもない事柄よな」

「ちょっと言い過ぎかなとは思うけど、否定はできない……」

 

 マグロから見てもGA.LVERの為人は確かに素晴らしいものと感じた。

 伝え聞く話からおそらく<超級>であろうと察しをつけてはいるが、彼女の知る<超級>の基準からすれば、とてもそうは思えない善良さは殊更際立って見えもする。

 人格だけで言えばおそらくレジェンダリアのファンタズマゴリラに匹敵するだろう。奇しくも両者ともにゴリラと形容される(片方はそのままだが)見た目なだけに、マグロは一方的な親近感を覚えもしていた。

 

「まぁ私の恋愛観はいいんですよ。それよりもニエさん、GA.LVERさんを追いかけるのはいいですけど、なんだか日に日に塞ぎ込んでませんか? 部屋に戻ってきてもすぐに寝込んじゃうっていうか、話す間もないまま別れてばっかりで……ちょっと疎外感」

「ふむ」

「恋煩い? ってやつなんですかねー……」

 

 しかしながら、だからといってただお礼を言いたいがために大名家の姫君が単身で追う程かと言うと、そうは思えない。

 引き合わせるまでの当初こそ怒涛の展開に流されてはいたが、そこから日を置いて客観的に彼らの様子を覗いていると、GA.LVERの方はともかく、ニエの執着はとてもではないが尋常ではなかった。

 色恋の機微や痴情の縺れといったものに疎い、こと恋愛観に関しては幼児以下のマグロだが、その彼女をして並々ならぬ感情をニエが彼へ向けていることは察せている。

 そしてそれが本当に、ただ礼を言いたいがため、ひいてはそこから発展した恋心によるものとは、とてもではないが思えないのだった。

 

「所詮フィクションでしか恋愛を知らないから、あんまり知った風な口利けないんですけど……本当に大丈夫かなって。失恋するにしても成就するにしても、今のままだと進展する前にニエさんのほうが倒れちゃいそうで」

「なかなかどうして、そなたにしては察しが良いではないか。そなたの言う通り、アレの奇行は単純にGA.LVERめへ惚れ込んだだけではなかろうよ」

 

 マグロの要領を得ない疑惑を、テスカトリポカは悟ったように肯定した。

 主とは違って洞察に優れる彼女は、諸々を察した上で敢えて傍観しているのだと言外に語った。

 箱入りの度合いで言えばニエと負けず劣らずの育ちなマグロだが、その彼女から生まれたテスカトリポカは察しが良い。

 そしてその上で直截火の粉が降りかかるまでは傍観を決め込み、受動に徹するのが彼女の在り方だった。

 

 彼女は傲岸にして不遜であるが、マグロの<エンブリオ>であるという立場を強く弁えている。

 行動の指針や意志の決定は常にマグロに委ね、自ら導くことをしない。それが良きにしろ悪しきにしろマグロの選択を尊重し、その上で必要とあらば主の意に従って力を振るう。

 マグロは、テスカトリポカこそを主と仰ぎ一見して傅いているが、その実テスカトリポカもまた表面上の言動はともかくマグロに忠実な守護者であった。

 

 そのテスカトリポカの価値基準で言えば、マグロが今こうして疑念を露わにすることで初めて、抱えていた推察を口にしたに過ぎなかった。

 

「やっぱりそうなんですか……」

「ま、何事もなく終わろうはずもなかろうな。遠からず一事が起ころうよ」

 

 具体的なことは語らず、あくまで匂わせる体のテスカトリポカ。

 それはともすれば酷く悪辣で、無責任なようでもあり……事実そうなのだが、マグロがそれを咎めることはない。

 

 意思決定を担うのがマグロであるならば、力の全てを委ねられたのがテスカトリポカだ。

 <マスター>としての才分の全てを【四神獣妃 テスカトリポカ】に捧げ、彼女の庇護無くば平穏を生きることさえ立ち行かない歪な<マスター>から生まれた、歪な<エンブリオ>。

 互いが互いの主にして奴隷。左手に刻まれた紋章の"血を流す乙女"の意匠は、二人が互いのために血を流すことの顕れ。

 

 そのテスカトリポカが不穏の訪れを口にした。

 それは主観的な洞察と推察による、根拠に乏しいイメージだが、マグロにとっては至上の神託に他ならない。

 

「……今日は切り上げましょう。もう夜も更けてきましたし……ニエさんが気になります」

「で、あるか。ならば戻るとしよう。些か、鼠の眼も鬱陶しくなってきたしな」

 

 テスカトリポカはちらと視線を傾け、マグロに蛇身を巻き付かせて跳躍した。

 

 

 ◆

 

 

 突風の如く立ち去った二人の跡を、枯葉踏み締め現れる影が一つ。

 

「……あはは、随分と魅力的な方だ。なるほど、そういう性質(タチ)でしたか」

 

 それは小柄な、剣呑な大物を背負った美童。

 隠れ潜み、二人を見張るに幾日を費やしていた人知れぬ鬼の頭領。

 

「随分と勿体付けてくれました。なかなか劇場的で、()()()()()()とは違った味わいですね。これは一筋縄ではいかなさそうだ」

 

 愉しげに笑みを浮かべる少年の懐から着信音が鳴る。

 この数日で幾度となく使った長距離通信のマジックアイテムを取り出し、通話を取った。

 

『旦那、奴さんが動いたぜ。どうなるかと思ったが、()に向かったよ』

「成程、そうなりましたか。都合がいいですね、ではそちらは配下の皆さんにお任せします」

『おう、ちゃんと招待してやるさ』

「ところで……彼女が執心していた()の素性は分かりましたか?」

『いや……こっちはわからん。多分装備で隠蔽してるな、手下どもの目じゃわからん。だがあいつらの報告では、非戦闘系の生産職がメインらしい。ぶっちゃけ怪しすぎるが、わざわざ情報を買うほどかっつーと二の足を踏む感じだな』

「十中八九、例の<UBM>を討伐した<マスター>でしょうね」

『……<超級>かね?』

「可能性としては低くありません、むしろ高いですね。そうなると、僕の知らない推定<超級>が二人もいることになりますが……」

『正直、分が悪くねェか? 状況的に二人同時に相手することになるだろ、正気の沙汰じゃない』

「あはは、それは元からじゃないですか。それに近頃は天地のモンスターからの()()()も減ってきましたし、いい機会だと思いましょう。白鷺の件も事が終われば露見しても構いません。保険はかけてますしね」

『行き当たりばったりにも程があらァな。捨て身だねェまったく、付き合わされる身にもなってほしいぜ』

「それでも見限らないでくれる対魔さんには感謝してますよ。自分で言うのもなんですが、人受けは良くないスタイルですから」

『それを言っちゃァ吾も同じさ。吾と旦那は同じ穴の狢、こっちの人間からすりゃ許し難い鬼畜外道よ』

 

 通話先で対魔が哂った。

 受けて狂獄も同じく嗤う。

 

「僕は力を」

『吾は鋼を』

 

 <悪鬼夜行>の二大頭目が意を表す。

 片や"暴君"は力を求め、片や"魔刃"は鋼を求める。

 重ねてきた屍山血河と殺戮はそのために。

 

「もし生きて天地に残れたら祝杯を上げましょう」

『とびきり熱いキスをしてやンよ。()()()じゃ出来ないから、()()()でな』

「……がんばります」

 

 最後の一言で差した朱を隠しながら通話を切る。

 そして彼は去った獲物を追って跳躍した。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 そして宿の一室に姫君の姿は無く。

 

「ほんとにもう、嫌な予感ばかり当たって……!」

「征くぞマスター。我らの出番だ」

 

 一通の書き置きだけが、机の上に残されていた。

 

 

 To be continued

 




ストーカーだらけの天地編、ぼちぼちクライマックス


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鬼嘲笑う妖魔工房

 

 □■天地中央・森中

 

 

(わたくしは、どこまで愚かなのでしょうか……)

 

 草木も眠る暗い夜更けに、にえは独り街の外にいた。

 GA.LVERがその日の依頼を終えるまでを見届けた後、宿に書き置きを一つ残して着の身着のまま夜の森を彷徨っている。

 昼とは比較にならないほどに危険が潜む天地の夜。誰もが命惜しさに歩こうとしない街道外れを、にえは心ここにあらずといった様相でいた。

 

 襲いかかるモンスターを一刀のもと返り討ちにしながら、彼女が想うのは意中の彼のこと。

 この数日、昼も夜も無く追い続けた彼の姿を思い返すたびに、彼女の胸は強く締め付けられる。

 いっそ張り裂けそうなほどに痛む心の臓、心の裡。しかしその理由は、決して恋心からではなかった。

 

(あの方が、傍若無人であったなら。……あの方が、ただ己の強さのみを求め続ける益荒男であったなら、こうも迷うこともなかったのに……)

 

 恋慕の情は、最後の引き鉄でしかなかった。

 最初ににえの心中にあった感情は――憎しみ。

 己が窮地を救ってくれたはずのGA.LVERへの殺意こそが、渦巻く感情の源泉。

 

 にえは()()()()()()()()()()()()――そのはずなのに。

 

(なぜ……貴方様はそうも快いのですか……)

 

 彼の笑顔を、行動の一つ一つを思い起こすたびに、心が揺れる。

 的外れでしかない己の殺意が、善良の光に掻き消されていく。

 

 にえは、己の殺意がまったくの理不尽であることに既に気づいていた。

 真に憎むべき、恨むべき相手を弑逆して尚、収まりのつかない感情の矛先に、残る唯一の関係者を選んだにすぎなかった。

 

 そんな稚拙な八つ当たりだからこそ、問答無用の正道を前に立ち行かなくなる。

 心の奥底で叫ぶ良心が、善人そのものを彼を害することを咎め続けていた。

 そしてその声は無視するにはあまりに大きく、己の裡に響き続けていて……いつしかにえは、刃を握る手を解いていてしまっていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(真に愚かなのは、醜きものはこのわたくし……)

 

 滾るほどの殺意は、いつしか焦がれるほどの恋慕へ変わっていた。

 彼を姿を追って湧き上がる感情は、無垢なにえを少しずつ女へと変えていくようだった。

 

 彼の笑顔が。彼の言葉が。彼の愛が。

 向けられたのが己ならどれほどに幸せなことだろうと、そう夢想すらするまでに至って。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、……なんという恥知らずでしょうか)

 

 それを求めるにはあまりにも罪に塗れた己が身の咎を突きつけられ、絶望した。

 燃え上がるほどの恥。引き裂かれるほどの自責に苛まれ、素面に戻ったにえは耐えきれなくなって――堪らず駆けた。

 それ以上己の姿を彼の前に晒すことが恐ろしくなって、逃げ出したのだ。

 

(まぐろさまにも、結局ご迷惑をおかけすることになってしまいました。あの方もまた、善意でわたくしを助けてくださったのに、わたくしはどこまで恩知らずなのでしょう……)

 

 かろうじて残った礼節で書き置きだけは残してきたが、それも稚拙極まりない粗末なものだ。

 なんの説明もなく、ただ帰るとだけ欺瞞を残した書き置きでは、彼女も困惑するしかないだろう。

 これまで親身にしてもらっておきながら、度し難いほどの無礼。如何なお人好しといえこれでは忽ち見限ろうというもの。

 だがそうなってくれればむしろ救われるとすら考えてしまう今の己こそ、真に救い難い愚物でしかない。

 

 にえは、最早死ぬつもりで夜の森にいた。

 

(父上……あの方は何も悪くはございませぬ。所詮人に仇なす<UBM>の力を借りて支えてきた御家の繁栄は、真の正道を前には打ち砕かれるが道理。因果応報でございましょう……。責めるなら、どうかわたくしのみを冥府にて裁かれませ……ッ!)

 

 最期に自ら殺めた父――白鷺家当主への詫びを述べ、愛刀の刃先を己が胸に突き立てんとして。

 

 

「――そいつァちょいと、待ってくれんかねェ」

 

 

 それを遮る声と手に阻まれた。

 

 

 ◆

 

 

 妨害の主は、白い作務衣姿の女だった。

 ぼろぼろに擦り切れ、乱雑に裂けた衣服のあちこちから素肌を覗かせた夜鷹の如き女は、傍にぞろぞろと数名を引き連れている。

 その配下の一人が素手でにえの刀の刃を握って留め、彼女の自死を制止していた。

 

「焦ったぜェ……まさか死のうとするだなんて思わなかったからな。お(ひい)さまよ、ちィと吾の話を聞いちゃァくれんかね?」

「……どなたかは存じませぬが、憐れに思うならばどうか止めてくださいますな。わたくしは――」

「ああ知ってるとも、白鷺家のお姫さま。()()()()()()()()の大罪人」

 

 ぴしゃりと言い当てられた己の素性に、にえの全身が強張った。

 初対面のはずの不審な女、どこの馬の骨とも知れぬ輩にすら詳らかにされていることの背後を悟り――例えようもない恐怖がにえを襲う。

 誰にも知られぬ内に消え去ろうと思っていたにえにとって、己を知る他者の存在は、この上ない危機でしかなかった。

 

「っ……」

「待て待て待て、逸るんじゃあない。吾は別にそれを咎めにきたわけじゃねェんだ、だから熱り立つな、殺そうとするんじゃあない」

 

 にえは咄嗟に刃を翻し、それ以上広まる前に女の口を封じようとして、それを周囲の配下に阻まれる。

 掴まれた刀は常人の限界までジョブを極めたにえのSTRを以てしてもぴくりとも動かず、食い込ませた刃から血が流れる様子もない。

 まるで木偶のように生気を感じさせない配下達を、にえは人ならざるものと考え……今の自分では敵うまいと察して、力を抜いた。

 

「本当はもう少し穏便に声を掛けるつもりだったんだが、如何せんお前さんが死のうとしてたからね。まずは自己紹介といこうか。吾は対魔、クラン<悪鬼夜行>が二大頭目の片割れ。しがない【大鍛冶師】さ」

「……寡聞にして、存じ上げませぬ」

 

 クランとは確か、<マスター>が組織する集団の分類であったと街で聞いた覚えがある。

 だが<悪鬼夜行>という名は知らない。字面からして穏やかならざる集団であろうと察しはつくが、にえは首を傾げるばかりだった。

 そんなにえの様子を見て女――対魔は面白そうに嗤う。どこか誂うような、剣呑な笑みだ。

 

「まぁ<マスター>二人だけで切り盛りしてるちんけなクランだからなァ、知らなくてもしょうがない。ましてや箱入り育ちのお姫さまなら尚更さ」

「貴方方は、一体……?」

「吾個人としては、しがない鍛冶屋にして武器商人。クランとしては……野盗や人攫い、たまに傭兵」

 

 『ま、前者は隠れてだけどね』と悪びれもせず宣う彼らは、紛れもない悪党だった。

 野盗の類は天地では珍しくはない。滅びた家の者を狙う落ち武者狩りや奴隷商人、道行く旅人を襲って身包みを奪う山賊などは、内乱続きの天地では掃いて捨てるほど跋扈している。

 中には村ぐるみで山賊働きをする者もあって、延々と続く戦国時代が齎す昏い影だった。

 

「……悪党働きの輩が、わたくしに一体何の用でしょう。存じておられるならお答えしますが、わたくしを拐かしたとて身代を支払うアテなどどこにもございませぬ。もしわたくしの荷をお望みなら、死した後で好きに漁ってくださいませ。これより死出の旅に赴かんとする身、今生の物に未練はありません。……とはいえ、価値あるものはこの刀くらいのものですが」

 

 彼らが野盗の類であると聞いて、にえは開き直るようにしてそう答えた。

 にえは一刻も早く死んでしまいたいのだ。身包みを所望なら、どうぞその後にでも好きに漁ればよい。

 わざわざ死ぬのを阻んで手間をかけるなど……にえは自暴自棄になって身を晒す。

 

 対する女は、そんなにえの反応に一段と笑声を大きくしてより一層の興味を深めたようだった。

 面白い、としきりに口にして……にえの刀に目をやって、口を開く。

 

「ん、まァそこそこいい得物じゃねェか。どこの作かは知らねェが、いい具合に血を吸って殺めてきた、如何にも刀らしい一本だァな」

 

 そこまで言って対魔は、頭を横に振って【アイテムボックス】から一本を取り出して、にえの愛刀と並べて続けた。

 

「だが、()()()ほどじゃあない。いい刀だが、それだけだ。吾の妖刀とは、格が違う」

「これは……」

 

 傲岸不遜に言ってのけた対魔が魅せた刀は、およそこれまで見たこともない妖しい輝きを放っていた。

 既存の如何なる鋼とも異なる、まったく神妙不可思議なる地金のそれ。

 とうに浮世に見切りをつけんとしていたにえをして目を惹かれてしまうほどの――紛れもない業物だった。

 

「あなたは、一体何を……」

「そろそろ本題に入ろうか。吾の目的は単純さ、お姫さま。……アンタが欲しい」

 

 唇を間近に近づけ、吐息が頬を撫でる距離から囁かれた言葉は、蕩けるような妖しさに満ちていた。

 堪らず首筋を震わせ、頭を振って払い除ける。制止の手はいつの間にか除けられ、にえは身動きを取り戻していた。

 しかし自死を再開するにはあまりに異様な雰囲気に呑まれ、にえは対魔の言葉の続きを待つしかできない。

 

 対魔はにえの刀をつまんでそっと除けると、代わりに今しがた見せた妖刀を預け、更に囁く。

 

「別に無理強いするつもりはないさ……ただ一目、見てくれるだけでいい。それでお気に召さないなら、もう邪魔はしないさ。自死でもなんでも好きにしなよ。……あァ、そンときはお望み通り、身包みでも漁らせてもらうけどねェ」

「――それだけ……ですか?」

 

 奇妙な鍛冶屋だが、しかし己の死の前座にはらしいのではないかと、にえは朦朧とした頭で思った。

 押し売りするでもなく、襲うでもなく。ただ一目見るだけでよいのなら……平生ならば陥るはずのない思考回路で、にえは対魔の刀を握った。

 

 ()()()()()()()

 

「ッ!? あああああァ、ァアアアアア――!?」

「お、こりゃすげェ。い~い反応じゃねェの」

 

 手にした途端湧き上がったのは、萎えつつあったはずの殺意だった。

 自省と悔恨で殺したはずの負の感情が、止めどなく溢れ返って制御できない。

 燻っていた火種に油を投げ入れられたかのように、爆発的なまでの憎悪が己を焦がす。

 それは紛れもなく魔性の囁きで――手にした妖刀が求めるままに、それの都合に良いように、支配者であるはずの仕手を蝕んでいく。

 

「生き試しだ、やってみな」

「ッ――、――――ッ」

 

 数歩後退った対魔がそう命じると、にえは俄に姿を眩まし――数秒の間を置いて断末魔が響き渡る。

 妖刀を構えたにえが亜音速で駆け、配下達の間を縫って動いた合間に彼らを尽く斬り捨てた結果だった。

 それは【剣豪】であったにえの動きを遥かに越えた……超級職に足をかけるほどの身のこなし。

 明らかに先までのにえとは違う、異様極まる変化だった。

 

「ハッハァ、いいねェいいねェ! やるじゃねェの、こりゃ上級職でも大当たりだなァ! 【数打物】どもとはいえ、純竜クラス十人を鎧袖一触か。い~い拾い物だ、ツイてるねェ……」

 

 髪色を黒から白に変え、白磁の如き柔肌に入れ墨のような紋様を浮かばせたにえは、僅かに残った理性で対魔の首を刎ねんと肉薄したが――その刃を皮に食い込ませる紙一重で、金縛りにあったように動きを止める。

 小刻みに揺れる刃先がにえの必死の抵抗を表していたが、それをあやすような笑みで対魔は見届けると、そっと刃先を摘んで除けた。

 それは即ち、にえが対魔の支配下に置かれた何よりの証左だった。

 

「どうせ死ぬつもりだったンなら、身魂余さず吾の役に立ててくれよ。捨てる神あれば拾う神ありさ、効率的だろう? 安心しなよ。アンタほどの【大業物】、魂魄擦り切れて滅びるまで、大事に大事に吾が面倒見てやっからさァ……」

 

 呵々大笑して腹を抱える対魔は、屍を晒して転がる配下達を得物諸共【アイテムボックス】に収めると、月光へ照らすように左手を掲げる。

 その甲には、萎えた片腕と片脚で鎚を構える異形の意匠が刻まれていた。

 それは対魔という<マスター>が宿す<エンブリオ>の形。漏れ出た光が形を為し、やがて一戸の()()()が現れる。

 

「さァさようこそ、お姫さま。吾の鍛冶場、【妖魔工房 イッポンダタラ】へ。歓迎するぜェ、盛大にな。……クカカッ!」

(がる、ばぁ……さま……――)

 

 対魔の嘲笑が響き渡る夜闇の中、にえは消え行く意識の間際で彼を想った。

 

 

 To be continued

 

 





今更言うまでもありませんが、今回の敵はどっちも悪い奴です。


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暴君は闇に求める

 

 □【獣神】マグロ

 

 

「すみません! GA.LVERさんはいらっしゃいますか!?」

「はっ? いえ、生憎彼は現在依頼で出ておりますが……」

 

 ニエさんの失踪を知った私達は、まず冒険者ギルドを頼った。

 冒険者ギルドというよりは、そこにいるであろうGA.LVERさんを頼ってのことだったが……タイミング悪く今は不在らしい。

 拭いきれない不安に駆られ、ならばと逸る心で次案を考える。

 

「えと……それなら、依頼をお願いします! 捜索依頼で、対象はニエさんです。ご存知ですよね!?」

「勿論存じております。……彼女を、ですか?」

「はい。……報酬はここに。緊急依頼でお願いします!」

 

 怪訝に思うのも当然だろう。しかし事は濃く一刻を争う。

 狩りが戻ったあと、部屋で見つけた彼女の書き置きには一人で故郷に戻る旨と、無断でそれを行う詫びが綴られていた。

 ニエさんらしい、育ちの良さを窺わせる文脈と筆跡で。しかしその手紙に込められた意図は、その内容とは大きく矛盾していた。

 私の拙い《真偽判定》ですら反応を示すほど、その書き置きは矛盾を胎んでいたのだ。

 

 鈍い私でも、彼女に帰るつもりなど無いことはすぐにわかった。

 しかしそんな嘘を書き残してまで行方を眩ませたニエさんが一体どこへ行こうというのか……それを考えた途端、より一層の不安が湧き上がっていた。

 それまでに見せていたニエさんの思い詰めた様子……それと合わせれば、自分でも驚くほどの悲観的な想像が浮かび上がったのだ。

 

 それが私の思い過ごしであればいいと願いつつ、現状最も彼女と接触しているであろうGA.LVERさんに、彼女に関して何か知らないかを問い質したくやってきたのだが、いないものは仕方ない。

 ならば次案として彼女を捜索すべく、人手と目撃情報を欲して緊急の捜索依頼をギルドへ持ちかけた。

 事の精査も待たず、割り込む形での依頼になってしまうため提示しなければならない報酬は莫大。だが、金を惜しんで彼女の行方を見過ごしてしまうのは、私個人として我慢ならなかった。

 

 カウンターに乗せた高額貨幣を詰めた【アイテムボックス】。

 現状の全財産だが、足りないようなら他のアイテムを売却する用意もある。

 少なくとも、緊急であることを加味しても捜索依頼としては破格の報酬だ。

 受注者が現れるかはともかく、依頼として受け付けられるには十分な内容と見込み……お姉さんが取り出した契約書類を見て間違いではなかったと安堵する。

 

「……かしこまりました。ではこちらに依頼内容の記載をお願いします。報酬はこちらでお預かりしまして、不足が生じた場合は別途請求させていただきます。よろしいでしょうか?」

「構いません。急な依頼に対応していただけて感謝します! あ、それと目撃情報に関しては……」

「高レベルの《真偽判定》が使える職員の立会のもと判断させていただきます。どうかご心配なく」

「助かります!」

 

 こういう急ぎの捜索依頼で厄介なのが、錯綜する情報に紛れ込むデマだ。

 そのほとんどは目撃者の思い込みや思い違いによるものだが、中には意図して誤情報を与え、報酬金をせしめる輩も存在する。

 だが冒険者ギルドを介した正規の依頼ならば、そうした虚偽を見抜く《真偽判定》に長けた職員に判断してもらえるので、偽情報に踊らされるリスクは格段に減るのだ。

 ……無論、そのための料金は別途にかかるし、膨大なのだが。しかし信頼のおける判断を下せる職員を介在させるなら、それくらいの代価は安いもの。

 

 狩りを終えた直後でよかった。

 ここ数日は狩りに専念し続け、売却による持ち合わせも潤沢だったからこうして依頼を出すことができた。

 依頼しようにも持ち合わせがなければ当然ギルドの助力を得ることもできなかったから、そうなるとニエさんの行方を追うのは困難だっただろう。

 私一人で彼女を探すには、地理も能力も不向きにすぎる。捜索のための調()()なんてしてないから、準備だけで大きく時間を食うところだった。

 

「それではお願いします! 私も今から捜索に出ますが、夜明けには一度戻りますので!」

 

 手続きを終えた私は駆け出すようにギルドを後にした。

 忙しない限りだが、店仕舞いの時間になる前に一人でも多くに聞き込みをしたいからだ。

 まずはニエさんが最近アルバイトをしていた地区から始めて、徐々に捜索範囲を広げていくが……やはり芳しくない。

 GA.LVERさんのストーカーと化していたニエさんの日常はとかく目立つので、目撃者そのものは多くいるのだが、失踪に繋がるような情報は得られなかった。

 

 その後も駆け回って聞き込みを続けるも同様。

 どうやら街の内部にはいないらしいとあたりをつけ、目指した先は西――外へ繋がる大門だった。

 

 

 ◇

 

 

「ふむ。その特徴に合致する娘なら、確かに拙者が見たぞ」

「本当ですか!?」

「旅人らしからぬ装いだったゆえな。拙者の思い違いでなければ、確かに外へ出ていった」

 

 もしやと思って門番に尋ねてみれば大当たりだった。

 今日の夕暮れ前に単身外へ出たニエさんが、そのまま街道を走り去っていったのを見たのだという。

 

「生憎拙者はこの門を預かる大役があるゆえ見送るしかなかったが……確かに、言われてみればどこか思い詰めた様子であったなぁ」

「やっぱり……」

 

 やや呑気そうな物言いの門番だったが、第三者の彼にもそうと察せてしまえるほど、彼女の様子は深刻だったようだ。

 それをみすみす見過ごした彼への不満が無いわけではないけれど、しかし彼の役目も確かなのでそれを責めるのはお門違い。

 むしろこれ以上無い手掛かりが得られたことを喜ぶべきとして、答えてくれた彼へ礼を言ってからニエさんを追うべく私も急ぐことにした。

 

「ありがとうございます! それでは先を急ぎますので、これで!」

「なにやら事情があるようだが、道中気をつけるようにな。……しかしあの娘の俊足なら、今頃とうに遠くへ行っているやもしれぬ。くれぐれも他領と悶着を起こさぬよう努々注意なされよ」

 

 そんな門番さんの忠告を背に、ジャガーと化したカトリ様の背に乗って駆ける。

 外――西へ向かったとしかわかっていないニエさんを追うにはこれでもまだ足りていないけれど、レベル五〇〇の【剣豪】である彼女は亜音速での移動が可能だ。

 何時間も前に街を出てそのまま走り続けているのだとしたら、音速以上で無ければ到底追いつけやしない。

 捜査や探索系スキルのセッティングもできていないけれど、スキルに依らない察知能力にはこのジャガー形態が最も優れているという判断で私達は行動した。

 

 しかし――

 

「さすがに広すぎますね!」

『仕方あるまい。地理もまだ把握しきれておらぬのだからな』

 

 ――捜索範囲が広すぎる!

 専用のスキルも設定できていない現状で右も左も分からない天地の外を、ただ一人を追いかけて探るなんてやっぱり無謀すぎた!

 

 最初は街道沿いに西進していたものの、行き当たった関所でニエさんの目撃情報が無いことを知ってからは、そのまま街道外れの森の中へ場所を移して捜索している。

 確かに身の回りの世話は私が請け負っていたから、直接金銭を持ち合わせていない彼女では関所の通行料も払えないだろうけど、まさか本当にそのまま獣道へ踏み入ってしまうとは……。

 

 今にして思えば、金銭を持たない彼女が街まで来れたのも、関所を避けて街道外れを通ってきたからだろう。

 確かに関所は人通りのできる街道にしか設けられていないが、かといってそれを避けて進むというのは普通なら無理だ。

 なぜならあまりにも危険だから。街道近くは各大名が手勢を配して獣狩りや警備をしているものの、その他手付かずの山や森――大自然は屈強なモンスター達の縄張りだ。

 そんなところを危険も顧みず歩けるような人間は、腕に覚えのある武芸者か、武者修行目的の求道者くらいのもの。その他大勢の普通の人間――旅人や商人は、金銭を対価に比較的安全な街道を進む。

 

 それはこれまでの旅で私自身十分思い知ってきたことだが、ここでニエさんが武芸者の中でも実力者であったのが災いした。

 彼女は世間知らずで一般常識に疎いが、腕っ節だけは強い。だから普通の人間にとっては危険な領域でも、構わず押し通ることができる。

 彼女自身の腕前なら、並大抵のモンスター程度足止めにもならないことは既に把握していた。だけどそれにも限界はある。街道を外れて人の手が及ばない深部にまで足を踏み入れてしまえば、如何な彼女とはいえ身の安全は保証されない。

 普通なら、可能だからといって街道を外れるなんてしないのだ。それに彼女は、いくら名うての【剣豪】とはいえ本当の意味で武芸を志す人物でもない。

 力こそあるが、お姫様なのだ。

 

『……マスター、何か近づいてくるぞ』

「へっ?」

 

 そうやって思い悩みながら街道外れの森を捜索していると、ふとカトリ様が警告したのが聞こえた。

 ひょっとしてモンスターだろうかと思い、縄張りに踏み込んだのかと考えて迎撃と掃討をお願いするも、どうやらそうではないらしい。

 ガサガサと木々を掻き分ける音が近づいてくるのを最大限に警戒しながら待ち構えていると……やがて現れたのは思いがけない人物だった。

 

「よーっしそろそろ街道に近づいてきたぞぅ! まったくお転婆なお嬢さんだ、とんだ大冒険だよまったく!」

『にゃー』

 

 ……なぜかGA.LVERさんが、子猫を抱えて藪から姿を現した。

 

 

 ◇

 

 

「が、GA.LVERさん!? どうしてここに!?」

「おや、マグロくんじゃないか! 奇遇だね、キミこそどうしてここにいるんだい?」

 

 あちこちに木の葉や枝を引っ掛けて、泥まみれ姿を見せたGA.LVERさんは、腕に小さな幼獣を抱えて不思議そうにこちらを見た。

 抱えられているのは【タイニー・クァール】というれっきとしたモンスターで、てしてしとGA.LVERさんの腕を叩いてじゃれついている。

 その愛らしさたるや、思わず顔がにやけそうになるほど。とはいえ逼迫した状況なので我慢する。

 

「えっと、その子は……」

「ああ、この子かい? いや実はこの子の捜索依頼を受けて外に出てたんだけどね、まさかこんな奥まで迷い込んでいるとは思わなかったよ! 幼いとはいえやっぱりモンスターなのか、飼い主さんの心配を他所にこうしてピンピンしてるけどね! いやまったく骨が折れたとも!!」

 

 ええ、知ってます。【クァール】って確か、レジェンダリア原産のすっごい強いモンスターですもん……。

 過去にレジェンダリアへ赴いた際に、同系統のモンスターを幾つも狩ったことがある。

 成体にもなると恐ろしく強力な魔法も駆使するようになって身体能力も頗る高い、上位純竜クラスのモンスターだ。

 そんな極西固有のモンスターの幼体がなぜこんなところにいるのかは謎だが、彼曰くさる大商家のご子息の愛猫なのだとか。それがどこぞへ行方を眩ませてしまったのを、GA.LVERさんが捜索を引き受けたらしい。

 冒険者ギルドでお姉さんが言っていた依頼とはこのことだったのか。しかし、こうなると都合がいい。

 

「GA.LVERさん、ニエさんを見かけませんでしたか!?」

「ニエくんかい? いや、見てはいないが……どうかしたのかい?」

「それが、行方不明なんです! こんな書き置きを残したきり……」

 

 唯一の手掛かりとして持ってきていた手紙を見せると、彼は眉間に皺を寄せる。

 

「《真偽判定》に反応があるね。つまり嘘か……」

「はい……あまりにも唐突なので、慌てて探してたんですけど……GA.LVERさんは何か思い当たる節とかありませんか?」

「思い当たる節、か……」

 

 その質問に彼はよし深刻そうに表情を変えて、『あれはそういうことだったのだろうか……』と呟いた。

 やはり彼は何かを知っているらしい。それを問い詰めると彼は、彼自身困惑を隠しきれない様子で、唸るように呟いた。

 

「……確証は無かったから気づかないふりをしていたんだ。いずれ彼女から打ち明けてくれるものと思っていたから、僕もあえて詮索はしないでいた。だけどまさか、それがこうも彼女を追い詰めていたとは……クソッ」

「GA.LVERさん……?」

 

 気づかないふりをしていた……?

 ニエさんの慕情……ではないだろう。それは二人を知る誰もが察していた周知の事実だ。

 ニエさん自身も口には出さないまでも、その態度で彼への興味を全身から示していたし。

 私が知らない何かを、彼はニエさんから悟っていた……ということだろうか。

 

「マグロくん、僕も捜索に協力しよう。……いや、させてほしい! これはきっと、僕の責任でもあるだろうからね」

「それは願ってもないですが、いいんですか? 依頼の途中なんじゃあ……」

「なぁに、期限まではまだまだあるさ。依頼人の子には、少し待たせることになって申し訳ないけどね!」

 

 そう言うと彼は【タイニー・クァール】を抱え上げて、しばらくおとなしくするようお願いしだした。

 まだ人語も解せない幼体ではどれほど伝わったかはわからないが、その幼獣は『にゃー』と可愛らしく一声鳴くと、そのまま【ジュエル】の中へと消えていった。

 彼が依頼人から借り受けていた確保用の【ジュエル】だろう。これなら確かに、破損さえしなければ幼獣は無事だ。

 

「不幸中の幸いと言うべきかな、()()()()()()依頼に合わせてジョブを探索系に割り振っていたところだったんだ。なぁに、小さなモンスターと違って人間は目立つ。すぐに見つけてみせよう!」

()()() ……いえ、助かります! ならGA.LVERさんもカトリ様の背に乗って――」

「いや――それには及ばないとも!」

 

 彼我のAGI差を考慮しての提案だったが、彼は辞退した。

 彼は軽い柔軟運動を挟むと――直後に()()()()()で駆け出した。

 それはジャガー形態のカトリ様にも勝るとも劣らない、驚くべき速さだった。

 

『……ククク、成程。頼もしいことだ。ならば遅れるなよ、GA.LVER!』

「Wow! これは驚いた、僕と並走できる人なんて滅多にいないからね! だけど今は助かるよ、ならば僕も遠慮無しでいくぞぉ!!」

「ちょ、まっ……べ、【ベレロープ】!!」

 

 危うく超音速機動で全身がGでへし折れるところを咄嗟の【ベレロープ】装着で回避する。

 だけど頼もしい味方が増えた。これならニエさんを探し当てられる!

