自由人のための天空城【完結】 (おへび)
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序章 天空城発見
1話


目標:モモンガくんをこころのそこからしあわせにする


 天空城発見の一報は、驚くことに人間からもたらされた。

 

 

 

 その日、カルネ村の若き村長エンリ・エモットは鍛え上げられつつある上腕二頭筋を惜しみなく活動させていた。季節外れの嵐のせいで畑に被害が出たためである。朝から倒れた麦穂をおこし、生き残っていた麦穂にほっと息を吐くという作業を繰り返している。大嵐といっていい豪雨が夜中吹き荒れたにもかかわらず麦にあまり被害がないのは、おそらくルプスレギナがアインズから渡されたアイテムを行使して村を守ってくれたおかげだろう。嵐の去った朝からエンリの家の居間に現れ足を組んで椅子に座っていた彼女が、金色のはかりのようなものを愛おしげに撫でながら「アインズ様に感謝するっすよ!」と言っていたのだ。エンリにはアイテムの詳細はわからなかったが、「ルプスレギナが大事にするもの=アインズ・ウール・ゴウンが下賜されたもの」のが絶大な結果をもたらすことはよくわかっていたので心の底からの礼を口にしてルプスレギナを満足させた。

「麦穂まで守ってくれるなんて、ほんとう、ゴウン様は神様だわ…」

 農民にとって作物は命のようなものだ。これがダメになると人生という道の先が真っ黒な穴になってそこに落ちてしまうといっていい。昨日の嵐は道に大穴を開けるエネルギーを持っていたが、ゴウン様がその大穴を開ける強大な拳から村を守ってくれた。ああなんと素晴らしい御方だろう。正直口にした割に神という存在についての定義的なものはよくわかっていないが、強大な力で守ってくれて、優しくて、素晴らしい、という幼稚な印象をもとに当てはめる存在を探してみれば、エンリにとってそれはアインズしか当てはまらなかった。

 そんなことを考えつつ、彼女はまた一つ麦穂を起こす。くたりと垂れた者達に喝を入れ、優しい黄色の背を伸ばす。その作業は腰に来る。故にエンリは凝り固まって腰が起こせなくなる前に、ぐぐ、とその若い身を空に向かってゆっくりと上げて伸びをした。

 そして、伸びをして、すっきり晴れ渡った空の彼方に眼をやったエンリは、見てしまった。

「……ん?」

 散った雲達の中にやけに大きな雲がある。入道雲のような形の雲だ。その大きなものの端から、茶色の、決して空にあるべきではないものがちらりと見えた。

 最初、エンリは見間違いか眼にゴミが入ったのかなと思った。だから土のついた手をエプロンで拭ってから眼の辺りを少しこすって同じ場所を見てみた。けれどそれは消えていなかった。エンリの目は、アインズの元の世界の人間のように酷使されてはいなかったのでやたらと性能がいい。その性能の良さを最大限に生かして、具体的に言うと2.0を超える視力で彼女が雲の端に見たのは、紛う事なき土色の大地だった。

「……は!」

 ありえない。ありえない。ありえない。

 ありえないものは害してくる可能性がある。害さない可能性もある。恐ろしい可能性がある。恐ろしくない可能性もある。エンリは農民で知識がない。知識が無ければその判断はできない。ンフィーレアは知識があるが、あんなものが何か即答えられるような知識は持っていないと何故だか断言できた。だからエンリは麦穂を放り出して走り出しながら叫んだ。知識持つ人、あるいは知識持つ人に繋がる人に助けを求めるために。

「ルプスレギナさん!ルプスレギナさーん!!」

 生憎ルプスレギナはすぐにナザリックにアイテムを返しに戻っていたために、エンリが発見した『何か』はアインズが報告を受け外に眼を向けた頃には見えなくなっていた。だが、「トトロいたもん!絶対いたもん!」くらいの勢いで一生懸命報告するエンリの様子と、何より思い当たるものがあったアインズは<飛行>で空に飛び…そして、見つけたのだった。



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2話

「で、蓋を開けてみれば天空城だったってことか…」

 ぽつりと呟くアインズの目の前には、鈴木悟の世界で百年以上前に流行ったとあるアニメ映画のワンシーンを彷彿とさせる天空城が浮いている。まるで山を一部切り取ったような三角形のシルエット。だが山肌に当たる部分は綺麗に整備されており、山肌というよりは階段状になった城壁を思わせる。てっぺんには神殿のような場所があり、そこの上からまっすぐ下を見下ろせば、階段状になっている城肌のあちこちに生い茂る緑が見えた。

 この世界の基準と常識で判断すれば、空に浮いているという一点を除けば「城の遺跡」と表現するのがしっくりくるものだ。逆の言い方をすると、浮いて飛んでいるという一点においてこの世界の何よりも警戒すべき存在と断言できるだろう。だってどう考えたって「この世界の技術水準では」ありえない存在、オーパーツに等しい存在なのだから。

 だが、アインズはこの城を見、さらに城のてっぺんに掲げられた旗と城壁に描かれたいくつもの印を見て、この建物にすぐさま敵対するのは悪手であると判断した。判断できた。何故なら、彼にとってこの建物は覚えのあるものだったからである。

「まさかここで見ることになるとは…」

 ぽつり、呟いた声には、感嘆と郷愁の色があった。もう戻れない「故郷」に対する愛着を、「故郷」を思わせるものに触れて思い出す時に滲む感情だ。

「アインズ様、見覚えが?」

 そう問うのは蛙頭になってアインズに追従してきたデミウルゴスである。<飛行>の魔法ではなく自前の翼をばさり、ばさり、と羽ばたかせる彼はアインズの普段と違う印象のする呟きを耳ざとく拾ったのだ。

「ん?ああ。これはギルド『翼持つ人々』の天空城だ」 

「それは一体」

「簡単に言うと、アインズ・ウール・ゴウンと同じ戦闘能力を持つ可能性がある…私と同じプレイヤーがいる可能性がある城ということだ。というか、いるだろうな、これは」

 この地に転移してきてからずっと探してきたプレイヤーの存在を、アインズはやけにあっさりと受け入れた。実は天空城に記された印を見た時に精神的動揺が振り切れて強制平定が起こったのだが、それをわざわざデミウルゴスに言う必要はあるまいとアインズは判断していた。

「!!!」

 アインズの言葉に、デミウルゴスの目が驚愕に見開かれる。直後、ばさり、とひときわ大きく羽ばたいた彼の手に魔法の揺らめきが発生する。デミウルゴスに顔を向けていたおかげでそれにいち早く気づいたアインズはすぐさま彼を止めた。

「やめろ!」

「はっ…」

 アインズの叫びを聞いてデミウルゴスは魔力を霧散させた。しかし、その顔にはありありと「何故ですか」という問いが書かれている。アインズは間一髪攻撃の手が止まったことに安堵しながら、隣に浮かぶマーレとアウラにも同じ注意をした後天空城を見ながら答えた。

「この天空城がユグドラシルの時と同じアイテムを持っていればお前の力では到底太刀打ちできない。だからやめろと言ったのだ」

「も、もしかして…」

 は、と何かを思いついたようにマーレが目を見開く。その目の中にあるものが何かは洞察力の低いアインズにはわからなかったが、たぶんこれだろう、という予想の上で彼は大仰に頷いた。

「そうだ。この天空城は世界級アイテムによって守られているのだ。おそらく、な」

「世界級アイテムですか!?」

「ああ。『翼持つ人々』が所有する世界級アイテムの名前は『観察者の目』。装備者の身を一切の魔法と特殊技術の発動と引き替えにいかなる攻撃からも守るという防御系世界級アイテムだ」

 『翼持つ人々』。それはアインズの言うとおり、ユグドラシルにあったギルドの名前である。天空城を拠点にしたギルドはいくつかあったが、そのギルドの中でただの一度も他のギルドに制圧されなかった拠点はここくらいだろう。ナザリック地下大墳墓のように攻撃者を撃退することで防衛するというよりは、世界級アイテムで大規模な<次元断層>のようなものを恒常的に発生させることでいかなる攻撃も無効化するという形で拠点を守ってきたギルドだ。

 さらに、この天空城、天空城というだけあって空にあって移動する。拠点全体に世界級アイテムの効果を及ぼすということは拠点自体が持つ魔法や特殊技能も使えなくなるはずなのに何故魔法も使わずに浮いていられるのだ、と首を傾げた者は多い。アインズ、いや、モモンガもその一人だった。まさかこの世界でその小さな疑問の謎が解かれるとはなぁ、と内心で呟く彼の視線の先には、天空城の下やら横やらに取り付けられた無数のプロペラがある。全てが飛行系アイテムであるのは明らかだ。

 

 つまり、この城は、城自体の膨大な魔力を全て防衛の贄に捧げた上で浮くために頭のおかしい数のアイテムを使っているのだ。無駄というか、贅沢というか、何を考えているのかよくわからないギルドである。

 もっとも、このギルドは「何をやりたいのかわからない」という点にかけては先頭を突っ走っていたようなギルドなので、そも理解しようとする方が間違っているのだがな、とアインズは内心肩をすくめた。

「世界級アイテム…それを所持している、ということはこのギルドはシャルティアに精神支配をしかけたアイテムを持っている可能性もあるのでは?」

 蛙顔で器用に「眉をひそめる」という表情を浮かべたデミウルゴスの言葉に、アインズは首を横に振った。

「無いとは言わないが、可能性は著しく低い。理由はいくつかあるが、最大の理由は先程述べた世界級アイテムの存在が示すこのギルドのスタンスだ」

「恐れながらアインズ様。そのスタンスというものを、この愚かな身にご教授願えないでしょうか」

 空中で器用に頭を下げるデミウルゴス。その後ろでアウラとマーレも「お願いします」と声を揃えている。元よりユグドラシルの世界について語ることが好きなアインズは、骨の顔に表情を浮かべる代わりに声に喜びをのせて答えた。

「いいだろう。先程も言ったように、この天空城にはいかなる攻撃も効かない強靱な防御が張ってある。自身の攻撃能力をはじめとする全て捨てるという大きすぎるデメリットを持つことからその防御はユグドラシルのバランスから考えて最高のものだろう。もしかすると世界級アイテムの中でも相当上位の攻撃系でしか突破できないかもしれないし、そもそも『何ものも突破できない』かもしれない。それくらいありえるものだ。

 他人からのいかなる攻撃も効かず、また、いかなる攻撃も自ら為せない。それは世界からの離脱だ。この世の拒絶だ。だからこのギルドはこのアイテムを手に入れて以降、どのギルドとも、どの事件とも関わってこなかった。うたい文句は『全ての自由を愛する翼の民の宿り木になろう』…だったかな。つまり、このギルドにとって、世界級アイテムでシャルティアの精神を支配するという行為は、ギルドの根幹の掟を揺るがす行為になりかねない」

「えっと…?」

 こて、と首を傾げたのはアウラとマーレだ。その前のデミウルゴスは表情が動かないのでわかっているのかわかっていないのかわからない。けれど、彼の頭脳から考えて、わかっていると考えていいだろう。だからアインズはデミウルゴスの頭を越えてアウラとマーレを見つめながら言った。

「言い換えると、このギルドにとって『シャルティアを積極的に支配目的で攻撃する』というのはナザリックにとって『ナザリックの至高の四十一人に新しく人間種を迎える』という行為と等しいのだ。そんなことがナザリックでありえるか?」

「いいえ!絶対にありえません!」

 ぶん!と首を振った闇妖精の頭が同じリズムで振られ続ける。三分の二が納得したことになる。だが、デミウルゴスだけはこのギルドがただものじゃないことは理解できても敵ではないと認定することについては納得できないらしい。彼は少しだけ苦しそうに顔を歪めつつ、言葉を重ねた。

「ですが、でしたらそれこそ事故や向こうの自己防衛等の事情でシャルティアを攻撃したという線もあるのでは…?」

「ありえるな…しかし…うーん、そうだとしても、このギルドに敵対するのはダメだ」

「それは世界級アイテムを持っているからですか」

「というより、ここのギルドマスターは私の恩人でもあるんだ。あの人がシャルティアにあんな真似をするとは考えられない。もっとも、代替わりしていなければの話だがな」

 さらりと落っことされた爆弾発言に、三人は文字通り飛び上がって驚いた。



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3話

 三人は飛び上がったことで数メートルほど上空に吹っ飛び、びょーんと離れた後、慌てて戻ってきた。あまりに滑稽なリアクションにアインズが笑いそうになっていると、デミウルゴスがふっとびかけた眼鏡を押さえつつ一番最初に戻ってきた。

「そ、それは本当ですか!?」

 デミウルゴスがカッと目を見開く。マーレとアウラもだ。三人の言葉に、アインズは頷いた。

「私がまだ弱かった頃、たっち・みーさんに助けて頂いたように、一度だけ助けて頂いたことがある。もっともその後会うことが無かったし、向こうは当時からギルドマスターをやっていたから私のことなど覚えているかわからないが…」

 アインズは思い出す。不干渉の掟があるにも関わらず、大きな翼を揺らして指先から放った魔法で助けてくれたかのギルドマスターの姿を。

 

 ―――PKは好きでは無いのだけど。

 

 涼やかで、穏やかで、おっとりとした声だった。ロールプレイか素なのかわからないおっとりとした口調で呟き、口調の割にあっさりと敵をなぎ払ってくれた。後から<伝言>で通信していたたっち・みーが現れる前に彼女はPKでドロップしたアイテムを全て放置し、倒れたままのアインズに笑顔のエモートを残して去って行った。HPもMPも赤ゲージのまま放置されたが、それはアインズがアンデッドであるために水薬では回復できないのと、おそらくは彼女がアンデッドを回復する術を持っていなかったのが理由だろう。

 懐かしい記憶に浸りつつ、アインズは内心でほうと安堵の息を吐いた。

(ユグドラシルプレイヤーを見つけたらどうするか戦々恐々していたが、最初に会ったのがこのギルドでよかった…敵対さえしなければここはどこに対しても無干渉だからな。もちろん変わっていた時のために用心はしておくが、世界級アイテムの効果を考えても、ここで敵対行動を取るのが悪手なのははっきりしている)

 『翼持つ人々』は先程アインズが説明した理由もあって昔から他のギルドに対して無干渉を貫いてきた。ナザリックへの大侵攻の時、このギルドも世界級アイテムを持っているということで中堅にもかかわらず誘われたらしいが、不干渉のルールに基づき全てのギルドメンバーが断ったと聞いている。さらに、噂によると、このギルドは攻撃してくる者に対しては至極過敏に反応するらしい。通りすがりに驚いて攻撃する程度ならギルドマスターの性格から考えて世界級アイテムの防衛もあるから見逃してくれるだろうが、牙を剥けばどこまで追いかけてくるかわかったものではない。

 アインズ・ウール・ゴウンは確かに多大な戦力を持つギルドだが、所詮はため込んだアイテムとNPCの力のおかげだ。防御系世界級アイテムという先手を持ち、もしかするとプレイヤーが複数人いるギルドに正面切って相対して勝ちに行けるかと問われると首を横に振らざるを得ない。少なくとも、今アインズ・ウール・ゴウンが持ついかなるアイテム―――世界級アイテムを含めても―――でも、かの防御を突破できない。打つ手無し、お手上げピョンピョンだ。

(それでも…)

 それでも、よくよく考えれば安心しきるのがまずい状況とわかっても、懐かしいなぁ、と空に浮かびながらアインズは声に出して呟く。その横で守護者三人はお互いに顔を見合わせていた。まだ弱かった頃の偉大なる御方。それはそれでそそられる文字だ。だが、待って欲しい。その後に続いた言葉を復唱してみよう。「たっち・みーさんに助けて頂いたように助けて頂いた」。それが示すのは、つまり、

「ここのギルドマスターは、アインズ様の…い、命の、恩人、ということでよろしいでしょうか…?」

「うん?そうだな」

 恐る恐る確認したデミウルゴスに、アインズはモモンガ的ノリで答えてしまった。そんなアインズの後ろで、デミウルゴスとアウラとマーレはまだ見ぬギルドマスターを簡単に殺してはいけない人物だ、と脳内に刻み込んだ。



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4話

 積乱雲の中に隠された天空城。それだけでも昔のアニメ映画を彷彿とさせる。貧困層であった鈴木悟にとって、幼少期の娯楽は著作権の切れたそういうものを何かの機会に視聴することであった。そしてその機会で見るものの殆どが、あの映画のような名作だった。だからよく覚えている。

 昔の記憶に浸るように感慨深く城を見つめていると、アインズの優れた聴覚が何かの飛来音を捕らえた。ほぼ同時にそれを聞いたのはアウラだろうか。アインズ様、と小さく声を上げた彼女に、アインズは過去の記憶から音の正体の予想を付けつつ片手を上げて彼女を制した。

「大丈夫だ」

 果たしてその言葉を証明するかのように城の方から彼らの元にやってきたのは二体の空を飛ぶゴーレムだった。恐らくアイテムで呼び出されたもので、かつかなりの年月が経っているのだろう。体のあちこちに様々な苔が生え、まるで庭園を飾る庭石が動いてきたかのような印象を見る者に抱かせるそれは、顔にあるランプのようなものをぴこぴこ光らせて、どこかにあるスピーカーからひび割れた音声をもって問うてきた。

「ここは偉大なる御方おわす天空城」

「何用あって汝此処に至るか」

「私はアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターだ。ギルドマスター同士の話し合いの場を持ちたくてきた」

 答えたアインズに、ゴーレムの顔がぴかりと光る。

「斯様な用事は聞いていない」

「予約無き者通さない」

「予約はないな。だが、緊急事態だ。思い当たる節はあるだろう?取り次いでは頂けないだろうか」

 後ろで「ゴーレム風情が」と呟く守護者に無い胃がキリキリと痛むような幻覚を覚えつつアインズが骨の顔に精一杯の笑みを浮かべてそう言うと、ゴーレムはまたぴかりとランプを光らせて答えた。

「広場に案内する」

「守護者に取り次ぐ」

「そこで待たれよ」

「こちらにこられよ」

 ゴーレムはそう言うとくるりと振り返って来た道(道なぞないのだが)を戻りはじめた。その背中にはジェット機のエンジンを彷彿とさせる円筒形のパーツがそれぞれの背に二個ずつついて青白い炎を放っている。魔法と科学のあいのこのようなゴーレムの形にアインズは「これはこれでいいな…」と呟いた。魔法だけでも科学だけでもない、ありえたかもしれない文明の産物っぽいデザイン。それは確かなんと言ったか。

「ええと、なんだったか…」

「いかがなされましたか」

「いやな、デミウルゴス。科学と魔法を上手い具合に組み合わせた造形物のデザインの総称があったはずなんだが思い出せなくてな…」

 なんだったかなー、と呟きつつアインズは指定された場に降り立つ。それは山のような形になっている天空城の最下層にある、どう考えても一度も使われたことが無さそうな古びた門の前にある、朽ち果てた待機場跡のような場所だった。あちらに一かけこちらに一かけと黒ずんだ木の板が転がっており、整地された地面には隙間から雑草が伸びた石が敷き詰められている。もしもこの城が地上に在ったことがあるならば、ここは正しく道と城を繋ぐ部分だろう。

「なんだったかな」

「もしやそれは『スチームパンク』というものではないでしょうか」

 頭をかかえつつ喉の端まででかかった言葉を引き出そうと四苦八苦しているアインズと、そんなアインズの力になろうと一生懸命頭を動かすナザリックの守護者達。そんな彼らに声をかけたのは、大きな門の横の小さな扉を開いて出てきたバードマンだった。アインズよりも長身で、コキュートスよりも僅かに小さいくらいだろうか。バードマンとしては明らかに大柄である。ベースになったと思われる鳥類がちょっとよくわからないが、全体的な印象としては金色をベースにした猛禽類と言えばいいだろうか。猛禽類系バードマンといえばアインズにとってはペロロンチーノが真っ先に思い浮かぶが、彼のような装飾はなく、顔にも兜の類はない。丸い瞳孔は知性の光をはっきり宿してアインズを見つめていた。

「スチームパンク!それだ!ああ、すっきりした」

「お力になれたようで幸いでございます。私、このマチュピチュ天空城の守護者をしておりますチョウ・シンと申します。アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター。あなたを歓迎致します」

 ふわり、と優雅な動きでチョウが一礼する。他のユグドラシルプレイヤーの存在を感じてかアインズではなくモモンガとしての意識が強くなっていたアインズは「これはどうも」と癖で頭を少し下げてしまった。そんな彼の後ろで、慌てて守護者が傅く音がする。

「そちらの方はあなたのギルドの守護者の方々で…?」

「そうだ。こちらからデミウルゴス、アウラ、マーレという」

「同業者というわけですね。どうぞよろしく。あなた方も歓迎致します」

 ぺこりと頭を下げるチョウに、三人のナザリック守護者はそつのない挨拶をした。そして三人の挨拶が終わった頃に、デミウルゴスが代表して言葉を発する。

「あなたは我々のことを知っているのですか?随分と落ち着いておられる」

「あなた方のことを知っているわけではなく、ユグドラシルプレイヤーとプレイヤーとともに転移されるギルドの在り方について知っているだけです。気配から察するに、あなた方はここ最近…そう、一年以内にこの地にやってきた方々でしょう」

「あなたは違うのか」

「違います。その説明をマスターがすると仰っていますので、ともに来て頂きたく。ああ、念のため申し上げておきますと、あなた方がこの地と我等のマスターに敵対行動を取った瞬間、この地の守護機構が発動し迎撃されるのでどうかおやめ下さいますようお願い致します」

「それは『観察者の目』の効果かな」

「左様でございます」

 答えた後、チョウはくるりと振り返って横の小さな門を開いた。それに蛙頭から人頭に顔を戻したデミウルゴスが顔をしかめる。

「そのような粗末な門にアインズ様を通すなど…」

「ご不快承知。しかしこの大門を久方ぶりに動かすとなると大がかりな掃除が必要となりまして、あなた方をいつまでも待たせてしまうことになるのです。どうかお許しを」

 くす、と。まるで駄々をこねる子どもを懐かしむような顔をして、チョウは笑った。だが、その言葉を微笑ましいで流せない者もいる。アインズだ。

「待ってくれ」

「はい」

「久方ぶりに動かす、と言ったな。この門を」

 アインズが見上げた先にある門は、高さが十メートルを超える巨大な門だ。城門というか、もはや都市門と言う方が相応しい気がしてくる代物だ。それを覆うようにして草木が生い茂っている。絡んでいる。樹齢何百年、といえそうな木が、大きく張り出して門を覆っている。

 アインズの視線を追うようにして門を見上げたチョウは「はい」と懐かしむような声色で答えた。

「六百年ほど前までは稼働しておりましたから。ギルドマスター以外の最後の方がお亡くなりになるその日までは、確かに動かしておりました」

「六百年…?」

 オウム返しに聞いたアインズの下顎がぱかっと落ちそうになる。アンデッドとして先に広がる時間が無限であることは自覚しているし、それ故一年の長さが人間の時と違って短く感じられる。つまりはあまり価値のない意味のない年数に感じられる。それでも、六百年という時間は、どう考えたって大きすぎる。

「はい」

「一体いつから君達はここにいるのかね」

「千年ほど前でございます」

 さらりと答えられた言葉に、アインズと守護者達は思わず言葉を失った。



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5話

 小さな門の向こう側は、一言で言うなら失われた文明の廃墟という表現がよく似合う世界だった。門の内側に入った途端、高高度故の冷たく強い風はまるで春のそよ風のように心地よいものになった。

 全体的に石造りを基礎にしていた建造物は堅牢なのかその形を殆ど完璧に残している。だが地面から生えた草が辺りを覆っていたりして、お世辞にも「管理されている」とは言いがたい。守護者としてそれを見逃せなかったのはデミウルゴスだった。

「チョウ殿」

「はい、なんでしょうかデミウルゴス殿」

 さく、さく、と草を踏み分ける音の中で、チョウが僅かに振り返る。優しい色をした目に見つめられながら、デミウルゴスは理解不能だと言わんばかりの表情で彼に問うた。

「どうしてここはこれほど荒れ果てているのですか。元からこういったデザインなのですか?」

「先程も申し上げましたように、六百年前に整備を辞めたために荒れ果てております。私どもも少しは美しく保とうと思ったのですが、訪れる者もいないこの地を美しく保つために音を立てるのは憚られまして」

「音を立てたらまずいのですか」

「はい。我等のマスターは、仲間がお亡くなりになった後、悲しみのままに眠りにつかれましたから。その眠りを邪魔することこそ守護者としてもっともやってはならないことでしょう。ああ、それにしても、あの方が起きていた時は楽しかった…」

 す、とチョウの足が止まる。止まった先で、彼が猛禽類らしい首の曲げ方をして見上げるのは、石造りの外廊下の壁に飾られた、一枚の大きな大きな写真だった。縦横三メートル五メートルほどはあるだろうか。アインズにはそれがすぐにスクリーンショットを飾ったものだとわかった。何故なら右下にユグドラシルの版権表示とロゴ表示が入っているからだ。

 映っているのは無数の人々だった。皆に共通しているのは、翼だろうか。劣化が激しいというよりは、蔦に絡まれ見えなくなっている部分が多くてわかりにくい。けれど、見上げた者にそれが写された時に写真の中にいる人々がどれだけ楽しかったかを伝えるのには十分だった。ユグドラシル時代は表情は固定されるものだから笑顔を浮かべている者なんて誰もいない。けれど、皆が笑顔を浮かべていることは、気安く肩に回された手からよくわかった。

「これは?」

 アインズの短い問いに、チョウが愛おしいものを愛でるような吐息を吐きながら答えた。

「この天空城を制圧した時に撮った写真と伺っております。中央におわすのが我等のマスターにしてギルドマスターのリュウズ様。その右にいらっしゃるのが最後まで時を共にした蓬餅様です。といっても、蔦で見えませんが…」

 これはちょっと、と言いつつ、彼はばさりと翼を羽ばたかせ、高い所にある蔦に手を伸ばそうとした。しかし彼の手が蔦に触れる前に、一行に鋭い声がかかり彼の掃除は為されなかった。

「チョウ!いつまで油を売っている!」

 まるで猛禽類の声のように鋭い声は廊下の向こうから響いてきた。数秒して、ものすごい速さで現れたのはチョウと似たようなカラーリングのバードマン。しかし身長はアインズよりも低い。バードマンにしては小型と言うべきだろう。

「う」

「マスターのご準備も刻一刻と済まされつつある。客人が久方ぶりで浮かれるなとは言わないが仕事はきちんとしてくれないと。

 お客様、チョウが失礼致しました」

 ぽんぽん言葉を放りてきぱきとチョウを引きずり下ろしその過程でさっと蔦を取るなどという器用なことをほぼ同時にやってのけたそのバードマンは、手をぱんぱんと払ってついているかどうかもわからない蔦くずを払う。十分払った後、彼は自身のふんわりとした胸に手を当てて優雅に一礼した。

「自己紹介が遅れました。私はマチュピチュ天空城の守護者をしておりますタン・ハリと申します。以後お見知りおきを。只今我等の主の支度を行っておりま―――いえ、訂正します。済んだようです。お連れ致します」

 言うが早いか彼はくるりと踵を返しセカセカと歩き始めた。同時に「その蔦を処分しておけ」「わかった」というやりとりが彼らの間で交わされる。口を挟む余地一切無しというか、挟む必要のないばかりかかなり雑なエスコートにアインズが呆然としていると、デミウルゴスが「アインズ様」とアインズをつついてその足を動かさせた。

「どうやらナザリックのシモベ程の練度はないようですね」

「そうだな」

「へぇ。ナザリックってすごそうなところですね。もっとも、今のここと比べたらどこだってすごいでしょうが…」

 受け取った蔦をぼろぼろこぼしながら、あははと笑いつつチョウがアインズ達の隣に並ぶ形で追従してくる。ナザリックでは絶対にあり得ないことだ。デミウルゴスはチョウとタンが同業者などとてもとても信じられませんという顔をしているし、アウラとマーレも「守護者?えっ?」と困惑の表情を浮かべている。だが、アインズだけは違う。アインズだけは、彼らの気安いやりとりや、ボロボロながらよく見ればあちらこちらに暖かみのある―――実際、陽光が入っていてとても暖かい―――周囲を見回し、思った。

「だが、ナザリックとは違う魅力があるんじゃないか。ここはここでいいところだと思うぞ」

 その魅力は、かつてのアインズ・ウール・ゴウン、ナザリック地下大墳墓にあったものと同じ、同列の者達が交流することによって生まれる暖かさ。そう言ったら適切だろうか。

「ありがとうございます。他のギルドの方に褒められるとやっぱり嬉しいものですね」

「他のギルドの者が来たことがあるのか?」

「六百年以上前のことですが、ええ、ありましたよ。っと、着きました」



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6話

 立ち止まった所にあるのは、ついさっき草木を大急ぎで毟り取られたということがよくわかる大きな両開きの石の扉の前だった。扉や、扉の周りにも精緻な紋様が掘られている。だがその紋様の殆どは緑の蔦に覆われていてよくは見えない。蔦は扉を動かすために最低限必要な分を大急ぎで毟られたのだろう。取り切れず、引き千切られ歪んだ蔓がぷらぷらと揺れている。それがまた紋様の邪魔になっているのだ。そして辺りには草が切れた時に発生する青々とした植物の匂いが漂っている。天空城全体に淡く吹き続ける風がある中でそう感じるのだから、目の前の草がその匂いの原因だろう。

「古の王の居室、と言ったところか」

 全体から感じる印象をぽつりと口にしたアインズに、タンが頷いた。

「言い得て妙というやつですね。こちらの世界に来てから古の存在になったのは確かですから」

 千年とか六百年とか、アンデッドにしても大層な時間だ。アインズではなくモモンガの心で「だよなぁ」と小さく呟いたアインズの横で、タンがその小さな身をぐっとそらす。

「マスター、客人をお連れ致しました。アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターです」

 タンが少し大きな声でそう言うと、中からの返事を待たずしてチョウが扉に手をかけ、ぐぐ、と押し開いた。途端、中の様子が見えてくる。一歩踏み出すまでもなく一行がその中に見たのは、奥の巨大なベッドにいる、一匹の美しい蛇だった。

 いや、蛇という表現は正しくない。蛇であれば手足の無いその細長い全身がきっちり全て爬虫類の姿をしているはずなのだから。対して、居室の奥のそれは完全な蛇ではない。「どうぞ」とタンに言われ、一歩居室に踏み込んだアインズが見たのは、その蛇の、本来ならば頭部がある部分にすらりと滑らかな女性の上半身がついている様だった。それと、その背中から生えているのは一見すると緑色に見える大きな二対の翼。一見すると、という前置きを入れたのは、背後の大窓から差し込む光がその翼にあたるとその輝きをもって翼の色をめまぐるしく変えているからだ。緑色というよりは玉虫色と言うべきだ、と見る者全てに言わせる色だ。調教師として多くのモンスターを見てきたアウラが、アインズを除き一番最初に彼女の種族に気づいた。

「……ケツァルコアトル?」

 ナザリックの第六階層にもいるモンスターだ。もっとも、あちらはもっと端的に蛇に翼が生えたような姿をしているが。

 部屋の奥のベッドの上で上体を起こし、クッションにもたれかかるようにして来客を見つめる美しい異形。その異形は、彼らが入室してくる前からずっと浮かべている柔らかい笑みを浮かべたまま、アウラの言葉に首肯した。

