詩人の詩 (117)
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始まりから始まるまで
001話 嵐の夜のシノン村


数年ぶりの投稿です。
楽しんで頂けたら幸いです。


 

 

 遥かに続く国

 しかしそれは永遠に非ず

 やがてを迎える前に彼が伝えるのは何ぞや

 何かを伝える事はあるか

 紡がれた事は何ぞや

 

 

 

 ガン、とグラスが力強くカウンターに叩きつけられた。

 これ以上囀るな。そういった明確な意志を素直に受け止め、詩人は仕草でおどけて詩をやめる。

「あ~、お客さん。えっと、今の詩は……?」

「故国を唄った詩ですよ。そちらの方には面白くなかったようですね」

 辺境の村、静かな夜。誰が訪れない事も珍しくない、村人だけにあるような酒場に珍しく二人も客が居ついた夜。片方は色黒の剣士で、片方は流しの詩人。腕自慢の剣士はともかく、こんな辺境の村に詩人が訪れるのは珍しいとマスターが詩人に一曲願った結果がこれだ。色黒の剣士の機嫌を著しく損なってしまったようだ。

 しかし色黒の剣士もそれ以上は文句をつける気もないようで、詩人が黙ったら静かに酒を傾けている。

 

 静かな時間が僅かに続く。

 

 すぐに外から雨音が聞こえてきた。それも、かなり強い。おそらくだが嵐だろう。

 嵐になればモンスターも静かになる。村の若い衆もゆっくりとした休みがとれる。

 まあ、嵐の後始末を考える事はひとまずはしなくていいだろう。

 それを裏付けるように見回りに行っていた若者たちがどやどやと酒場になだれこんできた。夕方からの仕事の疲れを癒すため、明日の英気を養うため。仕事の後、しかも嵐の夜に一杯やるくらいはいいだろう。

「トム、エレンと話がしたいんだけど」

「分かった」

 ユリアンという青年がトーマスという青年に囁いた言葉が聞こえてしまった。

 ユリアンがエレンという幼馴染に友情を超えた感情を持ってしまっていることは、少し聡い者ならすぐにわかる。それが恋心に変わるのか、それとも親愛に変わるのか。それとも変わらないのか、朽ちるのか。事情を知る者達は静かに見守るのみである。

「サラ、何か温かいものでも作ろう。マスター、キッチンを借りるよ」

「ああ、キレイに使ってくれよ」

「し、失礼します」

 トムと呼ばれた青年であるトーマス。彼がエレンの妹であるサラを連れ立って簡単な料理を作り始める。ユリアンはエレンに熱心に話しかけているが、受け手のエレンに熱意はない。

 いったいどうなることやら。楽しみだね。

「お客さんたちは何か食べたい物はあるかい?」

 トーマスは愛想よく客二人に尋ねるが、色黒の客は素っ気ない。

 詩人の客は懐から銅貨を数枚出してカウンターに置く。

「少し豪華な物が食べたいね。足りないなら詩で払うよ」

「了解。きっちり出した分でごちそうするよ」

 くすくすと笑ってほんの少しの肉を追加で料理するトーマス。サラは恐縮そうに、香草で香りづけられた果物と野菜を手際よく炒めていく。

 やがて人数分に分けられた炒め物と、詩人に追加で出された肉が並べられる。肉は単品で見たら物足りないが、料理全体を合わせてみたら程よく希少感を煽る量であり、トーマスのセンスが光っている。

「やるね、兄さん」

「ありがとう。お礼に詩をくれてもいいんですよ」

 おどけた二人の言葉だが、急に詩人の声が固くなった。

「それも悪くないが、残念ながら客が一人増えるようだ」

 怪訝な顔をするトーマス。

 視界の隅で曲刀に手をかけて酒場の入り口を睨みつける色黒の剣士。

 大仰な仕草で外を見る詩人。

 そこでようやく、何者かが嵐の夜をまたいでこの酒場に入り込もうとしていることに、全員が気が付く。

 そして次の瞬間、酒場の扉が開き、人影が現れた。

 

 絶世の美少女だった。

 

 まるで(あやかし)のようだと思ってしまったことは恐らく咎められない。それほどまでに、吹かれた風に疲れてうたれた雨に濡れた少女は美しかった。

「大丈夫か!?」

 それに一切惑わされないで雨風に打たれた少女にかけよったユリアンは本当にできた青年だと思う。

「…馬を、馬を貸して下さい」

「馬? こんな嵐の夜に、無茶だ!」

「無茶をしなくてはならないのです。お願いです、馬を…」

 どうしたらいいのか。ユリアンは困ったように美少女と私との間で目を走らせる。

 確かにこの中で馬を貸せるとしたら私くらいだろう。実家に掛け合えばトーマスも出せるだろうが、彼の一存では無理だ。しかし私だってこんな嵐の夜に、儚い美少女に馬を貸すことが正解だとは思えない。思えないが、それにしては美少女の様子は切羽詰まっている。

 どうしたらいいのか分からない中、口火を切ったのは色黒の剣士だった。

「関わらん方がいいと思うぞ。そいつはロアーヌ候ミカエルの妹君、モニカ姫だ。

 嵐の夜を駆け抜けるとは只事じゃない」

「モニカ姫!? ミカエル候の妹君!? なら、なおさら助けないと!」

「関わらん方がいいと言ったばかりだ。ミカエル候が侯爵を継いでまだ日が浅い。更にミカエル候が継ぐにあたってもごたごたがあったと聞く。

 怪しめと言っている状況だ。

 下手に肩入れしてミカエル候が失脚したら一文にもならんし、そもそも相手の恨みを買う。賢明な人間なら無視を決め込むだろうよ」

「ミカエル候も、その父君も! 俺たちシノン村を助けてくれた! 見捨てられるものか!!」

 色黒の剣士を睨みつけるユリアンだが、彼は既に興味もないようだ。酒を傾けることしかしていない。

 見かねたのか、エレンが口を挟む。

「おっさん、口は達者みたいだけど。その腰の曲刀は飾りかい?」

「俺は前金でなきゃ仕事はせん性質だ。飾りかどうか確かめたいなら、金を積め」

 ドン、と金貨が五枚カウンターに積まれた。100オーラム金貨、五枚。500オーラムだ。思わぬ大金にシノン村の面々は目を見開き、色黒の剣士は目を細めた。

「詩人さんよ、気前がいいじゃないか」

「なに、ただの掛け金さ。ミカエル候が勝てば数倍になって返ってくる。手付金としては不足かい、トルネード?」

「トルネード!?」

 思わず口からその名前を繰り返してしまった。トルネードといえば流しの剣士としては最強と名高い。

「となると、その曲刀はカムシーン!?」

「まあその通りだ。俺をトルネードと呼ぶ奴もいるが、俺の名前はハリードだ」

 トルネード…ハリードはカウンターに積まれた大金を見やる。

「で、モニカ姫に大金をかけるお前は何者だ?」

「それは有料かな?」

「…。いや、俺は金さえ貰えれば構わん。俺はモニカ姫の護衛についてミカエル候の下までお連れする。それで構わないな?」

「俺も行く!」

 ユリアンが声をあげた。表情を崩さなかったハリードが、それに初めて怪訝そうな顔をする。

「お前さんが? どういった訳で?」

「金でどうこう言う奴なんて、最後までモニカ様を見捨てない保証があるか! 俺がモニカ様を守る!」

「情に厚いねぇ。まあ、足手まといにならないなら俺は構わん。邪魔になるなら見捨てるぞ。

 他に付いて来る奴はいるか?」

「ユリアンがいくなら僕もいくさ」

「ま、お目付け役は必要でしょ」

 トーマス、エレンが続けて声をあげる。それで終わりかと思えば――

「わ、私も行く!」

 サラも声をあげた。

「サラ! あんたはここで大人しくしておきなさい!」

「エレン、サラを仲間外れにしなくてもいいだろう?」

「私はサラが心配なだけだよ!」

 声を荒げていく面々だが、冷や水を浴びせるように詩人が言う。

「そこまで。行くのは俺とトルネード、ユリアンとトーマス。それからエレンとサラだ」

「お前!」

「文句があるならこの金は引き下げるが?」

 詩人は自分の目の前に積んだ金貨に指を置く。そのとたん、ハリードは視線を鋭くして若干曲刀に意識を寄せた。

「決まりだな。今日は食って寝て、明日の朝一番に村を出る」

「そんな! 今すぐ出ないと!!」

「モニカ姫、あんたの体調だと村から出て10分も持たないぜ。いいからとっとと寝た寝た!

 ああ、この果物くらいは口にいれた方がいいかもな。いい味している。

 他の連中もさっさと寝ろよ。寝不足でモンスターにやられたって俺は助けないぜ」

 ハリードの鶴の一声に面々は不精ながら散っていく。客であるモニカ姫にはエレンとサラの姉妹がこの酒場の奥にある客室に案内するようだ。

 やがて人気が無くなった酒場に残されたのは。自分とハリード、そして詩人。ハリードは残った酒を傾けながら呟いた。

「有料かどうかは置いておく。独り言に気が向いたら答えやがれ」

「……」

「お前、腕が立つな? 最悪あの時、金を引き下げてもお前だけでモニカ姫をミカエル候のところまで届けるつもりだっただろう?」

「……」

「…いや、違うか。お前はもっと他のものを見てやがる。500オーラムを積んでまで何を企んでやがる? そこだけは、有料で構わないぜ」

「500オーラムも1000オーラムも、はした金さ。協力してくれるなら1万オーラム出すが?」

「お前がミカエル候の敵なら1万オーラム貰うぜ。10万オーラムでミカエル候に売れそうだ」

「商売が上手いな、トルネード。とりあえず、ミカエル候がロアーヌに帰るまではモニカ姫の、ひいてはミカエル候の味方でいい」

「お前ほど商売は上手くねぇぜくそったれ。マスター、詩人の酒のツケは俺にまわしな」

 言い捨ててハリードは残った酒を煽り、自分の部屋に去っていく。残されたのは二人だけ。

「詩人さん、今のは?」

「トルネードの寝首をかかないと約束したのさ、ここの酒代でね。もちろん、トルネードはそんな約束は信用しないだろう。

 だが、有料だと言った手前金は払わなくてはいけない。だからその分、酒代を払うと言ったのさ」

「…詩人さん、こんな小さな村に、そんなに酒はないですよ?」

「心配しなくても。明日があるし、これ以上飲まないさ」

 そういって、グラスに酒を残したまま詩人は席を立った。

 散乱としたいつもの光景。

 違うのは状況と、外の天気。

「さて、明日はどうなるのやら」

 

 

 



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002話

 

 

 

 嵐の夜が明けた。

 モニカがミカエルの下に辿り着くのは、順調に行けば夕方前になるだろう。

「フォーメーションを確認しておくぜ」

 ハリードが話し始める。

「陣形はデザートランス。俺と詩人が突出して敵を引き受ける。他の奴らは打ち漏らしや側面背面からのモンスターに備えな」

「俺も先頭に立つのか?」

「当然だ。相当強いだろ、お前」

「自信はあるけどね」

 おどけた様子を崩さない詩人をハリードは軽く睨むが、その内心は大きく異なっている。

 コイツは全く信用できないのだ。武の腕も、その真意も、底が見えなさすぎる。自分の側に置いて片時も目を離さず監視して、なお油断ならない。

「モンスターに足止めを喰らって遅くなっても厄介だ。早速出発するぞ」

 

 圧倒的な強さだった。

「フッ!」

「よいしょっと!」

 ハリードは舞うような動きで敵を翻弄し、その背中を斬る。詩人は攻撃を受け流し、その隙を叩く。

 地狼やアルカノイドといった獣族や昆虫族の最下級モンスターだが、シノンの村の面々では一対一でも倒すのにてこずる相手を、あの二人は瞬く間に数多のモンスターを蹴散らしていく。

「すごい…」

「俺らの出番、ないなぁ」

 サラが、そしてトーマスが呆然と呟く。

「カタリナとどちらが強いのかしら」

 モニカも、自分が知る限りで最も強く忠実な女騎士とどちらが強いのか、現実逃避気味に考えてしまう。

 そんな彼らに、気の抜けた詩人の声がかけられた。

「後衛~。右陣後方からゴブリン3匹きてるからよろしく~」

 緊張感のない声に反応が遅れる面々だが、ガサガサという不穏な音に正気に返る。

「っ! 俺が出る!」

「一人じゃ危ないでしょ、あたしも出るよ! トーマスは援護、サラはモニカ様を守って!」

 詩人のフォローがあったおかげか、ギリギリだが陣形を崩されず戦闘に突入する。

 先頭にユリアン、その後ろにエレン・トーマスと続き、サラが弓を番えて最後列から隙を伺う。モニカは護身用の小剣を携えて己の身を守る。

 彼らに襲い掛かってくるゴブリン達だが、先手を取ったのはユリアンだ。

「シッ!」

 手にするのはどこにでもある数打の長剣。切るには鈍く、ゴブリンの手首は叩き千切れたといった有り様。

 もちろん、致命傷には程遠い。

「キシャァァァ!!」

 痛みと怒りとで半狂乱になったゴブリンは反対の手に持っていた、錆びて切る能力がなくなったナイフで突いてくる。

 ユリアンは冷静に武器とも言えない金属片を手に持った剣でパリィして身を守り、そして続けて襲い掛かってくるゴブリンに目を向けた。

 対処しようとすればもちろんできるが、彼はそれをする事なく傷を負ったゴブリンの息の根を止めることを優先し、その首を断つ。

「ゴ、ギャ…」

 情けない声をあげて絶命するゴブリン。仲間を殺されたゴブリン達は、激怒に身を任せてユリアンに襲い掛かるが、次の瞬間に彼らが見たものは斧の刃と槍の柄だった。

「ッラァ!」

「そら…よっと!」

 エレンは力任せにゴブリンの顔面を斧で叩き割り、トーマスは鋭く払った槍でその足を砕き潰す。

「やっ!」

 そして足を奪われたゴブリンの眉間にサラが放った矢が突き刺さり、ゴブリン達はあえなく全滅の憂き目に遭った。

「ははは、おみごとだね!」

「口が軽いくせに仕事はするか。文句も言えねぇな」

「どんなことだろうと隙は作らない主義なもので」

「可愛げのないヤロウだぜ」

 ちなみにシノン組がゴブリンを殲滅している間に、前衛を務めている2人はそれぞれ10以上のモンスターを仕留めている。

 通常ではありえない数である。二人の行動範囲もさる事ながら、モンスターの沸きがおかしい。とめどなく襲い掛かってくる。

 

「こりゃ、おかしいねぇ」

「同感だ」

 そんなモンスターの津波ともいえる軍団を息一つ乱さずに捌ききる二人は、手を休める事なく言葉を交わす。

「数もおかしいけどさ」

「ああ、正面からしか襲ってこない。いるな、大物が」

 その言葉が終わった瞬間、鋭い鳴き声が森中に響き渡った。

 周りの木々は震え、モンスター達は怯えて八方に散り、戦いなれていないシノンの村人やモニカは身を竦ませて硬直する。

 それほどの威圧がある音だった。それだけ不吉な声だった。

 それに全く意を介さないのが二人。言うまでもなくハリードと詩人である。彼らは素早く視線を交わし、どちらにするかを確認した。

 彼らは時間を無駄にしない。意思疎通を瞬間で終わらせると、ハリードは素早く後ろに下がり、詩人は少しでも足場のよい場所に移動する。

「おっさん! アンタ、何で下がってるのさ!!」

「怪物がいるぞ! 全員でかからないと!!」

 ハリードは、大声で抗議するエレンをどついて、飛び出そうとしたユリアンの首根っこを引っ掴む。

 何か言いたそうな残りの面々は一睨みで黙らせた。時間は減るが、それ以上に一ヶ所に集まらないと命が減る。それを説明する為の時間は惜しむべきではない。

「囀るな、ド素人のガキ共が。

 この威圧感。お前たちじゃあ囮にも、何の役にも立たん。ただ殺されるだけだ。

 俺の前に出るな、守り切れん。攻め手はあの詩人に任せておけ」

 徐々に、段々と奇声が大きくなり、威圧感が膨れ上がってくる。深窓の姫君はもちろん、シノンの村でもまず感じる事のない殺意の塊。

 サラは体の震えが止まらず、モニカはユリアンの服の裾を無意識に掴んでいた。エレンは思わず妹を抱きしめ、トーマスは足を震わせて顔面蒼白だった。そしてユリアンは、守られている中でユリアンだけは剣を握りしめ、前方を睨んでいた。

 その様子をちらりと見てから、改めて前を見るハリード。その鋭敏な勘がソレの来訪を告げていた。

「来るぞ」

 

 ギシャァァァァァッ!!!!

 

 鋭い声をあげながら、空から舞い降りたのは巨大な怪鳥。

 その爪はそこらの槍よりも鋭く、嘴は獲物をたやすく抉るであろう。そして大きすぎる翼は、巨体にあり得ない素早さを与えていた。

「ガルダウイング…? この辺りの生息モンスターじゃあない」

 ハリードがその正体を看破するが、それは文字通り何もならない。他の面々の恐怖が揺らぐ事もないし、ガルダウイングが数匹の獲物を見逃すこともない。

 まずは手始めにと言わんばかりに、ガルダウイングは最も近くにいた詩人に襲い掛かった。

 身動き一つない詩人に対し、それでもガルダウイングは油断しない。真正面からの全速での突進、に見せかけての急上昇急降下での爪撃をその脳天に叩き込み、頭蓋をかち割る。

 

 …ことが、目的だったのだろう。

 

 シノンの村人には分からなった。モニカにも間違いなく分かっていない。ガルダウイングが分かったかどうかは――知る術がない。

 空から爪を振り上げて襲い掛かったガルダウイングは、詩人の頭に爪を当てる直前にその標的を見失い。そして、詩人が持っていた棍棒と呼ばれる種類の武器で、怪鳥の狙いとは真逆にその頭を粉砕されていた。

 真上からの攻撃にも対応し、反撃する棍棒のカウンター技・ジャストミート。それによって一瞬で勝敗は決してしまった。後衛にいた彼らが感じただけで死を覚悟させたモンスターを、詩人は雑魚のように潰していた。

「あ~あ。ガルダウイングの頭は金になるっていうのに。お前さんはつまらん男だな」

「言ったろう、隙は作らない主義だって。時間をかけると少年少女たちが暴走しかねなかったからな」

 その光景。ただ儲けが減ったとばかりに嘆くハリードと、飄々と自分が頭を潰した怪鳥から金になりそうな素材を回収する詩人。

 ここに至ってようやく面々は理解した。偶然シノンの村に寄り付いたこの二人は、自分たちが想像していなかったモンスターさえも容易に蹴散らせる化物なのだと。

「さて。いい時間だし、ガルダウイングの死体もあるとなれば他のモンスターも近寄ってこないだろう。ここらで昼飯にしよう」

「俺も賛成。ゆっくり飯は喰いたいし、ガルダウイングの素材も剥ぎ取りたいしね」

 あっけらかんと、とんでもない事を言う化物二人。

 ちなみに周辺には、詩人が仕留めたガルダウイングの死体だけでなく、その他多くのモンスターの残骸が在る。

「…ここで、食事を?」

「ああ。ちなみに強制だ。食わずに不覚をとったら話にならん」

 先程とは違った意味で青ざめるモニカだが、残念ながら彼女に拒否権はなさそうだ。直前の光景をみて、ハリードと詩人が決めた事を否定する勇気を持てというのが無茶だろう。

 

 ノロノロと動く面々。

 楽しくない昼食の始まりだった。

 

 

 




ガルダウイングは雑魚扱い。
でも、ハリードがいないと苦戦ってレベルじゃないと思うのでこのような形にしました。

本当はガルダウイングは雑魚じゃないんです。ハリードと詩人が化物なだけなんです。


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003話

 

「報告致します! 南の方向に追い散らしたモンスターの群れ、四散し壊滅しました!」

「…なに?」

 斥候からの報告に片眉をあげるロアーヌの君主、ミカエル候。

 この遠征の目的として掲げてているのはモンスターの討伐だ。それを目的としているのに、聞き逃せぬ一言が今の報告にあった。

「確認する。壊滅させたのではなく、壊滅したのだな?」

「はっ! 先日確認し、仕留めそこなったガルダウイングに引き連れられたモンスターの群れが突然秩序を失いました。

 ガルダウイングが撃破されたものとみていますが、我が軍でガルダウイングを仕留めた者はおりません」

「ふむ、分かった。引き続き調査せよ。

 下がってよい」

「はっ!」

 近衛兵が下がって誰もいなくなったミカエルのテントで彼は一人嘆息した。

 モンスター討伐に来たと謳いながら、モンスターを討伐していない。これは体面にも士気にも関わる。

(ガルダウイングほどのモンスターがそこらの者に倒せるとは思わないな。数がいるか、質があるか…)

 何にせよ穏やかには済まないだろう、この後に起こる事も含めて。となればこの状況をどう捉えて、どう動かせるかが肝要になる。ミカエルはそう考える。

 ほんの僅かな綻びさえも見逃さず、そしてほんの僅かな追い風さえも捕まえなくてはならない。

 間違える訳にはいかない。ミカエルの背中には、数多の運命が背負われているのだから。

(モンスター討伐に兵失は許されないし、斥候がどれだけ早くゴドウィンの反乱の証拠を掴めるかだな。

 それにガルダウイングを討伐した何者かも味方に引き入れたいものだ)

「ミカエル様、ご注進!」

「何事だ!」

 先程の堂々とした近衛兵とは違い、今度の報告は慌てたものだった。

 今回の遠征はその都合上、量を制限しなくてはならない為に質にはこれ以上なく気を使ったはずだ。

 それなのにこの慌てようとは。良いにせよ悪いにせよ、よほどの事態が起きたのだろうと気を引き締める。

「モ、モニカ様がガルダウイングを撃破して我が軍に接触しました!」

「…、……。もう一度言え」

「モニカ様がガルダウイングを撃破、その証拠にガルダウイングの素材が多数ありました。その上でミカエル様にお目通り願いたいと!」

「分かった。モニカは一人か? カタリナがついているのか?」

「いえ、素性の知れぬ怪しい者が6名いるのみです」

「…。通せ」

 普通に考えればその素性の知れぬ者がガルダウイングを討伐したのだろう。

 だが、そのような者とモニカが繋がっているとは考えにくい。

 いくらなんでもこの状況は斜め上過ぎた。これは会ってみなくては分からないと判断する。

 モニカを知る者は陣の中に多くいる。まさかロアーヌの姫を全員が見間違えるとは思えない。

(やれやれいったい何事なのか…)

 強張る顔を抑え込み、モニカと素性の知れぬ6人を迎え入れる。

 もちろんその周囲にはミカエルの近衛兵が取り囲んでいるが。モニカだけならまだともかくとして、得体の知れない者が引き連れた上、護衛なしでミカエルとの謁見などを許すほど、ロアーヌ軍は甘くない。というか、それがまかり通ってしまったら軍として失格である。

「何事だ、モニカ! いや、それより体は大丈夫か?」

「わたくしの体を心配していただき、ありがとうございます。

 しかしお兄様、それどころではありません! ゴドウィン男爵がお兄様の留守に、反乱を起こしました!」

「なにぃ!?」

 ざわりと、周囲の兵から動揺が漏れた。ミカエルもまさかその情報がモニカからもたされるとは想像していなかった。

 だが他の者にはともかく、ミカエルはその事を予見していた。いや、そうなるように誘導したのだ。最重要の情報が手に入ったこと、それ自体は喜ばしいことである。

 そして重要な情報がもう一つある。ガルダウイングをモニカが討伐した、ということだ。まさかモニカがそんな腕利きであると考えるほどミカエルは能天気ではないので、自然視線は周りの者に向かう。

「そうか。ご苦労だったな、モニカ。

 それとガルダウイングを討伐したとの話も聞いたが、それはその他の者の功績か?」

「はい。数多のモンスターはこちらの方々によって討伐されました。

 紹介します。シノンの村の住人である、ユリアン様。トーマス様。エレン様。サラ様。それから護衛して下さったハリード様――」

「ハリード! お前はあのトルネードか!」

「確かに俺をそう呼ぶ奴もいるな」

「これはよい所に現れた。なるほど、お前ならばガルダウイングを討伐したとしても納得だ」

「褒められるのは嫌いじゃないし、ガルダウイングなら始末できた自信もあるが、残念ながらあの鳥を仕留めたのは俺じゃないぜ」

「なに?」

 その言葉にはミカエルも困惑した。噂に名高いトルネードならばガルダウイングを討伐できたとしても納得だが、あのモンスターを倒したのはトルネードではないという。

 では誰なのか、そう口にすることはなかった。モニカ達の視線は一つに集まり、視線を集めた者は数歩歩いてミカエルに平服したからだ。

「お初にお目にかかります、ロアーヌ領のミカエル候。

 ガルダウイングを討伐したのはこの私でございます」

「貴様が? 風貌に聞き覚えもないが、貴様はいったい何者だ?」

「ただ、詩を携えながら世の中を回る者です。名乗る程の名前はありません。詩人、とだけ呼んでいただければ」

「…そうか」

 周りの者は益体のない詩人の言葉に殺気立つが、ミカエルはむしろ逆に安堵した。

 悪意があれば偽名でも名乗ろうが、この男はそれさえも拒否した。名乗りたくない理由か事情かがあるのだろう。少なくともここまで表立って怪しさを隠そうとしないという事は、少なくとも今は敵ではないと判断していい。

「まあ、名前はひとまずいい。詩人よ、お前がガルダウイングを討伐したというのは話は真か?」

「真でございます。トルネードの英雄譚を一つ減らしてしまい、不手際を恥じいるのみでございます」

 ミカエルはそっとモニカに視線を向けると、何やら青い顔で頷いた。

 顔が青くなるのは気にならなくもないが、強大なモンスターとの戦いを見たのである。顔が青くもなるだろうと、その事は意識の外に追いやった。

 そして改めて現状を考える。

 モニカという足手まといは増えたが、代わりに素早く情報が得られた。更に名高いトルネード、そしてガルダウイングを討伐できるという詩人が手中に入ったことは喜ばしい。

 モニカの身の安全さえ確保できれば、状況は劇的に改善するといえるだろう。

「とにかく皆の者、ご苦労だった。十分な恩賞を出すべきだが、残念ながら今すぐにというのは無理がある。

 私がロアーヌに戻るまで待ってもらえないだろうか?」

 もちろんというか、当たり前というか。ミカエル候の言葉に逆らえるはずもない。

「俺は前金じゃないと仕事をしない主義だが…まあその分、報酬に色をつけて貰えるのなら良しとするか」

 いや、一人例外がいた。

 その例外を見てミカエルは苦笑する。確かに彼は軽口を叩くに値する強者だろう。

「…あの、ミカエル様!」

 と、シノンの者のうち、一人から意を決したような声があがった。

 気の強そうな顔立ちは、今や不安に揺れている。名前は確か――

「ふむ、なにかな? エレン、だったか?」

「はい。名前を憶えて頂き、恐悦至極でございます。

 ゴドウィン男爵の反乱とモニカ様は仰られましたが、これからミカエル様はゴドウィン男爵と戦うことになるのですよね?」

「当然だな」

「それは、その――内紛、戦争ということでしょうが…自分たちも参加しなくてはならないのでしょうか?」

「ふむ」

 エレンの目は一瞬泳ぎ、彼女の傍らで縮こまっている少女をみた。自分というより、その少女の方が心配なのだろう。

 どうやら政治には慣れていない女性らしいが――まあ、当たり前といえば当たり前の事でもある。ただの村人が政治に慣れていたら、そちらの方が怪しさが増す。

 そうして一つの結論を出した。

「強制はできない」

「お前たちは既にモニカの護衛という大役を果たしてくれた」

「我が臣下でもないのに、だ」

「これ以上を強制することは私にはできない。事が済んだ後にロアーヌに来てくれれば、相応の礼をすると約束しよう」

「だがしかし、君たちがまだ手伝ってくれるというならとても喜ばしい。何せ、今は猫の手も借りたいからな」

 そうしてミカエルは言葉を区切った。

「これより我が軍はロアーヌへと帰還・進撃する準備に入る。おそらく夜通しの作業となるだろう。

 協力者たちは一晩、この宿営地で過ごすといい。豪奢なもてなしは出来ないが、十分な休息は約束しよう。

 明日になったら方針を決定する。それまでは是非くつろいでくれ」

 そうして謁見が終わる。

 副官に誘われてゴドウィン男爵の反乱を知らせたモニカと、その護衛をした者たちはミカエルのテントを後にする。

 その中で一人の人物に、ミカエルの視線は注がれていた。

 

 

 

「で、俺を呼んだのはどういう訳だ?」

「まあ駆けつけ一杯、一口飲んでからにしてくれないか?」

 夜。ミカエルのテントに招かれたのは色黒で曲刀を刷いた傭兵剣士。

 ハリードは勧められるままにミカエルの対面に座り、テーブルに置かれた極上のワインで喉を湿らせた。

「いい酒だ。遠征でここまでの酒が飲めるとは思わなかった」

「酒の違いが分かるとは。…流しの剣士と聞いていたが、ただものではないな」

「俺の素性が気になるか? 金を積めば教えてやるぜ」

「いや、それは金ではなく信頼で買いたいものだ。

 しかし、くくっ、金に汚いという噂は本当なのだな。そんなお前がいったいどんな訳でモニカの護衛をしてくれた?

 私はアレにお前を雇える程に価値があるものを与えた覚えはないし、前金でなければ仕事をしない主義なのだろう?」

 とたん、ハリードの顔が嫌そうに歪む。

「あの胡散臭いヤロウが原因だ」

「詩人か。確かにあれほど信じにくい人間もそうはいない」

「モニカ姫の護衛として、前金で500オーラムも出しやがった」

 懐から証拠の金貨を取り出して、見せつけながらハリードは語る。ミカエルも金貨に驚くような人種ではないが、不審そうな顔は変わらない。

「あの詩人が、か? いったいどんな理由で?」

 ハリードは黙り、指先でテーブルを叩いた。自分の手の内を晒すのは有料という訳だろう。他人への評価もその例外ではないらしい。

 ミカエルは真面目な顔で銀貨を一枚テーブルに乗せ、それを受け取ってからハリードは口を開いた。

「分からん、全く分からん。が、ただの善意でないことだけは確かだろうな」

「ゴドウィン男爵と繋がっている、という可能性は?」

「ほぼない。反乱に全力を注ぐべきあろう男が、ガルダウイングを仕留められる戦力を辺境の村に配置するという愚を犯すはずがない」

「なるほど、やはりお前は見る目がある」

 笑いながらミカエルはもう一枚銀貨を差し出した。ハリードは多少不機嫌そうにそれを受け取る。

 試されたことは気に入らないが、金を払うならば構わないといったところか。後、純粋に金に罪はないのだろう。

「さて、本題だ」

 ミカエルは仕切り直す。

「私はモニカをレオニード伯爵のところに送ろうと思っている」

「レオニード…あの吸血鬼か」

「レオニード伯爵は世俗に興味がない。モニカを送ることに借りとも思うまいし、モニカを守ることを貸しとも思うまい」

「俺はレオニードを個人的に知らんが、吸血鬼はいくらか知っている。あいつらは人を襲うモンスターの一種だぞ?」

「その枠を超えているからレオニードは伯爵と呼ばれるのだ。

 ここでモニカに手を出したらレオニードはロアーヌの敵になる。それを許容する伯爵ではない」

「門前払いにされる可能性は?」

「それは、ある。また、レオニードの配下が勝手にモニカを襲う可能性も。その為に最低限の護衛はモニカにつけてやりたい」

「…俺かい?」

「シノンの者達と、詩人に頼もうかと思っている」

 絶句した。

 正気かと目で問い掛けた。

 その瞳には苦渋の葛藤が隠れもしていなかった。

「詩人を、信じるのか?」

「全く信じられん。だが、あれほど信じられぬ者をロアーヌまで連れていく訳にはいかん」

「それで妹に押し付けるのか? あの胡散臭い男を」

「それだ。何かあった時、シノンの者はモニカを託すに値すると思うか?」

 ハリードは、ほんの少しの時間、熟考してから言う。

「直接、あの胡散臭い野郎が危害を加えたらどうしようもないから、そこは見ないでおく」

 前提を黙って聞き、ミカエルは頷く。ガルダウイングを単騎で殺せる者はそうはいない。ましてや一瞬でというならばなおさらだ。

 その前提があり、詩人に対抗できる戦力を送れない以上、その可能性は無視するしかない。

 そうではなく、直接的ではない陰謀にモニカが巻き込まれる時、また道中のモンスターやレオニード配下のモンスターに襲われた時、シノンの村の者は助けになるのか。

 詩人を無視した上でモニカを託すに値するか。それをミカエルを聞いた。

「…賭ける価値はあると、俺は思う」

「そうか…。賭けになるか…」

「どうしてもな。ただ――」

「ただ?」

「ユリアンとかいう若者はモニカ姫を見捨てないだろう。

 例え、自分の命を懸けてもな」

 その答えを聞き、ミカエルは深く考え込む。託すか、否か。時間はあまり残されていない。

 そんな若き侯爵を尻目に、ハリードは極上の酒を楽しんだ。自分の仕事は終わり、という訳だ。

 

 夜は静かに更けていく。

 

 

 




詩人がびっくりするくらい信じられていないのに役目が与えられる理由。

通りかかっただけの人が、大金をポンと出して助けてくれれば当然信用されません。
お金持ちのお嬢様が相手だと知っていたら、なおさら。
そいつが桁外れに強かったら、更に倍で。

でも目的が見えないから否定しきる事もできないし、無かった事にするには惜しすぎる上に、目を離して相手側に行かれたら辛すぎる。

そういった諸々が重なっています。



それを作中で表現しろって話ですよね。


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004話

 鍛えてくれないか、弱いのはもう嫌なんだ。

 少年少女はそう言った。

 

 それは、遥か昔を想起させる、強い決意の瞳だった。

 

 

 

 

 

 ミカエルに指示され、ポドールイにいるレオニード伯爵を頼る事になったモニカ。彼女を護衛するのは、ユリアン・トーマス・エレン・サラ。そして、詩人。

 ポドールイは北、真夜(しんや)の町。日の出ることのない夜と闇の町。もちろん不便な場所にあるが、それはレオニード伯爵という吸血鬼がそこに居を構え、そしてその庇護を求める人々が押し寄せたからに他ならない。

 一行はその町へ向かう。魔王の顔さえ知る、600年以上生きる怪物の下へと。

 ミカエルの宿営地を発ったその日の夜、夕食が終わって夜の番以外が眠りにつくまでの静かなひと時。ユリアンが強い瞳で詩人に声をかけた。

「なあ、俺を…俺たちを、鍛えてくれないか?」

「ああ、弱いのはもう…嫌なんだ」

 エレンも同じ瞳でそう頼んできた。正直に意外だった詩人はきょとんと残りの人々を見るが、サラもモニカさえも同じ瞳をしていた。

「突然どうしたんだ?」

「ガルダウイングが襲い掛かってきた時、何も…何も出来なかったんだ。あそこからシノンの村はそう遠くなかった。あなたやハリードがいなければ、もしかしたらあの化物に村が滅ぼされていたかも知れない」

 悔いるような口調でユリアンは言うが、それはちょっと違う。

「ガルダウイングはシノンの村に出るようなモンスターじゃない。あれは例外だ。そこまで深刻にならなくていいんじゃないか?」

「だが、実際にガルダウイングはあそこにいたんだ。死食によってゲートが開いたという噂は事実かも知れない。なら、弱いままじゃダメだと、僕も思う」

 詩人の言葉にトーマスは反論する。普段ならいいと言うが、現状は既にその普段ではない。

 なら、それに合わせた対策は必要だと。

 極めて論理的な返答に詩人はふっと笑みをこぼす。

「強くなりたいなら構わない。できるだけの手伝いはするし、今は幸い旅の途中だ」

「それが幸いなの?」

「ああ、空いた時間に稽古をつけて、旅で出会うモンスターに実践する。いざという時には俺もフォローに入れるからな。

 本来なら一番は路銀の心配だが、この旅に限ってはミカエル候が都合してくれた。いい機会といえば、いい機会と言える」

 詩人の言葉に一同はパッと明るくなる。断られるかも知れないと思っていたことを快諾されて嬉しいのだろう。

 ただ、と付け加えて詩人は少し申し訳なさそうな顔でユリアンを見る。

「他の武器もある程度は齧っているが、俺は剣は教えられないんだ。できるだけは鍛えるから、そこは勘弁してくれないか?」

「鍛えてくれるだけ嬉しいけど…剣はダメなのか?」

「ああ、剣だけはダメだ」

 そこだけは譲れないと強く言う詩人に、それならそれで別にとユリアンは頷いた。こちらから対価無くお願いしたのだ、快諾してくれただけありがたい話である。

「鍛えるのは明日からだな。最初の夜の番は俺とトーマスにしようか。

 他の奴らは早く休めよ。鍛えるとなると、ちょっと厳しい旅になる」

 これから深夜までを前半として、深夜から朝までを後半とする。これを詩人、ユリアン、トーマス、エレン、サラ・モニカ組で分けて夜の番をする。当然だが、有事の際は詩人はもちろん他の人間も叩き起こされることになる。

 正直に言えばモニカは護衛対象なので夜の番をする必要は無いのだが、他ならぬモニカ本人が参加したいと言い出した。お荷物にはなりたくない、出来る限りで役に立ちたい、と。詩人のいないところで既に話し合いは行われていたのだろう。先程の決意の瞳も十分に納得できる。

 そして今日の旅の疲れを癒すため、そして明日に備える為に4人はすぐに休む。

 モニカとサラは気が合ったようで、お互いに手を握り合って寝息をたてている。エレンはそんなサラのすぐ側で、横にならずに木に寄り掛かって目を閉じていた。ユリアンは火の側、つまり中央近くで横になっているが、武器である剣は手放さないまま休んでいる。

 全員の吐息が変わり、眠っていることを確認して。さて、と詩人はトーマスに向き合った。

「トーマス」

「…流石に言いたいことは伝わりますか」

「ああ、流石にね。俺もあまり隠してないし、ハリードやミカエルも疑ってるだろし」

 飄々とした面でトーマスと接する詩人。これは彼がハリードによく見せていた顔だ。

 人を見る目があるなら気が付くだろう、詩人はおかしいと。強ければハリードのように噂になってもおかしくない。それなのに、詩人はガルダウイングを一撃で倒す程に実力がありながらその噂を聞くことはない。

 ミカエルが疑っているのを見てトーマスも気が付いたのだろう。この詩人は何かおかしい、と。

「けれどそれを教えるつもりもない」

「…そんな人物を信じろ、と?」

「信じきる必要はないさ。そして怪しいだけの人物を、黒と言いきる必要もないだろう?」

 彼らの間でパチリと焚き火が弾けた。

「心配しなくていい。俺には確かに目的はあるし、それを言うつもりはまだ無いが、とりあえず今はモニカを護衛して君たちを鍛える。そんな気楽な旅なのは嘘じゃない。

 割り切るのも大事だ」

「分かりました。とりあえずそれで納得していきます」

 トーマスがそう締めくくり、話が終わる。後は静かな夜が続いていくだけだった。

(ポドールイ。レオニード伯爵、か。隠し通せればいいんだが)

 詩人の胸中を除いて。

 

 

 翌朝、やや早い時間に詩人に起こされた一行。寝ぼけ眼をこすりながらエレンが言う。

「…まだ休んでいていい時間じゃないの?」

「早朝訓練さ。旅を遅らせることができない以上、訓練は早朝と夕方以外にやる時間がないからな」

 そう言われては反論もできない。ノロノロとした仕草でそれぞれが体を動かす準備を始める。

 その慣れていない動作を仕方ないと詩人は苦笑して見ていた。今日はまだ一日目、徐々に慣らしていけばいいと。

「朝食当番はトーマスとサラだったな。君たちは軽く流すだけにしよう。トーマスは槍の突きと払いの型の練習、サラは矢を番えないで弓を引こう。

 トーマスは一回一回、より鋭くしていくつもりで。サラはまず力が足りないから、強い矢が撃てるように強く溜めるところから始めよう」

「分かった」

「はい。…あの、そんな基本的な事でいいんですか?」

「難しい事は時間がある時にゆっくりとするから。適当なところで切り上げて朝食の準備をよろしく」

 さてと、と。詩人は残りの3人をみる。

 ユリアンは剣を持ち、エレンは斧を構え、モニカは小剣を携えている。真剣でいいと、詩人自身が言ったのだ。

「とりあえず…エレンは斧は一回置こうか」

「え」

「斧を使うのもいいけど、君はとりあえず体術から鍛えた方がいいと思う。斧もだけど、体術にも才能あるよ。

 ああ、ユリアンもモニカ姫も、武器を使いながらも体術を織り交ぜることを忘れずに。キックとか合間に繰り出せるといい。

 さあ、それじゃあ――」

 

 乱取りをしようか。

 

 ユリアンの剣が、エレンの拳が、モニカの小剣が空を切る。

 3人がかりの攻めを、詩人はまず一切受けることなく、全て回避しながら様子を探る。

「ユリアンは剣を振り切ってからが遅い! 一撃が重すぎて次に続かない。一撃の重さを変えずに、体のバランスで次の動作までを短くしろ。

 モニカ姫は逆に一撃が軽すぎる! もっと相手をひるませるように、鋭い一撃を心がけて。

 エレンは利き手以外もキチンと使え! 体術は五体全てを武器にするところから始まる。まずは体全部を使いこなすところから始めろ」

 そしてその中で息一つ切らさずにダメ出しをする詩人。外から見ていたトーマスとサラは思う。やっぱりコイツは化物だ。

「サラ! トーマス! 気を散らすな!」

「はいっ!」

「申し訳ない」

 しかもしっかり外にまで意識を配っているし。

 詩人はやがて大きく回避して距離を取ると、自分の得物である棍棒を取り出した。

 それがガルダウイングの頭を粉砕したと知っている一同は硬直するが、いくらなんでもそこまで見境ない訳がないだろうと苦笑する。

「手加減はするさ。

 ただ、今度はこちらからも攻撃するからな。防御も意識しないと…痛いぜ?」

「あの、あたしは素手なんだけど…」

「素手で受け流すのさ。受け止めるんじゃなくて、横から力を加えて逸らす。むしろこれは斧の方がやりにくいぞ。

 武器の固さで守るだけじゃ損傷が激しいし、何より強いモンスターだと武器ごと砕かれる恐れもある。これが出来ないと絶対に強くなれないからな」

 そう言いつつ、詩人は軽く棍棒を振り上げて下す。その合間に反対の手で横から棍棒を押すと、確かに正中から外れた場所に狙いは逸らされる。

 …これを、僅かな時間に幾度となく繰り返される攻撃全てにやれと言うらしい。思ったよりも遥かに大変な訓練に思わず面々の顔は引きつった。

「もちろん俺も攻撃を逸らすからな。攻撃が逸らされるとバランスが崩れるからそこも注意しろよ」

 そう言って先程よりも激しい訓練が始まる。

 結果として。痣になる程度に全身ボコボコにされた3人がいたとだけ明記しておこう。

 

 朝食が終わり、ポドールイへ向かう面々。

 陣形はワールウィンド。最前列にユリアンとトーマスを配置して、そのやや後方にいるエレンを補佐に回す。後列にいるモニカとサラは打ち漏らしや奇襲に備えた前面防御に特化した陣形である。ちなみに詩人は離れて待機し、致命的にまずい事が起こらない限りは手を出さない。

 詩人曰く。ここいらのモンスターはそれほど強い訳ではなく、冷静に対処すれば問題ないレベルらしい。

「い、いたたたたた…」

「ううう。体がきしみます…」

「大丈夫、無理すれば動ける程度にしておいたから」

「無理は、するんだな…」

 エレンとモニカが泣き言を言うと詩人がさらりと問題発言をし、ユリアンが嘆息する。トーマスとサラは明日は我が身かと思うと朝から既に憂鬱である。嫌がられる雑事である食事当番がこれほど切望される旅は、おそらくあまりない。

「戦いなんて無理と無茶と理不尽の連続さ。

 さ、モンスターのお出ましだ。大きな群れにはなってないな、これくらいなら普通にクリアできるだろう」

 詩人の言葉を皮切りに、血に飢えたモンスターが襲い掛かってきた。それらは大きなカエルであるラッパーや、獰猛に襲い掛かる牙蛇といった、確かにシノンでも対処したことがある弱いに分類されるモンスターたちだった。

 だがシノンの時とは明らかに違うとユリアンやエレンはすぐに気が付く。

「あれ?」

「こいつらなんか、弱くない?」

「そうか? 普通だと思うが」

 首をかしげる2人にトーマスは手ごたえは変わらないと返す。違いが分かるのはやはり詩人だ。

「2人はちゃんと練習通りにモンスターの攻撃を受け流せているからな。そうすると隙が作りやすくなるんだ。

 特にユリアンは剣での攻撃バランスが良くなってる。捌いた攻撃から反撃して連続攻撃する時間が僅かに短くなってるな。少しだが、そういった違いに体が気が付いているのさ」

 モンスターが弱いのではなく、ユリアンとエレンが強くなっているらしい。モンスターと戦った経験がないモニカは実感できないようだが、ほとんど初めての実戦にしてはしっかりと戦えている。

 早朝の僅かな時間で大きな進歩が感じられる。

 それに気を良くしたユリアンとエレンは絶好調でモンスターを倒していった。

 

 そして野営の準備に入る時間。

 夜の当番はユリアンとエレンで、残った3人は術も使う面々である。

「術は余り得意じゃないんだが…」

 そう前置きした上で詩人は講義を始める。

 術は最低一瞬以上は内面に集中しなくてならない為、隙が大きく前線では使いにくい。反面、集中できる後衛では便利な万能性がある。攻撃ができるのはもちろん、武器だけではどうしようもなりにくい補助や回復ができるのが大きい。

 術に必要とされる技能はいくつかある。刻々と戦況が変わる中で大切なのは幾多の術の中から最適なものを選べる判断力、瞬時に発動できる集中力、そして威力に直結する魔力などである。

 判断力は一朝一夕でどうにかなるものではなく、少しずつ伸ばしていくしかない。魔力はさらにどうしようもなくて先天的にほとんど決まり、ユリアンとエレンが術を使わないのはここに原因があるといってもいい。術の補助道具があったりはするし、熟練者になるほどに威力はあがるが、最初に才能が無ければどうしようもないのが術の特徴だ。

 故にここで練習するのは即座に発動できる集中力と、術のレパートリーを増やすこと。後、少しずつ威力を増やす為に小さな積み重ねをするくらいか。

 武術に比べて内容が薄いのは、やはり詩人が専門家ではないからだろう。それでも術をしっかりと使える者の少なさを考えれば十分に優秀な部類には入るのだろうが。

「俺は相性が悪くて地術は使えないんだ。代わりに天術には相性がよくて太陽と月の両方が使えるが…」

 術の常識を覆す発言にモニカが驚いた。

 前提として術には地術と天術の2種類がある。人間は地術四種の中から1つの適正、天術二種のうち1つの適正があるとされているが、詩人は地術には適性が全くない代わりに天術を両方使えるらしい。

 天術は詩人が言った通りの太陽と月があり、地術は朱鳥・白虎・蒼龍・玄武の4種がある。これらの適正は生まれながらに決められているとされ、無理に適正がない術を使うと威力が大幅に減じてしまう。

 ちなみに各々の適正は。トーマスは玄武・太陽。サラは白虎・月。モニカは朱鳥・月。以上となる。

 とりあえず詩人が使えない地術はおいておき、詩人が当番の時に各自で自主訓練することになった。教われるうちに天術の練習をしていく。

 

 

 

 こうして着実に強くなりながら一行はポドールイ、レオニード伯爵の下に向かっていった。

 目的地までは、もうすぐそこである。

 

 

 




 初期状態だとちょっとシノン組とモニカは弱めですよね。そういう訳で修業回。
 ついでに術の説明もちょっといれておきました。

 …やっぱり色々と忘れています。攻略を見ながら書いていますが。やはり一度ロマサガ3を回ってくるか。リマスター版、まだかなぁ。




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005話

 

 

 かまいたち。

 精霊族の中では最も弱いとされているが、弱いとされてるモンスターの中では上位に位置する。

 その理由はいくつかあり、低級とはいえ術を使える点と高めの攻撃力と体力がその理由にあげられる。要するに力が強い上にタフなのだ。

 もしもシノンの村の面々が旅に出たばかりだったら、きっと苦戦以上の辛い戦いを強いられただろう。

 

「ウインドダートが来ます!」

「任せて下さい! …ストーンバレット!」

 術の予兆を感じ取ったモニカの言葉に素早く反応したのはサラ。術で編まれた風の刃に、術で創られた岩の塊をぶつけて相殺する。

 起死回生を狙って放った術は無効化され、前衛で戦っていたユリアンとエレンは更に有利になる。

 前衛は大丈夫だろうと判断したトーマスはかまいたちから大きく距離をとり、素早く術を唱える。

「スコール!」

 突発的に降る雨は、敵だけを識別して強く打ち据える。そこにユリアンとエレンが叩きつける剣と斧とが命中し。

 さしたる苦労なくと言っていい範囲でかまいたちは打倒された。

「ふー」

 快勝の後の充足感に、エレンは大きく息を吐く。そして行く先に見える、昼の時間なのに太陽がない空を見上げた。

 レオニード伯爵が住む土地、ポドールイ。目的地にして、今まで以上に注意が必要な、吸血鬼の城はもう間近にせまっていた。

 

 そのままなんの問題もなくポドールイに到着したが、ここで少しだけ意見の対立がおきる。

 向かう先は吸血鬼の城、ミカエルから貰った資金もあることだし、ある程度の準備は必要だというトーマスとそれに賛同するユリアンとエレン。対し、客として向かう以上、そのような心配は無用だという詩人。

「そもそもだな、力を借りに行くというのにそんな相手を信用しないのはまずいだろう?」

「だが相手は吸血鬼だぞ。万が一の準備をしておくのはむしろ当然の用心じゃないか?」

「トムに賛成だね。無駄に終わればそれでいい話じゃないか」

 場所は酒場。ポドールイはその場所故、雪に覆われたとても寒い土地である。寒空の下で多少の時間言い争っていたが、これまでの旅の疲れでモニカやサラの顔色が悪くなってきたこともあり、とりあえずポドールイの酒場へと入り込んだ。

 酒場と言ってもこれから向かう場所を考え、酒を注文するものはなく、思い思いの軽食をつまむだけだったが。

「…まあ、そこまで言うなら別にやるなとは言わないが」

 やや不服そうに言う詩人。絶対にするなという訳ではなく、無駄になるからやめておけという忠告のつもりだったが、そこまで言うなら強く反対するほどの事でもない。

 手元にあるジャーマンポテトをつまらそうに口に運びながら、折れる詩人。

 それに満足したように頷いたトーマスは、武器の新調や消耗品の補充などやることを列挙し、割り振っていく。

「そんなに時間はかからないと思うから、詩人はここで待っていてくれ。集合場所もここにしよう」

「構わない。俺はここでゆっくりさせてもらう」

「じゃあ、行こう」

 促して席を離れる5人。本当なら、モニカを付き合わせるほどではない雑事だが、トーマスは詩人とモニカを二人きりにさせたくなかったのだ。

 だから仲の良くなっているサラと一緒に簡単な買い物をお願いすることにした。幸いというか、モニカも特別扱いされるわけではなく、仲間として遠慮なく接されることを喜んでいるようだったので、問題ないだろう。

 そんなトーマスの心配を手に取るように理解しながら、自分にはなんの不都合もないと。詩人は手をひらひら振りながら、やる気なく彼らを見送っていた。

 

 

 レオニード。600年前に生きた魔王の顔を知った上で現存する吸血鬼であり、聖王によって伯爵と名乗ることが許された貴族でもある。

 そもそも、今の貴族というのは300年前に聖王に協力した者に与えられた称号であり、それをその血脈が代々受け継いでいるものが大半だ。聖王の死後の長い時間の間に廃れた血脈や、新興で貴族を名乗る者がいない訳ではないのだが、レオニード伯爵は聖王によって認められた由緒ある貴族と言えるだろう。

 その一方で力ある吸血鬼であるというのも事実であり、伯爵はモンスターを多く従え、特にアンデッドに類するモンスター達は一つの国を滅ぼしかねないとさえ噂される。

 その居城の正式名称は人々の口にあがらない。伯爵が住まう城である為に、安直にレオニード城と呼ばれるのみである。

 そんなレオニード城の前に6人の男女がいた。その禍々しい城を見上げていた。城のどこからか、亡者のうめき声が聞こえる。悪魔の笑い声が聞こえる。妖精の嘲笑が聞こえる。

 間違いない。この城は世界屈指の危険地帯だと、そんなに鈍い者でも理解してしまうおぞましさがそこにはあった。

「……」

 誰ともなしに、その城門を開ける事を躊躇する。その門が開け放れた途端に中にいる災厄どもが雪崩をうって飛び出してくるような気がして。

 誰も動けない。呑まれてしまって動けない。

 

 ゴンゴンゴン

 

 そんな空気を無視するのが詩人である。他とは違い、全くためらう事なく城門を力強くノックして中にいる伯爵に来訪の意志を告げた。

「ちょ、あんた!」

「だから心配し過ぎだって。仮にも聖王に認められた伯爵様だよ。敵対するならともかく、ロアーヌ候姫君のささやかな頼みを無下にする事はない」

 エレンが思わず抗議して、他の非難の目が詩人に集まるが、やはり彼はそれを気にした風でもない。

 詩人によってノックされた城門は、重々しい音を立てながら来訪者を招き入れる様に大きく開かれた。

「ほら。いらっしゃいませ、だってさ」

「…わたくしは地獄の境を越える気分ですが」

 モニカがぽつりと弱気を口にするが、しかし他に選択肢がないのも事実。ミカエルがレオニード伯を頼れと言った以上、この吸血鬼伯爵に頼る他はない。

 詩人のその力量と、楽観的な意見をか細い希望とし、面々は恐る恐る城門をくぐってその城の中に入っていった。

 そして入って数十メートルもいかないうちに、いきなり玉座があった。そこに座るのは見間違えるまでもない、吸血鬼伯爵、レオニード。生者にあるまじき青白いその肌は彼が吸血鬼であることを示していて、そしてその威圧は王者の威厳が感じられる。間違いなく、彼は数多のモンスターを支配する王なのだろう。

 強く警戒する一行に穏やかに笑いかける伯爵。それは来訪者を歓待する笑みか、それとも敵にならずと警戒の必要がない事を示す嘲笑か。判別は、できない。

「ようこそモニカ姫。噂には聞いていたが、実際に拝見すると噂などあてにならないということがよく分かる。貴女は噂以上に美しい。祖先であるヒルダ嬢よりも、あるいは美しいかも知れぬ」

「ありがとうございます、レオニード伯爵。実はこの度、伯爵の下を訪れたのは他でもありません」

「ロアーヌ候ミカエルがゴドウィン男爵の反乱に立ち向かい、急所である貴女を私に預けにきた。そういった訳だろう」

 あまりに正確にこちらの事情を理解していた伯爵に、思わず一同の言葉がつまる。

 そんな彼らにレオニード伯爵は隠すまでもないと種明かしをした。

「なに、永く城にこもっていると噂話を集める以外の娯楽がなかなかなくてね。世界中の情報を集めて無聊を慰めているのだよ」

 そう言って彼の近くにいた鳥型や蝙蝠型のモンスターに目を向ける。おそらく彼らがレオニード伯爵の目となり耳となり、世界中が情報が集まっているのだろう。

「最新の情報だが、ミカエル候がゴドウィン男爵の先陣を撃破したという情報が手に入った、快勝だったそうだ。

 ミカエル候がゴドウィン男爵の反乱を鎮めるのも時間の問題だろう。吉報が届く間は客室でゆっくりとされるのがよいでしょう。

 ただ、一つだけ注意していただきたいが、ここは吸血鬼の城。奥には魑魅魍魎が跋扈している。散歩をおすすめすることはあまりできない」

 そこで話を区切り、レオニード伯爵の視線が一人の男に注がれた。

「堅苦しい話はここまでだ。確か、名前は伏せているのだったか、詩人よ」

「ああ。人のいる前で名前を呼ばない配慮は痛み入る」

「よい。お前と私の仲だ。そこまでかしこまる必要もあるまい」

 先程より明らかに柔らかい口調で話し始めるレオニード伯爵と詩人に、一同は思わず目を見開いた。

「あんた、レオニード伯と知り合いだったのかい!?」

「そうじゃないと言った記憶はないぞ。

 確か15年前だったか。ちょっと探したいことがあってな。広く情報を集めているレオニードに助けを求めたんだ」

「結局、力になれなかったがな。それで、見つかったか?」

「…それが、まだ」

「私でも見つけられなかったものだ。焦らずに探せばいい」

 そこでいったん友好の確認は終わったようだ。レオニードの表情が王のそれに戻る。

「ひとまずはここまでにしておこう。

 時刻はもう遅い、客室に案内しよう。後で軽食を運ばせるから、ゆっくりと休んでくれたまえ」

 レオニード伯爵がそう言うと、彼らの近くに妖精の使い魔が現れて、ゆっくりと別の場所に移動し始める。どうやら客間まで案内してくれるようだ。

 どうしたらいいのか。思わず顔を見合わせる一同だが、なんのためらいもなくそれについていく詩人に従うように、玉座の間から移動を始める一行だった。

 

 距離はそれほどでもない。ものの数分もしないうちに客間へと到着する。

 だがそこで使い魔の妖精は1つと5つに分裂した。一人部屋とその他に別れろという意味だろう。

「わたくしはこちらのようですね。では皆さん、お休みなさい」

 身分的なことから気を使ったのか、それとも他の意図があるのか。モニカが一人部屋のようだ。残りの面々は固まって移動を開始する。

 部屋につき、妖精の使い魔が用意した軽食を口にして、食後のお茶を飲みながら集まった5人は話をする。

「しかし詩人さん。あなた、レオニード伯爵と面識があったのですね」

 今日一番の驚きだろう。サラがそんな話題を口にする。

「だから大丈夫だと言っていたつもりなんだが」

「でも、不安になる気持ちも分かるだろう?」

「まあ、な」

 個人的に面識があった詩人はともかく、その事実も人柄も何も知らない人間にとっては吸血鬼の城というならば警戒して当然だ。トーマスは間違いなく正しい。

 そんな中、湧き出た好奇心を口にしたのはエレンだ。

「しかしレオニード伯爵と知り合いなんて普通じゃないよね。あんた、本当に何者なのさ?」

「詩をうたいながら世界を回る詩人さ」

「さすがに信じられないんだけど」

「そういうことにしておけって事だよ。本当は目的がちゃんとあるが、余り口にすることじゃないしな。まあ、一緒に旅をする事があるなら知る機会もあるだろ」

「ふーん」

 気のない返事をして話を終わらせるエレン。飄々とした態度とは裏腹に、強い意志を感じる。少なくともこんな雑談で口を割る事はないだろう。

 と、そこでドアがこんこんとノックされた。

「誰だ!?」

 ユリアンが素早く剣をとり、入り口に向かって誰何(すいか)する。

 ここは吸血鬼の城、いきなりモンスターが襲ってきても不思議ではない。

 不思議ではないだろうが、訪れたのはモンスターではなかった。

「わたくしです、モニカです」

「モニカ様でしたか。失礼しました」

 声を聞いても油断しない。警戒心を持ったまま扉をあけると、そこにいたのは間違いなくモニカだった。そこでようやくユリアンは警戒をとく。

「モニカ様、いったいどうされました?」

「いえ、あの、どうしたという訳ではないのですが…」

 やや言いにくそうに、だが意を決して来訪した目的を口にする。

「あの、申し訳ないのですがわたくしもこちらで休ませていただけないでしょうか?」

 言われてようやく気が付いた。

 ここは吸血鬼の城。自分たちでさえ集まって、まだ恐怖心が薄れぬというのにそんな中、独りで居続けたら怖くて仕方ないだろう。

「承知しました。モニカ様はこの部屋でゆっくりとお休み下さい。

 私とユリアン、詩人で見張りをしますのでどうかご安心を」

 快諾され、ほっとした表情を浮かべるモニカ。

 

 3人の男が見張りにつき、3人の少女が体を休める。吸血鬼の城での最初の夜はそうやって過ぎ去っていった。

 

 

 




2日か3日に一度くらいのペースで更新出来たらいいなぁ…。
頑張ります。


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006話

資料集めに今更ながら基本情報を眺めていたら、全く想定していない基本設定を発見してしまいました。
おかげでまた小説の設定が一つ増えた。

もしかしたらこのせいで更にエピソードが増えるかも知れません。
とりあえず、このペースだと100話は確実に超えそうです。200話とかいくかも知れません。いつまでかかるかは、想像したくありません。



では、最新話をどうぞ。


 

 

 レオニード城で一晩を明かした翌朝。

 翌朝といってもポドールイは太陽が昇らない土地。朝ではあるが、夜のように薄暗い。

 そんな中、訪れた一行はレオニードと共に食堂で朝食をとっていた。材料も調理の腕も一級品であるはずなのだが、そもそも城が薄気味悪いのでどうにも味を感じにくい。そう思わないのは、そういうことを気にしないレオニードと詩人くらいだろう。

 明らかに暗い雰囲気にレオニードは苦笑する。確かに、この城は普通の人間が過ごすには精神衛生上よくないかも知れない。

「どうやら退屈していられるようですな、みなさん。どうです、軽く気晴らしをしてみるのは?」

 食事が終わった時、レオニードはそう告げた。

 気晴らしという言葉に幾人かが強張ってしまうが、今回は別に含んだ意味で言った訳ではない。

「私はいくらかの財宝を所持していますが、特に気に入った物や価値あるもの以外はこの城にはおいていないのですよ。

 ポドールイの闇の中にある洞窟や、古びた砦を見繕ってそこを宝物庫の代わりにしています。皆さんにはその中の一つをお教えしましょう。

 悪辣な罠や、特に凶暴なモンスターもいませんが…一つだけ価値のある宝を隠してある洞窟です」

 レオニード城にいるよりかはその外に出て、適度に体を動かした方がいい。

 そう思ってレオニードは提案する。モニカとシノンの者たちは突然の話にどうしたものかと顔を見合わせている。

 だが、レオニードの為にもここは是非行って貰わないと困るのだ。そっと詩人に目配せをするレオニード。その意味を察した詩人は、芝居のようにレオニードへと問い掛ける。

「モンスターがいるというが、大丈夫なのか? モニカ姫の護衛の俺たちが気晴らしで御身を危険にさらしたらミカエル候に合わす顔がない」

「ええ、大丈夫です。ミカエル候の宿営地からポドールイまで来れるようならば、それこそ詩人がいなくても攻略できるでしょう」

「そうか。なら行ってきたらどうだ? 正直、この城に居続けるのも心に負担をかけそうだ」

「行ってきたらって…詩人はこないのか?」

 流れるような会話。それに違和感を覚えたのか、トーマスは怪訝な顔をして尋ねる。

 さすがにこのまま押し通すのは虫が良すぎたか、と軽く心の中で溜息をつく詩人。

「ああ。それとも、俺がいなくてはモニカ姫を守り切れないか?」

「そういう問題じゃないだろう。議論をすり替えないでくれ」

「いや、そういう問題だ。実際、何らかの理由で俺がモニカ姫の護衛につけない状況もありえる。分断される、とかな。そういった場合にちゃんと動けると言えるのか?」

「うっ…」

 言葉につまる。ガルダウイングの時を思い出したのだろう。

 あの時の経験を糧に頑張ったとは胸を張って言えるが、それが実戦に耐えられるかは証明できない。今まではずっと後ろに詩人がいたのだから。

「いいじゃないか。行こう、トム」

「ユリアン!」

「せっかくレオニード伯爵がいい腕試しの場所を見繕ってくれたんだ。力試しをするのも悪くない。それに……」

 ちらりとモニカを見るユリアン。

「正直、モニカ姫のお心も心配だ」

「わ、私も。ちょっと外に出れるなら、出たいかな」

「サラが行くならあたしも行くよ」

「サラにエレンまで…。モニカ様、いかがしますか?」

 シノン村の面々は行く気になっているのを見てトーマスは嘆息する。

 多少心に負担がかかろうが、詩人という強者の庇護の下にいた方がいいという自分の意見が間違っているとは思わない。しかしどうも財宝の洞窟にいく雰囲気になってしまっている。

 モニカ姫が反対すれば流れは変わるだろうと思いながら、その一方で無理だとも思っている。短い間の旅だが、モニカの性格はなんとなく掴めている。芯は強いが、どこか流されやすい部分があるのだ。

「わたくしは、行ってみたいです」

 思った通りの結果にトーマスは溜息を吐いた。だがしかし、彼は一つ思い違いをしている。

 モニカは行ってみたい、そう言ったのだ。自分が行きたいと、そう言ったのだ。決して流されやすいだけの少女ではないのだ。

 

 レオニードが示した財宝の洞窟は、目玉である生命の杖しかない訳ではない。レオニードにしては些少な、一般の村人にしては莫大な、お宝もところどころに隠してある。

 集めた財宝を使って、ポドールイの町で軽く飲もうかというところまで話はまとまった。詩人も彼らが町に帰ってくるころを見計らって合流するとも伝える。

 そうしてレオニード城から彼らの気配が完全になくなった頃、レオニードと詩人は向かい合わせでワインを傾けていた。

「まず、モニカの安全に問題はないんだろうな?」

「ああ。私の配下のゴーストを一体、モニカ姫の影に憑依させている。それを通して私自身も監視しているし、モニカ姫の安全は保障しよう」

「シノンの連中の命は保障しない、か」

 素知らぬ顔でワイングラスを傾けるレオニード。

 まあ、どういった理由や経緯であれ、一攫千金を狙うのだ。命をかけるくらいは当然と云えば当然でもある。

「それはいいとしよう。俺としてもモニカが無事にミカエルの下に帰るなら文句はない。

 それより、俺に用事とはいったいなんだ?」

 レオニードがあえて黙っていた、詩人と二人きりで話をしたがっていたこと。それに感づいたからこそレオニードにのって、他の連中を財宝の洞窟に行くように仕向けたのだ。

「なに、久しぶりに会ったのだから世間話がしたかっただけだよ」

「それだけか?」

「君とする世間話は、物騒な話になりそうでね。これでも気を使ったのだが。何せ気軽に名前さえも呼べない」

 ふん、と鼻息を荒くする詩人。

 確かに名前を隠している身としては、自分の名を知るレオニードがその意図を汲んでいるだけでも感謝するべきなのかも知れない。

 レオニードとしても下手に詩人の機嫌を損ねたくないので、気を使わざるを得ないのだが。

「どうだ、目的は叶いそうか?」

「叶いそうか、じゃない。叶えるんだよ」

 

 復讐を。

 

「その為に、1つを除いて手段は問わない。大丈夫、俺は何も見失っていない」

『欺こう、偽ろう、殺戮もしよう。ただし決して裏切らない。奴らの同類には決してならない』

 それはかつて詩人がした宣誓。獣の表情をした上で、人間の知性を瞳にのせた壮絶な表情を、レオニードは今でも思い出せる。

「誇りは捨てていないようだな。ならばいい。個人の問題に首を突っ込むのは、あの一件だけだ」

「…悪いことをしたとは思っている。だが後悔はしていない」

 二人の脳裏で、一人の人物が泣いていた。それはかつて詩人が見捨てた女性だった。

 レオニードが諫めたのはその時だけだ。側にいてやれと、そう詩人に言ったことがある。

 だが詩人はそれを拒絶した。これ以上側にいては決意が鈍ると。血塗られたこの手が復讐を成し遂げるまで、腕を鈍らせる訳にはいかなかった。見捨ててきた、また殺してきた全ての為にも、もう詩人は後にはひけないのだ。

「しかし、ずっと探しているのに、まだ見つからない…」

 15年前にレオニードに助力を求めてまで探したモノは、未だに見つからない。

「ない、という可能性もあるのではないかな?」

「それはない」

「根拠は?」

「ゲートは徐々に開き始めている。この旅が終わったら、一度ランスに戻りヨハンネスに確認をとるが、宿命の子なくしてゲートに干渉できない」

「宿命の子はまだ生きている、か。

 しかしいったいどこに……?」

「…分からない。しかし貴族たちは知らないだろう。神王教団もな。知っていたらとっくに利用している。今回の件でミカエルの内情を探れたのは運がよかった。やはり宿命の子はロアーヌにもいないな。

 それにロアーヌはビューネイの縄張りでもある。もしも宿命の子がビューネイのゲートに干渉しようとした時、またビューネイが暴れる時にも、ロアーヌに伝手があるのは大きい。今回の件は上出来だよ」

「難はあれど、ひとまずは順調といったところか」

 ふう、と息をついた。

 香ばしく炒められたソーセージを齧る。

 さっぱりとしたチーズを噛む。

 ワインで喉を潤し、香りを楽しむ。

「…お前がまた、人に教えるとは思わなかった」

「まあ、な。正直、よくないことも思い出した。だが、あの目にはどうにも弱い。守りたい。強くなりたい。助けたい。そう言っていたよ。

 …俺の仲間も、同じ目をしていた」

「復讐が終わったら、どうする?」

 そう言われた時、詩人はぽかんと理解できない言葉を聞いたような顔をした。

「…、……。考えた事はなかったな、そういえば。奴らを殺すことしか考えていなかった、な。

 もう、ずっと、ずっと……」

「終わらせるのだろう? 叶えるのだろう? お前は隙を作らないことを信条としているのならば、そろそろ先の事も考えておけ。

 人に教えることは、お前に似合っている。本格的に弟子でもとってみたらどうだ。剣でも教えてやればいい」

「…そうだな。考えておくよ」

 

 バサリと蝙蝠が部屋に飛び込んできた。どうやらレオニードに報告らしい。

 ふと気が付くと随分と時間が過ぎてしまっている。モニカとシノン村の連中はもう酒が入っている頃だ。

「遅くなった。俺はそろそろポドールイに向かう」

「待て。今報告が入った。ミカエル軍がゴドウィン軍を撃破した。ロアーヌに帰還するのも時間の問題だな。

 人間にこの城は居心地が悪いだろう。今日はポドールイに泊まり、そのまま旅立て」

「分かった。…しかし、俺が人間じゃないような言い草だな、それは」

「…暇が潰せた。またいつでも来い。お前ならば喜んで歓迎しよう」

 片手をあげて応えると、詩人は席を立ち、城を発つ。

 客がいなくなった吸血鬼の城で、主が呟いた言葉は誰の耳にも届かなかった。

「人間で無い方が、お前にとって幸せだろうに」

 

 

「う わ ぁ」

 ポドールイの酒場に入った詩人は、その惨状を一言で表現した。

 ひとまず最重要案件であるモニカはサラが避難させていたようだが、その他の面々が酷すぎる。

 エレンはカウンターで酒を凄い勢いで傾けている。ただし、据わりきった目で。明らかに堅気でないオーラを出しており、その周りには男が5人程倒れている。見たところでは酒の飲み過ぎか、もしくは物理的に昏倒させられたか。どういう経緯があったかは知らないが、どう考えても原因はエレンだろう。

 テーブルではトーマスが泣きながら酒を煽り、ユリアンが回らない呂律でくだをまいている。お互い勝手にしているようで、相手に話しかける(てい)をとっていながら返事を求めていない。しかもその上でその近くでは10人以上のガラの悪い連中が伸びている。

 どうみてもトップクラスに関わりたくない系統の酔っ払いである。とりあえず3人は無視してモニカとサラに近づく。

「なあ、どうしちゃったのコレ?」

「あ、詩人さん!」

 助かったという顔をするモニカ。困った顔をするサラを見るにこれが最初ではなく、恐らく羽目を外す度にこんな事をしているのだろう、こいつらは。

 ため息を吐きながら避難していた2人のテーブルにつく。

「とりあえず、俺も飲むか。ウオッカ、ダブルで」

「これを見て、とりあえず飲むのですか…」

「詩人さんもマイペースな方ですね…」

 モニカとサラは微妙な顔をしているが、それはそれでこれはこれだ。

 酒場に来たら酒を飲む。これは常識。

「で、何があった? 話してくれ」

「…詩人さん、楽しんでいません?」

「かなり」

 臆面もなく言う。マイペースなだけでなく、面の皮も厚いようである。

 

 財宝の洞窟は、多少危なっかしいこともあったらしいが、とりあえず無難と言える範囲で攻略したらしい。

 レオニードに言われた生命の杖の他にいくつかの装飾品やそれなりの武器や防具。それにオーラムにして1000になるほどの大金。

 シノンの村の人々もそうだが、モニカも自分で大金を持つような生活はしておらず、お忍びで外に出る時も庶民的な額しか手にしない。それが一気に1000オーラムである。

 まずトーマスが壊れた。宝石などを現金化した後に来た酒場で、怪しく笑いながら稼いできた金貨を数えるという奇行を始める。

 当然、そんな目立つように金貨を見せびらかせば、ガラの悪い連中がよってくる。それを自業自得とサラとモニカを連れて逃げ出したのがエレンで、トーマスの助太刀に入ったのがユリアン。まあ、エレンも本当にトーマスが危ないと思ったら助けに入っただろう。あの程度の連中なら大丈夫だと判断したに過ぎない。

 そして大立ち回りで悪党どもをボコボコにした二人だが、そこからがよくなかった。トーマスがお礼にユリアンに一杯おごると言いだせば、ユリアンも返礼として一杯おごり返す。そして相手の金でエンドレスに飲み続ける構図ができてしまった。しかも現在の財布にはオーラムがあふれている。サラもほとんど見た事はないが、ユリアンやトーマスは行き着くまで行くとああなる。しかも同時にというのは初めてらしい。

 一方で女性陣。トーマスに絡まなかった比較的穏健な男でも、美女美少女が集まっていればちょっかいをかけてくる。

 最初は適当にあしらっていたエレンだが、相手も上手だったらしく、なんだかんだ言いながら上手く酒を飲ませておだててくる。そして村娘で経験が負けていたエレンは徐々に調子にのってしまう。

 調子にのって出てくるのが自慢話。ここでどんな恋愛をしていたとか、性質の悪い男をこっぴどく振ってやったとか、そういった話題が出ればよかったのだが、そこはエレン。出てくる自慢話は斧で熊を一撃で仕留めたとか、村中の男を相手に相撲をとって全員に勝ったとか、飲み比べでも負けずに祭りで準備した酒を飲みつくしたとか、そういった話ばかり。ちなみにサラ曰く、全て本当の事しか言っていないらしい。なお悪い。

 そんな話が延々と続くうちに、誰かがポツリと言ってしまった。

「男女」

 斧の一撃で熊を仕留める女に向かってである。村中の男と相撲をとって勝つ女に向かってである。

 …間違っていないのが悲しい。

 とりあえず間違っているかどうかは置いておくとして、正しい言葉ではなかったのは確かである。酔っぱらったエレンはキレた。キレて、手当たり次第にブン殴り、口に酒瓶を突っ込み喉ぼとけをおさえて酒を飲ませまくる。モニカ曰く、妙に手馴れている事が怖かったらしい。それはそうだ。

 それで起きたのがこの惨状らしい。

 一番怖いのは、酒場に入ってからこの状態になるまでに30分かかっていないことだろう。

「話は分かった」

 事情を聞き、詩人は神妙な顔をする。

「じゃあ、他人のふりをして俺たちも飲むか。

 テキーラのダブル、よろしく」

 あ、コイツもか。

 モニカとサラは同時に思ったとかなんとか。

 幸いというか、詩人は酒癖は悪くないようで、ほろ酔いを維持したまま酒を楽しんだことだろうか。その中でミカエルが勝利した事を伝え、モニカを大いに安堵させた。また、もうレオニード城に戻らなくてもいい事も伝えるとサラも一緒に大いに安堵した。気味の悪さもそうだが、連れがコレであの上品な伯爵のお世話になりたくはない。

 そのままゆっくり明けない夜を楽しんだ一行は、適当な時間で宿屋に泊まる。

 

 翌朝。

 

「ぅぅぅ…」

「頭が、痛い…」

「だらしないわね!」

「…何でお前はそんなに元気なんだよ」

 二日酔いに苦しむユリアンとトーマスだが、エレンはケロリとしていた。

 二日酔いではないのに頭を抱える詩人に、手馴れた様子で男二人を介抱するサラ。モニカは未経験の事態にオロオロとしている。

 

 出発は昼前になったらしい。

 ついでに、その日のモンスターは元気いっぱいのエレンがほとんど一人で片づけていた。

 

 

 




前半シリアスだったので、後半はギャグにしてみました。
宿命の子はいったいどこにいるのか…。
詩人の旅は続く。


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007話

本日、二話目の投稿です。

この話で序章は終わりです。
これまでの話やプロットを見直したりするので、次の投稿まで時間が空くかも知れませんが、どうかよろしくお願いします。


 ガランとした酒場だった。

 もう明け方であり、客はたったの独り。ロアーヌを救った英雄の一人とされる、エレン・カーソンその人である。

 ポドールイで飲んだ時とは違い、その表情は呆然としたものだった。

 

 彼女は一晩で多くを失ってしまった。

 自分に好意を寄せてくれていたユリアンはミカエルに認められ、モニカの護衛であるプリンセスガードに入隊すると嬉しそうに語り、エレンに背を向けてロアーヌ城へと走り去っていった。

 ずっと自分が守ってきた(サラ)は、故郷に帰ろうという自分に反発して飛び出してしまう。トーマスについてピドナへ行き、商売の手伝いをすると、トーマスが伝えてくれた。

 ハリードはミカエルと契約を交わし、しばらくロアーヌに留まるらしい。

 誰が悪いという訳でもないのだろう。だが現実として、エレンはたった一人ですることもなくぼんやりとしている。目標が、やる事がないのだ。仲の特に良かった者が誰もいないシノンの村に帰る気持ちは、起きない。

 迷惑そうなマスターを無視して、酒を飲むでもなく酒場でぼんやりとする。いや、ぼんやりとしかできない。

「まだここにいたのか、エレン」

 ギィと音を立てて扉が開き、男が一人入ってくる。詩人だ。べらぼうに強いくせに、自分の目的も素性も、名前さえも明かさない変わった男。

「ああ、あんたか。どうしたの?」

「他の奴らの話は聞いたが、エレンがどうするかの話は聞かなくてな。トーマスから事情だけは聞いたが」

「…あのおしゃべり」

「で、どうする? ユリアンと一緒にミカエル候に仕えてみるか? ピドナに行ってサラと一緒に商売の手伝いでもするか?」

「あんな薄情な連中、知らないね!」

 ふんっ、と鼻息荒く言い捨てる。

 詩人はそうかと頷き、エレンに話しかける。

「行くあてがないなら、一緒に来るか?」

「は? あんたと? どこへ?」

「ランスへ。聖王廟を見るだけでもいいし、もし手を貸してくれるなら手を貸して欲しい。

 お前たちなら協力を願おうかと思ったが、みんな素早くてな。捕まらなかった」

「のろまで悪かったね! …で、何に手を貸せばいいんだい?」

 エレンは問い掛けるが、詩人は意味ありげに数枚の銀貨を取り出してマスターに握らせる。

「30分でいい、二人で話がしたい」

「…。俺はこれから夜の営業の用意で外に出なきゃならん。お前さん方、30分で戻るから、そうしたら帰ってくれ。もううちは店じまいだよ!」

 足早に出ていくマスター。

 その足音が完全に聞こえなくなってから、詩人はエレンの近くに座る。人払いをした上で、かすかな声でエレンにしか届かない声で言葉を紡いだ。

「宿命の子を探している」

 びくりとエレンの動きが止まり。錆びついたような動きで詩人を睨む。

「…なんだって?」

「ランスにヨハンネスという学者がいるが、その研究成果によってゲートが開き始めているのは確実だ。

 宿命の子は、間違いなく生きている。それを探すため、俺は全力を尽くしている。

 今の世の中は混乱している。ゲートの影響でアビスの力の恩恵を受け、暗躍する者。それを阻止しようとする者。神王教団。四魔貴族。全てが宿命の子を探している」

 想像もしていなかった事態に、エレンの目は丸くなる。

 田舎村で過ごしていたエレンには世界情勢など、知る由もない。世界が宿命の子をかけてそんな大事になっているなんて、夢にも思わなかった。

「で、あんたは宿命の子を見つけてどうしようっていう訳よ?」

「四魔貴族と戦う」

 言い切る。

 名前も明かさない男がその目的を。

 信用は、できない。

 口ではなんとでも言える。まだ信用はできない。

「…とりあえず、ランスには行く。ヨハンネスって奴の話を聞いてみる。

 そして自分で考えて、自分で結論を出す。もしそれで目的が一緒なら、手を貸してもいい」

「そうか、それでいい」

「あ、ついでにあたしを鍛えてくれると嬉しいね。あんたに教わってから自分でも分かるくらいに強くなった気がするんだ」

「ちゃっかりしているな」

 苦笑いで応える詩人。

 

 マスターが帰ってきた時、誰もいない酒場が彼を迎えていた。

 ようやくいつもの日常がかえってきたと、マスターは安堵のため息をはいた。

 

 

 

 ロアーヌ城、執務室。

 ミカエルは今回のゴドウィン男爵の反乱についての結果をまとめていた。

 被害はやはり内紛による傷が大きい。民に被害が出ないように気を使ったが皆無ではないし、何より皺寄せにより軍が大きく疲弊してしまった。

 利益もある。ゴドウィン男爵の領地は完全にミカエルの支配下に入り、不当に得ていた巨額の財も手に入れた。それに何より、ロアーヌの膿を出せた事が大きい。これで後顧の憂いなく外に立ち向かえる。

 また、新たに得た人材も忘れてはいけない。多めの賃金に加えて神王教団と必要以上に協力しないことを条件に、トルネードの異名を持つハリードを引き込めた。軍は量も大切だが、質も重要だ。そういう意味でハリードの加入は大きい。更にそのハリードが見込みありと言ったユリアンという若者も囲い込む事に成功。失った穴を埋めてくれる人材に育つ事を願おう。

 …人材と言えば、今回の事件で結局名前すら判明しなかった男もいた。ガルダウイングを瞬殺できるなど、放置できる男ではない。

「影よ」

「は」

 天井から一人の男が降りてくる。その男はミカエルにそっくりだった。顔や服はもちろん、その所作まで。

 この男こそがミカエルが最も信頼する者の一人。闇に紛れ影に潜み、あるいは堂々とミカエルの代わりに光に当たる事さえある。

 カタリナももちろんだが、この男がいたからこそゴドウィン男爵の手元にモニカを置いたと言ってもいい。モニカを囮に使う程に油断を装わなければならなかったのが、ゴドウィンという男だったのだが。

「詩人について情報は集まっているか?」

「完全にとはいきませんが、多少は」

「よい、聞かせろ。なぜあれほどの男が噂にのぼらなかった事も含めてな」

「結論から申し上げれば、奴はフルブライト商会と繋がりがあります」

「…フルブライト商会の手先、もしくは間者という訳か?」

「いえ。繋がりがあり、フルブライト商会も情報操作をしているようでしたが、奴の本拠地はランスでした。

 世界のあちらこちらに出向いているようですが、定期的にランスで奴を目撃したという情報が入っています」

「ランス…。聖王家があったな」

「それからゲートが開くと予言し、火あぶりになった学者の家族も移り住んでおります。奴はその両方と接触している模様」

 ふむ、と静かに考える。

 レオニード城でモニカが聞いた言葉をミカエルは聞き出していた。

 15年前にできた探し物で、レオニード伯爵を頼るほど。そして見つかっていない。

 そんなもの1つしかないだろう。

「宿命の子、か」

「間違いないかと」

「どうするつもりだ? いや、なにをするつもりだ?」

「そこでフルブライト商会が出てまいります」

 影はそこで一呼吸おく。

「フルブライト商会は奴を使い、アビスに魅入られ悪事を働く者たちを潰し、自分の求心力を高めているようです。

 奴から足がつかないように、また奴が警戒されないように情報を隠蔽したとみられますが、重要なのはフルブライト商会は聖王と縁の深く王道を歩みたがります。奴がフルブライト商会と繋がっているなら、とりあえずアビスに魅入られている事はないかと」

「そう見せかけて最後に裏切り、全てかっさらうかも知れんぞ」

「これ以上の判断は自分の身に余ります」

「…ちなみに奴はどこへ行った?」

「ミュルスからツヴァイクへ。ランスへ向かっているものと推測されます。同伴者としてエレン・カーソンがついています」

「そうか。とりあえずロアーヌに害を為さないなら放置でいい。

 だが、情報だけは集めておけ。特にエレン・カーソンが不審死した場合は即座に伝えろ。奴が動き出した可能性が高い」

「はっ」

 詩人についてはとりあえずこれでいい。手元にハリードを置けたのだ、得体の知れない者まで抱え込む必要はない。

 もしも何かあって協力を求めるようならば、高く売ってやろう。そして敵対するなら容赦なく潰す。今はその両方の可能性を考慮すればいい。

 目的が不明なら、尻尾を出すまで待てばいい。あまり奴にばかり気にかけてもいられない。

 ミカエルは次の案件へと考えを巡らせた。

 

 

 

 雪が溶けない町、ランス。

 聖王廟があり、聖王の姉の子孫が聖王家を継いでいる町。ゲートの開き具合を観測する男、ヨハンネスが住む町。

 …宿命の子と、最も縁が近い町の一つ。

 そこでエレンは、詩人の紹介でヨハンネスと話をしていた。

「じゃあ、ゲートが開いているのは…」

「開きかけているが正確ですが、事実です。死食の前と後で星の位置が僅かに違います。ゲートは星の位置をずらしますが、差異は僅か。完全に開ききっていない証拠です。

 そしてゲートに干渉する能力は宿命の子しか持たないことも事実。私は今も観測を続けていますが、星の位置は僅かにずれ続けています」

「じゃあ、宿命の子がゲートを開いている…?」

「いえ。ゲートを開くには宿命の子が直接ゲートに干渉しなくてはいけないということは、聖王家の書物により分かっております。それにゲートを開けたにしては星のずれが小さい。分かっているのは宿命の子がゲートに干渉している、つまり生きているということだけです」

 次の言葉を吐くと、エレンは自分の人生全てを穢すことになりかねない。それでも、自分が穢れる程度なら甘んじて受け入れられる。腹に力を入れて、エレンは、言ってはならない事を、何でもない風に、口にした。

「じゃあ、宿命の子が見つかったとしてさ。その宿命の子がゲートを閉じる保障はあるの? 魔王みたいに世界を滅茶苦茶にしない保証は?」

「それは…ありません。ですが宿命の子を見つけない事にはゲートに干渉することはできません。

 なので私は詩人に依頼し、宿命の子を探してもらっているのです。もし善なるものなら良し。悪なら――」

「悪なら?」

「……」

 ヨハンネスは良くも悪くも一般人なのだろう。その次の言葉を口にすることはできなかった。

 だがエレンは容赦なくせめる。もう彼女に怖いものはない。一番大事なものを穢したのだから。

「殺すって? 殺して、開きかけたゲートが閉じる確証は?」

「そ、それは…」

「宿命の子なんて、頼りにならない。あたしは、あたしの力で何とかしたい。方法は何かないの?」

「…可能性は、零ではありませんが」

「あるんだ」

「…はい。ですが、危険すぎて詩人にすら断られた話です。

 ゲートを門と例えるならば、宿命の子は鍵。鍵がないなら、力づくで門を破壊すればいい」

「それは可能なの?」

「理論上は、としか。しかもゲートがある場所は全て難所である上、ゲートが開きかけている以上は四魔貴族がそのゲートを守っていることでしょう。

 この方法を選ぶということは、比喩でなく聖王の(ごと)くあらなくてはならないのです」

「やる」

「は?」

 たった一言で言いきった目の前の美女に、ヨハンネスは間抜けな声をあげた。

「だから、やる。聖王の真似事だろうが、なんだろうが」

「ほ、本気…いえ、正気ですか…!?」

「正気で本気よ。どこにいるか分からない宿命の子を探して、その宿命の子が善人であることにかけるなんて、性に合わないわ。

 このあたしが! 全部のゲートを叩き壊してやるってのよ!!」

 力強く言い切るエレンに気圧されてヨハンネスは何も言えない。言えるのはずっと黙っていたもう一人の男。詩人。

「ふむ。そうか、やるか、ふむ、ふむ…」

「なによ、あんた。何か文句でもあるの?」

「…。いや、それもいいかと思っただけだ。俺は引き続き宿命の子を探すが、別のアプローチもあってもいいかと思ってな。

 だがエレン、お前の実力だと確実に死ぬぞ。自殺と変わらん」

「実力差くらい根性でなんとかするわよ!」

「根性でなんとかなる差じゃねーよ、阿呆。

 俺が鍛えてやるよ。しばらくは俺の旅に同行しろ。

 何せ、宿命の子が生きていることは分かっているが、心当たりはだいたい潰した。後は行き当たりばったりだ。

 それならゲートに近づくように行動してもいい。もしかしたら宿命の子が独自に動いてゲートを閉じようと、もしくは開けようとしてるかも知れん」

 にやりと笑ってエレンに手を差し出す詩人。

 にっこり笑ってその手をとるエレン。

「協力しよう、平和の為に」

「協力しましょう、世界の為に」

 その様子を呆然と見ていたヨハンネスだが、気を取り直すと本を一冊取り出してエレンへと手渡す。

「あなたの決意は分かりました。これはゲートの場所を記し、聖王がそのゲートにどう行ったか、そしてそのゲートの四魔貴族をどうやって打倒したのかを調べたノートです。

 使うことはないと思っていましたが…いやはや……」

「ありがとう。頑張るわ」

 そう言ってノートを受け取り、エレンと詩人はヨハンネスの家を出る。

 かすかに雪が降る中、二人はとりあえず宿屋に向かって歩いた。

「さて。まずはどこのゲートから行きましょうか?」

「その前にやることがある」

 やる気があるのはいいことだが、水を差さなくてはならないこともある。

「ゲートが開きかけている影響か、モンスターの動きが活発だ。それにアビスに魅入られた愚か者が犯罪や事件を起こす事も珍しくない。

 そういった事で人々の生活が脅かされれば、こちらの活動にも支障が出る。

 っていうか、普通に迷惑で妨害行為だ」

「…つまり、そういった事件も解決しなくちゃならないってこと?」

「そうだ。例えるならゴドウィン男爵の反乱、あれもその一種だった。ゴドウィン男爵はアビスのモンスターと手を組み、反乱をおこした。ロアーヌ城から運び出されたモンスターの死体に、アビスのモンスターも混じっていたから間違いない。位置関係から言ってビューネイだろうな。

 もしもゴドウィン男爵の反乱が成功していたら、いずれロアーヌはビューネイの支配下に入り、ビューネイのゲートを閉じる事は絶望的になっていたはずだ」

「分かったわよ。で、まずはどうするの?」

「ユーステルムでモンスターが活発らしい、駆除しにいくぞ。鍛錬にもなるし、暇な時間にヨハンネスのノートでも読んでおけ。

 …ゲートがいつ開くかも分からんし、時間が経つにつれ開きは大きくなり敵は強くなる。猶予はない、死に物狂いで強くなれ。手助けはしてやる」

「…もちろんよ」

 

 雪をかき分け、二人行く。

 徐々に強くなるモンスターを倒しながら、自分も強くなりながら。

 目標はゲート、それを守る四魔貴族。長く困難な旅が、今始まった。

 

 

 




ルートはエレン風味。ハリードはミカエルに雇われ、代わりに詩人が納まった形です。
序章・完といった感じの中、詩人について作中で言っていたことをまとめたいと思います。



名前・詩人(本名は不明だが、レオニードは知っているらしい)
性別・男
年齢・不明(15年前にレオニードに会える程度の年齢)
目的・復讐 平和 四魔貴族と戦う
武器・棍棒を主に使うが、あらゆる武器や体術に精通している。だが、剣だけは決して使わない。
術・地の術が使えない代わりに、天の術の月と太陽の両方を使える。
活動・アビスに敵対する。モンスター狩りも行い、気が向いたら詩を歌う。宿命の子を探して世界を旅している。
経歴・かつて弟子をとっていたが、苦い思い出がある。目的である復讐の為に一人の女性を見捨て、泣かせた。
主義・隙は作らない
宣誓・欺こう、偽ろう、殺戮もしよう。ただし決して裏切らない。奴らの同類には決してならない。


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008話 雪の国から

今までの話を見直しました。誤字脱字は見直したつもりですが、問題がありましたら連絡をいただけるとありがたいです。
では、続きをどうぞ。
まったりとやっていきます。


 

 

 

 スケルトンを拳で砕く。

 シーキラーは回し蹴りで吹き飛ばす。

 ブラザーは空気投げで失神させる。

 

 ユーステルム近辺でモンスターの巣になりつつあった氷湖において、エレンは単独で多数の雑魚モンスターを相手取るまでに成長していた。この期間、僅か数日。恐るべき成長速度である。

 詩人の見立てに間違いはなく、体術の才能を開花させつつある彼女はその五体を武器としてその本領を発揮していた。だが、単一ではどうにもならない事柄は往々にして存在する。

 ヌルリと擬音がつきそうな動きで姿を現したのは、不定族に類されるジェルというモンスターである。粘液の塊のようなそのモンスターは打撃に滅法強く、更にその体内に取り込んだ他者を溶解して吸収するため、下手に素手で殴ろうものなら自分の手が危険である。

 そんな時の為に詩人に言われた通りに学んでいる斧の出番だ。取り出したのは小さな、普通の斧と比べて半分くらいしかないような手斧。それを携えてジェルに向かって全力疾走し、ぶつかる瞬間に止まる。その運動エネルギーの全てを目の前のモンスターに叩きつける!

 

 アクセルターン

 

 そう言われる斧技の一つである。分類としては打撃技に属するとはいえ、斧には鈍いながらも刃がついている為に斬撃効果がない訳ではない。加えて、突進の威力も加わってはいくら打撃に強い不定族といえども限度はある。

 その一撃でジェルは爆散し、周囲の雪はジェルの体液を浴びて異音をあげる。その代償にエレンがふるった斧にもジェルの体液が付着して融解し、もはや切れ味は期待できないだろう。通常よりも小さな手斧ではその損傷の割合も察する通りである。

 だが、それでも問題はない。エレンは刃物として使い物にならなくなった小さな手斧を振り上げて、空に投げつける。

 トマホークと呼ばれる斧の遠距離技の一つである。見ての通り、得物を投げるリスキーな技だが、投擲された斧は手の届かない空にいた、バイターを的確に捉えて撃墜した。

 エレンが小さな手斧を使う理由はいくつかある。その一つがこのトマホーク用の武器として使う、という点にある。小さく軽い斧は扱いやすく投げやすい。威力を犠牲にして命中精度をあげているのだ。威力を犠牲にしていいのかと思うのかも知れないが、いいのである。トマホークで倒す事が目的ではなく、遠距離にいる敵を足止めしたり自分の下に引き出すことが目的なのだから、そもそも当たらなくては意味がないのだ。その点で言えば命中を最優先に考えた選択は間違えではない。

 更に言うならばトマホークとして投げ捨てる分、数を用意しなくてはならない為に重さや費用を抑えるという意味でも、大きい斧は不要である。エレンは斧を主に使うのでなく、体術を主に戦うのだから。

 そうしてあらゆる種族を相手に相手取っていたエレンだが、その経験の少なさは誤魔化しきれるものではない。間断なく襲い掛かってくるモンスターに対するうちに、やがて一匹のモンスターにバックをとられてしまう。

 完全な死角をとり、エレンに一撃を与える機会を得たそのモンスターは、遠くより射られた矢によって絶命した。それを見たエレンは心の中で舌打ちをしつつ、思う。

(減点1ね)

 射ったのは当然、エレンを遠くから見守っていた詩人だった。

 

 

「オラオラ、てめーら! たった二人に後れをとってんじゃねーぞ!」

 ユーステルムに陣取るその守備隊長、ウォードが檄を飛ばし、それに応える守備隊たち。だがそれでも圧倒的に数で勝る守備隊の方が戦果を上げているとは言い難い。そのくらいにエレンは苛烈で、詩人は巧みだった。

 一騎当千とばかりにモンスターを駆逐するエレンと。その間隙を縫うように、また隙を補うように弓を射る詩人に対しては分が悪い。一見してエレンの方に目が行きがちだが、ウォードの目は眩んでいない。この連携、主になっているのは詩人の弓だ。

 何故ならば、彼にはエレンの代わりになれる自信はあっても詩人の代わりになれる自信はない。今こそ強力なモンスターに備えて体力を温存しているが、一度暴れればあの程度の雑魚モンスターなど、瞬く間に蹴散らせる自信はある。そう、エレンよりも上手く。しかしそういった前衛を上手にフォローできる自信はウォードにはない。

 補佐をする、ということは想像以上に大変な事をウォードは知っている。なにせ、敵だけでなく味方すらも極限状態ではどう動くかわからない。味方に傷一つないということは、その全てを網羅していることに他ならない。それを実現している詩人にはもはや感嘆の言葉しか出ない。町へ帰ればエレンのその強さが酒場に流れるが、実際のところそれを支えている詩人の技量に気が付いているものは、それこそ自分くらいではないだろうか。後ろからへっぴり腰で矢を射つだけと嘲る者には、もはや嘆息しかでない。

 …彼らは二人しかいないという意味で陣形はライフシールド、前衛にエレンを置いて後衛で詩人を守るという形をとっている。だが、この二人の本質は真逆、むしろハンターシフトに近い。前衛が敵の注意をひいて、後衛が弓で確実に仕留めるあの陣形に近いのだ。そう見えないのはただ単に詩人が活躍の場をエレンに譲っているに過ぎない。

(今日であらかた掃除は終わるな…)

 ウォードはそれを少し残念に思う。例年よりも圧倒的に早くて被害が少なく掃除が終わるのは守備隊長としてはいいことだが、エレンはともかくとして詩人の技量を学びきる前に終わってしまうのは武人として惜しい。

 だが、それも仕方ないことである。自分はユーステルムから離れることはできないし、詩人は旅の流れ者と聞く。ランスを拠点とする詩人は、ウォードがパトロンであるフルブライト商会に助けを求めた結果、派遣されたに過ぎない。

 これ以上を求めるべきではない、求めるべきではないが。

(楽しまないのは、違うよなぁ!)

 戦士としての勘が、経験が。大物が近寄る事を告げている。

 おそらく、この氷湖の主。雑多なモンスターがこの場所に集まった原因。強いモンスターに平服する、その習性。

 この掃除の締めくくりに相応しい、大将首が襲い掛かってくる、その予感。

「エレン、下がれ!」

 やはりその予感を詩人も感じ取っていたらしい。あの女戦士にその対処を任せる事が難しいことも、また。ならばウォードが提案する事は一つだ。

「なあ、詩人」

「なんだ?」

「最後だ。俺と一緒にやるのはどうだ?」

「…むさ苦しい男が二人か。詩にならんが、まあいいさ」

 エレンは素早く下がり、守備隊の動きは遅い。練度の違いか、才能の違いか。まあ、間に合うならば構わない。

 ウォードは前進し、詩人は弓を構える。二人が準備を整え終わった時に、氷湖の主が姿を現した。それは巨大魚、おそらく遥か昔からこの湖に存在していただろう、その威容。それを一撃で沈めるべく、ウォードは自身最高の技を放つ。

 彼が持つ武器は大剣。大きく、重く、鈍く、硬い。それを渾身の予備動作から、発火熱が出る程に力を込めた一撃を振り落とす技。

 それは当然大きな隙があり、それを逃す氷湖の主ではない。力を溜めたウォードに、氷湖の主は先んじて突進を与えてやろうと加速し、加速し、加速する。それを回避する術をウォードは持たない。

 普段はそんな愚策はとらない。だが、今回だけは問題ない。何故ならば、後ろには自分が認めた武人が弓を携えて控えているのだから。

 矢が放たれる。それは大きな隙を作ったウォードを通り過ぎ、更に彼を襲おうとした巨大魚の側も潜り抜け、その傍らに突き刺さる。

 その技を影ぬいという。弓術と月術の、その混合。対象の影を射抜き、本体までもその形に縫い止める、比較的簡単な技。弓術の能力が低くても、また月術の適性がなくても可能な初歩の技。しかしそれをこれほど強大なモンスターに成功させるのはどれほどの技量が必要か、それを論じる必要はないだろう。

 全ては一瞬だった。ウォードが作った隙も一瞬なら、それを突こうと加速した氷湖の主の攻撃動作も一瞬。射られた矢が刺さるまでも一瞬なら、氷湖の主が硬直した隙も一瞬。

 その全ての一瞬が重なり、ウォードに十分な時間を与える。

「ブル、クラァァァシュ!!」

 炎熱を纏ったその一撃は、氷湖の主をただの一撃で仕留めた。

 

 

 ユーステルムの町の酒場。そこに勝利の喧騒が響き渡っていた。

 被害は零ではない。だが、今年は格段に少なかった。対して戦果は大きく、長年の懸念であった氷湖は主を失った事により、モンスター達はその寄る辺を失った。大勝といっていい。

 その立役者として、エレンは酒場のど真ん中でヒーローになっている。もてはやされ、酒を注がれ。そして酔い潰れない。邪な事を考えていた者はさぞ悔しいだろう。

 

 心まで凍り付く

 此処より冷たいその氷湖

 そこに住まう悪魔たち 彼女にとっては塵芥

 拳は砕き 斧は散らす 悪は壊れ 正義は続く

 おお 強く正しくあるものよ

 汝は我らを守りたまう

 

 この討伐を劇詩にした詩人は一仕事を終えたとばかりにお立ち台から去り、適当な席を探す。

 ウォードはそれを待っていたかのように詩人に合図を出し、気が付いた詩人はウォードに近づく。

「よう、お疲れさん」

「おう、お疲れさま」

 酒場の端の端、一番目立たないようなその場所で、掃除を締めくくった男二人が向かい合う。

「おごりかい?」

「一杯だけな」

「じゃあ…ツヴァイクロイヤル、ストレートで」

「ちょ、おまっ…」

 ツヴァイクロイヤルとはその名のとおりツヴァイク王家御用達。一杯で銀貨一枚はする、高級な逸品である。軽い言葉の上に乗る酒ではない。

 詩人は強張るウォードにニヤリと笑いかけ。酒が届く前にウォードに銀貨一枚を差し出した。

「冗談だ」

「…笑えねーよ」

 花をウォードに持たせる辺りが特に。これでウエイターから話が漏れたら、ウォードは働いた者には身銭を切って功労者に報う者として噂されるだろう。それを良く扱うか悪く扱うかは知ったことではない。詩人はそう言っている。極めて性質が悪い。

「まあ、いい。お前さん、これからどうするつもりだい?」

「詩を詠って世界を回るだけさ」

「そういう建前はいい」

 洒落にならない冗談も、肴にすらならない冗談も、真実さえもさておいて。ウォードは問い掛ける。

「お前さんは、強い。明らかに俺よりもな。悪くないと思っているなら、ここで仕事を続けてもいいんだぜ?

 もちろんエレンの嬢ちゃんも一緒にな」

「断る」

 一言で切って捨てた。そこに冗談や嘲りは一切ない。

「俺たちには目的がある。悪いが、それが終わるまで止まるつもりはない」

「そうか…そうだな。悪かった、忘れてくれ。エレンの嬢ちゃんはともかく、お前さんは怖い。何か譲れない想いがあるんだろう。北外れの田舎町にいる俺にも、それくらいは分かる」

「…」

「まあ、そういうのが全部終わったら、またここに来てくれてもいいぜ。お前さんくらい強いなら、俺がいつでも歓迎するさ」

 呵々大笑。それでウォードは締めくくる。

 やがて、運ばれてきたツヴァイクロイヤルが乾く頃。ウォードは酒を二杯注文した。

 アヴァ・アウレリウス。

 聖王の名を冠した酒だが、別段高い酒ではない。

 その名を冠する酒はどこにでもあるが、飲むには覚悟がいる。例えば即位式、例えば結婚式、例えば告別式。あらゆる誓いや願いを懸ける際にのみ、飲まれる事を許される酒である。

 そんな特別な酒を、ウォードは詩人への約束した奢りで差し出した。いつでも如何なる時でも受け入れる。そんな自分の評価の高さに、詩人は笑うしかない。

 

 

 

「「乾杯っ!!」」

 

 

 

 覚悟は、二人の男によって一息で飲み干された。

 

 

 

 

 




週に1~2回更新を目指して頑張ります!
…できなかったらごめんなさい。


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009話

ロマサガ3のエレン主人公で回っていました。
おかげでいくつか設定が固まりました。

代わりに投稿が遅くなって申し訳ありません。
最新話をどうぞ。


 

 

 

 魔龍公 ビューネイ

 タフターン山にあるゲートを拠点とする。タフターン山の高所には常に霧が立ち込めていて、それを突破してビューネイの巣に乗り込むのは極めて困難。

 聖王は巨竜ドーラの力を借り、その背中に騎乗して空を支配するビューネイと対決。撃破し、そのままビューネイの巣へ乗り込んだ。

 

 魔戦士公 アラケス

 ピドナの魔王殿最奥にあるゲートを守護する。最奥に至る扉は聖王によって封印が施されており、侵入するにはその封印を解かなくてはならない。

 力と技とに優れた戦士であり、四魔貴族との戦いで最も苦戦したと伝えられる。最終的にアラケスの魔槍を奪い取ることに成功した聖王により、武器を失ったアラケスは打倒された。

 

 魔炎長 アウナス

 南方にある、方向感覚を狂わせるジャングルに存在するゲートに居を構える。アウナスはそこに火術要塞を作り、侵入者を阻んでいる。

 聖王はあらゆる生物と話ができるという妖精の力を借りてジャングルの木々に導かれ、火術要塞を発見。妖精によって与えられた弓によって、近づく者全てを燃やすアウナスを撃退した。

 

 魔海候 フォルネウス

 深海に沈むゲートに海底宮を築き、海を支配する。

 通常の船では容易に沈められ、聖王も7度挑み7度撃沈の憂き目に遭う。8度目には動く島、バンガードを船として挑戦する。フォルネウスもこれを沈めることは能わず、海底宮に乗り込んだ聖王によってアビスへと追い返された。

 

 

「…分かってはいたつもりだったけど」

 ヨハンネスから与えられたノートをしまい、嘆息するエレン。四魔貴族を倒す以前に、その膝元に辿りつくこそさえ困難だと改めて痛感する。

 ユーステルムでのモンスター退治を終え、それなりの金銭を手にしたエレンと詩人はランスへと帰ってきた。詩人は何かやることがあるようで、頻繁に宿を離れていた間に、エレンはゲートと四魔貴族について調べていた。

 だが結果は芳しいとは言えない。どうしたらいいのか、そのとっかかりさえ見えないのだから。

「どうだ、目星はついたか?」

 と、そこで詩人が帰ってくる。沈んだエレンの表情を見るに答えは分かっているが、まあ礼儀というか作法というか。そういった類のものだろう。

「さっぱり。どうしたらいいのか、それすらも分からない」

「せめてどのゲートにするかを決めたらどうだ? 同時に全部を見るから混乱するんだ。一つに絞って考えた方がいい場合も多いぞ」

「一つに、ねぇ。そう言われても…。あんた、以前から聖王家とかヨハンネスと交流があったんでしょ? どれがいいのか意見はないの?」

 自分では限度があると見切りをつけたエレンは詩人に話を聞いた。昨日今日でゲートを閉じる事を決めた自分よりか、詩人の方が的を得た意見が出る気がする。

 ふむ、と考えた詩人だが、やがて結論を出した。

「フォルネウスに的を絞ったらどうだ?」

「その心は?」

「バンガードは実在する。他は辿り着くのも困難だが、フォルネウスに限ってはバンガードが動けば問題の大部分は解決する。

 そういう意味で、まずはバンガードを動かすということに力を注いでもいい」

 なるほど、とエレンは思う。確かにタフターン山の霧を突破する方法も、ジャングルにある火術要塞を探し出す方法も、魔王殿に施された聖王の封印を解除する方法も、その全てに心当たりはない。

 だが、バンガードを動かす方法ならばヨハンネスの調べたノートに記載されていた。優れた玄武術師と、術増幅装置であるオリハルコーン。これに現存するバンガードを組み合わせれば、海底宮に乗り込むのも不可能ではないと思われる。

「分かったわ。まずはフォルネウス、最初の段階としてバンガードを動かす事を目標にしましょう」

「なら、まずはバンガードに行かなくてはな。

 ランスからだと陸沿いに歩いていくか、ピドナから船に乗るかだが……。ピドナを経由して行くか。ちょうど、ファルスまでに野盗が出現している。荷物運びに金が出るし、行きがけの駄賃として壊滅させれば更に儲かるだろ」

「また、金?」

 呆れるエレン。だが、詩人は真面目な顔でエレンを諭す。

「金は大事だぞ。金があればどうにかなる事でも、金がなくてはどうにもならない事は世の中に多い。

 ユーステルムで装備を整えたが、あれだって結構な金額がかかっただろ。エレン、お前はちゃんと自分の手持ちを確認してるか?」

 そう言われると反論しにくい。エレンは村から飛び出してきた身であるため、装備といえるような装備は身に付けてなかった。モニカ護衛の報酬で下賜された2000オーラムが原資だ。

 命を守るためにケチってはいけないと、防具には特に金をかけた。軽鎧にブーツ、ガントレットや兜も購入した。手足につける防具は体術を主に使うエレンにとっては武器にもなるため、消耗するのも早い。それに加えて小さいとはいえ斧も数を揃えていて、それにもそれなりの金がかかっている。しかもトマホークに使ってしまえば多くは使い捨てになってしまう。もちろん回収できる斧もなくはないが。

 また、生活する為にも金はかかる。宿代に、たまには酒の一杯でも飲まないとストレスが貯まる。町から町へ移動するにも食料や防寒具といった物は必要になる。

「装備にかかった金は700オーラムくらいだったか。生活費やその他諸々の雑費で50オーラムは出ている。ユーステルムで稼いだ金が500オーラムだったから、既に赤字だ」

「なんであんたは、あたしよりあたしの財布事情に詳しいのよ!」

「エレンが無頓着過ぎるんだよ。ちなみに先に言っておくが、その程度の装備で四魔貴族に勝てるとか甘い考えは持ってないよな?

 ピドナに武器工房があるから、そこで諸々揃えるぞ。そこでも金がいる。稼げる時に稼がないと、いつか自分の首をしめる羽目になる。

 前にも言ったが、自分を鍛える旅で一番の難題は路銀だからな」

 そう言われてしまえば反論はできない。

 寄り道に近いが、確かに手持ちがなくなってしまえばどうにもならない。そうなる前に、稼げる時に稼ぐという詩人の話は筋が通っている。

 それに今の自分の実力で四魔貴族に勝てるとも思えない。どうあっても鍛錬の場は必要だ。それを考えればなるほど、自分を磨きつつ稼げる機会は逃さない方がいい。

 それによく考えたら、確かピドナにはサラがいる。こうなってしまった以上、一度顔を合わせておくのも悪くはない。

「分かったよ。ファルス経由でピドナへ行く。それでファルスでは野党の掃討をして金を稼ぐ。それでいいんだろう?」

 方針は決定した。

 彼らは明日にでもファルスに旅立つことになる。

 どんな敵を相手取るのかも気づかずに。

 

 

 ランスからファルスまで荷物を持った商人を護衛しながら進み、まさか一日でつくはずはない。また、大量の荷物を大量の人員で運んだ方がコストがかからないのは道理。エレンと詩人が請け負った仕事も、そんな理由で大きく膨れ上がった商隊の護衛だった。もちろん商人が多くなるにつれ、護衛の人数も多くなる。野盗が活発になっているという情報があればなおさらである。

 商人6名、護衛13名。約20人の人間がファルスに向かっていた。今日はその初日の夜、詩人とエレンは今日は夜の番ではなく、体をゆっくり休める為に火にあたってその冷えた体を温めていた。

 その表情は、暗い。特にエレンは深刻である。間抜けな話、今日初めてエレンは人間と戦うということに気が付いたのだった。

 シノンの村は田舎である。正直、野盗が襲う価値などほとんどない。エレンが今まで相手にしたのは専らモンスターである。そして人間と相対した時、エレンはこの上ない無様をさらしてしまった。

 野盗を相手にして腕が鈍るのは当たり前。止めなんかさせるはずもなく、命乞いをする野盗から不意打ちを喰らう始末。

 詩人がいなくては殺されていたか、野盗に捕らわれて慰み者か奴隷にでもされていただろう。そんな醜態だった。

「…人間相手は、辛いか」

「………」

 返事はできない。エレンが醜態をさらしたそのツケは、詩人が払っている。エレンが殺した野盗がいない代わり、その全てを詩人が殺していた。

 本来なら捕えて野盗の根城でも聞き出したかったのだが、今回は詩人でさえそんな余裕はなかった。何せ、捕えた野盗は当然ながら逃げる。その見張りが必要だが、詩人はエレンのフォローで手一杯だったのだから。

「殺したくなかったら、殺さなくてもいい」

「え?」

 だから詩人の次の言葉にエレンは信じられず、顔をあげた。

「人を無理に殺せば心がきしむ。…それはよく分かっているつもりだ。そんな無理は、しなくていい。

 それよりこれも一つの鍛錬だと考えるんだ。いかに相手を傷つけずに無力化するか。死なないで怪我で済む範囲はどこか。

 そういった経験はきっと役に立つ。…いつか人を教える時に。そういう鍛錬だと思えばいい」

 目から鱗とはこの事か。敵と戦う際にそういった考えがあるとは思いもしなかった。

 しかし同時に、気になることも言っていた。

「あんたは、初めて人を殺した時に心がきしんだの?」

「…」

「辛かったんだ。苦しかったんだ。それを、あたしにしなくていいと言ってくれるんだ。

 …ありがとう。本当に、ありがとう」

「…もう寝ろ。明日は野盗を捕えるぞ。捕まえた野盗の見張りは任せるからな」

 ランスを旅立った、最初の夜が更けていく。

 もっと大変な明日になる。それに気が付かない訳にはいかない夜になった。

 

 

 



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010話

本日2話目の投稿です。
書ける時に書いていこうかと思います。

この話からグロとか入っていきますので、承知下さい。


 

 

 ファルスに着く。

 これでもかと野盗と遭遇した割に被害は軽微。護衛のうち何人かが怪我したくらいである。中にはそれなりに重傷になってしまった者もいたが、まあそういう仕事である。死者が出なかっただけいい範囲だろう。

 そして着いた町だが、入り口付近で人々が騒めいていた。

「何かあったのかな?」

「何かあったんだろうなぁ」

 ようやく町についたのに、いきなり厄介事の気配である。疲れる旅をしていた者達にはいささか面倒な気分になるのは仕方ないだろう。

 情報は命とばかりに早速話を聞きに行った商人が情報を持ち帰ってくる。

「襲われた?」

「ええ。ファルスからヤーマスに荷物を送るつもりだった奴らが野盗にやられたらしいです。

 商品や金はもちろん、旅をしていた少女まで野盗にさらわれたって。酷い話ですよ」

 その言葉にエレンの顔色が変わる。

 野盗にさらわれる。それは彼女にとって、決して他人事ではない話だった。その少女はどうなるのかを考えるのならば、一刻も早く助けなくてはならない。

「助けなきゃ! 野盗の根城はどこ!?」

「そんなもん、知るわきゃねぇでしょ。あっしらには関わりのない話だし、どうしても知りたけりゃアンタらが捕まえたその野盗にでも聞けばいいんじゃないですかい?」

 そう言って約束の金を払った商人は二人から離れていく。離れる際に目を向けたのは野盗の一人、猿轡を噛まされ、足以外は動かないように雁字搦めにされた哀れな姿。

 野盗などの犯罪者は基本的に人権はない。故に襲われて返り討ちにして、例え殺してしまっても罪に問われることはもちろんない。そして彼らのように犯罪者を捕える事ができたならば、その所有権は捕まえた者にこそある。

 野盗ならばファルス軍に売るなどの選択肢もある。売られた犯罪者は大手を振って使える労働力になり、どの国でも欲しがる商品だ。エレンはカルチャーショックを受けた顔をしていたが、犯罪者の末路などそんなものである。だからこそ闇に蠢く奴隷商人がいなくならないのであるが。

「ファルス軍に売ったら、情報は引き出せないな」

「お金なんて今はどうでもいいでしょ! コイツに根城を吐かせて早くさらわれた少女を助けないと!」

「…気は進まないな」

「ちょっと、アンタ! そんな事言ってる場合!?」

「普通に自分のアジトを吐く訳ないだろ。もしも情報を漏らした事がバレたら真っ先に始末される。野盗にも、町に入り込んで裏切り者を始末できる暗殺者くらいいるだろう。

 それにこんな大所帯の野盗どもだ。数も半端じゃないだろう」

「…見捨てろって言うの?」

「本来ならそれが正しい選択だが――嫌なんだろ?」

 詩人の言葉に頷くエレン。もし、そのさらわれた少女が最愛の妹だったりしたら、何が何でも取り戻そうとするだろう。今回さらわれた少女がサラでなかろうが、自分の身内でないから見捨ててもいいとはエレンには到底思えなかった。

 詩人としたら単なる回り道だが、エレンに戦闘経験が圧倒的に足りないのもまた事実。本人がやる気がある事のならば悪いことではない。

 それに、先日は甘やかしてしまったが、それだけで世界は渡れない。むしろ厳しさが必要な事が多いのだから。

 

 場所を町の入り口から、町とは言えない場所へと移す。そこで野盗の猿轡を外した。

「へへへ…話は聞いてたぜ。俺は何も吐かねぇぜ。諦めな。親分の恐ろしさは身に染みて分かってるんだ」

「っ! っっ!! い、いくら拷問したって、吐かねぇものは、吐か、ねぇ…!」

「ぐぎぃ! 爪が、爪が痛ぇよぉ!!」

「ぁぁぁぁぁ! 俺の指ぃ! 指がぁぁぁ!!」

「お、おい、冗談だろ? お前も男だろ!? なぁ? なぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

「い、嫌だ! もう嫌だ!! た、頼む、何でもする、何でもするから助け…ぎゃあああぁぁぁぁぁ……!」

「お、俺の(ちょう)が、(はらわた)が…。しまって、しまってくれよぅ…。ひでぇ、ひでぇよ…。こんなのあんまりだぁぁぁ」

「ひぎぃ! 縫って、縫ってくれたのか…? お、俺の腹が元通りになっ…。お、おい、おいおいおい。なんでまた俺の腹にナイフを近づけるんだよ…? お願いだからもう、もう、もうやめてくれぇぇぇぇぇ!!!!」

 服を着ればギリギリ人に見えなくもない範囲で縛られた野盗は、詩人とエレンと共にファルスの町に戻ってくる。野盗の顔は比喩なしに死人のようであり、エレンの顔は真っ青を通り越して真っ白だ。彼女の胃の中には何も入っていない。先程、全部吐き出してしまった。

「とりあえず、根城は分かったな」

「……」

 対して顔色一つ変えない詩人に、もうエレンは言葉もない。

 人はどこまで残酷になれるのか。

 その一例を目の当たりにしたエレンは畏怖の視線を詩人に向けてしまう。

「コイツはファルス軍に売り払う。まあ、まともに動けるかは怪しいが、そこら辺は向こうで勝手に調整するだろ。

 下手に大勢で攻めて、野盗に逃げられても面倒だ。俺たち二人で奇襲をかけて、さらわれた少女を助けるぞ」

「……」

 ファルス軍に野盗を引き渡す。そのあまりの状態の悪さに顔をしかめられたが、戦った結果で傷を負うということは珍しくもない。

 特に問題視される事なく、相場より大分安い報奨金が詩人に支払われた。

「……何か言いたいことがあるなら、聞くぞ」

「……。あれは…あれは人間の所業? 悪魔みたいに残酷だったよ」

「あれくらいなら人間の範疇だと思っている。

 もっと醜いものだって、俺は見た事があるから。

 そしてあの先にあるものが、四魔貴族の所業であり、その恩恵に預かる者たちの所業だ。

 汚れ役は俺に任せておけ。あんなものに、慣れないなら慣れない方がいい。だが、あることくらいは知っておいてもいい。

 四魔貴族と戦うなら、必ず目にする光景だからな」

 言葉少なく、ファルスの町を後にする二人。目指すは拷問して聞き出した野盗の巣窟。

 直前に見た光景のショックを引きずりながら、エレンはそれでも少女を助ける為に先を急ぐ事に専念した。

 

 ファルスから約2日。詩人やエレンでなければ更に時間がかかりそうな、道なき山や森を潜り抜けた先あった野盗の根城。

 人の手が入っている場所の方が少ないこの世界で、広い山や森から隠れ家をヒントなしで見つけようとするのは不可能と言っていい。今回のように野盗から直接聞き出すか、それとも人や物の動きを事細やかに探っていくくらいしか方法はない。

 そしてそのような方法でも存在する以上、野盗は隠れ家を襲撃されたことは少ないとはいえある。それは仕事をすればするほど高くなるリスクといっていい。

 だがしかし今回のようなケースは極めてレアだった。問題は内側から起きたのだ。

 今回のケースではお宝の持ち出しに当たる。さらってきた少女を一人の男が連れだして逃げ出したのだ。金を持ち出して逃げ出そうとした馬鹿は過去にもいたが、女を連れて逃げ出そうとした大馬鹿は初めてである。そもそも少女を連れるというだけで足手まといだ。そんな間抜けな企みなぞ、成功する訳がない。

 奇跡的な幸運が重なったのか、根城にしていた洞窟を脱出することまではできたらしいが、近場の村でも1日はかかる距離。しかも近場の村は野盗と取引をして被害を抑えているという意味もあるため、実質的に野盗の縄張りである。その外まで逃がすほど、生き抜いてきた野盗の手際は悪くない。

 20人からなる追撃部隊を出し、なめた真似をした奴には相応の報いを受けさせる。話はそれでお終いのはずだった。

 商隊の護衛に捕まり、その上で情報を漏らすような間抜けさえいなければ、それで話はお終いだったはずなのだ。

 

「チクショウ、チクショウチクショウチクショウチクショウ!」

 野盗の根城から少女を助け出した男の名前はポールという。ツヴァイクの支配地の一つ、キドラントという村出身の元冒険者だ。

 そもそも彼が村を飛び出したのは彼の恋人であるニーナが関わってくる。気立てもよく美しい娘、村一番のニーナ。彼女が恋人に選んだ男こそがポールだった。他にも強い男はいくらでもいるし、大きく稼ぐ行商人にすら嫁げそうな器量を持つ少女は、なんの取り柄もなさそうな一人の男を恋人に選んだ。

 それがポールには不思議で、怖くて心配だった。いつか自分よりも優れた男にニーナが行ってしまう。そんな想像にかきたてられ、一端の男になってやると息巻いて村を飛び出したのはそんな昔の話ではない。

 ひっそりと暮らしていただけの男が無鉄砲に村を出て、なんとかなるほど世界は甘くない。村での少ない貯金は瞬く間に尽き、草の根をかじって飢えを凌ぐ惨めな日々。

 何とか見つけた荷運びの仕事。それも男として力量が求められる訳でもなく、ただ単に運ぶ人間が少ないからと、子供でもできるような本当に荷物を運ぶだけの小さな仕事。その最中に野盗に襲われ、囮として見捨てられた。

 その場で殺されてもおかしくなかったが、最近人手が減ったとの理由で野盗に捕まり、下っ端としてこき使われた。嫌われ者である野盗の、誰もが嫌がる雑事を積み重ねていく。

 ある日、野盗の戦利品として一人の少女が根城に連れてこられた。見た目麗しいその少女は、野盗の慰み者になるかどこかの後ろ暗い金持ちに飼われることになるか。それを想像した瞬間、後先なんて捨て去ってしまった。少女を見捨てて生き延びたとして、きっともうニーナに顔向けできない。

 そう思い、少女を連れ出して逃げ出して。そして今、野盗の追手に捕まる寸前まで来てしまった。

「ポールゥ…。命を助けてやった恩を仇で返しやがって…」

 大きな樹を背にして少女を庇いながら剣を持つポールを、射殺さんばかりに睨みつける野盗は彼が言った通りポールを殺さない判断を下した男だった。

 彼はその責任としてポールと少女を追う役目を負わされた。もちろん成功して何かある訳でもなく、むしろこの原因を作った者として親分に厳しく処罰されるだろう。20人の手下たちも気持ちは同じだ。自分達の命令をへーこら聞いていた男が反旗を翻し、そのツケを回されて楽しいはずもない。

「嬲り殺してやる…! 指先から順番に切り刻んで、殺して下さいってお願いするまで苦しめてやる…!」

 殺意と悪意と嗜虐心を込めた目をポールに向ける。その瞳には疲れ切ったポールと怯え切った少女が映っている。

 そして次に映ったのは、大きな大きな矢の姿だった。

「あ?」

 違う。矢が大きいのではなく、矢が大きく見えるほど近づいていただけで――

 そんな思考を持ちながら、野盗はその左目に矢が深々と突き刺さり、脳まで達して死に至らしめた。

「ゴタゴタ言う前に手を動かせってな。ここに自分達しか居ないと思い込んだのがまず間違いだ」

 軽い口調で一人の男が姿を現す。道化のような姿をした詩人。弓を手にしている事から、矢を放った本人に間違いないだろう。

 その男の側から一つの影が走り出す。ポールの後ろにいる女を美少女というなら、その影は健康的な美女だった。身にまとった武装から冒険者か傭兵か、その類の人間だと思われる美女は素早く少女の前に立ち、ポールの横に立つようにして野盗たちと対峙する。その美女はちらりと横にいるポールを見て、声をかける。

「女の子を助けようとした…で、いいのね?」

「あ、ああ…」

「じゃあとりあえずは味方ね。この女の子を守るわよ!」

 その言葉に我に返るポール。助けに来てくれたのは分かるが、たったの二人。しかも少女という足手まといもいる。対する野盗は20人程度の勢力。とてもじゃないがどうにかなるとは思えない。

「守るのは任せる、この女の子を連れて逃げてくれ。俺はあいつらの足止めをするから…!」

 決死の覚悟でそう言うポール。きっともうニーナには会えないだろう。いや、こんな所で死ぬ様な男なんて、所詮ニーナには似合わなかったのだ。きっと、ニーナはもっといい男を見つけて幸せになる。

 いや、どうか幸せになって欲しい。自分の事なんて忘れてくれればそれでいい。

「大丈夫よ」

 そんな重い覚悟を持ったポールの声を、軽い言葉が打ち消した。

「こいつら、そんなに怖くない。あたしでも勝てるわ。それにあたしで勝てるなら――あいつなら戦いにすらならない」

 美女の見る先には詩人の姿。弓はもう仕舞っており、その手には棍棒が握られている。

 だがそれが何だというのか。数十人に勝てる訳もない。数とは暴力なのだから。

「へ、女が一人おまけで付いてきやがった」

「こりゃどっちか一人は楽しめるかもな」

「俺は小さい方がいいな。泣き喚くのが最高だ」

「馬鹿野郎、泣かせるなら気の強そうな女に限るだろうが」

「どうでもいいが逃がすなよ。お前ら、女どもとついでにポールを捕まえておけ。その間に俺たちはあのクソヤロウをブチ殺しておく」

 その言葉に5人の男が武器を手に、ニタニタ笑いながら近づいてきた。そしてその中の一人の男の鼻っ柱に、美女の拳が突き刺さる。

 情けない声をあげながら吹っ飛ぶ野盗。それを為した美女に驚きの視線を浴びせる、その場の全員。それは大きな隙になり、野盗はさらにもう一人蹴り飛ばされた。

「上等よ! やれるものならやってみなさいよ!」

 斧を使うことなく、美女はその拳と足とであっという間に残りの野盗も無力化してしまった。

 ピクピクと動いているところを見る限り殺してはいないようだが、数日は寝込みそうな怪我をしている。

 呆然としたポールはゆっくりとした動作でその先にある光景を見る。残りの相手をした、詩人の姿を見る。

 返り血を浴びることなく、服の乱れすらなく、詩人は十数人の男たちを圧倒していた。美女と違い容赦はないらしく、詩人が相手にした野盗で身じろぎしているものはいない。

 例外ない皆殺しだった。

「ば…化物」

「ああ、たまに言われる。一応、否定はできない自覚はあるから心配するな」

 さらっと失礼な言葉を肯定する詩人。まあ、こんな光景を作り出しておけばそんな言葉をかけられる事も少なくないだろう。

 少しだけ考え込むと、詩人は話しかけてきた。

「お前、名前は?」

「ポ、ポール」

「そうか。エレン、お前はポールと一緒に先にファルスへ向かえ。俺は野盗の掃除をしてから行く。まだ他に捕まっている者がいるかも知れないからな。

 すぐに追いつくとは思うが油断はするなよ」

「しないわよ。ポールもこの女の子も、味方だと思って背中を刺されるようなへまもしない」

「なら、いい」

 そう言って素早く詩人は姿を消す。後に残されたのはポールと少女、エレンと呼ばれた美女に。倒れ伏す何十人の野盗たち。

「じゃあ行きましょうか? ここでぼんやりしてても仕方ないし、ファルスまで少しだけど時間がかかるしね」

「あ、ああ…」

 つい少し前まで命を捨てる覚悟で挑む場面だったはずなのだが。あれよあれよという間に変わった状況に、ポールの思考が追いつかない。

 そんな中、しゃがみこんでいた少女が飛び上がり、エレンに抱き着く。

「わっ、ちょ、なによ?」

「かっこいい! かっこいいよお姉さん!」

「え。そ、そうかな?」

「うん。すっごくかっこよかったよ! 私もエレンさんみたいにかっこよくなりたい!」

 

「だから、私もエレンさんたちについていくね!!」

 

 ちょっと嬉しそうだったエレンの顔が固まった。

 野盗にさらわれたはずの少女は、自分を助け出してくれた美女に心底惚れてしまったらしい。絶対に引くものかという覚悟が傍から見ても分かる。バイタリティー、溢れすぎである。

「え、えっと。あはは、困るなぁ~。お嬢ちゃん、お名前は?」

「私? 私はね、え~と、エクレア!」

「そ、そう。エクレアちゃん。あたしたちには目的があってね…」

「分かった! 私も手伝うよ!」

 たじたじになるエレン。押せ押せのエクレア。これがついさっきまで野盗を圧倒していた女と、野盗に怯えていた少女だとだれが思うだろうか。

 本当に、状況はあれよあれよという間に変わってしまう。ポールにはもはやついていく事はできない。

 

 結局、詩人が帰ってくるまでその場を動くことはできなかった三人だった。

 

 

 




盗賊救出イベント、誘拐されたのはタチアナでした。
そりゃ、魅力20の家出美少女がフラフラしていたら拐わされます。

そしてこの押しの強さよ。エレンたちの旅についてくるなら。このくらい身軽で、このくらい強気に出れないと無理です。


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011話

UAが1000を超えました!
お付き合いして頂いている皆様、ありがとうございます。


 

 

 

「お兄さん、名前はなんていうの?」

「……」

「ね~え、なんて言うの?」

「……」

「ね~え! ね~え!!」

「……詩人だ」

「それ、名前じゃないじゃん。職業じゃん!」

「…………」

「ね~え! ね~え!! ね~え!!!」

「……秘密だ。人に名前は言いたくない。詩人と呼べ」

「そう。私はエクレアっていうの。よろしくね、詩人さん!」

 

 強ぇ…

 

 エレンとポールは純粋にそう思う。命の恩人に対して、また、修羅の如き戦いを見せた男に対してこの気安さである。まだエレンは詩人がやたらと力を振りかざさない人間である事を知っているからいいが、ポールは気が気ではない。世の中には虫の居所が悪いという理由で人を殺す強者も存在するのだから。

 ファルスまでの数日間、ずっとこの調子なのだから筋金入りである。そして疲れた様子を欠片も見せない詩人もまた強い。

 何もしていないエレンとポールに疲れが偏る、摩訶不思議な現象が起きていた。

「私もエレンさんと詩人さんについてく! いいでしょ!?」

「……危ない旅だぞ」

「詩人さんが守ってくれるでしょ? ついてく!」

「自分で自分の身は守れ。鍛えてはやる」

「やったぁ!」

「ちょ、ちょっと詩人!」

 ファルスに着く直前。とんでもない事を言いだしたエクレアと、それを快諾する詩人に思わずエレンが口を挟んだ。

 何せ彼女らの旅はゲートを閉じる事が目的で、四魔貴族と戦う事が過程に含まれる。幼い少女が気軽に着いてきていい旅ではないし、それを承知していいものでもない。

 だがしかし詩人は前言を撤回しない。

「人手は多い方がいい。この子は裏もなさそうだし、構わないだろう」

「でも、こんな小さな女の子を! 危ない旅だし!!」

「危ない旅を承知で着いてくると言ってるんだ。それに、基礎はできてる。鍛えれば強くなりそうだ。

 …諦めろ。きっと、悪いようにはならないさ」

 そう言って、詩人は幼子を駄々を嗜めるようにエレンの頭をなでる。彼にしては珍しく、優し気な笑みを浮かべての対応だった。

 それをほへーと眺めるエクレアと、どこか懐かしそうに眺めるポール。

「ちょ、やめてよね!」

 その視線に気が付いたエレンは顔を真っ赤にして詩人の手を振り払う。

 笑みを苦笑に変えた詩人は、その顔をポールへと向ける。

「それで、ポールはファルスについたらどうする?」

「俺か。どうしようかな…」

 ここに来るまでに、それぞれがそれぞれの事情を話していた。と、言っても話せる部分だけの者も多かったが。

 エクレアは実家が嫌になって飛び出してきた事。実家については話すのも嫌なのか、どこかは話さなかった。

 エレンはヨハンネスによって確かめられた、開きかけているゲートを破壊する事。四魔貴族と戦うだろう事も話し、その為に鍛えている事も話した。

 詩人はそんなエレンを鍛えているという事を話した。自分が宿命の子を探している事は話していない。

 ポールは恋人に見合う男になる為に村を飛び出した事を話した。野盗に身にやつした経緯も話したが、悪事は行っていなかったことから比較的好意的に受け止められた。エクレアを助けようとしたことも一役買っていただろう。

「お前も着いてくるか?」

「いや、流石にゲートを閉じるってのは…」

 若干引き気味に答えるポール。これが普通の反応である。四魔貴族と戦うという事に嬉々としてついてくるエクレアがおかしい。

 ここまでにエレンと詩人の訓練も見たが、アレも渋る原因になる。人間誰しも辛い事からは遠ざかりたいものである。

「じゃあ、ファルス軍に入るって言うのはどうだ? 確か、人員を募集していたはずだ。

 野盗を壊滅させた実績があれば、受け入れてくれると思うぞ」

 そう言って詩人は自分の荷物を軽くゆする。その中に、野盗の親分の首級が入っている事は教えている。

 詩人の襲撃により四方八方に逃げ出した野盗の全てを始末する事は叶わなかったが、親分を仕留めれば十分だろう。詩人も全員を撃破できるとは思っていなかったようで、親分に的を絞った結果である。

「ファルス軍か…それもいいかも知れないな」

「ただ、ファルスはスタンレーと険悪な雰囲気と聞いている。それにピドナのルートヴィッヒとも良くないようだ。

 命が惜しいなら村に帰ってもいいと思うぞ。野盗の一団を壊滅させたんだ。十分と言えば十分だと思うが」

「…いや。折角の機会だし、ファルス軍に入ってもう少し名を上げたい」

「そうか。引き際は間違えるなよ。

 …待つ人がいるなら、なおさらな」

 そうして彼らはファルスへと入っていく。

 この辺りを荒らしていた野盗の一団が壊滅されたことは、速やかに民衆に公表されてお祭り騒ぎとなる。それを為した一人であるポールもファルス軍に入るとなり、民衆は新たな英雄に熱狂した。

 その頃にはエレンに詩人、エクレアは十分は報奨金を手にピドナへ向かう船の上にいた。

 

 ピドナ。

 世界の中央に位置する都市であり、その歴史は世界で最も古いといっていい。何せ魔王が建立した都市であり、その魔王が他のほぼ全ての都市を破壊してしまったのだ。一部の例外を除いて最古になる道理である。

 その宿の一室で、詩人たちはお茶を飲みながら話をしていた。

「バンガードへすぐに向かうのもいいが、ピドナでしか出来ない事もある。数日滞在するのはどうだ?

 俺も顔を出しておきたいところがあるしな」

「あたしもサラがいるなら話をしておきたいかな。トムにも改めてよろしくって伝えないといけないし」

「私はお菓子が食べた~い。魔王殿まんじゅうとかって美味しいんだって!」

 無邪気なエクレアに思わず笑みをこぼすエレン。

「じゃあエクレアは私と一緒に行こうか。妹のサラを紹介するよ。

 お茶会とか、楽しそうじゃない?」

「うん! エレンさんと一緒に行く! サラさんとも仲良くなれるといいなぁ…」

「きっと大丈夫よ。仲良くなれるわ」

 大雑把に方針が決まったところで詩人は動き出す。残っていたお茶を飲み干して部屋から出ていった。

 彼が目指すのはレオナルド武器工房。かつてアラケスの魔槍を聖王の槍に鍛えなおした武器工房である。聖遺物を一つ生み出したというだけでもその格は知れようというもの。

 以降、工房のシンボルとして掲げられていた聖王の槍だが、数年前に何者かに盗まれてしまう。更にそれを追った当時の親方も殺されてしまうという顛末。

 そしてレオナルド武器工房は寂れる事になる――事はなかった。その状況を目の当たりにした詩人はフルブライトに連絡を取り、パトロンとして支援する事を要請。フルブライト商会としても聖王縁の工房となればうまみもあるとの判断から、これを受諾した。

 こうしてレオナルド武器工房はフルブライト商会の傘下となりつつ、前代親方に心酔していた職人を失いつつ、それでも工房としての形は保ってままで活動を続けていた。

 詩人もそうした縁があり、新しい武器が欲しい時や珍しい素材を手に入れた時などはレオナルド武器工房にお世話になっている。ピドナが世界の中心にあり、行き来をしやすいというのも利点の一つである。

「邪魔するぞ、ケーン。元気だったか?」

「あ、詩人さん」

 詩人はその経緯から、この工房にはほぼ顔パスで入れる。そしてそんな彼を応対したのはケーンという若者。まだ若く未熟な腕だが一本筋が通っており、将来有望な青年だ。

「いくつか素材を揃えられたから使ってくれ。それから以前考案した斧が欲しい。その他にも、一通りの武器防具が入り用だ」

「ああ。はい、ありがとうございます…」

「…どうかしたのか?」

 気を散らしているケーンに詩人は怪訝な表情で尋ねた。客を前にして無体な対応をする男ではない。何事かあったのかを考えるのが普通である。

 そうしたらケーンも困り顔で詩人に相談を始める。この工房が一番苦しい時に助けてくれた詩人は、下手な相手よりも信用があった。

「それが…ノーラさんがまた聖王の槍を探しに行くって聞かなくて」

「ああ、その話か」

「今回はお客が一人来ていまして。その人も聖王遺物を探しているからって意気投合してしまって…。どう説得したらいいのか」

「うーん。工房も立ち直ってきたし、協力者がいるなら悪い話じゃないんじゃないか?」

「そんなぁ…」

 詩人のまさかの裏切りにケーンの顔の渋さが増す。

「聖王の槍はいつか取り返さなければいけない話だろう? まあ、その協力者がしっかりした人物かどうかは俺もちゃんと見定めてやるさ。適当な奴にノーラが騙されたのなら、流石に目覚めが悪い」

「詩人さんがそう言うなら…。

 分かりました。今、二人が話し合っている部屋に案内します」

 そう言って、ケーンが案内した客室。その扉をコンコンとノックをする。

「ノーラさん、ケーンです。詩人さんがいらっしゃいました」

「分かった。入って貰いな」

 部屋の中から男前な女性の声が返ってくる。

 遠慮なく部屋に入った詩人が見たのは、ソファーに座って話をしている様子のノーラと、髪が短い一人の女性。ノーラはいかにも職人といった風情の女であり、前に見た時と変わらない。そして髪の短い女性は呆然とした顔で入ってきた詩人を見つめている。

「詩人…」

「…その声」

 見覚えがない割に見つめられているという状況。それを打開する為に髪の短い女性を見つめ返して詩人だったが、呟かれたその声には聞き覚えがあった。よくよく見れば顔にも見覚えがあった、その髪の長さが違い過ぎて気が付かなかっただけで。

「カタリナ殿、か?」

「殿は不要です、詩人。今の私にはそう呼ばれる資格はありません…」

 うなだれる髪の短い女性はカタリナ。ミカエルの信頼も厚い、モニカの侍従兼護衛だったロアーヌ貴族である。長い髪が美しく、そして強い女性だったと記憶している。

 それが髪を短く切りそろえ、こんなところで何をしているのか。

「…聖王遺物を探していると聞いたが」

 しまったという顔をするカタリナ。あまり吹聴していい話ではない上に、自分の素性を知っている者にはなおの事知られてはいけない情報である。 

 ここまで出揃ったら可能性は二つしかない。ミカエルが野心の為に更なる聖王遺物を集めているか、カタリナが失態によりロアーヌの所有する聖王遺物であるマスカレイドを失ってしまったかだ。そしてカタリナが髪を短くするという決意をしているという事は、答えは一つである。

「間抜け」

「…返す言葉もありません」

 事情を悟られたと気が付いたのだろう。怒気をこめた詩人の言葉にカタリナは短くそう返すしかない。頭を抱えたくなる詩人だが、そうしたところで事態が好転する訳もない。

 そんな二人をきょとんとした顔をして見つめているノーラ。

「なんだい? 知り合いかい?」

「まあ、な。顔見知り程度ではある。俺も話し合いに参加させてもらってもいいか?」

「もちろんだよ。茶、飲むかい?」

「いただこう」

 テーブルの上にあったポットからお茶を注ぎ、それを自分の隣に座った詩人へと差し出すノーラ。

 詩人はそれを一口飲んでからポツリと言葉を漏らす。

「手段を選ばずに、聖王遺物を集めている奴がどこかにいるな」

 その言葉に身を固くする二人の女性。彼女らは正に聖王遺物を奪われた当事者なのだから。

「本当かい?」

「恐らくだが。俺が知る事例だけで二件、聖王遺物の強奪が起きている。聖王遺物のどれかではない、全ての聖王遺物を集めていると考えるのが妥当だ」

 カタリナに気を使ってマスカレイドが強奪された事実は伏せておく。

「いったい何の為に…?」

「聖王遺物はどれも強力だ。目的はどうあれ、手段として集めるのは納得ができる話だな」

「じゃあ、誰が?」

「それは分からない。が、分からないなら出てきて貰えばいい」

 詩人の言葉に怪訝そうな顔をする女性達。それにニヤリと笑い、詩人は自分の弓を取り出した。

「妖精の弓。聖王遺物の一つだ。聖王家の試練を潜り抜け、正式に譲られた」

「「!!」」

 目を見開く。詩人が聖王遺物を所持しているとは想像もしていなかっただろう。というか、普通そんな想像はしない。

「これを囮に使う。俺が聖王遺物を持っていると相手が知れば、向こうから手を出してくるだろうな」

「…手伝ってくれるのですか?」

「ああ。聖王遺物を強奪するっていうだけでも不穏な話だし、妖精の弓を持っている以上は俺もターゲットだ。そんな輩は叩き潰すに限る」

「…今までは黙っていたけど、聖王の槍を取り返すのに協力してくれるなら教えるわ。

 親方は聖王の槍がピドナにある事を突き止めた、少なくともピドナに手掛かりがあるのは間違いないよ。それに親方の遺体には赤サンゴのピアスが握られていた。

 そして親方が死ぬ三日前にこの工房に戻ってきて、こぼした言葉がある。ジャッカルという言葉よ」

「犯人、突き止めてるじゃねーか」

 思わず脱力した詩人。それを意味が分からないという視線で見る女性二人。

 知らないのだろう。やれやれと言葉を続ける詩人。

「海賊ジャッカル。義侠心もあったと伝えられる海賊ブラックとは違い、極悪非道で知られた男だ。赤サンゴの装飾品はジャッカル一味の特徴だったはず」

「じゃあ犯人は海賊ジャッカル!」

「間違いないだろうな。

 …言い忘れていたが、俺にも別に目的がある。手伝うし、囮になるのもやぶさかでないが、全面的に協力はできない」

「手伝って貰えるだけで十分ですよ」

「そうだよ。最悪、一人で聖王の槍を取り戻さなくちゃいけないと思っていたんだ。少しでも協力してくれるだけでもありがたい話さ。それが特に、アンタみたいに腕がたつ男ならなおさらだよ」

「ちなみに、詩人の目的を聞いてもいいですか?」

 カタリナが問い掛ける。ロアーヌにいた時にはのらりくらりとかわしていた問いだ。ノーラも長い付き合いながら詩人の目的を聞いた事はない。興味がないと言えば嘘になる。

「ああ、当座の目的としてゲートを破壊する。つまり、四魔貴族と事を構える。

 最初の相手はフォルネウス。近いうちにバンガードに移動して、バンガードを動かす事に力を注ぐつもりだ」

 呆気にとられた。四魔貴族は当座の目的でする相手ではない。

 それをさらりと言う詩人。冗談ではすまない実力を持っていると知っている身としては、嘘だろうが本当だろうが洒落になっていない話だ。

「そ、そうですか。では詩人には囮になっていただく、という形でいいですね?

 私はあなたが妖精の弓を持っているという情報をまいて、バンガードへ向かう怪しい人物に網を張ります」

「待ちだけっていうのも性に合わないねぇ。何かこっちから攻める手はないかい?」

「俺も情報戦はあまり得意じゃないからな…。レオニードなら得意だが、あいつは基本的に美女にしか興味ないし――」

 詩人はチラリとカタリナを見て頷き、ノーラを見て首を振る。

「――美人でも血を吸われたら元も子もない、却下だな」

「オイコラ。私の目を見て今のはどういう意味かしっかり答えろ」

 かなり失礼な対応をされたノーラは声を荒げた。男前な彼女は、美女という言葉から遠く離れているのは仕方がない。そういう姉御肌が好きな男もいるので、希望はある。

 対して美女と称されたカタリナはまんざらでもなさそうな表情をしている。

 そんな二人をさらりと無視して詩人は言葉を続ける。

「後、手が打てるとするなら、ジャッカルを知る人物を見つけるとかな。

 奴は温海で活動していたはずだ。そこなら奴の顔を知る人間もいるだろう」

「温海かい。グレートアーチやアケが有名だね」

「ピドナでの活動が一段落したら、そちらも当たってみます」

「そうだな。何か釣れたらこっちからも連絡する。レオナルド武器工房宛で手紙を書くさ。

 そっちも何か進展があったら連絡をくれ」

「アンタにどうやって連絡をとればいいんだい?」

 ノーラが聞く。今までは詩人がレオナルド武器工房に寄る時しか会う機会はなかった。世界各地を旅する詩人だが、それだけに彼を捕まえるというのは容易ではない。

 今まではそれで困った事はなかったが、協力者になるなら密に連絡がとれる手段が欲しい。詩人の手が必要な時、どこにいるか分かりませんでした。それでは困るのだ。

 その問いに少しだけ考え込んだ詩人だが、まあいいかと呟いて自分の手の一つを明かす。

「俺はフルブライト商会に伝手がある。何かと連絡を取ることも多いし、奴なら俺を簡単に捕まえられるだろう。

 フルブライト商会に聖者アバロン宛に手紙を送れ。それは俺に転送される仕組みになっている」

「聖者アバロンですか…。また大層な名前を使いますね」

 カタリナがその不敬に呆れた声を出す。

 聖者アバロンとは聖王十二将の一人であり、聖王三傑に並び称される文字通りの聖人だ。

 どこで生まれてどこで没したかも伝えられない謎の多い人物であるが、聖王を多く助けたとされる伝説的な名前。

 それを暗号にしてしまうとは。主君の祖先が聖王三傑のフェルディナントであるカタリナとしては、ちょっと筆を取るのにもためらってしまう名前だ。

「決まりだね。今日のところはこれくらいにしておこう。

 で、詩人は今日は何の用で来たんだい?」

「ああ、素材の卸しと武器が入り用だったんだ。ケーンに話は通しておいたから、準備してくれてるんじゃないか?」

 とりあえずの方針が固まり、ノーラが話を変える。

 それに乗った詩人が来訪の目的を話し出せば、カタリナは席を外す。

「では私は噂をまいてきます。ご武運を」

 そうしてカタリナはその場を後にした。

 本来なら、失ったマスカレイドの代わりの武器を探す為に立ち寄った武器工房。そこでノーラと知り合い、詩人の協力も得た。幸先がいいと思ってもいいだろう。

(マスカレイド…。必ず、取り戻す! ミカエル様に今一度、顔向けする為にも…!!)

 決意は重く、固い。

 レオナルド武器工房で仕入れたフランベルジュという大剣を携えて、決意の女騎士はピドナの雑踏に消えていった。

 

 

 




エクレアはほのぼの要因です。
そして8人目の主人公、カタリナ初登場。本来なら仲間にならないカタリナですが、この話ではちゃんと関わりがあります。

次回はエレンサイドの話にする予定です。リアルが忙しくなってきまして、更新には時間がかかるかもですが、どうかよろしくお願いします。


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012話

今回、初めて詩人が姿を見せません。
しかし段々と文字数が多くなる…。とうとう1万字を超えました。


 ベント家。

 大都市であるピドナにおいても有名な家の一つであり、町の中心部に近い場所に屋敷を構えられる程の家である。

 そこに二人の客が訪れていた。この家で商売の勉強をしている分家の男、トーマスの友人であるエレンとその連れであるエクレアである。

 さらにエレンは連れであるエクレアを家の者に任せて、自分はこの家でトーマスの手伝いをしている少女と二人っきりで話をしていた。話し相手はサラ、エレンの妹である。

「詩人が言うには宿命の子を求めて世界が大きく動いているらしいわ。詩人自身も、自分の目的が宿命の子だって言っていた」

「……」

 サラの顔色は、悪い。そんなサラを気遣いながら、エレンは穏やかに話しかける。

「あんたは心配しなくていいから、全部あたしに任せておきなさい。ここでトムの世話になってもいいし、もし嫌になったらシノンに帰ってもいい。本当にどうしようもなくなっても、お姉ちゃんが助けてあげるから」

「お姉ちゃんは…」

 絞り出すように、サラは言う。

「お姉ちゃんは、無理をしないよね…?」

「もちろんよ。あんたと違ってあたしは大人ですからね!」

 エレンは、満面の笑みを浮かべながら嘘をついた。

 

 個人的な話が終わり、エレンとサラは客間へと移動する。そこにはお茶を飲みながらお菓子をかじっていたエクレアがいた。少女は戻ってきた二人を見つけると、ふくれっ面で抗議する。

「エレンさん。お~そ~い~!」

「ゴメンゴメン。久しぶりだったから話し込んじゃって」

「もう! 一人で寂しかったんだからね。そっちのお姉ちゃんがサラさん?

 …サラさん? 大丈夫? 顔色、悪いよ?」

「…あ、大丈夫、よ?」

「そんなにエレンさんが怖かった?」

「大丈夫。お姉ちゃん、私には優しいから」

「ちょっとサラ。その言い方、大分引っかかるんだけど? あとエクレア。後でお話があるから」

「遠慮しま~す」

 ケラケラと笑うエクレアに溜息をつくエレン。サラはちょっと思いがけない単語が固有名詞として使われていることに強い違和感を覚えた。

「エク…レア…?」

「あ~。この子の名前よ。あんまり深く突っ込まないであげて」

 エレンとて、まさかエクレアが本名だとは思っていない。自分の娘にお菓子の名前をつける奴がどこにいるのか。パティシエか。

 だが、彼女に複雑そうな事情がある事は察しているし、この無邪気な少女に悪意がない事も分かっている。なら、年長者として笑って流すくらいはしてもいい。

 …同行者の、両方の本名を知らない事はどうかとも思うが。

 

 そうしてお茶を飲み、お菓子を食べながら歓談する事、しばらく。

 扉を蹴破る勢いでトーマスが飛び込んできた。

「サラはいるか!? あ、エレン! …に、誰?」

「落ち着きなさいよ、トム。いったいどうしたのよ? あ、この子はあたしの連れよ」

「~~~!! 今は時間と人手が惜しい! 戦えるなら、全員着いてきて来てくれ!」

 エレンは驚いていた。ここまで余裕がないトーマスは見たことがない。彼はいつも冷静に一歩下がってユリアンの無茶を見守り、そしてフォローをしていた。そんな大人な男だ。その男が余裕をなくしている。トーマスへの信頼が、事態の異常さを雄弁に伝えていた。

 …冷静に見守られていた内にエレンが含まれていることに、彼女は気づいていない。

「分かった。サラ、エクレア、行くよ!」

「は、はい!」

「んっ!」

 状況の異常さが分かったのか、サラはともかくとしてエクレアさえも素直に頷いて駆けだす。トーマスはそれを見る事なく走り始めていた。まるで、旧友が自分を信じてくれると疑っていないよう。

 ならばその信頼には応えなくてはいけない。エレンはトーマスの後を続きながら苦笑した。

 状況を聞いた後、その苦笑は凍り付くことになったが。

 

「魔王殿で子供が行方不明!?」

「ああ。目撃情報からゴンという少年が魔王殿に入ってしまった事は間違いない。そして魔王殿は言うまでもなく、アラケス配下のモンスターの巣窟だ。さらに神王教団のゴロつき共がお宝を探して這い回っているとも聞く」

「大問題じゃない!」

「だからこうして人手を集めているんだ!」

 話を聞いたエレンは激高し、トーマスも喚き散らす。サラやエクレアは顔を青くすることしかできない。

 それを制した男はシャールという、かつてピドナの実権を握っていたクレメンスの右腕だった傑物。彼の者が亡くなった後、その愛娘であるミューズを守ることを表明し、それ故にクレメンスの政敵だったルートヴィッヒの反感を買った男。代償として利き腕の腱を切られて戦士としては絶望的になったが、それでも術を磨き上げて今でもミューズの身を守る忠義の男。

「落ち着け!」

 一喝する。その威容に、強さに。思わずエレンとトーマスは黙り込む。

 それを好機と見たシャールは言葉を続け、白熱する言い争いに冷や水をかける。無駄にできる時間は一切ない。

「私たちでゴンの捜索を開始する。捜索範囲を広げるために二手に別れよう。私とトーマスが組むから、エレンはサラとエクレアを率いてくれ。

 最低目標はゴンの遺体を見つけること。それが達成されない限り、魔王殿から出ることは許さない。ゴンを見つけたら彼の身柄を優先し、魔王殿から脱出する。

 相手方への報告はゴンの安全を確保してからでいい。いいなぁっ!!」

 その気迫。頷くことしかできない面々を尻目に、シャールは魔王殿に向かって走り出す。それに追従するトーマス、エレン、サラ、エクレア。

 その中で比較的早く冷静さを取り戻したトーマスはシャールに並行し、先程下した強制に疑問を呈する。

「なあ、シャールさん」

「…なんだ?」

「男二人が同じ班っていうのはどうなんだ?

 それに俺はともかく、ただ連れてこられた彼女たちに行方不明になった子供の安否が確認されるまで魔王殿の捜索をさせるっていうのは余りにも――」

「今回はミューズさまの指示だ。ゴンを魔王殿で見つけなさい、と。私はそれを最大効率で行ったまで」

 冷血なその言葉に怒鳴り散らそうとしたトーマスだったが。シャールのその苦渋の表情に、心無い言葉は口から出ずに済んだ。

 そしてシャールはそのまま真意を口にする。

「故に、私の目の届く範囲で撤退は許されない。だが、見えない範囲で諦めても、それに口出しする権限や罰則を私は持たない。ああ、できるならこの言葉を、誰かが女性達に伝えてくれる人がいればいいのだが。

 ――それと、これは独り言だ。すまない、一人の男を、私の道連れにしてしまった」

 その言葉に。トーマスは一言も発する事は出来なかった。走りながらも敬礼をし、エレンへその呟きを伝える為に彼の元を離れる。

 シャールのような騎士にとって、主君の言葉は絶対である。それと同時に守るべき民衆の命も絶対である。その両方が天秤に載った時、それでも近衛騎士はその重さを計らなくてはならない。手を貸してくれる勇者には感謝を、守るべき人々には慈愛を。シャールはその両方を決して忘れない。

 彼らはアラケスのモンスターの巣窟である、魔王殿に辿りつこうとしていた。

 

 

 魔王殿。

 600年前に実在した魔王の居城であり、アラケスが拠点とするゲートが最奥にあるとされる忌地である。

 魔の空気が強く、特に15年前に死食がおこりゲートが開き始めてからはモンスターの数も質も向上したモンスターの巣でもある。

 だが同時に聖王の封印が効いているのか、モンスター達は一定の範囲の外へ出ようとしない。また、ある程度奥へ入ると強く封印された扉もあり、そこから先に侵入することも不可であるとの報告もある。その奥から更なる邪気を感じたとの報告も、また。

 彼女らの目的は魔王殿に入り込んでしまったゴンという少年の救出、もしくは安否の確認である。女性陣は、それとなくシャールに危なかったら撤退してもいいとは言われたが、もちろんそんなつもりはエレンにはない。全力を尽くして結果をもぎとるつもりである。頑張りました、でもダメでした。そんな甘えが通用する子供ではないのだ。

 魔王殿の表層に入り込んだシャールとトーマスとは別行動を取る。魔王殿はかつて世界の覇権を握った魔王の居城だっただけあって、とにかく広い。最低限の戦力に分けて数を頼りにするのは間違っていない。

 女性陣の指揮をとるのは自然とエレンの役割になった。サラは奥ゆかしい性格をしているし、エクレアは幼すぎる。そして何よりエレンはサラの姉であり、エクレアの姉貴分である。自然な配役といえるだろう。

 そしてエレンは縦列に隊列をとる事に決めた。先頭に自分が立ち、中衛にサラを配置、後衛にエクレアを置く。これはバックアタックを警戒した配置でもあり、サラの弓の腕を最もいかせる配置でもある。数が少ない中での強行軍、それぞれがそれぞれの持ち味を最大に生かさなくては危ない場所なのだから。

 侵入して程なく襲い掛かってくるモンスター共。前を進むエレンはもちろんの事、後ろからモンスターに強襲されることもどうしても多くなってしまう。また一匹、ゴブリンの上位種であるブラザーが背後から襲い掛かってきた。ゴブリンより知能があり、力があり、武器も巧みに使うモンスターだが、ゴブリンよりは強い程度であり、分類すれば雑魚だ。

「行っくよ~!」

 対するのはエクレア。それなりに切れ味の良さそうなブロードソードを振りかざし、ブラザーと正面から打ち合う。打ち合うといっても形勢は圧倒的であり、ブラザーは時間が経つごとに剣が振りにくい体勢に追い込まれ、そしてエクレアは体勢を崩すように見えて、一撃の重さは決して衰えない。

 ファルスにて詩人がエクレアの訓練をした結果、彼は少女に一つの評価を下した。万能の天才、と。

 とにかくセンスがあり、才能でいえばあのハリードに匹敵するのではないか。そう聞いた時にはエレンは目を丸くした。短い間しか関わっていなかったが、あの曲刀使いの強さは詩人に勝るとも劣らないと感じたものなのに、同クラスの才能があると言われた幼い少女。それを証明するかのように、詩人が僅かに指導しただけで一端くらいに戦えるようになった事実があった。

 また、武器を選ばないのも強みであるだろうと言える。例えばエレンはあまり器用でなく、斧や体術や剣といった力技は得意だが、小剣や弓といった技巧が高く必要とされるものは苦手である。サラは逆で器用に弓や小剣は使うが、いかんせん力不足。比べてエクレアは力も標準以上はあり、そして器用である。どんな武器でも使いこなせる下地があり、またその高い戦闘センスでどんな武器でも使いこなせるだろう、と。

 それを実証するかのように、ファルスで詩人はエクレアにブロードソードを買い与えた。彼女は今まで小剣を主に使っていたと自己申告したのにも関わらずである。そして詩人と乱取りをした結果、戦いのコツを乾いた砂が水を吸うように吸収し、あっという間に雑魚には負けないレベルまで強くなってしまった。

「ギャシャァ!」

「よっと!」

 苦し紛れに大きくブラザーが剣を振れば、エクレアは地面にへばりつくように身をかがめてかわし、そしてその体勢は軽業師のようであり、無茶なかわし方をした割には体幹が崩れていない。地面から飛び上がるように素早く剣を叩きつければ、ブラザーはなんとかそれを盾で回避する。そしてそれが精一杯。

 ブラザーは剣と盾を持ち、エクレアは剣のみを持つ。そして突進して距離を詰めた両者の間合いは剣を振れる隙が無い。できる攻撃といえば拳を叩きつけるような体術の間合いであり、エクレアの片手は空いている。もちろんその手には体術にも防御にも使える、金属製のガンドレットが装着されている。

「よい…しょっと!!」

「ブゲラギャ!!」

 その顔面に拳を叩き込み、ブラザーは顔を潰されて息絶える。

 このようにエクレアは間合いを支配するのがとても上手である。エレンは自分が負けるとは思わないし戦う予定もないが、心強い旅の仲間であると信頼できる程度の実力は認めていた。

 ちなみに詩人曰く欠点もあるようで、その才能に大きく依存して独特な動きをするが故に、他人と息を合わせるのが難しく他人も息を合わせるのが難しいらしい。ワンマンプレーに向いているという訳だ。また、才能ありきで戦っているため、人に教えることは苦手だろうとも。天才肌に多い欠点らしい。

 これは鍛えがいがあると詩人が黒い笑みを浮かべていたのは、エレンは見なかった事にしている。

 などとよそ事を考えているエレンではあるが、その攻撃の手は全くぬるくない。むしろ先陣をきっている為に一番数を相手にしている。今も骸骨型のモンスターと悪魔型のモンスター、そして不定形のモンスターが行く手を阻んでいた。

「やっ!」

 そのうち、不定形のモンスターはサラの弓矢で接敵する前に仕留めてもらう。相性が悪い不定形のモンスターを真っ先に仕留めるように指示を出したエレンは、それ以外のモンスターは全て相手取る覚悟で交戦する。

 剣を振りかぶる骸骨型のモンスターの攻撃を潜り抜け、爪を振るう悪魔系のモンスターの攻撃をそらして無力化する。詩人に比べれば、こんな奴らは相手にもならない。

「はっ!」

 飛び上がり、足を高々と上げ、思いっきり振り落とす。踵落としの形になった変則的なキックで骸骨型のモンスターの体を一撃で粉々にする。

 そしてその着地の勢いをそのまま飛び上がるエネルギーに変え、悪魔型モンスターに組み付く。素早く関節をとり、流れるように首を絞める。もちろん、そのまま窒息を待つ程エレンは悠長にはしていない。

 ゴキリと、首の骨を折り砕く。力を失った悪魔型モンスターは、そのまま地面に倒れ伏した。

 詩人に教わった通り、体術とは五体全てを使う事から始まる。殴り、蹴り、投げ、()める。徐々にだが、体術とは何かを掴めてきたエレンだった。

 

 そうして快進撃を進めた一行に、微かな声が聞こえた。

「お姉ちゃん!」

「しっ! 耳を澄ましなさい!」

 サラが注意を呼び掛けるが、そんな雑音が邪魔になるほど微かな声だった。子供が泣き叫ぶ声だった。

 今までの大暴れが嘘のように身じろぎ一つしない三人。聞こえてくる声は(かす)かで、その上に反響していてどこから聞こえてくるのかが分かりにくい。この広い魔王殿は小部屋や廊下の数もたくさんあり、分岐は多い。間違えられない場面で全員は耳に集中する。

「…あっち!」

 そして一番に気が付いたのはエクレアで、一つの廊下に飛び込んだ。慌てて後を追うエレンとサラだが、エレンはサラを中衛に置くことを忘れない。陣形を維持することは大事で、それに気が回らないエクレアはやはり子供で経験が足りてないと言わざるを得ない。

 走っていくうちに子供の叫び声が大きくなっていく。エクレアの耳が間違っていなかった証拠だ。そして廊下が終わり、その先にあった扉を潜り抜けた先にあったのは大部屋だった。

 獣人族の巣であろうその部屋はその種族がひしめいており、その中央では泣きながら喚きながら少年がその体を押さえつけられている。そしてその周りではゴブリン共が怪しげに踊っていた。おおかた、生贄を捧げる儀式とかそんなつもりだろう。

 そしてそれを全て通り越し、エレンたちは最奥にいたその巨体に目を見開いた。エレンよりも高い身長に横にも大きいその体は鈍重そうだが、見るからに怪力を誇ってそうである。それを証明するように、その手には人一人程の大きさがありそうな棍棒が握られていた。

 彼女らは知る由もなかったが、そのモンスターの名前はオーガ。少なくとも、漫然と旅をしているだけで出会ってしまうようなモンスターではない。どこかに縄張りを持ち、配下のモンスターを統べる支配階級のモンスターだ。ガルダウイング程の規格外ではないが、その威圧は勝てると確信できない強さがある。

 だが、子供が捕まっているのだ。撤退はできない。

 モンスター共は儀式の最中に飛び込んできた侵入者たちに呆然としている。その僅かな時間を利用してエレンは作戦を立てた。といっても、作戦というほど立派なものではない。言うなれば、ただの方針だ。

「エクレア、一緒に突っ込むよ! 奥のデカブツはあたしがなんとかするから雑魚の片づけは頼むわよ! サラはとにかく数を減らしてから、子供を確保して。援護は任せたわ!」

 聞いた瞬間、真っ先に動いたのはサラだった。今まで温存していた力を惜しむ事なく使い、先制をとる。

 白虎の術を使い、矢を作る。もちろん工房で作られるように真っすぐな矢ではなく、所々が歪で真っすぐ飛ぶとは思えない矢。それを弓に番え、連続して放ち続ける。

 でたらめ矢と呼ばれる、れっきとした弓技の一つである。ひたすら数を撃ち、数を撃ち、数を撃つ。大量の敵がいる時に使われる技であり、掃討技としてある程度優秀だ。ちなみにだが、弓の上級者になると使われない技でもある。速射でも全ての矢が狙いを違わないため、でたらめにうつ必要がないのだ。

 サラは子供に当たらないようにだけ気を付けて、後はひたすら術で矢を作り出して撃つ。そのおかげで部屋の中にいた獣人族、ゴブリンやブラザー共は瞬く間に混乱した。

 その隙を見逃さず、エレンはモンスターの群れに突進し、エクレアはそれに追従する。慌てるゴブリンどもは殴り飛ばされ、切り裂かれ、それでも乱入者に怒りの攻撃を加える。それを捌きながら瞬く間に子供の下に辿りつき、その体を抱きしめるエレン。

「ゴンね? 助けにきたわ!」

「あ…あ……」

 あまりの恐怖からか、子供はまともに言葉を返せない。

 しかしそれに気を配る余裕は、エレンにはない。奥にいた巨体のモンスター、オーガがのっそりとした動きで近づいてきているのだから。

 矢を撃ち終えたサラは護身レベルしか使えない小剣に持ち替えて、エレンたちの側まで走り寄ってきた。エクレアはその場で雑魚モンスターを遊撃し、サラは子供を抱きかかえて混戦の場から離脱する。そんなサラを狙うゴブリンもいたが、エクレアから意識を外した途端に彼女から背中を斬られる羽目になる。こうなると、モンスター共は先にエクレアを狙うしかない。

 そしてエレンは近づいてくるオーガに待ち構えるような事はしない。自分から仕掛ける為に、突進して先手をとる。

「やあああぁぁぁ!」

 勢いをつけた、その一撃。だが、その体格差は明らか過ぎる。正面から攻撃を仕掛けたが、適当には攻撃しない。狙いは、その指。体の中では細いその部位ならば、殴りつければ骨を折れる自信がある。そして体の先端であり器用さの起点でもあるその部位を損傷させることができれば、力も半減する。

 そんな思惑のなか、拳を振るうエレン。だがオーガは腕を自分の体に向けて肘を出す格好により、指を守り腕でその一撃を受けた。そして返ってくる衝撃にエレンは舌打ちをする。やはりこの体格差ではまともに攻撃は通らない。

 そしてオーガはお返しとばかりに棍棒を無造作に振るう。およそ聞いた事のない空気の音に、エレンは慌てて身を翻してかわす。ブォンと空をきったその攻撃は、一撃でもまともに受けたら死にかねない。全ての攻撃をかわさなくてはならないプレッシャーに、エレンは僅かにひるむ。

 距離を取り、小さな手斧を取り出して、振りかぶりブン投げる。そのトマホークは狙い通りにオーガの顔面へと向かい、そしてその手が持った棍棒に撃墜された。ここで威力を犠牲にした弊害が出た。一定以上の体力や防御力を持つ相手には、小さな手斧では攻撃力が足りないのだ。

「まいったね…」

 こちらの攻撃は通らないのに相手の攻撃は即死級。できれば撤退をしたいところだが、雑魚モンスターの数が多すぎるし、エクレアもまだ幼い少女である。数に押されて段々と動きに精彩が欠けていた。下手に背中を向ければモンスターの群れとオーガの挟み撃ちに遭い、却って危険な事になりかねない。

 コイツはここで仕留める。その覚悟でエレンは改めてオーガに向き直った。そして、大きく息を吐き出して仕切り直し、詩人の教えを思い出す。

(強力なモンスターと相対した時、その対処も教えてくれた…。ゲートを閉じ、四魔貴族と戦うならこのくらいは切り抜けなきゃいけないのよね)

 まだ手詰まりではない。エレンは再びオーガに突進を仕掛けるが、今度は愚直。真っすぐにただ突進する。

 分かりやすすぎるその攻撃に、裏があると考える知能がオーガになかったのが幸いだった。棍棒を振り上げて馬鹿正直にエレンを迎撃しようとするオーガは、その体勢が前にのめって勢いをつけてしまう。それこそがエレンの狙い。

 突進した勢いから、更に無理をして前進する速度をあげる。足が悲鳴をあげるが、今その無理をしなくては悲鳴すらあげられない肉塊に変えられてしまう。ギリギリが過ぎる際どさでオーガの棍棒を通り過ぎ、エレンは限界を超えたその突進力を打撃力に変える。そしてオーガも前進して渾身の力を前に押し出している。そのオーガの無防備な顔面に、合わさったエネルギーが拳を通して叩き込まれる。

 体術技の一つ、カウンター。敵の勢いも利用し、攻撃力を倍加して打つ技であるが、見ての通りに敵の攻撃を紙一重でかわした上に威力が上がるタイミングは僅か過ぎる時間。ハイリスクハイリターンの見本のような技である。

「グギィィィ!」

 エレンの渾身の一撃が自分の攻撃力と合わさって、顔面に叩き込まれてはタフネスに自信があるオーガもたまらない。棍棒を取り落とし、顔を庇うその巨体に、エレンは…行動を見失っていた。

 自分の攻撃力ではオーガの肉を突破できない。しかし今できた隙は一瞬で無くなってしまう。どうしようもない、どうしようもできない。

 その極限状態の中、エレンは信じられない結論を出してしまった。確かに打撃でその肉を突破する事はできない。ならば、肉を無視して内部に衝撃を与えればいい。

(そういえば、詩人も言っていたっけ…)

『棍棒で不定形のモンスターにダメージを与える事は難しい。体術でも同じだ。だが、衝撃を中に集中させる技法はある。

 外を殴ろうとするんじゃない。衝撃が浸透するように、拳で内部を狙うんだ』

 腕に溜めた力を振りかざし、外部を殴るのではなく、内側に威力を浸透させるように叩き込む。

 ぶっつけ本番、練習なんてしていない。だが手応えは固い肉の殴ったそれではなく、内側に吸い込まれてかき乱すような、そんな不思議な手応えだった。

 それは短勁と呼ばれる技。とっさにこそ、今までの積み重ねがものをいう。エレンが詩人に鍛えられていた日々は決して無駄ではなく、彼女を大きく前進させていた。そしてエレンの進化は終わらない。

 内臓にダメージを与えられるという、今まで味わった事のない苦痛を味わったオーガは狂乱しながらエレンに向かって手を伸ばす。無防備に伸ばされたその手は、エレンには絶好の機会にしか見えなかった。

 重心を前のめりにしてしまったら、いくら巨体とはいえ投げ技の格好の獲物である。無防備に出された腕を取り、その巨体を浮き上がらせる。そして見事な弧を描き、オーガは全体重を地面に叩きつけられた。

 逆一本。大きな相手でも投げられるように開発された投げ技であり、また自重に勢いをつけて叩きつける事から相手が大きければ大きい程威力があがる技でもある。

 そうしてオーガは頭から地面に叩きつけられた事により、首の骨が折れて砕ける。即死だった。

「…ふ~」

 確実にオーガが死んだことを確認したエレンは大きくため息をついた。

 厳しい戦いだった。死んでもおかしくない戦いだった。しかし自分はそれを潜り抜け、勝利を掴んだ。これから先は、これよりも厳しい戦いが続くのだろう。これはその第一歩に過ぎない。だが、ずっと先まで歩いていき、そして四魔貴族を撃破してゲートを必ず閉じる。

 そう決意を新たにしたエレンだが、彼女は失念していた。オーガは確かに倒したが、戦いはまだ終わっていないということに。

「エクレアちゃん!」

 サラの悲鳴に我に返る。目を向ければ、傷だらけになったエクレアがそれでも剣を構えて、四方から襲い掛かってくるモンスターを迎撃しようとするその姿。

 けれども一目で無茶だと分かる。アレは詰んでいる。助けなければと手斧を取り出すが、間に合わない。

「エアスラッシュ!」

「サンシャイン!」

 しかして。エクレアが切り刻まれるという未来は訪れなかった。遠くからでも効果を発する術がエクレアを包囲するモンスター共に殺到する。

 不自然な太陽光が雑魚モンスター全体を焼いてひるませ、熱で編まれた刃が危険な位置にいるモンスターどもを焼き裂いていく。

「ギリギリよ。トム、シャールさん」

「悪い。無理をさせた」

 トーマスは死体となったオーガを見て顔を固くする。その巨体を見ただけで恐ろしさが分かるというもの。そしてそれを倒したエレンには畏敬の念がわく。

 詩人と共に行動し、己を鍛える。どこを目指しているのか怖くなるほど、エレンは僅かな間に強くなっていた。

 そんな事を考えている間にサラはエクレアの下に駆け寄り、シャールはゴンに気遣っていた。

「大丈夫か、ゴン」

「…ねえ、ミッチは? ミッチは無事?」

「ああ、今はミューズさまの所にいる」

「…、……。あ~~ん! 怖かったよぅ!!」

「よしよし、お前は立派だぞ、ゴン」

 シャールに抱き着いて泣き出すゴン。自分が危険な目に遭ったというのに、真っ先に友達を気遣うその高潔さにシャールは誇らしい気持ちになる。

 自分が守ってきたピドナの子供たちは、真っすぐ健やかに育っていると。

 そして一番大きな傷を負ったエクレアにはサラが癒しの術をかけていた。

「アースヒール!」

「あはは…。ドジっちゃった。私もまだまだよね…」

「もう、無茶したらダメよ! 本当に…無事でよかった」

 サラは死にかけたエクレアが無事だった事に涙ぐみ、エクレアはそれでも明るく笑う。

「サラさん、ありがとう。痛みはすっかりないよ!」

 元気元気とポーズをとって無事をアピールするエクレア。その明るさと優しさは美徳だろう。

 やや弛緩した空気を挟み、シャールが場を仕切る。

「まだここは安全じゃない。至急、脱出しよう。そして気が早い話だがまずは言わせてくれ。

 ありがとう、君たちのおかげでゴンを助け出せた」

 その言葉がなによりの報酬だと言わんばかりに、その場の全員が微笑んだ。

 

 全員が無事に魔王殿を脱出し、ミューズに元気な姿を見せたのは間もなくの事だった。

 

 

 




魔王殿に生息するオーガをボス扱いにしました。
ここで閃きのお世話になった方も多いはず。
エレンも新しい技を二つ程閃きました。極意習得するまで頑張れ。


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013話

今度はカタリナでプレイ中。
…リマスター出る前に8人全部クリアしてしまう。

まあ、まだエレンもカタリナもクリアしてないんですけどね!


 

 

「そのモンスターは恐らくオーガだな。結構強いモンスターだが、よく勝てたな」

「あはは。あたしもちゃんと強くなっているって分かってよかったよ」

「エクレアも大変だったな。…命があって本当によかった」

「えへへ。私、まだまだだよね。もっと強くなりたいから、よろしくお願いします」

 ピドナの宿に帰ってきた詩人と、エレンとエクレア。何をしていたかの話をしていたのだが、エレンとエクレアが想像を超えた冒険をしていた事に驚く詩人。

 自分がいないところで無茶をすると呆れるべきか、自分がいなくても戦えていると褒めるべきか。もちろん、後者であるのだが。詩人は二人を鍛えているが保護者ではない。自分に目的があり、エレンにも目的がある。その為に協力している仲間であり、その仲間が自立して強くなるならそれは歓迎するべきだ。

 エクレアは――まあ、置いておこう。

「そんな二人にプレゼントだ。

 エクレアには小剣と弓、それから特注の剣を買ってきた。防具もな。お前は色々な才能があるからな、たくさん手を出して経験を積んでおけ」

「わーい。詩人さん、大好き!」

 詩人から手渡されたのはシルバーフルーレとカナリアの弓、そしてバスタードソード。他にも防具がいくつかある。エクレアにまだ武器の良し悪しが分かるとは思えないので、多少は詩人が面倒をみていく事になっている。

 ファルスで買ったブロードソードは早くもお役御免だろう。レオナルド武器工房にて詩人の発案で創られたバスタードソードは、そのサイズが絶妙であり、大剣でありながら剣としても取りまわせるという特徴がある。

「あたしにもあるの?」

「ああ。特注品だ」

 そう言って詩人は奇妙な武器を取り出す。ちなみにそれも詩人が発案した特注品である。

 その武器は棒に刃物がついた武器だった。殴るでなく、切るでなく、今一つ用途が分からない。手に取ってみるが、奇妙な重心をしていて振るにも向かない。

「なに、コレ?」

「ま、実際に見ないと分からないよな。ちょっと実践しよう。町の外で使い方を見せてやるよ」

 変わった武器にエレンは困惑した顔をして、不思議な武器にエクレアは目がキラキラと輝かせている。

 そして町の外に出た一行は、その武器の使い方を見て驚きの表情をした。

「――これは」

「すっご…」

「もう一度やるぞ?」

 詩人はそう言って、その武器を振り上げて投げる。トマホークの要領で投げられたその武器は、的にした木に当たりその表面を削り取る。

 だがこの武器の真価はそこで終わらない。ぶつかった衝撃を反発力に変えて、なんと詩人の手元に戻ってくる。そしてそれをキャッチする詩人。

「この武器専用の技、ヨーヨーだ。いや、この武器がヨーヨーの為に作られたから、武器の名前もヨーヨーというのだが。ちなみに慣れるとこういうこともできる」

 詩人はまたヨーヨーを投げる。そしてぶつかって戻ってきたヨーヨーを受け止めると間髪入れずにまた投げつける。それを連続で行うと、あっという間に的になって木はズタズタになり、やがて音を立てて倒れてしまった。

 その破壊力を生み出した武器を、詩人は気軽にエレンに手渡した。

「いつまでも小さな手斧でトマホークをしている訳にもいかないだろう。使いこなしてみな」

「…ありがとう。あたしも、もっと強くなるよ」

 感謝と共に笑みを浮かべてエレンは礼を言う。気をするなと言わんばかりに手を振る詩人。

 これでひとまずピドナでの用事は終わった。次に目指すのはバンガード、聖王が船としてフォルネウスに戦いを挑んだ島であり、現在はその上に町が作られている。

 バンガードに何が待ち構えているかも分からないまま。彼らはバンガード行きの船に乗り込んだ。

 

 

 揺れる船の上では娯楽も少ない。特に船に乗る事が仕事の船員では、必ず飽きというものができてしまうものだ。

 しかし人間は強いもので、飽きが強ければ強い程にそれを潰すものを探してしまう。人間観察などはその代表的なもので、旅人を眺めて多くの暇を潰す。楽しい人間もいれば、つまらない人間もいる。何もおこらない平凡な旅もあれば、行き連れの旅で恋人ができることもある。今回の船旅では、特に三人の客がそんな好奇の目に密かに晒されていた。

 バンガード行きに乗った三人の客、その日課がまた特徴的なのである。朝に甲板の広い所を陣取って鍛錬をする。その動きが曲芸染みているので、見ていて飽きないのだ。

 そして平穏な船旅が続く今日もまた精を出していた。

「やややややややややっ!」

「はっ! ふっ! とっ!」

 美少女と美女が一丸となって一人の男を攻めている。くまのぬいぐるみの形をしたバッグを背負った美少女は、小剣で刺突を繰り返している。その速度は目で追うのがやっとというレベルで、相手が動かない壁ならばあっという間に穴だらけになるだろう。全身をしなやかに鍛え上げた美女は、その合間を縫って拳や蹴りを繰り出して避け続けるその男に攻撃を当てようとしている。

 そして美少女と美女の相手をしているのは詩を読むことを生業とする男、詩人。常人では一撃もかわせないような嵐のような攻撃を、一撃の被弾なくかわし続ける事ができている、ちょっとおかしい男である。

 触れていない、というのではない。詩人と武器や腕は触れている。だが詩人に触れているのではない。詩人が触れているのだ。二人がかりでのあらゆる攻撃を、詩人はその棍棒や体で逸らし受け流し、あるいは弾き。有効打を一つとして許さない。

(チィ!!)

 エレンは心の中で舌打ちする。オーガとの死闘を制し、ついた自信は早くも無くなっていく。新たに得た技、短勁や逆一本も使う隙がない。

 短勁は込めた力を相手の内部に浸透させる技だ。その特徴としては有効打に威力を上乗せするタイプの技であり、かすらせない詩人の回避力の前には効果を発揮することができない。逆一本は更にそれが顕著であり、相手の腕を取って極めた上で自分を支点に大きく弧を描きながら投げて地面に叩きつける技。これも相手の腕を取るという最初のハードルがクリアできない。

 まずは相手の隙をつくる。閃いた技を当てるために、自分が相手の隙を無理矢理つくりだすのだ。少なくとも、詩人は自分から隙を作るほど甘くない。小さな技を、相手に当てるのでなく、相手の動きを阻害するように相手が嫌がるような方向に持っていく。

 これは武術の中では崩しと呼ばれる技法である。それも熟練の冒険者などが自分の弟子に伝えるか、もしくは国や大きな傭兵団の強者が奥伝に近い形で秘匿する技術。長い試行錯誤の中で限られた者のみが気づき、体系化されたそれを。エレンは詩人という大きな壁がある前提だが、自分自身の考えでそこに至り、精練させていく。

 技を閃いた自信と引き換えに。エレンは着実に、そして普通ではあり得ない速度で強くなっていく。その事実を未だ彼女は自覚していない。

「やややややややややっ!」

 対してエクレアの考えは対極的で単純だった。

 繰り出している全ての刺突。それがかわされる、逸らされる、弾かれる。ならばもっと速く、もっと多く、もっと強く。単純にそれだけを考えて攻撃を繰り出していく。

 言葉にすれば単純だが、実現できる人間はこう呼ばれる。すなわち、天才と。

 ただでさえ秒間一撃に迫る速度で繰り出すそれを、更に強く更に速く更に多くという発想がまずおかしい。そしてそれを現実に反映させているのだからもっとおかしい。目指す地点はエレンと同じ、詩人に一撃与える事。その為に必要な速度と数はどれほどになるのか。それは分からないが、とりあえず増やし続けていく。徐々にだが、確実に、限りなく。

 攻撃に没頭していたエクレアはふと防御のことを忘れてしまう。そして詩人は、それを忘れた瞬間には容赦がない。

 詩人は叱るような威力で、棍棒を回転させてエクレアの頭を叩きつけた。

「痛いっ!」

 またやってしまった。隙を作るとそこを攻撃される。

 ……隙を作ると、そこを攻撃してくる?

 思いついたら即実行、エクレアの美点の一つである。全く同じように刺突を繰り返し、全く同じように意識を散漫させ、そして出来た隙。いや、作った隙。そこを目掛けて詩人は棍棒を振りかざした。

(きたっ!)

 内心で笑うエクレア。来ると分かっている一撃ならば回避はできなくもない。頭上から降ってきたその棍棒を紙一重で回避して、棍棒を振りきった詩人に向かってシルバーフルーレで刺す!

「マタドール…カウンター技を自力で編み出すか。なら覚えておけ、さらにそれに合わせるカウンター技もあるってな」

 振り切った棍棒。それに合わせて出された小剣。さらに小剣よりも速くエクレアに到達する詩人の蹴り。棍棒を振り切った動作を利用して、体の捻転だけで威力を加えた詩人の蹴りはエクレアの体に深々と突き刺さる。叱るような威力から、芯に残る威力へ。つまりエクレアへの評価がまた上がった訳だが、くらったエクレアはそれどころではない。たまらず武器を手放してお腹を押さえてしまう。

「クロスカウンター。特殊な技だが、カウンターを警戒されたらありえる技だぞ。

 それと――どんな時でも武器を手放すな!!」

「きゃん!!」

 やや強めの拳骨を脳天をにもらい、エクレアはとうとう撃沈する。

「きゅう…」

「しかしこの短い時間でカウンター技に辿りつく、か」

 やはり、と考える詩人だが手を止めたエレンに怪訝な表情を向ける。エレンもまた怪訝な表情で詩人を見ていた。

「ねえ、なんでエクレアがカウンター技を狙ってるって分かったの?」

「ん? さっきまで上がっていた攻撃の精度や威力、速度の成長が突然止まったからだ。だから他の何かに意識を集中させているって分かった。その上で直前と全く同じ隙の作り方をしたからな」

 そこまで分かって、エクレアにマタドールを仕掛けさせ、さらにクロスカウンターで沈める。上げて落とすとか、この男は本当に容赦ない。

「エレンも崩しに入ってるし…。本当に、もしかすると、もしかするかもな……」

「崩し?」

「ああ、さっきからエレンが試みているやつだ。

 ――体感してみるか?」

 受け一方だった詩人が突然エレンに迫る。驚いたエレンは迎撃しようとするが、それよりも速く詩人の拳がエレンに迫る。

 とっさに迎撃ではなく回避を選択してしまったエレンだが、避け方が少しまずかった。バランスを崩し、体に力が入らない。体勢を立て直すために一瞬の時間が必要だが、その前に詩人の攻撃がとんでくる。体に力が入らないエレンの選択肢に受けは無く、回避する。そして回避した後の体勢はさっきよりなお悪い。

 それが数回繰り返されると、もはやエレンの体勢は死んでいた。動けない、力が入らない、そんな体勢。

「おまけだ、勉強しておけ」

 詩人は動けないエレンの腕を掴むと、絶妙な力加減で腕を極めつつ投げの構えに入り。そしてエレンの体は詩人を支点に、宙に大きな弧を描かされて甲板に叩きつけられる。

 自分の編み出した技、逆一本。その威力をエレンはしかと味わらされた。

「かはっ!」

「追加だっ!」

 まだ足りないと言わんばかりに、肺から空気を吐き出したエレンの腹に向かって詩人の掌底が繰り出された。その衝撃は外部でなく、内部に浸透される。

 これもまたエレンが使おうとした技だ。詩人が見本とばかりに繰り出した短勁でエレンは悶絶した。

 船員はそんな三人の訓練を見て思う。飽きない旅だ、と。彼らがどれだけハイレベルな戦いをしているかは分かっていない。

 彼らにとって。また、外から眺めている分には。それはただの曲芸と変わらなかった。

 

 午前中に訓練が終わると、彼らは比較的穏やかに過ごす。例えば昼食はいつも、まとまって食堂でとっている。

 そこでかわされる何気ない会話。

「う~。またかすりもしなかった~」

「ははは。千年早いな」

「うううぅ~! くやしぃぃ~!!」

 エクレアは涙目で騒いでいるが、彼女の攻撃の威力は既に楽に人を殺める域にある。先程のマタドールも相手が詩人でなかったら、体には確実に穴が空いていただろう。そろそろ手加減を覚えてもいいだろう。全力を出すだけでなく、制御する訓練だ。

 もっとも詩人が鍛えてはいるが、別に彼女たちは彼の弟子という訳ではない。そこまで配慮するつもりは詩人にない。今までと同じように乱取りをするだけである。必要なら、自分で気が付いて自分で学んでいけばいい。

 エレンも憂鬱そうにキャベツの酢漬けを口に運びながら、ため息をついた。

「あたしも自信なくす…。オーガを倒せたからちょっとは成長したつもりだったんだけど、さ」

「いや、十分成長はしているから安心しろ。ただ、ガルダウイングはオーガの何倍も強いからな」

「――あ」

 確かに。ガルダウイングはオーガよりも圧倒的に死の気配を濃く感じた。それを瞬殺した詩人の強さを考えると、現状はストンと腑に落ちる。

「っていうか、エレンさん。キャベツの酢漬けとかよくパクパク食べられるよね…。

 私、それ嫌いなの」

「酢漬けとかは保存食で村でよく作ってたわ」

「それに船の上で摂れる野菜や果物は少ないからな。好き嫌いはしている場合じゃないぞ」

「だって酸っぱいんだも~ん」

「そりゃ、酢漬けだもの」

 その言い分に苦笑するエレンに詩人。そしてやれやれと詩人はエクレアの頭をなでる。

「我慢して食べなさい。そうしたら後で焼き菓子をあげるから」

「ほんとっ!?」

「本当だ。保存がきくお菓子をいくつか買っておいた。エクレアはお菓子が好きだからな」

「わーい! じゃあ、頑張って食べる」

 そんな二人の様子をみてエレンはふふっと微笑む。

「なんか、詩人ってエクレアのお父さんみたいね」

「……」

 エレンの感想に、詩人は壮絶に厭そうな表情をした。

「――そういうエレンはお母さんみたいだな。いい人、いないのか?」

 ピキっとくる。確かにエレンは恋人の一人が居ていい歳である。早い人ならば子供がいる場合もあるだろう。

 それでもここで怒っては負けである。エレンは種類の変わった微笑みを浮かべたままで言葉を続ける。

「あたしよりも詩人の方が問題だと思うけど。あなた、歳は幾つなの?」

「そんなのいちいち数えてない。男より女の方が気にした方がいいと思うが?」

 うふふふふ。あはははは。

 修羅場である。

 そんな二人を見てつまらそうに言うエクレア。

「お父さんとかお母さんとか、そんなの居ない方がいい。家族なんて、ギスギスしてていいことなんてないよ」

 そういえばエクレアは家出娘である。詳しい事情は聞いていないが、彼女にとって家族とはいい思い出がないのだろう。

 それに沈黙するのは詩人。彼も決して交友関係に恵まれていない。ナイーブな年頃の少女を上手く慰めることは苦手である。

 対してまた種類の違った微笑みを浮かべるのはエレン。彼女のカーソン家は仲のいい家族である。家族とは良くないところもあるが、それだけではない事をエレンは知っている。

「エクレア。別にあなたが実家が嫌いなのは構わないと思うの。家族にいい感情がないのも仕方がないと思ってる。

 でも、それが全部じゃないのよ」

「……」

「例えばあたしとサラだけど、あたしはサラが大事だし、サラもあたしを慕ってくれていると思っているわ。喧嘩することがない訳じゃないけど、家族ってそういうものだと思う」

「ふんっ! 嫌いなものは嫌いなの!」

「別に今の家族を好きにならなくてもいいと思うわ。子供は親を選べないからね。

 けど、エクレアが将来いい人を見つけて家族をつくるかも知れないでしょ? そうなった時に、幸せな家族を作って欲しいの。エクレアみたいに子供が嫌になるような家族じゃなくて、子供を愛して子供に愛されるような、そんな家族を」

「……想像できない」

「好きな人に優しくする。そして、辛そうなときには助けてあげる。苦しかったらそう言って、助けてもらう。そんな簡単なことでいいのよ」

「難しいよ、それ」

「じゃあ、あたしたちで練習しようか。旅の仲間として、もっと遠慮なく話をしましょう。

 嫌なことは嫌って言って、嬉しかったらありがとうって言おう。まずそこから始めようよ」

 少しだけ沈黙したエクレアだが、やがておずおずと頷いた。

「分かった。練習、する」

「うん。無理はしなくていいから、ね?」

 照れくさそうにするエクレアに、詩人は感嘆の息を漏らした。

「本当、母親みたいだな」

 今度の言葉にはエレンが反発することはなく、にっこりと受け入れた。

 

 

 遠く遠く 夜空も違う

 もう辿りつけない故郷よ 懐かしく温かき故郷よ

 お前は私を恨んでいるか お前を見捨てた私を憎んでいるか

 嫌いでお前を捨てたのでない どうか私を許しておくれ

 いつか朽ちるその時に 私の心が還る場所

 笑って私を受け入れてくれ

 

 夜。星空の下で詩人が詩を唄う。

 故郷を偲ぶその詩を、エクレアはつまらなそうに。エレンはなんとも言えない表情で見ていた。

 聞こえてくる。詩人の詩と、夜風と波の二重奏がその背景に。もう間もなく眠りの時間。気が向いたのか、詩人は珍しく詩を歌っていた。…詩人を名乗っているくせに、余り歌わない男である。

 だがレパートリーは多いし、その歌声やメロディは素晴らしい。心が奪われる音楽を奏でている。調子のいい英雄譚を歌えば楽しくなるし、静かな歌ではセンチな気分になる。今回、エクレアがつまらなそうにしているのは選曲が問題なのだろう。故郷を歌っては彼女が楽しくなろうはずもない。エレンとしてもシノン村を出てから日が浅いし、そもそも帰ろうと思えばいつでも帰れるのである。故郷を想うほどの重さはない。しかし詩人は違うのだろう。彼が歌うその詩には確かに故郷への想いが感じられた。

 やがて詩が終わる。拍手をしながらエレンは詩人へ声をかけた。

「流石ね。もっと頻繁に歌えばいいのに」

「気が向いた時に歌う方が性に合ってるんだよ。金は力で稼げるから、詩はまあ趣味や副業みたいなものさ」

「…それでよく詩人を名乗るわね」

「傭兵って名乗っても数が多いからな。詩人だと比較的覚えられやすいんだよ。腕の立つ詩人って言えば話も通じやすいしな」

 じゃあ名前を名乗れ、とはエレンも言わない。レオニードも言っていた、名前を隠していると。何か理由があって隠しているのだろう。

 エレンが詩人を信用しきれないのはそこだ。宿命の子を探すというのであれば、別に名前を名乗って不都合があるとは思わない。何か別の目的があって名前を名乗れないと考えた方が自然である。

 ならばその目的が何かというと、分からない。名前を隠して有利になる、もしくは名前を晒すと不利になる、などということはエレンの想像できる範囲の外にある話だ。

「詩人さんはさー。いつか故郷に帰るの?」

 エクレアはつまらなそうな顔のまま、つまらなさそうな声で聞く。それに首を横に振ってこたえる詩人。

「まさか。俺は故郷を捨てたから帰る資格はないし、帰る気もない。それに――」

 詩人の最後の言葉は小さく、波の音に消されて散った。エレンはおおよそ想像がつくが。おそらく、詩人の故郷はもう無いのだろう。

「帰る気ないの? ずいぶん懐かしそうに歌っていたけど」

「ああ。故郷で一緒に過ごした仲間たちのことを考えたら、な。仲が良かったし、いい奴らだった」

「その人たちに会いに行けばいいのに。そんなに懐かしいなら」

 失言だ。エレンは分かるがエクレアには分からなかったらしい。詩人の次の言葉は容易に想像できる。

「死んだ。殺された。全員、な」

「……ごめんなさい」

「いいさ、昔の話だ。それに、珍しい話でもないだろ」

「その…怒ってない?」

「こんなこと、怒るほどじゃないさ」

 本心からそういう詩人にエクレアはほっと息を吐いた。だが、エレンはその言葉の裏にある意味がぼんやりと見え、なんとなく詩人が意図することが見えてきた。

 こんなことでは怒らない。怒ることは別にある。もしそんなものがあるとすれば、殺した敵たちへの復讐か。それともやるべきは怒ることでなく、仲間たちへの供養なのか。

 詩人の本質に触れられそうな話題だが、下手に触れても心を傷つけるだけだろう。このような話題は繊細に扱うべきことだ。

 急ぐことはない。そう考えてエレンは話を終わらせようとした。

「さ、そろそろ寝ましょう。明日にはバンガードにつくわよ」

「ああ。忙しくなるな」

「美味しいお菓子、あるかなぁ?」

 会話をかわしながら寝室へと戻る三人。

 新たな大陸と冒険とは、すぐそこに迫っていた。

 

 

 



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フォルネウス編
014話 海を舞台に


前話の細々としたところを修正しました。ちょっと荒かったです。反省。

この時期は忘年会シーズンでもありますので、まったり待って頂けたら嬉しいです。もちろん投稿ペースも、質も、見放されないように頑張らせていただきます!


 バンガード。

 今でこそ町の名前ではあるが、聖王詩によれば島であり、船であるとされる。

 海を支配した四魔貴族、フォルネウスと戦うために大地を切り離したのが最初とされ、フォルネウスを撃破した後は悪用されないように大陸に封印されたと記される。

 また、島を船として動かす為に必要な物資や人員は大量であり、大陸に封印された後はその資源を元にバンガートを町として発展させた、とある。

 そういった経緯と、周りを海に囲まれているという立地条件から、バンガードは海運や漁業などといった海に関する事が発展した。そんな背景がある町に詩人たち一行が到着する。そしてすぐに異常に気が付いた。

「妙だな」

「おかしいわね」

「? なにが?」

 詩人とエレンは即座に気が付くが、エクレアはそうもいかなかったらしい。町に漂う不穏な雰囲気に気がつけない。

 そんなエクレアに、エレンがささやいて伝える。

「見回りの兵士が多すぎるわ。それに、物陰まで見張っているみたい」

 言われてみてエクレアはようやく多すぎる兵士たちに気がつく。その上で、なんというか、殺気立っているというのもなんとなくわかった。

 何か事件がなければこんな重い雰囲気は作らないだろう。その事件を知っているのか、兵士たちにあてられているのか。普通の人々もどこか重苦しい雰囲気をまとっていて、お世辞にもいい雰囲気とは言えない。

「まあ、これだけ表立って警戒してるんだ。情報はすぐに手に入るだろう。

 宿を先に取ろう、そしたら休んでいていいぞ。俺は何が起きたか聞いて回る」

「はいは~い。私も行く!」

「一人に仕事を押し付けないわ」

「…何が起きてるのか分からない、俺一人がいい。

 バンガード軍がここまで多く動くなんて、普通じゃない」

 鋭い目つきをして言う。こういう時の詩人にはあまり逆らわない方がいいと知っているエレンは即座に前言を撤回する。

「分かったわ。無理はしないでよね」

「…一応言っておくが、ゲートを閉じるって相当な無理だからな。自覚してるか?」

「……」

 すっと無言で目を逸らし、適当な宿に向かうエレン。ため息を吐きながら続く詩人。そして騒がしいエクレア。

「ね~。私も行きたい! 聞いてる?」

 駄々をこねる少女を完全に無視する二人。エクレアは構えば構うほど調子にのると、そろそろ薄々気がついてくる。

 宿に入り、一人部屋と二人部屋をとって銅貨をジャラジャラと支払う。詩人は部屋の鍵だけ受け取ると、さっさと町に繰り出した。エレンはエクレアのお守りである。

 部屋から外を眺めると、やはり雰囲気がおかしい。バンガードの兵士たちの数が尋常ではない。

 

 当たり前の話だが。どんな国、どんな町、どんな村だろうと武力はある。モンスターが跋扈するこの世界ではむしろ当たり前の話である。最低でも自衛する手段がなければ、どんなに大きな国でもただのカモだ。むしろ大きな武力を持ち、それを支えられる経済を持ったところが強国と呼ばれるといっても過言ではない。

 そこでバンガードであるが、武力としては中の中で軍隊の総数は3000といったところ。内訳に海軍も含まれるため、陸に対する武力は弱い。武力は控えめにして商業的な成功をした町と言えるだろう。

 そんな町であるのに、商業に影響を及ぼすほど軍が町を闊歩している。これはかなりの異常事態だと普通は分かる。暢気にお茶を飲んでいる家出娘のような世間知らずは、もちろん普通の範疇に入らない。

 果たしてそんなエレンの想像は当たった。情報を集めてきた詩人の話に目を丸くする。

「連続殺人事件!? こんな町中で!?」

「ああ。被害は数十人にのぼるらしい」

 町の外で人が死ぬのはよくある話であるが、その反対に町の中で人が死ぬのは非常に稀有といえる。モンスターや別国、野盗といった直接的な脅威が多いこの世界は、モンスターが存在しない平和な世界とは比べ物にならないほどに殺人に関する忌避感は強い。訓練をうけた兵士や傭兵、良心がふりきれた野盗、色々とおかしい詩人はともかくとして普通の感覚はそうなのだ。

 それなのに数十人が殺害される連続殺人がおきる。これは確かに軍が町を闊歩する異常事態だといえる。何故なら、犯人が人間にせよモンスターにせよ、数人殺せばだいたい足が付く。それでお縄になるなり討伐されるなりで終わりだ。それなのに被害者は数十人。

「バンガード市長はこの件に関して1000オーラムもの懸賞金を出している。逆に言えばそれほどまでに持て余している事件だ。市長の信頼を得てフォルネウスに対する味方にするのに、これはある意味チャンスだな」

「殺人事件をチャンスっていうのは……」

 余りに容赦ない詩人の言葉に顔をしかめるエレン。他人の不幸を利用して自分が得をするのに抵抗感があるのだろうが、今更である。世界には常に不幸があふれているし、ゲートが開きかけてアビスの力が流れこんできている昨今ではその風潮はなお強い。むしろこういう機会に恩を売っておかないと旅人としてやっていけない。

 なので、詩人はエレンの嫌そうな顔を無視して話を続ける。真っ白な紙に大雑把なバンガードの全景を書き、そして区画を分けて被害があった場所を書き込む。

 バンガードは大きく、半島部位と大陸部位に分けられる。小さな半島全部を町にして、そこから大陸にまで広がっていったという歴史だ。そして大陸部位には西から東に運河が作られており、そして平坦な半島部位には水路を張り巡らせて水の便をよくしている。

 被害が出ているのは大陸の運河周辺と、半島部位全般だ。

「明らかに犯人は水路を利用しているな。水棲モンスターの可能性が高い」

「でもバンガードの半島部位はだいたい水路が通っているわよ。次の犯行現場を特定するのは難しくない?」

「確かに。犯行に規則性も見えないし、バンガード軍の人海戦術でも手掛かりもつかめない」

「じゃ、どうするの?」

 全く考えないでエクレアは聞く。やはりというか、彼女は頭を使うことはあまり好きでないみたいだ。

 かといって頭を使えばなんとかなるという問題でもない。エレンはうんうんと知恵を絞っているが、しょせん田舎娘の知恵である。バンガード軍が成果を上げられないのに彼女にいい案が浮かぶ訳もない。

 それでは詩人はというと、ため息をついていた。

「仕方ない。発見までは俺がなんとかしよう」

「できるの?」

「多分な。疲れるからあまりやりたくなかったんだが…」

「どーやって?」

「こうやって」

 ボコリと、詩人の影が盛り上がる。思わず硬直する二人だが、状況は変わらない。盛り上がった影は鳥を形つくり、それが次々と生まれ出てくる。それが10程になると、ようやく影の鳥の増殖は止まった。

「月術の奥義、シャドウサーバント。影を使役し、使い魔にする術だ。脆く、攻撃を受けたら即座に崩れてしまうが、汎用性は高い」

 そう言った後に影の鳥たちは次々と窓から飛び出し、空を舞う。遠くから見ればカラスにしか見えないだろう。

 そして詩人はというと目を閉じて椅子に座り込んだ。

「今、俺と10の影の鳥は視覚を共有している。外で異常があればすぐに分かるだろう。それに攻撃を喰らわなければ影にもそれなりの戦闘力がある。俺たちがつくまでの時間稼ぎはできるだろうな」

 しばらくは待ちだと詩人は言う。体を休めつつ、緊張は解くなと告げて自分は影の鳥から入ってくる情報に集中する。

 …さりげなく難しいことを要求してくる詩人だが、本人が一番負担がかかることをしているので文句も言いにくい。発見の報に備えてエレンは静かに集中力を高めるのだった。

「あ、このお菓子美味しいよ~」

「あんたはもう少し真面目にやりなさいっ!」

 

 何事も起こらない平和な昼下がり。

 魚介をたっぷり使った美味しい夕食。

 遠い大海原に日が沈む。

「ひ~ま~」

「出ないわね、殺人鬼…」

「…だからやりたくなかったんだ」

 監視に専念するということは、待ちということ。相手が動かないとやることがまるでない。それなのにこちらは消耗していく。普通に考えて悪手だ。相手が確実に動くであろう今回や、監視することによって相手に圧力をかける、もしくは水を漏らさぬ防御にしか使われない所以である。

 ただ暇をしているエレンやエクレアはもちろん、町中を上空からひたすら監視する詩人も半日で辟易としていた。

「もっとこうさ、悪いやつがバーンっていてさ。それをスカっと倒す方が楽~」

「世の中そんな単純なら苦労は無いんだよ…」

 詩人の言葉もキレが悪い。っていうか、四魔貴族がいる時点で悪い奴はバーンといる。それに今回に限っても連続殺人鬼が分かりやすくいる。しかもそれを発見する労力は詩人が頼りなのである。エクレアはもう少し苦労した方がいいんじゃないかな、と思うのは多分間違っていない。

 文句を言わないエレンも疲れ気味だ。

「でも、どうするの? このまま徹夜する? 一日は持っても何日もは持たないわよ」

 即座に殺人鬼を特定できれば話は早かったが、さすがにそう上手くはいかない。どうするのかの方針を決めるため、エレンは話を進める。

 いつ休んで、いつ動くのか。自分達だけで動くのか、協力者を探すのか。そういった諸々をこめてどうするかを問い掛けた。

「あ、いや、待て…。水路に波紋ができた。おそらく、当たりだ」

 思った矢先、話が進んだ。詩人は素早く筆をとり、描いた地図に印をいれる。この場所からやや離れているが、辿りつけない距離ではない。

 そして詩人は影からもう一体のシャドウサーバントを作り出す。鳥よりもなお小さい、仔猫の使い魔だ。

「そいつを先行させる。お前たちは最低でも敵を撃退、できれば死体の確保までやれ。俺はこのまま術を制御する」

 気楽に言うが、とんでもない話である。町一つを範囲として、術者は動かないでそれを知覚範囲と迎撃範囲の中に納める。単体で戦術級どころか戦略級の働きをしている。しかも自身が苦手と言っている術で、だ。

 術や策略を得意としていない二人はそんなとんでもない話に気がつかず、呑気に真剣な表情で詩人の言葉に頷いた。

「わかったわ」

「任せてよ!」

 仔猫は駆け出し、エレンとエクレアはその後を追う。それを確認した詩人は窓から素早く身を翻し、宿の屋根に登る。そしてそのまま屋根を飛び跳ねながら、二人とは別口で現場に急いだ。そしてその手には弓が握られている。

 軍を出し抜くその手腕、相手の底が知れない。だからこそ二人で解決する意義があり、そして自分が見守らない理由はない。万が一に備えて詩人は格好の狙撃ポイントを探すのであった。

 

「キモ…」

 辿り着いた先でエクレアがこぼした言葉がそれであった。

 水路から出てきたその体はヌラヌラとした粘液にまみれていて、全景は二足歩行した青い鱗の魚のよう。ただし手には鋭い爪があり、それがまた造形に異常さを際立たせている。さらにその顔は陸上生物と水棲生物が混ざった合成獣(キメラ)のようであり、総括するとエクレアの感想になる。それを直接殴らなければいけないエレンを考えると、思うところがない訳ではない。

 だが、エレンの心はそんな心情からは離れた場所にあった。相手はバンガード軍を抜いて数十人を殺害したモンスターであり、その恐ろしさは言うまでもない。見た目なぞ、気にしている余裕はないのである。

 先手必勝とばかりに仕掛けるエレン。それを見て咄嗟に後ろに下がり、弓を携え矢を番えるエクレア。油断せず相対した二人に水棲モンスターが気づき、身構える。その構えを抜けてエレンは懐に潜り込み、腹に牽制の意味を込めた一撃をいれる。

「ギャオオオォォォーーー………」

 一撃で沈んだ。殴られた腹をおさえてのたうち回るモンスター。目が点になるエレン。ポカンとして力を抜いてしまうエクレア。

 それが決定的な隙になった。

「ギィギャァァァ!!」

 苦し紛れ、と言っていいだろう。だが実際にそれは発されて、響いた。

 エレンたちに油断はなかった。ただ想像が足りていなかった。連続殺人鬼が、集団であるという想像が。

 モンスターの叫び声に呼応して水面から飛沫があがる。悶絶している青い鱗のモンスターと同じのが二体、赤い鱗のモンスターが一体。

 見て分かる。赤い鱗のモンスターは、強い。

「っ! エクレア、あたしが赤をやる。他は頼むわよ!」

「りょーかい、エレンさん!」

 エクレアはカナリアの弓からバスタードソードに持ち替えて、嬉々として青い鱗のモンスターにおどりかかる。あの程度のモンスターなら何匹いてもエクレアでお釣りがくるだろうと判断したエレンは赤い鱗のモンスターに集中した。

 姿形は青色のモンスターと変わらない。威圧感もオーガとの戦いを経験したエレンが初めて感じるものではない。しかし、それとは違う何かを赤い鱗のモンスターから感じる。

「愚カナ」

 それは知性。赤い鱗のモンスターは、本能だけで暴れる獣ではない。ある意味で人間と同じく、知恵と共に技術を持っているのだ。

「抗ワナケレバ安ラカニ死ネタモノヲ。人間ドモガ、フォルネウス様ニ勝テルハズモナイ」

「! フォルネウス!? お前はフォルネウスの先兵!?」

「然リ。我ハフォルネウス様ノ一軍ヲ預カル将ヨ。アア、人間ゴトキニ名乗ルツモリハナイ。故ニオ前ノ名前ヲ名乗ル必要ハナイ」

「…妙に律儀なモンスターね」

 自分は名乗らないから相手にも名乗りを求めないとか、モンスターにしては騎士道精神にあふれている。

「将トハソウイウモノヨ。デハ、死ネィ!」

 だがそれで殺意が減る訳ではない。その鋭い爪を闇雲に振るうのではなく、的確にエレンの急所に向かって振るうフォルネウス将。だが、それは詩人と比べて遅すぎる。体の捻転、腕の振り。それで爪の軌道を僅かに逸らし、紙一重で当たらない位置に攻撃を誘導する。

 そして眼前にさらされたその爪の鋭さを見てゾっとした。こんなものがかすりでもしたら、ただではすまない。なぜ詩人が隙を見せたらあれほど容赦がないのかをエレンはようやく理解する。

 隙とは無防備、そして無防備とは必殺。ある程度以上になればそれは必然なのだ。全方位にアンテナを広げ、攻撃は逸らすか回避する。それでもどうしようもない攻撃はいなして守り、被害を最小限にする。そうしなければ、即死なのだ。ここでようやくもう一つ、詩人が何故あれほど攻撃を受けないことに慣れているかも理解する。一撃を喰らわない戦闘に彼は慣れているのだと。それほどまでに過酷な状況、いや死線を彼は潜り抜けてきたのだと。

 そして自身の一撃を回避してみせたエレンにフォルネウス将はその醜悪な顔を歪める。人間に換えるとするならば、その表情は笑みだった。

「ホホゥ。コレヲ避ケルカ。今マデ我等ノ動キヲ察セナカッタ愚鈍ドモトハ確カニ違ウヨウダ」

 そうしてちらりと、既にエクレアに倒された青い鱗のモンスターを一瞥すると、フォルネウス将は一切ためらわないで後ろに飛び、水路の中へ消えた。

 戻る静寂、夜の闇。

「逃げた…?」

 その事実を鑑みて、情報を抜き取られた事に気が付くまで数秒。

 知性があるとはそういうことだ。技術を使って殺しにくる。また、必要とあれば引いて仲間に情報を伝えて共有する。それが出来るからこそ、ただ暴れまわるモンスターとは一線を画する。

 少なくとも。エレンがフォルネウス将と戦える事と、エクレアが青い鱗のモンスター――フォルネウス兵を楽に倒せる事は伝わってしまうだろう。敵はそういう相手がいるという前提でまた攻撃を仕掛けてくるに違いない。

「詩人の情報が洩れなかったのがせめてもの救いね」

 そう思わないとやってられない。

 だが、こちらとしても収穫があったのは事実。連続殺人鬼の正体はフォルネウス軍である事が判明し、その証拠であるフォルネウス兵の死体も確保した。これでバンガードも得体の知れないナニカではなく、フォルネウス軍に標準を合わせて対処ができるだろう。痛み分けといえば痛み分けだ、どちらに分があるかは判断しにくいが。

 

 こうして夜と、第一戦が終わる。

 これからバンガードと、フォルネウスとの戦いが激化するのは火を見るより明らかだった。

「あ~! 買ったお菓子がグチャグチャになっちゃった!」

「だからあんたはもう少し緊張しなさいっ!!」

 まあ、だからといって張りつめれば良いというのでないのは事実である。エクレアはもう少し緊張してもいいと思うが。

 

 

 



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015話

投稿から一月が経ちました。
平均して二日に一話投稿している計算になりますが、これもひとえに読んで頂いている皆様のおかげです。

一週間に一話以上を目的に、これからも頑張っていきたいと思っています。どうかお付き合いをよろしくお願いいたします。


 

 翌朝。

 エクレアが倒したフォルネウス兵を引きずって、三人はバンガード市長の下に行き、昨夜の戦いと得た情報、そして事情を話す。

 自身をキャプテンと名乗る初老の男性は、連続殺人鬼の正体とその奥にいる四魔貴族を知り頭を抱えて叫んだ。

「フォルネウスが相手じゃと!? どうやってバンガードを守ったらいいのじゃ!?」

「手段ならある」

 淡々と告げる詩人に視線を向けるキャプテン。

「…あるのかの? それはどんな?」

「まずは金だ。約束の1000オーラム、頂こうか」

 それは公言していたことである。キャプテンはためらうことなく1000オーラムを取り出して詩人に渡す。

 中身を確認するでもなく懐にしまった詩人は一晩で考えた作戦の概要を、具体的な内容を知らせることなく告げた。

「まず、バンガードをとりあえず守る作戦に1000オーラム。それからフォルネウスと戦う作戦に2000オーラム。それに俺たちが加わることに一万オーラムだ。もちろん、諸経費は全部そちら持ちだぞ」

「う、うぐ…」

 相当な出費にキャプテンの顔色が変わる。全部合わせると15000オーラムは楽に越えるだろう。それは決して安くない出費になる。

 だが今までバンガード軍が対処できなかった問題を、あっさりと解明してしまったのがこの三人だ。そして相手がフォルネウスであるというならばむしろ安いとも言える。

 一瞬の躊躇いを挟んで、キャプテンは力強く頷く。

「あい分かった。だが、作戦提示は前金で払うが一万オーラムは全ての脅威が排除できたら払う。そして聞いた作戦を実行するかどうかは私が決める。それでいいかの?」

「上出来だよ、キャプテン」

 笑って握手を交わす二人。エクレアはそれをぽけーと見ていて、エレンは詩人のタフさに呆れている。

「それで、バンガードを守る作戦とは?」

「バンガードを動かす」

 訳が分からないとばかりに頭をひねるキャプテンだが、次の詩人の言葉に顔色が変わった。

「仮にもキャプテンと名乗ってるんだ、知らないとは言わせない。バンガードは聖王詩にある通りに船として機能する。

 …違うか?」

「そ、それは…」

「誤魔化している場合じゃないぞ。ここで否定してもフォルネウスが攻撃の手を休めることはない。

 フォルネウスが恐れているのは海底宮に乗り込まれること。その手段であるバンガードは常に危険に晒される。攻めるしか手はないんだよ」

「…確かに。バンガードに伝わる古文書には、バンガードは船として機能したと書いてある。そしてその具体的な起動手順もまた載っていたのは確かじゃ。

 だが、それは聖王様の時代の話だ。実際に動いた場面を儂が見たこともない。それを確信的に言うお前さんは何者じゃ?」

 詩人の正体を問う言葉だが、本人は飄々としたもの。返す言葉には重みが無く、本当かどうかわからない。

「ランスにある聖王家の書物には実に様々な情報が残っていた。俺は聖王家や他にも色々と伝手があってね。詩を歌うには事欠かない情報を仕入れられるのさ」

「では、バンガードを動かすのに足りないものも分かっているのかの?」

「一つはオリハルコーン製の術増幅装置、それはフルブライト家に譲られたとあったな。これは俺がなんとかする。

 もう一つは聖王三傑のヴァッサールに匹敵する玄武術師。こちらは市長を頼りたい」

 さらさらと本来は知るはずのない情報を語り、対処の分担まで口にする詩人。

 あり得えない事を知っている、そしてその出処が怪しければ信じる事は難しい。聖王家の書物を読んだと言うが、それだけでここまではっきり言葉にするだろうか。少なくともキャプテンならできない、虚言でない根拠が必要だ。

 それをはっきりと言うこの男は信用できない。だが、提示されている情報は正しい。ある程度は乗らざるを得ない。

「だが、こちらが準備を整える際にもフォルネウスは仕掛けてくるじゃろう?

 その間の守りはどうするつもりじゃ?」

「…いや、それはバンガード軍の役割だろ?」

「情けない話じゃが、我が軍は今回の騒動の原因はつかめなかった。バンガード軍だけでは不安なのは確かじゃ。

 そちらにも助力願えないかの?」

 キャプテンの言葉に、ふむと考える詩人。一理ある。

 そしてフルブライト商会の本拠地であるウィルミントンには自分が行かなくてはならないこと、そして話すだろう内容。昨晩見たフォルネウス軍の実力とエレン・エクレアの実力。

 全てを鑑みて結論を下す。

「エレン、エクレア。お前たちはここでバンガードを守って貰えるか?」

「いいわよ」

「まっかせて!」

 軽く頷くエレンに、ガッツボーズで応えるエクレア。

「死ぬくらいならウィルミントンまで逃げて来い。生きていればなんとかなるものさ。

 じゃあ俺はフルブライト商会に交渉しに行く。キャプテン、約束の3000オーラムはこいつらに払っておいてやってくれ」

 そう言い残すと、詩人は素早く席を立った。時間を無駄にはできないと、その姿は雄弁に語っていた。

 実際、早く海底宮のフォルネウスを叩かない限り、バンガードは攻撃される一方なのだ。時間はこちらに全く味方しない。

「さて。あたしたちはバンガードの指揮下に入るわ。死なない限り頑張るから、よろしくね」

 エレンはにこやかに挨拶をする。

 だが、その胸中には熱い想いがたぎっていた。昨晩対峙した赤いモンスターはフォルネウス将と言っていた。ならば普通に考えてフォルネウスはもっと強い。エレンの目的はそのフォルネウスなのだから、あれくらい圧倒できなくてはならない。それを考えるならば、実戦の機会であるバンガード防衛戦は格好の機会と言えるだろう。

 この死戦を超えて更に強くなる。気は逸っていた。

「んっ、んっ…っと」

 軽いストレッチをするエクレアは対照的で、気負いは一切ない。戦い、最善を尽くす。それだけしか考えていない。

 そしてもしもの場合は――逃げる。エクレアは詩人の言葉に忠実に従おうとしていた。

 別に命をかける義理もない。死にそうならば逃げたいし、詩人もそうしろと言っていた。そこにためらいは一切ない。

 しかし。例えば絶体絶命の場面にエレンが残されて、エクレアに逃亡の選択肢があったらどうするか。そこまでは彼女は考えていない。戦いは体を動かせばいいというものではなく、戦況の想定や誘導なども含まれる。

 頭を使うということを、まだエクレアは覚えていない。

 

 数日後。

 ウィルミントン、西部最大の都市といっていいだろう。かつて聖王が拠点とした街であり、その歴史はやはり古い。だがそれは寂れた印象を与えずに、伝統ある温かい風景が広がる街だった。

 そこに詩人が辿り着く。活気ある町を潜り抜けて、ウィルミントンで一番の屋敷へと足を向ける。目的とする人物はフルブライト23世。フルブライト商会の主であり、その商会が完全に実権を握っているウィルミントンの主と言える人物。この街並みは彼の人格の一端を現しているといっていいだろう。

 それが全てでないことは、上に立つものとして必要な冷酷さがあることは、詩人はもちろん知っている。それがないと為政者としてやっていけないので思うところがあるどころか、むしろ頼もしく思っている。だが、その伝統にとらわれる思考もどうかとも思っている。死食が起こってからは特に状況の推移が激しい。伝統を優先する思考が原因で後手に回ってドフォーレ商会などの風下に立っており、最近はイマイチとの評判もある。

 差し置いてこの活気なのだから、才能は人一倍あるとは思ってもいるのだが。

 とめどない思考とは裏腹に、詩人は最短でこの街一番の屋敷を目にする。一番大きいのでなく、一番格式があるその屋敷はフルブライト23世が拠点としている館。聖王が逗留したとの話もあり、その部屋は一種の聖域として扱われてる程だという。

(そこら辺はどうでもいいのだけれど、な)

 ためらいなく屋敷に入る。フルブライト23世の執務室もあるこの屋敷は当然ながら商館としての役割も持っている。玄関は控えめに重厚に飾り付けられおり、来客に備えて常に2名以上の使用人が何らかの名目で控えている。詩人が入った時も2名のメイドが掃除をしており、1人の執事が通りがかったところだった。

 執事は予定にない来客に一瞬いぶかしむも、それが誰だか分かった途端に慇懃に対応する。

「これは詩人様。ようこそお越しくださいました」

「フルブライトは?」

「すぐに呼んでまいります」

 執事をぞんざいに扱う詩人だが、その返答に疑問を覚える。

 フルブライト23世はフルブライト商会のトップだ。仕事は山のようにあり、時間は買いたい程に忙しい。不定期に訪れる詩人は、最上級の扱いを受けているとはいえ、面会に時間がかかることも珍しくない。明日お越し下さいという事もザラにあり、所用のためウィルミントンを離れておりますと言われたことも少なくない。

 それが即座に会うとは珍しいと、どうでもいい驚きを覚えながら詩人は一番の応接室に案内される。その場所で珍しいお茶をご馳走された。

「これはコーヒーと申しまして、南国の豆で淹れたお茶でございます」

 真っ黒い液体。粘性はないが、普段なかなかお目にかかれない色が注がれたカップを、詩人はたやすく傾けて喉を潤す。

「苦いな」

「苦手でしょうか? よろしければ紅茶をご用意いたしますが」

「いや、悪くない」

 詩人はフルブライトのこういうところが苦手だ。新作の出来具合を特上の客にだけ振舞って反応を試す。体のいいテストプレイヤーだ。ここで好評を得たものは広くて良い商品になることも多いが、反面大外れもある。詩人としては実験台にされるのもゴメンだが、商才やその他多く詩人が持たざるものをフルブライトは持っている。もちろんフルブライトが持っていないものも詩人は多く持っているのが、それだけに隙を見せる訳にはいかない。お茶くらいゆっくり飲みたいものだとため息をつくしかない。

 とりあえず当たり障りのない返答をしながらもコーヒーを嗜む詩人だが、それを楽しむ時間はあまりなかった。間もない、と表現できる時間で応接室にこの館の主が姿を現す。

「早かったな」

「いや。こちらこそ迅速に行動してもらって感謝しているよ」

 部屋に入ってきたのは金髪の優男。お洒落にきめた服装で優雅にソファーに座り、即座に用意されたコーヒーを一口飲む。この男こそが世界最高峰の一人、フルブライト23世その人に他ならない。

「うん、このコーヒーは悪くない。君はどう思う?」

「売れるだろうな、腕次第で」

 つっけんどんな詩人の言葉にもにっこりとした笑みを崩さないフルブライト。この甘い笑みは何人もの人間をたぶらかしてきた彼の武器だと、詩人はよく知っている。

 しかし先程の言葉には違和感があった。場合によっては有利に働かせるそれだが、詩人は自分の有利にはあまり興味はなく率直に聞く。不利には聡く、相手の弱点には誠実をもって対応するのは詩人のやり方である。戦闘で弱点の誠実な対応とは抉る以外にはないが、こういう場では存外に詩人はお人好しなのである。

「迅速な対応とはなんだ?」

「ん? 聞いていないのかい?」

「さっぱりだ」

 フルブライトもこういった詩人の対応には慣れており、誠実に相対する。嵌める事は比較的簡単な詩人だが、報復は倍返しだ。それを身をもって知っているフルブライトは正直に話をする。この男は真っすぐに対応した方が利益が多いのだ。

「世界中の支店に依頼を出したのだがね。君宛の号令809だ。知らずに来たのなら、即座に撤回する指示を出そう」

「俺は俺の頼みがあってきただけだ」

「承知した。こちらも用があったのだが、とりあえずそちらの話を聞こうか」

「フルブライト家宝の一つ、オリハルコーン製のイルカ像を譲ってもらいたい」

 にこやかな笑みを浮かべたまま、フルブライトは心で首を傾げる。家宝というだけでも穏やかではないが、譲ってもらいたいというのは更に波乱を想像させる。

「言っている意味がよく分からない。そもそもオリハルコーンというだけでも高価だ。それが我が家にあると何故知っている?」

「聖王家の書物にあった。バンガードを動かした聖王三傑のヴァッサール、彼が術増幅装置に使ったオリハルコーン製のイルカ像をフルブライトに譲り、バンガードを封じたと。更にバンガードにもフルブライトにオリハルコーンを高値で買い取ってもらい、その資金を元に町の開発資金に充てたとの話もあった。総合すると、聖王縁のオリハルコーン製イルカ像がフルブライト家にある可能性が高い」

「ふむ。私は見た事も聞いた事もないが…我がフルブライト家はご存知の通りに歴史が長い。私が知らない歴史も家宝もあるだろう。

 私にとってオリハルコーンのイルカ像など、重さ以上の価値がない。場合によっては譲っても構わないのだが…」

「分かっている。お前の要件を言え」

 詩人の要件は伝えた。次はフルブライトの要求を聞く番だ。

「フルブライトの良き同盟者であるラザイエフ家から要請があった。末娘であるタチアナ嬢が家出をして行方不明になったと。できれば早急に安全を確保したい」

「その娘の特徴は?」

 詩人が乗り気になったのを感じ取り、フルブライトは的確に娘の特徴を告げる。

「紅髪で14歳。幼い頃から武芸を嗜ませた、ラザイエフ家曰く世間知らずだそうだ」

「……」

「くまのぬいぐるみを模したバッグを身に付けているとの話で、それが特徴と言えば特徴だが。私に言わせれば装飾品などはあてにするべきではないと思うのだが――」

「もういい、もういい……」

 淡々と、世界に一人だけを探す難しさに顔を顔をしかめるフルブライトだが、詩人に言わせれば別の意味で顔をしかめざるを得ない。

 言われた人物に心当たりがありすぎる。

「もういい、とは?」

「そいつは俺が保護している……」

 あまりといえばあまりの言葉に、フルブライトは目を丸くした。

「本当か?」

「当たり前だ。その娘、菓子が好きだろう?」

「…甘いものが好き、とは聞いたが?」

「エクレアと名乗っているぞ、その娘」

 いや、それはちょっとと言いたげなフルブライト。気持ちは詩人も一緒だ。一緒だが、事実は変わらない。

「確認するが、歳は14で間違いないんだな? 15歳ではなく」

「あ、ああ。ラザイエフからも少し時期がずれたら死食で死んでいたかも知れないと胸をなでおろしたと聞いた。間違いなく14歳だ」

 その言葉に詩人は心の中で深く、深くため息をついた。あの年頃の娘、家との不和、偽名。場合によっては宿命の子ではないかとも思っていたのだが、どうやらそういった訳では全くないらしい。全く別口の信頼できる筋から確認がとれてしまった。自分勝手に肩透かしをくらった詩人である。

「で。その娘をどうすればいいんだ?」

「……」

 言葉をためらうフルブライトを意外に思う詩人。家出娘の所在が分かったならば、即座に家に帰せと言われると思ったのだがそういう訳ではないらしい。

「できればそのまま君に面倒をみて貰いたい」

「は?」

「タチアナ嬢は実家に強い不満を持っていたと聞いている。できれば家に帰して欲しいとの話も聞いているが…ご令嬢は酷く家を嫌っているとの話も聞いている。そんな状況で無理にご令嬢を帰省させても酷だろう。最悪、再び家出をしかねない」

「で?」

「私が請けた要請はタチアナ嬢の安全。ならばそれを最優先に考えた時、君に身柄を預けるのが最善ではないかと考えたまでだ」

「……戦場に絶対はない。保障は俺の命しかできないんだ。タチアナ嬢の安全を求められても困る」

「分かっている。その上で最大限の配慮をお願いできないだろうか。対価としてイルカ像に関する全てをお渡ししよう」

 詩人は考える。エクレアは確かな武の才能がある。詩人の保護下にある限り、死ぬ可能性は低い。

 もちろん低いというだけで零ではない。例えばこの瞬間、フォルネウス兵に殺されている可能性もなくはない。だが、ただ世界をさまようよりも低い可能性ではあるだろう。鍛えればエレンと一緒に四魔貴族の影を撃退できる人材、無下に扱わなくていいというなら詩人としても越した話はない。

「…請け負おう」

「商談成立だな。約束通り、イルカ像に関する事は全て話そう。

 ちなみに預けられていたタチアナ嬢の経費5万オーラムだが、手数料としてこちらが受け取ろう。ラザイエフ家にはタチアナ嬢を最高の腕利きに娘を預けたと伝えれば問題ないだろうな」

 フルブライトの強かさに詩人は苦笑する。詩人はフルブライトの信用を買い、フルブライトは詩人にタチアナを売って5万オーラムを得た。詩人の対価はイルカ像であり、普通に考えて骨董品くらいの価値しかないものである。フルブライトには安く、詩人には高い。それが5万オーラムで折り合いがついたのだからWin-Winの関係といっていいだろう。

「喰えない男だ」

「誉め言葉だな。商人はそうでなくてはやってられないよ。

 …何かあったら私に伝えてくれ。ラザイエフ家には上手く伝えよう」

 ふん、と荒く鼻息をつく詩人。これだから商人は信用できないのだと。

 話は終わったと立ち去ろうと腰をあげかけた詩人だが、わざとらしいタイミングでフルブライトが声をかける。

「そう言えばアバロン宛に手紙が届いていたな。差出人はレオナルド武器工房からだったか」

「…それを早く言え」

「聞かないお前が悪い」

 さらりと言い、フルブライトは一通の手紙を取り出す。

 その場で破り、中を検める詩人。

「……なあ、フルブライト」

「なんだい?」

「この辺りでの神王教団の活動はどうなっている?」

「神王教団?

 たまに信徒になりたい者がウィルミントンからピドナなりリブロフなりに行く程度だが…」

「こちらで神王教団の活動は活発でないのだな?」

「ああ」

 手紙にある。

 身分を偽った神王教団の信徒がバンガードに観光目的で来訪したと。…キナ臭いものしか感じない。聖王遺物を狙う輩が神王教団である可能性が高くなった。

 一方で違和感もある。神王教団は、魔王と聖王を超える神王を崇めると聞いている。そんな団体がその遺物を集めるだろうか? もちろん神王を探す目的で聖王遺物を集めるということもなくはないだろうが…違和感はぬぐえない。

 端的に言って怪しい。考え込む詩人にフルブライトは世間話のように割り込んでくる。

「このコーヒーだが、君もよく知るトーマス・ベント君が南方から仕入れてきてくれてたのだよ。興味があるならその話もしようと思うのだが。

 ああ、もちろんコーヒーが必要だったり、興味があるところを見つけたら連絡してくれたまえ。誠心誠意をもって融通するとも。そうだ、いくらかお土産に持たせよう」

 世界を闊歩する詩人は、見方を変えれば最高の広報役だ。それを最大限に使おうとするフルブライトには苦笑するしかないだろう。

 また、詩人としてもフルブライトからの情報は金を支払っても手に入れたいものだ。限定的ながら得られるとするならば、茶飲みに付き合うのも悪くはない。これはただの世間話なのだから、詩人が問うこともなければフルブライトが押し付けることもない。

 ただただ、フルブライトの語る話が応接室に響くのだった。

 

 

 



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016話

 

 

「イルカ像がない?」

「ああ、過去にあったのは事実みたいだが…」

 翌日。詩人は再びフルブライトの屋敷を訪ねてその報告を聞いていた。フルブライトとしては別に詩人を泊めてもいいと思っているのだが、詩人自身が小さくてもフルブライトに借りを作るのを嫌がっているため、ウィルミントンの宿屋に泊まるのが通例だった。

「10年以上前の先代の時分だな。屋敷の物の価値を計るために、家財のいくつかを鑑定に出したらしい。そのうちの一つにイルカ像があったと当時の者が証言した。

 それで運輸するために船に乗せたまではよかったが、海賊ブラックに襲われて金目の物は全て奪われたらしい」

「おいおい…」

「ジャッカルだったら皆殺しに遭っていただろうから、まだ運がいいといえばいい。情報は残ったのだから」

「だが、確かブラックは死んだだろう?」

「ああ。数年前に嵐に巻き込まれたとあるな。一応生死不明の扱いだが、音沙汰が全くない。

 普通に考えて死んでいる」

「じゃあ結局イルカ像は行方不明か…。新しいオリハルコーンを探した方が早いか?」

「そうでもない。グレートアーチに、海賊ブラックに詳しい男がいるらしい。ブラックの船に乗っていたことがあるらしく、財宝の洞窟の情報を売って生計を立てている。

 ハーマンという老人だ。一度会ってみてもいいだろう」

 そこで話を区切る。

「現物を渡せなかったのは心苦しく思うが、これで約定は果たしたと考えていいかな?」

「…ああ。正直不満だが、仕方ないな」

 フルブライトはイルカ像を渡すとは約束していない。フルブライト家に本当にイルカ像があるかも確認していないのに、安易にそれを渡す約束などする男ではない。最悪、詩人がフルブライト家にイルカ像があると嘘をつき、フルブライトがイルカ像を渡すと確約してしまったら。フルブライト家にイルカ像があった痕跡が無かったとして、それでもイルカ像は渡さなければならない、フルブライトがイルカ像を用意しなくてはならないのだ。このくらいのペテンは商人同士なら当たり前にやる。

 だからフルブライトはイルカ像に関する全てを渡すと、やや条件をぼかして約束した。その用心は実ったと言っていいだろう。フルブライト家にイルカ像があった事、奪われた経緯、その相手。そこまででも良かったのだが、ハーマン老人の事を伝えたのはフルブライトなりの誠意だった。フルブライトとしても詩人は敵に回したくないのだ。イルカ像がフルブライト家にあると突き止めてやってきて、それを受け取る交渉までしたのに現物がない。これはかなり不満に思うはずだ。上げて落とされたのだから。

 そこでフルブライトが誠意を見せることによって怒り難くする。悪意はなかったし、協力もするから落ち着いてくれという訳だ。詩人としても怒ればイルカ像が出る訳でもなし、協力してくれるなら強く出る意味もない。自身が言った通り、仕方なくこれで話をおさめるしかないのだ。

「それじゃあ俺はイルカ像を探しに行く。また何かあったら連絡をくれ」

「納得して貰って嬉しいよ。頑張ってくれたまえ。何かあったら頼りにさせてもらう」

 そう言って詩人はフルブライトの屋敷から出て、ウィルミントンから旅立つ。ひとまずバンガードに戻り、道連れ二人の様子を確認しなくてはならない。エレンはともかくとして、エクレアの面倒は見なければならない。もちろん、それを本人に言うつもりはないが。

 しかし、簡単に入手できると思っていたイルカ像だが、幸先悪く行方不明。宿命の子の可能性があったエクレアもそうでない事が判明してしまった。

(前途多難だな…)

 悪いことは続くという言葉もあるが。これ以上続かないことを願うしかない詩人だった。

 

 

 バンガード。

 数日前までは姿を見せない殺人鬼に怯えていたが、キャプテンがフォルネウス兵が犯人だと宣言してから一転、大規模な侵攻に方針を切り替えてきた。

 より正確に言うならばキャプテンが原因でなく、それを看破されたフォルネウスが方針を変えたのだろう。夜の闇に紛れて一般人を殺戮するのではなく、数多のモンスターやフォルネウス軍をバンガードに向けて進軍させてきた。

 もちろんただ蹂躙されるだけのバンガード軍ではない。海軍をバンガート近海に配置して前線部隊として、陸軍は水路が張り巡らせている半島部分や運河周辺に半分を配置して奇襲に備える。そしてもう半分は海岸に配置し、正面から押し寄せるフォルネウス軍と激戦を繰り広げる。

 その中で一際活躍する二人の女性の姿があった。エレンとエクレア、その二人は最前線に立って押し寄せるフォルネウス軍の多くを殲滅していく。

「稲妻キック!」

 隙を見つけて技を決めるエレン。基本的に地味な体術を使って抜け目なく敵軍を削る彼女だが、見つけた隙は見逃さない。ひるんだ敵に必殺の蹴りを見舞って撃沈する。

 フォルネウス軍としてはたまったものではないだろう。数を頼ってもかすることなくこちらが削られ、体勢を立て直そうとすれば致命の技で追撃してくる。そして怯えて距離をとれば安全という訳ではない。手足が届かない範囲まで距離をとればエレンは詩人から貰った武器を取り出し、投げつけてくる。

 ヨーヨーと呼ばれるその技はトマホークに近く、そして異なるもの。フォルネウス兵の顔面を削ったその武器は、反動を利用してエレンの手元に戻る。そして離れた敵に対するエレンの対応は同じで、何度でも何度でも手元にある武器を投擲して一方的に殲滅していく。

 破れかぶれに突っ込めばまた体術にて迎撃される。エレンの体には傷一つない。もはやエレンに数の優位は通用しない。それを理解した時、赤い鱗のモンスターが前に進む。

「見事ナリ。ソノ武勇、将デアル我ガトルニ値スル首級ト見タ」

「フォルネウス将ね。上等、返り討ちにしてやるわよ!」

 静寂は一瞬。隙を伺っていた両者だが、先に動いたのはフォルネウス将だった。

「スコール!」

 使ったのは術。玄武術の初級に値するその術も、魔力が高いフォルネウス将ならば十分以上の威力を発揮する。

 もちろん、これだけでエレンをどうにかできるとは思っていない。だが、距離をとっては自分が一方的に削ることができるという意思表示。武器を投げてくるあの技は脅威だが、これだけ間があればかわす事はできなくもない。それはエレンも分かっているだろう。故に、エレンに先手をとらせてそれを迎撃することこそがフォルネウス将の狙い。

 エレンはそれを分かっていつつ、激しい雨に打たれて体力を削られるだけでは不利と悟ったのだろう。フォルネウス将に向かって突撃する。もとより彼女の得意分野は体術であり、近づかなくてはその真価を発揮できない。

 エレンのみを打ち付ける雨が降る中、彼女と将は有効打撃範囲内に入る。鋭い爪を振るい、その足を薙ぐ将。跳んでかわし、空中で体をひねりつつ蹴りを繰り出すエレン。受けることなくバックステップでそれをかわす将。着地の隙と引いた隙、それらが相殺されて二人は同時に動き出す。

「はぁぁぁ!」

「オォォォ!」

 激しく打ち合うが、有効打といえるものはお互いに一つもない。エレンはもちろんだが、この将も理性があるだけあって目先の一撃に固執しない。崩しを理解しているのだ。

 次の一瞬に優位に立てるにはどうしたらいいか、次の一瞬に不利を押し付けるにはどうしたらいいか。全力で体を動かしつつ、頭もフル稼働させる。そうしなければ死ぬしかない。エレンは詩人との訓練に感謝していた。あれがなければ徐々に劣勢に追い込まれ、そして致命の一撃をくらっていた。モンスターとはいえ流石は一軍を預かる将、伊達ではない。

 そして崩れない均衡を破ったのはフォルネウス将だった。

「援護ダ!」

 その声に応じるは控えていたフォルネウス兵たち。接近戦ではエレンに勝てる道理はないが、今はフォルネウス将が相手取っている。ならば遠距離攻撃の格好の的だ。

「スコール!」

「スコール!」

「スコール!」

「「「「「スコール!!」」」」」

 何十もの術が重なり、豪雨となった局地的な雨がエレンのみを打ち据える。これは決闘ではなく、戦争。一対一ではないのだ。負けた方が、死んだ方が悪いのである。フォルネウス将の手段は極めて正しい。

 もはや滝に近い雨をまともにくらい、エレンの体勢が思いっきり崩れる。フォルネウス将の狙い通りだ。

「貰ッタ!」

 崩れたエレンに渾身の一撃を加えようと腕を振り上げ、その腕に矢が突き刺さる。腱を射抜かれたか、振り上げた腕はそのままだらりと力をなくした。

「!?」

「隙あり!」

 今度はフォルネウス将が大きな隙をさらしてしまう。それを見逃さず、エレンはその顔面に拳を打ち付けた。そしてその威力を内部に浸透させる特殊な打ち方で大きくダメージを与える。

 脳が揺らされる感覚にフォルネウス将の視界がぶれる。その中で、やや離れた位置にいた紅髪の少女が弓をこちらに向けていた。

(アアァ…)

 消えゆく意識の中で己の失策をさとる。目の前の女のみを強敵と定め、外への注意を怠っていた。自分も使った手だというのに、なぜ相手が使わないと思ってしまったのか。

 腕を極められ、体が宙を舞う。後一瞬、それが自分の命が消えるまでの時間と分かってしまった。

(フォルネウス様ニ栄光アレ! アビスノ加護ガアランコトヲ!!)

 祈ることだけは、間に合った。

 

「っし!」

 エクレアはエレンの敵であるフォルネウス将が倒された事を確認してガッツポーズをとる。事前にエレンに言われていた通り、フォルネウス将が出てきたら隙を見つけて崩してくれという頼みに応えられた。

 彼女たちにとって、もはやフォルネウス兵は敵ではない。雑魚を相手取りながら外に意識を向けることはそこまで難しくなかった。

 そして将を失った兵たちは狼狽する。指揮系統が乱れ、逃走する兵と突撃する兵とに別れた。逃走する先は海であり、追撃するのは難しい。ならば為すべきは突撃してくるモンスターを逆に食い破ること。

「行くよ、エクレア!」

「はい、エレンさん!」

「総員、突撃! 破れかぶれの敗残兵共に引導を渡してやれ!」

 エレンとエクレアが真っ先に駆け出し、そしてバンガード軍も士気が下がったフォルネウス兵におどりかかる。

 大勝が得られるまでの時間は、短かった。

 

 夜。酒場で騒ぐ兵士たち。

 その渦中で大騒ぎをするエレンを、遠くからぽけーと見るのはエクレアだ。

 彼女は酒が好きではない。だから飲まずに甘いお菓子をもむもむと齧っていた。そして酔わない人間は、酔っている人間に混じる事は難しい。必然、彼女は騒ぎの外から眺めるだけになってしまう。

 面白いと思わないが、しかしそういうものだとも理解している彼女はふと考え事に没頭する。

(なんだかなぁ)

 悪くはない。襲ってくるフォルネウス軍は撃退でき、こちらの被害は軽微。

 順調だ、順調すぎて違和感がある。四魔貴族とまで言われたフォルネウスはここまで呆気ないのであろうか。もしそうなら、少しだけつまらない。

 …ある意味でエクレアの感想は間違っていた。フォルネウス兵は十分強く、バンガード軍の兵士とほぼ同じ強さを持つ。戦う事が仕事の人間と同じくらい強いとは、モンスターの中では手強いと評されるレベルだ。それが軍となり、津波のように襲ってくる。しかもそれを率いる将は更に強い。本来のバンガード軍で対処できるレベルでなく、エレンとエクレアの存在がどれほど大きいかがよく分かる。

 ただ、将はエレンが相手取るとなると、エクレアに任されるのは遊撃と掃討。まだ幼いといえるエクレアは格下相手だとすぐに飽きてしまう。エレンにも頼りにされていて、悪い気分ではないのだが。

(早く詩人さん、帰ってこないかぁ…)

 比べると詩人との訓練はとても楽しかった。自分がどんどん強くなっていく実感もあるし、詩人は高い壁として挑みがいがある。創意工夫を凝らす楽しみもある。

(あれ?)

 じゃあ、今の状況も同じように楽しめばいいのじゃないだろうか?

 そこに思考が辿り着くまで、そう時間はかからなかった。

 詩人に対してより素早くより力を込めて戦ったように。フォルネウス軍に対しても、より効率的により的確に殲滅をする。

 考えてみるとそれはとても楽しそうに思えて、エクレアはむふふと笑いをこぼす。

 虫を潰す無邪気な子供のように、エクレアの機嫌は回復していく。酔って騒ぐ周りの大人たちはそれに気が付かない。

 

 また一日が終わろうとしていた。翌日も変わらない戦いの日が来ると、バンガードにいる誰しもがそう思っていた。

 

 

 明けた翌日。

 やはり敵は多く押し寄せる。バンガードに向かってくる大勢のモンスター達を相手に、兵士や傭兵は敵を迎え撃つ。

 その中で八面六臂の活躍をするのはやはりエレンとエクレアだ。彼女たちは危なげなくフォルネウス兵たちを下していく。

「調子良さそうね、エクレア」

「うん。楽しもうと思って、ね!」

 突進してきたフォルネウス兵を紙一重でかわし、シルバーフルーレで突き刺す。詩人との訓練で得た技であるマタドールの練度はどんどん高くなっていく。

 一歩引いたフォルネウス兵に素早くシルバーフルーレを突き出す。顔に向けられたそれを思わず腕で庇ったフォルネウス兵だが、腕に痛みは走らない。エクレアは当たる直前に武器を引き、相手の動きを誘導した。フェイントとよばれる技である。

 そして無防備に空いた腹に蹴りを叩きこむ。苦悶の表情で吹き飛ばされるフォルネウス兵に追撃するエクレア。その手にある小剣で、今度は確かにその眉間を貫いた。

 調子よく前進し、撃破していくエクレア。だが、違和感を覚えたのはエレン。

(…フォルネウス将がいない?)

 何百に一体くらいの割合でいた赤い鱗のモンスターが、今日は全く見えないのだ。視界に映るのは青いモンスターのみ。これでは彼女たちはもちろん、連戦連勝を重ねるバンガード軍も止める事はできないだろう。

 実際、突出した実力を持つ彼女たちはあっさりと敵陣を切り裂いて波打ち際まできてしまった。海に入る選択肢がない以上、ここで現れるモンスターを倒していけばそれですむ。

 満足そうな顔をしているエクレアだが、エレンは先程感じた違和感を深く考えていく。

(フォルネウス将がいないから、相手は突撃しかしてこない。対してこちらは圧倒的で、現にあたしたちは波打ち際まで――)

 ――おびき、寄せられた?

 海に意識を向けると、敵の気配がない。いや、命の気配がない。嵐の前の静けさのようで、エレンが感じた嫌な予感を肯定している状況だった。

「引くよ、エクレア!」

「どしたの? エレンさん?」

「早くっ!!」

 気を抜いていたエクレアは、エレンの豹変についていけない。その気迫に押され、コクコクと頷いた。

 バンガードに戻るように全力で駆けだすエレンに、付き従うエクレア。その間、敵の姿を見つけても無視して全力で後退する。

「ヤバイヤバイヤバイヤバイ…」

 ぶつぶつとそう言いながら、顔面を蒼白にするエレン。何がそんなにまずいのだろうとエクレアは首を傾げる。

 すれ違う兵士たちは手ごたえのない敵を屠り、得た勝利に上機嫌だ。

「ようエレン。顔色を変えてどうした? トイレか?」

「逃げろっ!」

 自分の足を止めないまま、一言だけ投げつけて引くエレンとエクレア。きょとんとする兵士たち。エクレアも訳が分からず、不可解な表情のままエレンに追随する。

 海に何があるのかと、速度を緩めないまま後退する。目に映るのは凪いだ海に、前線部隊としてバンガードの戦艦が浮いている。あの船が襲撃されないとそのまま陸に向かって挟撃できる形になるため、フォルネウス軍は船の上にあがって襲撃しなくてはならないという、モンスター側にとってはやっかいな部隊だ。もちろんそれが落とされてはバンガードが一気に不利になるため、精鋭が乗っている船である。

 その戦艦が、海から飛び出した何かによって一撃で砕かれた。

「…は?」

 その声は誰が出したか。少なくともエレンでない事だけは確かだ。彼女はこの可能性を考えて引いたのだから。

 飛び散る木片。吹き飛ぶ船員。飛沫があがる、凪いだ海。その光景にエクレアの足が止まり。兵士の動きが止まる。

「エクレア!」

 エレンの一喝で正気を取り戻したエクレアは、全力で足を前に進める。深く考えなくても分かる、アレはヤバイ。ヤバ過ぎる。

 退却できただけ彼女たちは強かったのだろう。他の兵士たちはその光景に、そしてそれを為した怪物に思考が硬直して動けない。

 砕かれた船の周辺の、その海ごと渦を巻いて沈んでいく。代わりに姿を現したのは巨体。魚人の姿をした大災害、たった一つの船以外を全て沈めた海の覇者。

「フォ」

「フォルネウスだぁ!」

「フォルネウスが出たぞー!!」

 その叫び声を無視して、フォルネウスは吸い込んだ海を吐き出した。それは津波となって陸に迫り、海際に誘い込まれた兵士たちを飲み込んでいく。

 突如現れた大災害に、兵士たちは為す術がない。ある者は固まり、ある者は走り出し、その全てを津波は飲み込み海に還していく。その津波はやがてバンガードの城壁に当たり、引いていく。海から城壁にあったものは、例えそれがフォルネウス兵であろうとも津波に巻き込まれて消え去っていた。

「はぁ…はぁ…」

「ひぃ…ひぃ…」

 その城壁にて。間一髪逃れたエレンとエクレアはへたり込んで息を荒くしていた。ほんの少しだろうと、今は心を落ち着ける時間が必要だった。

 あと少しエレンが気が付くのが遅れていたら、彼女たちも海の藻屑となって消えていた。

「これが、四魔貴族。これが、フォルネウス…!」

 戦艦を一撃で砕き、津波を引き起こす、災害そのもの。それが明確に意志を持ってバンガードに襲い掛かる。

 この時初めて、エレンは自分が挑むものの恐ろしさを見た。見せつけられた。

 それでも引く選択肢は彼女にはない。脳裏によぎるのは最愛の妹の姿。なんとかしないと、自分がなんとかしないと、生まれた時期だけが原因で彼女に全てが押し付けられる。

 それにこれは見方を変えれば好機でもある。海底宮に行かなくては戦えないと思っていたフォルネウスが姿を見せたのだ。自分の領地である海からあがってバンガードに進撃する巨体を、陸で仕留める絶好の機会。

「エクレア、いける?」

 その言葉に、エクレアは呆けた顔を引き締める。そして力強く頷いた。

 エレンは拳を握りしめ、エクレアはバスタードソードを掴み取り。そして城壁から飛び出した。

 

 フォルネウスは飛び出してきた二つの人影に足を止める。自分の作戦で、強者と数とはまとめて仕留めたはずだ。その上でこのフォルネウスに抗う気骨を持つ者がいたのかと。

 まあ、戦力を温存してもおかしくはないかと、そう考えたその目に映ったのは二人の女戦士。これはおかしい。フォルネウスは敵の主力であろう二人の女戦士は確実に巻き込むため、彼女たちが戦場に現れたことを確認してから津波を引き起こしたのだ。

 策が読まれたか。そう考えたら忸怩たる想いが湧き上がるが、すぐに思考を切り替える。問題は何もない。たった二人で自分を止められるはずもなく、逃げ出したとしてもバンガードは破壊できるだろう。そうなればもはや海底宮に乗り込む手段はない。このまま足を止めずに蹂躙する、ただそれだけでいい。フォルネウスという存在で相手を踏みつぶせばそれでいいのだ。

『アビスの力を知るがいい――!!』

 挑みかかってくる人間二人に、フォルネウスは一切の容赦なく、その力を振りかざした。

 

 矢面にエクレアは立たせない。その思いから正面はエレンが受け持って、側面にエクレアを回らせる。数はこちらが有利なのだ、固まって正面からぶつかるほど馬鹿ではない。

 エクレアに攻撃が向かないように、エレンはフォルネウスの巨体に正面から挑みかかる。そのエレンに向かってフォルネウスは口から水鉄砲を出して迎撃した。表現上水鉄砲としたが、その太さは柱に匹敵する。それが水鉄砲といえる頻度で襲い掛かってくるのだからたまったものではない。

「くっ!」

 細かくステップを刻んで的を絞らせず、エレンはなんとか水鉄砲をかわしていく。幸いといっていいのか、その水鉄砲は中心部の威力は高いが水全部が高威力という訳ではないらしく。かするくらいではダメージにもならない。

 そうしてエレンが攻めるに攻められない状況を見せつけているうちに、エクレアが側面深くに潜り込んだ。

 大剣を大きく振りかぶり、その重さを利用した一撃を与えた。巻き打ちと呼ばれる技法だ。続けて大剣を全力で叩きつける、スマッシュ。更に軽やかに重い剣を振り回し、駆け抜け際に一撃を加える、払い抜け。

『グ!』

 流れるような連撃を受けて、フォルネウスがあげた声はそれ一つ。エレンが命がけで囮になり作った隙にエクレアが全力をこめた成果はそれだけだった。

 自身に痛みを与えた小さき者を、フォルネウスはギロリと睨む。腕を振り上げて、その巨大な爪をエクレアに叩きつけた。

「エクレアっ!」

「だいじょーぶ!」

 その爪を大剣で受け流し、返す刃で無防備になった体に一撃をくわえる。切り落としと呼ばれる大剣のカウンター技だ。

『グゥゥ!!』

 思わぬ反撃にフォルネウスは苦悶の声をあげた。それにエクレアはニヤリと笑う。

 確かに強いしタフだが、それだけだ。大きすぎる体は次の動作が読みやすく、攻撃も当てやすい。ならば自分は軽やかに攻撃を当てていくべき。

 そう考えたエクレアはバスタードソードを短く持ち、大剣ではなく剣として扱う。そして真横に振り抜き、フォルネウスの腹に刃を食い込ませる。飛水断ちと呼ばれる剣技の一つ。

 エクレアに意識を向けたフォルネウスに対し、エレンも攻勢に出る。挟み撃ちにするように移動し、その巨体に拳を打ち込む。もちろんただ拳を打ち込むだけでは体格差のせいで全く有効打にはならないだろう。故に衝撃を内部に浸透させる技――短勁を連続で打ち込む。

 それらの攻撃は確かにフォルネウスにダメージを刻んでいく。刻んでいくが――全く足りていない。フォルネウスの命には届かない。

『小賢しいわぁ!!』

 痛みはあるだろう。ダメージもあるだろう。だが、それを全く感じさせない。実際、その巨体にフォーカスを合わせてみれば、与えた傷は余りに小さい。

 フォルネウスは体を震わせると、体を回転させて周囲を一気に薙ぎ払った。

 爪や水鉄砲にばかり注意を向けていたエレンとエクレアは、その動きに対応しきれない。殴りつけていた壁が、蠕動して迫ってくる事は完全に想定の範囲外だった。

「きゃあ!」

「くぅ!」

 結果、エクレアはその体当たりをまともに受けて吹き飛ばされ、荒れた地面をゴロゴロと転がるはめになる。エレンはすんでのところでその巨体を蹴り、距離をとって回避する。

 だがそれは良策とはとても言えなかった。咄嗟の回避だったため、エレンの体勢は崩れて立て直すのに一瞬の時間が必要だった。

 そして一瞬の後、改めてフォルネウスに向き直ると敵はギョロリとした目で睨みつけ、口から水鉄砲を吐き出す直前。

「――ぁ」

 呆ける時間も僅かのみ。エレンはその水圧をまともに受けて、その場に叩きつけられた。

 

『ふん。手間を取らせおって』

 数多くのフォルネウス兵を屠ってきた二人に対する戦後の感想はそれだけだった。

 止めを刺そうとその巨体をエレンに向かって倒れ込ませ、押しつぶして終わらせる。そのはずだったが、寸前に小さな影が割り込み、エレンを掬いあげてその攻撃範囲の外に出た。

『ん?』

 当たるはずの攻撃が外れ、自分から離れていく人間を見る。それはもう片方の人間だった。全身を擦り傷だらけにして、自分より大きな女をおぶり、泣きそうな顔で必死になってバンガードへと向かって駆け出していた。

『愚かな』

 その遅い動きにフォルネウスは呆れ声を出す。自分から逃げられる速度では、とてもない。故に、焦る必要もない。

 ゆっくりとした動きでバンガードへと向かうフォルネウス。途中で人間二人を踏み潰すだろうが、ここまできたら些末な事だろう。もちろん方向を変えてバンガードを目指さなくても、彼女らを見逃す程フォルネウスは甘くない。多少遠回りをしててでも、踏み潰す事は確定事項だ。

 ズシンズシンと地響きをたてながら、進撃を開始するフォルネウスだった。

 

「エクレア…」

 持っていた傷薬を己と少女に振りかけて、僅かでも傷を回復させるエレン。そして優しい声で自分を運ぶ少女に語りかける。

「エクレア、降ろして。このままじゃ、逃げ切れない…」

「っ!」

 それは分かり切ったこと。振り返らなくても、背後から聞こえてくる足音が距離を広げるのではなく、狭めていることを教えてくれる。

「あたしは時間を稼ぐわ…。あんたは逃げて、詩人と合流しなさい。きっと悪くはしないわ…」

 エレンの言葉には力が無い。エクレアが逃げ出す時間を稼ぐどころか、戦うことさえ怪しいだろう。

 だがエレンを置いていく事には意味がある。単純に人一人分の重さが減り、その分逃げ足は速くなる。

 どうせこのままでは二人とも踏み潰される。そしてエレンは走る体力はない。だから見捨てろと、そう言った。そもそもエクレアはただついてきただけで、四魔貴族と戦わなくてならない自分に付き合う義理はない。生き延びれるならそうした方がいい。

「――いや!」

 しかしエクレアは拒絶する。見ず知らずの自分を受け入れて、優しくしてくれた人。こんな時まで自分を大切に思ってくれる人。そんな人を見捨てるなんて、とてもできなかった。

「…エクレア。お願い、一生のお願いだから…聞き分けて」

「いや、いや! 絶対いや!!」

 ズシン、ズシンと背後から聞こえてくる足音はとても大きい。時間はほとんどない。

「エレンさん、言ったじゃん! 家族の練習をしようって! 嫌なことは嫌って言えって!」

「エクレア…」

「絶対に嫌だから! 絶対に、絶対に……!」

 フォルネウスの影が二人を覆った。

「いや!!」

 あがく小娘たちを見て、フォルネウスはニタリと嗜虐の笑みを浮かべた。後一歩、この足を踏み出せばプチリと潰れる。そしてそれをためらうつもりは一切ない。

 それを為そうとした瞬間、フォルネウスに向かって無数の矢が飛んできた。

「撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!! あのデカさだ! 外す方が難しいぞ!!」

 バンガードの城壁からの攻撃に一瞬意識を向けるフォルネウス。だが、雑兵程度の矢でダメージをうける訳もない。

 バンガード軍の大半は壊滅させた自信はあったが、全滅まではしていないだろうと想像していた。持久戦の面もあったのに戦艦を全て出すわけにはいかないだろうし、歩兵だって今のように城壁から打ち下ろす人数はいるだろう。

 つまり現状の攻撃はフォルネウスにとって想定の範囲であり、怯む要素は全くない。指揮官さえ潰せば静かになるだろう。その後ゆっくりと女二人を始末して、バンガード自体をすり潰すか。

 そう思ったフォルネウスは口に水を集めて射出する準備をし、城壁の上にいる兵士の中で指示を出している者を探す。ほどなくそれは見つかり、弓を持ちながら大声を出している男に標準を合わせた。

『死ねっ!』

 発射。勢いよく放たれた水鉄砲は男に迫り、男はそれを流れるような動きで回避した。

 そして男はフォルネウスを見据えると、にやりと笑って弓を向ける。

『!!』

「技後硬直は生物共通…。ぬるい攻撃をした後ならなおさらな!」

 強く引き絞った弦から放たれた矢は、瞬速をもってフォルネウスの眼に突き刺さる。回避する猶予なぞ、一瞬も与えない。

『がぁぁぁぁぁ!!』

「おまけだ、取っておけ!!」

 男は槍を担ぎ上げると、大きく跳躍してフォルネウスの頭上をとる。

 槍は高い位置から矢のように放たれて、そのエネルギーで白熱させながらその巨体に突き刺さる。

 流星衝と呼ばれる槍の大技である。しかも投げつけられ突き刺さった槍は矢のようなかえしがついており、簡単に引き抜けるような構造にはなっていない。それが深々と腹に突き刺さり、フォルネウスは悶絶する。

 一方で槍を投げつけた男は着地すると、エレンを担いだエクレアに駆け寄って彼女らを両脇に抱えて逃走する。

「――し」

「詩人さん!」

「すまない、遅くなった。…しかし、あのデカブツに挑みかかるとか、無茶をするな」

 全力で逃げる詩人だが、フォルネウスは残ったもう片方の目で自分にここまでの苦痛を与えてくれやがった下手人を睨みつけた。素早い男で、間もなくバンガードの城壁に逃げられそうだが、言いかえれば時間はまだ少しは残されている。

『逃がすかぁ!』

 逃げる男に標準を合わせ、その口に水をためる。

 今、男の両手はふさがっていて、足は逃げるのに全力である。口くらいしか動かせない男など、ただの的だ。

「幻日」

 その男は口さえ動かせれば十分だったのだが。太陽術の奥義とも言える言葉を口にした途端、彼の体は空気にとけるように朧気になり、代わりに薄ぼんやりとした分身がいくつも現れる。

『な、なぁ!?』

 あまりの現象に狼狽するフォルネウス。とっさに視覚を捨てて走る音で大雑把な辺りをつける。が、それは遅かった。

 詩人の足音は既に城壁の真下まで来ており、一飛びに城壁の上へと至ってしまう。フォルネウスはバンガードまでの逃走を許してしまった事を痛感した。

『おのれ!!』

 ならばこのままバンガードを蹂躙してやるか。

 そう思ったが、城壁に戻り弓矢を向けてくる例の男が目に入り、踏みとどまる。そして今度は残された目を腕で庇うと、間一髪のタイミングで矢が腕に突き刺さった。

『くそっ!』

 片眼は潰され、腹には穴があけられた。現状で攻め続けるのはリスクが高い。そう判断せざるを得なかったフォルネウスは冷静だった。

 男に隙を見せぬよう、後退し、海へと潜っていく。

『貴様は、貴様だけは必ず殺してやるぞ、男よ! その顔、覚えたぞ…!!』

 そう言い捨てて逃げていくフォルネウス。それを聞いてぽつりと詩人は言葉をこぼした。

「顔を覚えた、か」

 無表情に、平坦に、詩人はフォルネウスが消えていった海を睨みつけていた。

 その傍らで九死に一生を得たエレンは、震えるエクレアを抱きしめていた。その瞳から、光はまだ消えていない。

「フォルネウスは強い。まだ、勝てない」

 勝てないのだ、まだ、という条件付きで。

 彼女は四魔貴族を倒すことを全く諦めてはいなかった。

 

 

 




技道場・フォルネウス編。
全滅した一行を生かして帰すとか、四魔貴族は何を考えてるの?
という訳で、殿にチートを用意してみました。詩人がいる限り、四魔貴族戦は退却可能です。
まあ、尺をとるのでもう退却する予定はありませんが。

ほら、一回くらい大勝しておかないと、四魔貴族の名が泣くし。
ビューネイくらいしか外出してないけど、フォルネウスだったらゲートの位置的に出陣してもおかしくないし。


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017話

ぎりぎり今年の更新に間に合いました。
では皆さま、良いお年を。


 

 

 日が間もなく落ちる頃。宿の一室で、エクレアは詩人を真剣な目で見つめていた。

「強くなりたい」

「…」

「強くなって、大切な人を守りたい」

「…」

「だから、お願いです。私を強くしてください。今よりも、もっと。誰にも負けないくらい」

「…」

 詩人は無言のまま。肯定も否定もしない。それでもエクレアの眼差しは強いままで、決して引き下がらない。

 お互いに無言のまま、時間は進む。やがて詩人が口を開いた。

「強くなければ、何も守れない」

「…」

「強いだけでは、全てを壊す」

「…」

「守りたかったものまで壊してしまう。いっそ、強くなかった方がよかったと思う結末に至ってしまう」

「…」

「俺の体験談だ、覚えておけ。訓練は今まで通りにやってやる」

「イヤ」

「…おい」

「イヤ。今までのままじゃ足りない。もっと強くなりたい」

「…強情なやつ、だったな。お前は」

 詩人は深くため息をついた。

「いいぞ。本格的に鍛えてやる。ただし、条件が二つ。

 一つ。泣き言は聞かない。

 二つ。もし俺と同じ結末に至る時には――」

 冷たい瞳をした詩人は腰から剣を抜く。棍棒を使い、弓を使い、体術も使ったが、剣だけは今まで使った事がない。その詩人が剣を抜き、その刃をエクレアの首にあてて薄皮一枚を斬る。

 その動きにエクレアは全く対処できなかった。だが、その動きをとても美しいとも思ってしまった。自分の首に迫るその刃は、詩人が今まで見せてきたどんな動きよりも流麗で堅実で、陳腐な言葉だが究極としか表現できなかった。

 恐ろしさよりも先に感嘆が出る。そんな太刀筋に見惚れたのも一瞬である。

「――俺がこの剣で、首を落としてやる」

「喜んで!!」

「喜ぶなっ!!」

「だってだって、とっても素敵だったんだもん。ねえ、剣を教えてよ!」

 無邪気が過ぎるとこうなるらしい。ちょっと以上に常軌を逸している。先程とは違う種類のため息を吐きながら詩人は剣をおさめる。

「悪いが、剣だけは教える気はない」

「え~。ケチ。いいじゃん、教えてくれたって! なんで剣だけは教えてくれないの?」

「場合によっては俺の復讐に支障をきたすかも知れないからだ」

「意味分からないんだけど。関係ないじゃん」

「あったんだよ、これが。面倒なことだけどな」

 また違う種類のため息をはく。ため息の種類が多い男である。たぶん、苦労人なのだろう。目の前の少女が同行している時点で分かっていた話ではあるが。

 話は終わりとばかりに詩人は席を立つ。

「今夜はキャプテンに呼ばれているし、そろそろ支度をしよう。

 エレンも、もう一度術をかければ動けるようになるだろう」

「詩人さん、術も本当に凄いよね」

「強くなりたいなら術も覚えろよ」

「え~」

「…泣き言は聞かないぞ」

「は~い」

 緊張なく答えるエクレアにやる気は感じられない。幼くて好き嫌いがあることは承知しているし、やる気がなくては身につかないということも理解しているが。前途多難なエクレアに軽い頭痛を覚える詩人だった。

 

 戦艦の被害、三隻中一隻が大破。

 陸軍の被害は過半数を超え、防衛能力に著しい問題あり。

「これがバンガードの現状じゃ」

「予想の範疇だな。フォルネウスが攻めてきた時点でバンガード壊滅もありえた。民間人に被害が無いだけ快挙だ」

 顔をお通夜かと言わんばかりに曇らせるキャプテンに、グッドニュースを聞いたような口調の詩人。四魔貴族への認識の違いが伺える一幕である。そんな男たちをエレンとエクレアは醒めた目で見ていた。

「それも、あなた達がいなければ為されなかった快挙でもあります。特に詩人さん、あなたがいなければフォルネウスを退散させる事も難しかった」

「だが、俺はバンガードに仕えるつもりはない」

 先んじて言われた言葉に、キャプテンはグッっと言葉を詰まらせる。エレンやエクレアはもちろん、特に詩人を味方に取り込む事ができれば大きな戦力として数えられる事になるだろう。

 だがしかし、そのつもりは詩人はもちろんエレンにも全くない。彼や彼女には目的があるのだから、一つの都市に縛り付けられることは本意でない。エクレアは彼らについていく事しか考えていない。

 結論としてバンガードは詩人たちを恒常的な戦力として数えることはできない。

「なら、ならば……どうしたらいいのじゃ…」

 力なく言葉を呟くキャプテン。フォルネウスの姿と被害状況を聞いて、市民からは不安の声が多くあがっている。なんとかしてくれと押し寄せる声に応えたいと市長としても思う。

 だが、あれほどの脅威に対する手段をキャプテンは知らない。そして思いつけない。例え詩人たちを抱き込めてもそれは根本的な解決にはならない。

 どうしようもない。それを体現するキャプテンに、詩人はコツコツと指で椅子を弾きながら答える。

「まず、前提条件としてフォルネウスは動かない」

「――え?」

「それなりにダメージを与えたからな。治るまでは海底宮で治療に専念するだろう。四魔貴族の最優先目的はゲートだ。ならば最大戦力が負傷した今、万が一に備えて守りに全力を注ぐはず。散発的な襲撃さえ激減するだろうな」

「ほ、保証はあるのかの?」

「ない。が、自信はある。奴らは自分が一番大事なのさ」

(…基本、生き物ってそういうものじゃないのかなぁ)

 自信満々に言い切る詩人に、エクレアは呆れてそう思う。エクレア自身がそう思う資格を前の戦いでなくしている事に本人は気が付かない。

 エレンは真面目に話を聞いているが、エクレアは細かい話は分からないしどうでもいい。出されたクッキーをさくさくとかじり、ちょうどいい温度の紅茶を上品にすする。所詮、自分は交渉事に向いていない。ならば向いている詩人に全てを任せてそれに従うのが最適解。そう判断しているエクレアは話し合いに興味もない。

 対してエレンは真剣に話を聞いている。もちろん、田舎娘である彼女が挟める口なんて一つもない。下手な言質を与えるなと、詩人にも前もって言われていることも合わさって、基本的には割り込まない。

 だがエレンは自分に交渉力がないことは理解している。そんな弱点をそのままにしておいていいとも思わない。詩人とは一時的に利害の一致から行動していると考えているエレンにとって、いつか詩人がいなくなると想定するのは当然だった。そして詩人がいなくなった後、交渉力がないからと話し合いが避けられるはずもない。少しでも吸収しようと戦闘にも劣らない気迫で二人の話を聞く。そのひたむきさはエクレアにはないもので、エレンの美徳でもある。

 そんなやる気の有る無しがきれいに分かれた二人に関わることなく、詩人とキャプテンの話し合いは続いていく。

「だが、いずれフォルネウスはやってくる。悪いがバンガードを動かすという夢物語に付き合っている暇はなくなったのう。成功報酬の1万オーラムは諦めてもらうが、仕方ないのう」

「確かに作戦の決定権はキャプテンに委ねるという約束をしていましたね。キャプテンがそう判断されるなら、こちらに否応はない。だが、このまま座して待っていてもバンガードは滅びるだけだ」

「……」

「海運によって発達されたバンガードは、海をなくして生きてはいけない。フォルネウスの脅威から逃れる為に逃げるとして、その先ではロクな生活が待っていない」

「……」

「そしてその責任は、バンガードを捨てる決断をした、もしくは残ってフォルネウスと戦い玉砕する選択をしたキャプテンにかかる。違うか?」

 詩人の追及にキャプテンはふっと笑う。

「ああ、その通りじゃな。儂はそのどちらを選んでも終わりじゃろう。それで君はその他の選択肢を示してくれるのかな?」

「最初から言っている。バンガードを動かす。動かして、フォルネウスのいる海底宮に乗り込み、奴を打倒する」

「…それが、できればっ…!!」

「言っただろう? フォルネウスは海底宮に乗り込めるバンガードを敵視していると。フォルネウスとバンガードは共存しえない。バンガードが生き残るには、フォルネウスを滅ぼすしかないんだよ」

 沈黙。

 沈黙。

 沈黙。

「…勝てる、かの?」

「知らん。少なくとも、俺は命懸けで海底宮のフォルネウスと戦う気はない。俺は、だがな」

 詩人はちらりとエレンを見る。その視線に気が付いたエレンは力強く頷き返した。そして詩人が出した軽い合図と共に力強く宣誓する。

「あたしは、フォルネウスを倒す」

「お嬢ちゃん?」

「あたしは、四魔貴族を倒す、それが目的。だから、バンガードがフォルネウスを倒すのが目的なら、最大に協力するよ」

「ああ、エクレア。お前も戦えばいい。強くなるにはいい目的だ」

「私は構わないけど…詩人さんは戦わないんだ?」

「最悪、また負けたらお前らを担いで逃げる必要があるからな。見守ってやるよ」

 ひらひらとやる気なく手をふる詩人。

「…彼女たちではフォルネウスに勝てないと思うのじゃが。一蹴されたのを見たばかりじゃぞ?」

「鍛えてはやるさ。どこまで強くなれるかはこいつら次第だが」

「むう…。確かに他に選択肢はない、か。しかし襲撃が少なくなると思われるとはいえ、今のバンガードでは外敵から身を守るだけで精一杯じゃ。その手伝いを詩人に頼みたいのじゃが、いかがかな?」

 あの手この手で詩人を引き込もうとするキャプテン。それも当然であろう、無傷でフォルネウスを撃退した能力の持ち主なのだ。むしろあてにしない方が不自然な話である。

 もちろん、それに容易く首を縦に振る詩人ではないのだが。

「俺はバンガードを動かすことに専念させてもらうよ。バンガードを守ることはキャプテンの仕事だ。だが…」

 そこで少しだけ考え込む詩人。

 言った通りにバンガードを守ることは彼の仕事に含まれない。含まれないが、詩人もまさかフォルネウスが攻めてくるとは思わなった。思った以上にフォルネウスがバンガードを危険視しているというのならば、自分がいない間に何かしらの方法でバンガードが堕とされても不思議ではない。

 ただでさえ戦力が低下している現状だ。安全策を多くとるに越した事はない。

「そうだな…。ウィルミントンのフルブライト商会に助けを求めれば、防衛に関しては不安は少なくなるだろう」

「フルブライトに頭を下げろというのか!」

「最善策だ」

「う、うむむむむ…」

 キャプテンは一層深く悩む。自衛が基本の世界で、他に助けを求めるのは赤っ恥だ。しかしバンガードは現状、手を借りなければならない状況に追い詰められているといえる。だからこそ詩人たちを傭兵という形で囲い込みたかったのだ。傭兵ならば自分の財布から金を出して臨時の戦力増強だと言い張ることも可能だ。しかし大きな勢力に力を借りるというという事は借りになる。下手すればそのまま傘下になってしまう。

 手は借りたくない、けれど助けは必要。どうすればいいのか悩むキャプテンに詩人は嘆息する。

「繋ぎだけはしてやるよ。

 フォルネウスが現れたからその討伐をしたい、共に四魔貴族を討つのに協力を申し出るって体面でどうだ? 足元は多少見られるだろうが、フルブライト商会としても四魔貴族を撃退するという功は欲しいはずだ」

「…なるほど。頭を下げるにしても協力を要請するという形にするのじゃな。ドフォーレ商会などもある中、最初に協力を要請するならフルブライト商会も悪い気はしないはず。

 うむ、それでいこう。それで、繋ぎはしてくれるとは?」

「フルブライト商会には伝手がある。話くらいは聞いてくれるさ。ついでだ、優れた玄武術師の話も聞いておく。なんとかできるならしてやるよ。バンガードは防衛で手一杯になるだろうからな」

「おお、それはありがたい!」

「もちろん、別料金だが。イルカ像と玄武術師、バンガードを動かすのに必要なものは全部こちらで用意するんだ。いくらだす?」

「…イルカ像はもともとそちらの範疇じゃろうに。玄武術師の捜索費用として3000オーラム出そう」

「もう一声」

「ええい! 5000オーラムだ! 前金として半額渡してやる。しっかりと成果を出してくれよ」

 そう言って大金をポンと出すキャプテン。それに薄く笑う詩人。

「了解だ。バンガードが動く船となったらその利益は計り知れないだろう。安い先行投資だと思っておけ」

 体よく金を集める詩人に女性二人は思う。

 がめついな、と。

「それじゃあ俺たちは今夜はバンガードに泊まり、明日一番にウィルミントンに向かう。そこでフルブライト商会に話を通しておくさ。

 後は早めに優れた玄武術師とイルカ像を見つけ出す。そしてバンガードを動かしたら海底宮に乗り込めばいい。簡単な話だ」

 そう言って席を外す詩人。それについていくエレンとエクレア。

「こういう訳だ。明日はウィルミントンへ向かうぞ。今日はよく休んでおけ」

「わかったわ」

「了解!」

 月のない夜、明かりは微かな星が頼り。そんな中、三人は宿へ向かっていく。

 彼らを尾行する人間がいることに、もちろん詩人は気がついていた。

 

 

 深夜。

 草木も眠る時間だが、彼らはそんな時間だからこそ行動する。

 旅人であるとある詩人が聖王遺物である妖精の弓を持っているという情報が手に入ったのだ。そしてその弓から放たれた一撃はフォルネウスに手傷を与えた。

 間違いないと判断し、闇夜に紛れて詩人の宿に侵入する。寝息をたてる詩人には目もくれず。立てかけてあった弓のみを狙い、盗む。そして素早く建物から逃げ出して、港へと向かった。

 根城にしているのは倉庫の一つ。それはピドナのルートヴィッヒが持っている倉庫であり、ある種の治外法権が認められている。そこはバンガードであってバンガードでない場所なのだ。

 そこで二人の男が待ち構えており、盗みを働いた男を待っていた。

「首尾はどうだ」

「ちょろいものさ。しょせん脳筋、盗まれるなんて考えていやしない」

「マクシムス様もお喜びになられるだろう。俺たちの覚えもよく万々歳さ」

 くっくっと忍び笑いをもらす三人。

 それに合わせて笑い声が一つ混じる。

「全く。使えない奴が相手にいるとやりやすくて仕方がない。そんな安弓に喰いついてくれるんだからな」

 驚いて声がした方を見る男三人。その先には詩人が棍棒を携えて立っていた。

「聖王遺物を集めている輩がいると聞いてな、形だけ似せた弓を用意しておいた。まんまと引っかかってくれて笑いが止まらないよ」

 その言葉に、盗んできた男を残りの男たちが睨みつける。偽物を掴まされ、後をつけられた。この間抜けと視線で責めるが、それで現状はよくならない。すぐに思考を切り替える。

 現場は抑えられた。そしてここは治外法権。ならば遠慮する必要はない。無言で武器を抜く男三人。その行動に肩をすくめて応える詩人。

 勝負は一瞬でついた。

 男三人を死なない程度に叩きのめした詩人は、さてと前置きをして語り掛ける。

「マクシムス、とか言ったか。確か神王教団の幹部にそんな名前の奴がいたな。主犯はそいつか。

 それにここはルートヴィッヒの所有物。奴も一枚噛んでいるな。使われているだけなのか共犯なのかは……まだ分からんか。

 まあいい。お前らには知っている事を全部吐いてもらうぞ」

 死なない程度に痛めつけられた男たちは悶絶している。こうなった時には自害して情報の漏洩を防ぐのも仕事のうちだが、両腕両足を叩き折られたために刃を喉に突き立てることも毒を取り出して飲む事もできない。

 そして始まる詩人の拷問。まずは一人の男に狙いを定めて死なない程度に体を壊していく。

「お前たちの目的はなんだ?」

「っ…!」

「何故、聖王遺物を集めている?」

「っっ……!!」

「ジャッカルも関係しているはずだ。奴はどこにいる?」

「っっっ……!!!」

 詩人の執拗ないたぶりを受けたその男は、それでも一言も口をきかない。そして強い意志で詩人を睨みつけるとニヤリと笑って初めて口を開いた。

「知るかよ、バァカ」

「……」

「覚悟しておけよ。ここで善良な人間三人を襲い殺したお前はただの殺人犯だ」

「……」

「バンガードもフォルネウスと戦う時にピドナと諍いを起こすこともないだろうな。そして顔に泥を塗られたピドナはお前を絶対に逃がさない。絶対に、だ」

「……」

「黙って聖王遺物を渡しておけばよかったと思っても、もう遅い。貴様はもう終わりなのさ」

「……何も分かってないな、お前は」

 いっそ哀れな男に詩人は同情までした。

「何が分かっていないって? 俺たちは正規の手順をもってバンガードにきた善良な市民さ。それを嬲り殺したお前がどんな目に遭うかも分からないのか? ピドナを敵に回す意味が分かっていないのか?」

「この件がそのまま表沙汰になれば、まあありえる話だろうな」

 そう言いつつ、詩人は倉庫に火を放つ。

「ここで起きるのはただの火災事故だ。それを引き起こすのはここをねぐらにしていた、自称善良な一般市民の三人だ。

 焼け落ちた荷物に押しつぶされ、グチャグチャになった男たちの身元は普通の市民。なのに、一般人は入れないルートヴィッヒの倉庫にいた。ああ、お前たちの身分証はちゃんと燃えないところに置いておくさ。

 ついでに…そうだな。バンガードの地図やらご禁制の品も燃えないところに置いておくか」

「なっ…!」

「バンガードはどう思うだろうな。ルートヴィッヒが強引な手法でピドナの実権を握った事は知られている。次は西に手を出してきたと思うか?

 それを引き起こした神王教団に対してどう対応するかな? マクシムス様とやらにこれ以上の協力をするかな? 一心同体でなければ、もしかしたら全て神王教団に押し付けるかもな」

「お、お前……!」

「まあ、心配するな。俺が予想するとそこまで大事にはならない。せいぜい、馬鹿な神王教団の一部が暴走した一件として片づけられるだろうな。

 責任は全部実行犯に押し付けられてトカゲの尻尾切り。そして賠償金で終わりだな。お前たちは身も名誉も汚泥にまみれて打ち捨てられる。まあ、こんな仕事をしているんだ。本望だろう?」

「っ…ああ、俺は身も心も御上に全て捧げている。俺たちのミスを俺たちが背負う。何か道理に外れてるか?」

「外道が道理を語るとは面白い。が、その通りなのがまた面白い。

 そしていい情報も貰った。聖王遺物を集めているのはマクシムス、そしてお前もマクシムスもジャッカルの一味だな?」

「!?」

「赤サンゴの装飾品を身に付けていたのは失敗だったな。仕事に対するプライドだったんだろうが、こちらはまた一つ確証を得た。ありがたい話だ」

 そう言って火の手が強くなってきた倉庫から外に向かって歩き出す詩人。

「死ぬにはよい夜だ。往生しろよ」

 

 

「なんかさー。昨夜、港で火事があったらしいよ。どっかのお偉いさんの倉庫から火事がおきたんだって」

「へー」

 翌朝、早めの朝食を取りながらエクレアがそんな話をする。適当に相槌をうつエレンと、黙って食事を続ける詩人。

「でさ、そのお偉いさんの倉庫で、変なものが燃え残ってたんだって」

「変なもの?」

「うん。問題になるって兵士が言ってた」

「まあ、後ろ暗いことの一つや二つ、あっても不思議じゃないさ。俺たちには関係ない」

 そう言って話を打ち切る詩人。

「早く食べてウィルミントンに向かおう。フォルネウスがいつ動くかも分からないし、急ごう」

「はーい」

「ええ、そうね。もっと強くならなきゃいけないし…」

 

 火事とは関わらず、旅立つ三人。

 そしてバンガードはもう一つ面倒事を抱え込むことになるのだった。

 

 

 




今年最後の更新がこんなに黒くていいのだろうか…。
……まあ、いいか!


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018話

今年初めての投稿になります。
完結を目指して頑張ります。
どうかよろしくお願いいたします。


 

「さて」

 バンガードから旅立った日の夕方。食事を終わらせた三人は修行に入る。

 受けるのはエクレア、教えるのは詩人。エレンは見学だ。詩人に教えを受けたいのは山々だったが、詩人に不本意な結果になったら殺されると言われて謹んで辞退した次第だった。別に詩人から本格的な稽古を受けなくては強くなれない訳ではないし、今まで通りに乱取りをしてくれるというならそれで十分だろうという判断である。

「とりあえず、厳しい事から言わせてもらおうか。これから先の訓練は命を落とす危険性がある」

「はいっ」

「その上で技が身につく保証もない」

「はいっ」

「さらに一通りの武器を使えるようになってもらう。いいな」

「はいっ! 私は剣を教えて貰いたいです!」

「却下」

「え~。一通りの武器を使えるようにって言ったじゃん!」

「剣で乱取りはしてやる。技も教えてやる。ただし、剣筋は教えてやらん。自分で覚えろ」

 素っ気ない詩人に頬を膨らませるエクレア。そんな様子を見てエレンが疑問に思い、声をかける。

「そんなに剣が上手いの? こんなに強いのに?」

「うん! とっても素敵だったわ!」

「本来、俺は剣が得手なんだよ。訳あって特定の相手にしか振るえないんだけどな」

 驚愕を顔に出すエレン。あれほど強い詩人がさらに得意な武器があるという。あらゆる武器に通じているのではなく、得意じゃない武器であれほどの強さを見せた詩人に戦慄する。

「じゃあまずは大剣でいいか、教えるぞ。

 俺は大剣は持ってないから、ちょっと貸せ」

「はーい」

 バスタードソードを手渡すエクレア。受け取る詩人。彼はそれを手にしたまま、近くの木へと向かう。

 そして大きく振りかぶり、木に向けて切りつける。巻き打ち。

 そのまま勢いを利用して強力な打撃を浴びせかける。スマッシュ。

 さらに体を横にひねり、走り抜けながら木を一閃する。払い抜け。

「これくらいは楽に覚えてもらおう」

 そう言って振り返った詩人を出迎えた顔は、驚きではなく呆れだった。エクレアとエレン、その両方ともが。

「……」

「……」

「どうした?」

「それ、全部使えるけど」

「なにぃ!?」

 ドヤ顔で見せた技が全て会得済みだったことに変な声を出してしまう詩人。

 証拠を見せると、詩人からバスタードソードを受け取ったエクレアは木に向かって技を繰り出す。巻き打ち、スマッシュ、払い抜け。威力こそ詩人よりも低いが、確かに会得していた。

「フォルネウスと戦った時に閃いたの。すごい?」

「……ああ、凄いな。正直、侮っていた」

 バスタードソードを返されながら詩人は引きつった笑いを浮かべていた。

 想像以上だ。そしてランクを一つ上げるべきだと判断する。

「威力を上げることは自習してもらうとして、そこまで出来るなら次の技を教えようか。スマッシュの上位に当たる技だ」

 そしてまたも木に向かう詩人。大剣を下げて構えると、一回動きを止める。そこから爆発的に動き出し、残像すら見える速度で振り回された大剣は炎熱を纏う。それらは威力を保ったまま、大剣は木に叩きつけられそれをへし折った。

 バキバキと音を立てながら倒れる木。その傷口は焦げ付いている。それほどの威力を出した詩人は涼しい顔をしているが。

「それ、確かウォードが使ってた…」

「そう。大剣技の奥義の一つ、ブルクラッシュだ。ウォードみたいな大男に向いた技だが、覚えて損はないぞ」

 そういってバスタードソードをエクレアへと返す詩人。

「やってみろ」

「うん、やってみる!」

 木へと向かうエクレアを見た詩人は心の中で思う。

(よかった…。これも使えるとか言われたらどうしようかと…!)