 

 

 ◇◇◇

 

 

 変化はすぐに現れた。

 GA.LVERさんの指示に従って探索を進めていった結果、とある森の一画でモンスターの名残と思しきドロップアイテムを見つけたからだ。

 

「これは……」

「おそらくニエくんのものだろうね。僅かだが足跡も見える。歩幅や足跡の乱れ具合からして随分と先を急いでいたようだ。……いや、その割には行き先が一定しないな。迷っているのか……随分と無我夢中だったようだね」

 

 モンスターはティアンと違って亡骸を遺さない。

 その存在の全てはドロップアイテムに変換され、死骸を晒すとすれば極稀に【完全遺骸】をドロップしたときだけだ。

 だが、こんな人気の無い森の奥で、ドロップも回収せず放置したままにするのは、今の状況から考えればニエさん以外にないだろう。

 

 私の目には何も映らない痕跡を悟ったGA.LVERさんが推測を立て、再び指示に従って進んでいく。

 彼の探索は実に的確で、その後も次々と彼女のものらしき痕跡を見つけることができた。

 やはり彼女は逃避行の最中で何度もモンスターの群れに襲われたのか、不規則な感覚で同様のドロップアイテムの残留が見受けられた。

 それは街道を大きく外れて森の深部まで続いており、かと思えば急に方向転換もしていて一定しない。

 彼の言う通り、行く宛も無く彷徨っていたことの何よりの証左だった。

 

「徐々にだが、着実に近づいているとも。この様子なら遠からず彼女へ辿り着くだろう……、――むっ!?」

「GA.LVERさん!? ……いえ、カトリ様!」

『来たか……』

 

 順調に捜索を進める中で励ますように言ったGA.LVERさんを不意の一撃が襲う。

 いや、狙われたのは彼だけではない。彼と私の間を遮るように、()()()()()()が木陰から放たれた。

 咄嗟に飛び退き距離を離す。GA.LVERさんは前へ、私を乗せたカトリ様は後方に。

 そうした分断された私達の間に立つように、木陰から飛び出した影が口を開いた。

 

「夜分遅くに失礼します。貴方達がお探しの姫君は、僕達<悪鬼夜行>がお招きしています」

「なっ、えっ……?」

 

 姿を現すなり唐突にそう言い放った彼の言葉を、私は俄に理解できないでいた。

 また、露わになった下手人の姿を捉えることで、その思いがけない正体により混乱が増す。

 

「あなたは……キョウさん!?」

「先日振りですね、マグロさん。道行きで一度会っただけの僕を覚えていてくれたことを嬉しく思います」

 

 それは、西街までの道中で一度会ったキョウさんだった。

 道中で遭遇した<マスター>は彼だけだったから、ほんの少しの間のこととはいえよく覚えている。

 だが、彼がなぜここで関わってくるのかを掴めず……いや、それはついさっき彼自身が告白した。

 

「<悪鬼夜行>……?」

「はい。俗に言う野盗クランです。その僕達の本拠地でお探しの姫君はお預かりしています」

「ど、どうして!?」

「思いの外都合良く事が運んだからですが……率直に言えば、それが僕達の利益になるからです」

 

 動揺する私と対照的に、ごく淡々と述べる彼の姿に不気味さが増す。

 彼の言い分から目的が見えず、ただ彼の動向を待ち構えるしかなく注視するに留まる。

 

「まず、僕の目的からお話ししましょう。――マグロさん、僕は貴方との一騎打ちを所望します」

「……………………えっ?」

 

 そう言い放った彼の視線は、真っ直ぐに私を貫いていた。

 そして今の今まで前例の無い要求に、私の混乱は頂点に達した。

 

 

 To be continued

 




三連休なので頑張って更新。
次回から本章メインパーソナリティの詳細が明かされていく予定です。


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神獣神楽、修羅舞台

 □天地西方面・森林部

 

 

「な――」

「なぜ、という質問への答えは単純です。貴方こそが生き試しに相応しいと、僕が思ったからです」

 

 唐突な一騎打ちの申込み。その理由を問い質そうとしたマグロの言葉を遮って刺客が言い放った。

 マグロが以前会ったキョウという少年――クラン<悪鬼夜行>オーナー狂獄は、猛るでもなく冷静そのものの様子で、戸惑う彼女へ真っ直ぐに戦意を向けていた。

 そこに敵意は無く、あるのは死闘への興味のみ。彼の言う生き試しの結果にのみ関心を向け、その他の雑念を一切排除して、彼の中で確定した事項のみを事実として告げている。

 

「貴方のガードナーはお気付きのようなので白状しますが、不躾ながらこの数日間、貴方の行動は逐一見張らせていただきました。貴方が街の外で狩りに励む一部始終を観察し、その結果として一騎打ちを所望する次第です」

『随分と勝手な物言いではないか。無礼極まりない慮外者もいたものだな?』

「それは重々承知しています。ですが僕は悪いPKなので、基本的に相手の事情は斟酌しません」

 

 不愉快を示す言葉とは裏腹に、嗤うように牙を剥いて言ったテスカトリポカへ、狂獄はにこりともせず淡々と答える。

 PKの自白と彼の態度から、これが不可避の衝突であることを誰もが察した。

 牙を剥くテスカトリポカと刃を向ける狂獄。二人の間に鬩ぎ合う火花が激しさを増しつつある中で、それを遮るようにGA.LVERの重い声が響く。

 

「……キミは先程『姫君を招いている』と言ったね。彼女のことも見張っていたのかい?」

「はい。……ああ、二人がかりで攻められるのは困りますので、これも先に言っておきましょう。貴方達が探している姫君、ニエさんの生殺与奪は僕達が握っています」

「……そうかい」

 

 先んじて放たれた言葉により、GA.LVERはにじり寄らせていた足を止めた。

 固く握られた拳はそのままに、視線は狂獄の一挙一動も見逃すまいと注がれていたが、そこまでだ。

 人質が正しく機能していることに狂獄は頷き、言葉を続けるべく口を開く。

 

「話がしやすくて助かります。流石の僕も<超級>を二人同時に……それもあの"最高記録"も相手取るのは無謀にすぎますから。少なくとも今は、僕の敵は貴方ではないので。この場での敵対はご遠慮します」

「僕のことを知っていて尚押し通るのかい?」

「はい。それが僕達の望みでありますので」

「……やっぱり、PKの考えは理解できないな」

 

 あくまでも冷静に、真っ向から反論した狂獄に、GA.LVERは唸るように零した。

 PKとは、各々の都合を至上として無理を押し通す無法者である。

 道理を踏み躙り、良識すら意に介さず、ただ己が良しとしたことのみを貫く反逆児達。

 彼らの姿勢は、マグロやGA.LVERのような善性の人間にとっては理解し難い理不尽そのもので、だからこその嘆息だった。

 

「理解はともかく、得心はされたようなので続けましょう。改めて申し上げますが、僕の望みはマグロさんとの一騎打ちただそれのみ。それが叶うならば彼の進行は邪魔立てしません。後ろから不意を打つこともしないと誓いましょう」

「……それが約束される保証は?」

「ありませんが、だからといってそれを無視できる立場でもないでしょう?」

 

 身勝手な申し出への疑惑の答えも、また身勝手。

 元より期待はせずに問うたマグロだったが、あまりに身も蓋もない答えに二の句を告げない。

 大多数のプレイヤーにとっては()()()ティアンの命だが、二人にとってのそれはこの上なく重い。

 "世界派"である以前に個人として命を軽視できない善性の二人だからこそ、理不尽と思いつつも狂獄の言に従う他なかった。

 

「……私が決闘に応じれば、ニエさんは無事なんですね?」

「それは貴方の連れの努力次第、とだけ言っておきましょう。要求が通るならば、少なくとも僕がこれ以上妨害することはありません」

「……私、初めて誰かを嫌いになれそうです」

 

 苦渋に表情を歪ませながら零した言葉は、マグロ自身、自分でも驚くほどの感情の発露だった。

 都市一つを巻き添えにする惨事を引き起こした【歌姫】――クジラにさえこうも大きくは抱かなかった黒い怒りが燃え盛り、マグロの心中を焦がしていく。

 彼女には、リアルでの羨望と好意、そして行動はどうあれ善性は確かにあった本性から心底までには憎みきれなかったが、狂獄は違う。

 

 仔細までは把握しきれていないが、己の都合でニエを利用している。

 自分は知らないニエの何かを知りながら、それを利用して己の目的を、悪を為そうと目論んでいる。

 所詮為人を知りもしない赤の他人の悪意だからと言ってしまえばそれだけだが、マグロとGA.LVER、二人の良心を踏み躙るが如き凶行に、マグロははっきりと怒りを自覚した。

 

 かつてカルディナで【歌姫】を止めようとしたときにも抱いた感情。

 人はそれを、()()という。

 

「GA.LVERさん、行ってください」

「……任せていいんだね?」

「はい。GA.LVERさんさえ無事なら彼女は追えますから、ここは私達に任せていってください」

「わかった。――キミの勇気と献身に敬意を!」

 

 マグロは過去になく冷徹な目で、言葉だけでGA.LVERを送った。

 一言だけ確認を取って振り返らずに駆けた彼の背を、しかし狂獄の刃は追わない。

 それは口先で誓った約束を果たしたからか。それともマグロが――テスカトリポカが揃って狂獄を見ていたからかはわからない。

 しかし少なくとも狂獄にとって、ここで誓いを反故にすることのリスクを考えさせるだけの()は確かに存在した。

 

「お望み通り一騎打ちです。仮に貴方がGA.LVERさんを追おうとしても、私達が止めます」

「……結構。ならばこそ僕も本懐を果たせるというもの」

 

 場に取り残された二人の<マスター>は、互いの決意を露わに静かに相対した。

 

 テスカトリポカはいつの間にか白蛇へと姿を変えてマグロに巻き付いている。

 狂獄は深く腰を落として、肩に大剣を背負うような構えを見せた。

 

「――疾ッ」

「――殺ッ」

 

 棒立ちのマグロから飛び跳ねるようにしてテスカトリポカが蛇身を伸ばす。

 十分に加速した鞭のようにしなるそれを、前へ転ぶように飛び出た狂獄の大剣が打ち据え擦過する。

 ギャリギャリと異音を鳴らして火花を散らす様は鍔迫り合いの如く拮抗。しかしそれも数瞬のことで、瞬きの次には互いに最初の位置へ戻って睨み合っていた。

 

『大層な形をして随分なナマクラのようだな。重さも鋭さも足りぬ、それでは蛇身一つ断つには足りんぞ』

「まさしくご指摘の通りでして、僕の愛刀は武器性能では格が落ちます。そういう貴方は大変素晴らしい。たったの一合で間違いなく過去最強のガードナーであると断言できます」

『お褒めに与り恐悦至極。しかし礼節を弁えぬ下郎の言とあっては、欠片も余の心には響かぬな。もしそのナマクラを見せたいだけなら、つまらぬ。早々に片を付けてくれようが』

 

 戦闘速度の領域が超音速に達していないマグロには到底把握し得ぬ一合。

 彼女の目からすれば自分の腕から放たれた白銀の鞭のしなりも、狂獄の強撃も、等しく微かな残像のみを示す陽炎に過ぎない。

 互いに放った牽制の軍配はどうやらこちらに上がったようだが、嘲るように見下すテスカトリポカは、その言動とは裏腹に一切の警戒を緩めていない。

 受けた狂獄も、そこで初めて小さく微笑を浮かべて大剣を構え直す。

 

「もし一太刀で片付くならば期待外れでしたが、杞憂だったようで」

『要らぬ心配よ。惜しまずかかってくるがいい、小童。貴様如き()()()()に侮られる余ではないぞ』

「ご忠告ありがたく。ならば遠慮無く、貴方の命――()らせていただきます」

 

 言って、狂獄は動く。

 しかしそれは先の踏み込みとは異なり、接敵せず距離を空けたままの一閃――からの不可視の斬撃だった。

 応じるテスカトリポカ、蛇身を蛇玉の如く重ねて防ぐ。蛇身に奔った裂傷から血が流れるが、それも数秒の後には再生し傷が塞がる。

 

 《剣速徹し》の効果を得て尚断ち切るに至らぬ頑強は、《硬化》を始めとした各種防御スキルの重ねがけによるものだ。

 スキルレベル一〇に達し、自身も超音速戦闘を可能とする狂獄が振るえば、如何なナマクラとて大抵の物質は割断し得る斬撃だったが、ガーディアンとしての高ステータスとそのENDを増強する防御スキルを以てすれば耐え凌ぐは容易。

 一見して細身ゆえに耐久性に劣ると思われがちな白蛇の姿だが、その実暗器としての役割を果たすこの形態は思いの外強靭である。

 少なくとも()()()()()()()()純粋な斬れ味や攻撃力には劣る狂獄の<エンブリオ>では、防護に専念した"白のテスカトリポカ"を斬り伏せるのは難しい。

 

「まるで鞭のアームズのようですね、存外硬い。《真空斬り》では()が立ちませんか」

『どうした、この程度か?』

「いえいえ、まだ踊れますとも」

 

 ならばと二度三度振るわれた刃から放たれたのは炎。

 次いで極低温、次いで雷撃。天属性と海属性のエネルギー攻撃が剣であるはずの得物から放たれテスカトリポカを襲う。

 それを事前に設定しておいたレジスト系スキルで減衰し、持ち前のENDで減算すれば、結果として残る傷は苛烈な攻撃と比して驚くほど微小。

 無論、本体であるマグロへもそれらの猛撃は放たれていたが、それはテスカトリポカの意思による《ライフリンク》によって引き受けられダメージにはなっていない。

 

 その後も続く乱撃は実に節操が無かった。

 ありとあらゆる属性攻撃と物理的な攻撃が嵐となって襲いかかるも、その尽くをテスカトリポカは耐え凌ぐ。

 無論守りに徹するだけの彼女ではなく、繰り出される反撃は白熱する蛇身(ヒート・ボディ)と、刃の如く研ぎ澄まされ逆立つ鱗(レイザー・スケイル)

 白蛇形態における物理攻撃は、主に《伸縮自在》を始めとした変形スキルとこれら攻撃スキルの複合による体当たりだが、その威力は並大抵の武器を遥かに凌駕する。

 狂獄は縦横無尽に駆け巡る白蛇を鞭と称したが、直接戦闘を不得手とするマグロにとってはまさしくこの"白のテスカトリポカ"こそが唯一にして最大の兵装、己が意思を持ち攻撃する自動武器。

 

 大抵の戦いはこの"白のテスカトリポカ"で片が付くほどだ。

 索敵、防護、攻撃。あらゆる局面に対応し、形状自在ゆえに隠蔽が容易く、歴戦の経験を宿すテスカトリポカそのものであるがゆえに隙が無い。

 <超級エンブリオ>へ達して以降、好んでテスカトリポカがこの形態でいるのも、それが日常において最も本体であるマグロを護衛するのに適し、小回りが利くからだ。

 超音速同士の戦場で棒立ちのマグロが生存できているのも、この()()()()()とも言うべき"白のテスカトリポカ"にその全身を守られているからに他ならない。

 

 だが、狂獄が脅威と観たのはそこではなかった。

 ただ強いだけのガードナーであるなら、彼がマグロに執着することはなかった。

 彼がマグロとの一騎打ちに固執した理由……それはここまでの攻防全てにある。

 

「――素晴らしい! やはり貴方は、僕の同類だ。僕の見立ては間違っていなかった。僕と同格で、これほどの!」

『そうか、貴様もか。確かに我らも、同系統の使い手で格を同じくする手合は、例が無かったな』

「ええ……僕達のように()()()()()に長けた<エンブリオ>の使い手は、希少ですから」

 

 

 ◇◆

 

 

 《ラーニング》というスキルがある。

 <エンブリオ>で確認される、文字通り『スキルを覚えるスキル』だ。

 特定の条件を満たすことで、あらゆる生態的・スキル的制限を無視して対象となったスキルを習得する。

 概要だけなら強力無比なこのスキル系統だが、しかしながら<マスター>間での評価は芳しくない。

 その理由は様々あるが……数多い意見の一つに()()()()()()()というものがある。

 

 第一に、ラーニングそのものの条件。

 まず確定でラーニングが可能ということはありえない。

 小難しい条件をクリアした上でなお低確率を乗り越えることで初めて習得が可能になる。

 良くて一〇%に達するかどうか。基本的には一桁、それも下限に近い低確率が基本だ。

 もし確実にラーニングを成立させようものなら、確率面以外で非情に重篤なペナルティを負うことは必至であろう。

 

 第二に、習得したスキルの成長性が低い点。

 無論例外もあるが、ジョブで修得できるようなスキルとは違ってスキルレベルという概念が無いことが殆どだ。

 習得した時点での性能が全てであることが大半であり、また無数の上位・下位互換が存在するために習得難易度に比べて実用性が頗る低い。

 あるいは外付けのリソースで効果を増強するという手段もあるが、それを考えるならラーニングに頼る必要性自体が希薄になる。

 

 最後に……そもそもが把握し切れない。

 習得し得る一つ一つのスキルの性能が低いために、それを補うには数を用いるのが通例である。

 しかしそうなるとスキル同士のシナジーを考慮し、それを戦術に組み込む必要が生じ、選択肢だけは無数にあるために却って手段の限定が難しいというジレンマが生まれる。

 そもそもが常人の処理能力に限度があり、一般的な家庭用ゲームであるならともかく、VRMMOの体を取るこの<Infinite Dendrogram>での戦闘はリアルタイムで状況が推移し、そこで悠長に手札を取捨選択しようものなら、それは致命的な隙以外の何物でもない。

 

 結果として無作為にスキルを覚えるくらいなら、自分で把握しきれる範囲内のスキルを高めていくほうが余程に効率が良いという結論になる。

 多くの<マスター>にとってその認識は当然であり、またそれぞれ固有の<エンブリオ>の特性も、何かしらの方向性に特化していることがほとんどだ。

 スキル特化型の<エンブリオ>でさえ、<マスター>のパーソナリティに準じた方向性を軸として、それを逸脱する多様性はまず持ち得ない。

 

 そうした前提もあってラーニングを主軸とした<マスター>の数は少なく、ましてや実力者ともなれば全体数からすれば皆無と言っても過言ではない。

 だが極稀に、そうした前提を覆すような()()も存在する。

 

 それは己を持たないがために()()()()()()()"無貌"の不定形であったり。

 天賦の知性を、類稀な環境で磨き抜いた今はまだ存在しない<マスター>であったりするかもしれない。

 

 そして今対峙する二人もまた、その一例であった。

 

 【獣神】を冠する女は、<マスター>としては無能である。

 その存在の全てを<エンブリオ>に捧げ、自身は一切の()()を負うがために、独りでは日常の生存すらままならない最弱の<マスター>だ。

 代わりにその<エンブリオ>は規格外。本来<マスター>に備わるべきだった一切の()()を一身に背負い、求められたのは万能にして最強の守護者。

 

 第一の固有スキル、《贄の血肉は罪の味》によって全体的な火力を増強し。

 第二の固有スキル、《プレデーション・ラーニング》によって数多のスキルを備え。

 第三の固有スキル、《四狂混沌》であらゆる環境に適応した肉体を保有する。

 多重技巧によって犠牲となるべきステータスは、<マスター>側の全ステータス補正にマイナスを強いることによって克服し、<超級エンブリオ>の出力も相俟って純粋性能型にも比肩する基準を保っている。

 極めつけは必殺スキルであり――マグロが何よりも恐れる()、生き甲斐の無い現実への退去と引き換えに齎される暴虐は、短時間限定ではあるが並み居る"最強"を凌駕する。

 

 ラーニング型にしてガードナー特化型の一つの解。

 そしてTYPE:メイデンとしての特性、ジャイアントキリング。それの【四神獣妃 テスカトリポカ】における答えは、至極単純にして暴論そのもの。

 即ち『誰よりも手札があればあらゆる局面で有利になれる』、そして『死なば諸共』。

 

 

 しかし、彼は違う。

 彼の<エンブリオ>はTYPE:メイデンではない。ジャイアントキリングの特性を有してはいない。

 

 彼が掲げるのは――

 

 

 ◇◆

 

 

「僕が貴方に興味を示したのは、あまりに不釣り合いなステータスに目を引かれたからです」

『あの夜に遭遇したときか』

「ええ。僕はPKですから、初対面の相手には《看破》する癖が染み付いています。その僕の目に映ったステータスは、【獣神】という未知の【神】に、高い合計レベル。しかしそれに反してステータスは貧弱そのもの。最初は偽装を疑いましたが、それらしい装備も無い。これに興味を持つなという方が酷というものでしょう」

『成程、それで誘蛾灯に群がるが如く貴様が釣れたというわけか』

 

 愉しげにテスカトリポカが嗤う。

 互いに希少なラーニング主軸による多重技巧型、それも世界に一〇〇と居ない<超級>同士という理由もあって、テスカトリポカの関心は大きく増していた。

 攻防を繰り返す最中に言葉を交わし、一時の逢瀬を堪能する。

 双方ともに饒舌となっていき、狂獄も今や当初の冷静が嘘のように歓喜を露わに無数の攻性スキルと剣戟を繰り出していた。

 

「貴方達に興味を惹かれた後は、無粋を承知で観察させていただきました。貴方は最初からお気付きでしたが、そうでいながら僕を捨て置きましたね。まるで路傍の石を見たが如く。その高慢も、しかし狩場で数多のモンスターを屠る姿を見たあとならば高嶺の花そのもの。貴方にはそれが許される()()がある。堪らず見惚れましたとも。連日の潜伏も何ら苦ではありませんでした」

『……ククク、随分とまぁ情熱的に口説いてくれるものだ。見てくれだけはなかなかどうして、余の好みではあるが』

「生憎、既に先約がいますので。誤解を招く物言いでしたら申し訳ありません」

 

 <Infinite Dendrogram>における戦いのセオリーとして、万能型と戦う場合は能力の予想や推察は意味を為さない。

 どんなスキルをどれだけ有しているかわからないし、下手に想定を交えて戦えば思わぬ痛手を被るからだ。

 幾度となく戦闘を重ねた知己の相手ならばともかく、初対面ならばおよそ全知全能を相手取るつもりで相対すべきである。

 

 そして<超級>にして同じ万能型同士の戦いは……およそ考察の意義すら失われる壮絶なものだった。

 無数に飛び交うエネルギー。物理的衝突や攻性スキルの応酬は、互いの戦闘速度もあって目まぐるしく形を変え場所を変え、推察や推測を挟む暇も無く縦横無尽に駆け巡る。

 歴戦のテスカトリポカだが、その度合で言えば狂獄もさるもの。扱いの難しい無数の手札を巧妙に使い分け、その都度で容赦無い致命打をテスカトリポカへと見舞う。

 

 それを的確に防ぐテスカトリポカが規格外なら、狂獄もまた規格外。

 元より<超級>とは、地球の基準で言えば超人と呼ぶべき猛者が数多跋扈する<Infinite Dendrogram>において尚、常軌を逸した理不尽の権化。

 それら超越者同士の激突ともなれば、神話か伝説のそれかと見紛っても何ら不思議ではない。

 

「貴方は狩りを追えたあとは必ずドロップアイテムを消費していましたね。おそらくはそれがラーニング条件なのでしょう。モンスター由来の素材を消費することで、そのモンスターのスキルを習得する。さながら獲物の血肉を糧とする猛獣のように」

『如何にもその通り。ならば余も一つ見立ててやろう。貴様から立ち昇る噎せ返るほどの血の匂い。殺意そのものの剣呑な得物。貴様の立ち居振る舞いからして、その条件は――』

「お察しの通りかと。ならば答えましょう。僕の<エンブリオ>、【非情大剣 イヴァン】の固有スキルは《カーネイジ・ラーニング》。対象を殺害することによって低確率でのラーニングを可能とするもの」

 

 恐ろしく剣呑にして血腥い固有スキルを狂獄は述べた。

 前提からして殺戮を要求するそのスキルで、一体どれほどの屍山血河を重ねてきたのだろう。

 それは彼が放つ無数の攻性スキルが物語っている。低確率を幾度も経て得た数百ものスキル群。その背景にはおよそ正視に堪え難い殺戮の爪痕が刻まれている。

 

 前代の【修羅】を屠って生まれた新たな【修羅】。

 その座を追い求めるものなど、元より修羅道の輩以外にあり得るはずもなし。

 

「そして」

『ほう……』

 

 狂獄は徐に後退し、剣を掲げた。

 奉ずるように切っ先を天へ向け、両の手で柄を握り締める。

 攻撃のためではないその構えは、彼が真の力を目覚めさせる儀礼。

 彼が<超級>に達したことで得た、殺戮の権化を呼び起こす引き鉄。

 

「これが僕の必殺スキル。今宵貴方の屍を晒すべく、ここに鬼を始めましょう」

 

 狂獄は、吟じるように一節を詠い――、

 

 

「強権発動――――目覚めよ、《殺戮皇帝(イヴァン)》」

 

 

 ――その姿を、人の身から大きく変えた。

 

 

 To be continued

 




(・3・)<【修羅】狂獄
(・3・)<本作中最もOSR値の高い<マスター>
(・3・)<ちなみにリアルは中学二年生(14)


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獣の神というもの、修羅なるもの

デンドロのアニメ化おめでとうございます。
有料配信でも見なきゃ(使命感)


 

 □■天地西方面・森林部

 

 

 狂獄の必殺スキルの宣言と同時、【非情大剣 イヴァン】は()()()()()

 天に向けて捧げた切っ先から稲妻のように亀裂が奔り、無数に砕けた剣片が光の粒子と化す。

 そしてそれが狂獄の身体に次々と取り込まれて――彼は()()した。

 

『VOOOOOOooooo――……』

 

 全身を覆い隠すような発光が収まった後、そこに現れていたのは一頭の巨大な魔物。

 黒煙のように轟く鼻息を立ち昇らせ、大樹の根の如く太々とした四肢で支えられた巨躯。

 月夜にあって尚黒い外皮と体毛に覆われ、眼だけは篝火のように爛々と赤めくその姿は、例えるならば猪に近い。

 だが、それを単なる猪と形容するにはあまりに存在の規模が違いすぎた。

 

 まず、サイズが違う。

 体高だけで一〇〇メテルを優に越え、それに比例するように体長、体重の桁も規格外。

 全身を形作る筋骨の隆起は屈強という言葉でも尚足りぬほど頑健そのもの。

 吐き出す黒煙と山の如き巨体から、さながら生きた火山とでも形容すべき大魔猪であった。

 

「変身スキル!」

『予想は出来ていたことだ! しかしこれは、質量がデカすぎる!!』

 

 叫ぶマグロの言葉を受けてテスカトリポカが飛び出した。

 全身を白熱した鋭利な鞭に変えてその巨体を貫――こうとして叶わず、拘束するようにその体表へ蛇身を張り巡らせる。

 キロメテル単位での伸長を可能とする"白"の蛇身は、比較すらも虚しいサイズ差ながら易々と大魔猪の全身を絡め取る。

 

 蛇身を鎧う鱗全てが鋭利な刃物であり、また岩すら融かす超高熱でもある"白"の全身は、生半可なモンスターならば拘束過程だけで容易に溶断し得る兵装であったが、しかし大魔猪が相手では僅かに体皮を焼き焦がすだけで溶断には遠く及ばない。

 故にテスカトリポカは大魔猪の全身を隈なく拘束した蛇身に力を込め――伸長を解除した。

 

 幾百幾千も倍する体積を拘束するために伸ばしていた蛇身を元に戻せば、当然ながら捕らわれた大魔猪への縛めは強まる。

 あまりに急激な収縮。それを為したのが岩をも融かす超高熱の刃の鞭ならば、その過程で捕らわれた()()も必然的に割断される。

 単なる擦過では溶断できずとも、満身の力を込めた極大圧殺ならば――

 

『VOOOOO……成程、変身前なら為す術も無かったでしょう。しかし甘い見積もりですね』

 

 轟くような鼻息に紛れて呟かれた言葉と共に、その必殺は凌がれた。

 全身拘束から間断無く実行されようとした圧殺溶断。それを狂獄が変じた大魔猪は全身へ力を込めるただそれだけで耐え切ったのだ。

 必殺スキルの変身によって跳ね上がったSTR。その全力を全身に漲らせることで、狂獄の防護は"白"の攻撃力を上回った。

 狂獄の守備を上回れぬまま行われた収縮はその反動をテスカトリポカへと求め――"白"の蛇身はバラバラに引き千切れた。

 

「カトリ様!?」

『今の僕の身体をして重圧を感じる程度には強力な拘束でした。少なくとも今の僕でなければ決着はついていたことでしょう』

 

 他の純粋性能に長けた形態と比べれば総合的なステータスでは劣る"白"である。

 しかしそれでも、今まで一度として敗北したことはなく、ましてや強靭なる蛇身が反動に耐え切れず自滅したという事実はマグロに多大な衝撃を与えた。

 

 過去に繰り広げられた戦いの数々において、敗北を喫したことは当然ある。

 しかしその原因は本体であるマグロを狙い撃ちにされたことによるものが殆どであり、純粋にテスカトリポカが力負けしたことは無い。

 唯一の例外がかつて王国を襲った【三極竜 グローリア】であり、かの超竜を除けばテスカトリポカが正面切って敗北したことは無いのだ。

 

『どうやら<超級>としては貴方達の方が先達のようですが――見縊ってもらっては困ります。成り立ての雛とはいえ僕も<超級>。格を同じくする以上、貴方達にも全霊を以て臨んでほしい。そうでなければ()()()()の意味が無い』

 

 マグロは、自分が知らず知らずのうちに彼を下に見ていたことに気付いた。

 個人的な嫌悪も多分に含まれてはいただろうが、心のどこかでテスカトリポカならこの状況を容易く突破できると過信していた。

 四つある形態の一つとて欠けずに勝利し得ると、彼女は無自覚に楽観していたことを否定できなかった。

 

『……さぁ次です。これで終わりではないでしょう。少なくとも貴方は()()獣の姿をまだ残しているはず。どれだけの手札を隠しているかは知れませんが、温存したまま凌げるとは思わないでください』

 

 狂獄は事前の追跡行から"黒"のテスカトリポカの存在を知り得ていた。

 "赤"と"青"は巨大すぎるが故に人里から遠く離れた場所でも無い限り顕現させるには不向きで、普段の移動や狩りでは専ら"白"か"黒"を用いている。

 西街付近での狩りでも同様にその二種を用いており、それを監視していた狂獄だからこそ、まだ戦いが終わっていないことを認識しつつ次なる手を待っていた。

 

 そしてその求めに応じる声は、すぐに現れた。

 

『――よかろう。だが我が全霊を拝するには、まだちと足りぬぞ……?』

『ッ、上――!?』

 

 ――上空から飛来した"赤"のテスカトリポカが、大魔猪を鷲掴みにしていた。

 

 大質量を有する今の狂獄と伍する体格の大怪鳥。

 翼を広げれば全長一〇〇メテルにもなる赤き魔鳥は、その鋭い鉤爪で魔猪の背をしっかと掴むと、そのまま空へと舞い上がっていく。

 

『ククク……さて、空でもその巨体は本領を発揮できるのか? 為す術も無いなら、このまま嬲り殺しにしてくれようぞ』

 

 遥か上空へと舞い上がったテスカトリポカは、そこで狂獄を解放すると落下していく彼に向けて無数の攻性魔法を見舞った。

 繰り出される魔法の数々はさながら戦闘機による戦略爆撃。広域殲滅を最も得意とする"赤"の容赦無い追撃は、地表を巻き添えにしながら無防備を晒して落ちていく狂獄を攻め立てていく。

 

「か、カトリ様ー!? 私も巻き添えになってるんですけどー!?」

『耐えろ』

 

 ……当然ながら地上にいるマグロも巻き添えになっているのだが、今のテスカトリポカは容赦がなかった。

 尊大な態度を崩しはしていないが、今のテスカトリポカは狂獄を油断ならない大敵として認めている。ここでマグロを慮って、攻撃の手を緩める選択肢は存在しなかった。

 

 マグロは慌てて【アイテムボックス】を取り出すと、そこから乙女の意匠を象った一台の()()を現出させて入り込んだ。

 【封刺猟棺 エルザマリア】。継続ダメージと引き換えに、あらゆるダメージを大きく減衰させて遮断する一種の個人シェルターである。

 かつては伝説級<UBM>【拷問棺 エルザマリア】という名の生ける拷問器具だったそれが、中に入り込んだマグロを責め苛みながらもより強力な外界の攻撃から守り抜く。

 

 普段はテスカトリポカの傍にあって庇護され使い道の無い特典武具だったが、この場においてはこの上なくその機能を発揮した。

 木々を薙ぎ倒し、地面を捲り上げ。森をズタズタに引き裂いていく魔法爆撃から虚弱なマグロを守り抜いた。

 やがて爆撃が鳴り止んだ頃、一面荒れ地となったかつての森で唯一無傷で取り残された【エルザマリア】からマグロが這々の体で姿を現すと、戦況は大きく一変していた。

 

 ――戦場を空へと移し、二頭の巨鳥が争っていた。

 

『ククク、雛鳥かと思いきや……存外上手く飛ぶではないか。ならば暫し空の舞と耽ろうぞ』

『本当に……貴方は最高の敵手だ。貴方だからこそ、僕は僕を全力で試せる!!』

 

 テスカトリポカが変じた赤き魔鳥と――大魔猪と色合いを同じくする巨鳥。

 状況からしてそれは間違いなく狂獄が変じたもので、テスカトリポカに劣らぬ高速飛翔を為し、戦線を維持していた。

 

「……カトリ様と同じ?」

 

 さっきまでは陸を駆ける獣だったものが、今は空を舞う猛禽へと化している。

 そして手段は違えど同じラーニングスキル。これまでにも見せた無数のスキルの応酬。

 あまりに似通った能力から、マグロは同種のスキルを推測した。

 

 しかし、違う。

 結果こそ酷似しているが、そのプロセスは大きく異なる。

 変幻自在に姿を変え、何ら瑕疵無くその全性能を発揮できる理由――それは彼の<エンブリオ>にあった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 リソースという概念がある。

 ある程度<Infinite Dendrogram>に触れているものならば、詳しくは知らずとも漠然と理解しているであろうそれ。

 レベル上昇のための経験値。

 スキル発動のためのコスト。

 モンスターの死亡後に遺されるアイテムの数々。

 それらは全てリソースという無形の万能エネルギーによる産物だ。

 

 ひとまずはスキル面におけるリソースについて語ろう。

 原則として、より強力なスキルほど行使に要するリソースは増大する。

 強力な魔法ほど多くのMPを消費するし、大技ほど多くのSPを消費する。

 <エンブリオ>の固有能力においても、より強力なものほど時間的・コスト的な負担が増え、それでも足りない場合はペナルティとして重くのしかかる。

 

 テスカトリポカの場合、本体であるマグロへの全ステータスマイナス補正や、《贄の血肉は罪の味》の解除不可継続ダメージ、ラーニングに際してのアイテム消費や低確率習得がそれだ。

 極めつけは必殺スキル……デスペナルティを経るまで決して回復しないHP最大値の減少がそうだろう。

 いずれも多大なペナルティを本体に強いることで、ガードナー系列の<エンブリオ>であるテスカトリポカを多重技巧型の限界を大きく超えた、全方面において万能最優のガーディアンとして君臨せしめている。

 

 かようにリソースとは奥深く複雑極まりない仕組みであり、乱暴に言えばリスクを重くするほどに大きなリターンを得られるようになっている。

 その観点から言えば、テスカトリポカはまさしくハイリスク・ハイリターンの極みと言えよう。

 

 翻って狂獄の<エンブリオ>――【非情大剣 イヴァン】はどうか。

 彼がこれまでに見せた固有能力は《カーネイジ・ラーニング》のみ。

 厳密に言えばそれによって習得した無数のスキル群だが……果たして規格外の極みと言える<超級エンブリオ>の視点から、このスキルだけを見ればどうだろう。

 ……些か、弱きに過ぎないだろうか?

