麻帆良のあらし! (遠人五円)
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第1話 HURRICANE

  どれだけ時が過ぎようと夏の暑さは忘れないものだ。

 

  だからその季節をいつも心待ちにしながら思い出す。

 

  16歳の冬、何も知らなかった少年の日々。

 

  今でも僕の中で変わらずにあるものを

 

 

 

 

 

『学園生徒のみなさん、こちらは生活指導委員会です。今週は遅刻者ゼロ週間、始業ベルまで10分を切りました。急ぎましょうーー」

 

  スタートの合図が切られ、広い学園都市の中を小学生、中学生、高校生、大学生、あらゆる麻帆良の学生が波となって走り抜ける。麻帆良学園都市、数多の学校が同じ敷地内にあるために起こる生徒達の通学ラッシュはこの麻帆良の朝の名物だ。路面電車、スケボー、果てはバイクまで走る道の中を一人の男もまた走っていた。

 

  角張った四角い眼鏡。中学生の頃は少し顔に対して大きかった眼鏡は、学ランの上からも分かる程鍛え抜かれた身体と、ツンツンと所々男の性格を表すように跳ねた髪に挟まれ、我の強そうな顔によく似合っていた。

 

  全身の筋肉を無駄なく稼動させ走る男は平然と隣を走るバイクを追い抜き、走るのに邪魔な目の前の人の波を大きな声で掻き分ける。

 

「どいたどいたどいたどいたぁあ‼︎」

 

  急ぐ生徒達の走る音を上回る大声、人海を割って突き進む男を止める者はいない。というよりも誰も止める気が無い。この男が毎朝こうして石炭を()べられた機関車のように走っているのはいつもの事だからだ。

 

(やべえ、もう今日遅刻したらレッドカードだ、反省文原稿用紙二百枚分とか書いてられねえよ!)

 

  息も乱れず一心不乱に綺麗に舗装された広い道を男はそんなことを考えながら走っていたのだが、ふと見慣れたチェック柄のスカートとオレンジ色のツインテールが前で揺れているのを見て走る速度を僅かに落とした。

 

「よォアスナ、なんだよそんなに急いで、オメェも次でレッドカードか?」

(はじめ)先輩⁉︎ びっくりした、もう急に声かけないでくださいよ」

「わりーわりー、こう見知った顔がいるとつい声かけちまうんだ。木乃香もおはようさん」

(はじめ)先輩おはようございます〜、また今日も遅刻ですか?」

「ばっきゃろォそーならないためにこうして走ってんのよ」

 

  神楽坂明日菜(かぐらざかあすな)近衛木乃香(このえこのか)、麻帆良学園女子中等部に通う女子中学生二人と親しげに話す八坂一(やさかはじめ)は、そう言いながら自慢の脚をピシャリと叩いた。

 

「で? なんでオメェらそんな急いでんだ、やっぱり遅刻か?」

「それもありますけど、それだけじゃないんですよ。なんでも今日新任教師が来るらしいんですけどそれが木乃香のお祖父さんの友人らしくて、そのお迎えをしなくちゃいけないんです」

「へ〜、ってことは相当の爺さんだなそりゃ」

「でしょ〜!」

「でもな(はじめ)先輩、今日はアスナ運命の出会いありって占いに書いてあったんよ、それも好きな人の名前を十回言ってワンと鳴けば効果ありやて」

「うそっ⁉︎」

 

  心の底から驚く明日菜の顔を見ながら、あぁ木乃香の悪い癖が始まったと(はじめ)は気の抜けた顔になる。

 

「高畑先生高畑先生高畑先生(以下略)、ワン‼︎」

「あははは、アスナ高畑先生のためならなんでもするわ」

「殺すわよ」

 

  女子中学生とは思えぬドスの効いた声が響く。明日菜が高畑先生のことが好きというのは周知の事実ではあるのだが、それにしたって普通やらないだろう。そんな風に呆れる(はじめ)に気がついたのか木乃香の悪い顔が(はじめ)の方を見た。

 

(はじめ)先輩の占いにも同じ事書いてありますよ」

「ナニっ⁉︎ あらしさんあらしさんあらしさん(以下略)、ワン‼︎」

(はじめ)先輩もそのあらしさんって人のこと本当に好きなんやなあ」

「うぉお、俺はなにを⁉︎ いやしかし! それでも1%でも可能性があるのなら、それをやらなきゃ男じゃねえ‼︎」

「流石(はじめ)先輩、どこまでも着いて行きます!」

「えーと次は逆立ちして開脚の上全力疾走50mしてニャーと鳴く」

「「やらねえ‼︎」」

 

  息の合ったツッコミを入れて学校へ行く足を速める。眼鏡を掛けた我の強そうな男がどうすれば女子中学生と仲良くなれたのかといえば貧乏のためだ。早朝の新聞配達のアルバイトで(はじめ)と明日菜は知り合い、その縁で木乃香とも知り合うこととなった。そんな二人に合わせるために速度を落としたとはいえそれでも自転車と同じくらいの速度、その(はじめ)と並走する明日菜も並ではない。

 

「流石新聞配達員の中で伝説と呼ばれる二人や、早いなあ私これやのに」

「アタぼうよ、鍛え方が違うぜい!」

「悪かったわね、体力バカで」

 

  麻帆良学園新聞配達伝説、風邪が麻帆良で(すこぶ)る流行り新聞配達員の九割が全滅し、残った配達員はたったの二人。次の日の朝刊を誰もが諦めていたその時、二つの風が麻帆良に吹いた。コーヒーと新聞を手に誰もが同じ朝を迎えられたのは(はじめ)と明日菜という二人のお陰だ。そんな麻帆良で知る人ぞ知る二人と一緒に走る木乃香はインラインスケートを履いておりそれでようやく並ぶことができている、だからこそありえなかった。

 

  ふわりとした風が三人の間を走り抜け、それに乗って来たかのように目を引く赤毛の少年が三人に並んでいた。明日菜や木乃香と比べて頭一つは小さな少年だ、身長が180を超える(はじめ)と並べば(はじめ)の胸くらいまでしかない。更に大きなバックを背負い質の良さそうな靴を履いているのだ。そんな少年が(はじめ)と明日菜の二人と並んで自然に走っている姿に三人とも目を丸くした。

 

  赤毛の少年は顔立ちから日本人では無いようで、丸いラウンドの眼眼の奥で優しく顔を綻ばせると、

 

「あなたたち二人とも失恋の相が出てますよ」

 

  そう言った。

 

  世界が止まる。失恋? 誰が? まさか……、柔らかそうに笑う少年の顔は誰を見て言っているのか定かではないが、一番少年から離れている木乃香ではないことは確かである。そうなると残されたのは二人。死んだ顔で一度お互い顔を見合わせ、深く頷き合うと勢い良く二人は再び少年へと向き直った。

 

「なんだとこんガキャー!」「冗談じゃねええ‼︎」

「うわああ⁉︎ いえなにか占いの話が出ていたようなので」

「テキトー言うと承知しないわよ!」「おい坊主、神妙にしろィ‼︎」

「いえかなりドギツい失恋の相が……」

「ちょっとおお〜〜っ‼︎」「うおおぉぉぉぉ‼︎」

 

  恋に狂う二体の鬼を止めることは叶わない。流石に十歳くらいにしか見えない少年に手を出すようなことは男として格好が悪いこともあって(はじめ)はしないが、明日菜はそうではない。少年の艶やかな赤い髪に彩られた頭を明日菜はガシッと力強く掴む。どれだけの力が込められているのか、これが愛のパワーなのか少年の身体が腕一本で宙に浮く。取り消せという明日菜の声に少年は慌ててぷらぷらとその場で揺れるだけだ。

 

「坊やこんなところになにしに来たん? ここは麻帆良学園都市の一番奥のエリア、初等部は前の駅やよ」

「……確かにそうだな、女子校以外だとこの先には俺の通う麻帆良国際大学附属高等学校しかねえゾ、見たところ外人さんみたいだしうちのお客さんか?」

 

  四人のすぐ奥に見える朝日を受けて輝く赤い屋根が目立つ煉瓦造りの洋風校舎、それこそ麻帆良女子中等部の校舎である。その少し奥にはパルテノン神殿のような石造りの校舎が建っており、それが麻帆良国際大学附属高等学校だ。留学生の多い麻帆良女子中等部よりも名前の通りより留学生が多く、共学である(はじめ)の学校の方に用があるのではという言葉だったが、吊るされたまま少年は勢いよく首を振る。

 

「ち、違いますよ〜、離して下さい〜〜っ」

「ほなウチら用があるから一人で帰ってなー」

「じゃあねボク‼︎」

「いやあのボクは……」

「いやーいいんだよアスナ君‼︎」

 

  放り捨てようとする明日菜に優しいバリトンボイスで待ったの声が掛けられる。外へ続く階段の途中に空いた窓から身を乗り出して四人の方に手を挙げるのは明日菜の想い人、高畑先生その人である。その姿を見て明日菜は目を輝かせて少年を掴んでいた手を離し、(はじめ)は顔を引きつらせる。

 

  タカミチ・T・高畑(たかはた)、別名『死の眼鏡(デスメガネ)』『笑う死神』麻帆良学園の広域指導員としての面を持つタカミチは、学園の不良やそれに類する生徒達からそれはもう恐れられている。曰く気がついたら気を失っていた。不良五十人掛かりでも勝てない。別にそういった面で(はじめ)はタカミチにお世話になったことはないため噂に尾ひれがついているものとして信じていないが、遅刻常習犯として度々顔を合わせているため苦手な相手であった。その相手が少年の方へと親しげに手を振り「ネギ先生」なんて呼んだものだから、明日菜も木乃香も(はじめ)も間抜けに口を開けてしまう。

 

「え……せ、先生?」

「あハイ、そうです。この度この学校で英語の教師をやることになりましたネギ・スプリングフィールドです……」

 

  ネギ少年の言葉に続く明日菜と木乃香の驚愕の声を(はじめ)は世界って広いなとこの時は他人事のように聞いていた。

 

 

 

 

 

 

「あ〜〜くっしょいっ‼︎ ダァ〜」

「どうしたネ(はじめ)、風邪カ?」

「ん〜〜かもな」

 

  コンピューターや何に使うのか分からない機械のごった返した部屋で、機械を弄っていた(はじめ)のくしゃみに女子中等部の超鈴音(チャオリンシェン)が心配して声を掛けてくれるがそれに(はじめ)は適当な返事を返した。麻帆良きっての天才の一人鈴音とはロボット工学研究会の仲間であり、もう一年近い付き合いで気心も知れているが、科学が大好きな(はじめ)は将来科学者になるのが夢という程機械弄りなどが好きで本来機械を弄っている時は何か言われても反応しないくらい集中するのだが、今のやり取りを見て分かる通り今日はそうではないらしい。というのも、朝によく分からないものを見てしまったからだ。

 

  よく分からないもの。それはハジメからすれば実は毎年夏になれば会うことのできる愛しい相手もそうなのだが、今朝のものはそれとは違っていた。

 

「なあ鈴音、アスナとオメェって同じクラスだったよな確か。オメェの学校の制服ってものスゲェ破れやすかったりするか?」

「……珍しいネ、本当に体調不良カ? それとも遂にこの私に欲情して……」

「バカヤローんなわきゃねえだろうが‼︎」

「もう分かっているネ、全く冗談が通じないんだから、(はじめ)はあらしさん一筋だからネ」

「おうよ」

「それで? なんでそんなこと急に言いだしたカ?」

 

  くしゃみで破れたから。それが答えなのであるが、はっきり言って馬鹿げているなと口を少し開いたまま(はじめ)は口に出すのを踏み止める。朝の明日菜と木乃香との別れ際、赤毛の少年が新任教師だと発覚し喚き始めた明日菜を置いて遅刻はいけないとその場を離れようとした目の前でそれは起こった。普通のくしゃみだった。(はじめ)の目にはそう見えたし、他の者からもそう見えただろう。だがその普通のくしゃみを目の前で受けた明日菜の服が綺麗に弾け飛んだ。その場では急いで学ランの上を明日菜に貸した(はじめ)によって事なきを得たが、思い返せばおかしな事だと(はじめ)の科学的な思考回路に影を落とす。

 

  まさか明日菜が伝説のリアクション芸人が着るような破れやすい服を着ているわけはなく、例えそうだとしてもそれほど脆い服なら朝走っている時点で全裸になっているはずだ。そうなるとくしゃみの方に何かしらの要因がある事になるわけだが、くしゃみ一つにいったいどんな効果があるのか(はじめ)には分からない。

 

(限りなく一点に集中してのくしゃみか? まさかそれであんな風にはならねえ。だいたいそこまで一点集中したんだったら服どころかアスナの身体を貫通するんじゃねえか? ってかそんな真似人間には出来るわけがねえ)

 

  答えの出ない堂々巡りが作業の手を遅らせる。ネギ本人に聞いたとしてあんな小さな少年が答えを持っているとは(はじめ)には思えないが、唯一の手掛かりはその少年だ。くしゃみで服を弾く方法、それがどうしても分からなかった。それだけでなく上着を貸したのも痛い。おかげで冬の肌寒い一日をワイシャツで過ごすハメになり、鈴音の言う通り体調不良なのかもしれねえなと考えながら作業の手を止めた。

 

(はじめ)どうかしたカ?」

「んいや……終わったぜ、だいたい歯車一枚で俺を呼ぶんじゃねえや」

「まあそう言わないで、もひとつ用事があるから呼んだんだヨ」

「おいそりゃ俺の学ランじゃねえか」

「アスナから返しておいてくれって言われてネ、どちらかというと今日はコッチが本命ネ」

「オメェそれは寧ろ来た時に渡せよ、俺は寒くて仕方ねんだぞ」

 

  どこから出したのか学ランを引っ張り出して掲げる鈴音の手からそれをひったくると急いで着込む。学ランはほんのりと暖かくそれに(はじめ)は怪訝な顔を浮かべると、満足そうに鈴音が頷いた。

 

「ふふん、あっためておいたヨ」

「豊臣秀吉かよ……」

「おお、それなら私は(はじめ)の四角いお眼鏡に叶ったカ? 取り立てて貰えると嬉しいネ」

「バカ、取り立てられてるのは俺の方だろうが、で? どうだよ茶々丸具合は」

「ええいい腕です、今はハカセが用事で不在ですからそんな日は(はじめ)さんがいてくださると助かります」

「へへっ、まあな!」

 

  鼻下を指で擦りながら今自分が調整した歯車を組み込んだ研究室の中で多くのコードに繋がれている少女をしげしげと眺める。絡繰茶々丸(からくりちゃちゃまる)、鈴音と同じ明日菜のクラスメイトであるが人間ではなく100%ロボットの少女。彼女を見るたびに麻帆良に来て良かったと(はじめ)は思う。

 

  中学一年の夏、どうしようもない絶望の淵から見た一途の希望。それを見た時からより強く、より強くなろうと毎年去年の自分を超えていった。麻帆良に来たのは(はじめ)が前に住んでいた広島よりも横浜に近い事が一つ、憧れの人と釣り合うためにはいい学校を出なければというのが一つ、そして最後に麻帆良が他の都市などと比べても技術が異常に進んでいるからだ。

 

  自分で見て聞いて考えるロボットなど麻帆良以外で見る事が出来ない。それを一から作れる天才が麻帆良にはおり、作れないまでも(はじめ)もその事業に携わらせて貰えているというのは素直に嬉しく、また誇らしかった。

 

「それにしても(はじめ)さんはどこで機械弄りを覚えたのですか? やけに手慣れていますよね特に整備の腕が素晴らしいです」

「そりゃ元々科学が好きだっていうのと、後は…………まあ才能ってヤツ?」

 

  見事なドヤ顔を披露する(はじめ)、どこで覚えたのかと言われれば、だいたいは数年前になんだっていいからあらし救出の力を付けねばとあらしと共に無理言って過去へ跳んだ際にゼロ戦の整備を手伝ったりしたためであるのだがそれは言わない。馬鹿だと思われるだろうし、なんだかんだ尊敬している天才少女鈴音にそう思われたくないからだ。

 

「だがよおなんで今整備なんだよ、茶々丸オメェ別にどこか不調なわけじゃねえだろ? だったら進級前の三月とかでいいんじゃねえか?」

「いえこれには少しわけがありまして、マスターの言いつけでもありますし」

「マスターねえ、確かエヴァンスリーだかエヴァンゲリオンだかそんな名前のヤツだったか?」

(はじめ)、それだと人造人間ヨ、エヴァンジェリンネ」

「ああそうだったな」

 

  そう言って金髪の小さな少女の姿を思い出す。茶々丸がマスターと慕う少女。何度か茶々丸の整備の時に研究室に顔を出した生意気そうな少女にいったい何があるのか、綺麗だしあらしやカヤのように格の高そうな雰囲気はあるが、それにしたってロボットの少女が従う理由が今ひとつ分からない。相変わらず分からない事には事欠かない学園だと(はじめ)は難しい顔のまま席を立つ。

 

「今日は帰るわ、なんか身が入らねえ、マジで体調不良かもしんねえし早めに上がるぜ」

「そうカ、私たちもこの後用事があるしその方がいいネ。(はじめ)お大事にネ」

(はじめ)さんお気をつけて」

「おう、またな」

 

  手を振って見送ってくれる二人の少女に手を振り返して研究室を後にする。厳格で優美な学校の石造りの廊下は他の学校ではまずお目にかかれない。その壁に並ぶ大きな窓から差し込む陽が眩しく、特に理由はないのだが、その陽に背中を押されるように(はじめ)は歩く速度を早めた。心地よい硬い石の音が廊下に響く。

 

  そこだけ風景を無理矢理貼り付けたように日本らしい下駄箱で靴を履き替え外へ出れば、東京の道よりもはるかに広い車道と歩道、煉瓦造りや石造りの歴史的建築物のような建物が軒を連ねる。外国の名所を一区画丸ごと切り取って持ってきたような街並みは明治中期に創設され、グローバルな人材を育てる為のものということだが、些かやり過ぎなのではないかと(はじめ)は思うも、どうもこういった古風な雰囲気の方が肌に合うなとそれが(はじめ)が麻帆良を選んだ理由のもう一つだ。

 

  麻帆良国際大学附属高等学校から(はじめ)の住んでいる寮まで向かうには絶対に麻帆良女子中等部の校舎の前を通らなければならず、その敷地から少し出たところにあるよくわからないモニュメントが中央に立つ広場で、今朝方見た赤毛の少年が石段に座っているのが目に入り(はじめ)は足を止めた。

 

  くしゃみで服を破壊する少年。今(はじめ)が最も気になる相手だ。だがどうも様子がおかしく何かの名簿を広げて黄昏れている少年を見ていると、お節介な気質がある(はじめ)はくしゃみのことや帰ることなど頭から抜け落ちネギの方へと足を向けた。

 

(よく考えらゃあよ、海外から一人で来てしかも女子校の先生なんかにあんな歳で放り込まれたんだ。カヤさんだって初めて日本に来た時は不安だったって言ってたし、ここは少しとはいえ話した俺が一肌脱いでやりますかってな)

 

  一人納得して歩みを進める(はじめ)だったが、ネギの方が何かに気付きその場で急に立ち上がる。いったいなんだとその視線を追えば今まさに多くの本を抱えた少女が階段から落ちそうになっているところだった。

 

「あぶねえ‼︎」

 

  気付いた(はじめ)は急いで少女を助けようと走り出すが、流石に距離がありすぎる。舞い散る本と少女の姿が嫌にゆっくり目に映り、その後に起こるだろう最悪な光景を(はじめ)は思い描いてしまう。

 

(無理だ、いくら俺でも届かねえ!)

 

  それでも走ることを止めない(はじめ)の視界の端で、朝はバックから伸びていた身の丈以上の大きな杖をネギが構える姿が映る。少女に向けられた杖は独りでに杖を包んでいた布が解け、それと呼応するかのように空中で落ちる少女がぴたりと止まった。走る勢いをそのままに(はじめ)は少女の下へと手を伸ばすと、それを待っていたかのように少女の身体が腕の中へと落ちてきた。腕に伝わる確かな重みが空中で止まるわけがないと(はじめ)の頭に訴えかける。

 

「おい……オメェ」

「あ、いや……あの、その」

 

  生徒の安否を確認する為近くに寄ってきたネギ、良いことをしたはずなのに浮気がばれた夫のようにしどろもどろになる少年を穴が開くほど見つめる。朝とは違うコートの下に先生らしいスーツを着込んでいる少年。はだけた杖を手に申し訳なさそうにしている少年にいったい何があるのか? ネギが今の不思議な現象を起こしたのは間違いない。そんな疑問に誰かが答える前に、すごい勢いで走ってきた明日菜がネギをひっつかみ走り去っていく。

 

「は⁉︎ アスナ⁉︎ おいちょっと待てよ‼︎」

「う……先生?」

「おう気い付いたか、ワリィ俺はもう行くぜ。ネギ先生とやらにお礼言っときな!……おいアスナ‼︎」

 

  薄っすらと目を開けた少女の身体をゆっくりとその場に下ろし明日菜とネギの後を追う。毎朝新聞配達で鍛えている(はじめ)の足が遅いわけがなく、二人との距離をみるみる縮め、追いついたのは丁度明日菜がネギを公園脇の木々の中へと押し込んだ時だった。

 

「ああああんたやっぱり超能力者だったのねーー‼︎」

 

  少年の胸ぐらを掴み叫ぶアスナの声に(はじめ)は明日菜の肩に伸ばそうとしていた手を止める。明日菜の身体が死角になりネギも(はじめ)に気が付いていないのか、二人の会話は加速する。割り込む隙はないようで、仕方なく二人が気付くか落ち着くまで静観することにした。

 

「白状なさい超能力者なのね‼︎」

「ボ、ボクは魔法使いで……」

「どっちだって同じよ‼︎」

「あ、ってことは朝のアレはあんたの仕業ね」

「ゴ、ゴメンなさい。他の人には内緒にして下さい、バレるとボク大変なことに〜〜」

「知らないわよ‼︎」

「うぅ仕方ないですね、秘密を知られたからには記憶を消させていただきます!」

「ええっ⁉︎」

「消えろーーーーっ‼︎」

「キャーーーー!」

 

  そして(はじめ)の目の前で確かに消えた、明日菜の服が。

 

「ゴ、ゴメンなさい、間違えちゃ……」

「おーいそこの三人何やってるんだ?」

 

  急に現れた高畑先生と、三人という言葉に反応し明日菜とネギの目がようやく(はじめ)の方を向く。目を見開きこれでもかと驚いているあたり隣に居たのに本当に気が付いていなかったらしい。

 

「は、は、(はじめ)先輩まで⁉︎」

「お、おう」

「貴方は今朝の⁉︎」

「ひ……いっ……」

 

  高畑先生と(はじめ)を交互に見て涙目になり震えだす明日菜。

 

(おいおいちょっと待て、これは絶対に俺は何も悪くないはずだ! そのはずだ! だが半裸の中学生に男が二人……待てアスナその先は言うなぁ⁉︎)

 

「いやあ〜〜〜〜!!!!」

 

  明日菜の叫び声が決定打となり、その後誤解は解けたものの三人とも日が暮れるまで凝ってりと高畑先生に絞られてしまった。折角遅刻を免れたというのに反省文を百枚も書かされた(はじめ)はげっそりとした顔になる。

 

  真っ赤に染まった三人での帰り道は、しかし(はじめ)にとって苦痛では無かった。気になっていた少年の秘密。それを偶然知ってしまったとはいえ、それをそのままにしておけるほど(はじめ)の探究心は弱くはなく、また今回一番の被害者であろう明日菜の二人が青ざめているネギに詰め寄るのに時間は掛からなかった。

 

「記憶を消そうとしてパンツ消しちゃいました……」

「記憶の方が良かったわよ〜、魔法使いなら今すぐ時間戻しなさいよ〜っ‼︎ ううっ、高畑先生にあんな格好見られるなんて……」

「あああゴメンなさい〜〜」

「アスナ落ち着けよ、いいじゃネえか別に減るもんじゃねえ」

(はじめ)先輩は男だから分からないんです‼︎ で? なんでそのちびっ子魔法使いがこんなところに来て先生なんてやってるわけ?」

「確かにな、てかオメェマジで魔法使いなのか?」

「はい、修行の為にここに来ました。立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるための……」

 

  (はじめ)の質問に即答で答えたネギの言うことはどうやら本当らしい。ネギ曰く世の為人の為に陰ながら力を使う魔法界で最も尊敬される職業の一つ。魔法界という単語が新たな疑問となって(はじめ)の中で(あぶく)が湧くが、それよりも(はじめ)には大事なことがある。

 

  魔法。

 

  夏が来るたびにどれだけ頑張っても(はじめ)の目的には手が届かない。あらしさんを救う。東京大空襲の中、天から降る焼夷弾の雨の中で想い人の命を救うことが(はじめ)の今為さねばならない最も大事なことだ。同じ時間に同時に同じ人物がそこに存在してはいけない為、(はじめ)に残されたチャンスは一回切り、13歳の夏から身体と心と技を鍛えたがそれを成功させる自信が未だ無く、何かが足りないと思っていた。だがその可能性がようやく目の前に転がる。

 

(魔法かあ、まだ信じられねえが本当にそんなのがあるってんなら)

 

  (はじめ)の秘密を知る者は麻帆良には居ない。横浜の喫茶店『箱舟』に今もいるマスターと潤の二人だけだ。その二人の居ない遠い地で(はじめ)は一人強く拳を握り込むが、そんなことはつゆとも知らない明日菜とネギの二人は(はじめ)が聞いていない間も会話を続け、いつの間にか明日菜達の教室の前まで来てしまっていた。

 

「ヤベエこんなとこまで来ちまったか、ワリィな俺はもう帰るぜ」

「あ、すいません(はじめ)先輩。今日はご迷惑掛けちゃって」

「別にいいってことよ、面白えもんも見れたしよ」

「ちょっと〜〜っ、先輩⁉︎」

「ははは、じゃあな」

 

  そう言って帰ろと反対側へ身体を移そうとする(はじめ)だったが、その動きが止められる。ネギが(はじめ)の服の端を掴んだからだ。体格に見合わぬ力強さに僅かに(はじめ)は後ろへと下がる。

 

「あ、あの今日はありがとうございました。宮崎さんを助けていただいて」

「ん? ああ、あの子宮崎って言うのか、いいってことよ! それにあの子を助けたのは俺じゃなくてオメェだろ。スゲェじゃねえか魔法先生、立派だったぜ!」

「あ、はい!」

 

  ネギの頭をぐしぐしと撫で帰ろうとするが、それでもまだネギは掴んだ服を離さない。小さく縮こまるようにしているネギは宮崎を助けた時と違い本当に子供にしか見えない。何か言いたいことがまだあるのかと(はじめ)が「どうかしたか?」と聞くと恥ずかしそうに上目使いでネギは(はじめ)の方を向く。差し込む夕陽がネギの髪をより赤く照らし、その綺麗さに(はじめ)は男相手とはいえ少し見惚れてしまった。

 

「あ、あの魔法のことは」

「なんだそんなことか、心配すんな誰にも言ったりなんかしねえよ。男と男の約束だ」

 

  一が握り拳をネギの前へと掲げてれば、嬉しそうな顔をしてネギも小さな握り拳を合わせてくる。コツンとぶつかるネギの拳からは確かに信じてくれているという思いを実感した。

 

「わあボク今まで魔法の勉強ばかりだったのであんまりこういう経験なくて」

「へー魔法にもちゃんと勉強があんのな、まあ秘密を知っちまったんだ今日から俺らは友達(ダチ)だぜ! ここは女子校だしよ、男同士困ったことがあったらなんでも俺に言いな、どうせ学校は隣にあんだし」

「はい! よろしくお願いします(はじめ)さん!」

「おう、なんかむず痒いから(はじめ)でいいぜ先生ヨ」

「は、はい(はじめ)……さん。ううっ、頑張ります!」

「はいはい男同士の友情はもういいからちょっと待ってなさいよネギ、こうなったら折角だし(はじめ)先輩も、私もすぐ荷物取ってくるから……」

 

『ようこそ♡ ネギ先生ーーッ‼︎』

 

  クラッカーのけたたましい音と飛び交う紙吹雪が廊下の三人に降り注ぐ。明日菜が教室の扉を開けた先はネギの歓迎会会場で間違いなかった。にこやかな顔をした三十人の女子達がネギの来訪を歓迎するが、呆気に取られている明日菜はいいとして扉の先でがたいのいい男と幼気な少年が嬉しそうに拳を合わせている状況をどう思うか、沈黙がその場を支配したのは言うまでもない。舞っていた紙吹雪が全て地面に落ちた頃、三十人の中からひょっこりと鈴音が近づいて来た。

 

(はじめ)帰ったんじゃなかたカ? いったい何やってるネ」

「それは俺が一番知りてえよ」

 

  小さくため息を吐きながら目の合ったネギと小さく笑い合う。ネギ・スプリングフィールドと八坂一が初めて出会った日。この日が嵐のような一年が始まった日だ。



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第2話 浪漫飛行

「うわああああ、どうしましょう〜〜(はじめ)さ〜〜ん‼︎」

「あのよォネギ、どうしましょうも何もいったい何がどうしたのか言わなきゃ分かんねえぜ」

 

  いつも通り放課後の研究室で茶々丸に頼まれていた茶々丸の部品の整備をしていた(はじめ)を訪ねて涙目のネギが突撃してきた。魔法良学園女子中等部に教師として赴任してからその頑張りは風の噂で(はじめ)も聞いていたし、今まで顔を見れば挨拶はしたが頼ってきたことはない為しっかりやってんだなと思っていた矢先のこれだ。すっかり先生から子供に戻ってしまっているネギに友人として頼られたからには応えてやるのが男というものだ。丁度研究室には(はじめ)ひとりであり、ネギを落ち着かせようと作業していた手を止める。

 

「しっかりしろよな、立派な魔法使い(マギステル・マギ)ってのになんだろ」

「ううっ、はい。実は今度期末テストがあるじゃないですか、それでボクのクラスが最下位を脱出出来たら正式な先生にしてくれるそうなんですが……」

「ほ〜〜って事はオメェまだ正式な先生じゃなかったのか」

「実はそうなんです、教育実習生みたいなもので」

「ってちょっと待て、ネギのクラスって鈴音とかいるよな? なのに最下位なのか? マズいんじゃねえかそれ」

「そうなんですよ‼︎ でもアスナさん達も頑張ってるしボクも魔法に頼らないようにって三日の制約を掛けたんですけど、そうなると突破口が見えなくって……」

「そりゃあ男らしくていいと思うがよお、どうすんだそれ」

 

  ネギが証拠のためにと持ってきた一枚の紙を(はじめ)はしげしげと眺める。その紙には確かに麻帆良学園学園長の名前と正式なものを表す印が押されていた。木乃香の祖父であり、学園理事長、近衛近右衛門(このえこのえもん)の胡散臭い顔を(はじめ)は思い出しながらため息を吐く。鈴音は大学生がやっているロボット工学研究会でもトップクラスの頭脳、当然中等部では最も頭が良く学年主席である。同じくロボット工学研究会に所属している葉加瀬聡美(はかせさとみ)も次席に位置し、茶々丸のマスターであるエヴァンジェリンも学年四位だ。そんな彼女達を要しても学年最下位というのははっきり言ってどうしようもない。ネギが打ちのめされるのも当然であり、思っていたよりも明日菜の頭が残念という事実によく知る(はじめ)はなんとも言い辛い申し訳なさに襲われた。

 

「なので(はじめ)さんにはアスナさん達の勉強を見て貰えないかと思いまして、超さんやアスナさんに聞きましたけど(はじめ)さん勉強できるんですよね?」

「そりゃあ出来なくはねえが俺は鈴音程頭良くねえぞ」

「他のクラスもテストですからタカミチ達先生を頼るわけにはいきませんし、超さん達も超さん達で勉強があるでしょうし、(はじめ)さんしか頼れる人がいないんです」

「なるほどな〜、まあそこまで言われちゃ一肌脱ぐのも(やぶさ)かじゃねえか。オッシャ! 俺が手伝うからには最下位脱出なんて小せえ目標じゃなくトップを目指そうぜ‼︎」

「あ、はい! ありがとうございます‼︎」

 

  ようやくネギもいつも通りに戻ったようで、早速勉強会の日取りや作戦を考える為に(はじめ)とネギは研究室を後にする。ネギの話によれば、特にヤバイ五人をどうにかすれば最低限希望が見えるらしいとのことだった。それに明日菜が含まれていることに(はじめ)は軽い頭痛を覚えるが、そうもやっていられない。可愛い後輩の為にどうにかしてやらなければともう日もすっかり落ちた校舎の外へと出る。

 

  車道の脇に並ぶ街灯の優しい灯りが道を照らし、月明かりが世界を照らすのも邪魔しない。校舎や建物の鮮やかな屋根もこの時ばかりは主張を抑え夜の景色に溶け込んでいた。昼間の学生達で騒がしい麻帆良とは真逆の静かな夜。研究室に遅くまでいる(はじめ)はよく見る景色、この静かで優美な景色があらしの雰囲気に近く(はじめ)は気に入っていた。

 

  いつもは静寂の中を一つの足音が進むが今夜は二つ。たまにはいいなと隣を歩くネギを見る。

 

  魔法使い、ネギに会ってから興味が湧き(はじめ)もいろいろと魔法のことについて調べてはみたものの学術的な面のものしか知ることが出来なかった。決してネギの見せた奇跡のことなど載ってはいない。だが体で感じた事実不思議を究明していくというのが(はじめ)の持論だ。もう魔法などありえないとは(はじめ)は言わないし思わない、ただ自分より頭の良い鈴音に聞いてもおかしな顔をされるだけで収穫はなく、魔法に関してはネギに聞く道以外残されておらず、これもいい機会だとネギのお願いを引き受けたわけだ。

 

「で? どうするよネギ、どこで打ち合わせする? この時間じゃレストランや喫茶店は開いちゃあいるが、高校生以下は基本帰宅しなきゃなんねえしよ」

「どうしましょう、あ! そうだ、今ボクアスナさんと木乃香さんと一緒に住んでるんですがそこなら勉強も教えられて一石二鳥じゃないですか?」

「アスナと? ってことはおいそれって……」

「女子寮です!」

「アホか! 今度こそマジで捕まっちまわい!」

「うわああすいません! ボクがいてもいいならいいのかなって」

「歳を考えろ歳を! 俺みたいなやつが女子寮に入っていったら即お縄だぜ、ってかなんだオメェそんな羨ましいとこにいんのか! 両手に花どころか花畑だな」

「ううん大変だよ、男一人っていうのもいろいろと気を使うし」

「それもそうか」

 

  行くところがないなと女子中等部の校舎を過ぎて途方にくれる二人。(はじめ)の寮にネギを呼んでもいいのだが、(はじめ)の寮は安さ重視のおんぼろであるため夜遅くまで話すことはできず、また女子寮よりも遥かに遠い。どうっすかなーと頭を掻く(はじめ)とネギだったが、そんな二人の元へ見慣れたツインテールが駆け寄って来た。

 

「ネギ! ようやっと見つけたわよ!」

「アスナさん! ゴメンなさいこんな時間まで出歩いて、心配かけちゃいましたか?」

「本当よ、まあ心配は……ちょっとはしたけど、それより(はじめ)先輩といるんだったら電話ぐらいしなさいよね」

「ううっ、ゴメンなさい」

「おいおいそのあたりにしといてやれよ、ネギはオメェらの事を思って俺のとこに来たんだぜ? なあ」

「そうなんですか?」

「はい、(はじめ)さんにアスナさん達の勉強を見るのを手伝って貰おうと思いまして」

「そうだったの……すいません(はじめ)先輩ありがとうございます。でも大丈夫ですよ! 私達すっごい作戦を考えたんです!」

 

  ぐっと手を握りどこから来るのか分からない自信に目をキラキラさせる明日菜がいったいどんな策を持ってきたのかは分からないが、相当自信があるらしい。首を傾げる(はじめ)とネギを満足気に頷きながら見ると明後日の方向を力強く指差した。

 

「図書館島です!」

「図書館島〜〜? なんでまた」

「なんでもそこに読むと頭の良くなる魔法の本があるって話で、ほらネギ! 木乃香達が準備してくれてるから早く行くわよ!」

「うわああ!」

「おいアスナちょっと待てって……マジかよ」

 

  言うだけ言ってネギを掴んで走り去って行くアスナの後ろ姿を眺めながらどうしようかと(はじめ)は考えるが、図書館島の事とネギが魔法が使えない事を思い出し仕方ねえと後を追った。

 

  麻帆良学園図書館島。明治の中頃学園の創立と共に建設された世界最大規模の図書館、二度の大戦中に戦火を避けるため、古今東西にある稀覯本や貴重書のことごとくが集められた。蔵書の増加に伴い地下に向かって増改築を繰り返し、今では図書館島の全貌を知るものはいないとまで言われる迷宮となっている。その実態を調査する図書館探検部というサークルが存在するほどだ。更に困ったことに、地下に行けば行くほど貴重書狙いの盗掘者対策である罠がたくさん配置され、麻帆良で最も危険な場所と言っても過言ではなかった。

 

  だから折角図書館島の地下3階に着いたからといって「珍しい本が!」なんて言いながらネギのように置かれた本に手を出してはならない。

 

  不届き者を成敗するために何処からともなく本の間から一本の矢がネギに飛来するが、おっとりとしている長瀬楓(ながせかえで)が見た目に似合わぬ俊敏さでそれを掴むと簡単にへし折ってしまう。

 

「えええっ‼︎」

「死ぬわよそれーーッ‼︎」

「……相変わらずヤベエとこだなオイ」

「ワナがたくさん仕掛けられていますから気をつけてくださいね」

「言うのが遅えヨ……」

「そうですよ! だいたいアスナさんなんで魔法の本なんて……魔法の力に頼るなって今日自分でも言ってたじゃないですか〜〜」

 

  アスナの罪悪感にグサリとネギの言葉が突き刺さるが、持ち前のタフさですぐに持ち直すと、詰め寄るネギに申し訳なさそうにしながら明日菜は言葉を紡ぐ。

 

「うっ……こ、今回は緊急事態だしカタイこと言わず許してよ♡ このまま私達の成績が悪いと大変なことになっちゃうし」

「大変なこと……アスナさん達そこまでボクのために」

「なんだよオメエらいいとこあんじゃねえか!」

「当然よ〜〜」

 

  感激するネギと感心する(はじめ)だが、アスナ達とネギ達には意識の食い違いがある。アスナ達は今回のテストで最下位になったら小学生からやり直しだと思い込んでいるのだ。もっと話し合えば食い違いにも気が付いただろうが、考えるより行動を、なバカレンジャー達には無理な話であった。

 

「内緒で部室から持ってきた宝の地図によると……今いるのはここで地下11階まで降りて地下道を進んだ先に目的の本があるようです」

「よし! 私も試験でバイトも休みだし、手に入れるわよ魔法の本!」

「遠足気分アルねー」「んー♡」

「魔法の本が本当にあるってんなら是非とも見てみてえな」

「うーん、でもそんな都合のいい魔法書が日本の図書館にありますかね?」

 

  何はともあれ出発したネギ一行。しかし図書館島の迷宮は優しくはない。図書館島の木と石の洗練された厳格な空間は、アイルランドのトリニティ・ガレッジ図書館と比べても遜色(そんしょく)のない風雅なものであるが、配置されたワナの数々がその内装を台無しにしている。歩けば落ちる床、急に倒れてくる本棚、降り注ぐ本達、だがそれでネギ一行の歩みは止まらない。落ちた佐々木まき絵はリボンで落下を阻止し、倒れた本棚は古菲(クーフェイ)が蹴り返し、降り注ぐ本達は楓が全て捌き受け止めた。それらを気にした様子もなく先導役の図書館探検部である綾瀬夕映(あやせゆえ)はズカズカと先へと進んでいく。

 

「ハイ、時間ないからさっさと進みますよ」

「なあネギ、オメエのクラスはびっくり人間の集まりか何かか?」

「ど、どうなんでしょうか? 不思議です」

「まあワタシ達成績悪いかわりに運動神経いいアルから」

「大丈夫でござるよ」

「でもネギ君この先大丈夫? まだ小さいし心配だナー」

「大丈夫よ、こいつ毎朝私の足に追いついてくるのよ。ガキのくせして頭がいい上に運動神経も抜群なんだから全く……って、え⁉︎」

「あぶぶぶ、た、助けてーッ‼︎」

「あわーーッ‼︎ ネギ君落ちたーーッ‼︎」

 

  魔法が使えないネギは普通の子供と何も変わらず、迷宮のワナは厳しいらしい。そうでなくとも危険な山道と変わりない道に足を取られてしまう。すぐにそんなネギに(はじめ)が近寄ると手を掴んで引っ張り上げる。子供一人引き上げるくらい普段から身体を鍛えている(はじめ)にはわけない。

 

「おいおい大丈夫か? あぶねえから俺から離れんなよ」

「ス、スミマセンいつもの運動能力は魔法の力のおかげで」

「え? ちょっとネギどういうことよ」

「実は今テストが終わるまでの三日間魔法を封印してるので……」

「えーーッ‼︎ じゃああんた今はただの子供じゃないの!」

「すみません〜〜」

「もうここまで来ちまったんだからとやかく言っても仕方ねえだろ、先を目指そうぜ」

(はじめ)先輩……それはそうですけど」

「おーいアスナ達そろそろ休憩やで〜〜」

 

  木乃香が三人を呼び、ひとまず休憩となった。広く人気のない図書館の地下ではどこに座っても休憩できる。適当な場所に腰を下ろし、休憩のために木乃香たちが作って持ってきた弁当やお菓子で空いた小腹を満たしていく。

 

「美味えもんだな、これ木乃香達が作ったのか? 久しぶりにこんな美味えもん食ったぜ!」

(はじめ)先輩ちゃんと御飯食べなきゃダメや〜」

「仕方ねえだろ、研究費だの光熱費だのであんまり金がねえんだ」

「分かるです、趣味なんかには嫌でもお金がかかりますからね。食べられれば何でも一緒ですよ」

「だよな〜〜」

 

  急遽魔法の本を探す隊に加わってしまった(はじめ)だったが、ネギが麻帆良に来た初日にネギの歓迎会に巻き込まれネギの担当する2-Aの生徒達と顔合わせが済んでいたのと、来るもの拒まずなアスナ達2-Aの空気のおかげで拒絶されるどころか男手があった方が助かるだろうと歓迎された。それだけでなく、ここまで共に図書館島のワナを潜り抜けたのと元々ズケズケと馴れ馴れしい(はじめ)の性格も相まって、この捜索に参加しているメンバーとは大分親しくなれていた。

 

  だからネギと明日菜が何やらこそこそと話し合っているのを遠目に眺める(はじめ)も一人浮いてしまうことはなく、近くにいる木乃香や夕映、古菲や楓が話かけてくれる。

 

「変な学校とは思っていたアルがここまでとはネ」

「裏山には異常にデカイ木とかあるでござるし」

「てかネギが先生出来てる時点で他とは違えだろ」

「確かにそうでござるな」

「ハハハっ、まあこんな状況でアルが、ようやく(はじめ)さんと話せて嬉しいヨ、超から(はじめ)さんのことはよく聞いてたからネ」

「そうなのか?」

「ウム、超から科学バカの面白い男だと聞いてるヨ」

「そいつは……喜んでいいのか?」

「拙者も刹那殿から聞いてるでござるよ、なかなかの剣の腕だとか」

「ソウアルか? ワタシも武術やってるヨ、今度手合わせするネ!」

「いや手合わせってオメエ中国武術と剣でか? だいたい女の子に竹刀向けるなんてあぶねえしやりたくねえよ」

「ムムっ、男女差別はいけないアルよ!」

「差別とかじゃなくて男としてよ、男が女の子に拳を向けるなんてえのはあっちゃならねえのさ」

(はじめ)殿は紳士でござるな」

 

  ドヤ顔を決める(はじめ)だが、古菲はどうも納得のしていない様子だ。ただ(はじめ)からすれば手合わせは勘弁願いたい。自分で言った通り女の子に暴力は振るいたくはないというのと、重い本棚を蹴り飛ばす古菲とは出来れば闘うようなことはしたくない。麻帆良に来る前から戦前の軍人と触れ合い、麻帆良に来てから桜咲刹那(さくらざきせつな)葛葉刀子(くずのはとうこ)といった強者、戦う者たちをロボット工学研究会と同じく所属している剣道部で数多く見てきた(はじめ)には朧げながら分かる。古菲も楓も弱くない、ここまで来るまでに見た身のこなしもそうだが心も強いだろう。中学生の二人、(はじめ)が強くなろうと決心したのも中学の時であり親近感が湧くし修行する者同士不思議と気が合うものだ。だからこそ頬をふくらませる古菲を見ていると、力を貸したくはあるなと(はじめ)は小さく息を吐いて古菲に向き直る。

 

「分かった分かった、まあ喧嘩するわけじゃねえし、怪我しないように安全に配慮すればいいだろ」

「ホントアルか! よーし約束ヨ、負けないアル!」

「うむなら拙者もここは一つ胸を貸して貰うでござるよ」

「ってオメエもかよ! 自分はやらねえみてえな雰囲気だったじゃねえか!」

「いやいや刹那殿が見込んだ剣の腕、是非とも味わってみたいものでござる」

「ほな、そろそろ行くえー」

 

  のんびりとした顔をしながら楓の意外と好戦的な糸目を(はじめ)は睨んでいたが、木乃香の呼び声によって文句を言う時間は無くなってしまった。可愛い顔をしながら戦闘狂で修行マニアな中学生二人と嫌な約束をしてしまったと(はじめ)の足取りは少し重くなるが、図書館島の迷宮を歩くのにそんなことをしてはいられない。「ここは本当に図書館なの!」と言う明日菜の言葉は最もである入り組みアスレチックのような道を進んでいく。見上げれば嫌でも目に入る東京の摩天楼のように聳える本棚たちはなぜ崩れないのか分からない。知識の詰まった本棚の林をなんとか通り抜ければ、地下へと降りるために頼りない命綱で何メートルも下に降り、這い(つくば)らなければ通れないような狭い道を進んでいく。

 

(はじめ)先輩絶対、絶対前見ないでくださいよ‼︎」

「じゃあどうやって進めってんだよ! だいたい目隠しまでされてるってのに前見んなはいくらなんでも横暴だろ!」

「アスナ気にしすぎアル」

「そうでござるよ、別に減るものでもなし」

「あんた達そう言うなら場所かわりなさいよ‼︎ 夕映ちゃんまだなのー⁉︎」

「もうすぐそこです……」

「夕映けっこう燃えてるやろ」

「ふふ、わかります? ……この区域には大学部の先輩もなかなか到達できません。中等部では私達が初めてでしょう……ここまで来れたのはバカレンジャーの皆さんと(はじめ)さんの運動能力のたまものです。おめでとうです、この上に目的の本がありますよ」

 

  狭い小道から上へと上がるために塞がっている重い石の蓋も古菲と楓と(はじめ)の三人がいれば開けることができる。ゴトリと音を立てて開いた蓋の先は、石柱と石畳、大きな台座を備えた空間が広がっていた。その台座の脇には5メートルはある二体の石像が武器を床に突き立てて台座を見守っていた。人の立ち入らない証である埃っぽい湿った空気が全員の鼻をくすぐり、現実離れした壮麗な雰囲気に誰もが飲まれてしまい目を剥いてしまう。一瞬別世界に来てしまったのかと錯覚してしまいそうになるが、壁際におまけのように置かれている本棚と本が図書館島の中であることを訴えている。

 

「すすすすごすぎるーーッ‼︎」

「私こういうの見たことあるよ弟のPS(プレステ)で!」

「ラスボスの間アルー!」

「おいおいマジでこの学校どうなってんだよ!」

「魔法の本の安置室です」

「見て‼︎ あそこに本が‼︎」

「あ、あれは⁉︎ メルキセデクの書‼︎」

「知ってんのかよネギ‼︎」

「はい(はじめ)さん‼︎ あれは最高の魔法書ですよ、確かにあれならちょっと頭をよくするくらいカンタンかも……」

「えーーっ♡」

「これで最下位脱出よーっ!」

「あ、みんな待って! あんな貴重な魔法書絶対ワナがあるに決まってます!」

 

  ネギの制止の言葉は聞き入れられず、台座の上に安置された見せびらかすように置かれた最高の魔法書に殺到するバカレンジャーの五人を筆頭に見事にワナに掛かってしまう。急に開いた床に逆らえず、下へと全員落ちてしまった。高さはなく少し落ちただけだが、落下の衝撃はなかなかで痛みを堪えて落ちた床を見れば一定間隔で描かれた丸印とその中に書かれたひらがなの床が目に入る。

 

「コレって……?」

「ツ、ツイスターゲーム?」

 

  そのまき絵の言葉を合図とするように、台座の両脇に魔法書を守るように控えていた石像が突如として動き出す。石像から響く(しわが)れた声が続き、その声はどうにも聞き覚えのあるものだが、状況についていけないネギ達の頭では答えが出ない。

 

「フォフォフォ、この本が欲しくばわしの質問に答えるのじゃ! フォフォフォ♡」

「石像が動いたーッ‼︎」

「うおおお‼︎ スゲエ、ロボットか⁉︎ ロボット工学研究会でもこれだけ大きいのは滅多にお目に掛かれないぜ‼︎」

「いえ(はじめ)さんこれは動く石像(ゴーレム)です! 魔法で動く!」

動く石像(ゴーレム)⁉︎ マジかよ……魔法ってスゲエな、これなら……」

「? どうかしましたか?」

「……なあネギ、俺に」

「ーーでは第1問! 『DIFFICULT』日本語訳は?」

「あ! すみません(はじめ)さん話は後で! みんな落ち着いて! ちゃんと問題に答えればワナは解けるはず! 落ち着いて『DIFFICULT』の訳をツイスターゲームの要領で踏むんです!」

「ええーーッ‼︎ そんなこと言っても!」

「ディ、ディフィコロトってなんだっけ先生〜〜⁉︎」

「いっ、 easyの反対ですよ! えーっと」

「ムズイだ! ムズイ!」

「難い……まあ正解じゃ」

 

  (はじめ)の一声によってなんとか出された問題を床に付いた丸印を明日菜達が叩きクリアする。動く石像(ゴーレム)の光る目に睨まれながら歓声を上げるが、それで終わりではなかった。

 

「第2問『CUT』!」

「ってコラ!」

「ちょっとちょっとー⁉︎」

「別の場所に手をつけたら失格じゃぞ!」

「オイこいつなんか楽しんでねえか?」

 

  (はじめ)の言う通り嬉々とした声で動く石像(ゴーレム)は問題を出し続け、ネギと(はじめ)と木乃香の助言に従いながらゲーム盤の床に落ちたバカレンジャー達五人が何とか問題を解いていく。夕映を除いて運動能力の高い四人のおかげでおかしな態勢になっても問題を解き続けられていたが、幾何学模様のように絡まり始めた五人の限界は近かった。

 

「あたたたたっ!」

「死ぬ! 死んじゃう〜〜っ‼︎」

「よく立ってられんな、これどうなってんだ?」

(はじめ)先輩そんな呑気なこと言わないで⁉︎」

「では最後の問題じゃ!」

「やった! 最後だって!」

「『DISH』の日本語訳は?」

「えっ……ディッシュ……?」

「ホラ食べるやつ! 陶器の……」

「メインディシュとかゆーやろ」

「分かった『おさら』ね!」

「ふぅ、やっと終わったかよ」

 

  最後の答えも無事に分かり安堵の空気が流れ始める。『お』、『さ』と順調に押していき残り一文字、誰もが気を抜いたのがいけなかったのか、最後という焦りのせいか、明日菜の手が落とされた最後の文字に全員固まってしまう。

 

「……アスナ、オメエな」

「……おさる?」

「ちがうアルよーーッ‼︎」

「ハズレじゃな!」

「フザけんなよなーーっ!」

「ゴメンなさい(はじめ)先輩〜〜!」

 

  嬉しそうに動く石像(ゴーレム)は手に持つ大きな棍棒をゲーム盤へと振り下ろし、クッキーのようにいとも簡単に床が砕けネギ達は一人残らず下へと続く奈落の穴に落ちていってしまう。ゲーム盤に落ちた時と違い下が見えない暗闇の中で時を跳ぶ時のような浮遊感をまさか味わうことになるとはと、(はじめ)は心の中で舌を打った。

 

  このままこの速度で落ちたならば死ぬのは必須、助かる可能性はゼロだろう。誰もが諦めの叫びを上げてただただ重力に従う中で、(はじめ)の目に空中でふためくネギが目に入った。

 

  13歳の夏にあらしと共に子供を助けた時のことが頭を(よぎ)る。小さな子だ。自分もまだガキだなと成長した(はじめ)は思っているが、そんな自分よりも小さな子なのだ。これからの人生まだ楽しいことが多く残されている。十歳なんかで異国の地へと修行のためにやってきたネギなどその楽しみを一番謳歌するべきなのだ。だから無意識に(はじめ)の腕はネギの方へと伸びていき、その身体を守るように包み込んだ。

 

(はじめ)さん!」

「黙ってろ、舌噛むぞ!」

(あらしさん……あらしさんだってきっとこうすんだろ? ワリイな潤、もし盆に俺まで出たら笑ってくれ)

 

  暗闇の底に一筋の光が見え大きくなっていく。地面が近いと(はじめ)は強く目を瞑り、しばらくして身体を包むような強い衝撃に襲われ意識を手放してしまうのだった。



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第3話 Runner

「ハッ‼︎」

「おっとと……あぶねえなオイ」

「ムムっ、ハジメなかなかやるアルね!」

「やるんだったら負けるわけにはいかねえぜ」

 

  繰り出される古菲の数々の拳を何とか紙一重でハジメは(かわ)していく。目の前まで伸びてきた拳はここまで剣道部で叩き込まれた剣撃と降り注ぐ焼夷弾を()(くぐ)った経験、アドレナリンの分泌でスローに見えるのだが、それでも身体に擦れてしまう程古菲の拳は鋭く力強い。

 

「こっからは本気だ。負けても泣きべそかくなよな!」

「それはこっちのセリフアルね!」

 

  これまで使っていた何故か地面に転がっていた竹刀を一度ダラリと下に垂らすと、ふわりと左腰の後ろに構え右手は柄に添えるだけ。右足を大きく前に出し異様な前傾姿勢で左に構えた竹刀を古菲から見えないように身体で隠す。今から斬るという意思をそのまま形にしたような居合の構え。四角い眼鏡の奥でギラギラ光るハジメの瞳は古菲の僅かな動きも見逃さないようにしかとその姿を捉えている。

 

  ハジメは待ちの姿勢であるものの、その姿勢が厄介であるため古菲は容易に動けない。自分からは見えない竹刀がどういった軌道で迫るか分からないからだ。だがだからと言ってそれで手が出せないと尻込みするのは武人の名折れ。一度大きく長く息を吐き出し、左足に力を込める。

 

  勝負は一瞬。

 

  突っ込む古菲は拳の届く距離まで来ると強く大地が凹む程右足を踏み込む、それに合わせてハジメは強く一歩左足を踏み出すと、竹刀を引き抜くその身体の捻りを竹刀に乗せるようにして思い切り竹刀を横薙ぎに振り抜いた。

 

「げッ‼︎……ってゴブふ‼︎」

「アリャ?」

 

  振られた竹刀はハジメの力に耐え切れず古菲に当たる前にバラバラに砕け散ってしまった。無手となったハジメの手は古菲の前で空を切り、空いたハジメの土手っ腹に見事に古菲の掌底が突き刺さると背後に広がっていた水面の上をハジメの身体は水切りのように跳ねて水底へと沈んでいってしまう。大きく泡を口から吐き出し、ハジメは何とか自力で地面の上へと這い上がった。

 

「ゲホっゲホっ! だああクソ、負けたぜ!」

「いやいやもし今のが真剣だったら負けてたのはワタシだたかもしれないアルよ」

「学生が真剣振るうことなんてねえだろ」

「そうでござるなあ、いやしかしハジメ殿見事だったでござるよ。刹那殿が認めたのも納得でござる、ただ今のは剣道ではないようでござるがいったい?」

「ああまあ広島にいた頃、中学からだけど少し剣術を(かじ)ってよ。ここに来る前だから二年とちょっとしかしっかり習えなかったんだけど、そこそこ形にはなったぜ」

「そこそことは謙虚アルな、目の前にした時の迫力は本物だたネ、次はもっとしっかりしたせめて木刀で勝負ネ! ふふんハジメ気に入ったヨ!」

「そいつはどうもありがとさんよ」

「うむ、では次は拙者と勝負でござるよ、ニンニン!」

「まだやんのかよ! 俺はもう疲れたぜ……」

「むー古菲ばかりずるいでござるなあ、ささっ、構えて構えて」

「クソっ! とぼけた顔してなんてヤローだ」

「おーい古菲さん長瀬さんそろそろ休憩は終わりですよー」

「ほらネギが呼んでるぜ! オメエらはしっかり勉強しろ!」

「仕方ないでござるな、では続きはまた後ほど」

「ハジメもしっかり勉強教えてネ!」

「へいへい」

 

  ネギのおかげでようやく修行マニア達から解放されたとハジメは大きく伸びをする。英単語の問題を間違え動く石像に地下へと叩き落とされたハジメ達だったが、怪我をすることもなく何とか全員無事であった。落ちた先には地底湖が広がっていたおかげでそれがクッションとなり無事だったのだ。そこは夕映曰く地下図書室と呼ばれている場所らしく、地下であるにも関わらず明るく本の溢れる綺麗で不思議な空間であった。ただこの図書室を見て帰って来た者はいないそうで、極めて脱出困難なこの場所に加えて落ちた時は期末試験が明後日に控えている状況に明日菜達は項垂れていたが、ネギが先生らしく(げき)を飛ばし、こんな状況にも関わらず勉強会を開いたことによってパニックになるのを見事に治めていた。

 

  基本やることがなく、勉強するためには必要な本や黒板が何故かある地下図書室ではなかなか勉強が捗るようで、たったの一日ではあるもののバカレンジャーの五人達はスポンジのようにみるみる知識を吸収していく。それにネギだけでなくハジメと木乃香がいたおかげで五人に満遍なく無駄なく分からないところを教えられたのが大きいだろう。

 

  そんな勉強会の合間の休憩では何をやってもいいため、さらに勉強をする者、そこらに転がる貴重書を読み耽る者、身体を鍛え修行する者と様々で、勉強を教えながらその三者の中でも修行する者二人に絡まれるハジメは大分疲れていた。全く異なるタイプの武術家である二人との修行はタメにはなるもののハジメは武術家になりたいわけではない。剣術だって過去に行った際に闘った指切り山のような者と再び相見えることになった時や、強い男になるために覚えたものだ。決してそれで将来食べて行こうなどと考えていないが、それでも今まで研ぎ澄ませた技術のおかげで古菲と楓の相手が出来てしまっていた。そのため本当ならネギに魔法について聞き、あわよくば教えて貰おうと考え始めているハジメの思惑は全く上手くいっていなかった。

 

  そうして再び始まった勉強会も順調に進み、進歩していくバカレンジャー五人の様子にネギも満足気に頷いている。ようやく数時間に渡る勉強会が終わると各自解散し、流石に疲れたのか古菲も楓も手合わせしようとは言わずに休憩しに離れていく。勉強会に使われている黒板の前にはハジメとネギの二人が残され、ようやくネギもハジメも一息ついた。

 

「お疲れ様ですハジメさん、おかげでアスナさん達ここに来る前よりずっと勉強できるようになりました!」

「バカ、そりゃ俺のおかげじゃなくてオメエのおかげだろ先生ヨ。ただあいつら最下位になったら小学生からやり直しだのそんなデマよく信じてたよな」

「いったいどこから広まったんでしょうね?」

「さあな〜〜、だがようやっと羽が伸ばせるぜ、休憩になる度に古菲と長瀬から手合わせ手合わせ、俺の将来の夢は科学者だってのによ」

「でも驚きましたよ、ハジメさん強いんですね!」

「俺は別に強くなんかねえよ、まだまだ俺の求める強さにゃ程遠いぜ」

「求める強さ……ってどんなのですか?」

「ん〜〜……オメエに言って分かるか分からねえが、惚れた相手一人くらいは絶対守り切れるくらいの強さだ」

「それは……大変ですね」

「ああ道は遠いぜ」

 

  気軽に会うことも出来ない遠くにいる想い人のことを考えてハジメは天を仰ぐ。その相手は言うなれば終わってしまっている人なのだ。その終わりを終わりでは無くすというのにはいったいどれ程の力がいるというのか。自分の方を寂し気に見つめるネギの顔を見直すと、一日風呂に入っていないため少し臭う身体に気が付き丁度いいなと一度ネギの背中を軽く叩く。

 

「兎に角ひとっ風呂浴びてこようぜネギ! まあ風呂って言ってもそこらの水辺に浸かるだけだけどサッパリはすんだろ!」

「はい、そうですね。ボクも疲れましたしそうしましょう」

「おうよ、それにちょっと話もあるしな」

「話ですか? いったいなんでしょうか? ボクに出来ることなら何だって言ってください! ハジメさんにはお世話になってばかりですし」

「まあそれは水浴びながら話そうぜ」

 

  いくらそこそこの広さがある地下図書室とはいえ女子と鉢合わせてしまっては不味いと少し離れた場所までいき、全ての服を取っ払うと意気揚々と二人水の中にと飛び込んでいく。綺麗な水と全裸という開放感がハジメのテンションを一気に上げた。

 

「ヒャッホーーっ! 最高だぜ! 一足早い夏休みって感じだよな!」

「そうですね、気持ちいいです!」

「おいおいもっとこうバーっと楽しめよバーっと! 勉強もいいがよお、それだけじゃなよっちくなっちまうぜ? もっと外で遊ばねえと、俺を見ろよこの肉体美!」

「わああ凄いです!」

 

  ハジメの体には無駄な脂肪はついておらず、ミケランジェロの彫刻のようなメリハリがある。それに加えて所々消えずに残っている火傷の跡と、裂傷の跡がもの静かな迫力を放っていた。その迫力に圧倒されたのか、ポージングをとるハジメに習いしばらくサイドチェストなどのポーズを取り合っていたが、少ししてネギが口火を切る。

 

「それでハジメさんお話っていったい何なんでしょうか?」

「ん? そうだなあ……ネギは何で魔法使いになろうと思ったんだ?」

「え? それは……」

 

  魔法のことが知りたいが、どうも年下のネギにそれをそのまま聞くのは少し気恥ずかしく、一先ずネギのことについて聞く。そこまでまだ親しいわけではないが、ネギがいい奴であろうことはハジメには十分に分かっていた。そのネギが十歳にして魔法の修行で日本に来るほど魔法使いに憧れているわけが知りたかったのだ。ネギはハジメの質問の意図が分からず少し考えてしまったが、そのまま思っていることを話すことにし口を開く。

 

「ボクの住んでいたところはもともと魔法使いの学校があるような町で魔法はとても身近なものでしたから、魔法使いになるっていうのはもっと小さな頃から漠然と思っていたんです」

「そうなのか」

「ハイ、ただ……ただボクには憧れてる人がいるんです」

「憧れてる人?」

「ええ、……ただ、みんなその人は死んだんだって言います。でも……でもボクにはその人が死んだとは思えない。あの人は千の魔法を使いこなす最強の魔法使い『サウザンドマスター』旅をしながらたくさんの不幸な人を救ってるんです。だからボクはあの人のような立派な魔法使いになりたいんです。そうすればこの広い世界のどこかでまたあの人に会えるかもしれない」

 

  そう言い切ったネギの顔は子供の顔でも先生の顔でもなく、一人の男の顔だった。死んだかもしれない相手を想う。その気持ちはハジメにはよく分かる。ネギの相手は不確かだが、ハジメの相手は確かに半分死んだ相手だ。その人のために何かがしたいという想いに歳は関係ない。ハジメと六つも歳が離れていてもネギもハジメも同じ想いを持っている。その事実とネギの顔を見て自然とハジメの顔には笑顔が描かれた。

 

「そうか……分かるぜその気持ち、俺にも憧れてる人がいるからよ」

「そうなんですか?」

「おう! 気丈で男勝りでよ、スゲエ危険だって分かってんのにそこへ行って何度も小さな命を救い続けるスゲエ人さ、俺もよ、そうなりてえんだ。その人の力になりてえ、それでその人もいつか救ってやりてえんだ」

「そうですか……凄い人ですね」

「ああ」

「ふふっ、じゃあボク達って似た者同士なんですね!」

「そうだな! お互い憧れの人に近づけるように頑張ろうぜ! 男ならやってやらなきゃあよ!」

「はい!」

「それでよネギ、ここはひとつ相談なんだが」

「何でしょうか?」

「おう、実は俺に」

「キャーーーーッ!!!!」

「大変やハジメ先輩ー!」

「ネギも早く来て! ってちょっとなんで裸⁉︎ 早く服着て!」

 

  ようやく本題を切り出そうとしたハジメだったが、突如として聞こえた悲鳴にそうもいかなくなってしまった。大分ネギ達を探したのか息を少し切らせている木乃香と明日菜の二人に呼ばれ、ネギとハジメは何事かと急いで服を着直すと明日菜達の後を追って走っていく。そこには全裸のまき絵を片手で鷲掴んだ動く石像(ゴーレム)がおり、古菲と楓がバスタオル一枚で対峙していた。

 

「うおおおお! オメエらなんて格好してやがんだ! 俺悪くねえぞ!」

「いやハジメ先輩そんなこと言ってる場合じゃないですから!」

「フォフォフォ!」

「ネギ君助けてーーっ!」

「佐々木さんーーっ! ぼぼボクの生徒をいじめたなっ! いくら石像(ゴーレム)でも許さないぞ!」

 

  相変わらず(しわが)れた声で笑う石像(ゴーレム)に流石にカチンときたのか聞きなれない言葉を呟いてネギはビシッと石像(ゴーレム)に向けて指を向ける。

 

「くらえ魔法の矢!」

 

  叫ぶネギの言葉に石像(ゴーレム)は驚き動きを止めるが、いつまで経っても何も起こらない。ネギの魔法の封印はまだ一日残っていた。ハジメと明日菜しか分からない意味分からないネギの言葉と行動は石像(ゴーレム)どころか味方まで全員の動きを止めてしまう。

 

「ま、まほーのや……?」

(あ、しまった……まだ封印一本残ってたんだっけ)

「フォフォフォここからは出られんぞ、もう観念するんじゃ! 迷宮を歩いて帰ると三日はかかるしの〜〜」

「三日⁉︎」

「それじゃあテストに間に合わないアル!」

「み、みんなあきらめないで! 僕の魔法の杖で飛んでいけば一瞬だから!……ッハ⁉︎」

「こ、こらネギ⁉︎ さっきからなにモロ言ってんのよっ⁉︎」

「ま、まほーのつえ……?」

「やいやい! そんなことよりさっさとその子を離しやがれ!」

「そうよ! それに私達はあきらめないんだからね!明日のテストまでに絶対ここを抜け出してやる‼︎」

 

  明日菜の言葉に全員同意するように小さく頷く。そんな中で夕映が目敏く石像(ゴーレム)の首後ろに引っかかっている最初に目的としてやってきた魔法の本を見つけた。石像(ゴーレム)がネギ達を下に落とすために床を砕いた際に偶然そこに乗ったらしい。

 

「みんなあの石像(ゴーレム)の首の後ろを見るです!」

「お! ありゃあ……ミルクセーキの書とかいうやつじゃねえか⁉︎」

「メルキセデクの書ですよハジメさん!」

「とにかく本をいただきます! まき絵さん! クーフェさん! 楓さん!」

「OKアル! バカリーダー!」

「綾瀬がリーダーだったのかよ……」

 

  夕映の指示に従って古菲の鋭い一撃が石像(ゴーレム)の左足を確かに砕き大きなヒビを入れる。バランスを崩す石像(ゴーレム)を見逃さず、素早い軽やかな動きで楓はまき絵を救出しバスタオルを巻いている間にまき絵がリボンで見事に本を奪取した。

 

「キャーー! 魔法の本取ったよーーっ!」

「ま、待つのじゃ〜〜っ⁉︎」

「そうと決まればさっさとズラかろうぜ!」

「あの石像の慌てようきっと地上への近道があるです!」

 

  走るネギ達と追う石像(ゴーレム)、古菲が足を砕いたのともともとの石像(ゴーレム)の重さも合わさりなんとか子供の力しか発せないネギでも逃げることが出来ていた。出口を探して走るネギ一行は、しかしあっさりと夕映が出口を見つけてしまう。扉の上には緊急避難経路を示す緑の看板が点灯しており、地下図書室の幻想的な場にそぐわずなんとも間抜けだ。

 

「なにこれ! 扉に問題がついてる⁉︎」

「第1 英語問題、readの過去分詞の発音は? です」

「ええ〜〜っ なにそれ!」

「そんなコトいきなり言われても!」

「ムムっ、いやワタシこれ分かるアルよ、答えは〔red〕ネ!」

「開いたーーっ!」

「やるじゃねえか古菲!」

「も、もしかしてこの本の効果で⁉︎」

「持ってるだけで頭が良くなたアル!」

「そうか〜〜?」

 

  走りながら古菲の持つ黒い魔法の書をハジメは見るが、そんな効果があるようには見えない。脱出口の扉の先は長い石造りの螺旋階段が上へと続いており、延々とそこを登る羽目となる。階段は人二人分程の幅しかないにもかかわらず、石像(ゴーレム)は壁をぶち破って壁を削りながら無理矢理ネギ達を追う。

 

「しつこいなー石像(ゴーレム)が無理矢理追ってくるアル!」

「ならぬならぬ! 本を返すのじゃ〜〜っ⁉︎」

「べ〜〜もう返さないアルよ」

「バカ、そんなこと言ってる場合じゃねえ!」

「あっ、また石の壁と問題が⁉︎」

「わっ……今度は数学問題じゃん!」

「第2 数学問題、下の図でxの値を求めよ、です」

「あえーー石像(ゴーレム)が来たえーーーー⁉︎」

「ボクがやりましょうか⁉︎」

「うーんx=46°かな?」

「開いた! 正解みたいよ!」

「長瀬もやりゃできんじゃねえか!」

 

  螺旋階段を登るたびに立ちはだかる石の扉を魔法書を代わる代わる持ってバカレンジャーの五人が見事に解いていく。その姿は成績最下位の落ちこぼれには見えず、優秀な生徒達の姿であった。一時間近く登り、途中夕映が転んで怪我をしてしまうというアクシデントはあったものの、ハジメがおぶり順調に上へと登っていく。しかし全員の体力の限界は近かった。

 

「ううっ、申し訳ないです」

「なあに気にすんな! ここまで一緒に来た仲間だろ!」

「あ……ハイ!ありがとうです。あっ! け、携帯の電波が入りました! 地上は近いです助けを呼ぶのでみんながんばって!」

「聞いたかあとちょっとだ!」

「ち……地上が……?」

「ああっ! みんな見てください! 地上への直通エレベーターですよ!」

「1F 直通って……なんか逆に怪しくねえか?」

「でもここまで来たらもう乗るしかないですよハジメ先輩!ほらみんな急いで乗って乗って〜〜!」

「キャーー早く早く♡」

 

  われ先にと八人全員すし詰めでなんとかエレベーターに乗っかるが、無情にも警報と『重量OVERデス』という機械的な声が響く。明日菜達の悲鳴があとに続いた。

 

「地底図書室で二日間飲み食いしすぎたアルかーーっ⁉︎」

「ああああ勉強ばっかりしてたからっ……⁉︎」

「みんな持ってるものとか服を捨てて! ホラ片足出すだけでブザーが止まる、あとちょっとなのよ!」

「ホンマや!」

「おおっ、脱ぐアル! 脱いで軽くするアルよ!」

「マジで言ってんのかオメエら⁉︎ 俺もいんだぞ!」

「うぐっ、こ、こうなったら背に腹は変えられないわ! ホラハジメ先輩も!」

 

  服を一枚一枚エレベーターの外へと放り捨てていくが、一向に重量OVERの表示は消えることがない。結局ネギとハジメはパンイチに、明日菜達も下の下着を残すだけとなったが重量OVERは変わらなかった。

 

「やっぱりダメアルーーッ‼︎」

「もう捨てるもの無いよ〜〜っ! あとちょっとなのに〜〜!」

「すんませんあらっさん‼︎ こんな状況でも俺はあらっさん一筋っスよ〜〜っ!」

「いやハジメ先輩誰に言ってるんや?」

「フォフォフォ、追い詰めたぞよー!」

「キャーーっ!」

 

  石像(ゴーレム)が遂に目前まで迫り狭いエレベーター内ではもう逃げ場がない。生徒の危機というこの状況で、ネギは自分を奮い立たせて杖を手にエレベーターから一歩踏み出した。

 

「僕が降ります‼︎ みなさんは先に行って期末試験を受けてください! 」

「オイネギそりゃあ!」

「そうよ! だってあんた魔法が⁉︎」

 

  ハジメと明日菜の言葉を背に受けてもネギは引く気は無いらしい。石像(ゴーレム)を前に颯爽と杖を構えるネギをエレベーターから漏れる光が後光となってネギの姿を照らし出す。パンイチではあるが一人の男としてその姿は確かにカッコよかった。

 

石像(ゴーレム)めっ! 僕が相手だ‼︎」

「ネギくーーんっ‼︎」

「ネギ坊主……‼︎」

「フォフォフォ、いい度胸じゃ!」

 

  石像(ゴーレム)の手がネギとその後ろに控える明日菜達の方へと伸びていく。だが誰もネギを残してエレベーターの閉じるボタンを押すことはない。消えた重量OVERのランプではなく、ボタンでもなくネギの背中だけを見ていた。そんな中で明日菜の腕が勢いよく伸ばされてネギの肩を掴むとエレベーターの中へと思い切り引き寄せる。ネギを掴もうと伸ばされた石像(ゴーレム)の腕は虚空を掴むだけに留まった。

 

「ア……アスナさん⁉︎」

「あんたが先生になれるかどうかの期末試験なんでしょ、あんたがいないまま試験を受けてもしょーがないでしょーが、ガキのくせにカッコつけてもー バカなんだから!」

「え……でもこのままじゃあの石像(ゴーレム)に……」

「問題ねえ、こうすんだぜ‼︎」

 

  メルキセデクの書、明日菜達が必死の思いで取りに来た黒い魔法書をハジメは掻っ払うと大きく振りかぶって石像(ゴーレム)へと投げつける。ネギは突然のことに固まってしまい、明日菜達は仕方がないと納得の表情を浮かべる。まさか魔法書を投げつけられると思っていなかった石像は、頭に見事直撃した魔法書に押されて階段の下へと転がり落ちていく。石像(ゴーレム)の断末魔を聞きながらゆっくりと閉まったエレベーターの扉を前に全員がようやく一息つく。

 

「ふうっ、なんとかなったわね」

「で、でも本が……」

「いやーー図書館島は散々だたアル‼︎」

「あ、あのみなさん本……」

「今は日曜の夕方ですか」

「まだ時間に余裕あるし追い込みかけようぜ! なあ木乃香」

「そやな、私とネギ君とハジメ先輩がいれば大丈夫や〜」

 

  エレベーターの扉が開き、遠くに見える沈む夕日が目に眩しい。半裸で試験に向ける覚悟を決めた男女の姿は異様だったようで、着替えを持って来てくれた早乙女(さおとめ)ハルナと宮崎(みやざき)のどかの二人はドン引きしながらも着替えと食料を渡してくれる。期末試験が始まるまで残り十五時間、最後の追い込みが始まった。

 

 

 

 

 

 

「ふうっ、なんとか間に合ったな」

「ハイ、よかったです」

 

  十四時間ぶっ続けで徹夜で詰め込み、少し寝坊してしまったもののなんとか明日菜達は間に合うことができていた。疲労と眠気でふらふらしており、さらに今までの自分を省みてバカレンジャーの五人は自信なさげに遅刻組の教室の中へと走っていく。それを追ってネギとハジメも眠い目を擦りながら廊下から机に苦い顔でかじりつく明日菜達の様子を覗いていた。

 

「ハジメさんは学校はいいんですか? 今日は月曜日ですよ?」

「カテえこと言うなよネギ、俺も眠すぎて身が入らねえし今日はサボりだサボり! それにアスナ達のことも心配だしよ、俺の学校は期末試験も別日だし気にしなくていいぜ」

「えぇ……いいのかなあ?」

「いいじゃねえか! それに学校をサボるのは生徒の(たしな)みよ!」

「だいぶダメな嗜みのような……」

「はははっ! ……だけどアスナ達辛そうだな、試験は大丈夫だと思うが寝落ちしねえか心配だぜ」

「え? なんで試験は大丈夫だって分かるんですか? だって本が……」

「バッカ、オメエよお、よく考えりゃ分かんだろ。最後の螺旋階段の問題達は今回の試験の範囲だったぜ? 本を持てば頭がよくなるとか言ってたが、あのゴタゴタの中であいつら本を持たなくても問題解いてたし勉強会の効果だぜ、誇れよネギ先生、今回は立派に先生だったぜ」

「そうだったんだ……でも僕迷惑かけっぱなしで……うん、よし!」

 

  何かを決めたネギは小さな花を取り出すと地下図書室で石像に魔法の矢を放とうとした時と同様に小さく呟き始める。その時は魔法を封印していたため何も起こらなかったが、今度は確かに不思議な風が辺りに漂い、優しい花の香りを運んでいく。その匂いを嗅ぐと不思議と霞みがかっていた頭の(もや)が晴れていった。

 

「ん……おいネギこれって」

「眠気覚しの魔法です。僕にはこんなことしか出来ませんが……」

「いや、いいんじゃねえか? それだけありゃああいつらならやってくれるさ」

「ハイ! 後は先生として信じるだけです!」

「おう! 俺らも眠いし先に休もうぜ、果報は寝て待てだ、他の先生にバレでもしたら怒られちまうしよ!」

「それはハジメさんだけな気が……」

 

  試験を受ける明日菜達を背に二人は去っていく。その後の結果は言うまでもない。勉強を頑張った明日菜達と、研究室でのハジメとネギのやり取りがバッチリ映っていた防犯カメラの映像に気付いた鈴音の影の援護射撃によって底上げされた2-Aは平均点85点という脅威の数値を叩き出した。

 

  なお、同じく防犯カメラの映像で女子中等部に入り込んでいたことがバレたハジメは反省文を原稿用紙三百枚分書かされたそうな。




一のルビを振る作業が地獄すぎるのでハジメ表記に変更します、許してください。その作業だけで三十分くらいかかるんや……。


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第4話 ギンギラギンにさりげなく

  歯車とは簡単なように見えて奥が深い。ひとつひとつは単純で簡単であるものの、それが二つ三つと数が増えるごとに比例的に噛み合わせた時の難しさが上がっていく。たった一つの歯車が僅かにズレただけでその無限の力は発揮されず、ただのガラクタになってしまう。だから一つの歯車を整備するだけでもかなりの集中力を必要とし、それを毎日コツコツとハジメは繰り返し桜の花びらが舞う頃にようやっと茶々丸の全ての部品の整備が終わった。

 

「よおどうだよ調子は」

「ええありがとうございますハジメさん。前よりも随分と調子が上がりました。ハカセと超さんのバージョンアップと並行してここまで仕上がったのはハジメさんのおかげです」

 

  動きを確かめるように手を閉じたり開いたりする茶々丸の動きは非常に滑らかであり、頭から生えた大きなアンテナと滑らかな関節駆動を実現するための膝の球体関節部が見えていなければ普通の少女となにも変わらない。無表情ではあるものの満足そうに身体を動かす茶々丸にハジメはニカッといい笑顔で応える。

 

「いいってことよ! オメエが嬉しそうで俺も嬉しいぜ!」

「? それはなぜでしょうか?」

「なぜってオメエ……オメエだって俺の友達だろ? 友達のために何かやってそれで喜んでくれるんならそれこそ最高ってやつだろうが、なあ鈴音」

「ハハハっ! そうネ! 流石ハジメは言うことが違うネ!」

「? そうなんですか? すいませんよく分からず」

「まあいつかオメエも分かるようになるぜ、とにかく俺は俺が整備してオメエが満足してくれりゃあ十分嬉しいのさ」

 

  麻帆良のオーバーテクノロジー、普段絶対お目にかかれないだろう科学の最高峰に自分の力を存分に貸せている状況がハジメは堪らなく嬉しい。ひとつひとつの歯車を整備していく毎に、着実に自分の夢へ近づいているという実感が湧く。葉加瀬と鈴音という自分より若いが何歩も自分より先を歩む先人のいる研究室はハジメにとって最高の場所だ。そこで出来た友人達との結晶、その最高の友人の一人にしかしどうしても拭いきれない疑問があった。

 

「結局新学期まで整備に時間かかっちまったがよ、バージョンアップまでする意味あったのか? それも新機能とかじゃなくて駆動系だろ?」

「ハイ、マスターの意向です。どうしてもそれが必要ですので」

「は〜〜よく分かんねえがよ、体育の授業一発目の体力測定とかで驚かせたいとかか?」

「驚かせたい……そうですね、マスターもそう言っておられました」

「まあいいじゃないカハジメ、私たちは科学者兼技術者らしく頼まれたことをやるだけヨ」

「まあそうだがよ〜〜、ちょっと気になるじゃねえか」

「あっ! イケナイネハジメ、女の子には秘密がアルものヨ!」

「分アってるよ! 別に詮索なんかしねえさ、ただ危ないこととかだったらやだろ、鈴音も言ったが茶々丸だって女の子なんだぜ?」

「? 相変わらずハジメさんの言うことはよく分かりません」

「だってさハジメ」

「うるせえ!」

「……それでは私はこれで失礼します。超さんハジメさんありがとうございました」

「おうまたな!」

 

  整備を終えて出て行った茶々丸の後にはハジメと鈴音だけが研究室に残される。これは一年前からよくある光景だった。ロボット工学研究会は大学のサークルなのであるが特別に大学生以外で参加を認められているのは麻帆良女子中等部が誇る偉大な二人の天才葉加瀬と鈴音、そして鈴音が連れてきたハジメの三人だけだ。先輩達は「デカイこそ正義!」を信条に日々巨大なロボットをハジメ達のいる研究室とは違う大きな倉庫で制作することに尽力しており、葉加瀬は基本的にはそちらに付いている。ロボット工学研究会だけでなく、数多くの部活に入り中国料理屋台『超包子』の経営者でもある鈴音は忙しく、やっていることは葉加瀬や先輩達とは違い、人型ロボットのロマンに惹かれ茶々丸の整備を葉加瀬の代わりにほぼ専属でやっているハジメと一緒に研究室にいることが多かった。もう慣れたものだと二人残された研究室には緊張した空気など微塵も流れず、気兼ねのない二人の空間は心地が良い。

 

「しかし、俺がここに来てだいたい一年だぜ? 最初と比べて俺の整備の腕上がったろ」

「そうネ、最初は酷かたヨ、もう見てられなかったネ」

「最初なんて誰だってそんなもんだって、大事なのは今だぜ」

「ハハハっ! それもそうネ!」

「全く……それで最近ネギはどうだよ、相変わらず元気に先生やってんのか?」

 

  女子中等部は隣にあるものの学校は違うためハジメはネギの学校での様子を知らない。それに加えて三月にあった期末試験の際に心配だからといっても女子校に無断で立ち入ったせいでハジメは女子中等部の先生方から要注意人物のレッテルを貼られてなかなか近づけないでいた。ネギに魔法のことを聞きたいのに、どうにもそのタイミンがない。だからせめてネギの様子を聞こうとネギが正式に先生となってから初めてのクラスである3-Aの生徒である鈴音に聞くのだが、悪そうな顔をするだけでまともに答える気は無いらしい。

