エロエロンナ物語 -港湾都市編- (ないしのかみ)
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ナイデンヌの妖女

時空列的に、現在の『エロエロンナ物語』本編(偽りの聖女編)から、数年先の未来のお話です。
結構、R18寄りですが行為その物の直接描写はないから、大丈夫な筈。
ナイデンヌの森から、独裁者最後の賭を目論む不死者の装甲師団が、バルジ目掛けて大作戦って話ではありません(笑)。

キャラクターが「喰われる」残酷な場面を含みますので、耐性の無い方はブラウザバックを推奨します。

心機一転、時系列的に未来の話なので第1弾としてこちらへ移しました。



ナイデンヌの妖女

 

 廃都の近くにある港町、ナイデンヌ。

 ナイデンヌの森と言われる大森林に囲まれ、妖精貴族であるゲルハン男爵の領地として知られる田舎町だ。

 言うまでも無く林業が盛んだが、二百年前に大火に遭った影響で森林の樹木は若い木が多く、大木に乏しいのが玉に瑕である。

 

「困ったなぁ。近道なんかしなきゃよかった」

 

 ククルゥはため息をついた。

 配送の仕事帰り、多分、森の中の道を延々と歩くのに音を上げて、こっちだろうと見当を付けて森林をショートカットして突っ切ったのだが、見事に迷子になってしまった。

 大木は多くない。

 古い森林は間伐が成されている分、実は下生えなどが少なく、分かり易いのだが、あっても樹齢二百年以下の若い木だらけなここは、それだけに余り木こり達の手が入っておらず、様々な植物が鬱蒼と茂っている。

 

「お化けが出そうだし…」

 

 近所、と言ってもかなり離れているのだが、森の向こうに廃都がある。

 廃都。廃れた都の名の通り、昔、隆盛を誇ったある国の都だった場所だ。今は誰も住む人もおらず、それどころか、近づく者も居ない。

 不死怪物(アンデッド)の巣窟だからだ。

 動く死体や骸骨。そしてそれらを統べる上級魔物が巣くっているらしい。ナイデンヌの森は不死怪物の侵入を防ぐ結界として作用している。

 

「でも、完全じゃないらしいんだよね」

 

 ガサガサと邪魔っ気な下生えをかき分けながら、ククルゥは前進する。

 人馬族(セントール)である彼は、下半身の馬体に葉っぱが当たるのに敏感だ。下生えが棘を持った茨の類いでないのを確認しつつ、慎重にだ。

 妖精族が用いている結界魔法。

 それは不死怪物を近寄らせない様に、それらが嫌う波動を発しているだけなので、完璧な物とは言えない。

 自我を持ち、意志がある不死怪物ならば、気分は悪くなるだろうが越えられぬ物理的な壁ではない。また、たまに効かない個体もある為、越境してくる輩は時々出る。

 それなりの広さと幅のあるナイデンヌの森だが、そんな訳で不死怪物との遭遇は皆無とは言えぬ。大半が低位の動く死体や動く骸骨だとは言う物の、若いククルゥでは手に余りそうである。

 

「!」

 

 何かの気配を感じて彼は立ち止まった。

 静寂に紛れてすすり泣く様な声が響いている。

 すわ『泣き女(バンシー)か?』かと緊張する。魔物の中でも比較的高位に属する不死怪物で、本格的にやり合ってもククルゥでは勝てるとも思えない。

 思わず腰に差した山刀(マチェット)を握り絞める。

 小荷物を配送する伝馬業である仕事柄、必要とされた支給品で、荷物狙いの悪漢から自衛する為の武器ではあるが、幸か不幸か、彼はまだ武器として使った事は無い。

 もっともこれは数打ちの量産品で、魔法の力なんぞは付与されておらず、幽霊(ゴースト)だの、吸血鬼(ヴァンプ)だのの、上位の魔物に出会った際には何の役にも立たない気休めであった。

 

「誰か居るのか!」

 

 思わず声を掛けてしまった後、失敗したと後悔したが覆水盆に返らず。

 泣き声が止まった。そして、がさがさと草をかき分けながら、異形のシルエットが目の前に飛び出してきた。

 上半身は女性だが、下半身は蜘蛛の魔物。

 

「おや、丁度良かった。」

 

 お尻から真っ白い糸が噴き出し、べたべたした感触でまとわりつく。『しまった。蜘蛛女(アラクネー)か』と認識した時は既に遅く、たちまち糸によってぐるぐる巻きにされてしまう。

 

「これで二匹。一匹は今夜のディナーに回そうかねぇ」

 

 舌を出して指先をぺろりと舐めるアラクネーは、悔しいが美人だった。

 黒髪に真っ赤な目。蜘蛛の身体は黒と黄色の縞模様で、身体はおろか脚の先まで光沢を持った剛毛で覆われた、典型的なアラクネーの姿と一致している。

 上半身の女性体は胸が大きく、一糸も纏わぬ裸体である。キュートな臍が目立つ、豊満で艶やかなボディラインを持った身体だが、これは亜人とか、他の種族を惑わす擬態である。

 

「くそぉ、放せぇ」

「叫ぶんじゃないよ、坊や。まだ、取って食いやしないからね」

 

 ひょいと小脇に抱えられる。

 まだ若いのでセントールとしては小柄だが、それでも150kg近くある自分を持ち上げるとは、どんな怪力だと驚愕する間もなく、暫く歩いた後に放り出されてしまう。

 

「くすん、くすん…誰?」

 

 そこには先客が居た。

 白く編まれた蜘蛛の巣の上に転がる大きな塊。同じく、蜘蛛の糸に捕獲されてぐるぐる巻きになっていたが、アラクネーの女の子だった。

 

「呆れた。アラクネーって奴は、共食いもするんだな」

「こいつが仲間な訳ないじゃないか。こいつはただの食料さ」

 

 サイズは自分を捕らえた奴よりも小さい。涙を流していたらしく、顔が真っ赤に腫れている。

 さっきからすすり泣きをしていたのは、この子だったのだろう。

 

「あたしアラクネーじゃないもん。ヤシクネーだよ」

「そう、美味いのさ。食べ応えがあるから、馬を最初に食べて、お前はディナーに回してやろう。

 その甘いカニ味噌が堪らないねぇ。くっくっく」

 

 蜘蛛女がつつーと女の子の下半身に触れる度に、びくりと身を縮こませる女の子。

 ヤシクネー。これも魔族だ。

 下半身がヤシガニになっている種族である。ほんの十年前程に王国沿岸部に大量に移民して来た。

 近年では沿岸地方では見掛けることも多くなっている。

 性格は魔族にしては温厚。攻撃的な所も少なく、彼女らの吐き出す魔糸によって織物産業が勃興した程であるが、その見掛けから忌み嫌われる傾向が強い。 

 

「今日は馬肉。明日はカニ肉♪」

 

 ふんふん鼻謡を歌いながら、アラクネーは何処かへ行ってしまった。

 改めてククルゥは同じ境遇の仲間を見た。

 下半身が白い糸で絡められている。ヤシガニ体は黄緑色に黒い斑点があり、ミンミンゼミを彷彿とさせる色合いで、ひときわ大きく目立つ一対の鋏は厳重に糸で縛られていた。

 第二胸部の上に立つ、ヒト型の上半身は幼い女の子だ。自分よりも若い、幼女と言っても良い程の年頃で、ヒトに換算すると10歳前後。おかっぱの頭に青い髪と黄色の瞳が印象的だ。

 

「俺はククルゥ。ナイデンヌの『アルゴ通運』で馬丁をしている」

 

 正確には馬丁ではなく、自分自身が馬役なのだが、まぁ、それは脇に置いておこう。

 すんすんと鼻を鳴らしていたヤシクネーが顔を上げる。そして「あたし、クロッカス。クロッカス・マールゼン」と呟いた。

 どっかで聞いた名だなと思いながら、ククルゥはどうして捕まったのかを尋ねた。

 

「近所の子に虐められて…森に逃げ込んだら、あのお姉さんが問答無用に…ふぇぇぇ」

 

 その後は言葉にならなかった。

 虐めか…。と彼は嘆息する。ヤシクネーはどうしても姿形が異形な為、差別され、虐められる場合か多い。子供の間なら尚更だ。

 

「泣くなよ」

 

 自分もセントールだけあって虐めは経験している。

 ただ、もし、彼女たちが本気で怒ったらとんでもない事を知っている。特に前肢が変化したあの大きな鋏は、とてつもなく強力な武器だ。

 幸い、鋏の危なさを自覚してるだけあって、温厚なヤシクネーはそれを武器として滅多に使わないが、冒険者(クエスター)や傭兵(マーセナリィ)になった者達はそれを振るうのに躊躇しない。普段遣いで椰子の実を粉砕出来るだけあって、本気で使えば人間の首なんか簡単に切断してしまうのである。

 

「本気で戦ったら強いんだろうに…」

「すん…すん。そんな野蛮な事、出来ないもん…」

 

 彼は『何処のお嬢様だよ』と口に仕掛けた時、彼女が上等な服を着ている事に気が付いた。

 身体にぴったりとフィットした青いドレス。これは魔糸を紡いだ高級な布地でしか再現出来ぬ物である。フリルやレースたっぷりに装飾されたデザインは、一般庶民からはかけ離れた仕立てで、高級なドレス屋が作った一品物に違いない。

 

「マールゼン商会の御令嬢かよ」

 

 マールゼン家の主、ケージー・マールゼンは貿易商人だ。交易船を何隻も抱えた豪商で、今では士族(ユンカー)の位も持った貴族でもある。

 小さなポンコツ船から一代でここまでのし上がった成功者として、古株の大店からは成金と蔑まれつつも、庶民の間では立志伝中の男としてヒーローであった。

 その亡くなった奥方が魔族であるヤシクネーと言うのも有名で、奥方の姉妹が店を切り盛りしていて、亡くなる前に成したヤシクネーの子供も居るらしい。

 

「御令嬢…じゃない。あたし、他の姉妹みたいに才能ないもん」

「何だよ、才能って?」

「読み書きとか計算とか、社交とか…」

 

 商家のお嬢様として教育を開けているが、ほとんど味噌っかすなのだと言う。

 いちいち「サフラン姉様は礼儀作法が完璧だし、ヴィオラ姉様は話術が巧みで社交界の華と言われるの。妹のアマリリス、デイジー、ジャスミン、ポピーもあたしよりも読み書き・計算も出来るし…。クローバーは会った事ないから判らないけど」などと、他の姉妹を引き合いに出す。

 

「歳幾つだ?」

「10歳」

「まだ先は長いじゃん」

 

 それに対してクロッカスは顔を歪めると、「でも、あと三年で大人だよ…。たった三年しかないんだよ」と力なくこぼした。

 焦っているのが判る。

 この世界では成人として認められるのが13歳だ。上流階級では社交界デビューをし、紳士、淑女として認識されると言う。

 事実、ククルゥは14歳だが、社会では立派な大人扱いだ。

 

「まぁ、それよりも俺は今夜まで。君は明日の晩までしか時間が無いのを、気にすべきだな」

「そうだった!」

 

 残酷な事実を突き付けられて、クロッカスは再び落涙する。

 

「こんな所に童(わらわ)がおるのか」

 

 そんな時、唐突に第三者の声が響いた。

 

「蜘蛛の巣に引っかかっておるのかや?」

 

 女性ではあるが、その姿はククルゥ達が普段見慣れている服装からすれば、異様であった。

 幾重にも衣を重ね、笠の周囲に垂れた紗の薄衣(うすぎぬ)で出来たヴェールから覗かせる顔は整っており、まごうことなく美人と言えるだけの容姿を持っている。

 だが、口を開く度に見える歯が黒い。

 

「お姉さん。誰?」

「助けて」

 

 ククルゥから出たのは疑問。クロッカスが発したのは救援要請。

 女性は「むぅ」と短く呟くと、「我の名は初雪」と名乗りを上げる。無論、ククルゥ達にとっては異国風の聞き慣れぬ名である。

 

「ハツユキさん?」

 

 クロッカスが鸚鵡返しに問うと、初雪は「うむ」と返事する。

 名前からこの女性は皇国辺りからやって来たに違いない。とクロッカスは悟る。

 父の仕事の関係から、一般人と比べると彼女は異国人との接触は多い。遙か東方の皇国から来た女性が、確かにこんな服装をしていた筈だ。

 記憶にあるのとはやや違うが、流行やら地方での差異はあるのだろうと納得出来る範囲である。

 勿論、クロッカスには初雪の姿が裳唐衣(もからぎぬ)装束、俗称十二単をつぼめた旅装、壺装束であるとは判らなかったが、使われている布地や仕上げから、高貴な身分にある者が身に付ける衣装であるのは、はっきりと判断出来た。

 落ちこぼれと自虐していたが、普段から施された交易商人としての教育から、それなりの観察眼は有るのである。

 

「高貴なる淫魔じゃ。こちらではサッキュバスと呼ぶのであったな。

 まぁ、零落しておるがのぅ」

 

 自嘲気味に笑う。そして「助けてやっても良いが、代償には何をくれるかのぅ」と問うてきた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 初雪とククルゥの間に、何か約束が交わされたのは判ったが、クロッカスにはそれが何であるかは明かされなかった。

 初雪はいとも簡単にアラクネーの糸を切断すると、ククルゥの拘束を解いた。

 魔糸の強力さを知っている身からすれば、びっくりである。ヤシクネーもお尻からアラクネーと同種の糸を吐き出せる。主に不安定な場所で身体を固定したり、巣作りに使用するので、アラクネーの様に狩りに使うのは不得手なのだが、糸を吐く量はむしろ多い。

 しなやかでかつ強靱。特殊加工すれば鎧にも使われる程の強度を持つ魔糸を、手刀の一撃で切断したのである。

 

「待ってな。俺は初雪との約束を果たしてくる」

 

 そう言ってククルゥは、初雪と一緒に藪の向こうに姿を消した。

 暫くすると艶めかしい喘ぎ声。激しい息づかい、そしていやらしい水音が聞こえてきた。

 クロッカスは見えない向こう側で男女の営みをしてるんだと察した。

 年の割に耳年増なのは、やはり教育の影響である。経験こそ無いが、知識としてならセックスがどの様に行われるかは教えられている。

 いずれ、何処かの殿方に嫁ぐ日を迎える為に、そして母が元々は娼婦だったのもあるのだろう。マールゼン家では早くから性教育が施されていた。

 

「サッキュバスって言っていたからね」

 

 代償は彼女に精を与える事なのだろうと予想出来た。

 殿方の精を糧に生きる魔族。それが淫魔であるサッキュバス。かつては社会の敵として一大勢力を誇ったが、今は上級種が殆ど壊滅したせいもあって、西方では社会に同化した者が多い。

 東方ではどうなのだろう?

 ああ、もし生きて帰れたら調べてみよう。そう考えた時だった。

 

「何、勝手にやってるんだい!」

 

 叫びを上げたのはアラクネー。引き返してきたのだろう。

 

「ほぅ、こいつかのぅ。うむ、乳丸出しで下品じゃな」

「貴様だって裸じゃないか」

「これは行為の結果脱いだのじゃ。お主の様に常に裸な野蛮人とは違うぞえ」

 

 初雪との舌戦が繰り広げられる。「ほほほ…」と高笑いしてるのは初雪だろう。

 脚が糸でグルグル巻きなので声はすれども、よく見えない。ずりずりと胴体の向きを変えつつ、身体を捻って視線をそちらへ向けるが、今度は藪が邪魔で視線が通らない。

 

「ああっ、もうっ」

 

 下に張ってある巣の糸がべたべたして気持ち悪い。

 埒があかないクロッカスは「ふん」っと力を入れた。出来るかどうかは分からないが、自分の鋏に渾身の力を込めたのである。

 八本脚の蜘蛛に対して、ヤシクネーの脚は前二本が巨大な鋏となっていて六本脚だ。これは主に木登りと力仕事用だが、その挟む力は恐ろしいパワーを秘めている。

 ぐぐぐっと糸で固縛されていた鋏が開こうとする。

 

「はぁはぁ、諦めないっ」

 

 一旦力を緩めて、もう一度、力を入れる。頭に血が上ってきて、血圧でくらくらになりそうだが、クロッカスは遂に魔糸の呪縛を引きちぎった。

 思わず「やった」と上げる快哉の声。自由になった右鋏を用いて、左の鋏。更に胴体に巻き付いてる糸を斬り刻む。

 鉄で出来た本物の鋏ではないから,切ったと言ってもザクザクなのだが、とにかく自由を取り戻した。脚を粘着性の糸に取られながらも、素早く移動して地面へと降りる。

 

「ぎゃああああっ」

「おほほほほっ、気持ちいいぞ。わらわの中で暴れるのじゃ」

 

 アラクネーの断末魔の叫び。それに呼応するかの様な,初雪の勝ち誇った声。

 それらを耳にしつつ、クロッカスは藪を突っ切った。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 並みの相手ならば、アラクネーは強敵であったろう。

 だが、淫魔の女王たる初雪には取るに足らぬ相手であった。

 

「それだけかや?」

 

 尻を向けて相手を拘束する、自慢の縛糸術も鋭い手刀で薙ぎ払われ、挑んだ白兵戦もさらりとかわされる。

 歯ぎしりした所に、不意に顔が近づいたと思ったら、強烈な接吻がアラクネーを襲う。

 

「男女の営みを邪魔するとは無粋な奴じゃ。これはお主に責任を取って貰わねばならぬのぅ」

「何を…うっ、これは」

 

 サッキュバスの唾液に含まれている、強力な催淫成分がアラクネーを侵していた。身体が燃える様に火照り、バルトリン腺が刺激されてあそこからはじゅくじゅくと愛液が浸み出してくる。

 

「うああああ」

 

 がくんと膝を突く。立っていられない。

 淫魔が体内から出す全ての物、その吐息から涙や汗,果ては老廃物に至るまで、媚薬成分が含まれているのだ。

 身悶えする蜘蛛女を見下ろしながら、初雪は指をしゃぶりつつ、この相手をどう料理するかの思惑を巡らせる。

 

「腹も些か空いておるし、お主を喰う事にしたぞよ」

 

 先程、クルルゥから文字通り、馬並みの精液を搾り取ったがまだ足りない。

 こいつを吸収してしまおう。そう料理メニューを決めた初雪は、ぺろりと舌舐めずりをする。

 

「頭からが良いかのぅ。いやいや…」

 

 上級サッキュバスの証である黒い翼が、背中から飛び出てばさりと広がる。

 普段は体内に格納してヒトに擬態するのだが、もはや隠す必要も無い。同時にだらりと下がっていた尻尾がぴんと立つ。

 尻尾には矢印かハート型の先端部分が付いているが、それが変化を起こした。

 ぶくうと先端部分が膨らんで、縦筋が入るとぽっかりと口が開いたのである。サッキュバスにとってそれは、男性の性器を飲み込んで快楽を与え、射精を強要する搾精器官なのだが、変化はそれだけではなかった。

 

「やはり尻からじゃ。飲み込む模様が観察出来るしのぉ」

 

 初雪は薄ら笑いを浮かべると尻尾をひゅんと振るった。

 黒い尻尾の先端が信じられぬ程大きく広がり、アラクネーの尻にむしぉぶり付いて、ずるんと蜘蛛の尻をあっという間に飲み込んでしまったのだ。

 

「ぎゃああああっ」

 

 蜘蛛女の悲鳴。

 飲み込む際に勢い余って脚を数本折ったか、何かしてしまったらしい。

 

「おや、済まぬの。無傷で丸呑みする気でいたのじゃが、腹が減ってるから焦ってしもうた。もしかしたら脚が取れてしもうたのかや?」

 

 尻尾はアラクネーの形に広がっていた。差し渡し幅が3m近くある魔物を難なく飲み込み、幾ら中で激しく抵抗しても破れる気配はない。

 

「おほほほほっ、気持ちいいぞ。わらわの中で暴れるのじゃ」

 

 飲み込まれまいと尻尾内で暴れるアラクネーに対して、初雪は喜びを感じていた。管の中で与えられる刺激が心地よく、抵抗すればする程、性器を弄くる自慰に近いうっとりする快感が身体の中を走る。

 尻尾の管はずるっずるっと蠕動し、蜘蛛の胴体部分を完全に飲み込んでしまった。

 

「た、助けて…助けて、おぶぁ!」

 

 蜘蛛の胴体から生えていた女性体の懇願も終わった。

 恐怖の表情を浮かべた顔も、遂に尻尾の中に飲み込まれてしまったのである。

 初雪はそれを一瞥すると、尻尾の位置を前に回して、管の中を下って行く獲物の推移を観察する。

 

「何を惚けておる」

 

 ずっと腰を抜かしている少年へ初雪が声を掛ける。

 

「あのアラクネーを喰ってしまったんだ」

 

 何とか立ち上がる。抱かれていた影響で初雪の媚薬成分によって身体は火照り、股間はぎんぎんのままであるが、何とか自由は効き、乱れた着衣をククルゥは整えた。

 

「生意気だったからの。まぁ、お主とのまぐあいを邪魔された恨みもある。

 あの女はわらわの体内で溶けて,同化吸収されるのじゃ。まぁ、その内、気が向いたら新しく、我が眷属として産み落としてやろうがの」

「そんな事が出来るんだ。じゃあ,食べられた相手は…」

 

 初雪は少し首を傾げる。ああ、余り知られてないことなのかと思い当たる。

 

「淫魔。その中でも王族種が恐れられ、忌み嫌われた理由は何だと思う?

 それは他種族を全て淫魔へと変える力を持つ為じゃ。どんな相手でも取り込み、体内で霊力のスープに変えて再構成し、新たなる淫魔として産み出してしまえるのじゃ」

 

 尻尾を下って行く犠牲者の体積が小さくなって行く。これは管を下る毎に【縮小】の魔法が作用する為だ。

 

「もっとも…、おおっ、まだ暴れておるな。気持ちいいのじゃ」

 

 説明を中断し,快楽に身を任せて悶える初雪。「産み出される淫魔は全て臣民。こちらの言葉で言うコモン種じゃ。これには本来生殖能力は無いのじゃが、最近得たみたいじゃな」と、喘ぎながら続ける。

 

「食べられた相手か。自我の事を言うのであれば、保ったまま誕生する。

 性格、記憶共に元のままじゃ。もっとも淫魔としての自覚を持ち。そのモラルも改変されて淫魔としての物になるがのぅ」

 

 もし生前、どんなにセックスを嫌っていたとしても、淫魔となってしまったら積極的に性行為を行う性格に改変されてしまうと言う事である。

 

「ふむ…、そろそろお主は、あの女子(おなご)を連れて逃げるべきじゃのう」

「えっ」

「本当はお主も、あの娘も喰らってしまう筈であった。しかし、気が変わった」

 

 大きな塊が尻尾の根元を通過して、ごぶんと大きな水音と共に腹に収まる。

 初雪のお腹が妊娠した様にぷっくりと膨らんだ。手で愛しそうに腹をさすりながら、ロイヤルサッキュバスは言葉を継いだ。

 

「蜘蛛の糸を切って脱出した様じゃ。もうすぐ藪を抜けてくるじゃろう。

 なに、わらわが快楽で狂っていると説明し、今の内に逃げ出すと示唆すれば良かろう」

 

              ◆       ◆       ◆

 

「見るなっ!」

 

 突然、視界が遮られる。

 ククルゥだった。着衣は乱れてはいるが,何とか身に付けて大の字で彼女の行く手を塞いでいる。

 

「見るんじゃない」

「え…どうして」

 

 クロッカスの抗議は無視された。

 そのままセントールの少年が、ヤシクネーの少女を抱き込んだ。これで完全に視界が塞がれてしまう。

 しかし、塞がれる直前、彼女は目にしていた。

 初雪の背中に黒く、大きなコウモリ状の翼が生えていたのを。

 確か、あれは今の世の中では滅多に見られない上級淫魔の印。ロイヤル種のサッキュバスのみが持ちうる特徴であると教わった事がある。

 ロイヤル種は、今の世界では多数派のコモン種を統べる女王であり、今の社会に甚大な損害を与える存在だとされている。

 性格は傲慢、残虐で本物の悪魔にも匹敵するとされ、魔族の中でも最悪な部類として、古代王国の時代から国を問わず、問答無用で討伐命令が下されている程だ。

 

「ハツユキさんがロイヤルサッキュバス?」

「ああ、だから今の内に逃げるぞ。あのアラクネーを吸収する間、ハツユキは快楽に支配されて追っては来られないだろうからな」

 

 初雪は「ああっ、気持ちいいのじゃ」や「おほぅ、イク、イグ」と、しきりに甘い声で快感を味わっているらしい嬌声を上げている。

 それを利用してククルゥ達は手に手を取って走った。

 何処を走っているのかは分からないが、とにかく初雪の居る方向とは反対側にだ。

 

「うむ、無事に逃げ失せたか…」

 

 アラクネーを体内へ取り込み、すっかり吸収してしまった上級淫魔は呟いた。

 周りには自分が出した粘液が散らばっている。身体に分泌する全ての体液がそうである様に、辺りは媚薬混じりの甘ったるい臭いが充満している。

 

「童を食べる程、がっついておらぬのでのぅ。

 あの蜘蛛はそれなりに腹に溜まったし、獲物としてはまぁまぁじゃ」

 

 甘いのかなと自覚もする。気まぐれみたいな物だと思う。

 

「あの人馬族曰く、聞けば廃都なる場所が近くにあるらしいのぉ」

 

 不死怪物は余り美味くないだろうが、暫く、ここに腰を据えるかと初雪は思う。

 

「追っ手もここまで来る事はあるまいしのぅ」

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ククルゥ、てめえ何処ほっつき歩いてたんだ」

 

 何とか街道に戻り、自分の就職先であるアルゴ通運に帰還したのは翌朝だった。

 アルゴ通運はこのナイデンヌの町では、結構大店である。

 店主であり、今も店を仕切る親方は年を経た老ドワーフで、彼の顔を見るなり叱り飛ばす。

 

「お前の後にナッツへ出たガナックの奴が先に帰ってきて、てめえが戻ってないって言うから、山賊にでも襲われたのかと心配したぜ」

 

 ナッツとはナイデンヌの森を抜けた先にある町だ。今回、ククルゥが荷物を配送した先である。ガナックはククルゥの先輩でやはり人馬族。女癖が悪いが気のいい男だ。

 

「ちいと,トラブルに遭って魔物に捕まってた」

「本当か、おい。何処の回し者だ?」

 

 町や村へ品物や情報を配送するのがククルゥ達の仕事である。

 中には貴重品も多い。それを運ぶ運輸業者が襲われるのも珍しくないのである。

 また、情報その物を途絶させようと狙う輩も居る。

 例えば、王都市場の動向である品物が高騰したとする。いち早くその情報を掴んだ者にとって大儲けの機会が訪れるが、この情報を独占したいと思う不埒者だって出る。

 各地に引かれている腕木通信線は,その沿線から外れた地域に対しては、昔ながらの伝令が情報通達方法として使われているからである。

 つまり、この近辺ならばナイデンヌまでは通信線が届いているが、そこから先の小さな町や村々には、ククルゥ達の様な業者が通信文を抱えて伝えなければいけないのだが、その王都から発せられた該当の情報を伝えなくして利益を得たい者が、無頼漢を雇い、通信使を途中で拉致する可能性だってあるのだ。

 親方はそんなトラブルに巻き込まれたと判断したのだろう。

 

「ま、無事で良かった。どっか傷む所はねぇか?」

「大丈夫だよ」

 

 最悪な事をしでかさない限り、こんなケースでは拉致監禁されるが、命を奪われる事は無い。雇われた連中だって殺人者となって、お尋ね者にはなりたくないからだ。

 大抵、情報が役に立たなくなったと判断される一両日中には、身ぐるみ剥がされて解放される。お約束の「命が惜しくなかったら、俺達の正体を嗅ぎ回るんじゃねぇ」との台詞と共にだ。

 

「おや、そのお嬢さんは…。これはマールゼンの」

 

 親方はククルゥの後ろにいるクロッカスに気が付いた。

 

「アルゴ・ノーツ店長。お久しぶりです。

 ケージー・マールゼンが三女、クロッカス・マールゼンと申します」

 

 クロッカスはドレスの裾を優雅に摘まんで、腰を落とすと一礼する。

 マールゼン商会はアルゴ通運とも取引がある。

 父の商売柄、彼女は『一度会った相手の顔を覚えなさい』との教育が施されている。他の姉妹に比較して苦手なのだが、それでも特徴的な親方の顔は覚えていたのだった。

 

「とにかく中へ、昨日から行方不明だったので商会の支店では大騒ぎでしたぞ。

 おい、マールゼン商会に使いを出せ。お嬢様を保護したとな。ククルゥ、突っ立ってないでてめえは、お嬢様にお茶を用意しろ」   

 

 その後、商会の支店(ナイデンヌに本店はない)から迎えが来たり、当事者としてククルゥが説明に追われたりして大変だったが、とにかく二人の大冒険はここで終わった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ククルゥ!」

 

 白い日傘を差してクロッカスが優雅に歩いてくる。

 ドレスは裾が大きく広がる最近流行のファッションだ。でも、斬新すぎて自分には似合わないんじゃないかと、彼女自身は思っている。

 

「クロッカスか、悪い、今、立て込んでるんだよ。店長、暫く離れても構わないか」

「ああ、マールゼンのお嬢さんか、いいぜ」

 

 代替わりした二代目店長のアストロ・ノーツの許可が下りたので、ククルゥは車置き場から離れ、クロッカスの元へ駆け寄った。

 

「主任って大変そうだね」

「まぁ、部下を持つ身になったからな」

 

 あれから五年。夏のある日。

 ククルゥは店で主任の座に着き、一地域を担当する区長に昇進した。

 セントールだけではなく、色々な種族の長になったので大変そうである。おまけに配送馬車をも面倒を見る必要が出てきた。これは徒歩組だけを専門としてきた彼と分野が違うので、慣れるまでが大変である。

 

「馬の気持ちって良く分からねぇ。言う事聞いてくれないんだ」

「それって、ククルゥが馬に舐められてるんじゃない?」

「お前、馬乗れるのかよ」

 

 それに対して「あたし、馬に乗った事ないけど」とも付け加えるが、乗馬は無理でも、御者として馬を走らせた経験があるのを伝える。

 因みにセントールは,馬車に乗るのは体型的に無理である。  

 

「そうなのか」

「馬鹿にされてると、言う事聞かないって商会の社員も言ってるしね」

「まぁいいか、馬に対して威厳を高めるのが今後の課題として、学業の方はどうだい?」

 

 クロッカスは今年、海軍士官学校に入学したのである。

 今は夏期休暇で久しぶりにここへ顔を出している。

 商会の跡継ぎには恐らく、姉のサフランかヴィオラが継ぐだろう。もしかしたら叔母のイマーイかアリーイが二代目になるかも知れないが、叔母達はそれを固辞するに違いない。

 叔母達曰く「あたしらは、あくまでタカトゥク姉さんの手伝いをしてるだけ。姉さんの子供達が成長したら、商会を辞めてどっかへ行くよ」と常々言っているからだ。

 

「とっても楽しいよ。実技の時は海をすいすーいって快走するんだ」

 

 あれからクロッカスは泣き虫を止め、自分に向いている道を探した。そして見つけた。

 船乗りとしての道である。商会の商船に見習いとして乗り組み、みっちりと経験を積んだ。

 社交界デビューもこなしたが、それは家に対する義務であって、以前の様に結果は気にしなかった。社交界は社交界。そんな所は彼女にとって既に主戦場ではなくなっていたである。

 自分は姉達の様にはなれない。だから別の道で身を立てようと決心したからだ。士官学校へ入ったのも本格的な海の女になる為である。

 

「卒業したら士族様だろ。何か、お前が遠くに行っちまう気がするな」

「まだ先だよ。あと三年有るし…あ」

 

 デジャヴ。以前、三年と言っていた事を思い出す。

 あの時は「あと三年しかない」であったが、今は「まだ三年もある」になっている。それだけ今は余裕が出来たんだ。と実感する。

 

「どうした?」

「うん、ハツユキさん、今頃どうしてるんだろうって」

 

 五年前のあの光景は、今となっては夢か幻に近い記憶になっている。

 クロッカスとククルゥは、ナイデンヌの森で会った異国の女性を思い浮かべたのだった。

 

〈FIN〉




R-18版を『エロエロナ物語』の方へアップしていますが、年齢制限で読めないって方の為に。

実習航海に登場したトイズ家改め、マールゼン家のお話です(イマーイ達はトイズ家ですが、クロッカスらは父方の家名を名乗っているんです)。クローバーの姉妹達ですね。お花の名前が付いてます。
この一家、この先も色々と登場しそうだよなぁ。



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カオスの館

転載第二弾です。
いよいよ、港湾都市が登場します。

やや加筆修正してあります。
オラオの名の元ネタが判る人は、東側マニア(笑)。


カオスの館

 

 港湾都市エロエロンナ。

 ポワン河口にある都市で、妖精語で『波瀾万丈な』都市との意味がある。

 運河が縦横を走る、大規模な交易都市であり、様々場所から訪れる者達から、異国情緒な雰囲気漂う活気ある場所であった。

 その一角に、カオスの館があった。

 

「だぁーっ!」

 

 カオスの館と言う名ではあるが、外見は普通の町屋である。

 それは住人が付けた渾名であるのだが、その主、ラムザス・ナーハンは雄叫びを上げていた。

 彼の恋人。いや、内縁の妻と言った方が良いのかも知れぬが、ハルピュイアのメカールがその原因である。彼女はいつもの通り、遊んでいた。

 

「どしたの?」

 

 そう尋ねるハルピュイアは魔物である。

 知性を持った種として認められた魔族では無い。簡単な言語は理解するが、それが知的な何物にも結びつかず、本能に頼った行動が多い魔物に分類される種なのだ。

 

 人間の頭部を持つが身体の大部分は鳥だ。胸の部分は豊かな乳房があるが、これは人間や亜人を欺瞞する擬態に過ぎない。大体、ハルピュイアは卵生で哺乳類では無いからである。

 

「遊んじゃ駄目だって言ったろうが」

「そうだっけ?」

 

 ラムザスが作りかけていた『作品』は、メカールによってバラバラにされていた。

 何か、整った物があると壊したくなるのはハルピュイアの本能なのだ。

 例えば、晩餐の席があるとすれば、空から食卓目掛けて降下して料理は汚く食い散らかし、食器を割り、更にその場で脱糞すらする。

 神話や英雄譚にもハルピュイアは異様に汚く不潔で、そして道徳的に退廃した種族であると記されている通りなのだ。

 

「うん、駄目」

「分かった」

 

 メカールはそう答えるが、怪しい物である。

 と言うのも、ハルピュイアはいわゆる鳥頭なのだ。

 

 彼女と似た種族にセイレーンと呼ばれる半人半鳥の者達が居るが、こちらは魔族であり、きちんと物の道理を弁えている。そしてハルピュイアと自分達を同一視される事を嫌っていた。

 曰く「あんなのと一緒にして欲しくない」と本当に嫌悪している。人間に例えると『猿とヒトを同一視する様な物』であるらしい。

 セイレーンは【魅了の歌】を使えるだけあって、作詞・作曲する文化を持っており、道具を使ったり、魔導を学習する力もあるからだ。

 言われた事を覚えられず、数分で忘却してしまうハルピュイアとは明らかに違うのだ。

 

「駄目だよ」

「しつこいよ。あたし、遊びに行ってくるね」

 

 翼を広げて飛び去るメカール。

 ラムザスは嘆息した。辛抱強く、何度でも繰り返し教えれば、鳥頭でもやがて少しずつ記憶が形成されるのは経験則で分かっている。

 だが、飽きっぽいメカールはなかなか物事を覚えてはくれぬのであった。

 実際、ラムザスの名を覚えるのに一月は掛かったのだから。

 

「あんたも大変だねぇ」

 

 そう声を掛けてくるのはキサラギ・エストビア。

 海軍の第7迎撃艦隊に属する軍人だ。東方風の容姿。長い黒髪に小顔の美少女と言った風情だが、こいつは男だ。でも、女子の格好をしておりスカートを穿いている。

 それが女の子以上に似合うのは皮肉だろうか。

 

 軍のモラルはどうなってるんだラムザスは思うが、当の本人からすれば、それ「お前が言うか」の世界だろう。

 