 

 《カーネイジ・ラーニング》は強力なスキルだ。

 殺傷を条件とするスキルの低確率習得。多くのゲームにおける大前提である戦闘を介するだけで、理論上無制限にスキルを習得できるのは、確かに強力ではある。

 だが<超級エンブリオ>の基準から見てそれのみを強みとするには――あまりに謙虚にすぎないか。

 

 【非情大剣 イヴァン】には習得したスキルを増強する機能は無い。

 ステータス補正も極めて低いオールG。TYPE:アームズ系列の真骨頂である武器としての性能も劣悪そのもの。

 単純な武器性能で言えば、生産職のハンドメイド品の方が高性能なことすらある。

 更に言えば《カーネイジ・ラーニング》の性質上ラーニング目的で対象を殺傷した場合、全リソースがラーニングのためのコストとして消費されるためレベルアップも遅くなる。

 白鷺領で多数のティアンを乱獲していなければ、そもそもテスカトリポカと渡り合う土台にすら上がれなかった程だ。

 

 <超級エンブリオ>としてはあまりに見劣りする【非情大剣 イヴァン】。

 ならばイヴァンを<超級エンブリオ>足らしめる最大要素はどこに存在するのか……残る選択肢は一つしかない。

 ()()()()()だ。

 必殺スキルこそ<超級エンブリオ>、【非情大剣 イヴァン】の真骨頂。

 

 TYPE:アドバンス・ルール・カリキュレーター。

 その特性は――()()()()

 

 元より武器としての性能など欺瞞でしかない。

 その真価は極大容量の()()()()()。その刀身には、これまで殺戮してきた数多の獲物の情報が刻まれている。

 そして必殺スキル《殺戮皇帝》は、そこに刻まれた無数の情報を狂獄へ転写し――その存在を殺戮の化身へと変える。

 

 第六形態までは必殺スキルも覚えず、単なるルール・アームズでしかなかったイヴァン。

 <超級エンブリオ>へと到達することで漸く獲得できた必殺スキルは……この上なく恐ろしい。

 

 変身可能時間、極長。

 ステータス補正、極大。

 しかしそれすらも余技でしかなく、真なる本領はカリキュレーターとしての()()()()にある。

 

 必殺スキルの効果中、狂獄は自身の身体を好きなように創り変えることができる。

 イヴァンに集積された無数の形質情報を元に、イヴァンが演算し転写し改造し、状況に応じて最も適した形へと狂獄を変質させる。

 人体とは構造を大きく違える異形での活動も、イヴァンの演算補助によって瑕疵無く行える。

 その上で《カーネイジ・ラーニング》によって獲得した無数のスキル群も管制し、最適な形で行使する。

 

 長い蛹の期間を経て漸く<超級エンブリオ>として羽化したイヴァンは強力だ。

 テスカトリポカは彼を雛鳥だと言ったが、それは違う。

 彼女でなければそのような大言は到底吐けやしない。彼女でなければ狂獄が必殺スキルを発動した時点で決着がついていてもおかしくはなかったのだ。

 

 史実においてロシア最大の"暴君"と称されるイヴァン雷帝。

 それをモチーフとする【非情大剣 イヴァン】は、その名の如く所有者を暴君へと変える。

 大権(大剣)を振り翳し、無数の権能(スキル)を思うまま奮う修羅(ツァーリ)

 

 そしてその大暴力は、【修羅】という超級職とも大いなるシナジーを発揮し――

 

 

 ◆◆◆

 

 

 遥か上空で繰り広げられるドッグファイト。

 互いに超音速で飛翔し、無数の攻性スキルを駆使し、同等の巨体を以て応酬する。

 魔法行使能力と速度において最高性能を発揮する"赤のテスカトリポカ"は、空戦の当初で優位を誇っていた。

 各種バフによって超々音速に近い戦闘速度を発揮し、四形態でも最大量のMPで強化された攻性魔法の数々は、攻撃性能において四形態中最強を誇る。

 されど相手も大したもの。およそ戦闘経験の少ない空戦において"赤のテスカトリポカ"に食らいつくのは、如何な<超級>とはいえ容易に為し得ることではない。

 とはいえ戦闘経験値の多寡で言えば全ガードナー中でも三指に入るテスカトリポカの優位は崩れず、いずれ遠からず決着はつくものと思われた。

 

 しかしそうは問屋が卸さない。

 二人には知り得ないことだったが、戦闘開始から発動し続けていた【修羅】の奥義である《修羅場》によって、狂獄の全ステータスは少しずつ増大している。

 一つ一つの補正は微量ながら、元のステータス値が桁違いであるために、必殺スキル発動後の上昇割合は発動以前とは雲泥の差であった。

 それこそ、"赤のテスカトリポカ"の戦闘領域に迫る程に。

 

 実数値としては見えないながらも、テスカトリポカは狂獄が時間を経るごとに強化されていくのを察していた。

 とうに戯れは鳴りを潜め、全力で彼を仕留めんと猛威を奮っているものの、互いの戦闘速度が高まりすぎたがために射出される攻性スキルでは既に補足が無意となり、互いの全身を用いた肉弾戦へと移行している。

 

 しかしそうなると軍配が上がるのは狂獄の方だった。

 魔法行使と速度に特化した代償に耐久面では四形態中最弱の"赤"では、純粋な肉弾戦になると途端にその戦闘価値を失う。

 幾度となく衝突し合う中で赤き魔鳥の翼は折れ、爪は砕かれ、見るも無残に打ち据えられる一方で狂獄の変じた巨鳥の傷は軽微。

 やがてダメージの蓄積も相俟って完全に狂獄が上回ると、幾度目かの離脱からの突撃で"赤のテスカトリポカ"の身体は引き裂かれ、その存在を光の粒子へと変えた。

 

『――まだだ』

『どこまで僕を喜ばせてくれるのですか、貴方は!』

 

 次いで、"青のテスカトリポカ"が現れる。

 高空で散った"赤のテスカトリポカ"の残滓が再び収束し、その身を全長五〇〇メテルにも及ぶ青き巨人へと変えた。

 極まった狂獄の戦闘速度からすればあくびが出るような鈍重。今の彼の眼には無防備な隙でしかない巨体目掛けて"赤"を仕留めた突撃を繰り出すも――

 

『柔い柔い、効かんよそれでは』

『成程、耐久特化形態ですか。つくづく芸達者な方だ……!』

 

 その鉤爪は僅かな引っ掻き傷を表皮に刻むだけで、致命には程遠かった。

 驚愕で僅かに硬直する狂獄を捕らえんと"青"の巨大な手が迫るが、立ち直った狂獄の離脱で空振りに終わる。

 耐久面に特化した"青のテスカトリポカ"とはいえ亜音速は発揮できるのだが、その程度では超々音速に達した狂獄を補足するにはのろまにすぎる。

 しかし、防御力と回復力において群を抜く"青"に対して、先までの空戦は些か非効率に過ぎると狂獄は判断し。

 

『ならば!』

『ぬっ……』

 

 離脱し、戦場を大きく離れるように飛翔した。

 "青"の視界から狂獄の姿が失われ地平線の彼方へと消えていき、暫しの静寂が戦場を満たす。

 

「逃げた……?」

『いや、これは……違う! 【エルザマリア】だマスター、避難しろ!』

「は、はいっ!」

 

 あまりの急速離脱から逃走の可能性を考えたマグロだったが、テスカトリポカはそれを否定した。

 彼女の直感が戦いはまだ終わってないことを知らせ、より恐ろしい脅威が繰り出されるという予感から、手持ち最大の安全圏である【エルザマリア】への避難を命じる。

 それに応じて再び鉄棺へとマグロが姿を隠すと、人間大のそれをテスカトリポカがつまみ上げ……そのまま口に放り込んで嚥下した。

 【エルザマリア】というシェルターに退避した上で、四形態中最高のENDと防御性能を誇る"青"の体内へと《格納》される。

 これこそがマグロの安全を確保する最大手段。かつて深海での戦いでも用いた戦術である。

 

『…………来るぞ』

「な、なにが……?」

『そこでは何も見えんか。《共有》してやろう』

 

 しかして静寂の終わりは間もなく訪れる。

 危険を察知したテスカトリポカが呟き、《共有》したテスカトリポカの五感でマグロが()を見渡していると……やがて遠景から轟音が近づいてくるのが察知できた。

 マグロ本来の五感では到底知覚できない彼方から迫り来るのは――一頭の巨獣。

 

 最初に狂獄が披露した大魔猪が、そのサイズを大きく増して猛突進してくる姿が見えた。

 

「ひ、ひええぇぇ!?」

『最初に見たときよりも随分と大きい……《巨大化》か。比較的レアなスキルだが、まぁ余と同じ<超級>にまで達したのだ。持っていて不思議ではなかろう』

 

 元の大きさからサイズを数倍する《巨大化》。

 テスカトリポカも多用するためその性能は既知であり、故にこそその脅威も明らかである。

 大きさとは、最も分かりやすい強さの一つだ。

 考えなしに《巨大化》すれば、増大した質量にENDが追いつかず自滅する恐れもある諸刃の剣だが、この期に及んで相手がそのような愚を犯すはずがない。

 

 思考する数秒の間にも"青"とサイズを伍する巨獣へと変じた狂獄は迫り……その背後に津波の如き土煙を巻き上げながら、立ち並ぶ大木も障害としないまま直進していた。

 まさしく猪突猛進。走行距離が伸びるほどに速さを増す《加速》や、衝突時の反動を抑える突進系スキルも併用しての突撃であろうとあたりをつけ、事実その判断は的確であった。

 

 "青のテスカトリポカ"の視界から逃れるほどに離脱した狂獄は、単に仕切り直しを目論んだわけではない。

 その目的は標的までの十分な走行距離の確保と、フィールドに点在するモンスター群の乱獲にあった。

 離脱時の往路で空から地表のモンスター達を殺戮し、折り返し地点で再び魔猪へと変じた後、復路での突進ルートに往路で補足したモンスター達の縄張りを置いたのだ。

 

 "青のテスカトリポカ"と並ぶ程に巨大化した魔猪の突進は、それだけで広域殲滅に相当する。

 ただでさえ巨大な質量が、各種スキルの補正も得た上で十分に加速し、その衝突のインパクトすらもスキルで補強したとなれば、如何な"青"とはいえタダでは済まないだろう。

 テスカトリポカは全力で防備を固めることを決断し、設定された全防御スキルを発動する。

 

 自己バフによってENDを跳ね上げ、腰から生やした根を幾重にも大地に差してアンカーとして、適切な姿勢を取って衝突に備える。

 突進系スキルの性質上軌道を大きく変えることはできないことを熟知していた彼女は、狂獄が真っ直ぐに突撃してくることを推測し、文字通り大樹の如く待ち構えた。

 

『来るぞマスター。そこに居ても少々()()()やもしれん、口は閉じておけよ』

「~~~~!!」

 

 はっきりと視認できる距離にまで近づいた狂獄の姿は、さながら地上を滑る流星の如く。

 天から降り注ぐ大隕石にも匹敵する勢いで、速度と威力の全てを突撃に向けた一撃は、テスカトリポカでなければ回避しか選択を許されなかっただろう。

 それすらも確実とは言えない超加速の中で、AGIにおいて遥かに下回る"青のテスカトリポカ"は、しかし無数に積み重ねた戦闘経験と直感によってベストなタイミングを認識し――真正面から()()()()()

 

『ぐ、っ、うおぉおおおおおおおオオオオオオ――――!!!』

『VMOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――――!!!!』

 

 衝突の瞬間、大気は爆ぜた。

 大質量同士の超速衝突に、二体を中心にして地形が粉砕される。

 生み出された膨大な運動エネルギーが行き場を求めて荒れ狂い、周囲の環境を根こそぎにして尽く破壊しつくした。

 大魔猪の湾曲した牙を握り受け止めたテスカトリポカの腕は、衝突と同時に耳障りな異音を発して砕け折れ、尚も離さず狂獄を足止めする。

 アンカーとして根差した木々は衝突のインパクトで地表ごと木っ端微塵に砕け、その脚すらも腕と同様に骨肉から折れていたが……膝はつかない。

 ダメージは甚大なれどテスカトリポカは確かに正面から突撃を耐え切り、その事実に狂獄はこの戦い始まって一番の驚愕を露わにした。

 

『こ、れ、を……耐え凌ぎますか、貴方は! 一体どこまで規格外なのですか……!?』

『舐めるなよ小僧……余は()()()()と願われ生まれた万能の神だ! たかが戦闘狂如きに後れを取るまいぞ!!』

 

 テスカトリポカは吠え、折れた四肢を高速再生しながらより一層の万力を込め――狂獄の巨体を浮かせた。

 捕らえて離さぬ牙を支店に、上体を大きく捻り上げて……()()()

 "青のテスカトリポカ"だけが持つ、他の形態にはない特徴。それは()()()()

 巨大であるが故に真価を発揮できる相手は少ないが、形を人体と同じくするために、他の獣の形態にはない人体ならではの格闘技術を行使できる強みがあった。

 スキルだけではない、数え切れぬ程の歴戦で培った生来の技能(センススキル)を以て大魔猪を地に組み伏せマウントを取る。

 

 AGIで劣る"青"だが、こうして逃げ場を失わせてしまえばその差など無為と化す。

 仰向けに投げ出された狂獄をその巨大かつ強靭な両脚で馬乗りにし、その上から全力を込められた両拳の殴打を彼へと繰り出した。

 

『ぐっ、ガッ、ゴッオぉ……!? こ、この……グォアぁああああああ!!?』

『さぁさぁどうする小僧! このまま息の根止めるまで打ち据えてやろうか!? 餓鬼の喧嘩のように、このまま敗北を認めるのかァ!?』

『ナ、め、Ru、なぁあああアアアアアアアアアアア――!!!!』

 

 先までの澄ました態度を崩し、形振り構わず絶叫して狂獄が跳ね除ける。

 逃げ場のないマウント大勢だったが、長時間に及ぶ戦闘と突撃に際して大量に殺戮してきたモンスターとで、二種の奥義によるステータス補正がピークを迎え、遂にテスカトリポカを完全に上回らんとする。

 何より過去最大の窮地に際して極限まで高まった狂獄の戦意が限界を超えて肉体を駆動させ、その意志に応えんがためイヴァンが更なる演算を開始して、より強大な肉体へ改造せしめんと全力稼働した。

 

『貴方に勝つ、そのためなら!! 僕の身体なんてどうでもいい! 勝つために必要なら、化物にでもなんでもなってやる――!!』

『吼えたな小僧! いやさ【修羅】よ! 賢しげに取り繕っていたときよりも余程にそそるぞ<超級>!!』

 

 狂獄がこの<Infinite Dendrogram>で求めたのは『より強い自分』だった。

 はっきりと自覚はしないまでも、確かに奥底で抱いていたその願いに答えて【非情大剣 イヴァン】は生まれた。

 リアルでは寧ろ気弱な性分の、軟弱な自分を変えるために、非情を強いる剣を執った。

 殺戮によって強化され、必殺スキルによって殺戮の化身と化すスキル特性も、その過程で歩んでいた剣鬼の道も、全てはより強く大きな自分にならんがため。

 万能の庇護者を求めたマグロとは、ある種対極に位置する彼のパーソナリティ。

 そのアイデンティティを満たさんがため、狂獄はこの接戦で急速に研ぎ澄まされていった戦闘経験で、より強い自分を想像し、創造する。

 

『――――――――』

『なる、ほど……うむ』

 

 組み伏せていた狂獄が光に包まれた後、現れたのはそれまでの巨獣とは打って変わって小さな影だった。

 一〇メテルにも満たない、"青"と比較すれば小人のようでしかないそれ。

 サイズを縮小させることで緩んだ拘束から抜け出たそれは、蟲のような薄羽を広げながら飛翔してテスカトリポカの背後へと回り込み。

 

『この姿で……斃れるとは、な――』

 

 次いでテスカトリポカが全身から血を噴き出して斃れた。

 

「わっ!? きゃあああああああああ!?」

 

 光の粒子と化した"青"から投げ出された【エルザマリア】が高空から落下し、マグロの悲鳴が響く。

 五感の共有を維持していた"青のテスカトリポカ"が消えたことで戦況を把握する手段を失い、混乱の最中にあるままの落下。

 しかし防護と耐久性に特化した特典武具である【エルザマリア】はこの程度ではビクともしない。中のマグロも無事だったが、一体何が起こったのかと再び内部から這い出して見上げた彼女は。

 

「ひっ……!」

『……………………』

 

 ()()()()()()()()と化した狂獄の一瞥に呑まれ、悲鳴を漏らした。

 名実共に修羅となった狂獄の放つ《修羅の貫目》は、それだけで弱者の行動を一切封じる。

 徹頭徹尾弱者であり、故にこそ却って精神的にはタフなマグロだったが、スキル効果と単純な感情、二重の【恐怖】によってその身動きを封じられた。

 

『……さぁ、次です。おそらくは最後でしょう。白、赤、青。テスカトリポカという名。多少サブカルチャーに通じていれば連想するのは容易いことです。黒で最後なのでしょう? そしておそらくはそれが貴方達の最大戦力。僕の方も、現時点ではおそらくこの姿こそが求め得る最高の姿。いざ、終幕と参りましょう』

 

 硬質な外角。薄羽の翼。六臂に構えた大太刀は、牙や爪といった生態としての兵装の延長線だろう。

 しかし同時にれっきとした剣としても機能するその生体兵装は、《剣速徹し》の発動も可能とする。

 耐久性に特化した"青"を斬り伏せたのは、その極まったAGIを乗せた《剣速徹し》による刹那の連続斬撃だった。

 

 通常の戦闘ならば"青"に刃を通せるほどにAGIを増大させる――長時間に渡って戦闘を継続し、その最中に大多数を殺戮することはなかっただろう。

 しかし狂獄の<エンブリオ>が広域殲滅を可能とし、かつ敵対するテスカトリポカが強大であったからこそ、この極致にまで到達することができた。

 狂獄とテスカトリポカ、どちらかに戦力が偏っていてはこうはならない。<超級>同士拮抗し、互いに鎬を削りあったからこそ辿り着けた境地。

 今の狂獄は、彼自身が知る限りにおいて間違いなく()()()()()だった。

 

『さて……こうも追い込まれたのはいつ振りか。かの【グローリア】を除き、<超級エンブリオ>に到達してからに限定するならば、これが初めてか……』

「カトリ様……」

 

 光が集まり、四度(よたび)姿を現したのは"黒"――原初の姿である黒いジャガーと化したテスカトリポカだった。

 こちらもまた先までの姿とは打って変わって小さい……今の狂獄と比しても半分ほどでしかない体格の四足獣。

 しかして狂獄は察する。彼女もまた、その姿こそが()()なのだと。

 彼は一切の油断無くテスカトリポカを見据え、その六刀を構えた。

 

『長いようで短い一時……まるで夢のような時間でした。これが終わってしまうのかと思えば惜しくもありますが、しかし決着をつけねば僕は満足できない。それは貴方も同じでしょう?』

『否定はせぬよ。やり口は好まぬが、戦いそのものは甘美であった。並々ならぬ強敵よ。しかし、だなぁ……』

 

 度々挟まれていた狂獄の口上は、《修羅場》による補正をより多く得るための時間稼ぎ。

 テスカトリポカも流石にそれを察してはいたが、敢えてそれを阻みもせず、いっそ悠長なまでに態度を見せて言葉を濁す。

 ひょっとして彼女もまた同系のスキルを保有しているのだろうかと狂獄は訝しんだが、《看破》で目視したステータス値に時間経過による変動は無い。

 本体(マグロ)の方に絶え間ないHPの増減はあったが、それが戦況に影響を与えることはないだろう。捨て置いた。

 静観して、テスカトリポカの言葉の続きを待つ。

 

『ここまで戦ってきてわかったが、やはり余の勝利は揺るがぬよ。貴様も一頻り暴れて多少は得るものもあっただろう? 逃げ帰るなら今だぞ、小僧』

『な、ん――――だとぉ!?』

 

 そして続けられた言葉は――今の彼にとってはこの上ない侮辱だった。

 この戦いを経て紛れもない強敵、好敵手と認めた相手が、心底から憐憫して自分を()()()()()()

 いや、悪意すらない。路傍の石をでも見るかのように、この戦いを終わったものとして彼女は見ていた。

 最早テスカトリポカの中で、狂獄との死闘は過去のものとして早くも風化しようとしている――それを侮辱と言わずして、なんと言う。

 

『あ、貴方は……お前は!! 僕との戦いを、なん、なんだと思って……ッ!!』

『知らぬよ、そんなこと。そもそも貴様、元より身勝手を貫いて我らに突っかかってきたのではないか。斟酌してやる義理がどこにある? 状況が状況でなければ構わず捨て置いたところだ。それに最早貴様の手の内は知れた。余の手札において、貴様の敗北と余の勝利は揺るがぬ。これ以上攻防を重ねるのは……余分というものだ』

 

 これ以上無い否定の言葉。

 狂獄の理性は、ここで初めて制御を失った。

 

『余分……余分、だと? 僕との決着が、余分……!? 既に三つも手札を仕留められておきながら、お前がそれを言うのか!? 優勢なのは、この僕だ!!』

『そう思うか? なら試してみるがいい。だが一つだけ断っておこう……貴様が求めていた昂揚は最早無い。期待を裏切られぬうちに、思い直すことを勧めよう』

『上等だ……、ならばお前を斬り伏せたあと! お前のマスターも千々に引き裂き、目当ての姫君も同じ目に遭わしてやる!! "最高記録"がいようと知ったことか……今の僕なら、あの男すら敵じゃあない――――!!!』

 

 どこまでも高みから見下ろすテスカトリポカの発言に、狂獄の堪忍袋の緒が切れた。

 激昂し、全性能を必殺に向けて駆動させ、超々音速で飛来しその六刀で斬り刻まんと肉薄。

 

 対する"黒のテスカトリポカ"は、ただ一吼え。大音声による咆哮を高らかに上げて――

 

 

 ――――どうしようもなく、狂獄の全身から()が抜けた。

 

 

『なっ、ァア――――!!?』

 

『――そこで激するからこのような小技に引っ掛かるのだ、戯けめ』

 

 狂獄の全身に漲っていた、【修羅】の奥義によるステータス補正。

 全ステータスにおいて完全にテスカトリポカを上回っていたはずの、全能感にも似た昂揚が"黒"の一声で剥奪され、その落差に取り繕い様のない無防備を晒す。

 その隙を彼女が見逃すはずもなく……狂獄が戦闘始まって以来最大の驚愕を露わにしている合間に、その爪で四肢を断ち、その牙で胴を喰らい、その五体で狂獄を捻じ伏せていた。

 

『い、一体何が……、何が、起きた――!?』

『有頂天に達した輩ほどよく刺さる……貴様ほどの落差は無かったがな』

 

 四肢を失った達磨と化し、その顔を前脚で踏まれ、身動きも取れないまま混乱の極みにある狂獄をテスカトリポカがつまらなそうに見遣る。

 狂獄は自身に起こった変調の理由を俄には判断し切れず、遮二無二抗う中で咄嗟に開いたステータス画面を開いて……愕然とする。

 

 奥義によって得た全ての補正値が、失われている。

 

『こ、これは……!』

 

 戦闘時間経過による補正。

 討伐数累積による補正。

 戦闘中は持続するはずの補正が全てリセットされ、今は前者だけが再び少しずつ補正を重ねようとしていた。

 

『バフの解除能力……!?』

『貴様はよくやっただろうとも。ステータス値も、保有スキルも、余は使わなんだが必殺スキルも、まさしく余と伍するに相応しい性能だった。しかし我らにあって貴様には無いものが一つある』

 

 テスカトリポカは、組み伏せた狂獄の異貌を見下ろしてニタリと笑んで。

 

『――スキル開発力だ』

『スキル……開発力……?』

『そうだ。よもや【(ザ・ワン)】の特性を知らぬわけでもあるまい? 我がマスターもまた【神】の称号を戴く者……モンスターの運用に特化した()()()、【獣神(ザ・ビースト)】』

 

 

世界(システム)が認めた究極のテイムモンスター(最高傑作)……それこそが、余である』

 

 テスカトリポカは、誇らしげにそう述べた。

 

『……ま、それも余という至尊のガードナーあっての功績だがな。あれ自体の育成能力はたかが知れている。単純な運用能力で言うならば、在野の【従魔師】の方が余程優れていようが』

 

 転職条件に謎の多い【神】シリーズだが、傾向として世界屈指の()()を持つ者が認められることは知られている。

 天・地・海、魔法の三大属性における【神】の座が、それぞれの属性の全分野において卓越した技量を要求するように……【神】という頂きは、それぞれの分野における最大才能の発露を求める。

 その観点において【獣神】が求めるものが何かと言えば……それは当然、運用するテイムモンスターの()である。

 

 数を揃えて戦術を駆使するのでもいい。

 ただ一個を極めて他に類を見ない究極の個とするのでもいい。

 それがテイムモンスターを主軸とした()であるのなら。

 それが世界すらも認める超抜の成果であるのなら、【獣神】の座は解放される。

 

 本来ならばモンスターに関するあらゆる知見を求められる。

 あらゆるモンスターの生態、能力を知り尽くし、磨き抜いた《審獣眼》によって従属下のモンスターの素質を見極め。

 その上で育成を突き詰めテイムモンスターの真なる才能を開花させねば到り得ぬ至尊の座だ。

 

 マグロにはそうしたいずれのノウハウも無い。

 彼女にあるのは、自らも犠牲にして生み出されたガードナーだけ。

 これまで従魔系統への転職に必要な最低限のテイム経験しか無く、テスカトリポカ以外の育成経験など皆無。

 ましてモンスターの素質を見抜く《審獣眼》など一度たりとて磨かれてはいない。そのスキルレベルも御粗末なものだ。

 

 だが、そんな彼女が唯一従えたモンスターは――極上の才能を秘めていた。

 無数のスキルを覚える下地を備え、そのステータスは軒並み高水準。そして才能に限界は無く、無限の可能性を秘めた個体。

 まさしく【獣神】が求める究極のモンスターの雛形そのもの。完全に偶然の産物だが、テスカトリポカの特性は【獣神】が求めるものを全て満たしていたのだ。

 

 マグロに【獣神】への道が示されたのは、テスカトリポカが第六形態に到達して暫くした後。

 ラーニングしたスキルが一定数を超え、その工夫を考え出した頃だ。

 先代の【獣神】が遺した最高傑作の残影を打ち破るという転職クエストを経てその座に就き、着手したのがそれまでに覚えてきた無数のラーニングスキルを基にしたスキル開発だった。

 

 それは決して生半可な技量では為し得ない難事だったが……それもまたテスカトリポカの性能で突破した。

 数多のスキルを組み合わせて独自のスキルを開発し……その中でも特に強力なものは、今代【獣神】だけの、ひいてはテスカトリポカだけの()()として組み込まれた。

 

 狂獄を無力化したのも、その一部。

 "黒のテスカトリポカ"が行使できる究極奥義の一つ。

 

 その名を《フェイタル・ロア》。

 

 あらゆる攻撃を減衰させる《竜王気》に着想を得て、無数の試行錯誤の末に会得したバフ解除スキル。

 魔力の干渉を乱す大咆哮によって術式を崩壊させ、一時的に無力化させるデバフ奥義。

 スキル強度の問題で<エンブリオ>の固有能力までは無効化できず、永続効果もまた同様に効果を発揮できないが……一時的な補助効果ならば一声でリセットできる。

 例えそれが超級職の奥義であっても……この技もまた、同じく超級職の()()であるが故に。

 

 そしてその効果の凶悪さは……ご覧の通りだろう。

 実力が拮抗し、あるいは補助効果で優位を保っていればいるほどに、それが失われたときの反動は大きい。

 【修羅】の奥義による補正が無くとも超高水準のステータス値を誇る、必殺スキル使用後の狂獄でさえも堪らず狼狽したように。

 一種の初見殺しだが、それが痛烈に突き刺さった結果だった。

 

『余を最後まで仕留めんとするなら、単純に余を上回るしかない。そのような手合を、余は知らぬがな』

『……成程、暴論だ。僕なんかよりも余程"暴君"の名に相応しい……そのような無理筋、"最強"達でもなければ、到底叶わないでしょうに……』

『最強、か。噂だけは伝え聞くがな。何分、我がマスターはリアルにはまったく関与せぬ故に』

『ああ……そういえば、監視していた最中も、一度としてログアウトしませんでしたね……。廃人、というやつでしょうか……』

 

 狂獄は観念したように脱力した。次いで、『……マグロさんが【神】だから、差し詰め"廃神"かな』とも。

 ともあれ彼は完全に敗北を認め、先までの激昂が嘘のように凪いでいた。

 最早抵抗の余地無しと生殺与奪をテスカトリポカに委ね、異貌ではわかりにくいが、晴れ晴れとした雰囲気を浮かべて表情を変える。

 

『……<超級>はやはり強い。僕が抱いた憧れは間違いじゃなかった。僕も、まだまだ強くならないと……この程度じゃあ、やっぱり満足できない』

『……余のような<エンブリオ>が、<マスター>に善悪を問える筋合いも無いがな。折れぬならば励むといい。再戦も受けて立とう。無論、次は今回のような無粋は遠慮するがな』

『……そうですね。その節は大変無作法を致しました。次は堂々と果たし状を送らせてもらいましょう。勝手ながら、貴方を僕の好敵手として定めさせていただきます』

 

 止めどなく溢れる異形の血。

 やがて致死量に達した出血は彼をデスペナルティへと追い込み、間もなく彼は光の塵と化すだろう。

 その間際において、彼は置き土産のように言葉を残した。

 

『……ニエさんのことならご心配無く。彼が出張った以上、間違いなく対魔さんの目論見は崩れ……彼女は助け出されるでしょうから。元より、彼がこの地に存在していた時点で、僕達の目的は完遂不可能だったことです』

「それなのに、こんな真似をしたんですか? 負けるとわかっているのに、こんな天地にいられなくなるようなことをして……」

『負けるつもりで勝負を挑んだわけではありませんが……ああ、貴方はやっぱり善性の人間なんですね。"世界派"……というやつでしょうか? 生憎と僕は、そうした枠組みには興味が無いもので……』

「…………」

『無辜の民を巻き込んだ僕が許せませんか? ニエさんを体よく利用したことも。……ですが僕は悪いPKですから、そうした他者の都合は斟酌しません。所詮はゲームですから、楽しんだもの勝ちです。……そういう意味では、僕の勝ち逃げかもしれませんね』

 

 『この状況では負け惜しみにしかなりませんが』、と狂獄は笑う。

 凶相で嗤うのではなく、心底楽しげに笑い上げる。

 一頻り呵々大笑した後、静かにマグロの顔を見上げた。

 

『もしこの世界に入れ込んでいるなら、程々にしておいたほうがいいですよ。僕のような若輩が言うのもなんですが、所詮はゲームなんですから。楽しみましょう、それが正義です』

「……私は、貴方との戦いは楽しくありませんでした。今もずっと、心がもやもやしてます」

『……そうですか。だけど僕は、楽しかったですよ。本当に……たのし、かった……なぁ……』

 

 最後まで死闘への歓喜を寿いで、彼は<Infinite Dendrogram(この世界)>から消失した。

 

 そして戦場跡に静寂が満ちる。

 勝ち残ったマグロは苦渋を浮かべ、敗れ去った狂獄が満足を抱く。

 

 

 ――マグロはやはり、最後まで彼らPKの心理が理解できなかった。

 

 

 To be continued

 




・余談

【非情大剣 イヴァン】
TYPE:アドバンス・ルール・カリキュレーター 到達形態:Ⅶ
能力特性:自己改造
必殺スキル:《殺戮皇帝(イヴァン)
モチーフ:ロシア史における暴君"イヴァン雷帝"
備考:
遅咲きながら<超級>に到達するまで必殺スキルを覚えなかった稀有な<エンブリオ>。
ステータス補正は軒並みG。武器性能は劣悪。ラーニングスキルの増強能力も無いと、基本性能が著しく低い分、必殺スキルの出力に特化した<超級エンブリオ>。
所有者である狂獄を乗騎と見做し改造する"アドバンス"であり、殺傷によるラーニングを可能とする"ルール"であり、殺害対象の情報を蓄積し演算する"カリキュレーター"である三種複合型。第六形態まではルール・アームズだった。
武器としての性能が低いのは、そもそもが武器としての運用が主目的ではないため。ステータスでゴリ押してたが、殆ど鉄板を振り回すようなもの。
その真価は本文中でも描写した通り必殺スキルにあり、必殺スキルとしての質は規格外ばかりの<超級>でも屈指。
最後はさらっとテスカトリポカの奥義で倒されたが、逆に言うと奥義が無ければ普通に負けてた。マグロが必殺スキルを使ってたとしても逃げに徹されたら、速度的に追撃できる"赤"も脱落していたので時間切れで負ける。
ちなみに必殺スキルの発動後は、スキルの性質的に彼の種族は『キメラ』へと変更される。

(・3・)<結局どんな<エンブリオ>なのかと言えば
(・3・)<帰刃(身も蓋もない表現)
(・3・)<必殺スキルの性能にほぼ全振りした結果、魔改造アーロニーロさんとでも言うべき性能に
(・3・)<特性的に殺害した対象の種類が増える程バリエーションも増える
(・3・)<なので世にも珍しい「成長性のある」必殺スキル
(・3・)<今後登場するかは知らん。多分出ない(その前に終わる)


・《フェイタル・ロア》

(・3・)<ぶっちゃけるといてつくはどう(身も蓋もry)
(・3・)<スキル成立過程的にマジャスティスとかのほうが近いかも
(・3・)<基礎スペックをバフで補うタイプほど刺さる
(・3・)<狂獄の場合、過去に例のない長時間戦闘・大量殺傷・同格との戦いで完全にハイになってただけにギャップで無防備を晒しすぎた
(・3・)<たぶん二度目以降は今回ほど効果は発揮できない
(・3・)<が、それを差し引いても強力。黒限定の究極奥義の一つ
(・3・)<ちなみにスキル強度の問題で、例えばフィガロさんのコル・レオニスのバフとかは打ち消せない

(・3・)<主人公視点でのクライマックスは今回でほぼ終わりなんだけど
(・3・)<次回、GA.LVER大暴れ
(・3・)<自作の別作品からのゲスト出演みたいなものだけど
(・3・)<どうかもう暫くお付き合いください


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"世界最高"の漢

 

 □■姫君の告白

 

 

 わたくしが生まれ育った白鷺領は美しい郷でございました。

 領土は狭けれど山々の恵みに満ち、数は少なけれど屈強なる武士(もののふ)達に護られた安寧の地。

 長きに渡り戦乱の渦巻く天地にあって一度として侵されたことはなく、まさにこの世の楽園であったと胸を張って誇れましょう。

 

 その地を治める白鷺の御家に生まれ、先祖伝来の土地と御家がため身魂を尽くさんとすることに、一体何の疑いを抱きましょうや。

 女子として生まれ、いずれ何処へと嫁ぐものでも、それが御家の繁栄に繋がるならば、わたくしは何の躊躇もございません。

 たとえ人目に触れず、閉ざされた離れだけがわたくしの世界であろうとも、それが御家のため。

 わたくしは当主である父上が求めるままに、我が身を磨いてまいりました。

 

 辛く、厳しい叱責ばかりが飛び交っていたと思います。

 世話役は厳しく、女としてあるべきあらゆる作法の習熟を求められ、のみならず武芸までも指南されました。

 ひたすら繰り返される勉学と修練の日々。ひょっとしたら、女だてらに武芸を求められる御家に嫁ぐのかとも思いましたが、それを当時のわたくしは知る由もありません。

 ただただ日夜課される稽古に取り組み、来るべき時までじっと耐えておりました。

 ……いいえ、なにも不幸なことなどございません。武家の女の幸福は、すなわち御家の隆盛。そこに疑問を差し挟む余地などどこにもありませぬ。

 

 ……そうして幾年月を経たでしょうか。

 やがて女としての成熟を自覚し始めた頃、それまで一度として足を踏み入れたことのない父上がいらっしゃったのです。

 家中の者が一堂に会する式典以外でお会いしたことのない父上の来訪に、さてはわたくしの嫁入りが決まったのかと心躍ったのを覚えております。

 逸る心を押さえつけ、神妙を取り繕って父上の言葉を待ち――知らされたのは想像だにしなかった凶報でした。

 

 <UBM>……と、いうのですね。

 世に蔓延る魔物の中でもとりわけ凶猛な、御家を脅かす生ける災害。

 わたくしは知り得ませんでしたが、白鷺領は長きに渡ってその大災厄に脅かされ、生贄を差し出すことでその命脈を繋いできたというのです。

 歯向かおうにもその<UBM>は滅法強く、過去幾度となく手練を送って討伐を試みたものの、尽く返り討ちに遭ってきたとのこと。

 そのたびに御家は恐るべき祟りに見舞われ、故にやむなく頭を垂れていた……と。

 

 わたくしは己を恥じました。

 日々の厳しい稽古に弱音を吐くこともありましたが、しかしそれすらも些事でしかない危難を父上は耐えてきていたのだと。

 わたくしが安穏と嫁入りを夢見ていた一方で父上は我が身を切る思いをしておられ、当主としての重責に耐えてきておられた。……そう己が不明を恥じたのです。

 

 父上は言いました。

 かの魔物は見目麗しい女子を生贄に求めている。

 そしてその生贄に白鷺家の姫君――すなわちわたくしを求めているのだと、嗚咽を漏らしながらおっしゃられました。

 あの厳格な父上が涙を流してわたくしに頭を垂れる……青天の霹靂でございました。

 

 わたくしは居ても立ってもおられず、ならばこちらから出向いてくれるとその申し出を了承しました。

 幸いにしてわたくしは【剣豪】、領一番の武芸者として天稟に恵まれておりましたから、<UBM>何するものぞと気炎を吐き、手ずから誅伐してくれると意気込んでいたのです。

 先人の敗北など忘れて驕っていたと言われれば、その通りかもしれません。

 しかし当時のわたくしは自制を忘れ、愛する御家と白鷺の地を脅かす<UBM>の怒りに燃えていたのです。

 

 果たして嫁入りの手筈は整えられ、わたくしは家中の者に見送られながら<UBM>のもとへ向かいました。

 家人が背負う輿に乗り込み、白無垢で己を着飾りながらもその内には刃を秘め、手弱女が輿入れするとばかり思うているだろう彼奴の寝首を掻くことを考えながら。

 

 

 ――はたしてその目論見は、砂上の楼閣よりも尚脆い浅慮でした。

 

 

 指定の場所へ輿が置かれ、家人が引き払った後にわたくしを迎え入れたその魔物は……わたくしの狭い識見など木っ端の如く吹き飛ばす大怪生だったのです。

 その頭上に【奪畏天狐 ザカラ】と()を戴くその化物は、金毛紅眼をした狐尾を纏う佳人でした。

 見目の麗しさはこれまでに見たことがないほどで、ともすれば女のわたくしとて見惚れてしまうほどの美貌でしたが……それすらも吹き飛ばす絶対の()に、わたくしは堪らず総身を震え上がらせました。

 不意を打って必殺を決めるはずだった短刀も滑り落ち、ただただ蒼白するわたくしをかの妖狐は、ニタニタと裂けるような笑みで眺め、こう言ったのです。

 

 

 ――なかなか上等に仕上がっておるようじゃ

 

 ――見目も悪くない、天稟もありおる

 

 ――これならばわれが愛で喰らうに値しようぞ

 

 ――約定どおり、われの寵愛を賜わせよう

 

 

 ……言葉の意味は、そのときのわたくしにはわかりかねました。

 それを訝しむ余裕も無いほどに、わたくしは目の前の化物を恐れ切っていたのです。

 最早歯向かうなどできるはずもなく、レベル五〇〇に達した【剣豪】の肩書きすら虚しいまま、化物に生殺与奪を握られました。

 ただ最期に家族のことを想い、己の命を諦めた……そのときでした。

 

 天からなにかが飛来し、怪生を強かに打ち据えたのです。

 それはよくよく見れば身の丈の大きな偉丈夫で、怪生とは対照的に金毛ながら碧眼をした、筋骨逞しい益荒男でした。

 それがわたくしと怪生の間に堂々と立ち、握り拳を作って猛然と立ち向かったのです。

 

 ――それはわたくしが見たことのない……いえ、およそ何者であろうとも知り得ないだろう超常の戦いでした。

 奇襲を受けた【ザカラ】は立ち直るや否や、何かとても恐ろしげな()を放ち、金毛碧眼の益荒男を包み込みました。

 そのときに浮かべていた笑みから、おそらくはそれが奴にとって必勝必殺のそれであり……それはきっと間違いではなかったのでしょう。

 わたくしが触れたならばたちまち()()()()()()()()()という絶対の予感を思わせるそれにかの御仁は包まれ――しかしそれを突っ切って肉薄し、その拳で怪生の顔を真っ向から打ち抜いたのです。

 

 間際に怪生が見せた表情は驚愕だったでしょうか。

 心底信じられないといった様子で驚愕を露わにし、そのまま豪腕で撃ち抜かれ頭は爆ぜ――そのまま光の塵と化しました。

 ただの一撃でその怪生は斃れ、無傷の殿方だけがその場に立っていたのです。

 その彼はわたくしに振り向くと、安心させるような笑顔を浮かべてわたくしを案じたのです。

 

 ――間に合ってよかった、大丈夫だったかい?

 

 ――もう怖いものはいないさ、安心していいとも!

 

 敵うはずもないと生を諦めた大怪生を打ち破った殿方の声は、荒ぶる豪腕とは裏腹に慈愛に満ちておりました。

 腰を抜かしたわたくしに目線を合わせるように膝を付き、じっとわたくしの震えが収まるのを待ってくれたその方に……思わず胸が高鳴ったのは、気の所為ではないのでしょう。

 故も知れぬ異邦の殿方など、本来であれば忌避して然るべきなのに……わたくしは何の疑いも持たず差し伸べられた手を取りました。

 

 ……思えば家中の者でない殿方と触れ合ったのはこれが初めてでした。

 いえ、血縁であっても触れ合った記憶など定かではなく、ただ必要なだけの接触があったわたくしにとって、その方の温もりはこれ以上無い()となって伝わったのを覚えております。

 そして彼に横抱きにされると、そのまま彼は天高く飛び上がり、山を越え、川を越え、たちまち白鷺の本領へと辿り着きました。

 さながら天狗の如き早駆け。空から見下ろす故郷の風景に目を輝かせ、そのまま屋敷の前に降り立ち、わたくしを救ってくれた殿方へ礼を述べようと振り返りましたが……既にそこに彼の姿はなく、ただ天高く飛び立つ彼の背だけが星空に見えました。

 

 怒涛のように駆け抜けた一時でしたが、ともあれわたくしは屋敷へと駆けました。

 まさしく奇跡か天運かとしか例えようのない幸運によって御家を苛んでいた災いは除かれ、我が身も清らを保ったまま戻れた。

 最早御家を脅かすものはなにもないと歓喜に震え、一刻も早くこの朗報を父上に届けたいと一心に駆け、門前で呼び止める守衛すら飛び越えて、父上のいるであろう大広間の襖を開け放ち――

 

 

 ――これで御家も安泰じゃ

 

 ――苦節十余年、アレを飼い慣らすのは骨が折れたが、ようやく重荷から解き放たれたわ

 

 ――孫子の代まではこれでよかろう

 

 ――次なる(にえ)(やしな)うための手筈、今から整えておかねばなるまいが……な

 

 

 ……そう家中の者に溢しながら、盛大に酒宴を催す一族の姿がありました。

 厳格なはずの父が相好を崩して酒盃を呷り、喜色満面に賑わう家人達と飲めや歌えやの大騒ぎを演じながら、わたくしに見せた涙など一欠片も無くただただ沸いておりました。

 わたくしを怪生のもとへ送り出したときの痛切などどこへやら、とうにわたくしが亡いものとして祝っていたのです。

 

 わたくしは……最早そのとき何を考えていたのかすら判然としませんが、父上に詰め寄って問い質した……ように思います。

 眼の前の光景が信じられず、さりとて見なかった振りもできずに、全てを知るであろう父上に祝宴の理由を尋ねたのです。

 父上は……そこにわたくしが居たのを信じられないものを見る目で凝視し、しばらく鯉のように口を動かしたあと、こう言いました。

 

 ――【ザカラ】様はどうした!?