 

「ハジメ……まさかとは思てたが女の子じゃなく男の子に興味アタとはネ……」

「は⁉︎ 違えよそんなんじゃねえ! ただネギは友達だしよ!」

「分かてるネ、趣味は人それぞれネ」

「だから違うつってんだろ! オメエふざけてんな⁉︎」

「ハハハっ! ハジメはカラカイがいがあって楽しいヨ、大丈夫ネギ坊主はいつも通りヨ」

「そうかよ……ったく」

 

  そっぽを向いて下唇を突き出し拗ねるハジメを可笑しそうに鈴音は眺める。裏表のないハジメの相手は疲れず楽しいともう少し情報を出してやろうという気になる。

 

「そう言えばネギ坊主はパートナーを探すために日本に来たて噂ネ」

「パートナー? なんだそりゃ」

「恋人を探すためって噂ヨ」

「どっから流れたんだよそんな噂……」

「さあネ?」

 

  ネギは相変わらず問題に巻き込まれているようだとハジメは小さな友人に心の中で手を合わせる。ネギが日本に来たのは立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるためだと知っているハジメは口には出さないが、男同士俺だけは味方してやろうと心に決めた。

 

「ふふっ、それよりどうヨハジメ、ハジメはパートナー興味あるカ?」

「んー? パートナーってさっき言ってた恋人か?」

「いやいやパートナーネ」

「どう違えんだそれ……」

「で? 興味あるカハジメ?」

「興味あったらどうなんだよ」

「私とパートナーになってみる気ないカ?」

「はあ⁉︎」

 

  驚いた顔で鈴音の方をハジメは見るが、いつもと同じように柔らかな笑みを浮かべているだけだ。鈴音の思惑など知らず、またからかわれていると考えたハジメはその場でビシッと自分を親指で指差しポーズを決める。

 

「悪いが俺にはあらしさんしか見えねんだ! 例え火の中水の中、どこへ放り込まれようとも俺はあらしさんしか愛せねえ、ワリイな鈴音、他を当たってくんな」

「オヨヨ、あんたそこまでその人のことをヨ」

「ああ……すまねえなお嬢ちゃん、男ってのはよ、馬鹿な生き物なんでい」

「ぷっ、ハハハっ! 残念振られてしまたネ!」

「ったくよく言うぜ、いつも通りのおふざけだろうが」

「…………そんなことないヨ」

「ん? なんか言ったか?」

「なんでもないネ! 私を振るなんて酷い男ヨって言ただけヨ!」

「そりゃ悪かったな」

 

  笑う鈴音につられるようにハジメも研究室の自分の作業台の上で頬杖をつきながら笑顔を見せる。退屈しない相手だと笑う少女の顔を見ていたハジメだったが、鈴音は笑い終えると少し真面目な顔になり、考えるように少し唸ると、やがてゆっくり口を開いた。少女の急な態度の変わりようにハジメは呆気に取られてしまい、怪訝な顔を向けながら頬杖を付いていた手から顔が僅かに離れてしまう。

 

「ハジメ、噂と言えばなんだけどもう一つ最近よく聞く噂知ってるカ?」

「なんだよ一体」

「出るって噂ヨ、満月の夜に寮の桜並木にボロ切れ纏った血まみれの吸血鬼がネ」

「吸血鬼〜〜?」

 

  吸血鬼、人の生き血を啜る不死の存在。伝説や伝承が多く残され、曰く腕力は人間以上、曰くコウモリといった動物や形のない霧に変身できる。曰く催眠術を使い動物などを操れる。ただそんな途方もない能力がある割に、日光に弱い、ニンニクや十字架に弱いといったよく分からない弱点が多くある夢物語の幻想の生物。当然ハジメも漫画や映画で吸血鬼という名前は聞いたことがあるが、魔法使いがいることは知っているとはいえ、急に吸血鬼などという存在の名を言われ信じるほど純粋ではない。変な噂が流行ってんなと思うも、普段あまり見せない鈴音の真面目な顔がハジメの不安を煽る。

 

「なんで急に吸血鬼なんていう話が出んだよ」

「だから噂ネ、ただこの噂はネギ坊主の噂とちがて幾つも目撃証言があるヨ」

「だからなんだってんだ?」

「最近は物騒ネ、ハジメ最近剣道部の方は顔出してるカ?」

「いや、最近は茶々丸の整備で忙しかったからな〜〜、あんまり顔は出してねえな」

「ならちゃんと出た方がイイネ、茶々丸の整備もひとまず終わたし剣道部に少し力入れるヨ」

「だがよおどっちかっていうと俺はこっちの方が気に入ってんだが」

「それでもネ、せめて夏くらいまではそっちに力入れるヨロシ、剣道部としてならいつでも竹刀か木刀持てるし私も安心ヨ」

 

  吸血鬼のことは眉唾だとしても鈴音が心配しているのは本当らしい。図書館島で古菲と楓と手合わせはしたが、それ以来鈍らないように続けている朝の素振り以外数える程しか剣道部には顔を出していない。茶々丸の整備がマスターであるエヴァンジェリンの注文の期間のせいで時間がなく忙しかったというのが大きな理由であり、それが無いとなると基本鈴音の研究の手伝いをしているハジメは、鈴音が剣道部へ行けというなら行くしか無いだろう。

 

「分かったよ、俺も確かに最近体が少し(なま)ってると思ってたし思い切り運動するのもいいかもな」

「うん! そうと決まればさっさと行くネ! ホラ木刀だったらここにあるヨ!」

「おい今からか⁉︎ なんで木刀なんてあんだ? ん? 日光江戸村?」

「この前先輩達が行てきたゆうとこのお土産ネ!」

「小学生か……まあ気持ちは分かるけどよ」

「ホラ後の片付けは私に任せて早く行くネ!」

「あ! おいちょっと待て!」

 

  強引に廊下へと背中を押され、扉を出たと同時に作業の邪魔だと脱いでいた学ランを鈴音に投げ渡される。勢いよく閉まった研究室の扉の前で手に持つ木刀を見つめ、仕方ねえとため息を吐くとハジメは研究室を後にした。鈴音と同じクラスのえらい強い剣士の少女を思い出しながら不貞腐れるように歩き出す。

 

「……行たカ、全くハジメは本当どうしようもないネ、でも私諦めないヨ、ハジメはきと私の味方なるネ、きっと……」

 

  研究室に置かれた小さなカレンダーの一つには六月の三日間に大きく赤いマーカーで丸が書かれている。その赤い線を軽く指でなぞりながら、誰もいない研究室から外を歩いている木刀片手の不審人物の後ろ姿をその姿が見えなくなるまで優しい笑みで鈴音は静かに見つめ続けた。

 

  春になり日が伸び始めたとはいえまだ日は短く、真っ赤な夕日が麻帆良の日本離れした街を綺麗に赤く染めている。綺麗にピンク色をした舞い散る桜の花びらも紅葉のように赤く染まり、風に揺れる赤い桜吹雪の中をハジメは痛む身体を(さす)りながら帰路に着いていた。久しぶりの実戦ということと、久しぶりに顔を出したせいで顧問の葛葉先生と刹那の二人に揉まれハジメはハジメの予想通りボコボコにされてしまった。刹那達二人はなんでも京都で有名な剣術の流派出身らしく、純粋な剣道者ではなく他流の使い手であるハジメの相手をよくしてはくれるのだが、防具はつけていても剣道の動きではないために防具の無い生身の部分に寧ろそこを狙っているのではないかというほど面白いように当たる。どうせなら剣道のルールに則ればいいのだが、そうでないから負けましたと言い訳を言っているような気がしてカッコが悪いためハジメはそれを口にしない。それに剣道のルールでやろうともあの二体の剣鬼に勝てるイメージがハジメはどうしても湧かなかった。だいたいハジメの闘い方は竹刀では不利だ。中学生の頃ならいざ知らず、成長し強くなった体で剣術の技を振るうハジメの力に竹刀は耐えられない。しかもハジメの技は図書館島で見せた古菲相手に繰り出した居合以外持っていないのだ。二年とちょっとでは一つの技しか満足に覚えることが出来なかった。そのため防具で異様な前傾姿勢になると防具が邪魔して上手く動けずサンドバッグになるしかなかったのだ。

 

(にしてもよくあんな動けるもんだぜ、加奈子のヤツもよくナイフとか振り回してたけどやっぱりあれとはちげえよな)

 

  桜咲刹那、ハジメのよく知る鈴音と葉加瀬、明日菜や木乃香のクラスメイトでありネギの教え子でもある少女。木乃香から幼馴染であるとハジメは聞いているが、おっとりとした木乃香によくもあんな鬼のような幼馴染がいるものだと思う。どんな時もあまり表情変わらずクールに徹しており冷酷無比、繰り出す剣に無駄な動きは一切無く急所へとズレることなく叩き込まれる。そんな刹那が纏う空気は、向けられているのは竹刀であるにも関わらず真剣を突きつけられているとハジメはよく錯覚してしまうほどだ。

 

(やよゐさんと加奈子といいああいうタイプはセットでああなのか? どっちにしろおっかねえぜ、あぁ腕が痛え……クソッ、鈴音のやろう)

 

  腕を摩りながらハジメは盛大に大きくため息を吐く。いざ剣道部に行ったらボコボコにされ、これでしばらく来なくてもいいのではないだろうかと剣道部の活動を終えた後考えていたのだが、帰り際に葛葉先生に引き止められそこその頻度で剣道部に通うことが確定してしまった。ネギに魔法のことが聞けずモヤモヤが溜まる一方だというのに好きな科学に携わる時間まで減るなどハジメからすれば溜まったものではない。だが、研究室から半ば厄介払いのように追い出されているハジメが行ける場所など剣道場くらいしかないのは確かで、学校が終わりさっさと寮に帰るくらいなら剣道部に顔を出した方がいいだろうと結局は諦めてしまうしかない。

 

  少し肩を落として歩くハジメだったが、煉瓦造りの建物を曲がった時にふと見慣れた顔が道端に座り込んでいるのが見え足を止める。頭から伸びる大きなアンテナとゼンマイ巻きの取っ手だけでそれが誰であるのかは一目瞭然であった。

 

「よお茶々丸じゃねえか、珍しいな一人でこんなところで、なにやってんだ? ん ……猫?」

「ハジメさん、今日は剣道部に行ったんですか?」

「ん、まあな」

 

  茶々丸の身体に隠れて分からなかったが、近づけば多くの仔猫が茶々丸の差し出す猫缶に群がっていた。ハジメが声を掛けるまでどことなく嬉しそうな表情をしているように見えたが、ハジメの方を向いた茶々丸の顔はいつも通りの無機質なものであり、気のせいだったかとハジメは頭を掻く。

 

「っておいおいオメエよく見りゃところどころ汚れてんぞ、大丈夫か?」

「ハイ、これは先ほど川で流されていた仔猫を助けた時に付いたものですので」

「へ〜〜立派じゃねえか! ただ気を付けろよな、あんまり危ねえことすんなよ、怪我してからじゃ遅えぞ」

「? 私はロボットですので怪我はしないと思いますが? 壊れはしますが」

「一緒だ! 一緒! あんま心配させんなってことだよ」

「? よく分かりません。ハジメさんといいハカセといい超さんといい何故私を人のように扱うのでしょうか?」

「そりゃ機械だの人間だのの前に友達だからだ、いつも言ってんだろ」

「友達ですか……」

 

  茶々丸の目が少し細められる。

 

「おうよ、俺も鈴音も聡美だってそう思ってるぜ!」

「それは喜んだ方がいいのでしょうか……」

「さあな」

「何故です? お互いいい関係でなかったとしてそれで友達の意味があるのですか? ハジメさん達は友達と言ってくれますが私にはそれがよく分かりません」

「昔知り合いのグラサンに言われたんだけどよ」

「グラサンと知り合いなのですか?」

「おう、自分が思ってることを相手も同じように思ってるわけじゃねえってな。だからさ、俺は勝手にそう思ってるだけだからよ、オメエが違うって言うんならそれはそれでいいんじゃねえか? 茶々丸が決めりゃあいいさ」

「私が……」

 

  少し顔を俯かせる茶々丸の手に握られた猫缶は綺麗に空になり猫達が離れていく。それでもしばらく茶々丸は空になった猫缶をしばらく見続けていたが、やがて一緒に手に持ったビニール袋に猫缶を片付けると立ち上がる。

 

「私が彼らに缶詰をあげるのと一緒ですか」

「そうだな」

「少し……少しだけ分かりましたハジメさん」

「おう!」

「ただ危ないですから少し離れていてください」

「危ない? なんだよ急に……」

 

  頭からゼンマイ巻きを取り外した茶々丸はハジメの方は全く見ずに一歩ハジメの横を通り過ぎて前に出る。茶々丸の視線を追ってみれば、杖を手にしたネギと明日菜が立っていた。ただどうもいつもと様子が違う。

 

「ネギとアスナじゃねえか、久しぶりだなどうしたんだ?」

「ハジメさん……」

「……こんにちは、ネギ先生、アスナさん。……油断しました。でもお相手はします」

「相手〜〜? 急になに言ってんだよ茶々丸」

「すみませんハジメ先輩、ちょっと離れてて貰えませんか?」

「いやアスナ意味わかんねえぞ、おいネギ」

「説明は後でしますからハジメさんは離れててください。茶々丸さん……僕を狙うのはやめていただけませんか?」

「は? 狙うって……」

「申し訳ありませんネギ先生、マスターの命令は絶対ですので……」

 

  お辞儀をし謝罪をする茶々丸を前に申し訳なさそうな顔をネギはする。全く意味の分からないハジメだったが、これまでの情報をもとにハジメの灰色の脳細胞は、なんとか答えを導き出す。

 

(狙うってなんだよいったい……待てよ、そういや鈴音が言ってた噂……まさか茶々丸のヤツエヴァン……スとか言うヤツの命令でネギに告白を? いや告白するために茶々丸のヤツを使ってやがんのか? んでそれを知ったアスナが止めようと……確かにな、告白するんだったら自分でやらなきゃ意味がねえ)

 

  全く見当違いのハジメの考えはさておき事態は待ってはくれない。茶々丸とネギ達の間では一発触発の空気が流れ始めている。こりゃやべえとハジメは離れてくれと三人に言われたにも関わらず勢いよく三人の間に割って入った。

 

「待て待て待てぇい‼︎ オメエらちょいと待ちなぁ‼︎」

「ハジメさん⁉︎」 「ハジメ先輩⁉︎」

「分かったぜ……なあ茶々丸、オメエのしてることも分かんぜ、でもよお告白するんだったら自分でやらなきゃ意味がねえだろ。いくら噂に踊らせられてるっていってもよエヴァンなんとかが自分でやんなきゃ絶対後で後悔すんぜ」

「はい⁉︎ 告白⁉︎ ちょっとハジメ先輩⁉︎」

 

  明日菜が食ってかかろうとするが、テンションの上がったハジメは聞く耳持たない。

 

「アスナ、なんも言うな‼︎ 確かに御節介なのかもしんねえ、だがここは言ってやらねえと本人のためになんねえぜ、たとえ勘違いでも振られることになろうともなあ」

「いやあのハジメさん……そうじゃなくてですね」

「あん?」

「ハジメさんは勘違いしてます。別に私もマスターもネギ先生に告白しません」

「え……あぁ、そうなのか? じゃあいったい」

「下がってて下さいハジメさん」

「……ハイ」

「……どうぞネギ先生アスナさん。いいパートナーを見つけましたねネギ先生」

「えぇ……この空気でやるの?」

 

  ハジメのせいでなんとも言えない空気になってしまったが、それを茶々丸は気にした様子はなく変わらずネギ達二人を見ている。明日菜は一度自分の頬を叩いて気を入れ直し、ネギも杖を構える。パートナーという単語にハジメの脳は再びよくない考えを回すが、それが答えを出すより早くネギが動いた。

 

「行きます! 契約執行10秒間(シス メア バルス ベル デケム セタンダム)ネギの従者(ミニステル・ネギイ)『神楽坂明日菜』‼︎」

 

  力強いネギの宣言に続いて詠唱される呪文が響く。目には見えない不思議な力が蠢き、明日菜の身体がほのかに輝く。呆気にとられるハジメの目の前で明日菜は一陣の風になった。たった一歩踏み出しただけで茶々丸との距離を一息で詰める。迎撃しようと伸ばされた茶々丸の強靭な腕もなんでもないように叩き逸らした。想像以上に素早い明日菜の動きに意表を突かれた茶々丸は後ろに下がるが、それでも前に進み続ける明日菜に押され、殴るのは流石にと遠慮されて放たれるデコピンが茶々丸の頬を掠める。

 

「おい茶々丸!」

「来ないでハジメさん!」

 

  さらに詠唱を続け明日菜と茶々丸を追うネギと同じようにハジメも後を追うが、その歩みを茶々丸の言葉が鈍らせる。いったいどういうことなのかハジメには全く分からない。普通にネギが魔法を使い、超常的な闘いが繰り広げられる光景。それに加えて茶々丸が闘っているという事実が影を落とす。

 

  茶々丸はオーバーテクノロジーの生んだアンドロイドだ。途中から茶々丸と会ったハジメでも茶々丸の設計コンセプトはより人に身近な友達のような存在だと聡美から聞いていた。その茶々丸が闘っているという事実に納得できない。あまつさえその茶々丸が押され、同じく友人である二人に追い詰められている。

 

魔法の射手(セギタ・マギカ)連弾(セリエス)光の11矢(ルーキス)‼︎」

 

  ネギの周りに浮かんでいた魔力の結晶が合図を受け取り十一本の閃光を空間に刻みながら茶々丸へと向かっていく。眩しすぎる光の軌跡は内包する破壊力を存分に表していた。明日菜が離れ一人突っ立っている茶々丸のもとに光の矢は殺到し、それを茶々丸は諦めたようにただ眺めている。

 

「茶々丸ーーッ‼︎」

「ハジメさん⁉︎」 「ハジメ先輩⁉︎」

 

  だがそれを見て止まるハジメではない。鈍っていた足を勢いよく動かし大地を蹴ると茶々丸の前に躍り出た。大きく手を広げ、迫る破壊のエネルギーが茶々丸に行かないように立ちはだかる。

 

「ハジメさんどうして?」

「友達だろ? それになんだかわかんねえがよ、目の前の女の子一人助けられないようじゃ男じゃねえぜ」

 

  迫る矢の前でも不敵な笑みを浮かべてハジメは胸を張る。もう亡くなった父親から「人を守れる男になれ」とよく言われたが、そうでなかったとしてもハジメは前に出ただろう。茶々丸は友達との努力の結晶であり友達の一人、それが壊れる姿などどんな理由があろうとも見たくはない。

 

  目の前で広がる大きな背中を茶々丸はただ眺めていた。光を受けて照らされる頼もしい背中に茶々丸は何も思わない。そのはずだ、そのはずなのに天才二人が作り出した人工知能には解析不能のエラーが積み重なっていく。そのエラーの心地よさに蝕まれながら、最後の瞬間を誤差なく想い描いたのだが、

 

「やっ、やっぱりダメーーッ‼︎ 戻れ‼︎ うひゃーーん⁉︎」

 

  茶々丸の憂いた表情と割り込んだハジメの姿にネギはそう命令をすると、何の感情も持たない光の矢はその言葉を寸分の違いなく遂行し、自らを解き放った詠唱者の元へと降り注ぐ。

 

「ネギ!」「兄貴ーーッ‼︎」「お、おいネギ!」

 

  ぷすぷすと黒い煙を上げて目を回すネギの元に明日菜とハジメと白いオコジョが慌てて駆け寄り様子を見るが、大きな怪我は特にしていないらしい。その安堵もつかの間、少しの間様子を見ていた茶々丸が、足と背中に収納されていた小型ロケットに火をつけ飛び去っていってしまった。

 

「あ、あ〜〜逃げられちまった!兄貴魔法の盾で緩和できるからって今のは無茶っすよぉ!」

「で、でも茶々丸さんは僕の生徒だしやっぱり怪我させるわけには……それにハジメさんだって」

「お、オコジョが喋ってやがる……」

「もうあんたバカじゃないのーーっ! 保健室保健室ーーッ!」

「だったら俺が運ぶぜ、ただよおアスナ、ちゃんと今回の件話せよな」

「うっ……ハイ、ハジメ先輩」

「あとそこのオコジョ、オメエロボットか? だったらちょいと分解させて……」

「違ぁうーーーーッ⁉︎」

 

  ネギをおぶってハジメ達は保健室へと急ぐ。茶々丸が残した飛行機雲を眺めながら、なんとも面白くないことが起きてるらしいと背中に小さな重みを感じながらハジメは頭を痛めた。

 

 

 

 

 

 

 

「茶々丸ここにいたか」

「や♡」

 

  なんでもない昼下がり、カフェで黄昏ていた茶々丸のもとにマスターであるエヴァンジェリンと葉加瀬が訪ねてやってくる。言葉とは裏腹に二人ともそこまで探し回ってはいないようで、汗の一滴もかいていない。

 

「昨日の学園長(ジジイ)の話だがな、桜通りの件を感ずかれたようだ……釘を刺された。やはり次の満月までは派手には動けん。もっとも坊やが動けばこちらも対処するがな」

 

  そう言って茶々丸の対面の席に不敵な笑みを浮かべて座るエヴァンジェリンこそ噂の吸血鬼である。エヴァンジェリンがネギを狙っているのは、ハジメの言う告白などでは当然なく、ネギの血を狙ってのことだ。

 

  ネギの父親、最強の魔法使い『サウザンドマスター』にかけられた『登校地獄』というふざけた呪いを解くためにネギの血が大量に必要なのである。

 

  そのためにネギが正式に先生となり麻帆良から動かなくなった今を狙って前の満月の日に行動を起こしたのだが、明日菜の邪魔が入り失敗してしまった。子供となんら変わらない今では学園最強である学園長の言葉を無視することはできない。

 

  おかげでただなんとなく過ごした十五年と同じように次の満月まで過ごすしかないと自嘲気味に笑うエヴァンジェリンだが、話しかけても明後日を向く茶々丸に怪訝な顔を向けた。

 

「どうした茶々丸、昨日から様子がおかしいな、何かあったのか?」

 

  何かあったかと言われれば確かにあった。いつもと同じ放課後を過ごした最後に立ち会ったネギと偶然出会ったハジメ。自分の生徒だからと敵であるはずの自分への攻撃をやめたネギと、ロボットの自分でも危険な技の前で自分を守るために行動したハジメの姿がどうにも頭から消えない。メモリーに焼きついたかのようにその光景が常にフラッシュバックする。あの二人が何故あのような行動を取ったのか、友達というのはそれほど大事なものなのか、ここにはエヴァンジェリンがいて、自分を作った葉加瀬がいる。訪ねれば答えが出るかもしれないが、

 

「なにもありませんでした」

 

  茶々丸は隠すことにした。今まで隠しごとなどしたことがない茶々丸だったが、この言葉にできないものは自分だけのものにしたいと思った。それこそが我と呼ばれるもの、来たまま整備をしだした葉加瀬やマスターであるエヴァンジェリンの知らないところで新たな一歩を茶々丸は踏み出す。

 

「そうか? ならばいいが」

「なんの話してるんですか〜〜? 二人とも」

「ハカセには関係ないことだよ」

「ふーん……? あ、泥が詰まってる。もっと丁寧に動いてね茶々丸」

「申し訳ありませんハカセ……そういえばなのですがお二人にはサングラスの知り合いっていますでしょうか?」

「「は?」」

「グラサン……なかなか思慮深いことを言います」

「どうした茶々丸! お前やっぱり昨日何かあっただろ⁉︎」

「茶々丸が壊れた〜〜⁉︎」

 

  ハジメにはサングラスの知り合いがいる。茶々丸にまた一つ間違った知識が追加された。

 




だんだんとオリジナル要素を出したいですね。


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第5話 シークレットカクレンジャー

「は〜〜、つまりエヴァンジェリンのヤツは悪い魔法使いで吸血鬼でネギの親父に呪いをかけられてそれを解くためにネギの命っていうか血を狙ってると、しかも茶々丸がエヴァンジェリンの『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』って言うパートナーって奴でアスナもネギの『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』ってのになって今敵対してるって?」

「そうなんすよ〜〜ハジメの兄さん!」

「訳わかんねえな、オコジョの妖精とか言うオメエも訳わかんねえが」

「そんなこと言わねえでくださいよ、ネギの兄貴の友人だってえなら俺っちにとっても友人でさあ、アルベール・カモミール、気軽にカモって呼んでくだせえ」

「妖精かあ、なんかいよいよ現実離れしてきやがったな吸血鬼もそうだが、まさか鈴音の言ってたことが本当だとは……」

 

  保健室でネギの治療を終えた次の日、ハジメは女子中等部の寮、明日菜達の一室にいた。絶対入っては不味いだろうことは分かっていたが、流石にネギのことが心配だったのと、知られては不味い魔法に関わることであるため魔法のことを知っている明日菜の部屋以外に適当な場所が無かったのだ。

 

  そこで聞かされた話はハジメの予想の斜め上をそれは見事に飛んでいた。ただでさえ魔法のことがよく分かっていないことに加えて吸血鬼と来たものだ。そんなものが身近に存在しているなど今まで知らなかった。つまりハジメは吸血鬼の依頼を知らず知らずのうちに引き受けていたことになる。

 

  茶々丸がまさかそんなことをしているとはつゆとも知らなかったハジメは魔法や吸血鬼よりもそのことで頭を掻く。今までしてきた整備がまさかネギを捕らえるためのものだったとは信じたくはないが、真剣な表情のネギと明日菜を見るに嘘は無いのだろう。

 

「ただ悪いヤツが自分から悪い魔法使いですなんて言うか〜〜? なんか胡散臭えぜ」

「そうですよね……それに茶々丸さんもエヴァンジェリンさんも僕の生徒だし……」

「そうね〜〜、エヴァンジェリンも茶々丸さんも二年間私のクラスメイトだったし、本気で命を狙ったりとかまでするとは思えないんだけどなぁ」

 

  三人からすればこれが本音だ。エヴァンジェリンのことはよく知らないが、茶々丸のことはよく知っているハジメ。先生として生徒を信じたいネギ。言った通り二年間同じ教室で時を過ごした明日菜。それに何より昨日実は茶々丸の後を尾けていたネギと明日菜は茶々丸の優しさを見ている。川で流された猫を助け困っている老人に手を差し出す。そんな茶々丸が悪いものだとはとても言えそうにない。それでもカモに急かされハジメがいようとも茶々丸と対峙したが、やはり非情にはなれなかった。そんな三人に業を煮やし、危機感が足りないとカモは明日菜の部屋のテーブルに置かれたノートパソコンを叩く。

 

「兄貴も兄さんも姐さんも甘いっすよ! 見てください、俺が昨日まほネットで調べたんスけど」

「まほネット?」

「魔法使いのネットワークです兄さん!」

「魔法の世界にもネットワークがあんのか⁉︎ スゲエないったいどういった」

「今はそれはいいっスから見てくだせえ! あのエヴァンジェリンって女15年前までは魔法界で600万ドルの賞金首ですぜ! 確かに女、子供を殺ったって記録はねーが闇の世界でも恐れられる極悪人さ!」

「なんでそんなのがウチのクラスにいるのよ!」

「そいつはわかんねーけどよ……」

 

  明日菜の叫びが全てだろう。なんの変哲も無い日常生活の中で、隣を歩いていたのが指名手配されているテロリストでしたというような状況など信じられるはずもない。しかし、ノートパソコンのディスプレイに浮かぶ映像の人物の顔はネギと明日菜がいつも教室で見るエヴァンジェリンの顔で間違いなかった。

 

「とにかく奴らが今本気で来たらヤバイっす、姐さんや寮内の他のカタギの衆にまで迷惑がかかるかも……」

「えっマジ⁉︎」

「いくらなんでもそりゃねえんじゃねえか?」

「分かんねえじゃねえすか兄さん! とりあえず兄貴が今寮にいるのはマズイっすよ」

「うーん、そうね、今日は休みで人も多いし……」

「う……うわあ〜〜ん⁉︎」

「「ネギ⁉︎」」「兄貴⁉︎」

 

  ここまで相談していた三人を静かに見ていたネギだが、自分の両肩に伸し掛るプレッシャーに耐えられなくなり立ち上がる。顔を寄せて話し合っていたカモと明日菜は直前までそれに気がつかなかったが、ネギの隣にいたハジメはそれに気付いた。杖を手に窓から飛び出すネギに危ないと手を伸ばしなんとか杖の端を掴むも、魔法使いらしく空を飛ぶネギの魔法の力には勝てず、ハジメを伴い空へと飛び出す。

 

「うおおおおい⁉︎」

 

  あっという間に寮を後にし空へと上がっていく。ハジメの叫びは思いつめたネギには届いていないようで、高度がどんどん高くなる。ハジメが下を見れば、学園中で満開の桜から散る花びらと柔らかい暖色の屋根達が視界一杯に広がりとても美しい、別世界の風景をパノラマ写真として切り取ったかのようだ。自分の学び舎の雅な美しさに息をすることも忘れてしばらく眺めていたが、小さくなっていく景色と肌を撫ぜる風に自分が今空にいることを思い出し慌ててハジメはネギの方を見る。

 

「おいネギ!」

「……でもいつまでも逃げられるわけじゃないし、僕はどうしたらいいんだろう……」

「おい聞けって!」

 

  全く周りを気にせずに自分の世界に閉じこもるネギはただ空を飛ぶ速度を上げていく。学校たちはすでに遥か彼方で赤い屋根が見えるだけとなり、下には眩しい緑が広がっている。学園の裏山は広大な自然が生い茂り人気(ひとけ)はない。清々しい山の空気は美味しいが、それを楽しんでいる暇はなかった。腕一本でぶら下がるハジメの限界が近いのと、脅威が目の前に迫っているからだ。

 

「おいネギ前見ろ! ぶつかんぞ‼︎ 前前⁉︎」

「え⁉︎ ハジメさんなんで! ってうわあ⁉︎」

「だから言ったろぉぉぉぉ⁉︎」

 

  一本ひょろりと突き出した背の高い木に前を見ていなかったネギとハジメは弾かれ下へと落ちる。死を覚悟する二人だったが、運がいいのか直下に広がる川へと落っこちたおかげで怪我はなく、足が着くところまで力無く流れると二人は勢いよく立ち上がった。遠くに見える川に落ちる滝と青く生い茂る木々だけが視界を締め、普段学園で耳を塞いでも聞こえる人の喧騒は全く聞こえない。

 

「こ……ここはどこ?」

「ああなんかこんなこと最近もあったよな……空を飛べたのは嬉しいがこれはもう勘弁だぜ」

「あ……ハジメさん、ってあれ⁉︎ 僕の杖がない⁉︎ 大切な杖なのに、杖がなかったらほとんど魔法使えないし帰れなくなっちゃうよ〜〜っ‼︎」

「落ち着けよ、別に異世界に来たわけじゃねえんだから大丈夫だ、それに遭難した時は慌てちゃダメだぜ」

「ハジメさん〜〜! スミマセン僕のせいで……」

 

  先生の時の面影はなく、子供に戻ったネギの姿を見てしっかりしなければとハジメは気を入れ直す。しかしあたりを見ても目に映るのは自然の景色だけであり方角も分からず、腕を組み唸るハジメと項垂れているだけのネギではどうにもならない。

 

「どうしましょうハジメさん」

「どうするつってもなー、俺も裏山の方は詳しくねえし」

「じゃあやっぱり帰れないんでしょうか?」

「ああこら泣くな泣くな! 学園の敷地内だし大丈夫だろうさ」

「本当ですか?」

「多分な」

「うわ〜〜ん!」

 

  遠くではオオカミの遠吠えまで聞こえ始め、ネギが泣き喚くこの状況、いよいよ本気の遭難かと思われたが、木々を掻き分けてひょっこりと見知った顔が飛び出してきた。

 

「おや? 誰かと思えばネギ坊主とハジメ殿ではござらんか」

「長瀬さん⁉︎」 「長瀬⁉︎」

「どうしたでござるかこんなところで二人して」

「うわ〜〜ん! 助かりました〜〜!」

「マジで助かったぜ! なんでこんなとこにいんだ?」

「土日は寮を離れてここで修行してるでござるよ」

「修行ですか?」

「ちなみになんの修行かは秘密でござる♪」

「オメエその格好で秘密もクソもねえだろ……」

 

  現れた楓の服装は時代劇でしか見ないような忍装束(しのびしょうぞく)に違いなく、図書館島でのハジメとの手合わせの際に苦無(クナイ)を使っていたことから忍びの修行で間違いない。明らかに答えは出ているはずにも関わらず、飄々とした顔で楓は二人の怪訝な視線を受け流す。だがなんにせよ楓が二人の救世主である。

 

「それでいったいどうしたのでござる? こんな山奥で何を?」

 

  この質問にネギとハジメは困ってしまう。助けてくれるだろう楓だが話すわけにはいかない。大分参っているネギだが口を開くわけにはいかず、カモから掻い摘んだ概要しか聞かされていなかったとはいえ、ハジメも同じくネギの秘密に関することであるため話すことができなかった。それに空を飛んでここまで来たとも言えるわけがないだろう。春のまだ少し寒い陽気の中でずぶ濡れになりくしゃみをしだす二人を見かねて楓に連れられた川の畔の大きな岩の上で服を乾かしながら微妙な時間が流れたが、楓も「話たくなければいいでござるよ」と深く聞いてこなかったためネギたちは楽だった。しかし、それでこれまでの問題が解決するわけではない。思いつめた表情をするネギに、帰ろうではなく楓は一つの提案をする。

 

「ネギ坊主とハジメ殿、しばらく一緒に修行でもしてみるか?」

「え?」

 

  急な提案に逆に緊張感が解けたのかネギのお腹がかわいい音を立てた。

 

「ふふっ、ここでは自給自足が基本でござる、岩魚(いわな)でも取ってみるでござるか?」

「いいんじゃねえか? こういう時は身体動かした方がいいぜネギ」

「あ……はい」

 

  生返事ではあったが了承したネギとハジメを伴って楓は川辺まで二人を案内した。澄んだ水はキラキラと太陽の光を反射して、透明な世界の中を大きな魚がいくつも泳いでいる。

 

「ほらあのへん」

「うわーいっぱいいる」

「でっけーなあ! 綺麗な水の証拠だぜ!」

「岩魚は警戒心の強い魚で足音を立てると逃げちゃうでござる」

「へーじゃあどうやって?」

「これでござるよ」

 

  そう言って三本の苦無を取り出す楓。修行は秘密と言いながらやはり忍者であることを隠す気は無いらしい。漂う魚影に向かって苦無を投げれば、黒い閃光となり岩魚の柔らかそうな腹に見事突き刺さる。同時に投げられた残り二本の苦無も命中し、活きがよく苦無が刺さっても尻尾を動かす三匹の岩魚を苦無を持って持ち上げると柔らかな笑みを楓は浮かべる。普段と変わらぬ糸目ではあるもののどこか誇らしげに二人には見えた。

 

「はい三匹」

「うわあーーっ! すごいすごい僕にもやらせてください!」

「いやあー見事なもんだぜ! これは負けちゃいらんねえな!」

 

  楓のスゴ技を見せられやる気の上がったネギとハジメも「えいえい」と声を上げながら苦無を投げるのだが、今見せられた楓の苦無ようには全く飛んでくれない。手から離れたそばから重力に負けて地面へと向かい、ひどい時にはすっぽ抜けて足元に突き刺さってしまう。

 

「んーほれもっとこうしてポポーんと♡」

「そんなことできませんよ!」

「できるか⁉︎ だいたいなんで今回転したんだ? ぜってー無駄な動きだろ!」

「そこはサービスでござる♪」

「いやーでもすごいなーさすがは日本忍者です」

「なんの話でござるかな〜?」

 

  ネギとハジメを見かねた楓が手本とばかりに空中へ身軽に跳び回転しながら下で悠々と泳ぐ岩魚に向かい苦無を落とす。晴れ時々苦無、岩魚達には悲惨な一日だろう。これは俺たちは取れないのではないかという空気が流れ始めたが、男として年上として女子中学生にハジメは負けてはいられない。

 

「うおお! こうなったら手掴みで捕まえてやらあ! 田舎育ち舐めんなよ! 行くぞネギ、男として負けるわけにはいかねえ!」

「ええっ⁉︎ でもハジメさん足音を立てると逃げちゃうって!」

「そんなの知るか! 気合いでなんとかすんだよ気合いで!」

「ええええっ‼︎」

「ははははっ!」

 

  上着を脱ぎ捨てるとネギを強引に引っ張り川へとダイブするハジメ。予想通り大きな音にびっくりした岩魚達が蜘蛛の子を散らすように離れていくが、それをハジメは気合いで追う。少しの間呆気にとられ見つめていたネギもここまできたらと水飛沫を上げながらハジメと共に岩魚を追い、楓は笑ってそれを眺め続けた。

 

「あぁ……疲れたぜマジで」

「ハイ……でもなんとか一匹は取れましたよ!」

「いやいや見事、なかなか見てて楽しめたでござる」

「よく言うぜ、一人で何匹も捕まえてるくせによ」

「うーん、でもハジメ殿とネギ坊主達の方が楽しそうでござった。次は拙者も参加するでござるよ」

「言ったな! 手掴みじゃあ負けねえぜ!」

「ふふふっ、じゃあ次は山菜取りでござる」

「へーでも山菜取りなら僕にもできそうです」

「いやいや意外と難しいんだぜネギ」

「そうなんですか?」

「おうなんでも取りゃあいいってもんじゃねえんだ。中には毒があるやつとかいるからよ、そういうのはまず肌に擦り付けてヒリヒリしたら食えねえとかいろいろあんだぜ」

「ハジメ殿詳しいでござるな」

「小さい頃に一度ワライダケ食ってエレえ目にあったからよ」

 

  小さい頃に広島の野山を駆け巡っていたハジメの顔に似合わぬ豊富な知識にネギも楓も舌を捲くが、とにかく山菜取りは始まった。ネギもウェールズという比較的田舎の出身ではあるものの、鬱蒼(うっそう)と木々が生い茂る森の中は流石に歩いたことがなく、目当ての山菜もなかなか見つからない。

 

「なかなか見つからないですね」

「そういう時は16人に分身すれば16倍の速さで取れるでござるよ」

「うわああ〜〜〜〜っ‼︎」

「オメエ隠す気ねえだろぉ‼︎」

「ニンニン♪」

 

  宣言通り16人に増えた楓の尽力で山菜はすぐに集まり早めの昼食となった。必要最低限の調味料で味付けされた岩魚と山菜は自然の恵みを目一杯受け取り、肉厚の岩魚から溢れる肉汁と山菜の豊かな風味にここまでの疲れが吹っ飛んでいく。だがそれを受けてもネギの悩みは消えないようで、チラチラと楓とハジメの方を見ながら何やら考え事をしている様子だ。見かねたハジメは昼御飯を食べ終えるとネギの頭に軽く手を乗せ注意を引いた。

 

「おっしゃ次行こうぜ長瀬! まだ終わりじゃねえんだろ?」

「うむ、午後の授業は夕御飯の食材探しナリよ」

「えーーっ、また食材集めですか⁉︎」

「山での修行は食材集めが主でござる」

「よしネギ! 午後は俺らも頑張ろうぜ! 昼間の挽回だ!」

「うっ……ハイ! 行きましょう!」

 

  かくして午後の食材集めが始まったのだが、ネギがやる気を出したのは良かったのか悪かったのか、朝よりも壮絶な道を楓はわざと選ぶように歩いていく。美味しいキノコがあると切り立った崖を登り、ハチミツが取れると熊の巣へと突貫する。その激しさにネギは悩んでいることなどすっかり忘れ、午後の最後の魚取りでは三人仲良く岩魚の影を追った。

 

「うひゃーー疲れたーー、汗と汚れでドロドロですよーー」

「おう、ただたまにはこういうのも悪かねえぜ」

「ふふふっ、そうですね!」

「フロにでも入るかネギ坊主」

「え、こんな山奥で⁉︎」

「あいあい♡」

 

  五右衛門風呂、石川五右衛門が釜茹での刑に処されたという俗説から名付けられた古くからある風呂の一種である。かまどの上に鉄釜を置き、直接下から火を炊いて沸かすという構造上比較的誰にでも作ることができ、楓の用意したものは焚き火の上にドラム缶を置いたものであったが、山奥ではそれで十分だった。風呂には年齢順で入るということでまずネギから入り、こういったことに意外と手慣れているハジメが竹筒片手に息を吹き火の調節をする。あたりはすっかり暗くなり、焚き火の暖かな光が辺りを照らしネギも気持ちよさそうに顔をふやけさせた。

 

「よおどうだよ湯加減は、こんなもんか?」

「ハイとても気持ちいいです。露天風呂ですね〜〜」

「……よかった、元気になったようでござるな」

「全くだぜ」

「え……」

「ネギ坊主新学期に入ってからずっと落ち込んでたでござろう? ようやく笑顔を見せたでござる」

「あ……」

 

  いつもと変わらぬ優しい楓の笑みがネギに向けられ、炎の赤で化粧を施された楓の表情にネギは見惚れ固まってしまうが、

 

「ほいでは、拙者もフロに入らせて貰おうかな」

 

  服を脱いで放たれた楓の一言で台無しになってしまった。

 

「え⁉︎」「はあ⁉︎」

「いや僕出ますから⁉︎」

「まあまあ」

「まあまあじゃねえ⁉︎ 俺もいんだぞ! なに何食わぬ顔で急に服脱いでんだよ⁉︎」

「そうですよ⁉︎ それにここせまいんですから!」

「それは関係あんのか?」

「はははっ、良いではないか〜〜それにもう肌なら一度見せ合ってるし今更でござろう」

「あう〜〜っ」

「入っちまいやがった……俺はもう知らねえぞ」

「ハジメ殿も一緒に入るでござるか?」

「誰が入るか⁉︎ この淫乱くノ一⁉︎」

「ひどいでござる〜〜」

 

  ドラム缶は長瀬には丁度良い大きさのようで、淵に肘を掛けてゆったりと入れるらしい。楓の足の間になんとかまだ小さいネギはすっぽりと収まった。楓が入ったことで僅かに湯の温度が下がり、仕方がないとハジメは再び焚き火に薪を足した。

 

「全く……乙女の恥じらいって奴はねえのか」

「ん〜〜聞こえないでござるな〜〜、いーー湯でござる。なあネギ坊主」

 

  恥ずかしいのか縮こまっていたネギだったが、湯の熱に当てられたのか赤くした顔で俯くと楓の問いに答えるわけでもなく小さく口を開く。

 

「……でもスゴイなー、長瀬さんはまだ中3なのに……」

「……胸がでござるか?」

「オメエな……」

「ち、ちがいます⁉︎……まだ14歳なのにそんなに落ち着いて頼りになるし……尊敬です」

「ハハハ それを言ったらネギ坊主だって10歳で先生を頑張ってるでござらんか」

「いえ、そんな僕なんか全然ダメ先生ですよ、今日だって故郷に逃げ帰ろうと思ったくらいで……ハジメさんにも迷惑掛けちゃうし……はあ、情けないです」

「なんだよネギそんなこと気にしてたのか?」

「……思うにネギ先生は今までなんでも上手くやってこれたけど……ここに来てはじめて壁にぶつかったでござるな。どうしていいか分からず戸惑っているのでござろう?」

「そ、その通りです!」

 

  驚くネギを楓は優しく抱き寄せた。楓の中学生離れした大きな胸が背にあたり、ネギの口は閉ざされる。

 

「ははは ネギ坊主はまだ10歳なのだからそんな壁の一つや二つ当然でござるよ、例え逃げ出したとしても情けなくなんかないでござる」

「で、でも」

「……安心するでござるよ、辛くなった時はまたここに来ればお風呂くらいには入れてあげるでござるから、今日はゆっくり休んでそれからまた考えるでござるよ……」

「……長瀬さん……」

「長瀬オメエ顔に似合わずいいこと言うな、痴女だけど」

「ひどいでござる〜〜」

 

  満天の星空の下で湯に浸かり芯まであったまって火照った身体が夜の肌寒い空気に冷まされるのと同じく、風呂から上がりテントの中で寝転がるネギの頭は覚めていく。楓とハジメはさっさと眠ってしまいハジメのイビキをBGMにしながらネギは心の中で楓に言われたことの自問自答を繰り返した。

 

(僕は魔法学校をいい成績で卒業してなんでもできるっていい気になってたんだ。それなのにいざ自分にどうしようもならない状況が起きたらアワアワ慌てて逃げることばかり考えてた。魔法のことなんてなにも知らないアスナさんが立ち向かって……ハジメさんも見知らぬ脅威の前に立てるのに……僕は立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるなんてあんなにエラそうに言ってたのに……僕は……僕は……)

 

  ぎゅっと手を握り、ネギは決意を新たに眠りに落ちる。それでも昂ぶった気に押されて次の日の朝は随分と早起きしてしまった。まだ日が昇り切っていない早朝の川辺の岩の上で、昨日とは打って変わって男の顔になったネギが手を組み願えば、どこかへ無くなったはずの杖が一人でにネギの手元へと走ってくる。それを手にするネギの顔は影のない晴れやかなものだった。その様子をテントの中からハジメと楓の二人は笑顔を携え眺めている。

 

「ようやっと元に戻ったみてえだな、くよくよしてるのなんて男らしくねえしあんな顔小せえ子供がするもんじゃねえからよ」

「でもよかったでござるか? 拙者が発破をかけなくてもハジメ殿が男同士面と向かえばそれでことが済んだと思うでござるが」

 

  楓の疑問は最もだが、イヤとハジメは小さく首を横に振る。

 

「それじゃあダメだろ。エヴァンジェリンのヤツはネギの生徒なんだろ? だったらそれはネギのクラスの問題で部外者の俺が関わることじゃねえよ、長瀬はネギの生徒だしなに言ってもいいと思うけどさ、なんにせよこれはあいつが決めなきゃ意味ねえだろ。周りがとやかく言ってやれ倒せなんて言ってそれで勝ったとしても意味がねえ、喧嘩ってのは自分たちでやんなきゃあよ」

「喧嘩でござるか? 随分と盛大な喧嘩でござるな」

「俺の話聞いて驚かねえってことはオメエやっぱり知ってたな? なんか怪しいと思ってたんだ、やたら忍者の技見せるしよお」

「ははは、一応内緒で頼むでござる」

「また内緒か……最近内緒が増えて困るぜ」

「ネギ坊主が魔法使いということとか?」

「オメエそこまで知ってんのか……イヤよく考えりゃ俺とネギが落っこちてからやけに都合よく現れたもんな、ネギが飛んでたの見てたな」

「さーーてなんのことやら」

 

  とぼける楓に面倒くせえヤツとハジメは口を尖らせる。そのハジメを楓は面白そうに眺めていたが、ハジメはそれに特に何も返さず思い立ったかのように伸びを一回すると立ち上がった。ハジメはハジメで何処か清々しい表情をしており、彼は彼で迷いが吹っ切れたらしい。

 

「行くでござるか?」

「おう、エヴァンジェリンとの喧嘩はネギに任せるがよ、俺は俺でやらなきゃいけねえことがあんだ。ネギには悪いが一人生徒を譲って貰わなきゃなんねえ」

「部外者は手を出さないんじゃなかったでござるか?」

「ったく揚げ足とんなよなー、そいつに関しちゃ俺は部外者じゃねえからいいんだよ。じゃあな長瀬世話んなったぜ、この借りは返すからよ、なんかあったら言ってくれ」

「うむ、忍びの借りは大きいでござるよ♪」

「そりゃ大変そうだな」

 

  寝転がったままの楓を後にハジメはテントから出ると杖をしっかりと握るネギの前にとやってくる。ネギもすぐにハジメに気がつき、昨日とは違う気持ちのいい笑顔でハジメを出向かえた。それを受けてハジメもまたいい笑顔で返す。

 

「おはようございますハジメさん! 昨日はゴメンナサイ、迷惑お掛けしました」

「別にいいさ、オメエと初めて会った日に言っただろ、なんでも俺に言え頼っていいってよ!」

「ハイ!」

「その顔見た感じじゃ覚悟は決まったんだな」

「ハイ、エヴァンジェリンさんは吸血鬼で悪い魔法使いの前に僕の生徒です。逃げてばかりじゃなくこちらからぶつかって行きますよ!」

「そうか……」

 

  ネギの言葉がハジメの心の深くに響く。自分からぶつかっていく、ハジメもそれをしなければならない。今まで整備こそすれ茶々丸のことをよく知ろうとはハジメはしなかった。その結果が先日のあれだ。別にハジメが悪いわけではないし、茶々丸だって悪いわけではない。もしハジメがネギと知り合わなければ知りえなかった事柄だからだ。それでも普通の道とは違う道への一歩をハジメは踏み出してしまった。自分が友人だと思っている相手が間違ったことをしているのならそれを正さなければ自分で自分を許せない。茶々丸の性格は分かっている。心を持った少女であるがロボットでもある茶々丸がマスターと呼ぶエヴァンジェリンの命に逆らったことは一度としてない。ならば今回ネギを狙うこともハジメや鈴音、葉加瀬が言っても止まらないだろう。だがだからと言ってそれをただ見ていることなどハジメには出来そうもなかった。ならばやるべきことはただ一つだ。

 

「なあネギ、悪いんだがよ、一人譲ってくれねえか?」

「譲るですか? いったい……」

「エヴァンジェリンとやる時はよお茶々丸も来るんだろ?」

「茶々丸さんはエヴァンジェリンさんのパートナーですから必ず来るとは思いますが」

「ならいいんだ、譲ってもらうぜ」

「え?」

「茶々丸とは俺がやる」

「ええっ⁉︎ あぶないですよ! そうならないように僕がやろうと……」

「今まで黙ってたけどさ、実は茶々丸の整備俺がやってんだ」

「え、それって……」

「おう、つまりネギを捕まえる手助けを俺はしちまってたってことでさ」

「でもそれは!」

「ああ知らなかったとはいえ俺の方こそ悪かったな、ただ別にだからってわけじゃねえ、ネギ、オメエはエヴァンジェリンとの喧嘩をきっちりつけろよ、その間茶々丸との喧嘩は俺がきっちりつける!」

「ハジメさん……」

「だから茶々丸とは俺がやる!」

 

  ハジメの決意の顔を見てネギは何も言えなかったが、何も思わなかったわけではない。自分で決めたことは誰が何を言おうとも絶対に変わらない。ネギがそうであるのだがら、ハジメもそうであるとネギには分かる。昇る朝日の中で、無意識に伸びるハジメの手をネギはしっかり握り返した。



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第6話 ガッツだぜ‼︎

  振り下ろされる竹刀を避けることもなくハジメはその身に何発もの打撃を受けても前へと歩みを進める。綺麗に面と小手に竹刀を叩き込まれるが、それで試合が終わるわけではない。今ハジメがやっているのは剣道ではなく剣術なのだ。竹刀を絞るように両手に力を加え、横薙ぎに強く振り抜けば、相手は分かっていたように竹刀で受けるも威力を殺しきれずに受けた体勢のまま横へと吹っ飛んだ。しかしそのまま剣道場の壁に激突することはなく、勢いを殺さずにふわりと一回転しその場に足を下ろす。

 

  ハジメの一撃に多少の痺れを腕に感じ、ハジメの相手もそれで本気になったらしい。静かに構えられた竹刀からは止め処なく剣気が溢れ出し、ピタリとハジメの目の前に差し出される。しかしそれを受けようともハジメは後退の一歩を踏みはしない。左後ろに竹刀を構えると、相手に向けて頭を垂れ、地面に顔を付ける程に姿勢を倒す。

 

  ハジメの居合の型を受けてハジメの相手は僅かに動きを止めたが、しかしすぐに竹刀を上段に振り被った。剣道場で動き回る他の部員の竹刀の音と息遣いも二人には聞こえず、二人の間に静寂が流れるがそれもすぐに破られた。

 

  待つだけではない。ハジメが左足を強く踏み出し放つ竹刀に合わせて、相手の竹刀もハジメの元へ落とされる。竹刀を砕かない範疇で振られた今ハジメが放てる最高の一撃ではあったが、ハジメの大きくしなる竹刀にかち合った相手の竹刀がハジメの竹刀を叩き割り、見事面の防具まで叩き割った。

 

「イッテぇぇぇぇ⁉︎ 普通ここまでするかよ⁉︎」

「本気でやらなければ意味がありません。何より痛くなければ覚えないでしょう」

 

  ハジメの相手、桜咲刹那は姿勢のいい正座でその場に座り面を取り外しながらそう言うと竹刀を置いて一息付いた。

 

「それにしてもどうしたのですか? 前に顔を出してから連日剣道部に顔を出すとは、急に剣に目覚めたわけではないでしょうがいつもより気が入っていますし」

「ん〜〜、いやちょっとな少し感を取り戻そうとよ」

「それはいいのですが、毎日毎日同じ技ばかり……他に技はないのですか?」

「しょうがねえだろ! 俺はアレしか知らねんだよ!」

「もっと真面目に剣術を習えばいいじゃないですか」

「俺の師匠がいるのは広島だぜ? まさか通えってのか?」

「……そういえばそうでした。ハジメさん標準語しか話しませんから忘れていましたよ」

「オメエだって京都出身の割に標準語しか話さねえじゃねえか、それに俺だって話そうと思えば広島弁話せるぜ」

「そうなんですか?」

「おうよ、なんなら今話してやろうか?」

「いえいいです」

「……なんだよマジで」

 

  茶々丸と喧嘩をすることに決めたハジメはここ最近剣道部に入り浸っていた。ネギがエヴァンジェリンと喧嘩をする時は必ず呼ぶように携帯の番号も教えたのだが、未だにそれに電話が掛かって来たことはない。ハジメとネギが裏山に落ちた次の日にはネギが意気揚々と果し状まで書いていたにも関わらず連絡がないあたりまた何かトラブルに見舞われているらしかったが、そのおかげで身体を慣らす時間が出来たとハジメからすればいい時間だ。

 

  鼻を刺す汗とカビの匂いに塗れた剣道場で思う存分技を磨くハジメだったが、これが進歩しているかどうかは別の話だ。何故か剣道部に顔を出せば相手をするのは刹那か葛葉先生だけであり、顧問である葛葉先生は他の部員の面倒も見なければいけないため基本相手は刹那がしてくれる。そのせいで毎回負けが続き、いい状態なのかさっぱり進歩がないのかいまいち分からない。

 

「刹那よお、相手してくれるのは嬉しいぜ? ただオメエ他のやつとはやんねえのか? 俺の相手ばかりでよお」

「私は剣道家ではなく剣術家ですから同じ剣術家であるハジメさんとの手合わせの方がタメになるんですよ、それにハジメさんだってそうじゃないんですか?」

「そりゃそうだが……せめて他の女子部員とくらいはやれよ、友達いねえのか?」

「別にいてもいなくてもどちらでもいいでしょう。それに他の方だとレベルに差がありすぎて私の相手になりません。ハジメさんだってあの技は他の部員に振れないでしょう?」

 

  刹那の言う通りであった。実際剣道部の部員もピンからキリまでいるのだが、その中で一番の刹那とは全員かなり実力に開きがあり、唯一闘いの形式に辛うじてなるのはハジメくらいである。さらにハジメの方も剣道部に入り数日して唯一の居合の技を振るったのだが、刹那のように受け流されることもなく受けた部員は壁に打ちあたり気絶してしまったせいで相手をしてくれる部員がおらず、剣道部の中で手を出してはいけない二人といつの間にか呼ばれるようになってしまった。

 

「……まあそれはそうかもしれねえが友達は作った方がいいぜ?」

「友達ならいますよ、龍宮さんに長瀬さんとか」

「なんだよ長瀬と友達なのか? あいつ面倒見よさそうだしな」

「どういう意味ですか?」

「いや別に……(にら)むな怖えよ」

「はあ……まあいいです。それでいったいどういった理由で鍛え直しているのですか? 感を戻すといっても何かわけがあるのでしょう?」

「いやちょっとそのよお、喧嘩っていうかな」

「喧嘩? ハジメさんが本気にならなければならないような相手なんですか?」

「まあな、それでも勝てるか怪しいがよ」

 

  そっぽを向いて相手は言わずぼかすハジメに刹那は厳しい目を向ける。喧嘩に剣術を使うとはといったものでは当然ない、そんなことは本人の勝手だ。まだ少し痺れた腕を摩りながら刹那は最悪の事態を想定する。京都神鳴流『斬鉄剣』、それが今さっきハジメに放った刹那の技の名称である。本来のものから格段に威力を落としてはいるものの、ハジメの居合に打ち合わせるには京都神鳴流の技を使うしかない程にハジメの一撃は鋭く重い。それを幾度となく受けている刹那には一般人ではハジメの相手をするには厳しいことがよく分かる。

 

  京都神鳴流は魔法使いとは違うものの同じく魔の道を歩む者である。京都神鳴流の活動のために表向きで道場の経営や演舞もやってはいるが、刹那は表向きの方ではなく裏に属する本物の退魔師だ。その刹那から見てハジメが勝てないかもしれないという相手となると裏の世界の住人の可能性が高い。表でも古菲や楓といった実力者はいるが、あの二人が好青年であるハジメと喧嘩をしている光景をそこまで二人と親しくはない刹那でもイメージできない。

 

  そうなると困ったことになったと人知れず汗を流す。刹那が麻帆良に入学したのは、何を隠そう刹那が所属する関西呪術協会の長の一人娘である木乃香の護衛といった面が大きい。その木乃香は京都神鳴流の裏の事情や魔法について何も知らずに過ごしているのだが、比較的仲のいいハジメがそっちへ足を突っ込めば芋ずる式に木乃香が知ってもおかしくない。ただでさえネギと魔法について知ってしまった明日菜と同室である木乃香がいつ知ってもおかしくない状況だということを学園長から聞いているとはいえ、出来れば木乃香には普通に生活して貰いたいと考える刹那は、少しハジメに突っ込むことにした。

 

「分かりませんね、それはまさか魔法使いのような奇術を使うような相手だとでも言うのですか?」

「ま、魔法使い? 何言ってんだよ、そんなことあるわけねえだろう〜〜、全く刹那も案外女の子なんだなあははは」

「……まさか本当に?」

「いやちげえよ⁉︎ なんていうか俺の相手はロボというか」

「ロボ? ああそう言えばハジメさんロボット工学研究会にも籍を置いていましたね、何かの実験ですか?」

「そう! そうなんだよ全く鈴音のやつにも参っちまうよな〜〜」

「……紛らわしい」

「なんか言ったか?」

「いえなにも」

 

  もし相手が魔法使いならばハジメを切らなくてはいけないかもしれないという刹那の想いを知らぬところでハジメは回避する。実際ハジメが闘うと決めている相手は茶々丸であるが、そのマスターである魔法使いはセットであるため結局魔法使いとも闘うようなものであるのだが、それはまだ刹那の知るところではない。刹那が知っているのは近々エヴァンジェリンとネギが闘うといったことだけだ。

 

「それにしてもロボと闘うとはなんのメリットがあるのでしょうか? わけが分かりませんね」

「それはほら駆動系の確認とかいろいろあんのさ」

「そうなのですか?」

「なんなら今度研究室に来てみるか? 意外と面白いと思うぜ明日菜やネギと木乃香も連れてよ」

「お嬢様も?」

「おう、オメエ木乃香と幼馴染なんだろ? だったらいいじゃねえか」

「いえそれは」

 

  よくない。本当だったら行きたいが、それは良くないことだ。小さい頃ならいざ知らず刹那は裏の事情に今は精通し過ぎている。どこでボロが出るか分からない。麻帆良に来る前に長から直々に木乃香を頼むと頼まれたのだ。その自分が率先して木乃香が危険になるかもしれない道を歩むことはできないと静かに顔を横に振った。

 

「嬉しい申し出ですがお断りさせて下さい。私は剣道部が忙しいので」

「そうか〜〜? だいたい俺がいるときは俺が相手するがよおオメエ一人の時はなにしてんだよ」

「主に自主練ですね、後は刀子さんに手合わせして貰ってます」

「全く忙しいように聞こえねえんだが……」

「私にとっては大切なことです」

「そうかよ」

 

  凛と済ます刹那の顔を見ながらハジメは頭の後ろで手を組んで唸る。刹那はハジメの知り合いの中でも一段と扱い辛い。よく知っている葉加瀬や鈴音、明日菜や木乃香はノリがよく明るい少女たちで気を使わなくていいし、新しく知り合ったバカレンジャーの明日菜を除いた四人とも元気な少女たちですぐに仲良くなれた。ただ葉加瀬や鈴音と同じくらい長い付き合いだというのに刹那だけはどうも幾つも壁があるようにハジメは思う。

 

  常に済ました顔で竹刀を振るい、表情が崩れることがない。剣道部にいる時だけそうであるならまだ分かるのだが、道ですれ違って挨拶をしても軽く会釈をするだけで全くニコリともしない。一年の付き合いになるが、ハジメは刹那の笑顔を見たことがなかった。ハジメの中で元気な少女たちから何歩も後ろに離れただ静かに佇むような刹那にどうしてみ気にかかる。ハジメのどうしようもない御節介な部分が刹那を無視することを許さない。

 

「じゃあオメエ休日とかはどうしてんだよ」

「主に自主練ですね」

「修行しかしてねえじゃねえか⁉︎ 悪いとは言わねえが休憩だって鍛錬のうちだろう?」

「別に一日中剣を振るっているわけではないですよ、ちゃんと休憩もしています」

「いやそういうことじゃなくてさ、女の子らしく甘いもの食べてえとか服を買いてえとかよお」

「ないですね、服も道着と制服があれば足りますし」

「なんか疲れねえかそれ」

「疲れる? そんなことありません」

「そうか〜〜?」

 

  確かに刹那は普段無理をしているようには見えないが、気を抜いているようにも見えない。いったい刹那がなにをもってそのように振舞っているのかハジメに思い当たる節はないが、ネギからの連絡もないしたまにはいいだろうと竹刀を片付け始める。

 

「今日はもう上がりですか?」

「おう、ずっとやってても疲れるだけだし打たれた身体が痛えしよ」

「そうですか……では」

「ああ待てよ、折角だしオメエも休憩がてらメシでも食いにいかねえか? 鈴音のやつに超包子の割引券貰ってよ」

「……私もですか?」

「たまにゃあいいだろ? 俺があらしさん以外の女性をメシに誘うなんて滅多にないんだぜ? 自慢していいぜ」

「意味が分かりません、私が行く理由もないですし私がいない方がハジメさんも羽が伸ばせるでしょう」

「そう言うなって、メシは誰かと一緒に食わなきゃよ! ホラ行こうぜ!」

「ああちょっと! ハジメさん!」

 

  全く動こうとしない刹那の腕を仕方ねえなと掴み強引に剣道場から連れ出した。部活中に抜け出していいのかということもあるが、遠くでハジメと刹那のやり取りを見ていた葛葉先生が笑顔なのを見るにOKらしい。

 

  放課後の帰宅しようと疎らに歩いている生徒たちの中で道着の二人が歩いているというのは目を引くようで、あまり注目を集めることに慣れていない刹那は気分が良くないと自分の腕を掴むハジメの手を引き剥がすと一人でハジメの隣を歩く。道着では目立ちすぎると言う刹那の提案に乗って、更衣室に寄って二人は制服に着替えた。

 

「全く、今回は貸しですよ」

「最近借金が多くて困るぜ」

「なんですかそれは……はあ、どうして貴方は私に気をかけるのですか? 放っておけばいいでしょう」

「毎回ボコスカ叩いておいて気にすんなとか無理があんだろ! それによおどうも一人でポツンとしてるやつ見ると放っておけねえんだ」

「正義感を示したいのですか? それなら別に……」

「そんな大層なもんじゃねえよ、ただ怖えんだよ俺が」

「怖い?」

「そこにいるって分かってんのにいつの間にか消えちまいそうでさ」

「……意味が分かりません」

「ははは、だろうな!」

 

  毎夏会えると分かっているハジメの想い人は夏が終れば消えてしまう。確かにその人との思い出はあり、手のぬくもりも覚えているのに夢だったように幻だったように影さえそこには残らない。それがどうしても怖いのだ。幽霊が現れるよりも消える方が怖い。次にもし現れなければそれが永遠の別れになるかもしれないから。それが見たくないから、木造の校舎で一人佇んでいたあらしと同じように一人でいる少女からハジメはどうしても目が離せなかった。

 

  学校たちの中心地店に広がる広場に出れば、その一角に大変人が集まり賑わっている。使われなくなった路面電車を改装した屋台、前面に向いた電車の側面上部には超包子と大きく描かれた楕円の可愛らしい看板が付いている。

 

  厨房では古菲と鈴音、四葉五月(よつばさつき)が忙しなく動き回っており、その繁盛振りを伺うことができた。ただまだ夕飯時でないためかいつもより客の数が少なく、注文する列に並んだハジメと刹那の番は意外と早く回ってきた。

 

「よお繁盛してるみてえだな」

「いらしゃいネハジメ!」

「あれハジメアル、いったいどうしたアルか?」

「どうしたもこうしたもメシ食いに来た以外あるわけねえだろ……ホラよ鈴音、貰ってた割引券の有効期限もそろそろだし使っちまわねえとよ」

「それはいいが刹那サンもカ?」

「おうたまにはメシでもいいだろうってな」

「わあデート、デートアル!」

「はあ……違いますよ古菲さん、私は無理矢理付き合わされてるだけです」

「ズルイヨハジメ! 私一回も御飯誘われたことないネ!」

「誘うも何もオメエは定員だろうが!」

「そういうことじゃないネ! それにお店だたらうち以外にも他にあるヨ! だいたいあらしさん一筋ていうのはウソだったカ⁉︎」

「んなわきゃねえだろうが! オメエあらしさん舐めてんのか⁉︎」

 

  割引券を渡したのはいいものの全く注文が進まないことを見かねた五月の鋭い視線がハジメたちの方へ飛ぶ。経営は鈴音がやっていはするが、厨房での絶対的支配者は五月に他ならない。「うっ……」っとハジメは息を呑むと、五月に謝りすぐに注文を済ませてしまう。

 

「ワリイ四葉、いつも通りオススメを頼むぜ」

「はあ……ハジメさん何をやっているんですか、四葉さん私も同じもので構いません」

 

  注文を受ければ相手は客である。つり上がっていた目が柔らかな弧を描くと、古菲が席へと案内してくれた。何故かハジメたちは二人であるのに通されたのは四人席。

 

「ん? オイいいのかよ古菲四人席で」

「もうすぐ私と超は休憩アルから一緒に食べるアル」

「俺はそれでもいいが刹那はどうすんだ、いいのか?」

「別に構いませんよ、クラスメイトですし」

「ははは、折角だしこれを機に刹那と仲良くなるアルよ!」

「ほおそりゃいいじゃねえかなあ刹那?」

「……そうですね」

「それにハジメにも色々と聞きたいアル、超がムキになるのなんて珍しいからネ!」

「いやそれは知らねえよ」

 

  顔を顰めるハジメだったが、古菲は気にせず高笑いしながら去っていく。何を考えているのか分かったものではないがロクでもないことに違いなかった。

 

「ハジメさんは超さんや古菲さんと仲がいいんですね」

「まあ鈴音のやつには一番世話んなってるしな、古菲とは最近知り合ったばかりだけど」

 

  顔に似合わず女性の交友関係の広いハジメに刹那は怪訝な顔になった。ハジメが女誑しや女好きの類の男ではないことは刹那も知っているが、少しハジメと仲のいい木乃香のことが心配になったのと、一ついつも気になることがあるからだ。

 

「そうですか……それよりずっと気になっていたのですがハジメさんがよく言うあらしさんとはどんな方なんですか? 同じ学校の方なんでしょうか?」

「ああいやそういうわけじゃねえんだけど……なんだよ刹那あらしさんのことが気になんのか?」

「……ええまあそうですね」

「なんだオメエ可愛いとこあんじゃねえか! 俺にあらしさんのことを語らせると長いぜ‼︎」

 

  この時刹那は自分は間違った選択肢を選んだと悟った。

 

「あらしさんはなあ、綺麗で強くて器量もいい最高の女性だぜ‼︎ ただ校舎の中に佇むだけで絵になる美貌、あらしさんの友人が銀幕の中の登場人物とまで評したほどよ!立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹歩く姿は百合の花なんつう言葉はあらしさんのためにあるようなもんだぜ、俺とあらしさんのラブストーリーを語るにゃあ一時間や二時間じゃ足りやしねえ」

「はあ……そうですか」

「そう出会いはいつになっても忘れねえ歩くのも億劫になるほどの茹だるような暑い夏の日だった。その日俺はなあ横浜の爺ちゃん家へ向かうために横浜に降り立ったんだが」

「はあ……そうですか……」

 

  語り出したハジメの口は止まることを知らず、あらしの素晴らしさを高らかに謳い上げる。あらしのことがそこまで興味のない刹那からすればどうだっていい話を延々と聞かされる今は拷問に近く、これでは素振りをしていた方がマシだと俯きため息を吐く。それに気づかずハジメの話は古菲と鈴音がハジメたちが頼んでいた料理を持って来て席に着くまで続くこととなった。

 

「ハジメ楽しそうネ、なんの話アルか?」

「おう古菲、刹那があらしさんのこと聞きてえって言うもんだからよ、話してやってたんだ」

「ハジメのあらしさん談義は拷問に近いからネ、刹那サンご愁傷様ヨ」

「ということは超さんは聞いたことがあるんですか」

「私の時は止める人がいなかたから最後まで聞くはめなたヨ」

「なんでえオメエら聞きてえって言うから話してやったってのによお」

「ならもう少し簡潔に話すネ」

「あらしさんは俺が唯一惚れた女だぜ‼︎」

「おお! ハジメの想い人ネ! ワタシは少し聞きたいアル」

「古菲オメエ話分かんじゃねえか!」

「いえもう十分です」

 

  疲れた顔の刹那と聞き飽きている鈴音が止めたことによってようやくハジメの話が終わる。やれやれと鈴音は口を尖らせるハジメの方を楽しそうに向くと仕返しとばかりに話を切り出す。

 

「全くそんなんだからハジメの発明はイマイチヨ」

「そうアルか?」

「事務処理も楽々永久判子押しや置けば勝手に箸が揃う箸置きだとかどこか外してるネ」

「それは使い道なさそうなものばかりですね」

「何言ってんだよ! どれもきっといつか役に立つぜ!」

「そのいつかは多分来ないネ」

「ははは、そうアルな! ワタシにもそれは分かるヨ!」

「うるせえ!」

「ふふっ……いつか来るといいですね」

「なんだよ刹那まで笑うなよなあ」

 

  軽く微笑むように笑う刹那の顔をハジメは見逃さない。やはり刹那に必要なのは友達だとハジメは思う。そのためにならもう少し笑い者になってもいいかと考えていたが、その時間はもう無いらしかった。なんの前触れも無しに学園全体を闇が包む。小さな悲鳴が所々から上がり、広場に灯る光は超包子の屋台の光のみ。

 

「なにアルか⁉︎」

「これは……ですが何故……」

「オイまさか聡美のやつがまたなにか失敗したんじゃ……」

「今回はきと違うヨ、研究室のある大学以外も停電してるネ、発電所でも吹っ飛んだカ?」

「やめろよ縁起でもねえ」

「冗談ヨ、今日は学園が一斉停電の日ネ、ハジメ忘れたカ? ただ呼び掛けも無しに消えたのはちょとおかしいネ」

「でも真っ暗で嫌アルな、超包子は自家発電だからまだ明るいのが救いネ」

「ん? どうしたよ刹那そんなソワソワしてよ」

「いえなんでも無いです」

「あ、まさか刹那サン暗いの苦手カ?」

「なんだそうなのかよ、まあオメエにも苦手なものがあんだろうし」

「違います……失礼」

 

  訂正の言葉を挟み、急に鳴り出した刹那の携帯に迷うことなく出ると、一言二言話しらだけですぐに電話を切ってしまう。電話を終えると何を言うわけでもなく、刹那は席を立つとハジメ達三人の方を向いて軽く会釈した。

 

「すみません急用が入ったので私はこれで失礼します」

「別にいいけど大丈夫か? なんか停電やばそうだが」

「ええ大丈夫ですそれでは」

 

  それだけ言って刹那は離れていってしまう。月明かりから逃げるように影へと紛れると溶けるように刹那の姿は見えなくなる。あっという間の出来事に誰も声を掛けられず、残念だとハジメは思うもようやく刹那の笑顔が見れたからいいかと思い直す。

 

「アヤア〜〜行っちゃったアル、刹那はいつも急にいなくなるネ」

「そうなのか?」

「ウム、なにをやってるのかは知らないアルが」

「ふーんそうか、まあよ、俺も刹那とは長えんだがイマイチ気を許しちゃくれてなくてさ、よかったら少し気に掛けてやってくれよ」

「クラスメイトだし当然ネ! ワタシに任せるアル!」

「ハジメが言うなら私も少し気にするヨ」

「ワリイな頼むぜ」

 

  頼もしい二人の顔に笑顔を向けるハジメだったが、それも再び三人の中で鳴る携帯の着信音に遮られる。ポケットから伝わる振動は、それがハジメの携帯であることを教えていた。ポケットから取り出した携帯に表示されている名前を見て、ハジメの表情は真剣なものに変わっていく。古菲と鈴音がこの場にはいるが、時間が惜しいとCALLのボタンを押した。電話のひび割れたノイズに混じり待ち望んだ声が聞こえる。

 

「よお待ってたぜ」

「ハジメさん……良かった繋がりました」

「オメエのことだから結局俺に連絡寄越さねえで自分だけでやるんじゃねえかと少し心配したぜ?」

「やぶりませんよ、男と男の約束ですから」

「オメエも言うようになったじゃねえか! 分かった、場所はどこだ?」

「寮の大浴場です、 僕は先に向かいます」

「おうすぐ行くぜ」

 

  電話を切ってしばらく携帯を眺めていたが、それを閉まってハジメは立ち上がる。古菲と鈴音の視線がハジメに刺さるが、それを説明するわけにも説明する時間も無い。

 

「ハジメ何かあたカ?」

「まあな、ちょいと野暮用だ。それでワリイんだけどよ、木刀か何かあったりしねえか?」

「ん、よく分からないアルが確か超包子の改装と修理用で置いてある鉄パイプが幾つか余てたはずヨ」

「鉄パイプか……ちょいと危ねえ気はするがそれでいいか……古菲持ってきてもらってもいいか?」

「ウム、屋台の裏にあるからすぐ持ってくるアル」

「すまねえな」

 

  走っていく古菲の背と共に、座りながら自分の方を見てくる鈴音の難しい顔がハジメの目に入る。茶々丸との喧嘩。遂に始まるその直前に至ってもハジメは鈴音と葉加瀬にそのことは言えなかった。茶々丸を作った二人だ、本当ならすぐにでも言えば良かったが、危ないことになるかもしれないことを二人には言えなかった。鈴音の顔を見ていると小さな罪悪感が心の奥底で(くすぶ)るも、やはりそれを言うことは出来ない。

 

「鈴音、何か聞きたいことがあるのは分かってる。だけどよ、それは終わったらでいいか?」

「ちゃんと話してくれるなら別にいいヨ」

「おう、あんまり驚かねえんだな」

「付き合い長いしネ、それにハジメも私に聞きたいことあるんじゃないカ?」

「それは……」

 

  鈴音の月明かりで照らされた顔が静かに微笑んだ。期待しながらも諦めたような笑み、少し前にハジメに鈴音が言ったパートナーにならないかという言葉。その意味はハジメが思っている通りのものだろう、その証拠に鈴音は全て分かっているというような瞳を向けてくる。

 

「オメエも魔法使いなのか?」

「……まあネ、ただそれは内緒よ、トップシークレットネ」

「はあ、一年も一緒にいたのに全く気づかなかったぜ」

「気付かれる魔法使いなど二流ネ」

「それ遠回しにネギのこと馬鹿にしてねえか?」

「ネギ坊主はまだ子供だし仕方ないネ、それにネギ坊主にも言っちゃダメよ、まだその時ではないネ」

「なんだよそれ」

「それはハジメがパートナーになってくれたら教えるネ」

 

  それ以上鈴音との会話は続けられなかった。走って行った古菲が戻ってきて、1m程の鉄パイプを投げて寄越す。綺麗に弧を描き飛んでくる鉄パイプを落とさないようにハジメは掴む。その重さを確かに感じながら、今一度強く鉄パイプを握りこんだ。

 

「ハジメどうアルか?」

「おうちょうどいいぜ、あんがとな古菲」

「別にいいアル、闘いに行くアルか? そういう目をしてるネ」

「おう、まあな」

「ハジメならきっと大丈夫ネ、武勇伝期待してるアルヨ!」

「ハジメ負けちゃダメヨ、今回はハジメを応援してあげるネ」

「おう聡美にもよろしく言っといてくれ、行ってくるぜ!」



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第7話 人はそれを情熱と呼ぶ

  走る。

 

  走る。

 

  手に持った鉄パイプの重さに引っ張られるようにハジメは足を動かす。暗く置物となった街頭達を通り過ぎ、ハジメの行き先を照らすのは満月になりかけの少し欠けた月。薄っすら光る道を踏み締めてネギの元へと急ぐ。

 

  やるべきことはただ一つだ。ネギが存分にエヴァンジェリンと闘えるように茶々丸の相手をする。例えどうゆう結果になろうとも茶々丸と闘わなければならない。逃げ出したっていい、見て見ぬフリをしてもいい、だがそれでもそれはしない。

 

  茶々丸は優しい女の子だから、そんな茶々丸に伝えなければいけないことがある。闘かわなくても話し合えばいいのかもしれないが、それではダメなのだ。拳を振るうだろう茶々丸には、同じく力を持って語り合うしかない。それが一番心に響くはずだから。例え機械であろうともそれを茶々丸も感じてくれるはずだ。

 

  息が少し切れてきた頃、ようやっとハジメは大浴場への扉を開けた。薄暗い大浴場の中では何故かメイド服を着込んだ3-Aの生徒の四人がネギに群がっており、走る勢いそのままに、流石に女の子に殴りかかるわけにはいかず思い切りネギと少女達の間へ鉄パイプを振り落とし隙を作るために注意を引く。甲高い音が大浴場の中で反響し、嫌な音が耳を劈く。

 

「待たせたなぁ‼︎」

「ハジメさん‼︎」

 

  出来た隙をネギは見逃さない。素早く落ちていた杖を拾うと少女達を傷つけないように眠りの魔法を繰り出した。それを受けて倒れ込む二人の少女をネギとハジメは一人ずつ抱きとめると静かにその場へ寝かせてやる。エヴァンジェリンはそれを見て少し驚くが余裕の態度を崩さずに口元の笑みをただ深めた。

 

「これは驚きだ。ぼーやのパートナーは神楽坂明日菜だと聞いていたんだがまさか八坂一が来るとはな、どうしたんだ一体? まさか茶々丸を整備していたことへの(つぐな)いか?」

「うるせえそんなんじゃねえよ! それよりテメエ吸血鬼だとか言う割にせこいやろうだな、人質取って大物気取りか?」

「ほう言うじゃないか、ただの人間がいったい何をしに来たのか」

「言ってろ!」

「そうです! エヴァンジェリンさん僕とハジメさんで貴女と茶々丸さんに勝ってみせます!」

「ハハハッ! 私に勝つか? ぼーやでも難しいのに足手纏いが増えて果たしてそれが出来るかな? 本番と行こうかぼーや♡ 茶々丸!」

「ハイ」

 

  エヴァンジェリンの合図で彼女の背後に控えていた茶々丸がネギとハジメの元に突っ込んで来る。お目当の相手が出てきたとハジメも前に出ようとするが、眠りの魔法を避けそばに控えていたまき絵と明石裕奈(あかしゆうな)も茶々丸と同様にネギ達にと突っ込む。大浴場から立ち上る湯気を切り裂き飛んできた茶々丸の大地を割る一撃を二人は避けたものの、それに続けて繰り出された裕奈の蹴りがハジメを捉えた。女子中学生とは思えぬ速度であるが、普段それよりも早い一撃を多く見ているハジメは間になんとか鉄パイプをねじ込むも大浴場の壁に叩きつけられる。

 

「いっ⁉︎ ……嘘だろオイ」

「ハジメさん‼︎ 彼女達はエヴァンジェリンさんのせいで半吸血鬼化しています! 気を付けて!」

「クソッ、茶々丸とやるだけでも一苦労だな」

 

  背にした壁を背中で叩き前へと足を出す。休むわけにはいかず、また相手も休ませてはくれない。

 

  殺到する少女達の拳をハジメはなんとか躱すが、それで手一杯だ。一歩も前に進むことができず、その場で左右に身体を揺らし暴風雨が過ぎ去るのをただ待つ。

 

  繰り返される攻防は一方的、もの凄い風切り音が耳のすぐ横を通り過ぎ、頭上に振られた蹴りがハジメの跳ねた数本の髪の毛を持っていく。

 

「くっ」

「ハジメさん引いて下さい。なぜ貴方が闘うのです」

「うる……せえ‼︎ ならなんでオメエは闘かってんだよ茶々丸!」

「マスターの命令ですから」

「ふざけんな!」

「ふざけていませんそれが私の存在意義です」

 

  まき絵の拳を避け、裕奈の蹴りを避けたところで茶々丸の顔が目の前まで迫った。半吸血鬼と化したまき絵たちと比べても数段上の威力と速度を持った茶々丸の拳は躱すことさえ叶わない。

 

  死が迫る。小さな手だがそれに見慣れたうすら寒いその姿をハジメは幻視する。

 

  ハジメが最もよく知る威力と速度を持って叩き込まれた拳は咄嗟に前に出された鉄パイプ越しでも両腕に電流が走ったように痺れ、背後の壁を砕きめり込んでしまった。轟音を耳ではなく骨から感じ、背中に鋭い痛みを感じる。

 

「……っちっくしょ」

「ハジメさん大丈夫ですか⁉︎」

「ハハハッ! そんなものだ人間、寝ていろよ。貴様には茶々丸を整備して貰った礼がある。見逃してやるさ、茶々丸!」

「……ハイ」

 

  ネギの元に三人が迫る。それに加えてネギに落とされるエヴァンジェリンの氷の(つぶて)、その光景は現実の光景ではなく、夢物語の産物だ。大浴場の大きなガラス窓をぶち破り外へと出たネギを追って四つの影がハジメには目もくれず消えていく。

 

  痛感するしかない。ハジメは確かに足手纏いだ。ネギに茶々丸の相手をすると言ったにも関わらず、ここに来て数分も経たずに壁と一体化されてしまった。崩れた壁の破片を押しのけて立ち上がった先では、空に氷と光のサーカスが幕を開き、既にハジメの立ち入れる領域ではない。

 

  魔法。

 

  これまでにネギが見せたのはどれも誰かの為になる優しいものであったが、それが一度誰かを傷つける為に牙を剥けばただの人では手が届かない。

 

  呆然とそれを眺めていたハジメの視界からそれはだんだんと遠ざかっていく。雷雲が去って行く時のように口には出来ない安心感がハジメの中で広がった。

 

  それでいいのだ。所詮人の手が届かぬ領域、自分からわざわざ台風へと突っ込む馬鹿はいない。災害が起きたのならば、それが過ぎ去るのを待つのが最も賢いやり方だ。小さく縮こまり、自分を守るように耳を塞ぎ、目を瞑り、影の中で震えようともそれでいい。それが一番いい。そうすれば痛い想いも悲しい想いも感じなくて済むのだから。そしてそれは誰に咎められるものでもない。仕方ないのだ、これはどうしようもない仕方のない問題なのだから。

 

「それがどうした‼︎」

 

  だがそんな甘美な心の呟きを叫び声で搔き消した。そういうことではないのだ。どれだけ危険だろうとも、どれだけ無謀だろうとも、その中には大切なものがある。一度開いたパンドラの箱の底に眠る希望をなにがなんでも掴まなければならない。何よりそれをする為にハジメはこれまでの三年間を過ごしてきた。ハジメの願いはあらしを救うただ一つ。これは寄り道なのかもしれないが、こんなところで躓いていては目指すところまで行けるはずがない。

 

  それにそれをやって誇れるか? ここで目を背け(きびす)を返し、いざ惚れた相手を前にしてこれが自分だと胸を張れるか?