 そんな詩人の安堵をよそに、エクレアは大剣を下に構えて思いっきり振りかぶり叩きつける。

「ブルクラッシュ!」

「ダメだ、速度が全く足りていない。それじゃあ、ただのスマッシュだ」

「ブルクラッシュ!」

「剣先がブレてる。勢いが殺されてる」

「ブルクラッシュ!」

「インパクトに威力を集中させろ! 加速させたエネルギーを一点で爆発させるんだ!」

 5分も振り続けていただろうか。やがて顔を歪めてエクレアは大剣を取り落としてしまう。

 まだ幼いといえる少女が負担の大きい技を何十と出していればそうなる。それを当然と考えている詩人は彼女を責めたりはしない。

「自分の限界は掴めたか? そうなる前に勝負を決めるか逃げるかを成功させろ。さて、そろそろ乱取りするか。エレンもかかって来い」

「ちょ、エクレアの体力は限界よ!?」

「体力が限界だからって動けなくなるようでは話にならん。利き腕が使えないなら、反対の手で武器を握れ。敵はこちらの事情など鑑みてくれないぞ」

 本当にエクレアに関してはレベルを一段あげるらしい。前にもまして容赦がない。

 顔が引きつるエレンだが、エクレアはむしろ望むところと握力がなくなった利き手とは反対の手で小剣を握る。

 当然、気迫でなんとかなる訳もなく。甘くなった防御をいつも以上に突かれて、ボコボコにされたエクレアだった。

 

「やあ、詩人くん。思ったより早い再会だっだね」

「全くだ、フルブライト。時間をとって貰って感謝する」

 何とも言えない笑みを浮かべるフルブライトに、疲れた顔をする詩人。詩人にとってはウィルミントンから急いでバンガードへ戻り、そして夜に一騒動あったその日にウィルミントンにとって返したことになる。冷静に考えるとなかなかの強行軍だ。

 フルブライトは詩人から視線を外し、一緒に来訪した二人の女性達に顔を向ける。

「それで君たちは誰かな? ああ、詩人の連れならもちろん歓迎させてもらうとも。ただ、名前を知らないからね」

「あたしはシノン村のエレン・カーソンと申します。よろしくお願いいたします」

「私の名前はエクレア! よろしくね」

 余所行きの仮面を被ったエレンといつも通りのエクレア。エクレアはともかくとして、世界的に有名な商会のトップに挨拶をするのだから、エレンの態度はむしろ当然といえる。もっとうろたえてもいいくらいだ。

 爽やかな笑みを浮かべながら、気づかれない程度にエクレアを観察するフルブライト。確かに、ラザイエフ家に言われた通りの特徴の少女だ。家出をして素性を隠したいのならもう少し気を使えとも思う。

「よろしく。私はフルブライト23世。フルブライト商会の会頭をしている者だ。

 エレン・カーソン君だったかな?」

「え、ええ。はい。そうです」

「君の話はトーマス・ベント君から聞いているよ。トーマス君は出来た青年だ、既にフルブライト商会である程度の発言力がある」

「トーマスが!?」

 エクレアから視線と話題をそらすために、エレンに話しかけるフルブライト。

「おや、知らなかったのかい?」

「商売をしている、とだけ。ピドナに会いに行った時も忙しそうだったし、少し挨拶をしただけですし…」

「それだけの手腕が彼にはあるからね。少しの時間も惜しい時期なのさ。足場を要領よく固めれば時間も取りやすくなる」

 さて、といったん話を区切るフルブライト。

「私は詩人君と話がある。君たちは別室で寛いでくれたまえ。お茶とお菓子を用意しよう」

「お菓子! いただきます!」

 喰いついたエクレアに引っ張られるように退室するエレン。彼女は妹分の自由さに、申し訳なさそうな表情でお辞儀をして退室する。それを柔和に送り出すフルブライト。

 そして残されたのは詩人とフルブライト。詩人の表情は最初からニュートラルだが、フルブライトは女性達に向けていた表情を変えて、気合いの入った表情にする。

「それでまた短い間に何用かな?」

「まあ、儲け話だと思ってくれればいい」

 そう言って懐から手紙を差し出す詩人。それを受け取ったフルブライトは、封蝋がバンガート市長のものだと理解する。

 そして中を検めると、バンガードがいかに死力を尽くしてフォルネウス軍と戦ったか。そして協力者と共にフォルネウスを撃退させることに成功させるも、勝ち切るためには兵力が足りないと書かれている。

 そこで聖王を助けたフルブライト殿に、助力を求める。共にフォルネウスを倒す栄光を掲げようという言葉で締めくくられていた。

 読み終わり、ふむと考えるフルブライト。そして開けた手紙をそのまま詩人に見せる。

「バンガードがフォルネウス自身に襲われたという話は聞いている。またフォルネウスを撃退したとも。実際、バンガード軍がフォルネウスを撃退できたのかな?」

「無理に決まっている。俺が追い払った」

「だろうな。君の事は協力者の一言で済まされているぞ」

「協力者がいたと明文してるだけ誠実な範囲だろう」

「確かに。嘘は言っていないな」

 くくくと笑うフルブライト。彼としては嘘を書かずにここまで的確な内容で表現している事に悪くないと思う程度だ。

「バンガードの被害状況は?」

「一般市民に被害なし。代わりに軍は半壊だな、すでに町の防衛機能に支障が出るレベルだ。次にフォルネウスが直接攻めてきたら持たないだろうな。

 いや、大軍に襲われても危うい。撃退はできても町としては維持できない」

「それでフルブライト商会を頼ったか」

「そうなるように俺が仕向けた。感謝してくれていいぞ」

「そうだな。感謝はタダだし、いくらでもしていい」

 ここでフルブライトが私兵を差し向ければそれなり以上の恩を売れる。いや、積極的に防衛したとなれば、バンガードを半属国くらいにはできるだろう。

 兵士の育成は楽ではない。また、傭兵を繋ぎ止めるのも金がかかる。そこでフルブライト商会の兵が長期間防衛任務をこなしたらどうなるかは言うまでもない。市民はフルブライト商会に感謝し、実権があると思うだろう。

「いちおう、市長にある程度の実権は残してくれ。そうしないと俺が恨みを買う。ある程度の利権をもぎ取り、フォルネウスを倒した栄誉があれば安いものだろう?」

「さて、それは君が求める対価によるな。君相手に貸し一つは気味が悪い。要件を言いたまえ」

「突出したレベルの玄武術師の情報が欲しい。優秀ではない、天才レベルだ」

「世界最高峰という訳だね。心当たりはある。西海岸にあるモウゼスという都市に天才玄武術師のウンディーネという才女がいるとか」

「モウゼス?」

「特に特産品がない町だが…そのウンディーネという才女が優れた玄武術師を輩出し、一種の傭兵団として出稼いでいると聞いたな。最近、ボルカノという朱鳥術師が町の実権を握ろうと諍いを起こし、混乱しているとも聞いた」

「なるほど。ウンディーネに恩が売れそうな話だな」

 視線で会話をする。

 十分か、と。

 十分だ、と。

 商談成立だ。

「今夜はここに泊まるといい。君のためではない、私とラザイエフ家のためだ。タチアナ嬢をもう少し観察したい」

「分かった。今回は借りと思わないでおいてやる。それにレオナルド武器工房に手紙を一通送りたい。手続きをしてくれると助かる」

「構わないとも。今夜はささやかながらパーティをさせてもらおう。君が宿泊するなんてとても珍しい事だからね」

 

 その夜、ウィルミントンでパーティが行われた。

 エレンとエクレアはフルブライト家にあった衣装でドレスアップされる。ちなみに詩人はそれからは逃げた。全力で逃げ切った。

「あ、あの、こういった格好は不慣れで…」

 そもそも逃げるという選択肢が思い浮かばなかったエレンはフルブライト家のメイドによって徹底的にエステを施され、彼女に似合った白いドレスを着つけられていた。真っ白な衣装という訳ではなく、蒼や紅といった鮮やかな糸で様々な刺繍がされた単純でないドレスだ。エレンの魅力を最大に演出できる物を即座に用意できるのは、流石フルブライト家といったところだろう。

 それを恥じらいながら身につけるエレンだが、彼女の得意分野は体術である。誰もが見惚れる魅力を醸し出しながら、自分の姿を恥じらいながら、いざという時に繰り出される拳は必殺である。それをみる機会がない方が人々として幸せであろう。

「もー。エレンさんは綺麗なんだから、もっと堂々としていいんだよ?」

「そういうあんたは妙に慣れているわね…」

 ジト目で見るエレンの視線の先にはエクレアがいる。彼女の幼さを感じさせない、大人な衣装を身にまとっている。彼女の紅髪を際立たせるような淡い蒼の生地で、エレンと違い刺繍は一切ない。その生地の美しさのみで彼女の美しさを演出する、シンプル故に誤魔化しがきかないドレスだった。

 エレンの衣装はともかくとして、こんなラインを強調した衣装を即座に用意できるかというと、できる訳がない。これはラザイエフ家が末娘の為に、自身が要請を出した各所に送ったものである。いざという時に娘が恥をかかないように、美しく着飾れるように。

 そうと気が付かない家出娘は、久しぶりに綺麗な洋服を着てご機嫌である。嬉しそうに着飾った自分を鏡で見て頷いている。

「エレン様、エクレア様。そろそろお時間です。会場にご案内致します」

 メイドがそう言って二人を連れ出す。案内された部屋はフルブライト家にある一番大きな部屋で、十数人の着飾った客とそれより少し多いくらいの使用人がたむろしていた。それでも部屋に余裕が感じられるのだから、結構な大きさの部屋である。

 今日のパーティは着席してコース料理を楽しむのではなく、いくつかあるテーブルに置いてある料理から各自が取り分ける立食形式だった。そうしたのもフルブライトからエレンへの気遣いでもある。上流階級が集まる中、細かい作法ができない田舎娘が混ざるのだから、コース料理などにしたらただの嫌がらせである。

 もちろん壁際には椅子とテーブルが並べてあり、ゆっくりする事もできる。込み入った話をしたい客がいれば、個室へ案内して見合った食事を運ぶこともする。パーティ自体はそこまで堅苦しくしないで楽しんでくれという主催の意図がそこにはあった。

「来たか」

 そんなパーティ会場で異彩を放つ男が一人。洗練されたとは言い難い、いつも通りの旅装束のまま会場にいた詩人である。

 宴に詩人がいてもおかしくはないのだが、このパーティの格を考えるともう少し綺麗な服はなかったのかと言いたい。現に数人は胡散臭い者を見る目で詩人を見ている。

「詩人さんも、用意して貰えるんだからもっと格好いい服に着替えればいいのに」

「絶対にゴメンだな」

「なんでよ?」

「この格好が一番戦いやすいし、逃げやすい」

 軽い色合いと動きに惑わされがちだが、詩人のいつも通りの格好とはかなりの重装備だ。腰に剣、反対に棍棒、背に弓矢。外套は風雨に晒されて色褪せているが、その下に着込んだ軽鎧は手入れが欠かされていない。手甲とブーツも戦闘向けだし、被っている帽子も一級の防具であると彼女たちは知っている。

 さらに腰の後ろには荷物入れがあり、そこに大金が仕舞われていることも知っている。確かに今すぐに、戦う選択肢も逃げる選択肢も選べるだろう。

 だがそんな格好でパーティに出るのはどうだろうか。フルブライトの警備を信用していないと公言しているようなものだ。何気にそのような常識を持っているエクレアが口を開けかけたその時、一人の男が会話に割ってはいる。このパーティの主催者、フルブライトだ。

「このパーティは好きな格好でいいのだよ。堅苦しいパーティにしたくはないからね」

「その割には毎回着飾らせようとしやがって」

「君は素材がいいからね。ちょっとしたお茶目だと思ってくれたまえ」

 気安く話すフルブライトと詩人。ふとエクレアは気がつくが、詩人を胡散臭く見ているのはほんの数人である。会場にいる大半の人間は詩人の奇異な格好に注目していない。おそらく慣れているのだろう。

 それから二言三言話したフルブライトはエレンとエクレアに笑顔を向ける。

「お嬢さん方も美しい。ドレスを用意させてもらった甲斐があったよ」

「あ、ありがとうございます…」

「ドーモ」

 爽やかな笑みと共に発された言葉にエレンは赤面した。男勝りだのとよく言われる身の上である。女性の美しさを全面に出した衣装に袖を通したのも初めての上、こんな真っすぐに褒められることに慣れていないのだ。

 対してエクレアはこの手の称賛に辟易し、実家を思い出して嫌になったくらいである。

 そして女性二人に軽く一礼すると、また別の客の言葉をかわす。それを繰り返してやがて会場の中央に立つフルブライト。

「皆さま、今日はよくお越しくださいました」

 やや大き目な声で会場中の注目を集める。

「本日はフルブライト家、フルブライト商会にとって縁の深い大事なお客様を集めた宴です。

 皆さまと一致団結して、ドフォーレ商会などの悪辣に稼ぐ者達に対抗していきたいと願っております。

 この機会に皆さま、親睦を深めていただきますようお願い申し上げます。

 では、乾杯!!」

 ――乾杯!!

 あげた声に、客は持った杯を傾けて喉を潤す。ちなみに、酒でないのは飲めないエクレアと、酔うのを嫌った詩人くらいだ。二人はノンアルコールのカクテルを手に持っている。

 そして三人の中で唯一ワインを喉に流し込んだエレンはふと思う。

(あれ? あたし、いつの間にかフルブライト商会に組み込まれてない?)

 詩人と共に行動しておいて今更であるが、詩人がフルブライト商会と懇意であることもよく分かっていなかったエレンである。いつの間にか決められていた自分の立ち位置に、ようやく気が付き始めていた。

 

 このパーティは本当に気心が知れた人間だけを集めたらしい。それに気が付いたのはラザイエフ令嬢でもあるエクレアだ。人々に警戒心が極端に少なく、食事と他愛のない会話を楽しんでいる。下手な事を言うつもりはないが、相手を嵌めようと言質を取ったり情報を抜いたりはしない。そんな雰囲気だ。

 彼女たちは初参加だが、この類いのパーティはフルブライトがそういったものも必要と考えて行われている。仲間うちで疑心暗鬼が過ぎてはいけない、本当に気心が知れた仲間同士で胸を開けて話す機会を作り出す為のものだ。

 現にこのパーティでは仲がいい者ばかり集めているが、別の似た趣旨のパーティでは面子がガラリと変わったりする。フルブライト商会という大きな船を巧みに操るには、敵と戦うばかりでなく身内をまとめるのもまた大事なのだ。

 詩人も幾人かと談笑をかわしている。彼の目的の為に力を貸している者たちで、対価としてフルブライトを通じて困った事を助けたこともある間柄だ。フルブライトがいなければ成り立たない関係とあって、彼の顔を潰すようなことはしないだろう。少なくとも、利害が一致しているうちは。

 そして、そういった雰囲気があると困るのは新参者であるエレンとエクレアである。気を使った者が声をかけることもあるが、初対面であるせいで切り込んだ話ができない。その上に片方は全く場慣れしていない田舎娘で、もう片方は上流を嫌う一流のお嬢様である。会話が弾むはずもない。むしろ話しかけた方がさらに気を使って離れてしまうくらいだ。

「退屈しているようだね」

 そんな彼女たちに話しかける優男。このパーティ主催者でもあるフルブライトがシャンパンを片手に近寄ってくる。

「す、すいません。あたし、こういった事に慣れてなくて」

「いやいや、そんな場に連れ出してしまって心苦しく思ってしまうよ。

 だが、今日呼んだ人々は特に詩人と懇意の者たちばかりだ。彼と一緒に旅をしているなら無下に扱われる事もない。

 彼の不興を買ったら事だからね」

 クスクスと上品に笑うフルブライト。だがそれに不快感を示したのはエクレアだ。

「それって私たちが詩人さんのおまけって事?」

「世辞を抜きにしてその通りだ。彼には実績があるからね、まだ何も商品価値を示していない君たちは、詩人のオマケさ」

「ふ~ん。そうはっきり言ってくれるのは嫌いじゃないよ」

「それが嫌なら軽く会話をしてもいい。何か困っていることを受けてもいいし、困ったことを相談してもいい。そうして自分のできること、相手のして欲しいこと。それらを上手くかみ合わせれば信頼も生まれてくるというものだよ」

「興味な~し」

「ま、まずは場に慣れることから始めます…」

「奥手なお嬢さんたちだ。全く、詩人も女性のエスコートを忘れて挨拶回りなんて扱いがなってないな」

「失礼をしないようについてくるなと、言われました」

 小さくなるエレンに、肩をすくめるフルブライト。

「全く。荒事にはあれだけ飄々としているのに、こういった場では本当に余裕がないな、あいつは」

「余裕がない?」

 あの詩人が? と顔を見合わせるエレンとエクレア。

 それに鷹揚に頷くフルブライト。

「何かあった時にフォローできる自信がないのさ。だから自分だけで動く。余裕がない怖がりの商人の典型だよ、彼は。本質的に誰も信じていないのさ」

「…それ、撤回して」

 機嫌が悪くなったどころではない。今にもフルブライトに殴りかかりそうな顔をしたエクレアが腹の底から声を出した。エレンも怯えたような顔から打って変わり、フルブライトを睨みつけている。

 それでもフルブライトは揺るがない。表情を申し訳なさそうな形に直して聞き直す。

「なにか気に障ってしまったかな?」

「詩人さんが誰も信じてないって、撤回して。詩人さんは損得なしに私を助けてくれたし、強くしてってお願いしたら応えてくれた。誰も信じていない人ができる行動じゃない。誰かは信じていなくても、人間を信じている人だよ、詩人さんはきっと」

「詩人は今まであたしを鍛えてくれました。まだあたしには力が足りないけれど、それでも手を貸してくれるっていってくれました。命を助けられた事もあります。

 確かに隠し事もしているけど、詩人はいい人です。悪く言わないで下さい」

 にこやかな笑みを浮かべながらフルブライトは驚く。よくもまあ、あの男がここまで信用されたのだと。

 自分はある程度信じるに足る根拠があるからいいとして、見ず知らずに近いはずの人間に信用される要素はないはずだ。現に詩人は自分がそう思われるように動いている節があることにフルブライトは気が付いている。

 だからこそこういったパーティでは挨拶や談笑はしても、決して仕事の話にならない。相手が詩人を信用しきれないからだ。何か有事の際はフルブライトに依頼をして、彼が信頼している詩人を動かすという形をとっている。もちろん、それがフルブライトにとっても詩人にとっても都合がいいことは確かなのだが。

「言い方が悪かったね、補足しよう。彼は商人として才能がない事を自覚しているのさ。信じられないのは商う者としての視点であり、いざという時は頼りにしているさ」

「……」

「それに私と彼の仲だ、このくらいの言い方は冗談のうちだよ。

 詩人も私の事をひ弱な頭でっかち野郎と言うだろうさ」

「……」

「……オーケイ。分かった、私が悪かった。我が友、詩人への言葉が過ぎたことをここにお詫びしよう。

 これでいいかな、お嬢さんたち?」

 折れたフルブライトに、こっくりと頷く女性二人。あの詩人が慕われたものだと微笑ましい気持ちになる。

 ちなみに彼はお詫びはしたが前言は撤回していない。詩人が本質的に誰も信じていないというのはフルブライトの本音でもあるのだ。

 詩人は自分に対しても利害の一致から行動しているに過ぎないと理解している。その利害が一致しなくなる事態というのも、なかなか起きないとも理解しているが。結局、彼の処世術は対人までが限界なのだ。より大きな、人々という輪に弾かれないようにするにはフルブライトのような力が必要となり、詩人もそれを自覚している。またフルブライトとしても破格の戦闘力を持つ詩人は、頼み事を聞いてくれるくらいの関係は築いていきたい。

 フルブライトの三番目に嫌いな事は時間がかかる仕事。二番目に嫌いな事は損が大きい案件。一番嫌いな事は金で解決できない問題。その一番嫌いな事の大半を解決してくれる詩人に気を遣うのは当然である。

(まあ、彼女たちもいつか気が付くだろうな)

 詩人は自分の邪魔になると判断した事には容赦がない。彼女たちはその事例に自分が当たっていないだけで、詩人の邪魔になると判断された途端に切り捨てられるだろうという事を。

 それでも未確定の事を言って不興を買う必要もない。後は彼女たちの問題だと、思考をにこやかな笑みの裏に隠す。彼もお人よしが過ぎる訳ではないのだ。

「ではパーティを楽しんでくれたまえ。

 明日にはモウゼスに出発するのだったかな? 旅の無事を祈っているよ」

 そう言って別の客へと向かうフルブライト。

 残された二人はある程度食事を楽しんだら早めに切り上げて休むことにした。

 相手はフォルネウス、まだまだ自分達は弱いことを思い知らされた相手。旅の途中で強くなるため、その余力を残すために早めに休む事を選ぶのだった。

 

 

 



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019話

 

 

 

 西海岸にある町、モウゼス。玄武術師、ウンディーネが支配していた町。

 そこは今、荒れ果てていた。

「なんじゃ、こりゃ」

 思わず詩人がそうこぼしてしまったのも無理はない。同行していた二人の女性も絶句している。家は壊れ、道はボロボロ。廃墟と言える程ではないが、それに近い様子を醸し出すのが現在のモウゼスという町だった。

 町の入り口で呆然としていても仕方がない。町へと入っていく一行。活気なく道を行く人々。そうでない者はピリピリとした空気を撒き散らす兵士や術師といった面々だった。

「戦時中の雰囲気だな」

 ぽつりと詩人がこぼす。それも、相当に劣勢な方の立場だ。ウンディーネとボルカノが争っているのは知っている。問題はこれがどちらの陣営かという事だ。

(ウンディーネならいい、大きな恩が売れる。だがボルカノ側だったら厄介だな)

 そう思いつつ、目指すは酒場。最も情報が集まりやすい場所だ。傭兵などが集まって仕事を求める事も多いため、兵力が必要な場合はここに網を張る場合も多い。

 エレンはボロボロの街並みを痛ましげに見て、エクレアは好奇心を隠そうともしないで見て回る。そのうちに酒場に辿りつき、中に入る。情勢が芳しくない事も影響してか、中は閑散としていた。誰だって負け戦に参加したくはないものだ。おそらく敵対している方の酒場はいやに繁盛しているだろう。

 あまり人のいないその場所を軽く見渡して、目的の人物を見つけた詩人は内心でほくそ笑んだ。酒を飲んでいない男の術師が一人いる。情報を手に入れるには手ごろだろう。近づく詩人にそれに付き従うエレンとエクレア。

「よう」

「ん…。ああ、傭兵か?」

「似たようなものだ。この町には天才玄武術師であるウンディーネがいると聞いてきたんだが、大事になってるじゃないか。何かあったのか?」

 詩人の言葉に術師の顔が歪む。

「まあ、な。ウンディーネ様になんの用事だ」

「ちょっと頼み事をしたくてな。何とかして会う事はできないか?」

「難しいだろうな。ウンディーネ様は現在、町の防衛に手一杯だ。少しの時間も惜しんでらっしゃる」

「防衛?」

「ああ…。町の南から攻めてきた朱鳥術師のボルカノという男が町を荒らしてな。しかも奴はアビスのモンスターとも手を組んでやがる。流石のウンディーネ様も手を焼いている。

 お前も傭兵ならウンディーネ様に雇われてみないか?」

「いいぞ」

「……だろうな。

 は?」

 てっきり断られると思ったのだろう。詩人の即答に間抜けな声をあげる術師。ここは町の北側であり、南からきたボルカノの敵対しているウンディーネの領地だ。それがここまで荒廃しているという事は趨勢がどちらにあるかなどすぐに分かる。

 それを分かった上でウンディーネに会うという。そういえばこの男はウンディーネに用事があると言っていた。戦力になるかも知れない。だが、刺客の可能性も捨てきれない。

 これ以上は下っ端である彼の手に余る話だ。とりあえず上に取り次ぐしかない。元々、彼はそういった事を仕事としている。懐から紙を一枚取り出して詩人に手渡す。

「これをウンディーネ様の館に持っていけ。俺よりかもう少しましな奴が取り次いでくれるはずだ」

 

「傭兵ですか」

「正確に言うと違うが、まあ似たようなものだ。ウンディーネに用事があってきた」

 ウンディーネの館はすぐに見つかった。ボロボロの町の中で比較的ましな、一番大きな館。それがウンディーネの館だったからだ。

 中に入り渡された紙を見せたらすぐに応接室に案内され、執事の格好をした男と向かい合わせで座り、茶が出された。格好こそ執事だが、この男からも魔力を感じる。おそらくは術師だろう。

(どうでもいいけど、イケメン多いよね)

(しっ。聞こえるわよ!)

 後ろでこそこそと女二人がそんな会話をしている。確かに酒場の術師といい、目の前の執事といい、顔が整っている。ウンディーネとやらは面食いなのかも知れない。

(詩人さん、有利じゃない?)

(だから聞こえるって!)

 執事に聞こえない程度の声で話しているのもあって、詩人は基本的に後ろの事は無視している。

「用事とは何か、聞いても構わないですか?」

「直接ウンディーネに交渉がしたい。3つ程頼み事がある」

「3つも、ですか?」

「ああ、しかも大仕事だ。報酬は期待してくれていいぞ」

 そう言いながら今度は詩人が紙を一枚差し出して執事に見せる。

 いぶかしげにそれに目を通す執事だが、その署名と印を見ると目を見開いた。

「フルブライト商会!?」

「同盟者だ」

「うん、確かにこれは本物…。しかし用事を聞かずに、ウンディーネ様にお目通りさせる訳にもいかない」

「道理だな。そこでだが、ボルカノとの諍い、ずいぶん旗色が悪そうじゃないか。手付代わりに手を貸してもいいぞ。腕には自信がある」

「…分かりました。とりあえず、ウンディーネ様の時間をとる対価として仕事を頼みたい」

 そう言って執事はモウゼスの地図を取り出す。

 細々とした事が書き込まれているが、それぞれの勢力範囲と重要施設、それから兵の配置状況が書かれているようだ。ぱっと見て情勢がよくない事が分かる。

「ちなみに今の状況についてどこまで知っていますか?」

「ウンディーネが劣勢である事と、ボルカノが朱鳥術師でアビスの魔物と手を組んでいることくらいだな」

「そうですか。ボルカノという男、言いたくはないが手強い男です。本人の強さもそうですが、道具の作成にも秀でた男でして。火星の砂という炎を巻き起こす術具を作り出し、弱いモンスターに持たせて攻撃力をあげています。

 奴の側近もそれなり以上の術師ですし、強いモンスターはその頑強さに任せて突撃してきます。何より厳しいのが弱いモンスターの補充は際限なくしてくるところなのです」

「持久戦は不利。かといって数を頼りに時間を稼ぎ、ジワジワと削ってくる訳か。

 こちらの状況は?」

「アビスのモンスターを嫌ったのと、本来町を治めていたウンディーネ様を慕って兵士や住人の8割方はまだこちらの味方です。しかしつい先日、ついに町の半分まで侵攻を許してしまいました。これ以上は信頼を失いかねません」

 そう言って町の中央にある小島を指さす執事。ここが最初の重要地点だという訳だろう。

 ならば話は早い。

「ではまずはその小島のボルカノ勢力を追い出そうか。そうすればウンディーネも話を聞いてくれるだろう?」

「…確かにそれができれば、そのくらいは問題ないです。むしろお釣りがくるでしょう。

 だが、できますか? ボルカノもかなりの戦力を注ぎ込んでいます」

「やるさ。ウンディーネの信頼を得られるなら安いものだ」

 そう言って立ち上がり、場を辞する詩人。それに付き従うエレンとエクレア。

「ああ。占拠した小島に入る人員の手配だけは頼む。何せ、こちらには3人しかいないからな。小島の奪取はできても維持は無理だ」

 そう言って部屋から、館から出る詩人たち。館から出きった時にエレンが不安そうな声を出す。

「詩人。小島を奪取なんてできるの? 相手の戦力も分からないでしょ?」

「小島の大きさと勢力図から、おおよその敵の数は知れる。30程度だろう。不確定要素は火星の砂とかいう道具と、側近やモンスターがどの程度強いかだな。

 入口は狭く、一度に攻め込める数はおおよそ5くらい。それならお前たちで対処できるだろ。大半は雑魚だという話だしな」

「お前たちはって…詩人さんは?」

「密かに南に回り、ボルカノの情報を抜いてくる。小島が攻められれば混乱もするだろう」

 言いながら町の中央にある小島が見える位置まで歩いていく3人。小島からの攻撃を警戒し、その道を塞いでいるウンディーネ兵がいるのが見える。さらにその先にある小島にいるのがボルカノ配下の術師とモンスターだろう。

 そのモンスターを見て目を細める詩人。

「アビスのモンスターとは聞いていたが…あれはアウナスが一枚噛んでいるな」

「詩人さん、分かるの?」

「まあな。確かにアウナスの属性も朱鳥だったか。ボルカノとやらと相性がいいはずだ」

「アウナスのモンスターと戦う上で何か注意事項ってあるかしら?」

「獣タイプが多く、頭は悪いがとにかくタフだ。その体力に任せて突進してくる攻撃力も面倒だな。先手をとって押し切るか、もしくはカウンター技でも叩き込んでやれ。お前たちなら問題ないだろう。

 問題は術師の方で、今まで術を使う奴らとの戦闘経験はあまりなかったな。雑魚に持たせるレベルの術具ならいい塩梅だろ、ボルカノと戦う前に勉強しておけ」

 そう言い残して詩人は近くの屋根に飛び移り、そのまま素早く移動して姿を消す。後の仕事は任せたという意思表示だ。

「じゃあ、あたしたちも行きましょうか」

「うん! 強くなったところ、見せつけてあげるんだから!」

 

 小島での戦闘は、詩人が予想した通りとはいかなかった。

 最初は問題ない。狭い道で少数を相手にするのならば、エレンとエクレアの方が質は高く、雑魚をなぎ倒して小島までは容易に辿り着くことができた。

 だがそこからがよくない。小島とはいえ、その広さはかなりある。攻め込んできた小娘二人を容易に取り囲むくらいには。更にボルカノの領地から続々と援軍が押し寄せてくる。

 結果、エレンとエクレアは背中合わせになり、死角を減らしてひたすら目の前の敵を倒していくという形になっている。

「こっちの数、足りなくない!?」

 叫びながらクリプトマギにバスタードソードを叩きつけるエクレア。獣人系のモンスターといっていいだろう、おそらく火星の砂であろう術具をばらまき、炎を巻き起こす厄介なモンスターだ。

 物理的な攻撃ならともかく、術の防御方法などロクに学んでいないエクレアが無傷で済まそうとするならば避けるしかないだろう。しかし、後ろにエレンがいる以上はそれもできない。結果、術具を使われる前に倒すのが最適で、使われたら武器や防具で振り払うことしかできない。ダメージは着実にたまっていく。

「数で攻められるっていうのも厄介ね!」

 エレンも目の前の敵を倒すのに必死だ。今回は素手ではなく、ウィルミントンで購入した上質の戦斧を持って戦っている。理由はエクレアと同じで、炎の攻撃が飛んできた時に少しでも盾になるものが必要だからだ。

 また、大柄で体力がある敵を相手をするにも質量がある大きな斧はいいものだ。体術よりも戦斧を振り回した方が与えられる衝撃は大きい。バーゲストといった大きな猪型のモンスターを吹き飛ばすには適しているといえる。

「援軍はまだ!?」

「もうちょっと打ち合わせしてから攻め込むべきだったかもっ!」

 必死になって敵を捌く二人。彼女たちが後悔している通りにウンディーネ側への説明は不十分で、話を適当なところで切り上げて敵陣に切り込んでしまったツケを今支払っている最中だ。ウンディーネ軍の準備する時間が足りず、その時間を自分達で稼いでいる。

 そしてウンディーネ側に時間が必要な分、ボルカノ側に時間があるのも道理である。向こう側から雑魚ではない敵が小島に来るのが見えてしまった。他の敵は彼らに道を開ける為に大きく後ずさる。

 現れたのは、小柄でローブを被った男が一人と、バーゲストよりも一回り大きい猪型モンスターが二匹。

「これはこれは。大暴れする敵が二人いると聞けば、こんな小娘だとは。まったく、不甲斐ない奴らだ」

「そんな不甲斐ないのを配置したあんたのミスじゃないの?」

「黙れ小娘!!」

 嘲笑われれば嘲り返す。当然と言えば当然のエレンの言葉に、術師はカッと目を見開いて唾を飛ばしながら叫び返す。

「貴様らのような小娘共を倒せない無能が悪いのだ! 決して儂のせいではない、儂のせいではないぞ! それなのに何故ボルカノ様に儂が叱られなければならないのだ!

 そもそも貴様らが、貴様らが悪いのだ! 何故ボルカノ様に逆らうのだ! 何故儂の邪魔をするのだ!!」

 ぜいぜいと激しく息をする術師に、思わず目が点になるエレンとエクレア。反応がちょっと普通じゃない。

 ボルカノとやらはよほど激しい性格なのだろう。エレンはほんの少しだけその配下たちに同情した。

「死ね! 儂の邪魔になる奴は、みんな死ね!!」

 そう言って一回りは大きい猪型モンスターであるショックをけしかける術師。それが戦いの始まりだった。

 2匹のショックがそれぞれエレンとエクレアに向かって突進する。まともに受ければただではすまないだろうが、当然まともに受けてやる義理もない。エレンは素早く身をかわし、エクレアは短く持ったバスタードソードで、繊細にショックの突進方向を変える。剣技のパリィ、その応用だ。

 突進をいなされて隙を晒す羽目になったショックたち。威力は強く、突進は早くともバーゲストとそんなに変わらない。そう、ここまでは。

「火星の砂!」

 反撃しようとした瞬間、離れたところにいた術師が炎を巻き起こして、彼女たちに降り注がせる。

「わわわっ!」

「危なっ!」

 雑魚が使う火星の砂とは威力が違う。物が違うのか、魔力によって威力が変わるのか。それは分からないが、実際としてまともに喰らったら大きなダメージになるだろう。慌てて回避する二人。

「このぉ!」

 やられた仕返しをしようとギロリと術師を睨みつけたエクレアだが、背後からの突進音に気が付いて慌ててその場を跳んで逃げる。

 直後、彼女のいた場所をショックが突進して通り過ぎた。そしてショックは獲物に当たらなかった事を確認すると急停止し、振り返って大きく嘶く。

 前衛として獣型モンスターを常に配置して、後衛の術師がその隙をフォローする。また、合間を縫って術を仕掛けてくる。前衛と後衛がしっかりと分かれた隙の少ない編成だ。

 ならば隙を無理矢理にでも作ってやればいい。エレンはちらとエクレアに目配せをしつつ、地面を足で叩いて合図をする。エクレアは斧を担ぎ上げたエレンのその意図を正しく読み取り、頷いた。彼女たちとて、短い旅の間に遊んでいた訳ではない。むしろ少しでも強くなろうと、連携にも磨きをかけていた。

「地走り!」

 唐突にエクレアはバスタードソードを地面に突き立てると、そこからショックと術師を巻き込むように衝撃波を巻き起こす。

「ブモゥ!?」

「おわぁ!?」

 咄嗟に回避するショックと術師。回避できるだけ上等といえば上等だが、それでもまだ甘い。

 ギロリとエクレアを睨みつける術師。その体に、飛来した戦斧がめり込み、血反吐を吐く。めり込んだ斧からは大量の血が溢れ出し、致命傷という事は一目でわかった。

 それを為したのはエレン。大きな戦斧をトマホークで投げつけて術師を仕留めたのだ。

 彼女にとっては初の殺人である。顔は嫌悪で歪み、気分は最悪だったが、ここは戦場。相手はそれに構ってくれる訳ではない。術師を仕留めて隙ができた二人にショックは突進を仕掛けてくる。

 エクレアは突き立てたバスタードソードから離れるとシルバーフルーレを取り出す。そして突進をしかけてくるショックに合わせて、回避しつつも鋭い一撃を放ってその命をえぐり取る。マタドールだ。

 エレンは突進するショックの足元に滑り込み、前足を極めつつ勢いを利用したまま地面へと叩きつける。逆一本ならぬ前一本。自分の突進力を硬い地面にぶちかまさせられたショックの顔面は悲惨なことになっている。

 襲ってきた術師とショックを撃破したエレンとエクレアには傷一つない。何でもないように立ち上がった二人は、戦斧とバスタードソードを回収し、まだ周囲にいた敵たちを睨みつける。

「今よ! 攻め込みなさい!!」

 そのタイミングで威厳ある女性の声が響いた。

 エレンとエクレアの背後から、人間の兵士と術師とが一気呵成に攻め込んでくる。頼みの綱だった術師とショックが簡単に打倒されてしまったボルカノ側にもはや戦意はなく、戦う事無く小島から逃げ出してしまった。

 小島から敵を追い払った女性は手早く指示をして小島の防衛に兵を割り振る。それが一段落したところでにっこりと笑いながらエレンとエクレアに話しかけてきた。

「貴女たちが協力者ね? 話は聞いていたけど、予想以上だったわ。とても助かった、ありがとう。

 私はモウゼスのウンディーネ。よろしくね」

「あ、はい。よろしくお願いします。あたしはエレン・カーソンです」

「私はエクレアって言うの。よろしくね、おばさん」

 

 ピキ

 

「エレンとエクレアね。お姉さん(・・・・)からもよろしくお願いするわ。

 もう一人、男がいるって聞いたけど?」

「あいつなら今、ボルカノ側で情報を抜いているはずです。仕事が早い奴ですから、すぐに戻ってくると思います」

「分かったわ。じゃあ、いったん館に戻りましょうか」

 そう言ってちょっとだけ顔が引きつったまま、身を翻すウンディーネ。それを確認してからエレンは小声でエクレアをたしなめる。

(エクレア! ウンディーネさんをおばさんって言うのやめなさい! お姉さんよ、いいわね!)

(え~。おばさんじゃん)

(いいから! 礼儀正しくしないと協力してくれないわよ! 詩人にも迷惑がかかっちゃうわ!)

(…は~い)

 全然納得していない声で返事をするエクレアだが、これで一応はおばさん呼ばわりはやめるだろう。

 子供の自由奔放さに大変な思いをするエレンは、どこかお母さんのようであった。

 

 

 それらを眺められる位置で弓を携えていた詩人は、一連の流れを読み込んでいた。

 ボルカノの情報を素早く集めた彼は、万が一のためと戦場の動きを俯瞰してみる為に大きな建物の上に陣取っていたのだ。

(やるねぇ。ウンディーネとやらも)

 ウンディーネ側は、攻め込もうと思えばもっと早くに攻め込めたはずだった。少なくともその準備は終えていた。

 それでも攻め込まなかったのは、まだ小島に敵が多数いたのとボルカノの主戦力が出てきていなかった為だろう。自軍の損失を気にしていたのだ。

 それが悪いとは思わない。所詮、エレンやエクレアは協力者でウンディーネの味方と決まった訳ではない。その上、こちらは頼みに来ている立場だ。劣勢な今、下手に自分の戦力を減らすわけにはいかないのは道理だろう。それにケチをつけるつもりもないし、むしろよく現状を把握しているともいえる。

(まあ。多少は吹っ掛けさせてもらうが)

 手助けできたところを遅れさせた。その事実を視認できたことも十分な戦果のうちに入る。

 その上で小島を奪取し、ボルカノの情報も得ることができた。

 上々だと機嫌よくウンディーネの館へ向かう詩人であった。

 

 

 



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020話

 

 

 

 ウンディーネの館。そこで正式に客として招かれた詩人とエレン、エクレアは応接室でお茶を飲んでいた。

 向かいに座るのはこの館の主、ウンディーネ。更にその背後には彼女の弟子であろう優男たちが5人、壁際に並んで立っている。素性の知れない者たちに対する警戒と言えば妥当だろう。

「それで」

 お茶を口にしたウンディーネがまず話しかける。

「まず、中央の小島を奪還して頂くことに協力していただいた事に感謝しますわ。どうやらあなた達は私に何か依頼があってきたとか。それをお聞きしていいかしら?」

「もちろん。自軍の被害を軽微に留める采配をするウンディーネ女史ならば、益のある話ができると信じていますよ」

 にこりと笑ってちくりと刺す詩人。こういった交渉の場で、基本的に彼が前面にたつのはもはや暗黙の了解である。エレンとエクレアは何か言われるまで黙ってお茶をすすり、お菓子をかじる。

 自軍の損害を気にして協力者である彼女たちに負担を押し付けた事を言われるも、ウンディーネはその表情に僅かな揺らぎも見せない。そもそも悪いことをしたとも思っていない。間違っていない認識ではあるのだが。

「益のある話とは興味深いですわね。3つ依頼があるとお聞きしましたが、伺ってよろしいかしら?」

「もちろん。まず、一番重要な事からお願いしたいが、バンガードに貴女の高弟を派遣して頂きたい。最終的には貴女にもご足労願いたいが」

「バンガードに?」

「ええ。かつての伝説通りに、バンガードを船として動かしフォルネウスと戦う。その為に必要なのが強力な玄武術師の軍団と、それを指揮する一段上の天才術師。すなわち、モウゼスの全力が必要なのです」

 詩人の言葉にふむと考えるウンディーネ。彼女はとりあえず答えを出す事を先延ばしにして、詩人の要求を聞くことを優先する。

「それで、次の依頼は?」

「この二人に術の手解きをして貰いたい。俺も術は使えるが、教えるのには余り向かなくて。

 それに伴って、急ぎの旅をしているから、申し訳ないが少しの間だけでもウンディーネ女史には俺らの旅に着いてきてもらいたい」

 そう言って指し示すのはエレンとエクレア。

 彼女たちをチラとみて表情を変えずに頷くウンディーネ。その様子からは良しとしているのか否としているかは読み取れない。

「最後の依頼は何かしら?」

「町の防衛、復興の支援。それらを含めてフルブライト商会と同盟を組んで貰いたい」

 その提案に、初めて複雑な表情を見せるウンディーネ。実際、このままボルカノと戦っても勝てる見込みは薄い。そしてなんとか勝利を掴んでも町としての機能は著しく低下する。そこでフルブライト商会を頼ればどうなるか。町の状態はよくなるだろうし、人々は安心して生活できる。

 しかしそこにはもはやウンディーネの影響力はない。ボルカノの露払いをして捨て石にされるなどゴメンだった。

「そうねぇ…」

 ほんの少しだけ困った顔をして時間を稼ぐウンディーネ。しかしその脳内では素早い計算が渦巻いている。狼狽を見せてはダメなのだ、それは相手が付け入る隙になる。

 それは交渉でも、戦闘でも変わらない。

「まず、術を教えるのは構わないわ。長い時間は無理だけど、ボルカノの脅威がなくなれば時間が取れない訳でもないし」

「つまり、ボルカノさえいなくなればいい、と」

「そうは言ってないわ。ボルカノがいなくなっても私がモウゼスからいなくなれば防衛力は低下する。ここで学ぶ分には多少の手解きはしてあげられるという事よ」

 つまり旅に連れ出すならば、フルブライト商会の影響力のツケを詩人が受け持てと言っている。そうでなければボルカノを追い出せば少しは教えなくもない、という事だ。

「バンガードに術師を派遣する件は?」

「ボルカノがどうにもならないと動きようがないわね」

「いっそ、モウゼスを捨ててバンガードに移住したらどうだ?」

 詩人の言葉にウンディーネの後ろにいる高弟が殺気立つが、ウンディーネ自身は笑みを崩さない。

 そしてさらりと切って捨てる。

「バンガードに行くメリットがないわね。

 最近、ロアーヌ候が人手を集めているらしいし、そっちも捨てがたいわ。ああ、ピドナで道場を開くのも悪くないわね。ルートヴィッヒは新しい戦力を悪くしないと思うわ」

「……承知したよ」

「納得して頂けたかしら?」

「ああ。バンガード市長よりも手強いと理解した」

「あら、私は普通よ。他が私より劣っているだけ」

 妖艶な笑みを浮かべて紅茶をすするウンディーネ。ふっ、と息を吐いた詩人はウンディーネを向いたまま連れの二人に話しかける。

「分かったか?」

「え?」

「なにが?」

「まだまだ青いな。未熟なのは仕方ないとはいえ、学ぶ姿勢は忘れるな。

 交渉でウンディーネ女史を丸め込めなかった、ってことさ。バンガード市長は丸め込めたけどな。この女傑なら、お前たちを教えるのに不足はないだろう」

 実際、フォルネウスに挑むのにバンガードとウンディーネは両方とも必要不可欠なものだ。それがフォルネウスとボルカノという外敵によって滅ぼされかけている。詩人としては手を貸さざるを得ない。

 しかし、ここで手を貸させて下さいと下手に出れば安く買い叩かれるのがオチなのだ。いかに相手から譲歩させるかが鍵となり、詩人はバンガード市長に対しては実質の同盟者であるフルブライトに、頼み込むような形にすることに成功した。あれでフルブライトから見た詩人の価値は一層上がっただろう。

 それがウンディーネ相手には通用しない。ボルカノと戦うのに、手を貸せ、力を貸せ。嫌なら詩人からもフルブライトからも遠ざかる。そう言っている。

 実際に自分の支配権であるモウゼスを手放す事はそうそうあり得ないだろうが、最悪の場合、自分は絶対に協力しないと言い切っているのだ。むしろ半端に力を持っているのに出し渋った輩として恨みを買いかねない。

 要するに、ウンディーネはつべこべ言わずに妥協しろ、と言っているのだ。

「は~」

 エクレアは感嘆の息を吐く。バンガード市長との話も聞いていたし、ウンディーネとの話も聞いていた。けれどもどちらが上かなど考えもしなかった。詩人はそこも勉強しろと言っている。

 エレンは注意を払っていたつもりだったが、それは詩人の話術で当然の事と思わされていたに過ぎないと、ようやく分かってしまった。冷静に考えれば、バンガード市長も詩人から更なる譲歩を引き出せたはずなのだ。それなのに、詩人の目的を忘れ、バンガードを守る事に執着してしまった為にかえって高い買い物をさせられてしまった。

 自分の目的を忘れない事も大事だが、相手の目的を強調して守りに入らせる技もある。そう、それは交渉でも戦闘でも変わらない。それを交渉で理解したならば戦闘で活かせ、という訳だ。

「さて」

 詩人がエレンとエクレアに軽い講義をし終わった後、格好を崩す。腹を割るという意思表示だ。

 それを見てウンディーネも微笑みを消す。お遊びはお終い、ここからは真剣勝負になる。

「前提条件を言おう。ボルカノは邪魔だ」

「そうね。ボルカノがいる限り、貴方は私の助力を一つも得る事が出来ない」

「けれどボルカノを倒したところでそちらは今まで通りの支配力は維持できない」

 詩人が調べたところによると、モウゼスの南半分に取り残された住民はボルカノの一味やモンスター共に奴隷のような扱いを受けていた。殺された者も少なくない。昔話でもあるまいし、ボルカノを追い出しました。めでたしめでたし。では済まない。遺恨は残るしウンディーネの指導力も疑問視されるだろう。

 実際、バンガード市長も一番の悩み所だった事実はある。そこを上手く処理できなかったからこそ詩人が買い叩く事ができた訳であるが、ウンディーネはそうはいかない。

「その子達の面倒は見るし、バンガードに術師も派遣するわ。その代わり、私の名代としてフルブライト商会の力を借り受ける。それでどう?」

 ウンディーネの名代として。これが何よりも重要なのだ。ウンディーネでなければフルブライト商会は動かせず、他の者では更に状況が悪くなる。その大義名分があればこそ、ウンディーネは影響力を落とす事なくモウゼスに君臨し続けられる。

 支配権はウンディーネにある。そこははっきりしなければならないところだ。そしてそれこそがバンガード市長が怠った事である。詩人の口車に乗せられて同盟者である事を認めてしまえば、バンガードとフルブライト商会は対等である。その後はその実力が物をいい、フォルネウスに攻められて半壊したバンガードとフルブライト商会ならば、バンガードの乗っ取りまでは難しくとも、多くの実権を握る事ができる。

 しかしモウゼスではそうはいかない、一番上がウンディーネとはっきりしているのだから。もちろん多少の影響力は得られるだろうが、大きく稼ぐ事はできないだろう。ウンディーネとして見れば利益を守ったともいえる。後はウンディーネとフルブライトの交渉次第であり、詩人の仕事は仲介だけ。もちろんそれだけでも大きな成果である事は確かなのだが。

「分かった。ボルカノを倒した後はそうしよう」

 しかしそれもウンディーネがボルカノに勝てばの話である。ウンディーネが負けたらモウゼスの実権も何もないのだから。

「力を貸してくれるのね?」

「奴はアウナスと組んでいる、アビスの力を借りた者に容赦するつもりはない」

「情報を抜いたとか? こちらは兵力を出すわ。有益な情報があったら欲しいわね」

「ああ。かなり美味しい話がある」

 詩人は小島での戦いで混乱している隙に抜き出した情報を提示する。

 まずは南側、ボルカノの支配している民間人の情報。先程言った通りに奴隷と扱いが変わらない。頂点にボルカノがいて、その下にボルカノ配下の高弟や弟子が好き勝手にやっている。更に自身の身内に危害を加えない条件でモンスター達も好き放題だ。その下でこき使われ、機嫌次第で殺される民間人はたまったものではないだろう。これが8割以上の人間がウンディーネについている大きな理由でもある。

 それでも今回の小島を取り返せたのは大きかった。これ以上ウンディーネが劣勢となれば、ウンディーネについていた側は皆殺しになりかねない。死か奴隷か。後者を選ぶものは少なくないだろう。ギリギリ一歩手前で態勢を立て直した事になる。

 更に詩人はボルカノ側の戦力も抜いてきた。流石に高弟の実力までは分からなかったが、その数は少数で2ケタはいないだろうとの事。更にその下の弟子やモンスター共ならば援軍として駆けつけたエレンとエクレアで対処できる事は証明している。

 それに雑魚モンスターを都合できるとはいえ、今日明日に何十と補充することは現実的には無理な話だ。小島での戦いで雑兵の半分は失っているとの見解がある。

 雑兵を捨て駒にウンディーネ側を削るという消耗戦は、エレンとエクレアが参戦しただけで無に帰してしまったと言っていいだろう。むしろこちらから攻めて雑兵を削り切り、勢いのまま敵を全て打ち取る策さえ現実味を帯びてきた。

「と、まあここまではボルカノも分かっているだろうな」

「ええ。相手が取れる選択肢は二つね。尻尾をまいて逃げ出すか、それとも――」

 ウンディーネは外套のポケットから一枚の手紙を取り出す。

「――全軍突撃か」

「果たし状か?」

「ええ、明日の正午に決戦を挑むとの内容よ。それまでに投降すれば命だけは助けてくれるって」

「勝てる自信があるんだろうなぁ」

 苦笑いを浮かべる詩人に、真面目な顔をするウンディーネ。

「それで、貴方たちも戦力として期待していいのかしら」

「もちろんだ。エレン、エクレア。明日で全部終わらせるぞ。早めに休んでおけ」

「うん!」

「分かったわ」

 今はもうすぐ日が暮れる頃。明日はすぐそこまで迫っていた。

 

 

「敵襲!!」

 怒声が響いたのは朝日が昇る前だった。ボルカノの軍勢が南から大量に押し寄せてくる。

 モンスターや術師が入り混じった、まさに総攻撃だった。

「ここまで予想通りだと逆に笑えるなぁ」

「当たり前すぎてむしろ白けるわよ」

 それを当然の如く高台から見やる詩人とウンディーネ、決戦は正午と言う言葉など全く信じていなかった二人。特にウンディーネは深夜から奇襲に備えて陣を敷いていた。

 早くに休んで日が昇る前に叩き起こされたエレンとエクレアは呆然としている。

「決戦は正午だって…」

「訳ねーよ。騎士の決闘じゃないんだ。口約束を破ったってペナルティーがある訳でもない。当然、奇襲一択だろ」

 詩人の言葉に空いた口が塞がらないエクレア。エレンも僅かに我を忘れていたが、すぐに疑問を口にする。

「じゃあ、こっちから仕掛けても良かったんじゃないの?」

「重要拠点である小島はお嬢さんたちのおかげで押さえられたからね。拠点防御の方が損害が少なくて済むのよ。見なさい」

 小島は出入口はそれぞれ数名しか入れないような狭さだ。そこに連携に長けたウンディーネの高弟を惜しみなく注ぎ込み、雑兵を薙ぎ払っている。

 その上で余力は残しており、疲労が溜まったら下がってモウゼスの私兵が時間を稼ぐ。こちらの損害はほとんどないにも関わらず、相手方の雑兵は多く倒れている。

「最初からこの方法でやればウンディーネお姉さんも主導権を握られずに済んだんじゃないの?」

「相手の雑兵は数日したら補充されちゃうから、決定打に欠けてジリ貧だったのよ。けれど今は貴方たちがいるしね。雑兵を気にせず戦えるのは嬉しいわ」

「…あたしたちはあの雑兵と戦わなくていいんですか?」

 エレンの言葉に表情を引き締めるウンディーネ。

「ボルカノと、その高弟。そして上級モンスターの実力が未知数なの。

 貴方たちと私、それから私の高弟選りすぐり5名は温存してるわ。今はこちらに被害がない事が最優先。徐々に後退させてるしね」

 ふと見れば、確かにボルカノ側は数を犠牲にした代償に、軍をジリジリと前進させている。ウンディーネ側は敵を削る代償に攻撃を避ける事も多く、陣地を奪われていた。

 それでもボルカノ側は前進をやめない。雑兵全部を使い潰してでも、その傷さえあればボルカノ自身とその側近でこちら側を全滅させる自信があるのだろう。

「このままだと正午くらいに小島で決戦かしらね?」

「…恐ろしい女だな。相手の冗談に自分の絵図面合わせやがった」

「せっかく素敵な果たし状を貰ったのですもの。ならべく沿わせて見せますわ」

 ひらひらと指で挟んだ果たし状を見せびらかしながら、ウンディーネはにこやかに笑ってみせた。

 状況を支配できる程にウンディーネには余裕がある。しかし、最後の戦いに負ければ全てが終わる。それを理解しつつ、ウンディーネはにこやかに笑い、詩人はフラットに戦況を眺めている。

 エレンとエクレアはとてもそんな気分になれず、来るべき決戦に神経を尖らせていた。

 

 そして正午になる。

 

 モウゼス中央にある小島には、ボルカノとウンディーネの最高戦力が並んでいた。

 ボルカノ側は最後の戦力でもある。ボルカノ自身と、その配下の高弟3人。そして大きな蛇型モンスター。それがドラゴンバンジーと呼ばれる高等モンスターである事に詩人は気が付く。

「あのモンスターは厄介だ。とりあえず俺に任せておけ」

 そう言って棍棒を握りしめる詩人。自分よりもウンディーネの方が采配は上手いと判断したのだろう。残りの指揮権はウンディーネに全て渡すつもりだった。

 ウンディーネ側の残りはウンディーネ自身と彼女の高弟5人。そして戦斧を持つエレンに、バスタードソードを握りしめるエクレア。あのモンスターの威圧は恐ろしいし、ボルカノも薄い笑みを張り付けて不気味だ。しかし数で有利な現状ならばそれを頼りに押しつぶすのが上策。

「お前たちは術師3人を相手取りなさい! 数を生かして戦えば欠員は出ないはずよ、時間をかけてもいいから確実に連携して仕留めなさい!!」

「はっ! ウンディーネ様、お任せを!!」

 リーダー格の玄武術師が返事をすると、素早くハンドサインを繰り出して連携して襲い掛かる。

 見れば詩人とドラゴンバンジーも戦いを始めていた。ウンディーネは詩人の戦いを初めて見るが、圧倒的の一言に尽きる。あの強大なモンスターを相手を完全に手玉に取っていた。ただ惜しむならば、ドラゴンバンジーのタフさだろう。そもそもサイズが全く違う。倒しきるまでにしばらく時間がかかりそうだ。

 3つに分けられた戦況のうち、2つは時間があれば倒しきれると判断する。ならばこそ、ボルカノの自信は彼に集約されるのだろう。ウンディーネは警戒のランクを更に一段上げる。

「エレン、エクレア。

 …強いわよ」

「「上等!!」」

 声を合わせて突っ込む二人。これは前もって決めていた作戦だった。とにかく相手の術はこちらの術で相殺、もしくは軽減する。そして術師が苦手とする接近戦に持ち込んで撃破。単純で、堅実で、隙の無い戦法。

 そのはずだった。

 ボルカノの背後から突如何かが飛び出し、エレンの振り上げた戦斧を逸らしてエクレアのバスタードソードを受け止める。

 その正体は、盾。禍々しい意匠を施された、漆黒の盾が宙に浮き、自律してボルカノの身を守っていた。

「くくく。はーははははは!

 その程度、その程度で俺に挑もうとしたのか!!」

 そう言いながら片手ずつで術を生み出すボルカノ。二つのエアスラッシュがエレンとエクレアを襲う。

「! スパーリングミスト!」

 咄嗟にウンディーネが護りの力が込められた霧を少女二人の周囲に発生させる。それでボルカノの術の威力は大きく軽減された。

「くぅ…!」

「熱っ!」

 それでも。軽減された上で、その刃に込められた熱で二人にダメージを与える。

 攻撃が回避され、いったん距離をとる二人。僅かなダメージも支障をきたすと考えたウンディーネは即座に回復の術を発動させる。

「生命の水!」

 癒しの水分が少女たちに降り注ぎ、たちまち火傷を治していった。そして即座に術を構築。高圧に圧縮した水を帯電させたものを10程作り出し、ボルカノに向かって発射する。

「サンダークラップ!」

 降り注ぐ帯電する水球はしかし、宙に浮く盾に全て阻まれボルカノには届かない。

 そこでようやく理解して歯噛みするウンディーネ。あの盾こそがボルカノの絶対の自信。そしてその正体にもおおよそ見当がついてしまう。

「魔王の…盾!」

「流石に貴様は知っていたか、ウンディーネ。そう、このモウゼスに封印されていた魔王遺物の一つ、魔王の盾だよ」

 ニヤニヤと笑いながらそれを口にするボルカノ。ウンディーネは、こんな悪魔の武具を持ちだしてくると想像しなかった自分の甘さに歯噛みした。正真正銘、この男はアビスに魂を売ったのだ。

 それを知らないエレンが何かを問う。

「ウンディーネさん、魔王の盾って?」

「この小島に井戸があるでしょう?」

 ウンディーネの言葉にチラと脇を見ればそこには確かに井戸がある。しかしそれはどこか禍々しい。

「あれは死者の井戸。四魔貴族が世界を支配していた数百年前、あそこに病人や老人を生きたまま投げ込んで生贄にしていたの。その怨霊に満足した呪われた魔王遺物、魔王の盾をそこに留める為に。

 そしてその怨霊が表に出ないように封印し続けていたのがモウゼスの術師の役目。封印を解くにも相当の技量が必要なのだけど――」

「当然、俺にかかれば封印なぞ簡単に解けたわ」

「でも! 魔王の盾は呪われた防具よ! 使用者に魔力と護りを授ける代わりに意識を奪われてしまう!!」

「意識を奪われる? 違うな、意識は差し出したのだよ」

 ボルカノは手を使うまでもなく、十数ものエアスラッシュを作り出し自分の周囲に待機させる。見れば魔王の盾の側にもそれと同じ現象が起きている。

「もはや魔王の盾と俺は一心同体! そして魔王の盾を破壊する事など誰にもできん!

 モンスターや部下など、この井戸に辿りつくまでの捨て石に過ぎないのだよ! これを手に入れた俺はアウナスと並び立つ権利を得た! 世界を掌握する権利を得たのだ!!」

 その瞳にもはや正気は感じられない。アビスに魅入られるという事を目の当たりにした女性三人は揃って背筋を凍らせた。

 だが、このまま座しても死ぬだけだ。頭を高速で回転させ、答えを出したのはエレン。

「ウンディーネさんは後ろからフォローをお願いします。あたしは正面から魔王の盾に攻め込んで防御を手薄にするわ。

 その隙をついて、エクレア。ボルカノをお願い」

 返事は聞かない。今はボルカノが慢心しているからこその隙であって、自分たちが生み出した隙ではないのだ。一刻の猶予もない。

 エレンは魔王の盾に向かって突進し、その直前で止まる。その運動エネルギーを戦斧に伝え、強烈な一撃をお見舞いする。斧技の一つ、アクセルターン。

 そのまま回転の勢いを利用し、回し蹴りを叩き込んで地面に押さえつける。そして地面に押し付けた魔王の盾に向かって戦斧と拳で乱打する。

 それでも魔王の盾は傷一つ付かない。それどころか魔王の盾から生み出されるエアスラッシュでエレンの体は切り裂かれ焼かれ爛れていく。

「ァァァァァァァァァァァーーーーーー!!!!!!」

 エレンは止まらない。今、魔王の盾を押さえつけている僅かな時間が値千金になると信じて魔王の盾を封じ込める。

「生命の水! 生命の水! 生命の水! 生命の水!」

 そんなエレンを必死になって癒すウンディーネは、全力をもってエレンを癒し続ける。それが治しては切られ焼かれる地獄を生み出していると知りながら、彼女の命を紡ぐにはそれしかないのだ。

 エレンが決死の覚悟で魔王の盾を封じた僅かな時間。エクレアは薄ら笑いを浮かべるボルカノに突撃する。

「そのふざけた笑い、叩き壊してやるわ!」

「ははははは。面白い、やってみるがいい」

 バスタードソードを振りかざし、勢いをつけて叩きつける。ただしその先はボルカノではない。その前にあった地面が目標であり、スマッシュは激しい地煙をあげて視界を遮断した。

 そしてエクレアは両手を自由にすると、その拳を硬く握りしめる。エレンに教わった技である短勁だ。限りなく距離は近く、そして相手は術師。視界は悪く回避もロクにできない。その状態で渾身の一撃を連続で放とうと一瞬のためを作る。

 それがエクレアの敗因となった。

「バードソング」

 甲高い奇妙な音が響く。その余りの不快さに、一瞬だけエクレアの体が硬直してしまった。

 そしてその一瞬で僅かに地煙が晴れ、エクレアの影がボルカノに捉えられてしまう。正面から変わらずに突撃しようとするエクレアに、ボルカノは連続して術を放つ。

「ファイアウォール」

 ボルカノとエクレアの間に炎の壁ができる。

 まさかこの壁を直接殴る訳にもいかず、エクレアは素早くシルバーフルーレを取り出す。だがそれも遅い、遅すぎる。

 炎の壁はエクレアに倒れ込むように襲い掛かり、その体を焼いていく。

「きゃあああああぁぁぁぁぁ!!!!」

 とっさに地面に突き刺さったバスタードソードに手をかけ、迫りくる炎の壁を振り払えたのは僥倖だろう。僅かにダメージを軽減し、即死だけは免れる。

 だがしかしエクレアはもうそこから動く体力はない。焼けてボロボロの衣服が体に張り付き、その肌は無残にも焼け焦げている。

 それを見て愉悦に顔を歪ませるボルカノ。大きく右手をあげ、術力を高めて高威力のエアスラッシュを作り出す。その狙いはエクレアの首。焼き切り落とすために作り出されたそれは確実に彼女の命を絶つだろう。

「ウォーターポール!」

 エレンの回復を無視してでもエクレアのフォローに回るウンディーネ。防御の水柱がエクレアに周囲に巻き起こる。しかし彼女自身が二番目に分かっていた、エクレアを包む水柱ではボルカノの一撃を防ぐ事はできないだろうと。

 それを一番理解しているボルカノの笑みは一層濃くなった。絶望にあがくその光景が楽しくて仕方ないと言わんばかりに。

 そしてその右腕が振り下ろされる。

「エアスラッシュ!」

「エアロビート!」

 しかし攻撃はエクレアには届かない。直前に割り込んだ人物がボルカノの術に対抗するように空気の断層を作り出し、受け止める。

 まさか自分の攻撃が止められるとは思わなかったボルカノに隙が出来た。それを見逃さず、攻撃を受け止めた男――詩人はエクレアを抱えて最高速で背後に下がる。そしてサイドステップで魔王の盾を止めていたエレンの側までいくと、持っていた棍棒を捨ててボロボロのエレンも回収してウンディーネの元まで舞い戻った。

「ふむ」

 間が空く。その間にボルカノは戦況を理解する。

 まず最重要の魔王の盾は自由になり、自分の近くを浮遊する。

 配下の術師3人はウンディーネの高弟に倒されたようだが、まあそれはどうでもいい。奴らを消耗させただけで十分だ。あの程度ならば自分の敵にはならない。ウンディーネも術を酷使し過ぎて回復にはしばらく時間がかかるだろう。

 そして最大のモンスターであるドラゴンバンジーは息絶えていた。あの短時間で強大な生命力と攻撃力を持つドラゴンバンジーを仕留める詩人こそが最大の敵だと判断する。

「よくやった。俺がボルカノをやるべきだったな、すまない」

「し、詩人、さん…。

 ごめん、なさい。負け、ちゃった」

「あたしも、甘かっ、た」

 息も絶え絶えの二人を痛ましく見る詩人だが、すぐに術を発動させる。

「ムーンシャイン」

 月術の回復術である。詩人の唱えたそれはみるみるうちにエレンとエクレアを癒し、致命傷から回復させる。だが、まだ戦闘に参加させるのは無理だろう。

「魔王の盾…! あそこまで強力だとは思わなかった…!」

 悔しさに食いしばるウンディーネだが、現状は変わらない。実質戦えるのは詩人一人。そして一人では魔王の盾は突破できない。詰みだった。

「引く、わよ」

 続けて自身の高弟に足止めを命じようとしたウンディーネ。だが、それは気楽な詩人の言葉に遮られてしまう。

「冗談。ここまできて引けるかよ」

「…引くしかないわ。ボルカノじゃない、魔王の盾には勝てないのよ」

「ああ。俺が剣を使わなければ、な」

 その言葉に。エクレアは目を輝かせ、エレンは驚きの表情をし、ウンディーネは呆れた嘆息を出し、ボルカノは不快気に顔を歪める。

「その剣でこの魔王の盾を斬れると?」

「たまには使わないと腕が錆びる。ちょっと切られてくれればそれでいい」

 詩人が剣の柄に手を添える。

 ズン、と。空気が一気に重くなった。ただ、詩人が剣の柄に手を添えただけで。

「詩人さんの、剣…!」

「……見せてもらうわよ」

 エクレアは純粋に好奇心旺盛な表情をするが、エレンは今一つ信じられない。あの魔王の盾を突破するビジョンが全く浮かばないのだ。だがそれでも、あの詩人が勝てるというのだ。期待感もある。

 その異常な雰囲気に、ウンディーネは言葉が止まり、ボルカノは警戒を持って対峙する。魔王の盾は詩人とボルカノの間で浮いていた。二人の間は剣を振るうには遠く、詩人はボルカノにさらなる接近をしなくてはならない。そんな距離だが、間には魔王の盾がある。

 威圧は確かに言うだけ存在する。だがそれでも魔王の盾には敵わない。術師二人の見解は共通していた。

 

 そのまま時間が流れる。

 

 動いたのはボルカノ。体を前にのめらせる。

 詩人は動かない。剣の柄に手を添えたままだ。

 ボルカノは更に動く。体を前に、前に。

 そのまま、どんと音を立ててボルカノは地に伏した。

「え」

 それは誰の声だったか。エクレアはエレンを見て首を振る。

 エレンは詩人を見て目を見開いている。

 ウンディーネはぽかんと口を開けていた。

「え?」

 じわじわとボルカノが伏した地面に血が広がっていく。彼が動く気配は、全くない。

 そこでようやく詩人は構えを解いた。

 

 不抜(ぬかず)太刀(たち)

 

 カツンと、魔王の盾が地面に落ちる。

 動くものは何もなかった。

 これがモウゼスの戦いの、その終着だった。

 

 

 




Q.詩人って本当に強いんですか? 剣を使ったらどのくらい強いんですか?
A.このくらい。


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021話

ロタウィルスに罹りました。
とても辛いです。次回更新は日があくかも知れません。


 

 モウゼスの内乱は終わり、ウンディーネの勝利で幕を下ろした。

 しかし為政者としてはここからも気を抜くことはできない。傷つけられた町や人への対応、防衛力低下の対処。そして相手方から奪った戦利品の整理などがそれにあたる。

 町や人への対応は、特別な事はなかった。死んだ者への弔い。傷ついた者のケア。壊れた町の修理。受ける者がそれに満足するかは別問題だが、やり方はある程度マニュアル化されているために、それほど特筆するべきことはない。

 防衛力の低下についてはフルブライト商会に助力を求める事が決定している。ウンディーネとしては業腹だが、ある程度の融通を利かせる事を条件にするつもりだ。具体的には彼女が高弟を何人か派遣して、フルブライトの私兵に術を教える事などがあげられる。武力の元となる術や技の譲渡はかなり大きな取引材料として扱われるので、フルブライトとしても悪い気はしないと予想される。

 そして相手から奪った戦利品だが、元々モウゼスだった都市に攻め入られた事もあり、金銭的な利益はほとんど期待できない。もちろんボルカノが個人的に持っていた財産などは摂取するが、荒らされた町の復興資金を考えるとむしろマイナスになるだろう。それとは別に、ボルカノが所有している研究書や術具の精製方法などは、術のエキスパートを自負しているウンディーネをして百万オーラムに勝る宝だと言わざるを得ない。

 ウンディーネは術師の連携や技術の継承を主に研究していたのに対し、ボルカノは誰でも使える術具の研究などを専門としていたようで、畑違いでありながらウンディーネに匹敵する術師であっただろうボルカノの研究成果を全て吸収できたことは、これからのモウゼスやウンディーネにとって大きなプラスになるだろう。

 そのような仕事の合間を縫ってでも、ウンディーネは詩人やエレン、エクレアと会う時間をとる事は忘れなかった。

 

「今のモウゼスの現状はだいたいこんなところね。まだ防衛力に不安があるからモウゼスから離れられないけど、フルブライト商会の戦力が来たら約束通り、貴方たちの旅に付き合えると思うわ。少しだけだけどね」

「十分だ。恩に着る」

 ウンディーネの館にある応接室。そこで彼や彼女等はお茶の時間を楽しんでいた。さくさくさくとお菓子を頬張るエクレアに微笑みを向けながらウンディーネは話を続ける。

「その目的はお嬢さん二人に術を教えることでしたっけ? 貴方が教えればいいのに」

「術はそんなに得意じゃないんだよ。教えるならその道のプロがいい」

「あれほど見事な術を使っておいて?」

 ウンディーネの探るような言葉に首を傾げるエレンとエクレア。そして詩人は驚いた表情でウンディーネを見返していた。

「まさか…一目で気が付いたのか?」

「なんとなくですけど。その反応を見れば、やはりそうなの?」

「…半分正解だよ」

 まいったとばかりに両手をあげる詩人にしてやったりと笑うウンディーネ。

 それがよく分からないのは、当然エレンとエクレアだ。

「詩人さん、どういう事?」

「ボルカノを仕留めた不抜(ぬかず)太刀(たち)、あっただろ」

「うん」

「あれ、半分は術なんだ」

 その言葉にポカンとした顔をするエレンとエクレア。ウンディーネは一つの言葉に違和感を覚える。

「半分ですの?」

「ああ、半分だ。剣技と月術の合成技が不抜(ぬかず)太刀(たち)なんだよ」

 

 まずは剣で切るイメージを強く固定する。それには何百何千と剣を振るい、その太刀筋や切り傷などを脳裏に焼き付ける程の鍛錬が必要になるが。

 それでももちろんイメージだけで敵が切れれば苦労はない。そこで月術の虚の属性を組み合わせる。イメージという虚の概念に月術の虚の属性が合わさると、それは現実となって世界に現れる。

 使う術力は大きいし、そう連発できる技でもない。事前に固めるイメージだけでも大変であるため、乱戦でも使いにくい。その代わり、発動すれば防御無視の斬撃が与えられる。大型のモンスターならばともかく、対人サイズの敵への攻撃方法としては即死技に近い。

 二の太刀要らずならぬ、初の太刀要らず。それを求めた結果、生まれた技が不抜(ぬかず)太刀(たち)

 

「術だけで構成されたものかと思いましたのに」

「基本は術なのはそうなんだけどな。剣のレベルが高くないとイメージが固定されずに威力が増えないんだ。そういった意味で剣技と月術の合成なんだよ」

 高度な会話をする二人にエレンとエクレアはポカンとした顔しかできない。

「っていうか詩人。それ、あたしたちに教えちゃっていいの?」

「あまり良くはないが、このぐらいは教えないとフォルネウスとは勝負にもならん。術はウンディーネに教わるし、こういった技術がある事を先に知ってもいいだろう。

 特にエクレアは約束した通り、きっちり鍛えてやらないといけないからな」

 首をすくめて答える詩人。

 彼がふとエクレアを見ると、爛々と目を輝かせていた。どうやら術もようやくやる気になったらしい。これだけでも技の一つを晒した価値はある。

 彼の引き出しはこの程度ではないし、そもそも原理を聞いただけで覚えられる技でも対処できる技でもないからだ。詩人はわざと説明をしなかったが、彼が事前にイメージを固める時間はコンマ一秒をきる。慣れたとしても数秒か十数秒はかかる時間が詩人にとってはそれである。技の予備動作など、詩人にとっては無いに等しいのだ。

 これで自分の技に対応できるものならしてみろという自信が彼にはあった。

 が、これだけは言っておかなくてはならない。

「もちろん他言は無用だぞ。下手に話そうものなら当然――」

 剣をちらつかせる詩人。情報が広がる事は本意ではないのだ。もし敵に情報が渡り、自分の正体に感づかれてしまっては手間が増えるどころの騒ぎではなくなってしまう。

 その威圧に体を震わせるウンディーネ。強張らせるエレン。エクレアだけはのほほんとしているが。

「だいじょーぶ! 私は詩人さんを裏切ったりしないよ!」

「……そうか」

 その言葉に体を弛緩させる詩人。

「そうだといいな」

「と~ぜんじゃん!」

 万感の思いを込めて言った言葉は満面の笑みで肯定された。

 話が一段落したところでウンディーネは咳払いをして話をかえる。

「それで、モウゼスの小康状態になりまして、私も少し時間がとれるようになりましたの。お嬢さん二人の術の指導、少しずつ始められるけど、よろしくて?」

 その言葉に力強く頷くエレンとエクレア。

 それを予想していたのだろう、ウンディーネは3つの小さな水晶玉を取り出す。

「じゃあまずは基本から始めましょう。術には人が生まれつき持つ魔力と、地術四種の中から適応一種、天術二種の中から適応一種が基本となるわ」

「あれ? 詩人って前に地術の適性はないけど天術は両方の適性があるって言ってなかったっけ?」

 エレンが思わず口に出した。

 余計な事を思い出しやがってと心の中で思う詩人。驚きの表情を浮かべるウンディーネ。

「それ、本当かしら?」

「あ~…まあ、な」

「聞いた事ないわね、興味深いわ。貴方、何か知っていることあるのかしら?」

「無いと言えば嘘になるが…まあ、俺が特に変なだけだ。恐らく、同じような奴は滅多にいないから無視していいレベルだな」

「ふーん、そう…」

 納得がいかない表情をしているが、これ以上聞いても無駄だと理解したのだろう。

 ウンディーネは話をいったん横に置き、取り出した水晶玉の一つを握る。

「これは魔力を計るものなの。もう一つは地術の適応を、もう一つは天術の適応を」

 握った水晶玉に魔力を込めると、水晶玉が輝きだす。眩しいと思えるくらいに輝いたそれを見せながらウンディーネは話を続ける。

「魔力が多い程、水晶玉は強く輝くわ。私より明度が高い水晶玉は見たことがないけどね。

 …貴方もやってみる?」

 そう言って水晶玉を詩人に渡すウンディーネ。受け取りながら詩人は答える。

「これだけな。他二つはやらないぞ」

 そう言って水晶玉を握り込み、魔力を込める詩人。水晶玉は薄ぼんやりとした光を放っていた。

 無言で今度はエクレアに渡す詩人。同じように魔力を込めると、今度はやや明るいくらいの光を出す。

 最後にエレンが水晶玉を握り込む。

 …変わらない。言われてみれば、ほんの少し光っていなくもないかなというレベルだ。

「あの、ウンディーネさん。これは…」

「魔力がほとんどないタイプね。稀にいるわ」

 それはエレン自身でも自覚していたとはいえ、こう客観的に表されると結構凹む。

 それを見ながらじっと考え込むウンディーネは、やや強い視線で詩人を見る。

「この子たちに術を教える事が条件だったわね。普通の方法ではエレンお嬢ちゃんに術を教える事は不可能に近いのだけど、無理をすればなんとかなるわ。

 その代償は払って頂けるかしら?」

「…確か、ボルカノを倒す担当を決めたのはそちらだったな。それを俺が倒した事でチャラにしてくれないか?」

 言葉につまるウンディーネ。担当云々はいくらでも誤魔化しは効くが、魔王の盾を携えたボルカノを詩人以外が倒せたとは思いにくい。

 モウゼスと、自分の地位と。その両方を守ってくれたと考えれば、それでチャラにしてくれるというなら破格か。

 ため息を一つ吐きながら、ウンディーネは不思議な宝石をあしらった装飾品を取り出す。その宝石は二重になっているようで、瞳のような印象を抱かせるものだった。

「魔女の瞳と呼ばれるアクセサリーよ。魔力を一定底上げする力と、術や呪いに対する抵抗力を上げる効果があるわ」

「は~。キレイな宝石ね。私、見た事ないや」

「これ、貴重なものなんですか?」

「凄くね。モウゼスの総力を集めて、まだ3つしか集まっていないものなの」

 その言葉にエレンの表情が引きつった。モウゼスは中規模以上の都市である。世界で10に入る国や大商会の、その次か更に次くらいにはパワーがあるだろう。

 そのモウゼスが、3つしか集められないレベルの貴重品。エレンの出身であるシノンの村なら、この宝石一つで権利を買い取れそうな代物である。

 そんなとんでもない宝石をさらりとエレンに渡すウンディーネ。

「これを身につけておけば、並の術師くらいの魔力は手に入るわ。ただし、エレンお嬢ちゃんに才能がない事が変わりないから、術は二種類選ぶんじゃなくて、一つだけを集中して鍛えなさい。

 それに最初の才能がないから適性も考える必要はないわ。自分にあうと思う属性一つを選べばそれでいいわ」

「玄武術を選びます」

 即答だった。余りの迷いのなさに、ウンディーネは反応が遅れてしまう。

「…随分決めるのが早かったけれど、玄武術でいいのね?」

「はい。どれでもいいのなら、ウンディーネさんに教わる以上、ウンディーネさんの得意な術が一番だと思います。

 私は術を極めたいんじゃないです。術を使って強くなりたいんです」

「そう。まあ、そういう弟子も面白いからいいわ、やってみましょう。術の真髄を極めるのでなく、術を効率的に使って戦いが強くなるタイプを作る。新しい試みね。

 話を戻すけど、エクレアお嬢ちゃんは並よりは強いくらいの魔力を持っているわね。術師としてもそれなりに強くなれると思うけど…武術の才もありそうだし、オールラウンダータイプね。とりあえず、術の適応を見てみようかしら」

 ウンディーネは一つ目の水晶玉をしまうと二つ目の水晶玉を取り出す。

「これは地術の適性をみる為の水晶玉。玄武なら青、白虎なら茶、蒼龍なら緑、朱鳥なら赤に輝くわ」

 そう言ってまたウンディーネが魔力をこめると、当然の如く青く輝く水晶玉。

 それを今度はエクレアに渡すウンディーネ。エクレアも同じように魔力をこめたら、今度は緑に色が変わった。

「エクレアお嬢ちゃんの地術適応は蒼龍ね。

 最後の水晶玉は天術の適応を見るわ。明るく輝いたら太陽術、暗く輝いたら月術の適性よ」

 ウンディーネが魔力を送り込むと暗く輝く。月術の適性があるのだろう。

 続いてエクレアが魔力を送り込んだら明るく輝いた。太陽術の適性だ。

「これでそれぞれが目指す方向性は見えたわね。後は私が手解きをしてあげるわよ」

「よろしくお願いしますっ!」

「はいっ! 頑張ります!」

 そこでコンコンと応接室の扉がノックされた。

「申し訳ございません、ウンディーネさま。そろそろ執務のお時間が迫っていますが…」

「あら、もうそんな時間なのね。それじゃあ今日はここまで。次回から術の基礎から教えましょう」

 ウンディーネのその言葉で、ひとまずその日の術の話はお終いになった。

 

 夜。モウゼスの中でも一際高級な宿。そこに詩人たちは部屋を借りていた。

 もちろん代金はウンディーネ持ちである。ウンディーネの館は仕事が夜でもひっきりなしに入ってくるため、客が休まる余裕がない。そこで別の宿を手配した次第だ。

 詩人は一人部屋だが、エレンとエクレアは二人部屋。これはエクレアが一人だと寂しいと駄々をこねたことが原因である。

 夕食の後、一人食後の茶を楽しんでいた詩人。その部屋にコンコンとノックがされた。

「開いてるぞ」

「やっ」

 来たのはエレン。酒を持って気安い様子で部屋に入り、詩人と向かい合わせで座る。

「そういえば差しで飲んだことないと思ってね。一杯どう?」

「俺は構わないが…エクレアは?」

「もう寝たわよ。術を覚えるのが楽しみだって騒いでたから疲れたんでしょ。あれを見ると、まだまだ子供ね」

 あれだけ強いのに。小さくそうこぼして、グラスに酒を注ぐエレン。

「じゃあ、乾杯」

「ああ、乾杯」

 クスリと小さく笑って酒を煽るエレン。

 無表情に酒を口に含む詩人。

 一息ついた後、おもむろに本題を話始めるエレン。

「詩人、結構隠し事多いわよね」

「そうか?」

「そうよ。術の適性もそうだし…あなたの剣技、尋常じゃないことくらい、あたしでも分かったわ」

 不抜(ぬかず)太刀(たち)を見た時は戦慄した。あれほどの技が存在するのかと。

 それでなくても詩人は隠し事というか、不審な点が多い。例えば。

「バンガードでフォルネウスとの戦い、詩人なら勝てたんじゃない? あたしたちを避難させた後でも深手を負ったフォルネウスと、無傷の詩人なら勝ち目は十分にあったように思うわ。

 特に、剣技があそこまで優れている貴方なら」

「まあ、勝てた可能性はあるな」

 あっさりと認める詩人。だが、と話を続ける。

「あくまで可能性だ。勝てると決まった訳じゃない。なら、逃げる敵を無理に追う必要はないと思っただけさ」

「あたしはそうは思わない」

 エレンは詩人の言葉を切って捨てる。

「フォルネウスは逃げるつもりだった。バンガードやあたしやエクレアにその余力はなかったけど、詩人にはあった。

 あの状況で追い打ちをしない理由はないと思う」

「…ハッ。少しは頭が回るようになったか。鍛えたかいがあったか?」

 酷薄な笑みを浮かべて詩人は言う。

 今まで被っていた皮の一枚を脱ぎ捨てた。エレンはそう感じ取った。

「…詩人、目的はなに? 四魔貴族を倒せる程の実力を持った貴方の目的は、なに?」

「言っただろう。宿命の子を探すことだ」

「宿命の子を探して、どうするの?」

 ぐいと酒を呷る詩人。そして、言う。

「復讐だ」

 その言葉に、ゴクリと唾を飲み込むエレン。もしかしたら詩人が敵に回るかも知れない。その想像に思わず寒気がした。

「…復讐? 宿命の子に?」

「いや。宿命の子に今は何の恨みもない。だが、宿命の子が鍵なんだ。

 宿命の子を見つける事が、復讐の第一歩になる。だからゲートを俺が閉じても意味はないのさ。ゲートを閉じようとするか、開こうとするかをする宿命の子を見つけ出すのが俺の目標だ」

「その、復讐相手は?」

「さあね? 案外、宿命の子自身が復讐相手だったりしてな」

 事情を知る者からすると、この軽口は明らかな失策だった。エレンの口から宿命の子が誰だかを知る機会は、限りなく薄くなったといっていい。

 黙ったエレンに対し、今度は詩人から問い掛ける。

「そっちこそ、なんで四魔貴族を倒してゲートを閉じようなんて酔狂な真似をしようとする?

 それこそ宿命の子か、大国や大商会に任せておけばいいじゃないか」

「そもそも宿命の子がゲートを閉じようとするか分からないじゃない。ゲートを開けようとするかも知れないし」

 それにと、グラスを傾けながらエレンは続ける。

「宿命の子だからゲートに関わらなければいけないの? 宿命の子じゃないとゲートに関わっちゃいけないの?」

 それに詩人は反論する言葉を持たない。

 宿命の子はゲートに干渉する力を持っている事は確かだが、しかしだからといって宿命の子がゲートに関わらなければいけない理屈はない。

「あたしは、あたしがゲートを閉じようと思った。それのどこが悪いの?」

「悪くはないさ」

 悪くはない。だが、それ以上の何かが理由でエレンがゲートを閉じようとしている気がしてならない。

 功名心では、ないだろう。そういったタイプには見えない。義侠心、これはあるかもしれない。詩人がここまで探して宿命の子の情報が手に入らないのだ。宿命の子は積極的に動いていないのかもしれない。

 それでも誰かはやらなくてはならないのならば、自分がやる。そういった理屈なら納得もできる。

 だが、何かが違うと詩人は自分の勘が違和感を訴えていることに気が付いていた。だが、何が違うのかはよく分からない。

「最後に一つだけお願いがあるわ」

 その勘が答えを出す前に、エレンから言葉が出る。

「エクレアを裏切らないで。

 あの子は純粋よ。心からあたしと、それから詩人も慕ってる」

 ウンディーネの館にて、詩人が不抜(ぬかず)太刀(たち)についての口留めをした時。

 ウンディーネは明らかに恐れを抱いていた。エレンも思わず体が硬直してしまった事は事実である。しかしエクレアは、エクレアだけは詩人を心から信じて敵に回る事も、敵になる事もないと信じ切っていた。

 そんなエクレアを裏切って欲しくはなかった。エクレアのためにも、そして詩人自身のためにも。

「お願いよ」

「…約束はできない。けれど、人の信頼を裏切りたいとは思わない」

 そう言って酒を飲み干す詩人。

「エクレア自身が裏切らない限り、そして俺の目的の障害にならない限り、エクレアは俺の敵にはならないだろうさ」

「そう。詩人には復讐が一番大事なのね。

 …復讐よりも大事な事を見つけられる事を願っているわ」

 そのエレンの言葉に、思わず虚を突かれた詩人。その間にエレンは酒を飲み干して、詩人の部屋から出ていってしまった。

「復讐よりも大事な事、か」

 それは復讐が終わってみないと分からない。あの裏切りによって、詩人は全てを、大事な仲間をもなくしてしまったのだから。

「だがそれも、もうすぐ終わる。

 もう少し、もう少しなんだ…」

 昏い瞳で詩人は呟く。彼が解き放たれる日は、遠い。そう感じさせる瞳だった。

 

 

 死者の井戸。

 ボルカノ側についた者たちは、全てこの井戸に投げ捨てられた。それはもちろんボルカノ自身も例外ではない。

 冷たい井戸の底で蠢くのは亡者のみ。そして魔王の盾も改めてこの井戸に封印されていた。

 今後しばらく、いやしばらく以上の時間は停滞したままだろうと思われていた場所で、突如として炎が舞い上がる。それはこの内乱の原因となった男、ボルカノを包んで燃え上がった。

 そしてその炎が治まる時、一人の男が無傷で立っていた。

「ふう。保険をかけておいて正解だったか…」

 ボルカノである。彼は無いとは思いつつ、保険をかけていたのだ。朱鳥術の奥義、リヴァイヴァ。自身の生命力をも使い、死に落ちても舞い戻るその術はさながらフェニックスのようでもあった。この男にそのような神々しさは微塵も存在しなかったが。

「さて」

 ボルカノは封印された魔王の盾を見る。繋がりは、ある。魔王の盾は今もまだ自分を主人(はんしん)と認めている証拠だった。

 ならば、魔王の盾にとってウンディーネ如きの封印など意味はない。動かないはずの魔王の盾は浮遊し、ボルカノの側へと寄り添う。

 そして考える。どうやってか分からないが、一瞬にて殺された。あの詩人は危険だ。魔王の盾があるからと楽観していい相手でない事は理解した。このままモウゼスに再侵攻する事は愚かな事だろう。

(幸い、目的の物は手に入れたし、な)

 浮遊する魔王の盾を見ながらそう思う。

 まずは体勢を立て直す事。アウナスに一度繋ぎをとってもいいだろう。そう考えると、ボルカノは死者の井戸から這い出して、誰にも気づかれる事なくモウゼスから姿を消した。

 

 

 




不抜(ぬかず)太刀(たち)

閃き条件:月術レベル20以上
閃き難易度:A
消費ポイント:術6
依存:剣技・魔力
威力は低めで遠距離対応。剣術レベルがあがると全体攻撃になる。
術扱いなので、閃き技だが術に枠がないと閃かない。


ボルカノ、生きていました。リヴァイヴァって便利な術ですよね。
アウナスの戦力増強です。


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022話

 

 

 

「う~み~だ~!!」

 彼女の紅髪に似合った、真っ赤な水着を身に着けて海に突撃するエクレア。大人と子供の間である年頃の彼女は、その身を晒し過ぎないシンプルで単色のワンピースタイプである水着を身に着けている。大人な雰囲気を漂わせながらその行動の幼さから、声をかける大人の男は少ないだろう。同年代でないと声はかけにくい。

 そしてそういった年代の男、というか人間はこの町には数少ない。グレートアーチというこの町は、数少ない観光として成功した町なのだ。一般的には公開されていない特殊な技法で、狭いながらも一定範囲の海のモンスターを完全排除する事に成功し、常夏という気候で浜辺という場所を娯楽に変えてしまった、ある意味での人間の極致を表していると云える。人はどこまでも、好きなように生きていけるのだと。

 その代わりに支払う金は高い。例えばピドナからグレートアーチへの渡航料は、1グループ6人までで1000オーラム。破格と言っていい入国税がかかるのだ。それだけではなく、食事やサービス、宿なども高倍率の税がかけられている。それが支払える者のみが楽しむことができる贅沢、と言い換えてもいい。それもある意味、人間を表していると云えるだろう。

 浜辺を走るエクレアの後ろをゆったりと歩く美女が一人。ここから比較的近い町の為政者であるウンディーネだ。彼女は大人の余裕と色気を漂わせながら歩き、パラソルの下の影にあるチェアーに座る。そして合図をして、控えさせていたウエイターを呼んで飲み物を運ばせる。海に入って楽しむのではなく、この常夏の風景と日差し、そして空気を楽しむのだろう。

 ウンディーネが身に着けている水着の色は黒。タイプはワンピースだが、ところどころファッショナブルな切れ込みが入っており、露出度や妖しさをいうならエクレアとは全く比較にならない。腰にはアクセントのように水色のパレオをつけており、その奥をちらつかせるように隠している。

 浴びせかける男の視線をむしろ楽しみつつ、ウンディーネはフルーツがふんだんに使われたトロピカルジュースを口に運んだ。その動作ですらなまめかしく、悩ましい。

「あ、あの。ウンディーネさん」

「あら。エレンお嬢ちゃんはまだそんな物で体を隠していたの?」

 ウンディーネの後ろを地味についてきた真っ白な女、もといエレン。彼女は白いバスローブで体を隠していたのだ。その表情は羞恥で真っ赤である。

 こんなリゾート地に来た事などないエレンは水着の選び方など全く分からない。どの水着がいいか混乱していたところ、ウンディーネが優しく手助けをして水着を選んだのだ。選んだのだが、ウンディーネのセンスは見ての通りである。蠱惑的であり、異性の感情というものを理解した上で逆撫でする。

 そのセンスで選ばれた水着を、男慣れしていない田舎育ちの美女に着せると、こういった結果になった。恥ずかしがってバスローブを取ろうとしない。

 それすらも楽しみながらウンディーネは笑って話しかける。

「風、気持ちいいわよ。こんな機会滅多にないんだから楽しみなさいな」

「う~。分かりましたよ」

 バスローブを脱ぐエレン。その水着の色は意外にもピンクで快活なエレンには似合わないように見える。だが、この瞬間のエレンは恥ずかしがっており、普段よりも随分大人しい。その雰囲気とピンクという色は確かにマッチしていた。

 そして水着の型はビキニであり、健康的な白いお腹も晒される。上は胸の周りをやや太めに隠し、小さな紐が何本か飛び出して肩をまたぎ、その布を繋ぎ止めている。下は普通だがエレン自身が隠すように内股になっているので、視覚的には布の面積が大分少なく見えてしまう。

 計算通りの美術品にウンディーネは満足そうに微笑む。自分も美女だと理解しているウンディーネは、こんな美女美少女が三人も揃っている事は滅多にないと自慢したい気分でいっぱいだった。ここに混ざる男はさぞ羨ましがられることだろう。

「それで、詩人は?」

「仕事だそうです。夜には戻るとか」

 無言でジュースを飲むウンディーネ。

 快活に遊ぶエクレア。

 優雅に楽しむウンディーネ(じぶん)

 恥ずかしがる姿が愛らしいエレン。

 それを見ずに、仕事。

 別に悪いとは言わないが。

 これを見ずに、仕事。

 何か、自尊心を大きく削られた気分である。

「……私はここでゆっくりしてるわ。海で遊ぶ機会なんてないでしょう?

 楽しんできなさい」

「? わ、分かりました」

 何か不機嫌になったウンディーネに気が付きつつも、触らぬ神に祟りなし。エレンはエクレアの下へ駆けていく。

 海に向かって走るエレン。温かい風が頬をきる。塩気のある匂いを鼻が感じる。

 海に向かって走るエレン。寄せては引くさざ波が耳に届く。照り付ける日差しが心までも温める。

 そして海に足をいれた時の冷たさと、爽快さ!

 これが、海!

「う~~~ん!!」

 自分の格好の恥ずかしさを忘れ、体いっぱいで伸びをして太陽を全身で浴び、風を感じ、海を楽しむ。その瞬間のエレンはとても輝いていた。

「エレンさ~ん! 隙あり!」

「きゃ!?」

 先に海に入っていたエクレアは笑いながら水をかける。体が浴びたその冷たさに声が出て、そして驚きから笑顔へ表情が変わる。

 そしてエレンもかがんで海に手を浸し、水を掬いあげる。

「やったわね、エクレア! お返しっ!!」

「きゃ~あ!」

 ケタケタ笑いながらそれを受け入れるエクレア。

 そして二人は水かけ遊びを楽しむ。それを見ながら大人の余裕で浜辺で横になるウンディーネは、ジュースを飲み終えるとゴロンとうつ伏せになる。

 合図を出して使用人を呼び寄せる。サンオイルを体にくまなく塗らせるためだ。流石にそこらの男に肌を触らせるつもりはなく、使用人は女だったが。男の使用人が残念がるところまで横目で見つつそれを楽しむ辺り、この女性も中々性格がいい。

 そして女三人は存分に太陽の下で海を楽しむのだった。

 

 うってかわって室内。

 外は晴天だというのに窓は締め切り、ランプで明かりをとっている怪しさである。

 普段のこれは演出である。この近くにある海賊ブラックの宝をトレジャーするという娯楽で、海賊の宝を狙う以上は命の保証はない。そういった雰囲気作りをするための、舞台装置だ。その斡旋人であるハーマンという男はもう老人といっていいほどの外観である。

 だが、今のハーマンは娯楽を提供するという眼ではない。本物の海の男、命が軽いという事を呑み込んだ者だけができる剣呑な瞳をしていた。その視線の先にいるのは詩人。もちろん彼は気楽な宝探し遊びをするためにここに来た訳ではない。たまにいるのだ、本物を求める輩が。例外なく詩人と同じような鋭い眼差しをした男たちが。

「先に言っておく。ここから先は非合法だ」

「ああ」

 楽しむ為のリゾート地で危険があってはマズい。故に、安全に配慮した法整備は他の町よりも厳重に行われている。普段のハーマンの仕事はあくまでその範囲の中にあるが、これからする話に安全という言葉は含まれない。

 当然、普通にハーマンに会ってもそんな話は相手にしない。ある特別な方法で自分に接触した者にのみ、ハーマンは裏の顔を見せるのだ。

「本物のブラックの宝が欲しい、か。

 まずはどこでその情報を手に入れたか聞こうか。それとどこで儂の事も知ったかもな」

「両方ともフルブライト商会で調べてもらった。これが証拠だ」

 そう言ってフルブライトの手紙を見せる詩人。それには裏の顔としてのハーマンへの接触方法が書かれていた、フルブライト会頭の印と共に。

 受け取り、眺めながらハーマンは言葉を発する。

「フルブライトか、大商会だな。それに会頭の印とは…兄ちゃん、ただ者じゃねぇな?」

「ただ者がブラックの宝を求めないだろ?」

「違いない」

 クククと油断なく笑うハーマン。

 それを真顔に戻し、話を仕切り直す。

「それで、どんなお宝が欲しい? 知っての通り、儂は言われた宝の案内しかしないぜ」

 情報戦の全てを含めて実力だとハーマン老人は言っている。それすら備わない者にはブラックの宝は相応しくないと。

「オリハルコーン製のイルカ像」

 ぴくりとハーマンの眉が動く。

 確かにそれはブラックの宝にあった。フルブライトから奪った宝だとも記憶しているし、実際この男もフルブライトからの情報だと言っている。取り返しに来たのなら、バレてはいけない秘密がある。

 と、いうより、他に理由が見つからない。ブラックの宝で実用性がなく、元フルブライト所有のものだとすれば。ハーマンは慎重に言葉を選ぶ。

「イルカ像を見つけてどうする?」

「フォルネウスと戦う。俺の弟子と、その志を持った奴がな」

「フォルネウスと戦うだと!?」

 だからこそ、その言葉に驚きをもった声があがってしまった。

 意外過ぎる言葉だった。そして諦めた言葉でもあり、待ち望んだ言葉でもあった。

 だが、安易にその言葉にのる訳にもいかない。自分の正体に気が付いてカマをかけている可能性もあるからだ。

「これは驚いた! たかだが像で、どうやって四魔貴族のフォルネウスと戦うつもりだ?」

「バンガードを動かして船にする。フォルネウスに沈められない船はバンガードしかない」

「バンガードを動かす、だと?」

「聖王詩は知っているだろう? ランスの聖王家で調べた事柄から、バンガードは船として動く物だと俺は確信している。

 その為に必要なのが、天才玄武術師とオリハルコーン。

 バンガードとは話を通し、前者は既に手元に置いた。後はオリハルコーンさえあればバンガードは船として機能する」

「海底宮はどこにある? 広い海をくまなく探すつもりか?」

「西の果ての傍にいるロブスター族が海底宮の場所を知っているはずだ」

「…それをどこで知った?」

 ハーマンの言葉が一段低くなる。今、聞き逃せない言葉をこの男は言った。

「西の果てにいるロブスター族だと? その事を知っているのはブラック一味だけのはずだ。

 そしてブラック一味は儂を除いて全滅した。その事を知っているはずがない」

「……」

 表情を消し、沈黙する詩人。

「言い訳するか? それも聖王家の書物で知ったと」

「……ああ、その通りだ」

「実際に見た訳ではないんだな? それを信じろと?」

「信じるさ。他ならぬブラック一味の唯一の生き残りである、アンタが知っていたからな」

 それは確かに急いて攻めたハーマンの失策だった。

 ロブスター族はいるかも知れない、という事に保証を加えてしまったのはハーマン自身だ。だがしかし、この男の胡散臭さは抜けない。

 きな臭い、何かがおかしい。長年の勘からそれを確信するハーマン。

 それと同時にバンガードを動かすという事が本気である事も薄々理解した。というより、なんとなくだがこの男はハーマンは眼中にないのだろう。

 いや、四魔貴族のフォルネウスすら眼中にないのかも知れない。詩人は連れや弟子がフォルネウスと戦うとは言ったが、自分が戦うとは一言も言っていない。

 ならば…フォルネウスと戦うのは本当か。そこで嘘をつく事が感じられない。いや、嘘でもいい。あれから何年も経ったが、フォルネウスと戦うと言った者は初めてだ。ならばハーマンの言葉は決まっていた。

「いいだろう。イルカ像の隠された洞窟に案内してやる、1つの条件を飲めばな」

「…その条件とは?」

「簡単だ。儂を連れていけ」

「…は?」

「儂を連れていけといった。一緒にフォルネウスを倒してやる」

「それが、条件なのか?」

「ああ」

 迷いなく頷くハーマン。

 それに僅かに考え込む詩人だったが…まあいいかと思ってしまう。なんというか、断る理由がない。勝手に戦う分まで詩人は責任を持つ気はない。エレンと同じだ。

 違うところがあるとすれば、未熟ではないため詩人が稽古をする必要がないところくらいか。

「構わない。連れていこう」

「決まりだな。

 身辺整理に一日かかる、出発は明後日以降にしてくれ」

「分かった。その時にこっちの連れの顔合わせもしよう」

 話はまとまった。ハーマンが同行し、イルカ像を入手する。

 バンガードを動かす日は、近い。フォルネウスと戦う日も、近い。

 

 夕方に詩人が宿に戻ると、ウンディーネがエレンとエクレアに術の講義をしていた。体はほどよく太陽に焼けているが、リゾートに来てまで遊ぶなと言う程に詩人は鬼ではない。むしろ遊ぶくらい心に余裕がないと困ると思っている程だ。

「要するに地属性の術は流れを感じて操るものなの。水のせせらぎ、風の囁き、土の鳴動、炎の揺らめき。それらを感じる事が第一歩。そしてそれを操る事が術の本質。

 天の術は原理が全く異なるわ。明と暗、実と虚。現実に存在しないそれを明確に分けながらも、そのコントラストが描く曖昧さも理解しなくてはいけない。こっちもその実感が大切なのだけど、体で感じられないから難しいの。天の術の開発が進みにくいのはこれが原因ね」

「炎の揺らめきとか、感じられなくないですか?」

「暖炉に当たった事はあるでしょう? 瞬間ごとに温度の違いが分かるはずよ、それが炎の揺らめき。

 風や水は言うまでもないけど、地面も生きて動いているの。それを感じやすいと白虎の素質が高くなるわね。私に言わせれば、術の素質は体に合うかどうか。どれに感覚が合わせやすいかだけの違いなの。

 それらを全部組み合わせた術のエキスパートを育てる事も私の研究テーマに入っているわ」

 無茶な事を言う。そう思って詩人は講義に邪魔にならないところで静かにしている。

 実際、詩人にはここまで上手に術の説明はできないだろう。教育者としてウンディーネを引き込めたのは幸いだったと思わざるを得ない。

 そして更に講義を進めたウンディーネはやがて課題を一つ出す。

「それじゃあ、体感した流れを思い出してみましょう。

 今日、海で遊んだでしょう? エレンは海の流れを、エクレアは潮風の息吹をそれぞれ思い出して。それを体から発するように、魔力にのせて放出する。それが術の基本よ。瞑想して今日の事を思い出しなさい」

「ぅぇ!? 昼間は遊びじゃなかったの?」

 エクレアは思わず変な声をあげるが、ウンディーネはにっこりと笑って揺るがない。

「遊びよ。その遊ぶ感覚で術を覚えるのが大事なの。楽しむ事は学ぶ上で最も大事な事の一つなのよ。

 さあ、昼間の楽しかった事を思い出して。そしてそこで世界が動いていた事も思い出して、意識するの。やってみなさい」

 ウンディーネの言葉に、納得のいかない表情をしながら目を閉じるエクレア。ゆっくりと瞳を閉ざすエレン。

 彼女たちはすぐに集中し、己の中に埋没する。これも才能の一つだろう、一点に集中するという中々できる事ではない事を、彼女たちは容易にやり遂げるのだ。

 それを確認したウンディーネは満足そうに頷いて、部屋の片隅にいた詩人へと近寄る。

「お帰りなさい。昼間、遊ぶ間も惜しんでした仕事の成果はどうだったのかしら?」

「上々だな、協力者を得られた。明後日には動けるから、遊ぶのは明日までになるぞ」

「嫌味よ。全く、グレートアーチまで来てやる事が仕事って」

「仕事する為に来たからな」

 素っ気ない詩人にウンディーネは流し目を送る。

 詩人は整った顔立ちをしている。ならば、夜を楽しむのも悪くはない。

「貴方、遊ばないの?」

「遊ばないことはないが…」

「ねえ、今夜、私と遊ばない?」

 そう言って、艶やかな目で詩人を見るウンディーネ。

 彼女はその顔を見る、瞳を見る。困った顔をした男を見る。そして理解する。これは真面目な男だと。

 女と遊ばない、女を遊ばない、女で遊べない。

 そんな馬鹿真面目な男だと。理解した途端、ウンディーネは醒めた。

「…つまらない男だこと」

「…それは余り言われないな」

「だって貴方、女を見る目がないんですもの」

 人は見ても女を見ない男はウンディーネにとって相性が悪い。

 麗しい男と情熱的に刹那的に楽しむのがいいのだ。真面目な男に愛を説かれ、一途に付き合うなど性に合わないにも程がある。自覚があるのかないのか、詩人はその類の男だろう。相手に、そして自分に一途なのだ。一途になってから遊ぶのだ。

 だがまあ、人としての強さは本物だし嫌いではない。

「一杯、飲まなくて? ここのバーは素敵よ」

「付き合おう。正直、一日働いて疲れてるんだ」

 笑って酒を交わす為に歩き出す二人。そこにはどこか打算的な笑顔がある。

 そのくらいの距離感がちょうどいい。どちらともなくそう思いながら、リゾートに相応しい酒場へ向かう。心までは酔わないと、そんな不思議な緊張感を漂わせていた。

 

 夕方からは離れ、深夜には遠い。

 そんな時間に詩人は浜辺を歩いていた。ウンディーネと飲み、楽しみ、語らい、探り合う。そんな時間が終わり、就寝前の時間に散歩をしていた。

 気持ちのいい時間だった、だが、それもすぐに終わる。

 浜辺に二つの人影がいた。片方は剣を振り回し、片方は拳を繰り出している。

 戦いではない、鍛錬だ。それは動きを見ただけでも分かる。エクレアとエレン。彼女たちは、昼間に遊び、夕方に術を学び、夜に技を磨く。そうしているだけの話。

 そしてそれが、酒に酔った詩人には酷く不快だった。

「よう」

「詩人!」

「詩人さん!」

 笑顔を取り繕い、笑いかける詩人に動きを止める二人。

「鍛錬か? 精が出るな」

「遊びに来て腕を落としたら話にならないからね。フォルネウスと戦うのにまだ不足しているのは分かっているわ。ちょっとでも強くならないと」

 肩をすくめて笑うエレン。しっかりと地に足をつけて戦っている人間の笑顔だった。

 このままエレンは強くなっていくだろう、死ななければ。

―先生。強くなって、多くの人を救いたいんです―

 酒のせいか、エレンのせいか。脳内に思い出すその言葉、その笑顔。

「私もー。強くなるって楽しいし、やってて飽きないし!」

 エクレアも満面の笑みで言う。目的の為に強くなるのではなく、強くなる事が目的。それが悪いとは思わない。そういった仲間もかつていた。目的があった詩人とは反りが合わない事も多かったが、その強さと一途さに一目置いていた事を思い出す。

 ……懐かしい記憶だ。捨てた人、失った人。それを思い出した。

 復讐はもう間もなく完遂する。完遂させる。けれど、それでも失った人は戻ってこない。失くした絆は元通りにならない。

『復讐が終わったら、どうする?』

 レオニードの問いが蘇る。復讐にかけた時間は、余りに多く長い。他の事など忘れてしまう程に。

 だからこそ、再び人に教えるという事にここまで戸惑うのか。やりがいがあるなんて、そんな感傷にふけってしまうのか。まだ、復讐は終わっていないというのに。

「詩人? 大丈夫?」

 唐突にかけられた言葉に、詩人は声を失った。大丈夫だと、そう返す事が出来ず、絶句する。

 その表情を、エレンとエクレアは見ていた。

 元々、詩人がここに来た時から少しおかしかったように思える。酒に酔っていたせいか、何というか珍しく隙があるように見えた。

 少しの会話で詩人のその隙が広がっていくようだった。いつも揺らがない詩人が、どこか戸惑っているように見えた。

 それが普通の人間のはずなのに、エレンはどこか危うさを感じてしまった。そして聞いてしまった、大丈夫かと。

 反応は劇的だった。一瞬で顔面を蒼白にして、言葉を失ってしまった詩人。明らかに大丈夫じゃない人間の反応に、エレンは咄嗟に詩人の手を両手で包み込んだ。

 今の詩人は危険だと、頭ではなく心で理解していた。人は完全じゃない、心が動揺する時だってある。そしてそれは悪い事ではない。人と人が繋がっているのはこういう時に支えるものだと、エレンは信じていた。

 だからエレンは包み込むように詩人に触れる。自分はここにいる、詩人ほど強くはないかも知れないけど、頼ってくれていいのだと伝える為に。

 ただそれだけの事で詩人の顔に血の気が戻った。エレンは詩人の瞳を見る。怯えた小動物のようだったそれが、段々と落ち着いてくる。それにエレンはホっと安堵の息を吐く。

「貴方、疲れているのよ。早めに休んだ方がいいわ」

「……。あ、ああ」

 さっきとは別種の戸惑いを含んだ詩人。それを傍で見ていたエクレアも戸惑っていた。

 彼女にとって、詩人は特別な存在だった。自分が危ない時に助けてくれて、鍛えてくれて、優しくしてくれる。完全な人だと思っていた。けれどもたった今見た詩人にそれは当てはまらない。何かを怖がっている普通の人と詩人とが重なった。

 それに少しも落胆が無かったと言えば嘘になる。完全だと思っていた人が完全ではなかった。エクレアの勝手な思い込みである事は間違いない。別に詩人が自分で自分が完全だとも、最強だとも言った事はないのだから。

 でも、だからこそ。エクレアは初めて自分が詩人について何も知らないのだと気が付いた。自分の理想を押し付けて、自分の見たいものだけを見て、そしてそれ以上のものを見せてくれていた詩人。そんな彼の本当の事を知りたいと、初めて思った。改めて思えば、自分は詩人の事をよく知らない、本名すら知らないのだ。

「エクレア」

 そんなエクレアに詩人が声をかける。エレンから逃げ出すように声をかけた詩人だったが、その声は止まらない。

「俺の最も得意な武器は剣だ。そして棍棒は、重心や振り方が近いから好んで使っているだけに過ぎない。

 遠距離を攻撃するのに弓は上等な武器だし、武器がなくなった時の為に体術を覚えて損はない。だがこれらは便利だから使っているだけで、俺の得意分野じゃない。

 覚えなければいけない事と、得意分野を間違えるなよ」

「う、うん…」

 唐突な授業に曖昧な言葉しか返せないエクレア。だが、次の言葉にその顔色が変わる。

「俺の得意武器は剣、そして槍だ。

 …明日から槍を教えてやる。それが十分に身についたら、次は剣だ」

「本当っ!?」

「ああ。覚えたいんだろう、俺の剣を」

 喜色満面のエクレアを見つつ、横目でちらりとエレンの顔を見た。

 エレンはやや心配そうに詩人を見ていた。そんな表情をさせてしまった事に罪悪感を覚えつつ、詩人は踵を返して宿へと戻る。

「今日は休ませてもらう。最近、疲れているのかも知れないからな」

 

 

 

「……何をやっているんだ、俺は」

 

 

 

 




詩人も人間です。
惑う事も、自分の行動に理屈をつけられない事も、たまにはある。


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023話

今日で投稿から二ヶ月が経ちました。
60日で23話、数年スランプが続いた身としては約16万字を書けている事にびっくりです。
このまま完結まで息切れしないように頑張ろうと思います!


 

 弓を外す。棍棒を置く。剣を手放す。

 防具は既に体にはない。握った手を、見つめながら開く詩人。

「……よし」

 準備を整えた詩人は部屋を出る。休暇は今日までで、疲れのせいか昨日は醜態をさらしてしまった。ならばたまには一日リフレッシュするのも悪くはない。

 武器も防具も、完全に手放すのはどのくらいぶりか。思っていた以上の解放感に、詩人自身が驚いていた。張りつめてばかりで遊びも必要だと思っていたが、自分がそれを上手にできていなかった事を実感する。

 女性は時間がかかるだろう。先に海に繰り出した詩人だった。

 

「あら。今日は遊ぶのね」

「ああ。明日から忙しくなるから、たまにはな」

 浜辺に寝そべり、体を焼いていた詩人にウンディーネが声をかける。彼女は昨日と同じくゆっくり雰囲気を楽しむスタイルのようで、パラソルの下に陣取ると優雅な所作でジュースを飲む。

 そしてちらりと詩人の体を見る。黒いトランクスの海パンのみを身につけた、ラフな格好。普段から警戒心が強いと思っていた詩人がそのような格好でのんびりとしている姿を見て、ウンディーネは満足そうに頷く。

「よかったわ」

「? なにがだ?」

「貴方がちゃんと休める人で。実はちょっと心配だったのよ。余裕、無いように見えたから」

 くすりと笑って付け加える。

「大人なら、自分で余裕を作るくらいじゃないとね?」

 ぐうの音も出ない詩人。確かにそこら辺は余り上手くできていなかったと自覚したばかりなので、反論の一つもできやしない。

「貴方なら、良い人を見つければ落ち着きそうね。真面目だし、強いし。幸せとか探すならそういうのもいいんじゃない?」

「なんだそれ。世話を焼くな、思ったより」

「これでも術を教える者として、それなり以上の教育を経験しているのよ。人生を楽しむ事は私より経験値低そうだし、主導権を握れるところは握っておきたいわ」

「ふーん」

「エレンお嬢ちゃんか、エクレアお嬢ちゃんか。教えているのなら、それなりに心を開いているのでしょう? 真面目なお付き合いとかも考えてみたら?

 私たちは、人生を楽しむ為に強くなったんだから。色々と楽しまないと損よ」

 その言葉に、海で戯れる二人の少女をちらりと見る詩人。それ以上は言葉を発する事なく、目を閉じて太陽を楽しむ。

 一つの言葉が引っかかっていた。

(人生を楽しむ為に強くなった、か)

 自分が強くなろうと、そう思った理由。遠い昔に決めたその決意。それをゆっくりと思い出しながら、ゆるやかに溜まった緊張を解いていく。

 どうして強くなりたいと語る瞳に弱いのか。答えは分かっている。ただ、忘れていただけだ。

 裏切られて。喪って。傷ついて。最初の願いを忘れていた。

(ただ、安心して欲しかった。それだけが始まりだったんだ)

 自分のためではなく、他の人の為に。それが始まりだった。笑っていて欲しかった、安心して欲しかった。

 ひたむきに、辛かったけど充実していた遠い昔を思い出しながら。詩人はまどろみの中で溶けるように心を休める。ふっと顔に微笑みが浮かんだ事は、ウンディーネの見間違えではないだろう。

 

 

 昼に遊び、その後は術の勉強をした。それが終わり、とうとうエクレアが待ち望んでいた時間がやってくる。

 詩人が得意武器を教えてくれるのだ。まずは槍、そして剣。わくわくしながら待つエクレアと、既に自主トレに入っているエレン。そんな二人のもとに詩人は槍を二本持ってやってくる。

「じゃあ、まずこれを」

 詩人が用意したのはロングスピア。言い換えれば、木の棒の先に小さな刃物をつけた物。

 槍の中で最も原始的で簡易的なそれは、この時間を楽しみにしてたエクレアにはひどく粗末な物に見えた。

 そんな落胆を見透かした詩人は、エクレアが動くよりも早く釘を刺す。

「基本なくして奥義なし」

「!」

「覚えておけ。どんな派手な技を覚えようとも、基本がなってなければ根本から腐れ落ちる。ロングスピアはシンプルだからこそ無駄がなく、槍術を覚えるにはもってこいだ。

 俺はいきなり槍の極意を掴んで欲しい訳じゃない。まずは槍がどんな武器か、それを理解するところから始めるつもりだ」

 詩人の目は鋭い。もしかしたら、今までの稽古の中で一番かも知れない。それほどまでに詩人は自分の得意武器を教える事に厳しさを持っていると、言外に伝えていた。

 特訓を始まる前の一言でこれなのだ。自然、エクレアの気は引き締まった。それを感じ取った詩人は良しとし、エクレアに槍を構えさせて自分も槍を構える。お互いに構えた槍の穂先を相手に向ける。突き出せば、そのまま当たる距離だ。

「よし。このまま動くな」

「え?」

「動かずに、このままでいるぞ」

「え?」

 そのまま本当に動かない詩人。戸惑いつつも、それに従うエクレア。

 一分ほど経ったか。

 体を動かさないまま、詩人は口を開く。

「今、お前は何をしていた?」

「え? 槍を…構えていましたけど……」

 真剣な声に、ますます戸惑いが強くなるエクレア。その雰囲気がなければ、からかわれているのかと思ってしまう程、意味が分からない。

 鋭い視線のまま、詩人は言葉を発する。

「俺は、考えていた。槍を向けあって立っている相手の隙はどこか。突くか、払うか。

 突くならどこか。腹の中心か、心臓か、目か。

 払うならどこか。足元か、胸か、頭か。

 突かれたらどうするか。避けるか、払うか、撃ち落とすか。

 払われたらどうするか。受けるか、屈むか、跳ぶか。

 今の時間、ずっと考えていた」

 詩人の言いたい事が分かったのだろう、エクレアの顔が後悔に歪んだ。それでも言うべき事は言い切るとばかりに詩人は追い打ちをかける。

「対してお前はなんだ? ただ槍を持っていただけか? 槍を構えた相手が目の前にいて、ただ突っ立っていただけか? 遊びの時間だと俺は言ったか? 動かなければ戦いじゃないか?

 全ては考える事から始まる。戦いの場において、動いていなくても考える事はやめるな。それを忘れた時、俺の剣は容赦無くお前の首を断つぞ」

「はいっ!」

 技より、槍より、何より先に心構えから説く。詩人が本気でエクレアに稽古をしようとしている、その証拠だった。今まではただの乱取り、ただ技を教えていただけ。そこから何を掴むかは自分次第、そんな方針を取っていた。

 だが、これからは違う。詩人は本格的にエクレアを鍛えようとしている。もしもエクレアが強くならなければ、それは詩人にも責任があるという事。教えるという事はそういう事なのだ。

「じゃあ、いくぞ。集中しろよ」

 返事を聞かずにエクレアに向かって動き出す詩人。

 

 胸と腹に向けて突きを放つ。二段突き。

 足首よりやや上に向かって薙ぎ払う。足払い。

 槍の中心を持ち、穂先とは逆側で振り当てる。石突き。

 そのまま槍の中心を持って回転させ、穂先と石突きで打ち払う。風車。

 

 それらの技を流れるように繋ぎ、成立させていた。寸止めでなければ今の一瞬で幾度となく死んでいただろう。一般人ならば突風が吹いたとしか感じなかっただろう技のキレだ。

 これが得意武器と、そうでない物との差。知覚できなかった不抜(ぬかず)太刀(たち)とは違い、感じ取れた速さと巧さ。

「分かったか?」

「…分からない事が、分かった」

 詩人の言葉に、正直にそう返すエクレア。文字通り、理解が及ばない。どうすればあそこまで速く動けるのか、どうすれば技と技の間に拍子を置かずに行動できるのか、どうすればここまで強くなれるのか。

 そういった想いをこめたエクレアの言葉に笑い返す詩人。

「そりゃそうだ。あっさり分かられたら俺の立つ瀬がない。

 後は自習しておけ。理解できなかった事を少しでも理解できるように、槍で遊んで槍を理解しろ」

 その言葉に力強く頷いたエクレアは槍を構えて、突きを二回放つ。

 確かに二段突きと呼ばれる技として成立しているが、詩人のそれとは練度が違う。詩人のそれとエクレアのそれを同じ二段突きと呼ぶのもはばかれる程に明確な違いがあった。それがずっと先に行っている者と、たった今一歩を踏み出した者との違い。エクレアはそれに幻滅することなく、愚直に突きを繰り返す。

 そんなエクレアを、詩人はもう見ていない。努力の過程に興味を示す段階は過ぎた。結果のみを見て次の指導をする予定である。

「さて、エレン」

「え? はい」

 声をかけられると思っていなかったエレンは間抜けな声をあげてしまう。

 そんなエレンに苦笑しながら近づく詩人。

「そろそろ一段、レベルを上げようか。このままだとフォルネウスに届かないだろ?」

「え? あたしも教えてくれるの?」

「…当たり前だろ。エクレアとは違って、エレンは今まで通りだ。ただ、決戦は近いからな。レベルはあげていくぞ」

 てっきり覚悟を示していないエレンは教えを請えるとは思っていなかったので、詩人の言葉に意外そうな声をあげてしまったが、詩人はそういうつもりらしい。

 エクレアは本格的に、エレンは今までと同じく。四魔貴族に勝てるかはエレン次第というスタンスは変わらないらしい。

「エレンは短勁を覚えて、慣れた頃だな。次の段階にいこうか」

「次の段階?」

「ああ。気の運用というか、使い方をもうちょっと深く、な。

 短勁は衝撃を内部に打ち込み、防御を貫いたり柔らかい物に打撃を浸透させる技だ。この感覚は気と呼ばれる。魔力に似て非なる力。

 これを応用するとこういった事もできる」

 歩いて五歩ほど離れていた詩人とエレン。そのエレンの体が、グンと吸い寄せられるように詩人に向かう。

 驚きに目を見開くエレンだが、そんな余裕はない。吸い寄せられたエレンに向かって詩人が拳を振りかざしているのだ。

 咄嗟に両手をクロスして防御するエレンと、その防御した部分に向かって拳を叩きつける詩人。そして触れあった瞬間、詩人の拳から勢いよく吹き飛ばされたエレン。その感覚は短勁に似て、ほんの少し異なっていた。短勁ならば衝撃を内部に浸透させるが、詩人の一撃は浸透する分の衝撃を弾かれる威力に変えられたような、そんな感覚。

 歩いて十歩程も吹き飛ばされたエレンは、それでも受け身を取って追撃に備えて構える。だが詩人は最初の位置から一歩も動かないで軽く講義をするのみだ。

「錬気拳。気によって生じる力を操れば、それで相手を吸い寄せる事も弾く事もできる。短勁と組み合わせれば攻撃力も、よりあがる」

 言いつつ、今度はエレンに変化はない。ただ、エレンの近くにあった小さな貝殻が数十、まとめて詩人に向かって飛んでいく。

 詩人はそれら全てに拳を合わせていた。そのうち半分は勢いよく弾かれてエレンの後方へ飛んでいき、もう半分はその拳で砂のように粉々に砕かれる。小さな貝殻が砂のように、である。

「…それも術だったりするの?」

「これは技の一種だ。エレンにはできない事はしてないぞ。

 さて、錬気拳は離れていても有用な技だって事は分かったと思うが、至近距離だとさらに凶悪性が増す」

 言われなくても解る。下手をすれば全く動かないで、振り下ろされた剣を弾く事さえできそうな話だ。というか、たぶん詩人はその位はできる。そしてそのレベルをエレンに覚えさせようとしている。

 変わらずに容赦なく、本当に難易度は上げるらしい。思わずエレンの顔が引きつった。

「じゃ、乱取りだ。

 いつもと同じ、防御は忘れるなよ。ところどころに錬気拳を混ぜるから、慣れろ。体で覚えろ」

 覚えられなくても責任は持たないが。言葉にされないその意図に、エレンの負けん気が燃えさかる。

 っていうか、そろそろ色々と溜まった分で一発くらい殴っておいてもいいと思う。思うというか、殴りたい。一方的にボコボコにされるのは、それはそれはストレスが溜まるのだ。

 突進するエレン。棍棒を構える詩人。

 とりあえず、その日の内にエレンの目標は達成できなかった、そんな一日だった。

 

 

 

 日が明けた翌日。休みが終わる。休みという割には結構な濃度で訓練をしていた気もするが、息抜きの時間も取れたという意味で休みの分類に入っていた。

「よう、兄ちゃん。待っていたぜ」

「ハーマン、よろしく頼む。

 こっちがウンディーネ、エレン、エクレアだ」

 グレートアーチの出入り口で待っていたハーマンに近寄り、気軽に挨拶をかわす詩人。それと一緒に旅の道連れを紹介する。

 だが紹介された人物がハーマンにとってはあまり良くなかった。フォルネウスと戦うのがどんな人物かと思えば、女三人である。思わず剣呑な空気を醸し出すのは仕方ないだろう。

「…おい、兄ちゃん。もう一度聞くが、本気で正気なんだな?」

「だとよ、エレン。ハーマンはお前がフォルネウスと戦えるとは思えないらしい」

 ハーマンの言葉も尤もだと思えるので、話は本人に任せる。エレンがフォルネウスと戦う事を強制している訳ではないので、結局はエレンのやる気次第なのだ。

 そしてエレンは自分の未熟も分かっている。返す言葉は、その無念をにじませたものだった。

「フォルネウスとは戦うわ。でも、まだ勝てるなんて言えない。だから強くなる。フォルネウスと戦うまでの時間を使って、今よりも」

「ほぉ…」

 未熟を自覚し、決意はある。そう感じたハーマンはそれ以上に侮蔑の言葉を口にするのをやめた。

 その代わりに背負われた斧に目をつける。

「エレンは斧を使うのかい?」

「ええ。それと体術を使えるわ」

「そうか…。何なら、儂が斧を教えてやろうか? フォルネウスと一緒に戦うなら少しでも強くなってもらって損はない」

 その言葉にちょっとだけうろたえるエレン。確かに体術と比べて斧にかける割合は少ない。詩人が斧をあまり得意としていない事もあり、乱取りで使う他は素振りと実戦くらいしか上達の機会はないと言っていい。

 一応、うかがうように詩人を見るが、彼も異論はないらしい。軽く頷いて返された。

「じゃあ、お願いするわ」

「ああ。しっかりついてくるといい」

 それでエレンについての話は終わり。次に見るのは最も若い、むしろ幼いと言っていいエクレア。

「ん~。エレンさんが戦うなら私も戦うよ。詩人さんも戦って強くなれって言ってるし」

「…おい」

 一段と声が低くなるハーマン。流石に返す言葉がない言い草だ。四魔貴族を正確に理解した上でのセリフとは到底思えない。

 だが、エクレアは一回フォルネウスと対峙し、そして生き延びている。惨敗したとはいえ、いやだからこそフォルネウスの強さは骨身に沁みているはずなのだ。その上でこの気楽さを発揮できるのは、得難い才能だと詩人は思っている。

 とはいえ、それを説明するのは難しい。口にしたところで信憑性は無いだろう。

「エクレアについては俺が責任を持つさ。納得できないならそう言ってくれ。無いだろうが」

 言い切る詩人に、いったん言葉を引っ込めるハーマン。だが、彼はふざけた奴と肩を並べるつもりは毛頭ない。粗が見えたら本気で叩き出す心積もりである。そう時間も経たずにその粗を出すだろうと思って、ひとまず引いたに過ぎない。

 そして最後に残った女性に目を向ける。鍛えられた体ではない。しかし、修羅場を何度も潜り抜けた者だけが持てる威圧感がある。感じる魔力の強さから考えても術師だろう。

「ハーマンだ、よろしくな」

「ウンディーネよ。よろしくするかどうかはそちら次第ね」

 ウンディーネの言葉に思い出すのは詩人。ハーマンにはフォルネウスと戦う前提の話しかしていなかったが、ウンディーネとの契約はそこまでではない。バンガードを動かす事と、エレンとエクレアに術を教える事だ。

 やる気がないなら戦わないと、既に言い切っていてもいい性格である。思い返してみればウンディーネは、フォルネウスと戦うとも戦わないとも明言していないのだ。

「儂次第とはどういう意味だ?」

「四魔貴族に勝つ栄誉は大きいわね、できるなら欲しいわ。けど、勝てない勝負に乗るほど愚かじゃないの、私は」

「…儂ではフォルネウスに勝てんと、そう言うのか」

「まだ、言わない。勝てるかも知れないし、勝てないかも知れない」

 そう言ってちらりとエレンとエクレアを見るウンディーネ。彼女は思った以上に彼女たちに期待しているらしい。少なくとも、頭ごなしにフォルネウスに勝てる訳なんて無いと、そう言い切れない程度には。

 冷静なウンディーネにそう思われていた事に、その場の全員が驚く。エレンとエクレアは自分達に対する期待に驚いたし、詩人も驚いた。そしてハーマンも、この見るからにできそうな女が子供たちに目をかけている事に驚く。どうやら彼が思ったよりも粒が揃っているらしい。

「要するに、保留よ。とりあえずはこの子たちの教師役としてついていくわ」

「期待するぜ」

 そう言って笑うハーマン。

 顔合わせはすんだ。そう判断した詩人は視線でハーマンをうながした。時間がもったいないと。

「それじゃあ行くか。向かうのはブラックの洞窟、財宝にモンスター、それから罠がてんこ盛りだ期待してくれていいぜ」

「本当っ!? 楽しそう!!」

 ハーマンの言葉に本気で目を輝かせるエクレア。あんまりにもあんまりな言葉に、ハーマンの毒気が抜かれた。

「遊びに行くんじゃねぇぞ、チビ」

「チビって言うな、ジジィ!」

「だーれーがー、ジジィだコラァ!」

「ジジイはあんた以外にいないでしょ! イーだ!!」

 見物人である三人は思う。レベルが低い、と。そしてレベルが一緒だとも。

 想像するよりもハーマンが溶け込むのは早いかもしれない。そう感じながら、ギャンギャンと口汚く罵り合う二人を見つめていた。

 しばらく以上の時間が経過するまで続いたそれが終わり、ようやく出発する一行。

 

 想定以上に紹介時間が取られてしまった事に、詩人は小さくため息を吐くのだった。

 

 

 




ちょこちょこ修業回を挟みますが、フォルネウスと戦えるレベルにはまだなっていないと思うのでどうかご了承下さい。
そしてメンバーにエクレアがいて本当によかった。彼女がいないと話が重く沈む一方です。正直、もうニ・三人エクレアが欲しい。


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024話

 

 

 

 ブラックの洞窟はグレートアーチから遠い。それはそうだ、海賊の宝が人里近くにある訳がない。

 十日ほどかかるその旅の間に、少しでも強くなるべく鍛え上げる一行。

 エクレアの槍の訓練は、ほとんど自習だ。詩人が槍を教える時間はほんの一分程度。その僅かな時間にエクレアは詩人の技を脳裏に焼き付けて、模倣し、磨き上げる。それに対して詩人は何も言わない。ただエクレアの進歩を見て、槍を見せつけるだけ。基本は教わるものではなく盗むもの。そう言っているようだった。

 対してハーマンがエレンに教える斧は理論的で時間もじっくりと取る。例えば、最初は斧についての背景を教える事から始まった。

「そもそも、斧は武器じゃねぇ」

「え? 斧って武器じゃないの?」

 いきなり根本を否定する事を言いだすハーマンだが、その顔は至って真面目だ。

「ああ、斧は木を斬り倒す為の道具だ、開拓民の必需品だな。だが、開拓にモンスターの襲撃はつき物だ。武器と斧の両方を持つのは効率が悪い。そこで斧を武器として扱えないかと考え出したのが斧技の始まりだ。

 それが発達してから斧は海戦にも使われ始めた。斧は船のマストや操舵輪を攻撃するのにも使えたからな、物資が少ない船では備品に対する攻撃も有効だった訳だ」

「へぇ~」

 自分が漫然と使っていた武器の歴史を知り、感嘆の声をあげるエレン。

 真面目に自分の話を聞くエレンに、ハーマンは気を良くする。

「だが、斧の本質は変わらない。木や、動かない大きな物に高威力を与えるものだ。それが武器にも使われ始めると、方向性が二つに絞られる。

 相手を動けない状態にして一撃を加えるか、威力を捨ててとりあえず当てにいくかだ。例外にトマホークなんて裏技もあるが…そっちはとりあえずいいだろう」

 そうして実演して見せるハーマン。彼は片方の足がなく、義足である。それを感じさせない素早い動きで手頃な木に突進し、斧の刃を食い込ませた。

 直後、斧を引く勢いを利用してグルリと一回転すると、その勢いのままに斧を水平に薙ぎ払い、木を斬り倒す。

「最初の技がハイパーハンマー、そして次が大木断だ。

 ハイパーハンマーは勢いをつけるが狙いが甘くなりやすい。それを補おうとすると斧を持った体当たりに近くなっちまう。威力を犠牲に距離を縮めて当てにいく技だな。

 そして大木断は一撃必殺。隙はやや大きいが、斧の重量と遠心力を乗せた強力な一撃になる」

 理論を説明し、効果を見せる。やり方や長所、短所までも説明する。そしてそれを実際にやらせて、おかしなところを咎めてよいところを褒める。

 ハーマンという男は存外、師として優秀らしい。理屈派であるエレンと噛み合っているといってもいいだろう。

 

 他に鍛錬する時間として、ウンディーネによる術の講義は続いている。既に話をする段階は卒業して術を実際に使い、その流れを矯正するという手順に入ってきていた。術の天才とフルブライトに評される通りに、その指導は非の打ち所がないと詩人が評価するほどだ。

 また、詩人による乱取りの時間も減っていない。エレンとエクレアにとっては一方的にボコボコにされるやや憂鬱な時間だ。それでも目に見えて実力が上がってきているのだから嫌とも言えない。ちなみに、その訓練を見てハーマンはエクレアに対して粗を探すことを完全に諦めた。ここまで動けるのなら文句をつけようもない。フォルネウスに対して十分に戦力になれるだろう。

「ねえ、ジジイも乱取りしないの?」

「儂には儂のスタイルがある。チビには分からんだろうがな」

 そういって煽り合って口喧嘩をするのも、もはやお約束である。もう三人はロクに反応もしなくなっていた。

 メキメキと上がる実力だが、その猶予期間も間もなく終わる。ブラックの洞窟に着いたのだ。

 

 

 

「ここのモンスターは外のモンスターよりか一段強い。気を抜くんじゃねぇぞ」

「いい実戦の場になりそうだな。俺は一歩引いて見ていてやるよ。最悪、フォローはしてやる」

 洞窟に着いて警告をするハーマン。詩人は言葉通りに一歩引いて弓を携える。この十日程の鍛錬を試すのに、外よりも強いモンスターというのは理想的なのだろう。

「じゃあ、しゅっぱ~つ!」

「あ」

 洞窟の中へ一歩踏み出そうとするエクレア。間抜けな声をあげるハーマン。

 その間を縫って、鋭い一矢がエクレアの踏み出そうとした足元へと放たれた。矢は地面に当たり、刺さる事無く突き抜けていく。落とし穴だ。矢が抜けた穴からは金属製のナニカが鈍い光を返している。

「エクレア、一回死んだな。これからはハーマンの言う事に従うように」

「……」

「おう、チビ。いきなり歩き出すからビビったぜ。ここはブラックの洞窟だ、罠だらけだから気をつけな」

 無言で頷くエクレア。

 だが。

 宝箱が見える。警戒したエクレアは一歩後ずさると、その位置でスイッチがカチリと鳴る。四方から矢が飛び出し、全力で回避するエクレア。

 これ見よがしに宝石が置かれている。思わず立ち止まったエクレア。その位置でガコンという音と共に少しだけ地面が下がり、上から岩盤が落ちてくる。咄嗟に詩人が割り込み、棍棒で粉砕しなければペシャンコにされていただろう。

 何も見えない広間を恐る恐る歩くエクレア。ゆったりとしたその速度に慌てた詩人がエクレアを抱きかかえて、その広間を脱出する。その一見何もない広場は無臭の毒ガスで満たされており、一定の時間留まる者に死を与える罠だった。

「この洞窟作った奴、性格絶対悪い!」

「それ、罠を張る側にしてみたら最高の褒め言葉よ」

 もはや自分から罠に突っ込むレベルで全てに引っかかるエクレアに対して、ハーマンは呼吸困難になるほど笑い転げていた。

 思わず声を荒げたエクレアにウンディーネが冷静にツッこむ。詩人はエクレアのフォローに全力であり、もはや他に気を散らすどころではない。最高に集中力を高めていた。

 エレンの影が薄いのは仕方ないだろう。ここまで派手に罠にかかる馬鹿より目立てという方が無理である。というか、ハーマンと同じ行動をしていれば罠にはかからない。それに気が付いたエレンはむしろ罠を仕掛ける側の思考になったくらいだ。その視点でみるとハーマンの爆笑も理解できるし、詩人が罠を看破する理屈も分かる。妙に真面目な納得をしてしまうエレンだった。

「まあ、罠はここまでだ。これから先はモンスターの巣窟、チビでも頑張れば汚名返上できるんじゃねぇか?」

「ブっ飛ばすわよ、このジジイ!?」

 罠の悉くに引っかかったエクレアは小さなからかいに対してさえも過剰に反応してしまう。

 だがそれもハーマンを機嫌よくする肴にしてしまうと気が付いた瞬間、怒る方が馬鹿に思えてしまった。力を抜いて側にある悪魔像によりかかるエクレア。モンスターの巣窟に入る前のちょっとした息抜きだった。

「あ」

 その行動に、洞窟に入った時と同じ間抜けな声をあげるハーマン。

 ガシャンと音が鳴って、悪魔像に石化回復薬が降りかかった。たちまち色と体温を取り戻す、石になっていた悪魔。至近には無防備な少女がいて、血に飢えた悪魔が襲い掛からない道理が無い。悪魔は嬉々として爪を振りかぶり、そのあまりの展開に詩人さえも反応できずにいた。

「きゃあああああぁぁぁぁぁーーーーー!」

 悲鳴と共に繰り出される見事なカウンター。岩をも砕く拳が悪魔の腹に突き刺さる。たまらず、くの字に折れ曲がる悪魔。

 だが動転したエクレアはそこで終わらない。流れるような回し蹴りで悪魔の顔を蹴り飛ばし、踵落としでその頭を地面にめり込ませた。首から下が硬い地面に埋まり、ピクピクと痙攣する悪魔。その首から下の、地面上に残った体に向かって錯乱したように蹴りをみまうエクレア。実際、混乱していた。

 想像したのとはちょっと違う惨状に、少しの間言葉を失う一行。

「あ~。すまん、あまりに下らない罠だったから忘れてた」

「咄嗟に反応できるとは…修行の成果が出ているようで何よりだ」

「詩人。その感想もちょっとズレてる」

 一応エレンがツッコミを入れて一段落、それからエクレアが落ち着くまで悪魔に蹴りを入れさせてもう一段落。ようやく真面目にモンスターの巣窟に足を踏み入れる一行だった。

 

 汚名返上。名誉挽回。そんな言葉はさておいて、今までの鬱憤を晴らさんとばかりに八面六臂に暴れ回るエクレアに、他の面々は出す手が無い。

「修行の成果が出ているようで何よりだ」

「ええ…っと。ごめんさい、返答に困るわ」

 ボケか天然か。そうこぼす詩人にどう返事をしたらいいのか困るウンディーネ。ちなみにエレンは完全に無視を決め込んでいた。相手をするだけ損だと気がついたらしい。

 その中で真面目は表情をするのはハーマン。

「そこで止まれ、チビ」

「何よ!!」

「止まれと言った。その先にはこの洞窟の主がいる、流石に一人で突撃させる訳にはいかん」

「仕事はするんだな、ハーマン。俺が止める手間が省けた」

 詩人の補足でようやく洞窟の最深部に限りなく近づいた事に気が付く女性陣。色々とアレ過ぎて実感はなかったが、ここはブラックの洞窟の、云わば警戒地域。危険で当たり前なのである。

 その主となれば危険度は如何ほどか。具体的に口にしたのは詩人だった。

「これは――ドラゴンか」

「そうだ、この先には洞窟の主であるブルードラゴンがいる。ブラックは一週間に丸一日眠るドラゴンを掻い潜り、その奥に天然の宝物庫を作った。

 さて、どうする? このまま一週間、ここで待つという手もあるが」

「冗談。ドラゴン如きに怯んで四魔貴族を相手取れるか」

 たるんだ空気はここで終わりと、詩人は声色で命令する。

「エレン、エクレア。始末しろ。ウンディーネ、お前はどうする?」

「参加しましょうか。ドラゴンの部位は良い魔術の素材になるわ。武器や防具にもいいのではなくて? 貴方は何もしないの、詩人?」

「負けた時の後始末はしてやる」

「何もしないじゃない」

 笑うウンディーネ。笑う詩人。

 反するように気を引き締めるエレンとエクレア。エレンは戦斧を握りしめ、エクレアはバスタードソードを両手で携える。

 それに嬉しそうに笑うハーマン。確かにここでひるむようでは、フォルネウスを相手にするには不足に過ぎる。最強種であるドラゴン程度など容易く蹴散らすくらいでないと、彼が困るのだ。

「行くぞ」

 そう言って真っ先に次の部屋に入り込むハーマン。戦いが始まった。

 

 どうやらブルードラゴンも部屋の外にいた敵を感知していたらしい。真っ先に飛びこんだエクレアの奇襲とはならなかった。十分に警戒された上で迎えられる。もちろんそれに戸惑うエクレアではないが。

 いっさいためらう事なく疾走するエクレアに、ブルードラゴンは攻撃の拍子を外されてしまう。小さく速いエクレアは、巨大な竜種にとっては攻撃が当てにくいのだ。冷静に動きを見計らって迎撃するにはエクレアが早すぎて後手に回ってしまう。一撃を受ける覚悟を決めて、反撃で小さな人間を叩き潰そうと決めるブルードラゴンだが、それは余りにエクレアを甘く見過ぎていた。

 最高速のまま、巨大なブルードラゴンの腹を目掛けて走り抜けるエクレア。大剣には速度を保ったまま接敵して、その重さと合わせて薙ぎ払う技、払い抜けが存在する。それは力ももちろんだが速さにも大きく影響し、小柄なエクレアにとっては大剣で大威力を出せる貴重な技だ。

 炸裂。

 硬いドラゴンの鱗を引き裂いて、その内側にまで損傷を与える一撃は、ブルードラゴンをして予想外だった。確かに一撃はくらう予定だったが、それは小柄な人間の攻撃であって、まるで巨人がするような威力の攻撃ではない。

 たまらず悶絶するブルードラゴンは、最初よりも大きな隙をさらす嵌めになる。その隙をついたのはエレン。エクレアの直後に部屋に入ったエレンは、ブルードラゴンの意識が突進するエクレアに向いている事に気づき、それ以上前に進むことをやめた。エクレアは大丈夫だと確信し、敵に気づかれないまま近づく事にしたのだ。

 ブルードラゴンは地面を走るエクレアに注視しているならば、上は意識の外になる。ただでさえ巨体で上を取られたことは少ないだろう事に加えて、ここは洞窟。天井が存在し、ブルードラゴンの高さはそれをほぼ埋めるほどだ、恐らく上空に対しての警戒心はない。

 だが、天井というブルードラゴンよりも高い位置は存在する。エレンは高く天井まで飛び上がると、クルリと体を反転させて天井を地面のように踏みしめる。そして天井を蹴ってブルードラゴンに突撃をかますエレン。竜種のその頭に最短で辿り着いたエレンは、錬気拳の弾き飛ばすような力を使い、拳を叩き込む。

 死角から一撃をくらったブルードラゴンは更に混乱した。何せ腹に想像以上の激痛が走ったと思ったら、今度は頭に想定外の一撃だ。グワンと脳が揺れると同時に、不可思議な力で頭の重さが一気に増し、たまらず倒れ込むように地面に伏してしまう。

 大きな振動をたてて倒れ込んだブルードラゴンだが、まだ体力は十分にある。起き上がり、自分に与えられた痛みと屈辱を倍にして返してやろうと思い立つが、体が動かない。かじかんで動けないのだ。

 その原因は術師ウンディーネ。彼女は呼吸するように自然に玄武術の基本であるスコールを使える。だが、単なるスコールでは効果が薄いと判断した彼女が選んだ術は月属性であるソウルフリーズ。夜闇の冷たさを体現するその術を発動すると同時に慣れたスコールをも発動させ、単独にて合成術を使うという天才に恥じぬ熟練さを見せた。降り出した雨は瞬く間に凍りつき、拡散するように周囲に広がる。その冷気は一瞬にして温度を奪い、相手を行動不能に陥らせる。その温度の低さに空気中の水分まで凍り付き、周囲を輝きで満たさせる。ダイヤモンドダスト、そうウンディーネが呼んでいる術である。実際、北国では似たような現象が起きるらしい。

 エクレアが先手を取り、エレンがその地面に叩き伏せ、ウンディーネが動きを止める。それを待っていたかのように準備をしていたのがハーマン。彼は蒼龍術を使い、持っていた斧に幾重にも風を纏わせていた。斧が歪んで見える程に圧縮された空気を纏った斧を担ぎ、ブルードラゴンに走りよるハーマンの狙いは首。一撃で命を絶てる、生物共通の急所の一つ。もちろん、ドラゴンの首を断てるほどの威力をこめた攻撃など、普通の状態ならば喰らう訳がない。鈍いモンスターに攻撃したとして、避けられておしまいだ。だが、今のブルードラゴンは普通の状態ではない。どんな攻撃だろうと受けざるを得ない状態に陥ってしまっている。

「風刃斬っ!」

 ハーマン渾身の一撃は吸い込まれるようにブルードラゴンの首に突き刺さり、斧と同時に纏った真空の刃が頑強な首を削りとり、抉り切る。斧は動かないものに高威力を与える武器だと自身が言った事を証明するような威力で、乱雑な切り口でその首を落としきる。

「流石だな」

 詩人の言葉はハーマンを褒めると同時に、その技を成立させた全員も含めての言葉だった。ふたを開けてみれば、ブルードラゴンはたった一度の攻撃をすることなく死んだのだから。

 

 

「わぁ!」

 ブルードラゴンを仕留めた一行は、更に奥へ足を進めた。そこが海賊ブラックの宝物庫だとは分かっていたが、聞くと見るとは大違いである。所狭しとという表現が使われる程ではないが、それが視界に大地の色や形を残して海賊っぽさがあり、エクレアは目を爛々と輝かせている。

 そして別の意味で目を輝かせるウンディーネ。流石は名高い海賊ブラックの宝物庫というべきか、稀少な術の素材などがちらほら見られる。中には長年追い求めていた、伝説に近い物まであった。一人の術師として目を輝かせるなという方が無理だろう。

「ここに罠はねぇ、好きな物を持って帰りな。ブラックはもういないんだ、文句を言う奴もいねぇだろ。

 いるとしたら儂くらいなもんだが、もう不要な物だ。好きにしてくれ」

「そう。じゃあ遠慮なく」

 ちらちらとハーマンの様子をうかがうウンディーネに、苦笑しながらの言葉。それを聞くなり、普段のクールさを忘れたウンディーネは、足早に宝に寄る。お子様であるエクレアよりも行動が早い。

 それでも、ブラックの宝で特に貴重な物ばかり集めるウンディーネに、ハーマンは感心したような表情をした。一見して価値があるように見えない物も回収している辺り、見る目はあるらしい。エクレアなどは海賊旗やキャプテンハットを手にしてはしゃいでいる。ロマンはあるだろうが、価値はない。こっちはウンディーネとは逆にそんな物ばかりだ。

 エレンは手早く、分かりやすく価値のありそうな宝石や金貨などに絞って集めている。宝の量に驚きはしたようだが、欲に曇った目はしていない。宝探しの成功報酬以上の興味はないようだった。

 そして意外にもというか、詩人は動き出さない。動かずにハーマンに問いをかける。

「で、ぱっと見たところ、オリハルコーン製のイルカ像はないようだが。どこにある?」

「ああ、あれはここからは見えんな。左側に棚があるだろう。そこに飾られてあったはずだ」

 目的が最優先、詩人にとってはオリハルコーン製のイルカ像以外は二の次らしい。ハーマンの言葉を聞いた詩人は左の棚に向かうと、そこは美術品関連の棚らしく、様々な種類の像が並べられていた。

 さらっと見渡して一つのイルカ像を見つける詩人。間違いなくオリハルコーン製のイルカ像だと手を伸ばしたところでハーマンから声がかかった。

「よくそれがオリハルコーン製のイルカ像だと分かったな?」

 ハーマンの言葉に、しまったと顔を強張らせる詩人。夢中になって気が付かなかったが、確かにイルカ像は幾つかある。洞窟の中で薄暗い事も重なって、純金の物ならともかく美しく見せる為の合金像などとオリハルコーンの物は一見して分からないように見える。ましてやオリハルコーンは伝説に近い金属であり、普通は見覚えがないはずである。

 ハーマンがもしやと思って仕掛けた罠に、詩人は引っかかってしまった。ウンディーネたちに自分で宝に触らせたのもこの伏線である。詩人だけに宝を選ばせるならともかく、全員がそうだとしたら詩人も同じように動いてしまう。フルブライト家にあると確信していたオリハルコーン製のイルカ像が無く、今度も無いのではないかという不安もあった。それがハーマンの仕掛けた罠に詩人を嵌める事に成功した一因でもある。

 やや近くにいたエレンは思わず聞き耳を立ててしまう。ウンディーネやエクレアは宝に夢中でハーマンと詩人の間の緊張感に気が付いていない。この二人が短慮を起こすとも思いにくいが、何もないとは思えない雰囲気である。この緊迫した空気は、ブラックの宝よりもエレンの興味をひくものだった。

「グレートアーチで話していた時にもおかしいと思っていたが…てめぇ、オリハルコーン製のイルカ像の事を詳しく知っていたな?」

「……」

「西の果てにいるロブスター族の事といい、ブラックの秘密に詳しすぎる。

 かと言って、この宝物庫の事は知らねぇ。チグハグ過ぎる、怪しいぜ」

「……それで? 何を聞きたい?」

「お前は何者だ? まずは名前を言って貰おうか」

「……」

 躊躇う詩人。エレンも詩人のおかしさには気が付いていた。だが、具体的に何がおかしいかと言われるとコレといった思い当たる事はなかったし、本人に直接聞いてもはぐらされてしまう。

 そのおかしさの尻尾を、とうとうハーマンが掴んだ。出会って十日程しか経っていないのにも関わらず、である。その手腕に感嘆半分、詩人の秘密に関心半分で聞き耳を立てる。

「……断る」

「なに?」

「名前は、明かせない」

「てめぇ、フザけてんのか?」

 宝探しに夢中な面々に気を使っているのだろう、ハーマンの声は小さい。しかしこもった怒気はとてつもなく大きい。傍で聞いて震えがくる程だ。そこらの人間だったらちびっているかも知れない、そんな気迫。

 しかし詩人には通用しない。申し訳なさそうな顔をしながら言葉を続ける。

「俺には俺の目的がある。名前を言う事はそれに影響が出かねないし、そもそも騒ぎになる。偽名を使わない事をせめてもの誠意と思ってくれ」

「……」

「それから俺はブラックの秘密に詳しいんじゃない、聖王に詳しいだけだ」

「聖王、だと?」

「ああ。聖王家で書物を読んだのは本当だ。そういった事から情報を拾い集めたりもしているのさ」

「……なるほど。確かにブラックに詳しいというより、聖王に詳しいと言った方がお前の怪しさに近い気はする」

「逆に聞く。そちらの目的はなんだ? フォルネウスと戦う俺たちについてくるお前の目的はなんだ?」

「敵討ちだ」

 その言葉に、詩人の目が僅かに見開かれる。それは聞き逃しにくい言葉だった。

「ブラックの船は嵐で沈んだんじゃねぇ。いや、嵐で沈んだのは事実だが、その嵐を引き起こしたのはフォルネウスだ。

 そして儂に喰らいついて脚を奪っていった。奴は、儂とブラック一味の全てのカタキだ。倒さなければならんのだ」

「フォルネウスへの怨念、か」

 どこか嬉しそうに言った詩人に、ハーマンはきょとんとした顔で返事をする。

「怨念? なんじゃそりゃ?」

「は? お前は仲間を殺され、脚を奪われた。その原因であるフォルネウスを恨んでいるのだろう?」

「いいや、ちっとも」

 カラっとした調子で言うハーマンに嘘は感じられない。唖然とする詩人にハーマンは言葉を続ける。

「儂は海賊だぞ? 海に生き、海に死ぬ。そこに文句はねぇ。が、それはそれとして、負けた事は事実だ。負けっぱなしは性に合わん。

 ブラックに負けをくれやがったフォルネウスには、キチっとノシをつけて負けを返してやる」

 ハーマンがフォルネウスに執着するのはただの勝ち負けの話で、恨み辛みが原因ではない。

 それを理解した時、逆に詩人にとってハーマンは理解不能になった。

「なぜだ? なぜ、お前はそんな事を言える?」

「ん?」

「恨むはずだ、憎むはずだ。自分と、その大事な物を奪われたら、裏切られたら、全て失くしたら。

 何故、お前はそれを感じない?」

「裏切り…? お前さん、誰かに裏切られたのか?」

「っ!」

「あ~。その復讐がお目当てって訳かい? 生きている事を相手に知られたくないから名乗らないってところか。

 窮屈な生き方をしてるな、お前さん。一応聞くが、その相手はブラックかい?」

「? いいや、違うが。そもそも死人に復讐なんて意味が分からない事はしない」

「そうだ、そうだな。訳の分からん事を言った。すまん」

 なんとなく詩人の背景が知れた上で、自分とも関係がない事と分かったハーマンの様子が軽くなる。

「で、どうして怨恨がないかだったか。んなもん、生き方の違い以外にあるめぇよ。

 儂はな、自分の人生をそんなつまらん感情で塗りつぶしたかぁねぇ。生きるなら前向きに、死ぬのなら笑いながらだ。殺されたって、間違っても化けて出やしねぇよ」

「……」

「だが、お前さんはそうじゃない。受けた事実じゃなくて、裏切られた事で湧き出てきた、自分の感情そのものに囚われちまってる。

 そりゃ、許せるものも許せんさ。自分は、自分だけは許せないものだ。お前さんは、自分の恨みを自分で許せないだけだろ。

 それを復讐だのなんだのと、理屈をつけて相手に八つ当たりしてるだけだ。そりゃ窮屈にもなる」

「……復讐が間違いだと、そう言うか?」

「言わん。そもそも何があったかも聞いておらん。正当な復讐か、逆恨みかどうかすら儂には分からん。

 そして興味もない。恨もうが恨むまいが、過去は変わらん。変わらん事に心血を注いでどうする。すっきりするために戦った方が、よほど楽な生き方だろうよ」

「その程度の…すっきりするから程度の理由で。四魔貴族を、フォルネウスを相手にするのか…?」

「儂にとっては重要な理由だ。むしろお前さんこそ、自分の恨み程度で人生を無駄にしている方が哀れだ。短い人生、楽しむべきだろう」

 どうやら言いたい事はお互いに言い終わったらしい。空気が緩む。

 詩人はハーマンを理解しないし、する気もないだろう。復讐を選ばないという選択肢は彼の中に存在しなかった。

 また、ハーマンも詩人を理解するつもりもない。自分を犠牲にして復讐に走るだけなど、湿っぽいにも程がある。何故人生を楽しめないのかが不明だ。

「……そうだ、ブラックの宝物庫で思い出した。できれば欲しい物があるんだが、他に心当たりがない」

「ん? なんだい?」

 重い話を終わらせた詩人。それにのるハーマン。

 詩人が欲しいものを聞いたハーマンは少しだけ考え込む。

「そりゃ確かにブラックくらいしか持ってないだろうな、海賊ジャッカルの肖像画なんぞ。

 しかし、そんな物をどうするつもりだ? 奴はここ十年以上、温海で活動しとらんぞ?」

「海賊ジャッカルは闇で動いているとの情報が入った。しかも俺もターゲットに含まれる。

 やられる前にやりたいが、こちらは満足にジャッカルの顔も知らないんだ。それと、顔以外にも情報があれば知りたい」

「ジャッカルの一味の証は赤サンゴの装飾品、それから本人の腕には決して消えないジャッカルの刺青があったな。姿を変えたとしても腕の刺青だけはどうしようもない。疑わしい奴がいたら腕を見ろ」

 そう言いつつ、書庫へと消えていく二人。

 それを見送ってから、エレンは静かにため息を吐く。

 

 詩人の目的は本当に復讐だった。同じ境遇であるハーマンに対する反応からして間違いないだろう。

 だが、いったい誰に対する復讐なのか。宿命の子を探しているというが、宿命の子の顔も知らない詩人がいったいどんな関係で復讐に利用するつもりなのか。

 そう、利用だろう。復讐の相手が宿命の子でなく、その顔も知らないのならば、利用する以外に考えられない。

(サラにはなるべく会わせない方がいいわね)

 詩人の強さは異常だ。彼が本気で行動した時、エレンに止められるとは思えない。

 ならば詩人の目的を更に調べる必要がある、サラに危険が及ばないと確信できるまで。

 

 

 

 サラが宿命の子だと、絶対にバレる訳にはいかないのだ。

 

 

 




この話でバンガードを動かす準備は完了。次回よりフォルネウス編の終盤に近づきます。

ちょっと忙しくなるので、感想返しとか即日にはいかなくなるかも知れません。更新の週一回以上は守りたいと思います。



2018/1/29 追記
ハーマンの地の術が玄武ではなく蒼龍だと指摘が入りましたので変更しました。


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025話 伝説の船バンガード

前話でハーマンの地の術を修正。玄武術で書いていたのを、原作の通り蒼龍術に直しました。

UA5000を突破しました、お付き合いして頂いている皆様、本当にありがとうございます!


 

 

 バンガードを説得した。

 優れた玄武術師を確保した。

 オリハルコーン製のイルカ像を入手した。

 これで準備が整ったのかというと、そうではない。バンガードを動かすと言葉にすれば簡単だが、具体的にどこがどう動くのか、大地を切り裂いた時のダメージはどのくらいか、フォルネウスと戦う際に必要な兵力はどのくらいか、さらにそれを維持する物資はどのくらいか。

 ざっと考えただけでもこれだけの問題がある。もちろんそれ以外にも問題が山積みになっているのも事実だ。これらの問題を解決するために、フルブライト・キャプテン・ウンディーネはバンガードに集まり、夜に寝る間を惜しんで会議をしたり、指示を出したりしている。

 先にバンガード市長であるキャプテンが説得できた事もあり、バンガードを動かす中枢を見つけ出して入り込む事はできた。更にウンディーネが優れた術師を多く派遣したこともあり、術増幅器を使わない試運転でだいだいどの位置が海に浮かぶ船になるかの予想もついた。大陸部分はそのまま残り、半島部分がまるまる切り離されて船として機能するらしい。

 そうなると、残された大陸バンガードの護衛軍も必要になる。フルブライトはかなりの兵力を捻出しなくてはならいだろう。頭を抱えたくなる案件だ。今日もまた、その話し合いをする為にフルブライトとキャプテン、ウンディーネと詩人が集められていた。ちなみにエレンとエクレア、ハーマンも詩人に呼ばれてその会議に参加している。

「フォルネウスの居城である海底宮に侵入するのに、軍が必要ないだと?」

「ああ。もちろん、海底宮からバンガードへの攻撃はあるだろう、接舷するから当然だが。それを迎撃する為の兵力は必要だ。

 だが、フォルネウスに向かう人数は最小限の少数精鋭がいい。敵陣に乗り込むんだ、身軽が一番だ」

「しかし、敵の本拠地に乗り込むのじゃろう? フォルネウスに辿りつくまでのモンスター共はどうするつもりじゃ」

「俺が片づける」

 言い切る詩人。

 それを否定できない一同は押し黙る。ハーマンもエレンとエクレアにつけている稽古は見ているし、キャプテンはフォルネウスを撃退した張本人が詩人だと聞いている。ウンディーネも魔王の盾を抜いてボルカノを瞬殺した現場を目撃しているし、フルブライトについては言わずもがな。

 しかしそれでも人間である以上、体力が無限にあるとは言えない。キャプテンは重ねて問い掛ける。

「それでフォルネウスと戦うまで体力は持つのかな?」

「俺はフォルネウスとは戦わないぞ」

「なに?」

「俺は、フォルネウスとは戦わない」

 てっきり詩人がフォルネウスと戦うと思っていたのだろう。キャプテンは詩人の返答に思わず聞き返してしまった。それでも力強く言い続ける詩人に狼狽してしまうキャプテン。

「で、で、で、では。フォ、フォルネウスとは、誰が戦う、のじゃ…?」

「ハーマンは戦うって言ったよな?」

「おう」

「エレンはどうする? 逃げても仕方ない相手だぞ」

「冗談。ここまできて引かないわよ」

「エクレアは? 無理にとは言わないが」

「エレンさんだけに無理はさせられないよ」

 応えるのは、爺と女と少女である。キャプテンの顔が一気に絶望に染まった。それに追撃をかけるのはモウゼスの覇者、ウンディーネ。

「それで、この三人だと勝ち目がどのくらいあると、詩人は思っているのかしら?」

「間違いが起きたら、かな」

 順当にいけば負けるだろう。そう言われても揺るぎはない三人だが、キャプテンはガックリとうなだれてしまう。そしてフルブライトは表情を動かさない。

 続けてウンディーネが重ねて問う。

「そこに、私が含まれたなら?」

「十に一つ」

「……そう」

 ウンディーネはフォルネウスを見ていない。だから詩人の言葉が本当か嘘かは分からない。分からないが、少なくとも言葉以上の確率はない事は事実だろう。そこで嘘をつく意味がない事は、ウンディーネもよく分かっている。

 考え込むウンディーネに、ハーマンが問い掛けた。

「それで、だ。姐ちゃんはフォルネウスと戦うのか? 尻尾を巻いて逃げるのか?」

「……」

「どうなんだ?」

「……保留ね。とりあえず、バンガードを動かす手伝いまでは喜んでさせて貰うわ」

 フォルネウスと戦うかはともかくとして、バンガードを動かすことには価値があると見出したのだろう。自身が直接戦うかは保留しつつ、協力する立場は崩さない。

 空気を変えるように口を挟むフルブライト。

「それで。必要な兵力は、バンガード船の防衛、大陸に残るバンガードの防衛、モウゼスの防衛。これだけでいいはずだが。

 我がフルブライト商会はどの程度協力(・・)をすればいいのかな?」

 その言葉にキャプテンとウンディーネの思考が切り替わる。

 ここで言う協力とは、言わば借りだ。どれだけ相手に権利を譲るか、と言い換えてもいい。既に二人ともフルブライト商会に兵は借りているが、バンガードの旗色はかなり悪い。モウゼスはウンディーネの支配下にフルブライトの兵が収まっている形になっているが、バンガードにおけるフルブライトは対等な協力者だ。これ以上の借りはフルブライトに主権が移りかねない。

「モウゼスは現状維持で結構よ。これ以上、忙しい方の手を煩わせる訳にはいかないわ」

 先に口を開くのはウンディーネ。実際、モウゼスは戦場からは程遠い。ボルカノの乱で疲弊した分と、己自身を含めたバンガードに居る術師以上の損失は見込めないので、借りがいらないのだ。バンガードを動かす術師はモウゼスからでないと捻出できないとなれば、価値は既に十分である。

 対して返答に困るのはキャプテンである。フォルネウスの攻撃でバンガードは瀕死に近いダメージを負ってしまった。既にフルブライト商会の手を借りて生き長らえている現状の上に、バンガードの陸海両方を守らなければならない。更にフォルネウスを倒す兵は出せないだろう。

 そこに気が付いたキャプテンは詩人の意見を採用するしかない事に気がつく。フルブライト商会はともかく、モウゼスやバンガードには攻撃を繰り出す体力がもはや存在しないのだ。ここでフルブライト商会にフォルネウスを倒す兵を出させるように進言すれば、もはやフォルネウスを倒したのは共同戦線ではなく、フルブライト商会になってしまう。モウゼスは後乗りでウンディーネ自身が参加すればいいだけの話。結局、バンガードだけが波に乗れないという状況になってしまうのだ。

 かといって防衛にフルブライトの兵を借りるのはもっとマズい。自身の兵が町を守らなければ、その瞬間フルブライト商会はバンガードの主権者に向かって牙を剥くだろう。フォルネウスを倒した後に迎え入れるのは、バンガードの主に変わったフルブライト商会だ。

 結局、キャプテンは言われた通りにするしかない。現状維持よりも良い案が浮かばないのだ。

「…バンガードもそのままでいい。海と陸で防衛力は分かれるが、割合はそのままで結構じゃ」

「承知した、フルブライト商会は無理は言わないとも。協力者の意見は最大限尊重しよう」

 爽やかな笑顔で答えるフルブライト。それに詩人は心の中で嘆息しながら思う。

(まーた腹黒い事を考えてやがる)

 その言葉が欲しかったとばかりの爽やかな笑顔を、詩人は何度見た事か。この男が交渉の場で爽やかな笑顔を繰り出す時は、何かを企んでいる事は確実なのだ。

 詩人は自分に実害が及ばないだろうから、その爽やかな笑顔を無視をする。例えフルブライトがバンガードやモウゼスを嵌めたとして、影響は何もないから問題ない。後でフルブライトが刺されるような事態になったとしても、それを助ければ貸し一つだ。むしろ美味しい話である。

 こんな事を考えている詩人もそれなり以上に黒いと、本人だけが気が付いていない。

 

 

 会議が終わり、個々人で動く時間もある。極一部を除いた誰しもが、他に知られたくない事をする時間というのは必要になる。フルブライトやウンディーネ、キャプテンといった政治家の側面を持つ人間にとって、その時間を守る事はとても重要だ。そして荒らす事も重要だ。

 情報が漏れないよう、厳重な警戒をしたバンガードにあるフルブライト商会所有の建物。そこでフルブライト23世と詩人が向かい合っていた。

「で、今度は何を企んでいる?」

「企むとは人聞きの悪い事を言うな」

「誰も聞いてない場所で人聞き悪い事を言って何が悪い」

 くくっと笑うフルブライトに詩人がため息を吐く。

「今回に限っては彼らを嵌めようとはしていないよ」

「彼らを、か。じゃあ、誰を嵌めようとしている?」

「おいおい、私が嵌めたような事を言うのはやめてくれたまえ。相手が墓穴を掘っただけさ」

「はぁ…。何でもいいが、俺には関係ないんだな?」

「おそらくな。問題が起きたのはツヴァイクで、王家が醜聞を晒してくれた。それをトーマス君が真っ先に拾ってくれたのさ。

 ロアーヌと一緒に責め立てる準備が進んでいる。君がユーステルムで一緒に仕事をしたウォード君にも動いて貰う予定さ。ある程度北にも人員が必要でね、向こうからこれ以上の人員が必要ないと言ってくれたのは助かった」

 フルブライト商会の人員も無限ではない。更にフルブライト23世が自在に動かせる兵力にも限りがある。

 まず動かせない兵力としてあげられるのが、町や商隊を守るための兵力だ。これらは減らしてしまうと即座に命や金が減ってしまうので、普通では減らせない。そしてグループとしての兵力もあるが、こちらも動かすのは大変だ。例えばラザイエフ家に協力を求めれば場合によっては兵を貸して貰えるが、時間もかかるし何より借りができる。

 そうしたものを削ぎ落としたものがフルブライト商会の実働兵力となるが、これが案外低い。数字にして2500程である。だがこれもいざという時の為に用意されている換えの効かない虎の子の兵力であり、そして金喰い虫だ。いざという時には働いてもらないと困るけれども、いざという時がなければバカ高い維持費のみが取られる。そして増やそうとしてもなかなか増えないため、高い維持費を払わなくてはいけないという、経営者としては頭痛と儲けの種である。

 今回は、最初にその虎の子の兵力全てを出して、バンガードとモウゼスを取り急ぎ守った。そして各所に根回しをして、町の兵のシフトを組みなおしたり稼ぎの少ない商隊の兵力を集め、1500名もの人員を捻出した。これでもフルブライトとしては虎の子の兵力1000を出している計算になる。確かに北に何か起きたとしたら、これ以上はここに人員は割けないだろう。

「代わりにここでこれ以上の影響力を増やす事は難しいぞ?」

「何を言う。バンガードの実権を必要以上に奪わないでくれと言ったのは君だろう? モウゼスにしてもウンディーネ君に恩が売れ、術も教えて貰えるなら十分以上だ。しっかり稼がせてもらった。この上でフォルネウスを倒せれば笑いが止まらないが」

 顔を真面目にして言うフルブライト。

「勝てるのか?」

「…分は、悪い」

 フルブライトは腹を割れと言う。しかし詩人の顔は苦いままだ。

「さっき言った事は嘘じゃない。エレンとエクレア、ハーマンだけじゃほぼ負ける。ウンディーネが混ざったところで十に一つ勝てるかどうか」

「ふむ。しかし、君の感じだと勝機があるようにも見える」

「ああ。勝機はある」

(西の果てにあるロブスター族、その助力を得られれば半々といったところか)

「が、それを言う訳にはいかないな?」

「なぜ?」

「ちょっと前、墓穴を掘った」

 苦々しく言う詩人にフルブライトが呆れた顔になる。

「お前、またミスしたのか?」

「相手が上手だったんだよ、お前と同じくな」

「はぁ。それで相手は誰だ? フォローは必要か?」

「相手はハーマンだ、言質を取られたに近いな。フォローはいらん。とりあえず納得して貰った」

「……まあ、気をつけろよ。私はお前の名前を知っているからいいが、他の者にとっては不気味過ぎる。探られて、痛い腹が見つかっても知らないぞ。なあ、アバロン11世?」

「……俺の名を気安く呼ぶな」

 殺意を込めた詩人にも飄々と崩さないフルブライト。彼とて場はわきまえている。

「お前が言ったのだろう? 誰も聞いていないところで聞かれて不味い名前を言って何が悪い?

 同じ聖王12将を祖に持つ我々だ。たまには親しく名前を言ってもいいだろう?」

「知るか。いつ、どこであれ、俺の名前を口にするな」

 殺気を止める気がない詩人に、おどけながら話題を変えるフルブライト。

 脇に置いてあった槍に手を伸ばし、掴んで詩人に手渡す。それを気軽に受け取る詩人。それと同時に殺意をしまう。流石に武器をもったまま殺意があるというのは色々とマズい。一応、誰にも聞かれていない前提でフルブライトの発言も許しているのだ。

 ピドナのレオナルド武器工房に保管して貰っている、詩人愛用の槍。ハルバードと呼ばれる斧槍をベースしたそれは、詩人が各所で集めた最高の素材で補強された特級品。

 彼がこれを持ち運ばないのは、単に重いからだ。各所を旅する詩人の持ち物は絞らなけらばならないが、いざという時の為に剣は手放せない。棍棒は普段使う武器であるし、遠距離攻撃の手段として弓も必須だ。そうなると、得意分野とはいえ槍を常に携える意味は薄くなる。そもそも、普通の敵なら体術で何とでもなる男だ。剣を持っている時点で弓以外の必要性は薄い。いや、弓さえも術を使えばどうにでもなる。

 そんな燃費のいい男である。滅多な事では槍を使わない訳で、普段はどこかに預けて必要に応じて取り出す体を取っている。現在の保管場所は先述した通り、世界の中心にあるピドナのレオナルド武器工房だ。

 軽く具合を確かめて、問題が無い事を確認する。これから起きるは大一番、フォルネウスの居城へ突入だ。愛槍を使うのもやぶさかではない。

「まあ、最悪フォルネウスに負けたとしても、エレンとエクレアは連れて帰ってやる」

「ラザイエフ家令嬢はともかく、エレン君を連れて帰ってくるとは?」

「トーマスが傘下にいるんだろう? 確か、妹のサラも居たはずだ。エレンの命も貸しにはなるだろうさ」

 一緒に旅をして、教えている者を貸し一つ扱いである。この男の死生観も大概だろう。

「ったく。お前には大事な者はいないのか?」

「……」

「おい?」

「大事な者がいない奴なんて、存在しない」

 固い声で返す詩人に、肩をすくめて返すフルブライトだった。

 

 詩人がフルブライトと密談を交わす一方で、また別の密談を交わす者達もいる。

 夜の宿に二人、エレンとハーマンだ。

「チビは?」

「もう寝たわよ。あの子、バンガードが動くのが楽しみで仕方ないみたい。はしゃいで昼間はバンガード中を走り回っているわ」

「それで詩人はフルブライトと密談で、ウンディーネは優男とお楽しみ、か。じゃあ手紙を見せろ」

 鋭い目つきをしたハーマンに、エレンは困惑顔で手紙を出す。それは聖王家に出した手紙の返答であり、詩人に内密で調べるように頼んだ物だった。

 それも当然、詩人の秘密を調べる事柄だからだ。フォルネウスを倒せる機会に倒さなかった事実を併記して、詩人を信じる為にも協力して欲しい、詩人から何か情報を引き出せたらそれを教えるとの条件付きで。

「けど、大した事は分からなったらしいわよ」

 ハーマンに手紙を渡しながらエレンは言う。

 手紙には無数にある蔵書を詩人が流し読みした事。書籍も数が多くてどれに目を通したのか分からない事。ただ、宿命の子については念入りに見つかったら連絡が欲しいと言っていた事。それくらいしか書いていない。

 しかしハーマンはそれを読んで顔をしかめる。あり得ない事が書いてあった。いや、あり得る事が書かれていなかった。

「おかしい」

「? なにが?」

「蔵書を流し読みしたってところだ。聖王家が把握しきれない量の本を流し読みしたって事は、内容はほとんど頭に入っていなかったはずだ」

「あ」

「それなのに、オリハルコーン製のイルカ像がフルブライト家にあった事や、その形。バンガードが動くと確信的に言った事。

 重要な事をピンポイントで知り過ぎている」

 ふむと考え込むハーマンに、真剣な顔をするエレン。

「つまり、詩人には他の情報源があるって事?」

「そうだ。聖王家にはその証拠作りの為に寄った可能性が高いな」

「……あいつはレオニード伯爵とも繋がりがあったわ」

「レオニード伯爵? あの吸血鬼か?」

「ええ。その事は積極的に言う事はなかったけど、隠す気もなかったみたい。

 それと、レオニード伯爵は詩人の本名を知っていた。そしてそれを詩人が知られたくない事も」

「なるほど。聖王家よりも吸血鬼伯爵の方が詩人に近そうだな」

「調べる?」

「やめておけ、吸血鬼は所詮モンスターだ。下手に手を出せば火傷じゃすまんぞ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「どうもしなくていい。どうやら詩人は今のところはこちらに害意がないようだ。とりあえず、四魔貴族を倒す手伝いをしてくれるならそれでいい。

 後はカマをかけるなり、ボロを出すなり、向こうから出る情報を集めろ。向こうが近場に居て違和感がない距離感を崩すな。幸い、チビはその辺りをかき乱す。ちょっとくらい不審に思われても問題はないだろう」

「率直に聞くわ。詩人はそこまで警戒しなければいけないの? あたしは命を助けて貰った事もあるし、今も鍛えて貰っているわ。恩人で恩師よ」

 エレンの言葉に目を細めるハーマン。その鋭さに、思わずエレンは怯んだ。

「世の中を舐めるんじゃねぇ。恩人? 恩師? そいつが裏切らない保証がどこにある? 親、兄弟、親友。それらは信じる根拠にはならん。信じていいのは三つだけだ。

 一つ目は自分。自分だけは裏切りを信じちゃいけねぇ。裏切る事も、たまにはある。けれども自分だけは信じ続けなけりゃいけねぇんだ。

 二つ目は自分が信じた者。これは変わるものだ。今日は信じられても、明日は信じられないなんてザラにある話だ。今、この瞬間、信じられるかどうか。それを考え続けろ。

 三つ目は自分が裏切られてもいい者。裏切りを許せる者は信じていい。どれだけ深い傷を負おうが、殺されようが、後悔しない者を選べ。

 詩人はお前自身か? お前が信じた者か? お前が裏切られてもいい者か?」

 ハーマンの言葉に無言で返すエレン。

 確かに詩人とは利害関係の一致で一緒にいるに過ぎない。エレンはゲートを閉じたい、詩人はゲートに近づくかもしれない宿命の子を探したい。

 そう考えると、エレンを鍛えているのだって簡単に死なれては困るからかも知れない。四魔貴族が劣勢に、もしくは人々が優勢にならないと宿命の子が動かないと思っているからなのかも知れない。詩人の心の裡など、エレンには計り知れないのだ。

「じゃあ、なんでハーマンはあたしを鍛えてくれるの? あたしに助言をくれるの?」

「ハッ! それはお前さんがフォルネウスを倒すと言ったからだ。あれだけ強いくせにフォルネウスと戦わない詩人にムカっ腹が立ったってのもあるな。

 ……とにかく、儂を信じろとは言わん。むしろ信じるな、さっき言った三つに当てはまらないならな。

 だが、それと同じように詩人も信じるな。奴は得体が知れん。その上で復讐に取りつかれておる。そういう奴は、最後に全てを裏切るぞ。いつかは自分自身さえも、な」

 ハーマンの言葉は重く響き、エレンは深く頷く。

 強い、自分より。ただそれだけで、相手を信じるのは難しくなる。何かあった時、自分が相手にならないからだ。

 

 

 ふと、エレンは詩人の心に思いを馳せた。

 彼女が知る誰より強い詩人は、どれだけ孤独なのだろう。どれだけ信じられていないのだろう。

 純粋に笑いかけるエクレアに、どれだけ救われているのだろう。こんな薄暗い宿で密談を交わす自分が、酷く汚らわしく思えた。

 願わくば。

 ああ、願わくば。

 彼を、いつか、信じたい。

 

 詩人をいつか信じてみたい。

 

 そうだ。信じるのではない、信じたいのだ。

 あの、強く、優しく、悲しい。そして恩人で恩師を。

 

 

 そう思った時、エレンの顔には笑顔が浮かんだ。

 突然笑ったエレン。その顔を見たハーマンは脈絡なく思ってしまった。

 まるで聖王のように美しい、と。

 

 

 




区切りでいいのでここで。
次回、伝説の船バンガードがとうとう動く!

と、いいなぁ…。


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026話

 

 バンガードの準備は整ったと言っていい。

 非戦闘員は大陸側のバンガードへと移し終え、溢れた住民はモウゼスかウィルミントンに移住している。特にウンディーネは術の素養がありそうな者に積極的な声かけをしており、人手を効率よく回収していた。チャンスを逃さずに利益を得るのも上に立つ者として重要な資質である。

 残った半島部分にはバンガードを動かした際に必要な人員が揃っていた。兵はもちろんだが、普段の生活をするのに必要な水夫やコックといった者たちも乗り込み、安全な中枢の近くにあった居住区で待機をしている。

「本当にバンガードが動くのかのぅ…」

 制御室にいる中核メンバーの中で、キャプテンが思わず弱気な言葉を吐いた。確かに、ここまでやってバンガードが動きませんでした、では本格的に笑い話にもならない。真面目な話、それだけでキャプテンは失脚するだろう。普通に人望を失う。

「ウンディーネの集めた玄武術師が本物なら間違いなく動く。心配するな」

「あら。責任重大ね」

 対して実害があまりない詩人やウンディーネは気楽なものである。と、見るのは底が浅い。ここで失敗したら彼らの影響力にも少なくない打撃があるのだ。気楽なのではなく、気負っていないだけ。

 その辺りは一緒に旅をしたエレンやエクレアには何となく分かったものだが、分からないキャプテンは更に情けない顔になる。

「頼むからしっかりしておくれ」

「ま、ふざけるのはここまでにしておきましょう」

 コホンと咳払いをしたウンディーネは配下の玄武術師たちを見渡して、よく通った声を響かせた。

「シンクロ、開始!」

「シンクロ、開始します。術力展開、50%!!」

 術師の中でリーダー格の男が復唱し、術力を引き上げる。

 数多の術師が絞り出した術力を纏め上げるのがそのリーダー格の役目。それを事前に把握していたバンガードの動力炉に注ぎ込み、推進力とする。

「術力展開、70%!!」

 試運転ではこの辺りが限界だった。しかし今はオリハルコーンがある。玄武術の効果を増幅させるその特殊な金属は、術師たちの力を文字通り倍加させる。

 淡く輝くイルカ像。それが段々と輝きを増していき、バンガードがゴゴゴゴゴと震えはじめる。

「術力最大展開、100%!!」

 振動は激しくなる一方だが、それ以外の変化はない。最大出力でこれなら、やはり無理なのか。そんな諦観が広まっていく。

 その中でチラリと詩人を見たウンディーネ。

 詩人は全く動じていなかった。バンガードが動くのは当然だと言わんばかりに、僅かな動揺も見られない。その姿にウンディーネは覚悟を決めた。

「出力を上げなさい!」

「しかしこれ以上は我々が! バンガードも耐えきれません!!」

「一瞬でいい、限界を超えなさい! 大地の鎖を断ち切るのよ!」

「くっ! 総員、出力上げろ!! ウンディーネ様のお言葉だ、黒い事も白くしろ!!

 出力増大、110%…120%……150%!!」

 その瞬間、微細な振動は唐突に打ち切られた。代わりに言い知れない一瞬の浮遊感。そして海への着水音と、波をかき分ける音が耳に届く。

 余りの出来事に呆然とする人々だが、詩人だけはニヤリと笑ってエクレアを肘でつついた。こういう事を言うのが好きだろうという茶目っ気でもある。

 即座に我に返ったエクレアは詩人に、にこりと笑い返すと、誰もが信じられないその言葉をバンガード中に響かせた。

 

「バンガード 発 進 !!」

 

 更なる歓声が爆発した。

 

 

 

 日にちが経つ。バンガードはひたすら西へ西へと突き進んだ。

 船旅とはいえ、島ごと動くのである。揺れは軽微で酔いはない。ふと気が付かなければ陸で生活しているのと同じだった。

 その中でも詩人たち一行は変わらない。術を学び、乱取りをして、武術を鍛える。特にエレンはハーマンから術と斧術の合成技まで学んでいた。理論的に教えてくれるハーマンは、エレンにぴったりの教師だと言っていい。術と技とを同時に学ぶ二人だが、エレンとエクレアの方向性は異なっている。

 エレンは術と技を別の物と考えずに基礎から組み合わせて戦い方を構築していった。基本からもれなく学ぶエレンは先に進んでも、何か引っかかりを感じたら基礎まで戻り、学び直す。そして万全だと感じたら進み、当たり前の事を完全にできるようになるまで反復した。それは当然のように思えるが、存外難しい事は詩人やウンディーネ、ハーマンはよく知っている。

 対してエクレアはその奔放な性格そのままに、好きな事を好きなように好きなだけ成長させていく。自分の感性そのままに成長するのは何よりも効率がいい。その伸びは詩人が驚き、ハーマンも恐れた程だった。

(チビは底が知れねぇ、儂なんぞ簡単に超えるんじゃねぇか…?)

 そんな日々にも終わりがくる。バンガードが遂に西の果てに着いたのだ。

 

 西の最果てにあるその島は、永遠と落ち続ける滝の間際にあった。今際と思えるその状況で、住人である赤い甲羅のロブスター族は呑気に暮らしていた。

 陽気で呑気な音楽を奏で、木に成った果実を食べて、陽を浴びて過ごす。そんな一族だ。

「客人? ブラック以来かな? あまり長居しない方がいいよ、間もなくこの島は滅ぶから」

 ……自分の滅びを理解して、それでもなお気楽に過ごせる種族だった。

「ちょっと待って」

「滅びるとか。その辺りの話を詳しく」

 自身の感性とは大きく違うロブスター族に、ウンディーネとエレンは困惑しながら尋ねる。

「ロブスター族はフォルネウスの海底宮の場所を知っているからな。口封じのためにフォルネウスが刺客を放ったのさ」

「来たのは水龍、玄武術を得意とする我々とは相性が悪い」

「どうせいつか果ての滝に削られてこの島はなくなるしな。早いか遅いかの違いだ」

「おお、あれがブラックに聞いた伝説のバンガード! 私も乗ってみたいものだ」

「あ、海底宮の居場所は教えるよ。頑張ってフォルネウスに挑んできてくれたまえ」

「そんな事はどうでもいいとしてだ。この音楽はどうだ? ブラックに教えて貰ったものをアレンジしてみた」

「木の実も分けるぞ。自慢の一品だ、ぜひとも口にしてくれ」

 出るわ出るわ、重要情報とどうでもいい世間話。そして人族とどこかズレているその感性に戦慄する女二人。

「お~。いい音楽だね、まったりできそう! 教えて教えて!」

「いいぞ~。ロブスター族は爪が片方二本しかないが、人族は爪が片方五本あるからな。もっと上手に弾けるんじゃないか?」

 女二人である。女三人ではない。エクレアはあっさりとロブスター族に順応してしまった。

 全力で固まる彼女等はさておいて、頭を抱える男二人。

「変わらんな、ここは…」

「他にする事はないのか…」

 

 仕切り直し。

 

 ここ、最果ての島はフォルネウスの居城である海底宮の場所を知っている為に、フォルネウスが放った刺客である水龍に滅ぼされる寸前らしい。

 水龍は島の内部に入り込み、破壊活動を行っている。そしてもう間も無く最果ての島は破壊されるらしい。

 しかしロブスター族はそれを気にしない。滅びるものは滅びるとそれを受け入れている。そもそも果ての滝に削られるこの島の寿命は長くはない、早いか遅いかの違いだ。

 その証拠にフォルネウスの居城の位置を対価なく教えてくれる、別に水龍を倒すとは関係なく。

「私もバンガードに乗せて欲しいものだ」

 呑気にそんな事を言う者までいる始末である。だから、それを対価にしろという。交渉のこの字も知らない連中である。

 少し時間をくれと言ってから円陣を組む5人。余りの人畜無害さにウンディーネが困惑しながら口を開く。

「ちょっと、どうするのよコレ」

「ここを無視して海底宮に行くか、水龍を倒して海底宮に行くか、ですよね…?」

 エレンが一応の方針を確認する。緊張感が無さすぎて重い言葉の割に実感がない。

「私たちが何もしなかったらこの島が無くなっちゃうんでしょ? 助けようよ」

「儂も同感だ。わざわざ死期を早める事もあるまい。フォルネウスの居場所を教えてくれた礼に、ひと肌脱いでもいいだろう」

 エクレアが核心を口にして、ハーマンもそれにのる。

 詩人も自分の意見を言った。

「水龍がどの程度のモンスターかは分からないが、フォルネウスの手下なら奴より弱いだろう。加減を知るのに丁度いい。

 それにフォルネウスの思惑通りに事が進むのも癪だ。アビスの企みは一つ残らず叩き潰すに限る」

 それに頷いて応えるエレンとウンディーネ。

 どうやら、最果ての島を見殺すには一同は冷酷になり切れなかったらしい。それにもう間も無くフォルネウスとの対決が控えている。僅かでも実戦の機会は逃す必要はないだろう。強い相手なら尚更だ。

「で、だ」

 ハーマンは困った顔でチラリと横目で一人のロブスター族を見る。

「あいつはどうする? 一緒に来たがっているのは分かるが」

「バンガードに乗ってみたいって…観光気分で来られても困るわよね」

「けどさー。ロブスター族ってだいたいそんな感じじゃん? あの人なりに本気だと思うけど」

「……」

 少し考え込んで、詩人がロブスター族に声をかけた。

「お前、名前はなんて言う?」

「私か。ボストンだ」

「ボストン、俺らは水龍やフォルネウスと戦い、勝つ。一緒に戦うなら、その過程でバンガードにも乗れるぞ。もし強いなら歓迎する」

「おお、それはありがたい! 私が強いかは分からないが、ご一緒させて貰おう!」

 どこか締まらない、不安を感じさせる返事と共に。

 ボストンが同行する事が決定した。

 

 島の内部に入り込み、奥を目指す。中核を破壊されて脆くなった最果ての島は、一気に滝に削られて消滅する。そうして水龍は島を破壊するつもりらしい。

 ボストンはそう説明しつつ、道案内をする。フォルネウスは水龍以外にも水棲モンスターを派遣して、中に進む者を妨害していた。もちろん雑魚モンスターに今更手間取るはずもなく、一行は湧き出るモンスターたちを一蹴していく。

 槍を突き出してくる男型魚人のニクサー。対するはエクレアだが、その槍捌きは詩人のそれに比べればまるでハエが止まるよう。バスタードソードを握りしめ、受け流した体勢から回転し、無防備になったその体を切り落とす。多く使っている事もあり、その熟練度は高くなっている。

 毒を吐きながら近づいてくる蟹型モンスターであるポイゾナスクラブ。エレンはその毒に触れないように錬気拳を応用した空気投げで、斧を両手で持ったままポイゾナスクラブを地面に叩きつけた。隙だらけのその体に向かって斧を振り下ろし、絶命させる。技という程でないその一撃だが、ここ数日の訓練でその鋭さは増す一方だ。基礎に忠実なエレンだからこそ、隙を生じさせにくい基本攻撃の練度は上がっていく。

 血を吸う水中花がハーマンに迫るも、たくみなステップでそれをかわしていく。片足が義足とは思えないその動きで相手を翻弄し、やがてできた隙に向かって思いっきり斧で両断する。大木断、その高威力の一撃は水中花をへし折って生命活動を停止させた。ハーマンは年の功というか、安定感がある。一番心配しなくていいだろう。

 そして仲間になったばかりのボストンも、意外というか強い。複数の殺魚を相手にして、両手にあるハサミでその体を容赦なく断ち切っていく。体捌きは体術ながらも斬撃効果もあるその一撃は、人間が磨き上げた体術とは違いながらも種族の特徴であるハサミを最大限に生かしていた。

「安心して見ていられるわね」

「ああ。後は強敵相手にどこまで戦えるか、だな」

 後方でフォローをする為に待機していたウンディーネと詩人は暇である。前衛がミスらしいミスをしないので当然の話だが。

 というか。雑魚モンスターで手間取るようではフォルネウスを倒すなんて夢のまた夢だ。この程度は当たり前にできて貰わないと困る。

 快進撃はそのまま続き、最奥に居る水龍の元まで辿りつくのに時間はかからなかった。

 

 滝から突き出た島の一部。そこにこの騒ぎの元凶である水龍はいた。ある程度の広さがある場所とはいえ、下は底知れない永遠の奈落だ。落ちたら即死、その恐怖は持ってしかるべきである。

 その中央に陣取っていた水龍は現れた人間たちをギロリと睨みつけ、咆哮をあげる。

 グオオオオオォォォォォ!!

 それにひるまず、戦士たちは躍り出る。ただ一人、下がって弓を携える詩人だけを除いて。

 先陣をきるのはエクレア。その斜め後ろにエレンが追従し、妹分をフォローできる位置を取る。最後尾にはウンディーネ、術師である彼女は接近戦に向かないため、戦いの全景を見渡せる場所を好む。そしてその斜め前にはハーマン。ウンディーネを守れた上で攻めにも転じやすい熟練者のみがとれる間合いだ。ボストンは連携を合わせられるほど時間を重ねていないので、全員の真ん中でどんな事態にも対応できるようにしている。

 そしてそれは龍陣と呼ばれる陣形になっていた。先頭のエクレアを起点として、後続が連続して敵に襲い掛かる陣形。その性質上、多数の雑魚ではなく単一の強敵を相手取るのに向いた陣形でもある。

 攻撃を仕掛けてくる人間たちを座して待ち構える、という悠長な事は水龍の選択肢にはもちろんない。そもそも最果ての島を破壊するために送り込まれるほど獰猛な性格をしているのである。近づいてくるなら好都合、むしろ自分から攻める手間が省けるというものだ。

 水龍は、言うなれば東洋の龍のような細長い体をしている。その巨体と相まって、リーチは長い。首の近くを支点にして尻尾を振り回し、尾撃をくわえる。狙いは先頭にいるエクレアであり、その攻撃範囲にはエレンとボストンまで含まれた。エクレアは回避をしようとすればできるが、尾撃の攻撃範囲が仲間を巻き込むとあってはそれを選ぶ事はできない。咄嗟に止まり、バスタードソードを巧みに繊細に振り上げて、体全体で回転する勢いも合わせた剣戟でその尻尾を上に逸らす。

 無形の位。相手の動きを見切り、その攻撃を最小の動きで回避する技であり、その習得には極めて高いセンスと技量が必要とされる。相手の動きを見極める洞察眼と、それを効率良く捌く運動能力。そしてそれを成立させる才能。それを併せ持つエクレアだからこそ可能な技だ。今回は水龍が攻撃する威力が威力なので大きく動いてしまったが、その破壊力に比較すれば動きは最小限なのである。

 一撃を無効化された水龍にエレンが躍りかかる。握った拳でその眉間に短勁を叩き込み、次いで斧で首筋を斬りつける。続くボストン、そのハサミで水龍の長い体を乱打して傷をつけつつ、素早くその攻撃範囲から逃れて追撃される事を防ぐ。そこに飛んでくるのは小さな手斧、ハーマンが投げたトマホークだ。エレンが以前に多くの小さな手斧をトマホーク用に携帯していたという話を聞き、その真似をして遠距離からでも攻撃手段を確保した。常人より素早いとはいえ片足が義足の彼はやはり素早さとバランスに難がある。こういった搦め手の方が集団戦では貢献できることが多い。

 連続して攻撃を喰らった水龍は怒りに任せて術を発動させる。玄武術の基本であるスコールだ。それを確認したウンディーネは対抗呪文として同じ術を選択し、詠唱する。即座に使う事もできなくはないが、やはり詠唱した方が術というものは威力が出るのだ。

「スコール!」

 水龍のスコールと、ウンディーネのスコールがぶつかり合い、相殺し合う。怒りに任せて使った水龍のスコールよりか詠唱をしたウンディーネのスコールの方が強く、押し切ってその威力ある雨粒が水龍を叩く。

 叩くが、そこは名前の通りの水龍。多少の水などなんの痛痒も感じない。それがどうしたと口を開き、牙を剥きながら蛇行してその歯で進行上の者を切り裂いていく。そこにいたのは、攻撃を逸らして無防備になったエクレアと深く切り込んで離脱が遅れたエレン。

「きゃあ!」

「くっ!」

 エレンはなんとか浅い傷をつけられただけで済んだが、エクレアはそうもいかなかった。水龍の牙が太ももを深く切り裂いて、その巨体にはね飛ばされてゴロゴロと地面を転がる。

「生命の水!」

 それに間髪入れずに癒しの水の術を発動させたのはボストン。大きく出血した傷は小さくなり、命に別状はない程度になる。しかしそれだけではまだ戦線復帰とはならない。死ぬほどのダメージではなくとも、寝込む程のダメージはまだ残っているのだ。それが純粋な術師ではないボストンの限界だった。

「生命の水」

 故に術の専門家であるウンディーネが続けて癒しの水を振りかける。その効果の違いは大きく、エクレアを瞬く間に完治させた。

 そんな連続した術を唱えている間に、攻撃に専念していたハーマンの大技が完成する。長い詠唱を必要とする代わりに、術の中で最高峰の威力を誇る蒼龍術を唱え終えた。

「トルネード!」

 風が渦巻き、巻き上がり、吹き荒れる。周囲の小石をも内側に取り込んだその風は、上へ上へと真空の刃を合わせて中心にいる水龍に深刻な裂傷と打撲を与え続けていく。

 水龍が悲鳴をあげる。巻き上がる竜巻は雄叫びに聞こえる。二匹のドラゴンが叫ぶ大絶叫。

 それが終わるのに合わせて飛び込んだのは、瞳に怒りを宿したエクレア。受けた痛みは倍にして返してやると言わんばかりに、水龍の目の前で止まって大きな隙と共に溜めをつくる。後ろに回したバスタードソードは、大きな弧を描いて振り上げられて振り落とされる。その凄まじい剣速に、切っ先は炎熱を纏っていた。

「ブルクラッシュ!」

 斬撃と打撃、そして熱を含んだその一撃は。清々しくこれ以上なく、手本のように水龍の体に深刻なダメージを与える。

 痛みにのたうち回る水龍だが、それは尻尾以外の話。その頭とは逆の先端はエレンによって抑え込まれていた。

「全員、伏せてっ!」

 エレンの言葉を無視する仲間は誰もいない。エレンがしそうな事を察してしまったからだ。

 錬気拳を発動。重力場を操作し、自身を重くして勢いに流されないようにする。そして安定させたその体を軸に、尻尾を掴んだ水龍をグルグル、グルグル、グルグルグルと遠心力をつけながら振り回す。細長い体をした水龍はその力に逆らう事が出来ず、僅かな抵抗の後にピンと一本の縄のように伸ばされてしまった。振り回される水龍の視界には、世界の果てである滝とその向こうの虚無が交互に見える。

 まさか、と絶望に思う間は短い。そのまさかの選択をするのは敵として当然の事。

「ジャイ、アント、スイィングゥゥゥ!!」

 遠心力のそのままに、振り回す勢いをそのままに。水龍を滝とは逆の虚無に向かって投げ飛ばしたエレン。

 水龍は情けない悲鳴を上げながら、どことも知れない場所へと墜ちていった。

「勝ちっ!」

 無邪気なエクレアの言葉を空恐ろしく感じたのは、多分ウンディーネの気のせいだろう。

「やったわね」

 一仕事終えたとばかりにイイ笑顔を浮かべた実行犯であるエレンに戦慄するのも、もちろん気のせいである。

 

 ウンディーネは虚無を見る。永遠に墜ち続けるか、それともいつかどこかの底に激突するか。

 どちらにせよ、自分は絶対にゴメンだと思う終わり方をする水龍に僅かな哀れみを感じた事だけは気のせいではなかっただろう。

 

 

 



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027話

UA・約4000アップ 計10000越え
お気に入り・400件突破
評価数・約3倍 しかもほとんどが高評価

26話にいったい何が!? と、最初は喜びよりも困惑が勝った作者でした。
お付き合いいただいている皆様に感謝を。


 

 

 バンガードに帰投した一行は、ロブスター族に教えられた通りのポイントへと向かう。海底宮、フォルネウスが拠点とするアビスへ通ずる門。それが存在する真上までは海上を移動して、海中に潜りその最奥地を目指すのだ。

 海中に潜るには、バンガードに備え付けられた海底宮強襲用の別機を使う。島バンガードが戦艦だとすると、それはいわば潜水艇だ。バンガード海中部に備え付けられたそれは、聖王がかつて海底宮に突入するのに使ったものである。

 その別機の定員は約30名。運航に5名必要であり、討伐班で更に同じくらいの人数がいる。そうなると海底宮に接舷しながらこれを守り切らなければならない人員は20名程度となる。これは相当に厳しい。相手は全兵力を繰り出してくるのにそれを防衛する人数は20名。はっきり正直に言えば、無理な話という奴だ。

 故に定期的に接舷するという案が取られた。まず最初に討伐班を送り出すのに接舷し、その時はできるだけ早く離脱する。そして翌日の正午にまた潜りなおし、その際には1時間のみ接舷して退却。これを繰り返す。接舷する時刻は海底宮を発見する時間によって変わるから、具体的には決められない。

 もちろん、フォルネウス軍の本拠地と言える部分に1時間も接舷し、それをたったの20名程度で捌くのである。かなりの激戦が予想され、ここに各都市最強の手札が揃う事になった。

 モウゼスからはウンディーネの最も信頼厚い術師が5名。熟練の連携を得意とし、また周囲のサポートもこなす万能型の精鋭だ。回復役も兼ねる意味で生命線でもあるだろう。

 フルブライトは自身の護衛を繰り出した。『聖将の矛』という部隊で、フルブライト個人で持つ最高質の兵である。どのくらい強いかといえば、上位の強さは討伐班とほとんど変わらない強さを持つといえば分かりやすいだろうか。エレンやエクレア、ハーマンといったドラゴン討伐を可能としたのと同じレベルである。おおよそ30名いるその部隊のうち、半数はウィルミントンに残っており、町やフルブライトを守っている。そして、残りの全員が別機に乗り込む。

 バンガードから出す人員は1名。ただし、西部最強と名高い剣士でもある。世界中にいる強者にあだ名がつく事は珍しい事ではないが、その中でも格というのは存在する。それは高威力の技や術に例えられる事が多く、例えばハリードがトルネードと呼ばれていた事もその一例である。西部最強の剣士が背負った名前は『サザンクロス』という。彼女が最も得意とする小剣技であり、その流麗な技と素早い動きで敵を幻惑して一刺しで仕留める。そんな剣士だ。

 以上の猛者たちが別機を守る他、海底宮に攻撃を繰り出されたらバンガード船にも反撃が予想される。残りの軍はこの来襲するフォルネウス軍を相手取るのに、日夜の区別なく戦い続けなくてはならない。海底宮に大きく軍を割くと予想されるが、予断は許されない。

 この戦いの終わりは二つしかない。一つは討伐班によるフォルネウスの殲滅だ。そうすれば堂々の凱旋となり、人間側の勝利となる。もう一つは島バンガードにフォルネウスが来襲する事。ゲートを守るべきフォルネウスの襲来は、討伐班を含めた別機に搭乗する人員の全滅を意味する。精鋭全てを失うという人間側の敗北シナリオだ。また、討伐班の撤退など考えられる可能性は他にもあるが、おおよそこの二つがこの戦いの終わりだと予想された。

 

 そこまでの話し合いは既に終わっている。故に、今は海底宮の真上のポイントにつくまで、束の間の休息に各々が寛いでいるところだった。

 

 ハーマンと詩人、そしてエクレアは海際に座り、竿を持って糸を海に垂らしている。釣りだ。

 深く考える事が無くて頭を休ませつつ、最低限の緊張感は持たなければならないということで、特にハーマンは時間が空けば釣りを楽しんでいた。たまにかかる大物を釣り上げた時の爽快感も悪くないというのも理由である。

 珍しく暇を持て余した詩人と、バンガードを走り回る事に飽きたエクレアも今日は並んで釣りに興じている。

 が、経験の差は如何ともし難い。なんだかんだ芸達者な詩人や、もはや釣りはプロの域であるハーマンと違い、初心者であるエクレアは一匹も連れていない。

「…う~」

「そうカリカリするな、チビ。釣りっていうのは釣り上げる事だけを楽しむものじゃねぇ。潮風を感じて波の音を聞く。それだけでもずいぶん緊張はほぐれるもんだ」

「それに、そういった感覚は地の術の鍛錬にもなるしな。とにかく、釣れる事を目的にするんじゃなくてだな。決戦前の貴重な自由時間に、心を落ち着ける事を目的にしても悪くないぞ」

 そう言いつつ、ハーマンと詩人はまた魚を釣り上げた。中々大きいサイズであり、機嫌が上昇する二人。それに比例して機嫌が低下するエクレア。

(釣れる方が楽しいに決まってるじゃん!)

 ブスっとするエクレアだが、その眼前の海から唐突に飛沫があがり、大きなナニカが海から飛び出してくる。

 すわ魔物かと即座に臨戦態勢を整える三人であったが、それは杞憂であった。姿を現したのはボストン。ロブスター族であるボストンはモンスターが跋扈する海を泳いで楽しんでいるらしい。しかもお土産付きで。

「おお、それは釣りというものだな! 手にハサミしか持たない我々では難しい娯楽と聞く。良きかな良きかな!」

「……」

「……」

「……」

「ん? どうしたのかな?」

「あ~、ボストン。君が抱えている魚は、一体何かな?」

「これか? マグロという魚だ。海で泳いでいたら見つけてね。つい捕まえてしまった。これで今日は精がつくものが食べられるな!」

 ハッハッハと快活に笑うボストン。その彼が持つマグロは人一人くらいの大きさを持つサイズである。ハーマンや詩人が釣り上げた魚とは比べ物にならない。

 ボストンは気負う事なくマグロを担ぎ上げると、そのまま調理場へ向かって歩いていく。恐らく、今日の夕食は豪勢になるだろう。

 残された面々で、特に険悪になる男が一人。

「…ハーマン、落ち着け?」

「うるさい、釣るぞ!」

 意地になる男。もといガキ。成人した男で、爺のはずなのだが。

 それを醒めた目で見るエクレア。

「ジジィの心、狭いなぁ…」

「チビ、男には引けない事があるんだ」

「それ、絶対今じゃないと思う…」

「マイペース、マイペースな。釣りは楽しめ、な?」

 なんとかなだめようとする詩人だが、ハーマンには通じない。

 結局、釣り遊びに満足した詩人と付き合いきれないエクレアが席を外しても、ハーマンは動かなかった。日が暮れるまで釣りを続けた。

 普通サイズの魚は大量で、これはこれで喜ばれたとだけは言っておこう。

 

 夜になれば酒場が賑わう時間である。

 フォルネウスとの決戦が近づき、緊張感が日に日に高まるからこそ酒場はより一層の賑わいを見せる。

 そんな中、珍しく詩を歌う詩人。酒場の中央のお立ち台に立って、酒場中に聞こえるように、酒場から飛び出すように。その詩は響いていた。

 

 

 お前は何故剣を取る お前は何故剣を振るう?

 幼きお前の手には愛があり 昔のお前は愛を振りまいた

 今やお前の手は血にまみれ 怨嗟の声を振りまいている

 

 だが、だが それゆえお前は笑顔を守っている 幼き子供の笑顔をつくっている

 

 お前は何故剣を取る お前は何故剣を振るう?

 守るべき者を思い出せ 助ける家族を思い出せ

 幼きその子は笑いかけ 愛しきその子は愛を撒く

 

 剣を持てば忘るること 決してそれを失うな

 

 お前が願うは悲劇でない 悲しみでなく 憎悪でない

 守るは笑顔 願うは幸せ 得るは栄光

 人々に喜びを与えることに勝るものなし 忘れる事なく戦い続けよ――!!

 

 

 歌い終わった詩人を歓声が包んだ。酔っ払いたちは勇ましく優しい詩を歌った詩人へのおひねりとして、壁に下げられた布袋に銅貨を入れる。酒を飲むばかりでは味気ない、やはりこういった娯楽は適度なスパイスとなって人々の心を楽しませるものだ。

 気前よくおひねりを入れた酔っ払いたちは、更なる酔いを体験するべく酒を口に運んでいく。もう他人を気にする者はいない、メシを喰らい酒に呑まれる者ばかりだ。

 だからそれに気が付いたのは、お立ち台で詩を歌って酒を飲まなかった詩人だけだった。まあ、彼なら酒を飲んでいたとして気が付いたかも知れないが。

 それはともかくとして、一仕事終えた詩人は布袋と共におひねりを回収すると酒場を出る。少し前に酒場を出ていった後ろ姿を追いかけるために。そしてそれはすぐに見つかった。酒場を出たばかりのところで小さくうずくまっている人影。その人影の名前を優しく呼びかける詩人。

「エレン」

「し、じん…?」

「どうした? 酔ったのか? お前らしくもない」

 そんな訳ない事は、真っ青な顔で体を震わせている彼女を見ればすぐ分かる。そもそも彼女はザルというかワクであり、詩人はエレンは酔い潰れたところを見た事が無い。それがまだ宵の口であるこの時間で潰れる訳がない。

 体を細かく震わせるエレンと同じ感情の発露を、詩人は幾度となく見た。それ故の軽口だ。それは恐怖、死という終わりに対して当然の感情だった。

「詩人は…怖くないの?」

「……」

「いくら強くても、死ぬ時は死ぬわ。それが、怖くないの…?」

「……」

「あたしは、怖い。

 ……思い出しちゃった、フォルネウスと戦った事。負けた事。死にかけた事っ!」

 今までは勇気と意志力で塗りつぶしてきたそれ。だがしかし、決戦の前に空白の時間ができた事で、脳裏によぎってしまった敗戦の記憶。

 あの時、詩人が間に合わなければ死んでいた。そうでなくてもフォルネウスは巨大であり、多くの攻撃が即死級の威力を持っているのだ。エクレアと二人で挑んだ時だって、何かの間違いで死んでいた可能性も、今にして思えば高い。

 それにもう一度挑まなければならない恐怖。もちろん鍛錬は積んできた。反吐を吐きつつ血を流し、敵を屠って己を高める。更に高い威力の攻撃を逸らし減じる訓練は積んできた。だが、自分をかつて殺しかけたあの四魔貴族にそれが通用するかは分からない。自分の攻撃が通じるか分からない。勝てるかどうか、分からない。

「……それを、もう少しでも分かっていれば。何かが違っていたのかもな」

「え?」

「死ぬのは怖くなかったな、昔からずっと。

 もちろん死ぬのは嫌だから、対策はとった。だが、それだって絶対じゃない。エレンが言う通り、死ぬ時は死ぬものだ。

 ……だが、俺は、たったの一度も死ぬ事が怖いと思った事はない」

「っ! どうしてっ! どうして死ぬ事が怖くないのよっ!!」

 激高し、怒鳴りつけてしまったエレン。その揺れる瞳を視線で射抜き、詩人ははっきりと告げた。

「死ぬよりも怖い事があったからだ。

 俺が逃げれば、多くの人が傷つく。苦しむ。そして、死ぬ。その方がずっと怖かった」

「!」

 そうだ。エレンが逃げたとしたら、そのツケは誰が払うのか。

 思い出すのはサラ、そしてエクレア。自分を頼ってくれる、可愛い子たち。

「……裏切られ、全てを失ってからも同じだ。

 憎悪、悲哀、憤怒。奴等を必ず皆殺しにする。その為なら命をかけたって惜しくはない。いや、命と誇りにかけて皆殺しにしてやる。そう思えたら、死ぬ恐怖なんて感じなくなっていたよ」

 昏く激しい言葉を口にしながら、詩人は優しく微笑んでいた。その顔をエレンに向けて、言う。

「エレン。怖いなら、逃げろ。その選択肢は間違っていない。きっと、死ぬ恐怖からは逃げきれない。だから逃げていい。人である限り、それは赦される事なんだ。

 死に追いつかれるまで、逃げ続けていい」

「……」

「宿命の子が動く気配は未だない。最後には四魔貴族に世界は支配されるかも知れない。その責任は、少なくとも今のエレンにはない。

 逃げるお前を責める資格がある奴なんていない。だから、今、ここで決めろ。逃げるのか、戦うのか。

 どんな理由や事情があろうと、自分の運命の決断だけは、自分でしなくてはいけないんだ」

 優しい笑みで厳しい言葉を言う詩人。この男は決して甘くはない。だからこそ、自分自身の手でゲートを閉じると言い切ったエレンを認めて、鍛えた。

 しかしそれでも、強くなってから見えるものはある。それに怯えて折れてしまうことも、ある。それが悪いとは思わない。故に聞いた、ここが最後のチャンスだと。逃げるなら今しかないと。逃げれば信用や期待、そして人々の暮らしといったものは失われるだろう。だが、自分の命だけは助かるのだ。それを選ぶことは恥ではない。詩人はそう言っていた。

 そして、エレンの答えは決まっていた。力強く、その言葉を言う。

「戦う」

 もしかしたら、この時が初めてかも知れない。エレンが心の底から戦う覚悟を決めたのは。

 今までは戦わなければならなかった、最愛の妹であるサラの為に。逃げる選択肢を考えもしなかったのだ。

 死の恐怖に怯え、全てを投げ出したくなる心。それを自覚して初めてエレンの前に逃げるという道が拓けた。自分の命の重さを感じ取ったといっていい。死ぬかもしれない、ではない。死ぬだろうことに挑む、その無謀さがようやく理解できたのだ。

 それを呑み込んだ上で戦う覚悟。それは高みに昇るためには絶対に必要な事。エレンに欠けていた最も大きなものが、たった今埋まった。

「勝てよ」

「ええ!」

 エレンの瞳には、恐怖と共に決意が宿った。

 それでいい。恐怖を含まない、恐怖を見た事がない、恐怖に打ち勝った事がない。そんな決意は脆いか狂信かだ。長くは持たない。

 酒場から喧騒が聞こえる。彼らは死ぬ事を覚悟して笑っているのだろうか? それとも死ぬ事から目を逸らして笑っているのだろうか?

 きっと後者だと、エレンは思えた。さっきまでの自分と同じだ。死ぬ事なんて想像もしていないのだろう。戦場に行くのに、戦いに行くのに、殺しに行くのに。殺されるという可能性を直視する事は、きっと怖くてできないのだ。

「詩人」

「ん?」

「……ありがと」

「……どういたしまして」

 懐から酒瓶を二つ取り出した詩人は、片方をエレンに渡す。

 それをカチンと合わせて、一気に呷る。夜空を肴に酒を飲む二人。その顔は清らかさが混じった、清々しいものだった。

 

 

 ところ変わって、場所は宿。

 大人の飲み会など興味がないエクレアは早々に自分の部屋に帰っていた。毎日毎日よく飽きないなと、むしろ感心するくらいである。ちなみにそう思っているエクレアはこの時間、飽きもせず甘いお菓子を食べて紅茶をすすっている。

 そして今日はそんなエクレアのもとに客が訪れていた。未だに自分の立ち位置を定めていないウンディーネである。

「ウンディーネさんは酒場に行かないの?」

「品が無さすぎよ、あんなところ。もっと上品なバーがあったら行きますけどね」

 辟易としてウンディーネが言う。どうやら彼女はああいった雰囲気が嫌いなようだ。

 そもそもとしてウンディーネはそこまで酒飲みではない。夜の時間は術の研究か、それともお楽しみかに使う。こうしてエクレアのところに顔を出す事は珍しい。

「で。私に何か用があったりする?」

「まあね。私もそろそろ決めなくちゃいけないから」

 そんな珍しい事があるなら、その理由があると考えるのは当然の事だろう。エクレアがまむまむとシュークリームを齧る傍らで、ウンディーネは持参した酒を開けてグラスに注ぐ。それは高級品どころではない特級品であり、グラスも意匠がこらされていた。ウンディーネ風に言うならば品がある酒の飲み方なのだろう。

 エクレアもウンディーネが酔っぱらって絡んだり、騒いで気分を害したりするタイプでない事を知っているため、酒を飲む事自体は気にしていない。だが、別のところが気になってエクレアは素直に聞いた。

「どーでもいいけど。お酒を飲みながら、私に何か聞いて決める訳?」

「お酒を飲まなきゃやってられない事もあるのよ、大人には。勢いをつけるのも大事。行くも、戻るも」

 そう言いながら、グラスに口付けて傾けるウンディーネ。優雅にするのはこの女性にとっての癖のようなものらしい。

 軽く口を湿らせる程度に口に含み、飲み下ろしたウンディーネはしっかりとした瞳でエクレアを見据える。

「率直に聞くわ。貴女から見たフォルネウスはどう? 勝ち目は本当にあると思う?」

「バケモノだね。勝ち目は分かんない」

 真剣な言葉に軽く返すエクレア。その言葉は止まらない。

「デカい体、威力ある攻撃、タフな体力。ドラゴンとはケタが違うよ、フォルネウス。でも勝てないとは言わないよ」

「その根拠は?」

「だって、まだ負けてない」

 その意味を、ウンディーネには理解できない。

「貴女、バンガードでフォルネウスに負けたって聞いたけど」

「やられたよ。エレンさんと一緒に、それはもうコテンパンにされちゃった。ちょっと泣いたし、戦うのが怖くないって言ったら嘘になるかなぁ。

 けど、私はまだ生きていて、エレンさんと一緒に強くなった。それに今度はウンディーネさんも、ボストンもいる。ついでにジジイもだけど」

「私はまだ戦うと決めた訳じゃないわ」

「スッキリしないね、おばさん」

「あ゛!? 今なんつった、小娘」

「なんでもありませーん」

 禁句を口にしたエクレアに、ドスの効いた声と共に睨みつけるウンディーネ。それを気にしないでさらりと流す子供。

 そんなお子様をもう一度強く睨んだウンディーネは、もう一度グラスを傾けて酒を味わい、心を落ち着かせる。

「……決められないのよ。とてつもなく強いとしか分からない敵に挑めるほど、私は勇敢じゃない」

「そうかなぁ?」

「そうよ。ボルカノと戦った時だって、最後は逃げるつもりだったわ」

「ん~。ウンディーネさん、実は分かってないの?」

「何をよ」

「やらない事はやらないって、ハッキリ言う人じゃん」

「それが?」

「やりたい理由がない事を、なんでまだハッキリとやらないって言ってないの?」

「?」

「決まってるならとっとと言う人でしょ、フォルネウスとは戦わないって。勝てる理由が見つからなくて戦う理由もないんだったら、もうずっと前に戦わないって言ってる人じゃん。

 そう言わない時点で、私としてはもうウンディーネさんと一緒に戦うつもりだったよ」

 エクレアの言葉にポカンと口を開けてしまうウンディーネ。

 そうだ、ウンディーネとはそういう人間だったはずなのだ。決めるは早く、冷静に。それが今回に限ってはどうだろう。

 やらない理由を探し、勝ち目だのなんだのと口にして、決めない。決まらない。

「嫌な理由があっても決めない時点で、ウンディーネさんはきっと戦いたいんじゃないの?」

「そう、かもね。けど、それだけじゃ戦うって決められないわ。戦いたいけど、戦わない。そういった決断もあるのよ」

「じゃ、戦う理由があればいいじゃん」

 そう言ったエクレアはニッコリと笑って拳を握り、小指だけを立たせる。それは指切りげんまんをする時にする手の形。

「約束。ウンディーネさんは、私とエレンさん、ボストンとジジイと一緒にフォルネウスを倒すの」

「……倒す?」

「そう。戦うなんて約束はしない。倒すって、そう約束しようよ。一緒に四魔貴族を倒せたら、きっと最高の気分だよ。私はその気分を味わいたいな」

 にこにこと無邪気に言うエクレアに、ふっと息を吐きながら笑うウンディーネ。

 そしてエクレアと同じように小指を立てて、絡ませた。

「ゆ~びき~りげ~んま~ん、嘘ついたら針千本の~ます」

「指切った!」

 朗らかにそう言い切るウンディーネ。悩みを吹っ切ったその顔は、エクレアのように幼い笑顔だった。

「約束しちゃった。これでもうどうしようもないね、ウンディーネさん」

「ええ、そうね。約束しちゃったものね。戦うしかないわ」

 グイっと一気に酒を呷るウンディーネ。

 それは品がないと彼女が思っていて、そしてたまには悪くない。そう思える酒の飲み方だった。

 

 ほんの少し、日にちが経つ。

 

 一行のする事は変わらない。術を学び、技を磨き、乱取りをして、己を高める。

 エレンは体術を得意とするボストンとも戦った。稽古ではなく、ウンディーネと詩人に控えてもらって、致命傷を与えたらすぐに癒してもらう事を前提にした戦い。やり過ぎだと判断されたら詩人に止めてもらう、そんな本気の戦いもした。

 エクレアは罵り合いしながらもハーマンから蒼龍術を習った。よく子供染みたケンカをする二人だが、その分相性は良かったようでエクレアは格段に進歩した。ハーマンの教える才能が高い事も理由の一つだろう。

 ウンディーネは時間を見つけて部屋にこもるようになった。ボルカノから吸収した術具に関する知識を使い、未知の分野で思う存分その才覚を表している。幾つかの新たな術具も開発し、戦いに備えている。

 ハーマンは瞑想する時間が多くなった。ピリピリとした殺気を撒き散らし、集中し、精神を高める。雪辱を晴らす、その為に全力を出すつもりだ。

 ボストンだけは変わらない。バンガードを練り歩き、たまには海に飛び込んで飽きるまで泳ぎ、頼まれればエレンと戦う。これからする事は気負う事では一切ない、そう行動で示していた。

 

 

 そうしてそのポイントにバンガードは到着する。

 広い広い大西洋。その中で海底宮が存在するポイント。

 フォルネウスの居城、その真上にバンガードは存在している事になる。

 

 遥か深海での激闘が始まろうとしていた。

 

 

 




ほのぼのとした日常の話が書きたかったのに。私はどうしてこう、重くなるのでしょうね?
次回からクライマックスです。フォルネウス編が終わったらもうちょっとライトな作風で頑張りたい…。甘酸っぱい話も書くよ、きっと。


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028話

三連休です。
昨日は一日眠っていたので、今日からバリバリ執筆していきたいと思います。
一気にフォルネウス編を終わらせたいですね。


 

 

 

 戦支度を整える。

 詩人の格好は今まで通り、というには大きく違う点が一つあった。それはその手に持った長く頑強な斧槍(ハルバード)。特級品である事は一目で分かる、極上の武器だった。その他にも携帯食料や水なども備えているが、その斧槍(ハルバード)に比べれば些末な事だろう。

 エレンは今までと同じく、体の動きを阻害しない範囲で体を守る防具を身に着けている。主に体術を使う事もあり、ガンドレットやブーツの打点に使う部分には特に硬い補強がされており、攻撃力を高めている。そして戦斧を背負い、体術との両立した攻撃を可能としている。

 エクレアは弓を外して僅かでも身軽にしていた。実際、弓の腕は標準以上の腕前であるのだが、如何せん本人が余り好んでいない。その上で一番の武器はその素早さと身軽さ、そして接近戦におけるセンスが高いため、思い切って弓は外す事にした。代わりにバスタードソードとシルバーフルーレを持ち、体術も可能とするエクレアは接近戦になれば苦手な距離はないといっていい。

 ウンディーネは一級品のローブを身に着けているが、持ち物が格段に増えている。様々な術具を用意しており、後方支援だがその分接近戦以外はオールラウンダーに立ち回る予定である。

 ハーマンは変わらない。海の男らしい防具に、斧に盾。それだけを身に着けて挑む。相手によって装備を変えるというより、自分らしさを貫き通す。そちらの方が性に合い、そして実際成果も出るのだろう。

 ボストンについては言わずもがな。その硬い甲羅に覆われた体と大きなハサミ。それ以上の防具も武器も必要はない。

 そうして準備が整った、という所でウンディーネが口を開いた。

「みんなに術具を渡しておくわ。鱗のお守り、私はそう名付けたの」

 そう言って全員に配ったのは、文字通りの鱗でできたお守りだった。魚鱗を上手に編んだようなそのお守りは身に着けただけで、重さを感じない膜が体を覆ったようである。

「これから乗り込むのは海底宮、玄武術を得意とするフォルネウスの居城よ。そのお守りは物理や術に対抗するのはもちろん、特に玄武術の威力を大きく削いで軽減するわ。それこそ簡単な玄武術ではダメージは通らないくらい」

「へ~、凄い物をくれるんだね。安心感がさっきとは全然違うよ」

「フォルネウスを倒すのでしょう? なら、ちゃんと備えておかないとね」

 そういってにこやかに笑うウンディーネだった。

 

 潜水艇に乗り込んだ一行は、問題なく進水していく。文字通り深海の海底にあるフォルネウスの居城は見つけるだけでも一苦労である。潜水艇にいる時にする事は、戦闘要員にはない。運転を任された術師たちが制御し、探索し、発見するまで待つしかないのだ。

 重苦しい沈黙で満たされる。たまにあがる軋みの音にビクつきながらも、誰もが無駄口を叩かずに海底宮の発見を待つ。

 一分が長く感じる。時間の感覚が狂う。心がおかしくなってしまう。それに耐え、じっと待つ。

 するとやがて、ようやく。待望の言葉が発された。

「海底宮、発見しました」

「よし。乗り込むわよ!」

 エレンの気合いの入った声で気が引き締まる。

 まだ戦いは始まっていない。ある意味、ここがスタートラインだった。

 

「キレイ…」

 思わずといった風にエレンが呟いてしまう。四魔貴族であるフォルネウスの居城だからどんな禍々しい宮殿なのかと身構えていたが、実際に目にしてみれば意外や意外。これまで見た事がない程に美しい宮殿だった。

 前庭の芝は綺麗に整えられていて、清潔感を感じる。宮殿をおおう壁は真っ白で汚れ一つなく、その奥に見える海底宮そのものを際立たせている。上を見上げればどういう理屈か深海なのに光が届き、海水を青く輝かせていた。美意識という点において、どうやらフォルネウスはどうやら悪くないらしい。バンガードで見た奴の姿は醜悪そのものだったが。

「深海であることにかまけて防衛能力は低いな。…攻め込まれる事を考えていない、程度が知れる」

「辛辣だね」

 そんな美しさなどどうでもいいと詩人が吐き捨てて貶す。それを聞いて苦笑いで返事をするボストン。

 トントンと肩を愛槍で叩きながら詩人を壁の奥に存在する海底宮を睨みつけながら言った。

「300年前に聖王に攻め込まれているだろうに。死食でゲートが開いてから15年、改善する時間は十分あったはずだ。

 なのにそれをしないとは……理解できないな。する気もないが」

「前々から薄々思ってけど、貴方、随分アビスに対してキツイわね? ボルカノもアウナスと組んでいるって聞いてから目の色を変えていたし」

「アビスが好きな奴の方がよっぽど倫理的にどうかしているかと思うが」

「ご尤も」

 忌々しそうに言葉を続けた詩人にウンディーネがちょっと言葉を挟むが、あまりの正論に思わず納得してしまった。

 そんな話に早くも飽きたエクレアがつまらなさそうに口を開く。

「ね~。どういでもいいからさ、早く行こ?」

「まあ待てチビ。今はまだ待ちだ」

 それを制するはハーマン。彼も鋭い目で海底宮を観察しており、その先には白い壁の中で一つだけの異色が目立つものに固定されている。正面にある飾り門、それが固く閉ざされている。

「ここまで攻め込まれて(やっこ)さんも黙ってる訳はねぇ。いずれあの門が開き、大軍が押し寄せてくるだろうさ。儂等はそれを待って逆に殴り込みをかければいい。

 確認するぜ、詩人。フォルネウスに辿りつくまではお前に先陣を任せていいんだな?」

「ああ。俺が敵を引き付けて倒す。討ち漏らしや背撃は任せるが、油断はするなよ」

「誰がするか」

 フォルネウスに辿りつく事に誰も疑問を覚えない。詩人はそこまで信頼されていた。

 問題はフォルネウスと戦う事。この中で実際にフォルネウスを見た事があるのはハーマンとエレン、エクレアである。陣形や戦法の最終確認をしつつ、まだフォルネウスの脅威を見た事がないウンディーネやボストンは話を聞きつつ気になったところは質問し、想像で補って決戦への心構えを固めていく。詩人も作戦を耳に入れて、気になったところがあれば随時口を挟んでいた。もっとも、これは最終確認なので疑問や質問などは出尽くしていたが。

 そうして時間を有効活用していたが、その時間も終わる。ピクと緊迫の空気を察した詩人が飾り門に向き直り、槍を向ける。

「おしゃべりはそこまでだ。来るぞ」

 その一声で全員が引き締まった。

 地獄門が開く。ゴゴゴゴゴと音を立てながら開いたその先には、百を数える程に大量のフォルネウス兵が爪を構えて隊列を組んでいた。

 奇声をあげて襲い掛かってくるフォルネウス兵。それに無言で応えるのは詩人。槍を前に構えたまま、地面を蹴って猛然と大軍に突っ込んでいった。

 それは戦いと呼べるものではなく、蹂躙と称されるに相応しいものだった。

 槍は間合いが長い。故に先手は詩人となるが、彼が持つ槍は斧槍(ハルバード)であり、先端に斧状の刃物もついているのである。こんな大軍を相手に律儀に一体一体相手にしていられるか。そう言わんばかりに詩人は兵ではなく軍を相手にして武器を大きく薙いで振るった。

 スウィング。薙ぎ払う技であるそれで前列をまとめて吹き飛ばすと勢いそのままに眼前で槍を回転させながら突進して、まるで紙のようにフォルネウス兵を吹き飛ばしていく。

 大車輪。突進力に合わせて槍の遠心力を最大まで高めたそれは、近づくフォルネウス兵たちに容赦なく死を与えていった。

 もちろんフォルネウス兵たちもただやられる訳ではない。槍は間合いが長い分、その中に入ってしまえば有効な攻撃はできなくなってしまう。仲間を捨て石にして、一匹でもそこに入れば勝ちだと言わんばかりに果敢に攻め込んでいく。詩人が振り回す槍、その直後に飛び込み次の攻撃が来るまでの僅かな時間で一歩でも多く、少しでも近くと接近していく。一瞬以下の僅かな時間だが、その対応に遅れてしまう事は人間である以上は仕方がない。詩人はかすかな接近はどうしても許してしまう。

 それを繰り返し、繰り返し、繰り返して。ようやく一匹のフォルネウス兵が詩人の槍の有効範囲を潜り抜けて、その内側に入り込む。たったそれだけを為すのに9割以上のフォルネウス兵が倒されており、残るのは僅かに数匹。だがそれも敵を仕留められれば成果としては十分だと残虐な笑みを浮かべたまま爪を振るうフォルネウス兵。

 無表情のままで、詩人は槍を引く。その速度は先程までとは段違いで、次の瞬間にはその斧部分の刃がフォルネウス兵の首の後ろに突き刺さり、何が起きたか分からないままにフォルネウス兵は絶命する。

 確かに槍は間合いが広く、内側に大きく入ってしまえば有効な攻撃はできない。だが、その内側に大きく入ってしまうという範囲の常識が、詩人は他の人間とは大分異なる。今見た通りに斧が刺さる範囲までは詩人の攻撃範囲であり、更にその内側となるとその空間はごく僅かしか残らない。しかも詩人は体術も使う為に、その範囲ですら安全圏とは言えないのだ。

 恐ろしいのはその膂力だろう。重量級の斧槍(ハルバード)をまるで小枝を振るうかのように軽く扱い、敵に当たったとしてもまるで障害がないかのように吹き飛ばす、あるいは引き裂いている。タイムラグなく槍を振るい、接敵よりも速く槍を引く。それが可能だと胸を張って言えるからこそ、槍を得意武器だと口にできるのだ。

 戦いに入った詩人に容赦はない。残る敵は僅かに数匹。勝ち目がないと悟ってしまったフォルネウス兵は怯えて目をしたままで、しかし引く事も出来ずに破れかぶれに突進する事しかできない。

 蹂躙で始まった戦いは、虐殺にて終了した。

「終わりだ、行くぞ」

 軍を引き裂いて瞬く間に瓦解させてしまった男は何でもないかのようにそう言って、飾り門に向かって歩き出してしまう。それに遅れずについていくのは4人。詩人ならばこの程度はやってのけるだろうという信頼があるがために揺るがずについていける。

 たった一人、ボストンだけはやや呆気にとられてしまってほんの少しだけ硬直してしまったが、ぽつりと一言だけ漏らして仲間についていく。

「凄まじい男だ」

 

 海底宮の中も外観に恥じない荘厳さをもっており、やはり戦うための城というかは煌びやかで外交的な宮殿という印象を抱かせた。こんな海底にまでやってくる客は敵しかいないだろうに、よく分からない思考だなとは詩人の談。

 宮殿の中は敵がいっぱい、という訳ではなく、巡回するモンスター以外には罠もなくて不気味になるくらい順調に進んでいく。

 迷いなく先を目指す詩人が先頭に立ち、それに続く一行。その中で一人だけ違和感を覚えた者がいた。ハーマンである。

(コイツ…。分かれ道でもほとんど迷わねぇ。その上、間違いが殆どない。そういう術でも使ってやがるのか? それとも他に何か理由があるのか?)

 宮殿という場所であるからして、一本道という訳ではない。明らかに小部屋だと分かるようなドアを無視するのはまだしも、十字路でも迷う事はほとんどない。そして行き止まりだったりすることは全くない。

 他の面々は場所が場所だけに気が付いていないようだが、ハーマンとしては強い違和感を感じてしまう。

 そんな疑惑にかられるハーマンに気が付かず、詩人は唐突に立ち止まると声をかけた。

「一息いれるか」

 すぐそばにあった小部屋のドアを開け、中に入り込む。そして伏兵や罠がない事を手早く確認すると、備え付けられていた椅子にどっかりと座った。やはり少しは疲れていたらしく、その所作はやや粗い。

「私が見張ろう」

「じゃあ私も手伝うわ」

 たった一つの出入り口であるドアの近くにボストンが座り込み、それを援護できる位置まで椅子を引っ張ってくるウンディーネ。ほとんどついてくるだけだったとはいえ、敵の本拠地にいるという緊張で体は強張る。警戒しつつも疲れをとる事は忘れない。

「お茶にしましょうか」

 エレンはそういうと、荷物からお茶の道具一式を出して部屋に備え付けてあった小さな暖炉で火を熾し、水を温め始める。

 エクレアはお茶に見合ったお菓子を人数分取り出して、くつろぐ態勢を整えていった。

 ハーマンも椅子に腰かけて体を休める。

「順調ね。順調過ぎるくらい」

 ウンディーネが口を開く。正にその内容を聞きたかったハーマンは、よくやったと心の中で激しく頷いていた。

「この広い海底宮で詩人は全く迷わなかったけど、何かコツでもあるのかしら?」

「ああ。アビスの気配を追っている」

「アビスの気配?」

「術力の、しかも天術の反対属性に近いんだ、アビスの力は。いや、人の命に反発するといった方が近いのか…。

 まあ、そんな訳でアビスに近づくにはその感覚を追えばいい。言い換えれば、嫌な感じがする方に向かえば、そこがゲートだ」

 何か感じ入るところがある話なのか、ウンディーネとエクレアが感嘆の息を漏らす。ウンディーネはその術師としての力量から、エクレアはその感性の鋭さから、段々とプレッシャーが増していることに、言われれば気づけるのだろう。

 そこでお茶が入り、全員に配るエレン。エクレアも一緒にお菓子を配って、心と体を休ませるために一息入れ始める一行。

「…思ったより、モンスターが少ないわね」

 ぽつりとエレンが口にした。確かに水底宮内部に入ってからこっち、海底に自生しているような水棲モンスターや巡回しているフォルネウス兵がいる程度で、フォルネウス将といった強力なモンスターとはまだ出会っていない。

 少しだけ考えを巡らせる時間があったから、ボストンが口を開いた。

「バンガードに攻め入っているのかな?」

「それもあるだろうな。が、それだけじゃない。

 奥へ引き込んで、逃げ出せない状況で仕留めるつもりなんだろう。最深部では覚悟しておけよ。恐らく、全力で潰しに来る」

 詩人の言葉にやや重い空気ができてしまう。それでも体を休ませることは大事で、しばらく時間が経ってから、また海底宮の奥へと進む。

 海底宮は城塞でないためか、それほど広くはないのだろう。詩人に言われた通りに嫌な感覚がする方向へ向かっていけば、その気配はどんどん濃厚になっていった。

 それからもう一度軽い休憩を入れて、その後に更に仮眠を含めた長時間の休みを取る。

 そしてその場所に辿りついた時、詩人の言葉が正しい事が証明されてしまった。

 

 大広間。その奥から一層強い、嫌な気配がする。おそらくはそこがゲートの間なのだろう。フォルネウスとの決戦まで後僅かである事がよく理解できてしまった。

 だが、その僅かが限りなく遠い。大広間にはモンスターがひしめいていた。

 数十はいる赤い鱗のフォルネウス将と、素早く動く魚に騎乗した悪魔であるオアンネス。一匹だけだが強力な竜種のモンスターである玄竜もいる。更にその奥、高い場所にあった玉座の側に一匹のモンスターが立っていた。緑の鱗で体で覆われたフォルネウス軍団の一員であろうそのモンスターは、どこか穏やかな眼をして禍々しい空気を撒き散らしたモンスターだった。

「ようこそ、海底宮の玉座の間へ。歓迎させていただきましょう。

 私はフォルネウス様より軍を効率よく動かす事を許された立場の者。フォルネウス総帥である」

 緑の鱗のモンスター、フォルネウス総帥は流暢な言葉を発する。知性があるだけではない、その強さも、そして賢さも他のモンスターとは格が違う。そう思わせるモンスターだった。

 一斉に戦闘態勢をとる一行。このモンスター達は強すぎる。フォルネウスと戦う前に体力を消耗してしまうのは痛手だが、そう言っている場合ではない。ここで出し惜しみをしてしまったらフォルネウスへたどり着く事さえできない。そう思わせる威圧があるモンスター達だった。

 そんな一行を見てフォルネウス総帥はにこやかに笑いかける。

「ああ、ああ。そこまで警戒して頂かなくても大丈夫ですよ。いきなり襲い掛かることは致しませんので。

 そこの先頭にいる男、あなただけは先に進んでいただいて結構です。フォルネウス様への謁見を許されていますので」

「……なに?」

「どうやらフォルネウス様はあなただけは自分の手で殺さなければ気が済まないようでして。どうぞ、お進みください。

 ただし他の方はこの場で果てていただきますが」

「断る」

 フォルネウス総帥の言葉に動揺したエレン達だが、即座にそれを否定した詩人には更に動揺した。ピクリとフォルネウス総帥も予想外の言葉に反応し、詩人の次の言葉を待った。

「俺の仕事はフォルネウスの首を獲る事じゃない。それ以外の、雑魚どもの掃除だ。俺を殺したいならそっちから来ればいい。なんでフォルネウス如きに会いに行かなきゃならないんだ?」

 その言葉にモンスターたちは殺気立つが、フォルネウス総帥だけは余裕を崩さない。

「なるほどなるほど。しかし困りましたね、私がフォルネウス様に命じられた事はあなたをフォルネウス様の元へと案内すること。しかしあなたはそれが嫌だと申される。

 …よろしい、妥協しましょう。この場にいる全員のフォルネウス様への謁見を許可します。全員、道を開けろ」

 フォルネウス総帥の言葉に、モンスターたちは戸惑いながらも命令に従う。左右に分かれて中央には一行が通れる空間ができた。

 その対応に困るのがほとんどだったが、ただ一人詩人だけはためらいなく歩き出す。思わず声を出してしまうエレン。

「ちょ、詩人。いいの!?」

「構わない。全員、離れる事無くついて来い」

 困惑しながら、それでも全員が詩人に従う。不安そうにエクレアが聞く。

「ねえ、詩人さん。いくらなんでもおかしいよ。罠じゃないの?」

「罠だぞ」

 さらりと言った詩人に目を見開いた。ボストンが思わず声を荒げてしまう。

「罠にのるのかね!?」

「こっちにも益がある話だからな。妥協する、と総帥は言っただろう? そして俺をフォルネウスに殺させることが目的だと。

 モンスターたちを通り過ぎてゲートの間の前まできたら、奴等は一斉に襲い掛かってくる。が、その対応は俺に任せておけ。お前らはフォルネウスを仕留める事だけに集中しろ。一匹たりとも漏らさない」

「それが妥協か?」

「ああ。総帥としては俺以外をフォルネウスに会わせたくはないだろうが、会わせてはいけないとは命令されていないんだろうな。フォルネウスにお前らを会わせる事を妥協したのさ。

 そして俺はフォルネウスへの援軍を阻止する為に、ゲートの間への道を死守しなくてはならない。動きは制限される。広間で戦うよりも、厳しい戦いになる。そうして俺をゲートの間に追いやってフォルネウスに仕留めさせるか、そうでなければ動けなくまで痛めつけてフォルネウスに差し出すか」

 その言葉を聞いてウンディーネは思わずフォルネウス総帥を見た。そのモンスターはニヤリと笑い、詩人の言葉が正しい事を認めている。

「貴方、大丈夫なの? ここのモンスターは本当に強いわよ」

「確かに。数も多いし、質もいい。だが、俺を殺すにはまだまだ足りないな。これよりもっと厳しい戦いも多くあった。

 俺は問題ないが、お前らの相手はフォルネウスだ。自分の心配をしておけ。悪いが、こちらは援護までは手が回りそうにない。

 ……死ぬなよ」

 そうしてモンスターの道を通り過ぎ、ゲートの間へ続く扉の前まで辿りつく。

 詩人はそこで振り返り、己の愛槍を構えた。モンスターたちも隊列を組み、総帥の命令を待っている。

「「行けっ!!」」

 詩人と総帥、両方が同時に言葉を発した。エレンとエクレア、ウンディーネとハーマン、そしてボストンは扉を開けてゲートの間へと飛び込んでいく。そして詩人へと襲い掛かるモンスターたち。

 最初の相手はフォルネウス将。血の気の多い一部が真っ先に飛び掛かってきた。どうやらフォルネウスを貶した詩人に腹を立てたらしい。だが、一列になって襲い掛かるのは愚策に過ぎる。詩人はスウィングで飛び掛かってきたフォルネウス将をまとめて弾き飛ばした。

 次に詩人の前にのっそりと近づいたのは玄竜。大きな甲羅を盾にするように、慎重に間合いを詰めてくる。そしてそのジリジリとした時間で後衛のモンスターであるオアンネスやフォルネウス将が詠唱を完成させた。

「「「「「スコール」」」」」

「…サンシャイン」

 雨を降らす術であるスコールだが、それには上空に雨雲を作る必要がある。そして上空から強い光を浴びせかけるサンシャインはスコールの対抗術になりえるのだ。

 しかしそれでも詩人は術が得意ではない。魔力だって人並みよりも少し多いくらいであるし、相手は数に任せて威力を上げたスコールを降らせてくる。多少は軽減できたとはいえ、強い雨は詩人を打ち据える。それを隙と見た玄竜が詩人に向かって突進してきた。

 が、何故か詩人にはほとんどスコールの影響はないようだった。突進してきた玄竜に向かって石突きを向けてその威力を受けると、その勢いを利用して槍を回転させ、玄竜を槍で切りつける。カウンター技としての風車が玄竜へと迫るが、咄嗟に硬く丸みを帯びた甲羅を盾にしてその攻撃を受け流す。

(ウンディーネには感謝だな)

 海底宮に突入する前に受け取った鱗のお守りがしっかり仕事をしてくれたらしく、スコールの影響はほとんどない。

 そして風車から技を繋ぎ、僅かな距離で加速して槍を玄竜の柔い部分に突き刺した。もちろんただ刺すだけなんて甘い攻撃を詩人はしない。槍を螺旋状に回転させながら突き刺すことにより貫通力を高め、しかも斧の部分がその周囲までも抉りとった。スパイラルチャージという槍の奥義の一つである。

 その痛みにたまらず玄竜は悲鳴をあげながら後ずさる。その巨体であるが故に致命傷にはならず、そうとなれば後衛が即座に癒すのは道理。

「「「「「生命の水」」」」」

 癒しの水が大量に玄竜へと降り注ぎ、その傷を癒していく。そうして回復した玄竜は自分に激痛をくれやがった人間を怒りのこもった目で睨みつけた。

 同時、その傍らにフォルネウス総帥が降りたつ。

「なるほど。流石はフォルネウス様が自らその命を絶ちたいと思う訳ですね。

 その強さは認めざるを得ません。ではそろそろ本番と参りましょう」

 爪を構える緑の鱗のモンスター。玄竜も万全の態勢で攻撃する準備を整えており、オアンネスも術を使えるように集中している。フォルネウス将は突撃も援護もできるように身構えていた。

 この長引く様を見せている戦況に、詩人は心の中で舌打ちをした。負けるとは思わないが、時間はやはりかかってしまう。だからといって無理に攻めてしまい、この中の何匹かがフォルネウスの援軍に向かってしまえばそれこそ取り返しがつかないだろう。正直、あの5人ではフォルネウスを相手にする事に、分が悪いと思っているのだ。援軍を許す訳にはいかない。

(死ぬなよ…!)

 やはり、援護には向かえそうもない。四魔貴族であるフォルネウスと戦っているだろうエレン達を心から思いつつ、詩人は更なる激闘に身をおどらせた。

 

 

 




次回、対決フォルネウス。


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029話 決戦フォルネウス

術は朱雀ではなく、朱鳥じゃね? と、ツッコミが入りました。
見直したらマジでそうだった…。近いうち、全部直します。

それはさておき。
決戦フォルネウスです。
どうぞお楽しみください。


「これが、アビスゲート……」

 ようやくと言うべきか、そこに辿り着いたエレン。感慨深いのか、緊張しているのか、喜んでいるのか、恐れているのか。自分の心が分からない。

 だがそれに感じ入る暇はなかった。入ったその部屋、ゲートの間というべきその場所は余りに()なっていた。自分の常識というよりも、この世界全てから。その空間は異質で、異界で、そしてこの世界に存在しない文字を使えば異星的だった。

 自分達とは根本から異なるモノ、それに対する嫌悪感が湧き上がる。同時に自分たちに存在しないモノに対して惹かれてしまう心も、また。

 だが遊びに来た訳でも、観光に来た訳でもないのだ。ゲートの破壊、それこそがエレンの目的。

 嫌悪感とも好奇を奪われるとも思えるその違和感が最も強い部分は、地面で明滅する白い珠。人が一人すっぽりと入れてしまいそうなソレがゲートなのだと、直感的に理解できた。

 どこか非現実的な感覚のまま、エレンは斧を手にふらふらと白い珠に近寄っていく。

『近づくな、雑魚が』

 その声に、正気が戻る。寸前までの覚束(おぼつか)ない足取りとは違い、エレンは鋭いステップで後ろに戻って仲間たちと合流する。全員が全員、状況に呑まれていたが、その声で活が戻った。ここは既に死地、四魔貴族であるフォルネウスはもう眼前に迫っているというのに。

「あの白い珠を破壊するわよ!」

 明らかにあの声は白い珠に近づくのを嫌がっていた。アレこそがゲート、アビスとの境界に他ならないと確信したエレンはそう叫び、仲間たちは決意の瞳でそれを見据える。

 エレン達を排除するべきモノと見定めたのだろう。白い珠が激しく明滅し、まるで投影された画のようにフォルネウスの体が小さく映る。そしてソレは瞬く間に白い珠いっぱいに広がると、現実を侵食するように実体化した。魚を無理矢理に人として当てはめたかのような醜悪な姿は、エレンとエクレア、そしてハーマンには見間違いようもない。

 四魔貴族のフォルネウス、それに相違なかった。

「っ!」

「フォルネウスっ!」

「会いたかったぜぇ、何年も前からなぁぁぁ!」

 思わず体が強張ってしまうエクレア。決して引けぬと力を込めて倒すべき敵を呼び捨てるエレン。気炎を上げて宿敵を睨みつけるハーマン。

 しかしフォルネウスはそれに醒めた目を送るだけである。ため息でもつきそうに、呆れた声をあげる。

『ふん。人間風情が無駄に吠えるものだ』

「じゃあその人間風情に倒されるお前はどの程度なのかしら?」

 ウンディーネが気丈に挑発をし返すが、フォルネウスは気に留めた風もない。

 ますますハーマンの怒気が高まっていくが、それに水を差したのは素朴な疑問を抱いたボストンだった。

「というか。私は人間なのかな?」

「ボストン、気持ちは分かるけど気が抜ける発言は止めて…」

 思わず脱力してしまいそうな、けれども確かに言われてみれば、まあ確かに。ボストンはロブスター族である。人族の、ひいては人間の括りにしていいのかは判断が難しい。

 適度に緊張が抜けるのはエレンたちのみ。フォルネウスの態度は変わらない。

『雑魚に変わりはなかろうが』

 種族がなんであれ、踏み潰すだけの弱者には違いない。

 ここまでコケにされては全員が全員、流石に怒りがこみ上げる。そしてこみ上げた怒りが委縮してしまう程の実力差はないと、そう思える程に強い人間であった。

 それが良しか悪しかは分からない。少なくとも弱腰にならない人間たちを見て、フォルネウスは少なからずやる気になってしまう。きっちり潰すべく、重心深く構え殺意を漲らせた。

 

 

『アビスの真髄を見るがいい――!!』

 

 

 真っ先に駆け寄る、という者はいなかった。フォルネウスは自分達5人を合わせたよりも強い。それを理解し、納得し、呑み込む事からエレン達の作戦は練られていた。フォルネウスにもっとも強い感情を持っているハーマンでさえ、そこは認めた。勝つためには認めざるを得なかった。

「地走り!」

「トマホーク!」

「ソウルフリーズ!」

 少女の大剣から地を這う衝撃波が。老爺の腕から鋭く投げられる手斧が。天才術師から放たれる冷気が。まずは遠距離から攻撃する手段にて戦いは始まった。

『小賢しいっ!』

 その攻撃を。避けるまでもないと言わんばかりに全て真正面から受けるフォルネウス。地面を走る衝撃波は尾ビレの一撃で叩き潰し、飛来する手斧は片手で掴み握り潰し、襲う冷気は口から吐き出す水鉄砲で霧散させた。

 しかしフォルネウスが小賢しいと評したのはそれではない。人間たちとて、溜めがほとんどないその攻撃で手傷を負わせられるとは思っていないのは理解している。その最初の攻撃を目晦ましにして、エレンとボストンが左右から挟むように突撃するのが小賢しいのだ。

 実力差が大きいとはいえ、いやだからこそ自身が持つ最高の攻撃を与え続けなければ勝機はない。故に接近戦が得意な面々はフォルネウスに近づくしかない。

 もちろんそれは迎撃される危険をも孕む。フォルネウスは片手をエレンに向け、ボストンには顔を向ける。そして鋭い爪を振りかざしたのと、水鉄砲を吐き出したのは同時だった。

 それに全くひるまなかったのはボストン。

「ロブスター族である私に水鉄砲が効くとォブゲラァ!」

 しっかり効いた。水自体はともかくとして、その水圧は岩を穿つ程に強力なのである。物理的に効かない方がおかしい。その水圧に吹き飛ばされるボストン。

 対してエレンにそんな油断は存在しない。襲い掛かった爪をよく見てかわし、そのがら空きになった脇にカウンターの一撃を短勁にて叩き込む。

『グ』

 渾身とも言える一撃に対してフォルネウスがこぼした言葉はその一言のみ。どのくらいダメージを与えられたのか、あとどのくらいダメージを与えなくてはいけないのか。気が遠くなる、という感覚は捨て去っている。そんな感想は、勝ってから持てばいい。開き直っているとも、達観したともいえる心境でエレンはこの一戦に臨んでいた。

 そしてエレンとボストンの背後から更にフォルネウスに襲い掛かる二人。エクレアとハーマンが即座に攻撃を仕掛けるために、初撃が終わった直後から走り出していたのだ。

「ちょ、ボストン。本当にそういうのやんなくていいから!」

「オラ、ボストン! ヌルい動きをしてんじゃねーぞ!」

 比喩なく命が懸かっているのである。油断して見事な迎撃を喰らったボストンには、敵以上に味方が容赦ない。

 エクレアは接敵すると同時、すれ違い様に攻撃できる払い抜けを選択し、ハーマンは渾身の一撃である大木断の構えをとる。攻撃に時間差をつけることによって、バンガードで喰らった回転する体当たりを警戒して回避する。あの技は隙が大きいため、仮に一人が吹き飛ばされたとしても残りで一気に畳みかける事が可能だ。もちろん、そんな間抜けなミスをフォルネウスが犯すとも思っていないが。ボストンでもあるまいし。

 そしてフォルネウスに近づいたエクレアは払い抜けを繰り出そうとして、違和感に気がつく。

(アレ? 一撃だけじゃなくて、二回斬り払えない…?)

 駆け抜け様に一太刀加えるのではなく、斬り上げと斬り下げを同時に行うのである。昔ならともかく、腕力がだいぶついた今なら可能だと思えた。そして思いついたら即実行、エクレアの長所の一つである。

 逆風の太刀。そう呼ばれる一撃がフォルネウスに食い込んだ。そして反対側からはハーマンが大木断にて裂傷を与え、即座に引く。

『グゥ!』

「ムーンシャイン!」

 後方に控えたウンディーネが、無様に吹き飛ばされたボストンを癒しの光で包み込んだ。ミスをした仲間をフォローするのも術師であるウンディーネの役目である。

 そして立ち直ったボストンの前に立つのはエクレア。逆サイドにはエレンが前に立ち、その後ろにハーマンが居る。最奥にはウンディーネが控えており、何かあったら即座にフォローできる態勢を整えている。

『ム?』

 そこでフォルネウスは違和感に気が付いた。最奥にいるウンディーネから癒しの術力が全員に流れ込んでいるのだ。フォルネウスに切り込むというそのプレッシャーや使った体力、そして受けた傷をも徐々にだが癒していく力の流れ。

 これが天才術師と言われたウンディーネが編み出した、最高の陣形と自負する玄武陣である。最奥の術師から前衛に向かって補助する術力を流し続けられるという、術師の能力を最大限に活かせる陣形。欠点といえばその特性上、術師にかかる負担が大きい事だが、ここにいるのは天才である。短期戦は当然、中期戦でも数人ならば持たせられる。さらにウンディーネは術力を回復させる神酒(みき)を幾つも用意していた。この一戦に限り、ウンディーネの術力が枯渇するという心配はしなくていい。

 では奥にいるウンディーネから片づけようかというと、そう単純な話でもない。最奥のウンディーネに攻撃しようかと踏み込むということは、四方に散っている前衛の真ん中を突っ切るということだ。袋叩きにして下さいと自分からお願いするような愚行である。

『やるな』

 ここに至ってようやくフォルネウスは認識を改めた。改めざるを得なかった。

 そう、雑魚を適当に潰すのではなく。雑魚を丁寧に潰していくべきだと。とりあえず前にいる4人のうち、1人でも潰してしまえば陣形の流れは途絶えるだろう。玄武術にも精通しているフォルネウスにはそれが分かった。

 ギロリとその巨大な瞳が、眼前にいる小さな4人を睨みつける。

 

 戦いは次の段階に進もうとしていた。

 

 軽く連続で振るわれるその爪は致死の威力。繰り出される水鉄砲は凶悪で、剥き出しで迫る牙は鋭い。

 そんな猛攻を紙一重でかわしつつ、なんとか反撃をしていく一同。

「はぁぁぁぁぁ!!」

 反対側に居たエクレアに攻撃を定めたフォルネウスの隙をエレンは容赦なく抉る。短勁を連続で繰り出し、内部に確実なダメージを与える。

 が、今回は一歩踏み込みが深すぎた。邪魔だと言わんばかりにフォルネウスの尾ビレが振るわれ、その尾撃が加えられる。かする程度だが、フォルネウスとエレンではサイズが全く違う。まるで巨漢に突進をくらった様にはね飛ばされるエレン。

 それでもエレンは動揺しない。尾撃の後は即座に追撃が加えられない事を理解しているため、目を一瞬だけ閉じて集中。

 集気法。そう言われる気の運用方法の一つである。気は攻撃だけに使われるのではなく、このように癒しの力にも使える。錬気拳のように相手を弾くにも引き寄せるにも使える、術力に負けず劣らずの万能性を秘めているのである。ただ、その活用法が周知されていないだけ。もしかしたら、エレンは気の活用を広める第一人者になる可能性も大いにある。

 この戦いを生き延びられたら。その但しがつくが。

 フォルネウスの攻撃を必死にパリィしていたエクレアだが、単一を狙ったフォルネウスの猛攻に無傷で済む訳はなく、一気に傷ついていく。それを必死に術で癒していくウンディーネとボストン。術師ではないボストンまで癒しに回らなくてはならない程の猛攻だった。

「ナップ!」

 ここはハーマンも術でフォローをいれた。本来は相手を眠りに誘う術だが、フォルネウス相手にそこまでは見込めない。しかし気を散じさせる程度の効果はあったようで、エクレアのパリィの成功率が格段に上がった。

 うざったいという感情を隠そうともせず、僅かに下がったフォルネウスは全体にダメージを与えようと術を唱えた。

『スコール』

 激しい雨が降り注ぐが、ウンディーネが創り出した鱗のお守りのおかげで、全員が玄武術に強い耐性ができている。無視できるダメージは当然無視する。

 が、それをみてニタリとフォルネウスが嗤う。スコールを唱えたおかげで頭上には厚い雨雲ができている。そして玄武術は水だけでなく、雷も司るのだ。フォルネウスは雨雲に術力を注ぎ込み、雷を発生させた。

 激しい雷が降り注ぎ、一行全員を襲う。前衛には牽制程度の稲光(いなびか)りですませたが、本命は最奥にいる術師ウンディーネ。

「きゃああああああぁぁぁ!」

 直前のスコールで前衛の気を引いた上で、意識が薄くなった術師を仕留める。フォルネウスの作戦が見事にはまってしまった。

 流れる術力の低下が生命線であるウンディーネの危機を雄弁に語ってくれる。

「いかん!」

 焦りを隠せず、ボストンが下がって癒しの術をかける。これで前衛は3人であり、先程と比べて一人辺りの攻撃密度は単純に増える。最低でも1人はこれで仕留められるだろう。

 楽なものだ。そう嗤うフォルネウスに、エレンは突撃の速度を上げながら叫ぶ。

「術!」

 意味を理解したエクレアは不安そうに、ハーマンは迷いなく下がった。

 これはフォルネウスも意外な展開である。まさか薄くなった前衛を更に薄くするとは。しかし襲い掛かってくるエレンの瞳に覚悟と決意を感じ取り、本気でたった独りで四魔貴族フォルネウスを相手取るつもりなのだと理解した。

『面白い、その匹夫の勇を思い知らせてやる!』

 エレンはここが勝負所だと、その鋭い勘で感じ取っていた。フォルネウスは新手である落雷を使ってでもウンディーネを潰そうと画策し、こちらはそれにはまってしまった。

 が、それを隙とみた攻め手を潰せれば、相手は一手を失う。ならば選択するは守るでも迎撃でもなく、突撃である。優勢になって慢心を増やしたフォルネウスを逆に攻め立てる。ここは安全を犠牲にする場所だと、確信できた。

 先に襲い掛かるはリーチのあるフォルネウス。その長い腕を伸ばし、爪を振りかざす。エレンは槍ほどもあるその爪に対して拳を振るい、錬気拳をも使って弾き返す。

 走り込んでくる小さな人間に向かって水鉄砲を放つ。エレンは細かいステップで的を散らし、直撃する大ダメージのみを回避する。体がきしむが気にしない。

 体をグルリと回転させ、最大の遠心力を込めた尾撃を叩きつける。エレンは高く高く飛び上がり、ギリギリ下を凶悪な威力が込められた尻尾が通り過ぎる。

 全てを攻撃をかわしきる。フォルネウスとエレンの距離は近い。にやりと笑うエレンにフォルネウスは激高した。

『小賢しいわぁ!』

 その巨体全てを使ったぶちかまし。近すぎるエレンに回避する(すべ)はない。

 だから。エレンはその絶望の光景を見て。

 かかったと、ほくそ笑んだのだ。

 この一撃はフォルネウスから向かってくるもの。エレンは、フォルネウスは最後には必ずその巨体を生かした攻撃をしてくることを期待していた。そしてそれこそが、相手の威力と自分の威力が合算されるカウンターに最も適した瞬間なのだ。

 錬気拳を強く練る。重力場が発生し、フォルネウスが加速する。驚きに表情を変えるフォルネウス。いくら体当たりといえど、いやだからこそか。相手に当たるその最後の一歩の踏み込みが大切なのだ。なのに、その拍子を外された。

 残るは待ち構えるエレンに向かう大きな的。

 全身全霊を込めたエレンの拳がその醜悪な顔に突き刺さる。

『グォォォ…!』

 たまらずたたらを踏んで下がるフォルネウス。しかし災難はこれで終わらない。なんの為にエクレアとハーマンは下がったのか。

 エレンが生み出すと信じた、この隙の為である。

「「トルネード!!」」

 蒼龍術最強威力を誇るその術が二重に発動された。双子の真空龍が生み出す破壊力は二倍ではない、二乗だ。

 玄武陣にてお互いの流れを感じられるからこその、僅かなタイミングのズレも許さない蒼龍の合成術。最強術の重ね撃ち。

 もはやフォルネウスの悲鳴さえ聞こえない壮絶な竜巻に、近くにいたエレンさえも軽く吹き飛ばされてしまった。もちろん空中で体勢を立て直せばなんてことはない。そして宙を舞いながらエレンは戦場を俯瞰的に把握する。

 ボストンの術が効果を為し、ウンディーネは立ち直っていた。エクレアとハーマンは術に集中している。フォルネウスはその中心で身動きが取れず、絶叫すら聞こえない。

 ……絶叫すら、聞こえない?

 トルネードの威力はもう弱まってきているのに?

 ゾワリとした感覚がエレンの背筋を這う。着地と同時にエレンは叫んだ。

「守れ!」

 叫びながら体を小さくし、攻撃面積を狭くするエレン。反応できたのはハーマン、斧を斜めに立てて攻撃を受け流す体勢に入れた。

 だがそこまで。エクレアとボストン、ウンディーネは間に合わない。

 

 ―メイルシュトローム―

 

 フォルネウスを中心に、空間に大きな波紋を広げながら、回避のしようもない衝撃波が全てを覆いつくす。

 余りの威力にエレンは何度も何度も転げまわり、地面に叩きつけられる。前も後ろも、上も下も分からない濁流に呑まれながら、それでも必死に意識は保つ。

 やがて静まった空間。倒れ伏しながら、何とか周囲を把握するエレンの目に映ったのは散々たる有り様だった。

 ウンディーネとボストンは折り重なるように倒れ、壁際まで押し流されてしまっている。ハーマンは何とかその場に留まれたようだが、既に体力は残っていないのだろう。肩で息をしている。

 そしてエクレアは――フォルネウスのすぐ側で倒れていた。激怒のみを宿した瞳のフォルネウスの側に。

『よもや、よもやこの私が切り札を切らざるをえないとは…。

 このような雑魚共に、雑魚共にぃぃぃーーー!!』

「あ、あ、あああ……」

 フォルネウスの憤怒の咆哮。エクレアは恐怖と痛みで動けない。ウンディーネとボストンは遠すぎる。ハーマンは動く体力も尽きたのか、ぶつぶつと何かを呟くのみだ。

「おおおおおおおぉぉぉぉぉーーーー!!」

 自分(エレン)しかいない。そう理解し、力の全てを振り絞るつもりで跳躍する。

 フォルネウスがエクレアを、自分を慕ってくれる少女を踏み潰す前に。

 お前が私に滅ぼされろ。

 エレンは飛び上がった位置エネルギーを確保しつつ、その戦斧を肩に担いで大きく溜める。そこから投げつけられる威力はもはやただのトマホークではない。

 スカイドライブ。

 高速回転しながら飛来する戦斧は、フォルネウスの顔面に深々と突き刺さった。

 余りの威力に後ろに倒れるフォルネウス。

 地面に着地したエレンは、痛む体に鞭うってエクレアに駆け寄ると、少女を抱き上げて後ろに下がる。

 そして見る。フォルネウスは動かない。

 動かない。

 動かない。

「あ」

「ああ、あ」

「「はぁぁぁ~」」

 二人で大きく息を吐き出し、そして顔を合わせて笑みを見せる。

『殺す』

 その笑顔が凍り付いた。

 のっそりと、巨体が起き上がる。顔には大きく醜い傷がつき、片目が潰れている。それでも残ったもう片方の目は、通り越した怒りでむしろ澄んですらいた。

『殺す』

 もう一度の宣言。いや、宣誓。

 襲い掛かる威圧に。ウンディーネはへたり込み、ボストンは達観を抱かざるを得ない。ハーマンは未だに正気でないのか、ぶつぶつと呟くのみだ。

 そしてエレンは。

 立ち上がり、拳を構えた。

 エクレアはそんなエレンを不安そうに見た後、決意の瞳でバスタードソードをフォルネウスに向けた。

『殺す』

「「お前が死ね」」

 声が揃う。それを合図に踏み出す足、近づく巨体。

 その動きが直前で止まる。

 ハーマンの周囲から爆発的な風が舞い起こったからだ。いや、風ではない。肌は風だと感じているのに、服は動かないのだ。風なのに、風ではない風。

 それは限られた者にのみ許される、蒼龍術の奥義。

 術の奥義と呼ばれるものは、全て生命力を削って発動される。例えば朱鳥術の奥義は生命力を使う代わりに死からも舞い戻るように傷を癒し、例えば玄武術の奥義はその命を捧げる代わりに時間の流れすら捻じ曲げる。そう、術の奥義とは命を差し出す者にしか使う事が許されない。

 そして蒼龍術の奥義は。その生命力を削る代わりに、その体におぞましい程の力を分け与える。まるで龍の神を宿すようなその術は単純にこう名付けられた。

 

 ―龍神降臨―

 

 立ち上がったハーマンはもはや老爺ではない。黒い髪に皺のない顔、生命力に満ち溢れたその顔を、この場ではたった一人だけが知っていた。

「ブ、ブラック!」

「再会の挨拶が遅れてすまねぇな、ロブスター族のボストン。大海賊、ブラック様の復活だ」

 僅かばかりのな。そう言いながらニヤリと笑うハーマン…ブラックは、斧を担いで悠々と歩き出す。宿敵、フォルネウスに向かって。

 そしてその間に居たエレンとエクレア。その側で止まると、素手になったエレンの近くに斧を振り下ろした。ザンと地面に刺さった斧には目もくれず、素手でフォルネウスへと向かう。

「ハー…ブラック、これは? 貴方、素手じゃあ!!」

「俺様の形見だ、取っておけ。ブラックのお宝の中で最高の物さ。質といい、価値といい。ブラック様から直々に手渡されたなんて逸話がついちゃあ、売るにも困る値が付くぜ」

「ジ、ジジ…イ!? いや、オッサン! 危ないよ!!」

「お前は最期までそれか、チビ。ま、お前と一緒の旅は悪くなかったぜ」

 肩越しに軽く手を振って応えるブラック。彼は振り向く事すらしない、ただ命と共に言葉を置いていく。

「エレン。俺様の言葉、忘れるなよ。信じる者を間違えるな」

 一歩一歩、進んでいく。命を風のように散らしながら。

「動きは俺様が止める。ゲートを破壊するんだろう? しっかり決めろ。

 ブラック様の一世一代大舞台、くれやがった負けをノシつけて返す大チャンス。覚悟を決めろよ、エレン。

 そして、お前もな、フォルネウスゥゥゥーーーー!!」

 雄たけびをあげながら突進するブラック。余りの光景に我を忘れていたフォルネウスだったが、流石に敵が眼前に迫ってまで呆けはしない。

 人間如きに負けてなるものか。その気炎を上げながらブラックに襲い掛かるフォルネウス。だが、気が付いていない。負けてはなるものか、その思考はすでに王者のものでないことを。

 先に振るわれるフォルネウスの爪。それを腕で受けるブラックだが、ビクともせずに僅かも揺らがずフォルネウスの胴体に向かって突進を続ける。

 そして組みついたブラックは、何倍も十何倍もある体格差をものともせずにフォルネウスを押し込み、今までの鬱憤を晴らさんばかりにその胴体に拳を入れる。

『ゴバァァァ!?』

 苦悶の声、どころではない。汚らしい胃液をブチまけながらフォルネウスは体をくの字に曲げつつ、後退する。

 そんなフォルネウスの姿を見てさらに気を良くするブラック。

「オラオラオラオラ!! どうした、四魔貴族様よ、フォルネウス様よ!? 俺様の脚はうまかったかい? 吐き返してくれるまで殴ってやるよ!!

 頭を下げてお願いするならやめてやってもいいんだぜ?」

『ゴブッ! ゲブェ! グゴォ!!』

「どうしたどうした、海の覇者様よぅ? 出るのは呻きと胃液だけってかぁ?」

『な、なめるなぁ、下等種がぁ!!』

 殴りかかるフォルネウス。それを顔で受けて、しかしブラックは微動だにせず不敵に笑う。

「おおっと、こいつは失礼。負け惜しみも出るのかい?

 で、どうよ? 下等種に無様な負けを晒す王様の気分は?

 よかったら冥土の土産に教えてくりゃぁしねぇかい?」

『こ、この…、このぉぉぉ!!』

「そんなお前さんにアドバイスだ。今日は落下物にご注意を、ってな!」

 ハっと僅かにできた影に気が付き、フォルネウスは顔を上げる。頭上高くに跳んだエレンが、そのブラックの斧を大きく振り上げていた。

 マズイと避けようとするが、ブラックが組み付いて離れない。動けない。避けられない。

 エレンは限界を超えるように力を溜めて、その一撃を振り下ろす準備の全てを整える。その脳裏にハーマンの言葉が蘇る。

(斧は動かないモノに対して高威力を与えるもの)

 動けないフォルネウスはもはや独活(ウド)の大木。それを真っ二つにするように、その斧を、振り下ろす!

『おのれ、おのれおのれ! こんな、こんなバカな事が…! あっていいはずがぁぁぁ!!』

「マキ、割、ダイナミィィィクッ!!」

 醜悪で巨大な魚人が縦に真っ二つに割かれていく。

 エレンはその勢いに負けないように、その手に持った斧を深く深く振り下ろしていく。

 その感触がふと消える。直後、エレンの視界に映ったのは白い珠。アビスとこの世界を結ぶ、ゲート。

 躊躇いなど、一瞬もない。

 

地獄(アビス)へ、落ちろ(かえれ)!!」

 

 ガキィィィと甲高い音が鳴り、白い珠に亀裂が入り。そしてゲートは命を無くすように、その輝きを無くしていった。

 同時、真っ二つにされたフォルネウスも消えていく。まるで世界に存在しなかったように、世界に存在を否定されたように。

 薄暗くなったゲートの間、その中心部を破壊したエレン。彼女はゆっくりと立ち上がると、周囲を見渡す。

 何が起きたのか分からないといった表情のウンディーネ。呆気といった様子のボストン。ゲートの間に入ってきた詩人。万が一の為に剣を構えていたエクレア。

 そして、全てが終わった事を確認して、崩れ落ちるブラック。

「ブラック!!」

 全員が全員、命を燃やし尽くして戦った海賊に駆け寄る。

「ハーマン、いや、ブラック…?」

「おうよ、詩人よぅ。俺様が大海賊ブラックよ。どうだい、男前だろう?」

「うむ。もう一度会えて嬉しく思うぞ、友よ」

「そうかい。俺様に会えて嬉しいかい、ボストン。我が友よ」

「……ありがとう」

「随分としんなりしてるじゃねぇか、ウンディーネ。元気になったら一晩、どうだい?」

「いやだ、いやだよぅ…。ブラックッ……!!」

「おうエクレア。ようやく俺様の名前を呼びやがったな」

「…………」

「で、お前さんが黙って泣くのかよ、エレン…」

 死にかけのブラックは溜息を吐いた。

 ボストンはともかくとして、他の顔が辛気臭いこと。せっかくの場面が台無しである。

 快活に笑いながら、ブラックは二人の少女の頭を慰めるようになでる。そのゴツゴツとして、海を生き抜いた男の手で。

「な~に悲しんでるんだよ。エレン、エクレア。

 大海賊ブラックさまの大往生だぜ? 笑って見送り、泣いて喜べ!!」

「じゃあ、これは、嬉し涙…。の、わけ、ないじゃない!!」

「ブラック、ブラック、ブラックゥ。ぅぅぅぅぅぅぅ…」

「おいおいおい、俺様は、俺様が死ぬ事を、悲しんじゃあ、いねぇぜ?

 負けを、返して、死ねるんだ、上等、な、死に様、だ、ろ……?」

 もう、ブラックに生命力は残っていない。

 それでも、彼は笑う事をやめない。笑いながら、楽しそうに、死んでいく。

「てめぇら、人生、楽しめ! 今日は、泣いて、明日(あす)、笑え!

 笑って、生き、ろ。そして! 笑って、死ね!!」

 呵々大笑。

 やがてそれは小さくなり。

 そして。

 

 

 

 消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




犠牲の無き戦いは存在しない。
だがそれでも人は笑って死ぬことができると、初めて知った。

…ブラックの最期の言葉は、誰に遺したものだろう?
分かっているはずなのに、問い掛ける。


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030話

フォルネウスを倒してちょっと気が抜けてしまいました。まだ本調子ではないかもです。
ですが、努力目標である週一更新はまだ守っていきたいと思います!

これからもよろしくお願いいたします。


 

 エクレアがすすり泣く声がこだまする、薄暗いゲートの間。命を落としたブラックの傍らで表情を固くする一同。

 だが、いつまでもこのまま立ち尽くしている訳にはいかない。詩人が懐中時計を取り出して時間を確認すると、時刻は午前1時。海底宮突入から13時間が経過していた。途中ではさんだ休憩やら仮眠やらで使った時間は6時間程で、戦闘にも数時間は使っただろう。ならば合流地点まで戻るのに7時間も見ればいいだろう。余剰の時間は3時間以上ある。

「ボストン、悪いがここでエクレアを見ていてくれないか?」

「それは構わないが…」

「泣いてもいい。今だけは」

 エレンとウンディーネに合図をして共にゲートの間から出て、玉座の間へと引き返す。そこには巨大な玄竜と、数多のオアンネスの死体が転がっていた。

 こちらも激戦だったのだろう、床や柱が大きく傷ついている。その勝利者である詩人には傷一つないが。

「あら? フォルネウス将とか、フォルネウス総帥は?」

「たぶんフォルネウスがくたばった時だな、死体も含めてとけるように消えた。原生生物型のモンスターとは違って、アビスのモンスターはそのゲートを閉じるとこちらの世界に存在を固定できないんだろう」

 言い捨てて、詩人は玉座の間から脇にそれた部屋を目指す。王座に近いその部屋のおおよそを察したウンディーネは黙って歩き、何の説明もないエレンは不審な表情のまま従った。

 そして辿り着いたその部屋は宝物庫と情報室を併せて持った部屋だった。奥には貴重で稀少な宝が積み重なり、手前にはテーブルが置かれてエレンが見た事もない文字で書かれた紙が乱雑に置かれていた。

「これは?」

「アビス文字。四魔貴族の間のみで使われる暗号文字だと聖王の遺した書物にはあったな。解読は聖王でさえできなかったとか」

「私はそこには興味ないわね。奥に行かせていただくわ」

 詩人が手前の情報に引き寄せられたことに対し、ウンディーネはそこに興味を示さずに奥へと足を進めてしまった。残されたエレンはどうしようかと足を止めてしまう。

「エレンも奥へ行っておけ。後三匹、四魔貴族は残っている。戦うつもりなら、少しでも武器や防具を補強するのも悪くない。

 …お前も、エクレアも。死んでほしくないからな」

「分かったわ」

 詩人の言葉に頷いたエレンはウンディーネを追って奥へと進む。それを見届けた詩人は、真剣な表情でアビス文字を見つめていた。

 

「ウンディーネさん」

「あら、エレンお嬢ちゃん。こっちにきたの?」

「ええ。他の四魔貴族を相手にしなくちゃいけませんし。有利になるものがあればいいかなって」

 気楽に言うエレンだが、ウンディーネの表情は固い。

 そして手を止めて、真剣な表情と声でエレンに問いかける。

「ねえ。四魔貴族を相手にするのはやめたらどう?」

「え?」

「…正直に言うわ。フォルネウスがメイルシュトロームを使った後、私の心は折れたわ。アレには勝てない、そう思わせれた」

 沈痛な表情で言うウンディーネ。そしてそれは嘘ではないだろう。ウンディーネも絶望の表情を浮かべていたし、ボストンも諦めた雰囲気を見せていた。

 それほどまでに四魔貴族の本気は恐ろしかった。

 勝てたのは、文字通りにブラックが命を燃やして、フォルネウスをその場に留めた上でエレンの必殺の一撃が決まったからだ。ブラックが命を代償にした術を使わなければ全滅していた。結果はともかくとして、内容は負けていた。そんな戦いだった。

「フォルネウスを倒せた、という事実で十分よ。モウゼスに来てくれてもいい。貴女達が命を懸ける必要なんて――」

「ウンディーネさん、ありがとうございます」

 言葉を遮り、ニッコリと笑いかけるエレン。

「エクレアがどうするかは分かりません。けど、あたしは四魔貴族を全て倒してゲートを閉じます」

「……理由を、聞いてもいいかしら?」

「それが、あたしのすべき事だからです」

 真っすぐに言いきるエレン。その瞳を見て、ウンディーネはふっと笑う。覚悟を決めた者にこれ以上を言うのは野暮だ。

 ウンディーネはこれ以上、四魔貴族と戦う事はないだろう。次は死ぬ、その確信があるが故に。けれども、それでも立ち向かう者はいる。それが戦友であるなら、手助けするのは吝かではない。いや、当然の事だと言える。

「……良い品を見つけましょう。フォルネウスの宝物庫ですもの。強い武具か、その素材が見つかるわ。

 手助けもするわ、別れるまでに術具を作ってあげる。きっと先々の旅の助けになるはずよ。それに困ったことがあったら私を訪ねてきなさい。力になってあげるわ」

「…ありがとうございます、ウンディーネさん」

「お礼なんていいわよ。貴女と私の仲ですから、ね」

 ぱちりと茶目っ気たっぷりにウインクをして見せるウンディーネだった。

 

 目ぼしい物を見つけて引き上げる一行。

 詩人はいくつかの書物を持ち、ウンディーネが選別したお宝を全員で分担して持つ。それは金になるものもあったが、ほとんどは強くなる為の武器や防具、術具の素材だった。

 そしてボストンの分の荷物は用意されていなかった。ボストンはその他全ての荷物を捨ててまで、持ってもらわなければならないものを抱えていたから。

 それはブラックの遺体。

 フォルネウスを相手取り、死んでしまった戦友。その亡骸を背負うボストンは飄々としていた。

「笑って死ねたのだ、これ以上の死に様はあるまい!」

 そう言うボストンに、エレンやエクレアは困った笑みしか浮かべられなかった。

 やがて合流地点に辿りつき、バンガードからの迎えがくる。

 フォルネウス軍の襲撃がなくなったからだろう、喜びの表情でエレンたちを出迎えた面々だったが。その沈痛な面持ちと動かない男の姿を見て全てを呑み込んだ。無傷では済まなかったのだと、それを突きつけられた面々は粛々と作業を進めてバンガードへと帰還していく。もう、海底宮に行く事はないだろう。良くも悪くも、それがこの戦いの結末なのだ。

 バンガードへ帰還した一行は、密やかに中央部へと戻り、疲れ切った体の心を癒す。その間にフォルネウス撃破の報はバンガード船中に広がり、歓喜が包み込んだ。詩人は飄々とそれから逃げて、ウンディーネは笑顔で表に顔を出して手を振る。ボストンはにこやかに対応しつつも自分のペースは崩さずに、バンガードを練り歩いて楽しんでいた。エレンとエクレアは、ブラックが死んで喜ぶということができず、部屋の中でゆっくりした時間を過ごしていた。

 今回のフォルネウス討伐で最も知名度が高かったのはウンディーネである。彼女が笑顔で人々の前に姿を現して手を振り、祝勝会に参加するだけで多くの人々が満足し、勝利に酔った。バンガードでの連続殺人事件から始まり、フォルネウスの襲来やバンガード船への攻撃など、この戦いで多くの人が死んだのだ。それが自分の知人や家族だった者も少なくない。だが、バンガードは勝ったのだ。あまりに傷が大きくとも、あまりに犠牲が多くとも、勝利を喜ぶ事が一番大事なのだと、熟練者ほど理解していた。

 数日かかったが、バンガード船はバンガード大陸へと辿り着く。そしてそこで朗報を待っていたキャプテンとフルブライトにフォルネウス撃破の報が伝えられ、第一報としてまずはバンガード中に知らされた。ここでも人々は歓喜の渦をつくりだす。そしてその情報はフルブライト商会を主として世界中に広げられるだろう。四魔貴族のその一角が落ちたのだ。これ以上の朗報は滅多にない。

 そして戦いの内容を詳しく聞き、そしてどういった方向で噂を広めようかという会議で問題が発生した。

 

「ハーマンの正体が海賊ブラックじゃっただと?」

 船が難破して死んだと思われていた海賊ブラックが生きていた。そしてブラックこそがフォルネウスを倒した立役者だと聞かされたキャプテンの表情は苦渋に染まっていた。端的に言って祝勝ムードに水を差された。

 ブラックが生きていたことは、まあまだいい。海賊団が壊滅して被害がなくなった事は事実であるし、別にバンガードがブラック死亡説を流した訳でもないのだ。生きていたとしても問題はない。しかしそのブラックがフォルネウスを打倒するのに一番活躍したというのは見逃せない。ただでさえバンガードはフォルネウス撃破に直接の人員を出していないのだ。一番美味しいところを持って行ったのが怨敵である海賊であったなどど公表するのは赤っ恥である。

 ちなみに会議の場所はバンガードでの豪華な一室で、時刻は夜。キャプテン、ウンディーネ、フルブライトがテーブルを囲いながら椅子に座り、その背後で護衛や仲間が立っている。キャプテンの後ろには西部最強の剣士であるサザンクロスが、ウンディーネの背後には高弟5人が、フルブライトの側には詩人にエレン、エクレアが。

 総勢12人が集う会議室で、キャプテンは声を荒げた。

「この話は本当かね?」

「事実よ。ブラックの顔を知っていたボストンはすぐに気が付いたし、遺体をバンガードの古強者に確認してもらったけど、やはりブラックで間違いなかったみたい」

「ブラックは脚をフォルネウスに喰われたと言っていた。同時に精気も奪われて、枯れ果てたんだろうな。それが正体を隠す役に立ったんだから、運がいいのか悪いのか…」

 力強く頷くウンディーネに、補足する詩人。

 話を聞き、キャプテンは見るからに狼狽していく。フルブライトも表面上は何でもない顔をしているが、内心ではそれなりの焦りがあった。海賊とはすなわち犯罪者であり、基本的に人権など存在しない嫌われ者。それが英雄になってしまったのだから、一歩間違えればフォルネウス撃破の報は逆に自身を刺す刃になりかねない。繊細に扱うべき情報なのだ。

 確認のため、フルブライトが口を開く。

「それで。ハーマンの正体が海賊ブラックで、フォルネウスを倒すのに大きく貢献したと知っている者はどの位いるのかな?」

「この場にいる人間とボストンだけ。ボストンには口留めをしたし、ブラックの遺体確認をした者もブラックかどうかを聞いただけよ」

 バンガード船に居た者でハーマンがいなくなっていたと気づいた者はいるだろう。しかしそれはよくある事だと流された。

 突然わいてでたブラックの死体に、それを確認した者は違和感を覚えただろう。彼の勘がいいと、ハーマンとブラックが結びつく。

 時間は無くはない。が、多くある訳でもない。なるべく早く処理するべき案件だった。

「ならば話は早い。ブラックの遺体を確認した者には奴がフォルネウスに加担していて、討伐したと伝えよう。ハーマンはフォルネウスとの戦いで戦死した。それで終いじゃ」

 言い切るキャプテンに、それで話が済む訳がないだろうとウンディーネとフルブライトは心の中で溜息を吐いた。

 いや、キャプテンの意見は為政者としては正しいのだ。最適解と言っていいし、ある意味それで済ませたいと思わない部分がない訳ではない。だがウンディーネは自分を救った恩人に、フォルネウスに組したと死んだ後に屈辱を飲ませたい訳がない。もちろん他に方法が無いならそうするが、戦う者にとって死線を共に潜り抜けた戦友は何よりも大事なのだ。

 故に。フォルネウス撃破に貢献した、若い2人の女戦士が納得するわけがない。

「ちょっと!」

「待ちなさいよ!」

 案の定。エレンが大声をあげ、エクレアが鋭く睨みつける。功罪をひっくり返して自分だけが得をするだけのようなその言葉に、強い不満の声があがった。

「なにかね」

「…ざけんな、ジジイ。なにかね、じゃないわよ!」

「ブラックがフォルネウスに組した? 命をかけて戦った男に対する、それがバンガードの礼儀なの?」

 エレンはまだ感情をギリギリ押さえつけているが、エクレアは既に怒りが理性を上回ってしまっている。このような場所で使うべき言葉でないものが口から漏れ始めてしまっている。

 それをふんと冷たい目で見据えるキャプテン。若い彼女たちは知らないが、海賊であるブラックやジャッカルは西部の海では極端に評判が悪い。それこそ、四魔貴族であるフォルネウス並だ。実際、ブラックに船を幾度となく襲われた過去がある。金や船、時には親しき者の命まで奪われた憎悪は簡単に消えはしない。

「黙れ、小娘どもが。こちらの事情を知らぬくせに口を挟むでない」

「あんた達の事情なんて知ったことか!!」

「そういうキャプテンこそ、こちらの事情を無視しているでしょう! あたしたちの仲間であるブラックがどれほど強くて、フォルネウスと誇り高く戦ったか!!」

 あの時。メイルシュトロームによってフォルネウスに心が折られてしまったウンディーネとボストン。立ち向かえたエレンとエクレアだが、余力を鑑みれば勝ち目が薄いというよりも無いと言っていい程だったのは、他ならぬ彼女たち自身が一番よく分かっている。実際は死ぬ前に詩人が加勢に来られたタイミングではあったが、しかしその前に。己の命を代償にして、いっそ楽しそうに宿敵に向かっていったブラックは命の恩人であり、最高の武人でもあった。そしてその彼は死に際にも自分達を戦友と想ってくれながら逝った。その最期を穢す事など、できる訳がない。

 だが、キャプテンも強く強く海賊ブラックを憎んでいるのだ。まとまるはずの商談がブラックに輸送船を襲われたことで消えたことなど、両手の指では数えられない。昔ながらの仲間が殺された事だってある。ブラックにとっての宿敵がフォルネウスであったように、キャプテンにとって海賊であるブラックやジャッカルは紛れもない怨敵なのだ。

「田舎娘に、下らん偽名の娘が。一端の戦士気取りか!? 強者の金魚のフン共は黙っていろ!!」

「市長、言葉が過ぎます!」

 あまりの言葉にサザンクロスが大きな声で窘める。フルブライトは公の場で激高していくキャプテンに醒めた視線を送り、ウンディーネに至っては汚らわしいものを見る目で喚き立てるキャプテンを見据えていた。

 しかしそれにキャプテンは気が付かない。あまりに強い憎悪が、キャプテンから冷静さを奪っていた。エレンとエクレアを睨めつけたまま、激高して言葉を続けてしまう。

「そんなにブラックが好きならばあの外道と一緒に死ねばよかったのだ! 海賊に命を救われた雑魚共、その海賊も結局は無駄死にじゃ! フォルネウスの足止め程度で命を使い果たす海賊程度の死など、何の意味もないわ!!」

 ブチりと、エクレアが切れた。

 キャプテンには認識できない速度で腰に手が伸び、シルバーフルーレを握る。

 瞬間、対応したのはサザンクロス。キャプテンの言葉が過ぎた事は理解しているが、まさか雇い主への凶刃を許す訳にはいかない。彼女も素早く小剣を握り、機先を制しようと動こうとする。

 エクレアのフォローをすべく、エレンも体に力を漲らせる。彼女自身も我慢の限界だった。何一つとしてこちらに配慮をしようとしないバンガードに愛想が尽き始めていたというのもある。

 修羅場の雰囲気を察して、ウンディーネの高弟たちが前に出ようとする。いざという時にはウンディーネの盾となり命を守り、その術の詠唱時間を稼ぐ為に。

 緊張が爆発的に高まり、次の瞬間には全員が動き出して戦場になるだろう前に存在する時間の空白。

 

 刹那、中央に置かれていたテーブルが微塵に切り刻まれて、その形を失った。

 

 圧倒的な剣気と殺意を撒き散らしながら、詩人が腰にある剣に手を添えながら言い捨てる。

「全員、動くな」

 視認すらできなかったその剣閃に、サザンクロスは格の違いを思い知らされて固まってしまう。非戦闘員であるキャプテンはもちろんながら、他の全員がその気迫に呑まれて動けない。

 教えられた者は知っている、詩人が使った技が不抜(ぬかず)太刀(たち)であることを。そしてその凶悪性をまざまざと見せつけられた。

 詩人にとって攻撃するには剣を抜く必要がない。ただイメージに虚の月術を合わせるだけで斬撃が与えられるのだ。その有効範囲は、詩人の言葉が正しいならばイメージできる場所全て。部屋全てを見渡している現状では、全員がその体に剣が押し付けられているのと変わらない。

 無拍子に、数多もの斬撃を、高威力で、距離を無視しつつ、繰り出せる。不抜(ぬかず)太刀(たち)の真髄と恐ろしさはそこにある。イメージに乗せて放たれる斬撃という、簡単な言葉の上に成立した圧倒的な制圧力。

 全員が動きを止め、黙り込んだのを見計らってから、詩人が口を開く。

「さて。こちらの意見を言おうか。

 キャプテンは口汚くフォルネウスと戦った勇者を罵り、その品位を貶めた。さらに挑発し、侮辱し、その勇者をけなすことで自分の発言力を増やそうとしている。

 こちらはそういった認識だが、売られた喧嘩を買ってそちらを殺してしまっていいものだと、そう理解していいのかな?」

「なっ……!」

 キャプテンは絶句する。自分にそのような意図は無かった。ただ、海賊ブラックが許せなかっただけ。奴を英雄と扱う事が、どうしても許容できなかっただけなのに。

 激高し、売り言葉に買い言葉で、そう取られても仕方のないと思われる事を口走ってしまったことに、ようやく気が付いた。みるみる顔を青くするキャプテン。

 目の前には殺意を漲らせ、睨めつけるエクレアとエレンがいる。そこまでの感情を持たれてしまう事を口にしたのだと、今になって理解してしまった。

「返答は?」

「いや、こちらに、そのような意図はない」

 動けない圧力の中、途切れ途切れにそういうキャプテン。

 ふむと小さく頷いた詩人は気楽な口調でエクレアに声をかける。

「エクレア、お前から何か言う事はあるか?

 真っ先に剣に手を伸ばしたのはお前だったな。なんなら、このまま切り捨ててもいいぞ」

 ぞっとする内容の言葉を軽く言う詩人。

 それを聞いたエクレアは。体を怒りで震わせながら、ギリリと歯を食いしばり。絞り出すように言った。

「……、ごめんなさい」

「え?」

「短気を起こして、先に手を出して、ごめんなさい。私が、私が。……悪かったです」

 想像もしなかったエクレアの謝罪の言葉。意外そうな声をあげたのはエレンで、満足そうに頷くのは詩人である。

 エクレアは動く。シルバーフルーレから手を放し、振り返って詩人を見る。

「詩人さん。……これでいいんでしょ?」

「上出来だ。よかったよ、お前を殺さずにすんだ」

「ちょ、詩人!!」

 詩人が口にした、切り捨てる対象はエクレアだった。それを理解したエレンは思わず大声をあげる。冗談ではない話だが、冗談を言っている空気ではない。

 だが、詩人の力をかさに着て、好き勝手に嫌な相手を殺そうとする。そういった人間になるならば、それは教える者の責任だ。そう淡々と言う詩人にエレンは呆れた声を出す。

「……殺す前に叱りなさい。最終手段の向こうにある責任の取り方よ、それ。

 まずはちゃんと言葉にして伝えないと」

「そうだな。先に叱っておくべきだな。

 エクレア、やるなら自分でやれ。相手を先んじて殺せるくらい強くなれば、誰にも文句は言われない」

「あんたの狂った倫理観を教えるなっ!!」

「はいっ!」

「エクレアも! 元気よく返事をしないの!!

 ああもう、あんた達には一から常識とか良心とかを教えないといけないのかしらねっ!?」

 殺伐とした雰囲気から一転、すごく軽い雰囲気になってしまった事に呆気にとられる面々。

 それを正すように、フルブライトが軽く咳払いをする。

「あ~。話を進めていいかな? 娘の教育方針は帰ってから自由に家族会議にかけてくれ」

「「「家族じゃない!!」」」

 3人の声がきれいに揃ったところで一区切り。

 仕切り直したフルブライトは鋭い視線でキャプテンを見据える。

「話を戻そうか。

 つまり、キャプテンは何が言いたいのかな?」

「う、うむ。つまりだな、海賊が英雄として広まってしまうのはどうかと、ただそれだけが言いたかったのだよ。

 フルブライト商会としてそれは困るのではないか?」

「ふむ、確かに」

「でもっ! ブラックは命を捨ててでもフォルネウスを倒してくれたっ!!」

「それもまた事実か。

 ならばこういうのはどうか。海賊ブラックはその命を代償にフォルネウスを倒した。その功績をもって、海賊としての罪を全て洗い流すと」

 ぐ、と言葉につまるキャプテンと、エレンやエクレア。

 キャプテンとしては海賊ブラックは殺しても飽き足らない人間だ。死んでなおその名誉を汚したい程に恨んでいる。だが、海賊としての罪を洗い流してしまえばそれはできない。

 エレンやエクレアとしても、死んでしまったブラックにはせめて英雄としての名誉を贈りたかった。けれども功績が罪を消されることに使われてしまっては、それも敵わない。

 言葉に詰まる両者だが、この場ではもう一人大きい発言力を持つ人間がある。フォルネウス討伐に参加した一人、ウンディーネである。

「私は賛成。妥当なところだと思うわ」

「「ウンディーネさん…」」

「折れなさい、エレンお嬢ちゃん、エクレアお嬢ちゃん。

 ブラックには確かに大きな罪があるの。無理を通して道理を引っ込めたら、それこそ社会は立ち行かなくなるわ。

 それに……あのブラックがフォルネウスを倒した英雄になるなんて喜ぶかしら?」

 

 いらねーよ、そんなもの。

 

 思わずそんな声が頭に再生されてしまったエレンとエクレアは一瞬だけ呆然となり、くすくすと笑いだした。

 言いそうだ、あの男なら。ただ自分の負けを返しただけ。それがたまたまフォルネウスだっただけ。英雄になるなど真っ平ごめんと嫌そうな顔と声で。

「あたしはそれでいいです」

「私もー」

「では、決まりだな」

「決まりね」

「決定だ」

「…仕方あるまい」

 その場の全員の意見がまとまった。

 そして他の細かい話も詰まっていく。今回の戦利品はフォルネウスを倒した栄誉と、伝説の動く島であるバンガード。四魔貴族の撃破は限りなく大きい名誉であり、また沈まない巨大な船であるバンガード船はケタ違いの信頼で大量の物資の取引を可能とする。

 フォルネウスを倒した英雄であるウンディーネはモウゼスに帰り、町を統治する。モウゼスは英雄が君臨する町として有名になるだろう。また、バンガード船を動かす動力として術師も派遣して、利益の一部を受け取る約束をする。

 フルブライト商会は大陸にあるバンガードを引き続き護衛し、更にバンガード船も一部フルブライト商会としての統治が認められた。バンガードとしては業腹だが、これまでの実績としての対価を要求されたならば断わる訳にもいかない。

 バンガードは陸からキャプテンが指示を出して、バンガート船にて利益を得ていく。モウゼスやフルブライト商会にも一部は流れてしまうが、それはしょうがないと諦めるしかないだろう。差し引いても莫大な取引で大きな利益が出ることは間違いない。復興資金はすぐに溜まるだろう。

 そうして話が終わった。その瞬間、詩人が口を開く。

「で、だ。最初の約束だな、キャプテン」

「なぬ?」

「全ての脅威の元凶である、フォルネウスを倒したから一万オーラム」

「「「あ」」」

 確かに言った、言っていた。キャプテンはおろか、エレンやエクレアすらも忘れていたが、詩人は忘れていない。

 にこにこと手を出す詩人に、苦笑いでキャプテンは大金を渡し。会合は終わりを迎えた。

 

 

「オチをつけるとは君らしい」

「約束は約束だし、大金を見逃す必要はないだろう?」

 帰り道、少しだけ話があると詩人が泊まる宿の前でフルブライトと詩人が話し込む。ちなみにエレンとエクレアは先に宿に帰ってお茶の準備をしている。これから先どうするかの相談を3人でするためだ。

「ボストンはそのままバンガードに居座るらしいな」

「フォルネウスを倒したロブスター族がいるとなれば、バンガードも箔がつく。悪い話じゃない」

 軽く世間話をした後、フルブライトは表情を引き締める。そして懐から一枚の手紙を取り出した。

 いぶかしそうにする詩人に、フルブライトが手紙と共に声をかける。

「探し者の情報だ」

「!」

 宿命の子。それを探している詩人は、それらしい年頃の人間や、身元が怪しい人間などの情報を求めていた。何度かこういった情報は貰っていたが、今までで当たりはない。

 今回こそは。期待と共に手紙の封を破り、中を検める詩人。差出元はラザイエフ家であり、行き倒れていた者を助けたが、身元がどうもはっきりしないと書かれている。

 リブロフにて保護をしていると締めくくりがなされており、できればタチアナが元気にやっているかとの話も聞きたいと綴られていた。

「リブロフか…」

 エクレアは絶対に嫌がるだろうなと容易に想像できてしまう。

「ではこれで用は全て終わった。今回も良く儲けられたよ。礼を言う」

「ギブアンドテイクだろ? こちらも最新情報に感謝するよ」

「また会おう」

 そう言い残し、フルブライトはバンガードの夜の中へ消えていった。

 それを見送った詩人は、宿へと入っていく。そしてエレンやエクレアの部屋に向かうと、ノックして中に入った。2人はそろってテーブルの前に座っていて、詩人の事を待っていた。

「あ、詩人さん」

「詩人。話は終わったの?」

「ああ。それじゃあこちらも先の話をしようか」

 そう言って椅子に腰かけて、目の前に注がれたお茶を手に取る。

 軽くそれをすすってから、詩人が話を切り出す。

「まずはフォルネウス討伐成功、おめでとう。犠牲なしとは、残念ながらいかなかったが……」

「うん。ブラックには、本当に感謝してもしきれないわ」

「それにウンディーネさんにボストン、詩人さんにもね」

「で、だ。一応確認しておこうか。エレン、お前はまだゲートを閉じる旅を続けるか? 四魔貴族を相手取ることの厳しさは身に染みたと思うが」

「もちろんよ」

 力強く頷くエレン。そして詩人は次にエクレアへと視線を向ける。

「エクレア、お前は? 無理に四魔貴族と戦う必要はないぞ?」

「私はまだ詩人さんに剣を教えてもらってないし~。それにここまで来てエレンさんを見捨てたりはしないよ!」

「そうか」

 ふっと微笑んだ詩人は話を進める。

「で、だ。次はどこのゲートを狙うつもりだ?」

「それなんだけど、近場から潰していこうと思うわ。

 ここ、西部は南のジャングルに近い。狙うゲートは火術要塞、相手はアウナス」

 地図を広げてそう言うエレン。指差すは、方向感覚を狂わす、南のジャングル。

 それを聞いて頷いた詩人。

「じゃあ、目的地は北だな」

「なんでよっ!?」

 思わず大声をあげてしまうエレン。南と北、真逆である。

 しかし詩人は真面目な顔をしたままだ。

「アウナスは強力な炎を操り、近づく者をみな燃やす。対抗する為に聖王は氷銀河にて氷の剣を手に入れて、アウナスの熱に対抗したとか。

 アウナスと戦うなら、先に氷の剣を手に入れないとな。ランスで情報を集めてみろ、氷銀河へ行く方法も分かるだろ」

「あ~も~! 分かったわよ!!」

 南に目的地を定めたのに、何故か北へ行かなくてはならなくなってしまった。その事実をやけくそ気味に受け入れるエレン。

 今の話に違和感を感じたのか、ちょこんと小首を傾げながらエクレアが問い掛ける。

「情報を集めてみろって…詩人さんは情報を集めないの?」

「俺はちょっと用事が出来てな。リブロフに行く事になった」

 その町の名を言った瞬間、エクレアの表情が固まった。

 それに気が付かないふりをしながら詩人は話を続ける。

「エレンも十分強くなったし、しばらくは別行動でも大丈夫だろ。

 エクレアはどうする? 俺と一緒にリブロフに向かうか? エレンと一緒にランスに行くか?」

「エレンさんと一緒にランスに行くっ!!」

 詩人の言葉の語尾を喰う勢いで言うエクレア。その即決に目を丸くするエレン。詩人は予想通りの返事に薄く笑った。

「じゃあ、いったんこの町でお別れだな。

 こっちの用事が終わったらランスへ向かう。ヨハンネスのところで落ち合おう」

「ええ、分かったわ」

「そういえばランスに行ったことってないな~」

 勝手に待ち合わせ場所にされているヨハンネスはご愁傷様である。

 そうして詩人はバンガードからの船の運航状況を調べる。バンガードとリブロフにはそれほど密接な繋がりはないため、直通便というのを探すのは手間である。ならば、いったんピドナを経由して行くのがいいだろう。

 エレンたちはここから北を目指す。陸路か海路かでヤーマスに行けば、ランスは近い。

 

 別れの夜は更けていく。

 これが一時のものになるか、永いものになるか。

 それはまだ誰にも分からない。

 

 

 




ここでいったん区切り。今回まではフォルネウス編の整理ですね。
次回は詩人の一人旅、そしてフォルネウス編が終わって次章への繋ぎにする予定です。


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031話

投稿から三ケ月が経ちました。
平均して3日に1回の投稿で頑張っています。
2万を超えるUAを頂き、そして多数のお気に入りと感想。
感謝、多謝でございます。
では最新話をどうぞ。


 

 

 ピドナに下り立つ詩人。

 経由地として来たピドナだが、せっかく来たのだからできる用事は済ませてしまいたい。詩人は宿を取り、翌日に出発するリブロフ行きの船を予約すると、足早に目的地へと歩を進めた。

 そして辿り着いたのはおなじみのレオナルド武器工房。遠慮はなにもなく、店の中へと入っていく。

「いらっしゃいませ」

 出迎えた者は若いがいかつい職人の男だった。おそらく詩人の事を知らない新人だろう、変わった男が来たものだと好奇が混ざった視線を詩人に浴びせる。

「ご入り用は? 武器かい? 防具かい? それとも修理? 卸しも請け負っているよ」

「ケーンかノーラを呼んでくれ」

「あぁ?」

 愛想なく対応する男だったが、詩人は素気が更にない。淡々と自分の要求のみを口にする。

 頭に血が上る男だが、いきなりこの工房の古株であるケーンや主であるノーラとの面会を要求する男である。目の前が万が一にでも重要な客だったりしたら目も当てられない。ようやく憧れの工房に弟子入りできたのだ、短気はいけないと自分に言い聞かせる。

「……あいよ。で、お客さんの名前は?」

「詩人だ」

「あ?」

「詩人だ。それで通じる」

「……てめぇ、ふざけてんのか?」

 名前を聞いて、返ってきた単語が職業である。詩人など世界に星の数ほどいる。それで話が通じるとは思えない。

 一般的な反応をする男に詩人は小さなため息を吐いて、背負っていた斧槍(ハルバード)を外して手渡す。

「これをケーンに渡してもらいたい」

「だからふざけ――」

 るな。続けようとして、言葉が止まった。追い返そうとした動きも止まった。

 目の前に出された武器は、職人である男が見惚れる出来栄えだった。自分では全く扱えないような素材を繊細に使い、金属部分も自身が打ち出した物がかすんで消えるほどに素晴らしく鍛錬された逸品。

 これは芸術である。これは目標である。これは至高である。

 ――こんな武器を、いつか創り出してみたい。そんな想いが溢れ出て、男の動きと思考が完全に停止してしまった。

「お~い。どうかしたか?」

 対応に出た男が戻って来ないと、ケーンが顔を出した。この工房に来たばかりの男である。面倒事に巻き込まれたかと様子を見に来たのだ。ほとほとケーンも面倒見がいい。

 そして入り口に立つ詩人を見て、失敗したと顔を歪めた。この新人に詩人の事を伝え損ねていたのだ。工房の恩人ともいえる男に失礼をしてしまったかと、慌てて頭を下げるケーン。

「すんません、詩人さん。こいつは新人でして、どうかひとつご容赦を!」

「いや、気にしてないから別にいい」

「本当に申し訳ありません。おい、お前もちゃんと頭下げろ。この人は工房で顔パスだ、よく覚えておけよ」

「……」

「おい?」

「……」

「オイっ!!」

「あっ、はい! ケーンさん、なんでしょうか!?」

 頭を小突かれてようやく正気に返る男。そこまで武器に見惚れていたのだが、それは客を前にしてする態度ではない。

 嘆息しつつ、再度詩人に向かって頭を下げるケーン。

「ホント、すんません。この馬鹿が失礼な真似ばかり……」

「なに、一本筋が通った良い若者じゃないか。大事に育てろよ、ケーン」

「そう言っていただけると……」

「あ、あの。ケーンさん、この人は?」

「恩人だよ、この工房とノーラさんの。それに武器を見たら分かると思うが、とんでもなく強い。

 貴重な素材も卸してくれるし、新しい武器の発想も考えてくれる。今回は多目に見てもらえるみたいだが、次回から粗相がないようにな」

「っ! す、すいませんでした!!」

「ああ、いや。気にするな。精進しろよ」

「はい! いつか、その斧槍(ハルバード)よりも素晴らしい武器を創って見せます!」

 言い切る男に詩人はどこか感じ入るものがあったのか、ふむと少しだけ考える。

 そしてケーンに向かって手に持った武器を差し出して、渡す。

「あ、はい。お預かりします。どうです、問題なかったでしょう?」

「ああ、流石だな。ちゃんと手入れがされていた。それから、それを置いておくのはやめだ」

「え?」

貸す(・・)

 一瞬、何を言われたか分からなかったケーンだが、その意味を噛み砕いた瞬間、驚きで顔を歪ませた。

「マジっすか。どんな心境の変化ですか?」

「飾ってくれていい。勉強してくれ。

 それとも、必要ないか?」

「まさかそんな!!