 

 と。

 わたくしではなく、仇敵であろう怪生の身を真っ先に案じたのです。

 

 ……そこから、どのような問答を重ねたのかは、よく覚えておりません。

 しかし事の次第ははっきりと理解できました。

 なにもかもが欺瞞だったのです。

 

 そもそもからして、白鷺はあの怪生が裏で糸を引く傀儡の一族でした。

 始まりは確かに父上が最初言った通りだったのでしょう。

 しかし怪生の力は凄まじく、早々に歯向かう牙を折られ、その後長きに渡って奴が裏で君臨する間に飼い慣らされ、いつしか奴のための家畜を養う牧場と化していたのが白鷺家でした。

 奴が狡猾だったのは、確かな見返りも齎していたことでしょう。

 奴は遍く生物の()を――()()()を自在に与奪し、力とする空前絶後の大怪生。

 その御業を以て一族は並の武芸者を遥かに超える力を賜り、その代価として奴の望む生贄を仕立て、献上する。

 生贄は代々()()と名付けられ、本家の奥にて密やかに養育された後、頃合いとなれば【ザカラ】の前に差し出される。

 

 ――わたくしは、ただの……単なる"(にえ)"に過ぎませんでした。

 

 気付けばわたくしは、その場に居合わせた者を悉く斬り伏せていました。

 力の源たる【ザカラ】が斃れた今、彼らに為す術は無く……【剣豪】たるわたくしに太刀打ちできるものは誰一人としていませんでした。

 わたくしに剣を指南した師すらも例外ではなく、ただわたくしの才のみが真実として凶刃を振るって、彼ら悉くの命を(みなごろし)ていたのです。

 なにもかもが偽りの、狐の威を借りた張子の虎。それが白鷺家の真実でした。

 

 愛していたはずの故郷。

 尽くしていたはずの家。

 その全てが一気に色褪せ、わたくしは堪らず逃げ出しました。

 一瞬たりとてこの場所にいたくない……その一心であてもなく駆け、その最中にふと過ったのです。

 

 もし……もしも、()があの場に居合わせなかったのならば、このような思いをすることもなかったのではないか。

 何も知らないまま、ただ御家を案じて命を手放していれば、こうも心かき乱されることはなかったのではないか。

 そう考えだした途端、行き場を失った感情が遂に燃え盛り、憎悪となって心に昏く灯ったのです。

 

 あまりにも身勝手で不条理な、愚かしいことこの上ない八つ当たりであることは承知していました。

 しかしそのときのわたくしには他に寄る辺も無く、ただ己を突き動かす怒りだけが原動力となり、他に思考の余地はありませんでした。

 西の空へ消えていった彼を追い、ひたすら西へ向けて駆け……道ならぬ道を往き、やがて差し掛かった人里でようやく我を取り戻し、何の準備も無かったために立ち行かなくなり拱いていたところをまぐろ様に助けられ……そして如何なる偶然か、目当ての彼と巡り会えたのです。

 

 ひと目見た瞬間、堪らず憎悪が噴き上がりました。

 咄嗟に取り繕いましたが、その矛先であるあの方――がるばぁ様はきっと気付いておいでだったでしょう。

 彼は訝しむような仕草を見せ、しばしわたくしを注視しておられましたが、しかしそれ以上探るようなことはなく、あっけらかんと笑っていました。

 わたくしは……その場での目的遂行を諦め、しばし彼の様子を見ることにしたのです。

 全ては隙を見て彼を不意打たんがため……そのつもりでした。

 

 ……元よりわたくしが生を諦めた大怪生を拳一つで倒してみせたあの方に、その目論見が通じるはずもありませんでしたが。

 そんな明白な事実からも目を背け、隙を窺うと自己弁護しながら欺瞞ばかりの監視を続ける日々。

 その中で見受けた彼は……輝かしいばかりの光に満ちた、善良そのものの姿でした。

 困っている者に手を差し伸べ、窮するものがあれば助け、昼も夜も無く誰かのために奔走し続ける、真の好漢がそこにあったのです。

 

 日に日にそのお姿を追う内に……いつしかわたくしの憎悪は薄れていきました。

 元より的外れでしかない憎悪。それが真なる善の光に照らされるうち、自然と霧消していったのです。

 そして残ったのは……偽りようのない、わたくしの罪だけでした。

 

 事情はどうあれ、わたくしは武家の人間としてやってはならない罪を犯しました。

 御家のため、先祖伝来の土地のためと宣いながら、いざ我が身が体よく利用されていただけと知れば怒りに我を忘れて一族を弑逆する。

 このような者、この天地にあってどう命を繋ぎ得ましょうや。

 最早居場所などどこにもなく、さりとて救いを求められる者もなく……そこであの方のお姿を思い浮かべたことすらも度し難く許し難い。

 彼はただ、あるべき正義を為しただけなのに……縁もゆかりも義理もないあの方に、無用の重荷を背負わせるなど、最早恥という恥に塗れたわたくしですが、それをしてはならない道理だけはかろうじて残っておりました。

 

 故にわたくしは、稚拙な別れを演じて死を決意したのです。

 誰にも邪魔されることなく……誰に看取られることもなく、ただ無名の死人として野に屍を晒す。

 

 

 そのつもりでしたのに――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 □■【妖魔工房 イッポンダタラ】――内部

 

 

「ははっ、後半は随分と惚気けたなァ……いやしかし、惨いもんだ。御家のためとはいえ、そうも悪辣に騙すかね」

 

 『吾達が言えた義理じゃねェけどよ』、と。事の一部始終をニエから聞き出した対魔は吐き捨てた。

 全てを詳らかにさせられたニエは直立不動のまま、しかし涙だけを一筋流しながら語り口を終えた。

 ()()()の手慰みに話題を求めた対魔の命令で、彼女は自らの意思に反して己の罪の全てを白日の下に晒されたのだ。

 

 流した涙は、全身を支配されながらも心が示した、せめてもの抵抗だった。

 恥と呼ぶにも救い難い醜聞。死して誰にも言わず持ち去ろうとしていた真実を自らの口で喋らされ、ニエは叶うならば今すぐにでも死んでしまいたい一心だった。

 

 しかしそれは叶わない。

 今のニエを支配するのは、己の意思でも魂でもない。

 その腰に佩かれた一振りの刀。対魔が拵えた【妖刀】。

 それこそがニエの全身を支配する全てであった。

 

 【大鍛冶師】対魔の<エンブリオ>――【妖魔工房 イッポンダタラ】。

 TYPE:アドバンズ・アームズ・キャッスル。

 その特性は……呪具作成。

 ()()()()()()()()()()()呪いの装備の制作を得意とする。

 

 ニエは、あのとき対魔の拵えた刀を手にした瞬間からその全身を支配され、彼女の思うがままとなっていた。

 そしてそれは彼女だけではなく、同じく内部に立ち並ぶ多数の()()

 対魔と狂獄率いる<悪鬼夜行>のメンバー全てが、同じく対魔の仕立てた呪具に支配された傀儡達である。

 元より<悪鬼夜行>に二人以外に<マスター>はおらず、他の構成員は全て対魔の支配下にある異色のクランであった。

 

 そして彼らは皆、程度の差はあれ身体に()()を具えていた。

 その理由もまた対魔の拵えた呪具にある。

 彼女の呪具に長く触れていれば触れるほど、その心身を侵蝕され……飛躍的に力を増すのと引き換えに、彼女に従順な"鬼"と化す。

 そしてそれを可能とするからくりは、彼らが位置するイッポンダタラ内部、その一画と……先程から対魔が従事している作業にあった。

 

 対魔の背後で機構が稼働する。

 有機的な意匠の悍ましい()へと次々に投入されていく()()()

 それは先だって妖刀に支配されたニエが斬り伏せた配下達の【遺骸】であり……その他にも多くの、かつての肉体を構成していたモンスターのドロップアイテムであったり、誰とも知れぬティアンの亡骸であった。

 通常用いる鉱石類も含め、ありとあらゆるアイテムが自動操縦で炉へと投げ込まれ、一通りの加工を経た後にインゴットとして排出される。

 それは既存の如何なる鉱物とも異なる輝きを発し、それを対魔が手にすると再び炉に入れ、鎚で打ち……幾つもの工程を重ね鍛え上げられ、やがて一個の()と化した。

 

「ん~いい仕上がりだァ……やっぱりティアンの亡骸は()()()()が違う。単純に品質を求めるならティアン以上の素材は無いねェ。これが【生贄】だったなら言うことなしだったんだが……ま、無いものねだりだなァ」

 

 悍ましい素材の数々を用いて作成されたそれは何なのかと、ニエが戦慄しながら僅かにしか動かない視線を向けると、それを悟った対魔が愉しげに唇を歪める。

 

「これがなんなのか気になるかい? まァ暇潰しの話題を提供してもらった礼さ、特別に教えてやろうかい……これはよォ、吾が独自に開発した特殊合金で、銘を【魂鋼】っていうのさァ。特性は情報の集積、特に素材となった諸々の形質を蓄えて、それを基に吾の呪具――【魄刀】を拵えるって寸法さ。()()()()()()()()()()、吾だけが可能なオンリーワンよ」

 

 ニエが知る由も無かったが、それは狂獄の<エンブリオ>、【非情大剣 イヴァン】の性質と酷似していた。

 しかしそれは違う。むしろイヴァンの方が対魔の呪具を参考にして、進化の際にその原理を組み込んだのだ。

 すなわち対魔の【魂鋼】と【魄刀】が――それを生み出した【妖魔工房 イッポンダタラ】こそがオリジナル。

 故にその効果も狂獄の【非情大剣 イヴァン】――その必殺スキルと特徴を同じくする。

 

 すなわち対魔の呪具は()()()()()()()()()()()()

 殺すことで数多の情報を集積し、蓄えた無形のリソースを装備者に反映して強化せしめ、所有者が死した後はその亡骸と残った【魄刀】を再び【魂鋼】へと変え、より強力な【魄刀】へと鍛え上げる。

 そうした蠱毒にも似た無限の精錬を経た【魄刀】は、ある一定の領域に達するとその位階を高め、対魔が分類するところの【業物】【大業物】へと銘を改める。

 

 数多の【数打物】が為す共食いを経て到達したそれら名刀は、装備者に多大なる力を与え、いわばTYPE:アームズの()()()()()()()とでも言うべき恩恵を齎す。

 それまでに蓄積した情報から導き出された固有の能力を発現し、武器としても非常な高性能を具え、ただのティアンを<マスター>の如き超越者へと変貌させる。

 勿論出力そのものは正規の<エンブリオ>には及ばないが、しかし第六形態の<エンブリオ>である【イッポンダタラ】と、超級職ではないながらも非常に優れたセンスを誇る【大鍛冶師】対魔の手腕によって、【業物】以上ともなれば下級エンブリオに匹敵するステータス補正と固有能力を宿すのだ。

 

 対魔が従える<悪鬼夜行>の配下、その精鋭達はいずれも【業物】以上を佩いた、下級の<マスター>など歯牙にもかけない猛者揃いである。

 対魔が切り札とする【大業物】ともなれば、伝説級モンスターにも匹敵する力量を有し、こと戦闘技術に優れたティアンとしての技量もあって、手練の<マスター>が相手でもなんら劣るものではない。

 むしろ対魔による絶対の支配の下、統制された集団戦術によってこれまで数多くの敵対者を返り討ちにしてきたほどだ。

 優れた技量をそなえた武芸者集団として見れば、これほど恐ろしいものもないだろう。

 副作用として呪具に蓄積された数多の形質が作用して、その肉体が通常の人体からかけ離れていく変化はあるが……戦力的にはデメリットではない。

 

 対魔が望む、己が鍛え上げた武器が存分に用いられる環境。

 その発露こそが【妖魔工房 イッポンダタラ】と、彼女が拵える呪具の実態であった。

 

「装備者が優秀であればあるほど……素材が優秀であればあるほど、生み出される呪具は強くなる。そういう意味ではお姫さん、アンタほど優れた()()は滅多にない。【剣豪】なんてレアジョブに就いて、尚且つレベル五〇〇(カンスト)まで到達したティアンなんざ、この天地でさえそうはいねェからなァ。そのアンタが一人で飛び出して無防備晒すなんざ、そりゃ鴨がネギ背負って鍋まで用意するようなもんさ。見過ごすやつがどこにいるかね。アンタにはとっておきの【大業物】を拵えて、精々扱き使ってやって、おっ死んだら【魂鋼】に変えて、丁寧に丁寧に鍛えてやるとも。銘はそうさね……【夜叉姫】なんてどうだい? クカカカッ」

 

 人を人とも思わない鬼の形相で、対魔はただ己の作品への興味のみを浮かべてニエへ言い放った。

 その様を無理矢理直視させられて、ニエの涙がより溢れ出す。

 

(わたくしの咎は、ただ人として死ぬことすら許されぬほどだというのでしょうか……)

 

 ニエは唯一許された心の内でそう考えて、未練がましい己を自嘲した。

 死んでしまえと己を擲ったつもりだったが、死すら生温い末路を辿ることになろうとは夢にも思わなかった。

 これが因果応報というものならば、果たして天の道理は如何なる残酷で満ちているのか。

 諦めることすら叶わない木偶の身で、ニエはただ己の心を閉ざそうとして。

 

(がるばぁ、さま……)

 

 ただ一言、許されぬ恋慕を向けた男の名を呼び。

 

 

 ――――ゴガァッ!!

 

 

 その瞬間、轟音を立ててイッポンダタラの壁が破壊された。

 濛々と立ち込める土煙に人影が浮かび上がる。

 それは身の丈の大きな、逞しい偉丈夫の姿をして威風堂々と現れる。

 

「……ハッ、ほんとに来なすったのかい! とんだお人好しだなァ、GA.LVER!」

「要求は唯一つ……」

 

 彼はその背後に無数の倒れた配下を残し。

 ただ真っ直ぐに対魔の前へと進み出る。

 

 

 もう怖いものは何もない。安心していい。

 最早ハッピーエンドは確定している。

 囚われの姫君は救われる。

 

 なぜなら――――

 

 

「ニエくんを返してもらうぞ!!」

 

 

 ――――"世界最高"の()が来た!

 

 

 To be continued

 




GA.LVER大暴れは次回になりました、ごめんなさい。
なるべく早く続きを投稿します。

そして本エピソード最大の屑はニエの実家でした(


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Golden Age . La Vie En Rose

・修正報告1
特典武具の名前を変更しました

・修正報告2
GA.LVERのHP・MP・SPを修正しました。


 □GA.LVERという男

 

 

 GA.LVER……本名ジョナサン・ミッチェルは、生来病弱な少年だった。

 生まれつき免疫力が弱く、軽い病でも簡単に倒れ生死の境を彷徨ったことも何度もある。

 そんな子だからこそ周囲も憐れみ、安全な場所へと匿うように保護し、およそ活発とは縁遠い環境で育ってきた。

 学友達が励むスポーツの輪にも加われず、そもそも病弱が祟って付き合いを深められる相手もいない。

 外を出歩く自由すら乏しい彼の関心は自然と内側へと向き、屋内でも楽しめるコミックやゲームといった娯楽を愛好するようになっていった。

 

 彼が特に愛したのは、祖国アメリカが誇る最大文化の一つであるアメコミ。

 そこに登場する数々の超パワーを誇る屈強な戦士達――ヒーローの物語だった。

 最早伝統ですらある鋼の男(スーパーマン)を始めとした、近年に至るまで数多く生み出されてきた多才極まる超人たち。

 彼らの活躍に夢中になり、憧れを深め、ひたすらそれに没頭していった。

 自分には叶わない絶対無敵の正義と自由を謳歌する彼らの虜となったのだ。

 

 そうしていつしか立派なオタク(ナード)に育った彼が二十歳を迎えた、二〇四三年の九月某日。

 かねてより長生きはできないと宣告されてきた彼の成人を周囲は盛大に祝い、集まった親戚の一人があるゲームを彼にプレゼントした。

 そのゲームの名は<Infinite Dendrogram>。同年の七月一五日に発売されていた、史上幾度目かのダイブ型VRMMOであった。

 

 そのとき周囲は、それをプレゼントした親戚へ猛然と詰め寄った。

 それもそのはず、史上初のダイブ型VRMMO<NEXT WORLD>を発端として世に出回ったダイブ型VRMMOの数々は、その画期的な内容とは裏腹に未だ成熟には程遠く、ともすればプレイヤーへの健康被害すら問題視された曰く付きのジャンルだったからだ。

 世に蔓延るダイブ型VRMMOへの疑念とレッテルは根深く、そのようなもの病弱なジョナサンへ勧めるなど、当時の常識からすれば顰蹙を買って当然の暴挙であった。

 

 だが、それを勧めた親戚の意見は違った。

 発売直後から先んじてそのゲームをプレイし、その世界に触れていた彼は断固たる自信を以てこう言ったのだ。

 「このゲームは()()()」、と。

 

 既にゲーム内で<マスター>としてプレイしていた親戚の強い勧めもあり、ジョナサンはそれに触れてみることを決意した。

 周囲の反対は強かったが、絶対に大丈夫だという親戚の言葉と、万が一の場合は彼が責任を取るとの態度もあって、周囲は渋々押し黙った。

 そして彼は恐る恐るゲームのスイッチを入れ――()()()()()()へと招かれた。

 

 彼を出迎えたのは、いたるところに異形をそなえた魔人だった。

 管理AI四号のジャバウォックと名乗った彼は、懇切丁寧にチュートリアルの数々を説明してキャラメイクを促していたが、当の本人の関心はそこにはなかった。

 

 ――すごい! 本当に生きてるみたいだ!!

 

 仮初のアバターで足を踏み入れ、五感の全てが余さず齎す情報の全てに彼は歓喜し、ひたすらハイテンションで動き回った。

 キャラメイクもまだなリアルそのままの仮アバターだったが、生身の身体にあった倦怠感がまるで無い。

 健康そのものの肉体を初めて味わい、その喜びのままに暫し彼ははしゃぎまわった。

 

 ジャバウォックはそんな彼を微笑ましく見守り、彼が満足するまで待ってから再びチュートリアルを開始した。

 ジョナサンは今度こそ彼の説明を聞くことができ、説明が進むほどに目を輝かせ、ただただ世界への興味を募らせていった。

 

 そして着手したキャラメイク。

 アバターの作成段階で彼は、ずっと昔から憧れていたヒーロー達への想いをそのままにした、線の細い生身とはまるで正反対の、見るからに逞しい戦士の姿を創造した。

 彼が夢想した理想のヒーロー。その体現となる屈強な勇者を形作り、それを自らの身体として動かし歓喜する。

 筋骨隆々とした体格で子供のようにはしゃぐ彼をジャバウォックは見守り、そしてまた彼が落ち着いた頃合いを見計らって、今度はこの世界における()()を尋ねた。

 ゲームとしてアバターを作成した以上、当然それを表すプレイヤーネームも必要となる。

 問われたジョナサンはしばし考え込み、やがて呟くように己の名を告げた。

 

 ――GA.LVER……うん、GA.LVERっていう名前がいいな

 

 ――ふむ、表記はアルファベットで……ユニークな名前だ。理由を聞いてもいいかね?

 

 ――ええっと、実際口にすると少し気恥ずかしいのだけど……

 

 彼はこの世界を黄金の輝き(Golden Age)だと感じた。

 この世界で味わった喜びを花開くような想い(La Vie En Rose)だと感じたのだ。

 だからその想いを形にして……それぞれの頭文字を取ってGA.LVERと名付けた。

 新世界への期待を込めた、彼の想いの全てだった。

 

 ジャバウォックは彼の言葉を聞いて満足そうに微笑み、いよいよ彼を<Infinite Dendrogram>の世界へと送った。

 深山幽谷が立ち並ぶ大自然の国、<黄河帝国>をリクエストした彼の意を受け、その地へと彼を送り出した。

 突然空へ投げ出されたのには驚いたけれど、それすらも楽しんで彼は黄河の地へと降り立ったのだ。

 

 

 ◇

 

 

 それからの彼は心底<Infinite Dendrogram>へと熱中した。

 五感で感じる全てが目新しく、興味と好奇心は湧き上がる端から溢れて止まらず、ゲームならではの戦闘や、その世界に住まう人々――ティアンからのクエストを楽しみ、思う存分新世界を満喫していった。

 既に内部時間では半年が経過し、当時の認識では後発組のニュービーに甘んじていたGA.LVERだったが、彼に芽生えた<エンブリオ>の力によってめきめきと頭角を現し、当時のトッププレイヤーの仲間入りを果たしながら遊び尽くした。

 興味を示した端から様々なジョブを体験し……【料理人】に【園芸師】、【戦士】に【剣士】に【闘士】。果ては【軽業師】といった変わり種まで、戦闘・非戦闘の区別なくありとあらゆるジョブに触れて回った。

 ゲームを楽しむにしても非効率極まりない節操なしなプレイスタイルだったが、彼の<エンブリオ>がその無茶を成立させた。

 数々のジョブに就いてクエストをこなし、そうする内にティアン・<マスター>を問わず様々な人物と交流を重ね、彼はいろんな界隈を渡り歩く変わり者の<マスター>としてたちまち有名になった。

 本人の人柄もあって周囲に好かれ、まさに順風満帆なデンドロ生活を過ごしていった。

 

 そうして様々なジョブに就き、クエストや戦闘をこなしていったGA.LVERだったが、一つだけ変わらず就き続けたジョブがあった。

 それは【練体士(エンハンサー)】。自分への単体バフを得意とし、多くの場合他の前衛職と併用されるジョブだ。

 その練体士系統の頂点に位置する【超練体士(オーヴァー・エンハンサー)】を戴く(フー)老師と呼ばれる老齢のティアン。

 その彼がある式典で見せた演武に見惚れ、老師が見せる動きの数々にかつて創作のヒーロー達へ抱いた同種の憧憬を抱き、想い募るあまり彼への弟子入りを志願したのだ。

 

 虎老師は既に多くの門弟を抱える大道場の師範だった。

 <マスター>とはいえ志願者一人抱えられぬわけもなく、彼にとってはありふれた日常として生返事でGA.LVERの弟子入りを承諾した。

 彼にとってみれば直弟子、孫弟子含め数多存在する門弟のたかが一人。さしたる興味も無く、面会は式典で最後にしたまま、末端に紛れての修行の日々が開始する。

 

 GA.LVERはそこでもすぐに頭角を現した。

 弟子入りして間もなく【練体士】を極め、その上位職である【高位練体士】を極め、合計レベルも五〇〇に達して、門弟たちの中でも筆頭格へと昇り詰めた。

 ティアンと違って<マスター>は才能の限界を持たない。少なくない同僚が己の才能に限界を感じて脱落していく中、レベル五〇〇に達したGA.LVERの存在は、それまでティアンばかりだった門下にあって異色極まりなかっただろう。

 しかし周囲の思惑はどうあれ、彼は門下屈指の実力者として良くも悪くも名を馳せ、遂には老師直々の指南を賜るまでに到った。

 ……しかし、虎老師の目は冷ややかだった。

 

 ――()()が無ェ

 

 ただ一言、そう突き放すように言い放った老師は、それきりGA.LVERへの興味を失い消えていった。

 レベルも極め、ステータスも相応に高め、練体士系統で習得可能な《練技》のレベルも鍛え、それでも老師はただ一言()()()()と切り捨てた。

 

 GA.LVERの、初めての挫折だった。

 何が到らなかったのかすら皆目見当もつかず、彼を疎んでいた一部の門弟はこれ幸いとGA.LVERを嘲笑った。

 彼は思わず道場を後にし、理由のわからない苦悩を抱えたまま街へと逃れ出した。

 そして途方に暮れていた彼を、ふと案じる声がかけられた。

 

 それはかつていろんなジョブを渡り歩いていたことに知り合ったティアンの市民だった。

 彼女は虎老師に師事して以降めっきり姿を見せなくなったGA.LVERとの再会に驚き、ついで嬉しそうに笑顔を浮かべたあと、どうやら彼が落ち込んでいるらしいことを悟ると、元気づけるように自分が営む食堂へと招いた。

 GA.LVERが【料理人】もしていた頃に幾度となくクエストに通った、街でも人気の大衆食堂だった。

 そこの顔こそ強面だが人情深い店主の無言の差し入れをかっ喰らい満足したあと、その温かさに戸惑う彼へ静かに言った。

 「久しぶりに顔出したんだ、しばらく寄っていけ」……店主なりの気遣いだった。

 道場に居場所を見出だせなくなっていたGA.LVERは、店主のその申し出を受け入れ、かつて【料理人】だった頃のように店の制服に身を包み厨房に立った。

 

 それからしばらくは、また以前のように様々なジョブを渡り歩く日々が続いた。

 それを通じて再会した人々は揃ってGA.LVERの無事を喜び、変わらない温かな友好を向けてくれた。

 そして彼もまた、そんな彼らの助けとなるべく様々な形でその手を取り合ったのだった。

 

 

 ◇

 

 

 それから長い停滞の時が続いた。

 第二陣以降の後発組も増え、かつての同期が続々と実力を伸ばしていく中、彼は無節操で非効率なプレイスタイルを続けていた。

 彼を知らないプレイヤーの中には口さがなく「取り残されたロートル」や「エンジョイ地雷」などと宣う輩も少なくなかったが、彼は顧みなかった。

 彼らが己のレベルや<エンブリオ>を高めるのに従事する間も、彼はクエストをこなしてティアンの助けになっていった。

 

 それを自己満足と言われれば否定はできないだろう。

 しかし最早彼にとってこの世界は――そこに住まうティアンは、()()()()()()()N()P()C()ではなくなっていた。

 確かな命の重さを宿した一個の人。そう疑いなく思えるほどに、彼らの存在はGA.LVERの中で大きくなっていた。

 そして自らもまた、出生こそ違えど同じ世界を生きる一人の人間として、彼らと歩みを同じくすることを望むようになったのだ。

 

 一方で彼は【高位練体士】も続けていた。

 一度は見限られたと思い、今も道場に戻れないでいるものの、それを捨てることはなく、日々を過ごす傍らで彼なりに【練体士】の道を歩み続けた。

 レベル上昇に伴って習得できるスキルの習熟も終えて尚、独学で試行錯誤し修練を重ねていく。

 同時に【練体士】の真価を発揮するため、数ある前衛職の中から《武術》に秀でたジョブも育てていった。

 

 武術家としての道を歩み始め、されど終わりは無く、実りも少ない苦難の道が続く。

 しかし彼は腐ってはいなかった。

 ステータスとして。レベルとして。確固たる数値として成長が見られないながらも、腐らず研鑽を重ね続けた。

 プレイ時間だけは相応にあったから後続の<マスター>へのチュートリアル指南なども買って出るなどして、そうした日々を過ごしていたある日、突如として喚び出しがかかった。

 相手は虎老師だった。

 老師がGA.LVERを名指しで呼び出し、道場の老師の私室へと招いたのだ。

 

「お前、儂の後を継げ」

 

 GA.LVERが居住まいを正すや否や、彼は端的にそう言い放った。

 青天の霹靂とも言うべき衝撃的な発言に、彼は思わず身を乗り出した。

 なぜそのようなことを。見込みなしと見限ったのではなかったのか――そう問い質すGA.LVERに対し、老師は呆れたような表情を浮かべた。

 

「はぁ? 儂がいつお前を見限ったよ」

「し、しかしあのとき……中身が無いと僕、いえ私におっしゃったではありませんか!」

「そりゃオメェ、入門してからというもの馬鹿の一つ覚えみてぇに【練体士】だけ鍛えやがって、そんなクソつまらねェやつに他に何を言えってんだ? 若ぇんだからなんでもがむしゃらにやってみろよ。大体お前、ウチに入門するまではそうしてたじゃねェか」

 

 それは、彼もまたGA.LVERをよく見ていたことの何よりの証左だった。

 

「つっても道場の隅でこそこそいじけてたなら、マジで見限るつもりだったけどな。お前が逃げと思ったかどうかまではしらんが、道場を飛び出たあとはまぁまぁイイ顔してたじゃねェか。腐って【練体士】を辞めても見捨てるつもりだったが、拙ェなりにそこそこ根性見せたろ。いい加減放っておくのも飽きてきたから、これからは儂が直々に稽古つけてやんよ。血反吐や血の小便出るくれェドギツいから覚悟しやがれ」

 

 老師の言葉に、GA.LVERは堪らず男泣きした。

 己を見限ったものと一方的に思い込んでいた彼が、その実誰よりもGA.LVERを案じていたという事実に、歓喜の涙が溢れて止まらなかった。

 感極まるGA.LVERを鬱陶しそうにする老師にも構わず彼は男泣きに泣き、泣き腫らした目でその申し出を快諾し、老師の直弟子となった。

 

 そうして始まった稽古の日々は彼の言った通り過酷なものだったが、それを過ごすうちにその他の条件も満たし――遂に継承の時が訪れた。

 GA.LVERの目の前で老師が己のジョブをリセットし【超練体士】の座を手放した途端鳴り響く、【超練体士】への転職クエストの通知。

 そのアナウンスは紛れもなくGA.LVERに向けられ……彼の前には【超練体士】への道が開かれていた。

 

 ――行って来い、しくじるんじゃねェぞ

 

 そうぶっきらぼうに見送った師の応援を受け、GA.LVERは転職クエストに望み。

 

 

 そして彼は新たな【超練体士】となった。

 

 

 ◇

 

 

 当代の【超練体士】となったのと時を同じくして、GA.LVERの<エンブリオ>もまた<超級エンブリオ>へと進化していた。

 長い眠りから目覚めるように、彼の才能が花開くのを待っていたかのように進化した<エンブリオ>は――何も変わっていなかった。

 

 たった一つしか無いスキル。

 ただの一つも無いステータス補正。

 上級職止まりだった頃には何の意味も為さなかった彼の<エンブリオ>が、ようやく鼓動を取り戻す。

 

 そしてその高鳴りは――まさしく英雄の誕生を寿ぐ凱歌に他ならなかった。

 

 その力の意味は白昼に晒されたのは、それから更に一年が経とうとした頃。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の脅威が黄河に現れ、人々が絶望に暮れようとしたとき。

 

 星をも揺るがす震撃の佳人――【撃神】が飛来した。

 

 遍く観客を魅了する芸達者――【雑技王】が幕を開けた。

 

 そして他の追随を許さぬ世界最高の漢――【超練体士】が立ち向かった。

 

 三名の超越者が力を合わせ、遥かな宇宙(ソラ)へと飛び立ち――激闘の末、()を砕いた。

 

 その時、戦いを見守っていた誰もが思い知った。

 新たに名乗りを上げた<超級>の力を。

 彼が何故"世界最高"と呼ばれるのか、その理由(ワケ)を。

 

 

 彼こそは<黄河三奇拳>が一人、"超拳"のGA.LVER。

 

 自由と正義を愛し、遍く不条理を打ち砕く者。

 

 彼が何故強いのか――

 

 

 ――それは()()()()()()()()()()が如く

 

 

 ◇◆◇

 

 

 □■【妖魔工房 イッポンダタラ】

 

 

 それは、戦いと呼ぶにはあまりに一方的な()()だった。

 イッポンダタラへと単身乗り込んだGA.LVERが啖呵を切ると同時に躍りかかった"鬼"たちが、次の瞬間には身体を打ち砕かれ倒れ伏す。

 

 対魔が従える"鬼"の中でも上澄みの精鋭――【業物】以上の()()たちが、為す術もなく捻じ伏せられていく。

 精錬に精錬を重ねた【魂鋼】を用いた【魄刀】によって、そのステータスは戦闘系超級職にも引けを取らないはずの集団が……まるで赤子のように一矢報いることすらできていない。

 

 時折迎撃を掻い潜って剥き出しの生身に刃を届かせる者もいるものの――皮膚の防御力だけで受け止められる。

 そして次の瞬間にはコマ落としのように掻き消えたGA.LVERの姿が下手人の傍にあって、握り拳の一撃で粉砕された。

 

「信じらんねェ……()()()()()()()()()! オマケにSTRまでどうなってんだ……吾の()は神話級金属にすら引けを取らねェんだぞ!? 一体どういうステータスしてやがるテメェ!」

 

 対魔は当初の余裕はどこへやら絶叫していた。

 元より勝算があってけしかけた戦いではない。敗北など最初から想定の内にあった。

 この戦いは対魔にとっても生き試しに過ぎず、たとえ手勢を失うことになろうとも、機会に乏しい<超級>との戦闘経験こそが目的の計画だった。

 己を高めるためには、より質の良い戦闘経験こそが必要不可欠と考える対魔と狂獄の企みによる、一世一代の大勝負――そのつもりで、この無謀な戦いに臨んだ。

 

 だが、かすり傷一つすら負わせられないとはどういう了見だ。

 たとえ相手が名にし負う<超級>であろうとも、ただの一つも通用しないなど彼女の想定を遥かに超えていた。

 世界に覇を唱える三つの"最強"達でもあるまいに……徒手空拳の男一人に、数多の命を吸ってきた【妖刀】が刃筋一つすら立てられないとは。

 

「……この感触、ティアンを使ったな?」

 

 配下を叩きのめしていたGA.LVERがふとそう呟いた。

 ティアンと断定するにはあまりに異形へ歪みきった怪物達を、そう断定した。

 その顔には抑えきれない怒りが満ち満ちていて、燃えるような眼光が対魔を正面から射抜いていた。

 

「一体どれだけの命を費やした……見るからに子供もいるだろう。女もいるだろう。老若男女も係わらず、一体どれだけの屍を積み上げればこんな真似が出来る、外道」

「ハッ、だからなんだってんだァ!? どいつもこいつも身寄りを無くした生きる術の無ェ木っ端共、この天地にどれだけいると思っていやがる。ああそうとも、可愛い可愛い吾の作品(こども)達よ! 吾が吾の望みのため、構わず拾った屍共よ! だったらどうした"正義超人"!?」

 

 義憤に燃えるGA.LVERの問いに、対魔は居直って啖呵を切った。

 鬼畜外道の誹りなど、とうにこの身は聞き飽きている。

 そのような感傷など、とっくの昔に切り捨てた。

 確かにこの世界は本物だろう。そこに住まう命も重いだろう。

 ()()()()()()()、吾が斟酌する理由がどこにある。

 

「せっかくだ、どうせだからアンタで何もかも試してやるよ! さァさ暴れなよ色男、外道対魔の()()()を見せてやらァ!!」

 

 対魔は右手の【ジュエル】を振り翳すと、そこから五つの異形を喚び出した。

 呪具の作成を生業とする【大鍛冶師】対魔。彼女だけが製造可能な【魂鋼】。

 それは決して容易い道程で創り得たものではなく、その背景には対魔が収めたありとあらゆる()が秘められている。

 

 対魔は【大鍛冶師】にして【高位錬金術師】。

 下級職にも【呪術師】と【死霊術師】を修め、《鍛冶》と《冶金》と《呪術》と《死霊術》、これら四法を独自に追求した末にこの神話級特殊合金を編み出したのだ。

 

 そして喚び出した異形は、そうして修めた業の副産物。

 モンスター製造も得意とする《錬金術》と、アンデッド作成に長けた《死霊術》で生み出したアンデッドキメラに、ありったけの呪いを込めた武具を植え付け誕生した冒涜極まりない【剣魔】。

 対魔としてはあくまで刀剣を主体とするために、その趣旨から外れた【剣魔】は外道でしかなく、故に銘も与えられなかったが……その力量だけは古代伝説級に相当する。

 

 それが五つ。

 上級止まりでしかない対魔が、今の今まで生き延びられてきた理由だ。

 たとえ<超級>であろうとも、これら大異形を五つを前にしては苦戦は免れまい。

 敵わずとも手傷の一つや二つは当然見込めるものと、破れかぶれにも似た対魔の号令でそれが一斉に襲いかかり――

 

「――足りない」

 

 ――GA.LVERに傷一つ負わせられず、皮一枚で受け止められていた。

 大の異形が寄ってたかって男一人に太刀打ちできず、攻めあぐねてたじろいでいる。

 

 彼の姿は一変していた。

 その顔は、狐を模したマスクで覆われていた。

 全身は黄金の輝きを放つコスチュームに包まれ、背には九つの狐尾がマントのように翻る。

 その装いはさながら往年の覆面レスラーか――あるいはアメリカン・コミックのヒーローのようにも見えた。

 一見してこの場にはそぐわない、ユーモラスですらある出で立ちだったが……その全身装備が放つ極大のプレッシャーが、その脅威を見紛わせるはずがない。

 

「【金猛覆面 ザカラ】――特典武具、だとォ!?」

 

 咄嗟に《鑑定》した対魔が叫んだ。

 それはかつて白鷺領に君臨した、生物のレベルを自在に与奪する()()()<UBM>の力を宿した特典武具。

 両手の武器とアクセサリーを除く全ての装備スロットを埋めるその全身装備の特徴は、実に単純明快。

 

 

 それは、着用者の合計レベルの十倍のHP・MP・SPを加算する。

 

 それは、着用者の合計レベルの二倍の攻撃力・防御力を有する。

 

 それは、着用者の合計レベル分のダメージを軽減する。

 

 

 元となった<UBM>の特徴を受けて、着用者の合計レベルで全ての性能が決まる。

 それは偏に討伐者であるGA.LVERにアジャストした結果だ。

 このような形に収まることが最も相応しいとシステムが判断した、GA.LVERの強み。

 

 何故彼が"最高記録"の二つ名で知られ、()()()()()()と呼ばれるのか。

 それは文字通り、彼が世界最高の()()()を記録するからに他ならない。

 

 

 ――合計レベル、五〇五〇の()()()()を誇る男。

 

 

 故に、GA.LVERのHP・MP・SPは()()()()()加算され。

 

 故に、その攻撃力・防御力は共に一〇一〇〇の補正を受け。

 

 故に、受けるダメージは五〇五〇軽減される。

 

 そして今尚更新し続け、世界の最高峰に君臨する()()

 誰よりも超越したレベルを持つために、"超拳"という身も蓋もない二つ名を与えられた者。

 

 

 そのあまりに隔絶した暴挙を可能とした彼の<エンブリオ>の名は――()()()()()

 