「そう。私の種族は神羽蛇種。もっとも、プレイヤーだからモンスターのものとは全く違うけれどね」

 くす、と。澄んだ緑青色の髪を揺らし、頭部に頂く目眩がするほど美しい額冠をきらきらと陽光で輝かせ、彼女は笑う。髪よりも少し濃い色の下半身の鱗を煌めかせ、おそらくは足を組み替えるとかそれに近しい動きをし、彼女はアウラからアインズに目を移した。

「こんにちは、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター」

「こんにちは、翼持つ人々のギルドマスター。……あの、唐突で申し訳ないんですが、私のこと、覚えていますか」

 つい、とアインズの白い骨が自分の顔を指さす。アインズ、というよりはもう殆どモモンガだ。普段はあるはずの支配者の威厳を全く身に纏わぬアインズにデミウルゴス達が目を白黒させているのなんて、アインズの意識からはもうとうに消えている。彼の中にあるのは、久方ぶりにプレイヤーと話せるという淡い淡い期待だけだ。NPCとは話してきた。けれど、自分と対等の位置にいる者とはずっと出会えてこなかった。だから、だから、友となりうる可能性を持つ者を見て、彼はらしくない一言を出してしまったのだ。

 もしもそれがこの世界の人間相手のものだったら、彼を狙って利益を貪ろうとする者達がここぞとばかりに牙を剥いて襲いかかってきたかもしれない。アインズという殻に守られたモモンガに牙を突き立てたかもしれない。

 けれど、ここにいるのはそんな奴じゃない。

 遙かな古代で消え去った文明の神の姿を持つギルドマスターは、その目に心の底からの親愛をもって答えた。

「ええ。ずうっと昔にPKされかかっていたのを助けたことが、ありましたね。確か名前は……モモンガさん、でしたっけ」

 それは、この世界ではナザリックの者以外の誰も知らぬ、アンデッドとしてのアインズの真名だ。それを言い当てられた瞬間、アインズは骨の顔ではわからないが大きく破顔した。

「ええ!覚えていて下さいましたか!」

「もちろん。私はね、優しくて、愛に溢れた子が好きなんですよ」

「あ、愛に溢れ…」

 思わぬ賛辞にアインズの心の中に動揺が生まれる。それが強制的に平定された後、彼女はクッションの一つにその大きな胸を埋めながらおっとりと答えた。

「愛があるからあの世界を謳歌し、最後までしがみつき、そうしてついに転移に巻き込まれた。何を恥ずかしがることがありますか」

 うふふ、と笑う神に、死の支配者やら死の神とやら言われるアインズは思わず照れから頬をかりかり掻いてごまかしたのであった。



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7話

 マチュピチュ天空城は、ナザリックのように一個の都市機能を入れるような形はしていない。玉座の間なんてものもないし、エンタメ系の施設だってない。ギルドメンバーの殆どがギルド拠点を文字通りの止まり木のようなものとしか見ていなかったため、ナザリックほどの設備がそも必要ないし作ろうと思う者もいなかったからだ。だから王を迎えるに相応しい応接室なんてものも当然なく、リュウズはベッドからずるりと降りると「クッションがありますから適当に座ってくださいまし」とアインズ達に言ってきた。すいと指した手の先にはクッションを抱えたバードマンがいた。

「いろいろありますよー」

「どれもお日様に干してありますからフカフカですよ!」

 えへん、と胸を張るバードマン。そうじゃない、そうじゃない、と思わず首を振るデミウルゴス。アウラとマーレはクッションがあるとはいえ至高の存在を床に座らせてよいものかと悩んでいる。そんな中、一番最初に動いたのはリュウズを除くとアインズだった。

「どれ」

「アインズ様!?地べたに座るようなマネを御身がなさることは…!」

「郷に入りては郷に従えと言うだろう。それに、今の発言はこの地の主に対して失礼だ。取り消せ」

 アインズが視線で示すのは、ベッドの上からお気に入りらしいクッションを引っ張り腰の下やら腹の前やらに置いたり抱え込んだりして楽な姿勢を取っているギルドマスターだ。

「そうねぇ」

 アインズの言葉に、この場では一応一番えらい存在が、一番下から立ったままのデミウルゴス達を見上げて微笑む。

「予約も何もなしにここに来た以上、ここの流儀には合わせていただきたいわ。従いたくないのであれば、出て行って頂いても私は構いません」

「かしこまりました」

「予約があったとしても椅子を用意しているとは限らないけれどね?」

 冗談めかして笑うリュウズは、細く長い首を少しだけ伸ばし「タン、その上から三つ目のえんじ色のやつ。金の飾り付き。それをデミウルゴスさんに」と指示した。頷いたタンがずいとクッションを差し出し、デミウルゴスが思わずぽすりと受け取ってしまう。そんな炎の悪魔の姿を見たからか、アウラとマーレはすぐにチョウの手の中からそれぞれ青色と緑色のクッションを引き出し、さらに一番大きなクッションをチョウから取り上げてアインズに差し出した。

「どうぞ!アインズ様!」

「うむ」

 差し出されたのはベルベット生地を思わせる柔らかな手触りの布で作られたクッションだった。色は黒で、よく見ると生地全体に植物的な紋様が描かれているのが見える。一見するとシンプルなようだが、端の処理に使われた金色の糸の手触りといい、クッション自体の柔らかさといい、それはこのクッションの山達の中で一番いいものだろう。白い骨の手で数度クッションを撫でたアインズは、床に座って下半身とクッションに体を預けるようにして待っているギルドマスターの真正面にクッションを置き、その上に座った。そんなアインズを、真正面にいるリュウズは興味深そうに、かつ面白いものでも見るような目で見つめている。

「頭が柔軟なのは良いことね」

 アインズが見つめる先にある目は人とは思えぬ色をしていた。白のような、銀のような、桃色のような、水色のような。例えるならばオパールという宝石が相応しいか。宝石の真ん中に、蛇の目を思わせる縦の瞳孔が浮いている。アルベドのそれと同じ形をしている。けれど彼女の目よりもずっと穏やかな色をたたえていることは誰の目にも明らかだった。

「褒めて頂き、感謝する」

「いえいえ。さて、プレイヤー同士の他愛ないチャットをしたい所だけど、残念ながらそういう雰囲気では無さそうね。モモンガくんは一体いつこちらに来たの?」

「数ヶ月ほど前だな」

「その魔王役もその時から?」

「……以前から、要所要所でやっていましたけど、こちらに来たときにはこれを標準としました」

「そう…」

 リュウズは何かを見極めるようにすいと目を細め、数秒考え込む。やがて諦めたような溜息をついた。

「こちらの世界に来たプレイヤーは種族の特徴に意識が引っ張られる。それがあなたにも適用されているというのは間違いないようね」

「そういうリュウズさんはどうだったんですか」

「私はもう、前からこんな感じでしたねぇ。でも」

 ううん、と。彼女はそこで初めて顔を顰めた。不快そうに。それは僅かな接触でも彼女を評する表現に最適なものが「穏やか」であると悟った者達にとって違和感のある表情だ。

 言葉を切ったアインズに、リュウズはもう一度、今度は困ったように「でも」と続けた後、白く傷の無い指をさらりと頬に当てて呟いた。

「こっちに来てから生の心臓を食べたくなってしまいましたわ」

「……は?」

 なまのしんぞうをたべたくなる。光の中で穏やかに佇む人には酷く不似合いな言葉だ。デミウルゴスやアルベド、それからアインズといったカルマ値がマイナスに傾きまくりの連中が言うならまだしも、光の中に佇む女神が言うべき言葉ではない。思わず言葉を失ったアインズは、数秒して、ケツァルコアトルという神の在り方を思い出し、ああ、と合点が言った。

「古代アステカ文明では人身御供があったっけ…」

 確か、タブラ・スマラグディナが垂れ流していた蘊蓄のうちにあった知識だ。埃を被りかけた設定用の知識を引っ張ってきたアインズにリュウズは頷いた。

「人身御供を好んだのはテスカトリポカだと言われているけど、どうやらケツァルコアトルも好んだらしいというのがこの身になってわかったわ。難儀なものです」

「マスター、残念ながら今ここにマスターに捧げられる生きた生物は…」

「わかっています」

 タンの申し訳なさそうな言葉を、リュウズは強い口調で切った。そしてそのままくるりと表情を変え、アインズに向き直る。

「ごめんなさいね。そういうわけでお茶の一つも出せませんのよ。今じゃものを口にするのは私くらいで、私が口にするのがアレだから。

 それで、ゴーレムから聞いた仰る『緊急事態』とは何でしょうか?」

 だいぶ無理のある話題の転換の仕方だ。けれど、本人は違和感を気にしていないらしい。割と深刻というかグロい話を適当にぶった切り、まるで昨日見たテレビの内容を聞くような気安さで、リュウズは微笑みながらアインズに来訪の意図を尋ねた。



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8話

「アインズ・ウール・ゴウンに下れとは…これまた大きく出てきましたね」

「すごく大きいですね」

「ついに余所様に膝を折るのですか?」

 ぽややんとした一つ目の台詞はリュウズの、二つ目の感想にもなっていない感想はチョウの、三つ目のあっけからんとした言葉はタンのものである。アインズ・ウール・ゴウンは転移して建国した。だからそんな強者の元に下って膝を折って頭を垂れろという意味の言葉を言われたにしては長があまりにおっとりしているし、シモベもシモベで重要に捕らえている節はない。覚悟して口にした提案があまりにするーんと表面を滑っている様を見せつけられ、アインズは肩からローブがずり落ちるような気がした。ずっこけるというやつだ。

 対してあまりに暢気な対応にふるふる震えているのは守護者である。ダン、と一番最初に床に手を突き立ち上がって叫んだのは、一番己を偽ることに長けているはずのデミウルゴスだった。どうやら異文化的なもてなしが肌に合わずついに堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

「聞いていれば先程から…!世界の所有者たるアインズ様になんという不敬な!」

「やめろ、デミウルゴス!」

「っ…」

 ですが、と言いたげなデミウルゴスの、その眼鏡の奥の目が見開かれ、宝石の眼球が露わになっている。慌ててアインズが残りの二人を見れば、アウラも同じように全身から怒気を立ち上らせていたし、マーレは相変わらずおどおどしていたものの黒い杖を握る手にはいささかの震えも生まれていなかった。

 これはまずい。王国や帝都でならまだ問題ないが、ここではまずい。アインズがそう思ってこの地の主人を振り返れば、汗腺の無い骨の身で汗をかきそうなほど焦っているアインズに対しこの地の主人と従者はのほほんとしていた。

「モモンガさん、従者の手綱はしっかり握っていたほうがよいですよ。それで、下る件ですが、まっぴらごめんのおことわり~というやつです」

 おっとりしながらも口調にははっきりとした拒絶の色が浮かんでいる。でしょうね、とアインズは頷きつつ、ならば、と言葉を重ねる。ギルドの性格から考えてはじめからこの条件を出しても食いつきはないと思っていたのだ。だからデミウルゴス達にはもうちょっと大人しくしていてほしい。切実に。

「では、かつてのように無干渉を貫いて頂けますか。他の国に肩入れせず、私達にも協力しないという姿勢を」

「基本的には応じましょう。ですが、この地の意味を知り、翼の羽ばたきを持ってここに至る者に関しては応じかねます。それは我等の同志です。あなたがこの地に至るより、ずっとずっと昔から。それは曲げません」

「この地で大罪を犯した者であってもですか」

「何を罪とするかは寄る辺によってかわるものでしょう?大体、国を超えたら法律って効かないものでしたよ」

 にこりと微笑むリュウズの額で、ぎらりと額冠が輝きを増す。まるで抜き放たれた剣呑な日本刀の輝きのようだ。それがわからぬ守護者やプレイヤーではない。アインズは輝きが己に向けられる条件を心の底から理解しているが、守護者はどうだろうか。理解していても感情が追いつかないかもしれない。

 前からも後ろからも追い立てられているような挟み撃ち状態にアインズの無い胃がキリキリ痛んで仕方ない。リュウズはそんなアインズを見ながら、アインズよりも人間に近しいのにアインズよりも人間に遠い視線を目に宿し、ゆるゆると言葉を紡ぐ。

同じ境遇の身(プレイヤー)であるあなたがこの地に来ることは、この地の主(ギルドマスター)として許しましょう。私も事情を知る方とおしゃべりをしたいですしね。けれど、臣下にはなりません。対等の存在です。それを犯すと言うのなら、ギルドの資材が空っぽになるまで私達を攻撃し続けるがよろしい。あなた方にとって幸いなことにもうここにプレイヤーは私しかいない。対抗戦力は無きに等しい。あなた方は打ち返される弾丸や魔法のことは心配しなくてよいのですから、遠慮無くばかばか打ち込めばよろしい」

 水を流すように滑らかに紡がれる言葉がまた余計に守護者の神経を逆撫でする。アインズは「もしかしてわかってやってる?ねぇ、わかってやってる!?ていうか彼女怒ってる!?」と激しく混乱し、直後精神が強制的に平定された。アンデッドで良かった、と胸をなで下ろす暇があればよいのだが、そんなものを千年も生きた神の姿をした蛇が許すはずがない。……と言えればよいのだが、残念ながら彼女が更に言葉を継ぐ前に守護者達が立ち上がった。完全にげきおこ状態である。ざ、という立ち上がる音がして、アインズは「やめろ」と制するために状態を曲げて後ろを振り返った。

 だが、ローブに皺を作りながら振り返った先に、守護者達はいなかった。

「……は?」

「あー!」

 いたはずのひとがいなくなる。転移反応があったわけでもないのにいなくなる。その事象に一瞬思考が止まったのはアインズで、アインズが漏らした声にかぶせるように叫んだのはチョウだった。がば、と立ち上がった彼がその翼を大きく広げている。

「マスター!」

「デミウルゴスさんは悪魔だから羽くらい持っているでしょう。でも闇妖精の双子ちゃんはたぶん<飛行>を使っていたから、捕まえて地上に降ろしてあげて」

「了解!」

 的確な指示に応えると同時に突風を残してチョウが消える。彼は石造りの窓の外から飛び出して行った。辺りにふわふわと木の葉や埃が舞い上がる。舞い上がったものがひらひら落ちる中で、リュウズは呆れたような溜息をついた。

「モモンガさん、部下の手綱は取って下さらないと困ります」

 彼女の横ではタンがやれやれ、と肩をすくめて首を横に振っている。状況が把握できずに困惑する精神が平定され、アインズは冷静な視点を取り戻して問うた。

「一体何が起こったのですか。あなたのことだから、攻撃ではないと思うのですけど」

「攻撃ではありません。むしろ、彼らが敵対行動を取ったために『観察者の目』で弾かれたのですよ。この領域で全ての魔法と特殊技能が使えないことはご存じですね?」

「ええ」

「弾かれると、弾かれた者は天空城の外に追いやられます。ぽいっと。そして、これはユグドラシルの時からあるバグなんですけど、この世界級アイテムの領域に入った者は出た後も暫く魔法と特殊技能が使えない状態が続くんです。具体的に言うと、空から地面に着くまでの間」

「それって」

「翼の無いものは地面にまっさかさま。防御魔法も特殊技能も使えずに、熟れて落ちたトマトになります」

 だから翼を持っているのがこのギルドの条件なんですよ。拠点から出た後にトマトにならない地力がないと困りますからね。彼女はけろっとした顔でアインズにそう答えた。

 アインズの中で何かの感情がわき上がる。けど、それが何かわかる前に精神の平定がまた起こる。すん、と空気が抜けるような感覚の後、アインズは先程おそらくデミウルゴス達がそうしたように立ち上がった。しかし、彼が外に行く前にリュウズは「だから」と言葉を続けた。

「チョウが捕まえに行きました。今頃はゆっくり地面に下ろしている頃でしょう。最初に警告致しましたね?敵対行動を取ると守備機構にひっかかかると。

 注意はちゃんと聞いて下さらないと困ります。それでは、モモンガさん、また会う日までご機嫌よう。タン、送って差し上げて」

「かしこまりました」

 すい、とタンが立ち上がる。そうしてアインズは柔らかくも有無を言わせぬタンの腕に抱えられ、地上に降ろされていった。



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9話

「殺すべきです!アインズ様!あれほどコケにされたのに放置とは、アインズ様とナザリックを愚弄した者を野放しにすることは、許せません!!」

 激高するデミウルゴスというのは珍しい。悪魔の本性をさらけ出し大きな声で声高に進言するデミウルゴスに、アインズは頭を押さえて首を振る。先程似たようなことをアウラとマーレにも言われ、かつ話を聞いた守護者達も同じことを言われている。控えているメイドも、セバスも、アルベドも、皆似たようなことを口々に言っている。だが、その言葉を、アインズは彼にしては珍しく根気よく諫め続けた。

「よいか。ナザリックを愛する気持ちはよくわかる。コケにされたと感じる気持ちも…まあ、わからなくもない。だが、先にあちらの領域に入ったのは我々の方なのだ。あの時我々が取るべき行動は向こうの掟に従い行動し最大の利益を出すことで、ナザリックの掟を押しつけるべきではなかったのだ。

 あの者達は戦うことを放棄することで絶対の防御を手に入れている。アルベド、あの地の防御力は、お前よりも遙かに高い…というか、文字通り完全に次元が違うのだ。なんせ世界級アイテムを使っているからな」

「ならばそれを奪い取ればよいのでは」

「それができれば苦労はしない。そのために悪意を持って近づけば…否、あのアイテムは悪意があろうと無かろうと、「観察者」の任を解かんとする流れには逆らう。アイテムの名を犯す者には徹底的に抵抗する。例え無垢な幼子を操作して差し向けても、奪うことは敵わない」

 例えどんな状況であろうともユグドラシルの語りには熱が入る。アイテムの話をしているためか段々早口になるのをなんとなく自覚しつつ、アインズは遠い昔に見たリュウズのステータスと個人的印象、それから噂をかき集めてPVPの相手として計算してみる。

「そして仮に奪えたとしても、ギルド同士の戦いになる。おそらくナザリックが向こうに行くことになろうだろうが、世界級アイテムを使えなくなると同時に全魔法と特殊技術が開放されるだろう。その内容は完全に未知だ。実力的に格下という可能性もあるが、同じくらい格上という可能性もある。そしてギルドマスターのリュウズさんは…リュウズさんは確か、魔力系魔法詠唱者だったはずだ。私と同類だな。だが向こうは特殊種族を開放していて、異形であっても神の名を頂いている。自身を神と考えた場合、信仰系の魔法を使える可能性があるかもしれないと考えると、私にとっては非常に不利だ。以前の戦いと違って完全に相手の手の内がわからない。私のPVP戦術では、今の時点ではどう足掻いても負けしか見えない」

 アインズのPVPにとって一番大切なのは情報だ。それが、今回は微塵もわからない。元々そこまで注目していなかった無干渉系ギルドだったから情報を集めていないというのもあるし、さらに言えばこちらの世界の千年という期間で向こうが予想もできない研鑽を積んでいる可能性があるのだ。そんな相手、絶対に敵にはできない。守護者というカードを切るか?とも考えたが、あちらにも守護者がいる口ぶりだった。あの二体だけが稼働している守護者であってほしいと願うが、アインズはその願いには蓋をする。なんだかとても嫌な予感がするからだ。

(こうあってほしい、と願ってそうあったことなどあっただろうか。楽観は厳禁だ)

 うなじの辺りの骨をじりじりと焼かれるような危機感を感じる。遠隔透視されている気配はないし、あの天空城の中では魔法は使えないからこちらの話は一切聞かれていないだろう。けれど、アインズは感じるのだ。

(一度目は見逃された。けれど、二度目はない)

 あのギルドマスターは優しい。叡智を思わせる深いオパール色の目が、穏やかなな人柄が、アインズの印象は事実だと告げている。けれどいつまでもそうだとは限らない。噂で聞いたように、自らに刃を叩き込む者には苛烈極まりない攻撃をするギルドでもある可能性があるのだ。よく言うだろう、優しい人は怒ると超怖いと。

 アインズはそこまで考え、決めた。

「守護者達よ。全ナザリックのシモベに伝えよ」

「はっ」

 自分が思う支配者っぽい声を空間一杯に響かせる。怒気を顔に漲らせた守護者達をはじめとするこの場の全てのシモベ達はアインズの一言でざっと傅いた。

「アインズ・ウール・ゴウンが命ずる。今後一切『翼持つ人々』への攻撃は禁止する」

 下された命に、空気が動揺する。その動揺を押さえつけ、アインズは宣告を続けた。

「友好関係の構築は目指す。おそらくだが年月相応の情報を溜め込んでいるようだからな。私は人間の国におそらくは存在しないそれを得たいのだ。もちろん、得た後で向こうをどうこうするつもりはない。

 今回はこちらが不用意に接触したためにこのようなことになっただけだ。非はこちらにある」

 ナザリックが一番えらい、と思っているシモベ達には理解できないだろう。だが、アインズはナザリックが最高であることは肯定するが、それは全てを支配することとはイコールではないと思っている。

 文字通り、アレは次元が違うのだ。であれば刃向かうだけ無駄というものだろう。今アインズ達がいるこの世界から鈴木悟のリアルの世界に向かって労基がどうの環境破壊がどうのと声高にデモを起こして届くだろうか?届かないだろう。そういうことである。そして次元の違うものに手を出しても、出すだけ無駄なのはわかりきっている。

 だが、今の思考をシモベにいってもたぶん皆全く納得してくれないだろう。アインズは少なからぬ強制的共同生活で嫌というほどそれを思い知ったので、ダメ押しの一手を打っておくことにした。

「そして何より!『翼持つ人々』のギルドマスター・リュウズは!過去に私を助けてくれた恩人だ!私は恩には恩で返すと決めている!そのような人物に害を為すことは、この私が許さない!」

(だからリュウズさん、頼むからそっとしておいてくださいね…)

 アインズの声高で堂々とした宣言の裏で、モモンガは地下からは全く見えない天空城に拝み倒してた。

 

 

 

 その後、天空城の存在と、天空城におわす者の価値はナザリックの守護者の口がうっかり(マジでうっかり)滑ったことで世界に知られることになる。どこかの皇帝は目の力を取り戻し、法国をはじめとする異形敵対国は頭をかかえ、魔導国を目の上のたんこぶ的に思っている者達は気勢を上げるのだが、まさか雷鳴り響く積乱雲の中の城に、この世界の技術で突っ込めるわけもなく。結局この世界の存在がたどり着けるようになったのは、この接触からずっと後のことである。

 

 

 

第一部 完




あとがき

天空城ギルドええな!と思って書き始めたらめっちゃ長くなりました。どうしてこうなった。ここまで読んで頂きありがとうございました。
この後アインズさんはなんだかんだでこの後何度も天空城に赴きます。情報が欲しいってのはもちろん、向こうもこちらも魔法も特殊技術も使えない、かつ向こうは絶対に攻撃してこない、かつギルマスはユグドラシルの話がプレイヤー視点できる、という、アインズが精神的にモモンガとか鈴木悟に戻れる場所なので、安らぎに行きます。


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設定メモ

リュウズ(時計の竜頭)

千年以上前にこの世界に転移してきたユグドラシルプレイヤー。ギルド『翼持つ人々』のギルドマスターであり、ギルドの拠点である『マチュピチュ天空城』の主。

性格は極めて温厚かつ非常に達観的で、下界の事象をテレビのバラエティ番組でも見るような気分で眺めている。種族設定のために不老不死なため、一緒に転移してきたギルドメンバー全員を看取ってきた。その墓は天空城の一番美しい庭にある。

最後の仲間が死んでしまった後本当にひとりぼっちになってしまったので眠りについた。その後長いこと経っているために地上のあれやこれやは全く知らない。他のプレイヤーが転移してきたこともある程度は知っているが、それが誰かは覚えていない。ギルドの図書室にかつての仲間が記憶のある限りまとめた他のプレイヤーやギルドのことをまとめた本がある。モモンガを助けたことがある。

種族は異形種の蛇女種から進化した特殊種族『神羽蛇種(ケツァルコアトル)』。何か複数の条件をクリアしないと出てこない上にその組み合わせが複雑な超希少種族であり、狙って出す方法はユグドラシルでも解明されていなかった。リュウズの場合は蛇女種からの進化だったためかプレイヤーキャラクターとモンスターとの区別のためか人間っぽいとこが残っている。転移後の世界では生の心臓を食べたくなっている。

実はあんまり強くない。アインズは彼女のことを魔力系魔法詠唱者と思っているが、それは昔の話で今の彼女は味方の援護を主眼に置いた吟遊詩人である。自己防衛くらいはできるけど、一対一のPVPになったら弱い。なので単体で放置されるとたぶん素の戦いでデミウルゴスにも負ける。まあその前に世界級アイテム毟らないといけないけど。

 

『翼持つ人々』

ユグドラシル時代は個人主義的な印象のあるギルド。世界の空を飛び回る者達の巣であれと願い創設されたのが始まり。一時期の総所属人数は千人を超えた大ギルドであるが、統率をしなかったために戦力的には中堅ちょい下くらいと位置づけられている。だがギルドマスター率いる中心の数十人が「いこーぜ」ってノリでワールドエネミーをぶち殺したりしたこともある。

転移時には数十人が残っており、最初は皆混乱したが、ギルドマスターが拠点を守るために完全に引きこもりになる形で皆の帰る場所を守ると決めたので皆が世界中に飛んでいった。

所属メンバーは誰かに拘束されることを非常に嫌がる思考回路がフリーダムな奴ばっかりで行動が読めない奇人変人ばかり。フリーダムなくせに寄り集まってギルドとして成立しているという矛盾を抱えたある意味とても気味悪いギルドだった。

 

観察者の目(アイ・オブ・ジ・ウォッチャー)

『翼持つ人々』がワールドエネミーをぶっとばすことで獲得した世界級アイテム。現在はギルドマスターのリュウズが持っている。おでこの所に大きなダイアモンドっぽい宝石が来る、額冠の形をした、美しいアイテム。

装着者と装着者の持ち物をありとあらゆる攻撃もしくはそれに類するものから守る能力を持つ。これを装着した者と効果範囲の者は装着中一切の魔法・特殊技能を使用できないという超でかいデメリットを持つため、聖者殺しの槍(ロンギヌス)でも突破が不可能。システムの関係上アイテムは使えるようになっている。

装着者はユグドラシルの機能の大半を使えなくなるので、魅力的に見えて結構ゴミアイテムでもある。他人を守るために自分の楽しみ全部捨てられますか?ってこと。ギルドで手に入れると誰が拠点のために犠牲になるかでめっちゃ揉めるタイプ。たぶん現実世界では「呪いの額冠」とか言われるタイプの仲間割れの発生源アイテム。一瞬で事が済まない点が聖者殺しの槍(ロンギヌス)よりもたちが悪い。

なお世界級アイテムは基本的に同じ世界級アイテムの攻撃を打ち消すので、『観察者の目』は実質的に「世界級アイテムの標準装備基本性能にちょびっとだけ上乗せされただけのアイテム」となっている。どんだけ残念なんだこのアイテム。

 

タン・ハリ(時計の短針)

『マチュピチュ天空城』のNPC。背の低いバードマン。魔法職。兄。しっかり者。

 

チョウ・ハリ(時計の長針)

『マチュピチュ天空城』のNPC。背の高いバードマン。戦士職。弟。のんびり屋。

 

『マチュピチュ天空城』

『翼持つ人々』が攻略した時についていた設定が「古の文明が空に飛ばした大宮殿。空という安全地帯で栄華を誇ったが堕落した末に全ての人々が死に絶えた」という天空城。直径三百五十メートルのほぼ円状の大地に城機能がまるごと乗っかっている。城壁・回廊・城・庭園などがある。

攻略方法はワンフロアに次々敵が出てくるからそれを延々倒し続けるタイプ。ただしそれだけではなく「堕落した人類」を象徴するようにフロア上部に堕落の象徴の「賭場」があり、攻略の際アイテムや武器防具をベットして賭けを行い勝利すると勝った分次の戦いに有利なバフがつく(というかデバフが剥がれる)という仕組み。

チップは戦うメンバーが装備・所持しているものに限られる。つまり、賭けに負けることを恐れて所持品を安いものにしていると自分が弱いままで勝ちにくいし、賭に勝つこと前提で高い装備で身を固めると賭けに負けた時それを全て奪われる。戦う者と賭ける者、双方の信頼がないと攻略できない仕組みである。リュウズはギルマスとして賭ける側について戦った。

そういう「挑戦者を弱体化させる」という仕組みなだけあって自動POPエネミーは弱い。カスである。ユグドラシルで拠点からNPCが出られなかった時ならまだしも異世界に来てからはアインズ・ウール・ゴウンみたいに戦力として使うことはできない。

攻略する旨みとか正直何も無い城だけど、攻略するとデバフ解除賭けに参加した人に特殊称号「神の豪運」、参加者全員に「狂気の信頼」という喧嘩売ってんのか運営ーっ!という称号が与えられた。ただしこの称号、実はユグドラシルではついぞ解明されなかった効果を持っている。ついでに言うとこのスキルはこの作中全く出てこない(持ち主が自分で無効化しているor持ち主が既に故人なため)ので忘れてOK。

『翼持つ人々』は刹那主義的思考(そのばのノリ)で挑みギルマスの博才と仲間の狂気的信頼で初見クリアした。他のギルドに言わせれば文字通りの狂気の沙汰な行動であった。なお、理論上は最低人数二人で攻略できる。

『翼持つ人々』の攻略後、下側には想像を絶する数の飛行アイテムが取り付けられ、アイテムの力だけで空を飛べるよう改造が施された。



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第一部 神の誘惑
第1話


本編開始です。

序章のあらすじ:モモンガくん、千年前に来ていた他ギルドを発見する。そこのギルドマスターと不可侵の約束(ただし友達関係はOK)を結ぶ。


 悪魔も天使も使役する死の支配者にすら甘言もたらし危うい道に誘い出す。

 そんなことができるのはきっと正真正銘の神様だけだろう。

 

 

 

 

「そういえばモモンガさん、この拠点ってどうやって手に入れたか知ってます?」

 天空城との接触から暫くの時が過ぎたある日のこと。アインズがなんとか守護者達を説得し「千年溜め込まれた情報を閲覧してくる」という名目で来ていた天空城の、埃まみれの図書室の中。採光用の大きな窓から差し込む光に照らされながらのんびり閲覧者に話しかけたのはこの城の主人だ。名をリュウズという。神羽蛇種という隠れ種族を発見した運のいいユグドラシルプレイヤーである。図書室はおしゃべり禁止とか言ってはいけない。彼女はこの城の主人でルールなのだ。彼女の行動を止められる者などいない。

「知りません。入り口から入って上部階層に向かって上がっていくとかじゃないんですか?」

 話しかけられた閲覧者、アインズ・ウール・ゴウンは酷いくせ字がみっちり書かれたボロボロの羊皮紙を乱雑に糸で綴じただけのノートをめくりつつ答えた。彼の白い手が撫でるノートに書いてあるのはリュウズの仲間が世界を見て回った時の覚え書きのようなものだ。あちらにはこんな生物がいた、こんなことができた、クリスタルがない、生産職ってここじゃどういう扱いなんだ、とか、益あることから愚痴まで雑多に書いてある。どうやら千年前から百年ごとにユグドラシルのプレイヤーが転移してきているということを、彼はぼろぼろの羊皮紙の束から発見した。