「惚れた弱みさ。で、何の用だ?」

「ゴムタイヤについてだよ。軍の上層部が注目したらしいね」

 

 ラムザスは発明家である。昔はクエスター(冒険者)だったのだが、今は引退して思いついた珍奇な発想を形にする商売に鞍替えした。

 ゴムタイヤは従来のソリッドゴムに換えて、中空のチューブに空気を入れたタイヤを作ったら面白かろうと試作中の物である。

 

「あれか。今、メカールに計算式を滅茶苦茶にされたが…」

 

 まだ技術的なハードルは高く、耐久性が信頼出来るレベルには達しててないのが難点だ。だが、これはゴムの配合を換える事で克服出来ると信じている。

 

「そう、それ」

「荒れ地を走破する性能はないぞ」

「艦内とか、構内の輸送機器に使うって話だよ。自転車と組み合わせるのもいいかもね」

 

 自転車は流行ってる遊び道具である。最初は地面を蹴るだけの代物だったが、大きな前輪とペダルを組み合わせたタイプが出来てからは、愛好者が増えている。

 

「自転車か。あれ、金持ちの道楽だろ」

「ああ、最近は安価になってきてるからね」

 

 うんざりした顔でつぶやくラムザスに、キサラギは苦笑する。

 この男は趣味方面を余り認めないのだ。技術とは公共の役に立つ物を作るべきが持論で、遊びの道具とかに興味を示さない。

 

「遊びが無くちゃ文化的に面白くないし、技術発展の発想に於ける停滞を生んでしまうってのが、僕の上司の考えだけどね」

「領主殿の考えだな」

 

 ここの領主は錬金術師だ。

 正確にはそれも囓った技術屋であるが、昔は海軍で活躍した造船技師だったらしい。色々変わった発想で、様々な物を作り出している。

 

 規格統一とか言い出して、船で使う船具や武器の公差を厳密な物に変えたり、コンテナとか言うでっかい箱を設計して輸送に革命を起こしたりしている。

 お陰でバリスタやらカタパルトは、もし、ぶっ壊れても予備の部品さえあれば、どの砲座でも素早く修理可能となっており、この概念はやがて『ERO規格』として市井にも広がる事になる。

 

「まぁ、そう言う事。遊びは大切だよ」

「思想の違いだな。しかし、自転車にゴムタイヤか。それは俺に無かった発想だな。頂くよ」

「成功したら、幾らか寄越してね」

「アイスクリームが相場だな」

 

 新しい紙を用意して計算式を書き出す。

 加硫法を工夫して形成すれば、チューブの方は何とかなりそうだった。

 作業が始まったのを見届けると、キサラギはカオスの館を後にする。

 発明家の邪魔になるだけであるからだ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 何故、この館が『カオスの館』と称されるのかは、主人であるラムザスが変人だからだ。

 発明なんてやくざな商売だから、試行錯誤は付きものだが、年に何回かは実験失敗のせいで爆発するし、ハルピュイアなんて物騒な…と言うより、はた迷惑な魔物も住んでいる。

 街の外れ、資材置き場に囲まれた運河の裏手という立地が、周りに人家が皆無な事もあって不気味な噂が一人歩きしている。

 

 錬金術を用いない、純技術的な方法も誤解を生む一つなのかも知れない。

 エルダの技術畑で言えば、それは異端なのである。だから、同じ技術屋でもラムザスは白眼視され、爪弾き者扱いされていた。

 だからこそ、その能力を高く評価した、この街の女領主に請われて移住したと言えなくもない。

 

「あははははは」

 

 けたたましい笑いと共にメカールは、天井からぶら下がるチェーンをガラガラと狂った様に引っ張る。楽しい。楽しいのだ。

 飛び回り、丁度休憩にと倉庫の中へと入り込み、天井からぶら下がるそれを、何だろうと思って引っ張ってみたら止まらなくなった。

 

「面白ーい」

 

 前述したが、ハルピュイアの身体構造は鳥を基本とする。

 女性の上半身と頭部を持っているが、手に当たる場所は翼であり、下半身は羽毛に覆われた鳥その物である。

 脚は逆関節ないわゆる鳥足で、三つ叉に別れた蹴爪が付いており、腿の部分はローストチキンにしたら美味しそうな感じで丸々太っている。そしてその部分も羽毛、メカールの場合は真っ白な色調で覆われて、尻には美しい尾尾が突き出している。

 

 手は翼と記したが、関節の先端には申し訳程度に手がある。それは三本指で物はかろうじて握れるが、細かい作業には適さない不器用な手である。

 しかし、天井のチェーンを回す程度には何の不自由も無い。

 

「おーい、ラムザスの旦那」

 

 その知らせがカオスの館に届いたのは計算式を書き終え、一息付いていた午後の事だった。

 ラムザスの弟子であるタカラ。女ドワーフが知らせてくれたのである。

 曰く、「お宅のハルピュイアらしいのが、うちの倉庫で大騒ぎしてるから引き取って欲しい」と頼まれたらしいのである。

 

「何処だってぇ?」

「そう遠くないよ。倉庫を管理するククルゥのおじさんが困ってた」

「ククルゥって言うと、アルゴ運輸のあそこか」

 

 ラムザスは素早く目星を付ける。

 コーヒーを淹れたばかりなのにタイミングが悪いと思いつつ、上着を引っかけて外へ出る。

 

「くそっ、コーヒーは西大陸産で高いんだぞ」

 

 贅沢な輸入品だ。しかし、この港湾都市では直輸入されるせいで若干、他の街よりは安いが、それでもラムザスにとってはささやかな贅沢なのである。

 

「飲んでから出れば?」

「いや、コーヒーなんかよりメカールの方が大事だ」

 

 タカラは「お熱い事で」とからかいながらクスクス笑う。

 それを無視してラムザスは通りを小走りに駆けた。

 

 アルゴ通運は近所にある運輸会社だ。本社はここから西のナイデンヌの街にあるらしいが、ラムザス自身は行った事が無い。支社をこのエロエロンナに展開出来るのだから、それなりに儲かってる会社なのだろうとは推測するが。

 

 五分もしない内にアルゴ通運の事務所に到着する。煉瓦造りの倉庫の一階を改装しただけの味も素っ気も無い建物だ。看板だけが「ここが我が社の事務所ですよ」と主張している。

 

「ああ、来た」

「ぱぱぁ、あのおねーさんどうするの?」

 

 人馬族(セントール)の男が振り向く。

 その周囲には小さな女の子が数人居て、彼の服の裾をぐいぐいと引っ張りながら上目遣いで何かを訴えている。

 

「みんな、お客さんが来た。挨拶しなさい」

 

 そう命じられた女の子達は一斉にラムザスの方を向き直ると、スカートの裾を摘まんで優雅に挨拶をする。

 

「ミラージュと申します」

「オラオです」

「コルセア…」 

 

 その子達の下半身が甲殻類であるのでその動作は違和感があるが、その作法は完璧であった。

 ヤシクネーだ。熱帯産の魔族で下半身がヤシガニのアラクネーといった感じだが、寒さに弱く、沿岸地方以外の本土で見掛ける事は少ない。

 だが、この街は冬でも暖かいので、それ程珍しくない。

 

 そう言えば、アルゴ通運は大手のマールゼン商会と縁を持ったなと言っていたな。マールゼンの当主がヤシクネーだった筈だから、この子達も政略結婚の一環として結ばれた際に生まれたのかも知れない。とラムザスは頭の中で噂を反芻する。

 

「ラムザス・ナーハンだ。早速だけど…」

「ハルピュイアの件ですね。ああ、失礼、私が支社長のククルゥ・アルゴです」

「あのおねーさん」

「オラオ。商談中だ。向こうへ行ってなさい」

 

 ククルゥの服の裾を握っていた女の子。オラオと言うらしいヤシクネーにククルゥは優しげだが、強い調子でたしなめる。

 周りに居た他の二人もオラオの手を取って引き離す。顔立ちが似ているので姉妹なのだろう。

 女系の魔族や魔物全般に言える話だが、例外なく顔立ちは美しい。これは生存や生殖に必要な、ヒトや亜人の男を魅了する為に進化、収斂した結果である。

 

「おねーさんとはメカール。いや、ハルピュイアの事か?」

 

 オラオは頷く。

 ククルゥは苦笑して「実はハルピュイアを最初に発見したのが、このオラオでして」と説明する。つまりはメカールの第一発見者か。

 続いてラムザスは「そのおねーさんをどうした?」と尋ねる。

 

「…倉庫に居ると迷惑だから、備品庫へ案内して遊んで貰ってるわ」

「備品庫?」

「各種道具を置いてある所ですよ。これから向かいます」

 

 ククルゥは蹄を鳴らしながら、その備品庫とやらへ案内する。

 事務所を出ると幾つかの倉庫の中を潜り抜ける。

 規模は大きく、中で大勢の者達が働いている。荷馬車やら荷車が盛んに出入りし、倉庫内の物品を積んだり降ろしたりと忙しいと思えば、全く人気の無い倉庫もあってギャップが激しい。

 やがて到着したのが備品庫。

 大きな建物だが周囲の倉庫から比べると、明らかに小規模な規模である。

 

「ここ。おねーさんはチェーンブロックがお気に入り」

 

 何故か付いてきたオラオが説明する。

 チェーンブロック。歯車とチェーンを利用した簡易クレーンだ。新ルネサンス期に開発され、今では広く使われる様になった機械だ。

 

「あはははは。回る。回るぅ!」

 

 中に入るとメカールが楽しそうにチェーンをたぐっていた。

 備品庫と言うだけあって、使わない機器類や壊れた道具なんかを安置する場所なのだろう。

 天井からは幾つものチェーンブロックが垂れ下がり、壁には台車やら掃除道具が立てかけれてある。奥には何か分からないガラクタも散乱していた。

 

「娘の話によると、倉庫に入り込んであれを回していたそうですが、倉庫内には顧客様から預かった荷物があるので、こちらへ誘導したとか」

「万が一、荷物に損害が出たら我が商会の恥だから」

 

 ククルゥの説明に続いてオラオが語る。

 まだ小さいのに良く出来た娘だとラムザスは感心する。

 この小さな女の子並みの知恵がメカールにあったらなと夢想してしまうが、いかんいかんと、それを頭から追い出す。

 

「済みません。今、引き取りますので。メカール!」

「あっ、ラムザス。見て、見て、これ回るんだよ。ガラガラって、がらがらって!」

 

 声を掛けるがメカールは手を止めなかった。

 むしろ、こんな面白い物があるんだと盛んにアピールしている。

 

「ほら、帰るぞ」

「ヤダ」

 

 ああ、いつもの癖だな。こう言う時は食べ物の話題を出して吊るのが効果的だ。

 

「夕食はシチューだぞ」

「シチュー!」

 

 食べ物の名を聞いて一瞬手を止めるが、メカールは名残惜しそうにチェーンブロックを見つめている。葛藤しているのが明らかだ。

 

「ラムザスぅ。これ、欲しい」

「えっ」

 

 これと言うのは、無論、チェーンブロックである。

 確かに広く普及している機械ではあるのだが、重量物を吊すのが用途なので一般家庭に置いてある様な代物では無い。そして価格は結構高い。

 いや、ラムザスのカオスの館は一般家庭では無いが…。

 

「確かに俺も一台欲しいよ。作業が楽になる可能性があるからな」

「貰ってこう」

「だーっ、そう言う訳にも行かないんだよ」

 

 ハルピュイアには所有権の観念が理解出来ない。

 カラスが光り物を見つけて自分の巣へと持ち帰って貯め込むのと同様、そこにある物で欲しいとなると、勝手に持ち去って行く。

 セイレーンがハルピュイアを嫌う理由の一つが、長年、その行動が他種族に混同され、誤解されて迫害を受けた歴史があるからなのである。

 

「宜しかったら、差し上げましょうか?」

 

 意外な申し出が上がったのが、その時であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 カオスの館。

 とっぷりと日の暮れた室内でラムザスは頭を抱えていた。

 うっすらとガラガラとチェーンの音が作業室から聞こえるが、あれはメカールが夕食後にお気に入りの玩具で遊んでいる音だろう。

 

「画期的な輸送機器を考案して下さい…か」

 

 ククルゥがチェーンブロックを譲る際に付けた条件である。

 梃子として動かないメカール相手に、困り果てていた所、それなりに高価な物を譲って貰ったから、これは真剣に考える必要があった。

 

 無論、ラムザスとて貧乏人ではない。発明家なんてやくざな商売をしているのだから、それなりに元手はある。だが、突発的な出費を考えると、結構痛いのだった。

 資金はなるべく、発明品の原材料用に使いたいからである。その為に申し出を渡りに船とばかりに受けてしまった。

 

「安易に状況に流されたか。今からでも、代金を支払って…いやいや」

 

 一旦引き受けたからには、ラムザスとて発明家としての矜持がある。安っぽいプライドなのかも知れないが、負けを認めるのは悔しい。

 ふと、昼間のキサラギを思い出す。

 

「自転車か。それにゴムタイヤ…。何か引っかかるな」

 

 何だろうと考えて寝台に横になる。

 考えが行き詰まった時は、こうして身体を横たえてぼうっとしているのが気分転換だ。

 ガラガラガラ。

 横になると静寂が身にしみる。この近所には人家が殆ど無い。

 故に賑やかな都会的な喧噪からは程遠い。弟子であるタカラも既に帳簿を付け終わり、家への帰路に就いている頃だ。

 

 ガラガラガラ。

 僅かに聞こえるのはメカールが遊んでいる音。チェーンブロックの作動音のみだ。

 

「チェーンブロック!」

 

 はっとして頭にその単語が思い浮かび、ラムザスは飛び起きた。

 来る。インスピレーションが湧く。そうか、こいつを応用すれば!

 

「歯車との組み合わせだな。チェーンは高価だからあれを代用する事にすれば、よしっ」

 

 思い立ったが吉日。ラムザスは製図板へ向かい、一致心不乱にラフ画を描き続けた。

 ラフ画。正式な設計図では無い単なる書き殴りの概念図だ。

 だが、それを重ねる事でコンセプトは固まる。

 

「よしっ、行けるぞ」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 一月後。

 ゴムタイヤの試作に成功し、更にそれを使った輸送機器は完成した。

 

「自転車かな。これは?」

 

 作業場にて、キサラギが問うた先にはそれが鎮座していた。

 なるほど、座席の前にハンドルが付いているなど形は自転車によく似ている。だが二輪ではなく、その車体には三輪が備わっていた。前に一輪。後ろに二輪と言った具合である。

 

「二輪だと不安定だろう。運動神経の無い奴でも、乗れる様にしてみた」

「ラムザス自身が乗れないからね」

 

 突っ込みを入れるのはタカラ。

 残念ながら、同席されると何が起こるか分からないので、この場にメカールは居ない。ちょっと可哀想だが、巣と称するメカールの専用室に監禁してある。

 

「あんな不安定な物に人間が乗れるか!」

「あ、肯定した」

 

 とは言うものの、この時代、二輪車に乗れる者はそう多くない。

 自転車自体が普及していないせいもあるが、最近になって普及した型が、前輪がとてつもなく巨大化したタイプの為でもある。

 これはサドルから足が地面に付かない程で、重心も高く危険性が大きかった。

 だが、前輪が大きくなったのは動力装置として前輪に付けられたペダルのせいでもあった。直径が大きい分、少ない回転で車輪を回せるので都合が良いのである。

 

「だが、俺はその弊害を解決した。そいつが画期的な伝達機構だ」

「ほーっ、後輪をベルトで駆動するのか」

「ラムザス自慢のゴム動力でね」

 

 ペダルを踏むとゴム製のベルトが回り、後輪へと動力が伝達されるのである。

 ベルトも単なる板ではなく、孔が開けられている。孔には摩耗防止の為に金属製のハトメが付けられており、これがペダルと車軸にある歯車と噛み合う仕組みだ。

 

「サドルの位置も適正だね。後ろの二輪は貨物スペースかしらん」

 

 三輪車の後ろに回ったキサラギが、感心しながら車体を弄くり回す。

 車体の材質は主に木と竹であった。フレームや動力部を除いて鉄製の部分は少ない。

 

「チェーンブロックを、ガラガラやってるメカールを見て思いついたんだ」

「チェーン?」

「本来はな。しかし、チェーンは高価だろう」

 

 ゴムベルトは妥協の産物であった。金属製のチェーンを使うのが一番だとは理解しているのだが、それを用いるには価格がネックとなるからだ。

 

 コスト度外視して作るのだったら問題は無い。しかし、市井で普及させる目的で作るのなら、なるべく安価な製造方法を模索する必要があるとラムザスは考えている。

 車体の方も本当は金属で作りたいのだ。だが、コスト上昇に繋がるのなら、実用上、問題ないレベルまで落とすのが基本となる。

 

「頑張れば、庶民が買える値段で押さえたいからな」

「走行テスト行きます!」

 

 タカラが跨がる。後部にダミーの貨物を乗せての試験である。

 身長の低いドワーフ族にあわせて、サドルの位置は低めに調整されている。このサドル位置可変もラムザスが考案した新機軸の一つだ。

 従来の自転車では、サドルが高すぎてドワーフに縁遠い代物であったからだ。

 

「よしっ、走れ!」

 

 ラムザスの声援を受けて、試作一号車が軽やかにカオスの館から飛び出して行く。

 

「この機械。名をなんとしますか?」

「トライクかな。三輪車だから…。本当はメカールって名付けたかったんだが、タカラの奴が猛反対してなぁ」

「僕も反対しますよ。これ、海軍に導入しますからね」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 

 三輪車。トライクはその後、市販されて大評判となった。

 簡便な扱いと実用的な貨物搭載量が受けて、都市内での輸送機器として大いに広まったからである。二輪の間に後席を設けて人員輸送用にした仕様も登場し、辻馬車業界とちょっとした争いの種になった事もあった。

 

 受ければコピー商品が出回るのは世の常であるが、ゴムタイヤの製造に手の出る業者は少なく、ラムザスはこれで巨万の富を稼ぐ事となる。

 

 トライクは年々改良されて行き、最終的にはチェーンと全金属製の車体を備えたタイプへと進化する。しかし、二輪仕様はラムザスが頑として拒絶した為、同業他社から発売され、彼は事業的にかなりの損失を出しているのだが、これは彼の死後まで改まる事はなかった。

 

 彼はハルピュイアのメカールと共に生き、五十年の生涯を閉じた後、メカールもまた、彼の後を追う様に永遠の眠りに就いたと語られる。

 

〈FIN〉




出てきたヤシクネーはクロッカスの子供です。ククルゥ君は中年親父だ(笑)。
時代は『ナイデンヌの妖女』から見ても、かなりの未来です。
もしかすると、ラムザス達もいつか再登場するかも?

エルダ世界では既にゴムが発見されてます。魔糸を材料にして更に高性能なゴムや可塑性の樹脂が開発されるのは、もう少し先になりますが(この為、魔糸を吐き出すヤシクネーさん達の価値が爆上がりします)、このタイヤチューブみたいな『物を密閉出来る』技術が確定する為に、どんどん錬金化学が発展して行く事になります。

タカラの元ネタは玩具会社では無く、懐かしの読参『フィクショナルトルーパー〇』のエースパイロットの方。多分、縁は無いだろうけどキリ〇・タカラさん、もし見てたら御免ね(笑)。


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淫魔、フルドラの生涯

移籍、第三弾です。

凄く未来のお話になります。『偽りの聖女編』から見たら百年以上は先の時代。
本来は『エロエロナ物語』(R-18)で発表すべき話なのですが、淫魔についての設定がかなり多いので、R-18抜きで発表した方が良いと判断しました(『エロエロナ物語』でR-18版も掲載しています)。

なお、題材がサッキュバスのお話ですので、露骨な性行為の描写こそありませんが、性的なその手の話が苦手な人はブラウザバックをお勧めします。


淫魔、フルドラの生涯

 

 風紗館の開け放した窓から、そよ風が入ってくる。

 遠くからぽーっ、汽笛の音が響く午後。フルドラ・テレーズは教え子達の訪問を受けていた。

 

「校長先生…」

 

 最初の教え子であったサーシャ。マーシャ。カーシャの内、亡きマーシャを除いて病床にある恩師をじっと見詰めている。

 彼女らはサッキュバス。魔族の中でも淫魔と称される種族だ。寿命は約百歳。ヒト種の倍程度はあるが、女として魅力的な年齢、十代後半から二十代になると容姿は固定され、老化しない。

 だから、恩師とその教え子達も一見、若い娘に見えてしまうが、彼女たちはかなりの老境に差し掛かっていた。

 フルドラは今年で109歳。サーシャ達は90歳だ。

 

「御免なさい。役に立ちませんでした」

 

 恩師であり、元校長であったフルドラに詫びを入れるのはサーシャ。

 少しでも精を付けて貰おうと、文字通りふたなり化して精を絞り出したのだが、既に吸精機能が低下していたフルドラは、彼女の精を吸収出来なかった。

 フルドラは寝台から身を起こすとサーシャを抱き寄せる。

 

「いいのよ。貴女の熱い想いは胎内で受け取ったわ。

 あたしも耄碌したわね。昔は、何リットルも平然と吸精したのに」

 

 お腹をさするフルドラ。胎内に出された精はそのままだ。健康な淫魔なら直ちに吸い尽くすのだが、機能障害を起こしたフルドラのそれは貯まったままだ。

 

「そろそろお迎えが来る頃だから、仕方ないわよね」

「校長先生」

 

 カーシャが泣き出したのを見て、フルドラは彼女も抱き寄せる。「あらあら、今の校長は貴女でしょう。カーシャ」と指摘しながら。

 目を閉じると昔の事が、走馬燈の様に脳裏に浮かんでくる。

 そう、あれは、もう90年も前の話だ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「淫魔学校の教師、ですか?」

 

 エロエロンナ領立魔導アカデミーの研究者、フルドラ・テレーズは目の前の女性に問い質した。

 このアカデミー自体の歴史は新しい。

 元々、魔法教育機関が王立魔導学院の一極集中を危惧した女伯によって、この地に建設された新設校であり、フルドラはその中でも優秀な成績を収めて、学生から研究者へと昇格したばかりの新人であった。

 

「あたしは若輩者ですし、他人に教える事なんて…。

 それにエッチの方は、私よりも上手い淫魔が沢山居るでしょう?」

「必要だからです」

 

 その女性はフルドラの言葉を遮って、ぴしゃりと言った。

 

「貴方の出自が、それに最適だからなのです」

 

 目の前の人物、スリットから大胆に脚を露出させた白いドレスに身を包み、流れる様な長い金髪を持つ半妖精は続ける。

 思い当たる事はあった。忘れたい過去、マーダー帝国での履歴。

 

「それは、私がサッキュバスだからですか?」

 

 頷く女性。やはり。嫌な勘は当たる物だ。

 

「帝国に改造されたのでしたよね。他の犠牲者と同じ様に」

「はい」

 

 第四次マーダー大戦。今から一昔も前の話だ。

 当時、敵国であったマーダー帝国はグラン王国に対する攪乱として、どこからか大量のサッキュバスを王国内へバラ撒いた。

 当然、国内では淫魔に襲われ、枯死に至る犠牲者が続出。その上、滅ぼしても、滅ぼしても淫魔の流入は続き、しかも、その淫魔の一部が元王国民である事が突き止められたのだ。

 何と帝国は捕らえた王国民を元に、サッキュバスを量産していたのである。

 ロイヤルサッキュバス。今は希少種の上級淫魔には、普通のヒトや亜人を下位種の眷属に変える力がある。それを悪用した作戦であると推測した王国は、決死隊を送って元凶を破壊した。

 

 だが、製造源は断ったが、数百人にも及ぶ淫魔に変えられた犠牲者は残った。

 元国民。しかし、今は精を啜ってしか生きられない魔族である。

 元に戻す研究も始められたが、既に身体構造を変異させられ、彼女らはサッキュバスと言う別の生物に生まれ変わっており、最早、元に戻す事は不可能だと結論づけられてしまう。

 王国は対応に苦慮する。

 秘密裏に処理(殺害)してしまえとの声が大きかった中、幾つかの地域と都市が彼女らを受け入れる。その中にこの街、エロエロンナもあった。

 

「貴方が帝国の正規の訓練を受けた間諜であった。それは調べが付いています」

「! それは…」

「工作員としてサッキュバス化させられた。そうですね?」

 

 突き刺さる言葉。そう、自分は帝国の間諜であり、志願して自ら淫魔になったのだった。祖国に忠誠を誓い、その任務が尊い物だと信じて淫魔に吸収され、生まれ変わった。

 捨て駒にされたとも知らずに。

 そう。多くの国にとっても同じだが、間諜なんぞは組織にとっては末端に過ぎない。トカゲの尻尾切りと同じく、使い捨てにされる駒に過ぎなかったのだ。

 戦争終結時、フルドラはそれを思い知ってしまった。

 

「…はい」

 

 フルドラは肯定した。

 隠し事は無駄だろう。多分、目の前の女は事前に全てを調べている筈だ。

 その証拠に「テレーズ、いえ、ボロンさん。だからこそお引き受け願いたいのです」と申し入れて来たのだから。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「娼館ですよね?」

「はい、公娼館の一つ、『風紗館』(ふうしゃかん)って名です」

「名は知ってます。ここに併設するんですか?」

 

 フルドラは戸惑っていた。別の公娼館、『翠晶館』(すいしょうかん)に務めていたので同系列の店だから名だけは知っている。しかし、娼館のどこに学校を設けるのだろうか?

 

「一応、淫魔学校の建設は秘匿したいですからね」

「ああ、世間体も悪そうですしね」

 

 世間一般では、サッキュバスは人々に害を与える魔物であると認知されている。

 討伐されて当然だと考えられ、事実、人権は認められず、見付けたら殺されても文句は言えない土地が多い。

 このエロエロンナ領だけが彼女らサッキュバスに法的な権利を与え、領民として認めているのが、例外中の例外なのだが、それでもあからさまに淫魔の教育機関を置くのは、抵抗が大きい筈である。

 

「秘匿するのは、それだけが理由じゃありませんよ」

「え?」

「貴女を教師として招聘したのにも、理由が思い当たるでしょう?」

 

 白いドレスの女は柔らかい笑みを浮かべるが、フルドラには背筋が凍る程の悪寒が走る。

 こいつ、美しい顔をしているがとんでもない女だ。

 

「それは…、まさか?」

「中へ入りましょう。外で話す内容ではありませんからね」

 

 そう言いつつ、新しく建設中である娼館の正面玄関をくぐる女。

 フルドラは続く。続かねばならなかった。アカデミーを出てここに至るまで、どこからか監視の視線を常に感じていたからである。

 あからさまな姿は見えない。だが間違いなく、この女に数人の護衛らしき者が影になって随伴している気配がある。それは自分の監視をも兼ねているのだと推測出来たからだ。

 

「さて、機密としたいのには訳があります。

 一つは先程、貴女。スンダル・ボロンさんが仰った通り、世間体の問題」

 

 娼館のVIPルーム。そこへ通された白いドレスの女は語り出した。

 ちなみにスンダル・ボロンはフルドラの捨て去った本名だ。

 

「二つ目は、貴女が間諜であったから…」

「ふざけるな、ここの淫魔達をスパイに仕立て上げて工作に使うつもりかっ!」

 

 確かに淫魔を各地に送り込めば、その効果は絶大であろう。相手が男性ならば【魅了】や性技によって骨抜きにするのも容易い。

 しかし、それは露見すれば命がないも同然の暴挙である。

 

「そうです」

 

 だが、フルドラの怒りに女は当然と言う顔で頷いた。

 

「残酷ですが、この地でサッキュバスが生きて行く為にはやって頂くしかありません。はっきり言えば、領民として役に立てと言う事です」

 

 戦後、引き取り手の居ない淫魔達に救いの手を差し伸べた者は多かった。だが、多くの場所でそれは次々と破綻して行った。

 特に善意で彼女らを引き受けた所はそうである。「可哀想だ。哀れだ」とのヒューマニズムは立派だが、彼らにはサッキュバスの性質という現実が分かっていなかった。

 

 それは『淫魔が生きる為には男の精が必要なのだ』と言う、一番基本の大原則を失念してしまった事である。それを供給出来なければ、上手く行く筈がない。

 無論、淫魔だって普通の食事は口に出来る。しかし、それは酒や煙草の様な嗜好品であって、生きる為の栄養にはまるでならないのである。

 よって、引き取られた各地の淫魔はたちまち飢えた。無論、ボランティアで精を提供する者もあったが、個人ならともかく、大量のサッキュバスを養う為にはまるで足りない。

 飢えを凌ぐ為に土地の者を襲い、更に保護区を脱走して野に下る淫魔達。

 それは生存と言う自己保存の為に仕方の無い事ではあったが、その結果、保護されていたサッキュバスは危険な魔物として狩られて行く。

 

 そうして保護された淫魔達が、唯一、定着した土地がこのエロエロンナ領である。

 ここが保護したサッキュバスは約五十名。最大百人以上引き受けた他の土地と違ってそれなりの数でしかない。

 だが、引き受けるに当たり、領主は「彼女たちは自活の為に公娼になって貰う」と、エセ人道主義者から非難されるのを覚悟で最初から宣言していた。

 

 無論、引き受けたのは行き先のない彼女らを生かす為であるが、単なる慈善事業気取りで受け入れたのではない。

 現実を見て『では彼女らの糧を何処から得るのか。公共事業で支える為の財源は何処から出すのか』から引き出された結論である。

 

 公的に補助金で淫魔達を養うのは、税金を納めている住民達からの反発を生むからである。ならば、サッキュバスが得意な分野で金を稼いで貰わなくてはならない。「娼婦。それも領地所属の公務員として勤めて貰うのは義務である」を謳ったのだ。

 難民扱いの他の土地と違い、無料で養いはせず、対価としてサッキュバスからも税金も徴収しているのも、『俺達の金でのうのうと暮らしてやがる』との反発を見越し、領民が持つ不公平感是正の為だ。

 領主曰く、「経済的自立は必要。『街に利益を還元する娼婦として貢献してますよ』『皆さん同様、ちゃんと税金も払ってますよ』と示さねば、遅かれ、早かれ異物として排除されるわよ。早く、街の一員になってくれなきゃ困るわ」であった。

 

「それの延長だとしても、酷すぎませんか?」

「貴女が考えている様な事にはなりません。と言うか、潜入工作として外国に派遣する様なのを想像しているみたいですが、それはありません」

「使い捨てにされる。え?」

 

 思考が停止した。

 

「やって頂くのは、あくまで領内での情報収集活動です。それにこちらとしても、サッキュバスを領内以外に出したくはありません」

 

 彼女は続けて、「我が領が『サッキュバスを野放しにしている』とか、他から非難されるじゃないですか。そんな政治的自殺は行えませんよ」と澄ました顔で述べる。

 

「やって頂けますね?」

「領内限定か…。要するに娼婦として寝た男から、情報を聞き出せって事ですか?」

「男とは限りませんけどね」

 

 クスクス笑う女。サッキュバスは両性具有。俗に言うふたなり化して女を犯す事も出来る。

 

「間諜の技術が必要なのでしょうか?」

「生体魔法の【魅了】の効果は絶大ですが、ばれると後がありません。

 それに対象が女相手では【魅了】は通じません。

 だから口八丁、手八丁の手練手管を使って行う昔ながらの技術が必要なのです」

「成る程」

 

 相手を上手く誘導して口を滑らせる。そこら辺は間諜の得意技である。

 

「時々、貴女達が伝説の夢魔の力を持っていたらと思いますね」

 

 淫魔は持ち前の能力で夢に入り込んで相手を犯す。と言う話は眉唾である。

 魔法でそれに近い事する方法もあるにはあるが、そんな高度な魔法を使えるサッキュバスなんて稀であるからだ。

 

「そりゃ、誤解ですよ。あと【エナジードレイン】でしたっけ?

 射精された精液から記憶や経験を盗み取って、相手の全てを奪うって与太話」

 

 これも人々が誤解する淫魔の力だ。確かに全ての精を搾り尽くして殺してしまう力は持っているが、そんなに便利に他者の持つ記憶やら経験を己の物に出来る能力は持っていない。

 

「エッチするだけで全ての情報が丸判りですから、出来たら便利ですのにね」

 

 無理である。「うふふ、貴方の事は精液を通じて全て理解したわよ♪」とかの台詞と共に、性交した淫魔が相手の能力をフルコピーして大活躍(暗号を知る唯一の男から【エナジードレイン】したサッキュバスが、そいつしか知らぬ暗号を入手するとか)なんて話があったりするが、そんなの三文小説のフィクションだ。

 甚だしい物になると物理的に相手の経験まで、【エナジードレイン】で全てを吸われた相手は若返って消滅してしまったり、体力、知力、更に記憶なども低下して何も出来ない廃人になってしまったりするが、そうだったら化け物の類いである。

 それは既にサッキュバスではなく、悪魔じみた魔神か何かだ。

 

「偉人や名将を犯しまくって、一山幾らで沢山コピーが出来たら苦労しません」

 

 精液を膣で受けるだけで、即座に天才的な魔導士の力や剣豪の戦技を全て己の力として使えたら、とっくの昔にサッキュバスは世界を征服している筈だ。

 

「まぁ、もしかしたらロイヤル種辺りは持ってるのかも知れない。

 でも、あたしらコモン種とは別次元の話だし、話しても詮無き事」

「ですね。では。具体的な話に移りましょう」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 学校の教科は読み書き、計算を中心に幾つかの特殊カリキュラム(サッキュバスの性技の訓練。間諜としての技術や、軍事知識も含む)を教育する。

 教室は娼館の地階を活用。運動場は同じく、娼館の中庭を使う。魔導訓練場とか特殊な施設が必要な場合、領内の他施設を転用して活用する。

 

「こんな所でしょうか?」

「予算はどうします」

「機密費です。まぁ、余り大袈裟な額にはなりませんよ。将来的な投資ですからね」

 

 機密費。娼館の利益から計上している謎の予算だ。単に名目上の物で、誰かが懐に入れて利益をかすめ取ってるかと思ってたが、違っていたのかとフルドラは認識を新たにした。

 

「で、いつからやるんです?」

「二年後ですね」

「そんな先延ばしで構わないのですか」

 

 彼女は卓上のサモワール(茶沸かし器)からお茶を注ぎつつ、「構いません」と言い切った。サラサラとした金髪が目に眩しい。

 

「今、娼館にいるサッキュバスは確か五十余人。やるなら早めが…」

 

 彼らは歳も身分も様々。元貴族も庶民も居るし、当然、中には読み書きが出来ない者も多い。

 だが、彼女の答えは違っていた。「彼女たちは対象の範囲外です。このまま娼婦の仕事に専念して貰います」である。

 

「どう言う意味です?」

「対象は次代のサッキュバスです。最近、産まれましたよね」

 

 そう、淫魔と顧客の間に子が誕生したのである。それも三つ子だった。

 サッキュバス、それも子供を孕む機能がないコモン種は、ふたなり化して愛した女性へ精を注ぐ事でサッキュバスを生み出せる。

 しかし、相手とは相思相愛であるのが必要条件。単に強姦しただけでは絶対に子供は出来ない。これが世にサッキュバスが溢れていない理由である。受精率が異様に低いのである。

 

「あれも伝説か与太話だと思ってました。でも、実際に子供が産まれた事で実証されました。

 これに刺激されて、これから次々と次世代の淫魔が誕生するでしょう」

 

 言いつつ、彼女はお茶をフルドラに勧める。

 シンプルで地味の色合いだが、明らかに高価そうな東方の磁器だった。

 

「それが二年後の理由ですか?」

「はい。その間にここを含めて施設建造や法整備も進める必要も有ります。そして、大人をオミットするのも、娼婦として戦力外になる以外の理由があります。

 付け焼き刃の素人では役に立たず、もし敵に勘付かれたら、このコンセプト自体が没になるからです。最初の世代はただの娼婦だと相手に思わせる為の囮です」

 

 しれっと語るドレスの女。

 

「でも、そうなると間諜として役に立つには、急いだって十年かかりますよ?」

「エロエロンナ百年の計の一環だと思えば、たったの十年に過ぎません」

 

 ここの領主は半妖精。妖精族とか半妖精族は寿命が長い分、とても気が長いと聞くが、本当の事だったのかとフルドラは感嘆した。

 

「分かりました。引き受けましょう」

「ありがとうございます」

 

 フルドラは「でも」と意地悪い笑みを浮かべる。

 

「あたしは元帝国兵ですよ。しかも、帝国貴族ボロン男爵家の娘。そんな女を信頼して宜しいのですか。えーと、ミキさん」

 

 最初に自己紹介された名を思い出す。そう、確かこの女性はミキと名乗っていた。

 

「貴女は祖国を喪失してます。それは貴方が一番良く知っている事です。それにボロン男爵家はマーダー帝国では既に存在していません」

 

 今、何と言った?