 TYPE:ルール――――【無双玉体 ヘラクレス】。

 

 一切のステータス補正を持たず、ただ一つのスキルしか持たない<エンブリオ>。

 唯一許されたスキルもまた、単一の固有能力が進化を重ねた末の常時発動型必殺スキル――《英雄伝説(ヘラクレス)》。

 その効果は――獲得リソースの増幅。

 

 ――レベルアップに必要なリソース、その獲得量が桁違いに増幅される。

 

 かつて上級職止まりだった頃、合計レベルが五〇〇の上限に達してからは、長らく無用の長物だった。

 下級から上級まで、獲得リソースの増幅のみを固有能力としたヘラクレスは、限界の定められた器しか持たない間は全くの無意味だったのだ。

 <Infinite Dendrogram>を開始して間もない当初こそスタートダッシュを決められたが、頭打ちになってからは、精々その特性を活かして多種多様なジョブを楽しむくらいしか使い道のなかった不遇の<エンブリオ>。

 

 しかし、【超練体士】という無限の器を手に入れてからは違う。

 ジョブレベルの上限を持たない超級職とヘラクレスのシナジーは言うまでもなく優れ、DEXとLUC以外が平均的に伸びる【超練体士】の特性も相俟って究極のオールマイティへと成長した。

 一切のステータス補正も、他の特異なスキルも持たず、ただレベルという絶対の指標を極めることで、名立たる強豪の最上位に到達したのだ。

 

 そのHP・MP・SPは軒並み数百万を数え、DEXとLUCを除く全ステータスが五万を超える。

 そして練体士系統が得意とする自身を対象とした単体バフと、肉弾戦に長けた《武術》系戦闘職の存在もあれば……最早その存在そのものが生ける災害。

 

 強敵との戦い(バトル)、人々から託される信頼(クエスト)、数多の試練(冒険)を経て彼という英雄(ヘラクレス)は際限無く成長していく。

 ()()()()()()()()()()――ある種ゲームとしての究極系を以てして、GA.LVERという<超級>は君臨した。

 

「……僕は今、猛烈に怒っている! お前という悪を前に、最早躊躇いは何も無いッ!!」

「ッ――――!!」

 

 彼の弱みであろう、ニエを咄嗟にけしかけて尚も足掻こうとしたのも束の間。

 それよりも早く超音速でGA.LVERが踏み込み、対魔の五体を右の拳で粉砕し。

 返す拳でニエを支配する【妖刀】を粉砕して自由を取り戻し。

 

「遅れてすまなかった。怖かっただろう、だけどもう安心していい」

「がるばぁ、さま……」

 

 崩折れるニエを、その逞しい腕で抱きとめて笑顔を見せ。

 涙に暮れるニエの雫をそっと指で払って。

 

 

「もう大丈夫だ――――僕がいる」

「がるばぁさま――!!」

 

 

 絶対の自信を漲らせた、その威風堂々たる佇まい。

 ニエはついに思いの丈を抑えきれず、ただ心が突き動かすままに、その胸へと顔を埋めた。

 

 

 To be continued

 




【無双玉体 ヘラクレス】
TYPE:ルール 到達形態:Ⅶ
能力特性:獲得リソース増大
必殺スキル:《英雄伝説(ヘラクレス)
モチーフ:ギリシャ神話における大英雄"ヘラクレス"
備考:
単一のスキルが進化を重ねることで必殺スキルに到ったタイプの<超級エンブリオ>。
常時発動型必殺スキル以外には一切のスキルを持たず、ステータス補正すらも全く無い。
そのため上級止まりだった頃はカンストした以外はティアンとほとんど変わらない有様だった。
反面超級職を獲得してからは、それまでの停滞が嘘のように爆発的に成長し、あっという間にレベルを上げて一気に最強格へ躍り出た極端すぎる<エンブリオ>。
かつて指導した後の【雑技王】曰く、「別物すぎてビビった」とのこと。

(・3・)<どれくらい獲得リソースが増幅されたのかと言えば
(・3・)<広域殲滅型でもなく、狩りばかりをするわけでもないのに
(・3・)<――並み居る最強を押しのけて合計レベルの単独首位を誇っていることからお察しください
(・3・)<流石に五〇〇〇台になってからは落ち着いてきた模様
(・3・)<それでもおかしいよコイツ


【奪畏天狐 ザカラ】

(・3・)<かませみたいな倒され方して実は神話級だった<UBM>
(・3・)<レベルの与奪能力が本当に極悪で、少なくともティアンやモンスター相手ではほぼ無敵を誇れる性能でした
(・3・)<少なくとも合計レベル一〇〇〇くらいの相手なら、速攻で短期決戦を決められなければ余裕で勝てる
(・3・)<仮に狂獄が挑んでたらふっつーに惨敗してた。レベルダウンのオマケつきで
(・3・)<だけど合計レベル五〇〇〇オーバーとかいう規格外中の規格外がたまたま偶然通りがかったせいで
(・3・)<数百程度レベルを奪ったところで焼け石に水で、あえなく討伐されましたとさ
(・3・)<……つまり対魔と戦ったときのGA.LVERはアレでも弱体化してます

(・3・)<スキル特化型だったせいで素のステータスが低めだったのもあるけど
(・3・)<それ以上に長年の自堕落な土地神暮らしで鈍りきっていたのが敗因でもある
(・3・)<かといって本気で強くなろうとしても、そもそも天地へ渡ってきた理由というのが
(・3・)<……当時ブイブイ言ってた"三強"どもにビビりまくったせいなので
(・3・)<根っこのところは人間怖いでチキってて、だから程々の生贄を飼育して食べる程度に留めてました
(・3・)<努力しきれなかったケーちゃんみたいな奴

・対魔
(・3・)<かませ
(・3・)<本作はあくまでマグロが主人公の物語である以上、GA.LVERの戦闘はあくまでオマケ
(・3・)<その対戦相手である彼女もまぁ、そんな長々と語るべきでもなかった
(・3・)<このガバガバな計画も、初めから勝算なんて無いのをわかった上で敢えて押し通しました
(・3・)<ていうかニエ関連が完全に偶然だったから、たまたま転がり込んだ絶好の機会に
(・3・)<「んじゃあ試しにやってみっか!」くらいのつもりで臨んだ程度の模様
(・3・)<まぁいくら<超級>でもちょっとは善戦できるだろう、みたいな思惑も無いでは無かったけど
(・3・)<……ここまでの化物だったとは思わなかった模様。そこだけは完全に誤算だった
(・3・)<結論:<悪鬼夜行>は行き当たりばったり悪党クラン


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エピローグ

半年以上もおまたせして申し訳ありませんでした。
やりたいことやってると時間ってあっという間に過ぎるんですね……。
というわけで短いですがエピローグです。


 □【獣神】マグロ

 

 

 狂獄さんのデスペナルティを確認すると同時に私の全身から痛みが消える。

 戦闘状態が解除されたことで《贄の血肉は罪の味》も失効したためだ。

 それに伴いHPを継続回復していた【オーバードーズ】の投与も中断され、重くのしかかっていた各種状態異常も消え去った。

 だけど倦怠感までは拭いきれず、私は荒野と化した森林地帯に身を投げ出し天を仰いでいた。

 

 脱力に身を任せてそのまま意識を手放してしまいたかったけれど、もうひとつの戦場が近くにあることを思い出して身を起こす。

 事の本命であるニエさん……攫われた彼女を救出に、GA.LVERさんが今も奮闘しているだろう現状、私が先に落ちてしまうわけにもいかない。

 

『要らぬ心配だとは思うがな。とはいえ出迎えは必要だろう、ゆるりと参ろうか』

「あい……」

 

 カトリ様が黒の化身で余裕ぶる。

 私にとっては半死半生の激戦でも、カトリ様にとっては余興の範疇でしかなかったということだろう。

 四形態中三つを喪失こそしたものの、結局のところ大抵の状況で黒ひとつあれば十分なのも確かで、必殺スキルも使わなかった以上カトリ様にとってはそういうことになる。

 とはいえ、見守るしかない私にとっては十分すぎるほどの死闘だったわけで、あちこちが痛む体をよろめかせながら這々の体でカトリ様の背に乗った。

 

 背の上でウインドウを開き、各種探査系スキルを一時的に白から黒へ。

 超音速で飛び去ったGA.LVERさんの痕跡を辿りながらしばらく進んでいくと、私達の戦場とは違った様相で荒れ果てた一画へ辿り着く。

 

 そしてその中心で……静かに抱き合う二人の姿を見つけた。

 

「…………お邪魔しました~」

「おっとぉ!? ちょっと待ってくれないかマグロくん! 大丈夫だ、そんな風に気を使ってもらうようなことはないぞ!?」

 

 もしやと思って小声で詫びながら引っ込もうとしたところをGA.LVERさんに見つかった。

 彼は違うというけれど、今もGA.LVERさんの胸に顔を埋めるニエさんの様子を見れば、果たしてどこまでが真実やら……

 

 と、そんな悪戯心からの邪推はさておいて。

 カトリ様から降りて歩み寄り、GA.LVERさんの弁解でニエさんの方も私に気づいたようで、顔を真っ赤に染めて彼から飛び退いていた。

 

「まぐろさま……!? いえ、その……あう……」

 

 彼女の表情は羞恥と狼狽、そして後ろめたさが綯い交ぜになって目まぐるしく変化していた。

 そんな彼女の心情を察し、私は諸々の言葉を飲み込んで一言だけ呟いた。

 

「よかった……」

「……大変、ご迷惑をおかけしました。如何にしてお詫びすればいいのか……それすらもままならぬほどに」

 

 まぁ経緯が経緯だからそういう反応も仕方がないのだろうけど、私としてはよくぞ無事でいてくれたとに今は安堵の二文字しかない。

 見たところ二人とも傷らしい傷は無く五体満足のようだし、GA.LVERさんが上手くやってくれたということだろう。

 

「これほどの恥を上塗りしたとあらば、本来は御家の恥として自ら命を絶つべきなのでしょうが……今のわたくしは、そうして恥を濯ぐことすら叶わぬ身の上。それに――」

 

 GA.LVERさんと私の顔を交互に見やって、俯く。

 彼も私も真顔をして、たとえ彼女が死を望もうともそれを許さない心積もりでいることは明白だった。

 それを彼女も察しているのか、長い沈黙の中で葛藤しながら、やがて面を上げると、今度は地面に三指をついて頭を垂れながら深謝を述べた。

 

「身命を擲ってわたくしを救い出してくださったお二人を前に、そのような非礼は恥に塗れた身の上であっても到底働けませぬ。厚顔無恥は重々承知の上でございますが、今一度命を繋ぐことをお許しください――!」

 

 彼女にとっては一世一代の告白。

 だけど私達の答えは決まっている。

 

「――何を言うんだ! キミが無事でいてくれて、本当によかったとも!」

 

 そう快活に言い放った彼の言葉こそが、私達の総意だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その後街への道すがら、ニエさんの告白が続いた。

 そも、なぜ彼女がGA.LVERさんを追っていたのか。そしてなぜ突如として行方を晦ませ、彼ら<悪鬼夜行>に捕まったのか。

 その一部始終を彼女が語り終える頃には、時刻はすっかり夜明けを迎えて光が差し込んでいた。

 

 そして彼女が語った身の上は……私には想像が及ばない程に重い。

 無論、彼女がやってしまったことは間違いなく悪いことではあるけれど、それに至るまでの経緯を考えれば十分に情状酌量の余地があるように思え……なぜだか私は、ふとクジラさんのことを思い出してしまった。

 

 しかし難しい問題だ。

 天地の法では彼女の行いが弁明の余地無く死に値する罪であることは、武家社会である以上言い逃れできないものだし、かといって「はいそうですか」とこのまま彼女を見過ごすことも私にはできない。

 領民の虐殺自体は<悪鬼夜行>の仕業とはいえ、その中枢である白鷺家壊滅の下手人が彼女である以上、最早この天地にニエさんの居場所は無いも同然だった。

 

 ニエさんの身柄こそ確保できたものの、その先行きは不安。

 彼女はやはりというべきか意気消沈した様子で、他に手段無くばお上の裁きに身を任せるも已む無しとも述べていた。

 そうなれば彼女が死罪に刑されるのは明らかで、それは命を繋ぐことを許してほしいと頭を下げた彼女の言葉に反するかもしれないが、彼女曰くそれもまた武家の子女たるもの当然の始末と、繋いだ命の使い所と覚悟していた。

 

 こうなると私としてはまるで解決策が思い浮かばない。

 私は所詮カトリ様と共に身一つだからこその自由の身であり、第三者を連れ添ってその責任を持つなんてことはとてもじゃないが出来やしない。

 しばらくは天地を離れる予定も無く、その間白鷺領の異変を察知した他領からいつ追手が仕向けられるともしれない中を守り通すのは、とてもじゃないが無理がある。

 

 果たしてどうしたものかと思い悩んでいると、それまで黙りこくっていたGA.LVERさんが意を決したようにニエさんに向き直って言った。

 

「ニエくん。キミさえ良ければ、なのだが……僕と一緒に来ないかい?」

「がるばぁさま……?」

「知らぬこととはいえ僕も引き金を引いた負い目がある。……だけどそれだけが理由じゃないさ。見知ったレディが露頭に迷うのはヒーロー志望として見過ごせないし、なにより――」

 

 GA.LVERさんは白い歯を輝かせてニカッとサムズアップして。

 

「僕がキミの助けになりたいんだ。どうだろう、ここはひとつ、僕を頼ってみないかい?」

 

 いっそ楽観的なほどに明るい言葉。だけどその姿にはこれ以上無い頼もしさが満ち溢れていた。

 ニエさんは目を見開き、心底驚いた様子で彼を見上げる。

 

「そりゃあ天地の理屈で言えばキミのやったことは許されないかもしれないが、白鷺家に関しては……はっきり言おうか、自業自得だと思う。キミの怒りは尤もだし、やってしまったのも……正直共感できるし同情もできる。言ってしまえば、可哀想だと思う。だからこそ、キミには生きてほしい!」

「で、ですが……」

 

 躊躇するようにニエさんが言葉を濁す。

 それは武家社会に育った彼女の常識からしてみればある意味当然のことで、家ありきを前提とした日々を過ごした彼女にとって、GA.LVERさんの示したある種()()()()()()()()()()は、後戻りができなくなった彼女をして即答しかねる内容だからだ。

 だけどそれは……天地において居場所を失くした彼女にとって、数少ない蜘蛛の糸となり得る。

 

「正直に言おう、これは僕の自己満足だ! ニエくんに生きてほしいから、故郷を捨てて()()()で生き延びてほしいという自己満足! 実を言えばいろんな言い訳ができるんだけど、結局のところそれが僕の素直な気持ちだ!!」

「…………」

 

 あまりに馬鹿正直な物言いに、ニエさんはますます呆気にとられ――やがて堪えきれなくなったようにクスクスと笑みを零した。

 そしてそれをきっかけにして、感情の箍が外れたように声を上げて……泣き声とも笑い声とも取れない感情の発露を喚き散らす。

 いつの間にか止めていた歩みの中、彼女は再びGA.LVERさんに縋り付くようにして延々と声を上げた後、泣き腫らした目で彼を見上げ、か細い声でとつとつと呟く。

 

「本当に、貴方様をお頼りしてもよろしいのですか?」

「勿論。男に二言はないさ」

「わたくしは、重荷になります。重い女ですよ?」

「レディの重みは心地よいものだよ」

「――――もう二度と、離れられません。それでも……?」

「いいとも。ヒーローにだって、一人くらい特別な者がいたっていいはずさ」

 

 そのままじっと互いの瞳を見つめ合い、月明かりを雲が俄に覆い隠すまで見つめ合って、二人の影がまた一歩近付く。

 そしてどちらからともなく、その唇が触れ合おうとするところまでを見て――

 

(行きましょうカトリ様。ここはもう二人の世界です)

(うむ)

 

 ――あとはどうぞごゆっくりと、私達はクールに去った。

 

 

 ◇

 

 

 で、先に街へ戻った私達に二人が追いついたのは、それから一時間程後だった。

 出迎えに待っていた私を見つけたときの二人の表情は言葉には言い表せないほど面白かったけれど、それはさておき。

 その日一日は宿をとってたっぷりと休み、激戦の疲労を十分に癒やしたところで、早くも別れのときを迎えようとしていた。

 

「重ね重ね、お世話になりました。まぐろさま」

 

 街の西門。GA.LVERさんの傍にそっと寄り添いながら、憑き物が取れたような表情で頭を下げたニエさんの礼が肌寒い早朝に響く。

 どうやら二人は一晩を明かす間に十分に語り合ったらしく、GA.LVERさんは今後彼女を支えていくことへの、ニエさんは生まれ故郷を離れ新天地へ赴くことへの不安や未練をそれぞれ抱えながらも、それ以上の覚悟と希望を抱いて明るい表情をしていた。

 

「わたくしはこれより旦那様と共に黄河へ渡り、共に生きていく所存です」

 

 そう述べた彼女の姿は、これまで見た中で一番美しく輝いて見えた。

 GA.LVERさんを旦那様と呼ぶのも……つまりは、そういうことだ。どうやら私が思っていた以上に二人の仲は親密だったらしい。

 触れ合った時間を単純に数えてみればそう長いものではないはずだけど、人の感情というのは時間の長さに必ずしも比例するものではない、ということで。

 

 対するGA.LVERさんの方も若干照れくさそうにしながらも、その全身はより一層男前に磨きが掛かったように思える。

 所謂「一皮むけた」というやつだろうか。

 初々しくも晴れやかな二人の門出に、私は自然と笑みを浮かべて祝辞を述べた。

 

「差し当たっては旦那様の道場へお世話になり、そこで指導に務めようと思います。言われるがまま磨いた【剣豪】の腕ですが、旦那様の助けとなるならばこれまでの全てが報われる心地です」

「ウチの道場には腕自慢や求道者も多いからね、天地で腕を鳴らした【剣豪】の指導が受けられるとなったら、今まで以上に熱が入るだろうさ! これぞ持ちつ持たれつというやつだね!」

「それはまた、なんともお似合いでよかったです」

 

 【超練体士】であるGA.LVERさんは、師匠から継いだ大道場の師範でもあるようで、本拠地である黄河には数多くの門弟がいるのだとか。

 天地と並び、世界きっての武門のお国柄である黄河の道場なら、ニエさんの腕が歓迎されるのも不思議ではない。

 ちなみにニエさんの身元についてはGA.LVERさんの口利きでどうとでもなるとのことだ。

 

「ところでどうやって天地まで? 確か天地への行き来は、特殊なルートを経由しないといけないって聞いたことが……」

 

 行き来を可能にするスキルか<エンブリオ>でもあれば話は別だけど、どう見たって二人はそうは見えない。

 船の用意は無いと聞いているし、誰かの出迎えがあるようにも見えない。ほとんど着の身着のままといった二人でどう天地を出るのか訝しんでいると、彼はニエさんを横抱きにすると、「No problem!」と笑って

 

「《練技・大鵬翼(エンハンス・ワイドウィング)》――とうっ!」

 

 そうスキルを宣言すると、背中から大きな翼を生やして空を飛んだ。

 

「僕は【超練体士】だからね、こういうスキルもあるのさ! これで適当な船まで飛んで、あとは交渉して黄河まで運んでもらうつもりさ! このまま飛んでいってもいいんだけど、ニエくんに負担はかけられないからね!!」

 

 それってつまりGA.LVERさんだけなら黄河まで飛んでいけるということですか、たまげたなぁ……。

 私が知る限り練体士系統ってもっと常識的な自己バフがメインだったと思うんだけど、超級職ともなればやっぱり違うなぁ。

 

 一方でニエさんの方はそんなGA.LVERさんの雄姿に惚れ直したのか、嬉しそうにしがみついている。

 そういえば二人が初めて会ったときも飛んで本邸まで連れて行ってもらったって言ってたけど、なるほどこういうことだったわけか。

 つまりニエさんにとっては思い出の再現ということで、感傷も一入というわけなのだろう。

 

 ともあれ、ちゃんと帰る手段があるのなら心配無用だ。

 大空を舞う二人に手を振り、どうか元気でと声を張り上げる。

 対する二人も私に向けて手を振り、大声を返した。

 

「マグロくん! キミには本当に助けられた、ありがとう!! もし黄河に行くことが是非寄っていってくれ! 歓迎するとも!!」

「まぐろさま……本当に、本当にありがとうございました! 貴方様がいなければ今のわたくしはありません! この御恩は一生忘れません、どうか息災で――――!!」

 

 その言葉を最後に二人は飛び去り、あとには寒々とした早朝の静けさだけが残った。

 二人の姿が見えなくなるまで手を振り続けたあと、得も言えない寂寥を覚えながらこれまで沈黙を保っていたカトリ様に向き直る。

 

「……行っちゃいましたね」

「で、あるな。ふっ……ティアンと<マスター>の連れ合い、か」

 

 カトリ様の独白の真意を私は思い図ることはできない。

 だけどティアンと<マスター>という、似ているようで全く違う生き物の連れ添いが特別なものであることはわかる。

 そして私には、ただ二人の幸福を祈ることしかできないことも。

 けれどまぁ……あの二人なら、大丈夫だろう。何の根拠も無いけれど、そう信じられた。

 

「まったく、柄にもない場面に長々と居合わせさせられたものよ。ようやく清々とした気分だ」

「あはは……まぁ到着早々でしたしね。私達にとってはこれからが天地旅行の本番ですし」

 

 そう私が感慨に耽っていると、居心地に悪そうな様子のままカトリ様がため息を漏らした。

 昨日の夜から今まで、ほとんど二人の世界を形成していたことや、別れの言葉を告げるタイプでもないカトリ様にとっては終始肩身の狭い思いだったことだろう。

 なんだかんだあったせいで当初の目的をまだまだ果たせていないし、ようやく再スタートを切れることを思えば、ここまでの長い足踏みから解放されて気が緩むのも仕方のないことと言えるかもしれない。

 

「他の化身の回復にもまだまだ日にちを要そう。しばらくは不便を強いられるが……何、過去の未熟を振り返る意味では都合が良かろうよ」

「効率はちょっと落ちちゃいますけどね。せっかくですから回復までは観光メインでのんびりしましょうか」

 

 <超級エンブリオ>になる以前、第六形態までのカトリ様との日々を思い出しながら、黒いジャガーと化した彼女の背に乗る。

 こちらの時間で言えばほんの数ヶ月前まで当たり前だった光景が、今となってはとても懐かしく思えた。

 

 【グローリア】との戦いを契機に、<超級>になってから目まぐるしく変わった環境や、二度にも渡る<超級>との戦いなどでそれ以前の常識は段々薄れつつあったなか、思い起こさせるように黒の姿を取るカトリ様に、なんとも言えない安心感を覚える。

 たとえ立場や姿かたちが変わったとしても、私達であることは変わらないのだと、カトリ様の背中は物語っているようだった。

 

『さて、事が知れ渡る前に離れるとしようぞ。大名共のいざこざに巻き込まれてはいよいよ敵わぬ』

「ちょっと派手に暴れ過ぎちゃいましたもんね。これじゃあスターリングさんを笑えませんよ」

 

 とかくトラブルに巻き込まれやすく、そのたびに大破壊を招いて環境担当管理AIに詰られる彼を思い出しながら、徐々に活気付きつつある街を出て進路を北に向けた。

 北から時計回りに天地を周れば、再び西に着く頃にはここでの用も済んでいることだろう。

 そして天地を離れ、黄河を経由し再び王国に戻ったときには、今よりもう少しだけ自分に自信が持てると信じながら。

 

 

 ◇

 

 

 ――その甘い目論見は、この数カ月後に皇国・王国間で起きた<第一次騎鋼戦争>で木っ端微塵に打ち砕かれるのだけど。

 

 そんな未来が待ち受けているとも知らない私は、全てが終わるその時まで、ただ遥か東方の天地でそれを見守るしかできなかった。

 

 つくづく私という人間は間が悪いのだと、苦渋と共にそれを思い知らされながら……。

 

 

 To be Next Episode

 

 




エピローグだけで半年以上もおまたせして申し訳ありませんでした。
今後の更新も不定期としか言えませんが、ご覧いただければ幸いです。
でもアニメ化も近づいてきて一気に活気付きそうでもありますしね、それに負けないよう頑張って行きたくもあります!

まぁ次は別作の方の本編をいい加減進めようかなとも思いますし、こちらのほうで原作時間軸での閑話も書いてみたいという思いもあります。
つまるところやりたいことがまだまだありすぎて、頻度が落ちても更新だけはぼちぼち続けていきたいですね。


◆余談

ところで話は変わるのですが、私は個人的な趣味としてweb上のイラストレーターさんにイラスト作成をお願いすることがちょくちょくあるのですが……


【挿絵表示】


はい、本作主人公のマグロです。描いてもらいました。
衣装は何かと出番のある【延命投与 オーバードーズ】。つまり戦闘衣装ですね。
絵師は羅鳩様です。TRPGのキャラ絵とかも何枚か描いていただいて、大好きな絵師さんなんですよね。
長らく更新が途絶えていたなか、なんとかエンジンを入れられないかと思い、今回絵を描いていただきました。
ちなみにこれ、まだラフ絵です。近日中に決定稿が完成するので、納品され次第そちらをあらすじに載せたいと思います。
次はテスカトリポカも描いてもらうんだ……!
あ、勿論絵師さんからの許可は頂いていますよ!

以上、ただの自慢話でした。
でもこれすっごいですよ、めっちゃモチベ上がります。
もしお金に余裕があるなら、描いてもらうのとかオススメです。月に一度の趣味としてちょうどいい!

長々と書き連ねましたが、これにて本エピソードは完結です。
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
そしてここまでお読みいただき感謝の念に堪えません。
また次のエピソードでお会いできれば幸いです。では!


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Travelers Episode Welcome to ABYSS
プロローグ


おまたせしました


 □大陸南東海域・船上 【獣神】マグロ

 

 

「お、かかった」

 

 曰く釣りとは辛抱こそが肝要であるとの助言に従い、船の中央に設けられた巨大釣り堀に向き合うこと小一時間。

 くいくいとそこそこの引きに上下する浮きを捉え、私は咄嗟にリールを回した。

 しなる竿から伝わる確かな感触。スキルの都合でほぼ初期値に等しい私のステータスですら対抗できる抵抗は、獲物が最下級の小物であることの証左だ。

 釣り堀の店主からいただいたアドバイスを脳裏で繰り返しながら、どうにかこうにか釣り上げることに成功する。

 

「やたっ、初釣果!」

「おーう、おめでとさん。はっはっは、ようやくか!」

 

 呆れたような、微笑ましいような祝辞をくれた店主に向かって釣果を見せた。

 人の腕ほどの青魚だ。どこででも食べられるような大衆魚で、ティアンの子供ですら釣り上げられる程度の最下級モンスターだ。

 それでも私にとっては大捕物に違いはなく、喜び勇んで魚を差し出すと、すかさず店主が仕留めてドロップ品に――《解体》のスキル効果でいくつかの食用部位へと変化した。

 

「ほらよ、持っていきな。またこいよ!」

「はい、どうも」

 

 包んでもらった魚肉をアイテムボックスに仕舞いながら会釈する。

 そうして周囲を見渡し――この果てしない大海原の真っ只中にいることの驚きを改めて実感した。

 

「まるで陸地とは違うなぁ……グランバロアは」

 

 広い空。白い雲。蒼い海。

 見渡す限りの大海原は、今は凪いで静寂を保っている。

 四方全てを海に取り囲まれた大陸南東海域で私は、ここに至るまでの道程を思い返していた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 カルディナでの一大事――今では<歌姫事変>として知られる騒動の後もしばらく砂漠を旅していた私達は、やがて最南部から連絡船に乗り、そのまま海洋国家グランバロアへと身柄を移した。

 当初の予定ではそのまま地続きの黄河帝国へと渡るつもりだったのだが、たまたまグランバロアの連絡船が港へ寄っているとの情報を聞きつけたために急遽変更したのだ。

 あらゆる面で他国とは事情を異にするグランバロアへ赴く絶好の機会であったし、なんと言っても砂漠の熱風に晒され続けたことへの辟易が私達を海へと差し向けたのは間違いない。

 

 かくして噂の海洋国家へと足を踏み入れた私達を出迎えたのは、想像以上のスケールを誇る大船団だった。

 船一つとっても他国の保有する船舶を優に上回る巨大船が、無数に連結して人造の大地を海上に形作るその威容。

 潮風吹き抜ける甲板の街は、それが船であることが嘘のように堅牢そのもので、必要に応じて離脱と連結を繰り返す船団の陸は、さながら迷宮のように船上の風景を一変させていく。

 堪らず口を開いて呆けていると、そうした外来の旅人はさして珍しいものでもないのか慣れた様子で案内を申し出た船員にリードされ、誇らしげに語られるグランバロアの歴史に耳を傾け、食い入るようにその光景を目に収めていった。

 

 恐るべきはこれほどのスケールをして首都ではないという事実だろう。

 確かにこの船団も南海の一大拠点として機能してはいるが、グランバロアの頭脳である首都はこれの比ではないという。

 寄る辺無く四海を彷徨い続けることを強いられた不遇の国――そうも揶揄される噂とは裏腹に堂々とした国風は、成程七大国家に名を連ねるだけのことはあると感心しかなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 そんなおのぼりさん丸出しのまま紹介された観光ツアーに乗っかり、あれよこれよと見回るうちに数日を経て、いくつかのクエストをこなしながら連絡船を乗り継いで南東海域へ流れ……今ではすっかり海上の人と化して今に至る。

 今しがた楽しんでいた釣りも、初心者向けに比較的安全な水棲モンスターを収めた釣り堀を紹介されたからだ。

 案内人曰く、やはりグランバロアに来たからには海釣りを楽しみたくなる客が多いのだが、しかしここグランバロアにとって海釣りとは即ち、命の危機に直結する難事である。

 中途半端に《釣り》技能が高いと必要以上の()()が引っ掛かることがあり、釣り上げたはいいものの逆にそのまま水棲モンスターの餌と化す事例が少なくないらしい。

 そうでなくとも前触れも無く海中から強力なモンスターや、時に<UBM>でさえ襲来してくるのが四海というのだから、そんな危険な真似なんてさせられるわけがないということだった。

 いわんや南海の拠点から東に外れたこの船団では周辺の掃海が行き届いているわけもなく、腕に覚えがあるならともかく私のようにひ弱な人間はおとなしく用意された場所で楽しむのが分相応というわけだ。

 とはいえそれは、あくまで私にとっての、という但し書きがつくものであり……腕に覚えがあるならば、この海はまさに宝の山というべき場所でもある。海だけど。

 

「うわ!? ……っとと」

 

 不意に海面が揺れ、大波が船を揺らした。

 各種機構により最小限まで揺れを抑え得るこの船団でそれほどの衝撃を与えるということは、つまりそれだけの大物が接近したことの証左。

 瞬く間に緊張が周囲に奔り、船員が素早く連絡を取り合いソナーを睨み……暫くして【船長】の「よし」というアナウンスがかかる。

 観測員が見上げたその先には、ひとつの巨大な影が陽光を遮っていた。

 遠近感が狂うほどの巨体は容易く船団の一画を覆い隠し、それがそのまま落着したなら船団は大打撃を免れないだろう。

 しかしそうした不安を他所に、影は落下する最中でみるみる規模を小さくし――やがて人間大のそれとなって甲板に降り立った。

 

 事前に連絡があったとはいえ予想外に規模の大きい事態に周囲が見守る中、肉付きの良い褐色に水を滴らせ、水着よりも尚露出の多い装束で不遜に腕を組む絶世の美女。

 我が頼もしき主人にして相棒、<超級エンブリオ>【四神獣妃 テスカトリポカ】は、事も無げに周囲を見遣ると、そのまま口を開き。

 

「周辺海域の掃討、恙無く完了したぞ、マグロ」

「お疲れ様です、カトリ様」

 

【クエスト【掃海任務―調査船団周辺海域】を達成しました】

 

 一仕事を終えたカトリ様を労うと同時に、掃海依頼のクエスト達成通知が響いたのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 南海拠点から東へ流れ、大陸南東海域にて拠点を構築した船団の旗艦【ズンドコフェスティバル号】――変な名前だけど船員さんは大真面目に呼んでいた――は、冒険船団が主導となって組織された調査船団だ。

 別名開拓船団とも呼ばれる彼らの任務は、その名の通りグランバロア国民が入植可能な陸地を発見し、可能であればそれを開拓すること。

 その橋頭堡として今回の船団を組織し、停留させた海域の掃討を私達が仰せつかったというわけだ。

 本来であれば国内の<マスター>に依頼するところを折悪しく都合がつかず、代役を求めていたところに南海の拠点船団で活動中だった私達に目をつけクエストを依頼するに至ったという事情がある。

 それというのもグランバロアで活動する中で、カトリ様にまた新たな発見があったことが原因だった。

 

 カトリ様――【四神獣妃 テスカトリポカ】という<エンブリオ>は第七形態に達してまだ日が浅い。

 進化によって四つの姿を得、それぞれに有用な力を模索する中で、とある形態が海中戦闘での相性が良好であることが発覚したのだ。

 "青"のテスカトリポカと私達が呼ぶ巨人形態、全長五〇〇メートル級の超巨大生物体がそれだ。

 物理攻撃力と耐久力に優れ、陸上で活動するには些か以上に過剰な巨体を誇るこの形態は、その大きさ故にこれまで満足に運用する機会が無かった。

 なんと言っても加減が聞かず、至極大雑把であり、周辺地形への悪影響が著しい上にその他の形態と比較して効率性で劣り、若干持て余し気味だった現状。

 しかしその巨大すぎる人型は、海中という環境においては制約の大半を無視できることにあるとき気付いた。人体と類似した構造が効率的な泳法を可能とし、莫大な自重を海水の浮力が助け、器用に動く手足が他の形態には無い対応力を発揮する。

 なにより水棲モンスターというのは大型の個体が多い。一〇〇メートル単位の巨体がごろごろいるのだ。そうした連中相手なら五〇〇メートル級の巨体が無駄になることは少なく、結論として私達はこの形態を水中戦に長けた構築にすることを決めた。

 

 そうと決まれば話は早く、カトリ様は日夜"青"で海に飛び込んでは、海域に棲まう無数の水棲モンスターを討伐しまくった。

 海中という新環境に当初こそ翻弄されたものの、徐々に討伐数を重ねてドロップアイテムを稼ぎ、それを消費して得た水中活動に有用なスキルを昇華選別し、こちらの時間で一ヶ月も経つ頃には他の形態と遜色無い戦闘力を発揮するに至ったカトリ様は、瞬く間に周囲の注目を集めた。

 派手に活動する中で<超級エンブリオ>であることも船団内で知れ渡り、フリーの<超級>が留まっていることを聞きつけた冒険船団によって依頼を委託されたというわけである。

 こちらとしても別の海域で未知のモンスターを相手取ることにはメリットしかないために、一も二もなく飛びついた。カトリ様が乗り気だったということもある。

 結果として数日をかけて調査船団周辺海域の掃討は果たされ、めでたくクエストクリアと相成った次第だった。

 

「クエスト達成ご苦労だった。素晴らしい手際だな、これで我々も調査に専念できるというものだ」

「恐縮です。まぁ私は待機してるだけでしたから……礼ならカトリ様にお願いします」

「無論、カトリ殿にも最大級の感謝を。……しかしなんだ、君達は随分と毛色が違うものだな」

 

 クエスト達成の報告を船団の総指揮官である【提督】のランドルさんに上げると、そう労いの言葉と一緒に愉快げな表情を向けられた。

 毛色が違う、というのは私とカトリ様の関係のことだろう。確かに自分の<エンブリオ>を主人と仰ぐなんて<マスター>はいないに違いない。けれどこれが私達にとっての当たり前で、さりとてそれを上手く伝える言葉も見当たらず、誤魔化すようにぺこぺこと頭を下げる。

 そんな私にランドルさんは一枚の書類を取り出すと、それに押印して寄越した。クエスト達成の証明書だ、あとはこれを本拠のギルドに提出すれば報酬が振り込まれるというわけだ。

 

「明日には連絡船も到着する予定だ。それまではのんびりバカンスを楽しんでくれたまえ」

「調査船団というから実用一辺倒とばかり思ってたんですけど、酒場も商店街も釣り堀もありますよね」

「何を言う、まさしく実用的そのものだろう? 快適な居住性と娯楽あってこそ満足のいく働きができるというものだよ」

 

 言われてみれば確かにその通りかもしれない。

 わざわざ釣り堀なんていうニッチな娯楽を設けたのは不思議だけど……ああ、貴方の趣味なんですね。

 執務室の壁に飾られた立派な釣り竿を見上げると、「下手の横好きだがね」とランドルさんが肩を竦める。

 

「だが誇らしき私のワースト記録も君の登場で塗り替えられた。ようやく肩の荷が下りるというものだな」

「ぐぬぬ……!」

 

 お茶目たっぷりな皮肉に渋面を浮かべると、それを愉快げに笑う彼。

 こんなことを言っているが記録としては本当に僅差である。むしろ海が本職であるはずの彼がぺーぺーの私と大差ないなら、それは私の勝ちと言ってもいいのではなかろうか?

 まぁ楽しかったからいいんだけど。娯楽で重要なのは結果じゃない、過程だ!