 その束の中にたまに「残してきた妹が心配だ」とかそういうプレイヤーらしい記述を見つけて鈴木悟の精神が震えたのは仕方のないことだろう。自分にはそんな心配がないようで、あるようでもあるからだ。具体的に言うとギルドとしてのアインズ・ウール・ゴウンのメンバーである。ここの書物に触れる度、アインズは彼らがこの世界に来ている可能性が薄いということを理解していった。だからこそ、『リアル』にいるであろう友人達が心配だった。最後の時に一緒に居てくれない者達に怒りや憎しみを抱きはしたが、それは確かにあるのだが、モモンガはやっぱり彼らが好きなのだ。心の中では好きの方がでかいのだ。心配するのもしょうが無いことだった。

 そんな彼の動揺をリュウズが察して話しかけたことにアインズは気づいてるのだろうか。おそらく気づいて等いないだろう。支配者ロールやってる割に中身は結構普通の人だからなぁ、などと内心で微笑むリュウズは、羊皮紙から顔を上げちらりと視線をよこしたアインズに微笑んだ。

「違います。一階の大広間に延々敵が出てきて一人を除いてみんなで戦うんです。入った瞬間後ろでばたーんって扉閉められるわわらわら敵がでてくるわで超大変だったんですよ」

「へぇ。ナザリックとは違いますね。……一人を除いて?」

 不思議な言葉が入り込んだ。一人除いて、とはどういうことだろうか。眼窩の奥の赤い炎を揺らめかせてアインズが問いを向けると、リュウズはクッションにもたれながらくすりと笑いつつ答えた。

「挑戦者の中で、一人だけ賭場に行くんです。そこでこの城と賭をする。チップは戦闘している味方の装備。賭けに勝てば戦闘役の味方にかかったデバフが剥がれて、賭けに負ければデバフは剥がれず負けてしまう。これが何を意味するかわかりますか?」

「えっと…勝つためにはそれなりの装備をしなければいけないけれど、もしもそれなりの装備をして賭けに負けたらデバフが剥がれず装備を取られて…うわ、最悪雑魚キャラにボコられるんじゃないですか」

 敵を強化するのではなく自分を弱くしてくる。なんというギミックだ。性格が悪いにも程がある。しかもデバフが剥がれる条件も性格がねじ曲がっている。なんだ、賭けに勝てというのは。

「そうです。逆に、賭けに勝てばデバフが剥がれて有利になる。さらに次の戦闘で剥がれるデバフの量が上がるんです」

「うっわえげつないギミックですねそれ!?誰ですかそんなシステム考えたの」

「運営に決まってるでしょう?」

「デスヨネー」

「デスデス」

 はは、と乾いた笑いが二人の間に流れる。ユグドラシルプレイヤーにとっては運営をこき下ろす会話なんてある意味お約束の会話だ。それくらいとんでもないことをやらかす運営だったのだ。いい意味でも悪い意味でも。変なところに頑固にパッチを当てないとかやっていたし。

 笑い声が流れた後、アインズは開いていたくたびれノートをパタンと綴じて閲覧用の机の上に置いた。

「で、そんな話題をいきなり振ってきたのはなんでですか?」

「いやー。ここを占拠したってことは私達『翼持つ人々』が胴元になるわけですよね?ていうことは最後の一人が胴元になるわけですよね?でもここを占拠した後挑戦してきた人が誰も居なくて一回もやったことないんですよ、賭け事。

 と、いうわけで、モモンガさん」

 光の中で翼と鱗を輝かせ、リュウズは善良な悪魔のようでもあり意地悪な天使のようでもある不思議な笑みを浮かべて身を乗り出した。

 

「私の城で一つ賭け事なんてやってみませんか?」

 

 くふ、ではなく、くす、と笑う神様に、アインズは鳴らないはずの喉がごくりと鳴った気がした。



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第2話

 リュウズは大ギルドのギルドマスターだ。それ故相応の責任感というものがある。異世界に転移したと知ってすぐ己の能力の全てを贄として仲間の帰る場所を守ることを是としたこと。心配する仲間のケツをひっぱたいて彼らが大好きな空、しかも本物の空に向かわせたりなどしたという事実が彼女の責任感の強さを証明しているだろう。

 だが同時に彼女は『翼持つ人々』というギルドのギルドマスターでもある。『翼持つ人々』は拘束されることを嫌った者達の集まりだ。自由を心から愛し、探索しようがPKしようがマップの端を目指して延々飛び続けようが何をしようが好きにしてよし。人助けだって破滅行為だってなんでもいい。ただ心の赴くままに翼はためかせ行きたいままにゆくことを良しとする。そんな者達の集まりの、彼女はその長なのだ。ギルドの性格を一番強く出した者が長になることが多いと考えると、彼女が実は狂気の域に達するほど「自由」「わがまま」「後先考えない」「気の向くまま」「損得勘定零」というものに染まった人物であることは想像に難くない。だから、タンとチョウは図書室の中で自分の主が狂気の提案を余所のマスターにするのを心穏やかに見ていられた。止めて止まる者じゃ無いのだ。ネズミにダンプカーは止められない。であれば迫り来るそれを心穏やかに受け入れた方が精神の安全によいのだ。

「賭け事?」

 予想外の一言だ、というのを隠しもしない声色でアインズが提案を復唱する。もしも彼に眉とまぶたがあれば怪訝そうに潜められていただろう。そんな声色だ。

「そう、賭け事。あなたのチップはモモンガくんの命」

「お断りですね」

 命と言いつつアインズは死んでいるのだが、言いたいことはわかったのだろう。プレイヤーとしての死である。だからアインズは即答した。彼の背中にはもうナザリックをはじめとする色々なものが乗っかっているのだ。今彼が居なくなったら全てが崩壊してしまう。

 アインズはいっそ失礼ともいえる提案を(無いけど)鼻で笑って許すことにした。この自由人に真面目に付き合ってたら体が持たないのだ。気持ち的には目の前の女性は女性版るし★ふぁーである。

 だが、るし★ふぁーはまだマシなレベルのトラブルメイカーで迷惑な人間だったとアインズは直後思い知ることになる。オパール色で穏やかなはずの目を、まるで無垢な幼子を見つけた悪魔のように細めたリュウズが放った言葉の、あまりの蠱惑さと悪質さを耳にして。

 

「代わりに得られるかもしれないものが、モモンガくんの仲間四十人をこの地に呼び寄せる手段でも?」

 

 弾かれたように振り向くことさえ、アインズには敵わなかった。からっぽの頭蓋を大気の振動たる音が満たし、それが彼の頭脳に言語としてしみ込み、理解した瞬間、彼は頭を動かさずに言った。

「何だと」

 彼の口から零れた音は、モモンガの声ではなくアインズ・ウール・ゴウンの声だった。声に遅れてゆっくりとリュウズの方に向き直った髑髏の、その奥に灯る赤い輝きが色と深みと光の強さを増している。まるで平定される精神の切り落とされたものが輝きとなってそこに灯ったかのような声と目の光の差に、リュウズはかかえていたクッションをするりと横に置いた。そのオパールの目が、プレゼントにやっと手を付けることを許された子どものような輝きで満ちている。

「モモンガくん、最初はわからなかったけど、今はもうわかってるんでしょう?この世界にあなたの仲間はいないと。会いたいならリアルから呼んでくるしかないと」

「それは…」

 沈黙だけはしたくなくて口を開いたが、曖昧な言葉で終わってしまった。それはやはり肯定を意味する。その応えが満足だったのだろう、寒色の下半身につられて色の白い肌に、うっすらと赤みをのせてリュウズは言葉を重ねる。

「仲間が見つけやすいようにって思いでギルドの名前で建国って、こうしてみると随分無駄なことだったのかもね。あ、でもすごいことだとは思うわ?私が起きて人界を見ていたのは四百年だけだったけど、その間にそんなことした人みたことなかったもの」

 ずるり。爬虫類の鱗で覆われた蛇の下半身が、窓際に設置された柔らかなベンチから降りて書見台の前のアインズに近づいてくる。先日の大掃除で張り替えられたという真新しい木の床をずりずりと鱗が擦れる音がして、アインズの骨の手に、柔らかな肉に包まれた手が重ねられる。蛇の身ならば冷たいだろう。鳥の翼を持つ者ならば暖かいだろう。彼女の手は、それが混じって人間の温かさを持っていた。柔らかな女の手が、そっとアインズの手を包む。まるでその手に今だけ握れるものが来ているのよ、とでもいうように。

「モモンガくん」

 細められた目に、明確な熱がある。アルベドがアインズを見つめる時のような熱っぽい目に似ているが、それよりも人を誘惑で絡め取るデミウルゴスの声の方に似ているだろう。物質的なものではなく、その奥に宿る熱の質が。

「っ」

 デミウルゴスは悪魔だ。悪魔の誘いは人が乗ってはいけないものだ。アインズはもはや人ではないから悪魔の誘惑など恐れる必要はない。

 

 けれど、神の誘惑はどうなのだろう?

 

 アインズは思う。これは一体何なのだろう、と。

 自分は手がかりが欲しくてこの自由と自分勝手の象徴のようなギルドに来ていたはずだ。蓄えられた長年の記録を読めば足りない知識が得られるかもしれないと思ってきたはずだ。それがどうだ。手がかりどころか答えが目の前にぶら下げられてしまっている。正確に言うとぶら下げられているのは「答え」ではなく「答えに至れるかもしれない切符」なのだが、無いよりはずっとマシだし全然違う。正直手を伸ばしたい。掴みたい。これは俺のものだと叫びたい。

 でも。

 でも、でも、でも。

 

(罠かもしれない)

 

 シャルティアの洗脳を代表とする、自分の浅慮と軽率な判断が導いた望まぬ展開。それを思えばこんなわかりやすい餌に引っかかってはいけない。アインズは包まれた手をぐっと握り込んだ。

「な…何故、俺にそれを提示する」

 けれど絞り出せたのはそんな問いだった。本当は断らなければいけないのだ。けれど、けれど、それはできなかった。アインズの心の内にあるモモンガが叫ぶのだ。「会いたい」と。その叫びが身のうちで響き、口から出る言葉を換えてしまった。

「ん?最初に会った時に言いましたよ」

 そんなひねり出した言葉に返ってきたのは先程の熱を全く感じない、さらりとしたものだった。

「えっ」

 あまりの温度のなさにまじまじとリュウズの顔を見やれば、彼女の目の奥に相変わらず熱がある。けれど他にも、呆れとか、愛着とか、「しかたないなぁ」とできの悪い子どもに微笑むような色があった。

「私はね、愛に溢れ、優しい子が好きなんです」

「そ、れは」

「冗談じゃあないですよ。だからね、神様になっちゃった身を生かして、お気に入りの子どもにちょっとしたサービスをしようかなって思ってるんですよ」

「あなたは自分が神様になったと思ってるんですか?」

「なったと思うっていうか、なってるんですよね、神羽蛇種(いにしえのかみ)に。だったらそれっぽく人間に手助けなんてしてみてもいいかなって思ってみただけです」

「俺は人間じゃないですよ」

「あはは、神からみれば魔物も人も似たようなものよ。で、どうする?モモンガくん」

 重ねていた手を引いて、彼女は寄せていた身を離した。そのままずるりと後ろに下がり、窓の下の暖かい所に戻ってとぐろを巻いてアインズを見つめる。まるで光でできた玉座に座っているかのような姿になった彼女は、浮かべている笑みを深くして、静かに問うた。

「今、君の前に奇跡はある。でも、その奇跡がいつまでもあるとは限らない。この瞬間を掴めなければ二度目はないかもしれないわ。―――いや、違う。違うわね」

 どこかで聞いたような決めぜりふを、彼女は首を振って否定する。シーンが締まらない?いまいち決まらない?そんなこと、自由の民が気にするわけがない。

「これはあなたが掴んだ奇跡よ。有名になって、名前を広げて、多くの人に知ってもらって、そうやって作った情報網に引っかかった奇跡よ。

 

 あなたは自分の行動の成果を、掴む?掴まない?」

 

 



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第3話

 事は千年よりもさらに前という古代に遡る。『翼持つ人々』がこの異世界に転移してきた頃だ。サーバーダウンで強制的に視界が現実に戻るはずの自分達が戻らなかったことに、最後だからとログインしてるメンバー全員で天空城に集まって終わりの空を眺めていたギルドメンバーは当然のように驚き困惑し狂乱した。当たり前だ。ゲームの世界に取り残されたとなったらビビらない人間の方が頭がおかしいのだから。

 だがいつまでも驚き困惑し狂乱していられるわけでもない。その精神混乱から一番最初に戻ってきたのはギルドマスターであるリュウズだった。彼女は皆を落ち着け、まずはこの世界の情報を収集した。何があって何がないか。何ができて何ができないか。翼持つものばかりのギルドなだけあって半月あれば世界を一周してみせた彼らが得た結論は、自分達が転移してきたのは人類の文明の黎明期頃の世界であるというものだった。これに異世界転移という単語に覚えがあったギルメンは叫んだ。なんという中途半端な時代に転移してんだよコレ、と。その言葉に別のギルメンが顔を上気させて叫んだ。じゃあここは誰にも荒らされてない新天地ってことか!と。

 そのギルメンの言葉が彼らの行動方針を決定したといっても過言では無かった。さらに半月経つ間にギルメン総出で拠点を修繕し、空に浮かぶ己等の本物の巣を作り上げ、そうして彼らは夢の世界ではなく現実の世界で飛び立った。心の奥にある「空を飛びたい」「自由でありたい」「未知をみつけたい」そんな願望のままに飛んでいった。巣に心優しいギルドマスターを残して。彼女の微笑みに見送られて。

 それをきっかけにして、ギルドマスターはどう考えても呪いのアイテム的効果の強い世界級アイテムと長い時を過ごすことになった。ユグドラシル時代は装着者は魔法も特殊技術も使えなくなるというゲームシステムに喧嘩売ってるんじゃないかと問いたくなるような効果のあるアイテムは、この世界でも問題なく力を発揮し、彼女から楽しみを奪っていたのだ。実はちょこちょこ装備を外してあちこち遊びに行ってたとしても結構長い時間それを装着して居なければならなくなった彼女は、だから世界級アイテムを通してこの世界の考察を行った。

 世界級アイテムはユグドラシルでは「世界そのもの」とか「世界の可能性」という位置づけだった。詳しいことが知りたい人は本編を読んでほしい。大事なことはこれが「可能性」であることだ。ともすると<流れ星の指輪>以上の。彼女はそれに気づき、気づいたから世界級アイテムを使って検証してみた。この『替えの効かないアイテムだろうと気になったことがあったら使っちゃう』というこらえ性の無さというか自由なところが彼女の『翼持つ人々』のギルマスらしいところである。

 とにかく、彼女は試してみた。この世界一つの葉っぱの具現は、果たして自分達が生きていたくそったれなリアルと等価なのか、と。同じエネルギーがあるのならアクセスできるのかな、と。

 そしてその検証の結果、彼女は知った。その予想は正しかったと。そして彼女は知った。彼女の持つ、装備者の楽しみ全部を奪うようなアイテムの本当の力を。『観察者の目』とは、装備者をありとあらゆる攻撃から守るのではなく、『世界を観察する者』という上位次元の存在に装備者を押し上げ、その副次的効果としてありとあらゆる攻撃が効かなくなるものなのだと。パーフェクトアクアリウムとそれを観察する人間を想像してみたらわかりやすいだろうか。人間はアクアリウムの中に一切の影響を及ぼせないが、逆にアクアリウムの中のいかなる魚も人間に危害を加えられないのだ。ガラスという壁が両者を分け、世界を分けるのだ。

 そしてこの世界において、『観察者の目』はユグドラシルという木とそこに繁る葉の一枚一枚を見つめられる位置に装着者を正しく押し上げた。リュウズがどきどきしながら脳内に広がる世界級アイテムのスイッチを押した時、彼女は見た。見てしまった。何百何千何万何億何兆何京それ以上に広がる無数の世界の可能性を。食い荒らされた九つの葉っぱだけではなかった。三次元の人間が見るべきではないものを彼女は視認した。その視認に少し前まではただの人間であった小娘が耐えられたのは彼女が「神」と成っていたからだ。もしも彼女が「神」でなければ、彼女はきっと発狂していただろう。精神構造が耐えられなかっただろう。けれど彼女は耐えた。

 それが幸せなことだったのか、知った後に己が続くことが彼女にとって幸いなことなのか。彼女と彼女以外の正常な精神を持つ者はきっとそれを不幸と言うだろう。自分がちっぽけな世界の限定された存在であると自覚することは人の心を再現のない不安に陥れるのだから。けれど彼女は違う。彼女は幸せなことに狂っていた。それは彼女が電脳化手術の時に手術ミスで脳と全身のリンクが切れて全身不随になる障害を負ってしまい、電脳世界でしか自由に在れなくなったことが原因かもしれないし、彼女の実家が政治的理由で安楽死を認められず、卵子を採って跡取りを残すためだけに生かされることになったことが原因かもしれない。現実で配給食料の選択どころか踏み出す足の右左さえも選べない生活が彼女にいっそ狂気的ともえる可能性への希求を植え付けたのかもしれない。なんであれ彼女は奪われたことで狂っており、その狂気に、恐ろしい奇跡が噛み合った。

 

 彼女はずっと飛び続けた。覚醒の合間のまどろみの時、彼女の魂を一個の目にして高次の世界を飛び続けた。たまに仲間とこの世界を冒険し、寿命ある種族を選んだために命を燃やして死んでいった仲間達を弔ってきた。長い時やら久遠の時やら持つ者も寿命や不慮の事故のもたらす死には抗えない。そうして彼女は一人になった。『リアル』ではできない生き方をして満足そうに死んでいった仲間達が羨ましくないかと言われれば嘘になる。あんな風に生きてみたいと思わなくも無い。けれど彼女はそれ以上にこの世界を飛びたかった。この世界がある世界を飛びたくてたまらなかった。だから飛び続けた。

 そして全くの偶然、豪運、奇跡、そういった稀事の例えをいくつ重ねても足りないような天文学的かつ絶望的確率の末、彼女は見つけた。今自分がいる世界と、元自分がいた世界を。そして観察者としてのぞき込んだ。眼に映した。万物を。もしも彼女がオフ会というものに参加できる身であればその時彼女が探したのは最後の日に来なかった仲間だったかもしれない。けれど彼女はそんな機会には恵まれなかった。だから彼女は別のものを探した。即ち自分だ。そして驚くべき事を発見した。なんと自分は死んでいた!ユグドラシルのサービス最終日の終わりに眠るように息を引き取ったらしい。見れば一族は慌てていた。大事な胎が無くなったのだ。いい気味である。

 そして彼女はさらに見た。この世界とかの世界のつながりを。観察者の視点で、世界と世界の間に繋がる細い紐を観察し、見抜いた。人間の言葉で説明できるのは結果だけなのでここでは結果のみを書き記そう。即ち「ユグドラシル(ゆめのせかい)に未練や思い入れが強い人はリアル(くそせかい)で死ねばそのままこちら(このげんじつ)に来る」ということだ。夢見た表現をするならばこの世界はあのくそったれなリアルにおける理想の楽園(えらばれたもののてんごく)といえる。

 だったらそれを向こうの人間に教えたらどうなるだろうか?彼女は試した。彼女の身にとって懐かしい古代アステカの時代にまで遡り(高次元世界にとって時間を遡るのは来た道を戻るように簡単なことだった!)向こうの世界の人間にこうこうこれこれこんな楽園があるのよと教えてあげたら、簡単にこちらに来た。実はその行為こそが「ケツァルコアトル」という神の伝説の切っ掛けで彼女はタイムパラドクスを起こしたことになるのだが、そこらへんの難しいことは彼女は流した。だってそんな些事はどうでもいい。捨てた世界のタイムパラドクスなんてどうでもいい。

 

 どうでもいいからこれで遊びたいなぁ。

 

 ただよう蛇と鳥のばけものは願った。狂気のままに行動することは破滅だろう、でももう自分は破綻しているのだ。わけのわからない偶然の連続の末、己を構成する全てが人間から乖離した。ならばもう、行き着くところまでいってしまおうじゃないか。

 自由を求めた末の神は世界を見つめ続けてずっと獲物を待ち続けた。その時間約千年。この世界の彼女の楔たる仲間の最後の一人が亡くなってからは、約六百年。そうしてやっと見つけた。この世界に居ながらあちらの世界にも未練を残すもの。内側に燃えるような炎があるもの。その身の奥に小さくとも輝く愛のある存在。仲間に見つけてほしいから、仲間の名前を世界に轟かせようとするおろかもの(愛あるひと)

 その名前はモモンガ。アインズ・ウール・ゴウンのギルドリーダー。だから彼女は姿を現した。起動停止させた自動人形のバードマン兄弟をすり抜けて目隠し用のアイテムを操作し、ほんの少しだけ人間にこの城が見えるように。そうして城は見つかった。彼は城を知った。彼はひっかかった。上手くいく可能性なんて正直そんなに高くないこの奇跡を、彼は掴んでみせた。

(彼はもう、奇跡を掴んだ。その手は離さない。君みたいな子、私は大好きなんだ)

 博打の城の主として、そして同時に神として、彼を博徒と神の遊びに巻き込んでしまおうじゃないか。チップは命。報酬は仲間。きっと彼は断らない、断れない。何が見られるか、神はとても楽しみで仕方ない。



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第4話

 鈴木悟の人生において胸を張って輝ける記憶と言い切れるのはユグドラシルの記憶だった。大切なものはユグドラシルだった。両親も、兄弟も、恋人も、縁深い上司も同僚も後輩もいない彼にとって、リアルは限りなく彩度の薄いものだった。反比例してユグドラシルは美しかった。高い彩度で彼の人生を彩った。

 その世界の理の中で、今彼は生きている。終わり行く荒廃した世界ではなく、可能性に満ちあふれた彩り豊かな世界で、骨の髄まで生き生きとした世界で、『生きている』。

 素晴らしい世界だ。得がたい世界だ。肺腑があれば緑豊かな大気を肺胞の一片も空で残さぬために吸い込んだだろう。味のわかる舌があれば生物の姿を感じられる食事を口にしただろう。潤す喉があれば透き通った湖に唇をつけただろう。鈴木悟にとって夢みたいなことができる世界だ。

 

 そんな世界に友人を誘わない理由なんてあるだろうか?

 

 鈴木悟は、モモンガは、アインズ・ウール・ゴウンは、光満ちる図書室の中、美しくおぞましく素晴らしく身の毛もよだつ女神に白骨の手を伸ばした。それは彼の答えだ。宝石色の目をした女神は満足そうに頷くと、彼の手を取った。

 命を賭ける。友に会うため。友を楽園に呼ぶため。その決断をした骸骨の眼窩に浮かぶ炎にアンデッドらしからぬ凜とした決意の色をみて、リュウズは心底楽しげに笑いながら歩み出す。図書室を出て、廊下に至り、彼女はずんずんと階下に向かって進んでいく。

「奇跡、ですか」

 進むほど暗くなっていく廊下の途中でアインズがぽつりと呟く。松明も採光用の窓もないため四方を石壁に包まれた闇の中、リュウズは振り返りもせずアインズに頷いた。

「ええ、奇跡。モモンガくんは奇跡の末にテーブルに座る権利を得たの。おめでとう!」

「なんだかそこまで嬉しいことには思えないような気もしますが」

「普通の人みたいなこというのねぇ、アンデッドになったのに」

 くすくすと笑う声が彼女の唇から漏れる。その声には先程の飲み込まれるような存在感を感じない。注意深くリュウズを観察したアインズは押さえ込んでいた小さな緊張を真似事の溜息にして吐いた。

「そりゃあ、そうですよ。俺がなったのはただのアンデッド(もとはにんげん)ですから」

「あら、私だってただの神羽蛇種(もとはにんげん)よ?なのにこの認識の差異。もしかして、私はどこかがおかしいのかしら?」

 それ本気で言ってるんだろうか。アインズは真剣に悩み、悩んだ末に言葉を紡ぐことをやめた。何を言ってもやぶ蛇になる気がしたのだ。揚げ足を取られるというのも考えられる。とにかく、デミウルゴスやアルベドの勘違いで踊らされるのとは違う形で踊らされるだろうという未来はよく見えた。それを回避するためにはただ黙ればいい。だからアインズは黙り、黙ったアインズをリュウズはちらりとみて「臆病な人」とわらった。

 臆病だからこそ生き残ってこれたのだ。伊達に情報メインのPK術を納めてはいない。もしもアインズの顔が骸骨でなければ彼の顔は不満げに歪んでいただろう。そんな不満を雰囲気だけで感じ取ったリュウズは、いつもであれば「からかってごめんなさいね」くらいのことを言いそうなものなのにそんな形だけの謝罪もなく先を進んでいく。それが彼女の興奮度合いを示しているのだとアインズが気づいたのは、廊下をいくつか曲がって部屋を過ぎた先にある一枚の扉を開け、その奥の部屋に入る時だった。

 部屋はそこそこの大きさだった。具体的に言うと八メートル四方か。ナザリックの自室ほど大きくはないが、エ・ランテルの元都市長室現魔導王執務室ほど小さくはない。床と天井にはモザイク様に石が敷き詰められており、そこがそれなりに手の込んだ部屋であることを示していた。中央に四角のシンプルなテーブルがあり、向かい合うようにして椅子が二脚置いてある。

 部屋に入って奥の壁は壁を取り払われ一面ガラス張りになっていた。ガラスの向こうに広がるのは、階下に広がる円状の闘技スペース。それをみてアインズはピンときた。

「もしかしてここが攻略の時に戦った場所ですか?」

 アインズが問うとリュウズは頷いた。

「そうですよ。私はここで仲間の装備と命を賭けてこの城の攻略に挑みました」

 リュウズはがたがたと椅子をずらして座る準備を整えながら答える。このへんかな、いやもうちょっと後ろかな…と四苦八苦しているのは彼女の下半身が蛇だからだろうか。女性を無碍にして悦ぶ趣味はないもののこの人を今この状況で手助けするのはなんだかしゃくだという理由だけでアインズは四苦八苦する女性を見なかったことにした。逆に気になったことを聞いてみる。こういう時は相手のペースに嵌まる前に自分のペースに持ち込めばいいということを彼はギルドマスターの経験からよく知っていた。

「この城ってそんなに価値のある城に見えませんが…何かいいドロップ情報でもあったんですか?」

 ユグドラシルプレイヤーならば当然の疑問だろう。アインズはこの問いに当然是が返り、けれど彼女の気分によってドロップ情報の内容か隠されると思っていた。けれど彼の予想は裏切られる。この城ではいつものことだが。

「いいえ?ドロップなんて無いですよ」

 結局いい感じには座れなかったらしいリュウズが椅子をずりずり引っ張って部屋の端によけている。次はおそらくテーブルだろう。力仕事をしながらリュウズはアインズの方を身もせずに否定した。

「えっならなんでここ攻略したんですか」

「面白そうだったからです」

 テーブルを持ち上げ、迷った挙げ句に彼女はそれを入り口のドアの前に置いた。侵入者があれば入るのに一瞬困る位置だろう。だが机も扉も防御力はあってないようなものだ。アインズは彼の拳でたたき割れば壊れそうなもので作られたバリケードそ視界の端に納めつつ、閉じ込められたなど微塵も感じずにリュウズを凝視した。

「は?」

「おもしろそうだったから、です」

 かみ砕いて言い聞かせるように、リュウズはもう一度答えた。その手は壁をあちこち叩いている。木の壁の一部を叩いた時僅かに音が違うところがあり、彼女はその端にある小さなへこみに指を入れて引っ張った。直後、からくり扉がぱたんと開いて顔を出す。中に入っていたのはクッションの山。アインズの脳裏に「押し入れ」という単語が降って湧いたが彼はその言葉を思考の隅っこに押しやった。

 だって中に入ってたクッションを抱えて振り返ったリュウズの笑みが、にんまりとした、獲物を前にした蛇のような笑みだったのだ。肌がないのに鳥肌がたつ感覚を覚えたアインズは、無意識のうちに一歩後ずさりそうになって、そんな自分に驚愕した。その驚愕はすぐに強制的な精神の平定で穏やかにされたが、それで驚きの全てが消えるわけではない。

 リュウズはぽんとクッションを放る。少し埃っぽいが座れないほどじゃない。黒色のクッションを受け取ったアインズは、青色のクッションを抱きしめるリュウズの唇が笑みの形のまま開くのを見た。

 

「仲間の命と装備をチップに得る物がわからない賭けをする。すっごくぞくぞくするとおもいません?私思ったんですよ。仲間も。ギルマスに賭けますわー、って。皆で言ってくれて」

「私賭け事なんてやったことなかったからけっこう序盤で殆ど毟られたんですよ」

「でもね、仲間はどうせやるなら最後までやろうって言ってくれて」

「まあ言われなくてもやるつもりだったんですけど」

「それで勝って、私達はここを手に入れたんですよ」

 

 

「仲間の命で賭けをするって、すごく楽しいことでしたよ」

 

 

 アインズは思う。るし★ふぁーさんごめんなさいと。

 あなたって結構常識人だったんですね、と。

 目の前の狂人から、精神だけでも逃避するために。



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第5話

 テーブルと椅子を取っ払われた部屋の真ん中にすとんとリュウズが座りこむ。クッションを抱えたアインズに手を伸ばし、「こっち、こっち」と手首の動きで呼ぶと彼は恐る恐るといった風に彼女の側に寄り、向かい合わせの位置にクッションを下ろしてその上に座った。念のために描写しておくとアインズが選択したのはあぐらだがゆったりしたローブを着ているので何もチラリしていない。ここにポロリはないのである。

「さて」

 ぱん、と音を立ててリュウズは向かい合ったアインズに微笑みながら両手を合わせる。その手を開くと、彼女の手の中にカードの束が現れた。

「魔法ですか?」

「いいえ手品です。『観察者の目』の領域では魔法は使えませんから」

 白い指がカードの束をぱらりとずらす。角に記された数字は1から40まであった。

「それでは賭けの説明をします。賭けの名前は…そうね、『天秤』にしましょ!」

「随分シンプルな名前ですね…」

 思わず漏らした呟きに、リュウズは「ルールを聞けば納得するわよ」と答えた。

「ルール説明…の前に、先にどうやってあなたの仲間を呼ぶのか教えましょうか。この『観察者の目』は簡単に言うと次元を飛び越えて別の世界を覗く力があります。それを使って私達の元の世界にアクセスする。そう、あのヘルへイムよりもどんよりした汚い空気が空を覆う世界よ。モモンガくん一人じゃ迷子になるから私と一緒にアクセスして、君は身のうちにある縁を使ってギルドメンバー達と接触する。

 アクセスするタイミングは彼らが死んだか死ぬときにしましょう。その時に魂が後腐れ無く剥がれるから。剥がれた魂、もしくは剥がれ賭けた魂に、あなたは自分の言葉で話しかけて彼らをこの世界に呼ぶ。こっちは楽しいよ、こっちにおいで、また一緒に遊びましょう。なにを言ってもいいわ。

 もしもそこで魂をこちらの世界に持ってこられれば成功。できなければ失敗。成功数が多い限りモモンガくんのチャレンジは続けてよし。失敗数が成功数を上回った時点で、チャレンジ終了」

 持っていたカードから、リュウズは1、2、3、4と書かれたカードを手にとった。

「具体的に言うとね、一人目、二人目、三人目、四人目と成功して」

 手に取ったカードをアインズ側に並べる。今度は残ったカードから5、6、7、8と書かれたカードを引く。

「五人目、六人目、七人目、八人目って失敗する」

 5から8のカードはリュウズ側に並べられた。丁度前後に四枚ずつ。天秤の上にのせればその天秤は水平を指すだろう。さらに彼女は少なくなったカードの束から9と書かれたカードを取り出す。それをまっすぐに持ち、丁度四枚ずつのカードの真ん中に置いた。白い指先が、9と書かれたカードを押さえたままだ。