 

  否。

 

  断じて否だ。

 

  所詮見栄だ。カッコつけだ。痩せ我慢だ。惚れた相手に見合う自分でありたい。惚れた相手に誇れる自分でありたい。惚れた相手が惚れるような男でありたい。そんな身勝手な想いが、それだけでハジメが動く原動力になる。

 

  もうすぐ夏が来る。その夏の日に胸を張ってあらしと出会える自分でいる為に遠く夜空に舞う魔法のサーカスへ向かって駆け出した。

 

  心臓が高鳴る。頭が行くなと危険信号を掲げるが意地でそれを押し留め動く足は進むごとにその力強さを増していく。大地が抉れ、窓が割れてガラスの飛び散る道をこれまで以上に早く強く走り抜ける。

 

  幸いに行く方向は身体が感じる振動と闇に包まれた学園に色を付ける魔法の狼煙が教えてくれる。

 

  速く。

 

  速く。

 

  ただ速く。

 

  落ちるように走るハジメが魔法の閃光が最後に消えた先である大きな橋へとたどり着く。大きな湖の上に立つ橋を支える巨大な煉瓦造りのアーチを潜り抜け、橋の上に急遽建造された氷の柱に向かって最後のラストスパートを掛けた。突如目の前で閃光が弾け、橋の上でネギを見下ろしていたエヴァンジェリンと茶々丸が光の束に拘束されるが、遠目で喜ぶネギの前でいとも簡単に光の拘束を引きちぎると、ネギに肉迫した茶々丸がネギの手から杖を奪い橋の下へと投げ捨てた。

 

  ネギを守るものはなにもなく、絶対絶命の窮地の中でハジメが見ていたものはエヴァンジェリンでも茶々丸でもネギでもない。橋の反対側から見慣れたツインテールがハジメ同様もの凄い速度で突っ込んできている。

 

  神楽坂明日菜、ハジメのよく知る妹分のような少女も自分で決めてやってきた。明日菜も大分御節介な少女だ。そんな少女と離れていても何をするのか理解できるハジメは、明日菜と合わせて突っ込む速度をより上げた。

 

  明日菜が背に乗っかっているカモを放り投げると眩い光が僅かにエヴァンジェリンと茶々丸の目を潰し、その隙を突いて明日菜がエヴァンジェリンを蹴り飛ばし、ハジメが茶々丸へ鉄パイプを振り切る。

 

「(こいつ、私の魔法障壁が……!)くっ……バカなアスナ貴様一体!」

「ハジメさん貴方は……」

 

  硬い金属同士がかち合う音が響き、目を細め顰められた茶々丸の目がハジメの方を睨んだが、それが切られた隙を突いてネギを攫うように担ぎ上げると明日菜と共に橋から一番遠くのアーチの裏まで身を隠す。

 

  乱れた呼吸をなんとか整えながらネギを下ろすと、流石にここまで全力で走ってきた疲労に足が少しもつれてハジメは壁を背に座り込んでしまった。冷たい煉瓦の感触が心地よくハジメを迎えてくれる。こんな状況でもにこやかな明日菜と疲労の色の強いハジメの顔を見比べて、ネギは顔を俯かせた。表情を隠すための仕草だったが、座り込むハジメにはその表情がよく見えてしまう。

 

「明日菜さんハジメさん、ゴメンナサイ僕……明日菜さん達に迷惑を掛けないようにってがんばったのにダメでした……」

 

  どうしようもない悔しさが涙となってネギの綺麗な目から零れ落ちる。その雫の描く軌跡をハジメは言いようのない顔で見ていることしか出来なかったが、それを明日菜の拳骨が塞き止めた。

 

「バカ!」

「……そうだなネギは十分よくやってんよ、寧ろ謝んのは俺の方だ……俺じゃあ足手纏いだすまねえ」

「全くよ! 二人とも男だからって無理しちゃって、相手は吸血鬼なんだから意地張ったってしょうがないしカワイくないのよ、いいこの場合はね、私が助けたくて来たんだから迷惑でもなんでもないの! ホラ三人で協力してチャッチャと問題児をどうにかするわよ!」

 

  力強い明日菜の言葉がネギの心を溶かしていく。一度始まった闘いから逃げ出すのなど男らしくない。何より今はパートナーが共にいるのだ。男も女も関係なく、一つのことに共に向き合ってくれる存在がここにはネギを除き二人もいる。だったらやる以外の選択肢などハナから存在はしないのだ。涙の溜まった目を強く擦り振り払えば、ネギの顔からは差していた影が完全に消えていた。

 

「で、どーすんのネギ」

「お願いします明日菜さん! 僕あの人に勝たなきゃ!」

「そーこなくっちゃ兄貴‼︎ では姐さん‼︎」

「 なんかすんのか?」

「ええ兄さん、パートナーの契約を結ぶんス、そうすりゃ姐さんの力は上がってあいつらにだって勝てるはずっス!」

 

  ネギと明日菜の足元でカモが踊るように動きながら魔法陣を描いていく。見慣れぬ紋様はほのかに光り輝き、その中心に立つネギと明日菜を優しく包む。

 

  ネギの顔に柔らかな手がしっかりと添えられて、それに驚く暇もなく明日菜とネギの唇が重なった。気持ちのいいむず痒い感触がエネルギーとして弾けるようにその行為に隠された勇気と愛が力となって、地面に描かれた魔法陣から光の柱が天へと登る。

 

  仮契約(パクティオー)

 

  その光こそパートナーとの絆の証、この時にしか見られぬ二人を繋ぐ美しい糸。

 

「な……ななな何するんですかーーッ‼︎ アスナさーーん‼︎」

「あーーいやゴメンね……」

「アスナオメエかっけえこと言うなと思ったら何してんだよ……」

「ぼ ぼ 僕キスしたことなかったんですよーっ!」

「大丈夫、私もしたことないけど今のはカウントしないから」

「えっ?」

「それはそれで酷くねえか?」

「兄貴! この間みたくおでこにキスじゃ力も中途半端なんだよ! でも今回は俺っちが頼み込んでちゃんとキスして貰ったからいけるぜ! ってことで契約更新‼︎」

 

  再び瞬いた光に力の落ちているエヴァンジェリンでも流石に気付き、空からネギたちの元へと緩やかにやってきた。物理的にも見下しながら携えた不敵な笑みは負けるなどと微塵も思っていないようだ。ネギの両脇に明日菜とハジメの二人が立ち、その顔に厳しい顔で相対する。決意の表情は相手に伝わってくれたらしく、エヴァンジェリンの満月のような眩しい瞳が怪しく輝いた。

 

「ふふっ、どうしたぼーや? お姉ちゃんとお兄ちゃんが来てくれてホっと一息か?」

「何言ってんのよ! これで2対3、数の上ではこっちが有利よ!」

「そうだな、双方パートナーが揃いようやく正当な決闘というわけだ。だが互角かな? 坊やは杖無し、おまえも戦いについては全くの素人だろう、それにその男も仮契約も無しに私達の前に再び立つとは、死にたいのか? 笑えんな」

「ワリイが俺は男とキスする趣味は生憎持ち合わせてなくてな、それともオメエはそういうのが好きなヤツか?」

「ふんっ、そんなわけないだろう気色悪い」

 

  皮肉を言うハジメの言葉に返し、茶々丸にしか聞こえないように注意を促す。「神楽坂明日菜には気をつけろ」、高度な魔法障壁を張ることのできるエヴァンジェリンの防御結界を素通りするように突破する明日菜への警戒心の表れ。明日菜と対峙することになるだろう茶々丸を心配してのことだったが、その心配はある意味杞憂に終わる。鉄パイプを肩に担ぎ、ハジメが茶々丸の前へと出る。

 

「よお茶々丸、なんか久しぶりって感じだな」

「ハジメさん……何故また立ちはだかろうとするのです。ハジメさんでは私に勝てないということは一番よく知っているでしょう?」

「そりゃ決まってんだろ、友達だからだ!」

「また友達ですか……友達なのに闘うのですか?」

「友達が間違ったことしてんなら殴ってでも止めてやるのが友達ってもんだぜ、なあ茶々丸、俺はオメエのためにここに来た。一つ相手してくれよ」

「ふん、茶々丸そんな奴は放っておけ、どうせ闘いが始まれば着いて来れん」

「…………分かりません」

「……茶々丸?」

 

  エヴァンジェリンの呼び掛けに答えずに茶々丸は一歩、また一歩と足を踏み出しハジメの前に対峙する。驚愕の色をエヴァンジェリンの表情は帯び、それを見てハジメは静かに笑った。

 

「よおネギ、前に言った通りだ。茶々丸の相手は俺がするぜ、だからよ……」

「ハイ! 僕とアスナさんでエヴァンジェリンさんとの闘いはきっちりつけます!」

「茶々丸……おまえ」

「すいませんマスター、分からないのです。あの日から私の中に積もるエラーが分かりません。それがいったいなんであるのか、今なら知れる気がします」

「気がするか……おまえらしくもない……だがいいだろう坊やと神楽坂二人ぐらい私一人でどうとでもなる。おまえはさっさとその男を倒してこい」

「ハイ、マスター」

 

  念のために持ってきていた子供用練習杖をネギが取り出し、魔法の打ち合いで闘いの火蓋は切って落とされた。自分と茶々丸の後ろから二人を通り越してかち合う魔法の軌跡を目に留め、それを追ってハジメと茶々丸は同時に前に足を踏み出す。

 

  リーチで言えばハジメが有利だ。剣道3倍段という言葉があるように、得物を手にした者とそうでない者とではそれだけでそれ程の実力の開きがあるということを指した言葉。だがその言葉ほどこの闘いで当てにならないものはない。

 

  茶々丸の右の肘先から小さな煙が上がると、ジェット音と共に腕が飛ぶ。迫り来る拳を受けて、ただそれはハジメには分かっていた。茶々丸の整備をやってきたのはハジメだ。茶々丸の身体にどういったギミックが隠されているのかその全てをハジメは知っている。

 

  顔を僅かに逸らして避け、眼鏡の縁に拳が(かす)る。飛んで来た腕から伸びるワイヤーを追って数歩足を進ませるハジメであったが、横に振られた茶々丸の腕に追随してしなり来るワイヤーをハジメは屈むことでなんとか避けた。

 

  お互い態勢が崩れたが、人ではない茶々丸に常識は通用しない。背中の小型ジェットを吹いてハジメへ一気に肉迫すると残った左での下から腹部へ振られるカチ上げ一閃。重い衝撃がハジメの指先一つ余すことなく駆け巡り、行き場を失った胃液が口から溢れる。

 

  屈んで自分の身を守ろうと無意識に丸まってしまう身体に、続けてハジメの無防備な顔へとジェットで加速した蹴りが綺麗にめり込んだ。

 

  腹部を叩かれ浮いていなければ首の骨が折れていただろう衝撃を受け、空中で一回転するとそのまま後ろへと吹っ飛び道に血の雫が後を引く。

 

  意識が一瞬飛んでしまったハジメだったが、痛みで次の瞬間にはすぐに覚醒すると、それでも手放さなかった鉄パイプを地面に突き立てなんとか立ち上がる。

 

  たったの二手。

 

  それだけでボロボロだ。眼鏡はひしゃげて地面に落ち、すでに満身創痍に近いハジメはフラフラと苦しそうに顔を上げる。見上げた視界の先では色とりどりの少しぼやけて目に映る閃光が宙を駆け、その中をネギと明日菜とエヴァンジェリンの三人が踊っている。

 

  場違い感がヤバイなと一人ハジメは小さく笑い再び茶々丸の方を向いた。ハジメを出迎えるのは笑顔でも鋭い視線でもなく、目尻を下げ困ったような茶々丸の顔だった。

 

「ハジメさん……今ので分かったでしょう、引いて下さい」

「……ヤダ」

「本当に死にたいのですか? 私には分かりませんなぜそうまで……友達とはそんなに大切ですか?」

「ったりまえよ、友達ってのは金じゃあ買えねえこの世のどんなお宝より価値があるもんなんだぜ?」

「それは……」

「それにオメエは優しいヤツだよ。死ぬだのなんだの言ってオメエ全然本気じゃねえだろ、本気で殺そうと思ってたら最初の一発で出来たはずだ。なのにやらねえ、やっぱりオメエは優しいヤツだ。あのな茶々丸、嫌だったら嫌だって言っていいんだぜ?」

「貴方は……いえ、この後に及んで言葉は不要ですか」

「おう……全力で来い、俺も……全力だ」

 

  ゆっくりとハジメは鉄パイプを腰の左横へと構えて上体を倒していく。倒れ込まないように大きく右足を一歩踏み出して、相手に鉄パイプの影も見えないように身体を盾とし覆い隠す。構えのために突き出された右肩を茶々丸へと照準を合わせ、その上に添えるように軽く顎を乗せる。

 

  ハジメの持つ唯一の居合の剣。これしかないハジメだが、ハジメにはこれがある。ひたすら降り続けた一つの技。茶々丸の整備で毎日歯車に触れたように、これだけはと言える最高の武器。

 

  腫れて少し変形した顔から覗く瞳には強い光が灯り茶々丸だけを見ている。吹けば飛ぶようにふらついていたハジメの身体はピタリと止まり、茶々丸は手を出せずにただ眺める。

 

  射撃といった飛び道具の類を茶々丸は当然持っていた。それを撃てば簡単に終わるだろうことが茶々丸にはよく分かる。実行しなくともその前に高度な人工知能がハジメが取りうる全ての動きを計算し、勝利の文字を叩き出した。

 

  だがそれはしない。

 

  いや出来ない。

 

  やってはいけないと人工知能とは違うところから生まれる命令に、なぜか茶々丸は従ってしまう。

 

  よって起こることは拳を構えるということ。意味があるとは思えない。非効率的なはずのそれを選んだ茶々丸だったが、悪い気はしなかった。

 

  思う存分に振りかぶられた右の拳が火を吹いてハジメへと伸びる。必殺の威力を内包したそれを、しかしハジメは避けなかった。最も前に突き出された額でそれを受け、衝撃に耐えられないと額が割れて血が噴き出す。

 

「ハジメさん……」

 

  だが構えという形に固められたハジメの身体は少し後ろに押し込められただけであり、全く形は変わらない。強く踏み締められた足は衝撃に耐えるために大地に突き立てられたまま固いアスファルトの大地を薄く削り、それに負け擦り切れた靴から出てきた剥き出しの素足が赤い線を大地に刻む。

 

  伸び切った右手を即座に巻き取り、その動作のエネルギーを加えるように肉迫した茶々丸の返しの左がハジメの右の脇腹へ突き刺さった。骨を砕く感触が茶々丸の腕に伝わって、熱い血潮がハジメの口から溢れるが、構えの姿勢を全く崩さずまだハジメは動かない。

 

  「ハジメさん……なぜ」

 

  そのまま戻った右を振ろうと振りかぶったが、寄り掛かるようにハジメの肩が茶々丸の身体に当てられて、その動作は止められてしまった。ゆっくりだが確かに力を込められたその動作に抑え込まれ、動けなくなった茶々丸に引き絞り続けられた鉄パイプが遂に解き放たれる。

 

「やっぱりオメエは優しいよ……」

 

  近付いていたせいでハジメの小さな呟きは茶々丸の耳に届いてしまった。極限の状況が茶々丸の中で渦巻き、走馬灯のように昔の記録を映し出す。

 

  まだ今よりもところどころ外から見える歯車が多かった頃、葉加瀬と鈴音とハジメの三人が大規模な整備、改修のために吊るされた茶々丸を前に毎日語り合っていた。帰宅時間が過ぎようと毎夜楽しそうに語り合い、先生に怒られながらそれでも自分のために新たな身体を作っていく。

 

「ハジメ、また歯車弄ってるカ?」

「仕方ねえだろ俺はこれしかできねえんだからせめてこれぐらいはしっかりとやんなきゃよ」

「でも歯車は茶々丸が動く上で一番重要な部品ではありますからね」

「それにしても毎日毎日飽きないカ? 同じ作業ばかりよく続けられるネ」

「いいじゃねえか歯車好きだぜ俺、このコツコツ動いてる感じがさ」

「ははっ、確かにハジメさんみたいで似合ってるかもしれませんね」

「ああ、それにこれが茶々丸を動かすんだぜ? しっかりこう願いを込めて丁寧にな」

「願い? そんなので何か変わるカ? いったい何を込めるネ」

「ロボットは夢や希望が詰まってるが危険な存在だって世間じゃよく言われるだろ? だからそんな風にならねえようによ、誰かを守れるようなヤツにってさ。俺も親父によく言われたもんだぜ」

「ハハハっ! そうなるとイイネ!」

「そうですね、だったらもっと可愛く作りましょう!」

 

  自分はこの時動けなかったが、ハッキリとした意識だけは三人の会話を確かに聞いていた。その時も不思議な気分になったものだが、整備中の違和感だと勝手に決めつけていた。

 

  この三人のために何かがしたい。三人に誇って欲しい。自分を作り成長させてくれる三人が流石だと言って貰えるようなそんな自分になってみたい。

 

  その時の感情が消えることもなく茶々丸の記憶領域の奥に確かに眠っていた。思い起こされた感情が茶々丸の動きを止めてしまい、横薙ぎに降られた鉄パイプは鋭い金属音を奏でて茶々丸の腰を擦るように斬り払う。

 

  外傷はほとんどない、そんな一撃。しかし、茶々丸の身体はそれだけで地面に崩れ落ち指先一つ動かない。

 

  歯車は一つズレただけで致命的だ。その中でも唯一腰回りの外部にある歯車の一つは人でいう仙骨に当たる身体を動かすのに重要な歯車の一つと繋がっていた。その位置を知っている数少ない人物の一人であるハジメだからこそ出来る優しい一撃。

 

「ハジメさん……これが……感情なのでしょうか?」

「……さあな、だがよ自分がそう感じるんだったらきっとそうさ」

「そうですね………………私の負けですハジメさん」

「茶々丸!」

 

  大地に横たわる茶々丸と、立っているハジメ。勝敗は決した。ただの男に自分のパートナーが負けたという事実に空中からエヴァンジェリンの叫びが飛ぶ。なぜこうも上手くいかないのか、サウザンドマスター、ネギの父親に負け光の中で生きてみろと言われて普通の人間と同じように過ごした十五年間。刺激は無かったが、決してくだらないとは言い切れない時間だった。それでもそれは戻ってくるといったサウザンドマスターの言葉があったからだ。だというのに戻ってくることなく死んだと言われ、当て付けのようにその息子が顔を出してきた。

 

  分かっている。分かっているのだ。これはただの八つ当たりだ。所詮ワガママであることは自分が一番よく分かっている。だがその心をなんでもいいから行動にしなければ抑え付けられた感情が爆発してしまう。だというのにその行動さえも上手くいかずひよっ子だと思っていた者たちに潰される。

 

「クソっ!」

「行きますエヴァンジェリンさん‼︎」

「できるものならやってみるがいいぼーや‼︎」

「雷の暴風‼︎」 「闇の吹雪‼︎」

 

  性質の違う二つの閃光がぶつかり合い、魔力のせめぎ合いに空間が軋む。互いに全力ではあるが、積み重ねた時間の違いかエヴァンジェリンの魔法が徐々にネギの魔法を押し始めた。

 

「どうしたぼーや‼︎ そんなものか‼︎ あの男の息子はそんなものなのか⁉︎」

 

  流れ続ける魔法の波動に耐え切れず、練習杖に小さなヒビが入り始めそれは次第に大きくなる。これが最後の一撃になってしまうことは明らかだった。それを目にしてネギの心の奥に湧く感情が、隠されることもなく顔にと浮き出てくる。

 

「ダメだダメだ! ハジメさんは約束を守ってくれたんだ! 明日菜さんは力を貸してくれた! だったらここで逃げたら僕は僕じゃなくなってしまう! 男だったらやってやらなきゃいけないんだ‼︎ だから!!!!」

 

  感情によって膨れ上がった魔力が小さな杖を内から砕き、その杖に見合わぬ魔力の力を解き放った。子供の杖からの卒業の証。杖の破片が宙に舞い落ち、エヴァンジェリンの魔法をその根元から穿ち抜く。魔力の奔流がエヴァンジェリンを包み込み、その身に纏う頼りない衣服を全て吹き飛ばした。

 

「……やりおったな小僧……フフっ……フフフ、期待通りだよ、流石奴の息子だ……」

「エヴァンジェリンさん……」

「ぐ……だがぼーやまだ決着はついていないぞ」

「いけない! マスター戻って!」

 

  想像以上のネギの一撃を貰いフラフラと宙を漂っていたエヴァンジェリンを強大な光が包み込む。停電の復旧した学園の灯火が薄暗かった世界を存分に照らし、そこから生まれるイナズマがエヴァンジェリンの元へと落ちる。

 

「ど、どうしたの⁉︎」

「停電の復旧でマスターへの封印が復活したのです! 魔力が無くなればマスターはただの子供,このままでは湖へ……!」

 

  落ちる。落ちる。落ちていく。ボロボロだった身体をなんとか動かしていた魔力が絶たれ、全く動かないエヴァンジェリンの身体は下に広がる暗い水面に向かって吸い込まれていく。思えば呆気ないものだとエヴァンジェリンは笑うことしかできなかった。ワガママを通した結果がこれだ。悪い魔法使いの最後としてはお似合いなのかもしれないと口元を歪める。

 

  ただ納得できないことがあるとすれば、自分をここに縛った一人の男。戻ると言ったのに戻らなかった一人の男。

 

「…………うそつき」

 

  涙は零さない。その代わりに今自分が出来る精一杯の恨みを零す。夜の暗闇の詰まった湖がエヴァンジェリンの来訪を歓迎するように(さざなみ)を立て、水面から上がる冷たい湖面の空気がエヴァンジェリンの素肌を侵食していく。こちらの世界がお前の世界だというように、エヴァンジェリンが来るのを今か今かと待ち受けている。見たくは無いと強く目を瞑るエヴァンジェリンだったが、不意に落ちる自分よりも早く自分に落ちて来たものに意識が引張られた。

 

「エヴァンジェリンさん‼︎」

「「エヴァンジェリン!」」

「マスター!」

 

  杖も無しにネギが飛び込み、悲鳴を上げる身体を押してハジメが飛び込み、裂傷だらけの身体も気にせず明日菜が飛び込み、動かない身体を背中のジェットで無理やり飛ばした茶々丸が飛び込む。

 

  御節介な連中だ。全員動くのも辛いだろうに、自分などを助けるために全員が必死の形相で手を伸ばしてくる。笑みもなく、ただ呆然とそれを見ていたエヴァンジェリンはそんなことを考えながらただ落ちていたが、そんな心とは裏腹に手が勝手に四人の方へ持ち上がる。

 

  投げ捨てられたはずのネギの杖は、主人(あるじ)の呼び掛けに答えて水面に着くその手前でエヴァンジェリンの手をネギの右手が掴むのと同時にネギの左手へと舞い戻る。続いて一緒に落ちていた三人も、ネギの杖が綺麗に拾い上げてくれた。

 

「……お前たちなぜ助けた?」

 

  なんとなく答えは分かっていたが、それでもエヴァンジェリンは聞くしかなかった。ただそれを言葉で聞きたいと、心の奥で光を求める欲求が顔を出す。

 

「だってエヴァンジェリンさんは僕の生徒じゃないですか」

「クラスメイトでしょ」

「マスターがマスターだからです」

「女の子を助けるのに理由なんていらねえだろ」

 

  馬鹿みたいな理由だなとエヴァンジェリンは思った。ただそれは心地よく、入って来た言葉に耳が痒くなる。聞いたのなら自分も答えなければならない。気恥ずかしくそっぽを向くエヴァンジェリンに四人の顔が集中し、「バカが……」と自分の心を隠すためにそんな気の利かないことしか口に出来なかった。それで終われば綺麗だったのに、急に降りかかった振動にエヴァンジェリンは小さな叫びをあげると目を丸くする。死んだような顔をしたネギの顔がより青ざめた。

 

「おいなんだ⁉︎」

「ご、5人は流石に乗りすぎです落ちちゃいますよ〜〜」

「なんだと! おい助けておいてふざけるなよ! 私は泳げないんだぞ!」

「ちょっとネギ頑張りなさいよ! せめてあと少し‼︎ ただでさえクタクタなのにその上濡れ鼠になるなんてゴメンよ!」

「ネギ先生頑張ってください、流石に私もこの状態で水に沈むのはマズイです」

「で、でも〜〜」

「でもじゃあない‼︎ おい茶々丸降りろ! そう言ってもお前はロボだし大丈夫だろ‼︎ この中で一番重いのはお前だ‼︎」

「酷いですマスター、そういうマスターが降りればいいのでは?」

「それがマスターに言うことか⁉︎」

「……なんだっていいけどよ、とりあえず救急車呼んでくれねえか? なんかまわってたアドレナリンが切れて段々痛くなってきたぜ、てかヤベエこれマジで痛えわ、あ、痛てて、痛ててててて⁉︎」

「ちょ! ハシメ先輩血が⁉︎ 止血止血⁉︎」

「うるさああい⁉︎ 静かにしろ!」

「わわわ、皆さん暴れないでくださ〜〜い!」

 

  少し欠けた月の下を5人はフラフラと飛んでいく。話している内容は少しアレだが、誰が見ようとその姿は楽しそうだった。



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閑話 ハイスクールララバイ

「失礼します」

 

  一斉停電によって光の落ちた暗い学園の屋根を伝いやって来た学園長室の扉を刹那は開ける。扉の先は薄暗い学園とは対照的に部屋の中央に遠隔透視魔法によって大きなディスプレイのように光り輝く映像が映され、その明かりが部屋全体をうっすらと照らしていた。映像には3-Aの生徒四人と茶々丸を伴ったエヴァンジェリンが大浴場の中にある東屋の屋根の上で生徒と戯れるネギを可笑しそうに眺めており、深刻だろう事態はしかし少し馬鹿馬鹿しく見える。

 

  映像を前に執務机の椅子に学園長が座り、映像を中心として円を描くように刹那と同様に日夜麻帆良学園を裏から守っている魔法使い、退魔師たちが映像を見守っていた。

 

「来たか刹那」

「龍宮か、どうだ様子は」

「エヴァンジェリンは見るからに遊んでいるな、それでもネギ先生には荷が重いだろうが」

「そうか……」

 

  刹那が部屋に入ると、同じクラスメイトである龍宮真名(たつみやまな)が出迎えてくれた。その龍宮が言う通り四人の生徒にむらがられ騒ぐネギを見る限り勝率は薄いように思われる。刹那はちらりと学園長の方を見るが、目を開いているんだか閉じているんだか分からないとぼけた顔は全く表情変わらず、寧ろ面白いと言うように「フォフォフォ」と気に触る笑い声をあげる。

 

  エヴァンジェリンが動くことはここにいる全員が分かっていたことだ。厄介ごとになる前に動きエヴァンジェリンの思惑を潰そうと何人もの魔法先生が動こうとしたが、それは学園長の一言によって止められてしまった。それは何故? という当然諸先生方の間に沸いた疑問の声に学園長が返した言葉は「どうとでもなる」というものであった。

 

  確かに厄介ごとではあるものの、麻帆良には学園長やタカミチといった歴戦の猛者がおり、いざといった時に力の落ちたエヴァンジェリンをどうにかすることなどわけない。だからこそネギに経験を積ませるにはもってこいだという思惑が学園長にはあってのことだ。

 

  ネギの父親、ナギ・スプリングフィールドは魔法使いやそれに類するもの達の中では有名だ。知らぬ者などいないほどの大英雄。しかし、闘いで英雄になる者はまたそれだけ多くの者に恨まれる。今は亡きと噂されるナギへの鬱憤を晴らそうと息子のネギに魔の手が伸びることは想像に難くなく、それに対抗するための力を付けるのにこの状況は喜ばしいものだった。それ故学園側が取ったのは静観の構え。刹那も龍宮も一応は納得したが、これでは納得しない方が良かったのではないかと思い始めていた。

 

  ネギの力がどれほどのものであるのか分かっていなかった刹那たちからしてもこれはネギの今の実力を知るのにいい機会だと思ってはいたが、想像以上に酷いものだ。幾ら自分の生徒が人質に取られ操られているとはいえあまりに酷すぎる。もし狙われたのが木乃香であったなら刹那は迷いなくクラスメイトに刃を翻し、龍宮も傷が残ろうと衝撃弾を撃って即座に制圧するだろう。呆れたため息だけが刹那の口から零れ、それを見ていた龍宮が面白いと言うように笑った。

 

「なんだ?」

「いやなに、お前でも心配なのかと思ってな」

「ネギ先生を? 違う、結局私達が出ることになりそうじゃないか、これだったらやはり最初から私や龍宮が出た方が色々と手間が省けてよかっただろう」

「確かにそうだが、まあ仕方がないさ。英雄の息子は色々と大変なんだろう」

「それで話を片付けたつもりか? 全く……ただでさえ今日は厄日だというのに」

「珍しいなお前が愚痴を零すなんて、よっぽどな一日だったと見える。なにがあったんだ?」

「こんな時に聞くのか?」

「こんな時だからさ、暇つぶしには良さそうだ」

 

  肩を竦めて龍宮が小さく画面を指差せば、状況はまるで変わらずに四人の生徒に捕まってしまいネギが地面に引き倒されているところだった。この分だと出動は近そうだと、確かに暇潰しには丁度いいと思った刹那は、見慣れた四角い眼鏡の男のことを思い出しながら口を開く。

 

「いや、普段剣道部で一緒に活動している男に夕飯に無理矢理付き合わされてな、聞きたくもない話を延々と聞かされる羽目になった」

「ほうデートか?」

「違う。龍宮、言ってることがそれでは古菲と変わらないぞ」

「ふふっ、なら少なくともそう見えたということだろう」

「まさか……あの人はそんな男じゃないさ」

 

  龍宮もからかいはしたが刹那の反応が思っていたものとは若干違ったために少しの間口を閉じた。刹那の短い言葉の中に好意の色は見えないが、そこそこ信頼していることは分かる。刹那にそういう一般の相手がいることを知らなかったことも相まって、流石に少々驚いた。

 

「驚いたな、お前がそんな風に言う男がいたなんて」

「私にだって知り合いの一人や二人はいる」

「まあ確かにそうかもしれないが、抜き身の刀のようなお前と付き合えるようなヤツだろう? 剣道部で一緒と言ったか……強いのか?」

「一般人にしてはなかなかといった具合だ古菲と同じぐらいだと思うが」

「なるほど……それは結構使うな。一歩でも道を違えたら私達と同じ場所に立っていても不思議じゃない」

「馬鹿な……あの人はどちらかと言えば科学よりだ、魔法に触れる機会など」

 

  そこまで言った刹那であったが、耳を劈く鉄の音が急に響き、聞き慣れた男の声が部屋に響いたことによってその先を言うことは出来なくなってしまった。急いで画面に向き直ると、件の男が生徒とネギの間に鉄パイプを振り落としていたところだ。しかもネギと交わされる非常に短い会話の中から二人の関係が浅くないことを示しており、驚愕の光景に目を見開き固まってしまった刹那に龍宮は怪訝な顔を向けるが、それに気づかず呆然と画面を眺める刹那の代わりに一番に口を開いたのは、遅刻常習犯のハジメがよくお世話になっているタカミチでもなく学園長その人である。

 

  老体に見合わぬ素早さで執務机の天板を力強く叩き席を立つ。机の端で積み上がっていた書類の束が床へと舞い落ち、画面の中の緊急事態よりも学園長の行動に驚いた他の者たちの視線が学園長に集まった。深刻な顔をする学園長に誰もなにも言えずにいたが、それをそのままにしておくわけにはいかず、代表としてタカミチが口を開いた。

 

「学園長、どうかしましたか?」

「タカミチ君、彼は……彼はいったい」

「彼……八坂一君ですね、ネギ君が麻帆良に来てからの初めての友達とは聞いていましたがまさか魔法に関わっていたとは……その彼が何か?」

「いや……そうか、彼は八坂一と言うのか……そうか」

 

  それだけ言って学園長は席に座り込んで何も言わなくなってしまった。ただでさえ抜き差しならない状況での学園長の普段との変わりように、もうエヴァンジェリンの事よりも誰もがそちらに気が行ってしまう。だが今回はエヴァンジェリンとネギのために集まっているのだ。本職を思い出した者達は画面へと視線を戻すが、頭から今のことが消えたわけではない。タカミチと葛葉刀子の二人が画面に目をやりながら刹那の側へとやってくる。

 

「刹那君……彼は君と剣道部で一緒だったはずだね、彼のことは僕も知ってはいるが、彼になにかあるのかい? あんな学園長僕は初めて見たよ」

「高畑先生……いえ、彼は普通の一般人のはずです。何度も手合わせしていますしそれは間違いありません。ですよね刀子さん」

「ええそれは間違いないです。私もまさか彼が魔法に関わっていたとは、確か彼はロボット工学研究会に所属したはずですし、まさか……」

 

  この刀子の言葉を受けて、刹那は同じクラスの茶々丸の姿を思い出していた。茶々丸がエヴァンジェリンのパートナーというのは周知の事実だ。それ故そこからハジメに魔法のことがバレたのかとも思ったが、それでは画面の中で闘い出している茶々丸とハジメ達の姿がどうもおかしいように思えると目を細めた。

 

  対してタカミチと刀子の二人が思い浮かべたのは超鈴音だ。同じクラスのため刹那と龍宮の二人には知らされていないことであるが、彼女には大きな秘密がある。もし二人の考える通りの事態ならハジメは相当の危険人物ということになるのだが、少なくともハジメと何度も顔を合わせている二人にはどうもハジメが鈴音と通じているとは思えない。

 

  三人に考えの違いはあるもののそれは口に出さず会話は膠着してしまい仕方なく画面を見るしかない。画面の中では茶々丸に壁にハジメが押し込められ、ネギを追ってエヴァンジェリン達が飛び去っていく。画面はネギ達を追って行きハジメの姿は消えた。しばらく無言の空間で画面の映像だけが進み、ネギが本領を発揮した魔法戦において魔法先生であるガンドルフィーニを筆頭に感嘆の声を上げるが、絶対絶命のピンチとなったネギの元にハジメと明日菜の二人が姿を現したことによって再び場は騒然とした。

 

「アスナ君まで……ネギ君のパートナーになったとは報告で聞いていたが本当に来るとは、だがこれはいい流れかな」

「そうなのですか?」

「ああ、アスナ君はああ見えて強い子だ。ただなあ……」

 

  そう言ってタカミチは頭を抑える。再び姿を現したハジメに至っては安心することができない。好青年で夢にまっすぐな気持ちのいい男であることをタカミチも知っているが、それとこれとは無関係だ。戦闘に巻き込まれたハジメにいったい何ができるのか。先の闘いでも魔法や気といった技術を使っているようには見えなかった。

 

「ハジメ君がここまで出張っているのはおそらく茶々丸君のためだろう。会話からもそれが分かる。ただ困った、ここで僕たちが出れば彼を助けられはするが……」

「それではネギ先生のためにはなりませんか」

「ああ、だがそうも言ってはいられないだろう。一般人を見捨てるなど魔法使いの名折れだよ」

「待つのじゃ」

 

  茶々丸と対峙するハジメの姿を見て、今度こそ魔法先生達が腰を上げようと出て行こうとしたがそれはこれまで黙っていた学園長の言葉に再び止められる。その意図が理解できないと、学園長にタカミチが食ってかかったのは悪くない。

 

「なぜです⁉︎ 彼は普通の生徒ですよ、危険だ!」

「分かっておる。全員同じ気持ちじゃろうがここは待つのじゃ、心配しなくても彼は勝つ」

「なぜそう言い切れるのですか? 学園長、貴方は何を知っているのです」

「彼について儂はほとんど知らん。だが彼は勝つ、そういう男じゃ、それにこれは彼にとって重要なことなのだろう、大丈夫安心して見ておれ」

 

  意味不明な言葉を残して学園長は再び口を閉じる。学園長がそこまで言い切るのであれば誰も何も言い返せない。学園最強と言われるだけの実力が学園長にはあり、その学園長が大丈夫というのだ。ただ疑問は払拭されず、龍宮が刹那に聞く。

 

「刹那、あの男がお前の言う男なのか?」

「ああそうだ。そうだが……」

「一般人だ。私の目にもそうとしか見えないが、隠された力があるとも思えん。なのに学園長の肩の入れようはなんだ? あの男に何がある?」

「分からない……分からないよ……」

「刹那……」

 

  普通の男だと思っていた。少し気さくで御節介でしかない男だと。だというのに自分の知らないところでその男の未知の部分が急に顔を出し刹那の頭を困惑させる。一年だ。一年の付き合いだというのに刹那はハジメのことを全く知らない。そのハジメは負けると誰もが思っていた茶々丸との闘いに学園長の言う通り勝利を収め、よりハジメのことが分からなくなってしまう。

 

「勝ったな」

「学園長、分かっていたのですか?」

「まさか……ただなタカミチ君、彼は言った通りやる男だったろう?」

「それは……そうですね」

「それでだ、先ほど考えていたのじゃがそろそろネギ君達は修学旅行だったのう」

「はい」

「そこにハジメを付けようと思う」

「はい……はい? 今なんと」

「これは決定事項じゃ、いいな」

 

  そう言い切った学園長の思惑はどういったものであるのか誰にも分からない。ただ分かるのは八坂一という男は学園長にとってなにか重要な存在だということ。しかしそんなことも頭に入らないほど部屋の隅で話を聞いていた刹那は困惑していた。画面の中で楽しそうに飛ぶ五人を眺めながら、ただ時間が過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハジメが勝たネ」

 

  学園長室で麻帆良の主要な魔法使い達が集まっている頃、普段ハジメが出入りしている研究室とは全く別の薄暗い研究室の中で一つの画面を見ながら鈴音が呟く。大手を振るって喜びはしないが、喜色の色を孕んだ弾んだ声が研究室の中で小さくこだまする。

 

  それを聞くのは大きなディスプレイの付いた画面の前で座る葉加瀬だけであり、ロボット工学研究会の大学生が使う倉庫よりも広い空間にはたったの二人しかいない。ディスプレイから溢れる光では、研究室を全て照らすことはできず、途中で暗闇と交わってしまい角の見えない部屋の中は宙に浮いているようにも見える。

 

「嬉しそうですね超さん」

「ハジメはやる男だと思てたネ、知ったとはいえ魔法も気も無しに茶々丸に勝つなんて見事ヨ」

「開発者としては喜ぶべきではないんでしょうがそうですね。ただ最後人工知能は射撃を推奨してたのになんで拳を使ったんでしょうね? 興味あるな〜〜」

「それは後で本人に聞けばイイネ」

「それもそうですね」

 

  茶々丸の目を介して得られた映像を何度も繰り返す。空を駆ける魔法、ぶつかり合う金属音。映るのはネギ、明日菜、ハジメの映像、その中でもハジメの映像が繰り返し映される。それを見てまた鈴音は可笑しそうに笑った。

 

「もうそんなに何度も繰り返して……知りたかったのはネギ先生の実力じゃあないんですか?」

「ネギ坊主の今の実力は十分分かたヨ、だからもういいネ。今のネギ坊主ではまだ脅威にならないヨ」

「それでハジメさんの映像を見る理由になりますか? 私だって彼のことは気に入ってるし今回も凄いとは思いますが……彼は私達の仲間になりますかね?」

 

  博士の問いを受けて、笑顔だった鈴音の顔がものすごい勢いで顰められると、拗ねたように唇を突き出す。それでもハジメの映像からは目を離さずに悲し気な声音をなんとか絞り出し答えた。

 

「一度目はフラれちゃったネ、二度目は返事待ちヨ」

「仲間になってくれたら嬉しいですけどハジメさんはならないんじゃないですかね」

「私もそう思うヨ」

「やっぱり〜〜」

 

  超鈴音と葉加瀬聡美、麻帆良が誇る科学の二大巨頭がしようとしていることは世間にとっていいこととは言えない。史上最悪のプロパガンダを持って世界を混沌としたものにしようとしているのだ。それはすなわち秘匿されている魔法を世界にバラすこと。それでいったい何が起こるのか? そんなことは誰にも分からないが、鈴音はそれでもそれをやらなければならない。日常系のアニメの中にファンタジーを突っ込んで何が起こるのかは未知数だが、いい結果になるかは神のみぞ知る。そんな大博打にハジメが乗ってくれるかどうか……、鈴音と葉加瀬の計画の成功率より低そうだ。

 

「まあどっちにしても今はまだダメネ、ハジメもネギ坊主ももっと強くなって貰わないと」

「例え敵になってもですか?」

「昨日の敵は今日の友ヨ」

「今日の友が明日の敵になるかもしれないじゃないですか」

「明日のことなど誰も分からないネ」

「超さんがそれを言うと酷い冗談になりますね」

「ハハハ確かにネ!」

 

  ポケットから取り出した機械式の懐中時計を鈴音は愛おしそうに撫でる。何かを思った時に鈴音がよくやる癖だ。市販のものなどではない複雑な懐中時計を葉加瀬は見ながら、不思議そうに今まで言おうと思っていた疑問を口にする。

 

「それにしてもなんで超さんはハジメさんをそこまで気にかけるんですか? 研究室にハジメさんを連れて来たのも超さんですよね」

 

  鈴音の目が僅かに細められ、

 

「……タイムマシン」

 

  そう一言呟いた。薄暗い研究室の中に投げ込まれた小さな小石は、大きな波紋を葉加瀬の中に生じさせた。映像が反射しキラリと光る眼鏡の奥で、葉加瀬の瞳が見開かれた。

 

「それって……」

「人類史上初のタイムマシンを作たのは他でもないこの私ヨ、でもその理論を構築したのは……」

「ハジメさん?」

「さあね?」

「え〜〜そこまで言って濁しますか?」

「ふふん、分からないことがある方が人生面白いネ」

 

  あどけなく笑う鈴音を見て葉加瀬の素晴らしい脳はしかし答えを導き出す。間違いなくハジメがそうなのだろう。鈴音は何を隠そう未来からやってきた魔法使いだ。その鈴音しか知らないことはあまりに多く。葉加瀬が協力する代わりに見せて貰っている未来の技術以外にも数多の秘密が存在する。きっと鈴音しか知らないハジメの秘密があるのだろうが、おそらくそれは今口にしたタイムマシンのことよりも凄いものなのだろう。

 

  研究室でよく見る四角い眼鏡の少年にいったいどんな秘密があるのか。葉加瀬の興味は尽きないが、それに対する答えの手掛かりは微塵もない。今回ハジメが茶々丸に勝っただけでも葉加瀬は相当驚いたのだ。一つの答えが必ず出る数学のようなものならば葉加瀬に理解できないものは無いが、そこはまだ15歳の少女。それ以外のことでは分からないことが多分にある。

 

「分からないことですか……確かにそうですね」

 

  だがそれが面白く無いかと言われれば葉加瀬は否と答えるだろう。鈴音の言った通り分からないことがある方が面白い。それを研究し、究明し、自分が答えを出す時の快感は他の誰のものでもない自分だけのものだ。そこまで考えて、ハジメと同じことを考えてるなと葉加瀬も小さく笑みを浮かべた。

 

「でも鈴音さんは今回ハジメさんが勝つって分かってたんですか? あんまりハジメさんが勝った時驚いて無かったけど」

 

  ハジメが急に登場し闘い出した時葉加瀬は本当に驚いた。そして勝った時はそれ以上だ。嬉しいような悲しいようなおかしな気分に葉加瀬はなり、椅子から立ち上がって二つの三つ編みをブンブン振るうという普段なら絶対取らないような行動を取ってしまった程だ。

 

「まさか、私だって驚いたネ、いくらなんでも今回は負けると思てたヨ、その悔しさをバネに強くなて貰おうと思てたが大誤算ネ」

「その割にはすっごい喜んでるじゃないですか」

「ハジメならひょっとしてと思てたからネ! 流石は私達のハジメヨ!」

「それで茶々丸を壊されたんですから素直に喜べませんよ……」

「あ、そういえばハジメがハカセによろしくと言てたヨ」

「遅いですよ……もう」

 

  そうは言うが茶々丸の破損具合ははっきり言ってそうでもない。ハジメの一撃で壊れたと言っても故障に近く歯車が一つズレただけだ。直そうと思えば5分も掛からない。そんな壊し方をしてくれたハジメに不満は持つが、それは茶々丸を壊したことではない。このことを全く話してくれなかった水臭さに不満を持つ。

 

「……まあ茶々丸のことはいいですよ。お互い納得の上みたいですから、問題はハジメさんですね。あの怪我どうするんでしょう。勝ったとは言っても五人の中で一番重症ですよ」

「魔法関係で怪我したんだから学校側が上手くやるネ、寝てる間に治癒魔法でもかけるんじゃないカ?」

「そうじゃないと困りますよ。これを機にもっと茶々丸を改良しないと、課題はたくさんです。超さんしばらく研究室の方に力入れられないでしょう?」

「まあこれから忙しくなるからネ」

「しばらくは私とハジメさんの二人でしょうから早くハジメさんには良くなって貰わないと」

 

  そう言って写し続けられていた映像が切られる。映像があってもただでさえ薄暗かった研究室がより暗くなり、急な暗闇に葉加瀬は目を細めた。明かりの入る窓もない研究室ではろくに光を得ることができず、次に明かりが差し込んだのは鈴音が研究室の扉を開けた時だ。扉の先から差し込む光が眩しくて、葉加瀬はより目を細めた。

 

「そろそろ行くヨ、茶々丸の修理をしないとネ」

「そうですね、分かりました」

 

  扉を閉められた研究室には一切の光が消え去った。薄暗い研究室の壁に並んだ無機質なアンドロイド達は、今か今かと出動の機会を待っている。だが今はまだその時ではない。




そろそろいろいろな人達が暗躍し始めます。


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第8話 traveling

「おう久しぶりだな潤‼︎」

「なんだよ八坂、急に連絡よこしてさ」

 

  携帯電話を片手に放課後の学校の上でハジメは遠い友人と電話をしていた。13の夏、共に不思議な夏を過ごした親友の久々の呆れたような声にとても安心する。

 

  上賀茂潤(かみがもじゅん)、ハジメと同い年の女子高生は遠く横浜の地に今もいる。ハジメが初めて会った時は男だと勘違いしたものだが、高校生になった今の女性らしい潤を見て男だと思う者は居ないだろう。とはいえハジメが潤が女だと気付きカミングアウトされたのは中三の冬であり、その時は大層驚いたものだ。顔を赤くして女だと言った潤の姿にハジメは初めて潤に女性らしさを感じた。だがそんな潤はハジメに男っぽい口調で今まで接していたためか、今でもハジメと話す時だけ男っぽい口調が抜けていない。

 

「いやそろそろお互い修学旅行の時期だろ? オメエはどこ行くのかと思ってよ」

「なんだよそれ、私はハワイだよ」

「ハワイか〜〜そうか〜〜潤はハワイか〜〜」

「なんか癪に触る言い方だな……」

 

  電話越しでも潤がどんな顔をしているのかハジメには分かる。いつも喫茶店『方舟』で見せるような片目を釣り上げた不機嫌な顔をする潤の顔を思い浮かべてハジメは一人悪い笑顔を浮かべる。

 

「いやいいんじゃねえかハワイ。歴史があってあったけえし綺麗な海もある。観光地としては一級だろうぜ」

「はあ〜〜、分かった分かった聞いて欲しいんだろ? 八坂はどこに行くんだ?」

「俺かあ?」

 

  気に触る言い方のハジメの声を受けて、潤は電話越しでも分かるくらいの大きなため息を吐く。ハジメの勿体振りようからいって相当いいところに行くんだろう予想は潤もつくのだが、それをそのまま聞くのは面白くない。電話を切ってやろうかとも思ったが、久しぶりにハジメの声を聞いたこともあり、切るのボタンに伸びていっていた指は途中で止まった。

 

「それで?」

「ふふふっ、聞いて驚けよ潤、俺はドイツだぜ‼︎」

「ドイツ……それって!」

「おうよ!」

 

  ドイツ。日本で生まれ育ったハジメと潤にはあまり関係していないように思うかもしれないが、二人ともドイツに行ったことはないとはいえその国は二人に大いに関係している。13の夏にハジメはあらしと通じ合ったが、潤も一人の女性と通じ合った。

 

  カヤ・バークマン。二人がカヤさんと呼び慕ったあらしの親友であるドイツからの留学生の少女である。そのカヤからドイツの話を二人はよく聞いており、幼いながら遠い異国の地の風景に想いを馳せ、いつか行ってみたいとよく言ったものだ。

 

「ドイツか、なるほどそれは自慢もしたくなるわけだ」

「まあな〜〜、俺がこの学校選んだ理由が修学旅行はヨーロッパだっていう理由があったからだしよ」

「そんなので学校選ぶなよな」

「いや勿論それだけじゃねえけどよ、それに結構苦労したんだぜ? ヨーロッパつっても広いからよ、ドイツに決まるまで色々根回ししてよ」

「へ〜〜、でもいいじゃん。ドイツかあ私も八坂と同じ学校行けばよかったかな」

「なんなら今から来るか?」

「バカ、できるわけないだろ!」

 

  潤には潤で通っている横浜の学校を選んだ理由がある。潤が通うのは大倉山女学校の流れをくむ高等学校だ。あらしやカヤが通っていた学校と同じ空気を感じたいと、あらしやカヤの学校は廃校になってしまったため通えなかったが、その意志を継ぎ、近くに近代新たに建てられた高等学校に潤は通っていた。長期休みになればハジメは横浜に来るため横浜から動きたくなかったということもある。だというのにハジメは人知れず埼玉の高校に入学しており、その時は方舟のマスターが呆れるほど痴話喧嘩をした。

 

「まあさ、折角行くんだから写真とか土産とかいっぱい買ってきてやるよ!」

「それはいいけど、お前金が無いってこの前の春休み言ってなかったか?」

「大丈夫だって! なんとか絞り出す!」

 

  他の場所ならいざ知らず想いのあるドイツに行くのだ。多少の無理ぐらいどうってことないとハジメは言うが、どうも潤は心配になる。テンションの上がっているハジメが問題を起こすことがよくあることを知っている潤はろくなことにならなそうだと顳顬(こめかみ)を抑えた。

 

「それはいいけど……ってはい? ああ八坂です。修学旅行はドイツだって、ああちょっと!」

「おおハジメ? 久しぶりじゃん聞いたよ〜〜ドイツ行くんだって?」

「おおマスター! 久しぶりだな! マスターが居るってことは潤のヤツ方舟(はこぶね)にいんのか」

「まあね〜〜、今やうちの看板娘ってヤツ?」

 

  潤の携帯をひったくって喫茶店『方舟』の現マスターであるさやかの甘ったるい声が聞こえてくる。昔は筋金入りの詐欺師であり、店の権利書を狙っていたがすっかり方舟のマスターとして落ち着いてしまったらしい。最近は30代が近付いており、婚期を逃さないように必死らしいが思ったように振るっていない。見た目は悪くないのだが中身が悪い典型だ。ハジメも一人の大人としては尊敬してはいるが、女性としては完全にNGである。

 

「で? どうしたんだよマスター急に潤の携帯までかっぱらってよお」

「まあいいじゃんか、それよりドイツ行くんだろ? 土産は酒な、それ以外認めんからそのつもりで」

「おいおい俺まだ未成年スよ? 買えるわけねえだろ……」

「そこはほれ、なんとか頑張ってな? んじゃよろしく〜〜」

 

  それだけ言ってマスターの話は終わりらしい。携帯を放る音が聞こえ、それに続いて潤の慌てた声が聞こえる。相変わらず酷い大人だとハジメは軽い頭痛を覚え屋上の柵にしな垂れ掛かる。携帯からは遠くから「本場のビール〜〜」と言った嬉しそうな声が聞こえてきて、なんとか手に入れてやるかとハジメは諦めた。

 

「あぁ八坂? 悪い大丈夫か?」

「大丈夫なわけねえだろ……ミッションインポッシブルだぜマジで」

「ふふっ、まあ頑張れよ、そろそろ切るぞ」

「おう、また夏にな潤!」

「おう!」

 

  電話を切りハジメは一息ついた。麻帆良学園に入り新たな友人はたくさんできたが、ハジメにとってやはり一番の仲間達は同じ夏を過ごした潤達だ。例え短い電話でも少しでも声が聞ければそれだけで日々のやる気になる。気合いを入れ直し、今日はロボット工学研究科に顔を出そうと屋上を後にしようとしたが、赤毛の少年が杖に乗って空からやってくるのを見て、再び踵を返した。ふわりと重力を感じさせず屋上に降り立つネギだったが、どうも慌てているようでハジメの方に向かおうと足を急いで動かすが縺れてその場で転んでしまう。

 

「おいネギ大丈夫か? なんだよそんな慌てて、エヴァンジェリンのやろーがまたなんかやったのか?」

「あ、ハジメさんありがとうございます」

 

  転けたネギに手を貸してやり引っ張り上げると、急いで立ち上がりネギは礼を言うが、慌てた様子は変わらずズレている眼鏡も気にしていない。エヴァンジェリンの名前には首を横にネギは振ったが、また何か問題が起きたのは確からしく、ハジメは明後日の方を向いて現実逃避を図ろうとし、全くそれを気にした様子なくネギは口を開いた。

 

「ハジメさんすぐに一緒に来てください!」

「やっぱそういう感じか、なんだよ今度は、オメエの生徒の中に宇宙人でもいたか?」

「いやそうじゃなくって……、僕達を学園長が呼んでるそうです!」

「学園長……木乃香の爺ちゃんが? オメエは先生だし分かるけどなんで俺まで」

「それは分かりませんけど、兎に角行きましょう! ハジメさん乗ってください!」

 

  そう言ってネギは箒に跨り背を向ける。どうやらこのまま飛んでいくらしいのだが、隠さないといけない魔法をこんな普通に使っていいのかとハジメは呆れた顔になるもゆっくりネギの後ろに着くとすぐに箒は風に乗って飛び上がっていく。あっという間に校舎は小さくなり、気持ちのいい風がハジメの肌を撫ぜる。

 

「これで三回目だけどよ、空を飛ぶってのはいいな! 気持ちがいいぜ!」

「そうですね、僕も好きですよ!」

「ただ今度は落とさないでくれよ? 前にエヴァンジェリン達と喧嘩した時も結局岸の手前で落ちちまったし」

「それはしょうがないですよ! いくらなんでも五人は定員オーバーです……」

「エヴァンジェリンの怒りようったらハンパなかったな」

 

  ふらふらと飛んで岸が見え誰もが喜んだ時、「もう限界です〜〜」というネギの言葉の直後五人は見事に湖に落っこち間抜けな五つの水柱を上げた。満身創痍のハジメに動けない茶々丸、泳げないエヴァンジェリンの三人を明日菜が岸まで引っ張って行ってくれなければその場でお陀仏だっただろう。

 

「アスナさんのおかげで助かりました」

「全くだ、流石に死を覚悟したぜ」

「そういえばハジメさん怪我は平気なんですか? あれから一日しか経ってないのにそんなに動いて」

「いやなんか知らねえんだけどさ、朝起きたら怪我がきれいさっぱり治っちまっててよ。マジで驚いたぜ」

「それって……やっぱり、少し魔力を感じます。治癒魔法だと思いますがいったい誰が……」

「さてな〜〜? 案外エヴァンジェリンのヤツじゃねえか?」

「うーーんエヴァンジェリンさんは普通の時だと魔法が使えないはずだし……」

 

  そんな会話をしながらネギとハジメは窓から廊下に降り立つと、すぐ目の前にある学園長室の扉を開ける。広いメゾネット式のような部屋の執務机に麻帆良学園に入学した者なら必ず一度は見る妖怪ぬらりひょんを擬人化したような老人、学園長、近衛近右衛門がいつもと同じとぼけた顔で座っており、学園長の後ろ一面に貼られたガラス窓から差し込む陽の光を浴びる様は幻想的というよりはただただ怪しい。

 

「失礼します、学園長先生」

「あ〜〜失礼します?」

「フォフォフォ、うむ、二人ともよく来てくれたな。待っておったよ」

「ハイ!」 「はあ」

 

  学園長を前にピシッと気をつけの姿勢で答えるネギと、なぜ呼ばれたのか分からず生返事をするハジメ。対照的な二人の様子を満足そうに学園長は眺めるとまた嬉しそうに笑う。

 

「それで学園長先生、僕達が呼ばれたのはなぜなんでしょう?」

「そうっスね、ネギは分かりますけど俺まで呼ぶなんて……俺なんかしましたか?」

 

  とぼけたように言うハジメだったが、なんとなくだが呼ばれたわけは分かっていた。ネギの話から学園長も魔法使いであることは大分前から聞いており、魔法に関わってしまった自分がなんらかのことを言われるのではないかと予測したのだが、そんなハジメの心配をよそに、学園長はハジメの質問を受けてもただ笑っているだけだ。しかし、

 

(なんかめっちゃ見られてんだけど……)

 

  先生という共通点からネギの方に自分よりも重要な用事がありそうだというのに、学園長はネギとハジメが入って来てからずっとハジメの方に顔を向けている。ジッと老人に見られていい気分になるわけもなく、ハジメは学園長に向けるには不適当な微妙な表情を浮かべて自分の方から聞くことにした。

 

「あのなにか?」

「うむそうだのう……まずは先にネギ君、来週からネギ君の学校は修学旅行じゃったな?」

「ハイ! 京都ですよね! 僕楽しみで……」

「その京都なんじゃがちょっと中止になるかもしれなくての」

「え……修学旅行の京都行きが中止〜〜っ⁉︎」

「うむ……京都がダメだった場合はハワイに……」

 

  続けられた学園長の言葉は届いていないようで、ムンクの叫びのような顔を浮かべるとふらふらと力なく漂いだし、側にいたハジメにしなだれ掛かる。色が失せたかのように青ざめたネギの表情は文字通り死人のようで、それだけでどれだけ楽しみにしていたのかが伺える。

 

「おいおいネギしっかりしろよ、ハワイだって悪くねえさ、今度俺の親友もハワイに修学旅行だつってたしな」

「うぅだって京都には父さんが一時期住んでいた家があるっていうから僕楽しみに……」

「それは……でもしょうがねえだろオメエは先生で学校の決定ならよお」

「コレコレ、まだ中止とは決まっとらん。ただ先方がかなり嫌がっておってのう」

 

  この言葉にネギはすぐさま復活したが、ネギもハジメも首を傾げる。

 

「先方? 京都の市役所とかですか?」

「いやいや修学旅行お断りする市役所ってどんな市役所だよ。そんなことしたら問題になるぜ、まさかうちの学園そんなに評価悪いわけじゃねえだろうし」

「うーむ、なんと説明してよいやら、関西呪術協会、それが先方の名じゃ」

「「関西呪術協会……⁉︎」」

 

  関西呪術協会、当然ネギもハジメも聞いたことがない。関西呪術協会はその名の通り魔法ではなく呪術、西洋ではなく日本固有の呪術体型を守り、また妖魔を撃滅する退魔師が集まった組織である。その存在は魔法同様に秘匿されているが、名称からハジメは自分が知っている日本古武道協会のようなものかとあたりをつける。

 

「実はワシ関東魔法協会の理事もやっとるんじゃが関東魔法協会と関西呪術協会は昔から仲が悪くてのう……今年は一人魔法先生がいると言ったら修学旅行での京都入りに難色を示してきおった」

「え……じゃあ僕のせいですか⁉︎」

「まあ聞きなさい。儂としてはもうケンカはやめて西と仲良くしたいんじゃ。そのために特使として西へ行ってもらいたい」

 

  そう言って高そうな執務机の引き出しを開けると、これまた質の良さそうな紙の手紙を学園長は取り出しネギに手渡す。

 

「この親書を向こうの長に手渡すだけでいい。ただ道中向こうからの妨害があるやもしれん。彼らも魔法使いである以上生徒達や一般人に迷惑が及ぶようなことはせんじゃろが、ネギ君にはなかなか大変な仕事になるじゃろ……どうじゃな?」

 

 

  それを受けてネギは元気よく「任せてください!」と返事をする。父親の手掛かりを見つけるために京都に行きたいのだから当然だろう。だが、ハジメはどこから突っ込んでいいやら難しい顔でネギの方を見ており、それに気づいた学園長がようやっとハジメの方を向いたことで口火を切る。

 

「なあネギ、それはいんだけどよお、俺がいるとこでこの話していいのか?」

「え……あ!」

「フォフォフォ、よいよい。ハジメ君が魔法に関わっているということはもう周知の事実じゃ」

「ええっ⁉︎」「マジでか⁉︎」

「マジでじゃ、そこでハジメ君に頼みがある」

「頼みっスか?」

 

  学園長の細い目が少し見開かれてハジメを見た。物静かな迫力にハジメは言いようもない不安を覚えて聞きたくないと感じたが、そんなことは知ったことではないというように爆弾が落とされる。

 

「うむ、実はハジメ君にはネギ君の修学旅行に助っ人として付いて行って貰いたい。君の学校も丁度修学旅行じゃし大丈夫じゃろう」

「は?」

「頼むぞ」

「いやいやいやいやちょっと⁉︎」

 

  無慈悲な頼みを受けて黙っているハジメではない。ネギの助っ人というのは別に悪くはない、今までも少なからず協力してきた。しかし今回は日が悪い。執務机に急いで詰め寄ると、胸倉を掴むような勢いでハジメは学園長の方へと身を乗り出す。

 

「え?じゃあ俺のドイツは?」

「残念じゃが今回は見送って貰うしかないかのう」

「いやおかしいですって! ネギの助けになるのは別に構わねえが修学旅行について行くのは流石に無理だろ! だいたいネギの学校は女子校じゃあねえっスか⁉︎」

「そこはまあハジメ君と親しい者が多いだろうし問題なかろう」

「いやそういう問題じゃ……」

「もうハジメ君の学校からは了承を貰っているからのう、行かないとなると学園に留守番になってしまうがそれでもよいか?」

「え?」

 

  酷い、酷すぎる。こんな横暴があっていいのか? いや良くない。しかしハジメにはどうすることもできない権力という名の力が働いてしまっているらしい。何も言うことができず、ハジメは弱々しく頷くしかない。今度はハジメが死んだようにネギにしなだれ掛かった。

 

「まあそう落ち込まんでくれ、今回の任務が成功したら冬あたりにでも儂がドイツ旅行をプレゼントしよう」

「な〜〜んだ、それならそうと言ってくださいよ!」

「あれ? いいんですかハジメさん」

「おう、別に修学旅行じゃなくても俺はドイツに行ければいいからよ」

 

  ネギと同じく簡単に復活したハジメを見て学園長は満足そうに頷いた。だがそれだけというわけではなく、思い出したかのように最後の忠告を入れる。

 

「そうそう、京都といえば孫のこのかの生家があるんじゃが……このかに魔法のことはバレてらんじゃろな」

「え……たぶん」

「ワシはいいんじゃがアレの親の方針でな、魔法のことはできるだけバレないように頼む」

「わかりました!」

「うむ、では修学旅行は予定通り行おう頼むぞネギ君とハジメ君!」

「ハイ!」「おう!」

 

  元気の良く返事を返してネギとハジメは飛び去るように学園長室を後にする。一人残された学園長は、四角い眼鏡の男の顔を思い出しながら一枚の写真を取り出した。今の麻帆良学園の制服とは違った青っぽいセーラー服を着た一人の女性。その横にはなかなか顔の整った学ランを着た男が映っている。

 

「ハジメ、遅いぞ全く」

 

  一人ぼやくように呟いた言葉は誰に聞かれることもなく夕焼け空に消えていく。

 

  その下ではハジメとネギの二人が凄い勢いで走っていた。その身を動かす原動力は修学旅行が近いからという子供らしい理由だがそのスピードは尋常ではない。二人が通り過ぎた生徒達は目を丸くして二人の方を見る。

 

「さーて忙しくなって来たぞ! まずは修学旅行の準備をしなくっちゃ!」

「おう修学旅行は楽しいぜ! ゲームだのお菓子だの買いこまねえとな!」

「おいおい兄貴達浮かれすぎじゃねえか?」

「そんなことねえだろ!」「そんなことないよ!」

 

  今までネギの服の中に隠れていたカモが顔を出し注意を促すが全く聞き入れられない。ネギがどうもハジメに少し似てきたことにカモは顔を苦くする。

 

「まあいいけどよ、それより兄貴、昼に言いそびれたんだけどよ昨日の仮契約(パクティオー)の時にカードみたいなのが出なかったか?」

「え、えーとこれのこと?」

 

  そう言ってネギは確かに四角いカードのようなものをポケットから取り出す。それこそパートナーの証。凛とした顔をした明日菜が颯爽と描かれ、鋭い目つき、長く美しい肢体、手に持つは身の丈以上の巨大な剣。魔法使いの従者(ミニステル・マギ)としてあるべき姿がそこにはあった。

 

「なんだよそりゃ」

「おう兄さん、仮契約(パクティオー)を交わした証っスよ!」

「へ〜〜そんなもんがオマケで出んのか」

「オマケって……兄さんこりゃスゲエもんなんすよ」

「そうなのか?」

 

  仮契約(パクティオー)カードをハジメは走りながらしげしげと見つめるが、どう凄いのかまるで分からない。ただのカードに絵が描かれているようにしか見えないそれがどんな効力を持っているのか興味はあるが、キスの産物で生まれたものだ。パートナーといえばハジメは鈴音に誘われているが、そんなことする気はないハジメはしばらく眺めただけで欲しいとは思えなかった。

 

「まあ別にいいけどよ、それよりネギどうすんだ? これから服だのなんだの見に行くか?」

「そうですね、準備しないと」

「おーーいネギーー、ハジメせんぱーーい!」

 

  そんな会話をしながら走っていたネギとハジメの前に私服姿の明日菜と木乃香が姿を表す。どうやら二人ともネギ達と同じく修学旅行の準備をしているようで、手には幾つかの買い物袋が握られていた。仮契約(パクティオー)の話をしていたせいで明日菜とのキスを思い出したネギは顔を赤くして返事をするが、態度のおかしなネギは明日菜に突っ込まれてしまう。

 

「なに赤くなってんの?」

「いや、別に」

「ネギ君修学旅行の準備に一緒に買い物行かへん? ってネギ君それなんや! タロットカード?」

 

  油断していたのが悪いのかどうなのか、たまたま仮契約(パクティオー)カードを出していたネギの手から木乃香はそれを引っ手繰るとそれを輝いた瞳で見つめる。木乃香は占い研究会の部長を務めており、こういったものに頗る弱かった。

 

「ひゃーーしかもアスナの絵が描いてあるーー! や〜〜んかわぇ〜〜」

「えーなに本当だ! いつの間に……しかも何コレ変な格好してるし!」

「あの、アスナさんこれは仮契約(パクティオー)の……」

「え……ああ!」

「でもアスナのそんな綺麗なカード作って大事に持っとるなんてネギ君……」

 

  顔を寄せて秘密の話を始めるネギと明日菜の会話を盗み聞き、明後日の方へと思考を飛ばす木乃香にさっさと話を切り上げようと明日菜が動いた。魔法に関わることのため、ハジメも急いでそれに乗っかる。今さっき学園長に釘を刺されたばかりなのにそれを破ることは出来ない。

 

「はいはい行くわよ!」

「お、いいな行こうぜ行こうぜ!」

「ハジメ先輩も修学旅行ですもんね、確かドイツでしたっけ?」

「おうよ! ただドイツじゃなくてオメエ達と一緒だけどな」

「ん?……どういうこと?」

「あのですね明日菜さん、ハジメさんは僕達の修学旅行について来てくれることに……」

「えーーっ! そうなんやーー! なんでーーっ?」

「学園長が助っ人にって」

「ちょ、ちょっとどういうことよネギ⁉︎」

「いいじゃねえかその話は後でよ、取り敢えずさっさと買い出し済ませちまおうぜ!」

 

  ハジメのおかげで十分に話を逸らすことのできた一行は修学旅行の準備を今日には済ませてしまおうと数々の店へと入る。麻帆良学園はその大きさから学園内にある店の数だけでも相当な数になり基本手に入らないものは無い。さらに学園都市ということもあり、この時期どの学校も修学旅行であることから修学旅行セールをどの店でもやっており、財布の寂しいハジメと明日菜にも十分買い物ができた。

 

「兄貴兄貴」

 

  そんな中で服を買おうと服屋に寄った一行は試着のために男子と女子で別れた時のことだ。ふとカモが顔を覗かせネギを呼ぶ。

 

「何? カモ君」

「このか姐さんの唇奪っちまえよ」

「ぶッ⁉︎ オメエ急になに言ってんだ⁉︎」

「そーだよ⁉︎ 何急に言いだすんだよカモ君⁉︎」

 

  急に頭の沸いたことを言い放つカモの言葉にネギは驚き試着室の壁に頭をぶつけ、ハジメは吹き出したが、そんなことは気にせずにどこからか取り出した煙草に火をつけて吸い出したカモの口は止まらない。

 

「違う違う仮契約(パクティオー)の話だよ! これから関西のなんたらってのとイザコザがあるかもしれないんだろう? またエヴァンジェリンみたいなヤツがいないとも限らないし、仮契約(パクティオー)してる人数は多い方が有利だって!」

 

  そう言うカモの言うことも分かる。だからこそネギも黙って聞いていたが、それにハジメは黙っていない。

 

「ちょいと待ちな! そいつは聞き捨てならねえなあ」

「ハジメの兄さん⁉︎」

「男がそんな簡単に女とキスするもんじゃあないぜ! 男だったらなあ、愛した女一人にするもんでい!」

「ふっ、若えな兄ちゃん……人生の先輩として忠告しとくぜ……若えうちっていうのはなあなんでもいろいろと経験しとくもんだぜ、小さくまとまっちまったらお終めえよお」

「ふっ、オメエこそ分かってねえ、男だからこそ一途! それが男を強くするんでい!」

「「さあネギ(兄貴)どっちだ‼︎」」

「ええええぇぇぇぇ⁉︎」

 

  理不尽な選択肢を与えられネギは困ってしまう。二人の迫力に言い淀みもごもごとするネギにしびれを切らして二人が詰め寄っていく。どっちを選んでもそれは友人一人を裏切るということ、選びきれずに慌てるネギだったが、そんなネギにすこいの手が差し伸べられた。

 

「ネギ君着替え手伝おうかーー? って何してるんや?」

「うひゃあ⁉︎」

「あ、そのカードさっきのやーー、もっかい見せてくれへん?」

 

  驚いた拍子に落ちてしまった仮契約カードを木乃香は目敏く見つけ手に取ると再び輝いた瞳でそれを見つめる。

 

「はぁーーんやっぱりカワエエなコレ〜〜、ネギ君コレうちのも作ってくれへんかな〜〜?」

 

  カモに目が怪しく輝く。

 

「(チャンス!)兄貴行け! 行くしかねえ!」

「なにい〜〜⁉︎ バカオメエやめろ〜〜」

「うおぉぉぉぉここは俺っちに任せて早く〜〜」

 

  カモから小声の援護射撃を受けてネギは背中を押される。

 それに反対しようと小声で騒ぐという器用なことをするハジメだったが、カモが飛び掛かり足止めに動いた。木乃香も仮契約(パクティオー)カードが欲しいと言っている状況がネギの口を動かした。

 

「あ、あの〜〜えと、作れますよこのかさん」

「えっ! ホンマ!」

「で、でもあの〜〜条件があって、その〜〜キッスしなきゃいけないんですけど……なーんてダメですよねいきなりキスなんて言って」

 

  ハジメと学園長のこともあり遠慮がちに冗談めかして言われた言葉。そになんとも歯切れの悪さに反対しているハジメまで微妙な表情になる。

 

「キス? そんだけ? ええよそれ位なら」

「え……⁉︎」

「なあにい〜〜ッ⁉︎」

 

  しかし木乃香の返事はまさかのOK。ハジメの叫びが響き、その後ろでカモが親指を立てる。流石に恥ずかしいのか更衣室入り口のカーテンを木乃香は閉め、ネギの頬へと手を添える。

 

「待て待て待てもがもが」

「ふっ、兄ちゃん敗者は語らずよ、黙って見てな」

 

  止めようと動こうとするハジメだったが、カモに口を塞がれて思ったよりも苦戦をする。流石にオコジョと闘ったことのないハジメはどうやら二人がキスするまで間に合いそうもない。

 

  ネギも流石に悪いと抵抗するのだが、強引に顔を寄せる木乃香に押し切られてしまう。かわいいピンク色の小さな唇がネギの方へと近づいていき、それを目にしたネギの顔が薄っすらと赤みを帯びる。

 

  だがここでハジメの最初にあげた叫びが功を奏し、急遽飛んで来た明日菜がカーテンを勢いよく開けた。

 

  CHU☆

 

「俺っちの勝ちだぜ! 仮契約(パクティオー)〜〜!」

「もがもが〜〜⁉︎」

「ちょ、ちょっとあんた達なにやって……わ⁉︎」

 

  目も眩むような光が弾けて絆の結晶が形となる。四角い形を形取ったそれは宙に一瞬浮くとゆっくりと木乃香の手に落ちてくる。

 

「いやーん手品みたい! うちのカードやーーん」

 

  それこそパートナーの証。ぽけっとした顔の木乃香が落書きのように適当に描かれ、ふやけた目つき、短い肢体、身の丈以下のいかにも急ごしらえしましたといった適当な杖。魔法使いの従者(ミニステル・マギ)としてあるべきではない姿がそこにはあった。

 

「あーーんなにこのへちゃむくれーーアスナのと違うやんーーっ!」

「や、やっぱりちゃんとキスしなきゃダメなんだ……」

「え! そうなんか⁉︎」

「あ、消えちゃった」

「あーーん!じゃあネギ君もう一回〜〜」

「コラコラ木乃香落ち着いて!」

「チッ、ほっぺだったのかよ……またしくじったぜ」

「……ほほうなる程……ということはやっぱりあんたの仕業だったのね……」

「え! あ! ちょ、待! アスナの姐さん待った! 違うんスよーーこれは違うんスってなあハジメの兄さん!」

「ふっ、敗者は語らずよ、黙ってな!」

「アーーッ!」

 

  オコジョを一頻りボコボコに出来アスナは落ち着いたらしい、真っ赤に染まった帰り道を歩くカモの身体が赤いのは夕焼けなのか血なのかあえて語るまい。木乃香は木乃香でどうしても仮契約(パクティオー)カードが欲しいらしくまだ喚いている。なんだか今日はどっと疲れたとハジメは肩を落とした。

 

「あーーんカードうちも欲しいなあーー」

「あのよこのか、そのためにゃキスしなきゃいけないんだぞ? 女の子ならもうちょっとこうお淑やかにだな」

「む〜〜、ならハジメ先輩がキスしてくれる?」

「ぶッ⁉︎ オメエなあ⁉︎」

「あはは冗談や! でも欲しい〜〜!」

「はあ、全くよ」

 

  力という点ではなく、どうもハジメは木乃香に勝てる気がししない。おっとりとした少女であるが、強かな少女は確かに学園にいるぬらりひょんの血を引いているらしかった。あの老人からなぜ木乃香のような美人な子が孫として産まれるのか永遠のなぞだ

 

「そう言えばなんやけどハジメ先輩本当にうちらと一緒に京都行くんか?」

「おうそうだけどなんでだ?」

「だってハジメ先輩ドイツに行くって友達に自慢するゆうてたやんか、 それはいいん?」

「あ」

 

  今日一最大のハジメの悲鳴によって一日の幕が下りた。

 

 



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第9話 Change

「それでは皆さん15年度の修学旅行が始まりました。この四泊五日の旅行で楽しい思い出をいっぱい作ってくださいね!」

「はーーい!♡」

 

  ネギの合図に三十近い楽しげな声が重なり修学旅行が始まった。女子中学生だらけの騒がしい新幹線の車内の中で、一人浮いているハジメは、挨拶のために席を立っているネギが隣に戻ってくるまでぼうっと外の景色を眺めていた。

 

  学園長の頼みに安請け合いしてしまったが、明日菜達麻帆良女子中等部の面々の中にいてようやっと本当に京都に行くんだなという気になってくる。ネギのクラスは修学旅行のために班に分かれて行動し各々集まっているのだが、日本にまだ不慣れだろうネギの補佐といった表向きの理由を与えられているハジメは班には属しておらずただ一人座席に座っている。

 

  ハジメとは3-A全員前年度の三学期の初めに顔合わせは済んでいたのだが、修学旅行で数日一緒というと話が違く、明日菜を筆頭にバカレンジャーの四人に木乃香、鈴音に葉加瀬を含め他の者達も歓迎してくれたが思うどうも据わりが悪い。

 

  先生ならいざ知らず高校生のそれも男が付いてくるとなればそうもなるだろう。対外的に鈴音と葉加瀬と共に研究しているというある種の箔があるため、ハジメも天才だと勘違いされたおかげで他の一般の先生の目は誤魔化すことができたがどうも居心地が悪いと景色に逃げているのだ。

 

  歓迎されてはいるが、周りに女子しかいないということが大きい。これが相手が男ならズケズケと言うし、女子でも年下数人なら同じくズケズケ言える。しかし三十近い数の女子の中に放り込まれいつものように馬鹿騒ぎ出来るほどハジメは厚かましくなかった。

 

  思えば大分遠くに来てしまったとハジメは思う。中学一年の夏から二年半はあっという間に時間が流れ、高校に入ってからはロボットを弄り今は魔法を知り女子中学生に混じって修学旅行にまで来ている。

 

  言葉にすれば馬鹿馬鹿しいとため息が自然と出るが、それでもこれまでを省みて悪くはないと感じた。新たな友人、新たな知識、それらはきっとこの先自分に必要なことになる。そんなことを考えていたハジメだったが、隣に誰かが座って来たため思考はそこで終わりを迎えた。前の方でネギが生徒に絡まれているあたりネギではない。

 

  面倒くさそうに隣を見るハジメの目に映るのは不機嫌そうな厳しい顔で座っている剣道部でお世話になっている少女桜咲刹那であった。修学旅行だというのに手にはいつも持っている竹刀袋が握られており、修行漬けの生活を送っているらしい刹那らしいなとハジメはここに来てようやっと笑顔になる。

 

「よお刹那、どうかしたか?」

「大分参っているようですねハジメさん」

「そりゃ行く前は良かったけどさ、いざ行くとなってこんな女の子だらけの空間だと流石にいつものようにはいかないっつーかさ……こりゃネギのヤツも大変だぜ」

「今はそれはいいです。聞きたいことがあったので私はここに来ました」

「聞きたいこと? なんだよそりゃ」

「ハジメさんは何故ここにいるんですか?」

 

  そう言う刹那の顔からは厳しい色が消えず、鋭い目でハジメの方を睨んでいる。その理由が分からずハジメは肩をすくめるが刹那からの厳しい目は変わらない。

 

「何故ってそりゃネギの補佐のために学園長に頼まれたからさ」

「それは知っています」

「じゃあなんだよ」

「はあ……分かりました。ちょっとこちらに来てください」

「あ、おい!」

 

  いまいち要領を得ないことを言う刹那はハジメの手を引いて車両を後にする。3-Aの生徒がいる車両から出るだけで喧しさは随分と下がり、静かな車両の中を後ろに後ろにと刹那は歩いて行った。どうっすっかなと頭を掻くハジメだったが、やることがあるわけでもなく、車両を隔てる扉に空いた窓からネギの顔を一度ちらりと覗いたが、刹那に着いて行くことにした。騒いでる他の生徒たちはハジメと刹那が抜け出したことにまるで気がついていないらしい。

 

  三つばかり車両を移動すると、平日ということもあって車両の中の人はかなり疎らだ。そこならいいというのか、自由席であるため適当な席に刹那は座りハジメの方を見て、続いて通路を挟んだ座席を見る。

 

  ハジメはいったいなんだというのかといった視線を刹那の方へと投げるのだが、目を瞑った刹那は何も言う気がないらしく、それなら座るしかないようだとハジメは不機嫌な顔のまま刹那が見た座席に腰を下ろした。

 

「で? なんだよいったい、修学旅行だっていうのによお、こんな場所にいていいのか?」

「いいでしょう別に。私の班はもともとエヴァンジェリンさん達と同じ班でしたがエヴァンジェリンさん達が欠席のためあってないようなものですし他の方に迷惑は掛かりません」

「そうかよ、で?」

「ハジメさん、貴方はどこまで知っているのですか?」

「あん?」

 

  いざ座席に着いて発せられた刹那の話はこれまたなんとも言い辛いものであった。なんともふわふわとしていて中身を見せない会話にハジメは眉を歪めて意味不明だとアピールするのだが、肝心の刹那はそれが全てというように全くの無表情で見返してくる。

 

「貴方が魔法に関わっていることは知っています」

「は? おい刹那お前」

「ネギ先生はまだ身元が分かっているし信頼できるでしょう。ただ貴方には不確定な要素が多すぎる。貴方は味方ですか? それとも……敵だから私の近くにいたのでしょうか?」

 

  竹刀袋の紐が解かれ、その中身が姿を表す。質に良さそうな木に包まれて露わになるそれは一般人なら目を顰めるだろうが、なまじ剣術を齧っているハジメにはすぐに検討がついた。そしてうすら寒い感覚がツーっと背中に流れる。

 

  刀、それも本物。

 

  例え身を隠されていようともそのうちに眠る暴力を超えた

  鋭い気配は消し切ることができない。ハジメも剣術をやっているからこそ、真剣を手に持ったことはある。だがそれは技の継承や型を覚えるためのものであり、決して日常の中で帯刀するためのものではない。だというのにごく自然になんでもないように修学旅行中に刀を持っている刹那の異常性にハジメは目を剥いた。

 

「……おいおいちょっと待てよ、意味が分からねえぜ」

「意味が分からないですか……ならこう言いましょう。私は関西呪術協会に所属しています」

「なに?」

「私はこのかお嬢様を守るためにここにいる。もし貴方がお嬢様に危害を加えるようならば……」

 

  刃と鞘の擦れる甲高い鍔鳴りの音が響き、鞘と柄の間から白銀の刃が姿を見せる。ただ敵を斬るために何年も人が研究し続けた武器の集大成の一つ。引き抜かれこそしないが、それをよく知るハジメの肌に生えた産毛がぶわっと逆立つ。だが同時に気が抜けて、座っている座席に深く沈み込んだ。

 

「オメエなあ、俺がこのかに危害を加えるなんてことあるわけねえだろ」

「では味方だと?」

「ったりめえだろうが! つうか酷えぜマジで、ネギは信頼できるが俺は違うって? 一年も剣道部で一緒だったってのに酷すぎだろ」

「一年一緒と言っても私はハジメさんの事を全然知りません、一応確認ですよ」

「そりゃオメエが知ろうとしなかっただけだろ」

「それは……」

 

  その通りであった。ハジメは一人でいることの多い刹那を気にかけてよく声を掛けてくれたが、それに応えなかったのは刹那自身、実際にハジメの誘いを強引にとはいえ受けたのは一週間前の食事の一回きりだ。

 

「全くよお……まあいいぜそれは、それよりオメエ俺に魔法関係者だの関西呪術協会だのの話してよかったのか?」

「問題ありません、麻帆良にいる主要な魔法関係者はハジメさんがすでに魔法に関わっているということは知っていますし、何より関西呪術協会も関東魔法協会と友好を結ぼうと動いていますから」