 

「しかし流れの<超級>に助力してもらったのに額面通りの報酬というのも味気ないかもしれんな。しかも私と同じ横好き同士だ」

「そのうち私のほうが上手くなりますよ!」

「ははは、それは失敬! ……ふむ、そうだな」

 

 釣りのおかげで随分と仲を深めていた私と彼だが、ここから先は彼も任務に本腰を入れる段階となり、これまでのように和気藹々とする余裕はない。

 次の連絡船で私もこの船団を離れ南海拠点に戻るつもりだし、次にこの船団の人達と会えるようになるのは果たしていつになるやら。

 そういう寂しさも含めてのじゃれ合いだったが、ふと思い立ったようにランドルさんが呟くと、懐から一枚の封筒を私に差し出した。

 

「餞別というわけではないが、これを君に譲ろう。生憎私では都合がつかないのでね」

「中身を拝見しても?」

 

 了承を得て封筒の中身を検めると、そこには一枚の紙が入っていた。

 見慣れた形式のそれは、かつては王国で私もよく観戦していた――

 

「近く南海拠点で行われる予定でね。せっかくならどうかね?」

「わぁ……! あ、ありがとうございます!!」

 

 ――しかしギデオンのそれとは決定的に違うグランバロア伝統の海上決闘、その特等チケットだった。

 

 

 To be continued



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海上決闘

 □【獣神】マグロ

 

 ランドルさんから頂いた特等チケットが示した場所は、拠点に集った船舶の中でも一際巨大な豪華客船だった。

 名を【ビアンコ・グランデ号】というこの客船は、貿易船団を統括するグランバロアの四大名家が一角、グランレフト家の肝煎りで建造された新造船らしい。

 先日処女航海を終え「偉大なる白」と名付けられたこの船は、その名に恥じない純白の威容を蒼海に君臨させていた。

 

 現実では俗に「海上のテーマパーク」とも形容される豪華客船の類も、こと造船技術において他の追随を許さないグランバロアが手掛けたならば、その表現ですら物足りないほどの様相を呈している。

 幾多もの船が寄り集まって街を形成しているのがグランバロアの街並みならば、その街並みを丸ごとひとつの船に収めればこうなるのではないかというような、とにかく筆舌に尽くし難い光景である。

 商業ブロックにはグランバロア国内のもののみならず他国特産の品々を商う店舗がずらりと並び、およそ存在しない施設というものがない。(【調香王】ドン・カッツォさんの新作も並んでいた)

 海を一望できるデッキには贅を凝らした美食の数々が無数に並び、それらを各国から招待された富豪たちが優雅に行き交う様は、まるで異世界に迷い込んだような非現実感を醸し出していた。

 

 ……この国に居着いて一ヶ月以上もたった今、いい加減慣れてきたものだと思っていたけれど。まだまだあるところにはあるんだなぁ、こういうの。

 またまたおのぼりさん丸出しで呆けていると、途端に自分の身なりが恥ずかしく思えてきたものだが、意外なほど好奇の視線は少ない。

 これほどの上流の場ともなると、そこにいることそのものが一種の身分証明として働き、見てくれはどうあれ同類と見做され注目を集めにくいものなのだ。

 当然乗船には厳重なチェックが設けられるのだが、グランバロアでも有力らしいランドルさんの一筆が認められた招待状は、私のような外様ですらVIP待遇で迎えられるに足るものだったということらしい。

 

 特等チケット恐るべし。

 商業大国カルディナの高級ホテルでもそうはない最上級客室のベッド(なんと天蓋付き!)に身を投げ出しながら、あまりの綺羅びやかさに疲れ気味の両目を揉み解しつつ情けない声を漏らした。

 

「うぁぁぁぁ……決闘の開催までまだ時間あるなぁ……」

 

 根が小市民……というか世間知らずな私には、ザ・上流階級な船内は些か目に毒だったらしい。

 その点カトリ様は慣れた様子で練り歩いていたけれど、生憎私ではついていけそうになかった。なので現在は別行動中である。

 財布はあちらに預けてあるし、懐も今のところはまだまだ余裕がある――<超級>の戦力というのは金策を容易にする――ので、心配も無い。

 

 もったいない気もするが、もう少し空気に慣れるまでは部屋でおとなしくしておこう。

 そんなことを考えているうちに、やがて瞼は重くなり……着の身着のまま私は眠りについていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

『――たせしました。間もなく闘技を執り行います。ご観戦のお客様は――』

「起きろ」

「ふぎゃっ!?」

 

 ぼやけたように遠い船内放送を聞き拾ったと同時、ベッドから蹴落とされて頭を打った。

 

「あ、もう時間ですか!?」

「惰眠を貪りすぎだ、戯け」

 

 戦果物であろう各国特産の果物を頬張りながら見下ろすカトリ様。

 慌てて身嗜みを整え部屋を出ると、あれだけいた乗客はみんなデッキへ移動したのか、通路はがらんとしていた。

 完全に出遅れてしまったらしい。これでは見晴らしの良い場所なんてどこも先約済みだろう。

 

「っと、ここであってるかな? 貸し切りですね!」

「ふむ、悪くはない」

 

 幸い私達には特等チケットがあるので、闘技の観戦も専用のボックス席があった。

 ギデオンの中央大闘技場にも引けを取らない豪華な間取り。

 前面の壁は特殊強化加工を施されたガラス張りになっていて、広い戦場を一望できる。

 ルームサービスも充実していて、高価な品々の並んだメニューには値段が書かれていなかった。

 

「ひぇ……」

「何を呆けておる。そろそろ始まるぞ」

 

 何から何までセレブリティな状況に戦慄している私を差し置き、カトリ様は心得たものとばかりに寛いでいた。

 いつの間にかルームサービスも呼んでグラスを傾けている。(どうやら生ワインらしい。私も飲んでみたけど、渋い)

 そんな優雅な一時をしばし過ごすうちに船が揺れ……ゆっくりと移動を開始した。

 

 南海拠点に停泊していた船が錨を上げ、東に向けて舵を取る。

 それは【ビアンコ・グランデ号】だけではなく、大小様々な船が続々と動き、東の遠洋へ向けて行進していく。

 船の行軍はやがてとある地点で動きを変え、さながら円陣を組むように展開し、一つの包囲網を形作った。

 これが海上決闘であることを踏まえれば、船団の中央に設けられた海域はずばり円形闘技場というべきなのだろう。

 

 海戦という形式上、ギデオンの対人決闘よりも遥かに広大なフィールドだが、その全貌は部屋に設置されたモニターで確認できる。

 音声も優れた集音装置のおかげで明瞭に拾えるようで、少し設定を弄ってみれば、【ビアンコ・グランデ号】のデッキからのみならず、他の船舶からも沸き立つような大歓声が聞こえてきた。

 

「出てきたな。あれが此度の闘技者たちか」

「片方は帆船で、もう片方は動力船ですね」

 

 そうした熱狂に包まれる中、東西に配置された船団から一隻ずつ船が進み出る。

 西側からは全身を鋼鉄で覆った動力船。地球でいう戦艦に似通ったフォルムで、幾つもの砲塔を備え、見るからに砲撃戦に長けた装いだ。

 

 一方で東側からは木造建築の帆船が進み出て、西の戦艦と比べればあまりに技術格差があるように見える。

 地球でいうところのガレー船に近いだろうか。形こそそれに酷似しているものの、人力で漕ぐそれとは違って両舷から櫂は生えていない。

 甲板から突き出た大小のマストが特徴的だが、これではとてもではないが動力船には敵わないように思えた。

 

 ――にも関わらず、オッズは帆船の方へ大きく傾いている。

 それが指し示すのは、この場において上位者たるは戦艦ではなく――帆船。

 一見して重武装が優位と見える鋼の戦艦こそ、この闘技における挑戦者だった。

 

「挑戦者はランキング一二位の【船長】シイハブさん、防衛側はランキング六位の……【鰭神(ザ・フィン)】ビスマルクさん、でしたっけ」

「流石は高位ランカー、超級職か。それも【神】とはな。字面から察するに水泳スキル特化超級職と見えるが」

 

 司会が闘技者のプロフィールを説明するのに合わせて手元のパンフレットを捲る。

 挑戦者のシイハブさんはこの国でもオーソドックスな、自前の船舶を自ら操船するタイプの<マスター>らしいが、ビスマルクさんのほうは自身は遊撃を担い、フラッグを積んだ船は別の人間が操船を担当しているようだ。

 

 個人戦ではなく船を基準としたチーム戦であることからも、ギデオンのそれとは大きく違う。

 あちらの三番闘技場では水上闘技も実施されているが、それとは規模が段違いだ。

 キロメートル単位で設けられた海上闘技場は、一〇〇メートル単位も珍しくない船舶やモンスター、水中戦特化<エンブリオ>。それに複数の人間が活動する上ではどうしても必要になる。

 観客の安全を保障する上でも距離を置くことは必要不可欠。その上で配属された海属性魔法に長けた魔術師が大勢動員され、各種防衛用アイテムも動員されるのだから大したものだ。

 

 海上に進み出た闘技者達が戦闘条件に合意し、所定位置に着いたと同時に配置された船舶から防衛装置が起動され、配属された魔術師達による結界魔法も展開される。

 いよいよもって決闘の準備が整い、熱狂の中に張り詰めた緊張に暫しの空白を置いて――

 

『――決闘、開始ッ!!』

 

 ――豪ッ!!

 開始を告げるアナウンスと同時、海域は荒れた。

 

 ほんの数秒前まで穏やかに凪いでいた海面は、防衛側の【翠風術師】と【蒼海術師】の魔法によって気流と海流を操られ、通常では不可能な急加速を帆船に与えた。

 大きく張られたマストが業風を受け止め、急速な海流に乗って疾走するのは、さながら動く歩道で全力疾走するようなもの。

 空気抵抗すら風属性魔術によって低減され、あの巨体が亜音速での航行を可能とし、尚且つスムーズな方向転換も容易にする様は圧巻の一言に尽きる。

 

 数十トンを下らない大質量の船首に備え付けられた衝角(ラム)は戦艦の横腹へと向けられており、そのまま衝突したならば大破は免れないだろう。

 当然帆船側は突撃で生じるインパクトを逃す術は用意してあるだろうが、果たして戦艦側はどうか。

 パンフレットで紹介されたスペックでは全身を古代伝説級の複合金属で覆っているとのことだが、帆船の衝角も同等の装甲で覆われている。

 両者ともに互角であるならば、優位は突破力に長けた衝角が勝るだろうけど……あわや鎧袖一触かと思われた衝突の間際、突如として帆船の至近で水柱が噴き上がった。

 

「機雷か、大した威力だな。全周に撒いてあるのか。自らの動きを封じることになるが……ふむ」

「あ、なるほど。完全に待ちの姿勢なんですね」

 

 モニターに併設されたソナーには、戦艦の周囲にいくつもの光点が点在しているのが映し出されていた。

 そこに帆船が重なると同時に光点は消え、代わりに水柱が上がる。

 鋼鉄の戦艦と比べれば遥かに軽い木造帆船は、その爆破で負うダメージも然ることながら、乱された海流に舵を取られ、狙ったとおりの動きを実現できないでいた。

 当然衝角の照準もブレ、鋼の船体を引っ掻くように滑る。これではダメージにはならないだろう。

 

「戦艦本体は防御力に特化させ、周囲に放流した機雷でフィールドを構築。敵手が攻めあぐねている間に高火力の砲塔で仕留めにかかる、か。単純だが良い手だな」

「機雷も特別製らしいですよ、これ。流体操作に長けた術式を施してあるとかで、爆発力よりもそちらにリソースを割いてるらしいです」

 

 よく見れば機雷が爆発した周辺は、渦を巻くようにして海流が乱れ続けている。

 周囲へランダムに配置された機雷が爆発し続けたあとともなれば、海面は無数に渦巻く海流が織りなす迷路のようなものだ。

 帆船側も海流操作魔法で相殺を試みるものの、個人の魔法と専用の兵装とでは出力に大きな開きがある。

 開戦当初の突撃は見る影も無く弱々しくなり、かろうじて気流操作で舵を取ってはいるものの、目的とする衝突は望むべくもなく、その様は海上をあてどなく彷徨う難破船のようですらあった。

 

 そうして翻弄される帆船を、戦艦の砲塔が正確無比に狙い撃つ。

 帆船側は搭乗した【障壁術師(バリアマンサー)】の結界魔法で砲撃を凌ぐも、この状況が続けば早々にMPは枯渇して為す術もなくなるだろう。

 帆船本体に戦艦の砲撃を耐えきれるだけの耐久力は無い。本来はフットワークの軽さで翻弄するところも、先の機雷で脚を潰されては叶わない。

 

「余程相手を研究したと見える、帆船の弱みを見事に突いているな。戦艦そのものも大したスペックだが、この機雷を設計した【技師】は良い腕をしておるな。難点は用途が局所的すぎるところだろうが……」

「このまま大物食いが達成されちゃうんでしょうか……あっ!」

 

 一転して戦況は挑戦者に傾き、よもやこのまま下剋上成るかと観客が固唾を飲んで見守る中、不意に帆船の傍へと青白い影が浮上した。

 飛沫泡立つ荒波から垣間見えるのは、巨大な噴気孔を備えた帆船よりも巨大な生き物。

 盛大に水煙を噴き上げるそれは、海の生き物と聞けば誰もが連想する特徴的なフォルムをしていた。

 

()、でしょうか。いつの間に……」

「《看破》が効かぬ。<エンブリオ>だろう。だがあの威容、間違いなく上級のそれだな。察するに――」

 

 よくよく鯨とは縁があるものだ。

 そんな感慨に耽る間もなく、鯨――全長200mを下らない()()は、アピールのようにブリーチングすると、そのまま海中へと潜り……

 

「うわっ!?」

「ほう……」

 

 数瞬後、戦艦の四方で無数の水柱が上がった。

 ソナーを見るとあれだけ点在していた機雷群が軒並み駆逐されている。

 しかし機雷が爆発したということは、同時に術式も起動したということであり……全ての機雷が一斉に起動した結果、闘技場は無数の大渦が取り巻く大時化と化した。

 

 こうも海が荒れては両者ともに航行すらままならない。

 だが帆船側は事前に察知していたのか全リソースを海流制御に割き、かろうじて転覆を免れていた。

 一方で戦艦側はこの事態を想定していなかったのか対応に遅れ、その大質量を大きく揺らし翻弄されている。

 海流を乱す機雷を運用する都合上、パッシブスキルとして船体周囲の海流を安定化させる措置は講じていたものの、ここまで重なれば制御の外ということだろう。

 それでも転覆を免れているあたり、こちらもまた優れた設計構造と言える。

 

 しかしこれでは両者共に航行不可能、決着をつけるどころではないはずだけど……。

 そんな懸念を他所に、荒れに荒れた海域を突き破って疾走する影をソナーが捉えていた。

 

「やはりか。あれが件の【鰭神】だ」

「速い……」

 

 水中であるにも関わらず超音速に迫る機動。

 リアルタイム映像では到底捉えきれない光景を、スローモーション撮影に切り替わったモニターが映し出す。

 海中であっても陸上と変わらない明瞭な映像を映し出す特殊カメラが捉えたのは、手に螺旋状の槍を構え、足に装着したフィンで海を掻き分け疾走する小麦色をした女性の姿。

 

 彼女こそが今回の決闘の防衛者、【鰭神】ビスマルクさんに違いない。

 荒波を物ともせず真っ直ぐに突っ切って、目指す先は戦艦の艦底。

 自ら撒いた機雷の爆発、あるいは想定される敵艦の魚雷着弾にも耐えられるよう一際強靭に加工を施された部位へ突き進み――

 

 ――その鋼鉄の壁を物ともせずに突き破った。

 

「うっわぁ……」

「決着だな」

 

 艦底に大穴が空いて浸水するのを乗員が必至に補修していくも、ビスマルクさんは二度、三度と突撃を繰り返し、頑強な艦底を穴だらけにしていく。

 為す術もないと判断した挑戦者側、【船長】シイハブさんが総員退避の号令を発すると、乗員は次々に避難艇へ乗り込んで脱出し――やがて戦艦は水底へと堕ちていった。

 

『決着!! 勝者、【鰭神(ザ・フィン)】ビスマルク! 下剋上ならず、順位を守り抜きました!!』

 

 ――ワアアァァ……!!

 

 決着に大歓声を上げる観客を割いて、幾つかの船舶が進み出る。

 避難した参加者を回収する救助船、大破着底した戦艦を引き上げるサルベージ船。

 勝利の栄光に浴した【鰭神】チームも、一頻りのアピールを終えると続々と救助活動に参加していく。

 

 そうして動く面々の中には、巨大な白鯨の口先を撫でながら微笑むビスマルクさんの姿があった。

 

 

 To be continued

 



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豪華客船の旅

 □【獣神】マグロ

 

 決闘が終わったあと、集まっていた船舶は各々の航路に向けて散っていった。

 その多くは観戦目的だったために拠点へ戻ったが、【ビアンコ・グランデ号】はそのまま東へと舵を切っている。

 南海の拠点から出港し、今回の決闘を観戦したこの船は、そのまま東海拠点へと遊覧するスケジュールになっているからだ。

 日程は一週間。その間はこの海上の宮殿で豪華絢爛な贅沢三昧、恐ろしく優雅な船旅もあったものである。

 

 そのスケジュール一日目のメインイベントである決闘を見終わった私は、今度こそこの船旅を最大限楽しもうとカトリ様を連れて船内を散策し、それも一通り終わってデッキへ上がっていた。

 気付けば時刻はとっくに夜更けを示していて、遠景では鮮やかな月が陰り一つない夜空に浮かんでいる。

 グランバロアに来て初めて知った海上の夜景に改めて見惚れていると、不意にカトリ様が視線を海面に落とした。

 

「どうしました?」

「珍客だ。ふむ、少し()()といこうか」

 

 言うやいなや、そのまま手すりを乗り越え海へ身を投げだす。

 幽かな月光が照らし出す海面はあっという間に人影を飲み込み、とてもではないがデッキからは様子を確認できない。

 咄嗟に周囲を見渡すが、幸い他の乗客の視線はなかった。ちょうど今の時間帯は船内のレストランでディナーショーの真っ最中だ。

 カトリ様のことだから心配はしていないけど、もし現場を誰かに見られていたらとんだ大騒ぎになるところだ。

 

 一体何事だろうと思ってそのまましばらく見下ろしていると、数分もしてから青白い影がゆっくりと浮上してきて――それの正体を掴んだ瞬間、プシュー、と盛大に噴き上がった潮に晒され顔がずぶ濡れになる。

 

「うぇぇ、ぺっぺっ……な、なにぃ~~!?」

「おおーう、わりィわりィ! 大丈夫かぁ!?」

 

 慌てて顔を拭っていると、見下ろしていた海面からそう案じる声が届いた。

 改めて見下ろすと、そこには青白い影――海面に半身を浮き出した白鯨の背に乗った、小麦色をした肌の女性が。

 見覚えのある、というよりは今日見かけたばかりの姿に目を丸くしていると、彼女は一旦海中に潜ってから、勢いをつけたドルフィンジャンプで甲板に降り立った。

 

「よっと……今の時間なら見てる人間もいねぇと思ってたんだけどな。アンタがあの姐さんの<マスター>かい?」

「えっ? あ、はい」

「おもしれーメイデンだな。まさかの身投げかと思ってビビったぜ。ま、杞憂だったけどよ」

 

 女性――【鰭神】ビスマルクさんは、男勝りのする表情で笑うと、海面に佇む白鯨を見下ろす。

 そこにはなぜかカトリ様も同乗していて、まるで我が物顔で鯨の背で寛いでいた。

 

「あっ、その、すみませんうちのカトリ様がっ! ご迷惑ではなかったですか……?」

「いいや、全然? むしろ気に入ったね、度胸のあるやつは好きだぜ。なぁ()()()?」

『KYUOOOOOOOOOON――!』

 

 モビィと呼びかけられたその鯨は、応じるように独特な鳴き声をあげた。

 どうやら彼も特に気にした様子も無く、カトリ様が好きにしているのを嫌がる素振りもない。

 むしろどこか楽しげに鳴き声をあげて、彼女が構うのに応じていた。

 その姿はまるで人懐っこい大型犬のようだ。それとはあまりにサイズが違いすぎるけども。

 

「アンタ、最近南で話題になってた他所者だろ? ランドルのおっさんからも話は聞いたぜ、どうやらオレが抜けた穴を埋めてくれたみたいじゃねーか。今更だけど礼を言っとくぜ、ありがとよ!」

「あ、いえ! どういたしまして……、ランドルさんとお知り合いで? あっ、私はマグロって言います!」

 

 言って、そういえば自己紹介もまだだったことに遅れて気付き、慌てて名乗る。

 思わぬ有名人との対面に緊張が奔るが、彼女は「グランバロア向きの名前だな!」と快活に笑って答えた。

 

「オレはビスマルク、こっちは相棒のモビィ。ここにいるってことは今日の決闘も観てくれたんだろ?」

「は、はい! その、すごかったです……ギデオンの闘技とは全然違って、ダイナミックで!」

「あっはっは、なるほどアンタ王国から来たのか! 向こうとこっちじゃ全然違って驚いたろ? 楽しんでもらえたなら何よりだぜ。今回の相手はなかなか骨があったからな、いつもより大分派手になった」

 

 ――ま、それでもオレたちは負けねぇけどな!

 どうやら彼女にとっても今回の相手は強敵だったらしい。そう語る一方で、しかし一歩も譲らない負けん気の強さは、彼女が歴戦の猛者であることを物語っているようだった。

 

 

 ◇

 

 

 そこからしばらく互いの身の上を話し合い、過去の冒険話で花を咲かせていった。

 彼女はとあるクランのサブオーナーらしく、この船へはクランとして請け負った護衛任務で同乗しているらしい。

 船の航行そのものはオーナーに任せ、ビスマルクさんは自分の<エンブリオ>と一緒に周辺の警戒ついでに遊泳を楽しんでいたようだった。

 

 【鰭神(ザ・フィン)】。

 カトリ様の推測通り水泳スキル特化型超級職に就いた彼女の力量は、この国に所属する七人の<超級>――<グランバロア七大エンブリオ>を除けばトップクラスを誇る。

 そして彼女の所属するクラン<ENS(エンリーカ・ナビゲート・サービス)>は、その名の通り安全な航海を提供するクランとして知られ、クランランキング六位に位置するトップクランの一つらしい。

 その実力と実績を買われて今回の船旅を貿易船団に雇われたようだ。

 

「そういうマグロも随分と派手にやったらしいじゃねぇか。あのランドルのおっさんがべた褒めしてたぜ。まぁ大半は釣りで勝っただのとか言ってたが……負けたのか?」

「……負けました」

「あっはっはっ!! あのおっさんに負けるなんて相当だぜ! そこまでいくと逆に才能だな! あのおっさん、指揮の腕はいいが竿の扱いはさっぱりだからなぁ。まだ一桁のガキにボロ負けしてべそかいてたってのによ!」

「知りたくなかったなぁ、そんな情報……!」

 

 あのダンディが子供に釣りで負けて泣いてる姿はあんまり想像したくない。

 だけど、こうして人づてに聞くほどに褒められていたというのは、やっぱり嬉しいものだ。

 

「どうだいアンタ、このままウチに所属してみねぇか? 今なら<グランバロア八大エンブリオ>を名乗れるぜ?」

「いやぁ、そういうのは……」

「ちぇっ。ならしゃーねぇか……、ったくゼタのクソ野郎が裏切ってなけりゃ今頃もうちょい楽だったんだけどなぁ……」

「ビスマルクさんこそどうです?」

「オレも目指してんだけど、最近はちぃっと伸び悩んでてな。まぁこいつ(モビィ)が立ち直らないことには、だな」

 

 そこでふと、彼女の言葉に引っ掛かる節があり視線を彷徨わせる。

 そして海面で戯れるカトリ様と鯨――モビィを見て、その既視感に気付いた。

 

「白鯨でモビィって……」

「よく出来てるもんだろ? こいつの名前は【モビーディック】ってんだよ」

 

 思い至る要素としてはあまりに有名なワード。

 世界に名だたる名作に登場する世界一有名な鯨の名は、確かに<エンブリオ>の銘となるに相応しいだろう。

 けれどその名前は、この国においては大変な()()()()であることを、この私でさえも知っていた。

 

「それはその、大変……です?」

「いんや、そうでもないぜ? あいつとこいつが別物ってのは皆わかってっからな。けどなぁ……」

『KYUOOOOOOONN……』

「大好きな()()がいなくなっちまったもんで、すっかりしょげちまってるのさ。図体はでかいくせに気は小せぇもんだから人目まで気にしちまって、だからこうしてこっそり泳いでんのさ」

「旦那って……」

「醤油――ああこう言ったら嫌がるんだった、コーキンの旦那だよ。なまじ名前のモチーフが同じで、見てくれも似てるから余計に、な。……それに、あんときの旦那はすげー尖ってたしよ」

 

 醤油……コーキン……ああ、グランバロア最強と名高い醤油抗菌さんのことか。

 彼は確か【モビーディック・ツイン】討伐のMVPだと聞いているが、そこに重い因縁があるのだろうか。

 当事者ならぬ私には窺い知れないけれど、今もしこりが残るほどに思い悩んでいるのには勝手ながら同情してしまう。

 私自身【グローリア】との一戦で王国を離れ旅している身だ。勝手ながらシンパシーのようなものすら感じている。

 一方でこんなに大きな体なのにも関わらず、そんな傷心ぶりを見せるモビィがなんだかとても健気で、

 

「可愛いですね」

「ん? ……あっはっはっ、だろう? ウチの相棒は可愛いんだよ!」

「うちののカトリ様も負けてませんけどね」

「ああ、アンタの姐さんも大した別嬪だ! てかその『カトリ様』ってのなんだよ! 変わってんなぁ、アンタ!」

 

 私達TYPE:ガードナー系列の<マスター>というのは、どうしたって自分の<エンブリオ>が可愛いものだ。

 言葉の端々からビスマルクさんが彼をとても可愛がっているのは感じられたし、それ以上の信頼を置いているのもよくわかる。

 そしてそれは私のとってのカトリ様も同じことで……いつの間にやら話題はうちの子は可愛い談義に切り替わっていて、気付けばすっかり意気投合していた。

 

 結局その夜はビスマルクさんとデッキで飲み合い、そんな<マスター>二人を尻目にカトリ様とモビィの<エンブリオ>二名は暗い夜の海を遊泳していた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ■大陸南南東海域・???

 

 そこは人の生息圏から外れた四海の遠洋。

 四海の覇者たる【海竜王】の周遊ルートから外れた海域は、まさしく海の楽園である。

 といってもそれは一般的に連想する意味ではなく、()()()()()()()()()()()()()()という意味合いに過ぎない、恐ろしく過酷なそれであったが。

 

 【海竜王】の逆鱗に触れぬようごく限られた海域の中で、その他の水棲モンスターは弱肉強食の理のもと生を繋いでいる。

 それは身を寄せ合って一つの大群を形成する下級モンスターであったり、それを餌とする上位のモンスターであったり……それすらも一呑みにする大型モンスターであったり。

 しかし海の生態系が海中でのみ完結するかと言えばそうではなく、それら水棲モンスターを狙う海鳥の類の怪鳥種もいる。

 

 その海鳥の群れは、ちょうどその海域に集まった魚群に釣られて集まってきた水棲魔獣の存在を察知していた。

 地球でいうアザラシによく似た、でっぷりと太り、如何にも食いでがありそうな極上の獲物。

 彼らは目の前の魚群に気を取られ、海上一〇〇〇メテルに位置した海鳥の群れには気付いた様子もない。

 

 海鳥たちはこの海域において空の覇者であり、海の捕食者であった。

 上空一〇〇〇メテルから海中の獲物を察知し得る優れた感覚器官。

 水深一〇〇〇メテルもの深度まで潜行し得る頑健極まる身体構造。

 そして体重一トンを下らない魔獣を咥えたまま再び空中に舞い戻れる脅威の飛翔能力。

 群れを構成する数は二〇匹程度と少数ながら、いずれも上位純竜級の力量を誇る【シープレデター・アルバトロス】。

 

 優れた知能も持ち合わせる恐るべき海上の狩人たちは、鳴き声をあげて互いに示し合わせると、その翼を折り畳み、まるでミサイルのような勢いで急降下を開始した。

 その勢いは亜音速に迫り、鈍重な獲物を瞬きの間に掻っ攫うことだろう。

 魚群に釣られた獲物は群れの全員が狙って尚余りある数で、狩人にとっては仕損じることなどありえない絶好の狩場だった。

 

 一直線に海面へ突き刺さった巨体は驚くほど静かに潜行し海中の獲物を狙う。

 僅かな水流の乱れでようやく捕食者の存在を察知した獲物たちが咄嗟に逃げるが、最早遅い。

 海鳥は悠々とその身体を嘴に捉え、転換して急浮上を開始しようとして――

 

『!? ――――ッ』

 

 ――尋常ならざる負荷にそれを断念させられた。

 断じて獲物の重みに身体が負けたわけではない。その程度でしくじる程度の脅威ならば、海の捕食者などと名付けられたりはしない。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()浮上を否定され、獲物諸共暗い海の底へと引きずり込まれようとしている。

 

 いくら藻掻いても一ミリメテル足りとも浮き上がらない。

 生半可な水棲モンスターよりも泳ぎが巧みな【シープレデター・アルバトロス】が全力を発揮しても、それはなんら意味を為さない。

 彼だけではなく、彼の属する群れが皆同じ有様だった。

 

 そして気づく。

 そうして引きずり込まれようとしているのは自分たちだけではなく……狙っていた獲物、それどころかそれが更に狙っていた魚群までもが、泳ぎ方を忘れたように沈降していることに。

 

『――ッ、――――ッ!! ――――……』

 

 翼をもがれた鳥が為す術もなく墜落するように。

 ただ下へ、下へとゆっくりと沈んでいく。

 深度は一〇〇〇を、二〇〇〇を越え……一〇〇〇〇すら越えて。

 やがて耐久を遥かに上回る深海域の水圧が彼らの圧し潰し――この海域の命は途絶えた。

 

『――――――――――――――――』

 

 何もかもが沈んだ海は、荒波ひとつなく静かに凪いでいる。

 まるで何事も無かったかのように、穏やかな表情を崩さず揺蕩うまま。

 

 

 ――唯一つ、遥かな底の()()だけが、満足そうに蠢いていた。

 

 

 To be continued




【大冠鯨 モビーディック】
TYPE:ガーディアン 到達形態:Ⅵ
能力特性:???
必殺スキル:《???(モビーディック)
モチーフ:小説『白鯨』に登場する白いマッコウクジラ、『モビーディック』
備考:
全長200m程の白いマッコウクジラ。
典型的な海中特化ガードナーで、陸上では全く活動できないが海中での戦闘力は恐ろしく高い。
<マスター>であるビスマルクと合わせて準<超級>クラスの戦闘力を誇る。
クランの最大戦力。<SUBM>との交戦経験あり。
そして「気は優しくて力持ち」を地で行く穏やかな性格。人懐っこい。
一方ここ最近はずっと傷心中で、ビスマルクは手を焼いている。

(・3・)<ザ・風評被害
(・3・)<でもそんなことを言ったら全周囲からフルボッコにされると思う
(・3・)<それでも傷心中なのは本人が繊細だから(あと懐いてた人への負い目)
(・3・)<ステータスはHPとENDがめちゃくちゃ高くてとにかくタフ。質量は正義
(・3・)<だけど海中特化ガードナーとして典型的過ぎて、某鯨には為す術もなく惨敗しました


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<ENS>

 □【獣神】マグロ

 

 豪華客船の旅三日目。

 航路は半ばに差し掛かり、乗客も船上での生活に慣れ始めた頃合いだ。

 イベントの類も鳴りを潜め、ややだらけた空気が漂いだした船内は、私にとってはようやく過ごしやすい雰囲気になってきたと言える。

 そんな中、私が改めて何をしているのかと言えば、

 

「…………」

 

 船内の展望レストランでランチを楽しんでいた。

 各国の豪商や富豪が集いだけあって、用意されたスタッフも超一流の腕利き揃いの【ビアンコ・グランデ号】は、当然【料理人】の質も極上のもの。

 国籍を感じさせない種々様々な料理の数々は、美食に通じた彼らも唸らせるほどの出来で、決して食通というわけでもない私でさえ普段の食事との格の違いを思い知らされるほどだ。

 そんな高級レストランの一席に私は一人でいる。

 

 美食を相手取るとき、自然と姿勢は正され、口数は少なくなる。

 スープを掬うスプーンは頬張らず、傾けるように静かに口へ流し込む。

 ナイフとフォークを握る手は余計な音を立てないよう静かに動かし、小さく綺麗に切り分けたそれを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。

 口内を美味という至福が満たしていけば、その余韻に絡ませるようにワインを一口。

 強い甘みと確かな酒精、豊かな香りをじっくりと舌で転がし、喉で味わうように嚥下する。

 

 一連のテーブルマナーはカトリ様の教育によるものだ。

 なにせ私ときたらリアルでは流動食か点滴くらいしか経験が無く、箸の持ち方一つさえ満足ではなく幼児もかくやと言わんばかりの有様だった。

 そして気位の高いカトリ様はそうした私の不格好を許さず、どこで覚えたのやら徹底的に私を躾けたのである。

 

 その訓練は厳しかったが、こうした場でも違和感なく溶け込み楽しめているのは間違いなく彼女のおかげだ。

 そしてマナーというものは一旦身につくとなかなか忘れないもので、それを守れないことに恥を覚えるようになるものらしい。

 言ってみればこうした()()()()()が一種の彩りを楽しみを演出するらしく、一言で言えば今私はこの上なく満喫していた。

 

 ……まぁその間絶え間なく全身を激痛が襲っているのだけど。

 それが示すのはカトリ様が現在戦闘中ということで……彼女は今()()()にいた。

 

『遠洋は素晴らしいな! 近海では見ない大物がそこかしこにいるぞ!』

『ご機嫌ですね、カトリ様』

 

 当初こそ船内での贅沢に耽っていたカトリ様だけど、二日目に入ったときには若干の退屈を見せ、三日目の今に至りすっかり飽きてしまって戦闘意欲を持て余していたようだった。

 そこで彼女は"青"の運用訓練と称して海へ飛び込み、船から離れた沖合で水棲モンスター相手に狩りを楽しんでいる真っ最中だ。

 巨体を思う存分動かせる海中はカトリ様にとっても最高のストレス発散になったのか、いつにないハイテンションで大立ち回りを演じていた。

 

 瞼を伏せスキルで共有した視覚で見たところ、ちょうど鮫の大型モンスターを仕留めたところのようだった。

 その口だけで小舟を丸呑みできそうなほどの巨体だけど、今のカトリ様と比べればまるで観賞魚だ。

 ドロップ品のモンスター素材を早速消費した彼女は、有用なスキルでも獲得できたのか満足そうに頷くと船へ向けて進路をとった。

 

 どうやら狩りを切り上げて戻ってくるらしい。

 引いた痛みに肩を回してコリをほぐしつつ、さてもう少し料理を楽しんでいこうかとメニューを開いたところ、

 

「のうのう、お主」

「はい?」

 

 そんな耳慣れない声と同時に肩を叩かれ、私は振り向いた。

 

 

 ◇

 

 

「よかった~~~~!! 儂超ビビったわ!!!」

「す、すみませんでした~~~~~~~~~~!!!!」

 

 誰何のあとこっそり呼び出されたスタッフルームで、そうオーバーに安堵する少女に私は全力で平身低頭した。

 

「いやいや、故意じゃなかったならいいんじゃよ? つーか話が通じる相手でよかったわい」

「大変申し訳なく……!」

「ままま、他国の出なら仕方なかろ。面を上げい」

 

 古風な口調で宥める少女の言葉に甘え、おずおずと頭を上げる。

 優雅なランチから一転、なぜこうして平謝りするハメになっているのかと言えば……何のことはない、カトリ様が原因だった。

 

 カトリ様が気晴らしに出掛けた遠泳を船の観測機器に察知され、それが五〇〇メートル級の超大型生命反応だったためにすわ強力な水棲モンスターの襲撃かと大騒ぎになってしまったのだ。

 幸いにして船を害する様子はなく、遠洋を付かず離れず泳ぐばかりだったから様子見となり、随伴していた<マスター>の観測によってそれが<エンブリオ>であることが判明すると、その主を探る中で彼女が私に声をかけたのだ。

 

「気合入った海賊かと思ったらただの観光客とはの。ま、一回目なら厳重注意でよかろ」

「はい、はい……肝に銘じます……」

「次から気をつければよいよい。大陸から訪うたなら海は珍しかろ、無理もないわ。ぬはははは!!」

 

 寛容にも豪放磊落に笑う少女の腕には<ENS>の腕章が括り付けられている。

 しかしその気配は人間のそれではなく、私にとっても慣れきったそれ――<エンブリオ>のものだ。

 メイデンと思しき彼女は通信機を取り出して連絡を取ると、「時に」と言葉を続けた。

 

「今気づいたがお主、最近南で話題になっておった流れ者じゃな?」

「ええっと、多分……? どういう噂かは知りませんが」

「近海を荒らし回る海坊主じゃと専らの評判じゃったわ。実物見るまでパッとせんかったけど」

 

 海坊主……カトリ様が聞いたら顔を顰めそうだ。

 

「まさかこの船に乗っておったとはのう。乗船しとる<マスター>はウチの連中だけと思うとったが……ええと」

「あ、マグロと申します」

「美味そうな名じゃな!?」

 

 私の名前を聞いた瞬間、彼女は急に目を輝かせだした。

 変な名前と言われることは多いけど、美味しそうって。

 

「ううん、晩飯は寿司にするかのう……ああ、儂のことはナカちゃんと呼ぶがいいぞ!」

「ナカちゃん……」

「親しみを籠めてな!」

 

 グッ、と親指を立てる彼女はとてもフレンドリーだった。

 法被姿も相俟って祭り好きっぽい印象もあるし、気安さもあっていい人っぽい。

 

「名簿を確認したがお主の招待状は正規のものじゃったな。どこで手に入れたんじゃ?」

「以前調査船団からのクエストで掃海任務を達成した折に、依頼主のランドルさんからいただきました」

「ほー、そりゃまた奮発したもんだの。なるほど唾つけか、親父殿も抜け目がないのう」

 

 薄々勘付いてはいたものの、やっぱりそういう意図だったのか。

 まぁ確かに幾ら<超級>への報酬とはいえ、その対価に支払われるものとしては些か価値が重すぎると思っていたもの。

 それくらいの下心があったほうが私としても安心できるというものだ。問題はそれ応える機会があるかどうかだけど。

 

「ま、儲けものだと思っとればええわな。親父殿の知己なら危ぶむ必要もなかろ、あーよかった」

「ご迷惑をおかけしました……」

「済んだ話じゃ、ええわいええわい。それよりもほれ、暇ならちぃと付き合え。儂ゃこれから休憩時間でな」

 

 休憩時間だったのか。その直前にこの騒ぎなら、なるほどそれは悪いことをしてしまったな。

 なんとも肩身の狭い思いをしながら、私は再びレストランブロックへ戻っていった。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

「あら来たわね、お騒がせ犯の片割れさん」

 

 ナカちゃんに連れられ再び訪れたレストランのテーブル席では、バツが悪そうに腕組みするカトリ様と、生真面目そうな雰囲気の眼鏡を掛けた女性が先に掛けていた。

 

「カトリ様……」

「……迷惑をかけた」

 