 

「え…ボロン男爵家が…存在しな…い?」

「知らなかったのですか。戦役直後に改易されてますね」

 

 目の前の女は続けて「我が王国と違いマーダー帝国は皇帝の権力が強いですから、余程強い勢力家でもなければ、こうした改易は珍しくもありませんけど」とか言っていたが、フルドラにはひどく遠くの言葉にしか聞こえない。

 

「何故?」

「戦後処理の問題ですね。敗戦の責任を取らされたと表向きにはなってますが、必要のなくなった貴族家を幾つもお取り潰しにして、戦費を捻出したのでしょう」

「敗戦の責任?!」

 

 単なる地方貴族のボロン家に何の関係が?

 

「或いは貴女の存在を秘匿する為の処置かも知れません。

 戦後、貴女は自分の身分を明かして帝国への捕虜返還に参加するつもりだった。

 しかし、帝国は『サッキュバスなど帝国には存在しない』と拒否した。あの時に貴女の存在その物を抹殺すべく、実家が取り潰された可能性は否定出来ません」

「父母は? そして兄妹たちは!」

 

 ミキは手元の書類をめくった。そして「お気の毒ですが生存してない模様です」と告げる。

 取り潰しにあった後、士族へ降格して領地(くに)替えさせられたが、その途中で事故死となっている。崖崩れで一家諸共、乗っていた馬車が生き埋めになったのだと言う。

 

「そんな…」

 

 力が抜ける。

 

「何故か、敗戦処理の結果、改易された帝国貴族の殆どが、こうした不可解な事故死を遂げてます。一種の口封じなのかも知れません」

「それはあたしに対する報復なのか。あたしは家族を連座させてしまったのか」

 

 戦後のあの時、「私は帝国貴族である。捕虜として正式な返還を要求する」などと公言してしまったせいなのか。大人しく口をつぐんでしてさえいれば…。

 その問いにミキはかぶりを振る。

 そして「私は帝国の一員ではないので、それはお答えしかねます」と事務的に述べた後、「では、教師の件、宜しくお願いしますね」と言ったのだった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「フルドラ先生?」

「そう。あたしが貴女達の先生です」

 

 二年の月日が過ぎた。

 その間にサッキュバスを巡る法の整備が行われ、新規に登録される淫魔に対して職業選択の自由が制限されてしまった。

 以前は公娼であっても副業が認められていたのだが、新法では一定期間、公娼を続けなければ新しい職に就く事は不可能になった。

 何でも、「淫魔を自由にさせていたら、何をしでかすか分からない」との訴えが多かったからで、充分、模範的な領民として信頼出来るまで、娼婦として監視する必要があると判断されたからであると言う。

 

 まぁ、飛び抜けた才能を示した者や軍に所属する者は例外となるが、職業が制限された事にはフルドラは不愉快であった。

 フルドラの様に研究者として他の学校に在籍したり、以前の職を利用して店を開いたりとかが一律禁止になってしまったからだ。

 娼婦以外に開花した折角の才能を腐らせる結果になりはすまいか、そんな危惧がある。

 

 領民となる為の『誓い』制度も導入された。これは淫魔の吸精能力を制限する為、【ギアス】(呪い)を掛ける物である。これは子々孫々まで続く強力な物であり、どうやって地方領であるこの土地に導入したのかは謎であるとしか言い様がない。

 大司教や聖女なんて呼ばれた、高位の聖職者しか使えないクラスの神聖呪文なのだから。

 

「何やるの。お絵かき?」

「あたし、せーえき飲みたい」

「眠いよぉ」

 

 とにかく、目の前に座るこの三人がフルドラ最初の生徒になる。

 三つ子のサッキュバス。実は凄いレアだ。大抵、サッキュバスは一人っ子であるらしい。

 らしい、と断言系でないのは、この街に居住するサッキュバスの全員が転生系だからだ。

 つまり、元々は淫魔ではなく、上級淫魔に淫魔に変えられてしまった存在で、実は純粋にサッキュバスの間から産まれた淫魔は、この三つ子達以外はまだ一人も居ない。

 要するに転生した時から大人であり、誰一人として、サッキュバスの子供時代を体験した者が存在しないのである。

 

 そんな訳で、育てる方も四苦八苦。淫魔の子供であった経験がないので、どうやってミルクを与えるのかも判らない。股間をふたなり化して精液を与えるのだと気が付くまで、餓死寸前にまで追い詰めてしまった失敗もある。

 普通の赤子とは違う育て方を試行錯誤しつつ、二歳にまで成長した。

 幸い、魔族の精神的な成長は早いので、この年になったらいっちょ前に受け答え出来る程度に会話がぺらぺらなのは助かる。

 でも、サーシャ。マーシャ。カーシャと言う名の三つ子は見た目がそっくりで、どうやって識別しようかと戸惑ってしまう。

 

「じゃ、まずは数字を覚えましょうか?」

「「「はーい、先生」」」

 

 最初はお遊戯。ここから淫魔学校の歴史は始まったのだった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「先生」

「サーシャ、静かに。どうやら寝てしまったみたいね」

 

 二人を抱き寄せたまま、寝息を立て始めたフルドラをそっと寝台に横たえるカーシャ。

 だが、フルドラの腕が小刻みに揺れているのをサーシャが気が付いた。

 

「あれ、これって…」

「打通信号だわ。ええと、ホンジツハ、ウテンナリ?」

「…雨よ。飴じゃないの。こら、変な風に理解しない…」

 

 独り言が呟かれる。何か夢を見ているのだと二人の淫魔は理解した。

 

「雨と飴って、マーシャだわよね」

「返信してみるわ。えーと、アメハアメ。オイシイ、と」

 

 トントン、ツートントン。カーシャが手を丸めると先生の肩を軽く叩いて行く。

 サーシャは次女のマーシャ。既にこの世には居ない。が、最初に習った打通信号で遊んでいたのを思い出す。あれは、五歳くらいの頃だったろうか?

 

              ◆       ◆       ◆

 

 間諜としての基礎。それはまず知識の詰め込みが肝要になる。

 土台がなければ何事も上手く行かない。文字を知らないで文学を書いたり、魔力の制御を出来ないまま、通常の魔導を覚える事は不可能だ(但し、生体魔法は生まれつきの能力なので別)。

 四苦八苦して三人の幼女に読み書き計算を覚えさせた後、フルドラはまず、打通信号を教え込む事にした。

 

 打通信号とは、長音と短音を組み合わせて意志を伝える通信法である。

 女傑テラ・アキツシマ曰く、「それ、何処のモールス?」だそうだが、古くから続く由緒正しい通信法で、太鼓を打って遠くに意志を伝える事から始まり、後に光による点滅や、魔力を解放する事による長距離通信へと発展して行った。

 

 始めの例文は「本日は雨天なり」だ。

 別に「晴天なり」でも構わなかったのだが、テキスト作成時に雨が降っていたと言う理由でこうなった。

 教材は手書きである。後世では印刷となったが、初期の段階では生徒数の関係から、こうした教師手製の教材が主だ。のんびりした時代であった。

 

 五歳になった三つ子達。

 幸い、この三年でフルドラは各人を識別する事が出来る様になっていた。

 サーシャ。長女。真面目で三つ子のリーダー格。堅実。でも仕切り屋さん。

 マーシャ。次女。お転婆で良く脱線する。一番、外交的で面倒見は良いが、飽きっぽい。

 カーシャ。末っ子。控えめだが、何をするにも内向的で自分から動かない。放っておくと大抵は寝ている。

 

「雨天って、雨が降ってるの?」

「わーい、飴。飴は美味しーよね」

「…眠い」

 

 フルドラは手を叩いて「飴じゃなくて、雨です」と注意を促すも、アメハカンロ。アメハ、ナーダチャンノコウブツ。とか、机を叩いて勝手な通信が飛び交う。

 マーシャの通信に首を捻るサーシャ。

 

「ナーダちゃんて下級生の?」

「うんっ、この前飴あげたの。彼女、ぽっちで同級生居ないでしょ?」

 

 答えるのはマーシャ。サッキュバスの子供はまだまだ少なく、年間に数人程度しか産まれない。だから二年下のナーダには同級生が居らず、一年下のグループに編入させられていた。

 

「寂しそうだったから、飴をあげたら喜んでくれたの」

「…そこは淫魔なんだから、精液をあげるべきだよ」

 

 これはカーシャ。最近精通して、ふたなり化出来る様になったのが嬉しいらしい。精巣が未発達なので、大人みたいな量は出せないのだが、子供に与えるなら充分だろう。

 

「それでこの前、私にやたらお辞儀してきたのか」

 

 サーシャは納得する。三つ子だから顔は同じ、ぱっと見では誰がどの子か分からない。次女を長女と間違えるのも無理は無い。

 

「アメハアメ、オイシイ。か。ま、いいか…。ちゃんと基礎は分かってるみたいだし」

 

 あらかじめの予習の成果か、一応、基礎の基礎は三人とも理解している様だ。

 軍人や船乗り達が覚える標準通信であり、いわゆる平文(ひらぶみ)だ。各国共通なので通常使用にはこれで問題はないが、これだと内容が筒抜けになるので、軍や諜報機関は暗号を設定して、内容を外へ漏らす事がない様にするのが普通である。

 応用課程へ移ろう。遊んでいる子供達を見て、そうフルドラは決心した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「マーシャが重傷?」

「はい、校長。無理したみたいです」

 

 卒業間際の事だった。第一期生として育った三つ子に不幸が起こったのは。

 この時、学校も規模を拡大していた。寺子屋に毛の生えていた初期とは違い、毎年、平均五、六名が入学する様になったので、フルドラ一人では手が回らなくなったのだ。

 それで彼女は校長に収まり、サッキュバスの中から数名を選抜して教師役に当てる事となった。幸い、元教師であった者が数名おり、何とか運営可能な状態を維持している。

 しかし、教師も専任である事は叶わない。フルドラを含めて娼婦をしながら臨時で教鞭を執るしかないのが、苦しい台所事情であった。

 

「私が目を離したせいで…」

「貴女の責任ではないわ。ロスメルタ。全ては人材不足のせいです。それにしても…無理をせず、見学していなさいと、あれほど注意していたのに」

 

 校長はうな垂れているロスメルタ教諭を叱責しなかった。

 公娼の方が本職で、給金は出るが教師はボランティアの様な物である。無理をして務めて貰っているのだから、責任を感じて優秀な人材を失う訳には行かないのだ。

 

「サーシャ、カーシャ。マーシャの具合はどう?」

「あっ、校長先生」

 

 風紗館の救護室は珍しく地上階にある。

 これは訪れる客にも開放されているからなのだが、それでも屋根裏部屋なのはバックヤードの悲哀であろうか。だが、地下と違って窓があり、開放的なのは好ましいと言えた。

 フルドラが訪れた時に、マーシャは既に処置が施されていて、その病床にはその容体を心配する数人のサッキュバス達が取り巻いていた。

 マーシャの下半身にはシーツが掛けられているが、それが真っ赤に染まっている。

 

「あたしがやれるだけの事はやりました。でも、本格的な治療は聖句の【治癒】がないと手が付けられません」

 

 校医のアブラヘルが報告する。彼女も勿論、元女医であったサッキュバスであったが、人間だった頃の医師免状は剥奪されてしまっていた。「淫魔になった者は医師として認められない」と医師ギルドが宣告した為である。

 その腕は以前と全く同じであるのにも関わらず、だ。

 非合法医であるが、淫魔を診てくれる医者などそうそう居ないし、そこらの町医者よりも腕も良い。だから、彼女は娼館の医師としてお目こぼしがされているのだ。

 

「具体的には?」

「出血が酷すぎるのです。止血処理はしましたが損傷場所が場所なので、普通の医術では物理的に手が届きません。治癒魔法の手を借りないと…どうにも」

「翠晶館も含めて、聖句の使い手に心当たりはない?」

 

 答えはなかった。

 聖句魔法。別名を神聖魔法とも言うが、生命や治癒に関わりの深い呪文大系だ。何故か女性にしか使えないが、これは女の持つ生命を生み出す力が関係していると言われており、神官が会得する呪文の代表格である(神官以外でも、素質のある女性なら覚えられる)。

 

「駄目か。じゃあ、娼館関係者以外で聖句の使い手に心当たりのある人は居る?」

「なるべく聖句五級以上でお願い。かなりの重傷だから、擦り傷を治せる様な、七級や六級では、とても足りないのよ」

 

 校長と校医らそう言われ、ざわつく生徒達。

 魔法の実力を測る等級で言うならば、五級はかなりの実力になる。魔導士(ソーサラー)だの治癒士(ヒーラー)だのと名乗れるレベルであり、その道のプロとして通用する専門家レベルなのである。

 当然、市井で持つ者は相対的に少ない。

 

「冒険者ギルドになら」

「近所じゃないけど、グレタ教会の司祭さん」

 

 別々の生徒が答えた。フルドラは頷くと、彼らに使い手を呼んでくる様に伝える。

 直ちに彼女らがそれぞれの心当たりに走る。ロイヤルサッキュバスと違って翼を持たないので徒歩だ。もし翼があれば、一直線へ目的地へ飛んでいけるのにと歯がゆい。

 

「マーシャちゃん」

 

 たたたっ、と入室して来たのはナーダ。この時は十歳で、マーシャとは親友同士。そしてただ一人の三期生だ

 だが、意識を失っているマーシャはその声にも反応しない。その間、フルドラは事故の詳細を改めて聞いていた。

 

 きっかけは実習だった。将来は公娼であるから当然、接客なども含めて娼婦としての教育を受けねばならないし、お客から糧である精を貰う必要がある。

 小さい頃は大人の淫魔が交替で精を供給してくれるが、ある程度育ったら、自ら精を摂取する訓練を行って、公娼になる準備を始める。

 だが身体が未成熟なので、主な方法は口と尻尾(淫魔の尻尾は搾精器なのだ)である。

 しかし、サーシャ、カーシャは問題なく女性器が使える様になっており、実習もこれを使って行われたのだが、一方のマーシャはそれが出来なかった。

 何故か、他の二人と異なり、ある一定時期から身体の成長が止まってしまったのである。

 

 原因不明であるが、数々の文献を当たったり、ご当地以外の淫魔に尋ねてみた所、サッキュバスの中でも恐れられる奇病の一種であると判明した。

 本当に病気なのか、それとも突然変異なのかは掴めていないが、サッキュバスとして産まれた者の中で、ごく少数ではあるが、一定数が罹る現象だと言う事例には間違いない。

 ロリ体型のまま、姿が固定されてしまうのだ。特にマーシャの様な幼女になると、淫魔にとっては致命的であるらしい。メインである搾精の主力器官が全く使えなくなるからだ。

 

 80年後の現在では、ある程度の対処法もあって、張型を用いて徐々に膣を拡張して行く方法も開発されたのだが(辛いが、数年掛けて慣らしていけば膣内射精を受け入れる程度にはなる)、当時は全てが初物尽くしであり、サッキュバスの生態に関しても未知だらけであったのだ。

 

 ともあれ、マーシャの実習は口と尻尾を使っての搾精であった。これだけであるならば、何の問題も起きない筈であった。

 サッキュバスによる口での奉仕と、尻尾の先端をホース状に変形させ、男性器を咥え込むバキュームフェラ。

 どちらも男性に快楽を与えて、搾精するのには充分な方法である。しかし、マーシャはそれに飽き足りなかった様だ。

 

「膣を使った?」

「禁止していたのですが、他の姉妹に負けたくないとの事で、更に悪い事が重なりまして」

「どうしたの」

「相手がセントール(人馬)族のお客さんだったんです」

 

 ロスメルタの説明に目の前が真っ暗になる。

 人馬族は人の上半身と馬の下半身を持った亜人である。そして、想像出来るとは思うが、その男性器は文字通り、馬の様な巨根であるのだ。

 大人のサッキュバスでも挿入に躊躇する様な代物なのである。それを処女の、しかも未成熟なあそこへ突き入れたら、壊れる。確実に壊れてしまう。

 事実、フルドラは校医のアブラヘルから、「膣は引き裂かれて見られた物ではありません。子宮も下手すると全壊しています」との報告を受けている。

 

「…お姉ちゃん」

「マーシャ」

 

 うっすらと目を開ける次女に、残りの姉妹二人が駆け寄った。

 

「へへっ、失敗しちゃった。

 お姉ちゃん達も無理なあれを収めて、どうだって自慢したかったんだけど…」

「馬鹿」

「うん、馬鹿だね。やっぱり勢いだけじゃ…駄目なんだよね」

 

 そこでばんっと扉が開く。聖句使いを呼びに行っていた一人が戻って来たのだ。

 だが、その報告は「駄目っ、誰も話を聞いてくれない」と言う絶望だった。

 冒険者ギルドでの募集は失敗に終わったのだ。一応、依頼は受理され依頼書も壁に貼られたのだが、張られた途端に冒険者(クエスター)共に剥がされてしまった。

 依頼を受ける為ではない。外されたそれは丸められ、床へと投げ捨てられた。「サッキュバスなんて、みんな死んじまえ」との罵声も飛んだ。

 

 皆、敵として現れる魔族として淫魔を憎んでいた。

 説得にも馬耳東風。誰も、幼い淫魔を助ける者は居なかった。

 その娘も幼いけどサッキュバス。例の、淫魔っぽい露出過多なサッキュバスルックこそ身に付けてはいないが、ばれたら生命の危険すらあった。

 この時は尻尾を隠しておいて幸いしたのか、這々の体で逃げ伸びる事に成功した。 

 とすると、残りはグレタ教会へ向かった一人だが、こちらも宛てにはなりはすまい。

 

「マーシャちゃん。待っててね。あたしの力が役に立つかも…」

 

 ナーダが両手を前に出して、「偉大なる生命の源よ。ここに発現せよ。【癒やし】」と呪文を発動させた。本当に聖句の力である。

 偶然、聖句使いの力があるのが判明し、自己流ながらグレタ教会の司祭様にレッスンを受けていたのだと言う。

 それを聞いたフルドラは、もし間に合えば、グレタ教会の司祭は宛てになるのかもと認識を改めるが、それも間に合えばの話だ。

 

 ナーダは後にサッキュバスでありながら教会の司祭にまでなるのであるが、これは別の話だ。この時は本当に初歩の初歩クラス。七級程度の力を発揮するだけに過ぎなかった。

 せいぜい傷にかさぶたを発生させる程度であり、こんな重傷には焼け石に水だ。

 しかし、マーシャは目を閉じて「気持ちいい。とっても良い気持ちだよう」と呟きながら意識を失う。未熟な魔法の力は直ぐに切れて、ナーダが再び呪文を唱えかけるが、それをフルドラは制した。「無駄だ」と。

 既に彼女は事切れていた。

 

「司祭様を連れてきたよっ!」

 

 安らかな死に顔を浮かべるマーシャの前で、二人の姉妹は泣き出した。

 一歩遅く、教会の司祭を連れて来た生徒はへたりと座り込み、呆然となって虚空を見詰めている。ナーダはマーシャの顔を見詰めながら、「うそ、やだよう」と繰り返し呟いた。

 やって来た女司祭は、「さすがに【蘇生】の御技は使えません」と頭を下げるが、わざわざここまで来てくれた相手を蔑ろには出来ない。

 

 フルドラは礼を尽くして司祭を別室へと案内する。マーシャの葬儀の話をする為に。

 ここまでやって来てくれたのだから、サッキュバスだからと言って葬儀を断られる事はあるまいとの目論見だ。

 

 マーシャ・エコー。享年12歳。

 葬式は翌日、グレタ教会にてしめやかに行われた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「…マーシャの事を思い出してたわ」

「妹はどうでした?」

「姦しかったわよ。でも、最後の看取りは悲しかったわ」

 

 サーシャに笑いかけるフルドラ。

 そして「あたしも、もうすぐマーシャの元へ召されるんだねぇ」と呟く。そして「カーシャ」と声を掛けた。

 

「はい」

「元校長として現校長の貴女に命じます。あたしの生体データは貴重ですので、あたしの死後に研究室に献体します。手続きを宜しく」

「校長先生!」

「どうしました。寿命で死んだサッキュバスは貴重ですよ。今後のサッキュバスの研究の為に、この老いた身体が役に立つのです。またとない献体ですよ」

 

 サッキュバスが寿命で死んだ例は余り確認されていない。

 淫魔とて魔族と言う生き物で有る限り、寿命はあると勿論言われている。しかし、老いた己の骸を他者に晒すのは、サッキュバスの矜持に反するのだろう。

 大抵は皆の前から忽然と消え、一人孤独に最期を迎える事が多く、寝台の上で往生を遂げた例は余りないのである

 

「だからと言って…」

「貴女は校長。この領内のサッキュバスを統べる一員です。全体の利益を優先しなさい。

 偏見は少なくなったものの、まだまだサッキュバスの地位は低いのです」

 

 目を閉じると眠気が襲ってきた。

 

「やっと眠れる。さて…どうか未来を頼みましたよ」

 

 フルドラは言い終えると、永く深い眠りへと落ちて行った。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 エロエロンナ城。

 海に突き出した要塞島の上に建つ領主の城である。最新の稜堡式要塞なので、平たい建造物しかなく、シンボル的に建てられてる塔も主塔(ベルクフリード)ではなく、単なる灯台と監視塔に過ぎない。

 その城内の一角で、彼女は報告を受けていた。

 机の上で白い指を優雅に操りながら、さらさらと山の様に貯まった書類の処理を施して行く美女は、暫し休んでそれに耳を傾ける。

 

「本日、元淫魔学校校長、フルドラ・テレーズ女史が死去しました」

「そう。解りました。葬儀は盛大に行いなさい。喪主は私が務めましょう」

「え、閣下が?」

 

 近習の報告に耳を傾けていた半妖精の女性は、当然とでも言う態度で頷いている。

 この人は領内のNo2だ。領主である女伯に次いで偉いのだ。いや、実質的な実務は目の前の女性が全て仕切っている。それが、淫魔学校の引退した校長とは言え、たかがサッキュバスの葬儀に出る必要があるのか?

 

「いけませんか。本当は予算が許せば領葬で行いたい程です。

 彼女は友人であり、功労者です。向こうは私の事をそうは思ってないでしょうけどね」

 

 近習は何とも言えぬ顔をしたが、黙って一礼すると退出した。

 彼女はため息をついて立ち上がると、深いスリットの入った白いドレスを翻してバルコニーへと出る。眼下には茜色の空に照らされた夕方の海が広がっている。

 

「また一人、皆、私を置いて行ってしまうのですね」

 

 腰まである長い金髪をはためかせながら、白の宰相、ミキ・ラートリィは涙を浮かべた。

 両手を組み、小さな声で「安らかに。願わくば、フルドラの魂が女神の元へ届かん事を」と聖教会式の祈りを捧げる。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 三日後、フルドラ・テレーズの葬儀はエロエロンナ大聖堂で行われた。

 人間であった時に24年。

 サッキュバスとして生まれ変わって109年。

 実に合計133歳の大往生であった。

 数多くのサッキュバス。教え子や関係者達が集い、式には女伯とその片腕、宰相が喪主を務め、盛大に執り行われた。

 遺体は遺言通りに献体となった。しかし、秘密裏に遺髪の一部が分葬されマーダー帝国へと向かったのだが、それを知る者は宰相他、ごく少数だった。

 

 マーダー帝国の旧ボロン男爵領。

 スンダル・ボロンと記された小さな墓が、断絶したボロン一族の墓地にひっそりと建ったのはその半年後の事である。

 

〈FIN〉




汽笛で気が付いた方も居るでしょうが、この時代になると汽船やSLが登場してます。
サッキュバスはこの物語で、結構大きな位置を占める種族です。今後、様々なシーンで登場して来る予定です。


裏設定。
スンダル・ボロンはインドネシアの有名な淫魔の名です。
フルドラもまた、淫魔の有名所です。こちらはスカンジナビア産。

遺体は聖句で施術され、アンデッド化せぬ様に処置を施されています。


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風紗館のリオン

リオンを纏めました。やや、加筆してあります。
改めて見るとかなりの長編ですね(約53,500字)。当初、何故、自分はこいつを前中後の三部作で書けると思ってたんだろう。

白の宰相が最初に登場する作品です。
この『リオン』に…出す予定無かったのに(笑)。

多少、加筆しました。2018/6/8日。


風紗館のリオン

 

 港湾都市エロエロンナ。

 グラン王国、エロエロンナ伯爵家の領地である。

 西方有数の大河、ポワン河の河口に位置しており、交易都市としても工房都市としても知られている。

 

「こりゃ、まぁ……」

 

 異種族が多い。亜人はともかく、忌み嫌われる魔族まで平然と闊歩している。

 混沌の街、と渾名を付けられているのも宜なるかな、な光景である。

 

「買い物篭下げたダークエルフが歩いてやがる」

「あれ、ラミアか。初めて見た」

「サッキュバスが、いかがわしい店の呼び込みしてるぞ」

 

 肌も露わな淫魔風のきわどい格好でチラシを配りながら、「サービスしますよぉ」と朗らかに笑う美女達。娼館の宣伝部隊だ。

 客船が到着する度に、こうして船客を店舗へ誘う為の呼び込みである。

 

「取り締まらなくて良いのかよ」

「あれ、公娼だ。つまり、立派な地方公務員」

 

 そう。領主公認の娼婦なのである。サッキュバスを野放しにしておくより、役所で一括して管理する方が安全と判断しているのだろう。

 逆に言えば、サッキュバスの私娼は禁止されている。

 淫魔としても生活の場も提供されるし、日々の糧(この場合は精液)も安定供給されるから文句はない。真面目に働けば、歩合であるが給料だって出る。

 闇に隠れ、正体を隠しながら獲物を狙う背徳的なイメージは何処にも無く、開けっぴろげにお客を誘っている。

 かと思えば、大きな身体を揺らして多数の脚をかちゃかちゃ鳴らして移動する、異形の女達が楽しそうに会話しながら通り過ぎる。

 

「アラクネー(蜘蛛女)だ」

「残念。鋏を持ってるだろ。ありゃ、ヤシクネー(椰子蟹女)だな。

 しかも、あっちは警備隊員みたいだぜ」

 

 なるほど、良く見ると軍服っぽい服装で、背にはフォーク(二股短槍)を背負っている。

 前椀部の大きな鋏が凶悪そうなので要らないようにも思えるが、犯罪者を取り押さえる道具として活用しているらしい。正式には東方の武器で『さすまた』と称するのであるが、西方では余り知名度は無い。

 

「で、他人の睦言を聞かなきゃならない理由は、何?」

 

 話題となっているヤシクネー達の一団で、大きな体躯でワイルドそうな女がうんざりした顔をして問う。

 

「ああ、これからが本題なんだって」

 

 問われた方、こちらはやや小型だが、下半身のヤシガニ体が大きいのでヒト族に比べればかなり横幅が大きい。名をケイと言うが、問うた方のエクシーは本当の名前を知らない。

 

「リオンがね、困ってるんだって」

「リオン? 確かお前の恋人だろ。お前が相談に乗って解決しろよ」

「そうも行かないから困ってるんじゃん」

 

 ケイはエクシーにふくれっ面を見せた。

 警備隊の仕事も忙しいのに余計な相談事は御免だとばかりに、エクシーは足早になる。それに負けず、脚の動きを早めて追随するケイ。

 石畳に殻に覆われた硬質の脚が、二人分、かっかっかっと乾いた音を立てる。

 

「リオンってあれだろ。『風紗館』(ふうしゃかん)で娼婦してるサッキュバス」

「うん。でも、もうすぐ年季が明けるから、娼婦は廃業するんだ。

 でリオンの常連客が、それについて文句言っててね」

「痴情のもつれかよ」

 

 良くある話である。引退する娼婦につきまとうストーカー行為か何かか。

 

「で、その常連客。ブルースって人なんだけど、あたしを認めてくれないんだ。

 リオンの恋人は俺だけだって言って、攻撃的だから怖いの」

「のしちめえよ。並みの男なんかはお前、こてんぱんにやっつけられるだろ?」

 

 ケイだって伊達に警備隊に籍を置いてはいない。腕っ節はそこそこ有る。

 しかし、彼女は「暴力的だよ」と顔を伏せる。「それ姉妹とか、親とかに散々やられてるから、あたしの好みじゃ無い」と続ける。

 そんな家庭環境で育ったせいか、エクシー流の取りあえず殴る方式は好かないらしい。

 

「リオンの方はどう思ってるんだよ?」

「それはね……。あっ、到着」

 

 角を曲がると、埠頭の直ぐ脇に警備隊の詰め所がある。木造二階建ての素っ気ない建物だ。

 二人は入口前の仲間に敬礼すると、中で控えている小隊長に警邏報告を済ませる。

 

「喧嘩一件。それ以外は異常なしです」

「ご苦労。ゆっくり休んでくれ」

 

 妖精族(エルフ)の小隊長の労いの言葉を受けつつ、ヤシクネー二人は休憩室に引っ込んだ。

 室内に入ってややあってから、再びケイは口を開く。

 

「……リオンはブルースも好きらしいよ」

「ほぉ」

「女としてね。でも、あたしを男として好きなの」

 

 サッキュバスは両性具有種、いわゆるふたなりである。男性から糧である精を搾り取り、下半身を変化させて女性へ精を注ぎ込む習性を持っている。

 故に恋愛対象は男女問わずなのである。しかし、その特質を認められない者も多い。

 

「恋人としてお前を認めたくない……か。単性である普通の種族は特にその傾向が強いのかもな」

「そうなの。でも、あたしはブルースがリオンの恋人だとしてもシェア出来るよ」

「共有の恋人って考えよりも、美しい淫魔を独占したいとの気持ちの方が先に出ちまうんだろうな。まぁ、独占欲の問題だから、あたしにゃどうにも出来ないね」

 

 エクシーはこれで話を打ち切りたかった。

 だって『気に入らなけりゃ、腕っぷしで解決しな』以外にアドバイスが無いからだ。それ以上は頭が回らない。と言うか、難しい事は考えたくないからである。

 警備隊に入ったのだって、姉妹達は商会に入ったり、工場で働いたりしているが、腕っぷしが取り柄のエクシーがなれる職業にぴったりだったからである。

 冒険者(クエスター)と言う道や、海兵(マリーン)も考えたが、どっちも結構、ややこしい感じがして辞退したのだ。

 迷宮探検に必要な地図作成や、航海に必須の三角測量とかやりたくいないのである。

 もっとも、警備隊にだって、報告書作成というややこしい仕事が待っているのが後に判明したが、何とかこれはこなしている。

 

「そんなー」

「まず、リオンと話してみるのが先決じゃ無いのかい?」

 

 取りあえず、至極まっとうな事を話して黙らせる。

 

「じゃ、じゃあ、エクシーも付いてきてくれる?」

「は?」

 

 そんなの自分で何とかしろよ。と思うが、ケイの「でもでも、だって」攻撃にうんざりして、一時間後に了承してしまう。

 面倒臭かったが、仕方が無い。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 華やかな歓楽街の一角に『風紗館』はあった。

 位置的には裏通りに面するが、まごう事なき一等地である。出窓の多い、凝った三階建ての大きな建物はピンク色の桃石をふんだんに使っており、窓と言う窓には高級建材のガラスも惜しげもなく填まっている。

 

「いつも思うけど、宮殿みたいだな」

「実際、中原の離宮がモデルらしいよ」

 

 時間は夕方。午後6時を回る頃である。エクシーとケイはリオンの職場である娼館へとやって来ていた。娼館自体は昼間から開いているが、やはり本格的な商売は夕刻からだ。

 時刻的にそろそろ本格営業を開始する時間帯であった。

 

「見回り、お疲れ様です」

 

 娼館のガードマンが挨拶してくる。エクシーは苦笑して「あ、いや、今回は非番なんだ」と説明する。制服を着替えるべきだったなと後悔するが、仕方が無い。

 ここは公娼宿であるので、警備隊の巡回経路に含まれている。だから、ある意味、ここの従業員達とも顔馴染みであった。

 まぁ、ケイはそのせいでリオンと親しくなったような物である。

 

「あら、リオンに用?」

「うん。館長さん」

 

 正面カウンターで優雅に一服する娼館長に答えるケイ。

 東方風の着物を着た色っぽい女性だが、公娼館だけあって彼女も実はエクシーらと同業。つまり、お役人である。

 館長は長い煙管をコンと叩いて、灰皿へ落とすと「今は紫紺の間だわね」と位置を告げてくれる。「ありがとう」と返事をして階段を昇るケイ。

 

「リオン」

 

 紫紺の間は二階にある一室だ。高級そうな調度品に囲まれており、本当に宮殿みたいな作りになっている。エクシーはいつも思うのだが、ここに通える奴はお大尽じゃ無いと務まらないだろう。

 

「ケイ……。今日もブルースが来るのに」

 

 リオンは天蓋付きの寝台に腰掛けている。

 長い黒髪と同じく漆黒の瞳がエキゾチックである。ほとんど裸に近いボンテージ風の装いをしており、押さえていても淫魔らしい色気が醸し出されている。

 

「まだ時間あるでしょ。今日こそはあたし達の関係を分かって貰いたいと思って……」

「説明はしたのよ」

 

 ケイの発言を遮るリオン。

 

「でも理解出来ないんだって。

 俺と付き合う事を拒絶しないのに、何故、二股をかけるのかって。しかも女を」

 

 要はブルースという男は、リオンの愛を独占したいのだ。

 だから、ケイと恋人関係として付き合ってるのが我慢出来ないのだ。

 

「要は馬鹿なんだよ。サッキュバスの特性も理解しねえ奴だし」

「あ、こっちはあたしの同僚の……」

「エクシーさんですね。ケイからお話はかねがね伺ってますわ」

 

 リオンは寝台の上で姿勢を正すと、三つ指を突いてお辞儀する。

 それを見てエクシーは、おやと意外な顔をした。

 

「東方の出身かい?」

「……ええ、判りますか」

「アカドー師匠。あたしの武術の師が東方出の侍でね。さっきのを見て思い出したのさ。

 ここ出身の淫魔じゃ無いのは珍しいな」

 

 公娼館に勤めるサッキュバスの大半は、この港町に生まれた地元民である。身元確認が困難な、他の土地から来た淫魔は珍しいのである。

 

「数年前に流れてきました。この土地はサッキュバスも領民になれると聞きまして……」

「法に従ってればね。でも、誓いは立てるのは珍しいと思ったんだけど」

 

 大多数の土地ではサッキュバスには人権が認められていない。

 人間を襲う、危険な魔族として恐れられ、見つけ次第殺しても罪にはならず、反対に報奨金すら出るケースが多いのだ。

 しかし、この街では過去でのいきさつからサッキュバスを保護する政策が採られている。

 但し、領民となるには条件があり、法に従う事が義務づけられた上、忠誠の証として誓いを立てなければならない。

 誓いと称しているが、要は【呪い】(ギアス)である。サッキュバスの吸精能力を押さえる為に呪詛をかけて抑制するのだ。これは血統に対してであり、子々孫々まで受け継がれる強力な呪いなのだ。

 

「外から来た同族は忌み嫌いますね」

「だろ」

「でも、私は受け入れましたよ。元々、吸精しすぎて相手を枯死させるのは流儀に反しますから」

 

 サッキュバスは男性を魅了し、その精を糧にする淫魔である。

 本気で吸精してしまえば生命力を全て搾り尽くして、相手をカラカラのミイラにして塵にしてしまえるとも噂される程だ。

 誓いにはそれを抑制するリミッターを組み込んであり、ある一定量を超えると吸精能力が停止する様に仕込まれている。対人危害を加えられない仕様に調整してあるからこそ、ここの街ではサッキュバスの領民化が認められているのである。

 無論、それは元来のサッキュバスにとっては屈辱的である。だから、外から来たサッキュバスは飼い慣らされた淫魔として、この街のサッキュバスに反感を持つ者も多い。

 