「はあ……つまりあれか? ネギはこっちの特使だがオメエはあっちの特使みてえな」

「特使ではなく派遣された護衛とでも思って頂ければ、とはいえ私の仕事の第一はお嬢様をお守りすることですから」

「お守りするってオメエ今までそんなこと一言も……」

「……ハジメさん静かに」

 

  急に刹那が立ち上がり、やって来た方の車両を見る。ハジメも刹那の視線を追うようにそちらへ目をやるが何かがあるようには見えない。だが刹那には分かることがあるようで、立ち上がると元いた車両の方へと歩いていく。急に変わった刹那の態度に少し驚くがすぐにハジメも席を立って後を追う。

 

「おい刹那」

「魔力を感じます。お嬢様のいる車両の方ですが、そちらは問題は無いようです。問題があるとすれば今急速にこちらへ向かってくる魔力が一つ……」

「おいおいエヴァンジェリンみてえなヤツが向かって来てんのか?」

「まさか、エヴァンジェリンさんクラスだったならもっと焦っていますよ」

 

  そこまで言って刹那は車両を出ると車両同士の乗降口の待合で止まり竹刀袋から刀を全て取り出した。視線は前に据えたまま、ハジメもそちらを向いているのだが未だ何も変わらない。だが刹那が刀を構えたと同時に一匹の燕が飛び込んできた。それにハジメが驚くのも束の間、ふわりと前に出た刹那を燕が通り過ぎたのと同時に燕の身体が真っ二つに切り裂かれる。あまりに早い太刀筋にハジメには刃が描く白銀の軌跡しか見えなかった。切られた燕は血を噴き出すこともなく、その場でひらひらと地面に落ちる。ハジメがそれを手にとってみれば、なんの変哲もない紙であり、目がおかしいのかと目を擦ってみても見えるものは変わらない。

 

「おい刹那これって……」

「式神です。やはり妨害が始まったようですね」

「式神っておまえ」

「どうやらネギ先生を今回は狙ったみたいです」

「ネギを? それって……っておい刹那そりゃあ」

 

  ハジメのように地に落ちた燕の残骸に刹那が手を伸ばし拾ったそれは学園長から渡された親書で間違いなかった。この修学旅行が本当に面倒臭さを漂わせて来たことにハジメは顔を顰めると同時に、燕が来た方向から今度はネギが飛び込んでくる。

 

「待てーーッ! って、え⁉︎」

「……ネギ先生……」

「おうネギ」

「……桜咲さんとハジメさん……?」

 

  何故か親書を手に持っている刹那と燕の飛んだいる方向にいたハジメにネギは目をパチパチと動かす。刹那は自分の用事は済んだというように「落し物です」と言って親書を手渡すとネギが来た方向へとさっさと行ってしまう。

 

「あ、ありがとうございます! 助かりました!」

「気をつけた方がいいですね先生、特に……向こうに着いてからはね、それでは」

 

  そう言って今度こそ去っていく刹那の背中をネギはただ見送ったが、ハジメは刹那に着いて行った。ネギのことも心配だが、今はそれよりも気になることがある。

 

「おい刹那オメエなあ、もっと言い方なかったのか? ネギに関西呪術協会のこととか言わなくてよかったのかよ」

「別に言う必要はないでしょう」

「あのな……」

「ハジメさん貴方もです。味方だというなら寧ろ私のことは気にしなくて結構、ネギ先生やこのかお嬢様の方に着いていてください」

 

  全く振り返りもせずに刹那は3-Aの車両へと戻っていく。「そういうわけにはいかねえだろ」というハジメの言葉は決して届かず、京都に着くまで不機嫌なハジメと、よく状況の分からないネギは隣に座ってはいたが会話もなく新幹線に揺られ続けた。

 

 

 

 

 

「こいつはやべえな……」

 

  そうして京都に着いたはいいものの、そこからが刹那が言った通り大変だったのは言うまでもない。最初に降り立った清水寺でさえ何故か観光地に突如ある落とし穴、水に混じらされた酒としょうもないが効果的な妨害を受けてその対処に奔走する羽目になったハジメとネギはクタクタに疲れていた。移動も含めた初日の京都での短い活動で既にこれなのだ。二日目三日目とどうなってしまうのか分かったものではない。宿泊する宿に着き、先生は早めに風呂に入ることという理由でネギと助っ人であるハジメは一足先に風呂に浸かり疲れを癒していた。

 

  大きく無骨な岩が温泉の湯から雄々しく顔を出し、そこに張られた透明な湯は肌に心地いい。ネギとハジメとネギに着いてきたカモは肩まで湯に浸かりため息を吐く。

 

「ふーーすごいね〜〜、これが本物の露天風呂なんですね〜〜」

「ああ、こいつが無かったら今日はやってらんないぜ全く」

「風が流れてて気持ちいいねーー」

「おうよ、これで桜咲刹那の件がなければなあ」

「ん? なんで刹那の名前が出んだよ」

 

  カモから零された言葉にハジメが反応する。刹那は確かに無愛想であんなだが悪いやつではない。だがそんなハジメの考えとは違い、ネギとカモには別の考えがあるらしい。

 

「カモ君が言うには桜咲さんは西のスパイだって」

「おう間違いねえぜ、常に竹刀袋手に持ってよお、兄貴の親書まで持ってたしな! あの時兄さんは取り返そうとしててくれたんじゃねえのか?」

「あのなあ、んなわけねえだろ! 刹那はそんな悪い奴じゃねえよ、俺は一年もあいつと剣道部で一緒だったんだぜ? あの時だって親書を守ってくれてたんだよ!」

「兄さん騙されてんすよ!」

「なんでそうなんだ⁉︎」

「まさか……兄さんもスパイってこたあ⁉︎」

「オメエ湯に沈めんぞ……」

 

  カモの頭にハジメが手を乗せると流石に「分かったっス!」と言ってくれるが、勘違いさせてしまっている刹那が悪いのであまり強く言えない。もう少しだけでも愛想が良ければこうならなかっただろうにと頭を抱えるハジメをさらに追い詰めるかのように入り口の扉が開く音がする。

 

「ん? 誰か来たよ、他の先生かな?」

「んじゃこの話はここまでな」

「そうですね……って⁉︎」

 

  ネギが誰が入ってきたのか確認しようと背にしていた岩から覗き込むように入り口の方を伺えば、そこにいたのは今まさに噂をしていた人物が一糸纏わぬ姿でかけ湯をしていた。つまりその相手は、

 

「せ、刹那さん〜〜⁉︎」

「うっそだろおいぃぃぃぃ⁉︎」

「なななんで⁉︎ 脱衣所は男女別なのに中はおんなじ〜〜⁉︎」

「混浴ってんだぜ兄貴」

「オメエ気づいてたんなら言えよ⁉︎」

 

  岩陰に隠れこそこそこと会話する三人だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。何よりこの状況はマズすぎる。ハジメの中ではいつものように無表情で自分やネギの首を刀ではねる刹那の姿が思い浮かび、サーっと顔の血の気が引いた。だというのにそんなハジメの気も知らずネギはぽけーっと刹那に見惚れて固まっている。仕方なくネギの腕を引っ掴みなんとかその場を離脱しようと試みるのだが、ふと聞こえてきた刹那の呟きにネギもハジメも進む足が止まってしまう。

 

「ふう……困ったな……魔法使いであるネギ先生……ついでにハジメさんならなんとかしてくれると思ったんだが」

 

  この呟きに魔法使いだと刹那が知っているはずはないと思っているネギから魔力が漏れ、それに気が付いた刹那によって夜の露天風呂を照らす照明が割れる音と共に刹那の声が響く。

 

「誰だっ⁉︎」

(おいおいおいやべえ終わった⁉︎)

 

  ハジメの想像通り、ネギとハジメの姿を隠していた偉大な岩は飛んできた刹那が風呂場だというのに何故か持っている刀に綺麗に切り裂かれる。直線の歪みない岩の切断面の間から、ハジメ達の背から差し込む月明かりに照らされて浮かび上がるように光を纏う刹那の姿が徐々に露わになる。ネギが見惚れてしまうのも納得だとハジメも刹那の日本人らしい奥ゆかしい肢体に目を奪われ固まってしまう。そんなハジメとは対照的に見惚れるのを早々に済ませ元々刹那を警戒していたこともあり、切られた岩の破片が着水すると同時に、その水飛沫で手元から放つ魔法の軌跡を隠しながら護身用で持ってきた子供用練習杖を振るう。

 

風花(フランス) 武装解除(エクサルマテイオー)!」

 

  意表を突いたこともあり見事ネギの魔法によって刹那の手元から武装解除を受けた刀が後方へと転がるがそこは刹那もプロの退魔師、それで止まるわけもなく、離れ杖を構えたネギでなく、近くで突っ立っているハジメに肉迫すると首を鷲掴み男ならそんなに強く握られたくは無いところを握られる。

 

「何者だ。答えなければひねり潰すぞ?」

 

  ひねり潰す……それだけはやってはいけない。何処とは誰も言わないが、それだけはダメだ。強く掴まれた衝撃にハジメの下腹に言いようもない鈍痛がジワジワとせり上がってきて、何を言うよりもまず手を離して貰いたいのだが、下手に突き飛ばしアレが取り外されでもしたら取り返しが付かない。幾ら二つあると言っても二つしかないのだ。この歳でそれとおさらばするにはまだハジメには覚悟が足りない。

 

  血の気の引いた顔をさらに青ざめさせたハジメの顔が薄っすらと張っていた雲の切れ間から覗いた月明かりに照らされて、ようやく殺気立った顔をしていた刹那の顔から影が消えた。どころかハジメが今まで見たこともないくらい顔を赤くさせていく。

 

「は、ハジメさん……?」

 

  ハジメの土気色をした顔に気が付いた刹那はパッと手を離すと、慌てて謝罪をしてくれる。その姿はハジメも初めて見る姿で、顔を赤らめわたわたとする刹那は普通の女子中学生のようだ。だがそういうことではない。そういうことではないのだ。ハジメの只ならぬ様子が分からないネギとカモは不思議そうな顔をし、ハジメ以外で唯一全て分かっている刹那が弁明を入れる。

 

「いえ、あの、これはその、仕事上急所を狙うのはセオリーで……えと、ゴメンなさいハジメさん!」

「…………おう……もう、マジでさ……この状況にツッコム気力もねえよ……なあネギ、俺生きてるよな? 付いてるよな?」

「えと……何がでしょう?」

「……バカ、流石にレディーの前で言えるわけねえだろ……はあ」

 

  安心感と恐怖によってハジメはその場で膝をついた。刹那が裸で目の前にいる状況、いつもなら喚いて注意するのだがそんな気力は残っていない。ただ良かったと感じた。ハジメの子孫は途絶えずに済む。

 

「ハジメの兄さん⁉︎ や、やいてめえ桜咲刹那! やっぱりてめえ関西呪術協会のスパイだったんだな⁉︎」

「な、違う誤解だ! そうですよねハジメさん!」

「……ソウダヨ〜」

「チキショウ! ハジメ兄さんを洗脳しやがったなてめえ⁉︎」

「ああもう! 私は敵じゃない! 15番桜咲刹那、一応先生の味方です!」

「へ? あのそれってどういう……」

「……だから言ったのによ」

「ハジメさんの言う通りです! いいですか? 私はこのかお嬢さまの」

「ひゃああ〜〜〜〜っ⁉︎」

 

  その続きが刹那の口から語られることは無かった。脱衣所の方から聞き覚えのある声で悲鳴が流れ込んでくる。その声はハジメと刹那とネギがよく知る声だ。各々バスタオル一枚を纏い真っ先に刀を手に刹那が駆け出して、続いてネギが、ふらふらとハジメが後を追う。

 

「この声ってこのかさん⁉︎」

「まさかやつらこのかお嬢さまに手を出すつもりか?」

「え?……お嬢さま?」

 

  ネギの疑問には答えてくれず、刹那は脱衣所まで加速することをやめない。その刹那になんとか追いつきネギと刹那が戸を開けた先では、露天風呂に入りに来ていた明日菜と木乃香が小さな猿の式神に群がられているところだった。猿たちは何故か執拗に明日菜と木乃香の下着を狙い、木乃香の下着を剥ぎ取ってしまう。

 

「あ、せっちゃん!ネギ君! あーーん見んといて〜〜 !」

 

  守るべき相手である木乃香が辱められ黙っている刹那ではない。普段見せない激情が顔に現れ、手に持つ刀を抜き放つ。

 

「この小猿ども……このかお嬢さまに何をするか〜〜⁉︎」

「きゃっ! 桜咲さんなにやってんの⁉︎ その剣ホンモノ⁉︎」

「ダメですよ! お猿切っちゃかわいそうです!」

「あ! 何するんですか先生⁉︎ こいつらは低俗な式神、切っても紙に戻るだけで……ってわあ⁉︎」

 

  猿を式神だと分かっていないネギが刹那を止めようとしがみつき、急なことで二人とも倒れ込んでしまう。ようやっと追いついたハジメの目の前で裸の刹那とネギが抱き合うというまたよく分からない光景が飛び込んで来たためハジメは呆然としてしまう。そんな混乱の中で無数の猿達は木乃香を担ぎ上げると何処かへ連れ去ろうと運んで行くのが目に入り、明日菜の叫びと同時にハジメは駆け出した。

 

「おい刹那、なんかよく分からねえが刀はあれだから鞘を借りんぜ」

「ハジメさん!」

「オメエも行くんだろ? 味方だってえなら力を貸せ、剣道部じゃやったこと無かったが初めての合わせ技だ行くぜ!」

「ハイ!」

 

  剣道部最強の二人の技が猿を切り裂く。木乃香を連れ去る猿達にたったの一歩で近づくと初めに振られるのはハジメの剣。振り慣れた横薙ぎの一閃を身体を突っ込んだ超低空に傾けたまま猿達の足元を残らず切り上げる。

 

  そうして浮いた猿達と木乃香の間に桜が散った。京都神鳴流百烈桜花斬、木乃香を避けて猿達を細切れに切り伏せる刃の桜吹雪。宙を走る銀線の中を落ちてくる木乃香をハジメはしっかりと受け止めた。

 

「せっちゃん、ハジメ先輩……なんかよーわからんけど助けてくれたん? ……あ、ありがとう!」

「あ……いや……」

「おう無事で良かったな、それに俺のは八つ当たりだ。あーまだムカムカすんぜ、この下腹部の怒りをいったいなんにぶつけりゃいいんだ! おい刹那鞘返すぜ!」

「え、あ、ああ⁉︎」

 

  鞘を受け取った刹那は顔を真っ赤にして走り去って行ってしまう。後に残された者達は間抜けに口を開けてそれを見ていることしかできない。

 

  走り去っていった刹那の顔、それは無愛想ではなく、また無感情ではない少女の顔。やはり刹那には友人が必要なのだとハジメは想う。そんな刹那の走り去った後ろ姿をハジメの腕の中から見る憂いた木乃香の顔にハジメは気づき、また一つ面倒ごとが増えたことを悟ったのだった。



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第10話 HERO(ヒーローになる時 、それは今)

  刹那のことが気になるネギと今回の修学旅行でネギに協力することにした明日菜、困ったことになったと一人頭を捻るハジメの三人は、刹那と関係が深い木乃香の話を湯から上がった後に静かに聞いた。

 

  いつも明るく元気な木乃香から細々と語られたことは昔の木乃香と刹那のお話。小さな木乃香の初めての友達の話は小さいながらも幸せに溢れた話だった。

 

「うちなにか悪いことしたんかな……せっちゃん昔みたく話してくれへんようになってて……」

 

  だが最後に零された木乃香の言葉が全てだ。それから刹那と疎遠になった理由が分からないと薄っすら涙を浮かべ困ったように笑う木乃香を見て、三人とも何も思わないわけがない。いつも木乃香にお世話になっているネギ、木乃香と親友である明日菜と、刹那と木乃香、今の二人をよく知るハジメは顔を俯かせる。

 

  刹那が木乃香と疎遠になったのは間違いなく魔法のせいであった。一般人に魔法は秘匿されなければならない。それに加えあの刹那の不器用な性格、木乃香には魔法を知らずに育って欲しいという木乃香の親の方針も含め、ならば近くにいない方がいいと刹那が選ぶのはある意味自然なことであるのだがそれにしたって極端である。

 

  いくら理由があるとしても、守らなければならない相手が涙を見せるような状況を作っていいわけがない。刹那が木乃香を実際にネギ達の目の前で守ったことから味方であることに間違いはない。ならば、本人にいろいろと聞くことが一番の近道だと傷心だが気丈に振る舞う木乃香を部屋まで送り届けた三人は去っていった刹那を探すために旅館の長い廊下を歩き回る。

 

「このかさん淋しそうでしたね」

「うん、普段のこのかなら絶対あんな顔しないもん」

「全く刹那のやろうは困ったヤツだな」

「でもなんで桜咲さんはこのかを避けるのよ、それって意味あるの?」

「さあな、魔法の秘匿が関わっちゃいるんだろうが確かに避ける理由にはなんねえ」

「とにかく刹那さんを探しましょう!」

 

  就寝時間になり、生徒を部屋に返すために廊下ですれ違う生徒たちに先生であるネギは部屋に戻るよう呼びかけながらくまなく旅館を歩き回る。清水寺で大多数の3-Aの生徒が酒によって撃沈しているためネギの労力としてはそれほど大変ではなく、刹那の捜索に十分力を入れることができる。結局客室のあたりにはおらず、そこを越えて玄関のすぐ前にある待合室に続く階段まで三人が身を移したところで玄関口でお札を張っている刹那をようやく見つけることが出来た。

 

「何やってるんですか? 刹那さん」

「これは式神返しの結界です……」

 

  近付いたネギからの質問に驚くこともなく刹那は淡々と返しお札を張る手も止めずに答えた。よく見ればまだ顔に薄っすらと赤みが差しており、先ほど露天風呂の脱衣所であったことをまだ気にしているらしい。失礼な話だが、それを見てハジメは刹那も女の子なんだなあと一人勝手に納得した。

 

  刹那がお札を張っている間も離れずに刹那に張り付く三人に、説明しないことを諦めた刹那は仕方なく待合室のソファーにと三人を誘導すると腰を下ろす。刹那の顔から言ってまだ納得仕切ってはいないようだが、それでも話を聞こうと対面のソファーに座る三人を見て一度ため息を吐いた。

 

「……敵の嫌がらせがかなりエスカレートしてきました。このままではこのかお嬢さまにも危害が及びかねません。

 それなりの対策をこうじなければ……ネギ先生は優秀な西洋魔術士と聞いてましたので上手く対処してくれると思ったのですが、対応が不甲斐なかったので敵も調子に乗ったようです」

「す、すみません⁉︎」

 

  説明しながらの棘のある言葉がグサリとネギの心に突き刺さる。それに加えて話す内容も敵のものではなく、絵に描いた味方のものだ。最も刹那のことを疑っていたカモは物凄く苦い顔になり、ちらりと見たハジメの顔から放たれる鋭い視線に毛を逆だたせた。

 

「す、すまねえ剣士の姐さん! 味方とは知らず目一杯疑っちまった!」

「ごめんなさい刹那さん! 僕も協力しますから襲ってくる敵について教えてくれませんか?」

「……私達の敵はおそらく関西呪術協会の一部勢力、陰陽道の呪符使い、そしてそれが使う式神です」

 

  少し迷ったように目を泳がせた刹那だったが、真剣に謝り協力を仰ぐネギの姿に特に断る理由もないので話してくれる。

 

  呪符使い、それは古くから日本に伝わる陰陽道を基本とした術師。西洋魔術士と同様に術を唱える時に無防備となることを弱点とし、そのため西洋魔術士が術を唱えるまでの間身を守ってくれるパートナーと同じように、強力な式神を使い護衛にするといったことをする。

 

  さらに厄介なのが刹那や剣道部顧問である葛葉先生、神鳴流剣士の存在だ。関西呪術協会と仲の深い神鳴流剣士は、今は昔妖が闊歩し魔都であった京を護り魔を討つために組織された掛け値なしの力を持つ戦闘集団。術師の護衛に神鳴流剣士がつくこともあり、そうなってしまえば非常に手強いと言わざるおえない。

 

  そう言った内容の話を刹那から聞かされ、ネギ達は冷や汗を流す。神鳴流剣士、刹那のような存在が敵方につくことがどれだけ恐ろしいか露天風呂の一件だけで十分よく分かる。

 

「ちょっとなんかヤバそうじゃん⁉︎」

「まあ今の時代そんなことは滅多にありませんが……」

「おいやめろ、そーいうこと言うんじゃねえ」

「じゃ、じゃあ神鳴流っていうのはやっぱり敵じゃないですか⁉︎」

「はい……彼らにとって見れば西を抜け東についた私は言わば裏切り者……でも私の望みはこのかお嬢さまをお守りすることです仕方ありません。私は……このかお嬢さまを守れれば満足なんです」

 

  俯く刹那は何かを諦めたように笑う。

 

  大事な人を守りたい気持ちがハジメには痛いほどよく分かった。例え誰が何を言おうとその思いを止めることは叶わない。独りよがりであろうとも、それをしなければ自分が自分を許せないのだ。もし守れなかった時、他の全てが自分を許そうと自分の想いが自分を殺してしまう。だからこそそんな自分に負けないように、自分に向けて常に刃を向けるしかないのだ。そのため常に眉間にシワが寄り、周りに対して興味もないような冷酷な顔になってしまうが、それは決して冷たいからではない。寧ろ熱いが故にそうなるのだ。

 

  その熱を受け取ったネギ達の心も熱を上げ、それを周囲に発散させるかのようにこのかの親友である明日菜は勢いよく立ち上がり熱を返すように刹那の肩をたたく。

 

「よーし分かったわよ桜咲さん! あんたがこのかのこと嫌ってなくて良かった! それが分かれば十分よ、 友達の友達は友達だからね! 私も協力するわよ!」

「まあ妹分たちのためだしな!」

「か、神楽坂さん、ハジメさん……」

「よしじゃあ決まりですね!3-A防衛隊結成ですよ! 関西呪術協会からクラスのみんなを守りましょう!」

 

  ネギの一言と共にネギ、ハジメ、明日菜、刹那の手が重ね合わせられ、ここに防衛隊が誕生する。子供っぽいネーミングセンスだが、それにやる気を起こしたネギは早速見回りだと走っていき、それに呆気にとられしばらく固まっていた三人の中でハジメがネギを追ったが完全に見失ってしまった。

 

  明日菜と刹那は中を見守るそうで、仕方なくハジメは一人ネギを探しながら外を歩く。五月といえど夜は未だに肌寒く、それも浴衣ならば尚更だ。

 

  しかし、そんな冷たい夜風がハジメの頭を冷やして冷静にしてくれる。刹那の話の通りならば、今回の騒動にハジメの入り込む隙は無い。茶々丸との喧嘩でハジメが勝負出来たのは茶々丸の優しさとそんな茶々丸をよく知るハジメだったからだ。そうではない完全にこちらを叩き潰そうと動く敵を前にしてハジメが闘えるかと言われれば、非常に厳しいとハジメは考える。

 

  だが厳しいと言ってもそれで何もやらないハジメではない。例え泥水を啜ることになろうともジタバタするのがハジメだ。それも刹那と木乃香のためならば、友人であるからこそ力を貸したい、冷たい夜風を切り裂いて進むハジメだが心は重い。

 

「ハジメ何やってるネ」

 

  空に浮く月を見ながら一人覚悟を決めていくハジメに不意に聞き慣れた声が落とされる。旅館の外周の塀の屋根になんでもないように座る鈴音が可笑しそうに惚けた顔のハジメを見た。

 

「鈴音……」

「一人で散歩カ? こんな時に一人きりは危ないヨ」

「パンツ見えてんぞ」

「もう! ハジメはエッチネ!」

「オメエのせいだろ……」

 

  風にはためく浴衣を抑え鈴音は塀の上からぴょんと飛び降りるとふわりとハジメの隣に降り立ち並んで歩く。顔を赤くして睨んでくる鈴音の相手を今はしている場合ではないとハジメは歩く速度を落とさないが、それに負けじと鈴音は着いてきて口を挟んだ。

 

「もうハジメ聞くヨ!」

「あのなあ、オメエそう言うってことはいろいろ知ってんだろ? オメエは協力しねえのかよ」

「いや私はまだ表舞台には立たないネ!」

「なんだよそりゃ」

「ふふっ、だが私はネギ坊主達に協力しなくてもハジメには協力するネ」

 

  あどけない顔で笑う鈴音のことがどうにもハジメには理解できない。自分が魔法使いであるとバラしてから関西呪術協会よりも何よりも鈴音の方が理解不能だ。

 

「協力って?」

「そうネ〜〜、例えば仮契約……」

「ぶっ! 馬鹿かオメエは⁉︎」

「なんで馬鹿になるヨ⁉︎」

「仮契約ってことはキスしなきゃなんねえんだろ!」

「そんなわけないネ! 確かにそれが一番手っ取り早いガ他にだって方法はあるヨ!」

「あ、そうなの?」

「それともハジメは私とキスしたいカ?」

 

  唇を指差す鈴音の顔はいつものようにふざけた顔だが、ハジメは鈴音の月明かりに照らされたほのかに赤く輝く唇にどうしても目が行ってしまう。それが分かっているように鈴音は徐々に顔を近づけてくる。いつの間にか鼻先が触れ合う位置に鈴音の顔があり、ハジメは慌てて自分と鈴音の間に手を挟んだ。

 

「近え! 近えよバカ!」

「むー、折角ちゅーしてあげようとしたのに……」

「いらんわ⁉︎」

「全く、じゃあこれをあげるネ!」

 

  浴衣しか着ていないように見える鈴音から弧を描いて飛んでくるものをハジメは落とさず手に掴む。

 

「これって……」

「旅館で売ってた木刀ヨ、本当なら刀がヨかたかもしれないけどネ」

「いや十分だわサンキュな」

「ただそれでも厳しいヨ」

 

  関西呪術協会の層は浅くはない。刹那一人とってアレなのだ。それはハジメには十分よく分かっているが、鈴音にわざわざ言われると余計に気が重くなってしまう。何より相手は真剣を手にした刹那が闘わなければならないような相手。

 

「そりゃ分かってるが」

「だからハジメ、もっと強く剣を振るネ」

「は?」

「ハジメはいつも剣を振る時遠慮してるネ、本当はもっと強く剣を振るえるはずヨ。そしてその時の想いを大事にするヨ、そうすればハジメは闘えるネ」

「そりゃどういう」

「ハジメだって神鳴流と同じく古流武術の使い手ネ、その技は魔にすら届くはずヨ」

 

  手に持つ木刀をハジメは見る。昔師匠に言われたこと。

 

「我が流派は最初の居合で全てが決まる。外せば死だが当たれば勝つ。左の一歩を強く践めよ、その一歩が強ければ強い程誰にだって届き得る。いいかハジメ時を刻め、お前の一歩が全てを作るのだ」

 

  その時の言葉の意味がハジメにはよく分からなかったが、今ならよく分かる。例え凡人だろうとも、迫り来る死に一歩を踏み出さなければいけない時がある。

 

「うちの流派は弱くねえ、それは俺が一番分かってるぜ。それが一番の近道だから俺は選んだんだ。俺はこれで守るために強くなった。……あんがとな鈴音、迷いが吹っ切れたぜ」

「そうか、それならハジメ駅へ走るネ」

「……なんでだ?」

「このかが連れ去られたヨ、刹那と明日菜、ネギ坊主がこのかを追ってるネ」

「なにい⁉︎ オメエ知ってんのになんで早く言わねえんだ⁉︎」

「私はまだでしゃばれないからネ、さあ行くネ!」

「言われんでも行くわ! オメエ覚えとけよ!」

 

  笑顔で手を振る鈴音を後にハジメは走る。昼間は学園と同じくらい騒がしい京都だが、夜は静かだ。学園の洋風の風景とは違う古く木造の町並みが後ろへ吹っ飛んでいくのを眺めながらハジメは足を動かす。なにも走るハジメの目には映らないが、それでも走る事をやめない。

 

  どうもここ最近ハジメの見たことのない一面を見せ続ける鈴音だが信頼はしている。その言葉に従って駅が見えてきた頃、ようやく走るネギ達が見えた。だがだいぶ距離があり、駅のホームへとネギ達が消えていったと同時に汽笛がなった。

 

(マジかよ⁉︎)

 

  少しずつ加速していく電車を目に、諦めてしまおうかという心が働く。例え自分がいなかろうと、刹那やネギがいればどうにかなるかもしれない。だがそれでも『まさか』や『もしや』といった疑問が残るのも確かだ。ホームにハジメがたどり着き、すぐさま方向転換して電車を追う。まだ加速の途中だ、ならば追いつくと走る電車に並んだハジメは勢いよく電車に飛び付いた。電車内に入ることは出来ないが、上に乗ることはできる。

 

「うおおおおぉぉぉぉ!」

 

  肌を撫ぜる風がその強さを強引に増してハジメの肌を叩く。電車が加速するごとにハジメの中の後悔の想いが強くなるがここまで来て泣き言を言ってはいられない。目尻に溜まる涙が蛍のように空へと漂い、風の壁に向かって一歩、また一歩となんとか足を出しならネギ達のいる車両を目指すそんなハジメに風に乗って言葉が流れて来た。

 

「誰かと思えば、兄さん誰や〜〜?」

 

  間延びした緊張感の無い声が前から飛んできて、そっちへハジメが目をやればそこにいるのは刹那や木乃香とそう歳も変わらないだろう一人の女の子。大きな帽子とお人形のような服を着た女の子がポツリと立っている。だがそんな女の子を見たハジメの目は見開かれた。

 

  立っている。

 

  ハジメも立ってはいるが、それでも電車上の暴風域の中では男のハジメでも辛いというのに散歩に来たようになんでもないように佇む少女はただただ異様だった。それだけで少女が普通ではない魔に足を踏み入れている者であることが容易に分かる。

 

  そしてさらにそれを顕著にするように腰から垂れる二つの刀、京都神鳴流剣士の単語がハジメの頭に流れていき、その顔を苦くさせた。

 

「オメエこそ誰だよ、人に名前を尋ねる時はまず自分からだろうが!」

「あ〜〜律儀な人やな〜〜、うちは月詠(つくよみ)言います〜〜」

「そうかよ、俺は八坂一だ」

「その八坂一はんがなんでこんな電車の上なんかにおるん〜〜?」

「オメエこそなんでだ? 見たところ神鳴流ってヤツなんだろ? 刹那の仲間か?」

「あ〜〜あんさん魔法関係者なんや、残念やけどうちは刹那言う神鳴流の先輩さんの仲間やないよ〜〜」

「つまり……」

「敵やね〜〜」

 

  その場でただ少し床を蹴って浮き上がる月詠は背中に受ける風で減速し、動く電車に運ばれてくるハジメを目掛けて刀を振るった。

 

  正気じゃあない。一歩間違えば電車から落ち死ぬかもしれない行動を容易く取る月詠に、だがハジメは手に持つ木刀を持って後ろへと弾いた。衝撃と風に負けて転がりそうになる身体をなんとか抑えて這いつくばるように耐えると後ろへ振り向く。電車の上にふわりと舞い戻った月詠は、普通に大地に降り立たつように着地し、その場で感触を確かめるために可愛らしい靴で電車の屋根を叩く。軽く響く鉄の音はすぐに置き去りにされ耳から離れた。

 

「へ〜〜木刀を斬られんように柄を狙ったんか〜〜、うちも本気や無かったけどそれを捌くなんて兄さん素人やないなあ? それに神鳴流でもない、どこの流派や?」

「うるせえ! 急に斬りかかってきやがって危ねえやろうだ。オメエ敵ってことはオメエがこのかを攫ったのか?」

「うん? それはうちやないよ〜〜うちの出番はまだ先や〜〜、暇つぶしに観戦してただけやけどなんやラッキーやわ〜〜」

「俺はラッキーじゃねえよ」

「そう言わんといて〜〜兄さん遊びましょ♪」

 

  電車の上など関係のない月詠の銀線が煌めき二本の刃が宙を踊る。人を超えた魔を討つために鍛え上げられてきた技を全て躱すことは叶わず、ハジメの周りを通り抜ける閃光はハジメに触れた後には空に赤い線を描き走り抜ける。

 

「ああクソ!」

「ほ〜〜ら頑張って〜〜」

 

  だが幸いにハジメが致命傷を貰うことはない。月詠が遊んでいることが最も大きいが、電車の上であることも良かった。足場は揺れ、強風によってバランスを取るのも大変だが、そこは一本道と変わらない。一方向から伸びてくる剣筋ならばなんとか見ることの出来るハジメは首に伸びる刃を木刀によって上へと打ち払い距離を取る。

 

「変な動きやな〜〜、兄さんのそれは円の動きやろ? ここじゃあ動き辛いんやないか?」

「オメエこそぴょんぴょんと、ここじゃあ危ねえんじゃねえか?」

「余計な御世話ですえ〜〜、そろそろ飽きましたし終わりにしましょか」

 

  遊びではない本気の刃がハジメに向かって飛んでくる。それを捌こうと動くハジメだったが、早すぎる剣速は木刀の盾を通り過ぎ、ハジメの首へと飛んで空を切った。

 

  突然急停車した電車に負けて月詠の胸にハジメが突っ込んだことによって難を逃れる。抱きつく形になったハジメの顔を月詠は照れた顔で覗くと、

 

「いや〜〜ん♡」

 

  足を払われ無様に電車から転げ落ちてしまう。なぜか水浸しになっている電車が辿り着いた駅のホームにいるネギの上に落っこちた。

 

「うわあ⁉︎」

「痛って! っておわあネギ! ワリイ!」

「ハジメ先輩⁉︎ なんで上から!」

「あいつに落とされたんだよチクショー!」

「あいつって?」

「あれ? いねえ……」

「そんな事を言っている場合じゃありません! 早くお嬢さまを追わなければ!」

 

  走る刹那に三人が続く。何が何やら未だ分からないハジメであるが、木乃香のピンチは本当だ。少女がいたはずの電車の上をハジメはちらりと見るが、月明かりが降り注ぐだけで人の影は見えない。

 

  必死な顔で走る刹那に引っ張られるように三人は足を動かすが、分からないハジメと違いここまで木乃香を追って走ってきた明日菜とネギは走りながら疑問を投げる。

 

「せ、刹那さん一体どういうことなんですか⁉︎」

「ただの嫌がらせじゃなかったの⁉︎ なんであのおさるこのか一人を誘拐しようとするのよ!」

「猿? また猿かよ⁉︎」

「ハジメ先輩それはいいから⁉︎」

「じ、実は……以前より関西呪術協会の中に東の麻帆良学園にやってしまった事を心良く思わない輩がいて……おそらく、奴らはこのかお嬢様の力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのでは……」

「は⁉︎」「え⁉︎」「なんですかそれ〜〜⁉︎」

 

  刹那の言うことは信じ難い。今まで一緒にいた木乃香にどんな秘密があるのか分からないが、鬼気迫る刹那の顔だけに深刻さが増す。

 

「私も学園長も甘かったと言わざるを得ません。まさか修学旅行中に誘拐などという暴挙に及ぶとは……しかし元々関西呪術協会は裏の仕事も請け負う組織、このような強行手段に出る者がいてもおかしくなかったのです!……くっ人払いの呪符が、やはり計画的な犯行か⁉︎」

 

  前を走っていく刹那を追って駅の大きな階段へと辿り着けば、階段の上で眼鏡をかけた女性が刹那達を待っていた。余裕といった態度で符を構える女は微笑を持って見下ろしてくる。傍らには連れ去るために意識を奪われた木乃香が式神に抱かれ、ぐったりと下へ向けて腕を垂れ下げている姿が目に痛い。

 

「フフ、よーここまで追って来れましたな。なんや一人増えてるようやけど」

「あ⁉︎」

「おさるが脱げた⁉︎」

「もう意味が分からんぜ……」

「そやけどそれもここまでどすえ」

 

  呪符を掲げる女の動きを止めようと刹那が動くが、それより早く女の呪符が地面へと叩きつけられる。その衝撃が宙に飛び散る火花となって大きな火炎を大地に描く。京都の大文字焼きが姿を現し炎の壁を持って刹那の行き先を阻むが、こういう時のためにネギがいる。西洋の暴風が大の字の炎の中心を穿ち、細かな炎が宙を飛ぶ。

 

「な、なんや⁉︎」

「逃がしませんよ! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です! 契約執行180秒間! ネギの従者『神楽坂明日菜』‼︎」

「桜咲さん行くよ!」

「え、あ、はい!」

「アスナさん! パートナーだけが使える専用アイテムを出します! アスナさんのは『ハマノツルギ』、武器だと思います受け取ってください!」

「そんな機能あんのか?すげえな!」

 

  明日菜の仮契約カードを出したネギの手が光り、カードから飛んだ閃光が明日菜の手元へ伸びていく。それを手に取り引き抜いた明日菜の手に光り輝く剣が姿を表す。

 

「おい……あれがハマノツルギってやつなのか?」

「何コレただのハリセンじゃないの⁉︎」

 

  だがその見た目に反してそのハリセンの能力は捨てたものではない。カモの声に背中を押されハリセンを振り上げ突っ込んだ明日菜と刹那の一撃をその場にいた猿の着ぐるみにしか見えない式神が行くてを阻むも、ハリセンに叩かれた式神は一瞬で無に帰る。

 

「なんや一体⁉︎」

「なんかよく分かんないけど行けそうよ! もう一体は私に任せてこのかを!」

「すみませんお願いします!」

 

  飛び込む刹那を阻む壁はなく、もう一歩も踏み込めば届くところで銀の閃光が刹那に落ちた。三枚目の壁は鋭く刹那の刃をはじき返し、一定の距離を開き二人は相対する。刹那は相手の剣筋で正体を見抜き、ハジメは見覚えのある風貌に顔を歪める。

 

「どうも〜〜神鳴流です〜〜お初に〜〜、いやそこの兄さんはさっきぶりです〜〜」

「オメエさっきはよくも落としやがったな!」

「兄さんがあんなことするからや〜〜」

「ハジメさんあの女を知ってるんですか⁉︎」

「あんな格好だがオメエと同じ神鳴流で実力は確かだ、気いつけろ刹那!」

 

  その忠告の通り素早い月詠の剣筋が刹那の動きを確実に止める。刹那の動きに反応し走る二つの刃が刹那の野太刀の動きを抑えた。神鳴流剣士が使う刀は野太刀が基本、それとは違う二刀流の独特の動きが捉えづらい。

 

「おい刹那!」

「ハジメさん来ないでください! この相手は強いです、ハジメさんの木刀では!」

「あれあれ兄さんの方が頑張ってましたよ〜〜?」

 

  刹那と明日菜は足止めを食らったが、ここにはまだ動ける者が二人いる。その隙を突いてネギの魔力が爆発的に膨れ上がり指向性を持って魔法の矢が女に向かって飛来するが、それは女にぶち当たる直前に粒子となって消え去った。

 

「こ、このかさんを離してください! 卑怯ですよ!」

 

  女の前にすがるように差し出された木乃香、その木乃香に当たらぬようにネギは魔法を消し去った。生徒で友人の木乃香を傷つけることなど出来ない。それに気付いた女は下世話な笑みを向ける。

 

「はは〜〜ん読めましたえ、甘ちゃんやなあ人質が多少傷ついても気にせず打ち抜けばえーのに……ホーホホ! まったくこの娘は役に立ちますなあ! この調子でこの後も利用させてもらうわ!」

「ちょ……このかをどうするつもりよ!」

「せやなーまずは呪薬と呪符でも使うて口を聞けんよにして上手いことウチらの言うことは聞く操り人形にするのがえーな♪」

 

  その言葉は言ってはならない一言だった。四人の顳顬に青筋が浮かび上がる。そんな四人に気付かずに言葉を紡ぎ続ける女に思うことなど同じこと、黙れ煩い耳障り。そのためには女の口を塞がなければならない。ならば必要なものは女に近づくための一歩だ。

 

「ウチの勝ちやな、フフフ、このかお嬢様がなまっちろい

おケツしよってからにカワえーもんやな、ほななケツの青いクソガキども、おしりぺんぺーん♪」

 

  担ぎ上げられたこのかの尻を女が叩き、その衝撃が堪忍袋の緒を引きちぎる。勝利などという言葉をこの女に与えることなど許されない。そのために、

 

  たった一歩。

 

  されど一歩。

 

  ここまで魔法という極大な戦闘を前に傍観者に徹していたハジメの中で激情が渦巻く。その渦中に飛び込んでいったいどうなってしまうのか? そんなことなど頭から綺麗さっぱり消え去って、このかを道具のようにしか見ない女に向かうために大きく大きく一歩を踏み出す。

 

  差し出された左足が大地を捉える。踏み込む力は茶々丸との喧嘩の時の比ではない。この一撃は相手を斬るために振るうのだ。そうでなければ護れないから、明確な敵を払うために振るう刃に遠慮の文字は必要ない。

 

  感情によって加速されたハジメの身体が薄く、本当に薄くだが僅かに光り輝いた。内を巡るエネルギーの具現、その想いを力に変えて振るわれる刃は加速する。

 

  普通右足を出して抜刀するところを左足を出すことによって大きなひねりを加えられ巻き込むように薙ぎ払われる一撃こっきりの居合剣。本気の時はあまりの力の込め具合に力に身体が振られ撃ち放った後は無防備になるが、生か死か究極の二択の体現は伊達ではない。

 

  呉心抜流 居合術が一『嵐』、暴風雨が通った後には何も残らぬように、ハジメの足が落とされた刹那と明日菜の間、360° 回転しその刃は月詠と式神を周りの壁へと一撃で吹き飛ばし叩きつける。

 

「ウソや〜〜!」

「刹那! アスナ!ネギ! なんだっていいからとにかくやれ‼︎」

「当然‼︎ このかになんてことしてんのよ!」

「このかお嬢さまになにをするかーーッ!」

風花(フランス) 武装解除(エクサルマテイオー)‼︎」

 

  西洋の風が女の手からこのかを引き剥がす。服や呪符も纏めて空へと吹き飛ばし、ガラリと空いた女の頭に明日菜の破邪の剣が落とされた。小気味いい音を立てて女の頭が地に向かい、すくい上げるように追撃の神鳴流の秘剣が打ち上げられる。

 

  秘剣 百花繚乱。

 

  花開く無数の異なった剣撃が女のあらゆるところを打ち据えて、女を向いの壁へと強引に叩きつけた。

 

「なな……なんでガキがこんな強いんや⁉︎」

「うるせえ俺はまだ勘弁ならねえ! 女だつっても容赦しねえその顔ボコボコにしてやらあ!」

「ひっ……覚えてなはれーー!」

「あっ! あいつめーー」

「オメエ逃げんなーー!」

「追う必要はありません、ハジメさん神楽坂さん」

 

  式神を召喚し夜の闇へと消えていく女に食ってかかろうとするハジメと明日菜の二人を抑えて刹那は刃を収める。深追いは危険であるという刹那の判断だが、顔にまだ青筋が立っているあたり刹那も許していないらしい。

 

「そういえばあいつ薬や呪符を使うとか言ってたな、このか姐さんは大丈夫か⁉︎」

「まさか⁉︎」

 

  カモの心配にハッとした四人が木乃香の下に集まる。ネギの魔法に巻き込まれ服は弾け飛んでしまっているが身体に外傷は見られずただ眠っているようにしか見えない。だがそれでは安心できないと全員木乃香の名前を呼べば、うっすらと夢から醒めたように木乃香の目が開かれた。

 

「ん……あれ、せっちゃん……?」

 

  無人のホームに響くくらい四人の安堵の息が重なり漏れる。

 

「あーせっちゃん……ウチ夢見たえ、変なおサルに攫われて……でもせっちゃんやアスナやハジメ先輩やネギ君が助けてくれるんや……」

「よかった……もう大丈夫ですこのかお嬢さま」

 

  それは笑顔だった。滅多にしない刹那の笑顔、桜のように柔らかな暖かい微笑みがこのかに降り注ぎ、これまで二人の間に出来た溝を少しだけだが埋めてくれる。目を見開いて刹那の笑みに見惚れる木乃香は一度ゆっくり目を閉じると、同じような笑みをしっかり浮かべた。

 

「よかった……せっちゃん……ウチのこと嫌ってる訳やなかったんやなー……」

「え……そりゃ私かてこのちゃんとちゃんと話し…………し、失礼しました⁉︎」

「え、せっちゃん?」

「刹那さん……」

「わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守りできればそれだけで幸せ……いや、それもひっそり陰でお支えできれば、それで、あの……御免‼︎」

「あ、せっちゃん⁉︎」

「刹那さん……」

「うーんいきなり仲良くしろって言っても難しいかな……」

「全くしゃーねーなー」

 

  顔から火を噴き去っていく刹那の後ろ姿は普段と違って忙しない。そのその背中が示すは気恥ずかしいから以外の理由はなく、「明日の班行動一緒に奈良を回ろうねーー!」と背にかけられた明日菜の言葉に振り返った刹那の顔を見て刹那はもう大丈夫そうだとハジメは一人静かに笑った。

 

 




ハジメの流派に関しては想像100%で書いているものです。実在するものと異なると思いますがご了承ください。


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第11話 パパラッチ

  朝、日が沈めばいつかは必ずまた日が昇ってきてしまう。昨日の妨害と騒動を含めまだ眠い目を擦りながらネギとハジメは旅館の丹精な朝食に舌鼓を打つが、眠気のせいで味がよく分からないと目を細めた。味の濃い味噌汁だけがしっとりと喉を潤し優しい味が胃に染み渡る。

 

「美味いんだがこう眠いとやりきれねえな」

「ははは、委員長さんたちも昨日の記憶が無いって騒いでますし大変ですね」

「中坊であれだけ酒飲みゃそうもならあな、俺の知り合いみたく暴れねえだけマシだがよ」

「そうならなくてよかったです」

「全くだぜ」

 

  豪華な大広間で騒ぐ3-Aの生徒達を横目にそんな会話を二人はする。和気藹々と活気のある学園と変わらぬ風景を見ていると昨日のことがまるで夢のように感じるが、ハジメの身体に小さく残る刀傷がそうではないことを教えてくれる。木乃香を助けた後致命傷ではないとはいえダラダラと血を流すハジメにネギが治癒魔法を使ってくれたおかげで二日目の朝も無事に迎えられた。

 

「ネギ君とハジメ先輩ちょっと眠そうやなーー♡」

「あ、このかさんおはようございます」

「おはよーさんこのか、よく眠れたみてえだな」

「うん! 昨夜はありがとう♡ なんかよー分からんけどせっちゃんとアスナと一緒にウチを助けてくれて」

「あ、いえ……僕はほとんど刹那さんについてっただけで」

「そうそう、刹那に礼言っとけ〜〜」

「うん!あ、せっちゃん‼︎」

 

  刹那を見つけた木乃香が離れていく。だがそんな笑顔を向けて近づく木乃香から刹那は更に離れた。遠目からでも分かるくらい湯気を上げる刹那の顔を見るに本当は一緒にいたいという心が誰の手にも取るるように分かるというのに不器用なことこの上ない。

 

「まだ時間がかかりそうだなありゃ」

「でもこのかさんが元気になってよかったですよ」

「そりゃそうだ、この調子であの二人には上手くやって貰いてえもんだな」

「……でもあの女の人がまた来るかもしれません」

「だなあ……あのヤロウ気に食わねえ、今日は奈良を一日回らなきゃなんねえし大変だぜ」

「班行動別ですからね、どうしましょうか」

 

  朝食を終えてバスへと向かう道中、さっさと身支度を済ませて二人は歩く。今気にかかるのは関西呪術協会の術師と神鳴流剣士のこと、昨日まだよかったのはこのか一人を狙われた時に他の生徒が昼間の泥酔のおかげで動くことなく一箇所に集まり気にする必要が無かったからだ。それが今回はバラバラで動く。動ける人員はネギ、明日菜、ハジメ、刹那、カモの五人しかいない。それも明日菜や刹那は学生で班行動をしなければならないため実質三人だ。頭を悩ませる二人だったが、そんなことは全く知らない3-Aの生徒達の中から一人の生徒がネギに勢いよく飛び付く。

 

「ネギ君今日ウチの班と行動しよーー‼︎」

「わーーっ!」

「おっと……あぶねえな」

「ちょ、まき絵さん⁉︎ ネギ先生はうちの三班と見学を!」

「あ、委員長なによーー! 私が先に誘ったのにーー!」

「……聞いちゃあいたがネギの人気すげえな……」

 

  まき絵の言葉を発端に次々と現れた生徒がネギに群がる。なんとも羨ましいとハジメは見ていただけだったが、それで事態が収まるはずは無く、一人、また一人と生徒の数が増えていく。際限無く増えるのかと思われたそれは、普段大人しい宮崎のどかが大声でネギを誘ったおかげで呆気にとられ他の生徒が固まってしまいなんとかその騒動は終わりをみた。

 

「え、あ、あの分かりました宮崎さん! 今日は宮崎さんの五班と回ることにします!」

「え……あ……はい!」

「ハハハっ! いいんじゃねえかネギ、なら俺は俺で動くからよ、その方がいいだろ」

「ハジメさん! そうですね、でもそれじゃあ……」

「なら私達と回るヨハジメ! ハカセもいるしネ!」

「おおハジメがいっしょネ! 班長として許可するアル!」

「楽しそうでござるなあ」

「おいネギ……班分けおかしくね?」

「いやあ……どうなんでしょう?」

 

  旅館からのバスに乗り込み揺られて一時間、奈良の地を踏む。

 

  奈良公園、今より1300年前京都から奈良に都が移されてから国政の場として栄華を極め数々の国宝が残る場所、明治13年に公園として開園してからは日本有数の公園となっている。奈良公園と言えば奈良の鹿が有名だろう、鹿は春日大社の神使として大事にされており、今でも1200頭に上る鹿が奈良公園の中を徘遊している。

 

  そんな歴史が埋まる奈良の地でハジメは同じく行動をすることになった二班の班員を眺める。

 

  第二班班長古菲、超鈴音、長瀬楓、春日美空(かすがみそら)、葉加瀬聡美、四葉五月。なんとも個性を詰め込んだメンバーだ。だいたい班長を古菲が務めているあたりどうなっているのか。

 

「なんだっていいがよ鈴音、なんでまた俺を誘ったんだよ」

「ハジメと一緒に周りたかたからヨ」

「ああそうかよ、なら代わりに変な奴が出てきたりしたら追い払うの協力しろよ」

「ふふっ、ちょとだけネ」

 

  いつもと変わらぬ笑顔を見せる鈴音を怪しむが、ハジメからすればありがたいことではあった。第二班はハジメの知る者が五人もいる。気兼ねなくいつも通りに振る舞える第二班はうってつけだ。

 

「ん? ハジメ超となんの話してるアルか?」

「ああなんでもねえよ」

「おお鹿でござるよ♪」

「鹿ですかー、なんの料理が一番美味しいでしょうかね?」

「五月やめとけ、坊さんに睨まれる……」

「茶々丸も来れれば良かったんだけどなあ」

「しゃあねえだろ聡美お土産たくさん買ってこうぜ!」

 

  登校地獄の呪いによって修学旅行に来れないエヴァンジェリンのパートナーであるからと茶々丸は学園に残りここには居ない。エヴァンジェリンは気にするなと言ったがそれでも残ると言った茶々丸を見て残念ではあったがハジメは嬉しかった。

 

「そりゃいいっすけどいいんスか? 八坂さんは私達と一緒で」

「ハジメでいいぜ、あーっと春日だっけ?」

「私も美空でいいっすよ」

「おう美空、別に構わねえさ。友達が多いから俺も楽だしよ、それよりオメエはいいのか?」

「まあ私は別に構わないですけど……」

「なら行こうぜ、ほれ鹿せんべい売ってんぞ!」

「うーんハジメ殿はなんというか3-Aの空気に合ってるでござるなあ」

 

  鹿せんべいを買ってくれば分かっているように鹿が群がってくる。楓が手裏剣を投げるようにせんべいを鹿の口に投げ入れるパフォーマンスを尻目に笑顔で眺めるハジメの隣に鈴音が来た。群がる鹿に集まる楓や古菲達が少し離れたのを見て鈴音が口を開いた。

 

「ハジメもようやと気が抜けたネ」

「んーまあもうすでにいろいろあったしな、それもまだ終わっちゃいねえけどよ、こう普通に出来てるうちはその方がいいだろ」

「そうネ、精々楽しむネ」

「ん、だがよ。オメエなんかここ最近やたら絡んでくるじゃねえか。オメエが魔法使いだってことはもう信じるがなんでそう何度も俺をパートナーに誘うんだよ、パートナーってのは魔法使いを守る騎士みたいなもんなんだろ? 俺よか古菲や楓の方がいいんじゃねえか? 四六時中一緒にいれるのはあいつらだろ」

 

  それに加えてあの二人は強い。ハジメは剣がなければ存分に闘うことが出来ないが徒手格闘に秀でている二人の方が日常から非日常に変わった時でも楽に対応出来るだろう。刹那はそのために竹刀袋に入れた刀を常に携帯しているが、現在木刀を使用するハジメは常に木刀を持ち歩くのもなんだと手ぶらである。ここで戦闘になれば満足に動けないが不審者扱いされるよりはマシだった。

 

「うーん私がパートナーにしたいのはハジメだからネ〜〜」

「だからなんでだよ」

「話してもいいがそれはハジメがパートナーになったらネ」

「オメエなあ、それが分からねえって言ってんだよ」

「そうは言ってもこれはそう簡単には話せないことヨ、ただ言えるのはハカセも関わってるネ」

「聡美も?」

 

  遠くで鹿せんべいを鹿にあげている葉加瀬を見る。その姿は普通の中学生にしか見えないが、鈴音の言葉の通りなら葉加瀬も魔法に関わっているということになる。だがそれを聞いてハジメは然程驚かなかった。

 

  葉加瀬は茶々丸の製作者だ。それも最も茶々丸の作製に関わった者、そしてその茶々丸は強大な魔法使いであるエヴァンジェリンのパートナーである。茶々丸が魔法使いのパートナーだと知ってから、ハジメは薄々葉加瀬が魔法に関わっているとは思っていた。

 

  ロボット工学研究会の天才二人が関わっているおそらく魔法絡みの案件。どうも面倒だとも思うが、それに興味が無いわけではない。これまで魔法などよりも科学という名の魔法を見せてくれた二人だ。そうなると協力したくはあるのだが、詳細を話してくれない鈴音にはまだどうも疑わしい。

 

「なんだよ魔法と科学の融合とかか?」

「お! ハジメいい線行ってるネ! でももうそれはあるネ」

「マジでか⁉︎ 知らないところで随分技術は進歩してんなあ」

「ふふふ、実際茶々丸がまさにそれネ」

「おおぉぉ、そうかあ、やっぱり俺はとんでもねえすげえもんに関わってたんだな、なんかこういざ聞くと感動がちげえぜ! どうやってんだ? 俺にも作れるか?」

「ハハハ、やっぱりハジメは科学者ネ、学びたければ教えるヨ、ただ……」

「パートナーになったらか? 面倒だなあ……」

「ふふふ、この偉大な実験に関わるにはそれだけの誓いが必要ヨ!」

 

  実験、それを聞いてハジメは苦い顔になる。鈴音もそうだが、葉加瀬もああ見えて相当のマッドサイエンティストだ。前回麻帆良の大停電の時と同様実験と称して失敗し停電させた数は数知れず、ハジメが研究会に来てから吹き飛んだ研究室の数も両手の指では足りない。今ハジメ達が使用している研究室も17代目だ。

 

「なあ俺すっげえ関わりたくなくなってきたんだが……」

「なんでヨ⁉︎」

「自分の胸に聞いてみろ阿呆⁉︎」

「ナ、別に無重力空間を作る装置を作ったら研究室が遥か彼方に飛んでたことやワームホール作ろうとして研究室が異次元に消えさたことしかないネ‼︎」

「十分だろうが‼︎」

「あ、ハジメさんと超さんなんの話ですか?」

「オメエらの頭がおかしいって話だ‼︎」

「えーーひどい〜〜⁉︎」

 

  鈴音との漫才を済ませ奈良観光は特に問題なく終わりを迎えた。何もなく普通に過ごせたおかげで修学旅行をハジメは存分に楽しめたのだが、ただ問題が起こらなかったわけではない。旅館に帰る前のバスの中でも旅館でも肝心の存在であるネギがどこか上の空で全く使い物にならなかった。

 

  旅館で話しかけても答えずにふらふらと外に行ってしまいこりゃダメだと頭を抑えたが、少しして戻ってくると少しスッキリした顔だったため風呂に誘えば快く乗ってくれた。

 

  温泉は魂の洗濯だ。昨日と同様にこれがあるからこそ次の日も頑張れる。芯まで温まる熱に絆されたようにネギはようやっと口を開いてくれた。

 

「は〜〜いろいろありすぎて僕もうダメです〜〜」

「オメエがそうやってうだうだしてんの久しぶりだな」

「ハジメさん〜〜そうは言っても……」

「何があったかは知らねえが男だったらこうドンと構えてなあ……」

「う〜〜分かってますけど……じゃあハジメさんって誰かを好きになったことってありますか?」

「は? なんだよ急に……」

 

  だがハジメはその先を口にはしなかった。別に何かを察したわけではないが、上気した顔で真剣な目をしたネギが冗談で聞いているわけではないことを表していた。

 

「はあ……好きかあ、なんだよ恋の悩みか?」

「え、いやあの」

「別にいいけどよ、そりゃああるぜ! 俺にとって最高の瞬間だった!」

「最高のですか?」

「おうこうビビッと身体中に電気が走った様な感じでよおこの人しかいないって心が叫ぶのさ!」

「心が……」

「ああ、オメエも分かるぜ惚れるっていうのはそりゃあすげえもんだ」

 

  「惚れるかあ……」と呟くネギにはまだ早かったらしい。だがその先、恋心というのは本人だけのものだ。悩みを人に打ち明けてもいいが結局結論は自分で出すしかない。まだ唸るネギをハジメは満足に頷いていたのだが、温泉に通ずる入り口の扉が開いたことで二人は肩を跳ねさせた。また刹那でも入ってきたのかと急いで振り向いた先にいたのは生徒ではなかった。

 

「あらネギ先生♡」

「し、しずな先生ーーッ⁉︎」

「はあ⁉︎ なんで入って来てんすかあ⁉︎」

「げ、ネギ先生だけじゃない……まあいいや、お背中お流ししましょうか?」

 

  一瞬普段のしずな先生とは違った声が聞こえたが、驚く二人には気付かれずしずな先生はネギに近寄った。急になんだと離れようとするネギをしずな先生の言葉が引き止めた。

 

「……うふふふ、実はねネギ先生私……あなたの秘密を知ってしまったの……」

「え⁉︎」 「はあ⁉︎」

「あなた魔法使いでしょう?」

 

  その言葉は核心を突いていた。どこでどうやって知ったのかはネギとハジメの知るところではないが、魔法は普段隠さなければならないものだ。明日菜、ハジメ、楓と魔法を知ってしまった者。エヴァンジェリン、鈴音、刹那と元々魔法に関わっていた者。魔法関係者が多く存在する3-Aとはいえ、それはバレてはならないものだ。

 

「えう⁉︎ が、学園長から聞いたんですか? で、でも⁉︎」

「ば、バカ喋んなネギ! ははは嫌っすねえしずな先生魔法なんてあるわけないじゃあねえっすかあ!」

「あらあら、まあなんだか分かんないけどお願いがあるのよ……私ネギ君の魔法見たいな〜〜」

「な、ダメですよそんなこと⁉︎」

「そ、そうそう! そんなことより背中流しましょうか? ね?」

「それはいいから! ね〜〜お願いネギ君見せてえ〜〜♡」

「あぶろも⁉︎」

 

  しずな先生の大きな胸がネギを包み込んだ。柔らかなものに顔を埋めるネギを見てハジメは羨ましいと固まってしまうが、そうもやっていられないと引き離そうと動く。だがそれよりも早く何かに気が付いたネギがしずな先生からゆっくり離れた。

 

「なんかしずな先生胸が凄く小さくありませんか?」

「はあ⁉︎ オメエネギ急に何言ってんだ!うらやまけしからんぞおい⁉︎」

「そうよ! 失礼ね! これでもクラスNo.4よ!」

「クラスNo.4⁉︎ 誰ですかあなたは⁉︎」

「し、しまった⁉︎」

「……馬鹿なんか?……っていうかネギのクラスって……いやもうなんも言わねえぞ……」

 

  ばれたのなら仕方がないとしずな先生だったと思われる人物は長いかつらと眼鏡を投げ捨ててその姿を露わにする。垂れていた目つきは気の強いものと変わり、目に鮮やかな赤髪が湯気によって水気を帯びキラリと輝いた。

 

「バレたんなら仕方がない! ある時は巨乳教師、またある時は突撃リポーター、その正体は! 3-A 3番 朝倉和美よ!」

「ああーーっ! 朝倉さん⁉︎」

「……誰?」

 

  ハジメはピンとこなかった。

 

「ちょ、ちょっと! ハジメさんとはネギ君の歓迎会とかで何回かあってるでしょ⁉︎」

「いやあ鈴音とか聡美とか長瀬とか古菲とか個性強いのが多いからよお」

「そ、そんなことより記憶を消さないと⁉︎」

「おおっとーー⁉︎ 待ったーー⁉︎ このケータイが見えないの、下手な動きはしないで、このボタンをポチッと押せばその瞬間ネギ先生の全ての秘密が私のホームページから全世界に流れることになるよ気をつけてね」

 

  掲げた携帯を見せびらかすように朝倉は二人が見えるよう前に出す。言ったとおり送信の画面で止められており、親指が落とされれば何か決定的なものが送られるらしい。驚くネギと固まるハジメにマイク片手で朝倉はずずいと踏み込んでくる。

 

「ど、どうしてこんなことを……」

「フフ、スクープのためよ、全ては大スクープのため‼︎ 悪いけどネギ先生、私の野望のために協力してもらうよ」

「や、やぼーですか?」

「その通り! 魔法使いが実在すると知ったら世間は大注目‼︎ 私の独占インタビューが新聞、雑誌に引っ張りだこに、人気の出たネギ先生は私のプロデュースでTVドラマ化&ノベライズ化! さらにハリウッドで映画化して世界に進出よーーっ!」

「そ、そんなのイヤです〜〜っ⁉︎」

「……でっけえ夢があるってのはいいことなんじゃねえか?」

 

  煌びやかな栄光の階段を思い描いて野望を語る朝倉にハジメは何か言うことを諦めた。ただ魔法の存在のことを知る分には明日菜やハジメの例があるため大丈夫なのかもしれないが、そこまで大々的に宣伝して大丈夫だとはハジメには思えない。十中八九学園長など他の魔法使いに止められてしまうだろう。さらに朝倉の宝くじが当たったらのような現実味のない願望にハジメの肩の力が抜けてしまったのが大きい。だがハジメと違いネギはそうではないようで、魔法使いであるネギは魔法がばれればおこじょにされてしまうかもしれない罰が待っているために本気で拒絶を示すのだが全く朝倉には聞き入れられない。

 

「どう! 魔法使う気になった‼︎」

「あうぅ……へうぅ……」

「だいたいこんなとこで先生やってんのは大変でしょ? バーンと使って楽になりなよ!」

「おいおいそれは……」

「うわああぁぁん⁉︎ イヤですぅぅ‼︎ 僕……僕先生やりたいのにぃぃぃぃ⁉︎」

「ちょ、ネギ⁉︎」 「うひゃああ⁉︎」

 

  ここまで数々の問題に心を押さえつけられていたネギの感情が爆発する。学園長の頼み、このかを狙う敵、奈良公園で一緒に行動したのどかからの告白と積み重なり危うかった心のバランスが朝倉の言葉で脆くも崩れ去る。鳴き声によって生まれた振動が魔力によって上乗せされ突風となって吹き荒れた。

 

  魔力の壁にぶち当たった朝倉は宙へとその身を打ち上げられそうになるが、ハジメが朝倉の伸ばされた手をしっかり掴む。何度も魔法を前にしたおかげで異常に耐性の付いてきたハジメのおかげで大惨事になることは避けられた。

 

「朝倉さん⁉︎ だだ大丈夫ですか? すいません僕つい……」

「ああビビったぜ、オメエ朝倉自業自得だぜ? あんまり子供を苛めんなよな」

「あはは……ゴメンなさい、でも証拠写真はゲットよ!……って、ん? ああーーっ!私のケータイ壊れてるーーっ⁉︎」

「バチだバチ」

「あはは……」

 

  再びハジメとネギの前に出された携帯電話の画面は見事にヒビ割れうんともすんとも言わなかった。明るく送信の文字を映し出していた画面は暗闇だけを浮かべ、それを覗き込む朝倉のマヌケな顔だけを映す。ようやっと一息つけると二人がホッとしたのも束の間、ネギの叫びを聞きつけた数人の3-Aの生徒が乗り込んで来たおかげで、昨日以上にハジメとネギは疲れることとなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「5番 和泉亜子(いずみあこ)、3月に卒業生の先輩に告白するもフラれ彼氏なし、気が弱くお人好しだが運動能力は高い」

 

  夜の暗闇に紛れて少女の声が響く。まるで誰かに語りかけるように口にされる言葉だが、暗闇の中で少女を狙うのは月明かりを反射するカメラのレンズ一つだけであり、それを持つ人影一つしかその場にはない。

 

  シャッター音が一つ夜闇に消え、お目当の少女を移し終えたカメラは次の相手を見つけようと宙を彷徨う。大きなポニーテールの後ろ姿を見つけると、また一つ四角いフィルムにその姿を焼き付けようとボタンに伸びた指が押し込まれる。

 

「6番 大河内(おおこうち)アキラ、彼氏なし、運動能力高し、水泳部エース、高等部から期待の声、寡黙」

 

  電池の残量を表すマークからゲージが一つ減り、少し急いで次の標的を探す。旅館の窓を幾つか移動しようやっと次の獲物を見つけ影は舌舐めずりをする。

 

「18番 龍宮真名、彼氏不明、学園内の神社で巫女のバイトをしている模様…………おっと」

 

  シャッターを切ると龍宮の目がレンズ越しに向けられた。勘かそれとも気が付いたのか、慌ててカメラの視線を外すがそのせいで無駄にボタンを押してしまう。なんの情報も得られない無意味な風景の写真に容量を使ってしまったことに舌を打つ。

 

  少しして落ち着きを取り戻した影は次の標的を探そうといろいろと動くのだが、建物のガラスの向こうにはもうお目当の相手の姿は見られない。少々悪いとは思いながらも、湯気という薄いカーテンに隠された少女たちの秘密の花園、つまり女湯へとカメラを向けた。

 

「19番 超鈴音、天才その1、勉強、スポーツ、料理なんでもござれの無敵超人」

 

  そしてその横に、

 

「24番 葉加瀬聡美、天才その2、研究以外興味なしあだ名は当然ハカセ、二人とも彼氏なしまあこの辺はオススメだよね」

「さすが3-Aのデータベース、俺っちが見込んだだけはあるぜ‼︎」

 

  最後の標的をレンズに収め影はカメラを下ろすと、一つだった人影の横に木々の葉っぱを掻き分けて小さなおこじょが顔を出した。それに答えるのは燃えるような赤い髪、カメラを手にニヤリとした顔を朝倉は向ける。

 

「くっくっくこんなもんじゃないよ〜〜! 報道部の私にかかればクラスメート全員丸ハダカね! 麻帆良パパラッチの通称はダテじゃない‼︎」

「おお!」

 

  朝倉の掲げるカメラには3-Aの目星い二十人以上の生徒の笑顔が記録されている。それを見たカモの顔が悪い顔にと変わっていく。自分の見る目は悪くないと怪しく輝いた。ネギとハジメが風呂に行ったと後を追って見た光景はこれまで自分が望んでいたもの。最高の相棒の姿を見た。

 

「なるほど分かったぜぶんやの姐さん! ぜひ俺っちの作戦X協力してくれ‼︎」

「うふふじゃあ契約成立ね……その代わり……報酬は弾んでもらうよ!」

「OKOK、俺達への取材も今後姐さんに独占させるべ」

「ひょ〜〜ほほほ♡」

「ささ、こっちで打ち合わせを‼︎」

 

  二人は高笑いを浮かべながら夜の闇に消えていく。狙いは一人、そこに向ける二十人以上の刺客の準備を二人は進める。

 

「そうネ、早く行くヨ!」

 

  そのはずだった。だが急に現れた三人目が二人を呼び止めた。その声に二人は振り向いて、今までの笑みは崩れ去り大きく口を開け目が点になる。

 

「超さん⁉︎ あれなんで⁉︎ だって今さっき温泉に⁉︎」

「まあ細かいことは気にしないが吉ネ、それよりその案私も一口乗らせて貰うヨ」

「なにい⁉︎ あんたいったい何者なんだよ⁉︎」

「ふふふ、通りすがりの天才少女ヨ! 私がいればもっと面白いことに出来るネ!」

「ほほう嬢ちゃん随分な自信だなあオイ」

「私の頭脳が必ず役に立つはずヨ!」

「へえいいねえいいねえ! ならやっちゃう?」

「おうなんかよく分かんねえが俺たち三人で」

「作戦Xの始まりヨ♪」

 

  三つの卑しい笑い声が響く。ハジメとネギにとって修学旅行中最悪の夜が幕を開ける。



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第12話 アンバランスなkissをして

  ルール説明!!!!

 

  各班からの参加人数は自由、新田先生の監視をくぐり抜け旅館内のどこかにいるネギ・スプリングフィールド及び八坂一の唇をGETせよ‼︎

 

  妨害可能、ただし武器は両手の枕投げのみ‼︎ 上位入賞者には豪華景品をプレゼント⁉︎

 

  なお新田先生に見つかった者は問答無用朝まで正座、さらに見つかってしまった数によってペナルティがあるため多く参加すればいいというものでもありません‼︎ 死して拾う屍なし‼︎

 

  前日酔い潰れ修学旅行の夜を満足に騒げなかった3-Aの面々はここぞとばかりに乱痴気騒ぎに行じていたのだが、タカミチ同様学園広域指導員である厳しい新田先生に目をつけられ、修学旅行の夜だと燃え上がっていた心はみるみる沈静化されてしまった。しかし、(くすぶ)る想いを逆手に取った朝倉、カモ、鈴音による『くちびる争奪‼︎ 修学旅行でネギ先生と+1ラブラブキッス大作戦』が発動されたことにより、種火はいとも簡単に業火に変わる。

 

  お祭り大好き3-Aがこんな面白そうなことに乗らないわけがない。新田先生の注意を受け初め止めようとしていた抑え役の委員長もネギに釣られて許可を出し、いざ始まろうとしたのだが、

 

「ハジメさんもなのですか?」

 

  これである。ネギはまだ担任であるし子供だからまだやろうとしていることの許容の範囲内ではある。だがハジメとなると話は変わってくる。別に知らぬ仲でもなく、仲の良い者もいるのだが、ハジメは高校生だ。流石に問題があるのではないかと3-Aの生徒達にもそれは分かる。

 

「なんかマジっぽくなんない?」

 

  とは明石裕奈の言葉。だが突き詰めればその通りであると大多数の者が頷いた。そうでなくとも事実ハジメはこの作戦にあまり必要ないため朝倉とカモは困った顔をするだけで何も言わなかった、この作戦は別名『仮契約カード大量GET大作戦』、魔法使いであるネギならまだしも魔法使いではないハジメには全く関係無い話である。ハジメと普通の子がキスしても魔力が扱えなければ仮契約は成功しない。

 

  しかしそこは天才超鈴音、運営側と選手側どちらにもメリットを提示することにより場を収める。

 

「ふふふ、まあ戸惑いは分かるが仲間外れは可哀想ネ! それに難易度で言えばハジメの方が上だからもしハジメにちゅーを成功させれば我がロボット工学研究会が叶えられる願いをなんでも一つ叶えるネ! それにこのゲームも全力バックアップヨ! ハカセ!」

「はい! 監視カメラのハッキングから小型無線機の貸し出しまで全てご用意しました!」

「まあハジメも本当なら修学旅行でドイツに行ってたはずだからネ、同じ研究会の同志としてのちょとしたプレゼントヨ♪」

 

  麻帆良きっての天才二人が願いを叶えてくれると言ってそれに乗らない手は無いと大手を振って全員参加を表明する。ペナルティも考え絞られた参加者は結局各班二人前後となり遂にゲームが始まった。

 

  うって変わってそんなことをつゆとも知らぬネギとハジメは泊まっている客室でグダグダと足を伸ばしていた。夜、昨日と同様に木乃香を狙って術師達が襲って来ないとも限らないためパトロールに出ようとしたところを、しずな先生に就寝時間だから寝てくださいと窘められ部屋に押し込められたせいだ。しばらくゆっくりしていた二人だったが、妙な寒気を感じどうも寝ようにも寝付けない。

 

「ううっ、なんでしょうこの寒気は……」

「冷房ついてるわけでもねえしな……、なんか嫌な予感がするんだが……」

「やっぱりパトロールに行きましょうか?」

「ああ良いんじゃねえか? 寝てていいとは言われたけどネギは先生で俺はネギの助っ人だしよ、外は怒られそうだが中を見回る分には見つかってもなんも言われねえだろ」

「そうですね、じゃあそうしましょう」

「おう」

 

  二人して廊下に出れば静かなもので、新田先生の注意が効いているらしい。明るい廊下には人の姿は見えず、二日目の夜も見回りは楽ができそうだとハジメは大きく伸びをした。ネギも杖を手に持ち準備はバッチリだ。

 

「それにしたって魔法使いの次は日本の術師だ、なんか随分と俺の常識が変わったぜ」

「そうですね、僕も陰陽道なんて初めて知りましたよ、面白いですよね!」

「ああそれにすげえもんだよ、なんて説明したらいっかなー、マジで魔法だって感じっていうかさ映画の中に入り込んだみてえな」

「うーんでも魔法も学問の一つですからね」

「学問ね」

 

  魔法を学ぶ。それはネギと会ってから常々ハジメは考えていたことだ。まさに奇跡とも言える魔法をもし自分が使えるようになれば自分の目標に大きく近づける。これまで図書館やエヴァンジェリンの件があり忙しく言う暇も無かったが、魔法を使えないまでもより深く踏み込んだ今ならいいだろうと踏んだハジメは周りに人がいないのを確認するとネギに顔を寄せる。

 

  おかしな顔をするネギにハジメはなんと言おうかと少し悩んだ。ストレートに言ってもいいのだが、果たしてそれは本当にいいのか? 魔法は隠されたものだ、それを本当に教えてくれるのかという疑問もある。だがここまで来たらダメでもともと言うしかないと声をなんとか絞り出す。

 

「なあネギ、俺に魔法を教えてくんねえか?」

「え……」

「いやできればでいいんだがよ……オメエも大変だろうしさ」

「え、いやそれはいいんですけど……」

「お、いいんか? マジで?」

「はいハジメさんにはお世話になってますしもう魔法とは無関係じゃないですから、ただなぜ?」

「なぜ、か……」

 

  それは決まっている。例え魔法に関わろうと何処へ行こうとハジメのやらねばならぬことはただ一つだ。火が降り注ぐ地獄の中で一人の少女を救うこと。思えば随分と時が経った。小さかった身体は大きくなり、今や夏に出会った少女と同い年だ。ここまであっという間であった。このままではすぐに歳をとりその人のことを忘れてしまいそうだ。

 

  そうならないためにすぐにでも助けに行きたいが、それでもまだ力が足りないと感じてしまう。人ではなく国を相手に降り注ぐ暴力を払わなければならない。そのためには人の振るえる以上の力が必要だ。

 

  だがその理由を話していいかというとまた別だ。魔法ではないハジメが体験した不思議な出来事。それはネギが見せてくれた奇跡よりもある意味途方もないもの。別に何か言うことに制約があるわけではない、しかしそれはハジメだけのものだ。ただ一人ハジメが夏の終わりに決意したこと、これまで誰にも話した事はない。

 

  だが見上げてくるネギの顔を見ていると、話さなければならないだろうと思う。ネギが立派な魔法使いになるという夢を話してくれたように、ハジメも魔法を教わるのなら自分の想いを話さなければいけない。それは誓いだからだ。言葉にしてこそ忘れないでいられる。だから、

 

「あぁネギそりゃあよ……ちと長え話になんだけどさ……」

「見つけたぁぁぁぁ!」

「うお、なんだ⁉︎」

「ゆーなさんとまき絵さん⁉︎」

「ど、どうするゆーな!」

「えと、取り敢えずくらええ!」

 

  話そうとハジメが心に決めたのも束の間、両手に枕を持った裕奈とまき絵が突っ込んでくる。なかなかいいフォームで枕を投げつけてくるが、それを慣れたようにハジメはキャッチした。

 

「お、なんだよ枕投げか?」

「うそお⁉︎」

「ちょ、キャッチとかあり⁉︎」

「ゆ、ゆーなさんとまき絵さん何やってるんですか⁉︎ 新田先生に怒られますよ⁉︎」

「ゲームだよネギ君♪」

「……ゲーム、ですかまき絵さん?」

「そう! ネギ君とハジメさんの唇争奪戦‼︎ その唇私たちがいただくよ!」

「はあ⁉︎」「なんですかそれえ⁉︎」

「というわけで覚悟!」

 

  続いて投げられる枕、ハジメはそれを手に持つ枕で叩き落とすと大きく振りかぶって枕を投げたそれは見事に裕奈の顔に直撃した。柔らかい枕が顔を埋め、大きく上へと頭を跳ね上げる。

 

「ぶ⁉︎」

「見たか! 枕投げだったら俺は負けねえぞ!」

「うええハジメさん強いよ⁉︎」

「ちょちょハジメさん何を⁉︎」

「よく分かんねえが枕投げなんだろ? それともネギはキスしてえのか?」

「いやそういうわけじゃ⁉︎」

「だったらやるしかねえな! ワリイが俺の唇はただ一人だけのもんよ! それに勝負を挑まれたんなら負けるわけにはいかねえ、いくぜ!」

「わわわ退却退却〜〜⁉︎」

 

  ハジメの運動能力の高さに驚いたまき絵が目を回している裕奈を引きずり風のように去っていく。それを見たハジメは勝利の高笑いを上げ、ネギはただ呆然とした。

 

「おっしゃあ勝ったぜ、俺に勝負を挑もうなんて100年ばっかし早えな!」

「いやいや勝ったじゃなくて何やってるんですか⁉︎ 新田先生に怒られちゃいますし今はそんなことしてる場合じゃ……」

「ん〜まあネギの言いたいことも分かんけどよこいつは修学旅行だぜ? 俺らは色々知ってるが、佐々木とか明石達にとっちゃ中学最初で最期の修学旅行、騒ぎたいなんてのは普通だろ。魔法使いとしては警戒するにこしたこたあねえが先生としてだったら生徒の遊びに付き合ってやるぐらいいいだろ、それにこういうのは相手の案に乗っかってさっさと終わらせた方が早く終わるぜ!」

「……なんだかんだ言ってハジメさんが騒ぎたいだけじゃ……」

「細けえことは気にすんな! 男だったら挑まれた勝負からは逃げねえもんだ! ふっふっふ」

「いいのかなあ……」

 

  部屋に戻り枕を持参して臨戦態勢は整った。己が唇を守るため、ネギとハジメが参戦する。そんな二人の姿はバッチリ監視カメラに映り込み、その映像は参加していない3-A生徒達が待機する客室に一秒の誤差なく送られる。

 

「さあーーっ! 遂に自分達が標的だと知った男二人! どうなるかと思いきやハジメさんの豪腕が唸る! 佐々木まき絵と明石裕奈を撃退だーーっ!」

 

  その映像と合わせて朝倉の元気のいい声で実況が聞こえてくる。分割された画面には参加者達が映され、その横には倍率が映される。参加者以外にも楽しめるように賭けが催され、その倍率はハジメの活躍でハジメとネギが一番低い。

 

「流石ハジメの兄さん、こういったことには強えなあ」

「でもおかげでハジメさんとネギ君が負ければほとんど私達の総取り!」

「しかも仮契約もできればさらにがっぽりよ!」

「いやあ夢が広がるねえ♪」

「だがよお超とかいう姐ちゃんは大丈夫かよ、別に報酬はいらねえってさあ」

「始まったらいなくなっちゃったしね、まあいいでしょ別に、おかげで盛り上がってるよ〜〜……あーっと!ここで一人ふらふらしていた長谷川千雨が校則の鬼に捕まったあ! これで正座地獄が確定! 第3班にはペナルティだあ! その内容は!」

「ふんふん、ほいよ、クジは4番だぜ!」

「引かれたクジは4番! さあ班員の入れ替えだあ! 第3班、参加していた那波千鶴の代わりに……第4班、龍宮真名と交代だぞ! 裕奈とまき絵は手痛い一撃を貰ったが大幅に戦力アップだ!」

「なんですって〜〜〜〜ッ⁉︎」

「さあ画面から委員長の叫びが響く! だがこれは危険だ、この声を聞きつけて校則の鬼が動き出すぞお! さあ画面はネギ君とハジメさんに戻る! 二人の元に近ずくビーコンが表すは第1班だあ!」

 

  明るく人気の無い旅館の廊下をこそこそでもなく普通にネギとハジメは歩く。別に油断しているわけではない、ハジメもネギも唇を奪われるなど御免だし、そのために堂々と歩いているのだ。

 

  作戦はこうだ。ネギは先生として、ハジメは助っ人としてここにいるため堂々としていれば他の先生にバレようと枕が落ちていたとでも言えば誤魔化せる。それに加えて取って置きの秘策が二人にはある。

 

「どうだネギ」

「はい、今僕たちの方に近づいてくる反応が二つです。魔力は感じないので誰かは分からないですけど……」

「な? ネギの索敵の練習にもなるしこのゲームもさっさと終わらせられる、あの術師の女が来ても分かる! 一石二鳥どころか一石三鳥よ!」

「でもこれはズルなんじゃ……」

「いやいや遊びってのは本気でやらなきゃ楽しくねえんだぜ? あっちも本気で来るんだったらこっちも本気よ! それにネギもたまには本気で遊びたくねえか?」

「う〜〜んそれもそうですね、たまにはハメを外してもいいのかなあ……」

「そうそう長瀬と山で遊んだ時と一緒さ」

「……うん、よ〜〜しこうなったら負けないぞ! 来ますよハジメさん!」

 

  ネギだってまだ子供だ、ハジメの口車に乗せられて遂にやる気になったらしい。そうして枕を静かに構える二人だが、通路の先からも後ろからも人の影は見られない。首を傾げる二人、そんな二人の頭上から枕が落ちて来る。だが少なからず修羅場を潜った二人だ。本気になっているネギとハジメは頭上から迫り来る枕を叩き落とし、それを投げてきた相手を見やれば忍装束を着込んだ小さな少女二人が天井から降りてきた。

 

「嘘! 先生とハジメさんも楓姉と同じ忍者⁉︎」

「うわあこんなの無理です〜〜⁉︎」

「風香さんと史伽さん! まさか上から来るなんて!」

「おいおいその格好は長瀬の真似か? ワリイがなんちゃって忍者に負けるほど俺達は弱くねえぞ!」

「ムムっ! こうなったら楓姉から習ったあの技だよ! 私達が狙うはネギ先生!」

「うぅ、ええ〜〜い! 鳴滝忍法!」

「分身の術!」

 

  二人の掛け声と共に一つに重なった影が二つに増える。これぞ分身の術、二人がなんと二人になった! ネギに迫る二つの影を冷めた目をしたハジメとネギは適確に二人の頭にそれぞれ枕を投げ、風香と史伽は目を回しその場に倒れ込む。

 