「九人目に成功したらまだ天秤は成功に傾いているから続けてよし」

 指に力が入り、9のカードが滑らかな床の上をアインズ側に滑る。だが指は離れない。

「でも九人目に失敗したらその時点で失敗に天秤が傾くからそこで君の挑戦はおしまい」

 白い指が少しだけ曲がり、アインズ側に来た9がリュウズ側に引っ張られる。五枚になったカードは、人から神の側に天秤の皿を零れさせる。カードから目線を上げたアインズは、きらきら輝くオパールの中に消えぬ狂気の炎を見る。

「失敗したらモモンガくんのゲームは、おしまい。私は慈悲深いからあなたが説得した魂がこの世界で生きることは認めましょう。でも、失敗した魂とあなたの魂は別。ここじゃないどこかに行くでしょうね。もしかするとリアルの未来に転生するかも?」

 ぴらり、という音を立ててリュウズは五枚のカードを持ち上げた。美しいのに吐き気を催すような邪悪を感じる顔の、色の薄い唇が五枚のカードの裏面に触れる。聞こえるか聞こえないかの微かなリップ音を聞いてアインズはなんとなく思った。消えゆく魂の行く先はリアルでもどこかの世界でもなく、この蛇と鳥の女神の腹の中じゃないのかと。

 精神の平定が起こる。起こる。起こる。心臓があれば、肌があれば、動悸が轟き汗が滝のように噴き出しているだろう。スケルトン型のアンデッドである故にどちらもないことに、アインズは理性の端が感謝の言葉を唱えるのを聞いた。

 彼女が言っているルールは、つまりはこういうことだ。モモンガは自分の命を賭して自分の欲望(ギルメンとの再会)を求められる。だが、それは同時にギルドメンバーの魂もチップにのせるということも意味するのだ。

 話が違う。確かに彼女は最初に「チップはモモンガの命」と言った。それでギルドメンバーと会えるならお安いことだ。けれど、ギルドメンバーの命までチップにするとは聞いていない。

 話が違う。そう一言言えばいい。モモンガにはわかった。自分の前で笑う胴元は理解している。自分の言動が先程と矛盾していることを。けれど彼女はそれを気にしない。矛盾。破綻。自由。崩壊。そんなもの、彼女は気にしない。

(話が違う)

 隙間だらけの胸の中で言葉が渦巻く。けれど言葉は隙間だからけの肋骨から漏れず、無いはずの喉にひっかかって出てこない。何故だ?そんなのわかっている。モモンガの中でそれを押しとどめるものがあるからだ。

「うふ。どうします?モモンガくん」

 ぐるぐるぐるぐるばきばきばきばき音を奏でるモモンガの内側を、リュウズがぞろりと撫でてくる。少しだけカードを下げることで露わになった薄い寒色の唇から、目を見張るほど真っ赤な舌がちろりと覗く。てらてらと輝くそれは自分を押し倒すアルベドの唇から見えたものと似ている。というか同じのはずだ。けれど全く違うようにも見える。何故か?モモンガにはリュウズの舌がおぞましいものを喰らってきた物の怪の舌に見えた。

「私、とーっても優しいから、賭の始まってない今ならまだ帰らせてあげますよ?」

 彼女は笑う。ここまでモモンガを餌で釣り上げて、リスクを示して、そうして笑う。引き返せぬほどの魅力を提示したところで、とんでもないリスクを示して、笑う。

 死に行く仲間を素晴らしい世界に連れてこられるという魅力。己の命ばかりか断った仲間の命すら贄と捧げる危険性。

 両天秤にのせたそれらは今モモンガの内側で水平になっている。それくらいこの世界は素晴らしいのだ。それくらいあの世界はくそったれなのだ。それくらい仲間に会いたいのだ。それくらい仲間が愛おしいのだ。

 どうするべきか。

「降りてもいいんですよ?モモンガくん、私ほど狂ってないんでしょう」

 どうするべきか?そんなもの決まってる。降りるべきだ。今此処にぶら下げられているのはあくまで目的へのショートカットの切符であって、他に切符がないと決まったわけじゃないのだから。仮にあのリアルがリュウズの言うとおりにこことは違う異世界だとして、そこに至る方法が他にないと断言できるわけではないのだから。

「死の支配者なんて言われても、きっと君にはまだ人間の残滓がある」

 世界級アイテムはこちらにもたくさんある。しかもこちらには十を超える数ある。確かにこの世界であれを失うかもしれないというのはかなりリスクが高い実験だろう。でも、それによって仲間に会えるというのなら、世界級アイテムを使って仲間に会えるというのなら、使うに決まっている。

「その残滓が拒絶するなら拒絶すればいい。こんな気の狂ったやりとり(かみとのけいやく)なんて、結ぶ前に破棄してしまえばいい」

 どう考えてもこんな馬鹿な賭けにのる理由なんてない。これは罠だ。明確な罠だ。たっち・みーが「正義降臨」と出した文字のようにリュウズの背中に「これは罠です」と出ている。見なくてもわかる。

 アインズは自分の前に寄せられた四枚のカードを手に取った。揃えて、彼女に戻すために。

 堅くて白くて細い指先が四枚のカードを揃える。会えるかもしれない仲間を揃える。(リュウズ)に返すために。

「でもさ、モモンガくん」

 衣擦れの音とともに指しだそうとした白い手が、でも、という声で止められる。白い骸の顔は、四枚のカードを手にしたまま、いつの間にか落としていた視線を上げる。急な話題変換の内容を確認するために。

 そして彼は見た。見てしまった。五枚のカードに舌を伸ばし、けれど触れず、笑って摘まむ神の顔を。

 そして彼は聞いた。聞いてしまった。彼にとっての禁断の一言を。

 

「君と仲間の絆って、その程度なのかなぁ?」

 ―――君は、仲間との絆を、信じる?信じない?

 

 言外に問われた言葉がモモンガの精神を一瞬で燃え上がらせる。沈静化の力が何度も発生する中で、モモンガはカードをつまむ手に力を入れた。

 

「そんなわけない」

 

 カードに僅かな皺ができるのも気にせずに四枚のカードを強く持つ。そのまま空いた片手を伸ばし、モモンガはリュウズが持ったままのカードに手を伸ばす。白い指先はあまり力を入れずに持っていたのか、摘まんだ五枚はいとも簡単にモモンガの手に入った。カードが消えたことで完全に露わになったリュウズの顔には、喜悦に浸る悪魔よりも恐ろしい笑みが浮かんでいる。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの仲間は、答えてくれる」

 

 計九枚のカードがモモンガの手に入る。始まりの数字。幸せな記憶の始まり。その始まりを、仲間との記憶を、思い出を、絆を、モモンガは疑うか?尻込みするか?そんなことしない。そんなことをしてしまえば、人生唯一の輝きを汚すことになる。

 アインズは目の奥の赤い炎を溶岩よりも明るく燃やし、今際の際の悪人が呪詛を吐く様よりも強烈に応えた。

 

「俺の仲間を、俺達を、愚弄するな!」

 

「よろしい!」

 

 中途半端な部屋にモモンガ(死の支配者)の声が響いた直後。それの余韻が消えぬ内に、まるでサインされた契約書を破かれぬようさっと鞄にしまうが如くリュウズ()は高い声で応えた。どろどろと、ぎらぎらと、きらきらと、そのオパールの目が輝いている。

 空っぽになった白い手が、ぱんと柏手を打つ。乾いた音はモモンガの頭蓋を揺らし、部屋を揺らし、城を揺らし、揺らして彼らを()()()()()()()()

 

「え」

 

 柏手の直後、リュウズの額に目が現れた。正確に言うと『観察者の目』の中央にある透明な宝石がまるで生物の眼球のような生々しい光を放ったのだ。ぎょろりとうごくその光にはっとして伺えば、一切の音が消えていた。まるで世界の全てが消えたかのように。

 

 聞こえていた風の音。感じていたNPCや召喚モンスターとのつながり。一切を失い、アインズは、モモンガは、鈴木悟は、一人の神の笑みの喜びの声を聞いた。

 

「うふふ、モモンガさん、その答え、大好きです。ああ大好きですとも!そうでなくちゃあ!さぁ、賭けをはじめましょう!自分と友達の命をチップに!

 

 信頼を、絆を、賭けましょう!」

 

 楽しげに嬉しげにリュウズが叫んだ直後、アインズの視界はまるで布でもかけられたかのように暗転した。




この先のストーリーの流れの決め方を書いておきます。

1.40人分の名前を書いたクジを用意する。
2.クジを引いてモモンガくんとオリ主が会う順番を決める。
3.一人につき一回1d100ダイスを振る。基本的に50以下で成功、51以上で失敗。クリティカルした場合は他の「失敗判定が出た人」に「判定ロールもう一回」という形で報酬を与える。つまりAさんで03クリティカルを出し、Bさんで78失敗を出した場合、Aさんのクリティカル報酬としてBさんがもう一回ダイスを振れるってこと。Bさんが今度は79出したら失敗、27出したら成功になる。
4.ファンブルした場合は次にクリティカルを出した人が普通成功になる。つまり、Cさんが98ファンブル、Dさんが05クリティカル、Eさんが92失敗を出した場合、CさんのファンブルはDさんのクリティカルと相殺されるためEさんに「判定ロールをもう一回」は発生しない。
5.一部の人間は自動成功する。
6.自動失敗はないものとする。
7.クリティカルは01から05、ファンブルは96から100とする。
8.GMにはクリティカル・ファンブルなどの利用方法について裁量の余地があるものとする。


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幕間

 幕間

 

 マチュピチュ天空城はとても特殊なギルド拠点である。ギルド拠点らしい防衛機構というものがまるでないのだ。それはギルドマスターが持つ世界級アイテムの力があれば防衛力が足りていたというのと、奇人変人の集まりと噂された彼らにちょっかいをかける者が殆ど居なかったからである。ぱりっとした身なりをしているのに焦点の合わない目をして千鳥足で歩いているような人が目の前にいるとしよう。そんな人間に積極的に声をかけたりちょっかいを出すような人間が多く居るだろうか?答えはノーだ。誰だって気味悪いものからは身を離したくなるものだ。

 もちろん多少はそんな馬鹿もいるにはいた。例外というのはどの世界にも発生するものだからだ。だが、ギルドメンバーはそんな奴には容赦なく襲いかかった。まるで肉食の鳥が一頭の獣を骨も残さず喰らうように襲いかかって知らしめたのだ。自分達に手を出せばどうなるかを。焦点の合わぬ目を真っ赤に充血させ、端正な口元をにいっと耳まで裂けさせて、両手に持った包丁を的確に振り回しながら追いかけてきて人間がミンチ状になるまで切り裂いたのだ。しかもそんなのが複数人。恐ろしいとかそういう言い方で収まるものではない。

 とにかくそういうわけでこの拠点には防衛の必要がなく、故にNPCは防衛戦力として全く期待されなかった。そのため代わりに制作者の趣味を詰め込んで作られた。そうして作られたNPCの筆頭がタンとチョウという、一見するとバードマンだが実は自動人形というややこしい設定を持つ兄弟である。何故自動人形なのかというと、それは彼らが「城の防衛機構の一部」という設定を背負って創造されたからだ。古来より空に浮かぶ城の守り手はロボットと決まっているのである。飛行石は王家の証なのである。

 彼らは防衛の監督役兼来訪者の案内役というフレーバーテキストを与えられた。それが開花したのは異世界にギルドごと転移した時だ。彼らは自由人しか居ないギルドの中で瞬く間にそのフレーバーテキストに合致するポジションを得た。即ち城の内部の統率役と外への対応の統括役だ。

 そんな経緯があってタンとチョウはナザリック地下大墳墓に来た。自分らの主人がここの主人を命の賭けに誘ってしまったから暫くこちらに居ることになりますというお知らせをするためだ。こんちはー三河やでーすくらいのノリで彼らはナザリック地下大墳墓入り口でルプスレギナに声をかけ、来訪の意図とナザリックの主人が陥っている状況を伝えた。賭けの内容は命と仲間。成功すれば仲間に会えるが失敗すれば君達のご主人死にますさようならざんねんごめんなさいという内容を。

 

 当たり前のことなのだがナザリック地下大墳墓は大爆発した。比喩的な意味で。あとちょっと物質的な意味で。

 

 入り口横に作られたログハウスは爆発し、階層守護者は飛び出し、ゴキブリは溢れだしアンデッドは雄叫びを上げ溶岩は荒れ狂い吹雪き吹き荒れ光は輝き闇は渦巻きもうほんとにてんやわんやの阿鼻叫喚になった。カルネ村がすわ世界の終わりかと皆してビビッたレベルである。

 だが、荒れ狂う忠義厚き者達の魂の籠もった拳を、魔法を、特殊技術を、刀を、砲丸を、体当たりを、その全てをバードマンの兄弟は無効化してしまった。彼らの身は世界級アイテムの支配下にあるのだ。一切の攻撃は効かず、また一切の攻撃は為せない。

「アインズ様を、かえ、せぇええええ!!!」

 黒い鎧に身を包んだアルベドの咆哮がびりびりと大気を揺らす。病んだような緑の光を刃に宿したバルディッシュはあきれ顔のバードマン兄弟の首を何度も何度も何度も何度も通過する。けれど彼らの体には傷は一つもつかない。鬼気迫るなどという表現では追いつかないアルベドの叫びを、行動を、しかし兄弟はまるでテレビの向こうの暴徒を見るかのような気安さで見ている。

「まさか伝言一つでここまで正気を失うとは…」

 あきれ顔のタンが身動きせずに脳天に叩き込まれたまま地面を穿つバルディッシュを見る。壊れた大地にぴょいぴょいと飛び移る彼に、隣のチョウが背後に煌めく電撃を背負いながら声高に言葉を放つ。

「ハッ…まさかこれが正常な反応だったりするのでは」

「まじか。狂うが正常っておっかないなぁ」

 おっかないのはたぶんこの世界でも超一級の、次元を超えかねないレベルの攻撃を受けてケロッとしている兄弟の方である。けれど彼らはそれには気づけなかった。当然だ。彼らの主(プレイヤー)が狂人であり、彼ら(NPC)はその性質を受け継いだ者なのだから。正常な者から狂っている者を見れば狂っているように見えるように、狂っている者から正常な者を見れば狂っているように見えるのである。

「アインズ様アインズ様アインズ様ぁあああ!!今アルベドが参ります!死ねぇ糞虫どもめが!!!」

「誰かこのお嬢さんに言葉っていうもの教えてくれません…?」

「どうせあなた私達よりも強いんですから落ち着いて下さいよ」

 どうどう、と兄弟は両手の平を下にして手を上げ下げする動作をする。そういう仕草こそ相手の神経を超絶逆撫ですることには気づかないところがこの兄弟の人生経験の浅さとおかしさを物語っていた。




ここから先はマジでくじを引きダイスを振っていくのでアインズくんのリアルラックが試される物語になります。アインズくんが天秤をボーダーの20牌集めるまで成功に傾けさせ続けられるか、それは私にもわかりません。

途中で終わったらごめんなさいネ!その時はなるべく無慈悲に劇的に終わらせます。


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第二部 冒涜的な天秤遊戯
第1話


 ―――ああ、もうそろそろか。

 

 長年酷使した肉体が、油を差していない機械が崩壊の間際に上げるような悲鳴を上げている。自分という個体が社会という一個の大型機械を生かすパーツの一部だったと考えるなら、この滑稽な例えは例えではなく真実になるだろう。

 そんなことを考えていると、自分の口から漏れる咳という不快極まりない音がいくらか紛れる気がした。だが、これはあくまで「気がする」だけだ。濁った咳には目を背けたくなるような色の痰が絡みつき、肉体の限界を告げている。窓から遠い外を見やれば汚染物質の漂う濁った霧の向こうにアーコロジーの灯が見えた。あそこに住めれば自分の肉体はもう少しくらい長生きできるのだろうか。そんなことを考える自分の思考を、男は嗤った。だってそんなことは天地がひっくり返ってもできない。というか、アーコロジーの外であって六十代まで生きられたことが行幸といっていいだろう。富裕層のおこぼれを頂ける立場にいる我が身の幸福を喜びこそすれ、嘆くなど、自分よりも不幸な者達に知られれば怒りと嫉妬の拳を向けられること間違いなしだ。

 

 ―――ああ、それでも。もう少し生きたかったなぁ。

 

 男はゆっくり目を閉じる。男の肉体は限界を告げていても、男の心は生きているのだ。それが叫ぶのだ。まだまだいろんな事を見たい知りたい感じたい、と。男は知ることについてとても貪欲だった。男はたくさんのものを愛した。最たるものはホラー映画だろうか?友達とやったTRPGも捨てがたい。毎度毎度ダイスの女神に踊らされてとんでもない展開になって驚いたものだ。人が遙か彼方に置き忘れた神々の物語も好きだった。生きる土地が違えば創世神話はこうも変わるのか、いや、変わらないのか、など興奮したものだ。

 

 ―――ああ、これは、死の間際に見るというものか。

 

 たくさんの思い出が脳裏に過ぎって消えていく。暗い室内で見た古い映画の粗い画面。転がるダイスの音。めくる本の香り。駆け巡った偽りで夢であった世界。そこで出会った少なくとも素晴らしい仲間達。リアルでは決して手に取れない摩訶不思議な物質達を組み合わせて様々なものを作った。多くの物語を参照して、自分で物語を作ってみた。それは素晴らしい経験だった。

 人工呼吸器と他の生命維持装置の機械音を押しのけて、仲間の笑い声が聞こえる。仲間の顔が見えてくる。

 もう何年も前にのめり込んだゲームの記憶が何よりも鮮やかに蘇るのは何故だろう。動かぬ四肢と思い通りにならない体。せめて腕だけでも動けば、目の前に広がる夢に仮初めでも手を伸ばせるのに。病室の窓越しに見える、かつての友の顔に、手を伸ばせるのに。

 

 ―――えっ。

 

 アーコロジーが見えていたはずの窓の向こうに、かつての友の(アバター)が見える。骸骨だ。骸骨といえば死に神だ。てことはあれは友の顔を借りた死に神ということなんだろうか。

 男は考える。死に神に限らず夢想の世界は見る人によってその姿を変えるという話は文字通り世界中に見られる話だ。その証拠に、例えば日本においても古代ギリシアにおいても「この世とあの世を隔てる河」という概念があるが、日本においてはそれは「三途の川」と呼ばれ、ギリシア神話では「ステュクス」と呼ばれている。前者はただ広く暗い河であるとされているが、後者は女神の姿を与えられている。それと同じように、自分は死に神を知覚した今死に神という存在にかつての友の顔を当てはめているのだろうか。それって至極失礼なことだったりしないだろうか。

 死にかけの頭でぐるぐると思考する男の目の前で、ガラス窓の向こうの骸骨はそのガラスをスウッとすり抜け室内に入ってきた。間違いなくこの世の存在ではない。それは確かだ。じゃあやっぱり死に神なんだろうか。思考がぐるぐるする。

 生命活動を維持するための装置に繋がれながら、男は目の前の骸骨を凝視する。黒のローブを主体とした装飾的な姿は本当にかつての友そのものだ。骸骨の顔の眼窩には、その奥に眼球の代わりに赤く揺らめく炎があった。その炎が、じいと自分を見つめ返しているのと感じる。しばし見つめ合うこと、一分。

 その後、骸骨はすう、とベッドから身を離し、男が横になったまま骸骨の姿の全体を見られる位置にまで下がった。足元までたっぷりとした黒のローブに覆われている。ひらりと翻ったローブの下から、顔に合わせたように骨の手がでてきた。その両手には計九つの指輪が光っている。かつてはその指輪の全ての効果を覚えていたはずだ。ゲームが終わって何年も経った今、一つも思い出せないが。

 骸骨は骨の手を露わにすると自分の膝を折った。何をする、と思っている間にささ、と彼は正座する。毎日掃除されているがたぶん床って汚いはずだ。なんでそんなところに正座する。男が困惑のうめき声を上げようとした刹那、骸骨はもっと男を困惑させる行動に出た。

 

 正座して、ぴんと伸ばした上体を、ぐわりと前に倒し。

 現した両手を頭の横にばしりとつけ。

 おそらくは白く何もない額を、全力で床にたたきつけ。

 骸骨は、懐かしい声で叫ぶように言った。

 

「すいませんでしたアアアアアアアア!!!!」

 

 ―――何がだよ。

 

 男…いや、かつて電脳世界でタブラ・スマラグディナと呼ばれた大錬金術師は、心の中で盛大に突っ込んだ。全力で土下座する、友の姿をした骸骨顔の死に神に向かって。




くじという名のダイス、栄えある最初を40分の1から引いたのはタブラさんでした。

……いや、これ、マジな話そうなんですよ。ほんとに私クジ作ってよく混ぜて引いたらタブラさんでてきたんですよ。ねぇ―――!信じてェ―――!!!


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第2話

 話は少しだけ遡る。

 

 

 

「信頼を、絆を、賭けましょう!」

 

 喜悦に満ちた女の声が響くと同時にアインズの視界が暗転して暫く。アインズは唐突に全身を生暖かい風のような、細かい触手のような、ぐちゃぐちゃのスライムのような、とにかく「不快」としか表現しようのないものが撫で回すのを感じた。あまりの不快感に腕を上げて全身を払おうとしても、感覚ばかりで実体がないため払えない。

 なんだよこれ、と憤慨の色滲む声を出すと、至近距離で「うふふ」と笑う声がした。

「リュウズさんですか」

 声でわかったが一応聞いておく。うふふという声が頷く気配がした。

「ええ。ただいま『リアル』に向かっているところですよ。あなたのような常人さんに見せるべきではない景色が広がっているのでもう少し待っていてくださいね」

「見せるべきではない、ってどんな光景ですか」

「んんー。TRPG風に言うと…失敗で1D100、成功で1D10のSAN値チェックが入る光景って所かしら?」

「ひどい」

「あと成功しようが失敗しようが判定が入った瞬間に確定でSAN値が10減ります」

「これはひどい。確定で一時的狂気の判定が入るじゃないですか」

 アインズは全身をぺしぺし叩いていた両手をそっと眼窩に翳した。アンデッドにSAN値チェックが入るのかどうかはわからないが、SAN値チェック云々で例えているのが同じ異形種の女性なのだ。入る可能性があるような気がする。ならば見ないに越したことはない。一時的発狂に今この瞬間なった場合、自分という存在がはじけ飛ぶような予感がしたのだ。きっとそれは予感などという曖昧なものではなく確信と言うべきなのだろうが。

「見ざる言わざる聞かざるのみ猿みたいになってますね」

「ほっといてください」

「はいはい。さて、この辺でいいかしらね」

 アインズがじっと目を押さえて待っていると、脇の下辺りにすうと手を入れられ、直後、とすんとどこかに下ろされる感覚があった。「目を開けてもいいですよ。といってもモモンガくんにはないけれど」という言葉を聞いて手を除ける。すると目の前には暗い色の小汚い世界が広がっていた。異世界の「小汚い」が例えば糞尿や埃やせいぜいカビ程度だったのに対して、こちらは生物の体を蝕む汚染物質である。空気中に丁寧に散布された毒物の粒子にアインズは心持ち顔を歪めた。骨の顔は歪みようがないので、あくまで心持ちである。

 彼が居るのはどうやらどこかの集合住宅の窓の向こうの狭苦しい空間のようだった。百年以上前には窓の外に「バルコニー」とか「ベランダ」というものがある住宅が多かったようだが、いまこの時代にそんなものがあるのはアーコロジーだけだ。汚染物質で満たされたこのような外界にかようなものがあるはずもなく、アインズはとても狭い空間に絶妙なバランスで立たされているのだと理解した。

「どう?元の世界に一時帰還したご感想は」

 そんなアインズの上から声が聞こえてくる。見上げれば上の階の狭苦しい空間に長い蛇の下半身をひっかけたリュウズがぶらんとぶら下がるようにしてアインズを見つめていた。木の枝にスタンバイして獲物に飛びかかる前の蛇のような姿勢である。その獲物である自覚があるアインズは姿勢についてとやかくツッコミするような無駄な行為は行わず、一度辺りをぐるりと睥睨した。

「汚い世界だ」

「同意するわ」

 短いながらも心からの同意が籠もっていた。同意の奥を探ればもしかすると彼女の内面の一つも見えてくるかもしれない。けれどアインズはなんとなくそれはダメだろうなと察した。女の深淵は下手に覗くと大変なことになるのだ。アインズはそれをアルベドで学習していた。彼女の場合は隙あらば深淵を見せつけてアインズを引きずり込もうとするのでそれから逃げているだけなのだが。

「ところで俺ってこっちの世界ではどうなっているんだ?」

 下手にアルベドのことを思い出すと帰ったときにどういう噴火をするか想像するだけで震えそうになる。怖いことわけのわからないことはとりあえず後回しにしておこうという人間の頃から会得している精神安定化を発動させたアインズは、ふときになってリュウズに聞いてみた。仲間のことばかりが気になってそこらへんがすっぽりさっぱり抜けていたのだが、結局自分がどうなっているのかの確認をすっぱり忘れていたのだ。今ここでちょっと聞いてもいいだろう。

「ん?ああ、ユグドラシルプレイヤーの顛末?」

「そう」

「私は少なくとも死んでいた。最も、元から死にかけの状態だったけど。それ以外の人のことは気にならなかったから調べてない」

「それでいいのか」

「それでいいのよ。気になるなら、あなたの後ろで死にかけている人に聞いてみれば?」

 ついとリュウズが指さしたのはアインズの背中にある窓だ。アインズが振り返ると、頑丈なはめ殺しの窓ガラスの向こうには人間が一人ベッドに横たわっていた。体の側にあるのは生命維持装置か。

「あれは?」

「私は君の縁をたぐりやすいものからたぐっただけよ」

「つまりわからないと」

「近いて、あなた自身が縁を感じれば見たことなくてもきっとわかるわ」

 アインズは自分と病室を隔てる窓をぐるりと見た。二回見た。二回見ても鍵を見つけられなかった。

「この窓はめ殺しなんだけど」

「死に神が不法侵入しないと魂取れないってんなら死に神なんていないでしょうね」

 くすくすと笑いながら、彼女はすうと身を乗り出して窓ガラスに人差し指を付けた。その指先が、すうとガラスを突き抜ける。

「なるほど、俺たちには実体がないってことですか」

「そういうことね、さ、入って入って。さくっと魂刈り取れるかチャレンジしてきなさいな」

「人を死に神のように言わないでください」

「ヒトじゃないくせに何を仰るのか」

「これは死を克服した魔術師ってコンセプトなんです!」

「そういうのいいから」

 拘りをばっさり切られたアインズは若干しおしおしながら病室の窓をすり抜け、ある意味見慣れた、ある意味懐かしい無機質な空間に入り込んだ。真っ平らな床、真っ白な壁、過剰に清められたために薬品の匂いがこべりついた空気、どれをとっても「病的」だ。あちらの世界とこちらの世界、金がかかっているのはどちらと聞かれたら間違いなくこちらなのだろうが、アインズは改めてこちらの世界に対しての評価を「価値の無いもの」とした。文字の下に二重線を書くほど強調した。であればここから仲間の魂を救い出し、吸い込む大気に草の香り満ちるあの世界に連れていくことは栄誉と幸福ある行動といえるだろう。

 そういう点を主眼に置いて、どうやってあちらの世界のプレゼンをするか。ゆっくり歩きながら高速であれこれ考えたアインズであったが、病室のベッドに横たわる死体みたいな顔色の男を見た瞬間、プランの全ては吹き飛んだ。吹き飛んだから、「彼」に会ったらまず最初にしようと考えていた行動を半ば無意識的にぶちかました。即ち土下座である。全身全霊を込めた、魂の土下座である。

「えっ」

 窓の外でリュウズが目を丸くしている気配を感じる。だがモモンガは、これを譲るわけにはいかなかった。自分にはこうせねばならぬ理由があるのだ。故に彼は、腹の底から、いや腹は無いのだけどそんな気持ちで、叫んだ。

 

「すいませんでしたアアアアアアアア!!!!」

 

 アルベドの創造主、タブラ・スマラグディナであった男に。

 



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第3話

「タブラさん!申し訳ない!あなたの愛娘のアルベドの設定を、よりにもよって設定魔のあなたの子を、俺は一時の戯れでいじってしまった!あなたの娘の精神を弄ってしまった!アルベドの在り方を変えてしまった!あれは本当に出来心だったんです!信じてください!いやほんゲフッ」

「落ち着けこのキチガイアンデッド。ごめんなさいね、まさか一皮剥いた下にこんな意外な一面があるなんて知らなかったもので」

 アインズの暴走する怒濤の謝罪を留めたのは、土下座する彼の頭の上にどかりと腰を下ろすように落下してきたリュウズの尻…というか腰の下である。蛇に尻はない故に。大蛇の下半身と大鳥の翼に見合った体重を持つ彼女は「どしん」とか「どすん」という音を持ってアインズを物理的に鎮めた。ハイレベルな魔力系魔法詠唱者のアインズには物理攻撃は効かないのではないのか?などというツッコミをしていはいけない。彼らはただいま完全に『観察者の目』の領域内にあるが故に、いかなる魔法も特殊技術も発動しないのだ。たとえそれが普段使い慣れて大気のように「あるのが当たり前」なパッシブスキルであっても。

 呼吸器に繋がれ喋ることすらあたわぬ男の目に「一体何がどうなっているんだ」という思考が透けている。片方の目はどうやら視力を失って久しいらしく白濁している。リュウズは残った片方の目をオパール色の目でじいと見つめた後、自分の体重で押しつぶし鎮静させたアンデッドの上から退いた。

「モモンガくん。あなたの目的は違うことでしょうが」

「うっ尻アタックって打撃攻撃判定入るのか…ダメージを負う感覚を覚えた気がする…」

「何失礼極まりないことを言っているのですか。あと、蛇にお尻はありません。それとどうします?賭けを辞めるなら今此処でアナタを放り出すこともできますが」

 リュウズが大きな胸を腕で挟み込むようにして腕組みをして半眼になり、アインズを睨む。その目には先程まであった喜悦の色はかけらもない。当然だろう。彼女は「アインズのゲームをみている」のだから。例えば生放送の実況プレイ中に実況主が突然友人との電話を中座もせずにやり始め、ゲームをほったらかしにしたら視聴者はどう思うだろうか。もちろん怒るに決まっている。

 それを察したのだろう、アインズは彼女の冷たい目を見てハッと正気を取り戻し、直後自分がかなり危ない橋を渡っている最中であったことを思い出した。即ち自分の命と仲間の命をチップに後戻りできないゲームである。こんなギャグ空気に浸っていていいわけがない。

「タブラさん!」

 だからアインズは弾かれたように寝たきりの男の方に振り返った。呼ばれ、男の体がびくりと震える。だが逃げることはできない。何故なら肉体はもう限界であり、魂の方も限界だからである。

 

 ―――いったい、君は。

 

 ぜい、ぜい、という声とも咳とも付かぬ音の合間に、空間に響くようにして言葉が届く。その意思伝達にアインズは違和感を感じたが、ちらりとリュウズを見ると彼女は組んだ腕の片方をほどいてコツコツと頭部を飾る世界級アイテムを指先で叩いた。つまり考えたら負けである。

「俺はモモンガ。ユグドラシルで一緒に遊んだ、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターのモモンガです。覚えていませんか?」

 

 ―――ユグドラシル…もう、何年も前に終わっただろう?