 おい、お前」

「は、はいっ!?」

「この武器を拝借できた。工房中に厳命させろ。

 決してこれを劣化させるな。そして、これを見て学び、精進しろってな」

 言われた男は驚愕と歓喜の表情でケーンから詩人の斧槍(ハルバード)を受け取り、深々とした礼を一つしてから鍛錬場へと駆けて行った。

 その喜びがまだ甘いと知るのは、彼が鍛錬場についた後の事。ケーンの言葉を伝えた時に、自分の鼓膜が破れんばかりに歓声が爆発する時だった。

 

 それはさておき、詩人はケーンと一緒に工房の奥へと進む。

 聖王の槍を取り戻すと決めたノーラは職人としては腕を落とさない最低限の槌しか振るわなかった。荒事になった時のためにバトルハンマーを振ったり、カタリナと情報を集めたりする時間を多く作っていた。今もカタリナと話し合っているらしい。

「でも、詩人さんがあの槍を貸し出すなんて。本当に何があったんですか?」

 先程までは新人の手前もあって作った喋り方をしていたケーンだが、今はそんな必要はない。ケーンが新人の頃を知っている詩人なので、必要な事とはいえ偉ぶった姿を見せるのはちょっとした気恥ずかしさを伴ってしまう。それを誤魔化すように先程起きた珍事である、詩人が自分の武器を差し出した事を話題に出す。

 詩人は際立った武人であり、故に自分の武器を容易く手放す事はしない。この工房に預けるまでは、あの斧槍(ハルバード)はどこかに隠していた。だが、おおよそ2年程前だったか。ふらりとそのハルバードを持ち、この工房で預かってくれないかとそう言ったのは。

 今思えば詩人がほんの1年程度で、聖王の槍が盗まれたこの工房に自分の槍を預ける事が普通ではなかったのだが。当時はその業物に目を輝かせ、同時にとても怖くなった事を覚えている。自分の工房で管理していた聖王の槍を失っただけでも大きな醜聞なのだ。その上に恩人の愛槍まで失ってしまったら、まず間違いなく工房は終わる。最悪、重大業務過失の罪に問われる。

 その恐怖はノーラにもあったのだろう。しかし、自分の工房を信じてくれるという詩人の好意を無為にもできない。

 そんな悩みを見透かしたように、詩人は苦笑しながら置いておいてくれるだけでいいと言ったのだ。責任は自分で取る、代わりに必要な時に届けてくれればいい、と。

 もちろんその辺に置いておけ、という意味ではない。厳重に隠しておいてくれという意味だ。

 それを聞いたノーラは斧槍(ハルバード)を奥深くに隠し、古くからいる職人が自分の監視の元で軽く見る事しか許さなかった。

 そんな扱いを受けていた武器である。全てを飛び越えて、いきなり聖王の槍と同じように飾っていい、見て勉強しろである。喜びよりも驚きの方が大きいというのが、ケーンの率直な意見だ。

「まあ、確かに思い入れが大きい物ではあるけどな。理由は三つある。

 一つは槍を盗まれるへまはしないと信じたからだ。ノーラたちは俺の槍を丁寧に扱ってくれた。二度盗まれるへまはしないだろうし、あの斧槍(ハルバード)は聖王遺物のように伝説の品じゃない。

 二つは勉強のためだ。いい武器を見て、それが職人を育てるなら有効活用するべきだろう。聖王だって、そういった意図で聖王の槍を工房のシンボルにしたんだろうし。

 三つめは更にいい武器を創れる目処がたった。フォルネウスを撃破し、集めていた素材を大量に入手できた。古いあの槍より、もっといい物ができるだろうな」

 ふんふんと話を聞いていたケーンだが、最後の言葉には思わず固まった。詩人は今、なんといった?

「あの、詩人さん。フォルネウスを、どうしましたって?」

「倒した。俺の仲間と、弟子とがな。明日にはピドナ中に広まるだろうし、近日中に世界中に広がるだろう」

 事もなさげに言う詩人だが、その内容は普通ではない。思わず絶句するケーンだが、その時間は長く続かなかった。ノーラとカタリナが話し合いをしている部屋に到着する。

 狼狽するケーンを尻目に、詩人は扉をノックして名乗りをあげる。

「詩人だ」

「ああ、あんたかい。入ってくれ」

 中から聞こえたノーラの声に従って、動けないケーンを置いて部屋の中へと入っていく詩人。

 以前と同じようにソファーに腰かけて話し合いをしているノーラとカタリナの姿があった。

「茶、飲むかい?」

「いただこう」

 恒例のやりとりをして、座った詩人はノーラが淹れてくれたお茶を一口啜る。とたんに嫌そうな顔をする詩人。

「これは?」

「トーマスカンパニーの新商品、コーヒーっていうお茶だよ。私は結構気に入ったんだが……アンタはダメだったかい?」

 その言葉に返事をせず、嫌そうな顔でもう一口コップを傾ける詩人。いいのか悪いのかよく分からない対応に、肩をすくめるノーラ。

 そんな雰囲気を変えるべく、カタリナがこほんと咳払いをして場を整える。

「状況は変わったと思います。お互い、情報交換をしましょう」

 まずはと言わんばかりにカタリナからピドナで得た情報を話す。

「詩人からの連絡を受けて、こちらはマクシムスを張りました。が、外部と連絡を取っている様子はありませんでした。よほど巧妙なのか、ジャッカルが神王教団の内部にいるのか…。

 しかし、奴は奴で独自に動いているようです。しかも、相当に悪辣。聖王様が禁じた凶悪な薬物を使うのは当たり前で、時には何も知らない信徒の良心まで利用して闇で蠢いています。また、奴自身の立場を利用して事を起こしました」

「事を起こした? …野郎、何をやらかした?」

「貧民街の子供を利用して、ミューズ様に夢魔の秘薬を飲ませたのさ」

 言葉を引き継いだノーラ。絶句する詩人。

「夢魔の秘薬!? そんなもの、どこで? どうやって!?

 いや、それもだが、ミューズに飲ませただと!? アレは夢と現実の境を曖昧にして、時間や道理を捻じ曲げるモノ。毒薬なんてものじゃない、もはや禁域の代物だぞ!? いったい何の為に!?」

 今までに無い程、激高し取り乱す詩人に。ノーラは怒りを通り越して逆に澄んだ声で応える。

「落ち着きな、詩人。それについては解決している。それに理由も分かった。順序立てて説明するよ。

 まず最初にクレメンス様は聖王遺物を良く思わなかったらしいわ。過ぎた力は全て滅ぼしかねない、そう言って娘のミューズ様や重鎮たちの前で銀の手を破壊した」

「銀の手…。確かピドナに伝わる聖王遺物の一つだったな。クレメンスが破壊したのか」

「ああ。その情報がかつてのクレメンス様の部下からルートヴィッヒに流れ、そこからマクシムスにまで伝わった」

 そこまで言えば分かる。マクシムスは夢魔の秘薬という禁断の薬を使い、ミューズの全てを否定してまで聖王遺物を欲したのだろう。

 夢と現実の境を曖昧にする夢魔の秘薬を使えば。夢の世界から、現実から喪失してしまった銀の手が復活することは可能性としてはありえる。

「銀の手は?」

「戻ったよ」

 苦渋の顔をするノーラ。クレメンスを様と呼ぶ彼女である、きっとクレメンスに少なくない恩があるのだろう。銀の手が復活したということは、少なくともミューズはマクシムスに狙われる事となる。それ故に、表情が曇るのだろう。

「マクシムスは貧民街の子供に、ミューズ様が元気になる薬だと言って夢魔の秘薬を渡したそうです。

 ここピドナでは、貧民層の言葉は酷く軽い。子供なら尚の事です。証拠にはならないでしょう」

「それを計算して動いてる奴さ。ヘドが出るね」

「そのくらいの方がいい。叩き潰して、こっちの心が痛まないくらいの方がな」

 三人三様に気分の悪い表情をしながら話を進める。

「それで、ミューズはどうなった?」

「無事さ。だけど流石にピドナに居続けたら格好の的だからね。縁があったトーマスカンパニーに協力してもらって、世界を転々としているよ。

 …時間の問題でもあるけどね。ナジュ王国を滅ぼした神王教団と、できたばかりのトーマスカンパニー。地力が違い過ぎる。いずれ捕捉されちまうよ。

 詩人、あんたならどうにかならないかい?」

「……。俺が居た方が安全性は増すだろうな。どうせ俺も世界を転々とする身だし、規則性も読みにくいだろう。

 だが、悪いが。俺は俺の目的が最優先だ。ミューズ専用の護衛にはなれないぞ」

「でも、目の届く範囲なら護ってくれるだろう?」

「対価による、ただで護ってやるほどお人良しじゃあない。

 …と、言いたいが。今回は特別だ。マクシムスの囮という名目で、奴と決着が着くまでは片手間で護ってやるよ」

「十分だよ。アンタはどう動く? 動きを聞いて、ミューズ様を合流させるわ」

「まずはリブロフに行く。そこで用事を済ませたら、仲間を迎えにランスへ。

 その後はアウナスの討伐だ、ウィルミントンを通って、陸路でモウゼス経由か、海路でアケに行くか」

「分かった。帰りもウィルミントンは通るだろ、そこに向かうようミューズ様に伝えるよ」

 一段落して、ふと思い出したカタリナが詩人に尋ねる。

「そういえばフォルネウスと事を構えるといいましたが、どうしました?」

「ああ。討伐した」

 しれっとした顔でコーヒーを啜る詩人だが、それを聞いた二人の女性は普通ではいられない。

 あんぐりと口を開き、聞き直す。

「今、なんて言った?」

「フォルネウスは討伐された。俺の仲間によって、な。近日中にピドナにも情報が回るだろ。

 その際、海賊ブラックと接触できた。奴はジャッカルの肖像画を持っていたから、この顔を覚えていてくれ」

 そう言って懐から一枚の肖像画を出す詩人。

 それを覗き込んだ女性二人は妙な顔をした。

「なんだい、こりゃ?」

「なんだって、ジャッカルの肖像画だよ」

「いえ、私たちが知りたいのはジャッカルの肖像画であって、マクシムスの肖像画ではないのですが」

 カタリナの言葉で沈黙がおりる。

 詩人はジャッカルの肖像画を出して、カタリナとノーラはそれをマクシムスの肖像画だと認識した。その齟齬を解決できる、簡単な答えが同時に閃いてしまったからだ。

「まさか…マクシムスの正体は海賊ジャッカル!?」

「ありえる、話、か? 神王教団は急激に勢力を増した。ならば、そこに異分子が混じっても、不思議ではない、か?

 ジャッカル程に能力があるなら、名前を隠し、一からでも神王教団の幹部になれる、か? ジャッカルが行動を見せなくなったのは10年は前だ。それほどの時間があれば、確かに……」

「詩人。ジャッカルの識別方法は他にないのですか? 顔が同じと主張しても証拠になりません。ジャッカルである、確かな証拠は?」

 これまでになく真剣な表情をするカタリナにまた、詩人も真剣な顔で答える。

「腕に決して消えないジャッカルの刺青がある。これが動かない証拠だ」

 詩人の言葉に、女二人の魂に激しい炎が灯る。

「……そうかい。ようやく、かい」

 激しい感情を瞳に灯してノーラが呟く。彼女の激情は尚更だろう。工房・父・親方、その全ての(かたき)がようやく手を伸ばせば叩き潰せるところまできたのだ。

 負けじとカタリナも瞳に怒りを宿すが、そこで熱を冷ますのが唯一ジャッカル個人に怨恨のない詩人である。

「落ち着け。まだ、ターゲットが定まっただけだ。奴が神王教団の幹部であり、ルートヴィッヒにも顔がきく立場なのを忘れるな」

「「でも!!」」

「だから、落ち着け。今は、落ち着け。そして機を待て。

 ピドナの支配者であるルートヴィッヒか、神王教団の指導者ティベリウスか。そのどちらかの信頼を損なう事が最低条件だ。それをせずに手を出せば、逆に奴に押し潰されるぞ」

 ぐっ…と沈黙せざるを得ない二人の女性。

 確かにマクシムスであるジャッカルは、その二つの世界最高勢力と密接に結びついている。

 しかし綻びがない訳ではない。

「ジャッカルは重罪人である大海賊だ。マクシムスと結び付けられればルートヴィッヒは処断せざるを得ない。

 また、神王教団を使って暗躍もしている。その証拠をティベリウスに突き付ければ、粛清が始まるだろう」

「…、……っ! ちっ! まだ、待ちかい!!」

「…っ、もどかしい!」

「九十九里もって道半ばと知れ。事が進んではいる。

 手順を誤れば、こちらが詰む」

 淡々と語る詩人にようやく落ち着きを取り戻す場。詩人としてはこれで落ち着いてくれて何よりである。

 何せ、人間は土壇場に追い込まれると何をするか分からない。詩人はそれをよく知っている。だから次の言葉がすぐに予想できて、そしてそれの対応もすぐに口にできる。

「私たちに、何かできることは?」

「俺はリブロフに行くが、妖精の弓を持った奴がリブロフでミューズに落ち合う予定だと噂を流してくれ。聖王遺物二つだ、噂に喰いつく可能性は低くない。

 それから、マクシムスの悪事の証拠を集めろ。これが証明できればティベリウスが動く。

 後は、奴がルートヴィッヒに公的に会合する予定を押さえろ。そこでジャッカルの証拠を言いだせば、ルートヴィッヒも確認するだろう。そこを容赦なく突け」

 とりあえずの、そして着実で堅実な方向性を打ち出す詩人。これで彼女たちが暴走する可能性は低くなっただろう。目先の目標が最終に向かうとなれば、彼女たちはその努力を無為にしない人物だと詩人は分かっている。

 詩人の予想ではリブロフにマクシムスの手の者は来ない。聖王遺物二つは、流石に怪しすぎる。だからこそ逆に、宿命の子である可能性を持つ者と詩人との邂逅が邪魔されずに済むのだ。闇で強く輝くジャッカルが警戒する区域は、全ての闇の者への牽制となる。そして光であるラザイエフ商会は詩人の味方である。つまり、敵が紛れ込む機会が限りなく少なくなる。

 そして残り二つの指示でジャッカルの急所を射止める。詩人としても、聖王遺物を強奪する不届き者を放置するつもりはない。

 

 会合が終わる。

 

 詩人は場を辞した後、ケーンの下に向かった。ノーラが機能しない今、ケーンが持つ影響力はとてつもなく大きい。

 そんな彼に、稀少な素材と多額の金。そして希望の武具とその届け先を指示した詩人は、宿で一泊してリブロフへと向かうのだった。

 

 

 リブロフ。

 聖王と縁が深いフルブライト商会の同盟者である、ラザイエフ商会が支配する町。

 しかし、今、ラザイエフ商会は家督問題で揺れていた。

 現在の会頭であるアレクセイ・ラザイエフ、彼は高齢であり後継者に悩んでいた。すなわち、長女であるベラが見染めて自分も認めた男である婿養子ニコライに任せるか。それとも、歳が離れている実の息子のボリスに家督を継がせるか。

 面倒なのは、お互いがお互いを認め合っている点であろう。例えどちらが選ばれても恨みっこなしで、相手の下についてラザイエフの為に尽力を注ぐ覚悟がある。両者がそれほど器が大きい人間であるからこそ、アレクセイも悩んでしまう。ある意味、贅沢な悩みと言えるだろう。

 だがそこで、さらにおまけの頭痛の種がついてしまった。末娘で愛娘のタチアナが、そんな家族の雰囲気を敏感に察してしまったのだ。大きく紛れもない善意の狭間にある、ほんの小さく人間ならば消しようもない微かな黒い感情。感受性が豊かなタチアナはそれを敏感に感じ取ってしまい、全てが嫌になって家から飛び出してしまったのだ。

 アレクセイは、それはもう取り乱した。年が過ぎてから生まれた、愛娘が出奔したのである。孫ほど年の差があるとはいえ、妾の子とはいえ、限りなく愛した子には変わりないのだ。…妾の子であるというナニカにタチアナが察してしまった事に、アレクセイ本人は気づいていないが。

 そして夜も眠れない、食事も喉が通らない日々をどれくらい過ごしたか。タチアナの安否を知るより前にアレクセイが衰弱死してしまうのではいかと家族の者が強く心配する程になって、ようやくフルブライトからタチアナの生存確認が取れた。曰く、タチアナ嬢は武芸者になるべく腕の立つ者の下で修業していると。そして万が一の事態には必ず伝えると。それを知った瞬間にアレクセイがへなへなと力をなくし、座り込んでしまったのは仕方あるまい。安堵と心配、その両方で。

 時が経ち、本日。タチアナの師である武芸者、詩人と会う機会を得たアレクセイは今までで最高に緊張していた。ラザイエフ会頭としてはともかく、アレクセイ個人としてこれ以上緊張したことはないだろう。そう場違いな事を思いながら、アレクセイは厳重に人払いをした部屋の中で詩人に深く深く、頭を下げていた。

「どうか、どうか、どうかっ…! お願いじゃ……!」

「……」

「我が子、タチアナを見捨てないでくれたまえ…! 儂はもうタチアナに嫌われてしまった。主に縋るしかないのじゃ!」

「……」

「っ! せめてタチアナを安全な所にっ! どうか、どうか! タチアナの安全だけでもっ!!

 申し訳ない、誠に申し訳ないがラザイエフ家は差し出せない。だが、儂の全ては差し出すから、どうかお願いじゃっ!!」

 詩人の困った沈黙をどうとったのか。アレクセイは必死に懇願してくる。

 ある意味、アレクセイの希望に沿っているとは言い難い。四魔貴族に挑むとは、自殺と変わらないのだ。

 しかしその上で、犠牲ありきとは云え、エクレアは四魔貴族の一角であるフォルネウスを既に落としている。しかも才能と実力も十分にあり、次の四魔貴族のターゲットにいれて楽しんで行動している。

 その上でこの実父の対応は困る、実に困る。適当に対応するには誠実過ぎるし、誠実に対応しようにも適当に誤魔化せない。

 結局のところ、お茶を濁すしかないのだが。この必死な父親にそれをするのは、詩人の僅か過ぎる良心がゴリゴリと削られる。何で俺がこんな貧乏くじを引かなくてはならないのかと、詩人が心で深くて深いため息を吐くのも仕方がないだろう。

「頭を上げて下さい、アレクセイ殿」

「じゃが……」

「心配せずとも、私はタチアナ嬢を見捨てません。彼女には才能があり、能力がある」

「おおっ!」

「しかし、力が支配する世界は万が一が無いとは言えません。残念ながら、安全のお約束はできません」

「……」

「しかし、タチアナ嬢はいつも笑っているでしょう、最期まで笑っていられるでしょう。それだけは、お約束します」

「っ! 感謝じゃ、感謝しかないっ……!」

 涙ながらに言うアレクセイに、詩人はとても肩身が狭い。最期まで笑っていられることを教えたのは彼ではないのだから。

 それを教えた者はもうこの世にはいない、誇り高き大海賊である。そして詩人はある意味、彼に未だ認められていないのだから。

 そういう時は逃げに限る。詩人は逃げることを嫌がる性質ではないのだ。

「ところで、ラザイエフ家が保護したという身元不明の者とは?

 私はその者に用があってきたのだが」

「あ…?

 ああっ!! フルブライトから聞いた、どこともなにとも知れぬ者を探している変わり者とは君かっ!」

「……」

「あ、いや、失敬。忘れてくれ。今、案内しよう」

 沈黙した詩人の気分を害してしまったのかと、アレクセイはそそくさと別の部屋に案内する。ちなみに詩人はアレクセイに対しては気分を害していない。どちらかというと、フルブライトに対して呆れている。

 あの野郎、こんなところでも人をおちょくって遊んでやがるな、と。

 アレクセイという、ラザイエフ家会頭が家を案内するという珍事の中、やがて一つの部屋に辿りつく。そしてアレクセイはコンコンとその部屋をノックした。

「アレクセイじゃ」

「…っ! 会頭ですか、どうぞ!」

 中から男の声がして、アレクセイはドアを開けて詩人を中に入れ、そして自分は会わず外からドアを閉める。そして詩人の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

「モニカ姫!?」

「詩人さんっ!?」

「それに…ユリアン!!」

「あなたが何故ここにっ!?」

 奥の椅子に腰かけるモニカと、部屋全てを警戒範囲に含めているユリアン。

 モニカもそうだが、特にユリアンの成長が凄まじい。詩人が鍛えたエレンやエクレア程ではないかも知れないが、この短期間でよくもまあ程度が知れた若造が詩人が見れる程度に育ったものだと。

 そしてベッドに横になっていた人物が起き上がる。行き倒れと聞いていたが、体調は良くなっているのだろう。その動きによどみはない。

 起き上がったその人物は、詩人を見て信じられないと目を見開く。詩人も、ここにいるとは思いもよらなかったその人物に絶句する。

「貴方、貴方はっ…!」

「リンリンっ!?」

「リンリンというのはやめて下さいっ!!」

 思わずといった詩人の叫びに、思わずといった風情で叫び返すその女性。名前は。

「ああ、すまん…。もう、大人か、お前は。

 確か――(ツィー)(リン)、だったか?」

「はい、はいそうです…! 遥か西より来た旅人、名も知らぬ詩人さん。本当にお久しぶりですっ!」

「いや、ここが西だけど、むしろ鈴が遥か東から来た旅人だけど……。

 お前、何しに来た?」

「昔に言ったじゃないですか。西を見てみたい、と」

「それで本当に樹海を超えて西に来るか、普通?」

 バイタリティー溢れ過ぎだと、詩人は顔を手で覆って上を仰ぐ。

 ゲートを閉じるというエレンといい。それについてくるエクレアといい。樹海を超えて西に来る鈴といい。本当に、詩人の知る女性はバイタリティーに溢れ過ぎである。

 それをポカンと見ていたユリアンとモニカだが、やがておずおずと口を開いた。

「えと、あの…。あなたとリンは知り合いなのか?」

「ああ、10年以上前だったか。乾いた大河を超え、死の砂漠を超えた事がある。鈴はそこにいたムング族の、族長の娘だよ」

「っ! 詩人さん、東の最果てを超えた事があるのですかっ!?」

「超えた事がないと言った記憶はないが」

 からっと言う詩人だが、その事実にはユリアンもモニカも絶句する。あの砂漠を超え、生還した者がいるなど想像もしていなかった。というか、その存在や情報がもはや国宝ものである。いや、存在が知られない東の情報なら、下手な国宝以上か。

 かつて一緒に旅をして、軽く教えを願った相手がそれ程だったのかと。ユリアンとモニカは顔色を悪くした。

 だがまあ、詩人はそんな些末事に拘る性質ではない。

「そんなことはどうでもいい。モニカ姫たちと鈴が出会った経緯が知りたいが…」

「経緯と申しましても……」

「旅の途中でリンを見つけて、保護したとしか、なぁ?」

 言葉に困る彼らに詩人は頭痛を払うように頭を振った。

「分かった、分かったから。

 モニカ姫がロアーヌを出た経緯から、全部説明してくれ」

 これは全ての話を聞かないと分からない。そう判断した詩人は今までの話の全てを求める。

 そしてユリアンも、これからの事を考えるならこの詩人の信頼を得ても損はない。そう判断して、ロアーヌに仕える事になった日からの全てを語るのだった。

 

 

 




予想できた方は素晴らしいっ! つか、いないだろ。(本音)
次回より詩人の詩。その外伝である護衛の剣が始まりますっ!!

場面としては6話が終わった後からの分岐、ロアーヌ編から始まります。主人公はユリアン予定。
詩人がほとんど関係しないお話ですが。どうかお楽しみ下さい!


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外伝・ユリアン編 護衛の剣
032話 ロアーヌの日々


新章、はじまります。
6話後からの分岐、ロアーヌ編になります。
詩人がほとんど関係ない話なので、外伝とさせていただきました。

ちょいちょい過去の話も訂正などしていきます。
感想や指摘なども頂けたら嬉しいです。

では最新話をどうぞ。


 

 ゴドウィン男爵の乱から幾日か経ったある日。

 ロアーヌ宮殿鍛錬場、そこで威勢のいい声が上がっている。

「たぁ!」

 その声の主は新緑の髪色をした青年、ユリアン。彼は色黒の剣士ハリードに向かって木剣を振るっている。

 虚をついた技であるが故に名付けられた失礼剣。そこから派生して真横に剣閃を発生させる飛水断ち。続けて上段から太刀を振るうが、初撃はフェイント。重ねた二段目が本命であるかすみ二段。

「ふむ」

 その全てを冷静に受け切ったハリードは、技を出し切って出来たユリアンの隙に自分の木剣を叩き込んだ。

「くっ!」

 真剣ならば切り殺されている一撃である。ユリアンは悔しそうに呻きながら後ろに下がりつつ、しかし手に持った得物は落とさない。

 それを満足そうに見て笑ったハリードは声をかける。

「教えた技はおおよそ身についているな。じゃあ、今日はここまでだ」

「ありがとうございました!」

 ビシっとした敬礼をするユリアンに再度満足そうな顔をしたハリードは、機嫌よく鍛錬場から去っていく。それを直立不動で見送っていたユリアンだが、やがてハリードの気配が完全になくなると、その場に倒れ込んで荒い息をつく。

(まだまだだな、俺は)

 モニカ姫を守る。

 ただこの一言が、余りに遠い。

 ロアーヌに来てからの僅かな時間でも知った。誰かを、特に貴族を守るという事は武に優れればいいというものではないということを。

 例えば礼儀作法。それらを持たなければ、格のある儀礼に参加するすることさえ許されない。そしてその場を暗殺者が強襲すれば、体を張って守る以前の問題だ。自分の目の届かないところで全てが終わってしまう。

 そしてそれらを学んだとして、暗殺者から貴人の身を守らねば意味がない。儀礼の場に参加できました、けれども自分も姫も殺されました。それではなんの意味もないのだ。

「精が出ますね」

「あっ…。カタリナ様。ご無様をっ!!」

 倒れ込んでいたユリアンだが、現れた人物に慌てて体を起こし、頭を垂れる。

 カタリナ・ラウラン。ロアーヌ貴族であり、もう何年もモニカ姫の護衛を務めあげている女傑だ。もちろん女性であるその身の上からして、仕事は護衛だけに留まらない。侍従やメイドといった女性でしか務まらない役割も見事にこなし、ミカエルやモニカの信頼は絶大といっていい。その証拠に彼女はロアーヌに代々伝わる聖王遺物を預けられている。マスカレイド。普段は隠し持ちやすい小剣だが、使い手が念じるだけで巨大な剣に変化して強く敵を叩き切る。暗殺にも向いた剣であるが、ロアーヌはそれを護衛の為として決して変えない。一説にはロアーヌ当主の妻となるべき者しか持つことが許されないと論じる者もいた程である逸品である。それは先代のロアーヌ候であるフランツがカタリナに預けたことによって否定されたが。

 そして現在、モニカの護衛であるプリンセスガードの隊長はカタリナであり、副隊長はユリアンである。その下に何人かの人員は存在するが、上位二人は変わらない。これはもちろん決して実力順ではない。モニカの信頼している順番である。

 いざという時に信頼がなければ話にならない。そう判断したミカエルは、モニカの意見を最重要視した。実力が無ければ話にならないのは当然だが、信じられるというのもこれ以上なく大切な要素である。暗殺者に襲われた時、最後の壁が裏切り者でしたでは笑い話にもならない。いや、むしろ笑い者として世界に広まってしまう。そこで最も信頼できる一人としてカタリナに隊長を任せ、信頼できる者の実力を上げていくという方法をとったのだ。

 つまり、ユリアン以下の隊員はモニカの信頼を得ていないという話である。彼らの最重要課題はモニカの信頼を得る事。そして現在ロアーヌの剣客であるハリードに手解きを受けているユリアンの重要課題は自身の腕を上げる事。

 彼は就任した当初は一端の兵士くらいの実力はあった。が、プリンセスガードで一端の兵士程度では困るのだ。そのためミカエルは内々を整える間のハリードの仕事としてユリアンに剣を教えさせて、そしてカタリナには作法を教えさせるように命令。そしてこれには両者とも快諾をした。カタリナが上司命令に従うのはもちろんだが、ハリードも自分が見込んだ青年を鍛える事を悪い事と思わなかったのである。

 そしてメキメキと実力を伸ばしていくユリアンだが、そこで彼が感じてしまったのはハリードやカタリナとの隔絶した差である。剣であれ、作法であれ、なんであれ。自分はこの両者に敵うものは無いのではないのかという劣等感。それがユリアンをなおさら下手に出させていた。

 それを見てクスクスと笑うカタリナのそれは嘲笑では無い。自分の程を見据えた上で、上を目指す弟を見守るような慈愛の笑みだった。

「見ていましたよ、ユリアン。また腕が上がったみたいですね」

「いえ…。カタリナ様やハリードさんにはまだまだ及びません」

「あら。私たちより強くなる必要はないのよ。モニカ様を守れれば、それでいいのですから」

 カタリナを様と呼ぶのは上司として当然だが、ハリードに敬称をつける必要は実はない。立場としてはプリンセスガード副隊長であるユリアンの方が上であるくらいだ。

 しかしユリアンはそこで教わっている人を呼び捨てる程に驕ってはいない。ハリードが重職についていないのは彼本人がそれを嫌った為であり、自分がハリードより腕が上であるとは夢にも思わない。状況などその他諸々が作用してこうなっているだけの話なのだ。実際に剣を教えられている立場として、それは重々承知している。

 だが現実としてユリアンの立場が上なのは事実である。そこで彼は公の場ではハリードを呼び捨てて、こういった場では最低限の敬称として、さん付けで呼んでいる。このような使い分けは礼儀を教える側のカタリナとしてもにっこりだ。

「疲れたでしょう、お茶を淹れるわ」

「あ、ありがとうございます」

「ついでに、お茶のマナーも見てあげる。それに今はいいけど、ある程度作法やマナーが身についたらお茶の勉強もした方がいいわね」

 さらっとそう言うカタリナにちょっとだけ顔が強張ってしまうユリアンだが、無理矢理に引き締めて返事をする。

「はい、頑張ります」

「精進、精進よ」

 差は存在する。足りないものも多い。そんなユリアンだが、彼は着実に努力をして前に進んでいる。及ばない事を自覚して、劣等感に苛まされながら、しかし決して腐らない。

 そんな意志ある青年を、カタリナは穏やかな眼で見ていた。

(もしもユリアンがモニカ様を守るに足る男になれば、その時は――)

 自分の役目も終わる。もしもその時、ミカエルの奥方が決まっていないのならばもしかして。

 その想像を軽く首を振って終わらせるカタリナ。何を馬鹿な事を思っているのか。自分がミカエルの隣になどいるべきではない、自分はミカエルの片腕として相応しく腕を磨いてきたのだから。

 冗談ならば想像、いや妄想するくらい自分で自分を許しただろう。恋に恋い焦がれる女として、少し醒めた視点も持てた。だが、彼女は悲しい事に本気だった。本気でミカエルを愛してしまっていた。

 故にそのような想像は許されない、愛に溺れてしまえば視界が狭くなる。それは隙となり、ミカエルの不利になる。

 そう。理解していたのに。

 愛という感情は制御できるものではないと、カタリナはこの時は想像できなかった。いや、想像が足りていなかったのだ。

 

 夜。

 にこやかな笑顔でユリアンがくたくたになるまで作法を教え、そしてカタリナ自身も少し疲れてしまった。

 ロアーヌの中庭を散歩して、強張った体をほぐしていた彼女であるが、ふと囁く声を聞いてしまう。

「カタリナ。お前を、一人の女性として愛している……」

「!!」

 その声がカタリナに与えた衝撃は、大きい。

 カタリナの産まれであるラウラン家はロアーヌでは名門である。その上で彼女は美しく、強い。ミカエル候の信頼もまた厚い。そんな彼女の立場や容姿に見惚れた男が、求婚した事も少なくない。

 もちろんカタリナはその全てを断ってきた。この身はロアーヌに捧げたが故、ロアーヌに益無き婚姻は致しませぬ。そう言って。

 だが、だからこそ。その声の主ならば。

 カタリナは、身も心も委ねる事ができた。

「ミカ、エル様…」

「! 誰だ!!」

 囁く声が聞こえてきた方向から、重く鋭い誰何(すいか)の声が聞こえてくる。

 だがそれにカタリナが強張ることはない。むしろ誰も聞いてないからこそ口に出してしまった本音だと、顔が赤くなる自覚があった。

「わ、私です。カタリナです」

「カ、カタリナ!?」

 珍しく焦ったようなミカエルの声。がさがさと音がして、中庭の茂みから姿を現したのは確かに己が主君、ミカエルだった。

 カタリナの姿を認めたミカエルは、目を大きく開いてやがて照れたようにそっぽを向いてしまった。

「しまった…。誰もいないと油断してしまったな。カタリナ、お前は何か聞いてしまったか?」

「あ、あの……。いや、その、私は」

「……。いや、聞こえなかった事にしてくれ」

 その言葉に強く強く落胆してしまうカタリナ。思わず零れた涙を隠すために、咄嗟に俯いてしまう。

「聞かれるのではなく、言いたいのだ」

 カタリナの顔が上がる。潤んだ瞳からは涙が飛ぶ。

 そして次のミカエルの言葉で、カタリナはくしゃくしゃになる顔を手で覆い隠した。そして溢れる涙をこらえる事ができなかった。

「愛している、カタリナ。強く、気高く、美しいお前をいつしか愛してしまった。

 私の愛を、どうか受け入れておくれ」

 カタリナは何度も何度も頷く。夢みたいだった。こんな、こんな日が来て欲しいと、心のどこかで思っていた。けれどもそれは、自分で絶ったはずの夢だった。

 それが叶えられた。ひっくひっくと喜びの涙を流すカタリナの、その泣き顔を隠すようにミカエルが抱きしめる。そしてカタリナの自慢である、その長く美しい髪を手で梳いた。

 その愛おしい手つきに、カタリナの心は満たされる。その髪こそがカタリナの密かな自慢だった。強くならねばならない騎士として、首から下は女らしさを捨てなければならない。顔はいつ傷つくとも知れない。だからこそ、髪だけは美しくあろうと決めた日は、遠い。それからの年月全てが報われたような思いだった。

 ミカエルの顔は、見えない。だがその優しい手つきだけで伝わってくる。この人は自分に心を開いてくれてくれている。ならば自分も――

「『開心』」

(え?)

 ミカエルの声と、何か悍ましい者の声が重なって聞こえてきた。

 瞬間、カタリナの力が抜けてしまう。倒れ掛かるカタリナを支えるミカエルだが、しかしそれに優しさは感じられない。使い捨ての粗悪品を場凌ぎで使うような、乱雑な手際だった。

「くっくっく。どうだ、自分の夢に溺れた感覚は?」

(な、なに、が……?)

 ふと、気が付く。自分を抱きとめているのはミカエルではない。似ても似つかぬ醜男だ。

 さっとカタリナの血の気が引く。こんな男に自分のあられない姿を見せてしまったことをまず悔いた。そしてロアーヌ宮殿に不審者が侵入しているということも、また。

(だ、だれか……)

「無駄、無駄、無駄さ無駄。俺様の術に支配されたお前は、俺様の操り人形さ。

 相手に見たいと思わせる状況を錯覚させ、それに溺れる心を絡めとる秘術。お前はもはや、俺様の許可が無ければ声一つ上げる事はできない。

 さて、まずは仕事だ。カタリナ、マスカレイドはどこにある?」

(だめ、言っては、だめっ!)

「私の、懐に」

「差し出せ」

「はい」

 カタリナは跪いて懐からマスカレイドを取り出すと、醜男に向かって捧げてしまう。そして鷹揚に受け取った醜男は、舌なめずりをしながら、カタリナの体を視線でなぞる。

「じゃあ、お楽しみの時間だ。

 俺は見た通りの醜さでね、女にもてた事はない。

 だが、この術で支配した女は別だ。好かれる訳でもないが、蕩けた顔と体で俺に身を委ねてくれる。本っ当、最高だぜ!」

(っ!!)

 マスカレイドを渡してしまったカタリナが心で呆然としていると、更なる衝撃が心を襲う。

 こんな卑劣漢に、奪われる。今まで守ってきた純潔が。想いが。全てが。

「夢を見させてやった代償と思って諦めるんだな。ではカタリ――」

「…けるな…」

「――ナ?」

 醜男は唖然としてカタリナを見た。目に激しい怒りを灯し、自分を睨みつけるその女騎士を。自分の術に囚われて操り人形となったはずの女が、怒りに満ちて自分を睨みつけていた。

「ひっ!!」

 今までにない経験に、醜男の喉から情けない悲鳴が漏れる。

 カタカタとナニカに抗うぎこちない動きで、カタリナは徒手空拳の型をとる。

 醜男から滝のような脂汗が流れた。これ以上はマズい。そう判断した醜男は、捨て台詞もなく夜の闇に紛れると、消えていった。

「――くっ」

 術から解放されたカタリナはその場で膝をつき、己を掻き抱いた。

 奪われた。マスカレイドが、ミカエルからの信頼が。

 だが、それよりも。マスカレイドを奪われた時には抗えなかったのに、己の純潔を守るためには抗えた。

(――なんと、なんと。なんと! なんとっ!!)

 

 なんと醜いのだ。カタリナ・ラウラン。

 お前はミカエルに全てを捧げたのではなかったか。ならばこそ、純潔は奪われてもマスカレイドは奪われるべきではなかった。

 なのに、お前がした行動は覚悟と真逆。マスカレイドは差し出して、純潔は守り抜いた。

 何が忠義の騎士だ。何がロアーヌに全てを捧げただ。お前は自分の身を守り、守るべきマスカレイドは見捨ててしまった。

 心に付け入る隙があった? そんなにも自慢の髪をミカエル様に褒めて欲しかったのか、醜いカタリナよ。

 

 ならば、もうそんな髪など必要(いら)ない。

 

 カタリナは声なき絶叫を上げながら、取り出した小刀で己の髪を切り裂いた。

 女の命として大事にしてきた髪。ただ一つの女としての証明。それを自ら捨てていく。

 瞳に憎悪。表情は修羅。ゆらりと立ち上がったその女騎士は、悪鬼になったかのように自分を削ぎ落とし、捨てていく。

 この命を落とすか。はたまたマスカレイドを取り戻すか。

 その瞬間まで、カタリナは女であることをやめた。忠義の騎士であるとも名乗れない。もはや怨讐に囚われた一匹の獣。カタリナは自分をそう位置付けた。

 

 

「カタリナ、どうしたの、その髪!?」

 翌日。謁見の時間を取り、ミカエルの前に姿を現したカタリナ。その髪を見て、側に控えていたモニカが思わず声をあげてしまった。

 女として誇れるのはこの髪だけです。そんな事を照れた笑いと共に言っていたカタリナが、その誇りをバッサリと切り落としていた。

 そして、すっとモニカを見たカタリナの瞳に、モニカはひるんだ。もちろん、敵を見る目でない。だが、人として何かがおかしくなってしまった、そんな感覚を抱かせてしまう瞳だった。

 カタリナはモニカの問いには答えず、ミカエルの前に平服する。

「申し訳ありません、ミカエル様。マスカレイドを奪われてしまいました」

 ぴくりとミカエルの表情が動く。まさかそんなと言わんばかりにモニカは驚きの表情をする。

 それに構わず、カタリナは淡々と熱のこもらない言葉を口にする。

「本来ならば今すぐに自害してお詫びする所存ですが、どうか今一度だけマスカレイド奪還の機会を与えて頂きたく、恥を承知で謁見に参った次第でございます」

「ほう…。その髪は必ずマスカレイドを奪還するという覚悟の現れか」

 ミカエルは素早く頭の中で計算する。ロアーヌに代々伝わる聖王遺物を奪われてしまうなど、これ以上ない醜聞だ。ただでさえ今は内乱が起きたばかりである。ゴドウィン男爵を蹴散らしてミカエルの強さを示したとも言えるが、反乱者を許してしまう程にミカエルが甘いという見方もできるのだ。内外にこれ以上の隙を晒すのは避けたい。

 当然、マスカレイドは取り返す。秘密裏に、だ。その前にマスカレイドを奪われたカタリナの罪に、罰を与えなくてはならない。

 カタリナは自害すると言っているが、ミカエルとしてはここで腹心に死なれるのは困る。マスカレイドは取り戻せるかも知れないが、なくなった命は戻らないのだ。カタリナは、ミカエルの為にも死んでいる場合ではない。確かにマスカレイドを奪われたという事は死一等に値するが、それを減じる程度にはカタリナは優秀であり、そして信頼もしていた。

 しかしカタリナはマスカレイドを失った事を相当に強く恥じている。それにマスカレイドを持たないカタリナがロアーヌにいるのも上手くない。何かの拍子にカタリナの元にマスカレイドが無いと漏れてしまったら事だ。

 ならば――

「よかろう。ただし、マスカレイドがロアーヌに戻らぬ限り、お前がこの国に帰る事は許さん」

「そんな、酷いわ! お兄様っ!!」

「温情、ありがたく」

 ――ならば。カタリナを秘密任務と称して外に出し、同時にマスカレイドも捜索してもらうが良しか。マスカレイドの持ち主であったカタリナがロアーヌからいなくなれば、マスカレイドを携えたと考えるのが普通である。

 故に、戻るならばカタリナとマスカレイドと同時が望ましい。もちろんミカエルが独自に出した捜索でマスカレイドが見つかっても構わない。その場合はカタリナは別の形で罰を受けて貰う事になるが、それは仕方がないだろう。

 ただ、その時はカタリナはどことも知れない場所で自決しそうな覚悟である。釘を刺しておくのは必要かと、ミカエルは言葉を続ける。

「その時までお前の命はこの私が預かる。どことも知れぬところで死ぬのは許さん。

 良いな?」

「はっ」

 深く頭を下げたカタリナは身を翻し、場を辞する。

 その背中を見たミカエルはふと思った疑問を投げかけた。

「まて、聞き忘れたことがあった。

 カタリナ、お前程の者からマスカレイドを奪うとは只者ではあるまい。

 奪ったのは何者だ? どのようにして奪われた?」

 ぴたりとカタリナの動きが止まる。カタリナが忠義の騎士であるなら、ロアーヌに全てを捧げたのならば、言うべき事である。

 どのような手口か。どのような術を使うか。どのような男か。

 それを知る事はロアーヌにとって決してマイナスにならない。だから言うべきなのだ。

 だが。

 震えた声でカタリナの口から出た言葉は、ミカエルへの答えではなかった。

「そ、れ。ばかりは、言う訳にはいきません。

 どうかご容赦を」

「そうか。ならば重ねて問うまい。行け、カタリナよ!」

 己の情けなさに泣きそうになりながら、カタリナはロアーヌから出ていく。向かうはミュルス、ロアーヌの側にある港町。

 言えなかった。ミカエルに恋心を抱いているなどと。

 言えなかった。忠義より純潔を守ってしまったことを。

 言えなかった。未だ己は忠義よりも自分が大切なのかと。

 泣いてしまえば楽になったかも知れない。しかしカタリナは涙はこぼさず、瞳を潤ませる事なく歩を進める。情けない心とは裏腹に、彼女の動きは騎士のそれだった。

 

 人はそう簡単に変われないのだ。

 

 

「ふー」

 玉座でミカエルは溜息をつく。

 モニカは既に退室させている。彼女はカタリナに心を開いていた。そのカタリナが居なくなってしまった心の整理をつける時間は必要だろうと。

 その建前ではあるが、ミカエル自身も一人になる時間は必要だった。カタリナが居なくなった穴は大きい。モニカの護衛が最たるものだが、彼女が居たから安心できたという事実はあったし、他にも彼女に任せていた大きな仕事は少なくない。

 そして、ミカエルとて人だ。心が弱る時もある。そんな時、カタリナの前で無様を晒せないと、己を叱咤した事もある。カタリナが後ろにいたからこそ、前に進めた事もある。

 そんなカタリナがいない。陳腐な言葉だが、居なくなって初めて有難みを感じるという事もある。

「……カタリナ」

 呟くミカエルの胸中を知る者は、いなかった。

 

 

 




あのワンシーンに一話を使ってしまった。
次回からも頑張ります!


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033話

心身ともにズタボロですが、最新話投稿します。
……短い上に更新速度低下して申し訳ないです。週一更新もできないかもですが、どうかご容赦下さい…。


 

 

「カタリナ様が長期任務でロアーヌの外に?」

 ロアーヌ宮殿にある一室で、ユリアンは同僚のプリンセスガード二人とお茶を飲みながら話をしていた。プリンセスガードは十余名いる。貴族出身の者もいるが、ユリアンのように平民がその実力を認められて入隊した者も少なからずいる。数としては半々といったところか。

 その中でのユリアンの評判は悪いものではなかった。副隊長に抜擢されたやっかみが無い訳ではなかったが、ユリアンの相手を敬う態度がそれを軟化させた。平民出身の者によってはユリアンがあっという間に一部隊の副隊長に抜擢されたが為に、彼が目標の人物だと言う者もいる程である。

 今、ユリアンとお茶をしているプリンセスガードの女性もそんな一人である。平民出身の彼女は、文官としてプリンセスガードに採用された。予算取りやスケジュール管理など、部隊には筆をとって口で戦う事も多くある。そんな彼女はカタリナに見出された人材の一人であったこともあり、自分を引き上げてくれたカタリナの突然の異動に困惑した感情を隠せない。このプリンセスガードは平民や貴族が入り混じった部隊であり、カタリナが隊長としてバランスを巧みにとっていた部分は大きい。

 そんなカタリナが隊長を外れると言ったもう一人の男は貴族だが、平民への偏見が少ない男であった。幼い頃より教養と訓練を受けた貴族が優れている場合が多いという思考はあれど、血統のみで人の価値は決まらない。そんな彼はユリアンなど優れた平民を認める器があり、カタリナのように貴族と平民の間でバランスをとる事も役目の一つと認識している。もちろん彼自身も高い腕がある。

「詳しい任務内容は極秘だそうだが、任務期間は未定だとか」

「そんな!? プリンセスガードはいったいどうなるのでしょうか?」

 この二人も、そしてユリアン自身も副隊長がそのまま繰り上がるとは考えていない。深く考えなくても荷が重い。

「隊長はラドム将軍が就くそうだ。だけど忙しいお人だからな、大まかな指揮はとっても細部まで目を配るのはとても無理だろう」

「ラドム将軍ですか。悪くはしないでしょうけど……」

 女性の顔が曇る。ユリアンも難しい顔でお茶のカップを傾けた。

 ラドム将軍は質実剛健で、ミカエルの覚えもよく部下からの信頼も厚い。そんな彼だが、今現在は微妙な立場に置かれている。ラドム将軍の妻は反乱を起こしたゴドウィン元男爵の娘であり、反乱の最初はゴドウィン側についていた男である。故に反乱直後ともいえるこの時期は風当たりが強く、彼が隊長を務めるというだけでプリンセスガードも悪い事に巻き込まれかねない。

 ちなみにだが。ほとんど誰も、それこそラドム将軍すらも知らないことであるが、彼が最初にゴドウィン元男爵側に居たのはミカエルの計略である。彼の妻が反乱者の血縁である事を利用し、微妙な立場に立たせる。そして正義感の強い彼が、汚い事をしていたゴドウィン元男爵を見限らせるように根回しをしていたのだ。結果、ゴドウィン元男爵の兵を多く奪う事に成功し、ゴドウィンを撃破するのに大きな一石となった。

 そんな功罪を持つラドム将軍だからこそ、ミカエルの覚えもよく、それを敏感に察知して足を引っ張ろうという者も多い。人は良いのだが時期が悪いと言ったらいいのか。

「気苦労は増えそうだな…」

「ま、頑張れ、副隊長」

「他人事で言いやがって」

 くっくっと笑う男二人に、女性の隊員は心配そうに口にした。

「でも、副隊長。本当に気を付けてくださいね。

 敵は外にだけいるとは限りませんから」

 笑っていた二人の表情が引き締まる。貴族出身でもプリンセスガードで不祥事を起こし、その名声を下げて反ラドム将軍の派閥へ鞍替えするという人物はいないとは限らない。出世欲が高かったり、副隊長に平民がいるのが我慢ならなかったり、そもそもカタリナには味方してもラドム将軍は嫌いだという人物だっているだろう。

 だからといって平民出身だから安全とは限らない。出世欲は平民から成りあがった者の方が強い場合もあるし、金に釣られるケースも少なくない。また、家族を人質に取るという極めて悪質な例も存在する。

 誰が敵で誰が味方か、それぞれがそれぞれを信じたり疑ったりしなければならないのが貴族の世界なのだ。

「ああ、肝に銘じるよ。お前たちも頼りにしているぜ」

 ニヤリと笑うユリアンに、信頼を向けられてこそばゆい表情を見せる二人。

 十余人はいるプリンセスガードの中で、彼らは個人的にお茶をするくらいには仲が良い面々ではあるのだ。

 

 それからしばらく、忙しくも平穏な日々が続く。

 これはユリアンも意外に思っていたのだが、自分なりに情報収集をしてみると、どうやらミカエル候自身が睨みを利かせているようだ。妹の護衛団、しかも信頼できる腹心が隊長でなくなった事でそれなり以上に危機感があるのだろう。

 様々な業務に鍛錬にと日々を費やしていくうちに、ある噂がロアーヌ宮殿に広まった。

 ツヴァイク公が息子や娘を伴ってロアーヌにやってくる、という噂だ。

 ロアーヌはミカエルが跡を継いでからまだ日が浅く、不安視する者も多い。ピドナやツヴァイクといった強国と関係強化に手を回すのは、ロアーヌとしては当然だ。

 しかし相手は北方の雄、ツヴァイク公である。ツヴァイクは聖王が認めた貴族ではないが、100年程前に北に貴族が居ないのは民に不安を抱かせるとして自ら大公国を名乗った。以来、公国王として君臨し続けられる程に実力を持っている。現状では北方の地盤は大きく固めており、北西はユーステルムにも影響力を持ち、南のロアーヌとは事を構えるか同盟を結ぶかを考えていた。今回、ミカエルの努力が功を為して会談まで持ち込めたと言えるだろう。

 ちなみにツヴァイクはレオニード伯爵の事は貴族として存在しないものと扱っている。聖王がモンスターに伯爵号を与えるはずがない、という見解の元でレオニードの事を強大なモンスターとしてしか扱っていない。そんな扱いにもレオニードは沈黙を保ったままだが。

 それはともかく、ツヴァイクとロアーヌでは大きく地力が違い、ツヴァイクの方が圧倒的に上である。聖王三傑の一人を祖に持つロアーヌが自称王族に後れを取るとは情けない。そういう向きもあるが、今現在の歴然とした力関係はそうなのである。

 そして関係強化に最も手っ取り早いのは婚姻だ。ツヴァイク公の娘をミカエルにあてがえるか、息子にモニカを嫁がせるか。そのどちらかが実現できれば、ロアーヌとしては大きな戦果となる。だがそれに関しては不安な材料もあった。ツヴァイク公は先祖の功に胡坐をかいて内政が疎かになっている話があり、その兆候もちらほらと見られるらしい。そしてツヴァイクの次期国王である王子は、それに輪をかけた無能者であるという噂だ。

 会えば分かる事ではあるが、ロアーヌの今後に相応しい国であるかは、噂を聞く限りでは微妙である。

 

 やがてツヴァイク公とその子供を迎えて、ミカエルとモニカとの顔合わせの時間がとられる。もちろん、お互いに護衛付きであるが。

 

「やあやあ、ミカエル候。どうも頑張っているようではないか」

「ツヴァイク公に認められるとは喜ばしい限り」

「内乱が起きてしまった事は残念だが、それを迅速に鎮圧した手腕は素晴らしい。我がツヴァイクも手を結んでいいかとも思った訳だよ。

 しかし…はっはっは。噂通り、美男美女の兄弟であるな。特にモニカ姫は息子の嫁にではなく、儂の嫁に欲しいくらいだ」

「まあ、ご冗談を」

 機嫌良く上から視線で笑うツヴァイク公に、愛想笑いを浮かべるミカエルとモニカ。

 モニカの後ろに控えて見ていたユリアンは表情を消しながら思う。

(なんだコイツ)

 人の領土に入り込んできながら我が物顔である。その上、自分の意見が通ると信じて疑っていない。

 それくらい地力に違いがあるのはユリアンも理解しているが、人に好かれるような態度でないのは間違いないだろう。

 さらにツヴァイク公がモニカを見る、品のない目も気に入らない。ユリアンはモニカを守る護衛である。好色そうな視線で主を見られていい気分になる人間はいないだろう。

 それでもツヴァイク公はまだ上に立つ者として最低限の礼儀はあると言える。ミカエルやモニカに言う言葉も、自分であるから許されると分かっている節はある。だが、その子供たちはダメだ。実際に地位がある立場なのかは分からないが、王子はモニカに視線が釘付けであり話を聞いていない。姫も同じくミカエルの美貌に目を奪われていて他に気を配れていない。

 ツヴァイク公はそんな子供たちを溺愛しているのか窘める様子さえ見せない。現状はツヴァイクの方が上かも知れないが、ユリアンの視点からみて為政者としての器の大きさはミカエルの方が圧倒的に上である。

「さて。モニカ姫が息子の嫁になるか、娘がミカエル候の妻になるか。どちらがいいかな」

「ツヴァイク公はどちらがいいとお考えかな?」

「それは子供たちの意見を聞かなくてはな。おい、お前たち。希望はあるか?」

「俺の嫁にモニカ姫が欲しいぜ!」

「私、ミカエル様に嫁ぎますわ!」

 ほとんど同時に主張するツヴァイク公の子供たち。自分の欲望に忠実すぎると、褒めればいいのか貶せばいいのか。

 短い期間だけ貴族の間で揉まれてきたユリアンだが、そんな彼でも分かる。考えるならばどちらの方がツヴァイクに益があるかを考えるべきだと。

 姫はまあ、仕方がない。女は嫁ぐのが仕事という面もあり、政治に疎くても許される側面もある。夫をたてて子を為すことを一番に考えて教育されれば、見た目麗しいミカエルに嫁ぎたいという気持ちが湧き出て抑えられなくても不思議ではない。

 だが王子はそんな言葉では許されない。何せ、次期ツヴァイク公国王である。それが欲に溺れて簡単に女を求めるのはダメが過ぎる。

 そんなドラ息子をデレデレと見守るツヴァイク公も大概であるが。

「う~む。できれば両方の意見を取り入れたいのではあるが、流石にそういう訳にはいかないな。

 ではこうしよう。今日一日、息子はモニカ姫と過ごして、娘はミカエル候と過ごそう。それで夜になった二人から話を聞き、その上で儂が決定する」

「分かったぜ!」

「負けませんわよ、お兄様!」

 言葉遣いに気を付けろ、ここは公の場だぞ。それからこっちの意見を聞かずに勝手に決めるな。

 心の中で呟くユリアンだが、もちろん表には一切出さない。

 話は終わりとツヴァイク公の面々が場から立ち去る。騒がしく退室する言葉を拾い聞くに、王子はモニカと共に外へ馬乗りに出かけ、姫はミカエルと共にお茶をして話をするらしい。

 やがて完全に彼らが居なくなり、兵からここにいるのが全てロアーヌの人間であることが伝えられた瞬間、全員の表情がどっと疲労に歪んだ。

「……聞きしに勝るバカ息子ですな」

 誰かがボソッと呟いたが、ミカエルさえ素知らぬ顔で流した。

 

 それからロアーヌ宮殿を出るのにも一騒動あった。

「俺はモニカ姫と二人きりで楽しみたいのだ、余計な護衛などいらん!」

「しかし若い男女が二人きりというのも……」

「いいではないか。どうせ今日の夜にでも俺の婚約者になるのだ。多少早まっても問題あるまい」

「外聞というものもあるのです。それにロアーヌは内乱が収まったばかり、不届きな輩がいるやも知れません」

「はっはっはっ。そんな輩が出てくれば俺がこの剣で叩き切ってやるわ!」

 聞く耳持たず、話にならず。あるいは無理を通して道理が引っ込むというべきか。

 文字にすればそんなところだろうか。埒が明かないと判断したモニカが口を添える。

「私たちは今日初めて会ったのですから、その機会は後々にも訪れましょう。今日のところは護衛を付けていただいたらどうでしょうか?」

「モニカがそう言うならそうするか!」

 今までの自分の意見はどこへやら。一瞬で意見を翻す王子。押し問答をしていた者の中には、モニカが嫁に行って内部からツヴァイクを操ってもいいのではないかと考えた者もいたくらいである。

「まあ、モニカは俺が守るからな。護衛は一人でいい」

「分かりました。ではユリアン、お願いできるかしら?」

「はっ!」

 人数で揉めるとまた話が混迷しかねない。とっとと話を進めるに限ると考えたモニカは、素早くユリアンを指名する。

 ユリアンも素早く反応して平伏する。そんな彼を王子はジロジロと見て、ユリアンにだけ聞こえるように囁く。

「おい、途中ではぐれるかどうかしろよ」

「は、いえ、その…」

「黙って言う事を聞いておけ、分かったな」

 言いたいだけ言った王子はユリアンを一睨みすると、顔に笑みを張り付けてモニカへと向かう。

「では時間がもったいない。早速行きましょう、モニカ姫」

「はい、お伴させていただきますわ」

 誰が時間を無駄にしたのか分かっていないようだ。周囲の者たちは嘆息する。

 そしてユリアンは周囲よりも更に深く嘆息する。どうやら離れて気にならないように護衛する必要もあると。そして万が一の場合は姿を現してモニカの貞操を守らなくてならない。これが本当に一国の王子なのかと、ユリアンは心底疑問に思っていた。

 

 馬に乗ってロアーヌの外の平原を駆ける王子。その前にはモニカが乗っている。

 そこからやや離れた位置で、護衛として最低限の距離を保ったユリアンの馬が走っている。

「全く、気の利かない護衛だな。二人きりになりたいという俺たちの心が分からんのか」

「ユリアンは真面目な男ですので。信用できる護衛ですの」

「モニカ姫。家臣には不真面目な者を入れて、それを上手く使う事も大事ですぞ。まあ、それについてはツヴァイクで追々学べばいいか」

 そろそろ本格的に言葉がなくなってきたモニカだが、これ以上の会話をする事はなかった。

 

 キシャァァァァァ!!

 

 突如として上空から鳥型モンスターが舞い降りて、モニカたちが乗っていた馬を強襲したのだ。

 ただ遠乗りするための馬ではモンスターの奇襲に為す術はなく、その鳥型モンスターの嘴にて喉を抉られて絶命する。そして走っていた馬が突如として命を失えば、乗っていた人間は慣性に従って空を舞ってしまうのは道理。

「きゃあああぁぁぁ!!」

「うぉおおおぉぉぉ!!」

 空中に投げ出されたモニカたちのうち、王子は勢いよく地面を転がってしまう。そしてモニカは空中で鳥型モンスターの足で鷲掴みにされ、そのまま捕獲されてしまった。

「モニカ姫っ!!」

 地面にうずくまる王子か、連れ去られようとしているモニカか。どちらを優先するか、ユリアンは一瞬で判断して馬を加速させた。

「私はモニカ様を追います、王子はロアーヌに事態を知らせて下さい!」

 すれ違い様に言い捨てるユリアン。

 後ろで王子が何やら喚いているが、ユリアンの役職はプリンセスガード。モニカ姫の護衛が第一である。

 空を飛ぶモンスターとはいえ、人間を一人運んでいるのである。そんなに速度は出ていないし、体力も無限という訳でもないだろう。その上、幸いにも馬で走る事を選んだ地相でもあるため、川や崖に阻まれて追いつけなくなるという事もなさそうだ。

 

 ユリアンはモニカの身を案じながら、決して見失わないように馬を駆けさせるのだった。

 

 

 



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034話

活動報告にも書きましたが。
過去話の細かな点を修正しています。
特に重大な矛盾点であった聖王三傑から聖者アバロンを外し、アバロンは聖王三傑と同格の『聖者』として確立させました。

引き続き修正は続けますが。
さておき、最新話をお楽しみください。


 

 

 

 数秒。

 鳥型モンスターが急襲し、モニカを掴まえるまでにかかった時間である。

 数秒。

 捕獲されたモニカが現状を把握して、落ち着くまでにかかった時間である。

 合わせて10秒以下。

 それがモニカが冷静になるまでに、必要とした時間であった。

(ユリアンは…大丈夫。見失ってないわ)

 馬を駆ってモニカを追いかけるユリアンの姿を見てひとまず安堵するモニカ。

 彼女は外遊するための格好で、装備としては貧弱だ。しかしモンスターの領域に出るのであるからして、最低限の備えはもちろんしている。動きやすい服は防刃仕様の布が用いられており、鳥型モンスターの爪を通さない。モニカは未だ無傷である。

 武器は護身用にフルーレを携帯しているだけで、抜いて鳥型モンスターに向かって振るうのは無理がある。使うなら術であるが――現在の高度を考えて断念する。この高さから落ちてしまえばただでは済まない。

 鳥型モンスターの息が乱れてきていることはモニカにも把握できている。遠くないうちにどこかへ着地するだろう。ユリアンが後を追ってきている以上、ここで大きなリスクを伴う、落下を選択する必要はない。

 そう判断したモニカだが、それが甘いものだったと知るのも遠くないうちの出来事だった。

 

「ゴドウィン男爵!」

「残念だが今の私は男爵ではない、モニカ姫よ」

 地面に近づいた鳥型に向かってエアスラッシュを放ち、その翼を焼いたモニカ。悲鳴をあげながら落下した鳥型モンスターを蹴り、体勢を整えて地面に降り立ったモニカの眼前に居たのはゴドウィン男爵。いや、本人の言葉を使えばただのゴドウィンか。

 先の内戦で反乱を起こした男の服は汚れてほつれ、優雅を纏っていた過去は遠いと感じられる惨めな姿だった。しかしその瞳からは未だに野心は消えていない。むしろ屈辱を燃料として轟々と燃え盛っているようですらある。

 そんな彼の後ろには大きな悪魔型モンスター、悪鬼の姿があった。モニカは悲鳴をこらえ、大きな声で呼びかける。

「ゴドウィン男爵、悪あがきはやめなさい!

 大人しく出頭し、罪を償えばお兄様とて悪いようにはしません!

 私たちはフェルディナンド様を祖とする、血を分けた親戚ではないですかっ!」

「断る。悪あがきに見えるだろう。しかし、まだ私は諦めた訳ではない。

 ああ、確かに私はミカエルに敗れた。勝算の大きい戦いに敗れた惨めな敗残者だ、それは認めよう。

 私に力を貸していたビューネイは失望し、多くのモンスターを取り上げられた。だが、全てを失った訳ではない。僅かな手勢でこの状況を覆すチャンスを狙っていたのだ」

 淡々と、その瞳から感じられる激情からは遠い冷静な声を出すゴドウィン。

「ミカエルが内乱を治めれば、次に大きな勢力と結ぶであろう事は読めた。

 最有力候補は領地が接したツヴァイク。北の圧力を消せる上、いざという時には助けも呼びやすい。

 だが、今のツヴァイクは力があっても無能だ。同盟の証として妹を差し出す事は読めていたが」

 くっくっと醜悪に笑うゴドウィン。

「まさかここまで呆気ないとはな。本来ならばツヴァイクに向かう途中を襲う予定だったものを。内乱が起きたばかりなのに、護衛も少なく馬で遠乗りとは。

 いやはや、勝利するとはここまで余裕ができてしまうものなのかな? それが慢心とは気が付かずに!」

 ゴドウィンの言葉に歯噛みするモニカ。

 過程はともかく、結果として身の守りを薄くしたモニカは今、ゴドウィンの眼前に独りきりなのだ。ゴドウィンの嘲りを否定することはできない。

「それにモニカ姫、真実を知ってもその聖王のような慈悲深い言葉を吐けるかな?」

「真実?」

 ニヤァとゴドウィンは大きく笑う。そして紡がれる、残酷な真実。

「前代ロアーヌ候、お前たちの父であるフランツを暗殺したのは私だという真実だ」

「っ! 噂は、本当だったのですね…」

「火のないところに煙は立たんよ。まあ、以前の私なら噂程度気にするまでもなかったが…ここまで落ちぶれれば話は別だ。

 ミカエルはもはや容赦するまい。真実がどうあろうと、暗い噂が立つ者を重用するような甘い男でないことは私にもわかっている。

 だが、血を分けた妹に対する情の話は別だ」

「……お兄様は私よりもロアーヌを優先すると、そう信じております。

 たかが女の一人がロアーヌより優先されるなど、あってはなりません」

 揺らぐ事無く言い切るモニカ、だが、彼女はまだ甘かった。甘すぎた。

「当たり前だ。が、目の前で妹を凌辱され、惨殺されてもミカエルは冷静でいられるかな?」

 サっとモニカの顔から血の気が引いた。それは自分の末路を想像してのことではない。そのような事を考えてしまえる、人間のおぞましさに恐怖したのだ。

「ゴドウィン男爵、まさか、あなたは、本気でそのようなことを…」

「当然だ。貴様を手にした私はその作戦をビューネイに伝えて軍勢を借り受ける。そしてミカエルの眼前で貴様は人として最低の末路を迎えるのだ!

 冷静を欠いたミカエルならば、今度こそ勝てるっ! いや、勝つ。勝って見せるっ!!

 例えビューネイの配下となったとしても、ロアーヌを統べるのはこの私なのだ! この、ゴドウィン侯爵なのだ!!」

 血を分けた親戚を殺し、嬲り、貶める。

 そこまでして手にするのは、四魔貴族の下僕の地位だ。

 モニカにはもはやゴドウィンが何を欲しているのか分からない。いや、もしかしたらゴドウィン本人すら分からなくなってしまっているのかも知れない。

 本来ならばロアーヌを統べるというのは手段のはずだ。領地を広げるであれ、果てのない贅沢であれ、あるいは善政を敷いて民を幸せにするであれ、それらこそが目的になるはずなのだ。しかしゴドウィンにはもはやロアーヌを統べる事しか見えていない、負けて落ちぶれた屈辱を果たす事しか頭にないのだ。

 ゴドウィンの野望に焼け爛れた瞳は血走っている。彼の背後に控える悪鬼と比べて、どちらが鬼と呼ばれるに相応しいのか。

 従順にゴドウィンの命令を待っているモンスターを見て、モニカは何も言う事が出来ない。

 何か言葉を発しなくてはならないのに、その狂気に絶句して声が出ない。そのうちにゴドウィンが指示を出してしまう。

「さあ、ご同行願おうかモニカ姫。人として、最低最悪の末路を迎える為に。

 だがその前に自害されては私が困る。しばらく気を失ってもらおうか」

 その言葉で悪鬼が動き出す。その巨体全てを使った体当たりである、ぶちかましを使う予備動作に入る。

 そして動き出す、その直前に、モニカの前を馬が駆け抜けた。そこから飛び降りる一人の青年。プリンセスガードである彼は、賜った白銀の剣を巧みに使い、悪鬼のぶちかましを逸らして受け流す。

 攻撃を捌ききっても彼は油断しない。敵とモニカの間に自分を割り込ませ、決して隙を晒そうとはしない。

「ユリアンっ!」

「ご無事ですか、モニカ様。このユリアン、遅れながら参上致しました」

 一人の男に悪鬼最大の攻撃が捌かれたことにゴドウィンは顔を青くし、そして真っ赤になって叫ぶ。

「くそ、くそくそくそくそっ!

 なぜ、何故だっ!? 何故こうも上手くいかないのだ!?」

 叫ぶゴドウィンを色なく見つめるユリアン。彼にとって相手方の事情など、知った事ではない。ユリアンが考えている事はたった一つ、主であるモニカの安全だけであり、その為にこの場をいかに切り抜けるかだ。

 喚くゴドウィンを哀れみのこもった目で見るのはモニカ。彼がさきほど言った通り、勝利を手にすれば人は慢心する。モニカを眼前に置いて勝利したと信じ込んでしまったゴドウィンが、その慢心を突かれただけの話。長々とした講釈を垂れずにさっさとモニカを拉致してしまえば、この場面は決して訪れなかった。この場面を作り出すためにゴドウィンと会話をしたのは確かにモニカだが、ゴドウィンはそれに付き合う必要は全くなかったというのに。

 そしてその会話も、決して策のために温度がない言葉だった訳ではない。モニカは、ゴドウィンが父であるフランツを殺したという事実を知ってなお、同じ言葉を繰り返す。

「ゴドウィン男爵。

 罪は赦されるものなのです。赦されない罪はないのです。

 父を殺した貴方を、私は赦します。ですからどうか、悔い改めて、もう一度やり直しましょう」

「はっ! 内乱を起こし! 無様に負けたこの私が!

 ミカエルの下でやり直せるはずがなかろう! 本気で言うのならば、お前は私よりも愚かな女だっ!」

 モニカの優しさを侮辱するゴドウィンにユリアンの体が殺気立つ。

 しかしそれでも、彼は激情に任せた行動を決してとらない。己の怒りなど、モニカの安全に比べていかに些末な事であるかを、教わるまでもなく彼は分かっていた。

 そしてモニカも一度悲しみに目を伏せて。そしてあげた顔を決意に染めていた。ここまで来て決意を鈍らせてはいけないと、彼女も教わることなく分かっていた。

「ユリアン、お願いがあります。ゴドウィン男爵を、あの哀れな男を、終わりにします。どうか力を貸して下さい」

「モニカ姫。私は貴女の護衛であり、配下です。願いではなく、どうか命令して下さい」

「ならば命じます、ユリアンよ! 私と共に戦いなさい!」

「御意!」

 ユリアンが前に出て、モニカが後ろに下がる。これは決してモニカが臆した訳ではない。最善を言葉にするまでもなく行動に移せば自然とこうなるのだ。

 モニカは遊びに出た為に軽装であるが、ユリアンは唯一の護衛として完全に装備を整えている。そんな護衛が前に出るのは当然で、さらにモニカは頼りないフルーレを使うよりも後ろから術で支援した方がよほどユリアンの助けになる。

 前衛と後衛が見事に噛み合ったコンビに対してはただのモンスターなどひとたまりもない。ユリアンに剣に斬られ、モニカの術に焼かれて。悪鬼は程なく息絶えた。

 しかし、その間にゴドウィンは逃げ出したようである。戦闘が終わった後のその場に、ゴドウィンの姿は存在しなかった。

「……」

 僅かに沈黙して熟考するモニカ。ゴドウィンは逃げ出したとはいえ、戦闘した時間は長くない。追えば、捕まえられる可能性はある。

 だがこちらの戦力は自分とユリアンのみで、余りに細い。何か一つ間違えば、あるいは狂えば。そのまま全滅しかねない。

「……ロアーヌに帰りましょう、ユリアン」

「はっ!」

 ユリアンは指笛を吹いて馬を呼ぶ。戻ってきた馬にモニカを乗せて、ユリアンはロアーヌに向かって歩き出した。

 

 ロアーヌに帰る途中、その平原を一人の男が走っていた。ツヴァイク王子、その人である。

 彼はどうやら一人でロアーヌに戻る選択をせずにモニカの事を追っていたようだった。モニカ達の方向を向いていた彼は、馬にまたがったモニカを見て安堵の息を吐く。

「おお、モニカ姫。無事であったか!」

「ツヴァイク王子、心配をおかけして申し訳ありません。私はこの通り、無事であります」

「そうか。その護衛には俺を乗せていけと叫んだのだが……声が届かなかったのか、そのまま馬で駆け抜けてしまってな。御身に何かあったらと心が裂ける思いであった。無事ならなによりだ」

「そのご配慮、痛みいります」

「いや、未来の妻に対する配慮ならば当然だ。

 おい、護衛」

「はっ!」

 ユリアンはどうしてこんな奴にと心の中で思いながらも、ツヴァイク王子に向かって丁寧に跪く。

「大義であった」

「身に余る光栄であります」

「うむ。お前もモニカ姫の護衛として引き続きツヴァイクで雇ってやろう。では、凱旋だ!」

 そう言ってユリアンの馬に飛び乗るツヴァイク王子。モニカの後ろに座り、ふんぞり返って命令する。

 それに逆らう術もないユリアンは無心で馬を曳いて、ロアーヌへと向かう。当然、ここは人の住む領地の外であり、比較的安全な場所ではあるが絶対にモンスターなどが出ない保障はない。そしてその際に戦闘になれば、二人の貴人を守りながらユリアン独りで戦う事になる。必然、彼は緊張を高めなくてはならない。

 決して気と心を緩めないユリアンを見ながら、モニカは先程のゴドウィンの姿を思い出す。人の上に立って政治を行っていた、有能だった男爵の末路。それは人を人として見なくなったからではないのか。あのおぞましい計画を聞いた後なら、そういった思いが湧き上がる。

 果たして。ツヴァイク王子はああならない保証があるのか、人として優れているのはユリアンと比べてどちらなのか。ロアーヌの姫として、政治の道具としてツヴァイクに嫁いでいいものなのか。そんな疑念が沸き起こり、混乱しつつも頭では様々な考えが巡らされる。

 賢しい女は嫌われる、そんな言葉がある。夫婦として立つ二人がいた時、片方がもう片方を立てると上手くいくので、女は上手く男を立てるべきなのだという意味も含まれた言葉だ。自己主張が強く、それを成立させてしまう強かな女は夫婦関係に悪影響を及ぼしてしまう。女性蔑視の考えが根底にあるとはいえ、男性優位の視点からすれば間違った言葉とはいえないだろう。

 その意味で。モニカ姫が余りに有能過ぎた事は否定できない。少なくとも、人間の領地でない襲われたばかりの場所で、何も考えずにふんぞり返っている背後の男よりも有能なのは確かだった。

 

 やがてロアーヌに帰りついた一行。迎え入れた家臣たちは馬が一頭いなくなっている事に狼狽し、ツヴァイク王子とモニカ姫には安全で安らげる場所を提供する一方で、唯一の護衛であったユリアンには激しい事情聴取を行った。

 単独で貴人二人の護衛をし、モンスターを打倒し、そしてロアーヌまで送り届けたその騎士は。疲労にまみれながらも自分が知る情報を口にして共有する。

 その事情聴取に立ち会ったラドム将軍は、最低限の、ゴドウィン男爵の暗躍の話を聞くとすぐに追撃部隊を編成し、そしてミカエルへの報告も同時に行った。その情報がツヴァイク公に流れてしまうのは仕方のない事で、すぐにツヴァイク公の指示の元で会議が開かれる事になる。

「全く。取り逃がした反乱者の奇襲を許した上で、二度も捕まえ損ねるとは。ミカエル候、そなたは少しばかり手腕が足りていないようだな」

「そういうものじゃないぜ、親父。その護衛はモニカ姫を守ったんだ。まあまあな仕事はしてるだろ」

 ツヴァイク公は、ミカエル候とその妹、そして現場で戦った者として呼ばれた全く休む暇もないユリアンを前に、長々と嫌味をこめた言葉を述べていた。

 それを許してやれというニュアンスを込めた言葉を発する王子だが、そもそもとして彼が護衛を断った事が発端である事に気が付いているのか。嘲笑うゴドウィンを思い出しながらモニカはそう思う。

 ポーカーフェイスをしているミカエルだが、ラドム将軍の要点をまとめた報告書を読んでいるため、誰にどんな非があり誰にどんな功があったかを正確に理解している。

 だがそれを目の前の男に突き付ける事はしない。自分を滅ぼす力がある者の前では表向きでも粛々とするべきなのである。それもまた、政治であった。

「若い私はまだまだ経験が足りないようだ。ツヴァイク公には是非ご指導を願いたいものです」

「ふん。まあ、若い時には失敗もするものか」

 下手に出るミカエルに、とりあえず機嫌を直すツヴァイク公。

 結果だけを見れば、王子もモニカ姫も無事だったのだ。悪くないといえば悪くない。反省するならばそれを赦すのも王者の器量かと、ツヴァイク公は自分で自分を納得させた。

「しかし、さて。婚姻の話はどうするか……」

「俺はモニカ姫がよりいっそう気に入ったぜ。襲撃者にさらわれても、逃れて帰って来れるなんて普通じゃない。親父、俺はやはりモニカ姫を嫁に迎えるべきだと思うぜ」

 妹であるツヴァイク姫が参加できない政治の場で、なおも自己主張を繰り返すツヴァイク王子。

 それを聞いたツヴァイク公は、悪くない話だと考えてしまう。運というものは重要である。圧倒的劣勢に立ったものが、まるで運命に導かれるかのような逆転劇をしてしまう事があると、ツヴァイク公は知っている。例えそのような勝率が1%しかない、絶望的な戦いが100回あったとして。たった一度でも間違いが起きてしまうと、人はその強運を次も連続でと夢見てしまうものなのだ。ゲンを担ぐのはストレスを和らげるのに重要で、板一枚隔てて地獄と接するとまで言われる船乗りなどにはより顕著な話だが、一国を司るものがそれのみで重要な物事を決めてしまうのはどうかしているとしか言いようがない。

 果たしてツヴァイク公は、どうかしている側の人間であったようだ。

「よし、決まりじゃ。モニカ姫をツヴァイクの嫁としてもらい受ける。縁談はまとまった、ロアーヌはモニカ姫をツヴァイクへ送る手配をするように」

 一方的に宣言したツヴァイク公は、自分の思い通りになったと上機嫌な息子を連れて会議の場から立ち去っていく。自分で始めた会議を、自分の決定で終わらせる。そんな暴君を見てユリアンが呆気にとられてしまうのは仕方ないだろう。

 何せツヴァイク公がした事は。自分の息子の不始末を聞き、関係者を集めてその責任を相手に吹っ掛けて、そして自分勝手に赦したあげくに両国合議で決める事を独断で決定したのだ。

 こんな事がまかり通っていいのか。そういった忸怩たる想いが湧き上がるユリアンだが、こんな事もまかり通るのである。

 力があるとは、こういった事なのだ。それを悪く使った一例ではあるが、ツヴァイク公の対応は世の中の一面を表しているといえた。

「モニカ」

「はい、お兄様」

 ツヴァイク公と息子が去ったその場で。

 恐ろしい程に平坦な声をあげるミカエルに、平然とした声で応えるモニカ。

「こういった仕儀と相成った。ロアーヌは明日にでもツヴァイクに対する返事をする。

 お前は準備をしておくように」

「分かりました。

 ユリアン、お疲れ様でした。大変な一日だったでしょうし、これからもこれ以上に大変な日々が待っているでしょう。今は下がって休みなさい」

「はっ!」

 平伏したユリアンは、世界の余りの理不尽さを嘆きながら、そしてそれに対して何もできない自分に対して失望しながら。ようやくの休息を許された。

 ……それが本当に僅かでしかない事を、間もなく彼は思い知らされる事になるのだが。

 

 自室に戻ったユリアンは、木でできた粗末な椅子に腰かけて深々とため息をついた。

(俺が素晴らしいと思った人物はミカエル様で、俺を認めて下さったのはモニカ姫だ。あんな愚鈍な男や国に仕える為にシノンを出た訳じゃない)

 いったい、どこでなにをどう間違ってしまったのか、過去を振り返ってもこれといった事例は見つからない。自分は最善を尽くしたつもりだし、ある程度の結果は確かについてきたのに。未来は、袋小路だ。

(いや、あんな男に嫁ぐ事になるモニカ様が一番不憫じゃないか。俺は、そんなモニカ様を守り続けるんだ)

 やがてそんな思考に至ってしまった。

 正直、そう思わないとやってられないという考えもある。

 今夜は飲むか。そう思って無理矢理自分を立ち直らせたユリアンだが、部屋をノックする音を聞く。

「なんだ?」

「ユリアン副隊長、本日はお疲れ様でした。モニカ様の命でお茶をお持ちしました」

 茶よりも酒の気分だったが、モニカ姫の厚意であれば心も安らぐ。

 あのお方はこんな状況にもなって配下を気遣えるのだと、誇らしくさえあった。

「入ってくれ」

「失礼いたします」

 侍従の服を着た女がお茶を持ってユリアンの部屋に入ってくる。

 手間をかけた事と、気を遣ってくれた事。その両方に報いる為にユリアンはいつも通りに侍従の目を見て礼を言おうとして、固まった。

 そこには、侍従の服を着たモニカの顔があった。

 絶句するユリアンを尻目に、モニカはテーブルの上に静かにお茶を置くと、侍従の服を脱ぎさってしまう。そこには姫としての格好をした女ではなく、かつてシノンの村に飛び込んできた旅の服装をしたモニカがそこに立っていた。

 彼女はにこやかに笑うと、口を開く。

「ユリアン様」

「は、はい……」

 余りの事態に己を失っているユリアンは気が付かない。モニカがユリアンを、様とつけて呼んでいることを。

「お願いがあります。私を逃がして下さい」

「え」

「私をロアーヌから、ツヴァイクから。この運命から逃がして下さい。

 従わなくてはならない運命ならば、私は従いましょう。しかし、どうしても私にはこれは従うべき運命に思えないのです。抗うべき運命としか思えないのです」

 粛々と語るモニカに、ユリアンは慣れた言葉で返してしまう。

 それはゴドウィンを前にした時と同じ。人を尊重するモニカが配下に対する言葉でない言い回しをよく使うため、自然と身についてしまった言葉でもあった。

「モニカ様、私は貴女の配下です。どうかお願いではなく、命令をして下さい」

「私は、貴方に命令はしません」

 しかし。モニカに一言で切って捨てられる。

 そしてモニカは椅子に座るユリアンの目と自分の瞳の高さを合わせるため、地面に膝立てて自分の視点を下げる。

「貴方はロアーヌの配下として、プリンセスガードの副隊長として。この願いは断るべきなのです。一国の姫が自分の判断で国と国の約束である婚姻を無下にすることは断じて許されません。

 故にユリアン・ノール様。モニカ・アウスバッハはただ個人として貴方を信頼して、お願いいたします。どうか、私をこの運命から逃がして下さい」

 そう言って、モニカはさらに深く姿勢を下げる。ロアーヌの姫は、たった一人の平民に対して万感の思いでその頭を垂れていた。

「どうか、お願いいたします」

 静かな時間が流れていた。

 ユリアンの心に湧き上がるもの、それは憤怒。

 モニカに対するものではない、ミカエルに対するものではない。ロアーヌに対するものでもない、ツヴァイクに対するものでもない。

 それは自分に対する憤怒だった。

 運命だの、宿命だの、権力だの、なんだの。自分はいつからここまで腐っていたのだろう。

 モニカは揺るがず、己とその立場と向き合って戦っていたのに。自分は先程まで何に対して諦めていたのであろう。どうして自分は妥協してしまっていたのであろう。

 少し前の自分を、ユリアンは決して許さない。許してはいけない。そう固く自分を戒める。

 そして彼は、自分の前で頭を垂れる気高い姫に対して跪いて言葉を返す。

「モニカ・アウスバッハ様。貴女に、最高の敬意を。

 その願い、ユリアン・ノールが必ず叶えましょう」

 それは騎士としての礼ではなかった。姫に対する礼でもなかった。

 人が、人を認めた時。自然に払ってしまう敬意。それを形にしたような礼であった。

 互いに頭を下げ合う形をとっていたユリアンとモニカだが、やがて顔をあげて微笑みあう。そしてロアーヌを脱する計画を立てるのであった。

 

 

 深夜。

 ロアーヌ宮殿の前庭を静かに進む二つの人影があった。それはユリアンとモニカであることは言うまでもない。

 ユリアンはプリンセスガードの短期的なトップである。長い目や広い目で見れば効かない無理も、一晩であれば通る事も多い。現場の判断は尊重されるべきであるというその風潮を利用して、ユリアンはモニカの護りに脱出できる穴を作り、そしてそこからモニカを連れ出した。

 モニカはユリアンがその手配をする間を縫って、この件は自分勝手な事であると手紙に認めていた。何かあった時、ユリアンに責任がいかないように。

 そうしてロアーヌ宮殿を出た二人は、ミュルスに向かった道を選ぶ。船に乗って、ひとまずは遠くまで逃げる。ほとぼりが冷めるまでの時間を稼ぐ必要があった。

「よう」

 だから。その太い声で体が強張ってしまう。

 ユリアンにとって聞きなれた声だった。安心できる声だった。信じられる声だった。それを裏切って行動している自分を今更恥じたりはしないが、その男を切り抜けられる自信は、未だない。

 夜の闇と同化するような漆黒の肌をもった傭兵。現在はロアーヌに仕える最強の剣士が、ミュルスへ続くたった一つの道の中央に立って塞いでいた。

「婚姻前夜の姫が騎士と一緒に夜遊びかい?

 やんちゃなお姫様だ」

「ハリード、様」

 ここまで来て立ちはだかる、ロアーヌ最強の壁にモニカの顔が絶望に染まる。

「ミカエル候からの伝言を預かってきたが……。それは後でいいよな?」

 佩いた曲刀をすらりと抜くハリード。剣を扱ってきたユリアンには分かる。虚実が織り交じった宮殿で暮らしてきたモニカにも分かる。

 ハリードは、本気だと。

「っ!!」

 理解した瞬間、ユリアンは腰の剣に手をかけた。モニカを護るために授けられた白銀の剣。悪鬼を滅ぼしたその剣が、今は酷く頼りない。

 その忠誠の証に手をかけたユリアンだが、そこで動きが止まってしまう。

 ハリードはその曲刀を構えたからだ。たったそれだけで、ユリアンは自分が勝てないと思い知らされた。

 格が、違った。

「引け」

 静かにハリードは告げる。

「引いて、ロアーヌに戻れ。今ならまだ間に合う。今夜は何も起きていない静かな夜だったと、そういうことにしてやってもいい。

 だがユリアン。お前が剣を抜けば、後戻りはできない。剣を抜くなら覚悟して抜け」

「っ! ユリアン、戻ります!」

 その言葉に虚がないことを見抜いたモニカは、思わず叫んだ。

 だが。

 ユリアンは動かない。

「ユリアン、私はロアーヌに戻ります! 貴方が命を捨てる必要はありません!」

「……な」

「ごめんなさい、貴方を惑わしてしまって。ごめんなさい、貴方を巻き込んでしまって。

 ……ごめんなさい、貴方の優しさを利用してしまって」

「…るな」

「ユリアンっ! これは命令ですっ!!」

「ふざけるなっ!!」

 毅然としたモニカの命令。それを、ユリアンは自分の叫びでかき消した。

 その顔色は真っ青である。逃れようもない死を前にして、ガタガタとみっともなく震えて。それでもユリアンは忠誠(けん)から手を放さない。

「俺は、誓った。姫ではない、モニカ様に誓った!

 抗うべき運命から逃がすと誓った! 死ぬのがなんだ、命令がなんだ。それはお前の誓いより重いのか、ユリアンっ!!」

 自分で自分に問いかけるユリアン。

 そしてユリアンの誓いに、ユリアンの体が応えた。

 その腰から護衛の剣が引き抜かれる。ハリードに対する明確な返答となって、星月の輝きを背負ってその刀身が構えられる。

「そうか。それがお前の結論か、ユリアン」

 平坦な声で言葉を紡ぐハリード。恐怖で震えて剣先が定まらないユリアン。

 構えたその曲刀がユラリと不吉に揺れ、圧倒的な速度でユリアンに迫り、そしてその肌を剣で裂いて駆け抜けた。

 突進と乱れ切りを合わせた、剣技の一つの到達点。

 疾風剣。

 それがユリアンの肌を無数に切り裂いた。

 それを為したハリードはそのままモニカの背後を通り過ぎ、ロアーヌに向かって歩き出す。ユリアンもモニカも、一つの反応もできなかった。

「俺の奥義、疾風剣。土産だ。

 それと、ミカエル候からの伝言だ。もしもモニカ姫がロアーヌから逃れようとしたら言付けるように命じられた。

 『ツヴァイクよりも価値があることを示せ』

 以上だ」

 そのままハリードは立ち去っていった。

 残されたのは動けなかったモニカと、肌を無数に切り付けられてもやはり動けなかったユリアン。ただし、血は一滴も流れていない。

 薄皮一枚を何十と切り裂き、なお血を流させない絶技。

 ハリードとユリアンでは、やはり格が違ったのだ。

 

 

 

「戻ったか」

 ミカエルはワイングラスを傾けながらハリードを出迎えた。

 そして自分が飲んでいた酒と同じものをもう一つのグラスに注ぎ、ハリードに向かって差し出す。

 それを受け取ったハリードは、上品に僅かばかり酒で自分の喉を湿らせる。芳醇な香りが体内からも湧き出るような、絶妙な飲み方だった。

「言付けは伝えたぜ。しかし、あれでよかったのかい?」

「いいに決まっている」

 くっくっと笑いながらミカエルは言葉を続けた。それをハリードは珍しいと思いながら見ていた。

 ロアーヌ候、ミカエルが酔うなどとは。

「アレは、私の想像をはるかに超えていく。ゴドウィンの反乱をアレが伝えに来るなど、予想もしていなかったのだからな。

 父、フランツが殺されることも予想できた。ゴドウィンが反乱することも予想できた。だが、モニカが反乱に気が付くことは予想できなかった!

 モニカは私の上を行く。私の計画を超え、更なる結果を呼び起こすっ!」

 酒にか、それとも他の何かにか。ミカエルは明らかに酔っていた。そして喜んでいた。

「そうかい。ま、俺にはどうでもいいことだ。

 しかしミカエル候、酒なんて飲んでいいのかい? 明日はツヴァイク公に対する釈明があるというのに」

「だからこそだ」

 ミカエルはワインを飲みながら言葉を続ける。

「私はツヴァイクとの縁が出来たことを喜び、泥酔する。その隙をついてモニカはロアーヌを脱出した。ツヴァイクにはまだ自分は相応しくなく、己を磨くために旅に出ると」

 その指にはモニカが認めた手紙が挟まれていた。

 封は開けられていない。しかしミカエルにはその内容が手に取るように分かっていた。だからこそ、それをツヴァイク公の目の前で開けてこそ価値が出るのだ。

「現状でツヴァイクはモニカを十分と認めているのだ、旅で価値が落ちなければどうとでもなる。そのまま戻っても、ただツヴァイクにあてがえばそれで済む話。その間はツヴァイク次期王妃の祖国としてむしり取らさせてもらおう。

 ツヴァイク王子はモニカに喰いついている、最初の想定以上の無理も強いて大丈夫だろうな」

(どっちがどっちの想定の上をいっているのやら)

 ハリードは心底そう思う。

 ミカエルはモニカの動きを完全に読み切っていた。その上で誘導をかけ、自分の思惑通りに動かした。

 そして自分の想像を超え、ツヴァイク以上の価値を引っ提げて帰ってくる事を期待しているのだろう。想像を越えた戦果を期待しながら、その戦果の想定は全くしていない。

 だが、信じている。

 あるいは盲信とすら感じられるような、そんなあり得ない確信を抱いているようだった。

(似ているな…)

 ミカエルとモニカはやはり似た者兄妹なのだと、ハリードには感じられた。

 情であれ、結果であれ。

 必ず期待以上に応えてくれる、そう信じあっている兄妹なのだ。

 

 ハリードは窓から外を見る。

 夜の闇。月の輝き。星の煌めき。

 吉凶を読むには複雑すぎる、そんな夜空が浮かんでいた。

(まあ)

 どうでもいい話である。

 ハリードはまたグラスを傾けて、体全体でその香りを楽しんだ。

 

 

 




ロアーヌの日々、終わっちゃった。
サブタイトルがここまで短いのは初かも知れない。


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035話 北方での冒険

ちょっと筆が進んだので最新話を投稿です。
クロノトリガーをプレイ中。往年のスクウェア作品は良作が多すぎる。


 

 

 

 ミュルスから船に乗ってピドナへと向かうユリアンとモニカ。とりあえず大きな都市に行き、行動する範囲や視野を広げなければどうにも動きようがない。

 朝食が終わった彼らは部屋に戻る。その表情は暗い。食後のお茶をユリアンが淹れて向かい合うように座り、今後どうするかを話し合う。

 まずはモニカが口を開いた。

「お兄さまに認めて頂くために、ツヴァイクを超える価値を示さなくてはなりません」

「はい」

「だがしかし、ツヴァイクを超える価値を示すとはどういった事なのでしょうか…」

「……」

 困った顔をするモニカに、固い表情のままのユリアン。言われた事の内容が抽象的過ぎる上、最難関といえる難易度を誇っているのである。即座には答えが出ない。

 何せ、ツヴァイクは世界最高峰の勢力の一つに数えられるのである。それを超える価値を示すとはただ事では済まない。ドラゴンを狩ってこいと言われた方がよほど指針に目安がつくだろう。

「まず、単に強くなればいいという話ではありません」

「ええ、それは分かります。そもそも私がハリード様やカタリナの様に強くなれる自信はありません」

「ツヴァイクよりも価値を示す…。例えばドフォーレ商会や神王教団、ピドナの信頼を得るというのはあるかと思います」

 口にしてなんだが、酷く現実感のない話だ。それらのトップと会うことすら至難、その上で融通をきかせて貰えるほど信頼を得たり貸しを作れたりというのならばどれほどの時間がかかるのか。一生のうちに達成できれば奇跡だろう。

 考えても煮詰まる一方である。切り替える為にユリアンは自分で淹れたお茶を口にする。

 マズイ。

 やはりユリアンでは経験が浅すぎて、お茶のうまみや香りを全く引き出せないでいて、その上で苦みや渋みが残ってしまっている。モニカをチラと伺うが、素知らぬ顔でお茶を飲んでいた。

 だが、このお茶よりもマズイ話もしなくてはならない。

「他にも問題があります」

「それは?」

「金の話です」

 いまいちピンと来ていないのかボンヤリとした顔をするモニカに、ユリアンは自分達の状況を説明する。副隊長としてカタリナや同僚から学んだ事も多く、時間や信頼、そして金の大事さは特に身に沁みて理解していた。

 だからこそユリアンは自分の手持ちをしっかりと管理して把握し、使いこなさなければならなかった。

 まずはモニカだが、彼女は基本的に現金を使う生活をしてこなかった。必要なものは侍従長――昔はカタリナだったが――が用意し、モニカが個人的に欲しいと思った物は侍従長と相談してその承認が必要だった。お忍びでロアーヌの城下町に出る事があったので金の使い方は流石に分かるが、物の価値などはほとんど分かっていない。そんな世間知らずの姫は性格が慎ましい事もあって、高価な物はほとんど手にしていなかった。強いていうなら、ポドールイの洞窟で見つけた財宝くらいだろう。現金化した分け前の150オーラムと生命の杖、そして澄んだ綺麗な色をした宝石が一つ。その宝石はモニカが気に入り、自分へのお土産として手元に置いておいたのだった。

 なので多くはユリアンの手持ちから出さなくてはならないが、彼とて金が潤沢な訳ではない。シノンで溜めた貯金は雀の涙であるし、任給も一回しか貰える程度しかロアーヌにいなかった上、必要なものを揃える為にあっという間に消えてしまった。手元にある大きな金といえば、モニカ護衛で下賜された2000オーラムくらいである。

「宿の相場は素泊まりで1オーラムですが、食事を頼んだりすれば一人5オーラムはかかるでしょう。ただ暮らすだけでも一日10オーラムが消えていくことになります。単純計算で200日、半年程度しか持ちません。これに旅をするのに必要な経費や、それぞれの手持ちを考えればさらに減りは早くなります。

 楽観視して二ヶ月、もしかしたら一月も持たないかもしれないです」

「まあ……」

 モニカは目を丸くして、現状を苦々しく語るユリアンを見る。詳しいことはあまり理解できなかったとはいえ、一ヶ月かそこらで自分達の旅が行き詰ってしまう事は理解できた。これでも一月の猶予があるだけマシな方なのだが。

 人が生きていくならば稼がなくてはならない。強くなる旅で一番大事なのは金だと言っていた詩人の意味が、ようやく身に沁みてきた。目的がある旅では出費も大きい場合が多い。稼ぐ手間が大きな足枷になってしまう。

 そしてモニカの貧困な想像ではどうやって金を稼げばいいのかも分からない。酒場で給仕でもするか、市場で物でも売るか。給仕だってコツがあったりして大変な仕事であるし、商売をすると損を出す可能性もあるとはモニカの頭の中にはない。

 ユリアンだって儲け話に詳しい訳ではない。シノンの開拓地ではそもそもロアーヌから支給金が出ていたし、ユリアンとしては日々の食べ物の確保やそれを加工して行商人に売る物を作っていたくらいだ。その交渉すらユリアンはやった事がないので、実質的な経験は皆無といっていい。

「どうしましょう。ユリアン、何か考えはあるのかしら」

「はい。困った時は、やはり友を頼るのが一番かと思います」

 ユリアンは考える。ここは下手に素人が手を出す場面ではないと。儲けようとして、逆に身包み剥がされかねない。信頼できる友がいるなら、是非頼るべきだと。

 幸い、ユリアンにはその心当たりがあった。親友であり、ユリアン個人としては誰よりも信頼している男、トーマス。確か彼はピドナに商売の勉強をしにいくと言っていた。頼り切るとまではいかなくても、相談くらいはしていいだろう。

「申し訳ありませんが、私たちの状況は決してよくありません。モニカ様にも働いていただくことをお願いしたいのですが……」

「当然です」

 主をこき使うという、限りなく言いにくい事を恐る恐る口にしたユリアンだが、モニカはきっぱりと口にした。

「私の勝手でユリアンに苦労を強いているのです。むしろ、私が一番苦労しなくてはならないというのに……。

 ユリアン、この旅で私を姫として扱う必要はありません。ただの同行者として扱い、必要な事は遠慮なく言って下さい」

 なかなか難しい事を言ってくるお姫様である。そう簡単に割り切れたら苦労はしない。

「分かりました、モニカ様」

「まず、私を様とつけないで呼ぶところから始めましょうか。それに私なんて言わなくてもいいですよ、俺と普段の通りの口調で結構ですから」

 クスクスと笑うモニカと、苦笑いのユリアンを乗せた船はピドナへと向かっていった。

 そしてピドナについた二人は、早速トーマスを探し出し、自分の身の上の相談をするのだった。

 

「ふむ…」

 ピドナにあるベント家の屋敷、その一室に四人の人間が集まっていた。トーマスとサラ、ユリアンとモニカである。

 突然訪ねてきたユリアンをトーマスは驚きながらも笑顔で迎えいれて、一緒にモニカがいた事に更に驚く。そしてロアーヌを出る事になった詳しい事情を聞いたトーマスは、顎に手を添えながら話を噛み砕いて吸収し、理解していた。

「ツヴァイクを超える価値を示せとは……。ミカエル様も無理難題をおっしゃられるな」

「何かトーマス様に案はありますか?」

「いきなり言われても流石に妙案は出ませんよ、モニカ様。

 まあ、ツヴァイクが嫌ならば他の巨大な勢力に嫁ぐのもありですが……論旨はそこではなさそうですね。

 自分がそんな勢力になってしまうというのが早いですが、確かに強くなればいいという訳でもない。それに簡単に強くなるのも無理な話です」

(……漠然とした方法なら一つあるが。これは口にしない方がいいだろうな)

 トーマスはにこやかな顔を変えないまま、モニカとユリアンを見て話を続ける。

「まあ、今日明日中に結果を出せという訳でもないのでしょう。ゆっくり考えられるのが吉かと」

「その、ゆっくりする時間もあまり無いんだ」

 ん? と重い顔をするユリアンを見るトーマス。ちょっと言いにくそうにしながら、ユリアンはトーマスを訪ねた本題を話す。

「ぶっちゃけると、金がそんなにない」

「ぶっちゃけたな、お前」

 端的にはっきりと現在の問題点を言い切るユリアンに、一瞬トーマスは外用の顔を捨てて呆れた。

「流石に金をたかろうとは思わないさ。だが、仕事の選び方のコツとか、やっちゃいけない事とか。そういう話をトムに聞いてから動いた方がいいと思ったんだ」

「まあ、信頼は大事だよ。信じられない相手に金は出せない。裏切られる事は警戒しつつ、自分は相手を裏切らないとか。逆に落ち目になった相手はとことんまで叩くとか」

「トム、ユリアンはそんな大きな商売での相談をしている訳じゃないと思うわ。要するに日銭を効率よく稼ぐ方法を知りたいんじゃない?」

 ちょっと話が逸れかけたトーマスを戻すのはサラ。

 こほんと咳払いをしてトーマスは考える。

(ユリアンは信頼できる男だし、モニカ様も裏はなさそうだ。

 なら……ここは一つ)

「そうだな。ユリアン、モニカ様。どうです、私に雇われてみませんか?」

「「え?」」

 突然の話にきょとんとした顔をしてしまう二人。サラもちょっと驚いた顔をしている。

 そんな場を無視しつつ、淡々と話を続けるトーマス。

「私はピドナを拠点にトーマスカンパニーという会社を作りました。後ろにフルブライト商会やラザイエフ商会がいますが、名目上はどこにも属していない新興の小さな会社です。

 ですが最近南部で大きな成果を一つ出せました。これから大きくなっていく商談などに暴力はつきものです。ですが、急場しのぎの傭兵はいても信頼はそんなにない。そこでロアーヌの一部隊の副隊長を信頼して雇えるならば、それなりの給金は出させてもらいますよ」

 思わず顔を見合わせるモニカとユリアン。一つの会社が面倒を見てくれるというならば確かにいい話である。そして相手は信頼できるトーマス、受けない理由はないだろう。

「喜んで受けさせてもらうよ、トム」

「よかった。正直、腕の立つ者が欲しくてね。

 前はエレンがいたからよかったが、あんなに運がいい事は滅多にない」

「エレン?」

 そう言えば彼女の行方が不明だった。ロアーヌにいた頃は仕事に忙殺されていたが、馴染みの名前を聞いてユリアンが思わずその名前を繰り返してしまう。

 正直、少しも心がざわめかなかったと言ったら嘘になる。

「ああ、その話はサラから聞いてくれ。僕はユリアンたちに振る仕事の資料を取ってくる」

 そう言ってひとまず席を外すトーマス。残されたサラに視線が向けられた。

「サラ、エレンは何をしてるんだ? 何かあったのか?」

「お姉ちゃんは世界を旅してるわ。詩人さんと、可愛い女の子と一緒に」

「詩人? あの人か……。じゃあ、結構強くなってるのか?」

「それはもう。この前なんてオーガを一人で倒しちゃった」

 そのモンスターの名前を聞いて、ユリアンとモニカは目を見開いた。オーガは支配階級のモンスターであり、ユリアンでは単独で倒せる自信はない。モニカは言わずもがな。部隊を組んで倒すか、もしくはハリードなどにお出ましを願う必要があるだろう。ハリードならば瞬殺しそうではあるが。

 それを倒せるとは。それも驚きだが、そもそもオーガと遭遇するという事が普通じゃない。

「オーガなんてどこにいたんだ?」

「魔王殿。数日前ね、子供が一人魔王殿に迷い込んじゃったの。その子を探すためにトーマスが呼び出されて、たまたまピドナに来ていたお姉ちゃんも手伝う事になったんだ。一緒にいたエクレアって女の子も凄く強かったよ」

「エク…レア…?」

 有り得ない単語が人名として使われて、数日前のサラと同じ反応をしてしまうモニカ。

 それを苦笑いで見るサラ。

「ちょっと複雑そうな背景がありそうな子でした。お姉ちゃんもそこは承知だったから問題ないと思います。

 それで、オーガを中心にした獣人族のモンスター達に子供が捕まっていて、なんとかギリギリ助け出せたんです。ほんの数日前の話ですけど」

「エレンはもういないのか?」

「うん。バンガードに行ったみたい」

「バンガード? 西部の町だったはずだけど、何しに?」

「……さあ、知らないわ」

 嘘をついている時のクセを出しながらサラが答える。それに気がつくユリアンだが、本人が言いたくないのならば無理を言っても仕方ないだろう。

 サラとしてもエレンが自分の為に四魔貴族と戦う事に薄々気が付いている。だが、その確認をとった訳でもない。正直、詳しく知りたくないというのが本音で、曖昧にして誤魔化したい内容である。それに加え、仮にそれを口にしたとしたら、エレンが四魔貴族に挑む理由だって聞かれるだろう。サラが宿命の子だという事実は隠し通さなくてはならないのだと、エレンの話を聞いてサラの心は引き締まっている。例えユリアンだろうと漏らす訳にはいかない。

 そんな真面目な話の傍らで。モニカはエレンの事を詳しく聞いていくユリアンをどこか複雑そうに見つめていた。それに気が付かないユリアン。

 ちょっとピリリとした場だが、トーマスが戻ってきて雰囲気が切り替わる。世界地図を広げ、チェスのコマの白黒をいくつか持っていた。

「まず簡単に現状を説明しようか。まずここピドナは少し前までクラウディウス家が実権を握っていた。クラウディウス家はウィルミントンのフルブライト商会やリブロフのラザイエフ商会と縁が深く、世界の中心に貿易の軸を作っていたんだ」

 言いながらトーマスは世界の中心のピドナ、西部のウィルミントン、東部のリブロフに白のコマを置いていく。確かに世界のど真ん中に一本白いラインが出来上がった。

 彼は続いてヤーマスとツヴァイクに黒いコマを置き、ランスには白いコマを置く。

「ヤーマスのドフォーレ商会とフルブライト商会は表向きはともかく、実際を見ると仲が悪い。ツヴァイクも独自の路線を貫いていて決してこちらの味方じゃない。聖王家があるランスはフルブライト商会よりだが、あまり力はなくてね。北に影響力はほとんど無いと言っていいかな。

 ここまでが過去の状況。ルートヴィッヒがクレメンスを倒し、ピドナの実権は彼に移った。反クレメンスを掲げるルートヴィッヒはフルブライト商会やラザイエフ商会とは仲良くできなかった。それにクレメンスよりも有能な手腕を発揮できている訳でもなく、ピドナはルートヴィッヒを頂点としながらも、世界中から勢力を送り込まれて混沌とした状況になっている」

 ピドナの白いコマを取り除き、黒いコマを置くトーマス。中立か、やや敵対寄りか。そのように変わってしまったという事だろう。

「そこでフルブライト商会が手を回したのがベント家であり、動きやすい僕が新しく会社を作って根回しをしている。ピドナの実権を握るのは無理でも、影響力を増やして東西のラインを繋ぎ止めたいっていうのがフルブライトの本音だろうね。

 だが、僕がその思惑通りに小さく生きる必要はない。南に大きな勢力がない事に気が付いた僕は、そこに手を出して取りまとめ、実績を叩き出した」

 ニヤリと笑いながら白いコマを南西に置くトーマス。ここはトーマスの影響力が強いという事だろう。

「だけど手に入れたばかりの南西はまだまだ不安定で目が離せない。それにそこからの影響を強くさせるためにもピドナへのパイプを太くしたいし、身動きが取れないんだ。

 そして南に力を注いだ結果、北の情報がほとんど集まっていない。下地が何もないから、現地に行ってその下地を作ってきてもらいたい。最低でも情報を持ち帰ってもらいたい」

「それが仕事、ですか?」

「言いたい事は分かったけど、俺は商売の事なんて何も分からないぜ?」

「分かっている、そこはユリアンにもモニカ姫にも期待していない。南にはサラも一緒に行って、もうノウハウは叩き込んだ。

 けれどもサラ一人じゃ、襲われたりしたらひとたまりもないからね。どうしようかと悩んでいたんだ。頼みたい仕事はサラの護衛だよ」

 全員の視線がサラに集まる。ちょっと照れて顔を赤くしてしまうサラ。

「北部の情報ならどこも歓迎だけど…モニカ様の事情を鑑みればツヴァイクが一番かな。

 ツヴァイクを超える価値を示すというけれど、ツヴァイクを詳しく知らなければそれを超える価値を示すというのも難しいでしょう。この際です、ツヴァイクがどんな国なのかよく見てくるといいですね。

 ランスやユーステルムならば少しはフルブライト商会の影響力がある。トーマスカンパニーの一員なら少しは融通を利かせてくれるでしょう。直接ツヴァイクへ行くか、歩いて北へ向かうか。それはそちらに任せます」

 そこで話を区切るトーマス。

 聞きたい事はあるかと見渡すが、誰も声をあげない。ならば良しと話を終わらせる。

「この屋敷を使ってくれていい、話は通しておく。

 サラ、予算とかの細かい事は後で書類を作って渡すよ。どうするかは基本的に君に任せる」

「分かったわ」

 話が終わる。

 ユリアンとモニカはサラと共に北へ、ツヴァイクへ向かう事が決定した。

 ツヴァイクを超える価値を示すこと。そのきっかけを掴む大きなチャンスだろう。

 幸先悪くない旅の始まりにも油断することなく、ピドナでの日々は過ぎていくのだった。

 

 

 



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036話

今回は内政回ですね。
ロマサガでこういった話を掘り下げるのもどうかとも思いましたが、ミカエル主人公で内政イベントあるし。今回の話もトレードとかを真面目に考えた話でもあるし。
退屈かも知れませんが、どうかお付き合いください。


 

 

 

 ツヴァイクに向かう準備をするのに数日の時間が必要だった。ツヴァイクを調べる事が目的であり、ツヴァイクに着く事が目的ではないのだから、それも仕方のない話である。

 また、予算を都合したりする必要もある。トーマスがトップであるので都合がつかないという事はないが、どのくらいの金額を動かすかを考える時、一人では間違える事も少なくない。少数とはいえ会議を開く必要があり、決定するのに即日即断とはいかないのだ。なにせ、ここで大きく予算を取られたら困る部署も存在し、そういった部署と仲が悪い部署などは積極的に予算を回そうとする。各々の思惑がからまった、熱い議論が繰り広げられることになるのは当然だといえよう。

 そんなトーマスカンパニーの内情に関係ないユリアンとモニカは、ピドナを散策して楽しんでいた。思えばロアーヌにいた時はミカエル候の妹という肩書や、プリンセスガード副隊長という肩書がついて回ったのである。重苦しくて仕方がない。そしてロアーヌを出てからも難題に頭を悩ませ、金の心配をしてと心が休まる事がなかった。今までの彼らの人生でもそうそうないくらい、羽を伸ばして緊張をほぐしていた。

 ピドナの街並みを見て、活気ある通りでお菓子や串焼きなどを買い食いし、美術館やオペラといった芸術を堪能し、観光名所でもある魔王殿を眺める。

 時間がある時はサラも一緒だった。サラとモニカの仲がよかった事を覚えていたトーマスが気を利かし、サラでなければならない仕事以外は護衛との縁を深めるという名目でモニカと一緒に居させたのだ。対等に近い者がいなかったモニカにとって、サラとおしゃべりをする時間はかけがえのない時間になった。そしてユリアンとサラは今更である。気が置けない間柄で距離感もしっかり分かっている二人は、モニカのテンポも含んでゆっくりと親睦を深めていった。

「そういえばサラ。ピドナでいい工房ってないか?」

 そんな散策をしていたある日、ふとユリアンがサラに問いかける。

「工房? フルブライト商会が持ってる、腕のいい工房があるわ。トーマスカンパニーの関係者なら問題ないわよ」

 良い店というのは一見さんお断りというところも少なくない。そして下手な店に入ってしまえばぼったくりに遭ったり、粗悪品を売りつけられる事も珍しくない。

 やはり信用というものは大事であり、信用ない客が軽んじて見られる事は多いのだ。少なくとも適当に選んで入った店では、その店でいいものを売ってくれる可能性は低い。いいものはお得意さんに買ってもらい、信用を深めることを選ぶ方が普通である。旅の者では信用が得られにくいのが辛いところだが、トーマスカンパニーは新興とはいえどもピドナの会社である。ならばそれを利用しない手はない。

 ユリアンはモニカを見ながら言う。

「俺の武器や防具はいいんだけどさ、モニカの装備がちょっと心許なくて」

「ああ、なるほど」

 ユリアンは立派な装備を身に着けているのに何故工房の事を聞くのかと不思議に思ったサラだが、モニカの装備を見て納得する。

 モニカは旅をする者の格好であり、戦いもできる格好ではある。が、本格的に戦闘をするにはやや心許ない装備だろう。護衛されたり戦いから逃げ出したりするには問題ないだろうが、護衛として雇われた上で積極的に戦闘するには不安が残る。

「モニカさんは確かにもう少しいいものを身に着けてもいいかもね。いいわ、案内してあげる。レオナルド武器工房っていうところよ」

「サラさん、お願いしますね」

 にっこりと笑うモニカに微笑を返すサラ。

 歩き出した一行は、やがて一つの店に辿りつく。レオナルド武器工房、その扉を躊躇なく開けるサラ。扉に取り付けられたベルがカランカランと澄んだ音をたてた。

「いらっしゃい。あ、サラさん」

「ケーンさん、お久しぶりです」

 丁寧に挨拶をするケーンと、同じく丁寧に挨拶をするサラ。どこか似た雰囲気を持っている二人である。

「今日はどうしたんです? トーマスカンパニーのアポは入ってなかったと思うんですけど」

「アポ無しでごめんなさい。ちょっと欲しいものがあったから寄ったの。時間は大丈夫かしら」

「問題ないですよ。で、何がご入り用ですか?」

「こっちの女性の武器や防具を見繕って欲しいの。私の護衛をして貰えることになって、もう少しちゃんとしたものを揃えてもいいかなって話になって」

 言いながらサラはモニカを前に出す。丁寧にお辞儀をするモニカにケーンの目が一瞬大きくなる。

 美しい。

 一言で簡単に表せる女性だった。サラも魅力あふれる女性であるが、こちらの女性もなかなかどうして素晴らしい。まるで芸術品のような美しさである。

 自分の工房の主も女性で戦う事もできる女であるが、どうしてこうも魅力に違いが出てしまうのだろうかと、ノーラに聞かれたら叩き殺されても文句が言えないような事を思いながら。ケーンは仕事の話をする。

「お客さん、何がご入り用で? 予算はどれくらい?」

「えっと……ユリアン、お願いしていい?」

「分かりました」

 女性の後ろからユリアンと呼ばれた男が前に出る。こちらは普通の男といっていいだろう、醜いという感想は一切出てこないが、魅力的という訳でも断じてない。ただ、その瞳は強い意志が感じられる男だとケーンは思った。

 そして装備もそれなり以上の物がそろっている。自分の工房の方がいい品を提供できる自信はあるが、今回は女性が話の主である。わざわざ混ぜっ返さなくてもいいと、営業することは止めた。

「小剣と軽い弓、それから動きが阻害されない防具を頼む。予算は1000オーラムくらいでお願いしたい」

「承知したよ。サイズ合わせたり本人の意見を聞いたりしたいから、奥へ行ってくれるか? 明日くらいにはできると思うが、届けた方がいいか? それとも取りに来る?」

「ベントの屋敷に届けてもらっていいかしら?」

「分かりましたよ、サラさん。じゃ、お客さんは奥へどうぞ」

 工房の奥へ歩き出すケーンに着いていく三人。サラはケーンと知らない仲ではないので、少しの間世間話を振る。

「ノーラさんは元気ですか?」

「元気が良すぎて困っているよ。先日、客が来て意気投合しちゃってね。無茶をするからこっちは心配しっぱなしさ」

「まあ!」

「ノーラさんとはどちらさまでしょうか?」

 モニカの言葉をサラが拾う。

「この工房の主ですよ、モニカさん。男前な女性の方で、前の工房主の娘さんでもあったんでしたっけ?」

「ええ。思い切りの良さはおやっさん譲り。鍛冶の腕もおやっさん仕込み。似た者親子ですね、曲がった事が大嫌いな人です」

「いつか会ってみたいわ」

「うちに通ってくれればそのうち会う機会もあるでしょうが、最近ちょっと忙しくなり始めて。あまり期待はしないで下さい。今も客人と奥で話し込んでるんですから、工房のとりまとめでこっちは大変ですよ。

 それと、大きな声じゃ言えませんがあんまり期待しない方がいいっすよ。職人気質ですからね、好き嫌いが激しいし、気性だって穏やかじゃない」

「素敵そうな方ですね」

 ぽやぽやとした顔でそんな事を言うモニカという女性にケーンは思う。

 この女もちょっと変わってるな、と。世間ずれしていないというか、なんというか。

 もちろん会ったばかりの客にそんな失礼な事を言える訳もなく、当たり障りのない会話をしているうちに奥へとたどりついた。

 男が女性のサイズを計ったりする訳にもいかない。ちゃんと女性の係が、専用の小部屋でモニカの体のサイズを計り、それに見合ったものを揃えていく。小剣や弓はケーンがいくつか見繕って持ってくる。

 それぞれが何種類か揃い、それらをユリアンとモニカの前に並べた。

「この辺りがいいと思いますけど、どうでしょうか?」

「いい品だな。特にこの鎧は軽いのに丈夫でいい」

「ああ、それは素材にいいのを使ってるんです。だから修理に出す時もちょっと値が張りますよ。

 サラさんの紹介だからうちは勉強させてもらってもいいんですが、修理先がうちじゃないときは懐に痛いかも知れません」

「おいくらでしょうか?」

「500。と言いたいですが、400でいいっすよ」

「じゃあそれと、こっちの帽子もいいな。強い素材でできてるし、悪くない。ブーツもこれがいいかな」

「そっちは合わせて200オーラムですね」

「で、武器は予算に合わせると……この小剣とこの弓がいいか。いや、弓はこれを買うくらいなら手持ちの狩人の弓で十分かな。

 小剣だけ買うとして、これがいいか」

「それは300オーラムですね。しめて900オーラムですが、いいですか?」

「ああ、頼む」

「毎度。微調整して、明日にはベントの屋敷に届けますよ」

 商談はつつがなく終わり、細かい話を済ませて金を支払い。ユリアンとモニカ、サラは工房を後にした。

 ケーンは売った商品の最終調整をするためにその場に残って作業をする。と、そこにひょっこり顔を出したのは先程話題に上がった女性であるノーラ。

「おう。やってるな、ケーン」

「ええ。トーマスカンパニーからでしたから、ちょっと勉強しましたよ。ノーラさんは?」

「今日の話し合いはおしまい。カタリナが帰るから送り出しさ」

 言いながらノーラの後ろから姿を現す短髪の美女、カタリナ。ケーンは美女を多く見るのに、ノーラは何故こうなんだろうと心の片隅で思う。

「……なんか今、変な事を考えなかったかい、ケーン?」

「気のせいでしょ。っていうか、カタリナさん、どうしたんですか?」

 この場に入った瞬間、カタリナが硬直したのを見てケーンが問い掛ける。

 長く護衛や侍従をしていると、主の細かい事まで覚えてしまうものだ。姿や声はもちろん、カタリナ程ならばモニカの髪質や指の形まで思い出せる。その他にも色々と、例えば。

「この匂い…。

 ケーンさん、まさかとは思いますけど、ここに今、モニカという女性が居ませんでしたか?」

「へ? 声が聞こえてました? ええ、サラさんに連れられてモニカという女性が来ましたよ。サラさんの護衛とかなんとかで、装備を新調しにきました」

「モニカ様が、サラ様の護衛……?」

「モニカ、様?」

 たかが護衛につけられる敬称ではない言葉がカタリナの口から漏れ出た。

 はっとして首を振るカタリナ。

「何でもないです」

「はあ。まあ、何でもいいですけど」

「それで、その、モニカという女性は一人でしたか?」

「いえ、ユリアンとかいう男と一緒でした。結構いい装備つけてたし、それなり場慣れしていそうな男でしたよ。モニカの師匠ですかね?」

「……ユリアンも」

「なんだい、さっきから。そのモニカとかユリアンとか、カタリナの知り合いかい?」

 煮え切らない言葉に、少しばかりイライラしたノーラが口調を荒くして言う。

 嘘を言っても仕方ないと、頷くカタリナ。

「ええ、まあ。ちょっと複雑な間柄です」

「ふーん。まあ何でもいいけど、あたしらに関係ないなら鬱陶しい空気はやめてよね」

「はい、すいません。では、私はこれで」

 そう言って足早にその場を去るカタリナ。それを見送ったノーラとケーンは、しょうもないと顔を見合わせて肩をすくめるのだった。

 

 レオナルド武器工房から装備が届き、予算や仕事の話も一区切りついた。

 サラたちが行きに選んだのは海路で、帰りは様子を見て、陸路で戻るかまた船を使うかを決めることにした。

 そうして船に揺られて数日。一行はツヴァイクへと到着する。

 

「わあ…」

「まあ!」

「おおっ」

 三人から感嘆の声が漏れた。世界で十指に入る強国との話は伊達ではなく、雪化粧を纏いながらも大きな街並みが船から訪れた客を迎えいれる。

 人口とはすなわち力に繋がる。そして人口を支えるのもまた力。それらを成立させているツヴァイクは確かに強国なのだろう。

(……?)

 だが、なんというか。モニカは違和感を覚えてしまう。別に悪い訳ではないのだが、街の雰囲気にどこか余裕がない。

 例えばロアーヌでお忍びした時などは、もっと緩やかな空気が流れていた。例えばピドナで散策した時は、旅の者を歓迎する寛容さが感じられた。

 だが、ツヴァイクという街はどこかピリピリしている。どこかで感じた事があるその感覚に記憶を探ると、それは存外に早く思い出す事ができた。

(ピドナの旧市街に雰囲気が似てるんだわ)

 ルートヴィッヒに追いやられた人々が暮らす、古く壊れかけた街並み。貧しく余裕がない、緊張感に満ちた人々。魔王殿を見に行く最中に通ったあそこと、ツヴァイクは似たような雰囲気を醸し出している。

 ツヴァイクは強国なのに。食うに困るという事もないだろうに。どうしてだろうと考えながらも、モニカはサラの後をついてツヴァイクの街を歩いていく。

 まず、宿をとる。サラは持っていたメモを見ながら街を歩き、宿の中でも大きめで綺麗な宿を選んで入っていった。身なりのいいホテルマンが客人を出迎える。

「いらっしゃいませ。ご予約でしょうか?」

「いいえ、会社の視察でツヴァイクに来たの。今度社長が来るかも知れないから、宿も含めていいところを探しているわ」

 聞いたホテルマンは頭を回転させる。

 会社の視察で宿も含めて探しているということは、少なくとも大御所ではない。大御所ならばツヴァイクのような大都市では自分の建物を持っている。

 老舗でもないだろう。老舗ならば行きつけの宿がある。もちろんそこが無くなって新しく探している可能性もあるが、無視していいレベルで低い可能性だ。

 ならば新興の会社か。先々でお得意様になってくれるかも知れないが、早晩潰れてしまう会社であるかも知れない。

 最低限失礼のない範囲でいい。そう結論を出したホテルマンは愛想笑いを浮かべながらサラたちを奥にある暖炉の側へと案内した。

「それは寒い中、お疲れさまでした。まずはお暖まり下さい、飲み物も準備しましょう」

「ありがとう。ああ、部屋は普通でいいわ。従業員が使うこともあるし、普段どんなサービスをしてるかも知りたいの」

「承知しました」

 慣れた様子で対応するサラに、ユリアンは少し呆気に取られていた。

 あのサラが。エレンの後ろでオドオドとしていた印象が強いサラが。いっぱしの口調で指示を出して、しっかりとした表情をしながら自分で物事を決めている。シノンでの印象が瞬間で覆ってしまった。

 暖炉の側にあるソファーに座り、宿泊の手続きをするサラ。そしてトーマスカンパニーの名前を出して市場調査から始める事を軽くホテルマンに話し、その間に準備された温かい紅茶が人数分運ばれてくる。

「では、私はこれで」

 そう言ってホテルマンがサラの側から離れると、サラの顔がユリアンが知るそれに戻る。サラはユリアンの顔を見て、昔ながらの顔でくすくすと笑う。

「ユリアン、どうしたの? 気の抜けた顔をしているわ」

「あ、ああ…。サラも随分立派になったなって」

「ふふ、ありがと。まあ、トーマスについて南で色々やったから。このくらいは嫌でも、ね」

 嬉しそうにしたのも束の間、サラは遠い目で疲れた声を出した。

 あのサラが、こうなったのである。商売の仕事をしている間に相当揉まれたのだろうと気が付かない訳にもいかなかった。

「でも、ユリアンだってシノンの時とは大分変ったわ。凛々しい顔付きになったし、剣や鎧だって体に馴染んでるよ」

「まあ、こっちも遊んでいたじゃないからな……」

 ハリードとの鍛錬に、カタリナからは作法の勉強。田舎育ちの朴訥とした若者であったユリアンは、それはもうしごかれた。思わずユリアンも遠い目をしてしまう。

 ごほんとわざと咳払いをして意識が過去に飛んでいた二人を暖炉の側に戻すモニカ。

「それでサラさん。どんな仕事をするのでしょうか?」

「ん…。まずは商会ギルドに行って情報を集めるの。それを見て儲けが出そうなところとか、気になるところとか。ツヴァイクの各地を回ることになるわ」

 商会ギルドは中規模以上の街ならだいたい存在する、会社や工房などの情報をまとめるギルドである。全ての会社などが参加する訳ではないが、外部からの接触がギルドを介する事が多くなるため、必然商機も増える。また、ある程度の情報を提示することによって相性がいい客との折り合いをつけてくれるメリットもある。もちろん、会費がかかるというデメリットもあるが。

 そこでは公開された情報を見る事も可能だ。もちろん、公開された情報が真実であるかは分からない。ギルドとしてはこの会社はこういった事を言っていますよ、という掲示板に他ならない。嘘の情報に惑わされて損を出しても、それは騙される方が悪いというのが商人の基本である。

 若造や新手などはそういった事で叩かれ、育っていくのだ。潰れるものはその程度という、弱肉強食の掟はこういったところでも当然存在する。

「でも……ツヴァイクが北で最初なのは失敗だったかしら」

「と、言うと?」

 難しい顔をするサラに、ユリアンが詳しい話を聞こうと話を振る。

 サラは難しい顔をしたそのままに、声を小さくして理由を告げた。

「ピドナで集めた限りの情報だけど、ツヴァイクは既得権益がしっかりし過ぎてるの。もちろんある程度は当然なんだけど、若い人や会社が育つ土壌がないっていうか。新しく何かをしたいなら古参の下で、利益を上納しつつという形じゃないとやれないシステムが強すぎるわ」

「税を納めるのは当然ではないのですか?」

「国に税を納めるのは当然なんですけど。自分の利益もほとんどが大きな会社に取られちゃうの。なのに、新しい事業をやる権利は大きな会社しか持てないわ。その大きな会社が利益の一部を国に回すから、国もそんなシステムを変えようとしない。やる気がある若い芽が育たないのよ、ツヴァイクじゃ。

 ……今はいいけど、自分で自分の足を食べているようなシステムね。10年の間で利益が出るかも知れないけど、100年は持たないのがトーマスカンパニーの見解。ピドナで集めただけの情報だけど、私もそう思う」

「参考までに、ピドナとかロアーヌとかどうなってるんだ?」

「ピドナは最近クレメンスからルートヴィッヒに主権者が変わったから、そのゴタゴタで隙間ができているわ。ルートヴィッヒも辣腕とは言い難くて、引き締めるところは強く引き締めてるけど、気が付いていないところはノーガードね。まあ、だからこそトーマスカンパニーが成り上がったりできた訳だけど。

 ロアーヌは……」

 ちらりとモニカを見るサラ。ロアーヌ候の妹君の前で忌憚のない意見を言うのは流石に勇気がいる。

 だが、モニカとしては外から見たロアーヌを聞ける貴重な機会である。むしろハッキリと言って欲しい。そう表情で語っていた。

 それを読み取ったサラはハッキリと言う。

「締め付ける程、力が無いのは確かよ。上位のそれなりに儲けを出しているところはミカエル様と繋がっているけど、新しい芽を潰す必要があるほど市場が飽和していないのよね。

 それを理解しているから、ミカエル様も新しい力をつけようと新興の企業へ融資しているわ。トーマスカンパニーができてから気が付いたけど、シノンの開拓もそういった政策の一つみたい。

 今搾り取るより、100年先を見据えた政治ね」

「それは普通ではないのですか?」

「そうでもないの。今あるところから絞れるだけ絞って、自分の代だけでも楽をしたいって考える人もいるし。ええと、確かゴドウィン男爵領もそういった政策をしていたみたい。

 ミカエル様としてはラッキーね、そんなところが自滅同然の内乱をしてくれたんですもの」

「じゃあ、どうしてトーマスカンパニーはロアーヌに進出しないのかしら? それに、他の会社も」

「言いにくいんですけど……。

 ミカエル様の手腕を疑問視している。政策が上手くいくとは限らなくて、失敗したら投資が無駄になる。儲けを出す土壌がないから、初めから自分で作らなくてはいけない。事業を始めてしばらくは収入が見込めないから、何年も続ける体力が会社に必要になる。

 大きな事をざっとあげてもこれくらいはあります。成功すれば昔ながらの大きな会社になれる可能性もあるから、ハイリスクハイリターンですね。

 トーマスカンパニーとしても情報を集めて手を出そうか考えている段階です。他のところも大差ないんじゃないでしょうか? まだしばらくは様子見するところが多そうです」

 ふう、と少し話す事に疲れたサラは紅茶を飲む。

 ほどよい苦みとよく蒸らされた香りが体に染みわたる。思ったより悪くない紅茶のようだ。もっと粗雑な扱いを受けるかとも思ったのだが。

「話を戻してツヴァイクでの活動だけど。

 新しく何か事業をするのは旨みがないのよ。仲介も大きな事業がだいたい牛耳っちゃってるし、新興の会社は手が出しにくいわ。

 やるなら、ツヴァイク各地で知られていない特産品を探したり、逆に各地で足りない物資を探して売りつける事かしら」

「あり得るか? 秘境じゃないんだし、知られていない特産品がそうそう転がってる訳じゃないだろ?」

「そうでもないわよ。トムは南西のジャングルでしか取れない特産品や、温かいところでしか収穫されないお茶なんかを見つけてそれを商品にしたの。

 北でそういった限定された特産品がないとも限らないし、それにトーマスカンパニーでしか扱っていないそんな商品を欲しがってるところもあるかも知れないじゃない。

 例えば、ポドールイとか」

 その地名で複雑そうな顔をするユリアンとモニカ。

 ポドールイのレオニード伯爵は印象が強すぎる。特に悪い目をみた訳ではない、どころか娯楽で財宝の洞窟を教えてくれたくらいに気前がよかった。

 が、伯爵はヴァンパイアというモンスターの一種であるし、城も邪悪な気で満ち満ちていた。積極的に関わりたくない相手である。

「別にレオニード伯爵に会う必要はないわ。伯爵に物を納める業者だってポドールイにいるでしょうし、関わるならそこね。私も、レオニード城にはもう行きたくないし……」

 こほんと軽く咳払いをして話を切る。

「まあ、そういった事を調べるためにまずはギルドに行くわ。情報を集めないと身動きが取れないし」

 そう言って立ち上がるサラ。続くユリアンとモニカ。街中でも暴漢がいないとも限らないし、特にサラは魅力が溢れる少女だ。護衛として雇われたならば当然付き従う。

 日はまだ高い。仕事の時間は十分に残されていた。

 ギルドに移動し、手数料を払い、開示された情報を拾っていく。サラの仕事中、ユリアンとモニカは暇だ。奥の資料室に出たり入ったり、エージェントと話をするサラを、壁に寄り掛かって見つめつつ話をする。

「ユリアン」

「なんでしょうか、モニカ」

「…ツヴァイクを超える価値を示す。サラさんの話を聞いて、ちょっと方針が見えた気がするの。

 ロアーヌは世界的に見て、まだまだという事は分かりました。ならば、ツヴァイクや他の国でくすぶっている才能ある若者をロアーヌに呼び込む事ができたら、それは一つの成果ではないでしょうか」

「確かに」

「個人的に信頼を得て、才能ある方にロアーヌまで来て貰う。ロアーヌ候の妹という立場も最大に使ってもいいかも知れません。

 それに、サラさんやトーマスさんといった方ともお知り合いになれましたし、トーマスカンパニー全体を味方にできればとても心強いです」

「気持ちは分かりますが、落ち着きましょう。トーマスはあれで冷静な男です。単なる利益のないお願いは流石に聞いてくれませんよ」

「もちろんです。ですから、トーマスさんの信頼を得る為に行動する。これも指標にしてもいいかも知れません」

 モニカの言葉に少し深く考えるユリアン。

 トーマスが自身で認めた通り、彼の作った会社はまだ新興で力が足りていない。ふらりと寄った自分達を戦力として雇うくらいだ、人手も少ないのだろう。

 そんな会社の最初を補佐し、実績を作り、信頼を得る。その上でロアーヌ候の妹、モニカの肝いりでロアーヌに新しい産業を作る。なるほど、可能性はありそうだ。

「……やってみてもいいかも知れませんね。サラと相談しましょうか」

「はい。動かなくては始まりませんから」

 そんな話をしているうちに、サラがきょろきょろと誰かを探す動きをする。

 それに気が付いたユリアンは、モニカと共にサラの側へと寄った。

「サラ、俺か?」

「あ、ユリアン。ちょっと聞きたいんだけど、腕に自信があるんだよね?」

「? まあ、それなりには」

「ちょっと気になる情報があるの。ツヴァイクは西のユーステルムとも貿易があるんだけど、その道中で旅人がいなくなる事件が最近起きているみたい。

 まだそんな大きな話じゃないみたいだけど、モンスターが住み着いて人を襲ってるかも。倒せれば現地の人から感謝されるし、まずはそっちに行ってもいいかなって」

「大きな話になってないならそんな強いモンスターでもないかな。見てダメそうなら逃げる自信くらいならあるぞ」

「うん。じゃあ、まずはここの辺りから始めましょうか」

 そう言って広げた地図の、一つの村を示すサラ。サラが指さした先にあった村の名前はこう書いてあった。

 

 キドラント、と。

 

 

 




みんな。
待たせたな。
来るぜ、ヤツが来るぜぇ……!


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037話

大変長らくお待たせしました。
ロマンシングサガ3で、もっともヘイトを集めた部門第一位を獲得したあのキャラが登場します。(117調べ)


 

 

 

 目的地をキドラントに定めた一同の旅は順調だった。

 情報集めと旅支度を整えるのに一日かかり、着いたその日はツヴァイクにて休む。そして翌日から西に向かって進んだ。

 ちなみに詩人がしたような護衛の仕事はしない。道中にどんな儲けの種が転がっているかも分からない新しい土地なので、サラが自分のペースで進みたいと言ったのもあるが、彼らはトーマスカンパニーの看板を背負っているのである。荷運びなど、雇う側の雑務をしてその看板に泥を塗る訳にはいかない。商売仲間の間で、トーマスカンパニーは視察の旅でも荷運びして金を稼ぐ程だと、そんな噂が流れてしまったら事である。

 そういった訳で自分たちの面倒を見るだけという、ユリアンやモニカにとっては気ままな旅になった。もちろん、サラにもそんな感覚は大きくあったが。儲け話がそこら辺に転がっているなど、普通はない。故に期待もしていない。あったらラッキー程度なので、目を皿のようにして探すまでもない。

 出てくるモンスターも、ユリアンは当然としてモニカやサラにとっても容易い雑魚ばかりである。僅かとはいえ、詩人に鍛えて貰った事は伊達ではないのだ。

 そうして一行はキドラントへと到着した。

 

 ピリリとした緊張感。かろうじて村ではなくて町と言えるそこに漂う雰囲気に、ユリアンの勘が最大限の警報を鳴らす。

 何か、具体的には説明できないが。ナニカ、おかしい。この町は何かがおかしい。

「モニカ、サラ」

 囁くように仲間にだけ声を伝えるユリアン。固いユリアンの表情に気が付いた少女二人も、緊張に顔を固くして同じく囁くような会話をする。

「どうしたの、ユリアン?」

「ヤバいかも知れない」

「ヤバいとは? まだ町に着いたばかりで、何も聞いていないではありませんか」

「……勘です。説明できませんが、様子も普通じゃない」

「もう町に被害が出てるってこと?」

「それもあるだろう。だが、上手く言えない。けど、これは……」

 違う、違う、ナニカ違う。どこかで感じた事がある、危険信号。刃が喉元を目掛けているのに、致命的なそれに気が付いていないような、とてつもなく不吉な感覚。

 もしもユリアンが思い出せたのならば。それは、ロアーヌ宮殿で起きた事件だった。優しく穏やかな笑みを浮かべながら、プリンセスガードの副隊長になったユリアンに話しかけ、誘導し、宮殿のマナー違反を犯させて失脚を狙った男がいた。

 事前にカタリナはそれに気が付いていたが、ユリアンが大きなミスを犯す一歩手前まで放置したその事件。ユリアンに貴族社会を勉強させる為と、他人の足を引っ張る愚か者を炙り出す為に、半ば必然的に起きたその事件。

 人の善意につけこんで相手を破滅に誘うそれは、人間が持つ最大級の悪意である。

「……分からない。けど、俺はここから逃げた方がいいと思う」

 結局。事件の事を思いだせなかったユリアンは、具体的な事を何も言えずにそれだけを口にした。

 一方のサラやモニカは、ユリアンの勘だけを根拠として撤退するとは口にできない。モニカは不安そうな顔をしたが、サラはそこまで大きな事件に繋がる可能性があるとするならば、逆に何も知らない方が危険と考えた。ある程度の情報を収集し、強力なモンスターがいたと報告する。それもサラの仕事の一つである。

 まさか強国であるツヴァイクが手を出せないような、四魔貴族やレオニード伯爵クラスの規格外でもないだろう。最初の情報提供さえすれば、ツヴァイクが何とでもする。

「とりあえず、情報収集だけでもしましょう」

 知る事は不利にならない。そう教わったサラは、キドラントという悪意にまみれた村で話を聞く。聞いてしまう。

 そして出てくる、困った声。最初に聞いた男は開口一番、こんな事を言った。

「旅の人かい? なら、これ以上北には行かない方がいいよ」

「どうしてですか?」

「怪物が住み着いたのさ。何人かうちの人間もやられたし、旅人も襲われている」

「どんな怪物でしょうか?」

「分からんさ。ただ、遺体は無残に食い散らされて、ほとんど肉が残ってなかったとか」

 その情景を想像して、思わず顔をしかめるサラとモニカ。

「詳しくは町長に聞いてくれ。

 ……ああ、誰かが怪物を退治してくれないものか」

 そう言いながら、男は肩を落としてサラから離れていく。

 モニカは慌てて去っていく男に問いかけた。

「その、町長の家はどこでしょう!?」

「村の北にある、一番大きな建物が町長の家だよ」

 去っていく男を見て、モニカは義憤にかられた。自分だってそんなおぞましい最期は迎えたくない。迎えたくないのに、この町の人は近くに怪物が住み着いたというだけでその恐怖に晒されなくてはならない。

「なんとかしてあげたいですね…」

「はい。けど、私たちが勝てる保障もないです。まずは情報を集めましょう。町長の家は北でしたね」

 サラはまだ冷静だった。怪物に突撃して相手が自分より強かったら、単なる無駄死にである。別にサラに怪物を倒す義理も義務もないのだ。

 もちろん、倒せれば倒したい。それは間違いなくトーマスカンパニーの名前を上げる事になる。ツヴァイクで聞いた、モニカたちの方針である才能ある者をロアーヌに誘致するという作戦にも役に立つだろう。が、死んでは元も子もない。

 慎重に情報を集めて、余裕を持って逃げ出せる位置を保ちたい。それがサラの偽らざる本音だった。

「町長の家に行きましょう」

「はい」

「……」

 気味の悪い感覚に身を包まれたままのユリアンは、黙って彼女たちに従うのだった。今回、彼を助けてくれるカタリナは、いない。

 

「定期的にやられますのじゃ」

 沈痛な面持ちで町長は言う。

「定期的に、とは?」

「2~3日に一回程です。動物なら例外なくどんなものでも。森で熊やゴブリンの骨が見つかった事もあるし、夜が明けたら家畜が骨だけになっていた事もあったのじゃ。

 ……家畜ならまだ運がいい方です。町の者も、何人かやられてしまっています」

 手で目元を隠し、深いため息をつく町長。

「怪物の姿は?」

「それがなんとも。黒い影が蠢くように北に向かったのを見た者がいるだけじゃ。

 ……北に、生き物が住み着きそうな洞窟は一つあります。ですが、このような事態になってからは町の者は怖がってそこに近づきません」

「ツヴァイクに救援要請は出したのか?」

「はい。ですが、現実にある被害は町民数人のみ。もちろん旅人もやられているのか知れませんが、町が把握していない以上は被害者として数える訳にもいかず。

 しばし待てと通達が来てから、もう二月は経ちます。ツヴァイクはあてにならんのですじゃ」

 そう言った町長は、がばりと自分の子供よりも若いだろうサラやモニカ、ユリアンに向かって頭を下げる。

「どうかお願いじゃ…! この町を助けて下され。

 この町の蓄えは僅かですが、それを全て差し出します。どうか、どうかお願いじゃ……!」

「サラさん……」

 同情が大きくこもった顔をサラに向けるモニカ。この旅の決定権はサラにあるのだ。護衛であるユリアンやモニカにはない。

 難しい顔をするサラ。どうにも相手の得体が知れない。骨だけになるというなら不定型モンスターに溶かされたというのが妥当な考えだが、不定型モンスターは総じて動きが鈍いために姿が見えないというのは不自然だ。変異型モンスターの可能性もあるが、蠢く黒い影と合致しない。そうなると新種のモンスターか。

 だが、新種だとすると自分達の命の保障もできない。しかし、ツヴァイクは動かない。

 どうするか。どうするか。どうするか。

「……残念ですが、お引き受けできかねます」

 サラの出した結論はそれであった。

 町長はがっくりと肩を落としてしまう。

「……そう、ですか」

「はい。ですが、ツヴァイクにこの情報は回しましょう。明日の朝一番にギルドに報告します」

「分かりました、お気遣いに感謝しますじゃ。せめて今夜はこの町の宿に泊まって下さい。

 安宿ですが、その代金くらいは儂が出しましょう。どうかこの事態をツヴァイクにお伝え下さい……」

 そう言って家から出て宿へと向かう町長。

 それを見送ってから、誰もいなくなった町長の家でモニカは悲しそうな顔でサラを見る。

「サラさん、どうして……」

「モニカさん、分かって下さい。不確定要素が多すぎる上に、相手は素早く動きも見せない。安全より危険が高いのです。せめてこの情報をツヴァイクに持ち帰りましょう」

「ツヴァイクが動くとは、私にはとても思えないのです……」

 モニカの脳裏に思い出されるのはトップであるツヴァイク公国王、そしてその王子。サラから聞いたツヴァイクの現状、そして町長の救援を無視するツヴァイク。

 どれ一つとして、キドラントの窮地を助けようとする要素になりそうもなかった。

 だが、それでも。キドラントを助ける義理も義務も、サラやモニカ、ユリアンにはない。せめて聞いた声をツヴァイクへ届けるしかないのだ。

「私たちができる事に全力を注ぎましょう。モニカ様が死んだら、ミカエル様に顔向けできません」

(それにお姉ちゃんも私の安全を願っているわ)

 モニカを様と呼び、その立場を強調して伝える。そして自分の為に無理をしているだろう姉の為にも、自分から危険な事をする訳にはいかない。それは姉に対する、最大の侮辱だろう。

 そんな彼女たちを、ユリアンは未だに厳しい顔で見ていた。別に彼女たちそれぞれの言い分に言いたいことがある訳ではない。心情としてはモニカの言う通りにキドラントを助けるために怪物を討伐したいし、護衛としてはモニカやサラも安全を第一に考えたい。

 それはそれとして、イヤな予感が一向に消えてくれないのだ。ユリアンの胸中は言いようのない不安で満たされていた。ナニカ不吉な事が起きる、そう勘が告げていた。

 だが、それを理論立てて説明する事が、できない。

 

 町長に案内された宿に泊まる三人。男であるユリアンは一人部屋、モニカとサラは別の部屋だ。

 月が真上にかかる深夜。その宿の前で数人の屈強な男たちが集まっていた。どの男も目をギラつかせている。

 やがて、宿の内側から鍵が外される。宿の主が男たちを招き入れるためだ。主と男たちは視線を合わせると、頷き合う。

「首尾は?」

「女二人は問題ない、食事をとった。だが男は顔色が悪くてな、食欲がないとか」

「じゃあ、男に睡眠薬を仕込むのは失敗したのか?」

「いや、お茶だけでもと勧めたらそれは一口だけだが飲んだよ。お茶に仕込んだあの睡眠薬は強力だ、一口でも十分な効果がある」

「分かった。後は俺たちに任せてくれ」

 そう言って宿に入る男たち。彼らは宿の中を静かに進み、二つある部屋の前でそれぞれ半分ずつに分かれる。

 そして、中に踏み込んだ。部屋の中では静かに眠る少女が二人。男たちは素早く手早く、少女たちを縛り上げていく。

「!?」

「ムグゥ!?」

 そこまですれば少女たちも流石に目を覚ますが、既に手遅れだ。縛り上げられた後で暴れても何の抵抗にもなりはしない。

 そんな少女たちを苦渋の顔で見る男たち。

「……すまない。だが、誰かが死ななければならないんだ。俺たちは、死にたくない」

「これは町長の指示なんだ。従わなければ、そいつを縛り上げて生贄の洞窟に放り込む、と」

「ムグゥ!?」

「グゥゥ!?」

 自分達の運命を悟ったのか、サラとモニカは必死のに暴れ回るが、ここまで来たら手遅れだ。どんな抵抗も無意味である。

 そこに町長が姿を現した。昼間の下手に出た表情とは違い、今は強い悪意で表情が満たされている。

「ふん。お前たちはまだそんな甘い事を言っているのかの。まだ覚悟が決まらないなら、お前たちから生贄になってもらってもいいのじゃぞ?」

「! そ、それは…」

「旅の者が居なくなっても誰も不思議に思わない。それに持っていた金品も巻き上げられて一石二鳥じゃ。

 こんな村と町と区別もつかんような町じゃ、金を稼ぐにも一苦労。災い転じて福と為すくらいじゃないと、世の中やっていけないわい」

 その言葉を、縛り上げられた少女二人は信じられない思いで聞いていた。自分達はキドラントを助ける為、最大限の努力をしようとしていた。なのに、人としての道を外れたその言葉は。野盗と同じくらい、いや人の善意につけこむ分、それよりもずっと性質が悪い。どんな魔物よりもおぞましい悪魔、それがキドラントの町長の本性だった。

 モニカはその狂気にゴドウィンを思い出す。あのような人の道を踏み外した例を見ながら、町長の本性を見抜けなかった自分に失望する。

 と、そこに慌てた様子の男が走り込んできて報告する。

「町長、大変だ! 男がいない!!」

「なにっ!? …勘づかれたかの?」

「ど、どうするんだよ、町長。このまま報告されちゃあ、俺たちが……」

「慌てるな、落ち着くのじゃ。

 ……先にツヴァイクに伝令を出すのじゃ。キドラントに来た若者たちが、礼金を受け取って怪物討伐に行ったまま戻って来ないと。金を持ち逃げした盗人を手配して欲しいと要請を出すのじゃ。

 そうすればツヴァイクの町全員の証言の方が信用されるじゃろう。盗人の男が何を言おうと無駄じゃ」

「!? そいつに、盗賊の嫌疑までかけるのかよ!?」

「文句があるのかの? 次の生贄にはお主がなりたいと? 上手い具合に次の旅人が来るとは限らんしのぅ」

「ま、待ってくれ。分かったよ、その報告は俺がするよ」

「では行け、今からじゃ。早ければ早い程いい」

 町長の言葉で男の一人が駆け出す。それを見ながらサラとモニカは希望が繋がったと、身動き一つできないままで思う。

 ユリアンならなんとかしてくれる。ユリアンなら信じられる。そう強く、強く信じていた。……信じる事しか、彼女たちにはできなかった。

 

 一方でユリアン。彼は夜のキドラントを駆けていた。

 モニカやサラを一刻も早く助け出したいのは山々だったが、そういう訳にもいけない事情が彼にはあった。

 盛られた睡眠薬が、体を蝕んでいたのだ。

 ユリアンは自身の勘が鳴らしていた最大の警報に従い、勧められたものは極力断っていた。だが、全てを断るのも怪しまれるかと思い、万能薬を飲んだ上でお茶を軽く口にした。

 だが、よほど強力な睡眠薬だったのだろう。また、侵入者を察知して窓から脱出したのはいいものの、激しく疾走しているために体に薬が回るのも早い。

(ク、クソ……)

 気を抜けば倒れてしまいそうだ。疾走の勢いはやがて衰え、ふらふらと歩くだけになってしまう。

 そしてキドラントの町の、人気のない所を選んでふらつくユリアンだが、ついに人に見つかってしまった。歩く音に気が付いたのか、民家の一つの窓から顔が出て外を歩いていたユリアンと視線が交差する。

 驚いた表情を見せたその女性は、慌てて家の中へ引っ込むとドアを開けて外に出てきた。

(クソ、クソ……)

 諦めてたまるかと剣に手を伸ばすユリアンだが、それすらも覚束ない。

 家から出てきて、近づいてくる女性。だが、様子がおかしい。ユリアンを見つけたのなら大声を上げればそれで済むのに、むしろ音を殺してふらふらした彼に近づいて、支える。

「な、なにを…?」

「静かに。私の家に匿います」

 そしてユリアンを家の中へ連れ込む女性。明かりをつけたら怪しまれると考えたのだろう、女性は暗い家の中を手探りで進んで、一つの部屋にユリアンを運ぶとそこにあったベッドに彼を横たえた。

 いったん部屋から出た女性だが、すぐに戻ってくる。その手には一束の草が握られていた。

「この町で作られる睡眠薬の解毒剤です。生でないと効果がありません、辛いでしょうがお食べ下さい」

 意識が朦朧としたユリアンは言われるままに草を口にする。すると、その余りに苦みに一気に意識が覚醒した。同時に体を襲っていた倦怠感も消えていく。

 一息ついたユリアンは助けてくれた女性にまずは礼を言った。

「ありがとう、助かったよ」

「そんな。酷い事をしたのはこちらですから…」

 暗闇の中でお互いに顔は見えないが、声色から女性が申し訳なさそうなのは理解した。ユリアンとしてはこの村を許すつもりもないし、モニカやサラを絶対に助け出すつもりだが、自分の窮地を救ってくれたこの女性まで恨む気にはなれなかった。

「俺の名前はユリアン。君は?」

「ニーナと言います」

「ニーナ、どうして君は俺を助けてくれたんだ?」

「……こんな、こんな人の道を外れた事は赦されないと、前からずっと思っていました。けれども私一人ではどうにもなれず、ずっと苦しかったのです。

 でも、今回は助けられた。今まで犯した私たちの罪が赦されるとは思いませんが、それでもこれからずっと、なんの関係もない人が生贄にされるなんて耐えられなかったんです。

 私の恋人も、冒険者になるんだって旅に出てしまいました。彼がこんな目に遭っているなんて考えたら……」

 このような地獄のような状況で、ニーナはそれでも自分の良心を忘れなかった。それはとても尊い事だと、ユリアンには思えた。まるで聖王のようだと。

「私の恋人はポールと言うのですが、どこかで聞いた事はありませんか?」

「いや、悪いが聞いた事はないな」

「そうですか……」

「状況を詳しく聞きたいんだが、いいかな? 連れが二人、捕まった。このままじゃ生贄にされちまう。なんとかして助けたい」

 暗闇の中でニーナが息をのむ。だが、狼狽している時間はない。手早く状況を説明する。

「北の洞窟に住み着いた怪物は、新鮮な肉を好むようです。生贄にされた旅人は洞窟に放り込まれるまで生かされるでしょう。

 また、怪物を退治すると洞窟に入った人を逃がさないため、退治してくれると言った方が入った後に出入り口の岩を閉じます。そして怪物に喰われた頃を見計らって、また岩を開けるのです。そうしないと次の犠牲者を誘い込めません」

「ずっと出入り口の岩を閉じておくのは?」

「無駄でした。どこからともなく怪物は洞窟から出てしまうのです」

「俺はどうすればいい? ニーナはこんな地獄のような状況で、自分の危険を省みずに助けてくれた。その恩に報いたい」

「恩なんてそんな……。私たちが悪いのです。旅人を騙し、襲い、生贄にしてその金品を奪うなんて……人の所業ではありません」

「……金品の強奪までやっているのか」

「はい。町長が全ての指示を出しています。従わない者が次の生贄だと脅して」

「あのヤロウ……」

 怒りの気炎が口から漏れるユリアンだが、今は怒り狂っている場合ではない。モニカとサラを助けるのが先だ。

「生贄は、朝になったら運ばれます。生贄の洞窟はここから余り遠い場所にはありません。今夜は村の北で待ち、生贄を運ぶ人たちをつけるのが一番だと思います」

「ありがとう、重ねて礼を言うよ。報いる恩はなにかないかい?」

「……では、厚かましいですが、二つお願いしていいですか」

「もちろん」

「一つ目は、どこかでポールに会ったら伝えて下さい。私は今でも、そしてこれからも優しい貴方を愛していると。

 二つ目は、もし怪物を倒せたら倒してください。村の人がこれ以上、非道をするのに私は耐えられないのです」

「一つ目は承知した。二つ目は…約束できない。すまない」

「いえ、悪いのは私たちですから」

 そこで会話が終わる。

「では、お気をつけて。ユリアンさんに聖王様の加護があらんことを」

「ニーナ、君も気を付けて。俺を助けたと疑われないようにな」

 言い残し、ユリアンは窓からニーナの家を出る。玄関から出てそれが見つかったらニーナに多大な迷惑がかかる。

 できるだけ人目につかないように、ユリアンは村の北へと向かうのだった。

 

 翌朝。

 縛り上げられたモニカとサラが、担がれて町から運び出された。

 今すぐ助けたい衝動にかられながらも、ユリアンはそれを必死で我慢して隠れる。あの程度の人数なら勝てる自信があるが、奴等の手中にモニカとサラがいるのである。人質にされたら形勢が逆転してしまう。

 そのまま町を出て歩く事一時間程度。本当に町から程遠くない場所に生贄の洞窟はあったらしい。

 ぽっかりと空いた穴の中に、せめてもの慈悲か。丁寧に生贄となったモニカとサラを横たえる。

「……すまん」

 それを為した男たちは、本当に心底申し訳なさそうにそう言うと、足早にそこから立ち去っていった。

 残されたのは恐怖に涙を流す、縛られたモニカとサラ。そして男たちが十分に離れるまで隠れているユリアン。

 十分に時間が経ったと判断したユリアンは、縛られた二人に走って近づく。物音になお騒ぐ二人だが、そんな彼女たちにユリアンは優しく声をかけた。

「モニカ様、サラ。遅くなった、俺だ」

「ムグッ!!」

「ムゥゥ!!」

 駆け寄ったユリアンは縛られた二人を見て顔を歪める。縛られた縄からこすれて血が出て、強く噛まされた猿轡は唾液で濡れている。

 よほど抵抗し、よほど叫んだのだろう。痛々しい二人の戒めを素早く短剣で切り、解放する。

 体が自由になった二人は、泣きながらユリアンに抱き着いた。

「ユリアン、ユリアンン……。うううぅ……」

「怖かった、怖かったよぅ…」

 そんな少女二人を優しく抱きしめてポンポンとあやすように頭を撫でる。

「とりあえず、ここは安全じゃない。早くここから――」

 

 ちゅう

 

 そんな声が洞窟の中から聞こえ、身を固くする三人。

 恐る恐る洞窟の中を見たら、そこには小さな赤い瞳が反射してギラついていた。ただしその瞳は一組ではない。

 

 ちゅう

 ちゅう ちゅう ちゅう

 ちゅう ちゅう ちゅう ちゅう ちゅう

 ちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅう

 

 それはネズミだった。一匹だったらただの害獣で済んだそれも、何百何千と集まれば脅威を通り越して災害だ。

 これが怪物の正体。常識を超え過ぎた数のネズミの群れ。

 

 ちゅう!

 

 その中でまるで号令のように一匹のネズミが鳴いたかと思うと、雪崩をうってユリアンたちに襲い掛かるネズミの群れ。

 とっさに我に返ったのはユリアン。

「術を!」

「っ、ストーンバレット」

 サラが素早く術を唱えて岩を作り出し、ネズミの群れに向ける。が、十何匹は潰せても、その大軍は小揺るぎもしない。

「ファイアウォール!」

 モニカが炎の壁を作り出す。洞窟の出入り口である事が幸いし、炎の壁で隙間なく出入り口を塞ぐ。

 だがしかし、それもその場凌ぎ。モニカの魔力では僅かな時間しかもたない。

 その間にユリアンは素早く周囲を見渡した。ニーナの話では、確か――

「あった!」

 ――洞窟の出入り口を塞ぐ岩があったはずである。ユリアンは渾身の力を込めてそれを押し込み、その出入り口を塞ぐ。

 文字通り、ネズミ一匹通さないほどきっちり嵌まった出入り口に、モニカとサラは安堵の息を吐く。だがしかしユリアンは安堵しない。ニーナから聞いていた、怪物はどこからともなく出てくると。つまり、ネズミなら通れる抜け道がどこかにあるのだ。

「まだここは安全じゃない、ネズミなら小さな穴からでも這い出して来る!

 逃げるぞっ!!」

 ユリアンの声に我に返った二人は素早く走り出す。

 

 幸い、ネズミの群れに追いつかれる事はなかった。

 

 

 




町長の極悪度、当社比で200%増しです。
旅人を生贄にする奴なら、このくらいやるだろうと判断しました。


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038話

詩人の謎よりもキドラント町長の末路の方が、皆さん気になっていると薄々気が付いています。
是非楽しんでください。


 

 

 

 ひとまずは助かった。キドラントから離れたその場所で、たき火に当たりながらユリアンはそう判断する。

 目の前にいる二人の少女は部屋着であり、武器も荷物も金も何も持っていない。かろうじてユリアンが携帯していた旅の道具と僅かな金が、三人の持つ所持品の全てであった。

 寝込みを襲われて縛り上げられたため、靴すら履いていない少女たちの足は傷だらけである。モニカは自分の肩を抱いて蒼白な顔で黙り込んでおり、サラはひっくひっくと泣きながら座り込んでいた。

 これ以上ない悪意で自分の善意を穢された上、怪物の前に無防備に捨て置かれたのだ。そのショックははかり知れないだろう。とりあえずユリアンはそんな少女たちの足を消毒し、持っていた布で巻いていく。雪が残るこの地方で素足で居続けるのは危険だ。気休め程度だが、やらないよりはマシだろう。

 そうしてから、ユリアンは焼き固めた携帯食料を二人に手渡し、自分の分も取り出して齧る。ぼそぼそとして美味しくないが、携帯食料に美味しさを求めるのも違うだろう。サラやモニカも渡された携帯食料を齧り、ひとまず腹を満たす。

 人は食べれば落ち着くものだ。ようやく冷静さを取り戻しつつある二人。

「それで、どうする?」

 ユリアンが口火を切った。サラもモニカも、現状が極めて悪いと理解せざるを得なかった。

 おそらく、キドラントの嘘の情報によって自分達はツヴァイクではお尋ね者だろう。頼りには全くならない。

「……西へ、行きましょう」

 サラがそう言う。幸い、キドラントは国境に近く、ツヴァイクの影響から逃れるのには西に行くのがいいだろう。いや、西に行くしか方策はないと言っていい。

 それに、トーマスカンパニーの同盟社であるフルブライト商会が手中に収めている町もある。目指すならそこだろう。サラはいくつか覚えていた町の中で、最もツヴァイクに近い町の名前を思い出す。

「西の、ユーステルムを目指しましょう」

 向かう場所は決まった。後は、それが達成できるかどうか。

 サラとモニカは完全に無防備であり、モンスターに襲われたら術を使うしか抵抗する手段はない。その術力にも限りがある以上、二人をユリアンが護衛する旅になるだろう。

 それに食料も心許ない。水だってない。土地勘もない。あまりに心細い、この現状。

 生きてユーステルムに辿りつくには運も必要になる。そんな厳しい旅が始まった。

 

 ツヴァイクの領地ではどんな話が出回っているか分からない。一度だけ危険を冒して、手持ちの僅かな金を使いきって最低限の旅の道具を買いに集落に入ったが、明らかに旅をする格好でない一行に人々はいぶかしそうな視線を向けていた。下手に噂にのぼり、キドラントに伝わってしまったら命が危ない。人気のない道を選択せざるを得なかった。

 そういった道は人通りが少なく、モンスターが多数出現する。少女二人を守りつつ、ユリアンは必死で剣を振るっていく。

 寒さだって大きな障害となって、一行の旅の邪魔をした。霜が降りる夜にはサラとモニカは身を寄せ合い、抱き合って体を暖める。

 やがて食料も底をついた。シノンでは食べられる野草を知っているユリアンやサラだが、ここでは余りに植生が違い過ぎてほとんど当てにならない。ほんの僅かに見つかった確実に毒がない物だけを選んで口にするが、調理する方法もないのだから生である。もそもそとしたそれで飢えを凌ぐのは、自分が酷く惨めに思えた。特にお姫さまとしてロアーヌで暮らしていたモニカは、弱音こそ吐かなかったがとてつもないストレスとなって心が圧迫される。夜に涙が流れてしまうのは仕方がない。

 身も、心も。すり減らしながら西へ進む一行。結局、その旅は報われる事となる。

 

 

 ガサリと、先の草陰が音を鳴らす。とっさに警戒態勢をとる三人。ユリアンは一歩前に出て敵の視線を集め、サラとモニカは後方で左右に散っておもちゃのような弓矢を構える。

 クローズデルタ。そう呼ばれる陣形で敵を迎え撃つ。もちろん体力や気力も底を尽きかけている以上、敵の質や量によっては退却も視野に入れなくてはならない。一度道を外れてしまえばまた大きな回り道になってしまうため、極力避けたい選択ではあるが無理を通して殺されては元も子もない。極めて難しい判断は、ユリアン一人に委ねられていた。多数決をとっている場合ではないし、サラよりもモニカよりもユリアンが最もその点では優れていると全員が理解していた。最善の行動をとらなければ死ぬしかない現状、それを選ばない訳にはいかない。

 だが、果たして出てきたのはモンスターではなく人間の男。しかし安心はできない。人間だから敵ではないというには、彼や彼女たちが受けた仕打ちは酷すぎた。むしろ人間の方が笑顔の裏に刃を隠し持つと学んでしまった今、下手なモンスターよりも警戒すべき相手である。

 出てきた男はボロボロの三人に驚いた表情を見せるが、自分を見て警戒を強くするのを見て眉を細める。

「どうした? 野盗にでも襲われたのか?」

「そうだな、野盗よりかよほど性質が悪いのに襲われた」

「……いちおう聞くが、助けてやるって言ったら頷くか?」

「いらない。今はユーステルムの信頼できる人間以外、頼りたくない」

 距離を離し、剣を構えたまま。ユリアンはきっぱりとそう言い切る。自分ももちろんだが、サラやモニカはキドラントの仕打ちと酷い環境が続く旅で疲弊しきっている。相手が下手な動きでもしたら敵対行動と判断し、襲い掛からないとも限らないほどに追い詰められていた。

 おそらく男はそんな少女たちに気が付いているのだろう。ユリアンたちに気を遣ってか、必要以上に近寄らない。

「ユーステルムを目指しているのか? すぐそこだぞ? 俺はそこの警備部隊のウォード隊の一員だ。村まで案内しようか?」

 その言葉に僅かに動揺するユリアン。サラやモニカの動揺は更に大きい。

 もしも男が本当の事を言っているのならば、地獄に仏といった状況だろう。だが、行きずりの者を信じるには、今の彼らは余りに人間不信が強すぎた。助けようとした相手に殺されかけ、身包み剥がされ、モンスターに襲われて、人も信じらず、食べ物も飲み物もロクにない旅を強いられたのだ。それもむべなるかな。

 しかし、いつまでもどこまでも信じない訳にもいかない。第一、男が言っている事が本当だったとしたらこの辛い旅もようやく終わるのだ。

 信じたい。けれど、信じられない。その葛藤。判断はユリアンに任されてる。

「……ユーステルムまで案内してもらえれば嬉しい。

 ただし、俺たちは少し離れてついて行かせて貰っていいだろうか」

「構わないよ」

 その酷いとさえ感じられる警戒心にも男は応じる。これはよほどの目に遭ったのだと理解できたのだ。ユリアンたちの頬は窪み、目はこけて、血色は悪い。特に背後で怯え切ったネコのような警戒心を隠そうともしない少女たちはそれが顕著である。そこまで追い詰められて、まだ助けてくれるという人を信じられない。

 これはトラウマとして一生心の傷になりかねないような、そんな裏切られ方をしたのだろう。どこまでも強い警戒をするユリアンに、いっそ同情心まで湧き出たくらいである。

 

 男が先導し、歩いて10分程度。本当にすぐそこにあった村まで到着した。

 だが、それでもユリアンたちは警戒を解かない。それに男は自分の想像以上の目に遭ったのだと、理解しつつあった。

 村とは人間の集まりで、人間が集っている場所ではある一定の安全は保障されている。もちろんそれを破る犯罪者は往々にして出てしまうものであるが、取り締まる側もそういった輩には容赦しない。酒に酔って暴れる程度なら可愛いものとすぐに釈放されるが、悪意は決して許さないのが世界の常識だ。

 まあ、よほど貧しい村で旅人を襲わなくては暮らしていけないほどだと話は違うだろう。だが、ユーステルムは一見してそんな村でない事は分かる程度には満たされていた。また、大金を持っての旅ならば騙されたり強盗に遭ったりしないように身構えるのは仕方ない。だが、彼らは明らかにそんな金を持っているようには見えず、むしろ襲われて身包み剥がされた後だとぱっと見て分かる程だ。

 なのに、村に着いてまで安心せず、警戒し続ける。どんな目に遭ったのか想像もできない。いや、したくない。

「……ここがユーステルムだ」

「ありがとう、助かった」

 礼を返すユリアンだが、その声は固い。

「他に何かできるお節介はあるかい? あんたら、よほどの目に遭ったみたいだな。ある程度の融通は効かせてやるよ。

 ユーステルムの信頼できる人間以外は頼りたくないって言っていたな。そいつの所まで案内くらいはしてやるぞ?」

 男の言葉に顔を見合わせる三人。そしてユリアンが頷くと、彼の後ろからサラが緊張に満ちた声で頼み事をする。

「では、フルブライト商会に縁のある方を紹介していただけませんか?」

「フルブライト商会? それならうちのウォード隊がそうだな、パトロンになって金を出して貰っている」

「!! 貴方がたがそうなのですかっ!?」

「ああ、援助金を貰って、ユーステルムで集めた情報やらなんやらを送っているよ。後はまあ、北で取れる特産品とかもか。

 あんたら、フルブライト商会の人間かい?」

「いえ、私はサラ・カーソン。フルブライト商会と関係ある、トーマスカンパニーの人間です」

「トーマスカンパニー? 聞いた事ねぇなぁ……」

「最近できたばかりの会社で、南で主に活動してますから」

 顔が曇るサラ。知名度のなさが響いて話が通らないとなったら事だと、心が心配で濁ってしまう。だがそれは杞憂で終わった。

 どんな事情があろうと、聞いた事がない会社を名乗ろうと、目の前に三人は明らかに困っている類いの人間だ。ならばそれを助けるのが人の道だろう。

「まあいいや。とりあえず、あんたらはよほどの目に遭った旅人なのは間違いなさそうだしな。

 ボスに会って話をしてくれ。場合によっては、さっき言っていたフルブライト商会にも話を通してもらわなきゃならん」

 そう言って男はまた歩き出す。

 三人はユリアンを先頭に、少し距離を置いて歩き出す。まだ警戒を解けないのかと、そろそろ本気で三人の身の上を心配し始めた。

 やがてやや立派な建物に辿りつくと、男は門番に気さくに話しかけた。

「よう。悪いがボスに取り次いでくれないか、厄介事の気配がプンプンする奴らを拾ったんだ」

「おう。ボスなら奥の部屋で寛いでるよ。今年の掃除は氷湖の主まで仕留められたからな、モンスターが減って暇でしょうがねぇ」

「いいことだろ」

「違いない。が、そろそろ飽きてきたな。

 ……厄介事か、腕が鳴るな。通っていいぞ」

 そんなやりとりをした後、あっさりと門を通される一行。

 それに慌てるのはむしろユリアンである。

「お、おい。そんな簡単にボスに会わせて貰っていいのか? それに俺は剣も持ってるし……」

「あん? しみったれた事言うなよ、男だろ? 緊急事態だってのは、見りゃ分かる。伊達に俺もウォード隊じゃねぇ。報告を聞くのが最優先だと判断したまでだぜ。

 それに兄ちゃん、うちのボスは強ぇぞ。疲れ切った三人相手に遅れは取らねぇ」

 かっかっと笑いながら男は奥を目指す。

 建物の中は火の暖気で満ちており、冷え切ってパサついた肌に染みわたる。

「あ……」

「あら?」

 ほろりと、たったそれだけでサラとモニカの瞳から涙がこぼれた。雪国に部屋着で放り出されて、ようやく感じた文明の温かさに一本だけ緊張の糸が切れたのだ。

 それに気が付かないで男とユリアンは先を目指す。そしてやがて一つの部屋の前で立ち止まり、ノックをした。

「ボス、客人を連れてしました」

「客ぅ? んな予定は入ってねぇぞ」

「厄介事を抱えた旅人です」

「ん? まあいいや、入れ」

 部屋の中から聞こえてくる野太い声に扉を開ける男。

 そして中へ入る男とユリアンたちだが。中にいた大男はユリアンやサラ、モニカを一目見るといきなり大声をあげた。

「バカヤロウッ!!」

「ッ!!」

 思わず腰の剣に手が伸びるユリアン。その怒りで身が竦むサラとモニカ。

 だが、それは三人に向けられた怒声ではなかった。

「先に着るものと温かい食事を用意しねぇか!!」

「す、すいませんっ!」

「俺に謝ってどうするっ! もういい、客人の対応は俺がする。お前は早く温かいシチューでも用意してこい!!」

「はいっ!」

 直立不動で返事をした男は脱兎の如く部屋から飛び出していった。

 残されたのは茫然としたユリアンたちと、申し訳なさそうな表情の大男。

「いや、うちの若い者が不作法をしたようで申し訳ない。俺はウォード、ここのユーステルムを仕切ってるウォード隊の隊長をしているモンだ。

 まずは火に当たって暖まってくれ。すぐに食事がくるはずだ。それが終わって一息ついたら、休んでくれ。話はそれからだ」

「あ、いや、その……。まずはフルブライト商会の関係者に会いたいっていったのはこっちだし、彼はここまで案内してくれたんだ」

「それでも、だ。寒さに凍えた旅人にする仕打ちじゃねぇ。まずは頭として詫びを入れさせてくれ」

 会ったばかりの、何も持たない人間に対してこの対応である。まさか一つの村のトップがここまで低姿勢だとは。あまりの事に目が白黒してしまうのは仕方ないだろう。

 それを気に止めず、暖炉の側のソファーまで自ら案内するウォード。

「そりゃ、あんたたちの様子は普通じゃない。村の真ん中まできて、切った張ったの緊張で顔を強張らせてやがる。大事だってのは俺にも一目見て分かった。

 だが、それはそれで、これはこれだ。雪国で凍えた人間がいたら、まず暖めてやる。腹を減らしてたら食わしてやる。それが助け合いで人の道ってもんだ。大事だからってそれを無視しちゃいけねぇ」

 その余りの器の大きさに、受けた仕打ちの分だけ優しさが身に染みた。

 ウォードが軽く語り、暖炉で身を暖めている間に先程の男が湯気の立つシチューと、柔らかいパンを三人分のせたお盆を持ってやってくる。

「鹿肉と野菜のクリームシチューです。パンもどうぞ食って下さい」

「おう、食え食え。遠慮はいらねぇ。まずはここまで無理した体を労わってやんな」

 カラカラと笑うウォードだが、三人の誰も手を伸ばそうとしない。寒いだろう、ひもじいだろう。

 なのに、なぜ?

「……どうした?」

「サラ、モニカ。君たちは喰え。俺が喰わない」

「でもユリアンっ!!」

「貴方が一番苦労したではないですかっ!!」

「いいから。

 君たちはもう限界だ。俺はまだ持つ。いいから、喰え。何か仕込まれていても、俺が居る」

 怪訝な顔をするウォードだが、彼らの会話の内容でおおよそどんな目に遭ったのか想像がついた。

 善意で差し出されたかのような食事に、睡眠薬でも仕込まれたのだろう。それが直前の話ならば、この警戒にも得心がいく。

 だが、ユリアンの言う事も正論だった。ウォードから見ても、特に少女二人の消耗が激しい。ここで喰わなければ、本当に体を壊してしまう。

 だからこそ、仲間内で一人は喰わない者を作って安心したいのだろう。もちろんユリアンという青年にも余裕がある訳ではないのが分かる。むしろ自分が率先して温かい飯にありつきたい体調だろうに、連れの心の心配を先に立たせる。

 それがウォードにはとても良いものに見えた。苦境に立った時ほど、人の本質が出る。今すぐ目の前の食事をかっ込みたいだろうに、それを辞退する。相当の意志力がなければできないだろう。

 ユリアンに促され、おずおずとスプーンを持つ少女二人。彼女たちはシチューにそれを入れると、すくいあげて口に運ぶ。そうなるともう止まらない。競うようにシチューを口に入れ、パンをちぎって噛み、胃に流し込む。

 食べながら、暖まりながら。少女たちはやがて涙を流していた。ぐすぐす、ひっくひっくと泣きながら食事を口に運んでいく。殺されかけ、雪降る見知らぬ土地を歩く旅。装備は貧弱で食べるものもロクにない。そしてようやく口にできた温かい食事に、感極まってしまうのは仕方ない。

 そんな疲れた旅人を温かい目で見るウォード。そうなのだ、雪国で困るとはここまで堪えてしまうのだ。だからこそ、そこに住む人は見捨てない。その辛さを身と心に沁みて分かっているから。

 ただじっと、少女二人の食事が終わるのを待っていた。

 

「ごちそうっ、さま、でした…」

「おい、おいっ。美味し、かったです」

「おう、お粗末さま」

 落ち着いたら気恥ずかしさが出るのは年頃の娘として仕方ないだろう。泣きじゃくりながら食事を掻っ込むなどという不作法をした事と相まって、二人の顔は真っ赤である。それに触れてやらないのが大人の優しさだろう、ウォードは手早く食事を片づけさせる指示を出す。

 そして、真面目な顔で三人を見た。

「さて。俺としてはこのまま一眠りして貰ってから話をして貰いてぇが、その男がメシを食わなかった辺りが気になる。

 話が先かい? 休むかい?」

「急いでしなければならない話があります」

 毅然とした声で言い切るのはモニカ。ロアーヌの姫として鍛え上げた表情が、食事をしてようやく戻ってきた。

 キドラントの現状は酷すぎる。急いで対応をしなければ犠牲者は増える一方だろう。

「キドラントへ向かう旅人を全員止めて下さい」

「は? おいおい、いきなり大きく話を出したな。それをすると村の損失も大きい。はいそーですかとは、言えねぇなぁ」

「火急なのです。とりあえず、一日でもいいです。止めて下さい」

「わ、私からもお願いします。損失は全てトーマスカンパニーが出します!」

 モニカの言葉に渋い言葉を出すウォードだが、サラもそれに追従した。

「損失額を聞く前から空手形を切っていいのかい?」

「貴方たちは、私たちを助けてくれました。その恩を返さない方が、よほど人の道を外れています!」

「私からも出来る限りのお金は出しましょう。お願いします、人の命が危ないのです!」

「……分かった。出る損失は、とりあえず折半といこうか。幸い、今年の掃除で被害はほとんど出なかった。余裕はある」

 切羽詰まった様子を感じ取ったのだろう。ウォードは人を呼び、とりあえず一日村から外へ人をを出さない強権を発動させた。

 村人や旅人の不満は溜まるだろうが、例えば殺人事件や強盗事件が起きた場合に犯人を逃がさない措置としてこういった事は起こりえる。その上、よほど損が出る場合はその具体的な証明ができればユーステルムがその補填までするというのであるからして、不満が溜まるで済むレベルだろう。

 一先ずこの村から次の被害者が出ない事を理解した三人はほっと息を吐く。

「これでいいのかい?」

「ええ。ウォードさんに事情を説明し、村に周知していただければ以降の犠牲者は出ないでしょう」

「犠牲者ったぁ穏やかじゃねぇ。が、そっちの兄ちゃんや嬢ちゃん方の対応を見れば普通じゃないのは分かる。腰を据えて話をしようか。

 まず、あんたらの名前も聞いてねぇ。聞かせて貰っていいかい?」

「はい。私はトーマスカンパニーのサラ・カーソンと言います」

 名前を聞いたウォードだが、サラのその姓を聞いて目を丸くした。

「カーソン! あんた、エレンの親戚かい!?」

「お姉ちゃんを知っているのですか!?」

「妹さんかい! …似てねぇな」

「お姉ちゃんはランスに行ったって聞きましたけど……」

「ああ、エレンはランスから来たって言っていたな。確認だが、同行者は知っているか?」

 その問いに答えるのはユリアン。

「本名は知らないが、とても強い詩人を名乗る男と一緒だったはずです」

「それと、エクレアって名乗る少女も」

「詩人も知ってるか、本当の話っぽいな。ちなみにエクレアって女は知らねぇ。ここを出た後に会ったかな。

 まあ、エレンの妹さんならなおさら悪くしねーよ」

 上機嫌にエレンの名前を繰り返すウォードに、サラが怪訝な顔をする。

「あの、お姉ちゃんはここで何を?」

「ん? 氷湖でモンスターの掃除をな。詩人とエレンがいたおかげでこっちの被害は極端に少なかった。

 しかもおまけで氷湖の主まで仕留められて、モンスターはすっかり大人しくなっちまったよ」

「ああ、門番とかがそんな話をしていたな」

「つー訳で、詩人とエレンには借り一つってとこだな。もちろん相応の金は払ったが、怪我人が少なくすんだ事に感謝してない隊員はいねーよ。

 話がそれたが、もう一人の嬢ちゃんと兄ちゃんの名前は?」

「モニカと申します」

「ユリアン・ノールです」

「モニカとユリアンね。改めて俺はウォード、このユーステルムを守るウォード隊の隊長をやらせて貰っている」

 そこでいったん話を区切り、鋭い目で問い掛ける。

「で、何があった? 詳しく聞きて―な」

 

 

 キドラントであった話を全て語った三人。

 サラとモニカは町長が糸を引き、旅人を生贄に捧げている事。そして逆らう者を次の生贄にすると脅している事。

 ユリアンはニーナから聞いた事を語った。町長が恐怖政治を敷いている事。旅人の金品まで奪っている事。そして、できるなら怪物を倒して欲しいと言っていた事。

 それら全てを聞き、ウォードは自分の顎をさすって考え込んでいた。

「にわかには信じられん話だな…」

 それも当然。町ぐるみで旅人の強盗殺人をしているのである、これほど醜悪な話はそうそうない。それもこことも取引のある町が、だ。良くしていた隣人が実は凶悪な殺人犯だったとは、いくらなんでも呑み込みにくい。

 だが、ここに姿を現した三人と状況は合致する。矛盾は見当たらない。見当たらないが、ウォード程の立場になれば、はいそうですかとあっさり信じる訳にもいかないのである。

「だが、笑って流すにゃデカ過ぎる話だ。確かにキドラントから来る旅人が減っていて、気になってはいたんだ。そこへきてこの話は――」

「信じて、いただけますか?」

 モニカの真剣な瞳に、誠実に応えるウォード。

「可能性としてあり得るってレベルだがな。

 ウォード隊にも諜報に優れた奴はいる。こっちからも人手を出して調べよう。

 それと悪いが、キドラントへの旅人は制限できん。まだ確証も持っていないのにキドラントが犯人だと言い切れないんだ。ただ、キドラントに怪物が出たから近づかないようにという指示は出そう」

「こちらからも動きたいと思います。私は現状を認めた手紙をトーマスに――あ」

「どうかしたかい?」

「……封蝋印も、取られてしまいました」

「あ」

「……モニカも取られたな」

 今の今まで命がかかっていたから仕方ないとはいえ、封蝋印の事がすっかり頭から抜けていた。封蝋印は身分証明にも使える貴重品であるし、手紙を出す事もできなくなってしまう。相手方が受け取っても、封蝋印がなければ信頼ない手紙として読まれないのだ。

 いや、それどころか他人のそれを入手してしまえば。悪用しようと思えばどこまでも悪用できるものなのだ。二人の顔が青くなるのは仕方ない。

 が、それを逆に捉えたのはウォードである。

「……封蝋印か。それがキドラントにあれば、一つの証拠にはなるな。普通忘れる物じゃない。金品を奪っている程に強欲なら、ため込んでいる可能性もあるな」

「トーマスカンパニーへの手紙はどうしましょう……?」

 頭を抱えるサラに、ユリアンが言う。

「ああ、それなら俺の封蝋印を貸してやるよ」

「いいのっ!?」

「場合が場合だろ。モニカにも貸さなきゃマズイし、サラだけのけ者にはしないさ」

「モニカさんに?」

「ああ。正直、俺やサラのはともかく、モニカのは洒落にならない」

 何せ、ロアーヌ妹君の封蝋印である。権力の度合いが違った。

 それに訝しい顔をするのはウォード。

「モニカ嬢ちゃんは貴族かい?」

「……ここまで誠実に対応して下さった方に嘘は言えませんね。

 私はモニカ・アウスバッハ。ロアーヌ候、ミカエルの妹です」

「ミカエルの妹!? お前さん、あのガキかっ!?」

「え?」

 またも目を丸くして大声をあげるウォードに、きょとんとするモニカ。

「アンタがガキの頃、遠い親戚筋だってフランツが子供二人連れてきた事があるんだ。まあ、アンタはまだ幼すぎたし、覚えてなくても無理はねぇ。

 しかしとなると、ユリアンも何かあるか?」

「多分ないと思う。エレンの幼馴染でモニカ姫の護衛だから、そういった意味じゃ二人よりかは縁が薄いかな」

「そうか。まあ、とりあえずユーステルムはあんたらの味方だ。まずはゆっくり体を休めてくれ。

 その間にこっちも情報を集める。話はそっからだな」

 ウォードの言葉で場が閉まる。

 部屋を辞した三人は、それぞれあてがわれた部屋へと案内された。久しぶりの暖かいベッドに倒れ込みたい気持ちでいっぱいだったが、その前にやる事があった。

 サラはトーマスに手紙を書き、モニカはロアーヌへ手紙を書き、ユリアンは温かい飯をかっ込んだ。そして出来た手紙に蝋で封をして、ユリアンの封蝋印を押す。これはトーマスには教えてあるものであるし、ロアーヌでも隊長格の封蝋印は全て抑えてある。名前を表に書けば間違いないだろう。

 そして手紙を出したところで、ようやく苦難の旅は一区切りついたといっていい。三人は安全で暖かい場所で、ようやくぐっすりと眠る事ができるのだった。

 

 

 手紙は南へ。野盗が殲滅された為、紛失するという心配は大きく減った。

 しかも今回は緊急で確実に情報を届けなくてはならない為、それぞれが別の経路で三通ずつ手紙を送るという念の入れようである。

 まずはトーマスの下へサラの手紙が届く。

 表書きはサラとユリアンの連名だが、封蝋印はユリアン。ユリアンの連名がある時点でおかしいし、そこは譲ってユリアンの情報が入ったとしても、普通に考えて印は主役であるサラの物のはずである。

 首を傾げながら封を開けて中を検めたトーマスだが、その表情はみるみるうちに激怒に染まった。温和で冷静なトーマスにしては珍しい感情の発露であり、近くにいた秘書は思わず顔を強張らせてしまった。

 だが、こういった時こそ落ち着かなければならないと、トーマスは温かい紅茶を用意させる。

(まずはサラに送金しなくちゃな、無一文じゃ身動きが取れない。衣食住はユーステルムに頼れたのは大きい。サラとユリアン、モニカ姫の安全はひとまず確保されたな。

 そして相手はツヴァイクか。僕一人だけではどうにもならないな、フルブライト商会とラザイエフ商会を頼るか。ここまで非道をしてくれたんだ、相応の礼はキッチリと返してやるっ……!!)

 気炎を上げながら同盟者へ筆を取るトーマス。その文面を考えながら、ふとモニカへと想いを馳せた。

(しかしモニカ姫は……なんというか、強運だな。まさか都合よくこんな場面に出くわすとはね。僕も想像はしたけど、現実になるとは思わなかった)

 

 

 モニカの手紙はピドナから海を越え、ロアーヌへ。

 そこの宮殿で間違いなくユリアンの封蝋印であり、連名の字がモニカのものだと確認された手紙はミカエルの下へ届けられた。

 もちろん担当者もトーマスと同じく、印がモニカのものではなくユリアンのものであること。そして連名の不自然さには気が付いたが、ユリアンはロアーヌの一つの隊の副隊長、実質の隊長である。しかも現在はモニカの護衛を一人で行っているとの噂もある。手紙が無下に扱われる事はなかった。

 そしてその手紙を開けて中を検めたミカエルは、トーマスとは逆にその表情を喜色に染めた。

「でかしたっ!!」

「どうした? 大声をあげて」

 ミカエルの警護という、実質的に座ってお茶飲むだけという仕事をしていたハリードが問う。

「お前も読むか? さっそくモニカが成果をあげたぞ」

「モニカ姫が? こりゃまた早い成果だな」

 ミカエルも近くまで寄り、その手紙を受け取る。それを読んだハリードは喜ぶよりも先に呆れた。

「なんじゃこりゃ。

 ツヴァイクは怪物を放置し、その被害に遭っていた村は怪物を利用して強盗殺人を繰り返していた。その被害にモニカ姫が遭い、ユリアンが間一髪救っただぁ?

 こんなの、モニカ姫がツヴァイクに謀殺されかけたようなものじゃねぇか」

「ああ。しかもツヴァイクはまだこの事を知らない。先んじて攻めれば相当大きく削れるぞ」

 モニカやユリアンは想像もしていなかった。トーマスがふと気が付いた程度である。

 ツヴァイクを超える価値を示せ。

 これはモニカの価値を上げろと言ってるのは間違いない。だが、もう少し先を読めば、ツヴァイクの価値を下げろと受け取ってもいいのだ。

 モニカは気が付いていない。自分がこの手紙一つで、どれほどの成果をあげたかなど。

「だが、ツヴァイク相手じゃ真正面から行っても潰されるぞ」

「分かっている。少し一人で考える時間が欲しい。ハリード、お前は退室していいぞ」

「あいよ」

 ハリードは気楽に命令を受け取り、部屋から出ていく。残されるのはミカエル一人。

 いや、違う。いつの間にか、部屋の片隅にできていた闇にその人物は佇んでいた。

「影よ」

「はっ!」

「情報操作を先んじて行え。ツヴァイクは自らの村を滅ぼし、その財を奪うつもりだと、それとなくツヴァイク中に流せ。

 浸透はさせるな。酒の冗談程度が一番だ。やれるな?」

「御意」

 そしてふと気がつくと、今度こそ確かにミカエルは部屋に一人だった。

 ロアーヌ一国でやれることなど知れている。それはミカエルが一番よく分かっている。そして手紙にはトーマスカンパニーのサラ・カーソンも同じ目に遭ったと書かれている。

 トーマスカンパニーの名前はミカエルも知っている。それほどの手腕をあげた会社だといっていい。最初はフルブライト商会の使い走り程度しか力を持っていなかったのが、ピドナの混乱の隙をついて海運の一部の権利をもぎ取って、未開の南であっという間に成果を出した。おそらく既にフルブライト商会も一目置いているだろう、今一番勢いがある会社だ。

 そんな会社がまさかここまでコケにされて泣き寝入りもしないだろう。最悪、なめられて会社が終わる。しかしトーマスカンパニー一社とツヴァイクという大国では分が悪いどころの話ではない。比喩なしで産まれたての赤子と大人くらいの実力差がある。

 ならば、そんな赤子が泣きつくのは親だろう。すなわち、フルブライト商会やラザイエフ商会だ。幸い、トーマスカンパニーの泣き声が届く位には彼の会社は大きいと言っていい。

(モニカの被害を全面に出してロアーヌがツヴァイクを相手取り、気を引く。それに気を取られているうちに背面側面からフルブライト商会やラザイエフ商会に叩いてもらうのが上策か。

 それが成功してからロアーヌもツヴァイクの味方の顔をして中を荒らしてやればいい。

 ツヴァイク王子はモニカを犠牲にしようとしたキドラントを許すまい。いや、こちらから怒りの抗議をしてやればいい。そうすれば勝手に向こうが粛清するだろう。ついでに賠償金も貰ってやるか……)

 色々と考えを巡らせながらミカエルは手紙を書く。

 フルブライト商会やラザイエフ商会としても、北方の雄であるツヴァイクを削れる機会は逃さないだろう確信がある。そして味方の顔ができるロアーヌの役割は大きく、美味しい。

 ミカエルとしても、ツヴァイクを削った上でフルブライト商会などといった大商会と繋がりができるなら、そちらの方がいいと考えた。以前会ったツヴァイク王家を見れば、間もない凋落は火を見るより明らか。沈む泥船に乗るよりかは、同じ聖王十二将を祖に持ち正道を歩むフルブライト商会の方がずっといい。

 それにこれが成功すればモニカが戻ってくる。ツヴァイクにあてがう予定だったモニカを別の方法で使えるのだ、リターンは余りに大きい。

(いや)

 いきなりここまで成果を出せたのだ。自分が下手に動かすよりも、モニカは自由にさせた方がいいかも知れない。ミカエルにはそんな考えも浮かんでいた。

 ロアーヌの発展が第一であり、ミカエルさえもその歯車である事は間違いない。だが、強くなればそれなりに自由も与えられる。モニカも、そしてミカエルも。

 

 段々と現実味が帯びてきたロアーヌの躍進と、諦めていた自由の獲得。

(もしも許されるなら……)

 ミカエルは想像しようとして頭をふる。まずは目の前の大きな仕事を成功させなくては、話は夢物語で終わってしまう。

 

 ツヴァイクを追い落とすために、ミカエルは全力を注ぐのであった。

 

 

 




今回も黒かった。
小説大賞に出すオリジナルも書きたいので、更新速度は落ちるかも知れません。
週一更新は守りたいと思いますので、みなさまどうかよろしくお願いいたします。


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039話

週一更新の努力目標は維持するスタイルで行きます。
…っていうか、これ維持できなかったら本当にエタりそうで嫌なんだ。

やる気の最後の防波堤っていうか、筆が進まない時にも進ませる最後の魔法っていうか。
これを意味なく無視した時点で自分の中の何かが壊れそうです。

頑張ります。


 

 

 ひとまず、ユーステルムにて腰を落ち着けた一行。

 だが体調が回復したらしなくてはならない事がある。そう、日々の生活の為に金を稼ぐ事である。

 サラは自称トーマスカンパニーの一員であり、フルブライト商会と関係があると言っているものの、証拠はない。そんな彼らが元気になったら、当然働かなくてはいけない。働かざる者喰うべからず。これは世界の常識である。

 それでも、働き口くらいはウォード隊が紹介してくれた。流れ着いた旅人が働き口を探すというのは珍しい話ではないし、それなりに人手を欲している場所というのもある。ひとまずそこで日銭を稼ぎ、毎日の食事を確保しなくてはならなかった。

 

 

「シチュー5人前、スパゲティーカルボナーラ2人前、スパゲティーナポリタン3人前、上がり!」

「はいっ!」

「私はシチューを運ぶから。モニカさんはスパゲティーをお願いしますね」

「分かりました!」

 出来上がった料理を腹を空かせているウォード隊隊員のところまで運ぶ仕事、すなわち給仕をサラとモニカはこなしていた。

 ウォード隊は朝と昼の賄いは無料で、夜の食事は有料で提供している。そのうちの昼の食事の給仕を彼女たちはしていた。朝は早く起きて掃除をしたり、料理の仕込みを手伝ったり。慣れた手つきで手際よく仕事をこなすサラだが、お姫様暮らしをしていたモニカはどうにも手際が悪い。サラが噛み砕くように教えたり、フォローをしたりでようやくといったところか。

 だが、そんなモニカをウォード隊の男たちはほっこりした目で見ている。見た目麗しい美少女たちが、一生懸命に自分達の世話をしてくれる。片方はテキパキと、ちょっと奥ゆかしく働く。もう片方は手際がよくはないが、真面目に失敗しないように働く。

 年配の隊員は娘を応援する気持ちになるし、若い隊員はぽーと見惚れたりする光景であった。美人とは得である。

「お、お待たせしました。シチューをお持ちしました」

「お待たせいたしましたわ。スパゲティーのご用意ができました」

 それぞれがそれぞれの注文したテーブルに料理を運ぶ。

「おう、ありがとさん」

「頑張れよ!」

「良かったら今夜、一緒に飲みに行かない? おごるよ」

「おーい。昼間っからナンパすんなよ」

 思い思いに声をかける隊員たちだが、サラやモニカはそれどころではない。

 何せ、ウォード隊の大半が食事を取るのだ。そしてそれを給仕する人間は人手が足りていない。雑談する余裕などないのである。

「す、すいません。ちょっと忙しいので……」

「他の方の食事ができたようなので、失礼します」

 急いで次の料理を運ぶためにその場を離れてしまう二人。

「フられたな、お前」

「るせー。

 あ、もしその気になったら酒場に来てよ。可愛い女の子と一緒に飲めるなんて役得だしさ」

 後ろから追いかけるようにそんな言葉が投げられるサラとモニカだが、本当に彼女たちはそれどころではないのだ。

 忙しくて目が回る、という表現を特にモニカは体験していた。お姫様育ちの彼女にとって、この社会勉強は大変が過ぎる。ミスすれば怒鳴られるし、客に愛想が足りな過ぎてもよくない、その上に自分で気が付かなくてはならない事も多くある。それらの多くは怒られて学ぶ。男の隊員のほとんどは笑って見守ってくれているが、その分というか女性の料理人や給仕係からの当たりは少しキツい。嫌味に近い事まで言われてしまう。

 サラもそんなモニカをできるだけフォローしているが、彼女自身も決して余裕がある訳ではないのである。サラが仕込まれたのは商売の事についてであり、給仕の仕事は初体験だ。生来の性格は変えようがなく、引っ込み思案な彼女は怒られると身が竦んでしまう。それでも、ここでは彼女を助けてくれるトーマスもエレンもいない。むしろ自分がモニカの手伝いをしなくてならない訳で、いつもより余裕がなくなってしまうのは仕方がない。

 今までとはまた違った必死さを持って仕事にあたる二人。働くということ、稼ぐということは本当に大変な事だと彼女たちは身をもって勉強していた。

 

 昼の給仕が終わり、遅い昼食を食べる。それから食べ散らかされた食堂の掃除、そして夕食の仕込みが終わる夕方になって、ようやくサラとモニカの仕事が終わる。

 朝早くから働く代わりに夕方で彼女たちの仕事は終わりになる。これは夜の仕事は酔っ払いが増え、バカをやらかす者も少しは出てきてしまうという理由もある。熟練した給仕が夜の勤務につくのはこういった理由もあるし、男女の話も夜では冗談で済まない事も多い。トーマスカンパニーの一員はもちろん、ロアーヌの姫君がそういった話に巻き込まれたら事だと、ウォードは夜に少女たちに仕事をさせないように厳命していた。

 しかも夜は男だけではなく女にとっても出会いの場。給仕をしつつ、男を見定めて夫婦になる事だって珍しくない。そういった意味でも、男女の関係になられたらお互いに困るサラやモニカが夜の給仕につくのは不幸しか生まないといえる。女だって見た目麗しい娘に来てほしくはないだろうし、男だって給仕の女に声をかけて男女の関係になってみたら相手がロアーヌの妹姫でしたでは顔が青くなる。

 そういった諸々が重なり、サラやモニカは夕方にはお役御免になるのだ。

 そしてそんなモニカが最近気に入っているのは、ウォード隊で飼っているウサギを愛でる事。初日にふとその白い動物を見つけてから、モニカはウサギに夢中だった。今も葉野菜や根菜の切れ端を集めて、膝の上に抱いたウサギがそれを齧るのを愛おしそうに眺めている。

「うふふ」

「モニカさん、本気で気に入ったみたいですね」

「もちろんよ、こんなに可愛いんだもの!」

 ちょっと苦みが混じった笑みでモニカと一緒にいるのは、もちろんサラである。

 サラはウサギとは触れ合わずに、ちょっと熱めのお茶を入れたコップを持ちながら、モニカとお喋りをしてゆっくりした時間を過ごす。

「確かに小っちゃくてつぶらな瞳とか、可愛いですよね」

「そうなの! それにほら、前足でご飯を押さえて齧る姿とか、もう可愛くて可愛くて!

 ……ロアーヌに帰ったら、私も飼いたいなぁ」

「その時は私が融通しますよ。トーマスカンパニーならユーステルムにも顔が効くはずですし、手に入らない事はないかなって思います」

「そう? じゃあ、その時になったお願いするわ。

 流石に私の旅には連れていけないし、ねぇ?」

 そうウサギに問いかけるモニカ。膝の上にいたウサギはちょこんとモニカを見上げると、すぐに前足に抱え込んだ野菜を齧る事に戻ってしまう。

 それを優しくなでるモニカを見ながら、サラは思う。

(ここのウサギは食用って言わない方がいいわよね……)

 当然である。まさか、愛玩の為に警備隊の宿舎で動物を飼うはずがない。ニワトリやウサギは残飯や野菜くずでも育つ為、こういった場所で飼われる事は珍しくない。ユーステルムでは寒さの為にウサギを飼育しているのだろうが、シノンではここと同じ食べ物でニワトリが飼われていた。だからまあ、サラは察せた。

 しかしモニカには無理だったのだろう。今、彼女の膝の上で撫でられているウサギはいつかシチューの具になるかして、美味しく食べられる運命なのだ。

 ユーステルムに長居するつもりもなし、わざわざ酷い現実を突きつける必要もないだろうと。サラはひたすら苦みが混じった笑みで無理矢理会話を楽しむのだった。

 

 

 変わってユリアン。

 彼は完全に装備が整っていることもあり、ウォード隊の本来の仕事に参加していた。狩りをしたり、ユーステルムの警備をしたり。また、そこらの隊員よりも腕が立つ事もあり、隊員の指導をする立場になることもあった。

「次っ!」

 今日のユリアンの仕事はまさしくそれで、隊員を実戦形式で叩きのめす事だった。

 防具は皮をなめした最小限のもので、武器は木製である。だがそれでも、下手な指導者が相手では大怪我を負ってしまう事も珍しくない。その匙加減は案外大変なのである。

 ユリアンの声で手首を打ちのめされた若者が下がり、次の若者が出てくる。ユリアンの鍛錬を受けているのは若者ばかりだった。

 流石にユリアンほどの若者に年配者の相手をするには、色々な意味で無理があった。まずは年齢、若造に指導を仰ぐというのを嫌がる人間は普通に多い。それを黙らせる程の実力がユリアンについているとは言い難かった。また、熟練者になればユリアンに習うまでもなく自分なりの戦い方が身についている事は少なくない。そして歳を重ねればその分怪我もしやすい。そういった諸々の事情が重なっている。

 さておき、今ユリアンと相対しているのは彼と同じ年頃の若者である。しかし横幅も大きく、手にした武器は木でできた斧。どうやら次の相手は斧使いらしい。

「おらぁぁぁ!!」

 若者は気炎を上げながら斧を振りかぶり、ユリアンに向かって突進する。

 しかしユリアンに動揺はない。ハリードに比べて遅い事、詩人に比べて隙しかない事。動揺が起きる理由がない。

 本来、ユリアンは後の先を好む。相手の攻撃をパリィして、できた隙を斬りつけるのだ。これはシノンで先陣をきってモンスターの注目を集める事にも向いた役柄であるし、そんな彼の後ろからエレンの斧やサラの弓矢が当てやすくするといった意味もある。崩れない前衛という、後衛からしたら望ましい役割の一つを自然とユリアンは担ってきていたのだ。

 だがこの若者相手にその手を選ばない。それは一人で戦う現在、そういった事以外も覚えて損がないという事もあり、慣れない戦法を試す程度に相手が格下だという事でもある。

 その斧の一撃は重いだろう。だが、鈍く遅い。若者がドタドタと距離を詰めるために走る隙間を縫うような、そんな動きでするりと若者の間合いの内側に入り込んだユリアンは。慌てて振り下ろされた斧を頭の上でやり過ごし、その当てやすい大きな胴を薙ぐ。

「ぐぅぅ!!」

「次っ!」

 実戦ならば確実に致命傷。それを悟った横幅が広い若者は悔しそうに離れていく。次に前に出たのはかなりがっしりした若者。少し長めの槍を構え、ユリアンから少し離れた場所で止まる。

 どうやら今度は槍使いで、迎え撃つのを得意とする若者らしい。先程の若者とは真逆のタイプだ。そして槍は間合いが広い分、それを有利に働かせることができれば戦いの流れを引き込みやすいともいえる。まあ、それにあぐらをかいて研鑽が足りていないのなら、ユリアンの敵ではないが。

 今度も相手に向かって突っ込むユリアン。というか、待ち構える相手ならなおさらユリアンから攻めないと鍛錬にならない。そして接近するユリアンに向かって槍を繰り出す若者。

 だが、それをユリアンは見切っていた。急速に歩幅を変え、加速する。先程のユリアンの突撃は、まだ全速力ではなかったのだ。その速度に目を見開く若者だが、もう時は既に遅い。まだ勢いが十分でない若者の槍では、更に加速したユリアンの剣に対抗するには威力が全く足りない。弾かれた槍は跳ね上げられ、一緒に両腕も上に流されてしまう。残ったのは隙しかない体であり、その肩を木刀で叩きつけるユリアン。

「がぁ!」

 痛みで槍を取り落としてしまう若者の首筋に剣を添えるユリアン。これで生かすも殺すも彼次第、詰みだった。

「次っ!」

「おおぅ、やってるな」

 声を上げるユリアンだったが、それは野太い声に遮られた。

 近寄ってくるのはウォード、このユーステルムの武力的な頂点に立つ男。

「隊長っ!」

「おうおう、おめーら。簡単にやられてんじゃねーよ」

「す、すいません……」

「まあ、こいつらじゃあユリアンの腕も鈍っちまう。俺を相手に一手願えるかい?」

 言いながら、木でできた大剣を構えるウォード。無言で木剣を構えるユリアン。

 ピリリとした空気が流れる。若い隊員とユリアンの間では、決して出る事がない緊張感でその場が満ちる。固唾を呑んでそれを見守る年若い隊員たち。

 やがて動いたのはユリアンだった。

「しっ!」

「ふん!」

 素早く、大剣の剣先を狙った一撃でウォードの態勢に隙を作ろうとしたユリアンだが、その狙いに気づいたウォードは大剣を傾けてユリアンの剣の勢いを受け流す。

 攻撃が受け流されてやや格好を崩したユリアンだが、多少の形勢の悪さは無視してウォードに向かって突撃。距離を縮めつつ、剣先を真っすぐにウォードの胴に向けて刺突の構えを取る。が、慌ててそれを横に変えるユリアン。そこには薙がれたウォードの大剣が迫っていた。

「おらぁ!!」

「ぐ…!」

 大男が振るう大剣の威力には分が悪い。ユリアンは剣を盾にして、その勢いに乗るように横に吹き飛ばされる。

 ゴロゴロと転がりながら、しかし自分の武器は手放さないユリアン。そして勢いが止まるに合わせて、地面に這いつくばるようにしながら遠くのウォードを見上げた迎撃態勢をとるユリアン。ウォードは逆にそんなユリアンを追撃せず、肩に大剣を担いで鷹揚に見下ろしていた。

「ま、ざっとこんなもんよ」

「さ、さすがです、ボス!」

「俺らが相手にならなかった奴を一蹴とか、やっぱり隊長はすげぇ!!」

 自分達の隊長がユリアンを吹き飛ばした事に隊員たちは喝采を上げる。それに応えながらウォードはユリアンを見やると、ユリアンは丁寧にお辞儀をして去っていった。

(いいねぇ…。エレンは強いし、ユリアンは分かってる)

 単純な強さなら、エレンとユリアンを比べて同じくらいだとウォードは判断した。時間が経過している今ならエレンの方が上かとも思う。が、しかしウォードがユリアンを褒めたのはそこではない。ユリアンが立場や政治を分かっている事を評価したのだ。

 ユリアンは歳若い流れ者である。そんな立場の者がウォード隊の若者を叩きのめすとなれば、隊員の若者たちは自分を見つめ直すだろう。ウォード隊に所属しているという誇りもあるが、それこそが流れ者如きに負けてられるかと奮起するのだ。

 それと同時にふと考えてしまうだろう。自分達よりも圧倒的に強いこの流れ者と隊長はどちらが強いかを。もちろんボスに対する信頼は歴としてあるが、まさかという思いはぬぐえない。だからこそ、最後の一戦は儀礼として必要だった。

 ウォード隊のボスが、ユリアンを圧倒するという茶番が。

 真面目な話、ユリアンとウォードではウォードの方が強い。それは会った瞬間にユリアンに分かった事でもあるし、試しにした以前の手合せでウォードも分かっている。そして今回も茶番とはいえ、別にユリアンは手を抜いた訳ではない。

 仮に彼らが真剣を持って戦う場合でも、今と似たような展開になっただろう。隙を作るためにユリアンが切りかかり、懐に入られる事を嫌うウォードが彼を吹き飛ばす。しかしユリアンは決して隙を見せず、武器を手放さない。それを繰り返して、ユリアンが弱ったところをウォードの一撃で仕留める。そんな展開だ。

 だが、それを真面目に最初から最後までやっても疲れるだけである。特にウォードはともかく、ユリアンはウォード隊の稽古をつけたばかりなのだ。体力に余裕がある訳でもなく、むしろとっとと終わらせて休みたいだろう。

 なのでユリアンが吹き飛ばされるという最初の部分だけ戦い、ウォードが圧勝したと感じさせればいい。ウォードはそれ以上は求めていない事を分かった上で、ユリアンは場の雰囲気を壊さないように辞したのだ。

 下手に戦おうとするのは論外、負け惜しみの一つも言えばユリアンの株が下がる。ここはウォードを立てるのが最適解で、ユリアンは何も言われなくてもそれを為した。相当以上に分かっている男しかとれない行動である。

(欲しいねぇ……)

 強いのはもちろん、分かっている(・・・・・・)者というのは存外数が少ない。そうウォードが思ってしまうのも仕方ない。

(ったく。ロアーヌが唾つけてなきゃ口説き落とすものを)

 だがそれはできない。モニカ姫の護衛を単独で任せられる男である。事故(・・)で死ぬ分は仕方ないとして、手放す事は許さないだろう。

(ままならねぇなぁ……)

 詩人、エレンに続いてまたも大きな魚を逃さなくてならない事に、ウォードは誰にも気が付かれないように嘆息するのであった。

 

 

 日にちが経つ。

 同じような日々が続き、けれども終わらない日々はない。それはウォードによって彼の部屋に三人が呼び出された事で終わりを告げた。

「おう、来たか。トーマスカンパニーのトーマス・ベントから、手紙と荷物がサラ・カーソン宛に届いたぜ」

「っ! ありがとうございます!!」

 無駄を嫌うウォードが端的に告げ、それらを喜色満面のサラに渡す。サラはそれが間違いなくトーマスの封蝋印である事を確認して、荷物を開けて手紙を取り出した。

「わぁ!」

 感嘆の声を上げるのはモニカ。その荷物は区分けされており、サラの装備とモニカの装備、そしてそれなり以上のオーラムが詰められていた。

 北の田舎よりかはピドナの方が良い装備があるだろうというトーマスの計らいである。暗にそう言われたウォードだが、反論する術を持たないので開けられた荷物を見て苦笑いだ。実際、この装備をユーステルムで揃えようと思ったら相当な額と時間が吹っ飛ぶだろう。

 モニカは装備を取り出して身に付ける。ユリアンはオーラムを数えていく。

「1200…1800…2000オーラムあるな。奮発したな、トムも」

「新しい仕事も一緒について来たわよ」

 手紙を読み込んでいたサラがそんな声を出した。

「仕事?」

「ユリアンとモニカさんも手紙を読んで。よかったらウォードさんも」

「俺もいいのかい?」

「ええ。お力を借りなくてはならないと思いますので」

 首を傾げるウォードだが、まあ別に手紙を読むくらいなら構わないかと、サラを除いた三人で手紙を覗き込む。ちなみにサラはその隙に自分の装備を身に着けていた。

 手紙にはまず、三人の無事を喜ぶ言葉が、続いてユリアンの機転に感謝する言葉が綴られていた。そしてピドナに帰ってきたら十分な報酬を払う用意があるとも。

 それはそれとしてキドラントの暴挙は見逃せない、責める準備を進めているという事が書かれており、現地で情報を得るか何かしらの成果を出して欲しい。その支度金と、サラとモニカ姫の装備を同封したと〆られていた。

「この金、報酬じゃなくて活動資金か!」

 思わずユリアンがそんな声をあげてしまった。てっきり自分達に対する護衛の報酬かと思ったのだが、そういう訳ではないらしい。ここでもう一仕事しろという訳だ。

 トーマスカンパニーに戻った時、いくら貰えるのかちょっと気になるユリアンである。これよりか多いのか少ないのか。

 まあ、それはそれとして仕事の話である。

「情報を得るか、成果を出せって……」

「また曖昧ですわね……」

 どこかで聞いたような曖昧さに頭を抱えてしまうユリアンとモニカ。だが、サラはケロっとした顔をしている。

「別にそこまで曖昧でもないわよ。要するに、キドラントが強盗殺人をしている証拠を抑えろって言っている訳だし」

「ついでに怪物もたおせりゃ御の字って感じかねぇ? 怪物だけ退治しても仕方ないだろうが……」

 そこでいったん区切るウォード。

「証拠はこっちでだいたい集め終わってるんだよなぁ」

「「「え」」」

 まさかの言葉に三人が固まった。

「ったりめぇだ。キドラントは隣町だぜ? その上、手口も何もかもお前さん方から聞き終わった後だ。生贄にされかけた奴を助け出すのは簡単だったさ。

 今のところお前さん方を除いて8人だったか、キドラントの悪辣な手口を証明する旅人を保護している。で、だ。フルブライト商会に連絡も取った。トーマスカンパニーとラザイエフ商会、それからロアーヌと一緒にツヴァイクを責め立てる準備を進めてるって手紙を、昨日受け取った」

「昨日っ!?」

「なぜ俺たちに教えてくれなかったんだ!?」

「そりゃ、お前さん方が本当にトーマスカンパニーの関係者かどうか分からなかったからだ」

 言われてあっさり納得するユリアン。それはそうだ、さっきまでの自分達は自称トーマスカンパニーの一員であり、自称ロアーヌの妹姫だった。確認が取れていないのに機密情報を流す訳がない。

 だが、たった今届いたトーマスの手紙にあった封蝋印、それから手紙の中身を見てサラ達が確実にトーマスカンパニーの一員であると確信したのだろう。こうなれば話は別であり、一緒に行動する仲間だ。話を隠す意味はない。

「と、言いますか。ロアーヌも一緒なのですか?」

「ああ。妹姫がツヴァイクに謀殺されかけたんだ、当然抗議するだろ」

 そういう建前なのはウォードも理解しているが、その中身は当然知らない。知っていれば流石にここまでカラっとした反応はしない。

 連携して動くフルブライト商会やラザイエフ商会はその中身を知っているが、彼らは内容を知った上でカラっとした反応をする人種なのである意味問題はないだろう。

「まあ、つー訳で証拠は抑えた。俺らが、だが」

「承知しました。ユリアン、情報料としてウォード隊長に1000オーラムお支払いして」

「え?」

「ユリアン、早くしなさい」

 びしりと言うサラの目は鋭い。サラは完全に仕事モードに入っていた。ユリアンは慌てて1000オーラムを数えると、それをウォードに手渡す。それをあっさりと受け取るウォード。

「十分ですか?」

「ああ、十分だ。意味が伝わってよかったよ」

 カラカラと笑うウォードにようやく意味が分かってきたユリアンとモニカ。

 確かにユリアンたちがキドラントの情報を得る為にした事は、最初の情報提供だけ。それも大きいといえば大きいが、証拠を握っているのはウォード隊なのである。ウォードは暗に払うものを払えといい、サラはそれを正しく汲み取って金で話をつけた。これでトーマスカンパニーだけいざという時に証拠を出せないという事態は回避されたという訳だ。

 ウォードのお人好しな面しか見ていなかったユリアンやモニカはそこに気が付けなかった。ここら辺が金や情報を扱う者とそうでない者の差なのだろう。商売の才能を持っているならば自然にできること、そうでなければ相応の苦労をして技術として身につけなければならないこと。

「と、まあ。これでキドラントを糾弾する準備が整いつつある訳だが、ついでの仕事もやるつもりかい?」

「キドラントの怪物退治、ですか…」

 ぶるりと身を震わせながらサラはそう呟く。危うく生きたままネズミのエサにされるところだったのである、恐怖が染みついても仕方がない話だ。

 だが、実際に手は空いている。金だけ払ってさあ終わり、とは心情的にもしたくない。あんな目に遭わせられたのだから、何かしらのアクションを起こして責める手札を一つでも多く確保しておきたい。

「動きたいのは事実ですが……あの数のネズミの群れを倒せる方法は思いつきません」

「それに、なんていうか、あのネズミの群れは変だった」

 唐突に言うユリアンに、その場の全員の視線が集まる。

「変、とはなんなのでしょうか?」

「違和感を感じたのか? そりゃ、是非聞きてーな」

 声を聞き、目を閉じてネズミの群れに襲われた時を思い出すユリアン。

 そしてふとそれに気が付いた。

「合図だ」

「合図?」

「ああ。思えば、ただネズミが群れを為しているなら、あんな一気に襲っては来ない。最初に数匹、次に十数、数十、数百って数が増えていくはず。

 なのに、奴等は軍隊のように待機していた。そして、最後の一鳴きで一斉に襲い掛かってきたんだ。まるで、攻撃開始の合図みたいに」

「なるほどな。つまり、ただの獣害じゃなかった訳だ。確かに今更言われてみれば、そんな数のネズミの群れができるってのは普通じゃねー。

 何かに操られてるか、率いられているかって考える方がしっくりくる」

「でも、被害は人や家畜だけというお話でしたわよ?」

「……モンスターの一種かもな。食欲が満たされればそれで気が済むタイプだ。それが突然変異を起こしてネズミを操れるようになったかも知れん」

 そう言って話を区切ったウォードは次の言葉を繰り出した。

「よし、今の情報の礼だ。俺からも一つ情報を出してやる。

 こことツヴァイクの国境を南に行った森に、天才が住んでいる」

「天才、ですか?」

「ああ。通称、教授だ。森の中に館を構え、怪しげな研究をしてるとか。確か、ツヴァイクが金を出してその支援をしてるとも聞いたな」

「ツヴァイクが支援しているとなると……期待できるかも知れない」

 ユリアンの言葉に頷くサラ。

「ここにいるだけでは何の成果も出ないわね。

 とりあえず多少のお金はあるし、装備も整ってるわ。行くだけ行ってもいいかも知れない、まずは動きましょう」

 サラの言葉で方針が決まる。

 次の目的地は教授の館、そこで何か得られれば良し。ダメで元々だ。

 ユリアンは思い出す。あの悪魔のような人間が住まうキドラントで、自分を助けてくれたニーナという女性を。

 彼女に頼まれた通り、怪物を倒す事ができるかも知れない。

 

 ユリアンは自然と拳を握っていた。それはニーナの願いに応えられるかも知れない義憤か、キドラントに対する憤怒か。

 それは、彼自身にも分からなかった。

 

 

 




……そろそろリマスター発表から1年経ちますね。
まだ何もかも未定ってマジか。なんか、この話が先に町長シバく事になりそうで嫌だなぁ。

そしてUA30000突破しました。
お気に入りも評価も感想も順調に伸びて…。
お付き合いいただいている皆様に、感謝を。

…そして昨日の昼過ぎから一気に閲覧者が増えたの何でだろう…。
私、地味にそういうのが気になるタイプです。エゴサーチとかよくやります。


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040話

メッセージにて詩人の謎に迫る答えをいただきました。
もしも本編にて詩人の謎を公表する前までに、詩人が失った『大切なもの』をメッセージにて正解された方には。詩人の設定と、詩人の前夜談を先読みする権利をプレゼントです。

……最近、リアルが忙しくて。それもモチベーションも下がり気味で申し訳ないです。
もう少ししたらリアルも落ち着くと思いますので。どうかお付き合いをよろしくお願いします。


 

 

 

 朝一で届いた特急便から話が始まり、ユーステルムを発つ事が決まったのは昼であった。

 今から出発しても中途半端な時間になると判断した一行は、出発を翌日の日の出前に決定する。それまでは手元に残った金で、もっといい野営道具や旅に必要な消耗品などを買ったりして過ごす。

 それが終わった夕方。モニカが言いにくそうに口を開いた。

「あの、ユリアン。サラさん」

「どうかしましたか、モニカさん?」

 ちょこんと首を傾げるサラに対して、ポツリとこぼすモニカ。

「酒場に、行きませんか?」

 思わず目を見開いてしまったユリアンである。ここ、ユーステルムの酒場の利用者はその住人がほとんどで、ウォード隊のような荒事を仕事にする者たちも多く含まれる。そこに世間知らずで美女のお姫様が紛れ込むとは、カモがネギを背負ってやってくるに限りなく近い。

 正直に言えば即座に却下したかったユリアンだが、それはぐっとこらえる。頭ごなしにダメだと言われていい気分になる人間はいないだろう。まずは理由を聞く事から始めた。

「どうしてまた酒場に行きたいと思ったんですか?」

「昼間にウォード隊の皆さんの給仕をして、よくお酒に誘って下さったのです。ウォード隊の方々には大変お世話になりましたし、そんな方々が誘う酒場に興味がありまして」

「酒場ならポドールイでも行ったじゃないですか。あそこよりかは活気があると思いますが、本質的には余り変わりありませんよ」

「ああ、ユリアンとトーマスさん。エレンさんが大変な事になってたあの時ですね」

 悪気なくさらっと人の黒歴史を引っ張り出したモニカにユリアンの顔が歪み、サラは吹き出しかけた。まあ、確かに大変な事になっていた。っていうか、端的に言って酷かった。

 今思えば、あの時もモニカの護衛という役割があったのである。アレは護衛のとる態度ではなかった。本当に今更の話ではあるが。

「あの時は呆気にとられてあまり楽しめませんでしたから。今度は雰囲気やお酒も楽しみたいのです。ユリアンとサラさんも一緒に飲みませんか?」

「え、私もですか?」

「ええ。お酒を飲むと親睦が深まるとか。一度試してみたかったのです」

 瞳をキラキラと輝かせてそういうモニカ。これは止めても無駄だな、と薄々気がつくユリアン。なんというか、このまま断固として拒否していたら、一人で勝手に行くような気さえする。案外、お転婆な面がモニカにあると気が付いているユリアンである。

「分かりました。ただし、俺は飲みません。何があるか分かりませんから、シラフでいます。それから時間は2時間までです。モニカやサラはお酒に慣れてないし、明日もある。それ以上は旅に響きかねない」

「むぅ。ポドールイではユリアンは思いっきり羽目を外しましたのに」

「それはそれ。これはこれです」

 モニカから思いっきり視線を外しながら言うユリアン。正直、そこを責められるとユリアンとしては大分辛い。

 だが、あの時より旅のペースや自分や他人の力量を把握する能力は高くなっている。ある程度自分がフォローできる範囲を考え、そして翌日に影響がない範囲を考えた結果このような結論が出た。酒の量はユリアンがそれとなく注意すればいいし、2時間なら絡む男どもを適当にあしらった上で逃げ出すにはいい時間である。最初から慣れるために2時間しかいないと宣言し、後ろからユリアンが睨みをきかす。そして雰囲気を楽しんで時間になったらすぐに撤退する。大丈夫そうだと、思われた。

 ユリアンが引かない事に気が付いたのだろう。むぅと不満そうな表情を浮かべたまま、モニカはしぶしぶ頷いた。

「決まりですね。では行きましょう、サラさん!」

「え、えっと…。私の意見は……?」

 サラ・カーソン。仕事モードに入っていない時は引っ込み思案で流されやすい少女である。彼女はモニカに引っ張られて酒場に向かう羽目になるのだった。

 

 ユーステルム。その酒場の扉が開かれる。とたんにムワっと漂う酒気と、活気。

「はいはーい。鹿肉の燻製、お待ちっ!」

「おーい、こっち酒まだ来てねぇぞ」

「テメーはママのおっぱいでも飲んでろって事だよ」

「かーちゃんのおっぱいなら毎日揉んでるぜ!」

 ぎゃはははと下品な笑いが響く。

 思わずユリアンは顔をしかめる。これは明らかにモニカにいい影響を与えないと判断せざるを得ない。サラは比較的平然な顔をしている。このレベルの酒場はまだ健全な方だと、商売の勉強をした際に叩き込まれた。

 そしてモニカは。キラキラと瞳を輝かせていた。

「わぁ……!」

 期待たっぷり。そんな声をあげるモニカに、やはり失敗したかと思わず天を仰ぐユリアン。せめて変に染まりませんようにと、聖王に祈る他ない。

 怖いもの知らずにずんずんと酒場の中に入っていくモニカに、後ろを歩くユリアンとサラ。彼女等の姿は非常に目立ち、すぐに一つのテーブルから声がかかる。

「お~!! モニカちゃんに、サラちゃん、それから――」

 ギロ!!

「――ユリアンさん、じゃないですか…」

「こんばんはー」

 後ろで鋭い目で睨みを利かせているユリアンには気が付かず、モニカはかけられた声にトテテテと近づいていく。

 そんな二人を見たサラは。微笑ましいような面白いような、そんな気分でモニカの後を歩き、二人が同時に視界に入る場所を見つける。モニカももちろんだが、ユリアンの過保護っぷりが面白い。……シノンにいた時のエレンにそっくりだとは、サラもユリアンも気が付かない。

 モニカがちょこんと座ったのは男4人が囲む四角いテーブル。その短辺にあった椅子に座る。

「おー。ようやくモニカの嬢ちゃんも酒場デビューか。飲め飲め、俺がおごってやるよ!」

「かっかっかっ。ならサラお嬢ちゃんは俺の奢りだな」

 奥に居た熟練の男たちは軽く笑いながら娘に近い年ごろの女性を歓迎する。彼らにユリアンの威圧は効かないらしい。

 対して手前に居た年若い男の二人はユリアンの一睨みでしっかり委縮してしまっていたが。

 ニコニコと座るモニカに、近くから椅子を持ってきてモニカの側に座るサラ。ユリアンはモニカの後ろで仁王立ちだ。そんな頑固親父のようなユリアンに、流石に融通が利かな過ぎると顔をしかめる熟練者二人。

「ユリアン、お前少し肩の力を抜けよ……」

「普通です」

「ま、固くなんなって。一杯飲めよ」

「明日から旅に出るので」

 取りつく島もないユリアンにダメだこりゃ、と早々に諦める。

 下手に手を出さなければいいだろうと、ユリアンの存在は頭から消す熟練の男たち。

「ま、お前さんがそれでいいならいいけどな……。

 姉ちゃん、麦酒の軽いの二杯。特急でな!」

「はいはーい」

 近場にいた比較的若い給仕が愛想よく応えて奥に引っ込み、あっという間に両手に麦酒を持って戻ってくる。威勢よく酒を置く給仕に、銅貨を握らせる男たち。

 これが特急の意味である。可能な限り早く、その代わりチップを出す。こういった常識はマナーの一種であり、守らないと酒場では酷く嫌われる。店に金払いがいい貴族連中が嫌われる要因の一つといっていい。

 ここでさらりと給仕に銅貨を滑り込ませる事ができるから、ユリアンは分かっていると言われるのだが。若い男たちはそれができていない。別にユリアンは下心や別意があった訳ではなく、しっかりとした仕事をしてくれた給仕に対する謝意だった。しかし、それをしっかりと示せるかどうか。そういった対人関係の基本をユリアンはしっかりと学んでいた。

「気安く呼んでねっ!」

 にっこりと愛想笑いをした給仕はガヤガヤと騒がしいホールへと戻っていく。

 モニカは酒を手に取り、どうしたらいいのか戸惑うが。熟練の男たちコップを掲げて少女たちの目の前に掲げる。それに追従するサラと、モニカと、若者二人。

「んじゃ」

「出会いに」

「「乾杯だぁ!!」」

 そうしてゴッキュゴッキュと酒を飲み始める熟練者たち。それを真似して軽く酒を湿らせるモニカと、一気に酒を飲むサラ。

「あ」

 それを見て忠告が一歩遅かったと顔を曇らせたユリアンだったが、サラはコップの中の酒を笑顔で飲み干した。

「おいし~。あ、お姉さん。麦酒強め、特急でね!」

「おう、飲め飲め!!」

「かっかっかっ。サラお嬢ちゃんは威勢がいいな! よっしゃ、俺の財布と勝負だコラァ!!」

 流石エレンの妹だなと、ユリアンは思った事を口にしなかった。

 

「きゃははは!!」

 モニカは顔を真っ赤にしてちびちびとお酒を飲みつつ、普段はしないような笑い声をあげていた。どうやら彼女は笑い上戸で、そしてあまりお酒に強い方でもないらしい。そして適応力はかなり高めで、既に場に馴染みきっていた。

 対してサラはというと、エレンと同じでザルというかワクである。グビグビ飲んでいる割には酔った雰囲気は全然出さない。しかし引っ込み思案な性格が段々と出てきてしまったらしく、主に話を聞きながら曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。

 そうしてだいたい2時間くらい経ったか。ユリアンはそう感じ、2人に話しかける。

「さ、そろそろお終いだ。明日もあるし、宿に戻ろう」

「あら~。もうそんな時間なのですか~。楽しい時間が経つのは早いですね~」

 ぽやぽやとしながら駄々をこねないモニカにユリアンはほっとした。酔っ払いは謎の理論でもっと飲みたがるものだが、モニカはしっかりと理性が働いているらしい。

 そしてサラは全く酔っぱらっていなく、更にこういった雰囲気はあまり好きではないだろう。問題なく帰れる。

「ユリアン、ちょっとだけ時間いいかな?」

 と、思ったのだが。意外な事にサラがそんな事を言いだした。予想外の言葉に、ユリアンは思わずキョトンとしてしまう。

「サラ?」

「あ、ううん。もうお酒は飲まないよ。

 だけど、あの子。ちょっと気になって……」

 サラの視線の先にはカウンターの端に座る、色黒の少年。大剣を壁に立てかけ酒は飲まずに食事をしている。

「あの少年か?」

「うん。ちょっとだけ、お話がしたいなって」

 そういうサラに、顔をしかめるのは熟練の男たち。

「あのガキには関わらん方がいいぞ、サラ嬢ちゃん」

「別に害はないが、とにかく関わるなの一点張りだ。たまにモンスターの素材やらを売りにくるが、それだけだ。サラのお嬢ちゃんが気にするタマじゃねぇと思うがなぁ」

 それを聞いて、顔を痛ましそうに歪めたサラは色黒の少年に向かって歩き出す。男たちは肩をすくめて見送り、ユリアンはぽやぽやとしたモニカの手を引いてサラについていく。

 そしてサラが色黒の少年の隣に座り、話しかける。

「ねぇ……」

「僕に関わらないでっ!!」

 まるで熱した鍋を触ったような、激しい拒絶。これは無理かと思うユリアンだが、そこでサラは一歩踏み込んだ。

 色黒の少年の手を握り、その瞳をしっかりと見据える。

「怯えないで。私はあなたを傷つけたりしないわ」

 サラの言葉があまりに真っすぐだったからだろう。思わず色黒の少年の方が目を逸らしてしまった。

 しかしそれでも色黒の少年は言うべき事をはっきりと言う。

「……僕に関わった人はみんな死ぬんだ。僕を殺そうとした人も、僕を助けようとした人も。

 だから僕に関わらないで」

「人は、死ぬわ」

 思わぬ言葉に目を見開いてサラを見る色黒の少年。

 サラは澄んだその瞳のままで、少年を見つめて言葉を紡ぐ。

「だから、生きている間に笑わなきゃダメなの。笑わないと、貴方を助けようとした人が報われないわ」

 サラの脳裏に浮かぶのは最愛の姉の笑顔。心配するなと西に行った姉の為にできる事は、笑って過ごすことだとサラは思っていた。いや、信じていた。

「私の名前はサラ。貴方の名前は?」

「……知らないんだ。僕は、僕の名前も」

「そう。じゃあ、一緒に名前を考えましょう」

「いい」

 サラの言葉を切り捨てた少年。だが、その口調は優しい。

「僕は……夢があるんだ。いつか、僕のお父さんとお母さんを見つけて、名前を聞くんだ。

 それまで僕は、ただの少年。それでいいんだ」

「そう。じゃあ、少年って呼ぶね。私と、私たちと一緒に旅をしない?」

「……僕と一緒にいると、死ぬよ」

「今まではね。これからは、違うかも知れない。

 一緒に生きて、一緒に笑おう?」

 迷い、悩む。その時間は僅か。

「……、分かった」

 泣きそうな顔で、少年は頷いた。

「一緒に、行く」

「ええ!」

「絶対に、死なないでね!」

 そう言った少年の顔は、最初に見た時以上に幼く見えた。

 

 翌日にはユーステルムを出ると伝え、日の出の時間に町の東で待ち合わせをしたサラは、ユリアンとモニカと一緒に宿へと戻る。

 モニカは歩いてはいるが、ぽやぽやと酒に飲まれて話には参加できていない。必然酒を飲んでいないユリアンと、酒には飲まれないサラの会話になる。

「サラ、どうしたんだ。急な話だったけど」

 話題になるのは当然最後の少年の事。あれよこれよという間に話が進み、終わってしまったが。なんというか、不自然だった。

 話しかけたのは引っ込み思案なサラらしくないし、少年も最初の頑なさが嘘のようにサラには心を開いたように見えた。

「う~ん。本当になんとなくだけど、少年を見た時から放っておけないっていうか、そんな感じだったの。

 ゴメンね、勝手に決めちゃって。苦労するのはユリアンなのに」

「いや、それは構わないが……。それにあの少年、かなり強いぞ」

「そう?」

「ああ。なんとなくそういった事も分かるようになってきたんだ。少なくとも旅の足手まといにはならないだろうさ」

 ユリアンも伊達に鍛えられていない、という事だろう。断言するくらいには少年はできる(・・・)と感じられた。

「サラはそう思って旅に誘ったんじゃないのか?」

「ううん。本当に、単純に、放っておけないなって思っただけよ。

 なんていうか……」

 

 他人じゃ、ないみたい。

 そう言ったサラの言葉は、ユーステルムの冷たい星空に溶けて消えた。

 

 

 翌日早朝。少年を伴った一行はユーステルムを旅立つ。

 目的地はツヴァイクとの国境を南にいった所にあるという教授の館だが、ツヴァイクというかキドラントに近づきたくなかった面々は。まずは南下してから東に進み、教授の館を目指す事にした。

 ユリアンは周囲の警戒をしつつも、モニカに旅の仕方や野営についての話、それに護衛として注意すべき点などをあげて教えていく。

 サラは新しく旅の道連れになった少年とお喋りをしながら歩いていた。これには少年が一番心を開いているのがサラであり、サラと仲良くなる事から始めるべきだという考えもあった。

「へえ。じゃあ少年は各地を転々としながら過ごしてきたんだ」

「うん……。一ヶ所にいると、どうしても人とも関わりが大きくなるから」

「最初の記憶ではどこにいたの?」

「分からない……。最初の記憶は、檻に入れられて運ばれていたんだ」

「檻に?」

「奴隷商人とか、そういうのだって今思えば分かったかな。町じゃなくて、木がまだらに生えた草原だったよ。

 そこで、モンスターに襲われたんだ」

 少しだけ言葉を躊躇する少年。

「みんな、みんな死んだ。奴隷商人たちも、他の檻に入れられていた子供たちも。

 僕は壊れた檻から這い出して、この剣を見つけたんだ。そして、モンスターを全部斬り殺した」

 少年は自分が背負った大剣の重さを噛み締めるように言う。

「その後は、昨日言った通りさ。

 僕を捕まえようとした商人。僕を助けてくれた冒険者。僕を殺そうとした野盗。僕にご飯をくれた宿の人。

 みんな、みんな死んだんだ。まるで、僕が死を運んだみたいに……」

「そう思わないで。貴方が死を望んだ訳じゃないんでしょう?

 それに貴方だけは死なない。少年はきっと、死に嫌われているのよ」

 サラの言葉にきょとんとした顔をする少年。

「僕が、死に嫌われる?」

「そう。だって皆が運悪く(・・・)死んじゃっても、少年だけは生き残ってるじゃない。貴方だけは死んじゃダメだって、きっとそう言われてるのよ」

「……そうか」

 少年はぽろりと涙を一粒零し、口から言葉を連ねる。

「そう考えた事は、なかったなぁ……」

 

 日が暮れ始めてから野営の準備をしても遅い。やや早めの時間に悪くない場所を探し、準備を始める。

 正直、モニカはまだまだ旅の役には立たない。戦闘なら術を効率的に使い、小剣や弓も使えるために足手まといとまでは言わないが。こういった日常茶飯事に関しては手馴れているとは余りに言い難い。なのでこの時間のモニカは見学で、翌日に気になったところやコツなどをユリアンに聞いて勉強するのだ。

 そしてこの日はユリアンとサラがその支度をする事になったため、少年と話す時間が取れた。

「まだちゃんと話した事がなかったかしら。私はモニカ。よろしくね」

「僕は……少年。よろしく」

 少年に名前がない事やその理由は既に聞いていた為、モニカはそこをつっこむ事はしない。にこやかに笑って話題を振る。

「でも、少年もユリアンも、サラさんも凄いわね。手際よく野営の準備をするのだもの」

「旅をしてきたから……。モニカさんは違うの?」

「モニカでいいですわ。

 私はあまり外に出た事はなかったかしら……。主に刺繍や儀礼、歴史の勉強。それにマナーとかもね。内緒で馬術とか武術、術の練習とかもしていたけど」

「へえ。町で過ごす人はそんな事をするんだ」

 世間知らずなところがある少年はそんな事を言う。モニカとはまた違う意味の世間知らずだ。ある程度常識をしっていたら、そんな金にならない事ばかりするのは上流階級のお嬢様ばかりだと分かるだろう。

 幸か不幸か、少年の世間知らずに気が付かずにモニカは微笑みながら言う。

「旅にはあまり役にたたないけどね。町で落ち着いたら美味しいお茶を淹れてあげるわ」

「お茶に美味しいも不味いもあるの? お茶はお茶でしょ?」

「人と同じでね、お茶にも個性があるの。それを上手く引き出せば美味しいお茶になるわ。

 だから茶葉の香りをかいで、手触りでも理解して。どのくらいの温度がいいのか、どのくらい蒸らせばいいのか。その茶葉に一番いいところを見つけてあげると美味しいお茶が淹れられるのよ」

 ここでモニカは少し声を小さくする。

「大きな声じゃ言えないけど。ユリアン、これが凄く下手!

 人の良し悪しはよく見えるんだけど、お茶の具合は分からないみたい」

 その言葉にぽかんとした少年だが、やがてくすくすと笑う。

「ユリアンさん、固い人みたいだけど……ちゃんと人間らしいところもあるんだ」

「あら、ユリアンはとっても素敵な男性よ。強いし、真面目だし、それに絶対に信じられる人だから」

 優しく笑いながらそう言うモニカに、少年もにこやかな笑みを浮かべながら言葉を出す。

「モニカはユリアンさんが大好きなんだね」

 その言葉に少しだけ顔を赤くするモニカ。だが、すぐにその表情は曇ってしまう。

「……ええ」

「僕、何か悪い事を言った?

 ……ごめんなさい」

 急に意気消沈してしまったモニカに謝る少年だが、慌ててモニカは首を振る。

「いいえ、少年は悪くないわ。

 私はユリアンが好きだけど、ユリアンが私を好きかは分からないから」

「ユリアンさんもモニカが好きだと思うけどなぁ。好きじゃない人に、あんな優しくできないよ」

「その好きと、私の好きは、違うものかも知れないの……。

 けれども、それでいいのかも知れない。だって私は――」

 そこで言葉を切り、赤く染まる空を見上げるモニカ。

 少年にはそれが、流れる涙をこらえるように見えた。

「――ううん。何でもない。これは本当にユリアンにも、誰にも内緒よ?」

「分かったよ」

「うん。ありがとう」

 

 やがて夜がやってくる。

 最初の夜番はユリアンと少年。サラとモニカが手を繋いで火にあたりながら眠る傍らで、少年とユリアンは眠気覚ましに熱いお湯を啜りながら話をする。ちなみにお茶ではない。雪国でお茶は栽培できないため、高くつくのだ。ピドナから多めに持ってきた茶葉はキドラントにて全て奪われてしまった為、少なくとも大きな都市で安く仕入れられるまでは旅にお茶はなしである。

「どうだい、誰かと一緒にする旅も悪くないだろ?」

 気安く話しかけるユリアンに、戸惑ったような笑いを返す少年。

「うん。きっとサラやモニカ、ユリアンさんがいい人だから、かな」

「おいおい。俺だけさん付けか?」

「だって、サラはなんていうか、他人の気がしないし。モニカもさんづけしなくていいって言ってたし」

「じゃあ俺もさんづけしなくていいよ」

「そ、そう。じゃあこれからはユリアンって呼ぶね」

 照れたように言う少年に、ユリアンは静かにコップを傾ける。

(少年もサラと同じような事を言うんだな……。他人の気がしない、か。

 運命の人って奴かもな。エレンが聞いたらどんな反応をするかな?)

 ふっと笑うユリアンを見て、少年はちょっと目を丸くした。

 そしておずおずと問い掛ける。

「ねえ、ユリアン。今、モニカの事を考えた?」

「ん? 違うが、なんでだ?」

「モニカがユリアンの事を話していた時と同じ笑い方をしていたから」

 その言葉に。目を見開いたユリアン。

「どうしたの?」

「……いや、なんでも、ない」

 まさか、と思う。まさか、ロアーヌの妹姫が自分に、なんて。しかし、モニカがツヴァイクの王子と結婚させられそうになった時、モニカが真っ先に声をかけたのはユリアンだ。

 いやいや、ロアーヌはミカエルの意向に従う者ばかり。それもミカエルが間違えた時に諫言をするならともかく、ツヴァイクという大国との繋がりを否定するモニカの頼みを承諾する者は少ない。ユリアンが頷いただけモニカの運がよかっただけだ。

 そう。モニカが自分に懸念しているなど、そんな世迷言なんて。

(それに)

 モニカを美しいと思った事は数知れない。素晴らしいと思った事も、また。慈しむべきだとも思ったし、(あい)らしいと感じた事もある。しかし、情熱がこみ上げた事は一度もない。どこか、亡くした妹のように想っていたのだと、今ならそう考える事ができた。

 プリンセスガードに入ってモニカと添い遂げる未来を空想した事はない。むしろ、そこで名をあげた自分を瞳にいれるエレンの姿が――

 そこでユリアンは(かぶり)を振る。今の自分はモニカの従者であり、モニカにツヴァイクを超える価値を示させるという大変な役目の真っ最中である。こんな事を考えている場合ではない、最悪、剣が鈍る。

「どうしたの?」

 自分の思考に入り込んでいたユリアンに、少年が声をかける。

 柔らかく笑うユリアン。

「なに、ちょっと考え事さ」

「考え事?」

「ああ。大人の悩みって奴さ」

「僕が大人じゃないっていうの?」

 少しむっとした声を出す少年だが、ユリアンはさらりとかわす。

「それで分からなきゃ、男の悩みとでも言おうかな」

「僕だって男だけど」

「……いつか、分かるさ。君にも、必ず悩む時が、訪れる」

「……?」

「悩む時がくれば分かる。その時は同じ男として相談に乗ってやるよ」

「……それまで、ユリアンは僕を大人とも男とも認めないんだ?」

「拗ねるなよ。少なくとも、強くて信じられる奴とは思ってるぜ」

「……? なのに、僕が大人じゃないっていうのかよ」

 純粋に拗ねる少年。それはユリアンから見ればまさしく子供だった。

 恋という、甘く苦いそれを少年は未だに知らない。

 だが、それを真っ向からぶつけても意味がない。ユリアンはとんがっている少年をやんわりと正す。

「大人になるにはな、人とたくさん関わらなきゃいけないんだ。そして傷つけたり、傷ついたり。そうして大人になっていくんだよ」

「……」

「だから少年は焦らなくていい。今はゆっくりとサラとモニカに、それから段々と他の人とも関わっていけばいいさ」

 そう言われては少年も黙るしかない。確かに彼は人との関わりは極端に薄い。

「じゃあ、悩む時が来たらユリアンは僕を大人の男だって認めるんだね?」

「ああ。その時は一杯おごってやるよ」

「僕、お酒は嫌いなんだけど」

「やっぱりガキだな、お前は」

 ユリアンの忍び笑いはますます少年を不機嫌にさせるのだった。だが、少年はなぜか心地悪いとは思わない。それはとても不思議な気分だった。

 

 その旅は南にある、教授の館に辿りつくまで続くのだった。

 

 

 




小説大賞の問題で、来週は投稿できないかもです。
どうかご容赦下さい。


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041話

小説大賞への応募、無事に終わりました。
これからも頑張っていきますので、どうかよろしくお願いしまう。


 

 

 

 鬱蒼と茂る森の奥。そこに不気味な洋館が佇んでいた。

「ここが、教授の館……」

 誰ともなしに声が漏れた。

 レオニード城のような邪気は感じないがしかし、薄気味悪さは漂っている。ナニカ、良からぬ気配を感じるが、ここまできて帰る訳にもいかない。

 ユリアンは視線で合図をして、少年を最後尾に立たせる。そして自分が先頭に立って歩を進める。万が一、敵に襲われるような場合でも、被害は最小限にしなくてはならない。ならばこそ、矢面には自分が立って、下がる時に接近戦に優れた少年を最後尾に置くのは当然の事だった。

 意を決して館の扉をノックする。すると、その扉は自動でギィィと開いていった。

「レオニード城を思い出しますわね」

 モニカがぽつりとこぼす。口には出さなかったユリアンとサラも同じ感想である。

 心臓を高鳴らせながら中に入ると、バタンとこれまた自動で扉が閉まった。少年は冷静に閉まった扉を調べ、鍵がかかっていない事と開く事を確認する。

「大丈夫、いつでも逃げられるよ」

「そうか」

 退路が確保されているのならば構わない。先に進もうとユリアンが視線を前に向けた瞬間、目の前が一気に明るくなった。

「!」

 日の光でも、火の明かりでもない。今まで見た事がない種類の光。幾多のそれがまるで光線のように部屋の奥に集中し、一つの扉を大きく輝かせる。

 そしてその扉が開く。出てきたのは、美人と評されるだろう女性。歳のほどは、20後半か、それ以上か。その女性は入り口で固まっている四人を見ると茶目っ気たっぷりにウインクを決めてみせた。

「お客さまなんて珍しいわね。ここはどこだかご存知? きょ・う・じゅ、の、館よ」

「はい。その教授にお願いがあって来たのです」

 代表して答えたサラに、女性はにこやかに笑って言葉を返す。

「ふふ……。教授を頼るなんて、なかなか見る目があるのね。

 ミュージック、スタート!」

 女性がパチンと指を鳴らすと、途端に流れる陽気で呑気で間抜けなリズム。そしてそれに合わせて唐突に踊り出す女性。歌も歌うが、その歌詞も酷い。前人未踏はまだいいとして、針小棒大を組み込む意図が謎だ。五里霧中は悪口ではないのか。自画自賛と言い切っていいのか。難しい言葉を使えば賢く見えるだろうという、頭の悪い人間の典型ではないだろうか。

 だがまあ、人の趣味に口を出す事もない。頼み事があってきている身分であるからして、変にツッコんで目の前の、教授の関係者らしき人の機嫌を損ねても事だ。

 一同は歌とダンスが終わるまでじっと待った。やがてそれが終わり、いい汗かいたとばかりに額を拭って笑う女性。喉まで出た言葉をグっとこらえる。

「とにかく教授は素晴らしいのよ!」

「それはよく分かりました。私たちはその教授に用があって来たのです。教授はどこにいらっしゃるのでしょうか?」

 サラの問い掛けに、フフッと笑う女性。

「教授は貴女達の瞳の中にいるわ。そう、私が教授。私は万才、私はさんじゅ――二十歳」

「ねぇ、帰らない?」

 少年が言う。思わず頷きかけた他の面々だが、その前に教授が口を挟んだ。

「お待ちなさい。私、頭がいいだけじゃございませんの。最高の美、究極のプロポーションも兼ね揃えてるのよ。ここまでくると、存在そのものが罪だと思わない?」

「ますます腹が立ってきた。帰ろう」

 少年が言う。今度は疑問形ではなく、断定だった。

 それを笑う教授。見る者を苛立たせるように指を振り、声をかける。

「せっかちは凡人の証明よ。何かこの天才に用事があってきたのではなくて? もちろんこの頭脳が必要ないというのなら構わないのですけど」

「……えと、あの。あなたになんとかできる問題とは、思えないのですが」

 言葉を選びつつ、断る方向に話を持っていこうとするサラ。だが、それは逆に教授の自尊心を傷つけたようだ。

「要件を聞く前にそう言われるのは心外ですわ。せめてお話をしてはいかが?」

「ネズミの群れを退治する方法が聞きたいんだが」

 ユリアンが捨て鉢にそう言い捨てる。自分に自信があるならば、ネズミの駆除の話を出されてまさかいい顔もしないだろう。

 が、教授はその言葉を聞いた瞬間に顔色を変えた。冗談のような今までの雰囲気を捨て去り、瞬時に瞳を鋭くする。

「そう……。アルジャーノン、ね」

「え?」

「詳しい話が聞きたいわね。奥へいらして。お茶を淹れるわ。

 もちろん、私は万才。お茶を淹れる才能も兼ね揃えているわ」

 そう言ってウインクする教授は最初と同じく、軽い様子を見せていた。

 だが、それを見る四人はもはやその態度を鵜呑みにはしない。一瞬だけ見せた鋭い瞳は、彼女の本質を雄弁に語っていたからだ。

 

「美味しい……」

 モニカが思わずそう漏らしてしまう程だった。

 場所は教授の館の応接室。滅多に訪れないだろう客にも万全の対応ができるように片づけられた部屋だった。そこで教授は自身で淹れたお茶を振るまい、茶菓子も併せて出した。その両方が、ロアーヌの姫君として過ごしてきたモニカをうならせる出来であった。万能の才があるかどうかともかく、少なくともお茶と接客の才能はあるようだ。

 そんなモニカや、他の面々を見てニッコリと笑う教授。

「お口に合ってよかったわ。お話、してもよろしくて?」

「あ、ああ……」

 ペースを崩さない教授だが、対する四人はやや狼狽している。教授の本質が測りにくい。只者ではなさそうだが、有能かどうかは分りにくい。

 そんな一行を見抜いた教授は自分の手札を晒す自己紹介を始める。

「私は教授と名乗っているし、そう呼ばれているわ。本名は秘密。

 何でもできるし、何でもやれる、万能の天才。けれども全知全能という訳でもない。

 最近のお気に入りは機械分野と生物分野」

「キカイ?」

 聞きなれない言葉にサラが首を傾げるが、教授は笑って流す。

「新機軸の分野だから知らなくても仕方がないわね。けど、もう一つの分野はきっと分かって貰えるわ。

 生物分野の研究。これは対モンスターに特化していると言っていいわね」

 そこで教授は自分で淹れた紅茶を一口飲む。

「想定通りの味ね。我が事ながら面白みのない……。あ、ごめんなさい。私の研究の話ね。

 私は生物を研究・改造する事によってモンスターにする術を編み出しているわ。百聞は一見に如かず、ね。来なさい!」

 教授の声が響くと同時、奥の扉が唐突に開く。出てくるのはウサギ、植物、リス、ドラゴン。人の言葉に従うそれらに、ユリアン達は呆気に取られた。

 それらの、モンスターに分類されるだろう生物は、部屋の隅に並んで止まる。

「この子たちは私が作ったの。動物をベースに強化して命令に従うようにした子、モンスターを改造した上で命令に従うようにした子、色々な生物の遺伝子を集めた合成獣(キメラ)

 それに対する面々の表情は様々だった。モニカはその成果に目を開きながらも輝かせ、サラはどこか痛ましいようにペットたちを見る。少年は自分が勝てるかどうかを計っている。

 そしてユリアンは、瞳に怒りを宿していた。

「お前か……」

「? ユリアン?」

「キドラントの、ネズミの群れを操るモンスターを作ったのはお前かっ!!」

 ユリアンのその言葉に、ようやくモニカとサラも気が付いた。

 ネズミを操る能力。その脅威は、身をもって知っている。そしてそれは、生物を操る範疇に入る。ならばこの教授こそがその生みの親である、そう考えるのは不自然ではない。それを肯定するように教授は自嘲的な笑みを浮かべた。

「私はキドラントのモンスターを知らないわ。だからその問いには答えられない。けれども、天才ネズミのアルジャーノンを作ったのは、私ね」

 それを聞いたユリアンは一層の怒りを瞳で燃え上がらせる。そして静かに瞼を閉じ、そして数秒経ってから開く。

 怒りは、宿している。しかしその中身は冷静さが多くを占めていた。

「あら意外。責めないのね」

「責めて解決するならそうするさ。それよりもキドラントのモンスターをどうにかする方法が聞きたい」

「ふぅん。いい男、気に入ったわ」

 蠱惑的に笑う教授。思わず睨みつけてしまうモニカ。

 視界の隅に捉えたモニカをさらりと流し、教授は他人事のように言葉を続ける。

「仮にキドラントのモンスターがアルジャーノンだったとして、それをどうにかできる方法があったとして。貴方たちにそれを教える義理はないわねぇ。

 私のパトロンはツヴァイク。お金を出して貰っているのですもの、裏切るような真似はちょっとできないわ」

「っ……! お前がキドラントのモンスターを作り出して! それが人々を脅かしてっ!!」

「私に責任のない話だわ」

「っ!!」

 剣に手が伸びるユリアン。そして柄を握りしめて、抜く直前にその動きが止まる。

 違和感。それがユリアンの動きを止めた。そして教授の言葉を吟味する。

 パトロンはツヴァイク。ネズミの群れをなんとかする方法は裏切り。そして責任はない。

 話を総合すれば、それは。

「……貴女は、キドラントの怪物を作り、そしてそれをツヴァイクに渡した?」

 にっこりと笑う教授。思えばウォードも言っていた、ツヴァイクが教授を支援していると。ネズミを戦術的に操るモンスターは実用的と言っていい。それを大国であるツヴァイクが求めても不思議はない。手元に置いて利用しようとしたが、何らかの不手際で逃がしてしまう。そのモンスターは自身で群れをつくり、やがて怪物と言われるまで変化した。

 全てが符合する。いや、符合するように教授が情報を出したのか。教授の笑顔を見ればその感想が間違っていないと思えた。他人を掌の上で弄ぶ笑顔を、教授はしているのだから。

「……、アルジャーノンについて、できる限りを聞きたいのだが、いいだろうか?」

「貴方が剣から手を離してくれる事を対価に」

 教授の言葉にユリアンは柄から手を離す。とたん、堰を切ったように話し始める教授。

「アルジャーノンは天才ネズミ。人を超える知能を持ち、ネズミを支配する能力を持つわ。その支配方法は声、アルジャーノンが発する声によってネズミの脳に快楽物質を生成し、それによってネズミを意のままに操るのよ。

 性格は支配者気質で傲慢、人の言う事なんて聞きはしないでしょうね。現在地はツヴァイク、その軍部が使い勝手のいいモノはないかってここに来たから、アルジャーノンとかその他のガラクタを紹介したの。あんな欠陥品なんて売れるとは思わなかったのだけど、まさかまさかの高値で売れたわ。それから年1万オーラムを支給するから見合った成果を出すようにって言っていたわね。高慢チキで嫌な役人だったけど、まあ適当な失敗作でも納得しそうだったから頷いておいたわ」

 聞いていない事までペラペラと話す教授。その裏を読み取れたのはサラだった。

「教授。私はトーマスカンパニーのサラと申します」

「あら、ご丁寧にドーモ。それで?」

「私の裁量で使えるお金で、年間5000オーラムあります。これでトーマスカンパニーに雇われませんか?」

「ツヴァイクの半額? 頷きにくいわね」

「我がトーマスカンパニーは、貴女の作品を正しく使う事を約束します」

 教授はサラの瞳を見る。揺れる瞳、薄弱な意志。だが、そこに嘘はない。そう読み取れた。

 機械だろうとなんだろうと、その深奥までを測るのはまだ足りないと教授は思っている。いずれは何かしらで測ってみせるが、今はまだ自分の天才的な感覚を超えるものはない。故に、最後の最後に教授は己自身を信じるのだ。

 そして教授が己を信じた時、目の前の者たちは間違いないと確信した。これに勝る信頼は存在しない。

「……基本給が5000オーラム。出来高で追加を貰うわ。それなら頷いてあげる」

「私の裁量では、5000オーラムしか約束できないのです……」

「構わないわ、私は天才ですもの。グウの音が出ない成果をあげて見せますわ。それでいいでしょう?」

 茶目っ気たっぷりにウインクをする教授。それにようやく、肩の力を抜く一同。

 場の空気が変わったところで教授が口を開く。

「仮契約、でいいわ。まあ、私の価値が分かった上でトーマスカンパニーさん? が、手放すとは思えませんけど」

 その言葉で話はひとまず落ち着いた。

 仕切り直すように口を開くのは少年。

「それで、アルジャーノンとかを駆除する方法を知ってるの?」

「もちろんよ。けど、ネズミの群れまで作っちゃってるのはマズイわね……。アルジャーノンは天才ネズミだけど、単体ではただのネズミ。処分しようと思ったなら難しくない。これといった対抗策はあまり用意していないのよ」

「打つ手なしってことですか?」

「まさか、なくはないわ。ほんのちょっぴり大変ですけどね」

 教授はそう言いつつ、ちらりと壁際に寄った動物たちの一匹を見る。

「マコ、アレを持ってきて。G―487よ」

 リス型の動物がちょこちょこと退室し、少しの時間の後に戻ってくる。その手には、小瓶に入れられた薬品が握られていた。

 それを受け取った教授は、目の高さまでそれを持ちあげると、軽く振って説明する。

「これは、そうねぇ。ねこがいなくてもネズミを駆除できる薬品、ねこいらずとでも名付けましょうか」

「ね、ねこいらず、ですか……」

 安直な名前に曖昧な笑みを浮かべるモニカ。まあ、この際ネーミングセンスはどうでもいいだろう。

 重要なのはどのような効果があるかだ。それを説明をする為に口を開く教授。

「アルジャーノンは識別するためにちょっとだけ工夫したわ。普通のネズミの瞳は赤いけど、アルジャーノンの瞳は青いの」

「……いや、あのネズミの群れから一匹の瞳が青いネズミを見つけるのは無理だろ?」

「もちろん。しかもアルジャーノンは自分が矢面に立つ事は絶対にしないでしょうね。そこで出てくるのがコレ、ねこいらず。万一アルジャーノンを見失った時に作ったものなの。

 アルジャーノンが他のネズミに快楽物質を発生させるという事は話したでしょう? これはアルジャーノン自身に快楽物質を発生させる薬なの。これを嗅ぎ分ければ、アルジャーノンはその本能に対抗できずに必ず近づいてくるわ。

 だから使い方は簡単。ネズミの群れの前で、この小瓶の蓋を開けるだけでいいわ。そうすればその小瓶を持った人にネズミの群れが殺到するでしょうね。そしてその人物を守り切り、前に出てきたアルジャーノンを仕留めれば勝ち。命令する存在を失ったネズミの群れは自分よりも大きな動物を襲う事無く逃げ出して、自壊するでしょうね」

 つまるところアルジャーノンを始末できるかどうか。その一点に全てはかかっていると言っていい。そしてそれをおびき寄せる為の道具がねこいらず。

 確かにアルジャーノンをおびき寄せられるなら勝機はなくもない。しかし、その難易度もまた低くない。あのネズミの群れを前にしてしばらく耐久する必要があるし、アルジャーノンを見つけたとしてその小さな体を確実に狙うのも難しいだろう。ユリアンは少しだけ考え込む。

「……なんとかなる、か? ありがとう、教授。有効活用させて貰うよ」

「ええ、頑張ってね。何か困った事があったらまたいらっしゃい。そこのサラさんが所属するトーマスカンパニーは私のパトロンですからね、多少の融通は効かせるわよ。

 あ、近いうちにどんな発明がお好みか教えていただけると助かるわ」

「分かりました。要望をまとめて、またうかがわせていただきますね」

 話がまとまる。

 アルジャーノンの被害は無視できないからして、すぐに動かなくてはいけない。まずはユーステルムまで戻り、ウォードに話を通す必要があるだろう。アルジャーノンを退治するのにウォード隊の力を借りられれば心強い。

 出口まで歩く一行。それを見送る為に一緒に動く教授。彼女は少しだけ何かを考えていたようだが、出口につくまでにその考えはまとまったらしい。エントランスに着いた時、唐突に声をかけた。

「待ちなさい」

「どうかしましたか、教授?」

「ごめんなさいね、急いでるのに。けど、あなた達に必要な手紙を書かせて貰いたいから少しだけ時間を頂戴な。

 トーマスカンパニーの社長のお名前はなに?」

「トーマス・ベントといいます」

「そう、分かったわ。あ、ほんのちょっとだけ時間があるけど、何か欲しいものはある? お土産になる範囲だったら用意させて貰うわよ」

「え~と。それじゃあ、茶葉があったら少しだけ分けて貰っていいですか? 手持ちが無くて」

「茶葉、ね。分かったわ。じゃあ手紙をすぐに書くから、ちょっとだけ待っていてね」

 パチンとウインクをした教授は奥へと引っ込む。

 そのまま10分程時間が経っただろうか。少しだけ待つ事に飽きた頃、教授は小包と手紙を持って戻ってきた。

「ハイ。これが茶葉ね。で、こっちがトーマス社長へのお手紙。きっとお役に立てるはずだわ」

「ありがとうございます。では、私たちはこれで」

「ええ。それじゃあ、幸運を!」

 そういって教授はユリアンの頬にチュと、触れるようなキスをする。それを見て、思わず固まってしまうモニカ。

「勝利の女神からの熱いベーゼよ。これで勝ったも同然ね!」

「あ、え、いや、教授。えっと、その……」

「あら、ウブね。こんな美人の口付けが貰えたのですもの。素直に喜んでおきなさいな」

 くすくすと笑う教授に見送られて、彼らは教授の館を後にするのだった。

 

「…………」

「ねえ、モニカ。なんか機嫌悪くない?」

「気のせいですわっ!!」

 

 

 




少し短めですが、キリがいいのでここで区切らせていただきます。


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042話

タチアナ嬢が書きたくて仕方がない今日この頃。
……本当に心の清涼剤だったんだなぁ、タチアナは。


 

 

 

 キドラントの町、その町長の家。

 その執務室といえる場所で初老の男が執務に励んでいた。執務に励むといえば聞こえはいいが、その内容は魔王もかくやという所業である。キドラントを訪れる旅人や冒険者を怪物の生贄として差し出し、町の被害を軽減する。そして奪った金銭を町の為という名目で着服し、私腹を肥やす。その瞳は欲望と他者の命を自在にするという陶酔でギラついており、見る者に不快感を与えるものだった。

 キドラントのその町長は手元にある備忘録に目を通す。村と大きさが変わりのないようなこの町で、人手が足りるという事はない。荒事ならまだしも教養ある上に立てる人間は少ないのだ。その上、やっている事が悪事だという認識くらいは町長にもあったので、その内容を認めたものを他人と共有するなど、他人の命を無下に扱う男にできるはずもない。

(怪物の食欲が増えているのか? 最近は森で骨だけになっている動物の目撃例が多いな。まあ、町の裏切り者が炙り出せたし次の生贄はニーナで問題あるまい。

 金も順調に溜まってきておる。しかしいつまでこんな事を続けていられん。儂だけでも助かる方法をいい加減に考えねばな)

 町長はキドラントという町をもはや見限っていた。近くに怪物が住み、安全が保障されない。頼りのツヴァイクも動かない。倒そうにも腕が立つ傭兵を雇う金もなく、奪った金銭を工面して頼んだ傭兵は帰ってこなかった。

 もう、どうしようもないのだ。それを町長は何度も何度も確認した。ならばこそ、自分とその家族だけは助かりたい。

 人間は窮地こそ、その本性が現れる。飢えきってなお仲間の為に目の前の食事を断ったユリアンのように、どうしようもなくなった現在、町長の本性が顕わになっていた。余裕があるうちに自分だけでも逃げ落ちられる準備を整えて、それを実行する。

 それが間に合えば確かに有効だと言えた。善悪を無視すれば、一つの手段ではあったのだろう。

 

 だがそれを容易く成功させるほど、世界は優しくない。

 

 最初は少し騒がしいなと思う程度だった。外から騒ぎ声が聞こえ、うるさい奴らだと悪態をつく。それだけだ。

 だが、一向に騒ぎが収まらない。それどころか段々と大きくなっていく。

 異常事態だと町長が気が付いた時には、もはや手遅れになっていた。

 

 

 数刻前。

 キドラントからほんの少しだけ離れた場所で、ウォード隊の百人弱が待機していた。ユーステルムには最低限の人数だけを残しており、隊のほとんどをここに集結させたのだ。さらに後詰めとして、後日にフルブライト商会からの増援が送られる手筈になっている。

 ウォード隊だけでキドラントを落とし、そして悪事の証拠を確保する。その上で後詰めと共にツヴァイクを攻撃していく。大雑把な作戦でいえばこんなところだろう。拙速を尊んだため、キドラントだけはウォード隊のみで落とさなくてはならない。ウォード隊が手練れ揃いで、更にウォード本人やトーマスカンパニーからの助っ人であるユリアンがいるとはいえ、一つの町を攻撃しようというのである。準備は入念に行われ、奇襲をかけるという形に落ち着いた。

 本来ならば国や町、村の争いではまず話し合う。それでも解決できない問題があるならば、お互いに声高く正義を主張してぶつかり合う。それが一般の常識であるがしかし、今回は奇襲であり宣戦布告などはしない。

 これはフルブライトの判断であり、命令でもあった。

 助け出された被害者などからある程度の証拠は確保しているが、ツヴァイクに非を認めさせるには足りない。しかしてキドラントの悪事は明白であり、問い質している間に証拠を隠滅されかねない。よってキドラントに対しては野盗などと同じ対処をするべきだ。と、言うのが建前である。本音はツヴァイクが事態を察知して動き出す前に、削るだけ削ってしまいたいのだ。

 故に先手必勝、グレーゾーンの奇襲である。相手が黒だと確信しているからこそ有効な、終わってみたら相手が悪だったという結果論ありきで許されるようなその手法。もしもここでキドラントで悪事の証拠を掴めないと、逆にこちらが人道的な戦いをしなかったという事になりかねない危険な賭け。失敗は決して許されない、大成功しか期待されていない。そんな戦いである。

 それが分かっているのか、斥候が戻ってくるまでの僅かな時間に張りつめた緊張は強い。ウォードは深く帽子を被ってその表情を隠し、ユリアンは目を閉じ木に寄り掛かって集中力を高める。サラとモニカは後方支援であり、前線には立たないが戦闘がないとも言い切れず、人同士の戦いを前に顔を強張らせている。少年はそんな少女たちの護衛が仕事だ。人を殺した事があるという少年に、ユリアンは女性二人を任せる不足はないと判断した。

 やがて斥候が帰ってくる。

「キドラント、異常なし」

 それを聞いたウォードは顔をあげ、命令を出す。

「……。全隊、寡黙突撃、開始。

 事前に周知した作戦を遂行しろ」

 奇襲であるがゆえ、大声は出さない。囁くようなその声は、伝播するように何人もの人間を介して隊全体に広がっていく。

 勝つか負けるか、生きるか死ぬかの大一番。撤退が許されない戦いが、どちらかが終わる戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 この作戦において、ウォードは隊を大きく三つに分けていた。

 一つは後衛部隊、数少ない術師や新兵に傷薬を持たせたいわば衛生部隊である。最悪の時には重要な役割を果たす部隊でもあるので、精鋭が守りについている。数は約20で、サラやモニカに少年が属している部隊だ。

 そしてウォードがいる本隊。50人程度で構成された主力部隊だ。決定打を与える部隊であり、攻撃力に優れた部隊でもある。

 最後にユリアンが属する先遣部隊。数は約30程で、素早い者が集められた。キドラントに気が付かれる前に先手を取る重要な部隊であり、更に潜入して妨害工作も行う仕事もあるため、本隊とは別の意味で戦局を左右する重要な部隊である。

 キドラントを攻撃するその隊の最先端にユリアンはいた。ウォードに頼まれた一番槍をユリアンは承諾し、木々の間を疾走してキドラントに迫る。やがて木が薄くなり、町の家々が見えてきた。それはつまり、それを警備する敵もいるという事である。

 やる気がなさそうに立っていたキドラントの警備兵。突如と現れた、剣を持った(ユリアン)にギョッとする。

「な、なんだお前!」

 慌てて槍を構える警備兵に突撃するユリアン。襲い掛かってくるのに抵抗しない訳もなく、警備兵は槍をユリアンに向けて迎撃しようとする。

 が、その動きが硬直してしまう。ユリアンの後ろから、木々の闇から這い出して来るように。何人、十何人の男たちが武器を手にして現れたのだから。ここに至ってようやく警備兵は、これが盗賊などの単純な攻撃でない事を理解した。理解したが、理解できない。なぜ、こんなに統率が取れた者たちが自分の村を襲うのかを。

 ……キドラントの町が起こした凶事を、警備兵は正確に理解していなかったのだ。それから逃れた者がいたと言う事もまた、知らされていなかった。町長が自分の統率力が問題視されて刃向かう者が生まれるのを恐れたため、その情報は上で止まってしまっていた。それが全てではないにしろ、奇襲が成功した一因であるといえるだろう。

「しゅ、襲撃――」

「遅い」

 大声をあげようとした警備兵の槍を剣で叩き落としたユリアンは、反対の手を強く握りしめて警備兵の顎をかすめるように拳を突き出す。

 グワンと脳を揺さぶられた警備兵は、口から涎を垂らしながらぐるりと白目を剥いてその場に倒れ伏してしまう。ユリアンは用意していた縄でその警備兵を手早く縛り上げていく。もちろん他の先遣部隊はその場に留まってユリアンを見守ったりはしない。次々にキドラントの町へと侵入していく。

 始まりは戦いにしては静かだった。だが、それは決して悲鳴がなかった訳でも血が流れなかった訳でもない。鋭い刃を刺すように、ウォード隊は鋭利にキドラントを切り裂いていく。

 

 できるだけ殺すな。

 それがウォードが出した命令であった。誰がどんな情報を持っているか分からない為、こういった命令が出されたのである。もちろんできるだけ(・・・・・)である。相手が殺す気で武器を振るうのだ、こちらも殺す事になる場面が存在しない訳がない。

 ユリアンは剣を振るい、一人の男の喉を切り裂いた。町長の家の近くにいた、騒ぎと混乱に気が付いたその男は、喉から血を溢れさせて倒れる。こひゅこひゅと喉を押さえてもだえる男に対するせめてもの慈悲として、ユリアンは白銀の剣を振るってその首を落とした。

 ユリアンが人を殺すのはこれが初めてではない。ロアーヌで、罪人の首を切った事がある。シノンの開拓民だったユリアンは、ロアーヌに仕えるまで人を殺した事は当然のようになかった。だが、戦う者としてそれは甘すぎると、ハリードがミカエルに進言。即座にそれを受けたミカエルは、ユリアンに人を殺させた。

 その夜は、吐いて喚いて泣いて大変だった。カタリナが根気よく相手をしてくれたからいいものの、仮にもプリンセスガードの副隊長がするべきではない醜態だっただろう。だがユリアンはたった一度で人を殺すということを乗り越え、噛み砕き、自身の経験として身につけていた。

 ユリアンにとって二度目の殺人。しかし最初のように、泣いて喚くようなことはしない。その強靭な意志力をもって、ユリアンは人を殺すという事に慣れていた。例え相手が善人だろうが、子供だろうが、敵ならば倒して無力化する。その手段の一つとして、殺すということはとても有効な手段であり、そして取り返しのつかない事であるということをユリアンは学んでいたのだ。

 彼の側には屈強なウォード隊員が三人いた。そして眼前には町長の家。最重要人物である町長を捕縛するため、合わせて四人もの人間が集っていた。

 視線で合図をして、まずはユリアンが扉を蹴破って入る。町長の家に僅かでも入った事のあるユリアンが先陣をきるのは当然だった。

「ひっ!」

 小さなエントランス。その奥にあるドアから様子をうかがっていた人物があげた小さな悲鳴を聞き逃がさず、ユリアンたちはそこに近づき、ドアを開ける。

 そこには年若いメイドの姿が。がたがたと震えて屈みこみながら、顔を真っ青にして剣を携えたユリアンたちを見返していた。

「た、たす、いのち、たす……」

「町長はどこだ」

 恐ろしさのあまりロクに声も出せないメイドに苛立った一人が武器を持って近づこうとするが、ユリアンは身振りでそれを制する。

 そして腰を落とした彼は、メイドに視線を合わせてふっと微笑んだ。

「君に危害を加えるつもりはない。町長がどこにいるのか教えてくれないだろうか?」

「ちょう、ちょう……?」

「ああ。このキドラントの町長は怪物に旅人を喰わせ、金品を奪っていた。俺たちはその蛮行を止めるために戦っているに過ぎない。無抵抗の者を斬ったりはしないさ。

 だから頼む、町長がどこにいるのかを教えてくれ。奴に命令してキドラントの抵抗を止めさせれば、戦いも終わる」

 ユリアンのその言葉に、メイドの呼吸が落ち着いていく。そして冷静になりきるのを根気よく待ったユリアンに、この家の情報がもたらされた。

「ちょ、町長は、二階の書斎にいるはずです。家族の方はどこにいるかは分かりません。

 それから、地下に次の生贄であるニーナが囚われています」

「!? ニーナが、生贄!?」

「は、はい。はい、そうなんです! 生贄になるはずの旅人を逃がしたということで、次の生贄にはニーナが!!

 お願いです、ニーナを助けて下さいっ!!」

「分かった。君はこの部屋に隠れているといい」

 ユリアンはそう言い切ると、待っていた男たちに声をかけた。

「一人は二階で町長を確保してくれ。残りで他の場所を制圧、俺は地下にいく」

 頷き合い、動き出す男たち。ドタバタと家中で暴れる音が響いていく。そんな中、ユリアンは恩人でもある女性を助ける為に地下へと向かうのだった。

 

 地下に入るユリアン。町長の家が町一番に大きいとはいえ、村と変わりない集落での最大である。地下室といってもたかが知れている。

 雑多な物が置かれた土壁の部屋、申し訳程度にワインが置かれている。そんな地下室で、布で目を隠され手足を雁字搦めに縛られた女性が横たわっていた。

 ユリアンの足音に気が付いたニーナは身じろぎをしながら、足音の方へ声をかける。

「話す事は、何もありません」

「……」

「私は、私の良心に従って行動したまでです。恥じ入る事は何もしていません。

 協力者も居ません。全て私の独断で行った事です」

「……」

「好きに、しなさい……」

 毅然とした声に混じる怯え。それを感じ取ったユリアンは小さな声を出す。

「すまない、遅くなった」

「?」

「けれど、間に合った。助けにきたよ、ニーナ」

 ユリアンは短刀を取り出して目を覆っていた布を切り、手足を縛っていた縄を解く。

 パチパチと瞬きをする女性はユリアンを見て首を傾げる。

「……誰ですか?」

「ユリアンだ」

「ユリアンさんっ!?」

 驚きと喜びの表情をする女性の顔をユリアンも見る。思えば最初に会った時は暗闇の中で、顔も見ていなかった。その女性、ニーナの顔を見たユリアンは不謹慎ながら思ってしまう。想像した以上に美しいと。

 ニーナもまじまじとユリアンの顔を見た後、当然の疑問を投げかける。

「ユリアンさんは何故ここに?」

「そうだな、時間はないがかいつまんで説明するよ」

 そしてユリアンはニーナと別れてから何があったかを話した。

 捕まって生贄にされかけた仲間を助けたこと。這う這うの体でユーステルムまで逃げたこと。そこのウォード隊に助けを求めたこと。

 そして極悪をするキドラントを誅罰すべくフルブライト商会が動き、戦いになってしまったこと。

「そう、ですか……」

 自分の生まれ育った町が蹂躙された事実に表情を暗くするニーナだが、彼女はキドラントがどれだけの悪事をしていたのかを理解していた。これは仕方のない事だと、そう理解する程には聡明だった。

 そんなニーナを痛ましげに見やるユリアン。

「慰めにはならないかも知れないが、君や君の手伝いをして正道に適った行動をしていた人たちは罪を減じるようにお願いしよう。特に君はキドラントの裏切り者として捕まってしまった。このままこの町で暮らす事は難しいだろうな」

「他の町の人たちはどうなるのでしょう?」

「……。隠しても仕方ないな、町民には厳罰が下るだろう。特に首謀者である町長は――」

 そこで言葉をきるユリアン。町長がどんな目に遭うかは彼には想像もできない。

 それを理解したニーナの顔も暗くなる。自分の町の人が辛い目に遭うのがいたたまれないのだろう。だがしかし、仕方のない事でもある。それだけのことをキドラントはしてしまったのだから。

「すまないが時間がない、上に戻ろう。上でメイドが隠れている部屋があるから、そこに案内するよ。しばらくそこで息を潜めていてくれ」

「……分かりました」

 

 地上に戻り、メイドとニーナを会わせるユリアン。彼女たちは友達以上の存在だったようで、実は町長の情報を横流ししていたのはこのメイドだったらしい。

 メイドはニーナの無事を泣いて喜び、ニーナも笑って心配かけた事を謝った。

 それを見届けたユリアンは二人をその場に残し、二階に上がる。その中の一室に町長の家族が集められ、さらに執務室には町長が縛られて床に転がされていた。

 この期に及んで町長は見苦しく叫び喚いていている。

「これは侵略行為だ! ツヴァイクの管轄であるキドラントにこんな事をしてタダで済むと思っているのか! この外道、悪魔、人でなし!!」

 出るわ出るわ、自分の行為を棚に上げた罵詈雑言。ウォード隊員たちはそれを相手にもしていない。一人は町長の家族を見張り、一人は町長を制圧したことを町中に喧伝しに行っていた。そしてもう一人は執務室の物色し、金品や貴重品の押収をしていた。

「おう、ユリアン。遅かったな」

「すまない、遅れた。で、どうだ、証拠は見つかったか?」

「ああ。奇襲して正解だな。町長の覚書きや、日記。それから奪った金品の明細まであったぜ。ったく、几帳面なのはこちらにもいいが、少しは良心の呵責ってもんはねぇのかねぇ?」

「そんなものを期待するだけ損だろ」

「違いない」

 ククっと笑い合う男二人。そしてウォード隊の男はずっしりとした金属が入った袋をユリアンに手渡す。

「ボスの読み通りだ。封蝋印もしっかりため込んでやがった。モニカ嬢ちゃんやサラ嬢ちゃんのものがあったら回収しておけ」

「ああ、ありがとう。確認させて貰うよ」

 袋に詰められた大量の封蝋印。これが全て犠牲者の物だと思うと気が滅入るが、そうとばかりも言ってられない。

 中を漁り、奪われた封蝋印を確認して回収するユリアン。

 これで一段落である。町長が捕縛されたことが知れわたったせいか、外の騒ぎも収まってきている。恐らく本隊が上手く制圧したのだろう。

 見苦しく喚く町長を睨みつけるユリアン。だが、今は手出しをするべきではない。それは全てが終わってからだ。ユリアンは後の事はウォード隊員に任せて、本隊の加勢にいくのだった。

 

 

 戦後処理は粛々と進んだ。

 キドラントは完全にウォード隊に制圧されたと言っていい。その上でその悪事の証拠を押さえる事にも成功した。大勝利といっていいだろう。

 町民は基本的に武装解除をして、各々の家に押し込んだ。外出禁止、不穏な動きをしたら痛い目をみて貰う。そう脅しつけて、それでも何かあったら融通をきかせるくらいはするという温情も見せた。

 その中でも例外は存在する。まずはニーナ、彼女はキドラントの悪事を告発するのに大きく貢献したということで特に優遇された。キドラントにはいられないが、最大限その自由意志を尊重し、さらに旅の支度金も渡すという高待遇である。急展開する事態に混乱する頭を落ち着ける時間も必要だと、今は家財をまとめながらこの先どうするかを考えているところだろう。

 また、ニーナに秘密裏にだが協力した僅かな町民も悪いようにはしないという決断が下された。支度金こそ渡されないが、家財の没収などはなく、またキドラントに居られないならばユーステルムにて面倒をみてもいいという判断が下された。人の集落の庇護を失った人間の末路は悲惨である。ユーステルムに移住できるならばこれはこれで破格の待遇に近い。

 だが、旅人や冒険者を怪物の生贄にしていた人々の先は決して明るくない。家財没収された上で、キドラントでしばらくの軟禁生活を送る羽目になるだろう。そしてその先も、強盗殺人の片棒を担いだ者達として罰される事は間違いがない。仕方のない事とはいえ、特に慈悲深いモニカは痛ましい顔をしていた。

 そして一番の悪人、首謀者である町長は更なる地獄が待っているだろう。町ぐるみの強盗殺人、その主犯である。しかも彼自身に自覚がなかったとはいえ、ロアーヌの妹姫であるモニカやトーマスカンパニーの使者であるサラもその犠牲にしようとしたのだ。高度な政治問題になりかねない。いや、上の方は積極的に問題にするだろう。少なくとも死一等は免れず、その過程でどんな酷い目に遭うのかは想像できない。

 そんな町長の前にウォードや、ユリアンたち一行が集っていた。場所は町長の執務室。縛られた町長は、飽きもせずにまだ喚いている。

「こんな、こんなことが、許されると、許されるとぉぉぉ!!」

「悪いが町長さんよ、アンタの悪事の証拠は確保した。更にアンタに騙されたり捕まったりした旅人や冒険者、傭兵も何人か助け出して保護している。言い逃れができるとは思わんことだな」

 淡々とウォードが事実を並べる。

 自分の日記や裏帳簿、そして備忘録を確保された現場を見ていた町長は言葉に詰まってしまう。

 だがしかし、それでも責任逃れをしようと聞くに堪えない言葉を口から喚き散らす。

「ならば、ならばどうすればよかったのだ! 町民を守る義務が儂にはある! ツヴァイクは動かない! 怪物に犠牲者が出る! 儂等が自分の身を守って何が悪い!」

「身を守るのは悪くはねぇさ。だが、その為に見ず知らずの者を捕まえ、騙し、生贄にするのは人道に外れ過ぎだ。その上で金品の強奪だと? 強盗殺人って言うんだよ、それは。悪いというならそれが悪い。

 被害者の恨み、味わえよ」

 そう言ってウォードは場をユリアンたちに譲る。その顔を見て町長は顔を歪める。

「被害者だと? 勝手に被害者を仕立てあげて、儂を悪人にするつもりかっ!?」

「騙した人間の顔も覚えていないのか。俺は宿で茶に睡眠薬を入れられた者だ。その上で逃げた俺を盗人として指名手配したらしいな?」

「!!」

 その情報に、町長の記憶に引っかかる人物が一人だけいた。勘のいい奴で、結局キドラントから逃げ出した男が一人だけいたのだ。

 ユリアンは瞳に強い怒りを宿しながら、激情を抑え込むように淡々と口にする。

「ギリギリで逃げ出し、仲間を助ける事には成功したが、身包み剥がされたおかげで酷い旅だったぜ。おまけに仲間は怪物の生贄にされかけて恐ろしく怖い目に遭った。それもこれも、全部お前のせいだ。

 言い訳は聞かない、お前が奪った封蝋印に仲間のものがあった。ロアーヌの妹姫と、トーマスカンパニーの使者だ。そんな重要人物をお前は生贄にしようとしたんだよ」

「そ、そんな、バカな、バカな……」

 もはや呆然とするしかない町長に近づいたユリアンは、気を失わないように加減した上で苦痛が残るような一撃をその腹に叩き込む。

 悶絶しながら転がる町長に、醒めた視線を送るユリアン。

「殴ったこっちが汚れるが、諸々こめて一撃は落とし前として少しでも苦痛を味わっておけ、外道」

 言い捨てたユリアンはサラとモニカを見る。

 気弱なサラには珍しく、彼女も怒りを瞳に宿していた。当然であるといえば当然だが。

 だがしかしサラは町長に視線を向けもしない。

「関わっても心は晴れないわ。……後はトムや、他の人たちに全部任せたい。早く忘れた方が幸せになれる気がするの」

 モニカは悲痛な顔で町長を見る。だがしかし近づこうとは決してしない。近づきたくもないのだろう。気持ちはその場にいる者たちにはよく分かる。

「……許されない罪はないと、私は信じています。が、あなたに罰が下される事は間違いがないでしょう。

 せめて悔い改めて下さい。罪を罪と認め、懺悔をすればきっと聖王様の慈悲が与えられます」

 それだけ言うとモニカも町長から視線を逸らす。彼女をして、もうこの男は見たくもないのだろう。

 話が終わったと判断したウォードは、全員連れ立って部屋を出る。そして部屋の外で待機していた隊員に声をかけた。

「話は終わった、見張っとけ。……死なすなよ」

「うっす」

 入れ替わりで町長の軟禁場所になった執務室に入る隊員。

 それを見届けたウォードは誰もいない客室を選び、中に入る。そして一緒についてきたユリアンにモニカ、サラと少年たちと一緒に椅子に腰かけて落ち着いた。

 モニカが素早く用意されていたお湯と茶葉を使い、お茶を淹れる。サラが配り、一服して心を落ち着かせる。

「で、だ」

 ウォードが切り出した。

「キドラントの怪物の正体は、教授が生み出した天才ネズミのアルジャーノンだってな?