「ここでダウーーンッ! この二人強すぎるう! 甲賀忍群の二人をくだし全くの無傷⁉︎ この二人の唇を奪うのは誰にも無理なのかあ⁉︎ ……いやこれはああ‼︎」

 

  目を回す風香と史伽を担ぎ上げ、楓がにっこりとした笑顔をハジメとネギに向ける。影から浮き出るように現れた楓と、ネギ達の背後に控えるのは古菲、ギラリとした目を二人に向けて枕を構える。3-A武術少女達の登場にネギとハジメは気を入れ直し背中合わせで相対する。

 

「いやあお二人さんやるでござるなあ」

「お、なんだよ師匠の登場か?」

「長瀬さんと古菲さんまで……ここまで来たら僕たちも負けませんよ!」

「ネギ坊主もいつになくやる気ネ! でも私達の狙いはハジメヨ!」

「なにい⁉︎ なんでだ⁉︎」

「いやいやこれは超殿曰くハジメ殿へのご褒美らしいでござるからな、前に修行に付き合ってくれたお礼でござるよ」

「鈴音〜〜あのやろうマジで……」

「ハハハ、さあ勝負ヨハジメ! 今度も負けないアル!」

「見つけましたわよ〜〜っ! ネギ先生! さあ私と熱いベーゼをおお‼︎」

「ええっ! 委員長さんまで⁉︎」

 

  突如乱入した委員長は古菲と楓と目配せすると即座に事態を察しネギへと突貫する。ネギが絡むと何処までも潜在能力を発揮する少女だ。魔法で身体を強化しているネギにも関わらず、いい勝負をしながらハジメから離れて行ってしまう。そしてその隙を楓と古菲は見逃さない。

 

「おいネギ⁉︎」

「よそ見はダメでござるよハジメ殿」

「おおい⁉︎ 分身したら枕も増えるってそりゃありか⁉︎」

「いざ尋常に勝負アル‼︎」

 

  16の枕が視界を塞ぎ、中国四千年の歴史の乗った枕が飛来する。しかし所詮は枕、それを叩き落とすハジメだが、両手の指の数を超えた枕を捌き切る事はできず、楓の投げる横回転が掛かる枕から出るとは思えない音を奏でる枕が顔にぶち当りハジメの眼鏡が宙を舞う。だが眼鏡を気にせずに動けるようになったハジメは大立回りを演じ、侍と忍びと功夫の技が枕を通して廊下を蹂躙する。

 

「なんという闘いだあ! これが中学生と高校生の闘いだというのかあ⁉︎ ってか長瀬さん本当に分身してない? ああぶつかり合った枕が弾け飛んだ⁉︎ ちょちょっとこれアリなの⁉︎」

「いやああの三人魔法使いよりある意味ぶっ飛んでんなマジで……あの三人が兄貴と仮契約でもすりゃ相当な戦力だぜ」

「え…ネギ君とハジメさんが? ってああ! 古菲の枕がハジメさんの腹部にクリーンヒット! 廊下の奥へと吹き飛ばした! その先にいるのは⁉︎」

 

  楓と古菲を同時に相手取ってはいくらハジメでも勝ちの道は限りなく細い。気を練り投げられた枕からは柔らかさは消え去り固くなった弾丸が腹にめり込む。咳き込みながら腹をさすりハジメはなんとか立ち上がれば、中学三年にしてハジメと同じくらいの身長の褐色の美少女が目の前にいた。その眼光の鋭さにハジメは少し後ずさる、そのハジメを舐めるように龍宮は見つめた。

 

「おいおい今度はなんだよ」

「ほう、貴方が八坂一さんか、いや思ってたより背が高い、私より背の高い男性は少ないものでね」

「はあ、オメエ龍宮つったか? 確か刹那のヤツが前に話してたな、おいまさかオメエも……」

「私としては乗り気ではないのですが、まあこれもいい機会でしょう、私とも遊んでもらいましょうか」

「マジか……ってうおい⁉︎」

 

  顔に急に枕を投げられる。柔らかい枕は普通真っ直ぐ飛ぶことはない、横回転を掛ければ別であるが、それとは違う螺旋回転のかかった枕は防御しようとも抉るようにハジメのガードを弾き顔を弾いた。

 

「痛ってえ⁉︎ 長瀬と古菲以外にもオメエみてえなのがいんのかよ、ネギのクラスマジでどうなってんだ⁉︎」

「ほう、意外と頑丈ですね。気絶させるつもりだったのだが」

「おいおい……おっかねえな、まさかオメエも魔法関係者とか言わねえよな?」

「さてね」

 

  言葉の合間に高速の弾丸が再び飛ぶが、ここはハジメの距離だ。初めは油断したとしても次は違う。屈んでその弾丸を避ければ、横薙ぎに振られた枕が龍宮の腹部に飛んだ。それをしっかり手で防ぐも今度は龍宮の腕が弾かれ旅館の壁へと背を付いた。龍宮の口が薄っすらと弧を描く。

 

「……これは驚いた。いや乗り気ではないといったが楽しくなって来ましたね」

「……なんか麻帆良に来てから変な女にばっか気に入られるな」

「ム、私でもそれは傷つくな。どう思う楓」

「およよ、酷いでござるなあ、なあ古?」

「ふふふっ、乙女に言う言葉ではないアルネ、ハジメ覚悟ヨ!」

「ナンテコッタイ」

 

  三人の狩人がハジメに迫る。あらゆる技術によって飛ぶ枕の軌道はもうハジメに読めるものではない。面白いように身体に当たる枕から逃げるようにハジメは階段を転げ落ちながら逃げる。

 

「3-Aの三銃士が牙を剥くう! 流石にここまで猛威を振るっていたハジメさんでもこれは厳しい! 私だったら死ぬ自信があります! さあ変わって委員長に地獄の果てまで追われていたネギ君の方には第5班が迫るぞお!」

 

  昼間奈良公園で勇気を振り絞って告白してきたのどかとネギが相対する。手には枕はなく、投げつけるのは言葉だけだ。ここまでただぼうっとネギも過ごしていたわけではない。のどかからの告白になんとか自分なりの答えを出そうと考えてきた。

 

  ハジメの言った『惚れる』という感覚がネギにはまだよく分からない。だからこそ相手に惚れられるという感覚もイマイチ分からないのだが、だからと言って適当な返事を返すことをネギは許さなかった。それは男として歳は関係無く真剣に考え答えを出さなければならない。

 

  その答えは今回の3-Aが巻き起こしたゲームがある意味教えてくれた。まだ自分は子供だ。ただこうして生徒達と笑いあえることが何より楽しく愛おしい。だからこそ誰か一人と手を繋ぐのはまだ自分には早いとネギは思う。

 

  だから言うのは「お友達から始めましょう」という言葉。それは逃げではない、ハジメが茶々丸に言ったように、それは恋人とは違うが特別で大事な関係、手を握り合うネギとのどかの二人の間には確かなつながりがある。

 

  そんなことをネギがやっている間、ハジメはハジメで友達と相対していた。

 

  龍宮と楓と古菲をなんとか捲いたハジメだったが、そのハジメを狙って二人の天才が動く。光る丸い眼鏡と怪しい笑みを浮かべる二人はハジメが3-Aの中で最もよく知る二人だ。葉加瀬聡美は背中から伸びた四つのロボットアームが枕を掴み、枕を持たずに超鈴音は空中に浮かび微笑んでいる。それを見たハジメは今までに無いくらい大きく長いため息を吐いた。

 

「……オメエらな」

「フフフっ、別に主催者側が参加してはいけないルールは無いネ」

「まあなんですかハジメさん。私はこういったことには慣れてないんですがたまにはいいですよね♪」

「よくねえ⁉︎ オメエら俺がそんなことするとマジで思ってんのか?」

「思ってないからこそこうするネ! もうハジメの返事を待つのは嫌ネ! こうなったら実力行使ヨ! オコジョの妖精と朝倉サンには感謝ヨ」

「ええっと、まああれです建前上は私達に黙って茶々丸と喧嘩した罰ってことで」

「建前上とか言うんじゃねえ⁉︎」

「さあ行くヨ!」

「オメエ魔法使いだって隠す気ねえだろ⁉︎」

 

  空中から鈴音が迫る。それをひょいと避けようとするハジメだったが、鈴音も中国武術の達人だ。滑るように地面に沈み込むと伸ばされる掌底がハジメへ飛ぶ。それを避けるハジメだが、ベストタイミングで間に放られた枕を鈴音が叩き枕の砲弾がハジメの顔を弾いた。

 

  それで終わるわけがなく、葉加瀬のロボットアームがハジメの行き先を塞ぐように動き、止まったところに四方八方から枕が落とされる。人ならざる四つの腕が縦横無尽に駆け巡り、楓達のせいでもう底が見えてきているハジメの体力を削っていく。

 

「おおい⁉︎ 聡美お前いくらなんでもそりゃねえだろ⁉︎」

「いやあ私もたまにははっちゃけたいっていうか、ふふふ、他のみんなみたいに遊びたいんですよ! それもハジメさんが相手してくれるんですから、ほらまだ私の発明はこんなものじゃあないですよ〜〜折角だからいろいろ試しましょう!」

「待て待て待て〜〜ッ⁉︎」

 

  武術といった身体を使う人の力とは別の力。考えるという人に備わった奇跡の具現、その極致とも言える葉加瀬の技術がハジメに襲いかかる。葉加瀬の強みは極限まで合理化された思考回路だ。ロボットである茶々丸よりもある意味容赦の無い選択がハジメを追い詰めていく。そこには卑怯やズルいといった考えは微塵も無い。ただあるのは正しいということ。善も悪も無く全てを飲み込んだ数学のようにただ一つの結果に向けて葉加瀬は動く。

 

「さあさあハジメさんまだまだ行きますよ〜〜! お次は超小型掃除機です!」

「おおおおい⁉︎」

 

  小さな箱を葉加瀬が差し出せば、小さな渦が全てを引き寄せる。巻き込まれた枕に押し潰され、動けなくなったハジメが葉加瀬に引き寄せられる。葉加瀬とハジメがお互いに手が届く距離になったところで、ロボットアームがハジメを拘束しようとするが、空から鈴音がハジメを掻っ攫った。

 

「超さん⁉︎」

「悪いねハカセ、これだけは譲れないヨ!」

「おい馬鹿降ろせって!」

 

  宙に浮かぶ鈴音は唇をとんがらせ追い詰めたハジメに顔を近づけるが、それをハジメは身体を捻ってなんとか避ける。何度も迫る鈴音の顔にぷいっと顔を背けた。そんなハジメの対応に頬を膨らませて鈴音の手に力が入る。

 

「なんでハジメ避けるヨ!」

「そりゃ避けんだろ⁉︎ だいたいオメエはいいのかよ?」

「良くなきゃやらないヨ! ム〜〜ハジメはそんなに嫌カ?」

「嫌っていうかダメなんだよ、それだけはダメだ俺が俺を許せねえ」

「……そんなにあらしさんが好きネ?」

「おう」

 

  即答。ハジメには迷いなどという言葉は無い。恋や愛などという問いに対してだけはハジメは絶対の答えを持っている。ハジメにとって全てを捧げる相手はもうずっと前から決まっているのだ。例え幾数年月経とうともそれだけは永遠に変わらない。ハジメの真面目な顔を見て、鈴音は顔を俯かせた。ゆっくりと地面にハジメを降ろすと力無く手を離す。

 

「…………ならしょうがないネ」

「はあ、お前なんでそう最近そんな風にして構うんだよ、そんな風にふざけなくたって俺たちゃ親友だろう?」

「……それじゃあイヤヨ、ハジメにはもっと近くにいて欲しいネ」

「なんでだ?」

「もう! ハジメは本当鈍感ネ!」

「なんだよそりゃ……おい聡美」

「すみません、これは擁護できないですね」

 

  諦めたように葉加瀬はため息を吐く。この二人は二人ともがどうも外している。ハジメは自分が想っていることには際限なく突き進み自分にとって大事なことがよく見えている。鈴音は逆に全て見えているはずなのに大事なものには手が出せない。そんな親友二人に手を差し伸べてもいいのだが、それをしても意味がないだろうことが分かる葉加瀬はただただ見ていることしかできない。

 

  それは当人同士の問題で、二人の親友である葉加瀬がとやかく口を出すことでは無い。何よりこの二人は葉加瀬が今最も理解できない二人でもあるのだ。ハジメの誰にも分からない秘密と、鈴音の全ては語らない秘密。どうしようもなくミステリアスな二人のそばに葉加瀬はまだいたいから、だから客室に帰ろうと三人並んだ時にロボットアームで葉加瀬がハジメの背中を強く押したのはわざとだ。

 

  急な衝撃を背に受けてよろけるハジメが向かうのは鈴音、倒れ込むハジメと鈴音の影がゆっくり重なった。建物全体を薄っすらと光が包み込み、二人の繋がりを示すカードが頭上で光輝き形成される。落ちるカードを固まってしまった鈴音は見送り、地面に落ちて軽い音を上げるカードをハジメも呆然と見つめた。少し間が空いたが、固まり唇を触る鈴音の顔に気付いたハジメはハッとなり両手を広げる。

 

「あ……」

「わわわ悪い鈴音⁉︎ だがこりゃ事故だぜ、不可抗力だ!おい鈴音? おい鈴音‼︎ おい鈴音⁉︎ おーーいッ⁉︎」

「いやあやっぱり枕投げに使うことなんて想定してないからガタがきちゃいましたかね〜〜」

「取って付けたようなことを言ってんじゃねえ!」

「取って付けてなければいいのかね?」

「「あ」」

 

  葉加瀬とハジメの肩に校則の鬼の手が降ろされる。キラリと光を反射する眼鏡のおかげで奥の瞳が見えないためどんな目をしているのかは分からないが、額に浮かぶ青筋からいって怒っているに違い無い。二人はなんとか言い訳を考えて頭を働かせるが、手には枕、ネギもいない、惚けている鈴音とそれらが状況を追い詰めてくれる。極限まで頭を使い導き出した答えを披露しようとハジメは一歩前に出た。

 

「新田先生……」

「……なんだね?」

「正座……してきます」

「そうか……だったら早く行きなさいッ‼︎」

「へーーいッ‼︎」

 

  落ちていた仮契約カードを取り敢えず拾いロビーに出れば死屍累々、見た顔が正座姿で微動だにせず顔が死んでいる。数人何故か楽しそうな顔をしているものや参加していたはずなのにいない者もいるが、朝倉含めた主催者は漏れ無く座っていた。新田先生に絞られたらしい涙目のネギの隣にハジメは腰を下ろすと、その手に握られた仮契約カードに気付く。項垂れるネギが気付かないのをいいことに、ハジメは何も言わず鈴音との仮契約カードを懐にしまった。

 



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第13話 それが大事

「ちょっとどーすんのよネギ! 本屋ちゃんと仮契約カード作ちゃって一体どう責任取るつもりなのよ⁉︎」

 

  宮崎のどかとネギの仮契約カードをこれ見よがしにネギの前へと掲げて明日菜が詰め寄る。「友達から」とネギとのどかが握手を交わして離れた次の瞬間に、夕映のお節介によって伸ばされた右足に引っかかりツンのめったのどかとネギはキスを交わし、その証が生まれてしまった。所謂不可抗力の事故の責任を幾ら魔法使いだからといってネギが取るというのはお門違いというもので、落ち込むネギの代わりに黒幕であるカモと朝倉がフォローに入るが、

 

「まあまあ姐さん」

「そーだよアスナ、もーかったってことでいいじゃん」

「朝倉とエロガモは黙ってて⁉︎」

 

  全く相手にされない。元の原因が自分達にあるからこそ朝倉もカモも強くは出れず、また全く似たような状況で鈴音と仮契約をしてしまったハジメはそれに何も言えなかった。ネギとは違い主催者側として動いていた鈴音と葉加瀬の工作のおかげでハジメが鈴音とキスした事実は映像などに映っておらず、また鈴音から鈴音が魔法使いであるということを隠すように前に言われていたこともあり申し訳なさそうな顔で遥か彼方に視線を逃すことしかできない。ごまかすように首の後ろに置いた手が妙に熱い。

 

「本屋ちゃんは一般人なんだから厄介事には巻き込めないでしょ、イベントの景品らしいからカードの複製を渡したのは仕方ないけどマスターカードは使っちゃダメよ」

「魔法使いということもバラさない方がいいでしょうね」

 

  刹那からも苦言を零されネギはより小さく、ハジメは人知れずより大きく顔を背ける。一般人と言えば明日菜やハジメもそうなのであるが、それはもう今更なことだ。まだ何も知らぬのどかには京都で今降りかかっている厄介な事情もあり、「全て秘密にしておきます」というネギの言葉に全員納得した。

 

「惜しいな〜〜あのカード強力そうなんだけどなー、まあいいや、アスナ姐さんにもカードの複製渡しとくぜ」

「えーそんなのいらないわよ、どうせ通信できるだけなんでしょ?」

「違うって! 兄貴がいなくても道具だけは出せるんだよ! ぜってー役に立つって!」

 

  そう言ってカモは明日菜にカードを手渡す。ただのタロットカードにしか見えないものにそんな能力があるとは思えないと明日菜は怪しむ。それを見ていたハジメも全く同じ気持ちだった。ズボンのポケットに入れてある仮契約カードに外から触れる。固い感触が指に帰ってき、それは確かにそこにあると主張してきた。

 

「出し方はこう持って『来れ(アデアット)』って言うんだ」

「え〜〜? やだなあ……アデアット」

 

  明日菜の呟きに反応し手に持った仮契約カードが光り輝く。光は別の形に変わっていき、術師の式神を叩きのめしたハリセンへと変わった。流石の夢のような光景に明日菜の目の色も変わる。それをハジメはまるで映画を見る観客のように呆けた顔でただ見つめた。

 

「わっ!……すごい! 手品に使える!」

「ち、ちゃんと使ってくれよ⁉︎ しまう時は『去れ(アベアット)』だぜ」

「うわーすごいすごい私も魔法使いみたいっ!」

「……ああ本当にな」

 

  喜ぶ明日菜を後にして、全員今日は自由行動のため準備のためにその場を離れる。ハジメはネギと部屋に戻るのとは別に、ちょっと用事があると離れて鈴音と葉加瀬の部屋へと寄った。どうも気恥ずかしく着いたはいいものの鈴音達の部屋の前でうだうだとしていたが、過ぎていく時間に背を押されなんとか扉をノックすれば、中から間延びした葉加瀬の声が帰ってきたのと合わせて扉が開かれる。ちらりと見えた部屋の中にはもう他の3班の子達はいないようでさっさと自由時間を楽しみに行ったらしい。それに少し安堵の息を吐きハジメはバツの悪い顔をする。

 

「あれハジメさんどうしたんですか?」

「よお聡美、あーちょっとよお……」

「ああ超さんですね? ちゃんといますよ、今呼びますね」

「いやそうなんだけどさ、鈴音のヤツ大丈夫か? 昨日は大分ボーッとしてたろ、怒ってるかやっぱ」

「え? いやそれは……」

「いやあ分かっちゃいるんだ、あれだけダメだって言っておいて事故とはいえまあアレだろ? 怒っててもしょうがねえって言うかさ……」

「はあ……ハジメさんて本当にこういう時残念ですよね、もう呼んで来ますね」

「あ、おい」

 

  引き止めようとするハジメの言葉を遮って扉が一度閉められる。言いようもない不安に心を炙られ突っ立っているだけなのに異様に緊張してしまう。だがそんなハジメの気など知らぬというように、続けて開かれた扉からは普段と変わらぬ様子の鈴音がひょっこりと顔を出して来た。

 

「ハジメおはよーヨ! 一体どうしたネ」

「いやどうしたも何もよ、昨日のことちゃんと謝っとこうと思ってさ、悪かったな」

「昨日?……ああ別に私は気にしてないヨ!」

「そうか? ならいいんだけどさ、それとこれも返すぜ」

 

  ポケットに今までしまっていた仮契約カードを鈴音に手渡す。一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤけた顔へと変わり、じっと仮契約カードを眺める鈴音にハジメは首を傾げるが、それは聞かずに話を続ける。

 

「そいつは俺が持ってても意味ねえだろ?」

「…………♪」

「鈴音?」

「ん、ああいやそうネ、だったら複製を作るからちょと待つヨ!」

「いやそれなんだけどよ、今はいいや」

「なんでヨ? 京都でのゴタゴタで必要にならないカ?」

 

  昨日からハジメがずっと考えていたことだ。いくら事故みたいなものとはいえ、あらし以外の相手とキスをするという一方的な罪悪感と、鈴音への申し訳なさになんとダサいことかと一夜中心の中でハジメは悶えていた。それに加えて、ハジメが鈴音のパートナーになる時は鈴音の秘密を聞くという約束もしている。今聞けばそれも聞けるだろうが、それは違うだろうと思う。京都での案件は確かにハジメにとって厳しいものだ。また木乃香が狙われたとして、その時にハジメが相手をすることになる相手は今のハジメからすれば格上の存在。いったい何が出るかは分からないが仮契約カードから出る道具を使えば同等以上に闘えるかもしれない。だがそれをしてしまったらカッコ悪いことこの上ない。所詮見栄の話になるのかもしれないが、ハジメにとってそれは大事なことなのだ。

 

「それができたからって俺は今それを使うわけにはいかねえ、それはオメエの話を聞く覚悟があってこそ持たなきゃいけねえもんだろ? だからさ、それは俺がオメエの話を聞いてオメエと同じ方に向かうって決めた時にまた渡してくれよ」

「……全く、ハジメは本当に……まあハジメらしいネ! 分かたネ!」

「おうだからまあ修学旅行が終わったら話してくれよ、本当はパートナーに成ったら話してくれるっつう話だったけどさ」

「ふふふっ、何言ってるネ、私達はもうパートナーヨ! だから私は今度こそ待つネ!」

「おう悪いな、はあようやっと肩の荷が下りたぜ」

「ウム、ただハジメ、これで私はよりハジメに協力できるヨ、道具を使わないっていうのはいいとして少しぐらいはいいネ? 私も折角出来たパートナーがただボコボコにされるのはイヤヨ!」

「ん? そりゃあまあいいけどさ」

「決まりネ! じゃあ早く行くネ! ネギ坊主が待ってるよ! ほらほら!」

「おい押すなって⁉︎」

「行ってらっしゃいネ!」

 

  ハジメを押し出し鈴音は勢いよく扉を閉める。扉越しに少しだけハジメは立ち止まっていたようだが、やがて遠去かっていくハジメの足音に合わせて鈴音はズリズリと背にした扉に沿って下へとへたり込んでしまった。

 

「はあ……」

「大分お疲れですね超さん」

「昨日の今日ヨ⁉︎ なんでハジメはなんでもないみたいに訪ねてくるネ⁉︎」

「いやああれで大分参っていると思いますがね、超さんの方が凄いと思いますけど、ナイス演技」

「う〜〜もう頭の中ごちゃごちゃヨ⁉︎」

「その割には凄い嬉しそうですね」

「あ、やっぱり顔に出てるカ?」

「それはもうバッチリ、柿崎さんあたりに顔見られたら一発でバレますよ」

「……今日は部屋に引き込もてようカ?」

「そんな嬉しそうな顔をしてそんなこと言ってもダメです。今日は茶々丸にお土産買うんですからね! ほら行きますよ」

「あ〜〜ハカセの意地悪〜〜」

 

  葉加瀬に引きずられながら鈴音も部屋を後にする。二人より大分早く先に行っていたハジメは二人と鉢合わせすることなくネギと合流し明日菜と待ち合わせしていた場所を目指す。今日は自由時間、ようやっと学園長に頼まれていた親書を渡すことができるとネギは息巻いていたのだが、いざ待ち合わせ場所に着いてみればそこには第5班の全員が待っていた。

 

「わあ〜〜皆さんかわいいお洋服ですね〜〜!……じゃなくて⁉︎ なな、なんでアスナさん以外の人がいるんですか〜〜⁉︎」

「ゴメンパルに見つかっちゃったのよ……」

「ネギ先生そんな地図持ってどっか行くんでしょ! 私達も連れてってよ!」

「えーー5班は自由行動の予定無いんですか?」

「ないです」

「ネギ君一緒に見て回ろーー♡」

「こりゃダメだな」

 

  ハジメの想像通り、ネギと明日菜は一緒に行動することになった5班の木乃香、ハルナ、のどか、夕映の四人を何処かで捲く気満々であったが、それはいくらなんでも無理がある。結局流されるままネギと明日菜は巻き込まれ京都に来たというのに何故かゲーセンの方にまっしぐら。

 

「ホラ、あっちにゲーセンあるから記念に京都のプリクラ撮ろうよ」

「プリクラ〜〜?」

「そうそうネギ先生と一緒に! ね♡」

「あ、えーなーそれ、せっちゃんウチらも撮ろ!」

「あ、いえ私は……」

「いいじゃねえか刹那撮ろうぜ!」

「……なんでハジメさんそんなにやる気なんですか……」

「はははっ、ええやん三人で撮ろーーっ!」

「あ……アスナさんも撮りませんか?」

「え……私プリクラとかは」

「ほらアスナも撮ろう‼︎」

 

  パシャパシャとしたシャッターの音が笑顔を切り取っていく。木乃香と一緒にいられ刹那のふやけた顔を見れてハジメも満足だ。親書を届けなくてはならないが、こういった時間も大切だ。ネギもゲームセンターに来るのは初めての経験らしく、機械の音が喧しい光と音の空間の中で気になったものがあったようで、ガラス製の箱の前で不思議な顔をして立ち止まったネギの姿がハジメの昔の記憶と重なりニヤリと口角を上げた。

 

「これって……?」

「気づいてしまったか……そいつの名前はUFOキャッチャー、かつて幾人の戦士が挑み敗れていったことかーーっ! 次こそはと言いつつ帰る頃には財布がすっからかんになる恐ろしい兵器だーーっ‼︎」

「ええ〜〜っ‼︎」

「いやいやハジメ先輩……」

 

  誰もが知ってるUFOキャッチャー、かの有名なセガ・インタラクティブが製造、販売しているアーケードゲームの一種。動作は知っての通り、景品ダクト上に位置しているクレーンを二つないし三つのボタンで動かし、そのクレーンをもって同じ箱の中にある景品をGETするシンプルなゲーム。子供や彼女に催促され何人の男達が銀色の硬貨を投入したことか……。

 

「そんな恐ろしいものなんですか? こんなピカピカして綺麗なのに……」

「ゲーセンを甘く見るな! 今俺が手本を見せてやる!」

「ハジメさん‼︎」

「いいか、まず金を入れる!」

「はい!」

「スイッチを入れクレーンを動かす!」

「おお!」

 

  ハジメがボタンを叩くとゆっくりと喧しい音を立ててクレーンが動く。それが落ちる先には杖を持った男の子の人形があり、閉じるクレーンは人形の髪をするりと撫でるだけで元の位置に戻ってしまった。それを見てハジメは大きく体を仰け反らせ、その場に膝を着いた。

 

「作戦失敗ーー‼︎」

「ハジメさーーんっ‼︎」

「て、敵の防衛戦は思ったよりも手強かった……」

「そんな……ハジメさん!」

「お……俺はいい! 早く奴を……!」

「そんな……できません!」

「バカヤロウ! お、お前がやらんで誰がヤツを救える!」

「あのちょっと二人とも……?」

「わかりました! 必ずや僕が任務を遂行してみせます!」

「ゆけぇ‼︎」

 

  小さな小銭入れからなけなしの銀色の硬貨を投入する。軽い金属の音がクレーンに力を与える。一度開いて閉じるクレーンの動きを生唾を飲み込んでネギは見つめ、そんなネギにハジメの檄が飛ぶ。クレーンゲームの箱の前で騒いでいるハジメとネギの二人の姿に明日菜は呆れたように頭を抱えた。

 

「いーか! よォく見定めろ! 敵はさまざまなデコイを振りまいている! 惑わされるな! 真の救出目標はただ一つーーっ‼︎」

「ハイ!」

 

  ハジメの忠告に従って、積み重なる魔法使いの人形を見る。魔法使いの人形の山の何処を見ればいいのか、視線が宙を漂う中で、集中するネギはようやっとその中でなにかに気づきハッとする。

 

「んんん〜〜?……あっ! 目が! 目が合いました! 間違いありませんハジメさん! 確かに運命を感じました!」

「あのね……」

「オオ! ヤツか! 遂にヤツを見つけたかーーっ‼︎」

「イキます‼︎」

「おおういけや‼︎」

 

  クレーンが動き、落ち、人形の髪を撫でた。

 

「あああ〜〜〜っ⁉︎」

「ネギ上等兵ーーっ‼︎」

 

  床に手を着くネギとネギの方へと手を伸ばし叫ぶハジメ、流石にゲームセンターでやることではないだろうと明日菜は離れていき、第5班の面々も爆笑しながら遠巻きで眺めているだけだ。だがそんな中で一つの影が二人の元に近づいてきた。

 

「なんやなんや兄ちゃん達だらしないなぁ」

「なんだとーーっ! だったらオメエやってみな! この強敵に勝てるんだったらなあ!」

「見とけや‼︎」

 

  ニット帽を被った学ランの少年、背丈もネギと変わらず歳も同じくらいに見える。長めの髪を後ろで束ね気の強そうな顔でクレーンゲームに向かい合う。簡単だというように舌舐めずりし、少年の目がギラリと輝いた。

 

「行くで!」

 

  投入された硬貨に続き強く叩かれたボタンに反応してゆっくりとクレーンは動き出す。少年の気の強さを証明するように迷い無く真っ直ぐに突き進み、目標に向かって落ちていく。力強くアームを開き、それが閉じた時、人形の髪を軽く撫でた。

 

「なぬ〜〜っ‼︎」

「ダメじゃねえかーーっ‼︎」

「やっぱりこれ難しいですよ!」

「なに言ってんのや! ここまで来たらやるしかないやろ!」

「ほおオメエ見どころあんじゃねえか!」

「当たり前やろ、男ならやってやれや! な!」

「そうですね! こうなったらとことんやってやりましょう!」

「「「うおおおおお!!!!」」」

 

  何枚もの硬貨を飲み込んで全くガラス製の箱はビクとも動かない。魔法使いの人形の髪を撫で続け、髪の毛一本すら届けてはくれなかった。ビデオを何度も巻き返して再生するように同じ光景が幾度となく繰り返され、三人の男達は真っ白に燃え尽きクレーンゲームの前で膝を付く。床に落ちた財布からは硬貨は一枚たりとも転がらない。

 

「へへっ……やばいな文無しや……」

「だから言ったろ……こいつはデケエ貯金箱と変わらねえのさ……」

「決しておろせませんけどね……」

「いやあんた達なにやってんのよ……」

「でも楽しそうやったなーー、なあせっちゃん」

「ダメですお嬢様あのような者達を見ては、心が汚れてしまいます」

 

  刹那の厳しい一言に三人は肩を跳ねさせるとようやっと目に光が戻り現実に帰ってくる。ニット帽を被った少年は勢いよく立ち上がると、人の良さそうな快活な笑みを浮かべてネギとハジメの方へと振り返った。

 

「いや〜〜でもなかなか楽しかったわ、おもろいなああんたら」

「オメエもなかなかのもんだぜ!」

「うん! 楽しかったですね!」

「はははっ! ほなな、また会おうや! 次はもっと全力で遊ぼうや! ネギ・スプリングフィールド君に八坂一さん!」

「は?」 「え?」

 

  ニット帽の少年はそれだけ言ってさっさと離れて行ってしまった。何故か最後名乗ってもいないはずなのにネギとハジメの名前を呼んで去って行く少年の後ろ姿を二人は眺めていたが答えは出ない。だが少年の乱入のおかげでハルナ達が蚊帳の外となり別のゲームに集中しだしたおかげで明日菜達が抜け出す隙が出来た。

 

「兄貴今だぜ」

「あ、うん! それじゃあアスナさん」

「分かったわ、桜咲さんとハジメ先輩、このかのことよろしくね!」

「はい、二人とも気をつけてください」

「俺と刹那がいりゃ安心だぜ」

 

  ニットの少年に続いて走り去るネギとアスナの背を見つめ、ゲームセンターのおかげで適度良く肩の力の抜けた二人なら大丈夫そうだとハジメは微笑む。二人を見送った後、ただ突っ立っているのは性に合わないと、一人遠巻きで立っている刹那の手を引っ掴み木乃香達の方へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まる たけ えびす に おし おいけ

 あね さん ろっかく たこ にしき

 し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう

 せきだ ちゃらちゃら うおのたな

 ろくじょう ひっ ちょうとおりすぎ

 はっちょう こえれば とうじみち

 くじょうおおじでとどめさす ♪

 

  蹴鞠歌にあるような京都の細い京町家の路地を一人の少年が走っている。その顔は深い笑みに歪み踏み出す足は出されるごとに楽しそうに跳ねた。少年はこの時期京都に多い修学旅行に来た学生や休日を謳歌している地元民などではない。敵情視察のついでに目当ての二人に接触してみたが、想像以上におもしろい相手だったと思い出すたびに口角が上がる。

 

  前情報で言えば英雄サウザンドマスターの息子であるネギ・スプリングフィールドの方が情報が多く出回っており、気弱な子供だとされていたが、会ってみた感じノリのいい男の子で安心したといったところだ。

 

「やっぱ名字スプリングフィールドやて、名前呼んだ時メッチャ驚いてたわ」

「やはり……あのサウザンドマスターの息子やったか……なら相手にとって不足ないなぁ」

 

  少し開けた場へと少年が躍り出れば、それを待っていたように先日木乃香を攫った符術師、天ヶ崎(あまがさき)千草(ちぐさ)(いわい)月詠(つきよみ)、そして見るからに日本人ではない白髪の少年が影の中から姿を表す。

 

「なあ千草の姉ちゃん、ネギ・スプリングフィールドは俺にくれや! 英雄の息子めっちゃ興味あるわ、強いんやろ?」

「そんなんなんぼでもやりはったらええ、木乃香お嬢様さえ手に入ればウチはなんだって構わん」

「ならウチは刹那センパイと……あの兄さんも欲しいなあ〜〜、ウチを殴り飛ばしてくれたあの剣技、滑稽に扱ってやりたいわ〜〜」

 

  戦闘狂の二人に挟まれて、千草は苦い顔をする。自分の計画のために雇った傭兵の二人だが、どうも闘いを楽しみすぎる。少し離れたところにいる異国の少年に目をやるが、明後日の方へと視線をやっているだけで何も言う気は無いらしい。

 

「あんたら分かってるんやろな、木乃香お嬢様を手に入れられなければ、この計画はおじゃんなんやで?」

「分かってる分かってる、だから俺がネギ言う奴の相手したる言うとるやろ」

「ウチは闘えればなんだってええしな〜〜」

「あんたら……」

 

  子供に言っても仕方がないことだとは分かっている。だがどうしようもない想いからくる焦りが千草の顔を歪めてしまう。過去、二十年前の全ての魔法使いを巻き込んだ大戦、東洋の一小国である日本の術師たちもその闘いに巻き込まれた。だがそれは関東魔法協会を狙ったものであったのだ。だというのに同じ国にあるだけで西洋魔法使いとはまるで関わりのない関西呪術協会にまで戦火は飛び火し、その中で千草の両親は命を落とした。

 

  なんだそれは? 納得できるか? 誰もが言うしょうがないという言葉。実際そうなのだろう、やっていたのは遊びではなく戦争なのだ。相手が死にこちらも死ぬ。そんな無数の死者たちの中にたまたま親が含まれていたという世界中どこにでも転がっている話だ。

 

  だがそれで口を噤みただ死者へ想いを馳せることなど千草の心が許さない。例え誰に何を言われようと、それでは死んだ者はいずれ誰にも思い出されず忘れ去られてしまう。そんなのは嫌だ。死んだ者はそんなことをして欲しいとは思っていないと言うのだろう。だがそれでもいい。これは自分が決めたことなのだ。そうでなければ自分の人生はカビと苔にまみれて腐って行ってしまうから、千草はただ一人自分だけの戦争のために奮い立った。

 

  しかしただ一人残された自分だけの力では、強大な関東魔法協会や、千草の意に反対している関西呪術協会を相手にするのは不可能だ。だから今周りにいる金で雇った少年少女を見る。年端もいかない子供ではあるが実力はある、その小さな手を借りて大事をなさなければならない。

 

  人知れず両の手には力が入り、自分も気づかずにこもる気が周りに染み渡っていく。千草の決意を怒っていると勘違いしたニット帽の少年は慌てて腕を開いて距離を取る。

 

「わわ、分かってるって、木乃香お嬢様いうのを奪えればええんやろ? 安心しい給料分はちゃんと働くわ」

「当然や、それぐらいしてもらわんと払った金が無駄になるさかいなあ、月詠はんもしっかりやって貰わないと困りますえ」

「分かっとります〜〜、刹那センパイとあの兄さんはウチがきっちり切りますえ」

「チッ……、にしてもなんなんや、サウザンドマスターの息子と桜咲刹那はまだ分かる。ただあのアスナとハジメ言うクソガキまでああも強いとは……」

 

  元々関西呪術協会にいた刹那はその剣の腕も有名でありネギは言わずもがな。その二人の対策は今ここにいるニット帽の少年、犬上小太郎(いぬがみこたろう)と神鳴流剣士、月詠がいれば対処できるはずであった。だというのになんの情報もないところから式神を簡単に払うことのできる少女と、式神と神鳴流剣士を同時に切り飛ばせる少年が出てくるなど誰が予想できるか。

 

「まあええやろ、そのアスナ言う姉ちゃんネギ・スプリングフィールドのパートナーなんやろ? 女を前線で使うとか胸糞悪いわ、俺が同時に相手するから安心し」

「なんや小太郎はん遠回しにウチのことバカにしてます〜〜?」

「いやいや月詠姉ちゃんは剣士で戦士やろ! あっちは一般人で根本的にちゃうわ⁉︎」

「ならあの剣の兄さんは月詠はんに同時に相手取って貰わんとな、いけるやろ」

「うーん一人ずつは大丈夫やと思うけど同時は厳しいかもしれまへんえ〜〜、あの兄さんの流派もなんなのか分からんし〜〜」

「それは……フェイトはん! あの男の情報持ってきたのあんたやろ! 麻帆良国際大学付属高等学校に在籍してるゆうどうだっていい情報の他に何かないんか?」

 

  フェイトと呼ばれた異国の少年は、千草の呼び掛けにようやっと目をそちらに向けた。虚空をそのまま瞳に詰め込んだようなフェイトの視線を受けて千草の背に冷たい汗がつーっと走るが、それで気後れしてはいられないと心を隠すように一歩詰め寄る。

 

「ハジメ……八坂一か、僕も知り合いから聞いただけだしね、僕は彼に興味がないからこれといった情報は持っていないのだが……」

「あんたが注意しろ言うたんやろ!」

「だからそれを言ったのは僕の知り合いだよ……彼が使うのは心抜流とかいう広島に伝わる剣術だそうだ。聞いた情報だともっと強いという話だったんだけど、そうでもなくてよかったね」

「よくない十分厄介やろ!」

「へ〜〜心抜流どすか〜〜、なるほど確か居合いの流派やったかな〜〜? 神鳴流以外とやるのは久しぶりやな〜〜」

「で? その心抜流言うんは強いんか? だったら俺もやってみたいな〜〜」

 

  小太郎と月詠のずれた返答に千草はより苦い顔を浮かべるが、そんなことは気にせずにフェイトは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「さあね? 何度も言うが所詮知り合いの又聞きなんだよ、彼が言うには戦国時代発祥の剣技でそこまで有名なものでは無いらしい。ただその使い手はそれなりの数魔法に関わっている者がいたそうだ。実際関西呪術協会にも何人か在籍していたことがあるそうだし、今の関西呪術協会の長と今の心抜流の宗家は知り合いだという話だ。つまり八坂一を見くびると手痛い一撃を貰うことになるかもしれないね」

「つまりあれか? 神鳴流みたいに退魔の技もあるっちゅうことでええのか?」

「さあね、そこまでは知らないよ」

「あんまりアテにならん情報ばかりやないか……」

「なんにせよウチが相手するんやからなんだってええよ〜〜、どんな流派でも切って捨てれば同じや」

 

  ネギ・スプリングフィールド、神楽坂明日菜、桜咲刹那、八坂一の四人を思い浮かべて四つの顔が、方や決意の表情に、二つが面白そうに笑みを作り、一つが無表情のまま虚空を見つめる。遅かれ早かれ後二日のうちに決着をつけなければならない。どんな結果になろうともそれが最後で最大のチャンスなのだ。たった一人で始めた千草の戦争がついに日の目をみる。

 

「一昨日のカリはキッチリ返して貰うえ」

 

  千草の一言を残して四つの影は日差しの中から建物が落とす影の中へと消え去ってしまう。ゆっくりしかし確実にネギ達の首元に大きな手が伸びていっている。それに掴まれるかその手を握り潰せるかは、今はまだ誰にも分からない。

 

 

 



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第14話 田園

あわわ、まさか日間ランキングに載れるとは……これも皆さんのおかげです。ありがとうございます!


  木乃香の手を引っ張り刹那が走る。その横にはハジメが並び、その後ろをハルナと夕映が必死に追う。いつの間にかのどかの姿がないが、そんなことを気にしている余裕は彼らには無かった。まだ夏には早いが、快晴の太陽の下で全力疾走したおかげで玉のような汗が宙に跳ねる。突然の刹那の疾走にハルナと夕映と木乃香はただ困惑した。

 

「せっちゃんどこ行くん? 早いよぉ」

「ああっ、す、すいませんこのかお嬢様!」

「な、なぜ急にマラソン大会に……?」

「ちょ、ちょっと桜咲さん……何があったのーーっ⁉︎」

 

  不意に空から降り注ぐ千本、撃ち落としては周りに気がつかれてしまうため刹那は飛んでくるそれを手で掴み隣に走るハジメへ手渡すとバレないようにハジメが道端へとそれを捨てる。

 

「おい刹那これって……」

「ええ間違いありません。遂に敵が動き出しました。白昼堂々街中で襲ってくるとは……見誤りました。これほど敵が後先考えないなど」

「どうする? 場所が分かるんなら俺が突っ込むか?」

「いえ、敵の規模が分かりません、それにハジメさんは手ぶらでしょう、ここはどこかへ逃げた方が……」

 

  京の街で育った刹那は迷うことなく走るが、どこへ向かっていいのか分からないと苦虫を噛み潰す。道のよく分からないハジメ達はただ刹那に着いて行くだけであったが、修学旅行を楽しみに旅行本を読み漁ったおかげか、街の外れに聳える建物にハルナが気付く。

 

「あれ? ここってシネマ村じゃん、なによ桜咲さん……シネマ村に来たかったんだ〜〜⁉︎」

「シネマ村……よし、ハジメさん‼︎」

「え? なに?」

「すいません綾瀬さん! 早乙女さん! わ、私このか……さんとハジメさんとその三人であのええと一緒に……ええと、そういうわけでここで別れましょう‼︎」

「え⁉︎」

「……酷え言い訳だなオイ」

「お嬢様失礼! 行きますよハジメさん‼︎」

「え? おおい⁉︎」

 

  木乃香をお姫様抱っこで担ぎ上げひとっ飛びでシネマ村の外壁を超えて中へと消えて行く。魔法の秘匿も気にできないほど取り乱した刹那は珍しいと空に豆粒のように小さくなっていった背中を置いていかれたハジメは見ていたが、すぐさま気を取り直しその後を追う。

 

「ねえハジメさん! ラヴ? ラヴなの?」

「違〜〜うッ⁉︎」

 

  入館料を踏み倒した刹那と違い、クレーンゲームでただでさえ金がないというのにハジメはしっかり入館料を取られた。

 

  シネマ村、別名東映太秦映画村は実際にそこで映画が取られることもある時代劇を彷彿とさせる木造の雅な建物が並ぶ施設だ。映画を撮るのに使われる衣装の貸し出しもやっており、シネマ村の中では時代劇に出る侍などのコスプレをした旅行客で溢れていた。

 

  多くの人で溢れるそこは身を隠すにはうってつけだが、一度逸れてしまえば探すのには大変苦労する。おかげでハジメが刹那を見つけるまでに二十分近い時間を要し、息も絶え絶えにようやっと見つけた刹那に詰め寄る。

 

「刹那オメエなあ! 行くもなにも置いてくこたあねえだろ!」

「すいませんハジメさん私も必死で……」

「分かった分かったまあいいけどよ、それでどうする?」

「これだけ人が多ければ時間稼ぎにはなるはずです、その間にネギ先生をお呼びするのがいいとは思うのですが……」

「おいおいネギは親書を届けてんだろ? 邪魔になんねえか?」

「式神でネギ先生の様子は見ていましたから大丈夫です」

「そうか、なら呼ぼうぜ、ネギは頼りになるやつだからな!」

 

  少しばかり男気が足りないとハジメは思うも、十歳の子供にして、その聡明さといざという時の勇気は目を見張るものがある。仲間としてあれほど頼りになる奴はいない。だが刹那の顔は思わしくなく、困ったように目を泳がせる。

 

「いえ、それが式神を飛ばして様子を伺っていたのですが、あちらはあちらで敵に襲われたようで、ネギ先生はかなり消耗しているようです。間に合うかどうか……」

「マジかよ⁉︎洒落になんねえな、ネギとアスナは大丈夫か?」

「はい、幸いにも敵は退けました」

「そうか、ならこっちは俺達でどうにかするしかねえな……それでこのかはどうしたんだ?」

「このかお嬢様は……」

「せっちゃんせっちゃん〜〜♡ じゃ〜〜ん♡」

 

  艶やかな着物と唐傘を持った木乃香がぽっくり下駄の気持ちのいい音を奏でながら登場する。元が日本人らしい美少女であるため、その姿は違和感なく似合っていた。くるりと見せつけるようにその場で回る木乃香の姿は昔のお姫様を連れてきたと言われれば信じてしまいそうになる。

 

「お嬢様⁉︎ その格好は⁉︎」

「知らんの? そこの更衣室着物貸してくれるんえ? それでどう? ハジメ先輩もどう思う?」

「え、いや、その、もうおキレイです!」

「いやほんと似合ってるぜ! このかはそういう格好本当に似合うよなあ」

「キャーーやった〜〜! ホレホレせっちゃんもハジメ先輩も着替えよ♡ ウチが選んだげる〜〜!」

「「え?」」

 

  そんな場合ではないのだが、強引に木乃香に手を引かれ二人とも更衣室へと突っ込まれる。

 

  突然だが岡っ引(おかっぴき)という職業がある。江戸では御用開き、関八州では目明かし、関西では手先、口問いと呼ばれる要は警察の一種のようなものだ。正確には警察の協力者のような立ち位置であり、軽犯罪者などが多用された。その街をよく知るアウトロー達の集団だ。銭形平次などが特に有名であろう。なぜ今この話をしているかというと、木乃香がハジメに選んだ服がまさにこれであった。

 

  鼠色の股引(ももひき)と黒っぽい着物、どちらも少し色褪せており、下級の者であることを表している。唯一腰に差された大きめの十手だけがキラリと輝き、紫色の帯に包まれた持ち手が異様に浮いて見える。同じく衣装を選ばれた刹那は新撰組のような晴れやかな格好をしており、木乃香と刹那にハジメが並べばみすぼらしさがより際立つ。明らかに使い走りにしか見えない。

 

「……なあ、他のヤツでいいの無かったのか?」

「……なぜ私は男物の扮装なのでしょう?」

「二人とも似合ってるで〜〜! ほらこっちこっち!」

 

  木乃香に連れられお土産屋へと身を移す。京の伝統工芸品からどこでも売っているようなものまで色取り取りの土産が並び、そういえば茶々丸にお土産買わねえとなあと思い出すハジメの横で、堅い顔をする刹那の気をほぐそうと甘食を咥えて変顔を浮かべる木乃香に驚き刹那が噴き出す。木乃香を助けた一件から大分二人の仲は解れているようで、それを見るハジメの口角は無意識のうちに上がっていく。

 

「やっと笑ってくれたせっちゃん♡」

「ああオメエには無表情より笑顔が似合うぜやっぱりな」

「ハジメさんまで……私はそんな」

「ほらせっちゃん甘食あ〜〜ん」

「お、お嬢様……」

 

  強引に刹那を連れ回す二人にすっかり今の状況を忘れて刹那の笑顔が増えていく。今まで一緒にいたかった相手と自分を最も気に掛けてくれていた相手。他人ならいざ知らずこの二人にはどうも弱いと内心燻っていた今までの固まっていた思いが溶けていく。ただ歩いているだけで絵になる刹那と木乃香、その二人のそばにいるイケメンではないが男前なハジメの三人は相当目立つようで、写真を催促されたりとより木乃香やハジメと近くなる事柄が多く刹那の顔はふやけてしまった。

 

  これまで影から護れればいいと刹那は思っていたが、一度手で触れて仕舞えばそれは暖かく決して手放したくはないと思ってしまう。ハジメも木乃香もそういう相手だ。いつも笑顔で元気がよく、例え自分が暗い気持ちになっていてもこの二人のどちらかがいれば無理にでも明るくされてしまう。

 

  陽だまりのような二人とずっと一緒に居たい。この時が永遠に続けばいいのにという刹那の願いはしかし無惨にも走り来る馬車の足音が掻き消してしまう。

 

  高そうな馬車には見慣れた眼鏡の少女が一人座り、馬車がハジメ達の前まで来ると立ち止まり西洋ドレスに身を包んだ月詠が降りてくる。その一歩一歩が非日常の足音。柔らかかった刹那の目が鋭く、顔が強張っていき月詠の顔から目を逸らさず睨む。雰囲気のガラリと変わった刹那の気に当てられて、ハジメも苦い表情を顔に浮かべた。

 

「どうも〜〜神鳴流です〜〜じゃなかったです……。そこの東の洋館の貴婦人にございます〜〜、そこな剣士はん達、今日こそ借金のカタにお姫様を貰い受けに来ましたえ〜〜」

「な……何? なんのつもりだこんな場所で」

「随分と派手な登場じゃねえか」

「せっちゃん、ハジメ先輩、これ劇や劇、お芝居や」

 

  シネマ村ではよく客を巻き込んだ芝居が始まったりするのだが、これはそういったものではない。月詠からハジメと刹那の二人だけに向けられた鋭い剣気が肌を刺す。劇に見せかけて木乃香を連れ去る、そういうことだと言うのならとハジメと刹那は一度顔を見合わせ一歩前に出る。

 

「そうはさせんぞ! このかお嬢様は私が守る!」

「オメエみてえな奴にはこのかは死んでもやらねえ!」

「キャーー二人とも格好ええ〜〜!」

「い、いけませんお嬢様……」

「おいおいあんまりくっつくな動き辛え」

「そーおすかー、ほな仕方ありまへんな〜〜」

 

  そう言って月詠は左手の手袋を外すと刹那とハジメの間へと放り投げる。それは決闘の証、ハジメも刹那も冷めた目で足元に落ちた真っ白な手袋を見た。その顔を月詠はおかしそうに眺めている。純白の手袋は茶色い大地の上では明らかな異物であり、手袋だけが空間に浮き彫りにされているようだ。

 

「このかお嬢様をかけて決闘を申し込ませて頂きます〜〜、30分後場所はシネマ村『日本橋』にて、ご迷惑と思いますけどウチ手合わせさせて頂きたいんです〜〜、それでお返事は?」

 

  ちらりと地に落ちた手袋を月詠が見る。それを拾うことが決闘を受託した証、刹那もハジメも目配せもせずに同時に手袋へと手を伸ばし確かに手袋を掴んだ。

 

「あ〜〜やっぱりセンパイと兄さんはええな〜〜、ほな待ってるえ〜〜助けを呼んでも構わんよ〜〜」

 

  最後に鋭い剣気を飛ばして月詠は去っていく。その姿を覚悟を持ってハジメも刹那も見ていたが、月詠と入れ違いになるようにどこで見ていたのか湧いてきた3-A生徒達の波に飲まれてなんとも有耶無耶な空気になってしまった。

 

  しかし、そんな空気に揉まれても月詠が零していった剣気の冷たさは消え去らない。前回は月詠も遊んでいたが今回は本気だ。本気でハジメと刹那を切りに来ている。ハジメと刹那でも厳しい闘いになるだろうに、群がってきた3-A生徒達も助っ人としてやる気らしい。

 

  刹那もハジメも本気で困った顔を浮かべる。月詠が本当の人斬りだと言っても誰も信じないだろう。だがそんな時こそ持つべきものはパートナーだ。姿形も見えないが、ハジメの頭の中で聞き慣れた声が響く。

 

『あ〜〜テステス、ハジメ聞こえるカ?』

「鈴音? あ〜〜パートナー同士のテレパシーってヤツか」

『ウム、ハジメが仮契約カードを返してくれたお陰ヨ、大分面倒なことになってるみたいネ』

「ああ、またやべえ奴に目を付けられたよ」

『うーん……ハジメ本当にやる気カ? 別に刹那サンに任せてもいいんじゃないカ?』

「そりゃあ……」

 

  確かに心の中でそういう声もある。それに従えば楽だろう。だがそれは、

 

「分かってんだろ、男にゃあよ、例え死ぬかもしれねえって分かってても闘わなきゃいけねえ時があんだ」

 

  友のために許されない。友人の女の子を闘わせ傍観者に徹するなどダサすぎる。そんなことは男のするべきことではない。そんな答えが分かっていたというように、頭で響く鈴音の声が呆れた色を帯びた。

 

『ハジメならそういうと思たネ、いいカハジメ、闘いが始まったら心の中で私に向かって合図を送るネ、そうすればハジメは闘えるヨ、ただハジメが誰かと仮契約したことがバレルかもしれないけどネ』

「そこはなんとか誤魔化すさ、オメエに迷惑は掛けねえよ」

『ウム、分かったネ』

 

  鈴音との念話を切って視線を刹那たちの方へと戻す。そこには刹那たちと同様に何故か仮装している助っ人、委員長達の姿があり、ハジメはなんとも言い難い顔になった。

 

  コスプレ集団との珍道中、だが月詠との約束の場へと進む道程は不思議と足が軽い。一人ではないというのはそれだけで心強くはある。だが実際に闘いが始まればそれも無意味なものになるかもしれない。だからハジメはそんな者達よりも数歩前を出て歩く。その横に並ぶ刹那の元に、小さなデフォルメされたネギが飛んできてハジメは驚き声が出そうになるが、それは許されなかった。

 

「ふふふふ♡ ぎょーさん連れて来てくれはっておおきに〜〜楽しくなりそうですなーー、ほな始めましょうかー、このか様も刹那センパイも兄さんもウチのものにしてみせますえーー♡」

「せ、せっちゃん、ハジメ先輩あの人なんか怖い……き、気をつけて……」

 

  いくら一般人の木乃香でも月詠の異常性に勘付いているらしい。刹那とハジメの裾を力弱く引っ張る手が逆に強い力を与えてくれる。小さな友人、これまで普通の生活の中で一番ハジメがお世話になったのは木乃香だ。夢のためには鈴音と葉加瀬にお世話になったが、バイトの後の差し入れなど木乃香には日常の何気ない面でいつも力を貸してくれた。今がその恩を返す時だ。

 

「安心してくださいお嬢様、何があっても必ずお嬢様をお守りします」

「命にかえてもな、だから後ろにいな。その間は指一本触れさせねえ」

「……せっちゃん……ハジメさん……」

 

  ハジメも刹那も本当に覚悟して言った言葉だった。静けさの中で気が弾ける、なんてことはなく万雷の拍手が二人を包み込んだ。本気の殺し合いをすることが分かっているのはハジメと刹那と月詠の三人だけ。日本橋を取り囲む観光客はただ劇だと思って見に来ている。二人の本気に演技だと思っている3-A生徒達も感極まって寄ってくるが、それがどうも締まらないと二人は目尻を下げた。

 

「ホホホ、そちらの加勢はいいのかしら? 私達桜咲さんのクラスメートがお相手しますわ‼︎」

「ツクヨミ……と言ったか? この人達は……⁉︎」

「ハイ、心得てます〜〜、この方達には私のかわいいペット達がお相手します〜〜」

 

  数十枚の札が月詠の袖から宙へと投げられ、百鬼夜行が昼の京の街を闊歩しだす。その一体一体が月詠の手によって封じられた妖達、見た目こそ丸っこくてかわいい者が多いように見えるがその身に宿る魔は本物だ。だがそれらは拳を振るうことはなく委員長達生徒達にじゃれついてただ行く手を阻む。

 

  その妖達の危険性がよく分かる刹那が符術を用いてやって来たネギの式神を等身大に変化させ木乃香を逃がそうとするが、

 

「あら〜〜センパイは取り込み中みたいやな〜〜、なら」

「おう俺が相手だ」

「ふふふ、心抜流の技是非ウチに見せてけれ〜〜」

 

  それを見逃す月詠ではない。電車の上で幾度なく襲いかかってきた二刀の刃がハジメに迫る。だがあれは不確かな足場での闘いだった。地に足を着ければそれに慣れているハジメはその時以上に動けるがそれは相手も同じこと。腰に差された二尺程の十手を引き抜き円の動作で回りながら月詠の二刀を弾く。だが円の動きのそれは回ることから背中を向けることとなり、ギラリと光る月詠の刃がハジメの首元へと伸びる。

 

  致死の一撃、そうなるはずだったそれを上段に振りかぶり背に沿わせるように垂らされた十手が防ぎ180度回転し刃を反らせるのと同時に月詠へと十手を振り下ろした。その迫る十手は、しかしもう一本の刃に阻まれると弾くようにかち上げられ再び凶刃が迫る。

 

  剣士同士の舞踏会、そう表すのが正しいだろう。二刀を持ち縦横無尽に四方八方から迫る刃を、その中央で動かず回転しながらハジメが反らし続ける。

 

「なるほどな〜〜、遠心力とひねりによって放つ剣技が兄さんの流派なんや、居合いだけやないんやなぁ」

「チッ、やけに手緩いと思ったら見定めるためかよ、オメエ思ったより面倒だな」

「いやいや他流の技を見れる良い機会やからな〜〜、ほらちょっと本気やで〜〜」

 

  刃の暴風雨の勢いが増す。ハジメも回転数を上げて対処をするが、隙間を縫うように滑り込んでくる刀の切っ先が無防備な皮膚の上を引っ掻き始まる。滲むような血化粧を施され薄っすらと着物を赤く染めるがそんなことを気にしている余裕はない。

 

  困ったことにハジメには有効打となる技が存在しないのだ。唯一通用するであろう技はハジメが唯一身に染み込ませた第一の居合い術のみであり、それを放つには溜めが必要とされる。抜刀した状態での技をハジメは持っていなかった。

 

  そして数度手を合わせた月詠はそれが分かっているようで、間を作らずに次々と剣技を繰り出す。こうなって仕舞えばジリ貧であり、ハジメはただ削られていくだけだ。

 

「くそっ!」

「なんや拍子抜けやんな〜〜、兄さんもっと強い思ってたのに、面白くはありますけどもっと剣の修行してくれれば死なずに済んだのにな〜〜」

「うるせえ! 俺は元々科学者志望なんだよ!」

「そうかいな、残念やな〜〜」

 

  ハジメの十手を消えるようにすり抜けてハジメの目の前に月詠は肉迫する。舜動術、その軌跡はハジメの目には映らなかった。瞬きもする暇がないほどの一瞬で刀を首へと横薙ぎに振り切ろうとした月詠の刃を、下から掬うようにして刹那の刀が宙を走る。決定打はなくとも、時間稼ぎにはハジメの働きは十分だったらしい。

 

「お待たせしました!」

「刹那! へっ、危うく俺が勝っちまうとこだったぜ」

「口だけは減らんな〜〜、ただこれでようやっと本当の勝負や、センパイ、兄さん行きますえ〜〜!」

 

  そこからの闘いはより激しさを増す。遠慮の無くなった月詠の気を纏った刃が止まることなく宙を踊り、見えぬ程の剣速の技を刹那が叩き落とす。だが手数という点で勝る月詠の刃は刹那の方へと伸びていき、それはハジメがなんとか弾いてやり過ごした。刀の数はこれで二対ニ、拮抗した斬撃の応酬に三人とも身を削っていく。

 

「へっ、こんな状況だがよ、まさかオメエと背を合わせる時が来るなんて俺は嬉しいぜ」

「喋る暇があったら手を動かしてください、ただ、私も悪い気はしませんが、ね!」

「む〜〜ウチを置いて随分楽しそうやな〜〜、妬けてしまうわ」

「そういうなよ……おい刹那、ちょっとでいいから時間を作ってくれ、一瞬でも隙ができりゃあいい」

「隙……なるほどアレですか、分かりました!」

 

  一歩強く前に出た刹那の剣が花を咲かせる。満開の桜吹雪きのように降り注ぐ剣が月詠の剣と拮抗し、その瞬間がハジメの為の時間となる。刹那が幾度となく相手をしたハジメの技。それに対する信頼はハジメだけでなく刹那もよく分かる。初めて明確に敵を切るために振るわれた剣技の凄まじさは前回の月詠との戦闘で見たとおり。

 

  桜吹雪きが降り止んで、刹那が退いたその背後でハジメの構えは完成していた。嵐の前の静けさがあたりを支配し時が止まる。月詠も振るっていた腕を止め、異様な形で固まるハジメを正面から見据えた。

 

「ははは、なんやそれ……なんやそれ! 兄さん正気やないな〜〜阿呆や! その技見ただけで分かるえ〜〜、あの時は乱入してきた時に使うたから違うんやろうけど本来はそれが正式なんやろ? その技は生か死かの二択を迫る馬鹿げた技や! それもどちらかと言えばこちらが有利……ええな〜〜痺れるわ、兄さんメッチャ気に入ったわ〜〜今度からハジメさんて呼んでもええ?」

「オメエ滅茶苦茶喋べんじゃねえか……」

 

  戦闘狂からの熱い視線を受けて内心帰りたくなるがそうもいかない。一度この構えをしたならば前に一歩踏み出すしか道は残されていないからだ。目の前の月詠の目が夜の闇のように暗く濁り満月のような瞳はハジメだけを見ている。瞬きも無く、呼吸すら止まってしまった静寂の中で動かないハジメと月詠はさながら一枚の絵画のよう、先に一歩でも動けばその瞬間が終わりの合図となる。

 

  痛い程の剣気がぶつかり合うその場で、しかしその瞬間が訪れることはなかった。手の空いた刹那が飛び込んで来たわけでもネギが到着したわけでもない。おかしな空気の中でその異様さを身に感じ僅かに解れた緊張の糸の合間を縫ってかけられる言葉が耳に届く。

 

「聞ーとんのか! お嬢様の護衛桜咲刹那と八坂一‼︎ 特に八坂一! この鬼の矢が二人をピタリと狙ってるのが見えるやろ‼︎ お嬢様の身を案じるなら手を出さんとき‼︎」

 

  大きな瓦の屋根の上で確かに忍装束を着込んだネギの式神と木乃香を狙い鬼が弓を構えている。それを見てようやく気がついたハジメは目を見開き、月詠はつまらなそうな表情を浮かべ舌を打った。

 

「……あんなのええから続きをしましょハジメさん。こんな最高に痺れること止めるなんて死ぬのと同じや」

 

  だが月詠は辞める気は無いらしい。しかしそんな言葉を受けてハジメは何も言えなかった。これは木乃香を守る闘いなのだ。木乃香の命が危険なのならば、決して手を出すことはできない。ハジメは構えたまま石像のように固まってしまうが、流動的な状況は決して止まってはくれなかった。

 

  遠く何かを話しているネギと木乃香、千草の会話は全く聞こえないが、急に吹いた一陣の風、それが全てを変えてしまう。限界まで引き絞られた鬼の弓は風に流されるように矢を放つ。

 

「あーーッ⁉︎ なんで打つんやーーッ⁉︎ お嬢様に死なれたら困るやろーーッ⁉︎」

 

  千草の叫びが嫌にゆっくり聞こえる。スローモーションのようにネギが前へと飛び出し手を開き、刹那が飛び出すのが目に映る。流れる雲のように矢がゆったりと突き進み、このままでは木乃香に寸分の違いなく突き刺さるだろう。

 

  それは駄目だ。13の夏に最後に見たその時のあらしの最後がフラッシュバックする。愛した者がこの世からいなくなる光景をもう二度と見たくはない。もしこのまま式神のネギは別として刹那が間に合ったとしても刀を振るう時間はなく、刹那の身体に突き刺さるだろう。

 

  少女の柔らかな体を突き破り鮮血が舞う光景を思い描き、ハジメの脳のスイッチが入れ替わる。幾度となくやったことだ。地獄の中で小さな命をあらしと共に救い続けた。だったらここで一人の少女くらい救わなければ、今までやって来たことが嘘になってしまう。過去の人しか救うことができず、今の人も救えないようでは自分の目指す自分になれない。

 

(鈴音!!!!)

 

  その叫びは無意識だった。ただ自分では届かないから、情けない話だが例え人の力を借りようと救いたい命がハジメにはある。

 

契約執行10秒間(シス メア バルス ベル デケム セタンダム)鈴音の従者(ミニステル・リンシェーン)『八坂一』‼︎ 行くネ‼︎』

 

  ハジメの身体を鈴音の魔力が覆い、その身が振るえる力を何倍にも引き上げる。ハジメが目一杯踏み出し踏み込んだ左足が、シネマ村の日本橋を踏み砕く。中央が崩落しそれに巻き込まれた月詠を後に残してハジメが宙を飛ぶ。

 

  ただ前に突き進む、そんな単純なことをハジメは誰よりやってきた。だから今も、これからも、ハジメはただ前に進む。鬼の矢がネギの幽体を突き破り、木乃香の前に刹那が盾となり立ちはだかる。一瞬を、ただ救える一瞬を。

 

「うおおおおぉぉぉぉ!!!!!!!」

 

  矢が刹那に突き刺さる。それと同時に大上段から振り下ろされたハジメの十手が矢を真ん中からへし折った。それだけに止まらず振り下ろされた十手は瓦造りの屋根へと落ちて、その屋根の大半を大地の上へと叩き落とす。崩れ落ちる瓦礫をしばらく眺め息を整えると、刹那の方へ詰め寄って両手で離さないように肩を掴む。

 

「刹那‼︎ おい大丈夫か⁉︎」

「ハジメさん……はい、矢は胴当てに当たっただけで身体には……それよりハジメさん、貴方は」

「今それは後だ! おいテメエ! 術師だかなんだか知らねえがふざけた事してんじゃねえぞ! それだけは許せねえ!」

「な、なんなんやあんた! いったいなんなんや自分⁉︎」

  「俺の名前は八坂一! どんな奴だってただ強く生きてんだよ! それを摘み取るなんてことは誰にだって許さねえ! 覚えとけ‼︎」

「ただ強く……なんであんたがそれを……クソ、覚えとけや‼︎」

「あ、テメエ逃げんじゃねえ⁉︎」

「ハジメさん! 追わなくていいです。それより今は……」

「……せっちゃん……ハジメさん……これいったいなんやの? 劇やないよね?」

 

  崩れ落ちた大屋根、日本橋から瞬間移動したかのように現れたハジメと刹那。木乃香を前に二人は目配せすると、諦めたように一度刹那が顔を伏せる。魔法は秘匿されなければならない。特にそれを誰より知っては欲しくなかった人がおそらく勘付いてしまった。ならばそれを隠すことほど不義理なことはありはしない。ここがきっと木乃香の人生の分かれ目だ。ならそれは他の誰でもなく自分が導きたいから、

 

「お嬢様、今からお嬢様の御実家へ参りましょう。神楽坂さんたちと合流します!」

「え……」

「よお木乃香、なんだかよく分かんねえと思うが行きたくねえんだったら別にいいと思うぜ?」

「あ……ううん大丈夫や……だってせっちゃんとハジメさんも居てくれるんやろ?」

「おう、それにアスナとネギもな」

「うん、なら行こう、ウチみんなと行きたい!」

 

  にっこりと笑顔になる木乃香とそれに笑顔で返す刹那を見てハジメも笑顔になる。こんな光景を見たいからハジメは前に進んだのだ。自分の行き先が決して間違っていないことを刹那と木乃香が教えてくれる。心の中で鈴音に礼を言えば、呆れたようなため息だけが帰ってきた。



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第15話 恋しさと せつなさと 心強さと

少し長めです。


『お帰りなさいませ、このかお嬢様』

 

  関西呪術協会総本山、ネギ達と合流しそこへ足を踏み入れたネギ一行を出迎えてくれたのは神職の装束に身を包んだ多くの巫女。参道の両脇にずらりと並び全員が綺麗なお辞儀とともに同じことを口にする。

 

  敵の本拠地だと思われる場に、ハジメ達がシネマ村から来る際についてきてしまった第5班の面々と朝倉が飛び込んでいき、慌てて追いかけたネギ達が見た光景がこれだ。口を大きく開けて固まってしまい、唯一気負っていないのは木乃香だけ。巫女さん達の言葉通り、関西呪術協会総本山こそが木乃香の実家であった。

 

「うっひゃーこれみんなこのかのお屋敷の人?」

「いいんちょ並みのお嬢様だったんだねー」

「さ、桜咲さんこれってどーゆー……⁉︎」

「えーと、つまりその……ここは関西呪術協会の総本山であると同時にこのかお嬢様の御実家でもあるのです」

「ええ〜〜ッ⁉︎」

「今、御実家に近付くとお嬢様が危険だと思っていたのですが……シネマ村ではそれが裏目に出てしまったようですね。御実家……総本山に入ってしまえば安全です」

 

  まだ多くの桜が舞い散る総本山の外から中へと身を移せば圧巻の一言に尽きた。格が高いことを表す格天井が頭上一面に広がり、無垢の木の床はその一枚一枚は切れ目なく真っ直ぐに広大な空間の端から端まで伸びており、その綺麗な木目が成長するまでに掛かった膨大な時間を教えてくれる。部屋の中央に通されるハジメ達を歓迎するように部屋の端では並んだ巫女さん達が雅楽を奏で、足を出す度に合わせるように跳ねる琴の弦が日本人の心の原風景の一つである木造の空間に響き渡った。身体が痒くなるほどに間延びしたゆったりとした音楽は時の波長を伸ばしているかのように感じ、部屋に敷かれた丸い茣蓙へと座れば、緩い音が反響する空間は時の流れから切り取られたような錯覚に陥る。

 

「なんかすごい歓迎だねーーこりゃ」

「これはどーゆーコトですか?」

「は、はい実は僕修学旅行とは別に秘密の任務があってここに」

「「「秘密の任務⁉︎」」」

「ただ学園長に書類渡してくれって頼まれただけだぜ」

「「「なんだ」」」

「まもなく(おさ)がいらっしゃいます、お待ちください」

 

  巫女の一人がそう言って頭を下げる。(おさ)が来る、そう言われ木乃香の実家であるということから何人かは勘付いたが、それはピタリと雅楽の音色がピタリと止み、場の雰囲気が糸を目一杯張ったような空気に変わり誰も口を開けなかった。

 

  待たされた部屋から伸びる先の見えない急勾配の階段がミシリと軋み、その音は徐々にハジメ達の方へと近づいてくる。その木鳴りが部屋中に浸透するかのように音の波紋を伝え、それを起こす足の先が見えたと思えば、現れたのは眼鏡をかけた優しそうな男性。

 

「お待たせしました、ようこそ明日菜君、このかのクラスメイトの皆さん。そして……ハジメ君と担任のネギ先生」

「お父様♡ 久しぶりや!」

「ははは、これこれこのか」

「このかさんのお父さんが西の長だったんだーー……」

「こんなお屋敷に住んでるのに普通の人だね」

「てゆーかちょっと顔色悪いカンジだけど……」

「シブくてステキかも……」

「アスナオメエな……」

 

  久しぶりの父親との再会に抱きつく木乃香を尻目に想い想いの感想を朝倉や明日菜達が口にする。眼鏡の奥の垂れ下がった目尻、眉間に寄った眉と顔に刻まれたシワが潜り抜けてきた修羅場の数を表している。ネギ達と違いハジメはあまり楽観的な感想を抱けなかった。顔の通り優しい壮年の男なのだろうが、その雰囲気が戦時中に跳んだ際に出会った一人の男とよく似ていた。

 

  喫茶店『方舟』の前マスターであり、ハジメが不思議な夏を共に過ごしたカヤの想い人、丸山その人である。優しそうな顔の裏に帝国軍人らしい苛烈さを隠し持った強い男であった。そんな知り合いのいるハジメは丸山と同じ空気を纏う木乃香の父親、近衛詠春(このええいしゅん)が只者ではないであろうことを経験から察する。緊張から動けないハジメは別として、自分に課せられた仕事と子供らしい純粋さで親書を取り出したネギが詠春の元へと親書を差し出し、それを詠春が受け取ったことで学園長からの頼まれごとは千草達の妨害があった割に呆気なく終わった。

 

「東の長、麻帆良学園学園長、近衛近右衛門から西の長への親書です、お受け取りください」

「確かに受け取りましたネギ君、大変だったようですね」

 

  親書をパラパラと捲った詠春の顔が僅かに苦笑を浮かべた。

 

「……いいでしょう、東の長の意を汲み私達も東西の仲違いの解消に尽力するとお伝えください。任務ご苦労! ネギ・スプリングフィールド君‼︎」

「あ……ハイ‼︎」

「よかったなネギ」

「ハイ! これもアスナさんやハジメさんや刹那さん達のお陰です!」

「今から山を降りると日が暮れてしまいます。歓迎の宴を用意させて貰いますよ」

 

  その詠春の言葉通り、止まっている旅館よりも豪華な和の伝統料理の数々に舌鼓を打つ。宴会の席では夕映やハルナは魔法のことなど気にならぬほどの料理に溺れ、西の長から直々に褒められた刹那の顔が綻ぶといった柔らかい時間が流れた。だがそれだけでは終わらない。ここに来た大きな目的の一つ、親書を届ける以外にもう一つやらねばならぬ大きなことが残されている。

 

  木乃香に魔法のことを伝えること。

 

  それは本当なら父親である詠春の仕事なのかもしれないが、流石は西の魔法使いの頂点に立つ(おさ)といったところか、それとなくここまでの刹那の雰囲気で分かったのだろう。

 

「このかには普通の女の子として生活して貰いたいと想い秘密にして来ましたが……いずれにせよこうなる日は来たのかもしれません。刹那君、君の方からそれとなくこのかに伝えてあげて貰えますか」

 

  木乃香に魔法のことを伝える役目を刹那に託し宴会は終わりを迎えた。

 

「しかし10歳で先生とはやはりスゴイ」

「そっすよねーー」

「いえ、そんな」

 

  宴会も(つつが)無く終わり、酒は入っておらずとも食事の席である程度打ち解けることのできた詠春に誘われ、ハジメとネギは風呂へと来ていた。ある種限定された空間に誘うということは男同士でしかできない話があってのことだ。

 

「このかのことよろしくお願いしますよ、ネギ先生、ハジメ君」

「はいわかりました」

「お嬢さんにはお世話になってるっスから任せて下さいよ」

 

  豪邸に見合った大きな湯船に浸かればこれまでの疲れが湯に染み出すように離れ気が抜けてしまう。ハジメは重力に負けて肩まで一度浸かると長く一つ息を吐いた。

 

「いやにしても詠春さんの身体スゴイっスね、闘ってきた男の身体って感じで」

「ははは、君だってそうじゃないですか、その歳で随分苦労をしているようですね」

「これは名誉の負傷っスよ!」

「そうですか、私もですよ」

「お二人ともスゴイです。僕もいつかそうなりたい……」

「おいおいネギ、怪我はしないに越したこたあないぜ?」

「全くです、名誉でもあるが未熟だとも言える。それにこれだけ多くの傷を持ってもまだ私は未熟ですよ」

 

  ハジメの裂傷と火傷痕が所々残る身体に負けないほど、壮年の男とは思えぬほどにメリハリのある詠春の身体には大きな刀傷が幾つも残されている。痛々しくはあるが、それらを全く気にした様子はなく、寧ろ誇らしげに胸を張る詠春は、ネギもハジメも尊敬できる強い大人の男の姿であった。そんなハジメと詠春と比べ、まだ子供の筋肉と傷がそこまで付いていない自分のツルツルとした身体をネギは見比べ落ち込むが、顔を上げろとハジメはネギの背中を叩く。

 

「そう落ち込むなよ、身体なんてえのはほっとけばデカくなんだよ、傷だって必死に生きてりゃ勝手に増えるぜ」

「ええ、だがだからと言って無理をしてはいけない、今回の騒動も含めて危険というのは知らぬ間に隣にやってくるものです。その時に自分の出来ることを全力でやればいい」

「はい、そうですね」

 

  自分よりも男として何歩も先を行く二人の言葉を受けてネギは小さく拳を握る。そんなネギの姿を見て、詠春は申し訳なさそうに眉間に皺を寄せたまま眉を八の字に曲げた。

 

「ですが今回はウチの者達が迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。これもまた私が未熟故ですね」

「い、いえ」

「昔から東を快く思わない人はいたのですが……今回は実際に動いたものが少人数で良かった。後のことは私達に任せて下さい。あいにくどこも人で不足で腕の立つ者は西日本全域に出払っているのですが……明日の昼には広島から腕利きの者達が戻りますので奴らをひっ捕えますよ」

「広島っスか?」

「ええ、呉 心抜流宗家、ハジメ君の師匠が広島の残りの仕事を引き受けてくれましたのでその分の人員をまわせることができます」

「師匠が⁉︎」

「私と貴方の師匠は古い友人なんですよ」

「ってことは師匠も魔法関係者……? マジかよ……全然気付かんかった……」

 

  呉に今もいるであろう師の顔を思い出す。目付きの鋭い強面の老人。第二次世界大戦に参加し生き抜いた昔ながらの日本男児と優しそうな詠春が二人で笑い合う姿を想像し似合わねえとハジメは口角を下げた。

 

「それで……あのお猿のお姉さんの目的はなんだったんですか?」

「お猿の……天ヶ崎千草のことですか……彼女にも西洋魔術師に対する恨みのようなものがいろいろあって……その想いは分からなくもないのですが困ったものです」

「何故このかさんを狙うんでしょう?」

「切り札が欲しいんでしょう」

 

  「切り札?」とネギとハジメは首を傾げる。何故木乃香を手に入れることが切り札に繋がるのか分からない。西の長である詠春の娘で人質として確かに有効そうではあるが、それにしては攫う行為が大掛かりだ。普通の少女にしか見えぬ木乃香の誘拐を二度も失敗しまだ続ける意味があるのか疑問に思う。だがその驚くべき答えは詠春が示してくれた。

 

「ええ、やんごとなき血脈を代々受け継ぐこのかには凄まじい呪力……魔力を操る力が眠っています。その力はネギ君のお父さん、サウザンドマスターをも凌ぐほどです。つまりこのかはとてつもない力を持った魔法使いなのですよ。ですからこのかを守るために安全な麻帆良学園に住まわせこのか自身にもそれを秘密にして来たのですが……」

「そ……そうだったんですか……」

「なるほどな〜〜」

 

  詠春からの答えを聞きハジメはようやくネギのクラスの不自然さに納得した。木乃香を護るために派遣された刹那は別とし、武術の達人である古菲や楓、龍宮もそうだろう。その他に二人の天才鈴音と葉加瀬、自称悪の魔法使いエヴァンジェリン。ネギの来る前から集められた異様な濃度を誇る木乃香達のクラスメイトは木乃香を護るために編成されたのだろう。木乃香の祖父が学園長なのを考えればそういうこともできるはずだ。

 

  そこまで推測しハジメはネギと詠春が二人で話しているのをいいことに僅かに眉を顰めた。ハジメの新しい友人古菲と楓は魔法を知らない者達だ。今でこそ楓は違うが、もし知らぬままでも木乃香がピンチになったのならばあの二人は我先にと木乃香を助けに動くだろう。木乃香のことを想ってのことだとはハジメにも分かる。だがそんな義に厚い二人の性格が分かって木乃香と同じクラスにした学園長の強かさが少し嫌になった。

 

「あ、あれ……ところでサウザンドマスターのコトをご存知なんですか?」

「君のお父さんのことですか? フフ、よく存じてますよ。何しろ私はサウザンドマスター、ナギ・スプリングフィールド(あのバカ)とは腐れ縁の友人でしたからね」

「え⁉︎」

「へ〜、ネギよかったないろいろ話聞けんじゃねえか?」

「ははは、そうですね、私の知っていることなら」

「本当ですか! じゃあ……」

「ですからシネマ村での一件はどう考えても不可思議なのです⁉︎」

 

  サウザンドマスター、ネギの父親の手掛かりを探すために京都へ来たネギがようやくそれに触れようとした瞬間、夕映の叫びが脱衣所の方から響き渡り、それに続いて聞き覚えのある3-A生徒達の声が近づいてくる。大きな風呂とはいえ商業ではなく一家の風呂だ。別に男女で分かれているわけもないのだが、ネギ達が入っているとは微塵も思っていないのか布擦りの音が聞こえてくる。脱衣所に残されているハジメ達の服に対して全く疑問に思ってないらしい。

 

「おやおやご婦人方が、これはいけませんね! 緊急事態ですネギ君、ハジメ君! 裏口から脱出しましょう!」

「えっ、あっ、(おさ)さん!」

「なんかこの修学旅行こんなこと多くねえか⁉︎ 普通女湯を覗きに行くのは男だろ! なんであっちから突っ込んでくんだ⁉︎」

「あわわ⁉︎」 「ハハハ!」

 

  鉢合わせないように全力で撤退する三人だったが、湯船から上がり裏口へと向かうために大きな岩を曲がった時に何かにぶつかりネギが倒れてしまう。薄っすらと湯気の張った中にいたのは刹那と明日菜。今湯船に向かって来ている夕映達同様にネギ達も脱衣所に残されていた明日菜と刹那の衣服を全く気にしていなかった。ネギが明日菜を押し倒し、それに固まってしまった五人は結局夕映達が入ってくるのに間に合わなかった。

 

「え……?」

「あ……」

「キャーー」 「イヤ〜〜ん♡」 「お父様のエッチ〜〜」「なんで男女別じゃないんですかーー⁉︎」「温泉じゃないんですから⁉︎」「これは試練なのかあらっさん〜〜⁉︎」「ああもう、うるさーーい⁉︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハジメ‼︎』

 

  風呂での騒動も終わり月明かりに照らされる小さなピンク色が流れ落ちる景色を眺めながら湯上がりの火照った身体をハジメが休ませていた時のことだ。ネギは詠春に父親のことを聞きに行き、明日菜は刹那の元に木乃香を呼びに行ってしまった。どちらも彼ら自身の人生に大切なことであり、自分はいない方がいいだろうと一人でいたところに大きな鈴音の声が頭の中で響いたせいでハジメは腰掛けていた縁側からずり落ちそうになってしまった。

 

  急に声をかけられ念話のことなどすっかり忘れているハジメは辺りをキョロキョロと見回すが人の気配は微塵も感じず、ハジメからの返事tが無いことに業を煮やしより大きな声がハジメの中に響く。

 

『ハジメ!!!!』

「うわ、なんだ鈴音かよ。どうしたんだ?」

 

  思わず声に出してしまったハジメだが、人がいないおかげで気付かれることはなかった。切羽詰まった鈴音の声に眉を顰めながら聞き返す。緊張感の無いハジメの声に鈴音の声はより激しさを増す。

 

『もっと緊張感持つネ‼︎ 敵がもう来てるヨ‼︎』

「なに?」

 

  その鈴音の言葉にハジメはより眉を大きく曲げる。辺りに再び視線を散らしても静かなものでそんな気配はまるで無い。静かな夜で頭の中で響く唯一焦った鈴音の声が嫌に浮いて聞こえる。

 

「敵ったってな……刹那は安全だって言ってたし、このかの親父さんが守護結界があるってよ……まあオメエが言ってんだから嘘じゃないんだろうが、なら伝えに行かねえと」

『なに悠長なこと言ってるネ‼︎ だからもう来てるネ‼︎ 既に敵は中ヨ⁉︎』

「は? イヤそんなこと急に言われても……」

『早く闘うか逃げるかするヨ‼︎ うぅ……まさかあんなのがいたなんて……やはり細かなことは分からないカ……』

「いやなに言って……」

『早く!!!!』

 

  急かされたハジメは疑問に思いつつもようやっと動いた。関西呪術協会の総本山、ここにいる人達は誰もが魔法関係者だ。誰に言ってもいいため屋敷内に続く障子をハジメが開ける。

 

  障子を透き抜けた月明かりが屋敷内にいる人々を照らし出す。その人影に一歩を踏み出したハジメはそのまま固まってしまった。何かがおかしい。明らかにおかしな体勢で何人もの巫女さんが固まっている。その人影は障子を開けたことでより強く差した月明かりがその正体を映し出した。

 

  肌色の肌は道端に転がる石ころと全く同じ色をしている。瞳からは光が消え、恐る恐るハジメが伸ばした指が触れた感触は柔らかいものではなく固い石そのもの。静かだった夜の中で異常な速度で脈打ち始める自分の心臓の音だけが聞こえる。

 

「鈴音!!!!」

『だから言ったネ‼︎ ネギ坊主と合流するヨ‼︎ 敵は想像異常の手練れヨ、早くしないと……』

「分かった!」

 

  開け放った障子をそのままに人の家も気にせずに縁側の上を全力疾走する。ようやっと事態の深刻さを理解したハジメであったが、それでも静かすぎる夜がいつも通りだと教えこませようとしてくる。その不自然さを振り払うように走るハジメの目の前で同じように障子越しに二つの影が走るのが見えた。

 

(敵か……?)