 

「もう何年も経ってるんですね。ええと、話すと長くなるんですけど…」

 モモンガはしどろもどろになりつつも、ユグドラシルの最終日にその身にあったことを説明した。男は寝たままそれをじっと聞き続ける。リュウズは部屋の壁に寄りかかり、腕を組んでモモンガと男をじいと見つめている。モモンガと男は気づいていないのだが、もうここは彼女の持つアイテムの支配空間に入っているのだ。ここから彼女とモモンガが出る時は男の魂が体から離れる時であり、誰の邪魔も入らない。時という概念すら、そこへの侵入はできない。

 モモンガがあらかた説明し終わると、男は激しい咳をしながら、ものすごい勢いで命を燃やし、それ以上の温度を持って視力の残る片目を爛爛と輝かせた。

 

 ―――なんと、なんという。これが奇跡、なんて、ああ、すごい!すごい!

 

「やばいタブラさんの設定魂に火がついた」

 

 ―――モモンガくん、君とっても素晴らしいことになっているんだね!アルベドについては、どっちかっていうと君の方が心配かな。彼女は良妻賢母になれる設定にしてあったような気がするから受け入れればよく君を支えるだろうけど、君の性格上そうもいくまい。

 

「ご明察です。ものすごく困っています」

 

 ―――モモンガくんは女性経験薄そうだからねぇ…。

 

「無いの間違いだったりしません…?」

「黙って下さい」

「嫉妬マスクの枚数は?」

「黙秘します!」

 ニヨ、と笑う蛇の魔物にアインズは一瞥もくれず、タブラの手がある辺りに骨の手を伸ばす。基本的に何でもかんでもすり抜けるが、掴もうと思えば掴めるのだ。アインズは布団の上に置いてある皺だらけの死体みたいな冷たさの手を取り、ぎゅうと握り込んだ。

「タブラさん。俺の今いる世界は、とっても素晴らしい所なんです。そりゃ文明レベルが低かったり愚かな人間が多かったりしますけど、ここよりずっと、ずーっといいところなんです。環境が汚染されてないから地面には草が生えてるし、空気は綺麗だし、空は青いんです。夜になると満天の星空が見えるんです」

 

 ―――それはすごい。ここじゃあ、絶対に拝めないものだね。

 

 ちらり、と男の目が外を向く。相変わらず昼だか夜だかよくわからない暗い空がそこには広がっている。終わり行く世界の光景だ。

 

「ええ。でも、それよりなにより、俺はまた、アインズ・ウール・ゴウンの皆と一緒に遊びたいんです。ううん、向こうでは俺はこの姿で生きています」

 

 ―――アンデッドなのに?

 

「アンデッドジョークのオチを先にさらわないでください。ええと、とにかく向こうで存在して元気にやってます。NPCはアルベドをはじめとしてみんな生きて動くようになりました。ニグレドも元気にやってますよ。あと、最近セバスが結婚しそうになっています」

 

 ―――セバスって誰だっけ。

 

「たっちさんが作ったNPCです。執事の、おじさん顔の」

 

 ―――あああの人のか…ゲームのNPCまでリア充になるとか、遺伝子強いね。

 

「全くです。そんな感じで、俺元気にやってるんです。とにかく、すごくいい世界なんです。このまま先もわからずここにいるよりは、一緒にあっちで遊びましょう。ね、タブラさん」

 

 白骨の手がしわしわの手を、優しく、けれど強く握る。この世界の人間が見たらきっと驚くだろう。これはまさに死に神が死に行く人の手を握り、その魂を連れ去る光景なのだから。宗教が形骸化し神秘の全てが死に絶えて久しい世であっても、やはり「死に神」といった概念はあるのだ。その概念に従いこの世界の人間はこの光景に悲鳴を上げるだろう。

 この世界の人間だけではない。向こうの世界の人間だって悲鳴を上げるだろう。だってここにいるのはアンデッド(生者を憎む者)なのだ。それが人間の手を祈るように握っている光景なんて、悪夢の中でも見るような景色じゃない。

 けれどここにいるのは双方の世界の住人であって今はそうではない者だけだ。だからこの光景の表面的な意味ではなく、本質的な意味のみを見ることができた。即ち、友愛である。

 

 ―――モモンガくん。

 

「はい」

 しずかな、静かな声で、男は友の名を呼んだ。彼の声は、もしも動くのであればその手で友の手を撫でたのであろうと推察できるほどに柔らかい。柔らかさで満ちた声の回答を待つモモンガは、死に神の格好でありながら、まるで判決を待つ罪人のようで。

 

 ―――僕、アルベドが君に迷惑かけないように見張りたいしニグレドの様子も見たいしルベドのこと心配だしそっちの世界のことすごく気になるしそもそも世界の構造成り立ちに触れられるこの異世界への転移っていう現象が僕の神話探究心にものすごく油を注ぐわけで久しく活躍の場に恵まれなかったこの情熱がいや活躍の場がもうないと思っていたこの情熱がもう正直押さえられないんだよねあと…

 

「い、行くってことでいいですか…」

 怒濤の答えにモモンガは目を白黒させながらしどろもどろになりつつ確認する。モモンガは、アインズ・ウール・ゴウンでは温厚な常識人であり仲間のことを何より愛する良き男だったのだ。そんな彼よりもタブラが濃い男であるのは、ある意味必然というか、当然というか、当たり前のことである。勢いに押されてくてんくてんになってしまうのは仕方の無いことである。

 

 ―――ああ。行くよ。行きたい。あと、遅くなったけど、最終日、一緒に居られなくて、すまなかった。君を一人にしてしまったこと、今ものすごく後悔している。

 

 片目を揺らし、タブラの目が、くしゃりと歪む。謝罪の言葉を聞いてアインズは一瞬動きを止めたが、すぐにふっと雰囲気を柔らかくして首を振った。

「……仕方ない、ですよ。みんなリアルがあったんですから。俺は、ここで生きることができなかっただけですし。俺やアインズ・ウール・ゴウンのことを嫌いになったり捨てたわけじゃないんでしょ?」

 

 ―――嫌いになった、とか、捨てた、なんて言わないでくれ。飽きた、とか、リアルが忙しい、とか事情は人それぞれ一杯あっただろうけど。でも、絶対に、嫌いになりも捨てもできなかった。あそこから去る時に、痛みを感じない者はいなかったよ。それは、ギルドの一員として、断言できる。

 

 確信を持って、呼吸器を付けた頭部が僅かに上下に動く。それが頷くという行為であり、その行為ですら今のタブラにとっては大変であることを状況を見て理解していたアインズは、眼窩の奥で揺らめいていた赤い光を数秒ぴたりと止めた後、絞り出すような声で答えた。

 

 

 

「―――嫌いになったわけでも、捨てられたわけでも、なかったんですね…」

 

 

 

 もしも彼に涙腺があれば、その頬を涙が伝っただろう。そう思わせる声がぼろりと唇のない口から零れ、黒いローブに包まれた肩が、なにがしかの感情で大きく震える。ぶるぶる震えるその肩に手を当てて止めたのは、いつの間にか壁から背を離し側に来ていたリュウズだ。

「おめでとう、モモンガくん。一件目は成功ね」

 

 ―――あなたは…?

 

「私?ああ、申し遅れましたがギルド『翼持つ人々』のギルドマスターのリュウズです。この度はモモンガくんにあなたたちアインズ・ウール・ゴウンのメンバーの魂の救済に挑戦するチャンスを与えた者ですわ」

 下半身の蛇の体を大きくくねらせ、背中の翼をばざりと羽ばたかせてリュウズは優雅に一礼する。そのまま彼女はモモンガの肩に置いていた手を滑らせ、タブラの手を握っていたアインズの右手を取った。

 

 ―――魂の、救済?一体どういう…

 

「あなたは死期が近い。その死の間際、魂がぺろんと剥がれるタイミングで私の世界級アイテムの力とモモンガくんの『縁』の力であなたの魂をあっちの世界にお連れするってことです。向こうの世界に行く際にユグドラシルの『概念を通って』『魂の最適化』をしなければいけないので、あっちの世界でのあなたはアバターの姿になります。失礼ですが、ユグドラシルではどのような種族に?」

 

 ―――脳喰いだね。

 

「それは……うーん、モモンガくんみたいにあからさまに骨でも元気にやっているので、多分適応できるとは思います…私も見た目やばいけど、こうして生きておりますし」

 ぺちり、とリュウズは空いた片手で自身の蛇の下半身を叩く。苦笑を浮かべて戯けたようにそう言った彼女をまじまじ見つめ、タブラは不思議そうに呟いた。

 

 ―――君は、美しいからね。

 

「綺麗でしょう?」

 少しばかりのドヤ顔をしてリュウズは豊満な胸をちょっとだけ張った。そのまま張り続けてもよいのだが、それでは事が先に進まない。彼女は適当な頃合いでいい気分を自分の意思でしまいこみ、アインズの手をぺたりとタブラの胸の上に置き、その上に自身の手を置いた。

「リュウズさん、何を…」

「死にかけ剥がれかけの魂を、引っこ抜いてあちらの世界に送ります。タブラさんとやらは楽になさって。モモンガくんは、じっとしてて。頭の中でタブラさんに関係するナザリックの光景を思い浮かべてくれるとやりやすいと思うわ」

 答えつつ、リュウズはすうっと目を閉じた。集中のポーズである。アインズもタブラも、それに合わせて口を閉じ、意識を集中する。アインズは「やりやすい」と言われた手前、タブラの性質を如実に現す光景を一生懸命思い浮かべていた。ナザリックのことは隅々まで知っている。その仕事は彼にとってお手の物だ。

 そうして、数秒とも数分とも付かぬ時間が過ぎた頃。アインズの手の下で、スウッと何かが抜けていくような感触があった。それと同時に横の機械がビーッビーッというけたたましいアラーム音を響かせはじめる。みやれば心電図の表示が完全にフラットになっていた。それが示すのは、手の下の肉体の命が、もうここには無いという事実。

「できましたか?」

「できましたよ。タブラさんはあっちに行きました。さて、次に参りましょう」

「一つ聞きたいんですけど」

「はい?」

 もう目の前の死体に興味を無くし、ばさりと翼を羽ばたかせたリュウズに、アインズは少しだけ首を傾げながら聞いてみる。

「『タブラさんに関係するナザリックの光景』って一体どういうことですか」

「あなたが通り道になった先で、彼の出口になるポイントにするためよ」

「……うん、自業自得だな」

「?」

「いえいえこちらの話です。さて、次に行きましょう。俺の仲間を誘いに!」

「んんー。モモンガくんがそれでいいなら、行きましょうか」

 

 

 

 ―――そして、タブラ・スマラグディナはユグドラシルを辞めた時の姿で氷結地獄のニグレドの部屋にぼてりと落ちるように出現し、腐肉の赤子を持っていなかったがために危うく転移初っぱなで死にかけたのであった。そう。アインズの言うとおり、自業自得なのである。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

タブラ・スマラグディナ 04 クリティカル成功

……持ってるなぁ………


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第4話

 偶然という言葉がある。なんと甘美な響きの言葉だろうか。これが無ければ世界は酷く味気ないものになっていたと断言できるだろう。

 さてこの偶然、時にとんでもない仕事をする。いい意味でも悪い意味でもだ。此度その両者の意味を持つ好例が生まれたので、詳しく観察してみよう。

 

 

 

 タブラ・スマラグディナがこの世界に「一番最初に」やってきた。

 それは彼に創造されたアルベドにとって、間違いなく「不幸な偶然」であった。

 何故なら彼女は秘密裏に至高の者達の暗殺を計画しており、パンドラズ・アクターという協力者とルベドという火力を頂き暗躍をはじめていたからだ。愛しい人の心を切り裂く過去の幻影が愛しい人の前に現れるその前に、現れたことすら隠して消して、いずれ愛しい人を自分のものにする。それが彼女の秘めた目的だった。

 だった、という表現が示す通り、それはもう実現不可能な目標になってしまった。なんせナザリックの中からタブラ・スマラグディナが出てきたのだ。多くの守護者とシモベ達の前に、堂々と。パンドラズ・アクターの変装ではないことは、アルベドから少し離れたところに彼がいる故に証明された。

 もしも出てきたのがタブラでなければアルベドはすぐに「偽物だ」と声を上げることができたかもしれない。自分の中の歓喜の声を上げる感覚器官を騙し、皆を扇動して目の前の至高の存在を殺せたかもしれない。けれど彼女の体は、精神は、全ては、目の前のタブラを本物だと断定してしまった。

 

 敢えて言うのであれば、その断定によりアルベドの思考が止まった刹那の時間。

 

 彼女の行動が止まり、タブラが先手を取れた、その僅かな隙。

 

 それが運命の分かれ道だった。

 

「やぁ」

 至極簡単な声で片手を上げて挨拶した彼に、息を止めぬ者がいただろうか。直後、歓喜の涙を流さぬ者がいただろうか。いるにはいた。アルベドだ。だが彼女以外の全員が恋い焦がれた至高の存在の一人が戻ってきたことに歓喜した。

 そして、アルベドにとって不幸なことに、タブラは皆に伝えた。モモンガが自分を助けてくれたのだ、と。

 死にかけの設定厨はあの病室での僅かな会話と向けられる過度な親愛の情でなんとなく状況を察していた。さらにアルベドの目に見える確かな憎悪で正確に状況を理解し確信した。即ちNPCはギルドメンバーのことを崇拝し、であるが故に置いて行かれたことに悲しんでいると。悲しみはやがて憎悪へと変じ、その最たるものが自分の被造物の美しい守護者統括であるのだと。

 

 ―――私達が戻った世界。あれは、私達の意識を入れるために必要な入れ物がある場所だった。そこに居なければ、戻らねば、我々はいずれ死んでしまう存在だった。

 

 デミウルゴスはその言葉を聞いて宝石の目を見開いた、ならばアインズ様は…と。

 アインズ様?とタブラは内心首を傾げたが、おそらくモモンガのことを指しているのだろうとあたりをつけて彼は深く頷いた。

 

 ―――彼は向こうの世界で死んでいる。

 

 守護者やシモベにとって衝撃的な発言であった。呼吸する者全てが息を止め、鼓動する心臓を持つ者全てが刹那生命活動を放棄する程度には。

 タブラの言葉は事実であった。ユグドラシルはサービス終了時に重大なバグか何かが発生し、その時接続していた人間全ての脳が焼き切れるというとんでもない事件が起こったのだ。多くの人間が死んだ。鈴木悟という名を知る元ギルドメンバーの一人が顔を青くしてかつての仲間と連絡を取り、そして全てのギルドメンバーが知った。

 

 ―――ああ、リアルで会う約束をしていれば。

 

 ―――ちくしょう、次のゲームに誘っていれば。

 

 ―――嗚呼、モモンガではなく、鈴木悟と交遊をもっていれば。

 

 ユグドラシルが終わった後にした後悔は、何の意味ももたらさなかった。

 

 彼の穏やかな性格は皆が好いていた。ぶっちゃけ、モモンガのことが嫌いになってユグドラシルを辞めた者はいなかったのだ。引き際をわきまえすぎて遠慮がち、なれど深く仲間のことを思っている、見目の割にとても優しいスケルトンを嫌う者などいなかった。天涯孤独であったが故に葬儀などされなかった彼のために、かつて四散したギルドメンバーの多くがぷにっと萌えの集合メールで集まり無言で献杯したことをタブラは覚えている。

 タブラが語った言葉に皆は顔色を無くした。至高の存在のためであれば命など惜しくないと思っていた、その自分達を優先したために愛する至高の御方が亡くなっていたなど、衝撃以外の何者でもない。多くのシモベは身を焼くような後悔の念に耐え切れずその首をかっきろうとしたが、タブラはそんな彼らに大きく首を横に振った。

「モモンガくんは、そんなことを望まない。彼は自分の全てを捧げるほどに君達のことを愛している。君達が自分のために傷ついたと知ったら、彼はきっと何よりも悲しむだろう。

 私も向こうで死んだ。死んでどこかに行くだけの身だった。けれど、モモンガくんと、あと不思議な蛇の女性のおかげでこちらに来れた。もしよろしければ私もここに住んでいいかな」

 脳喰いの頭で、わかりにくくもにこりと笑ってみせたタブラに否と答える者はいなかった。口を閉じた者は、残念ながらいたのだけど。

 

 

 

 タブラ・スマラグディナがこの世界に「一番最初に」やってきた。

 それは彼とともにユグドラシルを駆けた仲間達にとって、間違いなく「幸福な偶然」であった。

 何故なら彼はアルベドに対する、唯一超級の切り札だからだ。彼らの命を奪い存在を消すことでモモンガの全てを手に入れようと画策する、アルベドの。

 アルベド抑制の役目は戦闘力にすぐれたたっち・みーでも、アインズ・ウール・ゴウン一の問題児であるるし★ふぁーでもこなせない。諸葛孔明とまで言われたぷにっと萌えですらアルベドやデミウルゴスには知能で劣るため、作戦だけで勝てる相手ではない。故に切り札になるのは創造主という立場がもたらす絶対の力関係だけであった。

 もしもタブラが最初でなければ、たおやかな笑みの下に苛烈な殺意を隠したアルベドがモモンガが戻る前に至高の存在を殺していっただろう。そんな性質を、行動を、彼女を創造し、彼女の内面を細かく編み上げたタブラだからこそ見抜けていた。故に彼はこの世界に来てすぐ自分の役目を悟り、後から来るかもしれない…いや、絶対に来るであろう仲間達のために、ナザリック一の爆弾を押さえる役目を買って出たのであった。

 

 

 

 四十分の一の正解を見事掴んだ死の支配者は、気づかぬままにバッドエンド確定ルートを回避して先に行く。彼の行く末に何があるのか、その答えは、たどり着かねばわからない。

 わからないのだから、それなりに慎重に行くべきなのだが…

 

 

 

「やった!あまのまひとつさん説得成功!」

「五分で頷くとはね…」

「やった!ぬーぼーさん説得成功!」

「まさかゴーレムを見たいがために頷くとはね…アインズ・ウール・ゴウンってもしかして変人の集まりだったりするの?」

「変人ってあなたには死んでも言われたくないですね…」

「もう死んでるけどね、モモンガくんは」

「ははっアンデッドジョーク」

 

 

 

 常ならぬ状況と発動しない精神の沈静化のせいで、モモンガは割と簡単に調子に乗り。

 次のギルドメンバーにユグドラシルのことを覚えていること前提で話しかけても色よい返事をもらえず、大変盛大にしおれてしまったのだった。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

あまのまひとつ 28 成功
ぬーぼー 30 成功
名無しのメンバー 83 失敗

現時点で成功3、失敗1


よく考えたらタブラさん最初に行かないとアルベド止められなくね?と気づいた筆者であった。ううっブルブル。やばかったなオイ。


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第5話

 岩のような顔。大樹のような体。ごつごつした指に、大きくて優しい目。彼を知る人が彼の説明をするのなら、きっと皆そんな風に彼のことを話すだろう。そしてつらつら述べた最後にこう付け加えるだろう。

 

 そして、誰よりも自然を愛する人、と。

 

 

 

 男はアーコロジーの外の汚染された世界に生まれた貧民だった。両親の手助けあってなんとか中学までは卒業できたがその先は無く、故に彼は汚染された世界の中で、黒い大気を吸って生きていた。

 彼が自然というものを知ったのは、彼が中学の頃だった。ぼろぼろの図書室の、壊れかけた本棚の、その片隅に形が崩れた本が斜めにささっており、それを手に取ったのがきっかけだった。埃で汚れた本の背表紙には「地球の図鑑」と書いてあった。ぱらりとめくってふわりと舞い上がる埃の中に、彼は古い写真の中に映された過去の地球を見た。

 今よりもずっと拙い撮影技術と印刷技術で作られた本は一言で言えばチープな出来だった。けれどその中に描かれた世界は、色あせていても少年の心を鷲掴んだ。明るい空。青い海。緑の森。ふわふわの腐葉土。海中を舞う魚たち。天高く飛び上がる鳥たち。草原駆ける四肢の獣。そのどれもが、今は失われてしまった全てが、少年の心をその瞬間にしっかと掴んだ。

 成長して、男は過去の地球の姿を蘇らせることを願った。けれどそれはもう無理な話だとすぐに彼は理解した。だってもう、種族がいないのだ。鳥も、魚も、動物たちも、人間に直接関わる者以外殆ど全て死に絶えた。地球を貪る人間の手にかかって、もう多くの命が手の届かぬ所に行ってしまっていた。男一人ではどうしようも無い現実が、そこにはあった。

 だから男は仮初めの世界、夢の世界で求めた。美しい光景を。素晴らしい世界を。風で囁く緑の森や満天の星空を。求めた結果作り上げた。小さくとも素晴らしい世界を。それで渇く心を必死に慰めた。友も協力してくれた。皆で仮初めの夜空を見上げただけのあの時間を、男は愛していた。

 

 けれど、それはもう何年も前の話。あれからどれだけの月日が経ったのか、即答できない程には昔の話だ。

 

「ごほっ…」

 今の男に、かつての男の体にあった巌の姿はもう影も形もない。悲惨な労働環境が、彼の全てを奪ってしまった。

 彼は汚染された世界の中で、それでも命の萌芽を求めて必死に活動した。アーコロジーの外に必死に木を植え土を耕し、川をさらい魚を探し、けれどその活動に意味はなく、黒い毒の大気が男の体の中でたまりにたまって彼の命を蝕んだだけだった。

「ごはっ…ぐ、がはっ…」

 咳をする度、胸が切り裂くように痛む。肺の病だ。人工心肺の稼働限界を超えた屋外活動のツケが彼の命を三十代半ばという若さでガリゴリと削っている。目詰まりしたフィルターを付けた使えない人工心肺の中に、毒混じりの喀血が飛び散った。

 せめて家にまでたどり着ければ、換えの人工心肺で毒を除去した空気を吸えるのに。それでまだ少しは生きられるのに。伸ばした指先は黒い大気で煙り、形の変わった爪すら見えない。

 視界がかすむ。一度でいいから柔らかな土に身を横たえてみたかった。地球の地下から生まれた水をこの手に受けてみたかった。空から降り注ぐ恵みを全身に浴びてみたかった。願っても願っても届かない願いを今際の際にもう一度願うなんてなんて無意味な行動だろう。けれど男の人生においてそれこそが燦然と輝く生きる意味だったのだ。願うことすら辞めてしまえば、愛することすらやめてしまえば、男は男でいられなくなってしまう。

 

 ―――きれいな自然を、感じたかったなぁ…。

 

 ゴーグルの奥の目がかすむ。意識が消えているからだろうか。いや、これは涙だ。ほしくてほしくてたまらないものを得られない、その悲しみが、悔しさが、彼の目を涙で覆う。

 

 ―――くやしい、なぁ…。

 

 すすけて黒いアスファルトの上に手が落ちる。ぱたりと下がった手は汚くて平らな地面の上にまっすぐ落ちる―――けれど、けれど、アスファルトの上に触れることはなく。代わりに真っ白で滑らかなものがその手を取った。

 誰かが助けてくれたのか。ひゅーひゅー鳴る喉を懸命に動かし、彼は必死に顔を上げる。人の顔を予想して。人の姿を予想して。けれどそこにいたのは人ではなく、骸骨で。

 

「お久しぶりです、ブルー・プラネットさん」

 

 柔らかな声は、かつて理想の世界を作ったときに一緒に遊んだ仲間だった。

 

 

 

 

 

 

 

「まさかブルー・プラネットさんがこんなにしおれているなんて…」

 そう言いつつ、アインズは縁の元を辿った先にいた男の体を抱き起こした。手早く人工心肺の状態を確認すれば、表示されているのは「交換が必要です」というアラームライン。けれど手元には換えのフィルターなんてない。

「それが死因って結構間の抜けた方ね…」

「間の抜けたっていうか、他に大事なことがあって後回しになっただけなんです」

 アインズは呆れたリュウズのツッコミから男を擁護し、その背をさすった。暫くして目の焦点が戻ってくる。彼はアインズの顔を見て驚愕に目を見開き、またリュウズを見てびっくり仰天した。

「も、モモンガさん…?げほっ、何、してる、いや、なんで、げほっ」

「落ち着いてくださいブルー・プラネットさん実はこれこれこういうことがありまして」

 

 かくかくしかじかまるまるうまうま。五回目ともなれば慣れてきた状況説明をアインズはすらすらと口にして男に語った。

 

 全ての説明を終えて、アインズは男に問うた。今この場で死んで、死んだ後にどこかに行くに任せるか、それとも異形の身となりて自分とともに残酷でも美しい世界に来るか。

 男は答えた。是非に、と。飛び散った血で汚れたマスク越しにでもわかる、確かな笑みを見せて。

 そう答えると思いました、とアインズは笑った。夜になるとナザリックの上にあなたが作った夜空とそっくりの美しい空が広がるんですよ、と骸骨の顔でありながら確かに微笑んだ。

 

 そうして男は旅立った。人工心肺の不調による呼吸機能障害という、この世界では「三大めちゃめちゃ苦しい死因」の一つで死んでいたにしては、とても安らかな笑みを浮かべて。

 




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ブルー・プラネット 自動成功


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第6話

 西暦2138年某月某日。

 日付を跨いだ瞬間に一つの夢の世界が永遠に失われると決まっていた日。

 その夜、午後10時を少しだけ回った頃。一人の男が病院のベッドに横たわる娘にキスをして、肺の病で亡くなった妻の位牌に手を合わせ、職場に出勤した。仕事内容はアーコロジー内で肥え太る富裕層の護衛というくそったれなものである。男の職業は警察官。職業の字面と任務内容が噛み合っていないのは、ずっと昔からのことである。

 午後十一時。男は着替えのためにロッカールームに入った。がらりと自分のロッカーを開けて整頓された装備を順番に取り出し身につけていく。殺傷能力の高いものから身を守る装備と殺傷能力の高い装備を見下ろし、鏡の中の自分の顔を見つめ、男は深いため息を吐いた。

 男は鏡の中で疲れた顔をした男に問う。自分はこんなことをするために警察官になったのか?

 鏡の中の男が溜息まじりに答える。違うだろう。幼い頃からのあこがれである「正義の味方」になるためになったんだろう。

(だというのにこれは一体どういうことだ)

 男以外誰もいないロッカールームの中で、己を嗤う諦めきった笑い声が微かに大気を揺らした。

 胸部を覆う薄型の防弾チョッキは弱者から考える力を奪い富を奪う者の盾として、腰に帯びる警棒と銃は生きるために足掻こうとする者を排除するのに使うために与えられた。自分は正義の味方などではなく肥え太った略奪者の護衛だ。

 それを認め、厭う気持ちが大きくなってから、一体どれだけの時間が経っただろう。夢はあくまで夢であり、この現実では何も望めぬと理解してから、一体どれだけの年月が経っただろう。

(今日もか…)

 正義の味方になりたかった。なれなかった。なりそこないだ。愛する妻を病で失い、残された娘も病床故に明日をも知れぬ命。もしも娘もいなくなってしまえば、果たして自分には生きる意味があるのだろうか。貧困層の人間に聞かれれば烈火の怒りと憎悪を持って殴り殺されそうな幸福な悩みを抱えながら、男は夜通し行われているアーコロジー会議の交代に向かった。

 

 

 男が交代の申し送りをしている頃。警護任務のために出勤した会議場で爆弾が爆発した。テロだ。どうやら警護の交代時にどうしても発生する隙を狙われたらしい。

 男は優れる身体能力を生かし護衛対象の盾となり、飛んでくる多くの木っ端を身に受けた。防弾チョッキで守られた身とて殴打には弱い。あちこちに打撲と傷を作りつつ、男は鼻血を流しながら部下に護衛対象を安全に会議場の外まで連れて行くように指示した。空いた手で腰の武器をまさぐる。

 弾がどこに向かうかわからない拳銃は使えない。黒づくめのテロリスト達が「我々に生存権を!」「生きる糧を!」「奪う者から奪い返せ!」と叫ぶ彼らに向かって発砲すれば、彼らを押しとどめようとする仲間の誰かに着弾する恐れがあるからだ。

 拳銃を無視し、伸縮する特殊警棒を構え、足元を少なくない流血で彩りながら走り出す。護衛の盾になれぬのであれば向かってくるテロリストを押しとどめなければいけないからだ。壊れた椅子の背をタッと駆け上がり瓦礫を乗り越えた先で、視界にちらりと映った柱に引っかかっていた時計が午後23時59分を告げていた。

 

 ―――ユグドラシル…。

 

 任務中だというのにちらりとその言葉が頭に過ぎったのは、彼が求めた正義の姿をそこでだけ体現できたからだろうか。生きようと必死な者達、生きるために最悪な手段にしか出られない者達、そんな人達の頭を警棒でたたき割らねばならない我が身からの逃避したかったからだろうか。

 

 確かにそれはあっただろう。けれど、それだけじゃない。

 

 視界の真ん中で、同じ特殊装備を身に纏った仲間の一人が体勢を崩す。彼の体を押しのけて、一人の黒ずくめの男が現れる。その手には警察が持っているのとは違う拳銃が握られている。改造されているのか所々に溶接の跡がある。そんな銃、下手に使えば暴発するかもしれないというのに、彼はそれだけが心のよりどころだとでも言うようにしっかと抱え構えていた。

 自爆覚悟の武器を持った男が、その銃口を男に向ける。けれど黒づくめは彼の姿を見てぴたりと動きを止めた。まるで、見知った人でも見たかのような驚きが、目出し帽の隙間に見える黒い目から溢れている。

 

 ―――おいおい。

 

 悲鳴と怒号とものが崩れる音の中、黒づくめの呟きは、果たして男に届いたのだろうか。

 届かなければいい。届けば男は気づいてしまう。聡明な頭脳に相応しい記憶力が、何年も前に仲違いした者の声だと気づいてしまう。

 だというのに小さな音はやかましい音の間をすり抜けて正確に男の外耳を震わせた。内部に響き脳に届き、脳が高速で記憶の本棚をかきあさる。やがてコンマ数秒もせぬうちに男の脳は該当の声を持つ者の名と来歴を記したファイルを見つけ出した。男の頭の中の司書が、それに手を伸ばす。

 

 ―――時刻、0時00分00秒。

 

 けれど、それに指をかけ、ファイルを引き寄せ開く前に。

 

 無防備な男の頭部に、斜め後ろで構えられたテロリストの発砲した弾丸が着弾し。

 

 男の頭は、首から上は、真っ赤な花の如く四散した。



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第7話

 問題。久しぶりに会った友人の首から上が爆散していた場合、最初にかけるべき言葉は何か。

 

 普通に人生を送っていればまず間違いなくぶちあたることのない問題に正面衝突したモモンガは、瓦礫の中で悩んだ挙げ句に普通に声をかけることにした。

「た、たっちさん」

 首から上の無い死体の頭の所にぼうっとした表情で足元の人間と同じ装備をした男が立っている。彼の体は少しだけ透けており、向こう側が見えている。幽霊だ。紛う事なき、生まれたてほやほやの幽霊だ。幽霊に生まれたてという概念があるかどうかは置いておいて。

「たっちさん」

 軽く声をかけても応答が無かったのでモモンガはもう一度大きな声をかけてみた。周りではやかましい戦闘が続いている。それにかき消される可能性を考えれば最初からそれくらいの大きさで声をかけるべきであった。