 その攻略法も聞き出したとは聞いたが、ちぃっとばかり難易度が高くねぇか?」

「それは否定できません。けれど、アルジャーノンをツヴァイクに始末されては攻め手を一つ失います。できればここは私たちが倒したという実績が欲しいのです」

 サラの言葉にふむと考え込むウォード。

 確かにツヴァイクが逃がした生物兵器が原因でここまで大事になっているのである。ここでアルジャーノンまで始末すれば、ツヴァイクは本格的に何をしていたんだという話になる。逆にアルジャーノンをツヴァイクが始末すれば、最終的に自分自身で問題解決したのだからと一方的に責める事は難しくなる。

 そこまで計算したウォードはよしと頷いた。

「分かった。ウォード隊はキドラントの制圧があるから動けないが、俺が手助けをしてやる」

「本当ですかっ! ありがとうございます、ウォードさん!」

「かっかっかっ。まあ、大船に乗ったつもりで任せておけ!」

 モニカの笑みに笑って応えるウォード。

 キドラントの怪物、アルジャーノンに挑むのは五人。ユリアンにモニカ、サラに少年。そして助っ人のウォード。

 

 戦いは翌日に決まった。作戦を練り、話し合う。

 人々を苦しめたアルジャーノンとの戦いが迫る。

 勝てるかどうか、犠牲が出ないかどうか。それはまだ分からない。

 

 

 



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043話

 

 

「作戦をたてるぜ」

 お茶を飲みながら、確認するように話しかけるウォード。場にはユリアン、モニカ、サラ、少年がいる。キドラントで最も大きな家、その一室。元がつくが、キドラントの町長が住んでいたその場所は、町を占領したウォード隊の本拠地になっていた。

「まずは敵の話だ。

 数千ものネズミの群れが、そのボスであるアルジャーノンに操られて襲い掛かってくる。人間並みに統率がとれたネズミの群れは、単一の強大なモンスターよりも脅威の度合いは高いかも知れねぇ。

 勝ちの目はたった一つ、親分である青い瞳のネズミであるアルジャーノンを退治すること。アルジャーノンをおびき寄せる薬である、ねこいらずは用意されている」

 ウォードは言葉を区切り、全員を見渡す。誰ともなく頷き、口を挟む者はいない。ここまではいいだろう。

「次はどこで戦うか、だ」

 それには幾つか選択肢があり、口に出して共通認識にしていく。

 まずは生贄の洞窟の奥に入り込み、ネズミの本拠地を攻撃するという案。また、洞窟の入り口で奥から出てくる群れを待ち構えるという方法もある。キドラントで万全の態勢を敷いて迎え撃つ考えも浮かぶだろう。

 その中で真っ先に却下される案は決まっていた。それを口にしたのは少年だった。

「洞窟に入り込む選択肢はないね」

「そうですわね。暗い洞窟の中、地の利もないですし、ネズミが隠れられる場所なんていくらでもありそうですわ。ねこいらずを持った人を守るのも難しそう」

「そういう意味ではキドラントで待つのも無しかしら」

「だな。ネズミの群れがどこから来るか分からない、下手したら周囲を包囲される危険性もある。そもそも、必ずキドラントが餌場に選ばれる訳でもないし、誰が襲われるかも分からない。準備した場所に誘導するのも難しい」

 出た案や考えはあっという間に潰えていく。残ったのはたった一つ。

「洞窟の出入り口で待ち構える、これが無難だろうな」

「はい。それに、あそこには出入り口を塞ぐ大岩がある。撤退せざるを得ない時に出入り口を塞げば逃げ出せる可能性はずっと高くなる」

「私のファイアウォールならば、少しだけ時間を稼ぐこともできますわ」

 ウォードの言葉にユリアンが付け足し、モニカが更なる利点をあげる。

 今回のキドラント攻略戦でもあるまいし、命を捨ててまで戦いきらなければならない理由もない。負けそうになった時に逃げられる可能性を高めるならば、確かに出入り口を戦いの場に選ぶのは自然と思えた。

 これで敵の姿と戦場の選定が終わった。次は味方の準備と確認だ。

「まずはねこいらずだが……誰が持つ?」

「モニカとサラはないでしょう」

 アルジャーノンをおびき寄せるねこいらず、これを持つ事は大きなリスクを伴う。アルジャーノンの標的になるため、ネズミが殺到するだろう事。そしてアルジャーノン自身も近寄る可能性も低くない事から、狙って小さなネズミを仕留められる技量も必要になる。これらをモニカやサラが満たしているとは言い難い。

 残るはウォードとユリアン、そして少年。消去法で言えば少年が外される。まだ幼いといっていい彼は、体格で二人に劣るのだ。集中攻撃を喰らう可能性を考えるのであれば体力はあった方がいい。その意味でユリアンとウォードのどちらかを選ぶとなれば――

「俺、か」

 大男であるウォードが最適解になる。

 異論なく、サラが預かっていたねこいらずはウォードへと手渡された。

「次はどう戦うかだな」

「小さなネズミがひっきりなしに襲ってくるのでしょう? 私やモニカさんは武器よりも術を使った方がいいかも知れないわ」

 サラはそう口にする。あまり腕力がない彼女たちの主な武器は弓や小剣であり、どちらかと言えば線や点での攻撃がメインとなる。面を攻撃する方が有効なネズミの群れが相手では、むしろ武器を使うよりも踏み潰した方が効率がいいかも知れない。

 もちろん踏みつけられた程度でこの災害が対処できるならば、ここまで被害は拡大していない。あっという間にネズミに群がられて足から順番に齧られて骨だけになってしまう。だとすればそれなり以上に有効なのはサラの言った通りに術になる。なるのだが、術力も無限にある訳でもない。使いどころは選ばなければならないだろう。

「僕たちも油断はできないよね」

「ああ、剣や大剣でも必ず隙はできる。小さなそこからネズミに入り込まれ、多少齧られるくらいの覚悟はしなくちゃいけないな」

 少年が確かめるように言い、ユリアンがやや固い表情で頷いた。

 体を削るようにネズミに齧られる覚悟を決めなくてはならないのだから、無理のない話ではあるのだが。

「陣形だが、俺が最奥になる形がいいだろうな。パワーレイズの変形型がいいだろう」

 ウォードが話を次に進める。

 とんとんとんとん。指でテーブルを叩き、おおよその陣形を表示する。前衛二人が並んで立ち、その真後ろに術師二人が中衛に位置する。最後尾にねこいらずを持ったウォードが陣取るのだ。

 ウォードの前に正方形の陣形が描かれることになる。そしてユリアンの後ろにモニカが、少年の後ろにサラが立つ事になった。

 

 おおよその作戦が決まる。

 不確定な事は多い。実際に統率されたネズミの群れと戦った経験などあるはずない事から始まり、どれくらいの時間でねこいらずにアルジャーノンが誘き寄せられるのかも分からない。先の見えないマラソンバトルになるだろう。

 分かっているだけでこれなのだ。戦いである以上、不確定要素は多分に湧いて出てくると覚悟した方がいいだろう。

 時間は夕方。決戦は翌朝。緊張をお茶を飲むことで鎮め、五人は明日の戦いに備えるのだった。

 

 

 そして日が昇る。

 場所は生贄の洞窟の出入り口。ぽっかりと開いたその穴は、地獄への入り口にも見えた。

 そしてそれはある意味間違いではない。キドラントの策略に嵌められた人々は、この中でネズミに生きたまま齧られ喰われるという非業の死を遂げたのだ。もしかしなくとも怨霊系のモンスターが発生している可能性はある。

 だが、中に入るつもりも予定もない一行には関係ない話でもある。予定した陣形で武器を構え神経を尖らせ、ネズミの群れが出てくるのを待つ。

 

 ちゅう

 

 そしてその時はきた。暗い穴の奥から微かに聞こえた災厄(ネズミ)の鳴き声。

 僅かの間にそれは重なり、響き、実像よりも先にその脅威を伝えてくる。やがて見える赤い瞳。瞳、瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳。

「こりゃあ……想像以上だな」

「……」

 呆れた声を出すウォードに、黙って己が武器である東方不敗を握りしめる少年。サラやモニカは、かつて味わった恐怖を全力で押し殺す。ユリアンはただ決意を込めた視線をその穴に向ける。

 ウォードがすっぽりと入り、まだ余裕が多くあるその洞窟の入り口が、ネズミの瞳で真っ赤に染まっていた。聞くと見るとは大違いとは言うが、数百ではきかない数のネズミとなるとここまでの威圧感を持つらしい。なるほど、これは確かに獣害ではなく災害だ。怪物と称されるのも頷ける。

 だが、それを想定していた彼らに驚きはあれど畏れはない。ウォードは黙ってねこいらずの蓋を開け、中身を僅かに振りまく。

 人間には無臭だった。実際、前を見ていた四人にはウォードが何をしたのか把握した者はいない。だがしかし、ネズミの群れの奥で潜んでいた狡猾な怪物の脳内には圧倒的な快楽が走った。

 ここで理性がなくなって突撃してくるようなら話は早かっただろう。赤い瞳の中にある、青い瞳のネズミを潰せばそれで終わり。だがしかし、アルジャーノンは余りに知性的だった。その人間を超えるという知性を持ってして、あの快楽を強奪する為の最適解を導き出す。

 ちゅうという小さな小さな、そして強い鳴き声が戦闘開始の合図となった。一気呵成にネズミの群れが最奥にいるウォードを目指して突撃する。

「くっ!」

「これ、じゃあ!」

 射程圏内に入ったネズミを潰すべく剣や大剣を振るう前衛のユリアンや少年だが、効果はほぼほぼないと言っていいだろう。

 可能な限り腰を落とし、地面すれすれの位置でなぎ払いをするユリアン。大剣を振りかぶり、ネズミというか地面を対象としたスマッシュを叩きつける少年。ユリアンの剣はネズミを何十と切り飛ばし、少年の一撃は地面に穴をあけつつ弾けた破片が副次的にネズミを潰す。

 だが、その程度。彼らが構え直すよりも早く次のネズミが侵入してくるのだ、対処できているとは言えない。そして群れの奥から響く鳴き声でネズミの動きがまた変わる。邪魔な前にいる人間の排除命令だったであろうそれによって、前衛にいる彼らにもネズミが襲い掛かってくる。

「クラック!」

「ソウルフリーズ!」

 それをフォローするのは術師であるサラやモニカの役目だ。実際、ネズミの群れに対して術は殊の外相性がよかった。

 ユリアンや少年の前に大地の亀裂を生みだし、そこからの衝撃でネズミを仕留める。前に行けなくなったネズミたちを狙った()てつく夜の息吹が体温を一瞬で奪いつくし、凍死させた。人間相手では威嚇や足止め程度の効果しか見込めないだろう未熟な術でも、相手がネズミとなれば命を奪うのは容易かった。

 そしてその間にユリアンや少年は自身たちの足元にいた僅かなネズミを踏み潰していく。最初の波は防いだといっていいだろう。だが、息をつく暇もなく群れの奥からちゅうという鳴き声が響き、ネズミたちの動きが変わる。

 あろうことか、最前列にいたネズミの体を踏みつけて跳躍し、襲い掛かってくるネズミたち。数匹ではない、数十が一斉に飛び掛かってくるのだ。

「嘘だろっ!?」

「これネズミ!?」

 それが続けざまにジャンプしてくるのである。思わずユリアンや少年が叫んでしまうのも無理はない。動きはもはやネズミのそれではなく、ネズミとはなんなのかを考えたくなる光景だ。

 だがそれに動揺して迎撃をしない訳はない。反射的に腕が動き、振るわれた武器によって宙に飛んだネズミたちは撃墜されていく。これで済めば第二派も防いだと言えただろう。

「更に上だ、気を付けろ!」

 ウォードが声を張り上げる。地面ばかりに視線がいっていたが、ふと見上げれば、洞窟の外壁にへばりついて昇り上がっていくネズミの群れ。何が起きるのかは想像するまでもない。

 数メートル、壁を駆けあがったネズミたちは一斉に跳躍して空から特攻を仕掛けてくる。いくら体重の小さいネズミとはいえ、あの高さから落ちたら命はないだろう。その勢いを利用して、死角に近い頭上からその前歯を敵に突き立て削るその攻撃。

「う、うわぁ!」

 少年は叫びながら、頭上いっぱいに広がるネズミという悪夢のような光景を振り払う。幸い空を飛ぶネズミは単層だったようで、東方不敗で吹き飛ばした後は青い空が広がっていた。

 対して武器の大きさが違ったユリアンはネズミを払いきれない。多少の傷は負いつつも、できる限り被害を抑える。

「今度は下だ!」

 再び飛ぶ、ウォードの声。クラックの効果がなくなった地面を覆いつくすように突進してくるネズミの群れ。

「ク、クラック!」

「ソウルフリーズ!」

 サラとモニカが再び術を唱え、地面を引き裂きネズミを凍らせる。だが、先程よりも深く踏み込まれてしまっている。このまま同じことが続けば、やがて押し切られてしまうだろう。

「少し下がれ!」

 ウォードの命令で数歩後ずさる。こうして向こうが距離を詰めた分だけ下がれば、それは確かに作戦として有効だろう。ネズミとて、数えきれない程いるのは確かだろうが、無限にいる訳でもない。

 しかしアルジャーノンがウォードの作戦に付き合う事もない。ちゅうとまた鳴いて新しい指示を出すと、ネズミの多くが左右に分かれてクラックを大きく迂回する行動をとった。更にその先には木が存在し、空中からの飛び掛かりの苛烈さは増す事は明らか。

 一方で、正面のネズミの数が減った事実もある。戦いが始まってまだほとんど時間が経っていないが、既に短期決戦にしか勝機は残されていない。そう判断したウォードは己の大剣を地面に突き立てた。

「地走り!」

 そこから放たれた衝撃波は洞窟の出入り口に向かい、直線状にいたネズミ共を吹き飛ばす。そして自分はその大剣の上に足をかけながら、大声で指示を出す。

「モニカは洞窟の奥に壁を張れ! 奴は手前に来ている、逃げ場をなくせ!

 残りはできる限り数を減らせ、俺がまとめて潰す!」

 躊躇いが許される余裕も時間もない。モニカたちは即座に指示に従う。

「ファイアウォール!」

 可能な限り洞窟の奥に炎の壁を出現させるモニカ。それと同時、どこか余裕のないネズミの声が響いて群れの統率が乱れた。

 狡猾な性格とは、臆病の裏返しだ。今まではいざという時には洞窟の奥に逃げればいいと考えていたであろうアルジャーノンだが、その退路が唐突に塞がれた。思わず狼狽の声が漏れてしまったのであろうが、その最初で最後の隙を見逃す手はない。

「地走り!」

「クラック!」

 ウォードと同じ技と地面を裂く白虎の術で、縦に群れを削っていく。さらに切羽詰まったネズミの声が響き、乱れた統率から混乱した群れへと変化していく。死の危険を感じた事がないであろう指揮官の脆さが表に出た瞬間だった。

「うぉぉぉぉぉー!!」

 ユリアンには広範囲を攻撃する技がない。

 それを理解した上で、軍として機能しなくなったネズミの群れを蹂躙する最適な方法として選んだのが突進だった。洞窟の入り口、更にその奥に見える燃え盛る炎の壁に向かって走り、その体重にてネズミを潰していく。

 本来なら地面についた足を齧られ、あっという間に肉が削げるだろうが。その指示を出すべき指揮官は死の恐怖に竦んでしまっている。ユリアンは被害なくブチブチと害獣どもを踏み潰していった。

 その間にウォードは大剣の上に立ち、飛び上がる。その手には棍棒。全体重と跳躍して稼いだ位置エネルギー、それらを全て地面に叩きつけ、衝撃をぶち上げる。

「大震撃!!」

「うわっ!」

「きゃ!」

「いやっ!」

 その無差別な衝撃波は仲間にすら牙を剥いた。と、いってもそれなり以上に鍛えた彼らである。少しは体に響いたとはいえ、大きなダメージにはならない。

 しかし小さなネズミにはそうはいかない。その衝撃で絶命するものもいるし、揺れで上空に飛ばされる奴もいる。

 ユリアンが見つけた、青い瞳のネズミもそうだった。洞窟の奥、炎の壁の手前にいたそいつは。ジタバタと足を動かして、動けぬ空中で無駄にあがいている。

 その青い瞳とユリアンの視線が交錯する。そこにユリアンは明確な意志を感じ取った。知性と恐怖が伝わってきて、まるで人間を相手にしているようだと場違いな感想すら出てしまう。

 中空に浮かぶ、無抵抗なネズミ。それに向かってユリアンは剣を振るう。それが到達する僅かな時間の間に、青い瞳のネズミはきぃぃと悲鳴のような声をあげた。

 

 直後、ネズミの両断死体が作られる。

 一瞬だけ空いた時間の空白の後、小さなネズミたちは四方八方に逃げ散らかっていくのだった。

 戦いが開始してから終わりまで、一分かかったか否か。余りに濃密な時間が終了し、全員が全員疲れた息を吐くのだった。

 

 

 

 戦った実感はあれど、勝った実感のない戦闘が終わり、一行はキドラントへと向かう。

 戦利品はなく、あったのは小さなネズミの死体だけ。これで勝鬨を上げろと言われても気が乗らないのは仕方ないだろう。だがそれでも彼らは数多の犠牲を出したキドラントの怪物を確かに仕留めたのだ。

「本当かなぁ?」

 戦ったはずの少年が首を捻りながら出す言葉に、サラとモニカは苦笑いで応えた。確かに実感はない。思い返せば、倒したのはネズミのみである。あるいはこの実感の無さも生物兵器としては優秀なのかも知れなかった。相手にダメージは与えつつ、負けても士気を回復させないとは厄介が過ぎるだろう。もしもこれを量産して完全なる支配下におけたのならば、新しい種類の脅威として確立したかも知れなかった。

 いまいち釈然としない思いを抱えたまま、帰り道を歩く一行。すぐに見えたその町の、緊張感ある見回りが近寄ってくる。

「ボス、どうでしたか?」

「ああ。ネズ公は始末した」

「そうですか! お疲れ様でした、これでまた戦果が一つ増えましたね!」

 上がらぬテンションのウォードであり、むしろ見回りの方が喜びは大きいかも知れない。なんとはなしに感じてしまう違和感である。

 それを抱えたまま町を歩き、怪物を倒した事を喧伝して回る。そこでもやはり周囲の喜びの方が大きく、倒した面々には戸惑いが走ってしまう。

 やがて辿り着いた町で一番大きな家。そこの一室に進み、とりあえずはお茶を用意してもらう。昼にはまだ早い時間、動いてすいた小腹は茶菓子で抑える事にした。

「まあ、なんだ。予定通り怪物は倒した訳だが……」

 ウォードの言葉に曖昧な表情を浮かべる一行。ごほんと咳払いをしてその空気を断ち切る。

「これからの話をしよう。ウォード隊はこのままフルブライト商会の援軍を待ち、東へ進撃する。どこまで攻めるのか、どうやって話を収めるかは、上が考えるこった。

 つまりここから先は戦争、お前さんたちが付き合う義理もない」

「私たちはトーマスカンパニーの一員ですが?」

「まあ、そういう理由で参加するなら止めはしねぇよ。だが、あんた達の仕事は一段落ついたんじゃないか? こっから先は大人に任せておけ。どうあっても気持ちのいい結末にはならんからな」

 労わりの目でまだ若い彼らを見るウォード。ユリアンで20歳、モニカは19でサラは16。少年の歳は分からないがサラと同じか少し幼いかくらいだろう。別にやることがあるのならば、汚い世界をわざわざ見る事もないだろうという配慮だった。

 その決定権はサラにある。少しだけ考えた彼女だが、人と人との戦いに巻き込まれる危険を考えてそれを避ける決意を固めた。

「分かりました、ご厚意に甘えさせてもらいますね。私たちはピドナへ戻り、トーマスに詳しい話をしたいと思います」

「おう、そうしろ。ここでお別れだな」

 カラっとした笑いをあげるウォードだが、すぐに真剣な顔になる。

「できるなら、ツヴァイクを通って帰ってくれねぇか? その途中にある村や町の様子や地形なんかを手紙で送って貰えると助かる。

 幸い、流れ者の封蝋印は余ってる。適当なやつを見繕うから、それを使ってくれれば足もつかん」

「ダメです」

 決定権を持つサラが声を出す前に、断りの言葉を出したのはユリアンだった。

「筆跡から足がつく事もある。サラやモニカは巻き込めない。

 やるなら、俺が個人的に請け負います」

「ユリアン、でもまたあなただけが……」

「いいんだ。ウォードさんには借りがある。それを少しでも返せるなら安いものだろ。

 ただし、全員が危ない橋を渡る必要はないって話さ」

 言い切るユリアンに少しだけ迷ったサラだったが、ウォードに大変世話になったのは事実である。

 読んだ手紙は燃やす事を条件にその話を受けた。

「出発はいつだ?」

「そうですね。怪物退治に時間はかかりませんでしたし、今日すぐにでも」

「分かった。じゃあな」

 別れの挨拶は軽い。そのまま礼をして部屋を辞する四人。

 家を出て、そのままキドラントを去ろうかと足を進めていた彼らだが、出口に居たウォード隊の一人に声をかけられた。

「あ、すいません。ユリアンさんに伝言を預かっています」

「俺に?」

「はい、ニーナさんから。旅に出る前に家に寄って欲しいそうです」

 それを聞いたユリアンは首を傾げるが、まあ別れの挨拶の一つでもして悪い間柄でもない。命を助けあった仲なのだ。

 軽く目配せをして仲間の様子を伺うが、別段反対意見は出なかった。町を出る前にニーナの家へと寄っていく。

 少し迷いながらも町を見回っていたウォード隊員に道を聞き、ニーナの家へと辿り着く。ノックをして少し待つと、旅支度を整えたニーナが出てきた。

「ユリアンさん。怪物は無事に退治されたのですか?」

「ああ、問題ない。これ以上、怪物の被害に悩ませる事はないよ。少し遅かったかも知れないが」

「……仕方ありません。どのような理由であれ、キドラントが選んだ道なのですから」

 少しだけ間が空く。その間にユリアンはニーナの格好に視線を走らせた。

「旅に出るのか?」

「はい。私はキドラントに居られませんし、実際に居ない方がいいと助言をいただきました」

「当てはあるのか?」

「ポールを探そうかと思うのです」

「ポール……。ニーナの恋人、だったか」

「はい。ですが、行く当ても心当たりもありません。確か、ユリアンさんはピドナの会社で働いていたのですよね?

 厚かましいお願いですが、お世話になる事はできないでしょうか?」

 申し訳なさそうなニーナに言葉がつまるユリアン。その決定権は彼にはないのだ。

 ちらと後ろを、決定権を持つ少女を見るユリアン。その視線を受けて前に出るのは、決定権を持つ少女サラ。

「ニーナさん、初めましてですね。私はトーマスカンパニーのサラと申します」

「ニーナです。あの、サラさんはどんなお仕事を?」

「社長の補佐や、その他の事を少々」

 その言葉にニーナは目を丸くした。自分よりも幼そうなこの少女は、一つの会社で社長の補佐をしているのだから驚きもある。

 サラはそれに関わらず、淡々と言葉を紡ぐ。

「今回、ユリアンからニーナさんに助けられた話は聞きました。トーマスカンパニーとしてもお礼をできないのは心苦しいと思っていたのです」

「では」

「はい、仕事の斡旋くらいならできるかと思います」

 遠回しに承諾の返事をしたサラに、ニーナの顔がほころぶ。

 そしてどちらともなしに手を出し合い、握手をする。

「私たちはこれからすぐにツヴァイクに向かって旅に出ます。ニーナさんの準備は大丈夫ですか?」

「はい、旅の準備はできています」

「仲良くしましょうね」

 微笑み合う少女二人。

 キドラントからツヴァイクへと向かう五人の旅人の姿が見えたのは、それからすぐの事だった。

 

 

 




たまに活動報告も書くので、見ていただけると嬉しいです。


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044話 顛末・前編

長くなりそうだったので、前後編にする事にしました。
……中編は多分ないです。


 

 

 

「どういった訳なのか、納得のいく説明をしていただきたい!!」

 その日、ツヴァイクに荒波が押し寄せていた。といっても、別に低気圧が原因で嵐が起きた訳ではない。ツヴァイクと同盟を結ぶ事が確実視されているロアーヌ侯国より、その主であるミカエルが僅かな手勢を引き連れて電撃的にツヴァイクに来訪したのだ。

 手続きは正式なものだったが、本来ならば必須とされるマナーや作法などはまるで無視。それこそ戦時の火急的な事態にしか使われないような、最短の手順でツヴァイクに乗り込んだミカエル。その手順にただ事ではないとツヴァイク公もある程度の覚悟を決めて謁見したのだが、いきなりのミカエルの怒声である。力関係はツヴァイクが上であるという共通認識を持っていたはずなのに、まさか弱い方から開口一番に激怒の言葉が発された。これにはツヴァイク公も少々面食らってしまった。

 とはいえ、腐っても公国を治める立場の者である。即座に心を立て直すと、やんわりと諭すように言う。

「落ち着き給え、ミカエル候よ。怒りで我を忘れるなど、一国を治めるものとして度量が足りぬと言わざるを得ぬぞ」

「これが落ち着いていられるものかっ! ツヴァイクはロアーヌを裏切るつもりなのか、ハッキリとさせていただきたい。場合によってはこちらにも覚悟がありますぞ!!」

 余りに激高しているミカエルにツヴァイク公も只事ではないと判断する。仮にミカエルがツヴァイクに宣戦布告をしたとして、その結果は明らか。ロアーヌの惨敗だろう。それが分からぬミカエルでもないし、それを防ぐ同盟の証として妹であるモニカをツヴァイクに差し出す約束をしたくらいだ。

 そのモニカだが、ミカエルがツヴァイクと縁故ができると喜んで酒を呷り過ぎた隙をついて、ロアーヌから旅立ってしまった。これはどういう事かとツヴァイクもミカエルをなじったが、ミカエルの平身低頭の態度とモニカが残した手紙で一応の納得を見せた。モニカからの手紙は自身の勝手でロアーヌを出奔する事、その責任の全ては自分にあると認められていた。

 つまりこれはモニカの劣等感が原因だとミカエルから説明がされたのだ。ツヴァイクに見合う能力がない自身の不甲斐なさを恥じ、ツヴァイクに見合う価値を身につけるまで待ってもらいたいという意味だと。

 これにはツヴァイク公もその王子も、納得した顔を見せた。自身に足りないところがあると自覚するのは良い事で、実際にモニカは直前に不逞の輩に誘拐されてしまっている。そんな自分を見つめ直す旅も必要かと納得し、モニカ姫が自分で自分を許せたらツヴァイクに嫁がせるようにと婚約をすることによって一応の決着をみた。また、ツヴァイク王妃としての修行である為として、モニカの足取りが掴め次第見えない形で援助がしたいとロアーヌが提案した為、少なくない金銭もツヴァイクが援助している。ツヴァイクとしてはこれで次期王妃がよりよいものになるなら安いものと、先行投資の気持ちであった。

 そんな円満な関係を築いていたはずの両国だが、まさかミカエルがツヴァイクに怒鳴り込むなど想像の外である。

「まずお聞きしたい。ミカエル候は何にそこまで怒ってらっしゃるのか?」

「何に? 何に怒っているのかと? ツヴァイク公は白を切るつもりかっ!」

「白を切るも何も、本当に心当たりがないのだ。ミカエル候はそこまで怒る理由を説明できないというつもりかな?」

「モニカがツヴァイクに謀殺されかけた事だっ!」

 その言葉には流石にツヴァイク公も目を見開いた。

 ツヴァイクとロアーヌを繋ぐものはモニカの輿入れのみといっていい。その太い約束があるからこそロアーヌは安心できているのであるし、ツヴァイクとしても王子が気に入っている絶世の美女といえるモニカを迎え入れる事に満足しているからこその同盟といっていい。

 その唯一の絆といってもいい、モニカをツヴァイクが謀殺しようとした。それが事実であるとするならば、確かにミカエルのこの取り乱した様子と激怒も理解できる。ツヴァイクとの縁故、そして約束されたはずのモニカの安全。それらがまとめて無くなろうとしているのだ。ロアーヌ候としても、またモニカの兄としてもその激怒は理解できる。もしもそれが本当の話であったとしたらだが。

「それが事実なら、確かにミカエル候の怒りも理解できる。だが、その証拠はあるのかな?」

「このっ…、このっ! 今更、そんなことをっ!!」

「まあ落ち着けよ、ミカエル候。証拠を見せればいい、単にそれだけの話じゃないか」

 なおも激高するミカエルに冷や水を浴びせたのは、彼の後ろに控えていた色黒で曲刀を佩いた剣士。様々な強者を見てきたツヴァイク公には分かる、この男は強いと。

 そして色黒の剣士の言葉に、深呼吸をしていったん落ち着いた風情を見せるミカエル。そして彼は一通の手紙を差し出した。

「すまんな、ハリード。少し頭に血が上り過ぎていたようだ。

 そしてツヴァイク公、これがモニカがツヴァイクに謀殺されかけたという証拠だ」

 その手紙を受け取り、中を検めるツヴァイク公。

 それにはツヴァイク領地の一つであるキドラントにて怪物の被害が発生していたこと。その旨をツヴァイクに知らせようとした夜に捕縛されて、怪物の生贄にされかけた上に持っていた金銭や貴重品を全て奪われたこと。護衛であるユリアンにギリギリのところで助けられ、這う這うの体でユーステルムまで逃げたこと。そこのウォード隊に世話になり、この手紙を書いたこと。そして同じ目にトーマスカンパニーのサラ・カーソンも遭ったことが記されていた。

 これが事実なら確かにツヴァイクの大きな失点だ。事実なら、だが。

「確かに事実なら問題でしょうな。だが、これが本当に事実だと断言できますかな?」

「事実だっ! 共にいた護衛の封蝋印も押されていたし、筆跡も確かにモニカのもの。こちらでも念入りに確認した!」

「ふむ。ミカエル公がそうおっしゃるのならば、事実である可能性は考慮いたしましょう。こちらからもキドラントへ調査隊を送ります。結果はお知らせしましょう」

 その言葉に顔をしかめながら頷くミカエル。それを見て青いなと心の中でほくそ笑むのはツヴァイク公である。

 まあ、仮にこれが事実であったとしよう。だが、それを調査するのはツヴァイクの手勢である。事実など簡単に捻じ曲げられる。そしてモニカが襲われた事実がないと突っぱねれば、立場を悪くするのは事実無根で騒ぎ立てたミカエルの方である。ミカエルも手勢少なく乗り込んできたのであるからして、まさか調査隊に同行はできない。まずはツヴァイクでゆっくりと歓待して冷静になるのを待ち、都合のいい調査結果を持ち帰れば顔を青くするのはミカエルだ。

 ミカエルとの謁見が終わり、優先事項が低い案件として時間を稼ぐツヴァイク公には余裕があった。だが、その余裕はすぐに崩れる事になる。

「親父っ! モニカ姫がキドラントで殺されかけたのは本当かっ!」

 モニカに執着するその王子が父の部屋に怒鳴り込んできたのだ。例え王子でも王に無礼は許されないが、そこは子供に甘いツヴァイク公である。息子を咎めることなく、やんわりと諭すように話しかけた。

「分からん。ミカエル候の偽りの可能性もあるし、誤報だという事もありえる。その調査をするために、部隊を派遣するつもりだ」

「む……。確かにその可能性はあるか。よし、分かった親父。その調査、俺が引き受けるぜ」

 その言葉に内心慌てたのはツヴァイク公である。王子にはまだ政治の妙というものを教えていない。徐々に教えてはいるのだが、今まで甘やかしていたこともあってなかなか思うように教育が進んでいないのだ。そこはゆっくりと進めればいいと楽観的に構えていたツヴァイク公だが、このタイミングで王子が調査隊に同行するのは困る。

 短慮なところがある王子は、実際にモニカが害された事実があれば怒り狂い、暴走するだろう。それはモニカが実際に被害を受けたとロアーヌに説明することに他ならない。

「まあまて、落ち着け。このような些事、お前の手を煩わせるまでもない」

「俺の未来の妻の命に関わる事だぜ? これが些事かよ!?」

 一向に譲らない王子に頭を抱えるツヴァイク公。

 結局、ここでも数日の時間を無駄にする事になった。この瞬間にもフルブライト商会が攻め入っている事を知っているミカエルは、上手く時間稼ぎができているとほくそ笑んでいる事にツヴァイク側は全く気が付いていない。

 

「フルブライト商会からの侵攻を受けているだとっ!?」

「はっ。この報告を受けた時点で10以上の村や町がフルブライト商会を名乗る軍勢に占拠されております。調査隊員が馬を飛ばして帰ってきましたが、あの進行速度を考えれば更に2か3の村は占拠されていそうな勢いで……」

「馬鹿なっ!? 我が国は宣戦布告を受けていない。そんな暴挙をあの聖王十二将を祖に持つフルブライトの若造が? そんな愚昧だったのか、あの男は。確かな情報か?」

「確実にフルブライト商会の手勢かの確認はできなかったそうですが、西部が侵略を受けているのは確かとの事でした」

 しばらくはロアーヌ候ミカエルを落ち着かせるという名目で日を費やし、ゆっくりとキドラントへ派遣した調査隊が慌てて持ち帰った情報がそれだった。

 気楽な旅を続けていた調査隊だったが、ある村に入ろうかという所で不穏な空気を感じ取った。どういった事態かと警戒してその村に入ろうとしたところ、見知らぬ兵に占拠された村の姿が。そして槍を持って追われ、慌てて逃げ帰った調査隊だが、その襲撃で少なくない数の人員が捕縛か殺害かをされてしまった。

 これは只事ではないと、確実にツヴァイクの領地と呼べる所まで戻って情報を集めてみれば、西よりフルブライト商会の兵が侵入して瞬く間にツヴァイクの領地を占領しているとの情報が手に入ったのだ。

「して、どう対策したと?」

「侵略者に対する備えが必要だという事でして、まだ侵攻されていない近場の大きな町に人と物資を集める手配をする為に隊長が残って指揮をしているそうです。ですが、調査隊長程度の権限ではどこまで効果があるかは分からないかと……」

「であろうな……」

 臍を噛んで報告を聞くツヴァイク公。ツヴァイクは王家や高位の貴族に権力が集中するように施策を行ってきた。その甲斐あって上位の強制力は絶大であり、その強権と威光をもってして富国強兵の政策を進めてきたという背景がある。裏を返せば、立場が低い者の声が届かないという弱点もある。今回の調査もツヴァイクの都合のいいように事実を作ってくればいいだけだと、木っ端役人にその任が当てられたはずである。少なくとも、現地の有力貴族が調査隊長の嘆願を聞くとは思えない。

 となれば、公爵が勅令を出した上で兵を出すのが上策か。そう判断したツヴァイク公の動きは早い。

「よし、儂自ら檄文を飛ばす。現地の者に協力するように伝え、その上で侵略者共に痴れた行いの代償を支払わせてやろう。

 ツヴァイク軍も出す、これは侵略に対する聖戦である!」

「はっ!」

「将軍を始めとした重鎮を呼べっ。その間に儂は檄文を認める。軍議を行い、ツヴァイクの威光を示すのじゃ!」

 ツヴァイク公の大声で場が締まる。かと思いきや、ふと思い出したように言葉を付け加えた。

「そうじゃ、軍議にはミカエル候も出席するように通達するように」

「は? ミカエル候も、ですか?」

 ロアーヌとは未だ同盟は組んでいない。にも関わらず、ミカエルを軍議に参加させるとはおかしな話である。

 しかしツヴァイク公は、うむと鷹揚に頷いて命令する。

「軍を動かすとなればツヴァイクにいるミカエル候にも動きは知れよう。調査隊が持ち帰った情報がツヴァイクに都合が悪く、先手を取ってロアーヌを攻めると勘違いされては事じゃ。

 説明を果たす意味もあるし、場合によってはロアーヌにも兵を出させてもいいかも知れぬ。その為には軍議に出席させて情報を共有させるのが一番じゃ」

「陛下の深謀には頭を垂れるのみでございます。では、ミカエル候にも軍議への出席を要請致します」

「うむ。事態は切迫している、素早くな」

 こうしてツヴァイクに厳戒態勢が敷かれる事になる。

 慌ただしくなるツヴァイク城で、ほくそ笑む男が一人。

「ツヴァイクはこう動くか。なるほど、なるほど」

「順調かい?」

「それなりにな。想定外という程、突飛な対応ではない。これならどうとでもなる」

「そうかい。ま、しっかりやりな。俺の仕事はお前さんの護衛だけでいいんだろう?」

「ああ。それに変更はない」

 今回の件で先手を取れたその男は手を緩めない、一手分の有利を維持し続ける。

 彼がツヴァイクの味方である前提を疑わない時点で、ツヴァイクは致命的な隙を晒し続けているのである。その有利の大きさに笑いを噛み殺す男とそんな男を呆れた目で見る護衛が、城の片隅で蠢いていた。

 

 やがて集まる重鎮たち。そこに場違いな男が一人いた。

「ミカエル候? なぜ其方が軍議に参加するのだ?」

「さあ? 私もツヴァイク公に呼ばれただけでありまして、何も知らないのです」

 部外者とも言えるロアーヌ候ミカエル。怪訝な顔で彼を見る重鎮たちと、居心地が悪そうな表情で軍議の場に座るミカエル。

 さもありなん。軍議とは、いわば最高機密の塊だ。まさか無関係な者を入れるはずもない。給仕程度の者はもちろん入れないとして、声が漏れ出る外に立つ者もそれなり以上の立場がなければならない。なぜミカエルがいるか、理由が説明されなければ視線に敵意の一つも含まれるというもの。そんな視線が幾多もあれば、それは居心地がよいはずもない。ミカエルとしては、視線から逃れるように小さくなることしかできない。

「集っているようだな」

 そんな時間もやがて終わる。ツヴァイク公が己の息子を連れてやってきたのだ。

 ツヴァイク公が入ると同時、部屋に施錠が為される。公爵が最後に入るのが当然であり、その時間に遅れるような能無しには用はないという意思表示。実際、遅れる者は一人もいない。軍議の遅刻は軍隊行動に準じないという意味でもあり、場合によっては物理的に首が飛ぶ。誰もが納得できない理由でもない限り、降格ですめば御の字だ。

 最奥へと進んだツヴァイク公は上座にどっかりと座り、その脇に腰かけるのは王子。一同が集まっている事を確認したツヴァイク公は毅然と言い放った。

「軍議を始める」

 ピリっとした独特の空気が張りつめる。場合によっては、直接的に国が滅びる。その事実を背負った者たちにしか出せない一種の殺気が漏れ出たのだ。

 ミカエルへ視線を向ける余裕は誰にもなくなり、全員の視線はツヴァイク公へ向けられた。

「この度、我がツヴァイクの西部へ侵略があった。斥候の情報によればフルブライト商会の可能性が大、との事だ」

 ざわりと空気が揺らぐ。フルブライト商会といえば世界最大勢力の一つに数えられる。正面から戦えばツヴァイクの方が上だという自負は彼らにはあろうが、奇襲を受けたなら厳しい。一同の表情は自然と強張ってしまう。

 その中でただ一人だけ怪訝な顔をする男がいた。誰であろうミカエルだ。

「フルブライト商会が侵略ですと? 宣戦布告を受けながら軍備を整えなかったのですか?」

「宣戦布告はない」

「なんと?」

「フルブライト商会からの宣戦布告はなかった。故にこう言った、侵略と」

 その言葉に大きく目を見開いたミカエル。

「バカなっ!? そんな愚かな真似を、フルブライト商会が? 彼の商会はアビスにでも魅入られたのか!?」

「分からん。が、正気ではあるまい。場合によってはロアーヌの力も借りるかも知れぬ。その為に候を呼んだのだ」

「正道を守る為ならば喜んで」

 ミカエルの快諾を得、ふっと頬を緩めるツヴァイク公。

 侵略されているのはツヴァイクだ。相手が誰であれ何であれ、大義はツヴァイクにある。その侵略者に対する同盟の言質を取れたのだ。これでロアーヌとの共同戦線が張れる。

 その上で消耗が大きそうな戦場はロアーヌに押し付けてやろうかとの考えも走る。上であるツヴァイクが多少へりくだれば、この若い君主は義憤と共に突撃するだろう。

 そして次の議題へと入る、その直前。ゴンゴンと施錠された扉が叩かれる。

「ご注進っ!」

「何事か、軍議の最中であるぞ!」

「調査隊がフルブライト商会の伝令を持って来ました」

「なに? 相手がフルブライト商会と確定したのか? よし、入れ」

 いいタイミングだとほくそ笑むツヴァイク公。同じ笑みを顔の裏側でミカエルがしている事には気が付いていない。

 そして開かれた扉から入る男が二人。一人はツヴァイクの高官だと誰もが分かるが、もう一人に見覚えはない。

「うん。お前は誰じゃ?」

「わ、私は、今回キドラントの調査に派遣された者であります。この度、フルブライト商会の私兵に捕まっておりましたが、伝令の為に解放されました」

「伝令とな? 我が国を荒らす賊が今更何を言うか。

 まあいい、話を聞こう。ついでに敵軍の詳細も別室で話すように」

 それで、と話をさせるツヴァイク公。彼にとって誤算だったのは、やはり身分の壁だった。

 調査隊にされる程度の身分では、ミカエルの顔を知る事はなかったのだ。そしてまた、身分の違いにより何故ミカエルがツヴァイクに来たかも知らされていなかった。彼は自分の仕事は、キドラント村にて発生した怪物の調査としか知らなかったのだ。

「はい。フルブライト商会が言うには、トーマスカンパニーの使者がキドラントにて金品を奪われ、怪物の生贄にされかけたとのことです。

 奴らはツヴァイクの非道を正すべく立ち上がった義の軍であると。ツヴァイクに義心が残っているのならば、大人しく裁きの刃を受けろとの宣言でした」

 その言葉にガタリと立ち上がるのはミカエル。その顔は驚愕と激怒が混ざった顔をしていた。寝耳に水な重鎮たちは呆気に取られた顔をしており、僅かでも事情を知っていたツヴァイク公とその息子の顔は苦渋に歪んでいた。

「聞く。その生贄にされかけた使者とは、サラ・カーソンか?」

「は? い、いえ。名前までは聞いてはおらず……」

「よい、分かった。下がれ」

 これ以上場を掻き回されてはたまったものではない。素早くツヴァイク公は男を下がらせるが、手遅れなのは火を見るよりも明らかであった。ミカエルが鋭い視線でツヴァイク公を射抜いているのだから。

 あまりにもタイミングが悪すぎる。ツヴァイク公は必死で舌打ちを我慢していた。

「公」

「よい、ミカエル候。そなたの言いたい事はよく分かる」

 重すぎるミカエルの声に、ツヴァイク公はそれでも平坦な声で応じる。今、動揺を見せてはいけない。ここは一つの山場だった。

 ツヴァイク公を見据えるミカエル候。そのミカエル候を見返すツヴァイク公。お互いに視線を逸らさないまま、しばらく時が過ぎる。

 やがて、先に視線を外したのはミカエルだった。

「……モニカの事、後日にとっくりと説明をしていただく」

「後日にという配慮に感謝しよう。まずは、攻め込んできたフルブライト商会をどうするか、だ」

 ここにきてツヴァイクの不祥事がミカエルに、ロアーヌに露見してしまった。この傷を最小限に抑えるにはどうするか、必死に頭を回すツヴァイク公。

 場合によっては正道を守るといったロアーヌさえ敵に回りかねない。醜聞を晒した今だからこそ、それだけは防がなくてはならない。祖に聖王三将であるフェルディナンドを持つミカエルがツヴァイクを擁護すれば、まだ出血は少なく済む。ここにきて、ツヴァイクにとってミカエルはなお一層重要な位置に存在することになった。

「とにかく、フルブライトの主張がどうあれ、これ以上我が国を荒らされる訳にはいかん」

「……まあ、そうでしょうな」

 しぶしぶといった口調でツヴァイク公に同意するミカエル。そんなミカエルの手前、フルブライト商会に攻撃を仕掛けるような真似はできない。

 将軍に兵を預け、防衛に力を注ぐ指示を出し、そしてフルブライト商会に使者を出す。被害にあったトーマスカンパニーにも同席を願うべきだというミカエルの言葉に、頷いたツヴァイク公はトーマスカンパニーにも使者を出す事にした。

 トーマスカンパニーがどんな会社かは、ミカエルが怒鳴り込んできた来た時に調べがついている。名目は独立した会社だが、実態はフルブライト商会やラザイエフ商会の使い走りであるとの情報は入手している。ここはトーマスカンパニーに大きくへり下り、小さな会社には過ぎた賠償金で済ますべきだろう。その上でトーマスカンパニーの問題に顔を突っ込んだフルブライト商会を糾弾し、せめて領地を荒らした分くらいの金を出させられれば上出来。その為にはトーマスカンパニーを確実に寝返らせなくてはならない。

 ツヴァイクは日にちをずらして使者がトーマスカンパニーとフルブライト商会に届くように調節した。そもそも、それぞれが本拠地とするピドナとウィルミントンには距離がある。近いピドナに情報が早く行くのは仕方がないという建前もある。

 

 戦いは侵略から外交へとその場を移そうとしていた。

 

「ツヴァイク軍が見えました」

「よし。ミカエル候が上手くやっていれば向こうから手を出す事はないはずだ。

 攻めるのはここまでにして、防御の兵だけ残せ。それでも戦いになるようだったら、命を優先して引け。無駄死にするなよ。

 引きながら、途中にある村や町の財貨を回収してユーステルムに運ぶ。いったん奪ってユーステルムに置いてしまえば、ツヴァイクはそうそう攻められない。

 ミカエル候が時間を稼いでいる間に遠くまで運べばこっちのものだ」

「了解。しかし、盗人のようで気分が悪いっすね」

「先に強盗殺人をやらかしたのはツヴァイクだ、人をなるべく殺さないだけうちは良心的だろう?」

「物はいいようといいますか、考えようといいますか……」

 

「ツヴァイクから招待状が届いた。先んじてサラに被害を負わせた事を詫びたいとの事だ」

「……トム、許さないでしょ?」

「当たり前だ。これが普通の被害だって許さないが、元を辿ればツヴァイクが逃がした生物兵器が原因だっていう話だからな。容赦は一切しない。

 妥協するふりをできるだけして、むしり取る。その上で教授の手紙を暴露して、盛大に恥をかかせてやる」

「教授からの手紙? そう言えば、何が書いてあったの?」

「証明書さ。天才ネズミのアルジャーノンをツヴァイクに引き取って貰った、な」

 

 その外交でさえ包囲網が敷かれている事に、ツヴァイクは未だに気が付いていなかった。

 

 

 




次話の投稿はなるべく早くします。


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045話 顛末・後編

 

「トーマス殿、ツヴァイクに来て頂いて感謝する」

「感謝は必要ありません。わが社がツヴァイクに要求するのは一つのみです」

「……承知している。詫びる用意は十分にある」

 ツヴァイク城にやってきたトーマス、その表情と声は固い。彼につられるように歓待の笑みを引っ込めるツヴァイクの外交官。トーマスが怒り心頭な事に気が付いたのだろう。そのような心境の相手に愛想笑いは逆効果であると分かるくらいには、その男は場数を踏んでいた。

 引き締めた表情で城内に案内されるトーマス。彼の側には護衛として屈強な男たちが10人程度着いてきていた。これもある種の威嚇であり、招待を受けた上で礼儀を失さない最低限の、そして最大限の武力を誇示する事により激怒している事を知らしめているのだ。

 それでも招待を受けたという事は、少なくとも対話をするつもりはあるという事でもある。招待状を無視される事に比べれば、落としどころを探れるだけツヴァイクとしては悪くない。

 とにもかくにも、相手を知らなくては始まらない。外交官は応接室の一つにトーマスを案内し、侍女にお茶を用意させる。外交官が毒見をし、その上でお茶を飲むトーマス。

「いいお茶ですね」

「上客に出すものです」

 何気ない会話をしつつ、外交官はトーマスという男を分析している。

 目に通した資料ではフルブライト商会やラザイエフ商会の使い走り程度だと書かれていたが、想定以上にできる男というのが外交官の分析だ。

 お茶の話にも戸惑いなく応じ、所作も悪くない。その瞳は野望にギラつくという程ではないが、その向上心と意志力は隠そうともせずに輝いている。顔立ちも悪くないのは外交をする上で一つのアドバンテージである。

 この男を取り込めという指示だったが、中々どうして手強そうだと外交官は判断した。

「そろそろ本題に入っていただきたい」

「分かりました」

 トーマスの言葉に覚悟を決める外交官だが、まず一手目から思惑を外された。

「それで、ツヴァイク公には何時会わせて貰えるのか?」

「……この件については、私が全権を預からせていただいております」

「話にならないですね。公爵でなければ一切の謝罪を受け取る用意は当方にない」

 渋い顔をしながら、この若造がと心の中で激怒する外交官。確かにできる男のようだが、過ぎて可愛げがない。使者を害されるというのは確かに最上級に相手を侮辱した行為だ。相手方のトップに謝罪を貰いたいだろう。だがしかし、こちらは天下のツヴァイクである。その外交官が矢面に立っているのだから委縮の一つもしろと言うのに、公爵以外は眼中にないという。怒りに狂っているのか、その気になればツヴァイクはトーマスカンパニー程度、あっさりと潰せるというのに。

 ……いや、この男にそれはない。そう判断した外交官は怒りを無理矢理収めた。この件についてはフルブライト商会が出張ってきている。おそらく、その庇護にあれば大きく出ても問題ないと考えているのだ。フルブライト商会は威を出し、自身は正当性を示す役目で、この瞬間のみ世界トップクラスと対等に渡り合えると理解しているからこそのこの強気。

 ならばその強気を包むように懐柔してやればいい。外交官はそう判断する。

「公爵に都合をつけるように手配しましょう。その間に交渉の内容を詰めていきたいと存じます」

 まずは相手の要求を飲む。公爵とて、ここでトーマスカンパニーを丸め込む重要性は理解しているだろう。頭の一つを下げる程度なら安いものだと判断できるはずだ。

「交渉の内容、ね。こちらとしてはそちらに誠意を見せて貰いたいものだが」

「もちろんです。まずは一千万オーラムを用意しましたので、受け取りをお願いします」

 額を聞いてピクリと反応するトーマス。それはトーマスカンパニーという会社を始めるにあたって、フルブライト商会やラザイエフ商会、そしてベント家が用意した資本金を合わせたのとほぼ同じ額である。そのくらいの情報は得ているのだというのと同時、その額を最初に出すということでその大きさに見合った評価をしているという意思表示。愚鈍な者には効果がないだろうが、この男ほど聡いならばそれに気がつくだろうと予想し、一瞬の表情の変化で成果を確認する外交官。判断は上々、相手に自分を認識させる事に成功した。

「しかし、返す返すも頭を下げざるを得ない。まさか我が国の領土で使者を襲い、金品を奪って殺そうとするとは。前例が限りなく少ない、凶悪な事件だと反省すること然りでございます。

 そして前例が少ない以上、トーマス殿に納得して頂く事が最上と思うのですが、如何ですかな?」

「……こちらはそう簡単に納得するつもりはないという事を最初に明言しておきましょう」

「当然ですね。では、具体的な話をしましょう」

 そこで話を区切り、側に置いておいた書類を取り出してトーマスに手渡す。

 受け取ったトーマスはそれを見て、今度こそ確かに目を見開いた。そこにあったのは権利書、キドラントからツヴァイクまでの販路とキドラントとユーステルムとの貿易を一任するという証明書であった。

「これは……」

「今まではキドラントが所有していた権利です。今はキドラントはフルブライト商会に握られていますが、それを奪還した証にはその権利を全てトーマスカンパニーに譲渡したい」

 ある種、破格といっていいだろう。既に存在している販路を丸ごと得られるという事は、その利益も全てトーマスカンパニーの物という事だ。もちろん税はとられるだろうが、やりようによっては大きな利益が出る。それこそ腕次第である為、トーマスカンパニーならば大丈夫だろうとツヴァイクが彼の会社を大きく評価している証でもある。

 誰でもすぐに飛びつきたくなる美味しそうな話だが、トーマスは軽々に動かない。これには大きな問題が二つあるのだ。

「しかし、現状キドラントを始めとした西部はフルブライト商会が手に入れている筈です。ツヴァイクの支配下にない。

 その上で資本金もいる。最初の操業資金がなければ貿易をするにも困った事になる」

「でしょうな。初期の操業資金はもちろんこちらが出させていただく。賠償金も含めて、三千万オーラムの用意があります」

「操業資金だけならそれでいいでしょう。ですが、賠償金込みならば頷く事はできない」

 トーマスの言葉はある意味正しい。使者を害するという事は、その本元全てを侮辱するに等しいのだ。つまりこの場合、サラ個人に対する賠償ではなくトーマスカンパニー全体の賠償になる。トーマスカンパニーの資本金は三千万オーラムだが、動かせる金は一億オーラムを超える。前者にフォーカスを合わせるならば三千万オーラムは妥当だが、後者にフォーカスを合わせるのならばまだまだ足りない。

 そしてその言葉を聞いて外交官は心の中でほくそ笑む。つまりトーマスは最大で一億三千万オーラム程度で賠償に納得すると言っているのだ。ツヴァイクの財力からすれば、ギリギリで妥協できる範囲である。そしてその上でツヴァイクの販路を与える事で、トーマスカンパニーをツヴァイクにも配慮するように誘導する。折角の販路を与えられてもそこで金にならなくては意味がない。

「では、操業資金で三千万オーラムを用意させていただきます。その上で賠償金として五千万オーラムでいかがでしょうか?」

「……トーマスカンパニーが受けた侮辱を考えれば、五千万では足りないな」

「なるほど……。非はツヴァイクにあります、承知しました。賠償金としてさらに二千万オーラムを出しましょう。賠償金として七千万オーラム、合計で一億オーラムを」

「いいでしょう。直接的な金銭面での折り合いはその額でつけましょう」

 トーマスが頷く事によって、ツヴァイクにとっての最初のハードルは越えた。そして次こそが本題だ。

「そして販路の話ですが……」

 正直、ツヴァイクとしては販路を手に入れるのは誰でもいいのだ。

 いや、誰でもいいといっては語弊がある。言うならば、より優秀な人材が望ましい。利益を大きく上げれば上げる程、税収が増えるのだから。その意味でトーマスカンパニーに販路を渡すのは問題ない。

 問題なのは領地を取り戻せるかどうかだ。今現在、約20の村や町がフルブライト商会に摂取されている。これはまずい、これはよくない。なのでここは販路をエサに、是非ともトーマスカンパニーには領地をツヴァイクに返してもらうように進言してもらいたいのだ。そうしなければ譲るはずの販路も台無しだと言葉を添えて。

「ツヴァイクが非道を行ったのは確かだ」

「否定はしません。しかし、その被害者はトーマスカンパニーである貴方の会社だ。その貴方が賠償金と販路の権利を譲るという事で納得していただいた。ならばフルブライト商会が我が領地を占領し続けるのはおかしい話だと思いませんか?」

「トーマスカンパニーとしては今回の件でフルブライト商会には大変お世話になった。わが社のみではキドラントの悪行の証拠を掴むことはできなかったであろうからな。手を貸してくれたフルブライト商会に強く言う事はできない」

 トーマスの言葉に、ここが踏ん張りどころと外交官は気をしっかり持つ。威のフルブライト商会、正当性のトーマスカンパニー。ここでトーマスカンパニーを説得出来なければ、本当にツヴァイクは大きく削られてしまう。

「当然、フルブライト商会には納得できる額を支払いましょう。その上で、本来の我が領からは兵を引いていただきたい。トーマスカンパニーとしても販路を約束しているのはツヴァイクであり、フルブライト商会が販路を譲るなどはしないでしょう。正当な額を払ってフルブライト商会が引く事は道理に適う事であるし、トーマスカンパニーも不義理をしたという事にならないのでは?」

 外交官の言葉にしばらく考え込むトーマス。

 コッチコッチと時計の秒針が刻む音が静かな部屋に響く。

 やがて頷いたトーマスに、外交官は一山超えたと安堵の息を吐くのだった。

 

 

 また日にちが経つ。

 この日、フルブライト商会から一人の使者が遣わせられた。フルブライト23世は現地で重要な仕事の最中という事で都合がつかず、その腹心が派遣されたのだ。だが、たかが腹心と侮る事なかれ。フルブライト23世が全権を委任するという書状を持った、フルブライトの代官だ。彼の決定はフルブライト商会の決定に等しい。

 それに合わせて他の関係者も揃い踏む。使者が被害に遭った会社のトップであるトーマスに、加害者側のトップであるツヴァイク公爵。そしてツヴァイク側の同盟者としてミカエル候もその場にいた。その四名での会談である。

 その会談は、ツヴァイク公が頭を下げる事から始まった。

「まずはツヴァイクの上に立つ者として、キドラントが起こした凶悪事件について謝罪したい。フルブライト商会から引き渡された物的証拠に、主犯であるキドラント町長の証言からしてこちらに非がある事をまずは認めよう」

 誤魔化しきれない悪事が露見したのならば、まずは深く頭を下げる。その程度の外交ができる程度にはツヴァイク公も政治というものが分かっていた。

「そして特に使者を害されたトーマスカンパニーには、賠償金など合わせて一億オーラム。そしてキドラントを中心とした販路の所有を認める。

 これを詫びとして、矛先を収めてくれるという事で間違いないか」

「ああ。トーマスカンパニーとして、それで文句はない」

 これでトーマスカンパニーの賠償は終わった。次はフルブライト商会に対する賠償だ。

「フルブライト商会にも迷惑をかけた。まずは軍事行動にかかった経費として一千万オーラム、更に賠償金として二千万オーラム。以上が相場であると思うが、如何かな?」

「……トーマスカンパニーと比べて大分安い額だと思うが」

 憮然とした腹心の言葉だが、ツヴァイク公の表情は変わらない。

「トーマスカンパニーには使者を害してしまったという大きな負い目がある。それゆえの額であるが、フルブライト商会にはそのような負い目がない。適正な価格を提示したと思うのだが」

 そう言ってちらりとトーマスとミカエルを見るツヴァイク公。その視線の意味を理解して、ツヴァイク公の言葉に乗る二人。

「そうですね。フルブライト商会は軍を動かし、それに見合った額が得られる。使者が害されたわが社とは少し立場が違う」

「同感です。ロアーヌとして考えましても、総じて三千万オーラムを渡されるならばむしろよい条件であると考えます。それとも、フルブライト商会は他に成果を出したのでしょうか?」

 ツヴァイクを擁護するようなその言葉に、満足そうに頷くツヴァイク公。

 彼はこの茶番劇に気が付いていない。つまり、フルブライト商会が他に成果を出していれば更なる要求をしてもおかしくないというニュアンスが含まれているという事に。

 まるで敵であるような、実質的な味方の言葉を聞いて腹心はニヤリと笑う。

「それが、あるのですよ。フルブライト商会が出した成果が」

「……なに?」

「フルブライト商会はキドラントを襲っていた怪物を討伐する事に成功しました。

 それは雑多なネズミを操る、天才ネズミ。数千のネズミの軍隊を率いるその怪物を討伐する事に成功しましたが、そんなネズミが自然発生するとは考えにくい。調べてみましたら――」

 言葉をためて、ツヴァイク公を睨みつける腹心。

「――ツヴァイクに住む、教授を名乗る者が天才ネズミのアルジャーノンを生み出したというではありませんか。

 その上で天才ネズミのアルジャーノンはツヴァイクの軍部に引き取られたとか」

 その言葉にさっと顔を青くするツヴァイク公。正直に言えばツヴァイク公の与り知らぬ話である。しかし大国であるツヴァイクは、その全てをトップである公爵が把握している訳ではない。各々で任せている裁量のうちでそんな事があったとしても不思議ではない。

 声が震えそうになるのを全力で抑えつつ、ツヴァイク公は口を開く。

「証拠はあるのですか?」

「もちろん、ここに」

 そう言って教授の契約書を取り出す腹心。ツヴァイク公は知らぬことではあるが、こうなる事を見越してトーマスから腹心に渡された切り札だ。

 つまりツヴァイクは自ら怪物を生み出し、その生贄にロアーヌの妹姫やトーマスカンパニーの使者を捧げようとしたあげく金品を奪った。その上でその始末さえフルブライト商会がした訳であり、これ以上ない失態の上にどでかい失態が積み重なってしまった。

 あくまで偶発的な怪物の発生の前提で矛を収めたトーマスカンパニーや、目の行き届かなかった辺境で起きた事と折り合いをつけたはずのロアーヌ。その代表者の目が一気に鋭くなる。

「さて、申し開きはありますか? ツヴァイク公?」

 穴が空くほどにその書類を見るツヴァイク公だが、内容は変わらない。想像もしなかった失態に、とうとう公爵のキャパシティーが超えてしまった。絶句して次の言葉が出てこない。

「……」

「……」

 無言で絶句するツヴァイク公を睨むトーマスとミカエル。だが、ツヴァイク公が再起動する様子は見せない。それを察したミカエルがため息をつきながら言葉を添える。

「まず、ロアーヌとしては責任者の処罰を願いたい。事を考えれば、キドラントの町長と合わせて死一等を減ずる訳にはいかないと思うのだが」

「確かに。トーマスカンパニーも同じ意見です。その天才ネズミのアルジャーノンとやらを引き取った者の名前はここにある。ならばこそ、その責任者の罪を追求せねば始まらない」

「その上で証拠を握ったフルブライト商会と、よりツヴァイクの責任が重くなったトーマスカンパニーへの賠償を考え直して頂きたいが、如何かな?」

 三者三様にツヴァイクを追い詰めていく。だがしかし、今回の賠償金ですらツヴァイクとしてはかなりギリギリの額である。追加で支払えと言われたら、それこそ国が立ちいかなくなる可能性も出てきてしまう。

 ……ここに節約という概念が混じらない辺りにツヴァイクという国の本質が出ていた。上げた水準を下げるという発想がない。権力を集中した弊害が出ているといえばそうなのだろう。王家も上級貴族も、金を吐き出す事までは我慢できたとして、使う金を減らす事に我慢できないのだ。

 賠償と、保身と。その両方に心が引き裂かれそうになったツヴァイク公は思わず危険な思考に至ってしまう。つまり、賠償を全て無視してトーマスカンパニーやロアーヌ侯国、そしてフルブライト商会に戦争を吹っ掛けるのだ。戦争が起きれば敵国に賠償などという必要はなくなる。その戦争に勝てば、支払うべきものは全てチャラ。フルブライト商会はともかく、トーマスカンパニーとロアーヌ侯国に勝てる自信はツヴァイクにはあった。

 だが、それはツヴァイクが大きな十字架を背負う事にもなりかねない。勝てば官軍との言葉通りに、勝てれば何の問題もなく全てを手中に収められるだろう。だが、世界に轟くフルブライト商会に勝てるか。勝った上で、戦争を吹っ掛けた理由と原因であるキドラントの不祥事を揉み消せるか。

 分が悪いと、言わざるを得ない。

 どうするべきか、最悪の手段まで考慮し始めたツヴァイク公だが、彼の口からそれらの手段が語られる事はなかった。考えがまとまる前にミカエルが口を挟んだのだ。

「まあ、ツヴァイク公も急な話で混乱しているでしょう。ここはそれぞれに貸し一つという事で納得しては如何かな?」

 貸し一つ。本来ならば空手形を切るような愚は最優先で回避すべきである。しかしツヴァイク公は追い詰められており、さらに他の三勢力が結託した空気を出している現状がある。

 しぶしぶといったミカエルの言葉に、これまた仕方なくという表情と声色で頷いたトーマスとフルブライト商会。

「……同じ被害者であるロアーヌがそう言うのであれば、トーマスカンパニーとしても嫌とは言えませんな」

「二方がそのような意見を出すのであれば、一番被害が少なかったフルブライト商会が文句を言うのも違うだろう」

「どうかな、ツヴァイク公? とりあえず今回の事はこれでいいとして、残りは未来に回してしまってはどうだろうか。

 幸い、ツヴァイクならば時間をかければどうとでもなる問題でしょう」

 相手が頷いたと見るなり、ニヤリと笑ってそう言葉を繋げるミカエル。それにしまったと顔色を変えるトーマスたち。

 空手形を切ったという事実はあれど、それを行使する段階で大きな力の差があれば要求を飲ませる事は難しい。特にフルブライト商会はともかく、トーマスカンパニーは地力の差が大きすぎるのだ。武力を背景に高圧的な外交を押し通す事も不可能ではない。

 そこに瞬時に思考が辿り着いたツヴァイク公は鷹揚に頷いて意見を呑んだ。

「承知した。では、ツヴァイクはアルジャーノンを管理できなかった責任として、それぞれに借り一つと関係者への厳罰を約束しよう」

 そう言ってさっさと書類を作って、自身のサインを入れるツヴァイク公。内容はもちろん空手形、ツヴァイクは要求を一つ呑むというその証文。それを苦渋の表情で眺めるトーマスとフルブライト商会の代表者。

 

 してやったりと、全員が腹の底で思っている事は、ある意味では笑い話なのかもしれない。

 

「いやはや、今回ばかりは助かったぞ、ミカエル候」

「とんでもない。今までツヴァイク公に助けていただいた事を思えば、今回の事で恩を返せたとは到底思えません」

「謙虚よな。しかしそれでは儂の気が済まん。何か希望があればできるだけ叶えよう」

「では、ロアーヌで安定しない産業がありますが、それに対するツヴァイクからの融資をお願いできますか?」

「うむ……。融資先を少しずらす位は儂の裁量でなんとでもなる。その願い、聞き届けたぞ」

「ありがたき幸せ」

 追加としてきっちり益を取るところまでが一区切りである。

 

 

 数日後。ツヴァイクの城門前広場でお祭り騒ぎが起きていた。

 お祭りといえば聞こえがいいが、これから行われるのは公開処刑である。今回、強盗殺人を重ねて行いツヴァイクの名を貶めたキドラント元町長と、その原因となった怪物の管理不行き届きをした軍部の役人が大勢の人の前で盛大に罰されるのだ。

 ツヴァイクの首都に住んでいるだけで世界有数の富裕層であり、勝ち組である。そのような人々は刺激に飢えていた。自分達の与り知らぬところで重罪を犯した者達を、平気で罵り笑いあう。少し視点を変えてみればどちらが悪魔が分からない所業だが、これもある意味人間の一側面を表しているといえよう。アビスに魅入られる人間が元から悪人と限らないように、人間である以上はこのような一面は必ずしも存在する。それを大きく切り取った場面ではあろうが、これもやはり人間だといえた。

 酒を飲み、串焼きを齧り、これから起きる正義の執行を心待ちにする人々。やがて現れたのは、拷問を受けて憔悴しきった初老の男と、顔を真っ青にした軍の青年。彼らをみて、人々は喝采をあげながら石を投げつける。ひぃひぃと顔を庇う罪人に対して、人々が更に投げつけるのは嘲笑だ。

 引っ立てられる者達は自分の悲運と運命を嘆きながら絞首台へと引きずり込まれる。嫌だ嫌だと喚いて暴れても、もはやこの流れを止める事はできない。殴り蹴られ、痛みに泣きながら引きずられる。

 やがて首に縄がかけられた彼らだが、その命が尽きるまでもうしばらくの時間があった。彼らが何故処刑されるのか、その凶悪性と執行するツヴァイクの正義。それを長々と読み上げるという儀式が待っている。その十数分に及ぶ死へのカウントダウンの間、首に縄がかかった者達は最期まで喚き、泣き、絶望と怨嗟の声を上げ続ける。

 その猶予も終わり、執行の合図が出される。

 床下が抜ける。

 首に全体重がかかる。

 骨が折れ、絶命するその刹那。

 キドラント元町長は自分が謀殺した人々も同じ思いをしたのかと、そんな考えが脳裏に過ぎり。

 そしてその意識は永遠の闇に閉ざされた。

 

「これで一安心だな」

 城の高台の上から処刑を見下ろしていたツヴァイク公は、手にしたワインを呷りながら喝采をあげる人々を眺めていた。

 今回の事件の黒幕は処刑され、ひとまず被害者に対しての格好はついた。それに安堵の息を吐きながらワイングラスを傾ける公爵だが、その余裕は長く続かない。側に控えていた高官の一人が進言をした。

「しかし陛下、この度の賠償としてツヴァイクの財布は大きな痛手を受けました。更に奴らがいつ空手形の行使を望むか分かりません。至急対策が必要かと」

「うむ、分かっておる」

 苦みが混ざった表情で答えるツヴァイク公。無い貯金を嘆いても仕方がない。絞れるところは絞らなくてならないのだ。

「まずはキドラントだ。あそこの町民は強盗殺人の共犯者が全てといっていいだろう。少しは奴隷としてユーステルムに連れられたらしいが、まだ大分人数が残っていたはずだ。全員重犯罪者としてひっ捕らえ、労働力として酷使しろ」

「それから税率を一律で1%上げる。それでこの度の支払いは補填できるであろう。そして福利厚生といった内政を削り、軍部の強化に充てるのだ」

「御意に」

 

 ツヴァイク公の指示は瞬く間に公国中に流布された。

 それを人々は驚きを持って聞く。ツヴァイクはただでさえ貧富の差が激しい国であり、1%の増税でも苦しくなる家は数多い。それに豊かな首都に住んでいるツヴァイク公は気が付けない。

 そして以前から流れていた冗談のような噂、ツヴァイク公が自らの村を滅ぼして財を奪うという有り得ない話。良い国主ではなかったかも知れないが、それでも最低限自分達の暮らしを守ってくれたはずの国。そのはずなのに、キドラントという町は町長が絞首刑になったあげくに町人全てが重罪人として連行されたという。ならばその財の行方は聞くまでもなく、冗談のような噂が現実になってしまったという恐怖。

 食うに精一杯の人々が得られる情報の貧しさ。貧富の格差はそのまま情報の格差にも繋がってしまうという事を、ツヴァイク公は気が付けない。

 ツヴァイクが正義を為したという話は、以前から流布されていた最悪の噂が的中した事によって上書きされてしまった。

 

 人々の心に恐怖が宿り、治安が急激に悪化していくツヴァイクという国に。ツヴァイク公はしばらく気が付けなかった。

 おかしいと気が付いた時にはもう手遅れ。よくある話である。

 ツヴァイクに内乱の火種が散乱し、燃え広がっていった。

 

 

 




今回で内政はいったん終了です。
視点はユリアン達に戻り、詩人と合流するまでを描く予定。


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046話 夢と現実

 

 

 

 キドラントを旅立ち、ツヴァイクに向かう一行。ユリアンにモニカ、サラに少年。そしてニーナ。

 この中で戦えない人間がいるが、それは言うまでもなくニーナである。キドラントは田舎にあったとはいえ、戦う事を専門とした守備兵が存在した。故にただの村娘であったニーナに戦うという役目は回ってこなかったのである。

 だからニーナは旅においてお荷物になる、というのは早計に過ぎる。旅とは戦う事ばかりではなく、他にも大事な事は多くあるのだ。

「とても美味しいです!」

「上手ですね、今度私にも教えて下さい!」

 顔をほころばせてモニカとサラがニーナの作った食事を絶賛する。ユリアンや少年は褒める間も惜しいと言わんばかりに出された食事をかっ込んでいた。そんな彼ら彼女らをニコニコとした表情で見るニーナ。

「お口にあってよかったです。お代わりはそんなにないので、ゆっくり食べて下さいね」

 時刻は夕方、陽が沈む前。一日の締めくくりとしての食事はニーナが作る事になった。夕食だけでなく、食事全般。それから空いた時間を利用した繕い物もニーナの仕事だし、旅に支障が出ない範囲でなるべく多くの荷物を持つのもニーナの役割である。

 旅には物資が必要であるし、毎日の食事もモチベーションを上げるのにとても大切な事だ。重い荷物を背負いながら歩き、モンスターと戦い、疲れた体で食事の支度をするというのは精神的にも身体的にもかなり疲弊する。その上、疲れから作る食事は適当にしてしまいがちであり、そんな食べ物では疲れも癒えないだろう。

 その点をニーナはフォローする。戦えないからといって足手まといとは限らないのが旅の常識。サポーターの重要性というのは馬鹿にできないのだ。もちろん戦えるに越した事はないのだが、戦えないからといって足を引っ張るとも限らない。

「食べながらだけどさ、俺たちとニーナってあまりお互いを知らないだろ? 自己紹介でもしないか?」

 もぐもぐと口を動かしながら言うユリアンに、少年も口を動かしながら言う。

「ユリアン、行儀が悪いよ」

「お前もな」

 そんな男たちの言い合いをくすくすと笑ってみる女性陣。

 コホンと咳払いを一つして、自分の分の食事を口に運びながらニーナから口を開く。

「私の名前はニーナ、キドラント出身なのは言うまでもないですね。恋人であるポールを探す目的で旅をしています。その為に皆さんにはご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします」

「迷惑なんてそんな。私はサラ。シノンの村の出身で、今は同じシノンの村出身のトーマスっていう人が作った会社の手伝いをしているの。トムの補佐が主な仕事かな」

「僕は少年、名前は知らない。捨て子だと思うけど、お父さんとお母さんを探すのが目的。会って、名前を教えて貰うんだ」

「俺はユリアン。サラと同じくシノンの村出身だが、まあ色々あって世界に通用する人間になるのが目的ってところか。とりあえずはもっと強くならなくちゃな」

「私はモニカ。ちょっと複雑な事情があるのだけど、自分の価値を高めなくてはならないのですわ。その為に努力は惜しみません。よろしくお願いいたしますね」

 簡単な自己紹介が終わる。にこやかな挨拶が終わり、和気あいあいと雑談をしながら美味しい食事を口に運んでいく。

 これが初日の風景だったが、短い旅の間に仲はどんどん良くなっていく。ツヴァイクにつくまでに大分打ち解けて、そのままピドナへと帰還するのだった。

 

「久しぶりな気がするね」

「俺は懐かしむ程、長居はしなかったからなぁ」

 ピドナにつき、トーマスカンパニーの本拠地でもあるベント家へ向かう最中にもサラとユリアンは雑談をしながら歩いていた。後ろではモニカと少年、ニーナが話をしている。

「俺としてはシノンが懐かしくなるはずなんだが……今が充実しているせいか、余りシノンに帰る気は起きないんだよな」

「それは私も一緒よ。会社の仕事ってやりがいがあるわ。お姉ちゃんに頼らずに自分の力で実績を出すっていうのも楽しいし」

 とめどない会話は尽きない。思えばツヴァイクの冒険はかなり苛烈だった。

 騙され、身包み剥がされるところから始まり。ユーステルムにて今までとは違う環境で働く。そして教授を取り込む事にも成功し、終わりにキドラントの怪物退治。まさに一仕事終えたといった感覚だ。

 肩の荷が下りた事を確認し合いながら歩けばやがてベント家へと辿り着く。執事の面通しはサラがいれば問題なく、あっさりとトーマスの所に案内された。社長室と呼べるところで書類仕事をしていたトーマスだが、帰ってきた親友たちを見て手を止めて顔をほころばせる。

「サラ、それにユリアンにモニカ様も。無事でよかったよ」

「ただいま、トム。今回は怖かったわ」

「ロアーヌで鍛えられなかったら危なかったな。これからの仕事も気を付けるさ」

 気安く声をかけるトーマスに、勝手知ったるといった風情で言葉を返すサラとユリアン。昔馴染みの彼らは、顔を合わせて笑い合うだけで空気が和む。

「色々と話したい事はあるけど、まずは後ろにいる二人の事を教えて貰えるかい?」

「男の子の方は少年、両親を探していつか自分の名前を教えて貰いたいんだって。腕はユリアンが認める程だし、私の個人的な護衛として雇っててもいいかなって思うわ。

 女の子はニーナ。キドラントで行っていた悪行に心を痛めて、旅人を助けていた優しい人よ。実際、ニーナに助けられなかったら私たちも生贄にされていたかも知れないわ。キドラントに居られなくなって恋人を探す旅に出たんだけど、当てが何もないからある程度はトーマスカンパニーで面倒を見てあげたいの」

 サラが簡単に紹介をして、それに合わせて頭を下げる少年とニーナ。

 それを聞きながらトーマスは軽く頷く。

「そうか。少年の方はユリアンが認めてサラが問題ないと判断したならいいだろう。給金とかは後で詰めようか。

 ニーナもそういった事情ならトーマスカンパニーとして、そしてサラやユリアンの友人として礼を言わせて欲しい。トーマスカンパニーとしても人手が足りないから、手伝ってくれるならありがたい話だ。よろしく頼むよ」

 これでこの場にいるのは一応全て身内という事が判明した。ならば込み入った話をするのも悪くはない。

 次にトーマスは話題を移す。

「それでこれからの事だけど、キドラントの一件でそちらに会社のリソースを割り振らざるを得なくなった。

 南西の安定と合わせて新しい事を始めるのはしばらく無理だろうな。ユリアンやモニカ様、それから少年はしばらくゆっくりしてくれ。サラも大変な目に遭ったみたいだし、数日はゆっくりして欲しい。ニーナも方針としては同じだね、どんな仕事を割り振るかは適性を見て考えるとして、まずはピドナに慣れてくれ」

「つまり?」

「しばらくは町で気晴らしをしてくれって話だよ」

 言いながら、トーマスは近くにある金庫からジャラジャラとした貨幣の音がする袋を取り出して、中から金貨や銀貨、銅貨を取り出す。

 まずはそれを300オーラムずつ分けて5人に差し出す。

「労わりのボーナスっていったところかな、遠慮せずに受け取ってくれ。

 都会を楽しむにはお金がないと何もできないからね」

 若干戸惑いながらもそれを受け取る一同。しかし話はそれで終わらない。次に1000オーラムを金貨で用意し、サラへと渡す。

「これが今回の危険手当だ。町ぐるみの強盗殺人なんて想像の外にあった事だし、よく生きて帰ってきてくれた」

「……いいの?」

「もちろんだ。それに今回の事件でツヴァイクには賠償金を多く請求する。まずこの位は受け取ってくれ。場合によっては更に増えるかもな」

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら大金を差し出したトーマスだが、ユリアンとモニカに顔を向ける時にはその表情は引き締まっていた。

 そして言葉を発する前にまずは頭を下げる。

「ユリアン、それからモニカ様。今回は護衛としての仕事を全うしてくれて本当に感謝している。

 特にユリアンが気を配ってくれなかったら全員死んでいたかも知れない。ありがとう」

「まっ、それが俺の仕事だからな」

「その仕事に対する正当な報酬だ。受け取ってくれるな?」

 そういって差し出す金貨が大量に入った袋。数えるのも大変な額に目を見開くユリアンにモニカ。

「……幾らだ?」

「ユリアンに1万オーラム、モニカ様に5000オーラム」

「いちっ!?」

「命の代価にしては安いものさ」

 からっというが、明らかに普通の額ではない。驚きに僅かに硬直するが、トーマスはしれっとしている。

 実際、彼にとってはこの程度の額など気安く扱う程度に過ぎない。この百倍や千倍の金を顔色一つ変えずに扱う事もあるのだから、ある意味当然と言えば当然だが。一つの、それも急成長を遂げる会社は伊達ではないのだ。

「いや、真面目な話ありがたいが、こんな大金を持って旅なんてできないぜ?」

「ああ、それなら銀行がある。お金を預けて、必要な時に引き出せる会社だ。大概の大都市にはあるし、便利だよ。

 もちろんピドナにもあるから、サラに案内してもらうといい」

 そう言って話を終わらせるトーマス。次の言葉でとりあえずの会話はお開きとなった。

「今日のところはこの辺りにしておこうか。夕食を食べてゆっくりしてくれ。

 明日からピドナ観光を楽しむといいさ」

 

 翌日からゆっくりとした時間を過ごす。

 少年やニーナはピドナが初めてという事もあって戸惑う事も少なくなかったが、そこは一度散策を楽しんだユリアンやモニカ、そしてピドナに大分詳しくなったサラが案内する。

 観劇といったものや音楽を楽しみながらする食事にはニーナがいたく気に入り、大通りの大道芸人や両親と共に笑って歩く子供に少年は微笑みを見せる。もちろんピドナ名物である魔王殿観光も忘れない。

 そうして楽しく数日を過ごしたが、そんな日もやがて終わる。翌日からサラには仕事が入り、場合によっては護衛も動かなくてはならない。ニーナもそろそろどんな仕事をするかも決めなくてはならないので、遊ぶ時間は終わりという訳だ。

 その締めくくりという訳ではないのだが、ふと思い出したようにサラが口にする。

「ねえ、レオナルド武器工房に行かない?」

「レオナルド武器工房?」

 唐突なその発案にユリアンが首を傾げた。なんか前にもあったパターンだなと思いながら。

「ええ。私やモニカさん、ユリアンは装備がしっかりしているけど、少年の防具には不安があると思うの。危険手当として貰ったお金があるし、これで少しでも少年の装備を整えた方がいいかなって」

「それ、サラのお金でしょ? 僕が使う訳にはいかないよ」

「いいから。少年が強くなってくれれば私の安全も増すし、それに少年の顔も覚えて貰わなきゃね。いこ?」

 サラがそういうならば、あえて否定する必要もないかとレオナルド武器工房へと向かう。

 前と変わらぬその外観。扉を開ければ取り付けられたベルがカランカランと音を立てる。

 そして店の中に入った一同だが、思わず目に入った光景に面喰らってしまう。入ってすぐのロビーといえるその場所に、四人の人物が深刻な顔をして佇んでいたのだから。

 その中の一人はケーン、いつも柔らかな顔を崩さない彼がしかめっ面をしている時点で只事でないのが分かる。そしてその奥にいる女性はいかにも職人気質といった女性であり、この工房の主でもあるノーラだった。そしてその側に立つ、髪の短い美しい騎士。

「カ、カタリナっ!?」

「……モニカ様、ご無沙汰しております」

 意外と言えばとてつもなく意外な人物に思わず声をあげてしまうモニカ。傍らにいたユリアンも思わず目を見開いてしまう。

「あなたがどうしてここに?」

「……任務に関係する事でございます」

 モニカの当然の質問に、言葉少なく返事をするカタリナ。マスカレイドを奪われたという事は最高機密であるため、軽々しく口にする事はできない。ややぼかした言い方だが、それでモニカには十分に意味が通じる。そしてこの事に関してはそれ以上細かい事を聞くのも野暮だろう。

「そう……」

「カタリナの知り合いかい? 悪いがこっちは取り込み中でね、申し訳ないが出直してくれないか?」

「待ってください。他はともかく、ユリアンは使い物になるでしょう。ここは一つ、手助けを願ってもいいかと」

 急な客人を追っ払おうとしたノーラだが、それを留めるカタリナ。怪訝な顔をするのはユリアンである。

「使い物、ですか?」

「ええ。あなたはそれなり以上に強かったはずです。できれば手を貸していただきたい」

「カタリナさんには世話になりましたし、モニカに危険が及ばないならいいですよ」

「モニカ様に危険を近づけないのは当然です」

「それに強さでいうなら少年も悪くないかな。今日は彼の防具を買いに来たんだが……」

 ユリアンの言葉に軽く頷いて話を引き継ぐノーラ。

「……分かった、人手は多い方がいい。それに防具をしっかりと整えた方がいいだろうね。ケーン、奥にいって防具を見繕ってやりな」

「分かりました。えっと、じゃあこっちに来てくれるかい?」

 ケーンに促されて奥へと進む少年。残った面々は顔を見合わせる。その中で代表してユリアンが聞いた。

「それで、どうしたんですか?」

「私が説明しよう」

 声を出したのはその場で静かにしていた最後の一人、かつてはクレメンスに仕えた忠義の騎士であるシャール。

 今はクレメンスの一人娘であるミューズの護衛についている。

「ミューズ様が夢魔の秘薬を呷ってしまった。私たちは夢の世界へと赴き、ミューズ様をお助けしなくてはならない。

 だが、それには大きな危険が伴う為に協力者を探していたのだ」

「ミューズ様? 夢魔の秘薬?」

「説明しよう」

 分からない単語が多く、首を傾げるモニカに一つ一つ説明するシャール。

 ミューズとは前にピドナの実権を握っていたクレメンスの娘であり、今はルートヴィッヒに追われて旧市街に身を潜めている事。彼女は病弱であり、よく寝込んでいるがとても優しく子供や他の人からはとても慕われている事。そんな中、神王教団幹部のマクシムスという男が旧市街の子供にミューズが元気になる薬として夢魔の秘薬を渡した事。それを飲んでしまったミューズは夢の世界に取り込まれ、今なお戦っているだろう事。夢魔の秘薬の残りを呷り、ミューズを助けに行かなくてはならないが、その為には腕利きが足りない事。

 現状を一つ一つ説明し、伝えるシャール。その辺りで装備を整えた少年が戻ってきた。

「もしも夢の中で夢魔に殺されれば、現実に還ってくる事はない。永遠に夢の中に囚われてしまう。とても危険だが、あいにくとこちらに出せるものはない。善意に縋るしかないが、もし腕に自信があるなら共に戦って欲しい」

 そう言って頭を下げるシャールに、考え込む一同。その中でノーラだけは気安く声を出す。

「クレメンス様にうちはお世話になった。恩は返す、私は付き合うさ」

「……今、ノーラを失う訳にはいきません。私も参加しましょう」

「残りの秘薬は2人分。万難を排して戦いに臨みたいので、他に力になれる者を探していたのだ」

 追従するカタリナに補足するシャール。少し考え込むユリアンに困った声をかけるのはサラ。

「トーマスカンパニーとしても、ミューズ様というかクレメンス様の娘を助ける義理はあるわ。けど、ユリアンに無理も言えないし」

「……いや、トーマスカンパニーとして義理があるなら俺も参加しよう。これも仕事だ。少年はどうする?」

「戦う事に否はないよ」

 これで五人、人数は集まった。

「なら、できるだけ急いでミューズ様を助けたい。今から旧市街に向かうが、構わないか?」

「あ、トーマスカンパニーから人手を出して旧市街からベント家へ眠ってしまった人たちを運ぶ手配をするわ。

 倒れている人を放っておく訳にもいかないし」

「その間の護衛は私の仕事ですわね。頑張りますわ」

 サラが追加で状況を詰めて、モニカが気合をいれた声を出す。

 

 彼らが向かうのは夢の、悪夢の世界。

 新たな戦いが始まった。

 

 

 




ちょっと短めですが、ここで一区切り。

GWがリアルきっついです。できるだけ頑張りますが、週一更新できなかったらごめんなさい……。


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047話

3週間。ちょっとまったりし過ぎちゃいましたか。
これからもぼちぼち頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。

もう一度、週一回以上の更新を目標に。まずは夏まで!
先に言っておきますが、多分夏休みもいただくのでどうかご容赦を。


 

 

 レオナルド武器工房を出た一行。その中で奇妙な緊張感を醸し出している人物たちがいる。それはカタリナとユリアンであり、彼らを複雑そうな顔で見るのはモニカ。

 モニカは全ての事情をおおよそ把握しているが、二人はそうではない。ユリアンはカタリナが極秘任務でロアーヌを出たと思っているし、髪が短いのもその任務の一環だとすればミカエルに強い忠誠を誓っているカタリナならば自らの髪を切っても不思議ではない。ただ、その任務の内容を一切知らないし、知る権利もない為にモヤモヤとした感情がくすぶっているのである。

 一方でカタリナは更に複雑である。彼女がマスカレイドを奪われたという醜聞をさらす訳にはいかないが、それはそれとしてユリアンのみを護衛としてモニカがロアーヌの外に出ているのも不可解な話である。この状況と人柄を鑑みるにユリアンを今更疑わないが、何が起きているのか心配で仕方ない。だが、自分の後ろ暗い任務内容を明かさずにユリアンやモニカの事情を聞くのも難しいとも思っている。

 やがて、ぽつりとカタリナがユリアンに尋ねる。

「ユリアン、少しいいですか?」

「はい、カタリナ様」

「私に様とつける必要はありません。今の私はロアーヌ貴族でなく、ただ任務を全うする個人に過ぎないのです」

 そこで少し話をきり、やや戸惑った呼吸をする。

「ユリアン、あなたは今、己に恥じない行為を行っていますか?」

「? はい」

「モニカ様をロアーヌの外に連れ出しているこの状況、あなたしか護衛がいない現在は万が一がないとも限らない。それでもですか?」

「はい」

 最初の質問にはやや戸惑ったユリアンだが、重ねて問われた言葉には胸を張って答えられる。

「確かに、モニカ様の身の安全のみを考えれば最善とは言い難いかも知れません。ですが、モニカ様の為を思うならば、これが最善だと言い切れます。恥じ入る己はどこにもありません」

「そうですか……」

 やや寂しそうにカタリナは笑い、言う。

「その真っすぐな言葉は、いいですね。今の私には、少し眩しいわ」

 

 ピドナの旧市街にあるあばら家の一つ。

 そこでミューズは醒めない眠りについていた。その顔色は、悪い。それが明確に状況の悪さを物語っている。ついてきたのは夢の世界に入り込む5人に、モニカ。眠ってしまっては無防備になってしまうため、モニカはその護衛をするという形である。

 そんな環境に倒れた人間を置いておく訳にもいかないので、その身の安全確保はベント家にお願いする事になるだろう。その話を通す為、サラはトーマスに事情を説明しに行っている。ニーナも何ができる訳ではないので、サラと一緒にベント家へと向かっていた。もちろんニーナはそのまま留守番だ。

「これが夢魔の秘薬だ。ミューズ様の傍らで飲めば、取り込まれた夢に乗り込む事ができるだろう」

 そう言ってシャールはノーラにカタリナ、ユリアンに少年といった共に戦う面々に夢魔の秘薬を配る。毒々しい色をしたそれは、飲むのに少し勇気が必要だった。

「夢の世界での死はそのまま現実の死に繋がりかねない。夢魔の秘薬は夢と現実の境を曖昧にする禁域の薬だからな。ミューズ様を助けるのは当然だが……皆、死ぬなよ」

 シャールのその言葉に力強く頷いた面々は、決意の表情で夢魔の秘薬を呷る。

 瞬間、言い難い陶酔感が体中を駆け巡り。

 そしてそのまま意識を失うのだった。

 

 

 酩酊から唐突に覚醒するような、不自然な感覚。

「……ぅぁ」

 喉からぼけた声が出て、問題のない気怠い感覚を覚えながらユリアンは立ち上がる。身の回りの物は、ある。剣に防具は問題なく、共に夢魔の秘薬を呷った面々も違和のない違和感を抱きながら立ち上がっている。

 ふと周囲を見渡せば、ロアーヌ宮殿を超えた絢爛たる部屋。思わず目を瞬かせてしまう。

「……夢?」

「夢だよ」

「これが悪夢、かい?」

 思わず口に出した少年に反射的に突っ込んでしまったユリアン。それに怪訝そうな声を出すのはノーラ。ここはおそらく夢の世界だろうが、何というか、雅に過ぎる。直前までピドナの旧市街に居たとは思えない。

 だが一方で、この光景に見覚えがある人間もいた。カタリナとシャールである。カタリナは一応ロアーヌの関係者である事を隠しているので沈黙を守っているが、シャールはその口を閉ざす理由がない。同行者に簡単な説明をする。

「ここはピドナ宮殿だな」

「ピドナ宮殿かい? あの新市街の最奥にある?」

「一般人が入れない、あの宮殿か?」

「ああ。ミューズ様の父君、クレメンス様は前のピドナの統治者だった。実務全般を取り仕切っていたクレメンス様はピドナ宮殿に入る機会も多く、ミューズ様を連れ添う機会もあったのだ。その記憶がここに蘇っているのだろう」

 ここがどんな場所だったか、その理由は分かった。だが、根本的な問題が解決されていない。その素朴な疑問を少年が口にする。

「なんでそのピドナ宮殿がミューズさんの悪夢の舞台なの? そもそもミューズさんはどこにいるのさ?」

「……分からん。とにかく、油断するな。夢魔に取り込まれれば、それこそ現実の世界へ戻る事はできないぞ」

 シャールの言葉にそれぞれが緊張を走らせる。

 顔を確認しあい、頷いて。まずは部屋を出ようとする一行に、声がかけられた。

「お客様ですか?」

 背後からかけられた声に全員が振り返るが、そこには少し皺がありながらもシャンとした姿勢で立っている一人の侍従。

 世界で最も栄えている国、ピドナの宮殿で働くに相応しい女性がこちらを見ていた。

「あ、ああ。客といえば客だけど――」

「お前はいつからそこに居た?」

 空気に呑まれ、迂闊に侍従を受け入れていたノーラだが、シャールの鋭い声に正気に戻る。

 そうだ。最初に確認した時は、ここには仲間5人しか居なかった。なのにこの侍従は出入り口が一つしかない部屋の、反対側に立っていた。

 状況を整理すれば明らかにおかしいのに、どこか頭に霞がかかって明瞭な判断ができなかったノーラ。気が付けばシャールは鋭い視線で槍を構え、カタリナはフランベルジュを抜き放っている。ユリアンも腰を落として白銀の剣の柄に手を添えて、少年も東方不敗を握りしめていた。自分だけが出遅れた事を理解したノーラは心の中で舌打ちしながら、工房で新しく開発された棍棒であるゴールデンバットを構えて対峙する。

 そんな一行をクスクスと笑いながら応対する侍従。顔は笑っているが、眼が笑っていない。

「いつからここにいたかとおっしゃられましても。最初からいましたし、今はいないとお答えする事も間違ってはいませんわ」

「…………」

「あらあらまあまあ。意志の強い方々ですこと、夢に堕ちて下さらない。まどろみの中で不安なく眠る事も悪くはありませんのに」

「…………」

「仕方ありませんね。眠らないのでしたら――引きずり込むまでっ!!」

 瞬間、侍従の姿が大きく変わる。体が肥大化し、人間のそれから魔獣のそれへと変化する。特徴的なのはその鼻だろう、長く伸びたそれは魔獣の一つの武器であると察せられる。

「――バクか!」

 正体を看過したシャールの声より早く、突進を仕掛けてくるバク。もちろん人間の数倍以上はある体格差があるというのに真っ向から受ける者はおらず、四方に飛んで散る面々。

 とりあえず初撃を回避し、敵を囲む事に成功したが。逆を言えばそれぞれが受け持つ部分は薄いという事でもある。一人倒されれば、バクはまたも自在に暴れまわるだろう。

 その一人を、獣の本能で察知するバク。誰でもいいなら最も弱い人間を狙うのが道理。

「私かいっ!」

 そして狙われたのはノーラ。確かに彼女の本職は職人であり、戦士ではない。彼女に狙いを定めるのは間違っていないといえば間違っていない。

『さあ、痛みから逃げなさい! 夢の世界へ堕ちるのです!!』

 単一を狙ったその攻撃に、ノーラは全くの無傷とはいかない。牙で裂かれ、その長い鼻で強打される。

「ぐっ!」

 痛みと霞がかかった感覚に、意識が飛びそうになるノーラだが。それを選ぶには彼女は意志力が高すぎた。

 唇を噛み、その痛みで意識を立て直す。そう簡単に死んでやる訳にはいかない。ゴールデンバットを盾にして、できるだけ被害を少なくするよう守りに入った。

 そして囲みを抜けなかったのならば、他の人間が敵の無防備な背中に切りかかるのは道理。バクの隙だらけなその体に、シャールのパルチザンが、カタリナのフランベルジュが、ユリアンの白銀の剣が、少年の東方不敗が。それぞれ襲い掛かり、その巨体を引き裂いていく。背中は穿たれ、脚はもがれ、骨が断たれて生物としての命と行動力とを失っていく。

 動きが鈍り切ったところで、一身に攻撃を喰らっていたノーラがその憂さを晴らさんばかりに武器を振り上げて、叩き込む。

「オラァ!!」

 渾身の一撃はその頭蓋を叩き割り、バクのその体はまさしく四散したと表現するに相応しい様相を晒す事になった。

『……なるほど。痛みや力であなた方を夢の世界に引きずり込む事はできないようですね』

 ぐちゃぐちゃになった死体のはずの体から声が聞こえる。その違和感に思わず少年は顔をしかめた。目の上まで頭が潰れているのに、口は動くのだ。ゾンビ型モンスターよりも気味が悪い。

 そして今の戦闘がまるで夢であったかのように、バクの死体が寄り集まり人間の姿に戻る。最初と同じ年かさの侍従の姿に戻ったバクだが、それに警戒を解く愚か者は一人もいない。全員が全員、鋭い目で見据えながら臨戦態勢を崩さない。

 そんな彼らに微笑みながらバクは、その姿に見合った優雅な礼をして言葉を続ける。

「よく分かりました。ならば、別の方法で夢を見させてあげましょう」

「お前の言葉通りに動くと、本気で思っているのか?」

「ええ。私が先に夢に堕ちたミューズ様の許へ案内すると言えば、あなた方はついてくるでしょう?」

 その言葉に思わず硬直してしまうシャール。その言葉が正しいならば、ミューズは既に悪夢に囚われてしまっていることになる。

 だが、それに不敵に笑って頷くのはユリアン。

「願ってもない。ミューズ様を夢から覚ますのはこちらの目的に沿う。ミューズ様の所へ案内する気なら乗ってやる。だが――」

 抜き身の剣を侍従の首筋にあて、剣呑な瞳で敵を睨みつけるユリアン。

「騙すつもりならば。その体、再び引き裂かれると思え」

「ふふ、怖いですねぇ」

 侍従らしい奥が見えない笑いを見せて、バクはこの部屋のたった一つの出入り口へと向かう。それを警戒しながらも追従する一行。

「ノーラ、痛めつけられましたね。癒します、アースヒール」

「ん、楽になったよ。カタリナ、ありがとう」

 態勢を整える事ももちろん忘れない。

 

 部屋を出て、絢爛な宮殿の内部を侍従の後をついて歩く。途中ですれ違うメイド、近衛兵、貴族たち。宮殿にいてもおかしくない職種の人間たちだが、その表情は判を押したように侍従と一緒。その瞳の怪しさも、また同じ。

 自分達以外の全てが敵であり、バクであると理解せざるを得なかった。このバク達が一斉に襲い掛かってきたら危ないかも知れないと、ユリアンや少年、そしてノーラは警戒心を隠さないまま歩き続ける。

 シャールもまた背中に冷たい汗をかいていた。利き手が使えれば何の問題もないと胸を張って言えるが、あいにくとその腕の腱はルートヴィッヒによって断たれてしまっている。反対の手でも槍を使えるように訓練はしてきたが、全盛期には遠く及ばないだろう。せいぜいがそこらの兵よりも強い程度か。そもそも槍は両手で扱う武器であるからして、片方の腕が使えないというのは致命的に過ぎる。やはり、今現在シャールが最も頼りにする己の武器は術だった。

 この中唯一冷静なのはカタリナ。彼女のみ、周囲の人間が一斉にバクとなって襲い掛かってきても返り討ちにできる自信が備わっていた。強いという事は心の安定にも一役買う事があるという好例だろう。その彼女から見て、いきなり襲われる可能性は低いように思えた。周囲のバク共は虫で遊ぶ子供の目である。そうでなければ、平民の拷問を酒の肴にする貴族連中とでもいえばいいか。自分が手を出さず、相手を嬲り物にする趣味の悪さを感じる。つまり、こいつらは自分以外の手によってこちらの破滅を楽しむ腹積もりだろう。

(やれるものならやってみなさい)

 その感情を冷静に理解し、逆に見下すように視線を返すカタリナ。意図が伝わったのか、そうでないのか。バク共の反応は変わらない。

 そして少しか、多少か、しばらくか。歩いた先に、立派な門構えが見えた。主がいるべき部屋の、その扉だと全員が理解する。

「お入りなさい。中にミューズ様がいます」

 先導した侍従はそう言い残すと、霞のように消えてしまう。残されたのは夢の中に乗り込んだメンバーのみ。

 その中で少年が聞く。

「どうしよう?」

 罠の可能性もないではない。このままのっていいのかどうか、全員に問う。最初に答えたのはノーラ。

「すまないが、私はこういった事を考えるのは不得手でね。みんなの意見を聞きたい」

「乗り込もう。正解か不正解かのヒントはないんだ、覚悟をした上で入った方がいい」

「ミューズ様を見つける為には、くまなく夢の中を探さなくてはならない。この部屋を除外する理由はないな」

「この中は当たりかと。奴らは力づくでこちらを折る事はしなかった。でしたら、趣味の良い光景がこの中にあるのでしょうね」

 ユリアン、シャール、カタリナがそれぞれ言う。

 入るべき、ただし警戒は必要。それが一行の総意となった。お互いに視線を交わし、覚悟を決めた上で扉を開く。

 果たしてそこには2人の人間がいた。

「ク」

「クレメンス様っ!?」

「おお、シャールか。うむうむ、壮健そうでなによりだ」

 気品ある椅子に座る壮年の男。ユリアンや少年は知らないが、シャールとノーラの驚愕の表情を見るにアレは前のピドナの主権者にしてミューズの父、そしてシャールの主であるクレメンスなのだろう。

 その男の隣で、これまた豪奢な椅子に座っている、絶世と称していいだろう美女がいた。ユリアンにしてモニカよりも美しいかも知れないと思い、そしてそんな人間は想像もしていなかった。

 どこか虚ろを見るようなその美女。この期に及んで違うとは言わないだろう。

「ミューズ様、か」

「多分ね」

 ユリアンと少年はお互いに頷き合って確認する。今を見ていないような、夢を見ているようなミューズはまさしく現を抜かすと評するに相応しい。彼女を正気に戻さなくてはならないとなれば、一苦労で済むかどうか。

 そしてそんな場を一歩引いたまま、厳しい表情で見ているのはカタリナ。誰にも感情移入していない上に歴戦の剣士と呼ぶに相応しい彼女は、現状を正しく理解していた。

「ノーラ、シャール。しっかりしなさいっ!!」

 腹の底から響かせる怒声でもって、腑抜けた仲間たちを叱咤する。正気であったユリアンや少年がビクと震えるような大声で、そして人として現実を感じさせる力ある声で。

 その声にハッとするノーラ。

「あ、ああ。すまない。そう、そうだ……。クレメンス様は、死んだんだ……。

 ここが夢の中だって、すっかり忘れていたよ」

 それはきっと、夢魔の秘薬を呷った時からある感覚。頭にかかる霞が、ほんの小さな差異を忘れさせ、目の前の統合性ない事象を現実と認識してしまう。

 この感覚を持ち続ければ、確かに正気を保つのは難しいかも知れない。全員が正気を失う前にこの夢から醒めなければならなかった。

 だというのに。

「クレメンス様、今、お側に……」

 仲間の一人が囚われた。シャールはミューズと同じく現を抜かした表情と瞳、そしてナニカを失った声でフラフラとクレメンスの姿をした男へ歩き出してしまった。

「! シャール、止まりなっ!!」

「シャール。そ奴らは儂の下に馳せ参じるそなたの忠義に邪魔なようだ。始末しなさい」

「…。はっ!!」

 夢に囚われたシャールはクレメンスの姿をした男の声に従う。

 槍を構え、先程まで共にいた四人に向かって襲い掛かる。

「ちぃ!」

「ここは僕が!」

 舌打ちをするノーラを追い越して、前に躍り出た少年が軽やかに東方不敗を振るう。襲い掛かる槍を叩き落とし、距離を詰めて拳を振るう。

 シャールはバックステップで下がって拳をかわし、素早く術を完成させた。

「エアスラッシュ!」

 熱が伴った刃が少年に迫るが、東方不敗を振るってそれをかき消す少年。そのままシャールに接敵し、武器を振るう。槍で受けるシャールだが、やはりその技量は拙いと言わざるを得ない。少年の力任せの攻撃を受け切れず、後ずさる。

 だが、この状況で困るのは少年である。まさかシャールを叩き切る訳にもいかない。

「……どうすればいい?」

「あなたは足止めを。その間に私たちが元凶を仕留めます」

 冷静にカタリナが言った。この状況は明らかにあのクレメンスの姿をした男が原因だ。アレがいなくなればシャールも、そしてミューズも正気に戻る可能性は十分にある。

 そうでなくても、アレを放っておいては百害あって一利なしだろう。始末しないという選択肢はありえない。

 惑わされたシャールと、それを留める少年。それを置いて敵へと向かうノーラとユリアン、そしてカタリナ。そして楽しそうに見やるクレメンスの姿をした男と、虚ろなミューズ。

「おおっ、儂の元に刺客が迫る。どうしたらいいかな、ミューズ?」

「はい、お父さま。シャールにかつての力を取り戻してもらうのがよろしいかと」

「お前がそう言うならそうしよう」

 クレメンスの姿をした男は、どこからともなく美しい彫刻がなされた小手を取り出した。どこか霊的で、そして聖的な雰囲気を持ったそれが明らかに邪悪なその男に似合わず一人を除いて怪訝な顔をする。

 除いた一人はカタリナ。彼女はそれ(・・)と似た雰囲気を持つものを知るが故に固まってしまった。それは聖王遺物である、彼女が失ってしまったマスカレイドの雰囲気にとても良く似ていたのだ。

「しまっ!?」

 気が付いたカタリナは素早かった。とっさに踵を返し、少年に抑え込みかけられているシャールの所へ駆ける。

 そしてその判断は正しかったと言わざるを得ない。

「シャールよ。聖王遺物、銀の手だ。これを用いればお前の腕はかつての力を取り戻せるだろう。その力、存分に使うが良い」

「……? 受け賜わります」

 どこか違和感を覚えつつ、シャールは主の言葉に粛々と頷いた。

 シャールが了解した瞬間、銀の手はクレメンスの姿をした男の元から消えてシャールの腕に取り付けられていた。それは槍と大剣とで鍔迫り合いをしていた少年にとってはたまった物ではない。力で優位に立っていたはずが、一瞬にして相手が自分の力を上回ったのだ。一気に押し返され、大きな隙を作ってしまう。

 それを逃さず、シャールは力が戻った利き腕でできた隙を容赦なく突く。

「エイミング」

「無形の位っ!」

 それを咄嗟に割り込んだカタリナがいなした。タイミングとしてはギリギリで、少年の胸を穿つように放たれた突きはカタリナによって逸らされる。

 そのカタリナの頬を冷たいものが伝う。シャールの槍を逸らしきれず、ほんの少しかすってしまったが故に流れた血。もしも武器に毒が用いられたら終わりであるが故に無傷であり続けようとした戦士にとって、それは決して楽観できない傷であった。

 利き腕を存分に振るえる、ピドナの近衛騎士筆頭。それは自分と同等以上であると、カタリナは自分を戒めた。だからカタリナは足手まといを許さない。

「少年、君はユリアン達と行け」

「で、でも……」

「行けっ!!」

 問答している余裕はない。有無を言わさぬ怒声に数歩後ずさる少年。

 そしてシャールはカタリナに襲い掛かった。突かれるパルチザン、振るわれるフランベルジュ。その鋭さに、重さに、軽快さに。一瞬で自分の及ばない域であると理解してしまう少年。自分は邪魔以外の何物でもないと理解した少年は、激しい打ち合いの音に背中を向けてもう一つの戦場へと向かう。

 そこには剣を持って振るうクレメンスの姿をした男と交戦する、ユリアンとノーラの姿があった。

 だが、その戦いは余りに異様。

 ユリアンの剣が敵を貫く、ノーラの棍棒が肩を砕く。

 致命傷となる一撃を薄ら笑いのまま、避けもせず受けた敵。貫かれた傷が、砕かれた骨が、逆再生のように元に戻ってしまう。

「くそっ!」

「どうなっているんだいっ!?」

 そして敵の反撃。だが、その動きはお世辞にもいいとは言えない。戦う事を得意とするユリアンはもちろん、専門職でないノーラもダメージを受ける事なく捌く事ができる。

 だが、それが何だというのだろう。相手を打倒できなければ何の意味もない。いつか疲れて集中力を欠き、仕留められるだけだ。

 そんな戦いに集中していた彼らは気が付けなかった。ほんの少し離れていた少年だけが気が付いた。

 この場でただ一人、動きの無かった者であるミューズがその戦いに目を向けていた事に。もちろんそれ自体はおかしい事でないだろう、目の前で武器が振るわれていたら視線はそこに向く。だが、違う。先程と違う。現を抜かすような表情ではなく、どこか青ざめた表情でその戦いを見ていたのだ。

「……違う、違う。これは違う、違うの。……夢、そう、悪い夢。お父さまが死ぬなんて、そんなの、悪い夢」

 かすかに呟く声が少年の耳に届いた。

 思い出す、ここは夢の世界だと。ミューズの夢の世界だと。そう、これはミューズの()なのだ。最愛の父が死んでいないという、都合のいい夢。

 少年はそれを理解する。自分達は間違っていた、夢に巣食う夢魔を倒す事が勝利条件だと思い込んでいた。

 だが、バクは何を目的としていた? こちらを傷つけようとしたのはあくまで手段であり、目的は自分たちに現実を否定させる事。夢の世界に引きずりこむと、明確にそう言っていた。

 気が付いた少年の行動は早い。決して死なぬ男を相手にする戦いを走って抜け、この夢の元凶であるミューズの前に立ち、肩を掴む。力強く掴まれた柔肌は歪み、ガクンと力なく首が動き顔が上向く。真っ青なその表情のまま、ミューズは焦点が合わない瞳のままで呟き続ける。

「死なない、死なない。お父さまは、死んでいない……」

「目を、覚ませっ!」

 その頬を力いっぱい叩く少年。だが、ミューズは正気に戻らない。

「お父さまは生きている、生きているの……。死んでいない、死んでいない……」

「人は、死ぬ!!」

 びくりとミューズの体が震えた。その心に届く声を出す事は、きっとユリアンにはできなかった。カタリナにもノーラにも、シャールにもできなかった。

 関わった人が死に続けた、少年にしか出せない心からの言葉。それでようやくミューズの心の琴線に触れる事ができた。

「……死ぬ?」

「そうだ、人は死ぬ。必ず」

「お父さまも、死ぬ?」

「ああ、その通り。誰でも例外なく、死ぬ」

 その言葉にまたもミューズの声が冷えていく。

「死ぬ、死ぬ、死ぬ。けれど夢の中なら、生きていける……。そう、死なない、死なないの。お父さまは、死なない……」

「生き続ける事はできない」

 けれども死ぬ事を恐れてはいけないと、彼は他人とは思えない少女から教わった。

 生きる事を、楽しむ事を、教わった。

 死に囚われてはいけない。そう死とは――

「死ぬ事は正しい。その正しさを認めなかったら、悲しむ事もできないんだっ!!」

 ――死とは、悼むものなのだ。

「お父さんが好きだったんだろうっ!? なのになんで死ぬ事を認めてあげないんだ、生き続けるなんて人に許されない事を願ってしまうんだっ!!」

「だって、お父さまがいないと、悲しい……」

「悲しめっ!!」

 それが少年の結論。

 彼を助けようとした人が死んだ。死んだ人の気持ちは分からないが、それでもあの人は昔の自分の様に人を怖がって人と関わらない。そんな孤独な人生を送る事を願ったのだろうか?

 自分が死んだせいでそうなったとしたら、それはきっととても悲しい事だと少年は気が付いた。

「泣いて、悲しんで、嘆けばいい! でも、その後に笑わなくちゃいけないんだ。死に嫌われた人は、死に負けちゃいけない」

「死に――負ける?」

「そうだ、勝て。死ぬという事に勝てばいい」

「……どうやって?」

「笑えっ!」

 そう言って、満面の笑みを浮かべる少年。

「泣いて、悲しんで、嘆いて。その後に、死んじゃった大好きな人を思い出して笑えばいい。それだけでいい、それだけでいいんだっ……」

「――」

 後ろで戦いの音が聞こえる。けれども少年のこれも戦いだった。紛れもない、自分を懸けた戦いだった。

「――笑え、ない」

 ミューズがやがて口にする。

「私は、笑えない。

 こんなにも、悲しい。こんなにも、辛い。

 だって――」

 

「お父さまは、もういないのだから」

 

 ユリアンの剣がクレメンスの姿をした男の心臓を貫く。

 これで何度目だろう、数えるのも億劫になる程に殺し続け、ユリアンの心に疲労が溜まり続けていた。それでも負けは認めないと、再生する敵と戦い続ける覚悟を決めている彼は素早く後ろに下がり、追撃を避ける体勢をとる。

「……そうか」

 だが、追撃はない。いや、それどころか傷が再生もしない。

「夢が、終わるのか……」

 そう呟いた男は、どこか寂しそうだった。

「え。クレ、メンス、様?」

 その言葉と表情と。それを認識したノーラは茫然とした声を出した。

 自分が戦っていたその男が、工房に良くして貰っていた優しいおじさんと完全に一致した。見た目ではなく、その雰囲気が。

 この中で、ノーラしか知らないクレメンスの一面だった。それがミューズの夢で見えるとは、まさか。

 呆気に取られたノーラに向かって困ったように笑う、クレメンスの姿をした男。戦いの音はいつの間にか聞こえなくなっていた。その静寂が支配した空間に、男の声が響く。

「ミューズを、頼む」

 

 

 

 世界が、崩れた。

 

 

 



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048話

明日にはとうとう投稿6ヶ月目になります。
半年、思えば遠くにきたものです。

付き合っていただける皆様に、感謝を。


 

 

 

 ベントの屋敷、その一室。

 そこでトーマスとサラ、そしてモニカは静かにお茶を飲んでいた。

 その表情は、険しい。ミューズを夢の世界へ助けに行った面々がこの屋敷に運び込まれて、もう四日が過ぎた。青白い顔色の彼らが死んでいないと分かるのは、細々とした脈うつ心臓しかない。その鼓動がなければ死んでいると判断してもおかしくない容態だ。

 いつ戻ってくるのか、全く分からない現状。もしかしたら全員、悪夢の世界へ取り込まれてしまった可能性は、口にするまでもなくそこにいる三人の脳裏によぎっていた。

 だがしかし、それを口にする者はいない。下手な事を口に出して不安を共有したくなかったのだ。こんな弱気なのは自分だけで、他はみんな無事を信じていると。その最悪の可能性は見て見ぬふりをしている。

 もちろん人間は食べなければ死んでしまう。トーマスは手配して、寝たきりの彼らに粥を流し水を含ませ、生命活動に支障がないようにはしている。だが、それがいつまで続くのか。先の見えない戦いに、精神的にすり減り切っていた彼らだった。

 起きるにしろ、死ぬにしろ。その時が来れば即座に使いが来る手筈になっている。どちらでもいいから、知らせを持って使いが来て欲しい。その心境になる一歩手前だろうか。

「トーマス社長っ!」

 その心境に至る前に、ノックもせず部屋に飛び込んできた使いの者。三人とも顔を強張らせ、次の言葉を待つ。生か、死か。果たして――

「六人、全員が目を覚ましましたぁ!!」

 ――聞こえた言葉に。サラとモニカは思わずへたり込み、トーマスは四日ぶりに肩の力を抜く事ができた。

 誰ともなしに動き出し、夢の世界へ旅立ち、そして戻ってきた戦士たちが横になっていた部屋へと向かう。その部屋の前に辿りつき、部屋の扉を開け放つ。

「ミューズ様、よくぞご無事で……」

「ユリアン、カタリナ。本当によかった……」

「ユリアンも少年も無事で……」

 三者三様に声を出しながら部屋に入ったが、言葉がすぼんでしまう。

 ジト目でシャールを見るカタリナにノーラ、ユリアンに少年。その視線を受けて全力で頭を下げるシャール。そしてオロオロと狼狽しかしていないミューズ。

 入り込んだトーマス達には現状が全く理解できなかった。

 

 

 シャールがいかに役に立たず、あっさり夢に取り込まれてしまったのかを愚痴を交えて語るノーラ。一番役に立たなくてはいけない人間が一番迷惑をかけたのだから、まあその心情は理解できる。

 カタリナも遠まわしに嫌味を言うくらいはする。手伝った相手と殺し合いをして、その上相手が自分と同等以上だったのだ。生きた心地はしなかったし、戦士としてプライドも傷ついた。彼女としてもシャールを庇う気はない。

 少年もカタリナが一瞬遅かったら殺されていただろう。悪気がなかった事は分かっているのであまり厳しく責め立てはしていないが、当然言うべき事はハッキリと言っている。

 そんな彼らを見てユリアンは顔を引きつらせている。言いたい事はあるが、それら全てを言われている上におまけまで乗せられているのだから、彼としてはこれ以上の文句の言葉はない。

 全てを受け止め、神妙に頭を垂れるシャール。今回の件に関して彼に弁明の余地はない。

 事の発端となったミューズにも発言権はない。むしろ彼女が責められる前にシャールが率先して頭を下げた為、一番最初に夢魔の秘薬を呷ってしまった失敗がうやむやになっているところはある。

「ま、まあシャールさんが助けを呼んだ判断は正解だったという訳だな」

 言葉でシャールをぼっこぼこにするのが一段落ついた時に、トーマスがそう締めくくった。というか、第三者が止めないと永遠とシャール叩きが続きそうである。ある程度の憂さが晴らせたのならば建設的な話をしなくてはならない。

「さて。問題はなぜ神王教団の幹部であるマクシムスという男がミューズ様に夢魔の秘薬を盛ったという事だな」

「? ミューズ様を殺すためじゃないのかい?」

 トーマスの問題提起に首を傾げながら答えるノーラ。あのままではミューズは醒めぬ夢を見続けていたのだろうから、その線が一番濃いように思える。クレメンスの一人娘というだけで殺される要素は十分である。

 だが、それに首を振って否定するのはカタリナ。

「いえ。殺すならもっと直接的な毒を盛るでしょう。夢魔の秘薬を使用するのは迂遠に過ぎます。他に目的があったと考えていい。

 例えば昏睡状態のミューズ様を捕え、何かに利用しようとしたか。ミューズ様を助ける為にシャールも夢魔の秘薬を呷ると考えれば、護衛がないも同然。それを狙っていた可能性もあります」

「確かに、神王教団の奴らがベント家を見張っていた形跡はあった。ミューズ様を捕え損ねたと考えれば自然だが――」

「ないな。奴らがそんな不手際をするとは思えない。ミューズ様が昏倒し、私が助けを求めた隙をついた筈だ」

 カタリナの言葉をトーマスが継ぎ、そしてそれすらもシャールが否定する。

 しかしでは何が目的か、今一つ判別しない。誰もが首を傾げる中、ふとミューズがシャールの腕につけられたそれ(・・)に気がついた。

「あら、シャール。あなたの腕に……」

「? 銀の手……?」

 ふとシャールが自分の利き腕に視線を落とせば、夢の中でクレメンスに授けられた銀の手がそのまま腕にくっ付いてきている。反対の手で触ってみるが、やはりそこに実在しているのは間違いがないようだった。

「これはクレメンス様が破壊したはず。なぜ――」

「そういう、事ですか」

「……チ。胸糞悪い」

 首を傾げるシャールとミューズだが、おおよその事情を察したカタリナとノーラが一気に顔をしかめた。

 必然、彼女たちに視線が集まる。何か知っているなら教えろと言った意味がこめられたそれに、カタリナはゆっくりと言葉を選びながら口を開く。

「――神王教団の内部に極悪人がいます。人を利用し、弄び、そして殺してでも自らの欲を満たそうとする者が。

 そいつが求める物は聖王遺物。その一つである銀の手を求め、既に破壊された事を知ったのでしょう。

 それでも諦めなかったそいつは、ミューズ様の夢から銀の手を回収しようとしたのでしょうね」

「! じゃあ、シャールさんが仲間を集めた事を看過した理由は……」

「夢の世界から銀の手を確実に回収する一手、という訳か」

 ユリアンの驚きにトーマスが補足をして、少年が一言。

「まあ、シャールは役に立ってなかったけどね」

 

 それはともかく。

 

「実際、銀の手は回収された。ならば奴は強硬手段を取るでしょう。

 ――おそらく、ミューズ様やその護衛であるシャールを殺してでも銀の手を奪い取る」

 その言葉にさっと顔を青くしたのはミューズ。

「ピドナだけでなく、神王教団も私を狙うのですか……。先だって、再び銀の手を破壊してしまうというのはどうでしょう?」

「それは得策ではありませんな、ミューズ様。確証が得られない時点で夢魔の秘薬を使うという暴挙に及んでいるのです。銀の手が回収できると判断したのならば再び夢魔の秘薬を盛るか、もしくはそれ以上の外道を行いかねません」

 トーマスが首を振ってミューズの案を否定する。

「ならば、銀の手を差し出せば……」

「あの手合いに下手にでるのはお薦めできませんよ、モニカ様。調子に乗って口封じまではたやすく持っていくでしょう。

 ここにいる面々は、既に奴が夢魔の秘薬を使う外道だと知ってしまった。機あれば殺しに来ると考えていいと思います」

 次のモニカの言葉はカタリナによって否定された。

 口には出さなかったがマクシムスと繋がっているであろうジャッカルは、分かっているだけで既に聖王遺物を二つ、聖王の槍とマスカレイドを奪い取っているのである。それ以上が手元にあるかどうかは分からないが、敵の打倒まで視野に入れている身としてはこれ以上の戦力増強を防ぎたかったという面もある。もちろん、主君の妹君に言った事も偽りではないが。

「じゃあどうするの?」

「……難しい問題ですが、銀の手がこちらにあるという優位を崩してはいけません。どこかに隠すなり、身につけるなりすれば盾にはなります。

 その上で暗殺や襲撃を警戒し、大本を断たなくては」

 カタリナの言葉に現実味が感じられないと、その場にいる全員が感じた事である。相手は歴史あるゲッシア王朝を滅ぼした神王教団、世界最高勢力の一つ。

 10に満たない人数で相手にするには余りに大きい。

 と、なればどうしても数が必要になる。全員の視線は自然とこの中で一番大きな人と金を動かせる男、トーマスへと向かっていた。

 難しい顔をする彼が、共に戦ってくれるか否かで選択肢も難易度も大きく変わる。トーマスがミューズに協力しない場合、自然にユリアンやモニカ、サラや少年といった面々が外れる。残るのはミューズとシャール、ノーラとカタリナのみだ。

「先に明言しておきましょう。私は、戦います。私には戦う理由がある」

「私もさ。ちょっと複雑な事情があってね、降りる気はさらさらないよ」

 悩むトーマスに、言い切るカタリナとノーラ。彼女たちは奪われた聖王遺物を回収するという動機がある。敵がさらなる聖王遺物を求めたとして、今更だ。

 特にノーラにとってクレメンスは工房に良くしてくれた恩人であり、その娘を助けるのは情に厚い彼女にしてみれば当然といえた。

「私はミューズ様を守る。今回晒したような無様は二度と見せん!」

 言い切るシャール。ミューズは信頼の目だが、他の大多数は視線がちょっと生暖かい。トーマスとサラは魔王殿まで子供を助けに行く彼を見ているが、その他の面々にとって説得力のある言葉でないのは仕方が無かった。

 とにもかくにもこの場にいる三人はミューズの味方になると明言した。立ち位置を選べる者として、後はトーマスと少年くらいか。まあ、少年はサラと一緒にいることを止めないだろうから、実質トーマスのみである。

 深く考え込んでいた彼はやがて顔をあげ、ミューズの瞳を見る。

「ミューズ様、私は商人です。故に、益無き取引はしません」

「……はい」

「この件は貸しで手を打ちましょう」

 断られると思ったのだろう。暗い声を出したミューズだが、次の言葉に顔を輝かせた。

「本当ですかっ!?」

「もちろんです。ただし、決して軽いものではないので覚悟して下さい」

 その喜色に冷や水をかけるような、トーマスの鋭い顔。

 喜びがみるみるうちに醒めていく。その変化を理解しつつ、トーマスは淡々と告げる。

「大きな話になります。神王教団の、その一部でも戦うという事になれば、こちらもそれなり以上の勢力にならねばなりません。その事自体は私にも無益でない為に、貴女の味方をするのです。

 貴女を旗頭にクラウディウス縁の者を再結集し、対抗します。その過程でルートヴィッヒとも事を構えるでしょう」

「トム、本気!? 神王教団とピドナ、その両方を敵に回すなんて!?」

 思わずと言った声をあげるサラ。しかしてトーマスは冷静に頷く。

「ここまで来たら半端が一番ダメだ。やるならミューズ様を売るくらいはしないといけないが、そうすればフルブライト商会やラザイエフ商会を敵に回す。どちらにせよ、トーマスカンパニーは争いの真っただ中に放り込まれるのさ」

「……すまない」

 深く深く頭を下げるシャールだが、そんな彼をトーマスは一顧だにしない。ごめんで済む段階は過ぎ去っているのだ。実利の伴わない謝罪など、1オーラムの得にもならないのだから。

 ミューズは自分がとてつもなく大きな事に巻き込まれつつある事を理解して、顔を青くしている。

 逆に目に力が入るのはモニカとユリアンである。この二人はツヴァイクを超える価値を示さなくてならないのだ。そんな奇跡を願っても叶わないような無理難題が相手となっては、この大騒動も一つの好機である。勝率は分からないが、勝ち切れば相応に巨大な見返りがある事は想像に難くない。やる気も出るというものである。

 事の大きさに戸惑うのはサラで、そんなサラを気遣うように見るのが少年。

 だが、この場にいる全員の指標は一致した。すなわち、マクシムスと戦うという事だ。

「まずはミューズ様には生きていて頂かないと話にならない。その上で、仲間を多く集める。その両方を表立って動く訳にはいかない、バレた時点でルートヴィッヒを敵に回す。いずれその時が来るが、できるだけ遅くしたい」

「ミューズ様の護衛は私に任せて貰おう」

「守りだけではダメでしょう。攻め手は私に」

 トーマスの言葉に、シャールが真っ先に声をあげてその補足をカタリナがする。

 相手は夢魔の秘薬まで使っているのである。先手はあちら、ならば反撃くらいはしないと削られる一方だ。

 こっくりと頷いたトーマスは続ける。

「ミューズ様の護衛も、闇で戦う事もできればお願いしたい。こちらとしてはその分野は不得手だからね。

 ……ただ、ミューズ様はピドナを離れた方がいいかも知れない。神王教団であれ、ルートヴィッヒであれ、ピドナでは影響が強すぎる。

 トーマスカンパニーの伝手を使って世界を転々とするのがいいかと」

「わ、分かりましたわ」

 青い顔のまま、それでも頷くミューズ。

 トーマスは頭の中で素早い計算をしつつ、指示を出す。

「……ピドナはしばらく静かでなくなるな。サラもミューズ様についてしばらくピドナを離れてくれ、万が一を避けたい。ユリアンとモニカ様は引き続きサラの護衛を。少年もサラについてくれるかい?」

「分かったわ」

「分かった」

「分かりましたわ」

「分かったよ」

「もちろん、離れるだけじゃない。ミューズ様についていくという事は、先々で仲間を集めるという事でもある。

 この成果の多寡でこちらの命運が決まる可能性もある。くれぐれも、よろしく頼むぞ」

 人を遊ばせる余裕はない、動く人間に仕事を割り振るのは当然である。全員が全員、真剣な表情で頷く。

 そこでふと思い出したようにユリアンが声を出した。

「なあ、ニーナはどうする? こんな大事になっちまったけど、恋人を探しているんだし。旅に連れていって、恋人を見つけてそいつに預けるのがよくないか?」

「……そうだな、まだ彼女の処遇も決まっていなかった。ミューズ様の世話係という体でユリアンの言う通りにしよう」

 ユリアンの案にOKを出すトーマス。

「どこに行くかは今日中に急いで決めよう。とにかく、ミューズ様は一刻も早くピドナを離れる必要がある。いつ暗殺されても不思議ではないからな」

「っ!」

「ご安心を、ミューズ様。このシャール、必ず御身を守り切ります」

 告げられた言葉に体を固くしたミューズだが、即座に臣下の礼を取りながら言い切るシャール。

 それをあながち笑って見過ごせないのがカタリナだ。ため息をつきつつ、補足する。

「まあ、シャールは私と同じか、それ以上に強いですから。彼以上の護衛はいないでしょうね」

「カタリナより強いのっ!?」

 思わずモニカの口から驚きが漏れてしまう。それに表情を引き締めて、カタリナは言いたい事は口にする。

「同じくらい強い、と言わせていただきます。もちろん、銀の手で利き腕が使える前提ですが」

 それはそれとして。そう前置きをするカタリナ。

「私とノーラは工房に戻りますが、それを機に相手もこちらが悪夢から醒めたと気がつくでしょう。その動きを見逃す手はありません、そのまま追撃をかけます。

 混乱が起きているうちにミューズ様がピドナから脱出できれば最高ですね。万が一の事態の為、私とノーラはミューズ様の行先は知らない方がいいでしょう。知って得もない」

「分かった、可能な限り素早く手配する。

 ……今、この瞬間にも相手方に情報が漏れている可能性もある。可及的速やかに動くとしよう」

「あなたができる男でよかったですよ、トーマス。頼もしい限りです」

 ここでようやくカタリナがふっと笑った。それは思い返してみれば、あまりにしばらくぶりの笑顔だった。

 笑う余裕をなくしてはいけない。そんな当たり前の事に気がついた全員は、力を適度に抜いて静かに笑いを浮かべる。中には引きつったような笑みの者もいたが、そこはまあご愛敬である。

「また、全員が生きて出会いましょう。幸運を」

 

 

 

 その日、ピドナの闇と影で大きな騒動があった事に気がついた一般人はいなかった。気がついた者はある程度の実力者であり、一般人の範疇ではない。

 神王教団のその暗部や、ロアーヌやクレメンスに認められていた騎士たちが戦い、殺し合う。

 いや、殺し合うという表現は正しくないだろう。虚をつかれた神王教団の暗部は攻撃する事も出来ずに殺されたのだから。

 だが、所詮ここで殺されるものはその程度の使い道しかないとそう判断されているに等しく、痛手を与えるとはいかないと。その事実に気がつく者は気が付いている。この騒ぎすらも、嵐の前の静けさに等しい。先が見えている者ならばそう評するだろう。

 夢から醒めた後に迫る現実はあまりに大きく、そして冷たい。

 避けられぬ大騒動が忍び寄る事を感じつつ、その大都市から逃げ出す事に成功したミューズたち。

 目指すはリブロフ。大商人、ラザイエフ家を味方にする為に最初に向かった場所がそこだった。

 

 

 



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049話

 

 

 

 ぐったり。

 一言で説明するならそれで十分だろう。時刻は日が落ちたばかり、場所は海上で向かうはリブロフ。ユリアンと少年は心身ともにすり減らし、甲板の上で脱力していた。流石というか、シャールはそんな醜態は晒さない。しゃっきりと背筋を伸ばし、疲れきった男たちを苦笑しながら見守っている。

 女性たちは既に船室に引っ込んで、ベッドで眠りに落ちているだろう。だが女性たちよりもずっと過酷な状況にいた男たちの神経は緊張して尖り、それを鎮めるために波の音を聞いて夜空の星月を眺めていた。

 ピドナを脱出する際に起きた戦闘は過酷だった。男三人に女四人、単純に人手が足りなかった為に大きな防御網を作り、その中心にいた女性たちを守るという形になっていた。具体的に言えば、前線にユリアンを配置して突破力を高める。その後ろにモニカとサラを最終防衛ラインとしてミューズとニーナを守り、その女性陣を少年が更に覆うように守りを固める。シャールは奇襲全般に対応する役目を負っており、その布陣で夕暮れのピドナを駆け抜けたのだ。

 この中で一番負担が大きかったのは誰かといえば、言うまでもなくそれはシャールである。市街戦であり、相手もそれに特化した人員を送り込んできているのだ。建物の上、路地の影、背後からの強襲。警戒すべき攻撃は数えきれない程あり、しかもその場所が瞬間毎に変わるのだ。右手に薄暗い路地が見えたと思った次の一秒では、頭上からの奇襲に適した建物の側を通る事もある。これを見事に防ぎ切った上で余力を残したシャールは、流石元ピドナ近衛騎士筆頭というべきだろう。

 もちろん他の面々の負担が比較的軽かったとはいえ、それは楽をしたという事ではない。前線を任されたユリアンは立ちふさがる敵を速やかに排除しなければ逃げる速度が落ちてしまうため、苦戦すら許されない。相手もそれを分かっているので足止めを目的とした妨害をしてくるのだが、それを時には力であるいは技でねじ伏せる。少年も多勢に無勢の猛攻をシャールとユリアンが受けていた為に、いつ打ち漏らしが出てもおかしくないという緊張感で体を漲らせていた。実際、僅かな手勢や流れ矢の対処もしていた。女性陣も命を狙われるという重圧の中、もつれそうになる足を叱咤して街を駆け抜けたのである。少しは修羅場をくぐったモニカやサラはともかく、深窓の令嬢であったミューズや田舎娘であるニーナには堪えた時間であった。

 この逃走劇が成功した要因の一つとして、カタリナとノーラの逆奇襲があったのも事実だった。相手は攻撃だけに集中すればいいのではなく、どこからから攻撃を仕掛けてくる敵にも配慮をしなくてはならなかった為、その分大きく攻撃に割く余裕を奪っていた。守り一辺倒では勝てないと言ったカタリナの言葉がずばり的中である。

 そのような濃密で短い時間を潜り抜けた一行は、港に逃げ込んでリブロフ行きの船に飛び乗って、そのままピドナを脱出する事に成功した。まずは一安心と言っていいだろう。

「きつかったな……」

「うん……」

 しみじみというユリアンと、素直に頷く少年。それに首を縦に振りながらその戦いを讃えるのはシャール。

「しかし各々、よく役割を果たした。おかげで無事にピドナを脱出できた。この戦果は誇っていいものだ。

 よくやったな」

「ありがとうございます。しかし、本当にシャールさんは強いですね」

 重ねて言うが、一番厳しい配置を受け持ったのはシャールである。市街戦で奇襲を防ぐという、単純に強ければ為せる訳でない役割をしっかりとこなし一行を守り切った。更に後方から突撃してきた相手もその槍で一蹴するという技の冴えを見せて、ユリアンや少年はその高みをむざむざと見せつけられたのだ。その強さにはいっそ憧憬すら湧く。

 ゆえに次の言葉が出てもおかしくはない。

「シャールさん、俺を鍛えてくれませんか? もっと強くなりたいんです。いえ、もっと強くならなければならないんです」

「僕もできればお願いします。自分の命だけじゃなくて、仲間を守れる強さが欲しい」

「もちろんいいとも、二人にはミューズさまを夢から救い出してくれた礼もある。私でよければ喜んで手解きをさせて貰うよ」

 船上で過ごす、ゆっくりとした時間。だんだんと闇が深くなり、空気が冷え込んでいく。

 そろそろ暖かいベッドで横になり、体を休めてもいい頃だと。誰ともなしに割り当てられた船室へと向かうのだった。

 

「強くならなければならないと思うのです」

 翌日。一晩しっかり休み、全員で朝食をとった後のお茶を楽しんでいた時にミューズがそう切り出した。

 それに難しい顔をしたのはシャールである。

「ミューズさま、それは……」

「言いたい事は分かります、シャール。ですが、私は貴族としての振る舞いしか身に着けてきませんでした。この過酷な旅では無能者です。ですから最低限、自分の身は自分で護れるくらいに。出来うるならば、それより強く。そうならなくてはならないのです」

 言い切るミューズ、それに頷くのは女性陣。

 この一行、実権を握っているのは女性達である。シャールの主として認められているのはミューズであり、ユリアンが仕えているのはロアーヌでありその妹姫でもあるモニカだ。そして彼女らを保護しているのがトーマスカンパニーであり、その代表として同行しているのがサラ。サラに付いて来た少年もサラの意向を無下にはしないだろうし、ニーナもトーマスカンパニーの世話になっている身として基本は言われるがままだ。つまり一番発言力が強いのはサラで、次いでトーマスカンパニーが保護しているモニカやミューズが続く。何かあったらユリアンやシャールに相談はするだろうが、決定権は彼女たちにある。

 こういうとサラが一番決定力があるように思えるし、それは間違いではないが、しかしサラが何もかも自由にできるという訳ではない。モニカにせよミューズにせよ、義理や恩、そして得があるからこそトーマスカンパニーの世話になっているのであって、大きな不満があれば離れていく事は想像に難くない。そしてその場合、彼女等の部下であるシャールやユリアンも失う事になる。圧倒的に手持ちが足りないトーマスカンパニーとして、武力の頼りを失うのは大きな痛手だ。最低限以上には彼女たちに配慮をしなくてはならない。

 そんな彼女たちが朝食の前に軽く話し合いをした時に、ミューズが焦ったのが自分の価値の無さだ。もちろんクレメンスの娘としての価値はあるだろうが、それ以外に思い浮かぶものが何もない。サラやモニカは己を守れる位には鍛えているのに、ミューズにはそれさえもないのだ。ちなみにニーナは置いている。彼女はひとまず、世話係以上の期待はされていない。

 ミューズが自身を鍛えたいと言い、そしてそれに同意したサラとモニカ。旅とは自分の身を守れなければ、せめて護衛が駆けつけるまでは自分で自分の身を守らなければならない事がある。だからこそ、自分を鍛えようというミューズの言葉に頷いたのだ。

 しかしこれに困るのはシャールである。いや、鍛えるのがダメという訳ではないのだ。ただ、それを自身がすることができない。自らの華奢な主を痛めつけるような事もある訓練を施すなど、心底からできるとは思えない。そして甘い訓練は土壇場でそれを露呈して、逆に危険な目に遭わせてしまう事を彼は重々承知していた。

 ならば他の者に任せなければいけないが。女性陣は練度が足りない、少年は加減が下手で教えるのに向いていない。となれば、選択肢はユリアンしか残されていない。

 シャールは縋るような目でユリアンを見る。おおよそ同じ思考を経て、そして結論に至ったのか。ユリアンもなんとも言えない表情をしてシャールを見返していた。

「ユリアン、悪いがお願いできないだろうか?」

「分かりました、シャールさん。確かに俺が適任のようですね」

「あら? シャールが教えてはくれないの?」

 無邪気な顔でちょこんと首を傾げるミューズだが、シャールとユリアンの顔は引きつるのみである。このお嬢様、人を教えるという事がどれほど難しいのか分かっていないらしい。

「私よりユリアンが適任かと」

「そうなのですね。では、ユリアンさん。お願いできるかしら?」

「はい、微力ながら全力でお教えいたします」

 ユリアンの言葉ににっこりと笑うミューズ。それが訓練で削ぎ落とされる時はそう遠い話ではない。具体的に言えばもう間も無くだろう。

「明日にはリブロフに着くそうですが、今日は時間がありますね。早速ですが、今からお願いできないかしら」

 そしてその時間を自分から積極的に早めるお嬢様。知らないという事は恐ろしいものである。

 と言っても、知ってるからといってもそれを避ける人間ばかりとは限らない。

「私も自分の力が足りないって思い知ったの、一緒に鍛えて欲しいわ。ねえ、いいでしょ? ユリアン」

「私もです。護衛の任を預かっているのに、ユリアン任せで情けなく思っていました。私ももっと強くなりたいです!」

「あ、じゃあシャールさんは僕を鍛えてよ。 いいでしょ?」

 サラ、モニカ、少年がそれに追従してきた。まあ、断る理由もないので頷いておく男たち。

「それじゃあ、お茶が終わったら訓練を始めようか。それで、ニーナはどうする?」

「あの、えっと……。私、皆さんのお世話を頑張りますねっ!」

 ニーナは不参加らしい。まあ、田舎娘が昨日のような都会で刺客に狙われつつ全力で逃げるという体験をすればむべなるかな。あのように心臓に悪い出来事とは極力関わりたくないというのは、理解できる話でもある。

 と、いうより。鍛えれば誰でも強くなれれば苦労はない。体格や才能、そして経験。全てが伴わないニーナが多少努力したとしても、それが実を結ぶ事になるのはかなり未来になるはずだ。むしろ、己に合わない事を事前に悟ったニーナを褒めるべきだろう。

 

 朝食が終わり、動きやすい格好をした上で木製の武器を持った一同が甲板の上に集合した。ニーナも見学だけはした方がいいという事で同行だけはしている。

 他の面々は言わずもがなだが、ミューズが選んだ武器は剣である。どの武器にも縁がなかった彼女はせめて教えを乞うユリアンと同じ武器を選ぶ事にしたのだ。教わる人と同じ武器なら実りも多少は多かろうという理由で。

 そしてまずやる事は素振りである。

「では、はじめぇ~い!!」

 シャールは目を鋭くしてその言葉を発する。流石は元近衛騎士筆頭、訓練などに出すその声は堂に入っており腹にビリビリと響く。それを間近で聞いた女性達、特にそんな声を聞いた事がなかったミューズは特に面食らうが、シャールの言葉に従って武器を振り始める。男性陣は練度が高いため、声の一つや二つでいまさら驚いたりはしない。

 そうして武器を振り始めるが、教える側のシャールとユリアンと、教わる側の他の面々で向かい合うように素振りをする。そしてシャールは自分が教える人物たちの動きを見て目を細めた。

 筋がいい。それに尽きる。

 少年はいい、彼が強い事は分かっていたし実戦で磨かれたであろう荒いながらも力強い剣筋が見て取れる。少し矯正すれば飛躍的に強くなれるだろう。

 問題はサラとモニカ、そしてユリアンだ。とにかく動きに無駄が少なく、極めて綺麗な武器の振り方をしている。しかもその上で動きに余裕を残しており、咄嗟の事態にも反応できるであろう足腰の捌きさえも見て取れた。女性には力強さが足りないが、ユリアンはそれすらもクリアしていて高水準でまとまっているといっていい。

 流石にこの光景に違和感を覚えないシャールではない。ここまで仕込むのは相当に難しいと分かるが為に自身も木製の槍を振りながら問いをかける。

「ユリアンにサラ、それにモニカ。動きが随分綺麗だが、君たちは誰に教わったのかな?」

 その言葉にやはり武器を動かしながら、この三人で共通する武術を教えてくれた人を思い出す。若干遠い目になりながら、しかし決して無理はさせなかったあの詩人。

「名前は知りませんが、詩人と名乗るとてもお強い方でしたわ」

「ええ。私たちと私のお姉ちゃん、それからトーマスを短いながらも鍛えてくれたんです」

「最初の段階だから分からなかったけど、無茶苦茶教え方が上手でした。無理はさせず、けれども理に適った矯正をしてくれて。彼には本当にお世話になりました」

 声色は軽く、それなり以上に恩を感じているのだろうと分かる言い方である。

 そうとまで言われればどんな教え方だったのかとシャールの興味の一つも湧いた。

「ほう。どんな教え方だったのかな?」

「「「乱取り」」」

 揃った三人の言葉に思わず言葉を失うシャール。それに構わず、かつて教えて貰った時を思い出しながらそれぞれがその内容を口にする。

「旅の最中に教わりましたわ、雑事当番でない三人をまとめて乱取りをするのです。まずは全ての攻撃を回避して、足りない部分を口で教えて下さいました」

「それが一段落つきましたら詩人さんも棍棒を出して、更に実戦形式で。隙を見せたり甘い動きを見せたりした途端にスコンと叩かれて痛かったわ……」

「それでいて武器で攻撃を逸らしたり、武器だけに決して頼らせずに体術を学ばせたり。今思えば、凄い人だったな……」

 特にロアーヌで兵士の全体特訓に参加したり、ハリードに技を教わったりしたユリアンはその言葉の重みが違う。様々な体験をした彼をして、詩人よりも上達を感じられたのはハリードとの特訓だけである。それも種類が違い、ハリードには剣技を教わって戦術の幅が広がった上達の感じ方だが、詩人との特訓では基礎能力が上がるような感覚だ。それも底なしに上がっていくのだから、凄いを通り越して逆に少し怖くなってくる。

 そこまで口々に褒められればシャールとしてもその詩人に興味が湧く。その腕に装着された銀の手はミューズの許可を得て彼が使う事が許されている。久方ぶりに利き腕を存分に振るいながら、シャールは興味本位で質問を続けた。

「その詩人とやらはどのくらい強いのか? 何か指標になる事はないか?」

 その言葉に少しだけ口をつぐんだ一同だが、代表してユリアンが答える。

「ガルダウイングを瞬殺しました」

「は?」

「あの男は、ガルダウイングを一撃で仕留めました」

「……それは」

 思わず聞き返したシャールに、ユリアンははっきりとそう言う。目が点になるシャール。

 ガルダウイングのような強力なモンスターを瞬殺する。もちろん、倒すだけならシャールだってできるだろう。だがそこに一撃や瞬殺という単語が盛り込まれれば難易度は段違いに上がる。それを可能とするのが詩人と呼ばれた男らしい。

「凄いな、それは。いつか手合せを願いたいものだ」

 軽い様子で言うシャールだが、心の中では熱い思いが滾っている。自分よりも強いと思われる相手とは久しく会っていない。それと手合せをできる機会があっては滾るのも無理はない。

 さて。軽い雑談をしながら素振りをしていた彼ら彼女らだが、そろそろ現実にも目を向けるべきだろう。黙々と己を高めるために素振りを続けていた少年はいい。

「…ハァ、ハァ、ハァ」

 問題は準備運動のレベルをしている段階で息が乱れているミューズだ。予想できた事とはいえ、これは酷い。

 どうするべきか、ユリアンは考える。詩人の特訓、兵士の訓練、ハリードの教え、カタリナの実技。それぞれを体験したユリアンはどのような教え方がいいのか考え模索し、選び取る。

「素振り、やめ~い!!」

 シャールの言葉で全員が一斉に動きを止める。他は軽い汗を流したりしている程度だが、ミューズは肩で息をしていた。

「じゃあ、私は他の者を教えるが、ミューズ様はユリアンにお願いして本当にいいだろうか?」

「ええ、ミューズ様は私がなんとかするしかないでしょうね」

 何せ他に教える人間がいない。本当に彼が教えるしかないのだ。

 ここで二手に分かれる。シャールはユリアンとミューズから離れ、ユリアンはミューズに近づいて声をかける。

「大丈夫ですか、ミューズ様」

「大、丈夫です。武器を振るって大変なのですね」

「本物の武器は重いからもっと大変ですよ。それに敵に当たれば反動も大きい。ミューズさまはまず、素振りやランニングといった基礎体力を向上させる事から始めましょう」

 たったこれだけで疲れ切った表情のミューズに苦笑いで答えるユリアン。確かにそこがないと何も始まらない。

 ただ、ユリアンが見るにそこまで絶望的ではない。確かに体力はなさそうだが、そこは鍛えればいいだけの話。そしてしばらく寝たきりだったから体力や筋力は確かに衰えているようだが、体幹のバランスはいい。鍛えれば悪くない以上の結果を残せそうではある。

「お疲れのところ申し訳ありませんが、だからこそ有効な訓練もあります。引き続き訓練をいたしましょう」

「わ、分かりました。次は何をするのですか?」

 問うミューズに、ユリアンは剣の間合いまで距離を離して木製の剣を構える。

「実戦です。と、いっても本気で叩き合う事はありません。

 まずはミューズ様に攻撃していただきます。私はそれを防ぎますし、甘いところがあれば軽く反撃して教えます。ミューズ様は攻撃をしても隙をつくらないように、敵を攻めてください。

 それが終わったら、今度は私が攻撃しますのでミューズ様はそれを防いでください。その際、私がどのようにミューズ様の攻撃を防いだのかを思い出しながら身を守って下さい。見て覚える事も大事ですから」

「はい」

「では、始めましょう」

 

 結果として。あまり痛みを与えなかったユリアンだが、体力切れを起こしてミューズがへばってしまうまでそれは続けられた。ミューズは疲れきって分かっていないが、翌日には筋肉痛で全身が酷いことになるだろう。

 そして翌日にはリブロフに着く。大商人であるラザイエフに目通りを願うのだから、体の不調を隠して好印象を与えなければならない。貴族としてのスキルが試される事であろう。

 

 船上の出来事に関わりなく、船は順調にリブロフに進んでいく。

 あまり昼食が進まなかったミューズはそのまま倒れ込むように眠り、ぐっすりと眠ってしまう。その間、他の面々は思い思いに残り僅かな船旅を楽しんでいた。

 

 

 




最近厳しくなってきたので、いったん週一以上更新の努力目標を取り下げようかと思います。
詳しくは活動報告に記載します。

ご一読をどうかよろしくお願いいたします。


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050話

一月も空いてしまいました。申し訳ありません。
これからも頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。


 

 

 

 ラザイエフ商会って?

 こう聞けば、大概の相手は呆れるだろう。一般常識として、そのくらいは知っておけと。

 一般的な家の中を見渡せば、ラザイエフ商会が取り扱っている品々を見る事ができるはずだ。当たり前のように使っていた日常品もあるだろう。えっ? こんなものまで? という意外な品もあるだろう。もしかしたらそれだけでも新しい発見の連続で、楽しい時間を過ごせるかも知れない。

 ラザイエフ商会って何をやっているの?

 しかしこう聞けば、言葉に詰まる人間は案外多いのではないだろうか。ドフォーレ商会のように金と暴力を巧みに使う訳でもない。フルブライト商会のように伝統があり、聖王縁という訳でもない。ツヴァイクのように強国として有名ではない。神王教団のようにナジュ王国を滅ぼした経歴がある訳でもない。ピドナのように世界最古の都市という訳でもない。またロアーヌのように話題が多い訳でもない。もしかしたら、本拠地がリブロフにあるという事さえ知らない人間も多いかも知れない。そもそもリブロフという都市を知らない可能性もある。

 そんな人間も少なくないため、ここで一応注釈を加えておこう。

 ラザイエフ商会とはリブロフに本拠地を構える大商会である。商会で力がある順にあげていけば、五本の指で数えた時までにその名前があがるはずだ。

 何を売り出しているか。強いていえば、食品を扱っているといえる。リブロフは海に面した草原地帯である為、漁業や農業が盛んである。畜産はそこまででもないが、不得手という程手を出していない訳でもない。

 また東に砂漠があり、そこでは食料の調達が困難な為にその為の食品を特に近場のロアーヌなどから買い集める商売をしている。反対に砂漠で採掘される宝石などの希少品は、基本的にリブロフを経由して世界各地に輸出されるために関税でも潤っている。

 いわば、こういった売り買いの利益をあげる事で潤っているのがラザイエフ商会といえるだろう。大商会ばかりか中小の会社でさえ代名詞といえる商品があるにも関わらず、ラザイエフ商会にそれはない。これが人々の印象に残りにくい理由であり、そしてある意味特徴的といえるだろう。

 余っているものを安く仕入れ、欲しているところに高く卸す。言葉にすれば簡単だが、実行するとなれば筆舌につくし難い苦労や困難がある。最初の段階として世界的に有効な情報網や販路を持っていなくてはならず、普通に考えてこの時点で零から成り上がろうとする者にとっては絶望的な難易度だ。素直に秘境に行き、一発当てる方がいくらか現実的だろう。

 しかしそれらが一定以上あると、その様相をがらりと変える。ただ荷物を運ぶだけで儲けが出るのであるから、限りなく低いリスクで安定したリターンが得られるのだ。

 つまり、爆発力はないが安定性が抜群なのもラザイエフ商会と言えるだろう。そういった訳で安定志向が強くて目端が利く者がラザイエフ商会を志す事も少なくない。

 長々と説明したが、ラザイエフ商会にとっては中立が大切だというのはまあ理解して貰えただろう。どこかに肩入れして反感を買うより、どこにもいい顔をして売り買いに困らない程度に融通を利かせてくれる程度の距離感が一番なのだ。

 そんな大商会の下に、世界最大都市の一つであるピドナと最大勢力の一つである神王教団を敵に回したかつての仲間の娘が転がり込んできたのだから、特大の頭痛の種が埋め込まれたようなものだった。

 

「話は分かった。ひとまずこの屋敷で皆さまを匿おう。細かい話は後日つめるとして、今日のところはゆっくりして下され」

 ラザイエフ家に突如として転がり込んできた7人の男女。それがトーマスカンパニー社長の封蝋印が押された手紙で、ラザイエフ家当主であるアレクセイ宛に庇護を求めた手紙であった為に無下に扱う訳にもいかず。アレクセイはひとまず彼らを受け入れる旨の発言をした。

 ほっと安堵の息を吐いた来客者たちを部屋に案内するように女中に指示したアレクセイは、自分の仕事は終わりと言わんばかりに席を立つ。

 そして部屋を出ると、側に控えていた者に素早く小声で指示を出した。

「ニコライとボリスを呼べ」

「はっ!」

 そのままアレクセイは自分の執務室へとゆっくりと戻り、用意されていた紅茶を一杯飲む。

 僅かばかりの穏やかな時間を過ごした後、コンコンと部屋のドアがノックされた。

「急な呼び出しとは珍しいですね。どうかしましたか、お義父さん」

「邪魔するよ、親父。どうかしたのか?」

 娘のベラと結婚した義理の息子であるニコライ。彼より大分歳が下だが、強い意志を持った瞳をしている長男ボリス。

 先日まで末娘であるタチアナが家出をして行方不明になり、心身を弱らせてしまったアレクセイに代わってラザイエフ商会を切り盛りしていた二人である。今ではタチアナの行方が確認され、ある程度アレクセイの体調も治ったので主権はアレクセイに戻っているが、巨大な会社を運営するにあたっての行使できる権力は決して小さくない。この場にラザイエフ商会のトップ3が集ったといっていいだろう。

 とはいえ、家族でのお茶の誘いという事もこの家ではよくある話である。気楽にアレクセイの執務室に入った二人だが、彼らが入ってきた途端に目をスッと鋭くしたアレクセイを見て即座に意識を切り替える。

 すなわち、この話し合いは和気あいあいとした談笑を目的にした訳ではなく、ラザイエフ商会の重大事項を決定する場なのだと理解したのだ。

「状況が大きく動き出しての。ラザイエフ商会として指針をはっきりさせておきたいのじゃ。

 まあ、お茶でも飲みながら話を聞いておくれ」

 鋭い目をしたまま、自分の手でポットからお茶を淹れるアレクセイ。それはお茶を淹れる女中にすらこの場を見られたくないという意思表示でもあり、これからされる話の重要性をまた一段とあげる所作だった。

 ニコライとボリスは緊張を高めながら椅子に座り、アレクセイが淹れたお茶で口を湿らせながら話を待つ。

 そして語られるミューズたちの話。ピドナと神王教団を敵に回したラザイエフ商会の厄介者。ラザイエフ商会として、門前払いに近い扱いをしてもおかしくない相手である。トーマスカンパニーの手紙があるから会うだけは会うが、話を聞き終わった瞬間にお引き取りを願っても全くおかしくない。

 なのに、その厄介者を懐に入れてこんな話し合いの場を設けるという事は。

「動く気か、親父」

 ボリスが問う。ノーリスクローリターン、ラザイエフ商会の理想だ。それに準じるならば、今回のミューズたちは受け流すべき事柄だろう。しかしてアレクセイは彼女たちを懐に入れた。そうボリスが考えるのも不自然ではない。

「動くか、動かないか。それも含めて話し合いがしたいのじゃ。結論として今まで通りになる可能性もある。じゃが……」

「今の安寧が続くとは思えない、ですか」

 ニコライが言葉を引き継ぐ。

 死食が起こって15年。安定に主眼におくラザイエフ商会だからこそ、一番分かる事もある。

 世界は徐々にだが、確実に荒れてきている。アビスの力が流れ込んで邪悪な者が力を増す反面、それを打倒する為に戦う者たちにも力が集って小競り合いが発生していた。

 そして特に大きかったのがロアーヌで起きたゴドウィン男爵の乱。アレが最後ではなくむしろ始まりなのは、この三人の中ではほぼ確信的に思っている事である。大嵐の前の一風こそが先の内乱であったと見ているのだ。

 変わる世界情勢に対して今まで通りの対応では手緩い。だがラザイエフ商会は自分から動き出すのは苦手な部類に入る。保守的な動きはこれでもかと言わんばかりに得意だが、安定を崩す事が思考からして苦手な人間が集っているのがラザイエフ商会でもあるのだ。

 そこに投じられた一石。それも軽い小石ではなく、世界を揺るがす要石ともいえる。ピドナのルートヴィッヒと神王教団のマクシムスに狙われるとは、そこまでの大事なのだ。

「順当に行けば、まあミューズを売るのが妥当ですね」

「その選択肢もある。だが、それでルートヴィッヒや神王教団が恩を感じるかの?」

 一番勝ちの目が高そうな案をニコライが口にするが、アレクセイはそれを一言で切り捨てる。

 ルートヴィッヒはそもそもリブロフで力をつけた男だ。それを後押ししたのは当然ラザイエフ商会であるが、ルートヴィッヒはその事を恩に感じるどころかピドナでラザイエフ商会と親交が深かったクレメンスから実権を奪い、なお強欲に力を求めている。その際にお世話になったはずのラザイエフ商会に対して配慮があるどころか、ピドナで構築していた伝手を破壊した。こんな男にへりくだる様にかつての盟友の娘を差し出せば、更に調子に乗るのは目に見えていた。

 神王教団のマクシムスも信頼できるかといえば、否だ。確かにラザイエフ商会にとって砂漠に住まう神王教団はお得意様だが、ピドナにいるマクシムスに恩を売っても利益はほとんどない。それに夢魔の秘薬を使うような外道に力を貸したとしても、後々簡単に裏切られるだろう。

「でもよ、じゃあ戦いましょうって短絡に決められる相手でもないだろ?」

 比較的若いボリスの言葉に頷く老爺と中年。

 相手が信用できないから簡単に敵対の道を選べないのがピドナのルートヴィッヒと神王教団のマクシムスだ。マクシムスだけならばまだ勝機はあるだろうが、ピドナを支配するルートヴィッヒではラザイエフ商会といえども単一では流石に分が悪い。戦うと決めたとして、それなり以上の準備が必要だ。

「まず、ラザイエフ商会の立ち位置を明確にしたいと思う」

 鋭い瞳をしたラザイエフ商会会頭アレクセイが言う。もちろんこれは他言無用、この三人だけの共通認識だ。

 誰に味方し、誰と戦うか。場合によっては裏切るか。この情報は、漏れれば即座に負ける。そしてこの状況での負けはすなわち、ラザイエフ商会の衰退を意味している。

「儂は、今まで通りが一番じゃと思う」

「それはつまり、フルブライト商会と組むという事ですか」

「裏を返せばピドナや神王教団と敵対するっていう認識だな?」

 言葉を返すニコライとボリスの言葉に、アレクセイは首を横に振る。

「ラザイエフ商会は先頭に立つ事を得意とせん。どこかと組んで、そのサポートに回る方が得意じゃ。その意味で今まで通り、という訳じゃな。

 組む相手の筆頭はフルブライト商会なのは確かじゃ。しかし、フルブライトの若造がどう動くかを見極める必要もある。

 世界はここから大きく動く。場合によってはフルブライト商会の情報は高く売れるじゃろうて」

「……今まで通りに広く浅く、ですか。そして決定機が来た時こそ大きく動く」

「でもよ、今まで通りじゃあ深い情報までは手に入らねぇぜ? 取り残されるならまだしも、総スカン喰らうリスクもあるだろ?」

 眉を歪めて言うボリスの心配も尤もだ。フラフラとどこにでもいい顔をするコウモリに重要情報を渡すバカはいない。場合によっては確かに全員から白い目で見られかねない。

 だが、それをクリアしてきたからこそのラザイエフ商会だ。全員から嫌われないというのは簡単そうに見えるかもしれないが、実際は不可能に近い難易度がある。これから世界情勢が荒れるとしたら嫌われないといった事は更に難しくなるだろうが、そこがラザイエフ商会が最も得意とする分野なのだ。それを頼りにするというのは間違った選択肢だと言い切る事はできないだろう。

 それを諭すように、そしてこれからの方針を確かめるように。ゆっくりと、はっきりと、アレクセイは言葉を紡いでいく。

「今まで通り、と言っただろう。

 ラザイエフ商会はフルブライト商会と同盟を組み、そしてそのサポートをする形で前線から一歩離れた位置を保つ。矢面に立つのはフルブライト商会で、細かい事はトーマスカンパニーに任せる」

「フルブライト商会が動かなかったらどうします?」

「それはない。他ならともかく、アビスが関連すれば聖王十二将を祖に持つ事を喧伝しているフルブライト商会は動かざるを得ない」

 そう、フルブライト商会は例え動きたくなくても動かなくてはならない。

 何かを掲げて人を集めて力を持つというのはここが厄介なのだ。ある事には力を集中できる強みもあれば、それに引きずられるように事を起こさなくてはならない時もある。

 また、そういった側面があるからこそ動きを読んだり誘導するなどの事を可能とし、先読みで相手の動きを潰したり裏切りで得だけかっさらう事も起こりえるのだ。

「同時に他への布石も打つ。

 砂漠にいるティベリウスとは今まで通りに良い関係を築くが、ピドナのマクシムスには注意を払わねばならんな。場合によって潰し合わせる事も、和解させる事もできる状況が好ましい。我々がその状況を支配できれば更にな。

 ルートヴィッヒに甘い顔をする訳にはいかん。ここの対応も今まで通りでいいだろう。

 問題はロアーヌとツヴァイクだ」

 中堅国であるロアーヌと、強国であるツヴァイク。それなのにこの順番で言ったのは、ラザイエフ商会もツヴァイクが凋落するだろう事を確実視しているからだ。

 政治の腐敗が進むツヴァイクで起こった最上級の不祥事。それを抉るような策を立てたフルブライト商会とロアーヌ、ついでにトーマスカンパニー。ラザイエフ商会は後詰めとしての役割を背負った為に多くの利益を得るような事はないが、おこぼれの確約はしてある。直接的に大きな所から利益を搾ると悪感情を持たれやすく、ラザイエフ商会としても望むところではなかった為に落ち着くところに落ち着いたといえるだろう。

 さて。落ち目になるツヴァイクと、搾り取り大きくなるであろうロアーヌ。これらの対処は今までと変えなくてはならない。

「ツヴァイクは様々な物資が不足するじゃろう。それでもおそらく貴族は金を出し渋るし、うちで押さえている販路で細々とした物を高く売りつけてやろうか。贅沢品よりも日用品の方を多く用意するべきじゃな。

 買い付けはロアーヌでいいし、これから豊かになるロアーヌはツヴァイクとは逆に嗜好品や高級品も好まれるはず。砂漠からの仕入れは多くしておこうか」

「他にもウチで取り寄せられる良い品も用意しておきましょうか」

「俺は買い付けだな。ロアーヌから安く仕入れられれば言う事はないし」

 話し合いは進み、今までと同じように嫌われる事を恐れるように動いていく。しかし世界情勢を鑑みない訳ではなく、相手の状態を見て勘気に触れないように動くのだ。

 そして動く世界は机上の空論のみで都合よく回るようには出来ておらず、必ず不測の事態というのは起こるものだ。その為に彼らはいる。それに対応できる人員を配置する為に、また場合によっては自分で場を治める為に。

 この能力に優れているからこそ、ラザイエフ家はラザイエフ商会を動かすに足る者と自信をもって言えるのだから。

 

 

 ユリアンたちがリブロフについて数日が経った。

 それはラザイエフ商会が今後の動きを決める時間であり、そしてユリアンたちが訓練に使えた時間でもある。

「今日はこのくらいにしておきましょうか」

「あ、ありがとうございました……」

 ユリアンにとっては軽い運動だが、ミューズにとっては疲労困憊になるレベルの激しい動きだった。

 肩で息をするミューズに苦笑いを浮かべるユリアン。それもそのはず、今している体力作りは一般的な兵士の訓練とさほど変わらないのだから、ミューズの体力が足りないと言わざるを得ない。兵士はこの上で業務があるのだから、ミューズはそれ以下という事でもある。

 だがまあそれも仕方がないのかも知れない。ミューズは深窓の令嬢であった上に、ここしばらくは最愛の父を亡くしたショックで心が弱って寝たきりになっていた。悪夢の世界で弱った心を認めたおかげで多少は元気になれたが、元から少なかった上に落ちた体力がそう簡単に上がる訳がない。むしろ泣き言一つ言わない強さを賞賛すべきだろう。

 疲れ切ったミューズは一人で屋敷に帰るだろうから、ユリアンはもう一つの訓練に参加するべく足を進める。ミューズは体力作りを最優先にした為に借りたラザイエフ家の裏庭をランニングをして基礎体力をあげたり、素振りをして武器に慣れることを主にやっているが、シャールに稽古をつけて貰っている面々はその段階は過ぎている。裏庭の中央、ある程度動ける空間で技を磨く訓練をしているのだ。

 シャールの指導の元。武器を振って型を覚え、技を伝授し決定力をあげる。その上でできる限り術の研鑽も怠らず、特にシャールと同じ朱鳥術を扱うモニカはその実力をメキメキと伸ばしていた。

 その訓練に参加するべくユリアンはそっちの方に向かっているのだ。そしてそこに辿り着いたユリアンは、おやっといつもと違う光景に少しだけ驚いた表情を見せた。

 いつもなら容赦ない訓練に青色吐息の少年にモニカ、サラだが今日はそんな事はない。誰も彼もが体力に余裕を残した状態で、気楽に自主練に励んでいた。

「やあ」

「ああ、来たかユリアン」

 軽い調子で声をかけるユリアンに、引き締まった表情で答えるシャール。

 これは何かあったなと、鈍い者でなければ分かるだろう。

 ユリアンは過程をすっ飛ばして、端的に結論だけを聞く。

「何がありました?」

「ラザイエフから要請があった。神王教団でもピドナは油断ならないが、砂漠にある神王の塔にいるティベリウスは話が分かる人物らしい。

 一度込み入った話がしたいらしいが、その護衛に何人か着いてきて欲しいそうだ。明日には出発するから、今日のところは疲れが出ない程度にしておいた」

 もう少し歯に衣を着せぬ言い方をするならば、ただ飯喰らいをするだけではなく少しは役に立てという事だろう。ある程度以上に世話になっている身としてはもちろん嫌と言えるはずもない。

 だがもちろん全員で行く訳にもいかない。

「砂漠は過酷な環境だ。ミューズ様を連れていく訳にはいかない。そして私はミューズ様の護衛として離れる訳にはいかないな」

「ニーナも無理だと思います。彼女はここでミューズ様のお付きとして留守番をして貰うのがいいでしょう」

「あ、私もそろそろピドナに帰りたいな。私は一応トムの補佐係だし、ほとぼりも冷めた頃合いだからいい機会かも」

「サラが行くなら僕も一緒に行くよ」

 あっという間に話が決まっていく。ミューズ、シャール、ニーナは居残り組。サラと少年はピドナに帰る。ならば残りは言うまでもない。

「私とユリアンが適任ですね」

「と言うか、他に選択肢がないって言った方が正しいかも知れませんね」

 消去法でそうならざるを得ない。まあ、おおよそ予想できた事ではあるし、意外という程でもない。

 それにラザイエフ商会も護衛を出すだろうから、そこまで無茶な話という訳でもない。反対する理由はないだろう。

「ミューズ様はとにかく体力をつけなきゃ話が始まらない。ランニングと、武器を素振りするだけでしばらくはいい筈です」

「分かった。それだけなら私だけでもミューズ様の指導はできるな」

 一番に鍛えなくてはいけないのはミューズだ。ユリアンがいない間に訓練が止まってしまう危惧はあったが、どうやら次の段階にいくレベルにミューズは達していないらしく、今まで通りの訓練をする分にはシャールが監督しても問題はなさそうである。

「では、明日に備えて今日は早めに休んだ方がいい」

「そうですね、明日から砂漠の旅があるなら体調を整えないとな」

「はい。それでは私たちはこれで失礼しますね」

 そう言ってユリアンとモニカがその場を離れて休む為に屋敷へと戻る。

 

 翌日から始まるのは砂漠の旅。

 過酷な旅の前に彼らは英気を養うのだった。

 

 

 



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051話

……何も言い訳しません。
ただ、頑張って書いていきます。


 

 

 

「あっつ……」

 思わずユリアンがぼやく。モニカに至ってはそんな言葉を呟く気力もないようだった。

 ジリジリと火に炙られるような感覚を与えてくれる砂漠の太陽。その日差しは砂漠を歩く商隊に容赦なく照り付ける。

 そう、リブロフから出発したのは商隊である。様々な物資を運び、行く先で売りつける事を目的とした集団。もちろんまた、行った先で買い付けも行うのは言うまでもない。

 ティベリウスとの会談が第一目標であるとはいえ、行くついでに稼ぐ事を忘れないのは商人らしいと言えるだろう。神王の塔に向かって彼らは歩を進めていた。

「疲れていますね」

 やや苦笑気味に言った者は、ニコライ。初老と中年の間くらいに歳をとった男ではあるが、戦う者として体を鍛えたユリアンよりも余裕がありそうだった。これは彼が何度も砂漠の旅をしていたからに他ならない。

 ラザイエフ商会の娘であるベラと結婚できたのである。商人として最上級といえる実績を叩き出す事は最低条件。その一環として、世界中を旅するくらいの下積みは必要だった。ユリアンよりも体力的な余裕があるのは、このような経験のおかげと言えるだろう。

「ニコライさん、すいません。みっともない姿をお見せして」

「いえいえ。私も初めての砂漠ではとても余裕は持てませんでしたよ。なんせ、他とは訳が違う」

 ユリアンの言葉を受けても柔和な笑みを崩さないニコライ。

 実際、砂漠の環境は過酷である。そもそも彼らが騎乗しているのは馬ではなくラクダであり、この時点で慣れていない者は初めて馬に乗るような疲労を抱えてしまう。

 その上でジリジリと火で炙られるような太陽が上から降り注ぎ、下の砂からの照り返しでも浴びせられる。このせいで暑くてたまらないのに、体を覆っている布を脱いでしまえば暑さに苦しむのではなく、熱さで死ぬ。比喩なしで太陽に焼かれて火ぶくれをおこし、火傷で死ぬのだ。

 気温が40°にも50°にもなるこの世界で、厚着をしなくてはならない苦痛。これは実際に体験しないと分からない。ユリアンも城勤めをした時に軽く行軍の話で聞いた覚えはあるが、文字通りに聞くと感じるとは大違いだった。

 柔和に微笑むニコライとは違い、疲れた笑みを浮かべたユリアンだったが、その顔を即座に引き締める。

 それを見たニコライは柔和な笑顔のままで、ほうと感心の声を心の中で漏らした。暑さにだれて仕事をしない無能ではないらしいと。

 チラとユリアンの横を見れば、モニカも疲れ切った表情を変えて無表情になりながら弓に矢を番えていた。表情を引き締める気力こそなかったらしいが、それはそれ。仕事は結果が一番大事であり、成果さえ出していれば過程が多少悪くても許されるものだ。

 ニコライは利き手で懐の短剣を探りつつ、反対の手で頭に被っているフードを更に深く被る。

「間違いありませんか?」

「ああ。他の護衛はまだ気が付いていませんが、時間の問題でしょう」

 ユリアンが言い終わる頃には他の護衛たちも雰囲気の違いに気がついたらしい。違和感の段階で報告すべきか、確信を持ってから報告すべきか。そんな戸惑いを含んだ空気が流れてニコライもユリアンやモニカの感覚が正しい事を(さと)る。

 万が一、この瞬間を強襲されると致命的だ。それはユリアンは知っていたが、彼よりもそれに詳しい男が大声を張り上げる。

「襲撃! 商隊を中心に、迎撃態勢を取れ!!」

 厳しい表情をしたニコライが告げる。その顔は先程までの柔和な顔とは程遠い。生き死にの場を見据えた、一流の男。

 とはいえ、彼は商人であって戦闘員ではない。むしろこの隊の隊長といってよく、一番安全な場所に身を置くべきだ。よく言い換えれば死なない事が仕事と言っていいだろう。

 そんなニコライを囲むように、商品を持った売り買いを主な仕事にする者が密集隊形を取る。そしてその周りを覆うようにして武器を持った、戦う事を仕事とした者たちが周囲を警戒する。どこから敵が襲ってくるのか分からない現状では理想的といえる。彼らはラザイエフ商会であり、世界有数の商会だ。更に砂漠の行き来には慣れたものであるので、このぐらいは当然のようにできる。

 まあ、普通の範疇に納まらない者はこんな悠長な事はしないのだが。すなわち、サーチアンドデストロイ。襲いかかってくる敵がモンスターと分かり、砂の中をかき分けるように近づいてくる事を察知したユリアンは、その微細な砂音の違いを聞き分けてその方向に走り出す。彼は既にラクダからは降りていた。ユリアンはラクダに乗り慣れていないので、攻撃にも回避にもラクダは邪魔なのだ。そしてラクダはそう簡単にモンスターのエサにしていい程安くはない。砂漠限定であるからか、原価が馬よりも高いのだ。

 モニカはラクダから降りず、そのまま弓を構える。前衛をユリアンが引き受ける以上、彼女も一緒に前衛に出るというのは効率が悪い。むしろ後衛としてユリアンをフォローした方がずっといいのだ。

 それを理解している彼女はユリアンが走る方向に弓を向け、そして矢を引き絞る。そのまま術を唱えるとその鏃に炎熱が纏い、突き刺さる以上の攻撃力を持ち、そして放たれた。

 エアスラッシュを鏃に纏わせたその一矢は鋭く放たれ、ユリアンの先の頭上にいた空飛ぶ昆虫型モンスターであるバガーの羽に突き刺さる。そしてそのまま炎熱の衝撃がその体を焼き、バガーは聞き苦しい苦悶の音をたてながら墜落していった。空飛ぶ術を失った飛行する生物の末路は哀れだ。羽を焼かれて失ったバガーは他のモンスターに喰われるか、それとも砂漠の熱に炙られて渇いて死ぬか。悲惨な最期を哀れに思ったかどうかはモニカの表情からは読み取れないが、彼女の次の一矢を二つの瞳の中心に受けたバガーは一瞬の苦しみをもってその生を終わらせた。

 そしてユリアンだが、砂の中を移動するような音の方向に駆け出したはいいが、何せ慣れない砂漠である。地中の敵の正確な位置までは判然としない。

 故に彼は己が最も得意とする戦法にシフトする。すなわち、後の先。相手が襲い掛かってきた瞬間を狙い、反撃するという方法だ。

 敵に十分近づいたと思えた場所でユリアンは立ち止まり、剣をやや下に構えた。正面や上空から襲ってくる敵がいれば隙が大きいといえるが、そのような敵の相手はモニカがしている。彼は何の憂いもなく、地中を蠢くモンスターに集中できた。

 そしてすぐに砂が盛り上がり、ユリアンの眼前で四散しその巨体が現れる。メルドウォームと呼ばれる、ミミズを化物のようにしたモンスターだ。地中を移動するそのモンスターは目が退化してなくなり、優れた聴覚のみを頼りにした地中からの奇襲を得意とする。

 しかしまあだからこそ、その奇襲が察知されてしまえば勝負にならない。飛び出したメルドウォームは目の前の獲物を咥えて再び地中に沈み、砂で圧殺したエサを貪るつもりだったが。そのエサが白銀の剣を構え、メルドウォームが飛び出してくるのを今かと待ち構えていたのである。奇襲と呼べるはずもない。

 縦と横の斬撃を瞬時に与える技、十文字斬りにてメルドウォームは四つの肉片に切り分けられ、ボトボトと地面に落ちて絶命する。

 ユリアンは嫌そうに剣を振るい、ついた血を払う。だが、砂漠ではこんなモンスターの死骸さえ何かの恵みになるのだ。早晩、この肉片はこの地に生きるものの糧になり、また別の命を育むのだろう。それが動物なのか、また別のモンスターなのかはユリアンの知った事ではない。

 彼は違和がないかどうかに神経を集中し、真剣な顔でモンスターの気配を探る。他に敵対するものがいないと確信できた時にユリアンは振り返り、動いて増した暑さを気怠い表情に出しながら言う。

「終わりました」

 それをポカンと見るのはニコライ他のラザイエフ商会員。砂漠の民でないどころか、初めて砂漠を旅すると言った彼と彼女がここまで鮮やかにモンスターを仕留めるのが信じられないらしかった。

 

「いや、昼の戦いは見事でしたね、ユリアン」

「どうも」

 夕方までに商隊は神王の塔に辿りつき、ラザイエフ商会の売買を主とする者たちはそれぞれの商品を手にまずは持ってきた品を卸し始めた。それが終わったら砂漠の特産品を買い集めて、日が昇ったらまたリブロフに戻る。慣れたものでその作業にかかる時間は短く、僅か以上に睡眠もとれるというのだから驚きである。その中でもニコライは上物を持って神王の塔の内部に上がり込み、神王教団の主であるティベリウスと交渉をするらしかった。ティベリウスは自身の贅沢に興味はないが、やがて迎える神王の為に贅沢品を求めるらしい。

 まあ、そんな特上の品はラザイエフ商会といえど早々に手に入る訳もなく、ニコライのみで持ち運べる量である。故に神王の塔に入る事が許されたのはニコライのみで、他の者たちは神王の塔周辺に広げられた、砂漠の街での商いに精を出していた。

 護衛であるユリアンたちはその手間すらない。行き帰りに命をかけて戦う彼らは、町にいる間は十分な休息を取る事が許されている。まあ、戦う事が仕事といっていい護衛たちも今回はそのほとんどをユリアンやモニカに取られており、普段の旅に比べてずっと疲れがなくて楽な様子で陽気な夜を過ごしているのだが。

 そんな上機嫌な面々に囲まれているユリアンは、下手に有能なせいで他の者の仕事を多く奪っており、既に疲れきって眠そうである。モニカに至っては眠そうではなく、とっくに夢の中だ。彼女は護衛の女性たちに囲まれており、ある意味で客分という事を考えれば心配はいらないだろう。後はユリアンがとっととモニカを警戒範囲に入れた上で休めればいいのだが、他の護衛たちのテンションが高くて寝かせてくれる様子がない。

 実はそれもそのはず、慣れた護衛職とはいえ砂の中から奇襲するメルドウォームや、空から強襲を仕掛けてくるバガーを相手にすれば苦戦以上は免れない。死ぬ気はないが、場合によっては傷ついた者を置き去りにして退却する事も珍しくなく、死と隣り合わせの仕事なのだ。それなのに、今回は負傷者どころか戦闘すら0である。戦う分の体力が有り余ってしまい、それが喜びとなって軽い宴会状態となっているのだ。これは女側の護衛でも同じ状態であり、その真ん中でくぅくぅと気持ちよさそうに寝ているモニカはそれだけ疲れているのか、それとも豪胆なのか単に無神経なのか。

「どうだい、ユリアンもラザイエフ商会で働かねぇか? お前さんがいれば砂漠の被害がなくなるぜ!」

「そうそう。モンスターの気配をどうやって察知するかとか、教えて下さいよ」

「いや、俺はラザイエフ商会に仕える気はないので」

 ボーと疲れた顔をしたユリアンは、やや離れた場所で無邪気に眠るモニカの寝顔を見つめながら気もそぞろに言葉を返す。

「まー、こればかりは無理は言えねぇけど。せめて、地中のモンスターを察知する方法は教えてくれねぇか? それには予算も出せるんじゃないですか、隊長?」

「そうだな。得難い技能だし、高く買わせて貰いたい。俺から更に上に話を通して……そうだな、ニコライ様はユリアンの戦いぶりを見たはずだし、値切ったりはしないと思う。むしろ色をつけてくれるぞ」

 話を振られた護衛隊長も頷きながら言葉を続けるが、ユリアンとしても困るのだ。

 つまるところ、ユリアンが地中のモンスターを見つけられたのは術でもなければ技でもない。耳に聞こえた音を違和感として知覚し、集中して音を聞き分けたに過ぎない。

 言わば耳がいいといった体質的な特徴から始まり、それを詩人との訓練やハリードとの特訓で気配察知と呼べるレベルまで叩きあげただけなのだ。最初にそのような感覚が良くなければ覚えられず、更に詩人やハリードといった世界屈指の人間が丹念に指導した上で身につくかどうか分からない範疇の能力なのである。

 そしてユリアンもそれを体系だった技能として己の中で確立している訳ではない。人に教えられる程に身についている訳ではなく、端的に言えば未熟なのだ。そんな未熟なユリアンでも、幾度となく砂漠の旅をした者が得られていない技能を身に着けているのは事実であった。上に行く程急勾配とは、さて誰が言った言葉であったか。

 とにもかくにも、護衛達はそれを秘伝の技で出し惜しみしているとしか捉えられず、ユリアンとしても説明したくてもできない。そんな場になりつつあった。

「気が付いて、耳をすませば分かるとしか言いようがないんだが……」

「そう言うなって、ユリアン。ちゃんと対価は払うからよ、教えてくれよ」

「よっぽど足元を見なければニコライ様も頷いてくれるさ。それにお前さん、ラザイエフ商会に借りがあるんじゃないのか? その借りを返す絶好の機会だぜ?」

「いや、本当に。違和感を見つけたら耳を澄ますだけで――」

 言いながらそれを行ったユリアンの顔色が変わった。怪訝な顔でそれを見る一同。

「どうした?」

「――人がいる」

「は? そりゃ、俺も皆も、お前もいるが?」

「砂漠に、人がいる」

 ユリアンの言葉に要領を得ない一同。神王の塔に広がる街の端とはいえ、ここは人の領域。モンスターが近づけば撃退する警戒区域だ。人が集まるのは自然である。

 まあ彼らも戦える人間であるために、完全に安全な場所をあてがわれている訳ではない。街の最も外周に陣取らされている為、モンスターへの警戒は最低限はしている。

 とはいえ強いモンスター程賢く、人が密集する場所を襲う事は滅多にない。愚かで弱小なモンスターが紛れ込んでただちに滅殺されるか、強く賢いモンスターが集落に忍び込んで数人喰らい逃げるか、血に酔ったモンスターがそのまま居座り強者に首級をあげられるといった事は、少ないながらもたまに話を聞くくらいの頻度では起こりえる。

 だからまあ、モンスターがいると言われれば、彼らは驚きながらも武器を手に取っただろう。だが、人がいると言って顔色を変えるユリアンを理解はできない。神王の塔に向かって広がる街並みには、人が無数にいるのだから。

 しかしその反対、砂漠の闇を睨みつけるユリアンに多くの者は更に当惑の表情を浮かべた。

 その中で視線を鋭くした者が一人、護衛隊長だ。

「賊か?」

 その言葉に、起きている全員に緊張が走った。砂漠に陣取る賊はやはり存在し、行商人を襲う。神王の塔を襲う賊となれば人数を揃えてくるだろう。

 その為の緊張であったのだが、ユリアンは軽く首を横に振って否定する。

「いえ。覚束(おぼつか)ない足取りで一人……。遭難者かも知れません!」

 そう言うや否や、ユリアンは武器を片手に走り出す。後ろから声が飛んでくるが、それを無視して月灯りの砂漠を駆けるユリアン。集中するは闇の中にある頼りない足音。フラフラとしたそれは、歩く者の体調を的確に教えてくれた。

 そしてすぐにといえる時間を費やし、ユリアンはその足音の主に辿りついた。

 月に照らされたその体は細く、女性だと教えてくれる。着ている服は見た事がなく、もしかしたら砂漠の僻地で暮らす民なのかも知れない。そういった知識はユリアンにはないが、そんな事は彼にとってはどうでもよかった。重要なのは、この女性が衰弱しているという事実のみ。

「おい、大丈夫か? しっかりしろ!!」

「こ、ここ、ここは……?」

 声をかけ、女性を抱きとめたユリアン。そして女性も人の体温に気が抜けたのか、足の力がなくなりユリアンに寄り掛かってしまう。

 酸えた臭いがユリアンの鼻を刺激して僅かに顔が歪んでしまうが、今はそれどころではない。

「ここは神王の塔だ。すぐに人が来るから安心しろ」

「神王の、塔? 聞いた事が……ついに…………に、し、に」

「死なないっ! 大丈夫だ、安心しろっ!!」

 微妙に噛み合わないセリフを交わしたまま、女性は気を失ってしまう。そんな女性を抱えたユリアンの元へ、護衛隊の多くが助けにくるのはほんの数秒後。

 行き倒れた女性を看病する一行。

 そのままこの街の人に預かって貰うか。そう考えた護衛隊長だったが、戻ってきたニコライは行き倒れの女性の姿を見た途端にその女性をリブロフまで連れていく決断を下した。

 その理由は、女性の服が見た事がない物だったからである。先だってタチアナを保護してくれたフルブライト商会は、どうやら正体の知れない人々を探しているらしいと聞き及んでいた故の決断だった。この女性がフルブライト商会の求める者かどうかは知らないが、今現在の同盟者に配慮の一つもしていいだろう。そういった判断である。

 

 こうして女性――(ツィー)(リン)はリブロフへ運ばれる事になる。そこで詩人と出会うのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 ところ変わってピドナ。

 戻ってきたサラと少年は、ひとまず町が穏やかな事に安堵の息をついた。そのままベント家へと辿り着くが、出迎えたのは難しい顔をしたトーマス。

「戻ったか、サラ。少年」

「ただいま、トム。難しい顔ね、どうしたの?」

 騒ぎが起こっていない町でこんな表情をするトーマスに不安を隠せないサラ。それが分からないトーマスでもないだろうに、しかし彼の表情は晴れない。

 そのまま戻ってきた彼女らを館の奥、社長室へと導いて現状を話してくれる。

「水面下で戦いは始まっているという事だよ。何人か、ベントの使用人がいなくなった」

「いなくなった?」

「金に誘われたか、誘拐されて拷問にかけられたか……それは分からない」

 急激に血生臭くなった話に、サラは顔を青くして少年は表情を強張らせる。

「わ、分からないの?」

「ああ、分からない。カタリナ殿が神王教団から引き出した情報で、ベント家の情報がいくらか漏れた事が判明しただけだ。

 居なくなった者が知っている事は、ミューズ様たちがリブロフに行った事や、その護衛の人数か。既にリブロフは神王教団が張っているだろうな。ラザイエフ商会に協力してもらいつつ、ならべく気取られないように離れたいものだ」

 どうやってカタリナが情報を聞き出したかはトーマスも知らない。知りたくない、といった方が正しいかも知れないが。どうせ真っ当な方法でない事は分かっているし、それを咎めるつもりもない。ならば単なる情報源として活用した方が精神衛生上、いいだろう。

 騒ぎになっていないピドナの裏側は、既に魔都といって差し支えない悪意に満ち満ちている。その中で特にサラはよい獲物になってしまうだろう。

 トーマスは鋭い視線のまま言う。

「少年も分かっていると思うが、特にサラは気を付けてくれ。ならべく一人にならないように。ベント家から出るのも最低限にしてくれ」

「分かったわ」

 固い声で頷くサラだが、少年は返事をしない。

 それにトーマスは少しだけ怪訝な表情を浮かべる。

「少年?」

「うん。……けど、そういった仕事なら僕の得意分野でもある」

「まさか、少年?」

「僕も戦うよ、裏で。カタリナさんと一緒に」

「……いいのか?」

 トーマスが問う。

 単純な感情としてトーマスは少年に思うところはない。せいぜいがサラのお気に入りの護衛程度の認識だ。それでもユリアンが認めるくらいには強い事は分かっている。だからこそサラを守って欲しかったところはあるがしかし、トーマスカンパニーは攻め手に欠けているのも事実だ。カタリナと共に少年も攻撃に参加してくれるならば、それも一手だと思えた。

 守りならば心当たりがあるが、こういった都市部の攻めというのは限りなく難しい。何故ならそれは犯罪に直結してしまうからであり、一歩間違えればこちらが犯罪者になってしまうからだ。歴史がほとんどないトーマスカンパニーは、そのノウハウが全くない。カタリナも同盟者として情報を受け取っているが、いざという時は彼女を切り捨てて知らず存ぜぬを通す準備はできている。

「トーマスカンパニーは、守れないぞ? 君が犯罪者となってピドナに追われても助けない」

「分かったよ。その場合は切り捨てて貰って構わないです」

 厳しいトーマスの表情に、はっきりした声で返す少年。

 そんな二人を泣きそうな顔で交互に二人を見たサラだが、決意を感じて覆らない事だと理解してしまったのだろう。心配に歪んだ顔で少年を見やる。

「絶対に、絶対に無茶はしないでね?」

「大丈夫、僕は死に嫌われているんだよ?」

 そう言って微笑みを浮かべた少年は、カタリナと話をつめるためにベントの家を出る。

 そして向かうはレオナルド武器工房。カタリナの拠点となるその場所。基本的な少年の居住はベント家だが、仕事(・・)をする際はレオナルド武器工房でカタリナと話し合い、彼女に従って動く事になる。

 歩を進める少年。ベント家からレオナルド武器工房はそう遠くなく、歩いて5分といったところか。その上で人通りも多く、闇で動く者には奇襲さえ難しいと言わざるを得ない。

 少年はそれでも油断しない。ベント家から出るところは見られているだろうから、強引な手を使われる事も考慮に入れて歩く。ここまで人通りが多ければ、数回剣を合わせれば正当防衛が成り立つだろう。そしてその上で相手を倒せる自信が少年にはあった。

 だがしかして、人の思う通りに運ばないのが世の常。奇襲とは物理によるものではないと想像できなかった辺り、少年はやはり甘かった。甘すぎたといっていい。

「もし、そこの少年」

 声をかけられた少年は早速かと思い、それでもきょとんとした顔をして周囲を見回して、かけられた声が自分に向けられている事を確認する。

「僕?」

「ああ、そうだ。実は私は神王教団でしがない地位についている者でね。こうして教徒の勧誘をしているんだよ」

 たはは、と情けない笑みを浮かべる人の良さそうな男が一人立っていた。だが、まさかこの現状でその言葉を額面通りに受け取る程に少年は能天気ではない。

 少年は無邪気な笑みを浮かべると、軽く探りを入れる。

「どうして僕に声をかけたの?」

「別に君だから声をかけた訳じゃないんだよ。色々な人に声をかけているのさ。

 神王教団は、いずれくる神王様を崇める教団だが……まあ、正直な話、運営に農耕や商売もやっていてね。簡単な仕事をすれば対価を払えるんだ。どうだい、お金が必要なら少し稼いでみないかい?」

「ふ~ん。神王教団とか言っても、そんな事をやってるんだ」

「人は霞を喰って生きていけないからねぇ。全く、世知辛いよ」

 この男は裏の人間か、それとも何も知らない表の人間が体よく使われているのか。それは少年に判別は付かなかった。

 だが、この男についていく選択肢が全くないのは確認するまでもない。

「悪いけど、お金にはそんなに困ってないんだよね。またの機会って事で」

「そうかい? まあ、困ったら北にある神王教団のピドナ支部に顔を出しにおいで。

 神王様は懐が広い。何か手助けできる事もあるだろうし、仲良くなった信徒同士で結婚したりもする事があるんだよ?」

 君にはちょっと早いかな? そういって笑う男に、冷笑を浮かべて言い捨てる少年。

「おあいにくさま。僕と関わった人間は皆死ぬんだ。そんな縁起の悪い奴に近づく人はいないだろ?」

「そうかい。しかし、神王様は万能だ。君もいつかきっと幸せにしてくれるよ」

 そう言って別れる二人。少年はレオナルド武器工房へ。男は神王教団ピドナ支部へ。

 男は歩きながら、必死だった。笑いをこらえるのに必死だった。柔和な笑みを浮かべたまま、その心の中で今の会話を反芻していた。

(関わった人間は皆死ぬ? そしてあの年頃。まさか、まさか――)

 

 宿命の子、か?

 

 可能性は、ある。宿命の子は未だ動き出していない。それがあのように自覚していないだけの少年だったら?

 だがまだ確定ではない。そして最優先で確定させるべき情報である。宿命の子を確保できれば、大きく他の陣営を出し抜ける。

 張り付けたような柔和な顔のまま、心の中で狂笑をあげる男――マクシムスは世界中に散った自分の配下を使い、少年の情報を丸裸にする事に全力を注ぐ準備を始めるのだった。

 

 

 




次回から詩人が合流する予定。
……あれ? 本当に詩人ってオリ主だよね?


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間章
052話


 

 

 

 リンを休ませている部屋で、今までの話をするユリアンとモニカ。

 時に片方が話の補足をし、時に自分が見てきた事を詳しく語る二人。もちろん短くない旅をしてきたからして、その話は長い物になる。

 まずは腰を落ち着けてお茶でも飲みながら、とお茶を淹れたのはモニカ。ユリアンにお茶の腕を期待してはいけないのである。聞かれて困る内容でもなし、ベッドにいるリンにもお茶がふるまわれた。リンも自分を助けてくれた人物の話を興味深そうに聞いている。

 

 ロアーヌに雇われたユリアン。ツヴァイクとの同盟の証に嫁入りさせられそうになったモニカだが、ツヴァイクが暗愚だと見抜きロアーヌを脱出。その際、ハリードからの伝言でミカエルからツヴァイクを超える価値を示せと言われたこと。

 先立つ物がなく、トーマスカンパニーを頼った事。そこで見聞きした情報から世界中でくすぶっている人を集め、ロアーヌで新たな産業を興す事がいいのではないかという事。そんな旅の途中で立ち寄ったツヴァイク領のキドラントでの事件。

 

 お茶のお代わりまでしてたっぷりそこまで話をするユリアンとモニカに、詩人も苦労していたんだなと感嘆のため息を漏らした。道理でユリアンがここまで成長する訳である。ある程度以上の修羅場をくぐらないと人は成長しない。その点、モニカも腕はあがっているが、如何せん心構えがなっていないと感じていた。所詮、土壇場での苦労はユリアンに任せているお嬢様である。そこは仕方ないのかも知れない。

 そんな事を取り留めなく考えていた詩人だが、コンコンとドアがノックされた音を聞き、怪訝そうな表情をする。ユリアンはここに敵はいないと思っているので、気軽に声をあげた。

「誰だ?」

「シャールだ。そろそろ訓練の時間かと思ってな」

「ああ、もうそんな時間ですか。申し訳ないですが、今は客と話をしていまして……」

「客?」

 言いながらドアを開けて室内に入ってくるシャール。そして中にいた詩人の姿を認め、視線を合わせる。

 その瞬間、詩人が動いた。激しい怒気を発しながら、一息でシャールの前まで移動する。その間に腰から棍棒を引き抜き、その肩を砕くように振り下ろした。

「なっ!?」

「詩人さんっ!?」

「どうしたのですかっ!?」

 訓練前だった事が幸いしたのか、シャールは持っていた槍でなんとか詩人の一撃を受け流し、ひとまず距離を取って構える。ここは流石にピドナで近衛隊長をしていただけはある。唐突な奇襲にも動じず対処ができていた。

 驚きに身動きが取れないのは他の面々だ。唐突にシャールに襲い掛かる詩人だが、その理由が分からない。彼らにとって詩人は見知った仲であるし、シャールも良い人だと分かっている。どう動けばいいのか分からないのだ。

 そんな困惑の視線を受けながら、詩人は感情を押し殺した声で言う。

「コイツは危険だ、最悪の人物の手下でもある。どういう理由でモニカ姫に取り入ったのかは知らないが――情報は全て吐いてもらうぞ」

「よく分からんが……大人しくやられるほど私としても甘くはないっ!!」

 意味の分からない事を言う詩人だが、シャールはこの男が敵対していると理解し、それ以上を考える事をやめた。実際、そんな余裕はない。

 この男、詩人は強い。もしかしたら自分よりも。それを感じ取ったからこその切り替えだ。やらなければやられる。それを理解したシャールは、槍をひいて突進と同時に突き出す刺突技を繰り出す。

「チャージ!」

 鋭いその一撃は、ユリアンではとても対応できないものだった。しかし、それでも詩人には通用しない。

 詩人はその一撃を横から棍棒で殴打する事によって逸らし、槍の攻撃範囲の内側に滑り込む。シャールは武器も間合いを外された事を理解して槍を手放すと、徒手空拳にて詩人を迎撃しようとする。が、やはりそこでも詩人の方が一枚上手だった。

 殴りかかるシャールの拳を受け止めた詩人は、流れるように関節技を極めて彼を地面に押し倒してしまう。

「ぐっ!」

「動くな。お前がつけているその聖王遺物――銀の手について、知っている事を洗いざらい話して貰うぞ」

 淡々という詩人に、シャールはようやく詩人の目的を知った。この男はマクシムスの手下、聖王遺物を狙う悪党であると。

 ギリギリと痛みつけられる関節に歯を食いしばりつつも、シャールの答えは当然一つだ。

「っ! こ、断る!!」

「構わない。言いたくなるまで、壊してやるよ。この外道」

 その言葉を聞いてようやく我に返るユリアンたち。

「ちょ、詩人さん。やめて下さいっ!」

「まずは落ちついて話をしましょう。話せばきっと分かってくれるはずですっ!」

 だがそんな取りなしの言葉にも詩人は反応しない。冷たい目を向けるのみだ。

「どうしてそこまで信じているのか分からないが、こいつのそれは擬態だ。この男は聖王遺物を強奪する外道の配下だ。加減はしない」

「シャール、どうしたの? 大きな物音がしたけど……」

 詩人がそこまで言った時、ふらっと部屋に入ってきてしまった者がいた。訓練の為にユリアンを呼びにいったのに、戻ってこない事を疑問を覚えたミューズだ。

 シャールはその姿を認めた瞬間、大声で叫ぶ。

「ミューズさま、お逃げ下さい! この男はマクシムスの配下――聖王遺物を狙う敵ですっ!」

「っ!? シャール、銀の手を渡しなさい! 貴方の命を捨ててまで守るものではありませんっ!!

 こちらに戦意はありません、どうか銀の手を持っていきなさい!!」

 組み伏せられたシャールを見て、ミューズは咄嗟に大声を出す。自身が狙われている事は知っている。銀の手が奪われたら用済みになった自分達が殺されるだろうことも。

 しかしそれでも、一縷の望みをかけてミューズはそう叫んだ。そして詩人を睨みつけるが――シャールを組み敷いた男はポカンとした表情でミューズを見ていた。

「……ミューズ、お前がか?」

「? そうですが、私を狙って来たのではないのですか?」

「いや、全然。むしろ守る為に来たんだが……何故、お前が持っているはずの銀の手をこの男が?」

「シャールは私の騎士です。その為に貸し与えた物ですが、命には代えられません。持っていきなさい」

 毅然と言い放つミューズ。

 詩人は罰が悪そうにシャールを解放すると、数歩離れた場所へと移動する。

 解放されたシャールは詩人の真意を掴めず、やや困惑したまま槍を拾い上げ、ミューズの側に立つ。

 突然の修羅場にユリアンもとりあえずモニカを守れる位置に動き、剣の柄に手を添えていた。モニカもようやく立ち直ってきたのか、携えた小剣の感触を確かめている。武器を持っていないリンも、いつでも逃げ出せるようにベッドから降りて何が起きてもいいように構えている。

 そんな全員を見渡した詩人は、頭を深く下げた。

「すまない、俺の早とちりだ。どうか理由を聞いてくれると嬉しい」

 

 つまり。

 詩人は銀の手はミューズが持っているものだと思い、それが見知らぬ男が身に着けていたのをみて、既にミューズから銀の手は強奪されたと判断してしまった。守るように頼まれたミューズが既に敵の手に落ちていると思ってしまい、ミューズの情報などを銀の手を持った男から引き出そうと考えたのだ。

 もちろんそんな事実はなく、シャールはシャールで銀の手を狙う詩人の事をマクシムスの手の者だと思ってしまう。

 そこで現れた、ミューズ。実情は彼女の采配で、利き腕の腱を切られたシャールに銀の手は預けられていただけ。

 つまりは何のことはない。味方の顔を知らず、同士討ちをしてしまっただけの事だった。

「申し訳なかった」

 話が一区切りしたところで、詩人は平謝りするしかない。一歩間違えれば怪我人が出ていたのかも知れないのだ。場所を変えた別の部屋、リビングにて部屋にいた人物とニーナを合わせて情報のすり合わせを行っていた。

 ミューズとしても善意でやってくれた事と、実害がなかった事でこれ以上の文句を言う気もない。それに見方を変えれば、シャールと同じかそれ以上に強い人間が味方になってくれるというのである。最初にちょっとした行き違いはあったが、これはこれで悪いばかりの話ではない。

「もういいですよ、詩人さん。それに貴方は私を守ってくれるのでしょう?」

「ああ。マクシムスの件が落ち着くまでの間だけだが」

 しかし、冗談で言った銀の手がリブロフにあるという事が本当だったとは。嘘から出た真とはこの事かと、詩人は軽く驚いていた。

 そしてユリアンたちから残りの話も聞いていた。キドラント出身の恋人を探しているニーナ。ミューズたちの護衛を兼ねる事になったユリアンとモニカ。そしてマクシムスから身を隠し、対抗勢力を集めるミューズとシャール。

「まあ、おおむね事情は把握したつもりだ」

 まだややバツが悪そうに言う詩人。それでも言うべき事は言わなくてはならず、話を進める。

「それで、これからどうする? 俺としては俺の目的があり、そちらの都合にばかり合わせてはいられない。こちらの移動に合わせてくれるなら、もちろん手助けはするが」

「こちらとしては協力者を募らなくてはならない。クレメンス様の威光がどこまで通用するかは分からないが……やれるべき事は全てやるつもりだ。そこで、最新情報を入手した」

 おおよその話の矢面にたつのはシャールだ。この中で最も経験があり、実力もある。ミューズもよほどの事がなければ彼に全てを任せるつもりだし、モニカも同じ。モニカはユリアンの顔をうかがう事はたまにするが、ユリアンにとって詩人もシャールも敬意を払うべき相手であり、自分よりよほど熟練した人物であると分かっている。口はほとんど挟まない。

 ほとんど詩人とシャールで進められる話し合い。そこでシャールは仕入れたばかりの特大の情報を投下する。

「四魔貴族、フォルネウスが討伐されたらしい」

 一瞬。ほとんど全員、何をシャールが言っているのか分からなかった。

 しかしてその意味を噛み砕いていくにつき、表情が驚愕に染まっていく。

「討、伐された……? 四魔貴族が……?」

「嘘……」

「そ、そんな。本当なの、シャール?」

「ええ。フルブライト商会が喧伝していた事です。あの商会は聖王に縁深く、嘘でそんな事を言わないでしょう。本当と判断してもよいかと。そしてその話が本当なら、四魔貴族を討伐した者を味方に引き入れれば――」

「本当だぞ」

 情報の精度からして疑いを向けながら、それでもそれが真実として行動しようとしていたシャールたちに、あっさりと言う詩人。

「……詩人さん?」

「本当、とは?」

「いや、そのまま。フォルネウスは討伐され、西部はモンスターの脅威を大きく減らした」

「それを何故、言い切れる? まさかお前がフォルネウスを倒したという訳か?」

 鋭く、そして疑いの濃い目で詩人を睨むシャール。だが詩人は飄々とした調子を崩さない。

「海底宮に突入したのは事実だがな。俺の仕事は雑魚の露払い、討伐隊が消耗しないようにフォルネウス前のモンスターを全て相手取った」

 軽い調子で言うが、それがどれだけの難度があるのかは想像しようともできない。

 海底宮はフォルネウスの居城であり、いわばフォルネウス軍と呼べるものの本拠地だ。その中でフォルネウス以外を全てなぎ払うとは、フォルネウスを討伐するのとどちらが難しいのか。

「で、では。フォルネウスを倒した英雄の名前は、もちろん知っているのだろう?」

「もちろん。一番有名になったのはモウゼスのウンディーネだろうな、術の天才。そして西の最果てで出会ったロブスター族のボストン。あいつは確かバンガードに居ついたはずだったな」

 シャールが仕入れたばかりの情報をあっさりと口にする詩人。これは冗談ではないと、全員の顔色が変わっていく。

「海賊ブラック。フォルネウスとの戦いで戦死したが、奴が命を散らさなければフォルネウスを倒せなかっただろうな。ちなみにブラックはフォルネウスを倒した功をもって海賊としての罪を全て赦された」

「……確かに、そのようには聞いている。しかし、残りは無名の人物。うまくいけば引き入れられるやも――」

「可能性は低くないぞ」

 試すようにシャールが情報を出し渋るが、詩人はごくあっさりしたものである。やはりこの詩人がフォルネウスを打倒した事に関与したのは本当か。そう思うシャールだが、次の言葉に誰よりも驚いたのはもちろんユリアンだった。

「残りは二人。俺の弟子であるエクレアと、シノン村のエレン・カーソン」

「っ!!?? エ、エレンが!?」

「ああ。むしろあいつが中心人物だ。エレンは何故か四魔貴族を倒す事に意欲的でな、次はアウナスにターゲットを定めて、今はランスの辺りにいるはずだ」

 まさかの名前に今日一番の驚きを口にしてしまうユリアン。

 そして心の奥から染み出してくる、黒い感情。自分は最大限努力してきたのに、あの快活な女性は自分の上を簡単に行ってしまう。

 ユリアンは、自分がどれだけ努力してきたのかを認めている。そしてそれは間違った評価ではないだろう。しかし、四魔貴族を討伐するよりも上の評価とは到底思えない。いや、四魔貴族を討伐するよりも高い評価はほとんど存在しないだろう。

 これまでの自分の努力が根こそぎ否定されたかのようなその話に、ユリアンは足元が崩れ落ちるような感覚を覚えた。もしもエレンでなければここまでの感覚は覚えなかったであろう。他の誰でもない、一番に認めて欲しかった女性が、自分など歯牙にかけない栄誉をその手にしてしまったのだから。

 手を真っ白になるまで握るユリアンを、痛ましそうに見るのはモニカは。意を決して声をあげる。

「……つまり、エレンさまを味方につける為には私たちも四魔貴族を倒すのがいいですね。またその栄誉は私にとって欲するものです」

「いや。気軽に言うな、モニカ姫」

「あ、今は姫の身分は隠してますの。モニカで構いませんわ」

「じゃあ、エレンをさま付けするのとかやめたら?」

 軽い言葉が交わされて、ほんの少しだけユリアンの緊張がとける。そうだ、エレンが自分よりも成果を上げたのならば、自分も成果を出せばいいだけの話。ここで腐っても、何も変わらない。

 そしてモニカの言葉は正しい。ツヴァイクを超える価値を示すのに、四魔貴族を倒したという栄誉は申し分ないものだ。他の誰かが四魔貴族を倒したというのならばその才能に嫉妬するだけかも知れないが、少なくともシノンの村ではエレンと自分の間に大きな差はなかったように思える。

 ならば、自分でも四魔貴族を倒す事は不可能ではない。ユリアンはそう判断する。

「むぅ……。確かに四魔貴族を倒すという事は協力者を作るのに大きな武器になるだろうな。しかし、まさかミューズさまをそんな危険な目に遭わせる訳にもいかん」

 難しい顔をするのはシャール。栄誉は欲しいが、ミューズはそもそも戦いを習い始めたばかりだ。まさか四魔貴族の前に連れていく訳にもいかない。

 ミューズもその選択肢は恐ろしさが過ぎたのか、やや顔を青くして首を横に振っている。

 だが心配しなくても、ここにいる全員がミューズを四魔貴族の前に連れていくのに反対するだろう。というか、クレメンスの娘というのが最大のアドバンテージである彼女をそのような目に遭わせるメリットは皆無だ。する訳がない。

「その役目は俺が」

「私も。私は、四魔貴族を倒したという実績が欲しいのです」

 そしてシャールにはミューズを守るという役目がある。自然、戦うのは残り二人、ユリアンとモニカになる。

 だが、ユリアンはいいとしてロアーヌの妹姫であるモニカを死ぬ可能性の高い四魔貴族の前に連れていっていいのか。ほんの少しだけ悩んだ詩人だが、まあいいかと思い直す。自分が強制した訳でもなし、自己責任の範疇だろう。

「目的を同じくするエレンさんとは一度会ってお話がしたいですわね。知らない仲ではありませんし、何か協力していただけるかも知れませんわ」

「ああ、そうだな。それから詩人さん、できればまた俺を鍛えて欲しい。いや、俺だけじゃなくてミューズ様もだが。

 貴方は教えるのが上手い。俺がミューズ様を教えるよりもずっといいと思う」

「ん。まあ、旅の間は暇だし、いいぞ。それにユリアンも四魔貴族と戦うっていうなら強くなって損はないだろうしな」

 少しずつ話が煮詰まってくる。

「それに長い間一ヶ所にいたら、マクシムスの的になる。いくらリブロフがラザイエフ商会の支配下にあるとはいえ、多少は動いてかく乱した方がいいだろう」

「それで向かう先はエレンがいるランス、ですか」

「俺の向かう先はな。お前たちが付いてくるかどうかは別の話だが……どうする?」

 詩人の言葉に少し考え込むシャール。

「……ランスに行った後はどうする? 私としてはミューズ様を安全な場所に置いておきたいが」

「そうだな。ランスで目的のものを手に入れたら、向かう先は南のジャングルだ。

 中央から南に行くには補給場所がないし、西部から向かう事になるな。ウィルミントンか、モウゼスか。フォルネウスがいない今、モンスターへの警戒を厳しくしなくても済むそこが、現状安全そうではある。神王教団の影響力も少ないし、な」

「分かった。私たちはそこまでついていって、待機しよう。できればウィルミントンのフルブライト商会か、モウゼスのウンディーネが味方になってくれるとありがたいが……」

「話くらいはつけてやってもいい。あとはそっちの努力次第だな」

 さて。そう前置きして、まだ処遇が決まっていない二人に目を向ける。リンとニーナ、二人の女性である。

「まずは鈴か。西を見てみたいからと、東からきたじゃじゃ馬娘、お前はどうする?」

「……その言い方には棘を感じるのですが」

「当たり前だ。あの妖怪婆に絶対に後で嫌味を言われるんだぞ、俺は」

 気が重いとばかりに溜息を吐く詩人。それをしれっとした顔で流すあたり、リンもやはり面の皮が厚い。

「まだ西に来たばかりですもの。もっと西を見て回りたいわ。

 それには知り合いである詩人さんに着いていくのが一番ですし。また、弓を見て下さいねっ!」

「……りょーかい。悪くはないけどね、ホント」

 天真爛漫というべきか、向こう見ずというべきか。まあ、次の四魔貴族の相手はアウナスである。弓を得手とするリンが付いてくるのは悪い事ではないだろう。

 そして最後の一人、ニーナに視線を向ける詩人。

「で、ニーナだっけ? 君はどうする?」

「えっと……。旅に出た恋人を探していまして、彼が見つかるまでミューズ様のお世話係として行動したいと思っています」

「旅に出た恋人、ねぇ」

(生きているかどうかも分からないのに)

 口に出さない程度の配慮はするが、紛れもない詩人の本音である。成り上がってやると息巻いて村を飛び出す者の末路など、だいたいが悲惨だと相場が決まっているのだ。

 モンスターに殺される。金がなく野盗に落ちぶれる。人に騙されて使い捨てにされる。

 適当な働き口を見つけて真っ当に生きていれば運がいい方だが、成り上がろうと身の丈に合わない野心を持った若者はそういった事を嫌う。そういった意味を含めて、可能性が全くといっていい程見当たらない。

 このままミューズのお付きとして働いていく程がよほどニーナにとっていいか。いいや、激動の世界に投げ込まれたミューズから離れた方がいいか。そんな事を取り留めなく、そしておざなりに考えながら会話を続ける詩人は、次の言葉に少なからず驚かされてしまう。

「で、その恋人の名前は?」

「ポール、と言います」

 ずるっと、体の力が抜けてしまう詩人。聞き覚えがある名前だった。彼が助けた男の名前だった。

「……そのポール、比較的背は高めで、金髪で?」

「ポールを知っているのですかっ!?」

「ああ、まあな。……そういえば、恋人に見合う男になる、とか言っていたか」

 遠い目をして呟く詩人に、ニーナの顔が喜色に染まる。

 詩人と同じような心配は、当然ニーナもしていた。彼ほど具体的に世界の悪意を感じてはいなかったが、それでも危険が多い事は分かっていた。自分の知らないところでもうすでに亡くなっている可能性は頭に入っていたのだ。

「ポール、ポールは今どこに!? 無事、ですよね!?」

「落ち着け落ち着け。ポールとはファルスで別れた。軍に入るはずだったな。悪いが、その後は知らん」

 そこに割って入ったのはシャール。

「ファルスか。あそこは反ルードヴィッヒを掲げていた町だったな。確かスタンレーと小競り合いを起こし、制したとか。

 ……力を蓄えている最中なら、ミューズ様の立場を使って協力してくれる可能性はあるな」

「ランスに行くにも船で行ける、最も近い町ですね」

 モニカも補足する。ファルスに行く事を反対する者は誰もいなかった。

 

 

 



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053話

夏は、夏はマジでダメ……。
色々な意味でキツイです。

お待たせしました。最新話、投稿です。


 

 

 

 リブロフからファルスへと向かう船は、翌日の昼の便で予約がとれた。

 ユリアンたちはお世話になったラザイエフ家の挨拶回りや、旅の支度などで時間を使う。結局、またも宿命の子を見つけられなかった詩人は町をぶらつきながらふてくされていた。

 そうして日が沈む時間帯になった時、共に旅をする一同はラザイエフ家の一部屋を借りて、酒を嗜んでいた。詩人が話を聞けば、ここ最近は気が張りつめる事が多かったと聞く。その上で二組の主従が共に旅をしているとあり、どうにも固さがとれていないと感じたのだ。

 信頼は必要だが、柔軟性を失ってはいけない。そう主張した詩人により、無礼講の酒盛りが開催された。最初はやはり固さがあった面々だが、酒はそれをほぐすもの。段々と会話が弾み、軽い言葉が出てくる。

 今、口を開いているのはリンだ。

「西に、来たかったの。昔、詩人さんが西から来た時、私の知らない世界が遠くに広がっているのだと知ったわ」

 カランと氷が澄んだ音をたてながら、リンの手の中にあるグラスを回る。

「それをいつか見てみたいと、そう思った夢。私は今、それを叶えている」

 くいっと軽く酒を呷ったリンは、にこやかな笑みと共に言葉を置いた。

 対して暗い顔をしているのはミューズ。

「……私は先日、悪夢を見たわ。死んだお父さまと一緒に過ごす、酷い夢。

 夢が夢のままで終わってしまえばよかったのだけど、私はこうして生きている。なのに、お父さまと過ごす夢を見せられたのは――今、現実に戻ったなら、悪夢だと言い切れるの」

 彼女は逆に酒が進まないらしい。辛い記憶を思い出して、憂鬱そうにため息を吐いた。それに倣うかのようにシャールも難しい顔をして黙り込んでしまっている。彼としても敬愛する主君が生きているという、溺れてしまいたい夢をみた事は悪い事なのだろう。

「私も現実は辛いものでした」

 次に口を開いたのはニーナ。彼女の頬が少し赤く染まっている。酒にはあまり強くないらしい。

「私の産まれた町はキドラント、ツヴァイクの田舎町。稼いだお金の大部分は税として持っていかれて、支配する貴族さまが豪勢な暮らしをする。そして貧しい生活を強いられて人の心が荒んでいくのを見て生きる日々は……楽しくなかったです。その上、町の側に化け物が住み着いて、明日の命も保障されない日々になり、見知らぬ旅人を生贄に捧げる片棒を担がされました」

 それでもと。ニーナは酒を呷りながら言葉を続ける。

「生きていて、よかったです。キドラントは罪を償う機会が与えられて、私は会えないとも思っていたポールにもうすぐ会える。

 ……生きていなければ、なにも望めませんでしたから」

「生きなくて何も始まりません」

 言葉を引き継いだのはモニカ。彼女はグラスを両手で持ち、そして目を瞑って感情なく口を開く。

「けれども……辛い現実や未来を見続けるのも辛いのです。希望がなくては人は生きていけません」

 静かに目を開いたモニカは、周囲を、特にミューズと詩人を注視する。

「希望は、ありますか?」

「俺はある。希望といえる程素晴らしいものじゃないかも知れないが、まあ死ねない理由くらいはな」

「……今は希望を探す最中。そう、思う事にしてみます」

「西を見ている今が最高だから、私は今は希望はいらないわ。現実だけで十分」

「私の希望はもうすぐ。ファルスでポールに、会える……!!」

 口々に紡がれる言葉に、モニカはにっこりと笑った。そしてほんの少しためらい、次の言葉を口にする。

「ユリアン、あなたはどうですか?」

「俺? 俺はまあ、悪くないですよ。目標があってそれに向かって努力するっていうのは。やりがいと挑みがいが何よりもある」

 これも希望の一種かなと、ユリアンは力を抜いて答える。

「そう、ですか」

 受けたモニカの声は固かった。やや不審に思った人も何人かいたか、モニカはぐいとグラスを傾けて胃にアルコールを流し込む。

 自分の違和感を知られたのを悟ったのか、殊更に明るい声で言葉を発する。

「みなさん、飲みましょう!!」

 

 日が昇る。

 朝食を摂った一同は、世話になったラザイエフ家に最後の挨拶をしてから船に乗り込んだ。

 昼には船が出発し、数日は船上で暮らす事になる。その為、普段よりも気楽にするために荷解きをして船でゆっくりできる環境を整える事が一般的だ。

 そうして時間を使っているうちに出港時刻になったらしく、慌ただしい気配と共に船の揺れが大きくなる。そして荷解きも一段落して、落ち着きも出だす頃合いだ。

「さて」

 声を出したのは詩人。それに顔や視線だけ向けるユリアンとシャール。船では部屋を二つとり、男部屋と女部屋で分かれていた。

「やるか」

「何を?」

「何をって、鍛錬だよ、鍛錬。夕食まで時間があるんだ、その時間を有効活用しようって話。

 船旅はいいぞ。何せ、食事も出る上に目的地までの移動も任せられるんだ。モンスターが出ないから実戦の機会はないが……まあそこにさえ目を瞑れば環境は最高だ」

 軽く体を動かしながら、詩人は自身の武器である棍棒の具合を確かめている。

 それを見て聞いたユリアンは、確かにと納得する。その上で詩人はフォルネウスを撃破したエレンを鍛えていたという。ならば自分も詩人に鍛えて貰えばアウナスを打倒するのに大きく前進するだろう。ならばこれはむしろ望むところである。彼はすぐに表情を引き締めて剣を手に取った。

 表情を消しながらそんな二人を見ていたシャールは、口を開く。

「私は見学でいいだろうか?」

「? シャールさん?」

「俺は構わない」

「そうか。ではすまないが、ミューズさまを頼んだぞ」

 見学する理由が分からないユリアンは困った顔をするが、詩人はあっさりとOKを出す。それを聞いたシャールはあっさりそう言い、体の力を抜いた。どうやら本当に参加する気はないらしい。

「あ。じゃあ、あっちに行って、完全装備の上で前甲板に集合するように伝えてくれないか?」

「請け負おう」

 詩人の言葉に、足取り軽く部屋を出るシャール。それにどこか普通でない感覚を覚えたユリアンだった。

 

「さて」

 前甲板に集まった一同。詩人、ユリアン、モニカ、リン、ミューズが鍛錬をする。少し離れた所にいるシャールとニーナは見学だ。

 詩人は前に揃った四人を見て、どうするかと頭を回転させる。

 ユリアンとモニカ、リンはいい。ある程度以上に鍛えられており、乱取りをするだけで成長するだろう。問題はミューズである。彼女は初心者の域を脱しておらず、他の三人と同じように乱取りなどしたら、詩人は怪我はしないだろうが彼らの間で偶発的な同士討ちが起きかねない。それほどミューズのレベルは低く、またユリアンたちのレベルは高すぎない。

 聞けばミューズはつい最近、ようやく剣を持ち始めたばかりだという。

 ならば。

「まずはミューズ、お前は見学だな」

「え?」

「まだ剣に慣れていないなら個別に鍛えた方がいい。そして、先にお前を鍛えるよりも余力があるうちにこれから何をするのかを見て覚えろ」

 これを見取り稽古という。まずは見て、感じて、覚える。それを模倣し、自分にあった型に落ち着かせる。武に関わらず、物事を覚えるのに最も有効な手段の一つだ。見習いという言葉が浸透しているように、見るという事は0から脱しようとするものに大きな力を与えてくれる。

 それを簡単に説明すると、ミューズは神妙な顔で頷いて少し離れる。そして残された三人は詩人に鍛えられた事がある者たちである。この男の鍛え方はよく分かっている。

「さて、と。じゃ、始めるか。全員でかかって来い」

 そう。乱取りである。

 型を覚えさせるといった事や、素振りといった基礎トレーニングを詩人は行わない。全ては実戦で学ぶ。それこそが彼のスタンスなのだから。

「手加減は?」

「いらんって」

 かつてよりも成長した自信があるユリアンがそう尋ねるも、軽く返されてしまう。これにはユリアンも少しムっと腹が立つ。

 確かに詩人はハリードが認める程に強い男だ。遭遇戦とはいえ、自分よりも強いシャールを一方的に組み伏せもした。

 だが、以前と全く同じく真剣を使い、手加減がいらないと言われたならば成長していないと言われたようで気分は決してよくない。

 鼻を明かしてやると、ユリアンが剣を構えて詩人に向かって突進する。それをフォローするようにモニカが小剣を持って走り出し、そして別方向からリンが拳を握りしめてたった一人の男に襲い掛かる。ちなみにリンが最も得手とするのは弓だが、弓だけでは接近戦に対応できないとの理由から彼女は体術も修めていた。

 ユリアンの剣が、モニカの小剣が、リンの拳が、一気呵成に襲い掛かり。詩人は軽いステップで間合いを調節すると、その全てを手に持った棍棒と空いた手でもってずらして逸らし、自分に威力を届かせない。

「成長したな」

 ポツリと呟く詩人に、空を切った剣の勢いを利用して回し蹴りを放つユリアン。逸らされた小剣を素早く引き戻し、次の突きを繰り出すモニカ。突き出した腕をくねらせて詩人の腕を狙って投げに繋げようとするリン。

 だが詩人にその全てが通じない。ユリアンの蹴りは少しだけ体を動かす事でかわし、モニカの小剣は棍棒を軽く振るって弾き返す。そして詩人の腕を狙ったリンの手を逆に掴みとり、くるっと力の向きをかえて逃してしまう。

「ユリアンは体術を合わせたのはいいが、そのレベルが低いな。破れかぶれじゃ意味がない、体術もしっかり鍛えるか剣を極めるかをしろ。

 モニカは相変わらず攻撃が軽い。疾さを求めるならせめて急所を確実に狙える正確さが必要だ。

 鈴は少しはフェイントを混ぜろ。動きが正直過ぎて次の行動が丸分かりだ。格下を圧倒できる技術は大したものだが、それじゃあ格上に通じない」

 欠点を指摘しつつ、とりあえず全ての攻撃を回避する詩人。全力で攻めているのに、三人がかりで攻めているのに。それでも柳に風といわんばかりに効果がない現実に、特にユリアンがその壁の高さを知る。

 ポドールイに向かう最中には感じなかった、その高さ。自信と実力がついたからこそ感じる、絶対的な格の差。ユリアンは自分がようやく歩き始めたばかりの幼児だと痛感せざるを得なかった。ようやくその高さを見上げる事ができるレベルに到達し、その高みに向かって足を踏み出したばかりの子供。その頂きに向かって歩く権利だけを得ただけの初心者。それが自分なのだと。

 リンにもその感覚は少なからずあった。遠い昔、東に訪れた生きた人間である詩人。幼かったリンは彼に手解きを受け、弓だけでなく体術の心得えも始めた。その時には感じなかった彼の強さを目の当たりにする。格上との戦いがほとんどなかった事までこの一瞬で見抜かれてしまった。驚愕せざるを得ない。

 モニカはまだその凄さを認識できていない。前と同じように、強い。そうとしか感じ取れなかった。これは彼女が戦う者でないのも原因の一つであるし、そもそもとして鍛える時間が足りなかった事も原因の一つだ。社交も含めてオールラウンドに時間を割いてきた彼女にとって、詩人の実力は未だに実感できる範囲にない。

 そうして全ての攻撃をかわし続けた詩人はやがて大きく距離をとり、棍棒を一度大きく振るう。

 これからは反撃が含まれる。そんな意味を込めた一振りに気が付かない程、彼らは愚鈍ではない。表情を更に険しくした三人は、まるで気負わない男に先程を上回る苛烈な攻撃を仕掛けるのだった。

 

「さて」

 軽い調子で言う詩人の背後には、疲労困憊な上に全身打撲を受けて転がされた三人がいた。揺れる甲板の上、立ち上がる気力もなく。座り込み、あるいは体を横にしてゼイゼイと荒い息を吐いている。

 詩人に彼らはもはや視界に入っていない。彼が見据えているのは鍛えるように依頼されたもう一人、ミューズだ。ポカンと目を丸くしてその光景を見ていたミューズだが、詩人の言葉に我を取り戻した。

「おおよそこんな事をやる。分かったか」

「は、はいっ!」

「心配しなくても、いきなりここまでハードにはしない。まずは好きに打ち込んでみろ」

 こくこくと頷いたミューズは、扱いなれていない剣を引き抜いてユリアンに教わった通りに構える。構えるが、素人丸出しのその構えでは剣を持っているだけで無駄な体力を使いかねない。そこからかと、心の中で軽く嘆息する詩人。

「腕の力だけで剣を持つな。体全部を使って剣を支えるイメージだ。その上で剣の重さや体重を利用して、剣を振るう。まずはそこからだ、やってみろ」

「はいっ!」

 ぎこちなく、慣れない剣を必死で振るうミューズ。斬るように振るえていない剣では、仮に当たった所で布を断つ事さえできないだろう。ダメージとしては斬撃としてより、金属の塊が振り回される打撃力の方が大きそうである。

 これは先が長いと思いつつ、詩人はそれでも剣を持ち始めたばかりのお嬢様に的確な指示を出し、そしてその後は剣を振るう事でできた隙に向かって棍棒を当て、柔肌にアザを作る仕事に従事するのであった。

 

 

 船旅が終わる。詩人の訓練を受けていた者にとっては一日中しごかれるという、筆舌に尽くしがたい苦痛がようやく終わるのだ。誰ともなしに思わず安堵のため息を吐いてしまうのは仕方ないだろう。

 対してファルスに向かうにつれ、余裕を無くしていったのはニーナ。詩人はポールとはファルスで別れ、彼はファルス軍に入ったというが、今でも無事にファルスにいるのか。そんな心配ばかりしてしまっていた。

 確かに未だにファルスにいるとも限らないし、仮にファルスに居続けたとしてもファルス軍は最近スタンレー軍と争ったばかりである。戦争自体はファルスが勝ったらしいが、死傷兵の中にポールがいない保障はない。悪い想像ばかりよぎってしまうのは仕方ないだろう。

 表面上だけでも普段と変わらないのは詩人とシャールのみである。彼らはとりあえず今日の宿を抑えた後、ファルス軍の窓口へと向かう。大なり小なりファルス軍に一般人が連絡する為の窓口がそこであり、以前に野盗の引き渡しを行ったり拠点を壊滅させて親分の首級を引き渡したのもこの場所である。気負いなくそこへ向かう詩人と、近づくにつれ心臓がバクバクと高鳴っていくニーナ。

「やあ」

「ん? なんだい? ファルス軍へ入る希望者かい?」

 窓口にいたのは中年のやや太った男。しかしそれなり以上に筋力があり身のこなしも悪くないところを見ると、負傷兵の再雇用か。軍隊を維持しているのならば珍しくない話だ。

「いや、ちょっと知り合いに会いに来た。ポールって言うんだが、知ってるか?」

「……うちは何千人も兵士を抱えている。ポールって奴が何人いるか知らないね」

 詩人の言葉に、明らかに声が固くなった窓口の男。これは何かあったと鈍くない者たちは気がつくが、それを表に出すような下手はうたない。

 気安い様子で詩人は続ける。

「最近って程じゃないか。以前に野盗を壊滅させた男たちの一人、そのポールだよ」

「ああ、英雄ポールか。彼なら面会に来る人が多くてね。会いたいっていう人は一括でお断りしている。悪いが諦めてくれ」

「まあそう言わないでくれ」

 言いながら、詩人はそっと100オーラム金貨を握り、窓口の男に滑り込ませる。

 一瞬困惑した表情を浮かべた窓口の男だが、それを認識した途端に顔色を変える。大金をさらっと渡されたのだから無理もない。

 しかして表情を引き締めた窓口の男は毅然として堂々と金貨を表に晒すと、詩人へと突き返した。

「申し訳ありませんが、無理な者は無理なのです。お引き取りを」

「いや、こっちの少女がポールの恋人でね。他に行く宛てもないから世界中を探してようやく見つけたんだ。取り次いでくれないかな?」

「お引き取りを」

 一切の妥協する様子のない窓口の男。ここまで来てのこの対応にニーナはもはや泣きそうであり、そんなニーナを見て女性陣はオロオロとしている。

 そしてこの頑固さは普通じゃないと見た詩人は柔らかな声色をガラリと変えて、小さく強い声を口からこぼす。

「おい、正直に言えよ。何故そこまでポールに会わせない?」

「ひっ!?」

「ポールは無事なんだろうな……?」

「た、確かに英雄ポールはスタンレーとの戦争にも出なかったが、その存在は嘘じゃない!! ポールは居るっ!!」

 唐突な詩人の殺気に窓口の男がようやく口を滑らせてくれた。

 どうやらポールはスタンレーとの戦争に出なかったらしい。その上で面会も一律で、賄賂を含めて断っているとなれば存在を怪しむ者も出るだろう。

 詩人たちがそれを探りに来た諜報員だと思えばそう簡単にポールを会わせないのにも納得がいく。しかしそれはポールを全般的に隠す理由にならない。

 何故ポールを表に出さないのか。それを考える前に事務所の中から剣呑な雰囲気を纏った兵士たちがドヤドヤと表に出てきた。窓口の男の異常に気がついたのだろう。誰もが武器を手にして鋭い目で詩人たちを睨みつけている。

 既にシャールとユリアンは己の得物に手をかけている。後一つきっかけがあれば血を見る羽目になるだろう。一触即発の空気の中、兵士側の一人――佇まいからして隊長だろう男が口を開く。

「今すぐファルスから出ていけ。そうすればこの話はここでお終いにしてやる」

「そういう訳にもいかない。こっちはポールに用があって来たんだ。会うまでは引けないな」

「なら、痛い目にあって貰おうか」

 武器を構える隊長。倣うように後ろの兵士たちも武器を向ける。

 シャールとユリアンも武器を構えようとするが、それを身振りで止める詩人。

「まいった。こっちに敵意はないんだが。ポールに穏便に会わせて貰うにはもう一度野盗でも殲滅してくればいいかな?」

「……なに?」

「ポールと同じ手柄をあげれば問題ないだろう?」

「……例え英雄ポールと同じ手柄をあげたとしても、それがポールに会わせる理由にはならん」

「まあ、こっちも同じ扱いは願い下げだけどな。さっきから英雄ポールと聞いているが、あんな英雄がいる(・・・・・・・・)のかよ?」

 その意味を素直に捉えた兵士たちは更に殺気立たせるが、その含んだ内容を正確に把握した隊長は目を丸くした。

「貴様、何故それを知っている……? いや、どこでそれを知った?」

「何故もどこでも。俺はポールと一緒に野盗を退治した(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「……お前の名前は?」

「詩人」

 それは名前じゃないとツッコミが入りそうな返答だが、事情を知っているならばこれで話は通る。

 その詩人の読み通りというか、隊長は後ろにいる兵士たちに声をかけて戻る様に指示を出した。

「ああ。やっぱりそういう事か」

「あの、詩人さん。私にはさっぱり意味が分からないのですが……」

 ここまでのやり取りを何一つ理解できなかったニーナが尋ねるが、詩人は困った顔をするだけだ。

「ん、詳しくは後でな。あまり人に聞かれていい話じゃない。

 まあ、ポールには会えるから安心していい」

 他の者も半分以上理解できなかったのがほとんどで、不思議そうな顔をしている。例外は一人、シャールであり、流石は元ピドナの近衛隊長というべきか、今まで集めた情報とやりとりでおおよその事を把握していた。もちろん予想の範疇を超えないが、それが外れていない自信もある。

 やがてその場に残るのが隊長のみになった時、改めて彼は宣言した。

「ファルス軍の砦へ案内しよう」

 

 ファルスは港町であり、また南北を繋ぐ中継地点としても優秀な立地でもある。必然栄え、必然軍も応じた大きさになり、必然それを抱え込む砦も相応の大きさだ。

 その内部に入り込み、人目を気にしなくてよくなった途端、詩人はずばり答えを尋ねた。

「やっぱりポールは軟禁されているんだな?」

「ああ」

 気軽に頷いた隊長。その会話に仰天したのがニーナだ。

「ポールが軟禁っ!? 何故ですかっ!?」

英雄(・・)と喧伝してしまったのがまずかったのでしょう」

 答えたのは最後尾でミューズの背中を守っていたシャール。詩人と隊長以外の全員が思わず振り返ってシャールを見る。

 その視線を受け止めて、シャールは淡々と予想を口にした。

「話を聞く限り、ポールは野盗を退治した訳でファルス軍に取り立てられたのでしょう。だが、同行したのは事実かも知れないが、実際に野盗を退治したのは詩人なのでしょうね。

 なのに実力の伴わない男を英雄として流布してしまった。その後にポールがその実力に見合わないとなれば、ファルス軍の面目は立たない。

 その事実を隠蔽する為に、ポールを英雄としたまま噂が沈静化するまで待つ。その間にポールを少しでも鍛えて実力をあげればいい。それまでは極秘任務にでもついていたとでも言えば、まあ筋は通りますし」

「……その通りだ」

 事実をズバリ言い当てられた隊長は少しだけ言葉に詰まったが、ここまできて誤魔化す必要もないとその事実を認めた。

 それを確認したシャールは呆れた顔を詩人に向ける。

「この可能性を考慮しなかったのか、貴方は」

「できないって。俺がしたのは野盗の親分の首級を換金したところまで。ポールがファルス軍に入るとは聞いたが、まさかいきなり英雄に祭り上げられるなんて予想外だ」

「ちなみに、そのポールの実力は?」

「一般兵以下」

「……それは」

「下積みから頑張っていると思ったんだよ……」

 思わず絶句してしまうシャール。困惑した声を出す詩人。疲れた表情をしている隊長。

 彼らに加えて、軟禁されてしごかれているであろうポールを思えば、誰も得をしていない現状である。すれ違いが生んだ悲劇と言えるだろう。内容はやや情けないが。

 仕切り直すように隊長はやや明るめの声を出した。

「まあそういった理由でな。ポールの実情を知られてしまう事は極力避けたかったのだ。

 しかしポールも長い軟禁生活に加えて容赦なくしごかれている事で大分憔悴してしまってな、事情を知る外の者と会わせるのはいい気分転換になると思ったのだ」

「と言っても、ここに寄ったのは人を届けるだけだ」

「なに?」

「このニーナって娘がポールの恋人なんだよ。よんどころない事情で村から離れてな、他に頼る人もいないっていうから以前に村を出たポールを探していたんだ。

 で、俺がポールを知っていたし、ニーナを送り届けに寄っただけ」

「なるほど、そういう事か。一応聞くが、お前たちはファルス軍に入るつもりは?」

「「「ない」」」

 男三人の声が綺麗に重なった。大して期待もしていなかったのだろう、隊長もそうかと軽い言葉を返しただけでそれ以上の勧誘はしなかった。

 砦の中を歩く事しばらく、一つの扉の前で隊長が止まる。扉の間隔からしてそれなりに大きい部屋であろう事が窺い知れる。軟禁されているとはいえ、それほど扱いは悪くないのだろう。まあ、仮にも英雄がいる場所なのだ。そこを適当にしてしまえばそれこそ問題である。

 隊長はコンコンと扉をノックすると、返事を聞かずに扉を開けた。

 中は予想した通り、平均以上の品物が揃えられていた。またそれと同時に窓に鉄格子がはめられている辺り、敵の貴族を捕まえておく上級の牢屋ではないかとも考えられる。

 その中で備え付けられた机に突っ伏していた青年――ポールはノロノロと顔を上げて入ってきた人間たちを見る。詩人が見る限り、少しやつれてかなり鍛えられたようだ。

「面会だ」

「し、詩人さんっ! って――ニーナ!?」

「ポールっ!!」

 目を見開いて驚きの声をあげるポールに、目尻に涙を浮かべたニーナが駆け出して抱き着く。

 やがて聞こえてくる、ぐすぐすというニーナの泣き声。それにつられるように、困惑したポールも胸の中にいる恋人を抱きしめて瞳を潤ませていく。

 ここは二人きりにしてやった方がいいだろうと気を利かせたのはモニカだった。身振りで退室を促すと、誰もがそれに従って入ったばかりの部屋を出る。

 ここまで来れば彼らに用は残っていない。目的がある旅である為、先を急がなくてはならない。ならないが――

「できればファルス軍団長にお会いしたいのですが」

「英雄ポールの後は軍団長か。それなりの理由と身分がないと気軽に会える人じゃないぜ」

「失礼。私はクレメンスの娘、ミューズ。こっちはピドナ筆頭近衛騎士のシャール。ルートヴィッヒについて少しお話ししたく思います」

 ――ミューズの目的には味方を増やすという事も含まれる。反ルートヴィッヒを掲げるファルス軍は味方に引き込める公算の大きい相手であるため、話を通さないという選択肢はミューズやシャールにはない。

 詩人としても一日くらいファルスに留まるくらいでは目くじらを立てる程でもない。そこまで極端に急ぐ旅ではないのだ。

 隊長がミューズに興味を持った事を感じ取った詩人は、軽い調子で声をかけた。

「悪いが、そっちは俺に関係のない話だ。先に宿に行っているぞ。

 出発は明日。荷運びの仕事か、護衛の仕事か。適当なものでも探しておく」

 そう言い捨てると、とっととその場を後にする詩人。間髪いれずに詩人についてくるのはリンだけであり、ユリアンとモニカはほんの少しだけどちらに行くが迷ったようではあるが、ファルス軍団長に会える機会を優先したらしい。詩人たちを追いかける様子はなかった。

 来た道をそのまま戻りながら、リンは詩人に声をかける。

「ねえ、これからどうなるのかしら?」

「んー? 誰の話だ?」

「一番気になるのはやっぱりニーナかな」

「ニーナか。まあ、そう悪い扱いはされないと思うぞ。ポールがしっかりするまで表に出される事はないだろうから、二人一緒に軟禁ってとこか。

 離れ離れになった恋人が一緒になれると思えばいい。それにポールが使い物になるようになれば軟禁生活も終わりだしな。

 さっき見た限りだと大分鍛えられていたみたいだし、そう長い期間不自由な思いはしないだろ」

 言いながら足は止めない詩人とリン。

 特に問題なく砦を出た二人を迎え入れるのは、青空。燦々と照り付ける太陽が心地いい。

「さて。仕事はすぐに見つかるだろうし、しばらくぶりに弓でも見てやるか?」

「本当っ!? 嬉しい。私、弓が上手くなったのですよ!」

「期待してるよ」

 向かう先はランス。エレンとエクレアとの待ち合わせた町。

 もう間も無く出会えるだろう。

 

 お互いに何事もなければ、だが。

 

 

 




ちょっとまだまだ忙しい日が続きそうです。
温かい目で見守っていただけると嬉しいです。


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054話

明日がちょっと大変そうなので、変則的なこの時間に失礼します。
この話で一区切り。次話より新章に入ります。


 

 

 

 ファルスを発った一行。詩人は簡単な荷運びの仕事を見つけていた。それなりの量を運ぶとあって、馬を用意してその背に荷物をくくりつける。

 こうなると詩人の自由度は大きく下がる。荷物を守る為にファルスからランスまでの数日間、馬を守り切らなくてはならない。これが成功しないと詩人は報酬が貰えないだけでなく、商人たちの間での評判も落ちる事になってしまう。まあ、フルブライト商会がバックについているからして評判が落ちる事を気にしなくていいのは事実であるし、そもそもこの男が馬一匹守り切れないはずもないのだが。

 だがしかし、詩人のこの行動はもう一つの結論を導く事にもなる。すなわち、詩人は守りに徹して攻めてくるモンスターなどの外敵の対処は他の者に任せるという意味だ。

 同行するのはモニカとユリアンの主従、ミューズとシャールの主従、そしてリンだ。その中で鍛える約束をしているシャール以外の人間に、戦う指示を出す。

「朝夕は訓練して、その実践を昼のモンスターでやる。これが最善だ」

「ポドールイでの旅と同じですわね」

「そういうこと」

 その代わりといってはなんだが、詩人が連れた馬に荷物を乗せる事を許可する。本来、自分の荷物は持ったまま戦うのが旅の鉄則だが、特にミューズはまだそのレベルに達していないとの判断だ。荷物に気を取られて命を落とすなんてあったら笑い話にもならない。まあ、そうならないようにシャールが控えているし、詩人も弓を携えているのだが。

 とにかく身軽な格好で実戦を学ぶ事になる。そしてファルスを出て程なく、モンスターが一行に襲い掛かるのだった。

 

 林といえる程度に木々が生えている道を進む。

 詩人とシャールが戦いに参加しないため、4人で戦闘を行わなくてはならないのだが、残りの人員はバランスが悪い。前衛はユリアンのみであり、弓を得意とするリンと小剣よりも術の方が秀でているモニカは後衛より。そしてミューズはまだ戦力に数えられない。ユリアン一人で三人の後衛を守り切るのは現実的な話ではなく、よってこの時点でデザートランスは選べない。

 仕方なく選んだ陣形はスペルピラミッド。前衛に二人、後衛に一人をおく。その三角形の中心にいる人物の術力をあげる陣形だ。しかし、この陣形を選んだのは中心にモニカを置いて術力をあげるのを目的とした訳ではない。実際、中心に配置されたのはミューズである。

 つまりこれは実戦経験のないミューズをどのようにフォローするかを考えた結果であった。前衛にユリアンをおき、彼は一人で独立して戦う。もう一方の前衛にモニカが配置され、その補佐をするのが中心に位置するミューズと後方で弓を構えるリンという訳だ。万が一の場合はユリアンもモニカの助けに入れる位置である。

 ちなみに陣形を考えるのに、詩人とシャールは一切の口出しをしていない。そこもまた勉強だと言外に告げていた。そして彼らの作戦を聞いた上でフォローしやすい位置をとる。彼らが手を出す時は、4人の負けが確定した時のみだ。

 そしてすぐにその陣形を試す機会が訪れた。林の中で歩いていたユリアンが剣を構え、ほとんど同時にリンが矢を引き抜いて弓に番える。僅かに遅れてモニカが小剣を抜き、その動きを見てからミューズが慌てて剣を抜いた。

 ヌルリと木々の間から姿を見せたのは大型の不定形モンスターであるゼラチナスマター。動きが遅いという不定形モンスターの特徴を持っているが、このモンスターは電撃を吐く。その前面にある、不規則に並んだ牙に囲まれた大きな口から獲物を焼き痺れさせる一撃を放ち、動けなくなったところをゆっくりと捕食するのだ。

 他にも二足歩行で剣を持つ爬虫類型モンスターであるドラコニアンや、腐った体を引きずりながら首切り鋏を持つ屍人といったモンスターも姿を現す。

「野盗が消えた弊害か……。人の領分が減っただけ、モンスターが活性化してやがるな」

 そう呟く詩人。言うまでもなく野盗を潰したのはこの男であり、つまりこの辺りでモンスターが活性化している原因はこの他人事のように分析している詩人である。野盗が闊歩する事に比べてどちらが悪い状況かは議論の余地はあるだろうが、少なくとも彼には他人事で済ます権利はない。

 しかしまあ、それを糾弾できる程に全てを理解できている人間が詩人以外にいないのも事実ではあるのだが。一般的な感覚としては、野盗がいなくなったと思ったらモンスターが強くなった。世の中はなかなか上手くいかないものだと思う程度であろう。

 そしてそれ以上に、今モンスターに相対している者たちにとってはそんな事に思考を割く余地はない。考えるべきはいかにしてモンスターと戦うかのみである。

「ふっ!」

 最初手をとったのはリン。最も遠い位置にいた彼女は、この場で一番警戒すべき敵に向かって矢を放った。それはゼラチナスマター、その電撃を脅威とみたのだ。襲ってきたモンスターの攻撃手段の中で、電撃のみが前衛を抜ける射程を有しているのである。リンはともかく、ミューズはその電撃を一撃でもくらえば終わる可能性が高かった。故にその大きな口を目掛けて矢を撃ちこむ。狙いを違わないその高威力の矢は鋭くその口内を抉り、ゼラチナスマターを悶絶させる。

 その間にドラコニアンがモニカへと走りよる。ユリアンを手強いと見たか、それともただの偶然か。前脚から進化した手に握られた、幅のある剣をモニカへ向かって振り抜いた。

「セルフバーニング」

 対するモニカはモンスターが見えた時から準備していた術にて迎撃する。小剣は受けるに弱く、打ち合いに向かない。よって回避が主となるのだが、それでも攻撃を喰らわないとは限らない。その為に彼女は特にこの術の発動速度を速める訓練をシャールから受けていた。重さのない炎を纏い、幻惑と反撃を両立させるこの術を。

 モニカの周囲に炎が揺らめき、その輝きにて攻め手であるドラコニアンの目測が狂う。それでもと今までモニカがいた場所に剣が振るわれるが、当然モニカはそこにはいない。剣を回避したモニカはそのままドラコニアンの側面へと回り、持った小剣でその脇腹を突き刺し抉って炙った。これをくらったドラコニアンはたまったものではない。攻撃の為に突き出した前脚は炎に焼かれ、反撃でくらった脇腹には炎熱と刺突のダメージが同時に襲い掛かってきたのだから。

「ギィニャァァァー!!」

「えい!」

 絶叫をあげるドラコニアンの隙だらけの頭。それに向かってミューズが剣を振り下ろす。振り下ろすが、効果はあまりない。

 上手く力が伝えられなかった上に刃筋が立たなかったその剣は頭蓋を滑り、軽い裂傷を与えた後に弾き返されてしまった。まあ初心者を脱していなければこの程度であろうが、あいにくとモンスターは相手が初心者であろうと容赦はしてくれない。

 激痛を与えられた後に追撃をくれやがったか細い女、それを爬虫類の瞳が睨みつける。目は口よりも雄弁に語ると言われる訳を、ミューズは理解した。せざるを得なかった。言葉が通じないモンスターの瞳は、明らかな殺意を湛えていたのだから。

「あ、あ、あ……」

 ダメージを与えられない相手から至近で浴びせられる殺意に、ミューズの力が抜けていく。抗う気力なぞ、この相手を前に維持できるはずもない。

 対するドラコニアンは獲物が戦意を失った事に気がついたのか、剣を高々と振り上げて雄たけびをあげる。

「キシャァァァァァーーー!!」

「きゃああああぁぁぁぁぁ!!」

 声が重なる。片方は憤怒と歓喜の、もう片方は諦観と絶望の感情が練り込まれた絶叫。

 その憤怒の感情を無視するように、鋭い矢がその口に飛び込んで、喉から脳を破壊する。歓喜を掻き消すように後ろから突き出された刃が、脈打つ心臓を穿って動きを停止させる。

「ァァァ、シャア?」

「あああああ、ええ?」

 奇しくも当事者である者同士が現状を理解できていなかった。真っ先に矢を撃ったリンが立て直す時間が短いのは道理であり、彼女は連射も可能なように弓で戦場のどこにでも矢を放てるように準備をしていた。ユリアンは挟撃や波状攻撃を避けるため、屍人に一足に近づくと十文字斬りにてアンデッドモンスターを屠っていた。敵の一人を瞬殺した彼は、即座に背後からドラコニアンの急所を抉るべく剣で衝いたのだった。

 脳と心臓。生きる上で最も重要な箇所を破壊されたドラコニアンが生き続ける術はない。自身に何が起きたのか分からないまま、後一歩で殺せた獲物を眼前に残したまま、そのモンスターは息絶えて体を倒していた。

「大丈夫か?」

「大丈夫ですか?」

 放心状態のミューズに声をかける二人だが、戦いはまだ終わっていない。不定形モンスターであるゼラチナスマターが残っている。コアが破壊されない限り活動し続けるゼラチナスマターは、その口から電撃を放つために邪魔となる矢を蠢く体を利用して吐き出そうとしていた。

 それを待つ義理は当然ない。静かに詠唱を終えたモニカが術名を呟く。

「ソウルフリーズ」

 魂さえ凍らせるであろう冷厳なる息吹がその軟体に降り注ぎ、身体を固め動きを封じていく。後に残されたのは砕かれるのを待つばかりの半液状だった軟体のモンスター。

 それに向かってユリアンは無慈悲に剣を振るうのだった。

 

 夕方。

 この日の戦いは先の一戦のみだった為、予定よりもランスに近づく事ができた。あまり急ぐ旅でない事とミューズの心も鑑みて、早めの休息を取る事が決定。詩人とシャールは手早く野営地を作り、戦いをしたメンバーは思い思いに体を休める。そうして休む場を作ったところで詩人は訓練を開始し、シャールは夕食の準備を始めた。この旅は詩人が他の者を鍛えている間にシャールが雑用をこなす事で話がまとまっている。

 ユリアンとモニカ、リンが手解きを受けている中で、ミューズだけがシャールの傍にいた。震える体を火の傍らに置いて暖め、味わった恐怖と必死に闘っている。今は心を整理する時間だと、詩人は朝まで大人しくしているようにミューズに指示を出したのだった。

 そしてミューズは最も心を許せるシャールの近くで、戦いがもたらすモノと向き合っているのだった。

「…………」

「…………」

 シャールは無言。ミューズも無言。だがしかし、この無言の時間を破れるのは一人だけ。何故なら、シャールから無言を破ればそれは甘えになってしまうからだ。敬愛すべき君主が心乱れている時に、追い打ちをかけるような言葉などシャールが口にできる訳もない。そうした訳で、ミューズが心を落ち着けて口を開くのを待つしかなくなる。

 少し離れた所で手合せをする四人が動く音が聞こえる。すぐ近くで具材を煮込む鍋の音が聞こえる。

「ねえ、シャール」

「はい」

「戦いって……あんなに怖いのね」

 ミューズの言葉に、一瞬返答に窮するシャール。

 そして腹に力を籠め、一息で言い切る。

「いいえ」

「え?」

「断言できます。ミューズさまが味わった恐怖は、戦いがもたらすそれのほんの一片でしかありません。

 戦いとはもっと恐ろしく――おぞましいモノなのです」

 絶句するミューズ。

 これはいつか分かってしまう事だと、シャールはそう理解して言う。彼が言わなければ詩人が、詩人が言わなければユリアンが、ユリアンが言わなくてはおそらくリンが。そしてもしも誰も言わなくては間違って(・・・・)しまう。運よく自分で学べるとは限らないのだ。

 あり得ないことだが万が一、誰も言わなかった時の事を考えると。シャールが言わない訳にはいかないのだ。

「……どうして」

「…………」

「どうしてシャールは戦えるの……?」

「守るべきものがあるからです」

 おそらくミューズが求める答えとは違うだろう事を理解しつつ、シャールは口を開く。

「私はピドナを守る為に、軍に入りました。そしてたまたま才気に恵まれ、クレメンス様によくして頂き、近衛隊長の任を預からせていただきました。

 クレメンス様が善政を敷かれた事に疑いはありませんでしたし、ルートヴィッヒがまともな(まつりごと)をするとも思えませんでした」

「…………」

「それに加え、クレメンス様がミューズさまを大事になさっていた事。そしていつかこうなる事(・・・・・・・・)を予見し、お傍に控えさせて頂いたのです」

 シャールの告白に、ミューズの呼吸が一瞬停止した。

 その反応を感じてシャールは慌てて訂正する。

「い、いえ。ルートヴィッヒがミューズさまを放って置かないだろうという意味でございます。結果、ピドナを追われる可能性は考えておりました。

 まさかこんな形になるとは想像していませんでしたが」

「そ、そう……」

 父の忠臣であり、自分に遺された頼れるたった一人が自分をモノのように扱っていたのだという感覚は、一瞬とはいえ箱入り娘だったミューズの心に深刻なダメージを与えた。

 それを与えてしまったシャールは自らの失言を恥じ、その上で言葉を続ける。

「しかし、戦いの本当に恐ろしいところはそこなのです。目の前の敵と殺し殺されるのは始まりに過ぎません。

 信頼していた者が突如として背中を刺す事もあります。そこまでいかなくとも、自分や仲間の命を助ける為に誰かを見捨てる選択をする事は珍しくありません。その誰かが親しい者や仲間である事も珍しくありません。

 親しい者を見捨てる選択、仲間に見捨てられる虚脱。戦いに身を置いているのならば、逃れられるものではないのです」

「…………」

「ミューズさまは戦いの場に引きずり出されてしまいました。もちろんミューズさまが望むのならば、ミューズさまが戦わなくともこのシャールが全霊をもって御身を御守りいたします。

 ……ですが、敵に回ったのは神王教団とピドナ。私一人で守りきれるとお約束する事は、残念ながら難しい。故に戦いを選んだミューズさまを止める事はしませんでした」

「…………」

「非力な我が身をお許し下さい、ミューズさま。私がもっと強ければ、貴女は戦いの恐怖も惨さも知る事はなかったでしょう」

「……いいえ、その謝罪は私がするべきだわ」

 黙ってシャールの言葉を聞いていたミューズだが、シャールの最後の言葉には反応した。

「お父さまが殺されなければこんな事にはならなかったはずよ。他の者たちのように、貴方に見限られてもおかしくはないのは分かっています、シャール。

 こんな私を守ってくれる事に、感謝しても恨むなんて事は決してしないわ。

 ごめんね、シャール。貴方がこんな目に遭っているのは紛れもなくお父さまと、生き残ってしまった私のせいよね……」

「そんな事は言わないで下さい。クレメンス様に対する忠義は揺るぎませんし、ミューズさまの御命があって嬉しく思います。

 ……ですから、恥を承知でお願いします。生きて下さい、ミューズさま。例えこのシャールが死のうとも、他の誰が死のうとも。生きる事を諦めないでください」

「そうよね。私は、死ぬ事は許されない身なのよね……。クラウディウスの名がそれを許さない」

 悲し気に呟くミューズに、シャールはきっぱりと否定の言葉を言い切った。

「違います。ミューズさまが生きなくてならないのは、クラウディウスとはなんの関係もありません。御父上が娘の幸せを願ったからに他なりません。貴女が生きなくてはいけない理由はただそれだけ、幸せになっていただくことのみです。

 そして幸せは生きてこそなのです、ミューズさま」

「…………」

「戦いは生きるため、生きるのは幸せのため。間違えてはいけないのです。自分や誰かの不幸を願って戦うのではない事を、恨みや憎しみで生きてはならないのだと」

 静かな時間が僅かに流れ、ミューズは力強く頷いた。

「……肝に銘じるわ、シャール」

「はい。では、そろそろ食事にしましょう。体力をつけなくては戦いはおろか、旅をする事もできません」

 そこでようやく主従は笑い合い、鍛錬をしていた面々を呼び寄せる。

 待ちわびた休息と食事に誰もが気を緩めながら火のそばへと戻り、体を休める。

 シャールは順番に食事を配り、口にする。そして固まるユリアン。

(……マズい)

 文句は言えないが、文句は言わないが。

 マズい。

 一日の終わりがコレとはあんまりである。いや違う、この旅の間はずっとコレなのだ。

 ふと周りを見渡してみれば、素知らぬ顔で食事を口に運ぶのはモニカとミューズ。リンも思わず固まってしまったようで、ユリアンと視線を合わせると表情をなくしたまま食事を続けるのだった。そして詩人はといえば、懐から小瓶を出して調味料のようなものを食事に振りかけている。

「ん? 詩人、それは何をしているんだ?」

「たまには別の味付けも試してみたくてな、一手間加えさせて貰ったよ」

「そうか」

 簡単な疑問は容易に解決してしまうのか、シャールの問いはあっさり終わってしまう。だがしかし、他の面々には急に調味料を使う詩人の意図がまる分かりだ。モニカとミューズは特に反応は示さないが、ユリアンとリンはちょっと鋭い視線を詩人に送ってしまう。あっさりと無視されたが。

 ため息を我慢して食事を口に運ぶユリアンとリン。そんな彼らを見て疑問に思うシャール。

 彼が旅をする時、こんな雰囲気になることがままあった。食事とは楽しいものであり緊張がほぐれる時間なのに、どうしてこうなるのか分からない。

 自分が作った食事を口に運びながら、シャールは首を捻るのだった。

 

 

 道を行く。

 整備されたそれは人の気配を醸し出し、モンスターに誇示している。そこは人の領分と解釈するか、獲物(エサ)の通り道だと解釈するかは分かれるだろうが、後者で長生きできる個体はごく僅かという言葉でも過大である。人間はやはり世界の中で強力な種族なのだ。

 やがて白くて汚れた雪が見え始め、歩いていくうちにその白は清さを増していく。雪の消えない町、ランスが近づいている証拠だった。

 初めて見る雪にリンの瞳が輝き、そんなリンを微笑んで見る詩人。

 寒さによって疲れが見え始めたミューズに、それを気遣うシャール。

 ツヴァイクでの冒険を思い出して話すモニカと、たくましくなったと苦笑いのユリアン。

 戦いもそこそこに雪降るランスの町が眼前に広がってくる。

「着いた、か」

 その言葉にそれぞれがそれぞれの感情を表に出す。

「金の分配があるから、先に請け負った荷物を卸そう。1000オーラム貰える約束だから、一人頭150オーラム。端数の100オーラムで今日は少し豪勢に休むか」

 詩人の提案に否定の声をあげるものは一人もいない。荷物は彼らが運んだものであるので当然報酬も山分けだ。このような場所で欲を出せば関係が上手くいかなくなってしまうのは子供でも分かる理屈であり、文句も出ない。

 受け渡し先であるランス陸送隊の事務所に向かって歩き出す詩人と、後ろに続く5人。

 しばらく歩いたところで詩人はふとその人影に気がついた。道を歩いているその女性。

「エレン!」

 声をかけると、エレンは表情を変えて声の元にいる詩人を見た。

 詩人を見るエレンの表情から、詩人は氷の剣の入手まで上手くやったのだと理解する。ふっと表情を緩める詩人に向かって駆け寄るエレン。

 

 そして彼女は、その表情のままで詩人の顔を殴り飛ばした。

 

 思わず固まる一同。それに構わず詩人は血が混じった唾を雪に吐き出し、白に鮮やかな赤を混じらせる。

「氷の剣、ちゃんと手に入れたんだろ?」

「しじん……」

 飄々とした詩人の言葉に、エレンは感情の変わらない表情を深くする。

 くしゃくしゃに歪んで泣きそうな、そんな傷ましい表情。

「あんた……知ってたんでしょ?」

「ああ。知っていた」

 ギリィと歯を食いしばるエレンに、偽りなく答える詩人。

 彼女が悲しみを負うと理解しつつ、詩人は黙っていた事を認めたのだった。

 

 

 

 雪が降る。

 悲しみを覆い隠すように。

 ランスの町に雪が降る。

 

 

 




詩人、初ダメージ。
いったい何があったのか。詩人と別れてからのエレンを次回から描きます。

次章。外伝・エレン編、美人道中膝栗毛を予定しています。
お楽しみいただけるよう一層努力させていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。


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外伝・エレン編 美人道中膝栗毛
055話 商人の闇


お待たせしました。
新章のエレン編、美人道中膝栗毛。

どうぞお楽しみ下さい。


 時間は詩人がエレンやエクレアと別れた時まで遡る。

 詩人がリブロフへと速やかに出発したのに対し、エレンとエクレアは未だにバンガードに残っていた。

「ええっと…水の予備はこの位で…いや違うここで補給できるから……」

「もー、町でまた人に追っかけられた! 店でもいちいち話しかけられるし!!」

 要領が良い上にフォルネウスを倒した訳でもない詩人は上手く有名人になる事から逃げたのだが、彼女たちはそうもいかなかった。その直接の原因はフルブライトであり、彼は自分の商会の関係者である事を強調して彼女たちの存在を公表したのだった。

 フォルネウスを倒した人物は5人いて、うち一人は死亡した上にその栄誉に預かれていない。ウンディーネは彼女自身がモウゼスの支配者であり、ボストンはバンガードに居つくという。そういった訳で、フルブライトが手を出せるのが彼女たちしかいなかったという事情はあった。

 それでも一応フルブライトを弁護しておくならば。四魔貴族を倒した人員を世界が放っておく訳がなく、いずれかの形でどこかの勢力に属さなければ余計な火種が世界に生まれ、その火の粉は彼女たちをも焦がしただろう。その面倒さや大変さを考えれば世界最大勢力の一つであり、詩人と繋がりがあるために配慮されるフルブライト商会の元で英雄として祭り上げられるのは相対的に悪い事ではない。

 しかしそれは大局的な見方であり、エレンやエクレアにはフルブライトに説明されてもぼんやりとしか理解していないものだった。まあ別に有名になりたい訳でもなく、多少はお世話になったフルブライトならば名前くらい頼まれたら貸してあげてもいいかなといった考えの結果。彼女たちはバンガードにおいて英雄(アイドル)になってしまい、市民からの扱いに辟易としていた。それが原因で進まない旅支度に苛立ってもいる。

 更にその上で、今まで旅の熟練者としてフォローしていた詩人の助力がなくなったのである。支度が遅々として進まないのは仕方がない。

 イライラしながら地図を睨みつけ、必要な物資を書き出していくエレン。

 町に買い出しに行ったはいいが、ロクに目的を果たせずに逃げ回ったせいでぐったりしているエクレア。

 この宿はフルブライト商会所有のホテルだからプライベートまで市民が影響してくる事はないが、その原因を作ったフルブライトには感謝がある訳でもなく、当然のように面倒事に巻き込んでくれた悪感情しかない。彼女たちは別に英雄になりたい訳ではないのだから。

「エレンさま。エクレアさま。

 フルブライト会頭が来られています。是非、お二人にお会いしたいと」

 と、正にその元凶が彼女たちを訪ねてきたらしい。ドアの外から聞こえてきたホテルマンの声に思わず二人の動きが止まり、顔を見合わせる。

「…いいわ。この部屋に来ていただいて」

「分かりました」

 別にフルブライトの事を顔も見たくない程嫌っている訳ではない。むしろこの状況を作りだした事に文句の一つも言いたいくらいだ。

 沸々と湧き出る感情のそのままに、エレンはそうドアの向こうのホテルマンに聞こえるような大きめの声を出した。

 そのエレンの感情は読み取れただろうに、ホテルマンはそれを意に介さずに粛々と対応する。そしてその空白の時間を縫って、エレンはお茶の準備をしてエクレアはお菓子の用意をする。

「やあ、お邪魔するよ」

 やがて爽やかな笑みと共に彼女たちの泊まっている部屋のドアを開けたフルブライト商会のトップ、フルブライト23世。

 その顔をジトーと見る女二人。

「まあ、そういう反応をされるとは思ったよ」

 爽やかなまま、表情をやや苦くするフルブライト。彼とて暗愚ではない。彼女たちが未だにバンガードに留まっている理由や、その原因などは把握している。

 だが、相手に悪感情を持たれているからといって商売が出来なければ話にならないのが商人だ。彼は彼なりの手土産と勝算を持ってこの場にいた。それはもちろん爽やかな顔の裏に隠しているが。

「ま、色々いいたいことはあるんですけど、立ち話もなんですし。お茶でも飲みながらお話しません?」

「いただこう」

 優雅な所作で歩き、椅子に座るフルブライト。ここで感情的になっても意味がないと理解しているエレンはとりあえず冷静に同席し、そこまで大人になっていないエクレアは不機嫌さを隠そうともしないでテーブルを囲む。

「難儀しているようだね」

「その原因、アンタ」

 さらりと言うフルブライトに、さらりと毒を返すエクレア。

 エレンも今この瞬間に置いては決してフルブライトに好意的という訳ではない。

「おかげさまで大変難儀しておりまして、今は僅かな時間でも惜しいのですが。その頃合いにフルブライト会頭はどのようなご用件でしょうか?」

「おいおい、そんなに邪険にしないでくれたまえ」

 分かりやすく慇懃無礼なエレンの態度も柳に風とばかりに受け流すフルブライト。この辺りは流石に役者が違う。

 落ち着きながらカップを手に取り、紅茶を口に運ぶフルブライト。

「まあ、悪い話ではない事は約束しよう。お茶を飲みながら話をしようと言ったのはそちらだろう?」

 言われて、しぶしぶと紅茶を口に運ぶエレンとエクレア。

 温かいものを飲み、ほっと一瞬だけ心がほころぶ瞬間にフルブライトが口を開く。

「前にも言ったが、四魔貴族を倒すというのは大偉業だ。それを成し遂げた人間を隠しきるのは容易でも良策でもない。

 これでも我がフルブライト商会は君たちに最大限の便宜を図っているのだよ?」

 隙のある一瞬を突かれた彼女たちは即座に対応できない。一拍子あけ、エレンはやや戸惑いながら口を開く。

「でも、あたしもエクレアも英雄になりたかった訳じゃないし……」

「甘いね。四魔貴族を倒すとは、英雄になってしまうものなのだ。望むと望むまいとね。フォルネウスを倒したいから倒した、その結果を受け入れないというのは少し虫のいい話だとは思わないかい?」

「でも、詩人さんは自由にやってるよ?」

「あいつは直接フォルネウスを打倒した訳ではないからな、そこら辺まで計算して立ち回っているんだろう。バンガードに襲来したフォルネウスを撃退した時も、キャプテンの功名心を利用して協力者の立場で逃げ切ったしね。

 まあ、あいつ程巧みに生きられれば大したものだよ」

 それでも不満の表情をする女性二人に、フルブライトはにこやかな顔のままで別のありえた可能性を提示する。

「それともバンガードの英雄にでもなりたかったかい? キャプテンが君たちに配慮をすると思っているのかな?」

 その言葉を聞いて同時に嫌な顔をするエレンとエクレア。ブラックを口汚く罵ったキャプテンは、彼女たちにとって嫌悪の対象だ。その手下扱いなんて頼まれてもやりたくない。

「比べてフルブライト商会は君たちの名前を貸して貰っているだけだ。ウィルミントンに縛り付けようともしていないし、広告塔になってくれた礼金も出しただろう?

 他でここまで良く扱ってくれるとは思えないが?」

「ウンディーネさんの方がよかったと思っている最中ですけど」

「ああ、確かにウンディーネ君も悪く扱わないだろう。しかし、それが良く扱われるとは限らない。彼女にバンガードで有名になる事を阻止することはできないだろうし、礼金だってうちよりも出せないだろうね。

 その点、フルブライト商会ならば世界中に支店がある。何かと協力できることも多い、という訳だ。もちろん快くフルブライト商会に手を貸してくれた君たちだ。こちらとしても最大限に手伝わせてもらうよ」

「……怪しいんだけど。商人が得もなくそんな事、する?」

「得はあるとも。君たちが更に四魔貴族を撃破してくれれば、フルブライト商会の名声は際限なく高まっていく。これを得と言わずになんというのかな?

 祖先であるフルブライト12世も聖王を助け、四魔貴族をアビスへ追いやったと聞く。四魔貴族と敵対するなら望むところさ」

 論点をずらし、自分をよく見せ、フルブライトは言葉巧みにまだ若い英雄を翻弄していく。

 実際、フルブライトとしてはここが本日一番の正念場だ。彼女たちがウンディーネの世話になると言いださない確信は、彼にはなかった。

「……まあ、詩人もフルブライトさんのお世話になっているみたいだし。確かにフォルネウスを倒しておいて、扱いが良い事に文句を言うのも違うかもですね」

「分かってくれて嬉しいよ」

 フルブライトの気楽な言葉に隠された冷や汗に、エレンもエクレアも気が付けない。

 一山超えた事を感じさせないまま、フルブライトは話が蒸し返されないようにスライドさせていく。

「さて。それで今日ここに来た訳だが、どうやら旅支度にも大分てこずっているようだね?」

「そうだよー。フルブライトさん、お偉いさんなんでしょ? なんとかできないの?」

「なんとかしに来たのさ」

 無遠慮なエクレアの口調を嗜めようとしたエレンだが、間髪入れずに返答したフルブライトに思わず動きが止まる。

 爽やかな笑顔を浮かべながらそんなエレンを見て、言葉を続けるフルブライト。

「どうやら君たちが大変な目に遭っている原因の一端も私にありそうだからね、何とかできる範囲で何とかするさ。

 というか、君たちから私に言いに来てもよかったのだよ?」

「……こんな些末事にフルブライト商会の会頭を煩わせられる訳ないじゃないですか」

 小さい声でボソボソと言うエレン。まあ、間違っていない意見である。常識的な意見でもある。しかしフォルネウスを倒した彼女たちはその常識から外れている事には気が付いていないらしい。フルブライト商会としては彼女たちの要望を叶える事は最優先事項の一つなのだ。少なくとも、一言相談してくれれば旅慣れたアドバイザーを派遣するくらいは融通を利かせるだろう。なかなかそういった動きがみられなかったため、今回はフルブライト自身が様子見を兼ねて来訪したのである。ウンディーネの所に行かれたら商会として事であるし、更に目的はもう一つある。

「まあ、私がするのは旅慣れた者の手配だけだから、そんなに手間はかからないのさ。一声かけて、後で書類にサインをするだけ。気に病む程時間は頂かないよ」

「え? じゃあ、本当に?」

「ああ。旅のフォローはこちらでしよう。ついでにその者から今後の旅の勉強もしておくといい」

 その言葉にぱぁと明るい顔をするエレン。ここ数日の懸念が一瞬で片付いたのだから、その心境の変化は分からなくもない。

 対してエクレアは上手く恩を着せられた事になんとなく気が付いており、ジトっとした視線をフルブライトに向けている。ここは流石にラザイエフ家令嬢といった所か。

 エクレアからの視線をさらっと無視したフルブライトは話を進めていく。

「さて、ここで誰を紹介するかなのだが、君たちには2つ選択肢がある」

「2つ、ですか?」

「そう2つ」

 フルブライトはゆっくりと指を一本立てて説明を始める。

「1つはフルブライト縁者の旅達者を用立てる案。まあ、こちらは分かりやすいね」

「もう1つは?」

「バンガードの力を借りる案」

 地雷を思いっきり踏み抜いたフルブライトに顔が引きつるエレンとエクレア。

 そして否定の言葉を吐こうとしたその瞬間。またその寸前の意識の隙間に入り込むようなタイミングでフルブライトの声が滑り込んだ。

「この場合、派遣されるのは西部最強の剣士であるサザンクロス。ヤーマスまでの旅の間、君たちの手解きもしてくれる手筈になっている。

 これはバンガード市長からの詫びも入っているね。サザンクロス君が教える剣技の授業料はバンガード持ちさ。

 これからも四魔貴族と戦うならば悪い話ではないだろう?」

 反論しようとした声が止まる。

 フォルネウス撃破の戦功はブラックに多くあり、まだまだ自分たちのみで四魔貴族を倒せるとは流石に二人とも思っていない。

 強くなる機会を逃すべきではない。それは当然だ。

 キャプテンを許したくない。これが本音だ。

「一応言っておくが、サザンクロス君が手解きをするのはこれが最初で最後の機会だと思っておいてくれたまえ。

 今回は四魔貴族を倒した英雄を鍛えるということ。フルブライト商会の後押し。そして何より、現在の雇い主であるバンガードの意向と何より巨額の授業料が大きい。

 これらが揃ってやっと彼女が首を縦に振ったのだからね」

 いつかサザンクロスも弟子をとり、その技術を後世に残す可能性はある。だがそれも可能性であり、するとは限らない。それよりなによりその弟子に彼女たちが選ばれる確率は限りなく低いし、そもそも今現在四魔貴族を相手取っている現在、いつかとる弟子の話は遅すぎる。

 感情論を除けば最善で最高の機会であることは間違いない。これを用意したバンガードは本気で彼女たちとの関係修復を図りたいと願っていた。問題はまだ年若い彼女たちが、頷くかどうか。

「…………」

「…………」

「…………」

 今までの騒がしさが嘘のように静まり返る。

 そして。

 やがて。

 口を開いたのは、エクレア。

「サザンクロスさんにお願いする」

「エクレアっ!?」

 許すのか。思わずエクレアを見たエレンだが、彼女の強い意志を湛えた瞳に思わず気圧された。

「ブラックみたいに、また大切な仲間が死ぬのはイヤ。弱いままじゃ、ダメなの。

 今は怒るより、強くならなくちゃ」

 エクレアの言う通りだと、エレンは己を恥じた。

 過去の怨恨に囚われて強くなる機会を逃してどうするのか。そんな余裕が自分たちにあるのか。ブラックを犠牲にして生き延びた以上、生き抜いて目的を達成する事があの大海賊に対する最大の返礼になるのではないのか。

 そんな当たり前の事さえ、こんな小さな憎悪で見えなくなってしまう。エレンは頭を振って正しい答えを口にする。

「エクレアの言う通りね。サザンクロスさんに鍛えて貰いましょう」

「確認するが、これはキャプテンを許すという事と同義だ。フルブライト商会も関わっている以上、この件で表立ってバンガードを責めてはいけないぞ?」

 そうなればフルブライト商会も敵に回る。

 暗にそう言いながらも、少女たちは揺るがない。

「「ええ」」

「分かった。キャプテンには色よい返事が貰えたと伝えよう。サザンクロス君はヤーマスまで同行するから、そこまでに十分に学んでくれたまえ」

 そう言った後、ふと思い出したかのようにフルブライトは言葉を続ける。

「そうそう、ヤーマスで思い出した。ちょっと頼まれ事をしてくれないかな?」

「頼まれ事、ですか?」

「まあ、仕事と言い換えてもいい。ちゃんと報酬は出すよ。

 ヤーマスを通るなら、ついでにその内情も探ってきて欲しい」

「内情って……あたしたち、ヤーマスは通過点で長期滞在する予定はないんですけど」

「長期でなくていいさ、フルブライト商会でもある程度情報は仕入れているしね。

 ただ、君たちはフォルネウスを倒した英雄だからね。その立場で聞ける話を手紙に書いて私に送ってくれればいい。一日で終わる仕事さ」

「一日で終わるなら、まあ。それでいくらくれるんですか?」

「一人50オーラム、合わせて100オーラム。ついでに有益な情報が入ったら追加報酬も出すよ」

「分かりました」

 簡単な仕事、安い報酬。本当に気軽な話に頷くエレン。

 それを見て爽やかに笑うフルブライト。

 胡散臭そうに彼を見るエクレア。

「じゃあこれで話は終わりだ。明日にもサザンクロス君が来てくれて、旅の支度を手伝ってくれるだろうな。

 またいつか会える時を楽しみにしているよ」

 そう言って颯爽と立ち去るフルブライト。エクレアがなんとなく引っかかるものがあると感じ取ったため、さっさとお暇する事にしたのだ。

 

 部屋から立ち去り、ホテルを出る。そして夜の闇の中で、先程の爽やかさが嘘のように不敵に笑うフルブライト。

「やはり、まだまだ青い」

 万事上手くいった事にふと零れた黒い笑み。やはり詩人がいなければ彼女たちはこの程度の腹芸にも騙されるのだろう。まあ、それを見越して詩人が立ち去るまで手出しを控えたのだが。一手で一つの意味しか持たせないのは二流であり、一流ならばいくつもの伏線をばらまくもの。ましてやフルブライトは超一流、経験が浅い若造を転がす事は容易だった。

 エレン達を英雄として祭りあげる事でバンガードに足止めし、フラストレーションを溜める。それを解消させる善人として自分は登場し、彼女達を恩に着せる。

 着せた恩をそのままに、僅かに話題変換。バンガードへの悪感情を利用し、それを解消させる役を担う事で彼女たちとバンガードの両方に恩を売る。

 そして最後の小さな頼み事。

「フルブライト商会に関係ある英雄がその立場を利用してヤーマスで聞き込みをすれば、ドフォーレ商会が穏やかに済ますはずもない」

 ドフォーレ商会は必ず手出しをしてくるだろう。大きな情報を得た時の為に、一万オーラムを既に用意していた。それ程の情報が釣れる可能性さえ彼は見越していた。口にした100オーラムなんて小金は、エレンたちに行動を起こさせて波紋を起こす為の小石に過ぎない。

 それにどう対処するか。どこまで情報を得られるか。これらは武力だけではない、エレンとエクレアの試金石となる。

 この情報は彼女たちを使う者として、値千金の情報だ。重要な仕事を頼んで失敗しましたでは、冗談にならないケースも多い。

 また、この程度で死んでしまうならその程度であっただけという話。詩人とラザイエフ商会には上手く話を伝えよう。実際に手を出すのはドフォーレ商会だ。場合によってはフルブライト商会は関わらずにドフォーレ商会は大きな敵を作る事になる。

 

 

 フルブライト商会の会頭、フルブライト23世。

 彼もまた世界トップクラスの一人として、決して甘くはない。

 

 

 



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056話

活動報告もちょくちょくあげています。
よろしければそちらもご覧ください。


 

 

「じゃあ、支度から始めますか」

「はい」

「おー」

 翌日。サザンクロスと謳われた女がエレンとエクレアの元に訪れた。

 早速始まる旅支度。

「ってか、目的地ヤーマスでしょ? 5日かかんないじゃん。単純に5日分の食料と水持てばいいんじゃない?」

「雑っ!?」

「サザンクロスさん、旅についても勉強したいですっ!」

「あ~。野営時のサバイバルとか? 猪とか仕留めて肉にする方法でも覚えとく?」

「方向性が極端だよねサザンクロスさん!!」

「あ、それは慣れてるので省略でいいです」

「エレンさんも凄いねっ!?」

 前途は多難である。

 

 とりあえず、講義。練習も兼ねて水や食べ物の補給のやり方を含んだ旅であることを加味して荷物内容を洗い出し、道具の使用方法や節約法を教えていくサザンクロス。

 そして講義をしながらコリコリと頭を掻くサザンクロス。

「ってか、こんなの基本中の基本じゃん。アンタら、こんなのも知らないでよくフォルネウスを仕留める旅とかできたわね」

「詩人さんに言われた通りやってたから」

「あ~。あたしもトムとかに言われるがままに動いていました」

「他人に頼り過ぎ。まあ、そういう奴も居ない訳じゃないけどね~。こういう事を知っておかないと土壇場で脆いわよ」

「その為に今勉強してるんです。エクレアもちゃんと覚えておきなさいよ」

「はぁ~い」

「……やる気が感じられないわね、この子からは」

 やれやれとため息を吐くサザンクロス。

 そんな彼女を見てふとエクレアが思い至った事を口にする。

「そういえばさ、私たちってサザンクロスさんのことを何も知らないよね」

「ん~? まあ、簡単な自己紹介もしてなかったっけ?」

「うん。折角だし、簡単に話を聞きたいな」

「ま、別にいいけど。本名は……まあ言わなくてもいいわよね。今はもうサザンクロスっていう通り名の方が有名だし。歳は二十歳」

「あたしとタメなのっ!?」

「あ、エレンも二十歳なんだ。

 で、バンガードで旦那と出会って去年に男の子を産んだばかりの新米ママよ」

「しかも子持ちっ!?」

 ズーンと落ち込むエレン。女として明確に優劣がついた瞬間である。

「しばらくは育児に専念しようかとも思ったんだけどね~。ほら、フォルネウスが攻めてきて軍が半壊になったじゃない?

 サザンクロスを遊ばせてる場合じゃないってキャプテンから要請が入ってね。子供の授乳は終わったし、お義母さんに任せてしばらくぶりに稼ぎに出たって訳。情勢が一段落したらまた育児に戻るつもりよ。

 本格的に復帰するのは子供が大きくなってからね」

 気軽に言うサザンクロスだが、エレンやエクレアにとってはこんな機会でもなければ西部最強の剣士から学ぶ事は無かった訳である。人生とはどう転ぶか分からないものだ。

 それでとサザンクロスの表情が問いをかけるそれになる。

「そっちの名前とかを教えてくれるかな?」

「名前はエクレア! 今は詩人さんについて槍とかの練習中!!」

「うん。で、本名は?」

「エクレア!」

 ひくとサザンクロスの表情が引きつった。

 場を取りなす為に慌ててエレンが口を挟む。

「あたしはエレン・カーソン、シノンの村の開拓民でした。事情があって村を出た後、四魔貴族を討伐する旅に出ています」

「経緯っ! 何があったら開拓民が四魔貴族を討伐する旅に出る事になるのよ!?」

「……一身上の都合です」

「便利な言葉を使うわね……」

 そして実際にフォルネウスを討伐している辺り、なかなかツッコミがしにくいところである。気まずそうに視線を外しているのも、そしてまた意思が強そうな色を湛えた瞳も追求を躊躇わせる要因である。並々ならない事情がある事は察せるし、それを簡単に言う事がないであろう事もまた察せる。

 まあサザンクロスの仕事は手解きをする事であって、調べる事ではない。四魔貴族を相手取り、倒すという結果を出したのなら抱える秘密も大きかろうと深くは聞かない事にする。そして彼女たちが簡単に口を割る事はないだろうが、隠している秘密は宿命の子と大商人ラザイエフの令嬢である為に正しい判断である。簡単に抱えるには大きく重すぎる秘密だ。

 

 経験者がいると準備にかかる速度が全く違う。その日のうちに準備が整うのだった。

 

 

 バンガードからヤーマスへの旅。

 町と町の間が短く、モンスターが巣食うには人の往来が激し過ぎる道である。その為、出現するモンスターは縄張りを追われた弱い個体であったり、新しい縄張りを探す若い個体である事が多く、総じて弱い。

 だがしかし、弱い敵には弱い敵なりに活用法があるものだ。

「ふっ!」

「ギィィィ!!」

 エクレアがただ一人で相手取っているのはロックアインの(つがい)。ゴリラをさらに凶暴化させたようなそのモンスターは頭が悪く、力任せに殴りつけてくるか拾った岩を投げつけてくるくらいしか攻撃方法を思いつかない。

 それを練習台としてエクレアがシルバーフルーレを振るって数分。ロックアインは何度も何度も突き刺され、体中が血まみれである。

「グギャァァァ!!」

「よっと」

 苦痛に喚きながら繰り出す拳を避け、カウンターでその胴体に思いっきり拳をめり込ませるエクレア。苦悶の声を上げながら、もう動けないとばかりにへたり込んでしまうロックアイン。だが、この拷問地獄はこの程度で終わってくれない。動けないロックアインに向かって術を唱えるエクレア。

「再生光」

 太陽術で回復効果を持つそれは容赦なくロックアインを癒す。傍から見ても泣きそうな顔で立ち上がったロックアインがちらりと後ろを見れば、そこにはその(つがい)であったもう一匹のロックアインの遺体。そのロックアインは後頭部に刺突の傷を受けて絶命していた。逃げようと背を向けた瞬間、エクレアに殺されたのだ。

 逃げようとすれば殺される。戦おうとも傷一つつける事なく嬲られる。それでも死にたくないと、ロックアインは絶望的な戦いに身を投じざるを得ないのだった。

「ねえ、なにこれ?」

 少し離れた場所で見学しているサザンクロスがドン引いた声でエレンに尋ねる。

「手加減の練習ですよ」

「はい?」

「あの子、強い相手と戦ったり殺してもいいモンスターと戦闘した経験は豊富なんですけど、格下で殺しちゃいけない人間と戦った経験がほとんどないんですよね。

 その為に詩人から出された課題があれです、相手を殺さないように手加減をする練習。ついでに回復術の練習も兼ねてるんですって。まさか人間相手に練習する訳にもいかないですから」

「いや、モンスター相手にも勘弁して欲しいんだけど……」

 回復術をかけても流れた血が戻る訳でもない。全身を血で赤に染めるロックアインには、人を襲うモンスターとはいえ同情心の一つも湧いて出てしまう。

 そうこうしているうちにやがて血を流し過ぎたのか、ロックアインは地面に倒れてピクピクと痙攣するだけになってしまった。回復術でも効果がない辺り、もう生命力は残っていないのだろう。

「はい、おーしまいっと」

 今まで散々いたぶっていたのが嘘のように、あっさりと一撃でロックアインの命を絶つエクレア。

「おまたせー。大分慣れたから、次からはサクサクいこっか。もう手加減の練習はしなくて大丈夫だよ~」

「ですって」

「……良かったわ、心底」

 見ていて精神衛生にはとても良いとは言えない光景である。課す方も課す方だが、受ける方も受ける方だ。

 無邪気な笑みを浮かべるエクレアに思わず背中に冷たいものが走ってしまったサザンクロスであった。

 

 気を取り直して進む一行。弱いモンスターばかり出てくるとあって、フォルネウス軍を圧倒する戦闘能力を持つ三人の前では大した障害にならない。鎧袖一触にたまに出るモンスターを蹴散らしていく。

 むしろ手間取ったのは野営の準備である。ある程度まで進み、適当な野営地を見つけて準備をするが、エレンはまだしもエクレアの手際が悪い事この上ない。サザンクロスが手取り足取り教える羽目になっている。その点、エレンはシノンで数日かけて狩りに出た経験もある分、野営の準備に手間取る事はなかった。彼女の知識に無いのは旅の前準備で荷物整理をする方法や、現地でも水などを補給する方法などである。

 エクレアとサザンクロスが散々苦労して野営の準備をする。エクレアは自身に興味がある事は異常ともいえる速度で吸収するが、興味がない事にはとことん覚えが悪いらしい。

「つかれたぁー……」

「それはこっちもよ……」

 ぐったりした道連れ二人に苦笑いをしながら淹れたお茶を差し出すエレン。彼女はまだ精神力に余裕がある。

 もう一時間もしたら夕暮れになり、更に半刻もすれば夜闇に包まれるだろうこの時間に野営の支度を終わらせたことにはもちろん意味がある。サザンクロスを旅の同行者に選んだ理由である、彼女からの手解きを受ける為だ。

 時間は有限であり、無駄にはできない。少しだけお茶を飲む休憩を挟んだ彼女たちは具体的に話を持ちだす。

「それで私は鍛える依頼を受けた訳だけど、一番得意とするのは小剣よ。エレンの指導までは手を出せないと思うけど」

「小剣のエキスパートならエクレアを鍛えてあげて下さい。あたしはあたしで自習をしますから、手合せはまた明日以降でお願いします」

 組み手くらいならばエレンもお世話になれるだろうが、エクレアも小剣を使うのでそれは最優先ではないだろう。もちろん色々な相手と戦闘経験を積むのは悪い事ではないのでこの旅の最中に数回は手解きを願いたいところだが、それよりもエクレアの小剣を鍛え上げる方が効率的だ。

 エレンはそう思い、主にサザンクロスが鍛えるべきはエクレアにして欲しいと伝えると少し離れた所で目を閉じて集中する。

 学ぶのは気を使った戦闘術。錬気拳を使えば動かずして相手の動きを誘導する事ができる。実際、エレンはフォルネウスのぶちかましの拍子を外す事に成功している。ならばそれをもっと繊細に扱えるようになれば、敵に触れる事なく投げる事も可能ではないか。いや、そこまでいきなり欲張らずとも気を繊細に扱う技術は必ず有用になる。

 そう考えたエレンがまず極める事にした技は集気法である。気を己に集め、回復術と同等の効果を及ぼすその技術。集めた気を癒しの力に変える事無く外に放出させれば錬気拳の弾く力となり、拳と共に相手に叩き込めば短勁のように破壊する力になる。フォルネウス相手に短勁の効果が薄かったのは、おそらく叩き込む気の量がまだ足りなかったせいだろう。

 故にエレンは基本から歩む。集気法にて気を集める技術を磨いていくのだ。その総量が多くなればなる程、錬気拳や短勁の威力があがるのだと理解して。

「じゃあこっちはこっちで始めましょうか」

「はいっ! よろしくお願いします、サザンクロスさん!!」

 そんなエレンを尻目にこちらも鍛錬を始めるサザンクロスとエクレア。

 だが、サザンクロスに教えられる事はそう多くない。エクレアは既に自分の戦闘スタイルを確立させており、それにサザンクロスが手を加えるのは数日という期間では短すぎる。

 もちろん小剣同士で手合せをして自分の技術を教える事はするが、今一番大事なのは別の事。

「それじゃあ技の伝授をするわね」

 そう、技と呼ばれる技術を伝える事である。これは単に技を使えるだけの人間ができる事ではなく、極意を習得するといえるレベルまでその深奥に触れないと他人に上手く教える事ができない。教える難しさは、覚える難しさとは一線を画する。ちなみに天才肌であるエクレアは極意を習得するところまではともかく、人に上手く伝えるのは苦手だったりする。そういった諸々を込めて、サザンクロスは人に教える技術や彼女が持つ技をエクレアに教えるのだ。技や術が多大な意味を持つこの世界、サザンクロスに技術を伝授させる為にバンガードが払った金額は三万オーラムにもなるといえばその価値が分かるだろうか。

 エクレアは基本とその上くらいまでの小剣技を修めている。独学にて短時間でここに至るのは驚異的だが、当然ながら四魔貴族はそんな事情など鑑みてくれない。相対した時に未来でどれだけ強くなる素質があろうとも、その時強くなければ殺されるだけなのは当然だろう。サザンクロスの役目はかつて世界を力で支配した四魔貴族を打倒する可能性を僅かでもあげることなのだ。

「そうね。マタドールまでは会得しているみたいだし、まずはライトニングピアス辺りから教えようかしら。それから小剣はその独特のしなやかさで相手を幻惑させる技もあるわ。マインドステアやインプリズンといった技も教えてあげる」

「よろしくお願いしますっ!!」

 

 

 数日はあっという間に過ぎ去り、彼女たちは目的地であるヤーマスにつく。そこは暴力と金に支配された、享楽と退廃が同居した危険な町である。ほんの数日離れたバンガードとは全く比べ物にならない。

 このような現状を語るには15年前の死食にまで話は遡る。

 年若い者には理解しにくい事かも知れないが、死食は文字通り世界を揺るがした。産まれたばかりの子が全員死ぬ事は当然として、最も問題視されたのは存在するのかどうかも分からない宿命の子。もしも存在するのならば、その子は魔王の如く世界を脅かすのか、若しくは聖王の如く世界に安寧をもたらすのか、はたまたそんな人の想像を超えた何事かを引き起こすのか全く分からない。それが起こす混乱は、それに触れた者にしか分からない。

 実際にその混乱は。例えば神王教団を設立させ、ゲッシア王朝を滅ぼすに至った。例えばピドナの主権者を次々と死に至らしめ、世界に混乱を招いた。例えばその動乱を読み切れず、世界最高の商会たちがその規模を一段下げて世界中に中小規模の商会を多く作るに至った。例えば海賊や野盗といった刹那的に生きる者たちが跋扈し、既存の治安に大きな打撃を与えた。

 ここでヤーマスに話が戻る。死食当時、ヤーマスはフルブライト商会の傘下の町であった。かの商会が支配し、融通を利かせ、飽食を溢れさせる程ではないがある程度以上の水準で満たされていた。

 だが、死食の混乱でフルブライト商会の手が回らなくなった途端に平和に牙を剥いた存在があった。ドフォーレという男を頂点とするドフォーレ商会である。

 ドフォーレ商会は金と暴力を巧みに操った。ある時は賄賂を渡して自分の都合を最優先させ、またある時はならず者を雇って自分に不利な事を知った者の口を封じた。これらの方法は死食による混乱と人心の動揺によほど相性が良かったらしく、ドフォーレ商会は瞬く間にヤーマスという町の実権を握る事に成功した。

 しかしドフォーレ商会の暴走はそこで終わらなかった。ヤーマスを手に入れる際に熟知した金と暴力の使い方を最大限に活用し、世界中の町にちょっかいを出し始めたのだ。更に裏切られる事を恐れたその商会は聖王が禁じた麻薬を使ってヤーマスの人々を蝕み、ヤーマスという自分の町にさえも疑惑と恐怖の種を植え付けたのだった。そういった感情こそが金や暴力で支配するには適した環境だと理解していたのだろう。

 だが一方的にやられるだけが人間ではない。聖王にさえ背くドフォーレ商会に愛想を尽かす人々は少なからず存在し、彼らはヤーマスの中でドフォーレ商会に対するレジスタンスを設立するに至った。ヤーマスの表であるドフォーレ商会に見つからないように独自のルートで武器や食料、薬などを仕入れる。そして暴力で支配しようとするドフォーレ商会に抗おうという集団である。決して単一の一枚岩ではない彼らは、時にはドフォーレ商会に見つかりその一部が壊滅させられようとも、形を変えて十年以上もドフォーレ商会に対抗してきた。

 ある人間は余りある金を使い、最上の贅沢を堪能する。ある人間は高給で雇われ、そんな特権階級を守護する。ある人間は貧困による日銭を稼ぐ為や心を蝕む麻薬を手に入れる為に、奴隷の如くこき使われる。ある人間はこんなヤーマスの現状を変えようと戦い続ける。

 どこか歪に、どこか愚直に。死食後の町というものを表した町がヤーマスである。

「まあ、ここに着く前に説明した通りの町よ」

 煌びやかな宿の一室、そこでサザンクロスは道中に説明した通りであることだけを告げる。その内容はヤーマスの中ではとても言えない。この町ではどこに耳があるのか分からないのだ。

 エレン達一行がいるのはヤーマスの中でも上級の客が止まる宿である。ヤーマスではスラムに近い場所もあり、そこはピドナの旧市街よりも治安が悪い。安全を買うにはヤーマスでは高い金を払わなくてはならないのだ。なのでここで数日泊まる分まではバンガードがお金を出してくれている。

「他に何か情報はないの?」

「ん~。ゲリラ的にドフォーレ商会に奇襲を仕掛けるレジスタンスのせいで状況が安定しないのよね。過去の情報に縋るのはヤーマスじゃあ悪手なのよ」

 ちなみに彼女たちに知る由もないが、詩人はフルブライト商会の依頼で何度かこの町で正体を隠して暴れ、ドフォーレ商会に大打撃を与えていたりする。

 もちろん暴れているのは彼ばかりではない。

「ここ数年、ずっと暴れている奴はいるわね。ドフォーレ商会に捕まっていなければまだレジスタントとして活動していると思うわ。

 漆黒の衣装で全身を隠して覆面を被った怪傑ロビンとか名乗っている男よ」

「……それ、この町じゃなければただの変態ですね」

 結構辛辣な事をエレンが口にする。確かにレジスタンス運動で正体を隠すからこそ納得できるのであって、そうでなければ奇異の目で見られること待ったなしであるだろう。

「フルブライト商会に依頼を受けた事は聞いたけど、あんまり目立つ事はお勧めできないわよ。

 このくらいは言うけど、ドフォーレ商会は容赦ないからね。敵対行動を取ったと思われるだけで何をさせるか分かったものじゃないわ」

 サザンクロスはそうとだけ言い、立ち上がって部屋を後にする。例え高級な宿であっても、安全の度合いでいえばヤーマスの外で野宿をした方が安全という判断だろう。

「これで私の仕事は終わり。じゃあ、またね。エレン、エクレア」

「ありがとうございました」

「うん、お世話になりました」

 軽い挨拶をかわし、サザンクロスは部屋のドアを開けて退室する。

 それを見送ったエレンとエクレアはお茶を一口飲む。

「「嵌められたぁー!!」」

 そして絶叫。流石にヤーマスの現状を聞き、フルブライト商会庇護下にいるフォルネウスを倒した者が情報を集めればどうなるかの想像はついたらしい。

 明らかにフルブライトは彼女たちを目立たせ、そして矢面に立たせようとしている。この町で事が穏やかに済む想像が欠片もできない。かといって簡単(・・)な依頼として受けた事を無視することもできない。これで何もしなかったら、フルブライトは嬉々としてこの事を起点としてエレンやエクレアの足元を見るだろう。

 

 約束された大騒動にゲンナリとするエレンとエクレアであった。

 

 

 




感想、評価、批判、等々。
より面白い小説を書くためになることは大歓迎です。

言いたい事はどしどしと言って頂けると助かります!