 

  そのまま右の拳を握り込み影が交差した瞬間に慌てて出そうとした拳を止めた。夜桜に負けない赤い髪と月明かりを反射する鋭い刃も同じく止まり、激しく脈打っていた心臓が僅かに和らいだ。

 

「刹那さん⁉︎ ハジメさん⁉︎」

「ネギ‼︎ よかった無事だったか!」

「ただならぬ気配を感じ飛び出して来ました! 何があったんです⁉︎ お嬢様は……」

「それが、その……」

「ネ……ネギ君……刹那君……ハジメ君」

 

  説明しようと口を開こうとするネギの口が新たに現れた人影によって塞がれる。

 

()……⁉︎」

 

  近衛詠春、西の長の登場に声を掛けようとしたネギだがそれも許されない。起こっている事態を詠春自身が教えてくれていた。額には脂汗が浮き出ており、足元から鼠色をしたものが固そうな音を響かせながらせり上がって来ている。

 

「も、申し訳ない三人とも……、本山の守護結界をいささか過信していたようですね……」

(おさ)さん⁉︎」 「親父さん⁉︎」

「平和な時代が長く続いたせいでしょうか、不意を喰らってこの様です。か……かつてのサウザンドマスターの盟友が……情けない」

(おさ)⁉︎」

「ネギ君、刹那君、ハジメ君……白い髪の少年に気をつけなさい……格の違う相手だ。並の術者ならば本山の結界も私も易々と破られたりは……しない。あなた達三人では辛いかもしれません……学園長に連絡を……すまない……このかを……頼み、ま、す……」

 

  頭の天辺まで石化の呪いはせり上がると詠春は物言わぬ石像と化す。何もできない最悪の事態を見せつけられ、三人は強く拳を握る。

 

「刹那さん……ハジメさん……」

「先生……」

「行こうぜ‼︎」

「「はい‼︎」」

 

  詠春を後にネギ達三人は再び走り出す。だが行き場所が分からない。闇雲に走っても意味はないが、そこはネギが先導することで一応の目的地を決める。

 

「おいネギ! どこへ向かってるんだ⁉︎」

「お風呂場です! さっきアスナさんと連絡して合流場所を決めました!」

「なるほどな! そりゃいいが朝倉達はどうすんだ?」

「朝倉さん達は……さっき石になっているところを見つけました……」

「くっ!」

「マジかよ……クソ‼︎」

 

  非現実的な光景。それに巻き込まれた一般人の朝倉達の恐怖は一体どれほどのものか……それを想うと自然と拳に力が入る。安全だと言われ気が緩んでいたこともあるが、流石に気を抜きすぎていたと反省しても何にもならない。覚悟をしていた魔法に既に関わっている自分達はまだいい、だがそれ以外の者達に手を出すなどどんな理由があっても許せない。

 

  風呂場に向かう毎に力の入る拳を握り、ハジメはネギ達の横を走っていたが、そんなハジメの頭の中で今まで静かだった鈴音の声が再び響く。

 

『ハジメ! 大丈夫カ⁉︎』

「あっ!」

「どうしましたハジメさん⁉︎」

「ワリイなんでもねえ!(どうした鈴音⁉︎)」

『よかったまだ平気みたいネ、こっちである程度の索敵を葉加瀬と終わらせたネ、そこにいる関西呪術協会の人達は既に全員石化してるヨ』

 

  鈴音の言葉に更に事態の深刻さが増す。関西呪術協会の総本山の敷地は広大だ。そこにいる全ての人々を一方的に石化させられる相手の実力に冷たい汗がハジメの身体から噴き出す。

 

(くそ……朝倉達も石化しちまったってのに……)

『それは安心するネ、それは治せるヨ』

(本当か⁉︎)

『本当ネ、それに綾瀬サンは無事ヨ、今逃げているネ』

「なに⁉︎」

「うわ! ハジメさん本当にどうしたんですか⁉︎」

 

  思わず声が出てしまい、二度目ということもあってネギに怪しまれるが、少しの安堵感と危険な状況を想うハジメは嬉しいような焦っているようなよく分からない顔でネギへと顔を向ける。それを受けてネギは怪訝な顔を向けて来て、その顔にハジメはどうしようか悩んだがこんな状況だ。ネギを少しでも安心させるために口を開く。

 

「ネギ! 綾瀬は無事だ! 今連絡が入った!」

「綾瀬さんが⁉︎ よかった……でもハジメさんなぜ分かるんですか?」

「聡美だ! あいつは茶々丸の開発者だぜ? あいつも魔法関係者だ! ちょっと協力して貰った!」

「葉加瀬さんが……」

 

  葉加瀬に心の中で謝りながら口にしたハジメの言葉に張り詰めていたネギの顔がようやく少し綻ぶ。だが次の瞬間にすぐにまた顔を真剣なものに変えると、険しい表情で走っていた足が少し緩んだ。

 

「でもどうしよう……このかさんはピンチだし……でも綾瀬さんも……」

 

  ハジメから齎されたのはいい情報だ。だがそれが迷いを生じさせる。このかも夕映もどちらも同じく大事なネギの生徒、そこに優劣は存在しない。いくら今重要なのが木乃香だとしても夕映を見捨てることなどできるはずがない。それが分かっているようにハジメはネギの方へ顔を向ける。

 

「ネギ! オメエは刹那と一緒にこのかの方に行け! この先どんな敵が待ってるのかは分からねえが、ここをこんな風に変えちまう本物の魔法使いがいるんだろ? だったら俺はきっと足手纏いになっちまう。エヴァンジェリンと茶々丸が相手だった時とは違え、相手は本気で俺達を潰しにやってくるはずだ。一番弱え俺が狙われてそれでオメエらが満足に動けず負けたなんてことになったら俺は悔やんでも悔やみ切れねえよ……敵の狙いはこのかだ。綾瀬の方にはそこまで強い奴は多分来ねえだろ、だったら俺でもどうにかできるはず……いやどうにかする! だから綾瀬の方へは俺が行く!」

「……分かりました! すみませんハジメさん! 綾瀬さんを頼みます!」

「おう任せろ! 俺じゃあ戦力にはなりきれねえが綾瀬は命に代えても護ってやる!」

「ハジメさん……お気を付けて!」

 

  悔しい。悔しいがハジメが言ったことは本音だ。この三人の中で一番弱いのはハジメだ。きっとハジメが行っても風に吹き飛ぶ紙切れのようになにもできない。ならば少しでも、少しでも出来ることをしよう。刹那とネギと別れハジメは一人灯りのない夜の山の方へと足を踏み入れる。

 

  誰もが石となった中でただ一人無事だった夕映、不安だったはずだ。怖かったはずだ。だがハジメは知っている。どんな中でも一人でも隣に誰かが一緒にいてくれる時の心強さを。

 

「鈴音‼︎ 綾瀬の場所は⁉︎」

『大丈夫分かてるネ! こっちで誘導するヨ‼︎』

「そうか! ………なあ鈴音、ネギ達に力を貸すってことは……」

『それは……出来ないネ……ゴメンヨハジメ……でもそれは……私……』

「いやワリイ、オメエは十分力になってるよ、誘導してくれ!」

『……分かたネ』

 

  泣きそうな鈴音の声にハジメは急激な申し訳ない気持ちに襲われる。それはおそらく鈴音がハジメに話そうとしてくれている鈴音の秘密に関わることなのだろう。本当ならハジメに力を貸すのも危険なものなのだろう。だがそれを捻じ曲げて力を貸してくれている鈴音はもう十分力になってくれている。なら後はハジメがどうにかする番だ。

 

  鈴音の誘導に従って身体を打つ森の伸びた木々を掻き分けて突き進む。五分、十分、時が過ぎていく中で焦る心が足を加速させ、ようやっと薄く紫色に輝く長い髪が目に入る。

 

「綾瀬‼︎」

「ハジメさん⁉︎」

「ようやっと見つけたぜ! 怪我は……ところどころ擦り切れてんな、だが無事そうでよかった……大丈夫か?」

「ハジメさん! ハジメさん……!」

 

  ハジメの姿にこれまでの不安が吐き出されるように瞳から涙の溢れた夕映がハジメの胸に飛び込んでくる。それを身動ぎもせずにハジメは受け止めると、安心感が抜け出てしまわないように夕映の頭に優しく手を置いた。

 

「遅くなっちまって悪かったな。だがもう大丈夫だ。俺が一緒に居てやるよ」

「ハジメさん……でも朝倉さんやこのかさんが……⁉︎」

 

  こんな状況でも他人の心配をする夕映にハジメの顔が綻ぶ。

 

「安心しろ、朝倉達は元に戻るしこのかの方にはネギ達が行った」

「ネギ先生が……? ハジメさん、シネマ村でのこともそうですがいったいなにが起きているのですか? ハジメさんは知っているんでしょう?」

「それは……」

「魔法……なのですか?」

「……綾瀬……悪い今それは話せねえ、だがこんな目に会っちまったんだ。必ずこれが終わったら誰が何て言おうと俺が話してやる。今はそれでいいか?」

「……分かりました。仕方ないですね」

「ああ、取り敢えず安全なとこまで……」

 

  行こうぜというハジメの言葉は続くことはなく、胸の中で夕映の手がハジメの服を強く掴んで離さずそこから動くことが出来ない。目尻に溜まった心の雫が月の光を反射してキラリと光り、赤みを帯びた顔が下からハジメの四角い眼鏡の奥にある強い瞳を覗き込む。

 

「あの……ハジメさん……もう少しだけ……」

 

  夕映が無事なら早くネギ達の元へ戻らなければならない。ネギ達の闘いに手を貸すことが出来なくてもハジメにも出来ることは多くあるはずだ。だからこそ早く戻らなければならないのだが、自分を見上げる小さな強い少女の姿があまりに綺麗で見惚れてしまう。そんなハジメと夕映は、

 

「なにしてるでござるか?」

「うおわあ⁉︎」 「な、長瀬さん⁉︎」

「ム〜〜スゴイ急いで来たのになにやってるアルか⁉︎」

「これはこれは、ハジメさんも隅に置けないな」

 

  急に現れた楓、古菲、龍宮の三人の登場によって勢いよくお互い離れた。

 

「長瀬に古菲に龍宮⁉︎ オメエらなんでここにいんだよ⁉︎」

「あ……ハジメさん、私が携帯で連絡を……」

「綾瀬が?」

「ウム、なにやら大変なことになってるご様子……」

「友のピンチアル、力を貸すネ!」

「オメエら……」

 

  帰れとは言えそうもなかった。楓と古菲の目の奥に見える強い光がそれを許してくれそうもない。それにここまで力強い味方はいないだろう。枕投げの時も含めて助っ人に来た三人の実力は分かっている。この三人がいればどれだけ大きなことが出来るものか。

 

「……ワリイ、折角の修学旅行だってのにな」

「これもいい思い出になるでござるよ」

「さあそうと決まればさっさと向かうアル!」

「ああ、ハジメさんこれを」

 

  龍宮から手に持つ銃とは別に持っていた鉄刀が投げ渡される。刃が入ってはいないが、木刀のような形状をした重い鉄の塊。それを受け取るハジメの手によく馴染む。

 

「超と葉加瀬からのプレゼントだ。ハジメさんは真剣だと使わないだろうからそれをと、急ピッチで作ったそうだからただの鉄の塊で特にギミックはないそうですがね」

「そうか……(サンキュ鈴音、聡美!)」

 

  心の中で礼を言えば言葉は無くても暖かな感情が流れ込んでくる。それを手放さないようにハジメは強く手に持つ鉄刀を握りこむ。その重さを決して離さないように。

 

「うし! こっからが俺たちの反撃だ! ただ綾瀬は……」

「ハジメさん! 私は長瀬さん達と違って力にはなれないです……でも、あの……」

「ふふふ、綾瀬殿が拙者達のリーダーでござるからな、ウム、綾瀬殿のことは拙者に任せるでござるよ、共に行こう」

「長瀬……分かった!」

 

  五人はうなずき合い山を駆ける。行き先はもう誰に聞かずとも分かっている。遠くで鳴り響く轟音と眩しい光が狼煙となって夜闇が消え去るほどの道標になっていた。綾瀬を担ぎ上げた楓のおかげで五人は肌を撫ぜる風よりも早く山を駆け抜け、山一つ越えたところで光の元が露わになる。

 

「な……コレは現実なのですか?」

 

  夕映の言葉が全員の総意だった。角の生えた異形、羽を持った鳥の頭をした怪物、数々の物語で話でしか聞いたことのない者達がその場を蹂躙している。それらが取り囲む中心には見覚えのありすぎる二人の少女が吹き荒れる暴力の渦の中を転げ回っていた。その遥か奥には光の柱が天へと伸びており、事態はより悪い方へと進んでいるらしい。

 

「刹那とアスナ⁉︎ やべえ早く行かねえと⁉︎」

「ふむ、だがネギ先生の姿が無いな。あの二人がネギ先生を先に進めたか」

「どうするアルか⁉︎」

「ウム……遠くでネギ坊主と、もう一つ対峙する気を感じる。コレは……」

「ネギもか⁉︎ ……長瀬! 闘った俺には分かる。こん中じゃオメエが一番強えんじゃねえか? ここより遠いネギのところにはオメエが行ってくれ! ここは俺達三人が必ずなんとかする‼︎ それでどうだ?」」

「……あい分かった。ネギ坊主は拙者に任せるでござる」

「気を付けてネ楓!」

「ふ、今回は譲ろう楓、一番強いそうだからな」

「ははは、そう睨むな真名」

「ハジメさん! こんなことしか私には言えないですが……頑張ってください‼︎」

「おう! ありがとな綾瀬! 大丈夫だ誇れ! オメエの応援のおかげで俺は勝てる!」

「あ……はいです‼︎」

 

  綾瀬の声援を背に受けて古菲と龍宮とハジメの三人は妖の海の中へと飛び込んでいく。その海の中に亜麻色の髪を靡かせる少女の姿を見つけハジメの顔はより厳しいものへと変わっていった。これから行くは死出の道かもしれないが、隣に並ぶ二人の心強い少女達の存在がハジメの踏み出す足に力をくれる。いつもなら頭の中で小さく叫び声を上げる防衛本能の声もせず、熱い想いが身体を満たした。コレは一人だけの闘いではない。幾人もの想いが一つの方へと向かっている。その想いが道となり、退却の足も踏み外す足も頭の中には存在しなかった。

 

「さあ、開戦の花火を上げよう」

「出来るだけ派手にな!」

「ふ、任せろ!」

 

  龍宮の銃が火を吹いた。けたたましく山に反響するのは死の足音。熱い想いを吐き出すように死を与える口から飛び出す想いの塊が一匹の妖の頭を吹き飛ばす。明日菜の手を掴んでいた妖は消え去り、続いて放たれた弾丸が刹那に迫ろうとしていた妖達の足を止めた。呆気に取られる刹那達の元に、三つの人影が降り立った。

 

「らしくない、苦戦しているようじゃないか?」

「え……ええっ……ええええ〜〜〜〜ッ⁉︎」

「この助っ人の仕事料はツケにしてあげるよ刹那」

「うひゃーー♪ あのデカイの本物アルかーー? 強そアルネーー♡」

「待たせたなアスナ! 刹那! 今まで頑張ったな、次は俺達の番だぜ!」

 

  刹那とアスナだけを避けて弾丸の雨が妖達に降り注ぐ。容赦なく急所を目掛けて飛んで来る弾丸に幾人かの妖達はなす術なく消え去り、急な強力な助っ人の登場に刹那とアスナは目を丸くして見ていることしかできない。

 

「スゴイ⁉︎ それ本物アルか⁉︎」

「ただのエアガンだよ」

「本当かよ……」

「図に乗るなよ小便クサイ小娘どもが接近戦でテッポウは使えまい」

「フ、そうだとしてもここには剣の達人が控えているぞ?」

「バカ、あんまハードル上げんな」

 

  銃の雨が止んだ隙を突き肉迫した烏族の中央で、既にハジメは構えていた。龍宮と古菲が軽く跳んだのを合図に小さな嵐が吹き荒れ、突っ立っていた四体の烏族の身体を薄っすらと光輝くハジメの鉄刀が重々しい音をたて両断する。腰から上が崩れ落ちる様を他の妖達はおもしろそうに眺める。

 

「なんで龍宮さんが……てゆーかなんであんなに強いのーーッ⁉︎」

「龍宮とはたまに一緒にする仲で……というかハジメさん……」

「おいおい斬れちまったぞ……」

「アイヤー流石真名とハジメアルねーー、しかし私本物のオバケ見るの初めてアルよ」

「古、お前は人間大の弱そうな奴だけ相手をしてくれればいい」

「あ、バカにしてるアルね〜〜、中国四千年の技なめたらアカンアルよ〜〜♪」

 

  古菲の言葉通り近付いて来た数匹の鬼を踏み締められた震脚のエネルギーをそのまま伝える古菲の拳が簡単に鬼の巨体を吹き飛ばした。

 

「く、くーふぇまで助けに……それに結構強いし! な、何か分かんないけど助かった?」

「さあもっと強い奴はいないアルか?」

「調子に乗ってるとケガするぞ」

「へっ、こんな時は調子に乗ってるぐらいが丁度いいぜ」

 

  新たな三人の実力者の登場に勝負事をこよなく愛する妖達の熱が上がりそこからの闘いは熾烈を極めた。たった五人の人間を潰そうと数十に及ぶ魔が一堂に動く。落とされる剛腕、鋭く空を裂く爪、飛び交う妖術をしかし五人の人間は掻い潜っていく。時に刃を振るい、引き金を引き、拳を放つ。研ぎ澄まされた人の技と圧倒的に人から離れた魔の技のぶつかり合いは大地を割り、ハジメ達五人の身体に細かな傷を付けるが、それで五人は止まらない。ただ遊んでいるような妖達と違い五人には確固たる目的と意志がある。終わりの見えぬ闘いは続き、しかし五人を嘲笑うように事態は続いてはくれなかった。

 

  天に伸びていた光の柱が一段と光り輝き、その中に光の巨人が浮かび上がってくる。山より大きな人影は腕が四つ、顔は二つ、視界を覆う異形の姿がタイムリミットが切れたことをそれを見る全員に示した。

 

「なんだよありゃ……」

「ネギの奴間に合わなかったの⁉︎」

「わかりません! でも助けに行かなければ……⁉︎」

「そうは言ってもこいつらが⁉︎」

「センパイ逃げるんですかぁ?」

「おっと、オメエの相手は俺だ!」

「あ〜〜、ハジメさん♡」

「その顔やめろ……」

「行け刹那! あの可愛いらしい先生を助けに‼︎」

「ここは私達に任せるアルよ!」

 

  戦闘狂の相手をハジメが引き受け、妖達の相手を龍宮と古菲の二人が相手取る。

 

  ハジメの顔を見て標的を絞った月詠の刃がハジメに迫る。武器を斬られる心配のないハジメは無駄な動作をする必要がないため普通に刃を鉄刀で受け、力任せに弾き返した。鍛えられたハジメの身体と鈴音の魔力によって底上げされた筋力は凄まじい。二度相対し自力で負けていたハジメがここに来てようやく並ぶ。

 

「あ〜〜ええな〜〜、ハジメさんとの死合いや、雇われた甲斐があったわ〜〜」

「雇われ……オメエ仕事でこんなことしてんのかよ⁉︎」

「あらあきまへんか? 強い人と出会うのにこれ以上の仕事はありまへんえ〜〜?」

「チッ、気に入らねえぜ! こんなことするオメエも、オメエみてえなヤツを雇う千草とかいうあの術師もな‼︎」

「あらじゃあどないします〜〜?」

「オメエとの勝負はさっさと済ます! どうせ待ってんのはコレだろ?」

「あら〜〜♡」

 

  アスファルトではない土の大地の感触を確かめて構えたハジメを見て、月詠は顔に手を当て上気した視線をハジメへ飛ばす。

 

  いつもハジメの闘いの最後はこの技で決まる。愛した女性の名前の付いたこの技が最も気に入ったからハジメはこの技だけはモノにしようと三年間も振り続けたのだ。例え相手が魔であろうと、剣の達人であろうともこの技だけは本気で振るえば負けない自信がハジメにはあった。だからこそ、絶対に勝たねばならぬ今でこそこの技を、だがそれを見て月詠は臆することなく笑みを深める。

 

「ええなぁ、やっぱりハジメさんは最高や♡ ただ……ただなあ、その技はこっちが有利て前に言いましたやろ〜〜? その技は好きやけど、一定以上の相手にはただの自殺剣ですえ〜〜?」

「…………」

「黙りどすか〜〜? 残念やなぁ、最後にもっとお喋りしたかったんやけど、ほな行きますえ!」

 

  突っ込む月詠、だが前にでは無い。月詠が向かう先は上空、ハジメの技の弱点は上だ。一歩を大きく踏み出し構えるハジメの技はその体勢の事もあって横薙ぎにしか振るえ無い。だからこその上空、ハジメに迫る二つの刃になす術はなく、

 

「……いくぜ」

 

  というのがハジメの流派、心抜流の目論見だ。戦国時代から五百年、決して短くはない時間を過ごしてきた流派が己が技の弱点を分かっていないはずがない。一歩を踏み出したハジメは誰もいない空間に横薙ぎに刃を振り切った。それを見て月詠の笑みが極限に察し口が開き大きな三日月となる。だがハジメの技はそこでは終わらない。振るった勢いをそのままに、その場で一回転すると地面の下から掬い上げるように刃を振り切る。土に潜ってしまう鉄刀の剣先は加速された遠心力と捻りが強引に前へと進める。たったの一撃に全てを賭ける心抜流の技が驚愕の表情に変わった月詠の二刀とかちあった。

 

  落下の勢いは潰され、二つの刀は粉々に砕け散る。だがハジメの刃は二つの刃の先にある月詠の額を割ってしまうことはなく掠めて帽子を吹き飛ばしただけに止まった。大地に無様に転がる月詠はすぐに立ち上がると額からツーっと垂れる血を舐めて最高の笑顔を浮かべた。

 

「まさかこうなるとは……やっぱりハジメさん最高や♡ ただこれで終いやな、気を抜いてしもうたとはいえ負けたのはウチや、斬って貰って構いませんえ」

 

  両手に持った柄だけになった刀を放り捨て両手を広げる月詠に、ハジメは鉄刀を肩に担いで大きな溜め息を吐く。

 

「……オメエなあ、なんで俺がわざわざ短期決戦にした上でワザと外したと思ってんだよ、それでもカスっちまったのはまだ俺の実力が足りねえからだが……言っとくが、俺は絶対に誰かを殺すことも死なすこともさせねえ‼︎ それをやっちまったら俺の一番大好きな人がやってきたことが嘘になっちまうからだ‼︎ 例えどんなに悪人でも、俺はそれだけは絶対に認めねえ‼︎」

「……ヘ〜〜勿体無いなぁ……」

 

  光の柱が消える。山の向こうで立っていた巨人が崩れ去り、夜の暗闇が戻ってきた。ネギがやり遂げた。どれだけ離れていてもその結果が目に見えて分かる。小さな強い心を持った頼りになる一人の男にハジメは力強い笑みを遠くから送り、崩れ落ちた巨人が見えなくなった頃に辺りにいた妖達も消え始めた。勝者がどちらかは言わずとも分かるだろう。

 

「あ〜〜あ、終わってしもうたなぁ、まあ給料分は働きましたし、ウチも帰ります〜〜」

「おうそうしろそうしろ! それでもうこんなこと止めとけ、折角美人なのに勿体無いぜ」

「あ〜〜♡ そんなことハジメさんに言われたら余計に止められんわ〜〜、次はもっと激しく熱く愛し合いましょうな〜〜! ほなまた!」

「は? オメエ何言ってんだ⁉︎ おーい戻ってこーい⁉︎ 一発ぶん殴らせろ!」

 

  ハジメの叫び虚しく月詠は月の浮かぶ夜空に消え去ってしまった。勝利の喜びを胸に三人はネギ達の元へと向かおうと足を伸ばしたが、再びハジメに語りかけてきた鈴音の声がハジメの足を止め、ネギ達の方へは龍宮と古菲に任せてハジメは一人夜の山の中へと駆け出す。その心の内ではまだ燃え尽きぬ熱い想いが昂ぶっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  走る。

 

  山の中を無心に走る。

 

  夜の人気の無い肌寒い山の中は敗北したという虚しい心をより逆撫でしてくれる。ただ一人山を走る寂しさが子供の頃の孤独を無理矢理思い出させた。

 

「くッ⁉︎」

 

  だが諦めるわけにはいかない。たとえ何度失敗しても、どれだけ時間が掛かろうと自分の想いを形にしてみせる。ぽっかりと穴が空いた心に再び憎しみでそこを満たし、ボロボロの身体を無理矢理動かす。しかし木々を掻き分けて少し開けた場所に出た瞬間、千草の足は止まってしまった。

 

  月明かりに照らされて一人の男が立っていた。ところどころ擦り切れた学生服に身を包み、鉄刀を肩に担いで難しい顔で千草の方を見つめている。

 

「あんた⁉︎」

「よお、俺の相棒がオメエが逃げてるって教えてくれてよ、先回りさせて貰ったぜ。こんなことしといて首謀者であるあんたが逃げるってのはちょっとズルくねえか?」

 

  月詠との短期決戦のおかげでまだ余力の残っていたハジメがそこにはいた。眼鏡の奥の輝きが千草を見据え、力の残っていない千草は弱々しく後ずさる。

 

「ズルい? 何がズルいんや⁉︎ あんたウチがしたことが間違ってる言うんか⁉︎」

「ああそうだ。どんな理由があろうとな、誰も死んじゃいねえがよ、オメエがやったことで何人が死ぬことになったか分かんねえんだぞ」

「死ぬ?……それがなんや⁉︎ 二十年前、西洋魔術師共の戦争に巻き込まれていったい何人が死んだと思うとる⁉︎ なんも知らんガキが偽善振りまいて適当言っとるんやない‼︎」

 

  口が滑る。これまでそこまで口にしなかった想いが漏れていく。負けてしまい千草に残されたのは言葉だけということもあるが、ハジメの強い瞳を見ているとそれに負けてしまわぬように想いをぶつけるしかすることがない。

 

「ウチの親もそれで死んだ‼︎ 西洋魔術師は詫びを入れはしたがそれがなんや? 必要な犠牲やったと最後にそう言ったんやぞ! それだけで……それだけや‼︎ もうウチの親のことなんて誰も覚えとらん……だったら例え悪になっても、ウチが世界を震撼させるような悪になれば私を知ろうと誰もがウチの親の名を知ることになる‼︎ 愛する者が目の前からいなくなり覚えている者も居なくなるそんな苦しさがあんたに分かるか‼︎」

「分かる‼︎」

「なッ……⁉︎」

 

  千草の嘆きを今まで黙って聞いていたハジメが正面から見据えて即答で言い切ったことで千草は口ごもってしまった。何が分かるとそう言ってやりたい。そう言いたいのに開いた口が動かない。四角い眼鏡の奥で光る強い光がハジメが言っていることが嘘ではないことを教え、その寂しげな輝きから目を離せない。

 

「……信じられねえとは思うけど、戦争の悲惨さも、愛する人が居なくなるどうしようもない悔しさも俺にはよく分かるよ……だからこそ、それが分かるってんならあんたがそんなことしちゃいけねえだろ、あんたと同じ想いを何も知らねえ一般人にさせてえのか?」

「ならウチはどうすればよかった言うんや⁉︎ ウチは木乃香お嬢様のような魔力もなければネギ言うガキみたいな才能も無い‼︎ あんたみたいに強い仲間もおらん⁉︎ ウチにはなんも無いんや⁉︎」

「そんなことねえだろ!」

「あるわ! アホウ‼︎」

 

  千草だってそんなことは無いと思っていた。今回の一件の前も関西呪術協会の急進派に何度も声を掛けたが得られた答えは望まぬものばかり。結局急進派とは名ばかりの腰抜けの集まりだった。西洋魔術師を恐れたのだ。無理だ。今はまだ時ではない。そんなことを誰もが言って首を横に振るう。時ではない? なら時とはいつか? そんな千草の問い掛けには誰も答えてくれなかった。数十年経ち死ぬまぎわになってもきっと彼らは首を横に振るうだろう。もし彼らが今ここにいれば自分の計画は成功していたはずだったとも思うが、それを口にはしない。それは虚しすぎる。それでも千草はたった一人でもやったのだ。

 

「それでもウチはやった! たった一人、たった一人や! ただの一人もウチの手を取ってくれる人はおらんかったんやぞ!」

「それは違え! これは確信を持って言えることだ! あんたの人生の中で絶対に少なくとも一人はいたはずだ! 俺は知ってる、確かに人なんてのは身勝手さ、命を救われても礼も言わずに暴言吐く奴なんてのもいる。だけど! 見ず知らずの人のために命さえ掛けられる人だっているんだ! あんたにだってそんな人が! どんな時でも手を差し伸べてくれる人が居たんじゃねえのか⁉︎」

「それは‼︎ ……それは!……それは……」

 

  小さい頃の話だ。

 

  二十年前の戦争が終わり、その爪痕は大きかった。千草を含めた多くの戦争孤児はいろいろなところに引き取られたのだが、その多くは関西呪術協会ではなく関東魔法協会の施設だった。被害の大きかった日本の中で隔絶していた関西呪術協会と違い、戦争の後でも世界中と繋がりのあった関東魔法協会の方が復旧が早く、そのために償いも兼ねて多くの戦争孤児を麻帆良学園に招いたのだ。

 

  だがそんな中で千草は絶対に行かなかった。麻帆良学園に行った者たちからは決して悪い話は聞かずにいい話ばかり、戦争の後誰もが無くしていた笑顔を彼らは浮かべた。そしてそれが千草は何より許せなかった。まるで無かったことのように笑顔を浮かべる者たちが憎らしい。なぜ笑える? なぜ? 忘れてしまったのかあの時の想いを。忘れてしまったのかあの時の悔しさを。

 

  憎悪をただ強め己が内に閉じこもる千草に関西呪術協会も手を焼いて、誰もが見放そうとした時に二つの手が千草に伸ばされた。魔法関係者でもなく、京都から離れた福岡の施設だったが、二人は千草を暖かく出迎えた。

 

  だがそんな二人にも千草はさっさと京都に戻ろうと魔法を行使しあらゆる悪さをした。しかしそれでも二人は千草を手放さず、何も言わずにいつもそばにいてくれた。どんな些細な話も聞いてくれ、一緒にいて手を握ってくれる。次第に心を許した千草は今ハジメにしたのと同じ話を二人にして、それで追い出されると思っていた。どこでも言われたように、この子は頭がおかしいとか、心を病んでると言われ追い出されると思っていたのに。

 

  だがそうはならなかった。二人は涙を浮かべ話す千草を同じく涙を流しただ強く決して離さぬように抱きしめられた。そこでようやく千草は泣けたのだ。親がいなくなってから初めて想いが決壊し、身体の水分がなくなってしまったのかと想いうほど泣き切った後、二人に抱きしめられたまま千草は久しぶりにゆっくり眠れた。

 

  一人は足が悪く一人では満足に動けなかったが、今まで会った中で誰より強い女性。一人は粗暴でとても厳しかったが、今まで会った中で誰より人を気にかける優しい女性。女性が在るべき本物の強い淑女の二人に出会い、いつかこうなりたいと千草は思ったものだ。

 

  その内の一人がよく言っていた言葉がある。

 

「強く生きなさい。ただ強く真っ直ぐに、そうすれば大丈夫よ。素敵な出会いも楽しいことも待ってるわ。だからただ強く生きなさい、それだけでいい、それだけしてくれていれば私達は満足よ」

 

  それが出来ているだろうか? 大人になり京都に戻った千草の中で燻る想いが関西呪術協会の現状を見て再び燃え上がった。

 

  その結果が今だ。ただ強く生きるだけでいい、そう言われたのに自分はボロボロの身体で一人山に立っている。

 

「ウチは……ウチは……」

「誰だってただ強く真っ直ぐに生きてんだぜ、それを人の手で途切らせちゃなんねえ」

「だから……なんであんたがそれを……だいたいウチはどうすればいい言うんや、ウチはもう悪人やで? 関西呪術協会にも関東魔法協会にも狙われる。ウチにはもう何も残ってない……」

「そんなことはねえ! 悪人が悪人のまま終わっちまうのなんて物語の中だけで十分だろ。これから良いことをたくさんすりゃいいじゃねえか! その方がよ、あんたの親だって悪人を産んだなんて不名誉じゃなくて最高に尊敬できる人を育てたんだって言われた方があんたも嬉しいだろ。こっからだ、あんたの人生はこっからだぜ、まだ何十年も先はあるんだ。例えこれまで誰にも手を差し伸べて貰えなかったんだとしても、それなら俺が最初の一人になってやるよ! 俺は強いぜ! 決して何があっても居なくなったりしねえ、だからあんたの話聞かせてくれよ」

「あんた……バカやろ?」

「おう!」

 

  差し伸べられたハジメの手を千草は握り返す。千草の手を強い男の手がしっかり握り引き上げてくれる。明るい光に導かれるように、千草の目尻から溢れる涙は美しかった。

 

「ッタク青臭エゼ、タダカッケエジャネエカ、アイツニ免ジテ今回ハヒキアゲルトスルカ、アレジャア日焼ケシチマウゼ、チェ、折角ノ出番ガヨオ」

 

  出る機会を伺っていた小さな悪の美学を持つ人形は、あまりの眩しさにその場を離れる。その瞳には今の光景をしっかりと記憶し、不機嫌だが嬉しそうな顔で夜道を一人去っていった。



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第16話 カントリー・ロード

  修学旅行は無事に終わった。

 

  色々と大変なことはあったが、細かな問題がまだ残っているとはいえ一応の終わりを見た。修学旅行の最終日はネギ達はネギの父親が過ごした屋敷へと向かい、ネギの助っ人として来ていたハジメはネギが不在のため代わりに3-Aを見守るために旅館に居残った。帰ってきた時のネギの顔を見る限り何かしら大事なことを掴んだようで、一段と男として格を上げたらしい。刹那の秘密も友人達の想いが和らげ、綾瀬との話も問題なく済ませた。西の長の詠春曰く関西呪術協会に逮捕された小太郎と千草もそこまで重い罰は受けないようであり、一先ず安心だろう。苦労の耐えなかった旅行を終えて、久々に麻帆良の研究室に戻ったハジメは思う存分羽を伸ばしていた。17代目の研究室の中はごった返していた機械が綺麗に片付き、コーヒーメーカーなどの機材が増え快適な空間に変わっている。これがこれまでより羽を伸ばせる一番の要因だ。というのも、京都で光の巨人を倒したのはネギではなく登校地獄の呪いを一時的に解いたエヴァンジェリンであり、その呪いを解くのにハジメの発明が知らぬところで大活躍したからだ。

 

  エヴァンジェリンが学校を抜け出すには、『エヴァンジェリンの京都行きは学業の一環である』という書類に五秒に一回ハンコを押さなければならなかったのだが、そこでハジメが作っていた事務処理も楽々永久判子押しのおかげで学園長は大変楽ができたらしく、ロボット工学研究会、及びハジメが使える予算が大幅に上がった。

 

  だが再び始まった学園生活でハジメは研究に没頭していたかというとそうではない。毎日毎日研究室には来るのだが、これといって手が進まずに机の上で頭を捻っていることが大半だった。広くなった研究室の中はただ広くなっただけで、新しいものが増えることはなくどことなく寂しい。

 

「ハジメさん大丈夫ですか?」

 

  そんなハジメに心配そうな顔で話しかけてくれるのは綾瀬夕映、いつも研究室にいる葉加瀬と鈴音は少し先になるのだが、学園行事で言う文化祭である麻帆良祭の準備が忙しいらしくあまり研究室の方には来ず、代わりに暇な時に夕映が遊びに来るようになっていた。ただ一人ただっ広い空間にポツンといるのは余計にハジメの思考を停止させてしまうため、夕映が遊びに来るのは大歓迎だ。

 

「ん、まあな」

「そうは見えないですが……何か悩みがあるなら聞かせてください。それぐらいなら力になれるです」

「ん〜〜なんつうかさ、うまくいかねえもんだなってよ」

「うまくいかない? 研究がですか?」

「それもあるけど……色々だよ」

 

  修学旅行は終わったが、まだ多くの問題がハジメには残っている。鈴音の秘密を聞くことも忙しくなった鈴音からはまだ聞くことができず、ネギから魔法を教わることもネギが忙しくなったためにそれも出来ずにいた。

 

「そういやネギのやつはなんか修行してるんだって? 鈴音と聡美から聞いたぜ」

「ええ、古菲さんから中国拳法と、エヴァンジェリンさんに弟子入りすると今日もうそろそろですかね? 弟子入り試験をするそうです」

「弟子入りかあ……昔を思い出すな」

「ハジメさんは剣術の師匠に弟子入りしたんですよね?」

「おう」

「強くなるためにですか?」

「そうだな」

「ネギ先生もなんでしょうか?」

「そりゃそうだろうな」

 

  強くなりたい。その場にいながら何も出来ない惨めさと悔しさがそうさせることをハジメは知っている。中学の頃のハジメと同じ想いをネギはしたのだろう。何が何でも今の自分の殻を破りたい、その気持ちはよく分かる。だからこそネギの邪魔になりそうなことに手が出せず。修学旅行以来なんの変化もない生活にハジメは焦っていた。

 

「ネギ先生の試験見に行かないのですか? アスナさんや桜咲さん達は応援に行くと言っていましたが……ハジメさんが行けばネギ先生も喜ぶんじゃあ」

「いや……強くなりたいなんてのはな、結局自分だけのもんなんだ。だからそれはネギがどうにかしなきゃダメだ。俺が応援に行かなかったから駄目でしたじゃあ話になんねえだろ」

「……ハジメさんは意外と厳しいのですね」

「それに俺もなあ〜〜ネギのこと気にかける余裕がないっつうか……」

「何かあるのですか?」

「あーー、まあなんて言うかコレなんだが」

 

  そう言ってハジメは作業机の引き出しから一冊の古びた本を取り出した。外から見ても所々破けている本は相当古いものだと分かり、それを夕映に渡しながらハジメは机に突っ伏す。

 

「コレは?」

「うちの流派、心抜流の指南書みたいなもんでな。木乃香の親父さん、詠春さんから師匠からの贈り物だって修学旅行の帰り際に貰ったんだ」

「それは……」

 

  古ぼけた本を夕映がパラパラとめくる。技の型が挿絵と共に描かれており、これがあれば心抜流の今まで習っていなかった技もある程度は身に着くことだろう。ただ、それを貰ったハジメはただ頭を捻った。今回の修学旅行の一件で力不足を痛感したのネギだけでなくハジメもだ。しかし、ネギと違いハジメはそれを早速使おうという気にはなれなかった。

 

  強くなりたいという想いは確かにあるが、ハジメは科学者志望であり、今学びたいのは剣術ではなく魔法の方だ。師匠からの贈り物を使い着々と剣士の道を歩むのは何かが違うと思ってしまう。

 

「俺は剣士になりてえわけじゃねえからよ、それを使おうかどうしようか迷ってんだ」

「そうだったんですか……私からすればハジメさんは十分強いと思いますが」

「まさか……まだまださ、だけどなあ……」

 

  ハジメが強くなりたいのはあらしを救うためであり、決して京都で会った月詠のように闘いたいからではない。この先月詠のような者と闘う道へ足を進める予定がないハジメは答えが出せないのだ。ハジメの顔は渋くなる一方で、溜め息を吐く数も日々増えていく。

 

「俺は刀で誰かを斬りてえわけじゃねえし、これまでは俺にとって必要なことだったり、許せねえことだったりしたから持ってる力を振るった。だけどそんなことのない今に剣術の腕を上げる理由が俺にはねえんだ、ネギにはそれがあって俺にはねえ、ネギには目指す目標があって、俺の目標は英雄とかじゃないしな」

 

  ネギは父親に憧れている。強くなりたいという想いの要因の一つは世界を救った英雄の強さに近付く意味もある。対してハジメの目標は一人の女性を救うことだ。強敵と呼べるものはいるにはいるがそれは人ではない。例えば警察官やSPといった職業の者が武術といったものを嗜むというのは分かると思う、だが消防士が武術で闘うための技術を身に付けるというのは何かが違う感じがするだろう。ハジメの持っている違和感はそれに近い。

 

「なんて言うか、俺はこれ以上強くなってどうすんだって思っちまうんだ。剣術なんてのは相手を倒す技術だろ? これ以上その技を身につけた所で俺の目標に近づける気がしねえ。それに日常生活でだって使いどころねえしよ……はあ」

 

  刀を振るった、雨の日も。刀を振るった、雪の日も。だがそれを続けた日々は護身の領域を出ない。いざという時に大切な人を守れるように。それは救うための力としては微力でしかない。刀一本でできることなどたかが知れている。詠春から刀一本で戦場を渡り歩いたと聞いた時ハジメはスゴイとは思いはしたが、それは結局のところ闘うためのものだ。

 

「ハジメさんは難しく考えすぎなんじゃないでしょうか?」

「……そうか?」

 

  珍しくうだうだとしているハジメに夕映の真剣な顔が向く。それに身を伏せたまま顔だけ向けたハジメに夕映は慌てて両手を前に出し目の前でブンブンと振るう。

 

「あっ、すみませんハジメさん偉そうなことを⁉︎」

「いや別にいいからさ」

 

  身を起こしたハジメが手で続きを促す。

 

「は、はいです……私が思うにハジメさんは気を使い過ぎなのです」

「気を使い過ぎ? 俺が?」

「はい」

「そんなことは」

「ありますよ」

 

  ハジメはそれを受けてこれまでのことを思い返すが、思い当たる節はない。どちらかといえば相当好き勝手やっているように思う。高校生の身でありながら鈴音と葉加瀬のおかげで大学生のやる研究以上の科学に触れることができており、ネギのおかげで相当不思議なことに触れている。それに首を自ら突っ込んでいる自分が気を使っているようにはハジメは思えない。

 

「ハジメさんは優しすぎるのですよ」

「優し……俺がかあ?」

「はい」

 

  怪訝な顔のままハジメはさらに首を傾げる。それを見て夕映は小さく息を吐くと、続いて口を開いた。

 

「私とハジメさんが親しくなった図書館島の時からそうです。あの時ハジメさんは図書館島が危険だと知っていて最初止めようとしに来てくれましたが、結局私達が行くと言うと着いて来てくれました」

「いやそりゃそこで帰ったらなんかこうモヤっとするだろ」

「そうでなくてもあの時ハジメさんはもっと怒ってよかったと思うのですよ」

「怒る? なんで?」

「行くなと言ったのに行き、罠にハマり地下に落とされ、石像(ゴーレム)に追い回される。あの時図書館島に行ったのは私達のタメでしかありません。ハジメさんは何も関係ないのにあんな目に会って、もっと怒ってよかったと思います」

 

  そう言われるとそんな気もするが、あの時はハジメもネギに魔法を教えて貰おうと思って着いて行った。それにそんなことは必死で思いもしなかったことだ。理不尽に対して怒るというのはよく分かる。それに対してはハジメが最も怒っているからだ。空から降る火の海と比べるとあの程度と思ってしまう。

 

「それに聞いた話の中では茶々丸さんとのこともそうです」

「それもかよ」

「わざわざ闘わなくたってハジメさんには他に取れる手があった筈です。でもそれをせずに茶々丸さんに立ち向かった。今回のネギ先生の弟子入り試験は茶々丸さんとの手合わせだと聞いています。それをネギ先生はかなり厳しいと……ネギ先生でも厳しいと言う相手とハジメさんが闘う必要はなかったでしょう」

「いやそれは……」

「分かっているです。ハジメさんにもいろいろ思うことはあるのでしょうが客観的に見るとそうなのですよ」

 

  そこまで言い切られるとハジメは黙ることしかできない。確かにそう言われればそうだ。夕映の言ったことを人物像として当てはめるとかなりの馬鹿なお人好しにしか聞こえない。机に再び突っ伏すハジメにそれでも夕映は言葉を続けた。

 

「ネギ先生のこともハジメさんは気を使い過ぎです。きっとハジメさんはネギ先生の想っていることが誰より分かるから邪魔をしないようにそうしているのでしょう」

「それは……」

 

  そうだ。強くなりたい、誰より強く。同じ男としてネギの想いはよく分かる。降りかかる脅威に、迫る悪に誰も傷つけさせないように強く。分かってしまうからこそ気にかける。

 

「だからハジメさん。一緒にネギ先生に魔法を教えて貰いましょう」

「魔法を……って一緒に?」

「はい」

 

  夕映はそう言って膝の上に置かれた手に力を込める。それを見てハジメは分かってしまった。夕映だって同じなのだ。目の前で友人が石と化す。自分はただ見ているだけで何もできない。それが悔しくて、虚しくて、ただ一人夜の山の中を走った夕映の気持ちは夕映にしか分からない。

 

「私は私が思っているより我が儘なようです。私が魔法を学びたいと言ってネギ先生に迷惑が掛かることは分かっているつもりです。でも、それでも私は強くなりたい! もうあんな思いをするのはまっぴらです!」

「綾瀬……」

「だからハジメさんももっと我が儘に成るべきです。それが子供だと言われるならそれでいいじゃないですか、私もハジメさんもまだ子供なんですから。誰かを頼って頼られて、一緒に強くなればいいんです」

 

  13の頃はまだ子供らしかったとハジメは思う。何も知らず、だからこそ思うように好き勝手やっていた。それが歳を重ねるにつれて薄れていった。13の夏の終わりに今までどれだけ自分がちっぽけだったのかを知ったからだ。どんな人もただ強く生きている。それを尊重しその歩みを止めないようにと手を出さず少し傍観するようになってしまった。それが大人になるということならそうなのかもしれないが、夕映の言う通りハジメはまだ子供だ。どこまでもがむしゃらに一所懸命に生きていい筈だ。

 

「それにハジメさんはしっかり誰かを救う強さを持ってますよ」

「……そうか?」

「私が一人夜の山を走っていた時、本当に心細くて、怖くて、そんな時に必死に走ってきてくれたハジメさんの姿に私は救われました」

「いやでもそりゃあ」

「分かってます! 分かっているのです……きっと私じゃなくても、他の誰でもハジメさんは必死に走って来てくれるんでしょう。でもあの時は私だったんです、私だったんですよ……ハジメさん、ありがとうございます」

 

 

  ああコレは駄目だ。

 

  ハジメの涙腺が僅かに緩む。

 

  あらしと共に降り注ぐ爆弾から一人の子供を助けた時、その時は周りから暴言を吐かれたが、それより数十年も後の世界でその助けた子供の子供からその時の礼を受け取った。確かに繋がった人の命にあらしは涙を流したが、その時のあらしの気持ちがハジメはようやっと分かった。

 

  必死だ。その時はただ必死。命が溢れてしまわぬように、決して手放してしまわぬようにただ突っ走る。別に何かを期待しているわけではない。別に何かが欲しいわけではない。ただ自分がそれを見るのが嫌だから、流れる涙も血も見たくないからそうするのだ。そこに価値は期待しない。だがふとした時に自分がすくい上げたものがそれは大きな価値があるものだと教えてくれるのだ。

 

  これほど嬉しいことがあるだろうか? いやないはずだ。目から溢れ落ちそうになる想いは少女に見せるものではない。男としてそれは見せたくない。それが頬を伝う前に袖で目元を勢いよく拭う。そんなハジメの様子を夕映は静かに眺め、掛ける言葉が見つからない。静かな時間がゆっくり流れ、窓から差し込む夕陽がイヤに眩しい。陽が落ち月明かりが部屋を照らすまでハジメは心の内に染み渡る想いを噛み締めた。

 

「綾瀬……ありがとうな」

「え! いや、そんな! 寧ろ偉そうにベラベラと!」

「いや、今度は俺が救われたよ。大きな借りができちまったな。俺に出来ることがあったらなんだって言ってくれ」

「え、あう……あのーーそれじゃあひとつ……」

「お、なんだよ早速か?」

「あの、その、名前で……」

「名前?」

「ハジメさんはアスナさんや桜咲さんや超さんのことは名前で呼ぶじゃないですか……? だからその、私も名前で……」

「なんだよそんなことでいいのか?」

「はいです! あの、よければですが……」

「全然いいぜ! うし! ならネギに魔法を習って一緒に強くなろうぜ夕映!」

「あ……はい! ハジメさん!」

 

  満面の笑みを浮かべて頷く夕映の手から心抜流の指南書を返して貰いしっかり握る。強くなる、その理由は様々だが、ハジメの中で理由が一つ増えた。自分にだってあらし以外に救えるものがあると知ったから。少しでも今救えるもののために力をつけよう。それは意味の無いものなのかもしれないが、それに価値があると一人の少女が言ってくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  それからハジメがネギの元を訪れたのは数日後の話だ。エヴァンジェリンの試験を無事にパスしたネギだったが、雪広あやかに連れられて南の島に行ってしまったために会うことが出来ず、またエヴァンジェリンとの修行のせいで更に会う事が難しかった。そんな中で夕映からの連絡を受けて教えられた場所へと向かってみれば、修学旅行で共に修羅場をくぐり抜けた面々がズラリと並んでいた。

 

「すげえないったい何があるんだ?」

「あれ? ハジメ先輩も⁉︎」

「あ、私が呼びました」

「夕映が?」

「で? 何やってんだ?」

「それは……って行っちゃう行っちゃう⁉︎」

 

  大所帯でどこへ向かうのかと明日菜達が向かう先にと目をやれば、そこにはネギとエヴァンジェリンの姿。何故こんな尾行染みたことをやっているのかというハジメの問いには明日菜達が騒がしく答えてくれる。

 

  エヴァンジェリンとの修行をネギが始めてからというもの、日々の授業に身が入っていないらしくふらふらと(やつ)れていっているそうで、それを怪しんだ明日菜達が心配になり二人を追っているそうだ。

 

  遠くで歩くネギとエヴァンジェリンの後ろでこうも喧しくついて行ってバレないのかともハジメは思うが、その心配は杞憂らしく少し雨の降ってきた中をネギとエヴァンジェリンは学園端にあるログハウス、エヴァンジェリンの家へと二人は入っていく。

 

「あれ……? 誰もいない?」

 

  エヴァンジェリンの家へと消えた二人を追って明日菜と朝倉を筆頭に全員乗り込んだのはいいのだが、家の中は生活感はあるものの人の影は見えない。思い思いに物色しながら辺りをハジメも見回すが、怪しいものなど微塵も見えない。

 

「おかしいなー確かに二人でここに入ったのに」

「ふーむ」

「お風呂にもトイレにもいないアルよ」

「そりゃあそんなとこにゃあいねえだろ……」

「み、みなさんこっちへ〜〜っ!」

 

  途方にくれるハジメ達の元にのどかの声が届く。珍しく大きな声を上げたのどかの元へと向かってみれば、大きな人形の溢れる地下へと連れて行かれる。人形の立ち並ぶ通路を抜ければ、スポットライトに照らし出されるように大きなフラスコがただ一つポツンと台座に置かれていた。

 

「何よコレ?」

「なんだと思います?」

 

  明日菜の問いには答えは返されず夕映の疑問がただ重なる。フラスコの中には塔のようなミニチュアが置かれており、その中でのどかがネギの姿を見たらしい。おそらく魔法に関わる品というのはここにいる全員に分かるが、それはいったいなんのためのものなのかが分からない。フラスコを遠巻きに眺めていたハジメだったが視界の中で急に変化が起き始めた。急に朝倉がその場から消え、古菲が消える。次々と友人達が消える中で、

 

「おいアスナ……⁉︎」

 

  アスナの名前を呼んだと同時にハジメの視界が急に変わった。

 

「ど、どどどどこなのよここ〜〜〜〜ッ⁉︎」

 

  それから三十分経ち、ようやく明日菜の声が遠くから聞こえてくる。ハジメ達の視界が変わり、海に囲まれた大きな塔の上に降り立ってから三十分だ。待ちくたびれたハジメ達は塔の上の神殿の中で腰を下ろした。

 

「ようやっと来たか、遅かったないったいどうなってんだ?」

「さあてね〜〜、ハジメさん心当たりとかないの?」

「あるわきゃねえだろ。オメエこそ持ち前の記者根性で何か掴んだりしてねえのか?」

「だったら言ってますって」

「そりゃあそうか」

「私アスナ達呼んできますね」

「おう」

 

  朝倉がアスナと迎えに行った夕映を呼びに離れていく。潮風が肌を撫でる感触をハジメは不思議そうに眺めながら遠くで輝く太陽を眺めた。学園の中にいたというのに、現実離れした場所にいる今が信じられない。今まで魔法を見はしたが、ここまで大掛かりなものは感じたことはなかった。京都で山より大きな光の巨人を見たときも凄まじいとは思ったが、自分を取り巻く世界がガラリと変わってしまうほどの神秘ではなかった。そんな綺麗で輝かしい光景をぼーっと眺めていたハジメ達の元に明日菜がようやく姿を現し腰を上げる。

 

「この階段の下?」

「そう、この下から声がしたってさ」

「オメエが来るまで待ってたんだ」

「……ふふふ、いいだろ? もう少し」

「ほらな?」

「ほらなってハジメ先輩今のって……」

 

  声に従って神殿の中央にある下へと続く階段を全員で降りていけば、その先から聞き覚えのある声が二つ聞こえてくる。楽しげな少女の声と、気弱な少年の声。

 

「も、もう限界ですよ」

「少し休めば回復する。若いんだからな」

「あっダメ」

「いいから早く出せ」

「ダ、ダメですエヴァンジェリンさん」

「フフ……私のことは師匠(マスター)と呼べ」

 

  なんとも爛れた会話に聞こえるが、ネギがそんなことをするわけないだろうと男同士これまでそれなりに一緒にいたから分かる。ハジメはだだ馬鹿を見るような目になるが、明日菜達は違うらしい。止める間もなく明日菜がネギとエヴァンジェリンの前へと飛び出した。

 

「コココココラーーッ⁉︎ 子供相手に何やってんのよーーっ!」

「んっ?」

「エヴァンジェリンさん そそそ それ以上は〜〜〜〜」

 

  ネギの差し出された腕にエヴァンジェリンが齧り付く。ちゅーちゅーといった音で何をしているのかは明白だ。エヴァンジェリンは吸血鬼、つまりそういうことである。勢いよく飛び出した勢いのまま明日菜は地面にずっこけ滑っていく。それをエヴァンジェリンはハジメ同様馬鹿を見る目で眺めた。

 

「……なんだお前達」

「なにって、なにやってんのよーーッ⁉︎」

「授業料に血を吸わせて貰っているだけだよ。多少魔力を補充せんと私も疲れるし」

「どーせそんなことだと思ったわよ⁉︎」

「なんだと思ったんだ?」

「本当にな」

「うるさいわねっ⁉︎」

 

  明日菜の嘆きが終わるまで数分が経ち、ようやっと場が落ち着いた。吸血行為を終えたエヴァンジェリンは全員を伴って上の階へと戻ると、風に靡く金色の髪を抑えながらこの場の説明をしてくれる。優しい風に乗って届くエヴァンジェリンの声はよく耳に馴染む。

 

「ここは私が作った『別荘』だ。しばらく使っていなかったんだがな、ぼーやの修行のために掘り出してきた」

「へーこんなもの造ってしまうとは魔法使いとはスゴイアルねー」

「いや全くだぜ、どうなってんだいったい、詳しく知りてえな」

「全く……勝手に入って来おって、一応言っておくがな、この別荘は1日単位でしか利用できないようになってるからお前達も丸一日ここから出れんからな」

『えぇ〜〜⁉︎』

 

  エヴァンジェリンの言葉に驚愕の声が重なる。急に吸い込まれるようにこの場に立ったというのに1日この場に拘束されるとなれば当然だろう。偽物の太陽の眩しい日差しと綺麗な海を眺めながら、どういうことだと全員エヴァンジェリンに詰め寄る。それをエヴァンジェリンは青筋を立てながら迎えた。

 

「ああもううるさいな安心しろ! 日本の昔話に浦島太郎の竜宮城ってのがあったろう、ここはそれの逆だ。ここでは1日過ごしても外では1時間しか経過していない。それを利用してぼーやには毎日丸一日たっぷり修行して貰っている」

「……てことはネギ君一日先生の仕事した後にもう一日修行してたってこと?」

「教職の合間にチマチマ修行をしても埒があかないからな」

 

  そのエヴァンジェリンの言葉を聞いてハジメは内心でホッとした。夕映とは我が儘を通してネギから魔法を習うとは言ったが、それでもできるだけ強くなりたいとするネギの邪魔はしたくはなかった。その心配がどうやらここでは然程する必要がないことに安心する。

 

「ネギ……あんたまたこんな無理して」

「大丈夫ですよアスナさん、それにまた修学旅行みたいなことがあったら困るし、強くなるためにこんなことくらいでへこたれてられませんよ!」

 

  ネギは決意の言葉を口にしエヴァンジェリンとの修行を続ける。飛び交う閃光、太陽の光すらも掻き消すほどの光が宙を覆い、轟音が弾ける。何度見ても凄まじいものだとハジメは思う。その中にいるときはただ必死に転げまわるだけでただ恐怖の対象だが、遠くから見ている分にはただ綺麗だ。隔絶されたフラスコの中が夕焼けに赤く染まる頃、ようやっと空を走っていた魔法は止み。その時がやってきた。

 

「エヴァンジェリンさん‼︎」

「えっそっち?」

「エヴァンジェリンさんが一応ネギ先生の師匠ですから」

「ああそういえばそうだった」

「おいどういう意味だ……」

「エヴァンジェリンさん実は私達魔法を学びたいのです!」

「魔法を? お前らが?」

「おう頼むぜ」

「あ、あの私も……」

「なんだ宮崎のどかお前もか、はあ何で私がそんなメンドクサイことを……向こうに先生がいるんだからそっちに頼め魔法先生にな」

「ええっ⁉︎ 魔法を教えるんですか⁉︎ 今ここで? ハジメさんには元々教える約束はしていましたが……あのーーいいんでしょうか師匠(マスター)?」

「勝手にしろ私はどうなっても知らんがな、まあ別荘(ここ)は外より魔力が充実してるから素人でも案外ポッと使えるかもしれんぞ?」

 

  エヴァンジェリンからの許可も貰え、遂にハジメが待ち望んだ魔法の修行が始まる。練習用杖が配られ、ネギが手本として『ブラクテ ビギ・ナル 火よ灯れ(アールデスカット)』、杖の先から火が灯る初心者用の簡単な魔法を披露する。

 

  それを見てのどかも夕映も杖を振るい魔法の呪文を唱えるが全くうんともすんとも起こらない。それを見て朝倉や明日菜達も試してみるが同じく全く何も起こらなかった。唯一気を操れる刹那だけが東洋魔術で指先に火を灯す。

 

  それを見てハジメの持つ杖に力が入る。これが一歩だ。自分の目的に近付く大きな一歩。少しでも使えるようになればそれがあらしを救う大きな力になる。何度も振るった刀と同じように大きく杖を振るい、

 

「ブラクテ ビギ・ナル 火よ灯れ(アールデスカット)‼︎」

 

  突き出された杖からは何も起こらない。魔法の魔の字の影も見えず、その体勢のまま固まってしまったハジメの元に、何故かネギではなくエヴァンジェリンが寄ってきた。

 

「八坂一……お前は」

「何だよエヴァンジェリン、俺のなんか不味かったか?」

「お前は……おそらく魔法が使えんぞ」

 

 

 

 




哲学研究会 綾瀬夕映の相談室。これは流行る……か?


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第17話 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

  ぷっかりと大きな満月が浮かぶ夜の世界。円柱状の高い塔の足元で寄せては砕ける波の音が夜闇の中を蠢いている。そんな中でそれを切り裂く小さな風切り音が断続的に止むことなく続いている。満月の光が写す影の世界で動き続ける一つの人影は決まった動作を繰り返し、その動きは心の内のどうしようもない想いを吐き出しているかのようだ。

 

「お前は……おそらく魔法が使えんぞ」

 

  数時間前にエヴァンジェリンの放った一言の威力はそれはもう凄まじいものがあった。スタートラインをようやく切って踏み出した第一歩が奈落の底に続いているなど誰が予想さできるだろう。それもそれを言い放ったのは魔法の素人などではなく、稀代の悪の魔法使い様からだ。杖を構えたまま時が止まったかのように身動ぎ一つしないハジメの代わりにネギや夕映がエヴァンジェリンに詰め寄ってくれる。

 

「な、何故なのですか⁉︎」

「そ、そうですよ! 魔法が使えないなんて……」

 

  ネギと魔法を共に学ぼうと言った夕映がエヴァンジェリンに喰いつくが、エヴァンジェリンは真面目な表情を崩さずにハジメから視線を外さない。そのエヴァンジェリンの姿が冗談などではないということを表し、場を一度静寂が支配した。

 

「……ごく稀にではあるがそういう者は存在する。ぼーやもそれは知っているだろう?」

「は、はい。でもそれは……」

「八坂一は普通の人間だ。ぼーやや近衛木乃香より圧倒的に少ないとはいえ普通に魔力を持っている。別荘(ここ)はさっきも言った通り魔力が充実しているからな、そのおかげで分かったが……八坂一、お前はなんだ?」

 

  片眉を釣り上げて不機嫌なエヴァンジェリンがハジメの顔を見る。ハジメはそれを受けて何がなんだか分からず、ようやっと構えていた杖を下げると、エヴァンジェリンに向き直った。

 

「いやなにって俺は俺って言うか、オメエが言った通り普通の人間だぜ?」

「だろうな……はあ」

「なんだよいったい」

「マスター……」

「お前が茶々丸と同じロボットだとか、元々魔法を知っていて呪いがかけられていると言われた方がよほど楽だ」

「いったいどーゆーことなのよ?」

 

  多くの視線に当てられて、エヴァンジェリンは落ちかけている夕陽の方へと視線を逃すと、その眩しさに一度目を閉じると、ようやく話し始めてくれる。

 

「綾瀬夕映や宮崎のどかの魔法が失敗したのはよくある初心者の失敗だ。まだ魔力を掴む感覚が分かってないから練りが足らずに失敗した。対して八坂一の場合はその根本が異なる」

「根本?」

「そうだ。お前が魔力を使おと杖を振るった時、何かに引っ張られるように魔力がズレた。なんというべきか……」

「……ゆらぎ……か」

「ああそうだなそれに近い。魔法を行使しようと集まった魔力がゆらいで霧散した。なにかに引っ張られ吸われるようにな、お前なにか心当たりはあるか?」

「……イヤ、ねえな」

 

  ハジメは嘘をついた。『ゆらぎ』 それはハジメが見ることのできる救いの軌跡。だがなぜ今それが起こるのかが分からない。

 

「ふうむ、そうなると手につけようがないな、魔法を使うのは諦めるほかない」

「な⁉︎ エヴァンジェリンさんそれは⁉︎」

「なんだ綾瀬、だがそうするほかないだろう?」

「でも……一緒に強くなろうって……」

  「強く……お前たちもか……ぼーやは別としてなにをそう強くなりたいのか分からんが」

「それは……」

「ああいい言うな、どうせ乗り掛かった船ではある」

 

  夕映が喰い下ってくれるが、真剣な顔のエヴァンジェリンを見る限りどうしようもないことが分かる。夕映やネギは心配そうにハジメの方を見てくれるが、ハジメはそれを気にできる精神状態ではない。なんとなく話半分でエヴァンジェリンの話を聞いていたのだが、そんなハジメに気づいたエヴァンジェリンが突っついてくる。

 

「おい、八坂聞いているのか?」

「ん、ああ悪い聞いてなかった」

「はあ……いいか、とにかくお前が魔法を使うのは絶望的だ。だが強くなるなら方法が無いわけではない」

「そうなのか?」

「ああ」

 

  そう言うとエヴァンジェリンが空に魔法陣を描くと一本の木刀が現れる。軽く手に取りそれをハジメの方へと投げ渡すと、振るえと指で合図をする。

 

「さあ振ってみろ、本気でな」

「はあ? 今かよ」

「ああ今だ。聞いた話だと桜咲とは違う神鳴流の使い手と闘ったらしいな。その時と同じように振るえ、さっさとな」

「……まあいいけどよ」

 

  いつもと同じように構えるハジメに周りから視線が集中する。ハジメが本気で振るう型を初めて見る者もいるため、その好奇の視線に晒されてどうも気恥ずかしいと型がブレるがそれにエヴァンジェリンの叱咤が飛んだ。

 

「おいしっかりやれ! そうじゃないと意味がないぞ!」

「そうは言ってもよ……」

「なら茶々丸と手合わせでもするか?」

「分かった分かった⁉︎」

 

  茶々丸との手合わせなど鈴音や葉加瀬に知られたらなにを言われるか分かったものではない。なんとか集中し、ハジメは呼吸を整える。思い起こすのは理不尽に対する怒り。降り注ぐ火、命に迫る刃、それを振り払えるようにしっかりと木刀を握る。頭の中で此方へと向かって来る脅威を思い描き、身体の内側から覗く熱を放出するように引き絞った身体を解き放つ。一閃された木刀を追うように突風が生まれ、少女たちのスカートがふわりと風に靡いた。

 

「うわあ、なんていうか初めて見たけどすごいわね」

「はい……かっこいいです」

「ウム、流石はハジメアル、前に手合わせした時よりもキレが増してるネ」

 

  それぞれ少女たちから感想を口にされ、恥ずかしさを誤魔化すようにハジメは頭を掻きながら視線を逃がす。ハジメの剣技に満足してくれたようで、エヴァンジェリンも小さく頷き合格点は貰えたらしい。

 

「八坂、お前は『気』は扱えるようだな。京都の一件で一皮向けたか、強くなるならそっちを極めた方がお前には向いているだろう」

「ふーん」

「おいなんだそれは⁉︎ 折角私がアドバイスしてやってるんだぞ!」

「いやそんなこと言われてもなあ」

 

  手に持った木刀を肩に担ぎながらちょちょいとハジメは顳顬(こめかみ)を掻いた。気を極める。それはつまり剣士として強くなるということだ。刀一本でいったいなにができるのか、魔法と比べるとどんな刃も小さく弱いものに感じてしまう。

 

「コレでそんなに強くなれるのかよ、例えば爆弾斬り払えるとかさあ」

「ば、爆弾? なぜそう突拍子もない例えが出るのか分からんが……さてはお前桜咲が本気で闘ったところを見たことないな?」

「そりゃねえけど……」

 

  京都の一件の時はハジメは足止めや援護といった形で力を貸していただけであり、刹那が本気で神鳴流の技を振るっているところには残念ながら出くわしていない。それが分かったからかエヴァンジェリンの顔が急にニヤけ出し非常に鬱陶しい。

 

「そーかそーか、おい桜咲、八坂は自分の技を見せたんだ。お前も見せてやるといい」

「え? 私がですか?」

「ああそうだ。京都の礼もあるだろう? ここは派手に一つ頼むぞ」

「わあ、せっちゃん頑張って!」

「え……は、はあ……」

 

  刹那は断ろうとしたのだが、刹那よりも木乃香がやる気になってしまったようで、断るわけにはいかなくなった。渋々と困った顔で竹刀袋から刀を取り出すと、ゆるりと構える。例えやる気が無かろうと、一度刀を抜いてしまえばそこは剣士、一度小さく息を吐くと困ったように垂れ下がっていた目尻はギラリと吊り上がり、ハジメとは比べ物にならない程の剣気が膨れ上がる。闘うことに慣れていない朝倉やのどか、夕映の三人は肌にピリピリとした気を受けて僅かに後ずさった。刹那が軽く刀を握り直し、発せられる気が絞られた瞬間、

 

「いきます! 神鳴流奥義、雷鳴剣‼︎」

 

  雷が落ちた。振るわれる剣の煌めきがそのまま稲妻と化したように宙に電流が走る。青い稲妻のエネルギーが大地に当たり大きく弾け、周りで見ていたハジメ達の産毛を無理矢理逆立たせる。魔法のような出来事に誰もが間抜けに口を開け、なにも言えない中でエヴァンジェリンだけが満足気に笑い声を上げた。

 

「ははは、見事なものじゃないか、本気ではないようだったがそれでもコレだぞ? どうだ八坂」

「いや、どうって……すげえなオイ剣でこんなことできんのかよ」

 

  刹那に対する驚愕に続き、もう一つの驚愕がハジメを襲う。刹那でコレということは、京都で闘った月詠は全く本気では無かったということだ。刹那とタメを張るような手練れ、同じ技が使えたはずである。心抜流の技に興味を持ち、人の振るえる範疇の技しか使わないという油断しまくっていた月詠だからこそ撃退できたのであり、今の技を使われていたら大地に転がっていたのは自分の方であったとハジメの血の気が引いた。

 

「ふん、こんなものではない。私も実際に見たことがあるわけではないが、近衛詠春は過去参加した大戦の際に戦艦を一太刀で真っ二つにしたそうだ。京都の一件では不覚を取りお前達は(あなど)っているようだがな」

「戦艦……?」

「お父様が?」

 

  優しそうな顔をした詠春はやはり只者では無かったらしいことにようやく気付く。ハジメが手に持った木刀を強く握りこみ、穴が開くほどに見つめた。たかが刀一本、されど刀一本でそこまでのことが出来るのならば、火の海を斬り裂き想い人への道を切り開けるはずだ。

 

「……なあそこまで俺は行けるか?」

「それはお前次第だろう。魔力と違い気は鍛えた分だけ力が付く。その歳で気が使える者は少ないだろうしこれからだろう、まあ桜咲や長瀬みたいなヤツらが近くにいたんじゃあまり実感が湧かないだろうがな」

「そうか……」

「ハジメさん……」

 

  心配そうな顔で夕映がハジメの顔を覗き込んでくる。一緒に魔法を学ぼうと背中を押した手前何か思うことがあってのことだろうが、そんなことは気にするなというようにハジメは夕映の背を叩き笑顔を見せる。

 

「大丈夫だって! 寧ろこんだけ早く魔法が使えないってことが分かっただけいいぜ、おかげで俺が進むべき道が分かったからよ! 思えば初めて大切な人を護れたのもコレだったぜ、やっぱ俺にゃあこれしかねえみてえだな。だから大丈夫だぜ夕映! 俺はこれで誰より強い男になる!」

「あ……はい!」

「それはいいがどうするんだ? お前も神楽坂同様に桜咲に師事でもするか?」

「イヤ、気の使い方ってヤツは知りてえが……」

「はい、それぐらいでしたらいくらでも」

「そうか? なら後はコレがあるし大丈夫だ!」

「ん? なんだそのばっちい本は」

「あのなエヴァンジェリン……ばっちいとか言うな! これこそ心抜流の指南書だぜ!」

 

  それから数時間指南書の通り書いてあることを繰り返し繰り返し身体に馴染ませるように木刀を振るう。周りに明かりの無い空間は月の明かりだけでも十分足元に開いて置かれている指南書を読みことが出来、別荘は外とは時間の流れが違うことをいいことに木刀を振り続けた。

 

  そんな中でハジメの頭にあったのはエヴァンジェリンに指摘されたゆらぎのことだ。何故今見えたのか? 救いのはずのゆらぎが自分の道を妨げていることが納得出来ない。

 

(普通に考えりゃゆらぎは誰かの命のゆらぎ。カヤさんのゆらぎが見えた時みてえにそれはその人の命を救えることに繋がってるはずだ。だが俺のゆらぎじゃあねえのは確かだろうしなあ、俺じゃなくて魔力が揺らいでるって言うんじゃ……そうなると俺と繋がりがあるのは……)

 

  振るわれる木刀がピタリと止む。

 

(あらしさん?)

 

  初めてあらしとハジメが出会った日、ハジメとあらしは通じ合いあらしはハジメに取り憑かせて貰ったと言った。それが確かならば、あらしが姿を表すのは夏だけとはいえ毎年会えるのだから今も繋がりがあるはずである。

 

(エヴァンジェリンはなにかに引っ張られるようにって言ってたな。その原因はあらしさん以外に心当たりがねえ、あらしさんは幽霊だからまだ俺も分からねえことがいろいろあるし……)

 

  唯一分かっていることは、あらしと一緒にいれば時間を越えられるということと、あらしの肉体はまだ過去で生きているということである。

 

  ハジメ達がたどり着いた事実。『時間の移動』は肉体と魂が分離した時に起こりうると言う。例えば今すぐ右に曲がろうとしている人間が気が付いたら左に曲がっていた時だったり、階段を上ろとしている人間が気が付いたら下りてしまっていた時、身体は階段を上っているものの心は階段を下りて行ってしまう。そんな時に場に歪みが生じる。難しいのはそれをほぼ無意識で絶妙に行うこと。

 

  理屈で考える人間には無理だ。次の瞬間には全く別の思考を持つことが肝心。即ち女性が向いている。女性は量子的で無い連続した意識を持っているからだ。つまり時を覗ける可能性は女性の方が高い。時間を移動する人間の有り様は『魂』、幽体離脱に近いのだ。だからこそ身体は死んではいない。ハジメの想い人、嵐山小夜子(あらしやまさよこ)の身体は60年前の横浜大空襲の中で今なお生きている。

 

  それを救い出すことこそがハジメの今の生きる理由だ。

 

(ただエヴァンジェリンのおかげで分かったことがもう一つ)

 

  ハジメには見えなかったが、あらしが原因で魔力のゆらぎが見えたということは、今ハジメが進んでいる道は確かにあらしを救うことに繋がっているはずだ。止まっていた腕が再び振るわれ空を凪ぐ。その一回一回があらしへと繋がる一歩になるはずだから。

 

(うし! そうと決まれば立ち止まっていられねえ! 誰より強えでっけえ男になってあらしさんを迎えに行かねえとな‼︎)

「ハジメさん?」

 

  心を新たに木刀を握りこみ天へと掲げるハジメに向かって、小さな声が掛けられる。そちらへと目を向ければ月明かりに照らされた鮮やかな赤髪が目に入り、そこから視線を落とすと眼鏡をかけた愛らしい少年の笑顔と肩に乗ったオコジョの笑顔がそこにあった。

 

「よおネギとカモじゃねえか、どうした?」

「いえ、僕も向こうで鍛錬してたんですけど、聞き慣れない音がするってカモ君が言うので見に来たらハジメさんが木刀を振っていたので」

「おおそっか、悪いな耳触りだったか?」

「ああいえそんな全然! ただ珍しい動きだなあと思って、桜咲さんの神鳴流とも違う動きだし、くるくる回って踊ってるみたいで……」

「おう凄かったぜハジメの兄さん!」

「確かに心抜流の動きは珍しいかもな、遠心力とひねりで斬り飛ばす剣技だからどうしても回らなきゃならねえし」

「でもそれって隙になるんじゃ……」

「まあな、ただ本来心抜流で使う刀は刹那が使ってる刀よりも長え長刀ってやつでよ、それを腕力だけで振るのは大変だっていうんで基本の動きはこう回って体ごと振る動きが多いんだ」

「なるほど、遠心力とひねりかあ……)

 

  そう呟いて考え込むネギは相当強さに対して貪欲になっているらしい。ハジメを目の前にしながら「あの技に……」と口にしながら思考に没頭するネギの姿からもよく分かる。そんなネギにハジメは笑顔を向けると軽く肩を叩いた。

 

「そんなに気になんだったら一丁やってみるか?」

「え? やるって……」

「ほれ」

 

  ハジメが木刀を放り渡せば、落としそうになりながらもネギはなんとかそれを掴む。呆然と木刀を手にただ突っ立っているネギにハジメはより深い笑みを返した。

 

「いいか? 本当はもっと刀が長えから振りかぶっても多少フラついちまう。だからそうならねえようにこう肩に担ぐようにしてだな」

「ちょ、ちょっとハジメさん⁉︎ そんな急には無理ですって⁉︎」

「なーに気になってんだったらやってみんのが一番早えって、な?」

「いいじゃねえか兄貴ちょっとやってみりゃあ」

「えーー……」

 

  そしてちょっとしたハジメのレッスンが始まる。ネギは魔法で運動能力を上げていることと元々の運動神経が合わさってそれなりの形になるのだが、やはり慣れていないためか回ると少しふらふらとしてしまう。ハジメのように強く木刀を振るい回った瞬間足がもつれて転んでしまう。

 

「うああやっぱり難しいですよ!」

「まあ初めてなんてそんなもんだって」

「剣もいいですけど僕は今は中国拳法を極めるのがいいみたいです」

「親父さんもそうだったらしいからな、欲しいのは強い拳か」

「はい! えへへ」

 

  嬉しそうに笑うネギは本当に父親を尊敬しているらしい。父親は子供にとって一番身近なヒーローだ。尊敬する気持ちはハジメにも分かるが、ネギの場合本当に父親はヒーローなのだから、それは普通の感情とは異なるのだろう。英雄に近づく、お伽話ならそれこそ誰もが喜ぶような話になるのだろうが、それが現実のものとなると話が違ってくる。どれほどの力をつければ英雄に並べるというのか。

 

「英雄か……ネギの目指す目標はでっけえなぁ」

「そうですね……でもまだまだです。ハジメさんや古菲さんや刹那さんといった凄い人たちにはまだ追いつけませんけど……」

「そんなことねえだろ、ネギは十分強えよ」

「そんなことは! 僕はまだ強くならないと……もっと……」

「ネギ……」 「兄貴……」

 

  強く拳を握るネギを見ているとよく分かる。ハジメ自身も中学生の頃に味わったものだ。その感情は焦り。なんとかしなければ、どうにかしなければ、キチッとした目標があるからこそ途方もなく遠いところにあるそれに届くようになにかしていなければ安心できないのだ。それがハジメは分かるから、ネギの思いつめたような頭から湯気が出ないように頭を優しく抑えてやる。

 

「おいネギそんな焦んな、少し休んで落ち着くのも修行だぜ? 煮詰まった頭じゃいい考えは浮かばねえ、俺も研究で煮詰まった時は取り敢えずコーヒーでも飲んで休憩するぜ? まあこんな時間に木刀振るっている俺が言ってもあんまり説得力ねえか」

「ハジメさん……そうですね……うん。あのハジメさん」

「ん?」

「そろそろ皆さんには話そうと思っていたんです。僕の頑張る理由……パートナーのアスナさんに最初に話そうと思ってたんですけど」

「ならその方がいいんじゃねえか?」

「いえ! ハジメさんはここに来て初めての同性の友達だし! それに……男同士秘密は無しにしたいですから」

 

  微笑むネギの顔は周りを照らす満月の光にも負けないくらい優しい。その顔を見てハジメの決心も固まった。魔法をネギから教わるという約束を取り付けた時からハジメもいずれその理由をネギには話さなければならないと思っていた。その時が今だ。男同士秘密は無しに、その気持ちはハジメも同じだ。男が強くなる理由を話すというのに、自分は聞くだけなどそんなのは無しだ。

 

「ネギ……オメエ」

「聞いてください。6年前に父さんと出会った時に何があったか」

「そりゃあ……」

「いえイヤならいいんです! すいませんイキナリ!」

「いや、そんことはねえさ。ただよ、男同士秘密は無し! 気に入ったぜ、俺もネギには話とかねえと思ってたんだ、俺が魔法を覚えてまでしてえことをさ」

「それは……いいんですか?」

「おう! 寧ろネギには俺に道を示してくれた手前聞いてくれるならしっかり話さねえとよ!」

「分かりました。それじゃあ」

 

  そこまで言うとネギは肩に乗ったカモにお願いをして地面に魔方陣を描いて貰う。地面を駆け回るカモはあっという間に魔方陣を描き終え、ハジメにネギと目線が合う高さになるように座れと促した。

 

「おいおい何すんだ?」

「意識シンクロの魔法です。これでおでこと両手をピッタリとくっ付ければ記憶が共有できます。その方が話すより早いですから」

「それでお互いの記憶を見んのか……男同士でそんなことしなくちゃなんねえのか……」

「あーー……止めときます?」

「いやここまで来たんだ。夜であいつらが寝ててよかったぜ、男二人でそんなことしてるところ見られたら最悪だ」

「あはは、そうですね」

「言っとくがネギ、多分相当驚くぜ、あとあらしさんに惚れないように気をつけろよ」

「ふふっ、分かりました。では行きます」

 

  ぎこちなく男同士額を合わせて両手を合わせる。ハジメの大きな手と比べて小さなネギの手からは暑い体温をしっかりと感じ、それがハジメの体温と馴染んだ頃にネギが小さく呪文を紡ぐ。

 

「ムーサ達の母ムネーモンシュネーよ、おのがもとへ我らを誘え」

 

  その呟きに引っ張られるようにハジメの意識は記憶の中に溶けていった。

 

  ネギの記憶、雪が降り積もるヨーロッパの綺麗な田舎の風景が果てしない優しい森とともに現れ、小さなネギと小さな女の子と金髪の美女が楽しそうに会話している。今日ハジメ達が手にしたような練習杖を手に取って、小さな手で握りしめ精一杯振るっている。

 

  ハジメの記憶、茹だるような暑さの中、見慣れた日本の家屋が立ち並ぶ長い坂を登っていき、一軒の喫茶店に立ち寄った。見目麗しい美女がハジメを迎え入れ、てんやわんやとした楽しげな日々が繰り返す。ときに時間を飛び越えて、大切な友人を増やしながらの最高の夏。

 

「ピンチになったら現れる〜〜、どこからともなく現れる〜〜♪」

「行こう! あらしさん!」

 

  危険が迫れば父親が来てくれると信じていたネギの子供時代、無鉄砲に馬鹿なことをやり続け、何より強く大好きな会ったことのない父親が駆けつけてくれることを望み続ける。

 

  あらしと強く手を繋ぎ、過去へと向かって時を駆ける。大切な友人を救うため、大好きな人を救うため、絶対の覚悟を持って繋いだ手を離さぬようにハジメは強く手を握ってくれる柔らかな手を握り返す。

 

  そして火の海が二人の記憶の中で広がった。

 

  影から浮かび上がる異形の怪物。

 

  空から降り注ぐ文明の光。

 

  ネギに降りかかる脅威もハジメに降り注ぐ脅威もなんの違いも無い。人はなす術なくその脅威に飲み込まれていく。ネギの村の住人達が石となって炎の中に取り残され、横浜の人々が炎に飲まれて炭となり地面に転がる。それでも脅威は止まることを知らず、街を焼き、人を焼き、全てを無に帰そうとただ破壊の限りを尽くしていく。

 

  そしてその脅威が遂にネギとハジメに向かおうと手を伸ばした時、偉大な父親の背中がネギの前へと現れて、ハジメを包み込むように愛しの人が飛び込んだ。

 

「元気に育て、幸せにな!」

「好き……あなたが好き……後悔してないよ」

 

  小さな呟き、ナギ・スプリングフィールドと嵐山小夜子の大きな愛が小さな言葉に詰まっている。それが分かるから、それがどうしても分かってしまうから、何も言えず、何も出来ず、ネギを護り、ハジメを救い、ただ消え去っていく愛しの人たちに向かいどうしようもない想いが目から零れ落ちてしまう。

 

「お父さあーーーーん!!!!」

「俺も…………君が好きだ。ありがとう」

 

  ネギとハジメの心からの想いが、去っていく英雄達を笑顔にする。だがそれは決して続かずに、夢のように、嘘のように目の前から消え去ってしまう。

 

  ただもう一度愛する人に会いたいから。

 

  ネギの進む道の先も、ハジメの進む道の先も同じところを目指している。

 

「ネギ……」

「ハジメさん……」

 

  記憶の海から浮かび上がったネギとハジメはゆっくりとお互い離れるとお互いの顔を見る。決して零れ落ちないように強く顰められた二人の目尻には想いの結晶がキラリと光り、決して目をそらさないようにお互いの瞳を覗き込んだ。瞳の奥底に潜むのは絶対に揺らがぬ確固たる意志の光。愛し憧れる強い人に追い付くために、それから目を離さぬように、絶対に忘れぬように魂に焼き付けた愛しの人の姿が映る。

 

「……こりゃあ大変だな……魔法か……すげえなやっぱり、ネギの親父さんは……」

「そんなことないです……ハジメさんこそ……時間跳躍なんて……あらしさん、綺麗で強い人ですね……」

「ただありゃネギのせいなんかじゃねえよ」

「ハジメさんだって何も悪くないじゃないですか」

 

  そこまで言い合って二人は小さく笑い合う。それは次第に大きくなり、夜だというのに周りも気にせず、波の音を掻き消す程に笑った後、数分黙り込んだ。

 

「なあネギよ、傷の舐め合いがしたいんじゃねえぞ」

「分かってます。分かってますよ、そんなことには意味がないから」

「ああ……強くなりてえなあ……」

「はい……誰より強く、あの人に届くくらい」

 

  向き直った二人はお互い何も言わなかったがゆっくりとお互いに差し出された手が結ばれる。それは誓い。絶対に道を踏み外さないように互いが互いの想いを繋ぐ。そんな二人を大きな満月が優しく包み込み、大きな影と小さな影が繋がった。そして、

 

「「ん?」」

 

  二人の隣に人の山が出来ていた。所々小さな二本の連なった川を作りだし、二人の男を見つめている。そんな姿にネギもハジメも何も言えず、ただその山を見つめ返していたのだが、見つめていたことが暴露たことに気が付いた山は崩れ去り、固まった二人を取り囲む。

 

「うぅ……ネギ君とハジメさんにそんな過去が……」

「ネギ先生……」

「ハジメさん……」

「ネギ……」

「ネギ君ーーっ‼︎」「ハジメーーっ‼︎」

「「うわああ⁉︎」」

 

  朝倉が、のどかが、夕映が、明日菜が、木乃香が、古菲が、感じた想いを伝えようとネギとハジメに詰め寄ってくる。想いの波を押し返すことも出来ず、男二人はがっしりと肩に置かれた手も振り払えずにより強固に固まってしまう。返すことが出来るのは言葉だけだ。

 

「き、き、聞いてたんですか皆さん⁉︎」

「こら盗み聞きなんてしてんじゃねえ⁉︎」

「ネギ君及ばずながら私もネギ君のお父さん探しに協力するよーーっ‼︎」

「ウチもーーっ‼︎」

「ハジメのあらしさん救出にも力を貸すアル!」

「はい! 私もですぅ!」

「おいおい! 何言ってんだ⁉︎」

「そうですよ! 協力ってそんな、エヴァ……師匠(マスター)も何か言ってあげてください〜〜!」

「いや……まあ私も協力してやらんこともないな」

「ちょっとそうじゃなくて⁉︎ ……師匠(マスター)ーーッ⁉︎」

「おい悪の魔法使いしっかりしろーーッ⁉︎」

「じゃあネギ君とハジメさんの願いが叶うことを祈ってぇもういっちょ」

『カンパ〜〜イ‼︎』

「アウアウ〜〜」

「はあ……ったく」

 

  楽しげな声で夜が更けて行く。昔の記憶とは似ても似つかないが、今だって大切な時間に違いはない。ネギとハジメの顔は知らず知らずの内に笑顔になり、その姿を夜空に浮かぶ満月だけが優しく見つめていた。

 



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第18話 負けないで

『ハジメ!』

 

  フラスコの中で一日が経ち、エヴァンジェリンの別荘を離れ雨の降る中ハジメが寮へと戻っていた時のことだ。久しぶりにどんよりとした雨雲に空は覆われ、降り注ぐ天からの恵みに傘を持っていなかったために濡れてしまい、もうどうにでもなれと明日菜達のおかげで気分の良いハジメが雨の中を歩いていると鈴音の叫びが頭の中で響いた。

 

  京都での一件と同じように慌てた様子のその声が、降り注ぐ雨のじっとりとした空気と相まって嫌な予感がハジメの脳内に過る。出していた足を止め、心の中で鈴音に問い返した。

 

(なんだよ鈴音?、まさかまた問題か?)