「反感は無かったのかい?」

「全くないとは言えません。でも、平穏に暮らせる魅力には敵いませんでしたね」

 

 リオンはそう答えて目を伏せる。

 何か事情があるんだろうとエクシーは察し、話題を変える。

 

「リオンって名は東方っぽくないね」

「そうですか? 東方文字ではこう書きますよ」

 

 手元に在ったメモに、彼女はさらさらと『理音』と描いて見せた。エクシーはそれを理解する事は出来なかったが、東方文字である事は確認できる。

 

「師匠の書いた文字に似てるな。

 ああ、御免。そのブルースとかの奴の話題だったね。」

「うん、ブルースはね……」

 

 そこに口出しするのは、今まで黙っていたケイだ。

 彼の名はブルース・ワット。ヒト族。何をやっているのかは知らないが、そこそこの小金持ちらしく、若いのに、この公娼館へ通い詰める事が出来る男だ。

 ケイの話では、何かの商売人っぽいとの話ではあったが、職業上、商人の事にも詳しいエクシーには聞き覚えが無い。イケメンらしい。

 

「密輸でもやってるとか。御免、冗談だよ」

 

 実は港湾都市だけあって、その手の話は多いのだ。

 無論、エクシーら警備隊他も取り締まりはしているが後が絶たず、手が回らなくなっているというのが実情だ。

 最近、活発になった西大陸関連の事件が特に多い。

 

「悪い人じゃありません。でも、恋愛に対して古いというか、偏見があって」

「だから、文句あんなら一発殴ってしまえよ」

「また、エクシーは暴力的なんだから!」

 

 三者三様の反応である。

 これ以上は、問題のブルースとやらがお出ましになってからだなと、エクシーは考える。

 頬に出来た古傷をさすりながら、エクシーは当事者の登場を待った。しかし、事前予約を入れてあるとの話だった筈の、ブルース・ワットは時間になっても現れず、時間は刻々と過ぎていった。

 

「そろそろ帰るよ。お茶、ご馳走様」

 

 エクシーは重い腰を上げた。部屋にある置き時計が正確なら時間は午後9時を過ぎている。

 これ以上は付き合いきれないし、暇を持て余したケイとリオンが寝台の上で、接吻しながら互いの口に舌を入れて舐め回してる。

 恋人同士の恋愛行為なのだろうけど、居心地が悪い。エクシーは一足先に帰る事にした。

 

「あんまり励むなよ」

 

 既に寝台に押し倒され、後背位からリオンに攻められている同僚に声を掛けて扉を閉める。

 喘ぎ声が「あんっ、あんっ」と木霊する中、うんざりした顔で紫紺の間を後にするヤシクネー。「明日も早いのにお盛んな事で」と呟きながら、帰路へ付く。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「ブルースが意識不明の重体?」

 

 翌日の早朝。いつもの様に詰め所へ出勤したエクシーに、小隊長が告げた内容だ。

 息も絶え絶えの所を通りがかりの者が偶然、発見したらしい。

 

「ケイは?」

「ああ、そう言えば。まだ出勤してなかったわね。

 ん、何か知ってるの、エクシー?」

 

 小隊長の眼光がきらりと光る。

 

「出来れば、教えて欲しいわね?」

 

 エクシーは一通り小隊長に話した。

 

「ふむ。そんな事が……。あ、待て、今から調書を作成する」

 

 小隊長は眼鏡を掛けると調書に書き込み始めるが、エクシーはそれが伊達である事を知っている。彼女は年齢の割に童顔なので、これは箔を付ける為であるらしい。

 妖精族(エルフ)には良くある悩みである。普通の妖精族は大抵の種族よりも遙かに長く生きるので、肉体的成長と共に精神的な成長も遅いのが普通である。

 だが、妖精族の集落育ちでは無く、他種族の暮らす市井で育つエルフの子供は、他の種族に合わせて成長する事を余儀なくされるので、肉体面はともかく、どうしても精神面の成長が早くなる。

 見掛けが幼女であろうが、同世代の友達が二十歳を超えていたのなら、その話題はどうしても大人の会話にならざる得ないからである。

 

「何をにやにやしてる?」

「いえ、何でもありません」

 

 現に目の前の上司は、ヒトで言うならようやく成人したばかりのローティーンに見える。しかし、その見た目とは裏腹に、彼女は三十路のベテラン警備官なのである。

 鬼と恐れられると説明しても、関係者以外だったら一笑に付されるに違いない。

 この伊達眼鏡は年齢を侮られぬ様に、精一杯大人の雰囲気を出す為のせめてもの抵抗なのであるが、この街の女領主に感化されてるのかも知れないなとも思う。

 

「そのケイがリオンの恋人だったと、間違いないか?」

 

 エロエロンナ女伯爵は眼鏡キャラで有名で、切れ者で知的な感じを纏っているからだ。と言ってもエクシーは役人でも下っ端。何かの行事で遠くから拝見した事があるだけなのだが。

 

「はっ」

「弱ったな。これでケイも容疑者リストに入ってしまったぞ」

 

 小隊長の呟きに、今度はエクシーが「えっ」と疑問の声を出す。

 彼女はペンをくるくる回しながら、「襲われたブルースな、サッキュバスのリオンに搾精されたと証言してるんだよ」と伝えてくれた。

 

「小隊長。リオンを拘束しました」

 

 そこへ同僚のウィンが報告に入ってきた。既に容疑者に対して手を回していたのであろう、ちらりと入口の方を見ると、警備隊員に両脇を拘束され、引き立てられた淫魔の姿が確認できた。

 

「私は何もやってません!」

 

 詰め所に入って開口一番。リオンが訴える。

 小隊長は事務的にリオンの方を一瞥すると、「それは取り調べた後の話だ」と素っ気なく返す。その上で「エクシー、リオンさんを取調室に」と事務的に告げると、再び調書の作成を続けた。

 

「リオン。ケイの行方を知らないか?」

 

 取調室に連行し、興奮気味のサッキュバスをどうにか落ち着かせて席に座らせた後、エクシーはリオンに消息を尋ねる。

 

「昨晩、別れたままです」

 

 性行為後、ブルースが入る予定だった予約がキャンセルされたから「そのまま泊まって行けば」と勧めたのだが、ケイはそれを断って家路に付いたらしい。

 

「別れた時間は?」

「日付変更前の……。11時頃かと思います」

 

 そこへ小隊長が入ってきた。エクシーともう一人の同僚ソルは慌てて敬礼をする。小隊長は「ご苦労」と皆を労うと、取調室のデスク正面に回ると腰掛けて、改めてリオンに「小隊長のシュシュである。ここの責任者をしている」と自己紹介をする。

 

「確か、エクシーは彼女らと9時頃まで一緒だったのだな」

 

 デスクの上に調書を広げながら質問する小隊長。伊達眼鏡もしっかりと装備済みである。

 

「はっ、それから私は席を外しました」

「ブルース・ワットが襲われた時間が、その空白の三時間に該当するんだよ。

 ああ、勿論、ケー100の居所も現在捜査中だ」

「ケー100?」

 

 何だそれは?

 

「ケイさんの本名です。自分からは名乗りませんけど」

 

 これに答えたのが意外な事にリオンであった。

 ケイの母親は酷い放任主義で、子供を産んだら生みっぱなし、名前も自分の名であるケーに番号を振るだけのとんでもない親であったと説明する。

 

「百番目に生まれた子供だから、ケー100かよ」

 

 ヤシクネーは多産である。一生に三桁の子供を産むのも珍しくは無いが、大人までに生き延びるのは半分程度と死亡率は高い。中には産みっぱなしで放置する親も居て、この無責任な親たちが死亡率を高めているとも言える。

 これを含めて放置児童や孤児の問題は多いのだが、残念ながら、それを救済する社会保障はまだまだ整えられていないのが現実である。

 

「だから、姉妹達に暴力的に育てられたと嘆いていましたからね。

 産まれてから直ぐ、何でも実力で奪わないと食べる事も出来なかった。姉妹達の食料を腕ずくで奪って食べなければ、餓死してしまうからって」

「ケイは良く、身の上話をあんたに話したな」

 

 リオンは悲しそうに微笑むと目を伏せた。エクシーはケイとはコンビを組んできたが、その手の過去を余り語らぬ存在であったから、余計に驚いたと言っても良い。

 ただ、過去の事があって、暴力に訴えるのは反対との意見だけはいつも言っていた気がする。

 

「ケイの話は脇に置いて……。さて、事情聴取に移ろうか」

 

 ぱんと小隊長が手を叩いた。これから取り調べが始まる。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 怨恨のもつれか?

 まず、小隊長が問い質したのはそれである。

 ブルースなる男に対して、その存在が邪魔になったから、野外で待ち構えて強姦。

 サッキュバスの【魅了】で言いなりにし、強制搾精して死ぬ寸前まで生命力を搾り取ったのかと尋ねたのである。

 

「やってません」

 

 当然否定する。

 自分は誓いを立てたサッキュバスであり、死ぬ寸前まで精を搾り取る事は不可能だと。その前にリミッターが働くからである。

 

「でもリミッターってのは、無視する事が可能なんだろう?」

「凄まじい苦痛が身体を襲いますから無理です」

 

 まずは搾精するなと言う警告としてだるさが身体を襲い、それを無視して行為を続けると突然、凄まじい頭痛と共に体中に痛みが走る。一分間も連続したら気が狂ってしまいそうになるから、搾精行為は続けられないと述べるリオン。

 リミッターの説明として配付された資料と同じである。

 

「まぁ、魔法であるし、解除するのは可能だけどな」

 

 とエクシーは述べるが、言葉とは裏腹にそれが不可能に近いのは承知している。

 この【ギアス】はかなり高度な神聖魔法なのである。高司祭級の聖職者でもなかなか手が出ず、それを解除するのも難物であるからだ。

 そして、この魔法を理由無く解く聖職者は普通はおらず、邪教の高位聖職者でも連れてこない限り、これを解除するのはほぼ不可能と言う結論に達してしまう訳だ。

 

「それに私はブルースの事を愛してます。女として」

「だが、被害者はお前に襲われたとの証言をしている。そして、もう一人の恋人であるケイはまだ行方不明だ。私が何を言おうとしているのかは判るな?」

 

 じろりと小隊長はリオンを睨んだ。

 ケイがリオンをそそのかして殺人未遂、もしくは脅迫をしたのではないかとの疑いである。

 

「ブルースの方が虚言を述べている可能性もありますよ」

 

 たまらずエクシーが助け船を出す。シュシュ小隊長は「無論、その可能性も否定できない」と肯定するが、「しかし、貴様の意見は聞いておらん」とぴしゃりと告げる。

 

「しかし……」

「ブルースは治療中だ。今は尋問に耐えられる身体ではない。

 だから回復を待ってから質疑に入る事になる」

 

 教会で聖句魔法を施せばいいのであるが、当然ながら、魔法はタダで恵んでくれる程、教会も甘くはないし、高価な治療費を払える予算は警備隊にはないのである。

 

「一方に肩入れして尋問する事は出来んのは判っているな。エクシー巡査官」

「はっ」

「非情に見えるだろうが、これも任務だ。個人的な感情移入はあってはならん。

 貴様は暫く席を外せ」

 

 それは命令だった。エクシーは警備隊の一員である。逆らう事は出来なかった。

 小隊長の命に従って尋問室を退出する。

 尋問時間は一時間近くに及んだが、エクシーは悶々としながら待つ事しか出来ない。

 

「煙草が吸いたいな……」

 

 余りの苛つきに禁煙の誓いを破りそうになる。精神を落ち着かせたい。

 やがて、尋問室の扉が開いて関係者が出てくる。左右をがっちりと固められているリオンは疲労の色が濃く、どことなく顔色は悪い。

 それに寄り添いたいが、「エクシー・ドラフト」とフルネームで中から呼ばれてしまう。未練っぽくリオンの方を振り返り、後ろ髪を引かれながらも入室する。

 

「リオンは犯人では……」

「解っている。私も個人的にはリオンが犯人の可能性は低いと思っている。

 しかし、だ。その第一印象だけで疑わないのは果たして正しいのか。捜査の基本は、まずは疑いのありそうな者は、徹底的に洗えだからな」

 

 小隊長は続けて「追加報告だが、ケイの目撃談があったよ。歓楽街からさして離れていない、ウルッカの下町地区だ」と述べる。

 

「ケイの下宿先がウルッカです」

「多分、帰宅途中だったんだろうな。時間は11時頃だ。但し、時間は正確な物とは言えん」

 

 ウルッカは貧民街に近く、治安は正直、余り高いとは言えない。そこで誰かと喧嘩している姿が目撃されていたのだ。

 そして、その住民が時計を所持しているのは奇跡に近いだろう。証言がそうであろうが、30分程度の誤差は見ておかなければなるまい。

 

「だが警備隊の制服を着たヤシクネーを襲うのは、余程の愚か者か、無謀者の類いだ。

 単なる物取りの仕業とは考えずらい」

「誰かとは、誰なのでしょうか?」

 

 相手を問うエクシーに、シュシュはしかめっ面をして「東方風の男だそうだが、詳しくは確認してはいない」と答える。

 実を言えばケイ本人だとも確認していない。「酔っ払いがヤシクネーと一戦交える男を見掛けた程度の情報なのだ」と続ける。

 

 一応、目撃情報としては、その対戦相手がヒト型をしており、人馬族(セントール)の様な半獣型では無いとの事だけである。服装も異国風と言うだけで、一見、東方風に見えたと言った具合で確定情報ですら無い。

 君子危うきに近寄らず的な処世術で、面倒事から深く関わるのを避けるのは下町の住人であれば、当たり前の話であるからだ。

 

「先の搾精事件との関連は?」

「あるかも知れん。ブルースが襲われたのも、実はこのウルッカの近くの路地だ」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「大丈夫です。誤解はいつか解けると信じてますから」

 

 エクシーは独房に監禁されているリオンに面会する事が許された。

 リオンを心配して訪れた娼館の仲間も一緒である。

 

「これ着替えね。あと、必要な物があったら承るよ」

「今の所は大丈夫。それよりケイの消息にが知りたいの」

 

 差し入れを持って来た若いサッキュバスの少女は、残念そうに首を横に振る。この時間にここを訪れられるのだから、まだ、固定客が付いていない見習いだろう。

 リオンは「そう……」と呟いて沈黙する。

 

「何か解ったら教えるよ。娼館長も心配してるんだから、じゃあ、あたしはこれで」

 

 少女が出て行った後、リオンは「着替えて良いですか?」と断りを入れる。エクシーはそれを拒絶する理由はないので許可する。

 最初に調査されるから、差し入れの中に不審物は無かろうとの判断である。

 

「東方風だね」

「はい、故郷の服です。最近は東西貿易も盛んになって入手しやすくなりました」

 

 淫魔が常に煽情的なボンテージスタイルをしていると考えるのは間違いである。

 あれは魔界。過去に開いた何処かにある並行世界に住んでいた頃の伝統服で、誇りを持って着こなしているサッキュバスも多いのだが、大抵の淫魔は普段はその土地に合わせた衣装を身に纏うのが普通である。

 

 如何にも『あたし、サッキュバスです』と主張する服装では、犯罪淫魔だって男性を襲う際に目立って仕方ないからだ。

 まぁ、正体を現した時に淫魔スタイルになるのが定番であるが、これは「あたしサッキュバスなの。これから貴方を襲います」的な、相手に自分の正体を伝える儀礼的な習慣であるらしい。

 

 だから、サッキュバスの公娼達も営業中は露出度の高いあの格好だが、営業時間外はごく普通の姿をしている事が多い。制服みたいな物である。無論、先程の少女もサッキュバスルックでは無かった。

 

「ふうん。あたしの知ってるキモノとは違うなぁ」

「ええ、ちょっと特殊なんですよ」

 

 エクシーの師匠は東方から来た侍である。

 侍とは東方の戦士階級だが、色々と戒律やら伝統が一杯あって、実はエクシーにも良く分からない。ただ、名誉を思いっきり重視する。

 故に師匠ともその奥方が纏っているキモノなる服装には馴染みがあるが、リオンの身に付けて行くそれは、どうも雰囲気が違うのが気になった。

 羽織る枚数が異様に多くないか?

 

「ブルースですが、今の私では面会できません。

 ご足労をおかけしますが、私の代わりに話を聞いてきて下さいませんか」

「許可が出たらね。あたしも勝手に動き回る事は許されないんだよ。でも、努力する」

「それとケイの消息。教えて貰えませんか?」

 

 守秘義務があるので駄目。を理由にエクシーはそれを拒絶する。

 どの道、娼館仲間が情報収集をしてすぐに伝わるんだろうなとは思うが、今の時点では軽々しく話すのはアウトだろう。

 

「辛いかも知れないけど、頑張りなよ。

 あたしはリオンが無実だと信じてるし、その証拠を掴んで釈放させるつもりだからね」

 

 獄舎を出ると小隊長の呼び出しがあった。

 そのまま執務室へと向かう。

 

「リオンに関して上から干渉があった」

 

 開口一番、シュシュが難しい顔をして書類を差し出した。

 リオンに関する調書の内、経歴に付いてである。ほとんどが墨で塗り潰されている。

 

「これは……。上からの干渉って事は、警備本部からですか?」

「いや、もっと上だ。恐らく、領主殿からの差し金だろう」

 

 小隊長はそう結論づけていた。

 領主。この付近一帯を収める、エロエロンナ女伯爵だ。エクシーもそうだが、シュシュ小隊長にとっても雲の上の人である。

 

「ここだけの話だぞ。海軍諜報部の奴が来てな。リオンに関する身辺調査を中止しろと言ってきた」

「理由は?」

「軍の諜報部が馬鹿正直に答えると思うか?」

 

 愚問であった。機密を盾に何も答えようとはすまい。

 警備隊とてこの街所属の、女伯爵麾下の治安組織ではあるが、軍が相手では旗色は悪い。

 小隊長の言葉によれば、調書を取り上げた上で、べったりと墨塗りにして返してくれたそうである。

 

「だが、私も妖精族だ。自らの手で書き込んだ情報は忘れておらんよ」

「教えて貰えるのですか?」

「特別だぞ。それと口外するなよ」

 

 同時にエクシーは小隊長から、『搾精事件、特別捜査担当官』に任命される。

 通常の仕事は一時解除。この事件専任として捜査して構わないとのお墨付きである。但し、期間は一週間(エルダ時間で六日間)だけである。

 彼女の権限では、これが最長であるらしい。

 

「たのもー」

 

 それから引き継ぎの雑務をこなし、午後になって一旦、自宅へと帰還する。

 エクシーの自宅はケイと同じウルッカにあった。

 貴族様に言わせれば治安は悪いが、庶民の目から見た限りはごく普通で、スリや窃盗などの軽犯罪はあるけれども、気を付けていれば致傷事件は滅多に起きないレベルであって、猛烈な危険地帯という訳でも無い。

 途中、気が変わって、師匠の道場へと寄り道をする。

 

「留守かな?」

 

 道場と言っても良くあるバラックである。如何にも『東方武術を教える道場じゃ』スタイルの立派な東方建築では無く、サイズはでかいが外観は貧相この上ない。

 アカドー師匠曰く、「あんなの飾りだ」そうで、建物だけ立派なえせ道場が蔓延しているのに憤慨しているそうであるが、こんな外見だから弟子が増えなくて、貧乏なんじゃないかともエクシーは思っている。

 

「師匠。エクシーだぞー」

 

 反応は無い。小隊長に教えられたリオンの経歴とかから、知りたい知識を訊こうと思っていたのに、拍子抜けである。

 流石に無駄足かと諦めて、引き返そうと踵を返した時、ふと視線を感じた。おまけに耳を澄ませれば、微かに「くすくす」と笑う声も聞こえる。

 エクシーは、そちらへゆっくりと視線を移した。

 

「あらぁ、結構、感覚が鋭いのねぇ」

 

 道場の庭には大木が生えているのだが、その樹上に妖艶な姿をした女が座っていた。

 最近見慣れた、胸と腰回りだけを僅かな布地で覆うだけの典型的なサッキュバスルック。尻からはハートマークを逆さにした形の尻尾が揺れている。

 水色の髪に薄紫の瞳が冷たい印象を醸し出す。しかし、エクシーには見覚えは無い。だから明らかに、この街の公娼ではなさそうだ。

 

「サッキュバスか。外国人だな」

「ご名答。あんたがエクシーね。さっきは自己紹介ありがとう」

 

 言いつつ、水色髪の淫魔は樹上から飛び降りる。

 エクシーは身構えた。見た目からは武器らしい物は持ってはいなさそうだが、サッキュバスは魔族であり、どんな魔法を繰り出してくるのか判らない。

 

「昨日は間違えちゃって大変だったわ。てっきり、貴女が理音の相手かと思ってたからね」

 

 着地したサッキュバスが「人違いと判ったから、一応、殺さなかったわよ」と告げて、片手を上げると、大木の影から厳つい体型をした大男が姿を現した。

 大男。その手の先にある物は…。

 

「ケイ!」

 

 ボロボロになったヤシクネーだった。こっぴどくやられているらしく、脚が折れたり、腕が変な方向に曲がっている。

 

「理音に言っておけ。これ以上逃げ隠れすれば、周囲の者達がもっと酷い目に遭うとな!」

 

 吼えつつも、片手でケイを放り投げる大男。東方風の格好をしたむさ苦しい奴だ。無精髭を伸ばし、全体的に薄汚れており、美しい淫魔と並ぶと対照的な姿である。

 だがエクシーは目を見開いた。ヤシクネーの体重は重いのに、それを片腕だけで投げるとはとんでもない馬鹿力であったからだ。

 

「何だと」

「あたしの名はパンシャーヌ。名無しじゃ呼びにくいでしょ?

 おっと、お止め、イナヅマ!」

 

 ケイに駆け寄るエクシーを見下ろしながら、小馬鹿にした口調で自己紹介をする淫魔。だが、 背中の太刀を抜き、無言でエクシーに斬りかかろうとする大男を止める。

 

「しかし……こやつは」

「こいつにはメッセンジャーになって貰う必要があるのさ。理音をその気にさせる為のね。

 ではエクシー。次は理音を連れて来てくれると嬉しいわね」

 

 彼らは言いたい事だけ言い捨てるとその場を去る。名乗ったが、どうせ偽名だろうとエクシーは考えを巡らす。奴らが引き返してこないのを警戒しつつ、ケイを抱き起こす。

 今は追跡より、傷付いているケイの容体の方が優先だ。

 

「ケイ。しっかりしろ。ケイ!」

「ううっ……」

 

 反応はあった。しかし。それが命に関わる重体であろう事は一目瞭然であった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 近所の医者に駆け込んで、更に懐具合は厳しくなるが教会にも出向いてケイを診せる。

 薬と【癒やし】の聖句の効果で、何とか容体が安定したのは夜半過ぎであった。

 

「お布施はツケでいいわよ」

 

 近所の教会主であるレオナ司祭の言葉が心にしみる。

 しかし、ツケで良いとされた反面、魔法の方は大分おなざりであった。生命に関わる様な重大な損傷は治してくれたのだが、腕や脚の様な、細かい所は放置されている。

 レオナ曰く、「診てあげたのだから、文句言うべからず」なのだそうだが、完璧に治療してしまうと前例を残す事になり、不満が高まるからとの話である。

 

 要するに他の患者が「ケイさんは完璧に治してくれたのに!」と、同じだけの治療を無料で提供する様に要求しかねないからだ。

 素人考えで『魔法なんか魔力を消費するだけでタダなんだから、けちけちせずに使ってよ』って言うのは間違いである。

 聖職者の【癒やし】は無闇に使える類いの技ではない。そして、それを発動するのには聖職者に相応の負担を強いるのである。無限に使える訳ではないのだ。

 

 だから、それを制限するのが代償として教会に納めるお布施である。世間の貨幣価値から見て、かなり高額に設定されているのはそのためである。

 治癒魔法が無償なのが当たり前だと思われては困るし、世知辛いが教会とて人間が生活するには収入が必要だからだ。

 霞を喰って生きて行く訳には行かない。

 

「御免ね……」

 

 警備隊詰め所。寝台の上で目を覚ましたケイが呟く。

 隣で書類を整理していたエクシーは「気にするな」と答えてから、机を離れて寝台へと寄る。

 机があっても椅子が片付けられているのは、彼女が下半身甲殻類で座れないヤシクネー故だ。脚を折り畳んでお腹を床に着けば、椅子がなくても高さは丁度良い塩梅になる。

 

「何があったんだ?」

 

 とにかく、襲われるまでの経緯を訊きたかった。ケイは身を起こしかけるが、脚が折れているので激痛が走り、小さな悲鳴を上げてしまう。

 同時にしゅるるる、と腹部の糸つぼから真っ白い糸が射出され、寝台にべたっと張り付いてしまった。痛みから思わず糸を吐いてしまった様だ。

 

「ご、御免。糸吐いちゃった」

「下の世話もしたんだ。今更だよ」

 

 冗談めかして言うエクシー。実際、酷く下半身を殴られたのだろう。助け出した時はヤシガニ体の身体は汚物で汚れていた。

 

「……ばか」

 

 ケイは恥ずかしさで顔を赤らめる。

 

「悪い、悪い。かなり重傷なんだから身を起こさなくても良いよ」

「……手紙が来たの。リオンの所に」

 

 身をよじって上半身を横たえると、おもむろにケイは語り始めた。

 紫紺の間を出る時、ドアに挟んであったそうだ。

 

「内容は?」

「東方文字で書かれているけど、ついでに書かれた文は共通語でエクシーを呼び出す物だった」

「あたしを?」

 

 ケイは頷いて「だから、それを知らせようとウルッカへ行ったら……」と呟く。

 突然、大男が現れて襲いかかられたのだと言う。

 

「向こうは、あたしをエクシーだと思い込んでたみたい」

「人違いかよ」

 

 とんだ災難である。

 

「でも、ケイ相手にこれだけの手酷くやれる相手か」

 

 警備隊員であるケイとて素人ではない。暴力を嫌ってはいるが、いざと言う時にはかなりの戦闘力を発揮するのをエクシーは知っている。

 

「最初は互角だったよ。向こうは大きな刀で、こっちは素手で鋏だったけどね。

 でも、奴は変な東方剣法を操るの」

「どんな剣法だ? 師匠に訊いてみるから詳しく」

 

 訊いてみると剣先から電光を飛ばす物らしい。

 技を出す瞬間に『なんとか斬り』とか叫んでいたらしいが、それって『斬り』じゃないだろうと、エクシーは内心突っ込む。

 これは真剣に、アカドー師匠に相談した方が良さそうだと判断する。

 とにかく、ケイはその電撃で焼かれ、体勢を失った所を突かれて、めちゃめちゃに斬られてしまったらしい。

 

「上半身だけは守ったよ。

 こっちは外骨格に包まれてないから、一撃でも重いの食らうとアウトだし」

「賢明だな」

 

 下半身は硬い殻に覆われている。奴の太刀は重さでぶった斬る実戦タイプであったらしく、斬られても致命傷にはならなかったが、代わりに鈍器の様に殴られまくる結果を生んだ。

 ケイの身体の殻は割れ、幾本もの脚が叩き折られた。受け身を取った鋏も欠けている。余りの苦痛に、無意識のまま排泄してしまったのも仕方がないだろう。

 

 で、いよいよトドメを刺そうとした時、「さらばだ。エクシー」とか言うんで「残念ながら別人だ」と言ったら驚いて剣を引いたそうだ。

 

「まぁ、本命はリオンだったらしいんだけどね。あ、制服のポッケにその手紙が入ってるよ」

「こら、そう言う情報は先に言うもんだ」

 

 ケイの内ポケットをまさぐり、エクシーは手紙を確保する。

 巻物になっている東方風の様式である。

 成る程、こちらでは余り見掛けない和紙に、ミミズののたくった様な東方文字が書き記されており、『エクシー殿。アカドー道場でお待ち申す。聞き入れない場合は、無関係の住人の命を保障出来かねる』と、共通語で脅迫文が末尾に書き添えられている。

 

「どうしよう。変な風に曲がった脚を切除しようか迷ってる」

「でも、痛いし、生えてくる時は猛烈に痒いぞ」

「そこなんだよねぇ……。

 聖句の【再生】が使える様に、労災扱いにして隊からお金出ないかな」

 

 今のまま放って置いたら、変な風に曲がった脚が固着して奇形になる可能性があった。

 幸いヤシクネーの脚は失われても再生する。だから思い切って駄目になった脚を何本か切り離し、新しく再生させるのも手の一つである。

 しかし、再生速度は遅いし、再生中は猛烈な痒みを伴う。これを避ける為、聖句魔法の【再生】で高速治癒する裏技があったが、そのお布施はケイが出せる金額ではない。

 

「小隊長に掛け合ってみるよ。任務中の事故なら労災扱いで何とかなりそうだし」

 

 エクシーは「制服着たままで良かったな」と告げて部屋を出る。

 制服を着た警備隊員が襲われたと言うならば、非番でも任務中であったと強弁できるからである。敵は警備隊と言う、公的権力に逆らう相手と見做せるからだ。

 

「良かろう。手続きは私の方から行っておく」

 

 シュシュ・トリアン小隊長は、その上告をあっさりと受け入れた。

 鬼と呼ばれる小隊長だが、こんな時には迅速に対処してくれる面倒見の良い上官だ。

 

「有能な部下が使い物にならないのも困るからな」

「ありがとうございます」

 

 実際、これは本音だろう。

 一本程度ならともかく、数本も脚を失ったヤシクネーは歩けないし、治るまで全くの戦力外になる。その間に払う給料を天秤に掛ければ、一時的に金は掛かるが聖句を投入して治した方が、結局は安上がりになるとの計算だ。

 治るまで一時解雇してしまうと言う選択肢もあるが、このエルフな小隊長はそこまで非道ではないし、それだけに有能だ。

 

「東方文字の件、貴様に任せる」

「はっ」

 

 言外に『特別捜査官に任命したのだから、その程度はやって貰わねば困る』との意味があると理解する。

 警備隊としては解読用に、例えば、東方文字の専門家を招いて処理するとかの仕事はせず、エクシーの責任で、誰かを探して解読して来いと言う話だろう。

 

「貴様も狙われているとしたら、護衛を回すか?」

 

 鼻からずれた伊達眼鏡をかけ直し、真剣な表情で小隊長が問う。

 ありがたい申し出である。しかし、エクシーは「それには及びません」と断る。大人数で歩きたくないし、本気であの大男が攻めてきたら、並みの護衛の一人や二人、居ようが居まいが大した違いはないだろうと考えたからだ

 

「一人の方が身軽ですので」

「違いない。が、やられるなよ」

 

 シュシュは苦笑する。多人数ならいざ知らず、現状で護衛として割けるのはせいぜい二人だ。それを理解しての断りなのだろう。

 小隊長の部下はせいぜい三十余名。非番の者を計算に入れると、普段はその半分程度しか常時活動していないのである。

 分署の実働人数なんて、いつもぎりぎりなのだ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「うっ、ううう」

 

 暗がりの中、男が呻いていた。

 その隣には、下着とほぼ変わらない煽情的な服を着た淫魔が寄り添っており、男へ気怠げに甘い息を吹きかけながら、身を整えていた。

 

「素敵よ。理音の中に一杯注いでくれて、ありがとう」

 

 骨と皮になるまで生命力を搾り取り、鼻歌交じりでブラのホックを留めたサッキュバスは、糧の提供者である男性に礼を述べた。

 長い黒髪をばさりと翻し、男を目立つ所をずるずると引きずると放り出す。

 

「運が良ければ、誰かが見つけてくれる筈よ。じゃあね」

 

 靴音高く歩き出す。これが伝説のロイヤル種であったなら、背中から黒い羽根を出して優雅に空中散歩と洒落込むのだろうが、彼女は単なるコモン種なので翼は無い。

 やや離れた所で外套を羽織る。そして【魅了】の技を解いた。

 魔力によって形成していた髪の色と顔立ちが変化する。リオンに化けていたパンシャーヌはため息をついた。

 

「殺す訳には行かないのよねぇ。面倒だわ」

 

 目的は理音の悪評を高める事である。この為、目標に定めた搾精者は必ず生かしておかねばならない。しかし、動けない程まで精を搾り取る必要もあるので、その加減がなかなか難しい。

 生かさず、殺さず。重体になっても助かる程度の生命力を残す必要もある。その場で生きていたとしても、放置しておくと直ぐ死んでしまったら意味はないからだ。

 犠牲者に「理音というサッキュバスに強姦された」と証言して貰わねば困るからだ。

 

「地道にやるしかないか」

 

 これを続ければ、理音はその内、官憲に拘束されるだろう。そして追放刑になる筈だ。その時がチャンスである。拘束するなり、殺害するなりを実行に移す。

 それが彼女の目論見である。

 しかし、パンシャーヌは知らない。最初に襲った相手がブルース・ワットであり、即座にリオンの仕業と断定され、既にリオンは警備隊に拘束され、その保護下にある事を。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エクシーは再び、アカドー師匠の道場にやって来た。

 今回は人が居るらしく、ぱしんぱしんと鳴る剣戟の音が聞こえる。開け放した引き戸式の扉をくぐると、熱心に指導する師匠の姿を認める。

 

「師匠」

「おう、エクシーか」

 

 ヒト族の老人である。赤堂鈴介(あかどう・すずのすけ)よりも、今は西方風にスズノースケ・アカドーと呼ばれる事が多い。

 皇国では何やら偉い流派の一員だったらしいが、十数年前に就いた官職に嫌気を差して道場を畳み、新天地であるに西を目指した変わり者である。

 各地を色々放浪してたらしく、エロエロンナに居を構えたのは数年前。エクシーは成り行きでその一番弟子になっている。

 

「今回来たのは仕事の関係なんだ。昨日は留守してたから……」

「昨日か。うむ、砂漠で瞑想してたのじゃ」

 

 留守の理由を答える師匠。

 砂漠ってポワン河の東岸へ行ったのだろうか。市壁に囲まれた外は魔物やら野獣やらも出るので、余りお勧めできない場所なのだが。

 時々、この老人は突飛な行動に出る。瞑想もそうだが、水垢離と称して水路でひたすら水を浴び続けたり、焚き火の上を素足で歩いたりする。東方の思想なんだろうなとは思うが、エクシーにはどうも解らない。

 

「ま、いいや。師匠に見て欲しい物があるんだ」

 

 エクシーは懐からケイに預かった手紙を出す。

 師匠の目が「む」と細められた。道場の床に座ると正座の姿勢で、巻物を慎重に広げる。

 

「ぬぅ、燦然理音姫(さんぜんりおんひめ)か。あの噂は本当であったか」

「さんぜんりおん? それがリオンの本名か」

 

 と言いかけてエクシーは気付いた。姫。サッキュバスなのに姫?