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057話

 

 状況を整理しよう。

 まずフルブライト商会はヤーマスへとフォルネウスを倒した英雄を送り込んだ。目的の深奥を探るのは難儀だが、おおよその目星はつく。彼の英雄をもってヤーマスの、ひいてはドフォーレ商会をかき乱すのが目的だろう。その合間に工作を仕掛けようとしているのか、はたまた別に目的があるのかは不明だが、ドフォーレ商会の安定を崩す事を目的としているのは疑う余地はない。

 次にドフォーレ商会は今回は守備側だ。フルブライト商会が送り込んだ英雄に対し、どう対処して動揺を少なく凌ぎ切れるか。そのような戦いになる。ドフォーレは四魔貴族の一角を落とした英雄を相手にして、無傷である事を楽観する程に愚鈍ならばここまで大きな商会になっていない。どれだけ傷を浅くすませるか、それを計算しているだろう。

 最後にエレンとエクレア、人間が争う渦中に放り込まれた人物。彼女たちの意見はシンプルだ。すなわち――

 ――面倒臭い。

 これに尽きる。

「もうさー。フルブライトさんの仕事とか無視してランスに向かっちゃわない?」

 人同士が醜く駆け引きをする現状に引き込まれたエクレアはやる気がなさそうに、姉貴分であるエレンに問いかける。実際、実家のドロドロとした部分に嫌気が差して家出した彼女にとって、現在の状況は不本意に過ぎる。積極的に関わりたくない部類の最先端である。

 そしてエレンもこの現状に満足している訳がない。下手に手を出せばドフォーレ商会の恨みを買う状況を目の当たりにして思うところは多くある。

「そうね……」

 空返事をしながらエレンは思考を回す。

 彼女は本気でフルブライトの仕事を無視することを考えていた。四魔貴族を倒した英雄の負う責任と栄誉については聞いていたが、別にエレンはそれを望んだ訳でもない。彼女の目的はただゲートを閉じてサラを守る事であって、四魔貴族を倒した栄誉やらなんやらには全く興味がない。それに対する責任なら尚更で、そういった事を一纏めにした面倒事などジャイアントスイングで彼方へと投げっぱなしにしたいくらいだ。

 それでもいいか。そう思う自身の心をエレンは必死で繋ぎ止める。短絡はいけない、時間が差し迫っているならともかくとして今はそこまで性急な結論は求められていない。少なくとも、ヤーマスで数日留まるくらいは落ち着く時間は与えられている。

 フルブライトからの面倒な仕事をスルーする。それは確かに簡単で容易だが、安易にそれを選んでいいのか。

 その選択肢を選べば、もうフルブライト商会から信用される事はないだろう。忘れてはならないが、フルブライト商会は世界有数の勢力を持っている。その伝手を面倒な仕事を押し付けられたから程度の理由で切ってもいいものか。

 考える。フォルネウス討伐に必要だったのは、動く島であるバンガード。その為に必要だったのはバンガードそれ自体と優れた玄武術師であるウンディーネ一党と、その術力を増幅させるオリハルコーン。

 考える。ウンディーネやオリハルコーンの情報は、フルブライト商会の協力があったから見つかったのではないか。オリハルコーンに関しては詩人が最初の情報を握っていたとはいえ、自分たちを海賊ブラックへと繋げたのはフルブライト商会だ。世界最高勢力とはそういった意味合いをも持つのだ。

 考える。滅多に繋がる事ができない縁を、こんな簡単に切り捨てていいのか。落とした四魔貴族はまだフォルネウスのみ。先々に困る想像は出来ても、簡単に済ませられる予想はつかない。その時にフルブライト商会に伝手があれば打開できる可能性は多くあるだろう。

 その代償は何か。言われている、フォルネウスを倒した英雄としてヤーマスで情報を集めること。ただそれだけでいい。少なくとも、試さずに捨て去る程に重い代価ではない。要はどれだけ負担なく済ませられるかに尽きる。向こうが無意識の善意を期待しているならば、こちらはそれを積極的に裏切ればいいのだ。表向きの要請は保持したままで。

「決めた。エクレア、今日は遊ぶわよ!」

「唐突にどうしたのエレンさん!?」

 方向性がいきなり明後日に向いたエレンに思わずエクレアが突っ込んだ。が、エレンとしても無意味にこの提案をした訳では無い。

 まずはドフォーレ商会としての言い分を、素直な旅人として得られる情報を集める。そして翌日にスラムなどに行き、その当事者の話をフォルネウスを倒した英雄として纏める。それが終わったその時にヤーマスから立ち去り、集めた情報をランスからフルブライト商会に送ればいい。それで彼の要請を最低限であるが満たしている。向こうが何を想定しているかに気が付いても、こちらがそれに合わせる必要はないのだ。できる限り波風が立たないようにヤーマスから逃げるのならば最善の手段だろうとエレンには思えた。

 ちなみにだが。当然ながらフルブライトはそのくらいの機転を利かす事を考慮に入れている。彼女が彼女の思った通りに動くのならば、支払う賃金は最小限に良い人材が見つかったと喜ばせて終わっただけだっただろう。

 方針が決まったエレンたちは早速ホテルの外に出る。そしてその瞬間、ゲンナリとした。

「……見張られてるね」

「監視が付いたわね」

 並の人間では気が付かないだろうが、フォルネウスを倒した一因である彼女たちはもはや並ではない。ホテルを出た瞬間に体にへばりつく視線まで感じ取れてしまうのだ。

 もちろん、ドフォーレ商会としてフルブライト商会の手垢がついた英雄を野放しにできないという事情はあるのだろう。だが理解はできても納得はできない、人間とはそういったものだ。更にその上でそれを許容できない少女にとっては次の一手は不快でしかなかった。

「おや、このホテルに泊まっていた方ですね? こちらでは一日でヤーマスの見どころを余す処なく見て回れるツアーを開催しています。よかったらどうですか?」

 さも偶然通りかかったかのように営業をしてくる満面の笑みを浮かべた青年。その色のある笑顔も裏を感じてしまえばドロリとした悪意でその艶顔が汚されてしまう。実際、エクレアは嫌な感情を抑える事無く表に出している。

 そしてエレンも嫌悪感は辛うじて表情に出す事を抑えたものの、さりとて途端に笑顔を作れる程に腹芸に優れている訳でもない。

「ええ、お願いできますか?」

 嫌悪感一杯の美少女と能面のような顔をした美女が、営業スマイルを満面に浮かべた怪しげな勧誘に着いていく。

 あからさまに怪しいそれに一番困惑したのは勧誘した青年であったのは、笑い事にしてしまってもいい話なのかもしれない。

 

 エレン達にはドフォーレ商会に思うところはない。だからこそツアーコンダクターの青年が企画したであろう接待じみたそのツアーを楽しむ事ができた。

 実際、そのツアーは決して悪いものではなかった。油断を誘う意味もあっただろうし、もしかしたらドフォーレ商会に取り込む算段を立てていたのかも知れない。

 上質のお菓子を食べさせる喫茶店でゆっくりする事から始まり、芸術館にて世界中の名品を鑑賞する。午後いっぱいを楽しんだら次は夕食が待っており、段々と人気のない方へ案内された。

「…ちょっと。どこに連れて行こうっていうのよ?」

 警戒してエレンが問い掛けるも、ツアーコンダクターはにこやかな笑みを崩さない。

「この先に珍品ばかり集めている場所があるのですよ」

「こんな人気のない所に?」

「ええ。防犯上の理由などから、人気のない所を好んでいます。ほら、テントが見えてきたでしょう?」

 ツアーコンダクターが指し示す通り、彼女らの行く先に濃い原色があしらわれたテントの数々が見えてきた。

「本来ならば外部の方には見せれない物も多いのですが、お客さんたちはラッキーですね。これがドフォーレ商会が誇るグレート・フェイク・ショーです!」

 そうして案内されるエレンとエクレア。その場所は空き地にたくさんのテントが立っている場所であり、その中央と呼べるべきところにお立ち台が据えられていた。その前面に幾つものテーブルとイスのセットが設置されており、テーブルの上に用意された食器などを見るにここで食事を取りながらお立ち台に乗せられたものを鑑賞する趣向であるらしい。

 勧められるままにイスに座る彼女たちだが、嫌な予感は消す事ができない。

「…なんか嫌な感じ」

「……」

 ツアーコンダクターがいなくなったタイミングでぽつりとこぼすエクレアに、厳しい表情をしたままのエレン。とりあえずは警戒をしたままで様子を探る。今までは危害は与えられていないが、ここは目撃者もいない郊外である。襲い掛かってくるには適した場所である。

 結論から言えばそんな彼女たちの心配は杞憂に終わる。しかし、エクレアの言葉が的外れだった訳ではない。彼女たちはこれよりこの世で最もおぞましいものの一つを見せられる事になるのだから。

 徐々に人が集って客席が埋まり切り、そして前菜より配膳がなされたタイミングでお立ち台の上に身なりのいい男が上がり、腹の底から言葉を出す。

「レッディィィーース、ェェェンド、ジェーーントルメェェェン!!」

 会場中に声を響きわたらせる司会の男。

「さあさあ、今宵も行われますっ! 世界の生きた(・・・)珍品名品を魅せるグレート・フェイク・ショーォォォ!!

 ここにいらした方はいずれも素晴らしき社会的地位を持った方々ッ! 安易な贅沢はもはや飽いておられることでしょうっっ!! ご安心下さい、我々はそんな紳士淑女に新たな『刺激』を提供する事をお約束しまーーーすぅ!!

 では前置きはこのくらいにして早速、最初の展示品をご覧に入れましょうぅぅぅ!!」

 そしてお立ち台に首輪をつけられて引きずられながら登場した()にエレンとエクレアは思わず目を見開いた。

 登場したのはモンスター。獣人族の最下級のゴブリンとはいえ、それは確かにモンスターであった。首輪で繋がれたいくつものゴブリンが登場し、それらのあるものは全身をアザだらけにしてビクビクとおびえるままに歩いており、またあるものは正気をなくした虚ろな瞳で半開きの口から涎を垂らしながら足を進める。

 思わず絶句する彼女たちだが、そんな彼女たちの耳を滑るように説明の大声が響く。

 モンスターとはいえ、生き物には違いはない。ならば動物と同じように調教(・・)する事は可能であると。例えば痛みで、例えば麻薬で。コントロールしきったモンスターはもはや脅威ではなく、人間の便利な道具に過ぎないのだと。モンスターテイマーと呼ばれる専門職がそれを可能としたと。

 その説明に酷い嫌悪感を覚えるエレンとエクレア。

 敵対した相手を殺す事までは彼女たちも許容している。実際、数多の相対したモンスターを仕留めてきた。だがしかし、コレ(・・)は違う。戦いの結果死なすのではなく、自分の敵対者であるから排除するのでもなく、自由と尊厳を剥いで扱いやすく改造する。アビスのモンスターなどが持つ他生物への残虐性とは違う、また別方向の加虐性。対象の全てを否定し、自分への服従しか認めない子供染みた支配力。力を持ち過ぎた子供が持ったような、癇癪を起こしたような悪意。奴らは自分が認めないものと向き合う事をせずに完全に破壊する。例えそれが心であってもだ。自分に従わない心は不要とばかりに、お立ち台に上げられたゴブリンたちは都合よく造り変えられていた。

 他の席の人々はソレを拍手喝采で迎え入れている。これは革新的な技術であると、人間がモンスターを支配する礎を築く偉業であると。迎合する人々にさえ嫌悪を募らせていく二人。

 だがしかし。例えばここに無垢な子供がいたとしたら、こんな疑問が出るかも知れない。あなた達とドフォーレ商会はどこが違うの? と。そう言われたら彼女たちはなんと返すのだろうか。

 ヤーマスに至る道中で、エクレアはロックアイアンたちを嬲り殺しにした。モンスターであったのは事実だが、またその一方で生物でもあるその番を、己の技術を高める為に惨たらしく殺した事には違いない。また、それは見ていたサザンクロスも顔を歪める程だった。それも為したエクレアも、看過したエレンもドフォーレ商会を責める資格はあるのかと、視点を変えればそんな意見が出てもおかしくない。

 綺麗事だけで世の中を渡っていけないという言葉は通じない。それならばドフォーレ商会を糾弾する事は出来なくなるからだ。己の肉体や技を磨くか、モンスターさえも武器として使いこなすか。方法の是非を問う事はできないだろう。

 エレンやエクレアは結果を出したという言葉も重みはない。倒した四魔貴族はフォルネウスのみであり、この先ドフォーレ商会と手を組んでモンスターをも上手く使えば更に多くの四魔貴族を倒せる可能性が高くあるのだから、以降の結果にドフォーレ商会が絡む余地は十分にある。先々を見据えられないのは愚かな事だろう。

 言ってしまえば、エレンやエクレアの嫌悪感というのは独善と表裏一体である。既存の倫理観と常識で感じたもののみで判断し、自分で許せる範囲でそれを広げてきた。身勝手であり、自分以外の価値観を認め得ないというならば交渉の余地はないだろう。

 お立ち台には様々なモノが乗せられていく。禁薬でも使われたのか、明らかに普通でない肉体と表情をした大男。グロテスクな外観の不定形型モンスター。調教師の思うままに動く虎。篭に閉じ込められた羽が生えた小さな人型。

 そしてやがて、ショーと食事とが終わる。

 たった二人を除いて、満場の拍手喝采でその日の夕食は終わるのだった。

 

 ツアーが終わり、宿へと帰ってきた二人。

 エクレアは顔を青くしながらも瞳は怒りに燃えており、エレンは瞼を閉じて静かに考え込んでいた。

「エレンさん、アレは…ないよ。酷すぎる」

「……」

「黙って見過ごすなんて…できないよ!」

「……」

「エレンさんっ!」

「……」

「エレンさん、どうしたの? このままでいいの?」

「……エクレア、ここではアレが法なの」

「エレン、さん?」

「ヤーマスはドフォーレ商会が実権を握っているわ。そのドフォーレ商会が良しとしているアレを否定すれば、ドフォーレ商会を敵に回す」

 信じられない事を口にするエレンにエクレアは自分の耳を疑う。この、共に旅を続ける気さくな女性が、そんな事を吐くとは思えなかった。

 呆然とするエクレア。そんな彼女に向かってエレンは瞼を上げて、にかっと笑った。

「そういう訳よ、エクレア」

「エレン、さん」

「敵は倒さないとね」

 その瞳だけは笑っていない。憤怒と激怒、義憤と敵意を宿してメラメラと燃え盛っていた。

 ドフォーレ商会は敵であると、彼女は明確に定めていた。

「荷物を纏めるよ、この宿もいつまで安全か分からないわ。

 フルブライト商会が経営している酒場があったはず。確か、シーホークとかいうらしいわ。そこのお世話になりましょう」

「うん、うんっ!」

「……こんな所業、四魔貴族と変わらないからね」

 以前にエレンは、詩人が行った悪魔の如き拷問を見た。野盗に行ったソレを見せつけた詩人は言っていた、四魔貴族はこれを上回る所業を世界にばら撒いていると。

(ドフォーレ商会の悪意は四魔貴族級ね)

 エレンはそう判断する。ならば、フルブライト商会と共に戦うのも悪くはない。思うように使われてやろう、結果としてこの悪辣な行為を潰せるのならば構わない。四魔貴族を倒す事といい、ドフォーレ商会を倒す事といい、利害は一致している。

 ただエレンやエクレアは前線に立つ事を選び、フルブライトは後ろからの援護と商会としての戦いを選んだというだけだ。ドフォーレ商会という敵を前にして、エレンは初めてフルブライトを仲間だと思う事ができた。

 エレンやエクレアは身勝手なまでに己自身の価値観を信じ、そしてそれに合わないドフォーレ商会とは交渉の余地はなく、故に敵対して押し潰す。独善かも知れなかろうが、相手が人間の大商会だろうが。そんな理由で尻込みをして戦う決断が出来ずに力を振るえないというならば、それこそ彼女たちの行動に正当性はない。

 超えてはならない一線は決して超えず、間違えてはならない選択は決して間違えない。そんな心の強さというものをしっかりと持っているからこそ、彼女たちは最後の最後までフォルネウスと戦い、打倒できた。メイルシュトロームを喰らった後も戦意を示せた。今更、この程度でその意志が止まる事はない。

 手早く荷物をまとめ上げた彼女たちは、ヤーマスの夜の闇へと消えていく。相手はヤーマス、ドフォーレ商会。四魔貴族とはまた一味違う戦いが始まった。

 

 あなたとドフォーレ商会はどこが違うの? もしも無垢な子供がこう聞いたら、詩人ならばこう答えるだろう。

「相手を尊重するかどうか、それが違う。相手が悪いと思える事も、尊重の一つ。悪い行為でも認める事は尊重だ。

 認めた上で許せないから戦うんだ。相手の都合を無視してはいけない。俺たちは、ドフォーレ商会の強大な支配欲や苛烈な手法を認識して、それを潰すように戦える。

 あるいはこれを自由と言い換える人間もいるかもな。ドフォーレ商会は相手の自由を心でさえ認めず、抗うという選択肢を殺さずに奪い不自由に生きさせる。

 けれども戦う自由はあらゆる生物が権利として持つべきであるとも思う。それを失った存在は余りに哀れだからな。

 俺は相手から戦う自由を殺す以外で奪った事はない。どんなに相手が憎くてもな。

 ……いや、憎いからこそか。憎むべき相手と同じには、成り下がりたくないからな」

 

 

 




今回もギリギリ7000文字超えた程度。
だんだん短くなってきているなぁ…。

頑張ります。


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058話

朝に投稿できなくて申し訳ない。
段々と週に一度ペースが戻ってきているので、この調子で頑張りたいと思います。


 

 

 

 パブ、シーホーク。ヤーマスに店を構えるが、この酒場はその中でも特異な存在である。端的に言えばドフォーレ商会所有の店ではなく、フルブライト商会が出資している店であり、ドフォーレ商会からすると苦々しいとしか思えない店である。

 もう少し噛み砕いて言えば、シーホークという店はフルブライト商会のスパイの巣窟であり、事あるごとにドフォーレ商会の邪魔をしているのだ。

 もちろん表立ってそんな事をすれば、ヤーマスの法を作っているドフォーレ商会は嬉々としてシーホークを潰しにかかるだろう。だが裏道というのは当然の如くあるものであり、シーホークはその隙間を縫うようにヤーマスにて活動している。

 例をいくつかあげれば、シーホークはヤーマスの貧困層に施しをしている。働く場所がなく困っている者や、親に捨てられてひもじい思いをしている子供に定期的に食べ物を恵んでいる。ここだけ見ればただの善行だが、もちろんそれで済まさないのがフルブライト商会の手先である所以であり、隙を見てそのような人間をドフォーレ商会に対するレジスタンスへ紹介したりしている。

 他にも物資をウィルミントンから運ぶ途中で、野盗にわざと(・・・)襲われたりもしている。もちろんそれはポーズであり、酒や食料品といった名目で運ばれていたものがヤーマスの直前で忽然と消えるといった、ある意味あからさまな物資提供もしている。

 これでいてヤーマスに治安の悪さを申し立てているのだから、面の皮が厚いと言わざるを得ないだろう。ドフォーレ商会としてもそんなあからさまな言葉に耳を貸す訳がないが、フルブライト商会は他の場所でも事あるごとにヤーマスの治安の悪さを言いふらしている為、世間に疎い者ほどヤーマスは敬遠される町となっている。

 もちろんドフォーレ商会もやられっぱなしではない。同じ手段をウィルミントンに仕掛けてはいるが、小さなものはまだしも大事にすればフルブライト商会の腕利きによって裏工作が潰されているのが現状だ。それでも総資金で言えばドフォーレ商会の方が勝っている辺り、彼の商会がフルブライト商会よりも儲けているという証拠だろう。すなわち局所的にはフルブライト商会の方が有利だが、世界的に見れば成功しているのはドフォーレ商会だといえる。

 その一因となっているのはドフォーレ商会の手の長さだ。ドフォーレ商会は金にあかせて強者を雇い、その暴力にものを言わせて世界各所で強引な取引を締結しているという事実がある。フルブライト商会は聖王縁という自負もあり、そこまで極端な行動が表立ってできないのだ。そのような悪辣な行為が表に出てしまえばフルブライト商会は信頼を失い、あっという間に力を無くしてしまうだろう。

 そのような手段がシーホークにとれないのは、この店が表立ってヤーマスの法に何一つ触れていない為である。決められた税は払っているし、表面上ヤーマスに対して何も不利益な事はしていない。もちろんそれは表面上だけの話ではあるが、フルブライト商会としてもこの店はドフォーレ商会に対する最重要拠点である為、全力でこの店を守っている。誰かとも知れない者に金を渡されたならず者が幾度となくこの店を襲撃したが、結果としてシーホークが存続しているという事実でここがドフォーレ商会とフルブライト商会の最前線であるという事が分かるだろう。

 ちなみにだが、店を襲ったならず者は当然ながらヤーマスに引き取られる。シーホークが雇っている護衛が情報を聞き出そうとしても、襲撃失敗からほとんど間も無くヤーマスの警護隊が現れてならず共をしょっ引いてしまうのだ。その裏で何が動いていたかが判明した事は、もちろんない。

 そんな清濁併せた境界線であるその店は本日の営業が終わり、後片づけをしている最中であった。店主であるトラックスは売上を計算し、その息子であるライムは黙々と食べ物や酒で汚れた店を掃除している。この時までこの日は静かな一日を過ごしていた。もちろんそんな事が珍しい訳ではない。ひっきりなしに襲われてはそれこそフルブライト商会が大きな顔をしてヤーマスに介入する口実になる為、ならず者共の襲撃はたまにという程度に抑えられており、まあ一見して問題ない程度に営業ができているのである。

 静かに仕事をしていた親子だが、ぴくりと同時に反応し、店の出入り口を見る。そこに人の気配を感じたのだ。かといって荒々しい雰囲気はなく、実際穏やかなノックが為された。

「開いてるよ」

 トラックスが言うと、静かにドアが開かれる。現れたのは美女と美少女、旅の荷物と武器を携えた二人組。

「あの、夜分遅くにすいません」

「お邪魔しま~す」

 敵意なく言う女性達にライムは興味を無くし、また黙って仕事に戻る。そしてトラックスといえば、にこやかな笑顔にやや苦みを混ぜた顔で口を開く。

「お客さん、今日はもう店じまいですよ」

「それは本当にすいません。でも、ここ以外に当てがなくて……」

 申し訳なさそうに言う美女に心の中で首を傾げるトラックス。もう夜遅いとはいえ、夜間まで開いている宿はいくらでもある。それを無視してここ以外に当てがないとはどういう意味だがを測りかねた。

 そして続いた言葉にトラックスは思わず目を見開き、ライムは一瞬動きを止める。

「あたしの名前はエレン、それでこっちはエクレア。意味は通じますよね?」

 

 フルブライト商会が後援している、四魔貴族を倒した英雄となれば無下にもできない。仕事が一段落するまで店の隅にある席でゆっくりして貰い、急いで残りの仕事を片付けるトラックス。

「私は甘いものが飲みたいな~」

「こら、エクレアっ!」

「……お待ち」

 図々しく言うエクレアにエレンがたしなめるが、この奔放娘はもちろん本気で反省する訳がない。今までの旅でエレンも薄々気が付いているが、それでも叱るくらいはしなくてはいけないのが年長者の役目だろう。

 そんな彼女たちに陰気なまま飲み物を持ってきたのはライム。エレンには温かい紅茶を、エクレアには砂糖を溶かしたホットミルクを運んでくる辺り人はいいのかも知れない。

「あ、ありがとうございます」

「……どうも」

「美味し~! 気に入ったよ、このホットミルク」

 恐縮しきりのエレンに、相変わらず愛想の無いライム。そのあたりを無視してニコニコ笑顔でホットミルクを飲むエクレア。

「エクレア!」

「は~い。お兄さん、ありがとうね!」

 エレンに促されてお礼を言うエクレアだが、ライムはちらりと彼女たちを見て軽く会釈をすると父親であるトラックスの所へ向かってしまう。

「……父さん、残りは僕がやるよ」

「そうだな、頼めるか? あまり客人を待たせるのもアレだしな」

 そう言って帳簿をライムに渡すトラックス。引き継いだ仕事を続けるライムに、苦笑いで自分用の酒を持ってエレンたちの席に向かうトラックス。そのまま同じテーブルへつくと、手に持った酒を軽く呷る。

「いやはや、愛想のない息子で申し訳ない」

「んーん、優しい人だと思うよー」

 自分の息子を苦笑いで評するトラックスだが、エクレアはそれをあっさりと否定する。

 表面だけニコニコしていようが内面が黒ければ意味がなく、幸か不幸かエクレアはそういった人間を多く知っていた。その点、愛想がなくても人を気遣えるライムのような人間は彼女的には好印象だったらしい。

 息子を褒められるという滅多にない言葉に少しだけトラックスが破顔するが、すぐに表情を引き締める。

「それで、エレンさんとエクレアさんという事は、フォルネウスを倒した英雄と思っていいのですな?」

「……フォルネウスを倒したのは事実ですけど、英雄とかは勘弁して下さい」

「そーいううざったいのはいらなーい」

 確かめるように聞いたトラックスだが、対するエレンやエクレアの顔に苦みが走る。その反応に思わず目を丸くするトラックス。

「と、言うと?」

「別に英雄になりたい訳じゃないって事です。四魔貴族が世界を荒らしているから倒そうとしているだけで」

「私は修行の為だね。鍛えるって楽しいし!」

 おおよそフォルネウスを倒し、他の四魔貴族を相手取るとは思えない軽い言葉に思わず言葉がつまるトラックス。

 だがしかし、表裏のない言葉だからこそその真偽は容易に分かった。彼女たちは何一つ嘘を言っていない。四魔貴族を倒した後の栄誉に興味はなく、打倒することこそが目的なのだと。

「なるほど。稀有な性格をお持ちのようだ。

 それで、そんな貴女方はいったいどんな用でシーホークに来なさったのかな?」

 トラックスの言葉に視線を鋭くするエレンとエクレア。

「あたしたちはフルブライト会頭の要請で、四魔貴族を倒した者としてヤーマスの情報収集を依頼されました。

 面倒事は嫌だったので、表面上に集められる情報だけ集めてとっととヤーマスを去ろうかと思いましたが、そこで目にしたのはグレート・フェイク・ショーといったドフォーレ商会の所業です。

 あの醜悪さは四魔貴族級です。無視はできません」

「一応用事があるから長居はできないけど、ハイサヨウナラって終わらしたくなかったの。一発ガツンと引っ叩かないと気が済まないわ!」

「それでフルブライト商会関係者であるシーホークを頼りたいと思いました。フォルネウスを倒した英雄の名前を使って構いません、情報を集めてフルブライト会頭に送り、ついでにドフォーレ商会に痛い目を遭わせられればいいなと」

 なるほどとトラックスは納得する。ヤーマスという町はほとんどドフォーレ商会の縄張りだと言っていい。それに敵対すると決めた以上、今までの宿は危険だと考えたのは正しい判断である。いつ毒を仕込まれるか分かったものではない。

 だがしかし、諸手を上げて協力できない都合という物がシーホークにもあるのだ。

「言いたい事は分かりました。だが、全面的な協力は出来ませんな」

「へ? どーしてよ?」

「シーホークはヤーマスの法に従っているのです。酒が入ってドフォーレ商会の愚痴を言ったり、冗談(・・)で襲撃計画を話したりする輩は居ますが、ウチの店としてはただ酒を出すだけなのです。

 まさかドフォーレ商会に危害を加える手伝いは出来ないのです」

 道理だ。率先してドフォーレ商会に弓を引けば、ドフォーレ商会は満面の笑みを浮かべてシーホークを潰しにくるだろう。あくまでヤーマスの法に従っているからこそ苦虫を噛み潰したように店の経営を認めているのだ。

 また、やたらめったらドフォーレ商会を邪魔する訳にはいかない理由もある。

「それにこれも切実な話ですが、例えばドフォーレ商会を物理的に潰されるとこの町の流通が完全にマヒします。

 言いたくはありませんが、ヤーマスはドフォーレ商会がなくして存在できないのです」

「じゃあ、やられっぱなしで黙ってろっていうの!?」

「そうは言っていません。つまり、ドフォーレ商会の悪行だけを狙って潰さなければいけないのです」

 ドフォーレ商会もまともな物品を流通させている。そこには手を出さず、聖王が禁じた薬物や暴力による支配、そしてモンスターと手を組んで行う悪行を阻止しなくてはならないのだ。

 迂遠な手しか取れない現状にエクレアの顔が呆れに染まる。

「めんどくさっ!」

「どこかの商会や会社がドフォーレ商会を買収するのが理想的なのですが、世界一とも言えるドフォーレ商会を買収することは並大抵では不可能でしょうなぁ」

 だからこそ草の根の活動をせざるを得ないのだとトラックスは締めくくった。

 彼の話を静かに聞いていたエレンは、疑問に思っていた事をトラックスにぶつける。

「それで、グレート・フェイク・ショーは潰してもいいものなの? それとも悪いものなの?」

「……それが、グレート・フェイク・ショーというものが行われているのは知っているのですが、その内情まで知ってはいないのです。どうにもキナ臭く感じますし、貴女方が気に入らないとなればその想像は間違っていないとは思いますが、実際どのようなものなのでしょうか」

 真顔で聞くトラックスに、苦みだらけの顔で先程見た醜悪なショーの内容を話すエレンやエクレア。

 聞くトラックスの表情がみるみる嫌悪に染まっていく。

「そんなショーが……。それはむしろ潰さなくてはいけないものですね」

「店主さんもそう思いますか?」

「あ、自己紹介が遅れましたね。私はシーホークの店主、トラックス。そしてあっちは息子のライムです」

 そう言えばそんな事さえしていなかったと、今更ながら自己紹介をするトラックス。カウンターの奥で帳簿と格闘していたライムが彼女たちをみると、ペコリと申し訳程度の会釈をする。エレンとエクレアも軽く会釈を返すと、ライムはまた黙々と仕事に戻ってしまった。

 その間にうむむむと悩み顔を表に出すトラックス。

「早く手を出したいのは確かですが、そこまで大がかりな組織となると防衛に割かれている人員もそれなりのものでしょう。こちらも数が欲しいですな」

「具体的には?」

「3日……いや、2日待って頂きたい。フォルネウスを倒した英雄がグレート・フェイク・ショーを襲うという冗談(・・)を口が固い奴らに流します。

 連携は取れないですが、数は揃う筈です。

 それまで貴女方はフルブライト会頭に頼まれた情報収集をするといいでしょう」

 そこでいったん話が終わる。と、思いきやふと思い出した口調でエクレアが口を開いた。

「そういえばさー。ドフォーレ商会に対抗する怪傑ロビンとかいう変態がいるって聞いたけど」

「へ、変態っ!?」

「あたしも聞きましたけど、黒尽くめで顔を黒いマスクで隠しているとか聞きました。

 正体を隠したいのは分かりますけど、傍から見たらただの変態じゃないですか」

「ん、んんー。へ、変態、ですか……」

 思わず言葉が詰まってしまうトラックス。その息子であるライムも変態という単語が出た時、一瞬だが動きが止まっていた。

 変に動揺する親子に気が付かず、エレンは話を続ける。

「その怪傑ロビン? とかいう人って何年もドフォーレ商会と戦っているんでしょ? 何とかして仲間に引き込めないかしら?」

「それは難しいでしょうな。怪傑ロビンは特定のレジスタンスに所属しない、独立したレジスタントなのです」

「どういう意味ですか?」

 ロビンの格好から話が変わり、調子を取り戻すトラックス。

「怪傑ロビンはどこの誰なのか、本当に誰も知りません。長い間活動を続けているレジスタントの誰かだという説もありますが、憶測の域が出ていない。

 また、怪傑ロビンの活動は多岐に渡ります。ある時は麻薬の取引現場を押さえ、またある時は老人をいたぶるドフォーレの者共をコテンパンにしました。

 活動内容は場当たり的にドフォーレ商会の悪行を止める事なのは一貫していますが、いったいどのようにしてその情報を集めているのかも分かっていないのです」

「それってあり得るのー?」

「実際、そのように活動しているのですから仕方ありません。もしかしたら怪傑ロビンはドフォーレ商会にとって、フルブライト商会よりも脅威的な存在な可能性はあります」

「そんなのがいて、ドフォーレ商会をどうにかできないの?」

「それは単独で動く限界があるのではないでしょうか。怪傑ロビンはたった一人ですので、手が足りないというのは当然あるかと思います。

 それに先程も言いましたが、物理的にドフォーレ商会を潰せばいいという訳でもありません。怪傑ロビンはその辺りも分かっているのでしょう。

 そして怪傑ロビンに今回の計画が伝わる保証はありません。差し当たり、当てにしない方がいいかと」

 そう締めくくり、話を終わらせるトラックス。

 いい具合に夜も更けてきた。彼はエレンたちに店の一室を宿代わりに提供すべく、案内をするのだった。

 

 

 ところ変わってドフォーレ商会、その執務室。

「くそっ! 四魔貴族を打倒した英雄の取り込みに失敗するとはっ!!」

 ドフォーレ商会の会頭は癇癪を起こして取り乱していた。モンスターすらも配下に置くドフォーレ商会にとって、同じくモンスターを支配する四魔貴族は言わば商売敵。それを敵対視するエレンやエクレアは是非とも懐に入れたい人材だった。その為に部外者には見せなかったグレート・フェイク・ショーに招き、ドフォーレ商会の実力を見せつけた筈だった。

 しかしながら利に聡い人間ならば理解できるという、ドフォーレ会頭の思惑は見事に外れる羽目になった。モンスターを利用すれば四魔貴族の撃破もより楽になるはず、そう考えてフルブライト商会よりもドフォーレ商会を選ぶだろうという目論見は見事に外されたといっていい。彼女たちはドフォーレ商会の経営する宿を出て、シーホークの世話になっているという情報は入手している。それはつまり、フォルネウスを倒した英雄がドフォーレ商会よりもフルブライト商会をとったという事に他ならない。

 金やその利権に靡かない、というのはドフォーレ会頭にとって理解できない事である。事実、15年前までヤーマスはフルブライト商会によって支配されており、その税の行先は彼の商会だった。そこを混乱の隙に奪い取ったドフォーレ商会は潤沢な資金を手に入れ、それを元に傭兵を雇い、その金と暴力で今やフルブライト商会を超える資産さえ手に入れている。彼にとって金とはすなわち力なのだ。それなのに特に世界最高峰と謳われる武芸者はほとんどドフォーレ商会に寄りつかない。例えばサザンクロスはバンガードに居ついたし、流離いの剣士であったトルネードはロアーヌで職を得たという。この事実はドフォーレ会頭には心底気に入らない。最も優れている自負があるのに、優れた者からの評価が得られないのだ。

 商人として考えるのならば、ドフォーレ会頭も間違っているとは言えない。しかしそこには、強くなるのに必須である信念というものがまるで考慮されていないのだ。例えどれほど天賦の才があろうとも、信念なく磨かれる強さは精々が一流止まり。そこまでの連中ならば金に釣られもするだろうが、世界に名を轟かせる超一流の面々は譲れないナニカを抱えている。いや、譲れないナニカを抱えなければその域に辿りつけないといっていい。成り上がり者であるドフォーレ会頭には、信念というものがまるで理解できなかった。

 事実として、フルブライト商会に愛想が尽き始めていたエレンやエクレアを取り込む事に失敗し、逆にフルブライト商会を頼る結果になってしまった。四魔貴族と戦うという信念を持つ者が人道に外れる所業を見ればそうなるだろうと、少し見る目があれば分かりそうなものなのに。そういった発想がドフォーレ会頭にはない。

「このまま黙って消えてくれればいいのだが……」

 こうなった以上、ドフォーレ会頭としては英雄の謀殺もやむなしなのだが、その手段がない。まだ元の宿に居れば打つ手もあっただろうが、シーホークの内部にまで手を伸ばして四魔貴族を打倒した者を暗殺する手段は持ち合わせていないのだ。

 ならば黙ってヤーマスから立ち去ってくれるのが一番いい。下手に騒ぎを起こされては事である。

 

 の、であるが。そう簡単に世の中の事が運べば苦労はない。

 

 ドフォーレ商会がエレンたちを取り込む事に失敗した翌日には、新たな凶報が彼の商会にもたらされていた。

「グレート・フェイク・ショーを襲うだとっ!?」

 気を遣おうとも、ここはヤーマス。ドフォーレ商会に漏れない情報はほとんどないといっていい。例外として怪傑ロビンの正体など入手していない情報も無くはないが、レジスタンスに流れる情報のほとんどは入手する事ができる。それを潰さないのは、イタチごっこのようにより深くにレジスタンスが潜ってしまうから。ならばまた情報を集める手間をかけるよりかは、得た情報で迎撃する方が効率がいいという判断である。

 しかしそれはそれとして、エレンやエクレアがグレート・フェイク・ショーを襲うという情報は無視できない。あそこは郊外の土地であり、ドフォーレ商会の大きな闇の一つである。それが表沙汰になるのは看過できず、大きなダメージになりかねない。

 証拠を隠すかとも一瞬思うが、襲撃はもう明日に迫っている。隠そうとも隠しきれるものではないだろう。

 ならば。

「全面戦争か」

 ニタリと獰猛な笑みを浮かべるドフォーレ会頭。

 持ちうる戦力の大半を投入し、攻め込んでくる者達を迎撃する。そしてドフォーレ商会の所有物件を害した罪として、フォルネウスを倒した英雄を吊るし上げてその責任をフルブライト商会にまで取らせる。

 ここまで来て引く選択肢はありはしない。

 

 大きな戦いは、もう間近に迫っているのだった。

 

 

 



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059話

今回はバトル回です、久しぶりにやや長め。


 二日が経ち、夜。この日はドフォーレ商会が掴んだ、エレンとエクレアによるグレート・フェイク・ショーを襲撃する決行日。追加で、彼女らに乗じた反ドフォーレ商会の武装勢力も行動を起こすとの情報も入手した。

 これに迎え撃つ選択をしたドフォーレ商会は、グレート・フェイク・ショーがある郊外の土地に私兵を多数投入。どこから攻撃されるかも分からない為、全方位の防御が求められ、その外周を守る人数は100名を超えていた。

 ドフォーレ商会が敷いた守りは三重のライン。外周に侵入を防ぐ、もしくは既に侵入されていた場合、外へ出ようとする敵をその場で仕留める部隊。

 そして見られてはいけない物は中央奥にある大テントに集められており、敷地内に侵攻を許してしまった場合でも物陰に隠れたアサシン染みた連中が攻撃する。これが第二のライン。

 最後に中央奥に存在する、ドフォーレ商会として決して見られてはいけないモノを守る最終ラインを守る精鋭。これらで構成されていた。

(さあ、どうくる…?)

 第一防衛ラインの指揮を任された男は煙草を吸いながら、利き手に持った剣の具合を確かめる。彼がいるのは防衛ラインの奥にあるテントであり、各所に指示を飛ばしやすい位置でもある。

 相手は女二人とはいえ、四魔貴族であるフォルネウスを倒した実績がある。今までのレジスタンスより段違いの実力があると言っていいだろう。もしかしたら指揮官の想像を超えた奇襲をしてくるかも知れない。

 背面側面からの奇襲はもちろんの事、二日という時間があれば何かに紛れて既にグレイト・フェイク・ショーの内部に入り込んでいてもおかしくない。中と外とが呼応して、挟み撃ちをしてくる程度は覚悟している。

 そんな自分の想像の範疇で済めばいいが、と考えている指揮官の耳に怒号が届く。

(来たかっ…!)

「報告しろっ!」

「敵襲、敵襲ですっ!」

 転がる様に指揮官の前に出てきた男の当たり前の言葉に苛立つ指揮官。今日にここが強襲される事は通達していたはずである。分かり切った事を今更ながらに口にする無能な男に苛立ちを覚える。

「そんな事は分かっているっ! どこから攻めて来たぁ!?」

「そ、それが……」

 さあ、どんな手で攻めてきたか。驚かないように心を引き締めながら次の言葉を待つ。

「しょ、正面口に敵影、2! こちらは把握しているだけでも10やられましたっ!」

 身も蓋もない、真正面からの強硬突破(カチコミ)だった。これには指揮官も、驚くよりも先に呆れるのだった。

「馬鹿野郎! 正面からの攻撃だったら数で押し潰せ!」

「そ、それが、何人同時に仕掛けても傷一つ与えられず――」

 そこで報告に来た部下の言葉が途切れる。闇の中から飛んできた、斧の形をした氷の塊がその頭に直撃したのだから。

 遠心力たっぷりに数キロはあろう氷塊が頭にぶつけられては、たとえ兜を被っていたとしてもたまったものではない。むしろその防具が無ければ即死だっただろう。その場で崩れ落ちる部下を呆気に取られながら見る指揮官。

 続けざまに闇の中から斧の形をした氷塊が指揮官に向かって飛んでくる。

「うおおおぉぉぉ!?」

 剣を抜き、音を頼りにその変則的なトマホークを回避する指揮官。

 術を修めていない指揮官にとって、遠距離から一方的に攻められるのは望むところではない。意を決してテントの外にある闇の中に足をかけた。

疾風打ち(ウインドインパクト)!」

 その指揮官の腹部に強烈な衝撃が幼い声と共に叩き込まれた。闇にかけた足が地面から離れ、元のテントの中へと叩き戻される。

「がはっ…げぇっ!」

 余りの威力にえずきながら土の上を転げまわる指揮官。そんな彼に向かって斧の形をした氷塊が飛んでくる。

 かわす力を奪われた指揮官は、飛来する氷塊をもろに喰らい、そしてその激痛で気を失うのだった。

 

「どっから攻めよう?」

 二日前。エレンとエクレア、二人きりの作戦会議。といっても、彼女たちは戦略的に基地などを襲撃した事はない。

 強いて言えばモウゼスでの戦いがそれにあたるだろうが、あの時も詩人やウンディーネの言葉に従ったのみであり、作戦を立てた事はなかった。

「奇襲って言うなら、相手の意表を突かなきゃいけないよね」

「でも、あたしたちはヤーマスの地理に詳しくないし、隔離されたグレイト・フェイク・ショーなら尚更よ」

「中に忍び込むのも、バレたらその場で奇襲じゃなくなっちゃうし……」

「そもそも忍び込む技能があたしたちにはないじゃない」

 軽い話し合いで彼女らは自分の手札の少なさに絶望する。たったの数日で満足のできる情報収集を行う能力もなく、また隠遁し忍び込む事も出来ない。

 戦闘・戦術・戦略。この中で彼女たちは明らかに戦闘のみに特化した存在だった。

「じゃあ、やっぱり?」

「仕方ないわね…」

「「正面突破で」」

 わりかしあっさりと辿り着いたその結論に、もしも聞いていた者がいるなら呆れただろう。特に彼女たちを教えている詩人がこの結論を聞いていれば、顔を手で覆い隠していてもおかしくない。

 あまりに短絡的に見える決め方をした彼女たちだが、その根底には二つの考えが流れていた。

 一つは不信である。ドフォーレ商会は当然だが、フルブライト商会も場合によっては自分たちを使い捨てにしかねない事は薄々理解している。下手にシーホークに助けを求めても、その情報を元に囮のように敵をあてがわれる可能性を考えていた。この場における決して裏切らない味方は自分たちだけという考えがこびりついていたのだ。

 そしてもう一つは自信。フォルネウスを倒す手伝いをした自信もあったし、またサザンクロスも十分な力を持っていると認めてくれた。下手な相手には遅れは取らない、そんな自信があったのだ。敵の規模などの情報を知らないうちにはそれが過信になる可能性もあったが、それは当人たちには分からない。

 かくして決行された襲撃は、エレン達が敵の思惑の下を行くという結果をもって奇襲足りえた。

 ドフォーレとしては相手は仮にも四魔貴族を倒した相手であり、自分の想像を超える危険性を共通認識として、こちらに情報が漏れていない事を前提に奇襲をかけてくると考えていた。

 しかしエレンとエクレアはバンガードでフォルネウス兵による連続殺人の状況を思い浮かべていた。たった一日でも人は気を張っているのは難しいと理解していたのだ。そこへきて、もしも正面から敵を叩く事ができれば相手は必ず混乱する。そう考えた。

 もしも情報が漏れていなければ、正面は一番警戒が強い所である。エレン達を倒す事は出来ずとも、数によって迎撃して追い返すくらいは出来たに違いない。拠点防御とはそれ程有利なのだ。

 だが結果として、他の場所の奇襲を強く警戒してしまったせいで正面の警戒が薄れていた。そこにきてエレンとエクレアの迷いのない強襲である。想像を下回った所為とはいえ、思惑を外した事には違いない。狼狽した相手をとって、二人は殺さない余裕を持って敵を無力化していた。

 そしてほんの数分で正面口の外にいた敵を全て叩きのめす事に成功していた。

「ふぅ」

「らっくしょ~!」

 軽く汗をぬぐうエレンと、ぴょんぴょんと飛び跳ねるエクレア。

 エレンの手にはブラックの斧が握られて、その両手には鈍く輝くガントレットが装備されている。防具は斧を持った反対側の手に小型化された騎士の盾が腕にはめられて、他にも兜や軽鎧。そして蹴りの威力をあげる打点を金属で補強したブーツが履かれていた。

 エクレアは右手にバンガードで仕入れた曲刀ファルシオンを持ち、左手に小剣のシルバーフルーレを持った二刀流。詩人に買って貰ったバスタードソードはフォルネウスとの戦いでボロボロになってしまい、新しく武器を求めた結果である。背中に変わらずくまの形をしたバッグを背負い、動きを妨げない強化道着を着込む。後は頭と下半身を守る防具をつけていた。

 一息ついた彼女たちは目の前の大扉を睨みつける。グレイト・フェイク・ショーと外部を仕切る、頑丈な塀に取り付けられた高さ三メートルを超える大扉。閂が掛けられているだろうそれは、外部からの侵入を頑なに拒んでいた。

 だが、もちろんはいそうですかとその場を辞する程度の心持ちで彼女たちがここにいる訳がない。

「エレンさん」

「まかせなさい」

 エクレアの装備はどちらかと言えば対人向きであるといえる。対してエレンはそれ以上のサイズに対して攻撃を加える事も想定していた。エレンは大きく飛び上がると、ブラックの斧を大きく振りかぶる。

「マキ割ダイナミックッ!」

 一撃。それにて大扉を破壊したエレン。メキメキと音を立てながら崩れるそれに対して、エレンはダメ押しと言わんばかりに気を()り、弾き飛ばす力に変えて大扉を破壊しつつ奥へと吹き飛ばす。

 大扉の奥に控えていた男たちがいたが。彼らは大扉がいきなりひび割れた上に、大きな破片となって吹き飛んでくるというのは全く想定していなかった。ほとんどの者は勢いがついた破片を喰らって意識を飛ばし、そうでない少数の者は戦意を失ってグレイト・フェイク・ショーの内部へと逃げ出し始めた。

「行くよ、エクレア!」

「りょーかい、エレンさんっ!」

 そのうちの一人に当たりをつけ、尾行を開始する二人。やがて男が辿り着いたのは一つのテント。その入り口で報告している相手は上級兵だろうと想像がつく。

 エレンとエクレアがいるのは闇夜の中。おそらくまだ敵には補足されていない。そう考えたエレンは玄武術を使い、氷で形作った斧を作り出す。玄武術で場当たり的に作ったせいで切れ味は全くないが、それはさておき数キロになる氷塊である。振りかぶり、トマホークの技法にて投げつければ十分な攻撃力を持つ。事実飛来したそれは報告に走った男の頭に当たり、彼を昏倒させた。

(ちょっと当たり所が悪かったかな……)

 殺してしまったかも。そう考えたエレンの動きが一瞬止まるが、ピクピクと痙攣している男を見る限り、生きてはいるらしい。続けて同じように氷の手斧を作り出し、上級兵に向かって投げつける。

 だが一瞬の躊躇がいけなかったのか、心を立て直した上級兵はそのトマホークを躱しながら剣を抜き、テントから一歩出ようとする。

 だが、狭いその出入り口を使うというのが狙い所なのだ。エクレアは蒼龍術を発動し、小剣にウインドダートを纏わせていた。それを小剣を突く動きに合わせて、倍加した速度で打ち出す合成術技。

疾風打ち(ウインドインパクト)!」

 腹のど真ん中に不可視の一撃を喰らった上級兵は、訳も分からずテントの中へと吹っ飛ばされ返される。エレンは間髪入れずに氷塊トマホークにて追撃し、今度は注意して頭に当たらないようにする。その心遣いは意味を為し、腹部に突き刺さったそれによって与えられた激痛の後に意識を刈り取る。おそらく意識を取り戻したら内臓を痛めた事で悶絶するだろう。数日くらいは食事をとれなくてもおかしくない。

 そこまで敵に関わる気がないエレンは致死性の一撃を与えなかった事に満足そうに頷き、周囲を探る。闇夜に紛れたこの場所では視覚があまり役に立たない。その代わりと言わんばかりに耳を澄まし、聞こえる喧騒で状況を把握。

 グレイト・フェイク・ショーの内部に入ったといえるこの場所では、多くの音が遠く聞こえた。そして外周部、特に大扉があったところでは騒ぎが大きい。他のレジスタンスも大きくポッカリと開いた風穴に殺到し、またグレイト・フェイク・ショー内部にいる人員も、その大穴から敵が雪崩れ込まないように現場に急行せざるを得ない様子だった。

 この時点でドフォーレが用意した防御ラインのうち、第一ラインと第二ラインは機能しなくなったといっていい。いや、それどころか、その移動音によってエレンたちに多大なヒントを与える結果となっていた。

 彼女たちの耳に届く移動する人々は、ある一定の流れがあるように思えたのだ。終点は当然ながら大扉があった外周部だが、ある通路を通る人数が明らかに多い。そしてそれはつまりその通路こそ守らなければならない場所であり、超えた先こそドフォーレ商会が最も隠し通したいモノがある。

 その判断に至った彼女たちは焦らない。移動する人が居なくなるまでじっと待ち、その上で出来るだけ要所である通路に触れずに、脇道やテントの中を通って先へと進んでいく。そしてやがて一つのテントの前に導かれるのだった。

 

 赤く大きなテント。その周囲には篝火が焚かれており、忍んで近づく事は不可能だった。少なくとも、エレンやエクレアには無理な話だった。

 よく見ればテントの裾は地面に埋め込こまれており、それだけでも他のテントと比べて警戒度が高いのは分かるが、それよりなにより分かりやすいのがテント唯一の出入り口に立っている三人の男女。

 一人は少年。線の細い中性的な美少年であり、その手に短弓と小剣を持っている。

 一人は美女。エレンが健康的と表現されるならば、この美女は妖艶といっていい様子を漂わせている。鈍く光るガンドレットを装着しているのが酷く不釣り合いである。

 一人は身の丈2メートルになるかという大男。重鎧を着こみ、全身を覆っている彼の武器は大剣。幅が厚い刃を肩に担いでいる。

 全員が全員、拭っても消せない血の臭いを漂わせていた。それはエレンたちもそうだが、彼女たちがモンスターの死を運ぶのに対し、彼らは明らかに人を殺し慣れている。尋常な者の物腰では全くなく、対人としてはトップクラスの脅威を誇るだろう。

「警告する」

 重鎧を着こんだ大男が声を発する。

「俺たちの仕事はここの警護であり、お前たちの殲滅ではない。ここで退くならば追いはしない」

「信じるか。ばぁ~か」

「残念だけど、あたしたちもこのテントの中に用があるの。貴方たちも大人しく退くなら死ななくて済むわよ」

 その言葉を切って捨てる。エクレアとしてはここまで来たのに逃がしてやるなどと信じるまでもなく、エレンも目的を忘れていない。

 少なくとも、グレイト・フェイク・ショーを壊滅に追いやれるスキャンダルを見つけ、ドフォーレ商会に打撃を与えるまでは帰るつもりはない。ここまで大きく喧嘩を売って、戦果なしで終わる訳にはいかないのだ。

 そんな不退転の彼女たちを見て、美少年が酷薄な笑みを浮かべる。

「期待はしてなかったけどさぁ、ざんねぇーんだよ。背中から切り付けて動けなくして、ジリジリといたぶってやるのが最高なのにぃ~」

「さいってい~。なんか、アンタだけとは気が合いそうにはないわね」

「同感だね、チビ」

「……私をチビって呼ぶな」

 殺意が膨れ上がるエクレア。その呼び方は、深海で散った大海賊のみが呼んでいた呼び名。それをこんな低俗な小僧に汚されたのが気に喰わない。

「あれ、気に障ったのチビ? チビをチビって呼んで何が悪いのさ、チビ。どうした、何か言ってみろよ、チビチビチビチビ」

「……」

「落ち着きなさい、エクレア」

 人が嫌がる事を喜んでやる捻くれた性格の美少年。それに殺意を際限なく高めるエクレアだが、挑発に乗って単身挑む無謀はしない。

 そうでなくても一対一で互角と見ているのだ。二対三で戦って勝てるかどうかという戦いになるだろう。下手に動けば自分だけでなく、残されたエレンも危ないとなれば下手は打てない。

「あらぁ、思ったよりも冷静なのですねぇ~。おチビさんはてっきり挑発に乗ってくるかと思いましたのにぃ~」

 妙に間延びした声を出す妖艶な美女だが、そこにチビという単語を混ぜ込む辺り、この女も相当に性格が悪い。

 ただ、こちらは人をからかって楽しむのではなく、挑発の一つでもやって損はないという狡猾な知性が瞳に見え隠れする。性格は美少年の方が悪いが、妖艶な美女の方も全く油断ならない。

「ちょっと、人の獲物を取らないでよ、ババァ。あの子は僕が嬲り殺すって決めたんだから」

「う~ふ~ふ。次に言ったら、後で殺しますわよぉ~」

 相変わらず間延びした声で洒落にならない事を言う妖艶な美女。

「好きに闘え。ただし、隙を見つけたら遠慮なく俺が英雄の首級を貰い受けるぞ」

 出入り口を守る様に立つ大男は大きく動く気はなさそうだが、フォローはするつもりらしい。あの質量ある大剣で的確に戦場を掻き回せれたら分が悪くなる所の騒ぎではない。

 数が足らない、単純にそれだけが優劣の差になっている現状。しかし彼女たちに揺らぎはない。これでもかつて味わった最悪よりかは悪くない。すなわち。

((フォルネウスに比べたらまだヌルい!!))

 二つの剣を構えるエクレア。弓を向ける美少年。

 斧を掲げるエレン。篭手を頬に当てて笑う妖艶な美女。

 大剣を構える大男。

 

「ハハハハハハ!!」

 

 そして、突如響く高笑い。警戒態勢は崩さずに、エレンとエクレアの目が点になる。敵対勢力の目が鋭くなる。

「天知る地知る、ロビン知る!

 怪傑ロビンがいる限り、この世に悪は栄えない!!」

 どこからともなく空から降り立つ、全身黒尽くめの上に黒いマスクで顔を隠した長身の男。闇に隠れて見えなかったが、多分テントの屋根から飛んだのだろう。それ以外に高いところは存在しないし。

「悪辣にモンスターを隷属させて、自分の手は汚さない。そんな外道はこのロビンが許さんっ!!」

「近くで見るとマジで変態だこの人っ!」

「うむ。人の外観にあまり鋭い指摘をしてはいけないよ、レディ?」

 余裕たっぷりな口調でエクレアを嗜めるロビン。

 それを隙と見たのか、敵方の一人がロビンに走りよる。妖艶な美女が、そのおっとりとした口調と動きを一瞬で脱ぎ捨てて接敵する。エレンはその動きを見て、やはり擬態だったかとの思いを深めた。戦う前はゆったりとしながら速攻を好むタイプがいると、詩人に教わっていなかったら危なかったかも知れない。そして同じく詩人に教わっているエクレアも間の抜けた油断はしない。

 そしてロビンはというと、余裕の態度を崩さずに、妖艶な美女が拳で繰り出した強打をふわりと躱していた。

「ロビン、貴様は今日ここで叩き潰すっ!!」

「こちらのレディは随分と情熱的だ。いいだろう、今宵は私がお相手しよう」

 悪鬼の如く顔を歪めた妖艶な美女は、彼女自身がロビンに個人的な恨みがあるのだと明確にその表情で語っていた。

 ロビンとしてもいくらでも恨みの心当たりはあるので、妖艶な美女の憎悪に応じる。レイピアを取り出して応戦するロビンだが、差は歴然。まず間違いなくロビンが勝つであろう実力差。おそらく妖艶な美女以外の全員がそれを察しただろう。

「くそっ、この馬鹿女が。てめぇが感情的になってどうするんだ。

 おい、小僧。ロビンが来て形勢が一気に悪くなった、とっとと片づけて援護に向かうぞ」

「知らないよ。僕の頭はこのチビを切り刻む事でいっぱいさ」

「こっちもかよ」

 大男は呆れた声を出すが、それを無視して空弓を構える美少年。

 そして瞬間に鈍い色をした矢が弓に番えられる。そしてそれを速射して、エクレアに向かわせた。

 迫る矢をファルシオンで叩き落とすエクレア。パリィするというより、本当に無造作に払い除けたという風情だった。

 そしてその手応えで矢が白虎術によって作られたものだと理解する。目の前の美少年も、術と技とを同時に修めたオールラウンダー。奇しくも、エクレアとどこか似ている戦闘スタイルだった。

 美少年の短弓は有効射撃距離はおそらく5メートル程だろう。普通の弓よりも短い弓は力を蓄えるのに向かず、長い距離を制する事ができない。しかしその分、速射性と連射性は高い。術によって矢玉が尽きないというなら更に。槍も届かない中距離を制するのが美少年の得意戦法らしい。

 それにギリギリと歯を食いしばるのは、誰であろうエクレア。術と技を両立させ、遠距離からでも攻撃を可能とする発想。()()()()()()()()()()()()()()()()

 エクレアはシルバーフルーレにウインドダートを纏わせて、突きに合わせて射出するという疾風打ち(ウインドインパクト)によって攻める。不可視の一撃とはいえ、遠距離からの攻撃となれば構えなどからエクレアの意図は丸分かりである。ひらりと自分の身をエクレアの小剣の延長上から逃す美少年。

「ムカつくムカつくムカつくムカつくぅぅぅ~~~!!」

「そうかい? 僕はチビを切り刻める未来を想像して楽しいばかりさ!!」

 中距離の応戦。しかし美少年は弓だけでなく小剣も携えているとなれば、接近戦も疑いようなく可能だろう。エクレアが彼を上回れるか、否か。決着までの時間と合わせて全く読めなくなったのがこの戦いである。

 そして最後に残った戦場。大剣を構えた大男とエレンの対決。

「さて、仕事をするか」

 大剣を軽々と片手で扱い、振り落とす大男。それを担いだ斧で受けるエレン。

 ガキィィと鈍い音が闇夜に響いて消えていく。

 結果は、エレンの力負け。地面にめり込むように少しだけ食い込んでいた。

 しかしエレンのみならず、大男も驚きを持ってその結果を受け入れていた。エレンはともかく、勝った大男が何故驚くのか。それをポツリと口にする大男。

「そうか、お前も気を使うのか……」

 流石はフォルネウスを倒した英雄、それなりに使える引き出しも多いらしいと驚いたのだ。

 大男は練気を使って大剣を振り下ろし、エレンを一刀両断にしようとした。エレンも練気を使い、大男の大剣を弾き返そうとした。

 その結果、練気は相殺して単純な力比べでもほぼ互角。上を取り、体格で勝る大男が僅かにエレンより上回ったという引き分けに近い終わり方をしたのだ。

「……ふ。練気の技を使う者同士、競い合うのも一興か」

「体に合わないわね、その気障ったらしい言い回し」

 大剣を地面に突き立て、徒手空拳の構えを取る大男。斧を背中にしまい直し、打にも投にも動ける体勢を取るエレン。

 両方とも、必勝の確信を持って練気拳への戦いへと移行した。

 向かい合ったまま、静寂の時間が流れる。しかしそれは決して穏やかな時間という訳ではない。

 今この瞬間、大男とエレンの間には相手を操り崩し、自分は崩れず優位を保つという駆け引きが行われていたのだから。目に見えない練気によって相手の動きを誘導し、あるいは自分を重く動かさず。どちらともなくジリジリと汗が流れ、ポタリと夜の地面に消えていく。ピクピクと、全身の肉体が細かく微動する。

 それはあたかも綱引きに似た崩し合い。お互いに全力で引き合いつつ、僅かなやり取りで相手を崩す。そうなるだろうと予想がついたからこその、大男の勝ちの確信。練気の掛け合いならば、体格で勝る自身が有利なのは先刻承知。下手にリスクのある大剣と斧の斬り合いよりも、一度勝っている土俵に相手を引きずり出す冷静な戦略眼。

 その眼を宿した瞳は、エレンによって大きく体勢を崩された事で見開かれる。

 これがエレンの勝利の確信。練気の引き合いなど、詩人を相手にして何度もしているのだ。そして詩人以上の使い手は自分は未だ見た事がなく、大男の練気の技術も自分よりも下。経験で勝り、練気の質で勝るエレンは戦う前から勝ちを確信していた。

「バ――」

 最後まで言葉を言わせる程、エレンは優しくない。驚愕を張り付けたその顔にある顎先を蹴りつけ、脳を揺らして意識を刈り取る。

 大男はグルンと白目を剥くとその場にズズンという音を立てながら倒れ伏した。一瞬、その体を縛り付けようとしたエレンだが、やめた。手持ちのロープなど、この大男ならば持ち前の怪力で引き千切りそうな予感がしたのだ。

 かといって放っておく訳にもいかず、斧を振るって大男の両手両足の筋を断つエレン。敵には一切容赦なく、その戦う者としての生命線を絶っていく。命を残すだけ自分はまだましだという考えもあった。

 そしてさあエクレアを援護しようとその戦場を見た時が、正に戦いが終わる瞬間だった。

 美少年の矢玉を掻い潜り、その懐に入り込んだエクレア。体を沈み込ます捻転をも利用して、ファルシオンを横に溜める。低身長のエクレアにとって、相手の下というのは死角を取れる絶好の角度であり、敵にとっては反撃しにくい攻撃に不慣れな位置。美少年も高身長とはいえず、その分下からの攻撃には不慣れだろう。

 地面ギリギリまで沈み込むエクレアは必殺の位置を取り、美少年は焦った様子で小剣を剣の軌道上に差し込んで攻撃をパリィしようとする。

 次の瞬間を思って、ニヤリと笑ったのは両方だった。

「クラック!」

 美少年の足元から地割れが起こる。自分の領域と思っていた場所なのに、その更に下からの奇襲にエクレアの顔が驚きに染まった。

 それでも、バランスを崩しつつも、一撃は加えられる。不完全とは知りつつも、剣を横に薙ぐエクレア。

「飛水断ちっ!」

 その刃は空を切る。一瞬の隙を突き、美少年は大きく跳躍。テントからも離れた、僅かに篝火が届く遠間に着地した。

「何を…?」

「負け戦に付き合うのはゴメンでねぇ。じゃあ、またねぇ」

 どうやら抜け目ない性格も兼ね揃えているようで、大男が倒れたのをしっかりと確認していたらしい。後の事は知ったこっちゃないと言わんばかりに闇夜に消える美少年。

 それに地団駄踏んで悔しがるエクレア。

「くそぉ~! そのムカつく顔、一発殴らせろぉぉぉ!!」

「相手を退散させただけでも十分よ、お疲れエクレア」

 なだめるように優しく声をかけるエレン。先程の戦いの容赦のなさとは雲泥の違いである。

「うむ、そちらも終わったか」

「あ、変態」

「そちらも終わったの?」

「どうやら興奮していたようでね、レディの肌に傷が残らないようにするのに苦労したのさ。

 それと私の事は怪傑ロビンと呼んでくれたまえ」

「……アレを相手に加減する余裕があったのですか」

 やや呆れた口調で言うエレン。野獣の如き俊敏さを持ち、金属製の篭手を使って破壊力を上げた妖艶な美女を無傷で制する自信は彼女にはない。上手く気絶させることができたとしても、大男と同じように無力化しなければ安心できない相手だ。

 ロビンの腕は自分以上、あるいは詩人に匹敵するのか。そう思い、そもそも彼が味方とは限らなかった事を思いだす。

「おっと、警戒しないでくれたまえ。私はドフォーレ商会の悪に立ち向かう人々の味方だ。つまり、君の敵ではないよ」

「……まあ、シーホークでもそう言われてましたし、信じるわ」

 フルブライトの味方ではないかも知れないが、敵の敵というだけでひとまずは十分。残りの仕事はこのテントの中を検めるだけであり、それでエレンたちはヤーマスを去るのだ。

 争う余地も極小だろう。

「では、行こうか」

 やや固くなったロビンの声を合図に、テントの出入り口を隔てていた布を取り除く。

 その先にあったのは、地獄絵図。

 ムシャムシャと明らかに人の肉であろうものを食べている、檻に入ったナッツたち。体中を縛られて、涙を流しながら自分に寄生していく胞子の感覚を味わされるキノコ人間になりかけの元人間。水槽に入ったゼリーたちの体からは人の骨がのぞいている。

 モンスターを使役する為に、人間を消費する非人道的な生産工場。それがグレイト・フェイク・ショーの正体であり、ドフォーレ商会のやり方。これが人間の領域でやられているというのだからたまったものではないだろう。

 思わず顔を歪め、自分の顔を覆い隠すエクレア。しかしモンスターの巣窟ともなれば目を逸らす訳にもいかず、その地獄絵図を直視せざるを得ない。

 怒りを通り越して無表情になったエレンは冷静にテントの中を見渡していき、まだ助けられる命があるかを確認していく。

 ロビンはおおよそ予想出来ていたとしても、助けられなかった人々を目の当たりにして拳をキツく握りしめていた。

「……なんで、こんな事をするのかな?」

 ポツリと呟くエクレアに、平坦な声で答えるロビン。

「ドフォーレ商会が手を汚した証拠を隠す為さ。人間なら捕えられて口を割る事はあっても、モンスターなら討伐するしかない。少なくとも情報を聞き出そうという発想は出てこない。

 そこに付け込み、襲いたい相手にモンスターをけしかける。死ぬまで何度も、何度でも」

「それ、だけの為に」

「ああ。たったそれだけの虚栄心の為に、モンスターが飼われて人間がその餌になる」

 理解まではできなくもない。だが、実行するには人の心があってはできないだろう。そんな発想をする邪悪な心を持つ人間こそが敵。

 その容赦のなさに、思わず身震いをするエクレア。

 ロビンは比較的ダメージが少なさそうなエレンを目の端で捉えて意外そうに声をかける。

「君はあまり動揺しないのだね」

「……グレート・フェイク・ショーを見た時から、この光景は予想していたわ。それに前もって教えられていたもの、人はどこまででも残酷になれるっていう、その一例を」

 エレンには今更ながらに詩人の気遣いが身に染みる。

 四魔貴族と戦うとは、こういった光景を乗り越えていく事だと、彼は最初から知っていたに違いない。その上で順序立てて、無理のない範囲で鍛えてくれていた事にようやく気がつく。

 ならば先達の役目は自分も負わなければならない。真っ先にはエクレアに対するフォローも必要であるし、また他にも救える命があれば救ってみせる。

 その執念のもと、薄暗いテントの中を血眼で睨めつけてエレンは一つの消えかけている命を見つけ出した。

「――いた!!」

「へ、何が?」

「助かるかもしれない、命!!」

「手遅れになっていない人がいたのかっ!?」

 驚愕の声をあげるのはロビン。ここに連れてこられた時点でモンスターのエサになるのは確定事項。万が一に抜け出されるリスクを考えると、人間(エサ)とモンスターは分けて保管すべきである。

 その中で見つけた命の灯。それは残念ながら人間ではなかった。

「カゴに入れらているね。それに小さくて、羽が生えた……ヒト?」

「いや、この子はおそらくジャングルに住むという妖精族ではないだろうか? 確かにモンスター並に見られてはまずいというのは分かる」

「これは、毒? 痺れ薬? どっちにしても体力も無いわね。

 ――神秘の水」

 エレンの玄武術にてようせいを蝕むモノが解毒されていく。それでようやく薄っすらと瞳を開けられるようせい。やはり基本的な体力がもう無いのだ。

「気休めだけど――生命の水。

 大丈夫、あたしたちは敵じゃないわ。あなたをここから出してあげる」

「ぁ…が、と」

 それだけ言って、ようせいはまた気を失ってしまう。

 エレンは手荒くカゴの鍵を壊すと、優しくようせいをそこから取り出す。

 そしてざっと他を見渡すが、やはりもう手遅れになった人間しかいない。悲し気に首を振ってエレンは出入り口に向かう。その後に続くエクレアと、一応警戒して最後尾につくロビン。

 その心配は幸いな事に無駄に終わり、無事に魔窟と呼べるテントから脱出する事に成功する一同。冷えた夜の空気がどこか心地いい。

「君たちはどうする?」

 グレート・フェイク・ショーはヤーマスの郊外にある。つまり、ここからヤーマスを脱出するのは簡単だという事だ。

 ロビンはヤーマスから離れる方に先導している事からして、直後の行動を聞いているのではない。これからドフォーレ商会に対してどう当たるのかという質問だ。

「ドフォーレ商会は許せません。けれど、あたしには目的があります。ドフォーレ商会にかかり切りにもなれない身です。

 フルブライト商会に協力して、要請があれば敵対する形になるかと思います」

 優しくようせいを抱き上げながら、エレンが答える。口も動きもよどみない。

「うむ。ドフォーレ商会と戦うならば、また会う機会もあるだろう。

 君たちは信じるに値する相手と見た。何かの折には頼りにさせて貰おう」

「こっちはあなたを信じていませんけどね」

 ちょっと鋭い軽口でロビンの口元に苦笑が浮かぶ。その口調から本当に信じていないかどうかは丸分かりだ。

 やがてグレート・フェイク・ショーの端に辿りつき、ロビンは優しく抱えられているようせいを愛おし気に見た後、ふっとニヒルに笑う。

「では、また会う日までさらばだっ!」

 

 素早い動きで建物をよじ登り、闇夜に消えていくロビン。漆黒の衣装を着ているせいか、その姿は瞬く間に見えなくなってしまう。

「今日は助かったわ。ありがとう!」

「また美味しいミルクちょうだいね~!」

 どこかでブフゥと吹き出す音が聞こえる。

「エクレア、あんたミルクなんて貰ったの?」

「へ? エレンさん、見てたじゃん?」

「ん?」

「へ?」

「「んんん~?」」

 

 意志疎通は為されなかったらしく。幸いながら、数奇な運命を持って怪傑ロビンの正体は少女の心の中にしまわれて、隠されるのであった。

 

 




次話はしっかりと設定を固めないと後で泣きを見るかも知れないので、ちょっとじっくり腰を据えて創作させて下さい。
出来る限り来週中には投稿したいとは思っております。


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060話

思ったより早く投稿できました。
ある程度方向が決まったら、悩むより書いた方がいいですね。


 

 フルブライト23世の朝は紅茶から始まる。

 夜遅くまで仕事をしていた身でありながら、朝は日が昇る前に目を覚ます。

 そして彼は大きく伸びをして体をほぐすと、ベッドサイドにあるベルを二度チリンチリンと鳴らす。それを合図に彼の寝室の外に居るメイドが朝のお茶を淹れる為に動き出すのだ。

 紅茶を淹れる少しの間に、フルブライトは寝間着を脱いで部屋の隅に備え付けられた洗濯籠の中にそれをいれて、朝の部屋着に着替える。そして運ばれてくる紅茶を飲みながら朝の郵便を読んでいる間に、朝食が支度されるのだ。その朝食を摂った後に流行最先端でありながら実務的な服に着替え、フルブライト商会会頭としての執務へと向かうのがウィルミントンに居る時の彼の通例だった。

 今日も例に違わず、部屋着に着替えた彼の部屋がノックされて紅茶と郵便が運ばれる。優雅にお茶が入ったカップを傾け、最初の郵便を手に取るフルブライト。それはヤーマスからの手紙、そこにあるフルブライトの拠点であるシーホークからの手紙。

 フルブライトが送った探る為の小石、エレンとエクレアが起こした事の顛末だろうと予想した彼は、いつもその場に用意してあるペーパーナイフで封を切り、中を検める。

「…………………………は?」

 結果、こぼれた声は優雅とは程遠い呆けた声。中に書かれた内容を要約すれば重要な事は一つ。

 

 ドフォーレ商会に喧嘩を売った。

 

 これに尽きる。モンスターの養殖だの、人を糧にしただの。フルブライト商会としては許容できない事ではあるのだが、一番の問題はそこだ。西部にある、世界三大商会に含まれるであろうフルブライト商会とドフォーレ商会の対立、それが明確になってしまった。

 今までフルブライト23世はこの事態を全力で回避してきたと言っていい。フルブライト商会を裏切ったドフォーレ商会、それは憎んでも憎み切れない商敵だ。だがしかし彼がフルブライト商会の実権を握った時にはドフォーレは強くなり過ぎていた、フルブライト商会が真っ向から対立しては世界が揺れてしまう程に。

 故に彼は苦渋を甘んじた。ドフォーレ商会の跋扈と暗躍を許し、モンスターを使って他の商会を恫喝する事を許し、ベント家に頭を下げて裏工作を仕掛ける。これらは全て無辜の人々を思っての事だった。下手に騒ぎ立てれば争いは表面化し、被害は何倍も何十倍をもに広がる事が読めてしまったからである。ドフォーレ商会を潰すには秘密裏に事を運ぶ必要があったのだ。

 それが一瞬で覆された。

 ()()()によってグレート・フェイク・ショーなる闇市場が襲われ、そこにあったモンスターの飼育所の存在が、騒ぎに乗じたレジスタンスによって暴かれた。そう手紙にはある。

 だがこの件に、このタイミングでエレンやエクレアが関わっていないと考える程に、またそれをドフォーレ商会が感じ取っていない事に気が付かない程に、フルブライト23世は愚鈍ではない。

 状況の推移は明らかだ。エレンたちがドフォーレ商会の悪意を見抜き、それを暴いた。表に立つ事を嫌う彼女たちは、その結果をレジスタンスに託した。この際にロビン()が、ライムとトラックスが関わったかもしれないが。まあ一先ずそれは置いておいて。こうしてレジスタンスは己が正当性を示す為、またドフォーレ商会の悪行を示す為にその実情を明らかにしてしまった。

 ここでエレンやエクレアが関わっていなかったらまだ話は違ったかも知れないが、そんな現実逃避的観測は持たない方がいいだろう。ドフォーレは確実に彼女たちを敵対視し、それを庇護に置いていると公言しているフルブライト商会をも潰そうと動く。

 ここから先は簡単だ。

 ドフォーレ商会は己が町であるヤーマスが、よりにもよってフォルネウスを倒した英雄であるエレンやエクレアによって害されたと世界中に声高く叫ぶだろう。いや、手紙が届く日数を考えればもう既にそう動いていてもおかしくはない。そしてその叫びをもって自分の不祥事を隠し通すのだ。

 その対象となるのは決まっている、フルブライト商会に他ならない。彼女たちを囲っているのは事実であるし、聖王縁のフルブライト商会が他の商会を武力的に犯したとなれば、その不祥事は世界的なスキャンダルだ。ドフォーレ商会は、勝者になった後に不祥事の証拠を掴んだ者とその背後を潰せれば憂いはなくなる。力で押し通すのはドフォーレ商会の得意技、この可能性は極めて高い。

 フルブライト商会としてはエレンとエクレアを売って場を凌ぐ手もなくはないが、こんな礼も恩も知らない手合いに下手に出るのは明らかな愚策。相手は調子に乗って自らの悪行など反省せずに無理な要求を押し通すのは目に見えている。最後にはドフォーレ商会にすり潰されるフルブライト商会という未来しか見えない。

 結局、戦うしかないのだ。

 幸い、直前にフォルネウスを倒したという実績が手元にある。これを天を焦がさんと燃やし、他を煽る。そうなればおそらく勝ち目は五分以上、戦いの火蓋が切られた以上はやるしかない。

「静かな朝食も今日までか…」

 ほんの僅かな時間で余裕を取り戻したのは流石と言えるだろう。実際、ここまでの事をシノンの田舎娘やラザイエフの放蕩娘がやらかすなどとは想像していなかった。その点は確かにヤーマスへ彼女たちを送り込んだフルブライト23世のミスという他ない。穏便を保ちたかった彼は自分の不明を恥じる他ないだろう。

 不本意ながら、無辜の民を巻き込んで、世界を二つに割るだろう覇権争いが行われる。舞台は西部だが、ドフォーレとフルブライトの総力戦だ。世界中が揺れに揺れるだろう。

 予兆を感じ、未来を確信しつつ。フルブライト23世はドフォーレの悪行を掴んだ旨を記した手紙を世界中に飛ばす、正義を通す為に己に力を貸せと。当然ながらそれはドフォーレ商会も同じ事をしていた。

 

 世界の中で影響力が大とされるものは、二つの大勢力の檄文を読んでそれぞれの立ち位置を明確にするのだった。

 

 

 

 バンガード。

「むう……」

 キャプテンは二つの手紙に目を通し、深く悩む。ウィルミントンとヤーマスを陸地で繋ぐ唯一の場所であるバンガードは、戦略上極めて重要だ。それぞれがそれぞれの大きなアメとムチを持って懐柔しようとする。実際、ここを制すれば陸を制するといっても過言ではない。

 しかしながら、いくら悩もうとも答えは決まっているのだ。フォルネウスによってバンガード軍が半壊させられたため、バンガードの守りの半分はフルブライト商会が担っている。ここでドフォーレ商会に組しても内部崩壊するのがオチである。バンガードはそれで終わりだが、フルブライト商会には他の拠点もある為に敵対したバンガードを守る選択肢はないだろう。

「選択権はない、か。しかしある程度は吹っ掛けさせて貰おうかのう」

 言いながらキャプテンは筆を取る。フルブライト商会に加勢する見返りはキッチリと取っておかなければならない。

 

 ピドナ。

「ふふ。西部で諍いが起きたか」

 この都市の支配者はルートヴィッヒ。かつてリブロフにいた男であり、クレメンスに敗れながらも彼が暗殺された為に、今はピドナの実権を握る事に成功した男。

 彼の元にフルブライト商会は助力の手紙を送っていない。クレメンスが筆頭となっていたクラウディウスグループはフルブライト商会と同盟を組んでおり、その繋がりをズタズタにしたルードヴィッヒにフルブライト商会は敵意すらもってこれまで相手をしてきた。そんな折に困ったから助けてくれと言ってもロクに相手にされないのは分かり切っていたからだ。フルブライト商会としては思いっきり足元を見られればまだいい方であり、下手をすればこれ幸いとスパイを送られかねない。

「ここでフルブライト商会が潰れてくれた方が私としては助かる。一つ、ドフォーレ商会に恩を売るとするか」

 自分は天に愛されている、そう確信しているルードヴィッヒは自身の勝ちを疑わずにドフォーレ商会への助力を決定する。今までどんな苦境に立たされても、まるで聖王に導かれるかのようにそれをすり抜けて来た。

 おそらく、決定的に落ち目になるまで、彼はそのあてにならない運を信じ続けるだろう。その時が来るのかどうかは分らないが。

 

 神王の塔。

「くだらん」

 神王教団の最高指導者であるティベリウスは、読んだ瞬間に二つの手紙を打ち捨てた。

「我々は来るべき神王さまに全てを捧げるべきだ。遥か西で起こる人間のいざこざに構っていられるものか」

 そう吐き捨てるティベリウス。どちらかに神王さまが加担しているのならば話は別だが、そうでもないのに構う義理はない。

 現状、神王教団はそれなりに悪くない勢力を誇っている。金もあれば人もある。ラザイエフ商会などとも繋がりはあるし、ピドナを始めとした各国に支部もある。これ以上欲をかくべきではない。

「神王教団は不干渉、その旨の手紙を書かねばならんな」

 必要でも俗世の些事に関わらなければならないという面倒事に、ティベリウスはやれやれとため息を吐くのだった。

 

 とある闇深い場所。

「マクシムス様」

「分かっている」

 表の情報網でもドフォーレ商会とフルブライト商会が争う事は掴んでいるが、その男にとって更に重要な事は他にあった。すなわち、ドフォーレ商会はモンスターを使役し、フルブライト商会はそれを許さずに立ち上がったという部分である。

 モンスターを使役するという点において、彼に忌避感はない。それも当然、マクシムスという男もそれを率先してやっているからだ。

 だからこそ、それを許すまじと立ち上がったフルブライト商会は邪魔の一言に尽きる。できるならばこの戦いで敗れて散って欲しいものだ。しかし最高指導者であるティベリウスから、神王教団は不干渉との命令を受けてしまった。これでは手が出せない。普通なら、だが。

「やれ」

「では、手筈通りに……」

 マクシムスは側近の男に一言で命じ、彼はそれを受けて躊躇なく動く。

 要するに神王教団が関わっていなければいいのだ。例えばウィルミントンの辺りでモンスターが大量発生しても、それは神王教団はなんら関係ないと見なされるだろう。精々がドフォーレ商会の工作かと思うくらいだ。

 影に隠れながらマクシムスはフルブライト商会を削る為の工作を仕掛けていった。

 

 ロアーヌ。

 その執務室でミカエルは手紙を前に腕を組んで悩んでいた。

「影よ」

「はっ!」

 部屋の隅、光が当たらないその場所から声が返ってくる。

「フルブライトとドフォーレが諍いを起こした。我々は様子を見るぞ」

「承知しました」

「ただし、第二軍まではすぐにでも動かせるようにしておけ。泥仕合になった時や、止めの一撃を必要とした際に速やかに西部に行けるようにな。

 それまでは我がロアーヌは日和(ひよ)る」

 一軍単位はおおよそ実働兵力として500程度であり、つまりロアーヌは1000単位の兵を自在に動かせるようにしているという事である。

 彼の国にある攻撃兵力が2500程度である事を考えれば、これは相当大きな数ともとれるし、まだ出し惜しみしているともとれる。言うなれば中途半端なのだが、この兵力で決着が着かないくらい博打が大きいうちは手を出さないと彼は言っているのだ。

 ミカエルの目から見て、両者の間に明らかな優劣はついていない。ならば下手をうって負け戦に組するよりも、趨勢が決定してから後乗りすべきだという判断である。

「言うまでもないが、これは速度が全てだ。情報伝達から軍の移動まで、一部の隙も見せてはいかんぞ」

 返ってくる言葉はない。既に影は主君を命を受けて動き出しているのだから。

 

 ツヴァイク。

「くそっ!」

 意味がないとは分かりつつ、悪態が口から出てしまうのはツヴァイク公。キドラントに怪物が出現した辺りからどこまでも上手くいかない。

 本来ならばそれを解決するべきはツヴァイクであったのに、キドラントの町長が怪物を利用して私腹を肥やしたせいで、ツヴァイクまで怪物の情報が回らなかった。結果、その事件を解決したのが怪物の生贄にされかけたモニカ姫とトーマスカンパニーの使者だというからたまらない。その情報はフルブライト商会まで回り、いいようにツヴァイクの西部を荒らされてしまった。

 その上でフルブライト商会、ロアーヌ、トーマスカンパニーそれぞれに貸し一つを作る羽目になり、いつ取り立てられるのか何を取り立てられるのかも分からない状況。これらを覆す為、更なる軍備増強の為に税を課したのがまた裏目。民は反発し、内乱が起きるという結果に繋がってしまった。軍はその鎮圧に向かっているが、民とは富を生み出す種籾である。やたらと殺すわけにもいかず、手加減した分だけ軍が疲弊するという望んだ結果とは真逆の方向に着地してしまった。

 従順な態度を示しているロアーヌや、まだ小さい会社であるトーマスカンパニーはともかく、フルブライト商会に睨みを利かせられるくらいには軍事力を上げたいにも関わらず、ツヴァイクという国は足元が更に不安定になっていくという現状。ツヴァイク公には焦りばかりが募っていく。

「その上でフルブライトとドフォーレが戦争するだと?」

 ツヴァイクは内部で完結している国である。農業や工業が発達し、鉄鉱山もあるし芸術に明るい者も少なくない。それらの自給率は100%を超え、外部への輸出で貿易黒字を出す程だ。

 普段ならばこの戦争は大歓迎だった。足りなくなる物資や人を高値で売り、荒稼ぎする好機。しかし今は内乱でむしろ自国内でさえ手が足りていない。ここでツヴァイクが余裕があるだろうと、必要なものを買い求めてくれば売る物がないツヴァイクに失望するだろう。

 また、最後の手段と思っていた必要なモノの輸入も、他で戦争が起きてしまえば値が釣り上がるのは必至。今後しばらくはこの手も封じられた形だ。

「とにかく、今は静かにするしかあるまい…。

 戦争が起きているのに指を咥えて見ているだけというのは業腹だが、今は忍耐の――」

「閣下!」

 ブツブツと独り言を言っていたツヴァイク公だが、重鎮が慌てた様子で飛び込んできたのを契機に思考を切り替える。

「どうしたっ!」

 ここ最近、ロクが事が起こっていない為にまた悪い知らせかと身構えたツヴァイク公。残念ながら、その予想は当たりだった。

「トーマスカンパニーから、約束の履行を求める便りが届きましたっ!」

 

 トーマスカンパニー。

「えっ!? トム、あの空手形をもう使っちゃうの?」

 思わずといった様子で口に出すサラに、トーマスは神妙に頷く。

「うん。うちはツヴァイクの最西部、キドラント周辺の販路を手に入れただろ?

 だが、これがどうにも旨味がない。昔に稼げていたのは確かなようだが、今のツヴァイクはあちこちで内乱が起きていて、貿易に乗り出す余裕がないんだ。儲けはほとんど出ていない」

 それだけならばツヴァイクが持ち直すのを待って、それから美味しいところをごっそり持っていくべきだろう。その位はサラにも当然考えついているものであり、彼女よりも頭の回転が速いトーマスが気が付いていないとは思えない。

 それでもこの決断を下すという事は相応の理由があるのだろう。サラはトーマスの次の言葉を待つ。

「結果、手に入れたのはその周辺の情報網が主なものだったが、そこを調査した所でどうにもキナ臭い噂が数ヶ月前から撒かれていた。ツヴァイクが自分の村を食い潰し、私腹を肥やすとかいう噂だ。

 人々は笑い飛ばしていたらしいが、噂は中々消えない。そこでキドラントの事件が起きて、町は取り潰し。更に重税が課された事により、人々の不安は一気に燃え上がり、内乱まで至った」

「……作為を感じたって事?」

「そうだ。何者かは分からないが、明らかにツヴァイクを潰すように動いている。内部の反乱分子か、よっぽど諜報活動に優れた外の勢力か……。

 そこは分からないが、僕はツヴァイクを見限る事にした。これ以上ツヴァイクは成長の余地はないと判断し、今ある分を搾り取る。おそらく、時間が経つにつれてツヴァイクから得られるものは減っていく」

 この決断力も、組織のトップに立つ者として重要な才能だった。もしかしたらツヴァイクが勢いを盛り返すかも知れないという期待を、スッパリ捨てる判断は中々できることではない。ツヴァイクでの販路を持っているのだから、それさえも大きな収入はないと諦めた形だ。

 トーマスの判断が吉と出るのか凶と出るのかはまだ分からないが、方針は固まった。ならばどう動くかを確認するのは大事だろう。

「それで、空手形をどう使うの」

「ツヴァイクに兵を出させる。もちろん、それを補給する物資も一緒にだ。それでキドラントから西へ進み、ヤーマスに迫る。

 勝てば手柄は僕らのものだし、負けた時はツヴァイクに全部押し付ければいいさ」

「ツヴァイクが兵を出し惜しむ可能性は?」

「内乱もあるし、多少は惜しむだろう。だがまだツヴァイクは外聞を気にしている段階だ。外へ自軍を出すのに余りに貧相じゃあ笑いものになる。それなり以上の兵力にはなるだろう」

 

 リブロフ。

 ここを支配するラザイエフ商会はフルブライト商会と同盟を組んでおり、フルブライトに協力するのは確定事項だ。

「フルブライトは儂等の習性を理解しておる、無茶は言わん。

 我が私兵はフルブライト商会が現在保有している都市や村、商隊の護衛に入る。その分のフルブライト商会の兵力が戦争に向かうじゃろう。

 また、物資の補給も怠るな。高く売れる絶好の機会じゃ、できるだけ釣り上げるっ!」

 たくさんの人が行き交う大部屋の中で、大きな声で矢継ぎ早に指示を飛ばすのはラザイエフ商会会頭のアレクセイ。また、その補佐をする形で彼の婿養子であるニコライも忙しく動き、指示を出していく。

 その慌ただしさも一段落し、疲れたため息を吐きながら書類を纏めたアレクセイは静かにその大部屋を出る。それに気がついたのはニコライただ一人。彼はアレクセイの行動を理解しており、それをフォローするようにアレクセイの代わりに次々と指示を出す。

 一方、大部屋から逃れたアレクセイは書類を持ったまま、一つの部屋に着く。そこは彼の息子であり、ラザイエフ商会の幹部でもあるボリスの部屋。ノックをして部屋に入ったアレクセイを出迎えたのは、旅支度を整えたボリス。

「待たせたな、ボリス」

「待ったぜ、親父」

 ニヤリと笑うボリスはアレクセイの手にあった書類を気軽に受け取る。

 最重要機密であるそれを気安く手にするボリスは、頼もしいやら不安やら。思わず苦笑を浮かべてしまうアレクセイ。

「まとめるのは船の中でやるさ、今は時間が惜しいだろ?」

「ああ。ドフォーレ商会へ行き、うちがどの都市や商隊に精鋭を送るのか。また、どこに隙が多いのか。この情報を早く伝えないと被害が大きくなるし、信頼も薄れる」

 ラザイエフ商会がやっているのは、自社の情報のリークである。精鋭を送る場所を提示する事によって、そこを攻めれば痛い目に遭うという事を教えるのだ。もちろんこれは善意からではなく、己の損害を気にしての警告と忠告を合わせたようなものだ。

 そしてその結果炙り出される、フルブライト商会の補給線の隙。ドフォーレ商会レベルならばそれが分かるのは当然である。そこを攻めさせ、補給が少なくなるフルブライト商会に物資を高く売りつける算段。もちろんこれがバレてはフルブライト商会との関係が悪くなってしまうので、最も信頼できる幹部の一人であるボリスが直接ヤーマスまで行き、書類などの証拠は残さずに全て口頭で伝える。

 ここが腕の見せ所で、時間をかければドフォーレ商会が集められる情報を言うのがミソだ。情報の鮮度は後になればなる程に分かり難くなり、結果的に異様な速度で情報を手に入れたとしても、実際にどの段階でそれを入手したのかは判別がつきにくい。もちろんあからさまにやればそれはそれでフルブライト商会に情報をリークした事がバレる為、その匙加減はとてつもなく難しいと言えるだろう。

 だがしかし、これを上手くやればラザイエフ商会はフルブライト商会にもドフォーレ商会にもいい顔ができる上に自分の被害は軽減できる。やる価値は十分にある。

 間もなく、リブロフからヤーマスへ出港する船が出る。それに乗ったボリスはその双肩にラザイエフ商会の命運を背負い、ドフォーレ商会へ交渉に出向くのだった。

 

 世界各地にある商会や小国も、どちらに付くのかの決断が迫られる。

「……うちはドフォーレ商会に首根っこを掴まれている。選択の余地はあるまい」

「落ち目のフルブライト商会よりかは、やはりドフォーレ商会か」

「正道をいくフルブライト商会に手を貸すのが筋だろうな。実際、ドフォーレ商会が勝ってもこちらに恩を感じるとは思わん」

「様子を見よう。まだ決断には早い」

「金払いはドフォーレ商会の方がいい。売れるものはそっちに売ってしまえ」

「売るのは渋るぞ。後々、物資が不足した時に高く売りつければいい」

「おそらく、フルブライト商会の方がやや分が悪いな。勝った時の恩もデカい。うちはフルブライト商会につくぞ!」

 

 

 

 そして世界が大きく蠕動する中、そのきっかけを作ったエレンとエクレアは。

「ん~。いい匂い!!」

「ヤーマスで新鮮な牛乳を仕入れられたからね。悪くならないうちにクリームシチューにしようかなって思って」

「おいしそ~!!」

 ――ヤーマスとランスの間にある道で寛いでいた。いちおう、グレート・フェイク・ショーで助け出したようせいの体力回復という名目だが、綺麗な川が流れる穏やかな場所でもう四日もまったりしている。とても世界全てを巻き込む大騒動を起こしたとは思えない呑気さだった。

 もちろん遊ぶばかりではなく、ちゃんと日課である鍛錬は欠かさない。体力を取り戻したようせいも、その小さな体から想像もできない力を持っており、エクレアが貸したロングスピアを軽々と振るってみせていた。その身長よりも長い槍を操るのは高い技量が必要なのは言うまでもなく、それを察したエクレアは長い木の棒を槍に見立ててようせいと槍の稽古をしていた。

 まあ、やる事をやっているとはいえ、世界を揺るがした張本人たちとして見れば緊張感が足りなすぎると言われても仕方が無いだろう。

 そんなツッコミを入れる人間もここにはおらず。鼻歌を歌いながらクリームシチューを作っていたエレンと、涎を垂らさんばかりにそれを見るエクレアとようせい。

 やがて完成したその料理をそれぞれの器によそい、食事を始める。

「やっぱりおいし~!」

「はふ、はふ。あったまる~!」

 満面の笑みで食べるエクレアとようせいに、作ったエレンもニコニコ顔だ。自分で作った料理を口に運び、悪くない味だと心の中で自分を褒める。

 やがて食事が終わり、食器や料理器具の後片づけも終わらせる。夕暮れも近づいてくるこの時間、たき火を絶やさないようにしながらそれを囲み、暖を取る。ランスに程近いこの場所では気温が低く、油断をしたら風邪をひいてしまう。

「それで」

 エレンはちらりとようせいを見ながら口を開く。体力が戻るまで待っていたが、もう十分だと判断したのだった。

「ようせいは帰る場所はあるの? 後は目的とか」

「ええ。ジャングルに仲間がいるんだけど――目的があってそこから出て来たの。目的を達成するまでは帰れないわ」

「目的って?」

 気安く聞くエクレアに、表情を固くするようせい。

「最近なんだけど、アウナスの配下が私たちの村を探して襲ってるの。実際、いくつかの村がやられたわ。

 そこに住んでいたようせい族は他の村に移住したから人的被害はまだ出ていないけど、それもいつまでもつか分からないの。

 ようせい族だけじゃ手に余るから、アウナスを倒せる人を探すためにジャングルを出たんだけど――」

 そこで性質の悪い人間に捕まり、グレート・フェイク・ショー送りになってしまったのだろう。

 けれどもエレンとエクレアが気になったのはそこではない。

「アウナスが暴れてるのっ!?」

「……しまった。ゆっくりしている場合じゃなかったわね」

 声を荒げる二人にきょとんとした顔をするようせい。

「え…と。二人は、もしかして……?」

「うん。四魔貴族を倒す為に旅をしているわ。丁度、次の目標はアウナスだったのよ」

「アウナスの炎熱に対抗するために、氷の剣を探しているの。ランスに情報があるらしいよ!」

 エレンとエクレアの言葉に、ぱっと顔を輝かせるようせい。

「凄い巡り合わせねっ! まさか私を助けてくれた人たちがアウナスと戦うつもりの人だったなんて」

 実際は四魔貴族を倒すくらいハチャメチャな人材でないとドフォーレ商会を敵に回す可能性は低く、そういった意味でようせいを助けた人物がそうである可能性は低くなかっただろう。もちろん、怪傑ロビンといったレジスタンスもいるので可能性が高い訳でもなかったのだろうが。

 それはともかく、アウナスを倒すという方向で一致した三人は更に話を続ける。

「じゃあようせいはアウナスを倒すまでは一緒に旅をするって事でいいのね?」

「もちろんよ。迷いのジャングルの中にある火術要塞まで案内するし、アウナスを倒したらちゃんと外まで送ってあげるわ」

「あたしとしてもこの巡り合わせには感謝ね。火術要塞をどうやって見つけていいのか分からなかったもの」

 また一つ大きな難題が片付いたエレンは、少し気が抜けた表情をする。

 これで氷銀河にあるという氷の剣を見つける事に集中できる。それを手に入れたら、次なる四魔貴族の元へと駒を進める事ができるのだ。

「ねえねえ、ところでようせいの村を襲っているアウナスの手下ってどんな奴?」

「アビスに魅入られた、人間の男よ。朱鳥の術を使うのはともかく、魔王の盾を操っているせいで歯が立たないの」

 どこか心当たりのある特徴に、一瞬エレンたちの思考がフリーズする。

 そして続けて落とされる爆弾。

「名前はボルカノとか言ったかしら?」

「「ボルカノっ!?」」

 モウゼスにて詩人に殺された筈の男。

 それが魔王の盾を操ってジャングルで暴れているとは、いったいどういう事なのか。

 

 呆然とするしかない二人と、それを首を傾げて見るようせいといった光景が、しばらくその場に残るのであった。

 

 

 




この話にて商人の闇は終了です。
次話よりランス・氷銀河へと舞台が移ります。

そこでいったい何が待ち受けているのか。どうかお楽しみ下さい。


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061話 雪と氷と静寂と

書ける時に書いていくスタイルでいきます。
このまま週一以上のペースを維持出来たらいいな。


 

 ランスといえば最も有名なのは、やはり聖王廟だろう。文字通り、聖王の御霊を眠りに導く墓標。

 聖王は今から315年前に生誕した、前々回の死食を生き残った宿命の子である。死の宿命(アビス)を背負わされた聖王だが、その宿星に耐え破り、生命の加護を得るに至った偉人だ。アビスの誘惑に負け、世界を死と破壊に導いた魔王よりも格上と謳われる所以でもある。

 その聖王の偉業といえば枚挙に暇がないが、世界中の人々が知るのは四魔貴族をゲートに追い返し、荒廃した世界を復興したという事だろう。15年前の死食で世界がまた混乱したとはいえ、現在まで続くそれなりに安定した生活基盤を創り出したのは聖王といえる。

 原因がそうであるかどうかは分からないが、聖王が生まれた町であり眠る町であるランスは他の町と比べて静かな印象が強い。住む人々が聖王への敬意を心に秘め、粛々と暮らしているせいだろうか。まるで聖王をそっと眠りにつかせて差し上げたいと誰しもが思っているかのよう。

「こーこーがぁー! ラーンス!!」

「ゆきー! ゆきぃー!!」

「騒ぐな落ち着けはしゃぎまわらないっ!!」

 まあ、訪れる者が静かな人間であるとは限らないのだが。

 

 来たことがない町にはしゃぐエクレアと、南国のジャングルで生まれ育ったため初めて触れた雪に興奮するようせい。そしてそれを落ち着かせるエレン。

 騒がしい三人組だが、そんな旅人をランスの人々は微苦笑しながら見ている。ランスは聖王廟があるおかげで観光地としても有名であり、このように羽目を外す旅行者も少なくないのが原因だろう。

 無理矢理にお子様たちを静めたエレン。

「う~! さむ~い!!」

「へくちっ!!」

「この冷えた空気の中を走り回れば、そりゃ体も冷えるわよ……」

 体を止めれば口が動く。エクレアとようせいの奔放ぶりに手を焼かされながらも、エレンは一つの家を目指す。

 天文学者のヨハンネス、ゲートが開いている現状を観測している人物である。そしてその家は(勝手に決めた)詩人との待ち合わせ場所でもある。日数的にリブロフに行った詩人がもうランスに着いている可能性は低いが、それでも自分の足跡は残しておくべきだろう。

 それに氷銀河に行く方法をエレンは知らない。聖王家との繋がりがないエレンとしては、ヨハンネスの伝手や知識を頼らざるを得ないのだ。

 着いた家のドアノッカーをゴンゴンと叩き、少し待つ。パタパタと家で動き回る音がして、やがてガチャリとドアが開いた。

「あら? 以前お越しいただいた…エレンさんでしたか?」

「やっほー。アンナ、お邪魔するわ」

 出て来たのはヨハンネスの妹であるアンナ。ヨハンネスが星を見て知識を深め、その情報を渡してパトロンであるフルブライト商会からお金を受け取っているのに対し、アンナの仕事は家事全般。兄がやろうともしないそれを一手に引き受けるアンナはご近所でも良い娘として認識されており、やがて彼女が嫁に行ったらヨハンネスとこの家はどうなるのだろうと不安がられている一因でもある女性だ。

 以前、詩人と共にヨハンネスを訪ねた時に面識がある彼女たちはにこやかに挨拶をかわすが、アンナの視線はエレンの後ろにいる人物に向けられる。

「それであなた達はエレンさんのお友達ですか?」

「私の名前はねー、エクレアって言うんだ。アンナさんだっけ、よろしくねっ!」

「ようせいはね、ようせいって言うんだ。よろしくね!」

 にこやかにアンナとエクレアは握手をしてようせいにもと手を出した彼女は、にこーとした笑みだけを向けて手を出す様子がないようせいに、ほんの少しだけ戸惑ってしまう。

 そんな困ったアンナの様子を見てけたけたと笑うようせい。基本的に人の困った顔や驚いた表情が好きなようせい族は、少しばかり性根がひねくれている。

 趣味の悪いようせいの頭を嗜めるように叩くエレン。

「あはははは。ごめんね、仲直りの握手」

「ええ、よろしくね」

 少しだけアンナをからかったようせいは、自分から手を出して今度はしっかりと握手をする。ちょっとだけいい性格をしているようせいだが、悪いといえる程でもない。

 そうして挨拶を終えた一同は、アンナに導かれるままに家の中に入る。用意された温かい紅茶に、体が冷えたエクレアとようせいは大喜びだ。

 一息ついた頃にエレンが口を開く。

「それでアンナ、悪いんだけどヨハンネスに話があって来たのよ」

「そうだと思いました。エレンさんが来た時は起こしていいと聞いていますので、兄を起こしてきますね」

 アンナはそう言って、居間を辞する。ヨハンネスは天文学者であり、星の観測が主な仕事であるからして、生活習慣が昼夜逆転しているのだ。よって昼には寝ている事が多く、前回訪ねた時も彼は就寝していた。ヨハンネスに話をするには夜に来るか、彼が会うと前もって決めていた人間ならば昼でもアンナが起こす手筈になっている。

 歓談しつつ、紅茶をすすってアンナが焼いたクッキーをかじる事しばし。ヨハンネスを起こしたアンナが戻ってくる。

「兄が会うそうです。自室でエレンさんを待つという事でした」

「ありがと。

 エクレア、こっちの話は長くなりそうだから、先に宿を取っておいて。それが終わったら自由行動でいいわ。ようせいと一緒に観光でもしていなさい」

「りょーかい、エレンさん!」

「ゆきっ! ゆきで遊ぶのっ!!」

 騒がしくヨハンネスの家を出ていく二人を見送ったエレンは、表情を引き締めて居間を出る。そして二階にあるヨハンネスの自室へと向かった。

 雑多な本や、エレンには分からない星を観測するだろう機具が所狭しと置かれたその部屋で、ぱっちりと目を覚ましたヨハンネスが待っていた。話が長くなるだろう事は予想しているのだろう、ここにも紅茶のポットが置かれている。

「久しぶりね、ヨハンネス」

「お疲れ様です、エレンさん」

 一応、ヨハンネスの方が年上であるのだが。性格の違いか、エレンに遠慮はなくヨハンネスの物腰は柔らかい。

 挨拶もそこそこに、ヨハンネスは紅茶をカップに注ぎ、口を湿らせる。

「最近、星の観測で以前とのズレが見られました。今までとは違い、父が観測していた頃の死食が起こる前の星位置にほんの少しだけ近くなりました。

 前置きは無しです、エレンさん。ゲートを閉じる事に成功しましたね?」

 確信を持って聞くヨハンネス。どうやらランスにはまだフォルネウスを倒したという情報は回っていないようだ。それでもゲートを閉じたという情報が手に入るのだから、なるほどフルブライトがパトロンをする訳であるとエレンは納得する。

 そして彼の言葉にもったいぶる必要もないエレンはこっくりと首を縦に振った。

「ええ。西部にてフォルネウスを撃破、海底宮にあるゲートを閉じる事に成功したわ」

「なんとまあ、本当にゲートを閉じる事に成功するとは……。

 しかし、詩人の姿が見えませんが、彼はまさか?」

「そう簡単に死なないわよ、あの化物は。今は用事があってリブロフに行ってるわ。それが終わり次第、ランスに来る事になっているの」

「そうですか。犠牲無しで四魔貴族を倒すとは、いやはや」

「……残念ながら、犠牲は出たわ。仲間の一人がフォルネウスとの戦いで命を落としたの」

 神妙に語るエレンに、それ以上かける言葉を持たないヨハンネス。

 分かっていたはずだった、四魔貴族を相手に無傷で事を運ぼうというのがどれほど虫のいい話であるのかなど。しかしながら、心に傷を負ったであろう彼女を目の当たりにすれば、直接戦いに赴かないヨハンネスは語る言葉を持たない。

 少しの間、紅茶のカップを傾ける音だけが静かな室内に響く。

「それで、四魔貴族を倒した報告をしに来ただけという訳でもないでしょう。いったい、どのようなご用件でしょうか?」

「話が早いわね、ヨハンネス。あたしは次のターゲットをアウナスに定めたわ。その為に氷の剣が必要と詩人に聞いたんだけど、氷の剣がある氷銀河への行き方が分からないの。何かヒントはないかしら?」

「氷銀河ですか、確かに聖王様が氷の剣を手に入れた場所とは聞いていますね。

 私も聖王様にはそこまで詳しくはありません。聖王家に出向いて話を聞くのが一番かと思いますね」

 そう言ったヨハンネスだが、少しだけ顔をしかめる。

「しかし詩人は知れば知るほど不思議な所がありますね。アウナスを倒すのに氷の剣が必要と、どこで知ったのか。

 以前いただいた手紙でも彼が怪しい行動をしていたとは聞いていましたが、やはり不審な点があるのでしょうか?」

「あたしとしては詩人は信じたいのよ。けど、怪しいところがあるのは確かだし、どうにも信じ切る事ができないのよね……」

 困った顔をするエレンに、ヨハンネスはふむと少しだけ考え込む。

「では、詩人の家に行ってみますか?」

「へ? あいつって家を持ってるの?」

「ええ、ここからほど近い場所に。まあ、家と言っても倉庫や作業場に近く、生活臭はありませんけどね。

 詩人は世界中を旅していますから、簡単な管理を頼まれているのですよ。

 いつもはアンナが掃除などをしていますが、別に私が行っても問題ないですし、エレンさんが一緒に行くのもいいでしょうね。何か見つかるかも知れません。

 行儀は悪いですが、少し見て回ったら聖王家にお邪魔して氷銀河の話などをしましょうか」

 そう言って立ちあがるヨハンネス。それと一緒に部屋を出るエレン。

 階段を降りたところで、物音に気がついたアンナが顔を出した。

「あら珍しい、お出かけですか?」

「ああ、ちょっと詩人の家にお邪魔するよ。合鍵を貰えるかい?」

「はいはい。珍しいこともありますね、兄さんが昼に外出するなんて。明日は雪かしら?」

「ここは年中雪が降っているだろうに。

 ああ、それから聖王家に顔を出すと話を通しておいてくれないか? ちょっと聞きたい事があるんだ」

「分かりました。先に聖王家にご挨拶をしておきますね」

 ヨハンネスに鍵を渡したアンナは外套を羽織り、聖王家を目指す。そしてヨハンネスとエレンは本当にそこから程近い、小さな家に辿りついた。

「小さいわね。家って言うか、小屋って感じ」

「詩人はランスに長居はしませんからね。この程度で十分らしいですよ」

 言いながら鍵を開けるヨハンネス。すぐに開かれたドアを潜り、中に入ればそこは確かにヨハンネスが言う通りの場所だった。

 武器や防具、何かの素材がそれなりに整頓されて置かれている。部屋の奥には作業机があり、そこには何冊かの本が積み重ねられていた。

 申し訳程度のベッドもあり、一応寝るには困らないようにはなっていて、小さな暖炉の側には薪が置かれている。雪が降る街であるランスは気温が低く、暖炉は必須である。

 一見して、たまに泊まりに来る拠点の一つといった所だろう。そしてその印象はあながち間違っていない。

「今までアンナが手入れをしてきましたが、特に変な物はなかったようです。

 私が見ても違和感はないですが、エレンさんから見てどうです?」

「どうもこうも。物を隠すスペースも無さそうだし、あんまり当てにしない方がいいかもね」

 適当に部屋を見て回るエレン。武器や防具が一級品なのは分かるが、それだけだ。詩人本人の異常性には遠く及ばない。

 暖炉を調べるも特に怪しい所は無いし、薪だって普通のもの。ベッドもアンナがシーツを変えているのか、埃っぽい印象は感じない。

 作業机には開かれた本に、メモのようなものが走り書かれていた。

「え?」

 それを見て、エレンが固まる。見た事がある文字、ここにあってはいけない文字。

 明らかに何かを掴んだであろうエレンにヨハンネスが近づき、詩人が書いた文字を見る。

「ああ、それは詩人が独自に編み出した暗号文らしいですよ。なんて書いてあるかは分かりませんが、エレンさんは分かりますか?」

「分からない。分からないけど、()()は詩人が知っていていい文字じゃない」

 過去に一度だけ見た事があるそれに、エレンはゾクリと背筋に冷たいものが走るのを感じる。あり得ない、あってはいけないのだ、こんなもの。

「はぁ。それで、これは結局何です?」

「アビス文字。四魔貴族の間のみで使われる暗号文だと聞いたわ、他ならぬ詩人がそう言っていた。聖王すら解読できなかったとも」

 その言葉にヨハンネスも固まった。

 四魔貴族しか使えないアビス文字を、何故詩人が使えるのか。

 言いようのない不安が二人の心を蝕んでいくのだった。

 

 場所を移し、聖王家。とりあえず詩人がアビス文字を扱える事を収穫として、エレンとヨハンネスは聖王家の当主と話し合いをする事にしていた。

 聖王に詳しい彼ならば、もう少し詳しい事が分かるかもしれないという淡い期待もある。

 そうして外に話が漏れないようにした部屋の一つで、三人が重い表情で向き合っていた。

「……まず、簡単な話から終わらせましょう。氷銀河に行く方法をエレンさんは知りたいとの事でしたな?」

「ええ。何か情報があればいいのだけど」

 聖王家とは、聖王の姉の血筋を受け継いだ一族である。その主な仕事は聖王廟の管理と、聖王の研究である。

 故に、一般には知られていない聖王の逸話も多く集めている。抽象的な表現が多い昔の情報や聖王が残した手記などから過去を探っていく事を生業としている彼は、実に様々な事を知っていた。

「氷銀河に行くには、オーロラが作る道を辿って雪の国と呼ばれる場所へ赴く必要があるそうです。オーロラが輝く夜、北にある山の山頂から輝く道ができ、そこから雪の国に行けるとか」

「オーロラが出る時期は私が把握しています。近日中にオーロラが現れるでしょう」

 当主が言い、ヨハンネスが追加の情報を加える。比較的あっさりと雪の国へ行く事はできそうだ。もちろん、そこでどうやって氷の剣を手に入れるかはまた現地で調査をしなくてはならないだろうが、そこは辿りついてからのエレンの仕事である。今はこれ以上、話は進まないだろう。

 それよりも今問題とすべきは、不審な所が多すぎる詩人に関する事だろう。

「詩人は、フォルネウスを倒せる時に見逃した節があるわ。目的は復讐、その為に宿命の子を探しているとも。

 また、短い時間で聖王家の蔵書を把握しきれる筈もないのに、重要な事を知り過ぎているの」

「それに四魔貴族しか使えないアビス文字も扱えるとは……。確かに酷く怪しい」

「ポドールイのヴァンパイア伯爵とも懇意だとか。知れば知るほど、疑惑が深まる」

「一方で、アビスに組した相手には容赦しない。海底宮で感じたフォルネウスに対する敵意は本物だと思うわ」

「それでも自分は四魔貴族を倒す気がない。

 ……目的がどこにあるのか読めないのは気味が悪いですね」

 口々に詩人の情報を提示する三人だが、怪しさだけが募る一方でどうにも確定的な情報が出てこない。怪しい男であるという事は分かるのだが、絶対に悪事を企んでいるという確証が得られないのだ。

 そこでふと思い出したように当主が口を開く。

「そういえば気になっていたのですが」

「なに?」

「詩人の弓です。確証はないのですが――もしかしたらアレは聖王遺物の一つ、妖精の弓かも知れません」

「「聖王遺物っ!?」」

 とんでもない物品に、思わずエレンとヨハンネスが大きな声をあげてしまった。

 聖王遺物とは聖王縁の武具であり、その性能は他の物とは一線を画する。下手な国宝よりもずっと価値がある逸品なのだ。

「どうしてそう思うの?」

「集めた情報から、外見などが一致していると思ったのです。それにまるで重さを感じさせないのも妖精の弓の特徴の一つ」

「それで、その妖精の弓を聖王様は誰に譲ったのですか?」

「文献には信頼できる者とだけ。ただ、その後の調べでその相手は二人まで絞れました」

「それはいったい誰?」

「一人は聖者アバロン。いつの間にか歴史の表舞台から消えていましたが、彼の功績は聖王三傑と同等かそれ以上。妖精の弓を託すには違和感のない相手です。

 もう一人は聖王の養子です。彼も情報が少ないですが、やはり妖精の弓を譲られても不思議ではありません」

「え? 聖王って養子がいたの?」

「はい、余り有名な話ではないのですが、聖王様がその姉に送った手紙に書かれていました。

 四魔貴族をアビスに追い返した聖王様は、世界に秩序をもたらした。その後の事はあまり知られていないようですが、ランスを拠点としながら世界中を旅して自分の手で救える命を守っていたようです。

 その中で一人だけ、聖王様がその養子にした男の子がいたそうです。名前も伝わっていませんし、何故聖王様がその一人だけを養子にしたのかも分かっていませんが、どうやら事実であるのは間違いないかと」

 情報がそれだけしかないのならば、その足跡を辿るのも難しいだろう。聖王の養子はひとまず置いておいて、もう一人の方に話をシフトする。

「それでもう一人の可能性があるのが聖者アバロンとか? 申し訳ないけど、あたしって聖王の話にあまり詳しくないのよね。軽く説明をして貰ってもいいかしら?」

「分かりました。

 聖者アバロンは男性という事は分かっていますが、生まれも没した歳も分かっていない謎の多い人物です。

 始まりは死食が起きた後、生き残った聖王様を殺すか殺さないかで揉めていた時に登場します。彼は聖王様の命を助ける事を主張し、反対する者を力で黙らせたとあります。そして隙を突かれて聖王様が奴隷として連れて行かれるまで、聖王様を鍛えた師としても名が残っています。

 そして聖王様がランスから居なくなった後に、その怒りを爆発させて聖王様を亡き者にしようとした者を皆殺しにしたという苛烈な人物でもあったようです。その後、世界中を旅してやがてフルブライト将軍に保護された聖王様を見つけ、その片腕として四魔貴族と共に戦ったとか。

 四魔貴族を全てアビスへ追い返した後、しばらくは聖王様と行動を共にしていたそうですが、ある時から忽然と記録に残らなくなります。行方不明になった彼はそのまま歴史の舞台から消え、どこで没したのかも分かりません」

「…………」

「可能性として、聖王様の密命を帯びて何かしらの目的で動いていた可能性があります。そう考えれば聖王様も聖者アバロンの事を殊更口に出さなかった事にも理由がつきます。何せ、最後に文献に存在したのが聖王の姉である我が祖先の日記です。しばらく姿を見なかった聖者アバロンの事を聖王様に聞いたら、たった一言、素っ気なく居なくなったと告げたきりだったそうですから」

「妖精の弓は自らの養子に託したか、もしくは任務に必要と聖者アバロンに託したか。その二つの可能性があるのですね」

 当主の話をヨハンネスがまとめる。

 この話を前提に考えるならば、詩人は聖王の養子か聖者アバロンの子孫である可能性が高い。一族で代々伝わる情報を受け継いでいれば、なるほど確かに普通は知らない事を知っている事にも理解ができる。

 だがしかし、ここでもう一つおぞましい可能性を考えなければいけなかった。

「まだ、他にも可能性はあるわ」

 深刻な顔で言うエレンに、当主とヨハンネスが顔を向ける。

「その可能性とは?」

「情報と聖王遺物の強奪。詩人ほど強いのならば、本来の継承者からそれらを奪う事は可能だわ。

 そしてそっちの方がしっくり来るの。詩人の目的は復讐だって言っていたわ。そしてあたしもそれは本当だと思う。

 復讐を第一目的とするならば、その過程として聖王の情報や聖王遺物を強奪もするでしょうね。先祖代々の宿命を無視するよりも、そっちの方が筋が通るのよ」

 エレンの推理に言葉を失う二人。この予想が確かならば、詩人は聖王縁の者さえ敵に回すという事だ。そしてそれは一般的に悪とされる。

 

 詩人を信じるべきか、否か。

 少なすぎる判断材料に、言葉を失う一同であった。

 

 

 




オリジナルの設定も混ぜつつ、少しずつ詩人の謎に迫ってきました。
いったい彼は何者なのか、予想を楽しんでいただければ私としても嬉しいです。


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062話

今日で投稿から11ヶ月になりました。
……我ながらよく続いているなぁと、びっくりです。


 

 

 エレンが深刻な話をする一方で、エクレアはようせいと一緒に雪降る街を元気に歩いていた。

 人間社会に疎いようせいに、様々な事をお姉さん顔をして教えるエクレアは上機嫌であり、それを聞くようせいもフンフンと興味深そうに話を聞いている。

「宿はね、泊まる人数と部屋の数。それから食事の手配して貰うかどうかを受付で伝えるんだ。一日ずつ更新してもいいし、数日まとめて予約してもいいんだよー。いつもなら3日くらい泊まるし、今回もとりあえずそれくらいでいいかな?」

「なんで3日が目安になるの?」

「町に着いた日と、その次の日はお休みするの。2日目に支度を整えて、3日目に出発するのが一番早いスケジュールだからだね。もちろん情報収集をしたり、仕事をする関係で滞在期間が延びる事もあるからあくまで目安だけど。延長するのは簡単だしね」

 ちなみに、基本的に人懐こいエクレアは分かれた部屋で泊まる事を嫌う。なので宿の手配を任された今回は、当然のようにとる部屋は一つである。

 そしてエレンに頼まれた仕事を終えれば、後は自由時間。雪降る街に飛び出してあっちにふらふら、こっちにふらふらと町を散策して楽しむ。どうやら彼女たちは聖王廟には興味がないらしく、純粋に雪降る街を楽しんでいるようだった。

 しばらくすると段々と飽きがきたらしく、それ以前にまたもや体が冷えてしまう。

 適当に良さそうな喫茶店を見つけると、そこに入って体を暖める。

「ようせいって甘いものとか好き?」

「うん。ハーブティーに合うハチミツとか美味しいよね」

「じゃあ注文は私に任せてよ!」

 そう言ってメニューを見ても何が何だか分からないようせいの代わりに、エクレアがどんどんと注文をしていく。

 そしてやがて運ばれてくる品々。エクレアにはホットチョコレートドリンクに見合ったスパイスを溶かし込んだ豪華な飲み物で、代わりにお茶請けにはさっぱりしたジンジャークッキーを。ようせいには飲み物に南国で見つかったばかりという苦みがあるコーヒーというお茶に、たっぷりのミルクと砂糖を入れて。食べ物は小さなケーキとチョコレート、それからマカロンを添えたお菓子に重点を置いたラインナップ。

 甘いをコンセプトにしたそれは見る者が見れば顔をしかめるだろうが。甘い物が大好物である二人は嬉々として口に運んでいく。

「は~。あったまるぅ」

「おいしいね、甘いね、素敵ね!」

 甘味と暖気を思う存分堪能したら、再び外へ。ちなみにだが、ここの払いは全てエクレアが持っている。ようせいは現金を持っていないので当然と言えば当然だろう。西部で荒稼ぎをした為、エレンやエクレアはちょっと普通ではない額を手にしていた。

 そして次の払いもエクレアが支払うプレゼントである。

「じゃあ、武器買おっか」

「うん、ありがとー!」

 ようせいは身一つで逃げ出してきた身であるからして、当然武具は身に着けていない。体術もそれなり以上にできるし、エクレアから練習用のロングスピアを借りていたが、これから先はそれでは心もとないだろう。ここでいい武器や防具を揃えるのが正しい判断だ。

 彼女たちが目指すのはランス陸送隊。フルブライトから聞いた彼の商会とも関りがある会社であり、その為か他のランスの会社に比べて品物に粒が揃っているらしい。もちろんその分値が張る為に、一種の高級店といえるだろう。

 その店に辿りつき、早速品物を吟味する。とはいえ、ようせいの体のサイズは言うまでも無いだろう。オーダーメイドでない限り見合った鎧はないし、余りにも重いものだとようせいの特長の一つである素早さが犠牲にされてしまう。小さめのガントレットと防刃防寒機能が備え付けられた帽子、そしてガードリングといった装飾品で身を守るに留めた。

 一番重視するのは、防具よりも武器である。ようせいの得意武器である槍を見ていくうちに、やがて一つの槍に二人の視線が吸い寄せられた。

「……コレ」

「これかい? アーメントゥームっていう殺傷能力に優れた槍だよ。中々品薄でね、ようやく仕入れられたんだ。

 ――君たちにはちょっと扱いが難しい武器かもね」

 体格に恵まれている訳でもないエクレアと、その点は論外なようせいを見ながら店員は嫌味なくそう言う。

 確かに普通ならばその店員の意見は間違ったものではないだろうが、残念ながら彼女たちは普通の範疇から大きく外れていた。

「ようせい、どう?」

「うん、素敵ね。これ気に入ったわ!」

 そう言ってアーメントゥームを手に取ったようせいは、その場でブンブンクルクルと自分の身長よりも長い槍を振り回す。近くにある商品や壁、天井に床にも傷が一つもついていない辺りにようせいの技量の高さが光っている。

 それを見た店員は信じられないように目を瞬かせると、それでもなんとか次の言葉を口にする。

「でも、それは本当に値段が張るよ? たまたまツヴァイクから格安で仕入れられたけど、それでも4500オーラムもするんだ」

「ん、足りるね。ちょっとお高いけど仕方ないよねー」

 あっさりと金貨の山をくまちゃんバッグから取り出すエクレアに、店員の目が点になる。ドサドサと大金を気軽に積む美少女はにっこり笑うと、用は済んだと言わんばかりにバイバーイと手を振りながら店を後にする。後にはあっけに取られて目玉商品があっさりと売れてしまった店員が残されるのみだった。

 店から出た二人だが、ようせいは自分の準備の負担をエクレアに全部負わせてしまった事を流石に気にしているようだ。

「ごめんね、エクレア。お世話になりっぱなしで」

「いいよー。詩人さんにも武器防具はケチるなって言われてるし。お金を惜しんで死んじゃったら元も子もないじゃん?」

 カラっというエクレア。確かに財布は大分軽くなったとはいえ、それでもまだまだ余裕はある。

 バンガードから受け取ったお金とフルブライト商会から渡された支度金は大金であり、エクレアとエレンは銀行にお金を預金する位には稼いでいるのだ。

 しばらくお金に困る事はなさそうだが、それでも使えば減る一方なのは金銭の摂理。稼げる時に稼がなければと思う辺り、エクレアも大分詩人に馴染んでいるのだった。

 

 日が暮れた頃に沈んだ顔のエレンが宿屋へとやってきた。

「おかえりー。…どしたの、エレンさん」

「ん、なんでもないわ。エクレア、ようせい。今日は楽しかった?」

「さいっこー。雪は白くて冷たいし、お菓子は甘くて美味しいし、エクレアに武器と防具も買ってもらったし」

 にこにこ笑顔で話すようせいの言葉を聞いていたエレンだが、最後の言葉で少し慌ててエクレアを見る。

「やだっ!? アンタ一人でお金払ったの? あたしも半分出すわよ」

「え? いいの?」

「もちろんよ。ようせいはお金持っていないのは仕方ないし、必要経費は半分ずつなのがフェアでしょ?」

 そう言ってエレンはエクレアから武器と防具にかかったお金を聞き出し、ジャラジャラと金貨と銀貨で半額を支払う。

 お金にかなりキッチリしている辺り、やはり彼女たちは詩人の影響を大きく受けているのだろう。

「ありがとっ。それでエレンさん、氷銀河へ行く方法聞けた?」

「ええ、もちろんよ。五日後の夜、オーロラが出る日に北にある山の山頂に行けばいいみたい。

 一日でも辿りつく距離だとは思うけど、一応余裕を見て明々後日(しあさって)には出ましょうか」

「ん。りょーかい」

 だいたいエクレア自身が思い浮かべた予想通りの日程になりそうだと、コクコクと頷く。

 となれば、明日が休養日で明後日が買い出しだろう。阿吽の呼吸でその辺りは確認しないでもエレンは分かっているし、ようせいも先程エクレアからレクチャーを受けたばかりである。

「ちなみに明日はエレンさん、どうするの?」

「そうね。前来た時は行けなかったし、聖王廟でも見に行こうかしら。アンタたちはどうするの?」

「私は聖王廟は興味ないかな~。町も結構歩いちゃったしな~」

「雪は冷たいから、明日はいいかも…」

 エクレアもようせいも、どうやら目的がなくなったらしい。かといって折角の休養日に部屋にこもる事を良しとするはずもない子供でもある。どうしようかとちょっとだけ考えた後、パチンと指を鳴らす。

「そだ! ようせい、武器も買った事だし、手合せしない?」

「手合せ? いいよいいよ、やろうっ!」

「槍と槍でさ。どうせ後からエレンさんも参加するでしょ?」

「聖王廟から帰って、余裕があったら参加するわよ」

「決まりっ! じゃあ、明日は先にようせいと鍛錬場に行ってるね」

「鍛錬場?」

 人間の町に疎いようせいはそう言って首を傾げる。

 それにふんぞり返って説明するのは、今日一日ですっかり説明する快感を覚えてお姉さん風を吹かすようになったエクレアだ。

「大きな町にはね、武器や術を使って鍛える場所があるんだ。町中で戦ったら迷惑がかかるでしょ? でも訓練しないと腕が鈍っちゃうし。

 だから戦えるところを決めて、そこでならいくら戦ってもいいんだよ。もちろん、他の人に迷惑をかけちゃダメだけどね」

「ふーん」

 どこかピンと来ない表情と声で返事をするようせいに、エレンは苦笑してその小さな頭をなでる。

「行ってみれば分かるわよ」

「そうよね!」

「そうそう、行ってからのお楽しみでも面白いかもっ!」

 自身の説明がまるで意味を為さなかったのに、全然堪えていないエクレアにもエレンは苦笑を漏らす。

 そこでちらりと時計を見て、ドアの方を見る。

「さあ、そろそろ夕食の時間ね。たくさん食べて、今日は早めに休みましょうか」

「さんせ~。明日も楽しみっ」

「ごっはん、ごっはん!」

 ぞろぞろと食事処へと向かう三人。

 言うまでもないが、魅力に溢れた彼女たちはその宿の夕食の一時に、華やいだ雰囲気を添えるのであった。

 

 翌日。

 エレンは聖王廟へと赴いていた。観光をしたいというのは嘘ではなかったが、目的はもう一つある。そしてそちらの方が大事な目的だった。

 聖王廟にはそれなりの人影がチラホラと見えた。

(こんなご時勢なのに旅人はいるものね)

 そう思うエレンだが、頭を振ってその考えを振り払う。こんなご時勢なのにではない、こんなご時勢だからこそだろう。四魔貴族は暴れ、ドフォーレ商会といった世界最大勢力は悪徳を為し、ピドナでは未だ王が決まらない。人々は心の拠り所にと聖王に縋るのだろう。

 それが悪いとは思わない。戦える人間が全てではないのだ。自分とて、サラの事が無ければ戦おう等とは微塵も思わなかっただろう。

 ブラブラと適当に歩きながら、エレンは聖王廟の奥へ奥へと向かう。やがて聖王廟の最奥にある開かずの扉の前に着くと、そこにいた人物に片手を上げて挨拶をする。

「ハァイ」

「…肩に力が入っていませんね。流石はフォルネウスを倒した英雄、といったところでしょうか」

「偉ぶりたくはないけどね。事実は事実だろうけど、そのうちの一人って言葉が抜けてるわよ」

 四魔貴族とは一対一で勝てる相手ではない。当然こちらは仲間を集めるし、エレンはその中の一人でしかないと、自分で自分をそう認識している。

 まあ、もっとも。独りで四魔貴族を倒せるだろう詩人(おとこ)の姿も脳裏に浮かんだのだが。少なくともあり得ないと思えるような次元の強さではないと思っている。実際はどうかは分らないが、案外あの男なら無傷でけろりと四魔貴族を打倒してしまいそうで、くすりと笑みがこぼれてしまった。

 それを厳しい顔で見るのは、エレンを待っていた聖王家の当主。彼はこの先にあるものが四魔貴族に劣らない苛烈さを含んでいると伝え聞いているのだから当然だ。

「改めて、今一度説明いたします。聖王廟とは、聖王さまの墓標だけの為に作られたのではありません。

 聖王さまは300年後に起こる死食を見越し、その際に四魔貴族が再び現れる事を予見していました。その為、自身が身に着けた聖王遺物を一ヶ所にまとめず、世界各地に分けたのです。悪意あるものや怠惰なるものにその強力な武具が統一されないように、そしてそれぞれを使いこなす勇者たちが世界を守れるように。

 そしてランスに伝わる聖王遺物は聖王家には託されませんでした。聖王家を争いに巻き込むのを避けたのか、それとも他の思惑があるのか、聖王さまの御心は分かりません。

 ランスの聖王遺物を手に入れる条件はたった二つ。一つは聖王家の承認を得ること、そしてもう一つは――聖王廟に存在する試練を突破すること」

 当主の話を聞いて、こくりと頷くエレン。

「最後の確認です。この先の試練では命の保障はできません。

 それでも、この試練を受けますか?」

「もちろん」

 エレンは一瞬の躊躇もない。それが逆に当主の虚をつき、少しだけ呆けた顔をさせた。

 それでも顔を引き締め直すと、当主は背後にある開かずの扉に手を添える。そしてそれだけで300年の間開かなかった扉が、重さがないようにあっさりと音もなく開く。

「ご武運を」

「まっかせなさい!」

 エレンが扉を潜ると、開いた時と同じように背後の扉が閉じる。音もなく、あっさりと。エクレアに声をかけなかった理由が、試練には一人ずつしか挑戦できないという点であった。

 そして目の前には地下へと続く階段。墓所の地下への階段など縁起でもない話だが、エレンに言わせればレオニード城の方がよっぽど不気味だった。気楽な足取りで、しかし油断なく階段を下っていく。

 やがて辿り着いた地の底で、剣を携えた骸骨が立っていた。肩から左右に二本ずつの腕が生えており、計四本の剣を持っている。

「豪胆な挑戦者だ」

「そうでもないわよ。最近知ったんだけどね、あたしって結構臆病かも」

「然り。恐怖なき勇は死に近づくのみよ」

「アンタに言われると説得力あるわ」

 何せ相手は骸骨、アンデッドに部類されるだろう存在である。一度死んだ身となれば、言葉に含蓄を感じるというものだ。

 くすくすと笑いながら、エレンは決して油断しない。いつ襲い掛かられてもいいように警戒を続けている。

 まあ、その心配も無さそうではあるが。相手は骸骨の姿をしているが、聖王廟の試練を受け持っているだけあって邪悪な感じは受けない。むしろ聖なるものさえ感じる。

「――さて。答えは決まっているとは思うが、一応聞く規則なのでな。

 ここが最後の選択点。引き返すというならば、今ならば許そう。この先の試練は命を落とす事も想定している。

 それでもこのつらい試練を受けるかな」

「受ける」

 一言で答え切るエレンに、骸骨が四本の剣を構える。エレンもブラックの斧を肩に担ぎ、体術も繰り出せる自然体で相対する。

「ならば名乗れ。この試練に挑む汝が名を!」

「エレン・カーソン」

「受けた、我が名はロアリングナイト。聖王廟の第一の試練を与えるものなり。

 その生命の力、試させてもらおう――」

 雪降る土地の地下深くで、誰にも知られる事ない死闘の幕が上がる。

 地上には変わる事の無い静寂が届けられたままで。

 

 一方で喧騒が大きい地上の鍛錬場。

 だったのだが、今は一種異様な静けさに満ちていた。

「……よわ」

「あははは。間抜けな顔~」

 呆れた表情のエクレアと、十数人の男が気絶させられて白目の情けない顔を見て笑い声をあげているようせい。

 鍛錬場にやってきた二人だったが。屈強な男たちが汗を流している中に、まだ幼い美少女と体格からしてその少女の半分ちょっとしかない華奢なようせいが現れたのである。

 先に来ていた男たちはエクレアたちを嘲笑し、怪我をする前に帰れという始末。そしてそれをあっさり受け流す程にエクレアは大人である訳もなく、ようせいは新しいおもちゃを見つけた喜びで瞳をキラキラと輝かせていた。

「あまり酷い怪我はさせないようにね~」

 エクレアの、現状を把握できているならば至極真っ当なこの言葉に、男たちはキレた。痛い目を見せてやるとばかりに襲い掛かって、そして見事な返り討ち。体の小さなエクレアとようせいがばったばたと屈強な男たちをなぎ倒す様は、遠目から見ていた者たちを絶句させるには十分な光景だった。

 もっとも、こんな雑魚に反応などいちいちしてられない。エクレアは準備運動は終わりと云わんばかりに、男たちをなぎ倒す為にみねを使った曲刀を仕舞ってロングスピアを引き抜く。ようせいも刃を立てたら危ないだろうと石突きで戦っていたが、くるりと槍を回転させてアーメントゥームの穂先をエクレアへと向ける。

 奇しくもというべきか。エクレアもようせいも、無邪気な笑みを浮かべて対峙していた。

「んじゃ」

「やるよ~」

 軽い声。高速の一撃。ようせいの突きがエクレアへと向かい、エクレアはロングスピアを回転させて、アーメントゥームの横から叩いて落とし、体の直線状から逸らさせる。

 回し受けと呼ばれる槍の基本技の一つである。槍の突きは面である肉体に点の一撃が高速で迫るのだから、とにかく回避がしにくい。故に編み出されたのが避けるのではなく、側面に力を加えて相手の攻撃をずらすという方法である。これが発達し、回し受けという技術にまで昇華した。

「おー」

 突きが払われたようせいは緊張感のない声をあげながら、攻撃よりも早く槍を自分の体に引き寄せる。これを見るだけでも最初に繰り出された高速の一撃は、本気でなかったと分かる。

 そしてエクレアの反撃。槍の攻撃は大まかに突くか払う。そのうちの払うを選択したエクレアは、右から思いっきりロングスピアをようせいへと叩きつけた。

 比較的容赦のない一撃を叩き込むエクレアだが、ようせいも事もなさげに両手に持ったアーメントゥームでその攻撃をなんなく受ける。受ける瞬間に槍をたわませて、衝撃を緩和する繊細さも見せた程。

「う~ん。ようせいの方が槍は上手いかな?」

「そりゃ、わたしはこれが得手だし。遅れはとってられないわよ」

「っていうか。こんだけ強いのに、なんでようせい捕まったの?」

「……武器で襲い掛かってくる人間相手に遊んでたら、遠くから術かけられて。眠っちゃった」

「……気を付けよ?」

「……うん」

 ようせい族に標準装備されているいたずら心が疼いたら、その隙を突かれたらしい。全く持って自業自得としか言いようがない。

 まあ、今は一緒に旅をしているエレンとエクレアとがいるからその危険は少なくなっていると言っていいだろう。そしてまた、雑談で一時動きを止めているが、今現在は隙を見せたら命を落とすレベルでの鍛錬の真っ最中でもある。

 キラリと目を鋭く輝かせた二人は、周りの人々の目には留まらない速度での槍の応酬を繰り広げる。

 呆気に取られる人々を置いたまま、楽しそうに致死の一撃を繰り出し続ける二人だった。

 

「やってるわね」

 どれくらい時間が経ったか。休みつつ、エクレアは曲刀や小剣を使い、ようせいも体術を使う。そんな総合力を競う戦いの最中、声がかけられた。

「あ。エレンさん」

「やっほー」

 手を止めず、視線も向けず。ひたすら武器を振るう二人にエレンは苦笑する。

「あたしが来たんだから手を止めてこっちを見なさいって。ってか、注目度凄いわよ?」

「他の人がー」

「弱すぎてー」

 舐めた口をきく小さい二人だが、今までの戦いを見せられた上に実力行使に及ぼうとした面々の末路を知っているため、周囲の人々は口出しは出来ずにいる。というか、この二人を相手に気安く声をかけるエレンを何者かと好奇の視線すら浴びせていた。

 それを理解しつつ、相手をするだけ損と思っている辺りエレンも大概見下しているが、正当な評価でもあるため仕方ないだろう。

 そして手を止めたエクレアとようせいはエレンの方を見る。そして目を丸くした。

「どしたのエレンさん、ボロボロじゃん!」

「それもそうだけど! 見た事ない兜! キラキラ、キラキラっ!」

「いや~、流石ってところだったわね。軽く死にかけたわ」

「エレンさんがっ!? ホント、何があったのっ!?」

「キラキラ、キラキラッ!!」

「ま、後で話すわ。人が多い所で話す事じゃないし、それにそろそろ日も暮れるし。

 後、それからようせい。これはあげないからね」

「…がっかり」

 話しながらエクレアは空を見上げる。夕焼けにはなっていないが、群青に近い空色が夜が近づいている事を教えてくれた。

 こんな時間まで集中して鍛錬していた事もびっくりだが、エレンも何某かに時間をかけて、更には明らかに逸品である兜を入手しているのにもびっくりだ。

 びっくりし過ぎて、お腹がぐぅ~と鳴る。少し動き過ぎたらしい。

「お腹すいた~」

「はいはい。宿に帰りましょう」

 そう言ってスタスタと歩き出すエクレアと、苦笑しながら付いていくエレン。最後に続いたようせいは鍛錬場から出る直前にくるりと振り返り、場に残っていた人々に花がほころぶような笑みを浮かべて言葉を投げかける。

「ついてくるならイタズラしちゃうぞ」

 全員が全員、ぞくりと背筋が凍ったのは言う必要はないだろう。

 

 

 




さて。
ここまでお付き合いして下さっている皆様に、もしもあれば短編小説のリクエストを一ヶ月限定で受け付けたいと思います。2018年11月22日までです。
条件は、ロマサガ3か詩人の詩の関係であること。そして受け付けはメッセージのみという点です。(絶対に感想欄にリクエストを書かないで下さい)

数が多ければ必ず書くという訳でもないですし、面白そうと思えば断片的なものでも作品として書き起こすかも知れません。もちろん、そんな脇道に逸れていないで本編を進めて欲しいという意見でもOKです。

リクエストがあれば是非、連絡をください。


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063話

 

 

 

 オーロラの道ができると聞いた山の頂上まではランスから一日しかかからない。

 しかしそれが簡単な道のりとも限らない。普段、何もない雪山など当然人の手が入っている訳ではなく、必然モンスターの巣窟になっているのだ。

 熱を操る小型のドラゴンであるブレイザー。悪魔族の中でも大きな体を持つ残虐な羅刹。弓を操り遠距離から射抜く技術をもったドビー。そんな難敵が先を目指す一行に襲い掛かる。

 本来ならば、モンスター達は普段ありつけない人肉のご馳走に歓喜する事だっただろう。不運だったのは、ここに訪れた者たちが尋常な人間に非ざる力を持っていた事だろうか。

「ギュウゥゥゥー!」

「きゃははは。まてまてまて~」

 空中にて追いかけ回すのはようせい、追われるのはブレイザー。今までになかったこの事態に、ブレイザーは激しく混乱していた。彼にとって空とは不可侵なもの。矢や術に狙われる事もなくはなかったが、雪で身軽に動けずにその場で攻撃を仕掛けてくる人間の攻撃など当たってやる義理もなく、上空から一方的に火炎を吹きかけて焼けた肉を喰らうのが今までの狩りだった。

 だったのだが、今日は何故か羽の生えた小型の人間が空を飛び、あまつさえその身長よりも長い槍を軽々と振り回してくるのだ。牙や爪もあるブレイザーだが、いくらなんでもリーチが違い過ぎる。結果、生まれてからずっと狩る側にいたはずのそのモンスターは、初めて一方的に狩られる側となって必死に空を逃げ回っていた。

「とうっ! エイミング!」

 狙いすまされた一撃がブレイザーの翼をかする。まただ、とブレイザーは忸怩たる感情をその胸に募らせる。当たらないのではない、コイツは当てていないだけなのだ。やろうと思えば即座に突き殺して命を絶てるにも関わらず、自分の命で遊んでいる。楽しんでいる。弄んでいる。

 その増長した慢心が付け入る隙だと思い知らせてやる為に、口から炎のブレスを吐き出すブレイザー。しかしそれは敵の眼前にて回転させた槍にて吹き飛ばされ、僅かな熱風がようせいの体をなでるだけだった。

「かっざぐるまー」

 楽しそうに言うその小さい敵に、ブレイザーは絶望しか感じない。こちらの攻撃は一切通じず、相手はいつでも殺せる現状。これでどのような希望を持てばいいのか。せめて逃げられればいいのだが、散々嬲られた翼は傷だらけで素早い逃走はできそうもない。

 哀れな鳴き声をあげながら必死に槍をかわすブレイザーと、笑顔でそれを追いたてるようせい。

 そしてそれを地上から見ていたエレンは嘆息する。

「趣味悪いわね、あの子…」

 空を飛べるからとブレイザーを相手取ったようせいだが、倒せる時に倒さないで楽しむというのは見ていてあまり気分のいいものじゃないと、難しい顔で考えるエレン。まあ、過程はどうあれ、長い時間をかけられない事はようせいも理解しているだろうし、もうすぐ仕留めるだろうとは思う。モンスターは人間の敵であり、いくら哀れみを誘う姿になったとはいえ見逃す選択肢はない。羅刹だったモノの近くで、思いに耽る。

 彼女の相手は首が断ち切られている羅刹だったモノ。その体はいくつかの打撲の跡が残っているとはいえ、最も大きく目立つ傷はそれだった。

 エレンと羅刹の戦いもまた一方的だった。ただようせいとは違い、エレンには一切の遊びがない。

 敵対した瞬間に敵を仕留める思考に入ったエレンはまずは格闘戦にて羅刹に挑んだ。体格に劣る人間に近接戦を挑まれた羅刹は一瞬だけ虚を衝かれたが、しかしそれでも迎撃に迷いはなかった。問題だったのは、エレンが練気拳の使い手の上に体術においても羅刹を上回っていた事。鋭い爪は躱し逸らし、羅刹の大きなリーチの内側に入り込んで自分だけが有効打を打てる態勢を整えるエレン。これには羅刹も嫌がり、距離を取ろうとしたその刹那にブラックの斧が一閃してその首を落とす結末を迎える事になった。

 誰よりも早く勝負を終わらせたエレンは氷でできた斧を手に持ち、いつでもトマホークにて援護できる状態になりながら他の戦況を眺めていた。仲間になったばかりのようせいに少しばかり注意していたが、どうやら心配するだけ損だと理解してもう一つの戦場であるエクレアの戦いを見る。比較的付き合いが長いエクレアは心配いらないと思っていたエレンだが、やはりその想像に間違いはなかったらしい。

 エクレアが相手に取ったのはドビーだが、何の問題もなく対処できていた。狙わずに撃つでたらめ矢や影ぬいといった弓技も既に見切り、両手に持ったファルシオンとシルバーフルーレを巧みに使って雪という悪い足場をズンズンと突き進むエクレア。近づかれる事を嫌がっているドビーだが、いかんせんこの獣人型モンスターは体が小さい。人間の中では小柄なエクレアに比べても体格で劣る上に、彼女は素早いためにみるみるうちに距離が縮まっていく。

 ドビーは弓を諦めて棍棒を手に取るが、エレンからすればそれこそ無茶な選択だ。エクレアを相手に、弓を得手とするのが接近戦をするなんてよほどの実力差がなければ成立するはずもなく、それが成立するならば弓で仕留められているはずである。

 つまりは詰みなのだが、かといって命を諦める訳もない。果敢に棍棒を振り上げて挑んだドビーは、ファルシオンで攻撃をパリィされた直後にシルバーフルーレのマタドールにてその眉間を貫かれて絶命する事となった。

「おっ? これ、案外いい弓じゃない? もーらい!」

 あげく、自慢であったであろう弓を敵に奪われる始末。もしも死んだドビーに感情があったのならばさぞ悔しがっただろう。アンデッドになって恨みを振りまかない事を願うばかりである。というか、その心配をするなら対処は一つだ。

「エクレア、とっとと処理しちゃいなさい」

「は~い」

 言いながらエクレアはファルシオンで死体となったドビーの首を断つ。ゴースト系のモンスターならばともかく、ゾンビ系や骸骨系のモンスターはすべからく首が弱点になっている。もっと言うのならば、脳と体が繋がっている事がアンデッドであることの成立条件なのだろう。そういう意味でアンデッドを生み出さない一番の方針は首を落とす事なのだ。

 もはや恨みを晴らすにはゴーストになるしかない状態までもっていった後、止めと言わんばかりにエクレアは太陽術を唱える。

「スターフィクサー」

 光を屈折させて一点に集め、その光熱にて体を縛りながら焼くその術は。死体となったドビーと羅刹に火を付けてジワジワと焼き滅ぼしていく。ここまでやってゴーストになってしまったら、よほど生前の恨みが強いということだろう。流石にそこまでの責任は持てない。

 やれる事は最大限にやった彼女らは、空でまだ遊んでいるようせいに声をかける。

「おーい」

「もう行くわよー」

 その声が聞こえたのか。ようせいは槍の一撃にてブレイザーの脳を貫き破壊し、ようせいなりのやり方でアンデッドになる可能性を潰す。そして、いい運動をしたといわんばかりの表情でエレンとエクレアの所へ戻ってくるのだった。

 

 数回モンスターの襲撃があったものの、かすり傷一つなく夕暮れの山頂に到達した三人は思い思いに体を休めた。

「えーと。オーロラを待てばいいんだっけ?」

 どこから取り出したのか。砂糖をたっぷり使った甘いクッキーを齧りながらエクレアが小首を傾げる。

「オーロラが見えるのは夜だよね~」

 ぱたぱた飛びながら、ゆっくり辺りを旋回するようせいが補足する。

「そうらしいわよ。

 ま、少し暖まりましょうか」

 エレンは雪上用の携帯コンロを取り出し、ナベの中に綺麗な雪をいれて携帯燃料を燃やし始める。

 雪とは溶ければ水になり、それは火を消す要因になる。故に雪国では簡易の火熾し機器を持ち歩く事も珍しくない。形としては三段の板が隙間を開けて並んでおり、下段は雪でも安定するようにやや幅が広く、中段の中央には金属製の火皿が設けられていてそこで火を熾し、その真上にある上段の穴にナベをはめ込んで水を温めるという形だ。

 やがて湯が沸いたらエレンはすぐに火を消す。雪の中での旅では、気軽に火を熾せる携帯燃料は貴重で高価なのである。無駄使いはできない。

 用意した湯で手早くお茶を淹れると、手持無沙汰の二人を呼ぶ。

「お茶、入ったわよ」

「はーい」

「飲む飲む」

 わらわらと集まるお子さま二人にカップを渡し、エレンは自分の分のカップを持つ。

 雪が積もる山頂。そこで温かい紅茶を口にしながら、彼方へと沈む夕日を見つめた。

「オーロラの道ってどんなのかな?」

「行きつく先はすぐに氷銀河なのかしら?」

「む~。空を飛んで行ける場所じゃないよね?」

 思い思いを言葉にして、あるいは答え。

 やがて日が沈み、星が輝く。月はなく、この日は新月のようで。それがさらに夜の闇を際立たせている。

 その中で空に広がる美しく輝くオーロラ。それはまるで暗闇に敷かれたカーテンのような、絨毯のような。

 星空を彩るオーロラは複雑に形を変えながら、やがて坂のように雪山の頂上に道を作る。言われなくても分かる、これがオーロラの道なのだと。

 空を飛べるようせいが真っ先にソレに足をかけて、間違いなく人が乗れるものだと確認した。

「問題ないよ」

「…じゃあ、行きましょうか」

「う~…! 楽っし~~!!!」

 真面目な場面では冷静なようせいが太鼓判を押し、エレンが方針を決定する。そしてエクレアは相変わらずの軽さで重くなりがちな空気を吹き飛ばした。

 輝く道を足に敷き、三人は黙々と星だけが輝く闇夜を昇っていく。

 

 

 

「おおっ! 人なのだっ!!」

「300年ぶりなのだな~。聖王以来なのだな~」

「こんな所まで来るなんて、さては暇人なのだな?」

 着いた先は、ゆきだるまが動き回る能天気な町だった。夜空の先に来たはずのなのだが、何故かどうしてか下には分厚い雪が敷き詰められていて歩くには問題ない。

 というかそれより。

「あ。なんかデジャビュ」

 例えば世界の果てにある陽気な島の様に。緊張感や緊迫感が皆無といった風情のゆきだるま達にエレンは軽くめまいがした。

 まあ、ここではいくらなんでも自分の土地が滅ぼされかけているという事態でもなかろうに。つまりは呑気でも問題はないのだが。

「おお~。ゆきだるまが動いてる! 喋ってるっ!! どうなってるのそれっ!?」

「? どうと言っても、こうなっているのだ」

「分かんな~い」

 そして相変わらず即座に適応するエクレアの順応力の高さよ。ゆきだるまと会話をして、ケタケタ笑っている神経の図太さには一目置く価値があるのかも知れない。

 一方、ようせいは少し青い顔でカタカタ震えていた。

「さむい、さむいの…。雪はもういいの……」

 体の大きさは、すなわち保温力に直結する。子供のように小さいようせいは体が冷えやすいのだろう。ただでさえ温かい南国出身であるからして、興奮が冷めれば雪と相性が悪い事に気が付いても不思議ではない。

 そんなようせいに苦笑しつつ、エレンはゆきだるま達に声をかける。

「ねえ、ちょっといいかしら」

「おお、なんなのだ?」

「あたしたち、氷の剣を探しに来たの。氷銀河にそれがあるって聞いたんだけど、ここは氷銀河じゃないのかしら」

 瞬間、ゆきだるま達がピタリと止まった。同時に緊迫した空気が流れる。

 それに驚いたのはエレンである。

「え…? あたし、何か変な事を聞いた?」

「お前たち…氷の剣を取りに来たのだな?」

「ここは雪の国、氷銀河ではないのだ。氷銀河はこの国を抜けた先にあるのだ」

「氷の剣は、確かに氷銀河で手に入るのだ」

 直前までの雰囲気とは違い、途端に空気が重苦しくなる。

 それにエレンは狼狽し、エクレアは疑問符を頭に浮かべる。ようせいは寒くてそれどころではないらしい。

 とりあえず話を進めなくてはと、エレンは会話を続ける。

「あたし、何か変な事を言ったかしら?」

「…。確認するが、氷の剣を手に入れる為に何が必要かなど、知っているのかな?」

「ごめんなさい、知らないわ。とりあえず氷銀河で聖王が氷の剣を手に入れたとは聞いたのだけど…何か準備が必要だった?」

 エレンの言葉にホっと安堵の空気が流れる。彼女には何がなんやら分からない。

「準備というか、案内が必要なのだよ。ゆきだるまの誰かが氷銀河を案内し、そこにある永久氷晶を手に入れ、氷銀河の中央に行かなくてはいけないのだ」

 それのどこに先程の空気が流れるのか疑問に思うエレン。

「何か問題があるの?」

「着いていくゆきだるまがいるかどうかが問題なのだ。

 我々は老いず、雪の町で暮らせばいいというだけの種族。偶然に雪が固まれば新たなゆきだるまが生まれる事もあるが、そのせいで我々は何かをするという感情に乏しいとアバロンは言っていたのだ」

「僕たちは何もせずとも生きていけるし、何もせずとも死なないのだ」

「わざわざ氷銀河に行く必要性を感じないのだ」

 口々に言う、やる気のない言葉。どうやら問題なのはゆきだるまの気質らしいと気がついたエレンは、一つ気になる言葉を拾った。

「ちょっと待って。あなた達は聖王も知ってるし、聖者アバロンも知っているの?」

「ん~。せいじゃ? 聖王やアバロンは知っているが、せいじゃとやらは知らないのだ」

「そのアバロン。聖者かどうかは置いておいて、アバロンの事を知っているの?」

「まあ、300年前にあったのだ」

「会話した事は覚えているのだ」

 詩人の秘密に繋がる可能性がある聖者アバロン。その情報をここで拾えると思わなったエレンは瞳を輝かせる。

 が、そんな彼女に水を差すようにちょんちょんと背中を指でつつかれる。何事かと振り返ったエレンだが、困った表情のエクレアと顔を真っ青にしたようせいが映り、今度はエレンの顔が青くなった。

「あ」

「気が付いてもらえてよかったよ、エレンさん。ようせい、もう限界だよ?」

「しゃ、しゃむいぃぃぃ~~」

 ガタガタと震えるようせいに、確かにこの気温は凍死してもおかしくないとようやくエレンは思い出した。

 ごほんと仕切り直し、エレンはゆきだるま達に問いかける。

「ちょっと聞きたいのだけど、どこか暖まれるところはないかしら?」

「我々はゆきだるま。(だん)は必要ないのだ」

「けれど確か、聖王が泊まった場所がそのまま残っているのだ。ひとかいう、嫌なものがある凄く居心地が悪い場所で、凄くくつろいでいたのだ」

「あ~…。悪いんだけど、そこで火を使わせて貰えないかな? そうじゃないとホントに死んじゃうから」

「なんと!? それは大変なのだ!」

「ひができる部屋は、あっちの壁を削ってできた洞窟の中にあるのだ。案内はしてやるのだが、僕たちはできるだけひに近づきたくないのだ」

「十分よ。そこまで案内して貰えるかしら」

「ひができる前ならお安い御用なのだ」

 ゆきだるまの一人(?)が歩き出し、案内を始めてくれる。

 それを見たエレンは視線でエクレアを促した。

「ちょっとあたしは話したい事があるから、エクレアはようせいと先に行ってて」

「? うん、分かった。エレンさんが聞きたい事って、聖者アバロンについて?」

「まあね。後、氷の剣を案内してくれるゆきだるまも見つけなくちゃならないしね」

 素っ気なく答えたエレンに不服そうな顔をするエクレアだが、ようせいを優先すべきと思い直したらしい。エレンに背を向けて火を熾せるだろ場所へと向かう。

 それを見送ったエレンはゆきだるま達に向き直る。

「ごめんなさい。それでアバロンについて聞きたいのだけど」

「アバロンについてか?」

「僕はあまり知らないぞ」

「僕も知らない」

「僕も」

「僕も」

「話したのはだいたい聖王とだったのだ」

「アバロンは、何というか、愛想のない奴だったのだ」

「でも礼儀正しかったのだ。挨拶をしたら丁寧に返事をしてくれたのだ」

「どこか遠くを見ているような、そんな奴だったのだ」

「生きるのに飽きているような、そんな奴だったのだ。ゆきだるまでもあんな奴はいなかったのだ」

「歌を一度だけ聞いたが、すごく寂しそうだったのだ」

「あまり他と関わりたくないような、そんな奴だったのだ」

「でも、聖王とその仲間にだけは心を開いていたのだ」

「そうだったのだ?」

「そうだったのだ」

「まあ要するに、つまらなそうな奴だったのだ」

 アバロンという人物を総括して教えてくれるゆきだるまだが、その人物像がエレンにはどうにも釈然としない。

 ランスで聖王家当主に聞いた話によれば、聖王を守りそれを害した相手を殺すような苛烈な人物だったらしいが、ここでゆきだるまに聞いたアバロンとは余り一致がしない。強いて言えば聖王に関して強い感情を持っているようだが、それだけだ。

 まあ、長い伝承や記憶の間では色々な不合理も起こるだろうとそこはエレンは置いておく事にした。問題なのは、別にある。

「それでアバロンの目的について何か知っていないかしら?」

「アバロンの目的?」

「誰か知っているのか?」

「さあ?」

「あいつに目的なんてあったのか?」

「目的を探して生きている…感じではなかった、のだ」

「けど、諦めた雰囲気があったのだ。時間がかかる、とか言っていた気もするのだ」

 エレンの目つきが鋭くなる。

「後は、少しだけとか…」

「どういう意味なのだ?」

「さあ? 分からないのだ。そもそも独り言を聞いただけなのだ。目的かどうかも分からないのだ」

「他には何か知らない? アバロンについて」

 答えるゆきだるまは、いない。

「知らないみたいなのだ」

「そもそも、僕らはアバロンとあまり話をしていないのだ」

「分かったわ、ありがとう。参考になった」

 エレンはゆきだるまから聞いたアバロン像を反芻する。

 排他的な性格だが、聖王やその仲間にだけは例外だった。加えて諦観を持って生きていた。そして時間がかかる案件を抱えていて、それを達成するまでもう少し。つまり完全まであと一歩だった。

 想像に因るが。諦観が含まれていたのならば、彼の人生の間にそれを為すのが不可能だった可能性もある。ならば己が子孫にそれを託した可能性は、ある。詩人の目的、もしくは彼が奪ったアバロンの情報にそれが含まれている可能性は高い。

 一方でそれが何なのかという具体性は一切ない。あえて言えば、もう少しという言葉。300年前にほとんどが終わり、そして足りない部分を先送りにして、それは未だに達成されていない…?

 いや、目的が達成されて安穏とアバロン一族が生き残っていた可能性はある。そして復讐の為に詩人が襲ったとも。

 やはり情報が足りない。だが、300年前から存在するゆきだるま達の実際の言葉だ。心に留めておく必要はあるだろう。

 一方でエレンの最大の目的は変わらない。それはゲートを閉じる事であり、過程で四魔貴族を撃破しなくてはならない。次の目的はアウナス、それの撃破に必要なのは氷の剣。

「アバロンの話はいいわ。ところで、氷の剣まで案内してくれる方はいないかしら」

 エレンの言葉に返るは沈黙。すなわち、消極的否定。嫌だというつもりはないが、いいというつもりも無いのだろう。

 しばらく、雪がちらつくその場所を静寂が支配する。

「ねえ」

「……」

「ねえ、誰か」

「……」

「誰か、いない?」

「……」

「いない、の?」

 

「僕がいくのだ」

 

 声があがる。

「行くのか?」

「ああ、行くのだ。ここまで必死になるのだ、興味があるのだ」

「いいのだな?」

「いいのだ」

 やがて一人(?)のゆきだるまが進み出る。

「僕が氷銀河の案内をするのだ」

「ありがとう」

 案内人が見つかった事にエレンは安堵の表情を見せた。それに安心させる声で答えるゆきだるま。

「僕が決めた事だから、別にいいのだ」

「それでもありがとう。それで、出発だけど……」

「君たちはひに当たって休まなければならないのだろう? ゆきだるまは雪の国にいる間はずっと絶好調なのだ!

 そちらが落ち着いたら声をかけてくれればいいのだよ」

「そう? 悪いわね」

 そう言ってエレンはぶるりと寒さで体を震わせる。どうやら彼女も体の芯まで冷えてしまっていたらしい。

 これは一度仕切り直さなければならないと苦笑する。

「お言葉に甘えさせていただくわ」

「僕はそこの家にいるのだ。準備ができたら声をかけて欲しいのだ」

 そう言って、そのゆきだるまは近くにある雪と氷でできたかまくらへと入っていく。そして他のゆきだるま達も三々五々に散っていく。

 話は終わったと、エレンも火があるエクレアたちが先に向かった場所へと足を進めた。

「あ、エレンさん。おかえり~」

「エクレア、待たせたわね」

 果たしてそこは木で僅かな居住場所を確保しただけの小さな洞穴だった。

 簡素な暖炉からは火が熾り、パチパチと冷えた体に優しい音を立てている。その近くでようせいが横になっていた。すーすーと小さな寝息が聞こえる。

「ようせいは? 寝てるの?」

「うん。寒さで疲れてたみたい」

 声の大きさを下げて会話するエレンとエクレア。エクレアは暖炉にかけていたナベを手に掴み、熱いお湯でお茶を淹れてエレンに差し出す。

 それを受け取ったエレンはそれを喉の奥へと流し、温かな液体を胃の中に注ぎ込んで体の中から暖を取る。

「は~。あったまるわ」

「この寒さじゃ、温かいお茶は最高だよね~。

 それでエレンさん、氷の剣を手に入れる算段はついたの?」

「ええ。悪くないわ」

 そうして先程のゆきだるまとの会話をかいつまんで伝える。

「ふ~ん、よかったじゃん。ところでアバロンの情報は?」

「ボチボチ、かしら? 決定的な情報は手に入らなかったわ」

「ふ~ん」

 ちょっと疑いある目でエレンを見るエクレア。

「なによ?」

「……」

「なによ!?」

「……率直に訊くけどさ。なんでいきなり聖者アバロンに関して、そんなにエレンさんは喰いつきがいいの? 前までそんなそぶりも見せなかったのに」

 本当に率直に訊くエクレアに一瞬言葉につまるエレン。

 だが、考えてみれば当然の疑問である。詩人についてエレンが情報を集めている事をエクレアに伝えていないのだ。疑問に思うのは当然である。

 

―俺様の言葉、忘れるな―

 

 エレンの脳裏にブラックの言葉が蘇る、信じるべき人の見分け方。エクレアは果たして、詩人と対した時にもエレンの味方をするか否かを考える。

(……それは、分からない)

 分からないが、自分に全幅の信頼を置いてくれているこの少女を騙す気にはエレンにはなれなかった。

 あるいはこれを指して言うのかも知れない、裏切られても後悔しないと。

 覚悟を決めたエレンは口を開く。

「実はね、エクレア。詩人が聖者アバロンの子孫かも知れないの」

「……へ? ええっ!? それマジ、エレンさんっ!?」

「分からないわ。聖者アバロンの子孫かも知れないし、そうじゃないかも知れない。全く関係ないかも知れないし、もしかしたら聖者アバロンの子孫を殺してその情報を奪ったのかも知れないわ」

「……。エレンさんは、詩人さんがそんな悪人だと思うの?」

「正直に言って分からないわ。あたしも詩人が悪い人じゃないと思うけど、それにしては詩人も目的も不穏だわ」

「詩人さんの目的?」

 そこからかー。と、密かにエレンは思う。

 この奔放娘はその辺りの事情も知らないでエレンや詩人と一緒にいるのだ。あまつさえフォルネウスを撃破してゲートを一つ閉じているとは、改めて思えばとんでもない話である。

 ようやくと言っていいのか。エレンは詩人が復讐を目的として動いているという話をエクレアに聞かせた。

「……詩人さんが? そんな感じしないんだけど」

「気持ちは分かるけど、これはブラックが確認を取ったわ。まず間違いないの」

「で、なんで私は今までそれを知らなかったの?」

「だってあなた、詩人から離れて密談をしようとする時には町を走り回ったり、先に寝ちゃったりしたじゃない。詩人には秘密の内容なのに、詩人がいない時に居ないんだもの」

 呆れた声のエレンに、やや気まずそうに視線を逸らすエクレア。心当たりはあるのだろう。

 というか、本質的にエクレアは意味なくエレンや詩人の旅についてきただけである。そういった裏を探る事は興味の範疇になさそうだ。

「まあ、詩人さんの目的が復讐なのは別にいいけどさー。それ、エレンさんには関係なさそうじゃん」

 エクレアに関係あるかも知れないというニュアンスは伏せる。ラザイエフは大商会であり、どこかで恨みを買っていても不思議ではないのだから。その娘であるタチアナには悪意の矛先が向いてもおかしくない。

 幸か不幸か、エレンは微妙なニュアンスに気が付かない。彼女は彼女で妹のサラが宿命の子である事実は隠さなくてはならないのだ。

「関係ないかも知れないけど、関係あるかも知れないでしょ? もしかしたらそれこそエクレアにも関係ある話かもしれないわ」

「あー、まーねー。絶対に関係ないって言い切るには詩人さんの目的を知らなくてはいけないのね」

 あはははと、空々しい笑い声をあげる女性二人。

 暖炉の傍でいつの間にか寝息を止めて薄眼を開けていたようせいに、二人は最後まで気が付かなかった。

 

 そのまま温かい飲み物を飲んで、暖炉の傍で就寝する。

 ゆっくり休んだ後に三人揃って起き出して、暖炉の火を使った温かい食事をとって調子を万全に整える一行。

「じゃあ行こうか」

「うん」

「はい」

 エレンの声に力強く答えるエクレアとようせい。そして温かな暖炉の部屋から出て、雪がちらつくゆきだるまの町へと繰り出す。

 そして約束のかまくらへ辿りつき、件のゆきだるまに話しかけた。

「準備はいいのだな?」

「ええ」

「じゃあ、氷銀河に行くのだ!」

 ゆきだるまを先頭にして、雪の町を横断する一行。

 やがてかまくらがなくなり、雪原をしばらく歩き、氷の島とその合間から見える果てしない夜の闇が見える場所に辿りつく。

「ここが氷銀河。一歩間違えて転落すれば、この世ではない場所に落ち続けるこの世の果て」

「…………」

「…………」

「…………」

「そしてここは世界に馴染めなかったモンスターが集う場所でもあるのだ。凶暴なモンスターが集う、危険地帯」

「…………」

「…………」

「…………」

 ここからでも分かる。遠くに見える、一つ目の巨人であるサイクロプス。

 それが何匹も何匹もうろついている。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………? 知らなかったのだ?」

「「「知るかーーーーっっっっ!!!!」」」

 きょとんとしたゆきだるまの言葉に、思わず叫ぶ三人。

 

 ここにきてようやく、何故ゆきだるまが氷銀河に来たくなかったのかを理解したエレンだった。

 

 

 




前回のお話、リクエスト。
色々と頂きましたが、これはと思う事がいくつかありました。

その中の一つ、メタな座談会を開催したいと思います!
タイミングとしては。間もなくエレン編が終わりますが、それに合わせてこれまでを振り返るお話を挟もうかと思いますので、もしも詩人の詩に関する質問があれば受け付けさせていただきます。もちろん詩人の正体はなに? とかいうストレートなものは見送らさせて頂きますが、ちょっとした疑問などはどしどしご応募下さい。

メッセージにて。メッセージにて! 受け付けをさせて頂きます。近いうち、活動報告にも上げた方がいいかな?
楽しみにして下さい!!



……そういうのはいいから早く先が読みたい。これが一番多かったのは内緒です。


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064話

悲報・エクレアの武器のバスタードソードをバスターソードと間違えて表記していた件。
近いうちに全部直します。

また、座談会について活動報告に書きました。ご一読して頂ければ幸いです。

では、最新話をどうぞ。


 

 

 遠目に見えたモンスターは巨人だけだったが、近づくにつれて他のモンスターの姿も見えてくる。単に巨人が大きすぎたためによく見えただけで、他にモンスターがいなかったという訳ではなかったらしい。

 ボルカノも使役していた猪モンスターのショック。凶暴なタコ型モンスターで、スミや毒ガスといった攻撃も仕掛けてくるメーベルワーゲン。玄武術を操る、妖精に類するモンスターであるスプラッシュ。どれも甘く見てはいけない敵ではあるが、最も脅威と思えるのはやはり巨人。一つ目で人の数倍もの大きさを誇るサイクロプス。

 ここでエレンたちには二つの選択肢があった。一つはサイクロプスをできる限り回避して進む代わりに、他のモンスターと戦う事を仕方ないとする考え方。もう一つはサイクロプスを打倒して、その首を掲げる事で他のモンスターへの威嚇として戦闘を回避する方法。幸い、サイクロプスはそれほど数はいないらしく、避けようと思えば避けられるだろう。しかしこの氷銀河において一番強いモンスターはサイクロプスであるらしく、この巨人を避けて通るという事は他のモンスターと行動範囲が被ってしまうという事でもあるからだ。

 どちらがいいと、明確な答えがある訳ではない。ただ、エレンたちはサイクロプスと戦うという方針を選んだ。

「トマホーク!」

疾風打ち(ウインドインパクト)!」

「サイドワインダー!」

「落雷!」

 玄武術で作り出した氷の斧が投擲される。蒼龍術で編みこまれた風の刺突が繰り出される。ドビーの弓から放たれた矢は蛇に形を変えて襲い掛かる。そして巨人の頭上に電気を集め、雷を落とす。

 サイクロプスはその巨体で氷銀河を我が物顔で闊歩しているのだ、わざわざ真正面から相手をしてやる義理はない。物陰に隠れ、その的にして下さいと云わんばかりの大きな体に奇襲をかける一行。投擲された斧は右の腿に突き刺さり、風の一撃は脇腹を打ち据える。蛇の矢は左手の甲にかぶりつき、雷は全身を感電させて体を焼く。

―それがどうした―

 そう言わんばかりにサイクロプスはダメージを感じさせない動きで、己に襲い掛かってきた愚物を一つ目で探す。攻撃方向が分かってしまえば彼女等を見つけるのはそう難しい話ではなく、すぐにエレンたちは見つかってしまった。

「ちっ。ダメージは余りないわね」

 ブラックの斧を肩に担ぎ、真正面を相手取るのはエレン。サイクロプスはとにかくデカく、大きさだけは()()フォルネウスに匹敵すると思えた。

「上等じゃん、死ぬまで痛めつけてやればいいんだよ」

 片手にファルシオン、片手にシルバーフルーレ。双剣を扱うエクレアは不敵に笑うが、この巨体を削り切るには相当な労力が必要な事は考えていない。考えるより先に攻撃する、それがエクレアのスタンスであった。

「こーんな大きい相手に、丁寧に地上からしか攻撃しないなんてないよねー」

 ドビーの弓からアーメントゥームに持ちかえたようせいは、羽を動かし空を飛んでサイクロプスの隙を伺う。地上と空中の二面作戦を取るのは確かに間違っていないが、空中を担当するのがようせいだけとは少し心許ない。とはいえ、他に空を飛べる者がいないのだから仕方がないのだが。

「ぼくは接近戦は余り得意ではないのだ。玄武術で援護するのだ」

 ゆきだるまはサイクロプスに近寄る事を選ばない。距離を取り、術での援護を選択している。他の面々が前衛で戦える事を得意とするならば悪い選択肢ではなかった。

 そうして構える一同に陣形と呼べるものはなかった。各々が自分の長所を叩きつける力で押し通る戦法。あえて呼ぶならば自由に闘う(フリーファイト)と言えるだろう。

 サイクロプスは、自分に挑む小さい四人を見て嗤う。ああ、これで今日の糧ができたと。そんなサイクロプスに真っ先に飛び込んだのは、好戦的なエクレア。

「しっ!」

 狙いはエレンのトマホークが突き刺さった右の脚。相手はとにかく大きすぎる為、一番狙いやすいのは脚になるのは自然な流れだろう。そして少しはダメージを受けただろうその部位に攻撃を集中させる事により、四肢のうち一つを破壊してしまう事が狙いだ。

 笑止。そう言わんばかりにタイミングがあった迎撃の拳を繰り出すサイクロプス。力を溜めたその一撃を繰り出されながら、エクレアは自分の攻撃をためらう素振りは全く見せない。

「はっ!」

 合間を縫うように練気を発動させ、自分の体を地面から反発させたエレンは。次の瞬間にはエクレアを追い越して、サイクロプスの拳に向かって斧を振りかざしていた。流石にこの二人のコンビネーションは年季が違う。

 この体格差で真っ向からぶつかる選択を嫌ったエレンは、拳の上からその手の甲に向かって斧を振り下ろす。狙いは肉ではなく、骨。スカルクラッシュと言われる固い物質に衝撃を与えるその技は、骨や鎧といったものに余す事無く衝撃を叩き込む。

「ウボォォォーー!」

 骨が軋む嫌な音は聞こえない。それよりも痛みに呻いたサイクロプスの咆哮の方が大きい。

 そして晒した隙を見逃す程、エクレアもようせいも甘くない。

「もらいっ!」

「痛がっている暇なんてないよっ!」

 エクレアのファルシオンが脚の肉に喰い込み、ついでと言わんばかりに親指の先をシルバーフルーレで突き刺す。ようせいが繰り出したのは二段突き。素早い二連撃はサイクロプスの両肩に突き刺さり、血を流させる。

「落雷っ!」

 動きが止まったと見るや否や、ゆきだるまが再び雷を発生させて巨体を電撃で焼く。

 第二波の攻撃も成功。サイクロプスは苦悶の声をあげる。

 そのままサイクロプスは一つ目でギロリと自分の脚を削ってくれたエクレアを睨みつけた。まるで視線で呪い殺さんばかり。

 そこに魔力が集っている事に気がついたのは、遠目で戦況を見守っていたゆきだるま。エレンとようせいはいったん距離を離す事に気を取られており、その凶悪性に気が付いていない。

「いかん! エクレア、その視線から逃れるのだっ!!」

 ゆきだるまの声にエクレアは睨みつけられただけで何があるのかと眉を顰めるが、ぞわりとした悪寒に身が震えた。

 覚えがある。ボルカノと戦った時、最後のエアスラッシュはエクレアの首を狙っていた。魔力がそこを目掛けてくるその前兆、それと全く同じものをサイクロプスの視線からも感じたのだ。

 ならばこれは睨む事を利用した術の一種か。そう判断したエクレアはサイクロプスから離れる事を選択するのではなく、とにかくその視線から逃れるようにジグザグに動き回る。だがそれだけでは視線からは逃れられない。エクレアが動くよりも目を動かす方が圧倒的に労力が少ないのだから当然だ。

 しかし視線を動かしながら魔力を込めるというのは難しいようで、魔力の集中速度が明らかに下がった。しかしそれでも稼げる時間はほんの数秒だろう。逃れえないナニカはもう間近に迫っていると直感できた。

「ダンシングリーフ!」

 その僅かな時間でエクレアは術を完成させる。魔力でできた木の葉で自分の周囲を囲い、少しでもその視界から逃れようというその狙い。

 偶然と言えば偶然。自分の魔力でできたモノで周囲を覆う事により、自分以外の魔力をより感じやすくなった。結果、サイクロプスが睨みつける事で魔力を集中するという事象を理解してしまう。

 エクレアには、視線に込められた魔力が引き絞られるように面積が小さくなり、点に近づくのが分かった。その瞬間を見計らって、体を逸らして魔力点から逃れ切る。

 結果、避けきれずに凝視されたシルバーフルーレが一瞬で石化した。これが肉体に起きていたらと思うとぞっとするエクレアだが、とりあえず武器を犠牲に致死の攻撃をしのぎ切る。

 そしてエクレアのみに集中した数秒は、他の面々にとって余りに長すぎる時間だった。

 エレンは高く飛び上がり、エクレアのみに集中したサイクロプスの、その腹に短勁を叩き込む。ゆきだるまはサンダークラップを完成させ、圧縮した水球に帯電させたものを十以上も叩きつけて打撃と電撃を同時に浴びせかける。

 そしてようせいは、狙いすましたエイミングでその一つ目を正確に突き潰した。

「ギャアアアァァァーーー!!」

 もはや永遠に見えなくなった目を庇い、ゴロゴロと転げまわるサイクロプス。

 それでも敵がまだ周囲にいる事は分かっているのだろう、やたらめったら腕を振り回して誰も近づかないように攻撃する。

 だがしかし。見えていない攻撃に今更当たるような面々ではない。

 エレンは斧を担ぎながら。エクレアは石化したシルバーフルーレを捨てて。ようせいは槍を両手で構え。当たるはずの無い攻撃を避けつつ、着実に盲目の巨人に近づいていく。

 

 サイクロプスの断末魔が響くのは、それから程なくの事。

 

 

 

 サイクロプスの首を持ち歩き、その血を滴らせる事で雑多なモンスターを寄せ付けない。自分達はサイクロプスよりも強いぞという誇示は絶大で、他のモンスターに襲われる事はなかった。まあ他のサイクロプスには襲われるだろうが、それには遭遇しないように細心の注意を払っている。

 ちなみに誰もが嫌がるサイクロプスの生首を持ち歩くという仕事を負ったのはエレンである。これも年長者の役目と達観した表情で、サイクロプスの髪を持ってその首をずりずりと引きずるのだった。

 そうして順調に進む一行。戦いが無ければ会話が弾むのは自然だろう。

「結局さー。氷銀河とか雪の国ってどういう所なの?」

 エクレアが口を開くが、当然エレンやようせいに分かる筈もない。視線はゆきだるまに向く。

「分からないのだ」

「分からないんかーい」

 思わずツッコミを入れるエクレア。しかしその顔は笑っている。別に明確な答えを期待した訳ではなく、一つの世間話として話を振ったのだろう。

 それに気が付いてか気が付かずか、ゆきだるまは言葉を続ける。

「ぼくたちゆきだるまが生まれるところ。世界から弾かれたモンスターが生息するところ。真下には虚無が広がり、落ちたらどこまでも落ち続けて決して戻れない場所。

 聖王は世界の果ての先にある場所かも知れないと言っていたのだ。あるいは聖王の世界よりも、アビスに近いのかも知れないとも言っていたのだ」

 その言葉に思わず他の面々の表情が引きつった。気が付いたらアビスでしたでは、笑い話にもならない。

「まあ、いくらなんでもアビスと一緒にされるのは心外なのだ」

「だ、だよねぇ」

「けれど、君たちの世界とは違う世界かも知れないというのには納得なのだ。聞く話によれば、雪の国とは違い、寒くない世界だとか」

「寒い場所もあるわよ。雪の国に来るのに通ったランスって町は雪が多い町よ」

「ランス! 聖王が生まれた町だと聞いたのだ!」

「わたしが生まれ育ったのはジャングルなんだけどね、そこは暑いわよ。雪なんてないからこっちに来てビックリしたわ」

「雪が全くない場所もやはりあるのか!? 300年前に聞いた話だが、やはり本当なのだな」

 しみじみというゆきだるまに名案が浮かんだと言わんばかりにエクレアが声をあげる。

「そだ! ゆきだるまも一緒に来れば?」

「いいのかっ!?」

「いや、無理でしょ」

 喜びの声をあげるゆきだるまだが、エレンが一蹴した。そして至極当然の事を語り出す。

「ゆきだるまは火に近づけないって事は、雪が溶ける温度だと生きていけないって事でしょ?

 ランスだって人が生きている以上、火は多く使ってるし。命の危険がありすぎよ」

「あ、そっか…」

「ん、心配いらないのだ。これから取りに行く永久氷晶があれば、ぼくも雪の国から出ただけで体が溶ける事はないのだ」

「……まあ、雪の国から出れるのはいいけど。あたしたちは目的があって旅をしているのだし、ゆきだるまにかかりっきりにはなれないのよ」

「そうなのだな……」

 しょんぼりとするゆきだるまだが、エレンとしてもここは譲れない。ゆきだるまは外見が外見な為、人の世界に行けば騒動になるのは目に見えている。

 その騒動を抑えるにはエレンたちと行動を共にすればいいのだが、彼女たちは四魔貴族を相手にしているのである。最後までついて来いとはエレンには言えなかった。これはもちろんエクレアにも該当する話であり、エレンはエクレアが戦う事を嫌がったら安全な場所に置いていくつもりである。今のところ、その前兆はないが。

 とはいえ、もっと先を考えればまた話は別である。

「ん~。じゃあさ、四魔貴族を倒してゲートを閉じた後ならどう?」

「倒した、後?」

「そう。それなら世界中を案内できるんじゃん」

 エクレアの言葉に、はたと考え込むエレン。

 確かに四魔貴族を倒した後の事は何も考えていない。フォルネウスを倒しただけでもあの騒ぎだった事を考えればただで済むとは思い難いのだが、今から憂鬱になる事を考えなくてもいいだろう。むしろ、世話になったこのゆきだるまと気軽に世界を巡るというのも楽しそうな話だ。

 一緒にサラを連れていってもいいかも知れない。四魔貴族さえ倒せば宿命の子の重さはかなり減る。神王教団や詩人に気をつけなければいけないかも知れないが、それにしたって一ヶ所に留まろうが旅をしようが危険度は同じである。

 未来の楽しい事を考えれば心も弾むというものだ。

「悪くないわね」

「いいのかっ!?」

「ええ、いいわよ。こっちの用事が終わったら、また雪の国まで来させて貰うわ。そしたら一緒に世界を旅しましょう」

「やりー! 決まりっ!!」

「その時はジャングルにも来てよ。妖精の村でハーブティーをご馳走するわ」

 快くゆきだるまを受け入れる話を進める一行に、全員の声が弾んでいく。ずるずるとサイクロプスの生首は引きずっている辺り、和やかとは言い難いかも知れないが。

「それでさ、ゆきだるまってみんなゆきだるまじゃん? 名前ってないの?」

「うん。ぼくたちは雪が集った時に何故か産まれる存在なのだ。名前をつけるものはいないから、みんなゆきだるまなのだ」

「じゃあ、私が名前を付けてあげるよ。ゆっきーなんてどう?」

 また安直なとエレンは苦笑いを浮かべるが、ゆきだるまは茫然とした声をあげる。

「……名前。ぼくの、なのか?」

「そう。どう? ゆっきーって気に入らない?」

「そんなことないのだ! 名前を貰ったゆきだるまは滅多にいないのだ!! 嬉しいのだ!!」

「ふふふ。じゃあこれからはゆっきーね。よろしく」

「よろしくなのだ、エクレア」

「まあ、あなたが気に入ったのならいいけど。よろしくね、ゆっきー」

「うむ。よろしくなのだ、エレン」

「ゆっきー、ね。いい名前もらったじゃない」

「嬉しいのだ。……ところでようせいには名前はないのだ?」

 疑問を投げかけるゆきだるま。確かにようせいは妖精族であり、ようせいという名前ではないだろう。

 それに、あ~と困った声をあげるようせい。

「名前、無くはないんだけどね…。妖精族にしか発音できないし理解もできない言語なのよ」

 そして何が何やら分からない単語を口にするようせい。

 エレンやエクレアはもちろん、ゆっきーにも何を言ったのか分からない。

「分かった?」

「さっぱり」

「っていうか、今のは本当になんなのだ?」

「ようせいの名前って難しいのね……」

「まあ、今のは私の名前じゃないケド」

「「「オイ」」」

 揃ってしまったツッコミの言葉にようせいはケタケタと笑う。

「まあ、今みたいな言語だから発音も難しいのよね~。妖精族は生きているなら全てと話ができるから、言葉も複雑になるのよ」

「とりあえず、ようせいの名前が分からないのは分かったわ」

 やれやれとエレンは頭を振った。

 そこで少し緊張を湛えた声でゆっきーが声をあげる。

「そろそろ最初の目的地に着くのだ」

「それって……」

「うん。永久氷晶ができる場所、そこでは番人である風花というモンスターが守っているのだ」

「そいつを倒せばいいって事?」

「まあ、そうなのだ。ただし殺してはいけないのだ」

「?」

 やがて見えてくる氷像。女の姿をしたそれは、まるで掲げるようにして何かを手の中に収めている。

 そしてその周囲を舞うように踊っている女性型モンスターが三体。あれが風花なのだろう。

「よかった。永久氷晶はちゃんとできているのだ」

「え。永久氷晶ができていない可能性ってあったの?」

「うむ。永久氷晶ができるのは長い年月が必要なのだが、どのくらいかかるかは分からないのだ。

 ああやって風花が純粋な雪の結晶を集め、それを純水でできている氷像に蓄える事によって永久氷晶になるのだ」

 言うなれば風花次第なのだろう、永久氷晶ができるのは。それでも長い年月がかかると言っていたあたり、数十年やそこらで完成するものでもないと予想される。

 そして風花を殺してはいけないというのも分かる。永久氷晶の作成者でもある風花を殺してしまったら、次の永久氷晶ができなくなってしまう。正直に言ってエレンにしてみればそんな先の事はどうでもいいのだが、ゆっきーがそう言うという事はゆきだるまにとっては大事な事なのだろう。世話になっている身としては願いは最大限叶えたいとも思う。もちろん、自分や仲間の命には代えられないが。

 余り傷つけてはいけないと、エレンは斧をしまいエクレアは曲刀の峰を向ける。ようせいは槍の石突きで構え、ゆっきーはもりっと氷の手足を生やす。

「「「……へ?」」」

 これにはエレンはもちろん、エクレアとようせいも目を丸くした。

 もう一度言おう、ゆっきーの体から妙に肉感的な氷の手足が生えた。直前まで二頭身のゆきだるまだったものがだ。

 おかげで現在のゆっきーはゆきだるまに氷の腕と脚が生えているという状態になっている。

 極めてシュールだ。

「? どうしたのだ」

「いやお前がどうした」

 これが素なのだろう。ようせいが平坦な口調で問うが、ゆっきーは何を言われているのか分からないらしい。くりんと頭の部分を傾げる事で疑問を表現する。

 何度でも言うが、ムッキムキの氷の手足が生えている為、可愛らしさはカケラもない。

 そうこうしているうちに風花がこちらに気が付き、襲い掛かってくる。この辺りはやはりモンスター、人を襲う習性が根付いているらしい。

「来るのだ。細かい話は後にして、今は戦うのだ!」

「お前が言うな」

 相変わらず平坦な声で答えるようせい。どうやらまだ調子が取り戻せていないらしい。

 そして風花に見事な走法で近づいたゆっきーは、氷の拳を顔面に叩きつける。殺すなといった本人だが、イマイチ容赦がないようだ。要は死ななければいいのだろう、死ななければ。

 いまいち釈然としないまま、他の三人も残りの風花に踊りかかる。余り強くないモンスターだったらしく、あっさりと無力化する事ができた。

「ふぅ、終わったのだ」

 そういうゆっきーにもう氷の手足が生えていない。生きている以外は普通のゆきだるまだ。

「……」

「……」

「……」

「なんなのだ?」

「「「…………」」」

「なんなのだっ!?」

「いや、さっきのお前がなんなのだ」

「ようせい、口調移ってる」

 どこか冷めた口調で言うようせいに、方向はずれていると分かりつつも一応ツッコミを入れるエレン。

 そしてそれにまたもや頭部分を傾げるゆっきー。どうやら本当に何を言われているのか分からないらしい。

「えっと…。ゆっきー、さっきの手足はなに?」

「なにって、これがゆきだるまの手足なのだ?」

 そう言って体を大きく傾けて体の下を見せるゆっきー。そこには足首から先だけだが、氷の素足がついていた。

 言っては何だが、普通にキモい。リアル過ぎるソレは、デフォルトされたゆきだるまについていていいものではないだろう。

「え。みんな、ずっと、それで移動してたの?」

「? そうなのだ。手がないとかまくらもつくれないのだ」

 驚くより先に引くエクレア。こんな彼女を見るのも珍しいだろう。

 何に騒いでいるのか分からないゆっきーは変わらず頭を傾げていたが、やがてそうしていても時間の無駄だと思ったらしい。

 話を進める為に視線を永久氷晶へと向ける。

「まあいいのだ。じゃあ、永久氷晶を取るのだ」

 そう言って、ムキッとした氷の腕で氷像に掲げられた永久氷晶を回収するゆっきー。

 それをそのまま自分の体へと突っ込む。氷の腕が生えたゆきだるまが、その腕を自分へと突き刺す。シュールだ。

「これで第一段階は終了なのだ。この場から離れたら、風花に生命の水をかけて回復させるのだ」

「……」

「……」

「……」

「だから本当になんなのだっ!?」

 戸惑いが多分に含まれたゆっきーの声が雪原に響き渡る。それを無言でしか答える事しかできない三人。

 自分たちの、この違和感はきっとゆきだるまには理解できないだろう。なんと説明すればいいのかも分からないのだ。

 

 異文化交流の難しさを体感しつつ、心のどこかでゆっきーと一緒に人間の世界を旅する事は大変そうだなぁと思うエレンとエクレアであった。

 

 

 



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065話

遅れてすいません、理由があったんです。

風邪をひいて熱が出たんです!
残業があり、休めなかったんです!
聖剣3のゆっくり動画が面白かったんです!(←ギルディ)

以上全て本当ですが、最新話も楽しんで頂けると幸いです。


 

 雪は暖かい、という言葉を聞いた事はないだろうか?

 雪とは氷の結晶でありその冷たさは当然ながら氷に準じるので、これに違和感を覚える人はきっと雪の便利さを知らないに違いない。

 雪には空気の層が多分に含まれており、断熱材としてとても優秀なのだ。そしてゆっくりと溶けるという性質も相まって、雪で囲った空間というのが熱を逃がさない。例えば雪の中で一晩過ごさなければならない場合、木で作られた小屋と雪で作られたかまくらでは快適さが全く違う。木で作られた小屋は寝袋に入っても筆舌に尽くし難い寒さに一晩中襲われるが、かまくらの中で防寒具を身につければ翌朝までぐっすりと眠れるだろう。

 その恩恵を多分に受けているのは、エレンとエクレア、ようせいである。とはいってもサイクロプスの闊歩する氷銀河において、時間をかけて雪の山を作り、その中に居住スペースを作るのは現実的ではない。仮に苦労して作ったとしても、ここに獲物がいますよとサイクロプスに教えているようなものだ。なので彼女たちが選んだ方法はビバーグ、直下に穴を掘って空間を作り、その上部分はツェルトと呼ばれる布で覆い熱をこもらせる。尻には背負い袋を安定させる木の板を敷き、体温で溶けた雪で濡れないように工夫もした。これらはエレンがユーステルムにてウォード隊に教えてもらった雪の降る場所で野宿する為の知恵である。

「穴掘ったけどさ、底が抜けて奈落の底に真っ逆さまとかならないといいよねっ」

 綺麗な笑顔で恐ろしい事を言うようせいにエクレアの顔がげんなりとする。対してすまし顔で答えるのはエレン。

「ちゃんと雪の深さは計ってるから大丈夫よ。少なくとも厚さ4メートルはあるわ」

 彼女たちが納まっている穴の深さは1メートル程で、エレンとエクレアはいわゆる体育座りといった格好で休みをとっている。ようせいはその体の小ささから羽を畳む程度で済んでいるが。

 そしてもう一人の仲間であるゆっきーはというと、熱が苦手という事で穴の外で見張り役を買って出ている。現在は永久氷晶を体に取り込んでいるので体に異常は出ないらしいのだが、

「生理的にイヤなのだ」

 だ、そうだ。まあ、ずっと生きていた中で熱とは体を害するものとして扱ってきたのならば、その嫌悪感は一朝一夕には拭えないだろう。見張り役としても体が雪でできているゆっきーは保護色…というより周囲の素材と同一であるからして、見つからないのにはもってこいである。

 もちろんそんなゆっきーをハブにする訳もなく、穴の中と外で会話は続いている。時刻は夜、であるのだが日が落ちる事はない。やや遠くなった太陽が世界を赤く染めているが、真っ暗にはならなかった。

「ねぇ、ゆっきー。ここって夜ないの?」

「聖王にも同じことを聞かれたのだ。そもそも僕たちにはよるとは何か分からないのだが…日が消えるとか? 信じられないのだ」

「私たちにとってはずっと太陽が空にある方が信じられないわよ…」

「確かアバロンが測定か何かしていて、雪の国やここ氷銀河の太陽は、沈まないとかなんとか。太陽が近づけば昼で、遠ざかれば夕方。太陽の反対方向に星や月が見える。

 白夜(びゃくや)、とかいう分類と聞いたのだ」

白夜(びゃくや)、ね…」

 エレンがオウム返しに呟きながら、お茶を啜りボソボソとした携帯食料を口にする。

 田舎娘でしかないエレンに学はなく聞いた事もない話だが、これが問題なのは知っていたのが聖王ではなく聖者アバロンだという点だろう。

 聖王家で聞いた話によれば、聖者アバロンは聖王の師であったとも聞く。武の腕も立っていたと思っていいだろう。その上で知にも優れたその人物はどのような男だったのか。

 純粋な興味と共に、彼の子孫と詩人との関わりも気になる。全く関わりのないケースもあるが、エレンの中では詩人はアバロンの系譜の者と因縁があると思っていた。アバロンの子孫その人かその強奪者かはおいておくとしても。

 その知識も受け継がれているのか、或いは奪い取ったのか。物とは違い、それらは完全に継承や強奪できるものではない。渡す側と受け取る側でどうしても齟齬がでてしまうものなのだ。

 どこまで聖者アバロンをモノにできているのか。被った聖王のかぶとに手を添えながらエレンは思いを馳せる。全て予想の範疇から外れないとは分かっていながらも、エレンは思考を止める事はできなかった。

 そんな彼女を置いて進んでいく話。

「ところでね、ところでねっ。氷の剣がある氷銀河の中央ってどんなところなのっ!?」

「僕も聞いただけの話なのだが、太陽が真上でずっと動かない場所が氷銀河の中央だと聞いたのだ。

 そしてそこはドラゴンルーラーという、竜種の王の住まいだとも聞いたのだ」

「へー、竜がいるんだ」

「えー!? 竜がいるんだっ!?」

 以前にブルードラゴンを倒した事のあるエクレアの反応は淡白であり、そうでないようせいは目を見開いている。

「大丈夫大丈夫、竜でも案外なんとかなるって」

「なる訳ないじゃん! 竜だよ竜!!」

「なるなる。前に一匹、竜を無傷で倒したし」

「……マジ?」

「マジなのだ?」

「マジマジ。ね、エレンさん?」

「……」

「エレンさん?」

「あっ、ごめん。何かしら? お茶のお代わり?」

 そう言ってナベに手を伸ばすエレンだが、全員のカップにお茶がまだ残っている事に気が付いて動きを止める。

 それを呆れた目で見るエクレア。

「そうじゃなくて! 前にブラックの洞窟でブルードラゴン、仕留めたじゃん」

「ああ、そんな事もあったわね」

「あの時は完勝したよねって話だよー。結局、攻撃なんて全然させなかったじゃん。ここにいるドラゴンルーラーとかもきっと楽勝だよね!」

 天真爛漫に言うエクレアに思わず苦笑してしまうエレン。

「あの時はウンディーネさんとブラックが居たから状況は違うわよ。それに奇襲が上手くはまって流れを捕まえたままだったのも大きいわね。

 ドラゴンルーラーとかいうのがどんな奴かは分からないけど、油断は禁物よ」

「むー。今回はようせいにゆっきーだっているじゃん。私たちだって強くなってるしさ」

「自信は持っていいけどね、過信にするなって事よ。

 ……そんな強敵がいるなら少しでも休まなくちゃね」

 そう言って話を締めくくるエレン。続いて気を遣うようにゆっきーに声をかける。

「ゆっきー。あなただけに見張りをさせて悪いわね。休みが必要だったら代わるからいつでも言って。あなただって休む権利はあるんだし」

「ありがとうなのだ。けれどもゆきだるまは暑くなければ絶好調なのだ。問題ないから休んで欲しいのだ。

 明日にはきっと氷銀河の中央に着くのだ」

「分かったわ。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」

「お休み、ゆっきー!」

「くー」

「寝るの早いねようせいっ!」

「流石に冗談よっ」

 和気あいあいとしながらもやがて会話が少なくなり、静寂が氷銀河を支配する。

 静かが過ぎるその世界で、ゆっきーはぽつりと呟く。

「明日、なのだ…」

 

 起きて。朝食を摂り。歩く。そしてやがて着く、氷銀河の中央。

 そこには竜の王者がいた。君臨していた。

 雪を溶かしこんだような白い鱗。フーフーと息を吐く口から覗く鋭い牙。全てを引き裂きそうな爪。その巨体を空に飛ばせる事ができるだろう巨大な翼。

 それらを全て無視するようなものが二つ。一つは余りに、もしかしたら人間よりも深いかもしれない理性と知性と穏やかさを湛えた両眼。そしてもう一つは他を圧倒する威圧感。敵意さえ抱いていないのに、全てを忘れて逃げ出したくなるような圧迫を感じる。

 エレンは知らずに斧を構えていた。エクレアも既にファルシオンを抜いている。ようせいが構えた槍は先端がカタカタと震えていた。全員が全員、呑まれている。この状態で勝てる訳がない。竜の一種とは聞いていたが、この威圧感からはエレンにはむしろレオニード伯を思い出させた。人とか竜とかモンスターではない、コレは強者を統べる王の器だと。

 というか。いつの間にか臨戦態勢をとってしまっている。勝ち目がないであろうコレを相手に。エレンの背中に冷たい汗が流れるが、表情には出さない。臆していると相手に知られた時点で完全に終わりだった。

 ブルードラゴンには速さと策にて主導権をとる事ができたが、この竜王はそんな次元ではない。ただ、生物としての格だけで主導権を奪われてしまっている。

『ふむ。聖王以来、300年ぶりか』

 ドラゴンルーラーが言葉を話した。

 そう、話したのだ。この竜は人語を解し、操り使う。モンスターに分類されるであろうドラゴンにおいて言葉を語るというのは稀有に過ぎ、それだけでも脅威に値した。

 つまり。ドラゴンルーラーという存在は、この巨体と威圧を誇りながら。なお技や術まで操れる可能性があるのだ。

 四魔貴族級。

 その単語がエレンの脳裏をかすめた。フォルネウスも圧倒的な体格と人に非ざる牙や尾びれを用いていた。スコールや落雷、メイルシュトロームといった術まで操った。

 そして彼女は知らない事ではあるが、ドラゴンルーラーという存在は世界に4匹存在する。また、それと同格の竜種として聖王に打倒された巨竜ドーラとその子供であるグゥエインも。これに四魔貴族とヴァンパイアであるレオニード伯を加えた辺りが()()()()()()()()()()()モンスターの脅威といえるだろう。四魔貴族級というのであれば、確かにこのドラゴンルーラーは四魔貴族級ではある。しかしそれは人間からの観点であり、最上級の中でフォルネウスとドラゴンルーラーのどちらが上かは分からない。

 エレンは唇を噛み、痛みで正気を保ちつつ後悔する。今の今までどこかに自惚れがあった。

 自分は四魔貴族のフォルネウスを倒したと。その事実と周囲の英雄を崇める声がエレンを知らぬ間に増長させた。その増長した結果がこれである。フォルネウスを相手にエレンとエクレア、ウンディーネとボストン、そしてなにより命を燃やして戦ったブラックがいて辛勝だった。今回はエレンとエクレアだけ。エクレアはいくらかの修羅場を共に潜り抜けている為に流石というべきか、未だに戦意は喪失していないがようせいはダメだ。ドラゴンルーラーの威圧に、攻撃はおろか満足に身を守れるかも怪しい。強敵を前に戦えない命を守るというのは不可能に近い。

 そしてゆっきーは戦意すら最初からもっていないように思えた。そして前に進み出ると、言葉を口にする。

「ドラゴンルーラー、住処をお邪魔する無礼をお許し願いたいのだ」

『特に用事もない故、許そう。人間が永久氷晶を携えたゆきだるまと共にここに来たという事は、氷の剣を望んできたのだろう?』

「そうなのだ」

『望むのは構わぬが、人間共の構えからしてよほど我輩を殺したいとも思えるのだが、そういった解釈で構わないのだな?』

「いや、ただ何も説明してなかっただけなのだ」

『そうか…いや、お前からは説明もしにくかろう。聖王と同じく我輩から説明してやろう』

 そこでドラゴンルーラーはゆきだるまから視線を外し。エレンとエクレア、ようせいを見る。

『人間たちよ、よく聞け。確かに氷の剣はここでお前たちが簡単に手に入れる事はできる。しかしながら、その強さは千差万別。この場に捧げられた命と血と肉体によってその強さは大きく変わるのだ。もちろん、それらが多い程に強力な氷の剣が生まれる。

 我輩がここに住まうのもそれが理由よ。我等ドラゴンルーラーは強き武具を見守る事を喜びとする。我輩、白きドラゴンルーラーは氷の剣にそれを定めただけの話よ。

 より強き氷の剣が欲しいのならば、ここで我輩が戦ってやってもよいのだが?』

 その言葉に、真っ先に反応したのはエレンだった。

「ようせい、アンタは戦いから外れなさいっ!」

「う…うん、うんっ!!」

 エレンは戦闘が可能な精神状態にないようせいに声をかけ、ようせいは頷きパタパタと羽を動かして戦闘域と思われる場所から逃れていく。

 追従するのはゆっきー。どうやら戦う気はないらしい。残るのはエレンとエクレア。

「で。エレンさんはどーするの?」

「戦うわよ、氷の剣が少しでも強くなるなら望むところ。そういうアンタは?」

「ジョーダン。何回でも言うけど、エレンさんを見捨てる訳ないし」

「……無理はしなくていいのよ?」

「くどいって。それにこんな化け物、普通に探しても見つからないじゃん。むしろラッキーでしょ、挑戦できるなんて」

 好戦的な笑みを浮かべるエクレアにエレンは苦笑しかできない。本当に、良い性格をしている。

 エレンはブラックの斧を構える。エクレアはファルシオンを構える。ドラゴンルーラーは牙を剥く。

『死ぬ覚悟は良いのだな?』

「悪いけど…」

「死ぬ気はないわねっ!」

 激戦が始まった。己の慢心から戦わなくてはいけないとしても、エレンに引く選択肢はありはしない。氷の剣を手に入れなくてはアウナスと戦う事も出来ないのだから。

 

「太陽風っ!」

 初手はエクレアの術、しかもこれはただの太陽風ではない。熱だけを高めて放射する太陽風という術に蒼龍術を絡めて、狭めた範囲に更なる熱流を巻き起こすという合成術だ。その範囲はエクレアの思うままであり、町全体をほんのりと温める事も出来れば、単一を瞬間で炭化させる事も可能である。

 今回の相手は巨体のドラゴンルーラーだから瞬時に燃やし尽くすという事はできないだろうが、相手はこの雪原に適応した訳であるからして冷気には強いだろうから、熱には弱いだろうという考えだ。

 それが正しいかどうかは分からなかったが。

『カァッ!!』

 ドラゴンルーラーは即座に対応する。冷気を口から吐き出し、襲い掛かる熱を相殺する。

 いや、相殺などと甘いレベルではない。エクレアの太陽風を侵食し、逆に凍えさせる息吹を彼女に到達させようとする。

「っ! 再生の風!!」

 攻撃が効果なしと悟ったエクレアは瞬時に守りに入った。今度は太陽術の再生光と蒼龍術のサクションの合成術。対象の気力を奪い取るサクションを周囲に撒き散らし、その回復力を再生光に上乗せする。これにより冷気の勢いは僅かに衰え、それに削られたエクレアの体力回復は上昇する。

 余談だが、これらの合成術の監修はウンディーネが行っている事を追記する。武器と術の合成はエクレアの感性によって為されてるが、術に関してはその道の第一人者であるウンディーネなくしてここまでの成長はできなかったであろう。

 これらをフォルネウスに行えずにドラゴンルーラーに行えたのにはいくつかの理由がある。

 まず最大の理由はドラゴンルーラーに殺す気がない事。戦う結果死ぬくらいは当たり前に思っているが、殺しにかかってきているフォルネウスとは違って術の詠唱を許しているのが良い証拠だ。合わせて後衛の術師を守る為にエクレアが前衛に出る必要もない事もあげられる。そしてエクレア以上の術師であるウンディーネが在籍しておらず、まずはエクレアが術で先手を打つのが悪手ではない事も重要だ。これにより、エレンよりも術の得意なエクレアがこの役目を負うのは相対的に当然だろう。

 つまりそれは。これを目晦ましにしてエレンが初手にして奇襲、最強の攻撃を仕掛ける事にも繋がるのである。

『!?』

 ドラゴンルーラーが気がついた時には遅かった。吐き出した冷気の対象が二人ではなく一人であること、相手の内一人が斧を振りかぶって頭上に飛んでいること。

「マキ割ダイナミックッ!」

 強烈な斧の裂斬がドラゴンルーラーの肩口に突き刺さり、浅くはない傷を与えていった。

 そしてドラゴンルーラーの真下、腹口に乗り込んだエレンは氷の斧を作り出し、次々に無防備な腹部に投擲していく。トマホークの連投、これをメガホークという。

『ヌルいわぁっ!!』

 ドラゴンルーラーはズグンッと全体重をかけた前脚で真下に居たエレンをふみつける。単純な体重差によるふみつけは単純だが必殺だ。ここが大地よりも柔らかい雪ではなかったら、エレンは即死だっただろう。

 幸いというべきか、大きく下にめり込むだけでエレンは死ぬ事はなかった。しかしその重量と雪の圧力によって意識が消えかける。

 そしてもう一つ忘れてはいけないのが、ここにはもう一人ドラゴンルーラーに敵対する相手がいるということだ。

「デミルーン!」

 曲刀による鋭さを最大限に生かしたその斬撃は、エレンに圧力を加え続ける前脚を深く切りつける。

 たまらず後退し、エクレアを睨みつけるドラゴンルーラーだが。睨みつけるという行為が無駄である。一瞬の隙も見逃さず、エクレアは次の攻撃に入っていた。

 それは逆風の太刀の似て非なる技。切り払いと呼び戻しを合わせた二連撃。

「龍尾返しっ!」

 エクレアは気が付いていなかったが、疾風剣と同じく剣技の一つの到達点。攻撃とほぼ同時に守りの位置まで剣を戻せるこの技は、堅牢な重装歩兵の神技と言われる程である。まあ、重すぎる装備を纏った上でこの技を繰り出せるからこそであるからして、そこまで重装備でないエクレアが使ったとしても神技と呼ばれる事はないだろうが。

 とにもかくにも攻撃と共に防御の態勢に入れたことはエクレアにとって僥倖であった。ドラゴンルーラーは斬撃に気を留めず、その鋭い爪を振り上げていたのだから。

 間に合った防御の剣を振るい、その爪撃をパリィするエクレア。一瞬遅ければ間に合わなかっただろうそれに冷や汗が頬を伝う。

 そして片方が守りに入ればもう片方が攻撃に回るのがこの二人のスタイル。集気法で最低限の体力を回復したエレンはエクレアに集中しているドラゴンルーラーの背後に回り、練気拳を発動させる。眼前の小さき者に爪をかざしていたドラゴンルーラーは思わぬ背後への吸引力に体勢を崩し、大きな隙を晒してしまう。そしてそれを見逃す二人ではない。

 何度も練習した交差する斬撃。エレンは斧を振りぬき、エクレアは曲剣で切り裂く。

「「ツインビーラッシュッ!!」」

 爪を折り、鱗を剥がす。

 苦痛の声は、ない。

『ふむ』

 ドラゴンルーラーに痛みはない。しかしそれは被害がないという事ではない。片方五爪、両脚十爪のうち一つが根本から剥がれ落ちている。単純計算で一割の攻撃力が落ちている。

 また、防御の要であるその純白の鱗も多く剥がされている。これ以上刃が喰い込めば、それは重要な臓器を痛ませて死に至らせる要因となるだろう。

 ――それがどうした。

 死ぬのが嫌ならば戦わなければいい。だがしかし、それでは(かて)は得られない。

 戦うのが怖ければ逃げればいい。だがしかし、逃げ切れる保証はない。

 結局。戦わなくてはならないのだ、勝たなくてはならないのだ。それが原初の掟。生物に刻まれた、喰わねば生きられない(さが)

 ドラゴンルーラーは獰猛な笑みを浮かべ、体全体でぶちかますグライダースパイクの態勢をとる。エレンとエクレアはそれに臆さず、迎撃の態勢をとる。体格差では合わせても不利。ならば技術にて、連携にて優位をとる。

 突進の一撃が勝つか。重ねた連携と技術が勝つか。

「そこまでなのだっ!」

 その刹那、ゆっきーが声を張り上げた。

 唐突に終わりを告げる声に、まず構えを解いたのはドラゴンルーラーだった。

『ふむ。久方振りの良き戦いにて少々我を忘れたようだ』

 反撃の機会を勝機としていたエレンとエクレアも、臨戦態勢を維持しながらも警戒は解かない。不意の一撃を受ければ終わるのは彼女たちなのだ。この程度の用心は当然と言えるだろう。

 蚊帳の外に置かれたようせいだけがその光景を見守っている。

「この場には十分に強力な氷の剣を作る素養が備わったのだ、これ以上を望むのか?」

 ゆっきーの言葉に真っ先に反応したのはドラゴンルーラー。

『説得力はないが、我輩は挑まれれば受ける。戦わぬ者に振るう爪はない』

 困惑するのはエレン。

「……無駄な血は流したくないわ。けど、これでいいの?」

「ん~。楽しかったし、もっと戦いたいけど」

「エクレア、アンタは黙ってて!」

 火に油を注ぎかねないエクレアの言葉を叩いて鎮火させるエレン。正直、どちらかが死ぬまで戦うなどとはエレンの目的から外れ過ぎている。彼女の目的はゲートを閉じる事であり、誰かの命を奪う事ではないのだ。

 それが叶う事ではないとは知らずに。

「これでいいのだ」

 ゆっきーは戦いの中心。エレンとエクレア、そしてドラゴンルーラーの間に体を進める。

「ゆっきー…?」

 エレンの言葉には答えない。ゆっきーはその場で全ての術力と、そして生命力を解放していく。

「ゆっきー!?」

―氷の剣とは最強の武器。場に残る力を吸収し、命を紡いで刃と為すのだ―

 ゆっきーの言葉はもはや残らない。その雪の体を失い、その場に集まる全てを結晶化し。ゆきだるまとしての存在を終わらせる最期の断末魔として心に響く。

 しかしてそれは、死に際の言葉としては余りにも穏やかで爽やかな口調だった。

―最低限は永久氷晶、そしてゆきだるまの命。

 合わせてこの場にある戦いの血や精神が僕を強くする。永久氷晶を合わせた氷の剣は融ける事はないのだ―

 エレンの流した血が。エクレアの放出した魔力が。ドラゴンルーラーの断たれた爪や鱗が。

 ゆっきーがいた、全てを集め白く発光するその場に集まっていく。そしてそれは一体となり、やがて一振りの剣となる。

 かつて、聖王が手にしたという最強の武器。ゆきだるまが友と認めた相手に対して、その命を代償に与える冷厳なる一振(ひとふり)

 

 

 

 

 

     氷の剣

 

 

 

 

 

 歩み進んだのは、エクレア。

 まるでそれが自然であるかのように、激戦区であったその場に残ったそれを手にする。

 同時に流れ込む情報。これは使い手と命を共にする剣であり、手にした者が死ぬまで溶ける事はない。例え砕ける事はあってもだ。

 そしてこれが聖王遺物として残らない事も理解する。聖王が死ぬと同時、その氷の剣は散ったのだろう。エクレアが死んだと同時にこの(・・)氷の剣が死ぬのと同じように。

 使い手と命運を共にする氷の剣。それが最期に言葉を遺す。

 

 ―ずっと一緒なのだ―

 

 それが氷の剣としてエクレアと全てを共にする、ゆっきーの言葉だった。

 

 

 



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066話

キリのいいところまで書いたら過去最長を更新しました。
楽しんで頂けた幸いです。


 

 ガクンとエレンの視界が下がる。目の前の光景に、足の力が抜けてしまった。

 ドラゴンルーラーと戦った場所には氷の剣。それを持つエクレアの姿。ゆっきーの姿は、ない。

 仲間を犠牲にした、氷の剣を手に入れる為に。

 その事実が深くエレンの心を蝕む。ランスや雪のない風景といった外の世界を見る事を楽しみにしていたその仲間の命を、自分の都合で奪い取った。敵ならば容赦はないが、ゆっきーと過ごした時間は短いとはいえ、れっきとした仲間だった。出会ったばかりのエレンたちの為に命を捧げてくれた。もう、この借りを返す事はできない。

「大丈夫だよ」

 エレンの顔に深い絶望を感じ取ったエクレアが柔らかく声をかける。

 この優しい姉貴分が傷ついていることは、エクレアにはよく分かった。そういう人だからこそ、エクレアはエレンを信じているのだ。

 今は普段とは違い、エクレアがエレンを気遣うという状況になっていた。

「ゆっきーは死んでない。私には分かるんだ、この剣でゆっきーは生きていて、世界を感じているって」

「けどっ…!」

「ゆっきーは私とずっと一緒。そりゃ、ゆきだるまとして永遠の命を無くしちゃったし、自分で歩く事も物を持つ事もできない。

 その代わりに氷の剣として私と世界を見て回れる」

「けどっ! あたしは、あたしの為に、あたしの所為でっ……!!」

「…それでも、選択したのはゆっきーだよ。こうなる事を願ったのはエレンさんでも、それを実行したのはゆっきー。ゆっきーは、ゆっきーがやりたい事をやったんだよ。

 エレンさんが責任を感じる事なんて、ない」

『というか、いい加減に我輩の住処から出ていけ』

 爪や鱗が剥がされたドラゴンルーラーが億劫そうに言う。

『氷の剣は手に入れたのだからここにはもう用はないだろう?

 いつまでも我輩の住処で話し込むな、邪魔だ』

「あ、そうだよね。お邪魔しました」

 ペコリと頭を下げるエクレア。

 そして歩き出した彼女の後をノロノロと着いていくエレンと、何とも言えないようせいがその場を去っていく。

 居なくなった人間たちを確認してから、その場に寝そべるドラゴンルーラー。

『ふん、人間とは相変わらず不器用なものよ。聖王の時から変わらぬな』

 300年前に訪れた人間たちを思い出しながらドラゴンルーラーは物思いにふける。

 ゆきだるまを犠牲にしてしまった事に悲痛な声を上げた聖王。

 氷の剣を手にして、その命を共鳴させた事で死んでいないと心の中で折り合いをつけたようだが、その実感があるのはその使い手だけだ。聖王と同じく悲痛な声をあげていたあの娘が、立ち直れるかは分からない。ドラゴンルーラーが知った事でもないが。

『だがしかし――』

 300年前を思い出す。ついさっきを思い出す。

『――似ているな、聖王に』

 

 ドラゴンルーラーとの戦いではようせいが戦える精神状態ではなかったが、今度はエレンが戦える精神状態ではなかった。動きは鈍く、精彩は欠くばかり。こんな状況で戦わせられる訳もなく、必然エクレアとようせいが相手取る事になる。

 サイクロプスの生首は血をだいたい流し終わり、その肉も凍り付きかけている。多少は雑魚モンスターを払える効果もあるが、今までとは違い完全にとはいかない。

 今もタコ型モンスターであるメーベルワーゲンを相手にしている。

「ふっ!」

 エクレアは槍で胴を突き刺す。大剣で足を叩き潰す。剣でスミを払いのける。小剣でマタドールを返し刺す。

 それらの攻撃を一つの武器で行っていた。手に入れた氷の剣。幾つもの効果を持つその伝説の武器は、一つの特徴に型を持たないという事があった。担い手が思った事を汲み取り、その形を自在に変える。遠い間合いでは射程の長い槍になり、相手が接近すればガントレットにさえ形を変えて打撃の威力を増加させる。変幻自在のそれは多才なエクレアと実に相性がよかった。材質が氷である為に弓としては張力がなく使えないが、そうでないならば武器にも盾にさえなるのが氷の剣というものだった。

 その具合を確かめるように戦うエクレア。これだけでも十分に優秀過ぎる武器といえるが、利点はこれに留まらない。

 少なくなった足でエクレアを殴打するメーベルワーゲンだが、それは盾の形にした氷の剣で耐え凌ぐ。そしてお返しと言わんばかりに、接触した氷の剣から冷気が蛸足を侵し、凍り付かせた。触れた相手に冷気のカウンターを与える追加効果。

 もちろんこれらの便利が過ぎる効果が何の代償もなく使える訳がない。武器の形態変化にも、冷気による追撃にも術力が必要となっている。それはエクレアの術力でもまかなえるのだが、普段は彼女の術力を使う事はない。改めて言うが、ゆっきーは本質的に生きているのだ。だから氷の剣に姿が変わったとはいえ、その術力を使う事ができる、それは消費されるものだが、時間が経てば回復するものでもある。正にエクレアとゆっきーは一心同体といっていい。

 そんなエクレアがそこらのモンスターに苦戦する訳もなく、性能を確かめたらあっさりと敵を倒してしまう。

「すごいねー」

 まるで手を出す余地がなかったようせいが呆れ半分で言う。それににっこりと笑うエクレア。

 そしてゆっきーが教えてくれる情報を元に、だだっ広い雪原で向かう先を明確に定めた。

「雪の町はこっちだね。モンスターは私一人で大丈夫だから、ようせいはエレンさんをお願い」

「うん、分かったわ」

 精気が抜けたように佇まうエレンを、横目で心配そうに見る二人。

 エクレアもようせいも、彼女に助けられた事がある。守るべき者を守る為に戦うエレンは、凛々しく雄々しく美しかった。しかし今は見る影もなく憔悴しきってしまっている。

 自分の都合で仲間の命を犠牲にしてしまった。その罪悪感は、想像できないくらいの心の傷をエレンに与えてしまった。

 それが逆にエクレアの心を強くした。今は自分がエレンを守らなければならない。テキパキと指示を出し、戦いでは果敢に自分が前に出て、心配なエレンはようせいに守らせる。

 そう、エクレアはやればできる子なのだ。いつもは詩人やエレンが全部やってくれるから、普段はやらないだけで。

 人間とは楽な環境に居続けてはいけないという見本のようだった。

 

 

 エレンの記憶は途切れ途切れだった。ブラックが死んだ時も衝撃は大きかったが、今回はそれに輪をかけて酷い。歩く事さえ億劫だったが、ようせいに手を引かれて雪を踏みしめる。

 雪の町に着く。ゆきだるまたちと何かを話した気もするが、内容は覚えていない。

 やがてできたオーロラの道を下って元の山頂に戻る。行きでは幻想的なその光景に心に新鮮な感動が生まれた気がするが、今はどうとも思えない。

 一日の時間をかけてランスまで戻る。道中、何度かモンスターに襲われた気がするが傷一つない。不思議と思う事もなかった。

 そしてエクレアがとった宿で、ベッドに倒れ込んだ。エクレアはヨハンネスの所に話をしに行くとか言ってる気もするが、ぼんやりと他人事のようにしか聞こえない。

「エレンさんも少し休んだら、町を散歩したらどうかな? 久しぶりの町だし、美味しいものを食べてもいいんじゃないかな?」

「ん……」

 心配そうに言うエクレアにも生返事しか返せない。後ろ髪を引かれるようにエクレアは去っていき、部屋にはエレンとようせいが残される。

 お茶とお菓子を口に運ぶようせいと、横になってボーと天井を見るエレン。

 しばらく時間が経ち、エレンはおもむろに立ち上がった。

「大丈夫?」

「……ん」

 ようせいが心配そうに声をかけてくるが、まともに返事をする気力もわかない。とにかく、今はできるだけ人と関わりたくなかった。心に触れたくなかった。

 心配してくれているのは分かっているが、エクレアやようせいさえ鬱陶しい。

「散歩、してくるわね。独りになりたいの」

 そう言うだけ言って部屋を出る。

 宿を出ると、ぶるりと寒さで体が震える。これも生きてこそだと思うと同時、ゆっきーが失ってしまったものだと思えば心は沈むばかり。

 当てもなく、ふらふらとランスを歩くエレン。

「エレン!」

 どの位時間が経ったか。分からないが、唐突に自分の名前を呼ばれて顔を上げる。

 そこには詩人とユリアンとモニカと、他数人。何故彼らが一緒に居るのか、他の人間は誰なのか。そんな事はどうでもよかった。

 詩人は、エレンの顔を見て表情を緩めた。

 知っていたのだ。詩人は、この男は。氷の剣を手に入れる為にゆきだるまの命が必要な事も、その為にエレンが苦しむだろう事も。

 それを分かった上で、表情を緩めた。良かったと思いやがったのだ、コイツは。

 虚しい心に、激しい怒りと冷たい悲しみが同時に爆発する。エレンは自分を抑える事が出来ずに、詩人に駆け寄り、そして。

 

 思いっきり、その顔に拳を叩きつけた。

 

 その拳を甘んじて受けた詩人はのけぞり、たたらを踏む。そして口から血と共に唾を吐き出してから聞く。

「氷の剣、ちゃんと手に入れたんだろ?」

 淡々とした言葉に、何故かエレンの心は怒りより悲しみが勝った。それが何に対する悲しみなのかさえ分からなかったけれども。

「しじん……。

 あんた……知ってたんでしょ?」

「ああ。知っていた」

 誤魔化しもせず、謝りもせず、詩人は事実だけを口にする。

 分かっているのだ、頭では。アウナスを相手にするには氷の剣が必要で、その為にはゆきだるまの命を捧げなくてはならなかった。

 けれどもそれを淡々とこなすこの男は…余りに悲し過ぎる。

 いっそ詩人が冷血な悪漢だった方が良かった、そういう種類の敵だと割り切れたから。しかし、詩人は今まで自分を助けてくれた。鍛えてくれた。優しくしてくれた。

 悪い人間ではないと思ってしまっているから――エレンには感情を振り落とす場所がなく、ギリィと歯を食いしばる。

「――殴られる事も、甘んじて受ける。いくら罵倒してくれても構わない」

「っ!」

 だけど後悔はない。言外に告げられた意味に言葉を失う。

 そうだ。エレンのように情に流され、ゆっきーの命を大事にしてしまえば氷の剣は手に入らず、アウナスも倒せない。そうなればサラがより危険になる、優先順位は決まっている。だけれどもそれは、エレンに決定する事のできない選択だった。その代わりを詩人が背負い、自分を悪者にして楽になれとそう言っている。

 そこまで分かって詩人に当たる事など、できる訳がない。やり場のない感情に震える事しかエレンにはできない。

 しんしんと降る雪の中、詩人とエレンと、困惑した数人がしばらく立ち尽くす。

 やがて場を動かしたのは詩人だった。

「…いつまでもここで突っ立っていても仕方ないだろう。こっちはファルスから運んだ荷を渡さなくてはならないから、続きは宿でだ。

 ユリアン、悪いがエレンと一緒に先に行って、宿をとってくれないか?」

「あ、ああ。構わない」

 今まで見た事がない程、憔悴していた幼馴染に呆けていたユリアンだが、詩人に指示を出されて正気に戻る。

 ユリアンが、そして彼に促されたモニカと一緒に詩人たちから離れてエレンに寄り添う。

「行こう」

「……うん」

「あの、エレンさま。何があったのかは知らないですけど、元気を出して下さいね」

「ありがと、モニカさま」

 力なく笑うエレンに、心配そうな表情を更に強めるモニカ。だが事情も知らない彼女ではこれ以上慰める事もできない。

 そのまま雪降る町を歩く三人。宿に着き、ユリアンが部屋を取る。

「二部屋でいいよな。いつも通り、男部屋と女部屋」

「エレンさまはどうしているのですか?」

「あたしはあたしの仲間と部屋を取っているわ。気にしないで」

 手続きをするユリアンをボーと見るエレン。それが終わり、ユリアンとモニカはそれぞれの部屋に向かう。話は全員が集ってからの方がいいだろうと、ひとまず詩人たちを待つ事になった。エレンも自分の部屋に戻る。

 がちゃりとドアを開けたら、ようせいとエクレアがお茶を飲んでいた。エクレアも戻っていたらしい。

「あ、エレンさん。お帰り」

「お帰り~」

「ただいま、二人とも」

 変わらず力なく笑うエレンだが、それを見てエクレアはにっこりと笑う。

「よかった、エレンさんも少しは元気になったみたいだね」

「え?」

「散歩に行く前までは笑う元気もなかったじゃん」

 そう言われてふと気がついた。力がない笑みとはいえ、表情を動かす事は出来ているという事に。

 詩人をブン殴って、少しは元気が出たらしい。そう思って出た笑みは、さっきよりも活力がある笑みだった。

「なにかあったのー?」

「まあね、詩人と会ったわ。

 人も多かったし、後で話のすり合わせをするわよ」

「詩人?」

「他の人もいたの?」

「ええ。

 ようせいは詩人も知らなかったわね。エクレアも他の人は全然知らないだろうし、あたしも見た事がない人が多かったわ。

 まっ、後でまとめて自己紹介して貰いましょう」

 そういってエレンは用意されていたポットから自分のカップにお茶を注いで口に運ぶ。

 随分ぶりに味を感じたような気がして、今までよほど自分がダメだったのだと自覚し、苦笑せざるを得なかった。

 

 

 

 一行は随分と大所帯になっていた。

 三つとった部屋のうち、一つにはエレンとエクレアとようせいが。一つには詩人とユリアンとシャールが。一つにはモニカとリンとミューズが。それぞれいる。合わせて九人にもなるのだから情報のすり合わせも大変だ。

 ひとまず男部屋に全員が集り、簡単な自己紹介と各々の事情の説明をする事になった。その為にエレンはエクレアとようせいを連れ立ってその部屋に入る。どうやら彼女たちが最後だったらしく、もう他の全員が集ってお茶の用意をしていた。

「ひっ!?」

 瞬間、漏れ出た恐怖の声。聞こえたのは背後から。思わず振り返ったエレンは、ようせいが目を見開いて一点を凝視しているのを見た。

 いったい何があるのか。視線を辿れば、そこには驚いた表情の詩人がいた。

「妖精族? 何故ここにいる?」

「あ、あのっ! その、こちらの方々に助けていただきました!」

 聞いた事のないようせいの委縮した敬語に思わずエレンとエクレアが顔を見合わせる。

 視線を集めた詩人は難しい顔をしていたが。話は進めないと、とは思っているらしい。

「まずは席についてくれ。それに、そんなにかしこまらなくていい」

「そんなっ! 妖精王さまにそんな御無礼をっ!」

「お前、今凄い余計な事を言ったからな?」

 とんでもない爆弾発言に、全員が全員詩人に視線を注いでいる。

 詩人はバツが悪そうな顔をしているが、それと一緒にどこか諦めた雰囲気を出していた。

「まずは席に着こうか。逃げはしないから、ゆっくり話そう」

 そう言った詩人に従い、全員が席に着く。とはいえ、用意されたテーブルはそこまで大きくなく、テーブルに面した場所に座れるのは六人までが限界だった。従者の立場であるユリアンとシャールが主君の背後に立ち、ようせいはエレンが膝の上に座らせる。

「まずは妖精王発言についてだが……」

「びっくりしました。詩人さんが人間じゃなかったなんて」

「いや、人間だから」

 リンがそういうのに被せて、詩人は諦めて持っていた弓を取り出す。

「妖精王はコレだ」

「え?」

「これは聖王遺物、妖精の弓。300年前に妖精王がその権能全てを譲渡したという弓で、この持ち主は妖精族の王として扱われる」

 聖王遺物を知らないリン、それを知っていたようせい、そしてその可能性を考えていたエレンに大きな驚きはなかったが、他の面々はそうもいかずに驚きで目を開かせた。代表してシャールが口を開く。

「あなたも聖王遺物を持っていたのかっ!?」

「まあな。だが、この場ではそこまで珍しい物でもないだろ。シャールも銀の手を身に着けているし、エレンのかぶとは聖王のかぶとだ。それにエクレアも氷の剣を入手した」

 淡々と言う詩人だが、これは結構凄い事である。各国が国宝のように扱っている聖王遺物が今現在、この場に四つも集まっているのだから。

 特に目を丸くしたのはユリアン。詩人はまあ彼の強さを思えば納得できないでもないし、シャールが銀の手を持っている経緯も知っている。だが、自分の幼馴染であるエレンが四魔貴族を撃破しただけではなく聖王遺物まで持っているとは。

「エレン、お前聖王遺物を持っていたのか?」

「ん、まあね。ランスに伝わる聖王遺物だけど、聖王廟の試練を突破して手に入れたわ。聖王家に確認をとって貰ってもいいわよ」

 簡単に言うエレン。聖王家に確認をとれと言われても、ユリアンは聖王家に伝手などない。どうやって確認をとればいいのか。

 まあ、取る気もなければ取る意味もないが。

「とりあえず自己紹介と、これまでの話とこれからの話をしようか」

 詩人がそう言う。各々、それなりの事情を抱えた者が多い割に、面識は少ない。

 複雑な話し合いは長い時間に及び、日はすっかり暮れてしまうのだった。

 

 一通りの話が終わった時、ほとんどが難しい顔をして黙り込んでいた。そうでないのはリンとようせいくらいである。

 彼女たちの話は相手に衝撃を与えるものではあったが、聖王が打ち立てたこの文明に来たばかりという事もあって、話を聞いただけで自分が困ったり驚いたりする事はなかった。

 そのようせいの話を聞いて難しい顔をしているのは詩人である。

「ようせい…その男は、確かに魔王の盾を使うボルカノという男だったんだな?」

「は、はい…。自分ではそう言っていました」

 びくびくしながら言うようせいに詩人は考え込む。

 ボルカノは殺した筈だ、他ならぬ詩人が剣まで抜いて仕留め損なうなどある訳がない。しかし現実としてボルカノは生きてジャングルを荒らしている。

 これは放置できない問題だ、あらゆる意味で。本当にそのボルカノはあの(・・)ボルカノなのか確認をとる必要がある。ウンディーネに魔王の盾の確認をしてもいいかも知れないし、他にも打てる手があるならば最大限に打つべきだろう。

 考え込む詩人。それと同じく難しい顔をするエレン、ユリアンとモニカ。それを見て困った顔をするエクレア。

 ユリアンとモニカの目的は名を上げ、影響力を増やす事。その為に四魔貴族を倒し、最高の栄誉を得る事を目的とする。

「…エレン」

「ダメ」

 縋る様にユリアンが言うが、エレンはその言葉を即座に切って捨てる。

 先程からこの調子だ。フォルネウスを倒した実績がある、幼馴染のエレンにユリアンが気軽に声をかけたが、返事はダメの一点張り。何がダメなのか、どうしてダメなのか。それをエレンはほとんど口にしない。

「あんたが来たって死ぬだけ。名誉が欲しいなら別の方法があるでしょ? 他を当たってよ」

「他もあるが、それでも四魔貴族を倒すっていう名誉は最上級だ! だから頼む、エレン!」

「イヤ」

 必死になって頼み込むユリアンだが、エレンの固い声は変わらない。

 悲しそうに顔を歪めるユリアンと、無表情のエレン。それを困惑しながらも困った顔で見るエクレアとモニカ。

 その余りの頑なな態度に驚いたのはエクレアである。エレンがここまで意地になっているのだから。現状、手が足りているとは言い難い。助けてくれるというならば願ったり叶ったりだろうに、その助太刀をエレンは拒み続けているのだから。

 進まないその話を聞きながら、ボソボソと話すのはシャールで聞くのはミューズ。内緒話という訳でもなく、他にも内容が聞こえている。

「フルブライト商会がドフォーレ商会にケンカを売った形になります」

「それで、どうなるの?」

「恐らくは戦争になるでしょう。それも世界を巻き込んだ大戦争に」

 シャールの言葉に思わず目を見開くエレンとエクレア。

「ちょっと、シャールさん?」

「どういう事なのっ!?」

 自覚がなかったのかと、シャールは哀れみさえこもった目で原因となった女性二人を見て説明する。

「細かい経緯は省くが、フルブライトとドフォーレは本質的に仲が悪いんだ。それでも表面上は今まで仲良くしていた。世界規模の戦いをフルブライトが嫌ったという事もあるし、ドフォーレも成り上がったばかりで足元が安定していなかったという理由もある。

 だが、今回の件でフルブライトが擁する四魔貴族を倒した英雄がドフォーレの暗部を暴いてしまった。これを黙って見ているドフォーレではないだろうし、看過してしまえばなめられてしまう。そうなれば戦争を仕掛けるしかないが、フルブライトもこれを回避してしまえば大きく削られてしまう。

 降りれない勝負に乗った以上、行きつくところまで行くしかないんだ」

 世界大戦の引き金を引いてしまったと言われた二人は顔を青くして、恐る恐る詩人の顔を見る。

 その視線に気がついた詩人は、淡々と容赦なく告げた。

「シャールの見立ては間違っていないだろうな」

「そんな…」

 顔を歪めるエレン。

「とにかく、今は最新の情報が必要だ。なりふり構ってはいられない」

「だが、ランスは情報網が発達しているとは言えないだろう。急いでファルスにでも向かうのか?」

 詩人の言葉にシャールが問い掛けるが、彼は静かに首を振る。

「それじゃあ遅い。そもそも、ファルスが味方であるかも分からない」

「じゃあ、どうするんですか?」

「レオニードに話を聞こう」

 その言葉が分からなかったのは、ようせいとリンだけ。他は多かれ少なかれ、直接であれ間接であれ。かのヴァンパイア伯の事は知っている。

「レオニード伯爵が話をしてくれますか?」

「まあ、あいつとは個人的な知り合いだからな。そこは問題ないさ」

「ポドールイまで行くと時間的なロスも多いと思うわよ?」

「呼び出す。ここはランスだから、ポドールイに近い。何とかなるだろう。

 本当は借りは作りたくないんだが――背に腹は代えられない」

 ため息をつきつつ、詩人は弓を持って立ち上がる。

 そして一同を見ながら声をかけた。

「これからすぐにレオニードと話をする。来たい奴は来てもいいし、来なくてもいい。

 鈴、ようせい。お前たちはリスクが分からないだろうから来ない方がいい」

「分かりました」

「わ、分かりましたですっ!」

「さて、他の奴はどうする?」

 リンとようせいの返事を聞いた詩人は他を見回す。

 一瞬だけ間が空いたが、それでも即座にといえる速度で返事をしたのはシャールだった。

「私とミューズさまは遠慮しておこう、危険が高すぎる。それでいいでしょうか、ミューズさま」

「シャールがそう判断したならば、私はそれを信じます」

 シャールとミューズは不参加らしい。相手がヴァンパイア伯という事と、ミューズの美しさを考えればまあ妥当だろうと詩人は頷く。

 次に声を出したのはエレン。

「あたしは…行くよ。レオニード伯爵にどうしても聞きたい事があるんだ」

「エレンさんが行くなら私も行くよー」

 決意の表情をしたエレンと相変わらず軽いエクレア。

 エクレアはともかく、エレンの固い決意に少し表情を引きつらせつつ、詩人は個人の意見を尊重する。

 そして最後に残ったのはモニカとユリアン。

「…行きましょう、ユリアン。少ない可能性とはいえ、レオニード伯の協力を仰げるかも知れません」

「そう言うのであれば。全力で御守りします」

 まあ、レオニードはヴァンパイアというモンスターであるからして間違ってはいないのだが。一度お世話になった身だろうに、警戒心を解かないのは感心すればいいのか呆れればいいのか。詩人はとりあえず気にしない事にしておいた。それを無表情で見るエレンと、そんなエレンを心配そうに見るエクレア。

 詩人はそんな四人を引き連れ、宿を出る。そして向かうのは町外れ。

「どこに行くのですか」

「人目のない所に。一応、レオニードはモンスターだしな。あまり大っぴらにランスの中に入れない方がいい」

「どうやってレオニード伯を呼び出すんだ?」

「それは…まあ、見れば分かる」

 そんな話をしつつ、人気のない町外れの雑木林に辿りつく。そこで詩人は弓を取り出し、矢を番えた。それと同時に太陽術を矢に込める。

 弓を引き絞り、天に向かって矢を放つ。

 そしてそれは高く高く空へと上がると、炸裂して夜空に閃光のような光を輝かせるのだった。

 それが合図だったのは明白で、誰も余計な事は言わない。しばらくの間、沈黙がその場に横たわる。

 やがて。

「珍しいな、お前が私を呼び出すとは」

 現れる。何百年をも生き続ける怪物、聖王に認められた伯爵であるレオニードが。いつの間にか、闇夜に紛れた木々の間にそのヴァンパイアはゆらりと立っていた。

 初めて彼の者を見たエクレアは臨戦態勢を取り、そうでない三人も表情を強張らせる。そこまでの不吉な気配をこの男は纏っている。

 それに全く意を返さないのはやはり詩人。飄々とした声をレオニードにかける。

「突然呼び出してすまないな」

「構わんさ。お前が私を呼び出すとはよっぽどの事なのだろう」

 気安く声をかける詩人に、ゆったりとした笑みを浮かべるレオニード。

 相変わらずの光景に違和感を感じる三人と、それを初見とするエクレアは驚いた顔をする。

 そんな一同の顔を見るレオニードだが、エクレアを見た瞬間に固まる。

「娘」

「へ? 私?」

「…、…。それは、氷の剣か。なるほど、次はアウナスという訳だな」

 フォルネウスを倒したという事はレオニードにはお見通しなのだろう。聖王を知るレオニードには持っている武器を見ただけでおおよそを察したらしい。氷の剣を手に入れてから間もないというのに、この男の情報収集能力はズバ抜けているといえるだろう。まあ、それが生かせる機会はほとんどないが。

 しかし詩人が彼を呼び出したのは、まさにその情報収集能力を当てにしてである。

「少し聞きたい事がある」

「だろうな。で、何だ?」

「ジャングルで暴れている、ボルカノという男についてだ」

 ふむと、少しだけ記憶を漁るレオニード。

「覚えがなくもない。比較的最近、南方のジャングルで暴れだした朱鳥術を扱うボルカノという男がいたな」

「そいつ、特別な装備をしていないか?」

「知っているのか。ボルカノという男、魔王の盾を携えているな。おかげで強力な術を使い、随分と暴れているようだ」

 レオニードのお墨付きという事はやはりあの(・・)ボルカノであろう可能性がより高まった。詩人の表情は強張っていく。

 そんな見慣れない詩人を面白そうに見ながら、レオニードは言葉を続ける。

「それだけか?」

「いや、ついでにフルブライトとドフォーレの戦いについても話を聞かせてくれても助かる」

「いいだろう」

 そう言って現状を語るレオニード。どこの勢力がどちらの商会についたのか、あるいは中立や静観を保っているのか。

 知りたい事を聞いていく中で、ロアーヌが静観を決めたという事にピクリと耳を動かすモニカとユリアン。場合によってはここで戦功をあげる事が出来れば、ロアーヌに一目置かれるだろう。その情報が手に入っただけでも収穫だ。

 話を聞く詩人だが、それも終わる。

「こんな所か」

「ああ、随分助かった。ありがとう」

「構わないさ、また私の城に寄ってくればそれでいい。昔話を肴に飲もうではないか」

 そう言って話を切り上げるレオニードは背を向ける。

「待って下さいっ!」

 それに声をかけるのはエレン。レオニードの動きは止まり、ユリアンやモニカ、エクレアはぎょっとしてエレンを見た。詩人は少しだけ体を強張らせるが、とりあえず成り行きに任せるようだった。

 レオニードは振り返る。能面のような顔で、無機質な声を出してエレンの方を向く。

「何かな」

「聞きたい事があります」

 エレンの声は固い。レオニードが人に制御できない怪物である事は分かっている。だが、もう彼に聞くしかないのだ。

 強い覚悟を持ったエレン。レオニードはやや不快そうに顔を歪めるが、そのかぶとを見て諦めてため息をつく。

「聖王のかぶとに免じて、今宵だけは目を瞑ろう。

 で、何を聞きたい?」

「…………」

 躊躇うエレン。ゆったりと待つレオニード。静かに見守る詩人。固唾を飲んでいる三人。

 やがてエレンが口を開いた相手はレオニードではなかった。

「詩人、いい?」

「ああ。黙って見守ってやる」

 何を聞きたいのか分からないが、レオニードに物を尋ねる危険は承知の上だろう。それを理解した上ならば何も言う事はないと、詩人は返事をした。

 エレンは自分の行動が正しいのかどうか、悩んでいた。ブラックはレオニードに関わるなと言っていた、所詮はモンスターであり信じるに値しないと。

 しかし、もう彼に聞くしかない。

「レオニード伯、あたしはどうしても聞きたい事があります」

「うむ、面白い。嘘は言わない事を約束しよう」

「――詩人は、妖精の弓をどうやって手に入れたのですか? どうして詩人は色々な事を知り過ぎているのですか?」

 その言葉に一番驚いたのはもちろん詩人である。まさか自分の事を、自分の目の前で聞かれるとは思わなった。

「ちょ、おま――」

「黙って見守っていると言ったのはお前だぞ、詩人」

 楽しそうに言うレオニードに、言葉につまる詩人。確かに詩人はそう言った。だがまずい、レオニードはマズイのだ。彼は詩人の秘密をクリティカルに知っている。そしてレオニードが面白そうな表情をしている事もマズい。彼は刺激に飢えた生活をしている為に、享楽の為に危険を冒す場合がある事を詩人は知っている。

 まさかレオニードが致命的な事を言うとは思えないが、それでも不安は募るというもの。下手を言ってしまった詩人は唇を噛んでその場を見守るしかない。

「しかし、さて。嘘は言わぬと約束したが、全てを語ると約束はしていないな。詩人が様々な事をどうして知っているか、それを全て語っていては日が昇るまで語ってもまだ時間は足りぬ」

「……」

「だが、詩人がどうやって妖精の弓を手に入れたのかは簡単だ。ただ単に譲って貰っただけなのだからな」

「誰に?」

「奴の妻に」

 

 

 

 間

 

 

 

「「「「妻っ!!??」」」」

 詩人とレオニード以外の全員が驚きの声を上げた。それを面白そうに見るレオニード。

 そんなレオニードをジト目で見る詩人。

「おい。俺はアイツと結婚はしていないぞ」

「子まで儲けておいて、その言い分は通用しないだろう。少なくとも相手はお前の妻だと思っていたようだが?」

 どうやら詩人は子供までいるらしい。

 その事実に何故か驚いてしまうユリアンとモニカ。エレンは頭が真っ白になって何も考えられない。

 エクレアだけが詩人に問いかける。

「詩人さん、結婚してたんだっ!? っていうか、子供いたんだ!?」

「関係ない。もう、どちらも死んでいる」

 上がった興奮が瞬時に冷める。それは、あまりに重い言葉。

 こんな世の中だ。人が、女が、子供が死ぬのは不思議ではないだろう。しかしそれを淡々という詩人にかける言葉はない。

 ただ一人、レオニードだけを除いて。

「全く、だから傍にいてやれと言ったのに。お前の目的を邪魔する訳ではないが、必要のない意地を張るから後悔するんだ」

「うるさい。俺は後悔はしていない」

「そうだな。悔いが残ると前もって分かっていたのだから、後悔では確かにない」

「ぐっ…」

「彼女はお前の目的を否定する訳ではなかったが、お前が傍にいなくて寂しそうだったぞ」

 人の生き死にの話にしては随分と軽い話し方だ。だがまあ、この二人に限れば違和感はない。

 そんな中、エレンは絞り出すようにレオニードに聞く。

「どんな、女性だったの…?」

「故人であり、他人の妻であるからコメントは差し控えさせて貰おう。詳しくは詩人に聞け」

「言うか」

 間髪入れずに詩人が突っ込む。それらを面白そうに見るレオニード。

「追加して言っておこうか。詩人が聖王の事に詳しいのは、その妻が原因であるとは言っておこう」

「……じゃあ、詩人が聖者アバロンの子孫から、復讐の為に妖精の弓や情報を強奪したなんて事は」

「ない」

「っていうかエレン、お前そんな事考えていたのか」

 断言するレオニード。ジト目でエレンを見る詩人。

 それらに関わらず、エレンはへなへなとその場に崩れ落ちてしまう。

 そして万感の思いを込めて、言葉を呟いた。

「――ああ、良かった」

 そんな声を聞いてしまえば、詩人はもう何も言えない。きっとエレンは独りでその不安と戦っていたのだろう、詩人が悪人であって自分たちや世界を害するのではないかと。

 心外と言えば心外だが、自分が怪しい自覚がある詩人としては強く責めるのも憚れる話である。眉をハの字にしながら、それでも詩人は言う。

「…いつか、言おう」

「え?」

「俺の秘密を。約束する」

 言い切る詩人。それを楽しそうに見るのはレオニード。

「くくく、詩人がここまで言うとはな。面白いものが見れた。

 エレン・カーソンだったか。お前も気に入った、何かあれば私のところまで来るといいだろう。今日の礼として客としてもてなしてやる」

 そう言い残すと、レオニードは闇夜に消える。

 おそらくは詩人以外、誰もそれを認識できなかっただろう早業だった。

 そしてそこに取り残される五人。話は終わり、聞きたい事は聞けた。だがしかし、忸怩たる想いが心に沸き起こるのが一人。ユリアンである。

(なんで)

 なんで、エレンだけがこうも認められるのだろうか。四魔貴族を倒し、聖王遺物を手に入れ、そしてレオニード伯に認められる。

 自分だって頑張っている。モニカを護衛し、人の悪意から守り、またミューズを助けて旅をしているのにも自分が含まれているという自負がある。

 だがしかし、そんな自分をエレンはあっさり超えていく。そしてそんな自分をエレンは認めてくれない。更にそんな自分の功績にエレンは頓着しない。

 

 なんで。

 なんで。

 なんで。

 どうして。

 どうして。

 どうして。

 

 心にとめどなく湧き上がってくる黒い感情を、止める術をユリアンは持てなかった。

 

 

 




この話で外伝・エレン編はお終いです。
座談会を挟み、次章であるアウナス編へと移っていきます。

座談会の質問はまだまだ受け付けています。直球ド真ん中でければ受けますし、別に質問が採用されなかったとしてもペナルティはありませんので、是非ともメッセージにて連絡をください。



あ、詩人の妻はゲーム中に名前が登場したキャラではありません。少なくとも私は確認していないです。


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詩の外
067話 茶話会


今回はメタな茶話会となります。
基本的に本編と関わり合いはなく、妙なネタバレがあったりします。

どうかご承知の上、お読みください。


 

 どこかにある、どこにもない部屋。そこで三人の男女が座ってもう一人を待っていた。

「……遅いわね」

 ぼんやりと呟くのはエレン。それに退屈そうな顔で頷くユリアンと、したり顔のままのモニカ。彼女たちはここに訪れるはずのもう一人の少女を待っていた。

 と、そこでようやく扉が開いてその少女が現れる。

「やー。お待たせっ!」

「遅いぞ、タチアナ」

 軽い口調と足取りのタチアナを嗜めるユリアン。

「ごめんごめん。詩人の詩の作者と結構話し込んじゃってさ」

「作者って117(いちいちなな)?」

「そうそう。色んな設定とか聞いたし、ついでにお土産も貰ったしね~」

 そういって席にかけるタチアナは、持っていたお菓子の箱をテーブルに置いて見せる。

「じゃじゃ~ん! ほら、エクレアを貰ったよ!!」

「……あんた、それに違和感はない?」

 呆れたエレンの言葉に、きょとんと首を傾げるタチアナだった。

 

 

・茶話会について

 

 

「では、茶話会を始めましょう」

 言いながら、モニカはそれぞれにお茶を配る。タチアナはお土産のエクレアを配る。

「ちなみにこの茶話会は、いわゆるメタな茶話会になってるよー。私たち四人は詩人の詩の登場人物でもありながら、ロマンシングサガ3についての知識があって、更に詩人の詩も読んでいるものだと思ってくれればいいかな」

「だからここではエクレアじゃなくてタチアナ呼びになってるんだ」

「もちろんこの話だけだけどね」

 タチアナにユリアン、エレンが補足していく。

 その間にお茶とお菓子が配り終わられる。

「その性質上、セリフが極端に多くなる事をご了承ください」

「だべってお茶飲んでお菓子食べるだけだからねー。地の文になるような行動は少ないよー」

 真っ先にエクレアにかぶりつきながらタチアナが言う。

「そもそも、なんでこんなメタな企画が立ったの?」

「1周年が経つし、何かやりたかったって聞いたよ。で、募集した中にあったから、これを選んだんだって」

「ちなみに他の案は?」

「メタな座談会やあの人は今何をしている?みたいなのが一票。もしもブラックが生きていたらの話が一票。続きが読みたいが二票」

「……計、四通でしたのね」

「来ただけいいじゃない。0だったら作者、泣いてたわよ」

 音を立てずに上品にお茶を飲むモニカと、粗雑にカップを口に運ぶエレン。

 そんな対照的な二人を見ながら、ユリアンが口を開く。

「で、なんでこんな茶話会になったんだ?」

「最多得票が続きが読みたいだったからねー、一話で区切れる方が良かったんだって。ブラック生存ルートのイフは話が長くなりそうだったし。

 それで作者も色々と語りたい事があったから茶話会にしたんだって」

「座談会から茶話会に代わってるのは?」

「さあ?」

 クルッポーと、そこで鳩が飛び込んでくる。

「ハト?」

「伝書鳩だって。作者が何か言いたい事やツッコミたい事があったら寄越すらしいよ」

 言いながら伝書鳩の脚に括りつけられた手紙を取るタチアナ。

『エクレアにエクレアを持たせるネタがやりたかったから』

「…………」

「…………」

「…………」

「…………あそ」

 ゴホンと咳払いをして仕切り直す。

「で、茶話会なのはいいけどなんでこのメンツ?」

「タグに載ってるキャラを集めたんだってさ」

 テーブルの上に置いてあったクッキーをサクサク齧りながらいうタチアナ。そのこぼれたクッキー屑を鳩はつつくと、どこと知れぬ場所へと飛び立っていった。

「あー。確かにあたしたち四人だけタグに載ってるわね」

「と言いますか、なんで詩人さんがタグにいないのでしょうか? あの方が主人公ですよね?」

「一応、私たちはロマサガ3のキャラだけど、詩人さんはオリキャラだからだって。ロマサガ3の詩人を見に来てアレじゃあ詐欺じゃない? って事らしいよ」

「あたしたちも十分オリキャラ染みてるけどね……」

「ま、一応原作成分があるからセーフって事で。っていうか、オリ要素のないものは二次創作じゃなくてパクリに近いじゃん?」

「この話はその辺りにしようか。なんか、方向が危なくなってきた」

 

 

・詩人の詩について

 

 

「はーい。ここで作者から渡された連載前の基本設定があります」

 言いながら紙を広げるタチアナ。

『・詩人最強。得意武器剣

 ・仲間は入れ替わり立ち替わり

 ・町長はツヴァイクにて公開処刑(モニカを生贄にしようとする)

 ・ずっと一緒なのだ』

 四行で終わっていた。

「え? これだけ?」

「少なすぎないか?」

「私は最初期からキドラントで生贄にされる事が決まっていましたのね……」

「んー。ほんとはもうちょいあるみたいなんだけどねー。詩人さんの基本設定だったりするからそっちは未公開だって。

 後は先々のネタバレ部分も隠すと、これだけ」

「……よくこんなスッカスカの内容で一年近く連載できたわね」

「作者も驚いてたよー」

「作者が驚くとか、幸先が不安で仕方がないな……」

「まあ、実際は書いているうちに内容がまとまっていく部分もあったみたいだし」

「例えば?」

「例えば最初はエレンさんが主人公ポジションじゃなかったり」

 その言葉にキョトンとするエレン。

「え。あたし、最初は主人公ポジションじゃなかったの?」

「そうだって。当初の予定だったら、詩人さんが世界各地を旅して、現地の協力者を募って鍛えながらイベントを消化して、そのキャラで四魔貴族を倒すみたいなのを想像していたみたい。四魔貴族の撃破に被りはほとんど構想になかったって言ってたよ」

「なのに、あたしとタチアナはもうレギュラーよね?」

「まーね。エレンさんが主人公ポジションになった時にエレンさんは四魔貴族全員倒す事がほとんど確定して、私も野盗イベントでたまたま都合がいいキャラだったから登場させたけど、書いてて楽しいからレギュラーになれたんだって。魔王殿で言われた武芸の天才とかは、旅に着いてこさせる為にとっさにつけた設定らしいし」

「代わりに俺とかの出番が減ったんだな…」

「でもキドラントイベントはモニカさんで確定してたらしいから、私が登場する前にはもう外伝としてユリアン編を書く事は決めてたんだって。

 っていうか、ユリアンさんやモニカさんはまだましな方だし。もっと出番があったはずの他の主人公たちはほとんどカットされてるじゃん」

 あー。と、全員で声を出す。

 ミカエル、ハリード、トーマス、カタリナ、サラ。確かに出番は少ない。

「お兄様やカタリナの印象は強いですけど、登場頻度は低いですわね」

「っていうか、フルブライトに負けてるわね」

「俺の外伝でちょいちょい出てるのも、必死に絡ませようとした結果だったんだな」

「カタリナはマクシムスイベントで出るだろうけど、他はどうなのかしら?」

「ミカエル様はビューネイで絡むよなぁ」

「サラは宿命の子だし……」

「ハリードさんとトムが不遇かなぁ」

 

 くるっぽー

 

「あ、鳩がきた」

「どれどれ」

『カタリナが一番優遇される予定。

 シナリオ的にはハリードが、登場回数的にはトーマスが不遇の予定です』

「まあ、カタリナが優遇されるのですわね」

「え? けど、どうやって?」

「あ、それなら作者が隠していたネタバレ箱から幾つかメモを持って(パクって)きたから、それに書いてあったよ」

 

 くるっぽー

 

『ちょ、おま』

「えーとね。アビスに乗り込む原作キャラはエレンさんと私と少年は決定として、次点で最有力候補なのがカタリナさんなんだって。

 ゲームで仲間にならないキャラだから、最後まで連れていったら面白そうとかいうのが理由らしいよ」

「確かにカタリナさんはゲームじゃ仲間にならない唯一のキャラだしね」

「ゲームでの不遇度は、サラや少年に匹敵してるよな」

「それでいて主人公の中では素早さがダントツですものね。確かに一度仲間で使いたいキャラですわ」

「そういう願望もあるから、カタリナさんは最終的な仲間に入る確率がかなり高いよー」

「逆にハリードさんやトムはなんで不遇なんだ?」

「単に作者が使わないキャラなんだって。

 ハリードさんはがめつさと曲刀固定が、トーマスさんは中途半端過ぎるステータスが嫌いみたい」

「……まあ、仕方ない、のか?」

「描くのは楽しさの優先順位はかなり高いしねぇ」

「ハリードさまは動画でも主人公としてほとんど見ませんわ」

「ミカエルさまもね。生命の杖だけ剥ぎ取られてポイがほとんどだわ」

「……その辺りが三次元視点からすると不遇なキャラなんだろうか」

 

 

・四魔貴族編について

 

 

「実質の本編ですわね」

「っていうか、言う事あるか?」

「まあ、作者的に言いたい事はそれなりにあるみたいだよ。

 例えば、フォルネウス編のコンセプトは対立だったとか」

「対立?」

「うん。エレンさんを主人公に、各々のキャラクターの立ち位置で安定させず、それでも強大な敵であるフォルネウスに対立していくっていう。

 敵の敵は味方っていう形でまとめてみたんだって」

 ほうっと熱いお茶を飲みながらタチアナが口に出す。

「言われてみればフォルネウスに敵対する理由が同じ仲間っていなかったわよね」

「エレンさまがサラさまの為で、タチアナさまがエレンさまや詩人さんに着いてきたから。ウンディーネさまは名誉の為で、ブラックさまは負けを返す為。詩人さんは宿命の子を探す為で、ボストンさんはバンガートに乗るついで。確かに誰も一致はしていませんね」

「それでいてフォルネウスを倒すという目的で一致している辺り、やっぱり四魔貴族は人類の敵なんだな」

「それだけじゃなくて、味方の中でも対立は起きてるよー。分かりやすいところだとブラックと詩人さんとかはお互いに反目してたよね。

 それにフォルネウスを倒さなくちゃいけないエレンさんと比べて、ウンディーネさんは最後までどうしようか悩んでたし」

「ボストンの適当さも、ブラックの命を懸けてフォルネウスを倒すっていう結果を見ればズレがあるよな」

「そうそう。結局なんか奇跡的に結束できたけど、実はそれはフォルネウスっていう敵がいたからに他ならないんだよねー」

「フォルネウスが討伐された途端にパーティーが解散されましたものね……」

「ブラックも解散してそうな勢いだったよね。まあ、ブラックは最初から死ぬ予定だったらしいけど」

 顔を歪めて嫌そうに言うタチアナ。ちょっと驚くエレン。

「え。そうなの?」

「うん。感想返しで言ったかも知れないけど、ブラックはハーマンの名前をフルブライトさんが出した時点でフォルネウス戦で死亡する事を決めてたんだって。

 その時は玄武術を使っていたと思い込んでいたからクイックタイムで全盛期の力を取り戻すつもりだったそうなんだけど、まあ龍神降臨でも代用効くからアレでもいいかなって思って、作品の形に落ち着いたらしいよー」

「あー。まあ、味方は誰も死なないと思っていたらインパクトはあったよな」

「その点、エレンさまやエクレアさん、カタリナは死なないと言っていますが、それはいいのでしょうか?」

 

 くるっぽー

 

『アビス突入までは死なないですが、真・四魔貴族戦やラストバトルでどうなるかは保障しません』

「…………相変わらず不安煽るわね、作者」

「まあ、サラさんや少年が最後のアビスゲートに登場することはほとんど確定してるし、メインキャラ化してる私たちが死なないって決まってるのはまあ納得がいくような」

「でも、予定だから、分からないっちゃ分からないんだよな……」

「そうだね。特にユリアンさんとかモニカさんは実力不足でアウナスに挑もうとしている辺り、本当に分からないよねー」

「…………」

「…………」

 ゴホンと咳払いをして場の空気を変えるエレン。

「じゃあそろそろアウナス編の話に移りましょう。次はアウナス編で確定なんでしたっけ?」

「それは確実らしいよー。アウナス編のコンセプトは混迷とかなんとか」

「混迷?」

 新しいクッキーに手を伸ばしながらタチアナは頷く。

「うん。フォルネウス編は四魔貴族を倒す理由がある仲間を集めて、お互いにそれなりの反目がありながらも目標はブレないって空気を出したかったみたい。

 対してアウナス編は人数は十分に揃っている中で、主義主張が合わずに人間同士で反目し合うっていうのがコンセプトとか」

「まあ。いきなり俺の参戦をエレンが渋ってるしな」

「…………」

「そもそも、フルブライト商会とドフォーレ商会の、人間同士の戦争から開始ですわよね」

「これ、どうするのよ?」

「まあ、それを含めた混迷具合が前半って事らしいよ。人間の汚さや醜さも少しずつ書いていけたらなって作者も言ってた」

「……それ、ロマサガか?」

「まあ、そういう意味でも、他の要素でもアウナス編は一番オリジナル色が強いとも言ってたかな。裏を返せば一番ロマサガっぽくないかも」

「ここまで読んでいただいた方には心配ないかも知れませんが、少しだけ覚悟が必要かもしれないという訳ですわね」

「本当はユリアン外伝のロアーヌの日々でそれを出したかったらしいんだけどねー。誰得だよって理由でボツになって、あの短さに落ち着いたらしいよ」

 

 くるっぽー

 

 鳩がくる。

 クッキー屑をついばみ、そのまま去っていく。

「……今のはなに?」

「さー?」

「……通りすがり、でしょうか」

「無駄に尺を取らないでくれないっ!?」

 

 

・詩人について

 

 

「来たな」

「来ましたね」

「ある意味の本題、詩の最大の謎人物である詩人について」

「そもそも詩人さんって詩で唯一の作者公認のオリキャラなんだよねー」

「でも、復讐する相手はともかく、その原因となったキャラは原作に登場するんだよね?」

「その他に分かっている情報としては、前の話に出て来たばかりですが、詩人さんは奥様がいてお子さまもいるとか。最ももう死んでらっしゃるそうですが……」

「嫁さんは原作に名前が出てないキャラとか? でも名前が出てないキャラっていう事は、逆に言えば名前が出てないだけで登場、若しくは話に上がった事はあるって事だよな」

「それについて、詩人さんに関する色々な人のアンケートを集めたよー」

 ドサドサと手紙が入った箱をひっくり返すタチアナ。

 それを開けながら中身を読んでいく。

 

『ユーステルム在中 ウォード隊隊長 ウォード

 

 あいつは底知れず強く、そしてぶれない目的を持っていると感じたね。

 敵に容赦することはないだろうが、エレン嬢ちゃんに対する態度を見る限りじゃあ血も涙もないって訳じゃなさそうだ。

 ま、全部が終わったらユーステルムで気楽に過ごしてくれて構わないさ。

 

 

 ロアーヌ在中 侯爵 ミカエル・アウスバッハ・フォン・ロアーヌ

 

 詩人? ああ、そういった奴もいたな。

 現状、ロアーヌに害がないから放置でいいと思っている。

 

 

 ピドナ在中 レオナルド武器工房所属 ノーラ

 

 昔っからお世話になっているし、今だって色々な素材を卸してくれるし、武器防具の開発にもアイディアをくれる。

 少なくともうちにとって悪い奴じゃないさ。

 聖王の槍を取り戻す手伝いもしてくれる事になったしね。

 

 

 ピドナ在中 トーマスカンパニー関係者 少年

 

 誰?

 

 

 ご臨終 ブラック海賊団頭目 ブラック

 

 どうにも性が合わない奴だったな。強い事は強かったが、出し惜しみしているというか、自分の目的以外を見ない奴…って印象かな。四魔貴族なんておまけに過ぎねぇっていうか。

 それでも俺が死ぬ時には割り切れない顔をしていた辺り、情がない訳じゃあないと思うぜ。まあ、情よりも目的を優先しそうではあったがな。

 奴と関わるなら精々気を付けるんだな。

 

 

 元王族 ロアーヌ在中 ハリード

 

 本編では明かしてないが、奴は滅亡する前のナジュ王国に立ち寄っていやがった。俺は遠目で見ただけだったが、なんか気に喰わなかったね。

 集めた情報ではそのまま東に向かったそうだが、あの先には世界の果てがあるだけだ。

 いったい何が目的なのかさっぱり分からん上に、強さだけは十分以上ときていやがる。要注意だな。

 

 

 東の果てを超えた先から来訪 ムング族族長の娘 (ツィー)(リン)

 

 あのお方がムング族に来てからもう10年程になりますか。見た事も聞いた事もない遥か西の話に心が躍ったものです。

 それから族長の娘ということで私には特に目をかけていただいて、体術や弓術の手解きをしてくれました。

 名前は詩人とだけ言っていましたが、老師に挨拶した時に少しだけ盗み聞いてしまいました。名乗れない名前で、アーロンとかおっしゃっていましたね』

 

 

 集められた手紙を回し読みしながら感想を話す。

「想像はできたけど、詩人の謎に迫るものはないわね」

「怪しいと思っている人は何人かいるみたいですけど、悪人って感じている人はいないみたいですわ」

「っていうか、リンのこれは明らかにアバロンの聞き間違いだよな?」

「じゃあやっぱり詩人はアバロンの系譜って事?」

「……レオニード伯が言った事を踏まえると、どちらかというと嫁さんがアバロンの系譜っぽいよなぁ。妻から妖精の弓を贈られたっていうし」

「じゃあレオニード伯が詩人に気を使って嘘をついたとか?」

「ヴァンパイア伯が嘘をつかない事を約束した上で、あからさまな嘘をつくとは思えませんけど……」

 うーんと三人で頭を傾げるが、彼らとは違う所が気になったのはタチアナ。

「ってかさ。私、気になったんだけど、詩人さんって歳幾つよ?」

「え? まあ直接は聞いてないけど、結構若々しいし30はいってないんじゃない?」

「そうか? 俺はあの強さになるまでには最低ハリードさんくらいは必要だと思うぞ。35くらいか?」

「……なるほど、そこは大事ですわね」

 タチアナの問いにそのまま答えるシノンの二人だが、モニカは彼女が何を言いたいのかを察したようだ。

 神妙な顔で頷きながらタチアナが言葉を続ける。

「死食が起きてすぐに宿命の子を探し始めたのなら、15年前にはもう復讐を決意してたって事でしょ? じゃあ詩人さんの『事件』はその前に起きていたって事になるし、奥さんが死んだのもその前じゃん? その前に事件って何かあったっけ?

 んで、最低15年前にレオニードさんと面識を作れたって事は、マジであの人幾つなの?」

「……いちおう、俺が言った35なら筋は通らないか?

 20年前に15歳で成人してから、裏切られて仲間が殺される事件が起きて、愛する人を見つけて、それでも復讐を選んだ。この間5年なら矛盾はないだろ?」

「で。その奥さんをレオニードさんが知ってる?」

「……あれ?」

「確かに何かおかしいですわね……」

「詩人さんが謎めいている一つに、昔の事はもちろんだけど時系列もあやふやな事があるんだよねー。

 なーんかここが解決できればあっさり分かりそうな気もするんだけどなー」

 もやもやしたままのタチアナ。納得がいかない顔をした全員。

 話は切り上げざるを得なかった。

 

 

・これまでと、これからと

 

 

「そもそも、なんでロマサガ作品を書こうと思ったのでしょう?」

「色々書きたい原作はあったらしけど、まあ一番筆が乗りそうだからって言ってたよー」

「書きたい原作って?」

「ロマサガ2、ロマサガ3、FF5、FF6、ドラクエ5、聖剣3、進撃の巨人、FGO。ざっと思いついた辺りでこんぐらい」

「マジで色々だな……」

「そしてゲームは古いのばっかり……」

 

 くるっぽー

 

『二次創作にしやすい名作ゲームはあの時代のスクウェア・エニックスが最盛期だと作者は信じています』

「まあ、約一年書いてもらってあたしたちには嬉しい限りだけど。それに続けて書いてもらえそうだし」

「あ、それなんだけどねー。できれば他の二次か、もしくはオリジナルにも手を出したいんだって」

「本当ですか?」

「それ、詩の創作にも支障が出ないか?」

「そこは気を付けるって。最近動画にもはまってきて、ロマサガ動画もそうだけど聖剣3も面白いの多いから、特に創作意欲がわいてきてるのは聖剣3とか。

 3年前に3話くらい書き溜めた奴があるし、それを元に書き出してもいいかって言ってたよ」

 

 くるっぽー

 

『聖剣3のゆっくり動画で、女子3人を主人公にして聖剣3という作品が素敵です。

 女子3人をそれぞれ主人公にして、並列して同時にゲームクリアを目指していくというコンセプトなのですが、聖剣3で見逃しがちなシーン差分をほとんど拾って貰えるのがありがたい。裏技や呪文・アイテムの効果説明も分かりやすく、ゆっくりの話も面白い。何より聖剣3と、そのキャラに愛がある。興味があれば是非見て欲しい!

 一つ注意ですが、女子3人のみで構成されたデータはないのでご注意を』

「……作者が、ステマしてるんだけど」

「あー。広告していいですか? って聞いたらOKが出たから容赦なくしてるねー」

「パート22と23のあのコメント、作者さまでしたのね……」

「聖剣3の二次を作って、そこでも広告しそうな勢いだな」

 

 くるっぽー

 

『とにかく、次回からはアウナス編。今までとはまた少し作風を変えますが、ご愛読いただければ幸いです』

「ん、ここまでね。それじゃあねー」

「じゃねー。これからも私たちをよろしくー」

「頑張っていくからよろしくな!」

「では皆さま、次の詩までごきげんよう」

 

 

 



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アウナス編
068話 西部戦争


今日で連載から一年が経ちました。

総文字数 563889文字
UA 72045
お気に入り 764件
感想数 178件
総合評価 1906

お付き合い頂いている皆様に、感謝を。
夏は不調な時もありましたが、平均して5~6日に一度の更新ができているのも、いつも拙作を呼んで下さったり、感想を書いて下さる皆様のおかげです。スランプから脱出できつつあるようで、嬉しく思います。

では、最新話をどうぞご覧ください。


 

 

 レオニード伯から情報を仕入れた一行は、ランスの宿へ戻り再び話し合いを始める。もうすっかり夜も更けているが、むしろここからが本番だ。これまでの話は過去や現在の情報をすり合わせただけであり、これからする話は先を決める事になる。

 各々に思惑はあれど、大きく共通する目的は三つ。フルブライトとドフォーレの戦争、アウナスの討伐、そして聖王遺物を強奪するマクシムスへの対処。

 その中でまず、ようせい以外が関わり合う、もしくは関わり合いたいのは戦争の話だった。

「……あたしたちが軽率だったから」

「……ごめんなさい」

 しゅんと項垂れるエレンとエクレア。自分達が大勢の人を巻き込む戦争を起こしてしまったという自覚が出たからの行動だったが、意外というかそれに厳しい視線を向ける者はいない。

 シャールは少し難しい顔をしつつも、穏やかな口調で話しかける。

「確かに省みる点は幾つかあるだろうが、君たちがそこまで責任を感じる必要はないだろう。フルブライトとドフォーレの仲の悪さはその筋では有名だ。何かの拍子に戦争が起きても不思議ではない。

 それにドフォーレが人間をエサにモンスターを飼育していたなど、外道と言わざるを得ん。その被害者を助ける為に動いたとなれば、むしろ当然だ。そのような人間と行動を共にできて、騎士としては誇らしく思う」

「強大な相手だからと悪事を見て見ぬふりをしなかったのですから、素晴らしいと思いますわ」

 ミューズもシャールに続いて二人の行動を褒め称えた。

 そして一番彼女たちの行動を責められないのはようせいだろう。何せ、まさにドフォーレに喧嘩を売って助けられた張本人なのだから。

「むしろあなたたちを責める人がいたら、私はどうなってもいいのかって話になるわよ。怒らないし、怒らせないわ」

「戦争とは起きる時には起きるものです。私欲を満たすために起こしたのでないなら、責められるべきではないと思います」

 リンも一緒になって意見を言う。彼女としてはほとんど縁のない西の地での戦争であるからして、一番事情や感情に支配されない意見であると言えるだろう。

 そしてまたユリアンやモニカも、言い方は悪いが何か騒動が起こった方が得であるとも言える状況だ。0からの成り上がりなど、平時では為しえないのだから。

「俺も文句はない。ツヴァイクを超える価値を示すなら、手柄をあげる好機にもなるしな」

「わたくしもですわ。起きてしまった戦争の原因を責めるよりも、起きてしまった戦争を早く収束させる事を考える方が建設的ですもの」

 ユリアンとモニカが続けて言葉を発する。残るのは詩人だけ。

 彼はやや怒気を感じさせる表情をしていたが、それはエレンやエクレアには向いていない。

「……当事者として責任がないとは言わないが、今回はお前たちをヤーマスに向かわせて場をかき乱そうとしたフルブライトが責任者だろう。もちろん、やりたい放題やっていたドフォーレもな。文句はそっちに言う」

 少なくとも、この場にいる者たちからは責められないと言われたエレンとエクレアはほっと息を吐いた。彼女たちとしては特に詩人に怒られなかったのが大きいだろう。その強さももちろんながら、鍛えてもらっている立場として嫌われなかったというのは心情的にも大分楽になる。

(ったく。この戦争で宿命の子が死んだらタダじゃおかないぞ)

 その詩人の内心は、かなりささくれ立っていたが。

 それぞれの心のうちはともかく、話は次へと移っていく。すなわち、戦争にどう関わっていくかだ。

「改めて聞くが、本当にレオニード伯爵の言葉は信じられるのか?」

 念を押すのはシャール。ピドナで相応の地位についていた彼にとって、レオニードはモンスターの一種という感覚はどうしてもついて回る。

 それに素っ気なく返す詩人。

「信じられなければ勝手にすればいい。強制はしない」

「私の感覚だけど、レオニードさんって詩人さんには結構心を許してた感じだったよ。騙そうとはしないんじゃないかな?」

「わたくしも以前レオニード伯爵にお世話になりましたが、何と言いますか、世俗に余り興味を示さないお方でした。情報を集めるのも無聊を慰める為と。

 こちらを偽る意味が伯爵にはないと思います」

 続いてエクレアが、そしてモニカが援護する。

 シャールとしても他の情報がある訳でもなし、とりあえず半信半疑ながらもレオニードの情報が正しいものとして話を続けていく。

「フルブライト側についたのが、まずは当然ながらラザイエフ。そしてトーマスカンパニーも伝手を使ってツヴァイク軍を出させる事に成功、他の商会などの4割弱はこっちについた。

 対してドフォーレ側についたのはルートヴィッヒ、他の6割強の商会もついたがこっちの方が大粒で影響力が大きいのがおおいな。

 そして中立を決め込んでいるのは神王教団やロアーヌか」

 さて、この状況でどちらに彼らが付くかは決まっている。

 声を出す全員が揃う、フルブライトと。

「ルートヴィッヒがドフォーレに付いた時点で、そちらに手を貸す選択肢はありません」

「っていうか、ドフォーレって私を監禁してくれやがった奴らでしょ? 仕返しは倍なんだからっ!!」

「あんな悪辣な事をする輩にあたしが手を貸すなんてありえないわ」

「同じくですわ。それにロアーヌはフェルディナンドさまを祖とする血筋、力を貸すならば当然フルブライトです」

「私は…一身上の都合で、ラザイエフが困るのは…ちょっと」

「俺もフルブライトとはそれなりの伝手がある。まあ、貸すならそっちだろう」

「西に来たばかりだし、詩人さんに付きます」

 やや言いよどむエクレアの事情を詩人だけが知る中、ここは意見が割れる事無くまとまった。

 後はどう参加するかだ。

 詩人が大まかな方針を口に出す。

「俺としてはアウナスの方に早く手を出したいし、被害が拡大する前に事態を鎮静化させたい。早期決戦を希望する」

「他の勢力を集めるってこと?」

「いや」

 エレンの言葉を否定する詩人。もしそうするならば、レオニードに更に貸しを一つ作って彼の力を借りただろう。

 そうしないとなれば、答えは一つ。

「剣を抜く」

 意味が分からない人間の頭には疑問符がつく。

 意味が分かった人間の背筋には冷や汗が伝う。

 詩人は槍一本でもってフォルネウス軍全てを蹴散らしたといっていい。それよりも得手とする剣を抜き、敵対する全てを斬ると言っている。それが最速で最善だとも。ただ平坦に告げた言葉は、理解できたならば死神に目をつけられたに等しいだろう。今は詩人の味方であった事を感謝する他ない。

 だが意味が分からない者としては他の手を、自分で最善の手を打たなくてはならない。それを思いついたのはミューズだった。

「つい先日、ファルス軍と接触できました。私をお父さまの、クレメンスの娘として旗頭にするならばルートヴィッヒと対抗する勢力を出そうとも言っていました。

 今回、ルートヴィッヒはドフォーレに付いています。ここで私がファルス軍の旗頭として名を貸し、フルブライトに付くように要請しましょう」

 ファルスはルートヴィッヒを敵視しているが、対してルートヴィッヒには敵が多い。ルードヴィッヒにとってファルスはその他大勢の一つだろうが、それがファルスには面白くない。心情としてはこちらを敵視させた上で叩き潰すのが最上だろう。

 その為の、ファルス軍に目を向けさせる効果としてクレメンスの娘という立場を使うのだ。ランスに来るまではその策は使えなかった、ルードヴィッヒがファルスのみに視線を向けてしまえばファルスは一たまりもないとシャールが判断した為だ。しかし今は状況が違い、ルードヴィッヒもファルスも規模が違えど勢力の一つに過ぎない。それぞれに入り混じり、そして相手を打倒してしまえば主導権はこちらが取れる。それは間違いがなく、そして強かな判断だった。ルードヴィッヒに大きく反抗するには、今が最高の好機といえるだろう。

 となると、戦場へ向かうルートは自ずと決まってくる。ヤーマスを通らず、ファルス軍に話を通し、ウィルミントンに至る。西進せず、詩人たちが来た道を通って南下し、ファルスに至って話をつける。そのまま船でウィルミントンに行くのだ。

「俺としてもどこかの大都市でフルブライト商会と一度接触しておきたかった。ファルスに寄るのは問題ない」

 詩人の言葉でもって話はまとまる。明日は早くにランスを出てファルスに向かう。時間が惜しい旅でもあるので、今回は荷運び(バイト)は無しだろう。

 そしてファルスを味方に付けて、ウィルミントンのフルブライトと接触して戦争に参加し、速やかに勝つ。

 最後が難しいと思うか、最後が簡単と思うか。その認識の違いはもちろん詩人の剣の腕を知っているか知らないかである。具体的に言えば、エレンとエクレアとリンがその点を全く心配していなかった。

「戦争で手柄をあげる……。大舞台だな」

 かたかたと武者震いする自分の手を見るユリアンを、エクレアは可哀想な人を見る目で見ていた。悪意はない。ないが、知らないとはここまで哀れなものなのかと。

 そんなユリアンに気楽な声をかける詩人。

「頼りにしているぞ、ユリアン。人手は多い方がいい。

 エレンにエクレア、鈴にようせい。できればお前たちにも手伝ってもらいたいが」

「あたしが原因みたいだし、そりゃ手を貸すわよ」

「もんだいなーし」

「私もいいですよ。人の相手も慣れています」

「お、王様のお言葉なら喜んでっ!」

 快諾の返事で一段落。話題は次へと移る。

「で、だ。無事に氷の剣を手に入れたのはよかったが……」

 詩人の視線が氷の剣と、そしてエレンが被っている聖王のかぶとへと移る。

「……エレンも聖王遺物を手に入れたか」

「何よ、悪い?」

「悪くはないが、良くもない」

 ここまで来たら知らせない方が危険だろうと、詩人は闇にて蠢くその男の名前を告げる。

「海賊ジャッカル、今は名と身を隠して神王教団幹部のマクシムスと名乗っているが、その男が手段を選ばずに聖王遺物をかき集めている。場合によっては相手を殺すケースもあった」

 顔が強張るエレン。それと同時、声を上げてしまうのはモニカ。

「では、マスカレイドも!?」

「マスカレイド?」

 耳に届いた言葉にユリアンが素朴な疑問をあげる。

 そしてしまったと悔やむ表情をするモニカ。同時、察したユリアンが驚愕の表情を浮かべた。

「まさか、カタリナさんもマスカレイドを奪われたのですかっ!?」

「ち、違います。あの、その、カタリナにも、注意をしなければ、と……」

「モニカ、減点。もう誤魔化せないぞ、それは」

 詩人のため息交じりの声に、唇を噛むモニカ。

「じゃあ、やっぱり?」

「ああ。聖王の槍は確実に、マスカレイドも恐らくは。俺の妖精の弓も狙われたし、この調子だと他の聖王遺物も集めているだろうな……」

「他の聖王遺物って何があるの?」

 エレンの疑問に答えたのはシャール。

「聖王遺物と言われるものは数多いが、格というものはあり、最高のものは幾つもないだろうな。

 武器で言えば筆頭は聖王の槍と七星剣、ルツェルンガードや妖精の弓辺り。それぞれ、四魔貴族を倒した武器だ。後は聖王さまが生涯手にしていたと言われる氷の剣か。フェルディナンドさまの奥方であるヒルダさまに賜れたマスカレイドや栄光の杖もあげられる。

 防具としては聖王さまが身に着けてらっしゃったもの。聖王のかぶと、聖王のブーツ、銀の手、王家の指輪や聖杯が有名か。鎧や盾は度重なる戦いで壊れるものが多く、遺ってはいないと聞いたな」

「氷の剣は使い手と命を共にするらしいからね、ゆっきーもそうらしいし。聖王が持ってた氷の剣はもう残ってないんじゃない?」

 エクレアの聖王に対する容赦のない言葉に少しだけ眉が動く者もいたが、まだ幼い少女である事と氷の剣を手にしている事から見送られる。

 ちょっとだけ険しくなった雰囲気を割くように詩人が声を上げた。

「ここにあるのは妖精の弓と氷の剣、銀の手と聖王のかぶとだな」

「向こうにあるのは聖王の槍とマスカレイドが確実ね」

「行方が分からないのはルツェルンガード、七星剣、栄光の杖。聖王のブーツに王家の指輪。そして聖杯」

「その中の幾つかは相手の手中に収まっていると考えた方が妥当だろう」

 言葉にしていくうちに段々と実感してくる。これは聖王遺物を持った者同士の争いであり、ただでは済まないと。

 下手をすればフルブライトとドフォーレの戦争に匹敵するかもしれない大混乱を引き起こすかも知れないという事を。

「聖杯はレオニードが持っていた。あいつの性格からしてまだ手元に残っているだろうな。聖杯を持つ人間がいたら、それだけでレオニードはそいつに服従しかねない。そしてレオニードが敵対するなら、俺の妖精の弓を狙う数は激増している」

「フルブライト商会には何か聖王遺物が遺されていないのかしら?」

「バンガードを動かす為のオリハルコーンがそれに当たる。300年の間に他の聖王遺物がどうなったのかを知るのは難しいだろうな」

 ミューズの言葉には詩人が答えた。つまり、他の物の行方に心当たりはないのだ。どれだけジャッカルが聖王遺物を入手しているのかは分からない。

「守るのも大事だけど、攻め手はないの?」

「そっちはカタリナと、レオナルド武器工房のノーラに任せてある。ジャッカルが重罪人であるという事実を元に摘発する準備を整えているはずだ。

 ひとまず俺たちは手元にある聖王遺物を守り、四魔貴族を撃退する事に集中すればいい」

 詩人の言葉で話題がアウナス討伐に移る。

 とたんに空気がピリリと張りつめた。

 アウナス討伐を希望するユリアンが視線を鋭くし、それに頑なな反対をするエレンの表情がなくなる。

 その空気を全員が感じ取り、代表してシャールがため息を吐きながら場を締めた。

「まあ、その話はフルブライトとドフォーレの事が終わってからでいいだろう。

 そちらが終わらないと話が進まない」

 遅くなってきたこともあって、そろそろ休まなくてはいけない。明日は早くからファルスへ向かって行かなければならない。

 休息の時間は少しでも多くとるべきだった。

 

 

(眠れない……)

 ベッドで横たわっていたミューズの目は冴えてしまっていた。

 急激に変わる環境。今までは疲労で落ちていた瞼も、今日聞いてしまった緊張する情報で働いてくれない。同室ではすーすーと寝息を立てるモニカの音が響くのみである。

(少し散歩でもしようかしら)

 このままでいても体は休まらないと思ったミューズはむくりと体を起こす。

 それと同時。ばさりと布団がはだける音がした。

(眠れませんか、ミューズさん)

(リンさん……)

 暗がりの中、僅かに見えるリンの顔には思いやりが浮かんでいた。声はモニカを起こさないように小さいものであるが。

(私には事の大きさは分かりませんが、ミューズさんには大変な事なんですね)

(……ええ。原因の一つに、私の父が暗殺されてしまった事があるように思うの)

 クレメンスが暗殺されなければピドナの実権をルードヴィッヒに奪われる事はなかったはずである。そうなればフルブライトとドフォーレの戦争も、ピドナとウィルミントンとリブロフの連合によって圧殺する事も可能だっただろう。いや、その前に形勢不利を悟ったドフォーレが敵対しないというケースも十分あり得る。

 一人の人間が居るか居ないかだけでこうも大きくIFの話は広がってしまうのだから、世界の不思議さを感じられずにはいられない。ミューズは思わず苦笑してしまう。

(でも、今は変わりません)

(ええ、それは分かっているつもりよ。けど、どうにも緊張してしまって……。

 少し外を散歩して頭を冷やしてくるわ)

 起き上がるミューズ。起き上がるリン。

(リンさん?)

(私もついていきますよ。少しは強いんですよ、私。敵が襲ってきても私がいれば大丈夫です)

 気を遣って貰っていると分かったミューズは微笑みを湛えた笑顔で外套を二つとり、そのうちの一つを羽織ってもう一つをリンに渡す。

 そうして二人はモニカを起こさないように、静かに夜の散歩に出るのだった。

 

「「さむいっ!?」」

 雪国の夜中を甘く見ていた二人は、部屋を出た途端にそう漏らしてしまう。

 個室や大部屋は暖炉に火がくべられているが、廊下はそうもいかない。見える窓の外では雪が燦々と散っていて、更に気温が低い事を示していた。

 この状況で宿の外に出るのは馬鹿のやることだと、お互いに顔を見合わせて笑う。

「食堂に行って暖かいお茶でも飲みましょうか?」

「それがいいですね」

 温かい飲み物を飲むだけで十分に気分は変わる。ハーブティを飲めば寝付きも良くなるかもしれない。

 食堂ならば夜通し暖炉には火があり、湯を沸かすのにも苦労はしない。足の先を食堂へと向ける二人だが、そこに近づくにつれて歌声が耳に響いてきた。

 

 

 彼の岸にいる君を想おう

 此の島にいぬ君を想おう

 

 想いを交わした君 最愛の君を想おう

 私の傍を離れた君は恨むまい

 私が恨むはあなたを曇らす黒い雲 未だに心を閉ざすその悲しみを恨むだろう

 愛しいあなた 愛するあなた いつか心から笑える日こそを私は願う

 私の全てはその為に あなたの全てはその先に

 

 全ての子等よ 今は笑え

 やがてくる悲しみを乗り越えた先 汝らにどうか慈しみの光があらんことを

 

 

 食堂の前で二人の足が止まる。食堂の中から聞こえた詩を止めないようにと。

 だが中にいた人物には廊下を歩いていた女性達の事はお見通しだったらしい。

「鈴とミューズか。廊下は寒いだろう、入ったらどうだ?」

 食堂から聞こえてくる詩人の声。確かに廊下は外気と壁一つである。寒いというならとても寒い。そして別に中に入って悪い訳でもなく、むしろ入らない理由はない。

 中に入ったら果たしてそこには詩人がたった一人で座り、お茶を飲んでいた。

「明日からも大変だぞ。早めに休んだ方がいい」

「ちょっと眠れなかったのですわ。気分を落ち着かせるお茶でも飲もうかと思いまして」

 照れた笑いを浮かべながらミューズが言う。それにやんわりとした笑みを浮かべる詩人。

「ならハーブティーでも淹れよう。鈴もそれでいいか?」

「ええ。ありがとうございます」

 詩人が席を立ち、暖炉の傍へと向かう。そこでお湯と茶葉をポットに入れて戻る間に、ミューズとリンは椅子に座る。

 そして配られるお茶を飲み、温かい息を吐く。

「詩人さん、相変わらず歌が上手いですね」

「まあ。一応、詩人と名乗ってるしな」

「いい歌でした。何と言う曲なのでしょうか?」

「愛の歌と、世間では言われています」

 リンの疑問に答えるのはミューズ。

「聖王様が歌った歌として有名で、四魔貴族を倒して世界を復興する最中によく歌われていたとか。

 真偽の程は、レオニード伯爵ならご存知かも知れないですね」

「さすがクラウディウスの跡取り娘。素晴らしい教養だ」

「ご冗談を。一般常識ですわ」

 くすりと笑うミューズ。

「へぇ。じゃあ、ミューズさんも歌えるの?」

「ええ、まあ、一応は歌えますよ」

「ミューズさんって声が高くて綺麗だし、歌ってみてよ。西の歌、もっと聞きたいな」

「……では、失礼して」

 こほんと咳払いをしてミューズは歌いだす。

 リンが思った通りの高く澄んだ声が、愛の歌を歌いだす。

 興が乗った詩人も歌いだす。ミューズの歌声を邪魔しないように、盛り立てるように、曲を口ずさむ。

 楽器は乗せない中で、二人の男女が奏でる愛の歌。それを聞く観客は唯一人、はるか東から来たムング族の娘。

 

 遠くでは戦争が始まっているだろうが、それでも雪の町の一室では優しい空気が作られていた。

 はるか昔に作られた歌が、今を生きる人々の心を癒していく。

 この夜が明けるまで。明日からはまた激しく生きなければならない彼女たちの心を、せめて今宵くらいはと愛の歌がゆっくりと労わっていく。

 

 しんしんと降る雪。

 静かな夜は更けていく。

 

 

 




あ、聖剣3小説の投稿も始めました。
完結までは詩を主に書いていきたいと思いますが、よかったらそちらも読んで下さい。


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069話

茶話会で他の小説の設定が他にもあると言いましたが、ごめんなさいもっとあった。
BLEACHにニセコイ、ゴッドハンド輝にヴァンパイア十字界。ポケモンもあったし、月姫も設定書いてありました。

ちなみにヴァンパイア十字界という漫画が私の中で不朽の名作です。10年くらい前に月刊ガンガンで連載されていましたが、多大な影響を受けました。FateやKeyクラスだと思っています。
興味がありましたら是非読んでみて下さい。(ステマ


 

 

 朝早くに一行はランスを経つ。

 西部で戦争が始まっているならば時間の余裕はなく、早くファルスに辿りつかなくてはならない。一方で野生のモンスターと戦うという経験も得難いものである。何せ一行はこれから戦争に向かうのだから、僅かな技術の差が命の有無に関わってくる。

 かといって9人全員で戦うというのも効率が悪い。モンスターはある程度は群れを為すが、強力な頭がいない群れでは2ケタを数える事はまずない。せいぜいが3~4匹。6匹の群れで稀と言える範囲だ。数でモンスターを潰してもそんな経験はなんの役にも立たないというのが詩人の意見である。戦場では孤立する事も珍しくなく、むしろ一人でどう立ち回るのかという技術を身につけるべきだと。

 これにはシャールも同意した。彼は数で押し潰す技術までは否定しなかったが、今必要とされているのはそれではないと理解していたのだ。

 さて、ここで戦いに参加しない人物が出てくる。まずは詩人とシャール、彼らは自分の腕に自信を持っており、また僅かな戦いで急成長するレベルでもないと理解してもいる。わざわざ他の者の機会を奪う必要はないとの理由から、戦いに参加する事を辞退した。

 逆の理由で戦いに参加しない人物はミューズ。そもそも戦争に出る事さえシャールがダメを出したし、詩人としても未熟が過ぎる彼女を人と人との戦争に出すには早すぎると判断した。目下に控えた戦争の経験値を積む必要はないのだ。

 残るはエレン、エクレア、リン、ようせい、ユリアン、モニカ。この中で一番心配なのはモニカである。武功を立てる為には戦場に出なければならず、彼女は他と比べて頭一つレベルが低い。

 エレンやエクレアは詩人に散々鍛えられた上に、実戦を含めた戦いだらけの日々だったのだ。おそらくこの6人の中で他人の心配ができるレベルだろう。

 そういう意味ではユリアンも負けていない。ハリードやカタリナに鍛え上げられ、そしてモニカを護る旅で磨かれた技は他人をフォローするという点においては6人の中で一番かも知れない。

 また、リンも問題はない。弓と体術を高レベルで使いこなす彼女だが、流石はムング族族長の娘というべきか視野が広い。得意とする弓で味方全体のフォローを可能とし、はぐれたとしても体術で逃げるくらいはできるだろう。

 そういう意味で少し心配なのはようせいだろうか。華奢な体格は致命傷を負いやすく、連携も慣れていない為に難がある。勝手に戦うのが得意分野だろうが、突出した先でまた敵に捕らえられては目も当てられない。

 以上の事からモニカの総合力の底上げと、ようせいの連携に主眼がおかれる事になった。具体的には龍陣の陣形をとる。モニカが先頭に立ち、その斜め後ろにようせいを配置してモニカの援護をさせる。中央にユリアンを置き、モニカの不測の事態に助太刀を入れられるようにして、その次にエレンが控えてモンスターの数が多い時には調整する役割を負った。最後尾にリンが弓を携えてはいるが、彼女が矢を放つ事態とはすなわちモニカやようせいの失敗に他ならない。連続した攻撃を得意とするはずの龍陣だが、今回に限ってはその特徴が生かされる事はなさそうだ。

「あれ? 私は戦いに参加しなくていいの?」

 自分の名前があがらなかったエクレアが首を傾げながら言うが、それに獰猛な笑みを浮かべながら言う詩人。

「ああ。氷の剣を手に入れたのなら、いい頃合いだろう。

 本気で鍛え始めてやるよ。これを乗り越えたら、約束通り剣を教えてやる」

「!」

「最初は旅を続けるのもキツイだろうな。戦う余裕なんか残さない」

「ラジャー!」

 空恐ろしい事を言う詩人だが、エクレアの表情は喜びに満ち満ちている。

 そんな二人をちょっと引いた顔で残りの面々が見ているが、当人たちは気が付いていないらしい。

 

 ファルスへの旅。とはいえ、今更それ程騒ぐような事はそうそう起こらない。せいぜいモニカとようせいがより苦労する位であり、またモンスターの襲撃も多い訳ではなく話をする余裕くらいはある。

「なあ、詩人さん。あなたは剣は教えないんじゃなかったのか?」

 道すがらユリアンが訊く。彼の索敵能力は一級品であり、気の入れ方と抜き方に問題はない。実際、これまで戦いに全く支障が出ていないので誰も口を挟まない。

 だからこそ詩人も気軽に答える。

「ああ、まあ、な。ついついエクレアの奴は弟子にしてしまったからなぁ。剣を教える事も仕方ないと思っている。

 とはいえ、まだ先の話だ。もうちょっと基礎を叩きあげないと話にならん」

「へぇ。それって、俺も教えてくれないのか?」

「いいぞ」

 気軽に言うユリアンに、気軽に答える詩人。

 あまりの簡潔さに驚いたユリアンの首に、詩人の手刀が添えられた。

「ただし間違って育ったと俺が判断した瞬間に――命を貰う」

 唐突なその詩人の行動に、ユリアンは全く動けなかった。そして詩人の軽い口調に込められた重々しい殺気に、知らずに冷や汗が体中を伝う。

 いきなりユリアンの首に手を添えた詩人に、全員の視線が集まって動きが止まる。ただ風だけが、かさかさと音を立てながら樹々を揺らしていた。

 そのまま僅かに時間が過ぎた時、詩人はゆっくりとユリアンの首から手を外す。

「まっ、その覚悟がないなら無理だな。その気になったらまたいつでも言えばいい」

 コクコクと首を動かす事しかできないユリアン。そんな彼をやや同情的に見たのは同じような目に遭ったエレンであり、ドヤ顔で見ているのはそれを乗り越えたエクレアである。

 ちなみに一般的に考えて、相手に生殺与奪の権利を与える事はまったく偉ぶれる事ではないとは明記しておく。

「とはいえ……」

 少しだけ考え込む詩人。そして続きを口にした。

「剣での戦いをもうちょっと鍛えてもいいかも知れないな、お互いに。

 エクレア、お前の実戦稽古にユリアンとの真剣勝負を入れるか」

「「え?」」

 唐突に指名をくらったエクレアと、サラと変わらないぐらいの少女を相手に指名されたユリアンが同時に声をあげる。

「私は、そりゃあ詩人さんが言うなら構わないけど……」

「まあ、この子もそうとう出来るみたいだし……」

 お互いに大声で嫌だとは言わないが、どことなく不満げな様子がうかがえる。

 それでも詩人は自分の意見を変える事はない。

「多分だが、剣のレベルなら釣り合いが取れてる。同レベルで同じ武器同士の戦いは相当勉強になるぞ。

 俺やシャールじゃレベルが高いから、別の経験を積むのも大事だ」

 そう言われてしまえば教えを乞う立場の二人は頷くしかない。

 エクレアがユリアンと戦うくらいに体力が残るのは船旅になってからかと予想しつつ、詩人たちは旅を続けるのだった。

 

 そうして無理を押して進む一行だが、まさか休みなくという訳にもいかない。夜は見通しが悪くなる為、また体力回復の意味を込めて休む事になる。

「はぁ……」

 思わずため息をついて座り込んでしまうモニカ。少し離れたところではようせいも疲れた顔で羽を畳んでいる。ただでさえ滅多に出ない最前線で戦いを続けた上に、歩く速度は普通以上。疲れるのも道理というか、これで疲れない訳がないというか。

 そんなモニカに苦笑しながら近づくのはエレン。彼女は水が入ったコップを手渡した。

「お疲れさまです、モニカさま」

「まあエレンさま、ありがとうございます。しかし今はロアーヌを出た、ただのモニカに過ぎませんわ」

「じゃああたしもエレンって呼び捨てにしてよ。ね?」

 柔らかな笑みを浮かべるモニカに、エレンも爽やかな笑顔を見せる。

 ちなみに少し離れた所でその様子をユリアンが見守り、ようせいのフォローにはリンが向かっていた。野営の準備はミューズとシャールが行っており、夕食もシャールが作るとなるとその味を知っている人物の心の中ではげんなりとしている。そして詩人はエクレアを連れて離れた森の中へ。どうやら技の伝授を他人に見せるつもりはないらしく、徹底していると思う者も少なからずいた。

 会話を続けるモニカとエレンだが、モニカはその余りの普通さにむしろ違和感を抱いた。エレンはモニカとユリアンが四魔貴族を討伐する事に対して、頑固なまでに拒否して見せていたのである。再会の頭からそうだったのだから態度がおかしくなるのがむしろ当然と思えるが、エレンはいたって普通。シノンを出た時と変わらず、快活にモニカに接してくるのだ。

 その疑問は広がっていき、やがてモニカの口から疑問が漏れる。

「あの……エレンさん」

「どうしたの?」

「エレンさんはわたくしがアウナスと戦う事は反対ではないのですか?」

「そりゃ反対よ」

 エレンの口調は軽い。

「フォルネウスを相手にした経験から言わせて貰うけど、四魔貴族は本物の化物よ。命を懸けて当たり前、あたしも仲間を失った。

 言っちゃなんだけど、モニカは戦闘が専門じゃないでしょ? はっきり言うと、死ぬわね」

「ですが、ユリアンと一緒なら――」

 途端にエレンの表情がなくなる。

「ダメ」

「え」

「ダメ」

「じゃ、じゃあわたくしは居なくともユリアンだけで――」

「だから、ダメ」

 ユリアンという言葉が出た瞬間に、馬鹿の一つ覚えのようにダメとしか言わないエレン。モニカに対しては実力がつけば構わないともとれる会話をしていたのだが、ユリアンの話題になった途端に否定のみだ。

 モニカの視界の端では表情が強張るユリアンが映り、心がずきんと痛む。

「何故だか……聞いてもよろしいですか?」

「あたしがイヤなの。だからダメ」

 何故の答えになっているとは言い難い答えである。だがしかしモニカは鋭く観察を続けている。

 もしも誰もが納得する答えがあるのならば、それを口にすればいいだけである。それを口にしないという事は、つまりはエレンの我儘なのである。実際、詩人も否定の声は出していないし、エレンと共にフォルネウスを倒したというエクレアという少女も困惑顔だった。

 問題はそれをエレンが認識しているか、いないか。認識しているならばまだいいが、認識していないのならば意地の張り合いになって文字通り話にならない。

 そしてもう一点、モニカにはどうしても気になる事がある。エレンがユリアン参戦を拒む理由が、もしもモニカが最も恐れるものであるのならば。

(――っ!)