『そのまさかネ! 大浴場にいたんだけど宮崎さん達がスライムに(さら)われたヨ!』

「は?」

 

  その鈴音の言葉についハジメは言葉が口から漏れてしまった。その呟きは雨音に紛れて誰かに聞かれることはなかったが、雨のせいで冷えた身体がより冷たくなっていく感覚に襲われる。先ほどまでネギやハジメの力になろうと涙を流し騒いでいた優しい少女達が攫われたという事実に頭が追いつかない。

 

「マジで言ってんのか?」

『マジヨ‼︎ もう! なんでいつも最初疑いから入るネ⁉︎ ワタシそんなに信用ないカ?』

「いや、信用はしてるけど……スライムなんて本当にいんのか? いや、式神とかいうのがいるんだったらスライムもいるか、カモだってオコジョの妖精らしいし……だいたいなんでまた」

『それだけじゃないヨ! 神楽坂サンや近衛サン、桜咲サンも捕まったみたいネ!』

「刹那まで⁉︎ おいそれは……」

 

  その先の言葉をハジメは続ける事が出来なかった。降り注ぐ雨の中で、染み出すように地面から不自然な水溜りが浮き出て来ている。それは地面に広がるだけでなく、ゆっくりと隆起すると次第に手のような形状を持って、ハジメの方へと掌を向けた。

 

『ハジメ?』

「……ワリイ鈴音、力を貸してくれるか? こっちに来たみてえだ……」

「八坂一で合ってる?」

「四角い眼鏡……合ってるでしょ」

「じゃあさっさと終わらせヨー」

「おいおい……スライムって、イメージと大分違えぞ」

 

  水溜りから伸ばされた手はそのまま地面に手を着くと這い出るように水溜りから三人の幼女が出てきた。人と全く同じ形をしているが、透き通り奥の景色をハジメの目に映すその身体が人ではないことを訴えている。怪しい笑みをさらに怪しくひん曲げて、六つの目がハジメに向いた。それを受けてハジメは一歩後ろへ下がるが、それではいけないと気を入れ直し一歩下がっていた足を前へと踏み出す。

 

(京都でもそうだったがこれが魔法に関わるってことなら引き下がるわけにはいかねえ、ここで俺まで捕まったらネギのヤツが無茶するだろうし、この先あらしさんを救うのに力が必要だってのにこんなところで立ち止まるわけにゃあいかねえだろ!)

「あれあれ? やる気みたい?」

「ただの人間だって聞いてるしヨユーヨユー」

「さあ行こう!」

「来な、丁度木刀持ってて良かったぜ、鈴音!」

『分かたヨ‼︎』

 

  ハジメが木刀を握りこんだのと同時に三体のスライムがハジメに飛びかかる。それを撃退しようと三体のスライムを一度に薙ぐように横に振り切るが、軟体の形の無いスライムは滑るようにありえない形に身体を曲げて木刀を避けるとハジメに肉迫する。

 

  スライム達の身体が広がり一息にハジメを飲み込もうと動くが、それをハジメは鈴音の魔力によって底上げされた身体能力で強引にその場で一回転し、木刀によってスライムの捕縛の網を引きちぎる。

 

  パシャリと間抜けな音を立てて地面に還ったスライム達は、何事も無かったようにズルズルと地面を這いずると再び幼女の姿に戻っていく。顔からは笑みは消えていないが、六つの目は不機嫌な色をありありと浮かべていた。

 

「チョット聞いてたより強いんだけど」

「一般人だって言ってたジャーン」

「メンドクサイ」

「ペチャクチャうっせえなあ、来んなら来い!」

「よーし見てろー」

 

  スライムの不定形の身体の本領が発揮される。振るわれた拳は一気に伸びて、あったはずの距離をなかったことにしハジメの身体を殴り飛ばそうと襲い掛かった。それを屈むことで避けて木刀の届く範囲まで接近しようと足を出すが、続いて二体目のスライムが伸ばした腕に阻まれてしまう。繰り出される拳を木刀によってなんとか受けるが、柔軟性によって生まれる衝撃に雨によって足が滑り後方へと弾き飛ばされてしまう。尾を引く二本の水飛沫を追うように三体目のスライムが地面を高速で這いずり飛びかかると、ハジメの身体に長く伸ばされた両腕がロープのように巻き付いた。

 

「捕まえたーー」

 

  笑顔という表情に歪められたスライムの表情が縮む腕と共に近付いて来る。両腕を拘束され、木刀を振るうことの出来ないハジメは顔を引き攣らせながら拒むように笑顔に向けて蹴りを繰り出し、水溜りに足を勢いよく落としたように顔面に蹴りを受けたスライムは砕け散るが、また直ぐに地面に落ちると人の姿を取り直す。

 

「くそッ!」

『ハジメ此処は逃げるヨ! ハジメではあいつらを倒し切るのはムリネ!』

「んなこと言っても逃しちゃくれねえだろ⁉︎」

「マテーー」

 

  なんとか後ろに跳び去って、鈴音の助言通り戦線離脱を試みるも人外の動きを思う存分見せるスライム達に容易に回り込まれてしまう。ハジメももう一般人とは言えない程の戦闘能力を身に付けてはいるが、相手と場が悪い。無限に近い可動域を誇り木刀では断ち切ることの出来ない軟体の生物と、その生物が存分に動けるだろう雨という天候。天からの恵みはその通りスライム達にとって最高の恵みであり、普段人に与えられる恩恵は脅威へと変わる。降り続く雨のせいでぐっしょりと濡れた衣服は重く、薄っすら水に覆われた足場のおかげで踏み込みがうまく効かない。さらにハジメ一人に対し相手は三体、あらゆる条件がハジメを不利な方へと押し込めていく。

 

  身体に絡みつくように伸ばされる手足を強引に引き剝がしながら大地を転げまわり、なんとか立ち上がろうとしても再びスライム達に肉迫されて満足に動けない。京都での妖達はその姿に見合った人外の力を振るってはいたが、刀を振るえば弾き飛ばせ動きも人とはそこまで大差無い部分があった。そうでは無い液体の相手が初めてのハジメはすぐにそれに慣れることもなくただ翻弄され続ける。

 

(チキショー……ダセエ)

 

  5分、10分、次第に追い詰められながら擦り切れていく身体に細かな傷が増えていき、息も絶え絶えに木刀を構えるハジメを嘲笑うかのように笑みを浮かべながらスライム達の動きがピタリと止まる。怪訝に思ったハジメだったが、スライム達が止まった理由はすぐに分かった。聞きなれたジェット音の後に今までなんども見た少女が空から落ちて来る。突っ立っていたスライム達の中央に少女が拳を突き立てれば、そこを起点に大地が凹み、砕けた大地が宙を舞う。

 

「茶々丸‼︎」

「超さんとハカセから救援の要請を受けました。助太刀しますハジメさん」

 

  茶々丸の拳の衝撃に吹き飛ばされたスライム達が立ち上がる動作もなしに身体を蠢かせ人の形状を再び取った。新たな敵の登場に首を傾げるスライム達は、木刀を構えるハジメと拳を構える茶々丸にただ色の無い視線を投げるだけで向かってくる素振りが消え失せてしまう。

 

「うわー新手ダーー」

「どーするーー?」

「だってもう時間ナイヨーー、退却退却ーー」

 

  そう言ってスライム達は現れた時と同様に大地へと染み込むように消えてしまう。夢だったかのようにあたりからは気配が消えるが、茶々丸が砕いた大地が唯一夢ではなかったと主張している。ようやっと肩から力が抜けてハジメはその場に座り込んでしまう。

 

「悪いな茶々丸、助かったぜ」

「いえ、ハジメさんが無事で良かったです。お怪我は?」

「ちょっと擦りむいたくれえだよ、それよりネギは?」

「ネギ先生は敵の方へ向かっています」

「そうか……だいたいなんでまた」

「ネギ先生を狙ってのことでしょう。ネギ先生はサウザンドマスター、英雄の息子ですからね」

 

  分かってはいるが茶々丸の言葉を聞いてハジメの手に持つ木刀に力が入る。英雄の息子、ただそれだけのために誰もがネギを狙う。ネギは強い少年だ。だがまだ少年なのだ。そんな子供を狙って超常の存在が力を振るい一人の子供を狙うことが許せない。

 

「なら早く行かねえとな」

「ハジメさんは行かない方がいいのでは?」

「足手纏いになるからか?」

「それは……どちらにせよ危険です。ハジメさんは一般人でしょう? そう危険に向かうこともないはずです」

「おいおいもう俺はただの一般人とは呼べねえだろ。……それによ、前までだったら足手纏いだって言って遠慮したかもしれねえがよ、俺はネギの事を知っちまって一緒に強くなろうって誓い合った。男同士の約束だ。だったらこんなことぐらいで尻込んでられねえ」

「……そうですか」

「おう、だいたいネギのヤツにはどういうわけか敵が多すぎんだよ、あいつは普通に良い奴だぜ? だからどんな時も背中を預けられるような仲間が必要だろ。まだそれには俺は届かねえかもしれねえが、これがその第一歩だ」

 

  そうこれが一歩だ。いつも足手纏いだ力になれないと遠慮し続け遠巻きで眺めているだけでは何も変わらない。力が及ばなくても、盾にすらなりきれなくても、それでも動き続けることに意味がある。強くなろうと誓い合った。だからこそ、脅威に向かって拳を握り剣を振るう。いつかそれが届くはずだから、すぐに強くはなれなくても、その一歩は強さに近付けさせてくれる。

 

「場所は分かるか?」

「はい、ただ私は行けません」

「そりゃあ……」

「マスターからの命令です。これはネギ先生の試練だからと……すみません」

「いや大丈夫だ。助かったぜ茶々丸ありがとな、後は俺に任せとけ!」

「はい、お気を付けて。……敵は世界樹前のステージにいます。ハジメさんならきっと勝てます」

「おうよ!」

 

  見送ってくれる茶々丸を後にしハジメは走る。世界樹前のステージまではだいぶ距離がある。鈴音の力を借りようと間に合うかは分からないが、それでもハジメは足を動かした。待っているであろう小さな友の姿を想いながらただ真っ直ぐに走っていく。

 

  そんな頃、ネギと関西呪術協会から脱走しネギに今回の事を伝えようとやって来ていた小太郎は窮地に立たされていた。今回の事件の首謀者である一人の男、絵に描いたような伯爵然とした男の策略にまんまと嵌り、魔法無効化能力という特別な力を有していた明日菜を使いネギと小太郎の魔法が無力化されてしまい、人外の力を振るう男一人に追い詰められる。

 

  ハジメの前から姿を消したスライム達も瞬間移動するようにネギ達の前へと現れて、敵の男、ヘルマンのために力を振るう。捕らえられた明日菜達では見ていることしかできず、それを破ろうと動いていたカモもスライム達に捕まってしまった。

 

  ヘルマンの拳一発放たれるだけで空が裂かれ、その衝撃がネギと小太郎ごとステージに置かれた座席を薙ぎ払う。その一撃は正しく暴風の如し。繰り出される拳撃をネギと小太郎はなんとか捌こうと動くのだが、防御のために出した腕を弾かれ面白いように身体に当たる。ネギも小太郎も決して弱くは無い。10歳にして異常な戦闘能力を誇る二人でもヘルマンにとっては丁度いいサンドバッグと違いは無かった。地面に無様に転がる二人の子供をつまらないというようにヘルマンは見下ろし呆れた顔を浮かべた。

 

「……やれやれこの程度かね、先程の動きはそこそこ良かったが……どうやら私が手を下す程では無かったようだね……? 残念だよネギ君」

 

  心底期待外れだといった顔を向けてくるヘルマンにネギの拳に知らず知らず力が入る。急に現れ大事な生徒を誘拐、それも魔法に関わった者とも違う那波千鶴を巻き込んでだ。さらに明日菜をただの便利な道具のように扱う男に無性に腹が立つ。

 

  強くなると大きな友人と誓い合った矢先のこれだ。情けない。守ると誓った少女達がすぐ目の前で囚われていることが何より情けない。自分と相手に対する怒りが濡れそぼった身体を熱くさせる。

 

「小太郎君大丈夫⁉︎」

「アホ、まだ行けるわ‼︎ いくで!」

「うん!」

 

  その熱によって振るわれる拳は心優しいネギとは思えないほど力強く、小太郎と合わせて振るわれる暴力は一般人ならそれだけで昏倒するような一撃だ。だがそれをなんでもないように、ただそよ風の中を歩くようにヘルマンはそれを捌くと、合間に放たれた一撃が小太郎に突き刺さり大きく後方へと吹き飛ばす。大地を割り巨岩を背に大地へと沈む小太郎をネギが気にかける間も無くヘルマンの視線がネギに刺さった。

 

「いや……違うな、ネギ君思うに君は……本気で戦かっていないのではないかね?」

「な、何を⁉︎ 僕は本気で闘ってます⁉︎」

「そうかね? やれやれ……サウザンドマスターの息子が……なかなか使えると聞いて楽しみにしていたのだがね、彼とはまるで正反対、戦いに向かない性格だよ」

 

  ネギは優しすぎるのだ。子どもらしい甘さと、ネギ自身の他者を労わる心が戦いでは邪魔になる。容赦がないというのはそれだけで武器になる。涙と鼻水を垂れ流し許しを乞う相手に対してそれでも命を刈るような一撃を見舞えるというのは脅威だ。だがそんな強さはネギは求めていない。

 

「君はなんのために戦うのかね?」

「な……なんのために?」

「そうだ。小太郎君を見たまえ、実に楽しそうに戦う。君が戦うのは? 仲間のためかね? くだらないくだらないぞネギ君、期待ハズレだ。戦う理由は常に自分だけのものだよ。そうでなくてはいけない、『怒り』『憎しみ』『復讐心』などが特にいい、誰もが全霊で戦える。あるいはもう少し健全に言って『強くなる喜び』でもいいね、そうでなくては戦いは面白くならない」

 

  自分はいったいどこまで行ける。自分はいったいどこまでやれる。限界を超える喜びがさらに人を強くさせる理由の一つであることは間違いない。だがただ強くなりたいという漠然とした理由でネギは強くなりたいわけではない。ヘルマンの言葉にネギは小さく首を振る。

 

「ぼ、僕は別に戦うことが面白いなんて……僕が! 僕が戦うのは!」

「一般人の彼女達を巻き込んでしまった責任感かね? 助けなければという義務感? 義務感を糧にしても決して本気になどなれないぞネギ君……実につまらない。いや……それとも、君が戦うのは……あの雪の夜の記憶から逃げるためかね?」

 

  雪の夜。全ての雪が溶けてしまうかというほどの炎に包まれたある日の記憶が甦る。ヘルマンがなぜそれを知っているのか? それが分からないネギは驚愕の顔を向けるが、何かを言う前にネギの顔はより衝撃を受けて歪むどころか真っ白に色が消え失せた。

 

  ヘルマンが帽子を手に取りゆっくりと下ろすのに合わせて一度隠され再び現れた顔が異形に変わる。頭から山山羊を思わせる二本の捻れた角が伸び、黒い卵のような顔には怪しく光る穴が二つ。ヒビ割れのような口が醜悪に歪んでいる。

 

「あ、あなたは……」

「そうだ、君の仇だネギ君。あの日召喚された者達の中でもごく僅かに召喚された爵位級の上級悪魔の一人だよ。君のおじさんや仲間を石にして村を壊滅させたのもこの私だ。あの老魔法使いにはしてやられたがね。どうかね? 自分のために戦いたくなったのではないかね?」

 

  ヘルマンの話は右から左へと通りすぎ、話の半分も頭に入ってこない。ヘルマンの真の姿を見た瞬間に炎のように赤い感情に頭の中が支配される。

 

「ネギ! おいネギ! しっかりせえ‼︎」

 

  心配する小太郎の声が掛かるが、ネギはふらりと一歩を踏み出し、しかしそのまま固まってしまった。赤い記憶、炎の記憶。その中を必死に駆け抜ける二つの影が頭の中でチラつく。ネギの記憶だけならば、きっとネギは自分の激情に身を任せて踏み出した一歩を強く踏み込んでいただろう。だがもう一つ、同じように炎に包まれた一人の友人の記憶がネギの足を押し留める。

 

  自分のため。そんなことは微塵も考えていない二人がそこにはいた。人が焼け爛れたまま立ち尽くす。炎の海から逃げようと川になだれ込みそのまま帰らぬ人となった者達の死の大河。そんな地獄のような世界の中で自分の命を顧みずにただ大事な者を救うために駆け続ける友人。その姿がネギの一歩を強く踏ませてくれない。

 

  なぜ戦うのか? 小さな頃は確かにヘルマンの言う通り仇を取るために力を付けた。だがそれがいつか生徒のためへと変わっていき、そしてそれもまた変わる。責任感? 義務感? 逃げるため? そのどれもが的外れだ。

 

  強くなりたいのは遠く夜空に輝く星々のような途方も無いものを掴む為。自分を取り巻く全てとは言えないかもしれないが、とても大事な掛け替えのないものを離さない為だ。それは憧れであり、友であり、夢なのだ。

 

  ヘルマンの言う通り復讐心で戦えば勝てるのかもしれない。ネギの身の内に今渦巻く激しい想いをぶつければ今以上の力が震えるそんな気がする。だがそれより小さくても熱い想いが徐々にネギの内側を支配していく。

 

「……僕は」

「どうした? 来ないのかね?」

「僕は……僕の戦う理由は……」

「さあ仇が目の前にいるぞ、私が君の村を壊滅させたようにただ破壊の力を向ければいい!」

「それじゃあダメだ……僕が戦う理由……それは愛のためだ!」

「は……?」

 

  ヘルマンが固まり、ネギが出していた一歩を引く。

 

「父さんが助けてくれた時、あらしさんが救った時、そこには自分のためなんて想いは全然無くて……ただ大きな愛がそこにはあった! 僕もいつかそうなりたいから、父さんがやったことが自分のためなんてそんな自分勝手なことだなんて言われたくないから……だから僕は戦うんだ! ヘルマンさん! 僕はあなたの言うように憎しみや怒りで強くなろうと思っていたこともありました! でもそれじゃあダメなんです! それではいつまで経っても僕の目指すところには辿り着けない!」

「……そうかね? でもそれでは勝てないぞ」

「そんなことはありません! そうだよね……」

 

  ヘルマンの口が怪しく光り、魔力の塊が砲弾となってネギへと迫る。隣に控えた小太郎がネギを助けようと動こうとするが、全く動く気配がない目に強い光りを見せるネギに伸ばそうと思っていた手が止まってしまう。そこへ、

 

「ハジメ‼︎」

「その通りだぜ‼︎」

 

  頭上から降ってきたハジメの剣が迫る砲弾を真っ二つに斬り裂いた。割れた魔力の塊は分かれるとネギと小太郎を通りすぎステージ上の小屋に大きな二つの穴を開ける。

 

「なに⁉︎」

「ハジメの兄ちゃん⁉︎」

「くぅぅ……スゲエ衝撃だなオイ、まだ腕が痺れてらあ」

「ハジメ‼︎」

「よおネギ、なんとか間に合ったみてえだな! オメエの想いの叫び、遠くにいても確かに聞こえたぜ!」

「八坂一……やはりただの一般人ではないようだね」

 

  新たなネギの味方の登場にヘルマンはそこまで驚かずただ目を細める。そんなヘルマンにハジメはキツイ視線を送ると、痺れる腕を振るい肩を回しながら一歩ヘルマンの方へと足を向けた。

 

「おいおっさん! 相棒のおかげで話は聞かせて貰ったけどなあ、戦うのが楽しいなんて本気の戦いで思うわけねえだろ! そんなことで命を軽んじるヤロウは許せねえ!」

「ほう、ならどうするね? 君が私を斬るのかね?」

「そうしてやりてえが、俺じゃあ無理だ。一人じゃな」

「だから僕がいます!」

 

  ハジメの隣にネギが一歩を踏み出す。今度の一歩は先程の一歩とはまるで違う。最高の友人と並ぶ為、大事な人の想いを証明するための一歩に他ならない。そしてそんな二人に並ぶ影がもう一つ。

 

「へッ、愛のためか! おいおい男二人でカッコつけんなや! 寂しいやないか、共同戦線ゆーたやろ! 俺も混ぜろや‼︎」

「うん、小太郎君!」

 

  三人の男が横に並ぶ。強い瞳をたった一人の敵に向け、各々の想いを示そうと拳と刃を敵に向けた。一人じゃない、それがどれほど頼もしいことか。今までに無い熱い想いがネギの心の内に渦巻いていく。隣に立つ二人はかけ値なしに自分と同じ道を進んでくれる二人なのだ。

 

「ははは、いい仲間が出来たようだ。だがどうするね? 君達三人で私に勝てるかな? …………ん?」

 

  そんな三人の視線を一身に受けてそれでも余裕を崩さぬヘルマンだったが、その顔が僅かに歪んだ。ハジメの登場に場が固まったところを狙い木乃香達の想いもまた燃え上り、持ち込んでいた練習杖の先端に火を灯す。それこそ魔法、奇跡の光り。捕らえられていた水牢を中から弾き、ヘルマンを捕らえていた魔法の瓶を落ちていたところから拾い上げ、夕映とのどかが少女達の動きを止めようと動いていたスライム達を封印する。朝倉が明日菜の能力を強制的に行使させていた首に掛けられたペンダントを引きちぎりそれが開戦の合図となる。ただ見ているだけではない、守られているだけではない、少女達の想いを背中に受けて、ネギの魔力と小太郎とハジメの気がより高まる。

 

「なんと⁉︎」

「みんな!」

「やるやないかねーちゃん達!」

「へへへっ、もうやるしかないね! とっておきのやつがある! 小太郎君、ハジメ、前衛頼める!」

「任せときな!」 「へッ! ナメんなや!」

「ふふふ……やるじゃないか、いいぞ! 来たまえ‼︎」

「言われなくても!」

「行くに決まってるやろ‼︎」

 

  影分身、東洋の神秘が小太郎によって体現される。踏み締めた一歩が六つに増えて、六人に増えた小太郎の人狼の鋭い爪が隙間なくヘルマンへと迫るが、それはいとも簡単に防がれてしまう。一瞬を六つに分割したように六発の打撃が増えた小太郎達の全てを叩き伏せてしまう。だが飛び掛った小太郎を殴ったことによって出来た六発の打撃壁に出来た死角に潜むように踏み込んだ小太郎の一撃がヘルマンの顎を跳ね上げる。

 

「ご……お……」

 

  それによって胴が開いた。一瞬の隙だがその隙は十分過ぎる。小太郎と共に突っ込んでいたハジメの木刀が、隙間を縫うようにヘルマンの胴を薙ぎ弾き飛ばす。肋骨の軋む音と共に後ろに吹き飛ぶヘルマンの元に雷の斧が降り落ちた。絶対に信頼の置ける二人に前衛を任せたことにより、極限まで練られた魔法の戦斧がヘルマンの魔力を根本から刈り取った。焼け焦げた後には大の字にヘルマンが崩れ落ち、限界を超えたヘルマンの身体は霧となって消えていく。

 

「……君達の勝ちだ。……トドメを刺さなくていいのかね?」

「刺しませんよ、それにヘルマンさん本気ではなかったでしょう?」

「ははは!どうかな? いやしかし、全く期待ハズレだったが期待以上でもあった! ……コノエコノカ嬢、おそらく極東最強の魔力を持ち、修練次第では世界屈指の治癒術師ともなれるだろう。成長した彼女の力を持ってすればあるいは、今も治療のアテのないまま静かに眠っている村人達を治すことができるかもしれぬな。まあ何年先になるか分からんがね、ははは、礼を言っておこうネギ君! いずれまた成長した君を見るのを楽しみとするよ! 私を失望させるなよ少年!」

 

  なんとも悪役らしい笑い声を残してヘルマンは完全に消え去った。麻帆良には静かな夜が帰って来、ネギ達はようやっと肩の力が抜けてくたくたになって帰路に着いた。

 

  そして夜が明ける。また日が昇り、朝日が麻帆良の赤い屋根達を主張させるかのように光り輝かせる。昨日の激闘が冷めやらぬまま、大きな木が聳える広場で、ネギは一人物思いに耽っていた。昨日ようやく踏み出せた自分が思い描いていた一歩の感触を何度も確かめるように目を瞑り黄昏ていたのだが、そんなネギを友人達は放って置いてくれないらしい。遠くから見守る少女達と違い、図々しい男二人がそれを見逃すわけがない。

 

「オーーイネギーー! 何朝からボーッと阿呆ヅラしてんやシャキッとせえ!」

「そうだな、それとも昨日の怪我でも痛むのか?」

「小太郎君、ハジメ」

「えっへへ、聞ーてや! 本山の反省室から脱走したの今回の件でチャラになったわ!」

「ええっホントに? よかったね」

「学園長が詠春さんに掛け合ってくれたんだとよ」

「ん? なんやネギホンマに元気ないな、大丈夫か?」

「えっ、ううんそんなことないよ⁉︎」

 

  本気で心配の表情を見せる友人達にネギはこのままではいけないと大きく首を振る。だがそんな二人が来てくれたおかげで今まで考えていたことが纏まったネギは笑顔を見せる。

 

「へへっ、小太郎君、ハジメ、僕……『魔法剣士』にすることにしたよ」

「何⁉︎ マジか⁉︎ なんでやイキナリ⁉︎」

「お、なんだそりゃ? 魔法使いのタイプの話か?」

「あれ? 『魔法拳士』かな? うんそうなんだよハジメ、三人で肩を並べた時嬉しかったし楽しかったから……」

「せやろせやろなーー! 男はやっぱ接近戦や! なあハジメ兄ちゃん!」

「まあな! 男は前に出て戦ってナンボだぜ!」

「よーーしッ! そうと決まれば早速勝負や!」

「ええーーっ! 今から⁉︎」

「おいそれとこれとは話が別だろ⁉︎」

「なんや二人とも、怪我ならこのか姉ちゃんのアーティファクトで治して貰ったやろ!」

「それは関係ねえだろうが⁉︎」

「あーーん! 小太郎君用事済んだんだし京都帰りなよーーッ⁉︎」

「なんやとーー⁉︎」

 

  新たな友人とより仲良くなった友人二人と笑い合う。ネギもまた常に前へと進んでいるのだ。その道は最高の友人達が一緒に歩んでくれる道。ネギの道は果てしなく遠いが、それは全く苦ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何やっとるんやあの馬鹿達は……?」

「天ヶ崎先生早く学園長のところに行かないと怒られますよ」

「分かっとるわ、葛葉……先生。 ハア、なんでウチまでこんなことに……」

 



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閑話 RIDE ON TIME

※ ハジメのクラスはフレーバー程度のものなので本編に関わることはありません。


  聞こえる音は紙をめくる音と紙の上を走るペンの音、そしてそれらを包み込む淡々とした声で授業を進める先生の声だけだ。中間テストも終わり、退屈な授業ではあるものの、その不変な退屈さが日常というものを強く思い出させてくれる。夏目漱石の『こころ』という名の小説の一部が載せられた教科書をボーッと見つめながら、やがてそれに飽きたハジメは視線を切って外の景色へと逃す。

 

  ハジメの席は窓際の前から三番目、なんとも微妙な位置ではあるが、窓際のおかげで楽に外の景色へと逃げることができるのは、この席の唯一のいいところだと思っている。

 

  茶々丸との喧嘩、京都での一件、悪魔の襲撃、随分普通とはかけ離れてしまった生活が、今ここで普通に授業を受けているという事実になんとも言い難い違和感なようなものを覚えるが、それも途切れることのない先生の話がハジメの違和感を薄れさせていってくれる。

 

  最近では麻帆良祭がいよいよ近付き学園全体が活気ずいて来ていることもあって、窓の外から見えるイベントに使うのであろう大きな仮設物の骨組みが壮麗な校舎と比べると非常に浮いて見え、そのアンバランスさがより祭が近づいているということを教えてくれていた。

 

  ロボット工学研究会も例に漏れず、大学の先輩方は巨大ロボットの建造に励み、葉加瀬と鈴音は何をやっているのか非常に忙しくしておりここ最近顔も見れていない。数日前に久しぶりに顔を合わせたとき、「手伝おうか?」と声を掛けたハジメだったが、すごいいい笑顔で大丈夫と言われてしまいそれ以上踏み込むことが出来なかった。鈴音の話を聞くという約束も修学旅行から二週間以上が経過しており、なんとも言えぬ申し訳なさからくる焦りがハジメの中にはあるのだが、忙しそうに動く鈴音を見ているとどうも声を掛け辛かった。

 

  そんなあらゆる感情を空をゆっくり流れる小さな雲を眺めながら誤魔化すハジメの前で、小さな違和感が瞳に映る。目の前の窓が小さく振動しており、地震かと思い教室に中に目をやってみるもそんな気配はない。おかしいなと思い視線を窓の方へと戻すと、一匹のオコジョが窓の下からひょっこりと顔を出し必死の形相で窓を強く、しかしハジメ以外の人間に気付かれぬように細心の注意を払い窓を叩いている。

 

  驚くハジメだが流石にクラスメイト達がいる中で騒ぐわけにもいかず、自然に大きく開いてしまった口を強引に自分の手で閉じると何事かとジェスチャーを送る。

 

『ハジメの兄さん、今すぐ兄貴の教室まで来てくれ‼︎』

 

  カモも声を出しては不味いと分かっているからか窓に魔法で文字を書いてくれるのだが、その内容がイマイチ分からない。だいたい朝一番でこんなことになるとも思っていないハジメは周りの視線も気にせずに大きく手を広げると肩をすくめる。

 

『兄貴がやべえんだ! ハジメの兄さんしか頼れそうな人がいねえ!』

 

  泣きそうな顔で窓に顔を貼り付けるカモにいよいよ只事では無さそうだと察したハジメは勢い良く席を立つ。もともと怪しい動きをしていたせいでクラスメイト達の視線が刺さっていたが、それらを気にすることなく、急に立ったことでこちらを見てきた先生へ身体を向ける。

 

「どうかしましたか八坂君?」

「スンマセン先生! 頭痛、めまい、吐き気、腹痛、もろもろの身体の不調で早退させてもらうっす!」

「いやそれは……寧ろ病院に行った方がいいのでは?」

「いや明らかに仮病でしょ」

「けびょッ⁉︎ ……絶望したーーッ‼︎ 仮病を使ってまで授業をエスケープする生徒に絶望したーーッ‼︎」

「先生のいつものだ! 先生を止めるんだ!」

 

  ロープを取り出し首を括ろうとする先生とそれを止めようとするクラスメイト達のゴタゴタの中でハジメは窓から跳び去ると勢い良く地面に着地する。刹那との特訓で少しではあるが気を操れるようになった成果だ。カモが後から着いてきてくれるが、先程のハジメのクラスの状況を見てか顔が呆れたものに変わっていた。

 

「ハジメの兄さんのクラスも大分やべえな……それになんか強そうなやつらもちらほら見えたぜ……」

「言っとくが魔法関係者は多分俺だけだぜ、それより一体どうしたんだよ、あの慌て様只事じゃねえだろ?」

「ああっそうだった! ハジメの兄さん兎に角一緒に来てくれ! 兄貴の教室が一発触発のスゲエ空気になっちまってて! 敵が来たんだ!」

「敵が?」

 

  カモの必死加減からその言葉に嘘は無いのだろうが、鈴音からのテレパシーがないのがおかしいなと首を傾げながら勢いを増して先へ飛んでいくカモを追いかけながら足を動かす。

 

  一途の疑問を持ちながらも、女子中等部の校舎の中に勢い良く飛び込むと、先生方にバレないように最短ルートを突き進む。ネギのクラスの教室を開ければ、刺々しい魔力や気がハジメの身体を叩き、確かに只事ではない空気だった。刹那と明日菜の鋭い視線、木乃香の困ったような顔、古菲も楓も難しい顔を浮かべて教卓の方を見ている。窓の近くでは同じように鋭い視線を投げるネギの姿があり、その視線の先には京都で出会った一人の女性が立っていた。

 

「オメエは……」

「ん? なんやあんた、ハジメやないか、授業サボって何やってるんや?」

 

  天ヶ崎千草、陰陽道の術師がそこにはいた。敵意を向けられても気にした様子はなく、その異常性に一般の生徒達の方が萎縮してしまっている。京都では着物のような服装だったが、ネギのような黒いスーツに身を包んだ姿が異様に似合っている。

 

「いや何やってんだはそっちだろ⁉︎」

「何って……見てわかるやろ先生や、今日からネギ坊主のクラスの副担任や、よろしゅうな♡」

「は?」

「それより先にそっちをどないかした方がええんやないか?」

 

  ちょいちょいとハジメの後ろを指差す千草の指に従ってハジメが後ろを振り向けば眼鏡がキラリと光る壮年の男性が立っている。修学旅行でもその厳格さから度々お世話になった先生だ。その先生に肩に手を置かれハジメの命運は決まってしまった。

 

「反省室に来なさい‼︎」

「ウぅソぉだぁぁぁぁ⁉︎」

 

  昼休みまでこってりと新田先生に絞られふらふらとしたハジメは、申し訳無さそうなカモに連れられて女子中等部近くの広場まで案内された。そこには京都での一件に関わった者達と千草がおり、ハジメがバカをやったおかげか教室よりかは大分空気が和らいでいる。

 

「御苦労さん、大変だったみたいやなあ」

「マジでな……反省文500枚とか初めて書いたぜ……小説1冊書けるぜ全く……気で身体を強化してなかったら丸二日は掛かりそうな勢いだった」

「ははは、そりゃそりゃいい気味や」

「天ヶ崎千草! そんなことはどうでもいい! なぜここにいる⁉︎ またこのかお嬢様を狙ってのことか⁉︎」

 

  刹那が刀を構えるが、それに呆れた顔で返すと千草は大きくため息を吐いた。その姿に誰も気が抜かれてしまう。

 

「そんなんウチが聞きたいわ、東の学園長(ジジイ)のはからいとかで、先生やれそれが罰や言われてな、こうして着慣れない洋服まで着て先生やることになったんや」

「へー小太郎みてえなもんか」

「犬上小太郎も本格的にこっちに転校しはったしな、まあこれからよろしく頼むわ」

「そんなこと信じられるか⁉︎」

 

  千草からあの後いろいろと話を聞いたハジメは特に疑問に思うこともなく受け入れるが、ネギ達はまだ半信半疑、中でも刹那は全く信用していないらしい。だがそれもしょうがないかと息を吐くハジメを尻目に、千草は刹那に向き直る。

 

「あんたそんなん言ってええんか? 西の長の頼みもあってウチはここにいるんやで?」

「な……長の⁉︎」

「そや、このかお嬢様は西洋魔術よりも東洋呪術に向いとる。この先今回の件を受けてまた狙われるかもしれんからウチが式神の扱い方教えたれ言われてな」

「ウチに?」

「そうや、まあこのかお嬢様がイヤや言うんやったらそれでもええけどな、あんた次第やしウチも仕事が減って楽ができる」

 

  それを受けて木乃香は黙り込んでしまう。千草の能力は決して低くはない。外から力を借りたとはいえ一人で関西呪術協会を相手取るだけの知略と、魔力さえ潤沢ならばリョウメンスクナを操るだけの技量を持っている。そんな千草とある意味一番長くいた木乃香にはそれが分かっていた。

 

「お嬢様……」

「このか……」

 

  大好きな親友達の顔が木乃香の顔を心配そうに覗き込む。それを見た瞬間に木乃香の心は決まった。守られているだけなどそんなのは御免だ。いつも自分の前に出て戦ってくれる友人達ばかりがここにはいる。悪魔に襲われた時もほとんど見ているだけで、自分達の前で大きな脅威に立ち向かったネギやハジメや小太郎の背中が大きく光り輝いて見え、自分もいつかと力が無くてもそう思わずにはいられなかった。その行き先に導いてくれる人が目の前にいる。確かに千草は許されないことをしたのかもしれない。だが、そんな彼女を恨むことが木乃香には出来なかった。木乃香を手にしていた時の千草の必死な形相を見ていると、彼女なりに譲れないものがあったのだろうことが木乃香には分かる。傷を癒す、木乃香の深い優しさが彼女を許してあげようという気にさせる。そのために、

 

「……ウチやるよ、お願いします!」

「お嬢様⁉︎」

「せっちゃん、守られるだけなんてウチはイヤや! せっちゃんやアスナ、ネギ君やハジメさんと一緒にいつかウチも肩を並べたい! それに大丈夫や、千草さんはきっと本当はええ人や」

「は〜〜、残業確定か……全くお嬢様といいハジメといい本当お人好しな連中やな」

「ふふっ、よろしくお願いします師匠!」

「……ならビシバシ厳しくするえ! 相手はハジメがおし、桜咲刹那やとまだ強すぎる、式神出せても上手く動かせなかったら意味ないしな、ハジメの修行にもなってええやろ」

「なるほどな、おし! 一緒に頑張ろうぜこのか!」

「うん! いつかハジメさんも守ってみせる!」

「へへっ、言ったな! ワリイが俺は強えぞ!」

 

  木乃香の進むべき道もハジメやネギと交わり始める。未来、歴代最強の東洋魔術師となる木乃香の師匠として千草が歴史に名を残すのはまだ大分先の話だ。

 

  気分を良くして午後の授業に出ようと教室へと戻るハジメだったが、問題はまだ多く残されていた。ハジメがもう授業の始まってしまった教室の扉を開けると、凄まじい歓声が返ってくる。

 

「播磨拳児、演劇に3票‼︎」

「おおお! 演劇に3票だあ!」「決まりだあ!」「演劇だ!」

「花井春樹、喫茶店に5票‼︎」

「ご、5票‼︎」「出たーー再び逆転だーー!」

「ああ⁉︎ なんで5票も入れてんだよ欲張んじゃねーぞ‼︎」

「ハッ! これだから不良は、委員長は5票なんだ!」

「だから同点なんだってばあ! あんた達も1票ずつでしょ‼︎」

「おい待て! 八坂が返ってきたぞ‼︎」

 

  ハジメにクラス中の視線が集中する。それぞれの期待が込められた視線を受けて後ずさるよりも非常に申し訳ない気持ちに襲われる。片手を上げてハジメはこう言った。

 

「ワリイ、俺ロボット工学研究会があるからよ」

「つまり……」「やっぱり同点だぁ!」「どうすんだ⁉︎」

「あーーもう! 先生なんとか言ってください! きっちり話を纏めてくださいよ!」

「最低限文化的な文化祭をやりましょう」

「「「「「ふざけんなぁ!!!!」」」」」

「私に提案があるわ」

 

  ネギのクラスと比べてハジメのクラスも大分おかしいとは思うが、その騒がしさが心地いいと喧騒の中にハジメは身を移す。麻帆良学園、学園祭『麻帆良祭』はもうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「困りましたね」

 

  暗い地下の研究室に丸眼鏡の少女の声が響く。その言葉は確かに誰かに向けて発せられたものであるはずなのだが、それを受けた者は口を出さずに沈黙を貫いていた。

 

「ネギ先生もハジメさんも強くなってます。数値で言えば前にエヴァンジェリンさんと戦った時の数倍以上、気を扱うことを覚えたハジメさんは超さんの魔力を借りなくても戦えるだけの力を身に付けています」

 

  続く言葉に鈴音は困ったような嬉しいような顔を浮かべるがまだ口は開かない。葉加瀬はそれが分かっているように、しかし無慈悲な分析から来る言葉を続ける。

 

「それに加えて神楽坂さん、古菲さん、長瀬さん、桜咲さん、修行を始めた綾瀬さんと宮崎さんに近衛さん、京都から新たに仲間になった犬上小太郎と天ヶ崎千草ですか……まるで王道のバトル漫画ですね、戦った強敵が味方になる。こちらは困るだけですが、なんて言ったって」

「新たな敵……だからカ?」

「そうはまだ言っていませんが、その可能性は極めて高いでしょうね」

 

  大きなディスプレイに映し出される今葉加瀬が口にした者達の画像、その誰もが味方になってくれたなら心強い者達ばかりだ。いつも笑い合い優しい気持ちにさせてくれる者達と戦わなければならないかもしれない。それがどうにも恐ろしいと鈴音は自分の身体を抱く。

 

  眩しいのだ。友のため、愛する者のために力を使うネギやハジメが目も眩むほどに眩しい、その光に向けて拳を差し向けることになるだろう事態を自分は起こそうとしている。

 

「ハカセ……ちょと寒いネ、部屋の気温上げてくれるカ?」

「……分かりました」

 

  部屋の温度は適温だ。夏が近付き外も寒いはずがないのだが、鈴音の言葉通り葉加瀬はエアコンのボタンを何度か押す。

 

  例え遠くにいても鈴音はハジメの隣にいた。同じ方を共に向き、脅威を一緒に打ち倒す。それがどれほど心地よかったか、愛する人が無垢な笑顔を向けて語りかけてくれるそれがどれほど嬉しかったか。だが次に言葉を掛けた時は? それが拒絶の言葉だったら? 絶対に許せないというハジメの目の強い光が自分に向くことに耐えられるかどうか分からない。その恐怖が鈴音の身体を冷たくさせる。

 

「……もうちょっと」

「もう三十度になっちゃいますよ、それじゃあサウナと変わりません」

「…………そうか、ならイイネ」

「超さん……味方は茶々丸と雇うことに成功した龍宮さんだけ、エヴァンジェリンさんはこれまでのお礼に手を出さないことは約束してくれましたが……戦力差は厳しいですね」

「……それは元々分かっていたことネ、その準備もしてきたヨ、ただ……」

「ハジメさんが敵になるのが怖いんですか?」

「…………そうヨ」

「ならやめましょうか? その方が何も起こらず、今までのように楽しい日常を謳歌できます」

 

  これは焚きつけたわけではなく葉加瀬の本心である。鈴音は葉加瀬にとって特別だ。今まで研究一辺倒だった葉加瀬には友人と呼べる友人ができるはずもなく、いつも一人で機械を弄っていた。だからこそ人ではないロボットの友人である茶々丸を作り出そうと苦心したのだが、そこで初めて葉加瀬は壁にぶつかってしまった。どれだけ出来のいいものができても所詮それはプログラムされた動作を繰り返す機械でしかない。一人俯き項垂れる中で、初めて葉加瀬に手が差し伸べられたのは中学に入ってから。超鈴音という天才が、魔法という名の奇跡を引き下げて遂に願いは形になった。それも三つ、ロボットの友人と思い焦がれた人の友人が二人も出来たのだ。それを絶対に手放したりしたくはない。そうならないならばそれが一番いい。そんな想いが込められた言葉だったが、鈴音は小さく首を横に振る。

 

「それはダメヨ、これはワタシの念願だからネ」

「未来を変えることがですか?」

「そうネ……いや、ハカセにはもう言っておこうか、私がこれを成功させても未来が変わる可能性は限りなくゼロに近いネ」

「な、それは⁉︎」

「未来でハジメが書いた論文に書いてあったことヨ」

 

  今や未来とはこれまでやってきたことの集積である。どれだけ過去に行き何かをやったとしてそれは既に起こることが確定していることなのだ。例えば過去へ行き第二次世界大戦を止めたとしても、今に戻れば変わらないこれまでが流れているはずだ。人は過去を変えることは出来ないが、それらは全て今と未来を作るためにある。そう書かれていたことを鈴音は知っている。

 

  つまり今鈴音がやろうとしていることは、所詮確定された事項をなぞっているだけに過ぎない可能性が大きいのだ。どれだけ大きなことをやろうと、どれだけ偉大なことをやろうと、それらは結局鈴音の生まれた未来で巻き起こっている地球と火星の血で血を洗う戦争と繋がっている可能性がある。

 

  そんなもののために鈴音が過去にやってきた理由は何か? そんな論文を書いたハジメを馬鹿にするためという理由も多分にあった。だが実際に過去へと赴き会ってみれば、誰より優しい強い男。そんな男がふざけてそんなものを書くはずが無いと分かってしまった鈴音は何度も論文を検証し、その結果が正しいものであったことを知る。

 

  なら自分はどうする? なんのためにここへやって来た? 鈴音が未来で漁った資料に麻帆良祭で魔法のことが世界にバラされたという記録は確かに無かった。無かったが、それが結局戦争に繋がるのでは意味がない。

 

  そのために苦しい思いをしてまでこの計画を推し進める意味があるのかと言われれば、鈴音は今はもう首を傾げることしかできないだろう。だがそれではここに来た意味が本当に分からなくなってしまう。

 

  時間に関することは未来でも多くのことが分かってはいない。ハジメの論文にはそう書かれてはいたが、未来を変えることが出来る可能性もないわけでは無かった。それでも何より嫌なのは、やはりハジメが敵になってしまうことだ。

 

  初めは馬鹿な推測を滑稽にしてやるために近付いたのにいつからだろうかと鈴音は思う。研究室で一緒に作業をしていくうちに、ハジメの熱に誘われるようにもっと近くで見ていたいという想いが生まれてきた。葉加瀬や茶々丸という普通とは違う者達とも分け隔てなく接し、いつも笑顔で自分を迎えてくれる。そんな中でたまに憂いた表情をして遠くを見つめるハジメの力になりたいと思うようになった。ハジメがよく口にするあらしという女性、調べてみてもハジメの知り合いであらしという名の人物の影は鈴音でも掴むことができず未だに分からないことが多いが、ハジメはその人だけを見ている。振り向かせたい、自分を見て欲しい。その強い瞳を向けてくれ。だが何より欲しいそれは決して敵意の目ではないのだ。

 

「それでも……私はやるしかないネ」

 

  未来を変える。大事な人が過去に来ていっぱい増えた。増えてしまった。本当ならば情など持たずに自分の想いを突き進めれば楽だったのに、それを迷うほどに大事な人が増えてしまった。だが未来にも鈴音にとって大事な人はいる。過去と未来を天秤にかけた時、僅かではあるが未来の方に比重が掛かる。鈴音にとっての今とは過去ではない。今をより良くするために鈴音はここへとやって来た。最初に抱いた決意はゆらぎはしても決して消えてしまうようなものではない。

 

「でしたら……ハジメさんにも伝えなければならないでしょう。あれから何日も経ってハジメさんも待っているんじゃないですか?」

「それは……そうだけど、でも……」

「もう、早くしないと麻帆良祭が始まっちゃいますよ?」

「うぅ……そうネ! ハカセがハジメに言うっていうのは」

「イヤです」

「なぜヨ⁉︎」

「私だってハジメさんに拒絶の言葉なんて言われたくないですし、ハジメさんは超さんのパートナーでしょう」

「ああズルイヨ⁉︎ こんな時ばっかりパートナーを盾に⁉︎」

「本当のことじゃないですか」

「うぅ……ハカセのイジワル〜〜」

 

  本気で泣きそうな鈴音を見て葉加瀬はディスプレイに向き合ったまま見られないようにため息を吐いた。未来から来た大天才、真帆良で超以上の秘密を持つ者はいないだろうに、その少女がハジメが関わることだけは歳頃の少女と何も変わらない反応をする。おかげで友人の人間らしい一面を見れて葉加瀬も嬉しくはあるが、計画の進行具合に大きく関わっているため喜んでばかりいられない。計画事態に遅れはないが、人材の収集という意味においては全く進んでいなかった。

 

  だがそれでも葉加瀬はハジメには鈴音から話して欲しいのだ。鈴音の想いを葉加瀬はよく知っている。そんな鈴音に計画が成功しようが失敗しようが後悔だけはして欲しくない。きっとどちらに転ぼうとハジメと話ができなければ鈴音は大きな後悔を覚えることだろう。親友として鈴音のそんな姿は見たくは無い。

 

「タイミングは任せますから、よろしくお願いしますよ、ネギ先生も出来れば仲間に引き込みたいんですから」

「うぅ……分かたネ……」

「茶々丸の整備や他のロボット達の整備もこちらで進めておきますから」

「はーーい」

 

  適当な返事を返す鈴音を見ながら葉加瀬は肩をすくめた。これではまだ時間がかかりそうだとハジメに恨み言を心の中で言いながら作業に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞きましたか?」

 

  麻帆良学園学園長室の一室に珍しく学園長以外の姿があった。頭まですっぽりと深くフードを被り、身体を覆う大きなローブのせいで男か女かも分からないが、その声音は若い男性のものである。それを受けても学園長は作業の手を止めずにとぼけたように聞き返した。

 

「なんのことかの?」

「真帆良武闘会、超鈴音が復活させたそうじゃないですか、いろいろと噂が広まっていますよ」

「まあいいんじゃないかのう、この学園の生徒はお祭りごとが好きじゃし」

 

  大らかな学園長、話だけ聞いていればそう感じるかもしれないが、その内にあるのは全く逆の想いだ。自分の思惑がこれでいろいろと上手くいきそうだと内心安堵している。

 

「ネギ君にも伝えなければいけないことを伝えられますしね」

「うむ、驚く顔が目に浮かぶぞい。ネギ君へのこれまでのご褒美として喜んでくれるじゃろうて、この学園で先生をする。思えばいろいろと無理をさせてしまったからのう、だがおかげでハジメが魔法を知るきっかけが出来た」

「ハジメ……彼も出るでしょうか?」

「出るじゃろう、普通に男の子じゃからな、武闘会として最強を決める。そんな面白そうなことにハジメが参加せぬわけがない。ハジメが嫌いなのは殺し合いであって実力をぶつけ合う武闘会なら嬉々として出るじゃろうて」

 

  ハジメは戦い嫌いなわけではない。小さな頃から取っ組み合いの喧嘩など数多くやってきた。そんなハジメが麻帆良武闘会に参加せぬわけがないと学園長は笑うが、それを受けてフードの男は呆れた声をただ返す。

 

「全く……いつからこんなに可愛げが無くなったんでしょうね、元パートナーとしては悲しいかぎりです。姿もこんな妖怪のようになってしまって……」

「余計な御世話じゃ! 全く……だが今回はハジメよりもネギ君に注意せんとな、あまり無理をさせてはいけない」

「ナギとの約束がありますからね」

「全くじゃ! ナギといいハジメといい言うだけ言ってさっさといなくなってしまうんだからのう! そういうのは老体の儂の役目じゃろうに」

「いやいやまだ貴方には頑張って貰いませんと」

「鬼か貴様は⁉︎」

 

  少しだけ昔に戻ったように大声を上げる学園長に小さな笑い声をフードの男は返す。もう60年以上も前に学園の図書館島で自分を拾い上げた少年の姿を思い出しながら笑顔を向けた。あの日からいろいろなことがあり、学園長の姿はその時の面影も無くなってしまったが、心だけはその時と変わらない輝きを放っている。

 

「私が動くのも貴方が動くのももう直ぐそこまで迫っているのですから」

「そうだのう……ネギ君、ハジメ、あの二人が希望の光じゃ、あの二人のどちらかがいなくなってしまったらおそらく未来は変わってしまう」

「未来が変わるですか……しかし実際どうなんでしょうね、私達が知っていることなど断片的に過ぎない。未来とは不変なものではない。それは誰にしても未知の領域です」

「お主にも分からんか?」

「ええ全く」

 

  即答で言い切るフードの男の言葉に学園長は納得するしかない。未来、思えばそれを誰より思い描いて動いていたのは学園長だ。それが何より最高のものになるはずだと信じてここまで来た。だが実際に事が起きてしまえば、いったいどこに転んでしまうか分かったものではない。その理由は、

 

「超鈴音、ハジメから聞いた話に彼女が登場したことは全く無かった。何よりハジメがあれほど若い姿で我々の前に現れるなど……」

「ウム……彼が初めて儂たちの前に姿を現したのはもっと歳を取った姿であった。何より彼は麻帆良学園の出身ではなかったはずじゃ」

 

  そう、今から60年前、若かりし頃の近右衛門とフードの男の前に突如として現れた未来から来たと名乗った男、その男の言った話と今が全く噛み合わない。それがどうも気味が悪いと近右衛門とフードの男を不安にさせる。しかし最低限の約束は果たせた。

 

「ただハジメに魔法を教えるという約束は達する事ができた。まあ偶然で儂らは何もしていないがのう」

「不測の事態ですか……ひょっとすると既に未来は変わってきているのかもしれません。もしかすると過去も……」

「過去も……か?」

「過去の出来事なら人と違い私は忘れずに細かなことまで全て覚えておく事ができます。しかし、最近ハジメが関わった記憶が朧げです。霞がかかったように不明瞭になってきている」

 

  時間、それは誰も手を加えられない領域だと思っているが、そうでないことを近右衛門達二人は知っている。しかし、実際に未来や過去が変わってしまう出来事に遭遇したことのない二人はただ顔に刻まれた皺を深めることしかできなかった。何かが変わろうとしている。だがそれが何であるのかが分からないという何とも痒いところに手が届かない状況が気持ち悪い。

 

「なんにせよハジメとネギ君の二人からは目を離さないようにした方がいいでしょう」

「未来か……この歳になるとイヤでも分かるが、人の一番の敵は時間じゃのう……」

「そうですね……それより何をしているのですか? なにやらずっと悩みながら何か書いているようですが」

「ん? いや今度の木乃香の見合いをどうしようかとな……折角じゃからネギ君かハジメに頼もうかと思っての、ネギ君は木乃香曰く弟のよう、とのことじゃったからハジメなんかいいとは思わんか?」

「貴方は全く……そんなことだからお孫さんに嫌われてるんじゃないですか?」

「な、なんじゃと⁉︎ 嫌われてなどおらんわ⁉︎ おらん……おらんよな?」

「さあどうでしょうね?」

 

  近右衛門の絶叫が響き何事かと魔法先生達が乗り込むまで後数秒、そんな傍迷惑な事を起こしても近右衛門が木乃香のお見合いを止めることは無かった。

 



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第19話 Romanticが止まらない

  ハジメは聞いて困惑した。

 

  ネギのクラスでまた問題が起こったらしい。それはいつものことだから別によかったのだ。問題はその内容にある。相坂さよ、3-A出席番号一番の生徒が幽霊であるという事実を教えられてハジメはもうなんて言えばいいのか分からなかった。というのも、さよとハジメは普通に会えば喋り合うくらいの友人のような関係だったからだ。

 

  ハジメが麻帆良に来てロボット工学研究会に入ってから、夜遅くまで作業をし、夜食を買いによく近くのコンビニへと通っていた。その度に入り口の前で突っ立っている少女が明日菜や木乃香達のクラスメイトだと知ったのはネギが初めて麻帆良に来ての歓迎会の時、その後普通に会話をするようになった少女が幽霊など信じられない。

 

  だが実際に麻帆良祭の準備のために一人研究室で作業をしていたハジメを訪ねて、朝倉と共にやって来たさよの話の裏付けを朝倉が示したことによって頭を抱えることになってしまった。

 

「マジかよ……」

「マジみたいなんですよねえこれが、バッチリ調べたんだよ、享年1940年、って言うかハジメさんが普通に見えてたっていうことの方が不思議なんだけど……」

「すみませんハジメさん黙ってて……」

「で? なんで俺のとこに来たんだ?」

「ネギ君がね、ハジメさんの記憶を元に色々と試したんだよ、ほらあらしさんて人と同じかどうかさ、なんだけどどうも違うみたいなのよ」

「違う?」

「そ、まあなんて言うか今さよちゃんは私に取り付いてるみたいなんだけどさ、ハジメさんの記憶みたいに全然跳べないんだよね〜〜これが」

「跳ぶって……時をか」

「そ」

 

  幽霊と通じ合えば時を超えることができる。それはハジメが何度も体験したことだ。あらしだけではない。カヤもやよゐも加奈子も全く同じことが出来ていた。だというのにさよがそれを出来ないということにハジメは首を傾げる。

 

「なんでだ? 普通できるもんなんじゃねえのか?」

「ハジメさんにも分かんない? それにさよちゃんはあらしさんと違って60年間ずっと消えずに幽霊やってるって、憑依とかポルターガイストも起せるし」

「おいおいおいおい……そりゃあ……」

「ネギ君がハジメさんなら何か分かるんじゃないかって」

 

  その朝倉の言葉を受けて身体の力が抜けてハジメはどっかりと椅子に腰掛けた。分かるかと言われて分かるわけがない。ハジメが昔山代武士に出した宿題と同じだ。

 

(なんだってんだ一体、同じ幽霊なんだろ? なんで跳べねえ……通じ合うのにも相手を選ぶのは知ってるが、ネギのことだから男女動物問わず試したんだろうしな、幽霊にも種類があんのか? 魔法や科学にだって種類はあるし…………クソっ」

 

  舌打ちをするハジメの様子に朝倉とさよはただ黙るしかない。ハジメのイラつきはハジメにしか分からないことだ。身勝手な話になってしまうが、さよの話を聞いてハジメは困惑しながらもその事実に喜んだ。その理由はたった一つ、あらしを救う可能性が上がるからだ。あらしを救うのには一つ大きな問題がある。あらしを救うには過去へ跳ぶ必要があるのだが、それは今まであらしと跳ぶ必要があった。あらし以外の者達は、死ぬような思いをしてハジメが13の頃に救い出した。残るは一人あらしだけ、それが大きな問題だった。同じ時間に同じ人間が会ってはならない。もし会ってしまえば存在が消えてしまう。あらしと跳びあらしを救うのには大きなリスクがあった。だがもしさよと跳べればその問題は解消される。そのはずだったが、

 

(ああクソ……カッコワリイ……)

 

  そう上手い話はないらしい。何よりたった一人の少女に頼ろうとした自分が情けない。これはハジメがやらなければならないことなのだ。どうしてもハジメがやりたいこと。誰も得はしない。ただハジメが満足するだけだ。それを他人に求めてはいけない。

 

「ハジメさん……? 平気?」

「ああ悪いな平気だ……それにさっぱり分かんねえ」

「うーんハジメさんにも分かんないなら誰にも分かんないかなあ、タイムトリップ私もしたかったのに……」

「なんかやりたいことでもあんのか?」

「過去の特ダネを誰より早くGET♡」

「そう言うと思ったぜ全く」

 

  ハジメを気遣ってか無理矢理にでも明るく振る舞う朝倉に心の中で礼を言ってハジメは席を立ち大きく伸びをする。分からないことをいくら考えても仕方がない。こういう時はそれを一度考えないようにするのが一番だ。

 

「まあ相坂は良かったんじゃねえか? 友達欲しいって言ってたしな」

「はい! 60年目にして初めての友達です!」

「ふふーん、なんて言うか私の人生も大分面白くなって来たよねー!」

「そりゃあよかったな」

「ふふふ、まあハジメさんには相談させて貰ったし、ここは一つ私が今持ってる特ダネの一つを教えてあげる!」

「へーなんだよ」

「ついさっきのことなんだけどさ、さよちゃんと一緒にぶらぶら散歩してたのよ、そこでさよちゃんと一緒に何を見たと思う?」

「勿体振んなよ、一体なんだ?」

「ハジメさん世界樹伝説って知ってる?」

 

  世界樹伝説、麻帆良に伝わる伝説の一つ。学園祭最終日に世界樹の下で願い事をすると願いが叶う。それが愛の告白ならば成功率100%という脅威の数値らしい。それを受けて、ハジメの顔はつまらないものを見る目になった。

 

「で?」

「もうそんな露骨に機嫌悪くしないでよ」

「あの伝説気に入らねえんだ、まあそういう噂に背中押されるくらいなら悪くねえと思うがよお、惚れた相手に好きっていうのに伝説の力を借りなきゃならねえなんて男らしくねえぜ」

「そう? 私はロマンチックだと思うけど、ね?」

「はい! 素敵ですよね〜〜60年前もありましたよ」

「ケッ、そんなの相手の目を真っ直ぐ見て愛してるって言えりゃ十分なんだよ」

「うーんそれはそれでいいと思うけど……まあ話はここからなのよ、その伝説、なんでも本当なんだって!」

 

  世界樹、正式な名前を『神木・蟠桃』と言う。蟠桃とは伝説の桃のことであり、中国の崑崙山にあるとされ、三千年に一度実を付けて、それを食すれば不老不死になれると言われている。その桃の名が付けられている通り、世界樹も22年に一度願いを叶えてくれる力があると言う。世界樹は魔法樹、強力な魔力をその内に秘めている。22年の周期でその内に秘めた魔力は極大に達し、樹の外へと溢れ出す。世界樹を中心とした六ヶ所の魔力溜まりを形成し、それが人の心に作用する。つまり百億円欲しいとか、ギャルのパンティおくれとか、世界の半分をくれとか、即物的な願いは叶わないが、こと告白といった心に働きかける願いに関しては120%成功する。まさに呪い級の威力である。という話を魔法先生などが極秘裏に集まった場所で朝倉は盗み聞いたらしい。

 

「ね?凄くない? 大スクープよこれ!」

「いやスゲエとは思うがよお、それ大丈夫なのか?」

「うーん、人の心を操るのは違法だからっていうんでネギ君たちはその六ヶ所での学園祭中の告白を止めるために動くみたいなのよねー」

「大丈夫じゃねえじゃねえか⁉︎ はあ……この学園は長く居ればいるだけ面白えとは思うけど厄介なことが増えてくぜ」

「それでねハジメさん、そこでなのよ!」

 

  背の高いハジメにつま先を立てて伸びをするように朝倉は顔を寄せる。顔の間に挟まれた右手は人差し指と親指でブイの字を描き、元気一杯の笑顔が持ち前の野次馬根性と合わさってなんとも憎たらしくハジメの目に映る。何よりなにがそこでであるのかハジメにはさっぱり理解できない。

 

「何がだ?」

「学園祭中は絶対面白いことが起こるでしょ? でもそれはネギ君達魔法使いが見張ってるから下手には出れないと思うわけ」

「まあ俺なんかは魔法関係者だってバレてるらしいからいいと思うけど朝倉とか夕映とかが関わると確かに不味そうだな」

「でしょ〜〜! そこでハジメさんには学園祭中私の用心棒をやって貰いたいのよ!」

「は?」

「私がいろいろ取材しようと思ってる時に着いて来てもらいたいわけ! 危なくなってもハジメさんがいれば安心だし」

「いや俺もロボット工学研究会で忙しいし……」

「知ってるよ〜〜? ロボット工学研究会は麻帆良祭の時は大学生の人達が発表するくらいでハジメさんは暇なんでしょ?」

 

  非常にいい笑顔を返してくれる朝倉にハジメの顔が引きつった。目の前の少女がいったいどんな情報網を持っているのか分かったものではない。怪しく光る目をなるべく見ないようにハジメは顔を逸らすが、回り込むように朝倉は覗き込んでくる。

 

「お願いハジメさん! 同じく魔法を知った仲じゃん、私に協力して!」

「あ、その、私からもお願いします!」

「まー確かに暇なのは確かだしなあ……たまにゃあ記者ごっこもいいか?」

「そうそう! それにさよちゃんと一緒にいればハジメさんなら分かることがあるかもしれないし!」

「うーん……俺の知ってる幽霊は幽霊っぽくねえからなあ……」

「まあなんにせよこれからよろしくねハジメさん♡」

 

  文化祭での予定が一つ埋まりハジメは小さく笑顔になった。ハジメだってまだ男の子だ。学園祭を普通に楽しみたいという気持ちは多分にある。多少強引ではあるが、楽しみが一つ増えたことが嬉しかった。

 

「それでね、取り敢えずもう既に調べたいことが幾つか……」

「ああ悪いな朝倉、今日は無理だわ」

「あれ? なにか予定入ってました?」

「ん〜〜なんか学園長に呼ばれてんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  桜は散ってしまったが色とりどりの草花が顔を覗かせる庭は素晴らしい。海の浜辺をイメージされた玉石と池の取り合い、流れ落ちる耳に心地いい小さな滝、大地にところどころ置かれた石灯籠は光こそ灯らされていないが、風情という感性を前面に押し出した絵に描いたような日本庭園が麻帆良学園の中にあることを知る者は少ないだろう。勿論ハジメだって知らなかった。

 

  その日本庭園と隣りあいながら、風景に溶け込み違和感なく聳える数寄の屋敷、錆びた床柱を瞳に映しながら目の前に置かれた豪華な食事にハジメは目を落とす。だがそれには一向に手をつけることもなく、着慣れない着物を着込みながらただため息を零した。

 

「ハジメさん、ゴメンなあお爺ちゃんが……」

「いや……なんつうか……もういいや……」

 

  着ている着物はハジメが今まで着たどんな服よりもいいものであろうことが肌から伝わる感触で分かる。学園長室へと尋ねたハジメに、ハジメの師匠からの贈り物だと着物を渡され着替えさせられた上に豪華な部屋へと放り込まれた。そこにいたのは同じく艶やかな着物を着込んだ木乃香がおり、「後は若い人だけで」というどこかで聞いた台詞を吐いて消えていった仲居さんのせいでこれがいったいなんであるのかハジメには分かってしまった。

 

  見合い、結婚を切望する男女が第三者の仲介を得て対面することであるが、これには酷い間違いがある。ハジメと木乃香はだいたい結婚を切望してなどいない。木乃香に見合った男を探すという近右衛門のただの趣味に付き合わされる羽目になったハジメはもうさっさと帰りたかった。

 

「ウチもいつもなら逃げるんやけど、入ってきたのがハジメさんでびっくりしてもうてできなかったんや〜〜」

「そりゃなんつうか悪かったな俺で」

「ううん寧ろよかったわ、ハジメさんとならただお喋りしてればええからな、それに京都でのお礼もまだちゃんと言えてへんし、ハジメさんあの時はありがと!」

「それこそ気にすんなよ、木乃香にはいつも世話んなってんだしよ、こっちこそいつも差し入れとかありがとうな!」

 

  なんにせよいい機会ではあるなとハジメは一人納得するように頷いた。ハジメと木乃香が二人きりになるというのは非常に珍しいことだ。一年前から知り合ってはいたがいつも明日菜と一緒におり、京都での修学旅行の後は刹那が加わり木乃香が一人でいることは無かった。最近になって千草との修行で一緒にはいたが、その時も千草が一緒におり、結局二人きりではない。

 

「でも最近は修行でハジメさんと一緒のことが多かったから改めてこう顔を合わせるのも変な感じやんなあ」

「確かにな、そういやどうだよ式神の調子は」

「うん! 京都で一応私の魔力で呼び出したこともあって結構呼びかけに応じてくれる子達が多いんや、鬼さんも狐さんも結構呼べるよ」

「は〜〜なんていうかあっという間に追い抜かれちまいそうだ」

「そんなあウチはまだまだや、ハジメさんやせっちゃんが前にいてくれる時の方が安心できるあたりまだまだやろ?」

「それはまた違うだろ」

 

  木乃香が強くなりたい理由は前に木乃香が言った通り、守られるだけではなく守れるようになりたいから、木乃香はまるで一段飛ばしして進むように強くなっている。その才能に嫉妬しないと言えば嘘になってしまうが、それ以上に仲間として頼もしいとハジメは思う。

 

「そうかなあ?」

「そうそう、そりゃあ友達だからだよ」

「それもそうやな! はあ……それにしても学園祭がもう始まるって時にお見合いなんてお爺ちゃんも大分おかしいわ、もう歳なんかなあ?」

「やめといてやれよ、それあの学園長が聞いたら多分泣くぜ」

「でもまだウチ中3やで? 将来のパートナー決めるなんて早すぎると思わへん?」

「そりゃあ……」

 

  ハジメは何も言えなかった。将来のパートナー、その相手を心の中でハジメは既に決めているからだ。それも木乃香よりもずっと早い13の頃にそうであったらいいなと決めている。それが木乃香にも分かるからか思い出したようにハッとすると両腕を目の前に出して勢いよく左右に振るう。

 

「ゴメンなさい! ハジメさんにはあらしさんがいるのに!」

「いやいいよ、確かに早えと思うしよ」

「うん……なあハジメさん。好きな人がいるってどんな感じ? ウチにはよう分からんくてな……」

「ん……そんなこと知りてえのか?」

「うん、私これまでたくさんお見合いさせられはしたけど、いい人もいっぱいいたよ? でもええ人や思うても好きになるって感覚は分からんかった」

 

  医者、弁護士、あらゆる世間で凄いと称賛されるであろう職業の人達と数え切れぬ程会ってきた。だがその人達は結局近衛の名前に引っ張られてきた人達だ。木乃香を見てはいない。木乃香の奥にある近衛という名の栄光だけを見ている。その手間にあるもっと大事なものには目もくれない。そんな相手を好きになれという方が無理がある。

 

「そうだなあ、やっぱりいつまでも見ていたい、側にいたいって思うことだな」

 

  だからこそその手前にあるものを見ることが重要になる。そしてその強弱の違いでもあるのだ。友として近くにいたいということではない。楽しい、嬉しい、あらゆる喜とした感情を超越したもの。思考も、理由さえも必要ない感情の内側にあるもっとも奥底にある感情よりも純粋な魂の叫び、それが好きということ。だがそれは言葉にしようとすると上手いこと形にすることができない。だから、

 

「でも結局さあ、好きっていうのは好きって言葉でしか表せねえんだ。その人に大事なことを伝えようと思うとその言葉以外のことなんて全部真っ白に吹っ飛んじまう。それが好きってことじゃねえか?」

「そうなんや……なんかええなあ、あらしさんが羨ましいわ」

「そうか?」

「うん、ハジメさんみたいな人にそう思って貰えるなんてきっと嬉しいやろなあ……」

 

  たとえ見知らぬ人の為でも命をかけて救ってくれる男。最強などというわけではない。どこの誰と同じように驚異の中ではただもがくことしかできなくても、それでも少しづつでも前に進むことのできる男。それをかっこいいと言わずしてなんというか。京都でも木乃香のためにネギや刹那と違い特別な力を振るえなくても救ってくれようとしてくれた。そんな人に好きと言って貰えたならそれはきっと誇らしいことなのだろうと木乃香は思ってしまう。

 

「それにハジメさんまだまだ強くなるしな、この前なんてウチが出した猿鬼いう式神一人で何十匹も斬ってたやんか、あれいつもの技と違うてたもんね」

「俺もようやっと二つ三つは技が形になってきてくれたからな、刹那みてえに剣から稲妻出るなんてことはねえが……」

「それでも、ハジメさん侍みたいでカッコよかったよ!」

「そーかー? そう褒められると悪い気はしねえな!」

「うん師匠も京都で会った頃にこれだったらもっと面倒やったって言うてたし」

「それは喜んでいいのかどうなのか微妙だなおい……」

「失礼します。木乃香お嬢様、そろそろ……」

 

  そんな普通の人に聞かれたら困ってしまう会話をしばらく続けていた二人の部屋に黒いスーツを着た男が数人顔を出した。音も無く開いた襖のせいでビクリとハジメも木乃香も肩を跳ねさせると、木乃香の方の顔が寂しげなものに変わっていく。

 

「あ、ゴメンなあハジメさん……今日他にもお見合いせんといけないらしくて……」

「そうなのか?」

「うん……だからもう行かんと……」

 

  顔を俯かせる木乃香は行きたくないのだろうということが誰が見てもよく分かる。木乃香のお見合い相手は木乃香に見合うためにと選ばれているせいで、その年齢層が異様に高いのだ。確固たる地位を持つには時間が必要とされる。そのせいで木乃香のお見合い相手の年が40近いなんていうのはざらであり、今回ハジメが選ばれたというように十代のものが選ばれることなど全く無いと言ってもいい。

 

  そんな暗い顔を見せる木乃香に、家庭の事情だからと見て見ぬ振りをするのは簡単だ。それもハジメとは違うでっかいお屋敷に住む本物の令嬢。ハジメも初めてあらしの家を訪ねた時はあまりの身分差にただ二の足を踏んでしまったが今は違う。いくら木乃香が格の高い相手でも友人は友人。その友人が嫌だと思っていることに嫌ながらも向かおうとしている。それならば、

 

「キャっ! ちょちょっとハジメさん⁉︎」

「お嬢様⁉︎」

「いや悪い悪い、でもこれって見合いなんだろ? 木乃香のことが気にいっちまったから今日一日借りてくぜ!」

 

  ハジメは木乃香をお姫様抱っこの形に担ぎ上げると、強くその場で足に力を入れる。強く踏み込まれた畳が軋み、開け放たれていた窓から飛び出せば、スーツの男達の叫び声を置き去りにしてあっという間に屋敷が豆粒のように小さくなっていく。肌を撫ぜる風の気持ちよさにいい笑顔をハジメは受かべ、腕の中で目を丸くしている木乃香を見る。

 

「いやあ気持ちいいなあ! 空の散歩、気が扱えるようになって一番得したのはこれだな! おかげで遅刻せずに済むようにもなったし!」

「わ、あのハジメさん⁉︎」

「どうせ逃げる気だったんだろ? だったらいいじゃねえか、このまま二人で今日は散歩と行こうぜ!」

「え、ああ、うん……!」

 

  適当なところで着地すれば、あたりは学園祭の準備のために奔走している生徒たちにせいでごった返していた。木乃香もハジメも着物ではあるのだが、まだ学園祭は始まってもいないというのに多くのコスプレや当日に使う衣装を着込んだ生徒達のおかげで全く浮いて見えない。

 

「いやあ去年も驚いたもんだが今年もすげえな、もう屋台出てんぞ!」

「……」

「木乃香どうかしたか? ひょっとしてどっかぶつけたりしちまったか?」

「あ、なんでもないよ! ほらハジメさんわたあめ売ってるよ!」

「あ、おい!」

 

  麻帆良学園の学園祭は地元の一般的な人達も屋台を出すためさながらそこらでやっている夏祭りと何も変わりがない。急にハジメの手を取って走っていく木乃香に連れられて、それらの屋台を回っていく。わたあめ、お面屋、的当てなど、多くの屋台を回り切って、最後にたどり着いたのは金魚すくいだった。

 

「金魚すくいや! 実はな、ちょっと前にネギ君とアスナがデートした時も金魚すくいやってたんやで!」

「デート? なんだよあいつら付き合ってたのか?」

「ううん、高畑先生とデートした時の練習でな、今度アスナ告白するんやって!」

「おう遂にか! まあ俺らがとやかく言うことじゃねえし、悔いが残らなきゃいいな」

「そやね! それじゃあ金魚すくいやる?」

「ほう……言っておくが俺はこういう遊びは強いぜ!」

「なら折角やし何匹すくえるかハジメさん勝負や!」

「いいぜ! おおし負けねえからな!」

 

  薄いたったの一枚の紙で金魚をすくう。それなりの経験と技術が要求される。だがそこはハジメ、こういったことは小さな頃から何度もやってきた。まるで精密な機械のように金魚をすくっていき、手に持つお椀の中には金魚が山のようになっていく。

 

「兄ちゃん……それぐらいにしてくれねえと金魚がいなくなっちまう」

「大丈夫っすよ、別に貰う気はねっすから」

 

  金魚すくいの親父の涙目にハジメはお椀をひっくり返し金魚を逃がしてやるが、その横で木乃香は全く上手くいっていない。ずっと穴が空くほど一匹の金魚を見続けて、「えい!」という掛け声と共にポイを突き入れるのだがすぐに破けてしまう。

 

「ああん上手くいかへん⁉︎ ハジメさんどうやってるんや?」

「ちょいと手を貸してみな、 いいかこうやって水面に沿わせるようにだな……っておい木乃香? 聞いてんのか?」

「え……ああうん聞いてるよ」

「こう水面に沿わせるようにだな、金魚をすくいに行くんじゃなくて金魚が来るのを待つように」

「見つけたぞ! 木乃香お嬢様お戻りを‼︎」

「ってやべ、来やがった! 悪いおっちゃん代金置いてくぜ! 行くか木乃香?」

「あ……うん! 行こう!」

「おっしゃ! じゃあしっかり掴まってな!」

 

  手を引いて木乃香を手繰り寄せ、抱き上げると再び空へと跳ぶ。ハジメは前だけ見ているが、木乃香にはハジメが顔がよく見えた。

 

(いつもと逆やんなぁ)

 

  お見合いの相手も木乃香を通して近衛を見ているだけであるのをいいことに、木乃香はただ好きなように前だけを見てきた。だがハジメだけは別だ。ハジメは木乃香を見てくれる。ネギのように先生と生徒といったしがらみもなく、お嬢様といった立場もハジメは見ない。アスナや他の友人達もそうではあるのだが、ハジメはそれがもっと顕著だった。

 

  抱かれたハジメの腕から伝わる熱が妙に熱い。季節に似合わぬ着物のせいでは無い、身体のウチから込み上げるような熱が木乃香の頬を赤く染める。

 

  再びふわりと地面に降り立ってもどうも熱が冷めやらず、ハジメに顔を見られないように顔を少し俯かせる木乃香にハジメが声を掛けてくれるが、今はそれに応えることはできそうに無い。

 

  顔を見られないように少し急ぎ足で先を行く木乃香の後をハジメがしっかり着いて来てくれる足音がする。その音が心地よくてどうも木乃香は足を止めることができない。なんなのだろうかこれは、ハジメの熱が伝わってしまったかにように心が熱い。

 

「おい木乃香! 本当に大丈夫か? なんかあったのか?」

「うん大丈夫! ふふ、ほら行こう!」

 

  ただその感情をなんという言葉で表せばいいのか、その形をまだ木乃香は持たない。ふわふわとした感情に身を任せて、ただ今はハジメと二人で歩いていることが嬉しかった。日が沈み、深く青みがかった空の下を歩いていく。明かりが灯り出した街灯の間を歩く二人の足取りは軽い。生徒達でごった返す道も気分がいいと歩いていると、見慣れた三人の姿がハジメと木乃香の目に映る。

 

「あれ? ハジメとこのかさん?」

「ネギと小太郎と刹那じゃねえかどうしたんだこんなとこで」

「そっちこそなんや二人揃って着物なんか着て、デートかいな」

「いや違」

「そうやでー! ええやろ〜〜!」

「うぇえええ⁉︎ お嬢様〜〜⁉︎」

 

  訂正しようと口を開こうとするハジメの腕に木乃香が飛びつくことによって塞がれてしまう。刹那の絶叫が響き、ハジメとネギと小太郎の顔が呆れたものに変わっていく。

 

「ん? ネギいったい何持ってんだ?」

「あ、これさっき超さんに貰ったんだよハジメ」

 