 師匠は難しい顔をして文章を読み終わると、くるくると巻いてそれを手前に置いた。

 

「エクシーよ。理音姫の事。何処まで知っておる?」

「東方。多分、皇国の出。何らかの理由で故郷を捨てざる得なくなり、西方へと流れてきた。

 ここらは師匠と似ているね。十数年前にエロエロンナに移住。公娼としての資格を取って領民化」

 

 それを聞いたアカドーは「苦労なさったのだな」とぽつりと呟くと、改めてエクシーの方を向く。涙が一筋流れていた。

 

「どうしたんだい。師匠」

「燦然家は皇族にも連なる高貴な家柄じゃ。それ故、理音姫の存在を抹殺したいのであろう」

「さっきから、姫、姫って、リオンはサッキュバスだろ」

 

 途端に「世の理を知らぬ、馬鹿な未熟者め!」と叱責が飛ぶ。

 呆気に取られていると、師匠は「そも、淫魔はどうやって誕生するかを知っているなら述べよ」と続ける。

 

「えーと……。股間を男性化した後、女性に精を注ぎ込んで孕ませるんだろ?」

「それは臣民種の生殖方法じゃ。かつての淫魔は王族種から産み出された」

 

 師匠は説明する。王族種は尻尾から他種族の女性を吸収し、胎内にて身体を作り替えて淫魔の臣民種として産み落とすのだと。

 

「淫魔の王族種。こちらの言葉でロイヤルサッキュバスが、何故恐れられたのか。

 それがこの同化再出産じゃ。

 恐ろしい事に産み落とされる淫魔は、生前の性格と記憶を持ったまま、それも淫魔としての資質を備えた形で産まれる。まぁ、姿形は元の形を保ったまま、かなり美形になるらしいがの。それは異性を引きつける目的の為に最適化されるのじゃろう」

 

 容姿が劣った為、末摘花と馬鹿にされた姫が同化吸収され、淫魔と化した際に面影を残しているが、とてつもない美人になったとの話を引き合いに出す。

 ちなみにこの末摘花は淫魔化した後、かつて自分をあざ笑い、馬鹿にした男共を次々と毒牙に掛け、塵になるまで搾精しては殺す復讐を果たしたそうである。

 

「こえーな。生前の恨みを忘れてなかった訳だ」

「うむ。理音姫はの、末摘花同様、王族種に同化吸収され、産み落とされた姫君なのじゃよ」

「王族種って、ロイヤルサッキュバスって絶滅したんじゃ!」

 

 古代王国時代の女傑、テラ・アキツシマのサッキュバス討伐は余りにも有名だ。

 だが、アカドーは「確かに王族種はテラの働きで壊滅した。だが、それは壊滅であって全滅ではない。今でも僅かながら、王族種の淫魔は生息している」と否定する。

 現に十数年前、皇国では一人のロイヤルサッキュバスが暗躍し、皇国貴族界を恐怖に陥れたと言う。貴族の養女として育った姫が実は王族種の淫魔であり、敵対する貴族を次々と葬り去っていったのである。

 

「初雪……いや、その淫魔の考えも分からなくもないのじゃがな。

 まぁ、そのターゲットの一つとなったのが燦然家であり、理音姫はそいつに吸収され、淫魔として新たな生を与えられて再出産されたのじゃろう」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「戦麗舞(せれぶ)、戦麗舞っ!」

 

 辿り着いたアジト、と言っても崩れかけた倉庫だが、にイナヅマこと豪雷之進(ごう・らいのしん)の声が響く。また例の欲求か、とパンシャーヌこと魅尼戦麗舞(みに・せれぶ)は、うんざりした顔で東方からの剣豪を見据える。

 

「偽名を使えって言ってんだろ。イナヅマ」

「ここには我らしか居らん!」

「馬鹿、壁に耳あり、障子に目ありって諺を知らないのかい」

 

 ここらは街の方でも外れの倉庫街だ。近所にハルピュイアを飼う不気味な男の館があるとかで、付近には住民は皆無。それだけに身を隠すには絶好の場所であった。

 

「まぁいい。拙者はいつになったらエクシーを倒せるのだ!」

 

 パンシャーヌは『何がいいだ。良くねぇ』と内心突っ込みを入れつつ、「理音を確保するか抹殺するかが、我らに与えられた任務」との言う原則を繰り返した。

 単細胞な雷之進ことイナヅマは「ぐぅぅぅぅ」と唸ると、貧乏揺すりを始める。

 こいつ、エクシーの事を知った途端に豹変したのが失敗だった。それまでは寡黙な用心棒としてなかなか使える奴だと評価していたのに……。

 

「エクシーはあくまでついでだよ」

 

 理音の恋人だってヤシクネーが存在していると知り、情報収集した結果が、エクシー・ドラフトなる警備隊員だと掴んだが、それが間違った情報だったのだ。

 しかし、用心棒であるイナヅマはその情報に歓喜した。それは彼の流派に於ける仇敵がエクシーの流派であったからだ。こんな所で怨恨を晴らせるとは!

 そして先走り、別人を襲ってしまったので、警備隊に目を付けられてしまっているだろう。

 

「我が師匠は赤堂の真空流に敗れた。だが、その弟子である拙者が、赤堂の一番弟子であるエクシーを打ち倒す事で、我が稲妻流の汚名をそそぐ事が出来るのだ」

「向こうはそう思ってないと思うけどねぇ」

 

 と言うが、聞いてはいないだろう。遙か皇国の、しかも何十年も昔の出来事なんぞ、エクシーは知っていない方が高いと彼女は思う。

 大体、当の赤堂が稲妻流の事を歯牙にも掛けていない可能性だってあろう。問われても「ああ、そんな流派が昔あったな」くらいの扱いなのではないか?

 

「貧乏くじを引いたかと思うたが、はるばる西方まで来て本当に良かったと思うぞ」

「そうかい。まぁ、今夜から辻斬りを張り切ってくれないかい」

「そう言えば、貴様の方の工作はどうなっている?」

 

 それに対し、彼女は「順調だよ」との答えを返す。男を理音の姿で誘い、【魅了】でめろめろにして吸精するのは、比較的容易い。

 

「ふん。直接、公娼館に殴り込む方が簡単だったのではないか?」

「馬鹿だね。あそこは単なる売春宿じゃない。ある意味要塞だよ。あたしの式神が三分と持たなかったなんて、初めてだよ」

 

 例の手紙を届ける為に放った式神。東方魔法である陰陽道に基づいて使役されるゴーレムは、『風紗館』に侵入後、僅か数分で叩き落とされた。

 客を装って入り込んでも、意図を見抜かれたら五体満足では帰還できまいとパンシャーヌは思う。 とにかく、あの公娼館は得体の知れぬ不気味さを秘めている。敢えて言うなら、盗賊ギルドの本部に潜入するに匹敵する程の危険さを感じるのだった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「姿形は確かにリオンだったよ」

 

 殺風景な病室。その中でエクシーは事情聴取していた。

 相手はブルース・ワット。やつれているが元気を取り戻していた。

 

「でも、違う。リオンはあんなにお下劣じゃない」

「ほう?」

 

 付き合いが長いから判ると彼は言う。

 色気で相手をたぶらかし、積極的に求めて精を絞るのはリオンではないと、行為を重ねてきたからこそ判ると彼は断言した。

 

「『出して。ああん、もっともっと出して』、とか言う娘じゃないんだ」

「う…うん」

「あんな色情狂が、リオンの訳ない!」

 

 と断言する色男。

 エクシーはやはりと思って筆を止める。少なくともブルースからの証言ではリオンは犯人扱いされていない。

 

「と、するとあからさまな偽者か」

「うん。絶頂に達した時でも『構いません。思いの丈を全部受け止めますから』と、真摯になって受け入れてくれる慎み深い女性(ひと)なんだ」

 

 それの何処が慎み深いのか、エクシーにはさっぱり解らなかったが、命令形で搾精をコントロールする淫魔が多い中、リオンは相手に合わせて受け身の姿勢で行為を行っているらしい。

 

「ご協力感謝する」

 

 これ以上、話していると、エッチに関する単なる睦言を述べるだけになりそうだと判断して、エクシーは尋問を打ち切って病室を離れる。

 廊下に出ると、急患が運ばれて来たらしく慌ただしい。

 

「リオンの無実が晴れたよ」

 

 唐突に後ろから声を掛けられる。

 

「小隊長」

「先程の急患な、サッキュバスに襲われたと言う」

 

 小柄なエルフは「誰にやられたと思う?」と問いかけてくる。

 

「……まさか、リオンですか?」

「正解だ。しかし、リオンは我々の管理下にある。つまり、アリバイは確定している」

「では」

「明らかに偽者だ」

 

 敵の淫魔とその連れが、ケイをエクシーと間違えたとかの報告から、敵の情報収集能力を推し量っていたが、どうやら敵の諜報能力はお世辞にも高くない。

 はっきり言って杜撰なレベルだ。

 

「恐らく【魅了】の生体魔法を応用して、周囲にリオンの姿を幻覚で見せているんだろうな。

 さて、この二人組は明らかに我が領内の敵だ」

「……では治安維持の為、実力で排除しても?」

「構わん」

 

 小隊長は長い銀の髪をばさりと翻し、伊達眼鏡をくいっと直しながら不敵に笑った。

 

「しかし、出来れば身柄を確保しろ。

 何の目的でこの暴挙に至ったのかの動機は突き止めたい。だが、身に余る様だったら……」

 

 背の低い妖精族の少女は「殺せ」ときっぱりと言った。

 子供の様な見掛けによらず、任務では冷酷で沈着冷静なのが『鬼の小隊長』と呼ばれる由縁なのである。

 

「はっ」

「何故、我々警備隊が女ばかりで構成されている事を、東方の奴らに思い知らせてやれ」

「了解しました」

「だが無茶するなよ。ソル・ブレインとウィン・スペクターを指揮下に付ける。

 見つけ次第、狩れ」

 

 無理をして部下が命を落とすよりは、敵を抹殺した方がましである。シュシュ・トリアンはそう言う考えの持ち主であった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「知っている顔かい?」

 

 拘束を解かれたリオンは馬車で護送されて『風紗館』に戻る途中である。護衛を担当するのは新たにエクシーに預けられた分隊であった。

 馬車内の彼女へ、エクシーは本署で作成したばかりの人相書きを見せる。

 木版の多色刷りで、パンシャーヌとイナヅマが描かれており、エクシーが見る分には出来は上々だ。今頃、街中に張られている筈である。

 

「……済みません。刺客だとは思うのですが」

 

 しかし、予想に反してリオンは首を横に振って項垂れる。

 見覚えのある顔ではないらしい。

 

「個人的な事に踏み込むけど、あんたの身の上の事情を尋ねても構わないかな?」

「私の……ですか?」

「狙われる事情があるんだろう」

 

 暫く沈黙。鉄をはめた車輪が、石畳の上で立てる音だけが響く。

 エクシーは身体をもじもじさせて姿勢を変える。人間向きに作ってある馬車だから、ヤシクネーの身体を置くには椅子を数人分占拠しないとならないし、尖った脚で内装を傷つける訳にも行かないので、神経を使うのである。

 

 思わず『買ったばかりの脚カバー履いてくりゃ良かった』と思うが後の祭り。ゴム製の新しいカバーはお気に入りなのだが、耐久性が布製に負けるのが難点だった。

 そして身体の固定の為に不作法だが、お尻から出す糸もちょっと使う。馬車が急停車した時の為の保険である。無論、後でちゃんと拭い去らねば大目玉だ。

 

「私は皇国の姫でした。いえ、元、姫であったと言い換えましょう」

「燦然理音姫……だっけ?」

「どうしてそれを!」

 

 目を見開き、驚くリオンにエクシーは「うちの師匠から聞いた」と素っ気なく答える。

 リオンは東方の和服。正確には裳唐衣(もからぎぬ)装束と言うのだが、の袖で顔を覆った。そして「エクシーさんの師匠とは?」と蚊の鳴く様な声で問う。

 

「赤堂鈴介(あかどうすずのすけ)」

「赤堂殿……。我が家の剣術指南でした。ああ、それで」

 

 敢えて名を東方風に発音すると、リオンは納得した様に呟いた。それから語り始めた話は、概ね、師匠から聞いた話と同じであったが、やはり本人だけあって、それ以外の情報も含んでいた。

 故郷でロイヤルサッキュバスに襲われて、同化吸収された事。

 産み落とされた後、東方に居られなくなって出奔した話。

 魔族が産まれた事は恥として、生家である燦然家から、度々刺客を差し向けられている事。

 

「両親は王族種の淫魔に殺されました。もっとも因果報応なのですが…」

「ん?」

「その王族種の淫魔を養女にしていた家を、冤罪で一家皆殺しにしたからです」

 

 罪をでっち上げ、反逆者として討伐して屋敷を焼き、軍勢で一族郎党を惨殺したのである。

 王族種の淫魔はただ一人生き残り、養父母や家臣の仇を誓った。そして家を罠に掛けた敵対者に対して復讐を開始する。その中で犠牲になった一人が燦然理音であった。

 吸収後、再び産み落とす事によって「お前も追われ続けるがいい」と、淫魔と化した理音を放置したのである。

 

「私は困惑しました。殿方の精がなければ生きられない身体となり、

 どんなに我慢しても、本能から精を渇望する化け物になってしまったからです。

 あんなに恥ずかしかったのに、気が付くと殿方の上で腰を振り、股間に顔を埋めて精をむさぼっている。…でも、恐ろしくて自分で死ぬ勇気もなかった。

 こんな淫魔になってしまっても、それでも生きていたかった」

 

 リオンはそこまで言うと、顔を突っ伏して咽び泣いた。

 刺客から逃げ回り、故郷を遙かに離れて西へ西へと進む内、このエロエロンナの街に辿り着いたのであると言う。

 この街がサッキュバスも領民として認める制度を聞き及び、そして忠誠を誓って十年余り。義務である公娼としての年期もそろそろ終わりに近づき、新しい生活を夢見ていた矢先に現れたのが、パンシャーヌらであった。

 

「彼らは恐らく、私を抹殺する為の刺客です。でも……恐らく組織的な物ではありません」

 

 リオンは説明する。今までの刺客もそうだったが、どうも組織だって支援を受けた者が行動している様子は見られず、少人数の単発的な物であったと。

 

「だから、『風紗館』にまでは手を出せないか」

 

 エクシーは思う。この街で公娼館はれっきとしたお役所。

 しかも、これは一部にしか知られていないが海軍諜報局の管理下にあるのだ。淫魔の娼婦達は実を言えば予備軍人なのである。

 寝床で口の軽くなる、外国人の男共から情報を聞き出す役目を考えついたのかが誰かは知らないが、それは絶大な効果があるらしい。

 そんな場所だから、当然、敵国のスパイも忍び込んでくる。しかし、それを鉄壁の防御ではねのけ続けているのが今の公娼館なのである。生半可な事では手が出せない場所なのだ。

 

「リオンに関して海軍から横やりが入ったんだけど、あれは何かあったのかい?」

「恐らく、皇族に関してのせいですね」

 

 リオンは自嘲気味に微笑むと、重ねられた衣を手元に引いて整える。

 

「こんなサッキュバスでも、私は現天帝陛下の姪なんですよ。

 故郷から離れた地に居るというのに、まだ、未練がましく。この様な貴族の装いを続けてるのも、その血筋のせいかもしれません」

「一歩間違うと外交問題か……。そりゃ、海軍が神経をとがらす訳だな。おっと!」

 

 がたん、と馬車が停止する。

 目的地に着いた模様だ。『風紗館』の領域内に入ると言う事は、これ以上の会話はタブーになる。下手に言葉尻を捉えられ、海軍に目を付けられると後々面倒だ。

 リオンが天帝の姪、との情報だけでも機密なんだろうから。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 やりにくくなった。

 夕食の買い物に出たパンシャーヌは、人相書きが張られているのに驚愕した。

 サッキュバスである自分には、嗜好品以外の食事は必要なく、その糧も連日の搾精で充分に足りているが、イナヅマはそうはいかない。

 

「ちっ、力(りき)を入れれば、姿を変えられる自分と違ってイナヅマは目立ちすぎる」

 

 この分では出歩いた途端、警備隊やら陸戦隊が包囲して来るだろう。

 だが、任務を放棄する訳には行かなかった。

 リオン抹殺。それは燦然家から押しつけられた【ギアス】だからである。そうでなければ、誰がこんな西方まで来る物か。

 パンシャーヌは買い物を手早く済ませると、アジトへと取って返す。

 

「作戦中止だ」

 

 アジトへ入った後、開口一番そう告げる。

 

「どうした。辻斬りをして、これ以上の犠牲を出したくなかったら大人しく投降しろと脅迫する作戦だったな。無関係な民に対して責任感を感じる、甘ちゃんの理音なら必ず出てくる。

 そう太鼓判を押したのは貴様だぞ。戦麗舞」

 

 水色髪の淫魔は串焼きの入った袋をイナヅマに放り投げ、外套を脱いで普段の煽情的なサキュバスルックを露わにする。

 

「事情が変わったんだよ」

 

 イナヅマは不敵に笑って、調達してきた串焼きを口に放り込んだ。

 元々、行き当たりばったりな杜撰な計画であった。

 本国からの支援は宛てに出来ず、殆ど『上手く行ったら吉』程度の気休めに近い計画で、理音抹殺の刺客達は十数年前にバラ撒かれた。

 

 刺客に選ばれたのは、元々この事件には縁もゆかりもない無関係の者達が、無作為に充当された。戦麗舞も皇国で気ままに暮らしていた魔族であって、いきなり捕らえられるまで理音の事などまるで知らない一淫魔に過ぎなかった。

 理音が顔を知らぬ方が、抹殺する確率が高くなる。そんな身勝手な理屈で強制的に刺客に仕立てられ、一度も会った事も無い姫の為に(知識として顔や他のデータは、強制的に覚えさせられた)追跡を余儀なくされる。

 

 それから時間は流れ、既に何組もの刺客が消息を絶っている。

 もしかすると、それらのうちの何組かは、今の自分達の様に理音に遭遇出来たのかも知れないし、運悪く命を落としたのかも知れない。

 だが、理音が健在なのは掛けられた【ギアス】のせいで判る。もし死亡していたのなら、条件が解かれて、自分を縛るこの忌々しい枷から脱する事が出来るからだ。

 

「貴様を解雇する」

「ほぅ?」

 

 雇用主にイナヅマこと、豪雷之進は意外な目を向けた。

 

「もうあたしとは関係ないから、早くこの街から去るのよ。

 このままだと、お前もあたしの一味として巻沿いを喰って囚われるぞ」

「お主はどうなる?」

「最後まで足掻くさ。いずれにせよ、呪文の呪縛が強すぎるからね。

 潜伏して機会を待つ。だが、いつまで保つかな……」

 

 この【ギアス】は理音の抹殺を強制する物だ。理音を確認した今、その強制力は強く働いている。そして裏切りを防ぐ為、理音と和解し、手を出さずになぁなぁの関係で済ませる事が出来ない仕様になっている。

 理音を発見しても一週間程度までなら何ともないが、それを過ぎると強制が働いて激痛が走る。使命を果たせとの脅迫だ。

 

 エロエロンナの公娼達が立てた誓いと同様の物だが、こちらは更にエグく、最終的には命を落とす様に調整されている。

 無論、燦然家を裏切れば、即座に死ぬ。

 

「ふん。水臭い。拙者の事は気にするな、最後まで付き合ってやる」

「もう無関係の話なのだぞ。雷之進」

 

 だが彼は大口を開けて豪快に笑うと、「女子(おなご)を見捨てたとあっては、稲妻流の恥」と答え、「捕縛される。構わぬよ。このまま俺はエクシーか、赤堂を斬れれば満足だ」と続けた。

 

「戦麗舞の理不尽な身の上も知ってしまったからな。馬鹿が一人くらい付き合っても良かろう?」

「済まないね……」

「気にするな。どの道、お主に会っていなかったら、あの夜、砂漠で骨になっておったわ」

 

 砂漠で行き倒れになっていた出会いを思い出す。生命力が尽きようとしていた彼を、魅尼戦麗舞は気まぐれで助けたのだ。最初は精を搾り取って殺す気であったのだが、用心棒として雇い、ここまで珍道中を続けてきた。

 

「あたしがやれる礼は、これしかない」

 

 雷之進の身体にしなだれかかり、するりと布地の少ない、サッキュバスルックを脱ぐ戦麗舞。

 相手の方もそれを受け止め、胸や腰を揉みしだく。

 

「決戦もあるんだ。精を搾り取りすぎるなよ」

「分かってる」

「最初の夜を思い出すな。お主と出会った夜の事を」

「……うん」

 

 やがて床に伏せた二人の影が重なり、激しい息づかいと嬌声が廃屋の中に流れていった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ケイがエクシーの分隊へ合流したのは午後だった。

 まだ警備の為、エクシーらは風紗館に留まっている。開いている一室を借り、いつでもリオンの危機に駆け付けられる様に警戒は怠らないが、この風紗館内では過剰な警備と言えなくもない。

 どうせ、海軍諜報部が網を張っているのだ。

 合流したケイは元気そうで、魔法によって脚は完全に治っていた。

 

「脚を切除した時は、物凄く痛かったけどね」

 

 その脚は記念品として引き取った。

 昔の魔族は、この脚をばりばりと食べたのだろうけど、実際、見た目はカニ肉が詰まってて、美味しそうだとケイは笑って語る。

 

「食べたのかい?」

「共食いは流石にしないよ。腐る前に肉を削ぎ落として飾ろうかなと思ってる」

「悪趣味だぞ。それ」

 

 エクシーは断言すると地図を広げた。

 これでエクシー分隊は、本人を含めて四人。それなりの戦力にはなって来ていたが、依然人手不足なのは否めない。

 人相書きの効果で目撃情報は色々寄せられている。

 そのほとんどがイナヅマの情報なのは、やはりあの体格と目立つ風体のせいだろう。パンシャーヌの方が美人なのに目撃例が少ないのは、サッキュバスの持つ【魅了】の力で姿を変えている為だと予想出来た。

 

「それでも少なからず、パンシャーヌの目撃例もあるね」

「サッキュバスの【魅了】は異性には効かないからな。女性からの情報だろう」

「うーん、あたしには効きそうだ」

 

 ケイが自虐する。基本、サッキュバスの持つ生体魔法は男性をたぶらかす為で、女性には無力なのであるが、女性でも同性愛者であったら効く事が確認されている。

 リオンに恋をしているケイならば、効く可能性も否めないのである。

 

「ケイはリオン一筋だろう。なら効かないよ」

 

 エクシーは否定する。はらぱらと調書をめくりながら、目撃情報を鉛筆で地図に書き込んで行く。これならば書き込んでも後から消す事が可能なのである。これがペンにインクであったら、こうは行かない。

 鉛筆は高級品だが、地図を新しくするよりは安価だ。

 

「やはり、倉庫街だな」

「予想が当たったね」

 

 エクシーは身を隠すなら倉庫街だろうと目処を付けていたが、倉庫街は広大で何処から手を付けて良いのやら、手に余る状態であったのだ。

 しかし、目撃情報で範囲が絞れた。再開発地区、いわゆる廃倉庫街の辺りに潜んでいる様だ。

 

「昔、怪物が現れて暴れ回った跡、だったな」

 

 大海魔と呼ばれる魔物クラーケンが出現し、この港を襲った事件は遙か昔に遡る。

 その正体は隣国のマーダー帝国による差し金とも、邪教を信じる秘密結社の陰謀とも言われているが、詳しい事は発表されていない。

 

 ただ、当時のエロエロンナ女伯(しかし、当時は伯爵ではなかった)と現宰相のラートリィ女史。そして王国海軍の懸命な働きによって退治され、港湾都市壊滅と言う最悪な事態は避けられたものの、損害も大きく、その代償として犠牲になった地区が廃倉庫街である。

 

 建物の被害も大きいが、それよりも猛毒の墨が吐き散らされた為、土壌が汚染されてしまったのが最大の損害であった。

 以後、そこは立ち入り禁止地区に指定され、今になっても解除されていない。

 

「こんな所に潜伏するのは自殺行為なんだけどねぇ」

「え、毒性はもう殆ど無いんでしょ?」

「物理的な毒はね。厄介な事にあの墨は魔毒だったんだよ」

 

 それは魔的な呪いを帯びた毒である。土地に残り、徐々であるが人々に悪影響を与えて行く。

 最初の呪いは浴びた者を、問答無用に魔族や魔物へと変化させる物であった。その後、その呪いを払う為に、定期的に【浄化】の聖句を掛けているが、その因子は完全に除去したとは言えないレベルに留まっている。

 

「長く留まると突然変異を起こしたり、次世代の子供が奇形と化したりするんだ。

 もっとも、あたし達みたいな魔族は耐性があって影響薄いんだけどね」

「へぇ、じゃ、貧民街の魔族に解放すれば良いのにさ」

「駄目なんだ。昔、あたしもあそこに住んだ事があるんだけどね」

 

 その影響故か、不死怪物(アンデッド)も生まれ易く、一時期、影響が少ないとして魔族のみに居住が許可された時期もあったが、現在ではそれも禁止されている。

 

「魚屋で買った鮮魚がゾンビと化して、台所で暴れ回ってるとか、洒落にもならない現象が多発したから……、あ、畜生。思い出しちゃったじゃないか」

 

 それはエクシーの「おかーさん。夕食が空飛んでるよぉ」として、ご馳走が駄目になった子供の頃の悲しい記憶である。

 空を飛び回るこの十数匹の殺戮魚(キラーフィッシュ)を仕留める為に、一家総出で糸を吐きまくったのが修羅場であった。

 

 結局、魔族が移民した時期も僅か半年余りで、エクシー達は規制により移住を余儀なくされる。

 都市で一般的な、豚や鶏と言った家畜の飼育も危険だったからだ。

 いつの間にか、そいつらがオーク(豚鬼)やコカトリス(魔鶏)と化すのは流石に見過ごせないのである。今でも野生動物の魔物化は継続しており、あそこ担当の警備隊第四分署はてんてこ舞いらしい。

 

「さて、乗り込むとして、当面の問題は縄張り争いだな」

「第四分署とうち(第三分署)、何故か仲悪いからね」

「うちの小隊長を、向こうのナイルナ小隊長が嫌ってるだけなんだけどな。

 こちらが捜査の為に乗り込むのを許してくれるかな?」

 

 そこまで話した時、部屋の外が騒がしくなった。

 誰かが廊下を駆けている。人数はかなり多く、ばたばたと複数の足音が響いていた。

 

「分隊長っ!」

 

 ドアを突然開けて、部下のソルが飛び込んできた。はぁはぁと息を乱している。

 

「何事だ?」

 

 敬礼を忘れて居るぞとかは問わない。エクシー自身もかなりズボラだからだし、この特別捜査官の肩書きが取れれば、臨時分隊長から元の平に格下げだ。

 一時の地位から上司面して、同僚から恨みを買う様な事は御免である。

 

「さ、宰相閣下がお見えになりました」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 パンシャーヌこと、魅尼戦麗舞。

 イナヅマこと、豪雷之進。

 この二人は最後の襲撃計画を画策していた。

 

「あの娼館は危険だ」

「だが、虎穴に入りずんば、虎児を得ずとの諺もある」

 

 アジトの天井に掲げられた、安物のカンテラが「じ、じ」と芯の燃える不快な音を立てる。安いギャラガ油を使っているので燃焼時の匂いは最悪だ。

 【幻光】の魔法を使っても良いのだが、今は少しでも魔力の消耗は押さえたい。

 イナヅマは腕を組んで、風紗館へ直接殴り込む自説を主張した。

 

「しかし」

「危険なのは承知の上だ。しかも、お主には時間が無いのだろう?」

 

 陽動としてイナヅマが囮になり、こちらへ敵を引きつけている間にパンシャーヌが理音へ迫る作戦である。

 単純極まりないが、こちらはたった二人しかいないのである。無論、工作として陰陽術で複数の式神を放ち、館のあちこちに混乱を起こす予定であった。

 

「それはそうだが……、勝算は低そうだな」

「当たり前だ。博打と言っても良い」

 

 今までの偵察で判明している風紗館の館内図を指し示す。

 不明な点も多いが、理音が居そうな部屋の見当は大体付いている。一階はサロンや厨房、ロビー等の公的な部屋であり、娼婦が仕事するのは二階、または三階の娼妓部屋だ。

 

「全部で部屋は二十八室あるぞ?」

 

 高層に位置するのは、未会計でやり逃げを計る不埒な客の逃亡を阻止する為とも言われる、娼妓部屋の数を指摘するサッキュバス。

 

「だが、警備するに向き、不向きな部屋と言う物はある。

 理音は警戒している筈だから、大通りに面した部屋は使われまい」

 

 侍はロの字型になっている建物の内側を指摘した。

 

「居るとしたら中庭に面した部屋だろう。これだけで対象を半分に減らせる」

「なるほど」

「後は貴様自慢の式神の仕事だ。打ち落とされると言っても、暫くは保つのであろう?」

「ああ」

 

 もし一分程度で打ち落とされても、その間に理音の位置を把握さえすれば。

 サッキュバスは紙で出来た人型に呪句を書き入れている。決戦に際して大量生産中であるが、その為に大量の魔力を消費してしまっていた。

 その補充に精が欲しいのだが、先程、イナヅマから得たばかりだ。無理は出来ない。

 誰か適当な男を引っかけて、そいつから抜き取る事も考えたが、この時期に軽挙妄動は出来ない。

 

「当然、機会は一度だけだぞ。二度目は無い」

 

 そう言い含められているからだ。

 更に雷之進は〝夜討ち朝駆け〟を提案した。

 夜明け前、一番人が寝静まっている時間を選び、そこを襲う。

 

「娼婦の仕事は夜半にも及ぶが、仕事仕舞いは大体二時頃で、朝方は大抵眠ってる筈だ」

 

 夜警以外に見回りも少なかろうというのも、大きな理由の一つだ。

 都市という物は、城壁や城門と言った外から来る脅威には衛兵を並べて備えているが、案外、内部の警備は貧弱なのである。

 普通はせいぜい民兵による自警団がある程度で、このエロエロンナの様に、公的で本格的な警備隊を持つ街は少数派だ。

 

「明日の朝。それが勝負の時となるか……」

「拙者がエクシーと戦えるのか、それは神のみぞ知るがな」

 

 雷之進は口を歪めた。自分がエクシーと、あの赤堂の一番弟子と戦えるのかは分からない。

 いや、その可能性は明らかに低いだろうとは自覚している。娼館で待ち構えているのは警備隊では無く、娼館に雇われた私兵であろうからだ。

 幸か不幸か、彼らはこの案件が領主の、公安組織の管轄下に移っているのを知らなかった。未だ、民間の娼館相手の出来事だと思い込んでいたのだ。

 

「もう寝ろ。明日は早いぞ」

「抱くか?」

 

 パンシャーヌは意外な顔をした。この不器用な男にしては珍しい冗談だったからだ。

 嫌な予感がする。それは単なる勘なのだが……。

 

「馬鹿を言ってるんじゃないの」

 

 それを打ち消す様に彼女は吼えた。彼女はイナヅマを寝台代わりの干し草の中に叩き込むと、その隣に横になって、安物のカンテラを吹き消した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エロエロンナ伯爵領の宰相、ミキ・ラートリィ。

 全てを見通してしまう様なグリーンがかったブルーの瞳。腰以上に伸びた真っ直ぐで長い金髪。小顔で整った半妖精族らしい美しい容姿。それでいて白で統一された衣装にはスリットが入り、ちらちら覗くおみ足が健康的な色気を醸し出す。

 

 領主の片腕と目され、単に政務能力のみならず、荒事でも凄まじい実力を持つと噂される女傑である。あのクラーケン事件の時、領主と共に怪物を退治したメンバーの一人であった。

 職業柄、エクシーは良く知った相手だが、勿論、こんな近くで、しかも直接面会するのは初めてである。

 

「宰相閣下。エクシーであります」

「貴女が特別捜査官ね。ご苦労様」

 

 分隊の総勢四人を整列させたエクシーは敬礼する。

 宰相はにっこりと微笑むと頷き、鈴を鳴らした様な声で彼女を労うと、その後ろにいるリオンへと目を向ける。

 

「お久しぶりです。宰相閣下」

 

 リオンが腰を曲げて東方式の礼を取る。

 お辞儀とか言う奴だ。師匠の道場で毎回、始めと終わりに取らされる礼儀である。

 会話から察するに、どうやら宰相とリオンは知り合いの様だが……。

 

「お久しぶりね。今度の騒動、貴女はどう見ますか?」

「……。私見ですが」

「構いません」

 

 鋭い眼光で射貫く様な視線。宰相はリオンに続きを促した。

 リオンは皇国からの刺客と、今回の相手に皇国側からの政治的な動きが無い事を告げた。

 

「だから、今までのパターンと同じ物だと思われます」

「前に現れた刺客は、確か十年前でしたね。同じパターンと言う事は、やはり【ギアス】によって呪縛されている相手ですか?」

「確証は持てませんが、相手が少人数な事と支援を受けている様子も見えないので、恐らくそうであろうと思われます」

 

 宰相はふぅと嘆息した。

 白い長手袋に包まれた手を組んで、目を閉じると長考に沈む。

 その姿を見て『うわぁ、いつも思うけど、美術品の彫像みたいだね』とエクシーが心中で呟く。本当に生きた人間なのか。長命で姿の変わらぬ半妖精と言えど、この整いすぎた姿はこの世の物とも思えないと、エクシーはいつも思う。

 まして宰相の姿は、エクシーが子供の頃から一切変化が無いのである。

 

「今度の刺客は、貴女と同じサッキュバスでしたね?」

「はい」

「優秀そうな人材ならば、我が街に勧誘するのもありでしょうか?」

 

 リオンは目をしばたかかせる。

 

「私と同じ様に?」

「はい。人材はあった方が良いが、エ…女伯のお考えです」

 

 優秀な人材なら敵であってもスカウトする。

 領主の女伯は常々、そう唱えていた。倫理的、道義的に許されぬ者を除けば、敵は討つよりも取り込んで役立てた方が良い。

 伯爵領とか名乗っていても、その人的資源はたかが知れているのだから、使える人材は確保せよが、その基本方針である。

 自分の所領の実力を知っているからこその政策だった。

 

「特別捜査官。今後の作戦予定を」

 

 宰相はエクシーを呼んだ。

 

「敵が潜伏しているらしい、再開発地区に網を張る予定です」

「予定、ですか?」

「まだ担当の第四分署との折衝が…」

「私の名を出して構いません。今夜の内に包囲網を完成させなさい。

 手続きが必要なら、直接、私が交渉に赴きます」

 

 それは願っても叶ったりな事である。しかも宰相自らの命令なら、幾らナイルナ小隊長がうちの分署を嫌っていても、命令を拒否する事は出来まい。

 エクシーは「はっ」と敬礼を返した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 倉庫街を担当する警備隊第四分署は、他の分署に比較すると裏方である。

 中央の官庁街を担当する第一。住宅街を担当する第二。そして華やかな港湾地区担当の第三。それに比べて苦労は多く、活動も地味である。

 

「と言う訳で、共同戦線を張りたい」

 

 ナイルナ小隊長は不満であった。目の前でそう述べるシュシュが憎い。

 自分の忌み嫌う、あの生意気な妖精族のシュシュが自分の管轄下に乗り込んできた。

 同期であったシュシュの活動が順調に評価されているのに比べて、自分の功績は正当に評価されないとのコンプレックスもあり、両者の間は冷え切っていた。

 あちらが妖精族で自分が魔族である為か、そんな事をついつい考えてしまうからだ。

 

 他分署の警備隊員だって、エクシーやケイみたいな魔族は多いが、廃倉庫を管轄に収める為、第四分署所属の隊員は全て、魔毒の影響を受ける事が少ない魔族なのである。

 当然、ナイルナも力強き魔族であるスキュラなのだ。

 普段であったら、第三の連中が乗り込んでくる事なんぞ、絶対に許可しなかった筈だ。まして、今は真夜中、迷惑千万だってのを思い至らないのか!