 想像しただけでモニカの胸の奥がズキリと痛んだ。今まで理解した事のない痛み、そして癒す事はできないとどこかで分かっている痛み。

 そうだ、モニカがユリアンと結ばれる事はない。それはロアーヌの妹姫として産まれたならば当然の事。ツヴァイクの王子と破談できたとして、代わりの相手はどこぞの有力貴族であろう。それは仕方のない事、それは当然の事。モニカが平民と愛し合う未来は、永劫存在しない。

 だから、モニカは恋を知るべきではなかったのだ。恋は痛みしかもたらさないからして、何も知らないままに誰かに嫁ぎ、形からできた夫婦で愛を育んでいくのが彼女が最も痛みを伴わない人生だっただろう。

 けれどももう遅い。モニカは恋を知ってしまった、一人の異性を愛してしまった。それも絶対に結ばれる事ない平民を愛してしまった。

 そしてその相手の心には別の女性が住んでいる。愛してしまったからこそ、最も近くにいるからこそ分かる。自分に向けられているのは慈愛や親愛であって、恋愛ではないことを。その感情が誰に向いているのかさえも。

 このことでエレンへ嫉妬心が微塵も湧かないあたり、モニカは人が良すぎるのだろう。だが、それは別に救いでもなんでもない。むしろ人に当たる事ができない激情は自分の心を傷つける一方である。エレンを見るユリアンに悲しみ、ユリアンを見ないエレンに安堵し、そしてそんな自分を嫌悪し続ける。

 黙り込んでしまったエレンとモニカ。そんな彼女たちを睨むように見るユリアン。空気に当てられて言葉を出さない全員。

 そこにガサリと音がする。咄嗟に全員が武器に手をかけるが、姿を現したのはエクレアを担いだ詩人。

「どうした?」

「……いえ、何でもないわ」

 エレンの言葉にふぅんと興味なさそうに返事をした詩人は、担いだエクレアを地面に投げ落とす。

「きゃん!」

「起きたか?」

「起きたか? じゃないでしょ! 起こし方!!」

「……思ったより元気あるなぁ。俺が甘かったのか、コイツがタフなのか」

「詩人さん!」

「文句あるなら気を失うな」

 きーきー喚くエクレアに、適当な相手しかしない詩人。

 やがて張りつめた空気はほどけて、全員の緊張がゆるむのだった。

 

(((マズいっ!!)))

 

 夕食時、別の緊張が場を支配するのは余談である。

 

 

 行きより大分短い時間でファルスまで辿りつく。

「さて、じゃあこれから別行動だな」

 詩人が言うと、全員が頷く。これは旅の間に話がまとまっていた。

 ミューズとシャールはファルス軍と接触しなくてはならない。ファルスの将軍はクラックスというが、彼に直談判をして軍を出させなくてはならない。もちろん対価としてミューズをクレメンスの娘として旗頭にする事などを含まれるため、その辺りの調整もしなくてはならない為に簡単にとはいかない。

 また、詩人としても戦争にまで発展した以上、フルブライトが自分を戦力として使いたがる事はむしろ当然の事として頭に入っている。その確認を取るためにフルブライト商会の支部に顔を出し、依頼を受ける。更にそこでフルブライト商会としてファルスを仲間に引き入れる約定もふんだくり、ミューズの交渉を援護する役割もある。ちなみに詩人にはフルブライト側の人員としてエレンとエクレアも同伴する。

 残る4人は雑務担当だ。とはいえ、リンやようせいは聖王の文化に疎い。そしてモニカもあまり旅のあれこれに慣れていない。実質、ユリアンが3人の面倒を見ながら宿を取ったり物資を補充したりという仕事を一手に受けていた。

 やがてユリアンがとった宿に疲れた顔で戻ってくる面々。それを迎え入れるユリアンも疲れた顔だ。リンやモニカも楽だったとは言い難く、嬉々としているのはこの状況でも好き勝手にふらふらしているようせいだけである。ようせいの面倒をユリアンにかけないように、リンとモニカで必死に抑えていたともいう。

 このまま寝たいというのが一同の本音だが、まだ情報のすり合わせが終わっていない。ファルス軍から元気の出るお茶として土産にもらったコーヒーをカップに注ぎながら、宿屋のリビングに集まって話し合いをする。

「結論を言おう。ファルス軍はフルブライトに付く事になった。ルードヴィッヒがドフォーレに付いた事は察知していたそうだが、表に立つ名声が足りずにどうするかを悩んでいたらしい。そこにミューズさまが名を貸すと言ったのだから、渡りに船だったんだろうな。悪くない条件を結べたと思っている」

「こっちもやはりフルブライトから戦力増強の要請があった。ファルス軍にも要請を出しているかと聞いたら、要請は出していたが返事は鈍かったと。責任者を連れてミューズとの会談に割り込み、可能な限りフルブライトに妥協させた」

 シャールと詩人が疲れながらも言い、コーヒーを啜る。

 それに少し疑問を持つユリアン。

「フルブライト商会に妥協をさせたのですか? 失礼ですが、どうやって?」

「俺を味方に引き入れたければ、まずファルス軍を味方にしろと脅しつけた。以前から俺の実力は見せてやっていたからな、フルブライトとしては下手に出るしかないのさ。ファルス支店でできる限りの融通は効かせたから、まあ話はスムーズだった」

「あの…それは後で詩人さんとフルブライト商会の間で遺恨にならないのでしょうか?」

「あいつがこんな時期にこんな下らない戦争の火種をまいたんだ。遺恨にするなら合わせて叩き斬ってやる」

 モニカの気を遣うような声に、詩人はイライラしながら答える。

 人には当たらないようだが、彼自身は相当フルブライト23世の事が頭にきているらしい。触らぬ神に祟りなしと、そそくさと話題を変えるエレン。

「それであたしたちの目的地はウィルミントンでいいのかしら? ここからなら船で行けるわよね?」

「そう簡単な話でもないらしい。ここらの海はピドナが、その先はドフォーレが制海権を握っているらしく、戦争に加わるならファルスとしてはここからピドナ海軍を挟み撃ちにするべきだという案が主力だ」

「え。じゃあどうするの?」

「まあ、いくつか方策はあるが…ピドナに行き、一般人としてウィルミントンに行く方法。ピドナの会社もいくつかはフルブライト商会についたから、敵対しない事を装って船くらいは出ているだろうな」

「ルートヴィッヒとやらはピドナの為政者なのに、ピドナ全体の統率も取れていないのですかっ!?」

 驚きの声をあげるリン。彼女としては統率が取れない無能者が上に立っているとは信じられないのだろう。

 東にある京にもいくつか派閥があるとは知っているが、配下の統率を徹底するくらいは基本であると分かっている。だがまあピドナは圧倒的に大きい都市であるからして、彼女の想像の及ぶ範囲の外という事は往々に起こりうるのだ。

 リンの言葉にしたり顔で頷くシャール。

「ルートヴィッヒがピドナで最も大きい勢力であるのは確かだが、ピドナ全体でも精々3割程度。そしてその同盟として神王教団が2割程度の影響力を持ち、ギリギリ半分以上でしかない。もちろんピドナの半分というだけで下手な国よりも強大な影響力があるが、言い換えればそれと同じ分が敵対しかねないという訳だな。もちろん半分全部が敵対しなくても、一部が敵対して争いが表に出るだけでピドナは大混乱だ。そして地盤を固めきっていないルートヴィッヒはそれを恐れているとも言える」

「それにルートヴィッヒは立場上、神王教団のご機嫌取りもしなくてはならないからな。戦争に中立の神王教団が抜けるとなると、影響力は半減だ。手が届かない部分、手を出せない部分、それは個人で見れば大きすぎる」

 詩人が補足するが、追加で言葉を続ける。

「まあ、この案はないが。徒歩でピドナまで行くとか、面倒にも程がある」

「じゃ、どーするの?」

「強行突破でいいだろ」

 エクレアの素朴な疑問に、素っ気なく答える詩人。

「とりあえず俺たちの乗った一隻がウィルミントンに着けばいいんだ。後はファルス軍は海や陸からピドナをチクチク突くだけ、ファルスとピドナのどっちが勝とうが知ったこっちゃない」

「…割り切っていますね」

「だから、その一隻をどうやってウィルミントンまで着かせるの?」

「だから、強行突破だって。ファルスがまだ表立って戦う姿勢を見せていないだけあって、ピドナの視線はウィルミントンに向いてるだろ?

 背後から術をぶつけて、怯んだ隙に押しとおる。防衛網を海上に敷いていないなら、俺とシャール、それからエクレアの術で十分だ」

「私の術?」

「ああ。要するに、全力のトルネードを唱えればそれでいい」

「おお、そういう。りょーかい」

 詩人は気楽に言い、エクレアは気楽に頷くが。それを見るシャールはやや引きつっている。

 術者は絶対数が少ないうえに、全ての術の中で最強と名高い術が蒼龍術のトルネードだ。それをこんな幼い少女が使えると気軽に言う時点で驚きだ。

 それに船で恐ろしい事柄は幾つかあるが、火事や嵐、そして竜巻はその最たるものである。船本体にダメージがあるとなれば大事で、それが致命傷なら船員全ての命に関わる騒ぎである。その大事を一人の術者が引き起こせるというのだから、海戦における術者の重要性が分かる話だ。

 絶対数は少ないとはいえ、フルブライトにドフォーレは世界最大規模の勢力だ。当然ながらそういった最上級の術者も抱え込んでいるであろう。個人の武も軍としての戦略も、何も通じず引き起こされた嵐に巻き込まれて海の藻屑となるというのは軍人として悪夢という他ない。しかも背後から奇襲をもってして、だ。仕掛ける側でありながら、相手に同情心の一つも湧いて出る。もちろん、だからといって手心を加える気は微塵もないが。

「よく分からないが、とりあえずウィルミントンに着くまでは心配しなくていいんだな?」

 術に詳しくないユリアンや、海戦に詳しくないエレンやリン、そしてそもそも人間の戦争に詳しくないようせいなどはあまり深刻な顔はしていない。というか、深刻な顔をしているのはシャールだけである。詩人はこの辺り、敵と判断すると本当に容赦がない。

「ああ。それでウィルミントンに着いてからだが、そこからはフルブライトに話を聞いて適時動くのがいいだろうな」

「これで話は終わりだ。そろそろ休もうか」

 シャールがそう言って話をしめるが、それに待ったをかけるのは詩人。

「すまない。全体の話はこれでいいが、個人的にモニカと話がある」

「?」

 怪訝そうな表情を浮かべるシャールだが、どうやらミューズとは関係ない話らしい。

 詩人にとっていい話なのか、モニカにとっていい話なのか。それは分からないが、ここで下手に首を突っ込んでも得られるのは反感だけだろう。

 軽く頷き、ミューズを伴って部屋を辞する。

「ようせいとリンも、悪いが席を外してくれないか?」

「? はい、分かりました」

「王様の言う事なら喜んでっ!」

 リンもまた怪訝な顔をするが、あまり詳しくない自分がいても仕方がないだろうと席を立つ。ようせいは言わずもがな、詩人の言葉には絶対服従だ。

 更に人数が減るその場に、緊張の色を強くするモニカ。残るのは詩人とモニカ、エレンにエクレアとユリアンで5人だ。ちなみにユリアンの表情も厳しいが、エレンとエクレアはきょとんとしている。

「ねえ、詩人。何の話? あたしたちって関係あるの?」

「ああ。ウィルミントンについてからの立ち位置の話だ」

「立ち位置と言いましても、それはウィルミントンについてからではないのですか?」

 詩人の言葉に咄嗟に言葉を被せるモニカ。

 それはただならぬ雰囲気を感じ、主導権を渡すまいとする姫の行動だった。

「もちろん、どこを攻めるかの話はウィルミントンに着いてからだ。

 だがその前に、俺たちを形の上で雇わないかって話をしたかった」

「と、申されますと?」

「ウィルミントンに着いたら、どんな形勢であれ形であれ、俺は即座に戦争を終わらせる為に動く。具体的にはドフォーレの主力部隊を壊滅させるか、とっととドフォーレ会頭の首を取るか、だ」

 あっさりと気軽に言い切る詩人に、モニカとユリアンは驚きで目を見開く。

 冗談ではないのかと、問い掛けるような視線でエレンを見てしまうユリアン。気持ちは分かると薄く諦めたように笑いながら頷くエレン。

「詩人の得意武器は剣らしいけど、そうじゃない槍でフォルネウス軍を単騎で相手取ったわ。剣を抜くなら、そのくらいやりかねないわね」

「詩人さんの剣は凄いんだからっ!」

 詩人と共に旅をする二人の、フォルネウスを倒した英雄二人からの太鼓判である。本当にそれができるかは分からないが、少なくともそれを信じさせられる実力はあるのだろう。

 東の果てを超えたという男、ハリードをして己と互角以上と感じたと言わせた男。それがこの詩人なのだと、ユリアンは改めて背筋が凍る思いだった。

「……早く戦争が終結するのは良い事ですわね」

「だろ? それでモニカたちの目的はツヴァイクを超える価値を示す事だったか。

 貸し一つで、俺はモニカの配下って形にしてもいい。エレンとエクレアもそれでいいか?」

「あたしはまあ、名声に興味ないし」

「私もいいよー。剣の腕が上がるならなんでも」

 適当に返事をするエレンとエクレア。

 これ程の戦力があっさりと手に入る事に喜色を浮かべるユリアン。

「本当か? それなら是非――」

「待って」

 快諾しそうなユリアンを一言で止めるモニカ。

 取引の流れを絶つモニカに驚きの表情を持って見るユリアン、そしてエレンにエクレア。詩人だけがほんの少し目を細めて、視線を鋭くしたモニカを見る。

「どうかしたか、モニカ姫?」

 楽しそうに聞く詩人。言葉の通りにならない、しかしより良い結果に結びつきそうな流れに、彼は楽しそうにモニカを姫と呼ぶ。

「……、…………。思えば、不思議ですね。

 詩人さん程に腕が立つ方を、お兄様が知らなかった事。その方がフルブライト商会と結びつきがある事」

 考えをまとめながら、熟考しながら言葉を紡いでいくモニカ。

「どうしてお兄様がその事を知らなかったのか? それは詩人さん自身が有名になりたくないという事でしょう。自分から積極的に名を上げる事柄を潰していった」

「え。どうして?」

「分かりません。しかし今大事なのは、どうして有名になりたくないかという話より、どうしても有名になりたくないという詩人さんの事情です」

 ユリアンが挟んだ口を、容赦なくちぎって捨てるモニカ。

 その視線が鋭くなるばかり。

「思えばフォルネウスを倒したという事に詩人さんが入っていない事も変です。

 フォルネウス軍を一人で打倒した。どう考えても一般に広まらない方がおかしいですわ。けれども、フォルネウスを倒した英雄の中に詩人さんの話は今まで聞いた事はありません。

 貴方はここでも情報操作をしましたね? 事の大きさから考えて、フルブライト商会が一枚噛んでいるのでしょう?」

 詩人は微笑を浮かべたままのポーカーフェイスでそれに答える。

「ならば戦争で名があがるのは、迷惑に思っても喜ぶ事はないでしょう。

 要らないものをわたくしに貸し一つで売りつけようとした。そう考えるのが自然ですね」

 ユリアンは。エレンは、エクレアは。驚きを持って詩人とモニカを見る。

 詩人がそこまで狡猾な考えを持って相手に利益になるように見える取引を持ちかけた事。そしてそれをモニカが看破した事。

 エレンはまたもや交渉事の妙と言えるものを見抜けずに歯噛みする。だがこれは仕方がないと言えば仕方がない。交渉に必要とされるのは商人の才や王者の才と言われるものであって、武人の才や狩人の才ではないのだから。

「貸し一つで、わたくしの名前を貸してもいいですわよ?」

「俺は別にフルブライトの名前でも構わないぞ?」

「どうぞご自由に。強く出なければならないフルブライト商会に、名前を貸してと頼めるのでしたならば。

 それとも、戦争の前線に立たないミューズさまの名前をお借りしますか?」

 モニカの言葉から一瞬の沈黙。

 そしてくすりと詩人が笑う。

「分かった、貸し借りなしでモニカに手を貸す。それでどうだ」

「詩人さんやエレンさん、エクレアさんのお力を借りれるのはとても心強いですわね」

 場が弛緩する。他の面々は詩人と正面から渡り合ったモニカに驚きの感情しかないが、彼女とて成長しない訳ではないのだ。

 自分の有利や得に惑わされる事なく、違和感を見つけて罠を回避する。これもまた得難い能力の一つであり、ユリアンの後ろから大局観を養ってきたモニカならではの才能開花と言えるだろう。

 結果として貸し一つを得る事ができなかった詩人は軽い口調でエレンに詫びる。

「すまないな、エレン」

「え? あたし?」

「貸し一つを使って、ユリアンをアウナスから遠ざける事に失敗しちまった」

「あ」

 ここでようやく間抜けな声をあげるユリアン。

 空手形を切るという事はそういう事、約束だからと動きを束縛されてしまう。ましてやこの話はどこか意地の張り合い染みた所がある。意志力が大きく左右する場では、心を縛る鎖というのは限りなく大きく働くといっていい。

「どうやらモニカがいる限り、嵌めるのは難しそうだ。できればとっとと穏便に話を進めたかったんだが…そう言う訳にもいかないな」

 やれやれと詩人は首を振る。

「大変な事になりそうだ」

「それにしては嫌そうに見えませんわね?」

「まあな。敵ならともかく、味方になるなら心強いと思えなくもない」

 軽い笑みを浮かべる詩人に、軽やかな声で話すモニカ。

 戦争で勝つ名誉は大きいが、四魔貴族を倒す栄誉とはまた別物である。両方手に入るならばそれに越した事はない。

 何よりモニカには分かっていた。四魔貴族を倒すという事は、場合によってはツヴァイクを超える価値を示すと一発で証明できてしまうと。フォルネウス撃破の報を聞いた時、その事の重大さに気がついたのだ。

 そしてアウナスに対する切り札として氷の剣があり、火術要塞を見つける為に妖精族の案内もいる。大きなハードルを越えつつある現在、命を懸ける場所であるとモニカは感じつつあったのだ。

 ここは決して引かないと、声色の軽さとは裏腹に重い決意で口にする。

「わたくしたちは四魔貴族を倒したという事実が是非欲しいのですわ」

「だ、そうだ。今回の相手は手強いぞ、エレン」

 気楽に言う詩人。表情が強張るエレンに、そんなエレンをどこか悲しそうに見るエクレア。ユリアンは挑むようにエレンを見返している。

 とはいえ、話し合いは終わった。とりあえずフルブライトとドフォーレの戦争を先にどうにかするべきであって、その為には今は休むのみ。

 詩人に促されて場が解散する。

 全員がその部屋を立ち去り、バタンとドアが閉まる。

 

 苛烈な争いがされたその部屋に残された緊張は、しばらく消える事はなかった。

 

 

 



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070話

9の評価バーに青色がついた、やった!
評価をたくさん頂き、それも良い評価が多くて嬉しい限りです。お気に入りやしおりの数も増えており、読んで頂ける身としては感謝ばかり。

では最新話をどうぞ。


 ファルスの船が海をいく。

 船といっても種類は様々で、大雑把に分類しても漁船・客船・商船・戦船などに分けられる。詩人たちが乗っているのはもちろん戦船だが、その中でも更に細分化というものはされるもの。

 速度を重視して哨戒や伝達を主とする快速船。装甲を厚くして乗員を増やし、攻撃力と耐久力を上げた殲滅船。そして術師が乗る事を前提とした術船などだ。

 船は海の上に浮かんでいるからして、陸での戦いとはまた違った制約がつきまとう。補給が港でしかできないのは当然だし、動かすのだって急停止や急発進が出来る訳がない。慣性を理解し、風や潮の流れを読み切り、また旗を使った伝令も正確に理解する。その上で船を操作する帆の動きを繊細に動かしたり、船底から重い荷物を運んだり。とにかく力を必要とする業務が多いため、自然と船乗りは筋骨隆々になりがちだ。

 そんな中、力よりも魔力が優先される術船はかなり特徴的だ。攻撃がそもそも術に依存し、人ではなく船を狙うという戦法が有効となる為に、他の船で重視される繊細さというものに重点が置かれる事がない。他の船では正確に他の船に寄せる必要があるが、それがない術船はそのリソースが速度や装甲に回される。重い武器防具や兵を乗せる必要がなく、ただ遠距離から一方的に術にて敵船を攻撃できるのだから、万が一の為にそれを可能とする術師を守る為と接敵や退却を速やかにする為の速度が優先されるのだ。

 まあ、今回詩人たちの一行が乗っているのは術船ではないのだが。

 理由は大きく分けて3つ。

 1つは可能な限り早くウィルミントンについて加勢するという知らせを伝えたかった為、速度の面においては術船よりか快速船の方が向いていたという事。

 2つ目は術船が希少だという事。戦略的・戦術的に有用な術師がそう多くいる訳もなく、自然と術船の数は減る。数が減れば大量生産できなくなる為、単価が上がるのは道理。更に術師それぞれに合わせてカスタマイズした船では使われる術の効果も大きく、ファルス軍でも術船はほとんどそれぞれオーダーメイドの補強がなされている。詩人たちに最適ではなく、更に最適に使いこなせる術船が1つ減るというだけで強大なピドナに戦争を仕掛けるならば無視できないロスとなる。

 3つ目は術船は目立つということ。想像してみて欲しい。それぞれに用途がはっきりした船団の中で、明らかにおかしいチューニングされた船が大真面目に混じっているところを。素人でも術船だと分かるだろう。それだけ術船というのは特徴的なのだ、敵の目を集めたくないのならば術船になど乗る訳がない。ただの快速船ならば誤魔化しもきくかも知れないが、ピドナの支配領域でピドナのものではない術船を見かけたら敵船一択だろう。

 以上が大きな理由だが、それでも反対意見は出た。主にはシャールから。速さを最大限に追求した快速船はつまり、装甲がほとんどない事を意味する。また、術船ほどではないにせよ、そんな船は稀だ。見かければ怪しまれる事は確実で、ピドナの支配海域を突っ切る以上は前に敵船がいることになる。敵の中にそれこそ術船がいれば取り返しがつかず、数に任せて捕縛される可能性もある。数日ロスしようとも商船などに紛れてウィルミントンに向かった方がいいという訳だ。

 シャールの言い分にも一理ある、というよりも大局的に見ればそちらの方が正しい。そしてそんなシャールに対して素っ気なく詩人は強制しないと言ってのけた。エレンとエクレア、鈴とようせいは詩人についていき、フルブライトと縁のないモニカとユリアンも彼らについていくしかない。ファルス同盟の使者という立場でシャールとミューズだけは別行動が取れなくもないが、ファルスはピドナに程近い。神王教団から暗殺者を差し向けられれば、場合によってはシャール一人では危険になる。結局、詩人の案が採択される事になった。

 快速船で戦いに向かないとはいえ、戦船である。外観に重苦しさを感じる船が波を割っていく。ザザンザザンと、一刻も早い到着を目指しつつ、敵に見つからないよう緊張を持ちながら。

「――ですから、デュライン作曲のフルブライト将軍歌がクラウディウス家では重んじられていましたの。フルブライト商会とも縁が深かったですし、お父さまのお気に入りでしたので」

「ああ、フルブライト将軍歌ね。確かにあれはいい曲だと思う。でもそれなら、フェルディナンド小夜曲も好きだったんじゃないか?」

「まあ! やはり音楽に精通している方は違いますわね。フェルディナンド小夜曲は私が好きでしたわ。ヒルデ姫への愛を囁く場面ではいつもうっとりしてしまいますもの。思えばそこを演奏したいと思った事が音楽に関心を持った始まりだったかも知れません」

「ミューズさまがフェルディナンド小夜曲を好きだったとは意外でしたわ。わたくしのアウスバッハ家はフェルディナンド様の血筋を持っている事もあり、そっちの方は義務教育に近かったですわね。わたくしはヒルダの子守歌をよく聞いていましたわ」

「ヒルダ姫が自分の子供の為に歌った子守歌を、当時の音楽家が組曲にしたアレか。寝る時とかお茶の時間に聞くにはいいんだけど、酒場じゃ流行らないんだよなぁ」

 和気あいあい。外から感じる緊張はなんなのか、船室では非常に和やかな雰囲気が流れていた。

 詩人とミューズ、モニカが音楽を話題にお喋りに興じている。シャールとユリアンは苦笑いで同席しているが、それを少し離れた席で面白くなさそうに見ているのはエレン。

「ナニアレ?」

「さー?」

「知らない」

「ランスの町で詩人さんとミューズさんが一緒に詩を歌った事がありまして、その関係で話が膨らんだみたいね」

 同席しつつも興味なくお菓子を頬張るエクレアとようせい。リンはランスの件では同席しただけであって、適当に答える。彼女の意識は西での音楽の話に大半が割かれていた。

 エレンはシノンの田舎娘である。当然、貴族や上流階級で流される音楽に造詣はない。

 そもそも詩人と音楽家は別物だ。詩人は吟遊詩人とも言われ、各地で起こった出来事や過去の逸話を集め、それを詩にして各地を回り、市民に歌って収入を得る。それが一般的。対して音楽家は貴族を相手にして複雑な音楽を織り、披露する。その特性上、曲を作成するのに時間がかかり、一年で数曲できれば御の字である。また楽団を作って音楽の精度を高めていく必要もあり、こういったケースでは貴族などのスポンサーに抱えられる場合も珍しくない。

 エレンは行かなかったが、ピドナにある劇場では劇だけではなくこういった音楽を楽しめる公演も人気を集めている。本来上流階級しか楽しめない演奏をちょっと奮発した値段で楽しめるとあって、特に若いカップルに人気だ。余談だが、ユリアンにはモニカがそこに行きたがっていたのが不思議だった。彼女の身分を思えば聞きなれているだろうに。

 それはさておき、上流階級のお嬢様たちとしっかりと音楽についての話を合わせていく詩人。それを見てシャールは心の中で推測する。

(この男、もしやどこかの貴族のお抱えだったのか?)

 そうとしか思えないくらい音楽についての造詣が深い。普通ならば知りえない話題に容易についていく。シャールは近衛騎士だった関係上、そのようなことも頭に入れなければならなかったが、ユリアンにはこの音楽の話がさっぱり分かっていないだろう。

 つまりこの差が教養の差という事であり、詩人はユリアンとシャールを比べたらシャールよりだという証拠である。どこかの貴族のお抱えであったというのはありえる話だ。

 いや、もしかしたら身分を隠して動いている貴族かも知れない。何せ、自分の名を頑なに明かそうとしないのだ。その可能性も十分にある。

 そうしてしばらく話が弾んでいたが、転がり込んできた伝令の声でとうとう船内にも緊張の糸が張りつめられた。

「ピドナの戦船が見えました!」

 

 全員が甲板に上がる。術師は珍しいと言われる中で、ユリアンとミューズにようせい以外の6人が術を扱えるというのは相当に珍しい。まあ、その程度の能力がなければ貴族と関係を持ったり四魔貴族と戦うなんてできる訳がないのだが。

 そしてユリアンとミューズが表に出たのも当然理由がある。万が一の時、ユリアンはモニカを護る為。ミューズはシャールによって船を脱出する為だ。

 シャールは詩人を信じ切ってはいない。可能性としてこの船が撃沈する可能性もあると思っていた。その時は速やかに脱出ボートに乗って退避しなくてならない。その為には船室にいるよりかは甲板にいた方が都合がいいのだ。

「あれがピドナの戦船か」

 そんなシャールの内心を全く知らず、詩人は遠くに見える船を睨みつける。

 浮かんでいる船は三隻。一隻は伝令用の快速船で、残り二隻は戦闘用の殲滅船だ。

 海戦は術船のような物でない限り、普通は近づいて矢を射かけて、その後に乗り込んで白兵戦というのが普通だ。この時に相手の兵や操行能力を一定以上に奪えば勝ち目のない側は降伏するというのが一般的である。何せ船に戦闘要員しかいないというのはまずない。コックや航海士といった操船の専門家もいる。降伏をしなければそのような者たちまで巻き添えにして皆殺しにしかねない。

 さて。この場合だが、ピドナ側は色々な意味で極めてスタンダードだと言えた。配置からして三隻一組というのは普通だし、こちらを認識した瞬間に快速船を背後に下げて、殲滅船を前に出す。そして旗を上げて不審船に恭順させる意志を示した。

「自分、領域、退避、確認、停止、平和」

「? なにそれ?」

 詩人の言葉にエクレアが聞き返す。

 それに対して詩人はピドナの船にあげられた6種類の旗を指さしながら答える。

「あの旗の意味だ。旗にはそれぞれ意味があってな、単語だけなら簡単に伝えられるんだ。

 今回は『ここは自分達の領海だ、立ち去れ。そうでないならば確認の為に停船して調べさせろ。逆らわなければ危害は加えない』といった意味だな」

 ふんふんと頷くエクレアとエレン、ユリアンにモニカ。

 そんな事は知っているシャールは話の続きを促す。

「それでどうするんだ?」

 ちなみに詩人たちが乗っているこの船は、速度のみを重視して設計されている為に戦闘能力は皆無といっていい。極限までスリムにして兵を乗せず、荷物も少なく、最速で動ける。巡廻任務を持っている相手の快速船よりか速く動けるだろうが。

「撒けるか?」

「無理だろうな。行く手を阻まれているんだ」

「だろうな」

 詩人は分かっている事を聞き、当たり前の事を返すシャール。だが無駄な事ではない。海戦の基本も知らない人員が多いのだから、いわば勉強の為だ。

 色々と話し合い、その常識を理解させていく。

「かといって停戦して調べを受ける訳にもいかない」

「当たり前だ。こちらにはミューズ様もいるし、ファルスのフルブライトへの協力する旨を認めた親書もある」

 すなわちピドナの敵だ。敵船を拿捕しつつ、はいさようならといく訳がない。

「そしてウィルミントンに行くためには退却する訳にもいかない。となれば、一戦交えるしかないだろう」

「それができれば苦労はない。こちらで戦えるのは数十人といったところだが、相手の殲滅船には一隻につき100以上の兵が乗っているだろうな」

 勝ち目はない、普通に考えれば、だが。

 ニヤリと笑みを浮かべるのは詩人。術船には基本的に術師が乗っているものだが、別に術師を乗せなければいけない理由はない。そしてまたその他の船に術師が乗っていていけない訳ではない。

 それで油断する方が悪い。意地の悪い笑みでそう語っていた。

「とはいえ、一応退却する選択肢くらいは与えるべきだろうな。

 おい、こっちも予定の旗を上げろ」

 詩人は近場にいた船員に命令を下す。

 船長以下の人員はもちろんファルスの配下だが、詩人はフルブライト商会の客分として、またミューズもファルスの旗頭としてそれぞれ権力を持っている。

 この事態は前もって想像できていたものであり、このなった時にどうするかはもう相談がまとまっていた。それを決めたのはファルスの海軍代表者と詩人、シャールだが。

 詩人としては沈黙を保ったまま不意をついて攻撃したかったのだが、それをしてはファルスの名誉に関わると却下され、ならば正々堂々と真正面から戦えばいいと言ったのはシャール。それに勝てる訳がないと答えたのがファルスで、問題ないと答えたのが詩人。それから多少の言い争いはあったものの、術師の多さと問題に直面する詩人が大丈夫だと言ったことを合わせて、全責任をフルブライト商会が取る事で話し合いはまとまった。詩人はとりあえず責任をフルブライト商会に回して憂さを晴らしている。

 やがてこちらの船からもするすると旗があがっていく。それの意味を代表してリンが聞いた。

「こちらの意味はなんでしょうか?」

「戦闘、勝利、勧告、退避」

「…真っ向からケンカを売ったわね」

 呆れたようにエレンが言う。こちらの意図を要約すれば、こっちが勝つからとっとと逃げろである。これを貧弱な快速船が出しているのだ、普通逆である。

 当然ながら相手がそれに従う訳がない。張る帆を増やし、明らかに速度を上げながらこちらに迫ってくる。

 それを見つつ、のんびりと準備を整え始める詩人。

「じゃあ確認しておこうか。こちらの目論見としては、向こうが矢を射かけてくるまでに戦闘不能状態にしておきたい。できれば沈めてもいいが、そっちはオマケだな。

 それで術が使えないユリアンとミューズ、ようせいは見学」

「私もミューズさまの護衛に専念させて貰おう」

 これでユリアンとミューズにようせい、そしてシャールが戦闘から遠ざかる事になる。

 詩人が次に目を向けたのはエレン。

「エレン、お前はなんとかなりそうか?」

「…無理ね。多少近づけば戦力になれると思うけど」

 エレンの遠距離攻撃はほぼ玄武術頼みだ。一応トマホークもあるが、いくらなんでも弓矢より射程はない。そしてその玄武術も癒しの力やサポートに重きを置いており、遠距離攻撃を想定して鍛えていない。精々が中距離であり、遠い敵とは戦わないのが基本的な彼女のスタンスだった。せめて相手の矢が届くくらいでないと効果的な攻撃はエレンにはできない。

 そのくらいは詩人も分かっている、伊達に彼女を鍛えている訳ではないのだ。しかし何度も言うが、こうして言葉にして仲間と共通認識にする事が大事である。

「エクレア、お前は?」

「んー。結構ギリかな」

 海上では自分と相手の距離が測りにくい。指標となるものがなく、海と空だけが広がっているのだから当然だが、それ故に距離感が狂うのだ。

 その点で言えば相手は海戦になれていると思った方がよく、海戦になれていないエクレアの距離感は当てにならない。こちらが確実に射程距離といえる範囲と、相手が射程に入ったと確信した範囲がどちらが広いのかは分からない。術の方が射程に優れているとはいえ、これでは確実に先手を取るのは難しい。

 そう思うのは、距離を測れないからであり。要するに距離が測れればいいのだ。

「ドビーの弓を持っていただろ? 多少の矢は無駄にしていいから、それで距離を測れ。お前の術が一番威力が高いからな、あてにしている」

「あ、その手があったね。分かったよ」

 エクレアは自分の矢がどのくらいまで飛ばせるかくらい把握している。それを利用して距離を測ればいいという訳だ。

「鈴、お前は弓も術も使えるはずだが、どうだ?」

「海戦は初めてですからなんとも…。でも、私の術では威力が足りませんよ?

 蒼龍術は大型船を相手にしては相性が悪そうですし、太陽術だってそこまで効果があるかどうか。そもそも術は得意ではないですし」

「そうだな、そこは合成術でなんとかならないか? どうせあの妖怪婆に仕込まれているだろ?」

「まあ老師には教わりましたよ、合成術も。じゃあ私は詩人さんと組んでですか?」

「いや、俺は天術しか使えないし、できれば遊撃要員として動けるようにしておきたい。

 モニカ、鈴と組んでくれ」

「わたくしですか? もちろん構いませんが…」

 急に話を振られたモニカだが、問題なく頷く。

 とはいえ、モニカは合成術の事は何も知らない。その単語を聞いたのも初めてだ。

「けれども、わたくしは合成術とかいうものの事は何も分かりませんわ」

「そこは鈴がなんとかするだろ。モニカは鈴に合わせればいい」

「また詩人さんは。面倒な事を私に投げるんだから」

 形だけ憤ったリンがいうが、それには親しみしか感じない。ミューズなどはクスクスと笑っている。

 言っている間にエクレアは矢を番え、第一射を放つ。たったの一射だが、エクレアはそれだけでおおよその距離を掴んだらしい。

「問題ないね、だいたい分かったよ。後…40秒くらいでトルネードの詠唱に入るよ」

「よし、任せた」

「合成術はもう少し近づかないとダメね。モニカさん、使える術の属性は?」

「朱鳥と月です」

「そう、私は蒼龍と太陽」

「あ、私と同じだ」

 最後に一言だけ言って、エクレアは集中を始める。

 このような海戦では詠唱速度などに意味は少ない。それよりも術威力をあげる方が肝要となる為、エクレアはそっちに重点を合わせて術の詠唱を始める。

「天術が違うならそっちの合成術は攻撃には向かないわね。それじゃあ地術の合成でいきましょう。

 モニカさんは朱鳥の術力を高め続けて。それを私の術に乗せてくれるだけでいいわ」

「は、はい」

 何気に難易度が高い事を要求されている事に少しだけモニカも声が引きつる。まあ、やるしかないのだが。リンとモニカも術力を高めていく。

 段々と船同士が近づき、目視で敵船の兵が弓に矢を番えるのが微かに見える頃。

「トルネード!」

 エクレアの術が発動された。

 威力を高める事に集中したその最強の蒼龍術は、海上にて竜巻を作り荒れ狂いながら戦艦の一つをズタズタに引き裂いていく。

 沈める事はかなわなかったものの、装甲はボロボロに、帆やロープはズタズタに、船員も怪我を負った者から海に落ちた者までいる。戦闘能力は完全に削がれたといっていいだろう。

 まさか快速船に術師がいるとは思わなったのだろう、相手方から動揺がひしひしと伝わってくる。そしてそれが攻撃の機会をなくしてしまった。

 リンはモニカと合成術を発動するのが初めてであり、少しだけ術の発動に手間取ってしまい、矢の射程内に入ってしまっていたのだ。もしかしたらその矢によって術者を仕留められれば、まだ勝つ可能性はあったかも知れない。詩人にユリアンやエレン、シャールが護りに入っている中でそれを抜けて術師を仕留められる可能性がどれほどあるのかは知らないが、それを知らない側ならば攻撃するメリットはあったはずなのだ。少なくとも矢を射かけるデメリットはないといっていいだろう。

 だがその好機はもう存在しない。モニカの術力を一致させる事に成功したリンは、二人分の魔力を解放して合成術を発動させる。

 どうやらモニカの方が術者としてのレベルは高いらしく、威力はそちらに引きずられる。対抗できなくはないのだが、する意味もないのでそのまま術力を解放。朱鳥の炎の属性が、蒼龍の風を受けて一気に燃え上がる。

 ライジングフレーム。そう呼ばれる炎の風がマストを燃やし尽くしていく。帆だけならまだしもその支えとなるマストを燃やされては、帆船はもう自力で動く事はできない。他の船に牽引されない限り、ただ漂流する事しかできない。

「お見事」

 唖然とするユリアンやミューズ、ようせいを目に捉えながら満足そうに頷く詩人。

 しかし、悔しそうなエクレア。

「うー。もうちょっと威力あるかと思ったのに」

「十分だ、殲滅船にあれだけダメージを与えられればな」

「だが相手の快速船はもう逃げに入っているぞ? 逃がしていいのか?」

 シャールが口にした通り、相手の最後の一隻はグルリと小さく回ってこちらに尻を向けている。

 だが逃がしてやる選択肢はない。下手に警戒されてはやりにくくなるのだ。ファルスとしては正々堂々と相手取りたいらしいから撃沈させる気はないが、この船がウィルミントンに着くくらいまでは無警戒でいて貰いたい。

 ニヤリと笑った詩人は術を唱える。快速船というだけあって足が速いその船は逃げると判断するまでにこちらに近寄り過ぎており、そして反転したばかりの今ならばまだ術の効果範囲内だ。

「太陽風」

 その術で最後の一隻の帆やロープが燃え始める。慌てて消火活動に移るが、船とは基本火に弱いのだ。唐突に燃え出した上空にあるそれらを鎮火することなど容易くできる筈がない。すぐに消火を断念し、せめてマストに延焼しないようにするのが手一杯だ。そして走行能力が無くなったのに、こちらには術師が健在。もはや分があるなしのレベルではない。

 そしてするするとあがる白旗。勝ち目がない事を相手も悟ったのだろう。

「勝ちだ」

「…なんか戦った気がしないなぁ」

 言い切る詩人だがエクレアはそうぼやく。

 実際、彼女がやった事とは相手の手の届かない距離からトルネードを一発放っただけである。剣を合わせる事に調子を合わせて戦う気でいたとすればその感想は間違いではない。そして海戦の常識に合わせても間違いではない。術船がどれだけ非常識なのか分かるだろう。

 まあ、これは極端な例であるのだが。エクレアにしろ詩人にしろ、このレベルの術者はそうそういない。また合成術という概念も、ウンディーネやボルカノにバイメイニャンといった世界に数人しかその発想に至っていないのだから。そんな規格外が術船ではなくただの快速船に乗っている方がおかしいのであり、むしろピドナの方が哀れである。

 ともかくどこか不服そうなエクレアは無視して、詩人は近づいてきた船長に声をかける。彼はこの船にいるファルス側の最高責任者だ。

「見ての通りだ、問題ないだろう?」

「驚くより呆れるしかないな。術師がここまで非常識だったとは、な」

「ケースバイケースさ。で、降参した奴はどうする?」

「どうもせんよ、ここで数隻潰す時間が惜しい。ただし勝鬨だけはあげさせて貰うがな」

 そう言って船長は一枚の旗をあげるように指示する。

 それはファルスの国旗。自軍の所在を明らかにして、それをピドナに見せつけながら触る事なく間を抜けていく。

 ピドナとしては、いやルードヴィッヒ側としてはさぞや悔しいだろう。雑多な相手と見下していたファルスにズタボロにされ、白旗をあげて降伏すればお前らなど眼中にないといわんばかりに無視される。

 そんな相手の屈辱が手に取る様に分かるから、ファルスの船員の気分は最高によかった。ルートヴィッヒ最大の敵はファルスだと思われるのが痛快だった。

 

 詩人は勇ましい勝利の詩を歌い上げ、ミューズやモニカも一緒になって高らかな歌声を響かせる。

 陽気な船は調子をあげて進んでいく。

 何度か敵船との遭遇はあったものの、同じような戦いを経て一行はウィルミントンに無事に辿りついたのだった。

「やっぱ私は海戦は性に合わないなー」

 エクレアの愚痴に船員の顔が引きつったのはご愛敬。

 

 

 




感想やお喋りなども大好きですので、気が向いたら是非是非お言葉をください。
作者のやる気がモリモリあがるので!

…しかし、リマスターの情報が未だに更新されないのが気になるなぁ。


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071話

これから年末年始にかけて忙しくなりますが、頑張っていきます!


 

 コンコンとフルブライトの執務室のドアがノックされる。

 現在、フルブライト商会とドフォーレ商会は戦争状態にある。そして戦争状態にあるからといって他の業務がなくなる訳でもない。むしろ補給線の確保や市民の安心など、心を砕かなければいけない案件は多い。もちろん戦争に負けては全てを失ってしまう為に戦いにも全力だ。

 そうなってしまえば普段以上に体を酷使したとしても間に合う訳がない。フルブライト商会は、そしておそらくドフォーレ商会も新規開拓などを停止して今現在の問題に全力を注いでいる。そうなってしまえば視察などに出る余裕がある訳もなく、それぞれの拠点で執務の為にカンヅメになりながら身を粉にして働くという事になる。

 そのような状況なのだから、フルブライトの元には最重要案件としかいえないような事柄しか通される事はない。今度は何事かと、誰も居なかったが故にしていた疲れた顔を隠し、声をかける。

「入れ」

「はい、失礼します。詩人様が他数人と一緒にお見えになりました。中にはエレン・カーソン様、エクレア様。モニカ・アウスバッハ様。ミューズ・クラウディウス様、シャール様もいらっしゃいました」

「! そうか」

 この状況において詩人が訪れてくれたというのは非常に大きい。どちらに流れがきてもおかしくない拮抗状態、フルブライトが力において最も頼りにする詩人が来たのはもちろん、フォルネウスを倒した英雄であるエレンとエクレア、中立を決め込んでいるロアーヌの妹姫、クラウディウス家の忘れ形見。どれもこれも事態を好転させるのに明るい材料となる。

 報告しにきた執事にさっそく指示を出す。

「すぐにこの執務室に連れてきてくれ」

「しかし、全員で9名にもなる大所帯ですが、ここは少し手狭ではないですか?」

「何? そんなに居るのか?」

「はい。それと詩人様はウンディーネ様とも会いたいとおっしゃっていました。合わせると11名になります」

 フルブライトの執務室は簡単な話し合いができるように、ソファーやテーブルも置かれている。しかし座れて6人といったところで、11人ならばキャパシティーは完全に超えてしまっている。重要な話し合いをするにはあまりよろしくないだろう。

「分かった。第一会議室に案内してお茶と茶菓子を振るまっていてくれ。

 それからウンディーネとも会いたいと言っていたな。その旨を彼女に伝えて第一会議室に来るようにお願いしてくれ。私も仕事が一段落したらすぐに向かう」

「承知しました」

 一礼して部屋を辞する執事。

 ウンディーネは戦争が始まると同時、フルブライトが真っ先に協力を依頼した一人である。術は陸戦にはもちろんだが、海戦に圧倒的なアドバンテージを誇るのは前述の通りであるからして、縁がある彼女に協力を依頼しないという選択肢は存在しない。

 かくしてウンディーネはそれを快諾。かなり吹っ掛けて来たのは仕方ないとしても、貴重な術師が大量に手に入った。海戦用に訓練をする為、有望な術師と共に彼女がウィルミントンに来て作戦会議に参加してくれたのは嬉しい誤算であった。参謀の一人として雇う事になり、さらに毟られたのは苦笑いだが、有利になる為ならば必要経費だろう。フルブライトはモウゼスを抱き込む金に糸目をつけることなく、快く支払っていた。

 この上で詩人達をも抱き込めればこの戦争で勝ちの目が大きくなってくる。そう考え、フルブライトは心を弾ませながら至急に終わらせる仕事だけをこなしていく。

 やがてフルブライトは執務室を出て、第一会議室へと向かう。足取りは軽く、彼がよほどこの会合に期待しているといえた。

 辿りついた会議室のドアをノックして入るフルブライト。

「失礼するよ」

「壮健そうで何よりだ、フルブライト」

 そこには言われた通りの人数。ウンディーネも到着していたようだし、妖精族に見慣れない服装の娘。ミューズにシャール、モニカにその護衛らしき男。エレンにエクレア。そしてにこやかな笑みを浮かべた詩人。

 その表情から、詩人が激怒していることを感じ取ったフルブライトの浮ついた気分は一気に醒めて、背筋に冷や汗が伝う。詩人は怒らせると、それはもう本当に怖いのだ。以前に彼の名前をアバロン11世と知る為に嵌めた時など、その後しばらくウィルミントンに運ばれる荷が謎の襲撃者によって幾度となく燃やされる事件が起きた。フルブライトが詩人に頭を下げてからその事件は沈静化したが、その損害とプレッシャーは今でも思い出したくない。思い出したくないのだが、今正にそのプレッシャーを詩人から感じている。

「こちらこそ。ウィルミントンまで来てもらって心底感謝しているよ、詩人」

 フルブライト商会の会議室で2人の男が醸し出す冷たい風が吹きすさんでいた。そしてそれを見るしかない周囲の人々。

 口火を切るのはにこやかな顔をした詩人。

「どうやら楽しそうに遊んでいるみたいじゃないか、フルブライト。人手が必要かと思って来たんだが、お邪魔だったか? 急ぎの用事もあってな、すぐにも立ち去った方がいいか?」

「いや、悪かった。お前の目的にそぐわない事をしているのは自覚しているつもりだ。浅はかな事をしたと思っている、私が悪かったのも認める。その上で頼む、どうか手を貸してくれないか?」

「謝るのは俺にだけか?」

 全力で頭を下げるフルブライトに詩人は容赦しない。まだやらかした事があるだろうと暗に責め立てる。

 心の中でため息を吐きながら、フルブライトはエレンとエクレアに向き直って彼女たちにも深く頭を下げた。

「エレン、エクレア。君たちを利用した事を認める。どうか、許して欲しい」

「え、あの、その…」

「謝るだけなら誰でもできるしー。もちろんそれだけで済まそうと思ってないよねー?」

 フルブライト商会会頭に頭を下げられるという珍事にエレンは動揺してしまう。確かにフルブライトには上手く使われてしまったようだが、エレンとしては戦争が起こってしまった事はともかくとして、ドフォーレ商会の闇を一つ叩き潰せた事は決して悪い事と認識していない。どうしたらいいのか分からなくなってしまう辺り、やはり彼女は腕はともかく根はまだまだ田舎娘だった。

 対してエクレアの根は大商会、ラザイエフの娘である。相手が全面降伏しているならば更に叩くという、政治や商売の基本はきっちり抑えていた。

 エクレアがラザイエフの娘、タチアナだと知っているフルブライトはそのくらいは分かっている。だからこそ、はいごめんなさいと終わらせるタマでもない。

「もちろんだ。なんなら、君の御父上に謝罪する準備もある」

「!」

 エクレアの顔色が変わる。エクレアの母は既に亡く、親は父しかいない。そして自分は家出をした身、下手に話が通ってしまえばどうなるのか分かったものではない。

 フルブライトがそこを分かった上で言っているのは明白だった。つまり、彼はエクレアの正体に感づいている。

 謝罪する体で脅迫しているフルブライトに、詩人は溜息を吐く。

「フルブライト?」

「対価としては悪くないと思っているが?」

 つまりこれは、エクレアの事を実家に黙っているという取引なのだ。

「分かったわよ。でも、ちゃんと戦争に参加する分は貰うからね」

「収めてくれて嬉しく思う」

「あ、エレンの分は残っているのは忘れるなよ」

「……分かっている」

 詩人は多少落ち着き、エクレアは憮然としながら矛を収め、フルブライトは波を一つ越えたと胸を撫で下ろし、エレンの頭上にはハテナマークがついている。

 ひとまず過去の話が終わり、次は今後の話に移る。

 

「まずは確認したい。ウンディーネ君は承諾を貰っているが、ここにいる全員がフルブライト商会側で戦争に参加すると思っていいのだな?」

 その言葉に全員がこっくりと頷く。

 それを確認してから、フルブライトは西部の中央から上部が載った地図を取り出した。すなわち、フルブライト商会の本拠地であるウィルミントンとドフォーレ商会の本拠地であるヤーマスが同時に載っている地図だ。

 そしてチェスのコマを取り出し、それぞれに配置していく。まずは白のコマをウィルミントンに、黒のコマをヤーマスに。

「現在、戦況は大きく4つに分かれているといっていい。まずはバンガード、陸戦の激戦区だ」

 バンガードに白のコマを2つ、その北側に黒のコマを2つ置く。

「バンガードには城壁があり、守りに入っているうちは堅牢な防御でこれ以上の侵略を許していない。

 だがドフォーレは多くの兵をここに集結させ、攻め立てている。こちらから打って出るのもままならない程苛烈な攻めだ。そういう意味では拮抗しているが、お互いに厳しい状況と言えるだろう。バンガードが抜ければその勢いのままにウィルミントンまで押し寄せてくるだろうし、ドフォーレが息切れすれば反撃にでた我々がそのままヤーマスにまで攻め上れる」

「相手の士気はそんなに高いのですか?」

 疑問に思ったシャールが聞く。城攻めは圧倒的に守勢側が有利であり、攻め手はかなりの損害を出している筈だ。

 それでも士気を保っているというのは少し考えにくい。味方の死者が増えれば自然と士気が下がるもの。

 答えたフルブライトは嫌悪に顔をしかめながらその問いに答える。

「ここに参加している兵は家族などが人質に取られているらしい。敵前逃亡は当然として、戦果をあげられなければ命の保障はされないと」

「そんな…」

「ひどい…」

 心優しいミューズやモニカは悲痛に顔を歪める。エレンも嫌な事を聞いたと嫌悪感を隠そうとしていないし、ユリアンも表情こそ変わらないものの僅かに怒気が漏れ出ている。

 だがそれも戦争である。ましてや相手はドフォーレ商会、人をエサにしてモンスターを飼育しているような事をしていると考えればそのぐらいは想定の範疇だ。特に驚きを見せないのは詩人やシャール、そしてリンといった面々。

「死兵、という訳ですね。操り、死ぬ事を前提に消耗品として扱う。戦略としては確かにある話ね」

「となれば生半可な説得では聞くまい。大半が死ぬまで攻め続けるぞ」

「……戦況は4つあると言っていたな。まずはそれを全部聞こうか」

 そうして続きを促す詩人。

 頷き、フルブライトは次に大西洋にコマを3つ置く。白のコマを2つ、黒のコマを1つ。

「西の海の制海権はこちらが握っている。バンガード船は規格外というしかないな、負ける気がしない」

 動く島を船としたバンガード船。それはフォルネウスさえも沈める事はできなかった程であり、もちろん人間がどうこうできるモノではない。仮にエクレアがトルネードを放ったとして、バンガード船にダメージは通らないだろう。

 そしてこちらとしては体当たり一つで相手の船を木っ端微塵にできる。まともに戦う必要さえない。もちろん相手を捕縛したければ白兵戦を仕掛ければいい。バンガード船に乗り込める人員は楽に千を超え、普通の船に乗り込める人数が百前後と考えれば文字通りにケタが違う。これで負ける方がむしろ難しい。

 そう言ったフルブライトの説明を聞いて、詩人やウンディーネ、ようせいにリン以外の顔が引きつった。もはや戦いにすらなっておらず、聖王がバンガードを封印した訳が分かるというものだ。強すぎる力は争いしか生まないと考えれば間違いではない。

 西部の海に関して説明が終わった後、次にフルブライトは内海にもコマを3つ置く。ただし、こっちは黒のコマが2つで白のコマが1つだ。こっちはドフォーレ商会側が有利という訳だろう。

「バンガード船は内海に持ってこれない。その上でドフォーレにはルートヴィッヒが付いた。こっちの海戦は分が悪いと言わざるを得ない、単純に数が違い過ぎるんだ。必要な航路だけはなんとか確保できているが、被害は大きい」

「それに関しては朗報がありますわ」

 そこでミューズはファルスからの親書を取り出す。

 受け取ったフルブライトは中を検め、ふむと声を出した。

「ファルスがこちらに付くか」

「ええ。ルートヴィッヒの専横を討つべしと高い士気を持っていましたわ」

「ありがたいが、焼け石に水といえばそうだな。ピドナの反対側から攻撃したとして、ウィルミントン近海に影響は余りあるまい」

「え?」

 てっきり喜ぶかと思っていたミューズだが、フルブライトの反応は思っていたよりもずっと素っ気ない。

 驚いてシャールを見るミューズだが、彼はやや諦めた顔で頷くのみだった。

「せめて最初からこちらに付いてくれればもう少しありがたかったのだが…この状況では大きな影響力はないだろう。

 もちろんルートヴィッヒの攻撃が少しでも少なくなるのは嬉しいがね」

「そんな……」

 落胆した声をあげるミューズだが、そこに割り込むシャール。

「しかしファルスが敵に回るよりもずっといいはずです。クレメンス様の娘としてファルスを動かした事さえ評価しないつもりですか?」

「もちろん味方が増えるのはありがたい。が、こちらにも打開策はある」

 そう言ってウンディーネを見るフルブライト。

 術の天才はにっこり笑って打開策を口にする。

「先のフォルネウスとの戦いで、多くの弟子を取る事ができたの。最低限の術を使えるようにして、合成術という複数人で術力を合わせる事に特化させたわ。

 調整するのに時間はかかったけど、もう目処はたったからそろそろ戦線に投入できそうなの。内海は私に任せて貰っていいわ」

 折角ファルス軍を口説き落としたのに、その苦労が水の泡になりそうなミューズとシャールは苦虫を噛み潰したような表情になる。

 そして聞き覚えのある単語に声を出してしまうのはモニカ。

「合成術とはリンさんが使えた、アレですか?」

 その言葉に視線を鋭くするウンディーネ。

「お嬢ちゃん、どういう事かしら?」

「いえ、わたくし達もここに来るまでに海戦を経験して、合成術を使ったのですわ。リンさんが使えたのでわたくしは術力を高めただけですが…」

 そう言ってリンを見るモニカ。しかしウンディーネが睨んだのは詩人だった。

「まさか、また貴方?」

「ちげーよ。何でもかんでも俺と結び付けるな」

「理不尽な事があれば、だいたい貴方が関わっているような気がするのだけど」

「その認識は改めろ、マジで」

 心外だと言わんばかりに溜息を吐く詩人。

 実際この件に関しては詩人が言う事は正しいのだが、彼にそれを言う権利があるのかどうかはこの場にいる全員が疑問に思う事だろう。

 しかし今回は、今回に限っては本当に彼は関係ない話だ。

「ま、まあその話はいいじゃないですか。それで4つ目の戦況はなんでしょうか?」

 関係ない方向に話が進みそうだったので、ユリアンが慌てて話を戻す。

 その言葉を聞いてフルブライトは白のコマをヤーマスの西側の海岸上に、黒のコマをウィルミントンよりやや北側に配置する。

「4つ目は局地戦だ。こちらはバンガード船から送った兵をヤーマスの西に配置して圧力をかけている。対してドフォーレはウィルミントン周辺にモンスターをばらまき、こちらの領地を荒らしている」

「モンスターをばらまく?」

「ああ。戦争が始まってから不自然なまでにモンスターの被害が増えた、それも奴らが制海権を取っている隣接した土地にだ。まず間違いなくドフォーレの仕業だろう。

 モンスターの被害を増やす訳にはいかず、そちらにも兵力を割り振らなければならない状況だ」

 話が終わり、僅かに沈黙がおりる。

 そして口を開くのは詩人。

「俺たちが手を出すのは陸戦と局地戦だな。海戦はどちらも勝ちの目処が立っている」

「あら、信用して貰えるとは光栄ね」

 不敵に笑うウンディーネに、茶目っ気のある笑いで返す詩人。

「信用してるさ、ウンディーネの事はな。俺より優れたところが多い才女だと」

「ふふ、上手ね」

 笑みを交わし合った彼らだが、すぐに真面目な表情に戻る。

「で、だ。どちらに誰を割り振るかだな」

「わたくしはバンガードに行きます。戦争を勝利に導いたという名誉が欲しいのです。その為には直接的に戦況に関われる方が望ましいですわ」

「モニカがそっちなら、俺も当然そっちだな」

「ミューズさまにはなるべく危険がない方がいい。私たちは局地戦の方に参加させて貰おう」

「シャールの判断に従います」

 モニカ、ユリアン、シャール、ミューズの割り振りが決まる。

 次に希望を出したのは詩人。

「俺はこんな戦争なんてとっとと終わらしたいのが本音だからな、バンガードに行ってドフォーレの軍を蹴散らしてくる。

 陸軍の大半を潰せば後はフルブライトの軍がなんとでもするだろう」

「詩人さんが行くならば私も行きますよ。正直、西の事はさっぱり分からないですから、詩人さんについて行った方がいいですし」

「私も詩人さんについて行くよー」

 詩人とリン、エクレアも決まる。残るのはエレンとようせい。

 そしてその片方に依頼を出したのはフルブライト。

「エレン君は申し訳ないが、バンガードに行ってくれないか? フォルネウスを倒した英雄がいれば士気が違う」

「え? ええ、あたしは構いませんけど…」

「じゃあようせいは局地戦だな、人間の戦争よりもモンスターを蹴散らす方がいいだろ」

「はいっ! 言われるがままに!」

 こうして戦争にどう参加するかが決まる。そして早くに決着をつけた方がいいとの判断から、翌朝には出発する事も決まる。

 詩人たちはバンガードへ。シャールたちはモンスターの駆除へ。

 次の話題は、報酬について。

「言っておくが、高いぞ?」

「…覚悟しよう」

 詩人が改めて念を押すと、フルブライトにしては珍しくやや言いよどみながら答えを返した。そしてぐるりと全員を見回して、言う。

「この際だ、全員要望を出しておけ」

「おい、詩人」

「文句あるか?」

「……高すぎるのは、交渉するからな」

 詩人がじろりとフルブライトを睨む事によって、彼は諦めたようなため息と共にそう口に出した。実際、彼らの戦力は喉から手が出る程欲しい。これで戦争に大きな勝機を見いだせるならば、高い買い物だとしても甘んじて受けなければいけないとは分かっているようだった。

 そしてまず口火を切ったのはモニカ。

「わたくしが欲しいのはフルブライト商会の後ろ盾、それから戦争を終結させたという実績ですわ」

「分かった。モニカ姫、貴女の個人的な力になる事を約束しよう。そしてこの戦争を終わらせる事に貢献できたならば、その一員として喧伝する事を保障する」

 ややがっつき過ぎなくらいのモニカだが、ツヴァイクを超える価値を示すというならばこのくらい貪欲でなければいけないのだろう。

 そして同じくらい切羽詰まっているのはミューズであり、その片腕であるシャールが口を開く。

「クラウディウスとしてもフルブライトの助力が欲しい。いつかルートヴィッヒと事を構える時はファルスやトーマスカンパニー、レオナルド武器工房と共に戦って欲しい」

「それも承知しよう。幸い、ルートヴィッヒはドフォーレに付いた。この戦争が一段落した後に敵対する口実は十分だ」

 9人中4人の報酬が決まる。エレンやエクレア、ようせいやリンはあまり大きな欲はないからどうするか悩んでいるが、詩人の言葉は決まっている。

「俺の目的は知っているな? 手早く宿命の子を探し出したい。ヤーマスを支配下に置いたら、無茶をしてでも世界中に手を伸ばせ。宿命の子を確保しろ」

「そうだな、今までは見つかれば引き渡す約束はしていたが、今後は積極的に探すスタイルに切り替えよう」

 残るは4人。その中で詩人は更に口を出す。

「エレン、お前は(きん)にしておけ」

「へ? お金じゃなくて、(きん)なの?」

「そうだ、四魔貴族を相手にするなら必要になる」

「? まあ、詩人がそう言うなら…」

 詳しい説明はないが、具体的な金銭というのは分かりやすい報酬だ。エレンとしてもフルブライト商会にとりあえずやって欲しいものがある訳でもなし、詩人がそういうならと素直に従う。

 だが次の詩人の言葉に全員の表情が一気に強張った。

「エレンの報酬だが、18金のコイン型インゴットを用意して欲しい。10キロ程必要になる」

「じゅっ!?」

「何オーラムになるのよそれ!?」

 破格過ぎる額に絶句する。フルブライト商会としては用意できなくもない量ではあるが、それをただ一人に渡すというのはよろしくない。他にもそれだけ寄越せという人間が出てくるのは自明であり、そうなった場合にはそれが騒乱の種になる。

 顔を引きつらせながらそれを告げるフルブライト。まあ、それくらいは詩人も分かっていた。なのでここで別の人間に話を振る。

「エクレア、お前は何か欲しいものがあるか?」

「え? ああ、そーいうこと。別に私は欲しいものはないし、いーよ」

 察しのいいエクレアは詩人の言いたい事を即座に飲みこんだらしい。

 自分の報酬も併せてエレンの(きん)に都合していいと承諾する。それでも鈍い顔をするフルブライト。

「2人分でも、厳しいな。確かに戦況をひっくり返すならば多大な報酬は問題ないが、それでもまだ多すぎる」

「王様が必要とされているようですし。私の報酬もそれでいいわよ」

「詩人さんに迷惑をかけてますし、私も」

 しぶるフルブライトに更に自分の報酬を上乗せするようせいとリン。

 自分の利益をあっさりと渡してくれる仲間たちに、エレンは静かに頭を下げた。そしてフルブライトは素早く計算していく。そして弾き出された答えは、4人分の報酬としてなら問題ないという事だった。

「承知した。だが言うまでもないが、君たちの手腕で戦争に勝ったという前提での報酬だからな」

「まあ、当然だな」

 負けは論外、フルブライトはドフォーレに支配されるから無理なのは当然として、この破格の報酬は戦争勝利の立役者というのが前提にある。

 そうでないならば支払えるものではないのだ。

「では話し合いはこれで終わりにしようか」

「あ、ちょっと待て。俺はウンディーネに話があるんだ」

「奇遇ね、私も詩人に話さなければいけない事があったところよ。それから…モニカお嬢ちゃんとミューズお嬢ちゃんにも話がしたいわ」

 詩人が、そしてウンディーネがそう付け加える。

 お互いに話があるようだが、それにはどうやらフルブライトは関係がないらしい。彼は肩をすくめながら立ち上がる。

「まあ、しばらくはこの会議室を使ってくれて構わない。

 それから外に宿を取る手間もかかるだろう。今日の所はこの屋敷に全員が泊まればいい、話は通しておこう。

 私は仕事があるから失礼するよ」

 そう言って席を外すフルブライト。指名を受けていない者もいたが、他に用事がある訳もないので彼らの話を聞く態勢に入っている。

 残された中で、詩人は表情を厳しくする。正にこれからこそが本題と言わんばかりにその眼力は強い。

「ウンディーネ、ボルカノが魔王の盾を持って生きているというのは知っているか?」

「…やっぱり貴方もその情報を手に入れていたのね」

「前置きは無しだ。奴の死亡は、俺とお前の両方が確認したはず。どういう事か分かるか?」

 それに真剣な表情をして頷くウンディーネ。

「ええ、業腹だけどあの男に一杯喰わされたみたいね。

 ボルカノの研究成果を手にしたけど、朱鳥術の奥義にリヴァイヴァという術があったわ。己の生命力を削る事により、死からも不死鳥の如く舞い戻れる秘術。

 それを知った後、死者の井戸に封印した魔王の盾を確認したけど、残っていたのは解かれた封印だけで魔王の盾は存在していなかった。

 ……モウゼスの魔王の盾は、あの男に奪われたわ」

 悔しそうに唇を噛むウンディーネ。モウゼスが代々封印し、守ってきた魔王の盾を奪われた無念がにじみ出ていた。

 同じく大変な事になったと表情を険しくする詩人。

「奴は南方のジャングルで暴れているという情報が入った。そこにいる妖精族が迷惑を被っているらしい。

 エレンが次の標的にした四魔貴族はアウナス、やはり拠点は南方のジャングルにある火術要塞だ。一緒に始末する」

「お願いするわ。それでできれば魔王の盾を回収、もしくは破壊してくれると助かるわ。

 ……私は、もう四魔貴族に関わる気はないけど。術の指導ならしてあげる」

 そう言って先程名前を呼んだモニカとミューズの方を見る。

「貴女達、魔力に溢れているわね。素晴らしいわ。よかったら術の手解きをしてあげるわよ。

 もちろんエレンお嬢ちゃんにエクレアお嬢ちゃんもね。合成術の研究も進んだし、術具にも磨きをかけたわ。前よりも強くしてあげるわよ」

 その言葉に喜びの顔をして、嬉しそうな声をあげる少女たち。

 それを温かく見守った詩人は今度こそ場を締める。

「方針は決まったな。

 まずはこの戦争にとっとと勝つ。その後、またウィルミントンに戻ってアウナスに向けて鍛えていこう。

 十分に鍛えられたら船でアケまで行き、ボルカノとアウナスを始末する」

 気楽に言うが、どれもこれも大変なのは言うまでもない。

 しかしやる気は高い。今後の指針も立ち、それに邁進すればいいというのもやりやすい。

(このまま何事もなくいけばいいが……)

 そう心の思っているのは一人ではないが、だが心配しても何も始まらない。

 やれる事をやる。それしかできないのだから。

 

 

 




とうとうリ・ユニバースも始まりますね。
正直、前はあまり期待してなかったですが、今はちょっとワクワクしています。
楽しめるといいな。


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072話

頑張っています、週一以上の更新を目指して。


 

「モンスターが多いな…」

 ウィルミントンとバンガードの間にある、野営に向いた場所。そこで夜を迎えた一行は静かに焚き火を囲んでいた。そこでぽつりと声を漏らしたのは詩人である。

 それに全員が頷く。エレン、エクレア、ユリアン、モニカ、リン。普通ではあり得ない量のモンスターに襲われた事はシノンから出た時、ガルダウイングに率いられた群れと戦った事に酷似しているが、もちろん違いもある。

 まず一つ目は全員が騎乗していた事。ウィルミントンからバンガードまで徒歩で行くと詩人の足でも数日かかるのに、城暮らしだったモニカが含まれるとなれば時間は更に消費されるだろう。最も遅い者に行軍を合わせるのが当然なのだから。

 今はとにかく時間が惜しい為、詩人はフルブライトに要請して全員分の馬を用意させた。軍馬となればもちろん安くもないが、詩人たちをバンガードを送る事に変えられる訳もなく、全員の分が直ちに用意された。とはいえ馬に乗れなかった者もいた。誰であろう、エクレアだ。彼女は女の子であった為、実家では基本的に教養を主に習わされていた。武術もさりげなく認められていたとはいえ、彼女がリブロフから離れる事を想定していた訳でも無し、馬に乗るという事に興味があった訳でもなし。馬術の能力は彼女に備わっていなかったのだ。

 ここでどうしたかというと、エクレアをモニカの馬に乗せる事を選んだ。馬とて重い荷物を乗せて走れば当然ながら疲弊する。ならば最も体重が軽いモニカとエクレアを合わせるのが合理的だった。また、何かあった時に一番心配なモニカに護衛を付けるという意味合いもある。

 そして5頭の馬は十字型の陣形にて二つの街を繋ぐ道を疾走し、知る者がいればそれはインペリアルクロスという陣形になっていた。先頭にウィルミントンで買い求めた槍を持った詩人を置いて突破力を上げ、中央に鈍いモニカとエクレア、両翼にユリアンとエレン。最後尾に弓を携えたリンが備える。一応明記しておくが、疾走する馬上において槍や弓を扱うのは至難の業である。それを事もなくやり遂げるのが詩人とリンなのだが。

 そうして彼らは…というか、詩人とリンは。遮るモンスターを蹴散らし刺し貫き射抜いて仕留めていく。エレンやユリアンの出番は全く存在しなかった。一応、襲撃に備えてはいたのだが。

 やがて馬の体力にも限界が見え始め、更に日も暮れ始めていた為に野営をしたという具合である。朝から晩まで馬を駆けさせれば一日で着く距離とはいえ出発したのは昼食を取った後であるし、そもそもとして普通の馬はそこまで体力は持たない。夜を一つ越すくらいの覚悟をするのは当然であるし、実際そうしている。

 その中で詩人が語り始める。

「群れに率いられる訳でもなく、ただただモンスターの数が無秩序に増え続けている。フルブライトの言う通り、人為的なナニカを感じるな」

「同感です。ただの行軍でここまで矢を射った事はちょっと記憶にありません」

 もう一人戦った人物であるリンも首肯する。疾走する馬上から弓を扱う事がない訳ではないが、今回の量はケタが違った。それなり以上の経験を積んだ彼女とて疲労の色を隠せない。詩人は平然としているが、彼と比べる方が可哀想というものだろう。

 そんな苦労も知らず、気炎を上げるのはユリアンとエレン。

「じゃあやはり…!」

「やっぱり、ドフォーレ商会がモンスターをばら撒いているのっ!?」

「ここまで状況証拠が揃えば間違いないだろうな。勝てばドフォーレを潰せる理由がまた増えた」

 頷く詩人だが、彼とは違うところが気になったのは心優しいモニカである。

「それで、その…ウィルミントンやその周辺の集落は大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫な訳がない。が、フルブライトも見捨てる選択肢はないだろう。結果としてバンガードに送る兵は減り、戦況は悪くなっていく。ドフォーレがとる戦略としては悪くない」

「じゃあ、ドフォーレが有利って事?」

 モニカの問いに首を振った詩人だが、続くエクレアの問いにもやはり首を横に振る。

「そういう訳でもない。大西洋側をフルブライトが掌握しているとなれば、そっちから圧力がかけられる。また、バンガードは城塞都市だ。守勢に長け、攻めるに不利。合わせれば膠着状態だな。……続けば千日手、被害は増える一方だ。

 そこをなんとかするのが俺たちの仕事という訳だ」

 ウィルミントンに残ったシャールたちの仕事はひたすらモンスターを減らしていく事だろう。

 対して詩人たちの仕事は彼が言った通り、戦争の趨勢を決定付ける事。

 いくらなんでもこれは楽には済まないだろうと考える大多数、具体的に5名。詩人以外である。

 詩人にとっては面倒かそうでないかだけの違いであり、手順の差異はあれどもこなせない仕事だとは微塵も思っていない。ただ、やり方によっては眉を顰める者もいるだろうから、それをいかに隠すかの方が頭が痛い。

 とりあえず、明日の心配よりも今日の心配である。

「今夜の警戒は俺がしておこう。明日からは別の意味で厳しい日が来る。

 ……覚悟しておくんだな」

 そう言って詩人は棍棒を持ち、焚き火から離れて闇夜に消える。モンスターが増え過ぎたといった彼であるからして、恐らく警戒ついでに間引くつもりなのだろう。とんだ攻勢防御である。

 詩人の事を完全に信じ切っているエクレアなどはごろんとうつ伏せに横になり、ちびちびとホットチョコを口に運んでいる。街中での宿とどっちが警戒心が強いのか分からない。

「人と人との、戦争なんだねー」

 軽く言うエクレアだが、その言葉は重い。

 それを経験した事がある人員は、詩人以外はこの中にいない。大多数との戦いは、かろうじてリンが魔物の大軍と戦った経験がある程度だろう。ロアーヌの妹姫であるモニカや、シノンのエレンにユリアン、そしてエクレアに軍隊レベルの対戦経験など無いに等しい。必然、厳しい戦いになるだろう。それを感じさせないエクレアは流石といえばいいのか、呆れればいいのか。

 詩人に依存しきらない他のメンバーは万が一に備えてエクレアほど無防備にはなっていない。リンとエレンは即座に殴りかかれるように体術を扱えるようにしているし、ユリアンはモニカを守れるように剣は手放さない。モニカも小剣を携えていながらユリアンの側にいる辺り、彼女が最も信頼している者が誰だかを明白にしている。

 詩人を信じ切るエクレアが正しいのか、他に任せず自分で自衛するのが正しいのか。それはさておき、話は進む。

「そうですね。私も人との戦争は初めてです」

 そういうのはリン。遥か東の地での中心はミカドが治める都による上意下達の文明であり、周囲をムング族といった独自の世界観を持つ部族が固めている。

 内紛がない訳ではないのだが、それらの多くはミカド率いる軍が鎮めてしまう。ムング族族長の娘であるとはいえ、リンが人と人との戦争に出張る機会は今まで存在しなかった。それが西に来た途端に遭遇する羽目になるのだから、運が悪いというか西がまとまっていないというべきか。

 そしてその感覚は他も同じである。モニカは戦争とは遠ざけられていたし、エクレアは更にその上でラザイエフが穏健派というのもあって戦争とは縁遠い。シノン組のエレンとユリアンは言わずもがな。とにもかくにも人同士の戦争に慣れていないのがこの一行である。シャールでもいたならばまた話が違ったであろうが。

「……モニカは大丈夫か?」

 心配そうに聞くのはユリアン。フォルネウスを倒した旅については主にエクレアから話を聞いており、その際にエレンもエクレアも人を殺した事があると知っている。ちなみにエレンはユリアンに四魔貴族との戦いの話をしたがらなかったのでエクレアから聞いた話になったのであるが。

 リンもそういった経験があると言っており、彼女も大丈夫だろう。そうなるとただ一人心配なのはモニカ。

 貴族の淑女として、またロアーヌの妹姫として育ってきた彼女に人を殺した経験はない。ましてこれから行われるのは戦争である。人一人の命がとてつもなく軽くなる戦い。

 大丈夫か。そう問われるモニカだが、大丈夫としか言いようがない。彼女には実績が必要なのだ。青い顔で頷こうとしたモニカに、気軽な否定の言葉を出すのはエレン。

「モニカは手を汚しちゃダメよ」

「え?」

 意外な言葉に眼を瞬かせるモニカだが、エレンは優し気な笑みを浮かべて話を続ける。

「ロアーヌの姫じゃない、モニカは。そんな立場なのに人を殺すなんてしたらダメ。逆に悪い方に話が転がって行きかねないわ。

 モニカはあくまで司令塔で、あたしたちを率いる立場。役目は癒しの術や敵の無力化で十分よ」

「で、でも。皆さんが辛い思いをするのに、わたくしだけなんて…」

「それに」

 なおも言い縋ろうとするモニカに。エレンはかつて詩人に贈ってもらった言葉を、心優しい姫に贈る。

「無理、しなくていいのよ。人を殺せば心が軋むわ。あたしも最初は結構大変だったし。

 慣れなくていいなら、慣れない方がいいわ。幸い、あたしも詩人もエクレアも、リンもユリアンもいる。人手は足りてるわ」

 エレンのその言葉に、他の面々を見渡していく。

 誰も彼もが優しい表情をしていた。それを見たモニカは目尻に涙がにじんでしまう。

「あり、がとう、ございます…!」

 万感の思いを込めて頭を下げるモニカ。それに気にするなと言わんばかりに反応を返す全員。

 人に恵まれた事。それを聖王に感謝を捧げるモニカだった。

 

 

 翌日。

 昼前にバンガードへ到着する一行。フルブライト直筆の親書があった為、あっさりと問題なく町に入る事が許された。戦時中とは思えない高待遇にフルブライト商会の巨大さの一端が存在するのだが、それを感じ取れる繊細さを持つものは残念ながら一行には居なかった。

 最高責任者であるキャプテンの所まで案内される途中、歩きながら町を見て回っていたが、どうにも緊張が張りつめているという感じでもない。エレンとエクレアにはボルカノに攻められていたモウゼスの方がよっぽど酷いと感じられた。

「思ったより普通ね。もうちょっとピリピリしているものだと思ったけど」

「こっちは南側だからな」

 ぽつりとこぼしたエレンの言葉を拾ったのは詩人だった。

「激戦区になっているのはヤーマスがある北側だろう。船で南に兵を送る策もあるが、城塞都市であるバンガードを攻めるには船に乗せられる兵が少なすぎるし、バンガード側だって易々とそれを許す訳がない。

 なら北に兵力を集める方が合理的だ。そうなれば南は緊張を緩和させて休みやすい環境を整えた方がいいだろうからな、戦争までこんな気楽に行くとは思わない事だ」

 事も無さげに言う詩人に全員の表情が引き締まる。

 そしてキャプテンがいる屋敷に辿りついた。バンガードは役場のような巨大な建物を持っており、職員は基本的に仕事はそこでして別途家を持っている。仮眠室や客室などがない訳ではないが、ここは基本的に住居ではなく仕事場という区分けが為されていた。

 その中に入り、市長の執務室へと案内される。ちなみにここがキャプテンがブラックを口汚く罵り、エクレアがブチ切れ、詩人が剣技を見せた部屋である。

 修羅場だった前回とは異なり、柔和な笑みで一行を迎え入れるキャプテン。

「おお、よくいらしたな。フォルネウスを倒した英雄よ」

「お久しぶりです、キャプテン」

「…やっ」

 エレンは大人らしく表立って反発する事はなかったが、エクレアの対応は素っ気ない。

 まあ暴れたり騒ぎだしたりしないだけましかと苦笑いを浮かべる詩人。何があったのかを聞いていた他の3人はなんとも言えない表情をしている。

「今回も助力を頂けるという事でよろしいのですな?」

「ああ。ちょっと時間がないからな、できるだけ手早く終わらせたい」

「頼もしいですな」

 社交辞令だと思ったのか、簡単な事を終わらせるだけと言わんばかりの詩人に苦笑するキャプテン。

 詩人としては大真面目なのだが。

「で、だ。時間がもったいないから早速状況を説明してくれないか?」

「分かりました。ちなみに皆さんは昼食はお済みですか?」

「あ。まだ頂いていませんわ」

「では簡単につまめる物を用意しましょう。

 食べながら話をした方が効率的ですからな」

 キャプテンはそう言うと、チリンチリンとベルを鳴らす。すると隣の部屋に控えていた文官が入ってきて、彼に指示を出していった。地図と、サンドウィッチなどの軽食、そしてお茶。そういった諸々を手配していく。

 そしてそれらは手早く揃えられ、テーブルの中央には地図が。各々の前には軽食とお茶、そしてお菓子が用意される。お菓子は明らかにエクレアが好きだったからと用意されたのだろう。

 そのエクレアはというと、話に耳を傾けるつもりはあるみたいだが、口を挟むつもりはないらしい。もむもむとサンドウィッチを口に運びだした。

「では話を始めましょう」

 それを尻目に捉えつつ、気にしない事にしてキャプテンは話を始める。

 彼が言うにはバンガードにはフルブライト側の陸軍の大半が集められているらしい。つまりこの街が絶対防衛ラインであり、ここを抜かれたらほとんど負けだという事だ。

 だがもちろんそれは容易ではない。大陸を繋ぐ狭い土地一杯に城塞都市が広がり、東の海の制海権は奪われいるが大西洋の制海権はこちらが握っている。その上で兵力にして5000を数える兵士が詰めていて、それを補佐する工作兵などの十分な数がいる。守りきるだけなら難しくないと士気も低くない。ここにフォルネウスを倒した英雄が加われば更に負けの目が減っていく。

 対するドフォーレ側だが、こちらもこちらで負けていない。前軍と本隊に別れており、前軍に2500程、本体に3000程の兵力が整っている。兵力はほぼ互角だが、防衛三倍則に照らし合わせればバンガードが有利なのは明らかだ。

 ではドフォーレ側の何が負けていないのかというと、士気の高さと兵士の補充力が異常なのだ。本体は純粋な兵士で構成されているが、前軍はドフォーレに弱みを握られたり家族などを人質に取られた者たちで構成されていた。彼らは大切な者を守る為、命を投げ出してバンガードに突貫してその防衛能力を削るのが仕事である。身も蓋もない言い方をすれば奴隷兵だ。

 戦いの心得がない者も、成人男性ならば腕力に任せて破壊活動くらいなら行える。そして捨て石にされた彼らの代わりは、随時ドフォーレが補充してくるのだ。既に何千というそういった人々の命が失われており、バンガードとしても防衛能力と士気にダメージを受けている。

「死兵という訳ですね……」

 難しい顔で言うリンだが、それを聞いたモニカはまたもや痛ましい表情で死地に送られている一般人を思っていた。

 だがまあ、こちらに牙を剥いてくる以上、相手の事情など関係なく倒すしかない。それが分かっている詩人やユリアンは比較的冷静だった。

「で、相手の本隊は何をやっているんだ?」

「遠くから弓で射かけてきていますのじゃ。

 練度も高く、こちらは替えが効かない兵のようで突撃には参加して来ませぬ」

 それを聞いた詩人は、ふむと考え込む。

(思ったより悪くない。もうちょっと奇がある攻め方をしているかとも思ったが…)

 スタンダード過ぎると言えばそうなのだが、それは詩人にとって向かい風にはならない。想定の範囲内というか、むしろ当たり前な事しか起こらなくて逆にどこか気が付かない所に罠が張られていないか心配になる程だ。

 しかしこうも基本的な手を打たれると、こちらも選択肢はそう多くない。被害の大きさ、仲間の命、かかる時間。それらを総合し、まずは敵の殲滅は除外する。死兵にされているのは一般人だった者が主らしいと聞けば、流石の詩人もその被害を減らしたいという心情になる。それもドフォーレの策のうちだろうが、それが枷になる程詩人は甘くない。

 次に思いがけない罠が張られている可能性だが、これがあるとしたら本隊より奥だろう。死兵の中にそんな策を用意する訳がない。つまり、前軍と戦っている限りは嵌められる危険は限りなく少ないと言っていい。

 そしてこれほどまでに外道をやるドフォーレにはそれに相応しい報いを受けさせなくては詩人の気が済まない。だがその光景を仲間に見せるには気が引けた。

 そこまできて詩人の考えがまとまる。

「……戦略は、半殺しでいいな」

「え?」

「いや、何でもない」

 不穏な事を呟く詩人に思わず聞き返したエレンだが、それを軽く流す。

 そうしてキャプテンに向き直ると、詩人は言葉を紡ぐ。

「整った」

「うん? どういう事じゃ?」

「勝ったという事だ」

 その言葉に全員の目が見開かれた。

「ほ、本当かねっ!?」

「もう!? だってまだ戦ってすらいないのに?」

「言い切っちゃっていいの?」

 彼らは口々にそんな言葉を口にするが、詩人は平然としたもの。

「当たり前だ。というか、俺が居る時点で勝ちは決まっている。問題は勝ち方だけだ」

 言い切る詩人にキャプテンの口は開いて塞がらない。どこをどうすればここまでの自信が出せるのか。相手は万に届くかという軍であるのに。

 バンガードに攻めている兵だけで言えば5000強だが、補充は際限なくという言葉のレベルでなされ、またヤーマスにもドフォーレを守る精鋭がいるだろう。勝つという事はそれらを全滅させるか、そうでなくとも抜いてドフォーレの喉元に刃を付きつけなければならないのに。

 しかしその言葉を信じる者もいた。エレンとエクレアである。

「詩人…できるのね? 無理をすることなく」

「当然」

「じゃ、私たちは何をすればいいのー?」

 呆気に取られる他の者たちを置いて、話は進んでいく。

 詩人は地図に描かれたバンガードの北をとんとんと指で叩いて口を開く。

「難しい話じゃない。

 一回、何千かの軍で突進し、敵の前軍を叩く。それについていけばいい。相手を殺すか捕らえるかは勝手にしていいが、無力化しろ」

「それをしたら本隊が攻めてきますぞ?」

 軍を攻めるならば城門を開けなければいけない。そして城門が開けば待っていましたとばかりに敵の本隊が攻めてくるだろう。

 それをどうするのか。そう聞くキャプテンだが、詩人は平然と言葉を返す。

「心配するな。本隊をどうにかするのなら俺一人でできる。

 そのまま単独でヤーマスに攻め上がり、片をつける」

 それでお終いだという詩人に、キャプテンは嘆息しか出さない。

 そんな夢物語をどうして信じられるのだろうか。

「お話になりませんな。そんな策とも言えないものにバンガードは参加できる訳がない」

「じゃ、いいや」

「いいのですねっ!?」

 あっさりとバンガードの助力を要らないと切って捨てる詩人。

 思わずリンがツッコミを入れるが、詩人は揺るがない。

「まあ、要するに多少の動揺が与えられればいいからな。前軍の相手はお前ら5人でやってくれ」

「……5人で、2500の敵に勝てと?」

 今度はユリアンが呆れるが、詩人は至って真面目だ。何せ、彼は独りで3000の兵を勝つ事を前提に策を立てているのだから。

「エレンとエクレア、リンだけでも十分だと思うが。モニカは武功が必要なんだろ?

 流石にお前らに全員倒せとは言わないから心配するな。とにかく場を乱してくれればいいから、適当に相手をして時間を稼いだら退却してくれていい。

 数がいるだけの、烏合の衆なら問題ないだろ? いざとなったらバンガードに即座に逃げ込めばいいしな」

 確かに詩人を含めた6人の出入りならば城門を全開にする必要もなく、脇にある小さな出入り口で済む話だ。そうしたいというならバンガードに拒む選択肢はないだろう。

「まあ、分かりました。で、決行はいつにするつもりで?」

 言いながらキャプテンはもはや彼らに、特に詩人に頼らない策を考えていた。

 詩人はどうせ帰ってくる訳もなく、エレンやエクレアといった人材と相談して別の策を考えればいい。彼の認識はその程度だ。

 …フォルネウス軍を、一人で壊滅させたという事実は彼の頭からすっかり抜け落ちていた。

「そうだな。今日はゆっくりするとして、明日でいいだろう」

「分かりました。他に要望は?」

「あー。ウィルミントンからの強行軍で槍がへたっていたな。新しい槍があれば欲しい」

「それも承知しました。ルツェルンガードの良いものを用意させましょう」

 その言葉に思わずエレンが驚きの声をあげる。

「ルツェルンガード!? 聖王遺物のっ!?」

「あ、いえ、そのものではもちろんありませぬ。聖王様がフォルネウスを倒した武器がルツェルンガードでしてな、模した槍をその名を借りてバンガードで量産させておるのです」

「要はレプリカだ。バンガードはフォルネウスと因縁深い都市だからな」

 詩人がそう付け足す。考えてみれば、そして会話を良く聞けば当たり前の事にエレンは軽く赤面する。

 結局、聖王遺物のルツェルンガードはどこにあるのかは分からないままだ。

 そして話はそこで終わる。

「じゃあ、明日に備えて休むか」

「ではまたよい宿を用意させましょう」

 キャプテンの言葉で場はお開きになる。

 明日から戦争が始まる。たった6人で何千もの人間に挑む、無謀と思える戦いが。

「……なーんか緊張感ないなぁ」

「実はそれは俺も思っていた」

 エクレアの言葉に思わず同意するユリアン。

 それもこれも、詩人に悲壮感が全く無いからだろう。彼には自信しかないからだろう。

 

 気負う事無く、一行はその晩をゆっくりと休めるのだった。

 

 

 



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073話

頑張って書いています!
…ので。クリスマスと年末年始は休ませて下さい。


 

 決行日。詩人とエクレアは普段と変わらないが、エレンとリン、モニカとユリアンはやや固くなりながら昼食をとった。

 そして食後のお茶を口に運びながら最後のミーティング。とはいえ、難しい事は特にない。要は詩人を除くメンバーで前軍を相手取って、その間に詩人がそこを抜ける。そして詩人独りで本隊を撃破後、ヤーマスまで攻め上りドフォーレの中枢を叩く。

 言葉にすれば簡単なもの。だが、前者でさえ5人対2500人だ。相手が戦う事に慣れない素人とはいえ、数というのは暴力である。更に言えば戦いの素人という事でこちらの剣先も鈍りかねない。後者の詩人は更に酷い。一人で3000もの訓練が為された兵士と戦い、これを抜けて最も警戒が強いヤーマスに忍び込んで戦果をあげるのだ。奇跡を何度おこせばいいのが想像もできないだろう、普通ならば。

 だがしかし、この詩人が気楽にそれをやれると言うのだ。ならば残る彼ら彼女らが言う事は何もない。ただ、この詩人を信じる事が唯一できる事だろう。

 そしてその一方で詩人は詩人で彼なりに仲間を心配していた。

 この中で一番心配ないのはユリアンだろう。彼は貴族の護衛という意味で高水準にまとまっている。所作や立ち振る舞いというものをカタリナに叩き込まれ、戦いでは詩人が僅かに教えた基礎を元にハリードが丹念に仕上げた。これだけでもロアーヌが彼にどれだけ肩入れをしていたのかが分かる。その上でモニカを護衛する旅の間に磨かれた警戒心、実戦の中でより研ぎ澄まされた戦闘能力。そして何より護るという決意。今のユリアンは、自身やその護衛対象が危険に晒されたのならば誰であろうと殺す事ができるだろう。それこそ武器を握った事がない素人から、戦う術を持たない女子供まで。

 そういった意味で逆に心配なのはエレンだ。彼女は護る為ならば実力以上の結果を出せるだろう。フォルネウスとの戦いでも、エクレアが危機に陥ってからの爆発力は凄かった。だがその反面、無防備な相手を攻撃するという事に強い忌避感を持つタイプだ。特に今回の相手はエレンの判断基準では護る対象に含まれかねない。迷いが鈍りになり、不覚をとらないとも限らない。何せ、相手は死兵。死ぬ事を受け入れた上で捨て身で殺そうと襲い掛かってくるのだ。今まで体験した事がない戦いになる事は想像に難くない。

 戦闘能力という意味で同じく心配なのはモニカである。一般兵よりは遥かに強いだろうが、彼女は戦いに出る5人の中では明らかに頭一つ劣っている。その上で彼女は武器よりもどちらかというと術の方に適性がありそうであり、更に非力だ。屈強な男たちに波状攻撃を仕掛けられ続ければどうなるか分からない。まあその点はユリアンがいるからフォローはしてくれるだろうが。

 エクレアはそのムラっ気に問題がある。戦う事に楽しみを覚える彼女は、相手が強ければ喜んで全力を出せるだろうが、弱ければやる気をなくすタイプでもある。それでも身を守る術は詩人が念入りに叩き込んだ上、氷の剣まで持っているのである。危険が迫る事はないだろうが、どこか心配が残るのは事実だ。

 リンによせる思いは心配ではなく期待。弓を最も得意とする彼女は前線に出るタイプではないし、仮に接近されたとしてもその体術に心配はない。それよりも危機に陥った仲間にその弓でフォローをする仕事に期待が持てる。もちろん、そんな場面が訪れないに越した事はないのだろうが。

 彼らが今回とる陣形は、詩人が教えたホーリーウォールというものだ。前線に3人が立ち、攻める壁となって後ろに並んだ2人を守る。前線の中央には一番心配がないユリアン、その両翼をエレンとエクレアが固めて後衛にはモニカとリンが並ぶ。もちろん敵の数が数である為に乱戦になる危険性は十分あるだろうが、できるだけこの陣形を維持して戦うのが基本方針だ。そして乱戦になって不利になったら、それぞれの判断でバンガードに逃げ込む。当然だが、命を大事にすることが一番だった。

「と、こんな所か」

 つらつらと考え事をしながらも詩人の口は滑らかに動いていた。一通り話を終えた彼はぐるりと周囲を見渡すと、心配そうな表情をしたエレンが目に入った。

「詩人…」

「どうした?」

「…。独りで、大丈夫?」

 言われてみれば当然だ。受け持つ仕事の過酷さならば詩人の方が酷い。それこそ彼女たちとは段違いといえるだろう。

 エレンの心配は一般的に見れば至極当然であり、だからこそ心を砕いてしまう。

「なんなら、あたしもそっちに付いていった方がいいんじゃないの。どこで人手が必要になるか分からないし」

「いらん。むしろ、邪魔だ」

 それをあっさりと詩人は否定する。

 一般的とは言えない戦いをするのは百も承知、だからこそ詩人は単独行動を選んだのだ。彼について来れるレベルでなければ、文字通りの足手まといにしかならない。

「でも…」

「せめて俺と一秒でも戦えたら考えてやるよ」

 なおも心配するエレンを手酷い言葉で遮る詩人。

 この言葉にはいい気分になれという方が無理だろう。それなりに自負と自信があるのに言われたくない言葉である。だがその一方で事実でもあり、本気の詩人を相手にしては束にしてかかっても一秒持つかは怪しい。腹は立つが、何も言い返せない。

 そんな微妙な雰囲気に水を差したのはエクレアである。

「ん~。一秒はちょっと辛いかな。0.1秒におまけしてくれない?」

「ああ、いいぞ。じゃあ0.1秒におまけしてやる」

 物凄く軽い言葉を口にするエクレアに、口調も軽く頷く詩人。その雰囲気にどこか毒気を抜かれてしまう。

 まあ実際、1秒も0.1秒も大差ない。まず、詩人の初撃を防げないのだから。単純な攻撃はもちろん、彼には不抜(ぬかず)太刀(たち)といった剣技も存在する。まず刃を合わせる事すら困難であるという理不尽さ。それが詩人である。

「じゃあ、そろそろ行くか」

 そう言って立ち上がる詩人。各々がそれに続くが、未だにエレンは彼が心配らしい。

「詩人。…死なないでよ」

「死ぬか。俺より自分の心配をしておけ」

 その心配は届かなかったけど。

 

 北側の城塞からバンガードの外に出る。弓矢の届かない位置に陣取るドフォーレの前軍が視界に辛うじて映り、その威圧感を伝えてくる。

 2500の敵。今まで戦ってきた事の無い数に、誰ともなしに汗が伝う。

 そして変わらない詩人のペース。

「じゃ、後は頼んだ」

 そう言い残し、これから戦争に行くとは思えない気軽さで彼は姿を消す。

 詩人の相手は前軍の奥にいる本隊。直進すれば必然前軍とぶつかってしまう為、迂回していくのだろう。その移動する姿すら視界に収められないのだから、詩人が来るだけ足手纏いだという言葉も分からなくはない。納得もできないが。

 だが、それに心を砕いている余裕はない。彼らとて楽な訳がないのだから。

「……行こう」

「ええ」

「分かったわ」

「行きましょう」

「りょーかい」

 先頭にユリアンが立ち、歩を進める。一歩一歩、2500もの軍の元へ。

 ざくざくと土を踏みしめる。全員が気が付いていた、この土地は荒れていると。地面に生えた草は無残に荒らされ、大地は抉れて折れた矢も突き刺さったままだ。そして何より血がしみ込んでいる。死体こそ衛生面から片づけられたのだろうが、地面に流れ込んだ大量の血液までは処理のしようがない。余りに生々しい殺し合いの後が嗅覚を刺激する。

 ここに至ってはエクレアでさえ真剣になる。敵軍に近づくにつれ、陣形を整えるように立ち位置を変える。ユリアンとエレン、エクレアが壁となって後衛のモニカとリンは弓を持つ。

 やがてその声が届く範囲まで近づくと、代表してユリアンが腹の底から響く大声をあげた。

「我等はロアーヌのモニカ姫に率いられし精鋭であるっ!

 モンスターと手を組むドフォーレの軍に告ぐ。大人しく投降しろっ! 抵抗しないならば悪いようにはしないっ!!」

 ドフォーレの前軍は本当に軍としての体裁が整っていないらしい。監視すらもロクに為されておらず、たった数人の接近を見逃していた。

 ユリアンの大声を聞いて慌てた様子で武具を身に纏った男たちがわらわらと出てくるが、これくらいは想定内。彼らは戦いたくて戦っている訳ではない。家族や他の大事なモノを人質に取られたが為、死ねと命じられただけなのだ。死にたくはないだろうが、戦わない選択肢はない。

 できるだけ殺したくない、そして死にたくもない、そんなお互いに望まない殺し合いが始まる。

 数十、数百といった数の敵兵が突進してくる。その表情にはまだ余裕があった、精鋭と名乗るが相手はたかが数人。バンガードに無策に突っ込めと言われるのと比べ物になる訳がない。

 その認識が甘いと気が付かされるのにそう時間はかからなかったが。

「ソウルフリーズ」

「「サンシャイン」」

 遠距離にて大多数の敵を相手にするならばやはり術に勝るものはない。モニカが魂を凍えさせる息吹を駆けよってくる烏合の衆に浴びせかけ、エクレアとリンが合わせた太陽術で普段とは何倍にもなった熱射が降り注ぐ。

 冷気と熱光に晒された軍の前面はそれだけで崩れ、ヒィヒィと悲鳴をあげながらその場で動けなくなってしまう。相手が術を使うとも考えていなかっただろう対応を見る限り、相手は本当に素人の集まりなのだろう。余り酷い傷を与えたくないという心情も合わさり、広範囲低威力で放った術である為に致命傷から程遠いはずなのだが。

 そして動けなくなった人員を、その倍の人員を割いて手を貸しながら戻っていく。傷の程度が分からないのだろうから怪我を負ったらまず撤退するという思考回路なのだろう。更にその上で本音では戦いたくない者がほとんどである筈なので、逃げる口実には丁度良かったに違いない。しかしそれでも膨大な数のどれだけが削れたのかは不明だ。未だに大軍と呼ばれる数が津波のように襲い掛かってくるのだから。

 接近戦が始まる。

 前線を支えるたった3人。そのうちでまともなのは中央に陣取る男だけで、両翼に位置を取るのは女。しかも片方はその上で子供。強いと思える筈もない。

 だがしかし、この2人は津波のような人の波を見事に捌ききっていた。

「地走りっ!」

 少女の足元に大剣が突き立てられて衝撃波が()を切り裂く。

 しかもそれは一本ではない。一呼吸には一閃しか放てないそれも、言い方を変えれば数秒に一閃は放てるという事だ。大剣を地面に突き立てたまま、自らに迫る人の群れを蹴散らしていく。

「はっ!」

 女性は襲い掛かってくる完全武装の男の腕を引っ掴むと、地面から引っこ抜いて他の敵に投げつける。

 原理としては空気投げの要領で宙に浮かしてジャイアントスイングの回転力を足した上で放り投げているのだが、そんなものが分からなけらばその光景は正に悪夢だった。自分たちの誰よりも線の細い美女が、大の男を人形でも投げつけるようにポンポンと投げ戻しているのだから。

 軽い擬音がつきそうな様子で冗談のように吹っ飛ぶ男たちだが、その体重と身につけた武具の重さが減っている訳ではない。ブン投げられた男も、ブチ当てられた男も。その両方が激痛に悲鳴を上げてのたうち回る。投げられた拍子に武器を取り落としていなければそれが突き刺さって死ぬ者も出たであろう。

 襲い掛かってくる兵を武器として使用するというとんでもない事をしつつ、女性は自分への接敵を許さない。しかし軍の方はまだまだ1000を楽に超える数を有しているのだ。

 少女も疲弊したのか衝撃波を放つ間隔が長くなってきて、隙ができる。女性も人を投げつける精度が落ち、浮かす事に失敗する。軍がそれを逃す事はなく、ここが勝機と雪崩のように数を頼りに突進する。

「「練気拳っ!」」

 その人の雪崩を、ただ拳を合わせる事で弾くように吹き飛ばす。奇しくも2人同時に仕掛けたそれによって、両手で連打した数の人間が空高く舞う事になった。二つの地点から人が滝のように地面から空に向かい、そしてまた地面に落ちるのは。遠くから見ていたならば、ある種壮観ですらあったかも知れない。

 こんな奴らを相手になんかできる訳がない。女子供に傷一つ付けられない、戦う心得えを知らない男たちは攻撃の対象を変える。目指すのは中央に陣取る男。そいつも傷の一つも負っていないが、肩で息をして3人の中では一番余裕がないように見える。その周囲はピクピクと悶える男たちで埋め尽くされているが、逆に言えば死んでいない。殺されないならば、まだこちらの方が可能性があると多くの者が殺到する。

 男――ユリアンはそれを見て諦観の感情を抱いてしまった。

(ああ。もう、無理だ)

 不可能だ。出来なかった。遂行はされない。所詮、自分はこの程度かと自虐の笑みさえ浮かんでしまう。

 その笑みを浮かべたまま、ユリアンは接近してきた男の喉に刃を突き立てた。

「え」

 なんで殺すのか。それを理解できなかった男は、小さな単語一つ遺して絶命した。そしてユリアンは止まらない。武装した男たちの急所の多くは防具で覆われている。余計な手間をかけられる現状でない以上、一太刀で殺さなくてはならない。ならば狙う最適解は首。か細いそのラインに的確に剣を振るい、ユリアンは5、10、15と瞬く間に死体を量産していった。

(殺さないで済むかもなんて甘かったな)

 割り切ったユリアンの動きに澱みはなく、流麗に首のみに剣を当てて切っていく。

 ユリアンの覚悟を理解したであろうリンの矢の軌道も変わる。今までの狙いは脚、機動力を削いで撤退させる意味で射っていたそれを、頭部に変える。ほんの僅かにしか狙いどころがない上に、顔面というのはとにかくせわしなく動く。それに的確に矢を合わせられるリンの技量はどれ程か。

 ユリアンの覚悟を理解したであろうモニカの術が変わる。月の術、ソウルフリーズにてダメージの蓄積や動きの阻害を狙っていたが、炎の刃を生み出すエアスラッシュにて敵を焼き切っていく。防具がある為に致命傷までは負わせられないが、肌や髪が焼ける異臭と生きながら焼かれていく苦痛による聞きなれない絶叫が響き渡る。この段階ではむしろ殺せない火力しかない事を恨むだろうおぞましい悲鳴だ。

 殺す。殺す。嬲る。狙いが明らかに変わり、彼らは押し寄せる男たちの士気を奪い取っていた。死ねと命じられて戦場に来たが、実際に死を見せつけられ、それを上回るような苦痛の声を聞いてしまえば生存本能が刺激されるのは仕方がない。結果、軍の動きが完全に止まった。

 それを遠くから見ていたのはドフォーレの指揮官。烏合の衆とはいえ、指揮官くらいはいないとどうにもならない。例えば脱走兵がいた時など、それを報告して人質を殺すぞという脅しの意味もなくなってしまうのだから。

 その指揮官は止まった軍に歯噛みする。彼にとって前線で戦う男たちは、死のうが補充される消耗品。あれほどの腕を持つ者を打ち取れるなら、例え1000人殺されようが痛くも痒くもない。自分の戦功の為、男たちを脅迫する為に大きく息を吸う。

「お――」

 お前ら、大切な者がどうなってもいいのか。その言葉は最初の一文字しか口から出る事はなかった。指揮官の顔のすぐ横を、氷の斧が飛来して抜けたからだ。

 飛んできた方向を見れば、そこには氷の斧を担いだ美女の姿が。よくよく見れば少女も剣先を指揮官に向けて殺意を込めた瞳で睨んでいるし、奥の女も弓矢の照準を指揮官に合わせている。

 3人の女は無言で語っていた。次は当てる、今度は殺す。

 指揮官の背中に冷や汗がドバっと流れる。突撃する男たちが1000人死のうが指揮官の心に響くものは何もないが、自分の命1つが狙われては恐怖に心臓が早鐘をうってしまう。

 ましてや死ぬ覚悟など微塵も持っていなかった男である。急に提示された自らの死という事象に抗う勇気は僅かにも存在しなかった。

「てっ…撤退! 撤退だー!!」

 その言葉は戦場全体に響き渡り。一瞬の空白を挟んだ後、その言葉を待っていたと言わんばかりに全員が我先にと退却を始める。

「……案外、なんとかなるものね」

「そだねー」

 得た戦果は、敵の全軍退却。殺した敵は数十くらいだろうし、戦闘不能になった者も200~300人程だろう。

 だがしかし。それでもたった5人で2500の兵を追い払う事に成功したというのは、言い難い感覚をそれぞれの胸に残すのだった。

 

 前軍が踵を返す頃。

 詩人はたった独りで悠々と歩いていた。隠れるものがない荒野、相手にするのは3000もの正規兵。見つからないというのは虫が良すぎる。

 まあ、そんな虫が良すぎる方法がない訳ではないのだが、手間がかかったり消費が多かったりするので詩人はその手段は取らないでいた。そして姿を晒して歩いている以上、敵に見つかるのは道理である。兵としての訓練を受けた軍だけあって、油断もない。たった一人であろうと、前軍をすり抜けて来た不審者に警戒しない訳がなかった。

 数百の兵で陣を組み、矢を番えた弓を引き絞っている。その奥には千を超える兵が警戒しつつ近づくその男を睨みつけている。

 詩人は矢の射程距離内に不用心に入り込み、そのまま歩を進める。ドフォーレが矢を射かけないのは男の目的が判明していないから。可能性としてはバンガードの使者という事もあり得る。話し合いの余地なく殺す程に切羽詰まっていない以上、話し合いならば応じるし、そうでなくても生け捕りにして情報を吐かせるのが当然の考えだ。

 やがて声が届く距離になった時、詩人は足を止めて宣言する。

「降伏しろっ! たった一度だけチャンスをやる。戦いが始まれば、お前ら全員を殺すっ!!」

 奇妙な沈黙が流れた。

 たった一人が3000の軍に向かって言ってのけた言葉は壮絶な気まずさをその場に漂わせていた。逆じゃないのかと、呆れる者も多い。

 将軍もそんな一人だった。訳が分からないが、とりあえずアレは敵のつもりらしい。こんな馬鹿な事をする狂人がまともな情報を持っているかも怪しい。というか、あの男の言葉は何も信じない方がいいだろう。狂った男の中身など知りたくもない。

「撃て」

 簡潔な命令は実行される。

 引き絞られた弦から放たれた矢は勢いよく一人の男に向かう。

 瞬間、将軍の背筋に極めて質の悪い寒気が襲った。何故だろう、あの男の顔も見えないのに、悪魔のような笑みを浮かべた気がして――

 ――男に殺到した矢は、不自然に弾かれた。何もしていない、何もしていないはずなのに。そして次の瞬間に、前面に配置されていた兵たちの首が軒並み飛ぶ。

「は?」

 敵の姿は、男一人。不自然に矢は弾かれて、百程の兵の首が一斉に飛んだ。例え夢だったとしても、こんなものは一生に一度見るか見ないかの悪夢だろう。

 更に悪いのは、これが現実という事だ。

 男は一気に加速して軍に接近する。何をされたのかは分からない。分からないが、もはやあの男以外に原因は考えられない。もはや狂乱に近い感覚を覚えながら、弓兵は矢を放つ。

 しかし男には通用しない。またしても男に向かう矢は空にて唐突に弾かれて、再び百程の首が宙を舞う。まるで魔王の加護でも受けているかのような男は、もう軍の間近にいる。

「弓は効かんっ! 剣を持て、槍で刺せっ!!」

 将軍は咄嗟にそう指示する。どういう原理かは分からないが、あの男は矢を無効化するらしい。ならば直接刃をその体に刺し込んでやるしかない。少なくとも試す価値はある。

 間違っていない指示であるし、的確な指示である事も確かだろう。将軍は確かに優秀な男だった。だが、相手がそれが通用する男ではない事が彼の不幸だった。

 突き出された槍はするりとかわされて、すれ違う時にその脳天が剣にて叩き割られる。

 振るわれる剣を華麗に避けて、回転しつつ振るわれた剣で兵士の胴が斬り飛ばされてピクリとも動かなくなる。

 千を超える兵士が絶え間なく同時に繰り出す致死の刃は、男に掠る事もなく。逆に男の近くにいる兵は例外ない死が与えられていく。

(なんだこれは)

 目の前の光景を現実と認められない将軍だが、事実は変わらない。障害などないかのように、その男は死を振りまきつつ軍の中央に一直線に進んでくる。

 指揮官が――将軍こそが狙いだと気がついたのは男が眼前に現れてからだった。血の滴る剣を携えた男はまるで死神のよう。持った剣は禍々しく、魔剣の類いである事は一目で見て取れた。

 ここでようやく正気に戻った将軍は慌てて腰に下げた剣を抜く。だがそれが何の役に立つのか。この魔王のような男に――

「――待て。本当に魔王か?」

「……」

「魔王なのか。宿命の子は魔王なのか、貴様は魔王なのかっ。現れるのは神王ではなかったのかっ!!」

 将軍の声が終わると同時、その命も終わる。一瞬で距離を詰めた男がその心臓を剣で穿ったから。心臓が損なわれて人が生きていられる道理がある方が不思議だろう。目を見開いたまま将軍は地面に倒れ伏し、ただ血を流すだけの遺体に変わり果てた。

 それを為した男――詩人は虫でも踏み潰したかのように感情の無い顔で周囲を見渡す。

 軍が、将軍が。たった一人に打ち取られた。残された者たちに浮かぶ感情は恐怖のみだった。

(だいたい1000か。まあ、悪くない数を殺せたな)

 殺した数をおおよそ数えていた詩人はそう思いながら口を開く。

「大将首は取ったが、宣言した通り全員の命を貰う」

「ひっ」

 誰ともなしに恐怖に息を飲む。ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた気がする。助けてと聖王に祈る声がする。

「――なんだ、助かりたいのか?」

 それが聞きたかった詩人は、偶然聞きとがめたかのように意外そうに言う。

「ならば最初から降伏すればよかったものを。

 しかし困った。一度戦い、殺すといった以上は命を取らなくては筋が通らない」

 どうしようかと悩むポーズを取る詩人。そしてそれを固唾を呑んで見守る生き残りの兵。数にして、おおよそ2000か。これだけの数が居ても全員が殺されるだろう確信を持たざるを得ない光景が直前まで繰り広げられていた。

 やがて詩人はある提案をする。

「よし、こうしよう。全員殺すと言ったが、俺の代わりに一人殺せばそいつは助けてやる。

 宣言通りにはならないが、俺の味方をするというなら温情は必要だ」

 その言葉に一瞬だけ気まずい静寂が走る。

 次の動きは早い。ある男が剣を抜き、隣にいた仲間の腹を突き刺した。

「がぁっ!」

「死、死ね! 死ねっ! 俺は生きる、だからお前が死ねっ!」

 ぐさぐさと仲間を数回刺したその男は、確実に殺したと判断した時にその視線を詩人へと向ける。

 恐怖に染まりながらも、懇願するように声をかけた。

「これで、これで俺の命は助けてくれるんだな?」

「ああ、約束だ。俺はお前を殺さない」

 ほっと安堵の表情を浮かべた仲間殺しをした男。

 その表情のまま、その首が飛ぶ。背後にいた別の男がその男の首を断ち切ったのだ。

「こ、殺した、殺したっ! これで俺は助かるっ!!」

 そのまま男は血塗られた剣を振り回しながら、詩人に背を向けて脱兎の如く逃げ出す。

 だがその先には他の兵がいる。全員が全員、血走った目で周りにいる直前まで仲間であった者たちを殺気立って睨みつけていた。

「どけぇ! 俺の命はもう保障されたんだ、どけぇぇぇ!!」

「うるせぇ! 俺の為にお前が死ねぇぇぇ!!」

「死ねない、俺は死ねないんだ。レイシアが、嫁の腹の中に子供がいるんだっ!」

「補給兵を狙え、あいつらは弱い!」

「あの新兵は俺の獲物だ、お前ら手を出すなぁぁぁ!」

「い、痛い痛い痛い痛い! やめてくれぇぇぇ」

「殺せ、殺せ、殺せ!」

「殺しにかかってくるなら全員殺すぞぉぉぉ!!」

 瞬く間に仲間同士で殺し合うドフォーレ軍。殺し殺され、殺し殺され。

 もはや最初の、詩人の言葉は残っていない。あるのはただ、自分が生きる為に周囲の人間を殺す事だけ。生きている人間は全て自分を狙う敵になっているのだ。助かる為には全てを殺すしかない。

 つい先ほどまで共に戦う仲間同士で殺し合う、余りに酸鼻な地獄絵図。

 それを生み出した詩人はその惨劇の場から既に離れ、ドフォーレの軍を見渡せる小高い丘に立っていた。完全に統率を失い、自滅していく軍を見ながら詩人は一言呟く。

「良し」

 半殺しの戦略、成功である。

 まずは敵軍の半分程を殺し、その上で指揮官も殺す。そして生き残った半分に仲間殺しをそそのかし、その半分同士で殺し合わせる。

 これは詩人が一人しかいない為に編み出された戦略である。例えば単独で軍を壊滅させようとしてもそれは難しい。兵といえども人間であり、戦意がなくなれば逃亡する。四方八方に散ってしまえば、その全てを詩人独りで仕留めるのは不可能である。

 故にこのような方法を取る。軍としては壊滅、生き残る者も僅かにいるだろうが、兵として使い物になる訳がない。そして出る証言は支離滅裂なものばかりで、信用される訳もない。敵軍を全滅に限りなく近づけた上で、詩人が剣を使ったという事実は闇に葬られるのだ。

 狂乱の戦場に背を向けて、詩人は一路ヤーマスを目指すのだった。

 

 

 場所はヤーマス、時刻は夜。

 ドフォーレ商会が支配するその町で今現在最も厳重な警戒がされているのがその商館だった。ドフォーレ会頭が指揮する戦争の重要機密が詰まったその部屋は、当然ながら暗殺といったものも警戒されている。

「バンガードは硬直状態か、それでいい。まずは東からくるツヴァイクを相手にしなくては挟み撃ちに遭う。

 ウィルミントン周辺にモンスターが大量発生している意味は分からんが…ランスの辺りにうちのモンスターをばら撒いておくか?」

 豪奢な部屋で着々と戦略を整え、勝つ為の布石をうっていくドフォーレ会頭。様々な案を考慮し、吟味し、勝つ為に手段は選ばない。

 今は一人で考えを整理する時間だ。隣の部屋に護衛は詰めているが、基本的に彼らがこの部屋に入ってくる事はない。

 そして考えが一区切りついた時、ふうっと疲れたため息を吐くドフォーレ会頭の視界がグルンと回った。貧血を起こしたような感覚ではない。文字通り、見える光景が回転したのだ。

 一体何が。そう思うドフォーレ会頭の視線の先には鏡があった。そこに映し出されているのは、首を断ち切られて回転しながら床へと向かう自分の頭と、その背後で剣を携えた道化師のような恰好をした詩人の姿。

(暗殺? ばかな、ドフォーレにそんな隙は――)

 それがドフォーレ会頭の最後の思考になった。地面に倒れ伏す首の無い胴体と、ゴロンと転がる光を宿さぬ瞳を持った頭。

 暗殺を成功させた詩人は、そのままその場を立ち去る事はしない。ドフォーレ会頭の遺体にはまだ用があるのだ。

 詩人は頭のない体をまさぐり、やがて一つの品を奪い取る。それはドフォーレ会頭の封蝋印、ドフォーレ会頭が生きているならばまず手放す事がないもの。つまりこれを持って詩人はドフォーレ会頭の暗殺成功の証にしようというのだ。

「これで仕事は終わりだな」

 気軽にそう言った詩人は、今度こそ部屋から、ヤーマスから姿を消す。

 残されるのはドフォーレ会頭の遺体。そしてトップを失った事により秩序を失うであろうドフォーレ商会。

 

 それを確信している詩人は、もうやる事はないとバンガードへと帰投するのだった。

 

 

 




だいぶエグかった、戦争編はこれで終わりです。
次回からはアウナスへと移行。簡単な事後処理を終わらせた後、本格的にアウナスにターゲットを絞っていく予定です。

どうか楽しんでいただけると幸いです。


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074話 四魔貴族と戦うという事

この話からアウナスに向けて話が加速していきます。
どうかよろしくお願いいたします。


 

 

「バカな…」

 絶句するキャプテンの前に座り、素知らぬ顔でいる詩人。場所はバンガード市長の執務室。

 今、この場には他の人間はいない。その代わりにキャプテンが絶句する物が机の上に転がされていた。

 ドフォーレ商会、会頭。その封蝋印である。

「まあ、信じるか信じないかは好きにすればいいが、現実としてドフォーレ商会会頭の封蝋印はここにある。これを以ってモニカ姫の手勢がドフォーレ商会会頭を暗殺した証拠と思ってくれていい。

 ああ。ちなみにこの情報はシーホークを通じて東から進軍してくるトーマスカンパニー率いるツヴァイク軍にも提供したからな」

 詩人はそう言って立ち上がると、その部屋から軽やかに出ていく。残されるのはキャプテンと、ドフォーレ商会会頭の封蝋印。

 残されたその封蝋印を呆然と見るキャプテン。確かにこの封蝋印がここにあるという事は、少なくとも彼はドフォーレの最奥までの侵入を果たしたのであろう。そのあり得ない前提がある上ならばドフォーレ商会会頭を暗殺できたとしても不思議ではない。

 仮にそうでないとしたとしても、ドフォーレ商会会頭が封蝋印を失っているのは確かなのである。こと情報伝達において、混乱の極致にあるという事は確実だ。重要な命令書に会頭の印がなければ、虚偽の命令と思われても仕方がないのだから。そしてそのような状況は、重要な事態になればなるほど丈夫な芽を出して怪しげな花を咲かせるだろう。

 その上でトーマスカンパニーにもその情報が流れているという事。かのツヴァイク軍は元より捨て石であるという認識をバンガードは持っていて、それはフルブライトも共通認識であったと思っている。強制的に出兵させられた、疲弊しつつあるかつての強国の軍程度でドフォーレ商会の本丸を落とせる訳がないと。しかし、この時点でドフォーレ商会会頭の命令が機能不全に陥ってしまえば、ヤーマスを攻め落とす可能性もあり得る話であり、最大の戦功を掻っ攫われる事にもなりかねない。

 どうするべきが最上か。多分確からしい情報しかないキャプテンは一晩中頭を抱えて悩み、そして命令を下すのだった。

 

 

 西部戦争と言われたこの戦争。後世のある吟遊詩人によってはこう語られる。

 

 ――悪逆非道を為したドフォーレ商会、モンスターと手を組み人を贄に捧げて儲けた地位と金。

 それはやがて聖王の逆鱗に触れ、フォルネウスを倒した英雄の義憤を買う。贄にされかけた人を助け、世界にその悪行を知らしめた。だがこの世には善人もいれば悪人もおり、悪人が数多く集まったヤーマスもまた強い。

 しかし正義はそれに屈しない。侯国の姫がその猛将を遣わして、悪行の中心であったその者を討ち取った。猛将は万を超える軍を一人で壊滅させ、最奥にて震える極悪人に誅罰の刃を振るう。

 かくして散った悪の華。そしてその子供は正義の子、かねてより父の悪行に心を痛めていた優しき子。彼は聖王十二将を祖にもつフルブライトに助けを求め、バンガードやベントといった正しき者と共に人の心に巣食う悪を退治した。

 訪れた平和に、ようやく人の心に喜びが戻ることと相成らん――

 

 

「つまり、どうなるの?」

 時は詩人とキャプテンが話を終えてから半日と少し、場所はバンガードからウィルミントンへと向かう途中の道。行きと違い、極端に急ぐ必要がない為に無理のない速度で5頭の馬が駆ける。例えるなら早足程度、人を上に乗せても馬がそこまで疲れない速度だ。かっぽかっぽと揺れる馬の上でエレンが首を傾げる。

 彼女たちバンガード組は、ドフォーレ前軍を撃破した後でバンガードへ帰投。たった5人で2500の軍を敗走させるという快挙を成し遂げた訳だが、次の瞬間にはそんな事実は霧と消えた。彼らがバンガードへと戻るのと時をほぼ同じくして、ドフォーレ本隊が突如として軍事行動を開始。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 3000の軍が突如とて統率を失う。ここまではギリギリ想像できなくもない。だが、3000の正規軍が突如としてお互いがお互いを殺し合い、死屍累々の惨状を築き上げたという事を想像できる訳がない。生き残りが数十名バンガードへ投降したが、それぞれがそれぞれ言う事が滅茶苦茶だった。ある者は突然先程まで親しく話をしていた者が剣を抜いて襲い掛かってきたといい、またある者は悪魔が現れて自分達の殺し合いを望んだといい。事実など掴める訳がない。

 まあエレンたちは詩人が何かやらかしたとは分かったのだが、その容赦の無さにエクレアを除いて思わず顔が引きつったものだ。もちろん、その詩人さえ知らない者には混乱するしかない状況だ。そのままとにかく厳戒態勢を敷いて数日、ふらりとバンガードに戻ってきた詩人はドフォーレ商会会頭の暗殺に成功した事をエレンたちに告げ、旅の支度を整えるように言うとキャプテンと会合を為した。その翌朝にはバンガードはヤーマスへ向けて進軍を開始し、エレンたち6人はウィルミントンへと戻っている訳である。

「力で成り上がったとなれば、纏め上げた力を失った時に空中分解を起こすものだ。ドフォーレ商会がまさにそれ、後継者もまともに決めていなかった上に戦争の真っただ中で頭を失えば戦意も保てない。

 ヤーマスは今頃、内部抗争で荒れ狂っているだろうな。このまま戦おうとする者と、なんとかして降伏して最低限の利権を守りたい者。これだけでも纏まる訳がないのに、我こそがその旗頭になりたがる。まともな自衛能力があるのかも疑わしい」

 詩人は軽く答えながら弓を引き、放った矢で遠くにいたモンスターを射殺した。昨日今日でモンスターの数が減る訳もなく、リンも弓を使っているしエレンもたまに氷でできた斧をトマホークで投げつけている。

 そうした事をしていないのは遠距離攻撃能力を持たないユリアン。そしてやや体調を崩しているエクレアと、彼女を気遣う事を第一としたモニカだ。やや熱っぽい顔でくらくらしながら、それでもエクレアは好奇心旺盛に詩人の先を読む。

「それでそのままその混乱したドフォーレ商会を倒しちゃおうってコト?」

「まあな。攻め入るまでにドフォーレが纏まれば交戦なり降参なりできるだろうが、どちらにせよバンガードとツヴァイクの二面攻撃には耐えきれないだろう。どちらか一方だって命令系統がしっかりしてなきゃ怪しいものだ。

 ドフォーレ会頭が自分が死んだ後まで考えていれば話はまた違ったんだろうが、所詮は成り上がり。少しだけ調べたが、その辺りの引き継ぎは全く無し。万が一の時の後継者だけでも決めておけばよかったものも、それで自分の力が削がれるのを恐れたせいでそれも無し。会頭だけを暗殺すればいいっていう、楽な状況だった訳だ」

 それが楽と言えるのが想定できない布陣であるが故の状況だったのであるが、この詩人はそれをやってのける。個人の戦闘能力だけでなく、それ以外も非凡であるという証左であろう。

 エクレアはそれに頓着するでもなく、少し考え込んで別の所を深く聞く。

「後継者を決めるって、大事なんだ」

「死ぬと想像しているならな。自分の遺志や能力を後世に継がせる事ができないなら、出来の良い後継者がいるのは救いだろう。複数いれば頭痛の種にもなるかも知れないが」

「誰も居なければその後釜を争って自滅する、という理屈ですね」

 リンが神妙に言葉を継いで、締める。

 そしてそれとはまた別の場所が気になったのは心優しいモニカである。

「それで、その…。ドフォーレ商会の人たちは仕方ないとしても、ヤーマスに住む罪のない人々はどうなるのでしょうか?」

「ああ、そこらへんはフルブライトが出資しているシーホークに情報を流して、丸投げした。

 あの町にはレジスタンスとかもいるし、極端に悪い方向にはいかないだろ」

「バンガードやツヴァイクが攻め込めば混乱するんじゃないか?」

「上が戦争を起こしたんだ、全部が全部無傷っていうのはいくらなんでも虫が良すぎる。

 とはいえ、攻め込む側もその後に治める事を考えれば無意味な虐殺をする訳もない。死人が出ない訳にはいかないだろうが、な」

「随分と優しくするわね、アンタ。人助けとか向いてる気がするわ」

 八方丸く収めたと言わんばかりの成果を口にする詩人に、エレンは呆れたような軽口を叩く。

 しかし詩人はその言葉に能面のように表情を無くし、エレンを見返す。そして、彼女に向けて矢を番えた弓を向けた。

「冗談。俺ができる事は――」

「ちょ…」

「――殺す事だけだ」

 それだけを言い、詩人は矢を放つ。それはエレンの髪を掠めて、遠くまで飛んでいき、そこにいたモンスターを一矢で仕留めた。

 

 ウィルミントンに着いた時、とうとうエクレアが倒れた。強いとはいえ巧みとはいえ、彼女はまだ幼いといえる年齢だったのだろう。体力が強行軍についていかず、風邪をひいて熱を出してしまった。

 こうなればエクレアが体を治すまで待つしかなく、一行はウィルミントンにしばらく滞在する事になる。ちなみに詩人がウィルミントンでいつも利用する宿ではなく、フルブライトの屋敷にお世話になる事になっていた。これにはいくつか理由があり、そのうちの一つにエクレアの世話がある。体調を崩した彼女を世話する手は多い方がよく、昼夜を問わず動く人間がいるフルブライトの屋敷はその点で優秀だった。

 その他にも理由はもちろんある。例えばモニカ一行は5500ものバンガードに侵略せんとする軍を蹴散らし、敵の大将であるドフォーレ商会会頭の御印まで取っているのである。普通に勲一等であり、最重要の働きをしたといえる。フルブライトの屋敷に泊まるなどはおまけ程度の価値しかなく、その名誉もモニカに贈られるとあっては詩人もフルブライトに対する貸しや借りなど考える事もなく、モニカの雇われとして遠慮なく寛いでいた。

 他にもウンディーネが彼らの、とりわけ女性陣との接触を望んだ意味もある。リンは見捨てられた地である東の、更にそれを超えた場所の術を持つ。ミューズにも基礎から術を教えるし、アウナスと相対すると公言しているエレンやモニカ、エクレアへは厳しく教えるつもりだったようだ。エクレアは体調を崩して倒れてしまったが、モニカへは特に異常とも言える熱意を注いで教鞭をとっていた。ウンディーネが四魔貴族の強さを肌で感じたというのもあるし、モニカが持つ術の才能にも惹かれたのだろう。彼女が教えた術師が四魔貴族を倒したとなれば、彼女が四魔貴族を倒したというのとはまた別の箔がつく。教える方にも熱が入るというものだ。

 ともかく、そういった諸々の理由を合わせて彼らはフルブライトの屋敷に泊まっているのだった。

「だから遠慮しなくていいぞ」

「…ゴメンナサイ」

 エクレアを見舞いに来た詩人だが、彼女のいつも以上にしおらしい様子に苦笑する。奔放な彼女にふさわしくなく、弱りきったその姿は普段のワガママ娘には結びつかない。

 体調を崩してその影響が心や体にも現れているのか、もしくは他に理由があるのか。詩人に少女の心の裡は分からないが、体力をなくして倒れてしまった愛弟子に鞭打つ程に彼も鬼ではない。ベッドの側に立てかけられた氷の剣を見つつ、それもどこか心配しているようだと考えてしまうのは親馬鹿ならぬ師匠馬鹿だろうか。

 だが、エクレアが倒れなくても出発できない理由が他にもある。

「とにかく今は焦らないで、ゆっくりと体を休めればいい。そうじゃなくても――」

 ―いいから、アンタはウィルミントンで待ってろって言ってんのよ!

 ―そういう訳にもいかないって言ってるだろう!? なんで俺たちを連れて行かないのか、訳を言えよ訳を!!

 ―そんなのあたしの勝手よ!!

 ―じゃあついて行くのも俺たちの勝手だろうが!!

「――あれじゃあ、火術要塞へ向かえもしない」

 はぁ、と疲れたため息を吐く詩人。怒声が安静にすべきであるエクレアの寝室にまで響いてきていた。

 バンガードからウィルミントンへと戻る途中でその騒ぎは表面化していた。すなわち、アウナス討伐のメンバーだ。

 エレン、エクレア、リン、ようせい、詩人。ここは問題なく、シャールとミューズは不参加を表明している。問題となっているのは残り2人、ユリアンとモニカだ。より厳密にいえばユリアンが口論の的になっている。

 四魔貴族を倒す事に中心的な役割を果たしている、というか意欲的なのはエレンとユリアンたちである。その中でフォルネウスを倒したという実績を持つエレンがユリアンの参加を理由も言わずに頑なに拒み、ユリアンがそれに反発するといった事が表面化し始めた。アウナスに向かうという話に障害がなくなっているのだから、それも当然の話ではあるのだが。

 とにかくエレンの反対、というか拒絶の声は半端ではない。おおよそ関係がないリンやようせいは挟める口がなく、仲裁できるであろうウンディーネやフルブライトは口を挟む理由がない。

 今までは詩人も静観の構えだったが、日に日に悪化する様子を見るに誰かが止めなければ止まらない暴走状態に陥ってきているのは窺えた。そうなれば、その役目は不本意ながら詩人以外にこなせる人員はいない。彼がなんとかしなくてはいけないのだ。

(なんで俺がこんな事を……)

 心で愚痴を言いながら立ち上がり、エクレアの寝室を辞そうとする詩人。

 その背中に声がかけられる。

「詩人さんっ!」

「なんだ?」

 エクレアがベットから上半身だけ起こし、詩人を呼び止める。

 質感のいい寝間着に着替えた彼女はやはり幼くて、筋肉もムキムキについているとは言い難い。その筋肉は質がいいからこそ力は出せているのだろうが、こうして風邪で倒れた様子を見るにエクレアはまだあどけない少女に過ぎなかった。

 それを微笑ましく見る詩人。しかしエクレアの表情は強張っている。

「エレンさんを怒らないであげて」

「……どうした、急に」

「詩人さんが焦っているのは分かるよ。エレンさんがその邪魔をしているのも」

 エクレアが当たり前のように言ったその言葉に詩人は驚いた。焦っている時、それを相手に悟らせないように特に注意はしてきたのだ。戦闘中に露見すればそれはすなわち隙になるが故に。

 フルブライトに対する怒りも、ドフォーレに対する容赦のなさもその裏返しであったと詩人は自分で気が付いていた。今はとにかく早く南方に向かわなくてはいけない理由が彼にはあり、それが対外的な理由で邪魔されるのだから荒っぽくもなると自覚はしていた。

 しかしそれがまさかエクレアにバレるとは。しかもごくあっさりと。

 思わず硬直してしまった詩人だが、構わずエクレアは彼に話しかける。

「エレンさんも余裕がないだけだと思うの。だって――」

 

「――だから! アンタがついて来たって死ぬだけなの!! だから、来んなって、言ってるでしょ!!」

「死ぬ覚悟くらいできてるって言ってるだろ! 戦わせろよ、それすらもダメなのかよっ!!」

「ダメだって言ってるでしょ!! 死ぬ前提で来る奴なんて邪魔なだけっ!!」

「死ぬかもしれないのはエレンだって同じだろ!?」

「うっさいわね、こっちは死んでもやらなきゃいけないだけよ!!」

「そんなのこっちだって同じだよっ!!」

 ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん騒がしい。この声がホールだけではなく屋敷中に響いているのはエクレアの寝室に届いている時点でおおよそ察しはつくだろう。

 義理でこの場にいるものは皆辟易としていた。モニカはオロオロとしっぱなしだし、ようせいはつまらなそうに彼らを無視してお菓子をつまんでいる。リンは苦笑を浮かべるのも飽きたのか無表情だし、シャールは終わらない言い争いに見切りをつけてミューズを連れてこの場を去っている。他に迷惑を被っている家中はいるだろうが、そこら辺はフルブライトが止めているのだろう。彼はエレンに多少以上の借りがある。屋敷が騒がしい程度は甘んじて受けなければならない。

 かといってこのまま続けば怒鳴り合いが続くだけである。それを止めたのはエクレアに焦っていると評された詩人だった。

「そこまで」

 一言で威圧のこもった声を出せる者が他にどれだけいるか。そんな声をあげながら詩人は2人が言い争っているホールへと歩を進めた。

 思わず言葉を止めてしまったエレンだが、余計な口出しをした詩人に文句を言おうとしてそれもやめる。視線を彼に向けた時に、詩人の色無い表情と手が添えられた剣を見てしまったから。詩人が不抜(ぬかず)太刀(たち)を使える以上、手が剣にかけられているとは首筋に刃が当てられているのと同義である。この状況であるならば黙らざるを得ない。

 ユリアンも不抜(ぬかず)太刀(たち)を知らないとはいえ、詩人の技量を知った上でこの空気を醸し出すのである。口を閉ざしてしまう。

 他の面々も顔色を悪くして黙り込むのを確認して、詩人は騒ぎ立てた2人を見やる。そこには紛れもなく呆れの感情があった。

「まずお前ら、周囲の迷惑を考えろ。病人(エクレア)がいるんだぞ」

「…………」

「…………」

 気まずそうに視線を逸らす辺り、自覚はあったらしい。ここでまだ感情的に騒ぎ立てるようなら、本当に()()()なんとかしなければならなかったところだ。

 そうならない事にまずは安堵し、それを表に出さないように表情を引き締めながら言葉を続ける。

「そして時間もない。意味のない言い合いをしていないで、とっとと議論を結べ」

「…………」

「…………」

 またもや沈黙だが、先程とは意味が違う。先程までの気まずそうな様子から一転、不転身の意志を込めた目つきになる。これが2人共なのだから始末に悪い。

 決して譲らずの両者を見つつ、詩人は諦めながら提案を出す。

「分かった。こういう時の作法は決まっている、決闘だ」

「けっ――」

「――とう?」

 意外な言葉を聞いたと言わんばかりに呆けた言葉を出す2人だが、詩人は淡々と言葉を続けていく。

「そうだ、決闘。この場において俺が正式に取り仕切る事を表明する。

 作法に従い、猶予期間は3日。すなわち、3日後の正午に執り行う。場所はフルブライトの館の鍛錬場。真剣で、代理人を立てる事も認める。勝敗はいずれかの敗北宣言か、死をもってのみ決定する。そして敗者は勝者に従う。

 異論は?」

「…………」

「…………」

「異論は?」

「「ない」」

 思わぬ展開に一瞬言葉に迷ってしまった2人だが、重ねられた詩人の言葉に頷く。

 要は相手を力で黙らせればいいという話だ。単純といえば単純。そして四魔貴族に挑むにはこれ以上ない指標となる。力で超えなくてはならないのが四魔貴族なのだから。

 勝てば要求が通る、例えそれが理にそぐわない事であっても。その特権に負けた2人は同時に決闘を承諾し、一瞬だけ視線を交錯させた。

 

 負けない。そう、視線でぶつかり合う。

 

 そして視線を離す。

 エレンはそのままホールから出て行って、ユリアンはモニカへと向かった。

「ユリアン……」

「心配いりませんよ、モニカ。俺が勝ちます」

「――勝ちは願いません、ユリアン。でもしかし、どうか無事でいて下さい。命より大切なものはないのですから」

「……」

 モニカの言葉に返さず、目礼するユリアン。

 そして詩人の傍によってきたようせいとリンは思い思いに言葉を吐き出す。

「前々から思ってたんだけ――思っていましたけど。この茶番なんなんですか?」

「これは――ただでは済みませんよ。詩人さんがそれを分かっていないとは思いませんが」

 ようせいは退屈した声。リンは心配そうな声。

 そのそれぞれに手をポンと置いて、詩人は苦笑しつつ口を開く。

「まあ、いいじゃないか。これで3日後に決着が着く」

 ただし。その苦笑いの奥には、鋭い視線が煌めきながら輝いていたけれども。

 

 泣いても笑っても。3日後には全てが決まる。

 超えなくてはいけない壁は迫ってくる。それを実感せざるを得ない3日になる事を、まだ詩人以外は誰も気が付かないのだった。

 

 

 




今年は更新出来て、後一回かなぁ。
クリスマスと年末年始は休ませて下さい。


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075話

過去最長、更新です。
どうか楽しんで頂けたら幸いです。


「決闘、か」

「ええ。三日後です」

 槍と剣を交えながらシャールとユリアンが言葉も交える。話だけはシャールも聞いている、ユリアンとエレンがアウナスを討伐するメンバーを決める為に決闘をすると。確かにあの感情のぶつけ合いはどこかに落としどころを作らなくてはなかっただろう。

 発案は詩人であり、審判も彼がする。行う決闘は騎士のそれで、代理人を立てる事も可能。古い貴族の決闘方法で、それはシャールの知識にもある。代理人を認める辺りは騎士の決闘というよりかは貴族の決闘に近いが、昔は騎士と貴族が類似であった時代もあったし、今現在も戦えない貴族が騎士を名乗る事も少なくない。

 そこら辺の言葉の選び方はどうでもいいが、幾つか提示された条件にシャールは思考を割いていた。真剣であるとはいえまだ準備運動の段階だからこそ、そちらに思考を回す余裕がある。

 まずは決闘までエレンとユリアンの無意味な接触を禁じる。これは揺さぶりや交渉などを極力回避する為にある。この二人には意味がない話だが、名を譲って実を取るという話はいくらでも存在する。また、審判である詩人も肩入れを防ぐ為、やはり最低限の接触以外のエレンとユリアンへ接触が禁止される。これも心配しなくていい話だろうが、審判が買収されてしまえば決闘など茶番に堕ちるのだから。

 勝敗は敗北宣言か、もしくは死をもって決定される。これもまた決闘の作法でもある。場合によっては殺すのを禁止して、頭上に括りつけられた球を破壊した方が勝ちというのもあるが、四魔貴族に挑むというのにそんなお遊びで勝敗を決しても仕方ない。命くらい懸けろという詩人の主張はシャールも納得するものだった。

 さて。こうなった時、どちらが勝つかを考えてしまうのは仕方のない事だろう。そしてシャールの中で導かれた答えは、8割以上の確率でエレンの勝利に終わるというものだった。

 シャールが己自身を基準で考えた時、彼がエレンに勝てる確率は9割程度だと見ている。一見高い確率に見えるが、実は最も危ない確率の一つだ。

 勝率を測る時、一番嫌なものが五分五分である。こちらは互角だと思っているが、相手の思考は分からない。見えている手札で対等という事は、見えていない手札一つであっさりと負けてしまう可能性もあるという事。もちろん、見せていない手札で楽勝という可能性もあるが。

 次に嫌な確率が勝率1ケタ。もしかしたらこの手が決まれば上手を倒せるかも知れない、そんな甘美な誘いと僅かにくすぶる勝つ自信があるからこそ、危うい賭けに乗ってしまいかねない勝率。これ以上に、例えば2割から3割程度の勝率だと分が悪いと素直に引けるのだが、人とは不思議なものでギリギリあり得なくはない確率に惹かれてしまうのだ。シャール程の戦士でも大丈夫だとは言い切れない誘惑がそこにある。まあ、ここで大丈夫だと言い切る奴の方が存外さらっと知らないうちに誘惑に負けるのであるが。

 最後に嫌な確率が9割方勝てるというものだ。順当に行けば勝てる、普通負けない。そういった思考こそが知らず相手を低く見て、その実力を見損なう。窮鼠猫を噛むという事例が起こりやすい確率であり、この実力差になると負けが見えた側も徒党を組む。多数が入り混じった戦いには不測の事態が起こりやすく、まさかが起きてしまう事も、稀によくある。100回に1回しか勝てない戦いは世界中で頻発するものだ、千回も万回も。

 シャールがエレンと戦った場合、最後のケースに当てはまる。斧と体術、そして玄武術を扱う彼女だが。槍と剣、体術に朱鳥術まで扱うシャールとは手札の数でも勝っているし、練度でもやはりシャールが上。一対一なら、普通負けない。

 何度も言うが、この普通というのが厄介なのだ。普通勝てないのは相手も分かっている話であり、それなのに何故向かってくるのか。ただのバカか、奥の手があるかの二択である。フォルネウスを倒した彼女はまず間違いなく後者であろう。余り気持ちのいい話でないが、例えばエクレアと名乗っているあの少女が乱入して突如としてニ対一になるという事も、実戦ならば十分にありうる。決闘でも全く無いとは言えない事で、要するに審判ごと殺してしまえばいいという発想である。まあ審判を殺すのはともかく、実戦では伏兵を配置して奇襲をもって数的有利や状況有利に立つのは常套手段の一種だ。むしろ思いつかない方がバカと言われるレベルである。

 そうなった場合、覚悟していてもシャールの勝率はガクっと下がる。おおよそ五分五分、一番戦いたくない確率くらいにはなる。その上、二の矢三の矢も無いとは言い切れない。別の襲撃者が現れたなら、実はもっと得手とする武器を隠していたら、ミューズが狙われたなら。不確定要素には事欠かないだろう。

 比べて、測りきれていないエレンとは違い、幾度ともなく手合せをしておおよそを把握しているユリアンには100%に近い確率で負けない。それどころか、必要最小限の力で勝てる。最短で、最小の労力で、傷一つなく。もちろん戦いに絶対はないが、それでも絶対に負けないとシャールには言い切れた。もう少し深く言うならば、絶対に殺せると言った方がいいかも知れない。シャールが無力化するには危険が伴うレベル、それがユリアンだ。半端に力を持つと強者は本気で殺しに来かねないといういい例である。

 だがそれはユリアンが弱いという事では決してない。むしろシャールに本気を出さないと危険であると思わせるのは十分に強者を名乗る資格があると言える。例えばバンガードに敷かれた素人集団のドフォーレ商会前軍。アレなんぞはシャールやカタリナといった強者ならば、ユリアンたち5人と同じ戦果は容易くあげられただろう。言い換えれば、あの前軍はその程度の価値しかなかったとも言えた。一人の強者によって打倒されるレベル、そしてその一人が疲弊すればいいという考え方だ。ドフォーレ商会は案外この考えで、バンガードを城塞を削れなくてもサザンクロス辺りを弱らせれば良しといった思考回路だったのかも知れない。

 ユリアンとエレンの戦いに話を戻そう。

 シャールが危険信号を灯らせるのがエレンで、心配なく勝てるのがユリアン。そしてこのシャールとエレンの力関係がそのままエレンとユリアンに当てはまる。

 つまり、順当に行けばエレンが勝つ。何か間違いが起きない限り。そしてシャールが知る限りでユリアンが持っている間違いを起こす手札が、エレンに通用するかと聞かれれば首を傾げざるを得ない。確かに意表をつく技は幾つも携えているが、エレンもそういった事に対する危機感は必要以上に持っているだろう。何せ自分を倒すにはそれしかないのだ。警戒しない方がおかしく、順当に戦いたいのはエレンなのだから。それを思えばやはりシャールはエレンにチップを賭けたくなるが、そういった戦いこそ何が起きるか分からない。堂々巡りだ。

「そろそろ本気でお願いします」

 ユリアンの言葉にシャールの思考が切り替わる。一瞬で間合いを広げ、剣が届かずに槍が突き刺さる距離を稼ぎ、槍を構える。

 決闘までに腕を磨かなくてはいけないユリアンだが、その相手には前述の通りエレンと詩人を選べない。白羽の矢が立ったのはシャールで、彼もそれを喜んで受け入れた。シャールにとってユリアンは可愛い弟分や後輩の騎士といった感覚である。会ったばかりのエレンよりも情が深く、また夢魔の世界から自分と、何よりミューズを助けてくれた恩人でもある。断る理由がない。

 ちなみにそのミューズはというと、詩人たちがバンガードに向かった日からずっとウンディーネに術の手解きを受けていた。ウンディーネ曰く、なかなか見ない才能であるらしい。周囲のモンスター退治には危険を伴う事からシャールもこれを歓迎し、人手が減ってぶつぶつ言うようせいと2人でウィルミントン周辺に居た異常な数のモンスターを駆逐してみせた。

 バンガードから6人が戻ってもウンディーネの授業は続いた。モニカも巻き込み、ひたすら術の真髄を叩き込む。本来ならばこれに大金を払わなくてはならないものだが、これはウンディーネ自身が断った。理由は3つあり、1つはエレンの仲間からお代は取れないという事。2つはお金よりも才能の原石とも言える彼女たちを磨くのが大切だという事。3つ目は、弟子が四魔貴族を倒せば十分に元が取れるという事。ここら辺がウンディーネが口にした理由である。

 そしてエクレアは風邪に倒れて、詩人は意外と言っては失礼かもしれないがそんな彼女の面倒をよく見ている。ユリアンは腕を磨き、そしてエレンはリンと何か訓練をしているようだった。

「いくぞっ!!」

 余計な思考はそこでお終い。シャールとしてはほんの僅かでもユリアンの勝率を上げるべく、彼を効率的に鍛え上げる事に考えが傾いていった。

 激しく槍と剣とが火花を散らせる。いや、シャールがわざと受けさせているのだ。その熱でまるでユリアンを鍛え上げるように、激し過ぎる稽古は始まるのだった。

 

 対してエレン。

 彼女はフルブライトの屋敷の一室で、奇妙な座り方をしながら目を閉じて集中していた。もしも東の文化を知っていたのならば、それは座禅と呼ばれる座り方だと分かっただろう。それを教えたのはもちろんリン、同じ部屋で同じ格好をして目を閉じながら集中するもう一人。

 お互いの息づかいだけが感じられる、薄暗い部屋。西には存在しない集中法を学ぶエレンは、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。それはいわば感を磨くと言った作法でもあった。例えば周囲の空気の流れを感じ、そこに漂う湿度までも理解する。玄武術を扱うのならば絶対に無駄にならない感覚である。また、己の中に巡る血の流れを深く理解し、それに沿うように練気を流す。東の技術で気功と呼ばれる秘奥の技術であり、気を操るエレンであるからこそ体得できたといえるだろう。そしてまた、床から僅かに感じ取れる振動や壁から伝わり揺れ動く空気の流れから隣室の状況の把握も可能とし、自分を中心として感じ取れる空間を広げていく。その感覚をものにした時、それは曖昧な勘から変化して他人には理解出来ない第六感となり、まるで未来を予知したかのような先読みを可能とする。隣室の中で一ヶ所、どうにも把握できない場所があるが、そこはエクレアが休んでいる部屋なのでどうせあの詩人だろう。言い換えれば、この感覚で感じ取れない場所には未知の危険が潜んでいるともいえる。それはそれで収穫だ。

 僅かに数日、リンから技術を学んだだけでこの成長だ。果たしてシャールはここまでエレンを理解してまで自分が有利と言っているのか、甚だ疑問である。それほどまでにエレンの成長は早い。いや、ユリアンも遅くはなく、彼だって早い。なので言い換えればエレンの成長はこう表現できるだろう。異常である、と。

 エクレアは天才であり、天賦の才があるといっていい。ではエレンにそれが無いかと言われれば、そんな訳がないのである。最低でも天才が四魔貴族に挑むラインであり、それをクリアしつつ己を磨く努力を決して怠らないからこそのフォルネウス撃破の偉業が為されたのである。そしてその戦いも実質負けたとエレンが思っている以上、彼女の慢心には繋がらない。四魔貴族に届く牙を、より硬くより鋭く磨いていく。

 エレンの後ろにはサラがいる、戦いに負けて死んでしまえば、全ての苦しみは愛しい妹に降りかかる。この現状は、エレンに死ぬ事さえ許されないと自分を追い込んでいく。死ねない、死ねない、勝つしかない。その執念を超えた強力な意識は、彼女を猪にしない。自分に足りないのは何なのか、必要なものは何なのか。冷静な判断力で識別し、冷厳とも言える実行力で身につけていく。

 苛烈さは彼女は既に手にしている。フォルネウスのメイルシュトロームをその身に喰らい、なお敵に斧を向けられるそれが苛烈でなくてなんなのか。しかし、苛烈なだけではダメなのだ。激しいだけではダメなのだ。窮地に立たされて、決死の覚悟で立ち上がったまではいい。だが、その後に突進しようとしたのはいただけない。エレンはフォルネウスとの戦いを、そう反省していた。敵は自分よりも体格で勝り、力で勝り、体力で勝る。そんな相手に傷ついた体で真っすぐ向かってどうしたら勝てるのか。あの場面こそ、冷静でなければならなかったのだ。

 だからエレンは学んでいる。激しく動くだけでなく、静かの中にある強さを。彼方の地である武将が遺した言葉、風林火山。風や火は激しさの象徴だが、林や山は静かの象徴である。戦いとはその両方が兼ね揃わなければならないのだ。闇雲なだけではダメなのだ。エレンは教わるまでもなくそれを理解していた。

 やがてリンが瞼を開けると同時、エレンも瞳をのぞかせる。それを見るリンは微苦笑して口を開いた。

「凄いですね、エレンさん。短期間でここまで体得できるなんて」

「いや、あたしなんてまだまだよ」

 それに謙遜でなくエレンはそう答える。それは正しくもあり、そしてまた間違ってもいた。

 短期間でここまで体得できるのは凄い。それは間違いなく正しく、否定するエレンは間違っているとも言える。

 だがしかし、結果として勝てなくては意味がない。その為に磨き上げる余地は多すぎる程にある。そういった意味で、まだまだといった彼女は間違ってはいない。

 これ程の才を持ち、しかして溺れずに着実に前へ進んでいく。そこに狂気が見えないからこそ、逆にリンにはそれがうすら寒いものに思えた。これでもまだ満足しないのか、これでも足りないのが四魔貴族とやらかと。それは恐怖の感情と同時、期待感をもリンに抱かせる。そのような敵と戦ってみたい。そして死闘の果て、勝ちをもぎ取りたい。それは武人としての性とも言えるだろう。

 ならば自分も負けてはいられない。リンは気合いを入れ直す。彼女は23と若く、伸び代はまだまだある。年下のエレンに負けてはいられない。

 不敵に笑い合った2人の女性は、再び瞳を閉じて集中を高めるのであった。

 

 3日は早い。

 ユリアンはシャールと共に苛烈な日々を過ごす。

 エレンはリンと共に心を研ぎ澄ます事に時間を費やす。

 モニカとミューズはウンディーネに学び、詩人とようせいは風邪の治りかけであるエクレアの相手をした。

 その時の流れはまるで天気の機嫌さえも流し去ってしまったようで。1日、また1日と過ぎる毎に曇天が空を覆っていく。

「嵐になる、か」

 前日。試合会場であるフルブライト鍛錬場を下見に来た詩人が空を見上げて、そう呟く。今にも泣き出さんばかりの空模様を見れば誰だってそれを感じるだろう。

(さて。どちらが勝つか)

 当然ながら詩人に未来予知の能力などない。翌日の試合のどちらが勝者になるか、今の時点で分かる訳がないのだ。

 だがそれも文字通り、時間の問題である。明日になれば嫌でも答えが出る。そう、嫌な答えであってもだ。

「勝敗は…敗北宣言。もしくは、どちらかの死」

 それが決闘の作法である。シャールが危惧したような第三者の割り込みも許容している辺り、昔の貴族は非常に性格の悪い作法を作り出したと言わざるを得ない。公平に、不平等。ルールを作る側は己が有利になるように作るのが人の道理。万人に強いた規則の中で、自分だけが枷なく動けるように。または、相手だけに不利を強いるように。事前の取り決めも、見る者が見れば穴だらけだ。

 だがしかし、このルールを詩人は採択した。それは額面だけ取れば平等に見えるからであり、そしてエレンとユリアンがお互いがお互いを測れるのに一番いいと思ったからでもある。

 

 ポツリと、空が泣きだした。詩人は踵を返して屋敷へと戻る。

 そして雨はざあざあと降り出す。赤子の癇癪のような雨は激しさを増す一方で、治まる気配は一向に無かった。

 

 

 その日にも雨は降り止む事無く、むしろ稲光りも伴って暗い世界を一瞬だけ瞬かせる。ぬかるんだ土の鍛錬場で、数人がその決闘に立ち会っていた。

 風邪が治りきっていないエクレアは部屋の窓から中庭にある鍛錬場を見守っている。ようせいもこの雨の中、好んで外には出ないからして彼女と一緒だ。ミューズも青ざめた顔で同席していた。場合によってはユリアンが死ぬとシャールに聞かされたからこその顔色である。対して野次馬根性丸出しでティーカップを傾けているのはウンディーネ、彼女が何をもって余裕を持っているのかを知れる者はいないだろう。

 鍛錬場に出ているのは、完全武装のエレンとユリアン、そして詩人。それからシャールとリンもだ。この決闘の穴に気が付いている2人は場合によっては割り込むつもりだと詩人には理解できていた。そしてもう1人、武装こそしていないもののモニカも雨具を風雨に晒しながらもその場に立っていた。ユリアンが命を懸けて雨風に打たれているのに、自分だけ屋根の下で安穏とする事は彼女の矜持が許さなかった。

 ちなみにフルブライトは観戦すらしていない。このような乱痴気騒ぎに興味はないし、そもそもドフォーレとの戦争も趨勢は決まったとは云え、相手はまだ詰んでいない。後々の利益をバンガードやトーマスカンパニーと取り合う意味もあり、今も執務室で仕事の真っただ中だろう。この嵐の中に早馬を放つ事も少なくない。彼は彼とて戦っているのだ。

「――ルールは以上だ」

 最後の確認として詩人は再度、改めて宣言する。

「両者、何か言う事は?」

「リン!」

「シャールさん!」

 2人は同時に声をあげる。3日、共に自分を鍛えてくれた恩人へ。まるで準備をしていたかのように同時に同じ声を出した。

「「手を出すな!」」

 これは自分の戦いだ、2人の戦いだ。静かに闘志を燃やす瞳が、雄弁にそう語っていた。

 声色でもはや手出し無用と理解したシャールとリンだが、万が一に備えない訳がない。下手な戦いで殺し合うことを望む仲では無いと承知している。銀の手を装着したシャールは槍を強く握りしめ、リンは片手に弓を片手に矢を持ち、離さない。

 それら全てを見届けた詩人がとうとうその言葉を発する。

「はじめ!」

 瞬間、ユリアンが白銀の剣を片手に疾走する。騎士の盾を持ち、シルバーチェイルを身につければ中々の重量のはずだが。その重さを全く感じさせない素早さだった。

 しかしエレンにはその全てが見えている。確かに速い、それなりに。それでもいつも組み手をしているエクレアよりか、まだ遅い。エレンはブラックの斧を持ち、ガントレットや鉄片が張り付けられたブーツで防御と攻撃の両方を兼ね揃える。そしてその頭上には聖王のかぶとが、曇天の中でなお光り輝いていた。

 剣と斧の間合いはほぼ同じだが、重量の差で剣の方が速い。その先手取るために間違いないタイミングでユリアンは剣を振るおうとするが、ゾクリと走った直感に従って急停止。その眼前を斧がブオンと空を切る。

(冗談だろっ!?)

 同じ間合いで同時に武器を振るう場合、その速度を分けるのは大きく2つ。武器の重量と、使い手の膂力である。それでも同じ人間である以上、普通は重量以上に膂力が関係するなんてない。これが同じ剣同士なら考慮する必要があるだろうが、エレンが振るうのは鈍重な斧なのである。それを小剣のようにとは言いすぎだが、少なくとも常人の剣よりも素早く振るう事にユリアンの頬を雨でない液体がつぅーと流れた。

 そして回避された事を驚きをもって見るエレン。この速度はユリアンには見せた事のない速度だった。だからこそ、回避されたことが意外だった。でもまあ戦いなのだ、意外がない方がむしろ意外。すぐに立て直して立ち止まったユリアンに追撃をかける。

 しかしユリアンはすぐにその場から離れる。勝機があるのは剣の間合いのみ、エレンのもう一つの武器である体術の間合いに入ってしまっては勝ち目がない。そうユリアンは分析していた。ユリアンとて体術を磨いてない訳ではないのだが、専門家には劣る。そしてエレンは間違いなく体術の専門家だった。いくら分が悪くとも、剣と斧の斬り合いにかけるしかない。相手の方が速く力強いとしても、ユリアンの勝機は剣にしかないのだ。

 ――それに付き合う必要は、エレンにはなかったのだけれども。

「スコール」

 離れたユリアンを、打撃力を持った雨が打ち据える。後ろに体重をかけていたユリアンは、雨に押し出されるように無様に背中から泥まみれの地面に打ち据えられる。何しろこれ以上ないくらいに玄武術に向いた天候だ。エレンがそれを使わない訳がない。

 天気までもエレンの味方かと心の中で悪態をつきながら、ユリアンは後転して立ち上がり、エレンを正面に見据える。多少の距離はあるが、剣や斧の間合いではない。そしてエレンの術はそれ程の威力がある訳でもなく、ユリアンにダメージらしいダメージはない。いけると思ったユリアンの視界には、氷の斧を担いだエレンの姿が。そこから想定される攻撃は一つのみ。

「トマホーク」

 その氷の斧をブン投げる事。数キロにも及ぶ氷塊をいちいち受けてはいられないと、鋭いステップでそれをかわすユリアン。しかしそれこそがエレンが望んだ行動、待ちわびた行動だった。

「練気拳」

 間合いの外だからと油断したユリアンが悪い事は間違いない。だが、それが責められるだろうか? まさか数メートルも離れた相手に吸い寄せられるように体が引っ張られるなどと、想像できる方がおかしい。

 驚きに目を見開くユリアンの、その背後で斧の形をした氷塊が屋敷の壁にぶつかる音がする。近づいたらマズイと思いつつ、しかしトマホークを回避したユリアンはその場に踏ん張れる姿勢をしていない。踏ん張れたとして、このぬかるんだ泥でどれだけ効果があるかは不明だが、そんな悪あがきさえもエレンは許してくれなかった。

 吸い寄せられたユリアンは、その頬にガントレットをしていない方の手で殴られた。それは斧を持っている方の手であり、つまりエレンはわざわざ手加減してダメージが少ない攻撃方法を選んだという事である。

 ミシリという骨が軋む嫌な感覚を、エレンとユリアンの両方が感じ取る。そして思いっきり殴り飛ばされたユリアンはぬかるみの中をゴロゴロと転がって、瞬く間に泥まみれになっていく。

(やはりこうなったか…)

 シャールは心の中でそう思う。ユリアンは弱くない。だが、エレンが強いのだ。彼が思うに、四魔貴族を相手取るのに最も必要なのは統率力であると考える。単独の人間が撃破できるような存在が、四魔貴族と呼ばれて魔王がいなくなった後の聖王が活躍する300年を支配できる訳がない。聖王ですら仲間を集め、数の力で四魔貴族をゲートの彼方へと追いやったと聞く。

 ならば必要とされるのは統率力。それも何百何千を結束させる方向ではなく、たった数人の強者を鋭く束ねる能力だ。クセのある強者を束ねるのに必要な技能はいくつかあげられるが、その中の一つに俯瞰力があげられる。空間把握能力とも言われるそれは、敵味方の配置を正しく理解して支配する。いわば間合いの取り方が上手いのだ。ユリアンもその能力がないとは言わないが、より優れているのはエレンだろう。素早さも力も彼女の方が上であり、そのような感覚能力も上。更には術も使えて、練気拳にて間合いも自在。ここまでくればシャールでも苦戦するだろう。他はともかく、気をあそこまで自在に扱えるとは思っていなかった。しかも練気拳を容易く披露したという事は、他にも奥の手が眠っていると考えた方がいい。これは自分も危ういかも知れないとシャールは思う。

 勝敗の趨勢を確信したシャールと同時、対して審判である詩人に驚きはない。彼はエレンを鍛えた張本人である。今更この状況に驚きを覚える筈がない。

 心配なのはむしろこれからだ。

「ねえ、ユリアン。アンタがあたしに勝てると思った?」

 高圧的に地面に伏すユリアンに語り掛けるエレン。彼女は開始時点から全く動いていない。それがエレンとユリアンの差であり、現実の壁だった。

「その程度で四魔貴族と戦えるって、本当にそう思ってるの?」

「…………」

「話になんないね、出直しな。とっとと負けを認めて、別の方法を探せばいい。

 期限はないんだろ? あたしが全部のゲートを閉じたら、そっちを手伝ってあげるよ」

「…………」

「フルブライトとドフォーレの戦争。その勝利の立役者はモニカ姫って事になってるんだろ? そこから手を出して頑張ればいい。

 四魔貴族と戦うなんて、死にに行くような真似をする必要はないんだよ」

「…………っ! 黙れ、エレンッ!! 俺が、いつ! 負けを認めたっ!!」

 淡々と醒めた言葉を投げつけるエレンに、ユリアンが激高して剣を手に立ち上がる。

 殴られた頬は腫れ上がり、痛ましく情けない。開始時点から一歩も動かず泥もブーツにつくだけのエレンと違い、ユリアンは全身が泥まみれ。

 弱い犬程よく吠える。そう言われても仕方のない状況だった。

 エレンはすぅと目を細める。

「へえ、要するに――殴られ足りないんだ?」

 エレンは斧を背中に仕舞う。ガントレットを外し、腰にぶら下げる。これで彼女の腕を守るものはなくなった。ユリアンの剣が喰い込めば大きなダメージになるだろう。

 パンパンと拳を掌に打ち合わせながらエレンはゆっくりとユリアンとの間合いを詰める。

 やがて剣の間合いになった時、ユリアンは躊躇なく剣を振るう。一応は致命傷にならないような場所を狙っているが、刃筋は立っており峰打ちなどではなく、下手をしたら取り返しのつかない怪我にもなりかねない一撃だった。

 しかしそうならない事はエレンは理解している。それは詩人もシャールもリンもエクレアも、もしかしたらユリアンだって。振るわれた剣の横にエレンの手の甲が打ち付けられて、軌道が大きく逸れる。体勢を崩したユリアンの腹に短勁が叩き込まれた。

「グォボァェッ!」

 聞くに堪えない醜声を上げながら、剣を取りこぼし腹を押さえるユリアン。だがエレンは油断をしない。冷静に地面に落ちた剣の柄を蹴って遠くに追いやると、跪いたユリアンの顎を蹴り上げて脳を揺らす。

 ユリアンの視界には泥まみれの地面が涙に歪んで映ったと思ったら、急速に痛みを伴いながら雨を降らす雲も見上げさせられた形になる。そしてそのままどしゃりと地面に崩れ落ち、泥の地面を水平に視界に入れる羽目になった。

 そのユリアンの顔を、エレンは無表情に踏みつける。

「四魔貴族が相手なら、このまま頭蓋は踏み潰されてる。あたしに傷一つ与えられないあんたが、本気で四魔貴族に相手にできると思ってるのかい?

 死なないうちに負けを認めなっ!」

 ユリアンの命はエレンに握られている。それは誰の目にも明らかだった。彼女がほんの少し脚に力を籠めるだけで、ユリアンの頭は卵のように潰されるだろう。

 理解出来ない人間はいない。だからモニカが声を張り上げる。

「もういいです! この勝負はエレンさまの勝ちですっ!!」

「…………」

「詩人さんっ!?」

 モニカの絶叫とも言える声にも詩人は反応を返さない。シャールもリンも、エクレアもウンディーネもようせいも。

 ルールを理解していないのはモニカ一人だけだった。

「死ぬか、負けを認めない限りは勝負は決まんないよー」

 退屈そうにようせいが言う。実際、ここまでのワンサイドゲームは観客には受けが悪いだろう。だがそれで蹂躙される側はたまったものではない。

 ユリアンは返答として、闘志に燃えた瞳をエレンに投げつけた。

「ふぅぅぅん」

 負けない、負けない、負けていない。そう語るユリアンの瞳に、エレンの機嫌が著しく下がる。

 ユリアンの顔から脚を動かし、その右腕に照準を合わせる。

「っ! やめてぇぇぇ!!」

「っっっ! ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 その腕の骨が踏み砕かれた。

 声にならない絶叫をあげ、右腕を左手で押さえて泥の中をのた打ち回るユリアン。モニカの絶叫は、届かない。

 もはや剣を握る事さえ許されなくなったユリアンに、エレンは冷徹に告げる。

「次は、殺す」

「殺せ」

 ビクリとエレンが硬直する声だった。直前まで痛みに喚いていた男の声ではなかった。

 痛みを湛えたまま、ユリアンは獰猛な表情でエレンを見上げていた。

「どうした、俺を、殺せぇぇぇ!!」

「っ!」

 ヤケになった訳ではない。負けを認めるのは死ぬより嫌だ、そういった意地だけが込められた声だった。

 エレンには似たような声をかつて聞いた事がある。だが彼はユリアンとは違う。彼は既に死んでいたのだから。そう、龍神降臨を唱えてフォルネウスに突撃したブラックが生き残る方法はなかった。死ぬ事を認めたブラックと、ユリアンの声が重なった。静かなブラックの声と激しいユリアンの声は全く違うのに、その2つが重なったのだ。

 それにエレンは恐怖する。それはこの決闘で初めて見せたエレンの怖気ついた表情だった。そして反射のように氷の斧を作り出し、こちらに駆け出しかけていたモニカに向けてそれを投げつける。

 ユリアンの側に駆け寄ろうとしたモニカの足元に氷の斧が突き刺さり、泥飛沫をあげる。

「殺すのはあんたじゃない。――モニカだ」

「殺せ」

「っ! あんたの、戦う理由を殺すってあたしは言ってるんだよっ!!」

「だから殺せって、俺は言ってるんだよっ!!」

 モニカを殺すというエレンに詩人は止める気配がない。ルールに逸脱していないからだ。負けを認めない以上、脅迫も認める。これは暗にそう言っているルールだった。

 しかし最初に他に手を出すなと言ったのは他ならぬエレン自身である。知らぬ間に、彼女は自分で定めたルールを破っていた。

 それに気が付いていたなら、まだ心を立て直せたかも知れない。けれども主君(モニカ)の命を盾に取られてさえ、ユリアンは揺るがない。

 勝利。その為ならば、モニカの命も危険に晒そう。その覚悟がなく、四魔貴族の前に立てる筈もない。

 覚悟がないのは――エレンだった。護るべきものを危険に晒す勇気がないのは、エレンだった。

 エレンはユリアンの気迫に押され、よろよろと後ろに下がり、足が縺れて尻もちをつく。そのお尻が泥水を吸い上げ、じわじわと汚れていく。

 ユリアンは右腕を押さえながら立ち上がり、剣も持てない体で、痛みを顔面に表しながら、呆然としたエレンを見下ろしていた。

 

 エレン・カーソンという人物の話をしよう。

 彼女はカーソン農場を経営する一家の傍流として産まれた。カーソン農場は商会では下の中、コムギを耕して問屋に卸し収入を得る。小さな村の纏め役でもあり、収穫祭などでは音頭をとる程度の地位にはいた。収穫祭、新年祭、誕生祭。そういった祝い事にはちょっとした贅沢が許され、多少の飢饉ではひもじくとも飢える事はない。そんな一家だ。

 その年の事をエレンは朧気に覚えている。歳は、確か5つ。後から死食の年月を鑑みても間違いがない。父親に連れられ、ままごとのように畑の世話をし始めた年。雑草の一本を抜いてはしゃぎ、気味悪く蠢くミミズを見て父親に抱き着いたそんな頃。エレンには妹が産まれ、そしてある日昼間なのに世界が真っ暗くなった。

 村のそこかしこですすり泣く声が聞こえたが、カーソン家では悩ましい声がうめいていた。産まれたばかりの妹が元気に泣いているのが、親戚や両親には不満だったらしい。産まれたばかりの妹のお姉ちゃんになるんだと意気込んでいた幼いエレンには、その事の重大さが分かっていなかった。

 死食を生き延びるのは宿命の子のみ。つまり、エレンの妹でありサラと名付けられた女の子は宿命の子だということだ。もしもそれを公表してしまえばどうなるかは聖王詩が語ってくれるだろう。死んだ方がマシだと思えるような苦難の果て、個人としての幸せを掴む事無く死ぬのだ。歴史に偉業を遺したとして、笑って過ごせる人生を送れるかははだはだ疑問。

 そしてカーソン家はそれ以上に自分の家の滅亡を恐れた。格が低いと自覚するカーソン家は、宿命の子を理由に世界中から突き上げを喰らう事を恐れたのだった。もはやサラの味方はその両親とエレンだけといってよかった。

 かといって、下手に殺してしまっても後々不利益を被ってしまうかもしれない。カーソンはエレンとその家族に一年以上の放浪を命じた。その路銀をくれただけマシな方だったのだろうが、当時のエレンにとっては自分達を厄介者扱いして放り出すような薄情者にしか見えなかった。まあ、ある意味では間違っていない認識である。

 こうしてエレン一家の放浪の旅が始まった。サラを隠しながら、目指す先のない旅路。この間でエレンは強い自立心を養う事になる。周囲は敵、親戚も敵。それでも可愛い妹であるサラは家族と共に守らなくてはならない。強い保護欲が幼いエレンに目覚めていった。そしてそんな少女の行為は威嚇であり、寄った村や集落で遊ぼうと寄って来た子供たちに強烈な敵意を向けた。年上の男のガキ大将に引っ叩かれて地面に転がされても、決して涙は流さなかった。泣けば弱くなる。本能的にそう悟っていたエレンは、年上のガキ大将に噛みついて引っかき、相手を泣かせた。結果、サラの秘密は守られたがエレンは孤独だった。誰も近づけば殴りかかってくる少女と友達になろうとはしなかったのだ。

 それが変わったのは、数年が経ってようやくシノンの開拓村に居ついた頃。エレンは9歳で、サラは4歳。サラが少し育ちの遅い5歳という言い訳が通じる年頃になってからだ。

 そのシノンの開拓村は訳あり者が少なくなかった。そもそも開拓村というのが危険と隣り合わせであって、訳がない者が来るわけがないといった方が正しい。強いて言うなら、纏め役のベント家がそれだったのだろうが。彼の家以外は困ったら立ち寄り、不便になったら立ち去る。そんな連中ばかりだった。もちろんそんな中でも居つく者達はおり、エレンのカーソン家もその一つ。死食で女の子を亡くし、実は宿命の子を匿っているのではないかと疑われて元の村から逃げ出したノール家もその一つ。取り纏め役として逃げ出す訳にいかないベント家もまたその一つ。

 エレンはそこで初めて友人を得た。ユリアン・ノールとトーマス・ベント。トーマスことトムは少し年上だったがそれでも物腰の柔らかい彼はエレンが最も心を許せる友となり、死食で妹を亡くしたユリアンはサラの事を自分の妹のように可愛がり、エレンの共感を呼んだ。サラを守る同胞として、自分を迫害しない仲間としてエレンはトーマスとユリアンを認識したのだった。

 時が過ぎ、思春期になる。トーマスはともかくユリアンはエレンに色気を出し始めたようだが、エレンにその気は起きなかった。彼らはサラを守る仲間、エレンにとって家族も同然だったのだから。言うなればエレンにとってユリアンは恋人と見るには近過ぎたのだった。

 さて、こうした経緯のエレンだが。ユリアンがその命を賭しても、それ以上の覚悟を示しても守りたいといっている少女を見つけたという。ロアーヌの妹姫、モニカだ。

 それに対して裏切られたという感情がなくはない。エレンにとってユリアンは共にサラを守る家族だったはずなのだから。かといってそれを押しとおす程子供でもない。彼女ももう二十歳、ユリアンがサラを守っていたのは亡くした妹に重ねていたという事を理解できる歳だ。トムが自分たちを見守ってくれたのは、危なっかしい奴らを見張っているうちに仲良くなったというのが分かる歳だ。

 だが、二十歳に至ってもエレンだけが子供だった。サラを守り、家族である父と母を守り、同胞であるユリアンとトムを守る。彼女はその小さな世界で生きていたと言っていい。モニカ姫がシノンに駆け込み、ゴドウィン男爵の内乱に巻き込まれても彼女だけが変わらなかった。変われなかった。結果、守るはずの者たちに置いて行かれて一人残された。

 もしもそこで詩人が声をかけてくれなければ。本当にエレンは全てを失い、朽ちてしまっても不思議ではなかった。そしてその心配を誰もしていなかった。サラを守るしっかり者。それがエレンの評判であって、サラを守る事に依存している幼い少女だとはトーマスでさえ思いもしていなかった。

 しかしエレンの世界は広がる。世界情勢、四魔貴族、宿命の子。そして、詩人。ウォードといった外の世界の住人と触れ合い、エクレアといった新しい妹分もでき、ブラックやウンディーネにボストンといった四魔貴族と戦う仲間もできた。サラを守る事には違いないが、狭いシノンの村からようやくエレンは羽ばたく事ができたのだった。

 だからこそ、ユリアンの無謀が許せなかった。エクレアはいい。彼女は自分が命に代えても守る、あるいは逃がす。彼女も大切な妹だから。モニカもいい。彼女はロアーヌの妹姫で、実績を積まなくてはならない。命を懸けても仕方ない、だから全力で自分が守ろう。リンは自分よりも大人だ。まさか自分の行動に責任を取れないという訳もない。最悪、四魔貴族を見て勝てないと思ったら逃げてもいい。ゲートの間で戦っている時間があれば逃げおおせるだろう。

 だがユリアンとトーマス、サラはダメだ。彼らが命を懸ける事を、エレン・カーソンは認められない。自分の目の前で、四魔貴族と戦うなんて認められない。だって死にに行くようなものだから。サラを守る為だったら自分の命はいくらでも懸けてやる、だけどそれに彼らの命は賭けられない。彼らが大事だから、同胞だから、家族だから。

 けれども、ユリアンは、命を懸けてまで、守るべき主君を懸けてまで、戦おうと、している……

 

「――ユリアン」

「なんだ、エレン」

 雨が降る。それは両者をひたすらに濡らしていく。見下ろすユリアンと、見上げるエレン。エレンの眦から零れる雫は雨か、それとも――

「約束して」

「何を」

「……どうか、死なないで」

 絞り出すように、泣くように。エレンの口からそんな言葉が漏れる。

 それにユリアンは力強く頷いて答える。

「死なないさ。そして、誰も死なせないっ! 約束する、誓うよ、エレン!!」

 根拠も何もない宣誓。けれども、それはエレンが信じるべき同胞の言葉。世界で最も信じるべき一人の約束。

 雨が降る。傷だらけのユリアンと、傷一つないエレンを濡らしていく。そのまましばらく、たった一つの言葉を待つ。

 

 

「あたしの、負けよ」

 

 

 

 

 




長く重苦しいお話だった…。
あ、この話で年内の更新は終わりかと思います。
少し早いですが、皆さま、良いお年を。


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076話

新年、明けましておめでとうございます。
今年も詩人の詩をよろしくお願いいたします。

前回は重い話だったので、しばらくはライトに行こうかと思います。


 

 

 

 患者。ユリアン・ノール。

 右上腕の粉砕骨折、及び内臓に中程度の損傷あり。全身に軽微な傷もあるが、そちらの処置は終了済み。

 内臓のダメージにより食事は軽いものしか受け付けられず、栄養状態が回復しない限り粉砕骨折の治りも遅くなる。その為、傷の完治には2ヶ月弱見込まる。

 その上でリハビリを約1ヶ月はするべきである。全治に3ヶ月程度が見込まれ、その上怪我をする前よりも剣の腕は落ちるであろうことが予想される。元に戻る為には更なる時間が必要となる。

 

「じゃあ術による回復の仕方を講義するわ」

 ユリアンにあてがわれた部屋、そこにウンディーネに率いられた仲間が全員集合していた。総勢10名にも及ぶ人間が個人の部屋に入れば窮屈に感じるというもの。ベットの上にいる()()のユリアンは苦笑いだ。

 命に係わる事はないとはいえ、ユリアンは間違いなく重傷だ。四魔貴族を倒すどころか、今の実力に戻るまでにどれだけ時間がかかるか分からない。これではモニカの護衛もままならないと、フルブライトお抱えの医師に言われた時は顔を青くしたものだが、そこにニコニコ顔で現れたのはウンディーネである。術で回復を早めてあげるから、教え子に勉強をさせて欲しいと。要は便利に使わせてくれと、そういう訳だろう。回復が早まるならとユリアンはそれを快諾した。

 そうしてこの場面に繋がってくる。怪我したユリアンを最初は気遣う様子を見せていた女性陣だが、今は真面目な顔でウンディーネの講義を受けている。詩人とシャールといった男性陣は顔を出しただけといった風情であるが、術の権威が話す事に興味がなくはないようだ。

「このような怪我は戦闘があれば珍しくないわね。その上で最初にはっきりさせておくけど、回復術は万能じゃないわ。傷も癒せるし体力も回復するけど、生命力まで戻る訳じゃないの」

「はい先生! 生命力ってなんですか!!」

 エクレアが手を上げて質問する。この状況を面白がっている彼女は結構ノリノリでこういった冗談を口にしていた。

 この奔放娘の性格はみんなが分かっているので、軽く流す。

「そうね、なんて言えばいいのかしら…。生きていく為に湧き出る活力、とでも言えばいいのかしらね。美味しいものをたくさん食べたり、たっぷり気持ちよく寝たり、楽しくお喋りしたり。そういった事で感じる幸せや元気が与えてくれるものよ。

 戦いではこれは急速に減っていくわ。戦うというそのものが生み出す緊張、攻撃を受けた時に受ける痛み、生き物を殺さなくていけない葛藤。そういった事で穏やかな気分でいられることは不可能に近くなるの。これが過ぎれば心身のバランスが崩れてしまい、再起するには長い時間がかかってしまうわ。

 そして回復術の効能はこの生命力に関わってくるの。受ける側が活力があればいいんだけど、活力がある患者はいないわね。だから何を目的として回復術を使うのか、そのビジョンを持たなくてはならないのよ」

 そこでウンディーネはユリアンを見る。

「さて。今回のケースだけど、ユリアンは右腕の粉砕骨折と内臓に中程度のダメージ、そして体力の低下があげられるわね。

 今が戦闘中なら腕の治療が最優先だけど、そうでない現状、一番に治さなくてはいけないところはどこかしら?」

 問い掛けるウンディーネに少しだけ沈黙がおりる。

 詩人やシャールは答えを知っているが、大人な彼らはもちろん口を挟まない。

「体力の低下ではないかしら?」

 やがて答えを口にしたのはミューズ。彼女は白虎術と月術に適正があり、回復術もまた学ぶべき大切なことだった。

「理由は?」

「術で癒せないのは生命力ですから、それを補う体力の回復が最優先だと思ったのです」

「考え方は間違っていないわね。けれども不正解。

 正解は内臓の治療よ。内臓さえよくなれば食事もしっかりしたものが摂れる。食事を摂ってしっかり眠れば、体力も自然と回復していくわ。

 おおよそだけど、内臓を治すのに一日。体力を回復させて、腕の1回目の治療にもう1日。最後に腕をしっかり治すのに更にもう1日。合わせて3日で完治ね」

 何ヶ月もかかるはずの重傷患者が僅か3日で完治する。聞く者が聞けば唖然とするが、当然ながらこれは回復術師として最高峰だからこそだ。

 ウンディーネは術の権威である事は言うまでもないが、身につけている術は玄武と月。最も回復に特化した属性であるといっても過言ではなく、またそれ故に回復術に関しては人一倍の研究を積み重ねてきた。その何年もの成果があるからこそ、この日数である。

 上級の術師でも明確なビジョンなく回復術を使えば、つまりは体を満遍なく治すように回復術をかけていけば骨折や全身の軽微な傷にまでリソースが回せる事になり、全治に1ヶ月はかかるだろう。ケタが一つ違う回復速度をビジョンの違いのみで叩き出すのだから、ここにもウンディーネの非凡さが表れていた。詩人とて彼が治すとしてもおおよそ1週間を見込んでいた。これは詩人とウンディーネの魔力の差が起こすものではあるが。

 それはさておき、早速ウンディーネは生徒たちをグルリと見回し、誰に練習させようかと考える。そしてモニカに目を止めると、瞳の奥で好奇心が輝いた。彼女がユリアンに懸念していることは簡単に分かる事である。

「じゃあモニカ。試しに回復術を使ってみましょうか」

「は、はいっ!」

 指名されたモニカはおっかなびっくり、そしてやや顔を赤らめながらユリアンに近づいていく。

 そして治療の為と腹部をはだけさせたユリアンの姿を見て、また少し顔の赤さを増す事になった。

「モニカ?」

「わ、分かっています。

 ムーンシャイン」

 優しい癒しの光がユリアンの腹部に降り注ぐ。痛みこそ感じていなかったものの、どこか覚えていた鉛を飲んだような重さが取れていくのを感じるユリアン。完全にではないが、先程までと違って大分楽になった。

「ありがとう、随分良くなったよ」

「は、はい。わたくしはあまりお役に立てていないですが、頑張ります」

 微笑ましいその姿を温かい視線で見る一同。それに気が付いていないのはモニカ本人のみである。

 とはいえ、いつまでもただ見ている訳にもいかない。何よりユリアンには安静が必要なのだから、腹部を晒したままにさせておく訳にはいかなかった。

「さて、と。そろそろお暇するか。ユリアンも栄養をつけなくちゃならないし、エクレアも病人食も終わりだろ。

 昼は俺が作ってみようか」

 そう詩人が言う。

 ちょっと驚いた顔をする者は少なくない。

「詩人さんって料理できたんだ」

「お前は俺を何だと思っているんだ」

 結構失礼な事をズバリというエクレアを半目で見やる詩人。そもそもとして彼は野営の時にしっかりとした調理をしていた。そう思われるのは心外だろう、シャールでもあるまいし。

 だがまあ野営の時の調理と、町で落ち着いた時に作る料理は違うものだ。荒事を得意とする詩人が料理までできると意外に思っても仕方のない事かも知れない。

「とはいえ、フルブライトの料理人よりも旨い飯を作る自信はないけどな。珍しい部族の料理でも作ってやろうかと思っただけだ。

 後エクレア、お前にも今度料理を教え込むから覚悟しておけよ」

「げ」

 面倒臭そうな顔をしたエクレアだが、対してモニカが意を決したように声をあげる。

「あ、あの。わたくしにも手伝わせて貰えませんか?

 料理、覚えてみたいんです」

「ん? いいぞ。じゃあ早速調理場へ行くか」

 モニカは言うまでもなく貴族である。作法の勉強や知識を詰め込む事はしっかりとやり、武術や馬術の練習は秘密に習っていたが、流石に料理まではその範疇にない。ちなみにそれらがミカエルに筒抜けだった事は言うまでもない。

 自分の作った料理をユリアンが笑顔で美味しいと言ってくれる場面を妄想…想像しつつ、ポワポワとした幸せな気分で退室するモニカと詩人。それにぞろぞろとくっついて退室していく一同。部屋に残されたのは、ウンディーネとエレン。

「何か用ですか?」

「私はすぐ終わるわよ」

 怪訝そうに尋ねたユリアンにウンディーネは短く返すと、ぶつぶつと詠唱を開始する。

「生命の水」

 そして回復術を完成させると、その癒しの水をユリアンに与えた。

「モニカの回復術だけじゃ完全じゃなかったのよ。かといって、折角いいところを見せたのを潰すのも可哀想だったしね」

 だから人目がなくなった後に完全に回復させたのだろう。教える事を得意としているだけあって、流石に気遣いができている。

 やる事をやったウンディーネはそれじゃあね、と言い残すと部屋から出ていった。後に残るのはエレンのみ。

「エレンはどんな用事だ?」

「別に深い意味は無いわよ。

 …再会してからこっち、ロクに話もしてなかったしね。世間話をしにきただけ。休みたくなったらすぐに出ていくわ」

 そう言いながら椅子に座り、備え付けの暖炉からお湯をとってお茶を淹れる。

 それをユリアンに渡しつつ、エレンは言いにくそうに口を開く。

「その、悪かったわね。色々と」

「仕方ないさ。エレンだって俺の心配をしてくれた訳だし、命懸けだもんな。こっちだって覚悟を示さなきゃならなかった」

「そこは本当に命懸けだからね! …フォルネウスの時は仲間を1人、失ったわ。

 約束通り、誰も死なせないように、お願いね」

「分かってるって!」

 心配そうなエレンだったが、朗らかなユリアンの笑みをみて自然に緊張がとけていく。

 やはり昔馴染みというのはいい。遠慮がなく、気楽に接する事ができた。その中で少し悪戯心が湧いたエレンはからかうようにユリアンに言葉を投げかける。

「でも、モニカといい雰囲気だったわね~。なに、逆玉の輿?」

「そんなんじゃないって」

 からかわれる様子を察知して、ユリアンは少しだけ苦笑いをする。けれどもそれも僅か。すぐに真面目な顔になって、言葉を返す。

「俺が好きなのは、エレンだよ」

「え…」

 思わぬ告白に、一瞬エレンがフリーズした。

 シノンにいた時も遠回しなアプローチをしてきたユリアンだが、ここまで端的に好意を口にした事はなかった。

 少し顔を赤くして口ごもるエレン。

「あ、ありがと、ユリアン。嬉しいよ」

「『でも、あたしには好きな人がいる』」

 続くセリフをユリアンが先回りして口にした。

 驚きの表情を出すエレン。

「気がつくさ、そりゃ。好きな奴は注意して見ちまうからな。ふとした時に誰を見るかとか、ちょっとした事で柔らかい表情を見せるかとか」

「……」

「好きなんだろ、詩人さんが」

 エレンは、顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。

 それを苦みが走った大人の顔で見るユリアン。

「けど、詩人は他にやらなければいけない事があって、それに昔に子供まで作った好きな人がいて。

 ……あたしなんかじゃ、きっと無理」

「分からないだろ、そんなの。その人はもう亡くなってるっていうし、やらなければいけない事が終わったら落ち着くかも知れないじゃないか。

 諦めなければいい。俺ももちろん、諦めないから」

 エレンに好きな人ができた。幼馴染としては嬉しくて、片思いの相手としてはもちろん悲しい。そんな複雑な心境になるユリアン。

 モニカはユリアンに心惹かれているが、貴族の立場としてその想いが報われる可能性は低い。ユリアンとエレンの想い人の視線は自分を向いていない。そして詩人の心の裡は分からないが、目的の為に愛した女性とその子供さえ捨ててみせた。

 まるで掛け違えたボタンのような現状に、何とも言えない感情を覚える。そもそもとして詩人が新しく伴侶を探すとして、それがエレンであるとは限らない。今のエクレアはいくらなんでも幼すぎるかもしれないけれどももう数年経てば可能性はなくはないし、ミューズとも話が弾む事が多い。昔に知り合ったというリンとも親し気だ。

「頑張ろう」

「うん、頑張ろう」

 幼馴染として、彼らは今は笑い合うのだった。

 

 タマネギを刻んで、ニンジンを切って、ジャガイモの皮をむく。

 鶏肉は一口大の大きさに切りそろえ、下ごしらえ。片栗粉などを溶かしたものを振りかけて柔らかくする。

 そして砂漠やジャングルで取れる様々な種類のスパイスをたくさん。

「詩人さん、これはどんな料理なのですか?」

「カリィっていう部族料理だよ。まあ、シチューの一種とでも思えばいいさ」

 尋ねるモニカに、詩人は簡単に説明しながらも手は止めない。料理初挑戦のモニカにきちんと指導しながら、包丁の使い方や調味料の入れ方、下ごしらえの意味などを教えていく。

 そして切る作業と下ごしらえが終われば、次は加熱。フライパンに油をしき、タマネギを色が変わるまで炒める。それが終わったら中身を全部大鍋に移し、具材を適時投入。

「そして中身が煮え切ったらスパイスを入れて、最後に味見をしつつ調味料で味を調えて出来上がり。

 調味料で味を調えるのは最後だからな。食材のものによって少しずつ味付きが変わるものだし、それを補う為の調味料は足す事はできても入れたものは引く事はできない。少しずつ足していくのが失敗しないコツだ」

「は~、勉強になります。詩人さんは多芸ですね」

「このくらいはまあ普通だよ。料理人になれる程の腕はないしな」

 具材が煮えるのを待つ間、モニカに手伝わせつつもテキパキと使い終わった調理道具を洗って片づける詩人。

 これが終わればしばらく手持無沙汰になる。火がかけられている鍋からは目が離せないが、簡単な話をする分には問題ない。質素な椅子を引っ張り出し、腰かける2人。

「しかしどうして急に料理をしようと思ったのですか?」

 食事ならフルブライトお抱えの料理人に任せておけばいい。事実、この屋敷に来てから客人である彼らが料理をする事はなかった。急にどうしてという疑問は当然持つべきだろう。

 その当たり前の質問に、詩人はポリポリと顔を掻きながら答える。

「エクレアが味気ない食事ばかりでつまらないって言っていたからな。折角だし、変わったものでも作ってやろうかと思ったんだよ」

「……優しいのですね、詩人さんは」

「別に。ただの自己満足さ」

 柔らかい笑みを浮かべるモニカに、どこか居心地が悪そうにする詩人。

 どうやらいい人に見られるのが苦手らしい。その仕草が可愛らしく、優しい気持ちになる。

 形勢が悪いと思ったのか、ごほんと咳払いをして話を変える詩人。その表情は真剣で、真面目な話かと浮かべていた笑みを引っ込めるモニカ。

「それで、モニカとユリアンもアウナスに挑む事になった訳だが、何か考えはあるのか? 正直、下手な戦力だと足を引っ張るだけだぞ」

「はい。ユリアンはともかく、わたくしは余りに非力です。特に武器を使って四魔貴族に役立てる事はないでしょう」

 思っていた以上に自己評価ができているようで、詩人は満足そうに頷く。ここで適当に相手に突っ込むなどと言わなくてよかった、と。そのような者なら手綱が握れなくて本当に怖い。

 とにかくならばどうするのかという意味を込めた視線で言葉の続きを待つ。

「ウンディーネさまに出会えて、教えを請えた事は僥倖でした。術に関して多く学べましたし、ボルカノとかいう方から手に入れた朱鳥術の効果的な使い方も学べました。

 そして幾つかの切り札も」

 そういって、モニカは一つの宝石を取り出す。それはポドールイの洞窟で入手した宝石で、綺麗な色合いを気に入って身につけていたものだった。

「宝石の中には魔力と相性がいいものもあり、これもその1つなのだそうです。持ち手の魔力を高め、そして砕け散る事を覚悟すれば一時的に過大な魔力が得られると。

 ……アウナスの属性は朱鳥ですが、相手の炎にわたくしの炎で対抗できる事もあるでしょう。月術の冷厳さが役立つ事もあるでしょう。わたくしはそのようにして皆さまをサポートしていきたいと思います」

「――そうか」

 モニカはするべき事をしっかりと見定めて、地に足をつけて歩き出している。

 結果がついてくるかは分からないが、詩人が口を出す事でもない。それ以上の言葉を詩人が発する事はなかった。

 やがてできた料理は、特にエクレアに好評だった。もちろん他の者も一風変わったその料理をおいしそうに口に運ぶのだった。

 

 時刻は夜。お子さまであるエクレアや体力を失ったユリアンはとっくに眠りにつき、他の者たちもそろそろ寝る支度をしようかという刻限。

 一室に集まり、酒の入ったグラスを傾けている者たちがいた。ウンディーネにシャール、そして詩人。経験があり意思決定を多くする面々が、肩肘を張らずにアルコールを口にする。だがしかし、酔いきることは決してない。彼らは仲間であると同時、一つ立場が変わればその瞬間に敵対する可能性をも秘めた関係なのである。言ってはいけない事を口にしてしまうような酔い方は禁物だった。

「しかし…エレンお嬢ちゃんは凄いわね。氷の剣、聖王のかぶと。アウナスを倒す準備を着々と整えつつ、しっかりと新しい装備も見つけているわ」

 グラスを傾けながらウンディーネはそう口にする。

 ちなみにフォルネウスのところから入手した素材だが、武器防具作成の成果は芳しいとは言い難かった。術具の製作はともかく、武器防具を作るノウハウをウンディーネは所持していない。いや普通レベルのものならばモウゼスに存在しているのだが、四魔貴族と戦うエレンたちにはその程度の品は気休めにもならないだろう。

 どうしたものかと頭を悩ませていたが、今回の件でフルブライトと更に密接な繋がりを得るに至り、レオナルド武器工房を紹介され、そこでようやく試行錯誤が始まった段階である。アウナスとの戦いにはとても間に合わないだろう。

「どう詩人、あなたから見て。アウナスは倒せそう?」

「知るか。エレンたち次第としか言いようがないだろうが」

 素っ気なく返す詩人だが、彼の頭の中ではあらゆる計算が働いているだろうことは想像に難くない。

 どこか優しいところがある詩人は、勝ち目がないと知って彼女たちをアウナスの前に放り出す事はしないだろう。

「……すまないな、詩人。お前にはなんだかんだと世話になりっぱなしだ。それにウンディーネにも」

 神妙に語るのはシャール。今でこそ没落貴族の令嬢であるミューズを守るたった一人でしかないが、かつてはピドナ近衛騎士筆頭まで務めた人物である。その実力の高さは折り紙付きであり、銀の手でかつての力を取り戻した彼もまた世界最強の一角に数えられるだろう。

 だが、現在の影響力はないに等しい。かつての主であるクレメンスは暗殺され、彼の持っていた人脈や伝手といったものはズタズタにされて多くはルートヴィッヒに奪われた。彼の存在価値はその身一つ、もしくは主であるミューズの立場くらいしかない。

 詩人はそんな彼に見返り無しで手を差し伸べたといっていい。ついでだと言いながらミューズを共に守り、体を鍛える。期間も短かったせいかあまり強くはならなかったものの、それでも一般兵と戦えるくらいの力量にはなった。こうなれば窮地に立たされても時間が稼げるだろうし、その間にシャールが助けに行けるかも知れない。援護までの時間を稼げるというのはとてつもなく大事な事なのだ。

 そしてまたフルブライトに繋ぎをとったのも詩人である。ミューズの事はあまり積極的に売り込む事はなかった詩人だが。それでもフルブライトを困らせる為とはいえ、シャールは彼の商会の庇護を得る事に成功。ドフォーレ商会についたルートヴィッヒとは決定的に敵対したと言ってよく、クレメンスの娘であるミューズを守る意味も深まった。ウィルミントンにしっかりと地盤ができたと言っていい。

 ウンディーネはそのフォルネウスを倒したという肩書に相応しい手腕でミューズに術の指導をしている。もっともこちらは詩人ほど無邪気ではないようだったが。

「私としては悪くない取引だと思っているのよ。ここで恩を売っておけば、後々しっかり返ってくるでしょうからね」

 やはりそういう思惑かとシャールは苦笑する。困った時に差し伸べられた手には強い恩を感じるものであるし、クレメンスの娘やロアーヌの妹姫にそれを売っておけば後々しっかりとそれが生きると考えているのだろう。

 シャールとしては助かるのも事実であるし、詩人にはそもそも関係がない話である。ここは綺麗にまとまったと見るべきだろう。

「そういうお前はエレンに結構肩入れしているよな。そっちには何か思惑があるのか?」

 そう聞くのは詩人。

 確かに何事も打算によって動いている節があるように見えるウンディーネにしては、エレンには損得勘定抜きで手を貸しているところがあるように見える。

 それを自覚しているウンディーネはふっと笑いながら答える。

「私だって人間ですもの、気に入る相手もいるわ。エレンお嬢ちゃんは一緒に四魔貴族と戦った仲でもあるしね。

 それに全てのゲートを閉じる相手と親密になっておくのも悪くない話じゃない?」

「青田買いって奴か」

「そんなに打算的じゃないわよ。一番なのはやっぱりエレンお嬢ちゃんを応援したいからよ。

 あの子は性格も性根も悪くないわ。一人の友人として付き合いたいとも思えるわ」

 くいとグラスを傾けるウンディーネ。合わせて酒を喉の奥に流し込む詩人とシャール。

 ふぅと誰ともなしに息を吐く。

「ところで詩人。あなた、ちゃんと自分の楽しみを探してる?」

「……?」

「余裕がなさそうって言ったじゃない。まあ、前よりかはマシみたいだけど。

 真剣にお相手を探してみたら? 可愛い子ばかりじゃない、周り。モニカお嬢ちゃんはユリアンしか目に入っていないみたいだから除外するとして、リンには信頼されているみたいだし、エレンお嬢ちゃんには大分好かれているみたいだしね」

「……」

「気が付いていない訳じゃないんでしょう?」

「……ま、な。そこまで朴念仁ではないつもりだ」

 しかし詩人はそれ以上を言わない。シャールはどういった経緯かは知らないが、詩人がかつて愛した女性とその間にできた自分の子を捨てたという話を聞いている。それを一概に悪いとはシャールには言えない。人には、特に人の上に立つ人には捨ててはいけないものがあるのを知っているからだ。その上で詩人の実力を知り、その背景をほとんど知らないのだから挟む口がないのも当然である。

 しばらく沈黙が流れ、グラスを傾ける音だけが響く。

「全部終わったら、考えてみるよ」

 普段の詩人とは声色が違う、険の抜けた声。少し距離がある付き合いである2人には気が付けなかったが、そのような口調で話す事自体が大変珍しい事であった。

 それを発した詩人は席を立つ。夜も更けてきた、もうお開きにするつもりだろう。そうして立ち去る詩人の背中にウンディーネが声をかける。

「アウナスの所に行くまでにもう少し時間を頂戴。モニカお嬢ちゃんにもう少し詰め込みたい事があるのよ」

「分かった、こっちとしてもユリアンを鍛えておきたいと思っていたところだ。――今更急いでも仕方がないしな」

 そう言って場を辞する詩人。それを見送り、ウンディーネは色のこもった目でシャールを見る。

「さて、2人っきりね。あなたさえよければ―今夜、どう?」

「遠慮させて貰おう。私はミューズさまの護衛に戻る」

「あら残念、フラれちゃった」

 軽い言葉を口にするウンディーネは、どこまでも楽しそうだった。

 

 

 



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077話

「予定を決めておこうか」

 明けて翌日、ユリアンの完治まであと二日。

 またもやユリアンの部屋に全員が集っている。集めたのは詩人、これから先の準備をするのに話し合いが必要だと考えたからだ。

「次の討伐対象は四魔貴族のアウナス、居場所は南部のジャングルにある火術要塞。近場のアケまでは船で行き、そこからは徒歩でジャングルへ入っていく」

「あ、あのー…」

 話す詩人に、言いにくそうに声を出すのはようせい。

「できれば、ジャングルで妖精の村を襲っているボルカノも倒して欲しいんですけど…」

「あ」

 思わず間の抜けた声を漏らしてしまうのはエレン、アウナスを倒す事を考えていたばかりでボルカノの事が完全に頭から抜け落ちてしまっていたらしい。

「もちろん、俺は忘れてないさ」

「私もね。魔王の盾は危険すぎるわ、ちゃんと再封印しないと」

 詩人とウンディーネが調子を合わせる。つまり、ジャングルでは敵が二人いるという事だ。

「どうするの? 各個撃破? 同時に攻めるの?」

「時間が惜しい。二手に別れて同時に攻めるぞ」

 エクレアの疑問に答えるのは詩人。それにエレンは表情を引き締める。四魔貴族と魔王の盾、伝説級の敵の両方を知っている彼女としては全員が一丸となって各個撃破したかった。

 できるだけそちらに流れが寄るように話に加わる。

「両方とも危険な相手よ? 時間は惜しむべきじゃないと思うわ」

「いや、既に必要以上に時間は使っている。更にここから四魔貴族に通用するレベルに仕上げる時間もある。

 特に戦争に使った時間のロスが大きかった」

 詩人の言葉にグっと言葉を呑み込むエレン。戦争を起こした原因の一端は彼女にあり、暗にそこに責められてしまえば口を閉じるしかない。こういう言い合いではやはりエレンは詩人にはまだ勝てないのだ。

 対抗意見がなくなったと確認した詩人は、事細かに確認していく。

「とりあえず、ウィルミントンに残るのはウンディーネにミューズにシャール。それでいいな?」

「ええ。私はまだ戦争に手出しと口出しをしなくてはならないし、ウィルミントンは離れられないわ」

「私とミューズさまは四魔貴族にもボルカノにも因縁はない。手出しはしない」

 頷くのを確認した詩人は残りを見る。

 エレン、エクレア、ユリアン、モニカ、リン、ようせい、詩人。この7人がジャングル組だ。グループを手早く分ける。

「まず、俺とようせいは別行動だ」

「? なんで?」

「ジャングルは方向感覚を狂わせる魔境だ。妖精族の持つ生物との対話能力で樹々に位置を聞かなくてはすぐに迷う」

 言いながら詩人は背負った妖精の弓を見せる。これがあるからこそ詩人はアウナス討伐に妖精族の協力を数えなかったのだ。例えば詩人が妖精の弓を持っていなかったら。聖王遺物をもう一つ探す手間か、もしくは妖精族の信頼を得る手間が増えていただろう。どんな因果か、その両方が手の内に入ってしまっているが。

「そして氷の剣を持つエクレアはアウナスだな」

「りょーかいだよ、詩人さん!」

「あたしも当然アウナスね」

「わたくしも、ユリアンもアウナスを討伐しますわ」

 エクレア、エレン、モニカ、ユリアンはアウナスに目標を合わせる。

 話が進むにつれ、どんどんと纏まってくる。この人員の中に詩人が入ってしまえば、ボルカノをようせいとリンで相手しなくてはならなくなる。詩人でなくてはボルカノは、いや魔王の盾は二人以上の手を必要とする難敵だ。ならばこそ詩人はボルカノを目標に合わせて不思議ではなくなる。

 そう誘導した詩人に、違和感を持つ者はいない。

「ボルカノは俺一人で十分だ。ようせい、お前はこいつらを火術要塞まで案内してやってくれ」

「は、はい。あの…王様は独りでボルカノというか、魔王の盾を相手にできるのですか?」

「問題ない」

 言い切る詩人に恐縮したように縮こまるようせい。そんな様子を見て、リンが心配そうに詩人を見やる。

「本当に大丈夫なの? 結構な強敵みたいだけど、私もそちらに参加した方がいいかしら?」

「いらんいらん、むしろアウナスに注意してくれ。

 死なない保証は、本当に、しないからな」

 軽い口調で始まった詩人の言葉は重く締められた。フォルネウスの時と同じように、彼は逃げるチャンスを全員に与えていた。命が惜しいなら逃げてもいい、それを許容されるレベルなのが四魔貴族なのだ。

 とはいえ、ここで引く者はいない。エレンとエクレアは一度超えた山であるし、ユリアンやモニカにそしてリンはその恐ろしさをまだ体感していない。ようせいは第二や第三のボルカノを生み出させない為に、根を断つしかないのだ。

 誰も下がらない事を確認した詩人は視線を動かしてウンディーネを見る。

「それで、モニカを仕上げるのに後どのくらいの時間が必要なんだ?」

「そうね…。一週間から十日程欲しいわ」

 僅かな時間で熟考したウンディーネが答え、それに満足そうに頷く詩人。

 悪くない日数だった。アケは未開の地に近く、拠点にできる程の開発はされていなかった。そう、いなかった。過去形なのだ。トーマスカンパニーがジャングル開発に手を加え、おおよそアケの辺りはトーマスカンパニーの縄張りになっている。

 これが敵対している会社だったら目も当てられないが、味方なら心強い事この上ない。それが分かった瞬間から詩人はフルブライトを動かし、足場固めをしている。アケで拠点が得られるというのは予想外の収穫だった。今回の戦争で詩人にも借りができているフルブライトは、頭を痛めながらトーマスに協力要請を出す羽目になっていた。自分が引き起こした戦争している最中に、味方をしている相手に更に別の手を貸せと言うのだ。繊細と豪胆を併せ持つフルブライトといえどもそれなり以上の出費をしなくてはならない。

 かといって戦争が引き起こされて、相当以上にフラストレーションがたまっている詩人をこれ以上刺激したらどうなるか分かったものではない。最悪、今度こそフルブライト商会が壊滅するまで謎の襲撃が起こりかねない。アウナス討伐までと期限を区切り、泣く泣くフルブライトは詩人への全面協力を約束せざるを得なかった。少なくともこれで懐は痛んでも、ドフォーレ会頭のように首と胴が離れる事はないだろう。

 ともかく、トーマスカンパニーへの融通を通す日数としても、またユリアンが完治した上で彼を仕上げるにも、ウンディーネの提示した日数に問題はない。

「……準備が出来次第、アケに向かおう。

 勝つ為の準備は焦らなくていい。慌ててアウナスの所についても、負けて殺されましたでは話にならないからな」

 その詩人の言葉で終わる。

 残された日数は少ない。鍛えて、四魔貴族に勝つ。それを考えれば、彼らに与えられた日数は余りに短いのだ。

 

 

 数日後。

 体を完治させたユリアンは鍛錬場で剣を振るっていた。相手をするのはエクレアであり、氷の剣を長剣のサイズに固定しての乱取りだった。ちなみにエレンやリン、モニカにミューズはウンディーネのところで術の授業である。よってそれを見るのは詩人とシャールのみ。ようせいはエクレアから借り受けたドビーの弓を使って射撃の練習である。詩人はそちらにも視線を向けているが、筋は悪くないようで腕はメキメキと上がってきている。

 とにかくユリアンとエクレアの鍛錬であるが、意外というかユリアンが優勢である。

「失礼剣!」

「くっ…」

 不規則な動きで虚を付くその動きにギリギリでついていくエクレア。苦し紛れの反撃はユリアンに誘導され、流れるように防がれる。

 かといってユリアンの攻撃が決まる訳でもない。最初はまだ幼いといえる少女に鈍った剣筋を晒していたユリアンだが、それで自分が危なくなると悟ってからは容赦はなくなった。全力で剣を振るい、攻め切れない。

「相性が良すぎるな」

 シャールがポツリと呟く。

 エクレアの剣は天性のそれだ。一目で察するシャールも流石だが、彼女の剣はいわば才能だけなのだ。詩人はまだエクレアに剣を教えておらず、戦いの中のみで最適化された剣筋で技は驚くほど少ない。彼女は実は、剣のレベルはそこまで高くないのだ。

 対してユリアンは基本から叩きあげられた努力の剣だ。詩人の基礎練習から始まり、ハリードから技と格上との立ち回りを学び、カタリナは仕上げとばかりに多人数との対処法を学ばせた。天才の剣筋から不利な状況まで、死なない事、守る事を学ばされたユリアンの剣の技量は高い。最上とは言えないかも知れないが、強者といえるのは間違いないだろう。この短期間にここまでに至るという事は、やはりユリアンにも大きな才能があったのだ。

 そんなユリアンにとっては才能だけの剣はカモといえる。フェイントにかかり、動きに無駄が多いエクレアとの相性はシャールのいう通りに良い。それでも攻め切れないのはユリアンが守勢を得意としているのもあるが、最大の要因はエクレアの体捌きの冴えだろう。剣でユリアンに劣っているのは仕方ないとはいえ、彼女や氷の剣の真骨頂は変幻自在の武器種変更と、それを成立させる類まれなる武術の才。剣だけになっても経験値が落ちる訳もなく、やりにくそうにしながらもユリアンから剣筋を学んで生かしている。

 徐々に鋭さを増していくエクレアの剣。

「失礼剣っ!」

「おっと」

 ユリアンから極意を奪い取ったエクレアが、失礼剣を真似て繰り出す。とはいえ、練度は流石に低い。ユリアンに通用するレベルに即座に至れる訳もなく、簡単に防がれてしまう。

 そしてそんなエクレアの動きは、ある意味でユリアンにとって水鏡だった。ずばり自分の劣化と言い換えてもいい。自分以下であるからこそ理解ができ、自分の類似であるからこそ弱点や長所がよく分かり、なによりも自分のレベルを上げるのに役に立つ。

 やや悔しそうに、それでも楽しそうに剣を振るうエクレア。真剣な顔の中、唇の端がほんの少しほころんでいるユリアン。滅多にない充足感、どこまでも自分の力量が上がっていくようなその感覚は病みつきになる程だろう。

 それを見やる、男二人。

「これを狙っていたのか?」

「当然」

 呆れるシャールにニヤリと笑って答える詩人。

 強者から教えられる事は多く、そして手っ取り早いのは確かだ。だがそれだけではどうしても足りない部分、成長しないものというのは存在する。そういう時に必要なのは、例えばこのような同レベルの者同士の戦い。

 かといってエクレアとユリアンのように共鳴し合えるレベル域というのはとてつもなく狭い。適当に仕合っていただけでは一生出会えない事の方が圧倒的に多い。

 シャールはそれに戦慄する。詩人は、この男は。これを起こすように()()を調整していたのだと理解したが故に。

(底は…どこにある?)

 単純に力だけでは辿りつけないその境地。知恵か、経験か。天才か、化物か。

 そのような理不尽に対する恐怖というものを自然とシャールは詩人に持ってしまう。恐怖は警戒を呼び、警戒は不信を生む。

 だから詩人は信用されないのだ。彼が有り得ない程に強すぎるが故に。詩人と合わせられる相手というのはとてつもなく少ない。ウンディーネやフルブライトのように打算で摺り合わせができる人間か、レオニードのような正真正銘の化物か、エクレアのような無邪気な子供か。

(それでいい)

 シャールの警戒を感じながら詩人はそう思う。自分を警戒する事が正しいと、理屈で分かってしまうのだ。自分を好いてくれているだろうエレンでさえ、警戒心がある事が分かっている。警戒しなくてはいけない存在が自分だと、そう戒める。それを忘れてしまったらまた悲劇が起きてしまう。

 それら全てを悲しいと、そう思ってしまう人の心を持っている事が詩人の不幸だった。なまじ理性を、優しさを残してしまった事が詩人にとってはむしろ悲哀だった。

 誰もいないレオニード城で、その主が呟いた言葉。

 

 ―人間で無い方が、お前にとって幸せだろうに―

 

 人間でなければ詩人は今ここに立っていない。だが、人の心を持ち続ける事が幸せになるとは限らない。もしも、もう少しだけ詩人が違う人間性を持っていたのならば、他の大きな幸せを取りこぼさないでいられただろう。

 だがしかし、詩人に悔いはない。どれだけその手を血で染めても、例え愛した女性を泣かせても、それが彼が選んだ道だからだ。

 笑みを浮かべる詩人の視線の先には青年と少女。楽しそうに剣を合わせ、自らを高めていく二人の若者。

 守りたいものを守れるようになればいい。幸せを抱きしめて生きればいい。誰かがしなければならない事や、復讐は自分の手で必ず為す。

 心からそう思える彼は、やはり優しく悲しい人間だった。必要であれば大切なものさえ捨てられる強さは、裏を返せば幸せを手放す虚しさをも含んでしまうのだから。

 詩人が失ったものは大きすぎると、気が付ける存在はここにはいない。

 

 

 また数日。

 もうアケへ行く便の手配はできている。ウィルミントンからアケへの定期便などはないので、フルブライト商会がわざわざ船の都合をつけて直行便を用意していた。このおかげでフルブライトの短い睡眠時間が更に短くなったのは余談である。

 時刻は夜。四魔貴族を相手にするとあっては準備には全力を注がなくてはならず、割り振られた訓練時間は重苦しい雰囲気が流れる。そしてその緊張感から解放された面々は適度に食事を摂り、そして翌日に疲れを残さないように早々に眠りについてしまう。リンなどはその重苦しさでようやく四魔貴族の強さの一端を感じ取った程だ。

 さて、ここで余裕がある者がいるのか。要は四魔貴族に挑まない上で、四魔貴族に挑む者を鍛える立場にない者。言うまでもないだろうが、ミューズがそれである。ウンディーネもとにかくモニカとエレンに力を注いでいる為、相対的にミューズの負担は減っている。そして夜に手持無沙汰になった彼女の相手をするのは、余力が残る詩人である。というか、この男が余力を無くした試しがない。

 この二人、案外話が合った。ミューズは芸術に明るく、また詩人もそのような話が嫌いでなかった為である。この日は音が漏れない音楽室に入り、二人で音楽を演奏して楽しんでいた。

 ミューズは楽しそうにハープに手を添えて奏でる。弦楽器特有の旋律が場を満たし、それに合わせて詩人が陽気にオカリナを吹く。似合わない特徴を持つそれぞれの楽器は不思議と調和して高揚するような落ち着くような、そんな音をその室内に満たしていく。

 やがて一曲終わると、ミューズは顔を綻ばせて詩人を見る。

「ああ、楽しいわ! ハープとオカリナでこんな音階が出るのね」

「高音で合わせると調和するんだ。そこからハープの落ち着きとオカリナの自由さをそれぞれ表現できる。

 いやしかし見事だね、初見でここまでハープを合わせられるなんて」

 詩人は感嘆の声を出す。実際、経験者程に常識が邪魔をして音が合わなくなるという事は多くなる。ミューズがそうならないのは、ひとえに彼女の無垢さが要因なのだろう。

 そしてそれは音楽以外にも発揮されている。例えば技と術というのは根本からして理念が異なる為、競合させるというのが難しくなる。エレンは努力と基礎を怠らない事で、エクレアは才気と強くなる事への興味で。それぞれ強引にそれらを合致させているが、ミューズにはそこに強引さが存在しない。ごく自然に彼女は技と術とを両立させているのだ。これもまた一つの稀有な才能といえるだろう。彼女は技の経験が、もしくは術の経験が、お互いの足を引っ張り合わないのだ。

 それぞれに宿る、オンリーワンの才能。それを見つけて優しく厳しく見守る詩人だが、そんなミューズの顔が曇る。

「詩人さん」

「どうした?」

「……もうすぐ、船が出ますね」

 そう。ミューズに余裕があるという裏には、苛烈な昼の訓練があるという事だ。それを目にするミューズには、挑む壁の高さだけが強調されて恐怖を覚えてしまう。

 これ程まで鍛えても、なお勝てるかどうか分からない存在が、命が保証されない存在が四魔貴族なのかと。

「詩人さんも含めて…皆さんと生きてまた会える事をお祈りします」

「……」

「心より、お祈り申し上げます」

 ミューズは戦力にならない。それは仕方のない事で、仮に着いて来たとしても足を引っ張るだけだろう。それは皆が分かっている、ミューズも朧気ながら分かっている。

 自分の命を助けてくれたユリアンに報えない事が悲しかった。命を懸けて四魔貴族に挑む仲間と共に行けない事が辛かった。

「そうだな、祈ってくれ」

 けれども詩人はそれを笑って許す。共に来れない事も、それで心を痛める事さえ許した。

 それこそが何より、ギリギリになった時に生死を分けるのだと分かっているのだ。自分の死を悲しむ人がある事、それは死ねない為の活力になる。

 ミューズが心を痛める事は、決して無駄にはならない。それさえもエレンたちの武器だ。戦いはいつも死と隣合わせであり、四魔貴族に挑むとなれば命を幾つ懸けても足りるという事はないだろう。祈りは、土壇場で折れない支えにもなる。

「祈り、歌ってくれ。

 そうだな…出航の時にでもその祈りを歌にしてくれれば嬉しい」

「私にできる事なら何でもしますが――」

「これはミューズにしかできない事だ。無事を祈り、心配して、それを歌声にしてくれ。

 歌にさえ、力は宿る。共に行動しなくても、心から安全を願ってくれる者がいれば、それは仲間だ」

 敵は不幸を願う。味方は幸せを願う。

 根性論、精神論といえばそれまでだ。しかしそれが力を持たない訳ではないのだと、詩人は語る。

 なぜならそう心から思っていなければ、彼は詩など詠わないのだから。

 それだけしかできないのか。そう迷うミューズに、それがミューズにできる最大の事だと微笑んで語り掛ける詩人。

 その顔を見て、ミューズから迷いから消える。

 そして残りの僅かな時間を、ミューズは歌の練習に費やすのだった。

 

 そして出航の日。

 港にはフルブライトとウンディーネ、シャールにミューズ。

 淡白な面々が多い中で、ミューズだけは船に乗り込む一人一人を温かく抱きしめた。いや、正確には抱きしめようとした。詩人だけはそれから逃げ切ったが。言った張本人がこれでは説得力がないだろう。

 とにかくミューズは、心配の気持ちと無事を祈る心を形にした。抱きしめられた誰もがむず痒い表情をしていたが、嫌がった者は誰もいなかった。

 そして歌われる送別の曲。伴奏も何もない、ミューズの独奏歌。それを耳にしつつ、船はやがて離れていく。

 乗船した者には声が聞こえなくなっても、必死にいつまでも歌うミューズの姿は瞳に映っていた。

 だが海を進めばそれもやがて消えていく。残るのは波の音と、どこまでも続く海と空。

「…死ねないね」

「生きて、勝って、帰りましょう」

 エレンが呟き、モニカが拾う。それを聞いて詩人は心で笑う。ほら、ミューズは無力なんかじゃないと。

 

 向かうは、アケ。その先にあるジャングルの奥地、火術要塞。

 間もなく死闘の幕が上がる。エレンとエクレアにとっては二度目の、他の者にとっては最初の。四魔貴族との戦いは間近に迫っていた。

 

 

 




そろそろアウナス戦に向けてシリアス入っていきます。


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078話 ジャングルの深奥で

アウナス編も佳境に入ってきました。お付き合いをどうかよろしくお願いします。


「陸か…」

 たった一人、甲板に立っていた詩人はポツリと呟く。船の壁に寄り掛かり、間もなく見えるだろうアケに思いを馳せる。

 今現在、彼の目に陸は映っていない。船の見張り台から陸を発見した声が響いた為にそれを察しただけである。高い方から見た方が遠くを見渡せるのは道理であり、詩人もその法則から逃れる事はできない。

 もちろん遠くを把握する能力は磨いている。彼の場合、視界がすなわち不抜(ぬかず)太刀(たち)の射程距離になるので、下手に弓を鍛えるよりも視力を上げた方が圧倒的に射程距離が延びるのだ。もちろん弓には術力を消費しないというメリットもあるが、矢玉は消費してしまう。結局のところ、どちらも無限に撃てるという訳ではないのだ。詩人にとっては術力の方が圧倒的に攻撃可能回数が多いのは確かだが。

「さて、そろそろ決戦だな」

 そう()()に話しかける詩人。エレン、エクレア、ユリアン、モニカ、リン、ようせい。一同は全員揃って甲板の上でへばっていた。恒例の乱取りにより、詩人にボッコボコにされた結果である。四魔貴族戦が迫っているという事もあり、容赦は更になくなっている。ある程度覚悟ができていたエレンとエクレアはかろうじて気力が残っているが、他の者は意識も朦朧としている。もうコイツ一人で全部解決して貰った方がいいんじゃないかと考えたくらいだ。

 何せ、高威力の技や範囲攻撃の術などは船である為に禁止されているとはいえ、6人がかりの攻撃を傷一つなく回避しきっているのだ。彼らが知る限りで詩人がダメージを受けた事など、ランスでエレンに殴られた時くらいだろう。

「なんで…なんで掠りもしないんだ」

 床に倒れ伏して、無念そうにユリアンが言う。しかし返ってくる言葉は更に理不尽なもの。

「これでも手加減しているんだが…」

 困ったように言う詩人にユリアンは絶望という言葉を初めて知った気になった。

 しかもこれは嘘ではない。詩人は練気を扱える為、当たりそうな攻撃を練気で弾く事ができる。ドフォーレとの戦争で矢を弾いたのがこの技術を使ったものであるが、この乱取りでは練気は全く使っていないのだから。彼はただ純粋な体捌きと棍棒の扱いだけで全ての攻撃を捌ききっていた。

 フォルネウスに通用したエレンやエクレアの攻撃が詩人には全く通用しない。それを考えれば詩人はたった一人で四魔貴族を倒せそうである。まあ、四魔貴族と詩人の強さは全く違うのでそう簡単な話ではないのだが。フォルネウスはその圧倒的な大きさと体力で受けた攻撃を最小限にまで軽減していた。対して詩人は人のサイズであり、攻撃が当たりさえすればダメージが通るだろう。当たりさえすればだが。

「まあ、とにかくもうすぐアケに着く。鍛錬はこのくらいにしておくか」

 そう言って一人でさっさと船室に戻っていく詩人。一同には文句を言う気力もない。

 ある程度体力が回復した順に、ノロノロと船室に戻り、下船の準備をするのだった。

 

 アケというのは村というより、集落である。その成り立ちは、実は相当悲惨なものだった。

 最初はこの大陸に住む原住民がそれぞれの小さな集落を作って穏やかに暮らしていた。それを乱したのが海賊ジャッカルである。冷血にして横暴な彼はこの場所に狙いを定めると原住民を襲い、虐殺を行い捕まえた者を奴隷にして自分の拠点を作った。それがアケという集落の原型である。

 しばらくはジャッカルが暴虐の限りを尽くしていたが、それもやがて終わる。敵対していた海賊ブラックがジャッカルを破り、その喉を掻っ切って海に落としたのだ。その際にジャッカルは九死に一生を得たのだが、それはまあ話から外れるので置いておこう。とにかくジャッカルから縄張りを奪ったブラックだが、彼はジャッカル程に冷血ではなかった。原住民に特別な配慮をする事は無かったが、一人の人間として扱い、残虐な真似はしなかったのだ。それでもブラックが望む集落の整備をさせていた辺り、彼も労働力の一種としか原住民を扱っていなかったのだが。

 そしてその支配もやがて終わる。ブラックはフォルネウスに破れ、アケと呼ばれた集落の支配者はいなくなった。それで元の生活に戻るかと思いきや、話はそう簡単に転ばない。原住民を人として扱っていたブラックは、原住民をしっかりと養っていた。外から持ち込まれた文化、酒や煙草、それから味わった事のない食料品は原住民の心を掴んでいたのだ。とはいえ、南西の果てともいえるアケに品物を卸す商船はほとんどない。品物を卸したとして得られる対価はほとんどなく、近場で航海する船が水が足りなくなったり陸地で休もうと降り立つくらいが関の山だった。

 十年程続いたその関係も、トーマスカンパニーが介入した事で終わりを告げた。原住民を現地の名産品をよく知る対等の立場と見なしたトーマスは礼節を持った交渉を行い、多くの物資を渡す事によってジャングルでしか取れない希少な薬草やコーヒーといった新しいお茶、香辛料などを独占したのだ。

 アケの人々にとってジャッカルは侵略者であり、ブラックは支配者であった。そしてトーマスは自分達を認めてくれて敬意を示す相手である。その人物の紹介で訪れた人物たちを無下に扱う事はもちろんなく、最高の料理で詩人達をもてなした。

「「「「…………」」」」

 絶句する4人。エレンとエクレア、ユリアンとモニカである。詩人やリン、ようせいは平然としているが。

 アケについた彼らはトーマスカンパニーの関係者として早速歓待を受けた。

 クリーミーでプリプリとした栄養満点の芋虫を炒めたもの。イナゴのような虫を葉にくるんで蒸し焼きにしたご馳走。香辛料をふんだんに使われて串焼きにされた蛇。集められたジャングル原産である極彩色の果物。

 聖王文化に慣れた者達にとって何一つ食欲をそそるものがない。

「何か…粗相をしましたかの?」

 長老が申し訳なさそうに言う。並べられた食材はアケにとっては紛れもないご馳走だ。

 忌避感がない者には逆に申し訳ない気持ちが沸くというものだ。

「いや、ありがたく頂こう」

「あ。じゃあ私も」

「いっただきまーす」

 詩人にリン、ようせいは嬉々として並べられた食事に手を伸ばす。詩人は蒸し焼きにしたイナゴのような虫を口に運び、果実酒で喉を潤す。リンは蛇の串焼きをむしゃりと齧り、芋虫の炒め物を美味しそうに齧る。ようせいは果物を手当たり次第に口に運び、満面の笑みを浮かべていた。

 それを真似をできない4人の顔は引きつるばかりである。聖王文化に虫を食べる習慣はない。蛇はなくもないが、それも遭難した時などの緊急避難のものだ。できれば食べたくないものである。果物は色からしてアウトである。

 ご馳走に手をつけない彼らを見て長老は悲しそうにため息を吐く。

「やはり…私らの食べ物は受け付けて貰えませんか。前に訪れたサラという少女もそうじゃった」

 お前はあたしの妹に何をしているんだ。思わず怒気が漏れかけたエレンだが、咄嗟に詩人がフォローに入る。

「ハハハ。まあ、文化が違うからな。ちょっと俺がアレンジしていいか? そちらもこちらの文化を学ぶいい機会だと思うが」

「勉強させて頂けるならこちらとしては願ったり叶ったりですじゃ」

 長老の言葉に甘えた詩人は幾つかの食材を指定する。

 川で取れた淡白な魚。害獣として捕えて捌いた鰐。ジャングルで取れる香辛料。トーマスカンパニーから卸されたオリーブオイル。そして苦みのある野草と甘みの強い果物。詩人はそれらを手早く料理していく。

 淡白な魚はオリーブオイルで香りづけをしながらカリっと焼いていく。鰐の肉は香辛料をこれでもかと振りかけて臭みを取り、食欲をそそるように炙る。野草と果物は併せて炒め、お互いの短所を打ち消していく。

「はい、完成」

「「「「おお~」」」」

 完成された品々に歓声をあげる4人。詩人が気を遣って作ったものだけあって、聖王の文化に即した料理であり、空きっ腹を抱えた面々にはなおご馳走に見える。

 我先にと手を出し、口に含んでいく。

「この香辛料をできる限り持ってジャングルに入るといい。たっぷりとかけて火で炙れば、蛇でも鰐でも魚でもだいたい食べられる」

「そういった事なら儂らの方でなるべく多く用意させていただこう。珍しいものではないし、ボルカノやアウナスを倒していただけるのならば軽い対価じゃ」

 そういう長老に、詩人はやや目を鋭くする。

「と、言うと?」

「ボルカノとかいう男がジャングルにある部族を幾つか襲っていますのじゃ…。運よく助かった者はアケで保護をしていますが、殺された者も少なくありません」

「……」

 それを聞いて詩人は手をキツく握りしめる。

 この惨状の原因の一つに自分が関わっていると理解しているが為だ。モウゼスでしっかりとボルカノの始末をしきれていれば起きなかっただろう惨事に、詩人は責任を感じていた。それが彼がボルカノ討伐に向かう理由の一つである。

 とにかく、後悔ばかりしていても仕方がない。被害が現在進行形で拡大している現状、迅速な行動が求められている。

「ここからは別行動だ」

 やや雰囲気を固くした詩人が場を仕切る。重くなった空気に全員の緊張が高まり、その言葉に静かに頷いた。

「俺はこのままジャングルに入り、ボルカノを討伐する。ジャングルのどこにいるかも知れないボルカノを捕捉する時間は、正直分からない。

 ボルカノを始末した後、火術要塞に向かう。そっちはアケで用意を整えたら直接火術要塞へ向かってくれ」

「分かったわ」

「分かったよ」

「分かりましたわ」

「了解した」

「承知しました」

「はい、王様っ!」

 元気よく返事をする全員を、満足そうに見やる詩人。

「そっちは火術要塞へ向かい、アウナスを討伐したらそのままアケに戻ってきてくれ。俺も火術要塞の様子を見て、どちらにしてもいったんアケに戻る。

 いいか。負けてもいいが、死ぬなよ。生きていればまだ勝つ可能性はあるんだからな」

 そう言い、エレンとユリアンを心配そうに見た後で立ち上がる詩人。そのまま長老の家を辞そうと動き始めた彼だが、エレンの側を通った時に彼女だけに聞こえるようにぼそりと言葉を残す。

「宿命の子を見つけたら確保しておけ」

 思わず振り返り、詩人を見るエレンだが、彼に動揺はない。

 滑らかな動きで長老の家から出るところであり、そしてそのままジャングルへ入っていくだろう事が予想できた。

「どったの、エレンさん?」

「……ううん。何でもない」

 エクレアの言葉に、そう返すしかないエレン。詩人はエレンを信じてその言葉を言ってくれたのに。

 宿命の子が現れる事は、ない。宿命の子であるサラはピドナにいるのだから。そのサラに代わり、エレンがゲートを閉じているのだから。

 それを知らず、必死に宿命の子を探す詩人に心が痛まないといえば嘘になる。だがしかし、詩人の目的が見えない現状でサラの事を明かす事は出来なかった。詩人が宿命の子を狙っていると知って、エレンに妹を差し出すような事はできない。

(詩人の目的がはっきりすれば…)

 そうすれば、エレンもサラの事を打ち明けられるかも知れない。

 だがしかし、言うまでもないがこれは余りにエレンに都合のいい考えだろう。自分の秘密は明かさず、相手の秘密の開示だけを求める。そして場合によっては自分の秘密は明かさないといっているのだ。これが虫のいい話でなくてなんなのか。

 結局、このままにするしかない。ゲートを全て閉じれば、また詩人の方針も変わるかもしれない。宿命の子が関わらない方法で詩人の復讐が為されるのならば、詩人に恩があるエレンとしては協力するのはやぶさかではない。詩人が内縁の妻を喪っているのも。子供も捨てたのも目的――復讐が原因と聞いた。ならば、その復讐が終わればまた家庭を持とうとするかも知れない。

 とにかくゲートを全て閉じなくてはならない、話はそれからだ。エレンは決意を再び固めるのだった。

 

 エレンたちはアケで3日を過ごした。高温多湿の熱帯地域であるジャングルは、今までいた場所とは環境が大きく違う。北に西に南にと、変わる気候に体を慣らせる時間は必要だった。そうでなくては、誰かがエクレアのように体調を崩してしまいかねないだろう。

 ちなみに詩人がいなくなった現在、指針はエレンが出していた。が、彼女とて旅の経験が豊富な訳ではない。急いたエレンはすぐにジャングルに入る事を提案したが、それに待ったをかけたのがリンである。エレンよりかも経験豊富な彼女は、環境の変化がどれほど自覚なく体を蝕むかを知っていたのだ。かといって、リンは東の出身であり、常識などには疎い事もある。そこはエレンと、それからユリアンがカバーする部分である。ちなみにアケでは役に立たないだろうが、貴族や豪族などへの交渉にはモニカやエクレアが役に立つだろうし、ジャングルの案内はようせい無しでは考えられない。ようは持ちつ持たれつという事だ。

 とにかく、アケにて体を慣らす。気候と食事といった、環境に。

 初日の()()()で、どうやら食事をするにもストレスになると気づかない訳にはいかなかった。そこでアケの人々にジャングルで取れる食材の事を聞き、それをストレスなく食べられるように、ちゃんとした休息にできるように工夫をする必要をひしひしと感じていたのだ。楽天家のエクレアは除くが。

 そしてエクレアにも食事当番が回ってくる以上、調理法くらいは覚えなくてはならない。幸い、ここにはトーマスカンパニーの人間もいるので、その人たちから有意義な話を聞けたのは嬉しい誤算だった。一から自分達で四苦八苦して探し出すよりも、模倣した方が早いのは当然なのだから。毒蛇や毒虫が出るという事で、ジャングルを往くにはワニ革のブーツを履き、毒消しも持つ。現地で食料も集めなくてはいけない為に食べられるものと食べられないものを知り、そして詩人に勧められた香辛料も大量に持つ。

 とにかくそうして準備を整えた一同は、アケからジャングルに入っていくのだった。

 そうして入ったジャングルは、モンスターの巣窟でもあった。

「大木断っ!」

「サイドワインダー!」

 襲い掛かる食人草はエレンの斧で断ち切る。毒を持つカエルであるクローカーはリンの蛇の力が込められた矢で喰い殺す。

「飛水断ち!」

「氷走りっ!」

 ユリアンが白銀の剣が飛び回る妖精族モンスターであるフォーンを真っ二つにする。エクレアが氷の剣を地面に突き刺し、そこから奔る衝撃波に氷を混ぜたものが砂漠にも出現するデザートトラップという昆虫型モンスターを仕留める。

「シャドウボルト」

「エイミングっ!」

 モニカの月術が大型のトリケプスの視力を奪い、ようせいの一撃が確実に射貫く。

 こんな調子がジャングルに入ってからどれだけ続いたか。とにかく、モンスターの数が多いのだ。モンスターの習性故か、一度に襲ってくる数はそうでもないが、その回数が尋常ではない。

「もー疲れた!」

 エクレアが思わず言ってしまうが、それを嗜める者は誰もいない。この数のモンスターには誰もが辟易としているのだから。

 あえていえば、ここで生まれ育ったようせいだけがそれに準じていない。苦笑を浮かべてジャングルという環境を口にする。

「温暖で水気も多いからね。生命力がとにかく凄い場所なのよ、ジャングルって」

 そういって絶命したトリケプスを見るようせい。

「このモンスターも明日どころか夜になるまでに食べられちゃうわ、ジャングルに住む肉食獣にね。そしてその残りカスを小さな虫が食べて、流れた血も木々の養分になる。

 そうして今日は食べる側も明日には食べられる側に回るかもしれない。とにかく活性しているのがジャングルの特徴なの」

「……ようせいはこんな所でどうやって村を作っているのでしょう?」

 モニカの疑問にようせいは笑って答える。

「どんな生き物にも縄張りはあるわ。そこを侵せば手痛いしっぺ返しがあるって理解させれば、そうそう襲撃はないし。

 それにようせい族は空も飛べるからね。木の上の方に、穴をあけて洞を作ってそこに住んだりとか、まあ色々よ」

 そういって背中の羽をパタパタと動かして空を舞うようせい。確かにジャングルのような場所では地面よりも上空の方が安心なケースも多いだろう。

 まあ、そのように上空へ避難した獲物を狙う敵もいるだろうから、絶対ではないだろうが。結局、自分の脅威を示すのが一番安全なのだ。

 さて。それはさて置いて。

「……つまり、火術要塞に向かう私たちはそういった縄張りを無視しなくてはならないという事でしょうか?」

 リンの言葉に、一同に沈黙が降りた。ギャーギャーと騒がしいジャングルの鳥の声が遠くに聞こえる。

「で、できるだけ共用の餌場とかは通ってるんだよ? でもそういった場所では雑多なモンスターが襲ってくるし……」

「そして縄張りに踏み込めば、そこに陣取ってる強力なモンスターと戦わなくちゃならない訳ね」

 はぁとエレンがため息をつく。仕方ないとはいえ、なかなか大変そうだ。

「ちなみに夜はどうなんだ?」

「あー…そのー……」

「危険なんだな?」

「多くは眠るけど、さ。そういった相手を狩るタイプが、その、ね」

 しかも夜中ひっきりなしに襲撃があるときたもので。ますますゲンナリとしてしまう。

 どうやらジャングルは種族として繁栄するには有利だが、個として生き抜くのは大変らしい。結果、生物は繁殖力や生命力に特化していく事になり、徐々にモンスターの数を減らしながら進むという作戦も取れないだろう。なんせ縄張りを持つモンスターを潰したとして、翌日には別のモンスターがそこを縄張りにしていそうな勢いだ。

 結局は強行軍しかないのだろう。そしてその体調のまま、火術要塞に乗り込み、アウナス配下のモンスターを蹴散らして。そうしてアウナスを打倒しなくてはならないのだ。

 四魔貴族と戦う事でさえ困難であると、今更ながらにユリアンは自覚せざるを得なかった。

 

 戦いはもう始まっている。そして、これはまだ序章に過ぎないのだと。

 

 

 



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079話

久しぶりに土日に時間が取れたので、執筆作業を進めたいと思います。
リユニで地図をハムハムしつつですが。


 

 ガサガサと草木をかき分ける。

 毒蛇や毒虫、そして何よりモンスターに気を付けていた、ここ数日ずっと続いた作業が唐突に終わる。

 眼前に樹々はなく、亡霊の魂のような灯りがついた廃墟が。いや、整備されていないだけで()()が廃墟でない事は分かっている。禍々しい気配はもちろんの事、何よりこの距離で既に熱さを感じた。ジャングルが持つ暑さとは別種の、炎熱の熱さ。

 魔炎長アウナス。ひしひしとその気配が伝わってくる。

「ここが…火術要塞」

 誰ともなしに呟く。ようせいの説明によって、今日この日に火術要塞に辿りつく事は分かっていたので、昨日は十分な休息をとった。覚悟もできていた。はずなのだが、実際に火術要塞を見れば何も思う所がないとはいかなかった。誰ともなしに緊張が高まる。

「……行くわよ」

 エレンが声をかけて全員が進む。この中で四魔貴族と戦った事があるのはエレンとエクレアのみであり、彼女たちの経験は貴重な情報源だった。海底宮では道中に敵は少なく、最初と最後に集中していたといっていい。先手で仕留めるか、引き込んで殲滅するか。それを主眼に置いた戦法だったのだろうが、これから先の四魔貴族も同じ戦略でくるとは限らない。

 四魔貴族の手は長い。世界各地に影響力を持つのはもちろん、フォルネウスが拠点とした海底宮も広い宮殿であった。あれを基準として考えるならば、アウナスの拠点である火術要塞も踏破に一日弱を見込まなくてはならない。

 幸い、今回の討伐メンバーは数が多く、6人での参加だ。戦闘に5人は必要として、バックアップに1人。バックアップの人間が休憩できる考えであれば、中々悪くない数である。

 最悪を想定し、ひっきりなしに敵が襲ってくるものと仮定する。そこで朱鳥術の対抗として、先陣は玄武術を持つエレンがきる事になった。最初のバックアップはエクレア、氷の剣を持つ彼女は切り札たり得る為にひとまず温存する訳だ。それから消耗が見られた順にバックアップを変えていく。二番目以降は状況によるだろうが、最初の交代はモニカだろうと全員の予想が一致していた。彼女はエクレアと合わせて体力の水準が低い。

 とにかく、そうして戦う人間と休む人間を入れ替えつつ、理想としては適時休める場所を探して休息を取る。そして最奥になるゲートの間に辿りつき、アビスと接続している白い珠を破壊する。それがエレンたちの基本方針となった。

(鬼が出るか、蛇が出るか――)

 何が襲い掛かってきてもいいように、入り口の扉をエレンが開ける。

 同時に襲い掛かってくる熱気と、頭を三つ持った猛獣。

「!」

「グルギャァァァ!!」

「ケルベロスッ!」

 先頭にいたエレンに噛みついてくるケルベロスだが、奇襲を覚悟していたエレンに隙はない。紙一重でその牙を避けて、代わりに拳をその顎に叩き込む。練気拳を発動し、ひとまずケルベロスを遠くに吹き飛ばした。

 言葉は必要ない。その僅かな時間に陣形を整える。先頭にエレン、その両翼斜め後ろにユリアンとようせい。更に翼を広げるようにモニカとリン。スペキュレイション、そう呼ばれる突進力に特化した陣形だ。相手が手を打ってくるのが予想できる以上、まずは前陣を食い破り突破する。そうすれば一息つく事も可能だろうという判断だ。

「いくぞっ!」

「フォローは任せて!」

 ユリアンが気炎を上げる中、エクレアは全員より後ろに下がる。背後からの攻撃に備えるのはもちろん、前の5人のサポートもする重要なポジション。

 そうして態勢を整える中、ケルベロスもその6つある瞳に怒りを宿らせ、グルルと唸っていた。自分を殴り飛ばしやがった人間を、侵入者一同を睨みつける。

 空白は一瞬、交戦は即座に始まる。

「ガァ!」

 ケルベロスから吐き出される火炎、人の頭ほどもある炎弾がエレンに迫る。下手に躱せば突進力を利用するスペキュレイションに悪影響を及ぼしかねない為、エレンはブラックの斧に玄武の水分を纏わせると、炎弾を一太刀で斬って捨てる。ジュッと炎と水が交わる異音が聞こえると同時、炎弾が掻き消えた。

 次に動いたのはモニカ。彼女は頭の一つを狙い、術を発動させる。

「シャドウボルト!」

 月術に宿る虚の術式を丸く包み、それを矢玉として放つ基本術。それがケルベロスに向かい、簡単に回避される。だがそれでいい。モニカが牽制する間に他の仲間がさらに致命的な攻撃を仕掛ける事ができるのだから。

 ようせいが小さな体を利用して、ケルベロスの足元へと滑り込む。そしてアーメントゥームを振りかぶり、その足元に狙いを定める。リンはケルベロスを鋭く観察し、その気脈を見切ってそこに合わせて弓を引き絞る。

「足払いっ!」

「ビーストチェイサー!」

 ようせいの槍が勢いよく薙がれてケルベロスの足を殴打し、ガクンと体勢を狂わせる。リンの矢がケルベロスの胴体に突き刺さり、一矢とは思えない苦痛をケルベロスに与える。

 そして最後の一人、ユリアンも頭の一つを目掛けて突進していた。その頭が持つ瞳とユリアンの目が交わり、鋭い視線が交錯する。

「カウッ!」

 ケルベロスの噛みつき。ユリアンはそれに大きな回避をする事はない。ケルベロスは大きく俊敏だが、詩人には劣る。その攻撃を紙一重で回避することは、難しいが今のユリアンにとって不可能ではなかった。

 剣を使わずに体捌きのみでその攻撃を避けると、ユリアンは両手で握った剣を腰だめに構え、ケルベロスの顎の下からその刃を突き上げる。

「はぁっ!」

 肉を裂く気持ち悪い感触がユリアンの手に伝わってくる。顎から貫き通された刃はその脳まで達し、その頭の持つ目がグルンと回って白目を晒し、力を失う。

 頭の一つを潰したユリアンは剣を素早く引き抜くと鋭いステップで後ろに下がる。代わりに割って入るのはエレン、頭の1つを失いぐったりとしたその重量にバランスを崩したケルベロスへの狙いは、胴体。頭が3つあったとしても、胴は1つ。すなわち重要臓器も1つしか持たない事になる。リンとの訓練で流れを感じ取る事を体得したエレンは、その血脈を探って一点に集まるその場所を探し出して探知していた。狙いはすなわち、心臓である。頭を3つ持つ異形である為に変わった位置にあるそれを、エレンは正確に感じ取った。

 生物最大の急所であるそれに向かい、エレンは拳を固く握りしめて、気を込めて打ち出す。短勁によって内部まで威力を浸透させたその一撃は隙を晒したケルベロスへと突き刺さり、その心臓に深刻なダメージを与えて破裂させる。

 たった一つしかない心臓を破壊されてケルベロスに生きていられる道理はない。一瞬の空白の後、その巨体がゆっくりと倒れ伏し、その大きさ故に周囲には軽い振動がおこる。

「損傷は?」

「問題なし」

 エレンが聞けば、返す言葉も慣れたもの。ユリアンの返答にケルベロスと戦った意識を終わらせて、火術要塞内部の様子を把握するように意識をスライドさせる。

 火術要塞は鈍く暗い色をした金属で床が覆われていた。それが半分であり、残りの半分には炎がなみなみと湛えられたマグマのプールが煌々と光と熱を周囲に撒き散らしていた。そのマグマのプールからは時折火柱が上がり、近づけばただでは済まない事を教えてくる。広場のようなその場所だが火柱のせいで視界が悪く、マグマのプールがそこかしこにあるせいでに入り組んだ道のようなものになっていた。直進する事は出来そうにない。

 更にその道にもチラホラとモンスターが見える。一歩足を踏み外せばマグマのプールに落ちるとあっては神経を尖らせざるを得ない。覚悟はしていたが、やはり相当にタフなフィールドのようだ。

「エクレア、アビスの気配は?」

「真っすぐ奥の方。直進でいいみたい」

 海底宮で詩人に教わったアビスの気配を探る方法。エレンが天術を会得してない以上、頼りになるのはエクレアだ。その言葉聞いてエレンは炎とマグマ、そしてモンスターに遮られて見えないその奥を見通すように睨みつける。

「行くわよ」

 エレンの言葉に全員が頷き、奥へと駆け出すのだった。

 

 火術要塞を攻略していくうち、厄介といえるものを把握しつつあった。1つは炎、一歩間違えれば大火傷を負いかねないとなれば、いつも以上に気を使わなくてはならずに心がすり減っていく。

 そしてもう1つはモンスターの多さだ。群れ単位で完結しているとはいえ、それが絶え間ないといえる頻度で襲い掛かってくる。

 最初に息が切れ始めたのは、やはりというかモニカだった。それを察してエクレアがポジションを交代、更に中列に彼女は配置されて代わりにようせいが後衛に下がる。

 体力を温存しつつ、襲撃はやはりひっきりなしだ。またモンスターの群れが襲い掛かってきた。熱をまとった岩で構成された体を持つマグマ。小柄な体で飛び回りながら鋭い爪で強襲してくるガーゴイル。アウナスにその心を売り渡した堕ちた人間である術妖。大型獣の骨格を持った骸骨系モンスターであるボーンドレイク。モウゼスでも襲い掛かってきた猪型モンスターであるショック。計5体。それぞれがそれぞれを相手取る。

 マグマを相手にしたのはエレン。彼女はアウナスとの対決に備え、どうしても試さなくてはならない事があったのであえてこのモンスターと相対した。威圧をもって近づくマグマに対し、エレンは薄く目を開けて己の内部に一瞬だけ集中。術を唱えた。

「ウォーターポール」

 唱えると同時、その体に水の鎧ともいえるような防御膜がまとわりつく。それは炎熱に対して大きな効果を持つ筈である。アウナスが強力な火炎を扱うとヨハンネスから受け取った情報から把握していたエレンは、ウンディーネからこの術を重点的に学んでいた。熱に対抗する方法を欲していた彼女にとって、この術は必須ともいえる効果を有していたのだ。

 水を纏ったエレンに向かって、それがどうしたと言わんばかりにマグマが拳を振り上げて襲い掛かってくる。回避する事も可能なその攻撃を、エレンはあえて受ける。迫りくる拳に、エレンも拳を握りしめて真正面から突き合わせる。体格の違い、岩と肉という硬度の違い、普通に考えれば負ける要素しかないエレンだがこの程度でいちいち負けてなどいられない。合わせた拳だが、弾き飛ばされたのはマグマの方だった。驚きという感情もこの無機物にあるのか、動きが一瞬止まる。

 対してエレンは纏った水の鎧のおかげでマグマの持つ熱のダメージはない。僅かに水分が蒸発する音が聞こえたが、それだけだ。上々の結果にほくそ笑みながら、もう用はなくなったとマグマに向かって斧を向ける。構えた斧を叩きつけるような体当たり、ハイパーハンマーにてマグマに迫り、そしてその体を完膚なきまで破壊するのだった。

 ユリアンはちょこまかと飛び回る敵に剣を当てる事ができないでいた。ガーゴイルは素早くユリアンの周辺を飛び回り、隙を見つけてはその鋭い爪を振りかざしてくる。

「くそっ」

「キキッ」

 苛立つユリアンを嘲るようにガーゴイルが鳴き声をあげる。そして爪を一閃。ユリアンはそれをかろうじてパリイするが、じり貧になっている感覚は否めない。

 とはいえ、それは表面的なもの。ガーゴイルに見せている様子とは裏腹に、ユリアンは極めて冷静だった。こちらを舐めて飛行を繰り返すガーゴイルのパターンは、もう既におおよそを把握している。とはいえこの身軽さだ、当てる為には一工夫が必要だろう。

 ユリアンは変わりないように、馬鹿の一つ覚えのように剣を振る。それを軽やかに回避するガーゴイル。

「キキキッ!」

 そして反撃の為にユリアンに接敵しようとしたガーゴイル。その眼前に刃が迫っていた。

「キ?」

 そんな間抜けな声をあげ、何が起きたのか分からないといった表情でガーゴイルはその顔を半ばから切り飛ばされた。それを為した剣はもちろんユリアンのもの。虚をつき、初撃を囮として2撃目を確実に命中させるその技法。

「かすみ二段」

 そう言い、ユリアンは剣に付着した汚らわしい血を振り払った。

 術妖と対峙したのはリン。術妖は接近戦を不得手としているらしく、近接武器の間合いに入ってこない。となれば遠距離を専門とするリンが対処するのが最適解だった。

「ファイアボール!」

 しゃがれた声でそう言った術妖の眼前に炎の球ができ、リンに襲い掛かる。もちろんリンにそれを黙ってうける義理などある筈がない。

「ウインドダート!」

 蒼龍術の基本であるそれだが、バイメイニャンに鍛えられたリンの術力は並のそれを凌駕している。風の刃がファイアボールとぶつかり合い、お互いを消滅させた。

 小さく舌打ちをするリン。やはり相手も術を扱うとあって、そう簡単にはいかないらしいと理解する。ならばやはりこれしかないかと、リンは弓矢を引き絞り、放つ。

「螢惑の砂」

 しかしそれも術妖が撒き散らした術具によって無効化されてしまった。その眼前に炎の壁ができ、矢の羽根と木製部分が瞬時に燃え尽きてしまったのだ。鏃だけとなった矢に直進力は残されておらず、その場にカツンと落ちてしまう。

 話に聞いた、ボルカノとやらが作った術具か。そう思うリンは、即座に解決策を巡らせた。要は炎の壁を無視するような攻撃をすればいいのだ。

 再び弓に矢を番えるリン。それを見て新たな螢惑の砂を取り出しつつ、術の詠唱を始める術妖。矢を放った隙にまた術を叩き込むつもりだろうが、そこまで長引かせるつもりはリンにはない。

「瞬速の矢」

 極限まで速さを求めたその一矢は文字通り瞬く間もなく術妖に辿りつき、その目と目の間に突き刺さる。そして脳を破壊された術妖はその場に崩れ落ち、手から零れ落ちた螢惑の砂がその場で燃え上がった。術妖は己の生み出した炎に包まれて、ゆっくりと灰になっていくのだった。

 ボーンドレイクを相手取ったのはエクレア。氷の剣は標準状態では大剣のサイズである。というのも、氷を減らす事は簡単でも増やす為には術力を消費して空気中から水分を集め、凍らせなければならない。よって一番質量のある大剣状態で持ち運ぶ方がキャパシティー的にも有利なのだ。そしてこのような大きなモンスターが相手ならば、小剣などでチマチマ削るよりも大剣で大きく削った方がいい。大剣状態のまま、エクレアは氷の剣を振りかぶる。死してなお生者を襲い続けるボーンドレイクも、もはや食する必要のない大きな顎を開き迫る。

 だがボーンドレイクはその口を閉じる事はない。大きく開いた顎で威嚇したまま、その前脚を振りかざして爪をエクレアに突き立てようとする。エクレアはその爪に向かって氷の剣を叩きつけ、その勢いを止める。そして氷の剣から侵食する冷気。

「チッ」

 ボーンドレイクは骨であって、冷気のダメージは比較的薄い。死霊を除くアンデッド系モンスターには物理攻撃が一番有効なのであって、反撃の冷気が効果が薄い事にエクレアが品の無い舌打ちをする。物理攻撃という意味で体格で劣るエクレアが不利なのは否めなかった。

 それでもその程度の不利でエクレアは屈しない。エクレアはあらゆる武器を手に取り、その全てに馴染んできた。そして大剣はその質量から衝撃攻撃に優れた武器である事も理解している。重さから体格に優れた者が振るうに適した武器ともいえるが、単純に重いだけの武器など体捌きなどの工夫次第でなんとでもなる。もちろんその分繊細さは減ってしまう事は多々あるが、それよりも大事なのは破壊力である。

 エクレアは足を一つ後ろに出してつっかえ棒にする。それだけでエクレアの体勢は安定し、体格で負けるボーンドレイクにも力で負ける事はなくなる。両脚の骨と腰骨とで三角を作ったエクレアは安定し、上半身を螺旋を描くように徐々に回転させるように動く事でボーンドレイクの体に氷の剣を徐々にめり込ませていく。

「ガッ!?」

 これに慌てたのはボーンドレイクである。骨の体となった今、痛覚はない。しかし小柄な少女を押し潰さんと攻撃を仕掛けていたのに、いつの間にか逆襲をかけられて己の身である骨が徐々に抉られているのだ。痛覚はないが、いや痛覚がないからこそ恐ろしい。そしてそれが知性がないモンスターとしての限界だった。恐怖に負け、叡智に劣る。人間がモンスターに勝る所以である。

 ボーンドレイクはいきり立ってエクレアへと襲い掛かり、反対の前脚をエクレアへと振り上げる。そしてその動作が致命的。片方の前脚を氷の剣に喰い込ませ、もう片方の足から体重を離す。いくら骨だけの身であり体重が軽いとはいえ、限界だった。氷の剣に喰い込んだ前脚の骨に深く氷の剣が喰い込み、ひび割れていく。そしてエクレアの技量である。襲い掛かる重量を逆に利用し、相対的な破壊力でボーンドレイクの骨を侵していく。ビキビキビキと壊れていく己の体を見て、流石のアンデッドも恐怖せずにはいられなかった。そして恐怖こそが戦いにおいて大きな隙になり、それを見逃すエクレアではない。晒してくれた狼狽に、ここが攻め時と言わんばかりに氷の剣をめり込ませていく。

「アアアァッ!!」

 気炎を上げて剣を握る手に力を込めて、エクレアは自分よりも大きい骸骨のモンスターの体を両断する。体を粉微塵に砕かれたボーンドレイクは二度と動く事はなかった。

 最後に残ったショックを相手にするのはようせい。モウゼスでエレンやエクレアが仕留めた事もあるモンスターであるが、その時とは状況が大きく違う。モウゼスではそれなりの広さがある小島が舞台だった。突進してくる猪型モンスターであるショックの攻撃を回避するスペースは十分なのに対し、火術要塞ではそんな余裕はない。左右は火柱をあげるマグマで満たされており、空を飛べるようせいでもその空間に入り込んだら熱で炙られて死んでしまうだろう。

 つまり、ショックの攻撃を真正面から受け止めなくてはならないのだ。これはショックにとって大きく有利な点だった。

(短期決戦ね)

 ようせいはそう判断する。そもようせいは体が小さく、体力は少ない。もともと長期戦を行える体つきをしていない上に、相手は体力と力だけが取り柄のようなモンスターだ。我慢比べなんてしていられない。

 一撃で仕留める。そう覚悟してようせいはアーメントゥームを握りしめた。

 そしてようせいに向かって突進してくるショック。直進のみに全力を注ぎ、その体躯でもって圧殺せんと迫りくる。ようせいはそれを冷静に見やり、襲い掛かる敵に一撃を与える瞬間を辛抱強く待ち構える。

 集中力を高めるようせいに、時間の感覚が狂ってくる。襲い掛かるまでの時間は何秒もないだろうに、もう秒針が一周するくらいの感覚を覚えていた。引き延ばされた時間感覚の中、ついにようせいが望むべき瞬間が訪れる。

「今ッ! 足払いっ!!」

 ようせいの選択した技は足払い。鋭く槍を低く横に振るい、ショックの足を殴打する。その衝撃でショックは足を踏み出す角度を違えてしまう。ようせいから逸れるように方向変換を強制されてしまった。

 そして再度言うが、ここは火術要塞。左右はマグマで満たされたプールだ。止まらなければと思う猶予もなく、炎熱地獄の中へと自ら突進してしまうショック。

「ブモォォォォォ!!」

 生きたまま焼かれて死に行く苦痛をその断末魔で表しながら、ショックの命は消えていく。それをしてやったりと意地の悪い笑みを浮かべてようせいは眺めていた。

「猪野郎にまともな相手するわけないじゃん。ばーか」

 こうしてまた一つの戦いが終わった。エレンたちに損傷は少ないが、周囲を満たす熱と戦いの緊張で体も疲れて来たところ。そろそろ休憩の一つも挟みたくなってくる。

 そう思ったエレンはきょろきょろと周囲を見渡す。個室か袋小路のような場所を探し、果たしてそれは程なく見つかった。すぐ側に行き止まりの道、というか空間のデッドスペースのような場所があったのだ。奥行きもそれなりにあり、理想的な条件だった。

「みんな、少し休みましょう。あそこがいいわ」

「休みたいのは山々だけど、そんな余裕をモンスターたちがくれるか?」

「貰うんじゃない、余裕は作るものよ」

 ユリアンがモニカの様子をうかがいながら言うが、エレンは平然と言い返してエクレアに目配せをする。意図を読み取ったエクレアはこっくりと頷き、準備を始めた。

 いぶかしむ様子を見せる仲間たちだが、どうやら何か手があるらしい。エレンが指し示した袋小路に入っていく。

「で、どうするの? 見張りをたてて、順番に休む?」

「んーん。こうするの。いくよ、ゆっきー!」

 リンの提案にエクレアが首を振り、唯一の出入り口に氷の剣を突き立てる。そして術力を集中させるとピキピキと狭い出入り口を塞ぐように氷が張り付いていき、やがて壁ができあがった。氷の剣の刀身は壁と完全に一体化し、柄の部分だけが残るのみである。

「凄いですわ!」

「あー、疲れた。その分休ませてもらうけどね」

 モニカが純粋に感嘆の声をあげ、エクレアが気力を落とした声をあげる。実際、彼女はそれなりに術力を使ってしまっている。

 しかしその対価は十分といえるだろう。敵の本拠地で安全に休める空間を確保できたのだ、これは例えようもなく大きい。そして火術要塞という場所ではもう一つの利点もある。

「お、涼しいな」

「そりゃ、氷だもん」

 そう、熱の軽減だ。マグマからの熱気を浴び続けて汗をかいた一同にとって、氷から流れてくる冷気は心を鎮める清涼剤にもなる。

 こうする打ち合わせをしていたエレンはもう休む準備に入っており、テキパキとお茶を淹れる用意をしていた。

「お茶を飲んで、軽くお腹に食べ物を入れましょう。終わったら仮眠をとってもいいわ。しっかりと休んで態勢を立て直さなくちゃ」

 そう言ってモニカにようせい、エクレアを見やる。体力に不安がある面々には特にしっかりと休んでもらいたいものだった。

 視線を受けてモニカは苦笑いでお茶の準備を手伝う。彼女が淹れるお茶が一番美味しいので、エレンはその役目を譲る。ようせいとエクレアはごろんと床に転がり、んーと手足を伸ばして楽にしていた。ユリアンはモニカの側に控えているし、リンは簡単に食べられるものを用意している。

 そうしてゆっくりと時間をかけて十分に体を休めた一同は、更に火術要塞の奥へと向かうのだった。

 

 

「ギシャァァァー……」

 断末魔を上げて巨大な三匹の蛇、パイロヒドラが息絶える。それを為したのはエレン、他の全員が注意を引き付け、その胴体に思いっきり短勁を叩きこんで内部から破壊したのだった。

 ふぅとため息を吐いて全員を見るエレン。誰も彼も厳しい表情をしているが、切羽詰まっているものは誰もいない。火術要塞の攻略に心身をすり減らしつつも、しっかりと適応している証拠だった。

 実際、ここに至るまで余裕があった訳ではない。エクレアは何度も氷の壁を作って休む場所を提供したし、一面のマグマの上に金網が巡らされた道とは言えないような場所を渡った時には誰も生きた心地がしなかったものだ。

 しかしその甲斐はあったといえる。

「近いよ、すぐ側だね」

 厳しい顔でエクレアが言う。アビスの気配は濃密で、それはゲートの間が近い事を表していた。おそらくもう一つか二つ先の部屋がゲートの間だろう。

 聞いた一同の顔に覚悟が宿る。臆した者は一人もいない。

「行くわよ」

 先陣はエレンがきる。そして彼女に続く全員。

 次の部屋はやや広くなっていて、隠れる場所はどこにもなさそうに見える。しかしそんなものはどうでもいい。()()()は隠れる事なく次の部屋へ続く扉の前に立ちふさがっていたのだったから。

 ひょろりと背の高い老人。ぱっと見ではそういった感想を抱かせる男だった。だが、こんな所に一般人がいる訳もない。まるでここが居心地のいい自宅のように余裕を持った声を発する老人。

「これはこれは…。わざわざこんなジャングルの深奥までご足労をかけて申し訳ないの」

「――お前は」

 斧を構えたエレンはまさかと思って聞く。老人は人のいい笑みを浮かべながら、その予想を肯定した。

「お察しの通り。儂が四魔貴族の一人、アウナスじゃ」

『!!』

 全員が驚きながらも武器をとり、臨戦態勢を取る。しかし戸惑いは隠せないでいた。

 なんというか、予想と違う。もっと殺伐とした邂逅を想像していたのだが、あっさりと出て来たのは好々爺。しかも敵意は感じない。

 特に驚いたのがエレンとエクレアだ。フォルネウスと戦った事がある彼女たちには、四魔貴族とは人間を見下すモンスターの首魁という認識があった。しかしこの老人にそのようなものは当てはまらない。もしや何かの罠かと勘ぐってしまうのは仕方ないだろう。

「まあ、そういきり立たんでもいいじゃろう。幸い、儂にもお主らにも口がある。言葉をかわし、妥協点を探る事も大切じゃ」

「……何が言いたい?」

 ユリアンが訝しそうに聞く。今更どんな会話をしてどうするというのか。

 その鋭い視線を受け流し、アウナスはエクレアの持つ氷の剣を見やる。

「――フォルネウスを倒し、そして氷の剣もここにある。火術要塞に蔓延るモンスターを退け、ここに至ったお主らの力量は今更疑うべくもない」

「だからなに? 大人しく降参でもしようって言うの?」

 エレンの挑発染みたその言葉に、アウナスは首を縦に振った。

「は?」

「正にその通りじゃ。殺し合えば、どちらかが死ぬ。それはお主らかも知れんし、儂かも知れん。

 故にそのような道は避けて通りたいのじゃよ。無条件とはいかぬが、降伏しよう」

 嫌な沈黙が流れる。かつて世界を支配した四魔貴族、その一翼であるアウナスが戦うまでもなく投了してきた。喜びなど感じる訳もなく、ただただ戸惑いだけがある。

 そんな一同を見て、アウナスはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「それとも会話もなく戦うか? それも良し。儂とてむざむざとやられはせん」

「……」

「……」

 誰も何も言えない。予想外の展開にどうしたらいいのか、頭が追い付かないのだ。

「どうする、エレン?」

 剣を構えたままユリアンが聞く。下げる訳にもいかず、また斬りかかるのも躊躇われるこの状況。

 意志決定を担うのはユリアンとエレン、そしてリンだ。とはいえ、リンは強者であり巨悪と呼ばれる四魔貴族と戦う為にここに来た。その相手に戦う気がないというなら、恐らく語る事は何もないだろう。ここはユリアンとエレンで結論を出さなくてはならない。

 エレンはしばらく考え込んだが、やがて斧をしまった。その行動が示す答えは一つ。

「分かったわ。話し合いをしましょう。四魔貴族が一人、アウナス」

「話が通じる相手でよかったわい。名は?」

「エレン・カーソン」

「そうかそうか。ではこちらも改めて名乗らさせていただこうかの」

 そう言って、アウナスは中空に手をかざして炎を生み出す。それはその場に留まり、まるでマントのように形を変えた。

 炎のマントを纏い、その手にはいつの間にか大きな鎌を持つ。好々爺風情の顔は変わらないが、武装をした男はここでようやく威圧感を解き放った。

 ビリビリと肌を刺すようなそれは、やはり間違いない。

「四魔貴族が一人、魔炎長アウナス。話し合いの機会を設けていただいて感謝すること至りじゃ。

 聞きたい事は何でも聞いてくれて構わない。お互いに腹を割って話をしようではないか。平和に終われば、それに越した事はない」

 

 

 



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080話

今回は色々な意味で難産でした。
楽しめて頂けたら幸いです。


 アウナスと対峙するエレンたち。武器は構えたままで、しかし心の中では困惑が強く湧き出ていた。

 四魔貴族の降伏、及びそれに伴う会談。まさかこんな事態になるとは誰もが思いもしなかったのだ。困惑するのもむべなるかな。

 とにもかくにもこのままでは話が始まらないと、まず口を開いたのはアウナスだった。

「さて。とにかく話を始めよう。儂の話は少々長くなるじゃろうから、そちらから言いたい事があるのならば聞こう」

「……! ボルカノを使ってジャングルを荒らし、妖精の村を襲っているのはなんでよ!?」

 それにギリィと口を噛み締めて、血を吐くような言葉を叩きつけたのはようせいだった。

 思えばようせいのみがアウナスに直接的な攻撃を受けたと言っていい。ウンディーネもボルカノにモウゼスを荒らされた事はあるが、今ここに彼女はいないのでそれを言っても詮無い事だ。

「…、なんのことじゃ?」

「っ! ここで、とぼけるっていうのね!!」

 きょとんとしたアウナスにようせいはバカにされたと判断したようだが、それにしてはアウナスの様子がおかしい。彼は慌てて訂正した。

「待ちたまえ。確かにボルカノという男は以前にこの火術要塞に二度訪れた事がある。そして儂と話をし、欲したものを与えた事も認めよう。

 だが、儂はボルカノに何も指示を出していないし、何も願っていない」

「……モウゼスに攻めて来たボルカノは。アウナス、貴方のモンスターを連れていたわ」

 エレンの言葉にも躊躇いなく頷くアウナス。

「ボルカノに儂のモンスターを貸し与えたのは確かじゃ。どうしても欲しいモノがあり、その為に戦力が必要だとか言っておった。

 儂は火術要塞を守る為にモンスターを使役しているのであって、他に欲しいものがあるでなし。火術要塞にいるのに飽きたモンスターには全員暇をだしてやったわい」

 アウナスの言葉が疑わしくないといえば嘘になる。つまりボルカノがアウナスの配下として暴れまわったのではなく、ボルカノがアウナスを利用して暴れまわったという事になる。信じていいのかどうか、今一つ悩む情報ではあった。

 その言葉が本当の事かを確かめる為に、ユリアンが口を開く。

「何故、ボルカノにそこまで肩入れをする? 配下のモンスターを手放すなんて、戦力低下しか招かないだろ?」

「いやなに、あやつも儂と同じ願望を持っておったからな。感情移入をしてしまっただけじゃ」

「! やはり世界を荒らすのが目的で――!!」

「いやいや、そうではない。そうではないのじゃよ」

 いきり立って聞くユリアンをなだめるように、アウナスが言う。ここまで来たらこれを聞くしかないと、エクレアが口を開いた。

「じゃあさ、ボルカノと同じ願望って、なに?」

「……死にたくない。ただ、それだけじゃ」

 それは、四魔貴族として口にするには余りに似合わない言葉。唖然とするしかない。

 しかしアウナスの表情は至って真面目。どころか、やや恐怖の色さえも見える。これを演技で出しているのならば大したものだが、そういった可能性さえも考慮しなくてはいけないのが四魔貴族というものだ。

 真実を探り出す為に、あえて挑発的にモニカが問う。

「あら。四魔貴族ともあろう方が随分と慎ましい願望をお持ちですのね。てっきり、死にたくないから敵対者全部を殺し尽くしてしまうかと思いましたが」

「……それでは殺し合いになろう。そこで儂が死なん保証はない。言ったじゃろう、儂は死にたくないのじゃ。殺し合いは、ゴメンじゃ」

「だからここまで来た私たちに降参すると言ったのですか」

 得心がいったとばかりにリンが言う。

 そう理解するリンだが、遥か東からきた彼女には分からないかも知れない。聖王が誕生するまで世界を恐怖で支配した四魔貴族は、西では最悪のモンスターとして認識されている。そうそう受け入れられるものではない。

「なら、アビスから出て来なければいい。なんでわざわざこの世界に干渉してきたのよ?」

「それも命を繋ぐ為。儂はじゃが」

「お前は?」

「そうじゃ。お主らは儂らを四魔貴族とまとめて呼ぶが、それぞれに考えがあり、それぞれに目指すものがある。

 フォルネウスは倒したと聞いたが、奴の目的は暴力じゃ。その力を存分に振るい、暴れたい。その姿を見る者に恐怖を与えたい。故に奴の影は恐ろしい姿をしておったじゃろう? 本体は優男故、気にしておったようじゃった」

「待って。もう話についていけないんだけど」

 思わずアウナスの言葉に待ったをかけるエレン。とりあえず聞き逃せない言葉が一つ。

「本体とか影って、何よ?」

「うむ、何と言えばいいのか。儂らの本体はアビスにあるのじゃ。そしてそこから影を送り出し、この世界に実体化させておる。故に理想の姿で現れる事ができるのじゃが、便宜上これを影と呼んでおる」

「え。じゃあフォルネウスって死んでないの?」

 思わず聞いてしまうエクレアに、然りと頷き返すアウナス。

「その通り。フォルネウスの本体はアビスにてピンピンしておる。今回の死食で発生したゲートは閉じられてしまったが、300年後にまた起きるであろう死食では再びこの世界に影で姿を現すじゃろうな」

 思わず絶句してしまう一同。そしてここでようやく聖王が何故ただの一人も四魔貴族を打倒しきれなかったかを理解した。

 この世界にいる四魔貴族はいわば影であり、いくら倒したとしても本体は痛くも痒くもないのだ。

「とはいえ、儂ら四魔貴族も目的はある。言った通り、フォルネウスの目的は暴力、儂の目的は生存。ビューネイの目的は支配であり、アラケスの目的は闘争じゃ。

 アビスにいれば命はほぼほぼ保障されるとはいえ、他の三人にとっては牢獄にいるのと変わらん。どうにかして動かす体が欲しいのじゃろうて」

 その言葉に違和感を覚えたのモニカ。

「と言う事は、アウナス。なぜ貴方はこの世界に首を突っ込んでいるのですか?」

「……それは、儂の命が狙われているからじゃ」

「貴方がボルカノに配下を与えなければ信じられました。ですが、現実として貴方の配下をボルカノが統率し、モウゼスやジャングルを荒らしています。命を狙われるきっかけを作っているのは貴方です。言動に矛盾がありますよ」

 化けの皮が剥がれたなと言わんばかりに責め立てるモニカに、それもそうだと思い直す一同。アビスにいれば命はほぼ保障されると言ったのに、敵を増やすその行為は確かに矛盾している。それを理解した一同はやはり話す価値なしと判断し、武器を握りしめる。

 それを見て、アウナスは溜息を吐きながら持っていた大鎌を降ろす。戦意がない事を理解して欲しいのだろう。難しい顔をしながら、語り始めた。

「八人の世界を破壊する者」

「?」

「かつて、そういった邪悪に駆られた者たちがいたのじゃ。その者たちは強力なモンスターを殺して力を奪い、世界全てを支配しようとした。邪魔するものを全て殺そうとする、破壊者たちがな」

「何を…言っている?」

「儂らは不意をつき、その破壊者たちを封印する事に成功した。だが、それが精一杯じゃった。余りに強くなり過ぎた奴らを殺す事は叶わなかった。

 ……やがて封印は解けるじゃろう。そうすれば奴らはまた世界を破壊しようとするに違いない。封印した儂らを殺しに来るに違いない。だからこそ、儂はできるだけの策を講じなければならなかったのじゃ」

「何を、言っている!? お前らが世界を救う者だとでも自称するつもりかっ!?」

 激高したのはユリアン。彼はこの中で唯一、ゴドウィン男爵の反乱のその後を知っている。ビューネイの手勢によってロアーヌは疲弊し、兵士を中心に多くの者が死傷した。

 息子を亡くして泣く母親。父親の死が理解出来ず、いつになったらお父さんが帰ってくるのかを母親に聞く子供。そんな悲劇を目の当たりにしたのだ。それをおこした四魔貴族が世界平和の為に動いているなどとは、断じて認める訳にはいかなかった。

 その責めを受けつつ、アウナスは悲しそうに首を振る。

「儂は正義の味方だという気はない、他者を害する事を目的とする他の四魔貴族ならばなおさらじゃ。ボルカノが悪行に手を染めているのならば、それも詫びよう。

 ただ、儂は死にたくないのじゃ。それだけなのじゃ」

「じゃあ、何でアビスに隠れていないのよ?」

「言った通り、破壊者が儂を殺しに来るからじゃ。アビスは死を司るだけあって、生の概念をこの世界に送り出す事もできる。例えアビスにいる本体が殺されたとしても、影に実体を移して生き延びる事もできるのじゃ。

 そして本体をこちらの世界におき、影をアビスにおけば全力で破壊者とも戦える。そして負けたとしても、アビスにある影のおかげで死に切る事はない」

「……じゃあ、モンスターを集めているのは」

「破壊者に対する戦力の為じゃ。他の四魔貴族はともかく、儂に他意は無い。実際、ボルカノに関しては不覚じゃったが、他に迷惑をかけた事はない筈じゃ」

 確かに、アウナスが他を害したという記録はない。言うなればボルカノだけだが、アウナスが言うにはそれは奴の暴走だという。ならばアウナスに実害はない、そう考えてもおかしくはない。

 沈黙がおりる。死にたくない、ただそれだけを求めたのがアウナスだと理解できた為だ。

「……ゲートはいわば、儂にとっての命綱。もしもゲートが閉じれば儂の命はアビスにある一つだけ。そこを破壊者に襲われれば、死んでしまうかも知れん。

 故に儂はゲートを守りたい。それが為されるのであれば、最大限お主らに協力しよう」

 四魔貴族であるアウナスはそこまで譲歩した。ゲートを守る為ならば、フォルネウスを倒した実績がある人間に下る事も良しとする。本当の事を言っているのであれば、戦わずして四魔貴族を一人無力化できる絶好の機会。

 だがしかし。

 それを良しとできない理由が毅然として存在していた。

「……もしもその提案を飲んだのならば、わたくし達はアビスに心を売った者として世界中から糾弾されるでしょうね」

 そうなのだ。この世界では四魔貴族は悪である、そう悲しいまでに決まっているのだ。それと同盟を組むなど、何も知らない人から見れば正気の沙汰ではない。実際、詩人は四魔貴族を強く忌避していた。場合によっては彼も敵に回るという事だ。

 モニカとしてツヴァイクを超える価値を示さなくてならないというのに、四魔貴族と結んだとなれば価値を示すどころではない。むしろロアーヌに身内の恥を始末すると処刑されかねない。

「そもそもとして、その破壊者とやらを倒した後はどうするつもりよ? 生きる目的が達成されたらその後は? 他の四魔貴族と同じように人々を害さない保証はあるの?」

 それを聞くのはエレン。彼女としては四魔貴族の本音はどうでもいい。ゲートさえ閉じれば宿命の子の出番はなくなり、サラの安全は確保される。その破壊者とやらは、ゲートを全て閉じた後に世界中で協力して倒せばいいだけの話だ。ここで四魔貴族を信用して共に戦う選択肢を選ぶのは、デメリットが多すぎる。人間たちが一致団結する事に罅を入れかねない。

 とにかく全てのゲートを閉じなくてはならないのだ。四魔貴族は悪であり、共に戦う選択肢などありはしない。例え300年後にまた四魔貴族の災厄が訪れようとも、その時に生きていないエレンには知った事ではない。

「取引をしましょう、アウナス。大人しくゲートを閉じさせなさい。そうすれば、アビスにいる本体には手を出さないでいてあげる。破壊者とやらはあたしたち人間が始末する」

「……承服しかねる。そもそも破壊者の封印がいつ解けるのかも分からん。十年後か、百年後か、千年後か。それとももう解けているのか。

 何百年も経てば、人間の記録は薄れる。儂との約束が生きるのはお主らのみ。その為に、ゲートという命綱を切ることはできん」

「そう……」

 エレンたちはアウナスのゲートを閉じるという実績が欲しく、それが為されればアウナスの望みを叶えるつもりだった。アウナスはゲートさえ閉じられなければ他の協力は惜しまないつもりだった。

 話はまとまらなかった。交渉決裂だ。

 アウナスは地面に突き刺した大鎌を片手に取り、もう片方の手をかざす。そこにはエレンとエクレアが見た事がある、忌まわしき防具があった。

「っ!? 魔王の、盾?」

「つい先日、儂のもとに飛んできたものよ。魔王の盾と合わせた儂に勝てると思うなら挑んでこい。

 次の部屋はゲートの間、ここに入り込んだ者はすべからく殺す。覚悟ができたのならば入ってくるがいい」

 そう言ってアウナスは奥の部屋に消える。

 それを見送った一同だが、もはや覚悟は決まっている。

 アウナスの事情は理解した。おおよそ嘘を言っているとは思えない。だがそれでも、ゲートは閉じなくてはならないのだ。

「……行くわよ」

 エレンの言葉に全員が頷き、部屋を横断してゲートの間に侵入するのだった。

 

 

 数日前。

 ジャングルの、また別の深奥。そこで一つの虐殺が終わった。ジャングルにて暮らす一つの部族が、たった一人の術者によって滅ぼされたのだ。

「ふぅ…」

 軽く息を吐きながらそれを為した男の名前はボルカノ。一仕事終えたと言わんばかりの彼の側には、焼死体となった人々の骸が転がっている。そして傍らに浮遊する魔王の盾。

 ボルカノは魔王の盾に力を注ぐために人々を虐殺していた。術の奥義は生命力を使って十分な威力が出せるように、生命力というのは消費すれば強力な武器となる。もちろん人の生命力は有限であるし、ある程度は回復するとはいえ一度魔力として生命力を使ってしまうともう戻らない部分というのは存在する。

 ならば人の生命力を蓄えて使えないか。そう考えたボルカノは術具の開発に傾倒し、やがて一つの発明を為した。特殊な宝石を使い、天術の反対属性をこめる事によって生命を啜る事ができるようになったものを術と相性がいい金属に取り付けてリングにする。

 死の指輪。

 ボルカノはそれをそう名付けた。天術の反対属性とはアビスと同じ属性になると気が付くのは、後に赴いた火術要塞でアウナスに出会う時だが。それは置いておく。

 こうまでボルカノが生命を使った術に拘るのは幾つかの理由がある。その一つに彼が天才だったという事があげられるだろう。

 生命力を魔力に変えると言葉にすれば簡単だが、実際にその境地に辿りつけるのは一握りという言葉でもまだ多い。その技術の難易度は高く、一般的な才能しか持っていないのならば一生かけて習得できるか否かといったレベルだ。しかしボルカノは、幼年期にごくあっさりとそれを為しえてしまった。余りに高い術者としての才能がそれを可能とした。

 しかし高い才能が人を幸せにするとは限らない。ボルカノは圧倒的な魔力放出に陶酔し、自分の大切な生命力の喪失に恐怖した。あの喪失感は二度と味わいたくない、しかし生命力を使った術の威力を知ってしまえば今までと同じでは満足できない。ここで己の欲望を律する事ができなかったボルカノは次第に狂っていく。

 他者の命を集める術具を作り、それに生命力を溜める為に殺人を繰り返す。術の威力をあげるのに魔王遺物の一つである魔王の盾が有用だと知れば、それを奪う為に臆面もなく四魔貴族へと下る。おおよそ人から外道とされる行為をボルカノは罪悪感なく平然と行った。

 それでもボルカノは頭が回った。あるいは狡賢いと称してもいいのかも知れない。魔王の盾にも生命力を注げば注ぐほどに活性化すると気がついた彼は、魔王の盾に(エサ)を与えたいと思ったが、彼の影響力はモウゼスとの戦いで失ってしまっていた。影響力を取り戻す為にアウナスに会いに行ったが、もうボルカノについて行きたいモンスターはいないと断られる始末。

 しかしアウナスはそこで話を終わらせなかった。そもそもとしてボルカノが最初に火術要塞に辿りつけたのは、ジャングルに住む原住民から話を聞いて来たからだ。宿命の子か、はたまた聖王遺物を持った何者かがアウナスを襲いに来る可能性は十分に存在した。だからこそアウナスはジャングルの奥底に火術要塞を隠す為、その道しるべとなるジャングルの原住民や妖精族の始末をボルカノに依頼した。もしそれが為されれば火術要塞の守りを薄くしても大丈夫、モンスターもまた貸し与えられると。

 ボルカノとしても悪くない提案である。ジャングルに住む者達が消えたとして、知る者はごく限られる。敵討ちに来るのは同じジャングルの部族くらいだろうが、それを返り討ちにする程度にはボルカノに実力はあった。魔王の盾に与える(エサ)としては悪くない、そう考えた。

 そして今。広大なジャングルを動き回り、かつて自分に火術要塞の情報を教えてくれた人々を焼いて回り、その生命力を魔王の盾にためる。その作業も、十分な成果をあげられたと考えられるに為したボルカノはそろそろアウナスの元に戻ろうかと考えた頃だった。

 魔王の盾が機敏に動き、ボルカノの背後から襲ってきた矢を弾く。キンと響く甲高い音に、ボルカノは即座に振り返って臨戦態勢をとった。またどこかの部族が襲ってきたのかと思うボルカノだが、不機嫌そうに姿を現したその男に目を見開く。

「お前は!」

「チ。厄介な盾だ」

 見間違える筈もない。その男はモウゼスにて一度ボルカノを殺した男、詩人。

 一瞬にして殺された恐怖が蘇り、身震いするボルカノだが。それを気力で抑えつけた。以前とは違い、魔王の盾は完全に活性化している。死の指輪には十分な生命力も溜まっており、リヴァイヴァを使えば幾度となく蘇る事ができるだろう。コンディションとしては最高だ、この男を倒すならば今より良い時はそうそうないだろう。

 そう考えたボルカノは術を唱える。

「ファイアウォール」

 炎の壁を生み出すその術はしかし、大きく広がらない。ボルカノの体を炎で包み、触れれば炎熱でカウンターを与える鎧として機能した。更にその右手の甲からは炎が長く伸び、まるで剣のよう。

 朱鳥術の奥義はリヴァイヴァであり、攻撃能力はない。故にボルカノが編み出した、朱鳥術でも高い攻撃能力が出せる方法。それがこれだった。炎の壁を武具として体に纏い、術者としての弱点である近接戦をもカバーする。この状態でもエアスラッシュは使えるし、何より魔王の盾が大抵の攻撃を逸らしてくれる。今のボルカノは、前よりも圧倒的に強い。

「器用だな」

 しかし詩人に気負いは一切ない。弓をしまい、剣を抜く。途端に襲い掛かる重圧に、ボルカノの背筋に冷たい汗が流れる。

「一応、聞こう。何の用だ?」

「矢を射かけられてそれか? お前の命に用がある」

 もしかしたら戦闘を回避できるのではないか。そう一縷の望みをかけて尋ねたボルカノであったが、返答は素っ気ないもの。詩人はただボルカノを殺しに来たとあっさりと言い放った。

 それでもボルカノは問いを重ねる。これには時間稼ぎの意味もあった。

「何故、私を殺そうとする? モウゼスでは敵対したが、もうそれは終わった話だろう?」

「まあ、幾つか理由はあるな」

 軽い口調で応じる詩人。気安い様子の彼は、こきこきと首を動かしながら、口を開く。

「まずは貴様がアビスと関わった事、アウナスと同盟を組むなんて悪趣味が過ぎる。次に罪もない人々を虐殺したな、普通殺すだろ? そして何より俺が剣を使う所を見て、敵なのに生きている。俺の剣を見た敵は全員殺すと決めているからな」

「…………」

 容赦なく言い捨てる詩人にボルカノとしても返す言葉はない。殺し合いが不可避になったと判断し、最大に高めた術力を解放する。

「ペイン!」

「!?」

 痛みの概念を凝縮した、天術とは逆の属性を持ったその術。アビス属性とでもいえるそれを詩人に向かって放つボルカノ。詩人は一瞬驚きの表情を顕わにするが、剣を振るう事でその術を掻き消す。

 それを為した詩人は、感情をなくした顔をしてボルカノを睨みつける。

「――不快だ」

「エアスラッシュ!」

 それを無視してボルカノは距離を取りつつ、朱鳥術の基本を放つ。術師である彼はやはり近距離では本領を発揮できない。剣を使うような相手の間合いには入りたくなかったのだ。

 そして基本術とはいえ、ボルカノが放つエアスラッシュである。その熱量も鋭さもそこらの術師とは一線を画する。鉄の鎧程度ならば焼き融かせ、生身に致命的な斬撃を与えられるその威力。十を超える致死の刃を、詩人は一つ一つ丁寧に斬り落としていった。

(化け物めっ!)

 天才と謳われ、己の力量に絶対の自信を持っていたボルカノにとっては屈辱の極みである。かといって激高して殴りかかるような事はしない。どうあがいたとしてもボルカノにあの剣戟を捌く術はないのだ、離れて術を放ち続けるのが最適解。

 とはいえ、懸念材料はある。それは――

不抜(ぬかず)太刀(たち)

「がっ!?」

 ――モウゼスで喰らった、この不可視の斬撃である。遠距離から致命傷を与えるこの技は本当に訳が分からない。

 だがしかし対策はしてある。その一つが炎の鎧であり、これは防御力をあげる効果と共にリヴァイヴァの発動時間を短くしてくれる。死んでいる間に体を微塵に砕かれては流石のリヴァイヴァといえども蘇生させてくれるかは怪しい。即座に立て直せる即効性が必要だった。

「……」

 果たして不抜(ぬかず)太刀(たち)は十全な効果を発揮しなかった。これは炎を斬った上で、その奥にある体に斬撃を与えるというイメージを詩人が明確に描けなかった事に起因する。

 炎の鎧としての防御力はあってないようなものだが、そのちらつく不定形は斬撃のイメージを固定するには天敵だ。結果、斬るというイメージが曖昧になり、斬撃の効果が薄まってしまったのだ。

 とはいえ普通ならば即死にならずとも致命傷なのだが、そこはリヴァイヴァの使い手であるボルカノである。即座に再生の炎で己を癒し、距離を取る。

(良しっ!)

 ボルカノは思う。炎の鎧の効果か、即死するダメージではない。これならば十分に再生する余裕がある。そして不可視の斬撃を放つ瞬間、動きが止まる。おそらくは技を放つのに必要な動作であるのだろうが、それと再生の為に停止する時間はほぼ一緒。

 ならば後は持久戦。そこには数多の生命力を掻き集めたボルカノに分がある、そう判断しての考えだった。

「二の太刀」

 それは詩人にこれ以上の手段がないという、楽観に過ぎる考えだったのだけれども。

 詩人は気を集め、剣を持った手に収束させていく。気というのは普通目に見えるものでは無く。集気法の一瞬、または練気拳を使う一瞬。それに輝くそれを見るのみが普通である。

 そして詩人はそんな常識を無視して、まるで実体化したと言わんばかりに濃密な気をその剣に宿していく。輝くそれは黄金に近い煌めきを持ち、形は最強種である龍の形を取る。まるで腕に絡みついたようであるそれを、詩人はボルカノに向けた。

「黄龍剣」

 本来ならば集めた気と共に相手に斬りかかるその技だが、詩人は形作った龍のみをボルカノに向かって放った。

 胴の太さが2メートルを超える黄龍。それが牙を剥いてボルカノに襲い掛かる。

「っ! 魔王の盾ぇぇぇ!!」

 ボルカノは叫びながらそれを自分の眼前にかざす。だがしかし、それが何になるのだろうか? 魔王の盾の面積の数倍もの攻撃範囲を黄龍剣は有しているのだから。

 確かに魔王の盾は自身に降りかかる気の龍を弾いて見せた。しかしそれは全体の一割程度であり、残りの全てはボルカノに降り注ぐ。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!」

 斬撃の意味が込められた気が、炎の鎧ごとボルカノを切り刻んでいく。

 やがて残されたのは無傷の魔王の盾と、内臓まで斬撃が及んだ肉塊ともいえるボルカノの体。カツンと魔王の盾がその場に落ちる。

 しかし詩人はそこで油断しない。そのミスはモウゼスで一度犯した故に、今度は間違えない。即座にボルカノの肉塊に接近し、その胴体であった場所を踏みつけて首筋だろう場所に剣を添える。

「再生光」

 太陽の回復術をボルカノに注ぐ。生命力がない肉塊には意味の無い行動だが、チラリと指だった場所を見る詩人。そこにある死の指輪を再確認した詩人は確信を持つ。これは有効だと。

 すぐに全身が再生されるボルカノ。やはり死んでいなかったと思う詩人に対し、ボルカノの表情は恐怖で引きつっている。

「あ、あ、あ…」

「よう。なかなかの再生力だな、お前」

「っ! ま、魔王の盾ぇぇぇーーー!!」

 ボルカノの声に呼応し、魔王の盾が動き出す。

 中空を浮き、そのまま素早い動きでボルカノから離れ、ジャングルの密林に消えていく。

「――え?」

「魔王遺物には意志が宿る、だったか? 意識を差し出すだったか? どちらでも知ったこっちゃないが、見限られたなお前」

 自分の傍から離れた魔王の盾に呆然とした声を出すボルカノに無慈悲にそう告げる詩人。

(向かった先は――火術要塞か)

 方向から予測する詩人だが、それはひとまず置いておく。それよりも何よりも、大事な事が眼前にある。

「じゃあ、ボルカノ。()()()()()()

「ひ、ひぃぃぃ!」

 涙を流しながら、ガタガタと震えるボルカノ。服は全て切り刻まれて裸同然。情けないにも程があるその姿。その首筋に剣を当てながら詩人は問い掛ける。

「た、助けて。し、死にたくない…」

「正直に答えなかったら、殺す」

「! 話す、全部話すぅぅぅ!!」

 絶叫とも言える声にボルカノの心が折れたと確信した詩人は鷹揚に問い掛ける。少し長い、その問答。

「まず最初に聞いておく。お前、魔王の盾からどんな情報を貰った?」

「え?」

 ザクンとボルカノの腕に剣が刺し込まれた。

「ぃぃぃぃぃっ!?」

「答えは?」

「何もっ! 何も魔王の盾からは貰っていないっ!! こちらから差し出すばかりで、見返りは術力の増加と守りだけだ、だけですっ!」

 刺し傷は瞬時に癒される。

 だがそれが何になるのか。殺しにかかる詩人に対し、ボルカノはあまりに無力だった。

「俺について誰かに話したか?」

「私を殺した相手としてアウナスに話しましたぁ!」

「なんて話した?」

「……?」

 ザクン。

「ぃぃぃぃぃ!!」

「アウナスに、なんて話した?」

「いつの間にか私を殺す凄腕がいたと話しました!」

「それだけか?」

「それだけですっ!」

「宿命の子についてはどれだけ知っている?」

「何も知りませんっ! 宿命の子には、私は何も関わっていないです!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたボルカノに、嘘はないと判断する詩人。

 殺しても飽き足らない人間だが、便利に使えるならば利用価値はある。そう考えた詩人はボルカノを試す。

「――お前はアウナスからモンスターを借りていたな? アウナスに恩があるのか?」

「はい、アウナスには世話になりましたっ!」

「そうか。ところで俺はアウナスを滅ぼしたいんだが、お前はどちらにつく?」

「!? そ、それは…」

「それは?」

「それは、当然貴方にっ!」

「……嘘偽りはないな?」

「もちろんですっ!」

 そう言うボルカノの顔面に詩人の剣が刺し込まれた。

 絶命し、そして瞬時に再生するボルカノ。

「ぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「そうか、それがお前の選択か」

 醒めた目で絶叫するボルカノを見る詩人。涙をボロボロと流しながら、ボルカノは詩人を見る。

「な…なんで? 私は貴方と共にアウナスを倒そうと」

「ふざけるな」

 激怒を皮一枚で抑え込んだような詩人の声に、ボルカノの言葉が止まる。踏んではいけない地雷を踏んでしまったという実感を覚えながら。

「恩人を裏切るだと? 助けて貰った相手を殺すだと?