  刹那と騒ぐ木乃香を尻目にネギが手に持つものが気になったハジメが聞けばそれを手渡してくれる。片手にすっぽりと収まる大きさながらずっしりとした確かな重みがそれにはある。

 

  それは懐中時計だった。

 

  少なくともそうとしか見えない。やたら凝った時計盤の奥で細かく動く無数の歯車が見える。青と黄色の星空のような時計盤の上を細く鋭い時計の針がゆっくり時を刻み、不思議とハジメはそれを見て少し不安になる。

 

「鈴音が?」

「うん! ハジメも作るのに協力したって聞いたけど……」

「俺が……? いや知らねえな……茶々丸の整備で作った歯車でも使ってんのかな」

「ハジメさんとネギ君なんの話してるんや? それよりほら見て! いよいよ麻帆良祭の始まりや!」

 

  夜空に極彩色の花が咲く。色とりどりの色が麻帆良の街と人々を優しく染め上げた。それが祭の始まりの合図。麻帆良にいるならばどこに居ようともその始まりの声を聞く。それに合わせて上がる人々の歓声の中で揺れる懐中時計は人知れず時を刻み続ける。動き出した時は止まらない。それがいいことであろうと悪いことだろうともう止まってしまうことはありえない。

 

  麻帆良祭が始まる。

 

 



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第20話 学園天国

『只今より、第78回、真帆良祭を開催します!』

 

  飛行機雲が宙に線を引く。麻帆良を訪れる者を歓迎するように普段学園で響かぬ紙吹雪とパレードに合わせて鳴る音楽が学園中に鳴り響く。笑顔に溢れる人の波の中でハジメが何をしていたのかと言えば、呆れた顔でただ学園入り口の花壇の淵に腰掛けていた。朝一番で真帆良を訪れるという友人達を待っていたのに1時間以上も待たされればそんな顔にもなってしまう。

 

「な〜〜にそんな呆れた顔してんだよおハジメ〜〜」

「うるせえ! 朝っぱらから待たされた挙句ようやく来たと思ったらビール片手にやって来たやつに返す顔だとすれば妥当だろうが!」

「だってさ〜〜、お前がドイツ行くって言うからビール楽しみにしてたのに、行ったのは京都だって言うしビール不足なんだよ、それにこれは祭だろう? だったら飲まなきゃ損じゃんか、なあ潤?」

「いや私もどうかと思いますよマスター……」

 

  麻帆良祭、学園都市である麻帆良学園の学園祭は開催される三日間常に外部からの入場を受け付けている。一年前は高校に上がってからのごたごたと引っ越し、茶々丸の整備で忙しくハジメは特に誰かを誘うこともせずただ三日間が流れてしまったが、修学旅行の件もあり今回こそはとマスターと潤の二人をハジメが麻帆良に招いたのだ。

 

「にしても凄いもんだねえ、こんなとこにいたら常識変わりそうだよな」

「確かになあ、俺の常識は随分変わったぜ」

「八坂の常識は常に非常識だろ」

「ははは、確かにね〜〜!」

「ったくひでえなあ、行くんだったら行こうぜ! ネギにも知り合いが来るって言ってるのにいつまでも行かねえんじゃ心配されちまう」

 

  ようやく待ち人が来てくれたので学園の中へと身を移す。空に浮かぶ気球、色とりどりの風船、降り止まぬ紙吹雪は夢の世界のようだ。眠たげな目で満足気に歩きながらビール缶を傾けるマスターと、潤の爛々と輝く目を見ていると呼んでよかったという気にハジメはなり、歩く足が自然と楽しげに跳ねる。

 

「ネギって確か八坂が知り合った10歳で先生やってる子だったっけ」

「お前もまた変な奴と知り合うよねえ」

「いやいい奴だぜ? 俺の新しい友達さ!」

「ふーんで、今はそのネギって子のクラスに向かってるんだ」

「おう、俺の学校も隣だしいいだろ」

 

  恐竜の仮装のパレードを横目に先を進む。目を輝かせる潤の手を取って麻帆良女子中等部の中に入れば、ネギのクラスへ向かう途中で階段から続く行列が目に入る。それにハジメ達は立ち止まってしまうが、タイミング的にはよかったらしい。そんなハジメの後ろから件の少年がやって来た。

 

「ハジメおはよう!」

「ハジメさんおはようございます。さっそくうちのクラスに来たんですか?」

「おおネギと夕映、おはようさん。そうなんだけどいやすげえな、この行列オメエのクラスのみたいじゃねえか」

「本当に⁉︎ うわあ僕もお化け屋敷やってるってことぐらいしか知らないんだけど、いいんちょさん達凄いなあ」

「本当に子供だ……」

「いや〜〜世界は広いね〜〜」

「あ、ハジメその人達って!」

「おう、俺の友達の上賀茂潤と夏にバイトさせて貰ってる喫茶店のマスターだぜ!」

「上賀茂さんとマスターさんですね! 話はよく聞いてますよ、僕もこれからなんですけどクラスの出し物楽しんでくださいね!」

「へ〜〜しっかりしてんね〜〜、それに将来イケメンになりそうだし、是非よろしく♡」

「マスター……はあ」

 

  子供相手に目を輝かせるマスターに吐く潤のため息を後に残し、行列の横をネギと共にクラスの道を歩いていく。クラスに行き着く前でも、歴史ある学校の校舎の中を歩くだけで普段の空気とは変わっており、潤もマスターも物珍しそうにあたりを見回す姿がなんとも面白いとハジメは優越感に浸った。

 

「どうだよスゲエだろ!」

「うん、なんか八坂が麻帆良を選んだ理由が分かるよ」

「あらしとかカヤの雰囲気と似たところあるもんなここ」

「へ〜〜そうなんですか、あらしさんの話は僕も聞きましたけどそうなんですね」

「あらしさんの話って……八坂お前子供になんの話してるんだよ」

「いやいやあらしさんの素晴らしさを布教しようと」

「ハジメも本当変わらないよな〜〜」

「ネギくーーん!」

 

  行列に沿うように進んでいけば、元気のいい少女の声が行列の行き着く先から聞こえてくる。学校内とは思えぬ石造り風に作られた外観と木製の扉、妖怪やモンスターの姿に仮装した少女達がハジメ達を出迎えてくれる。

 

「なんか女の子ばっかりだね」

「そりゃそうだろ、ネギのクラスは女子校なんだから」

「え? 女子校? 聞いてないよ私」

「そうだっけか?」

「あ、ハジメさんも来てくれたんだ!」

「おう佐々木! 繁盛してるみてえだな!」

「まあね〜〜♪ ハジメさんには私達お世話になってるしハジメさん達ももネギ君と一緒に入って入って♪」

「お、いいのか? サンキュー」

「……仲良さそうじゃん」

「ほっほーう、ハジメも隅に置けねえなあ」

 

  何故か少し機嫌の悪い潤と面白いと笑顔を見せるマスターを伴ってネギと一緒にクラスを前にすれば、三つのコースから選べるらしく、煉瓦を連想させる壁には三つの異なった趣の扉が付いている。一つは重々しい木の扉、一つは障子、一つは見慣れた教室の扉だ。委員長、まき絵、アキラの3人がお化け屋敷内の案内人としてそれぞれ扉の前に立ち、その内の二人からネギへと熱い視線が注がれて、逃げるようにネギはアキラを選んだ。

 

「先生、八坂さんなんでこっちに?」

「いえ、向こうは何ていうか別の意味で怖そうなことが起こりそうな予感が……」

「とばっちりくうのはごめんだぜ」

 

  選ばれなかったことから怪しげなオーラを身に纏うまき絵とあやかをなるべく視界に入れないように、扉をくぐるネギを、潤のとマスターの背を押すようにしてハジメが後を追う。

 

「うわーー、真っ暗……それに何か広い⁉︎ ホントに教室の中ですか?」

「へ〜〜すっごいね〜〜、最近の中学生の文化祭ってここまでやんのか」

「わ、私ちょっと暗いのは……」

「雰囲気あんよなあ」

 

  教室の中はさながら迷宮のようだった。扉の先はすぐに壁なんてことはなく、どこまでも先が続いている。灯りは一切ないにも関わらず、足元が見えるくらいの絶妙な明るさが逆に不安を掻き立ててくれる。ハジメもマスターもネギも楽しみこそすれ怖がってはいないが、ただ一人潤だけがハジメの服の裾を摘みおっかなびっくり歩いていた。

 

「おい潤歩きづれえよ」

「お前怖くないのかよ、なんか嫌な雰囲気だし……」

「私たちのクラスの超さんの最新技術だそうです」

「鈴音の? それって……っていうか潤オメエなあ、お化け屋敷入って何言ってんだよ、こんなもんだろ」

「いやでも……うわあ⁉︎ ほらなんか踏んだ⁉︎ 絶対踏んだあ⁉︎」

「踏んだあ? こんな広いところいったいなに踏むって……」

 

  潤の足元、くっきりと足跡が残ったひょろ長い頭が見える。その先に付いている顔には見覚えがありすぎた。先日ハジメをお見合いという名の拷問を味あわせてくれた人物だ。苦しんだ後を表すように両手を開き、目は白目を剥いてピクリとも動かない。

 

「きゃあぁぁぁぁ⁉︎」

「が、学園長⁉︎ し、死んで⁉︎ ってわあああ⁉︎」

「よくできてんねえ」

「マスターブレねえな……」

 

  潤の悲鳴が耳を劈き、驚いたネギが他の死体を演じている生徒達にぶつかり同じく悲鳴を上げる。そんな二人とは別に全く動じていないマスターの姿が嫌に浮いていてハジメを現実に連れ戻してくれる。

 

「ア、アキラさんみ、みんなが⁉︎」

「落ち着くんだネギ先生、予想外のことが起こってしまった。どうやら私達は学園にひそむ怨霊を怒らせてしまったらしい、早く逃げないと君も私も世にも恐ろしい呪いにとり殺されてしまう……かも」

「へ〜〜そういう設定ね」

「ど、どうしよう八坂⁉︎」

「潤オメエな……っていうかマスターちょっと黙っててくれ」

「さあ早く私について来て」

 

  ネギの手を取ってアキラが走り出す。それにハジメ達も付いていくが、その足はすぐに止まってしまった。最も先にいたアキラの足が止まる。不自然に身体が一度痙攣したかと思えば、暗闇の中をボールのようなものが落ち跳ねる。

 

「に……逃げて、ネギ先生……」

 

  アキラの最後の呟きが頭と一緒に零れ落ちる。廊下に転がる生首に、ネギと潤は言葉も出ない。その恐怖心をさらに押し出すように、壁に設けられた窓に一つの手形が付く。

 

  その手形が押し付けられた衝撃が、ネギ達の顔をそちらへ向けさせ、また一つ。

 

  一つ。

 

  また一つ。

 

  無数の手形が薄いガラスを砕こうと無造作に押し付けられていく。

 

「わひゃあああ⁉︎」

「いやああああ⁉︎」

 

  ネギと潤の悲鳴が最後の一線を引き千切った。砕けたガラス片が廊下に散らばる。暗闇の中で唯一キラキラと輝く欠片をすり潰すように廊下へと手が伸びて、ネギの身体を撫で回す。

 

「だ、誰か助けて〜〜!」

「いやああああ!」

「おいネギ! 潤! どこ行くんだ⁉︎」

 

  その手から逃れるようにネギと潤は全速力で駆けて行ってしまいハジメとマスターが後を追う。廊下のはるか先の一筋の光の先へと出て行ってしまうネギ達の後を追ってハジメ達が外へと出れば、ネギが明日菜に拳骨をいただいているところだった。

 

「ったくなんてところ揉んでんのよ!」

「うぅ怖かってです〜〜、最後が特に」

「本当、中学生が作ったとは思えないね……」

「潤は怖がりすぎだろ、男らしくねえなあ」

「私は女‼︎」

「そういやそうだった……」

 

  なんだかんだ言いながら潤は楽しんでくれたようで、ハジメとしては安心だ。ネギの感想を聞こうと3-Aの生徒達も集まって来てくれたが、ネギはどうもスケジュールが詰まっているらしく、もう行かなくてはいけないらしい。だがそれよりも連日の徹夜がたたり足元がふらついてしまっている。

 

「ちょっとあんた大丈夫?」

「ハ、ハイ」

「ネギ君無理して手伝うから、10歳で徹夜は辛いよ」

「向こうの保険室で休ませて貰えるからちょっと寝てきなさいよ」

「で、でも」

「ええから行ってき、こんな時のための副担任や、そんなふらついてたらあっちの仕事も支障をきたすえ、学園長(ジジイ)の相手をウチだけでするなんて勘弁や」

「千草さん……分かりました」

「あ、じゃあ私が付き添います」

「はい刹那さん、ゴメンねハジメ、折角来てくれたのに」

「いいって別に、しっかり休めよ」

 

  10歳で麻帆良祭という大きなイベントの準備はやはり大変らしく、ネギは保険室へと木乃香と刹那と共に向かっていった。

 

「にしても千草オメエ随分先生が板についてきたな」

「まあ、修行言うてガキの相手一日中してればいやでもそうなるわ」

「ん? 千草……ああお前根暗眼鏡? うわあ久しぶりじゃん」

「なんでその渾名⁉︎……ってあんた⁉︎ まさか、さやか⁉︎」

「マスター千草と知り合いなのか?」

「ん〜〜まあ昔の腐れ縁ていうか小さい頃にちょっとねえ、へ〜〜お前先生なんてやってんだ、あの根暗眼鏡がね〜〜」

「根暗根暗うっさいわ⁉︎ むしろあんたみたいな性悪がなんでハジメと知り合いなんや⁉︎」

「そりゃまあいろいろあんのよこっちも、それに性悪はあんたでしょ」

「なに言ってんのや⁉︎ 忘れもしないで! 数年前儲け話ある言うて急に現れた思うたらヤクザ者中にウチを囮で置き去りにしたこと⁉︎」

「なにまだそんなこと根に持ってんの? どうせまた手品みたいなのでどうにかできたんでしょ? ちっちゃいなあ〜〜」

「あんたなあ⁉︎」

「マスター……ちゃんと友達いたんだ……」

「やめとけ潤、アレに関わったらろくなことがねえ。マスターは千草に任せてここは行こうぜ」

 

  ネギも行ってしまい、マスターと千草の大人気ない痴話喧嘩に3-Aの生徒も引いてしまっているので、千草に後を任せてハジメと潤はその場を後にした。向かう先はハジメのクラス。隣とはいえそこそこ距離はある。女子中等部を出てパルテノン神殿のようなハジメの学校に目を丸くする潤に笑顔を向けて教室への扉を開け、

 

『ようこそ! 2-C男子喫茶へ! 最高の一日を貴女と』

「わりい間違えた」

 

  すぐに扉を閉めた。行くところも無いので結局ハジメは教室とは別に一日の中で最も長い時間を過ごす研究室に潤を案内した。

 

「へーここが八坂の研究室なんだ」

「まあな! よくここでロボットの整備とかしてんだ!」

「なんだ、遊んでるだけだと思ったけどちゃんとやってるんだな」

「ったりめえだろお! 俺はやるときゃやる男だぜ!」

「ふふっ、知ってるよ!」

 

  広い研究室は学園祭で騒ぐ学園とは対照的に静かなものだ。整理され疎らに置かれていた発明品の数々もこの期間だけは発表にために外へと持ち出されている。そんな広くなにも無い部屋の自分の椅子に腰掛けるハジメを見ていると、意外に似合うものだなと潤は思った。

 

「ただ残念、折角八坂の発明見て馬鹿にしようと思ってたのにさ」

「オメエなあ、言っとくが今回学園祭のために作った俺の力作はすげえんだぜ! 前に作った数倍の威力! その味はまさに魔法級よお! 絶対いつか流行るぜ……ただどっかいっちまったんだけど」

「……なにを作ったのかは聞かないことにするよ」

 

  どれだけ時が経ち身体が大きくなろうとも全く変わっていないらしい友人に潤は小さな笑みを向ける。麻帆良を見てその凄まじさに潤も衝撃を受けハジメのことが心配になったがそれは杞憂らしかった。初めて潤がハジメと会った日からハジメの内側は変わりがないようだ。

 

「にしてもいいのかよ八坂、あんないっぱい女の子に囲まれて、あらしさんはもういいのか?」

「んなわきゃねえだろ! 俺はあらしさん一筋だぜ!」

「……だよな……うん、それでこそ八坂だよ」

「なんだよそりゃ」

 

  勝手に一人何かを納得する潤に怪訝な顔をハジメは向けるが、全く相手にしてはくれないらしい。何かを諦めたように笑う潤を見ていると、自然とハジメの顔から笑顔が消えた。それはなぜかと言われれば、これからハジメには潤に言わねばならぬことがあるからだ。今言わなくてもいいのかもしれない。まだ学園祭の初日だし、潤とハジメが二人になることなどまだあるだろう。だが潤の顔を見ているとハジメは言わなければならないという気にさせた。それが何故かと言われればハジメの中に特に理由はない。ただ誰より親しい親友だからなのかもしれない。

 

「なあ潤……」

「なんだよ八坂」

「オメエさあ……」

 

  魔法って知ってるか? そう言おうと思っていた言葉をハジメは飲み込む。出だしとしては最悪だろう。だがそれは普通の生活を送っている人々には強烈な魅力であり毒でもある。それを知った潤に魔法の牙が突き立てられる姿を幻視し、そうはならないと分かっていてもそれを言うのは拒まれる。よってハジメは過程を言うのは諦めて話を自分の中ですっ飛ばし、結論だけを言うことにする。

 

「いや……なあ俺さあ、今年こそやるぜ」

「八坂、それって……」

「おう」

 

  何をとは言わない。だがそれでも潤は全てを察したらしい。今年こそあらしを救う。このままいつまでもそれを伸ばしてはいられない。ハジメにとってこの一年の最初に出会った不思議が今年こそその年であるということを示してくれた気がしたから、だから今ここで最初に知っていて欲しい人に誓いを立てる。あらしを前にしたらばハジメはきっとすぐにはそのことが言えないからだ。久しぶりに会えた嬉しさと気恥ずかしさできっと言えない。だからこそ今言うのだ。

 

「八坂……でも」

「分かってるよ……」

 

  ハジメの顔を見て潤は難しい顔しか返せなかった。前からそうだ。ハジメがあらしが関わることで覚悟を決めた時の顔に潤は弱い。それはその顔が好きだからというわけではない。むしろ嫌いだ。60年前の地獄に自ら飛び込んでいくハジメに潤は何もすることができない。自分はその場に立てば足がすくんでしまうのに、立ち止まってしまうのにハジメはそんな中でただずっと足を止めずに前へと進んでいってしまう。

 

「そうか……」

 

  だからそんなハジメを潤は待っていることしか出来ずにいる。どこに行こうと過去に行こうとハジメは必ず夏になれば方舟に顔を見せるから、潤はハジメが決めて進むところを見送ることに決めたのだ。それはもう三年前、13の夏の終わりにそう決めた。

 

「ならいいよ、どうやるのかは知らないけどさ」

「ん〜〜まあそこはまだ詳しくは言えねえんだけどさ、まあ待っててくれよ」

「ん……」

 

  ようやく少し肩の荷が降りたとハジメは深く椅子に腰掛け直す。昨年度の終わりにネギと会ってから誰にも言わずに決めていたことをようやっと口に出せて一安心だ。

 

「はああ、いや悪いな潤、こんな話電話でもよかったんだろうけどさ」

「いや、八坂の口から聞けて良かったよ」

「おう、まあまだ夏はもう少し先だしさ、とにかくこの学園祭を楽しもうぜ」

「ふふ、じゃあ案内はよろしくな!」

 

  研究室を後にして祭の中へと再度飛び出す。煌びやかに化粧を施された学園はハジメの決意を祝福しているかのようだ。それから二人で多くの露店をめぐり祭を存分に楽しんだ。まるで昔に戻ったように二人は騒ぎ、熱くなった心をなんとか冷ます。屋台、アトラクション、ショーといった余興に心躍らせ時間を忘れて一日を楽しんだ。それが終わったのは、一人の少女が二人の前に現れたからだ。陽が傾き赤らんだ空と同じ色をした髪の少女がシャッター音を響かせたせいで二人の意識を持っていく。振り向いた間抜けな顔も同じように続けて響くシャッター音が拾っていった。

 

「やっほーハジメさんいい顔いただき♪」

「なんだよ朝倉こんなとこで」

「また女の子か……本当遅いモテ期だな」

「あのなあ……」

「ふふふ、ハジメさんの友達面白いね。まあ私がここにいるのは偶然じゃなくてね、探してたのよ」

「俺を?」

「そ♡ ほら約束してたでしょ」

 

  そう言って笑顔を向ける朝倉はまたシャッターを切る。

 

「約束?」

「そうなんですよ! 私新聞部なんですけど、その協力をハジメさんにお願いしてて……ほらハジメさん、前に調べたいことが幾つかあるって言ったでしょ? その内の一つがね、真帆良武闘会」

「「真帆良武闘会?」」

 

  同じ言葉を言って首を捻る二人の顔をおかしそうに朝倉は眺める。麻帆良武闘会、それは二十年前に廃止された戦いの最高峰の場。裏の世界で腕に覚えのある者たちがこぞって参加し最強を決めるために世界中から強者が集まった。朝倉が言うにはそれが今年復活するらしい。潤は朝倉の説明をただ怪しんだが、ハジメは逆に妙に納得した。学園にひしめく魔法使い達、その者達だってはっちゃけたいことはあるはずだ。それをするなら麻帆良祭はいい場なのだろう。

 

「それって大丈夫なのか?」

「うーん、大丈夫だって聞いたけど、とにかくハジメさんにはそれに参加して欲しいんだよね、ハジメさんは選手として、私は別の視点からそれを調べるってわけ」

「ふうん、武闘会かあ」

「やっぱりハジメさんも最強とかって憧れる?」

 

  最強、それは甘美な響きだ。男なら憧れる言葉の一つだろう。あらしに見合う男になりたい。そう考えるハジメがそれを受けて気分が高まらないかと言われれば、そんなわけがない。行き場もなくここまで火照っていた心に指向性が生まれる。今年こそあらしを救うと決めた。ならば最強という称号をぶら下げるのは悪くない。握ったハジメの手に力が入る。

 

「面白えじゃあねえか、最強かあ……くういい響きだぜ」

「八坂お前なあ……出る人達って武術家とかなんだろ? お前大丈夫なのか?」

「あれ? ハジメさんの友人さんは知らないの? ハジメさんかなり強いんだよ?」

「八坂が?」

「おいおいあんまりハードル上げんなよ」

「ふふ、それに優勝したら一千万だって!」

「「一千万⁉︎」」

 

  少なくない金額にハジメは目を丸くする。一千万、それだけあればいったい何ができるのか。とりあえず今のボロっちい寮からはおさらばだ。

 

「ってなわけでハジメさんよろしくね! 予選会がこれかららしいから頑張って!」

 

  言うだけ言って朝倉は二人の元から走り去ってしまう。妙に急いでいる朝倉を言葉で止めることは叶わず、二人はただ突っ立っていることしかできない。なんとも微妙な空気の中、潤がハジメの方へと顔を向けた。

 

「どうするんだ八坂?」

「行くぜ! あらしさんを救う男なら最強ぐらいにゃなっとかねえとな!」

 

  呆れた顔をする潤を伴って、武闘会への道を歩く。その一歩一歩が向かうごとに強くなる。会場の看板が見える頃には視界の先には人がごった返しており、道着を着た者、武器を持つ者、あらゆる格闘家達が列を作っている。

 

「コスプレ会場みたいだな」

 

  とは潤の言葉。ハジメもそう思ったが、あえて口には出さなかった。そんな二人が受け付けを済ませてしまう頃、会場を少し離れれば今朝会った少年の赤い頭が二人の目に入る。

 

「おうネギ今朝ぶりだな、体調はもういいのか?」

「ハジメ⁉︎ ああうん大丈夫……」

「おいおい本当に大丈夫か?」

 

  なんとも歯切れの悪いネギを心配しての言葉だったが、血色も朝よりよく体調に心配は無いらしい。だというのにネギの様子はどうもおかしく、なんともそわそわとしていて落ち着きが無い。しきりに手に持つ懐中時計とハジメの顔を見比べて、

 

「うんハジメそれより……」

「そうや! それよりハジメの兄ちゃんも出るんかいな? 俺らは勿論出るで!」

「おう小太郎、まあ俺だって最強って称号にゃあ憧れるからな、こういった面白えことには参加しねえと男じゃねえぜ」

「くううやっぱりハジメの兄ちゃんは分かってるなあ! なあネギ! お前も見習わんかい!」

「はははは……」

 

  笑って誤魔化すネギは言いたいことを小太郎に阻まれ笑うことしかできない。ネギの手に握られた懐中時計、その秘密をハジメに言いたかったのだが、その機会は選手の入場が始まってしまったせいでお流れになる。会場へと入り、開始を知らせる紙吹雪が降る中で、大上段に一人の生徒が姿を現れたことでハジメは大きく口を開けた。

 

「ようこそ麻帆良生徒及び学生及び部外者の皆様! 優勝賞金一千万円! 伝統ある大会優勝の栄誉とこの賞金、見事その手に掴んでください‼︎」

「あ、あれーー朝倉さん⁉︎」

「あ、朝倉?」

 

  別の視点から調べるとはこういうことらしい。誰より目立つ場所に立ちながら確かに情報を集めるには絶好の場をいち早く手に掴む朝倉の手腕に脱帽するハジメだったが、驚きはそこでは終わらない。

 

「では今回の主催者より開会の挨拶を!」

「いっ⁉︎」

「復活した『まほら武闘会』への突然の告知に関わらずこれ程の人数が集まってくれたことを感謝します! 学園人気No. 1屋台『超包子』オーナー、超鈴音‼︎」

 

  その姿を見てハジメは嵌められたことに気がついた。麻帆良武闘会を開いた鈴音、その武闘会の司会をやっている朝倉の姿が何よる物語っている。間違いなくハジメが武闘会に参加することに鈴音は一枚噛んでいた。ハジメも出る気満々ではあったが、もし出る気が無くとも鈴音と朝倉が引っ張っていたことだろう。その証拠に壇上に立つ鈴音とその後ろに控える朝倉をハジメが睨めば、満面の笑みを返してくれた。

 

  それから鈴音のやたら芝居掛かった演説が始まったが、ハジメの耳にはほとんど入ってこなかった。ただ観客に笑顔を振りまく鈴音の顔だけが怪しく輝き、呪文詠唱の禁止という突飛な言葉だけが耳に届く。鈴音はパートナーのハジメには特に言うことも無いようで、ハジメが予選会へと向かう道中にのみテレパシーでエールを送ってきた。

 

『ハジメ勝ってネ!』

 

  とはなんとも無責任ではなかろうか。その強い言葉に苦い顔を浮かべながらハジメは空に浮かぶ飛行船のスポットライトに照らされた会場に一歩を踏み入れた。

 

  ネギ・スプリングフィールド

 

  犬上 小太郎

 

  長瀬 楓

 

  古 菲

 

  龍宮 真名

 

  エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル

 

  タカミチ・T・高畑

 

  神楽坂 明日菜

 

  桜咲 刹那

 

  八坂 一

 

  役者は揃った。揃ってしまった。普段本気で拳を合わせない者達が一堂に会する。『最強』その称号のために。一人は自分のために、一人は夢のために、一人は愛する者のために、あらゆる想いが交差する。集まった160人の中からたったの16人が選ばれる。だがそれはおよそ出来レース、もう舞台に上がる者は決まっている。その者達を眺めるように鈴音の目が流された。

 

「では参加者希望者は前へ出てクジをお引きください! 予選会はくじ引きで決まったそれぞれ20名1組のグループで行われるバトルロワイアル!予選会終了ギリギリまで参加を受け付けます! 年齢性別資格制限一切なし! 本戦は学祭2日目、明朝午前8時より! 只今より予選会を開始します‼︎」



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第21話 Sky High

久しぶりなのでブッ飛ばして行きます。


  まほら武闘会予選会は滞りなく、あっという間に終了した。出場を決めた十六人の選手の中にハジメもネギも溢れてしまうことはなく、知らぬ者が見れば予想外の大番狂わせ、知っている者が見れば予想通りすぎるその結果に、観客達は歓声を上げた。学園祭一日目はそうして想いが冷めやらぬまま終わりを迎える。意外だと驚いた顔をしていた潤は宿泊する予定のホテルへと帰っていき、真帆良祭一日目の打ち上げが始まった。昼もすごいものだったが、夜の騒ぎもまた凄い。3-Aの生徒達に巻き込まれて、ハジメも朝方の4時まで騒ぐ羽目になってしまう。くたくたの身体で本戦を迎えるわけにもいかず、重い身体を引きずるようにハジメとネギ達はエヴァンジェリンの別荘へと転がり込むこととなったのだが、澄んだ海の波が寄せる砂浜で、たっぷり睡眠を取ったにも関わらず、ハジメはぐったりと打ち上げられたアザラシのように頭を抱えていた。

 

  その理由は、予選会の一件で一般人が魔法の存在に勘付き始めているからでも、そのおかげで横浜の友人に怪しい目で見られているからでもない。予選会の後に発表された本選のトーナメント表、その組み合わせにある。

 

「ハジメさん大丈夫?」

 

  本選に向けて調整しているネギや小太郎と違い、まほら武闘会ではやることのない木乃香達が心配して声を掛けてくれるのだが、呻いて寝返りをうつだけで返事はない。

 

「いつもなら大丈夫や〜〜言うのに」

「俺だって現実見えてりゃこうもなるぜ」

「へーそんなに強いの?」

「ええ、強いですよ明日菜さん。私にも底が分かりませんよ、長瀬さんの本当の実力は」

 

  長瀬 楓。これまで味方として最も頼もしかった楓がハジメの相手だ。ハジメが仲間の中で、闘いという枠組みでなら最も信頼し、強いと思っている相手が楓である。修学旅行の際も、だからこそ一番厳しいだろうところへ向かってもらった。日常生活においても信頼できるだけの懐の深さを持っている。そんな相手と手合わせの時や枕投げの時と違い本気で戦わねばならない。勝てるビジョンがハジメには全く見えなかった。

 

「勝ってもハジメさんの次の相手、古菲か龍宮さんだもんね」

「勝ってもいねえのに先のことなんか考えられねえよアスナ。だいたい勝てる気がしねえ」

「でもハジメさんだって強いよ? きっと大丈夫や」

 

  大丈夫、今その言葉こそ効果を持たないものはない。ハジメも楓も木乃香にとっては大事な友人だ。それでもハジメに大丈夫と言ってくれる木乃香の言葉は歩法にとって嬉しくはあるのだが、なまじ楓の実力を触り程度でも知ってしまっているせいで、訪れるだろう結果が分かってしまうのだ。ハジメは負け、楓が勝つ。

 

「どうすっかな〜〜」

「ネギ君や小太郎君に聞いてみたら?」

「ネギは高畑先生対策で忙しいから無理だし、小太郎だって選手だから無理だろ」

「じゃあどうするのですか?」

 

  刹那の純粋な疑問が飛んで来るが、ハジメは肩を竦めることしかできなかった。負けるかもしれないとは思っていてもそれを口に出したくはなく、勿論勝つ気ではいる。だがどうするべきか。悩むハジメの視界の端で、ふとネギの姿が消えると、海上に姿を現し大きな水飛沫を上げる。

 

「おお、縮地法の練習ですね」

「何ソレ?」

「読んで字の如く、地を縮める法ですよ。ただあの様子だと縮地というよりは瞬動のレベルのようですが」

「どう違うの?」

「縮地はその性質上瞬間移動に近いですね。入りと出が分からずまさに急に現れたかのように移動しますが、瞬動はとても速く動いているという相手から見て捉えられるかどうかの違いとでも言いますか」

「へーそんな技があるのね」

 

  明日菜と刹那の会話を聞き流しながら、ハジメの脳が活動を始める。縮地、分身といい楓の強さはそのスピードにあると言っていい。視界に写らず、また写ったとして本体の分からない楓の相手は相当に厳しい。だがもし同じ土俵に立てれば、

 

「俺にも勝機はある……か?」

「ハジメさんどうかしたん?」

「ん、ちょっと思いついたことがあってな、俺の流派はネギや小太郎、刹那がやるみてえな遠距離技はねえんだが、近接戦についてはめちゃくちゃ研究されてんだ、だから」

「だから?」

「ちょっと木乃香付き合ってくれよ、本選までこの別荘の中でならまだ数日あるしよ。その間に心抜流の歩法をものにするぜ!」

 

 

 

 

 

「ふむ、やる気は十分とお見受けするでござる」

 

  8時に間に合うようにネギ達が会場へと入れば既にそこには選手達全員が控えていた。本選会場となる静かな木造の空間が、燃えてしまうのではないかというほどピリピリとした空気に包まれている。ネギと話すタカミチを横目に楓がハジメの方に寄って来たその顔は、嬉しそうに綻んでおり、戦うのが楽しみでしょうがないといった感じだ。

 

「まあな、今日は勝たせてもらうぜ」

「ふふふ、なんだかんだ言っても拙者はハジメ殿の本気はまだ見せて貰ってないでござるからな、今日が楽しみでござった」

「相変わらずオメエ顔に似合わず戦闘狂だよなあ、だいたい本気を見せてねえのはオメエもだろ」

「戦闘狂とはヒドイ、バトルマニアがいいでござる」

「どっちも同じだろ」

 

  呆れるハジメに楓は笑顔を崩さずニコニコとしたまま会話を続ける。この少女の余裕を果たして崩すことができるのかハジメには分からないが、それでも今日はそれをやらねばならない。

 

「てかなんだよその格好、バーテンダーか?」

「忍装束では格好がつかないでござるからなあ、それにハジメ殿の方こそ学ランじゃなくていいんでござるか?」

「まあ今回は心抜流の八坂一ってことだぜ」

「……なるほど」

 

  ハジメの格好はいつもと違い剣道着だ。その格好を見慣れているのは刹那ぐらいなもののため、ネギやアスナ達から少なからず好奇の目で見られたが、ハジメが楓に勝つためにはこの格好が必要不可欠だった。ハジメの足元を興味深げに見る楓が何かを言う前に、会場の扉を開けて鈴音と朝倉が姿を現したことによって全員の視線がそちらへ集まる。

 

「ようこお集まり頂きました! 30分後より第一試合を始めさせて頂きますが、15m×15mの能舞台ので行われる15分一本勝負‼︎ 『ダウン10秒』『リングアウト10秒』『気絶』『ギブアップ』で負けとなります。時間内に決着がつかなかった場合観客のメール投票に判断を委ねます!」

 

  朝倉と鈴音が細かなルールの説明を始める。それが遂に始まるのだということを選手達に教え、集まった場の空気が数度上がったように感じられた。

 

  そんな会場の外では既に多くの者達が最強となる者を一目見ようと集まってきており、先日の予選会のこともあってか選手達以上の熱気を見せている。

 

「だから気だって気⁉︎」

「はあ? 何言ってんだ馬鹿じゃねえ?」

 

  予選会で見せられた嘘のような光景、漫画や映画でしか見たことのないような不思議な技が飛び交う光景を再び見ようと格闘技に興味がない者も集まって来ていた。そんな中で応援をしようとハジメの友人も見に来ている。のどか、ハルナ、夕映の隣に潤とマスターも興味深そうに会場の方へと顔をやる。

 

「ゴメンね案内して貰って」

「別に構わないです。えっと上賀茂さん」

「にしてもハジメのやつが武闘会なんて出るとはねえ、一千万かあ、ハジメが勝ったら是非うちの喫茶店に寄付して貰おう♪」

「もうそれマスターがただ使うだけでしょ」

「いいじゃんかあ、それよりハジメのヤツ勝てんの? 予選会は突破したみたいだけど……」

「大丈夫です。ハジメさんは強いですから」

「ネ、ネギ先生だってとっても強いんですよ!」

「へ〜〜あの二人がねえ?」

 

  昨日初めて会った子供とハジメがそこまで強いのか首を傾げるマスターだが、潤は違った意味で首を傾げる。さっきから周りでしきりに観客達が騒いでいる『気』という言葉。何より昨日の予選会で見せられた摩訶不思議な光景が気にかかる。予選会が終わった後にハジメに聞いてみたが、「あんなもんだぜ」といったふわふわとした答えしか返ってこず、どうも納得できない。ハジメは強いと確信しているように言う夕映の姿が、それに加えて少し面白くない。まるで自分の知らないハジメを知っているような態度が引っかかった。

 

「ご来場の皆様お待たせ致しました‼︎」

「お、始まるみたいだよ」

「そうみたいですねって……あれ?」

 

  実況の言葉に続いて能舞台に二人の戦士が姿を現す。だがその姿を見て観客の誰もが一瞬言葉に詰まった。片や学ランを着た一人の少年、片やローブを着た中学生の少女、その二人は最強を決めるという武闘会には全く似合っておらず、疑問の声があちらこちらから飛ぶ。

 

「おいおい、あれって大丈夫なの?」

「え〜〜どうなんでしょう? 昨日の予選会ではあの小太郎って子は凄かったですよ?」

「本当か〜〜? なんか盛り上がりに欠けると思うけど……」

「大丈夫見てれば分かりますよ」

「夕映ちゃんそうは言うけどさあ……ん?」

 

  少女と少年のお遊戯会は見たくないんだよねえと缶ビールを持つマスターの目に信じられない光景が飛び込んでくる。目の前で少年が消えたかと思えば、天に向かって手を突き出し、遥か上空に少女が吹き飛んだ。誰もが間抜けに口を開けたまま、声を出すより早く少女が場外に張られている水面に落ちて小さな水音が会場を支配した。

 

「こっこれはーー⁉︎ 小太郎選手信じられないスピードで間合いを詰め、い、今のは掌底、アッパーでしょうか⁉︎ 少女の身体が10mは吹き飛んだーーッ⁉︎」

「……マジで?」

「ね? マスター変でしょ?」

「変って言うか、あの小太郎ってヤツまさかやよゐとかあらしと同じなわけじゃないよな?」

「いや違うでしょ……だいたいそれだったら他の子達もみんなそうなっちゃいますよ」

「アレにハジメは勝てないだろ、ああん一千万円があ」

「マスター……はあ」

 

  落ち込むマスターは追加の缶ビールを売り子から買い、すっかり諦めモードになってしまったらしい。それに潤は呆れると視線を会場の方へと戻した。周りの者達もマスターと同じように驚くだけだが、隣に控えるネギの生徒達が妙に落ち着いていることが気にかかる。

 

「すごいね、ここってあんな子達ばっかりなの?」

「いえそんなことは……ただネギ先生もハジメさんも強いですよ」

「ふーん……八坂がそんなにね、昨日も凄くはあったけどなんか普通の範疇って感じだったし……なんでか知ってる?」

「え⁉︎ いえその……ハジメさんはあらしさんのために強くなったと」

「ふーん……」

 

  なんとも歯切れの悪い夕映の態度が怪しいと潤に訴えかける。あらしのために強くなった、確かにハジメならそれぐらいやりそうではあるが、いくらなんでも今見たことと同じことをハジメができるとは思えない。そんな疑問を持ちつつも第二試合と進んで行き、それは普通に格闘技の試合の様相を示し、潤は余計に分からなくなってしまった。

 

「いよいよ次なのです」

「そうだね、ほらマスター、八坂が出ますよ」

「ようやっとハジメの番か」

「あ、いたいたみんな」

「おはよー木乃香」

「うんおはよー、ハジメさーーん頑張ってや〜〜!」

 

  新たな少女の登場とハジメへの応援に潤はまた顔を少し苦くして会場の方へと目を移す。そこには見慣れた少年が鉄刀を担ぎ、背の高い少女が悠々と姿を見せたところであった。

 

「なんだあれ?」

 

  その言葉は誰が言ったものだったのか分からない。分からないが、皆一様にして似たような顔で会場にいるハジメの方を見ている。知っているかもしれないハジメの新たな友人達へと潤は目を走らせるのだが、その顔は他の観客達と大差ないものだ。

 

  長い。

 

  誰もが初めにそう思う。剣道着姿のハジメが手に持つ鉄刀。予選会の時は普通の木刀であったのだが、それが今は物干し竿のような鉄の棒に変わっていた。その長さおよそ五尺。150センチ近い鉄刀を担ぐハジメの姿は、ハジメの高い身長と相まって異様の一言に尽きた。

 

「あ……さあ第3回試合‼︎ 知る人ぞ知る剣道部の二人の剣鬼のうちの一人、八坂 一選手! そして、さんぽ部からの刺客、長瀬 楓選手! さあこの二人はいったいどんな試合を見せるのか! ハジメ選手の異様な姿が既に勝負の苛烈さを物語っています!」

「ったく朝倉のヤツ本当に白々しいな」

「ははは、ある意味プロでござるよ」

 

  広い会場の歓声もあまりハジメの耳には入ってこなかった。ただ一人、楓の姿だけが目に映る。気を抜けるほど楓が甘くはないことも、強いこともよくわかっているから。だが、そんな雰囲気を微塵も感じさせず、普段通りの立ち振る舞いをする楓も、ハジメの鉄刀を見ると僅かに目の色を変えた。

 

「長刀……心抜流としてのハジメ殿でござるか、本気も本気、嬉しいでござる」

「急遽相棒に頼んでな、無事に間に合ったぜ。オメエの相手をするにはこれくらい必要だからな」

「では拙者も本気でお相手しよう、甲賀の妙技お見せする」

 

「第3試合! Fight‼︎」

 

 

 




最近ものすごくACFAのハリを主人公にしたISとのクロスが書きたい今日この頃


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第22話 四方八方肘鉄砲

「は?」

 

  息をするように間の抜けた空気と一緒になって、ハジメの口から言葉が溢れる。朝倉の試合開始の合図が耳に届いたと思うと同時に、ハジメの視界を入道雲の沸き立つ青空が覆っていた。急に思い出されたかのように耳を劈く金属音と手の痺れがハジメを襲う。

 

「なんと⁉︎ 長瀬選手が消えたと同時に八坂選手が吹き飛んだ⁉︎ いったい何が起きたんだあ⁉︎」

 

  ありがたいことに朝倉の実況のおかげで楓にやられたらしいとハジメが理解した直後に背中に試合場の固い床の感触を感じ、急いで態勢を立て直そうと動くのだが、ハジメが立ち上がるよりも早く、今度は真横に吹き飛ばされる。手に持つ鉄棒が唸りを上げ、ハジメがなんとか着地しようとするよりも早く、新たな衝撃がハジメを襲った。

 

「こ、これはいったいどうしたことなのか⁉︎ 長瀬選手の姿が見当たらず、八坂選手がひとりでに吹き飛んでいるように見えます! 」

「長瀬選手が早すぎて目に映らないんです、凄いスピードだ。所謂『縮地』と言うものですね」

「縮地とは、あの地を縮めるという特殊な移動術のことですか」

「はい、私も使い手は初めて見ましたが、いやあ凄い」

「なるほど、ありがとうございます。解説の豪徳寺さん。以上、解説者席でした」

「ありがとうございます! しかしこれがさんぽ部の奥義なのでしょうか? 凄まじい‼︎ (うわぁ……ハジメさん……うわぁ)」

 

  会場で繰り広げられる人間お手玉に、観客はただただ感心し、驚きに声が出ない。観客の視線はハジメを追って右にいったり左にきたり、いつ試合が終わってもおかしくはないような状況だが、見ている者たちは皆一様に同じ感想をしばらく眺めているうちに持った。なかなか決着つかないなと。

 

  それもそのはず、ハジメは地に足こそ着かないが、迫り来る楓の攻撃を、しっかりと手に持った鉄棒で凌いでいた。その証拠に、ハジメが吹き飛ぶたびに甲高い金属音が一つなる。だがそれで精一杯、反撃はできず、僅かに感じる迫り来る楓の気に向けて鉄棒を滑り込ませているだけだ。

 

  これもこのかとの修行の成果だ。速さに対する訓練をハジメは別にしていたわけではない。わけではないのだが、このかとの修行は毎回死角からやってくる攻撃との戦いだった。数十近い式神をわんさか出し、四方八方からタコ殴り。袋叩きにあっている気分をこれでもかと味わう羽目になったが、その効果はしっかりとあったらしい。

 

  だが、このままではジリ貧だ。腕が痺れ、動かなくなった時が最後。まともに一発を喰らい、それで終わってしまうだろう。それはいけない。本気でやろうと言っておいて、何もできずに終わりましたでは格好が悪すぎる。

 

  再度空を舞うハジメは、空中にいる状態でいつもの型への態勢をなんとか作る。次に必要なのは一歩であるが、その一歩を踏む場所がハジメにはない。だが、それで十分であった。地面がスレスレまで迫った瞬間、大地に向かって、削るように大きく鉄棒を振るう。気によって底上げされた鉄棒は、試合場の石畳を細かく砕き、大きな砂煙を巻き起こす。

 

「あっーーっと、これは、全く何も見えません!」

 

  朝倉の実況が挟まれ、成功したと浮かれている時間はない。少しの間を作ることには成功したが、全く油断ならない状況だ。楓の気へと意識を集中すれば、これまで一つだったはずの気が二つ、三つ、四つと増えた。

 

(分身か)

 

  楓お得意の分身術。前後左右に楓の気が移る。この厄介さは、枕投げの時に嫌という程身に感じた。前後左右から、合図があるわけでもあるまいに、同時に迫る四つの気。ハジメは小さく舌を打つが、同時に口は弧を描く。

 

「なっ⁉︎」

「ようやっと驚いたな!」

 

  楓に向かって鉄棒が伸ばされる。『四つ』の楓に『四つ』の鉄棒。まさか全員に同時に対処するとは思わなかった楓の顔が、初めて驚きの表情へと変わり、咄嗟に前に出した腕でなんとかそらす。

 

「いやいやまさか、ハジメ殿、分身術……とはまた違うようでござるな」

 

  ハジメの身体が少しぶれると、一本のはずの鉄棒が数本に分かれ、その分鉄棒の握る腕も増えて見える。その姿は不出来な阿修羅像のようだ。

 

  心抜流は、長い長刀を使うせいでどうしても手数という点で劣ってしまう。実際に生まれて間もない頃は、多勢に無勢がはっきりとした弱点であった。どれだけ力のある使い手であっても、戦さ場に放り込まれれば、あれよあれよと傷つけられ、最後には打ち取られてしまう。そうならないように、当然生み出された技がある。体捌き、それはいかに相手を切りやすい位置に持っていくか。その歩法と、長刀特有のしなりを利用し、強引に手数を増やす技。

 

「これぞ心抜流『朧雲』ってな! マジで間に合ってよかったぜ」

「ふふふ、拙者のためにそこまでしてくれるとは嬉しいでござるな」

「ああ、だから勝たせて貰うぜ!」

「それは嫌でござる」

「中では何が起こっているのか! 全く状況が分かりません! しかしこの音を聞く限り激しさが増しているぞお!」

 

  一方的にリズムを刻むように響いていた金属音は変わり、一対一とは思えない音が続く。マシンガンを放ったように、連続的に続く金属音が、何も見えないこともあり、観客達の不安を煽り、誰もが固唾を飲んだ。

 

  静かに、不気味に高揚していく会場とは裏腹に、砂煙の中は、激しさの絶頂にあった。遂に16まで増えた楓の攻撃を、限界を超えて鉄棒を増やし迎撃するハジメは呼吸一つおぼつかない。

 

  飛んで来る無数の拳撃を、三つに増えた鉄棒が叩き落とし、息をする間もなく四つ目の鉄棒が一人の楓を突き破るが、残りの15人が縦横無尽にハジメの周りを駆け回り、数を減らしたにも関わらず、いつの間にか数が戻っている。

 

  激しさが増しただけで、状況がハジメにとってジリ貧であることに変わりはなかった。

 

(くそっ……強え! マジで強えな! 本当に中学生かよ!)

 

  遊びではなく、本気で相対してこそ分かることがある。楓が相当の強者であろうことは初めから分かっていたことではあったが、その厄介さと強さが、ようやく身を持って実感できた。

 

  目で捉えきれないスピードに加え、今は使っていないが正確無比の飛び道具。倒しても倒しても無尽蔵に湧き出て来る分身と、近接戦でさえ隙がない。この楓と京都で勝負する羽目になった小太郎にハジメは同情の念を抱く。向かわせたのはハジメだが、突如こんなのが目の前に現れたならば、自暴自棄になってもおかしくはない。それだけ楓は強いのだ。

 

  これまで味方でいてくれたことへの感謝と、楓の強さと優しさに畏敬の念を払いつつ、しかし負けるわけにもいかない。それはハジメにとってとても単純なことだ。

 

  男だから。

 

  子供っぽいが、それが全てだ。この勝負にはあらしは関係ないとはいえ、それでも勝負事。何より腕っ節の強さで女の子には負けたくない。そんな単純で幼稚な理由がハジメを動かしている。つまるところ男の意地だ。

 

(負けたくねえ、長瀬は本当にいい女だよ、だからこそ、そんな長瀬より強くいてえ)

 

  だから楓が再度投擲した苦無を、打ち払うことなく、ハジメはその身体でいくつかの拳を受ける。

 

「いかん⁉︎」

 

  その代わりに身体を引き絞り、最もハジメが得意とする態勢へと持って行った。一度構えてしまえば、身体を丸めた形は急所を守り、解き放たれるまで崩れはしない。本気の踏み込みと、後先考えず振るわれる鉄棒。五尺近い鉄棒によって、本気の心抜流居合術が楓に迫る。

 

  手に持つ獲物が長ければ長い程、その切っ先の最高速度は上がる。それに加えて気によって加速、打ち込まれた足は石畳を叩き割り、楓の態勢が僅かに崩れた。それで十分だ。振るわれる鉄棒は嵐の如く。空気の壁を切り裂いて、当たらずとも関係ない。薄くなってきた砂煙ごと、雷が落ちたような轟音と共に、周りを取り巻く楓を残らず衝撃波が吹き飛ばした。

 

「うえっ⁉︎ あっと……これは」

 

  急に顕になった試合会場に、誰もが口を開けない。石畳の上に転がる十数人の楓と、ボロボロになっているハジメ。そして急に弾け飛んだ砂煙。第一、第二試合と打って変わって静かな会場で、肩で息をするハジメは、大きく一度息を吸って呼吸を整えると、笑いながら立ち上がった楓の一人に向かって笑顔を向ける。

 

「いや、凄まじいでござるな。まさかここまでとは恐れいった」

「よく言うぜ、こっちはもういっぱいいっぱいだっての」

「ふふふ、いやはやこれだから面白い。ただ……」

「ああ、もうそろそろ終わりだ。行くぜ楓! 俺はここで限界を超える!」

「その意気やよし! 全力で行く!」

 

  会場を置いてきぼりにして、16人の楓がハジメに向かって殺到する。ハジメは鉄棒を掲げ、阿修羅が会場に再び舞い降りた。

 

  会場は静かだ。ある種化け物退治をしているような光景に目が離せず、喉から出かかる声が、どうしても出てこない。その異様な雰囲気にしばし惚けてしまっていた朝倉だったが、実況としての自分を思い出し、すぐさまマイクを強く握った。

 

「なんということだあ‼︎ 剣道部の剣鬼は正しく鬼だった! さんぽ部と剣道部の秘技の衝突! 恥ずかしながら実況の私も見入ってしまいました! これこそ最強を決める戦いだ‼︎」

「「「「「うおおおおお!!!!」」」」」

「解説の豪徳寺さん、あれはなんでしょう?」

「長瀬選手の技は影分身ですね! 私も初めて見ます! 八坂選手の技も分身術の一種だとは思うのですが、いやあ凄い! まさかこんな戦いが見られるとは‼︎」

 

  朝倉の実況に背中を押され、観客の口から出よう出ようと抑圧されていた歓声が解き放たれる。彼らが見たかったものはこれだ。夢のような御伽噺のような光景に、今日一番の歓声があがる。しかし、熱狂渦巻く会場とは対照的に、ハジメと楓の内心は、澄み切った青空のように静かなものだ。二人にはお互いしか目に映っていない。ハジメは最高の友人に勝つために腕を振るい続け、それに応えようと楓も動き続ける。厳しいのはハジメだけではない。楓も心の中でたらりと冷や汗をかいている。

 

  正直ハジメがここまでやるとは思っていなかった。ハジメに最も足りなかった手数という弱点を克服され、また、少しでも間が開いたり、隙が出来れば、死の一歩を踏み出される。そうして捲き起こる嵐は、楓をして脅威であった。学園にこれまでこんな者が隠れていようとは、まだまだ修行が足りないなと、自嘲しながらも、この厳しくも楽しい戦いを止められない。ハジメは武人然とはしていないが、真っ直ぐに伸びる剣筋は、受けていて気持ちがいい。

 

  しかし、それも永遠に続くわけはない。慣れない技を出し続けるハジメの腕には限界が迫っていた。手の感覚は朧げで、今にも手から鉄棒を落としてしまいそうだ。ならば、このままジリジリと力尽きるよりも、最後の一撃に賭けようと、ハジメは動きをピタリと止めて、拳撃の雨に身を晒す。

 

「くあっ⁉︎ ……ッ、行くぜ楓‼︎ 出し惜しみはなしだ‼︎」

「来いハジメ!」

 

  構えたハジメに向かい、楓は分身の数を減らす。手を抜いたわけではない。最も実力の発揮できる四つ身分身になり、ハジメの前後左右から最速で同時に技をかける。楓忍法朧十字。徒手空拳であろうとも相手を引き裂く一撃に相対するは、ハジメが振るえる最強の一撃。すなわち、嵐と朧雲の合わせ技。打ち下ろす足は大地を踏み抜き、そのエネルギーを手に持つ刃に乗せて、決して離さぬように、手の跡が残るほど握りしめる。無数にブレた刃が最高速度をもって会場中に花開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………ごめんヨハジメ』

 

  頭の中で、弱々しく繰り返される聞き慣れた声で、ハジメは目を覚ました。霞んだ目に映るのは、見慣れぬ天井と、風にそよぐカーテン。人影はなく、再び頭の中で「ごめんネ」と泣きそうな鈴音の声で、ようやっと意識がはっきりしだした。

 

「………………負けた」

 

  最後の瞬間、振るった技が楓に当たることはなかった。その理由は、朧雲、その技にこそある。長物特有のしなりを用いるこの技は、手に持つ獲物に多大な負荷をかけることになる。ハジメが今回用いた鉄棒は、鈴音と葉加瀬手製のもので、決して質の低いものではないが、それでも朧雲の負荷と、最後の技の衝撃に武器の方が耐えられなかった。そのため、楓に当たる前に鉄棒は砕け、ハジメの勝ちの目は完全に潰えたのである。

 

  夢を見ていたみたいだと、身体に力の入らない空っぽになった身をベットに預けたまま、長い長いため息を吐く。

 

『……ごめんネ』

「いいさ鈴音」

 

  ハジメの状態に気がついていないのか、謝り続ける鈴音の声を聞いて、ようやくハジメは身を起こす。ハジメの武器を作った鈴音だからこそ、製作者として申し訳なさを鈴音は感じているのだろうが、そんなことはないと戦ったハジメだからこそ分かる。

 

「まだまだだったよ、楓は強え。最後武器が無事だったとしても、楓の拳の方が先に俺に当たってたぜ。寧ろあそこまでやれたのはオメエのおかげだ。にしても飛び道具、刃物なしでこれだぜ? 世界は広えな」

 

  そう言うと、鈴音の謝る声は止み、なんとも言えない痒いような感情が流れ込んでくる。少しするとそれも止まり、静かな空気が辺りを包む。耳を澄ませば遠くの方で歓声が聞こえた。ぼーっとそれに耳を澄ませていると、カーテンがスーッと開けられる。

 

「八坂起きたのか」

「おー潤じゃねえか、どうしたんだ?」

「どうしたじゃないよ、大丈夫なのか? お前大分派手に吹っ飛んでたけど」

「大丈夫大丈夫、あーあ、負けた負けた負けちまった」

 

  心配そうな顔をする潤を安心させようと、軽い感じで答えるハジメだが、潤の顔は優れない。潤は小さなため息を吐くと、ゆっくりとベットに腰掛けた。

 

「でも凄かったな、八坂あんなに強かったんだ」

「ん、まあな。男子三日会わざればってな」

「あっそ、それにしてもアレいったいどうやったんだ? 人間技じゃないだろ」

「いやまあなんて言うんだ? 俺の隠された実力っていうかよ」

「あーはいはい。喋る気ないんだな、いいよ別に」

 

  拗ねたように潤は顔をそらし、そんな潤に掛ける言葉が見当たらずハジメは誤魔化すように頭を掻く。気まずい空気が部屋の中に流れ、どうにかその流れを変えようと、ハジメは大会のことを聞くことにする。

 

「そういやアレからどうなった? 今何時だ?」

「もう二回戦始まってるよ、ネギくん達の試合も終わっちゃったぞ」

「おうネギのか! どうだったよ」

「勝ったよ、八坂と違って」

「けっ! どうせ俺は負け犬だぜ! にしても酷えよなあ、見舞いに来るのが潤だけなんてよお」

「…………そんなに悔しいのか?」

 

  なんとか気丈に振舞っていたが、シーツを掴む手の強さが潤にバレてしまったらしい。それがとても恥ずかしく、潤の顔をハジメはまともに見ることが出来ない。

 

「なんとか言えよ」

「……そりゃ悔しいぜ、勝ちたかったよ」

「……そっか、あらしさんのため?」

「いや、もっとガキっぽいから言いたくねえ」

「もともとガキだろ」

「うっせえな、ほっとけ」

 

  それから二人とも口を開くことはなかった。少し一人になりたいなと思っていたハジメであったが、潤は腰掛けたベットから動くことはなく。しばらく二人で静かに時間を潰す。こうして八坂ハジメのまほら武闘会は、一回戦で終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  潤もいなくなり、ようやくハジメは一人になった。ネギ達の試合は今も続いているが、それを見に行く気にはまだならない。悔しい。その思いに嘘はないが、それと同時に不思議と晴れ晴れとした気持ちもある。自分の中で最強だと思っている相手と、いろいろ制約があったとはいえ、勝負の形になったのだ。まほらに来た頃には考えられないほどハジメは強くなっている。それもまだ途中、自分の先に広がる道は限りなく広く、まだまだ前に行けるのだ。嬉しさと悔しさの入り混じった力で強くハジメが拳を握っていると、ハジメのいる救護室の部屋の扉が開く。

 

  誰が来たのか。だが誰でも関係なく、今はあまり人に会いたくはないなと、自分にようならば帰って貰おうと思っていたのだが、カーテンを開けて現れた人物を見て、ハジメは言葉に詰まった。

 

  長めの髪はおさげに纏められ、キラリと光る丸い眼鏡。葉加瀬聡美がそこにはいた。何度も顔を合わせているハジメだが、研究室でいつも見る空気とはまるで別の空気を纏っている。真剣さの方向性が違うと言うか、ピリピリとした空気が目に見えて分かる。

 

「ハジメさん、超さんからお話があります。来ていただけますね?」

 

  葉加瀬の眼鏡が鋭くキラリと輝いた気がした。ハジメの戦いはまだ終わってはいない。

 

 

 

 

 

 

 




葉加瀬は真剣なのではなく、超にハジメを呼んでくるように頼まれてイラついているだけ。そしてクウネル、出番が……。


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第23話 あなただけ見つめてる

  葉加瀬に連れられて向かう先は、試合会場とはまるで別の場所であった。そこはハジメにとって見覚えのありすぎる場所。葉加瀬と鈴音と三人でいつも騒いでいる研究室への道のりである。窓から外を眺めれば、学園の中では相変わらず生徒達が楽しそうに学園祭を謳歌しており、また別の場所では、幾つもの見慣れぬ光が空を彩っている。そこがまほら武闘会の会場であると、見ればすぐに分かり、遠目で見ている分には綺麗でしかないなと、楓との死闘が遠い昔のことのようにハジメには思えた。

 

  前を歩く葉加瀬は、救護室にいた時から変わらずピリピリとした空気を纏っており、そのせいかここまで一言も会話がない。普段研究以外無頓着だが、明るい葉加瀬に似合わぬ後ろ姿に、ハジメは顔を苦くする。

 

「……なあ聡美」

「なんですか?」

「なんでそんなピリピリしてんだ?」

 

  ハジメの言葉に、ピキリという音が葉加瀬の額から聞こえた気がした。そもそも、葉加瀬からしてみればこんなことをしている場合ではない。遂にタカミチが動き、つい先程も鈴音と龍宮の二人がそれを撃退したところだ。そんなタイミングで何を思ったのかようやく鈴音は踏ん切りをつけた。にも関わらず、

 

「私は今忙しいネ! もう、本当に忙しいヨ! だからそう、ハジメを呼んでくるのはハカセがやってくれないカ? ほら話すのは私がちゃんとやるからネ!」

「いや、超さんが行けばもうそこで話せるでしょ」

「ああ忙しい忙しいネ〜〜!!!!」

「子供ですか……」

 

  というなんとも情けない親友の姿にため息を吐きながら、渋々葉加瀬は了承した。そうでなければ鈴音はいつまでたっても話そうにない。その時居合わせていた龍宮のこれまで見たことのない惚けた表情を葉加瀬は忘れることができそうにない。そんなことがあったとは知らないハジメは、ただいつもと違う葉加瀬の姿が不気味であり、遂に聞くことになる鈴音の話に緊張だけが先行していた。まあ鈴音の話はその通り真面目なものなのだが。

 

  雰囲気の違う葉加瀬は、いつも歩く研究室へと続く廊下の空気も変えてしまっているようで、学園祭で他の人の姿がないこともあり、大きな怪物の体内を歩いているように気味が悪い。目的地へと近づくごとに、ジリジリと生温い空気を感じ、息が詰まりそうだ。目的地にいるであろうハジメのもう一人の親友もこんな空気を纏っているかと思うと、試合とは違う捉えようのない鋭い空気が息をする度に肺に突き刺さっているようで、覚悟を決めていたはずのハジメの足が鈍っていく。

 

  ただ、廊下は永遠に続いているはずもなく、見慣れた教室の標識が、ハジメの眼鏡の上の縁から近づいてくる。入りたいような、入りたくないような、研究室の質素な扉は、パンドラの箱の蓋と変わらない。開けてはならないそれは、しかし、ハジメが開けようとしなくても勝手に開いてしまう。躊躇するなどということはなく、ハジメの前にいる葉加瀬は扉の前まで進むと、すぐに取っ手を手に取り、何かの鬱憤を晴らすように勢いよく扉は開けた。

 

「ヤヤヤヤあ、ハジメ! まま、待てたネ!」

 

  そこにいたのは当然鈴音であるのだが、どうも様子がおかしい。声は震えているし、鈴音が言葉を噛むところなどハジメは初めて見た。これまでハジメを縛っていた目に見えぬ緊張の糸はぷっつりと蜘蛛の糸のように綺麗に切れてしまい、その余波のせいか、軽い目眩を覚える。

 

「おう鈴音…………なんか顔赤いぞ、マジ大丈夫か? 」

「な、なにがヨ? 大丈夫に決まてるネ! もうホント絶好調ヨ! まほら武闘会もうまくイてるし、茶々丸もそう思うネ!」

「……そうですね」

「なんだよ茶々丸もいんのか、なあ聡美」

「ハジメさん、お願いですから今はなにも言わないでください。言わないでください」

「お、おう」

 

  どうせなら鈴音とハジメの二人きりにさせてあげようかなあと、親友へのお節介を考えていた葉加瀬の思惑は見事に外れ、人の身にあまる大望を抱く親友は思いの外ビビりであったという見たくもない事実を見せつけられ、ある意味嬉しいやら悲しいやら、葉加瀬はその天才的な頭脳を稼働させることを止めた。もうどうにでもなあれとハジメを鈴音の前に出し、鈴音の背後へとまわる。

 

「そ、それでハジメ、来てくれたてことは私の話を聞いてくれるということでいいネ?」

「ああ、いいぜ」

「本当にいいネ? 一度聞いたらもう引き返せないネ」

「おう」

「本当に? ひょとしたらハジメにとてよくない話かもしれないヨ?」

「構わねえ」

「イヤでも、聞かなければよかたて後で思うかもしれないヨ?」

「…………覚悟はしてるぜ」

「イヤイヤだけど、って痛⁉︎ いきなりなにするヨハカセ⁉︎」

 

  背後へ振り返った鈴音が見たのは、それは今まで見たこともないナニかだった。光る眼鏡は聡美の目を隠し、その奥底に眠るものを決して外に出してはいけないと抑えつける。ゆらゆら揺れる二つのおさげは死神の鎌のようであり、揺れる度にナニかを刈り取っていっているようだ。ハジメは思った。ああ、聡美は怒らせちゃいけない奴だと。茶々丸は思った。これが恐怖と呼ばれるものかと。鈴音は感じた。葉加瀬の身から立ち上る時間がないんですよ? 他にも面倒ごとはいろいろあるんですよ? という無言の正論の嵐を。

 

「ま、まあ茶番はコレくらいにして本題に入るヨ」

 

  ハジメに向き直った鈴音の目尻には今にも溢れそうな雫が光、全く威厳などない。真面目な空気は部屋の扉を開けた時にすべからく流れ去ってしまったらしいが、形だけでも取り繕わなければ部屋を支配している丸眼鏡の暴君がいつ暴れるか分かったものではない。ハジメも鈴音も、そして茶々丸もなんとか真面目な表情を無理矢理顔に刻んだせいで、逆に変な空気に研究室は浸かってしまった。

 

「ハジメ、覚えているカ? 私がハカセとやろうとしていること、それをハジメにも手伝って欲しくてパートナーにまで誘っていたネ」

「ああ、聞く前にパートナーにはなっちまったが、なったからには話を聞くってな。で? 俺にいったいなにを手伝って欲しいんだ」

「それは許されないことヨ、はっきり言って私はテロリストネ」

「……」

「なにも言わないのカ?」

「取り敢えず全部聞いてからだ」

 

  少しの間鈴音は黙っていたが、ハジメが本当になにも言わないのを確認すると、冗談めかして笑みを浮かべた。

 

「全世界に魔法使いの存在をばらすネ」

「……は?」

 

  思わず変な声が出てしまった。魔法をばらす。その意味が分からないハジメではないが、魔法を一般人にバラした時のリスクはネギから聞いていた。大変な罰を受けてまでなぜそれを鈴音はやるというのか、それがハジメには分からない。

 

「なんでだ?」

「それは……」

 

  いったいなぜか。これまで鈴音が話そうとしていたことを遂に口に出したはずなのに、鈴音の顔は優れない。もっと大事で重要なことを隠しているが、それを言わなければいけないというように。何度も唇を舌で舐め、口を開こうとしては止めている。鈴音の背後に立つ葉加瀬と茶々丸はなにも言う気はないようで、鈴音の背を二人は静かに見つめていた。

 

「ハジメ……」

 

  たっぷりと時間を使って零されたのはハジメの名前。その震えた言葉は、これまでの空気を変えるのに十分であった。何か決定的なことを言おうとしている。鈴音の姿を見ればそれが分かる。本当は聞いて欲しくないのかもしれない。縮こまった鈴音の肩と、逃げ場を探すように四方へ散らばる鈴音の視線が、ハジメに耳を塞いでくれと訴えている。だが、それはしない。イヤ出来ない。それをすれば何も変わらないだろうが、それでは意味がないのだ。鈴音も葉加瀬も親友だ。その親友の優しさも強さもよく知っている。テロリストだと鈴音は言ったが、それをそのまま信じるほど、ハジメは鈴音のことを知らないわけではない。何か理由がある。そしてその理由を言おうとしている。ならば聞かなければいけないだろう。

 

  ハジメはただじっと鈴音の顔を目をそらさずに真っ直ぐ見つめ、それを受けた鈴音の目のブレが小さくなっていき目と目が合う。ハジメの目に惹かれるように、鈴音の身体の震えは止まり、引っ張りだされるかのように言葉が口から滑り出した。

 

「ハジメ……私が……未来から来たと言ったら信じるか?」

「おいそりゃあ⁉︎」

「だから……未来ヨ、私は百年ぐらい先の未来からやって来たネ。未来の火星からヨ。未来では火星と地球で戦争をしていてネ、魔法の存在も周知の事実。そのせいで戦争が起きたと言っても過言じゃないネ、そして私もそれに参加していたネ。毎日毎日人が死んだヨ。親も、友達も、大事な人がどんどんいなくなる。でも私にはそれを変える力があた、神の悪戯か私に流れる血の仕業か。私は時を超える力を自分の手で作り上げたネ、それは過去を変えるため。戦争を回避し、大切な人を救うため。そのために私は過去に来たヨ。何をしてでも目的を達成しようと思ていた。私にとって大事な今はここじゃあない、そう思てたのに、ここで大事なものが増えすぎてしまたネ。ハカセも茶々丸も……ハジメも私にとって掛け替えのない大切なものヨ。でも……でもそれでも未来は手放せない。それも私にとってはとても大切ネ。だから……今、世界に魔法の存在をばらせば戦争は起きないかもしれないヨ。でも……だから……でも……」

 

  押しとどめられていた壁は崩れ去り、一度点いた小さな火が、全てを燃やし尽くす大炎へと変わるように鈴音の言葉は止まらなかった。しかし、その熱に自分の身を焦がしてしまうかのように溢れる感情に自分自身が飲み込まれ、口から出るはずの言葉の代わりに、目から感情の結晶がボロボロと零れ落ちる。抱きしめるべきか。気の利いたことの一つでも言うか。そんなことはハジメには出来なかった。

 

  ただじっと、じっと鈴音を見つめる。どんな思いでここまで来たのか。目的は違うし境遇も違う。目指すものの大きさも当然違う。だが同じだ。鈴音は同じ。ハジメの目には鈴音の姿が、鏡に映る自分のように全く同じに映っていた。

 

「信じる」

 

  それ以外に言うことはない。その言葉以外口に出せない。そう言うと、何を感じたのか分からないが、鈴音を押し留めていたものは決壊し、頬に洪水が流れ始める。膝の力は抜けてしまい、その場にへたり込む鈴音を、ハカセと茶々丸が支えた。そしてそれはハジメも同じだ。倒れこんでしまわぬように、鈴音の肩をしっかりと掴む。小さな肩だ。その肩にいったいどれだけ大きく重いものを背負っているのか。

 

  ハジメを見上げる鈴音の顔は、溢れ出した感情でぐしゃぐしゃであったが、それはとても美しかった。だがそれには拭い切れぬ影がある。それがハジメにも分かる。待っているのだ。話は終わった。例え全て語っていなかろうと、鈴音の全てが今の姿だ。ハジメが鈴音と共に歩むのか、そうではないのか。ハジメの心の内側を見ることのできない鈴音は、人生で最も長い沈黙の時を過ごしたが、ハジメの中ではもう答えが出ていた。

 

  ハジメには鈴音を否定することができない。過去を変えることが、人を殺してしまうことよりも重い罪であったとして、それでも救いたいものがあるのだ。例え世界中が鈴音を否定したとして、ハジメだけは鈴音を否定できない。してはいけない。もしすれば、ハジメの愛する人への想いまで投げ捨ててしまうことになるからだ。どれだけ滑稽で、しょうもないことになろうとも、時を超えてでも成し遂げなければいけないことがあるのだ。

 

  この瞬間、鈴音の真の理解者はハジメしかいない。そしてもしハジメが自分のことを話したら、ハジメの真の理解者は鈴音しかいないだろう。

 

「鈴音」

 

  鈴音に落とされる声は、これまで聞いて来たどんな言葉よりも優しい音色がした。低く身体の芯まで揺さぶる音色は、とても心地いいはずなのに、続きを聞きたくはないと弱々しく顔を横に振る。それを優しくハジメのゴツゴツとした大きな手が添えられると、ハジメは小さく微笑んだ。

 

「掴んでやろうぜ未来ってやつを、一緒によ!」

「……ハジメ…………ハジメ……ハジメ、ハジメ! ハジメ‼︎」

 

  心は再び燃え上り、言葉では表し切れない感情を鈴音は自分に出来る限りでハジメに伝える。身体中に漲るエネルギーをハジメへとぶつけるように胸へと飛び込み、首へと手を回すと、言葉を紡ぐのも億劫だと、唇と唇を繋いだ。

 

「うわあ、超さん……そんなムードもへったくれもない……」

「ハカセ、私たちはここにいるべきなのでしょうか? びっくりするぐらい蚊帳の外なのですが……」

「外で護衛してくれている龍宮さんの方がそうですよ……龍宮さんと繋いでいる通信機からさっきから大爆笑が続いていて、クラスの人たちが見ていたらどう思うんでしょうね」

「それよりハカセ、ハジメさん青くなってきてますよ」

「まあ渾身の力で抱きしめられて口を塞がれれば……って! 超さんそろそろ離れてください! このままじゃハジメさんの力を借りる前に使い物にならなくなっちゃいますよ‼︎」

 

  茶々丸とハカセがどれだけ引っ張ろうとも、鈴音は全く剥がれなかった。足さえ絡めてハジメに引っ付く鈴音を引き剥がすのに龍宮の力を借りてさえ十分かかり、ハジメは一生分口付けをした気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハ?」

 

  鈴音が落ち着くまで多大な時間を使ったにも関わらず、にやけた顔を隠そうともせず、鈴音を前にしていたハジメ、葉加瀬、茶々丸、龍宮の顔はそれは苦いものであったが、ここまで来たらハジメも自分のことを話すしかないと口を開いた結果、全員の口が間抜けに開いた。

 

「え? ハジメさんそれは本当ですか?」

「にわかには信じられん」

「時間跳躍とは、それも幽霊と、どれだけあらしさんのことを調べても分からなかったわけです」

 

  葉加瀬、龍宮、茶々丸と想い想いの感想を口にするが、鈴音は笑顔で口を開き固まったまま、何も言わず動かない。

 

「いやはや凄い! 世紀の大発見ですよ‼︎ だから未来でハジメさんはタイムマシンの理論を作れたんですね‼︎」

「え? 俺未来でそんなことしてんのか? 流石俺だな!」

「ハジメさんハジメさん! もっと詳しく聞かせてくださいよ! ねえ超さん!」

 

  研究者としての琴線に触れた葉加瀬が今度は騒ぎ立てるが、固まった鈴音がようやっと動き出した。へにゃりと力を失った植物のようにへたったと思えば、勢いよく立ち上がり、近くのテーブルを思い切り叩く。

 

「幽霊てなにヨ! 時間跳躍⁉︎ 私の研究がそれの劣化って……劣化って! ずるいネ!」

「いや鈴音ずるいって言ってもな……」

「世界樹の魔力も使わずにどうやって好きに何往復も60年も跳ぶネ⁉︎ 私が天才とはお笑いヨ⁉︎ うェェハジメェェ」

「今日は友人の新たな一面をよく見れるな」

「龍宮さん、自分だけ部外者みたいな立ち位置はずるいです」

 

  研究者としてのプライドをズタボロにされ、涙目でハジメにすがりつく鈴音の姿を可笑しそうに龍宮は眺め、白い目をした葉加瀬がため息を吐く。これが今の仲間たちとは困ったものだといったところだ。戦闘力、頭脳、どれもここにいるのは学生には考えられぬ一級品の者たちばかりなのだが、残念ながらそうは見えない。

 

「にしてもそういうことならよお、早く言ってくれればすぐに手を貸したってのに」

「しょうがないです。ハジメさんの事情を私たちはまるで知りませんでしたし、後はそのヘタレのせいです」

「葉加瀬、口が悪くなってるぞ」

「もういいですよ、私にだって限界はあります!」

  「あーもう分かたネ! 好き勝手言って! これでもう成功しようが失敗しようがクラスのみんなとはサヨナラだと思てたが、もっと凄いタイムマシン作って絶対戻って来てみせるよ!」

「頑張ってください超さん」

 

  逆ギレ気味に喚く鈴音を応援してくれるのは茶々丸だけ。デフォルメされた鈴音の顔の書かれた小さな旗を振り、ハジメ達はなにがなにやらもう微妙な表情しか浮かべることが出来ない。

 

「で? これからどうすんだ?」

「もうそろそろ魔法使い達が動くはずヨ、今味方はここにいる五人だけ。誰が欠けても問題ネ。ハカセ達はもうこの場を去た方がいいネ」

「超さんは?」

「私は残る。大会主催者が決勝戦を見届けないわけにはいかないヨ、大丈夫心配いらないヨ」

「俺もいるしな」

 

  全員の視線が、自分のことを親指で力強く指差すハジメに集まるが、それも一瞬のことで、誰も何も言うことなく誰もが口の端を僅かに上げる。「ま、パートナーだからな」という言葉をハジメが言わなくても、全員もう分かっていた。それに一応選手であるハジメならば会場に居てもおかしくはない。

 

「いやあ決勝かあ、誰と誰になんだろうな」

「ネギ先生とクウネル・サンダースという方です」

「え? なんだって茶々丸」

「あぁ……バタバタしてて気がつかなかったのかもしれませんが、もう次で決勝戦ですよ」

「うそぉ⁉︎ 俺全然試合見れてねえぞ⁉︎ おい聡美、楓は?」

「クウネルさんに負けました」

「誰だよクウネルって⁉︎ ふざけた名前しやがって! ぜってーろくな奴じゃねえ」

「まあハジメの言う通りネ。でもこの試合見る価値はあるヨ。ハジメ、最強の人間が見られるネ♪」

 

  葉加瀬はこんな時のためにハジメ達三人で面白がって作った緊急脱出口を使いその場を離れ、ハジメと鈴音、龍宮と茶々丸は試合会場へと戻って行った。

 

  ハジメが戦った一回戦ですら会場を取り囲む程人がいたのだが、今ではそれが数倍以上に膨れ上がり、誰もが摩訶不思議な映画のような戦いの最後を見ようと集まっている。歓声は一つの大きな怒号とかし、波のように辺りの空気を押し広げる。これぞ熱狂。魔法だのなんだのと細かいことは関係なく、今はただ最強の存在を見るために誰もが声を上げる。

 

「あのフードがクウネルってやつか? 確か俺の前、第二試合で戦ってた奴だっけ? そんな強えのか?」

 

  会場に戻ったハジメだったが、潤や夕映達友人のところへは戻らず、主催者である鈴音のところにハジメはいた。下手に友人達に接触すると、先ほどあったことのボロが出るかもしれないのと、隠し事が出来たことによる少しの後ろめたさによるものだ。少しの緊張を持って難しい顔をするハジメとは対照的に、鈴音は終始にやけた顔でご機嫌の極み。はっきり言って大会などもうどうでもよく、ハジメが仲間になったことが嬉しすぎてにやける口元を隠せない。

 

「強いヨ、なんて言ったってあの男はサウザンドマスターの仲間だったからネ」

「サウザンドマスターの? それって⁉︎」

「そう、ネギ坊主の父親ネ。しかも、今回はそれだけじゃないネ、私もコレは楽しみだたヨ」

 

  それがいったいなんであるのか。ハジメが鈴音に聞くよりも早く、朝倉の実況が始まり、観客が待ち望んでいた二人が姿を現した。まずはクウネル・サンダース。全身をすっぽりとフードが包み、どんな顔をしているのかも分からない。だが、返される熱狂から言って、誰も彼の実力を疑っていないことが分かる。そして、次に姿を現したネギは怪我をしていないところが見当たらない程ボロボロであった。ハジメの知らないところで一人相当頑張っていたらしい。身体はボロボロでも歩く姿に迷いはなく、強くクウネルの方を睨んでいる。

 

「ネギ……」

「心配カ?」

「まさか、ここまで来たネギに一回戦負けの俺が心配できるかよ」

 

  相手は親父の元仲間。それに向かい合うネギはいったいどんな想いを持っているのか。ハジメには分からないが、それがネギにとって大切なものということは分かる。決勝戦の熱が弾けるかのように、朝倉の口から試合開始の合図が発せられた。

 

「こりゃあ!」

「おう早速カ」

 

  拳の応酬、魔法の打ち合い。そんなハジメの予想は見事に裏切られた。クウネルは前に出ることもなく、ネギも驚きからか動かない。クウネルを取り囲むように、螺旋を描いて無数の本が舞っている。

 

「おい、あれって」

「ハジメの思っている通り、あれはあの男アルビレオ・イマのアーティファクトヨ」

「アルビ? クウネルじゃねえのか?」

「偽名ネ、ハジメはネギ坊主からサウザンドマスターとその仲間達の写真を見せて貰っていたネ? その写真にも載っていたヨ。長身の寝ぼけた顔をした男ネ」

 

  鈴音の説明の間にクウネルは一冊の本を手に取ると、そこから栞を引き抜く。怪しげな光を放つ栞はそのまま大きな光を放ち、クウネルを包み込むと白煙を上げた。それが晴れれば、いつの間にかフードは消え去り、眼鏡を掛けた初老の男が立っていた。どこかタカミチに似ている男は小さく微笑むと姿を消し、会場周りの水辺に、隕石のような拳を落とす。

 

「おいおい⁉︎ マジかあのおっさん⁉︎ てか急になんだよ!」

「ガトウ・カグラ・ヴァンテンバーグ。彼もサウザンドマスターの仲間ネ」

「いや意味が分からねえ⁉︎」

「あれがアルビレオ・イマ、クウネル・サンダースのアーティファクトの能力ヨ」

 

  特定の人物の身体能力と外見的人間の特徴の再現。世界にただ一人だけの人間図書館。それがクウネル・サンダースだ。彼は誰にだってなることができ、人の想いをその身に書き留める。

 

「マジかよ……信じられねえ、魔法って本当なんでもありだな」

「ふふっ、そうネ」

 

  子供らしい感想を言い、会場を見つめる鈴音はの言葉はハジメの耳に入らない。どれだけ知っても、何度見ても魔法の神秘は奥深く、興味が消えることがない。食い入るように会場を見るハジメは、だが、次の鈴音の言葉を無視することが出来なかった。

 

「ほら来るヨ、英雄サウザンドマスター、ナギ・スプリングフィールドがネ」

「は?」

 

  再び光に包まれたクウネルの姿が変わった。どこから出てきたのか、平和の象徴たる白鳩の群れと舞い散る羽。それに包まれて友人を大きくしたような赤毛の男が立っていた。

 

「父さんっ‼︎」

 

  ハジメの意識を戻したのはネギの心からの叫び。試合が始まる前の強い目の輝きも、子供らしからぬ気迫も消え失せて、それはただ愛する父親へと飛び込む子供の姿だった。ハジメは大声をあげて笑いながらその場に腰を下ろして天を仰ぐ。

 

「ん? ハジメ見なくていいのカ? 親子の再会ではあるガ、最強の魔法使いの戦いが見れるネ」

「見ても見なくても変わらねえよ」

 

  それに、と言葉を切ってその先をハジメが言うことはなかった。自分の待ち望んだ相手が目の前にいる。例え幻であろうとも、それがどれだけ嬉しいか。ハジメにはそれがよく分かる。そんな時は周りのことなどまるで頭に入らず、ただ目の前しか見えないのだ。そして、そんな時の表情はあまり他の人には見られたくない。何百人といるこの会場ではそれも無理であろうから、ハジメぐらいは見ないでおいてやろうと心に決めた。最強の魔法使いの戦いが見れるとか、そんなことと比べればそれはどうだっていいのだ。

 

  この瞬間はネギだけのものだ。誰がなんと言おうとそうなのだ。待ち望み憧れ続けた父親との再会。ネギだけが堪能しなければならない。下らないしょうもない言葉を挟んではならない。目を閉じてただ周りの音を聞くハジメは、何も言わずに座り込むだけだ。

 

「勿体無いネ」

「いいんだよ、これでな」

 

  それにもし見てしまえば、戦いの内容など関係なくハジメは絶対に苦い顔をしてしまう。だってネギがどうしようもなく羨ましいのだから。



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