 だが、シュシュ・トリアンの隣にいる人物を見ては拒否は出来なかった。

 

「分かりました。宰相閣下」

 

 そう答えるしかないではないか。相手はラートリィ宰相なのである。

 シュシュでは無く、そう宰相に返事したのは精一杯の抵抗だ。

 忌々しい。しかし、ナイルナとてこの街の官僚の一員である。宰相の命令は絶対であるのは理解しているし、彼女が語った包囲網の形成は正しい戦略であるのも分かる。

 

「ナイルナ・トトメス」

「はっ」

「苦労を掛けますね。私は縁の下の力持ち的な、貴女の小隊の功績を評価していますよ。

 私の古い友人にもスキュラが居ます。貴女と違って戦闘力は皆無でしたけど、ここぞと言う時には勇気があって、皆の為に一生懸命でした。

 貴女もそうである、と信じていますよ」

 

 宰相の意外な言にナイルナは何も言えず、慌てて敬礼を返すだけであった。

 実務は小隊長二人に任せて執務室を退出した宰相は、第四分署の控え室に入る。

 

「宰相閣下」

「その呼び名は肩が凝りそうだわね。エクシー捜査官」

 

 彼女は肩が凝ったと見えて、首を左右に傾げながらこきこきと肩を鳴らした。

 

「では、何とお呼びしたら」

「ミキでいいわよ」

「では私もエクシーと呼んで……って、ご冗談を!」

 

 流石に宰相を呼び捨てにする度胸は、エクシーには無い。

 ラートリィは悪戯っぽい笑みを浮かべて、部屋の中に居る面々を確認する。

 エクシー、ケイ、自分の護衛達。そしてサッキュバスルックに身を包んだリオン。

 

「来ましたね……。でも、本当に良いのですか?」

 

 問うた先はリオン。問われたサッキュバスは頷いた。

 事件には自分の責任もあるので、この事件の顛末を見届けたいとの希望であった。

 警備隊の面々、風紗館の関係者らは当然反対した。

 のこのこ最前線に出て行けば、討たれてしまう可能性も高いからである。安全な後方に留まり、事が終わるまでじっと身を隠してくれた方が良いのは言うまでもない。

 

「例え討たれたとしても、その時はその時です。私と言う存在その物が、彼らに不幸をもたらしたのであれば、その責任も取る必要があると思います。

 まして、私の為に討たれるのであれば、その死を目に焼き付けておく必要があるでしょう。己の罪を心に刻み込む為に」

 

 その意を汲んで、宰相はリオンの出向を許可したのだった。

 先の頷きは、その意志が不変であると言う事である。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 リオンの宣言に、その場の一同は一斉に頷いたのであった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 第四分署の協力もあって包囲網は速やかに形成された。

 閉鎖地区に通じる道が封鎖され、大通り以外には監視用の簡易結界が張られる。結界と言っても大した物では無く、引っかかると暫く眩しく発光するだけなのだが、総勢三十人に満たない手勢ではこれが精一杯であった。

 

「犬やら、鳩や烏が引っかかっても光るんだよな」

 

 エクシーはぼやく。幸い夜だから、鳥類は対象外になるだろうが、夜行性の猫なんかが引っかかる可能性は高いと見るべきであろう。

 

「昆虫類が対象外なのは有り難いけどね」

「まぁ、そうなるね」

 

 ケイの言葉に同意する。

 ある一定以下のサイズは対象外に設定されている。小型の鳥やらネズミに昆虫とかだ。一々反応していたら、やっていられないからである。

 

「どうか?」

 

 制服のスカートから無数の足、触手をうねらしながら滑る様に現れたのはナイルナ小隊長。そしてラートリィ宰相。エクシーとケイは敬礼する。

 

「異常ありません」

「ここが本命の一つだ。朝になるまでは監視は怠るな」

 

 ナイルナはそう命令すると、懐から地図を取り出して確認する。

 今はとにかく包囲だけに留めているが、夜が明けたら他分署の魔族隊員を動員して徹底的なローラー作戦を展開し、しらみ潰しに閉鎖地区を掃討して行く予定なのだ。

 

「援軍の予定は順調ですか?」

 

 エクシーが尋ねる。

 

「各分署も、突然の命令で調整に手間取ってるからな。

 恐らく昼までには整えられるが、もしかすると朝方の投入は無理かも知れん」

 

 そうなのである。「閉鎖地区を捜査するので魔族の署員を応援に差し出してくれ」と命令されても、「はい、そうですか」とすんなり対応出来る訳ではない。

 警備隊だって署員の半分は非番だし、朝昼晩とずっと勤めているのではなく、機械ではないのだからローテーションを組んで休憩している。突然、命令を受けても、普段の業務に支障なく人員を出せるのかと言えば、これが難しい。

 まして、魔族の隊員と指定があるのだから、よりややこしい。

 魔族のみで構成される第四分署を別にすれば、各分署に所属する魔族隊員の数は十人以下しかおらず、今頃は非番の魔族隊員を叩き起こして、呼集をかけている真っ最中に違いない。

 

「今夜、敵が動かない事を期待したい所ですね」

「全くだ。あ、宰相、ここから先は汚染地域ですので、近づいてはなりません」

 

 ラートリィ宰相に注意を促すスキュラを横目に見つつ、エクシーは担当の道へ視線を戻す。

 エクシー達が陣取るこの道は、外に通じる通りの一つであり、外へ繋がる最短ルートであった。普通なら真っ直ぐここを使って出入りする筈なのである。

 もっともストレートすぎて、『普通、追われてる犯罪者が、この道にのこのこ現れる訳は無いだろ』とエクシーは推測していた。

 宰相やリオンがここに配置されたのもこの為で、現場に最も近いが、ここが一番リスクの少ない場所だからである。

 

「では、私は次の地区へ行く。エクシー・ドラフト。宰相達の護衛、任せたぞ」

 

 ナイルナの台詞からも判るが、エクシーらに任された任務は道の閉鎖よりも、宰相達の護衛に重きが置かれているのは明かだった。

 つまり、ゲストのお偉いさんが勝手な行動せぬ様にお守りしろである。

 閉鎖地区は影響度が低くなっているとは言うものの、未だ魔毒の影響が残る危険地帯。魔族では無い者達が入り込むのはデンジャラスなのである。

 

 本当は宰相やリオンみたいな部外者は、現場に出て欲しくないと警備隊の全員は口に出さずとも思っている。

 どこかの安全地帯に本部でも設置して、その中でぬくぬく報告を待っていてくれた方が助かるのだが、最前線で見守りたいとの意向は無視出来ない。

 だから、ここに回されたのは妥協の産物なんだろうとエクシーは思う。

 

「イナヅマとの直接対決は避けられそうだ」

「え、残念がってるの。エクシー?」

 

 ケイの疑問に彼女は「ああ」と返事をする。

 師匠から聞いた稲妻流の話に、武芸者として心が躍らなかったのかと問われれば、否と答える事しか出来なかったからだ。

 

 稲妻流。自分の真空流と並び立つ魔剣を操る東方剣法。もっとも、東方での評価は両方共に微妙で、邪道とか罵られる事が多い。

 師匠曰く、魔剣法の極意は『勝利こそ全て』なのだそうだ。実戦に於いて負ける事は全てを失い、護るべき者も護れなくなる。だから勝て、どんな事をしても勝利をもぎ取れ。との考えで組み立てられた剣法なのだという。

 

「だから、奴の剣は強いと思う」

「確かに強かったよ。あたしが手も足も出なかったもん」

「そう言えば、ケイは直接戦ったんだっけな。どう思う、あたしの力が通用するかな?」

 

 ケイは首を傾げ、「うーん、得物を持ってるなら互角かな?」との感想を述べる。

 剣技その物は、エクシーと同等であるらしい。しかし、奴の繰り出す『なんとか斬り』が問題なのだと続けて述べる。

 

「あれ、リーチ長いからね」

「まぁ、それに関しての対抗策は考えてる。あんまり使いたくなかったんだけどな」

 

 剣法じゃ無いだろ式の秘術だ。一応、師匠から教わってはいるのだが、卑怯臭いので封印してきた技である。

 しかし、今回、もしイナヅマと対決する事態に陥ったのなら、使わざる得ないなとも彼女は感じていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 夜明け前に起床し、支度を整える。

 まだ陽は昇っておらず、カンテラの光の中で腹ごしらえをする。

 

「どうも西方の食事はぼそぼそしているし、腹に貯まらぬな」

 

 黒パンを咀嚼する雷之進が呟く。米の飯が食いたいが、この隠れ家ではそれは叶わない話であった。米その物が西方では余り流通せず、仮にあったとしてもここで煮炊きして、目印になるだろう煙を上げる訳には行かないからである。

 

「この港町だったら、それなりに米を出す食堂があるよ」

「ほお」

 

 パンシャーヌの言葉は正しい。この街は東西交流の最前線だ。東からの物産はそれなりに流通しており、値段を考えなければ入手するのも不可能では無いからである。

 事実、陰陽道に欠かせぬ和紙を彼女は手に入れていた。元の値段を知る戦麗舞にとって、それはえらい高価であったが、入手不可よりはよっぽどマシである。

 何故か、呪符を作る際、西方の紙では上手く作用せず、東方製の和紙でないと駄目なのである。これが製法の問題なのか、材質の問題なのかの原因は不明だ。

 

「さて、準備は出来た」

「あたしもね」

 

 両者は頷きあう。出陣であった。

 ふっと明かりを吹き消すと、アジトである廃屋を後にする。

 もう、ここには戻らないだろうとの予感がする。

 目的地までは歩いて二十分。互いに無言であった。だが、その旅は唐突に終わる。

 

「パンシャーヌ、イナヅマ、御用だ!」

 

 まだ夜が明けきらぬが、辺りはうっすらと明るくなった薄暮の中、強烈な光が一条、彼らを照らしたのである。

 龕灯(がんどう)であった。そして、それを持つ人物には見覚えがある。

 

「エクシーか!」

 

 宿敵、真空流を使う赤堂の一番弟子。下半身が蟹の魔族。

 彼は隣に居る相棒に「戦麗舞、逃げよっ!」と鋭く警告した。だが、サッキュバスは「理音っ」と叫んで駆け出していた。

 

「予定が狂ったが、俺としては好都合だ」

 

 雷之進は間合いを計りながら、背中の太刀をすらりと抜く。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 誰かが近づいてくるのを確認しようと、ライトを向ける。

 このライトは東方からもたらされた龕灯と呼ばれる提灯である。常に蝋燭が上を向く様に設定され、全体が筒に覆われており、一方方向にのみ光が集中する仕組みになっている。

 専門的にはジンバル構造と称するメカなのであるが、エクシーら現場の警備官はそんな事を知る由はない。改良点は筒の先端にレンズが填まっている事で、光を拡散させず、より遠くへと集中させる工夫が成されている。

 

 近年、硝子工業が盛んなエロエロンナらしい改良だ。

 光の魔法が灯された代物なら、なお便利なのだが、残念ながらそんな予算は警備隊には無い。

 

「パンシャーヌ、イナヅマ、御用だ!」

 

 その姿を見たエクシーは思わず叫んでいた。と同時に『何で、こんな所に来る』と心の中で舌打ちをしていた。『のこのこ、普通に歩いて現れるんじゃねぇ』と呆れる。

 全く、こっちが検問を張っているとは思わなかったのか、とにかく、想定外であった。

 

「ケイ!」

「分かった!」

 

 阿吽の呼吸だ。エクシーの伝えたい事を瞬時に理解したヤシクネーは、さすまたを構えつつ後ろへと下がる。VIP達の護衛だ。

 本来、ここには現れないだろうと想定していたので、リオンや宰相なんかが、彼女らの後ろで控えているのである。

 その読み通り、パンシャーヌがそちら目掛けて動いてくる。

 

「阻止しろ、ウィン!」

 

 エクシー分隊の一人、ウィン・スペクターはセイレーンだ。彼女は腕を翼に変形させると、羽ばたいてパンシャーヌへ飛びかかる。

 足に生えた鋭い猛禽類の爪が彼女の武器である。

 

「ちっ、鳥目の癖に!」

 

 悪態を付く戦麗舞。しかし、セイレーンが鳥目だというのは俗説に過ぎない。

 パンシャーヌは突進して来るウィンを躱すと、懐から何枚もの呪符を取り出し、一航過して一旦、上空へ抜けて反転しようとする彼女へ投げつける。

 印を組んで短く何かを唱えると、呪符はセイレーンへ絡み付いて拘束具となる。

 

「あああっ、ウィン!」

 

 ケイの悲鳴と共に羽ばたけず、揚力を失った鳥形魔族は無様に墜落した。

 これでパンシャーヌの前に立ち塞がれるのはケイのみとなった。

 エクシー分隊は本来は四人だが、その内の一人、ソル・ブレインは魔族ではないので今回の封鎖に動員出来なかったのである。

 

「まさか、こんな所で勝負出来るとはな…」

 

 一方、雷之進とエクシーの戦いも開始されている。

 既に辺りは明るくなりかけており、照明無しでも互いの姿は充分確認出来る。エクシーはさすまたを構え、イナヅマの挙動を見逃すまいと神経を集中する。

 

「行くぞ。秘技『電光斬り』っ!」

 

 ぶんっと太刀が振り下ろされる。同時に剣先から紫電が飛んだ。ケイを苦しめた稲妻流の魔剣法である。同時にエクシーもさすまたを回して対抗する。

 

「真空流秘技、『旋風斬』っ!」

 

 ぐるんと回した軌跡から小型のつむじ風が発生し、一直線に雷之進の方へと進む。電光とつむじ風は途中で激突し、対消滅する。

 エクシー自身は『これ卑怯だろ』と思う。

 

「少なくとも剣法じゃないよなぁ」

 

 しかし、師匠は「馬鹿者。戦いに必要なのは手段ではなく、結果じゃ」と主張した。正攻法で堂々と戦っても、負けたら終わりなのだ。

 師匠曰く、「戦場で敵が弓を射かけてきたら、おぬしは相手を卑怯者と罵るか?」であった。これがバリスタやカタパルトでも同じ事。有利に戦える手段が有るのであれば、戦場ではそれを使うのは常識だからだ。

 こっちがナイフしか所持してないのに、向こうが刀剣を持って斬りかかってくる。それも卑怯では無い。試合じゃあるまいし、同条件で相手してくれる敵が何処に居るのだ?

 

 そう、向こうが卑怯だからでは無い。戦場ではやられた方が迂闊なのだ。

 真空流は道場剣法では無く、戦場での戦いを念頭に置いた実戦剣法である。だから、どんな手段を使っても敵に勝て、が教えであった。

 

『稲妻流も思想的には、うちと同じであるらしいね』

 

 太刀を下段に下げたままのイナヅマは、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

「流石だ。だが、しかし……、これを防げるかな?」

 

 言うが早いが、イナヅマは「『電光斬り』」を矢継ぎ早に唱えて来た。

 

「ちょっ……」

「『電光斬り』っ」「『電光斬り』っ」「『電光斬り』っ」

 

 ぶんぶん振り回される太刀。無論、切っ先からひっきりなしに紫電が飛んで来る。

 相殺しようにも、相手の技の方が連射性に優れているので対応出来ない。旋風斬は得物を回す動作が必要なので、単純なイナヅマの技に手数が完全に負けている。

 

「参ったね、近づけないや」

 

 幸い、電撃の方向性は直線なので、エクシーは何とか躱し続けていた。事前にケイの体験談を聞いていた為に、対応策を用意していたのも大きい。

 そしてヤシガニの多脚はこう言う時、横移動に優れているので助かっている。

 

「ふはははっ、逃げ回るばかりか、エクシー」

「スタミナ切れを狙ってるんだよ」

 

 魔剣法の基本は魔力である。

 大抵は剣を触媒として、自身の魔力を変換して技を繰り出す。その為、本人の持つ魔力が枯渇すれば、それは打ち止めになってしまう。

 エクシーはそれに賭けた。あんなに連発してるのだから、その内、魔力切れが起こる筈だと。そこからが反撃の狼煙を上げる時になると。

 しかし……。

 

「あいつ、底なしなのか?」

 

 途切れる気配が無い。エクシーの額にじわりと汗が滲む。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 戦麗舞は千載一遇のチャンスを得ていた。

 目標である理音が、何故か知らないが、自分の前に姿を現しているのである。

 しかも、護衛はただ一人。先程やっつけたセイレーンは戦線復帰出来ないだろうから、目の前のヤシクネーを倒せば、後はやりたい放題だ。

 もう一人、近くに白いドレスを着た半妖精の女が居るが、その見掛けから戦闘要員ではあるまい。と彼女は判断する。

 

「理音、覚悟して貰うよっ!」

 

 呪符の残りを出して十数体の紙兵へと変じさせる。手札を全て使い切って後が無いが、今が勝負時であり、ここで出し惜しみすると後悔するとの考えからである。

 これで一気に畳み掛ける。戦麗舞は理音へ向けて駆け出した。

 ぺらぺらな紙の兵士は手に槍を持ち、無言でケイへと躍りかかっていく。

 

「うわっ、それ反則だよぅ」

 

 さすまたで槍を弾くケイ。紙兵の一部はケイを無視して、その後ろに居る理音に迫る。

 理音はじっと迫るサッキュバスを見詰めていたが、無言で後ろへ手を回し、腰に挟んでいたであろう得物を取り出した。

 

 輪を中心に拳大の穀物(鉄球)が三個、鎖によって繋がれている。理音は穀物の一つを握り、ひゅんひゅんと回転させた。

 そして右へ、左へリズミカルな舞を彷彿させる動きで、理音は迫り来る紙兵にその武器を叩き付ける。紙兵は槍でそれを防ごうとするがたわんだ鎖が湾曲し、その穀物が軌道を変えて直撃するだけであった。

 

「なっ!」

 

 戦麗舞はたちまち数体の紙兵を撃破する理音に絶句する。理音は戦闘力が皆無のお姫様だった筈だ。何も出来ぬ、貴族のか弱いお嬢様では無かったのか?

 

「私だって、いつまでもただの小娘ではありませんよ」

 

 その武器、未塵(みじん)と呼ばれる得物を回しつつ、燦然理音姫は静かに呟いた。

 故郷を離れて既に十数年。その間、辛い事、苦しい事、楽しい事や嬉しい事、初めて知る事と様々な体験を経たのである。

 

 武器を扱う事もその一つであり、隠し持てて、非力な彼女にも威力が高い未塵を気に入って、その使い手となっていた。これを覚えた時に盗賊に身をやつした過去もあるのだが、それは今は関係ないので語るまい。

 純粋無垢なお姫様であり、何も出来ない役立たずは、これらを通じて成長していたのだ。

 

「昔とは違う、か。確かに誤算だったよ。敵を殺傷せよ、【氷塊】っ」

 

 彼女は水属性の呪句を唱える。この偽名の元となった。母である淫魔パンシャーヌから教わった西方魔導だ。

 術者の前に鋭い氷塊が形成され、それが高速で理音目掛けて飛ぶ。未塵が振り回され、幾つかの氷塊が叩き落とされるが、完全に防ぐ事は出来ず、飛び散った破片が理音の頬をかすめ、更に腹に突き刺さる。

 理音は「くうっ」と苦痛の言葉を吐く。突き刺さった氷塊が衣装を切り裂き、ぱらりとブラが外れて垂れ下がるのを、片手で押さえながら膝を着く。

 

「あんたに恨みは無いんだけど、死んで貰うよ」

「させるかぁっ」

 

 その声と同時に投げられた物をパンシャーヌは慌てて避けた。石畳に金属音を立てながら跳ね返るさすまた。そして、ケイとか言うヤシクネーが突進して来る。

 無謀だ。まだ周囲に紙兵が群がっており、突き出された槍がケイの身体にぐさぐさと刺さる。だが、突進は止まらず、パンシャーヌは凄まじい勢いの体当たりを受ける。

 ヤシクネーの体重は人間より遙かに重い。その重量差に負け、淫魔はまるで毬の様に弾き飛ばされてしまう。

 

「そいつを拘束して」

 

 ケイが吼えた。弾き飛ばされた淫魔はかなりのダメージが入ったみたいであり、まだ立ち上がれないない様子だが、気を抜く訳にはいかなかった。

 本来は自分が向かうべきだが、今は紙兵にまとわりつかれて身動きが取れない。武器を失ったケイは自前の鋏をおっ立てて、回りの紙兵共を斬り刻んでいた。

 

「分かりました」

 

 それに応えて動いたのは、ずっと後方で事態の推移を見守っていた宰相だった。

 

「汝、動くべからず。【拘束】(ホールド)」

 

 歌う様な美声で、宰相の口が聖句を紡ぐ。

 魔法によってパンシャーヌが身体の自由を奪われてしまうのを確認すると、ミキ・ラートリィは続いて【魔法弾】(マジックミサイル)の聖句を唱える。

 十数発の魔力矢が宰相の頭上に出現し、それぞれが紙兵へと誘導されて次々と命中した。

 

「こんな所かしらね。皆、無事ですか?」

「……あの」

「相変わらずですね」

 

 あれだけ苦戦していた敵の全てを撃破され、もしかして自分達の力など要らなかったのではないか、と言う顔をするケイに向けて、宰相はにっこりと微笑んだ。

 

「あら、皆さんを信頼してるからこそ、手出しを避けたのですよ。

 女伯同様、とっくに現役引退してますし……ね」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 戦麗舞との戦いが一段落付いたが、雷之進のエクシーとの戦いは未だ未決着であった。

 とにかく手数が多い。電撃が無茶苦茶な頻度で飛んで来る。

 こいつ『本当に人間か?』と、エクシーが訝る程である。

 

「くそっ」

 

 左右に躱し続けるが、流石に脚ががくがくだ。

 紫電を避けるのも難しくなってきた。

 

「そろそろ終わりだな。赤堂の弟子っ!」

 

 近づけないのがもどかしい。相手の懐にさえ入ってしまえば一太刀を浴びせられるのだが、突っ込んで行く途中で電撃に焼かれるのがオチだろう。

 どうする?

 

「『どんな手を使っても勝て』が師匠の口癖だったな」

 

 陽が昇ってきた。既に十五分以上、戦い続けて居ると言う事か。

 相手が放って来た攻撃は百発を超える。普通は魔力が枯渇して、バテバテになってもおかしくないのに、未だスタミナ切れの気配は無い。

 次の紫電の顔をかすめた時、エクシーは禁じ手を解除する事に決めた。

 

「卑怯っぽいが、相手も卑怯臭いからな」

 

 自分はヤシクネーなのだ。だから、その利点を最大に利用させて貰う。

 お腹を相手へ向ける。

 ヤシクネーの腹部は普通、胸部の下に折り畳まれている。腹部には甲殻がないので柔らかく、それを敵に攻撃されない為に折り畳んで保護しているのだ。

 ここは子供を育てる為の子袋の出入り口と共に、魔糸を吐く糸つぼの射出口がある。つまり、折り畳んだ状態では前方を向いている。

 エクシーは腹に力を入れると、勢い良く魔糸を射出した。

 

「うおっ?」

 

 いきなり撃たれたのだからびっくり仰天だろう。

 細く、しなやかな魔糸がこれでもかと言わんばかりに降り注いだ。少し汚い黄色っぽい色合いなのは、最近、余り糸を吐いてなかったせいだろう。

 

 糸つぼに糸の元となる粘液を貯め込みすぎると健康に悪い。定期的に紡績腺で作られる糸を吐いてすっきりする必要がある。

 最近は本業が忙しくて行く暇が無いが、魔糸を紡ぐ紡績工場で糸を提供すれば小遣い稼ぎにもなるので、糸粘液が溜まったヤシクネーは大抵、そこで糸を吐いている。

 

 本業の糸吐きに比較すれば買い叩かれる値段であるが、糸の精度も悪い(一定の太さじゃなく、長さが劣る低質品)から仕方ない。しかし、それでも小銀貨何枚か相当にはなるので、貧乏な頃には助かった覚えがある。

 

 ちなみに普通のヤシガニは糸を吐かない。これはアラクネーと同じ様に、魔族として備わった特殊能力である。同様に糸の性質も粘着力のあるなしを選べるのだ。

 無論、今のエクシーが吐いた魔糸はべたべたとする粘着性の高い物である。

 だが、この攻撃は目眩ましである。アラクネーと違って操糸精度が劣るので、糸でぐるぐる巻きにして、相手を捕獲するのには使えないのだ。

 絡ませて相手を怯ませた隙に、逃走するのが本来の使い方である。

 

「ぬっ、エクシー、何処へ行った!」

 

 イナヅマが怒声を上げる。

 何とか糸を振り払った時、彼女の姿は忽然と消えていたからである。

 だが、次の瞬間、彼は太刀を取り落としていた。

 投擲されたさすまたが、得物を奪い、遙か彼方へすっ飛んでいったのである。

 

「貴様っ!」

 

 イナヅマの目が見開かれた。

 エクシーが倉庫の壁に貼り付いていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エクシー視点で見ればこれは賭けであった。

 一瞬でも隙を作らせれば、そしてあの得物を奪ってしまえば勝機はある。

 

 魔剣法は文字通り、武器を媒体に発動する魔法の一種だ。

 自分の使う『旋風斬』程度の低級な技なら、普通の武器を使っても使用可能だが、恐らく雷之進の使う技は魔剣が必要。

 相手を旋風に巻き込んで転がす程度の自分の技と違い、あんな高威力なのだから間違いない。

 ならば、魔剣さえ封じてしまえば『電光斬り』や、多分、まだ繰り出してない奥義なんかの使用を封じられる筈だからだ。

 

『だけど、口で言うのは易しだよ』

 

 糸を吹きかけた直後、彼女は全身に力を込めた。

 ぐんっと六本の脚が縮んで伸びる。かかっ、と石畳を蹴って跳躍した。

 同時にお尻から粘着性の魔糸を吐き出す。糸はしゅるしゅると伸びて行き、向かいの倉庫の壁に張り付いた。

 慣性のベクトルが変わり、張り付いた糸の方へ身体が引っ張られる。このままだと壁に取り付く前に地面に激突しかねないので、エクシーは素早く糸を巻き取ってゆく。

 

『よしっ、好位置っ!』

 

 壁に見事張り付いたエクシーは無言で快哉を叫ぶ。

 同時に「んしょ」とばかりに折り畳んでいた腹部を伸ばし、頭と尻の位置を逆転させると、手に持ったさすまたの狙いを定める。

 本来、さすまたは投擲武器では無い。しかし、エクシーら警備隊員は普段からこの武器を投擲する訓練を怠らなかった。本職の投擲槍(ジャベリン)には劣るが、十メートル程度の短距離ならば、当てる自信がある。

 

 幸い、位置は雷之進の真後ろ。やるなら今しか無い。

 投げる。

 肩にでも当たれば武器を取り落とすだろう、と大雑把な感じで投擲したのだが、その一撃は見事ら太刀に命中し、その武器を弾き飛ばしたのだ。

 

「蜘蛛の真似事か。猪口才な」

「雷撃さえ無ければ!」

 

 慌てて獲物を拾う動きを見せる前に、再びエクシーから魔糸が発射され、続いて六本の脚が壁を蹴る。射出された糸の巻き取りも行っている。

 放たれた魔糸は、向かい側の壁にぴんと糸を張り、続いてヤシクネーの巨体がブランコの要領で宙を舞う。

 そのまま、体当たりだ。

 体当たりと同時に糸を切り、組んず解れずの体勢で絡み合った。

 

「あたしの……勝ちだ!」

 

 ヤシクネーの巨体がのし掛かっている。

 だが、勝ったと思った次の一瞬、エクシーは投げ飛ばされてしまう。

 

「油断したな」

 

 イナヅマが繰り出したのは東方の無手武術だ。体格差をものともせず、巴投げの要領でヤシクネーを投げ飛ばした彼が立ち上がる。

 投げ飛ばされた方のエクシーも、空中で体勢を立て直して着地。

 

 幸か不幸か、その投げ飛ばされた着地点に奴の太刀が転がっていた。武器を失ってしまった彼女は、呪いはあるまいと判断してそいつを拾う。

 イナヅマも太刀の回収を諦めたのか、腰の刀を抜いた。

 

『もし、あれが太刀と同じく魔法武器であるなら、あたしの負けだね』

 

 魔剣は貴重品である。余程の資産家でも、おいそれとは買えないアーティファクトだが、奴程の使い手ならば予備の魔剣を持っている可能性は低くはない。

 奇襲は警戒されているから、手の内を見せてしまった手前、既に使えないだろう。

 

「だが、まだ負けた訳じゃ無い」

 

 突っ込む。警戒しながら馬鹿正直に一直線に突進する。奴の『電光斬り』を食らうのは覚悟の上だ。それは力押しの勝負しか無いとの判断だ。

 六本の脚がガチャガチャと乾いた音を立てる。ヤシガニは見掛けに反して素早いが、ヤシクネーたるエクシーだって、移動速度に関しては負けちゃいない。

 無論、紫電の一発程度なら耐えられるとの計算もある。そして、接近戦なら互角に戦える筈だとの自負も。

 

 斬撃がエクシーを襲う。

 太刀を使って躱すが、相手の手数が多い。加えてエクシーは東方の刀には不慣れである。本来、彼女の得物は長柄武器なのだ。

 何とか上半身への攻撃は防ぐが、下半身のヤシガニ体に攻撃が入り始め、頑丈な殻が傷付いて行く。但し、本来の雷之進の持ち味である力任せの叩き技をするのには刀は軽すぎる為、ケイを相手にした様な、殻をかち割る程の威力は発揮出来ていない。

 勝機は見えた。

 

 エクシーは最後の切り札を繰り出す。

 本来、ヤシクネーは十本の脚を持っている。内、六本は移動肢。二本は退化して鰓室(こいしつ)に収まって外からは見えない。そして残りの二本はエクシーが普段は使わない鋏である。

 その握力は成人ならば1tを超え、太い鉄棒すら曲げてしまう。

 ヤシクネー本来の生体武器であり、最大の攻撃手段である。だが魔物相手ならともかく、普段は人間相手ではオーバーキルになるので封印しているのだが、エクシーはこれを解禁した。

 まず、鍔迫り合いになる様に刀を誘導し、相手の動きを止めた時に左の鋏が刀をがっちりと掴んだ。

 

「ぬうっ?」

「仕留めた」

 

 そのまま力を込めると、エクシーの鋏は刀身をかち割った。

 柔な西方の剣と違い、ぐにゃりとは曲がらずに硬質な音を立てて折れたが、鋏の方も半分、刀身が食い込んで酷い惨状だ。武器としては当分は使えないただろう。

 邪魔な武器が無くなったので、そのまま強引に巨体を寄せてのし掛かる。今度は投げ飛ばされぬ様に、地面へ向けて固定用の魔糸を吐いた。

 

 そして、組み伏せた雷之進の首にエクシーの巨大な右鋏が突き付けられていた。

 当然、その鋏を閉じたら首と胴体が泣き別れになる。

 

「拙者の負けだ……。さぁ、首代を挙げるがいい」

 

 覚悟した様に雷之進はそう述べて目を瞑った。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「どうやら、あっちも片付いたみたいですね」

 

 気絶したウィンを聖句魔法で癒やしつつ、ラートリィ宰相は述べた。

 ケイはパンシャーヌを引っ立てており、その側にはリオンが警戒しながら監視の目を光らせる。

 

「う、あ、ら、らい、らい……」

 

 パンシャーヌこと戦麗舞は、雷之進に何か言いたげであったが、拘束魔法の影響のせいでろれつが回らない。眼前の光景を見ている他なかった。

 

「殺しはしない」

「情けか」

 

 エクシーは首を振った。

 

「違う。あたしは市衛(シティガード)だ。狂戦士(バーサーカー)じゃない。

 あたしの目的はあんたとの勝負に勝つ事だった。あんたの命を奪う事じゃ無い」

 

 続いて、「誰が好んで人殺しなんかしたいもんか」と呟く。

 彼女の本音である。

 

「甘いぞ。赤堂の弟子」

「東方の侍とは考えが違うんだろうさ。ケイ!」

 

 エクシーはケイとウィンが近くに居るのに気付き、彼女らの名を呼んで雷之進を縛る様に伝えた。

 拘束が完了すると、ようやく鋏を首から外す。

 

「仇を討てなんだか……」

「あんたが弟分を殺されて、師匠を恨んでるのも解るけどね。

 あれは尋常な勝負じゃ無かったんだろ。逆恨みもいい所で、師匠一人に門下生十数人が襲ってきたって聞いたぞ」

 

 御前試合に負けた稲妻流の門下生達が行った闇討ちだと聞いていた。

 多勢に無勢。

 その為、師匠は真空流の最終奥義『赤堂、真空四つの字斬り』を使わざる得ず、人死にが出る結果に終わったとも、エクシーは聞いている。

 四つの大カマイタチが周囲を薙ぎ払い、壊滅させるらしいのだが、実はエクシーもこの最終奥義とやらは直に見た事は無いし、自分も使わない。

 

「それは解っている。だが、それでも激怒は……、弟は……」

「それと今回の件は別だ。罪はあがなって貰うよ」

 

 押し黙る雷之進。そこへ宰相らが現れる。

 だいぶ魔法の効果が薄れたのか、戦麗舞が侍に近寄って様子を見る。

 

「ご苦労様」

 

 労いの言葉を掛けてくる宰相に、エクシーは敬礼で答える。

 

「宰相閣下、取り調べは本部で行います。済みませんがご同行願いませんか?」

「構いません」

 

 異変が起きたのはその直後だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「らいのしん!」

 

 まだ、口の麻痺が解けておらず、ろれつの回らぬ口調だったが、パンシャーヌの叫びは悲痛な物であるのは判る。

 

「ぐぉぉぉっ、戦麗舞っ、俺から離れろっ!」

 

 身体を丸めて叫ぶ侍。

 目で見うる形で気(オーラ)が放出され、その身体がめきめきと変形して行く。

 

「こっ、こいつは?」

「汚染地域の影響ですね。オーガ(大鬼)、でしょうか?