 ――それは、俺が最も嫌う裏切りだ」

「!?」

「そうして俺についたお前は、次に俺を裏切るだろう。自分の得の為に」

 ザクンと詩人の剣が突き刺さる。

 絶命し、再生するボルカノ。しかしそれは決して救いにはならない。

 ボルカノは知らない、かつて詩人がした宣誓を。

―欺こう、偽ろう、殺戮もしよう。ただし決して裏切らない。奴らの同類には決してならない―

 詩人にとって、裏切るとは最も許しがたい行為なのだ。

 もう、詩人は誰にも裏切られたくないのだ。だから彼はできるだけ信じたくないのだ。信じなくては裏切られなくてすむから。

 だがしかし、ボルカノは裏切る事を前提とした男だ。自分の為には、恩人も他の全ても捨て去れる男だ。それをどうして信じられるだろうか。いつか自分も裏切られると分かっているのに。

 そしてそんな人間を、詩人は最も嫌悪する。

「お前が生きていたせいで、俺は3000もの敵を皆殺しにせざるを得なくなった。もしももっと時間があれば無力化するだけで済んだだろうな」

 ザクン。

「ひぎゃぁぁぁぁぁ!」

「ああ、誰が悪いと言えば俺が悪い。お前をモウゼスで粉微塵にしなかった俺が悪い。けどさ、そこまで人間できてねぇんだよ」

 ザクン。

「あぃぎゃぁぁぁぁぁ!」

「だからさ、こう思っちまう。

 …()()()()()()()()()()()()?」

 ザクン。

「ひぎぃぃぃぃぃ!」

「お前が死んでいれば話は早かったのに。お前が死んでいれば俺は殺さずに済んだのにってな」

 ザクン。ザクンザクンザクンザクン。

「あぎぃ! うぎぃ! ひぎぃ! やめ、やめ、やめ…やめてぇぇぇぇぇぇ!

 死んじゃう、私、死んじゃう! 何度も生き返れないのぉぉぉ!!」

「死ね。死に尽くせ」

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!」

 

 断末魔は長く残る。

 やがてそれが消える頃。ジャングルには異様な静けさが流れるのだった。

 

 

 




活動報告にも書きましたが、オリジナルにも本気を出したいと思います。
詩を完結することには強い意欲を持っているので、見守っていただけると嬉しいです。


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081話 対決アウナス

 

 

 ゲートの間に足を踏み入れる一行。そこの意匠はフォルネウスの海底宮となんら変わりがなかった。この世界の常識とはあまりに異質なその空間は、聖王文化にも東の文化にも類するものが欠片もない。フォルネウスの時に体感していたエレンとエクレアはともかく、他の者はその違和感に思わず動きが止まってしまった。

 そしてその硬直をアウナスは見逃さない。天井に張り付いていたアウナスは急降下し、ようせいに向かってその鎌を振るう。

『三段斬り』

「! パリイ」

「ウォーターポール!」

 その奇襲に対応できたのは慣れがあったエクレアとエレン。エクレアはようせいとアウナスの間に自分の体を割り込ませ、氷の剣を巧みに操りアウナスの連続斬りを見事に捌ききる。

 エレンは咄嗟に水の鎧を身に纏い、奇襲してきたアウナスのその隙を逆につく。拳を構えようとしたエレンだが、アウナスを覆っている炎のマントを見てそれを断念。流石にこれを相手に素手で殴りかかる勇気はエレンにも無かった。瞬時にブラックの斧を手に取り、アウナスに斬りかかる。

『むっ』

「くぅ」

 アウナスはその斬撃を後ろに下がる事で回避しようとする。もしもエレンが最初から斧を使う事を選択していればもう少し深く切り込めただろうが、僅かな時間がアウナスに味方した。かする程度のダメージしか与えられなかった。

 そしてそれはエレンにも味方した。ウォーターポールで熱に対する耐性を増しているとはいえ、アウナスに手を出すという事は火炎の中に腕を突っ込むのと同義である。軽減したとはいえ、ほんの少しの火傷を負ってしまう。これ以上に深く斬り込めば更なるダメージが返ってくるのは明白だった。やはりアウナスに対して接近戦は得策ではない。

 アウナスはゲートの間の中央に位置する白い珠を守るように後退し、エレンは大声で仲間を叱咤する。

「ぼさっとしてる場合じゃないわよ! 相手は四魔貴族、魔炎長アウナスよ。全力を出さなくちゃ死ぬだけだからねっ!」

 その言葉でようやく我を取り戻す他の面々。ゲートの間の異質さ、そしてアウナスの奇襲に忘我していたが、エレンの言う通りそんな隙を晒せる相手ではない。各々がそれぞれ武器を構える。リンはあずさ弓、ようせいはエクレアから借りたドビーの弓。モニカはウィルミントンで仕入れたカナリアの弓を持ちつつ術も繰り出せるように集中し、ユリアンは白銀の剣を携える。エクレアは氷の剣を構え、エレンは氷の斧を作り出してトマホークを主力に選択する。

 遠距離攻撃を基本とした構えで、その手段のないユリアンのみが剣を手にしている状態。それを見つつ、アウナスは次なる一手を打つ。それは最強にして切り札、フォルネウスのメイルシュトロームに並ぶ威力ある術。

『灼熱地獄』

 アウナスから今までの比ではない炎熱が広がり、その熱量で周囲全てを焼き尽くそうと襲い掛かる。

 これがアウナスの戦法。アウナスは殺し合いを嫌う性質であり、しかし殺すのに忌避を持つ訳ではない。自分が殺されるのが嫌な訳であり、その為に習得したのが相手を一方的に殺せる方法だった。初撃の奇襲然り、比較的安全な遠距離から敵を炙り殺す方法然り。彼は自分の安全圏を全力で確保する事に腐心していた。死にたくない、それこそがアウナスを動かす原動力。

 遠い間合いから迫る炎熱に為す術はない、たった一人を除いて。()()がなければこの時点で詰んでいたかも知れない。

「ゆっきー!」

 エクレアがその場に氷の剣を突き刺し、アウナスの灼熱地獄に対抗するように吹雪を噴出させる。果たして熱気と冷気がぶつかりあい、気色悪い生暖かい蒸気が辺り一面に発生した。

 ここに及び、エレンは詩人が氷の剣を入手する事に拘った事を理解した。アウナスは遠距離から炎熱にて一方的に攻撃する事を得意とする。それは戦闘というよりもむしろ蹂躙と呼ぶ方が相応しいものであり、その対策を練らなければ即座にやられていたのだろうから。

 かといってその代償は少なくない。

「くぅ…!」

「エクレア、大丈夫!?」

「まだ…大丈夫。けど、私は動けないかな。それに、そんなに時間もないかも。結構しんどいよ、これ」

 エクレアは全力で術力を放出し続けている状態だ。そしてそんな無茶がいつまでも続く訳がない。全力疾走し続けている状態だと思えば分かりやすいかも知れないが、そんな全力の連続がそうそう続く訳がないのである。一応、今のエクレアは彼女自身とゆっきーの二人分の術力を有しているが、言う通りに時間はないのだろう。エレンたちにして、余裕はない。

 またアウナスも実は同じことが言えた。アウナスは自分を安全圏に置いて敵を一方的に叩く方法を念頭に己を磨いていた。接近戦の技量は四魔貴族で最も低いといってよく、はっきり言ってしまえば苦手なのである。灼熱地獄で勝負を決めきれなかったのは痛恨以外の何物でもない。

((3:7で不利))

 奇しくもお互いがお互いにそう評した。エレンは四魔貴族との戦闘経験があるエクレアを封じられ、更に時間制限までつけられた。アウナスは苦手な斬り合いを強要され、しかも自分の命を賭けるのである。普段とは緊張の度合いが違う。

『魔王の盾』

 とにもかくにも、アウナスの第一目標はゲートの確保である。慣れない戦いをしている間に、隙をつかれてゲートを破壊されてしまえば負けである。故に、彼は魔王の盾を自分の防御に使わなかった。白い珠の周囲に浮遊させ、ゲートを破壊される事を最優先に防ぐ。後は時間を稼ぐか、それとも不利を承知で敵を全滅させるか。それに心血を注げばいい。

 対してエレンたちにも焦りがある。時間がないというのに、どう動いたらいいのか迷いが生じてしまったのだ。それは連携不足という事もあげられるし、アウナスに近距離攻撃をするにはリスクが高いという計算外の事態にも起因する。エレンとしても全員に指示を出しながら自分も戦うというのは慣れている訳ではない。

 どうするべきか。それを解決したのがエクレアだった。彼女は最後尾で吹雪を生み出し続けている。それに手一杯で攻撃に参加できないとはいえ、その位置は全景を見渡すには絶好の位置。そしてその上で大雑把な指示を繰り出す程度の余裕は存在していた。

「デザードランス! アローストーム!」

 エクレアの指示に、即座に従う全員。命令系統に困っていた一同にとって、エクレアの指示に従う事が最も正しい事だと瞬時に理解したからだ。

 突出した位置にユリアンが陣取り、残りは下がってそれぞれが為すべき事をする。リン、ようせい、モニカは弓を構えて一斉に射撃し、アウナスに矢玉を雨あられと浴びせかけた。

『ぬぅ!』

 とはいえアウナスもそれを黙ってくらう訳もない。灼熱地獄は氷の剣で無効化されているとはいえ、無理をすれば更なる炎熱は生み出せる。襲い掛かる矢に対して火炎を放ち、木製や羽根の部分を焼き尽くすアウナス。

「ウォーターポール!」

 その隙にエレンは水の鎧を生み出す術を連続で完成させる。接近戦を仕掛ける可能性があるのはエレンの斧と、ようせいの槍。そして何よりユリアンの剣だ。この三人にはアウナスの炎熱を軽減させる水の鎧は必須であり、真っ先に保護しなくてはならない。戦闘序盤にその隙を奪えたのは僥倖だった。ユリアンとようせいが炎熱を軽減する水の鎧で覆われる。

 そして最後の一人、ユリアンはアウナスに接近して、最も慣れ親しんだ技を繰り出す。

「飛水断ちっ!」

『ぐぅっ!』

「がっ!」

 水平に繰り出された斬撃がアウナスに裂傷を与え、炎に腕を突っ込んだユリアンが火傷を負う。

 やはりアウナスは接近戦に弱い。いや、慣れていないというべきか。回避も拙く、フォルネウス程のタフネスもないとなれば短期決戦にも勝機は見いだせる。問題は纏う火炎によるカウンターだ。お互いに削り合い、どちらが先に倒れるかという我慢比べ。それを容易く想像させた。

「ムーンシャイン!」

 とはいえ、回復術を使えるモニカやエレンもいる。削り合いは一概に不利とはいえなかった。月の回復術によってユリアンの火傷は癒されていく。火傷を負う度に癒されるという拷問のような戦いを強要される事になったユリアンだが、彼はそこで心折れるような低い意志力ではない。強い眼差しで改めてアウナスを睨みつける。

 その隙にエレンは氷の斧を振りかぶり、リンも高威力の技を繰り出す為に弦を引き絞る。

「メガホーク!」

「ショットウェイヴ!」

 数多の氷の斧が飛来してアウナスを斬りつける。放たれた矢はアウナスに突き刺さり、そこから衝撃波が広がっていく。

『ガハッ!』

 劣勢だ。それを自覚せざるを得ないアウナスは、後手に回る事を選択しない。結果的に時間を稼げればそれに越した事はないが、時間を稼ごうと臆してしまえばあっという間に呑み込まれる。

 そうして攻撃を喰らいつつ、反撃に出るアウナス。

『ヒートウェイヴ』

 灼熱の空気を生み出すその術を放ち、敵全体に熱で炙るダメージを与える。全員が全員苦悶の声をあげるが、それを隙と見たアウナスは一番近くにいたユリアンに接近して鎌を振るう。

『龍尾返し』

「っ!? パリイ!」

 咄嗟に剣で回避するユリアン。だが、こちらから攻撃しなくてもアウナスに接近されるだけで火炎のダメージは喰らってしまうのだ。

 斬撃こそいなせたユリアンだが、アウナスの火炎で更なるダメージを負ってしまうユリアン。これはマズイと後ろにいた仲間が即座に対応する。

「ムーンシャイン!」

「生命の水!」

「チャージ!」

「連射!」

 モニカとエレンがユリアンに癒しの術をかけ、ようせいが槍を構えて突進する事によってユリアンをアウナスから遠ざけた。

 もちろんこのままではユリアンの代わりにようせいが炙られるだけである為、リンが連続して矢を放つ事によってアウナスを牽制する。

 繰り出された連撃にアウナスはたまらず後退する。お互いにダメージがたまっており、決着までそう時間がかからない事は容易に想像できた。しかしどちらが有利かと言えば、天秤はアウナスの方に傾いていた。

『……』

 声には出さないが、誰ともなしに感じ取っていた。さっきよりも気温があがっており、熱により奪われる体力が僅かではあるが増加している。これはアウナスの火力があがったとみるより、エクレアの吹雪が弱まったと見るのが妥当である。やはりエクレアには長期に吹雪を起こし続けられる術力は存在しない。そもそもエクレアはオールラウンダーであって、遠距離攻撃に磨きをかけて灼熱地獄という四魔貴族の切り札に対抗するには分が悪いのだ。これは仕方ないといえるだろう。

 時間はない。今は自分たちのダメージを気にするより、アウナスを一刻も早く削りきらなくてはならない。

「スペキュレイション」

 エクレアの声で全員の陣形が変わる。先頭にユリアン、その背後両翼にエレンとようせい。更にその後ろにリンとモニカ。

 この期に及んで守勢に回る訳がない。そしてこの陣形をとった以上、近接攻撃最強の連携技を出すという事だ。覚悟を決めて武器を構える先頭の三人、そして攻撃を当てる為に隙を作る事も目的としたリンとモニカ。

 その覚悟を見て、アウナスは理解する。ここからの僅かな時間で勝負が決まると。玉砕覚悟、その不退転の覚悟を正確に読み取った。

 緊張の一瞬。それは即座に崩れ去る。

「ファイアウォール!」

 先手はモニカ。ここで最も警戒しなければならないのはアウナスの火炎やヒートウェイヴといった、熱による全体攻撃である。特にモニカ自身やようせいはもう体力が少ない。下手に削られてしまえば回復に手を回さぜるを得なくなり、そのロスは致命的だ。だからこそその手段を真っ先に封じ込める。

 生み出された炎の壁はアウナスから放出される炎熱ダメージを大幅に軽減させるだろう。ならばあとは突撃あるのみ、先頭に立つ三人が武器を構えて突撃する。

 シヴァトライアングル。敵を中心に置いて三角形の陣を描き、三方から同時に攻撃を繰り出す陣形技の最高峰の一つ。それこそが彼らの狙い。

 誤算があるとすれば、アウナスは全員を巻き込む攻撃方法をもう一つ有していた事だろう。今まで全体攻撃は炎熱による攻撃しかしていなかったが、それしか彼に手がないと思い込んでしまったのが不覚だった。アウナスは大きく構えを取り、鎌を回転させる。グルグルグルと回されるその鎌から真空の刃が生み出され、それはやがて竜巻になり一同に襲い掛かるだろう。

 

―烈風剣―

 

 これがアウナスのもう一つの切り札。かつて聖王に氷の剣で灼熱地獄が無効化された事をアウナスは忘れていなかった。もしもまた灼熱地獄が無効化されたら、その可能性を考えて殺傷能力が高い技をアウナスは会得していた。

 死にたくない。それを考え続けたアウナスに慢心はない。死なない為に最善策を取り続ける彼は、死なない為に己を鍛え続ける。

 三人がアウナスに到達するよりも早く、烈風剣は全員を襲うだろう。最高の技同士の対決は、発動速度の差でアウナスに軍配があがる。どんな威力が高い攻撃でも、放たれなければ意味はないのだ。敵の攻撃を無意味にする為に、回転させた鎌を繰り出して真空の渦にて全てを切り刻む。

 振りかぶったその腕に、矢が突き刺さらなければアウナスの勝ちだっただろう。正確に腱を撃ち抜かれたその腕は力を失い、鎌を取り落とす。生み出された真空の渦はそのまま中空に消え去った。

 何が起きたのか。理解できず呆然としたアウナスは隙だらけだった。勝ちを確信した直後にそれが霧散する感覚は覚えたいものでは決してない。

 それを為したのは最後の一人、リン。彼女は番えた矢を瞬速でもって放っていた。アウナスの烈風剣には一つ、明確な弱点が存在していた。それはその予備動作の大きさである。威力こそとてつもなく高いが、その為に繰り出す為には大きな隙を晒さなくてはならなかった。リンはそこを見逃さず、攻撃の起点となる腕にその矢を撃ちこんだのである。

 本来ならば気が付いて当然の事。隙を少なくすることは考えて当然の事なのだから。そこに考えが至らなかった辺り、やはりアウナスは戦士ではなかった。死にたくないと策を巡らす術者であり、戦略家。故に殺傷力などの分かりやすいメリットに目を奪われて、思いついて当然のデメリットまで気が回らない。

 もう三人を止めるものは存在しない。ユリアンは剣を、エレンは斧を、ようせいは槍を構えてアウナスを包囲する。

「「「シヴァトライアングル!!」」」

 三人の武器がアウナスに突き刺さり、反撃の火炎が浴びせられる。だが、それがどうした。今は自身の損傷を気にしている場合ではない。

 仕掛た攻撃によって生じた衝撃波が渦となり、アウナスを破壊しつくしていく。

『アアアアアアアァァァーー!!』

 外部を切り裂かれ、内部をシェイクされるその苦痛。あまりの痛みにアウナスが絶叫をあげてのたうち回る。

 エレンたちは炎熱のダメージを少しでも避ける為に後退しようと体を動かした。そしてそれが逆に隙となる。痛みに瞳を燃やしながら、下がる事に意識を移して無防備になったそのうちの一人をギロリと睨みつけるアウナス。

『死神のカマぁぁぁ!!』

 ザクリと、振るわれた鎌は正確にようせいを捉えた。体力を一瞬で奪い取るアビスの刃がようせいに突き刺さり、ようせいは悲鳴をあげる事無く意識をとばしてゴロゴロと吹き飛ばされる。ぴくりとも動かないようせいの生死は、分からない。

 だが、他の者にようせいを心配している余裕はない。全身を傷だらけにしたアウナスは正に手負いの獣。死にたくないとぎらつく瞳で残り全員を見る。お互いの消耗は更に大きくなっている、決着まで時間はほとんどない。

 そしてそれに気がついたのはモニカだった。アウナスの余力が削られたおかげか、彼の者が纏う炎熱が弱まっている。

(――今しかない)

 ウンディーネに託された切り札、アウナスの特性を利用した逆転の一手。一か八か賭けるしかない。

「リンさん、エレンさん。集って下さい! ユリアン、時間を稼いでっ!!」

 モニカの言葉に即座に従う全員。もう余裕はなく、打つ手があるというならばそれを信じるしかない。エレンは一気に後退し、リンもモニカに寄り添う。そしてその全員が一瞬だけユリアンを見た。

 たった一人でアウナスを相手取る事を強要された、見方によっては捨て石のような扱いをされた彼を。

 しかしユリアンは動じない。時間を稼ぐ必要があるのならばそうしよう、それで勝利が得られるならば命の一つ、安いもの。

『どけ、小童がぁぁぁー!』

「断るっ! ここは通さない!」

 アウナスも奥でナニカをしている彼女たちが危険だと気がついたのだろう。ユリアンを蹴散らし、その鎌にて全員の命を絶つ。全身にダメージを負っているアウナスも余裕はなかった。

 対してユリアンには余裕がある。もちろん、もう体力はない。しかしその心は不思議と凪いでいた。主君(モニカ)から最も重要な時間を稼ぐ事を命じられる。ユリアンならば成し遂げてくれるというその信頼が、彼を落ち着かせていた。

 死なないとエレンに誓った。もちろん死ぬつもりは彼にはない。だが、命を賭けずにいられる程甘い場面ではない事は理解していた。

 アウナスが繰り出す三段斬り。それをあろうことか、ユリアンはサイドステップで回避した。

『なっ!?』

 これに驚いたのはアウナスである。ユリアンがサイドステップを踏んだという事は、アウナスと奥にいる三人の間に遮るものは何もないという訳である。このまま直進すれば、アウナスは彼女たちを容易に蹴散らす事ができるだろう。

 もしもその選択肢をアウナスが選ぶ事ができれば、だが。

 横に避けたユリアンはそのままアウナスの背後を取り、その無防備な背中に斬りかかる。

「バックスタップ!」

『があっ!?』

 何度でも言うが、アウナスのダメージも限界が近い。背後を取られたまま攻撃を一方的に受け続けてしまえば、死にかねないのだ。

 かといってユリアンに対応してしまえば何やら準備をしているあの三人をそのまま放置する事になる。勘ではあるが、アレはまずいと理解している。アレを発動させてはいけない。だが、かといって背後を取られ続けてもダメ。前門の虎、後門の狼。どちらかの対処ならばできるが、どちちらかしか対処できない。そのジレンマにアウナスは硬直してしまった。

 そしてその隙を忠義の騎士が見逃す筈がない。万が一でもモニカ達の元にアウナスを到達させる訳にはいかないのだ。もはやユリアンの肌は焼け爛れ、熱いというよりも痛いという感覚の方が強い。炎の化身であるアウナスに幾度となく斬りかかったのである、それも当然だろう。

 しかしそれでも、ユリアンは剣を振るう事をやめない。エレンにかけられたウォーターポールの水分は既に蒸発しきっており、彼を熱から守るものは存在しない。だが、それがどうしたというのだ。自分の事よりも、モニカが襲われない方がずっと大切だった。

 故にユリアンの狙いは脚。それを片方でも潰す事ができれば、時間稼ぎには十分だろう。

(ハリードさん。土産、ありがたいです)

 かつてロアーヌを出る際に、たった一度だけ見たハリードの奥義。

 ユリアンはそれを人知れず練習していた。そして今、完全にとはいかないまでもある程度の威力を持ってその技を繰り出す事が出来る。突進と乱れ切りを合わせた、剣術の到達点の一つ。

「疾風剣っ!」

『ぎゃあああぁぁぁ!!』

 アウナスの片足が切り刻まれる。もはや立つ事が叶わず、その場に崩れ落ちるアウナス。

 そしてまたユリアンも、もはや限界だった。いや、限界を超えていた。最後の疾風剣によって追加された炎熱によるダメージが積み重なり、その場に倒れ伏してしまう。

 ドサリと倒れるユリアンの音。まるでそれが合図であったかのように、モニカの準備が整った。その手にはポドールイで手に入れた宝石が強く光り輝いていた。砕け散る事を前提にすれば、たった一度だけ強力な魔力を扱えるその宝石がピキピキと罅割れていく。

 リンとエレンは術力を最大限に高めていた。これは三人の術者を必要とする合成術。ウンディーネが研究した、生命力を使う術の奥義とは違うもう一つの奥義。生命力を使う代わりに陣形によって術力を増加させる手法で魔力を爆発的に増加させる。それを扱える実力はモニカには無かったが、それを補う為に宝石を犠牲にした。彼女は鋭い眼差しでもはや身動きが取れないアウナスを見据え、魔力を解放する。

「クリムゾンフレアァッ!!」

 天地に炎の壁ができ、お互いがお互いを侵食するように渦を巻く。その中心にいるのはもちろんアウナス。炎を司る朱鳥術の頂点に立つ筈の彼が、彼を上回る炎熱に呑み込まれていく。いや、アウナスの纏う炎もモニカが放った奥義に呑み込まれて逆にアウナスを焼き滅ぼすように牙を剥く。

『――これが、定めか』

 あまりに皮肉な結末に、アウナスは全てを諦めてそう呟いた。

 そしてそれが彼の最期の言葉になった。渦巻く灼熱にアウナスは呑み込まれ、巨大な火柱に包まれる。

 数十秒続いたその灼熱の炎はやがて小さくなり、消えていく。そこにいた四魔貴族、魔炎長アウナスの姿はない。ゲートを守護していた魔王の盾は力を失い、白い珠へと落ちていった。そしてゲートである白い珠は魔王の盾を弾く事無く、掻き消した。普通に考えれば魔王の盾はアビスへ還ったのだろう。

 もはやゲートを守る者はいない。エレンは斧を手にしてゆっくりと白い珠に近づき、鈍く光るそれを見る。フォルネウスの時は青く輝いていた筈だが、アウナスのゲートは朱く輝いていた。司る属性の関係だろうか。

(どうでもいいか)

 エレンは斧を振り下ろす。ガキィと鋭い音と共にゲートは破壊され、白い珠はゆっくりと輝きを失っていた。

 達成感は、ない。後ろを振り返ったエレンの目に映ったのは、肩で息をしながらこちらに向かってくるエクレアと、ようせいの様子を見るリンとモニカ。そして動く様子を見せないユリアン。

「ようせいは大丈夫ですわ。気を失っていますが、命に別状はないでしょう」

 そういうモニカ。そしてそれはもう一つの事実を表している。ようせいは大丈夫だが、ではユリアンは?

 ――分かっている。彼は炎熱に炙られ過ぎた。最後の最後まで、アウナスと対峙し続けた。もう、生命力が残っていない事など分かり切っている。

 エレンはゆっくりとユリアンの亡骸に近づき、しゃがみこんでその手を取る。握り返してくれる気配は、ない。

「嘘吐き」

 死なないって言ったのに。エレンは涙すら流れなかった。悲し過ぎて、辛すぎて、もう動けない程に疲れ切っていた。

 そんなエレンに近づくモニカ。しかしその表情に悲壮感はない。

「モニカさん。ユリアンさんが死んだのに……悲しくないの?」

 思わずエクレアが尋ねるが、モニカはゆったりと笑うと腰から杖を取り出す。

 それは生命の杖。レオニードの宝物庫にあったそれは、魔力を放出して砕く事によってたった一回だけ奇跡を起こせる。死んで間もない者にその生命力を譲渡し、この世に呼び戻せる。

 ポドールイで詩人からその話を聞いた後、無茶をするユリアンにいつか使う時が来るだろうとモニカは漠然と思っていた。今、その時が来ただけ、覚悟していた彼女に動揺はない。

「シャッタースタッフ」

 静かに紡がれた言葉をきっかけに、生命の杖は罅割れて粉々に砕け散る。

 そこにある輝きは、まるで水が低きに流れるようにユリアンへと降り注いだ。

 変化は劇的。焼け爛れた肌は艶を取り戻し、ドクンドクンと脈動が戻ってくる。

「あ…あ……」

 エレンが握る手を、弱々しく握り返してくるユリアン。

 生きている、ユリアンが生きている。それを確認した時、ようやくエレンは静かに涙を流すのだった。

 

 

 




はー。やっとアウナス戦が終わった。
少し話を挟んで新章につなぎます。


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082話

この話にてアウナス編は終了です。
楽しんでいただけると幸いです。


 

 

 アウナスは倒した。対してこちら側に欠員はいない。完全勝利と言っても過言ではないだろう。

 しかしそれにはもう一言付け加えなくてはいけない単語がある。それは、今現在のところはという言葉だ。

 生き返ったとはいえ、ユリアンの意識は未だに戻っていない。一度死んだ身であるからして、回復にどれだけ時間がかかるか分かったものではない。そして意識がないという意味ではようせいも同じだ。死神のカマで斬りつけられたダメージがどれほどで回復するのかは分かったものではない。

 戦力にならないという意味ではエレンも同様。アウナスを倒した直後で肉体的な疲労が多大なのはもちろんであるが、それ以上にユリアンが一度死んで生き返ったという事実のせいで彼女の心に余裕は全くない。それを飲みこむだけでそれなり以上の時間がかかるだろう。

 また、モニカもあまり当てにならない。術力をほぼほぼ使い切ってしまったのはもちろんの事、自身の術威力をあげる為に使用していた宝石もアウナスを倒す為に砕いてしまった。一段戦闘能力は落ちる。

 ギリギリ戦えなくもないのがエクレアとリンの二人だけである。彼女たちはアウナスの炎熱による体力消費やダメージと、術力以外に損傷はない。とはいえ精神をすり減らした戦いの直後であるのはその通りである。できれば休養を取りたいのが本音だ。

 エクレアは周りを見渡す。

 アウナスは、ゲートが四魔貴族がこの世界に留まる為の楔のようなものだと言っていた。フォルネウスを倒した時も、奴の影がゲートを破壊すると同時に消えた事を考えれば恐らく嘘ではない。となれば、このゲートの間は四魔貴族にとって、己の命の次に大事なものだと考えていいだろう。そんな場所が堅牢でない訳ではなく、唯一の出入り口を除けば侵入は不可能だと考えていい。

 心なしか小さくなった氷の剣。いや、大剣程のサイズが長剣くらいの大きさになっている辺り、小さくなったのは気のせいではないだろう。ゆっきーもゆっきーでエクレアと共にアウナスと戦っていたのだ。その氷の剣を持って、エクレアはゲートの間の出入り口にそれを突き刺す。

「えい」

 そしてなけなしの術力を注ぎ込み、氷の壁を作り出す。ゲートの間の唯一の出入り口を塞ぎ、これで一先ず安全地帯は確保できたと思っていいだろう。

 為すべき事を為したエクレアは、寝心地の良さそうな場所を見つけてゴロンと横になる。

「はー。疲れたぁ」

「疲れましたね。四魔貴族、噂に違わぬ強さでした」

 リンは微笑を浮かべながらようせいを抱え、エクレアの隣に寝かす。そして荷物を漁り、火を熾して温かい食事の用意をし始めた。

 チラリとあちらを見やれば、そこには未だに倒れ伏したユリアンの手を取るエレンとモニカの姿が。まあ、しばらくは放って置いてもいいだろう。

「食事の準備をしますね」

「もーワニとかヘビとか保存食とかやだー。甘いもの食べたーい」

 四魔貴族を倒したとは思えない年相応のワガママを言うエクレアに、リンはその表情を更に緩めるのだった。

 

(ぅ…)

 朦朧とする意識が浮上する。感じた事ない不快感、重度の風邪や酷い二日酔いなどとは比べ物にならない。端的に言って、命の危険を感じていた。

(ぁ、これやば)

 明確に死の存在を感じ取れる。今現在、ユリアンは自分が生死の境目にいる事を明確に理解していた。

 ぞっとする状況だろうが、それに抗う事はおろか反応する気力もない状態。ふらふらと流されるままにどちらに転がってもおかしくない。

 それでも心配はなかった。死の側は何も感じない虚無だと理解するが、ただそれだけ。そして生の側からは何かに優しく抱き着かれるように引っ張られるのを感じる。これが押し出す力になった時こそが死ぬ時だろうと漠然と理解できる。つまり今はまだ、死ぬ定めにユリアンはないのだ。そう思えば恐怖心など微塵も湧かなかった。

 代わりに死という概念をまじまじと観察する。圧倒的な虚無、虚無、虚無。()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそが死、生きている間の概念が何も通じない全くの未知。ここまで来ると文字通り世界が違う。生の世界と死の世界は全く別の法則で動いていると把握する。これを感じてしまえばアンデッド型モンスターなどはまだ生きている部類にはいるだろう。生物として死んでいても、生の世界で動く物という意味で。

 まあ、そんな意味があるのかないのか分からない考察ももう終わりだろう。ゆるゆると死から遠ざかり、意識が回復していくユリアン。

(……?)

 ただ、気のせいだろうか。死の世界に、何かの存在があった気もしたのだが――

「「ユリアンっ!」」

 左右から同時に声が浴びせられる。モニカとエレンのそれに、ユリアンは目を瞬いた。

「あ? 俺、なに……?」

「なに。じゃないわよバカァ! あんた、一度死んだんだからねっ!」

 そう言ってユリアンの手を握りポロポロと涙を流すエレン。

 生き返り、意識を取り戻したユリアンを見て緊張の糸が切れたのか、はらはらと涙を流してもう片方の手を握るモニカ。

「生命の杖を…砕きました。生き返って、何よりです。ユリアンっ!」

「ほんと、本当にもう知らないんだからっ! 約束破って勝手に死んでっ! バカバカバカバカァ!」

 自分の死を泣いてくれる人がいる。悲しんでくれる人がいる。そして、生き返った事を喜んでくれる人がいる。

 ――ふと、ミューズの歌声を思い出した。そしてユリアンは自分で自分を恥じる。彼は彼が思うよりずっと、自分の命が重いという事に気が付いていなかった。

 ユリアンはロアーヌに仕え、モニカの護衛をしている。故に人を殺すのも仕事のうちだし、もう何十人も殺している。そんな人を殺した自分の命は重くはないと、そう考えてしまっていた。自分の命の価値を下げてしまっていた。

 けれども命の価値はそんなに簡単には決まらない。産まれたばかりの子供の命が愛おしいように、人を殺してしまった者にしかない価値もきっとある。もちろん殺人に快楽を求めてしまうのはもはや人ではないが、殺さなければ生きられない世界では人を殺したというのはファクターの一つでしかないのだ。

 そう思い、体を起こすユリアン。自分の側にはモニカとエレンが居たが、他の者は。

 果たしてリンとエクレア、ようせいは少し離れた所で熾した火を囲っていた。その中心では鍋がグツグツ煮えている。リンとエクレアの食事は済んでいるようで、満足そうな顔をしている。ようせいは今正にスプーンで飯を掻っ込んでいる。

「もぐもぐ。あっ、ユリアンやほー。生き返ったんだねー」

「ユリアンさん、お帰りー。大変だった? 私、死んだことないから分かんないけど、生き返るってやっぱ大変なのー?」

「ユリアン、食欲あるなら食べますか? 生き返った人を見るのは初めてなのでどう対処したらいいのか知りませんが……」

「……」

 生き返った自分が言うのもなんだが。

 なんか『生き返る』って気軽に言い過ぎじゃないか?

 普通に大事だろ、コレ。

 そう思うユリアンはきっと間違っていない。

 

 たっぷり食べて、ぐっすり寝る。体調を整えた一行はゲートの間を後にして帰路についた。

 氷の壁を解除して、大剣に戻すエクレア。そしてその瞬間に違和感に気がつく。

「あれ?」

「どうかした、エクレア?」

「んー?」

 他のみんなを見渡して表情を探るが、違和感を感じた者はいないらしい。ならばと頭を振ってその違和感を追い払う。

「んにゃ、何でもないよエレンさん。ちょっと熱さが変わってるかなって思っただけだから」

「? 熱さが?」

「まあ何が違うって訳でもないし。

 さ、帰ろー」

 そう言って先頭を歩き出すエクレアと、そしてちょっと困惑しながらも彼女に続く一同。

 ちなみにエクレアが感じた違和感は間違っていない。

 そもそもとして冷静に考えれば分かるものだが、火術要塞という場所は異様だ。何でこんなジャングルの奥地にマグマ溜りの要塞が存在するのか。言うまでもなく、アウナスの所為である。

 アウナスは自分の力を高める為に、そして自分を有利にする為にゲートを中心とした場所に炎熱を集めたのだ。それが火術要塞であり、マグマ溜りである。その熱量をアウナスは集めて受け取り、また逆に余裕がある時はアウナスがエネルギーを分け与えてマグマを活性化させる。この循環により火術要塞のマグマは火柱を上げ、アウナスは自身の炎熱を更に強化させていた。配下のモンスターも、時間を見つけては樹々を集めてマグマにくべて火力をあげる。そうして維持されていた(フィールド)が火術要塞である。

 しかし要たるアウナスはもう存在せず、マグマにエネルギーが供給される事はない。またアウナスがいなくなった事により、その配下もマグマに燃料を投下する事もなく三々五々に散っていく。

 熱気溢れる火術要塞という場所はこれから先マグマが冷えて固まり、ただの廃墟となるだろう。もしかしたらそのままジャングルの樹々に呑み込まれるかもしれない。一種の物悲しさもあるだろうが、残念ながらそれを感じ取れる存在はこの世にいないだろう。誰にも悲しまれずに朽ちていくというのが、僻地に居を構える四魔貴族の宿命なのかも知れない。まあ、実際には物悲しく思うより喜ぶ人間の方が圧倒的に多いとは思うが。四魔貴族は嫌われ者なのである。

 とにもかくにも、そんな訳で帰りは行きとうって変わって楽だった。何せモンスターがほとんど襲ってこない。アウナスの命令に従って襲ってきた原生型のモンスターや術妖などは軒並み姿を消している。精々が雷火やマグマといった炎熱を好むモンスターが散発的に襲ってくる程度。モニカの術力が低下しているとはいえ彼女も無力ではないし、他の面々に至ってはアウナスを倒した事でむしろ生き生きとしている程だ。苦戦などする訳もなく、あっさりと火術要塞を脱出する。

 その出入り口で待ち構える男が一人。

「よ」

「詩人さんっ!」

 ぱぁと顔を輝かせて飛びつくエクレア。14歳の女の子を、詩人は動じる事無く受け止める。

 ……鎧に兜に氷の剣、更には旅道具を装備して物凄い重量になっている気もするが、詩人は動じる事無く受け止めるのだった。

「勝ったよ、アウナス倒したっ! ゆっきーもむっちゃ頑張ったんだよ!」

「そうかそうか」

 無邪気にじゃれてくるエクレアに問題ない事を確認した詩人は、すっと目を細めて出て来た全員を見渡す。

 そして薄く笑った。

「全員、無事だな」

「一人死んだけどね」

 ぶすっと言うエレンに、おおよそを察して苦笑いを浮かべる詩人。

 確認の為にモニカの装備を見るが、やはり生命の杖がない。

「誰だ?」

「ユリアンよ。この馬鹿、死なないって約束簡単に破るんだから」

「未熟で申し訳ない」

 ペコリと頭を下げるユリアンだが、エレンはツーンとしている。本気で怒っている訳ではなく、幼馴染の気軽な挨拶といった所だろう。

「それで詩人さんはボルカノを倒せたのですか? ……魔王の盾をアウナスが持っていたので心配でしたの」

「ああ、やっぱりそっちに行ってたのか。魔王の盾は、ボルカノに勝ち目がないと判断して逃げやがったからな。火術要塞の方向に行ったのは確認したんだが、ボルカノを殺しきるうちに見失っちまった」

「……殺しきるって」

「……盾だけ、逃げたの?」

 色々とシュールな光景が想像できたが、詩人が言っている事に間違えはない。

 まあ、彼の狙いは魔王の盾ではなくボルカノである。魔王の盾が逃げたからといって、ボルカノを仕留めきるまでは動けなかったのだろう。リヴァイヴァという術については軽く聞いているから、厄介さは何となく分かる。

 それはそうと、これでお役御免の人物が一人いる。ジャングルを荒らすボルカノが居なくなり、その元凶であったアウナスを倒した。ならばようせいにはこれ以上旅に付き合う理由はない。

「じゃ、私はもう村に帰ろうかな。ジャングルの中の方が楽だし、王様がいればアケまで迷わないでしょ?」

「……そうね」

 少し寂しそうに笑うエレン。対してエクレアは快活ににっこりと笑顔で送り出す。

「じゃね、バイバーイ。楽しかったよ、ようせい!」

「私も。短い間でしたがお世話になりました。あなたが淹れたハーブティー、美味しかったですよ」

 リンを皮切りに。モニカやユリアン、詩人も挨拶していく。

「寂しいですが、仕方がないですわね。ようせいさんもお元気で」

「稽古して、腕があがったよ。ありがとよ」

「一応、俺も妖精族の王だ。困った事があったら訪ねて来い」

 それぞれが言葉をかわして終わる。

 が、ここで湿っぽい別れにならないのがようせいがようせいたる所以である。

「じゃあね、ばいばい! その恋、応援してるからっ」

『!!』

 幾人かが露骨に反応する。その顔を見てけらけらと笑いながら、ようせいはジャングルの樹々の間を飛び回り、消えていった。

「……あんのガキッ!」

「……そう反応を返すから面白がられるんだ」

 からかわれた内のユリアンが行儀悪く地面を蹴るが、それを醒めた視線と声で諫める詩人。一応彼も妖精族の王らしく、妖精族の生態は頭に入っているらしい。

 妖精族は無邪気で悪戯好き。相手が面白く反応すればする程にからかってくる、少し困った習性がある。反応を返さないのが一番なのだ。

「まあ、アウナスは倒した。残る四魔貴族は二匹で、ジャングルを出るまでは死なない程度に気楽にいくか。稽古もしばらくはしなくていいだろ、乱取りをするには場所が悪い。

 ――奇襲の訓練とか、それを防ぐ特訓とかはできるが。している場合じゃないからな」

「それが詩人、ちょっと大変な情報を聞いたわ」

「ん?」

 軽く言う詩人だが、エレンは深刻そうな顔をしている。

「誰から聞いたって?」

「アウナスから」

「……四魔貴族の話を信じるな」

 途端に露骨に嫌そうな顔をする詩人だが、こればっかりは聞いて貰わなければならない。

 四魔貴族さえ恐れる存在がいるのだから。

「聞いて! アウナスが恐れた八人の世界を破壊する者がいるのよ!!」

 その言葉にピクリと反応する詩人。

 表情を消し、エレンを見返す。圧力さえ感じるその視線を、エレンは真正面から受け止めた。

「――話は道すがらだな。時間がもったいない」

 

 夜。

 詩人が加わったジャングルの旅は、これも行きとは比べ物にならない程スムーズに進んだ。というのも、普段は見せない剣に手を添えた時だけ出す殺気を詩人がまき散らして移動していたのだ。殺されないと理性で理解しているエレンたちでさえ神経が削れ、モニカに至ってはこの一日の間で少しやつれてしまっている。それ程の気配に襲い掛かるバカはほとんどおらず、居たとしても他に手を出させないうちに詩人が棍棒で叩き潰していた。

 となればする事がない他の面々は、アウナスから聞いた情報を殺気立った詩人に話すだけ。ジャングルという普通とは違う環境の中、ただただ歩き続けながら近場から発生する殺気に耐える。

 ――スムーズはスムーズだが、楽かどうかは微妙である。

 とにかく話す事を話したエレンたちはジャングルで一夜を過ごす事にした。このペースならアケには明日にでも着くだろうが、今重要なのはそこではない。

 焚き火を囲み、重苦しい空気が流れるその場。

 発生源は、当然詩人。彼は片手で顔を半分覆い隠している。晒している方の顔は無表情だが、隠している方の顔は表情が見えない。

「……話は分かった」

 声も平坦(フラット)。だが、その奥にある激情を感じ取れない鈍い人間はここにはいない。

 詩人は今、何かしらの激しい感情をその胸中に宿している。もちろん、外から見てそれがなんだか分からない。もしかしたら詩人本人さえも分かっていないのかも知れない。

「だがその上で聞くが、四魔貴族さえも恐れる破壊者ならば、アウナスと手を結ぶとは考えなかったのか?」

「ない」

「四魔貴族と結ぶ手は切り落としますわ」

 端的に言い切るエレンと、婉曲表現をするモニカ。リンはピンときていない表情だが、エクレアとユリアンは冗談言うなと言わんばかりに厳しい表情をしていた。

 流石に言葉が過ぎたかと、そこで言葉を止める詩人。そんな彼に声をかけるエレン。

「話を戻すわ。四魔貴族が恐れる程だとしたら、あたしたちだけじゃ厳しいかも知れない。詩人の強さは知ってるけどね。

 トムにも伝えなくちゃいけないし、フルブライト商会にも話を通して。それからロアーヌのミカエル様にも――」

 そこで言葉を止めるエレン。詩人が指を一本だけ立てて、その口の前に持っていったからだ。それは静かにという意味にも取れるし、そして。

「破壊者の生き残りは、後一人」

 1という数字にも取れる。

「残りは俺と協力者が殺した。後一人が死ねば、全て終わる」

 その言葉に全員が目を見開く。それを無視して言葉を続ける詩人。

「だから、お前らは手を出すな。

 これは俺の闘いだ」

「……信じて、任せて、いいのね」

「当然」

 言い切る詩人に、ふと笑みをこぼすエレン。

「まあ、手助けが必要なら言ってよね。できる事ならするわよ」

「あ、そうそう。手助けで思い出した。俺の探し人は見つかったか?」

「――火術要塞では、見なかった」

「――そうか」

 

 夜が更けていく。アウナスと戦ったばかりだという事で、見張りは詩人のみで他は眠りにつく。

 とはいえ、神経が昂っている上にピリピリとした殺気を放つ詩人が側にいるのである。寝付きは当然良くない。高温多湿な気候もそれに拍車をかける。が、とはいえ疲れていない筈もなく、よくない寝付きを経て全員が眠りについた。

 パチパチと火が弾ける音がする。ホーホーと夜に鳴く鳥の声が聞こえる。ガサガサと草木が揺れ動く。

(お前は覚えていたのか、アウナス)

 詩人の心の声は、誰にも届かない。

 

 日が昇り、アケに帰りつく。

 そしてもたらされる吉報、アウナス討伐成功の報に村中が湧いた。アウナスは積極的にモンスターを使って害を与えていなかったのは事実のようだが、死食の後からジャングルのモンスターは一気に凶暴になった。おそらくはアビスの気と関係しているのだろうが、ゲートを閉じればその影響も減るだろう。

 それ故の喜びだが、それも長くは続かない。

「詩人殿っ!」

 少し憔悴した顔で寄ってくるのはトーマスカンパニーの男性。ジャングルの旅の基礎知識をくれた人で、スパイスも用意してくれたし、食べられるものから毒虫の注意喚起もしてくれた。

 いつもニコニコと余裕が――

『自分、ここに左遷されたんっすよね…。エリートコースならピドナでバリバリ働いてるし……』

 ――大抵は余裕がある人間だったハズだ。それがここまでの反応を見せるとは、普通ではないだろう。

 たぶん。

「どうした?」

 息が切れる程に走ってきた彼は、少しだけ息を整えると、叫ぶ。

「フルブライト商会からの伝言ですっ! ロアーヌがビューネイ軍に侵攻を受けましたぁ!」

 きゅっと目を細める詩人。少しだけ顔を強張らせるエレン。思わず叫びそうになった口を自分の手でふさぐモニカ。ぎゅっと白銀の剣を握りしめるユリアン。きょとんとした顔のリン。

「次はビューネイだねー」

 そして呑気そうに言うエクレア。

 方針は決めていなかったが、こうなっては是非もない。次の相手はビューネイに決定だろう。

「ロアーヌへ! は、早く行かないとっ!!」

「落ち着けモニカ、ここからロアーヌへの直行便はない。ピドナの定期便か、用意してるウィルミントンかだ」

「なら、よりロアーヌに近いピドナへっ…!」

「だから落ち着け。お前が身一つで行ってどうするんだ、何の役にも立たないだろうが。

 折角アウナス討伐の手土産ができたんだ、ウィルミントンに行ってフルブライトに報告してどう動くかを打診する。

 ――それにロアーヌだけじゃない。前の戦争で世界中の勢力図が大きく変わった。ここからしばらく荒れるぞ」

 慌てるモニカを手早く諭し、詩人は懐から煙草を取り出す。そしてそれを咥えると、術力で熱を生み出して火を付けた。

 紫煙を胸一杯に吸い、そして吐き出す。

「煙草吸うの、見た事ないんだけど」

 この中では一番詩人と長くいるエレンが問う。

 それに素気なく返す詩人。

「前にいつ吸ったのかは忘れたよ。ただ、覚悟を決めなきゃいけない時期がきたみたいだからな」

「?」

「……一服だけ、な。滅多に吸わない。

 さて。悪いが貰えるだけの情報を貰っていいか、ウィルミントン行きの船で時間もあるし、吟味したい。ロアーヌも壊滅した訳じゃないんだろ、さっきの言い方だと」

「あ、はい。ロアーヌ軍とビューネイ軍が野戦を行い、ミカエル候が勝ったとか。ただ、ビューネイ軍も大きな被害を被る前に退却したとの情報もあり、次の侵攻は予断を許しません」

「――タフターン山は霧の結界に守られている。緊張させ続けられれば戦いには負けても戦果は十分、か」

「はい。しかし、襲い掛かってくるビューネイ軍に対策しない訳にもいきません」

「ま、そこの辺りはミカエル候が考える所だ。俺たちの領分じゃない」

 トーマスカンパニーの男性が手渡す資料をそのまま懐に仕舞う詩人。そのままスタスタと歩き出す。

「? どこ行くのよ」

「船に決まってるだろ、とっととウィルミントンに行くぞ。船に乗るまでの時間は短縮できるからな」

 

 

 

 数日が過ぎる。

 ウィルミントンにあるフルブライトの屋敷に詩人たちは足を踏み入れていた。そこで最近めっきり屋敷から出なくなったフルブライト23世が出迎える。戦争が始まった段階で世間の混乱が増し、下手に外出すれば暗殺される機会も増えてしまう為だ。この状況では籠城するのが最善手といえる。

「やあ、アウナス討伐お疲れ様」

「……討伐失敗は考えてないのか?」

「その時はその時さ。信じるのはタダだし、いくらでも信じるよ。どうだったとか聞かれるよりも気分がいいだろう?」

「違いない」

 くくくと笑う詩人とフルブライト。簡単な挨拶が終われば次の話に移行するが、他の者は話の早さについていけていない。

「じゃあ、早速で悪いが急ぎの用事から済ませるか」

「ああ。確かにあるね、急ぎで大事な用事が。水平線上に船が見えた時から準備をさせていた」

「手際がいい、流石だな」

「「じゃあ――食事だ」」

「いや、それも大事だけどね!?」

 思わずエレンが突っ込んだ。それに真顔で返すフルブライト。

「いや、真面目に大事な話だ。私も一度アケには行った事があるが、人の食べるものはあそこにはない」

「アケの人たちに大分失礼ですわねっ?」

「じゃあモニカ姫、貴女は満足できたとそう言い切れるか?」

「……」

 すっと流れるように視線を逸らすモニカ。それを見て爽やかすぎる笑顔を見せるフルブライト。

「まあ、今回の食事は詩人がアケに行く前に手配していた分だ。ここまでがアウナス討伐の報酬であるから、遠慮せずに食べてくれたまえ」

「フルブライト様。お食事の用意ができました」

 と、そこで執事が部屋に入り込んできた。その言葉ににっこりとフルブライトが笑う。

「ああ、これはいいタイミングだ。では話は食事をしながらといこうか」

 

 食堂にて、詩人とフルブライトを除く全員が用意された食事に夢中だった。モニカでさえ見苦しくないギリギリでがっついているといえばその迫力が分かるだろうか。

 アケで用意されたものは、味気ない白身魚やワニの固い肉。味付けは同じスパイスばかりだから一日で飽きがくる。口にする果物は甘みや酸味がキツく、さらっとしたものが何一つない。船での食事だって基本的に保存食を水で戻して塩などで味付けをした質素なものだ。

 対してこの場に並べられた食事は手間暇かけてフルブライト商会のコックが作ったものばかりだ。エレンは子羊のローストを厚く切って口に運び、ユリアンは鶏の香草焼きの足を掴んで腿に齧り付く。モニカはサラダに赤身魚を和えてドレッシングをかけたものを口にして久しぶりの野菜を堪能しているし、エクレアはサンドイッチを口にしてお腹を落ち着けたらデザート三昧。ショコラケーキから梨のタルトから、オレンジのシャーベットと遠慮なく容赦なく甘味をお腹に収めている。

 そんなたった一人を除いて最低限話だけ聞く態勢に入っているのを尻目に、詩人とフルブライトは紅茶を片手に情報交換を行っている。

「ロアーヌの現状はアケで聞いたのと変わらないか」

「ああ。だが、ミカエル候には何か作戦があるようで、今は多くの兵士を集めている。トーマス君もロアーヌの出だし、そういった経緯で打診を受けたと聞いたな。

 当然我がフルブライト商会も四魔貴族を打倒するなら本望だろうという使者をいただいた」

「で、なんて答えた?」

「『フルブライト商会は今現在、アウナス討伐に全力を注いでいる。話はそれが終わってからにしていただきたい』」

「保留か。ま、妥当だな」

「――で、ビューネイ討伐に参加する予定かな?」

 フルブライトの問いを受けて、いったん食事の手を止める一同。ただし一人を除く。

「もちろんよ。あたしは全部のゲートを閉じるつもりだし」

「エレンさんがやるなら私もやるよー」

「ロアーヌが襲われて、わたくしが引く選択肢はありませんわ」

「モニカに同じく」

「そうか。ではモニカ姫とその護衛を除いた方々がビューネイ討伐をフルブライト商会の名前でやってくれる事を対価に、今現在の世界情勢を教えるというのはどうかな? 西部戦争で世界は大分動いた」

「やはりか。頼む」

 詩人が言うと同時、エレンたちは食事に戻った。ガツガツと食べ物を胃に流し込みながら、耳は会話に傾ける。ただし一人は除く。

 そして話し始める段になって、フルブライトはちょっと困った顔をする。いや、困ったというよりもしたくない話をするというべきか。

「まずは西部戦争の結果から話していこうか。詩人がドフォーレ会頭を暗殺してくれたおかげで、ドフォーレ商会は内部崩壊。こちらが強襲する混乱に合わせてドフォーレ会頭の息子の一人がなんとか内部を取り纏め、全面降伏することでこちらの被害は最小限に抑えられた。

 ただしドフォーレ商会は内部でそうとうやり合ったらしく、ドフォーレ会頭の他の子供二人は死亡。一人は日和って難を逃れたがなんの権利も残らず、もう一人は勝った方の補佐についたといった形だな。

 実権は、癪だがトーマスカンパニーに半分程取られた。アウナスの話とか色々とネマワシをして後手に回ったのが痛い」

 ジロリと詩人を睨むフルブライトだが、詩人はどこを吹く風。むしろそちらが下手な手出しをしたせいだろと言わんばかりの対応だ。

 実際、エレンやエクレアを使って下手にケンカを吹っ掛けたのはフルブライトである。彼に反論する資格はないだろう。

「――まあ、いい。それでトーマスカンパニーは北西と南西を手中に収めた。大躍進といっていいだろう。

 だが西部はフルブライト商会の地盤がしっかりしているし、北西にも北にも中央にも影響力がある。仲良くできればいいが、最悪今ならまだ潰せる」

「けど、仲良くした方が得は多い、だろ?」

「もちろんだ」

「ところで気になったんだけど、ラザイエフ商会ってどうなったの?」

 そこでエクレアが口を挟む。それに渋い顔をするフルブライト。

「……ラザイエフはドフォーレに情報を売っていた」

「え?」

「戦争が即座に終わったから気がついたがな、明らかにラザイエフから情報が漏れていた兆候が見えた。証拠を掴む前に隠されたから追及はできないが、ほぼ黒だな」

「え。じゃあ…ラザイエフ商会を敵にするの?」

 エクレアの心配そうな声に、ふーとため息を吐くフルブライト。

「一概にそうとも言えないな。ラザイエフ商会がフルブライト商会に多く手助けをしてくれたのは事実だ。

 証拠もないし、今回の戦争は中立だったという事で手をうった。損を回収させないが、同盟は続けていい。そういう判断だ。

 正直に言うと、ラザイエフとは味方でいてくれた方が嬉しい」

 フルブライトの言葉に少しだけ顔に苦みが走る()()()()だが、これは相当に軽い対処だ。三権分立などないこの世界、力が全て。立法も行政も裁判も一つの頭が行う。だが言い換えれば力があれば無理が通って道理が引っ込むのである。ラザイエフ商会のバランス感覚はフルブライト商会が持たない力の一つであり、それは支配してしまえば失われてしまうもの。貸し一つ、というか得無しで手を打っても同盟を続けたいと思える程だ。もちろんこれに懲りたらもう同じことはするなという威嚇も込めているが、多分効かないだろう。むしろその程度で効いてしまうバランス感覚などフルブライト商会は必要としないのだから、世の中はままならないものである。

 とりあえずラザイエフ商会の話は終わり、次に進む。

「で、だ。西部の状況とトーマスカンパニーの話はおおよそ詰めたな。強いていうならこの混乱した世界にどんな手を打つかだが…そこは未来の話だから置いておく」

「分かっている。他にはどこの馬鹿がどんな馬鹿をやらかした?」

 詩人の言葉に薄く笑うフルブライト。

「一つはファルス。ルートヴィッヒにケンカを売った」

「馬鹿だな」

 一言で斬って捨てる詩人。多少は世話になったユリアンが心配そうに声をかける。

「ファルスは勝てるんですか?」

「訳がない。国力のケタが違う。一蹴されて終わりだ」

「まあ、ファルスがピドナに戦争を仕掛ければ隙もできる。ミューズ様とシャール殿はその隙を縫ってピドナに帰還した。雌伏し、ルートヴィッヒの寝首を掻く算段だそうだ。

 ルートヴィッヒはフルブライト商会の敵でもあるからな、我が社やトーマスカンパニーで囲う手筈になっている」

 道理でシャールはともかく、ミューズの歓待がないのだと一同は納得する。ただし一人は除く。

「どうしてそんな無謀な事を…」

「西部戦争の勝者側に立って調子に乗ったのさ。

 フルブライトとしても無能な味方は必要ない。早々に囮にさせてもらったよ。協力要請も受けたが、アウナス討伐を建前にのらりくらりだ。話が詰まる前にファルスが詰む」

 くっくっと悪い笑みを浮かべるフルブライトだが、ユリアンとモニカの顔色は優れない。

 ファルスがどうなろうが知った事ではないが、あの町には一人恩人がいる。

「ニーナはどうなるんだ…」

「ポールさんも…」

「ポール? ファルスの英雄ポールか? 野盗を倒した程度で英雄に祭り上げられた、あの」

「しかもその野盗を壊滅させたの俺だしな」

 流石にフルブライトは情報命の商売についているだけあって、ポールの情報を得ていたらしい。更にぽつりと呟いた詩人の言葉でおおよその事情は察した。

 ニーナが誰かは分からないが、恐らくそのポールとの関係者だろう。更にそのニーナとやらに心配をしているだけあって、モニカやユリアンはニーナに思い入れがあるのだろうとも察した。

 そこまで考えが巡れば話は早い。フルブライトとしても借りはとっとと返しておきたいのであって、戦争の起爆剤にした借りを持ったままのエレンに顔を向ける。エレンもそこに思い至ったのか、既に視線はフルブライトを射抜いていた。

 エレンもユリアンから話は聞いていたが、ニーナという少女はモニカとユリアン。そして何より誰より、サラの窮地を救ってくれたらしい人物だ。ならばエレンとしてもできる限り力になりたいと思う。

「……」

「……話は早いって訳だな。君に貸していた分で、ポールとニーナの安全を保障しよう。確保する前に生きていたら、だが」

「まともな扱いをしなさいよ」

「もちろんだとも、エレン君の機嫌が悪くなる事はしない。適した仕事を割り振るつもりだ。

 …誓って故意に殺す気はないが、死んでしまう事はある、そこは恨まないでくれよ?」

「あたしに恨まれないよう、細心の注意を払いなさい」

 そこまで込みで貸しだとエレンは言う。思ったより面倒な貸しになったとフルブライトは苦笑いだ。

 とはいえフルブライト商会は大商会である。いざとなれば家族の一つや二つ、簡単に養える。面倒な貸しではあるが、そこまで重い貸しではない。少なくとも四魔貴族を半分潰し、残りも倒そうとするエレンに借りを作るよりかは圧倒的に軽い。

「もちろんだ。

 さて、もう一つあった大きな動きだが…ツヴァイクがポドールイのヴァンパイア伯に攻め込む計画を立てている」

 ガシャンと詩人がカップを落とした。その表情は驚きに満ち満ちており、割ったカップやこぼれた紅茶には意識を微塵も向けていない。

 素早く掃除に動くメイドと新しいカップに紅茶を注ぐメイドを無視して、詩人は茫然と呟く。

「――本当か?」

「情報だけは、本当だ。聖王遺物の聖杯がモンスターの手にあってはいけないという名分だとか」

 そう言葉を返すフルブライトに。詩人は深く、深いため息を吐いた。

 エレンやユリアン、モニカは当然だと思う。詩人はレオニード伯と個人的な友人なのだ。彼が攻められると聞いて、何故平静でいられるのか。ましてやツヴァイクは強豪国、レオニード伯とてただでは済むまい。

 それを感じてか、エレンは躊躇いながら小さな声で呟く。

「…、……詩人。あたし達は、ビューネイを後回しにして、レオニード伯に協力する?」

 エレンのその言葉に、詩人は薄く笑う。

 まるでエレンを馬鹿にしたように。

「なんで? やるならツヴァイクに協力だろ?」

「「「なんでっ!!??」」」

 モニカでさえ、立場と教養を忘れて突っ込んだ。

「なんでって…レオニードが聖杯狙いでケンカを売られるんだぞ? ツヴァイクの市民が心配だ、どこまで深く抉られるか……。

 あ、それともレオニードが手を出す前にツヴァイク軍を叩くか? なくはないが、やっぱり下手に手を出すのは上手くない――」

「いやいやいやいや! そうじゃなくて、あんたレオニード伯の心配をしてるんじゃないの!?」

 エレンの困惑絶頂の声に詩人はきょとんとした声で返す。

「レオニードの心配? なんで?」

「なんでって…」

「レオニードは征服欲こそないが、制圧力は四魔貴族と同等かそれ以上だぞ。正直、聖王が居ない今、世界の覇者となってもおかしくない能力を持ってる。本人にその気はないが。

 そんなレオニードを攻める。しかも目的が聖杯だなんて、例外を除いて自殺行為だ。

 ――国は知らんが、それに巻き込まれる国民はたまったものじゃないだろう」

 どうやら詩人はレオニード伯ではなく、彼に蹂躙されるツヴァイクの民草の心配をしていたらしい。

 ぶつぶつと呟く言葉を聞くに、彼自身がレオニード伯に借りを作って無辜の民を守る算段すら立てているようだった。西部戦争には大きな借りを作らなかったのにだ。

 それに呆れればいいのやら、どうしたらいいのやら。とにかく反応を放棄した面々。

「…わたくしたちはツヴァイクとレオニード伯との戦いに首を突っ込まなくていいのですわね?」

「もちろんだ、モニカ。モニカはロアーヌ、エレンは四魔貴族。それに全力を注いでいい。

 俺はまあ、個人的にレオニードに手紙を送っておこう」

 ふー、と息を吐く詩人。

「とにもかくにも、今はビューネイだ。モニカとユリアンはアウナスを倒した者としてロアーヌに帰るとして、エレンとエクレアは違う」

「え、あたしたちは違うの?」

 てっきりロアーヌに行き、ミカエルの作戦に参加するつもりだったエレンは気の抜けた声をあげる。

 個人でタフターン山の霧の結界を突破するよりかは現実的な作戦だと思っていたが、詩人の意見は違うらしい。

「もちろんだ。四魔貴族を潰すに一番の方法は、聖王詩の復元に他ならない。

 ――謳われた巨竜ドーラ、その子供のグゥエインの力を借りるぞ」

 ニヤリと嗤う詩人だが、それに待ったをかけるのはフルブライト。

 彼は彼でグゥエインの危険性を理解している。

「グゥエインはおおよそ10年前から急に凶暴化し、人を襲っている。まさかたかが人の頼みも聞くまい」

「方法はある。なんの為に(きん)を用意して貰ったと思っている?」

「あ」

「まさか、この為ですか…?」

 ニヤリと笑う詩人の顔が全てを語っていた。

 高位の竜種は何故か嗜好が偏る。ドラゴンルーラーが気高き武具に執着するように、少なくともドーラは金銀財宝に執着していたと記録にある。いわば輝くモノを好み、人が通貨にする金や宝石を好んで襲い奪っていたと。ならばその子であるグゥエインが同じ嗜好を持っていたとしても不思議ではない。

 不思議ではないが、嗜好というのは遺伝するものではない。ドーラがそうであったとして、グゥエインがそうであるとは限らない。そういった疑問の視線が詩人に向けられるが、彼は不敵に笑って返すのみ。勝算があるのだろう。

「――ならば何も言うまい、頑張りたまえ。で」

「ああ、任せておけ。ビューネイは空と陸から挟み撃ちにしてやるさ。で」

 ビューネイ討伐の方針が固まった時点で、向きたくなかった最後の問題点に全員が視線を向ける。視界に入っていたが、あえて無視していたそれ。

 リンが、静かに大粒の涙を流しながら、ゆっくりと口を動かしていた。その姿。

 今までの話はまるで聞いていない。それを理解できる抜けた動作。彼女は今、他の全てを忘れて口を動かしていた。

「美味しい―。美味しいよぅぅぅ!!」

「そ、そうか。それはよかった……」

 これには用意した詩人もドン引きである。

 彼がかつて訪れた東では主食がコメだった。西ではライスと呼ばれるそれは、野菜の一種としてたまに使われる程度であり栽培はされてない。野生で収穫された程度であるそれを、好事家にパエリアといった魚介料理の添え物として出されるのが精一杯だった。

 そんなライスをふっくらと炊き、塩をまぶしてそれだけで握る。おにぎりと言われるそれを、詩人はリンの為にフルブライトに注文していた。金貨数枚が飛ぶ手間だろうが、それは詩人にとってもフルブライトにとっても大した手間にはならない。

 しかしそれを声が聞こえないとばかりに頬張り、涙を流して咀嚼する放蕩娘を見ればかける言葉はない。喜んでもらえれば何よりという言葉を通り過ぎ、そこまでかよと引きつった笑みを浮かべかねない。

「また――食べたいなぁ…?」

「っ!? ま、まあ金をかければ用意できない食べ物ではないがな」

「稼げば食べられるんだね、西でもっ!!」

 食わさねばコロスと言わんばかりに言うリンに思わず話してしまうフルブライトの言葉がまた悪手。頑張れば食べられるというニュアンスが込められた言葉に反応したリンに、コクコクと頷く事しかできないフルブライト。

 そして最後の一個になったおにぎりに手を伸ばしたリンだが、そこで無邪気に邪悪な言葉を言う放蕩娘が一人。

「でもリンさんがそこまで美味しく食べるんだ。私も食べたいなぁ…」

「バッカァァァ!!」

 スパァーーンとエクレアの頭をはたくエレンだが、吐いた言葉は戻らない。

 残るおにぎりは後一個。楽しみにしていたリンに対抗し、食べたいといったエクレア。流石のリンも動きが止まる。何せ、彼女は大人なのだ。そして相手は少女なのだ。

「……っ!」

「……ぅぅぅっっ!!」

「ぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!」

 ギリギリギリと歯を食いしばり、心の中で深い葛藤を繰り広げ、差し出すべきか聞かざるべきか悩みに悩みぬく23歳。

 オロオロとそれを見守っていた一同だが、やがてリンは結論を出す。

「……………………………………………どうぞ」

「遭難者の最後の食料か」

 思わずユリアンが突っ込んだが、幸い誰の耳にも止まらなかったらしい。いや、聞こえたかも知れないが否定する言葉を誰も持たなかったという可能性もある。

 とにもかくもエクレアの眼前に差し出されたおにぎり。

 そしてエクレアも容易くそれを口にする程子供でもない。

「あ、あははー。どうしようかなぁ……」

「――、――――食べて、下さい」

 心を殺しきって少女におにぎりを差し出す大人の女性。ここが遭難した場所ならともかく、他にも豪華絢爛な食べ物が並ぶフルブライトの食堂だ。異様に過ぎる。

 困った様に周囲に視線を巡らせるエクレアだが、誰も視線を合わせない。エレンでさえ視線を合わせない。

 その雰囲気を察して、詩人が呆れながら口を開く。

「どうだ、鈴。エクレアにはいずれ東の、本場のおにぎりを食べて貰うというのは?」

「!?」

「その為には西と東の違いをお前が分からくてはいけないだろう?」

「そ、そうだね! エクレアちゃん、いつか東で私が美味しいおにぎりを握ってあげるっていうのはどうっ!?」

「うんっ、それでいいよ! だからリンさんはしっかり味見してね!」

「分かったわ!」

 そう言って最後のおにぎりにかぶりつくリン。それをほっとした表情で見る全員。

 その他諸々は置いておき、方針は決まった。モニカとユリアン、そしてついでにリンは船でロアーヌに向かってミカエルが掲げるビューネイ討伐作戦に参加して。エレンとエクレア、そして詩人は北に向かってドーラの子であるグゥエインを説得して味方に加える。

 

 世界と物語は、ゆっくりと確実に動いていく。

 

 

 




さて、今回でアウナス編が終わって次回からビューネイ編が始まります、が。
ちょっと思うところもあり、少なくとも来週の更新は休ませて下さい。私の言葉は活動報告に乗せますので、ご一読いただけると幸いです。意見はそちらに頂けると幸いです。
どうかこれからも詩人の詩をよろしくお願いいたします。


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ビューネイ編
083話 昔語


少し疲れました。


 

 ルーブ山地。今は死火山であるそこは、何百年も前から竜の住まう土地である。大空を翔け、天空を支配する巨翼の王者の前代はドーラ。聖王と共に空を侵したビューネイを討ち、そしてその暴虐の余りに聖王に討たれた300年前に実在した巨竜である。

 そして今現在の王者はドーラの仔、グゥエイン。仔とはいえ、それは300年前の話。それだけの年月が経てば仔竜も成竜となる。今現在のグゥエインは人が住む家よりもまだ巨きい。だがこれでも成長の余地は残しており、それだけ竜という種族が長命で強大だという事だ。

 グゥエインがビューネイの影と互角であり、未だ空の唯一王になれないのにもそこに理由の一端がある。ビューネイはこの世界には影しか送り出せず、グゥエインは絶頂期にはまだ遠い。そしてまた空という領域が余りに広いという事もある。自分が支配する分にはグゥエインもビューネイもお互いに侵食していなく、うざったいと思うにもその程度で手出しするには相手が強大過ぎる。結果、忌々しく思いつつもお互いがお互いを黙認しているという現状に落ち着いているという訳である。

 とはいえ、実はグゥエインに支配欲はそんなにない。聖王に育てられたグゥエインにとって人間とは獲物の一種ではあるものの、必要以上に手出しをしようとは思えない。自分の腹が満たされる程度に喰い、そしてグゥエインの好きな金銀財宝も持っているから他よりも良い獲物だと思うくらいだ。支配しきるのが面倒だという事もあるし、何より()()がある。それを破る程、人間に執着心はない。

 彼が個として把握している人間はたったの二人。育ての親である聖王、そしてアバロン。

(未練だな)

 寝起きの朧気な意識でグゥエインは思う。何せ300年前に生きた人間であるからして、まさか生きている訳がない。聖王は墓がランスにあるというし、アバロンはふらりと居なくなってそれっきりだ。

 別れの言葉は『またな』の素っ気ない一言のみ。それでお終い、以降二度と姿を見せなかった男である。様々な法螺話をしていた男であるが、グゥエインは嫌いではなかった。せめて死んだという事実をもって死を悼んでやりたいと思う程度には。

(さて)

 少しだけ不機嫌になりながらグゥエインは薄く目を開く。グゥエインが目を覚ましたのは原因があり、それはすぐ眼前にまで至っている無粋者。足音からして数人の人間と馬が一頭といったところか。

 わざわざこんな山奥にご苦労な事だと思うが、それを歓迎する気も迎え撃つ気もグゥエインには特にない。寝起きでだるそうな声をあげようとして――

『人間か。帰――』

 ――薄く開いた瞳に映るその氷の剣を背負った少女に、大きく瞳を見開いた。

『聖王っ!?』

 まじまじと、その少女を見る。だがほんの少し注視するだけで少女と聖王が違う事に気がつく。そも、髪の色からして違う訳で、この少女は紅髪だ。

 ならば聖王の子孫か何かか。そう思い興味を失いかけたグゥエインだが、傍らに立つ男を見て驚きで体を飛び上がらせた。

 まさか、そんな。

 有り得ない心持ちでまじまじと見るが、今度は見間違えない。

 見間違える筈がない。

『本当に――聖者アバロンか?』

「よう、グゥエイン。300年ぶりだな」

 まるで昨日会ったかのような気安さで、アバロンは――詩人はグゥエインに言葉をかけるのだった。

 

 四魔貴族に匹敵する程の威圧を持つ竜、グゥエイン。

 最悪の想定として一戦を交える覚悟までしていたエレンだが、展開は予想外の方向に転がった。

 ルーブ山地はグゥエインの住処でもあり、人の手が入っていないモンスターの巣窟であったが問題はない。フォルネウスとアウナスを倒したエレンとエクレアの相手になる程に強力な個体は道中に存在せず、(きん)を乗せた馬を牽く詩人を守ってなお余裕があった。

 問題は目的であるグゥエイン。巨竜ドーラの子供というだけあって、その巨きさはエレンの数十倍はあるだろう。威圧感も四魔貴族並であり、なるほど説得出来れば貴重な戦力だ。

 説得出来ればの言葉の通り、グゥエインはエレン達に最初は興味がなかった。相手にするだけ時間の無駄だと言わんばかりにおざなりな言葉を吐きかけて。

『聖王っ!?』

 目を見開いてエクレアを見る。きょとんとしたエクレアはグゥエインを見返すが、かの巨竜もそれ以上の反応をせず。しばらく時間が過ぎ、何だったんだとエレンが思った頃になってグゥエインが飛び起きた。

 種族が違うエレンにも分かる、忘我する程の驚きを持ってグゥエインの視線は詩人に注がれている。そして詩人はというと、エクレアのように意味が分からないという風情でもなく、いつも通りに飄々とその視線を受け止めていた。

 やがて紡がれる、グゥエインの震えた言葉。

『本当に――聖者アバロンか?』

「よう、グゥエイン。300年ぶりだな」

 その返事は肯定の意味が込められていた事くらいならエレンにも把握できた。だが、全く意味が分からない。何故、聖者アバロンの名で詩人が呼ばれるのか。全くもってエレンには分からなかった。

 しかしそんなエレンを差し置いてグゥエインと詩人の話は進んでいく。

『真か。真に貴様、不老不死か』

「300年前にも言ったが、それは違うぞグゥエイン。不老でも不死でもない。ただ若返る能力があって、ちょっとばかり死ににくいだけだ」

『は、若返る能力がある時点でもはや人の分類ではなかろうに。生物の範疇からも外れた化け物め、竜でさえも老いて朽ちる』

「お前、育ての親にそれを言うか? まあ否定できないのが痛いところだが」

 くっくっ機嫌よく笑うグゥエインに、和やかな口調で話す詩人。

 理解できない。理解したくないが、今の話を統合すると。

「ちょっと待って。ちょっと待って……」

「どうした、エレン?」

「詩人、貴方、もしかして、アバロン? 聖者、アバロン?」

「300年程前にそう呼ばれたのは事実だ」

「じゃあ、歳は300才……?」

「いや」

 それに首を振る詩人。

 当たり前だ。人が何百年も生きれる訳がない。そう思い、ふーとため息を吐くエレン。

「桁が二つ程違う。一万年は生きている」

「って、バカかーーーーっっっ!!」

「ぅぉ、突然叫んでどうしたエレン?」

「そりゃ叫ぶわよ、そりゃ叫ぶわよっ!! 万年!? 亀か、両生類かっ!!」

「エレンさん、亀は爬虫類ね」

「――爬虫類かっ!? 違う、そこじゃない!!」

 冷静にツッコミを入れるエクレアにぜーはーと息を乱しながら荒ぶるエレン。

 深く呼吸する事数回、少しだけ落ち着いたようだ。

「詩人、詳しく話を聞かせて貰っていいかしら?」

『こちらも興味がある。不老とは聞いていたが、万年も生きていたとは思わなかった』

「というか、今の今までお前信じてなかっただろ」

 ジト目で見る詩人を、グゥエインは素知らぬ顔で流した。

 それをハァと小さくため息をついて流した詩人は軽い調子で言葉にする。

「言った通りだ。俺は老いを知らぬ人種、ある特殊な秘術を持って若返る事を可能とした長命種と言われた人種。古代種などと呼ばれる事もあったな。

 数千年の放浪の末、辿りついたこの世界にて、300年前に聖者アバロンと謳われた存在でもある」

 おかげで気楽に名前も名乗れもしないとは、簡単な言葉に乗るには重すぎる愚痴である。呆気に取られて言葉もないエレンだが、グゥエインは同じく目を白黒とさせるエクレアを見て言う。

『となると、その娘は貴様と聖王の子孫か?』

「多分な。だがお前も知っての通り、俺は俺の子を孕んだアリィを捨てた。確証はない。子の顔すら見てないしな」

『これだけ聖王に似て、聖王の血を引いていないなどとあるものかよ』

「まあ、そこは俺もそう思う。あるいは宿命の子かと思ったが、違うみたいだしな」

「え? 私? 聖王? 詩人さん? 子孫?」

 絶賛混乱中のエクレアだが、さもあらん。

 が、それはそれとして。この男は今ナントイッタ?

「あんた、捨てた? 聖王を? 自分の子がお腹に?」

「あー、まーな」

 軽く言う詩人にめまいが起きるエレンはきっと間違っていない。

「でも、聖王は未婚だって……」

「子供だけできて旦那がいないっていうのは、アリィの外聞的に悪かったんだろ。レオニードの所で子を生み、以降は養子として育てたとは聞いた」

「え、じゃあ本当に?」

 念の為確認をするエレンだが、詩人はしっかりと頷いた。

「ああ、間違いない。聖王アウレリウスは俺の子を孕んだ」

「アリィって?」

「アウレリウスの愛称。幼子から面倒見てたし、俺はアリィって呼んでる」

 聖王をアリィと呼ぶ気楽さに。聖王がアリィと呼ばれる気安さに。自分の中の常識がガラガラと崩れていくエレンだった。

 呆然としながら、続けて問うエレン。

「聖王って…どんな人だったの?」

 その言葉に、少しだけ考え込んだ詩人はエクレアを指さす。

「こんなん」

『ああ。この娘は外見や雰囲気だけでなく、中身もあんなのだったのか』

「ちょっと。それ、褒めてなくない?」

 憮然としてエクレアが言う。

 おそらくきっと、聖王の様にという言葉が褒める意味として使われなかった初めての例だった事は想像に難くない。

 

 知恵熱を出し始めたエレンの為に少しだけ時間を置く。

 お茶の準備をして、ここまで(きん)を運んできた馬を屠殺する。ここまでご苦労だったが、最初からの予定としてグゥエインのおやつになる予定だった馬である。わざわざモンスターが蔓延る山中を歩き、重い(きん)を運んだ報酬が竜の食事というのも哀れな話ではあるが。

 そして人間の手にはお茶の入ったカップが、竜の前には生き血を流す馬の遺体が置かれて詩人がその身の上を話始めた。

「さて。300年前から話しても中途半端だから、少しばかり長くて退屈な俺の人生の話を聞いてくれ。

 万の年月(としつき)を超える昔語(むかしがたり)を」

「詩人、貴方が辛い話だったら……」

「――辛くないといったら嘘になるが、必要な話だ。

 言っただろう、いつか話すと」

「それが今なの?」

「ああ。少なくとも人の寿命の範疇に俺が納まらない事を理解してくれないと、話が進まない。

 300年以上俺が生きている事を保障してくれるグゥエインがいる今がベストなタイミングだ」

 なるほど確かに。聖王の時代から生きていると語っても、こちらを馬鹿にしているのか話し手が馬鹿なのかとしか思えないだろう。

 故に今。300年前の詩人を、アバロンを知るグゥエインの前で。

 詩人はその半生を語る。

「始まりは、俺が産まれる更に昔。ある一人の鬼才によって編み出された秘術が最初だ。他人の体や命を奪って己の寿命を半永久的に伸ばせるそれによって、その秘術を得た人々は長い生を謳歌した。寿命無き生は知識を高め、技術を伸ばし。圧倒的な文化を生み出した。その一方で秘術の恩恵に預かれなかった人々は短命種と見下され、長命種の奴隷となった。

 だが寿命が無くなった人々は死をより強く忌み嫌い、死ぬ可能性のある戦いをしなくなった。そして人々の脅威を無くしたモンスター達は長い年月をかけて力を蓄えて進化し、長命種を脅かすまでになったんだ。

 そこで長命種の中から勇気あるものが集い、モンスター達と戦いこれを撃破した。俺と、七人の仲間達が強大なモンスター共を倒したんだ」

 詩人は自分の手の中にあるコップの中身をじっと見つめる。その先にあるものは一体何なのか。それを理解できるものはこの世にはいないだろう。

 そしてどこを見ているのか分からない視線のまま、口調だけははっきりと詩人は続ける。

「もう、顔は思い出せない。だが名前だけは忘れた事はない。ワグナス、ノエル、スービエ、ロックブーケ、ダンターク、ボクオーン、クジンシー。特にワグナスとノエルとは親友だったし、他の奴ともいくつもの死線を潜り抜けた。

 そしてやがて人々に平和をもたらした俺たちは八英雄と讃えられ、称された。だがそれも長くは続かない。モンスター共よりも強くなった俺たちを、人々は恐れて騙し、封印したんだ――!」

 バリンと詩人の手の中のコップが割れる。彼の手にこびりついたお茶がポタポタと垂れる。まるでそれは誰かの血のようだと、漠然とエレンは思う。

 詩人は何食わぬ顔で新しいコップを取り出すと、再びお茶を注いでほぅと息を吐く。

「数百年か、数千年か。封印され続けた俺たちだが、やがてその封印から逃れる時が来た。俺たちを裏切った人々は逃げ、その土地は置いて行かれた短命種達が支配していた。

 ――ここで俺たちの間でも意見の対立が起きた。もはや俺たちの支配地ではないこの土地を荒らす事はせず、裏切り者だけ殺そうとしたのが俺とノエル。奴隷だった短命種など使い潰してなんぼだと、世界を荒らして最短で裏切り者に辿りつこうとした他の奴ら。まあ、ダンタークだけは復讐に興味はなさそうだったが、とにかく強さを求めて暴れまわっていたな。

 特に俺たちの中でリーダー格だったワグナスを説得できなかったのがきつかった。ノエルは中立を保ち、他の奴らは世界を荒らす。それを良しとしない俺は短命種の側につき――殺し合った」

 仲間同士で殺し合う。

 それがいかに酸鼻で惨いものか、エレンも朧気ながらに分かる。彼女にとって、エクレアやユリアンといった面々と殺し合うような苦しみだったのだろう。いや、詩人とその仲間たちはたかが数年や十数年の絆ではない筈だ。彼女が思うよりずっと苦しい戦いだったのかもしれない。

「仲間たちを殺す俺にノエルもついに怒り、敵対した。そしてノエルは、俺が斬り殺したよ。かつての仲間を殺した俺は剣皇と讃えられ、世界を荒らした仲間たちは七英雄と皮肉をもって遺された。

 ――なんの意味の無い称号だ」

 英雄と呼ばれず、仲間殺しを讃えられる。それは詩人にとって余りにも辛い仕打ちだった。

 だが詩人はそこで止まれない。その元凶はのうのうと逃げて生き長らえているのだから。

「仲間を殺した名前は捨て、代わりに短命種の皇帝から貰った名前を名乗る事にした。その首都であるアバロン。その名前を名乗る事が許された。

 故に俺の名は、アバロン。剣皇アバロンだ」

『ふむ。しかしそこまでの強さがあれば神も名乗れるであろうに。何故、神ではなく皇を名乗る?』

「神はもはや人じゃないが、皇は人だからな」

 そうとだけ言い捨て、詩人はグゥエインの言葉を切り捨てる。そして言葉を続けた。

「そして俺は復讐に走った。俺や仲間たちを封印し、異世界に逃げた裏切り者たちは72名。そのうち、68名をこの剣で斬り殺した」

 残り、4名。

 理解できない筈がない。

「……まさか」

「そのまさかだ。残る4名の名はアラケス、ビューネイ、アウナス、フォルネウス。この世界で四魔貴族と名乗り、暴虐の限りを尽くす悪魔ども。

 だが長命種はしぶとく、命を残す事には長けている。奴らは魔王を利用し、アビスに影を作る事で繋がる命を2つ作った。

 300年前、聖王が生き残った時にゲートを閉じるだけに留めてアビスまで侵攻しなかったのは他に抜け道がないかどうかを探す為だ。そして、もう抜け道は塞いだ。300年後の今の為に全ての布石を打ち終わり、あと一歩というところで誤算が起きた」

 そう言って詩人は優しい目でエクレアを見る。

「俺は、アリィを愛してしまった」

「!!」

「愛は、恐ろしいな。アリィと過ごす時間は癒しだったし、子供ができたと聞いた時は酷く狼狽したのを覚えている。――憎悪の炎が消えかけている事に、気が付いたんだ。

 悩んだよ、苦しかった。仲間たちを、ノエルを殺した時とあるいは同じくらい」

『そしてお前は復讐をとった。泣いて縋る母、聖王アウレリウスを捨てたのだ』

「ああ、その通りだグゥエイン」

 結果を淡々と告げるグゥエインに、潔く頷く詩人。

「正直、アリィを捨てた合理的な理由はない。この死食が起きるまで、300年程やる事はなかったんだ。アリィと居たって不都合な事は何もない。

 ――だがそれでも、アリィといることで剣が鈍るかもしれない事を俺は恐れた。たったそれだけの理由で、俺は弟子であり愛した女とその間にできた子供を捨てたんだ」

「……後悔は、したの?」

「正直、それからも逃げた。アリィから逃げ続けて300年。愛が思い出になるのは十分な時間だ。俺はアリィを綺麗な思い出としてしまい、のうのうとしている。

 アリィに恨まれても仕方ないな」

『聖王が貴様を恨むものかよ。あの女はずっと、貴様を縛る憎しみのみを恨んでいたぞ』

「そういう奴だったからこそ、惚れたのかもな」

『ズルい男だ』

「言葉もない」

 グゥエインの言葉にそれしか返さない詩人。グゥエインとしても聖王は母同然なら、詩人は父同然だ。ドーラが聖王に殺された後、聖王と共に詩人はグゥエインを育てたのだから。

 聖王の子として言いたい文句は山ほどあるが、同じ恩を詩人からも受けてしまっている。何より聖王自身がそれを望んでいない。グゥエインは機嫌悪そうに荒い鼻息をつくのみだった。

「ここまで話したら分かっただろうが、俺の目的は四魔貴族の完全殺害。その為に宿命の子を探している。その為に四魔貴族には最後のゲートになるまで俺の存在を気取られる訳にはいかない。

 ――俺がゲートを閉じる為に四魔貴族と戦わない理由だ」

「あれ、でも詩人さんはバンガードでフォルネウスに顔見られていなかった?」

「仲間の顔を忘れたと言っただろう。かつての名ならともかく、顔は忘れてるんだろうさ。正直、俺も四魔貴族の顔は覚えてない。

 こちらが覚えていないだけで向こうが覚えている可能性もなくはないが、今まで殺した68人の中で俺の顔を覚えている者は一人もいなかった」

 淡々と語る詩人は静かだった。きっと、そこらへんの感情はもう無いのだろう。ただ殺す。それが目的か手段か分からない程に、詩人はかつて自分と仲間を裏切った者を殺す事に執着していた。

 そんな彼が宿命の子を探す理由は、アウナスの話を聞いた今なら分かる。

「じゃあ、詩人が宿命の子を探しているのは……」

「そうだ。他の全ての逃げ道を潰した最後のゲートを広げ、アビスに乗り込み奴らを殺す。

 だから済まない、エレン。ビューネイのゲートを閉じたらしばらく待ってくれ。宿命の子を見つけずに最後のゲートを閉じても、俺の目的は達成しないんだ」

 そう言ってエレンに向かって頭を下げる詩人。ただそれだけを言う為に、詩人はここまで己の胸の裡を曝け出した。

 痛みも苦しみも、罪も醜さも。その全てを。

 そうして宿命の子に危害を加えないというならば、エレンも観念するしかなかった。というより、ここに至ってはエレンが一番醜いと言われかねない。

「――待つ必要はないわ」

「……なに?」

「――待つ必要は、ない。宿命の子はあたしが確保してる」

 思わず顔をあげた詩人。驚きをもってエレンを見るエクレア。興味深くエレンを見るグゥエイン。

「おい」

「言いたい事は分かるわ。

 ……黙ってて、ごめんなさい」

「何故黙っていた?」

 これには詩人も怒りを隠せないのか、責めるような口調になる。だがそれも仕方のない話だと、他ならぬエレンが思う。

 だが。それでも。

「あたしは、守りたかった。宿命の子を」

「だからエレンさんがゲートを閉じたの?」

「そう。あたしが全てのゲートを閉じれば宿命の子の出番はないと思ったから」

「御託はいい。言え、宿命の子がいる場所と名前を」

 詩人に急かされるが、この期に及んで隠すつもりはエレンにもない。というか、隠すつもりならば口にしない。

「場所はピドナ。名は、サラ」

「――は?」

「――え?」

「宿命の子は、サラ・カーソン。

 ……あたしの、実の妹よ」

 呆けた顔をする詩人。

「サラお姉ちゃんが宿命の子っ!?」

「――だからエレンがゲートを閉じる、か」

 はぁとため息を吐く詩人。

「……怒った?」

「いや、どちらかというと呆れた。俺自身に。ちょっと考えれば分かる事だったな」

 ゲートを閉じるなんて普通に考えてやる訳がない、それなのにエレンがそれをやる理由。宿命の子の為、妹の為。至極単純と言えば単純なその話に気が付かなかった自分に、詩人は呆れるのだった。それに詩人はサラとシノンからポドールイまで一緒に旅をしている。その間に気が付かないというのも間抜けな話だ。

 だがこれで最後のピースは整った。

「一応言っておくけど、サラを危険に晒す事はあたしが許さないからね」

「ああ、お前はそれでいい。

 ビューネイのゲートを閉じたら、ピドナに行ってサラに話をつけて準備をする。

 魔王殿でのモンスターは俺に任せておけ。エレンはサラを守ってやればいい。そしてアラケスのゲートを開き、アビスにいる奴らを殺す。それで終いだ」

「サラを宿命の子とは公表しないわよ?」

「分かっている。これまでと同じく、協力者の一人として扱おう。幸い、エレンとエクレアは四魔貴族を倒した英雄として広まっている。サラはアラケスとの戦いについてきた仲間の一人、それでいい」

 方針は決まった。ロアーヌと共にビューネイを撃破し、そのゲートを閉じる。後は詩人の言った通り。難しい事は何もない。

 けれども難しい顔をしている娘が一人。

「――私も言わなきゃダメかなぁ?」

「エクレア?」

「二人とも言ったし。私だけ黙ってるって、やっぱりダメだよね」

 ぶつぶつと独り言を言っていたエクレアだが、やがて一つの単語を口にする。

「タチアナ・ラザイエフ」

「は?」

 何故ここでラザイエフの名前が出てくるのか、エレンには分からない。

「私の本当の名前」

「え? へ? ラザイエフって、あの?」

「そう。リブロフのラザイエフ商会、その末娘が私なんだー」

「知っとるわ」

 ぶーと、詩人の言葉にお茶を吹き出すエクレア。

「詩人さん、知ってたのっ!?」

「お前ね。俺とフルブライトが結びついてたのは知ってるだろ?

 フルブライト商会経由でラザイエフ商会から家出した末娘の捜索願が出てたぞ」

「いつから知ってたのっ!?」

「お前らがバンガートでフォルネウス軍と戦ってた時、俺一人でウィルミントンに行っただろ。その時にフルブライトから聞いた」

「その時からっ!? なんで私をリブロフに連れ戻さなかったのよっ!?」

 訳が分からないとがなりたてるエクレアだが、詩人はそんなエクレアに醒めた視線を送るのみ。

「アレクセイ会頭は、タチアナには無理せず自由に羽ばたいて欲しいってさ。その為に俺に頭を下げたぞ。ベラとかいうお姉さんやその旦那さん、ボリスとかいう兄も心配してたな」

「嘘っ! みんな商売の事しか考えてないじゃん!!」

「それを俺に言われても。とにかく、タチアナを無理にリブロフに戻すよりも自由に生きて欲しいってさ。アレクセイ会頭は自分が嫌われたから後は俺に託す、どうか健やかにあって欲しいと言っていたな」

「…………」

 エクレアが知らなかった家族の愛。それを意外過ぎるところから突き付けられて、エクレアは沈黙するしかない。

 見捨てられたと思っていた。だが、本当は見守られていたのだと、今初めて気がついた。

『ではラザイエフとやらに聖王とお前の血が?』

「いや、そんな感じじゃなかったな。エクレアの母方の血じゃないのか? 妾の母の方」

『ふむ。聖王がお前といちゃこらした結果がこの娘という訳か』

「それ以上言ったら殺すからな、グーちゃん?」

『グーちゃんと呼ぶなぁ!!』

「先に下らない事言ったのはお前だろうが!」

「グゥエイン、ちょっとそこ詳しく」

「お前も敵かエレン!!」

 ぎゃんぎゃんと姦しい騒ぎがルーブ山地の奥で響く。それを見て思わず笑ってしまうエクレア。

 それは強さに似合わず、威厳に似合わず。ただ個人として生きる気楽さがあった。

 

 重苦しいはずのルーブ山地の奥底。

 夜は騒がしく更けていく。

 

 

 




※注意:この作品の原作はロマサガであり、ロマサガ3ではありません。ロマサガ3でない設定も含まれるクロスオーバー作品ですのでご注意下さい。

 詩人
 本名?? 通名アバロン
 称号 八英雄・剣皇・聖者
 偉業 強力なモンスターの群れを退治する。
    七英雄を撃退。ノエルを単独撃破。
    古代種の68人を斬殺。
    聖王にやり逃げダイナミック。(孕ませバージョン)


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084話 空白期間

 ちょっと間が空いてしましましたが、これから先オリジナル作品にも時間がとられるのでどうかご了解願いたいです。
 では最新話をどうぞ。


 

 ロアーヌは現在、厳戒態勢にある。その理由は言うまでもない、四魔貴族ビューネイの強襲を受けたからだ。

 四魔貴族であるビューネイの拠点はタフターン山。ロアーヌの領地と隣接している土地である。であるからして、15年前に起きた死食にて四魔貴族が復活する可能性は当時のロアーヌ候であったフランツも持っていた危惧である。

 代は移ろい、現在のロアーヌ候はフランツの息子であるミカエル。彼は冷徹ともいえる容赦のなさで周囲を、タフターン山を見据えていた。その激しい政策は民にも負担を強いて、ロアーヌのどこかで愚昧が当主になったと嘆きの声が聞こえない晩などない程であったという。

 だが違う。ミカエルは愚昧などではなく、名君であった。四魔貴族の恐ろしさをしっかりと識別し、備える事こそがロアーヌ候としてやるべき事だと。実際、彼はそれほど私腹を肥やしていない。もちろん貴族であるからして民草の犠牲の上で成り立っている側面はあるが、悪辣では決してなかった。それはゴドウィン元男爵などを見れば明らかであるだろう。彼の政策は、四魔貴族や列強国に対抗する為に必要な荒療治であったのだ。

 そしてそれは実る。四魔貴族とはモンスターの頂点であり、わざわざ人間に宣戦布告などする訳がない。故に起きた数千を数えるビューネイ軍の強襲だったが、ロアーヌは見事にその初撃をしのぎ切った。

 死者、384名。

 たったそれだけの被害でビューネイ軍の侵攻を防ぎ切ったのだ。称賛に価しても、無能と謗る人間はほとんどいなかった。むしろ四魔貴族を相手にしてさえ軍として勝利したミカエルは、世界にその名を轟かせたと言っていい。

 しかし、これには幾つかの情報が抜けている。そのうちの一つが、ビューネイ軍の被害もその程度だったという事。初戦は挑むだけ挑んで、ビューネイ軍はタフターン山へと全軍退却してしまったという事。ロアーヌは勝利を喧伝するが、戦としては引き分けに近い。そして実質的な損失を計上すれば負けである。

 何せ、ビューネイ軍は未だに数千の軍勢を保有しており、向こうはいつでもロアーヌを攻められるのに対し、ロアーヌはタフターン山を包む霧の結界を突破する方法がないのだ。ビューネイ軍はしっかり休めているのに、ロアーヌは厳戒態勢で守り続けなければいけないという緊張。この状況を構築されて負けでないと何故言えるのか。

 しかし負けたとは言えないのが為政者の痛いところだ。声高に勝利を叫び、次はビューネイの首を獲ると言わなくてはならない。

 実際、一方的に攻撃を受け続ける余裕はロアーヌにない。次の戦いで勝利を得なければならないのだ。背水の陣、そう呼ぶに相応しい位置にいるといっていい。

(さて)

 執務室でミカエルは考えをまとめていた。今現在、ロアーヌがひっ迫した状況に置かれているのは他ならぬミカエルが一番よく分かっているが、だからといって慌てても何もならない。土壇場で落ち着ける坐った肝を持つのは才能の一種だろう。

 まずは実際の兵力。現状、ロアーヌが滅亡の危機に晒されているからして、守備兵まで攻撃に回す必要がある。守りは薄くなり、治安が乱れたらそれを正す事ができない薄氷の状況。それにて集められた兵は5000。先のビューネイ軍が全軍でなかったとしても、数で大きく劣る心配はしなくていい。これには四魔貴族を討つべしの檄によって集められた義勇軍も含まれている。おそらく、兵はこれ以上減ることはあっても増える事はない。貯蓄は出し尽くした。

 次に兵に食わせる兵糧や賞金だが、これも大きな負担だ。金を持つ所は強い集団であり、そういった集団はもちろん情報戦にも強い。ロアーヌの弱り目もしっかりと見据えており、負け戦に乗るのはごめんと言わんばかりにフルブライト商会やラザイエフ商会からは小さな支援だけで済ませられてしまっている。彼らは彼らとて西部戦争で疲弊した実質もあるのだろうが、聖王に依るフルブライト商会からの後援が得られないのはミカエルとして痛いとしか言い様がない。四魔貴族との戦いには手出しをしなければいけないはずのフルブライト商会だが、現在はアウナスを攻略中だという。間が悪いというか、()()()()()()()()()()

 一方で西部戦争で大きく儲けたトーマスカンパニーなどは大きな支援をしてくれている。社長であるトーマス・ベントもロアーヌ地方の出身という事もあり、故郷を守るという想いもあるのだろう。もちろん四魔貴族撃破の名誉を得る事やロアーヌに恩を売る事を忘れてはいないが、それを呑める位の器の大きさはミカエルにもある。というか、この状況でそれを呑めないのはただの馬鹿だろう。

 総じて軍隊維持に当面問題はない。問題は如何にして勝つかだ。

(まずはタフターン山の霧の結界を突破するしかあるまい)

 これができない限り、ビューネイの討伐など夢のまた夢だ。その方策として、ロアーヌのブレーンは幾つか作戦を考え付いていた。しかし、そのどれもが穴のある作戦だった。

 例えば人海戦術。兵を軸とし、数を頼りにタフターン山の霧を通り抜けようというもの。杭や縄などを使って位置を明確にし、霧の始まりから終着に向かって道を作り、進んでいくというもの。これで順路を作ればビューネイの巣まで侵入できるだろうが、敵陣の真ん前で土木作業をやるのである。しかも視界の悪い霧の中。多くの犠牲が予想されるだろうし、減った兵力でビューネイを討ち取れるというのも楽観が過ぎる。これは最終案の一つとなった。

 例えば後追い。ビューネイ軍が引いた時、追撃してその軍の後ろについたままビューネイの巣に乗り込もうというもの。だがこれもビューネイに軍を捨てられて死兵にされては届かない。ビューネイ次第で崩れる作戦など恐ろしくて主軸にはおけない。あわよくば程度の期待値しか持てていない作戦である。

 例えば聖王詩の再現。巨竜ドーラの子、グゥエインに協力を頼むというもの。しかしこれにも問題は多く、そもそもロアーヌとグゥエインが住むルーブ山地は地理的に遠い。更にはドーラはビューネイ討伐後に聖王に殺されたとあるし、そんな人間の頼みを竜であるグゥエインが容易く聞くとは思えない。近年グゥエインが凶暴化したという情報もあり、無理に接触すれば敵が増えかねない。下策。

(やはりどの作戦にも穴がある。状況を鑑みて最善手を選ぶしかなかろう)

 特にビューネイの巣に突入できても、ビューネイを討伐できなくては話にならない。四魔貴族とは数の暴力が通じない相手であると考えた方がいいからして、個の力をミカエルは最も欲していた。カタリナがいない現状、ロアーヌが保有するビューネイに通用しそうな戦力はハリードのみ。しかしロアーヌに思い入れのないハリードは単独での突入は絶対に受けないだろう。

 その点は実績があるフルブライト商会の手駒を借りる事を想定している。フォルネウスを倒したエレン・カーソンの情報くらいはミカエルも掴んでいる。アウナスも討伐できたとするならば、その力を是非とも借り受けたいところだ。他にも討伐実績があるというエクレアという偽名の少女や、彼女らを鍛えているらしい詩人も候補に挙がっている。カタリナを捕捉できれば、現状ならば呼び戻してもいい。マスカレイドを奪われたという醜聞を晒すリスクはあるが、ロアーヌの滅亡には代えられない。大きなリスクだが、払う価値はカタリナには存在する。

 戦力を集めて適時ビューネイにぶつける。それがミカエルの仕事だが、それが難しい事を説明する必要はないだろう。その難しい仕事をこなす為にミカエルは思考を回す。

 そして想定する、ビューネイの思考を。

 情報は幾つかある。過去の文献もそうであるし、今回の戦いでも思考は透ける。いや、透けさせるのがミカエルがやらなければならない事だ。

 まずは()()()()()()()()()()()()()()()()だ。死食が起きて15年。ゴドウィン男爵を操ったりして暗躍してきたビューネイが、自身が行動を起こした。

 一つは単に準備期間に15年が必要だった、というもの。世界中のモンスターが徐々に強くなり始めたのは死食の後から。つまりゲートは徐々に開いており、今までは力を蓄える期間でありそれが単に15年だった。しかしミカエルはそうは思わない。ビューネイの軍は十分な攻撃力を持ち、霧の結界を利用した戦略まで利用している。今以前にこの戦略を取れないレベルの軍ではなかった。被害は大きくとも、もっと以前に行動を起こしても良かった筈である。

 次の可能性はゴドウィンが失敗したから自分が出撃した。これが一番有り得ない。人を影から操り、軍を持つビューネイは明らかに支配者の気質を持つ。人間の手駒が一つなくなった程度で支配者は軽々に自分から動くことはない。それは自身を軽く見る事にも繋がるからだ。魔王が没した後の300年、世界を支配した自負と自信は普通ではない。故にゴドウィン程度が敗れてビューネイが動くというのは有り得ないのだ。

 四魔貴族であるフォルネウスが撃破されたから。これは無くはないが、タイミングがおかしい。四魔貴族の情報伝達速度は分からないが、ゴドウィンを支配下に置いた辺り確実に人間世界の情報は手に入れているだろう。つまりビューネイがフォルネウス撃破を知ったのは、どんなに遅くともミカエルがそれを知った直後の筈なのだ。しかしフォルネウス撃破の報をミカエルが聞いてからビューネイ強襲までにタイミラグが存在する。準備にもたついたと考えても不自然さが残る。

 ならばこれしかない。西()()()()()()()()()()だ。協力すべき人間同士で争うという愚行は、四魔貴族から見れば絶対の好機。実際、勝者側も疲弊して敗者側は言うまでもない。本来ならば送られたであろうフルブライトからの助力もか細く、しかも先細りになっている現状。隙が大きいこの間にビューネイはロアーヌを獲るつもりなのだろう。そうすれば東部で四魔貴族の威が増し、フォルネウスが倒されて人間がまとまった西部とも対抗できる。

 だとすれば持久戦はない。おそらく、ビューネイは西部が完全に落ち着いてロアーヌに手を貸す前までに勝負を決めたいと思っているはずだ。ミカエルとしてはビューネイを倒せる討伐者が集まるまでくらいは時間の猶予が欲しいが、それ以降の時間は邪魔である。例え西部が落ち着き、ビューネイを撃破できてもロアーヌが疲弊させて倒したのがフルブライト商会などでは目も当てられない。人間同士でもやはり競う部分というのは出てくる。協力しましょう、とは簡単にいかないのだ。

 攻めるビューネイをかわし、討伐者が揃った所で電撃的に攻勢に転じて勝利する。これが理想。その理想が、遠い。

(しかしやるしかあるまい……)

 泣き言を聞いてくれる相手が居る訳もなし、為政者とは孤独な者だと自嘲の笑みを浮かべるミカエル。

 せめて伴侶や家族が居たのならば――

「報告いたします、ミカエル様っ! モニカ様がたった今、ロアーヌに帰還為されました!!」

 ドアの外からかけられた、余りにタイミングの良すぎる報告に。ミカエルは一瞬思考が停止するのだった。

 

「お兄様っ! ビューネイ侵攻の報、聞きました!」

「モニカ、戻ったか!」

 最低限の手続きを経てモニカがミカエルの執務室に飛び込んでくる。

 武器の携帯だけを禁じ、供の者を禁じないその手続きはモニカが望んだものである。如何なる理由があるのかはミカエルに分かったものではないが、今さらモニカを疑う訳もない。ツヴァイクを超える価値を示せとは言ったが、この状況ではそれを為してなくても怒るわけにはいかない。最悪の最悪、ロアーヌが滅ぶ前にツヴァイクへフェルディナンドの子孫を届ける事さえできる。貴き血は絶やしてはいけないという考えくらい、ミカエルも持っていた。

 そしてモニカに着いてきたのはロアーヌを出奔する前より逞しい顔つきになったユリアンと、奇妙な着物を身に着けている女性。

(ユリアンは強くなった。――この女も強いな)

 この手勢をモニカが連れてきたというならば、ビューネイとの戦いにも勝算は十分出てくる。この上でエレン・カーソン達さえ引き入れればハリードも動くかも知れない。

 そう思いつつ、ミカエルは久しぶりに会った実の妹に厳しい視線を向ける。

「よく戻った――。と、兄として言いたいところではあるが、先にロアーヌ侯爵としてお前に聞かねばならぬ事がある」

「はい、なんなりとお兄様」

「私はお前に言ったな、ツヴァイクを超える価値を示せと。お前はその価値を示せるか?」

 尋ねるミカエルだが、実際にはもう既にモニカはツヴァイクと同等レベルの価値を示している。ツヴァイクの国力を下げ、白紙の小切手までロアーヌにもたらしたのだ。ここまでして、モニカがツヴァイク以下だとは言えない。

 しかしこれは恐らくモニカが知る事のない成果だ。他に成果があるとすれば、どんなものでもモニカを庇う理由になり得る。ミカエルの想定としては、白紙の小切手でモニカの嫁入りの話をなかった事にするというもの。国力が低下したツヴァイクならば、うまく立ち回れば対等以上には持っていけるはず……。

「四魔貴族のアウナスを討伐しました」

「――は?」

 モニカの想定外過ぎる言葉。

 ユリアンはミカエルの呆けた顔を初めて見た。いつも凛々しく彩っていた威厳がなくなったその表情は、思っていたよりもずっと愛らしい好青年だった。

 ミカエルとて心に痛みを感じない者ではないと、初めてユリアンが気が付く。為政者として人の上に立つとは様々なものを奪ってしまうと、容赦なく辣腕を振るっていたミカエルを知るユリアンには主君の意外な一面を垣間見た気がした。

 そしてそのミカエルを見て瞬時に顔を真っ赤に染めたリンには気が付かなかった事にしたい。この女、今のミカエルに一目惚れしやがった。絶対に襲い掛かってくる面倒事に、今から頭痛の先取りをしてしまうユリアンだった。

 それはともかく。今、モニカは何を言ったのか?

「――モニカ、もう一度申せ」

「四魔貴族のアウナスを討伐しました。合わせて四魔貴族討伐に限り、エレン・カーソンさま他数名の助力を確約しています。

 その折、西部戦争にも参加しましてフルブライト商会の助力を確約しました。

 またフォルネウスを討伐したウンディーネ女史にも個人的な縁を結びこちらも助力を確約しましたが、こちらはモウゼスではなくウンディーネ女史のみの助力です。

 他にもトーマスカンパニー内部に発言権を持ち、ロアーヌの発展に尽力をいただける約束もあります」

 どれか一つでも起きれば奇跡であるレベルの価値をつらつらと口から並べ立てるモニカに、ミカエルの目が丸くなる。

 そのままユリアンを見るミカエルだが、ユリアンは頷いて是である事を答えた。適当に言って誤魔化す理由もないが、流石に信じ難かったのだろう。傍で聞くユリアンでさえその心境が理解できたのである、実際にそれを目にして実行したユリアンでさえ。

 きょとんとしたモニカはおそるおそる口を開く。

「あの……まだ足りませんか?」

 訳あるか。

 己の実妹の天然さに一番呆れたのはミカエルだけの秘密である。

 僅かに絶句した後、自分を立て直したミカエル。

「それで、アウナスを倒したのは誰だ? 一人や二人で為しえるものではあるまい」

「エレン・カーソンさま。エクレアと名乗る少女。そこにいるリンさま。一人の妖精族。それにユリアンとわたくしですわ」

「――そうか。ユリアン、お前もか」

「微力ながら、尽くさせていただきました」

 まあ主君だけ四魔貴族の前に出して、護衛が戦わないというのはないだろう。少し考えればわかるそれに気が付かない辺り、今のミカエルは相当鈍い。

 しかしながらそれも当然、ビューネイの危機に関して対応できる手札がここまで一気に転がり込んできたのだ。感覚鈍麻を起こさない方が無茶というものだろう。

 こうなるとトーマスカンパニーがロアーヌに協力的だというのもモニカに手柄があるだろう。ロアーヌ発展の尽力を約束してしまっているならば、まさかロアーヌを見捨てる選択もできまい。

 そしてなによりアウナス撃破の栄誉が今は何よりも嬉しい。四魔貴族の一角を落としたというならば、ビューネイもまた同じ四魔貴族。士気高揚にこれ以上ない役割を果たす。ミカエルとしてはこのままモニカにビューネイも倒して欲しいというのが喉まで出かかるが、ユリアンはともかくモニカはそんなに強くなった気配がない。これで四魔貴族を倒したというのは疑問が残る。

「モニカ、尋ねるがお前もアウナスと戦ったのか? ただ一緒にいた訳ではなく?」

「はい。しかしその際、使い捨ての術具を幾つも使用してしまいました。お兄様の命令であればビューネイの前に立つ覚悟はありますが、結果は芳しくないかと」

 なるほどとミカエルは思う。モウゼスのウンディーネはフォルネウスを倒す程の術者である。そこから対アウナス用の術具を預かっていたのだろう。

 アウナスの一戦のみに特化した作戦をモニカは組み立て、実行した。そう考えればミカエルにも納得がいった。ならばモニカの扱いは決まっている。

「分かった。モニカ、お前はロアーヌに留まり四魔貴族討伐の旗を掲げよ。勝利の女神はロアーヌに在りとな」

「承知いたしました」

「ユリアン。お前には悪いが、もう一度死地に行って貰う。ビューネイの首、見事挙げてみせよ」

「御意」

「それでそなたは――」

(ツィー)(リン)と申します。麗しき侯爵様」

 あまりに艶のある声にモニカもそこで察した。実際、兄の色気にほだされる女というのは少なくない。妹をやっていればそんな事など数多くあった。

 しかしそれが共にアウナスを倒したリンから漏れ出たとなれば微妙な気分にもなる。モニカには珍しく表情がヒクヒクと引きつっていた。

 そしてそれをミカエル本人が気が付かない訳がない。だが彼はこれを好機と取った。この際、使えるものは何でも使わなくてはならないのだ。そう、己の美貌でさえ。

「リンか。好い名だ、心に響く」

「お褒めに預かり、恐悦至極…」

「しかもアウナスを倒す程の手練れだとか。報酬は十分に払う、我がロアーヌを襲う四魔貴族のビューネイの討伐にリンも参加してはくれぬか?」

「報酬にもよりますが、喜んでっ!」

 惚れた相手におだてられ頼りにされ、リンは報酬はさておいてビューネイ討伐を確約した。

 この娘、チョロ過ぎである。

 まあチョロくても問題はない。強いかどうかだけが問題なのだ。さて、そこで問題が一つ。フォルネウスとアウナスの両方を討伐したエレン・カーソンとエクレアは今現在どこにいるのか?

「ところでモニカ、エレン・カーソンとエクレアとやらは――」

 ミカエルの言葉は最後まで口にされる事はなかった。何故ならば、執務室の窓から見える中庭に突如として巨竜が舞い降りたのだから。

 中庭で作業していた者たちは当然悲鳴をあげながら逃げ惑う。兵士は武器を手に持ち、巨竜を囲む。

 そんな雑多な人間を無価値なものと断じ、舞い降りた巨竜はその場で寝そべる。どうやらふて寝したようにも見えるが、あれは一体?

 いや、分かっている。分かっているのだ。この状況でアレが何であるかくらいは分かってしかるべきなのだ。だが余りにミカエルに都合のいい状況が続きすぎてしまっている為、これが現実なのかという疑問が降ってわく。

「エレンさまとエクレアさま、そして詩人さまはグゥエインの説得に向かったのですが……成功したようですね」

 モニカの言葉を肯定するように、グゥエインの背中から三人の人間がロアーヌの中庭に降り立つ。エレンとエクレア、そして詩人。

 

 苦しい戦いから一転、過剰ともいえる戦力がロアーヌに転がり込んできた。

 報酬の話はしなくてはいけないだろうが、勝ち目は大きいと思わざるを得ないこの幸運に。

 ミカエルはようやく柔らかく微笑むことができるのだった。

 

 

 



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085話

 

 

 

 ロアーヌは慌ただしく動く。

 モニカがもたらした成果はそれ程に重く、そして大きかった。結論を先に言うと、ロアーヌはビューネイを迎撃しつつ追い打ちで仕留めるという、余裕を持った作戦をとれる程になったのである。

 アウナス撃破の栄誉をその身に纏ったモニカとユリアンが直属として舞い戻った。他にもアウナス撃破により余裕ができたという理由と、モニカに対する恩義によってという名目でフルブライト商会からは1000を超える兵とそれを支える物資、そして何より四魔貴族打倒の成果を持つエレンとエクレアにリン、そして詩人が派遣された形となる。もちろんエレン達への報酬はロアーヌが支払いをしなくてならないが、ビューネイを直接的に倒せる戦力というのは喉から手が出る程に欲していたもの。ビューネイを倒すという確約を持ってロアーヌに彼女らを迎え入れられたのは僥倖以外の何物でもない。

 更にはエレンたちが個人的にビューネイを倒す為の手段として用意した、巨竜ドーラの子であるグゥエイン。かの竜により、少数ではあるが直接的にビューネイの拠点を攻めるという作戦も可能となった。例えばタフターン山の霧の結界を突破するに兵士の土木作業を行うにしても、その際にビューネイの巣で彼女たちが暴れるだけで危険性は一気に低くなる。ビューネイ攻略が一気に現実味を帯びてきたのだ。

 ここでロアーヌは一息つく事にした。グゥエインはやや不機嫌そうながらエレンの話は聞く姿勢を見せているので、攻撃のタイミングはこちらで計れるという事である。ビューネイ軍の侵攻は気をかけなくてはならないが、それとて急に空中から現れる訳でもなくタフターン山から襲い掛かってくるのは自明の理。タフターン山を見張りつつ、ロアーヌは1000の兵を攻撃から治安維持に回した。これで領地で騒ぎが起きても治安維持に手が回るし、急速に国力が低下するという事態は避けられる。抜けた1000人の兵はフルブライトのそれで補えばいい。

 とはいえ、戦争準備態勢をし続けるのも疲弊するのは確かである。とっととビューネイを仕留めたいという事には違いない。

 ゆえに一息つき、間もなく送られてくるフルブライト商会の兵が組み込まれたらこちらから攻め込む算段である。グゥエインがいる以上、ビューネイは攻められる危惧を抱かなくてならず、それに対する圧迫効果も見逃せない。どちらが先に手を出すか分からないが、状況は五分五分に近いといっていい。しかもこれは現在の状況であり、劣勢だった方が望外の助力を得て勢いを得たのと、優勢だった方がいきなりその優位を崩されたのでは流れがどちらに来ているのか言うまでもない。ミカエルは勝ち戦の予感をひしひしと感じながら、喜び勇んで職務に励んでいた。

 

 そしてミカエルの多忙が落ち着いたのは、夜。グゥエインが着地した中庭は突貫工事で竜の寝床が作られており、世話係まで手配されていた。まあ、人を喰らう竜の世話係である。普通に貧乏くじではあるが、一方でグゥエインはビューネイを打倒するには最重要といっていい駒である。失礼があっていい訳がなく、その人選にもひと騒ぎあった事は明記しておこう。

 とにもかくにもミカエルは篝火で照らされる中庭に参じていた。供にはモニカとハリード、そしてユリアン。中庭に元々いたのはグゥエインとエレンにエクレア、そしてリンと詩人である。

 ビューネイ打倒の相談とあって、人払いは済ませてある。なにせゴドウィンを取り込む程の相手である。どこから情報が漏れるのか分かったものではない。機密情報は極力、流さないに限るのだ。

「待たせたな」

『全くだ。だがまあ、いい陽気で昼寝ができたからよしとしよう』

 自分の体よりも巨きい竜にミカエルは厳かに言葉をかけるが、返ってきた言葉は意外にもユーモアに溢れていた。

 10年程前から凶暴化したという情報を得ていたミカエルとしてはやや肩透かしをくらった気分でもある。

『そう驚いた顔をするな。我は知る気もないが、人間は色々と面倒な生き物だという事くらいは知っている。昼寝をする程度の時間待たされたとていちいち怒らぬ』

 その言葉を聞いて、ミカエルは今度こそ虚をつかれた。

 グゥエインは竜であり、人間に属してはいない。もっとはっきりと言ってしまえばモンスターの一種である。

 もちろん本能のままに暴れるだけの野獣とは思っていないが、人間の事情を鑑みる程の理性があるとも思えなかった。ましてや10年前から凶暴化したとはとても思えない言葉である。

 ミカエルとしては数時間も待たせた事に怒りの言葉が真っ先に飛んでくればいい方、襲い掛かってくることさえ有り得ると思っていたのだ。まさか軽口を叩かれるとは思ってもいなかった。

「いや、穏便なのだな。もう少し荒い気性をしているかと思っていたが」

『この地の主はお前だろう、ならば相応の敬意を払おう。獣のように思われるのは不快だ』

 むしろミカエルの意外さの方に機嫌を悪くした風でさえある。それも軽い言葉にのった程度であり、言うなればグゥエインからは対等という様子さえ透けていた。ロアーヌの主とルーブ山地の主、等しいその立場といった具合に。

 こうなるとますます近年の凶暴化の説明がつかない。

「いやなに、最近のグゥエインは凶暴になったという噂が流れていてね。それで疑問に思った次第だ。そう気を悪くしないでほしい」

『我が? いちいち癇癪を起こす程に幼くないぞ』

 ちらりと詩人に視線を向けた意味を知るのは彼と、エレンとエクレアだけである。他はその視線の意味が分かる訳がない。

 と、凶暴になったと言われた事にグゥエインがふと思い至った。

『ああ。そういえばここ数年、我が領地で人間が村を作る事や荷を運ぶ事が増えたな。我が領地に侵入した以上、我の獲物である。

 確かに人を襲う事は増えたやもな』

「……グゥエインの領地?」

 意外そうに聞くミカエルだが、それを聞くグゥエインもまた意外そうだった。

『なんだ、聖王から聞いていないのか?

 300年前、母ドーラが聖王と共にビューネイを討った時、その報奨としてルーブ山地一帯を正式にドーラとその子孫の領地と認めた。故に母ドーラ亡き今、ルーブ山地一帯は我が領地という訳だ』

「あー。確かにフルブライトにはルーブ山地とその周辺は竜の領域であるからして立ち入るべからずという話は残っていたな。そこらの支配権を奪ったドフォーレ商会がそれを知っていたかは知らんが、たぶん知らなかったんだろう」

 詩人の、ある2人にとっては白々しい説明によって、おおよその経緯を全員が把握した。

 今までのグゥエインは、例えば迷い込んだ旅人や人から隠れて住まう野盗など、そういった入り込んだ者を襲う事はあっても、領地の外に出る事はなく村や町が襲われる事はなかった。だから刺激しなければ問題ないと思われていたのだが、そのグゥエインの領地にドフォーレ商会が村を立てて交易路を作った。

 グゥエインにとっては今までと違いない行動ではあるが、人にとってはそうではない。今までは近づかなくては危害を加えなかったグゥエインが積極的に人々を襲うと映ったのだ。

「では、貴殿の母ドーラは何故聖王に討たれた? 領地内で行動する事は聖王が認めたのであろう? 他ならぬ聖王がその約束を破ったのか?」

『それは違う、約束を破ったのは母ドーラだ。母ドーラは己の領地の外に居る人間を襲ったのだ。そして聖王の再三の警告も聞かず、やがて聖王に討たれた。

 何故そのような事をしたのかは知らんがな』

 嘘だ。何故そのような事をドーラがしたのかを、グゥエインは知っている。

 襲い、奪うのは竜の性。それに従って生きてきたドーラだが、聖王と共に行動するにつれて人間に親しみを感じた。感じてしまった。しかし今更長年の習性を変えられる訳もなく、人を親しく思うようになったドーラは苦悩する事になる。喰らうも苦痛、触れられぬ事も苦痛。聖王やアバロンといった例外を除き、恐怖と悪意に晒されるという苦痛。

 それに耐えきれなくなったドーラはやがて間接的な自死を選んだ。人への情を捨て去り、竜として暴れる。そして最期は友の手で死にたい。そう願ってしまったのだ。

 ちなみにこの話はアバロンがちょくちょくドーラに会いに来た時、彼にドーラが相談していたのをグゥエインが聞いていたから知っているのであった。世界を復興する意欲に燃えていた聖王と違い、アバロンにそのような気概はない。暇になった彼は適当に世界をぶらつき、それにも飽きたら聖王の顔を見に帰るという生活をしていた。聖王が彼の子供を孕むまでの数年の話である。

 そしてその話を聞いていたアバロンはせめてグゥエインに同じ道を歩ませないよう、人間と竜の線引きというものをしっかりと教育していた。わざわざ住処まで来たエレンたちをいきなり獲物として見なかったのはその為である、用事があって来た相手をいきなり襲ってはいけないと。

 昔話はさておいて、ミカエルは思った以上にグゥエインという竜が理性的な判断をしている事に驚き、そしてそれ以上に喜んだ。

 人間全てを下等と見下すならば対応も一苦労だが、相手はちゃんとこちらという個を認めている。少なくともロアーヌの主であるミカエルと、共にビューネイを倒すという目的を持ったエレンやエクレアは対等に見ているだろうという事が分かった。ならばこちらとしても礼節を保って相手をすればいい。そうすれば下手に襲われる事はない。

 随分と楽になったと思ったミカエル。そんな彼を見て不機嫌そうに鼻をならすグゥエイン。

『とはいえ、母ドーラが聖王に討たれたのは事実。我は人間は好かぬ。今はビューネイを倒す為、一時協力してやっているに過ぎん。

 そこのエレンやタチアナが認めた人間でなければ、我の背中に乗る事はできぬと思え』

「詩人は?」

『そいつは別枠だ』

 ミカエルの言葉に素っ気なく答えるグゥエインだが、その内心は結構ビクビクだ。

 なにせ詩人はグゥエインの育ての親であると同時、母ドーラを討った聖王よりも圧倒的に強い存在だと知っているのである。それなのにへりくだることもできず、かといって偉ぶれる訳もない。この対応で詩人の機嫌を損ねないか、分からないのだ。

 そんなグゥエインの内心は知らず、思わずといった風情で聞きなれぬ言葉を拾ったのはモニカ。

「タチアナ?」

「あ、それ私の本当の名前。今まで隠してたけど、もういいかなって思って」

 気軽にそう言うエクレアと名乗っていた少女、タチアナ。

 なにせ本名がバレても実家に連れ戻されるという危険がなくなったのである、名前を隠す意味はなくなった。

 まあ尤も。愛娘が四魔貴族に挑んでいると知ったら、アレクセイ会頭は死に物狂いでなんとかしようとするだろうから、実はあまり良い手ではなかったりもする。今現在はそんな無茶なことをしているとは思われていないからこその自由だとは彼女は気が付いていない。

 ともかく彼女は本名であるタチアナを名乗る事を選択した。ちなみに面倒事になりそうなのでラザイエフは名乗らないが。

「ちなみに何人くらいなら乗れるのだ?」

『5人が限度だろうな』

 グゥエインの言葉に考え込むミカエル。エレンとタチアナ、ユリアンとハリード、詩人にリン。6人である。一人余る計算だ、いったい誰を外すか。そう考えるミカエルだが、意外なところから声があがる。

「そうかい、じゃあ俺はお役御免だな」

 そう言うのはハリード。それに驚きを持って口を開くミカエル。

「何を言う、ハリード。お前はロアーヌとして最大の戦力だ。是非ともビューネイを討伐してもらいたい」

「悪いが、勝算の低い戦いに命を張るつもりはなくてね」

 熱く語るミカエルに冷ややかに返すハリード。そのまま醒めた視線でエレンやタチアナ、リンにユリアンを見る。

「どいつもこいつも俺より弱い、四魔貴族を相手にするのに子守をしながらじゃあ無理だ。そしてその詩人はそもそも信用できないときている。

 ミカエル候。あんたの護衛なら受けてやってもいいが、悪いがビューネイと戦うところまでは付き合えない。いくら金を積まれても引き受ける気はないね」

 勝ち目が薄い、それがハリードの出した結論であった。

 無いとは言わないだろう、曲りなりともフォルネウスとアウナスは討伐された。しかしながら、それは分の悪い賭けに勝っただけであり、命を賭けてそれに準じるつもりはハリードにはない。

 彼は名誉よりも命が惜しかった。いや、命が惜しいというと少し語弊がある。命がけでやらねばならない事が他にあるのだ。こんなところで命を賭けている場合ではないのだ。例え四魔貴族を倒したという栄誉がその目的に沿うものであっても、四魔貴族討伐という危険すぎる橋を渡る訳にはいかない。

 こうなってはハリードを説得させる事は困難だとミカエルは悩む。ミカエルとしてはハリードとユリアンに四魔貴族を討伐してもらい、ロアーヌと協力者がビューネイを倒したという体で話を進めたかったのだ。これがハリードを除いた面々であるとロアーヌの色が薄すぎる。フルブライトとその協力者になりかねない。

 どうするべきかと考えるその横から助け舟を出したのは詩人だった。

「じゃあ金以外の報酬ならどうだ?」

「……なに?」

「例えば、そう。ファティマ姫の情報」

 ハリードの目が見開かれた。

 ファティマ姫が誰だか知らない他の者としてはきょとんとするしかないが、ミカエルだけはその名前に憶えがあった。

「ファティマ姫――確か、ナジュ王国の姫君だったか?

 ハリードの肌の色からしてそちらの出身だとは思っていたが、ハリードなどという強者は聞いたことがない」

「そりゃ偽名の一つも名乗ろうってものだろう、国を滅ぼされた王族としては。

 なあ、エル・ヌール?」

「っ! 貴様、知っていてっ!!」

「当然だろ。カムシーンの試練を潜り抜け、その曲刀を手にした男の名前だ。

 顔を知らずとも、その剣を見れば誰かは分かる」

 ギリィと歯を食いしばるハリード。エレンやタチアナとしては自分の正体を隠しつつ、相手の正体を暴く詩人に引きつった笑みしか出てこない。やはりこの男、相当に悪辣だ。

 また一方でミカエルはハリードの曲刀をカムシーンだと見抜いた詩人の眼力に驚いていた。カムシーンの伝説は有名であり、己の剣にカムシーンと名付ける者は少なからずいる。ハリードもそんな手合いの一人だと思っていたが、どうやら本物らしかった。そしてそれ以上にカムシーンを知っていた詩人に警戒心を抱く。

「……。姫は、生きてらっしゃるのだな?」

「少なくとも2年前までは」

「っ! なぜその時に姫を助けなかった!!」

「そりゃお前、俺にファティマ姫を助ける義理があるかい?」

 道理である。ハリードならともかく、詩人にファティマ姫を助ける理由はない。

 分かってはいる。頭では分かっているが、頭と感情は別物である。ハリードの腸は煮えくり返っているが、かといってファティマ姫の情報源をここで斬る訳にもいかない。

 それにこの男、詩人は強い。あるいは自分より。それが分かっているからこそ、ハリードは手を出せなかった。

「――くそっ!」

「当分死にそうな様子はなかったからたぶん今も生きているとは思う。

 どこにいるか、ビューネイを討伐してくれたらしっかりとした情報をやろう」

「分かった、分かったぜ! やればいいんだろう、やれば!!」

 やけくそ気味に叫ぶハリードに詩人は満足そうに頷いた。そして追加で要求を足す。

「あ、子守もよろしくな。誰か一人でも死んでいたら、ファティマ姫の墓所に案内する事になる」

「っっっ! くそぉぉぉーー!!」

 そんな理不尽な要求も、ハリードは呑む。遠回しに呑まなければファティマ姫を殺すといっているのだから呑むしかないだろう。

 やりたい放題の詩人への怒りと、そして言われたい放題の自分の不甲斐なさに。屈辱を飲み込みながらハリードは絶叫をあげて耐えるのだった。

「その……ごめんなさい」

 思わずエレンが謝ってしまう程の容赦のなさである。何故エレンが謝るのか分からないが、詩人側の誰かが謝らなければならないと感じたのだろう。

 そしてそんなハリードを哀れに思い、それと同時に取り込む策を弄するのがミカエルである。

「ではハリードの報酬は決まったな。ロアーヌはファティマ姫の後見となろう」

「……そうして貰えると助かる」

 たとえファティマ姫を見つけたとして、さすらいの旅に連れまわすのは酷だろう。面倒を見てくれる国があるのとないのとでは大きな違いだ。

 ミカエルとしてもこれでハリードを取り込めるのではという下心もあった。神王教団を敵に回す可能性は高くなるが、この期に及んで祈ってばかりで援助の一つもしてこない坊主どもより、カムシーンを持つハリードの方がよほど有用である。少なくともビューネイに攻められ、ロアーヌ存亡の危機に面している現在、ハリードという手札を失う訳にはいかなかった。

 そして一人分の報酬を確定させたミカエルは、次いで他の者を見やる。

「ハリードの報酬は決まった。ユリアンはロアーヌのものであるからして、ビューネイの首を獲った暁には私がじきじきに報奨を用意しよう。

 他の者も欲すれば言うがいい」

『では我は宝石を所望しようか。金は詩人にたっぷり貰ったしな』

 真っ先に言葉にしたのはグゥエインだった。余りに分かりやすい報酬だが、まさか断る訳にもいかない。竜の所望する宝石ならば、質はともかく量は多くなければならないだろう。

 いきなり多額の出費がかさんでしまったミカエルは心の中で頭を抱えた。

「俺はいらない。ファティマ姫の正確な場所を見つけなければならなくなったからな、今夜にでもロアーヌを発つ」

「なに?」

 そして詩人はビューネイ戦には関わる気はないらしい。それに眉を顰めるのはミカエル。彼としてはガルダウイングを一撃で仕留めた詩人には是非とも協力を仰ぎたかった。

「は。人に押し付けるだけ押し付けて、自分は逃げるのかい?」

「別に参加してもいいが、その時間の差でファティマ姫の行方が分からなくなっても知れないぞ?」

「ぐっ!」

「まあまあ。詩人の分はあたしたちが頑張るからさ」

 そこでエレンが仲裁役を買って出る。ここら辺は面倒見の良さが出ているといっていいだろう。

 実際、この2人の相性は最悪だ。武器こそ振るわないが、特にハリードが抱く悪感情はどうしようもないレベルになっている。

 エレンとしては詩人がビューネイと戦えない理由を聞いているので、どうにか理屈をつけて逃げ出そうとしているのが分かる。サラの安全を確保してくれるであろう詩人には気も遣うというものだ。そこに個人的感情がなくもないが。

「そういうエレンはどんな報酬が欲しいかな?」

「――あたし、ですか」

 ミカエルに聞かれてエレンは一瞬沈黙する。言っていいかどうか、躊躇った後、彼女はこう言い放った。

「あたしは土地が欲しいです」

「ほう。貴族号が欲しいか」

「あ、いえ。そんな広い土地じゃなくて、一軒家を」

 何が言いたいのか、首を傾げるミカエル。家は確かに安くないが、四魔貴族討伐の報酬にしてはあまりに軽い。

 しかし続く言葉にエレンの望むものの具体性が見えてくる。

「人里離れた土地に、誰も自由には入れないと約束された土地が欲しいです。期間は未来永劫、一種の禁域扱いでも構いません。

 その小さな土地で、静かに暮らせれればいいんです。四魔貴族を倒して平和になった後に」

 つまりエレンは四魔貴族を倒した後の暮らしを気にかけているのだ。名誉などは欲しないらしく、騒ぎ立てられる事無く暮らしたいという事だろう。未来永劫立ち入り禁止とはなかなか徹底しているが。

 その意味を汲み取れたのは詩人とタチアナ。未来永劫とはつまり、老いる事がない詩人はそこでならゆっくりできるという事だ。詩人は人の世の中で永遠などないとは分かっているが、百年かそこらは静かな暮らしができるということである。それだけの時間があれば、この騒動のほとぼりも冷めるだろう。

「じゃあ私もそれに合わせてさ。丈夫な家を建てて、畑や果物の木とか、家畜も用意してよ。いつまでもゆっくり暮らせるように」

 だからこそタチアナはそれにのった。恩人である詩人の為ならば、要らない報酬を使い潰すのも悪くない。そして二人分の報酬となれば、ミカエルも頷かざるを得ない。これを撥ね退けてしまえば、最悪彼女らの助力を失うかも知れないのだ。

 それに滅多に手に入らないものとはいえ、高い価値があるものでは少なくともロアーヌ候にとってはない。彼としては滅多に人が入らない場所に家を造り多少の整備をして、誰も近づくなと命令すればいいだけなのだ。安いといえば確かに安い。

「よかろう、その願いを聞き遂げた。ただ、不足するものもあろうからロアーヌからたまに行商人を出すのはどうか?」

「あ、それいーね。ありがと」

「あたしたちも買い出しに出るかもしれませんが、運んでもらえるのは嬉しいですね」

 無邪気に喜ぶ女二人だが、これには禁域の意味が薄れてしまう事には気が付いていないらしい。やはり交渉や政治といった面で疎い彼女たちに詩人は苦笑する。

 ロアーヌとしても四魔貴族を倒した者たちの様子を全く窺えなくなるのは困るだろうから、どうせ何かしらのアプローチをしてくるのは目に見えているので放置したが。

 さて、残るのはリンであるが、艶を含んだ視線をミカエルに送っている辺りおおよそは察せるというものだ。できれば聞きたくないが、聞かない訳にもいかないだろう。

「さて、リン。そなたは何を望む?」

「ミカエルさまのご寵愛を」

 余りに直接的なそれに、思わず全員が絶句する。聖王のこの文化において、男が女を求めるのならともかく、女が男を求めるのは非常にはしたない部類に入る。それをロアーヌ候に臆面もなく言うのだから、一般的には厚顔無恥というものだ。

 しかしリンの常識ではそうではない。そもそも、彼女の出身であるムング族は狩猟民族だ。強い者や巧みな者と交わり、結婚しないまでも子供を儲けるというのは珍しい話ではない。というよりも結婚するという概念が薄く、村の子供は男たちにとって皆自分の子供と同然である。流石に族長などの身分の上の者は結婚をするが、それも男がそれなり以上に成果を見せていなければ、例え族長の子供だろうと女が嫌がる。

 そしてリンは族長の娘であり、彼女ならば子供を産めば族長の血筋であることが確定する。そして強さを示した女には男から群がってくるものであり、実はリンは相当モテた。だがそのモテた状態が普通のリンにとって、恋愛とは無縁な存在だったのだ。要するに誰でも選べるからこそ誰も選ばなかったのである。あるいは詩人が東に来るのがもう少し遅ければ詩人に恋をしたのかも知れないが、あいにくとその時分のリンは子供過ぎて恋愛感情を持つには幼過ぎた。

 そうこうしているうちに西に来てしまったリンは、ここロアーヌで電撃的な一目惚れによる初恋を経験する事になった。まあ、強い者が好まれるムング族であっても美醜は存在するし、外見に惚れるものがない訳ではない。リンの初恋はそうだったというだけの話である。

 詩人としては両方の常識を持っているが故に、また親戚の子供のような感覚を持っていたリンがぶっちゃけた事にフリーズしたのだが。

「……それは、側室という意味か? まさか正室ではあるまいな?」

「いえ。子供を授かればそれで構いません」

 ミカエルが必死に自分の常識で心を立て直そうとするが、やはりリンの答えは斜め上。男が女を孕ませたいというならばともかく、女が男の子供を欲しいなどとは一般常識で言わない。結婚するならともかく、それすらも無しである。

 もはや西の文化人にとって、リンの発言は宇宙人のそれである。リンとしては自分の常識に至極当然なだけであるのだが、異文化の怖さというのが如実に表に出ていた。

「リンの出身ではそれは当然のことなのか?」

「? そうですけど?」

 思わずユリアンが問いかけれれば、リンも空気のおかしさに気が付いたのか首を傾げながらそう答える。

 リンが東の出身と知る者にとっては、東の恐ろしさを戦慄しながら実感している最中である。実際はムング族が特殊であり、更にリンの境遇が輪にかけて特殊なのであるが、詩人くらいしかそれは分からない。

 なのでここは自分がフォローを入れなければならないだろうと詩人が口を挟んだ。

「あー。リンはとある部族の、族長の娘なんだ。自由恋愛が許される身分で、子供さえ産めば誰からも文句を言われない。結婚する必要すらない。

 ほら、いるだろ。若いうちに女と遊んで種を蒔く貴族とか豪商とか。それの女性版みたいなものだと思ってくれ。少なくとも、彼女は彼女の故郷に何も恥じ入る事はしていない」

「失礼ですね、詩人さん。私は遊びじゃありませんよ?」

「遊び人はみんなそう言うんだよ」

 遊んで許される身分の、女性版。それでなんとか自分の常識に当てはめる事ができた一同。もちろん下手に種を蒔いて数ばかり増やしてしまえば家督争いなどが起きてしまうので推奨される訳はないのだが、それも遠い別の部族の話であるならロアーヌには関係ない。そもそもとして女には産める数にある程度の制限があるのだから、多少数を産まないと何かの拍子に子孫断絶となりかねない。リンはその相手の男を、特定の誰かにする観念がほとんどないのだ。むしろ見方を変えれば色々な男の子供を孕み、その中で一番優秀な子供を選ぶという事さえできる。

 となればミカエルの心の問題だけとなるのだが。何度でも言うが、今現在ロアーヌは存亡の危機なのである。手段など選んでいられる訳もなく、そもそもとしてミカエルはモニカを政略結婚の道具にしようとしていたのだ。まさかそれが自分の身に降りかかって嫌だと言える訳もない。

(これも因果応報というものか)

 目を閉ざし、思い描いた女性に詫びて。ミカエルは瞳を開いて頷いた。

「それがお前の望みならそうしよう。ただし、その子にロアーヌの相続権は与えない。それでいいな?」

「もちろんですっ!」

 喜色を浮かべるリンだが、場の空気はよくない。詩人だけはそうでもないが、他の者はカルチャーショックを受けている最中である。

 そんな中、モニカが心配そうに兄を見た。

「お兄様……」

「…………」

 それに無言で答えるミカエル。だが仕方ない、これは仕方のない事なのだ。

 誰も悪くない、誰も損をしない。リンは産む子供に族長の血筋という身分を与えられるし、ミカエルだってロアーヌを切り売りする訳でない。

 ただ、それで心が整理できる訳ではない。ゆえにミカエルはそれから視線を逸らし、モニカを見る。

「モニカ、お前の此度の働きは見事であった。お前にも何か報いたいが、何か望むものはあるか?」

「――あ」

 一瞬だけ彼女の視線がユリアンに走るが、まさか口に出せる訳もない。

 今現在の兄に言うのも酷な話であるし、ユリアンに想い人がいる事も知っている。何より貴族と平民が結婚することなど、できる訳がない。

 でも、それでも。許されるのならば――!!

 心の整理など、そう簡単にできるものではないのだ。

 モニカの表情と視線でおおよそを察したミカエルは、やはりかと心の中で嘆息した。血を分けた実の妹であり、その恋心の在り処などミカエルにはお見通しらしい。だが、はいそうですかと認めては貴族社会は立ち行かない。

「時間はある、ゆっくりと考えるがいい」

「はい、お兄様」

 

 おおよそ微妙な空気の中、その場は解散となった。

 これから進軍の準備が整うまで。あるいはビューネイ軍が攻撃をしかけてくるまで。

 ロアーヌにはしばし、空白期間が流れる事になる。

 

 

 




ご報告です。

この話で、いったん詩の筆を置かせていただきます。
絆の時には薄々分かってはいたのですが、どうやら私は同時に二作を書く事ができないタイプのようです。どっちつかずになってしまう。
ですので、ここからしばらくの間はオリジナル小説の執筆に全力を注がせて下さい。

詩の次回投稿は、おそらく4月の下旬にはできると思います。
どうかよろしくお願いいたします。


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086話

まだだ、まだエタらんよ!

そしてUA100000超えしました。
ご愛読、ありがとうございます。


 中庭で、グゥエインとの話し合いが終わると解散になる。

 翌朝にはロアーヌを発つ詩人、いつビューネイが襲ってくるとも知れない今では最低限の緊張を維持しておかなくてはならないミカエルなど、三々五々に散っていく。

 そんな人間たちの後ろ姿を見送ったグゥエインは、大きなあくびを一つしたかと思うとまたも楽な体勢になって眠りにつく。

 宝を愛でて、腹いっぱいに喰い、十分に寝る。実はグゥエインはそれで結構幸せになれてしまえる性質なのだ。後はたまに空を気ままに飛べれば言うことなし。案外質素な竜だとは、実は詩人さえ知らない事実である。

 

「あんた、性格直したら?」

「長年こんな性格しているんだ、今さら簡単に変えられやしないさ」

 呆れた風のエレンの言葉を詩人はさらりと流す。

 詩人は悪人という訳ではないのは彼女にはよく分かっているが、間違いなく性格は悪く、そして気が付きにくいが誠実なのだ。

 先ほどを例にあげれば、ハリードをあそこまで煽らなくても良かったはずである。出す情報を絞り、自分が善人面することもできたはずだ。しかし詩人はそうしない。最終的にそうした方がいいという判断もあるのだろうが、彼は自分がした事に対して責任を放棄しない。

 つまりは10年前。ナジュ王国滅亡の際にファティマ姫の、ひいてはナジュ王国の味方をしようとしていなかったという事実を以って、ハリードが詩人を恨むのは当然だと許容しているのだ。別に黙っていればバレはしないのにわざわざ恨まれ役を買ってでるあたり、苦笑よりも先にため息が出る。

 それにこの性格の悪さは地でも確かにあるのだろう。詩人の部屋で紅茶をすするタチアナを見ながら、エレンは思う。詩人はわざわざこの部屋にいる()()()の紅茶をカップに淹れて置き、さらに伏せたカップを二つ用意していた。予想される未来に対してここまで用意するのは流石に趣味が悪いと言わざるを得ない。タチアナはそれが分かっているのか分かっていないのか、お茶に添えられたお菓子をもむもむと頬張るのみだ。一緒に四魔貴族を倒してきた仲間としては分かって素知らぬ顔をしていると信じたいが、それはそれで面の皮が厚い。

 まあ、黙っているという事はすなわちそういう事なのだろう。姉貴分としては頭が痛い。

 比較的に人が好いエレンはこの状況を俯瞰しつつ、諦観を持って用意された紅茶を飲む。どうなるかは予想がついている、今は待ちの時間なのだ。

 そして一杯目の紅茶を飲み終わり、更にそれが冷め切る頃になってドアがノックされる。

「どうぞ」

「失礼する」

 そういって入ってきたのはミカエルと、ハリード。ハリードは険しい顔を隠そうともしていないし、ミカエルのにこやかな笑みもテーブルの上を見た瞬間だけ引きつった。

 無理もないとエレンは思う。言外に打つ手は見切っていると言われれば誰でもこのような反応をするというものだ。ついでにその対象が自分でなくてよかったとも。

「――どうやらお見通しのようだったようだな」

「何を言っているのか分からないが、とりあえずお茶でもいかがかな?」

「いただこう」

 意味のないすっとぼけをしつつ、伏せた2つのカップを表にしてポットからお茶を注ぐ詩人。

 椅子に座り、その紅茶に軽く口をつけるミカエルとハリード。流石というべきか、その所作は優雅の一言に尽きる。

「さて、ミカエル候。話し合いも終わったこんな夜分にどんな要件かな?」

「分かって言っている辺り、性格がいい」

 伏せたカップまで用意しておいて、知らぬ存ぜぬもないだろうと苦笑するミカエル。この茶番劇が気に食わないのか、ハリードの眉間のしわがますます深くなる。タチアナは完全に場の空気を無視しており、耳だけは傾けながらも口は飲食にしか使わない。

 エレンはここまでする必要もないだろうと、嘆息しながら話を進める。

「もちろん、ミカエル様のご助力を頂けるならありがたいです」

「ちなみに、エレンは詩人の目的地はどこかご存知かな?」

「はい、リブロフです」

 詩人とやりあっていたら夜が明けてしまうと、そうそうに見切りをつけてエレンに話を振るミカエルに端的な返事をする。

 話し合いがその二人に移ったのを見やって、詩人は傍観に回る。

「ほう、リブロフ。確かにナジュ王国に住んでいた者たちの多くはリブロフに移ったとは聞いた。しかしその中に王族がいれば、流石に神王教団が気が付かない訳がないと思うのだが?」

「もちろんです。ですので、ファティマ姫がいる場所はナジュ砂漠のどこかと聞きました。神王教団に見つからないように隠れているのだと」

 嘘だ。10年前に詩人が何をしたのか、エレンはその口から聞いている。

 グゥエインを説得したルーブ山地の奥底で、この先の話し合いは既に終わっているのだ。

 

 

 

「さて、ここでしか話せない話をしようか」

 その時に場面を戻す。

 ルーブ山地のグゥエインの前。詩人が己の名前と半生、そして目的を明かしたその時まで。

「ここでしか話せない話って?」

 タチアナがこてんと小首を傾げながら問うが、流石にそのくらいは察して欲しいとエレンは苦笑いを浮かべた。

「詩人の名前とか、その他諸々は外で話せないでしょ? どこで情報が漏れるか分からないわ。なら、残りの四魔貴族の事とかこの先どうしたらいいのか、気兼ねなく話せる場所は貴重だわ」

「あ、そか」

「……お前、俺の秘密をところ構わず話すつもりだったのか?」

『真、聖王を思い出す抜けっぷりだな』

 呆れ果てる詩人とグゥエイン。確かにもうちょっと考えろとは言いたくなるだろう。

 てへへと照れた笑みをこぼすタチアナを白い目で見つつ、こほんと咳払いをして場を直す詩人。

「まあ、先の話もしなくてはならないが、聞きたい事があるなら先に聞くぞ」

「ん~。私は特にないかな。詩人さんは詩人さんだし、今まで通りだし」

 タチアナはあっさりとそういう。彼女はそういう人間なのだ、立場なんてものに意を介さずに自分で見聞きしたものを全てと言い切る、純粋な少女。その大前提に相手を間違いなく見抜くことが必要になるが、幸いというかそれも兼ね揃えている。

 対してエレンはそこまで真っすぐにはなれない。聞かなくてはいけないものは聞かなくてはならないというのが彼女のスタンスである。

「じゃあ…詩人が聖王と一緒に300年前に四魔貴族と戦ったんなら、倒す順番にも意味があったの?」

 その言葉にスっと詩人の目が細くなる。

「どうしてそう思った?」

「だってあたしが相談したとき、真っ先にフォルネウスを推したじゃない。やろうと思えばアウナスやビューネイを先にする事もあなたなら可能だったのに」

 チラリとグゥエインを見ながら問うエレン。

 思い返せば、エレンは自分で調べて四魔貴族の元に辿り着いた事がない。バンガードを動かす手配をしたのも詩人、最果ての島に向かうように言ったのもブラック、ジャングルでの道案内だってエレンが偶発的にようせいを助けなければ詩人の持つ妖精の弓に頼る事になっただろうから他に目を向けさせるのは簡単だったはずだ。氷の剣を手に入れたのもそう、詩人が言わなければ手に入れるという想像すらしなかった。

 自分で判断し、動いているように見えたその実、詩人の指示があった事に気が付かない程エレンは愚鈍ではない。

「……気が付くか」

「そりゃ気が付くわよ」

「俺も耄碌したかな」

『齢万年が今更何を言うか』

「それ、言うな」

 痛いところを突かれて苦笑いを浮かべる詩人。確かにこの世界で一番耄碌しなくてはいけないの詩人だろうが、体も脳も若いままなのは本当なのだ。言い返せないだけ辛い言葉である。

 とはいえ、自分に慢心して溺れなければ気が付いてしかるべき事柄でもある。それにここまで言った以上、隠す意味はない。詩人は答えを口にする。

「――四魔貴族は、というよりゲートは。閉めれば閉める程に残るゲートに力が集まる」

「「!!」」

「4つのうち半分閉めれば倍に強くなる程単純ではないが、アビスの力はゲートを閉めれば世界全体に流れる量が減るのはその通りだ。

 だが、ゲートが減れば残るゲートにアビスの力が集中するのは道理だろう?」

「じゃあ、四魔貴族でやっかいな方から倒していくように誘導したってこと?」

 タチアナの声に首を振るエレン。

「そうじゃないはず。聖王詩では、一番聖王が苦戦したのはアラケスだって……」

「その通り。だからアラケスは最後にした」

 一番手強い敵を一番強化させて最後に残す。一瞬意味が分からなかった2人だが、その答えはグゥエインが口にした。

『なるほど。最後ならば貴様が剣を振るえばそれで済む、という訳か』

「そうだ。アラケスは俺が斬り、そのままゲートをこじ開けてアビスへ向かえばいい。故に最後に最も手強いアラケスを残したって訳だ」

「あ、そか。最後の戦いは詩人さんも参加するんだね」

「も、っていうか。俺一人で十分だ」

 ごくあっさりとそう言う詩人だが、その背景を知らなければ世迷言にしか聞こえないだろう。魔王亡き後、300年間世界を支配した四魔貴族とは飾りではないのだから。

 そしてその話を裏返せば、他の四魔貴族は強い順に倒していったという事になる。

「じゃあ、二番目に強い四魔貴族はフォルネウスで、一番弱い四魔貴族はビューネイ?」

「いや、一番弱いのはアウナスだな」

 それを軽く首を振って否定する詩人。

「アウナスの目的は生きる事だが、ゲートと繋がって限りなく死ににくくなっている今、その心配はほとんどないといっていい。だから一番必死さが足りないんだ」

「んじゃ、なんでアウナスを先にしたの?」

「ビューネイと戦うなら強い味方がいるだろ?」

 そういってグゥエインを見やる詩人。それに気をよくした巨竜の鼻息が荒くなる。

「それにロアーヌに近いなら、上手くすればハリードも巻き込める。相対的に難易度は低くなるって訳だ」

「なるほど」

「……ハリード?」

 その人物を知らなかったタチアナが軽く首を傾げる。

 確かにタチアナはハリードと面識がなかったかと思いなおす詩人。

「ロアーヌにいる傭兵さ。トルネードの異名を持つ」

「ふーん。強いの?」

「サザンクロスと同等以上と思っておけばいい。そうでなくては、俺の次くらいに強い人間とでも思っておけ」

 その言葉に目を見開く全員。まさかそこまで強いとはエレンも思っていなかった。

 とどのつまり、あの嵐のシノンには世界最強の1位と2位の人間が居たという事になる。

『実質的に世界最強の人間、か』

「俺を人間の括りから追い出そうとするの、やめろ」

『分類的にはともかく、そういった話でお前が人間の中に入ろうとするのやめろ』

 言い合うグゥエインと詩人だが、エレン的にはグゥエインに賛成したいところだった。

 詩人をこういった事で人間の範疇におさめてしまうと、最強の座が不動になってしまう。そこからは自分から退いて欲しいと思うのはきっと間違った感想ではないだろう。

「どーでもいい言い合い、やめたら? ガキっぽい」

『「…………」』

 そして14歳にガキっぽいと怒られる、300歳超と推定一万歳。というか、コイツにだけは言われたくないとその表情からでも分かる。

 どっちもどっちだなぁとエレンはそこら辺を全体的に無視する事に決めた。

「まあ、四魔貴族を倒す順番の意味は分かったわ。それであたしたちはこれからどうしたらいいのかしら?」

「ん。宿命の子がサラだと分かった以上、手に入れなくてはいけないのは後2つだ」

 エレンの話に乗った詩人は指を2本立てる。

「それは?」

「ビューネイを倒す戦力を集める事と、魔王殿の封印の扉を開ける鍵を手に入れる事だ」

 やや抽象的な表現にエレンの顔が曇る。

「ごめん、もうちょっと分かりやすく」

「前者はハリードを引き込めれば後は十分だろうし、魔王殿の封印の扉を開けるには聖王遺物である聖王の指輪――今は王家の指輪と言われているものだったか。それが必要になる」

「ハリードさんを引き込めるかしら?」

「王家の指輪ってどこにあるの?」

 エレンとタチアナが口にする。詩人はゆっくりとそれに答えていく。

「まずハリードだが、奴はまず間違いなくナジュ王家の人間だ。風貌と装備に心当たりがある」

「ふーん」

「そして俺はナジュ王家の直系を一人確保している」

「ぶっ!!」

 思わず飲んでいた紅茶を噴き出したエレンは悪くない。

「けほっ、けほ。どういう意味?」

「10年前、神王教団とナジュ王国は戦争をして、ナジュ王国が敗北して滅ぼされた」

「それに詩人は手出しをしなかったの?」

「ああ。神王教団が勝ち残れば勝手に宿命の子を探してくれる。ナジュ王国が勝ち残れば持っている情報網が役に立つ。どっちが勝っても得があるし、恨みを買うのも怖い。

 それにこれが本音だが――俺が助力をした方がまず間違いなく勝つ。俺は余り人の歴史に手を出す気はなくてね」

『こういう時だけ人を見下ろすのだな、お前』

「うっさい、グゥエイン。茶化すな」

 エレンとタチアナは、詩人が西部戦争でドフォーレ軍を単騎で壊滅させた事実を思い出す。確かに一軍を滅ぼし、更に自分の領地に立てこもっている敵の総大将の首を獲れるなら味方した方が必ず勝つだろう。

 そこであれと思ったのタチアナである。

「っていうか、それなら詩人さん、西部戦争に首突っ込んで良かったの?」

 その言葉に渋い顔をするのは詩人である。

「あまり喜んでしたい事じゃなかったが、ボルカノが生きている事が分かった上に、アウナスの膝元で暴れていたからな。

 奴は俺の剣を知っている。その上でアウナスの側にいたのなら、八英雄(おれ)の情報がいつ漏れるか分かったものじゃない」

 そんな特別な事情がなければ首を突っ込まないと詩人は簡単に言う。

 こう考えるとボルカノが生きていてフルブライトは幸運だっただろう。逆にドフォーレは不運だったというしかない。自分たちとは全く関係がないところで運命が決まってしまったのだから。いや、それでも詩人はドフォーレにおもねる事はないからして、フルブライトに味方するのはある種当然の帰結といえばそうなのかも知れないが。運命と一言で表すにも複雑怪奇な糸が絡まっているものであるとエレンはしみじみと感じた。

「まあ、それはそれでいいとして、ナジュ王家の直系を一人確保してるとか?」

「ああ。戦争の趨勢が決まり、逃げるナジュと追う神王教団になった辺りの話だ。ファティマとかいう姫君がもう間もなく追っ手に捕まるって所に割り込んで――」

「助けたの?」

「いや、封印した」

「は?」

 またもよく分からない事を言い出す詩人に目が点になる。

「術で封印して、そのまま神王教団に捕縛された。生きたまま捕まれば殺されただろうが、俺の術で封印すれば殺す事はできない。

 神王教団は封印されたファティマ姫を保管するしかないという訳だ。2年くらい前に確認したが、神王の塔の地下に安置されていたな」

「……術で封印って、どういう?」

「時間固定の術式だな。時の流れから切り離し、外の世界と中の世界を遮断する封印術。それと同時に封印内の時間を停止させる事で封印したモノを封印したままにしておく事が可能だ」

「そんな術、聞いたことないんだけど。っていうか、明らかに玄武術の奥義のクイックタイムを超えてるわよね、それ」

「方向性が違う。クイックタイムは時の流れを捻じ曲げて世界に干渉し続けられるが、この封印術は停止させるだけだからな。超えちゃあいない。

 だが、クイックタイムと同種の奥義である事は確かだ」

「それ、命削れるでしょ?」

「まあな。だが、俺にはこれがある」

 そういって自分の腰に帯びた愛剣に触れる詩人。

「『剣皇』。俺の剣の銘だ。俺と同じ称号を持ったこの剣は、殺した相手の生命力を蓄える効果がある。

 この剣が蓄えた生命力が尽きない限り、俺は命を賭した術を何度でも使えるし、攻撃力に転化することもできる。老いる事もないし、即死の傷でも即座に治るのさ」

「それ、ズルくない?」

「ズルくないとは言わない。けどまあ、最近では戦いで傷を負った事もないけどな。

 ――ノエルとの闘いが、最後だったか」

 殺しても死なないというのは確かにズルいが、そもそも死ぬような傷どころかまともにダメージをくらった記憶が詩人には数千年存在しない。多少論点はずれるだろうが、ズルいというなら殺す程のダメージを与えてから言えと詩人は言ってのける。

 まあ、詩人を殺す予定もないからして、その話は置いておかれた。エレンが気になったのは封印術の方だ。

「っていうか、そんな封印術の話のかけらすらウンディーネさんから聞いたことないんだけど」

「そりゃそうだ。これは月術と太陽術の合成術だからな。普通組み合わせようなんて思わない」

 原理としては。世界を太陽術で実として、封印内部を月術で虚とする。虚実のバランスを取り、安定させた上で虚を停止させる。この際、虚の世界を極小にしないと時空間が安定せずに術が綻んでしまう。そしてこのバランスを取るというのが難しく、他人同士が合わせようとしてもまず成功しない。月術と太陽術の両方を扱える詩人のみの術といっていい。

「……っていうか、そういえば詩人さんが天の術を両方使える理由とか聞いてなかったよね。それ、私にもできないの?」

「無理、これは生まれつきのものだから」

「生まれつきって」

「っていうかお前ら、術の本質知らないだろ?」

「? ウンディーネさんが説明してくれたけど?」

「ああ、あれは間違いだから」

 術の権威が言う事をさらりと否定する詩人。

「ウンディーネがしてるようなものは術の分析だよ。かみ砕いて理解しているようにはしているけど、術の本質には程遠い」

「じゃあ、術の本質って何よ?」

「『術力を持って世界に干渉する』事だよ。何を持って干渉するかは得手不得手があるけどな」

 そういって詩人は指先に火を灯す。

「! 朱鳥術!! 詩人、あなた地の術は使えないって!!」

「これは朱鳥術じゃない。もっと原始的な火の術だ」

 そう言いつつ、詩人は別の指先からは水を滴らせ、また別の指先からは風で渦巻かせる。また別の指先には大地から石を引き寄せた。

「火の術、水の術、風の術、土の術。この程度なら俺も使える。もちろん適性がないから戦闘に耐える程ではないがな。

 これらを一歩先に進めたのが、朱鳥術。玄武術。蒼龍術。白虎術。それぞれ、アウナス。フォルネウス。ビューネイ。アラケスが創り出した属性だ」

『「「…………」」』

「本来なら術の適性なんて千差万別、他人と一致するなんて有り得ないんだよ。だが他人と似ている属性は存在する。それに合わせて系統だった術式を作り、使えば形にはなる。それが現在に伝わっている術の本質だ。

 特にアウナスは術師としては一級品だったか。奴の術を真似するとか他の何物かでもできると思うか?」

「無理」

 タチアナが断言する。それに厳かに頷く詩人。

「そう、無理なんだ。今存在する術は、いわゆる長命種が己にあった術を扱っているのを真似しているに過ぎない。俺の属性は天だが、人は更にその中で月術と太陽術に分けたな。

 天の属性に似通っている人間もいなくはないだろうが、イメージしやすいのは地の術だ。故にまずは人は地の術に適性を得やすい。そして地の術によってしまえば天の術は不得手になってしまう。結果、月術か太陽術のどちらかにしか適性が残されないって訳だ。どれかに似れば別のどれかからは遠ざかるって理屈だな」

「逆に天の属性を持った詩人には、他の長命種の術である地の術の適性は得られない。って事かしら?」

「そういうことだ、エレン。飲み込みがいいな。まあもっとも、アイツ等の属性を真似るなんて絶対にゴメンだが」

 忌々しそうに言う詩人。

 そしておおよそ分かった風なエレンやグゥエインと違い、感覚派のタチアナには今の話はよく分からなかったらしい。難しそうな顔をして話を先に進める。

「私がその封印術を使えないのは分かったけど、なんの話だっけ?」

「その封印術でファティマ姫は10年前のまま、神王の塔の地下に居続けているって話だよ。俺自身が手を出すか、解除の術式を込めた道具を使えばファティマ姫の封印は解ける。言い換えれば俺がその気にならない限り、ファティマ姫の封印は数百年経っても解けない、という訳だ。まあ、四魔貴族の本体が出向けば別かも知れないが、その場合命もないだろうな。

 このファティマ姫を人質にとって、ハリードをビューネイにぶつける」

「……えげつな」

 思わずエレンもタチアナも顔をしかめてしまう。

 しかし詩人は素知らぬ顔、これくらいでエレンやタチアナの安全が買えてビューネイを倒せるならば安いものだと言わんばかりだ。

「俺はビューネイと戦う訳にはいかないから――ファティマ姫の安否を確かめるという体でロアーヌから離脱する。

 ついでに聖王の指輪はナジュ王国が管理していた筈だから、今は神王教団が所持している事になるな。ついでに奪ってくるか」

「神王教団から奪うの? 交渉するとかじゃなくて?」

「新しい宿命の子が神王になるなんて妄言を吐いている集団だ。それでも宿命の子を探す役に立つからパイプは作っていたが、もはや利用価値はない。

 四魔貴族打倒に協力しない以上、切り捨てる」

 その容赦のなさに引きつってしまう、聞く一同。それに気が付いていながらも話を進める詩人。

「これで必要なピースは全て揃った。お前たちはグゥエインやハリードと共にビューネイを仕留めろ。俺はその間に聖王の指輪を確保する。

 それが終わったらピドナに行き、サラを連れて魔王殿のゲートへ向かえばいい」

 勝ち筋をそう締めくくる詩人。

 それに意見する者はおらず、ルーブ山地の夜は更けていくのだった。

 

 

 

 場面は今のロアーヌに戻る。

 2年前に詩人がナジュ砂漠でファティマ姫を見つけたという嘘八百を並べ立て、その足跡を追跡しようとするという法螺話。詩人に言われた通りに嘘をついているだけとはいえ、エレンはあまり得意としない分野である。どこかであっさり嘘を見破られそうな気がして落ち着かない。

「話は分かった。ならばミュルスからリブロフまではロアーヌが快速船を用意しよう。その間、詩人はロアーヌに留まってはどうかな? その方が結果的に早く目的地に着くとも思うが」

 幸いにしてミカエルに嘘がばれなかったのか、それとも果たして嘘でもいいかと思われているのか。少なくとも嘘は暴かれずに話は進む。

 ミカエルとしても万が一ビューネイが即座に攻め入ってくる事を考えて、詩人のような手練れには少しでも長くロアーヌにいて欲しいのだろう。

 そしてそれは詩人も望むところ。ビューネイそのものはともかく、ビューネイ軍を相手にするのにはなんら問題がないのだから。

「そうしていただけるなら喜んで」

「ではそのように手配しよう」

 そうして話がまとまった中で、ハリードは固い声で問う。

「……一つだけ聞かせろ。2年前、姫はどこにいらっしゃった?

 ナジュ砂漠はもはや神王教団の縄張りだ。姫が10年も隠れ続けられるとは到底思えねぇ」

「それを言ったら、お前はここを放り出してそこに行くだろ」

「行かない、約束する。だがそれを言わないならお前の言葉にも信憑性はない。お前の言うことが嘘八百で、俺をビューネイにぶつけるだけとも考えられる」

 鋭いなと、エレンは思う。嘘八百を並べ立てている辺りなど大当たりだ。

 その嘘の奥底にある、ファティマ姫の生存だけはこれ以上なく確保している辺りが詩人の善性なのだろうが。

「何に誓う?」

「我が祖国、ナジュ王国と。このカムシーンに誓う」

「……まあいいだろう。ファティマ姫は諸王の都に居た」

「バカなっ! あそこは死者の都、生者の行くべきところではないっ!!」

「だからこそ逃げ場には良かったのだろうよ」

 いきり立つハリードに冷静に返す詩人。

 エレンとタチアナは、詩人ってこうやってその場凌ぎの嘘をついてきたんだなぁと達観さえ感じていた。

 確かに嘘であるが、ハリードが最も大事にしているのはファティマ姫の生存だということは分かる。そしてその生存を確信している以上、後で嘘だとバレてもそこまで問題にならない可能性が高い。

 詩人を睨むハリードだが、詩人は柳に風とばかりに受け流している。この勝負は明らかにハリードに勝ち目はなかった。

「信じられねぇ……。が、誓いは守る」

「ああ。こちらは最低、ファティマ姫の居場所とその生死までは突き止めてやるよ」

 詩人の言葉にギリィと歯を食いしばったハリードはそのまま立ち上がり、詩人の部屋を辞する。

 それを見たミカエルは肩をすくめて口を開いた。

「あいつの仕事は私の護衛なのだが。詩人よ、できればあまりあの男の平常心を削ぐような事を言わないでくれないかな?」

「聞かれた事を正直に答えただけだ」

((嘘つけ))

 エレンとタチアナの心の声が重なった。

 そして一礼すると手で合図を送り、そのまま部屋から去るミカエル。

 その合図の先には一杯の冷めた紅茶が入ったカップが置かれていた。

「嫌味ねぇ」

「一応、お前らに対する合図でもあったんだが」

「私たちが気が付かない訳ないじゃん」

「いや、エレンは鈴に学んだからあまり心配してなかった。殺気もなかったし、むしろタチアナが心配だった」

「私かっ!」

 そう叫ぶタチアナを無視して、()()()()()()()()()()()()()カップを片付ける詩人。

 人数分用意されたカップで、ミカエル達が来るまでずっと存在した4個目のカップ。それはつまり、この部屋の中にもう一人人間が居た事を証明していた。

 ミカエルの腹心であるその影は、詩人から情報を得ようと中庭でグゥエインたちと話し合いをしている間にこの部屋に忍び込んでいたのだ。それにごくあっさりとお茶を用意するのだから、まあ性格が悪いと言われるだろう。

「でもまあ、簡単に話せないって肩凝るねー」

「一応言っておくけど、ずっと続くからね?」

 うげぇと嫌そうな顔をするタチアナ。

 それでも詩人の事を知れたその事を彼女は決して否定しなかった。

 

 

 




年号が平成から令和に代わりましたね、一般的に10連休とされている日々を皆様はどうお過ごしでしょうか。
ちなみに私はもちろんそんな長期の休みを取れるはずもなく、学生を懐かしく見ている所存です。

そして新年度のゴタゴタもようやく落ち着きはじめ、創作に傾けられるようになってきました。
これからもよろしくお願いします。


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087話

最近スランプ気味で、どうにも調子があがりません。
短めで申し訳ないですが、とりあえず投稿を開始したいと思います。
どうか楽しんでいただけたら幸いです。


 

 ロアーヌは慌ただしく動く。

 当初の予定で軍に動員された治安維持部隊は元の業務に戻り、その行ったり来たりの配置換えで少なからず動揺が見られた為である。また、フルブライト商会から派遣される1000人もの援軍の使い道も考えなくてはならず、時間を無理に絞り出して軍議を行っている状況だ。

 もちろんそれらの軍人に軍馬を支える物資もバカにならない。軍人だけでなく文官までもが対ビューネイに備えて協力し合い、また見えないところで足を引っ張り合ったりしている。この辺りのどうしようも無さは人間である限りなくならないのではないかとさえ思えてくる。

 ともあれ、ビューネイ軍の最初の攻撃を思えば今現在の状況は大分好転したといえる。人々の顔は明るく、自らの仕事に熱をあげて励んでいるところだ。

 さて、そんな中で暇な人間というのも存在する。それはビューネイ討伐隊ともいえるエレン達だ。

 彼女たちは、いわばビューネイの雑兵との戦いは極力回避し、ビューネイ自身を仕留める事に全力を注がなくてはならない。となれば、そんな大切な戦力を消耗させる案など取れる訳もなく、まず最初に起こるであろうロアーヌ軍とビューネイ軍との戦いに参加するわけもない。そして彼女たちの今最も大事な仕事は、ビューネイとの戦いに備えて英気を養うことだ。

 そんな訳で。エレンとタチアナ、モニカとユリアン、リンに詩人はロアーヌの城下町に繰り出していた。ロアーヌ宮殿の中では息が詰まるというものもあるからして外に出た方がいいという意見であり、ユリアンはともかく他の者たちに軍事機密を見せたくないという思惑もあったりする。

 そうでなくてもこれからの戦いで何を守るのかを自分で見聞きする事はとても重要なモチベーションの維持に繋がる。ちなみにここにハリードがいないのは詩人の顔を見るとリラックスなんてできない為であることは言うまでもない。

「良い町だね」

 町を歩き、店を冷やかしたまに甘味を買いながら、そう口に出すのはタチアナ。彼女は14歳にしては珍しく世界中を旅したといえる身であるが、世界のどの町に比べてもロアーヌ城下町というのは素晴らしいといえた。

 まず何より、活気がある。かつてトーマスカンパニーではロアーヌは発展途上中であるという評価が下されていたが、それはすなわち開発の為に資金が回され、労働層に金が回るということでもある。その為に貴族に回る金に制限が付き、即座に強国になることは難しいともいえるが、これはすなわち100年先を見据えた政策だ。じっくりと腰を据えて全体の国力を増すことによって、地にしっかりと根を張った巨木の如くの国造りを目指している。今はまだ若木かも知れないが、為した内政が成功すれば何百年と続く国の礎となるであろう。ある意味ツヴァイクと正反対の政策であるといえる。それでいてそういった国からは上手く金をふんだくっているのだから、単純過ぎる為政者でもないということだ。

 そんなロアーヌの特徴として、とにかく物価が安い。もちろん高級品の取り扱いがない訳ではないのだが、商人の主なターゲット層は中流から下の今金回りがいい人々である。高い品を一品卸すより、毎日楽しめる安くて悪くない品が好まれるのだ。それとて決して粗悪品という訳ではなく、人々は国内に流通する簡単な嗜好品に満足し、一日の仕事終わりの楽しみにしている。

「ええ。世界を回り、様々な国を見てきましたがやはりロアーヌは良い町です。お父様やお兄様がどれだけ努力をしてきたかということですわね」

 それに嬉しそうに頷いて答えるのはモニカ。故国が手放しの賛辞を受けるのはやはり悪い気はしないものだ。そんな彼女の意見に同意するようにそれぞれが頷いて言葉を発する。

「西を色々見て回って来たけど、この町が一番活気があるみたいね」

「シノンにいた時もロアーヌの町にはたまに来てたけど、改めていい町よね。ここは」

「好景気を長く続けようという政策がうまくかみ合っているな。シノンの開拓といい、攻めるべき部分は攻め、守るべき部分は守っている。バランス感覚が凄い」

 リン、エレン、詩人がそれぞれロアーヌという国、そしてその為政者を褒め称える。自慢の身内を褒められて悪い気がする訳もなく、モニカの機嫌はどんどんと良くなってくる。

 そんな中、エレンはふと思ったように詩人に話を向ける。

「詩人。あんた、結構旅をしてきて色々な国を見てきたと思うんだけど、その中でもロアーヌは悪くないの?」

「ああ。停滞せず、成長を続け、その努力をやめない。限界がないとは言わないが、素晴らしい施策だろうな。どこまで成功するかは分からないが、少なくとも目指す方向性は間違っていないし、今のところ成功しているともいえる。

 何より、人々の顔が穏やかだ」

 ビューネイ軍が間近に迫っているのにここまで張り詰めない空気というのは本当に貴重だ。それが分かっているからこそ、詩人はロアーヌという国を手放しで褒めた。だがもちろん、ビューネイに負ければ泡沫と消える風景でもある。だからこそこの国を守りたいと、一人一人の兵士が思うのだろう。

 目立って強くはないかも知れない。だがしかし、決して負けないという地に足がついた強さを多くの者が持つというのは並大抵でできることではない。詩人は何よりもそれを評価していた。

 そんな詩人はいつになく優しそうで、エレンはそんな詩人を眩しそうに見ている。悠久の時を生きてきた詩人は人の醜いところも、国が亡ぶところも見てきただろう。けれども今のロアーヌは希望と活気で満ち満ちている。それを嬉しそうに見る彼が、エレンはとても嬉しかった。好きな人が穏やかに生きている。これに勝る喜びはそうそうないだろう。

 そしてエレンの表情を複雑そうに見ていたのはユリアン。エレンを恋する男の目で見ていた彼は、彼女の僅かな違いも敏感に感じ取っていた。そしてそれが決定的になったのはルーブ山地からグゥエインと共にロアーヌにやってきてから。

 もちろんユリアンにはそこで何があったのかは知らない。けれどもエレンが自分から遠ざかり、そして詩人に近づいた事は認めざるを得なかった。詩人がもっていた頑なな雰囲気が薄まり、エレンは彼により心を許している事を認めざるを得なかった。そうと気が付いてしまえば、もう覚悟を決めるしかなくなる。

「なあ。少しの時間でいいから、エレンと二人きりで話をしたいんだけど、いいかな?」

 唐突に言うユリアンに、詩人以外はちょっと驚いた顔をする。詩人だけは彼の意見の問題点をあげたが。

「ユリアン、お前はモニカの護衛だろ? 護衛対象と離れてどうする?」

「……大切な話なんだ。少しの間、モニカさまの護衛を頼みたい。もちろん、視界に入っていれば嬉しい。

 そうだな、あのカフェで少しお茶でもしないか? あっちの席に俺とエレンは座るから、少し離れたあの席でゆっくりしていてくれ」

 そう言ってユリアンが指さしたのは少し洒落た、アンティーク調のオープンカフェ。確かにそこにはうまい具合に少し離れた席が空いており、それぞれ視界に入りつつ声は届かない位置になっていた。

 タチアナはユリアンの案に真っ先に賛成する。

「いいよー。ちょっと歩き疲れたしね」

「まあ、お前がそう言うなら構わないが。モニカの護衛は任せておけ」

「……ユリアン」

 詩人も頷き、話はまとまっているかに見えたが、モニカはやや曇った表情をユリアンに向けていた。

 ユリアンはそれに無理に作った笑みで答える。

「大丈夫ですよ、モニカさま。けじめをつけるだけですから」

 そう言ってユリアンはエレンを連れ立って席に向かう。どんな話をされるのか分からないエレンは怪訝な顔をしながらユリアンについていき、腰を落ち着ける。

 そして飲み物とお茶請けを注文したユリアンとエレンは、それらが運ばれてきて口をつけてから話を始める。口火を切ったのは、もちろんこの話し合いを望んだユリアンである。

「……エレン。お前、変わったな」

「は?」

 言っている意味が分からないとばかりに顔をしかめるエレンだが、ユリアンの表情は変わらない。どこか穏やかで、そして少し寂しそうなその表情。

「エレンだけじゃない。詩人さんも、エレンやタチアナにだけは随分気を許しているみたいだな。ルーブ山地から戻ってきてからか」

「…………」

 確かにそこであった真実のカミングアウトからお互いに遠慮がなくなったとはエレンも感じていた。詩人がしていた警戒も薄れ、彼女たち2人には言うなれば心を許しているともいえる様子を醸し出している。

 とはいえその内容が内容である。まさか口外できる訳もなく、ユリアンをどこか突き放したような口調をとってしまうエレン。

「だから、なに?」

「だから、複雑なんだ。昔からほら、エレンは俺やトム、サラだけが特別だっただろ? だから俺にもまだチャンスがあると思っていたんだ。

 間柄はどうあれ、一番近い1人に俺がいたって思えてたから」

 けれどもどうやらそんな関係に甘えていられる期間は終わったらしいと、ユリアンは気が付かない訳にはいかなかった。自分たちの事を最優先にしていたエレンはもうおらず、詩人との間柄を勘繰る者に素っ気ない態度を取る女性。それが今のエレンである。

 そしてそれはもう一つの事実を表していた。

「――吹っ切れたんだろう、詩人さんに。受け入れて貰えるかは分からないだろうけど、それでも詩人さんを絶対に諦めない。

 今のエレンからはそう思えるよ」

「…………」

 流石は恋した女を見続けた男というべきか、ユリアンの洞察は間違っていなかった。エレンは詩人の秘密を知り、その心の中に入り込みたいと思ってしまった。

 こうなってしまえば他の男のアプローチになびく訳がない。エレンの今までは単純に男に興味がなかっただけであるが、今度は心に決めた一人に懸念し続けるということ。この差は余りに大きい。

 そしてまたユリアンも。初恋の人が自分以外を心から愛したということに悲しみはあれど、それと同時に大切な幼馴染が心から愛せる相手を見つけられたということは喜ばしい。そして今更自分の都合でエレンに無理をして欲しくない。ユリアンは次の言葉を言うのに自分の意志力を全て注ぎ込まなくてはならなかった。

「エレン」

「俺は、お前を諦めるよ」

「すぐに好きだって感情は消せないと思う」

「けどそれより、たとえ相手が俺じゃなくてもいいからエレンには幸せになって欲しいんだ」

「だから、頑張れ」

 ずいぶんと長い間続いた片思い、それを諦める宣誓。

 エレンはその真摯さに僅かに言葉に詰まり、それでもしっかりとその言葉を言わなくてはならなかった。

「ユリアン。

 ……ごめんなさい、そして、ありがとう」

 今まで愛してくれていて。言葉には表さない、その想いはユリアンに届いただろうか。 この時をもってこの幼馴染2人の間に恋が混ざる事はない。その決別の会話だった。

 ワイワイガヤガヤと騒がしい周囲。静かな2人とは対照的に、ロアーヌの町はどこまでも明るい。

 或いはこの明るさこそが今の2人には必要なのかもしれない。そう思わせる程にこの町は朗らかな空気が流れていた。

 

 昼間の散策が終わり、やがて一行はロアーヌ宮殿に戻ってくる。

 夕食をすませ、思い思いの時間を全員が集まってサロンにて過ごしているこの時。とはいえ、流石にエレンとユリアンはいつも通りとはいかなかったがそれはそれ。

 穏やかな時間を過ごしているなかでミカエルからの伝令が一人の女性に届く。

「これを」

 伝令は簡潔に手紙をリンに渡すと、すぐにその場からいなくなってしまう。

 おおよそ中の予想はつくが、それでも確認はしなくてはならない。そして中が予想通りならば大勢の中で検めるのは流石に気が引ける。

「それじゃあ私は自分の部屋に戻るわね」

 そう言ってサロンを辞するリン。聡いものもおおよそ察しはついているが、つつくような野暮はしない。ただリンを見送るのみだ。

 そして自室に帰ってきたリンは手紙の封を切り、中の文に目を通す。

 内容は予想通り、ミカエルからリンへの報酬である寵愛を与えることについて。今夜ならば時間が取れるということが書いてあったことをリンは喜び、早速湯あみをして身を清めた。

 そして下品にならない程度に()()の服を身に纏い、他者の目に触れられないようにガウンでその服と身体を隠す。

 時間になれば自室を出て、指定されたミカエルの寝所へといそいそと向かうのだった。

 やがてついたその部屋を軽くノックして返事を待つ。

「リンか?」

「はい」

「そうか。入れ」

 ミカエルの言葉に従い、するりと部屋の中に身を入れるリン。

 薄暗く、そういった事をする為の雰囲気を出しつつあるその部屋。ベッドに腰かけているのは紛れもなくリンが焦がれたミカエル候。

 リンは胸にときめきを抱きながらミカエルの側に近づき――凍り付いた。

 入口では暗くて見えなかったが、今のミカエルの表情は無だ。決して彼女が一目ぼれした、あの好青年の顔ではない。

「どうした?」

「あ…あ…」

 淡々と告げられるミカエルの言葉に、リンの心にあったときめきはもうない。あるのは悲しみと虚無、そして恐怖だった。

 今までモテていたリンがこんな表情を向けられることは皆無だったといっていい。それが愛したはずの男から向けられている。ある意味恋愛経験がない彼女にとって、これには並々ならぬ衝撃を与えられていた。曲りなりとも自分が魅力的だったという自負があればなおさらである。

 それを敏感に感じ取ったミカエルは無表情のままにリンに告げる。

「報奨は子を与えるところまで。まさか心まで無条件に貰えるとは思っているまいな?」

 言われた言葉は正しい。だが、正しいからといって受け入れられるとは限らない。

 リンはこれまでの人生の中で、今がもっとも無様だったと言っていいだろう。恐怖に震え、瞳に涙を浮かべながら後退りをする。

 情のない交わり。それがこんなに恐ろしいものだとはリンは思ってもいなかった。今までずっと愛され続けていた彼女は、こんな無機質な対応をされる衝撃に耐えられなかったのだ。

「い、いや……」

「いや? これはお前が望んだことだろう?」

「違う。私は、私はミカエル候の愛が、欲しかった…」

 愛した男から無感情を向けられる恐怖にそう零すリン。

 それを聞いて、ミカエルはそこでようやく表情を崩した。ふっと笑い、余裕のある表情でリンを見る。

「会ってすぐの相手に愛を求めるのは無理があるだろう」

「…………」

 反論の余地のない言葉に黙るしかないリンである。

 しかしミカエルは言葉を続ける。

「愛が欲しいという報酬なら、まずはゆっくり話すところから始めよう。

 お茶でも飲みながらゆっくりと話をするのはどうかな」

 そう言ってミカエルはサイドテーブルに用意してあった紅茶のポットを手に取り、カップに注いでいく。

 そしてリンを優雅にエスコートし、椅子に座らせる。

「話をしよう。お互いを理解しよう。そして、すべてはそこからだ。そうは思わないか、リン」

「はい、はい。そうですね、ミカエルさま」

 温かい紅茶を少し口に入れたことで、リンはようやく落ち着きを取り戻したようだった。

 

 夜遅くまで話声は続く。

 それは艶のあるそれではなく、お互いに理解しあう為の他愛のない言葉の交わし合いだった。

 

 

 



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088話

暑くなってきましたね、大分調子が悪くて申し訳ない。
月一投稿になりつつありますが、頑張りますのでどうかよろしくお願いします。


 何気ない日々は単調に過ぎる。避けようもないビューネイとの戦いを前にしてのこの静けさは、それと分かる者には安堵よりも不安を抱かせるような時間を与えていた。嵐の前の静けさ、ではない。嵐の中の静けさといった違和感。ビューネイはおそらくまず間違いなくフルブライト商会からの援軍が届くという情報は得ているだろうに、その前に勝負を仕掛けてこない理由が見えなくて気味が悪かった。

 とはいえロアーヌから現状仕掛ける意味はない。訳が分からず与えられた態勢を整える為の時間を有効活用し、じりじりと確実にその攻撃姿勢を最適化させていく。エレンたちも鍛錬も怠らず、四魔貴族を相手にしても決して負けないように己を磨いていく。

 そうこうしているうちにフルブライト商会から援軍が届く日が来た。たまたまその日が詩人に用意させた快速船が出港する日であったが、まあそれを偶然だろうと考える能天気な者は流石にいない。どうでもいいと思っているお気楽娘(タチアナ)は居たが。とにかくロアーヌにとって実に都合のいいように、詩人が居なくなると同時に1000の兵を囲い込むという隙が限りなく少ない経緯で戦力をその手中に収める事ができた。

 問題が起きたのはその夜の事だった。フルブライト軍の責任者でもある将軍を交えた会議で、とんでもない事を言い出したのだ。

「……つまり将軍、こういう事か。フルブライト商会はあくまでモニカに義理あって参加したのであり、ロアーヌに従うつもりはないと」

「話が早くて助かる、ミカエル候」

 やってくれるとミカエルは無表情の裏で顔を歪めていた。

 戦場では当然被害の格差が生じる。極端な例を出して言えば最前線の兵と、将の親衛隊の死者が同じ比率な訳ではないのだ。その危険な役目を押し付けようとしたミカエルだが、それは承服できないと釘をさされた形だ。

 もちろん絶対にできないという訳ではない。フルブライト軍はモニカに従うと言っている現状、モニカに命令を出させて最前線に行くように指示を出させればいい。だができるのはそこまでだ。最前線に敷かれたフルブライト軍がどこまでロアーヌの作戦概要に従ってくれるのかは不明だ。まさかあからさまにビューネイに利する事はしないだろうが、矛を交える前から後退してロアーヌ軍と合流し、陣形や作戦を破壊するくらいはするだろう。フルブライト軍がロアーヌ軍と被害を平均化すると目論んでいるのならば、味方とはいえそのぐらいの手は想像して然るべきだ。

 これを防ぐ手は一つだけ。モニカにフルブライト軍に同行させればいい。が、それにも幾つもの問題が孕む。

 一つはモニカの名声が高まり過ぎるというもの。既にアウナス討伐を掲げている以上、ビューネイ軍との戦いでも先陣を切るとなればロアーヌ候としてふさわしいのはミカエルではなくモニカであるという声が強くなりかねない。まあ、これに関してはミカエルはあまり心配していないが。他の者が思うよりもずっとこの兄妹の絆は強く、そしてモニカは兄を強く敬愛している。ミカエルを蹴落として侯爵の座を手に入れたいとは露にも思うまい。ミカエルはモニカを完全に信用しているので、むしろモニカを担ぐミカエルの反乱分子が見つかるのではないかと思うくらいだ。まあ、この程度の餌に食いつくのはよほどの小物だろうが。

 大きな問題は他にあるのだ。すなわち、指揮と安全である。

 まず最初をもってモニカに軍略は伴っていない。つまり仮にモニカをフルブライト軍につけたとして、フルブライト軍が最適な行動をとっているのかを知る術をモニカは持たないのだ。となればある程度はロアーヌ軍から有能な人材を出さなければならず、人的資材の無駄といえるだろう。

 そして何より頭が痛いのが安全性。モニカは四魔貴族撃破の旗を掲げたロアーヌの象徴である。最前線に放り込んで戦死しましたでは、ロアーヌにとって致命的な士気の破壊を招きかねない。最悪の最悪、フルブライト軍がモニカを害する可能性まである。モニカはある意味でミカエル以上のロアーヌの重要人物足り得るのだ。既に万が一にも死んではいけない人物に加わっている。

 これらを加味するとモニカごとフルブライト軍を後方に配置するのが最適なように思えるが、そうしてしまえば折角の援軍を無駄に遊ばせてしまうことになり、最前線ではロアーヌの兵が血を流すであろう。そこはできればフルブライト軍に押し付けたい部分なのだ。

 即座にこれらを考えたミカエルはそこで思考と会議とを打ち切った。

「将軍の意見は理解した」

「では」

「うむ。フルブライト軍がどう動くかは追って伝えよう」

 そう言って会議が終わり、参加者たちは退室して散っていく。それはミカエルも例外ではなかったが、供回りに小声で指示を出していた。

「モニカとハリード、そしてビューネイ討伐隊を執務室に集めよ」

 これから先の指針をすぐに決めなくてはいけない。ビューネイがいつ攻めてくるか分からない現状、時間を無駄にする訳にはいかなかった。

 そうして素早く準備を整えたミカエルは執務室へと急ぐ。急いだとはいえ若干の時間はかかってしまうものであり、ミカエルがその部屋についた時にはもう他の者は全員揃っていた。モニカにハリード、ユリアンとリン、そしてエレンとタチアナである。

「夜中の急な参集、済まないな」

「それはいいが、何事だ?」

 ハリードの言葉にやや困った顔をするミカエル。ちなみにハリードといえば気に入らない詩人がロアーヌからいなくなったこともあり、ほんの少しだけ機嫌がいい。

 人間誰しも嫌いな相手とは一緒にいたくないものであるのだから仕方がない。そんなハリードに苦笑しつつ、ミカエルは先ほどの会議でのフルブライト軍の主張を伝えた。

「……敵の敵は味方とは限らないものですね」

 リンがポツリと呟き、誰ともなしに頷く。個々人の連携を大切にする面々ではちょっと理解しにくい側面ではあるが、かといって呑み込めないほど甘い道を通ってきた訳でもない。タチアナでさえそのくらいはわきまえている。

 さて。現状を把握したところでどのような対処をするかだ。比較的話しかけやすいハリードが代表して問いかける。

「ミカエル候。では対応はどうする?」

「……フルブライト軍に前線を任せる、この策に変更はない。よってフルブライト軍にモニカを参戦させる」

「お兄様の言いつけならば喜んで」

 モニカが了承の意を示す。語られた内容に誰も動揺しない。大きな決断ではあるが、有り得る話だとは思っていた。それを改めて語られたとしてもさほど驚きはしない。

 ならば次の問題はモニカの守りと軍略をどうやって誰が担当するかだ。

「軍の指揮に関しては我が配下を当てて対応するつもりだ。現在治安維持に回した1000の軍の指揮官が余っている。それをそのままモニカにつける。モニカは奴の言うままに命令を下せばいい。

 モニカの護衛には――リンを頼みたい」

 やはりか、という思いは誰にもあった。そもそもハリードやユリアン、モニカはともかくとして他のビューネイ討伐隊を集めるとは、討伐隊からの人員引き抜きしか有り得ない事は分かり切っていた。

 となれば誰を引き抜くかだが、まずエレンとタチアナは除外。彼女らの目的は四魔貴族の撃破、及びゲートの封印であってロアーヌの防衛ではない。その上、ミカエルからの命令系統からも外れている。そんな彼女らに頼める訳がない。

 ハリードとユリアンを外すのも上手くない。ビューネイ討伐隊にロアーヌの色が薄くなってしまう。彼らには是非ともビューネイを討伐してもらわないと困るのだ。

 そうすると消去法でリンしか残らない。彼女にはミカエルに惚れた弱みもあり、()()()を聞く下地もできている。だが、だからといって即答できるというものではない。リンは困ったようにエレンを見る。

「でもミカエル様、私がいなくなっては討伐隊の人数が減ってしまいますが……」

 リンはエレンやタチアナと仲が悪くない。共にアウナス撃破という死線を潜ったのだ、むしろ良い。ユリアンには砂漠で助けてもらった恩もある、自分が抜ける事によって危険に晒されるのは喜ばしいことではない。

 困ったような、というのは他に代案がないからだ。危険だ危険だと喚くことは誰にでもできる。しかしその上で更に良い安全策を出さなければその喚きに意味はない。

 グゥエインに乗れる人数は5人。リンをあてにしていたからこそ詩人がロアーヌを離れる事を許容したが、こうなっては致し方がない。ミカエルにとってビューネイを討伐できてもロアーヌを守り切らなければ負けなのだ。どちらを優先するかではない、両方成し遂げなけばならないこと。ならばその可能性が一番高い方法を選ばなければならない。

「必要とあればロアーヌからビューネイ討伐隊の人員を出すが」

「いらないわ。最初から予定になかった程度の腕でしょう? あてになんかならない」

 ミカエルの言葉をあっさりと切って捨てるエレン。実際、四魔貴族の巣窟はこの世で最も地獄(アビス)に近い場所。生半可なレベルでは無駄死にするどころか足を引っ張られる。この判断は至極当然といったところ。

 こうなっては仕方ない、ビューネイ討伐には4人で向かうしかないだろう。

 そう全員が思った瞬間、全員が瞬時に動いた。ミカエルとモニカは懐剣に手を伸ばし、ハリードとユリアンはそれぞれの主人の前に立って剣を抜く。エレンは拳を握りしめ、リンは距離を取って弓に矢を番え、タチアナは氷の剣を闇夜を映す窓に向ける。

 果たしてそこには漆黒の衣装に身を包んだ男が一人立っていた。

「ハハハハハ。

 天知る地知るロビン知る! 怪傑ロビン、見参!!」

「あ、ヤーマスの変態じゃん」

「レディ、できれば言葉を選んで欲しい。私は変態ではなく怪傑だ」

 その正体を見た瞬間、タチアナから毒気が抜けた。続いてエレンも戦闘態勢を解く。

「怪傑ロビン、お久しぶりです。どうしてここに?」

「なに、ドフォーレ商会の悪行が収まったものでね。ならば次にするのは悪の大本である四魔貴族の討伐だ。エレン君の目的もそれのようだったし、何か手伝えることがあるのではないかと思ってね。

 私でお役に立てるかな?」

「ええ、ちょうど腕の立つ人が一人欲しかったの。貴方が協力してくれるなら助かるわ」

 エレンはロビンと一度共闘し、その腕と善性は分かりきっている。突然現れたことに驚きはしたが、確かにヤーマスの情勢が安定したのならば外で活動してもおかしくないと唐突なその申し出を快諾した。

 対して突如現れた不審者にジト目を向けるのはハリード、そしてミカエルだ。

「おい。ミカエル候の隠密だと思っていたから見逃していたが、こんな不審者が紛れ込むとは警備網はどうなっている?」

「面目ない。まさか私の元まで忍び込まれるとは。しかしそれはその実力の裏返しでもある。味方であれば確かに心強いが――」

 ミカエルは拾った怪傑ロビンという名前に考えを巡らせる。

 確かにその名前はヤーマスでレジスタンス活動をしていた一人として把握していた。それもただの一人ではない、最高の一人としてだ。ドフォーレ商会でさえ正体が掴めず、一方的に攻撃できる程の実力者。まず間違いなく世界最高レベルの一人であろうことは想像に難くない。

 そして西部戦争において、ヤーマスの局地戦では無辜の民に被害が及ばないように尽力したとも聞いている。総合して権力者の敵、というより民衆の味方なのだろう。

 ただ、はいそうですかと認める訳にもいかない。

「ロビンとやら、非常事態故にロアーヌ宮殿に忍び込んだことはとりあえず不問にしよう。だがお前の飼い主が何を考えているのかは語ってもらうぞ」

「飼い主とは人聞きが悪い、私は私が望むように戦うのみだ。しかしヤーマスの復興に尽力しているトーマス君には恩がある。彼が困っているのならば喜んで手を貸すとも」

 つまるところ、怪傑ロビンはトーマスカンパニーの傭兵に近いものなのだろう。今ここに現れたこともそこら辺に理由の一つがありそうだ。今現在、トーマスカンパニーは全面的にロアーヌの支援をしている。

 更にその上でトーマスカンパニーの色はなく、無色だと本人は言い張っているのである。ロアーヌとしても便利に使える駒には違いない。

「エレン、この男は本当に信頼できるのだな?」

「あたしはそう思います。タチアナ、あんたはどう思う?」

「いい人だよ、変態。くれたミルクも美味しかったし」

「レディ、できれば言葉と状況を選んで欲しい」

 見た目麗しい少女にミルクをあげたとは、下衆な想像を働かせるには十分な言葉だ。まあもっともそんな事実はないし、この場にいる面々もこの程度の言葉にいちいち反応したりはしない。

「ってかあんた、前も言ってたわねそれ。ホント、どこで貰ったのよ」

「? エレンさんも見てたじゃん」

「いやだからいつどこでよ?」

「はい、そこまでっ! レディに私の正体が露見してしまったのは痛恨だが、今回私がビューネイ討伐に参加する代わりに私の正体や名前は内緒にして欲しい!!」

 ペラペラとロビンの正体を語りそうなタチアナにロビンは慌てて釘をさす。

 エレンとしても欲しいのはロビンの正体よりも腕だ。ここでロビンの協力を失う手はない。割とあっさり引く。

「分かったわ。タチアナ、あんたはロビンの正体や名前は黙っておきなさい」

「? まあいいけどさ」

 他の人はともかく、ライムと出会ったことがあるエレンが何故気が付かないのか理解できず、頭をひねりながらタチアナは首肯する。

 ちなみにこれはエレンが鈍いのではなく、タチアナが鋭すぎるのである。実際、一目でロビンの正体を看破したのは彼女のみ。詩人でさえ隠密活動の末にロビンの正体を見破ったのだ。今現在、ロビンの正体を知るのは詩人からの報告を受けたフルブライトと合わせて三人だと言えばその希少性というか難易度はおして知るべきだろう。

「とにかく、ロビンをビューネイ討伐隊に加えていいのだな?」

「ええ、構わないどころかお願いしたいわ」

「話はまとまったようだな。その時が来たら巨竜グゥエインのところに私も馳せ参じよう。

 では、さらばだ!」

 言いたいことを言って、ロビンはあっさりと窓から飛び降りて闇夜に消える。

 それをただぽかんと見てるだけだったモニカは戸惑った声を出す。

「その、特徴的なお方でしたわね」

「ねー。あの変態、分かりやすいよねー」

 実はあのテンションの高さで、言ってしまえば陰気なライムの正体を隠す意味もあるのだが、タチアナはそこに考えは至っていないらしい。

 というか、初見で完璧に正体を見抜いたこのお気楽娘には、ロビンが正体を隠蔽しているという発想すらない。

「まあ、結果だけ見ればいい」

 ミカエルはそう言って話をしめる。ビューネイ討伐隊からはリンが抜け、代わりにロビンが入る事になった。

 色々と話が錯綜するが、これ以上混乱が起きないことをミカエルとしては祈るしかない。

 

 

 そして数日後。

 ビューネイ軍再進軍の報が入る。敵数はおおよそ4500。数だけでいえばロアーヌ軍の方が勝っているが、モンスターは飛行型などもいて戦略性はビューネイ軍が上だろう。たかだか500程度の数の有利は優位には決してなり得ない。

 ここで軽く軍隊の説明をしておく。人が率いる軍はいくらか小分けにされるのが基本である。総指揮官の声が戦場全体に届く訳がなく、現場の判断というのは極めて重要だ。

 戦場という修羅場でまとめられる数はおおよそ5人が限界と言われる。それで小隊の数は10人前後であり、それを率いるのは小隊長と言われる。攻め手に5人、他の人員は小隊長の護衛や他の隊との連携する為に伝令兵になったりする予備の兵。

 ちなみに指揮系統を壊せば兵は烏合の衆になる為に、指揮官にはそれに相応の武力を求められる。多少優れた采配を振るえたとしても、あっさりと殺されたら意味がないのだから。もちろん国で随一などというレベルになれば軍師などとして総指揮官の側で護衛がつけられるのだが、そういう特殊な例を除いて、兵は上にいけばいく程に強くならざるを得ないと理解してもらっていい。

 その小隊を10程まとめる隊長もあり、これを百人隊長と呼ぶ。役割としては小隊の後ろに陣取り、小隊長に指令を出すのが主な仕事。前線に穴があけばそれを補う為に直接敵と戦う事も珍しくない。

 そして百人隊長を更に10程まとめあげる立場の者もいて、これは千人隊長ではなく将軍と呼ばれる。このレベルになると軍議に参加でき、実戦で剣を振るう機会はほとんどない。というかこのクラスの将官が戦うということは、実質的にその千人部隊は壊滅状態といっても過言ではない。

 彼らの上に立つのが司令部であり、ロアーヌでこの戦いで言えば総指揮官はミカエル候その人だ。彼の周りでは軍師などのブレーンや親衛隊などの選りすぐりが御身を固める。大がかりな方針はそこから将軍へ下り、そして百人隊長、小隊長と伝わっていく。

 ちなみにもちろん戦場で指揮官が討ち取られる事も想定されており、百人副隊長などの役職もあって百人隊長が殉死した場合などは速やかに指揮権は次に移る。

 

 今回、ロアーヌがとった陣形は疾風陣。攻撃力と機動性に長けた陣形で、以前のようにビューネイ軍が撤退した時に速やかに追い打ちをかけられる陣形だ。楔形の突撃陣形であり、その攻撃性の裏には防御が薄いという側面もある。こちらの犠牲よりも相手の殲滅を重視した陣形であり、これがモニカを危険に晒してもフルブライト軍に先陣を押し付けたかった理由でもある。ミカエルは大きな出血を覚悟しているのだ。

 疾風陣の先頭に立つのはフルブライト援軍、将軍はモニカ。

(…………)

 モニカがごくりと喉を鳴らしたのに、傍にいたリンは気が付いた。自分自身が戦うのとはまた違うプレッシャー。千人もの命運を直接的に握っている重圧と、何千もの敵の標的になるという恐怖。これは味わってみないとなかなか説明しにくいものである。自分の命を懸けた戦いは勝手にできるが、立場あるものにはなかなか成れるものではなくこの重圧を知る者は少ない。

 幸か不幸か、リンはそれを知っていた。だから緊張に固くなるモニカの手を優しく握る。

 ビクリと過剰な反応をしつつリンを見るモニカに、見られたリンは戦場に似合わないふんわりとした笑みを浮かべた。それを見て、モニカの肩の力がほんの少しだけ抜ける。緊張で固くなりすぎては下手な失敗もしてしまうだろう。いい具合に力が抜けたと言っていい。

「ビューネイ軍、来ます」

 伝令が届く。こちらの陣形は疾風陣、まずは攻めなくては話にならない。

 意を決してモニカは指示を下した。

「モニカ隊、前進攻撃」

 後にビューネイ大戦と謳われる戦いの火蓋はこうして切られる事になった。

 



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089話 ビューネイ大戦

 

 最前列に構えるモニカ隊。その総指揮官はもちろんモニカである。が、しかし将が彼女しかいないということは有り得ない。

 理由は二つ。モニカには戦術を組み立てる能力がない事と、そして兵士たちとの絆がないことである。普通に考えればどちらか片方がないだけで致命的な話であるが、モニカ隊の統率に問題はない。それらを補う副将がいるからだ。

 ロアーヌから出された将軍であるボアが戦を指揮し、フルブライト商会の将であるジークが兵に命令を下す。その中継としてモニカがいるのである。形としてはボア将軍が状況を判断し指示を奉り、モニカがその通りにジーク将軍に指示を出して軍を動かす。迂遠な体を取っているが、これはある意味仕方ない。ジーク将軍はモニカの命令しか受けないと言っている以上、指示はモニカが出すしかない。その能力がないモニカはボア将軍の言葉をオウムのように口にするだけである。

 仮にも四魔貴族であるビューネイを相手にしてこんな無駄をしていていいのかと思う者も多いだろうが、案外とこの命令系統で歯車が上手く回っていた。それにはそれぞれの役割や立ち位置を説明する必要があるだろう。

 ボア将軍はロアーヌの将である。そして将である以上は戦果を挙げねば話にならない。だというのにミカエルが最初に組織した5000の軍のうち、1000人がフルブライト商会から派遣されたとなれば、当然ながら1000人を統率する将軍が一人外される事になる。それがボア将軍だった。

 ちなみにこれはボア将軍が劣っていたからではない。そんな人物ならミカエルがモニカの側近に付ける訳がない。ボア将軍は攻撃を得意とし、元々彼の軍が先陣を務める予定だったからこその解任である。消耗が大きいとされるそこにフルブライト軍を宛がうのは当然で、ボア将軍もそれを理解していてロアーヌの為に呑み込まざるを得なかった。ここで駄々をこねたところでどうとなる訳でもなし、ミカエルの不興を買うだけである。しぶしぶながら戦功を挙げる機会(チャンス)を捨てざるを得なかったのだ。

 ところが更に事態は変化、フルブライト軍はモニカの命令しか聞かないといい、そしてモニカには軍を指揮する能力がない。本人に全く過失がなかったボア将軍がモニカの副将に選ばれたのはごく自然な流れであった。一度落とされてから上げられたボア将軍はやる気に満ち満ちた上に、当初の予定と違って自失よりも敵失を求めていい状況。これはボア将軍の得意分野でもあり、その辣腕を存分に振るってビューネイ軍に攻撃を仕掛けていた。

 だがこれに付き合わされるフルブライト軍、ジーク将軍はこれでいいのか。

 いいのである。何故なら、この状況は織り込み済みだからだ。

 援軍として駆け付けた以上、消耗が大きいところに割り振られるのは当然の事。フルブライト商会、ひいてはジーク将軍は駆け付けた軍のうち半分も戻れないだろうと最初から予想していた。しかし、そこまでの犠牲を払っておきながら名誉をロアーヌだけに掻っ攫われる訳にはいかない。ビューネイに勝った後、ご苦労の一言で終わらされてはいけないのである。

 そこでアウナスを撃破したという旗を立てたモニカの下に付き、モニカの元で大功を挙げたという体を取る。ミカエルが何と言おうとも、勲一等はモニカにあり、ひいては彼女に指揮されたフルブライト商会の功は大。この図式を捨てる訳にはいかなかったのだ。

 そしてその図式が立った以上、半壊レベルのダメージは覚悟の上。今更命を惜しめと言う訳もなく、モニカの為に名を挙げろと鼓舞する程だ。

 モニカは旗頭として、兵の士気を上げるのにこの上なく役に立っているという訳である。こうなると戦術と命令系統まで高水準で備えているという、滅多に見ない強軍へとその姿を変貌させていた。

 だが、しかし。

 モニカは顔に出さず、心の中で不安に思う。ボア将軍が、ジーク将軍が、そしてリンもが、状況を把握できているであろう全員が難しい顔をしているのだ。

 彼女には悪い状況には思えない。確かに被害はあるが、軽微に見える。対してビューネイ軍の被害は甚大で、モニカ隊が突撃したところから陣形は乱れて散発的な襲撃のみ。それも軍を巧みに操り、倍返し以上の反撃をそこかしこで成功させている。この状況で何故そんな悩ましい表情をしているのか。もしやモニカが理解できない、致命的な問題でも起きているのだろうか?

「ボア将軍。状況を言いなさい」

 やがてその重苦しい雰囲気に耐えきれず、モニカはミカエルが派遣した忠実な配下の意見を求める。

 彼はやや悩んだが、上官の命令に背く訳にもいかず、自分が把握できる状況を端的に口にする。

 そこに至るまでの経緯を、ここではサッカーに例えて説明しよう。

 大一番の舞台、例えば世界の頂点を決める試合。相手は以前0-0で引き分けた、世界最強の一角と名高いチーム。もちろん自分たちもそれに劣るものでは無いという自負は前の試合でつけており、今度こそ勝ちをもぎ取ってやると試合が開始される。

 開幕から先取点、見事に決まった策で先手を奪う。ここはいい、続けて猛攻。2-0。これもいい。

 だが、ここからがおかしい。3-0、4-0、5-0、6-0。世界最強クラスの相手に、決勝戦で。

 自分たちは絶対に優勢なのだ。それは間違いない。だが、その優勢具合があまりにおかしい。こんな極端な展開など、そこらの試合でも滅多に見れるものではないのにこれが決戦で起きている。喜びよりも困惑が先に立つというものだ。

 ましてやここはルールに守られたスポーツではなく、勝てば官軍何でもありの殺し合い。そして敵対するはその点に於いて並ぶもの無しと謳われた四魔貴族。悪逆非道の代名詞。

 何かがあるとは理解している。だが、その何かが全く分からない。

「優勢です、圧倒的に」

「……? では何が問題なのです?」

「勝ちすぎてるのが問題よ。こんな、楽勝なんて言葉で言い現せられる相手じゃないはず。

 前の戦いでも飛行系のモンスターが翻弄してきたって言ってたわよ。でも、今回は飛行系のモンスターなんてほとんど居ないじゃない」

 モニカの素朴な疑問を、リンが的確に言葉にした。

「敵に策あり、といったところですか?」

「……それにしても一方的過ぎるわ。この損害が囮にしかならないなんて、ちょっと想像したくない」

 そう言いつつ、リンはその視線をタフターン山の霧の結界、その上空に向ける。

 目の良いムング族、更に弓の才能溢れる彼女だからこそ見抜けたといっていい程遠くに、異形が空を飛んでいた。

 この距離からでも見える巨体、そして場所を鑑みれば答えは一つ。

「何を考えているのかしら? ビューネイ」

 戦場を俯瞰し、自軍が蹂躙される様を見ているだけの空の支配者の思考など、リンに読める訳がない。

 ただただ薄気味悪さのみを覚えてその挙動を見守るのみである。

 

「きゃはははは! 死んだ、死んだっ、死んじゃった!」

『ええ。まったく、根性の無い子ばかりで頭が痛いわ』

 そのビューネイ。タフターン山の上空で、配下の情けなさに呆れた溜息をついていた。

 確かに戦術としてはお粗末なものだったのは認める。だがその程度の不利など覆してこその四魔貴族、支配者たるビューネイの配下に相応しい。結果が出せない部下などビューネイが支配する価値すらない。それがビューネイの考えである。最も偉大なる支配者ビューネイは、彼女が支配するものにもそれ相応以上の価値を求めていた。

 それを的確に口にするのは彼女の配下であるビューネイベビー。空を飛ぶ能力のないそのモンスターはビューネイバードの足に捕まって主であるビューネイの側にいる。これに今現在ゲートの入り口を守っているビューネイドッグと合わせた三体がビューネイの手駒の中でお気に入りだった。

「雑魚はいらない、いらないっ、いらないね!

 せめてビューネイ様の配下として死ぬことを喜べ、喜べっ、喜べ!」

『死を恐れて敵前逃亡しない愚昧がいないことのみが救いね』

 残酷な言葉を吐くビューネイベビーに、更に無価値なものを評するような言葉を加えるビューネイ。

 支配者たる自分の顔に泥を塗るような雑魚以下など、死すら生温い。奴隷以下の扱いで使い潰すくらいしかもはや価値はないとビューネイが断ずるのを疑うものはいなかった。戦死よりも恐ろしい死に様を与えられるとあっては配下のモンスター達は死ぬと分かっても突撃するしかない。これもビューネイ軍の被害を拡大している要因の一つである。とっとと撤退できていれば被害は少なかったであろうが、ビューネイがそれを許さなかったのだ。前回のような戦略的撤退と違い、敗走するなどビューネイが許すわけがない。

 それもこれもたった一つの存在によって思う様に軍を動かせなくなったのが原因である。ビューネイは忌々しいという感情を隠さずに、戦場を超えた先にあるその存在を睨みつけようとする。

 流石のビューネイでもそこまで視線は届かない。だが、いるという確信はある。自分を脅かす数少ない存在。

『グゥエイン……!!』

 その竜がロアーヌに付いたせいでゲートへの強襲を警戒せざるを得なくなった。飛行系のモンスターはグゥエイン相手に温存し、地上戦で泥仕合に持ち込み両軍の相殺を狙おうにも敵の捨て身の突撃によってその策も無に帰した。

 消耗戦を狙い、自分は死なず相手も殺さずの消極的な策を取るつもりだったビューネイ軍にとって、初手から決死の覚悟で攻め入る練度も士気も高い兵は意外が過ぎたといっていい。中途半端に攻撃と防御に割り振ったせいで、どっち付かずとなったビューネイ軍は一方的な蹂躙の憂き目に遭ってしまったのだ。モニカ軍は快勝に訝しげだったがなんのことはない、実は奇跡的なまでに策が噛み合っただけである。この優勢劣勢に裏なんて何もありはしなかった。

 しかしビューネイの余裕は崩れない。初手はミスをした、それは認めざるを得ない。タフターン山の防御兵を繰り出すのは大きなリスクを伴う為に、次の一手はもう決まっている。

『アレを使おうかしら。試運転も兼ねて、ね』

「アレを使うの? 楽しみ、楽しみっ、楽しみ!」

 残虐な笑みを浮かべるビューネイと、無邪気な声を上げるビューネイベビー。戦いは不利なことを認めよう。

 ここまでは、だが。

 

「敵軍、後退を始めました!」

「具体的には?」

「約500の兵を殿(しんがり)に残し、残りは後退。タフターン山の麓にて再結集を図っているようです」

 ふむと各々の将は考える。

 モニカは残った500の敵を心配していた。決死の覚悟を持った敵、思いもよらない馬鹿力を発揮しないか。しかしこれは杞憂である。一対一の戦いやそれに近いならともかく、数十数百という戦いは数が全てである。常識的に発揮できる馬鹿力は平均して1割程度が目安とされており、相手が発揮したとして兵力は500から550への微増。脅威になる訳がない。それ以前に捨て石にされた兵に死力を尽くすという士気が備わる訳がない。

 ボア将軍は自失を考える。モニカ軍で約200程度、残りの兵力は800といったところか。最前線で戦っている為に他の状況は詳しく掴めていないが、多くてロアーヌ軍全体で同じくらいのダメージと考えていい。すると損失した兵は5000の内で400程度であり、前回の引き分けと同じくらいだ。敵軍が半壊している現状、これ以上ない勝利だといえるだろう。

 ジーク将軍は敵失を考える。最初に居たビューネイ軍は約4500程であり、現在は2500までその数を減らしている。更にそのうち500が殿(しんがり)としてこちらを食い止めているが、これらは間もなく食い破れる。ならば敵は残り2000であり、半数以下に減らした。未だ無傷に近いロアーヌ全軍と戦うには数も士気も足りない。

 リンは考える。第一波は凌いだ。ならば残るは第二波と最終攻撃。

「――来るわ」

 リンのみがそれを視る事ができた。タフターン山より合流した敵兵、その数は1。

 それを伝え聞いたボア将軍とジーク将軍は表情を引き締める。

「武将か」

 ジーク将軍から漏れ出た声にぴくりと反応するモニカ。

 何故ならその意味が分からなかったからだ。武将とはどんな存在を表す言葉なのか?

 ボア将軍が気まずそうな声で小さくモニカに伝える。

「武将とは単騎にて一軍に匹敵する武力を持つ将を指します」

「つまりハリード様やカタリナのような(つわもの)という事ですわね」

 意味を理解してモニカはようやく表情を硬くした。ハリードはともかく、カタリナの強さならばモニカはよく分かっている。

 ここで武将について解説しておこう。大まかにはボア将軍の言う通りだが、その具体的な運用法についてである。

 一騎にて一軍に等しい強さを持つと言われる武将だが、当然だがその強さはピンキリで100の兵に討ち取られるケースもあれば1000の兵にも勝る強さを秘める場合もある。ただどちらにせよ、ただ一人に100以上の兵を集めるのは愚策であるし、何よりも現実的ではない。寄って集って一度に攻められる人数は数人であり、その間残りの数十数百は何をしているのかという話になる。

 また武将としても丁寧に敵兵を潰していく事にあまり意義は感じない。よほどの戦力差があるならともかく、そうでないならばそんな雑事は他の雑兵に任せるべきである。そしてよほどの戦力差がある場合でも、もっと効率的な運用方法がある。それは言うまでもなく、敵の指揮官を潰す事。武将の役割は凡そその一点に集約されているといっていい。指揮系統の頭さえ潰せば後は烏合の衆、勝ち切るのはそう難しい話ではない。

 つまり武将の相手は指揮官か、または他の武将かという話になる。数のみを頼りにする他の兵と一線を画すからこそ将の称号が与えられるのだ。大体の武将は指揮官の周囲に張り付き、敵の武将の攻撃を警戒する。そして好機を見つけた途端に番犬から猟犬に姿を変え、敵の喉笛を引き裂くのだ。

 この期に及んでタフターン山から現れたただの一兵を雑兵と思う馬鹿はいない。奴は間違いなくビューネイ軍の武将であろう。

 そしてビューネイを倒すということは、雑兵はともかく武将クラスの敵は軒並み立ち塞がるのは自明。少数精鋭であるそのうちの一つがのこのこと無傷に近いロアーヌ軍の前に出てきた。これを見逃す手は流石にない。

 しかし前述したとおり、武将を相手にするには武将が基本だ。ましてやこちらの戦力が大きいのならば、相手を弱らせられる事ができれば100の兵で討ち取る事も可能になるかもしれない。こちらの武将を温存し、敵の武将を討ち取れればまた一つ流れを引き寄せられる。

 では相手をするロアーヌの武将とは誰か。ここに一人居るではないか、ビューネイと直接戦う予定だった女が。アウナスを討ち取った一人である戦士が。

 (ツィー)(リン)は静かに弓に矢を番えて弦を引き絞る。

 他の者がそれをようやく視認できるような、普通なら弓矢が届かない位置でその矢は放たれた。蒼龍の術も扱うリンは風を強く吹かし、勢いを保ったままその矢を敵の武将に到達させる。

 それは禍々しい鎧に兜を被った存在だった。リンは遠目からソレ(・・)をかつて一度だけ見た魔王の盾と同種のモノだと見抜く。伝え聞いた魔王遺物、魔王の鎧そのものであると。故にそれを抜いて致命傷を与えるのは困難であると思ったリンが狙い打ったのはその額。余りに遠い位置から正確にその眉間を射抜いたリンは武将と称されるに相応しい腕前があるといえるだろう。果たしてその兜は矢によって割られ、その顔にリンの矢が突き刺さる。

「ぎにゃぁぁぁぁぁっっ!!」

 聞くに堪えない悲鳴をあげるその武将。その余りの情けなさにリンとジーク将軍は少しだけ呆れた。相手がモンスター軍だという事を考えれば、兜で隠された中身は亡霊系や死霊系という事も有り得る。額に一刺しで朽ちると楽観はしていないが、満を持して出てきた武将がこれとはちょっと無様が過ぎないか、と。

 しかしモニカとボア将軍は絶句する。現れたその顔に見覚えがあったからだ。

「ゴ、ゴロジデェェ…。バジヲ、ゴロジデェェェ……」

「そんな、むごい…」

「ゴドウィン…」

 そこにあったのは反乱を起こして敗北し、逃げ去ったかつて栄光の道を歩いた男爵の成れの果て。

 髪は白く汚れ、顔は皺だらけで苦悶と苦痛の表情に満ち満ちている。彼は間違いなくゴドウィン元男爵であった。彼が起こした内乱を考えれば因果応報といえるだろうが、それでもむごいと言ったモニカを否定できない程にその姿は痛々しい。

 蒼龍術を使うリンには看破できた。彼は今、蒼龍術の奥義である龍神降臨を使っている。いや、使わされている。おそらくは魔王の鎧そのものに。

 状況を鑑みて、魔王の鎧はビューネイの支配下にあるのだろう。そしてビューネイが司るのも蒼龍術であり、魔王の鎧がそれを発揮しているのは不思議ではない。エレンやタチアナから聞いた話では、ボルカノが使役した魔王の盾の周辺からもエアスラッシュが発生したらしい。ならば魔王遺物とはおそらく意識を同調させた者の術発生装置としても使えるのだろう。

 だがビューネイは己の命を差し出すのではなく、それを纏う人間の命を代価に支払った。それもかつてブラックがフォルネウスを超える力を得る為に全ての生命力を一気に燃やし尽くしたような使い方ではなく、ロウソクをジリジリと灯すようなそんな使い方。結果、命を代価に捧げさせられたゴドウィンは命が削り取られる苦痛と額を射抜かれる苦痛を味わいながら、なお死ぬ事が許されない。

 そして脳を破壊されてこれならば、おそらく彼を一息に殺す手段は存在しない。生命力を全て削り取るか、もしくは全身を砕いて魔王の鎧から離脱させるか。どちらにせよ最上級の苦痛を味わいながらゴドウィンは死ぬしかない。

 そんなゴドウィンの目に二の矢が突き刺さる。口腔内に三の矢が突き刺さる。

「ヒュギィィィ!?」

「リンさんっ!?」

「……」

 喉に矢が刺さった事によって悲鳴を上げることさえできなくなったゴドウィンが漏らす苦悶の声を聞き、モニカが思わず大声を上げてリンを見る。だがリンは、表情を変えずに矢を引き絞っている。この期に及んで敵に同情するような甘い思考をリンがする訳がない。むしろ四魔貴族を滅ぼして、なおその感情を持つことができるモニカが稀有である。エレンでさえ哀れには思いつつも攻撃の手は緩めないだろう。ユリアンは主君を守るためならば当然であるし、タチアナやハリードに詩人といった面々に関しては敵に同情などは論外である。

 またリンがその矢を放とうとする直前、耳障りな声が割り込んできた。

「容赦ない。凄い、凄いっ、凄い!」

「っ!」

 同じくタフターン山から下りてきたその影に標的を変更するリン。鋭く放たれたその矢だが、いくらなんでも距離があり過ぎる。狙われたビューネイベビーはそれをヒョイと避ける。

「そう、そうっ、そう!

 僕の方が強い、僕の方が厄介っ、僕の方が偉い!

 だからこっちに狙いを変えたことは正しい、正しいっ、正しい!」

 口調がこちらを馬鹿にした風であるせいか、声が耳に届くだけでイライラしてくる相手だ。もしかしたらこれは一種の精神攻撃であるのではないかと思う程に。

 ケタケタケタと笑いながら、ビューネイベビーはビューネイバードやビューネイドッグと共にタフターン山の入り口でたむろっている。防衛線のつもりか、ただ単にこちらを馬鹿にしに来ただけか。奴らはこれ以上こちらに近づく気はないようである。

「今回はおまけ、おまけっ、おまけ! 魔王の鎧の試運転っ!

 だけど敵は倒せた方がいいよね、無い方がいいよねっ、殺した方がいいよね!

 やっちゃえ、やっちゃえっ、やっちゃえ! ゴドウィン!!」

 ビューネイベビーの声によって魔王の鎧が走り出す。それと同時、ゴドウィンから悲痛な叫び声が上がる。リン程に達観しているならともかく、一般兵はその声を聴いてしまえばどうしても剣先は鈍ってしまう。ましてや龍神降臨を発動させた人間込みの魔王の鎧は武将に等しい戦闘能力を持つ。

「ごべぇぇぇ!」

「ヒギャァァァ!!」

 魔王の鎧から繰り出される拳によって一般兵から断末魔があがる。

 魔王の鎧が動く事によってゴドウィンから魂が擦り切れる悲鳴があがる。

 それぞれが更に兵士の士気を削ぎ、モニカ軍に与える被害を大きくしていく。

 それら全てを見て機嫌よく笑うビューネイベビーたち。

「死ね」

 それらを見て生かす価値無しから、殺す価値しか無いと判断したリンの鋭さが一層増す。

 そんなリンを見て、愚か者を嘲る声をあげるビューネイベビー。

「死なないけど、僕らに構ってていいのかな、いいのかなっ、いいのかな!?」

「?」

 疑問に思う時間は少ない。

 両軍が争う戦場の上を、大きな影が通り過ぎる。タフターン山から飛び立ったその影を今更確認する必要はないだろう。

 ビューネイ本人の出陣。狙いは言うまでもなくミカエルだろう。

「しまった、お兄様がっ!」

「気を散らすな、モニカ」

 動揺するモニカとは対照的に、リンは僅かにさえぶれることはない。冷徹にその弓から矢を射出させる。

 それが気に食わなかったのか、ビューネイベビーはつまらなそうな声をあげながら矢を回避する。

「ちぇー、反応無しかよぉ。

 つまんない、つまんないっ、つまんない!」

「光栄ね。私はお前らのピエロじゃない」

 リンはそう言ってビューネイベビーの言葉を切って捨てると、モニカに声を向ける。

「一つのケースとしてビューネイの直接攻撃を想定してない訳がないでしょ?

 今は目の前の敵に集中しなさい」

 そうと言われても四魔貴族が直接攻撃を仕掛けてきたら最愛の兄がどうなるのか、モニカが心配しない訳がない。

 だが次の瞬間、その心配を切って捨てた。ロアーヌの方向からも大きな影が一つ、こちらに向かって飛んでくるのが見えたからだ。

 必勝は約束されていない。だが、最善は尽くされている。ならば自分は自分の最善を。モニカは自分をそう戒めた。

「ボア将軍」

「……」

「ボア将軍っ!」

「っ!? は、はい!!」

「呆けるのは後。あの武将、魔王の鎧は目下最大の脅威です。排除する為に軍を動かします。

 最適な動きを教えなさい」

「は!」

 威厳とカリスマに溢れたその声でボア将軍が、そしてジーク将軍も立ち直る。

 そして上が毅然とした命令を下せば軍とは正しく機能するようにできているものなのだ。瞬く間にモニカ隊の動きに精彩が戻る。

 モニカとてミカエルの妹として輝かしい才能を持っている。それを改めて理解したボア将軍は、己が優れた指導者の元にいる事に感謝しながらその采配を振るうのだった。

 

 

 




ところで皆さん。
タフターン山って、やまって読みますか? ザンって読みますか?
知り合いがタフターンやまって言って、ひどく驚いた事がごく最近。タフターンザンって統一されているとばかり思っていましたが、特に規定はされていないんでかね?


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090話

そろそろ完結したいけどなかなか調子が上がらなくて申し訳ないです。
サガフロが楽しすぎるっていうのもある。詩人の詩を完結させたらサガフロ小説に手を出してもいいかもね。


 

『さて、そろそろか』

 戦場はロアーヌから遠い。声すらも聞こえない距離にも拘わらず、その圧倒的な存在感はビリビリと届いてくる。

 四魔貴族、ビューネイ。それの戦意が高まっていくのがこの場にいる面々には否応なく感じられた。

 閑散として寂しい印象を抱かせる中庭になったのは、つい先日まではここも戦準備の声が届けられ、殺気立った緊張感が届けられていたからなのだろう。それが遠くなってしまった今、反転するように悲しげな雰囲気を感じさせる場所になってしまった。

 しかし、だからといってその場に居る者たちの戦意は全く衰えない。エレン、タチアナ、ユリアン、ハリード、ロビン、そしてグゥエイン。ビューネイと直接戦う役目を背負った戦士たちは場の雰囲気に呑まれて気を抜くなどありえない。

 殊更それが顕著なのはグゥエインともう一人。前段階から決まっていた作戦の為である。

 それはすなわち、ビューネイの巣に乗り込む前にビューネイと直接対決をしなくてはいけないという事だ。

 いくらグゥエインとはいえ、人間を5人も乗せていては戦う事はできない。そしてビューネイもタフターン山に近づくグゥエインをただ漫然と見ている訳がない。必ず迎撃してくるだろう。つまりグゥエインと共に征くということはビューネイとの空中戦が不可避になるという結論に至る。

 そしてその戦いをグゥエイン独りに任せる訳にはいかない。グゥエインが考えるレベルで恐らく勝敗は時の運となるであろう。それほどまでにグゥエインとビューネイには差が存在しない。勝率をあげる手段が必要だ。

 それは何か。言うまでもない、聖王詩の再現である。300年前、ドーラと聖王が力を合わせたように、グゥエインは相棒を欲していた。ただしビューネイとの戦闘を考えると、その背に乗せられるのは恐らく一人だけ。それをこの5人の中から選ばなければならない。

 その瞬間候補から外れたのはユリアンだ。何せ彼は貴族の護衛としてオールラウンダーに学んだ上、その期間も決して長くない。剣の腕前だけは突出しているが、それ以外の攻撃手段を持たないのだ。接近戦がほぼほぼないと思われるこの戦いではただの足手纏いにしかならない。

 次に辞退するのはハリード。彼も剣を得手として、遠距離攻撃の選択肢は決して多くはない。遠くからでも相手を仕留めるようにするより、如何に接近して斬り伏せるかを磨いてきた剣士だ。ましてや墜落すれば即死という状況にこの慎重な男が乗る訳がない。できれば遠慮したいというのが偽りのない本音であった。

 ロビンも難色を示す。彼はロアーヌの民を守る為に自主的に参加した傭兵であり、後ろ盾が何もない怪しい男なのである。頼まれれば嫌という気はなかったが、望まれる立場でないことも彼は重々承知していた。影に徹し、ロアーヌを守る。そこにロビンの名誉は必要ないと、むしろ平和には邪魔になるとすら考えていた。いい意味で清々しい男である。

 残ったのはエレンとタチアナだが、ここで今一度前提条件を見てみる。戦場となるのははるか上空、空での戦い。山に登れば分かるように、地上から上がれば上がる程に気温は下がる。更に飛び回りながら戦う関係上、風にも吹きさらしである。

 そのような過酷な状況に、タチアナのような華奢な14歳の少女を放り込むのはどう考えても得策ではない。そもそも一度強行軍で体を壊したように、タチアナの体はまだまだ出来上がり切っていないのだ。

 対してエレンにそのような不安はない。二十歳である彼女は体は立派な大人であるし、体力が優れているという証明もシノンの村で為されている。

 このような経緯を経て、グゥエインに騎乗するのはエレンと決まった。モンスターに騎乗するという概念が基本的にないこの世界では、空中戦などやったことがある人間などほとんどいない。それこそ300年前に同じ方法で戦った聖王か、あのデタラメな詩人くらいだろう。ぶっつけ本番で相手がビューネイということに不安がないといえば嘘になるだろうが、どうせ潜らなけらばならない危険である。ここで腹を括れないようならば、四魔貴族を二人も撃破していない。

 訪れたこの時に、残る面々は激励を送る。

「勝てよ!」

「信じてるよ、エレンさん!」

「フッ。勝利の女神の恩寵があらんことを祈ろう」

「とりあえずビューネイを撤退させねば話にならん。しくじるなよ」

 それらの言葉を背負い、エレンはグゥエインの背中に飛び乗る。その恰好は革のマントを羽織り、口には布でマスクをして目にはゴーグルと言われる透明なガラスの覆いが為されている。奇妙といえば奇妙だが、空中戦では必須のもので、多くは詩人が用意した物品である。

 風が強く吹き付ける以上、防風効果のある革のマントの説明はいらないだろう。そしてその風は、ルーブ山地からロアーヌに来た時のように中途半端な速度で飛ぶ訳でない以上、呼吸すらも困難になりかねない。風に吹き晒されて呼吸ができなくなるということを防ぐ為のマスク。そして強風下では目を開けるのも難しくなる為、それを防ぐ為のゴーグルだ。この辺りを用意した詩人は、流石に300年前の戦いや、それ以上に亘る永い戦いの経験を積んでいるといえる。

「行くわよ、グゥエイン!」

『承知』

 マスクのせいでややくぐもった声をエレンは張り上げて、それに合わせてグゥエインは翼を羽ばたかせる。

 あっという間に世界は小さくなり、ロアーヌの遥か上空にエレンの体は浮いていた。左手と両脚でしっかりとグゥエインに体を固定して、残る右手で氷で作った斧でのトマホーク攻撃。これが基本になる。主な戦いはやはりグゥエインに委ねられるのは仕方のないことで、エレンはその補佐といった役回りだ。

 そして何よりも気を付けなければならないのがグゥエインから落下しないこと。その場合、グゥエインが拾ってくれなければ落下して即死である。

 飛ぶ事僅か、ロアーヌから戦場の上に辿り着く。流石の速度といえるが、それを持っているのは味方のみではない。敵であるビューネイの姿ももう間近に迫っていた。

 エレンは緊張からゴクリと唾を飲み込む。四魔貴族戦は全て命がけだったとはいえ、これほど特殊な状況はそうそうない。何より最悪の場合に自分の意志で撤退できないというのが恐ろしく、覚悟を決めるには十分すぎる要素だった。勝利か死か、二つに一つ。

「トマホーク!」

 とりあえず先手を取れるならばと氷の斧を作り出し、ビューネイに向かってぶん投げる。

 が、それはあっという間に失速する。高速で動いているグゥエインから射出された斧は強風をもろに受け、即座にグゥエインに追い抜かれ、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。

『バカか』

 思わずグゥエインが言ってしまうが、まあこれくらいは仕方ないといえば仕方ない。何せ初めての空中戦なのだ、感覚の違いというのはどこまでもついて回る。

 とりあえず今の行動はなかった事にして仕切り直し。グゥエインとビューネイは速度を落とす事無く、正面からぶつかり合う。グゥエインはその爪を剥き出しにし、ビューネイは背中に憑依させた3体の龍のうち一体をけしかけて牙を突き立てる。

 グゥエインの爪とビューネイの牙が硬質な音を甲高く響かせてぶつかり合う。お互いに被害はない。

『サンダーボール』

「サンダークラップ!」

 ビューネイの龍の一体から雷の球が吐き出され、それを確認したエレンが即座に術を構築して迎撃する。咄嗟に一つに集中したエレンの術はビューネイの攻撃を無効化することに成功する。

 それと同時、隙ありと言わんばかりにビューネイ最後の龍が牙を剥く。そしてそれと同じく牙を突き出すグゥエイン。ビューネイの使い魔の一体程度にグゥエインが後れを取る訳がなく、なんなくビューネイの龍に裂傷を与えるグゥエイン。

 最初の攻防は終わり、ビューネイが下がって距離を取る。グゥエインはその場でホバリングしてビューネイを睨みつけている。

『ほう…』

 まあ、やらなくはない。それがビューネイの感想だった。だがこの程度で四魔貴族であるビューネイを落とせると思われても困る。

 そして何よりビューネイには圧倒的に有利な点が一つあった。それはかつて聖王と巨竜ドーラとのタッグ戦を経験しているということである。付け刃のコンビの弱点というものをビューネイはしっかりと学び取っていた。

 ビューネイの姿は巨大な女の背中から龍を3体憑依されているような、そんな姿である。おおよそ空を飛べるような形態をとっているとは言い難いが、そこは蒼龍術を操るビューネイ。風の力を最大限に使っており、更には背中に憑依させた龍には浮遊効果があるのだ。魔龍公との呼び名は伊達ではない。

 中空でたんたんたんと軽やかなステップを踏むように足を動かすビューネイ、先ほどとは動きが明らかに変わった。龍の推進力に任せて移動して人間体は隙を探していたかのように動いていたのが、行動の主体が人間体へとシフトしたのだ。

 そしてたんっと強く足を下げ降ろすと同時、まるで地面を蹴ったように数メートル上空に飛び上がるビューネイ。その巨体に似合わぬ余りの速度にエレンはもちろんグゥエインもついていけない。そのままビューネイはグゥエインの上空を取り、再び空を踏みしめて加速し、グゥエインとエレンに迫る。

「くっ!」

 そしてその狙いはエレン。ビューネイは知っているのだ、人間が空中戦でどれほど不自由を強いられるのか。足場は悪く安定せず、戦い以外の落下防止にも体を使わなければいけないという事実を。

 エレンに向かって龍の尾撃を叩きつけるビューネイ。エレンは背負ったブラックの斧で受け止めてダメージを最小限に減らすが、何せ彼女に密着してグゥエインがいるのである。その攻撃の衝撃はグゥエインにまで届いてしまう。これでひるむ程軟な竜ではないグゥエインだが、ダメージが通ってしまったのは事実。屈辱と怒りを燃料とし、上空から迫るなら丁度いいと言わんばかりに角を突き立てる。狙いはビューネイの本体であり、その脇腹を僅かに抉る事に成功した。支障を与える程ではないが、これもダメージはダメージだ。

 ビューネイは体を巧みに動かし、その場から離脱。グゥエインの周囲でステップを刻む様から察するに、ヒットアンドアウェイで作り出した隙に攻撃してくる腹積もりのようだ。

『大丈夫か、エレン』

「ぜんぜん問題ないわよ、この程度。それより」

『ああ。行動の繊細さで勝負を仕掛けてきたな。翼に制約を持つ我には確かに有効だろうよ』

 ビューネイは空気全体を蹴って動けるように細かく行動できるのに対し、グゥエインは羽ばたく事でしか空に留まる事ができない。その勝負で隙を見つけるのならば確かに不利になるのはグゥエインだった。

「どうする?」

『こうする!』

 グゥエインは羽ばたく事を止め、滑空する。その巨体がいきなり落下じみた速度で突進してくるのである。いくらビューネイとはいえ回避しきれるものではない。

『くっ!』

 憑依させた龍のうち1体がそのグライダースパイクをまともに受けてしまった。ギャンと悲鳴を上げるその龍は戦えなくはないだろうが、ダメージは少なくない。この戦いで初めての有効打といえるだろう。

 相手が細かく刻んでくるならば、こちらは最大速力で勝負をかける。グゥエインはそう判断した。そもそも行動の繊細さなどグゥエインの得意分野ではない。何故そんな相手の土俵に上がらなくていけないのかという話である。グゥエインの最大の武器はその巨体と速度。巨体でいえばビューネイも負けていない為にそこまでのアドバンテージにはなり得ないだろうが、速度ではビューネイに勝るという確信がグゥエインにはあった。

 全速力で動いたせいで距離は大きく離れるが、グゥエインは旋回して再びビューネイに迫る。とはいえ、いくら早くても遠くからの体当たりである。これを何度もくらう程ビューネイは愚鈍ではない。紙一重で回避してカウンターを叩きこむ絶好の機会だ。

 その場でたんたんとステップを踏むビューネイの狙いはグゥエインにも筒抜けだ。なめているのはどっちだと言わんばかりにグゥエインは電撃を吐き出す。

『かぁっ!』

『なっ!?』

 想定したよりもワンテンポ早い攻撃にビューネイのリズムが崩れる。これによってカウンターの機会を逸脱し、回避に専念せざるを得なくなる。

 そしてここで忘れてはいけないのが、カウンターを狙う為に紙一重の回避になってしまったということだ。接近するなど何度もない好機を、エレンが見逃す筈がない。

「大木断!」

『ギィィィ!』

 ブラックの得意技であったそれをすれ違いざまに放つエレン。ブラックの斧はビューネイの龍の1体を捉え、深い裂傷を与えていく。致命傷に近く、この戦いで復帰することはできないだろう。これでビューネイの龍のうち、1体は戦闘不能になり、もう1体は負傷という事態になった。

(くそがぁぁ!!)

 表には出さず、心の裡でビューネイは屈辱の叫びをあげていた。憑依させた龍が全て撃破されてしまえば空中戦に大きな支障が出る。この速度を持つグゥエインに対処できなくなり、最悪自身を抜かれてそのままゲートの破壊に向かわれかねない。いくらなんでもグゥエインクラスを相手にするならばビューネイの部下では荷が勝ちすぎる、やはり最後はビューネイがなんとかしなくてならない。

 やはり支配者たる自分が前線に出てきてしまったのが間違いだったとビューネイは反省する。部下に削れるだけ削らさせて、弱ったところを仕留める。それが最上なのだ。かつて聖王と巨竜ドーラのコンビに負けたという屈辱を果たそうと、空中戦に乗ったのが間違いだったとそう結論づける。ならばタフターン山から部下を呼び寄せて痛めつけるかと、ちらりと視線をそちらに向けて合図を送った。

 自分の巣に敵を招き入れるというのはビューネイのプライドを傷つける行為ではある。だが、いつまでもプライドにばかり拘ってはいられない。視線を戻せばまたもグゥエインが旋回し、こちらに向かって突進してくる。負傷した現在、まともに付き合うのはバカげている。ビューネイはそう判断した。

 が、そこでふと気が付く。

(グゥエインの背中にあの人間がいない…?)

 ここは大空、グゥエインから離れてどうにかなる道理など人間にある訳がない。なのにグゥエインの背中にあの女がいない。これはいったいどういった事か?

 その答えは即座に自分の身で味わう事になるビューネイだった。グゥエインとエレンはビューネイが怯み、この戦いから離脱しようとしているのを敏感に感じ取っていた。そして逃げようとするその瞬間こそが攻撃の最大のチャンス、追撃を仕掛けるのに最高のタイミング。

 エレンは自分を空高く放り投げるようにグゥエインに指示し、即座にそれは実行された。ちらりとタフターン山を見たその隙を利用し、エレンは視界からも思考からも己の存在をビューネイから隠しきる。グゥエインと同時行動しかできないというその思い込みを利用し、空高く舞うビューネイのその頭上を取り斧を大きく振り上げていた。

 自由落下をするエレンに下から風が叩きつけられる。真横を雲が通り過ぎ、地面が一瞬ごとに大きくなっていく。恐らく二度と人生で味わえないであろう感覚に包まれたまま、エレンはその一撃に集中していた。気が付かれてはならない、この奇襲は絶対に成功させなくてはならない。地面よりもエレンに近いビューネイに向かって、渾身の一撃が振り下ろされた。

「マキ割ダイナミック!!」

『ガァァァッッ!?』

 想定外過ぎる頭上からの一撃、ビューネイはそれに我を忘れて叫び声をあげた。そして攻撃はそれで終わらない。グゥエインのグライダースパイクは止まっていないのだ。全速力からの突進をまともに受けてビューネイは吹き飛ばされる。

 ツインスパイク。人と竜の協力技が見事にビューネイの体を捉えた瞬間で、その威力はビューネイの体力を奪うのに十分過ぎた。ビューネイから吹き飛ばされたエレンはグゥエインがなんなく背中でキャッチする。大技が命中した以上、戦いの流れは決まった。その瞬間、勝機は確かにエレンとグゥエインにあったのだろう。

 しかしビューネイの悪運はまだ尽きていなかったらしい。先ほどした合図でタフターン山から空を飛べるビューネイの配下が次々と飛んでくる。その数は数百にもなりそうであり、雑魚であるからして蹴散らすのはグゥエインには難しい話ではないが、それをしていてはビューネイに逃げられる。かといってビューネイを追えば無防備な背後をその数百の敵に取られない。

 リスクを避けるか、リターンを取るか。

『どうする?』

「……ここは確実に敵の数を減らしましょう。ビューネイ軍を減らせばタフターン山に突入するにもロアーヌ軍が使えるわ。

 それにビューネイに奥の手がないとはとても思えない。手痛い反撃を喰らって挟み撃ちに遭うのは避けましょう」

『まあいいだろう。我としてはビューネイが消えてくれれば構わん。奴の拠点に入り込み、ゲートを閉じるのは任せようか』

 わらわらと寄ってくるビューネイ軍の雑魚共。グゥエインは冷気や火炎を吐き出して一気に殲滅していく。そして空中での殲滅戦が終わるとほぼ時刻を同じくして、地上での戦いも終わる。

 魔王の鎧をつけられたゴドウィンはリンに散々に痛めつけられ、そのまま退却していった。ビューネイベビーといった敵の幹部もそれに合わせてタフターン山に戻っていく。

 代償に時間稼ぎにと残されたビューネイ軍はその全てが討伐された。

 

 敵軍全滅。それがロアーヌがビューネイ軍に上げた戦果であった。

 




ところでロマサガ3リメイクまだですか。
ここまで情報出さないのはいくらなんでもひどいと思うのですが。


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091話

お待たせいたしました。
最新話を投稿させていただきます。


 ミカエルは困惑していた。

 ビューネイとの戦争、その結果に狼狽したといっていい。有り得ない結果に現実を直視できなかったと言われても仕方がない。

 戦いというのは言うまでもなく、有利の取り合いだ。殴りたいと思っても相手が受け入れる訳がない。被害を回避したいと願ってもそれが単純にかなう訳がない。フェイントを仕掛けたとして相手がそれに引っかかるかどうかは分からない。

 殴れる方が上手なのだ。回避を成功させることが褒められるのだ。フェイントに引っかかる方が馬鹿なのだ。戦いとは究極的な暴論としてそう言い切ってしまっていい。勝った方が正義であり、正しいと。

 それに照らし合わせて現状はどうか。ビューネイ軍は出した分だけ撃破され、僅かな幹部だけを残して全滅した。対してロアーヌ軍の被害は軽微であり、ビューネイ軍を追い払った士気高揚を思えば、戦う前よりも戦力が上がっているかも知れない程だ。

 

 とどのつまり、勝ちがすぎた。

 

 もちろん決して悪い事ではないのだが、想像を超える状態というのは思考が止まってしまう、計算を最初からし直さなければならないからだ。予想された被害がないと、作戦の内容を変えざるを得ない。それによって失われる時間を考えれば絶対に良い事であるとは言い切れないのである。

 故にミカエルはできる限り作戦を修正しないで決行した。予定ではミカエルの供回りの精鋭をエレンたちに付随させるというのが最良だったが、一般兵をそれに上乗せしたのだ。

 もちろんグゥエインに乗れるのは、エレンとタチアナが認めた5人が上限。それに変化はない。しかしビューネイに痛手を負わせた今ならば、タフターン山の制空権はロアーヌ側が握っている。それを生かさない手はない。

 グゥエインに乗ったエレンに長い鉄の鎖を持たせ、タフターン山の霧の結界を抜けた先まで行って貰う。そこで適当な木か岩か何かに鎖を結び付けて、それを結界の反対側まで持ってくれば経路の確保は完了である。方向感覚を狂わす霧といえども、正解の一本道は外れない。

『我の扱いがひどくないか?』

「コキ使われるあたしも似たようなモンよ」

『そなたは人間だろうに…。何故、ドーラの子である我がこんな雑な目に遭わねばならんのだ』

「報酬として金に宝石を貰うんだからグダグダ言うな。あたしのやる気も下がるわ」

 雲の上でそんな会話があったのは、まあ蛇足だろう。

 かくして霧の結界に鎖の一本道ができあがり、ロアーヌ軍とエレンたちの侵攻が始まる。そしてここまでにかかった刻限が24時間以内に収まっているというのだから恐れ入る。この神速とも言える進軍を強行できたミカエルの手腕を疑う者は、少なくともロアーヌにはいない。

 だがしかし。それでも、ビューネイに約1日という時間を与えてしまったというのも事実であるのだ。

 

 

『おのれ…!!』

 竜と人との合力により深い手傷を負わされたビューネイはゲートの間にて回復を行っていた。ここは世界で最もアビスに近い場所、アビスの属性を持った者であるならば自然治癒能力は飛躍的に高まる。

 それでもロアーヌが攻め入って来るのは自明であり、回復にしばらくかかりそうで完治できるかは微妙であった。

「ビューネイさま、言われた通りに兵を配置したよ、配置したよっ、配置したよ!」

『ご苦労、ビューネイベビー。次にライフトラップに捕らえた人間を捧げよ。アレらが活性化しているか否かで敵の消耗具合も違う』

「分かったよ、分かったよっ。分かったよ!」

 ましてやこのように拠点防御の指揮を取りながらでは治るものも治らないだろう。特にビューネイの支配者としてのプライドは四魔貴族一高い。この拠点に攻め入られることを呑むだけでも相当の屈辱であり、その怒りが回復によりよく向かう訳がなかった。

 それでもビューネイに屈辱はあれど焦りはない。その根拠はゲートに設置されたソレにあった。

「……、…………、…………」

 もはや悲鳴すらも出し尽くしたゴドウィンと、彼がまとっている魔王の鎧。ゴドウィン自体は魔王の鎧に生命力を捧げる為の生贄でしかなく、彼が死ねばビューネイはなんの躊躇いもなく別の生贄を用意するだけであるだろう。重要なのは魔王の鎧である。

 魔王は言うまでもなくアビスの属性を得た宿命の子であり、彼が身に着けた魔王遺物は600年が経過した今でも禍々しいアビスの瘴気を放っている。そしてその瘴気はゲートを開く程ではないにしろ、ゲートからアビスの力を引き出すのに有用であるのだ。ビューネイが完治すれば、ビューネイだけでなく魔王の鎧を触媒にしてアビスから魔物を召喚できる。より正確に言えば、アビスの瘴気を具現化して魔物化できると言った方が正しい。

 とはいえ、これは裏を返せば完治までビューネイがゲートの間から動けない事を意味している。そして動けるようになったとしても、フォルネウスとアウナスを倒した人間どもはもうビューネイの拠点に侵入していることは明白であり、ビューネイはゲートの間を守らざるを得ない。

 そう、王者は最奥で堂々としているのが最善なのだ。結果的にせよ、そう開き直れた事によってビューネイの心理状態は安定していた。

『そう、これでいい。最後にこの屈辱を倍にして返せればそれでいいのだ……!』

 ビューネイの脳裏には攻め入ったロアーヌ軍に防御兵をぶつけ、消耗した敵をビューネイ自身が蹂躙。そのままロアーヌまで逆侵攻を仕掛けて逆転勝利を得るというものだった。実際そうなるかは分からないが可能性は低くないし、そういったポジティブな考え方は回復にもプラスになる。

 来るべき戦いに備えてビューネイはじっと力を蓄えるのだった。

 

 

 一方でロアーヌ軍。一般兵がフルブライト軍から300にロアーヌから1200で合わせて1500。それにミカエルの供回りの精鋭とエレンたち5人を合わせた者が進行部隊の全てだ。

 モニカはもちろん、リンも今回は留守番である。ロアーヌの防御力はともかく、ミカエル自身の防御力は供回りを出している分著しく下がっている。暗殺などの危険性が飛躍的に高まっているのに対策が必要で、また万が一ビューネイが直接急襲を仕掛けてきたらグゥエインと共に戦う人員が必要である。それには数の力も使う供回りよりかはリンの方が優れているという判断だ。

 彼らは無事に霧の結界を抜け、タフターン山の頂上に足を踏み入れた。ここまで来た人間はそう多くはなく、つまり情報はほとんどないといっていい。エレンだけは既に見た光景だがタフターン山の頂点は尖がっている訳ではなく、すり鉢状になっており内部に入り組んだ横穴も確認でき、そのところどころにモンスターが巣くっている。その奥になればビューネイが手を加えていない訳がなく、迷宮と化しているのは明らかだ。さながらビューネイの巣とでも言えるべき魔窟である。漏れ出るアビスの気配がその禍々しさに拍車をかけていた。

 これに怯える者は怯えるが、ビューネイ討伐隊はこの距離でひるんでいてはお話にならない。皆、平然としている。エレンにタチアナ、ユリアンは一度以上は体感した感覚であり、ハリードやロビンはこの程度で影響を受ける程弱者ではない。

「どう攻めるのー?」

 タチアナの純粋な問いにほんの少しだけ考えるエレン。

「タチアナ、あんたアビスの気配が分かるわよね? それっておおまかな距離や方向が分かるだけ? それとも道順まで分かる?」

「両方。ゲートから漏れ出る気配はビンビン感じてるし、それが流れ出る経路も研ぎ澄ませば分かるかな」

「なら問題はないわね。あたしたちは道順だけ指示して戦力を温存、その護衛をミカエル様の供回りにしてもらって、敵モンスターの露払いは一般兵に頼みましょう。

 何か補足事項はあるかしら?」

 そう言って男三人を見るエレン。その全員が首を横に振る。代表してハリードが答えた。

「問題ない。ビューネイを討つまでは俺たちは体力を温存するべきだ」

「そう。じゃあ行きましょうか」

 エレンの言葉を合図に、そのビューネイの巣へと歩を進める一行。その先にこの世で最もおぞましい景色があると想像できた者はいない。

 タフターン山とて一般的な山である。そう、そこまでは。ある一線を越えた瞬間から、ビューネイの領域に入った瞬間から、そこは山ではなくアビスに最も近い忌地へと変貌した。

 壁や地面に生き物の血管のような管が走っている。なぜ血管のようなと表現したかというと、それらはドクドクと脈打っているからだ。まるで生き物の体内に取り込まれたような錯覚。それだけでも嫌悪感をぬぐえないというのに、視界に映るのはモンスターに捕食されている人間。ビューネイは捕らえた人間を使い捨てるような事はしない、こういう風に有効活用しているのだ。ビューネイの巣という場所では人間とはモンスターに捕食されるエサでしかないと遠回しに示すその行為は、侵入した兵士たちの士気に確かなダメージを与えていた。アウナスを討伐したユリアンでさえ、ここまでおぞましいものを見る覚悟がなかったのか若干怯んでいる。

 ちなみにエレンやタチアナ、ロビンはドフォーレ商会の闇を覗いた時に耐性はできており、ハリードに至ってはここで揺らぐような精神の脆さはない。だがこれも言い換えれば、このレベルでなければ精神に負荷がかかってしまうということだ。

(タチが悪い)

 心の中でそう毒付くハリード。これに比べれば詩人は一気にまともに見えてしまう。いやまあ、詩人も流石にコレと比べられたくはないだろうが、心の中で思う分には自由であろう。

 ともかく留まっても心理的ダメージが溜まる一方なのは明白だ。こんな場所はとっとと踏破してしまうに限る。ハリードが先を促した。

「行くぞ」

「おー」

 緊張感がないタチアナは相変わらずである。

 

 目指すべき方向はタチアナが示す。ミカエルの供回りがその指示を聞き、そして一般兵が先々にある障害を除去しながらの進軍。

 最も安全な位置にいるエレンたちに前線の状況は分からないが、四魔貴族の拠点に攻め込んだことがある者は知っている。ここが如何に危険な場所であるかを。それを考慮すれば犠牲者は恐らく既に出ているだろう。逆に出ていない方がおかしい。

「被害はどのくらいでているのかしら…」

「下らんことに思考を回すな」

 ポツリとエレンが呟いたと思ったら、ハリードから手厳しい言葉が返ってくる。

 それに眦を吊り上げるエレン。

「ちょっとアンタ、今のはどういう意味よ」

「そのままだ。ビューネイを討伐せねば今まで払った犠牲全てが無駄になる。今すべきは被害を憂うことではなく、いかに己の本分を全うするかだ」

「……」

 エレンは何か言いたそうにハリードを睨んだが、それ以上は口にしない。理性でハリードが間違っていないと納得している為だ。

 とはいえ。いくら正論でも、いや正論だからこそ感情論を叩き伏せられるとより強い憤りを感じるものだ。エレンはムスっとしたまま先を進もうとする。

 と、その瞬間。

「うわぁっ!?」

 すぐ前方から悲鳴があがった。全員が警戒してそちらを見れば、地面にある僅かな亀裂に供回りの人間が足を取られている。

 いや、よく見れば亀裂から触手が伸びてその足に絡みついている。そして徐々にだがその亀裂に足を引きずり込まれている。

「くっ、このぉ!!」

 このままではまずい。供回りの人間はそう判断したのか、手に持った槍を亀裂の中に突きこむ。

 それが引き金になったかどうかは分からないが、その瞬間に亀裂が生物的に広がり、人一人を優に呑み込める程の大穴になった。その直上にいた供回りの男は悲鳴を上げながら大穴に落ちていき、代わりに大穴から蠢く数多の触手が獲物を探して這い出てくる。

 大穴の周囲にはエレンたちを守る為の供回りの人間も多くいて、彼らは自分に伸びる触手に対処しようとしていた。しかしこの凶悪さを鑑みれば敵も一筋縄でいかないのは明白であり、エレンたちの実力を必要と考えても不思議ではない。

「いかんっ! 動くぞ!!」

 ロビンの言葉に咄嗟の行動をとるエレンたち。だが攻撃も退却もできるその立ち位置からの咄嗟の行動には大きな違いが見えた。

 ロビンとエレンにユリアンは武器を手に取って前進し、ハリードとタチアナはバックステップで触手から一気に遠ざかる。

「エレンさんっ!?」

「タチアナっ!?」

「ユリアン、何をやっている。下がれっ!」

「ハリードさんこそなんで下がってるんですか!?」

 エレンとタチアナ、ハリードとユリアンはお互いの行動に疑問を持って思わず硬直してしまう。

 唯一なんの枷もなく行動できたロビンは愛用のレイピアを手に取って、大穴の中に躍り込む。

「ライトニングピアス!」

 大穴の中にいた醜悪な植物型モンスター、ライフトラップを一撃で仕留める。どうやらこのモンスターは捕食に吸血行為を行うらしく、最初に大穴に落ちた供回りはすでに全ての血や体液を吸われてカラカラに渇いていた。ミイラと違い髪の毛がまだ青いのが死後間もないことを物語っている。

 他にも一人大穴に引きずり込まれた者がいたが、幸いこちらまで吸血の手は回っていないようだ。しかし大穴に引きずり込まれる際に触手に強く締め付けられたらしく、衣服が裂けて見えた地肌は青黒く下手したら骨折までしているかも知れない。

 ロビンは無言で傷ついた供回りを抱えると、大穴から脱出した。

「ああ、ありがとう。あんた、ええと……」

「ロビンだ。正義を助け、悪を挫く。怪傑ロビン」

「…。あ、ありがとう。怪傑ロビン」

「ふ、お安い御用さ」

 キラリと歯を白く輝かせて、ロビンはビューネイ討伐隊の元に戻る。

 そこには興味なさそうな表情をしたタチアナと、申し訳なさそうな顔をしたエレンとユリアン。そして怒気を発したハリードがいた。

 特にハリードの怒気は激しく、もはや殺気に近い。ロビンはそれを飄々と受け流す。

「おい」

「どうかしたかね」

「どうかしたかじゃねぇ。テメェ、ビューネイと戦う前に無駄な体力を使っているんじゃねぇよ」

「無駄な体力なぞ使っていない。これは必要な措置だった」

「そういう些事は供回りに任せて俺たちは体力を温存しろ。これは提案じゃねぇ、命令だ」

「些事の基準にいささか認識の違いがあるようだね。それに、君の命令に私が従う理由があるとでも?」

 ピリっとした緊張感が走る。さっきまではまだギリギリ怒気だったが、今度は確かな殺気。しかもロビンからも漏れだしている。供回り程度に口を挟めるレベルのそれではなく、話はビューネイ討伐隊に限られる。

 お互いの手に武器の柄が触れている。抜けばそのまま敵対行為、殺し合いまでいきかねない。やや不自然な沈黙が流れるが、やがてロビンが口を開く。

「この事に費やす体力こそを私は無駄と思うのだが?」

「…チ」

 ハリードの殺気が緩み、ロビンが武器から手を外す。

 しかしハリードはそこで話を終わらせるつもりはなかったらしく、その追及の手は他へと向かう。

「エレン、ユリアン。お前らまで無駄な体力を使ってるんじゃねぇ」

「でも、ハリードさん…」

 ユリアンは師に近いハリードの言葉に弱々しく抗議をしようとするが、エレンは毅然としたもの。

「あたしもロビンと同じ意見よ、アンタの命令に従う理由はないわ。さっきの人に生命の水をかけてあげなくちゃならないから失礼するわ」

「止まれ」

 ハリードの手はカムシーンの柄を掴んでいた。殺気はない、あるのは剣気のみ。すなわち、殺すではなく斬る。純粋な剣士にとってはこちらの方がより本気だ。

 それに反応してエレンもバックステップで距離を取り、ブラックの斧を掴んでいつでも抜けるように構える。

「驚いた。味方にする態度かしら、それ」

「お前の愚行によっては味方にすらならんかも知れん。ビューネイに殺されるくらいなら、ここで俺が戦闘不能になるまで痛めつけてやるよ」

 ハリードは本気だ。それを悟ったエレンの目はすっと細まる。

「…一応聞くわ。何が気に食わないの?」

「兵士の治療をするな」

「理由は?」

「数だ。随伴した兵士は1000を超える。一人を治療すれば、全員に治療を施さねば不満が溜まる。だから平等に、誰も治療をするな」

「……」

 それが道理であることくらいならエレンも分かる。不満が溜まり、規律がなくなった集団ほど無力なものはない。

 だがそれと同時に目の前の怪我人を無視する理由もないと、エレンはそう思ってしまう。

 対立する正義の矛盾。エレンは思わずこの中で最も頼っているタチアナを見てしまう。その視線を感じとったタチアナはため息まじりに言葉を紡ぐ。

「エレンさんの好きにしたら? けど、ビューネイに負けたらどうなるか分かってるよね?」

 その言葉に一気にエレンの頭が冷えた。そうだ、自分の正義や良心と比べれば人の命は確かに重い。だが、サラの安全に代えられるものではない。

 結論に至ったエレンはあっさりと斧から手を放し、ハリードの言う通りにする。

「いいのか、エレン?」

「いいのよ、ユリアン」

 割とあっさりと収まった場に、意外な顔をするのはユリアン。

 エレンは正義感が強く、また庇護欲も強い、そうと知っているユリアンはあっさりと矛を収めた幼馴染に意外という感想しか浮かんでこない。

 だがユリアンは知らない、現在サラがどれだけ危うい立場に立たされているかを。それを覆す為にエレンがどれだけ無茶をして死線を潜り抜け、己を殺してきたのかを。

 おそらく、今のエレンはサラの為ならば誰でも殺せる。ユリアンもトーマスも、タチアナも自分さえもだ。

 死にかけている人間も躊躇なく見殺そう、気に食わないハリード(あいて)の力も借りよう。全てはサラの安全の為に。残るゲートは後2つ、詩人が動けることを鑑みれば実質このビューネイのゲートのみ。この戦いに勝てばもう己を殺さなくても済むというならば、今まで支払ってきた代償を考えてもここで張る意地はない。

 無理やり自分を抑え込んだエレンとこの状況についていけないユリアンに、ハリードは諦めと疲れのため息を吐く。

「全く。一番使えるのがこのガキとは頭が痛いぜ」

「うっさいオッサン。私をガキって呼ぶな」

 自分と一緒に供回りの命よりも体力の温存を選んだタチアナの方がよほど頼もしい。そう思ってハリードは少女と言える年齢で優れた大局観を養っているタチアナを、やや遠回しな言葉ながら本気で褒めたのだがタチアナ本人は心底嫌そうだ。

 もちろん褒められたのが嫌なのではなく呼び方が気に入らなかっただけなのだが、そうとは知らないハリードは地雷を踏んでしまう。

「なんだ、一丁前にガキって言われて怒ってるのか?」

「私をガキって呼んでいいのは一人だけ。誇り高き海賊、ブラックだけよ」

「ブラック? あの海賊如きならガキと言っていいのか?」

 瞬間、タチアナは氷の剣を抜く。即座に対応したハリードはカムシーンを抜いてその剣撃を防いだ。

 氷の硬さと大剣の重さを生かしたその斬撃の狙いは脳天。すなわち、本気で殺す気だ。

「おい」

「黙れ、主君も国も守れず、自分の命だけは守った腰抜け野郎」

「――」

 タチアナに言われた通りに黙るハリード。

 返答は行動で。氷の剣の攻撃範囲からカムシーンごと体を抜いて、改めて速度と体重の乗った突きをタチアナの心臓に向かって繰り出す。ハリードもタチアナを殺す気だ。

 ハリードは詩人に人間最強と言われたレベルである。いくらタチアナに天賦の才があるとはいえ、その剣筋を見切るには無理がある。よってタチアナはその武具の特性を最大に生かす戦いをした。氷の剣を盾に変形させ、胴体への刺突を回避する形状へ。それにて格上(ハリード)必殺の刺突を回避する。

 武器を失ったタチアナ、体勢が崩れたハリードはいったん距離を取る。

 その一瞬の間でエレンはタチアナを、ユリアンはハリードを羽交い絞めにして止める。もちろんタチアナはともかくハリードはその程度では止まらない。故にダメ押しと言わんばかりにその首筋にロビンのレイピアが添えられた。

「タチアナ、止めなさいっ!」

「ハリードさん、抑えてっ!」

「双方、引きたまえ」

 かけられた言葉に、あるいは制限された動きに、もしくは押し付けられた刃物に。タチアナとハリードは止まる、止まらざるを得ない。

 しかし瞳だけは相手の喉笛を引き裂かんばかりに殺意に満ち満ちている。隙があれば容赦なく殺し合いを再開するだろう。

「話はビューネイを倒してからミカエル候の前ですればいい。いいな?」

「いい訳ないでしょ。ブラックを侮辱したコイツはここで殺す」

「コイツは俺の存在を否定しやがった。今、この場で殺す。話は必要ない」

「――ハリード、タチアナも悪かったのは分かるけど、この子を殺すならあたしも相手になるわ。第一、先にブラックを如きと言ったのは貴方。あたしも相当怒ってるの」

「は、上等だ。二人まとめてかかって来やがれ」

「けれども優勢順位はビューネイの討伐。今、この場で殺し合う訳にもいかないわ。あなたもファティマ姫の安全は確保したいでしょ?」

「……」

 ファティマ姫の名前にハリードの頭にあがった血が少しだけ下がる。

 そうだ、姫の安全の為にはハリードはビューネイを倒さなければならない。エレンやタチアナを有効活用しなくてはならない。

 ハリードの中でタチアナを生かす選択肢はない、あそこまでの暴言を吐かれたのだから理解できる人間はいるだろう。しかし、今はファティマ姫の命は詩人に握られている。

 ならばここは堪えて、ファティマ姫の情報を得た後タチアナを殺す。そしてそれによって敵対するであろうエレンや詩人も殺す。正直、他はともかく詩人だけは勝てる気はしないのだが、そんな勝率(りくつ)だけで戦いを避けるにはタチアナはハリードの自尊心を削り過ぎた。

 タチアナは殺す。それは決定事項だが、それは今ではない。ハリードは素直にこの場は引くことにする。

 対してタチアナもブラックを侮辱されたことは頭にきた、それこそ殺したい程に。しかしブラックと同じかそれ以上に大好きなエレンがタチアナを止めて、更にこの争いはエレンにもタチアナにも利するものではない。ハリードはいつか殺してやりたいとは思うが、今はやめておこうと思う程度には頭は働いている。ハリードは明らかに自分よりも上の腕前を持つ。ならば彼はビューネイを倒す上で重要なファクターになるだろう。

 そうお互いに自分をなだめてとりあえず殺意を抑え込む。それでひとまず収まった場を見てユリアンは心の中で頭を抱えた。

(ミカエル様。強いのを集めたのはいいですけど、心がバラバラです)

 まさか供回りへの襲撃からここまで話が大きくなるとはどうして思えよう。

 集まった人間の相性の悪さにユリアンはビューネイとの戦いに不安しか抱けなかった。

 

 

 約1日。それがビューネイの巣を踏破するのにかかった時間である。

 討伐隊には常にギスギスした空気が流れ、それを抑える為に比較的中立のエレンやユリアンが間に立つ。誰にとっても優しくない時間もようやく終わろうとしていた。

「そろそろゲートだね」

 タチアナの言葉に一番安心したのは供回りのリーダーだ。空気の悪い、もっと言えば殺意で満ち満ちた場の一番近くに居なくてはならず、また配下も一刻ごとに削られていく現状。色々な意味で壊滅となるところだったが、とりあえず己の役割は果たせたといっていい。

 しかし不安が残らない訳ではない。兵力を犠牲にした強行軍は、もう体力がない。このままでは帰ることができないのだ。生きて帰るにはただ一つ、討伐隊がビューネイを撃破して、このアビスの気配を消すしかない。

 それしかないのだが、それを託さざるを得ないのはギスギスとした空気を隠そうともしない5人である。ボロボロの命綱に命運を託している気分だ。

「御武運を」

 その不安を微塵も感じさせない声色を出す辺りは流石だろう。

 背に声を受けて、5人の戦士たちはゲートの間に足を踏み入れた。

 

 




ロマサガ3リマスターがとうとう発表されましたね。
楽しみで仕方ありません。
詩人の詩をそれまで完結させたかったのですが、流石に無理そうですね。

ゆっくりお付き合いいただければ幸いです。
発売日とその翌日はロマサガ3を遊び倒す。


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092話 乱戦ビューネイ

まだまだ暑いですが、そろそろ気合いを入れなおしていきたいと思います。
リマスター発売までに完結させるのが理想です。

後、ゴメンなさい。昨晩、ミスって推敲前の話をあげてしまっていたみたいです。
そちらはどうかなかった事にしてください、お願いします。


 ここに来るのはエレンとタチアナで3回目、ユリアンで2回目。一度来れば慣れるという程甘くはないが、少なくとも耐性はつくので呑まれる事はない。ハリードとロビンは初めてだが、その異常さに警戒心が上がっただけで委縮はしていない。肩に力が入ったと言ってもいいかもしれないが。

 ゲートの間。この世で最も地獄(アビス)に近いその場所を拠点とするは、永い年月を生きて世界を支配する四魔貴族。ここにいるのはその一人、魔龍公ビューネイ。

『よく来たな、ムシケラ』

 中々に素敵な言葉で5人の戦士たちを歓待する主であるビューネイ。彼女はゲートの前に立ち、その奥にある白い球を守っている。そこが弱点であると知られていないと考える程、ビューネイは愚かではない。そしてそこに設置された魔王の鎧は、かつて見た魔王の盾よりもずっと禍々しい瘴気をまき散らしていた。

「あれは……?」

「おかしいよ、ゲートのタガが外れてる」

 エレンが困惑気味に呟けば、タチアナがその異常性を看破する。その言葉にピンときたのはハリードだった。

「なるほどな、魔王遺物はアビスの属性を持っている。それさえあれば宿命の子がいなくてもゲートに干渉できるという訳か」

『その通り。ゲートが開いた今となっては貴様らムシケラ共に勝機は万に一つもない。大人しく降伏するならばせめて苦しまずに殺してやるぞ?』

「はいそれダウトー」

 ニヤニヤ笑いのビューネイを一言で切って捨てるのはタチアナ。誰よりも本質を見抜く目を持った少女は今のビューネイの言葉は全面的に嘘だと判断できた。

「それが本当ならアウナスも魔王の盾を防御じゃなくてゲートの開放に回した筈だし、宿命の子なんて生きてる保障がないのを探す訳ない。せいぜい魔王遺物はゲートをちょこっと開く程度でしょ。

 そしてアンタが私たちを楽に殺す訳がない。それはこのビューネイの巣を見れば明らか。アンタは明確に人間の苦痛に快楽を見出してる。ここまでアンタを追い詰めた人間を楽に殺す訳がないじゃん」

 あまりに理路整然とした言葉に流石のビューネイも言葉が詰まる。図星を突かれた時は逆ギレするか沈黙するかしかないという好例である。

 ビューネイの様子を見て氷の剣を抜くタチアナ、そもそもの選択肢として降伏が一番有り得ないエレンもブラックの斧を構える。ユリアンも白銀の剣に手をかけ、ハリードはカムシーンを突き付ける。ロビンの姿は、ない。

「え。ロビン?」

 思わずエレンが見失った仲間の名前を口にするが、その姿は即座に見つかった。いつの間にか、本当にいつの間にか彼はビューネイの頭上をとり、そのレイピアを振りかざしていたのだ。

「ライトニングピアス!」

「させないよ、させないよっ、させないよ!」

 その攻撃に割り込んだのビューネイベビー。そいつはロビンの奇襲に見事に対応し、その攻撃をはじき返す。

 奇襲が失敗したロビンは弾かれた勢いのまま仲間たちのところまで戻り、悔し気に舌打ちをする。

「流石にそう甘くないか」

『いきなりの奇襲か。流石はムシケラ、礼儀も何もないと見える』

「レディにこう言うのは心苦しいのだが、あえて言おう。我が振りなおせ」

『愚か、誠に愚か。王者が下賤な者に何をしても許されるが、その逆はない。それが分からぬからこそムシケラなのだ、貴様らは』

 話が噛み合わない。その理由を理解するのはエレンとタチアナだけである。四魔貴族であるビューネイは短命種を奴隷と見做す、自分が優れた者だと妄信して心までモンスターに堕ちた邪悪なる者だ。自分が何をしても許され、敵が自分に無礼を働く事は許されない。そんな傲慢な貴族的考えを持っていると改めて理解できた。

 そうでない者もビューネイが自分を王者として、こちらをムシケラと言い切る辺りに交渉の余地はないと判断するには十分である。ユリアンなどは同じ四魔貴族でもアウナスとは大分違うなという印象を持つほどである。

「その王者を斬れるなら、なお快感だろうな」

『できるか? 不遜であることは目を瞑ろう。あがいて見せるがいい』

 ビューネイの言葉に反応して控えていた3匹のモンスターが前に出る。ビューネイベビー、ビューネイバード、ビューネイドッグの3体だ。更に魔王の鎧とゲートが呼応してその場所から魚型モンスターに騎乗して、槍を持った人間のようなモンスターが現れる。この状況でアレがアビスのモンスターでないと思う能天気はいない。ゼルナム族と呼ばれる、魔王の鎧によって召喚されるアビスの魔物が2体湧き出してきた。

 ビューネイだけでも手に余るだろうというのに、数の利も劣っているという現状にエレンは思わず悟られないように歯噛みする。しかもこちらのチームワークは最悪でありロビンとは連携を取れる程ではなく、ハリードに至ってはそれに加えてそもそも人間関係すらマイナス方向に振れているといっていい。

 この状況では共闘はむしろ下策。そう判断したエレンは5人が一丸となって戦うという選択肢を捨てた。

「ハリード、あんたあのビューネイの腹心っぽい3匹の魔物の相手をできる?」

「問題ない」

「それが終わったらこっちに加勢して。ロビンはあの魚に乗った敵の対処をお願い。出現の仕方からして、敵の数は無尽蔵、魔王の鎧かアビスの球を破壊しなくちゃどうにもならないと思うけど、頼める?」

「他に選択肢もなさそうだな。請け負おう」

「タチアナ、ユリアン。あたしたちが一番連携がきくわ。3人がかりでビューネイを相手取るわよ」

「りょーかいだよ、エレンさん」

「分かった。大丈夫、今度は死なない」

「先に言っておくけど、目標は敵の殲滅じゃなくてアビスの球の破壊。隙を見つけて、あの白い球を破壊して。それだけでアビスの魔物はこの世界に存在を固定できなくなる。

 ――じゃあ行くわよっ!」

 

 数多のビューネイの部下たちとの乱戦が始まる。

 

 

 真っ先に動いたのは最も素早いロビン。魚型モンスターに乗って宙に浮かぶというよく分からない特徴を持つゼルナム族にその手に携えたレイピアで以て戦いを挑む。

「KSHAAA!!」

 2体のゼルナム族はただただ殺意のみを溢れさせてロビンに襲い掛かる。持った槍の先端に稲妻を集めて放つ電撃、魚の口から放たれるサンダーボール。どうやらゼルナム族は雷を扱うようだが、蒼龍術を極めたといっていいロビンには通じない。

「ウインドダート」

 風の力でできた鏃でもって襲い掛かる雷を相殺する。そして続けざまに次の詠唱。

「ソーンバインド」

 地面から茨を呼び出し、槍のような鋭さでゼルナム族を直下から襲う。魚型モンスターによって浮いているゼルナム族は直下は絶対の死角。それでも地震系統の攻撃は通じないが、槍のように襲ってくるとなれば話は別である。

 為す術なく魚型モンスターは茨によって引き裂かれ、更にダメ押しと言わんばかりに茨は絡まり騎乗するゼルナム族の自由も奪っていく。その拘束から逃れようとゼルナム族は体を動かすが、それは茨の棘によって自身を苛む結果となって返ってくる。

 そんな時間も当然長く続かない。その隙だらけの姿をロビンが見逃す筈がないからだ。次の瞬間にはレイピアによる二連撃が急所に決まり、即座に絶命させる。

 と、それと同時にロビンはその場を飛びのく。そして今までロビンがいた場所にゼルナム族が突進にて通過する。その場に残っていればダメージを受けていただろう。もちろんそれを容易く受けるロビンではない。ないが…

「ふむ」

 ロビンは比較的落ち着いたままその光景を見ていた。白い球に設置された魔王の鎧、それらが共鳴して次々とゼルナム族がこの場に現れる。現在3体で、今4体に増えた。

 一体一体はそこまで強くはない。しかしながら決して弱くもない。一般兵では恐らく一対一では勝てないレベルだ。手間取れば手間取る分だけ敵の数が増え、やがて数の暴力の前に屈してしまうだろう。

「なかなかに厄介な戦場を任されたものだ」

 5体、6体、7体と瞬く間に増えていくゼルナム族。この数に包囲されてしまえばいくらロビンとはいえ無傷でいるのは難しい。そして傷を負えば動きが鈍り、それが更なるダメージを呼んでしまう悪循環。最初に小手調べとして時間をかけすぎてしまったのが原因。

 だがこれで敵の強さはおおよそ知れた。次からは最小の労力でゼルナム族を仕留められるだろう。その為には今存在するゼルナム族を一掃しなくてはならないが、ロビンには難しいことではない。

「トルネード!!」

 最強の蒼龍術を使えば済む話なのだから。暴風で形作られた龍がゼルナム族をズタズタに引き裂いていき、消滅させる。かと思えばすぐに魔王の鎧から新たなゼルナム族が呼び出される。

 キリがない、その感想を持つのは仕方のない話だろう。そしてロビンの体力や術力も無限ではない。トルネードは何発も発動できないし、最速で敵を仕留めるというのも神経を使う。誰かが白い球を破壊しなくてはならないが、ロビンにそれを望まれても難しいと言わざるを得ないだろう。

「もちろん最善を尽くさせて貰うがね」

 ニヒルに笑い、現在進行形で出現するゼルナム族の群れにロビンはその身を躍らせるのだった。

 

 ビューネイは憑依させた龍を操り、エレンたちを相手取っている。三匹の龍がそれぞれ襲い掛かりその牙で以て脆弱な人の身を引き裂こうとするが、それを受けてやる程エレンたちが潜り抜けた修羅場はヌルくない。

「パリイ!」

「切り落とし!」

「カウンター!」

 ユリアンはその攻撃をいなし、タチアナやエレンに至っては返す刀で反撃をする程だ。四魔貴族の従属とはいえ、今のエレンたちを相手にするのは不足といえた。

 もちろんそれはエレンたちの有利を表さない。四魔貴族そのものがエレンたちを相手取っているのだから。ビューネイは両手を合わせると雷を生み出して球状にする。そのサンダーボールはゼルナム族のものと比較するのもおごがましいといえる程のエネルギーを蓄えていた。

 狙うはビューネイが最も弱いと看破した者、すなわちユリアンである。

『サンダーボール』

「くっ」

 ユリアンにはそのエネルギーを持った攻撃を防ぐ術がない。物理攻撃ならばまだ対処の仕様はあるが、術系統で四魔貴族の攻撃というのはユリアンにとってどうしようもない部類に入る。

 よってユリアンを守る為にタチアナがそこに割り込んだ。氷の剣というだけで伝説の武器であり、玄武術の属性も持っている。それに合わせてタチアナの技量もあればそうそう後れを取るものではない。ビューネイのサンダーボールを盾状にしたそれで受けきるタチアナ。

 しかしそれによってビューネイの龍たちがフリーになってしまう。一気呵成に襲い掛かろうとする――が、それは叶わない。エレンが練気拳を以て自身の元に吸い寄せたからだ。体勢を崩した龍たちは平等に一発づつ、エレンの気がたっぷりとこもった拳を受ける羽目になる。

 そして手が空くのはユリアン。龍たちが動けない今、ビューネイを狙う絶対のチャンス。幾度となく練習した技、疾風剣を繰り出してビューネイに迫る。

「はぁぁぁぁぁ!!」

 ユリアンの渾身の一撃。しかしそれはごくあっさりと、ビューネイの手によって止められる。疾風剣は別に刃の数が増える訳ではない。目にもとまらぬ連撃を繰り出す技であるからして、初撃を抑え込んでしまえば以降の攻撃はキャンセルされるのだ。またその技の特徴として一撃の重さよりも速度が何よりも重視される。その速度を見切る事さえできれば、疾風剣は見切る事が可能なのだ。

 残ったのは武器を抑えられたユリアンと、至近距離にいるビューネイ。ニタリとビューネイは鋭い牙を見せつけるように笑い、そして。

『命拾いしたな、ムシケラ』

 ユリアンをその場に残してゲートまで後退する。

 何故、どうして。3人にその思考が巡る。今のは致命的だった。少なくともユリアンは重傷を負う羽目になるだろうタイミングだった。ビューネイは何故それを放置したのか。

 その答えはビューネイが睨みつける先にあった。

『どうやらお前が最も手強いムシケラのようだな』

「テメェの部下が弱すぎるんだよ」

 そこにいたのはハリード。彼が相手にしていたビューネイの腹心のモンスターは既に物言わぬ骸となって地面に転がっていた。戦闘開始から僅かな時間でハリードは武将と呼べる敵3体を屠り、ゲートの破壊まであと一歩のところまで迫っていた。ビューネイはそれを阻止する為に下がったのである。

 ハリードは強さのケタが一つ違う。エレンたち3人はそれを認めざるを得なかった。この5人の中で、ハリードは明らかに頭一つ以上の強さを誇っている。

 かといってハリード一人で倒せる程に四魔貴族は甘くない。それができれば苦労はなく、この場にいる4人で力を合わせなくてはならないのだ。更にその中でハリードは、少なくともエレンとタチアナを死なせていけないという枷をかかえている。そうなると取れる手段はそう多くない。

「デザートランス、俺が前に出る。お前らは隙を見てビューネイを削れ!」

 ハリードの言葉に逆らう事が愚かであるということくらいは分かっている。エレンたちは即座にその陣形を取り、ビューネイに改めて相対する。

 対してビューネイもそのままではない。敗北して屍を晒す配下3体を見やると、その遺体を自分の元へ引き寄せる。そしてそれらは龍と一体化し、それぞれの頭部を遺体のモンスターへと変化させてビューネイは更に禍々しく変貌した。

『さあ、仕切り直しといこうか』

 更なる激戦が始まる。

 

 ビューネイの攻撃は苛烈極まる。ビューネイバードやビューネイドッグの口から吐き出される冷気や火炎の大部分はハリードへと降り注ぐ。手に持ったカムシーンでそれを切り裂いていくハリードは流石の一言だが、かする程度の被害はどうしても受けてしまう。積み重なるダメージはいつか彼を戦闘不能まで追い詰めてしまうだろう。

「生命の水!」

 それをフォローするのはエレン。玄武の回復術にてハリードを癒し、彼女の隙はタチアナがフォローに入ることで守り切る。

 残るユリアンはアタッカーだ。疾風剣が防がれた以上、速さに頼った攻撃は意味がない。かといって剣技に重い攻撃はほとんどない。故にユリアンがとった方法は隙を突くという方法。攻撃に集中したビューネイの死角に回り、その一撃を的確に当てていく。

「バックスタップ!」

『ぐ』

 また一撃、ビューネイに剣撃が吸い込まれる。だがダメージは僅か。ただでさえ四魔貴族は強力なモンスターであるのに、今のビューネイはアビスの力によって強化されている。ユリアンは弱くない、むしろ強いだろう。しかしながら更にビューネイが強すぎるのだ。これはユリアンを責めるのは酷というものだ。

 それに徐々にだがビューネイにダメージは蓄積されている。長期戦の様相を醸しているが、決して悲観するだけの現状ではない。逆に言えばエレンたちに決定打を与えられずに削られ続けているビューネイの方に苛立ちが募っている。ただでさえムシケラと見下している相手なのに、それにここまで追い詰められているということが彼女の自尊心が許さず、そしてやがてそれが暴発する。

『うざったいムシケラ共がぁ! この技で粉微塵となり、消えろ!!』

 

 -アースライザーー

 

 ビューネイの切り札の一つ。自身の周囲に上昇する暴風を生み出し、それをそのまま敵全体に叩きつける蒼龍術の極みの一つ。その風力は凄まじく、地面から岩盤がめくりあがりそれさえも物理的攻撃力をもって襲い掛かる。

 これは抑えきれない。そう判断せざるを得ないのが普通だが、あいにくと普通でない者もこの場に存在する。その男、ハリードは諦めたようにため息を吐く。勝ちを諦めたそれではなく、切り札を晒さなくてはいけないという諦めのため息だ。

 ハリードは正眼にカムシーンを構え、大きく振りかぶる。斬るのは物質ではない、そこに存在する空間そのもの。人間の寿命でそこに到達できるものが何人いるのか。それも僅か35という若さで。カムシーンを手に入れたという説得力を持つ技をここに。

「亜空間斬り」

 そしてハリードが振り下ろしたカムシーンは、ビューネイが生み出した暴風を切り裂いていく。いや、正確には暴風が存在する空間を切り刻み、そこにあった威力ある暴風と巻き上げられた岩盤を破壊していくのだ。

 剣技のみでここまで至れる人間が果たして有り得るのか、その疑問を持つのはまっとうだろう。しかし現実としてそれを為しているのだから納得するしかない。

 だが待って欲しい。ここで折れる程、ビューネイは甘くない。一気に距離を詰めたビューネイはそのまま次なる攻撃を繰り出す。

『ムシケラがぁぁぁーー!!』

 己の力、技、何より誇りをズタズタにされたビューネイは正に悪鬼の如き。その表情のまま、自身が持つ最大の術を破ったハリードに迫る。そして憑依させた配下の亡霊が三角の陣形をとった。そこから放たれるのはビューネイのもう一つの切り札、術ではなく技。

『超高速ナブラァ!!』

 三方向からによる高威力の同時攻撃。亜空間斬りに全力を注いだハリードにそれを防ぐ手立てはない。

 そうハリードには。

 キィンと甲高い音が鳴る。三方向からの同時攻撃、それをエレンとタチアナにユリアンでそれぞれ防いでいた。言葉なく、お互いを信じて最善の行動を取れる。陳腐な言葉を使えば絆といえるだろうが、それを為せるだけで素晴らしいといえるのは間違いない。

 ここで一瞬の静寂が流れる。全力を振り絞り、攻撃に全てを傾けたビューネイ。それを防ぐ為に手札の全てをきってしまったエレンたち4人。動きは完全に硬直し、体勢を立て直す為の猶予が必要だ。

「ファイアクラッカー」

 その隙を、この男が見逃す筈がない。無限ともいえるゼルナム族を相手取り、少なくない傷を負ってしまった怪傑ロビン。だがそれがどうした。正義の為に、無辜の民の為にビューネイは確実に滅ぼさなくてはならない。

 故に彼はビューネイの隙を虎視眈々と伺っていた。果てのないゼルナム族とのマラソンマッチを行いながら、ビューネイに確実な攻撃を与えられるチャンスを逃さぬようにしていた。そして今この瞬間、それは訪れた。ロビンから意識が完全に逸れ、動きが完全に硬直してしまったこの場面。ロビンはゼルナム族を含んだ広範囲殲滅技を選択する。

 雨あられと言わんばかりの刺突の壁がゼルナム族を穴だらけにして、そしてビューネイに深い傷を与えていく。

『ァァァァァァァァァァァァァーー!!』

 苦悶の声がビューネイから漏れだす。そしてエレンたちもこの優勢を逃すつもりは微塵もない。

 隙だらけになったビューネイは格好の的。ユリアンは、そしてハリードは一度は防がれた剣技の奥義を放つ。

「「疾風剣!」」

 突進術の乱れ斬りの合わせ技、それが二方向から同時に放たれる。全身をなますに斬られたビューネイは既に満身創痍、見れたものではないが追撃は当然ここで終わらない。

 次に鋭い突きを放つのはタチアナ。かつてバンガードからヤーマスまでの旅で教わった、西部最強の剣士の奥義。氷の剣を小剣に変え、上下左右に力を溜めて中央を突く事によって貫通威力を最大限まで高めたその技にてビューネイの胴体の中央部を貫く。

「サザンクロス!」

 そしてとどめはエレン。彼女が持つ最も威力がある技はマキ割ダイナミック、だった。

 しかしながら、それ以上の技がたった今あったではないか。それを見逃す程、エレンは強さに無関心ではない。

 深く学んだ気を扱う技術によって気を物体に纏わせる事を可能としたエレン。東の地では外気功から更に上位とされる気の運用である周気功をリンとの訓練によって可能としたエレンは、玄武術で両手に生み出した氷の斧にそれを纏わせて斬撃力をあげる。そしてそれを弧を描くようにビューネイに投擲する。そして彼女自身もブラックの斧を構えてビューネイに接敵。三方向からの同時攻撃を敢行する。

 それは直前にビューネイが配下の3体を使う事によって可能とした大技。それは陣形技によって3人が呼吸を合わせて初めて可能とするはずの合体技。エレンはあろうことか、それを1人で為しえたのだ。

「高速ナブラァァァ!!」

 深く、深く、深く。ビューネイの体に斬撃が奔る。

 だがしかしこのビューネイは影、その奥にあるゲートを破壊しなくては何も終わらない。それを理解していたエレンは閃いたばかりの技の勢いのまま、ビューネイを置いて奥へと走る。

 遮るものなど何もない。ゼルナム族さえロビンのファイアクラッカーでこの瞬間のみ全滅している。

「この地から――去れっ!!」

 エレンの斧はアビスのゲートである白い球に食い込み、それは断末魔の様に激しく明滅する。

 それもやがて弱々しくなり、ゲートは直上にあった魔王の鎧を巻き込みながらゆっくりと閉じる。

 それと同時、ビューネイやゼルナム族といったアビスのモンスターも薄れながらこの世界から姿を消していった。

「勝った…」

 

 

 

「勝ったぁぁぁーーー!!」

 

 

 

 3つ目のゲートを閉じる事に成功したエレンの勝利の咆哮が、力を失ったゲートの間に響くのだった。

 

 




だんだん短くなってきているなぁ、四魔貴族戦。
まあ、エレンたちも強くなってきてるから仕方ないよね。

ゲームでも最初が辛いけど後々は楽になっていくし。


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093話

調子がいいときはどんどん上げるよー。


 

 四魔貴族は影響力が強い、それは良くも悪くもである。特にビューネイは支配者の気質が強く、自身が支配していないモンスターをその拠点に配置することを良しとしなかった。その結果、ビューネイ討伐が為った今、ゲートの間付近はモンスターの気配が全くといっていい程ない状態となっている。

 エレンたちが四魔貴族を撃破したという報はロアーヌ軍にも広まり、歓喜の渦を巻き起こした。そして体力的にも気力的にも限界が近いということで、一同はこの場でしばらく休みを取る事にしたのだ。

「生命の水」

「再生光」

 エレンがハリードを、タチアナがロビンを癒す。単独にて無限に現れるゼルナム族を相手取ったロビンと、ビューネイを前に最前線で戦い続けたハリードの傷は決して浅くない。一息つけた今だからこそ、しっかりと傷を癒しておかなくてはならなかった。

「すまんな」

「ありがとう、レディ」

 ハリードはぶっきらぼうに、ロビンは気取って礼を言う。それににっこりと笑って応える少女たち。そんな彼女たちも決して軽傷という訳ではない。ユリアンも含めて浅い傷は数知れず、幾つもの重傷というべきものも存在した。四魔貴族であるビューネイを相手取ったのである、このくらいの被害は当然である。

 しかしそこを治療する術力は足りない。ただでさえビューネイ相手に死力を尽くして戦ったのだ、より重傷なハリードとロビンを癒すのが精いっぱいで包帯や傷薬で処置したその姿は痛々しい。もちろん回復術をかけられた二人もそれで完全回復する訳もなく、そこから更にエレンたちと同じような外見にされるのだが。

 ビューネイと戦った者たちだけでなく、ビューネイの巣に侵攻して生き残ったほぼ全ての人間がそんな有様である。しかもその数が圧倒的に少ない。余裕ができた今、改めて確認してみれば生存者は少ない。いや、少なすぎた。

「ねえ」

「なんでしょうか?」

 エレンが供回りのリーダーに声をかける。

「どのくらい生き残ってるの?」

「そうですね。120名とちょっといったところです」

 その数にエレンは思わず言葉を失った。供回りの精鋭だけは50程度から30程度まで数を減らしており、一般兵は100名くらいしか生き残っていない計算になる。1500名からの軍を組んだはずであり、それがその数まで減ったとなるともはや壊滅や全滅といった表現が正しいだろう。

 エレンのその心情を知った供回りのリーダーは、それでも穏やかに笑う。

「エレン殿の優しさは理解できます。しかし我々は勝ったのです、ビューネイの脅威を取り除いたのです。

 ロアーヌに居る友や家族を守れたのです。兵士として戦場に出る以上、死という結果は受け入れざるを得ません。勝利するという結果が彼らの御霊を慰めるでしょう」

 気遣うことなく気負うことなくリーダーはそう言い切る。勝たなくてはいけない戦で勝てた、それならばもう何も言うまいと。

 エレンは思わずハリードを見る。他の仲間たちもハリードを見る。

「なんだ?」

「いえ、結局あなたが正しかったんだなって」

 ビューネイとの戦いは決して余裕があるものではなかった。下手に力を減らしてしまっていれば勝敗の行方はどうなっていたか分からない。彼の言い方に多少の難はあったかも知れないが、そうでなくても余裕のない四魔貴族との戦闘前である。言葉がキツくなったハリードを責めるのはお門違いだとエレンは理解せざるを得なかった。

 ユリアンは元々そういった考えであり、ロビンはそれを分かった上で救える命を漏らしたくないと奮闘していたので彼は彼で何も言うことはない。問題はただ一人、タチアナである。そこそこに体力が回復したタチアナは長剣サイズまで小さくなった氷の剣を持ち、ハリードを見やる。

「なんだ?」

「構えろ」

 ビューネイとの戦いが終わった今、タチアナはもう遠慮しない。エレンは妹分を止めようとするがチラと目配せをしたハリードによってそれは押しとどめられる。

 そしてハリードはタチアナに乞われる通り、ゆっくりカムシーンをタチアナに向けて構えた。

 固唾を呑んで見守る仲間たち。しかし、なんというか、どこか雰囲気がおかしい。ビューネイ戦前までギスギスキリキリとしていたが、それがなくてどこか清々しいのだ。

 それを証明するように、タチアナは一礼をする。それは目上の者に教えを乞う際の丁寧な儀礼の礼。ハリードもそれに応えて格式ばった礼を返す。そして向き合って剣を構える両者。

「……あんたが強くてさ、そして私たちを守ってくれたのは分かるよ」

「そうか」

 仲間たち5人の中で最も強いのは誰か。それは間違いなくハリードである。例えばエレンならばビューネイ配下の幹部3体と戦って勝利は確信できない。勝ち目があると思うが、それなり以上に厳しい戦いになると予想できた。

 ハリードはそれを瞬殺し、押され気味だったビューネイとの戦いに割り込み、最前線で剣を振るったのだ。それをずっと見ていればハリードが自分よりも強いことは簡単に認められる。

 だからこそ。タチアナは怒りで歯を食いしばり、氷の剣をハリードに叩きつける。

「そんなあんたが、そこまで強いあんたがっ! なんでブラックを侮辱したぁ!?」

「……」

 タチアナの怒りはそこにつきる。それ以外は別にいい。ガキと呼ばれたことは嫌だが、まあ許容できなくもない。だが、ブラックを海賊如きと言った事だけは許せない。許してはいけない。

 その激怒の剣を冷静にカムシーンで受け止めるハリード。そして淡々と言葉を紡いだ。

「俺はナジュ王国の王族だ。国を荒らす海賊を如きといった事は撤回する気はない」

 タチアナと、それからエレンの視線が鋭くなる。

 だがしかしハリードの言葉は終わらない、続きがあった。

「それは海賊としてのブラックの評価だ。俺と同じく四魔貴族に挑んだ身として、命をかけてフォルネウスを倒した戦士ブラックには敬意を表する。

 これでは不満か?」

「……ううん、十分」

 ハリードがナジュ王国の王族であり、ブラックが海賊である限り埋まらない溝というのは確かに存在する。それ故に海賊如きという言葉は、敵対者として撤回する気はない。

 そしてフォルネウスを倒した戦士として認めるというならば言うことは何もない。いや、ある。

「ハリード」

「なんだ」

「貴方の誇りを侮辱してごめんなさい。言われたくない事を言った私が浅はかでした」

「……」

 キンキンと剣をかわしながら、素直に謝るタチアナ。これが例えばビューネイとの戦いの前だったらハリードは許さなかっただろう。

 だが今はタチアナは共にビューネイを倒した仲間という認識が芽生えつつある。幼い少女の身でありながらよくぞあそこまで戦えるという敬意さえあった。

 ハリードに斬れないものは3つある。仲間と主君、そして詩人だ。前二つは言わずもがな、詩人は最初に出会った時から斬れるイメージが全くわかなかった。負けたくはないが、勝てるイメージが皆無だったのもまた事実。それはさておき、ハリードにとってタチアナは仲間に分類されるそれになる。

 かつて義兄弟と盃を交わしたルートヴィッヒに裏切られた時も、彼を斬る気が起きなかったように。ハリードはタチアナを斬りたくはなくなっていたのだ。ましてや今回はハリードの失言が先である。ルートヴィッヒは許すこともできなかったが、今現在自分と剣を合わせる少女は無垢であり、自分の間違いを謝れる人間だ。そんな彼女を許さないのは己の小ささを突き付けられているようでもあり、そもそもこの才気溢れる少女をハリード自身も気に入り始めている。こうも素直な人間を嫌えるというのは相当性根がひねくれており、ハリードはその点真っ当な人間だった。

「先にお前を怒らせたのは俺だ。一度だけ許してやる」

「ありがとう」

「二度と言うなよ、次は許さん」

 そう会話を交わしつつ、剣を振るうことは止めない。

 最初からそうだったが、これはハリードがタチアナにつける稽古であった。強さに貪欲なのはエレンだけではなく、タチアナもである。詩人に師事を仰いでいる彼女だが、強者との手合わせの機会も逃す筈がない。これ幸いとあっさりと頭を下げて教えを乞うたのだ。

 休憩時間に響く剣戟の音。それを聞きながらロビンはぽつりと漏らす。

「元気で、なにより清々しい。良いな」

 結果よければ全て良しなのである。

 

 

 ロアーヌに凱旋した一同は歓待の民に出迎えられた。

 ビューネイに晒された恐怖と、その脅威を取り除いた英雄たち。彼らを一目見ようと門から宮殿まで続く大通りに集まり、お祭り騒ぎとなっている。

 これを抑えずに秩序だったパレードに整えたのはミカエルである。ビューネイを倒したという儀式の一つでもある為、むしろ率先してこれを推奨した。この辺りは流石に切れ者と言われる為政者であろう、彼はビューネイを倒したのを内外に知らしめる大切さをよく分かっていた。

 ちなみにロビンはいつの間にか姿を消していた。裏方に徹する彼も中々である。ロビンが得意とするのは影にて動くことであるから、英雄として祭り上げられるのは本人が嫌がっている事を含めてデメリットしかない。

 このパレードで恐縮しきりのエレンは本当にいつまでも田舎娘から進歩しないと言わざるを得ず、とても四魔貴族の3体を撃破した英雄とは思われないだろう。まあ誰にも得手不得手はあるから仕方ないことかも知れないが。

 そして宮殿に着き、一日ゆっくりと疲れを癒せば次は報奨である。後にビューネイ大戦と呼ばれるこの戦いでは功あるものが多く、それに報いずに国は成り立たない。ロアーヌは現金を手に入れる事はできなかったが、ビューネイを撃破したという一点を以って通常とは隔絶した成果であり、それによるリターンは計り知れない。国庫を圧迫してでもここは大盤振る舞いをしなくてはならなかった。

 神聖な雰囲気の中で儀式が始まり、数々の将がミカエルから報奨を下賜されていく中、誰よりも注目されていたその男の名が呼ばれる。

「ユリアン・ノール」

「はっ、ここに」

 ロアーヌを出奔したモニカをたった一人で守り切り、アウナスとビューネイを撃破したその男。彼自身、四魔貴族を倒したメンバーでの実力は一番下であるとは思っているが、名声でいえばもはやエレンに勝るとも劣らない。情報が早い有力者の中ではロアーヌにその人ありと呼ばれるレベルであり、いつ引き抜き工作や暗殺があってもおかしくない程だ。

 故にこれは報奨でありながら、ロアーヌに縛り付ける為の一手。

「モニカの護衛から始まったこの度の働き、実に見事。故にそなたを男爵に命じ、前ゴドウィン男爵の領地を与えそこに封じる」

「……え」

「良いな?」

「は…はっ!」

 余りに破格の報酬にユリアンは思わず固まり、周囲も厳かな儀礼の場であるにも拘わらず一瞬ざわつかざるを得ない。

 ユリアンは所詮平民である。それを男爵に命じるとはなかなか思い切ったことで、ゴドウィン男爵の後釜を狙っていた者としては臍を噛む思いだろう。しかし四魔貴族を2体も撃破したという実績を以ってすれば文句をつけようもない。

 これが終わった時、ミカエルはそっと傍らにいたモニカに目配せをした。

(これで身分差はなくなった)

(お兄様……)

(後はお前たちの問題だ。上手くやれよ)

 兄として妹の恋が成就するように計らうのは間違ったものではないだろう。

 その最高の心遣いを受けたモニカは、儀礼の場で下手に動けないがしかし、心の中で最大の感謝を兄に送るのだった。

 しかしその一方で、ユリアンはどこか心に虚無を抱えていた。認められたのは悪くない。だが心のどこかにあった最初の目的である、恋をしていたエレンを振り向かせるという気にはもはやなっていない。ならば今更名誉が何になるのか。

 目指すべきところを見失ったとでもいうべきか、燃え尽き症候群のような心持ちで男爵位を受け取ったユリアン。それはもちろんミカエルの事は素晴らしいと思うし、彼に尽くせる事に誇りを感じなくもない。しかしながら、この虚脱感はなんなのか。やり遂げてしまった終わってしまったという感覚がユリアンにこびりつき、離れる事はなかった。

 

 時は過ぎ、夜。中庭で寝そべるグゥエインの前に数人が集まる。

 エレンにタチアナ、ミカエルにモニカ。リンにハリード、そしてユリアンである。

『ビューネイの影を倒したか』

「ええ、あなたのおかげよ。グゥエイン」

『我が手を貸した以上当然の結果だな。しかし人間もやるものよ、少し見直したぞ』

 どこまでも上から目線のその巨竜に多くは苦笑を浮かべた。

 そして話を進めるのはミカエル。

「時にグゥエイン、もちろん長居するのは構わないのだが、いつまでここにいる予定かな?」

『まあもう我の巣に帰ってもいいのだがな、詩人に挨拶の一つもないというのは不義理であろう。奴に会ったらルーブ山地に帰るとしよう』

 つまり詩人が来れば自然と彼らも解散となる。ハリードはファティマ姫を探しにナジュ砂漠に行くし、エレンとタチアナは最後のゲートを閉じにピドナへ。ミカエルたちは当然ロアーヌに残る。

 ここでロアーヌに残ると言ったのはリンである。彼女は好奇心で東の地まで来たが、ミカエルに恋をしてその甘さと恐ろしさを知った。だからこそしばらくはロアーヌに留まり、ミカエルの側で自分の心を整理したいのだと。彼女がそう言うのならばエレンやタチアナに異論はもちろんない。彼女との旅もここまでという訳である。

 まあ、アラケスを倒せばエレンの旅もようやく終わる。そしてほとぼりが冷めるまで隠居するのはロアーヌに用意される隠れ家であるから、そこまで長い別れにはならないであろう。ちなみにその隠れ家はゴドウィン男爵からノール男爵に所有者が変わったその領地に用意されるらしい。エレンと同郷のユリアンを利用しようとする辺り、ミカエルはやはり抜け目ない。

 とここで意を決した表情でモニカがユリアンの前に出た。おおよそを察していた者はとうとうかと野次馬根性を表に出し、そうでない者は何事かと首を傾げる。

 モニカとすれば、ユリアンが愛しているエレンの前で言わなくてはならないという考えがあった。拒絶の返事が待っているとしても、ここで引いてはいけないのである。

「ユリアン」

「モニカさま、どうかしましたか?」

 全く察していないユリアンやエレンは首を傾げる側である。シノンの者は鈍いという評価を付け加えるべきなのかも知れない。

 モニカはすーはーと深呼吸をして覚悟を決め、一息に言い切る。

「わたくしは貴方を愛しております!」

「うん、俺も」

 

 

 …………、……

 

 

『え?』

 ほぼ全員がごくあっさりとしたユリアンの答えに呆然とした。一番呆然としたのは、誰であろうユリアンである。

 彼はつい先日までエレンに恋をしていた。そしてそれを吹っ切れる程に時間が経った訳ではない。しかしエレンを諦められるという下地にあったのは、モニカにも心惹かれるところが多分にあったとは本人も気が付いていない事実であった。

 エレンに認められたい。それと同時、守るべく姫君にも心寄せてしまう。不純といえばそれまでだが、人の心というのは道理だけで動くものではないのだ。二人の女性の間で揺れてしまうのも仕方ないといえる。とはいえモニカはユリアンの主君である。彼から告白するつもりは流石になかったし、愛しているという実感すらなかった。

 それもモニカの告白によってあっさり決壊する。ごくごく自然にモニカを愛しているという言葉が口から漏れてしまうくらいには。

「ほ、本当ですか? ユリアン」

 それを一番信じられないのはモニカだ。てっきりエレンを愛しているから断られるという結末を想像していた彼女は、余りにあっさりと自然に受け入れられた自分の愛に呆気に取られている。

 ユリアンはといえば一度口にしてしまえば自分の心がはっきりとした。今度は微笑を浮かべながらモニカに向かって重ねて言葉をかける。

「ああ、俺もモニカを愛している」

 その言葉に信じられないと口を両手で覆うモニカ。そんな彼女を羨ましそうに見るリン。

 エレンやタチアナは優しい目で彼らを見ているし、ハリードもどこか遠くを懐かしむ気持ちでその場面を見ていた。ハリード――エル・ヌールは初代王の血を引いているとは言われているが、地位としては傍流も傍流。ギリギリ貴族といった有様だった。それがファティマ姫を守ろうと思い立ち、腕を磨いてカムシーンの試練を潜り抜け、やがて時期国王の座を約束されるファティマ姫の婿の座を相思相愛になるという形で勝ち取った。彼が王になる前にナジュ王国は滅びてしまったが、そのかつてにユリアンとモニカが重なったのだ。思いも一入だろう。

 そこでふとミカエルが認めるかどうかが気になり、ユリアンはミカエルを見る。彼はもちろん、妹の恋の成就に微笑んでいた。

「ミカエル様…」

「ユリアンは男爵、モニカを娶るのに身分差はない。

 ロアーヌの為に、よりいっそう励むがいい」

「はっ!」

「めでたしめでたし、か?」

 突如、その場に響く平坦な声。この場にいる全てが分かる、これは激怒を平静で隠した声だということが。

 その声を発した男が、詩人が闇からゆっくりと現れる。ナジュ砂漠に行っていた詩人だが、いったい何があったのか。まるで噴火寸前の火山を見ているようにさえ錯覚する。

 余りの機嫌の悪さに、最大の警戒を以ってミカエルが尋ねる。

「――詩人。ロアーヌのノール男爵と、我が妹の恋に何か問題があるのか?」

「そこは限りなくどうでもいい」

 一言で切って捨てる詩人。じゃあ何なんだという空気を全面的に無視し、詩人は一つのシンプルな指輪をハリードに放り投げる。

 それを受け止めたハリードは訝し気な顔で詩人に問う。

「これは何だ?」

「ファティマ姫の居場所を確認した、神王の塔の地下にて封印術をかけられている。

 その指輪を封印に当てればファティマ姫の封印は解けるだろう」

「!!」

「まずは仕事は終わらせた。文句はないな、ハリード」

「姫の命に別状はないんだな?」

「ない」

「ならば文句はない。後は姫をお救いするだけだ」

 これでハリードとの話が終わる。しかし詩人が不機嫌な理由は分からない。

 詩人は相変わらず最高に機嫌を傾けたまま、もう一つ指輪を取り出す。

「それなーに? 詩人さん」

「神王の塔にあった聖王の指輪」

 手に入れたのかと喜ぶ直前のエレンに割って入るように、詩人は言葉を続ける。

「その贋作だ」

「……え?」

「外見だけはよく似ているが、俺がこの程度に誤魔化されるか。これは精巧に作られた偽物だ」

 苛立ちを隠そうともせず、詩人は偽物のきれいな指輪を宙に放ると同時、剣を抜いてその指輪を両断する。

 エレンから茫然としながらも声が漏れる。

「そんな。じゃあ本物はどこに……?」

 ようやく終わるかと思えばまた問題。しかしエレンが認識している問題と詩人が認識している問題は違う。

 詩人は現状が限りなく致命的だと気が付いている。それが故の不機嫌だ。

「居るだろう、聖王遺物を集めている悪党が」

 海賊ジャッカル、確かにそんな話を聞いた。

 ならば奴を討てばいいだけではないか。居場所も知れている、奴は神王教団に所属していて、ピドナ支部の最高責任者――――

「っっっっっ!!」

 理解したエレンの顔は真っ青になる。タチアナもいち早く気が付いて顔を強張らせていた。

 ジャッカルはピドナ。アラケスのゲートに行く為のカギである聖王の指輪も奴の手にあり、ゲートがある魔王殿もピドナ。そして何より、宿命の子であるサラがいるのもピドナ。

 不吉な一致である。直感でしかないが、これで何もないと思える筈がない。エレンもタチアナも、詩人さえもそれを感じ取っていた。一刻の猶予も感じられない、その予感。

「グゥエイン」

『な、なんだ?』

 グゥエインにとってこの状態の詩人は本当に怖く、苦手なのだ。思わず声が引きつるのは仕方ないだろう。

「借りにしてやる。今すぐ俺たちを乗せてピドナまで飛べ」

『分かった』

 あの詩人が白紙の小切手をきるのである。グゥエインにはそれで現状の危うさを理解できてしまう。

 グゥエインに乗り込む3人。が、そこでエレンは視界の隅にあまりの急展開に呆然とした一同の中で、ユリアンの顔が見えた。そこからの言葉はほとんど反射だった。

「ユリアン、助けて!」

「いや、意味が分からないんだが」

「サラが危ないのっ!!」

 困惑していたユリアンだが、彼を動かすにはその一言で十分だった。たった一言で虚脱していた心に灯がともる。

 表情を引き締め、一歩を踏み出すユリアン。

「っ! ユリアン!!」

 想いを通じたばかりの愛した男が去ってしまう。思わずモニカが呼び止めてしまった。

 その声にユリアンの足は止まる。だが、決して振り向かない。

「――行かないで」

 ユリアンがエレンに取られてしまう。もう戻って来ないような感覚に、モニカは普段にはない弱々しさでそう懇願する。

 ユリアンは、振り返らない。

「親父に言われたんです、自分が正しいと思う事をしろって。

 サラが危ないなら助ける。サラは大切な幼馴染だ。それが今、俺が正しいと思う事です」

「あ、あ……」

「俺は正しいと思うことをする。

 だからモニカ、約束するよ。俺は必ず貴女の元へ帰ってくる」

 戻ってくるではなく帰ってくる。それは、モニカの元こそが彼のあるべき場所だというその宣誓。

 理解したモニカの頬に涙が流れる。

「待っています、待っていますからね、ユリアン!!」

 その声を背に受けて、ユリアンはグゥエインの背に飛び乗った。

 

 グゥエインの速度を以ってしてもロアーヌからピドナに着くのは早朝になるだろう。

 最後のゲート、最後の四魔貴族であるアラケスとの戦いは、近い。

 




今回でビューネイ編は終了です。
次回からは最後の四魔貴族、アラケス編。

どうかよろしくお願いします。


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アラケス編
094話 決着の日


お気に入りの数が1000名を超えました。
お付き合い頂いている皆様に心からの感謝を。


 

 

 

 空を翔ける。グゥエインはそう呼ぶに相応しい速度でロアーヌからピドナへと飛んでいた。

 通常だとロアーヌからミュルスへ半日弱、そしてそこでピドナ行きの船を見つけて海上を数日かけて移動する。対してグゥエインはどうか、何も考えずロアーヌの中庭にて騎乗し、強風に吹き晒されて数時間でピドナへ辿り着くことができる。

 だが今は、その数時間が遠い。不安で高鳴る鼓動が一刻も早くと騒ぎ立てる。根拠はない、ただ確信だけがある。急ぐのは今この時だと。それは詩人とエレン、そしてタチアナに共通した焦りであった。

「なあ、結局なんなんだ? サラが危ないとだけは聞いたが……」

 この場で唯一困惑顔の人間はユリアンだけである。彼は委細を承知していない。ただ幼馴染であるサラが危険であると、サラを誰よりも溺愛する(エレン)から聞かされただけなのだから。彼にとってはそれは行動するに足る理由ではあるのだが、どういった訳だかを頭に入れなければ行動もできやしない。これは至極真っ当な疑問といえるだろう。

 しかしこれに答える権利を持つのはエレンだけである。詩人やタチアナはそれを知ってはいるが、他者に話す権利はない。その秘密を喋っていいのはエレンだけなのである。

 彼らの視線がエレンに向き、ユリアンもこの場の決定権をエレンが握っていると理解する。故にエレンだけを見る、じっと見る。

(どうしよう)

 エレンは悩む。ここで秘密を、サラが宿命の子である事を喋っていいのか。

 エレンはユリアンを信頼している。グゥエインに乗り込む際にユリアンに助けを求めたのがいい証拠である。信頼できる人手が一人でも多い方がいいあの状況で、エレンは反射的な行動でユリアンに声をかけた。エレンの心底でどれだけ彼を信頼しているかという証左であろう。

 だがその一方で全てを話してしまう危機感もある。それはサラの秘密が露呈するのもそうだし、サラが宿命の子だとユリアンが知ってしまうという事も彼の危険に繋がってしまう。この信頼があれば核心であるサラが宿命の子であるという事を話さずに、ただサラがジャッカルに狙われているという情報だけできっと彼は助けてくれるだろう。

(でも)

 それは余りに不義理である。こちらを信じ切っている相手にする対応ではない。それは一般的にこう言われる行為である、すなわち信頼を踏み躙ると。

 サラが宿命の子であると知っていれば対応が違うこともあるだろう。それによってサラの身の安全に関わる事もあるかも知れない。どうしようか、どうするべきか。心は揺らぐ。

「言ってくれ、エレン」

 そんな揺らいだエレンの表情を見たユリアンは。揺るぎない瞳を浮かべたまま口にする。事ここまできて遠慮は無用、むしろそれは侮辱に等しい。彼はそう言った。

 その幼馴染の覚悟にエレンは長年秘密にしていたそれを、とうとう幼馴染に口にした。

「サラは――サラは、宿命の子」

「…………」

「そしてピドナには最後のゲートがあり、ゲートへ至る鍵はジャッカルが握っている。それだけで根拠はないわ、むしろ何も起きてない事を願ってる。

 けど、胸騒ぎが止まらないの」

 その言葉に驚かなかったといえば嘘だ。サラが宿命の子だなんてユリアンには想像もしてなかった事である。10年以上も付き合ってきた、妹のように可愛がってきた女の子が宿命の子だなんて、普通ならばなんの冗談だと笑い飛ばすところだろう。

 だがしかし今までのエレンへの信頼が、そして彼女が為した偉業がそれを肯定する。いや、この期に及んでエレンがサラの事でこんなくだらない嘘をつく筈がないという信頼。ユリアンは未だにサラが宿命の子だというのは半信半疑だといえる。だが、エレンがサラを宿命の子だと思っていることは信じた。

「分かった。サラをジャッカルの手から守ればいいんだな」

 ユリアンの迷いのない言葉に、僅かにエレンの瞳が潤む。

 けれど今は泣いている時ではない。

「ええ。助けて、ユリアン」

「ああ、任せろ。エレン」

 

 詩人の持つ懐中時計。その長針と短針、そして秒針がカチリと頂点で合う。

 決着の日が始まった。

 

 

 その時のピドナ。その地では王城の前にある大広場で祝勝会が開かれていた。

 西部戦争で加勢したドフォーレ商会の電撃的な敗北。それはルードヴィッヒも嫌な波をかぶらなければならなかった。

 例えば同じくピドナでフルブライト商会に加勢したトーマスカンパニーの台頭。たかだが一会社だったそれは、西部戦争でドフォーレ商会を大きく吸収し、今現在ではピドナで5本の指に入る大会社に成長した。足元はまだ覚束ないところがあるとはいえ、敵対者にピドナで大きな顔をされるというのはルードヴィッヒにとって業腹だった。

 更にそれに合わせてルードヴィッヒ包囲網というべきものが築かれてしまったのが痛恨だった。フルブライト商会はドフォーレ商会と睨み合い、ラザイエフ商会は真っ向からの戦いを好まない。ツヴァイクとはお互いがお互いを立てれば悪くなく、神王教団とは砂漠にある本部はともかくピドナ支部のマクシムスとは蜜月といっていい関係だった。この状況ならばルードヴィッヒがピドナの王となり、世界に覇権を唱える事さえ夢ではなかっただろう。

 だが今現在はどうだ。ドフォーレ商会はトーマスカンパニーに吸収され、せっかくルードヴィッヒが破壊した敵の貿易網が復活しつつある。混乱の中でのし上がろうとしたルードヴィッヒには痛手という言葉では済まされない。ツヴァイクが落ち目になっている現在、前よりも状況が悪くなっているといっても過言ではないのだ。それはルードヴィッヒだけではなく、ピドナに住む民までも薄々気が付いている事である。

 だからこそルードヴィッヒはここで盛大な祝勝会を開いた。西部戦争で勝利の側についたファルスが売ってきたケンカを買い、これを完膚なきまでに叩き潰したのだ。これによってルードヴィッヒに敵対するものには容赦しない、その力がルードヴィッヒにはあるという事を誇示したのである。またある意味でこれは間違っていない。ルードヴィッヒは未だにピドナで最も権力を持っているのはその通りなのだ。この祝勝会を持ってピドナは安泰であること、その手中はルートヴィッヒの手にあること。そしてピドナの神王教団とは蜜月関係にあることを示すのには絶好の機会だった。

 夜通し行われる祝勝会。皆が飲み、歌い、勝利に酔う。

 ――訳ではない。この機会を虎視眈々と狙っている者たちも多く紛れていた。祝勝会とは脇が甘くなる側面もある。そこを一刺しで突き刺すように刃を研ぐ者たちが。

 それに気が付かず、ルードヴィッヒは上機嫌でピドナでの神王教団最高幹部であるマクシムスを伴って一段上にある演台の上に登る。ここで戦争に力を貸してくれた彼の功績を讃え、そして神王教団との結びつきを強くする。その思惑だった。

 ルードヴィッヒとマクシムスが演台に上がり、ルードヴィッヒは尊大な笑みを浮かべてマクシムスは柔和な笑みを浮かべている。

「諸君。この度はファルスとの戦、まことにご苦労だった。しかしこれでピドナの団結と、何より神王教団との強力な信頼を誇示できたと思う」

「いえ、この身は全て神王様に捧げしもの。故にこの勝利はルードヴィッヒ様、ひいては神王様の御寵愛なればこそです」

「そう。ピドナと、そして神王教団こそが正しいのだ。案ずる事はない、私に続くがいい! そして神王教団を信じ、マクシムス殿についていく事こそが――」

 

「――そのマクシムスが悪名高い海賊ジャッカルだとしてもかッッ!!」

 

 ルードヴィッヒの声を遮る怒声が響く。

 硬直する場、祭りの高揚を冷たく切り裂く男。銀の手をつけて業物の槍を持ったシャールを先頭に、武装集団が割り込んできた。彼を見てマクシムスの目が怪しく光るが、それを見れた者は真正面から乗り込んできたシャール達以外にはいない。

「何を――」

「マクシムスの正体は海賊ジャッカル! 人を殺し、聖王遺物の所有者を殺害してでも強奪する大悪人!