 怒鳴り声に近いモモンガの声は距離から考えても男に届いたはずだ。けれど男は動かない。

 男の足元の体を、数秒前まで男と相対していた黒ずくめの人間がちらりと見て確認し、たったったとどこかに去って行く。モモンガはその人間にちらりと視線をやることすらせず今度は瓦礫を乗り越えて幽霊の至近距離にまで行き、その手を取って耳元で叫んだ。

「たっちさん!」

「うわっ!?」

 びく!と男の体が動く。端正な顔に意識が戻り、ぼうっとしていた表情からはっきりした表情に切り替わった。

 男の顔は反射的に自分に声をかけた者の方に向いた。即ちモモンガの顔だ。男は真正面からモモンガの顔を見て、その口をぱかりと開けた。驚きの表情というやつだ。

「たっちさん、俺です。モモンガです。わかります?」

「え、あ、うん。わか……え、俺は今どうなって…?」

 死んだばかりなのだ。気が動転するのも無理は無いだろう。きょろきょろと辺りを見回し、自分の状況に首を傾げる。けれどすぐにその目が足元で倒れ付す自分の体を見つけた。

「っ!?」

 びくり、と男の体が震える。本能的にそれが自分の体だと理解したのだろう。目を見開いて死体を凝視する男に、モモンガは今度はそっと手を添えてゆっくり声をかけた。

「たっちさん、あなたは死にました。わかります?死んでるんです」

「死んで…やっぱり、これ、俺か」

 すいと男が腰を落として死体の胸元に手を伸ばす。制服のジャケットを開きたいらしい。だが幽体故かどうしてもすり抜けてしまう。見かねたモモンガは男の代わりに死体に手を伸ばし、ジャケットの内ポケットから警察証を取り出した。開いた中に、幽霊となった男の端正な顔がある。

「俺だ…」

「そうです」

「死んでる…俺は死んでる…じゃああなたは死に神なのか?」

 くるりと振り返った男が少し首を傾げながらモモンガに問うた。仕方ないだろう。死んで骸骨の顔をした何かに出会ったら死に神と想像するのは死に神の概念を持つ者の定めだ。

 けれどもう何回もかつての仲間に「死に神?」と言われているモモンガは若干ウンザリしたような溜息を吐きつつ首を横に振った。

「いやだからモモンガなんですって。説明しますとですね…」

 モモンガは骸骨の顔をかりかりかきつつ、喧噪の中もう八度目になる説明を男に語った。即ち自分はユグドラシル終了と同時に異世界に転移した、そこで元気にやっている、そこには男が創造したNPCがいる、世界の状況は大体中世くらいで自然がいっぱいでこことは大違い、そんなことである。

 暢気な説明に反して辺り一帯では悲鳴と怒号と断続的な爆発音が響いている。そんな中でもモモンガが動じずに説明できたのは彼にとってこのような戦いはここ数ヶ月で慣れたものだったからであり、男が動じずに説明を聞けたのは死んだがために現実が酷く遠いものに感じられたからだった。一人のアンデッドと一人の幽霊は飛び交う銃弾が体を通り抜けるのも気にせずに話し続けた。ちなみにリュウズは近くの瓦礫の上に寝転がって二人の会話をじっと聞いている。

「―――というわけで、俺は今皆の所に行ってこっちに来ないかって誘ってる所なんです」

 モモンガがそう言って説明をしめくくると、まるで物語のような話をされた男は呆けかけた表情で「はぁ」と相づちを打った。

「なんだか壮大な物語ですね…」

「事実なんですけどねコレ。で、どうですか。ここで死んでどことも知れぬどこかへ行くか、それとも俺と仲間と一緒に異形の身になってこっちに来るか。どうしますか。というか、一緒に来ませんか」

 モモンガの問いに、男は呆けた表情を終い少し考え込む。数分も黙って考え込んだ後、彼は一転して寂しげな笑みを浮かべて答えた。

「お誘いは嬉しいんですけど、申し訳ない。行けません」

 男の答えを聞いた瞬間、モモンガの眼窩の炎がふらっと揺れた。まるで涙で目が潤んだかのように。

「……それは、ご家族がここに居るからですか」

 絞り出した、という表現が相応しい声がモモンガの口から紡がれる。詰まって苦しむ喉も、熱くなる目元も、痛む胸もないというのに、彼の声には苦しさがあった。けれど同時に少なからぬ諦めの色もあった。彼は問いかける前からわかっていたのだ。この男にはたぶん断られるだろうなぁと。だって彼には鈴木悟が手に入れられなかったリアルでの幸せを掴んでいたから。彼にはリアルに帰る明確な理由があったから。

 けれど、それでも真摯に真剣に誘いたい程、モモンガにとって目の前の男は大切な友であった。だから誘ったのだ。断られることで痛みを覚えるとわかっていても、モモンガにははじめから誘わないという選択肢は存在しなかった。

 男はモモンガの内心をわかっているのだろう。申し訳ない、ともう一度呟き、小さく「うん」と頷いた。

「妻は暫く前に亡くなったけど、娘がまだ生きてるからね…せめて、娘が死ぬ時までは一緒に居てあげたいなって」

 何も為せなかった。何も残せなかった。ならばせめて娘だけでも見守りたい。

 父親の顔をしてそう言った彼に、モモンガがかけられる言葉はない。彼は子どもを持ったことがない。父親になったことがない。だから男の内心も、適切な答えも、わからないのだ。だから彼には沈黙するしかなかった。

 けれど沈黙を選択せざるをえなかったのはモモンガだけらしい。

「ちょっといいかしら」

 しんみりした会話に別の声が割り込んできた。声の主はモモンガの後ろでじっと話を聞いていたリュウズだ。モモンガが振り返り、男はモモンガの後ろをのぞき込むようにして瓦礫の上にいる大きな異形を見、目を丸くした。

蛇女種(ラミア)?」

「正確に言うと神羽蛇種(ケツァルコアトル)です。名前はリュウズさん。リュウズさん、どうしましたか?」

「今、その方、娘さんの側に居たいって言ったわね」

 白い指先が男をついっと指さす。人差し指を向けられた男はためらいがちにこくりと頷いた。

「そうですが」

「会えないわよ。どう頑張っても、娘さんに会いに行く前にあなたは消滅する」

 リュウズはすっぱりと言い切った。その言葉に男の目が丸くなり、モモンガの口がぱかっと開く。

「何故言い切れるんですか」

 モモンガの問いに、リュウズはさらりと言い切った。

「だってこの人厳密には幽霊じゃないもの。幽霊になれるほど、あなたの魂はもう強くない」

 リュウズは答えつつ視線を幽霊の男の足元をに向けた。釣られて男とアインズが見た先には、大きなヒビがあった。まるで陶器に入ったヒビのような、大きなヒビが。

「なんっ!?」

「そのヒビね、魂が壊れかけってことを示してるのよ。

 何があったかは知らない。けど、これだけは言い切れる。この人絶望しかけてる。だから魂が壊れかけているのよ。もしかして娘さんも不治の病とかになっているんじゃない?お先真っ暗とか思ってるんじゃない?」

 オパールの目が光を揺らしてじいと男の顔を見る。幽霊の身であるから血などないはずなのに、彼の顔は一瞬で白くなった。

 図星、という言葉がモモンガとリュウズの脳に過ぎった。同時にぱきりという渇いた音がして、男の体に入るヒビが大きくなる。音も無く崩れ落ちた男に、モモンガは驚きの目を向けることしかできなかった。

「奥さんを亡くした。娘さんも長くない。警察官なんてやってたんだからあなたは富裕層ね。でも見たところ富を貪る搾取者ではないご様子。てことは搾取する側と搾取される側の板挟みに遭った方ね。お可哀想に。

 そんな方であればこの腐った世界に希望なんて見いだせないでしょう。そんなあなたにとってきっとご家族は唯一の生きる希望だった。けれどもうそれも長くない。だからあなたにこの世に残る理由なんてほんとはもう無いのよ。

 なのにあなたはここに残りたいと言う。娘さんを見守りたいという気持ちが嘘だとは言わないけど、それは最大の理由ではないわ。だったら今のあなたの魂にそんな大きなヒビ(ぜつぼう)が入ってるわけないもの」

 つうっとオパールの目が細められる。まるでかわいそうなものでも見たかのように。まるで不快なものでも見たかのように。

 

「あなたは立ち上がるのをやめている。行動することを諦めている。だから残りたいなんて言葉が出たのよ」

 

 リュウズはその目をついと動かし、固まっているモモンガをじいと見つめ、言い切った。

 

「彼が自分で立ち上がらない限り、彼を連れてはいけないわ。彼は何にもなれないわ」

 

 モモンガは手を伸ばせる。リュウズはその手が届くように長くできる。けれど、その手を取らせることはできない。手を取るか取らないか決めて行動できるのは、当人だけなのだから。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

名無しの誰か 63 失敗
名無しの誰か 34 成功

成功5、失敗2

たっち・みー 友情補正で+30 87 失敗

タブラ・スマラグディナのクリティカル報酬を使用し、再ロールします。

+30補正で失敗されるとおへびさん困っちゃうYO。


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第8話

 たっち・みーという男はゲームでもリアルでも完全に勝ち組カテゴリに属する男である。

 世界の半数以上の人間は彼の人生の概要を聞いて羨むか嫉妬するかするくらいには恵まれた人生を送ってきた男である。

 けれどそれは絶望と縁が無いという訳ではない。生まれた人間が必ず死ぬように、幸福の影には絶望が必ず息を潜めて獲物を狙って目を光らせている。

 

 高い山に登り切ればあとは下るしかないように、彼の幸せはある時を境に崩れていった。といっても彼の崩壊と絶望は、例えばモモンガのような貧困層から見れば「舐めてんのかお前は」と怒りマックスで殴られるようなものだった。

 

 あこがれた警察官の実態は単なる富裕層の肉壁だった―――子を養えるほどの給料と適度な余暇が得られる職なだけよいではないか。

 美しい妻はこの世界では逃れ得ぬ肺の病に係り命を落とした―――そんな病は貧困層では珍しくない。

 愛しい子どもの体に逃れ得ぬ不治の病が見つかった―――そも生きて生まれただけ恵まれている。

 

 富裕層の不幸と絶望は貧困層にとっての当たり前でしかない。だからモモンガはたっち・みーの状況を聞いて「なんでそんなことで」と思った。だってそれは彼にとっては身近なことだったのだ。当たり前のことだったのだ。仕事に満足できないことも、家族が居なくなることも、自分の力で現実がどうしようもないことも、彼にとっては膝を屈する理由ではなかったのだ。

 だからモモンガは思わずそう言おうとした。そんなことで絶望なんてしてたら馬鹿みたいじゃないか、いやあなたは馬鹿だ、と。しかし、それを口にしようとしたモモンガを、たっち・みーを糾弾するような台詞ばかり吐いていたリュウズが片手を上げて静止した。

 

 曰く、絶望というのは人それぞれだから「そんなので絶望するなんておかしい」なんて言えるわけがない。

 恋に破れてビルから飛び降りる人がいる。

 家族が死んで飲まず食わずになる人がいる。

 いじめられて首を吊る人がいる。

 就職に失敗して電車に飛び込む人がいる。

 仕事が嫌で、お金がなくて、人生が退屈で、命を諦める人がいる。

 

「絶望と幸福の尺度なんて人それぞれ。人が自ら命を絶つ理由、生きることを諦める理由なんて千差万別。だから、彼に君の価値観を押しつけても意味ないわ。おやめなさい」

 

 そう淡々と口にするリュウズの目には凪ぎきった知性と理性があった。

 彼女は人間として生まれながらも人成らざる者に変じ、変じた上で人がその生涯で目にすることの無いものを多く見てきた。だから知って理解もしているのだ。目の前で膝を折った男の人生がどれほど幸福であろうとも、その幸福を全て塗りつぶす絶望があることを。他人にとっての当たり前が当人にとっての絶望となりえることを。

 人間としての自分をとうの昔に摩耗で失い、公平な定規のみを手元に残した彼女は、人の幸福と絶望が他人によって測れぬ主観的なものだとよくよく理解しているのだ。手元の定規が意味のないものだとわかっているのだ。

 けれどモモンガにはわからない。彼はまだアンデッドに()()()()だから。彼の心にはまだ鈴木悟の残滓があり、それが叫んでいるから。そんなの絶望とは言えない、と。それで膝を折るのは、全てを諦めるのはまだ早すぎる、と。

 たぶん、それを言わせなかっただけリュウズ(かみさま)は優しかった。それは口にしてしまえば永遠に取り返しの付かない断絶となり得る一言だったから。

 

 モモンガは言葉を押さえられ、必死に考える。こんなのあんまりだ、きっと何か、まだできることがあるはずだ、と。

 そこにはたっち・みーを異世界に連れていって昔のように仲良くするという目的はもう無かった。モモンガはそれを一時期放り出してまで、かつて自分を助けてくれた友をなんとか助けたいと願い、必死に頭を働かせた。

 けれど、必死なモモンガの前でぱき、ぱき、と渇いた音を立ててたっちの体が崩れていく。魂というものが壊れる音は、聞いていて気持ちのいいものではない。

 周囲の戦闘音はすっかり止んでいる。おそらくはどこかで膠着状態にでも陥っているのだろう、会議場の高くて遠いところからメガホン片手に言い争うような音が断続的に聞こえるだけになっている。だから渇いた破砕音は酷くはっきりその存在を主張している。そんな音聞きたくないとばかりに、モモンガは白い骨の手をぎゅっと握って顔を上げて叫んだ。

「……っ、たっちさん!リュウズさん!」

「な、んですか」

「はいなんですかモモンガくん」

 一つ目の返答はたっちの、二つ目の穏やかな返答はリュウズのだ。モモンガは二人のうちリュウズの方に顔を向けた。その眼窩の奥の赤い炎が、あかあかと、赤々と燃えている。

「たっちさんのことはわかりました。でも、だったら最後に娘さんに会わせてあげたいんです!」

 その声に、言葉に、たっちは顔を上げてモモンガを凝視した。まさか、とか、うそだろ、とか、そんなことが本当に…?とか、そういった言葉が彼の顔に書かれている。

 対してリュウズはひょこりと肩をすくめて首を振った。

「モモンガくん、今私が言ったことを聞いていました?あのね、その人もうここから動かすのも危ないの」

「でもあなたならできるでしょう」

「できるできないって話じゃなくて、しちゃいけないの」

「できないんですか?」

「……」

「ここで死んだ人を、ここじゃないところに連れていくことは、できないんですか?」

 問いの形を取っていたが、モモンガの顔には確信の色があった。

 

 ―――できないとは言わせない。

 

 ―――だってあなたはずっとそれを対価に俺が足掻くのを見て楽しんでいる。

 

 モモンガは最初から答えにたどり着いていた。そのことに、問われて気づいたリュウズは少しだけ目を見開き、直後深いため息を吐いた。

「モモンガくん、卑怯よ、それ」

「何とでも言って下さい。それで、できるんですか、できないんですか」

「えーえーできますとも。可能ですよ。行くところが異世界からこっちの世界な分楽なものです。その分魂にかかる不可も少ないですしね。

 でも、だいぶギリギリになりますし、ほんとギリギリになりますし、いずれ消える魂にそんなことをしても意味はないとは思いますよ?それと、向こうに行かないのならば判定は失敗としますよ?」

 リュウズの目がたっちの体を見ると、彼の体の胸辺りまで大きなヒビが入り、頬の辺りにも細かなヒビが入り始めていた。これほどわかりやすい「崩壊間近」な様子はそう見られるものではない。行き交う言葉と視線を感じ縋るような目をして顔を上げた男に、モモンガは骸骨の顔に笑みの雰囲気をのせて優しく手を伸ばす。

「たっちさんが満足できるなら俺はそれでいいです。失敗でもいいです!さ、たっちさん、娘さんに会いに行きましょう!」

「も、ももんがさん…」

「さぁ早く!聞いてたでしょう!?時間ないんです!」

 白い手が待ちきれないとばかりに手を伸ばして男の手首を掴み、引っ張り上げる。もしも彼らに余裕があれば、この構図がかつてたっち・みーがモモンガを助けた時と同じものだと気づいたかもしれない。

 けど、気づけなかったことは不幸なことではない。何故なら気づいてしまい、この後のことに少しでも希望を持ってしまえば、

 

 その先に横たわる巨大な絶望に、心を木っ端微塵に砕かれていただろうから。

 

 



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第9話

ダイス目は後書きで書くようにしているんですけど、今回は読む人の心の準備のために前書きで書いておくことにします。

タブラ・スマラグディナのクリティカル報酬を使用しての再ロール

たっち・みー 友情補正で+30 98 ファンブル


 モモンガが壊れかけの手首を掴み、引き上げて抱きかかえる。モモンガではなく鈴木悟であったら間違いなく不可能な動きだ。急激な動きと視界の変化に対応できず、うわっという小さな声がたっちの口から僅かに漏れた。

 そのままモモンガが瓦礫の上に寝そべるリュウズの方に歩み寄ると、彼女はもう一つ溜息を吐いて「しょうがないなぁ」と呟き、羽ばたいて空中に浮かび上がるとモモンガの体を掴んで上昇した。瞬く間にいくつもの階をすり抜けて会議場の外に行く。外にはテロ組織のものだろうか、多数の黒いバンが乱雑に止まってバリケードモドキを作り上げていた。警察隊がその外で突入の機を伺っている。

 つい数十分前までそちら側の人間だったからだろうか、たっちは複雑そうな目で眼下の緊迫した状況を見つめた。けれど死んでしまった彼には何もできない。たっちは彼を抱えるモモンガの骨の腕の上でぎゅっと手を握り、眼下の抗争から目をそらした。

「たっちさん…」

「いいんです…もう、私は死んでますから」

 彼は生者の活動に口を出せる身ではなくなった。だからこそ最後の最後で求めるもののために仲間の緊迫した表情を背にして神と死の支配者を借りて娘に会いに行っているのだ。彼に残された時間はあまりにも少ない。寄り道している暇なんてない。

「娘さんがいる所は病院でいいのよね」

「ええ。病室は―――」

 たっちは顔を上げて詳細な病室の位置を伝えた。病室の番号ではなく別棟の何階の右から何番目の窓、と答えたのは彼ができる人間であることの証左かもしれない。彼らは正面玄関から入り面会手続きをして会いに行くわけではないのだ、何号室などと答えても意味が無いのだから。

「わかったわ」

 たっちの答えに一つ頷いて了承したリュウズが羽ばたきの間隔を短くして空を飛ぶ。地上を行けば会議場を中心とした混乱も相まって着くのに相当時間がかかっただろうが、空を直線距離で行く彼らには関係のないことだ。

 たくさんの車が乱雑に止めてある。外に出ている人もいる。携帯電話で連絡を取ろうとしている人もいれば近くの人と口論のようなことをしている人もいる。全体的にやかましい。だからモモンガもたっちも彼らの上で風に紛らわすようにしてリュウズが呟いた言葉を聞くことができなかった。憐れみの滲む僅かな声を聞き取ることができなかった。

 

 

 

 

 

 病院に着くと、ここはここで混乱していた。少し考えればわかるだろう。会議場であれだけの爆発があったのだ、そこで発生した怪我人がほぼピストン輸送で運ばれてくることなど想像に難くない。会議場での直接の被害者のみならずその混乱で発生した交通事故の怪我人などもおり、病院は外から見ただけでかなり混乱していることがわかった。

「随分混んでますね」

「テロがあったから仕方ないです」

 そんなことを男二人が話す中、ばさりばさりと羽ばたくリュウズは目的の病室を見つけて頭から突っ込んだ。頭から突っ込んでも実体が無いから怪我などしない。彼女の体の下でモモンガとモモンガに抱えられたたっちは反射的に身を固くしたが、そんな彼らもアッサリ壁をすり抜けて病室内にダイレクトお邪魔しますをぶちかました。

「ほい到着」

「うわっぷ」

 そのままポイとモモンガを放り出す。骨の身はゴロゴロと床を転がり、さらに廊下の方に壁を越えて転がっていった。少しばかり滑稽な姿だ。部屋の隅にとぐろを巻いて身を落ち着け、転がっていった方を見てくすくす笑っているとモモンガはたっちを抱えたまま壁をすり抜けて帰ってきた。

「ひどいですね」

「サービスしてるんだからこれくらいはご容赦頂きたいわ。それで、ここであってるの?」

 リュウズの目が目を回しているたっちに向かう。たっちは少し頭を振って目眩を振り払うとベッドの上を見て頷くと同時にモモンガの腕を振り払ってベッドに駆け寄った。

 ベッドの上には小さな人間がいた。大人用のベッドに横たわっているからか余計に体が小さく見える。

 たっちはその小さな人間の側に駆け寄った。「お父さんだよ」そんな声が、リュウズと同じく部屋の隅に寄ったモモンガの元にも聞こえてくる。

 モモンガはそれを見てしみじみ思った。ああ残念だ、と。

 たっち・みーはモモンガの恩人だ。愛する世界で倒れ付して消えかけていた時に、守って手を伸ばしてくれた救世主だ。そんな人間を自分の愛する世界に連れていってまた一緒に居られないのは、正直、ものすごく残念だと思う。

 それと同時にモモンガは満足もしていた。傷ついた恩人の、その消滅の間際にでも、彼の望むことができた、恩返しが少しでもできた、よかったなぁ、と。

 おそらく娘の名前であろう女性の名前を繰り返すたっちの声を聞きながら、モモンガは小さく息を吐く真似をする。そこに安堵の色をのせるために。

(誘うのは失敗したけど、これでよかったんだ。うん。たっちさんもこれで笑って逝けるだろう)

 モモンガは心の底から安堵する。わき上がる満足感と達成感に身を浸す。『困っている人を助けるのは当たり前』。その言葉を胸に生きた男に最後に同じ形で恩返しができた事に、心持ち胸を張りすらした。

 

 それは大きな間違いだというのに。

 

「―――」

 娘の名を呼ぶたっちの声に、すぐに愛情以外の感情が表れた。困惑。焦り。恐怖。悲しみ。瞬く間にマイナスの感情があふれ出し声に満ちた愛情を塗りつぶす。

「なんで、なぜ」

「どうしましたか」

 たっちの異変を素早く感じ取り、モモンガはベッドに駆け寄った。眼球の無い骸骨の顔が、そこに横たえられている娘の顔を確認する。奥さんに似たのかあまりたっちには似ていない、おそらくは可愛いのであろう女の子がそこにいた。

 おそらくは、という言い方をしたのは、お世辞でも彼女の状態がよいとは言えなかったからだ。青白く荒れた肌。こけかけた頬。髪の代わりに頭部を覆う帽子。伸びた点滴。ベッド用品が明るいもので揃えられた分状態の悪さが引き立つ彼女の、その唇はあまりに青い。

 そして、体は眠っていることを差し引いてもおかしいくらい動いていなかった。

「まさか…」

「―――、お父さんだよ、―――!ああ、先生は、ナースコールを、起きてくれ!頼む、―――!」

 血を吐くような叫び声とはこのことを言うのだろう。彼はすり抜ける手を何度も娘の肩に伸ばした。だが掴めない。ならばとベッドサイドに取り付けられたナースコールに手を伸ばす。だがすり抜ける。霊体となった彼に、この世界に干渉する術はもう無いのだ。

 くそ、ああ、なんで―――そんな言葉とも言えぬ何かが男の口から際限なくこぼれ落ちる。言葉の合間にぱきぱきという音がして、男の体がまるで砂の城のように崩れていく。ぼろぼろと身を崩す中、彼は必死の形相でモモンガに掴みかかった。

「モモンガさん、お願いです、娘を助けてください!」

 言われる前にモモンガは思わずと言った様子でナースコールに手を伸ばし骨の指でボタンを押し込んでいた。だが誰かが来る気配はない。何故、と男二人が顔を見合わせる中、リュウズがぽつりと言った。

「テロがあったから皆救急患者の対応で出払っているんじゃないかしら」

 非情なことに彼女の言葉は真実だった。ローブの裾をはだけさせてモモンガが駆け込んだナースステーションには人の姿は何もなく、ただナースコールの受信を示すランプの光とブザー音だけがその空間を占領していた。

「そんな」

 そう呟いたのは、たっちとモモンガのどちらだったのだろう。二人ともだったかもしれない。

 けれど呟いたところで何も変えられはしない。起こってしまったことは、人間には変えようがない。

 止まってしまって時間の経った心臓が再び動き出すことはない。

 

 失われた少女の命が、戻ってくることはない。

 

 ぱきり、という音がばきり、という音になる。「たっちさん!」という焦りの中に酷く取り乱した後悔の色滲むモモンガの声が、戻ってきた病室に響く。骨の顔の奥に灯る炎は、娘の体に手を伸ばし、その指先からぼろぼろと崩れ消えていく恩人の手を見た。顔を見た。顔に入った大きなヒビを、見てしまった。

 

「たっちさん、待って、そんな」

 

 モモンガはたっちの肩を掴んだ。崩壊していく砂の城を、なんとか掴んで形を留めようとするように。

 

 ―――絶望を見せつけたかったわけじゃない。最後に少しだけ幸せをあげたかったのに。すぐに崩れ落ちるその顔に、ただどうしようもない諦めの表情じゃなくて、満足で穏やかな表情を浮かべて欲しかっただけなのに。

 

 感情は、言葉は、モモンガの空っぽの頭蓋の中で響くばかり。声にすらならない。感情を選び、言葉を選び、言語として組み立てようと頭のどこかが一生懸命稼働する。けれどそれが満足な結果を生み出しモモンガの口に言葉を載せる前に、

 

「―――」

 

 モモンガの前で、娘の死に顔を凝視して、男の魂はばきんと割れて、散って消えた。

 

 

 

 

 

「どうする?やめる?」

 夢破れ愛しい娘の命に触れることすら能わなかった男が消え去って暫く。呆然と立ち尽くすモモンガに、一つの声がかけられた。部屋の隅で待っているリュウズの声だ。

 返事は無い。立ち尽くしたままだ。二人ぼっちになった故か、『観察者の目』の効果を遺憾なく発揮して時の止まった空間で、リュウズは何度目かもわからぬ溜息を吐いた。

 彼女は知らなかった。たっちと呼ばれる警察官だった男の愛娘がもう死んでいたなんて。けれどなんとなく嫌なことがありそうだなとはわかっていた。だって彼は今までの人生で幸せな男だったらしいのだ。今際の時を過ぎて尚幸せに振り切れすぎていた彼に、その振り切れた分の返済が来ることは、何となく予想がついていた。

 だから渋ったのだ。彼女は他人の失意や絶望を笑う趣味はない。絶望で砕け落ちる人間の顔なんて、好き好んで見たいものではない。だからこうなる可能性を考えて、あの場で渋ったのだ。

 けれどモモンガは選択した。選択の結果がこうなったのは残念なことだ。けど、それでもこれは彼の選択の結果なのだ。ただ消えるだけだった魂に、ただ消えるだけではなく絶望を叩きつけたのは、彼の選択の結果なのだ。

 

 であれば彼にはそれを受け入れる義務がある。

 

 消えていった魂のその顔に刻まれた絶望を、胸に抱える義務がある。

 

 けれどそれは、先に進む義務と同義ではない。

 

「どうする?やめる?」

 

 絶望で膝を屈するなら彼女はそれを止めはしない。残念だなとは思うけど、それだけだ。

 絶望で立ち止まり、崩れ落ち、その結果賭けている最中の己の命と、今までの交渉で断った二人の仲間の命を消すに任せると言うのなら、それはそれで受け入れる。だってそれはプレイヤーの選択だ。プレイヤーの選択を決定を、ディーラーは、マスターは、邪魔は出来ても止められない。

 だから彼女は何度でも問う。答えが出るまで。

 

「どうする?やめる(死ぬ)?」

 

 無慈悲な問いかも知れない。けれどこの場に来たのはモモンガの意思だ。彼の選択だ。だから、彼女は、問うことを決してやめはしないのだ。彼が答えを出すその時まで。




ダイスの女神は無慈悲に笑う
にしてもここまで無慈悲だとは流石の私も思いませんでした


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第10話

前回のあらすじ

たっちさんバッドエンドルートでダイスの女神が高笑い


 死獣天朱雀が目覚めたのはナザリック地下大墳墓第十階にある最古図書館(アッシュールバニパル)の閲覧室の机の上だった。まるで本を読んでいるうちに眠気に勝てずに机に突っ伏してしまったような体勢で、彼はこの世界に現れた。

「んん…?」

 突っ伏した状態で彼は目を開く。ぼんやりする視界。眠気に似た気怠さがまといつく身を起こしながら、僅かに目眩の残る頭を押さえる。

(私は、一体)

 混乱する思考。混線する意識。それらが落ち着くのを待って辺りを見渡した彼は、そこが数年前に名残惜しく去って行ったはずのゲームの中の拠点であることに気づいた。けれど存在感が全然違う。ゲームの中では結局は電子情報である故に現実に比べどうしても薄っぺらさが抜けなかった図書館が、天井に届く本棚が、そこに納められた数多の情報が、彼に自分が現実に存在しているものだと身を起こした死獣天朱雀に告げている。

 受け入れがたいものから、彼は思わず目をそらした。反射的な行動だ。仕方ない。けれど彼の周囲は三百六十度図書館である。故に彼が目を向けた先は下、即ち自分の体だった。

 見下ろした体は赤と金で彩られた派手な中華風の服を纏う人間の体だった。だが覚えている体とは全く違う。現実の体は老いて萎びて細く薄くなっていた。対してこちらは筋肉のある肉体だ。思わずぺたりと触れてみれば、確かな感触が手のひらにかえってきた。

 

 ―――ユグドラシルでの姿で、異世界に行きます。

 

 眠る直前に聞いた、優しくて、どこか悲しみの残る友の声が頭蓋の中にふわりと蘇る。もはや生命活動を維持できぬ肉体が、今際の際に見た死に神の夢が、彼の脳裏に蘇る。

 なんと滑稽な夢だ。滑稽で、愛しい夢だ。彼は死の匂いが染みついたベッドの上でそう思った。そんな夢に連れて行かれるなら本望だ。そう思って、彼の言葉に頷いた。

 夢だと、思っていた。

 思っていたのだけれども。

「……ゆめじゃない?」

 思わずぽつりと呟けば、口が、嘴が動く感触があった。手を上げて顔に触れる。ぺたりぺたりと形を確かめるように触れていけば、自分の頭が人間の頭ではなく鳥の頭になっていることを確認できた。

 

 間違いない。DMMO-RPG『ユグドラシル』での己のアバターの姿だ。

 

「え、うわ…」

 歓喜と困惑が全く同じ量混じった表現に困る声が、自分の口からぽたりと滴った。

 ゲームは辞めた。辞めざるを得なかった。ニューロンナノインターフェイスによるバーチャルダイブに体が耐えられなくなったから。

 医者は言っていた。これ以上バーチャルダイブをすればナノマシンの負荷で脳細胞が破壊されてしまいます、だからやめてください、と。

 ユグドラシルは好きだ。けれど死ぬと言われてしまえば辞めざるを得ない。惜しまれながら引退したことは、よく覚えている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と知って心の一部でほっとしてしまった程度には好きなゲームだ。体の不具合無くそこで遊べる友たちに年甲斐もなく嫉妬感情を覚えていた。老いた身を内側から焦がす嫉妬の炎がこれで消えると、病床で安堵したのは記憶に新しい。安堵した直後に自分の中にあまりに未熟な嫉妬心があることに気づいて愕然とした記憶も、新しい。

 