 半目になって声をかけると、彼女は渋面を作りながらそう呟き、小さく頭を下げた。

 らしくもなくはしゃいで恥を晒したことが余程堪えているのだろう、すっかり臍を曲げている。

 

「はい、もう結構よ。貴女も注意されただろうけど、今後気をつけてくれればそれでいいわ」

「肝に銘じよう」

「すみませんでした」

 

 そんな私達に優しげに声をかけた眼鏡の女性は、最初の生真面目そうな雰囲気が嘘のように柔和な顔だった。

 そして私に向き直って席を立ち、

 

「はじめまして。私が<ENS>のオーナー、エンリーカよ」

「あ、はい! マグロと申します、恐縮です!」

「あら、美味しそうな名前。よろしくね、流れの<超級>さん」

 

 互いに自己紹介と握手を交わして席へ着いた。

 まさか<ENS>のオーナーさんがお出ましとは……確かビスマルクさんの上司だったはずだ。

 思いがけない人物の登場に目を白黒させていると、予め頼んでおいたのかすぐに前菜が提供された。

 ……私ついさっきまで食べてたとこなんだけど、いけるかな? 最近はデスペナルティもしてないし太るのが怖い。

 

「ほれほれ、そんな辛気臭い顔をしとらんで食わぬか。お主、食癖はどうじゃ?」

「……生ものだ」

「ほうほう、なら儂と同じものでよかろうな。儂ゃ海産物しか好かんでな……これなんぞええの、刺し身じゃ!」

「ナカ、それはカルパッチョよ」

「刺し身には違いないわい!」

 

 まだ恥が尾を引いていいるのか食器を手にしようとしないカトリ様にナカちゃんが構いつつ食事が始まる。

 先に食癖を尋ねたことからも、やはりナカちゃんはメイデンだったらしい。そして彼女にツッコミを入れたエンリーカさんがその<マスター>で間違いなさそうだ。

 

「さて、気になっていることでしょうし本題に入りましょうか」

「ええっと、その……ご迷惑をおかけしたのにご馳走になっちゃってる件ですよね」

 

 流れでご相伴に与らせてもらっちゃってたけど、エンリーカさんから切り出されたおかげでようやく私も反応できた。

 片や大手クランのオーナー、片やフリーの<超級>ということで互いに金銭的に問題は無いだろうけど、やらかした直後に食事の席では、やっぱり不安が募るというもの。

 そんな不安を抱えながら尋ねてみると、エンリーカさんは食器を置いて口を開いた。

 

「率直に言えば勧誘ね」

「勧誘、ですか?」

「大陸から渡ってきた海戦可能なフリーの<超級>だもの、クランとしては確保したいじゃない?」

 

 見た目に反してあまりに素直な物言いに面食らっていると、彼女は微笑んで言葉を続けた。

 

「そうね、まずクランの理念から説明しましょうか。私達<ENS(エンリーカ・ナビゲート・サービス)>は、グランバロアに所属する船舶の()()()()()を提供することを目的とした営利団体よ」

 

 営利目的のクランというのは、実のところ珍しい。

 王国で有名な<月世の会>は宗教団体、<AETL連合>はファンクラブの寄せ合いだし、純粋に営利団体と言えるのは<ウェルキン・アライアンス>しか私は知らない。

 他国のクランにしたって唯一知る<ケルベロス>も、あれは理念的に慈善団体寄りだ。

 

 そして四海という極限環境の中で()()()()()()()()()()ことを目的として、それを成り立たせているという<ENS>は、同じく高空という危険領域での商いを可能とする<ウェルキン・アライアンス>と並んで大きな意味を持つ。

 そんな私の内心を察したようにエンリーカさんはメニュー画面を操作しながら言葉を続けて、

 

「オーナーはこの私、【航海王(キング・オブ・ナビゲート)】エンリーカ。サブオーナーに【鰭神(ザ・フィン)】ビスマルク。以下到達形態ⅣからⅤまでの<マスター>五〇名が在籍。いずれも海戦、海中探索に特化した<エンブリオ>揃いで、実績は――」

 

 ――()()()()()()()()()()()、並びに()()()()()()()()()という恐るべき実績を示した。

 

 規格外の内容に、私のみならずカトリ様まで目を丸くして驚いている。

 

「驚いてくれたかしら?」

「すご……いですね、これは……」

「メンバーの不断の努力の賜物よ。国内での信頼と実績は最高峰であると自負しているわ」

 

 誇らしげに眼鏡を押し上げるエンリーカさんだが、これほどの実績を持つならそれも当然だろう。

 未知数の脅威が多数潜む四海において、一隻足りとも沈ませず、目的地まで航行させるという偉業は並大抵のものではない。

 いくらそれに長けた<エンブリオ>の持ち主が揃っているとはいえ、それだけでこの結果が叶うほど四海というものは甘くないと、異国民の私でさえ知っている。

 慄く私を見据えながらエンリーカさんは更に言葉を続け、

 

「加入に際してのメリットはそうね、色々と提示できるけれど一番は……」

「一番は?」

「給料がいいことね!」

 

 そう勢いよく言い放った。

 給料。金。マネー。……つまりはリル。

 当然といえば当然だけど、あまりに唐突な俗っぽい言葉に固まる。

 

「金は大事じゃぞー金はー。リルが無いのは首が無いのと一緒じゃからなー」

「流石に噂の【放蕩王】ほどじゃないわよ? それでも一度の依頼で一〇〇〇万リルは下らないわ。あ、もちろんメンバーの最低給与よ。実際には内容次第でもっと上がるし、たとえば今回の依頼なら一億は堅いわね。それに年三度のボーナス支給もあるし、貴女ほどの力量なら幹部手当も出しましょう」

「仕事はキツいが拠点に戻ったときは凄いぞー。もうウッハウハじゃ、ウッハウハ!」

 

 なんというホワイト企業。恐るべき金回りの良さに呆然とする。

 しかし考えてみればそれも当然か。とかく貿易船は一隻あたりに伸し掛かるコストが尋常ではなく、その成否はまさに命を賭けた商いと言える。

 聞き齧りの知識だけど、地球の史実でいう遠洋貿易なんかも一攫千金のそれであると聞く。その難易度は尋常ではないけれど。

 

 普通に考えれば一も二もなく飛びつく内容。

 ……なんだけれど、生憎私達にとっては……

 

「申し訳ないですけれど……」

「……ダメ?」

「ごめんなさい!」

 

 もともと金銭的には困ってない上に、目的が各国を旅することである身分には、後ろ髪引かれながらも断るしかなかった。

 そうきっぱり答えると、エンリーカさんは「ダメかー」と一気に気を抜いて、だらりと背もたれに身体を預けた。

 

「そっかー……そうよねぇ、ワンチャン<超級>を勧誘できるかと思ったけど……。やっぱり<超級>っていうのは我が強いわねぇ」

「手間を掛けさせた手前心苦しいが、生憎我らにも目的があるのでな」

「いいのよ、ほんとにワンチャン狙いだったし。でも惜しいわねぇ……」

 

 惜しい、惜しいと心底名残惜しそうに呟くエンリーカさん。

 そうも評価してもらえるのは素直に嬉しいのだけど、根本的にどこかへ所属するということができるタチでもない私達にとっては、あまりに過分な評価というものだった。

 

 

 To be continued



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奈落の穴

 □【獣神】マグロ

 

「ま、ダメなら仕方ないわね。すっぱり諦めましょう」

「事業拡大のチャンスだったんじゃがのー」

 

 割り切りの良いエンリーカさんと、まだ名残惜しげなナカちゃん。

 こうして熱心に口説かれたのは初めてだったから面食らったけれど、それだけ彼女がクランの運営に熱心だということだろう。

 自由な独り身には想像も及ばないことだけど。

 

「代わりに旅の話でも聞かせてくれないかしら? <DIN>を通じて各国の情勢は把握しているつもりだけど、生の声も聞いておきたいのよね」

「それくらいなら喜んで。そうですね……」

 

 どこから話そうか少し考えて、旅を始めるきっかけとなった【グローリア】戦の顛末から切り出すことにした。

 あのとき肌で感じた【グローリア】の脅威を拙い語彙で伝えながら、その後カルディナに渡り<歌姫事変>に遭遇したこと。

 クジラさんの事情に関してはぼかしつつ、より具体的な周辺危害や、その後の都市間の動きを主観的に説明しつつ、この船へ乗るに至った経緯までを話していく。

 

「なんとまぁ……随分と波乱万丈ね。<超級>っていうのは皆こうなのかしら」

「まるで物語の主人公みたいじゃのう」

 

 一通りを話し終えたところでワインを一口して喉を潤していると、エンリーカさんは深々とため息を吐いて言った。

 波乱万丈……そうだろうか。自分ではそのときそのときを必死になってるだけなのであまり自覚は無いのだけど、彼女が言うのならそうなのかもしれない。

 主人公、とまでは言いすぎだと思うけれど。そういうのはスターリングさんみたいな人のことを言うのだと思うし。

 

「けれどこれで<SUBM>の投下も二例目ね。最初は【モビーディック・ツイン】、そこから数ヶ月の間を置いて【グローリア】。こうも露骨だと三番目、四番目もあると見て間違いなさそうだわ」

「【双胴白鯨()】と【三極竜()】で段階を踏んでいるようにも見えるしの」

「でもその理屈だと一番目がないとおかしくないですか?」

「既に投下済みなのをどこかの国が秘匿しているのか、それとも単なる偶然か……個人的な勘だけど、前者の気がするわね。証拠も無い以上憶測でしかないけれど」

 

 お互いに交戦経験があるからか、<SUBM>の話題となると自然と剣呑になる。

 しかし彼女の口ぶりは<SUBM>そのものよりも、それに関連して発生し得る諸問題を懸念しているようだった。

 まるで敏腕実業家のようである。いや実際それで間違いは無いのだろうけど。

 

「ま、なんにせよ平穏にはまだまだ遠そうね。だからこそ私達も稼げるというものだけれど」

「安全な航海の提供……でしたよね。具体的にはどういう?」

「あら、興味がおあり?」

「単なる好奇心以上のものではないですが、はい」

 

 先程見せてもらった活動実績で、<ENS>がとにかく有能であることはわかったが、実際にどういう手段でそれを実現できているのかは、私としても大いに気になるところだった。

 勿論企業秘密だと言われてしまえばそれまでだけど、せっかくの機会だし訊くだけ訊いてみようと尋ねてみると、エンリーカさんは楽しげに頬を緩ませた。

 

「そうねぇ……マグロさん、貴女【航海士(ナビゲーター)】というジョブについてどこまでご存知かしら?」

「【航海士】ですか? ええっと……」

 

 問われて記憶を洗い出してみるけれど、生憎具体的な情報は私の中にはない。

 字面から察するに船員系統に属するジョブだとはわかるけれど、それらの系統に就く人間が王国ではほとんど見かけなかったのもあって根拠に乏しい。

 自分で就くことを考慮するようなジョブでも無いのもあって、過去に考えてきたジョブ構築論の中でも意識に上げる機会が無かったことも影響して、その概要はさっぱりだ。

 

「すみません、わからないです。【船員】と何が違うんでしょう?」

「簡単に言えば【船員】とその派生ジョブは操船を主とするジョブ。対して【航海士】は()()()()に寄与するジョブよ」

 

 …………?

 イマイチ飲み込めず、疑問符を浮かべた。

 そのニュアンスの違いが私の頭では理解できずに首を傾げていると、エンリーカさんは生徒へ諭すように声音を和らげて続ける。

 

「たとえば船員系統のメインスキルである《操船》だけど、これは少人数での船の操作を可能とするスキルなの。リアルの船は何十人もの専門職が連携を取って船を動かすけれど、こちらの船はスキルのおかげでほんの数人で船の機能全般を操作できるわ。そのうち単独の船の操作に長けた派生が【船長(キャプテン)】、より多くの船舶の指揮……艦隊の運用に長けた派生が【提督(アドミラル)】になる。ここまではいいかしら?」

「つまり規模はどうあれ()()()()()()()()()()()()()()のが船員系統っていうことですよね」

「そういうこと」

 

 ちょっとした授業のようになってきたけど、本職に通じる人から説明を受けたことでなんとなく飲み込めてきた。

 つまり従魔師系統がテイムモンスターを強化して使役するように、船員系統は船を強化して操作することが得意というわけだ。

 

「一方で航海士系統は操船そのものには寄与せず、周辺の海流や気流、地形を把握して船舶の運航を手助けするのが本旨よ。水棲モンスターの接近や天候の変化を事前に察知して、()()()()()船を目的地まで送り届ける、海上の案内人といったところかしら」

「《殺気感知》や《危険察知》の汎用スキルは、陸や空ならともかく、海という大質量が介在する海中ではろくに働かんからの。他国の<マスター>によくある失敗談の一つじゃな」

 

 文字通りのナビゲート役というわけだ。

 なるほどそう説明されれば、そのポジションの重大性もよく理解できる。

 名作ワ○ピースでも航海士の有無はクルーの生死を決定づける重大な要素として描写されていたはずだ。

 言われてみれば当然のことで、ここまで察しがつかなかったのが不自然なほどだ。

 

「【航海王】である私なら、パッシブスキルとして船舶周辺の状況は逐一把握できるし、アクティブスキルで多少なら天候にも干渉できる。直接的な戦力の不足はサブオーナーのビスマルクやその他の戦闘班が補って、残るメンバーで船舶の各種機能や兵装を補助、ないしは強化して運航に携わるわ」

「その営業形態上、一度に一つの船しか警護できんのじゃがな。その分顧客は大口ばかりじゃぞ。特に貿易船は一度の運用で掛かるコストが半端ではないからの、リスクはデカいがその分見返りも大きいのじゃ!」

「なるほど……」

 

 まさしくクランとして統一された意識あっての成果と言えた。

 これまでも、これからもソロでやっていくしかない私と違って、組織の強みを最大限に活かしているのがよくわかる。

 とは、思うのだけど……

 

「……結構綱渡りじゃないですか? よくわかんないですけど」

「……水鳥は優雅に水面を泳ぐのよ」

「つまり水面下では必死に水掻きしとるってことじゃな!」

 

 致命的な損害ゼロ、かつ依頼達成率一〇〇%という実績の重みは半端ではないはずだ。

 なまじ優秀なだけにハードルも上がり、一度失敗したなら必要以上に悪評が募る可能性があるだろう。

 僅かな瑕疵とて入れば玉の美しさは損なわれるように、完璧な実績が相応以上の負荷を押し付けているだろうことは、部外者の私にも察せられた。

 

 ……だって私なら、絶対そのプレッシャーに負けるし。

 人間程々に失敗を重ねてるほうが気が楽だというのは、よく思い知っている。

 

「周辺環境や船の不備は最悪儂でどうとでもなるんじゃが、単純に戦力になるメンバーに不安があるのじゃよなー」

「ビスマルクを確保できたのは望外の幸運だけど、戦力は多ければ多いほどいいのよね。メンバーの募集もしているのだけど、やってくるのは業績と報酬に目が眩んだ凡百ばかり。能力が足りないのはあとからいくらでも補えるけど、意識の有無だけは本人の資質だから……」

 

 とてもとても実感のこもった重い溜息に、彼女の苦労の一端が推し量れた。

 大手クランの運営とは、とかく苦難が付き纏うものであるらしい。

 華々しい実績の裏に隠された生々しい現実に、私は苦笑いしかできなかった。

 

 ◇

 

 その後は他愛もない世間話を交わしながら食事を進めていき、やがてお開きとなった。

 いつになく食べてしまって重いお腹を抱えながら、なんだかんだとお世話になりっぱなしだった礼を改めて述べる。

 

「お世話になりました。ご馳走までいただいちゃって……」

「いいのよ。でもそうね、借りに思うなら私達のことを覚えてもらえると嬉しいわ」

 

 エンリーカさんはそう言ってウィンクをしてみせた。

 最初は生真面目そうだと思っていたけど、案外優しくて茶目っ気のある人だなと思った。

 なんというか……柔軟っていうのかな。カリスマとは違うけれど、クランを率いるだけの魅力があるのだと感じる。

 

「そんなことでいいんですか?」

「貴女が思っているより<超級>の価値は希少で高いのよ? それにこうして話が通じる人は輪をかけて珍しいわ。一食を共にするだけで知己を得られるなら儲けものよ」

「気ぃつけろよぉ、儂のマスターはこき使うときはそりゃあもう遠慮無いからな!」

 

 脅かすように茶化すナカちゃん。主従揃って明け透けな人達だ。

 

「さて……残る四日間、ゆっくりと楽しんでいってちょうだいね」

「大船に乗ったつもりで寛ぐとええぞ。まぁ実際に大船に乗っ取るんじゃけど! ぬはははは!!」

 

 ……ナカちゃんはなんだかちょっとおじさん臭いかな?

 見かけてきたメイデンの中では特別風変わりだから余計に印象に残った。

 

「それではお二人とも、お務め頑張ってくださいね」

「ええ、ありがとう。そちらこそ良い船旅を、……っ」

 

 そして別れようとしたところで……不意にエンリーカさんが表情を変えて沈黙する。

 虚空に意識を向けて頷く様から、どうやら誰かと通信を取っているようだった。

 一方でカトリ様も腕を組んで神妙そうな顔をしていて、ナカちゃんは気付けば姿を消している。

 皆の様子から異常事態を察して固まっていると、カトリ様が呟く。

 

「妙な気配だ」

「気配、ですか?」

「スキルが反応するほどはっきりしたものではないが……空気が変わった」

 

 そう述べるカトリ様からは戦時の気配が漂う。

 エンリーカさんも言葉を交わし続ける間に段々と表情を険しくさせていく。

 

「ええ……一度デッキに上がるわ。観測班はそのまま探査を続けてちょうだい。戦闘班も準備が整い次第船尾デッキに集めるように。大丈夫、ナカはもう戻っているわ。乗客にはまだ……ええ、暫くは私達で()()()()から……よろしく頼むわ」

 

 そう締め括って通信を切ったエンリーカさんが私に向き直る。

 只事ならぬ様子に身構えていると、先程までとは一変して固い声音で口を開いた。

 

「マグロさん、申し訳ないのだけどもう少し付き合ってもらえるかしら」

「緊急事態ですね?」

「ええ。まずはデッキに上がりましょう、そこで説明するわ」

 

 そう述べたエンリーカさんのあとに続いてデッキへ上がると、そこは普段とあまり変わりない光景が広がっていた。

 揃って険しい顔をするから大規模な襲撃や気候変動があったのかと警戒していたのだけど、見慣れた海は穏やかに揺らいで静かなままだ。

 デッキの乗客たちは異変を察知した様子もなく寛いでいるし、目に見えて不審な点があるわけでもない。

 だけどその中に交じるピリピリした緊張を感じ取り、それが<ENS>の腕章を付けたクランの人達や【ビアンコ・グランデ号】の船員であることに気づくと、状況は紛れもなく緊急事態であることを察した。

 

()()()()()

「貴女は気付いたのね」

 

 徐に言葉を発したカトリ様にエンリーカさんが神妙に頷いた。

 その意図を掴めずに辺りを見回していると、補足するようにカトリ様が続けた。

 

「スクリューは駆動しているな。魔力の痕跡からも周辺の海流に干渉しているはずだが、どちらも推力に繋がっていない。何よりも……()()()()()()()()()()。誤差にしては大きすぎる変化だ」

「よく分かるわね。その通りよ――()()()()()()()()()()()()()

「しっ――……!?」

「喚くな。余人に聞かれては事だ」

 

 小声で囁かれた「沈もうとしている」の一言に思わず声が出そうになったのをカトリ様に口を塞がれる。

 そして、それが危うい行動であったことに遅れながら気付き、努めて口を閉じた。

 もし乗客にでもこの会話が聞かれたら、船内の治安は大変なことになる。

 警護を務めるエンリーカさんが敢えて箝口令を敷いた以上、何か手立てはあるのだと思い至り、黙って様子を見守った。

 

 やがて再びエンリーカさんの通信機が鳴り、彼女が連絡を取った。

 今度は内容が私達にも聞こえるようにスピーカーに切り替えている。

 

「私よ。結果はどう?」

『探査班がそれぞれの<エンブリオ>を送り込みました。通信は継続できていますが、いずれも浮上不可能です。()()()()()()()()()と判断します』

「了解。観測班からは地形情報は上がったかしら」

『算出距離、()()()()()()。海域マップと照らし合わせましたが、ちょうど海溝の真上ですね』

「……成程。その深度なら到達できるのはモモだけね」

『【ノーチラス】は既に必殺スキルを発動済みですが、それでも未知の深度です。本人は喜んでいましたが……通信入りました。敵影確認、深度約二〇四〇〇メテル。推定戦力、()()()()()()()。エネミーネーム――』

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ■大陸南南東海域・海溝

 

 それは深度二万メテルの超深海層を這い回る海の掃除屋だった。

 上から降り積もってくる亡骸(食糧系ドロップ)を漁るだけのスカベンジャー。

 四海を根城とする水棲モンスターすら容易には近づけぬ海の墓場で、上層の住人の()()()を糧とするだけの卑賤の生き物。

 

 生涯日の目を見ることなく、その生息域故に誰の目にも留まらぬそれは、しかしある日不思議な糧を得た。

 恐ろしくも魅力的な得体のしれない■■■■■を、しかし脅威と判断できるだけの知性も無く、本能のままに口にして――

 

 ◆

 

 それからどれだけの年月が過ぎ去ったのかは知れない。

 それに時間という概念を知覚できるだけの知性はなく、以前と変わらぬ本能だけが肉体を支配していたから。

 

 だけど大きく変わったこともある。

 それまでは()から落ちてくるのを待つだけだった餌が、自らが望めば手に入るようになっていた。

 当たり前の生存本能だけを宿すそれが空腹に耐えかねて()を開けば、決まって餌が()ちてくる。

 それも何者かの食残しではない、新鮮な……生きている獲物が、大量に。

 

 以来それは空腹を忘れた。

 忘れたが、しかし食べて自己を繋ぐ以外の欲求を知らないので、飽きずに食べた。

 食べて、食べて、食べ続けて。

 それには区別も付かないが、<UBM>という大物すら悉く食い尽くして。

 

 己の頭上にある名前の意味すら知らずに、これまでも、これからも変わらずに生存し続ける。

 本能のままに昏い水底を這い、口を開き、喰らうだけのバケモノ。

 大海溝に潜む海の悪魔。暗黒海域の主。

 

『――――――――』

 

 それの名は、【大海口 アビスホール】

 

 ――光差さぬ海の深淵で、奈落の穴が口を開いて待っていた。

 

 

  To be continued




いよいよ本番


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【大海口 アビスホール】

 □【獣神】マグロ

 

「【大海口 アビスホール】……暗黒海域か。間が悪いことね」

 

 その名を最期に途絶した通信を受けてエンリーカさんが呟く。

 暗黒海域とは確かグランバロアでの用語で、特異な気候変動や<UBM>などの強力なモンスターの出現によって航行不可能となった海域の俗称だったはずだ。

 所謂一種の災害のようなものであり、四海が魔境たる由縁とも言われている。

 

「過去の航海記録にはそれを示唆する情報は無かった。だとするとどこかから流れてきた個体か……それらしい事例が報告されていなかったのもこの特性なら仕方がないか、証拠が残るはずもないもの。半径五キロメートル内の生体反応は軒並み沈降している……観測結果から導き出せる敵座標は……」

 

 エンリーカさんはぶつぶつと独り言を繰り返して思案をまとめていた。

 そして幾つもの通信機を取り出して方々に指示を出しているところに、事態を聞きつけたビスマルクさんが合流する。

 

「エンリーカ、出るか?」

「ナカ」

『儂のバフが掛かっていてもこの船の兵装では到底届かぬのう、超深海層は想定には無いわい。推進を全力で回しとるがこっちも変わらん。物理的な要因ではなく()()()()()()の仕業であろうよ』

 

 姿を消していたナカちゃんの声がどこからともなく聞こえてくる。

 実体は無く、まるで船そのものから語りかけられたような現象はテリトリー系列を含むことによるものだろう。

 多分、この船そのものが今のナカちゃんだ。

 だけど【ビアンコ・グランデ号】は人の手で建造されたものだから、おそらくはチャリオッツ系列とのハイブリッド。

 TYPE:ルール・アドバンス、かな。船の強化に特化したメイデン。

 

「打って出るしかない、か……」

「……なぁ、お二人さんよ」

 

 言って、ちらりと彼女が私を見遣るのに気付いた。

 その視線が意味するところは、私でもわかる。

 了解を取るようにカトリ様に目配せすると、彼女は小さく頷いた。

 

「マグロさん」

「言われるまでもないですよ、私達も協力させてください」

「……ありがとう。なら手短に済ませましょう」

 

 私にとっても命の懸かった事態だ、見て見ぬ振りなんてできるわけがない。

 そう申し出るとエンリーカさんは一言を詫びを入れて、アイテムボックスから一枚の紙を取り出した。

 これは……【契約書】?

 

「『<ENS>は【獣神】マグロを戦力として雇い、事態解決のため一時的に指揮下に置く。その対価として【獣神】マグロには<ENS>より五億リルの報酬が支払われる』。異論が無ければ、サインを」

「報酬なんて……」

「それはダメよ。今回の航海は私達<ENS>がその安全を保障するもので、貴女は本来そのサービスを受ける側。その線を越えて貴女に助力を求めるなら、相応の対価を支払わなければならない。これはクランとしての総意と矜持と受け取ってちょうだい」

「かたっ苦しいかもしれんが、呑んでやってくれねぇか。オレからも頼む」

「……よかろう」

 

 狼狽える私に代わってカトリ様が受け取り、私に突きつける。

 三人の目を見るも、誰も譲らないのを察して観念し、おとなしくサインした。

 

「ありがとう」

 

 サインを記入した【契約書】を返すと、彼女は強張っていた顔を緩めて微笑んだ。

 今、彼女に伸し掛かるプレッシャーは尋常ではないはずだ。

 類稀な実績を誇るクランの価値を大きく左右するこの事態、解決できるか否かで彼女たちの去就は決されると言っても過言ではないはず。

 部外者の私達を法外な報酬で雇ってまで期待してくれたのなら、たとえ重すぎるそれでも全力で応えなければ。

 

 なんだか慣れない感じだけど、最早これはれっきとしたクエストだ。

 元よりそのつもりだけど、必ずや事態を解決しなければならない。ふんすと私は意気込んだ。

 

「ではオーダーを発令します。貴女達二人にはこれから海へ潜ってもらい、最下層に位置する【アビスホール】を討伐してもらいます。推定される敵の能力は()()()()。侵入したが最後、討伐完了まで帰還不可能。海中での意思疎通は……アオバ」

「はいはーい」

 

 集まっていた<ENS>メンバーのうち、アオバと呼ばれた女性が進み出ると、指先で私とカトリ様、そしてエンリーカさんとビスマルクさんの額を小突いた。

 見れば私以外の額には、塔のような意匠の紋章が輝いている。

 

『聞こえるかしら?』

『テレパシー、ですか?』

『それよりも便利なものよ。深海では並の通信アイテムでは破損してしまうから、アオバの【バベル】で思考を共有させたわ。ちゃんと伝えたくないことは伝わらないようになってるから安心して』

『個人のプライバシーは厳重に守られてまーす! あ、通信距離は気にしなくていいですよー。繋いでるうちは()()()なんで!』

 

 最後に割り込んだ声はアオバさんのものだろうか。

 なるほど、確かに【テレパシーカフス】なんかでは水圧に耐えられないだろうし、おそらくはテリトリー系列だろうこれなら、それを危惧する必要も無い。

 

『潜行中はオレの指示に従ってくれ。深海は不慣れだろう? 浅海とは勝手が違うからな』

『そうさな、流石の余もこれほどの深層は経験していない。……マスター』

 

 ()()()、から()()()()へ呼称を変えたカトリ様の意図を読み取り、私はアイテムボックスから【封刺猟棺 エルザマリア】を取り出した。

 同時に装備も【延命投与 オーバードーズ】へと《着衣交換》し、回復ポーションを満タンまで補充して【エルザマリア】へ乗り込んだ。

 

『……えっ、なにそれ』

『特典武具ですよ? 個人用シェルターみたいなものです』

『いや、そうじゃなくて……どう見てもアイアンメイデ』

『……?』

『ごめん、やっぱいいわ』

 

 どこか戦慄した様子にビスマルクさんに疑問符を浮かべていると、私を収容した【エルザマリア】をカトリ様が担ぎ上げた。

 そして外周の柵へ身を乗り出すと、急かすようにしてビスマルクさんを見遣る。

 何か言いたそうなビスマルクさんだったが、やがて諦めたように肩を竦めるとひとっ飛びに海へ飛び込み、モビィを喚び出して海中へ消えていった。

 

 その後を追ってカトリ様も飛び込み、"青"へ変身して【エルザマリア】を飲み込む。

 《格納》によって体内へ造られた異空間へ【エルザマリア】ごと放り込まれ、その安全地帯で《共有》を発動し、カトリ様の視界を私の視覚へ投映した。

 

『――ご武運を』

 

 全身を突き刺す【エルザマリア】の棘の痛みと、これを戦闘と見做したことによる《贄の血肉は罪の味》による痛み。

 船上に残るエンリーカさんの激励に見送られ、遥か海の底の不可侵領域での激闘を予感しながら、私達は昏い海の底へと潜って(堕ちて)いった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 □大陸南南東海域・深海層

 

 深海という領域に明確な定義は無いが、地球では一般的に水深二〇〇メートル以上の海域を指すという。

 その水深を境に光合成に必要な太陽光は届かず、環境や生態系は大きく変わり、高水圧・低水温・暗黒・低酸素といった過酷な環境条件となり、生物は表層とは全く異なる独自の進化を遂げている。

 

 だがその常識は<Infinite Dendrogram>の世界においては適用されない。

 

『すごい数のモンスター……』

『アンタ、連中が見えてるのか? オレは音響探査でしか視えてねぇが、いい眼を持ってやがる』

『既に相当な深度のはずだが……タフだな』

『純竜級以上ともなれば単なる水圧では大した障害にもならねぇ。単純にステータスが高いのもあるし、スキルで大抵の変化に適応できるからな』

 

 マグロがテスカトリポカの視界越しに視たのは、浮上能力を奪われ沈降しながらも然程弱った様子も見せず、この異常事態に興奮し【アビスホール】の獲物同士で傷つけ合う水棲モンスターの数々だった。

 彼らはこの異常現象の原因を周囲にあると考え、手当り次第に攻撃しこの危機からの脱出を図っているのだ。

 さながら蟻地獄のように力場の中央に向かって沈み堕ちてくるモンスター達の乱闘を眺めながら、そのタフネスにマグロ達は驚嘆する。

 

 生態がステータスとスキルに紐付けられているこの世界の生物ならではの光景だろう。

 地球の生物ならば急激な水圧や水温の変化に即死を免れないところを、彼らは持ち前のステータスで耐えているのだ。

 より強力な水棲モンスターほど深く、広範に活動域を持つのが四海のモンスターだ。陸上と比べ大型化しやすい傾向もあって驚くべき生命力である。

 

 そうした沈みながらの乱闘が巻き起こる中、当然マグロ達にもその矛先が向けられる。

 五〇〇メテル級の超大型人型個体、二〇〇メテル超の大鯨。

 いずれも見慣れぬ生物であることも相俟って殊更に敵愾心を煽り、光差さぬ暗黒からその牙を剥かんとする。

 だが――

 

『《ギガント・スマッシュ》』

 

 "青"のテスカトリポカが巨腕を振るって迎え撃ち、敵の巨体を打ち据えると共にへし折る。

 使用に()を必要とする巨人系モンスターからラーニングした格闘スキルは、"青"のSTRもあって恐るべき攻撃力を発揮し、

 

『KYUOOOOOOOON――!!』

 

 ()()()()()()()と一体化したビスマルクが歌うように音を奏でる。

 音速を誇る破砕音波の咆哮は海中において大気中の五倍速で放たれ、不可視の弾丸となって遠隔の敵を粉砕した。

 【大冠鯨 モビーディック】。

 その必殺スキル《蒼海覇王(モビーディック)》によって合体し、巨大な人魚と化したビスマルクが放った《粉砕音波咆》は、通常時のそれよりも遥かに強化されている。

 

 片や万能を誇る<超級エンブリオ>、片や海戦に特化した準<超級>。

 たとえ純竜級の相手と言えど、力量と経験において歴戦を誇る両名を相手には大きく役が不足していた。

 

『いいスキルだ』

『姐さんこそ派手にやるじゃねぇか』

『都合良く未知のモンスター素材が手に入ったか。前菜にはちょうどいいな』

『あン? ……ああなるほど、アンタ()()()()()()()かよ。合点がいったぜ』

 

 純竜級モンスターの素材は希少だ、テスカトリポカがそれを逃す手はない。

 モンスターの素材を光の粒子に変えて摂取する彼女を見てビスマルクは得心し、自分が仕留めたものを彼女へ寄越した。

 それにテスカトリポカは目礼で返すと、それらをまとめて消費してラーニングを図る。

 

『ラーニング型か。何人か見たことあるがどいつも茨の道だったな。それを<超級>になるまでよくやったもんだ』

『ウチのカトリ様は優秀ですから。……あ、幾つか適応スキルが手に入りましたよ!』

『うむ、若干だが動きやすくなった。だがそなたほどではないな、まだ修練が足りぬ』

『生身で潜るならオレたちが最高峰だ、まだまだ譲らねーよ』

 

 必殺スキルを発動して一体となったビスマルクには、モビーディックが持ち合わせていた《深海適正》のスキル効果が適用されている。

 それにより水圧の無効化と優れた冷却耐性、そして【鰭神】の奥義《自在遊泳》によって水中呼吸と海流を無視した遊泳能力を備えた彼女は、生身において最高の水中適正を誇る、まさしく鰭持つ生き物の神であった。

 

 たとえ【アビスホール】の強制沈降法則の下にあっても、水中にある限り彼女の動きは縦横無尽。

 沈みながらも《粉砕音波咆》の連撃と愛用の槍――今は巨体の額に角として生えている――で穿ち屠り、瞬く間に周囲の敵を殲滅していく。

 負けじとテスカトリポカも奮戦するが、水中での戦いにはビスマルクに一日の長があり、その戦果は大きく負けていた。

 

『い~いウォーミングアップだ。こんな状況でなけりゃ狩り勝負(ハンティング)と洒落込みたかったんだけどな』

『ならば任が果たされ次第競おうぞ。余もそなたの動きには興味がある、是非盗みたい』

『言うねぇ』

 

 軽口を叩き合いながらも二人は沈降し続ける。

 水深二万メテルへ向かってのラストダイブ、元凶を討たねば死は確実な決死行。

 沈むにつれて増大し続ける水圧にテスカトリポカの巨体が密かに軋みを上げるが、その痛みこそ未知なる強敵との戦いの兆し。

 彼女の顔は知らず愉悦に歪む。

 

『間もなく水深一五〇〇〇メートルを越えるわ。状況はどう?』

『引っかかった獲物は粗方片付いた。ここまでくると純竜級でもほぼ全滅だな、食糧ドロップに変わっているのがわかる』

 

 《音響探査》で暗黒を沈んでいく水棲モンスターの亡骸を把握しながらビスマルクがエンリーカに答える。

 道中襲いかかってきた敵を蹴散らし続けた二人だが、敵の数はそれよりも遥かに多い。

 潜行中に観測班から届いた報告によれば、【アビスホール】の影響範囲は半径五キロメテル。

 それほどの超広域であれば、およそこの海域に棲まう全生命体が彼の射程範囲内だ。

 

 夥しい数のモンスターが喰らい合い、されど逃れられず沈み堕ち、やがて水圧に耐えかねて圧壊していく様はこの世のものとは思えない。

 そして肉の雨とも形容すべき残骸(食糧ドロップ)が降り注ぐ先に、未だ見えぬ大敵は潜んでいるのだろう。

 地獄の裂け目とも思える大海溝を望みながら、「大した大食らいだ」とテスカトリポカは嗤った。

 

『そろそろか……、ッ!』

『来たぞ!!』

 

 両名の《危険察知》が反応し、直後大海溝の底から魔手が迫った。

 それは鞭のようにしなって降り注ぐ残骸を絡め取る無数の触手。一本一本が小舟程度なら容易に握り潰せるほどの太さを持つそれ。

 驚くべき伸張性で数百メテルもの距離にまで手を伸ばし、わらわらと手探りに揺れ動く。

 

『KYUAAAAAAAA――……、触手の耐久力は低い! が、再生能力持ちだ!』

『脆いが殺しきれぬか、よくある手合いだが相変わらず面倒なものだ』

 

 【アビスホール】の襲撃に応じ、ビスマルクが《粉砕音波咆》の連射で迎え撃つ。

 破砕音波の一撃で触手は容易に砕かれるが、しかし間もなく泡を立てて再生し、音の発生源を向けて触手の群れを殺到させる。

 それをビスマルクは左右に泳いで躱していくが、浮上能力を奪われた現状では三次元機動にも大きく制限がかかり、本来の回避能力を発揮できないでいた。

 

 テスカトリポカもまたその巨体が仇となって触手に集られるが、四形態中最もSTRに優れた"青"の怪力を以てすれば引き千切るは容易い。

 だが千切り飛ばす端から無尽に再生し、全身を絡め取っていく大群の前には焼け石に水。

 どうしても後手に回り、ゆっくりと引きずり込まれていく。

 

『この状況だと躱しきれねぇ! 一気に本丸へ乗り込むぞ、いけるな!?』

『無論。いっそ片がつくというものよ!』

 

 その状況を視てビスマルクは、身体を一直線に真下へ向けて急速潜行を開始した。

 テスカトリポカもまた己を絡め取る触手を手繰るようにして潜行していく。

 

『カトリ様、大丈夫ですか!?』

『問題ない。未知なる領域にこの窮屈も心地よいくらいだ』

 

 急激に増大していく水圧がテスカトリポカのHPを削っていくが、一〇〇〇万を越えるHPの前には微々たるもの。

 より危惧すべき傷痍系状態異常も【骨折】には至らず、圧力による軽度の制限系状態異常を負うに留まっている。

 仮に他の形態ならば為す術もなく圧壊しているところを耐え切れている"青"の力は、見込み通り海戦でこそ真価を発揮していた。

 

 そうしているうちに間もなく水深は二万メテルの領域に至り――敵の全貌が明らかとなる。

 

『こりゃあ……随分なデカブツだなァ、オイ……』

 