 以前、同じ様になった者を見た記憶があります」

 

 周囲がざわめく中で、一人、ラートリィ宰相だけが冷静に、いや、冷徹に事実を述べた。

 

「オーガ?」

「魔化するのです。多分、このままでは理性も失ってしまうでしょう」

 

 エクシーの問いを受けて、白の宰相は答えを返した。

 こうなると人間用の縄なんかの拘束は意味を成さない。ぶちぶとちとオーガは容易くそれを引きちぎり、咆哮を上げてぎろりと周囲を見回す。

 元より大男だったので身長はそれ程増えていないが、数倍にサイズの増えた体躯にははち切れた着物の残骸がぶる下がり、頭には二本の短い角がある。

 オーラの放出こそ止まったが、その姿は異形へと変化していた。

 

「雷之進っ!」

 

 ようやく口調が戻ったパンシャーヌの問いかけにも答えない。ただ「勝負ダ。赤堂ノ」と機械的に繰り返すだけである。

 

「エクシー分隊長、如何に対処しますか?」

「防戦一方だ。あたしらに対処出来りゃ、それに越した事は無いけど。くそっ、奴の魔力が桁外れだったカラクリは、これか!」

 

 戸惑うウィンに宰相の護衛を命じて下がらせつつ、エクシーは元侍と対峙した。

 思えば、並みの人間を超える底無しの魔力を使っていたのも、これが原因だったに相違ない。勝負が始まる前から、魔化の兆候が見えていたのだろう。

 

「あんな汚染地域で、寝泊まりなんかするからだ」

 

 剣を向けつつ、相手を口汚く罵るエクシー。

 その言葉を捕らえたのか、イナヅマがエクシーを見付けてにやっと笑う。

 

 因縁の対決、第二ラウンドが開始されようとしていた。

 

 

            ◆       ◆       ◆

 

 魔化。

 それは通常の生物が、特殊な高濃度の魔毒に汚染される事である。

 こうした魔力汚染の末に身体が異常進化を遂げ、異形の生物となったのが魔族や魔物であると言われている。

 

 同じ魔化でも徐々に変異する進化型は、長い時間をかけてゆっくりと変異する。

 魔族や魔物として種族が固定化されるのに少なくとも数世代は必要とする。徐々に進化収斂を繰り返し、汚染源である魔力の影響が及ばない土地でも生きて行ける様になる。

 元の生物の特徴を伸ばしたり、更に別の特徴を得て行くのだ。

 

 エクシーの種族であるヤシクネーが良い例だ。

 ヤシクネーは単なるヤシガニが巨大化して、女性の上半身を持っただけではない。胎生生物としてや、糸を吐ける蜘蛛の特徴も得ている。

 更に近年では低温下では呆気なく死滅するの彼女らが、降雪程度では死なない耐寒性まで身に付けつつある(でも、寒さに弱いのは直ってない)。これも魔化による進化の結果なのである。

 

 これに対して魔毒による突然変異型は変化が急である。

 退魔抵抗の低い者が侵され、一気に変化するだけに身体に負担が掛かりやすく、強大な力を得やすい反面、寿命は短くなる傾向にある。種族として固定化される事は少ない。

 イナヅマの場合、真にこれである。

 但し、それたけに汚染源との関連は密接で、その場所から遠くに離れる事は出来ないとされている。つまり、ここから遠くへ離れれば死ぬ。

 

 更に魔毒による変化はアンデット化も含まれるが、これはもう死霊魔術の領域で、生物学的見地からは論ずる事は出来ない。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「勝負ダ」

 

 言語中枢もどうにかなってしまったのだろう。

 イナヅマは機械的な声で呟きながら、身構えている。

 

「無手の相手に得物付きで立ち向かうのも、何だよね」

 

 対するエクシーも刀、イナヅマから奪い取った魔剣だ。を向けている。

 しかし、敵が素手だと言っても、丸太の様に太い腕に鋭く伸びたかぎ爪の様な指が付いた手。下手な武器よりも強そうな感じではあり、こっちも素手でとはやり合いたくは無かった。

 前肢である鋏脚なら対抗可能だけど、それではオーバーキルになってしまう。

 

『いや、案外、この鋏でも耐えられるかも知れない』

 

 エクシーの大きな鋏脚でもイナヅマの腕は千切れない可能性はあるが、そんなのやってみるまでは判らないから、自重しようと思う。

 後悔先に立たず。

 もしも、見込みが外れてちょん切ってしまった場合、「あ、御免」では取り返しが付かないからだ。まずは敵の強さを確かめる必要がある。

 だから、エクシーは先手必勝とばかりに斬り掛かった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「凄いですね。分隊長の剣を受け止めてますよ」

 

 宰相に何とか傷を癒やして貰ったウィンが、驚きの目でその光景を見詰めている。

 魔剣すら受け止める腕なんか常識の範囲外だ。

 宰相は頷いて「それだけ魔化が激しいのでしょう」と告げる。

 

「しかし、形勢は不利ですね」

「えっ、分隊長が押している様に見えますけど」

「スタミナの問題です。エクシーは連戦。そしてその疲労は回復していないと見ます」

 

 確かに、散々、防戦に回って一気に勝負を付けたが、エクシーは連戦だ。

 時間にしてほんの五分、少しの休憩を挟んだだけである。

 

 冷静に見えるが、宰相の美しい眉間にしわが寄っていた。敵はそれだけ強大なのだと言外に告げている。もし、手が負えない様であれば、彼女は自分で動くつもりであった。

 

「雷之進……」

 

 戦っている光景を見詰める者はもう一人。パンシャーヌこと戦麗舞である。

 両手はリオンに拘束されてはいる物の、口の方はどうやら麻痺から回復している様子である。

 

「どうにかならないの?」

「……あれだけ変異してしまったら、元へは戻せません」

 

 パンシャーヌの問いに、残酷だが宰相は真実を述べた。

 変異前の状態なら【浄化】魔法によって何とか出来たのかも知れないが、ここまで魔毒の影響が広がってしまったのなら、宰相でも手の施し様は無い。

 

「エクシーが勝てるかどうか。それすらも分かりませんしね」

 

 白の宰相は愛用の魔導ロッド(魔法短杖)を握りしめた。ミスリル製の魔法発動体であり、尾部の形が羽を模した形になっている逸品である。

 下手をすると、この力を本気で解放せねばならなくなるだろう。

 

「そんな……」

「見逃せば汚染が広がってしまいます。私は宰相として彼を倒すしか道は無いと判断致します」

「あたしはどうなっても構わない。だから…だから、雷之進を助けて!」

 

 泣き叫ぶ淫魔に宰相は困惑する。

 

「宰相閣下」

 

 そこへ声を掛けたのは、もう一人のサッキュバス。破れた衣装を補う様に、裳唐衣の重袿(かさねうちき)を羽織っている。

 リオンが宰相へ、つかつかと近付くと片膝を着く。

 

「何か?」

「私からもお願い出来ませんか。私の封印を一時的に解いて下されば……」

「確かにそれを使えれば、あの男を魂は救えるかも知れません。

 しかし、あれは貴方自身が封印を望んでいた筈ですが……」

 

 ミキ・ラートリィは困惑していた。リオンの申し出は自身が悪用されぬ為に、敢えて封印を申し出た忌むべき能力であったからだ。

 

「構いません。戦麗舞達がああなったのも元々の原因は私のせいです。せめて抹殺では無く、その魂は救ってあげるべきでしょう」

 

 リオンはきっぱりと告げて、最後に「ご面倒ですが、使用後に再封印をお願いします」と付け加える。宰相は苦笑するが、それでも首を縦に振らざる得なかった。

 

「その前に……。まずはパンシャーヌの方ですね」

 

 宰相は戦麗舞に近寄って、その頭に片手を乗せた。

 

「聖なる力。今、呪われた使命より戒めを解かん。【聖・解呪】!」

 

 宰相の呪句が唱えられる。

 同時に戦麗舞の頭の中に響く、【ギアス】の指令が消え去って行く。

 

「え……これは【聖句】の……」

「貴女にかけられていた呪文は消し去りました」

 

 信じられないと言う表情で呆然とする戦麗舞。あの【ギアス】を、高司祭クラスではないと歯が立たないと言われていた呪われた魔法を、ミキ・ラートリィは解呪したのである。

 

「どうなっても構わない。それは本心ですね?」

 

 戦麗舞は壊れた人形の様に、がくがくと何度も首を縦に振った。

 気圧される圧倒的な力。それを目の前にして嘘、偽りは通じないと悟ったからである。

 宰相は満足げに頷くと「これから貴女は、我が領所属の淫魔として働いて貰います」と事務的に告げる。

 

「あ、あたしが?」

「エロエロンナ領の奴隷になる事に等しいかも知れません。

 それでも構わないのであれば、イナヅマを生かしたまま助ける方法はあります」

 

 しかし、白の宰相は最後に「人間としてでは無く、魔族になってしまいますが」とも付け加えて、「どうするかは貴女次第です」と選択を迫った。

 

「雷之進が助かるのなら、あたしはどうなっても良いよ!」

 

 その答えに宰相は頷くと、先程と同様にリオンの封印を解く準備に掛かった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 刀を素手で受け止める。

 数度干戈を交わした上で、エクシーは『魔物だ。これは完璧に魔物の域に達してやがる』と内心焦っていた。

 

「ワハハハ」

 

 変なイントネーションの笑いが木霊する。

 イナヅマは「ソレガ、オ前ノ実力ナノカ」と馬鹿にした調子でエクシーを挑発した。

 ヤシクネーも魔族ではある。しかし、魔族の中でも実力が高いかと言えばそうでもない。元々、魔軍の中でも奴隷であり、食料であった過去を持つ。

 性格が比較的温厚なのも、高い能力を持ちながらも戦いの中で実力を発揮出来ない原因でもある。エクシーみたいに荒事を生業とする職業に就いても、中々、他の魔族の様に残虐になれない。

 

「くそっ、心の中の獣性を呼び覚ませ、だったか!」

 

 以前、対戦した魔族の男が言っていた話だ。

 それは『何もかも忘れ、目の前の戦いだけに集中して暴れ回れ。

 周囲の損害とか、誰かが巻き込まれるとかは考えるな。殺せ、立ちはだかる者全てを殺せ』との内容であった。

 狂戦士(バーサーカー)化の教えであるのだが、幸か不幸か、エクシーはまだこの窮地に達した事は無かった。

 

「隙ガ多イゾ」

 

 あっという間に迫られ、重い一撃が飛んで来る。

 咄嗟に前の鋏脚で防御するが、恐ろしい事にパンチが命中すると同時に甲高い金属音が響いて、甲羅が割れた!

 

「あぐっ」

「美味ソウダ」

 

 割れた鋏脚から赤い血が染み出す。

 イナヅマはそれを見てぺろりと舌を出し、次の瞬間、エクシーの鋏脚にかじりついた。

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

 痛い、凄く痛い!

 このままじゃ、とエクシーは判断し、『うわぁぁ、自切!』と心中で思いっきり叫ぶと、覚悟を決めて脚を抜いた。

 ぼろりと噛み付かれた左鋏脚がもげる。切断面は直ちに遮断され、透明な膜が降りて体液の噴出を押さえるが、残された左鋏脚の方からは血が迸っている。

 

「鋏の自切なんて、子供以来だから痛かったじゃないか!」

 

 ヤシクネーの脚は他の甲殻類と同じく、いざと言う時に切り離せるのである。

 無論、切り離した後は再生するが、エクシーはまだ子供の頃、カモメに突かれて鋏を献上して逃げた時以来の体験である。

 あの頃は身体も掌サイズだったから、カモメが怪鳥に、猫がライオン張りの猛獣に見えていたのを思い出して怖気が走る。

 

「美味イ。ソノ身体モ美味いノカ?」

「やらねぇよ。折角、カモメから生き残ってきたんだ。お前に喰われたら、死んでいった姉妹達に顔を会わせられないからな」

 

 そう、カモメに喰われてしまったエクシーの姉妹達。鋏一個で済んだエクシーは幸運だったと言えるだろう。『姉妹の分まで生きてやるんだ』との想いが、彼女を強くしている。

 

『だが、どうする?』

 

 やや離れて様子を窺う。

 ヤシクネーの鋏は本当に美味いらしい。共食いみたいになるから、エクシーは甲殻類を口にした事は無いが、他者に言わせると「タラバガニかオマール海老の味」に近いそうだ(ただ、血液が銅系じゃ無いから血抜きしないと生臭いらしい)。

 

 イナヅマはそれを堪能しているらしく、ばりばりと殻を砕きながら一心不乱に肉を食いまくっている。勝負をかけるのなら、機会はこの時しかあるまい。

 いつものイナヅマであれば隙を見せる事は無い。魔物化した為に、注意が散漫になっているのかも知れない。

 

『始末書覚悟だなぁ』

 

 ここは赤堂流の究極奥義を使うべきだと判断した。

 奴の力を考慮に入れると、もう不殺だの何だの言える段階は過ぎてしまっている。

 ここは相手を殺す事まで考えに入れて、一気に勝負を付けねば、こちらがやられてしまう。

 

 実を言うといつもイメージトレーニングばっかりで、本当に技を放ったのは一回切りである。誰も居ないだろう、東の砂漠で試してみたのであるが、あんまりにも威力が大きすぎて、技を最終段階途中で中止した経緯がある。

 師匠曰く、完成すれば「奥義である真空斬りの四倍の威力がある」らしい。

 こんな街中で放ったらどうなるのだろうと一瞬、考えたが、エクシーは頭をぶるぶると振ってそれを追い出した。どうせ倉庫街は無人地帯だ。巻き込まれるとして動物だろう。

 

 全身の魔力を剣先に集中する。

 ぐぐっと身体から力の塊が引き出される感覚。先程の〝旋風斬〟とは桁違いの魔力が引き出されているのが、自分でも分かる。

 

「アカドー、真空四つの字斬り!」

 

 ぐいんと大きく刀を回すと同時に、魔力媒体である魔剣からイメージによって形成された竜巻が出現する。ぐんぐん大きくなり、空気摩擦によって「きぃぃぃーん」とか「ちゃりん、ちゃりん」と金属質の音すら立て始める。

 エクシーはそれを振りかぶりイナヅマの方へと放つと、跳躍して上から竜巻を斬った。返す刀で下からも更に斬る。

 合計四つになった竜巻が物凄い勢いで、進路上の物を飲み込んでバラバラにして行く。

 

「うわぁ、やっぱり大災害だ」

 

 建物を吹き飛ばし、路上の敷石を剥がし、立木を根元から引っこ抜く。

 当然、この攻撃を向けられたイナヅマだって無事には済まない。カマイタチの様な竜巻に巻き込まれ、最初は耐えていたものの、吸い上げられ、上空をグルグルと舞う。

 暴虐な真空の竜巻が消えたのはそれから十数秒後。

 手にしたエクシーの鋏すら、殻ごと粉砕されてしまう代物である。血飛沫を撒き散らしながら、四肢が折れ、あらゆる所に傷を負いながら、魔物と化した侍が地面に叩き付けられる。

 

「封印だ、封印。こんな技は二度と使っちゃならん」

 

 師匠が究極奥義と言うだけはある。

 これ一発で、軍隊なんか一捻りだとほざいていたのも納得だ。

 

「あ、あれ?」

 

 トドメを刺すべく駆け寄ろうしてが、エクシーは自分の脚が動かないのに困惑する。

 今、息の根を止めないとならないのに、下半身が自分の物で無いみたいに重く、全く自由が効かないのである。

 疲労感が下半身から昇ってくる。

 そしてそれが頭にまで到達した時、ヤシクネーは意識を失った。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「分隊長!」

「エクシーは大丈夫だよ」

 

 ウィンが飛び出そうとするのを、手で制したのはケイ。

 

「奥義の為に魔力を使い果たしたんだ。命には別状はない筈だよ」

 

 但し、恐らく数日は爆睡する羽目に陥るのをケイは知っていた。

 ケイは『エクシーってヤシクネーだから体重100kg越えだったよね』と計算してうんざりするが、自分を助けてくれた時を思い出して、その考えを慌てて追い出す。

 ふと『台車、分署にあったっけ?』と記憶を探るが、荷馬車を借りた方が早いと結論付ける。

 

「じゃ、分隊長の代わりに奴を仕留めなきゃ」

「そだね」

 

 改めて武器を抜く警備隊員達。

 治安維持部隊ゆえに非殺傷武器が主装備だが、日常使用の為に短剣は支給されている。

 〝クリス〟と呼ばれるナイフで、低質ながらも魔力付与がされており、時折現れる通常武器無効の相手にも効く様になっている。

 もしイナヅマがそんな身体だろうが、心臓を一刺しすれば仕留められる筈である。

 

「トドメを刺す必要は有りません。リオンが始末を付けるでしょう」

「宰相閣下」

 

 その言葉と共に前へ出るのはリオン。

 長い着物を脱ぎ、全裸になってイナヅマの元へと歩みを進める。

 

「ウグ…マ、マダ、勝負ハ……」

「付いています。エクシーさんの勝利ですよ」

 

 ダメージの蓄積で身体は動かせないが、何とか口は動かせるらしい。

 敗北を未だ認めようとしないイナヅマへ、リオンは言い含める様に客観的な結果を伝える。

 

「戦麗舞さんのお頼みです。貴方を食べさせて貰います」

 

 酷く冷酷に言い放つと、リオンの裸体に変化が生じた。

 頭からねじくれた角が生え、背中に黒く大きな翼が生えると一気に膨張する。

 

「え、ええっ、ロイヤルサッキュバス(王族種淫魔)?」

 

 ケイが素っ頓狂な声を上げるのも無理は無い。

 大きなコウモリを思わせる収納可能な翼と頭に現出する角は童話とか、お話の世界でしか聞いた事の無い、王族種の淫魔だけが持つ特徴であったからだ。

 

 ロイヤルサッキュバスは古代王国期にほぼ駆逐され、伝説上の存在では無かったのか。

 今の世界のサッキュバスは全て、レッサー種であるコモンばかりでは無かったのか。

 自分の愛している淫魔が、リオンがそれだなんて……と混乱するケイに、リオンは寂しげな笑いを浮かべると、背中の尻尾を前に突き出した。

 

「まさか、自分がこの能力(ちから)を使う羽目になるとは思いませんでした」

 

 逆三角形の鏃型をした尻尾先端がぶわっと膨らむ。

 先端に縦の筋が入り、ぱかっと大きく開口する。その内部にはぬらぬらと襞がひしめいており、どろりと甘ったるい匂いの液体が滴り落ちて地面に染みを作った。

 ケイは知っている。あれは搾精に使う吸引器官だ。滴り落ちた物は愛液。しかし、ただの体液では無く、媚薬にも似た催淫物質の塊である筈だった。

 

「これを見たら、ケイは私を嫌いになってしまうかも知れない……でも」

 

 尻尾がぐんと伸びた。

 先端部分は更に膨らんでスイカ大の大きさまで巨大化すると、倒れて唸っている稲妻の頭にずっぽりと被さり、その頭部を完璧に飲み込んでしまう。

 

「この人の魂を助ける為だから!」

「オガァァァ」

 

 リオンとイナヅマの叫びが交差する。

 完全に喰われ、くぐもった声しか出せない魔物を尻尾はずるずると飲み込んで行く。

 イナヅマは当初、両手で尻尾を外そうと努力していたが、尻尾の吸い上げるスピードは速く、たちまち肩まで飲み込まれ、続いて胴体、そして足の先まで全てを中に収めてしまう。

 艶っぽい声で「あんっ、あんっ」とリオンが喘いでいる。

 獲物が管の中を通る度、快感が迸るのだろう。煽情的な表情で快楽に耐える姿は美しいとケイは思ってしまう。

 

「始まりましたね」

 

 宰相の声。尻尾の中に取り込まれた相手は、縮小魔法の力で管の中を下る度に小さくなって行き、最終的に尻尾の根元を過ぎて、リオンの胎内へと送られて行く。

 胎内に入った瞬間、リオンのお腹が音を立ててぼこっと膨らむ。「はぁ、はぁ」と荒い息をつきながら、リオンは宰相の方を向いた。

 

「収まりました。今から、同化再出産を行います」

「これって……」

 

 事の成り行きに唖然としていたパンシャーヌが口を開く。

 

「雷之進をサッキュバスに生まれ変わらせるのかい?」

「はい。今はそれ以外、この方の魂を救う道はありません」

 

 リオンが説明する。

 

「済みません。忌むべき力なので封印していたのですが…」

「それを選択したのはあたしだ……。

 あの世へ行くよりは、どんな形でも生きていて欲しかったから」

 

 理音自身が、昔、この力で淫魔へと変えられたのである。

 普通の人間からサッキュバスへと変えられた者の苦労は理解していた。だが、その魂は元のまま生かすのにはこれしか無い。しかも、今の戦いでイナヅマは既に生命の灯火が消えかけている。再生するにはこの手しか無いのだ。

 

「吸血鬼(ヴァンパイヤ)が眷属を増やす方法に似ているね。ケイ」

「でもあれは不死怪物(アンデット)になって、さらに上位の吸血鬼の下僕になっちゃうよ。自由意志を持てない単なる奴隷だ。それよりはマシかも……」

 

 警備隊員二人が会話を交わす。

 宰相がリオンへ「産まれてくるのはレッサー種?」と確認を入れる。

 リオンは「恐らく。ただ私みたいに、たまにロイヤル種がが誕生する可能性もあります」と告げた時、急激にお腹が膨張した。

 

「うっ、産まれます!」

 

 リオンが叫ぶ、そして……。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「ふーん」

 

 ケイから経緯を聞いていたエクシーは、現実味の無い話だと思いつつ、病室の傍らでもぐもぐと朝飯を食っていた。

 

「まぁ、エクシーは絶賛爆睡中だったからね」

「そのシーンは見たかったけど、エグそうだな」

 

 本署の付属病院で出される飯はそれなりで、美味くも無ければ不味くも無いが、量が足りない気がする。後で買い食いしようと画策する。

 あの戦いから数日経っていた。

 

 魔力を使い果たしたエクシーは寝込み、ようやく目覚めた時には病室の住人になっていた。

 ケイから「重いから大変だったよ」と聞かされ、近所の家から土砂運搬用に借りた一輪車(いわゆるネコ車)で運ばれた事を知って、間抜けな光景に顔を赤らめたりしたが、一番の悩みは猛烈に腹が空いた事であった。

 

「椰子が食べたい。ココ椰子じゃ無くても構わない。ナツメで我慢するから」

「お医者さんから禁止されてるよ」

「ヤシクネーは椰子の実を食べないと元気が出ないんだよ」

「それガセだよ。美味しいけどね。コプラ」

 

 椰子の実は熱帯産の植物だが、エロエロンナ始め沿岸地方でなら容易に入手出来る。

 昔、南洋から移住してきたヤシクネー達が、椰子の実を食べたくて親の敵みたいに植えた結果である。昔は椰子と言えばナツメ椰子中心だったのが、最近ではココ椰子に栽培面積を逆転されているのもその為だ。

 ちなみにコプラとは椰子の実の胚芽部分。ココナッツミルクやナタデ・ココの材料だ。

 

「ちぇっ、まぁいいや。所で……」

 

 エクシーは声を潜める。「機密になると思うんだけど、イナヅマやパンシャーヌはどうなった?」とその後の行方を尋ねる。

 ケイは首を横に振った。

 

「多分、娼館預かりになるんじゃ無いかな。流石にその先はあたしら当事者にも秘密だね」

 

 言うまでも無いが此処までの会話も守秘義務があって、エクシーやケイは当事者だから知る権利はあるとして許可されているものの、他者には口外無用の情報である。

 うっかり第三者に口を滑らしたとしら、どんな目に遭うかも分からない。

 相手はあの宰相と、海軍諜報部なのだから。

 

「それにしても綺麗だったな。あれが元々、あのむくつけき男だったとは信じられないよ」

「奴の再生体か?」

「うん。完璧な美少女。あ……と、基本性別はふたなりなんだろうけど」

 

 と、そこへドアをノックする音。

 続けて中へ入ってきたのは、シュシュ・トリアン小隊長とリオンであった。

 部屋の二人は居住まいを正して敬礼する。小隊長は「楽にしろ。身体はどうか?」と問うて来た。

 

「猛烈に腹が減ってます。酒も飲みたい気分です」

「正直な奴だな。担当医には伝えておこう、さて……」

 

 小隊長は改めてエクシーの顔を見詰めた。

 

「辞令がある。お前は今回の働きによって、正式に分隊長へと格上げとなった」

「は?」

「宰相閣下からも感謝の意が届いている。『よくやってくれました』とな」

 

 残念ながら、ミキ宰相は直接こちらには窺えないとも告げられたが、来たら来たでびっくり仰天だ。おまけに金一封も出たらしい。階級が上がった事で給料もアップしたから、エクシー本人としては、お大尽になってほくほく顔だ。

 

「だが、あの技。あれは禁止だ」

「ですよね。あんなの外道です。イナヅマ相手じゃ無ければ決して使いませんよ」

「宰相閣下は笑って許してくれたが、普通に考えたら、あの被害は天文学的だぞ。取りあえず罰金は無いが、始末書はきちんと提出する様に」

 

 倉庫全壊二棟。半壊五棟。石畳の被害が50m分。街灯他、公共物損害多数らしい。

 締め切りは明日中と聞いて、少し引きつるのは内緒である。

 

「今回の犯人達の行方を知りたいと思って、本人の希望もあって連れてきた。

 だが、分かってるとは思うが他言無用だぞ」

 

 ぺこりと裳唐衣に身を包んだリオンが頭を下げる。

 

「イナヅマとパンシャーヌの二人は、海軍の管轄になった。言うならば宰相の監視下だな。

 彼らがどんな風にこき使われるのかは、私には想像も付かない」

「恐らく、東方呪術やそっち方面が今後、取り入れられるのだろうと思います」

 

 シュシュの説明にリオンが補足する。そして娼婦としても使われるに違いない。

 エクシーは元男性のイナヅマが、どんな気分になるんだろうかと考えて気の毒になった。

 

「リオンはどうなるの?」

「私は再封印を施されて、もう、王族種の力は使えません」

「じゃ、今まで通りなんだね」

 

 ケイのその言葉に、リオンは顔を伏せた。

 

「その……ケイは私の事に幻滅しなかったの?」

「どうしてよ」

「恐ろしい王族種の淫魔なのよ。私」

 

 秘密が知られてしまったからには、今まで通りの恋人関係は難しい。

 リオンはそう判断している様子であったが、当の恋人はあっけらかんとして「リオンはリオンでしょ。あたしが好きな理音は心の優しくて、思いやりのある淫魔だよ」と断言した。

 

「ケイ!」

「ああっ、リオン」

 

 抱擁する二人。濃厚な接吻まで始めて目のやり所に困る。

 

「あの、小隊長」

「ん?」

「お花摘みに行きたいので手を貸して頂けますか」

「偶然だな。私も尿意を感じていた所だ」

 

 そのままベッドを抜け出して、女二人は廊下へと出た。

 

「お邪魔ですからね」

「ああ……。目の毒だ。あれは」

 

 病室の中では色っぽい声が上がり、本来はエクシーが寝ている筈の寝台で、何やら愛の営みが開始されている様子である。

 

 その一年後、公娼の年期が過ぎたリオンとケイは結婚した。

 皆に祝福され、その式は盛大に盛り上がったと言う。

 

 

〈FIN〉




キャラ名は特撮他のパロディ多し。
タイトルのリオンは、燦然、鯖だ! パンシャーヌは美少女セレブ。
エクシー、ソル、ウィン、そしてブルースは分かるでしょうが、シュシュは有言実行三姉妹。
ナイルナさんは不思議シリーズ。ケイは汽笛ぴぽぴぽ、走れ!から。
豪雷之進と激怒烈震は巨烈兄弟(笑)。
アカドーは無論、日本一の少年剣士。

ちょい悪ノリしすぎたなって反省はありますね。


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ヤシクネー イン ザ シェル

エクシー達の日常話です。
時期は『リオン』から少し経った頃です。
ヤシクネーの生態。特に脱皮と甲羅を主題になります。


ヤシクネー イン ザ シェル

 

 ヤシクネーとは女系魔族である。

 ヤシガニの下半身と人間女性の上半身が合体した姿であり、甲殻類の硬い殻に覆われて二本の大きな鋏を持ったアラクネーの近隣種であるが、概ね性格は温厚な者が多い(但し、人間に善人や悪人が居る様に個体差はあって、中には乱暴なヤシクネーも居る)。

 胎生で蜘蛛の様に糸を吐けるのも、ヤシガニとの違いだ。

 

 大陸では珍しい存在であったが、数十年程前に起こった南海事件のせいで、彼らの住んでいた島々が津波で壊滅し、大陸へと緊急避難する事で一気に広まった。

 寒さに弱く、気温の高い沿岸部に定住している為、大陸内陸部で姿を見る事は滅多にないが、沿岸部では珍しくない一般的な魔族となる。

 働き者で力持ちなので、土木作業員として泥の中で働いているのをよく見掛ける。

 特に港湾都市エロエロンナ建設時に、彼女らが多大な貢献をしているのは有名な話だ。

 

            ★        ★        ★

 

 警備隊員のエクシー・ドラフトは異変を感じていた。

 気が付いたら、脱皮が始まっていたからだ。

 丁度、左の鋏脚を失っていたのでこれで再生出来る。

 エクシーはそれに気が付くと、シュシュ小隊長へ休暇の許可を取る。

 

「脱皮? そう、大変ね」

「午後から休みたいんですけど、一日仕事にならないので」

「途中で脱皮失敗したら困るから、午後じゃ無くて、今から休んでなさい」

 

 と、許可はあっさりと下りた。

 この街にはヤシクネーは多いので、脱皮の大変さは知られている。

 今日一日休んで構わない代わり、失敗すると命に関わるので、医者へ行けとも勧められる。

 エクシーは貧困階級の生まれではなかったが、今まで脱皮で医者のお世話になった事はなく、内心『大袈裟だなぁ』と嘆息しつつも、意見は素直に受け入れて医者へと行った。

 

 さて、その翌日。

 第三分署に現れたエクシーはぷにぷにだった。

 

「分隊長、面白い感触ですねぇ」

 

 部下のウィン・スペクターがペタペタと第二胸部の甲羅を触る。

 いつもは硬い外骨格で身を固めたそれが、指で触ると不思議な感触で押し返して来るからだ。

 ぐいっと沈み込んだ後、低反発枕みたいにふにゃーっと元へ戻る。

 

「あたしの身体は玩具じゃ無いぞ」

「脚も、脚も柔らかい」

「お腹の方は……、やっぱり、いつもよりもぷにぷにですねぇ」

 

 もう一人の部下、ソル・ブレインも加わってお触り大会になる。

 

「お前達……」

 

 そこへ親友のケイが現れた。

 彼女もエクシーと同じヤシクネーである。

 

「みんな珍しいんだよ。ヤシクネーの脱皮とか」

「半年に一回は脱皮するけどな」

「甲羅が硬くなるまで、普通は家で過ごすでしょ?」

 

 ケイの指摘に「もっともだ」と納得する。

 しかし、エクシーは仕事を溜め込んでいる為、なるべく早く職務に復帰したかったのだ。

 書類って溜めれば溜める程、後から仕事する気が起きなくなる物なのである。

 

「あたしも身内以外の脱皮って初めてかも……」

「おいおい」

「そう言えば、左鋏脚は再生したの?」

 

 以前、任務で強敵と戦って、左の大きな鋏脚を自切(自分から切り離す事)したのである。

 幸いヤシクネーは甲殻類と同じく、脚の類いは失っても再生する。

 但し、同じ大きさに生え替わるまでかなりの時間を要する。

 

「小っちゃくなった」

「あはは、シオマネキみたい」

 

 ケイが揶揄したシオマネキ同様、左右の鋏がアンバランスであった。

 ごつくでかい右の鋏に比べて、左のそれは可愛くて小さく、包んだ殻もつるつるしている。

 

「あと二回も脱皮したら元通りだろ」

「聖句魔法で強性的に生やしたら?」

 

 ぷんとしながら話すエクシーに、ケイが尋ねる。

 以前、ケイは全ての脚を失って【再生】の魔法のお世話になって。復帰した事があるからだ。

 しかし、エクシーは首を振る。

 

「ケイのあれは労災降りたけど、あたしのは自腹だ」

「お高い?」

「知ってる癖に、医者の費用も痛かったよ」

 

 この前、分隊長に昇格して少し高給取りになったから良いものの、「平隊員だったら絶対に医者なんか行かなかった」と威張るエクシー。

 

「医者も数人がかりで殻を剥がされただけだったし……。痛え…」

「まぁ、脱皮に失敗して死ぬ人も多いからねぇ。脱げないと大変だよ」

 

 古い殻を脱ぎ捨てるのは結構しんどい。

 上半身の人間体は脱皮しないが、それ以外はずるりと身体を抜かないとならない。万が一、脱げずに詰まってしまうと体力を失って死に至るのである。

 毎年、何人もが脱皮に失敗して死んでいる。

 ヤシクネーに富裕層は少ない。だから、大抵は一人で脱皮に挑み、引っかかって助けも呼べず、孤独死する例が多いのである。

 

「って、いつまで触ってるんだ!」

「分隊長が怒った」

「逃げろ」

 

 セイレーンのウィンは腕を翼に変じると上空へ逃げ、人間のソルはそのままバタバタと詰め所へ駆け込んで行く。

 エクシーは「あいつら」と呟くが、無論、本気で怒っている訳では無い。

 

「午前中の巡回班は奴らにしてやろう」

「あたしらが午後組?」

「まぁ、その頃になったら、少しは殻も硬くなんだろ」

 

 ケイは「だといいね」とだけ返事をして、連れだって分署へ入る。

 

            ★        ★        ★

 

「脚が自重に負けてるな」

 

 妖精(エルフ)である分署の長、シュシュ・トリアン小隊長もエクシーの身体を触りまくっている一人だ。

 相手が上司だけに批判しにくい。

 

「体重が重いので……。外骨格分は軽くなってる筈ですが」

「脚がぐにっと曲がってるのを見ると新鮮だな」

 

 小隊長が興味深げに見ているのはエクシーの六本脚だ。

 ヤシクネーの体重はサイズ相応に重い。

 上半身の人間の女性だけで数十キロ。下半身のヤシガニ体も加わると概ね100-150kg近くになる。

 脱皮したての柔らかな脚は自重を支えるべく頑張っているが、接地面が重さに負けて軽く湾曲してしまっているのである。

 

「本来は、殻が固くなるまで家で寝転がっていますから」

 

 ケイが説明する。

 折り畳んだお腹を地面に着けて、大人しくしてるのがデフォである。

 

「成る程。変な風に脚が曲がったまま固定するのは危ないからな」

 

 小隊長は「デスクワークだから、楽な姿勢で仕事しろよ」と声を掛けると、エクシーから離れて分署長室に引っ込んだ。

 

「じゃ、仕事するか、ケイ、書類持って来てくれ」

「報告書と帳簿あるけど?」

「両方」

 

 エクシーはやれやれと首を振り、自分の席へと移動すると言われた通りに楽な姿勢を取る。

 当たり前だが、エクシー他のヤシクネーにはデスクはあっても椅子が無い。

 身体の構造上、座れないので、いつもお腹を床に着けて仕事をする。そうすると高さはデスクの位置に丁度合うのである。

 だが、エクシーは机の下に潜り込んだ。

 

「何してるの?」

「小隊長の言う通り、楽な姿勢で仕事するんだ」

 

 お尻を机の下に突っ込んで、リラックスしているヤシクネー。

 書類を受け取ると床に置いて、パラパラとめくり始める。

 

「子供みたいだね」

「何とでも言え、はぁ、安心する~」

 

 ケイの皮肉も何のその。エクシーは大きく伸びをすると、ふんふん鼻歌を歌い出した。

 ヤシクネーはヤシガニの性質を受け継いでいるので、本来、無防備になるのを恐れて、三方が壁に囲まれた閉所に身を隠すのが好きなのである。

 特にお尻の後ろに壁があると安心出来る。

 小さい頃はヤドカリみたいに、貝殻を被って身を守る性質もあるからだ。

 

「兜なんかを背負っていた頃を思い出しちゃった」

「ああ、背中が守られてる気がして安心するんだよな」

 

 生まれ立てから幼少時に、ヤシクネーが取る自衛行為だ。

 この頃が一番危険で、野生動物や犬猫みたいな家畜に襲われ、命を落とす個体が多いのだ。

 大きくなると犬や鳥なんかは恐くなくなるが、それでも脱皮時の身体が脆弱な頃は、何か無いか見回して、取りあえず何か被りたくなる。

 

「あははは、あたしは醸造所の樽の蓋を被った事あるよ」

「へぇ」

「大目玉食らった」

 

 掌サイズの頃は貝殻。少し大きくなると皿や鍋釜。そしてヘルメットなんかを見付けては背中に被せて歩くのだが、 問題は身体が大きくなると被る物品が無くなるのである。

 ケイが言っている樽の蓋は、殆ど被る物がなくなった頃に見付けた逸品だった。

 直径2m。

 これならば大人のヤシクネーでも、小柄な者なら充分に身を隠せる。

 ケイは心躍らせてそれを装着した。

 ヤシクネーの六本脚の内、最後尾に二脚は小型の鋏脚になっており、ここで貝殻なんかの冠り物を。挟んでがしっと固定するのである。

 

「るんるん気分だったけど、街中じゃ流石に目立ってね」

「そりゃ、そうだ」

 

 醸造所から少しも行かぬ内に通報されて、警備隊の御用となった。

 

「あたしが警備隊員になったのは、あのせいだねぇ」

「ん?」

「泥棒より捕まえる方に回った方が、お得だと悟ったから」

 

 エクシーは「言ってろ」と呆れながら、書類を整理して行く。

 実際は「ヤシクネーでも警備隊員になれる?」と尋ねて、隊員の「正義感があって腕っ節が強いのなら」との答えで警備隊への道に進んだのであるが、結構、警備隊に入るのは難しい。

 まず試験がある。

 当然、読み書き計算は必須だ。更に実技。

 これは荒事に当たるから必須。但し、腕っ節に問題あれども、魔法とかの特技を持ってる者は優遇される傾向にある。

 犯罪歴なんかも調査されるが、幸い、ケイの蓋泥棒は「子供のやった事だし、ヤシクネーの性格上、仕方ない」として、記録に残される事は無く終わった為に問題にならなかった。

 

「このおやつ代って何だ?」

 

 決済していた手を止めて、エクシーがケイに尋ねた。

 ケイは「あははー、何だろーね」とか言って逃げに掛かったが、エクシーの手が素早く伸びて、ケイの第六脚を捕まえる。

 

「いててててっ、こら、観念して説明しろ」

 

 カシカシと小さな鋏が開閉するから痛いので、女性体の手に変えて太い右鋏脚がケイの脚をホールドする。

 

「うわぁ、ぷにぷにの癖に馬鹿力」

「悪かったな。ほら、説明」

 

 ヤシクネーの前部鋏脚は、彼女ら最強の武器である。

 その握力は体重の90倍の力を持つとも言われ、鉄の棒でもひん曲げてしまう(流石に材質的には、殻より鉄の方が強いので切断は難しい)。

 普段は食事の補助。重量物の運搬。木に登る時の支持肢として用いて滅多に武器にしないのは、その恐ろしさを自覚しているが故である。

 

「ほら、港の所に『素敵なドレス亭』ってカフェあるでしょ?」

「ああ、サッキュバスのお姉さんがやってる奴だな」

 

 巡回途中にある喫茶店だ。

 お茶の他に軽食や、西大陸産の珈琲と言う飲み物を出す店として繁盛している。

 店のオーナーが淫魔であるサッキュバスなのが繁盛の秘訣じゃないかとも言われているが、それを抜いたとしても感じの良いお店である。

 

「あそこの飲食代」

「あ? んな高い所で浪費してるのかよ」

 

 喫茶店の代金は、この世界の相場から見れば割高である。

 特に珈琲とかお菓子は高級品だ。

 近年、砂糖はそれなりの価格に下がったが、それでも庶民が日々口にする様な物では無いし、珈琲なんかは輸入品だから高い。

 

「だって…あそこのオーナーいい人で、警備隊の皆さん、一服していって下さいって」

「それが戦略だろ。そしてクソ高い代金を払わせるんだ」

「違うよっ!」

 

 ケイ曰く、サービスでタダなのだそうだ。

 しかし、毎日、毎日、タダで飲食をサービスして貰い続けていると…。

 