 現に聖王の槍はレオナルド武器工房の親方を殺して奪った!! 証拠はここに、海賊ブラックが持っていたジャッカルの肖像画!!」

 流れを掴ませないようにシャールが大声をあげてマクシムスの――ジャッカルの罪を並び立て、ダメ押しと言わんばかりにブラックから詩人に渡り、そしてレオナルド武器工房に託された肖像画を高く掲げる。

 それは確かにマクシムスと瓜二つだった。

 これに大きく狼狽したのはルードヴィッヒだ。神王教団は確かに暗殺などの後ろ暗い事をしてきた。何より、前のピドナの支配者であったクレメンスの暗殺を依頼したのは彼である。神王教団にとってもクレメンスは邪魔であったことは確かだが、ついた汚名はどこまでもこびりつく。ここで神王教団を切ったとしても、仕返しとしてその悪事を露見される事は想像に難くない。クレメンスを殺してピドナに打撃を与えたルードヴィッヒのダメージは少なくない。西部戦争で敗れた今では致命的といっていい。

 故に大声でルードヴィッヒはそれを否定する。

「だ、黙れっ! そんな誰が描いたかも分からん絵で何が決まる!! ええい、奴らをひっ捕らえろ!!」

「他にも証拠はある! ジャッカルはその肩に決して消えぬジャッカルの入れ墨がある!! お前がジャッカルでないというならばその肩を衆目に晒してみろ!!」

 ざわざわと混乱した声が周囲に伝播する。

 ―マクシムス様が海賊ジャッカル? そんなバカな―

 ―確かにジャッカルの肩には消えないジャッカルの入れ墨があると聞いたが―

 ―そんな訳がない! マクシムス様がどれだけ人々の為に尽くしてきたか―

 ―だがマクシムス様は聖王遺物に並々ならぬ執着があったのは有名な話だ。私もまさかとは思うが―

 ―要は肩にジャッカルの入れ墨がなければいいんだろ? シャールとかいうあいつはクレメンスの亡霊だ。ただの言いがかりに決まっているさ―

 この内の幾つかはシャールの、ひいてはトーマスカンパニーの手引きであることは語る必要はないだろう。そんな中でも緩やかな声を出すのはマクシムス。

「私の肩にジャッカルの入れ墨があるかも。そのような言いがかりもここまでくれば立派ですね。

 残念ながらこの身は神王様に捧げた者。まるで罪人であるかのように肌を晒すのは承服しかねます」

「潔白の証拠を出せないならば、お前がジャッカルだ!!」

「違います。貴方が私を罪人である証拠を出さなければならないのです。それができないのならば、貴方こそが私を貶めようとする――」

 マクシムスの言葉が言い切る事はなかった。闇夜より射られた矢が二条、マクシムスをかすめるように飛来したからだ。

 もしもそれがマクシムスが狙いであったのならば彼は回避できただろう。死への対処は学んで当然のものだからだ。しかし狙いは服、しかも二撃。それがマクシムスから回避の時間を奪った。肩口からその衣服は切り裂かれ、その入れ墨が民衆に晒され、マクシムスは――ジャッカルは正に悪鬼のような表情に変貌した。それが決定打だった。

「ジャ、ジャッカルだー!」

「神王教団はジャッカルを抱え込んで人々を脅かしているぞ!」

「あああ! 私の信仰は…!! 神王様の救いは!!」

 瞬間、混乱する大広場。すかさず攻め込むシャールたち。

「逆賊、覚悟!!」

 だがそこは流石に修羅場を潜った男たちだ。ジャッカルとルードヴィッヒは即座に心を立て直す。

「ええい、肩にジャッカルの入れ墨がある男などいくらでもいるわ!

 この程度で揺らぐ程お前たちの信仰心は緩かったのか! 奴らは我らを逆賊に仕立て上げ、ピドナを暴力で制するつもりだぞ! 戦え、ピドナを想うならば奴らと戦うのだ!」

「マクシムス殿の言う通りだ、私もかの悪名高い海賊の肩にジャッカルの入れ墨があるとは知らなかった。これはマクシムス殿の肩に入れ墨があることを利用した罠である!

 ピドナを想うのならば奴らを倒すのだ!!」

 かくして大広場は瞬く間に乱戦に巻き込まれるのだった。

 こうなる事を予想していたシャールたちは民衆を守る為に動く。これを予測していなかったルードヴィッヒたちはやたらと暴力を振るうように動く。このような一挙手一投足が後々に大きく響くのだと、彼らはよく知っていた。

 

 大広場を見渡せる、屋根の上。そこに一人の女騎士が弓をしまっていた。彼女の名はカタリナ、ジャッカルに聖王遺物のマスカレイドを奪われたロアーヌの女騎士である。

 ようやくである。ようやく大罪人を白昼の元に晒しだし、断罪の刃を振り下ろせる。そしてマスカレイドを取り戻せるのだ。とうとうミカエルに真の意味で頭を垂れることができるのだ。

 マクシムスの衣服、その肩口を射抜いたのは彼女である。もう一つの矢は別の場所からサラが射抜いた。これが決定的な一手であると理解していたからこそ、彼女は確実にそこを射抜けるように集中していた。かといって奇襲を許す程に甘くない。

 カタリナはフランベルジュを抜き放ち、背後から投擲された刃を見事に弾いてみせた。ジャッカルを狙い撃ちした以上、奴がアサシンを放ってくるのは必定。彼女はそれを警戒しない程甘い女ではない。サラの方にも少年を配置して奇襲に備えている。

 襲ってきたの黒衣の男、2人。片方が剣を持ちもう片方が斧を持つ。更にそれと同時に片手をフリーにして先ほどのような暗器術も使うのだろう。他にも――

「エアスラッシュ」

「ウインドダート」

 術も使う、予想の範疇だ。闇に蠢くその存在、最悪は退却して情報を持ち帰ることさえするだろう。カタリナは全ての手札を晒す訳にはいかない。ただし必殺の覚悟であり、カタリナにはこの期に及んで相手を殺さないという選択肢は存在しない。

 選んだ大剣技は逆風の太刀。一呼吸に二撃を放てるその技は飛来する術を二つとも叩き落した。重量があるフランベルジュを軽々と扱う。カタリナが一流である所以である。

 しかしここで怯んではジャッカルの暗殺者などやってられない。ジャッカルにとって致命的な矢をくれやがったこの女を許す選択肢は彼らに存在しない。必殺の意気を込めて剣と斧を構える。

 一瞬だけ空白の時間が流れた。

「飛水断ち」

「大木断」

 剣で即時発動の剣技を繰り出し、ほんの僅かの時差を持って大剣ごと叩き折る斧技を繰り出す。このコンビネーションは流石といえるだろう。

 相手がカタリナでなければ、彼らの勝ちだった。

「切り落とし」

 カタリナは剣技をその大剣で繊細に逸らし、その切っ先を斧を扱う男に向ける。カウンター技として機能するが、斧を得意とする男の体勢は崩れていない。すなわち、大剣と斧という重量級の技のぶつかり合いだ。闇夜に似つかわしくない大音量が響き渡るが、それを気にする者は誰もいない。言うまでもなくピドナは絶賛大混乱中だからだ。

 威力は互角、大剣と斧は鍔迫り合いをする。この状態でどちらが有利かは言うまでもない、カタリナだ。彼女は純粋な斬撃でここまでの威力を出しているのに対し、斧の男は大木断という技を使った上での互角なのだ。技の威力が終わった瞬間に押し切られることは目に見えている。

 だからこそ剣の男がそれを見逃す筈がない。隙だらけのカタリナの背中に剣を突き出し、串刺しにしようと迫る。が、その目標を突如として見失った。カタリナは鍔迫り合いをしていた刃を作用点として、闇夜に高く飛んだのだ。

 力をいなされた斧は勢い余ってカタリナが居た空間を薙ぎ払う。目標を失った剣は止まることなく真っすぐに突き出される。その先にあるのは――仲間。斧は仲間の首を断ち切り、剣は仲間の心臓を穿った。

 そこにひらりと華麗に着地するカタリナ。圧勝といって結果を出した彼女だが、その表情は苦々しい。思った以上に刺客が強かったのだ。

(間に合え……!)

 余裕なく屋根を飛びかうカタリナ。目指すはもう一組の狙撃者、サラと少年の元。

 だが叶わない願いというものはあるものだ。カタリナがそこに着いた時、誰もいなかった。屋根は壊れ、争った形跡はあれどもそこには誰もいなかった。

 仲間の死体すらない。これが意味するのは一つ。

(拐かされたか…!)

 ジャッカルの狙撃という役割を持つならば人質として価値があると思われても仕方がない。

 カタリナ自身は見捨てるつもりがあっても、トーマスがそれを許容する訳がない。

 

 厄介な事になった。

 時刻は深夜を回ったばかり。今日のこの日、ピドナは益々混迷を極めるのだった。

 

 

 




ちなみに素晴らしき国家の築き方(18禁)というゲームをプレイしまくっています。
アイリスフィールドというサークルの作品なのですが、ここのは文章といいゲームシステムといい本当に素晴らしい。
特に物語は一見の価値ありです、次のゲーム業界を担う可能性があると信じています。このサークルの作品は是非プレイしていただきたい! この作品の二次創作も書いてみたいですね。

あ、ご家族がいる方はプレイする時、色々と気を付けて下さい。


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095話

なんか段々と文章量が短くなってきている気がしますが、更新速度を優先で。
っていうか、後はだいたい終わりまで一直線だから書くことが少なくなってきてるんだよね…


 

 

 トーマスは追い詰められていた。

 深夜0時に奇襲を仕掛けてから、早6時間。そろそろ朝日が昇ろうかという時刻になったが、決着がまだついていないのだ。

 トーマスカンパニーもあり得ないレベルで急成長を遂げたとはいえ、ピドナで最も力のあるルードヴィッヒや神王教団を相手にして真っ向勝負ができるかと言えば否だ。その実力は一矢報い得る程度であり、その一矢を奇襲にて相手の急所に突き刺すのが今回の作戦の全てだったといっていい。確かに勝率は限りなく低かっただろうが、勝ち目が最も高かった時を狙ったのも事実。それでこの様なのだからトーマスは自嘲の笑いを隠せないでいた。

 勢いとしては未だにトーマスカンパニーにある。だがそれが何になるのか。ルードヴィッヒにはピドナ王宮までの撤退を許し、籠城されてしまった。今現在はトーマスカンパニーを叩き潰す為に市街地に適した部隊を編成しているだろう。シャールの部隊が王宮に攻撃を仕掛けているが、簡単に王宮が墜ちる様ならば城として失格だろう。籠城を許してしまった時点で負けが限りなく濃くなったといっていい。

 神王教団にサラと少年を奪われたのも厳しい。今のところ明白な脅迫はされていないが、必ずどこかで使ってくる。少年はともかくサラを見捨てたくはないトーマスだが、人質交換の交渉材料を奪えるどころか神王教団との市街地戦は五分。カタリナが奮戦してくれているが、流石にクレメンスの暗殺を成功させた神王教団である。こちらも徐々に押されだした。

 ここまで来れば負け戦に等しい。全てを捨てて逃げるというのも再起が不可能に近い現状では悪手である。結局、奇跡を夢見ながら玉砕するしかないというのが現実だろう。

(全く。商人失格だな)

 現実を見ないで、無駄にあがいて破滅する。確かに商人としてあるまじき愚行だろう。

 だがしかし忘れてはいけない。諦めた瞬間に確率は0になるのだ。奇跡は、諦めなかった者にしか舞い降りないということを。

「報告!」

「どうした!?」

「東の空から巨大な竜がピドナへ高速接近しております! 朝日が出たことで気が付けましたが、闇夜に紛れて発見が遅れました!」

 トーマスカンパニーが発見が遅れたということは、敵対する勢力も発見が遅れたということである。

 巨大な竜といえば想定されるのはルーブ山地に住むというドーラの子であるグゥエインだが、それにしては飛来する方向がおかしい。ルーブ山地から来るならば北西からだろう。

 何であれ、竜というのはモンスターの一種だ。ピドナに犠牲が出ることは間違いない。

 トーマスはそう覚悟して唇を噛み締めた。状況は悪化していると錯覚している、巨竜の背に誰よりも信頼する友が騎乗しているとは流石の彼も想定できなかったのだ。

 

『火と鉄、血の臭いだな』

 間もなくピドナへ着くという海上でグゥエインがそう呟く。遠目からでもピドナの様子はおかしかったが、グゥエインの言葉で起きていることが内乱であると確定された。

 危険から遠ざける為にピドナにやったのに、サラが危険に晒されているかも知れない。その考えに至り、エレンは自分を殴り飛ばしたくなる。まあ、かといって四魔貴族討伐に彼女を連れていける訳もなく、宿命の子という肩書を持ってしまっている以上、どこに置くにしても正解というものがないのが本当のところなのだろう。

『どうする?』

 グゥエインが問いかける。本来の予定であればピドナから少しだけ離れた場所に降り立つはずだったが、どう考えてもそんな余裕はない。

「ピドナの大広場に、減速しながら低空飛行して。時間が惜しいわ、飛び降りる」

『承知した。我はそのまま帰るが、構わないな』

「ええ。助かったわ、グゥエイン」

『礼には及ばん。詩人に貸しが一つできるならば安いものだ』

「心配するな。約束は守るさ、グゥエイン」

 この強行軍のツケは詩人が負うことになっている約束だ。まあ、詩人としても今更そこを反故にする気はない。

 実際、ピドナの内乱に間に合ったという事実は大きい。悠長に船を使って移動していたら全て終わってから到着ということになりかねなかった。サラが宿命の子と判明している現在、そんな心臓に悪い事は考えたくもない。

『ピドナに突入する。では、達者でな』

 グゥエインはそう言い、速度を落とす。それを見計らって巨竜から飛び降りる4人。

 眼下に広がるのは人同士の争い。見たところ、ピドナ王宮を攻め落とそうとする軍勢とそれに対抗する陣営で分かれているようだ。

 飛び降りながらエレンとユリアンは気が付く、王宮に攻め入っているのはトーマスカンパニーの人間だと。詩人が目を引いたのは攻め入る側の指揮を執っている男、銀の手を装着したシャール。

 ならば恐らくそちらに合力するのが正解か。一瞬でそこまで判断する。ちなみにタチアナは余り深く考えていない。サラの身を守らなければならないということで、とりあえずベント家に向かおうかと考えたくらいである。これはこれで正しい思考回路であるのだが。

 速度を落としたとはいえ、落下というよりかは墜落というに相応しい着地方法である。衝撃を殺さなくては普通に死ぬ。

 ユリアンは接地すると同時に騎士の盾を地面に叩きつけて勢いを殺す。かといって一度でなんとかなる訳ではなく、二度三度とバウンドしてやがて勢いは完全に止まった。代償として長年愛用してきた騎士の盾は鉄くず同然になってしまったが、まあ必要な犠牲だったのだろう。

 タチアナは氷の剣を地面に突き刺し、衝撃を完全にゆっきーに依存した。絶対零度に近い氷の剣の硬度は異常であり、ギャリギャリと石畳を削りながらやがて勢いは止まる。タチアナは地面に降り立つと気軽に氷の剣を地面から引き抜いた。

 エレンはブーツで滑るように着地する。もちろんその衝撃は並大抵ではなく、ガガガガガと激しい音を立てながら勢いを殺していく。しかし高度から落下したとは思えない軽快さで地面に降り立った。体術を使う彼女らしい、素晴らしい体幹を持っているといえる。

 詩人は着地と同時に片脚を思いっきり地面に突き刺す。それで全ての衝撃をその全身で受けきり、耐えきった。コイツだけはもう常識とかを考えなくていいかも知れない。地面に脚を突き刺す辺りに物理法則が適応されているとは窺えるが。

 とにもかくにも、天から飛来した4人の人物に大広場にいた人間たちは忘我した。それも当然である。頭上に大きな影が現れたと思ったら、そこから人間が降ってきたのだから理不尽がまかり通る戦場であるとはいえ、いくらなんでも想像の外の出来事だ。しかしそれは大広場に居た人間だけの話であり、ピドナに降り立った4人にはそれは適応されない。

「加勢するわ、とにかく城を攻め落とすわよ!」

「分かってる!」

 エレンとユリアンは即座に城を攻撃する。エレンは氷の斧を作り出して城壁の上にいる弓兵にめがけてトマホークを放つ。ユリアンは城を防護する人員にその白銀の剣を振りかざしておどりかかる。

 それを横目で見ながら詩人はゆっくりと顔馴染みであるシャールの元へ歩み寄った。タチアナもそれに付き従う。

「久しぶりだな、シャール。ちょっと現状を説明して貰いたいんだが、いいか?」

「あ、ああ…」

「っていうかサラお姉ちゃんが無事かを聞きたいんだよねー」

 タチアナの言葉にシャールの顔色が変わる。それを見た詩人とタチアナの顔色も変わる。

「……まさか、よね?」

「神王教団に拉致された。今現在、トーマスカンパニーは神王教団とルードヴィッヒと交戦中だ」

「くそっ!」

 想定した最悪の状況に詩人が悪態をつく。宿命の子であるサラが、アラケスへのゲートの鍵を持つジャッカルの手に落ちた。回避したかった事態ではあるが、こればかりは仕方ない。ここについた時にはサラが既に敵の手に落ちていたのだから、どうしようもない話である。

 しかしながらピドナがアビスの瘴気に包まれていないことを考えれば、まだアラケスのゲートを開く段階には至っていない。つまり、まだ手遅れではないのだ。

 エレンとユリアンは呆気にとられた敵の隙を思う存分につき、戦場の流れをあっさりとトーマスカンパニー有利に変えていた。だが、今はそんな事をしている場合ではない。

「エレン、ユリアン! サラは神王教団に誘拐された! 助けに行くぞ!!」

「!!」

「最悪って当たるものだな!」

 詩人の言葉にエレンは強い動揺を露わにした。だが、ここで騒いでも何も始まらない。今は速やかにサラの元へ辿り着くことが肝心だ。攻撃を止め、戻ってくる二人。

 とはいえ、彼らはピドナに地理にそこまで詳しいという訳ではない。自然、視線はピドナに拠点を置いていたシャールへと注がれる。

「神王教団のピドナ支部は北西の方角にある。今現在はカタリナが率いる部隊が戦っているはずだが、この場の勢いは掌握した。ジャッカルを潰すというならば私も手を貸そう」

「助かるわ!」

 思わぬ助力にエレンとシャールの両方が破顔する。お互いに予想外の戦力が手に入ったのだ、喜ばない筈がない。

 特にシャールは劣勢を自覚していながら打てる手がなかった状況だ。ここでエレンたちの手を借りて神王教団を潰せるならば望外の戦果、喜ばない訳がない。

 彼は手早く指揮権を副官に託すと、神王教団ピドナ支部に向かって走り出した。後ろにエレンたちの頼もしい助力を感じながら。

 

 大広場から神王教団ピドナ支部までは近い。それだけ神王教団が強い勢力を持っているということであるが、その短い距離は激戦区だった。

 市街地に於ける局地戦というのは指揮官の入る余地が少ない。単独での戦闘が主となり、戦術的戦略的価値よりも個々人の戦闘力が重視されるのだ。しかも隠れる所が多い雑多な町では純粋な戦士としての能力よりも、暗殺者側の技能が求められることが多い。如何にして相手に気取らされずに仕掛けるか、死角からの奇襲を避けるか。

 その点、エレンたちは問題ない能力を発揮していた。エレンはリンから学び取った東方の気の扱いに於いて敵の場所を正確に感知し、仕掛けられた罠も踏み越えられる対処能力もある。

 タチアナはゆっきーがいるだけで単純に感覚器官は倍だ。それは視覚などだけでなく、タチアナが使う蒼龍術の風の流れとゆっきーの使う玄武術の水分察知も合わせてである。

 ユリアンも暗殺の警戒能力はロアーヌにいた時に徹底的に磨き上げられたと言っていい。何せ貴人を真っ向から襲うバカはいない。やるなら当然暗殺であるからして、主君を守る為に最優先で身に付けなければならない技能だったのだ。

 詩人とシャールに至っては解説の必要は無いだろう。

「そこっ!」

「甘い!」

「邪魔を、するなぁぁぁ!!」

 かけられた奇襲を逆手に取り、敵を殲滅していく。特にエレンの鬼気迫る様は敵対者をたじろかせる程だった。

 拮抗状態だった戦場はあっという間にエレンたちに支配されていく。敵対者が一気に減り、神王教団ピドナ支部までの道が開けた。

「シャール、貴方が何故ここに? それにユリアンも」

 余裕ができた事により、カタリナが彼女たちに接触してきた。この場を預かって獅子奮迅の活躍をしていた彼女だが、一人でできる事には限度がある。じりじりとした戦いを繰り広げていた中、突然の援軍である。助かったという思いがなくはないが、それと同時に疑問も出る。

 シャールは分からないでもないが、ユリアンや詩人はいつの間にピドナに来たのか。エレンはゴドウィンの乱の時に顔を合わせたが、ここまでの強さはなかった。まあ四魔貴族を次々と倒していったという話は聞いていたから、聞いた実力に偽りなしと納得はできたが。そして残る氷の剣で敵をなぎ倒す少女は一体何者なのか。聞きたい事、訳の分からない事が多く、混乱するカタリナだが状況は待ってくれない。

「詳しい説明は後だ! エレンたちの助力を得て一気に神王教団を殲滅する。攻め込み、ジャッカルの首を獲る。カタリナも協力してくれ!」

「! 承知しました」

 詳しいことは何一つ分かっていないが、今現在優先すべきことは敵の排除である。流れを掴んだ今が好機、敵の拠点に攻め入るまたとない機会だ。

 言葉を全て飲み込み、カタリナも同行する。目の前にはジャッカルの居城というべき、神王教団ピドナ支部がある。

 エレン、タチアナ、ユリアン、シャール、カタリナ、そして詩人は敵の拠点へと一気に攻め入るのだった。

 

 重厚な入り口のドアを蹴破り、中に侵入する6人。

「ひぃぃぃ!」

 受付の周辺からは恐怖の声が聞こえてくる。恐らく非戦闘員であろう彼らをいたぶる趣味も時間もなく、ただし聞くべきところは聞く。

「マクシムスはどこだ!?」

「お、奥の、一番奥の部屋がマクシムス様のお部屋です。今はそちらにいらっしゃる筈で……」

 話を最後まで聞く余裕はない、今は一刻を争うのだ。奥へと向かって走る一同。

 やがて辿り着く、最奥の部屋。そこへ飛び込んだ時、部屋の中にジャッカルはいなかった。代わりに神王教団のローブを身に纏った信徒が数人。

「ジャッカルは、サラはどこ!?」

 やや冷静さを失った声でエレンが怒鳴りつけるが、ローブの者たちは一切の反応を返さない。というより、雰囲気が異様だと詩人が気が付く。

「落ち着け、エレン。…何かがおかしいぞ、こいつら」

 ローブに隠されてその奥が見えない。そして感じる薄気味悪さ。まるで人間でないような――

「っ! 不抜(ぬかず)太刀(たち)!!」

 詩人が不可視の斬撃でそのローブは切り刻む。果たしてその奥から出てきたのはモンスターだった。

 どうやって人間サイズに収まっていたのか疑問に思うオーガバトラーや、明らかに人型ではないデスコラーダなどがその姿を現す。

 正体がバレたモンスターたちは一斉に襲い掛かってくる。今度はエレンたちが想像を超えた奇襲に遭うが、立て直すのにかかった時間は一瞬。

 エレンのブラックの斧が、タチアナの氷の剣が、ユリアンの白銀の剣が、シャールのブリッツランサーが、カタリナのフランベルジュがたちどころにモンスターを屠っていく。

 程なくして敵が全滅するが、少なくない衝撃が一同に宿っていた。まさかモンスターを使役しているとは思わなかったのだ。

 恐ろしいのはモンスターたちが秩序だった行動をとっていたことだ。ドフォーレ商会では育てたモンスターをけしかけるだけだった。だがここのモンスターはその殺戮本能に身を任せることなく、明らかに命令に従った動きをしていた。

 モンスターを支配する、それは四魔貴族級である。よもやジャッカルがその域に達しているとは思いたくないが、何らかのカラクリがあるのは間違いないだろう。

「思ったより敵は手強そうだな」

「っていうか、ジャッカルはどこに行ったのかなぁ?」

「……奥にある机の下に空間があるわね。恐らくは隠し部屋よ」

 一般の者が知らないそこから更に奥に進んだのだろう。何が待ち構えているかは分からないが、サラが捕らわれているのにまさか引く選択肢はありはしない。

 

 躊躇はない。

 エレンたちは奥に進んでいく。心の中に生まれた不安や疑念を無視したままだが、下がるという事は出来ないのだから。

 

 

 




一話を長くして話数を減らすのと、一話の文章力が少なくても更新速度上げるのってどちらがいいのだろうか…。


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096話

リマスター販売までに完結目指して頑張ります!


 

 

 

 マクシムスの部屋から続く隠された空間に入り込んだ瞬間、全員の顔が歪む。隠し通路となっていたその場から尋常でない雰囲気を察知したからだ。

 血に腐臭、鼻を突く酸いた臭い。絶望の、死の気配が濃厚に感じられた。それと同時にまた、風の流れも感じられる。どこかに繋がっているのか通気口があるのかは分からないが、最悪を想定すればこのまま外へ逃げられかねない。

「ここはモンスターの養育所も兼ねている訳ね」

 ヤーマスのグレイト・フェイク・ショーで感じたのと同じ気配を感じ取り、エレンはそう呟く。つまりここはモンスターの巣窟と同意義であり、危険度もそれに比例する。いや、人間の悪意が加わった分だけ危険度は高いかもしれない。目にするものは全て敵か犠牲者、そう判断していいだろう。そしてサラの救出が最優先な今、無視するものは全て無視して最短で最愛の妹の元へ辿り着く。それがエレンの判断だった。

 そうやってエレンが考え込む一方で、詩人も強い危機感を持っていた。最善で収まるのならばなんの問題もないが、嫌な予感しかしない。そして最善で済まないのならば、彼は力を温存しなければならない。手加減できる訳がないモノを相手にしなくてはならないのだから。

「俺はしばらく後ろに控える。弓で援護するから前衛は任せた」

「? 何でアンタが前に出ないのよ!?」

「必要なことだからだ」

 エレンが思わず問いかけるが詩人は素っ気ない。

 それにフォーメーションとして間違っている訳でもない。ここには前衛を得意とする者かオールラウンダーしかいない、後衛の専門がいないのだ。ならば最も弓の扱いが優れた詩人を後衛に配してバランスを取るのも悪くない。

 だがしかしエレンとしては最短でサラのところまで辿り着きたかった。だからこそ詩人を先頭に切り込み、後衛はタチアナに任せてもいいのではないか。それが最善で最速だと。

 そう言おうとしたが、状況はそれを待ってくれない。

「来ました」

 言いながらカタリナはフランベルジュの切っ先を通路の先に向ける。シャールは銀の手が装着されたその腕で以ってブリッツランサーを構え、ユリアンは白銀の剣を握りしめた。

 果たして角からぞろりと神王教団のローブを着た一団が現れる。人の成りはしているが、あれらが人間であるなどと考えるバカはもちろんいない。まず間違いなくローブの下にはモンスターの姿があるだろう。

 だとすると――やりにくい。突如としてあのローブの下から触手が生えてくるかも知れないし、頭や心臓を貫いたとしてもそこが急所とは限らないのだ。時間がどうしてもかかってしまう。

 それをどうやって短縮するのかを考えるのがエレンで、

「一番槍貰いっ!」

 考えるくらいならばとっとと倒してしまおうと考えるのがタチアナだ。

 通路は狭く、大剣を振るうには少し窮屈だ。もちろん振るえない程に彼女の練度は低くないが、ストレスのたまりそうな戦い方はタチアナの気風に合っていない。氷の剣を分裂させ、片方の手には長剣を形作り、もう片方の手には小剣が握られていた。彼女が最も得意とする二刀流である。それで以って敵集団に躍り掛かる少女。

 更にそれを援護する為に詩人はその場で弓を構え、矢を射かける。彼にしてあのローブの隠匿能力を破ることは叶わず、とりあえず急所になりそうな頭を狙う事にした。

 こう話が進んでしまってはゴタゴタ言う方が余計な手間だ。エレンはそう判断し、詩人が前衛に出る事を諦めた。斧を片手にタチアナの背後から追随する。

「タチアナ、一人で突っ走らないっ!」

「私たちも行きますよ。シャール、ユリアン」

「言われるまでもないっ!」

「切り開きます!」

 ここに集まったのは精鋭たち。苦戦するまでもなく、ローブを着たモンスターたちを次々と駆逐していく。

 だがジャッカルも然る者、本拠地を手薄にする訳もない。配下のモンスターの数に限りが無いかの様に、一行の行く手を阻む。

「こっのぉ…どけぇぇぇ!!」

 エレンの焦燥した叫びは虚しく響いた。

 

 上半身の自由を奪われた少年とサラは、マクシムスとその護衛に囲まれて神王教団ピドナ支部の地下通路を歩いていた。この状況に少年は自分の弱さを呪いたくなる。

 数時間前、マクシムスの腕を露出させる為に矢を射かけたサラと彼女を護衛していた少年だが、狙撃してすぐに場所を動かなかったのが失敗だった。即座といえる間を置いて暗殺者が2人襲ってきて、少年が一人を相手取っているうちにサラが捕らわれてしまったのだ。

 一対一でも互角だったのに2人を相手にできる訳もなく、そもそもとして少年にサラを見捨てる選択ができる訳もない。降伏し、縛り上げられてマクシムスの元に連れていかれた。そして捕虜を見たマクシムスが喜悦の表情を作り出し、決して死なせないように厳命した。それからしばらくこの地下通路の一室に押し込められ、今は敵に連れられて通路の奥に向かっている。

 チラとサラの様子を伺えば顔が青白い。この状況では当然だろう。敵に捕縛されてどう扱われるかも分からない、どこに向かっているかも分からない。

 少年はサラの心を思いやり、意を決して口を開く。

「ねえ、僕たちをどうするつもり?」

「無駄口を開くな、ガキ」

 護衛にゴっと、頭を小突かれる以上の勢いで殴られる少年。

 マクシムスは殴る事自体は無視し、しかし少年の言葉には反応する。

「ふむ、俺様は今機嫌がいい。それにお前も知っておいた方がいい事ではある。説明してやろうか」

 その言葉を聞いて護衛は手を引っ込める。マクシムスの意に沿った行動を取る辺り、忠実な配下といえるだろう。他にも数人いる配下たちにはそれぞれ武器が握られていた。

 それらはマクシムスが集めた聖王遺物であり、それぞれ七星剣、ルツェンルンガード、聖王の槍に栄光の杖といった破壊力に優れた武器が揃っていた。彼らはマクシムス直々に選別した親衛隊であるマクシムスガード。マクシムスが最も便利に扱う部下である。

「まずは俺様の名前はマクシムス。昔は海賊ジャッカルと名乗っていたのは貴様らは知っての通りだと思うが、敗れた名前は俺様に相応しくない。マクシムスという名前がこれから世界を支配する王者の名前だ、覚えておけ」

「……」

 神王教団は世界最大勢力の一つではあるが、マクシムスはその最高幹部の一人。リーダーであるティベリウスよりも権力としては劣る筈である。それがどうして王者になれるのかは疑問だが、ここで下手に口を挟んでもいい事は何一つないと判断して少年はマクシムスの次の言葉を待つ。

「んん~。どうやって世界を支配するのか、それを聞きたいって顔だな」

 どうやらマクシムスには少年の胸中などお見通しだったらしい。支配する側に居るという愉悦を醸し出しながら、マクシムスは黙って話を聞く少年をニヤニヤと見やる。

「神王教団幹部の地位を使い、集めた聖王遺物に忠実な配下。魔王の斧を持つ俺様に従うモンスター共。これらでも戦力としては十分だが、今日は更なる戦力が加わる事になる」

「魔王の斧っ!?」

「聖王遺物……!!」

 これには流石に驚きのあまりに少年とサラは思わず言葉を出してしまった。

 そんな驚きも心地よいと言わんばかりにマクシムスは上機嫌に腰に隠してあったソレを取り出して見せびらかす。禍々しい瘴気を開放したソレはどんな説明よりも己自身を雄弁に語っていた、呪われた魔王遺物である魔王の斧である事を。

「魔王の斧による瘴気は別格だ。これにより、俺様はモンスター共を支配する事に成功した。

 だがこれではまだ足りない。そんな中、最後の一手が俺様の手に転がり込んできた。

 最強にして最高の手札、宿命の子がなっ!」

「そんなっ!? 有り得ない、どうしてそれを知っているのっ!?」

 マクシムスの言葉に思わず叫んでしまったサラだが、彼女を責める事はできないだろう。サラが宿命の子であるという事はカーソン家のみの秘密だ。

 ――いや、可能性はある。カーソン家の本筋もその事実を知っている。ならばそこより情報を引き出す事は不可能ではないだろう。そう考えてしまったサラは今まで秘密にしてきた事が暴露されてしまった事にカタカタと震え始める。そんなサラを心配そうに、そして意味が分からないといった表情で見る少年。

「くっくっく、メスガキの方は気が付いていたか。

 そう、この色黒のガキこそが宿命の子!!」

「「……え?」」

 意外過ぎる言葉に思わず間抜けな声を上げてしまうサラと少年。

 少年としては自分が宿命の子などという訳の分からない事を唐突に宣言された事について。サラはまさか自分ではなく少年が宿命の子と言われたことに関して。

「?」

 サラの反応に思わず疑問符が浮かぶマクシムス。

 捕まった片割れが宿命の子だと知っていたのではなかったのか、それが知られていたからこその驚きではなかったのか。

 今の間の抜けた声はそんな印象を抱かせない。別に宿命の子が居ると知っていて、それがこの場に居て、それが少年とは思っていなくて――

「まさか」

 マクシムスは目を見開いてサラを見る。見透かされたと感じたサラの表情に怯えが混じる。

「まさか――宿命の子は貴様の方か?」

 ビクリと反応してしまった事が、正解である事をマクシムスに教えていた。だが、それはおかしい。マクシムスは最大の情報網を使って少年の足跡を調べていた。そしてその有り得ない程に死に満ち満ちた経歴を調べ上げていたのだ。それでいて本人が死んでいないとは、宿命の子以外に考えようがない。

 いや待て、おかしくはないのだろうか? その死に飽和されたかのような人生が、ピドナに来てから急に収まりはしなかったか? まるで少年が撒き散らして死を誰かが止めたかのように。それがこの少女、サラであるとは考えられないだろうか。宿命の子の力を止められた記録は無く、魔王は世界を破壊して聖王は世界を復興した。

 もしも、もしも仮にだが世界に魔王と聖王が同時に存在したらどうだろうか? 世界は破壊に向かうのか、復興に向かうのか、はたまた相殺されて何も起きないのか。今現在、それが起きているのではないのか。

 マクシムスにはこの仮説が正解の様に思えた。

「く…くっくっくっ。まさかまさか、宿命の子と思わしき者を2人も抱えられるとはな。これが例外なのか? それとも魔王や聖王ももう一人の宿命の子と争ったのか?

 いや、片方のガキは宿命の子ではないとも考えられるか。まあ、丁度いいといえば丁度いい」

 マクシムスが軽く合図をすると同時、聖王の槍とルツェンルンガードがサラと少年の心臓に向けられた。

 死が目前にある事を理解しない訳にはいかないその行動。

「今から俺様たちはアラケスのゲートへ向かう。アラケスとは今現在同盟を結んでいるが、宿命の子が居るならば同盟などという迂遠な方法を選ぶ必要はない。その力で以ってアラケスを縛れ、縛って俺様の配下にしろ。

 もしも縛ろうとしなかったら死ぬ事になる、ソイツではなく相方の方がな。もしも両方できなかったら2人共殺すと覚えておけ」

「「…………」」

 サラと少年は絶句するしかない。四魔貴族を縛るなんて考えた事もないというのに、とんだ無茶な話があったものだ。それに話の前提として魔王殿の最深部まで行き、アラケスと会う――いや遭う事が当然なのだろう。敵地というか、敵しかいないその場所に今から連れていかれて四魔貴族にケンカを売る羽目になったのだ。

 強制される余りに過酷な展開に思考と感情が付いていかない。逆らっても、失敗しても殺される。成功の見込みは分からない。たとえ成功しても未来はない。もう、絶望しかない。

「報告しますっ! 侵入者です!!」

「殺せ、とっととな」

 と、そこで背後から飛び出してきた男が大声で叫んだ言葉に我に返れた。呆然自失しても仕方がない、そうでなくてもどうしようもないのかも知れないが。

 そして余りに素っ気なくマクシムスが言うが、報告者は言葉を続ける。

「モンスターの群れと信者共をぶつけましたが、侵入者は止まりません! こちらの被害は100を超えます」

「無能がっ! 今が一番大事だというのにここで面倒を起こしてどうするっ!! 我が配下はそこまで役に立たんのかっ!?」

「相手が悪すぎます、侵入者は英雄エレンです!」

「なに…?」

 マクシムスもその名はもちろん知っている。四魔貴族のフォルネウスとアウナスを撃破した、目下最大の障害。

 だがしかし、奴は確かビューネイ討伐に向かっていた筈だと報告書を思い返す。ロアーヌが襲撃され、その援軍という形で巨竜グゥエインを連れて討伐に――

「待て」

 巨竜グゥエインを連れて? ならばビューネイ討伐如何に関わらず、ピドナの異常を察知して襲来することは確かに可能だ。グゥエインという相手を説得できたら、だが。しかし実際にこの場に到達したという事はグゥエインを御したと考えるのが妥当。

 更にその上でピドナの現状を得た上で来たかと考えれば、これは難しい。何せピドナとロアーヌは海を隔てている。いくらグゥエインを味方につけたとはいえ、世界中に監視網が即座にできる訳がない。ならばビューネイのゲートを閉じ、最後のゲートであるアラケスのゲートを閉じに来たと考えるのが妥当だろう。つまりマクシムスが配下にできる四魔貴族はアラケスのみとなった訳だ。

 そして最後に重要となるのが、名前。エレン・カーソンとサラ・カーソン。この二人が姉妹であることくらいは調べがついている。宿命の子を確保しに来たのか、妹を助けに来たのかは分からないが。どちらにせよ、神王教団とルードヴィッヒは確実にエレンを敵に回してしまった。

「死んでも止めろ! アレを出しても構わんっ!!」

「はっ!」

「時間がなくなった。俺様たちは先を急ぐぞ。

 抵抗するなら相方を殺す」

 マクシムスのその言葉に、マクシムスガードで片手武器である七星剣を持つ男と栄光の杖を持つ男がそれぞれサラと少年を担ぎ上げる。

 サラと少年はされるがままにするしかない。握られている命は自分のものではないのだから。それに絶望しかなかったこの状況で希望が見えたというのもある。サラにとって誰よりも信頼できる姉が助けに来てくれたのだ。ここは命を無駄にする場面ではない。

(大丈夫、お姉ちゃんならきっと助けてくれる……!!)

 祈りではない、願いでもない。確信を持ったサラに怖いものはもう何もなかった。

 

 

「しつっこいわね!」

 一人頭50は立ち塞がる敵を撃破しただろう、それでも減らない敵の量にエレンの口から苛立ちが漏れた。

 シャールがブリッツランサーを振るいながら冷静に答える。

「しかし数が無限という事は有り得ない。貯蓄を全て吐き出している感じだ。マクシムスめ、今さら何を焦っている?」

「全くです。こいつらでは時間稼ぎにしかなりはしません。この時が値千金とでも思っているのでしょうか?」

 カタリナも疑問を呈した。確かに時間はかかり、疲労も溜まるがこちらを討ち取るには足りていない。モンスターもいくらでも居る訳ではないだろうに、むしろここまで育成するの手間と金も大きくかかっているだろうに。策もなく捨てるような愚行に頭を傾げる。

「「「……」」」

 エレンとタチアナ、ユリアンはその答えを持っている。サラが宿命の子であり、魔王殿のゲートを開放してアラケスをぶつけるだろうと。アラケスが素直にジャッカルの言うことを聞くとは思えないが、聖王遺物を集めてモンスターも操る男である。何かカラクリがあってもおかしくない。

 だが言えない。サラが宿命の子というのは絶対に秘密にしなくていけない事実なのだ。

「サラ・カーソンは宿命の子だ」

「「!!??」」

「詩人っ!!!!」

 だというのに。あっさりとそれを口にした詩人にエレンは全力の怒声をぶつけた。

 それでも詩人は涼しい顔をしたままだ。

「諦めろ、エレン。この状況で隠すと本当に全てを失う」

「だからって…だからっていって!」

 今までずっと隠してきたこと、これからもずっと隠さなくてはいけないこと。それを熟考を経ないで暴露された事に、エレンの感情の行き場がなくなる。

 だが、ただでは転ばないのが詩人である。この男はやるなら徹底的に転ぶ。やらなくていいところまで転ぶ。

「もちろんこれはエレンが言わない限り誰にも秘密だぞ? お前らの主君であるミカエルやミューズにもだ」

「いえ、それは流石に……」

「私がミューズ様に言わないのはいいが。カタリナがミカエル候に伝達しないというのは難しくないか?」

 無茶を言うな。そう言わんばかりの2人に詩人は真面目な声で続きを口にする。

「そうでもない。もしもミカエルがそれを知ったら、ロアーヌはレオニードとグゥエインに攻め込まれ、滅亡することになる」

 さらっととんでもない脅迫をする詩人。

 人の秘密を晒して自分の秘密を晒さないというのも不義理であるという変に真面目くさった理由と、脅迫として有効であるという理由で詩人は言葉を続けた。

「我が名はアバロン。聖王12傑の一人にして、300年前の伝説に名を残す聖者。俺が言うなら、レオニードもグゥエインも動く」

「……言ってる意味が分かりません」

 呆れた顔と声でカタリナがフランベルジュを振るって目の前の敵を切り捨てる。ユリアンも何を言っているのかという表情だし、シャールも眉間に皺を寄せている。

 それを真実と理解しているのは、いや真実と信じられるのはエレンとタチアナのみ。

「詩人さん、それ、言っていいの……?」

「いいさ。信じなければ言った通りにする」

「ロアーヌを滅ぼすとか、ちょっと……」

「冗談を言っても仕方ないだろう、釘はしっかり刺す。もしもこの二人から真実が漏れれば、ピドナかロアーヌは滅亡する。いや、させる」

 本気の本気で詩人と話をするエレンとタチアナに、怪訝な感覚が芽生えてくる。

「詩人さん、あんたは人間か? レオニード伯みたいにバンパイアではなくてか?」

「残念ながら人間だ、300年以上前から生きているけどな」

「信じ、られん。られんが、レオニード伯との関係を見れば、いやしかし……」

「別に信じなくてもいいが、少なくともレオニードとグゥエインを動かせる事は証明している筈だぞ? それも無視するか?」

「もしもそれが本当ならば、貴方はフェルディナンド様とも知り合いとでも言うつもりですか?」

「ああ。ヒルダにでれっでれのフェルディナンドの話でもしようか?」

 ひくりとカタリナの顔が引きつる。アウスバッハ家に伝わる伝説というより、冗談のようなその話をモニカの護衛だった彼女は聞いていた。曰く、フェルディナンドとヒルダ姫は相思相愛だったというが、実際はフェルディナンドが全力でヒルダ姫に惚れてアプローチしたというその話。

 男に威厳が求められる世界である、300年前ならば時代もそうでなければならないだろう。だからこそフランツが娘に話したそれを冗談だと流したカタリナだが、一般的にヒルダがフェルディナンドに惚れこんだと流布されている中でその情報を口にされるのは見逃せない。まさかこの詩人が聖者アバロン本人だということは有り得ないが、その血脈である可能性は十分ある。そして実際、グゥエインがビューネイ討伐に加わったという情報くらいは彼女も得ているのだ。

 宿命の子の情報にかけられた対価は祖国の滅亡。現実味がなくもないその話に、万が一を考えれば確かに口を噤んだ方が利口である。そもそも、ゲートは既に半分以上が閉じられている。このままサラの身柄を保護して魔王殿に攻め込み、アラケスのゲートを閉じてしまえば宿命の子などなんの役にも立たなかったという事になる。むしろ全てのゲートを閉じるだろうエレンの不興を買うだけ余計だ。

「……分かりました。ミカエル様にさえ、サラが宿命の子であるということは黙っていましょう。私はマスカレイドを取り戻し、強奪したジャッカルを始末できればそれでいい」

「賢明な判断だ、カタリナ」

「で、本当にあなたは聖者アバロン本人なのですか?」

「そうだ」

 胡散臭そうな目で首肯する詩人を見るカタリナとシャール、そしてユリアン。それを見てなんとも言えない顔をしているエレンとタチアナ。3人の方が普通の反応だと分かっているだけ口を出しにくい。詩人の言葉を肯定しても自分が変に見られるだけで、信じられる可能性はないだろう。そもそも詩人もそれを望んでいない。

「と、まあ。肩の力が抜けたところで、出口だな」

 矢を撃ちながら詩人は先を見据える。

 松明の明かりしかなかった通路の先に、太陽の光が見えた。そこまでにある人影は1つだけ。ならばあれは出口であり、ジャッカルとサラたちはそこから連れ出されたと考えていいだろう。

 問題は立ち塞がる人影だ。最後の一人、数に頼らないソイツが弱い訳もない。そして逆光であり見えにくかったその男の顔が松明の明かりで晒されると、シャールの目が驚愕で開かれた。

「ケインかっ!!」

「誰ですか?」

「ピドナ最強の剣士だった男だ。クレメンス様が暗殺された時、護衛だった男。それ以来姿を消していたが――」

 ケインがクレメンスを裏切ったのではないとシャールには分かっていた。何故なら、眼前に立ち塞がったケインだった剣士の男に生気は感じられなかったから。代わりに背後に赤く光るオーラを纏った亡霊が憑いている。

 仁王と呼ばれる憑依する霊体のモンスターが、ピドナ最強剣士に憑いて立ち塞がる。恐らくケインはクレメンス暗殺の際に一緒に殺害され、その遺体も奪われてここまで残酷に利用されているのだろう。

 シャールはギリと歯を食いしばり、せめて自分がその苦しみから解放してやると言わんばかりに足を前に出す。それと同時、シャールより素早い動きでケインに駆け寄る女が一人。エレンその人である。

「サラが待ってるのよ、時間がないのよ」

「ァァァァァァァ……」

「ピドナ最強がなんだっていうのよ。あたしは世界最強に鍛え上げられたんだから、この程度で負けてられるかぁ!」

 ピドナ最強と言われるに違わない剣戟が奔る。

 エレンはそれを斧で受けた、受けられた。そして力で押されて体勢を崩したそのままにケインの懐に潜り込み、拳を硬く握る。アンデッドが嫌う生の気を込めたその一撃を、亡者故に防御が疎かになったその身体にめり込ませた。

 活殺破邪法。

 そう言われる特殊な気を叩き込まれた仁王が絶叫を上げて消え去っていく。ケインの体には目立った外傷がないままに倒れこみ、それを見下ろしてエレンは勝ち誇る。

「あたしも舐められたものね!」

「いや、結構滅茶苦茶だからな、お前」

 ユリアンが一応突っ込んでおいた。

 本来ならば体の損壊を気にすることがないピドナ最強剣士というのは、厄介が過ぎる相手だろう。毒や急所攻撃といったものが通じずに、地力で勝りきらなくてはならないのだから。それを倒したとしても亡霊である仁王が次の相手となり、疲弊しきった体を乗っ取られる危険も併せてある。

 それなのにまさかいきなり敵の本体である仁王を滅しようとは、普通思わない。だがエレンに言わせれば亡霊本体こそが最大の弱点であるのに、そこを突かない選択肢はなかった。自身で言った通りに世界最強に鍛えられた事は伊達ではないのだ、良い事か悪い事かは置いていて。

 シャールはケインの遺体を痛ましく見て、これ以上利用されないように朱鳥術にて火葬する。他の仲間たちは他に何か罠がないか、注意深く警戒しながら先に進んでいた。出口が見え、最後の番人を倒したと気を抜いた時に仕掛ける罠が最も効果的だからだ。

 果たして罠はなく、こもった空気の場所から外へと脱出できた。

 だが、快適というには程遠い。なぜならそこは廃墟の一歩手前であるピドナ旧市街であり、埃っぽい場所だから。

 そして何より、目の前すぐのところに魔王殿がある場所だったから。どうか違ってくれと、無駄とは思いつつ驚きの顔でこちらを見る住人の男に聞く。

「なあ、お前はマクシムスを見なかったか? マクシムスの他に誰か居なかったか?」

「あ、ああ。ついさっきだが、あんたらが出てきた所から飛び出してきたよ。マクシムス様と、その付き人様と、付き人様に担がれた少年と少女も居た」

「――どこへ行った?」

「魔王殿に向かったよ」

 エレンの表情が硬くなる。最悪の展開になった事を理解せざるを得ない。

 見上げるは魔王殿。かつて魔王の居城であった、アラケスと最後のゲートが存在する場所。そこに集う、聖王遺物と宿命の子、そしてエレンたち。

 

 誰ともなしに駆け出した。

 時間に余裕がないと分かっているのだから。

 

 

 



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097話

台風、大変でしたね。
皆さまのご無事をお祈りします。


 

 

 魔王殿。

 600年前に世界を制した魔王の居城であったそこは、永い年月を経た今尚その威風を失っていない。様々な学者が己が研究の為、護衛を引き連れて魔物の巣窟になっていた魔王殿を探索したのも昔の話。やがて観光名所として遠くから眺める者や、後ろ暗い者がピドナの旧市街にも住めずに逃げ込んで帰って来なくなる程度しか人目に触れる機会がなくなってしまっていた。

 だがそれも15年前に死食が起きるまで。死食が起きて真っ先に心配されたことの一つにアビスゲートの復活が存在した。ピドナにアラケスのゲートがあるというのは一般的に流布された話であり、時のピドナの支配者はすぐ傍にアビスへの入り口があると思われる現状で、それを確認しない程に楽観的でもなければ危機感がない者ではなかった。

 そこでの調査結果は、シャールはよく知っている。

 今までほんの僅かにしかいなかった魔物が有り得ない増殖を見せていたこと。当時ではそこまで脅威ではなかったがこの先どうなるかは誰にも分からず、また魔王の玉座の後ろに開かずの扉があったということ。以前からそこに扉があることは知られていたが、斧でも術でも傷つかないその不思議な扉から特に聖なる封印の気配を感じたという。

 魔王の玉座は、様々な伝説を生んだ場所だ。魔王が覇を唱え、世界中を破壊して回った時に命令を出していた場所はそこだった。また、聖王が己の寿命を悟りその魔王の玉座に腰かけて静かにこの世を去った場所でもあるという。その背後にあるこの扉こそアラケスのゲートに続いているのではないかと噂されたが、確証はなかった。こじ開けて侵入する事は不可能であり、周囲から入ろうとしても同じような材質と封印でやはり入れない。しかも封じられたその空間が部屋1つ分程度というのもそこにゲートがあるというのに否定的な見方をするのに十分なものであった。伝承にある聖王とアラケスの戦いはそんな狭い範囲で行われるようなものではないからだ。

 では他にゲートらしき場所があるかというと、魔王殿をくまなく探してもそれらしい場所はない。封印が施された場所に何か手掛かりがあるかも知れず、以降封印を解除するよう調査が必要だと、そう締め括り報告は終わっている。そしてそれ以降の調査が為される事はなかった。死食による混乱により、人々同士の争いで封印を解除するどころの話ではなくなってしまったからだ。

 そして今現在、魔王殿へ侵入を果たそうとしている6人は、ここにアラケスのゲートがないと思っているのだろうか?

 エレンとタチアナ、詩人は否だ。聖王と共に生きた詩人がした説明で納得しない訳がない。封印の先にはいわば空間を折り返すような、魔王殿の裏側とでも云えるような場所へ繋がる転移装置があるのだという。その封印を解除する指輪をナジュ王国に託した辺り、聖王はカムシーンを伝承する彼らこそアラケスを倒すに相応しいと思っていたのかも知れないが。その王国は神王教団によって滅ぼされて、封印の鍵が教団内部に居たアビスに魅入られた者に渡ってしまったのは皮肉としか言いようがない。

 ユリアンはここにアラケスのゲートがあるかどうかについて、どうでもいいと思っている。大事なのはサラをジャッカルから助け出す事である。がしかし、アラケスと戦う可能性があるということは頭の隅に置いてある。

 カタリナも狙いはゲートではない。サラでさえもある意味おまけであり、最優先するべきはマスカレイドの奪還と強奪犯であるジャッカルの始末である。その次に世話になったサラの救出があり、可能ならロアーヌと世界の為にゲートを閉じるのに協力するのにやぶさかではないといった程度だ。

 シャールに関しては調査報告を読んでいるというのもあり、アラケスのゲートが魔王殿にあるというのはやや懐疑的だった。ゲートがどういったものか完全に理解している存在を知らない以上、アラケスのゲートは全く別の場所で開いている可能性さえある。とにかく彼の目標も主君の娘であるミューズを害するジャッカルやルードヴィッヒの排除であり、サラの救出やゲートを閉じる事はおまけといっていいだろう。ピドナで身を立てた以上、カタリナよりかは危機感は強い程度。

 たとえサラが宿命の子であったとして、ゲートに至るまでにジャッカルを仕留めればいい。そういった考えが前提であり、それは共通しているのは間違いない。

 しかしながら詩人は間に合わないであろうことを、どこかで感じ取っていた。神王の塔で入手した聖王の指輪が偽物であった瞬間より考えていた最悪の可能性。それが成立しつつある事に運命的な悪意を考えずにはいられない。そんな詩人の顔色は、悪い。

「詩人」

 そんな詩人に気が付いたのはカタリナ。エレンは愛しい妹の危機に奮起して先頭を走っており、普段はエレンにフォローされる立場のタチアナがエレンをフォローするように気を配っている。ユリアンとシャールは共にそんな女性2人と連携を上手くとれるような立ち位置を保持していた。

 詩人は一歩下がった場所で弓を携えるという、マクシムスの秘密基地からのフォーメーションのままだったが。ジャッカルとの闘いまでにふと空いた時間に仲間たちを見渡したカタリナにそのおかしい様子を見咎められたという訳だ。

「どうかしましたか? 顔色が良くないようですが」

「カタリナ。愚問だが聞かせてくれ」

 思ったよりもしっかりした口調。思ったよりも厳しい声色。それにやや困惑しながら、カタリナは詩人の問いを待つ。

「お前はマスカレイドの為にミカエルやモニカを殺せるか?」

「まさか。マスカレイドはロアーヌの血筋を守る為にあるもの。マスカレイドの為にミカエル様やモニカ様を害するなどあり得ません」

「ならばユリアンならば?」

「殺します」

 即答だった。

「確かにユリアンは忠臣でしょう、ロアーヌを支える人材として申し分ない。

 だがしかし、マスカレイドと比べるならば私はマスカレイドを取ります。それが嫌ならばユリアンは私に抗えばいい」

「…………」

「マスカレイドとユリアンを天秤にかける、そんな事があるとは思いませんが。この程度の覚悟を問われるとは不思議です。貴方もその程度は分かっていると思いましたが」

「ああ、単なる例えだ。ではもう一つ、もしもユリアンとモニカの間の子ならば?」

 

 沈黙。

 

「………………………は?」

「答えは?」

「いや、前提が有り得ない、としか」

 ユリアンとモニカの間に子供が? 平民と貴族が結婚できる訳もなし、ユリアンが血迷ってモニカを襲うようなこともないと信じている。

 カタリナの中ではこの二人が結びつくという可能性が全く存在していない。

 何を聞いているのかさっぱり分からないという風情のカタリナに、詩人はそういえばこの女騎士はその事実を知らなかったなと説明する。

「ユリアンはモニカ護衛の功と、四魔貴族のアウナスとビューネイを撃破した功を合わせて男爵に任じられた。また、その後にされたモニカの求愛に応えもしたな」

「――ミカエル様は、それを?」

「知っている、というかその場にいた。つまりユリアンは現在、ミカエル公認のモニカの婚約者という訳だな」

 呆然。

 そんなカタリナにちょっと失敗したかと思う詩人。別に隠すことではないが、このタイミングで伝えることでもなかったなと。

「大丈夫か?」

「え、ええ! 私は元気です!!」

 ちょっと的を外した返事をする辺り、カタリナの動揺がうかがえる。

 だがそれも短時間で抑えつけ、カタリナは己を取り戻した。

「見苦しいところをお見せしました。しかし、モニカ様の子とマスカレイドですか…。

 状況次第としか言えませんね。マスカレイドはロアーヌ候の奥方が持つべき、ロアーヌの血筋を守る為の聖王遺物。ミカエル様が奥方を娶り、正統な後継者をおつくりになるのならば。それ以外は必要とあれば切り捨てます。

 しかしモニカ様にロアーヌの血筋を託すというのならば、ロアーヌの正嫡はその御子です。ならば何があってもマスカレイドとその持ち手は主君を守り通すでしょう」

「……そうか」

 見定めるものを見定め、冷静にしっかりと為すべきことを為すだけだというカタリナに詩人は憧憬を覚える。

 彼は悩んだのだから。目的の為には必要でも、それは詩人にとっては切りたくないモノなのだから。しかし答えは決まっている、復讐を――四魔貴族を追い詰めないなんてことはできないのだ。そんなこと、300年前に決めた筈なのに、目の前に再び現れればこうも心が揺らぐ。

 答えは変わらない。切ると、そう決意はした。だが、どうしてこうも、哀しくなるのだろう?

 その時になって泣き叫ぶ訳にはいかない。せめて心を決めた後のこの猶予期間だけは、未だ切っていない僅かな時間を嘆く事に詩人は費やしたかった。

 そんな詩人を嘲笑うかのように、魔王殿の入り口に辿り着いてしまったのだけれども。

 

「……これは!」

「前に来たときよりも瘴気が強いな」

「でもビューネイの巣とか、別の四魔貴族の拠点程じゃないね」

 エレンとシャール、タチアナはゴンを救出する為に魔王殿に侵入したことがある。その時とは明らかに違う空気に身構えるエレンとシャールだが、タチアナだけはこの程度では警戒に値しないと肩の力を抜いている。

 そんなタチアナに乗るのはユリアン。

「まあ、正直そこまでじゃないよな、ここは」

「だよねー」

「……それもゲートが開けば全てが変わる。急ごう」

 ちょっと抜けすぎた事を危惧したのかシャールが引き締めるように言う。

 まあ急ぐ事に異論がある訳もなし。魔王殿の封印は奥にあり、左にある階段へ向かおうとする一同。

「待った」

 それを止めた詩人。怪訝な視線を向ける一同の中で、特にエレンは殺気立ってチリチリとしている。それを平然と受け流し、詩人は右側の壁に向かって歩き、何かを探るよう手探りで壁の感触を確かめている。

「詩人さん、何して――」

 ガコンという音と共に壁がせり下がり、タチアナの言葉を遮る。詩人がした何かがこれを為したのは明白で、その奥にある小部屋には床に複雑な文様が描かれて輝いていた。

「転移法陣。結んだ特定の場所に即座に移動できる術式だ。……そういえば、ウンディーネは自分で開発してたな。

 これは玉座の間に繋がっている」

「……貴方はこれをどこで知ったのだ?」

「ほら、俺はアバロンだから」

 怪しい者を見る目で睨みながらシャールが問うが、詩人の返事は軽い。信じられる事を前提としていない返答の仕方だった。

 これは問い詰めても時間の無駄だとシャールは諦め、とにかく今は時間が惜しいと先に進むことを優先する。

「急いで!!」

 余裕のないエレンの言葉に全員の背が押され、転移法陣の上に乗る一同。

 そして瞬間で彼らの姿がその場から掻き消えるのだった。

 

「振り切ったな」

 魔王の玉座にまで辿り着いたマクシムスはそう呟き、ニヤリと笑う。目の前にある封印を解けるのは自分の持つ聖王の指輪のみ。ここに逃げ込んでしまえばもう英雄エレンといえども追って来る事はできない。

 いや、それ以前の問題なのかもしれない。マクシムスの秘密基地に配置したピドナ最強剣士を憑依させた仁王は彼の親衛隊であるマクシムスガードとほぼ互角、手駒を減らす愚は犯せない為に決着をつけさせてはいないが聖王遺物を持つ者と同等の力量があるのである。

 向こうにも聖王遺物が複数あるとはいえ、銀の手や聖王のかぶとといった防具や遠距離攻撃専門の妖精の弓では近接戦を得意とする仁王を相手すれば苦戦は免れない。氷の剣を持つのが幼い少女であることを考えればあそこで果てていてもおかしくはないし、時間稼ぎは十分にできる筈である。今この瞬間にこの場に間に合わせるなんて、できる訳がないのだ。

「! マクシムス様!!」

 だというのに。何故、氷の斧と鋭い矢が彼に向かって飛来するのだろう。マクシムスガードが持つ聖王の槍とルツェルンガードが氷の斧を砕き、七星剣が全ての矢を弾き落とす。栄光の杖を持つ男がウォーターポールを唱えてマクシムスの身を守る。

 だがそれらをマクシムスは一顧だにしない。その心中は不甲斐ない手下への失望と、自身の邪魔をする厄介者への敵意で溢れていた。攻撃が飛んできた方を睨みつけ、声を張り上げる。

「英雄――エレンがぁぁぁ!!」

「サラァ、無事!?」

「お姉ちゃん!!」

 小さな部屋から健康的な美女が飛び出してくる。聞いた通りの風貌であり、英雄エレンに間違えはないだろう。喜色の声をあげる宿命の子の姉ということは確定だ。

 そこからぞろぞろと人が溢れてくる。氷の剣を持った少女、妖精の弓を携えた詩人、フランベルジュを背負って強化弓に矢を番える女騎士、そしていつでも朱鳥術を扱えるように警戒している元ピドナ近衛騎士筆頭のシャール。

 封印を解き、中に入ってしまえばマクシムスの勝ちである。しかしそのまま逃げるようにその場を立ち去るには、マクシムスが受けた屈辱は大きく自尊心が許さなかった。

「お前たち、奴らを殺せ」

「「はっ!!」」

 七星剣と栄光の杖を持つ男たちはサラと少年を担いでいるからその場には残れないが、聖王の槍とルツェルンガードを持つ男たちにその縛りはない。

 手下の半分をその場に残し、マクシムスは奥へと進む。

「逃がすかってのよ!!」

 エレンのトマホークが鋭く襲い掛かり、あっさりと聖王遺物の槍に砕かれる。先ほどの焼き直しのように。

「無駄だ、英雄エレン。それに邪魔でもある。これ以上抵抗するなら、貴様の妹の首をこの場で刎ねてやろうか?」

「やれるもんならやってみなさいよ、宿命の子を傷つけられる度胸がアンタにあるならね!」

 見透かされていると、マクシムスの胸中の怒りはますます燃え上がる。

 宿命の子がゲートを開くのにどれだけ体力や気力、術力を消耗するのか分からないのだ。下手に傷つけて、そのせいでゲートを開いてアラケスを縛るのに支障が出てしまうとなれば目も当てられない。そういうことで、サラと少年を今は大事に扱わなくてはならないのだ。

 しかしその怒りが逆にエレンの厄介さを伝える事になり、怒りながらも冷静な判断をマクシムスに下させるに至る。ここで対決をして負けてしまう可能性を嫌い、四魔貴族のアラケスを手下に置いてから今までの屈辱を晴らそうと考えたのだ。

 マクシムスは黙って魔王の玉座、その奥にある封印された扉に近づく。

不抜(ぬかず)太刀(たち)

「スパーリングミスト」

 詩人の不可視の斬撃が彼らを襲うが、栄光の杖を操る男の術が彼らの姿を覆い隠して斬撃効果を安定させない。

 そして忘れてはならないのは、不抜(ぬかず)太刀(たち)が術の一種だということだ。栄光の杖で強化されたスパーリングミストの中に居る男たちに不抜(ぬかず)太刀(たち)の効果は激減してしまう。結果、ピリとした痛みを与えるだけに留まってしまった。無効化された攻撃に、詩人が心底悔しそうに舌打ちをする。

 そしてほんの僅かとはいえ、遠くから理解のできないダメージを受けたマクシムスたちに警戒が走る。もはや猶予がないと判断した彼の打つ、逃げの一手は早かった。

「聖王の指輪よ、封印を解け」

「サラ、サラ、サラァーー!!」

「お姉ちゃん、助け――」

 扉が開き、閉じる。無情にも姉妹の声を封印は遮ってしまう。

 残るのはエレンたちと、槍を構えたマクシムスガード2人。彼らは無言でその穂先を敵対者に向けていた。

「――そこを、どけ」

「…………」

「そこをぉ――どけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 般若の顔でエレンがブラックの斧を構え、突撃する。タチアナはそのフォローをするように後ろについた。エレンは明らかに視野狭窄に陥っていたからだ。

 また、他の面々も攻撃に参加しない理由がない。各々の武器を構えて突進するエレンに追随する。

 迎え撃つように聖王の槍とルツェルンガードを握る手に力を入れるマクシムスガード。相手が聖王遺物となれば生半可な被害で済むかどうか分からないと、覚悟を決める。

不抜(ぬかず)太刀(たち)

 それら全てとマクシムスガードの首二つをあっさりと斬り落とす詩人。栄光の杖を持つ男が居なくなり、スパーリングミストの効果は切れている。ならば彼の攻撃を防ぐ手段は存在しない。

 ずるりと胴から首が離れ、力を失った手から聖王遺物が零れ落ちる。

 ユリアンとシャール、カタリナはそれを見て。そして恐る恐る詩人に振り返り、視線を向ける。

 彼は当然、平然としていた。

「楽勝」

 さらりと言い捨てる辺り、頼もしいと思っていいのかどうか。もはや困惑しかない3人だが、詩人がこのくらいをやると知っているタチアナは動揺しない。そして封印の扉に向かうエレンには動揺しかない。彼女にはあっさりと死んでいった男たちに微塵の興味もなかった。

 封印の扉に向かってブラックの斧を振り上げるエレン。

「壊れろぉぉぉーー!!」

 その刃が扉にぶつかる刹那、ピタリとエレンの動きが止まった。いや、動いている。かたかたと身体を震わせて、まるで鍔迫り合いをしている剣士の様に。

 そう思ったユリアンであったが、果たしてその感想は間違っていなかった。扉から透明で、綺麗な人の手が伸びているのだ。それがエレンが振るった斧を止めている。

 そしてもう一本の手が出現し、押し返すような動きをすると同時にエレンが扉から弾き飛ばされた。ゴロゴロと転がり、即座に立ち上がって封印の扉を睨みつける彼女の心配はしなくてよさそうである。

 問題はその視線の先にある、封印の扉。透明の女が扉から生えている、そんな状態だった。腰から下は扉と同化し、上半身だけが存在している。その両手を広げ、感情の読めない目でこちらをじっと見つめる。感情は見えない、見えないのだがその目は――引けと言っているように見えた。

「まさか……」

「――聖王、アウレリウス?」

 遺された肖像画でその顔を知っていたシャールとカタリナが呟く。

 曰く、聖王はこの玉座にて崩御したと伝えられる。だがそれは己の命を最後まで有効利用する為だった。聖王が四魔貴族最強と見定めたアラケスを封印する為に、その命を使ってアラケスへと続く道を閉じた。いつか聖王の指輪を持った誰かがアラケスに挑むまで、アラケスの脅威は絶対に世には出させないという覚悟で。

 何度でも言うが、本当に皮肉である。聖王の遺志とは異なり、悪意ある者を通して世界を守る者を遮ってしまっているのだから。

「通せ」

「…………」

「通せ……」

「…………」

「通せぇぇぇーーーー!!」

 再びエレンはブラックの斧を振りかぶり、アウレリウスの封印に突撃する。

 結果は変わらない、エレンは再び弾き返され、ゴロゴロと床を転がる。その場にいる全員が感じ取っていた、この封印の強固さを。諦めるしかないと諦観する者、諦めてなるものかと奮起する者、諦めたくはないと思考する者。そして彼だけは違っていた。

 転がるエレンの後ろに立ち、詩人はその回転を止める。それに構うことなくエレンは立ち上がろうとするが、その肩に手を置いて動きを止める。

 しかし激昂するエレンはそれだけでは止まらない。

「離せ! 向こうに、サラが――」

「ああ、俺が送ってやる」

 穏やか過ぎるその声に、エレンの思考が冷や水を浴びせられたように止まる。

 そんなエレンの横を、詩人は剣を抜きながら通り抜ける。向かう先はアウレリウスの封印。

 詩人と聖王の関係を知るタチアナは、それが意味する事を悟って慌てて言葉をかけた。

「詩人さん、切っちゃダメ! これは私たちがなんとかするから!!」

「時間がない」

 心遣いを一言で切って捨てる。これさえも彼の苦痛になると感じたタチアナは歯噛みするしかない。どういう事か分からない他の3人にもできる事は何もない。

 コツコツと足音を立てて、ゆっくりと詩人は扉に近づく。

「エレン、タチアナ、ユリアン、シャール、カタリナ。

 ほんの少しの間だけ、封印を破る。その僅かな時間を逃すな、ジャッカルを追いかけてサラを確保しろ」

 頷く事しかできない4人。1人だけ、彼に声をかける。

「――詩人」

「大丈夫、優先順位は間違えない」

 もう何も言う事はない。近づく詩人をアウレリウスの封印は無感情に見ていた。それも当然、これはアウレリウス本人ではなく、ただの命を使った装置なのだから。

 たとえ相手が聖王が全霊をかけて愛した男だとしても、封印には何の関係のない話である。それは詩人にも言えることであり、かつて愛した女の()を見ながら詩人は口を開く。

「言ったことがあるな、アリィ」

「…………」

「立ち塞がるならばたとえお前でも切る、と」

「…………」

 詩人の剣が黄色く輝いていく。気と、太陽術。その両方を込めた刀身は輝きを増し、黄色からやがて白色に変わり、そして凝縮された光は外に漏れる事無く凝縮する。

 光っている筈、輝いている筈。それなのに、その色を視認できない。その光りを察知する事ができない。込められて凝縮された力に、それを見る者は戦慄する。

「無色の太刀」

 詩人は剣を振るう。透明なアウレリウスを切り、心にあるその想いを切り、その奥にある扉も切る。

 ガラガラと音を立てて崩れ落ちる封印の扉。

「やった……」

 ぽつりとユリアンが呟くが、そんなぼんやりとしていられないと言わんばかりに状況は推移する。

 ぎゅるんと崩された扉の残骸が有機的に動き、元に戻ろうと浮かび上がる。が、止まる、ピタリと。詩人が術力を放出してその動きを阻害しているのだ。

 この聖王の封印は、彼女の属性である命術によって構築されている。無形を操るそれは、同じく無形を支配する詩人の天術ならば対抗呪文足りうるのだ。とはいえ詩人は術はそこまで得意ではない。文字通り命を懸けた封印には、全身全霊で僅かな足止めが精いっぱいだ。

「行けっ!」

 詩人の言葉に我に返った5人は急いで崩れた封印に殺到する。

 エレンが詩人の横を通った時、彼女の道具袋が僅かに重みを増した。

「結界石。効果は以前言った通りだ、有効に使え」

「――ありがとう」

 幾つか存在する詩人の切り札の一つ。彼が作成したその結界石は、いわばファティマ姫にかけた封印の簡易版といったところだ。砕くことで周囲数メートルの空間を取り込み、内側と外側を隔絶する。大きく広がった空間の矛盾は外から見て数秒で自壊してしまうが、内側に取り込まれた存在は時間の流れが狂って数時間の猶予が与えられるのだ。1秒を争う状況で、完全に安全な時空間で休養が取れる。そのアドバンテージは言うまでもないだろう。

 それを与えられたエレンは言葉だけそこに置き、速度を落とさずに駆け抜ける。全ての仲間が封印を通った事を確認した詩人は術力の放出を止めた。瞬間、封印の扉は即座に元に戻る。

「……しんどいな」

 言いながら詩人は聖王の槍とルツェルンガードを回収し、その場に腰かける。

 アリィを切った、想いを切った、封印を切った。

 

 迷いだけは、切れなかった。

 

 

 




描きたい事をたくさん描けて結構満足。
物語を一気に加速させて、フィナーレに向けて頑張りたいと思います!


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098話 魔王殿・禁域

頑張った!
そしてこれからも頑張る!!


 

 

 

 5人が砕かれた扉を潜り抜ける。それとほぼ同時に扉はギュルリと蠢きながら、ほんの小さな破片さえ呑み込んで元の形に戻った。

 聖王の封印を突破したのはエレン、タチアナ、ユリアン、シャール、カタリナ。そしてこの中に詩人はいない。その面々の瞳に部屋の様子が映る。壁にかけられたガラスから光が溢れて周囲を照らしている。火、ではない。炎の揺らめきがないのだ。エレンとタチアナにはそれが海底宮で見た光と同じものだと理解できた。

 しかしそんなものより異質なモノが部屋の中央に描かれている。さきほど魔王殿の入り口から魔王の玉座まで跳んだ転移法陣だ。先に入ったマクシムスたちが存在しないのはこれを使ったのだと、想像しなくても分かる。

 鬼の目つきをしたエレンがそれに向かって足を一歩踏み出す。いや、踏み出そうとした。それが叶わなかったのは腕を掴まれたから。

 掴んだのはタチアナ。振り返って妹分を見るエレンの内心は憤怒のみだ。サラが連れ去られて、アラケスの元へ運ばれるカウントダウンは既に始まっている。この一時が値千金、無駄なことをしている場合ではないと。

 文句を言おうとした――いや、怒鳴りつけようとしたエレンの体が宙に浮く。タチアナの空気投げによってエレンの体は持ち上がり、地面に叩きつけられた。

「かは」

 肺から空気を吐き出して、エレンは痛みに顔をしかめた。その上で視線はタチアナへ向け、いったいどういうつもりかとますますの怒りを叩きつける。

 しかしそれを受けたタチアナの視線もまた怒りを含んだもの。なぜなら体術でタチアナがエレンを上回ることなどまずありえないからだ。エレンは鍛錬のほぼ全てを斧と体術、そして玄武術に傾けてきた特化型だ。対してタチアナは万能型であり、術も蒼龍術と太陽術の両方を鍛えている。その上でエレンの歳は二十歳であり、タチアナは体が出来上がっていない十四歳。体術でタチアナに軍配があがらない訳である。

 それでもタチアナの空気投げがエレンに決まった。これはどういう事かを論じるまでもない、エレンの気が逸り過ぎているのだ。通じるはずのない技が通じてしまうほどに。

「エレンさん、分かってるの?」

「アンタこそ分かってるの、時間がないの!」

「時間はないよ! けど、そんな状態で何ができるってのよ!!」

 タチアナがエレンにここまで本気で怒る事は珍しい。というか、初めての事だった。その気迫に一瞬だけエレンが黙ってしまう。それを見逃さずにタチアナはまくしたてる。

「詩人さんはいない、だからサラお姉ちゃんと聖王の指輪を奪取して戻って来なくちゃいけない! ジャッカルと、あの護衛たちを追い詰めなきゃいけない!

 エレンさんはサラお姉ちゃんだけしか見ていない、本当に分かってるの!?」

「最優先はサラよ!」

「それじゃあここで詰まって終わりじゃん!!」

 言われてようやくエレンは思い出す。ふと後ろを見ればそこには聖王の封印があり、これを突破する方法をエレンたちは持っていないということを。つまり退却するにもジャッカルの持つ聖王の指輪は必須なのだ。サラだけ確保して終わり、とはならない。そんな事も分からない程にエレンは取り乱していたといえる。

 その点、タチアナは冷静だ。タチアナにとって、エレンの目的も大事だが詩人の狙いも忘れていない。詩人を思うのならば、彼を連れてサラと共にアビスゲートまで辿り着かなくてはならないのだ。それにはやはり聖王の指輪も必須になる。マイペースなタチアナは普段はその呑気さで同行者を呆れさせることも多いが、こういった土壇場では揺るぎない個を発揮するということでもある。彼女だけ重いものを背負っていないということも理由の一つにあるかも知れないが。

 とにもかくにも、エレンたちの勝利条件は聖王の指輪とサラの両方の奪取という事になる。対してジャッカルの勝利条件はサラと少年の両方を連れてアラケスの元に辿り着くというもの。エレンたちはサラが宿命の子だと信じているが、ジャッカルにとってはサラと少年はどちらが宿命の子なのか分からない。どちらも宿命の子ということも考えているが、どちらも宿命の子でもない可能性もある。どちらにせよ、ゲートに連れて行けば分かる話ではある。逆に言えば、未確定な現状では両方を確保しておかなくてならないという事でもある。サラを奪われたとしたら死に物狂いで取り返しに来るだろう。

 微妙に食い違いが生じているが、争いの中心にサラがいるのは違いない。その上で聖王の指輪と少年という別々の勝利条件も存在している。事はもう単純な話ではなくなっているのだ。

「……こんなところで時間を使っていいんでしょうか?」

 怒鳴り合うエレンとタチアナを見ながら、ユリアンがポツリと呟く。泰然としながらそれに問題ないと返答するのはシャール。

「ジャッカルは恐らく聖王の封印が破られる事は想定していない。つまり、どのタイミングで仕掛けても奇襲になる。

 今の時間は確かに値千金と言えるだろうが、敵が油断しているだろう現在は自分たちの為に時間を使える千載一遇の好機ともいえる。このタイミングでしか落ち着けないと考えれば、悪くはない」

 冷静なシャールだが、全員がそうではない。カタリナなどはマスカレイドを強奪しただろうジャッカルを目前にして何を悠長なことをしているのだという思いもある。

 もちろん、マスカレイドを奪回してもそのまま戦線離脱はしないだろう。くどいようだが聖王の指輪も奪わなければ退却もできないのだ。

「行きましょう」

 貴重な時間を費やして、唯一の好機を使い。そして頭を冷やしたエレンが全員に声をかける。

 残る4人が頷き、そして転移法陣へ足を進めた。

 

「お姉ちゃん、助けて!!」

「サラァァァーー!!」

 そして一瞬で頭に血がのぼるエレン。縛られ、担がれるサラが連れ去られそうになっているのを見て、据えた筈の冷静さがすっとんでしまったらしい。

 誰ともなしにため息が漏れる。人間は値千金の時間を使った千載一遇の好機も生かせるとは限らないのだ。

 

 

 マクシムスは己の正気を疑った。

 有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ないっっ!!

「お姉ちゃん、助けて!!」

「サラァァァーー!!」

 裏の魔王殿、そこに足を運び小休止。周囲にいるモンスターは須らくアラケスの配下であり、すなわち彼を害することはない。そしてここに至る転移法陣の部屋には聖王の封印が施されている。これを解除できるのは聖王の指輪の所持者のみ。つまり、もうここに敵対者が侵入することは有り得ない。

 そんな事実を嘲笑うかのように、ここに5人の敵対者が足を踏み入れた。特筆すべきは先頭で己の配下が担ぐ宿命の子の可能性があるサラの名を叫ぶ英雄、名はエレン。残りの4人はどこか疲れた顔をしているが、まあそれはどうでもいい。

 エレンがフォルネウス、アウナスを倒したのは確定。状況から考えてビューネイも撃破しただろうその女。しかし有り得ない、あってはいけないのだそんな事。

 四魔貴族を3体まで倒す。有り得ない。四魔貴族を倒したことがあるのは聖王のみ。それと同等の成果をあげるあの女は聖王と等しくあるということになる。

 巨竜ドーラの仔、グゥエインを業してロアーヌからピドナまで翔ける。有り得ない。四魔貴族と同等とまで謳われるドーラ、その仔であるグゥエインに認められるなど聖王と等しくあるということでないか。

 いや、ここまではいい、ここまではいいのだ。有り得ないとは思うが、それはエレンが聖王の再来という事で説明がつく。聖王と同じ偉業を為したということは、過去をなぞったということ。そこまでは否定しない。前例があるからこそ否定できない。

 だが、聖王の封印を破ったことは有り得ない。つまりそれはあの女が聖王が全てを注いだモノすら超越したということで――

「――神王」

 ポツリとそんな言葉がその口から漏れた。魔王を超え聖王を超えた存在が生まれるという戯言、だったそれ。それは明確に現実に侵食してきている。魔王が従えた四魔貴族を倒し、聖王が為した偉業をなぞらえ、そしてそれら以上を為す存在。それは神王と呼ばれるものではなかったのか。

 ヤツは神王ではないのか。そんな疑問が頭に芽生えるが、それを否定する。

 有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ないっっ!!

 ヤツは宿命の子ではない。二十歳という年齢が宿命の子などではない事を証明している。

 つまりエレンは宿命の子すら超えた化け物ということに、なる……?

「ヒ」

 思わずマクシムスはその喉を鳴らした。アラケスを解放しても勝てないのではないかという恐怖がその脳裏によぎったのだ。そんな彼に向かって投げ込まれる氷の斧、エレンが投擲したトマホークだ。

 侍らせているマクシムスガードはサラと少年を担ぎ、満足に動けない。対処は自分でするしかないと、マクシムスは手に持った得物にて氷の斧を迎撃。そして粉砕。引き抜かれた魔王の斧の前には玄武術でその場凌ぎに作った氷の斧などものの数ではない。あっさりと砕き、その場に氷の粉を飛び散らさせる。

「はー、はー、はー」

 追い詰められている。その感覚がマクシムスの呼吸を荒く乱した。しかしそれだけで彼が心まで乱しきる事はない。危機に晒されてこそ冷静にならなければ今まで生き残れなかった。今回の事もその一つといえばその通りだ。

 アラケスのみでエレンに勝てないかもしれないという焦燥はある。だが、追加できる戦力はまだある。魔王の斧を持ったマクシムス自身と、七星剣と栄光の杖を持つ配下。それにマクシムスにもまだ切り札を持つ。負けるとは限らない、いや、勝つしかないのだ。

 マクシムスは己の頭上を見上げる。そこには巨大な紅い宝石が浮いていた。これは転移法陣の効果を内包し、アラケスのゲートの直前にある同じ形をした宝石の場所まで瞬間移動をさせてくれるというもの。

 本来ならばこれを使って移動時間を短縮する予定だったが、エレンたちに見られている現在はこの手段を使う訳にはいかない。そんな事をすれば相手も同じ方法で追って来るのは明白であり、ほとんどタイムラグなくゲートまで案内する羽目になるだろう。それよりかは通常のルートでゲートへ至り、その途中にいるモンスター共をけしかけていった方がよほど時間も稼げるし敵の余力も削れる。

「貴様らっ、エレンたちを殺せぇ!!」

 周囲にいたモンスターたちにそう命じると、マクシムスはサラと少年を担いだ己の配下と共に奥へ通じる通路へと走っていく。

 その途中にいるモンスター全てにエレンを殺すように指示を出しながら、マクシムスは一刻も早くゲートへ到達するべく駆けるのだった。

 

 ジャッカルに命じられ、広場にいたモンスターは一斉にエレンたちに襲い掛かった。ゲートから漏れるアビスの力が強まったせいか、それとも魔王殿の真髄ともいうべきこの場所だからこそか。そのモンスターたちは強力なものばかりだった。

 それでも今ここにいるメンバーにとっては雑魚に違いない。

「メガホーク!」

 エレンはいくつもの氷の斧を作り出し、頭上から襲い掛かってくるグリフォンにその全てを投げつける。その重量と勢いで空を飛ぶためにある翼の骨を砕くだけではなく、その頭部まで粉砕した。

吹雪打ち(ブリザードインパクト)!」

 小剣術と蒼龍術、そして氷の剣が持つ玄武術も併せてタチアナが零下まで温度を下げた攻撃を放つ。狙う先にはバジリスク。変温動物であるバジリスクに低温による攻撃はたまったものではなく、一瞬にしてその体温を奪い取ると同時に突きの威力でその胴体に風穴を空ける。後に残るのはピクピクと痙攣する死にかけのみ。

「十文字斬り!」

 白銀の剣によって繰り出されるその技は、そこまで難易度は高くない。しかし幾度となく鍛錬してきたユリアンの熟練度は相応に高くなっている。基本的な攻撃だからこそ、その鋭さは明確に表れる。

 独特の形をした斧を持つカーペンターを、ただの一撃で斬り伏せる。そのモンスターは生命力が高いゾンビの一種だったが、退魔の意味が込められた十字には弱かった。

 シャールは穂先に周囲に充満する邪気を集める。何せここは魔王殿の最奥に近く、ゲートのすぐそばである。酸素と同じに当たり前の様に邪気が存在する訳で、邪気を集めるには事欠かない。いや、普段使うよりも高密度の邪気を集められる。それを蛇の形にして放つのがこの技。

「ミヅチ!」

 邪気を纏った毒蛇が人狼に向かい、くねりながら襲い掛かる。たとえ邪悪なモンスターだとしても、責め苛む目的の攻撃的邪気を受けて何ともない訳がない。というよりも、邪気を纏っているからといって邪気が効かないという理屈は存在しない。

 シャールの創り出した毒蛇はその太ももに噛みつき、大腿骨を噛み砕く。それだけでは飽き足らず、邪気が集まって生まれ出た猛毒に侵されて激痛にのたうち回る羽目になる。人狼はやがてピクリとも動かなくなるのだが、そこまで見届ける程シャールは暇ではなかった。

 空飛ぶ昆虫属のモンスターであるバーサーカーを相手取るのはカタリナ。フランベルジュを握りしめて力を溜める。大剣はその重量と合わさって一撃が強烈なのが特徴だ。代わりに速度が殺されるという側面もあるが、そのような弱点を克服しないでミカエルの信頼を得られる筈もない。

「ブルクラッシュ!」

 宙空を自在に翔けるといえる程に素早く動けるバーサーカーを、回避する余裕を与えずに先手を取って大剣の奥義ともいえるその一撃を叩きこむ。口にならば簡単にできる理想だが、実現できる者が果たして世界に何人いるのか。カタリナが放った一撃はそのようなものなのだ。

 結果、バーサーカーはたったの一撃で爆発でもしたかのように弾け飛んだ。何せ(滅多に使える者がいないとはいえ)並の者が使うブルクラッシュで刃先から発火熱が生じる程の威力になるのだ。カタリナ程の使い手が使うとこうなるのは納得のいく威力だろう。

 そのようにあっという間に広場にいる敵を駆逐し、生存しているのはたったの5人にまで減る。

 邪魔者がいなくなったその場でエレンはジャッカルが逃げ込んだ通路を強く睨みつける。

「逃げた先にゲートがあるね」

 アビスの気配を探れるタチアナが補足した。やはりサラを、宿命の子をゲートに運ぶのがジャッカルの目的であると理解する。ならばもう迷わない。

「タチアナ、先導しなさい」

「――。りょーかい、エレンさん」

 これは何を言っても無駄だと悟ったタチアナからは雑な言葉が出る。そして走り出すタチアナに鬼の目つきで着いていくエレン。

 それを見た残りの3人も複雑そうな顔をして後に続く。

「こりゃ、制御できないな……」

 ユリアンが呆れて言葉を零す。エレンの焦燥は分からなくもないとはいえ、この場では冷静さも欲しいところだ。陣形を組もうにもエレンが自分から壊してしまうように感じてしまう。そしてその感想は恐らく間違っていない。

 そんなユリアンの嘆きを拾い、シャールがユリアンとカタリナだけに聞こえるように口を開く。

「エレンをなんとかするのは諦めた方がいいかも知れないな」

「じゃあどうするのです?」

 カタリナは刺々しい口調で返す。彼女とて余裕がある訳ではなく、目前まで迫ったマスカレイドに手が届きそうなのだ。気も逸る。しかもジャッカル側は未だにマスカレイドをこちらに見せていない。本当に奴らがマスカレイドを奪ったのかという疑惑も、ほんの僅かながら存在するのだ。それなのにエレンに場を引っ掻き回されて穏やかでいられる訳もない。彼女は彼女で相当フラストレーションがたまっていた。

 とはいえ、ここでは常識があった事がむしろ不幸だった。話が通じる相手としてシャールに作戦を告げられてしまうのだから。

「エレンを従わせるのは無理だろう。ならば、こちらがエレンに合わせるしかない。

 場合によってはエレンの道を開く為に強敵を受け持つべきだろうな」

「……捨て石になれと?」

「私も不本意だが、仕方あるまい。それにエレン・カーソンといえば四魔貴族を倒してきた英雄。アラケスを倒せる可能性が最も高いだろう。彼女を最後まで温存するべきだ」

「理屈は分かるわ。けど……」

「そしてこれが最善だ」

 きっぱりというシャールに返す言葉がない。ここでカタリナまで暴走してしまえば、本格的に5人パーティではなくて単独の人間が5組になりかねない。

 チッと下品に舌打ちをして、カタリナは渋々と従うのだった。

 奥へ続く道からはアビスの気配と悪意とが濃厚に漂って来る。先は長いと覚悟しなくてはならないと、うんざりする気持ちは隠せない。

 

 

 



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099話

活動報告に色々と弱音とか書いてます。
今後の事とかも書くかもしれないので、気が向いたら見てください。


 

 

 

 ドラゴンの亡骸、骨となった竜に悪しき霊が集ったアビスドレークが襲い掛かる。

「活殺破邪法!」

 エレンの退魔の気が込められた拳の一撃で粉々に砕け散る。

 

 太陽の力を存分に蓄え、それを以って捕食する植物型モンスターのサンフラワー。

「マキ割ダイナミック!」

 破壊力に特化し、敵の動きが鈍い程に威力が増すその奥義で強力なモンスターを一太刀に切り捨てる。

 

 ドビー、ウーズ、リーパー、ガスト。雑多なモンスターが数を頼りに行く手を塞ぐ。

「サンダークラップ!」

 電撃を蓄えた高圧の水球がその全てを粉砕する。

 

「出番ないですね」

 ユリアンがそう呟くのも無理はないだろう、出てくる敵全てをエレン一人で駆逐しているのだから。魔王殿の奥底へ破竹の勢いで進んでいく。

「時間の問題ですけどね」

「まあそうだな」

 カタリナの言葉にシャールが頷く。もちろんそれが分からないユリアンではない、エレンは全力全開でスタミナ配分というものを考えていない。これではあっという間にバテてしまうだろう。タチアナなどはエレンの真後ろにつき、彼女がミスをしたら即座にフォローできるように注意を払っているし、弓で援護もしている。

 だがその成果は大きい。まるで無人の野を往くが如くという言葉を表したかのようにモンスターたちを薙ぎ払っていくエレン。ジャッカルとの差がつまる事はないだろうが、そう大きく開いているとも思いたくない。何せ相手はサラと少年を担いでいるのだ。それなりの負担があるだろうとは思う。思うがしかし。

「……間に合わないだろうな」

 エレン以外の全員が思っていることをシャールが代表して言葉にした。ぽつりと零した言葉であるにも拘わらず、先行しているエレンの側にいたタチアナも後ろを振り返って頷く。

「モンスターに足止めされているこっちの方が明らかに障害が多いし、無理かなとは思うよ。

 あ、エレンさん、次は左ね」

「分かったわ!」

 タチアナの指示に従い、十字路を左に進む。それと同時にひらける視界。広場に出たらしいが、やはりジャッカルには追い付かない。広場の奥にある通路にサラと少年を担いだジャッカルの部下が消えていくのが見れたのみだ。

「サラァァァ!!」

 一瞬だけ見れたサラの姿を目指し、広場に蠢くモンスターたちへとエレンは突撃する。戦いはそんなエレンに任せて、タチアナはいったんユリアンたちのところまで下がった。まだエレンには体力が残っており、そう簡単に遅れは取らないであろう事と、このタイミングでしかユリアンたちと会話ができないだろうと判断したからだ。タチアナの方がエレンよりもよほど状況判断ができている。

 練気を身に纏い、雑魚を弾き飛ばしてタフなモンスターには短勁として気を叩き込み打ち倒していく。あっという間に敵の数を減らしていくエレンは流石の一言だろう。会話する時間はあまり残されていないのかも知れない。

「差が広がっていない」

 現状を一言で説明するタチアナ。モンスターを素通りするジャッカルと、それら全てを相手にしなくてはいけないエレンたちと比べたら不思議な話である。差は広がって当たり前、なのにそうなっていないのはどう考えてもジャッカルたちに問題がある。タチアナはそう考えている。

 その彼女の考えは正しく、実はジャッカルたちは一度もこの通路を通っていない。入り口とゲート前を繋ぐ転移装置を使って即座にゲートの間に行ったこと数回、この裏の魔王殿に立ち入ったのはそれが全てだ。これはアラケスが己の領域に人間を余り招きたくなかったというのも一因である。一応の通路や目印は聞いていたとはいえ、初めて走る迷路のような道に加えて後ろから追われているという圧迫感。その上、手が空いているのはジャッカルのみで彼が先導しなくてはならないが、そんな事を暴君の気質を持つ彼が慣れている筈もない。それなのに相手は迷いもせずに一直線に迫ってくるという理不尽。全てがジャッカルたちの不利に働き足は鈍る一方なのだ。

 相手の事情はともかく、今重要なのはエレンが全力で敵を薙ぎ払って進み、それで五分という事実。エレンの勢いはこれ以上増す事はないだろう、衰える事はあってもだ。たまにチラチラとサラが見えるから全力疾走を続けられているだけで、いつ彼女の勢いが減じてしまっても不思議ではない。

「宿命の子がはたらきかけたらゲートは即座に開かれるのか?」

「分かんないよ、そんなの」

「……幸い、サラたちにも助けの希望はある筈です。抵抗してくれると信じるしかないですね」

 シャールの言葉に首を横に振るタチアナ。全てが未確定な今、都合のいい希望を信じるしかないというのが歯痒いとカタリナが合わせた。

 実際、こればかりはここにいる誰も分からない。即座に開閉できるとは思いたくないが、時間が有り余っていると考えるのも愚かな事だ。とにかく急ぐしかない。それが結論であるし、分かってはいたことでもあった。

「ある意味エレンも間違っている訳じゃないんだけどなぁ……」

 モンスターたちを相手に孤独に暴れるエレンを見つつ、ユリアンがため息を吐く。

 選択としては間違っていない。通路が広いとは言えない魔王殿では多くても3人程しか戦えないだろうし、連携が拙いものでは2人が互いに足を引っ張らないのが限度。そういった意味で、エレンが先頭を走るというのは間違ってはいない。だがそれは後ろからタチアナが弓で援護して、いざというは手を出せる状態だったからこそという面は当然ある。その上でユリアンたち三人が僅かな間だけであれ、周囲や様子を観察できたというのは大きい。もちろんそれはエレンが指示した訳でもなく、咄嗟にフォローにはいれたタチアナの功績だ。

 冷静にそこら辺を見通せていれば話は違ったのだが、今のエレンは猪と同じ。もしくは目の前にサラというエサをぶら下げられて走らされている馬か。とにかく作戦行動がとれる状態ではなく、他がエレンに合わせるしかない。できればエレンを温存したかったのだが、そういった状況でもないし余裕もない。

「問題はエレンの勢いが衰えた時か、強敵が現れた時。それから背後から襲われた時だ」

 シャールがそう言いながら今まで来た道を振り返る。

 通ってきた道にいたモンスターは全て駆逐してきたが、言い換えればその他の通路や小部屋は全て無視してきたという意味でもある。ここまで目立つ侵攻をしておいて、挟撃されない訳がない。

「背後は俺に任せてくれ」

 ユリアンがそう言う。この中で最も劣っている者は自分だという考えが彼にはあり、そしてそれは間違っていない。それにユリアンは一体の強敵に単独で戦うという経験が圧倒的に不足している。雑魚であろう敵を防ぎ続けるという役割は彼が最も適しているといえた。

 それを理解している他の面々は反対しない。カタリナなどはよくぞ自分でそれを言えたと感心気味だ。かつて教えを与えた者がしっかり成長していて嬉しかったというのも多分にある。

「エレンの勢いが衰えた時、任せられるのはタチアナしかいませんね」

「当然だね」

 そんなカタリナが言った言葉に胸を張って答えるタチアナ。ユリアンも付き合いの長さは一番長いが、エレンに合わせられるというのはタチアナ以上に適役がいない。

 自信を持って応えられるくらいの時間、タチアナはエレンと一緒に戦い共に強くなっていた。

「強敵が現れた時に対処するのは俺とカタリナだな。

 同時でないなら俺から先に足止めをする」

「感謝します」

 シャールの言葉にカタリナが慇懃に頭を下げる。カタリナとて先頭を走り、真っ先にジャッカルを討ちたいと思う程度には焦りもある。その役割をエレンに取られて後方支援に甘んじているだけなのだ。

 そんな彼女の心情を鑑みて、シャールはよりジャッカルに近い位置にカタリナを配置した。敵を見て相性のいい方を残すという選択肢もあったが、それよりもエレンに合わせて勢いをとった形だ。それに強襲される事も考えられ、思考する時間がないパターンも考えうる。キッチリ作戦を決めてもそれを遂行できない事態になれば、前の考えが足を引っ張るという事も十分にあり得るのだ。とりあえずシャールが先に対応すると決めるだけでもこの状況では縛っていると考えられなくもない。この辺りは相手の出方が見えないと本当に匙加減が難しい。そして相手の出方が見えた時には手遅れなので、ほとんど運次第といっても過言ではないかもしれない。

 とにかくおおよその方向性は決まった。その上でカタリナが不思議に思った事を口にする。

「ところでタチアナ。あなたは迷うことなく進んでいますが、何か目印でもあるのですか?」

「目印ってか、アビスの気配を辿ってるの。アビスは天術の反対属性に近いから、それを遡ってるっていうか……。とにかくヤな感じがする方に進んでるって訳」

「ヤな感じ、ですか」

 カタリナは集中するが、アビス特有の悪意は感じるものの、その濃淡は分からない。これは何度かアビスゲートに近づいた事のあるタチアナの経験値の賜物だといえるだろう。

 そしてアビスゲートに近づいたことがあるといえばもう一人。

「ユリアン、あなたはアビスの気配を感じられますか?」

「俺は術に才能がありません」

「…………」

 きっぱりと言われて思わずカタリナが沈黙した。天術の反対属性と言われても、そもそも天術を習得していなければ何も分からないのと同意義である。

 カタリナとシャールは天術も扱えるが、アビスの気配の濃淡を感じるまで慣れがない。となると時間が大事な今、この中で最も大事な者はタチアナということになる。そういう意味でもエレンの側に彼女を置くのは間違いではないといえるだろう。

「そろそろエレンさんの方も終わるね」

「出発の時間ですか。ユリアン、分かってはいると思いますが……」

「はい。殿になるのはまだ先、追い付かれた時ですね。その上、前方からもモンスターが来る可能性も考えなくてはならない。孤立無援を覚悟しろというのでしょう」

「分かっているのならいいです」

 先がどれだけあるのか分からないのである。殿は敵をギリギリまで引き付けるべきだ。

 その上、先行するエレンたちは進行上以外の敵を無視するということでもある。ならば無視されたモンスターはエレンたちとユリアンとに分かれるのは必至。ユリアンが挟撃の憂き目に遭うのは避けられない。

 だがそれが分かっているのならば対策はある。ユリアンはカタリナへ向かって力強く頷いた。

「あ、終わった。

 ……エレンさん、こっちを確認もしないなぁ」

「全く。もう少し冷静であって欲しいものだ」

「いいから後を追いますよ」

 カタリナの言葉で、広場にいた数十のモンスターを一人で撃破したエレンに続くのだった。

 

 

 エレンの進撃は異常といって良かった。モンスターの巣においてそれらを意に介さないような進行速度、それをただ一人で叩き出しているのである。

 しかしそれは永遠と続くものではなく、やがてエレンは息切れをおこす。

 斧を振るう腕が重くなる、突き出す拳が鈍くなる、唱えた術に威力が伴わない。

 それがどうしたとエレンは奮起する。弱音を吐いている場合ではない、今進まなくていつ進むのか。歯を食いしばって更に足を進めようとする。

「エレンさん、交代っ!」

 氷の剣を振りかざした少女がエレンの前に躍り出た。十分に体力を温存していたタチアナはエレンの代わりを十分に果たし、エレンと変わらない速度で侵攻を開始する。

 とはいえ1人よりかは2人の方が効率がいい。そう思ったエレンはタチアナの隣に並ぼうと足を踏み出しかけるが、後ろから伸びてきた腕にグイと引かれて後退してしまう。

「ちょ、何すんのよ!」

「何すんのじゃねぇよ。休まなくてまともに戦える状態だと思ってるんのか」

 腕をひいたのはユリアンで、彼に文句を言うも厳しい口調で言い返されてしまう。しかしそれで冷静になれるようだったらここまでになってはいない。

 エレンは頭に血をのぼらせて強く言葉を返す。

「できるできないじゃない、やるのよあたしはっ!!」

「そのフォローを俺たちにさせろって事だよっ! なんで一人きりで突っ走ってるんだお前は!!

 時間はない、余裕もない。そこで冷静さまでなくしてどうするつもりだ!!」

 ユリアンの叫びと同時にシャールの槍とカタリナの大剣が向けられる。

「ロクな判断ができないのであればただの害悪になる。休まないというなら叩きのめしますが?」

「上等よ、やってやろうじゃないの!!」

「いい加減にしろぉぉぉ!!」

 バカが過ぎるエレンを、ユリアンが思いっきり平手打ちした。思わず固まるエレンに、容赦なくカタリナとシャールが追撃する。

 カタリナはその腹の拳を叩き込み、シャールは腕を取って関節を極める。

「本当に叩きのめすハメになるとは思いませんでした……。本物のバカですね」

「とりあえずこれの魔力と生気を吸収しろ」

 呆れ果てるカタリナとシャール。仮にも味方に刃を本気で向けるとはどういう判断なのか。エレンが四魔貴族を倒してきた者でなかったら、この先でもしかしたらアラケスと戦うのでなかったら。2人は本気でエレンを殺していたかもしれない。エレンはそこまで愚かだったといっていい。

 しかし状況がエレンという戦力を保持せざるを得なかった。カタリナは動きを止めたエレンに高級傷薬をぶっかけて、シャールが彼女にピドナジュエルを翳して砕く。ピドナジュエルとはピドナの特産品の一つであり、魔力や生気を吸収する特性を持つ宝石にそれらを吸着させたもの。その技術はピドナでは門外不出のものであり、ピドナ以外では製造販売される事はない。そして宝石を素材にしていることから分かるように高価な品物でもある。シャールは惜しげもなくエレンにそれを使っていた。

 高級傷薬をぶっかけられ、ピドナジュエルによって魔力と体力を癒され、そして背後から迫るモンスターの群れをみてようやくエレンは黙る。

「……分かったか?」

「ゴメン、ナサイ」

 ここまで至って自分の愚かさを認めない訳にはいかなかったエレンは謝罪の言葉を口にする。

 怒る余裕もない他の者たちはそれを流した。

「まあいい。幸い、君の勢いでここまでこれた面はある。この先もタチアナと協力して前を切り開いてくれ」

 シャールはそう言い、ユリアンに目配せをする。

 ユリアンはその意志を汲み取って頷いた。そう、ここが潮時だと。

「後方の敵は俺に任せろ」

「……ユリアン?」

「時間がないのは分かってるだろ? ここは誰か一人が残って足止めするのが一番だ。それを俺がやるってだけの話だ」

 そう言い残し、ユリアンは白銀の剣を握り、エレンたちに背を向ける。

 大挙として押し寄せるモンスター共は生半可な迫力ではない。だがしかし、もちろんユリアンは怯まない。それがどうしたと自分から走り出し、敵の軍勢に向かっていく。

「ユリアン、死なないでっ!」

 エレンには、そう声をかけるのが精いっぱいだった。エレンには見えない位置でユリアンは不敵に笑う。

 死ぬもんか、と。

「ちょ、こっちも変なの出てきたっ!」

 タチアナの言葉に前を見る3人。通路のモンスターは蹴散らされ、その先の部屋で氷の剣を振るっていたタチアナに襲い掛かるのは七星剣を持つ男。少年を担いでいたその男は、その荷物をもう一人の男へと渡してここで奇襲をかけるようにジャッカルに指示されたのだった。

 ゲートへ至る通路から外れて前しか見ない侵入者に奇襲を仕掛けるも、結果は失敗。ゆっきーの感知能力も持つタチアナには通用しなかった。とはいえ、ジャッカルが聖王遺物を貸し与えた人物である。腕が劣る訳がなく、タチアナを攻め立てていた。

「ち」

 シャールがその窮地に舌打ちをして援護に回る。走り寄って鋭い突きを男に放つが、奇襲をする男が奇襲をされる事に警戒をしない訳がない。あっさりとシャールの攻撃をパリィする。

 その場に居る敵は七星剣を持つ男と、数体のモンスター。

「先に行けっ!」

 シャールの言葉に力強く頷く3人。シャールをそのまま置き去りにして、部屋を走り抜ける。

「――ゲートは近いよ」

「でしょうとも」

 タチアナのように気配を感じずともカタリナには分かる。人を一人担ぐだけでも大変なのに、それをジャッカルがやる。もしくは一人に二人を担がせる。これはどう考えても持久戦を考えていない。ゴールが近い事を向こうが教えてくれたようなものだ。

 それに相手は焦っているとも感じる。いくら聖王遺物を持つ者とはいえ、長い距離を人を抱えて走ってきた男を単独で襲わせたのだ。どんな薬や道具を使って体力を回復させたとしても、欠けた集中力だけは戻らない。他にも手札がある状態でこの手を選択するというのは明らかにミスである。戦力の逐次投入など下策の極みなのだから。

 つまりそれ程にジャッカルに余裕はなく、そしてそれはゲートまでの距離の少なさを示していた。

「突き進むよ、エレンさん!」

「分かってるわよっ!」

 突撃の選択をしたのはエレン。冷静さをなくしていたのは悪かったとはいえ、作戦や結果は悪くない。ひたすら前進するというのは十分にアリである。

 そしてその方法がエレンの精神衛生上にもよかった。とにかくサラに向かっているという状況を作る事が彼女の心を落ち着かせるのだ。

 前へ、前へ。そんな彼女たちを出迎えたのは、人一人の大きさがあろう巨剣を持った巨人と、栄光の杖を持った男。これでジャッカルが二人の人間を抱えているのは確定であり、カタリナの予想が当たっている事を示している。

「ブリザードドラゴン!」

「ソウルフリーズ!」

 タチアナがトルネードに玄武術を合わせた凍てつく竜巻を発生させ、カタリナが魂をも凍てつかせる死の息吹を追加で起こす。

 巨人はその冷気をもろに受け、栄光の杖を持つ男は術で防御膜を張って凌ぐ。巨人もその体格に見合ったエネルギーを有しており、ただこれだけの冷気で体力を削り切る事は叶わないだろう。

 だが目晦ましにはなる。事前に打ち合わせていたタチアナとカタリナには無駄がない。

「はぁぁぁぁぁ!!」

 カタリナが烈火の如く気炎をあげる一方で、タチアナはエレンの腕を掴んで無言で自らが生み出した冷気の中で突っ込んでいく。

 巨人や栄光の杖を持つ男が冷気やカタリナに気を取られている脇を通り過ぎ、仲間をまた一人残して2人は先に進んでいく。

 先を行く自分たちの為に強敵を引き受ける。無様に冷静さをなくした自分を先に進めてくれる。それがエレンの心を熱くした。

「タチアナ」

「どったの、エレンさん」

「後でみんなにお礼を言わなくちゃね。それから、謝んなきゃ」

 冷静さを完全に取り戻したと判断したタチアナはにっこりと笑う。

「それ、私にも謝ってよ?」

「もちろんよ」

「約束したからね」

 そう言ったタチアナはその場で止まり、振り返る。

「タチアナっ!?」

「振り返るなぁっ! ゲートはすぐそこ、次の部屋。そこに敵は通さない!!」

 タチアナの眼前にはアラケスの戦鬼と呼ばれるアラケス直下の精鋭たちが数多に迫っていた。

 大方、ゲートの間にいるアラケスと挟撃しようとしたのだろう。だがその戦法はフォルネウスが使っていた。故にタチアナには通用しない。

 足音でエレンが先に進むのを確認し、タチアナはニィと好戦的に嗤う。

「楽しめそうじゃん。ここは一歩も通さない!」

 タチアナに、アラケスの戦鬼たちが殺到した。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 マクシムスは二人の人間を抱えてゲートの間に到着していた。

 マクシムスの息は切れているが、消耗具合は担がれた二人も負けていない。負荷を考慮されず、物のように容赦なく運ばれたのだ。それなりに体力は削られる。

『マクシムスか』

 その声と共に白い球に一つの姿が現れる。獣に騎乗して未だに熱を持つ槍を持った偉丈夫の姿、しかしその顔は人間のそれではなくてまるで鬼のよう。その映像が瞬く間に巨大になり、現実に侵食する。最も聖王を苦しめたとされる四魔貴族、アラケスの姿がゲートの間に現れた。

『そんなに息を切らせてどうした?』

「侵入者だっ! 他の全てのゲートを閉じたエレンという女が目前まで攻め入っている!

 我が配下はその足止めに残してきたっ!!」

『……そうか』

「お前と俺ならば奴に勝てる、魔王の斧と四魔貴族ならば奴を滅ぼせるっ!」

『それはいいが、担いでいる子供二人はなんだ?』

「宿命の子の可能性が高い奴らだ、こいつらを使ってゲートを開ければこちらが絶対に勝つ!!」

 そう言いつつ、マクシムスはサラと少年をぞんざいな扱いでゲートの直上に投げ捨てる。

「ぐっ!」

「かはっ!」

 縛られた二人に受け身が取れる筈もない。地面に叩きつけられた衝撃で苦悶の声をあげる二人。

 だが災難はそれで終わらない。

「な、なにこれ……?」

「これ、なんなんだ?」

 サラと少年、そして白い球が共鳴を始めた。それは筆舌に尽くし難い感覚であった。どこか満たされるような気もすれば、痛みでも苦しみでもない嫌悪感もある。心地よい安堵感もあれば、今まで感じたことのない恐怖心も湧き上がってくる。

 サラと少年は気が付いていなかったが、それは生と死という命そのものを感覚化したようなそんなものである。アビスとはそのうちの死という一側面しか表現していないのだが、ゲートというものは違う。生を体現するこの世界と死を表現するアビスの世界、その境界であるゲートはまさしく生死の境そのものであり、それは宿命の子にしか干渉できない命の理。

 それに共鳴するということは、つまり――

「お、おおっ! やはりコイツラが宿命の子っ!!」

『間違いないようだな、マクシムス。貴様に借りが一つできたようだ』

 歓喜するマクシムスに、ニヤリと笑うアラケス。

「サラァァァ!!」

 その場所に叫び声をあげながらエレンが飛び込んでくる。

 そして見た、今までとは違い、明らかに活性化している白い球を。

「お姉ちゃん…助けて」

 言いようのない感覚に翻弄されつつ、サラと少年はそれに流されつつある。この感覚と一体化した時、生死の境はなくなりゲートは完全に開くだろう。それが朧気ながらに理解できた。

 エレンはそれを見て、しかし深呼吸をする。息と気持ちを同時に整えて、冷静さを忘れずに斧を構えた。

「ふん、来るか。魔王の斧を持った俺とアラケスに勝てるとでも思ったか!」

 マクシムスはエレンに向かって右手に持った魔王の斧を向ける。こうなれば時間稼ぎでも自分の勝ちだ、完全になったアラケスに人間が勝てる訳がない。

 エレンが神王であるという恐怖を忘れるように、振り切るように。エレンを睨みつける。

「――え」

 そのエレンが呆ける様が見えた。視線は自分の後ろを向いているよう。

 何があるかとマクシムスが疑問を覚えたのは一瞬で、左腕に灼熱の痛みが走ると同時にその感覚がなくなった。腕が斬り落とされたと判断できたと同時、その激しい痛みは左の脇腹から臓腑へと至る。

「がはっ」

 血を吐きながら、マクシムスは宙に浮く。空を飛んでいる訳ではない、腹に刺さった痛みに持ち上げられているのだ。己を貫いているのが見える、腹から灼熱を持ったままの槍が見える。

 この得物を持つのはこの場に一つしかない。

「ア、アラ、ケス、何、を……」

『殺せば貸しも何もあるまい。何より、宿命の子を見つけた貴様はもう用無しだ』

 そう言ってアラケスはマクシムスを背後に振り捨てる。マクシムスは先ほど自分がサラと少年にしたように、ゲートの上に投げ捨てられた。

 死ぬような痛みを感じつつ、生死の境目にあるゲートに居れば安易な死は許されない。死に近くもなるが、生に引き戻されるのもゲートの特性。もはや叫ぶ気力もないマクシムスは激痛に呻きつつピクピクと痙攣する事しかできない。

 そうして最後まで握っていた魔王の斧が白い球の上に落ちる。アビスの瘴気を纏った魔王遺物はゲートを更に活性化させる。

 また、マクシムスの懐からカランと小剣が落ちた。それは豪奢な細工がされた聖王遺物、マスカレイド。普段は隠し持つことができ、いざという時は即座に大剣になるそれがマクシムスの切り札だった。それが生かされた事はなく、そして生かされる事ももうないが。

 聖なる気配を感じたそれに、思わずサラが縋り付いた。縛られたままにじり寄り、マスカレイドを掴み取る。

『さて』

 そんな背後の事に気が付かないまま、アラケスは増したアビスの波動だけで良しとした。

 ニタリと恐ろしく笑いながら、侵入したエレンに向かう。

 

『戦いだ。せいぜい浅ましく血を流せ』

 

 最後の四魔貴族。最強の四魔貴族。

 アラケスがエレンに牙を剥いた。

 

 

 




狙った訳ではないですが、100話でアラケス戦となりました。
これからもお付き合いいただければ幸いです。


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100話 奮闘アラケス

明けましておめでとうございます。(遅
約二ヶ月と随分間が空いてしまいましたが、完結まで執筆する意欲は失われていません。
決して手は抜きませんので、どうかよろしくお願いします。


 

 

 エレンが見る限り、未だにゲートは開かれていない。向こう側にナニカが居るのは感じるが、それはまだ向こう側。こちら側には来ていない。だがそれを感じ取れてしまっている分だけ、境目が曖昧になっているとも言えた。

 その狭間にいるのは愛しい妹。そしてユリアンから聞いたサラの護衛だろう色黒の少年。正直に言えばエレンにとって少年はサラのおまけ程度だが、一緒に助けるのに問題はない。

 問題なのは、エレンとゲートの間に存在する強敵。四魔貴族で最強と言われた魔戦士公アラケス。

 対してこちらはエレンのみ。信じ、頼りになる仲間たちはエレンをここに導く為に他の敵の足止めをしている。そのおかげで今現在、エレンはアラケスと1対1の構図になっていた。だがしかし、それは対等という意味ではない。エレンはここにくるまでに体力と魔力、そして集中力をすり減らしている。対してアラケスは無傷。消耗など何もない。

(上等っ!!)

 その事実にもエレンは気炎をあげる。アラケスの奥にサラがいる、そして愛しい妹は今現在、アビスに干渉されて苦しんでいる。エレンが引かないのに他に理由はいらない。

 アラケスを前に一歩も引かず、むしろ踏み込んでブラックから遺された斧を構える。

『その心意気、見事』

 そしてアラケスもエレンの覚悟を好ましいものと感じた。戦力差が測れないような未熟者ではあるまい、アラケスとどちらが有利かが分からない訳がない。それでもなお引かない。戦士を掲げるアラケスには、その闘志を心地良しと感じた。

 自分以外の四魔貴族を、影とはいえ滅ぼしたのだ。強き事を否定する材料は何もない。つまり、敗色濃厚ながらも勝ちを捨てていないのだ。そのような相手に払う敬意くらいはアラケスも持ち合わせている。

 すなわち、全力にて叩き潰す。

『ハァッ!!』

「ぉぉぉぉぉぉっ!!」

 エレンの斧とアラケスの槍が激突する。加減など一切なし、己の力のみで相手の武器ごと全てを破壊しようとするその一撃。

 しかしそれは互いが望む結果には至らない。アラケスの槍は軌道を逸らされ、エレンの斧は大きく弾かれる。互角、ではない。それは弾かれた武器の軌道を見れば明らかだ。アラケスの槍はエレンから僅かに外れ、エレンの斧はあらぬ方向へと跳ばされた。すなわち、アラケスの方が優位という証拠だ。

(チィ!)

 当たり前といえば当たり前、順当すぎるその結果にエレンが心の中で舌打ちする。もちろん四魔貴族と真っ向勝負をする時点で間違っている、相手が最強と謳われたアラケスなら尚の事だ。

 それでもエレンが真っ向から勝負を仕掛けたのにはいくつか理由がある。そのうちの一つが相手の程度を計るということだ。普通、初撃で最大の一撃を放つ事はない。相手も自分の事は分かっていないので搦め手に対する余力は残しておく。最大の一撃が放たれるのは、敵を見定めて隙を作り必殺の確信を得た時に限られる。それが鉄則である、故にエレンは全力でないアラケスの一撃ならば弾ける自信があった。というよりも、この一撃を弾けないようではどんな策を弄しようとも勝てないだろう。勝つ自信があるという事はコレを弾けるということと同意義である。

 では何故エレンは心の中で舌打ちしたのか。それはアラケスの一撃が想像よりもずっと重く、無傷で凌げたとはいえどもギリギリ過ぎたこと。事前にしていた想定よりもアラケスが強く、そして相手の手数が一つではない事。

『ガァッ!!』

 アラケスの騎乗している獣がその牙を剥きだしにして噛みついてくる。エレンは後ろに弾かれた勢いをそのまま利用して後転して攻撃を回避する。

 ゴロゴロと転がるその様は見ようによってはかなり間抜けな光景であるが、本人は至って本気で真面目である。実際、損得でいえば相手の攻撃を避けたという得しかない。当然ながらエレンは格好をつけて死ぬ気など毛頭ない、どんなに無様でどんなに卑怯でも勝ちをもぎ取るつもりだ。

 そして転がった勢いを利用して、反転。アラケスに向かって突進する。体ごとぶつかる斧技、ハイパーハンマーをその獣へと叩きつける。

『ガゥアッ!!』

 その斧の刃はアラケスの獣の前脚へと食い込んだ。

 アラケスの獣は苦悶の声をあげるが、その瞳から闘争心が一瞬たりとも消えないのは流石というべきか。

 というか、この獣はアラケスの半身なのだろうか? それともアビスの魔物に騎乗しているだけなのだろうか? どちらにせよ倒すには違いないが、どちらかによって連携練度が変わってくる。一心同体ならば危険度は更に上がる。

 正解が見えない現在、とにかくエレンはアラケスの獣にターゲットを絞った。大型の四足獣に騎乗している四魔貴族の本体を叩くなど効率が悪すぎる。殴りやすい位置にいる敵から落としていかなくては僅かな勝機すら逃してしまうだろう。

『フンッ!』

 そのエレンの狙いを見破ったアラケスは防御を最小限にして、手にした得物を振るって獣の足元で斧を振るった敵を乱れ突く。

 アラケスの槍はまだ完成していない。聖王にその武器を奪われたアラケスはしかし、それを悲観して崩れるような事はなかったのだ。奪われたものは仕方がない、では新しく作ろうかというポジティブさがあった。

 それももちろんただの槍ではない。聖王に奪われた槍よりもよりよい得物を。それを目指して精錬しているその槍はまだ完成していない。この300年、幾度となく失敗して焼き入れと焼き打ちを繰り返したその武器はいつしか穂先に熱が宿る事となった。アラケスが手にした得物を完全と認めた時にその熱は冷めることとなるだろうが、しかし今はその熱すらアラケスの武器となる。

 やきごてを押し付けるようなその攻撃。エレンは体術と斧術を会得しているが、この攻撃に体術では捌ききれない。物理的な影響を防げても伝導する熱に焼かれてしまう。

「ふっ!」

 熟練の兵士でも両手で持たなくては辛い重量の斧を、エレンは片手で軽やかに振り回す。今度は真っ向からぶつけるような真似はしない。側面からぶつけて上手に勢いを殺す。その際に多少は熱に炙られてしまうが、必要な犠牲と割り切る。これ以下の被害でアラケスの攻撃を抑える方法をエレンは思いつけなかった。

 そして空いたもう片方の手で獣を相手取る。牙を剥きだし、爪を振り立てるその獣は強大で俊敏だ。回避を最優先にして、隙を見つけて反撃。硬質な牙にそのガントレットを叩きつけ、その勢いを利用して回転した体。それを上下反転させて変則的なカポエラキックをカウンター気味に獣に叩きつける。

『グギャゥ!』

『む』

 またも獣が苦痛の声をあげ、形勢が悪いと悟ったアラケスがいったん後退する。

 エレンには熱で多少のダメージを与えているが、決定打はない。しかし向こうの攻撃は確かに通ってしまっている。

 持久戦で負けるとも思えないが、割合として大きく削られている現状をアラケスは良しとしなかった。それはエレンが望む流れだと気が付き、仕切り直す為に後退したのだ。

 チラと背後を見るアラケス。ゲートは徐々にだが開いている。本体がこの世界に現界できるのも時間の問題だが、おそらくエレンを仕留める方が早い。影にてこの小さな強敵を撃破する覚悟を固めるアラケス。

『ならば――受けてみよっ!』

 アラケスが選んだのはその巨大な質量を活かした体当たりであるぶちかまし。獣による速度も加算されたそれは、城壁ですら砕きかねない破壊力を持つ。

 しかしエレンの余裕は崩れない。自分を遥かに上回る質量による突進攻撃はフォルネウスで体験済みだ。今更この程度で崩れてやる訳にはいかない。

 エレンは冷静にタイミングを計り、練気拳を発動するだけでいい。獣の足元を注視する。エレンに向かって最大限に加速するその最後の一踏み、合わせて自分に引き寄せる。ただそれだけで拍子を外されてカウンターの絶好の機会となる。

 刹那の一瞬を、エレンは決して見逃さない。

「練気拳!」

 エレンの周囲に重力場が発生し、獣の踏み出しが狂う。予想外の対応に獣の瞳が大きく開かれた。

『かかったな?』

 そして予想通りの対応に、アラケスの口が不気味に三日月に笑みを形作る。

 アラケスは練気拳の発動に合わせ、獣の背中を蹴ってエレンに飛び掛かる。手には槍、加速した勢いを利用した槍技であるチャージ。

 エレンの胸中が驚きで占められる。咄嗟の対応などできる訳がない。エレンは既にカウンターの体勢に入ってしまっているのだから、この上で絶妙のタイミングで割って入ったアラケスを迎撃しろという方が無理な話だ。

 アラケスの思う通りに時間は進む。拍子を外されてエレンに引き寄せられた獣は、ブラックの斧を刃の部分ではない平打ちによって骨を砕く技であるスカルクラッシュがカウンターでその顔面を叩き、その頭蓋骨を破砕する。その勢いに吹き飛ばされ、地面を転がりながら即死する獣。そしてその技後硬直の隙間を縫ってアラケスの槍が割り込む。狙いは首、命中すれば即死は免れない。回避できる態勢にない。

 かつてない程にエレンに死の気配が忍び寄り、彼女の頭が真っ白になる。どこでもいいから動けと、迫る槍に片腕だけが反応してくれた。体術を使う為の腕が鋭い穂先に貫かれ、穴が開く。同時、貫通した激痛と熱による責苦がその腕からエレンの脳に登ってくる。

「ああああああああああァァァァァ!!!!」

 絶叫。壮絶な痛みに悶えるエレンだが、アラケスの攻撃は終わっていない。その槍こそエレンの腕を貫いて狙った首を外したが、彼と彼女は変わらずに至近距離。ここで晒してくれた大きな隙を見逃す程にアラケスは甘くない。

 槍は使えない。騎乗した獣は死んでいる。しかしアラケスにはその巨体がある。エレンの練気拳で引き寄せられたその勢いがある。

『ハァッ!』

 容赦のない蹴り。人の数倍の大きさから放たれるそれを無防備に受けたエレンに為す術はない。

 巨木のような脚をその腹に受け、エレンは胃の中の物を吐き散らしながら宙を飛ばされる。自分から跳んだ訳ではない、威力に負けて宙を飛ばされているのだ。

 この瞬間、確信する。アラケスは勝利を、エレンは敗北を。死にはしなかったが、確実に行動不能になるダメージ。アラケスが止めを刺すのを防ぐ手立てはエレンには存在しない。数秒後、エレンはアラケスに討ち取られるしかない。

 エレンがその懐に結界石を忍ばせていなかったら、それは現実になっただろう。

 アラケスの攻撃で、詩人から託された結界石が砕けてその効果が現れる。エレンの体が瞬時に煙のような光に包まれるのを、アラケスは目を見開いて見る。

 彼には見る事しかできない。何せ、ソレは一瞬で終わってしまったのだから。

 

 エレンは忘我した。

 腕を貫かれ、焼かれ、腹には肋骨を砕く一撃。その激痛にエレンは呻いて血反吐を吐き、次いで絶叫する。

 それでも。

 彼女は意識を手放す事だけはしなかった。それを選んだ瞬間、死ぬと理解していたからだ。

 もしかしたらそちらの方が楽だったかも知れない。これだけの苦痛を受けながら意識を残す事がどれだけの拷問か。いっそ殺せと死にたいと、そう思わなかったら嘘になるだろう。

 懸かった命がエレン自身のみだったら、彼女は痛みに負けてその意識と命を差し出したかも知れない。だが、エレンの命と同じ天秤にサラの命も乗っているのだ。

 ならば耐えられる。エレンは自身の全てを捨ててでも耐えられない訳がない。

 泣き喚き、みっともなく脂汗と涙を流し、苦痛に体をくねらせて。泣き声は喉を嗄らせと止めどなく漏れ出てくる。

 本来ならばそんな姿を晒している間にアラケスの槍が彼女の命を絶っていただろう。しかし、偶然か詩人の狙い通りか。致命的な一撃を受けた瞬間に砕けた結界石は、外界とエレンの時間を区分ける。無慈悲にエレンに拷問の時間を与え、彼女は存分に泣き喚き、激痛を体に馴染ませた。

 長い時間をかけて痛みに慣れた一瞬を使い、エレンは自らの体を癒す。

「集、気法」

 時間を区分けるその術力を、気として体に吸収する。止血は最低限に、砕けた骨はそのままに。

 余裕はないが故に、エレンは痛みを止める為だけに全力を注ぐ。彼女にどれだけの時間が与えられたのかはもはや時間感覚を失ったエレンには分からないが、周囲の術力を吸収してしまったらアラケスとの闘いに戻ることだけは理解していた。

 勝つために、今は自分を捨てる。エレンはそうするしかなかった。何度でも言おう、エレンはサラの為に己の全てを差し出せる。

 

 煙のような光が晴れる。宙を浮いたままのエレンが現世に戻ってくる。

 エレンの片腕はダランと下がり、下手したら一生まともに動かす事はできないだろう。エレンはそれを命を繋ぐ為に必要な犠牲と割り切った。

 肋骨は砕け、その破片が内臓を傷つけている。ショック死しかねない苦痛にもエレンは慣れ、痛みを消すことで数秒を動く事を選択した。

 アラケスの攻撃を喰らった瞬間には痛みに狂い、現実が見えなかったその瞳。今は強い輝きを取り戻している。

 今の一瞬に何が起こったのか、アラケスには分からない。しかしエレンが最後の一撃を、決死の一撃を繰り出すだろうことだけは理解した。何故ならばエレンは眦を吊り上げてアラケスを睨んでいたのだから。

 エレンは空中でクルリと一回転をして、地面に向いていた背中をアラケスには見えない向きにする。顔は前を向き、動く腕にはブラックの斧。

「オオオオオオ、オオオォォォ!!」

『ハアアアアア、アアアァァァ!!』

 エレンとアラケスの咆哮が重なる。エレンにはもう体力がない、時間がない。一撃で決めるしかない。そしてアラケスはそれを受けて立った。エレンの特攻を打ち砕く為に、その力を振るう。

 着地と同時、エレンは駆ける。アラケスに辿り着くまで一秒もない。だが、武器が届く間合いには一瞬だけ空白の時間が存在した。

 それを理解したと同時にアラケスは槍の石突きを地面に叩きつける。そこから伝わる衝撃はエレンに迫り、地震攻撃となって襲い掛かる。だが命の灯が消えかけているエレンはこれ以上なく研ぎ澄まされていた。初見のその攻撃の本質を見破り、前に向かって跳ぶ。地面からの衝撃波を回避し、エレンはなおもアラケスに迫る。

 空中にあるエレンをアラケスは迎撃せんと槍を振るう。槍を回転させ遠心力をつけて、回避のしようのないエレンに向けてそれは振るわれる。大回転と名付けられた、アラケス最大威力の技である。回避する余裕もないから当然だが、エレンはそれを真っ向から受けた。中空にいる体勢でエレンは斧を振りかぶり、投擲。己の得物を手放すリスクを背負いつつ、最大の回転力をつけて放たれる技であるスカイドライブ。ブラックの斧はアラケスの槍に命中し、その穂先をエレンから逸らす事に成功した。

 片腕を引き絞り、エレンはその腕に全てを込める。結界石から吸収したその術力は時空間すら捻じ曲げる効果を持っていた。それを攻撃力へと転化し、魔力と気とを混ぜ合わせて限定的な異界を作り上げる。アラケスをその中に捉え、必中の拳を叩き込んだ。

「超次元ペルソナァァァ!!」

 同時、限定的な異界も崩壊。時空間が歪んだ衝撃さえもアラケスを襲う。アラケスは全身がズタズタに引き裂かれるようなダメージを受けることしかできない。

 そしてその攻撃が終わった時。がくりと力尽きて、膝が地面に落ちた。

『――エイミング』

 全てを出し尽くしたエレンの胸に向かって放たれる鋭き一閃。

 エレンの膝が地面から離れて再び宙を舞う。槍を突き出した元には、全身を血で染めながらも両の足で立つアラケスの姿があった。

 全てを出し尽くしたエレンの攻撃をアラケスは受けきり、なお倒れない。今度こそ勝敗は決した。エレンには意識を保つだけで精一杯。文字通り、立つこそすらできない。アラケスの槍を受けて身に着けていた鎧が砕ける。またも一命は取り留めたようだが、それが何になるのか。

 ゴロゴロと地面を転がり、やがて止まる。エレンは地に伏せながら、アラケスを睨む事はやめない。しかし、指一本動かない。

『見事』

 アラケスはそんなエレンを見て、肩で息をしながら賞賛を送る。四魔貴族を追い詰めたその実力に偽りなし、動けなくなっても尽きぬ闘志に驚嘆する。

 その礼節を持って殺す。アラケスはゆっくりとエレンに向かって歩を進める。あと、一刺し。決着をつける為に歩み寄るアラケス。

 だからだろう。ゲートの異変に対応するには、アラケスは遠すぎたのだ。

 

 

 サラはその戦いを全て見ていた。

 最愛の姉が自分の為にアラケスと戦い、死に至るような傷を負いながら立ち上がり、そして敗れるのを。

 世界が終わる。それをサラは理解してしまった。エレンが殺され、自分と少年はゲートを開く道具にされる。そして完全になったアラケスによって世界は再び四魔貴族の手に落ちる。

(――させない)

 その現実を目の当たりにして、サラの心の底から怒りが沸く。こんな理不尽、許せるものか。最愛の姉(エレン)を死なせるものか。

 応えたのは、マクシムスから零れた小剣、マスカレイド。聖王の力を持つその武器は、生の力がこもった宿命の子が持つ事によってその能力は飛躍的に高まる。そしてその役目は少年にはできない。彼はあまりにも死に魅入られ過ぎた。魔王遺物の力を引き出すならともかく、聖王遺物に適するとは思えない。

 つまり、もう、サラしかいないのだ。

「ゲートを閉じるのは私の役目よ、あなたじゃない」

 それを理解したサラは少年を突き飛ばし、ゲートの上から脱出させる。残るのは半死半生のマクシムスと魔王の斧、サラとマスカレイド。

起きて(ウェイクアップ)! マスカレイド!!」

 サラはその聖王遺物の真の姿を顕現させる。そしてその力を以ってして、強制的にゲートを閉鎖するように働きかけた。

 その事態に気が付いたアラケスが振り返る。

 薄れていく妹を見てエレンは瞳を見開いて動揺する。

 ゲートを閉じればアラケスはこの世界に留まれない。それを理解しているサラは、エレンを守る為に自分を捨てる事を選択した。ここまで開いたゲートを閉じる為には境界を消し去るしか方法はない。そして境界にいるサラはそのままアビスに呑み込まれるだろうことも、彼女は感覚的に理解していた。

 だからサラは最期にエレンに一言だけ遺す。

 

「大好きだよ、お姉ちゃん」

 

 そうして白い球は輝きを失った。同時、アラケスも為せることがなく消えていく。

 残ったのはもう間もなく死ぬであろうエレンと、ゲートから弾き出された少年のみ。

 

 

 エレンが願ったサラの安寧は、ここに失われてしまった。

 

 

 

 

 

 




アラケス戦はタイマン、そして負けバトルでした。
いや、きつかった。

これからエンディングに向かって突き進みますが、どうかよろしくお願いします。


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101話

書ける時に書いていくスタイルです。(何度目だ)
この時間に書きあがったので、投稿時間を無視してあげちゃいます。


 

 

 

 力場が消滅した。

「なに?」

 その現象に詩人は思わず言葉を漏らす。想定として有り得ないとは思っていない、が、しかし。まずないと思っていた事態だ。彼は今現在、聖王の封印に阻まれて真の魔王殿に辿り着けず、その手前で待機したままだった。

 この封印がアビスに反応しているということは、詩人には分かっていた。術の専門家ではないから他人に説明するには向いていないが、感覚的にいうのならば詩人ほどに術に精通している者は稀である。そんな彼の感想からして真の魔王殿を護る聖王の封印はアビスの気配をトリガーにしている部分があった。アビスの魔力に反発するように聖王の封印が発動しているのだ。

 それが途切れた。つまり聖王の封印の効果が切れたか、もしくはアビスの魔力がなくなったかだ。前者はいくらなんでも考えにくく、300年と続いてきた封印が今この瞬間に途切れる可能性は余りにも低い。出来すぎといった確率だ。ならば後者、アビスの魔力が消えたと考えた方が正しい。

 正しいが…それはつまりエレンやタチアナが詩人の目的を無視してゲートを閉じたということだ。タチアナはおそらくそれをやらないだろうが、エレンは彼女自身の命はともかくサラの命を天秤にかければゲートを閉ざすのを躊躇わないだろう。いや、それを言うならばタチアナだってエレンが死にかければアラケスを撃退する為にゲートを閉じる事を優先するかもしれない。

「チッ」

 行儀悪く舌打ちをしながら詩人は閉ざされた門へと近寄る。仕方の無い事だったとはいえ、やはり最後のゲートには自分が向かうべきだったと後悔しながら。現状を考えれば、どんな経緯であれ魔王殿のゲートが閉じられた事は確実だ。となれば、詩人の願いはその程度に扱われたという事に他ならない。

 何故詩人はこのゲートを最後にしてしまったのだと後悔する。他のゲートならば、少なくとも詩人が辿り着けないという事はなかったはずだ。強敵であるアラケスを相手にするまでできるだけ修行を積ませてやりたかったこと、最後ならば詩人が出張れば確実に勝てたこと、聖王の指輪を先に使われてしまうと想定してなかったこと。理由をあげればきりがないが、結局それは裏目に出たということに相違ない。彼の目的はないがしろにされたのだ。

(結局、こういう結果か。ザマァない)

 力ない笑みを浮かべて詩人は剣を抜き放つ。

 聖王の封印で詩人と最も相性が悪かったのは、超高速再生能力だ。彼は攻撃力には絶対の自信を持っていて、どんな防御力だろうが貫き通せる自信がある。がしかし、聖王の結界のように壊される事を前提として再生するような相手は、実は苦手としていた。特に今回の様に術が根本となる場合はそれが顕著だ。

 物理なら斬れる、硬いなら壊せる。詩人はそれができないとは決して言わない。だが、壊れても壊れても復活する相手というのは余り得意ではないのだ。自分の攻撃速度よりも相手の再生速度が勝ってしまった場合、詩人が打てる手は限りなく限定的になってしまう。実は今回、エレンたちを先に進ませたという事さえも詩人の中では相当上手く歯車が噛み合った事である。イやな予感がしていたから頭を働かせていたということはあったが、彼としては自分以外に託すという選択肢が珍しいのだ。

 今回の様に、失望するのが嫌だから。

 嘆きながらしかし、詩人は正確無比に剣を振るう。それだけで裏の魔王殿を内包する壁はあっさりと斬り崩される。先ほどまでならばここで再生が始まり、詩人にはその術を解除する方法はなかったが、即座に再生する兆しはない。やはり聖王の封印は発動していないのだ。

 ピドナがどんなに破壊しようともできなかったその壁をあっさりと破壊しつつ、詩人はその中に入る。ふと目の隅に映ったのは、ゆっくりとだが再生を始めている詩人が破壊した壁。超高速ではないが、再生能力は健在のようだ。

 詩人はそんな事を考えつつ、アラケスのゲートに足を向けるのだった。

 

「うわっ!?」

 ユリアンの驚きの声がゲート前の大広間に響く。広場中央に安置された大きな紅い宝石から詩人が出てきたのだから。

 これが転移法陣であると知らなかったのならば驚くだろう。そんなユリアンは相手にしていたモンスターたちが消えた事により、ゲートが閉じたと確信して敵のいない道を急いでいたのだった。

「ユリアンか」

「詩人さん、どこから出てきてるんですか?」

「入り口付近にあった同じ紅い宝石とコレは転移法陣が組み込まれてるんだよ」

 おざなりに返事をしながら、詩人はアラケスのゲートへ向かう。言い訳くらいは聞くつもりだが、彼からは相当な憤怒と諦観の感情が漏れ出ていた。

 それを敏感に感じ取ったユリアンは、詩人が何故そんなに不機嫌で意気消沈しているのかを理解できず、ただ彼と一緒にゲートの間に入る。

「くっ…。もっかい再生光! エレンさん、返事をしてっ!!」

「アースヒール! ダメ、か? 回復が間に合わない!」

「再生光! 諦めるな、まだ…まだ死んでいる訳ではない。ギリギリで生きている!」

 そこでタチアナとカタリナ、シャールが地面に倒れ伏しているエレンに向かって全力で回復術をかけていた。少年はできることがなく、心配そうにそして後悔と屈辱にまみれた顔でそれを眺めることしかできない。

「「エレンッ!」」

 詩人とユリアンの声が重なり、二人ともエレンの側に駆け寄る。

 地面に仰向けに寝かされたエレンは満身創痍だった。腕には醜い傷跡がついている、たぶんだが槍で貫通されたのだろう。失血を防ぐ為に傷口は塞がれているが、その傷跡は一生残ってしまうのは間違いない。鎧は砕けおり、服に隠された腹部と胸部はひどい事になっていると想像するのは容易い。なによりその顔色は真っ青で死人一歩手前といった風情だ。

 その風貌で理解する、エレンはアラケスに敗れたのだと。

「あ、詩人さん! エレンさんがっ!!」

「分かっている、栄光の杖を寄越せ!」

 詩人が来た事に気が付いたタチアナが詩人に助けを求める。言われるまでもなく、詩人はカタリナが回収していた聖王遺物である栄光の杖を奪い取る。

 術増幅効果もあるそれを使い、詩人は己の術力を癒しの力へと転化する。

恵癒(けいゆ)

 詩人が使えるのは天術。それには太陽術と月術が含まれ、その両方に癒しの術が存在する。詩人はそれらを合わせ、生命力を底上げするという傷の回復に留まらない術を発動させた。説明はしなかったしできなかったが、これは彼が長命種でありその身体に貯めこんだ生命力を譲渡するからこそ可能な術であり、詩人のみが使用できる術である。

 傷の回復ではなく生命力の復活という手法により、ようやくエレンに穏やかな呼吸が戻ってきた。それを確認して胸をなでおろす一同。

「何があった?」

 一番最初に離脱した詩人が問う。

「ジャッカルを追いかける為に、追って来るモンスターや行く手を妨げるモンスターを俺たちが順番に防いでたんだ」

「私が最後だったけど、ゲートの間の前でエレンさんが戦いの邪魔をされないように守ってたよ」

「じゃあゲートの間での事は少年に聞くのがいいのか?」

 詩人の言葉に全員が頷き、少年を見る。彼は全員から視線を向けられて一瞬だけひるんだようだったが、すぐに気を取り直す。

 ちなみに当然ながら縛めはすでに解かれている。

 そして少年は語りだす。自分とサラが宿命の子であったこと。ジャッカルはアラケスに裏切られたこと。魔王の斧で更に活性化したゲート。エレンがアラケスと戦い、そして敗れたこと。そしてとどめをさされる直前に、サラがマスカレイドの力を借りてゲートに干渉。これを封印したこと。

「その前に僕はサラにゲートから追い出されたんだ。ゲートを閉じる役目は私だからって言って」

 そうして彼の話が終わる。そこには重い沈黙が残っていた。

 詩人は彼の目的を軽んじられた訳ではない事に思考を割き、カタリナは失われたマスカレイドに絶句していた。

 ユリアンはエレンの無残な姿に受けたショックに加えてサラをも失ってしまったことに何も言葉を発することができず、少年は自分がなんの役にも立たなかった事を悔いていた。タチアナもサラを助けられなかったエレンに心を痛めている。

 そんな彼らを黙って見ていたシャールだが、やがて口を開く。

「とにかくいつまでもここに居ても仕方あるまい。とりあえず戻ろう。

 ルートヴィッヒとの戦いも心配だ」

 それに異論はない。

「そうだな。ユリアン、エレンは俺が背負う。お前は斬り落とされたジャッカルの腕から聖王の指輪を回収して、エレンの斧も持ってきてくれ」

「分かった」

 ユリアンはその言葉に素直に従った。従わない意味もないが。

 そして詩人はエレンを背負い、傷一つないゲートを見る。恐らくアビスからサラが封じ込める為に力を注いでいるのだろう。少年の力を使い、このゲートを開ける事は難しそうだ。

(つまりアビスでサラは生きている。生の力が流れる最も近いところに居るならば、そう簡単に死ぬ事もないだろうな)

 そう結論付けて彼らはアラケスのゲートを、魔王殿を後にする。今までのゲートと同じく、ここに残るのは静寂のみだった。

 カチリと、詩人の持つ懐中時計の全ての針が頂点で揃う。

 長い一日が、失ったものが多すぎる一日が終わりを告げたのだ。

 

 ピドナにあるベントの屋敷に戻ってきた一同。ルートヴィッヒとの戦いは小休止になったらしく、警戒していた彼らに襲撃が加えられる事はなかった。

 しかし良い知らせが待っていた訳でもない。意識のないエレンをベッドに寝かし、トーマスとミューズを加えた面々で話を進める。魔王殿で何があったのかを話した一同に、トーマスは難しい顔で現状を口にした。

「ルートヴィッヒがとうとうなりふり構わなくなった。近衛騎士団を動かすらしい」

「……そうか」

 シャールが肩を落としながら返事をする。

 これで彼らの負けが確定した。こうなる前にルートヴィッヒを討ち取らなければならなかったのだ。

 シャールはかつて近衛騎士団筆頭にいたからこそその実力が分かる。十数人からなるピドナ最高戦力と戦って勝てる訳がない。シャールとカタリナだけでどうなる問題ではなく、それに詩人にタチアナを加えても焼け石に水だろう。エレンは意識が戻っていないので戦力に数えられる事もできない。

 本来、近衛騎士団はピドナを守る為にある。だからこそピドナの内乱に手を出しにくかったのだ。内乱で戦う相手もまたピドナの民なのだから、その風聞に傷がつく。その許可を出すまでにルートヴィッヒを追い詰めてしまったことが敗因。近衛騎士団の出撃をさせずに奴を討ち取るのが勝ち筋だったのだが、やはり物事はうまくいかない。ここからは敗走の準備をしなくてはならない。

 その為に口を開きかけたシャール。だがその言葉は思いもよらないところから封じられる事になる。

「近衛騎士団は俺が相手をしよう」

 口を開いたのは詩人。それに一瞬、誰もが言葉を失った。

 いや、一人だけそうでない者がいたか。タチアナだけはごく普通に口を開く。

「やるの、詩人さん?」

「ああ、正直苛立ちもあるが。それより何より、ルートヴィッヒはこの騒動を起こした元凶の一人だ。潰させてもらう」

 その言葉に慌てたのはシャールだ。彼は誰よりも近衛騎士団の強さを知っている。彼が近衛騎士団筆頭をしていた時のメンバーはもう居ないだろうが、その実力はそう違わないはずだ。

「待て。いくらなんでも勝てる訳がない。こちらの負けは決まった。ここは潔く引いて雌伏するしかない」

「逃げたところで再起できないと思うのは俺の気のせいか?」

 その言葉に沈黙で返すシャール。その通り、ルートヴィッヒにピドナで足元を固められたら倒すのは相当困難になる。少なくとも敗走したシャールやトーマスにその機会は与えられないだろう。

 だが、だからと言って死にに行く訳にもいかない。勝てない戦いに挑むなんて愚かが過ぎる行動を取る訳にもいかないのが道理。

 ミューズには肩身狭い暮らしをさせる事になってしまうが、もう仕方がないのだ。

「……それでも逃げる。近衛騎士団に、この戦力では勝てないのだから」

「勝ってきてやるよ、俺一人で」

 詩人の揺るがない言葉。それに勝利の確信が含まれている事にシャールは驚き、そして確認する。

「――本当に勝てるのか」

「間違いなく。ついでにその勝利はトーマスカンパニーにやってもいい。俺は別にこの戦いの勝利が欲しい訳じゃないからな」

 それは余りに虫が良すぎる言葉。近衛騎士団を倒して、その名誉さえ要らないという。

 ならば何を望むのか、それを訊ねない訳にはいかない。

「対価は?」

「シャール、お前の命が欲しい」

「いけませんっ! そんな要求は呑む事はできません!!」

 黙って、というか言葉を発する機会がなくその場を見ていたミューズが金切り声をあげる。

 しかし詩人はそれを無視する。シャールもそれに構うことなく思考を巡らせ、話を進める。

「トーマス。私が居なくなった後、ピドナの最高権力者は君になるだろう。

 ミューズさまに不足ない生活を約束できるか?」

「無理だ。そこに貴方がいないなら、大きな不足が一つ」

「それ以外は?」

「……約束しよう」

「シャール!!」

 ミューズの大声を再び無視するシャール。そしてシャールは詩人を見て言葉を発する。

「いいだろう、詩人。その提案、受けた」

「契約成立だ。俺は近衛騎士団を殲滅し、その名誉はトーマスカンパニーに譲る。対価にシャール、お前の命を貰う」

「そんな契約はいりません! シャール、逃げましょう! 今までと変わらないわ、ピドナではないどこかで暮らせばいいわ!

 だからシャール、お願い……」

 ミューズの言葉の最後は涙混じりだった。

 そんなミューズにようやくシャールは向き直り、頭を垂れる。

「ミューズさま、貴方はクレメンスさまの御令嬢です。ピドナで穏やかに暮らしてください」

「ならシャールも!」

「私は騎士です。いつ戦いで散るとも分からない。ルートヴィッヒに追われるとなればなおさらです。

 今、ここでお暇をいただきます」

 揺らがない決意に、ミューズは涙を流す。父であるクレメンスが死に、それでも自分に良くしてくれた唯一人。

 そんなシャールが彼女から去ってしまう時が来たのだ。その喪失感に、ミューズは涙を流すことしかできない。

 それらを尻目に詩人は一言だけ残してその部屋を去る。

「暗殺はあるかも知れないから、この部屋の防御はしっかりしておけよ。タチアナ、頼んだ」

「ん、分かった」

 詩人の言葉に頷くタチアナ。

 正直、彼女としても詩人がシャールの命を欲しがる理由は分からないのだが、詩人がすることである。悪いようにならないだろうという楽観視して返事をする。

 むしろ心配なのはエレンの方だ。サラを守れなかった彼女がどういう心境になっているのか、そちらの方は良い想像ができる訳もない。眠り続けるエレンを見て、また不安に心が蝕まれるのだった。

 

 たった一人でピドナの大広間に立つ詩人。

 そこで城門が開き、中から完全武装した者たちが十人程現れる。隙のない立ち居振る舞い、彼らが間違いなく近衛騎士団なのだろう。広場に単独で立つ詩人に警戒の眼差しを向ける。彼らには分かったのだろう、詩人が只者ではないと。だが分かったのがそこで止まってしまったのが彼らの不幸だった。理外の化け物であると分からなかったのは痛恨といえた。

「一度だけ警告する、引け。ピドナを守る者でありながら、ピドナを害する者共。真にピドナを思うのならば、何に剣を向けてはいけないかは分かっているはずだ」

 詩人の言葉を無視して、後列にいた一人が矢を放つ。常人が射る矢とは一線を画した速度でそれは放たれ、あっけなく剣を抜いた詩人に斬り落とされる。

 その隙に前衛の数人がそれぞれの得物を持って詩人に襲い掛かった。手加減など一切なし、今までで最強の相手だと判断して攻撃を仕掛ける。

 瞬間、感じた悪寒。死がもう目の前に迫っていると感覚的に分かってしまう。大楯を持つ者が前に出て、他の者たちはその背後に隠れる。前に飛び出なかった者たちも中衛の後ろに避難する。

不抜(ぬかず)太刀(たち)

 そしてその判断は正解だった。初見の技に対してこうも見事に対処をする辺り、やはり並々ならぬ実力者揃い。仲間を守る為に前に立った数人が不可視の斬撃によって命を絶たれるが、残りは変わらずに詩人に向かって攻撃を続ける。

 間合いに入り、武器が振るわれる。斧が力強く振り下ろされる、剣で鋭く横から薙ぎ払う、槍で素早く突く。

 その全てが当たらない。ほんの少し、一歩にも満たない立ち位置の変化と体捌き。それによってのみで詩人は攻撃を回避しきって見せた。そして反撃の為に振るわれる剣は、逆に一太刀につき一つの命を斬り落としていく。

 瞬殺、その表現が相応しい。そして詩人は残された後衛に視線を向ける。

 仲間たちが殺される時間のあまりの短さに、彼らが一瞬怯んだ。そして詩人にとってはその一瞬で十分。

不抜(ぬかず)太刀(たち)

 二度目のそれは全員を射程に捉えた。為すすべなく、全員の命が絶たれる。

 開始から10秒にも満たない時間しか経っていない。その短時間でピドナの近衛騎士団は全滅してしまった。その結果を感慨なく見る詩人。

 世界最強の一角など、詩人にとってはこの程度なのだ。

 

 するべき仕事を為し、ベント家へと帰って来る詩人。その余りの時間の短さに、対応に出た者など詩人が忘れ物でもしたのかと思った程だ。

 気楽に屋敷に入り、ほんの少し前まで居た部屋へと戻る。

 雰囲気は一変していた。ミューズは怯えてシャールの後ろに隠れ、シャールとカタリナは冷や汗を一つ流している。ユリアンとトーマスは顔を強張らせ、タチアナは泣きそうだ。少年は自責の念からか唇を噛んで俯いている。

 原因は一つ、目を覚ましたエレン。黒い感情を振りまき、ベッドで体を起こしたエレン。虚無の瞳をしたまま、エレンは床に足をつけると周囲の人を全て無視して部屋から立ち去ろうとする。

「どこへ行く?」

「サラのところへ」

 詩人の言葉にエレンの返答。平坦が過ぎるその言葉に詩人以外の全員の背筋が冷たくなった。

「どんな手段を使っても、何を犠牲にしても、サラの元へあたしは行く。絶対にサラを取り戻す」

「どうやってアビスに行くのさ、エレンさん!?」

「知るか、知ったことか。どうやってでも行く。あたしはサラの元に辿り着く、必ず。必ずよ」

 理屈も経緯も知った事ではない。エレンにもはや冷静な理性というものは存在していなかった。ありもしないアビスへ行く手段を探して世界を放浪し、そのまま朽ちていく。そんな彼女の姿をほぼ全員が幻視してしまう。

 気軽な言葉を発するこの男を除いて。

「じゃ、行くか。アビス」

 全員が言った詩人を見た。自失していたエレンさえ詩人を見た。

「まあエレンは行くと思ったよ。タチアナはどうする?」

「え。エレンさんと詩人さんが行くなら私も行くけど――って、アビスに行けるの詩人さん?」

「当然だろ。四魔貴族のゲートが全て閉じてしまう可能性は考慮していた。だから俺はゲートを一つ確保している」

「バカなっ! 五つ目のゲートがあるだと!?」

 シャールの大声にごく自然に頷く詩人。

「アビスに、死食に関係ある奴がいただろう。四魔貴族を配下にしたと言われた男が」

「――魔王!!」

「そうだ。聖王はゲートを閉じ、四魔貴族はゲートを開こうとしていた。そして魔王はゲートを作ったんだ。もう600年も前にな」

「それはどこにあるの?」

 エレンが静かに訊ねる。

「はるか東、見捨てられた地より更に向こう側。そこの魔王のゲートを確保する為に、死食が起きてから東に行ったんだからな」

 ごくごくあっさり明かされる情報に全員の思考がついていかない。

 そんな中、詩人は少年を見る。

「もっとも、俺にはゲートに干渉する能力はない。少年が宿命の子というならば君に来てもらわないと話にならないんだが」

「行くよ。僕が力を貸す事でサラが助かるかも知れないなら、もちろん行くさ」

「シャール、お前の命は貰った。悪いが一緒にアビスまで来てもらうぞ」

「命を貰うとはそういう意味か……。いいだろう、お前が近衛騎士団を倒した時には一緒にアビスに行こう」

「近衛騎士団ならもう全員斬り殺した」

 詩人の言葉に呆気に取られるシャール。彼が近衛騎士団の実力を一番に知っていたから、それも仕方ないだろう。

 そして詩人はカタリナを見る。

「カタリナ、お前はどうする?」

「……マスカレイドはアビスにあるのですね?」

「聞いた限りではそうだな。サラが持って行ったそうだ」

「ならば私もアビスに赴きましょう。マスカレイドを取り戻す為に」

「他の奴はどうする? ああ、決めるのは急がなくていい。まだ時間はあるからな」

「何暇な事を言ってるのよ、すぐに行きましょう!!」

 悠長な詩人にエレンが叫ぶが、詩人はそれに取り合わない。

「今すぐアビスに行っても返り討ちに遭うだけだ。第一エレン、お前は防具もボロボロじゃないか」

「でも――」

「焦る気持ちは分からなくもないが、アラケスのゲートはサラによって封印されていた。あの状態が続くとなれば、すぐにサラが死ぬ事はないだろう。

 それに魔王のゲートまでも相当時間がかかるぞ。今はしっかり準備をする時だ」

 詩人に諭され、エレンは口をつぐむ。確かに彼女はアラケスの影にさえ敗れたのだ。このまま突撃してもサラを失った時の二の舞になってしまう。

 そのような冷静な判断ができるくらいには、エレンは落ち着きを取り戻していた。彼女は今度こそ必勝でなくてはならないのだ。

 

 次に向かうのは遥か東。

 目的地は魔王のゲート、その奥にあるアビス。

 準備ができ次第、彼らはそこに挑むことになる。

 




これにてアラケス編は終了。
そろそろ本気で終わりが見えてきました。

(やっべ、推敲する前に投稿しちゃった。15分に全力で推敲終わらせました。またちょいちょい直すかも知れません)


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そして終に至る
102話 下準備


エタってない、エタってないぞ!
やー、言い訳ですけど。リアル事情と創作モチベーションとが今現在ちょっと大変。
頑張りますけど、頑張りますけど!!

お付き合いいただき、感謝です。


 

 

 夢をみる

 遠く遠い はるかにとおい

 今にはなく 未来になく 過去にもなく 永遠になく

 記憶にない 現実にない どこにもない 望みさえしない

 ただ ただ 想うだけ 考えただけ 焦がれるだけ

 届きはしない 至りはしない 叶いはしない 願いもしない

 

 自分が願う全ての願い 叶う世界はどこにもない

 失ったもの 亡くしたもの それら全ては悼むべきもの

 だからそれは夢であるべき どこにもあってはならない希望

 失うからこそ残りを護り 亡くしたからこそ次を探す

 それらの教えを忘れるな 欠けた痛みを忘れるな

 

 まどろみの中でだけ許される 目覚めれば消えてしまう泡沫の夢

 温かな夜が過ぎれば 冷めた風吹く昼がくる

 せめて夢の中では幸せに 喜びだけの世界はないのだから

 

 詩人が歌う。

 想えば随分と久しぶりに詩人の詩を聞いたとエレンは思う。ちらりと隣を見ればタチアナも静かに詩人の詩を聞き入っていた。

 観客はこの二人だけ、詩人は夜のピドナに向かって歌う。顔は見えず、歌う背中だけを彼女たちが見る。それが悲しそうに見えたのはきっと間違いではなく、感傷ある歌を選んだ詩人の心境は察するに余る。それに対して彼女たちはかける言葉を持たないのだから。

 そう。詩人は、また一人を失った。

 

 

「お時間を作っていただいてありがとうございます」

 数時間前。最後のゲートを閉じて5日が経ったその日の夕方、ミューズに呼ばれた面々がクラウディウス家の館に集っていた。ルートヴィッヒにおさえられていたこの屋敷も、今は名実ともにクラウディウス家のミューズの物となっていた。

 ルートヴィッヒはというと、ピドナの近衛騎士団が全滅したと通達された瞬間にピドナを脱出する為に行動していた。そして彼が逃げ支度を整えるまでの僅かな時間に、掻き集められるだけの金と兵だけを持ち、ルートヴィッヒはファルスへと逃亡を成功させたのだ。その決断は素晴らしいと評されるべきであり、もしかしたらこれがルートヴィッヒ最大の長所といえるかも知れない。近衛騎士団が撃破されたとはいえ、相応のダメージを相手に与えたと考えるのが普通である。その可能性を見限り、即座にピドナを脱することができるというのがまず英断といえるだろう。思えば過去にルートヴィッヒはクレメンスに野戦で敗れた際も退却を成功させ、その命を繋いでいる。

 その時も相当に厳しい状態だったが、ルートヴィッヒはやがてピドナの頂点へと返り咲いた。そして今現在もかつてと同等以上に苦しい状況である。敗戦による名誉の失墜、逃げた先が反ルートヴィッヒであった町であるファルスであり、地盤はないに等しい。そもそもルートヴィッヒに楯突いた町として、彼はファルスを相当に荒らした。因果応報とはいえ、ファルスはルートヴィッヒの支配地であると同時に敵地でもあるのだ。

 また、外部の助けも期待できない状況だ。ルートヴィッヒとの争いに勝ち、ピドナの頂点を獲得したトーマス。聖王12将を祖に持ち、凋落しかけた名門の看板を高々と上げたフルブライト。抜群の安定を誇り、弱点を見せずに利益をあげ続けるラザイエフ。これらはルートヴィッヒが明確に敵に回してしまったグループである。トーマスカンパニーと繋がっているロアーヌもルートヴィッヒを敵視するだろうし、ツヴァイクは内乱に次ぐ内乱で国力を大きく落としている。神王教団もピドナ支部が実質潰れてしまったから影響力の低下は必至であるし、そもそもジャッカルことマクシムスを切り捨てようとするのは自明。奴と蜜月の仲だったルートヴィッヒにどこまで合力するかは不明である。

 世界最高峰の一人だったルートヴィッヒが落ち目になった話はこの辺りにしておこう。彼をどうするかは、クラウディウス家に集まった人間たちの本題ではない。

 ルートヴィッヒが都落ちをした数日でトーマスは彼の派閥の者たちの力を削ぎ落し、場合によっては拘束して牢にぶちこんだ。元クラウディウス家に住んでいた人間も例に漏れず屋敷は主人を失い、代わってミューズが生まれ育った家に帰還。晴れてその名称から『元』の文字が外れる事となった。

 そんな現クラウディウス家に呼び出されたのは魔王殿から戻る事ができた者たちと、トーマス。この場に居るのは、屋敷の主であるミューズを加えた9人である。

「構わないさ。今は時間がある」

 そう答えるのは詩人。ミューズが話したいと思っていたのは、実質彼一人である。他の者は席に座って黙ってお茶を飲んでいた。

 その中で特に神妙な顔をしているのは二人、シャールとエレンである。エレンはともかくとして、シャールの立場は極めて微妙だ。彼は既にミューズの従者ではなく、詩人に雇われた傭兵といった身分に近い。しかしもちろんミューズへの敬愛の念は一切薄れていないことは言うまでもないだろう。彼はミューズの未来を想い、その忠誠心ごと人生全てを詩人に売り渡した。代価はこの屋敷をはじめとしたクラウディウスを取り戻すこと。それはトーマスカンパニーの傘下であるという前提条件がありながらも叶われつつある。よほど下手を打たない限り、ミューズの人生は保証されている。

 だがミューズはその下手を打とうとしていた。それも当然、ミューズにとってクラウディウスとしての財産なんてシャール自身に比べればなんの価値もない。ミューズにとってシャールはいわば家族同然。父を亡くして身分と金銭の全てを失い、それでも自分を助けてくれた恩人なのだ。今更クラウディウスの名誉が戻ってきたところで、周りにいる人間がなんと薄っぺらい事か。この屋敷でかいがいしく働いているメイド達とて、再びミューズが名を失えば未練なく彼女を見限るだろう。そうでないと彼女が心から信じられるのは、シャールしかいない。故に彼女は何を犠牲にしてもシャールを取り戻したかったのだ。

「要件は?」

 詩人が前置きなく聞く。これから話される内容は想像に難くない、詩人はそれ程愚鈍なつもりはない。

 故に答えが決まっている嫌な話を早く終わらせようと素早く切り込んだのだ。

「シャールをいただきたく存じます」

 ミューズもまた容赦なく口を開いた。詩人とは多少なりとも旅をした仲で、時間がある時は共に音楽を楽しんだりもした。故にある程度の理解はあるつもりで、前座は意味がないどころか逆効果だろうということくらい分かっている。だからこそ即座に本題に入った。

 シャールは自分を詩人に売り、その生殺与奪の権利を譲渡している。詩人はその権利を行使し、死ぬであろうアビスへシャールを連れていくつもりだ。死しか予感できないその世界に連れていくとなると、このようなケースがスタンダードだろう。死兵になるというのはそこまで過酷なのだ。サラを助けるというエレンやマスカレイドを奪還するというカタリナのような覚悟があるならともかく、詩人とエレンに着いていこう程度でアビスに挑むタチアナが一番間違っている。

 ともかく詩人からシャールの権利を取り戻す為にミューズは交渉を試みる。それに醒めた視線を送る詩人。

「代償は?」

「クラウディウスの全てを」

 その言葉にシャールの目が見開かれた。せっかく自分が用意した未来への糧を全て譲ろうというのだ。

 しかし甘い。ミューズの覚悟はその程度ではない。次の言葉に詩人は目を細め、他の者は全員絶句した。

「この身さえも好きにして構いません。クラウディウスの全てとはそういう意味です」

 ミューズは絶世の美女である。アウスバッハの祖先であり美しさが伝説となっているヒルダ姫を超える美しさを持つとレオニードに評されたモニカよりも、詩人はミューズの方が美しいとさえ思う。

 つまり世界最高の美女どころではない、歴史上最高の美女を好きにできる権利を与えられたのだ。それもピドナの名家であるクラウディウスの権力と金を自在に使えるおまけ付きで。

 シャールは自分を売って作り出したものが、ミューズという一番守りたかった人を上乗せされて買い戻されようとする現状に自分の浅慮を深く悔いた。ミューズにそこまでさせてしまった自分を呪い殺したいくらいだ。咄嗟にこの場で自害すればミューズを守れるのではないかと思った程である。

「断る」

 だが、僅かなためらいもなく一言で詩人はその言葉を切って捨てる。ミューズがその身を差し出すというのは詩人の想定の範囲を超えていたが、返答は変わらない。

 最高の美女を好きにできる、それがどうしたというのだ。その程度で折れる意志ならば何千年という歳月をかけた復讐など完遂できる訳がない。どこかで妥協し、剣の腕で世界の王になることさえ詩人には可能だった。聖王を愛し、聖王に愛されて静かに暮らす事も可能だった。それら全てを捨てて復讐に走った男が、いまさら最高の女一人と貴族位くらいの誘惑に靡くわけがない。

 ある者は驚きをもって詩人を見るが、詩人は俗に見られた不快感からそれらを睨み返す。委縮したその者の名前は、名誉の為に伏せておこう。とにかく断られたミューズには僅かな動揺しかなかった。確かに自分さえも簡単に袖にされるのは予想していなかったが、その結果は予想していた。シャールとはそれ程の価値がある男だと、彼女自身が分かっているのだから。

「ならば何を以ってすればシャールをいただけますか?」

「無意味な質問だが、あえて答えよう。俺はアビスでの戦力を求めている。シャール以上に腕が立ち、シャールと変わらない決意で命を捧げる覚悟があるものが用意できるなら構わない」

 シャールより腕が立つというならば、まだ可能性はあるだろう。例えば怪傑ロビン、例えばサザンクロス、例えばハリード。彼らならばシャール以上の腕があると言い張れば通らなくもない。少なくとも、同等であることは確実だ。

 しかし彼らがアビスに行くとなれば絶対に否だ。還れる保証のないアビスへ向かう等とは正気の沙汰ではないからだ。しかもサラを助けたところで名誉もなく、完全に骨折り損のくたびれ儲け。いや、命を懸けている事を鑑みればその程度の言葉で済まされる範疇にない。圧倒的強者が頷くことはまずないだろう。少なくとも復興したばかりでトーマスカンパニーの庇護下にあるクラウディウス家には到底無理な話だ。

 詩人の言う通り、ミューズの質問は無意味だった。絶対に無理だという言葉を迂遠に言われただけなのだから。

 ミューズは縋るように集まった人たちを見るが、エレンもカタリナも、少年もトーマスも気まずそうに視線を外す事しかできない。エレンやカタリナ、そして少年はアビスに向かう決意を固めている為、自分たちの戦力を下げる意見に賛同することはできない。トーマスも新興であるが故に人脈が弱く、今の条件を叶えられる状況にない。というか、そもそもシャールと同等の者さえ都合することはできない。その上で更に、ピドナ近衛騎士団を単独で瞬殺した詩人に意見を言う事もできない。トーマスがピドナの支配者に収まっているのは詩人の功績が大であると認めざるを得ない以上、彼に強く言葉を叩きつけられないのだ。

 言葉は尽くした、できる限りをした。その上での結論は、シャールを死地から救えないというものだった。

 それを理解した瞬間、ミューズの顔から感情が抜け落ちる。期待や希望といったものや、親愛や友情といったものがなくなる。その表情で詩人を見て、無感情な視線を送る。

 それを平坦な表情で受ける詩人。彼は感情は抜けていない。ただ、感情を発露する必要を感じていないのだ。

「詩人さん」

「ああ」

「恨みます」

「慣れている」

 何よりも大切な人を失った女と、それを平然と慣れた様子で受け止める男。

 この瞬間、詩人はミューズの心を失った。もはやミューズにとって詩人は共に旅をした仲間でも、笑って歌い合った仲でもない。自分の大切な者を奪った悪魔でしかないのだ。

 詩人にとって、それは慣れっこであったけれども。

 

 

 夜になり、町に向かって歌う詩人の背中を見ながらタチアナは思う。

(詩人さんってホント損な役回りするよね)

 前もってしていたネマワシで、タチアナはミューズの恨みを詩人が一身に受けようとしている事に気が付いていた。

 詩人はエレンに黙っているように指示し、彼女の言葉を封じていたのだ。もしもエレンが言葉を発していたら、きっと彼女は詩人を庇っていただろう。それも当然、詩人にとって四魔貴族を相手にするのに加勢は必要としていない。彼の復讐は単独で成し遂げるものであるからして、シャールを仲間に引き入れたのはサラを助ける為であり、ひいては完全にエレンの為だ。そこにエレンが気が付いていない訳がない。

 だが、それを口にしても話はこじれるだけだっただろう。ミューズは自分からシャールを奪う者にエレンを加え、他の人からもシャールの参戦に消極的賛成をする姿を見てしまえば、仲間全てに裏切られたと考えてしまう。それはお互いにとって極めて不幸な事で、詩人は他に向かう泥を全て自分で被った形だ。自分一人が貧乏くじを全部持っていくのだから、中々だとしか言葉が出ない。

 そもタチアナに言わせれば、ミューズの主張はただの子供の駄々だ。シャールが欲しい、シャールが欲しいと喚くだけ。今までの環境を当然と受け入れ甘受してきて、失われる間際に嫌だと騒ぐ。まあ間違った意見ではないが、それは一面でしかない。見方を変えれば、シャールの代償に自分を差し出す辺りはそこら辺の輩よりもよほど覚悟があるともいえる。

 だが少なくとも、ミューズにはシャールを超える価値があるものを用意できなかった。確実な事実としてこれが存在する。ならば負けたのはミューズで、シャールを得る為に動いた詩人を責めるのはどこかイヤな気分になるのを拭えない。少なくとも詩人の側に立つタチアナとしてはそう思っていた。

(ま、いいや)

 所詮終わった話であり、ミューズに比べて詩人やエレンの優先度が下がる訳ではない。ミューズの希望を切り捨てるのにタチアナとしても思う所はなかった。ちょっと後味が悪いなと感じた程度である。割り切れるというのも一種の才能だろう。

 やがて歌を終えた詩人。その背中の声をかける。

「で、どーすんの詩人さん。いつまでピドナにいるつもり?」

「…………」

 少しだけ夜風に当たりながら感傷に浸っていた詩人。

「ウンディーネと連絡を取っている」

「え? ウンディーネさん? アビスに一緒に行くの?」

「いやそれはない。だが、レオナルド武器工房と協力し、術具を併せた武具の開発が最終段階に入ったところらしい。

 エレンの防具はアラケスに壊されたし、タチアナの物も傷んできているだろう。それにカタリナやシャール、少年にも準備をしてもらわないとな。別に死んでほしい訳じゃない」

 このお人好しとタチアナは感嘆を通り越して呆れかえった。結局、シャールの命を貰ったとはいえ、できれば彼を死なせずにミューズの元に帰したいと詩人自身が思っている。人の幸せを願っている。それが叶わなかった時、自分が恨まれることでミューズの心を守ろうとしている。

(ホント、不器用で、優しすぎる人だよね)

 だからこそタチアナは詩人に惹かれるのかも知れない。聖王は彼の妻だと胸を張れたのかも知れない。エレンは詩人を愛したのかも知れない。

 人の為に愚直に在ることができる。それが詩人なのだ。

「それと――ユリアンだな」

「え?」

 意外な人名にエレンから驚きの声が漏れた。

「ユリアンはどこかで迷っている、アビスに行くかどうか」

「ユリアンが? だってアイツ、モニカさまと婚約してるんだよ? サラを助ける為とはいえアビスに来るなんて――」

 ない、とはエレンには言えなかった。ユリアンに関しては詩人よりもエレンの方がよほど知っている。保身に走る訳もなく、サラの為に死地に挑む彼の姿は想像できてしまうのだ。

 とはいえ、今の彼には他に守るものもある。エレンが言った通り、このままロアーヌに帰れば自分を愛する(モニカ)と添い遂げられ、出世街道を歩むことになる。出世するのはともかく、モニカを悲しませる事は彼の本意ではあるまい。

 サラか、モニカか。そこで悩んでいるというならば確かにエレンにもしっくり来た。

「分かった。明日にでもあたしはユリアンと腹を割って話してくる。あたしはユリアンの決意を尊重するわ」

「ああ、頼む。あいつは自分に真っすぐにある方がらしいだろう。迷いを晴らしてやった方がいい」

「東に行くんだよね? リンさんはどうするの?」

「一応、手紙は送っておく。ミカエルに初恋を感じたばかりだし、里帰りを強制するつもりはないさ」

「お優しいこと」

 エレンは穏やかな笑顔でそう言い、そこでようやく詩人が振り返った。

 その表情はやはり平坦。気負うでなく、悩むでなく。ここまで人の為に心を砕くことが、彼にとって普通。詩人の多くを知った彼女たちはそれを理解していた。

「さあ、準備も忙しくなる。今日は早めに休もうか」

「分かったわ」

「りょーかいだよ、詩人さん」

 

 目的の為、目指すはアビス。その為の準備はゆっくりと、しかし着実に整えられていくのだった。

 

 

 




最終章、開幕です。
章題の『終』には皆さんが思うルビを入れてください。


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103話

 

 ルートヴィッヒがピドナから逃げ出して一週間。

 世界の中心に存在する、世界最大の都市はもはや一人が掌握しつつあった。彼の名はトーマス、ほんの数ヶ月前にトーマスカンパニーという会社を興したその男の、顔色を伺わないなど誰にできようか。トーマスと同等の者ならば名前が上がらなくもない。だがそういった者でさえ、気を使わなくてはいけない立場なのがピドナの支配者という地位なのだ。もはや彼はフルブライトやロアーヌといった勢力を上回る力をつけていた。

「正直、気が重いよ」

 疲れた顔でピドナを支配する男、トーマスはお茶をすする。それを苦笑いで見るのは彼の昔馴染みであるエレンとユリアンだ。

 仕事を片付け、肩肘張ったディナーを済まし。ようやくプライベートな時間を確保した彼は相当に疲れていた。確かにトーマスはピドナの支配者になりつつある。しかし、その最初の仕事は前の支配層を攻撃する事と、自分におべっかを使う人間の中で誰が有用かを見極めて要職に付ける事である。一般的な感性を持っていれば十分に嫌な仕事だ。そしてトーマスは幸か不幸か、その感覚は一般から外れていなかった。

 だがしかし、そこで弱った顔や甘い顔を見せてしまえば付け込まれるのが世の常。ピドナの支配者から一転、ピドナの落伍者になりかねない。それが悲惨でないと考えるのは楽観が過ぎるだろう。

 そんなトーマスが素の顔を見せるのは心から信頼するエレンにユリアンだけ。彼ら以外にこの世界でトーマスが脆い顔を見せる事はできない。この世界以外というならばサラも含まれるだろうが、それはこの場にいる全員の地雷なので決して踏んではいけないのである。

「トムはピドナ王に一番近いって聞いてるけど、王様って大変なのね」

「ああ。俺もミカエル様のほんの一部分しか見てないけど、それでも針のムシロが生温いって感じだったからな。実際に王様になるなんてぞっとしかしない」

「――他人事だと思いやがって、お前ら」

 トーマスが恨めしそうに二人を見るが、エレンは素知らぬ顔だしユリアンは半笑いだ。完全に他人事である。

 まあ仕方ないと、そこはトーマスが割り切る。むしろここで下手に共感されても彼の怒りを買うだけだろうことは想像に難くないからだ。その点を、この昔馴染みたちは理解してくれている。このような仲間がいる事をトーマスは感謝こそすれ、恨むことはない。彼の辛さをわかることができるのは、それこそフルブライト会頭やミカエルのようなトップだけだからだ。

 そこでトーマスは表情を切り替える。

「まあ、どういった訳か、僕はピドナの王様に最も近くなったといえる立場になった。

 僕のことはそれでいいとして、エレンはやはりアビスに行くのか?」

「行く」

 躊躇いは一切ない、エレンはそう断言した。サラを助けに行くのに今更迷いなど欠片も存在しない。

 分かっていた答えを聞いたトーマスと、決まっていた答えを言ったエレン。二人の視線は残る一人、ユリアンへと向かう。

「それでユリアン、君はどうする?」

「…………」

「時間は十分にあったわ。もう、答えを出さなくちゃいけない時よ」

「ああ、そうだな。いや、本当はもう決めていたんだ」

 そういうユリアンの声には覚悟が伴っていた。サラを助ける為にその命を使うか、モニカを守る為にロアーヌへ帰るか。そのどちらであってもユリアンの答えを尊重するつもりでいた。

 しかしユリアンが選んだのは、そのどちらかではなかった。

「親父がいつも言っていた。自分が正しい事をしろって。俺は今までそれを守ってきたつもりだ。そしてこれからも守るつもりだ。

 なら決まっている。サラを助けにアビスへ向かう。そしてモニカの元に生きて帰る」

 ユリアンが選んだのはその両方。サラを諦めない、モニカも悲しませない。ある意味強欲なその言葉にトーマスはうっすらと笑みを浮かべた。

「お前らしい」

「でも、アビスから帰れる保証なんて――」

「勝算がないとは思わない。サラを助けるとして、こっちに帰ってこなければ意味はないんだから。そしてゲートが生きていて、宿命の子も存在している。ならば向こうからこちらにだって帰ってこれるはず。

 そもそもエレン、サラを助けるとはそういうことだろ? サラと一緒に帰ってくる、ただそれだけの話さ」

「――アビスには四魔貴族の本体がいる。それに、それ以上の脅威がいないとも限らない。それでもいいのね?」

「構わない」

 決意を固めたユリアンの頑固さは随一だ。エレンは比較的あっさりとユリアンを受け入れた。アウナス討伐に関して決闘騒ぎまでいったのに、また彼女も大分成長したようだ。

 そんな昔馴染みをみてトーマスは口を開く。

「なら、僕のすることはバックアップだな。トーマスカンパニーとして、またピドナができることは僕が融通を利かす。

 命は懸けない僕だが、それでも友達の為にできる限りの事はさせて貰うよ」

「正直、凄く助かるわ。あたしなんてそっちの方に才能ないから」

「ああ、トムが後ろで構えてくれるだけで安心感が全然違う。適材適所だろ」

 トーマスとしては自分だけ安全な場所で吉報を待つということに罪悪感を覚えなくもない。だが、エレンもユリアンもそんなトーマスを肯定していた。

 無駄に命を散らす事をしない思慮深い男、トーマス。自分ができる最大限の事をして、突っ走りが多い年下の仲間たちのフォローをする。そんなトーマスにずっと助けられていたのに、今更その役割に徹すると言われても反感などあるはずもない。にっこりと笑ってトーマスに全幅の信頼を寄せる二人だった。

「さて。じゃあここまで決まった事はいいとして、明日の話も大事だな」

「トムの余裕もできたからいい加減に戦利品の分配をしようって話だったか?」

「それに詩人もなんか色々手配していたみたいだし、レオナルド武器工房に一度集まろうって。

 ウンディーネさんも来るみたいだし、アビスに向けて装備品の見直しね」

 そう言って立ち上がるエレンとユリアン。今日話す事は終わった、続きは明日にということだろう。

 簡単な挨拶をして、トーマスの部屋から立ち去る二人。それを見送ったトーマスは、侍従を呼んでテーブルの上にあったカップなどを片付けさせ、新しいものを用意させる。カップの数は2つであり、来客が一人であることを示していた。

 やがて時間通りにドアがノックされる。

「来られました」

「ご苦労。通してくれ」

 執事の声に承諾の返事をすると、ドアが開かれて一人の男が入ってくる。

 この度の戦いで最も活躍した男、詩人だ。

「忙しいのに申し訳ないね、詩人殿」

「暇してるから気にしないでくれ。それから、殿はやめてくれ。こそばかゆい」

 気楽な所作で対応する詩人だが、トーマスはそれなりの緊張と諦観を以って詩人と相対していた。

 詩人はピドナの近衛騎士団を秒殺した腕前である。もはや最強であることに疑いはなく、またドフォーレ会頭を暗殺したとの情報も入っている。彼がその気になるだけで死は免れない。これで緊張するなという方が無理であり、その場合はもう諦めるしかないのだ。己の命運を。

 しかし詩人はむやみやたらにその腕を振るう男でない事も承知している。敵対すれば容赦しないだろうが、少なくともトーマスはその範疇に入っていないだろう。エレンも信頼を寄せているようだし、今現在は安心できる材料もある。心配し過ぎてもそれはそれで損するだけである。

「つまらんか?」

 お茶を口にしながら詩人について考えていたトーマスだが、いきなり核心を突かれて動揺が漏れてしまう。

 人を見る目も一流かと、トーマスはなかば諦め気味に詩人の言葉を肯定した。

「分かりますか?」

「なんとなくな。悪かったと思わなくもないが、反省する気もない」

 そう。トーマスが満たされない、つまらないと思っていることは事実だ。その原因に詩人があることも。

 そもそもとして彼は最初に多少の援助して貰ったとはいえ、自分の力で会社を立ち上げて成長させた実績がある。僅かな期間でフルブライト商会からも一目置かれる会社に急成長させたその手腕は伊達ではなく、彼の才能を疑う者はいないだろう。それはトーマスにとって充実した日々であったし、爽快だった。

 しかしそこから暗雲が立ち込める。ミューズを介して銀の腕がこの世界に復活した辺りからトーマスの手に負えない事件に巻き込まれ、内乱では一般兵を都合した程度。アラケス討伐には彼の力で雇用した実力者を送り込めることはなく、近衛騎士団を壊滅させたのも詩人。その対価はシャールが払い、利益だけをトーマスが受け取った格好だ。彼自身が苦労したり才覚を振るった訳でもなく転がり込んだピドナ最高権力者の座。トーマスはこれに喜べる事はなかった。自分の手腕でなく得たそれに達成感を感じることができなかったのだ。

 かといって、それを手放すこともできない現状。まるで誰かの操り人形になったかのような錯覚を覚える。彼に命令できるものはほとんどいないが、ピドナの支配者の席に座らされたような嫌悪感。トーマスはそれを感じていた。

 これが誰のせいかといえば、まあ詩人であろう。近衛騎士団を破り、ルートヴィッヒをピドナから追い出す。せっかくだから味方側の誰かにピドナを支配して貰いたいと思ったところにいたトーマス。詩人が功績の全部をトーマスにぶんなげたのだから。

 まあそれでも詩人は支配者になる気はない。そもそもその資質がない。彼は戦いに関しては比類なき能力を発揮するが、人心掌握術など人の上に立つ才能というのは欠片も持っていなかった。だからこそフルブライト商会などと結びついていたのであるが。

「このまま実感のないままピドナの――メッサーナの王になる。正直、つまらないとは思いますよ。

 これが僕の力で立ち上げたものならこんな虚無感はなかったとは思いますけどね。

 まあ言っても仕方ないですし、詩人さんに恨み言を言う気もないです」

「そうか」

 僅かに空白の時間が流れる。詩人はゆっくりとカップを持ち上げて紅茶を楽しんだ後、真っすぐにトーマスの瞳を見た。

「なあ、トーマス。民主政治っていうのに興味はないか?」

 

 翌日、レオナルド武器工房。

 そこには大勢の人間と、物凄い武具が揃っていた。

 詩人、エレン、タチアナ、カタリナ、シャール、ユリアン、少年、トーマス、ノーラ、ミューズ、ウンディーネ。

 それに数多の聖王遺物と、大きな木箱がたくさん。大きな箱は詩人が手配したものらしく、中身を知るのは詩人のみである。

「じゃあ、戦利品を分けるか」

 詩人の言葉で一同の表情が引き締まる。ジャッカルは多くの聖王遺物を入手しており、今回の戦いでそれらをほぼ丸々回収した形となる。それらの所有権を明確にするというのは大事なことである。これを疎かにすると、後で必ず大きな騒動になってしまう。

 もちろん議論の余地がないものもある。詩人の妖精の弓、タチアナの氷の剣、エレンの聖王のかぶと。これらはほぼ彼らが独力で入手したものであり、他の者は所有権を主張することはできない。

 逆にそれ以外のものはしっかりと話し合わなくてはならない。銀の手、聖王の槍、ルツェンルンガード、七星剣、栄光の杖、聖王の指輪。これらが誰の者であるかを今ここで明確にしようというのだ。

「うちは聖王の槍を取り返したい。文句があるなら先に言ってくれ」

 ノーラがまずは口火をきる。聖王の槍はそもそもレオナルド武器工房のシンボルであったからして、彼女が欲するのはむしろ当然。そして異論がでるはずもない。

 そして次々に希望の声が出されていく。

「クラウディウス家は正式に銀の手を頂戴したく思います。もちろん、シャールに預けますが」

「今ここにありませんが、マスカレイドを奪取した暁にはそれを私の物と認めていただきたい。その代わりにこの場にあるものには手を出しません」

 それらの言葉は問題なく通る。残る聖王遺物は4つ。権利を主張できるのは、6人。

「じゃあ、俺は聖王の指輪を貰おうか」

 そういったのは詩人。今回、彼はこれがなかったせいで後手に回り、大失敗を犯してしまった。300年後にどうなっているかは分からないが、とりあえず確保しておきたいというのは理解できる話だろう。

 次に口を開いたのはトーマス。

「僕は槍を使えるし、残ったものの中ならルツェンルンガードが欲しいかな」

 こうして七星剣と栄光の杖が残される。まだ声を出していないのはエレンとタチアナ、ユリアンと少年。

 とはいえ困ったことになったのはユリアン以外の3人である。ユリアンは七星剣を得手として使えるが、他の者たちにとっては正直に言って両方ともいらないものである。今更こんなものを貰っても仕方ないといえば仕方ない。

「僕はいらないよ。正直、聖王遺物を扱えるとも思えないしね」

 そういったのは少年。死に魅入られ過ぎた彼は確かに聖王遺物をまともに使えるとも思えなかった。

 しかし他をどうするか。いらないのは事実だが、それをはっきり言うのも問題となる現状である。

 そこで口を挟んだのは詩人。

「ユリアン、お前装備は結構心もとないだろ? アビスに行くならなおさら」

「ええ、まあ」

 ユリアンがアビスに行くことは、今この場にいる者には全員聞かされている。今更それに驚く者はいないが、詩人はそこで一つ切り込んだ。

「取引をしよう。お前が聖王遺物を一つくれるなら、アビスに行っている間、俺の秘蔵の武器を貸してやる」

 そう言って詩人はいくつかある木箱の一つを開ける。そこには剣と鎧、そして盾が入っていた。

「竜鱗の剣、竜鱗の盾、竜鱗の鎧。一流の武具であることは保証してやる」

 あっさりと出される、最高の武具にほぼ全員の目が点になる。こんな雑に出されるレベルのものではないからだ。

 そして詩人の突拍子の無さは終わらない。別の木箱を開けると、そこにあったのは流麗な刀身を携えた大剣。

「月下美人。見ればまあ、凄さは分かるだろ。これはカタリナに預ける。いい武器を持つにこしたことはないだろうからな。

 それからシャールにも俺の槍を貸そうか。銘は竜槍スマウグ、俺のメインウェポンの一つだからちゃんと返してくれよ」

 ぽいぽいと投げ渡される、有り得ない武具の数々。特に竜を素材とした武具は簡単に手に入るものではない。いったいどこで手に入れたのか。

 単に疑問に思い、エレンは訊ねてみた

「詩人、この材料はどこから……?」

「ドーラだ」

 一言で切って捨てる詩人。グゥエインの母竜、ドーラ。その遺骸を素材として最高の武具に仕立てなおしていたのだ。

 死して武器に作り直すその行為は趣味が悪いと見るか、交友があったものを死しても共にあろうとする美談と読むかは個々人に任せるとして。とにもかくにもひとまず武器に関してはほとんど解決してしまった。詩人が口を挟むのはもう一つのみ。

「ああ、そうだエレン。お前の斧も仕立て直して貰え。その斧はブラック向きの形になっている筈だ。お前に合わせて調節してもらった方がいいと思うぞ」

「え、ええ。分かったわ」

「とりあえず残りの聖王遺物、栄光の杖と七星剣は詩人さんが持つってことでいいのかな?」

 ユリアンにエレン、タチアナはそれに異論を出せる状況でなくなったのだから、まあ不自然な話ではない。ごっそりと聖王遺物を回収する詩人に思う者がいなくもないが、今回の立役者は詩人ということを思えば文句もつけにくい。とりあえずこれはこれで一段落ついたとみていいだろう。

 さて。続けて防具に話が移る。ここで今まで黙っていたウンディーネの出番だ。

 フォルネウスとの戦いから、術具と防具の融合に力を注いできた彼女の成果が表に出される。用意されたのは二つの鎧。煌びやかな黄色の鎧と、蛇の革をなめして鎧に整えたようなそれら。

「黄龍の鎧。玄武、朱鳥、蒼龍、白虎のそれぞれの属性耐性を付加し、術耐性を大幅に上げる術具をつけた鎧よ。金属部分もレオナルド武器工房が丹念に打ちだした特級品。

 ヒドラレザー。ヒドラ革を素材に作った極めて頑丈な鎧よ。打撃、斬撃、熱攻撃、毒撃に高い防御力を誇るわ。

 間違いなく私とレオナルド武器工房の最高傑作ね」

 黄龍の鎧はエレンに、ヒドラレザーはタチアナに贈られる。少しだけ戸惑った彼女たちだが、装備はいいもの過ぎても困らない。謹んで受け取ることにした。

 ただ、ウンディーネは加えて申し訳なさそうな顔をする。

「けど、開発費用は請求させて貰いたいの。お金がかかっちゃって、流石にタダで渡す訳にはいかないわ」

「う。まあ仕方ないですね」

「まあお金を払うのは仕方ないよね」

 それなり以上に稼ぎまくっている二人はウンディーネの正論に頷いて、渡された請求書を見るが。その顔が一瞬で固まった。

 頑張ればどうなるという範疇を超えている。いや、そう、超越という言葉を彼女たちは確かに理解していた。

「あ、じゃあそれは僕が払うよ」

 そこに割り込んだのはトーマス。ひょいと請求書を奪うと、書かれた金額を検める。

 ピクリと眉を顰めるが、それだけ。彼ならば十分に払える金額だった。法外な額には違いないが。

「ト、トム。でも――」

「気にするなよ、エレン。僕には金を出す事しかできないんだからさ。サラの命の代金にしては安いものさ」

 はっきりいうが、そんな金額ではない。金と命を秤にかけることはあまり推奨されることではないだろうが、この場合でも金を取る者が出るのではないかという金額だ。

 だが命を懸けないトーマスに躊躇いはない。サラを、そしてアビスに向かう仲間の命を守る防具の為には金に糸目をつけるつもりはなかった。

 それにほっとしたのはウンディーネ。

「助かるわ。私としてもエレンお嬢ちゃんやタチアナお嬢ちゃんにお金の話はしたくなかったんだけど、今回は流石に額が額だから」

「いや、良い防具を用意して貰って感謝している。なんなら、僕がパトロンになりたいくらいだ」

「あら、いいの?」

「ああ。僕も親衛隊を用意しなくてはいけないからね。それに持たせる武器防具を開発してくれるなら願ったりさ。

 ただまあ、値段はもう少し考えて貰いたいが」

「それは大丈夫よ。ここまでのものを作るのは多分もう無理だから。そちらの意見を聞いて柔軟に対応させてもらいたいと思うわ」

 トーマスとウンディーネの間で話がまとまる。

 それはさておき、また一つ話が進んだ。アビスに向かうまで、他にしなくてはならないことをエレンは確認する。

「詩人、アビスにはいつ行くの」

「もうちょっと時間が必要だな」

 まだ不足していると詩人は言う。そして続けた言葉に、多くの者は目を見開いた。

「次は修行だな。特にエレン、タチアナ、ユリアン。使える技を教えてやるよ」

 詩人が手ほどきをする。それに驚きが伴わない訳もなく。

 準備は進む。苛烈さを増しながら。今度は負けるわけにはいかないのだから。

 



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104話

なんか月連載になりつつあるなぁ。
絶対に完結させるけど。多分、後10話くらいだし。H×Hの分をこちらに注げていたら完結していたかも。
しかし今は、サガシリーズではロマサガ3よりもフロンティア1が書きたくて仕方がない。詩人の詩の設定を引き継いで。
その為には早く完結させろって話ですよね。

では最新話をどうぞ。


 

 想像はしていた。だからこの現状は決しておかしいものではない。

(バカな……)

 それでも、シャールは驚愕で心のどこかが冷たくなっていくのを感じていた。それは視界の端で表情を捉えたカタリナも同じであると分かる。

 実際に手合わせをした詩人は、それほどまでに強かった。

 

「連携に難がある」

 アビスに向かうメンバーを見定めた詩人はそんな事を言った。基本的に彼らはベント家に厄介になっており、そこでアビスに向かう準備を進めている。そして詩人の言葉を聞いた一同はなるほどと納得をせざるを得なかった。

 特に他の者と連携をほとんど取った事がないカタリナには反論の余地はなく、シャールだってユリアンはともかく他の者とは馴染みが薄い。エレンもユリアンやタチアナ以外とはうまく連携を取れる自信はない。少年に至っては実力差のせいで連携を取ること自体が困難な有様だ。

「模擬戦でもする?」

「そうだな。俺が相手をしよう」

 エレンが軽く言い、詩人が簡単に頷く。それに驚きの表情をするのはカタリナ、彼女は別に模擬戦が厭だという訳ではないのだが、相手が詩人だけというのが引っかかったのだ。

「あなた一人を相手にしても仕方がないでしょう。2つのチームに分かれて……」

「いらんいらん。っていうか全員の連携を上げるんだから、そっちは6人が一緒のチームにならないと意味ないだろ」

 その言い方にカチンとくるのは、カタリナとシャール。ユリアンは俺もあんな時期があったなぁと少し遠い目をしていた。

 売り言葉に買い言葉というか、まあ多分詩人は売っている自覚はないだろう。彼の認識ではカタリナが勝手に言葉を買ったという印象に過ぎない。四魔貴族の影をこの世界から追い出して、宿命の子と共にアビスに行くだけという現状、自重という言葉が抜け落ちつつあった。

「いいでしょう。では私たち6人をお相手願えますか」

「もちろん。場所は……ピドナ宮殿の中庭でいいか。真剣を振り回すなら周囲に迷惑がかからない場所がいい」

 しかも模擬戦用の殺傷能力を省いた武器ではなく、手持ちの真剣でやるとまで言う。ここまで来ると自信ではなく慢心だ、そう思ってしまう2人。

 目に物を見せてやる。トーマスにピドナ宮殿中庭の使用許可を取る詩人にそう思うのだった。

(それができれば苦労ないよー)

 その一連の流れを冷ややかに、そして正確に見ていたタチアナの感想である。

 

 そして。

 

 シャールの竜槍スマウグ(ハルバード)が横薙ぎに振るわれて広範囲を巻き込む一撃となる。詩人はタンッと鋭くステップを踏んで後退し、目の前鼻先でハルバードが通り過ぎるのを待って、即座にもう一度ステップ。前に飛び出して技後硬直を晒したシャールに迫る。

 咄嗟に割り込んだユリアンが手加減なしに頭上から地面に向かって竜鱗の剣を振るう。足一本で詩人は己の体を回転させ、くるりと半身をずらしてその攻撃をやり過ごす。そしてユリアンの開いた胴に棍棒で軽く殴打。

 それを隙として、エレンとタチアナがその詩人に襲い掛かる。改良を重ねるブラックの斧を振り上げるエレンと、氷の剣を長剣と小剣に形を変えた二刀流で迫るタチアナ。タチアナが攻勢防御に出て詩人を釘付けにして、その隙にエレンが全力の一撃をお見舞いする連携。それを詩人はタチアナの連撃の間をすり抜けてその足を払い、エレンの斧は捻転を込めた拳で横っ腹を叩いて軌道を逸らす。

 攻撃が失敗して即座に引くエレンの空白を埋めるように。体勢を立て直したシャールが槍をチャージで突き出して、カタリナが月下美人でスマッシュを叩きつける。少年も手に馴染んだ東方不敗を脇構えにして払い抜けを選択した。詩人は最も自分に早く到達するカタリナの攻撃から順番に対処する。

 カタリナのスマッシュの勢いに合わせて縦回転。風車のように後ろ向きに回転し、頭を下にしてなんなくその技をやり過ごすと代わりに上がった足先でカタリナの顎を軽く蹴り上げる。上下反転した詩人はそのままシャールの槍の穂先を白刃取りで受けると、ギュルリと掌をこするように摩擦させることで槍を反対側から回転させ、あろうことか自分の天地を逆転させると同時に槍の反対側を持ったシャールに回転を届かせて思いっきり体をつんのめさせる。そして残った少年の刀をなんなくさばき、カウンターでポコン。

「――終いだ。残像剣」

 持っているのは棍棒だが、その技は気による瞬間的な分身の作成を極意とする。棍棒だけを気で一瞬だけ実体化させ、それぞれの防御の隙間に差し込むように殴りかかる。受け手としては自分のすぐ傍にいきなり敵の武器が出現するのだからたまったものではない。避ける間もなくその一撃を許すしかないのだ。

「「練気拳!!」」

 いや、このエレンとタチアナだけは違う。練気を発動させ、襲い掛かる朧な棍棒を弾き返して攻撃を無力化。攻撃に成功した棍棒も、弾かれた棍棒も。瞬く間にその形を失い、霧散する。

「見事、と言っておこうか」

 それを見越したのか、読んだのか、それとも見てから動いたのか。いつの間にかエレンとタチアナの近くまで移動していた詩人は、今度は実体ある棍棒を振り上げる。

 重なる攻撃で受ける準備ができていなかった彼女たちに、もはや対応は不可能だった。

「いたっ!」

「きゃん!」

 ポコポコと軽い音が二回。

 6人掛かりで無傷、6人掛かりで汗すら流させない。詩人という男に、その強さを体験していなかったカタリナとシャールは唖然とした。

 確かにピドナの近衛騎士団を瞬く間に壊滅、全て一太刀で切り捨てたとは聞いた。自分たちはそんなことはできないとも思った。

 だがしかし、実際に立ち合ってその武を肌で感じれば理解してしまう、理解せざるを得ない。この男、詩人は次元が違いすぎる。

「ま、運動にはなったかな」

 軽くそう言う詩人に、もはや何も言い返せない。そこまでの圧差で完敗だった。

「どうだ、連携は大分馴染んだだろ」

「そうね、癖とかは結構把握できたと思う。そして次は殴る」

「私も合わせてくれるタイミングとかは掴めたかな。そして次は刺す」

 そんな中で、エレンとタチアナだけは詩人に追いすがる事を止めはしない。飽くなき向上心で至高の男に挑み続ける。っていうかタチアナ怖いな。

 さらっとセリフの後半を無視して、詩人は少しだけ考え込む。

「流石にカタリナとシャールの完成度は高いな、高すぎて手が加えられない。逆にエレンにタチアナ、ユリアンは発展途上だし加えて鍛えていいか……」

 自分の中だけ完結して、詩人はエレン達三人を見る。

「最後に使った技があっただろ、気で武器を作り出したヤツ」

「ええ、初めての技だったわね、正直びっくりしたわ」

「アレをお前たちに教えようかと思う。気を扱った技だからできないということもないだろうしな」

「おー。詩人さんが新しい技を教えてくれる!」

 無邪気に喜ぶタチアナ。それを笑って見た詩人は、最後に残った少年に顔を向ける。

「最後に少年だが、一人だけレベルが足りない。正直、今から急に強くなるのは無理だと思う」

「…………」

「とはいえ、君は宿命の子だ。ゲートを開く為にもついてきて貰わなくては困る。

 だからその宿命の力を使いこなす事を目指してくれ」

「この、死の力をですか?」

 嫌悪をにじませる少年だが、詩人は揺るがない。こくりと容赦なく頷く。

「死の術は強力だ。敵を殺すのはもちろん、攻撃の気勢を削ぐ守りの術にさえなるだろう。術の支配者は君だ、怯えなくていい。むしろ怯える方が死の宿命に呑まれてしまう。

 そこでだ。ピドナから北に、死を祀った寺院跡がある。そこへ行き、死とはどういうものかに触れて、術力を高めてくれ」

「! そんな……」

「強制はしないが、それはサラを救う為の力になるだろう」

 少しだけ静寂。

「分かりました、行きます」

「決まりだな。今日急にとは言わない、多少時間をかけて準備をしてくれ。そこには死の気配に誘われたモンスターも多いだろうからな」

 いったん話が終わる。詩人はそこで解散を告げた。

 ある者は疲れを癒す為にベント家に戻り、ある者は自分の用事を済ます為に街中へと向かう。

 そしてシャールは、クラウディウスの屋敷へと足を向けた。

 屋敷に着き、その扉をノックする。すぐにがちゃりと扉が開き、メイドが顔を出した。

「まあ、シャール様」

「邪魔をしていいか?」

「ええ、もちろんです。ミューズ様からもシャール様は許可を取らずに賓客として扱えと指示を受けていますわ」

 そう言ってシャールを中へと誘う。どこか懐かしく、しかしどこか違和感がある屋敷を進むシャール。変わらないところもあれば、変わってしまったところもある。しばらくクラウディウスの手を離れてしまった弊害だろう。寂しいとは思うが、興隆と衰退は世の常。それを受け入れるくらいはシャールに度量はあった。クラウディウス家はむしろ中興できただけ幸いな部類だろう。

「ミューズ様は?」

「書斎で勉強なさっています。その他にも剣術を習ったり、自分に厳しくし過ぎかと心配ですわ」

 困った顔をするメイドだが、シャールはどこかミューズの心が分かった気がする。

 シャールを、己を失った罰をどこかでミューズは求めているのだ。そしてまた同じような悲劇が降りかかって来た時、それを払えるように。今度こそ自分の大事なものを守れるように。

 それらが合わさって、ミューズは過酷ともいえる自己鍛錬を行っているのだと。

 書斎に着き、シャールはコンコンとドアをノックをする。

「ミューズ様、シャールです」

「まあ、シャール!」

 扉の奥から喜びに満ちた声が聞こえ、ぱたぱたとした足音の後にドアが開いた。

 そこには少しだけ疲れた顔をした、けれども前よりもずっと健康的になったミューズが居た。

「シャール、今日はどうしたの?」

「特に何も。時間ができたのでミューズ様にお会いしようと思っただけですよ」

 いつまでピドナに居られるか分からないから。その言葉は呑み込んで。

 だが、言わなければ伝わらないというものでもない。それをしっかりと理解してしまったミューズは僅かに顔を哀し気に歪ませると、しかしそれでも気丈に笑う。

「そうね、お茶にしない?」

「喜んで」

 すぐにベルでメイドを呼び、お茶の準備をさせる。書斎からリビングへと移動し、薫りが素晴らしい高級茶葉を一流のメイドが雑味なく抽出したそのお茶がふるまわれる。

 それを口に運んだシャールは思う、満点を与えていいと。できるだけの最高をミューズに贈るという約束は守られているようだった。

 しかし、そこにミューズが最も望んだシャールはいない。

「ね、シャール」

「はい」

「シャールは私の家族よ。私の、最後の家族」

「…………」

「その家族を、私は守れなかった。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

「謝らないでください、ミューズ様。家族とて、永遠に一緒に居られる訳ではないのです。

 人はいつか死ぬ、私はそれがほんの少しだけ早かっただけですよ」

「…………」

「それに、家族は新しくできます。佳い人を見つけ、できた子供を愛して下さい。

 いつかミューズ様が聖王の御許に導かれる時、それを悲しんでくれる大切な人をたくさん作って下さい。それこそが私の願い、私の望み。

 それ以外は望みません」

「シャール……。分かったわ、シャールがそう言うのであれば、私はそのように生きましょう」

 そう言ってカップを持ち上げるミューズの手は震えていた。

 人は、そう簡単に割り切れるならば苦労はない。シャールを喪う悲しみが癒えるのが何時になるか、それは誰にも分からないのだろう。

 しかしミューズはそれでも笑う。シャールがそう生きる事を望むなら、できる限り沿うようにしようと。たとえ心から笑える日が来なくても、それでも心から笑えるように努力をしようと。

「ミューズ様に聖王の加護があらんことを」

 そう言ってお茶を飲み干し、立ち上がろうとするシャール。

 帰るのだろう。それが永遠の別れになる気がして、思わずミューズはシャールを呼び止めた。

「待って、シャール!」

「どうしました、ミューズ様?」

 動きを止めるシャール。別にシャールとしては何も思うところはない。明日死地に赴こうとも、それは覚悟していること。今更死が怖いなどと、騎士として情けない事は死んでも口に出せない。

 だが、未だに心の整理がついていないミューズにそれは強い恐怖を呼び起こした。今、シャールを帰せば二度と会えないかも知れない。その恐怖に、ミューズは勝てないでいるのだ。

「泊まって、泊まっていって!」

「は?」

「ベ、ベント家には使者を出しましょう。本日、シャールはクラウディウス家に宿泊すると。

 詩人も、居場所が分かれば問題ないと判断するでしょう!」

「…………」

 まあ、シャールとしては構わない。ただし、これだけは言っておかなくてはならない。

「今の雇用主は詩人殿です。もしも詩人殿から帰還するように指示があったらすぐに戻りますが、それでいいですか?」

「ええ、ええ。もちろんです」

「――分かりました。では明日の朝食までの予定で厄介になります」

 ミューズの恐慌も理解できるシャールは、比較的あっさりミューズの言葉を受け入れた。

 そしてこの話を聞いた詩人は、特にシャールを呼び出すことなくそのままクラウディウス家に彼を逗留させるのだった。

 

 場所は変わってレオナルド武器工房。

 そこに向かったのはエレン。ブラックの斧に手を加え、エレン専用の武器に仕立て直している。今はその最終調整、詩人との模擬戦で使い心地を感じ、ほんの少しの違和をなくす為の最後の手入れをしていた。

「軸がほんの少し、右にぶれてるわ。それから重心も手元に1.3mmくらいずらして貰いたいの」

「分かった」

 その作業をするのはノーラ、聖王の槍を取り戻したこの工房の主。彼女は戦うことの最前線からは退き、職人として最高になろうと腕を磨いている。彼女を主とする工房に高々と飾られたのは聖王の槍。レオナルド武器工房の初代がアラケスの魔槍を叩き直し、聖王専用にしたという聖王遺物の中でも最も格のあるものの一つだ。

 シンボルが戻ったレオナルド武器工房はなお一層の賑わいを見せ、ピドナではなく世界で最も有名な工房になりつつある。ピドナの新たな支配者になったトーマスから手厚い支援を受け、フォルネウスを倒した天才術師ウンディーネとも提携し、武具の新たな領域を目指して研鑽を積んでいる。

 そんな彼女は真剣な瞳で斧に向き合い、精密な調整を行う。ヤスリでほんの少しだけ削って微細な修正をする。

「しかし結構形が変わったわね~」

「エレンが使うイメージと大分違ったからね、思い切ったアレンジをさせて貰ったよ。でも、地金は一緒だから」

「それは見てたから分かってるわ。それに今の方が断然に使いやすいし、文句もないわよ」

 喋りながらでもノーラの手元は狂わない。そんな職人だからこそ、エレンは自分の相棒でもありブラックの形見でもあるその斧を任せるに値するのだと思っている。

 ブラックから渡された時はバイキングアクスの形をしていたそれは、刃の部分が全く違っている。言うなれば風車のような三枚刃が、持ち手と合わせて十字のように広がっているのだ。

 ホークウインド。そう呼ばれる斧として最高の威力を持つそれに、エレンの得物は姿を変えていた。形は大きく変わったが、その元となった金属はノーラの言った通りにブラックの斧のものを再利用している。とはいえそれなりに痛んでいた分もあったので、金属やその他の素材を足して強化し、傷んでダメになった部分は金属を溶かす際に浮き出たので捨てざるを得なかった。それを経由してできたこの斧は、生まれ変わったといっても過言ではあるまい。しかしその元は間違いなくブラックの遺品だという事実が、エレンの口から文句を出なくしていた。

 ブラックの斧はその重量を振り回すように扱い、体重と合わせて相手を潰し切るような使い方を主眼に置いていた。しかし新生したホークウインドは刃物の切れ味を重視し、重みと合わせて裂傷を与える事に特化しているといっていい。

 何よりエレンが好んだのは、重心が大分体寄りになった事で、斧の重さに振り回されることが少なくなったことだ。体術も扱う彼女は、武器を振るう際の遠心力によって体の軸がブレることを極端に嫌う。それが改善されたとなれば喜ばない訳がないのだ。

「と、完了。どうだい?」

 ノーラに渡されたホークウインドを手に取り、軽く振るうエレン。修正したのはほんの少しであるのに、馴染み方は全く違う。

 これが熟練の技の結晶なのだろう。ノーラの工房技術と、エレンの武術。そのどちらかが欠けても、理解できない領域なのだ。

「素晴らしいわね、助かるわ」

「良い言葉だ、職人冥利だねぇ」

 そう言って男臭い笑みを浮かべながら、ノーラは仕事終わりの一服をするべく煙草を口に運ぶ。じりと少しだけ距離を取ったエレンには苦笑いだ。

「――どうだい、勝てるかい?」

「勝つのよ。それ以外ないわ」

「は。野暮を言っちまったか」

 ノーラの敵討ちは終わり、これからは鍛冶場での戦いに身を投じる事になる。エレンはこれまでも戦い続け、そしてサラを助けるべく最後の決戦に挑むことになる。

 道を違えた二人、そもそもとして面識だってそんなにない。それでも、彼女たちは戦友だった。

「んじゃま、勝ってこいや! 祝い酒で飲み比べをしようぜ!!」

「いいの? あたしザルよ? シノンの村でもどこでも負けたことなんて一度もないわ」

「いいね、楽しい酒宴になりそうだ」

 その言葉を聞きながら、エレンはノーラに背を向ける。彼女は軽く手をあげて挨拶をしつつ、レオナルド武器工房を後にした。

 湿っぽいのはゴメンだと、その粋な生き様は嫌いじゃない。見送るノーラは思うのだった。

 

「…………」

 ベントの屋敷で詩人は送られてきた手紙に目を通す。

 ロアーヌのリンが筆を取ったその手紙は、今はミカエルの為に尽くしたいと書かれてあって、東には行けないという詫び文だった。

 それから、エレンとタチアナの武運を祈るとも。決して薄情なだけではなく、共に戦った者への信頼が溢れた文だった。

(まあいい。予想から外れてはいない)

 結局、詩人はあの妖怪婆に説明する役がイヤだっただけである。っていうかリンも多分それがイヤなのが一因にある気がしてならない。

 もうあの妖怪婆が全部悪いという事にしておこう。そうしよう。

 それよりも気になるのは、ユリアンとカタリナが認めた手紙。それぞれモニカとミカエルに宛てられた、遺書である。

 東に行き、ゲートを潜ってこちらに戻って来るまで、どんなに長く見積もっても三ヶ月と詩人は試算を出した。だから、半年。半年経っても戻らなかった場合、その遺書はトーマス手ずから渡される手筈になっている。

 モニカには幸せに生きて欲しいという願望が綴られており、ミカエルにはマスカレイドを取り戻せなかった謝罪文があると聞いた。確かに死を覚悟しなくてはならない以上、間違った準備とはいえないだろう。

 それでも。

(誰も死なせやしない。みんなで生きて帰ろう)

 仲間に死んで欲しくない。

 詩人は改めて心で誓いを大きくするのだった。

 

 

 



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105話

今日からリユニでギルド実装ですね。
建てようかな、どうしようかな。
ワクワクします。


 ピドナの北にある洞窟寺院跡。

 丸一日歩けば着く場所にあり、片道二日かけて歩いて行く。洞窟の中にこもる時間を三日と仮定すると、予定ではおおよそ1週間の旅になる。これにはアビスに行くメンバー全員が参加する事になり、道中や寺院のモンスターを相手に最後の連携を試すことになるだろう。

 最深部にある死の像にて少年が祈りを捧げて、彼の死の宿命を支配する事が最大の目的である。これが済み次第に東に向かう手筈になっており、もう時間は幾ばくも無いのだ。

 朝。まずは洞窟寺院跡に向かう為に出立の準備を整え、ピドナの町境にある門に集まる一同。見送りにトーマスはいない。彼は今、仕事で大変に忙しい。比較的身軽なノーラとミューズが姿を見せていた。

 だが、空気はとても悪い。ミューズが、これがシャールがいなくなるカウントダウンだと理解しているし、そのシャールをアビスへと連れていく詩人に対して悪意ある無視をしているからだ。詩人も詩人でミューズを居ないものとして扱っていて、そのギスギスとした空気で明るくなれという方に無理がある。

 そしてこの空気に、とうとうエレンがキレた。

「ミューズさん」

「何でしょうか、エレンさま」

 ちょっと目が据わったエレンに、それでも容赦なく今まで通りの態度を貫くミューズ。

 これはヤバイと悟ったユリアンとタチアナが一歩引く。エレンはこうなると頑固を拗らせる一方だという事はそれなりに付き合いがある二人にはよく分かっていて、しかもミューズも引かないだろう。どう着地しても大事故になる未来しか見えない。

「恨むならあたしを恨め」

「……? それは、どういう?」

 いきなりの言葉にミューズが素で首を傾げた。

「おい、エレン。やめろ」

 おおよその意味を察した詩人が止めに入るが、まあここで止まるようなエレンならば苦労はない。エレンまでも詩人を無視して話を進める。

「詩人がシャールさんを巻き込んだのは、あたしが弱いから。あたしだけだとアビスから還って来られないから、詩人はシャールさんを巻き込んだの。

 だから悪いのはあたし。恨むなら、あたしを恨め」

「…………」

「もし、シャールさんを助けたいなら、今ここであたしを殺せばいい」

「おい、エレン!」

 今度はもっと強い口調で詩人が声を出すが、エレンは止まらない。

 エレンは短剣を抜き、ミューズに渡す。野宿などで使うナイフだが、手入れは欠かしていない。朝日を反射させてギラリと輝くそれは、どこか物悲しかった。

 短剣を掴み取ったミューズは、しばらく無言でそれを握る。

 そして。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 静寂から唐突。ミューズはエレンに向かって、ナイフを振り下ろした。エレンはその切っ先を睨むだけで、回避も防御もしようとしない。

 それを見抜いた詩人が瞬間で間に入り、手刀でミューズが握ったナイフを叩き落とす。そうしなければ、本当にエレンは刺されていた。

 あまりの事をしでかしたエレンに怒声をあげようとした詩人だが、それより早く大きくミューズが金切り声をあげる。

「どうして――どうして、私からシャールを奪うのよぉっ!!」

 ボロボロボロと涙を流し、口は泣き笑い。ガチガチと歯の根が合わぬその様を見て、ようやくミューズがどれほど追い詰められていたのかを知る。

 おそらく、気が付いていたのはエレンだけなのだろう。だからこそエレンはミューズにナイフを渡し、その切っ先から目を逸らさなかった。

「どうして私の家族はみんな居なくなるのっ!? どうして私を独り残すのっ!? どうして、どうして、どうしてぇぇぇぇぇ」

 狂乱の叫び声をあげて、そのまま顔を覆い、へたり込んでしまうミューズ。詩人はこのような慟哭なぞ、永い人生で何度も聞いた。だから彼は今更反応しない。

 しかしミューズがここまで激情を顕わにするのに、多くの者は呆気に取られていた。いや。驚くというならばエレンにナイフを突き立てようとした瞬間からだ。あの一瞬、ミューズは般若のような形相をしていた。そこまで女のおぞましさを表に出していた。そしてそれは今までのミューズを見ていたら、想像すらできなかったこと。

 それら全てを当然と受け止めたのは、エレン唯一人だけだった。何故ならば、エレンだけがミューズの絶望を知っている。

「どうしてだろうね。サラはあたしの妹ってだけなのに、どうして世界はあたしからサラは奪うんだろうって、何度も叫んだわ」

 泣きながらへたり込むミューズを、エレンは優しい目で抱きしめる。直前に刃物を振り下ろされた人間の対応ではない。

 それは、アウナスとの戦いの前にミューズが与えてくれた慈愛だった。愛を与えるばかりで貰えなかった女神に、今、悲しみを知る女が慈しみを返す。

「泣いていい、嘆いていい、叫んでいい、恨んでいい。

 いいよ、あたしが全部背負うから」

 エレンは絶望にすすり泣くその痛ましい女を抱きしめて、まるで幼子をあやすようにポンポンと背中を叩く。

「あたしが弱いから、シャールさんをアビスに連れていく。それは事実。

 だけどね、詩人は本当に誰にも悲しい想いをさせたくないの。詩人は誰にも死んでほしくないの。それはあたしが保証する。

 信じてる、詩人はシャールさんも守ってくれるって。きっと、きっとサラと一緒にシャールさんもアビスから還って来る。いや、シャールさんがいるから還って来れるの」

 その言葉に、ミューズは涙を隠す事もせずに詩人を見た。エレンの言葉が真か偽か、どうしても確かめたかった。いや、確かめないなんてできなかった。

 詩人は、困ったようにそっぽを向いている。それはまるで悪戯がバレた少年のよう。必死に隠していた悪い事が見つかってしまい、どうやって謝ろうか悩んでいるかのよう。

 そこに悪意がないと、そう信じられた。心から信じる事ができた。

 そしてミューズの視野が広がる。世界で一番に自分が不幸だと思っていた。けれども、少なくとも自分を抱きしめてくれているこの女性も同じくらい不幸なのだ。

 エレンを助けるにはシャールが必要で、ミューズが笑うにもシャールが必要。その両方を守る為に詩人は戦っているのだと、ようやく気が付けた。

 ――今まで、この曇った瞳で何を見てきたのだろう。詩人が悪意で人を貶める人間であるとでも思っていたのか、一緒に旅をした間柄なのに。共に心から音楽を演じたのに。その清い音色を聞いていたのに。

 詩人は、恨まれる事でミューズの心を守ってくれていたのだ。今更と言われるかも知れないが、そこに辿り着けた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさぁぃぃぃ…」

 ミューズは自分が恥ずかしかった。自分しか考えられていなかった事が、自分だけが苦しいと思っていたことが。他人を信じられなかったことが、他人に責任を押し付けてしまったことが。

 それを、エレンが赦す。

「もういい、もういいの。

 今は泣いてもいいけれど、いつかアビスから還って来るその時に、また笑って迎えてよ」

「はい、はい、はい……。必ずっ!」

 あやされながら、ミューズは改めて詩人を見る。

 そして、はっきりと、口にする。

「――お願い、申し上げます」

「――請け負った」

 

「結局、全部俺にぶん投げやがったな、お前」

「ま、男の甲斐性の見せどころでしょ」

 半日が経つ。

 ピドナから離れた雑木林で野営をする一行。詩人はジト目でエレンを見ているが、エレンはあっけらかんとしたものだった。悪びれ、全くなし。

 ため息を吐く詩人。というか、ため息を吐いてなければやっていられない。せっかく散々積み上げてきたものが、エレンのせいで台無しである。パチパチと焚火を囲む仲間たちだが、その中で詩人の心は一日中憂鬱だった。

 もちろん詩人は誰も死なせたくない。けれども、だからと言って死なない訳がないのが戦場というものである。そして大切な者を亡くした時、感情の当たり所が必要なのだ。詩人はそれになるつもりだったが、あそこまでアレコレしていたことをばらされてはミューズが詩人に当たれる訳がない。ミューズがとてつもなく優しい人間なことくらい、詩人にだって分かっているのだから。だからこそ詩人は徹底的に悪人になりきろうとしていたのに。

 しかしこうとなれば、シャールも誰も死なないように努力するしかない。誰が死ぬかも分からない戦場で。強制的にとてつもない大博打を打たされれば、それこそ詩人がエレンに恨み言を言いたくなるというものだった。

 けれども、それで詩人はミューズを取り戻した。彼一人ならば決してできなかった事である。しかも善意でやられては文句もつけづらい。今度は詩人が誰に当たれる訳もなく、仕方なしにため息を吐くのだった。本当に、ため息でも吐かなくてはやってられない。

「そうそう。詩人さんは偽悪的にふるまい過ぎだよね~」

「分かってるなら付き合ってくれよ……」

「いや、だって私も詩人さんを信じてるし」

 タチアナはカラカラと笑いながらエレンの肩を持つ。彼女としても、今までお世話になり続けた詩人が自分から悪人になるのを見て楽しい訳がなかったのだから。

 本格的に味方がいなくなった詩人はげんなりとしてうなだれた。悪役になろうとして、後ろから裏切られた彼を助ける者は誰もいなかった。

 そんな三人を黙って見ていた、ユリアンとシャールにカタリナ。その中でとうとうカタリナが意を決して口を開いた。

「詩人殿、あなたは本当に一体何者なのですか?」

「ん? 前に言っただろ、聖者アバロン」

 詩人の気安さは変わらない。当然のごとく、そんな信じ難い内容を口にする。

 だが、だがだ。そんな嘘くさい言葉をエレンとタチアナが否定しない。そんなバカな事を言うなとたしなめない。故に、その言葉が段々とじわじわと真実味を増して三人に届いて来る。

「ほ、本当、ですか?」

「本当本当。ま、信じろとは言わないけどさ」

 300年前に生きた、伝説の聖者アバロン。しかし人が300年も生きるなんて有り得るはずがない。その有り得ない前提を、エレンやタチアナは呑み込んでいる。

 確認するように二人の女性に目を向ければ、肩をすくめながら頷かれてしまう。

「実際に生きてるんだからしょーがないよね」

「グゥエインも詩人が聖者アバロンと認めていました。300年前からの生証人にそう言われれば信じざるを得ないです」

 全肯定。ここまで清々しいと反論もできなくなる。

 まさか。本当に。

「聖者、アバロン?」

「どう言ったら信じるんだよ、お前ら」

 いまだ疑問形をつけるカタリナに、詩人が先ほどとは別種のため息を吐く。

 だから名乗るのが嫌だったのだ。どんなに言葉を尽くしても信じられることはなく、いきなり詐欺師扱いされることもザラ。そして信じられたとしても、詩人にメリットは一切ないのである。これでは名乗る気も失せるというものだ。

 特にカタリナやシャールなど、教養ある立場の者ほどに動揺と不信は大きい。未来を語るならともかく、偉人を騙るとなれば明らかに詐欺師であるのだから。

 だがそれ故に、教養が少ない者は案外受け入れるのである。

「へぇ。マジで聖者アバロンなんだな、アンタ」

「そもそも、その聖者っていう称号が慣れないんだよなぁ。俺が聖なる者って柄かよ、ってな。

 いや、伝説って怖い」

 ユリアンは詩人がアバロンとイコールである事実を呑み込んだ上で、興味を持って気さくに話しかけた。詩人としてもこのくらいの距離感の方が心地いいので、容易く軽口にのる。

「いや、俺も実は歴史の勉強として叩き込まれただけで実感があまりないんだ。

 それで聞いた話によれば、アバロンって聖王の師でもあったとか聞いたけど?」

「有名だよな、アリィの師匠って。口止めしとけば聖者とか呼ばれなかったんじゃなかったと心底思う」

「アリィ?」

「アウレリウスの愛称。ほら、弟子だし」

「嫁だし?」

「触れるな、エレン」

 よめ? 読め? 夜目? 

 ……嫁?

 エレンの言葉を理解するのに必要な時間は、さてどのくらいだったか。

「あ、あの……。聖王は、未婚で」

「結婚はしなかったけど。聖王との間に子供を作って逃げたらしいわよ、コイツ」

「うえ、詩人さん、マジ?」

 軽蔑の視線を向けるユリアンから流れるように視線を逸らす詩人。

 否定はしないらしい。

 もう、なんというか、聖者アバロンという人物の像がガラガラと崩れていく。とにかく少なくとも詩人は詐欺師ではないだろうことはなんとか理解する。ここまで自分が名乗る伝説的人物の評判を落とす真似は、詐欺師なればこそ絶対にしない。

 というか、事実であろうとなかろうと。詩人は聖者アバロンの偶像を持つ者に何か恨みでもあるのだろうか。ここまで憧憬を木っ端微塵にする奴はそうそうない。

「だから伝説なんてそんなモンなんだって。アリィだって人間だよ、普通の」

「へえ、普通だったんだ」

「うん、そうそう。タチアナみたいな奴だった」

「――普通?」

「おっしユリアン、その喧嘩買った」

 和気あいあいとする焚火を囲んだ一同。じゃれるタチアナとユリアンにエレン、そして詩人。そんな彼らを静かに見る少年。

 未だ呆然とするカタリナとシャールに、詩人は笑いながら語る。

「変わらんて。今も、300年前も」

 懐かしさと親しみがこもったその言葉に、ようやくカタリナとシャールは詩人を信じた。信じることができた。

 聖者アバロンだと信じた訳ではない、300年も昔を生き抜いた人間だと思った訳でもない。詩人という男が、今を生きて、そして共に戦い背中を預けるに値する者だと信じたのだ。

 詩人は強すぎる、背中を預けては不安な程に。だからこそ彼は信じられない、気を許されることがない。確かにあった冷厳なる不信の壁。しかし、その冷たい壁が溶けていく。詩人個人が信じられると思えた為に。ユリアンが、エレンが、タチアナが。詩人を無垢に信じているからこそ、そしてその信頼を詩人が裏切らないからこそ。

 人の信頼というのはそうして紡がれていくのだ。そもそも、過去に何があったかなど些末事だ。他人の今までを全て把握できる人間なぞ、居る訳がない。問題とされるのは、今信じられるかどうか。

 それは奇しくも――いや、ある意味当然ながらハーマンと名乗っていた男がエレンに語り聞かせた事だった。

 詩人は他人から信じられない。そもそも彼が自分を信じさせる気がないが故に。だからこそ、それでも彼を信じる人たちによって、詩人は少しずつ信じられていくのだ。

 アビスに挑む。聖王さえ為さなかった偉業を為すため、集った7人は士気を高揚させる。揃えなければならないピースが、ゆっくりと形作っていくのだった。

 

 洞窟寺院跡と呼ばれるその場所は、聖王文化を汚しているといっても過言ではない。

 死を讃えよ 死は幸いなり いざ幸いの地へ

 その教えである。そう唱える人々は、他から見れば呪いの言葉をまき散らしているよう。たとえその信徒がそれこそが真の幸福だと信じ切っていても、生を望むものが付き合わされてはたまったものではない。比喩なし文句なし、ただの殺し合いに発展するのは自明の理。

 己全ての価値を懸けたその戦いは凄惨を極め、やがて死を幸福とする人々は滅び去った。かれこれ600年前の実話らしい。もはや己の経験としてそれを語れるのはレオニード伯爵か四魔貴族くらいだろうから、ほとんど伝聞になってしまうのは仕方ないだろう。

 そして滅び去ったそれは、アビスと極めて相性が良かった。モンスターですら生を育むというのにアビスには適合したというのが、()がよほどのものだと伝えるのは十分だろう。

 故にというべきか。その洞窟寺院跡には、生を育む必要のない死霊系モンスターや悪魔族モンスターたちが住むに恰好の瘴気が満ちることになった。

「キョエエエェェェー」

 骨だけとなり、しかし殺意を衰えさせないフリスベルグの群れが殺到する。奥にいるのは鎌を持った悪魔であるリーパーだ。

 詩人は手を出さず、そして少年も戦わない。詩人はともかくとして、少年が戦わないのは彼が死というものを深く観察するためだ。そういう意味でこの洞窟寺院跡は最適の場所といえた。

 残る5人は当然ながら戦う。座して死ぬほど諦めがいい人間ならば、そもそもここに足を運ばないのだから当然だ。

 とはいえ、今更フリスベルグ程度に手こずっていては話にならない。ユリアンが、エレンが、シャールが、カタリナが。絶妙に連携をしながら骨の群れを仕留めていく。数に押されれば僅かながらも隙を晒さざるを得ないのが道理であるが、それを覆すのもまた数。お互いがお互いをフォローし合い、かすり傷一つなく数十の敵を葬り去る。

「大将首貰いっ!」

 そしてフリスベルグたちを操っていただろう、悪魔族のリーパーを攻めるのはタチアナ。もはや恒例となった長剣と小剣の二刀流で躍り掛かる。

 リーパーがギラリと鋭い眼光でタチアナを睨みつけ、振るう鎌は必殺。死神の鎌とも言われる致死の刃である。

 魂を直接刈り取るそれを、タチアナは容易に避ける。その技はアウナスが使っていた。それを遠くから観察できた。ならばこそ、たった一度でも見た技を格下が使おうとも通用するタチアナではない。

 温い、甘い、弱い。ただただそれに尽きる。

「十文字斬り!」

 ユリアンが得意とするその技をいつの間にか会得した少女は、二撃を以てリーパーを切り裂く。切り裂き魔の異名を持つ悪魔としては皮肉な末路であろう。

 もっとも、タチアナがそんな繊細な事に気を留める筈もないのだが。

「ふぅ、終わった終わった」

 湿り気なく言葉にするタチアナの通り、もはや敵というものはない。全て殲滅した後である。

 だが、彼らの意識はもはやそこにはない。眼前にあるのは、赤子を抱いた母の石像。しかしながらその像は、母も子も血の涙を流している。無機質な石像にはあまりに有機的で、そして忌避を感じさせる。

 理解せざるを得ない。これこそが死、これこそが終焉。生きとし生けるモノ全てが辿り着く境地なのだと。

 死を讃えられたその像は、静かに全員の意識に語り掛けた。

―我はガラテア。汝、安息を欲する者か?―

「否!」

 ここにきて力強く少年が答える。もしもここで是と答えたのならば、ガラテアは一同に安息を与えるべく殺しにかかってきただろう。

 しかしガラテアは安息を否定する者にも寛容だった。

―佳い。全てはいずれ安息へ至る。過程にはあえて言及するまい。しかしそれでは何故我を求めるか―

「死を扱う為に! 死を従える為に! 死に振り回されぬ為に!」

―佳い。死は忌むべきものではない。死は悟るもの。死は甘受すべきもの。死は穏やかであるもの―

 死の体現者であろうガラテアは静かに少年の激情を受け入れた。

 長い年月を過ごしたであろうその石の身体は、やがて全ての生物が受け入れるであろう死を急く事はしなかった。ガラテアが詩人について理解が及んだのならばそれはそれで興味がわくが、話がこじれるだけなのは理解できるのでスルーする。

 問題は、少年が死というものにどれだけの造詣を得られるかである。

「問う、死とはなにか? 我は死を運ぶ者、我が運ぶ死の意味は何か!?」

―答える。死に意味はない。死に価値はない。死は、ただ尊ばれるものである―

「っ! 問う! ならば生に意味はあるか、苦しみに意味はあるか、戦いに意味はあるか!!」

―答える。生に意味はある。苦しみに意味はない。戦いに意義はある―

「その心はっ!?」

―生は死の猶予也。死に意味を与えるのが生である以上、生に意味はある。

 苦しみは感情也。苦しみに意味はない。苦しむことに意味がある。苦しむことで生を理解し、やがて死を受け入れる。

 戦いは作法也。生きる為に必要なこと。戦いなき死には安息のみ。苦悩と納得はそこに無し―

「では、死とは!」

―安息也。全てが休める、その極地―

「死を運ぶ僕はなんだ! 生あるものを死に誘う僕は何なんだぁぁぁ!!」

―死を運ぶ者は伝道者也。忘れるな、安息の地は必ず在る―

 叫ぶ少年に、ガラテアは淡々と答える。

 それは一種の死を超越したものに他ならないだろう。正解か、理解するか。それは問題ではなく、ガラテアはもはや死に納得しているのだ。

 少年が、それに共感できるか否か。理解できるか否か。支配できるか否か。彼は端的な質問でガラテアに問いかけた。

「ならば死を如何に扱う?」

―どうとでも。尊ばれるものに価値はなく、過程に示される結果には恐怖有り。

 それは死がある者が見つけるべき也―

 少年は目を瞑って瞠目する。見えないものことこそ、その価値がある。少年はゆっくりとかみ砕きながらそれを心に染み込ませる。

 その問答を詩人は哀しく見守っていた。ガラテアは、おそらく詩人自身と同等だ。何がしかの理を以て、己に訪れる筈の死を拒絶している。詩人はただ生きる為に、ガラテアは苦しむ者に安息を与える為に。

 だからこそ詩人はかつてここを訪れてもガラテアを破壊できなかった、この石像を詩人は否定できなかったから。死が幸いとは思わないが、少なくとも死は安息だろう。己の安息を否定してまで苦しみ生き続け、そしておそらくは人のカタチさえも喪ったそれを。詩人はどうしても否定も破壊もできなかったのだ。

 死の体現者。ガラテアをそう理解していたからこそ、詩人は少年をここに連れて来たのだった。

 その結果。

「わかった」

 少年は何かを掴めたらしい。ガラテアに向かっていた少年が振り返った時、彼の表情は憑き物が落ちたようだった。

「もういいのか」

「うん、もういい。行こう、サラの元へ」

 言い切る。もはや少年はガラテアに何の執着もなさそうだった。

 しかしながら、吹っ切る事が全て好転するとは限らない。詩人の心に僅かな心配がよぎったことは仕方のないことだろう。

 だがそれを理解できるのは、恐らく多分詩人だけ。他の仲間たちは、少年が死の宿命を乗り越えたのだと錯覚して素直に喜んでいる。その間違った解釈による善意の困惑を感じ取れた詩人はより一層心配を強くする。ここに来たのは死の宿命を打倒する為ではなく、受け入れる為だと。少なくとも少年が間違った解釈をしなかった事だけは歓迎すべきだろう。

 

 そのまま。ある者はより団結力が増したと感じ、ある者は互いの齟齬に不安を強くしたままピドナへと戻る。

 皮肉にも、そこにまた一つ死の運命が待ち構えていた。それはリブロフから送られた伝令。

 ラザイエフ商会会頭、アレクセイ。病に伏す。

 明日とも知れぬ身であり、可及的速やかな末娘の帰還を乞う。せめて死に目に会えるようにと。

 

 タチアナの顔から血の気が引いた。

 

 

 



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106話

コロナ禍も物語もきっついわぁ!!
大変お待たせいたしました、最新話をどうぞ。


 船というのは乗る時と降りる時には必ず乗船券の確認をする。といっても、別に犯罪者かどうかを見る訳ではない。極端な話、どんな極悪人でも乗船券を買えれば船にとってはお客さんだ。乗船券を買う際に検問を設けるかはそれぞれの国や都市に任される。ある場所では犯罪者でも、別の場所では英雄というのは珍しい話ではないからだ。

 船を運行する側が問題とするのは密航してお金を払わない者だけだと言っていい、そんな不届き者を捕まえる事のみ重視しているのだ。密航者が隠れやすい倉庫などは必ず船員が見回りをするし、乗降時の切符の確認をする意義はわざわざ明記するまでもないだろう。

 リブロフに到着する寸前の船を見て、陸から監視する者が気を付けるのは海に飛び込む者がいないかだ。海のモンスターに海中で襲われる可能性は高いが、それでも絶対ではない。密航者は目的地が近くなったら海へ飛び込み、そのまま陸に上がろうとすることもある。そういった不届き者を見つけ、陸に上がるところを捕縛するのも船を経営する側にとっては重要な仕事の一つ。

 だから。数十メートルまで近づいた船から、海面ではなく陸に向かって跳んでくる人影を見るのは流石に予想外だった。

「は?」

 監視員は間抜けな声を上げながら、船から自分の方に向かって跳躍した人影を呆然と見ていた。いやいや、それは人間業ではないだろうと。

 そんな現実逃避気味な監視員など知った事ではないと言わんばかりに、彼の側に降り立ったのは紅髪の美少女。それからやや遅れて吟遊詩人の恰好をした男と、黒髪の美女が降り立った。人間離れした行動を起こした奴が三人もである。呆然とするなという方が無理かも知れない。

 その中で紅髪の美少女が脇目も振らずに走り出す。

「ちょ、タチアナ。マジ落ち着きなさいっ!」

 それを追う黒髪の美女。脱兎の如く走り出した二人は、あっという間に監視員の視界から消えてしまう。残ったのは吟遊詩人の恰好をした男。

「はい。あの二人と、俺の乗船券」

「あ、え、へ?」

 ポンと手渡される、三枚の乗船券に目を白黒させる監視員。まあ確かに乗船券さえあればお金を払った証拠になるかもだから問題はないかも知れないが――問題ないか?

 初体験過ぎる事態に動揺を隠せない監視員を尻目に、吟遊詩人の恰好をした男も歩き出してしまう。

「あ、俺らはラザイエフ家のところに居るつもりだから、何か問題があったらそっちに来てくれ」

 すたすたと歩く吟遊詩人の恰好をした男だが、家の側に近づくと、ひょいと擬音が付きそうな身軽さでその屋根の上に飛び乗る。簡単そうに言うが、屋根は十メートル以上も地上から離れている。

 そしてそのまま屋根を蹴り、次の屋根の上へと姿を消していった。

「――なんだったんだ、アレ」

 乗船券を持ったまま呆然とする監視員に答える者はなく。ピドナから来たその船はゆっくりと港へとその船体を横付けし、乗客や積み荷を降ろす準備を始めていた。

 

 エレンとタチアナ、どちらが速いのか。これは一概にどちらと言い切るのは難しい。

 タチアナは小柄であるために短距離での速度を比べたりすれば、もしくは方向転換などの動きの鋭さを見ればエレンに勝る。一方でエレンは長距離走や、拳速など決まった動きをするにはタチアナに勝る。一長一短があり、確定的にどちらが上だとは言い切れないのだ。

「ちょ、タチアナ! 待って、待て!!」

 そんな事実を無視するように、タチアナはエレンを徐々に引き離してリブロフの町を爆走していた。中距離どころか長距離でもエレンに勝る速度を出しているのは正しく火事場の馬鹿力といえるだろう。父が危篤と聞いたタチアナは、サラの危機に向かうエレンが如き気迫で一等地に建つラザイエフ家へと向かっていた。リブロフに初めて訪れるエレンは彼女を見失った瞬間に迷子に為りかねず、必死にタチアナに付いて行くのだった。まあ、リブロフでラザイエフ家を知らない者の方が珍しいので、多少時間がかかっても辿り着けないということはないだろうが。

 さておき。それではタチアナが一番にラザイエフ家に辿り着くのかといえばやはり否。最初に辿り着くのは家の屋根から屋根へと飛び移り、道順や人込みといった煩雑さを無視する詩人である。別に彼自身が急ぐ理由はないが、明らかに冷静でないタチアナを思えば一足早くラザイエフ家に着いて事情を説明しておきたかった。

 詩人はそう思い、あっさりとラザイエフ家に辿り着く。多少時間の猶予はあろうが、余裕はない。ドアノックをゴンゴンと鳴らし、対応を待つまでもなく扉を開く。

「……どちら様ですか?」

 非礼といえば非礼な来訪者に、玄関で控えていた下働きの男が少し鋭い目で詩人を睨んでくる。

 それに平然とした表情で答える詩人。

「ラザイエフ家の末娘、タチアナ嬢の師匠だ。間もなくタチアナが帰還する、然るべき対応を願いたい」

 その言葉に下働きの男は怪訝な顔をする。

 彼とてタチアナにラザイエフ家当主であるアレクセイが危篤であるという伝令を放ったということは聞いている。

 だがしかし、唐突に来訪したこの詩人を信用するかは話が別だ。言葉を鵜呑みにしてこの場を離れた隙に玄関にある調度品を盗もうとする不届き者である可能性も否めない。かといって、タチアナが戻るかも知れないという先触れを無視するのも問題だろう。端的に言って、下働き程度の男の判断に余る話なのだ。

 こういう時に有効な手は決まっている、より判断力のある上司を呼ぶ事。備え付けられたベルをチリチリチリンと鳴らす。ちなみに鳴らし方に意味があり、場合によっては不審者侵入の音にもなるのがこのベルである。

 今回はもちろんそんな訳だった訳ではなく、程なくラザイエフ家を取り仕切る執事の一人が姿を現した。幸いというべきか、以前に詩人がここを訪れた時、タチアナの師匠になったという話を聞いた一人である。

「おお、詩人殿ですな! ということは――」

「ああ。タチアナは間もなくここに――」

「パパっ!」

 詩人が言い切るまでもなく、バタンと大きな音を立てて玄関の扉が開かれた。

 その紅髪の少女に、執事などは大きく目を見開く。もう一年以上昔になるのか、タチアナがこの屋敷から去ったのは。産まれた時からタチアナを見てきた執事が僅かに感極まってしまうのは仕方がないかも知れない。

 ともあれ、そんな執事の心情など今のタチアナが考慮する訳もない。

「パパの容体はっ!?」

「落ち着いて下さい、タチアナお嬢様。今日は比較的体調が良く、お話もできるかと」

「話ができないくらい酷い時もあるのっ!?」

「……昏睡状態になられた時もありました。正直、あの時はわたくし共も覚悟したものです。そして、何時その状態になるかは医者も分からないと」

 隠しても仕方がないと、執事は語る。それに下心もあり、アレクセイの状態を悪く語ればタチアナがリブロフに留まることも期待しての発言だった。

 効果は覿面であり、タチアナはぎゅっと唇を噛む。自分勝手に家出をして父親に心労をかけた負い目が彼女を襲っていた。

 そこにようやく肩で息を切らしながらエレンが到着する。

「ハァ、ハァ……。タチアナ、速すぎ」

「思ったよりも速かったな、エレン」

「詩人が速いのは驚かないけどさ」

 なかなかにエレンから詩人への信頼が厚い。それをさらっと無視した詩人は、エレンと下働きの男にと指示を出す。

「エレンはこのまま留まって、ユリアンたちを迎えてくれ。タチアナの同伴者ならば最上級の扱いがされるだろう。

 お前はエレンの他に四人の客が来るから、丁重に迎えてくれ」

 何故か詩人が指示を出す事に下働きの男は憮然とした表情を作るが、執事が納得したように頷くのを見ればそれ以上に反応することはない。即座に取り繕った表情に直し、タチアナを含めた七人を客人として持て成す指示を裏方に出し始めた。

 後顧の憂いを無くせば、とうとう案内が開始される。その前に一応というか、詩人が尋ねる。

「さて。それでタチアナ、俺も一緒に行った方がいいか? それとも一人で行くか?」

「? なんで詩人さんが来ないの」

 来なくても常識の範囲内であるとは思われるが、タチアナ的には詩人が一緒に行くことは決定事項だったらしい。

「本当はエレンさんにも来て欲しかったけど……」

「悪いけど、流石に初対面の方が危篤なのにいきなり行く程、あたしの面の皮は厚くない」

「それ、言外に俺の面の皮が厚いって言ってないか?」

「一応アンタは初対面じゃないでしょ?」

「まあ、それはそうだが。他人と言えば他人だぞ?」

「いいから! 早く行こうよ!!」

 いつになく焦った様子のタチアナに促されて動き出す。ちなみにこの茶番劇を仕組んだのは、少しでも長くラザイエフに準備をさせる為である。

 ほんの一分にも満たない時間であったが、ラザイエフといえば最上級に数えられる一つ。少なくとも見苦しくない程度に体裁は整えられるだろう。タチアナが近いうちに戻ると予想していれば尚更だ。

 平然とした表情で案内を開始する執事を見るに、この予想はおそらく間違っていない。アレクセイの側も準備が整ったのだろう。

 詩人を連れて、屋敷を歩くタチアナ。勝手知ったるのは当たり前で、時々執事を追い抜こうとする程に足を速くするのだから、執事も歩調を早めて詩人はタチアナの肩に手を置いて落ち着くように促す。

 やがて辿り着く、一際立派な扉。執事は仰々しくそれをノックすると、内側から開かれた。中に控えた使用人が扉を開けたのだ。

「パパっ!」

 ここまで来てタチアナが辛抱たまる訳がない。今までが辛抱していたとも言えないくらいであるが、もはや誰の静止もなくベッド脇へと駆け寄り、荒い息遣いをするアレクセイの元へ寄る。

 悲痛な顔をするタチアナを確認しつつ、詩人はゆっくりとタチアナの側に近づく。その際見えたアレクセイの死相を見て、長くないどころかよくぞここまで持ったものだと感服してしまった。

 普通ならば死んでいる。それを偏にここまで生き延びたのは、生きてタチアナを一目見る為だったのだろうと容易に予想はついた。

「ぉ、ぉぉぉ…。タ、タチア、ナ」

「う、うん。うんうん、私だよ、パパ!」

「よ、よく。よく、かえ、かえって、きた」

「うん、うんうん! 帰って来たよ、パパ! 私は側に居るからっ!!」

「ぉもいのこ、す、ことは、もうな、いな」

「パパっ!!」

 執事曰く、これで良い方であるらしい。なるほど、言ってはなんだが長くはないだろうと誰でも分かる。ラザイエフならば多少の延命は出来るだろうが、それが精一杯ともいえた。

 タチアナは縋るような目で詩人を見る。詩人はその視線を受け、アレクセイに顔を向けた。アレクセイもしっかりと瞳を詩人に合わせ、応える。死を間際にしたその瞳はとても純粋な輝きを灯していた。

 それを正確に読み取った詩人は、腰に付けた道具袋から油紙で包んだ粉薬を取り出した。

「生命のおおもとから作り出した秘薬、生命の素だ。寿命を延ばすには無理があるが、体調を整えるには役立つだろう」

 そう言って詩人はそれを世話役として控えていたメイドに渡す。彼女にすれば得体の知れない男が取りだした得体の知れない薬であるが、タチアナもそしてアレクセイさえも頷いたのを見てその薬をアレクセイの口元に運ぶ。

 ごほごほと咳き込みながらも生命の素を飲み干したアレクセイは、ほんの少しだけ安静な時間を欲した。その僅かな間に、見る見ると顔に生気が戻ってくる。

「パパっ!」

「ふぅ……。まるで生き返ったような気分じゃ。礼を言わせてくれ」

 喜色を浮かべるタチアナに、ベッドから起き上がって詩人に頭を下げるアレクセイ。しかし詩人は表情を柔らかくしない。

「礼は要らないさ。言った通り、寿命を延ばした訳じゃない。残念ながら、余命は僅かだと先に言わせて貰う」

「分かっておるよ、もう儂も爺じゃ。遅かれ早かれという奴じゃな。しかしこの薬が無ければ今一度タチアナを抱きしめる事も出来んかった」

 そう言って、アレクセイは側に居たタチアナを抱き寄せる。

 これが今生の別れといった風情に愛娘を抱きしめるアレクセイに、嬉しそうに辛そうにその抱擁を受けるタチアナ。

 ほんの少し、存在し得なかった筈の温もりを確かめ合う父娘(おやこ)。やがてその体勢のまま、アレクセイは口を開く。

「ラザイエフ商会はニコライに譲ったよ、ボリスも納得してくれた。

 ただ、ボリスもやる気を失った訳ではなくてな。伝手を使ってトーマスカンパニーで良い仕事を貰ったよ。あいつならば成り上がる事も可能だろう。

 ニコライとベラ、そしてボリスにはお前の事を気にかけてくれるように頼んでおいた。困ったら頼りなさい」

「…………」

「儂はもう長くない、もうお前を守ってやれんのだ。分かってくれ、タチアナ」

「…………、うん。分かってるよ、パパ」

 次の言葉を言うかどうか、タチアナはおそらくアレクセイの危篤を聞いた時からずっと悩んでいた。

 だがしかし、こんな弱った父を見てしまえば天秤はそちらに傾いてしまう。密かにエレンには話したが、彼女は理解を示してくれた。なればこそ、次の言葉を発することになんの躊躇いもない。

「でも、これからずっと私はパパの側にいるからね」

「ふふ。タチアナに看取られるとは、儂も幸せ者よな。どうか最期まで側に居てくれ、タチアナよ」

 ここでタチアナの旅は終わり。その想いを込めてタチアナは声を出す。

 受けて答えるアレクセイの言葉も安らぎに満ちた返事をする。

 詩人はその光景を前に、そのターバンのような帽子を深くして表情を隠していた。その奥にどんな表情をしていたのか、知る者は居ない。

 そのまま詩人はその場を辞する。

 そして合流したエレンたちと共に客間に案内され、しばらくゆっくりとした時間を過ごした。タチアナがこのままリブロフに残るようだともそれとなく伝えるが、今際である父を選んだタチアナに対して何かを言う者は当然の如く居ない。エレンとしても最も長く旅をしてきたタチアナが今この時に抜けることには幾らか感想があるとはいえ、沈黙をもって全て押し殺した。

 やがて一人の執事が現れる。

「タチアナお嬢様から話を聞きました。皆さまは乾いた大河を渡り、死の砂漠を超えるそうですね。

 その是非は敢えて口にしませんが、その支度をするように大旦那さまが命じられ、旦那様も了承しました。

 おおよそ一週間の準備の期間を頂きたく願います」

「分かったわ」

 代表してエレンが答えた。この屋敷に居る間はタチアナと軽く挨拶はするだろうし、出発の時には見送りもしてくれるだろう。しかし彼女はアビスには向かわない。それは言葉にしなくても分かっていた。

 今頃はきっと、父に今までの旅の話をしているだろう。そんな娘のようやく最後の親孝行をどうして止められようか。誰ともなしに静かになり、その場は解散となった。

 

 深夜。月が天に輝き、星々が煌めいて空を彩る。

 それを見ながら、アレクセイはベッドから半身を起こして人を待っていた。約束した訳ではない、だが来ると確信していた。

 きっと、自分の意を汲んでくれると確信していたのだ。

 そしてやがて、窓からするりと一つの人影が彼の部屋に入り込む。

「待たせたか?」

「儂が勝手に待っていただけじゃよ」

 笑いながら窓から入り込んだ男、詩人を迎え入れる言葉を口にするアレクセイ。詩人は真面目な表情のまま、酒瓶を持ってベッドの側にあった椅子に腰かける。

 ほんの少し、沈黙が流れた。

「潔いな、あんた」

「いやいや、なんとか取り繕っているだけに過ぎん。実を言うと怖くて怖くて仕方がないわい」

 アレクセイを褒める詩人に、彼は茶目っ気たっぷりに返事をする。

 くすくすと笑ったアレクセイだが、真剣な顔をして詩人に向かって頭を下げる。

「――返す返すも、感謝の念しかない。

 タチアナを救ってくれたこと。タチアナを鍛えてくれたこと。タチアナと死に目に会わせてくれたこと。タチアナに言葉を遺せること。

 これらは全てお主のおかげじゃ。改めて礼を言わせてくれ」

「先に言っておくが、礼しか要らんぞ。全ては俺が勝手にやったこと。感謝するのは自由だが、それ以上は求めていない」

「ふふ、金も地位も何もかも要らぬか。欲がないのか、それとも興味がないのか」

 それもアレクセイにとってはどうでもいいことである。この期に及んで彼は詩人に何も言うことはない。

 最初に出会った時、頭を下げてタチアナを託す代わりに全てを捧げると言った。それに結局何も求めなかった詩人は、詩人こそは真の意味でタチアナを任せられると安心したのだ。こればかりはニコライもベラも、ボリスにも任せられない。所詮彼らも人であり、自分かタチアナかを迫れば自分を取るに決まっている。アレクセイはそれを責める気もないが、その家族愛よりも自己愛を取るという事実に、タチアナの心に嫌気が差したというのは感じ取っていた。

 だからこそ、タチアナが旅先に出会ったこの詩人という男に感謝を捧げられるのだ。

 無垢にタチアナと接してくれたであろう彼と、そんな運命のような出会いを作ってくれた聖王に対して最大の感謝を。

 祈るようなその心情に一段落をつけたアレクセイは、ベッドサイドに置いておいた杯を持つ。その底には白い粉がいくらかあった。

 それは、毒。

 命を安らかに奪う、悪意ある慈悲と呼ばれる薬。安楽死の為に使われるそれを盛った杯を詩人に向ければ、詩人もよどむことなく持ってきた酒瓶の封を切り、アレクセイの盃に注ぐ。続いてどこからともなく自分用の杯も取り出してそこにも酒を注ぐ。

 詩人が用意した酒はアヴァ・アウレリウスと呼ばれるもの。誓いを込めた時にしか飲むことが許されない、特別な酒。

「聖王の名に毒を盛るか」

「命を対価にするには悪くないと思ってね」

「ふふ。最期にこんな悪事をするとは、儂の逝く先は聖王様の御許ではないかも知れんのう」

「自殺する時点でそうだろうな」

 聖王文化は自殺を認めていない。自ら命を絶つ事は、最も罪深い事の一つとされている。

 敵やモンスターに捕まってもはや死しかない場面で命を辱められる前に死ぬ事などの例外はあるが、今回のアレクセイはそれに当たらない。病気で苦しんで死を選ぶ事は黙認されているが、彼が自死を選ぶ理由はそれですらないのだからアレクセイは自分が許されざる者だと自覚しているだろう。

 だがしかし、その上で死を選ぶ彼に悔いは全くなかった。

 そう、全てはタチアナの為。何よりも誰よりも愛しい娘の為。こんな生い先短い老爺の為に、タチアナの希望に満ちた未来を僅かでも陰らせてはいけないというただその一心が、アレクセイに毒を呷らせる。

 察した詩人は止めなかった。間もなく死ぬ定めである、その命の使い方を選べた事に彼は文句をつけるつもりもない。

「では我が人生の全てに――」

「――乾杯」

 天に向かって掲げた後、ぐいと一息に杯を乾かした二人。

 そのまま詩人は無言で窓へと行くと、振り返る事無くそこから身を翻して部屋から消えた。

 アレクセイはそれを見届けると、杯をベッドサイドに戻してベッドに横になる。

 徐々に眠気が訪れて、これに呑み込まれた時に二度と目覚める事はないと理解していた。

 すべき事を為したという実感がアレクセイに満ちていた。ラザイエフ商会と長女であるベラは自分が見込んだ男であるニコライに任せ、ボリスも新天地に送る事ができた。

 幼かったタチアナも立派に巣立ち、武芸者としてやっていける確信を得た。思い残す事は何もない。

(ああ……)

 どんどん朦朧とする意識。思い返せば、ベラとボリスの母には愛情がなかった。ただの政略結婚、自分も嫁もラザイエフ商会を大きくする為の道具。それでもその道具は大事にしなくてはいけなかったので、不自由はさせなかった。豪商らしく金に飽かせて贅沢をした。そんな不摂生が祟ったのか、前妻は早世してしまったが。

 それでも子供が出来れば問題ないとひたすらに仕事に励み、やがてニコライを見出してボリスも立派になった頃。アレクセイは一人の女を愛した。ひたすらに自由で朗らかだったその女に強く惹かれ、壮年でありながら初めて恋という感情を知った。

(だから、こそ)

 彼女との間にできたタチアナには、彼女の様に奔放自由であって欲しかったのかも知れない。ラザイエフ商会が支配するリブロフからタチアナが出奔できたのは、心のどこかで自分が望んでいた事なのかも知れない。世界に飛び出し、どこまでも羽ばたく事こそを願っていたのかも知れない。

(タチ、ア)

 ぷつりとアレクセイの意識が途切れた。唯一恋をした女との間にできた愛娘、その顔と名前を浮かべながらの往生だった事を知る者は居ない。

 しかしその表情は安らかであったと、葬儀に参加した全ての者に感じさせた。

 

 それがアレクセイという男の全てを表していたと云えるだろう。

 

 

 



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107話

(土下座)


 

 ナジュ砂漠に雨が降る。ざぁざぁと、まるで誰かの涙のように。

「砂漠って雨降るんだ~」

「私も意外。雨が降らないからこんな乾燥した土地になるんじゃないの?」

「なんつぅか、砂漠に雨って違和感あるよな」

 そんなナジュ砂漠にテントを張って豪雨を凌いでいる詩人たち一行。呑気な声を出しているのはタチアナにエレン、ユリアンだ。

「確かに雨が降りやすいとは言えないが、年に数回は降るのものだ」

「じゃあ、なんで砂漠ってこんなに乾燥しているの?」

「保水能力がないのよ、砂漠には。水をため込んでおくような植物がないから、降った雨は砂の下か海の方に流れてしまうわ」

 シャールが砂漠の雨事情を口にすれば、少年が更に疑問を添える。それに解を出したのはカタリナ。テントの入り口を開き、外の様子を見せる。

 するとそこにはゴウゴウと激しい音を立てて濁流が出来上がっていた。砂漠の砂も混じり、濁るという言葉が相応しい猛威となって、砂漠を駆け下りている。

「……すご」

「砂漠の雨はとても危険なんだ。雨はすぐに濁流になる上、足場も砂ばかりで脆い。流れに巻き込まれたら一巻の終わり」

「私としては不安もあるけど――」

 呆気に取られるタチアナ、難しい顔をするシャール。そしてカタリナがこの場所にテントを張るように指示したその男を見る。

「心配するな」

 詩人はなんの気負いもなく言う。

「足場が崩れたら、玄武術と白虎術を使えば這い上がれる」

「そこっ!?」

 思わずエレンが突っ込んだ。

 

 アレクセイ会頭が亡くなり、葬式をあげる。なるべく多くの弔問者を集めたいのが人情とはいえ、世界中の要人を招くのを待っていては遺体が腐乱してしまう。この世界の葬式とは基本的に、数日で集まれる親族や友人知人のみを集めてその遺体を弔うのだ。遠方にいる関係者は、お悔やみの言葉と品だけを贈るのが普通。もちろん特に故人と親しかった者などはその墓を訪れるが、それこそ天に召された者の人徳のみが酌量となる。まあ、アレクセイ会頭くらいになればラザイエフ商会への忖度というものも含まれるが。

 それはさておき、タチアナはというと葬式が終わった後すぐにエレンに着いて来る決断を下した。曰く、亡き父の遺言状を読んで決めたらしいが、アビスにあっけらかんと着いて来る決断をさせる遺言状とはなんなのか。薄々気が付いているものは言わぬが花と言わんばかりに、行動で示したタチアナを尊重した。

 そしてナジュ砂漠に向かった7人だが、乾いた大河の側に来た頃になり、空模様が怪しくなったのだ。これに慌てた詩人がすぐに周囲を調べて、彼のみが分かる判断基準でテントの設営を指示。急いでテントを組み立ててその中に入る頃には、周りは本降りの様相となっていた。

「俺、術を使えないからすごく不安なんだけど……」

「私も蒼龍術だから……」

 外の激流を見て、ユリアンとタチアナが情けない表情をする。気持ちは分からなくない、むしろ同意すると言わんばかりの少年。

「心配しなくても、詩人はそこまで雑じゃないわよ。ね?」

「え?」

「……え?」

「すまん、冗談だ」

 エレンが詩人に信頼の顔を向けて笑うが、ちょっと悪乗りし過ぎた詩人にエレンも真顔になる。そして流石にやり過ぎたと思ったのか、詩人は素直に謝った。

 心配いらないと言われて、ようやく他の面々の顔に安堵が浮かんだ。アビスに殴り込みに行くのは自殺行為とはいえ、流石にアビスに辿り着く前に死にたくはない。これで死んだら自殺行為をしたのではなく、本当にただの自殺である。

「周囲の勾配や砂質を見て、ここならまず間違いなく安全だと踏んだ。この場所は適当に選んだ訳でも、雑に選んだ訳でもない」

「でも、ここより高い砂山はあったよな?」

「それは濁流の流れに当たりやすそうだったり、砂質が脆そうだったり――」

 ズズズゥと、タイミングよく地面が揺れた。多分きっと、地滑りが起きた音だろう。

「――そういった可能性が高くて、逆に危ないと判断した」

「よぉく分かったぜ」

 冷や汗を流してユリアンが頷く。

 とにかく、詩人がここを安全だというならば、他の誰かが文句を言う必要もないだろう。彼以上に安全そうな場所を見つけることできないのだから。

 身の安全が確保できたら早速――いや、それができなくてもこの少女は好奇心旺盛だったか。タチアナがテントの外を見つつ、つまらなそうにぼやく。

「それで、雨が止むまでテントの中でじっとしてなきゃいけないの?」

「雨が止んでから一日は時間を置きたいな。地盤が緩んで行軍するには危ない」

「うぇ」

 想像しただけでげんなりとした声を出すタチアナ。

 しかし彼女の反応はまだマシな方である。エレンや少年は、奥歯を噛みしめた上で手が白くなるほどに強く拳を握りしめている。サラに近づいている筈なのに足止めを食らってしまった現状に酷く苛立っているのが見て取れる。しかしここで騒いでも何も変わらないからこそ、その感情を押し殺しているのだ。

 そんな彼女たちを横目で見つつ、素知らぬ顔をする大人たち。実際、先を急ぐ方法はない。誰のせいでもない以上、ここは我慢してもらう他ないのだ。

 だが、相変わらず空気を読まないタチアナはつまらなそうに口を開く。

「ひ~ま~」

「……そうだな、やることもないし、この辺りの地理の説明でもするか」

「うぇぇぇ!?」

 藪をつついて蛇を出すとは言うが。タチアナの愚痴に反応して詩人が勉強じみた話をすることになってしまった。

 嫌そうな顔をするのはタチアナのみ。他の面々は、ここが帰らずの土地だと理解している為に詩人の言葉に耳を傾けるのだった。

 

 

 そもそもとして、乾いた大河に流されると何故戻って来れないのか。それは純粋にここから東に向かって急激な坂ができているからである。

 西の土地の方が標高が高く、東に向かって絶えず砂が落ちるように流れている。これが乾いた大河と呼ばれる所以であり、その高低差は優に100メートルはあるだろうとのこと。これが断崖絶壁ならばロッククライミングでもして戻ることもできようが、目に映るのは砂漠の大海原である。柔らかい砂は東へ東へと流れ、とても人間が歩いて戻れるような環境ではない。

 更にこの土地は砂と流れに逆らうように強い風が絶えず吹いており、その砂風に晒され続ければあっという間に体力を削られてしまう。その風に乗って砂がまた西に戻るとのことだが、その循環は命を運ぶには苛烈過ぎるのだ。

 また、この場所に適応したモンスターも一筋縄ではいかない。今現在大雨が降っているように、実はこの砂漠のずっと下には地下水脈ができているのだ。そこには水棲系のモンスターも生息しており、数十メートルの砂漠の層をブチ抜いて地上にまで餌を求めて姿を現す逞し過ぎる生態を持っているのだ。そして当然ながら、そんなモンスターたちはこんな大雨の後こそ活発になる。行動に適した水分が多いのはもちろんながら、雨に流された獲物が多いという事も理解しているのだ。

 

「全くもってタイミングが悪い話だ」

 しかめっ面でシャールが口を開く。ただでさえ未開の難地、楽に通り抜けたいのが人情だが、現実はその反対なのだから苦い言葉も出ようもの。

 それでも詩人の表情は暗くない。

「なに、それならそれでやり方はある」

「と、言いますと?」

「雨があれば、東へ向かう流れも強い。タチアナの氷の剣で簡易の筏でも作れば、あっさりと滑りおりれるさ」

「氷の筏とか、冷たくない?」

「我慢しろよ、布とかも敷くからさ」

 少年が至極当然の不満をあげるが、そこは力業でなんとかするらしい。というか、砂漠の斜面を氷の筏で下るという時点でかなりの力業だ。詩人は結構雑な所があると知っているエレンは既に諦め顔だ。まあ、彼女としても早く東へ向かえるならば悪くはないという考えもある。

 とにかく乾いた大河を抜けると、その先にあるのは死の砂漠だ。

 

 死の砂漠とはムング族が名前をつけた砂漠だ。そこには西から聖王文化の者の死体がたまに流れ着く上に、凶悪なモンスターの巣窟になっていることからその名前がつけられた。

 そこは実際過酷な土地であり、やはりというか水分がほとんどない。それ故に植物も動物も少なく、餓えたモンスターが跋扈する土地なのだ。

 巨大な岩がそこら中に乱立して見通しが悪く、飛行型モンスターが空から強襲したりなぞ日常茶飯事。地面の下から襲ってくるモンスターもいる。

「まあ、このメンバーなら大丈夫だとは思うが」

 詩人はそう付け加えた。実際、旅をしていればモンスターの奇襲は少なくない。それに対応してきた一行であるからこそ、強いだけのモンスターになど遅れはとらないだろうというのは間違った意見ではないのだ。

 後、ここで恐ろしいのは方向感覚の欠如か。乾いた大河は傾斜が西から東に傾いているから進む方向に迷うことはないが、死の砂漠はどちらに行っていいのかすぐに分からなくなる。岩の密林で視界が悪いということが、進行方向を惑わす一因にもなるのだ。後、単純に広いという事も理由にあげられる。広くて目印がない土地では人間は大きく円をかくように歩いてしまうとも言われ、どこにも辿り着くことなく延々と死の砂漠を彷徨ってしまうことにもなるのだ。

「詩人は昔、どうやって死の砂漠を越えたの?」

「ん? 目の前の岩を砕いて、それを目印にした」

「…………」

「あとはシャドウサーバントも使って位置を把握したな」

 コイツ実はバカなんじゃなかろうかという視線がカタリナから向けられ、しれっと言葉を足す詩人。彼もそう思われるのは心外だったらしい。

「それで、死の砂漠を抜けたら大草原。見渡す限りの草原と、川に木々がまばらにある土地だ。

 鈴の部族でもあるムング族もここを拠点にしている。当面の目的地はここになるな」

 詩人の言葉にエレンは視線を鋭くして更に踏み込む。

「当面って?」

「現地の人の話を聞こうってことだよ。

 ムング族の村には鈴の術の師匠であるバイメイニャンという老師がいる。老師に話を聞いて、問題がないようならば東のアビスへ目指そう」

「……分かったわ」

 ここで詩人を絞っても何もならない。そう理解したエレンは苛立ちながらも口を閉ざす。

 その様子に、余裕がない事を心配する一同。魔王殿でジャッカルを追う時に暴走したエレンは記憶に新しい。またもあのような短慮を起こさせる訳にはいかない。

 そういう意味で、この雨はよいタイミングであるともいえた。進むに進めず、気を落ち着かせるには適した時間といえる。

「さて、進む先の話はこのくらいにしておこうか」

「さんせーい。疲れたー」

 ぐでーと行儀悪く格好を崩すタチアナ。それを見てエレンが苦笑する。

「全く。少しはしゃっきりできないのかしら」

「めんどいー」

「やろうと思えばできるんだね」

 クスリと笑うのは、歳の近い少年。タチアナは大人に揉まれたからこそ幼くなったのに対し、少年は孤独であったからこそ子供らしさを失ったあたり、皮肉な対照性といえるかも知れない。

 それを言っても始まらないし、言うつもりもないだろうが。

「しかし、本当にやることないな。

 食事にでもするか?」

「いいな。ちょうど腹ごしらえをしたくなってきたところだ」

 詩人に言葉にユリアンが頷く。

「じゃあ私が食事の支「カタリナさん、ここは女性が腕を振るいませんか?」」

 シャールが喋っている途中でエレンが割り込んだ。結構な失礼に、カタリナはちょっと顔を引きつらせつつ、エレンに頷き返す。

「え、ええ。私は構わないけど」

「じゃあ、今日のところはあたしとカタリナさんがご飯を作るわね」

 そうまとめるエレンに、ユリアンが誰にも見えないように拳を握りしめた。エレンのファインプレーを心から讃えていた。

 そうして食事の支度を始めるエレンとカタリナを見ながら、シャールは自分を雑に扱われたことに眉を顰めていた。

「彼女は少し失礼ではないか……」

「……そう、だな」

 ぼやくように言うシャールに対して、詩人は決して彼と目を合わせずにエレンとカタリナが食事の支度をするのを見つめていた。

「……私も女の子なんだけど」

 別の意味で釈然としない様子のタチアナをさておいて、食事の支度が進む。

 

 出発までは、まだ時間がある。雨が止んで、そして水の勢いが落ち着いてから。

 アビスへの向かう旅の最初、一行は雨が降る中で静かに英気を養うのだった。

 




短くてすいません。
10ヶ月以上も更新がなくてすいません。

余りにも間が開いてしまいましたが、残すのはほぼクライマックスのみ。
どうかお付き合いいただければ幸いです。


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