(ギルド最年長が聞いて呆れる嫉妬心だったな……)

 

 ふふ、と鳥の頭で笑う。上がる口角は無いけれど、今自分は笑顔を浮かべていることはよくわかる。

 ひとしきり自分の浅ましさを笑った後、死獣天朱雀は小さく「よし」と呟いて自分に活を入れた。図書館は大好きだがいつまでもここにいるわけにもいかない。外に出て、世界を見てみようじゃないか。

 精密な装飾が施された椅子を引き、立ち上がる。そこで初めて自分が枕にしていた本に気がついた。ユグドラシルプレイヤーがプレイを始めると同時に一人一冊もらう百科事典(エンサイクロペディア)だった。開いてあるページには、勇ましい鳥とも人ともつかぬものの絵が描かれている。付いているタイトルは『鳥人』。アインズ・ウール・ゴウンでいえば大体においてペロロンチーノを指す言葉だけれど、この死獣天朱雀も鳥人である。それを主張するように開かれたページに死獣天朱雀は小さくくすりと笑ってページを閉じた。

 

 

 

 図書館を出る時に図書館の守人たる司書達とばったり出会い盛大に喜ばれた。彼らの創造主は死獣天朱雀だったから当然だ。その喜びは死獣天朱雀がモモンガから聞いていて想定していたレベルを遙かに超えるもので、人生の大半を「先生」と呼ばれ頭を下げられることの多かった死獣天朱雀をして戸惑わざるをえないものだった。

「つ、つかれた…まさかここまでとは…」

 至高の御方、我等の主、いと尊き御魂、眩き玉体、エトセトラ。他人を褒めるその語彙力はどこで養ってきたんだと首を傾げたくなるほどの賛辞を受け、あまりに身に合わない賛辞を重ねられすぎて逃げるように図書館から出てきた死獣天朱雀がナザリック内を歩いていると、出くわす者皆に「また至高の御方が戻られた!」と胴上げされる勢いで喜ばれた。

 そんな彼を助けてくれたのは先にこちらに来ていた仲間だった。名をぬーぼーと言う。彼は群がられて困っていた死獣天朱雀をそのスキルを使用してさらりと攫い、第六階層の巨大樹まで連れてきた。何故そんな所に連れていったかと言うと、そこにブルー・プラネットがいるからである。屋外を見てからずっと屋外で生活したがる彼と彼が屋外で生活することを選べばたぶんそのままどこかに行って消えてしまうと焦ったナザリックシモベ勢の妥協点がそこにはあった。

「お久しぶりです、朱雀さん」

 四大精霊が一つ風の精霊(シルフ)がログハウスの前で嬉しそうに飛び跳ねる。彼が一つ跳ねる事に青々とした草の香りが鼻先をくすぐって消えていくのを感じながら死獣天朱雀はふわりと優雅に一礼した。

「お久しぶりです、ブルー・プラネットさん」

「あなたもこちらに来たんですね。うれしいなぁ。外見ました?すごいんですよ!俺が見たかった自然がいっぱい!」

「行く前にこちらに連行されました」

「表に行くってなったら皆泣き出すからなぁ。暫くは我慢した方がいいぞ」

 ぬーぼーが困ったように肩をすくめる。実際少しばかり困っているのだろう、彼はログハウスの中の木の椅子にどかりと座りこみながら「窮屈でならん」と呟いた。

「お二人ともこの状況のことをよくわかっているので?」

 視線で勧められて同じように椅子に座った死獣天朱雀が問うと、二人は曖昧に頷いた。

「ある程度はってところですかね。ユグドラシルのアバター姿で異世界に来た、ゲームの力をそのまま使える、こっちにはこっちの社会があって、自然があって、自然がある、くらいかな」

「おい重なってるのあるぞ。俺が知ってるのはモモンガさんが俺達がこっちの世界に来てたら見つけやすくなるからって理由で『アインズ・ウール・ゴウン魔導国』なんてもんを建国したってことか」

「モモンガさんってたまに思い切ったことやりますよね」

 ブルー・プラネットが楽しげに笑う。モモンガ本人は自分のことをしょうもない没個性人と思っているようだが、そんなことは当人しか思っていない。ギルドメンバーはモモンガの状況対応能力に一目置いていた。その状況に必要な手であれば躊躇無くその手を取れるという決断力の高さも素晴らしいと思っている。というか、じゃないとギルドマスターに全員一致で推されたりなどしないだろう。

「ああ。けど建国よりもこの異世界転移ってやつのがすごいわ。なんだこれ。あの人マジで死の支配者になってるよな、あれ」

「名は体を表すというか、体が名に身を合わせたというか。とにかくすごいことですね!」

「すごいと言えば、あの蛇と鳥の異形さんは誰だったんだろう?」

 鳥の首を傾げ、死獣天朱雀が呟く。病床から動けなかった故あまり見えなかったがモモンガの後ろに確かにいた女人だ。少なくともナザリック内で見たことは無い。

 死獣天朱雀の疑問に答えたのはぬーぼーだった。あちらの世界で死ぬ前に少しだけ会話したらしい。

「ギルド『翼持つ人々』のギルドマスターだった人だとさ。こっちの世界に千年前に転移してきた人らしい。人っていうか、神羽蛇種(ケツァルコアトル)なんだが」

「あの奇人変人集団の?」

「そう。額にアクセサリーあっただろ?あれ、世界級アイテムなんだってさ。あれであっちの世界とこっちの世界を行き来して、モモンガさんが仲間を呼ぶのを手伝ってるらしい」

「モモンガさんのことが好きなのかな」

「そういう雰囲気じゃなかったような気がするけど…」

 モモンガの話を聞いて二秒で頷いたブルー・プラネットは当たり前だが彼女とは会話していない。けれど、そういう雰囲気の二人とは思えなかったというのは確信を持って言える。

 うーん、と三人で唸る。男三人が頭を付き合わせて男女の仲を考えても明確な収穫を望める可能性など無きに等しいというのに唸り続ける。

 彼らの成果無き探求はその後、数時間後に「そ、そろそろ、夕飯の時間です…」とマーレが呼びに来るまで続けられたのだった。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ク・ドゥ・グラース 04 クリティカル
死獣天朱雀 56 失敗

ク・ドゥ・グラースのクリティカル報酬を使用し、再ロールします。

死獣天朱雀 29 成功

成功7、失敗3


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第11話

 これはきっと夢なんだ。男はそう思った。だって一週間前に終わったはずのゲームの、しかも友人のゲームのアバターが目の前に立ってるのだ。どう考えたって幻覚の類以外に該当事案が思いつかない。

「睡眠時間二時間は流石にダメだこれ。あはは。病院行かないと。病院行くためにお金稼がないと。仕事に行かないと。今日は眠れないなぁ。あれこれループ?むしろ悪くなってる?うわぁ」

 あはは、あはは、と男は渇いた笑みをだらだらと唇から際限なく垂れ流す。その顔色は生者であることが疑わしいほどに悪く、目の下には空に立ちこめるスモッグの如く真っ黒な隈が何年も前から描かれている。消える気配は微塵も無い。

 今日もきっと眠れない。男はもう一度そう言うと、自室のデスクの横にある栄養ドリンクの瓶の山の中の未開封の瓶に手を伸ばした。ラベルには「栄養ドリンクで元気に仕事!今ならシールを集めてお皿が当たる!」という文言がコミカルなイラストとともに描かれている。百回は応募できるくらいこの商品を買ったが、男は一度もこの懸賞に応募したことはない。たぶんこれからもないだろう。何故なら男はもう栄養ドリンクの瓶を手に取れないからだ。

「あれ?」

 伸ばした手は何も掴めなかった。瓶をスカッと通り抜ける。どうやら自分の目は幻覚を見るどころか現実すら見なくなっているらしい。たいへんだ。これでは仕事に行けないではないか。

「ドリンク飲まないとやってられないんだけど。まぁいいや。仕方ない」

「それはこっちの台詞です!」

「あれ幻覚が喋ってる」

 男の前に回り込み、骸骨がぱかりと口を開けて叫んだ。骸骨なのにどこから声が出ているんだろう。不思議だなぁ。そんなことを考えつつ、男は幻覚に場所を譲って体をひねりながら居間から出ようとした。けど、その前に右手を掴まれた。満足な栄養を取れずに骨のように細くなった手を。

 掴んだのはもちろん幻覚だ。おかしなことに幻覚なのに自分に触ってくる。どうしてだろう?バグかな?そんなことを考える男の前に改めて回り込み、骸骨はその眼窩の奥の炎をめらめらと燃やしながら、男に言い聞かせるように、かつ叩きつけるように叫んだ。

 

「いいですか、ヘロヘロさん!あなたもう―――もう、死んでます!死んでるんです!」

 

 ヘロヘロと呼ばれた男はこの瞬間心の底から思った。「白骨死体に言われる筋合いはない」と。

 

 

 

 

 どうあっても焦点の外れかけた目で現実を見てくれないヘロヘロにモモンガは力業での説得を敢行した。即ち骨のように細く(モモンガ)よりも圧倒的に力の無い男の体をひょいと持ち上げ、部屋の椅子の上で動かない男の肉体の前に立たせて見せつけたのである。合成食料と栄養ドリンクによる保存料のボディーブローが効いているのか、男の死体は腐ることなく萎びしおれていた。現代薬品の勝利である。

 それでようやく自分が死んでいることを自覚したヘロヘロは同時にモモンガの言葉を全面的に信じた。即ち彼がユグドラシル終了と同時にどことも知れぬ不思議な異世界に転移し、その際人間を辞めて死の支配者(オーバーロード)になり、NPCは意思と命を持って動き出し、その世界は環境破壊のかの字もなく美しく、魔物と異形が跳梁跋扈するサバイバル世界であり、現在モモンガはそこへかつての仲間達を勧誘して回っている、という事である。普通であれば説得に時間がかかる所だが、ミイラ化が始まりかけている自分の死体がある部屋で話を聞けば信じるしか無いよなぁとヘロヘロは思った。彼はプログラマーという科学的な仕事に就いているが、決してオカルトを非科学的と一律に排除する人ではないのである。

 そして、だからこそ彼は気になった。骸骨の顔に幻の汗を浮かべながら自分を必死に異世界に誘うモモンガの、その斜め後ろでじいと自分を見つめる見たことのない異形種が。

「モモンガさん」

「えっとそれで―――え、はいっ」

 一生懸命な語りを途中で切ってしまうことに罪悪感を覚えつつ、けれどヘロヘロはこれは聞かねば不味いことだと直感していた。モモンガという人は(今は人じゃないというツッコミは置いておいて)仲間にはとても親身になり、親身を通り越して自己犠牲的な所がある男である。だがそれに反比例するように他人に対しては分厚い壁を立てて己を傷付けられないようにして己を守るような男だった。彼の交友関係は、アインズ・ウール・ゴウンの中で完結していたと言ってもいい。

 そんな彼がヘロヘロの見たことのない者を連れている。気にならないわけがない。聞かずに済ませられるわけがない。伊達に現実のユグドラシルで最後の最後にモモンガに会いに来た男ではないのだ。ヘロヘロは隈の消えない目にほんの僅かに剣呑な光を灯して黙ったままの異形に顔を向けた。

「この方は?」

「こちらは『翼持つ人々』のギルドマスター、リュウズさんです」

「ご紹介にあずかりましたリュウズです。宜しく」

 声と意識を向けられたからかリュウズは肘置きにしていた自分の蛇の体から身を起こし、艶然とした笑みを浮かべて優雅に小さくお辞儀した。

「これはどうも。僕はヘロヘロといいます」

 同じくぺこりとお辞儀を返す。ヘロヘロが顔を上げると、リュウズは何か用か聞きたいことがあってヘロヘロがいきなり自分に意識を向けたのだと察していたのか、じいとヘロヘロを見つめていた。その不思議な色の目がヘロヘロの言葉を促す。

「あの、一つ聞いていいですか」

「一つと言わず、何でも。ただし答えられるものに限りますが」

 さらりとした声は滑らかに言葉を紡ぐ。探られる腹なんてありませんよ、みたいな何でも無い風を装っているが、ヘロヘロは必死に自分を誘うモモンガの後ろでこの女性が先程ちらりと浮かべた表情を見逃してはいなかった。

 それは愉悦の笑みだった。そんなもの、善意の協力者が浮かべるはずがない。

「どうも。それで、えーっと、なんであなたはモモンガさんと一緒にいるんですか?」

「それはこの時空の旅に私の力が必要だからです」

 リュウズは組んでいた腕をほどき、右手で額の飾りを触った。紹介に答えるように額の宝石がきらりと光る。まるで生物の目のようだ、とヘロヘロが感じたのは、きっと仕方の無いことだ。

「それは?」

「世界級アイテム『観察者の目』です。これを使えば異次元を行き来できるんです。でも、これで異次元を行き来できるのは所有者である私だけ。だからモモンガくんと一緒にいます。仲間を愛する彼の心は見ていて非情に気持ちのいいものですからねぇ。そのお手伝いをしようかな、と思った次第というわけです」

 口当たりのいい言葉だけをリュウズは述べる。その顔に、それだけではないけどねという愉悦色をした笑みを浮かべながら。ヘロヘロはじいと彼女の顔を見つめ返し、言外の返答を聞き取った。即ち「これ以上の事情があるけれど、今のお前に教えることは無い」という宣言である。

 ヘロヘロは考える。目の前の半分蛇で一部鳥な人物は危険人物か?と。ヘロヘロは答える。間違いなく、もう一度言うが間違いなく、危険人物だ、と。モモンガの必死な様子を見て笑っていたのだ。悪魔に近しいものに違いない、と。素晴らしいことにその推測は一部を除き当たっていた。ちなみに「外した一部」とは「悪魔に近しいもの」という表現である。この女性は悪魔とは比べものにならないくらいたちの悪いものだからである。

 ヘロヘロは自分の推測を元にまた考える。自分の取るべき道は何か、と。だがそれについては残念ながら最初から答えが出ていた。

 

 何もせず、どうなるかわからない先に身を委ねるか。

 

 異形の身となってでも異世界に行き、仲間とともに暮らすか。

 

 もっと言うと異形の身となってでも異世界に行き、仲間と、あと自分の創造したメイドさんたちと一緒に暮らすか。

 

「メイドを取ります」

「仲間ね。仲間が先ですよヘロヘロさん。そのぶれない所俺好きですけど」

「正直モモンガさんのこともすごく心配ですけど!でも!それ以上に!メイドの愚痴なんて聞かされたら行かずには居られないじゃないですかー!!」

 ヘロヘロは頭を抱えて叫んだ。そこに先程の武人の読みあいの真似事を不器用に行う男の姿はない。あるのはメイド狂のプログラマーの姿だけだ。

 ユグドラシルの最終日、ヘロヘロは自分の愚痴で時間を潰してしまったことを申し訳なく思っていた。だから彼は先程深刻な話をする前にモモンガに聞いてみたのだ。異世界の生活ってどんな感じですか、と。その問いにモモンガが返したのはメイドさんたちが仕事熱心すぎて申し訳なくて辛い、という愚痴だった。

 そんな答えをヘロヘロが、メイドのAIを、即ち思考と行動の骨を作った男が許せるわけがない。許容できるわけがない。

「行きます!行ってモモンガさんにメイドの素晴らしさを教えてあげますよ!ええ!メイドは素晴らしいんですからね!」

「へ、へろへろさ、テンション高いですね!?」

 うわー!と腕を突き上げてヘロヘロが答えると、たまらずモモンガはのけぞった。だがその顔に驚きはあれど不快感や恐怖や不安というものはない。その証拠に、数秒もすると彼は笑いだした。

「ぷっ…あはは!ヘロヘロさん、結構元気じゃないですか!」

「メイドの話でテンション上がりましたとも!インクリメントとかデクリメントとかが動いて喋ってるんでしょ、もう、楽しみで楽しみで仕方ないです。あと―――モモンガさん、やっと笑ってくれましたね」

 痩けた頬に笑みを浮かべ、隈の出来た目を細め、ヘロヘロは上げた腕を下ろしながらじいとモモンガを見つめた。日本人らしい黒い瞳に、柔らかな光がある。その光に見つめられ、モモンガはハッと硬直した。

「わ、笑う、って」

「なんか今日のモモンガさん、必死すぎてらしくなかったです。何かあったんですか。時間があるなら、相談に乗りますよ」

 最後の時に一緒に居られなかった。いや、その前から、あの墓場にずっとギルド長を残していた。その罪悪感が、彼に言葉を紡がせる。ボロボロの肉体という枷から外れた彼は中々に元気であった。そして、それと反対にモモンガは中々に満身創痍であった。たっち・みーの一件からまだ立ち直れていなかったのである。

 だからモモンガは思わず口を滑らせた。言ってしまった。自分の浅はかな行動でたっちの魂に取り返しの付かない絶望を与えてしまったということを。タブラを、あまのまひとつを、ぬーぼーを、仲間を説得できた自らの話術を過信した末、大恩ある人に酷いことをしてしまったことを。

 もしも彼に肉の体があれば、途中から涙としゃっくりのせいでまともに話せなくなっただろう。けれど幸か不幸かそれがないモモンガはなんとか顛末を語りきり、そしてしょぼんとうなだれた。対するヘロヘロは思ったよりも重大すぎる事態に思わず天を仰いだ。自分のちっぽけな頭じゃこんな事態に対する解決策なんて出せっこない。

 けれどなんとかしたくないわけじゃない。むしろなんとかしたくてたまらない。アインズ・ウール・ゴウンにおいてたっち・みーは無くてはならない人だった。ビッグネームだからか?違う。彼は愛すべき仲間の一人だったからだ。そして誰よりも「絶望に膝をつきその魂を砕けさせ消滅させる」なんて結末の似合わない男だったからだ。あと生真面目すぎる面が祟ってよく無自覚でいじられキャラになっていた愛すべき男だからだ。

 なんとかする方法なんて思いつかない。けど、なんとかしたい。その情熱はどうやったって消せっこない。だからやせこけた人間と骸骨はそれから暫く、具体的に言うとあまりに暇すぎて寝始めたリュウズが寝息を立てはじめるまで、ウンウン唸って打開策を考え続けたのだった。

 

 そんな二人は気づかなかった。無い頭を絞ってなんとか案を出そうとする二人の様子を、半分寝ながら、けれど半分は起きながら、じいとリュウズが見つめてことに。そのオパールに似た不思議な色の瞳の中に、愉悦の笑みとともにその半分くらいだけ懐かしいものを見る色があったことに。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

テンパランス 53 失敗
ヘロヘロ 05 クリティカル
餡ころもっちもち 86 失敗

PL心情を考慮したGM判断によりクリティカル報酬をフラグ建設に消費しました。

成功7、失敗6


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第12話

 数日に一人、至高の御方が帰ってくる。かつての状況からは考えられないとんでもない幸福に、ナザリックの中は幸福な混乱の極みにあった。例えるならそれは甘美な麻薬を耐えず打ち込まれている感覚、といえばいいのだろうか。メイド達でさえ、彼女らが集まって仕事の段取りの確認をしている最中そのど真ん中にク・ドゥ・グラースが突如として落ちてきて、しかも頭から一般メイドの一人リュミエールの谷間に顔面からダイブしたことでメイドのテンションもおかしくなってしまった。ナザリックはもはやヤクをキメたハイ状態となってしまった。自分の創造主が戻ってきた者は涙と鼻水とその他体液的なものを垂れ流して喜びに身を震わせ、帰ってきていない者はいつ帰ってくるのだろうか、それとも帰ってこないのだろうか、と毎日を期待と不安の中で過ごしていた。

 具体例を簡単に挙げよう。まず、第一階層から第三階層の守護者シャルティア・ブラッドフォールン。彼女は創造主たるペロロンチーノに会える日を今日か明日かと夢に見て、ここ最近吸血鬼の花嫁との淫らな時を自重し、毎日ぴかぴかに自室を磨き上げている。以前のように部屋の床に使いかけの大人の玩具が落ちているなどということは無い。甘く腐ったような発情した雌の匂いの代わりに無垢な花の香りを控えめに焚き、ベッドのシーツは皺一つないように保っている彼女の姿はなんというか「初恋の相手を初めて部屋に招く少女」であった。

 次に第四を超えて第五階層のコキュートス。彼は己の創造主たる武人建御雷との戦いを何より望んでいる。そのため第五階層の雪の住居でフシューフシューと冷たい息を吐きながら与えられた剣の整備を毎日やっていた。もちろん戦いのための場所の整備も怠っていない。彼は一応アウラとマーレに頼んで第六階層の円形劇場(アンフィテアトルム)を使えるよう交渉してあったが、第五階層にも戦える場所を整備しておいた。後者はコキュートスの好みで作れるため剣道の道場のような形になっている。百年前の人間が見たら「札幌雪祭りの大雪像かな?」と言いそうな巨大な氷の建造物は第五階層の吹雪の中に上手く紛れていた。

 第六階層のアウラとマーレは住居である巨大樹の部屋の一つ、よく至高の御方のうちたった三人の女性達がお茶をしていた部屋を毎日その手で掃除していた。もちろんお茶とお茶菓子の用意も欠かさない。毎朝新鮮なものを用意し、毎晩僅かに水分の抜けたものを口にして処理しながら、二人は何度も脳裏に浮かぶ愛しい創造主の顔…はないので全体像を思い浮かべた。きっと会える。きっと来てくれる。彼らは油断するとじわじわ歩み寄る恐怖を信心で毎日ねじ伏せた。

 第七階層のデミウルゴスは『牧場』をプルチネッラに任せてナザリックに帰ってきている。一応の理由として「至高の御方のまとめ役が敵ギルドに捕らわれ対抗手段がないという非常時であるのでNPC指揮官としての役割を優先しナザリックに帰還した」という文言を掲げているが、それを信じる者は誰もいない。理由は二つある。信じる信じないにかかわらずデミウルゴスは自分の創造主が帰ってくるか帰ってこないか確定するかアインズが帰ってくるまでナザリック外に出るつもりがないからというのと、そもそも彼の掲げた言い訳にツッコミをいれる者が誰も居ないからである。

 帰ってきたデミウルゴスは何をしているかと言うと第七階層の己の住居である炎の神殿の清掃と整備である。毎日のように「これはこっちがよいでしょうか」「あれはあちらがよいでしょうか」「いや戻したほうが…」などとぶつぶつ呟きながら住居内を延々うろうろしている姿は亡霊じみていて少し怖い。さらに創造主ウルベルトがこだわったというアーマーに覆われた尻尾は毎晩毎晩丁寧に磨き上げ一片の曇りもないように維持していた。

 第九階層に勤めるセバスはというと、ツアレの相手をおざなりにしてまでも毎日たっち・みーの部屋を掃除している。彼にとって確かにツアレは自らの意思で保護した人間であり保護対象だが、その優先度はどうしても創造主たるたっち・みーより劣る。だから帰ってくるかもしれない創造主のために、今日も彼は一片の埃もない部屋を掃除しているのである。

 ちなみに彼らがアインズを捕らえているリュウズやバードマン兄弟への攻撃ではなく創造主のお迎えに意識を注いでいるのは、ナザリックの可能な限りの戦力をもっての攻撃ですら彼らの体にも居城にも一片の傷も負わせることができず、また彼らの言うとおり創造主が戻ってきはじめたためである。その際彼らは「これは他の至高の御方に会うことを望むアインズ様の選択でありご意思だ、ならば彼らのことを攻撃することはアインズ様のご意思に刃向かう行為である」と考えた…いや、タブラに諭された。タブラ氏グッジョブである。ちなみにタブラ氏は同時にギルドメンバーへの殺意を時折滲ませるアルベドの手綱もしっかり握って制御している。もう一度言うがタブラ氏グッジョブである。

 

 

 

 

 いつもならひんやり冷たいナザリックの空気に、ここ数日はちろちろと熱気が絡みつき、漂い、墳墓内の温度を上げている。この異世界で生まれ、かつ現在ナザリック内で生活する者は、熱の上がった大気を感じて彼らの興奮っぷりに多かれ少なかれ皆驚いていた。

「皆さんすごい浮き足立っているでござるなぁ」

「仕方ないよ。皆大事な人が帰ってくるかも、って思ってるんだもの」

 のんびり会話しているのは森の賢王ことハムスケと、ドライアードのピスニンだ。エ・ランテルのモモンの屋敷の厩にいるべきハムスケが第六階層にいるのはこの混乱事態を見てパンドラズ・アクターがナザリックの防衛戦力が低下する可能性を考え緊急措置として戦力を置いたためである。対外的にはモモンは魔導王の要請で探索に出ているということになっているのでむしろハムスケが外部に見つかるとまずかったりもする。それ故の第六階層だ。

 穀物系を好んで食べるが実は雑食のハムスケは、ピスニンが持ってきたおやつ用の林檎をまるで大豆でも摘まむようにぽいっと口に放り込んだ。それを見ながらピスニンは「でもさぁ」と言葉をつなげる。

「でも、なんでござるか」

「こんな浮き足立ってて大丈夫なのかねぇ。ワーカーの一件以来ここに来る人はもういないって話だけど、万が一ってのもあるし…」

「ピスニン殿は心配性でござるなぁ。大丈夫でござるよ」

 ハムスケはピスニンの不安そうな顔を見てははと笑った。そんな可能性は微塵も考えておりませんという顔だ。

「え、なんで」

「確かに殿はいないし皆さん浮き足だっていらっしゃるが…代わりに他の至高の御方殿達が来ていらっしゃるではござらぬか」

 ハムスケの黒い目がぐるりと回って遠くを見る。その目の先にあるのは小さな一つのログハウスだ。帰ってきた「至高の御方」がよくそこでのんびりと会話しているのを、ハムスケは知っていた。

「ああ、あの人達か。アインズ様みたいに強いのかな?」

「たぶん強いのではござらぬか?拙者は以前殿に殿のご友人について伺ってみたが、せいさんしょく?の方以外は皆殿より強いと殿が胸を張って仰っていたでござるよ」

「まじかー…」

 ピスニンの顔が、ひく、と引きつる。当然だろう。彼女はアインズの強さの片鱗を、そう、片鱗だけを知っている。その片鱗を見ただけでも絶対に敵わないと確信した相手。それがアインズなのだ。

 そのアインズよりも強い存在?それが複数?悪夢だってもうちょっと現実味がある。

「それとでござるな」

「まだあるの!?」

「むしろこっちのが本命でござる。皆様ナザリックを綺麗に保ち至高の御方殿をお迎えすることに心血注いでおられるでござる。もし、もしでござるよ?皆様がそんな一生懸命綺麗にしている空間を、ちょっとでも汚す者が現れたら……どうなると思うでござるか」

 考えるまでもない。怒り狂ったナザリックの者に殲滅されるに決まっている。至高の御方が戻らぬ者は膨れあがった不安を怒りに変えて襲いかかり、至高の御方が戻られた者はその実力を敬愛し信望し崇拝する尊き方に見せるために己の全てを用いて奮闘するだろう。

「ああー…」

 想像して、ピスニンは遠い目をして呟いた。

「死ぬより酷い目に遭わされるね、それ」

「そうでござるよ」

「そんな状況になってんだね、ここ」

「そうで……ん?お主は誰でござるか」

 不意に聞こえてきた声に、ハムスケはピスニンとともにくるりと振り返った。気配がしない状態で至近距離に接近されたという点を考えると命の危険を感じるが、ナザリック内で真摯に穏やかに生活していれば害されることはないと学習したハムスケとピスニンは心配する必要などないと確信している。故にのそりと、穏やかに、無防備に二人は振り返ったのだ。

 振り返った先にいたのは、一言で言うと人型の要素をかろうじて感じさせる植物の塊だった。人型の要素とは植物の塊が服を着ているというただ一点である。

 間違いなく、見たことのない存在だ。ハムスケとピスニンは「新入りでござるか?」「新入りさん?」とほぼ同時に尋ねた。

「はは、違うよ。どっちかっていうと古参かな」

 植物は肩らしき場所をすくめ、触手じみた形をしている右の腕を上げた。その途中に、きらり、金属色を光らせるものがある。

「私の名前はぷにっと萌え。君達が『至高の四十一人』とか呼ぶ存在の一人と言えばわかりやすいかな」

 彼がそう答えた瞬間ハムスケとピスニンが音速で五体投地で平身低頭したことは言うまでもない。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ぷにっと萌え 友情補正で+30 01 クリティカル

成功9、失敗5

ダイスの女神が荒ぶっておられますなぁ…


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第13話

 荒廃した世界の中、無数の車が街灯で照らされた道路を満たしている。無数に連なるヘッドライトの光はそれを空から見る者に光の川という例えを与えるだろうと予想できる光景だ。

 だがその川は途中で大きくうねり、澱み、ある一点で完全にぐしゃりと潰れている。潰れている地点の真ん中ではもうもうと黒煙が立っている。先程まではドラゴンの舌のようなオレンジと赤色で彩られた炎がめらめらと燃え一台の車を飲み込んでいた。

 高性能消火剤により炎はもう消えている。だが、消火が遅すぎたのか、防火服を着た消防隊員により車の中から人間だったと思しき黒い塊が二つほど引っ張り出されていた。犠牲者だ。周囲の人間は皆携帯端末を手に真新しい他人の悲劇を激写しようと四苦八苦した。無事に撮れた者は奪われる前にさっそく引っ込み写真付きでネットに投稿した。「交通事故!焼死体見ちゃった!」と。

 彼らは知らない。その焼死体の主達がその投稿画面を見て至近距離で「肖像権の侵害だ!」「訴えてやる!」「声優の素顔はタブーでしょうが!」「ねえちゃんはぶ」「それ以上言ってみろ死んでても殺すぞ」などというコミカルかつ物騒なやりとりをしていることを。

「お二人とも相変わらず仲良しですね」

 そんな彼らを心持ち目を細めて見つめているのは(目がないのでほんとに心持ちである)骸骨顔のモモンガだ。死んだ身もしくは死の差し迫った身で合うと高確率で死に神と勘違いされる彼は、五分ほど前にこの二人の前に現れた時も同じような反応をされた。もう慣れたのでハイハイ違いますよと流したが。

「弟が全く変わらないだけですよ、モモンガさん」

「つーかモモンガさんどうしたんですか、それ。マジの死に神になったんですか」

 つい、と人間の片方、男の方が片手を上げてモモンガの顔を指さす。指を指されたモモンガは白骨の指先でこつりと頬骨を叩き、苦笑した。

「半分くらいは正解です」

「ユグドラシルの事故で亡くなったことは知ってたけど、まさか死の支配者(オーバーロード)になっていたなんて思わなかったわ」

 モモンガの顔をしげしげ眺めながらそう言うのは人間の片方、女の方である。平均的な女性よりも小柄な彼女は見上げるようにしてモモンガの顔を見つめていた。

「そのへんのことも含めて説明させて頂けますか」

 『ああ、懐かしい』そんな言葉を飲み込み、モモンガは頷く二人の人間―――ぶくぶく茶釜とペロロンチーノに自分の身に起こったことと何故彼らの前にいるのかを説明しはじめた。

 

 

 

「ほほーん、つまりモモンガさんの言うことを全面的に信じればシャルティアに会えるのか」

「そういうことです」

「よしきた俺はモモンガさんについてくわ!うわー楽しみ!」

 霊体のくせにぱんっ!と勢いよく膝を叩き、ペロロンチーノは快活に笑った。イケメンとは言い切れないが人に好かれそうな笑顔である。対して彼の姉の反応は微妙だった。

「えー…んー…行きたいけど…」

 化粧ののった顔を歪ませて、ううん、と彼女は唸る。アウラとマーレのこともちゃんと話して尚彼女がこのような煮え切らない反応をしていることには訳があった。

「ねーちゃんのアバターはあれだもんな…」

「あれがほんとの体になるって言われるとこう……躊躇うのよね」

 ピンクの肉棒。粘液盾。彼女のアバターはそう表現されることの多い肉感色をしたスライムだった。妙齢の女人の真の体として相応しいかと問われると顔をそらしたくなるモノだ。仲間と一緒に居ることを願うアインズでさえ、この時ばかりは強く出られず骸骨の顔で器用に顔を引きつらせた。

「で、ですよねー…」

「ていうか、アウラとマーレが会いたがってるって言ってたけど、それ本当なのモモンガさん。にわかには信じがたいんだけど。だって私ピンクの肉棒よ?あの子達と並んだら間違いなくR指定入るよ?」

「それは間違いなく本当です。ぶくぶく茶釜様、って茶釜さんの名前を口にするだけで幸せそうに笑うんですから」

「まーじかー」

 うがぁ、と彼女は頭を抱えてうずくまった。会いたい、会いたくない、会いたいけど会えない、そんな言葉がぐるぐると彼女の周りで回っている。残念なことにぶくぶく茶釜は幻術系・変装系の魔法も特殊技術も習得していない。だから、向こうに行くという選択をした場合、彼女はずっとピンクの肉棒にならなければいけないのだ。

 ギリシア神話の美の神アフロディーテは天空の神クロノスがゼウスに切り落とされた男根が海に落ち、その血と精液と海が混ざった「泡」から生まれたという伝承がある。世界で一番有名な美の神は元を辿ればナニなのだ。だが、それを踏まえてもやっぱり女人がナニみたいな姿になるのはアレである。どう考えてもアレである。

「アバター変えておけばよかったぁぁあああ」

「悔やんでもしかたねーよねーちゃん。なったらなったで案外馴染むかもよ?」

「あっそれは保証します。俺はアンデッドになりましたけど、なんか、一からアンデッドだったって感覚で違和感なくすんなり馴染めましたから」

「そうなの?じゃあ行っても……いいかな。うん。モモンガさんのお迎えなんて断ったらもったいないし」

 ちら、とぶくぶく茶釜が落ちかける。もはや交渉人数何人目であるモモンガはその落ちかけの瞬間を見逃さず、「よし!」と大きな声で叫んだ。ちなみによしと書いて「言質を取った」と読むのが正解である。

「よしよしよし!じゃあ行きましょう!向こうはいいですよー色々と大変なことありますけど、こっちより断然楽しいですから!」

 にこ、と笑ったモモンガは立ち上がる。そして顔を大きく上に向けて電柱の上に顔を向けた。そこに彼らを見下ろしているリュウズがいる。モモンガが呼べば彼女は蛇が木を降りるが如き滑らかさで彼らの側に降り立ち、作業感溢れる動きで彼らの魂を異世界まで送り届けたのであった。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ぶくぶく茶釜 友情補正で+30 52 成功
名無しの誰か 90 失敗
ペロロンチーノ 友情補正で+30 61 成功
名無しの誰か 63 失敗
フラットフット 80 失敗

この兄弟は案外アッサリこっちに来てそうだなと思いました。故に中々どうして難産でした。たっちさんの話のがよほど書きやすかったぞオイ。出目を工夫してください。
あとこの五人の出目を見て頂くとわかるんですが、友情補正が無かったら五人全員失敗、フラットフットさんの時点で失敗オーバーでジエンドでした。ゾッとした…まあこの先まだそうなる可能性ありますけど…。友情システム明記しといてよかった…。

そういえば、この作品は作中あんまりモモンガさんが「どうしてみんな俺を置いていったんだ」とか「ナザリックに一人で居るのさみしかった」とか言うシーンないですが、理由は簡単、そのメンバーが目の前で死んだり死体になったりしているからです。恨み辛みがないわけじゃないし、もちろんあるけど、死んじゃってるんだもん言ってもしゃーないわとか思ってる。たっちさんなんて頭爆散してたし。仲のいい姉弟は焼死体になってるし。そんな人間に恨み言吐くつもりはないモモンガさんでした。

成功11、失敗8


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第14話

 それは初めての感覚だった。例えるなら、ひねり出されるマヨネーズと言えばいいのだろうか。自分という存在の四肢を、胴を、頭を、己の肉体を肉体たらしめる全てを奪われ、まるで粘土のように丸められ、改めて作り出されるような感覚。あまりの苦しさに悲鳴を上げようともそも口も声帯も肺もなく、逃れようと手を伸ばしたくとも腕がない。暴れるための足もない。だからひたすら押し流される先に少しでも早くいけるよう願うしかない。

 

 はやく。

 

 はやく!