 呆れたように呟くビスマルクが捉えたのは、海溝の底を這い回る一匹の()()だった。

 海鼠、あるいは蛞蝓のように蠢く長躯と、その先端に具わったイソギンチャクのような頭部。

 胴体よりも大きく開かれた口内には微細な無数の牙がすり鉢状に生え並び、唇にあたる縁からは髭のように無数の触手が放射状に伸びていた。

 

 だが……そのスケールが尋常ではない。

 特徴的なその大口一つで直径五〇〇メテル超。

 胴体ともなればその倍以上ともなり、まるでそれ自体が海溝の一部と見紛う程の超巨体。

 "青"の巨体すら一口に丸呑みできる大きさともなれば、遠近感すら覚束なくなるほどの威容に流石の両名も一瞬身が竦む。

 

 まさしく【アビスホール(奈落の穴)】と呼ぶに相応しい大海口(大海溝)が、生きた獲物を前に歓喜に身悶えていた。

 

 

 To be continued




グランバロア版メイドインアビス

【航海女神 ムナカタ】
TYPE:ルール・アドバンス 到達形態:Ⅵ
能力特性:船舶強化
必殺スキル:《絶海踏破(ムナカタ)
モチーフ:日本神話における航海と交通の女神、『宗像三女神』
備考:
 船舶の機能全般を強化する外付けパーツ型の非実体<エンブリオ>。
 一度に強化できる船舶は一隻のみ、かつモンスターや<エンブリオ>は不可という制約があるが、そのぶん強化倍率が段違い。
 そして必殺スキルの発動中は()()()()()()()という能力特性と、エンリーカのジョブ特性と相俟って、二人が乗った船は屈指の航行能力を誇る。
 クランが依頼成功率一〇〇%を誇る最たる理由。

(・3・)<船舶限定版シルキー。
(・3・)<ただし今回の場合は()()()()()()という【アビスホール】の能力特性と相殺して
(・3・)<かつ有効な攻撃手段を持たなかったために、単体としては相性負けする結果となりました。

【バベル】
(・3・)<こちらは<ENS>通信担当アオバの<エンブリオ>。
(・3・)<一定数までの人員間での無制限念話が基本能力。
(・3・)<他には魔物言語の完全翻訳や、必殺スキルによる全コミュニケーション撹乱など。
(・3・)<モチーフはもちろん旧約聖書における『バベルの塔』。

【ノーチラス】
(・3・)<<ENS>海中探査担当モモの<エンブリオ>。
(・3・)<潜水艇のTYPE:エンジェルギア。
(・3・)<当然本人は【潜水士】で、優れた探査能力を誇ります。
(・3・)<【アビスホール】の存在を把握できたのは彼のおかげ。
(・3・)<モチーフはこれまた有名な『海底2万マイル』に登場する潜水艦『ノーチラス号』

(・3・)<こうしたメンバーが五〇名所属してるのが<ENS>です。
(・3・)<ガチクラン。


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メイド・イン・アビス

 □■大陸南南東海域・超深海層

 

 およそ生命の気配が存在しない大海溝の底に轟音が鳴り響いた。

 水深二万メテルの水底を満たす大質量を掻き分けて、全長一キロメテル超に及ぶ巨体がうねる。

 堆積した沈殿物が舞い上がる水煙の中から、無数の触手を具えた()()が生きた獲物目掛けて肉薄した。

 

『姐さん、オレがナビする!』

『成程、こういう使い方か。承知した』

 

 海上の陽光などとうに届かぬ超深海層。《暗視》ですら目視の難しい暗黒空間で轟く暴力を察知したのは、《音響探査》で周囲を視ていたビスマルク。

 大気中の約五倍速で伝達する海中音波は地虫の蠕動を即座に捉え、事前に繋げてあった【バベル】の思念通話でテスカトリポカに危機を知らせた。

 

 【アビスホール】の動きはAGIにして亜音速に届くか否か。

 それはある程度戦闘慣れした戦闘系<マスター>にとっては容易に捕捉可能な速度領域。

 しかしその巨体ゆえに二人と比較して緩慢な動きですら大移動となり、一〇〇メテル程度の距離を即座に詰める。

 

 対するテスカトリポカからすれば、それでもあくびが出るほど()()()な挙動である――本来であれば。

 しかし"青"の特徴はその巨体と、特化させた腕力に耐久力。そのAGIは他の形態と比べれば悲しい程に遅く、【アビスホール】と伍する程度でしかない。

 だが持ち前のセンスとずば抜けた戦闘経験、そしてこの場において誰よりも迅速なビスマルクからの言語を用いぬ超速思念通話によって、視えないながらも的確にそれを迎撃する。

 

『《ギガント・スマッシュ》』

『GIIIIIIIIIIiiiiiiii……!!』

 

 直径五〇〇メテルに迫る肉の奈落。

 常人が直視すれば即座に気を手放すほどの生々しい圧迫感に、しかし寸毫も動じず巨腕の一撃を繰り出す。

 人型を模した"青"だけに許された格闘の型。巨体の質量と大怪力が齎すインパクトを余すことなく伝達する拳の一打は、テスカトリポカを一呑みにし得る大口を強かに打ち据え矛先を逸らした。

 

『続くぜ姐さん! KYUAAAAAAAAAAAAAA――!!』

 

 激突の振動が海水を介して周囲に撒き散らされ、その余波で周囲の岩盤が崩れ去る。

 横面をモロに殴り抜かれる形となった【アビスホール】が、その巨体と鈍重ゆえに致命的な程の隙を晒したのをビスマルクは逃さず、《粉砕音波咆》の連射によって立て続けに追撃していく。

 

 浮上否定の法則は【アビスホール】が余裕を持って獲物にありつける範囲へ招くまでに限られているのか、彼の周囲五〇〇メテル以内では発動していない。

 多くの陸上生物にとっては十分な空間、しかし一〇〇メテル級の巨体が珍しくもない水棲生物にとっては窮屈な領域だろう。

 【アビスホール】にとっては文字通り手を伸ばせば届く程度の広さ。

しかし必殺スキルによってモビーディックと一体化し、その全長を本来の半分程度の約一〇〇メテルにまで縮めた今のビスマルクにとっては、少々手狭ながらも舞い泳ぐに十分な広さだ。

 

 反撃に身悶える巨体を縫って白鯨人魚が自在に舞い、的確に地虫の頭部を狙う。

 AGIにして五万超の超音速破砕音波なら鈍重な巨体から照準を漏らすはずもなく、巨体の中でも頭抜けたウェイトを誇る頭部に一発足りとて外さず命中させた。

 

 潜行中に受けた触手の先攻、その時の感触から類推して間違いなく肉体を粉砕するに十分な火力。

 如何な巨体とはいえ立て続けの連射を受けては肉片一つ残るはずもないが……しかし両名は確信していた。

 ()()()()()()()()と。

 

『ひょっとして、と思っちゃあいたが……随分な再生力だなァ』

『見るからに元は【ワーム】の一種だろうしな。肉体再生はアレの十八番よ』

 

 カルディナの砂漠に代表的な【ワーム】の類は、その巨体と再生力で特に有名だ。

 それと類似する要素を多く持つ【アビスホール】ならば、<UBM>としての力もあって通常種と比較にならぬ再生力を持つだろうことは想像に難くない。

 比較的低く感じられるENDも、その再生力をあてにしてのことならば得心がいった。

 

『だがそうなると()()()()()()()よな』

『固有スキルとして強化されてるなら相当だろうぜ。流石に無尽蔵ってわけじゃあないだろうが……』

『しかし手当たり次第というわけにもいかなさそうだ』

 

 見よ、とビスマルクへ念話でイメージを伝える。

 【アビスホール】の捕食攻撃を迎え撃ったテスカトリポカの巨腕には不規則な裂傷が刻まれていた。

 《ギガント・スマッシュ》でのカウンター時に【アビスホール】の牙が掠めた結果だ。

 ――四形態中最大の耐久力(END)を誇る"青"の肌を、掠めただけの牙が易々と裂いている。

 

『各種防護スキルを突破しての傷よ。恐らくは()()()()()()()()()()()()()()だろう。素で余の肌を傷つけるには、奴の突撃は些か軽きに過ぎる』

『……強力な再生能力、ある程度の防護を無視する捕食攻撃。割とよく見るやつだな』

『いずれもありふれた能力の延長線よ。強制沈下を除けば特筆すべき点は無い。だが……』

 

 テスカトリポカの危惧をビスマルクは即座に察した。

 強制沈下。即時再生能力。防御無視捕食攻撃。

 それらの組み合わせが示す答えは一つ――

 

『――長期戦タイプか!!』

 

 ――己が領域へ引きずり込んでの、自己再生能力に任せた徹底的な持久戦型。

 

 ビスマルクの叫びへ応じるように、瑕疵一つなくなった【アビスホール】の大口が再び迫った。

 

 ◇◆

 

 それからおよそ一時間に迫る激闘は、両者共に決定打を与えられない膠着状態のまま進んでいた。

 

 超高圧が伸し掛かる海溝底での死闘は、テスカトリポカの体内で戦況を眺めるマグロにすら目視可能な速度域。

 皆が皆一〇〇メテルを最小単位とする巨体が故に、通常以上に緩慢に見える巨体のぶつかり合いはおよそ対人戦における高速機動や回避の応酬とは無縁。

 さながら怪獣映画の如く巨体同士がぶつかり合う戦場は、まさしく食うか食われるかの瀬戸際の連続だった。

 

 【アビスホール】の攻撃は捕食狙いの突撃一辺倒。

 しかし無尽蔵の再生能力と規格外のタフネス、そしてこの場の誰よりも深海環境に適応した生態によって繰り出されれば、それは途端に暴威と化した。

 防御無視の捕食攻撃は掠めるだけで微量とはいえ確かなダメージを負わせ、自らはHPを回復させ続けるなか敵対者へ一方的な消耗を強い続ける。

 

 ビスマルクは神憑り的な水泳能力によってその悉くを躱し続け未だ無傷を保っているが、最大の的たるテスカトリポカは無数の捕食痕をその全身に負っていた。

 "青"が有するスキル群の中には自動回復スキルの類も設定されているが、【アビスホール】のそれとは比較にならぬ程微々たるもので、傷の再生も遅々たるもの。

 反撃の数々は確かに【アビスホール】を捉え、トータルで言えばとっくにHPを全損していてもおかしくないダメージを与えているはずだが、敵の再生能力の前に結果的には無傷に終わっている。

 

 既に海底は当初の地形を保っていない。

 度重なる超巨体の衝突に砕かれ、崩壊し、海溝の一部がクレーターと化しているが、それでも決着には遥か遠い。

 【アビスホール】はとぐろを巻いた姿勢のまま、未だに喰らえぬ獲物二匹に焦れながらも健在を誇っていた。

 

『ビスマルク、あとどれほど保つ?』

『……必殺スキルはまだいける。が、ぼちぼちSPがヤバいな』

 

 危惧していた長期戦の負担は、まずビスマルクに重く伸し掛かっていた。

 飛躍的にステータスが増強されるわけではなく、スキルの共有化と強化に留まる【モビーディック】の必殺スキルは、同形態の他の<エンブリオ>と比べて格段に燃費が良い。

 合体の継続時間だけで言えばあと数時間は優に維持できるだろう。

 しかしここまで立て続けに繰り出した《粉砕音波咆》のSP消費は、既に無視できない領域にまで至っている。

 一発あたりは然程のコストでなくとも、既に一〇〇近い回数を実行した現在、残された弾数は戦闘を継続する上で心許ないものだった。

 

『姐さんはどうだい』

『余の方はリソースの大半を最低限の再生にしか費やしておらぬ。素手で迎撃可能な現状、継戦能力に翳りは無い。……だが千日手だな』

『オレの牽制が切れたら一気に不利、か。打破できねぇとマジでやべぇな』

 

 思案する間にも【アビスホール】の大口は迫り、両者連携を取ってそれを迎撃する。

 容易く四散する【アビスホール】の肉体。

 しかしその端から泡を立てて再生し無傷へ立ち返る様を幾度となく繰り返されれば、歴戦の両名にとってもうんざりする光景だった。

 

『単純に沈めるだけじゃあこいつを喰える輩は無数にいる。それこそ<UBM>でなくたってな。だがこれだけ粘られちゃあ音を上げるのは決まって()の方だろうよ。よく出来てやがるぜ』

『この力量、相当数の<UBM>を屠っているとみてもよいだろうしな。古代伝説級の中でも上位に入ろう』

『似たような相手は【ユニケロス】がいましたけど、環境のせいで一回りも二回りも勝手が違いますもんね……』

 

 テスカトリポカの中からこの状況を観戦し続けていたマグロが嘆息する。

 全身を駆け巡る激痛の中で眺め続けるテスカトリポカの視界は、まるでちゃちなパニックホラーのようだ。

 曖昧な暗がりから不規則に迫りくる【アビスホール】の大口は、そのスケール故に視界の大半を占め、事の全容を掴ませない。

 元より戦闘勘に大いに欠けるマグロでは、ただ二人の健闘を祈ることしかできず、しかし光明の見えぬ現状に既に息も絶え絶えであった。

 

『いざとなれば私が死ぬしか……』

『察するに自滅と引き換えの大博打ってとこか? いざとなりゃ頼るしかないかもしれねぇが、しかし現状ではなぁ……』

『……いや待て。――そうか、【ユニケロス】か!』

 

 泣き言のようなマグロの決意にビスマルクが忸怩たる思いを示す中、テスカトリポカは閃きを得たように声を上げた。

 

『カトリ様?』

『余の糧にすらならず、思い出すのも忌々しい下賤の獣と思うて考えに出なんだが……アレと似た手合いならば、心当たりはある……』

 

 テスカトリポカが駆け、【アビスホール】に組み付く。

 そして掘り進むようにして手当り次第に四肢を差し入れ、柔らかな臓腑を掻き分けていく。

 

『余としたことが何たる失態か! ――()()を探せ! これほどの再生能力、単なる自動機能としては破格にすぎる。それを統括するコアがあるはずだ!!』

『ッ――あぁクソ、盲点だったぜ! 【ツイン】の印象が強すぎて頭に無かった!!』

 

 テスカトリポカが思い至った一つの可能性――コアの存在。

 かつて戦った【ユニケロス】が己の象徴たる宝角を核に無尽の再生能力を得ていたように。

 かつて惨敗した【グローリア】が三つの首に各々のコアを具え、自律していたように。

 強力なモンスターの中には、コアを砕かぬ限りその性能を維持し続ける者が、稀にいる。

 

 ビスマルクもまたその可能性を失念していた。

 かつて彼女が交戦した【モビーディック・ツイン】は、海水がある限り無限に再生し続ける破格の能力を有していた。

 【大提督】と【盗賊王】が必殺スキルを用いた上で連携せねば封殺できなかったような、超抜の力だ。

 かのスキルは海そのものがコアのようなもの。その印象が強すぎて、部位としてのコアが存在する可能性に、今の今まで気付かなかったのだ。

 

 灯台下暗しとはまさにこのこと。

 戦場として異常極まる環境と異形極まる難敵に意識を割かれ、ほんの簡単なことにすら思い至らぬ手落ちに臍を噛む。

 

 テスカトリポカは自ら腹の中に飛び込み、全身を無数の牙と溶解液が削り溶かすのにも構わず、地虫の巨体を端から徐々に引き千切っていく。

 絶え間ない再生によってその進行は微々たるものだが、しかし着実にその歩を進め、肉体の何処かにあるコアを探し求める。

 

 ビスマルクもまたなけなしの《粉砕音波咆》を広域に展開させ、迎撃するのではなく【アビスホール】の全身を揺るがすように、微細な振動波で内部ダメージを蓄積させていく。

 どこかにあるコアにその振動が届けば、必ずや特有の反応を示すはず――人体で例えるならば急所を突かれたときと同様の反応を逃さぬよう、歌うように振動音波を全身に浴びせて、

 

『GEEEEEEEEEEEEEEYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY――!!』

 

 ――しかし【アビスホール】は健在だった。

 

 その奮闘が無為であるかのように巨体をくねらせ、泡立つ身体を見せつけるように。

 両名が繰り出した大攻勢で損なった巨体が見る端から再生していく中で、ビスマルクはよもやここまでかと諦念を抱きかけ――

 

『!! カトリ様、根本です!!』

『でかしたぞ!!』

 

 テスカトリポカの視界を共有していたマグロが、それを捉えた。

 高レベルの《暗視》ですら朧気な視界の中、千々に崩れた巨体の間際から視えた、その根本。

 【アビスホール】がとぐろを巻いていたその中心、そこに隠された巨体の末端。

 さながら根差すように岩盤へ突き立てられた尾端部位が、今の今まで巨体に隠され続けていた理由を両名は察する。

 

『巨体のあまり気付けなんだが、とんだ物臭よな! 寝床の奥底に秘めておったとは!!』

『姐さん、オレが()()()()()! サポートを!!』

『応とも!』

 

 目視では暗がりと巨体に塞がれ。

 音響探査では岩盤に遮られ、今の今まで突き止められなかった【アビスホール】の全容。

 これまでこの地虫は、一ミリ足りとて己の()()から出てはいなかったのだと、その究極の出不精にいっそ笑いながら、トドメを見舞うべく両者が動く。

 

『GYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』

『のろまめ、遅いわ!』

 

 明らかに矛先が急所へ変わったことを察した【アビスホール】が、全身を大きく振り回して二人を追い払わんとする。

 ビスマルクはそれを悠々と泳いで逃げ、テスカトリポカは見境なしの大口が肩口を抉るのも気に留めず、四股を踏むようにして片脚を大きく開き、

 

『――――《タイタン・スタンプ》』

 

 レジェンダリアの秘境で遭遇した巨人種モンスターの奥義を繰り出した。

 強かに大地へ振り下ろされた巨大な足は、硬い岩盤を大きく揺るがし、その振動を内部へ伝達していく。

 数秒のチャージを要する対地形特効攻撃は、局所的な海底地震を引き起こし、【アビスホール】の半身が埋もれていた岩盤を踏み砕いた。

 

 顕になったその部位は、無数の()()()がついた頑強な外殻に覆われていた。

 それが地形の崩壊によって固定が緩んだのを見計らって、待機していたビスマルクが突出する。

 

 額に具わった一角――名を【貝賊穿 ショットシェル】。

 非合体時には槍として装備されている螺旋衝角は、穂先に刻まれた螺旋に沿って空いた穴から水流を噴出し、その突撃に急加速を与え――

 

『《貝賊穿弾(ショットシェル)》、全速――!!』

 

 ビスマルクそのものが一本の銛と化した一撃によって、岩盤から引き摺り出される。

 加速を得て音速に迫る全速力に、己が質量の全てを預け……もがれそうになる首を必死に耐え支えながら。

 

『オラァッ、一本釣りだぜぇ!!』

『GEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEYYYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?』

 

 さながら巻き貝から身を抉り出すようにして晒された外殻部位。

 秘すべき急所が晒された焦りに【アビスホール】が悲鳴を上げ、しかしビスマルクの加速に巨体を引きずり回される。

 そしてビスマルクが旋回し戻ってくるのに左手を添えた右腕を突き出し、その照準を合わせ――

 

『念には念を入れておこう。――右腕をくれてやる』

『しくじるなよ姐さァン――!!』

 

 ――自切し、発射した。

 《ロケット・フィスト》。過去にゴーレム系エレメンタルからラーニングした射出格闘攻撃。

 本来は無機物だからこそ可能なそれを血肉を撒き散らしながらも放ち、右拳を外殻に突き立てる。

 それを確認したビスマルクは、【アビスホール】を放り出して全速力で距離を取り、

 

『――《死なば諸共(ノーサイド・スーサイド)》』

 

 ――大爆発。

 突き立てた右腕が途方も無い爆裂を生んだ。

 

 かつて戦った伝説級<UBM>、【自誕自爆 ノーサイド・スーサイド】。

 大地を爆薬に変えて己が構成物とする、ゴーレムに酷似した地属性エレメンタルの<UBM>。

 その特典武具から得た肉体の一部を犠牲とする自爆攻撃は、その爆発力を余すことなく【アビスホール】へ叩き込んだ。

 

 ――その結果は論ずるまでもなく。

 

『ハッハァ!! 派手にやるじゃねぇか!!』

『初めて切った札だが……ふむ、火力は十分か。この身体でなければ自滅していたところだ』

 

 力の要たる核を喪い、それどころか一キロメテルに及ぶ巨体悉くを大爆発に引き裂かれた【アビスホール】は、今度こそ再生することなく海底に沈む。

 全速力で逃げたビスマルクは、それでも全身に余波の裂傷を負いながら大笑いし、より間近にいたテスカトリポカはこの戦闘で一番の重傷を負いながらも、しかし健在。

 

 果たしてその結果は――

 

 【<UBM>【大海口 アビスホール】が討伐されました】

 【MVPを選出します】

 【【マグロ】がMVPに選出されました】

 【【マグロ】にMVP特典【大海口圧縮遺骸 アビスホール】を贈与します】

 

 前人未到の奈落の底。

 その死闘の決着だった。

 

 

 To be continued





・【大海口 アビスホール】
強制沈下領域展開、防御無視捕食攻撃、そしてコアが存在する限り無尽蔵の再生能力を誇る海の怪物。
古代伝説級としては限りなく上位に位置するスペックを誇り、どこぞの邪悪だんご3兄弟と並んで神話級一歩手前のバケモノ。
一つ一つは割とありきたりな能力ながら、その組み合わせと深海という特殊フィールドによって脅威度を格段に増した、多重技巧と条件特化のハイブリッド。
その特性から証拠隠滅能力も高く、現在まで存在が明るみに出なかった。

(・3・)<エンリーカがいなければまず全滅してました
(・3・)<その上で深海で戦える二人がいなくても勝てませんでした
(・3・)<同じ土俵で戦える強敵相手には無限再生で泥仕合を強いて粘り勝ち続けました
(・3・)<デカい相手に程捕食攻撃がめっちゃ効く
(・3・)<見た目はモルボルの頭を持った超デカいライクライクみたいな感じです
(・3・)<大元は海底を這い回っておこぼれを漁るだけの管虫みたいなモンスター
(・3・)<卑小すぎて見向きもされないようなモンスターでした


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エピローグ

 □【獣神】マグロ

 

 カトリ様の右腕と共に【アビスホール】が爆散したのを見届けたあと、特典武具がアイテムボックスに収納されたのを確認して決着を確信する。

 不可視の暗闇の中で轟音だけが響く激闘は体感にしてみればほんの十数分程度に感じられたのだけど、メニューで確認してみれば実に一時間強もの時間が経っていた。

 

 同時にカトリ様のステータスには【右腕欠損】の状態異常表示と共にHP最大値の数割が減損しているのを確認でき、初の実戦運用ながら途方も無い強敵だったと身震いする。

 実のところ私はともかくカトリ様が部位欠損を負うなんて初めてのことだ。まして耐久力と質量に"青"では何をか言わんや。

 最後の大技は些か大盤振る舞いではないかと思いもするも、戦闘勘においてはカトリ様の独壇場、彼女がそうしたのならそれが最適解だったということなのだろう。

 

 目下の懸念は海の底でこうも大暴れしてしまったことによる周辺への影響だけど……

 

『この程度グランバロアじゃ日常茶飯事だぜ、心配すんな。多少の影響はウチのメンバーでどうとでもできるし、寧ろこの程度はまだまだ可愛い方だな』

 

 そうあっけらかんと答えるビスマルクさんの返事があった。

 グランバロアこわい。

 

『にしてもMVPはそっちにいったか。ま、妥当かね……』

『ふっ、久方振りのレアモノだ。遠慮はせんぞ?』

『海じゃあ結果が全てさ』

 

 終わってみれば終始単純な戦いで、これまでの<UBM>戦と比べてシンプルな内容だったけれど、しかしその難易度は半端なものではなかったと思う。

 一つ一つはありふれた能力ながら、それがただ深海という特殊環境での戦闘を強いられるだけでこれほどに厄介になるものだとは、体験してみなければ到底理解できるものではないだろう。

 

 カトリ様だって初めてのフィールドだろうによくもぶっつけ本番で適応できたものだ。

 その見込みがあったからこその助力だったけれど、正直なところ二度と味わいたくはない戦いだった。

 何も見えない暗闇の中をただ苦痛に耐え忍ぶだけというのは、フィジカルよりもメンタルへの圧迫感が凄まじかった。

 

『さてと、勝利の余韻に浸るのもいいけど、ぼちぼち戻るとすっかね。上の連中もお待ちかねだろうしよ』

『イエース! こちらでは船体の沈下が収まったのを確認して大わらわですよ!』

 

 ビスマルクさんの声に割って入ったのは、この念話を取り仕切っているアオバさんだった。

 どうやら思念通信でこちらの状況もモニタリングしていたらしい。ハイテンションな声が怒涛のように押し寄せてきて、意味もないのに思わず耳を塞いだ。

 

『皆さんお疲れ様でした! ただちに帰還し、治療を受けてください! そちらのカトリさんは右腕を失われたようですが……』

『気にするな、アテはある』

 

 そういったカトリ様の興味の先は、手に入れたばかりの特典武具へ向けられていた。

 遺骸という形でアジャストしたということは、つまりカトリ様のラーニング用ということだ。

 特典武具によるラーニングは最低一つは確定しているから、今から結果が楽しみで仕方がないといった雰囲気だ。

 

 【アビスホール】の特性を考えるなら、候補としては再生能力、強制沈下、防護無視捕食攻撃の三つだろうけど、この内最も汎用性が高いのが再生能力だ。

 元の性能より幾分か落ちるとはいえ、それでも古代伝説級の固有能力ともなれば右腕の再生は容易いはず。

 他の二つも強力だけど、強制沈下は環境が海に限定されるだろうし、捕食攻撃も"青"のサイズでは無駄が多いし、他の形態でもわざわざ戦術に組み入れるほどではない。

 再生能力ならどの形態でも実用的だし、もし"青"で運用するなら今回の戦闘で使った《死なば諸共》と併用して広域殲滅にも転用できるし、私としてもぜひともこちらを獲得したいところだ。

 幸いにして特典武具からのラーニングからならある程度の選別は利くので不安も無い。

 

『ではでは凱旋ですよー! 皆さんのご到着、首をなが~~~~くしてお待ちしてますね!』

 

 そんな算段を立てている傍らでアオバさんの明るい声が響き、私達はいよいよ帰路についた。

 行きとは真逆に光へ向かって泳いでいく様は、どこか心休まるような安らぎを与えてくれる。

 やがて海面へ辿り着き、ビスマルクさんは必殺スキルを解いて、カトリ様も私の収まった【エルザマリア】を吐き出しながらメイデン体に戻って、船員の歓声に出迎えられながら甲板に上がって、

 

「よくやってくれ……キャアアアアアッ!?」

「あっ」

 

 労いの言葉をかけようとして近寄ったエンリーカさんに気付かず【エルザマリア】の封を開いてしまい、溜まりに溜まった流血が溢れるのを引っかぶせてしまった。

 忘れてたあぁぁぁ……!!

 

 ◇

 

「ほんっっっっっっっっと~~~~~に、ごめんなさいい!!」

「いや、大丈夫、大丈夫よ。ダメージは無いから、私が迂闊だっただけだから……でも次からは一声かけて頂戴ね……」

 

 大歓声から一転して惨劇の場と化した甲板を辞してスタッフルーム。

 私はエンリーカさんに平謝りしながら彼女の労いを受けていた。

 

「気を取り直して……本当によくやってくれたわ。改めて感謝します。貴方達のおかげで危機は無事脱せたわ」

「こちらこそ、皆さんのおかげで海に放り出されずに済みましたし、犠牲無く解決できてよかったです」

 

 今この船は【アビスホール】戦で起きた諸影響の後始末と乗客への説明で大わらわだ。

 約一時間に渡る戦いの間、船上ではあの手この手で乗客を説得していたらしく、決着を経てようやく詳細を説明できるまでに至り、なんとか事態を収拾できたらしい。

 未確認の古代伝説級<UBM>を退けたという実績は、犠牲者ゼロという結果を以て良い意味で乗客に受け止められ、エンリーカさんたち<ENS>の評判向上にも繋がったとか。

 

「とてもありがたいことなんだけれどね、お陰様でまた一段ハードルが上がってしまったから……そろそろ身の振り方を考えないといけないかしら。こうも積み上がってしまうと、ちょっとした瑕疵で瞬く間に崩れ去ってしまうものだから……って、これは貴女に言ったって仕方がないわよね。ごめんなさいね、聞き苦しいことを言っちゃって」

「いえいえ。わかる……とは言えませんけど、心中お察しします」

「やっぱり今からでもウチに来ない? 絶対に金銭面で不都合はさせないから」

 

 う~~……結構やらかしてるから本当に断りにくいんだけど、それだけは……!

 断腸の思いで断ると、彼女は本日何度目かもしれない重くて長い溜息を深々と吐いた。

 

「ほんっと~~~~~~~に惜しいけど、ここまで言ってもダメなら、そういう縁なのでしょうねぇ。……はい、じゃあ今度こそ切り替え! それじゃあ報酬の受け渡しといきましょうか。と言っても額が額だから口座への振り込みになるけれど大丈夫かしら?」

「ええ、それで構いません。……でも本当にいいんです? こんな大金……」

 

 報酬として提示されていた五億リルもの高額。

 トータルで言えば億の資産は然程珍しくもないけど、一度の報酬としては破格極まる大金にやはりどうしても気後れしてしまう。

 というよりは、こと戦闘においては見てるだけでしかない私の感覚では、これが正当な報酬だということに違和感が拭えないというか、どこか他人事のように感じてしまうのだ。

 カトリ様が矢面に立ってこれを受け取るのならば十分納得できるんだけど……金銭面に関しては基本的に我関せずだし。

 

 そう思ってまごまごしていると、エンリーカさんは諭すような声音で言った。

 

「老婆心ながら忠告しておくけれど、貴女はもう少し<超級>であることの自覚を持った方がいいわ。同じメイデンの<エンブリオ>を持つ者同士、このゲームへの接し方には察するところも大いにあるけれど、だからこそ自分の持つ力の価値を理解しておきなさい」

「力の価値、ですか」

「貴女が自分の力をどう見ているのかはわからないけれど、私達はその力に間違いなく救われたのよ。一〇〇〇を超える乗客全ての命は、貴女の助力によって保障されたの。それを何でもないことのように言われたら、それこそこちらの立つ瀬が無いというものだわ」

 

 言って、エンリーカさんはソファに深々と体を沈める。

 よく見れば顔には疲労の色が濃く、眉間には皺の痕が見て取れた。

 そこでようやく、今回の事態がそれほどの重大事であったことを理解する。

 

 身を削ることが当たり前の能力特性。

 傷も痛みも、リアルでは味わえないからこそ尊いという認識。

 私が死さえ覚悟すれば()()()()()()()()という自分の力(カトリ様)への信頼が、ごく普通の心理を麻痺させていたことに気付かされた。

 

 普通に考えて……命を救われたなら、人は感謝するのだ。

 ましてそれが一つきりの命なら、財を差し出しても惜しくはないほどに。

 

「私達の使命は海上の安全を保障すること。二度と海難事故なんて味わいたくないし、味わってほしくないから、私はその使命に全力を尽くす。そしてクランにとって過去最大の危難を救ってくれた貴女への報酬だもの。私も差し出せるものを差し出さないと気が済まないのよ」

「エンリーカさん……」

 

 その独白から、彼女の事情をある程度察してしまい、それ以上拒む理由を見つけられなかった。

 そしてこの報酬を受け取ることが彼女に対しての最大の誠意であることを改めて理解し、深く頭を下げる。

 

「わかりました。なら、遠慮なく受け取ります」

「ありがとう。間違いなく貴女の口座へ振り込んでおくわね」

 

 我ながらめんどくさい性分だと思う。

 なにせ社会経験が無い上に、リアルでは授かるばかりの生活だったから。

 知らず受け取って生かされているのが当たり前だったから、こうも真正面から感謝されて礼を受け取るのが、どこかむず痒くて仕方がない。

 

 だけど、そっか。

 今までは私達だけの都合や、場当たり的な対処しかしてこなかったけれど、こういうこともあるんだなぁと、今更ながらに思い知っちゃったな。

 

 ◇

 

 エンリーカさんとの取引を終えた私達は、残りの航路を今度こそ何事も無く送っていた。

 元々特等チケットで優雅な暮らしぶりだったのが、今回の一件を受けて更なる特別待遇を受けるようになって、まるで王様かなにかになったかのような優遇っぷりだったと言っておこう。

 何をするにしても至れり尽くせりで、こんな暮らしをあと一週間も続けていれば生活水準の何たるかが大いに歪んでしまうこと必至だった。

 一方で乗客は古代伝説級<UBM>をも退けた【ビアンコ・グランデ号】と<ENS>への信頼を全幅のものとして、より一層の享楽を興じて船の財政を潤わせたとか。

 

 実のところ【ビアンコ・グランデ号】そのものにも相当数の艦載兵器が搭載されていたようで、乗客の預かり知らぬところで幾度となく水棲モンスターとの遭遇はあったらしいのだが、そのいずれもそれら兵装と<ENS>の活躍によって何ら不安を過ぎらせることなく解決していたらしい。

 【アビスホール】の一件は、強制沈下という船の存在意義そのものを覆す特効性能と、通常の兵装では届きもしない超深海層という特殊環境が齎した例外中の例外だった、ということだろう。

 一見して宮殿と見紛う豪華な客船は、その実戦艦と比しても遜色無い海上の要塞だったということだ。

 今後はその性能を遺憾なく発揮して就航していってほしいものである。

 

 やがて船は予定よりやや遅れて東海拠点へと到着し、約一週間の船旅を一旦終えた。

 乗客の大半が下船するのに合わせて私達も港へ降り立ち――その背後には<ENS>の面々が見送りにきてくれていた。

 甲板からは【ビアンコ・グランデ号】の船員たちが敬礼を以て見送ってくれている。

 彼らと<ENS>は東海拠点への到着を以て依頼満了となり、この先はまた別の護衛艦を引き連れて北海拠点へ向かうのだとか。

 

 彼らは最後まで私達との別れを惜しんでくれ、互いに見えなくなるまで手を振りあった。

 そしてそれも見届けたあと、進み出たエンリーカさんに改めて感謝を伝える。

 いい加減しつこいようだけれど、【アビスホール】の一件を抜きにしても彼女たちには大変に世話になったからね。

 それに私がそういう性分だということをあちらもいい加減承知しているのか、苦笑い一つで今更畏まる風でもなかった。

 

「なんか、こうして見ると随分長かったように感じるなァ。今までで一番の大仕事だったからかね。これからも一緒にやっていけたらよかったんだけどよ」

「こらビスマルク、それはもう言わない約束でしょ。ほんとにもう、ごめんなさいねマグロさん」

「あはは……」

 

 心底名残惜しいと言ってくれたのはビスマルクさんだった。

 あの死闘を共にした彼女には特に惜しまれ、結局今の今まで「<ENS>に入れよ」という勧誘が途絶えなかった。

 向こうもこちらの意志が固いのはわかっているのだろうけど、まぁ一種の社交辞令のようなものだ。

 

 彼女たちはこの東海拠点で一時羽根を伸ばし、次なる依頼に向けて準備を整えるのだという。

 <ENS>の請け負う依頼は一つ一つが長期間の時間的拘束を負う分、合間の休息期間は長く、報酬で得た大金を派手に散財して大いに余暇を楽しむのだとか。

 そこだけ聞くとまるで海賊みたいだなと思ったけれど、実態は海賊とあまり大差は無く、場合によっては私掠船めいた活動もするらしい。

 

 そういう話を幾つも聞かされて、私の中にも彼女たちとの別れを惜しむ思いもあるのだけど……それでも私達の目的は変わらない。

 諸国を回って何かを得る。そんな漠然とした目的の旅は、これからも変わらず続けていくつもりだった。

 

「それじゃあここでお別れね。此処を発つときは報せて頂戴。天地との領海ギリギリまで送ってあげるわ」

「うっす! オレっちの【ノーチラス】なら多分気付かれねぇっすからご安心っす!」

 

 船旅の合間に世間話をする機会が何度もあり、その中で私の次の目的地が天地であることを伝えると、彼女たちは厚意で近くまで送ってくれることを申し出たのだ。

 どうやらグランバロアと天地の折り合いは悪いらしく、馬鹿正直に船で近づくと水軍が出てきて略奪の憂き目に遭うらしい。

 そこで【アビスホール】の強行偵察を買って出たモモさんの【ノーチラス】で、深海からこっそり送り届けることを提案してくれたのだ。

 

 無論モモさんが見つかっても大変なことになるので、深海での途中下車となり残りはカトリ様が自力で陸までたどり着く必要があるのだけど、それでも一から天地まで泳いで渡るよりはずっと楽ちんだろう。

 願ってもない申し出なので厚意に甘えさせてもらった。

 

「本当に何から何までありがとうございます」

「それはこちらの台詞よ。こちらこそ助けられたわ。<ENS>はこの恩を忘れないわ、何かあったらいつでも頼って頂戴。ただし……」

「次からはちゃんとお代をいただくけれどね、ですよね」

「ええ。ビジネスですもの」

 

 ニッコリと笑むエンリーカさんの表情には、ようやく余裕が取り戻せているようだった。

 なんだかんだと貸し借りの多い船旅になってしまったけれど、ここでようやくお互いに対等だ。

 そしてそうなれば残されたのは、何にも代えがたい旅情の絆というやつである。

 私はエンリーカさんたちと固く握手を交わして、数々の激励を受けて別れた。

 

「なんだか……すっごく濃厚な船旅でしたね」

「そうだな。まぁ、得難い経験ではあった」

 

 振り返ってみればため息しか出ないような目まぐるしい船旅。

 貴重というには珍事に過ぎる経験に思いを馳せながらカトリ様に呼び掛ければ、彼女は常の表情で簡素に答えた。

 けどまぁ照れ隠しというやつだろう。その証拠に、視線は去りゆく<ENS>のみんなをずっと見送っていた。

 

「さてと……数日はこっちでのんびりしてから、天地へ向かいましょうか。特典武具のこともありますしね」

「うむ。終ぞ船では喰う暇も無かった故な。久方振りのレアモノだ、我が舌も躍るというものよ」

 

 【アビスホール】の収まったアイテムボックスを弄ぶカトリ様と並んで東海拠点を歩く。

 南海のそれとはまた趣を異にする大船団の陸を踏み締めながら、潮を纏った海風が髪を撫でていくのを感じていた。

 

 

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