「後ろめたくなっちゃうでしょ」

「断りゃ良いのに」

「がさつ。エクシーはそれだから、女心が分からないんだよ」

 

 女であるエクシーにはこれは応えた。

 自分ががさつで、女性っぽくないのは自覚している為だ。

 女性しか居ない警備隊の中で、時々皆の話題になる女性向きの事、化粧だの、芸能だの、ファッションに付いての知識はまるで足りず、何が面白いかの理解も進んでいない。

 武道一筋、繊細さの欠片も無いのがエクシーであった。

 

「向こうの好意は断れないよ。それに美味しいんだよ」

「習慣性の麻薬でも入ってたりな……御免、冗談だ。まぁ、つまり、居たたまれなくなって代金を払った結果だと」

 

 ケイは頷く。

 それでも、五回から十回に一度程度の割合だそうである。

 どうするか、エクシーは悩んだが「必要経費にしとくよ」と書類を処理する。

 

「でも、小隊長にどう説明しよう」

「そこはエクシーの腕次第だよ」

 

 この代金で『分隊の士気が高揚するなら、安い物です』とでも説明するか。

 分隊長になったら平隊員とは違う責任も出て来るので、色々と悩むエクシーであった。 

 

            ★        ★        ★

 

 午後。食事を済ますとエクシー達は巡回に出る。

 

「警備隊に入って、良かったと感じるのは食事だな」

 

 たっぷりと食べたエクシーは力説する。

 基本、給食はタダだ。更に朝食まで付いている。

 エルダ世界の食事は二食が基本なので、昼と晩がスタンダードだからだ。

 朝食は摂らない世帯が多い。

 

「結構、美味しいしね」

「ああ、三食食べられるなんて夢みたいだ」

 

 エクシーは食べた。

 脱皮とは古い殻を脱ぎ捨て、身体を一回り大きくする為の物である。

 外骨格が再び固まる前に、大いに食べて身体を大きくする為だが、脱皮で体力を消耗してるのを補う為に、食いまくる必要もあるからである。

 

「うわぁ、泥棒ーっ」

 

 突如、上がる叫び。

 

「今の……」

「あっちだ、急げ」

 

 泥棒と相手なら警備隊の仕事である。彼女達は駆けた。

 かしゃかしゃと石畳に音を立てるのはケイの脚。エクシーのは足音がしない。

 

「警備隊だ。どうした!」

「あっ、ケイさん」

 

 現場はカフェテリア。

 先程、話題になっていた『素敵なドレス亭』である。

 オーナーである女主人が出て来る。

 店名の通り、素敵なドレスを着た清楚な美人であるが、お尻から揺れる逆ハートの鏃型した尻尾が淫魔である証だ。

 

「アルメリナさん、どうなさったんですか?」

「このお客さんの武器が盗まれてしまったんです」

 

 ケイとオーナーは顔見知りの様で、早速込コミュニケーションを取っている。

 ちなみにお客さんというのは、傭兵(マーセナリー)か冒険者(クエスター)風のおっさんである。背の低さから土小人(ドワーフ)らしい。

 

「ワシの盾が消えたんじゃ」

「盾か。どんな奴だ?」

 

 早速調査に入るエクシー。

 聞いてみると何の変哲もなさそうな円形盾(ラウンドシールド)で、かなり使い込んだ代物であるらしい。

 

「かれこれ二十年は使い続けてる愛用の盾じゃ」

「単なる木の盾だよな? 魔法防具なのか」

「いや、買った当時はそれなりに値は張ったがのぅ」

 

 聞くと高価な物ではなく、特殊な物でもないので古道具屋に売っても値段は付きそうもない。

 ただ、使い込んで手に馴染んでいるので、あれがないと困るとの話である。

 

「何か特徴は有るのか?」

「おおっ、盾の表面に青線で十字が描いてある」

「青で十字っと……。分かり易くて助かる」

 

 調書に書き込むエクシー。

 そこへオーナーがやって来て、ぺこりと挨拶をする。

 

「店長のアルメリナです。ええと…」

「第三分署、第三班分隊長のエクシーだ。アルメリナさん」

「ええと、目の錯覚かも知れないのですが……」

 

 サッキュバスは自分の目撃談を語り出した。

 それによると、地面に置かれた盾が勝手に動いて行ったらしい。

 

「亀みたいでした。だから、あらあら変な亀ねってその時は思ったのですが…」

「それは亀みたいな動きで、地面を這って行ったんですね?」

 

 接客中だったのでチラリと一瞥しただけだったが、確かにそうだとオーナーは語った。

 第六勘。

 エクシーにぴんと来た物があった。

 

「ケイ!」

「分かった」

 

 エクシー達は「調査します」と行って店を離れる。

 ドワーフには後で分署に来る様に伝え、道行く人々に尋問しながら、盾の行方を追う。

 

「エクシー、あたしの勘なんだけどさ」

「言うな。あたしの勘もそれを告げている」

「「犯人はヤシクネーだ!」」

 

 二人の声が同時にハモる。

 大きな円形盾。

 鍋、釜を卒業し、被る物がなくなった頃に、身体を隠すのに丁度良い大きさだ。

 ケイが昔、樽の蓋を拝借した様に、ある程度育ち、でも、何か背負わないと不安な時期に猛烈に欲しくなる代物だろう。

 

「その位、身体が育てば、何かに襲われる心配は無くなるんだけど……」

「でも、エクシーだって脱皮したら何となく不安でしょ?」

「違いない。何か、防御力が頼りなくなるんだよなぁ」

 

 甲殻類独特の心理状態になるのかも知れない。

 柔らかい身体で動いていると、不安と身を守らなきゃと言う強迫観念が襲って来る。

 

「甲羅屋ってのを開業したら、もしかして大儲け出来るかな?」

 

 ヤシクネー専用の被り物を売る店だ。

 大人が入れそうな、巨大な巻き貝(人工物)とかを取り揃えて売る。

 当然、貝はそのまま中にと閉じこもれば、立派な簡易住宅にもなる。

 

「ケイ、馬鹿言ってないで探せ」

「いや、もしあったら、あたし大枚はたいて一軒買うと思うよ。っと、盾発見!」

 

 ととととっ、とリズミカルに動いている青い盾が路地に居た。

 

            ★        ★        ★

 

「えーん、御免なさぁい」

「あたしに謝っても仕方ないだろう。盗んだ持ち主に謝るんだ」

 

 犯人は予想した通り、ヤシクネーの子供だった。

 全長は100cm程、丁度、サイズに合う被り物が無くなる時期の子供である。

 都会に出てきたばかりで、あちこち見物していたら、被るのに最適な盾を見付けて、矢も楯もたまらずに盗んでしまったらしい。

 後で犯罪だと気が付いたが、返すのが恐くなったので逃走したそうだ。

 

「で、どうします?」

 

 カフェに戻って来たケイは、当事者のドワーフに事情を説明し、対処を求めた。

 ドワーフは困惑しているが、自慢の長い髭に手をやり「ふむむ」と思案する。

 

「こら、お主の名は?」

「ロイン・ヒィだよ」

 

 ドワーフの質問に答える子供。

 逃げられない様に、ケイの鋏脚で胴体をがっちりと拘束されている。

 

「そうか。わしの名はドネル・ヒサーリじゃ。まぁ、自己紹介はともかく、親はどうした」

「故郷の村だよ。あたいは口減らしの為に都会へ出てきたんだ」

 

 ケイは「あたしみたいだ」と呟く。

 ヤシクネーは子沢山な為に、ある程度まで子が育つと放任する事が多い。

 いや、ちゃんと子供が独り立ちする頃まで面倒見てくれたロインはまだマシな方で、ケイの場合は産んだら産みっぱなしで姉妹に育てられた経緯がある。

 教育の機会も無いまま、文盲無学な民が多いのもこうした貧困が理由である。

 

「幾つだ」

「五つだよ。あれ、六つだったかな。多分、5歳だった気がする」

「五つの子供に『窃盗犯じゃ』と本気になるのも、大人げないかのぉ」

 

 しかし、要請があれば警備隊は動く。

 未成年だから罪が減少するとかの法は、エルダにはまだないからだ。

 如何に幼くとも、罪は罪として罰さないとそこら中が犯罪だらけになってしまうのである。

 エクシーは事務的に「では、どうしますか?」とドネルへ尋ねた。

 

「仮に罪になったら、処罰は?」

「鞭打ちですかね。余罪が発覚したら、もっと酷くなりますが」

 

 かつては奴隷に堕とすとかの刑もあったが、今では禁止だ。

 しかし、貴族の虜囚でも無い限り、ただ単に留置所に収容なんて甘い処置は無い。

 社会が罪人にただ飯を食わせる程豊かでは無い為だ。現代社会みたいに刑務所に入って三食労働付きの楽隠居なんかは、させてはくれない。

 強制労働に就かせるとかが一般的である。しかも、その作業中に死亡しても責任は問われない。

 罪人になったのが悪い。

 そう考えられているからだ。

 

「盾が気に入ったのか?」

「うん」

「良い機会かのぅ」

 

 老ドワーフはカフェの椅子に座ったまま、短い足をぶらぶらさせる。

 

「引退のお話ですか?」

 

 アルメリナがやや心配そうに口にすると、ドネルは「うむ」と肯定した。

 最近、傭兵稼業に行き詰まってたからである。身体が思う様に動かなくなり、野盗やモンスター共にも遅れを取り始めていた。

 店のオーナーとその話題で語り合ったばかりだったのだ。

 

「前にも話したが、これは職人にでも転向するかと考えておってな」

「鍛冶屋さんでしたっけ?」

「身体の頑丈さで鈍さを補ってきたが、防具も重く感じる様になってしまったからのぉ」

 

 ドワーフはがしゃがしゃと身体を鳴らした。

 重装甲と言っても良い程の、分厚い鱗鎧(スケール・メイル)と下地の鎖鎧(チェイン・メイル)。今はテーブルの上に乗っている二本角の付いた兜(ホーンドヘルム)や、立てかけてあるごつそうな戦斧(バトルアックス)も重そうである。

 

「ロイン。貴様、突き出されたくなければ、わしの徒弟になれ」

「えっ、徒弟って……」

「つまり手下、早い話が丁稚じゃ」

 

 ドネルは顎髭を撫で「育てば、その鋏は荷物運搬に便利そうじゃからな」とのたまう。 

 実際、鍛冶職人は力仕事が多いのである。

 ロインは「えーっ」と不満そうな声を上げたが、「鞭打ちは好きか?」との問いに沈黙した。

 

「職も決まっておらぬのだろう?」

「就職先が決まって良かったね」

 

 ケイの祝福にも当人は不満そうだ。

 

「だけどさ……。鍛冶場って熱いんでしょ、焼きガニになりそう」

「とにかく、事務的に事を運ばせて貰います。ロインは釈放。身請け先はドネル氏でいいですね?」

 

 エクシーはドネルへ調書を見せ、その記述を確認させるとサインをお願いする。

 彼がサインを終えると、ロインの管轄は警備隊からドネルへと移る。

 

「ケイ、解放してやれ」

「はいよ。あ、逃げるなよ。逃げたら確実に鞭打ち刑だからね!」

 

 一応、脅しも込めて言い含めた為か、ヤシクネーの子供はその場に留まった。

 

「ま、良いけどさ。何やれば良いの?」

 

 丁稚にされてしまったロインは、実際何処へ行く宛ても無い。

 ドワーフは「まず工房を借りるか。全てはそれからじゃ」と述べ、アルメリナへ「ギルドやツンフトを紹介してはくれぬかのう」と頼み込んだ。

 店を構えてる淫魔は、これでもそれらの団体とは繋がりがあるからだ。

 

「鍛冶屋は専門職同士の縄張りが激しいと聞きますよ。何を専門になさるのですか?」

「武器・防具は競争が激しそうじゃな」

 

 都会であるエロエロンナは激戦区だ。

 腕に覚えのある名工達が競って武器工房を開いており、新参者が参入するには厳しすぎる。

 それよりは緩そうだが、碇みたいな船具。蹄鉄を扱う馬具もやはり厳しい。

 となると、装身具辺りの職人か。

 

「甲羅屋は?」

 

 ケイのとんでもない意見に、エクシーは「バカッ」と声を出してしまった。

 だが、ドワーフは「なんだそれは」と尋ねて来た。

 ケイは得意げになって「ヤシクネーのおうちだよ」と説明を開始する。

 大きくなっても背中が守られていないので、不安になってるヤシクネー用に被り物を作るんだとの説明に、ドネルは口をぽかんと開けていたが、途中から笑い出した。

 

「面白い! 確かにまだ未開拓の新分野じゃ」

「でしょ。だーれも作ってくれなかったんだけど、需要はあるんじゃ無いかな?」

「売れるのか……おい」

 

 エクシーの呆れ声を他所に、何故か周囲は盛り上がって行き、世界初のヤシクネーシェル専門店、シェル工房『ヤドカリ』は開店してしまう。

 

            ★        ★        ★

 

 エクシーの憂慮とは別に、これの狙いは当たり、工房は繁盛を極めた。

 様々な色や形、更に実用性とファッショナブルさを兼ね備えたシェルは大ヒット商品となったのである。

 

 ヤシクネーの人口が多い事もヒットの要因であったが、アドバイザーとして本物のヤシクネーであるロインの存在が、自分自ら試して改良を施す細かな造りとも相まって、後に雨後の竹の子の様に乱立する同業他社の物とは一線を画しており、同工房とロインはヤシクネハウスの第一人者として君臨する事となる。

 

 だが、後年、彼女自身がそのエピソードを明かすまで、ロインの出発点が盾泥棒であった事を知る者は僅かな者達だけであったと言う。

 

 

〈FIN〉




ヤシガニさんは小さい頃の姿は、陸ヤドカリと見分けが付きません。
当然、貝殻を被って身体を守ってますし、襲われると貝殻に身を引っ込めます。

でも、大きくなると身体に見合う貝殻が無くなってしまうんですね。
仕方ないので無蓋のままか、たまたま見付けた代用品を被ったりします。皿とかアルミ鍋とか、縁日のお面(!)なんかの例もあったりします。
ヤシクネーはそれよりも大きくなるので、被り物が無くなってしまいます。でも種族的な本能では、何かを背負って身を守りたいと考えている訳で…。


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戦時標準船ラグパルナの生涯

『小説家になろう』にも投稿しています。
「架空戦記創作大会2018春」参加作品。例題2になります。


戦時標準船ラグパルナの生涯

 

 エルダと言う世界がある。

 古妖精語で大地と言う意味だ。

 古代王国期に活躍した〝墜ちて来た女傑〟テラ・アキツシマ曰く「天動説だし大地が丸いって知ってるんだから、地球で良いじゃん」との提案もあるが、これは採用されなかった。

 今でも続く、一日が24時間で一時間が60分。

 距離をメルダ法。キロ、メートル、センチ、重さをそれに対応させたトン、キロやグラムに単位を定めたテラであったが、自分達が立つ大地の名までは変えられなかった様だ。

 まぁ、テラの話は本題ではない。

 大体、「違う世界から墜ちて来た」とか語る神話の人物なのだから、幾らエルダ全体にその影響力が与えたとしても、遙か昔の故人である。

 

 テラの時代から数千年後、エルダ世界の中央大陸は戦乱に巻き込まれていた。

 超古代文明の突然の終焉。

 魔界からの魔族侵攻による古代王国期(この時代にテラは活躍した)の、本当の意味で世界の存亡を賭けた戦い程では無く、大陸に住む住人達による覇権戦争に過ぎないのだが、それでも当事者から見れば、食うか食われるかの大戦争である。

 第四次マーダー大戦。

 大陸西部南方のグラン王国と、西部北方のマーダー帝国が戦った全面戦争である。

 

 第四次とあるから判るだろうが、この二国は既に数百年に渡って覇権争いを繰り返しており、第三次大戦から二百年を経た末の戦いである。

 帝国の新兵器、亜竜に乗った竜騎兵(ドラグーン)の活躍によって、帝国が勝利を収めた第一次。

 対空用の弩砲(バリスタ)によってそれが封じられ、王国が圧勝した第二次。

 開戦したは良いが、だらだらと十年に渡って一進一退を繰り広げ、疲弊して停戦。どちらも何も得られなかった第三次。

 それに続く第四次大戦の特徴は、海戦の比率が飛躍的に上がった事である。

 どちらも艦隊を繰り出し、互いの沿岸を脅かし、時には艦隊決戦さえ起こった。

 そんな中、輸送に海路の重要度がにわかにクローズアップされたからだ。

 

 エルダ世界は剣と魔法の世界である。

 大陸やら都市を浮かべたとか、信じられない様な、隔絶した文明を持っていたとされる超古代文明は一夜で滅び、その系譜を僅かながら残した古代王国期を頂点に、むしろ文明は後退しており、昔の技術を再発見する復古運動(ルネサンス)が、度々行われてきた歴史がある。

 前述のテラがもたらしたとされる、コークスによる鋼鉄の精錬法すら、ようやく近年になって復興した具合なのである。

 鋼ならぬ、鉄の武器で殴り合っている当時の戦いは、戦いの後、ひん曲がった剣を叩き直すとか、今から見ればギャグにしか思えぬ光景が日常だったらしい。

 魔法も大半が遺失技術になっており、過去に存在したと記録される大規模で奇跡的な魔導は未だ原理すら掴めない。

 だから、戦争の基本は昔ながらの刀槍と弓である。

 今知られている戦闘魔法の射程が短く(概ね100m未満)、大規模な敵を撃滅する威力も無いので個人戦はともかく、戦争に向かないからだ。

 

 さて、お題である戦時標準船。

 その主役となるアーシア級のスクーナーは、元々、不足する船舶を短期間に補い、当時の交戦国である帝国の通商破壊に対抗する為の輸送船だ。

 スクーナーは縦帆(ラテンセイル)の帆船である。

 横帆に比較すれば、追い風での推進効率は悪い。

 しかし、少人数で操作が可能で風上へ向かっての切り上がり性能が高く、向かい風でもある程度の帆走性能を見せる利点もある。

 

 この船が作られたのは時代の要求もあった。

 第四次マーダー大戦当時の王国は海軍力が貧弱で、敵である帝国の私掠船に対抗出来なかった為、保有船舶の被害はかなりの数になったからだ。

 この時代の通商破壊は敵を撃沈するのではなく、船を拿捕して乗組員を人質に身代金を要求する物であるから、失われたと言っても無くなる訳ではない。

 が、現実的に船は敵の手に渡り、一日に数隻の船が立て続けに被害に遭うと、王国の海運は麻痺してしまった。

 乗組員の補充はまだしも、船と言う奴は建造に数年から数ヶ月の時間が掛かるからだ。特に外洋向きの大型船は一旦失われると補充が効かない。

 

 インフラ面でも問題があった。

 沿岸航行が基本の漁業や商船は小型船の方が小回りが効き、税制上も有利であったから、王国内にある船渠(ドック)の大半は、全長20m以下の小型船用だったのである。

 当時、全長30mを超える船舶建造可の大型の船渠なんて施設も限られていたからだ。

 海軍工廠に幾つか、民間のそれを併せても十指に満たない。

 まして船渠は建造だけに使う物では無く、船のメンテナンス用にも使用されるので使えるドックは更に減る。

 それに当時の建造法は、職人による手作りである。

 設計図はあるがそれはガイドライン的な物に過ぎず、技師は手に入る材料を臨機応変に使い、現物合わせででっち上げるのが普通だったのだ。

 建造効率は極めて低い。同型艦と言いつつ、形が似てるだけでサイズから何から全く別の船、なんてのも当たり前だったのだ。

 

「これじゃ拙いでしょ」

 

 と、唐突に現れたのが王国海軍きっての技術士官、と後に謳われる事になる少女だった。

 名前をエロコ・エロエロンナと言う。

 ちなみに古妖精語で『エロ』とは光、輝きを指し、名前は『光り輝く乙女』で、姓は『エロエロ』つまり、輝きの乱反射から『波瀾万丈なる者』を意味する。

 これからも判る様に彼女は半妖精族(ハーフエルフ)の海軍将校で、しかもティーンエイジャー後半の若い女の子であった。

 

 彼女は王立工廠に乗り込んで当時の船大工達に物怖じせずに意見を述べる。

 彼女が提案したのが船の規格化であった。

 カスタムメイドで作る方式を止め、流れ作業的に統一規格の船を建造して建造ペースを上げる。材料も見直してとにかく量産向きに船を設計するのである。

 

「鉄材を使うなんて本当か?」

「対策さえすれば行ける筈よ。肋材ひとつに材料待ち数年なんてやってられないわ」

 

 エロコの提案したのが木鉄混合船である。

 要は竜骨(キール)や肋材(フレーム)などの骨材を木ではなく、鉄材に代えてしまって強度を上げると同時に、材料の入手難を解決する方法であった。

 木で船を造る際、一番の問題はそれが天然資源であるのを知らぬ者は多い。

 特に竜骨や肋材なんかの大物は、船の規模が大きくなるに従って、それだけそいつを造る材料が入手困難になるからである。

 

 例えば、後世の戦列艦を例に挙げるのはフェアではないが、それを建造するのに樹齢百年を超える大木が数千本必要になるのだ。

 森林資源が豊かなら問題にはならないが、それでも限度がある。

 特に肋材には船の断面、曲線になった微妙なカーブが必要になるので、どんな木でも使える訳ではないのである。

 わざわざそれに沿う様に木の成長段階から、わざと一方方向へねじ曲げて用材を取る手法すらあった程である。

 中にはそうした用材が入手出来ず、作りかけで何年も船渠に載っていた船もあったらしい。のんびりとした時代であった。

 

 無論、エロコはそんな気の長い建造法を踏襲する気はない。

 用材がないのであれば、造ってしまえと言うのが彼女の発想で、近年、入手が可能になった鉄材を用いて船を造る様に指示したのだ。

 

「鉄ならば形はある程度自由に作れるし、量産にも向いているわ」

 

 鋼ではなく、ワンランク低い材質である鉄を選んだのもコストダウンの為だ。

 骨組みは鉄。外皮は木造なのは、まだ鉄船を作るまでの量産技術が発達していないからである。それは大規模な製鉄業が確立される後世になる。

 鉄は潮に弱いのでと危惧する者も居たが、どの道、帆船の寿命は平均で行けば15から20年程度。直接、海面に触れて居ないのだから心配ないと断言し、防錆用に塗料とグリスを塗って保護すれば保つと太鼓判を押したのである。

 錬金術を修めていた彼女は伝統的な船大工と違い、船に対する金属部品の採用に躊躇がなかったのだ。

 

 こうして誕生したのがジーベック型戦闘艦シグルーン級である。

 三艢の縦帆、弩砲(バリスタ)46基を積んだ重装備の艦であり、王国海軍に革命を引き起こす訳だが、これの活躍は取りあえず脇に置く。

 ひとつ言えるのは、このシグルーン級から産まれたのがアーシア級であり、その影響力は元になったシグルーン級以上であった事である。

 但し、悪い意味においてだ。

 

 元々、エロコがアーシア級を設計したのはやっつけ仕事であったらしい。

 本命のシグルーン級の建造の合間に設計された船で、最初の要求が「とにかく手早く造れて、安い船を量産する」であった。

 船名のアーシアは古代王国に実在した姫の名前で、しかも、代替わりした国王から、前国王の遺児と言う要らない王女として邪険にされ、幽閉されて死を迎えたかなり不幸な境遇にあった王女の名である。

 美姫であり、悲恋の対象として劇化もされている彼女の名を付けたのは、この戦時標準船が、かなりいい加減のスペックでも構わぬとの継子扱いであった為だとされる。

 

「動けば良い。レベルじゃないの」

 

 最初に提示された要求書を見て、エロコの開口一番がこれだ。

 凝った設計は要らない。マストも横帆一本で可。速力も出なくて結構。安い素材でとにかく、どんどん造れ。

 近年の帆船では必須となっている、船底の銅被覆すら省略せよとのお達しである。

 銅で船体を覆う被覆は、船喰い虫や牡蠣みたいな水中生物対策だ。

 これをしないと船底が牡蠣やフジツボなんかに汚損され、更に外板を食い荒らす船喰い虫が繁殖して船の寿命を縮めてしまうのだが、当然、銅は価格も高いし、貼るのにも時間が掛かる。だから省略してしまえとの話だが…。

 

「下手すると三年保たないわよ。これ」

 

 どうせ失われる可能性が高いのだから、数で圧倒し、かつ拿捕されても相手が「使いたくねぇ」と、嫌がられる低性能船を押し付け様とする思惑が見え見えである。

 量産性の大事さは理解しているが、流石にエロコも良心的な技術士官であった。

 この酷い仕様書通りには造らず、改設計が施される。

 

 まず、マストは縦帆二艢に増やされた。帆装をスクーナー型にしたのは、コグみたいな横帆ひとつでは圧倒的に推進力が足りず、機動性も劣るからである。

 エルダ世界では、風属性魔法の【送風】が存在する。

 これを用いれば帆船でも自在に機動力が確保出来るのだが、当然、風魔法の使える魔導士、それも六級以上の資格を持つ者ではないと満足に動かせず、それを雇える船主はある程度以上の経済力を持った者に限られる。

 つまり、この船を使うだろう零細船主には経済的な負担が重く、いきおい自然の風に頼る事になるので、帆装の改善は重要なのだ。

 

 次に一応、外洋でも航海可能な様に船底へ、安定版を取り付けた。

 出来ればシグルーン級で採用されたビルジキールを採用したかったのだが、もっと単純で価格の安いフィンキールで妥協せざる得なかった。

 フィンキールは単純だが船底から垂直に伸びるので、喫水が上がってしまい、浅い水深では座礁の危険がある。

 センターボード式にキールを折りたためる機構を取り付ければ問題は解決するのだが、そんな手間の掛かる工事は許してはくれず、涙を飲んでこれを採用したのである。

 

 加えて船体を可能な限り大型化して、搭載量を増やす努力をした。

 ネックとなるのは、前述の通り、船渠の数である。新規にドックを建設する訳には行かないが、幸いにして海軍工廠にある大型船渠のひとつを確保出来た。

 ここでエロコが考え出したのが分業である。

 シグルーン級、そしてアーシア級は各地の中小造船所は船体の一部、船首か船尾だけを建造し、それを大型ドックのある主造船所まで曳航して合体させるのである。

 大量生産を前提に規格化を進め、まるでプレハブ小屋を建てる様に船台にキールを敷かずともブロックを組み立てるみたいな感じで組み上げる。

 これによって小型船しか建造出来ぬドックを動員して、素早く30m級の大型船を量産させる事に成功したのである。

 

 アーシア級の設計は単純極まりなく、直線を多用して優雅さの欠片もない。材質も戦闘艦であるシグルーン級と違い、硬く高価なオーク材は使用しておらず、それより数段劣るチーク材の様な雑材を用いていた。

 鉄材の使用は当然で、コスト面から船体の被膜は省略。ここは戦争が数年で終わる事を期待しつつ、コールタールによる防腐塗装での妥協を余儀なくされた。

 船体に使われる船道具は、船扉、船窓、碇や舵輪、内装の船灯に至るまでシグルーン級と共通で、大量生産によるコストダウンを図っている。

 性能的には平凡で、見るべき所は無いにせよ、この要求書でこの性能の船を造り上げたのだから、グラン王国海軍きっての技術士官と呼ばれたエロコ嬢の手腕が光る逸品だ。

 

 こうしてアーシア級の量産は進んだ。

 戦時中はそこそこ活躍し、地味ながら海運を支える存在となったが、問題は戦後に起こったのである。

 海軍の監督下から離れた造船所が関わった時から、この戦時標準船は悪評を高める事になる。

 何しろ「知的財産権。何それ?」の時代だ。

 海軍が下請け用に各造船所に回した設計図は何時しか流失し、闇に出回ったそれは勝手にコピーされて管轄外の船が建造されてしまったのだ。

 アーシア級の低コストぶりが評価された反面、質の悪い船が出回ったのである。

 

 王国海軍が監督した船は海軍だけあって審査も厳密であり、安物ながら不良品なんかは当然跳ねられる。

 だが、闇で勝手に造られたアーシア級は使われた素材が単に劣悪なだけであったのみならず、工作もいい加減であった。

 しかし、見た目は逆に正規のアーシア級よりも上であったのは皮肉であった。

 コピーには正規の船が涙を飲んで省略した、銅の被膜が標準装備であったからだ。

 

 しかし、見た目に反してコピーはコピーでしかなかった。

 正規の船は造りは安っぽくても、船の基幹である公差を厳密に守っており、普通に使う分には船としての不安はない。

 対してコピーは水漏れは日常茶飯事。甚だしい物になると波浪によって船体が裂けて沈没なんてのも起こったのである。

 

「戦時標準船は危険だ」

 

 との悪評が広まり、一時は雨後の竹の子の様に海上を席巻した戦標船は僅か数年で殆ど姿を消してしまったのである。

 他に贋アーシア級の材質が劣悪だったのも原因で、木造船が一番恐れる乾食(ドライ・ロット)に冒されて崩れた船も多かった。

 これは乾燥が充分ではない生木を建造に使うと、生木が乾食菌に冒されて変色してボロボロに崩れ去るのだ。

 物が腐る時はじめじめして液状に崩れるが、ドライ・ロットは乾燥したまま細かく粉になって崩壊するのが特徴である。

 贋船はご想像通り、充分に乾燥を施してはいない生木を多用していたのである。

 

 が、それでもアーシア級はひっそりと生き残っていた。

 無論、それは軍の造船所で建造した正規の戦時標準船である。

 時代を経て、船体は銅の被膜に覆われ、フィンキールはビルジキールに取り替えられ、飾り気のない船体は改造されて装飾が施されていたが、それはまさしくアーシア級の一隻であった。

 

 船名はラグパルナ。

 最初の名はアーシア46。そして、民間に払い下げられ、何度も所有者が変わった末に、名付けられた名前である。

 名はセイレーン諸島の現地(セイレーン)語で「どうしてなのか?」を意味するらしいが、名付け親の前船主が行方不明なのではっきりした事は分からない。

 

 このラグパルナが有名になったのは、突如、出現した大海魔(リヴァイアサン)に対する特攻であった。

 こいつは南洋航路に出現し、王国経済の柱とも言える南洋諸島との交通を遮断してしまったからだ。

 砂糖、ゴム、ジュートなどの貴重な資源が届かなくなるのは死活問題であった。だが、奴はタフな化け物であったのだ。

 

 リヴァイアサンは水棲魔物の一種だ。

 別名、クラーケンとも呼ばれ、タコやイカに似た物や、オウムガイやクラゲ他、姿の異なる幾つかの種類が存在するが、いずれも巨躯で島の様に大きい怪物である。

 古代王国期の魔族侵攻の際、魔王が魔界から連れて来たとされる生物兵器で、生半可な攻撃や魔法では通用しない。

 特に今回現れたのはエイの様な奴で、弩砲で投射される爆裂魔法を仕込んだ魔導弾頭の太矢を食らっても、その厚い外皮はびくともしない厄介な強敵だった。

 魔導弾頭自体がいわゆる榴弾であり、貫通を目的とする徹甲弾的な性質を持っていなかったのも効かない原因だった。

 無論、弩砲の太矢は貫通性を持っていて突き刺さるが、その前に弾頭の方が作動して巌の様に硬い表面で爆発してしまうのである。

 

「こいつを対リヴァイアサンの切り札にするわよ」

 

 と言う訳で、船自体を巨大な爆弾として特攻させ、敵の体内で自爆させれば倒せるかも知れないと考えたのは、あのエロコであった。

 既に三十路を過ぎており、海軍からも引退して予備役の将官となっていたが、半妖精だけにその容姿は当時と変わらなかったし、その才能はますます磨きがかけられていた。

 大体、半妖精の寿命は人間の数倍あって30歳程度ではまだまだ若者なのである。

 予備役になったのも、貴族として受勲されたからであり、本人は生涯技師として海軍で奉職したかったらしいが、領地持ちの貴族となったからには貴族当主としての義務(領地経営)から、引退を余儀なくされたのだ。

 

「大口を開けて船を飲み込むのなら、爆弾と化したこいつを飲み込ませて体内で自爆させてやるわ」

 

 そして選ばれたのが、このラグパルナであった。

 建造後、既に木造船の耐用年数を超えた船歴25年の老朽船であったが、意外な事に船体はかろうじて現用に絶える強度を保っていたのである。

 既に船としてではなく、港に係留される浮かぶ倉庫になっていたのだが、調査の結果、使えると判断されてエロコの領地である港湾都市エロエロンナ(都市名は彼女の姓から取られている)に回航され、必要な改造を突貫工事で受けたのである。

 

 まず船内には魔導弾頭の親玉である、古代遺跡から発掘した巨大な爆発魔導石が安置された。

 これは古代の自爆装置の一種で、爆発したら小さな街ひとつは吹っ飛ぶと噂されており、発掘されたが再利用の困難さから、王立魔導アカデミーでも取り扱いに困っていた代物で、ある意味、絶好の厄介払…いや、再利用であった。

 これを中心に周囲には爆発した際、周囲に被害をもたらす破片、大半が石ころとくず鉄が充填された。

 

 帆柱は倉庫船になった当時から取り外されていたが、それを再艤装はされなかった。

 代わりに取り付けられたのが、エロコ発明の噴進式機関である。

 これは燃料を燃やして推力を得る画期的な機関であり、魔法文明であったエルダ世界に一石を投げかける新発明であった。

 凄まじい轟音を立てるそれは、元々、別の所で開発された飛空船を推進させる為に考案された物である。

 原理は単純。シャッター式の管を置いただけのいわゆるパルス・ジェットエンジンで、工作精度の低いエルダ世界でも容易に制作可能であったが、エンジン本体の薄鋼板を造る為に、ドワーフの名工が協力する等、当時の最新技術が投入されていた。

 一基に付き推力約300kgとの数値は大した事は無く、速度を得る為に四基が船尾に取り付けられたが、船の常識を上回る速度で突進が可能なのは、先に行われた実験で既に実証済みであった。

 

 そして改装されたラグパルナは護衛艦三隻を伴って、巨大な亀、タグ・タートルに曳航され(長距離自力航行が不可能であったのだ)、奴の棲む海域へと到着する。

 現れた海魔にタグ・タートルが恐慌状態を起こすハプニングもあったが、そんな中で高濃度のアルコールを燃料として点火されたラグパルナは、狙い通り、猛スピードでリヴァイアサンへと突進して行った。

 

 船を操る三人の操作員は突入直前まで乗ったままで、突入確実になると信管のセイフティを解除し、舵を固定して船から脱出する手筈であったが、それは叶わなかった。

 凄まじい轟音と共に走るラグパルナに興味を抱いたのか、リヴァイアサンは急接近し、脱出する間もなく、それを飲み込んでしまったからである。

 結果、海魔は身体の内側から膨れ上がってバラバラに破裂した。

 離れていた護衛艦三隻も爆発の余波を食らって、危うく沈没しそうになる等、あの爆発魔導石は王立魔導アカデミーが事前に試算した威力の数倍、戦術核爆弾並みの威力を秘めていた事になるから、仮に事前に脱出したとしても結果は同じだっただろう。

 

 アーシア級戦時標準船ラグパルナは、こうして数奇な生涯を閉じた。

 しかし、彼女の残した影響は大きく、エルダでは以後、特攻の事を指す代名詞に、ラグパルナと言う言葉が使われる事となる。

 そして特攻船(ラグパルナ)に乗った勇敢な操作員達は、エロコの推薦もあり、死後に王国から英雄として表彰され、〝爆弾三勇士〟の称号を得る事になったのであった。

 

プルワク・パ著『エルダ海戦史』より抜粋。

 

 

〈FIN〉




著者とさせて頂いたプルワク・パはフランスの帆船で、実在した探検船です。
正確には、プルワク・パ?で、はてなマークが付きます。
「どうしてそうなるの?」って意味で、探検家であった船主が幼い頃からの好奇心全開で、他者を質問攻めにしたのが由来だそうです。
数隻あるのですが一番有名にⅣ世は、探索航海中に行方不明になったらしいです(後に発見。生存者は一名のみ)。今、フランス政府にV世があるけど、これは帆船では無く、探検家さんとも関係ないそうです。
ラグパルナの由来は。そのパロディですね。

木造船の船体材料のお話、ドライ・ロット他の資料は田中航氏の『戦艦の世紀』を参考にさせて頂きました。古いですが帆船時代の技術を知る事の出来る名著です。


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