 

 はやく!!

 

 願うままに押し流されている方向に意識を向けると、視界を知覚するための眼球がないというのに光をみた。いや、たぶんそれは見たのではなく「見た気がした」というのが正解だ。けれどそんな些末な違いを気にする余裕もない。先へ、その先へ、あの光の下へ。思考というより本能と現す方が相応しい衝動が形を失った身の内側を満たし、己の身を先へ進ませる。

 光に届き、その光の縁に手をかけ、身を乗り出したその瞬間。

 

 目の前に広がったのは、なんとなく見覚えのある綺麗な夜空だった。

 

「―――は」

 生きていた頃は絶対に見たことがないもの。けれど何か見覚えのあるもの。一体どういうことかと首を傾げてみる。

 はて一体どういうことか、と思いつつ視線を下げると、自分の手が目に入った。人間の手ではない。鳥の足のような手だ。思わず凝視した瞬間、己の背の上に「べちょり」という水音を立てて何かが現れた。それが誰かなど考えるまでもない。気配でわかる。

「ね」

 ねえちゃん、と。彼は反射的に言おうとして、けれど言う前にぐらりと身が傾ぐのを感じた。途端に強い風が全身を撫でる。どういうことかと思って目を周囲に走らせれば、自分が落下しているのだと気づいた。しかし待って欲しい。見たところ今彼がいる「場所」はどう考えても地上まではあと何秒もかかる高さだ。ということは、このまま落下すればどうなるか。熟れて落ちたトマトもびっくりなことになりやしないか。

 そのことに気づいた瞬間、彼は叫んだ。反射的に身をすくませ、彼は叫んだ。

「死ぬううううううう!!?」

 びりびりと大気を震わせる叫び声。開いた口に唇の感覚はなく、硬質な嘴の感覚が、それが今生の我が身我が肉体なのだと告げてくる。だがそんなことはどうでもいい。それを堪能する前に、鳥人を堪能する前に、今現在彼は進化先としてトマトを選ぼうとしている。

 刻一刻と近づく地面。現実世界で見たことの無い茶色をしている。ユグドラシルでだけ見られた土色が彼の前に広がっていく。死ぬ前にせめて一度だけでもシャルティアに会ってみたかったなぁ。そんなことが彼の思考に過ぎる。

 思わず身をすくませ、衝撃と痛みを覚悟し目を閉じる。背中の姉を下敷きにすれば多少は痛みを逃れられるかもしれない。けど、そんなことできないししたくもない。彼は弟であるけれど、弟ということはつまり男なのだ。例え相手が姉だとしても、女を盾にすることなんてしたくない。あっでも戦闘中は別だ。この姉は防御力に特化した盾役なのだから。

 痛みの自覚を前にしてその現実から思考だけでも尻尾を巻いて逃げ出していく。あと数秒。あと3秒。あと2秒。あと1秒。

「――――、…?……!?」

 けれど、あと1秒先に来ると思われた痛みは来なかった。自分の目の前で、ぴたりと赤茶けた地面が止まっている。どういうことかと考えてぐるりと首を回すと、本能的に見やった方向、古びた建物の上に杖を差し出した状態で荒い息を吐く「少年」を見つけた。見覚えがある。ばりばりある。そしてよく見える。色の違う左右の目に薄く張った涙の膜も、そこからつうとこぼれ落ちる涙も、硬直した頬も、荒い吐息で上下する胸も、見える範囲にあるものは全てが見える。人間の目ではあり得ないレベルで、詳細に。

 だから彼の目は見ることができた。彼の唇が震えながら開き、言葉を口にする瞬間を。その唇が紡いだ言葉は。

 

「お゛、おが、え゛り、なざい…!」

 

 親愛と情愛と懇願と切望と熱望エトセトラ。ありとあらゆる胸を熱くする感情の奔流をぐちゃぐちゃに混ぜてそれをそのまま言葉の型に入れてむりやりひり出したような、万感籠もった言葉だった。

 

 

 

 マーレ・ベロ・フィオーレが至高の御方の降誕現場に遭遇できたのは完全な偶然だった。彼はナザリック内のあちこちで不規則に現れる至高の御方に皆が狂気乱舞し始めてから、たぶんぶくぶく茶釜はお茶会の会場に現れるだろうと思って姉とともにずっとそこに張っていた。

 だが数日前にナザリックの混乱を見て取って期と見たらしいどこかの誰かが軍隊を率いてナザリックに襲撃をしかけるという事件があり、その後処理に追われて、お茶会現場から出ざるをえなくなってしまった。その仕事は姉でもできる仕事であり、姉弟のどちらかがやればいい仕事だったためどちらもやりたくないと顔をしかめた。故に純正なるジャンケン対決の結果負けたマーレが外に出ざるをえなくなったのである。

 どうか戻ってきますように、と祈る心の反面、僕がいないときに戻ってはきませんように、と願いつつ、彼は彼の可能な最高速度で仕事を終わらせた。そして彼はナザリックに戻り、お茶会会場にまた戻ろうとしていた。

 指輪の転移機能を使えばナザリックの好きなところに戻ってこられる。外から戻ってきた彼は、外に行く際預けていた指輪を返してもらって左手薬指にはめ直し一瞬でお茶会会場に戻ろうとした。けれど、ふと思い立って第一階層から第六階層まで歩いて移動することにした。何故そう思ったのかはわからない。後のことを思えば何かの意思の思し召しと思うのが適当だろうか。とにかく彼は歩いて移動し、故にお茶会会場に戻る途中で走っていた円形劇場の廊下の一つで聞き慣れた声を耳にすることができたのだった。

 

 ―――死ぬううううううう!!?

 

 物騒な言葉。やかましい声。ナザリック外の存在が出したのであれば髪の毛一本分も気にすることのないそれを、マーレの尖った耳が捕らえる。捕らえた瞬間彼は電撃攻撃でも受けたかのようにびたりと立ち止まり、音のした方向を振り返り、考える前に走り出した。魔法を使って己の足を強化し、古びた空間を走り抜ける。開けた外に出た瞬間、間違えるはずの無い至高の御方の気配を総身に感じ、その気配の源が地面に激突しそうになっているのを視認した瞬間、彼は握っている杖を前に掲げて叫んだ。

「<全体飛行>!」

 魔法が空を走り自由落下でそこそこの速度に達していた塊に接触する。途端に何かに掴まれたかのように急激に速度を落とした塊は、地面に接触する直前でその自由落下を止めてふわりと浮いた。

 塊は二つの影でできていた。一つは下にある、鳥っぽい見た目の影。純粋な鳥ではない。もう一つはピンク色のどろどろした塊。その姿を見た瞬間、マーレの中に形容しがたい感情の奔流が吹き荒れた。

 

 ―――どうやってお迎えしようか。

 

 ―――き、気持ちよく、お迎えしたい、よね。お、お茶だけじゃ、足りないかな…

 

 ―――最低限がお茶とかのおもてなしだよ!服はこれでいいかな?ぶくぶく茶釜様が選んで下さった一番の服だからこれでいいんだとは思うんだけど、もうちょっと特別感が欲しい気も…

 

 ―――ドレス、とか…着る?

 

 ―――マーレが?

 

 ―――や、やだよぅ…

 

 ここ数日姉と交わしたいくつもの会話。その全てがふっとんだ。今の自分は帰ってきたばっかりで汚れているし、髪も乱れているし、だいたい目からも鼻からもたいへん色々出ていて見苦しい。それでも、それでも、今以外に言える時がなく。というか押さえる術がなく。

 マーレは口の中に入り込むしょっぱい涙を飲み込みながら、今まで寂しさで流した涙と苦しさで得た痛みの全てを吐き出すように、叫んだ。

 

「お゛、おが、え゛り、なざい…!」

 

 ―――会いたかった、至高の御方。僕たちの創造主。母上。

 

 後に続けるべき言葉の全ては、涙に飲まれて流れ去っていった。



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第15話

 ナザリック地下大墳墓第六階層、巨大樹。そこに誂えられた大きなツリーハウスの中で、今三人の階層守護者が涙と鼻水で顔をぼろぼろのぐちゃぐちゃにしながら泣いている。

 うち二人はアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。この階層の守護者である闇妖精の双子だ。二人は見るからにR18案件なピンクの肉棒的スライムに、それがまるで生き別れた愛しの母であるかのような表情をしてひっしと抱きついている。

「ぶ、ぶく、ちゃが、ぇ、ひぐ」

「お゛あい゛、じ、おが、ぇぐ」

「よしよし、ごめんね、二人とも」

 ぎゅうぎゅうと抱きつく彼らの身がピンクのどろどろに沈み、そこから伸びた触手のような形をしたどろどろが必死に二人の金の頭を撫でている。ぶくぶく茶釜は二人のこの泣き面に最初「やっぱりスライム種で会うのはダメだったんじゃないの!?」と動揺したが、彼らが泣きながら必死に抱きついてくる様で幼い頃の弟を思い出し、自分の思考が間違っていることを悟った。

 お会いしたかった。いとしのそうぞうしゅさま。ぼくたちのたいせつなおかた。そんな言葉が、かつてデパートで見失った弟を迷子センターまで迎えに行ったときに言われた涙混じりの「おね゛ぇぢゃんっ」という声と重なったのだ。そんな重なり方をされてしまえば、弟と同じゲームをして同じギルドに入り同じクエストに行くほど仲のいい彼女が彼らを引き離せるわけもなく。そして何より、彼らの純粋な愛情に、子が母を慕う無垢で絶対的な愛情に、絆されざるをえなかった。

「あ゛、あや゛まらな゛いで、くだひゃい」

「かえって、きて、いただけた、それ、だけで、ぼくたちは」

 紅葉の手が、何度も何度もぶくぶく茶釜の体にめり込む。服が汚れるよと言っても彼らはいやいやと首を振るばかり。じゃあ暫くこのままでいようか、と提案すれば、双子はどろどろの顔に幸せそうな表情を浮かべて笑った。

 

 先程も述べたが階層守護者は彼女らだけではない。もう一人いる。シャルティア・ブラッドフォールンだ。彼女は自室で今かいまかとペロロンチーノの到来を待っているとアウラにいきなり<伝言>で呼びつけられてここに来た。最初シャルティアは「なんでありんすか!いま私は忙しいでありんすよ!」と若干の苛立ちを声にのせて応えたが、アウラの「ペロロンチーノ様が来た」という言葉を聞いた瞬間<転移門>を開いて第六階層にスライディングお邪魔しますをぶちかました。ちなみにペロロンチ、辺りで<転移門>を開いていた。

 開いた先に身を投げるようにして飛び込んだ瞬間、彼女の目は見た。耳はきいた。鼻は香りを感じた。愛しい愛しい創造主が目の前にいることを、全身で知覚した。

「おお、シャルティア」

 太陽のように明るい声。陽光のように暖かな体。会ったら何を言おう。これを言おう。何をしよう。これをしよう―――今まで考えたものは全て綺麗に吹き飛び、シャルティアはぐしゃりと顔を歪ませてペロロンチーノの柔らかな体に抱きついた。不敬?恐れ多い?そんな言葉は嬉しいという感情の前に吹き飛んだ。

 対するペロロンチーノはというと、事故で押しつぶされた体を炎で焼かれてすさまじく痛い死に方をしたと思ったら自分の理想を詰め込んだ少女と会えるという幸福に出会い、あまりの人生乱高下っぷりにちょっと正気を失いかけていた。SANチェック失敗というやつだ。けれど自分の腰の辺りにしっかと抱きつき、はらはら流れる涙を拭いもせずに必死に離すまいとしがみつくシャルティアを見てすうっと混乱した思考がほどけるのを感じた。

 何か言おう。何か言わなければ。名前以外の何かを。けれど、到着してすぐに見せつけられた怒濤の親愛は、身のうちを満たす混乱をからりと晴らしただけで、指針など提示してはくれない。何をすればいい?何を言えばシャルティアは喜んでくれる?―――わからない。ペロロンチーノは適切な言葉を見つけられず、抱きしめ返すという行動を返答とした。

 ぎゅう、と。圧迫感を感じる抱擁を、しがみつくシャルティアに返す。羽毛の中に包み込むように抱きしめ返せばシャルティアの腕はますます力を増した。

「もう、もう、もう!どこにも!行かないでくんなまし!」

 柔らかな羽毛を白い指が握りしめ、シャルティアが羽毛の中にねじ込むように悲痛な叫び声を上げる。

 

 ―――はなさないで、いかないで、いってしまうあなたを見るのはさみしかった。

 

 ―――おいていかれるのは、さみしいの。

 

 ぐずぐずと見目相応の幼い叫びが、渾身の力を持って放たれる。アウラとマーレも呼応するように叫んだ。

 

「行かないでください、ぶくぶく茶釜様」

「行くとしても、一緒に。僕たちも、連れていってください」

 

 いやだ、あなたと離れるのはいやだ。そんな言葉を、壊れたレコーダーのように繰り返す。そんな子ども三人の様子にぶくぶく茶釜とペロロンチーノは思わず顔を見合わせ、二人はお互い表情の見えない顔に同じ思考を読み取った。

(やばい姉ちゃん俺気づいたら子持ちになってた)

(私もだ。どうしよう。とりあえずマーレの格好どうにかするべき?)

(今それいう!?いや確かに男の娘はリアルだといずれ悲しい人生を送りかねないことになるんだけどさ!!)

 いきなり子持ちになったどうしよう育児なんてしたことない―――そんな、数時間前に肺腑を焼く熱気を吸い込み生きたまま火だるまになり焼け死んだ人間とは思えぬ平和ボケした思考だった。



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第16話

 五者それぞれが愛しい者にハグをし、子ども達三人の泣き声が落ち着いた頃。涙混じりの懇願の声が嗚咽のみに置き換わり、それも落ち着き普通に呼吸ができるようになるくらい時間が経った頃だから、おそらくそれなりの時間が経った頃だろう。不意にとんとんとツリーハウスのドアが叩かれた。

「どなた?」

 声を出したのはぶくぶく茶釜だ。アウラとマーレがぐずぐず泣いているから声を出させたくなかったから彼女が声を出したのである。どこから出したとか聞いてはいけない。

「俺俺」

「間に合ってます」

「詐欺じゃねーからな!?ぬーぼーだよ!」

「あ、ぬーぼーさんもこっちいたのか。アウラ、マーレ、ぬーぼーさん入れてもいい?」

 ぶくぶく茶釜が腕(?)の中の双子に問うと、二人は目を擦りながらこくこくと頷いた。

「お、おすきに、なさって、ください」

「ここのすべては、至高の御方のためにありますから」

「ここはアウラとマーレのおうちだよ~私が勝手に決めたらまずいって。でもまぁ、はいぬーぼーさんどうぞ」

「お取り込み中申し訳ないですねっと」

 木製のドアが開き、黒い人影が入り込む。ぬーぼーだ。彼はひょうひょうとした仕草でよっと片手を上げると、そのままの体勢でしばし固まった。

「…ぬーぼーさん?」

 いつもひょうひょうとしていて少しニヒルなところのあったぬーぼーらしからぬ硬直に、ペロロンチーノが不思議に思って声をかける。彼はペロロンチーノの声を聞くとはっとして硬直を解き、ばりばりとごまかすように頭を掻いた。

「……あ、いや、ちと驚いた。()()()()()()()こっちにきたのか?」

 ちら、と視線をやりながら彼が問う。ペロロンチーノは彼の言いたいことがぴんときた。

「そうです。()()()()()()()()()()()

「そうか…」

 ぬーぼーの目に、刹那、哀れむような色が浮かぶ。ここまで会話すれば外側にいると思しきぶくぶく茶釜にもなんとなく思いつくものがある。彼女はそれとなくアウラとマーレを自分の体に押しつけてその耳からこの会話を遠ざけつつ、それでも聞いてみた。

「みんな話したの?」

「まだだ。認識のすりあわせをしてからの方がいいとぷにっとさんが言ってる」

「ぷにっとさんも来てるのか!」

「おう。こっちきたメンバーの把握もしたいから…その、なんだ」

 こつりと音を立て、ぬーぼーがツリーハウスの中に遠慮がちに入り込む。彼の目が見つめているのはアウラとマーレだ。ピンクのスライム粘液を若干頭髪に付けつつ彼らが振り返ってぬーぼーを見つめ返す。

「…?」

「アー…すまんが、ちょっと俺等で話したいことあるから、ぶくぶく茶釜さんと…ペロロンチーノ、さん、も、連れてっていいか」

 ペロロンチーノ、のところでシャルティアにも視線をやる。すると三人は案の定この世の終わりのような顔をして、返事の代わりに抱きついている存在を掴む手に力を入れた。

 けど、そうしても居られない。ぬーぼーは理由があって今日来たらしいギルドメンバーを呼びに来たのだ。遅くなって困ることはないが、連れてこられないとなると困る。

 うーん、と困り顔でぬーぼーが唸る。そんな彼を見てぶくぶく茶釜とペロロンチーノは顔を見合わせ、そしてゆっくりと自分の腕をほどいた。

「アウラ、マーレ」

「シャルティア」

「…っ!」

 いかないで、と。三人の唇が言葉を作る。声にならない、声にしないことが、彼らの忠誠心の表れなのかもしれない。そんな彼らにぶくぶく茶釜は両手を双子のそれぞれの頭に、ペロロンチーノはシャルティアの頭に片手を当ててわしわしと撫で回す。

「わぷっ!?」

「ちょっと仲間に会ってくるだけだ。大丈夫、俺達はもうリアルには帰らない。つーか、正確に言うと帰れないんだ。うん。帰る気も無いしな」

「そうそう。あ、そうだ。後で久しぶりにお茶しない?シャルティアちゃんも」

「わ、わらわもでありんすか!?」

 ご指名を受けたシャルティアが飛び上がる。わ、わ、と白い頬を赤くしてわたわたする彼女にぶくぶく茶釜は雰囲気で笑い、そのまますうと(おそらくは)視線を上げて弟の方に顔(と思われる部分)を向けた。

「弟もだ。姉弟の家族団欒と洒落込むぞ」

「俺もかよ!?くそーマーレと俺で男の数少ない…ぬーぼーさん一緒にどう?」

「こんなメルヘン世界に俺が居られるか。話がまとまったらブループラネットのログハウスに来てくれ。マーレが知ってるから案内してもらえ。なるべく早く来いよ」

 ペロロンチーノの誘いをすらりとかわすとぬーぼーは滑らかな動きでペロロンチーノの手を逃れツリーハウスから出て行った。すた、と着地するような音がして気配が遠ざかっていく。それを感じ取ってから、ぶくぶく茶釜は「さて」と声を出して双子を見た。

「そういうわけで私はちょっと仲間と話してくるね。アウラ、マーレ。私も弟もお茶期待していいかな?私ね、モモンガくんからナザリックの食べ物が超ォオ――――――美味しいって聞いてるから期待してるんだけど…」

 かわいい声でぶくぶく茶釜が首(らしき場所)をかしげると、アウラとマーレの顔にぱっと使命感という光と炎が灯り、途端赤々囂々と燃え上がった。

「お任せ下さい!ぶくぶく茶釜様にご満足頂けるよう最高のお茶会を準備してみせます!」

「ぼ、ぼくも!がんばります!」

「おお~ここでの初めての食事が二人と一緒になるのかぁ。嬉しいな」

 それは本心だ。ふわふわと声に喜びをのせてぶくぶく茶釜はアウラとマーレをきゅっと抱きしめた。

「あ、それ俺もだわ。シャルティア、アウラとマーレと一緒に準備してくれるか?姉の指名じゃ避けられんからなぁ」

「お任せ下さいまし、ペロロンチーノさま。シェフに掛け合い今すぐ最高のお茶菓子を準備しんす!」

「シャルティア~私らと協力するんだから一人で突っ走るのは無しだよ」

「わ、わかっているでありんすよ!」

 きぃっ!と頬を羞恥で赤くしてシャルティアが噛みつく。ペロロンチーノは内心「ちょっと間違ってる郭言葉設定とかマジで生きてるのかすげーなめっちゃかわいい」とか思いつつシャルティアの頭をわしわし撫でた。

「じゃ、頼んだわ。期待してる!」

「同じく!おら、弟。さっさと行くぞ。ドア開けろ」

「ったくもう人使い荒いな~」

 ぶちぶち言いつつペロロンチーノはドアを開け、そのまま下にぴょんと飛び降りた。飛び降りる際にごく自然に翼を使って落下速度を落とした己の行動に僅かに目を見開いた。それと同時に思いつく。

「やっべマーレに聞かないと場所わからん」

「聞いてきたわよ。もうちょっと考えなさいよ」

 べちゃ、というペロロンチーノの体にスライムがぶちまけられる音とともに、ぶくぶく茶釜は呆れ声で答えたのだった。




ぬーぼーさんはなんとなく全身影とかそんな感じの人形モンスターイメージして書いてます。索敵諜報能力要員です。性格は能力を踏まえてFGOのロビン的な感じで書いてます。たぶんセイレムやったからやコレ。アビーほしいです。


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第17話

 第六階層の森の中を巨大樹を背にして暫く歩いた先に、小さなログハウスが建っていた。入り口の横にゆらりゆらりと黒い影が揺れている。ぬーぼーだ。彼は近づく二人を見るとぱっと背筋を伸ばし、ログハウスの戸を開けた。

「入れ」

「なんか秘密の集会みたいで―――おう、久しぶり」

 ペロロンチーノが中に入ると、向けられた目にびくりと思わず身をすくませた。マジックアイテムらしい家の中は外観からは想像できないほど広々としており、見慣れた異形をその中にしまいこんでいた。

「あなたたちもこちらに?」

「おう。お前等合わせてこれで十一人だな」

「十一…足りないみたいですが」

 ログハウスの中にいるのは来たばかりのペロロンチーノとぶくぶく茶釜を除けば誘ってきたぬーぼーとブルー・プラネットとぷにっと萌えだけだ。十一人にはあまりにも少ない。

 ぶくぶく茶釜の指摘に肩をすくめたのはぷにっと萌えだった。

「皆こっちに来て忙しいからね。色々と私達の身の安全のために情報をすりあわせた上で立ち回らないといけないこともあるし」

「身の安全?」

「行き過ぎた忠誠心がもたらす弊害…簡単に言うとヤンデレに愛されて夜も眠れなくなるってこと」

「なるほどわかった」

 流石はエロゲイズマイライフなペロロンチーノである。適切な四文字の単語を問題なくシャルティアの表情と態度を結びつけた彼は頷きながらぷにっと萌えが指で指し示すソファーに腰を下ろした。その隣に、ちょこんとぶくぶく茶釜も(腰は無いけど)腰掛ける。

 二人が話す用意はできたと視線で言うと、ぷにっと萌えがわさりと己の体に生える草を揺らして頷き返した。

「まずは二人とも、何よりも、お疲れ様。君達もきっと死んだ身なんだろう?」

「ああ。俺と姉ちゃんは車の中で焼け死んだ」

「それは大変だったね」

「君達『も』ってことはぷにっと萌えさんたちも…?」

 ぶくぶく茶釜の言葉に、三人はこくりと頷いた。

「私は人工心肺が詰まって呼吸困難で」

 そう答えたのはブルー・プラネット。

「俺は多臓器不全。若かったのによ~」

 でもここに来られるならよかったのかもな、と呟いたのはぬーぼー。

「私は殺された。逆恨みって怖いね」

「やばいじゃん」

「ぷにっと萌えさん何があったの!?」

 さらっと言われたぷにっと萌えの死因に姉弟は飛び上がった。当然だ。知り合いが殺されたと言われて驚かない方がおかしい。それに対し、ぷにっと萌えは「あっはっは」と快活に笑いながらぱしぱしと右手で自分の頭を叩いた。

「だから、逆恨みだって。えっとね、あんまりにも勤務態度が良くない部下がいて、ついに横領までやらかしたから切ったんだ。そしたら高架下に突き落とされた」

 どーん、って。とコミカルな動きで示すのは、おそらくぷにっと萌えなりの気遣いなんだろう。しかし。しかしである。死に方としては車の中で焼け死んだ姉弟とどっこいどっこいな凄惨レベルの死因ではなかろうか。

「うわっそれはひどい…」

「モモンガくんも同じリアクションしてたよ。ぐしゃって潰れた私の体を見て。それと、モモンガくんの隣にいた人も」

 ぷにっと萌えの雰囲気が、がらりと変わる。隣にいた人、という言葉にはこの場の他の四人にも思い当たるものがある。

「あれ誰だったんだろう…」

「『翼持つ人々』のギルドマスターって聞いたけど」

「嘘吐いてる雰囲気は無かったからそうだろうけど、でもなんでこんなことできるんだ?」

「それについて話す…じゃなくて、考察するには、まずここがどこで、僕たちがおそらくどういう状態なのか、さらにはこの地とユグドラシルの関係についても話さなきゃいけない」

 さて、少しだけ長くなるよ。そう前置きしてぷにっと萌えはペロロンチーノとぶくぶく茶釜にこの世界のことを簡潔に語った。ユグドラシルとは別の世界であること、モモンガはサービス終了と同時に『こちら』に来たこと、どうやら昔プレイヤーが来ていたらしいこと、世界級アイテムはえらい効果をもつこと、魔法はユグドラシルと同じ形で使えること、そして何よりモモンガがアインズ・ウール・ゴウンと名乗り国を作ってしまったこと。大半がモモンガから聞いた話であったため二人はスムーズに話を聞けた。

「なるほど、大体状況把握した。にしても、そうか、やっぱりNPCって捨てられたと思ってたっぽいのか…」

「間違いなくそう思ってるのはアルベドだってタブラさんが言っていたよ。だから今彼がつきっきりで監視してる。監視というか、彼のうんちく語りにアルベドが付き合わされてるって言ったほうが正しいのかもだけど」

「国の運営の方はどうなってるんですか?」

「そっちはモモンガさんが作ったパンドラズ・アクターが回してる。私達には今のところ仕事無し。一度こっちに戻ってきた時に聞いてみたけど、とりあえず私達にはゆっくりしていてほしいんだってさ。モモンガくんが戻ってきたら、戻ってこれたら、改めて考えましょうって言われた」

「待って、戻ってこれたら、ってどういうことですか」

 ぴ、とぶくぶく茶釜がぷにっと萌えの言葉を止める。剣呑な気配を感じ取ってかペロロンチーノもかちりと嘴を鳴らしてぷにっと萌えを見つめた。

 といってもぷにっと萌えには顔にあたる部分に表情筋というものがないので表情から何かを読み取ることはできない。だから彼は暫く存分に沈黙した後、感情を押し殺した声で告げた。自分達がこちらの世界に来られたのは、死後こちらに来られたのは、モモンガが自分の命をチップにして賭けに挑んでいるからだと。仲間に異世界への転移を呼びかけ、誘いを受けた人をこちらの世界に導ける。しかし、誘いを受けた人数が誘いを断った人数を下回った瞬間、彼は消滅するのだと。彼がそれを受けて立ったのは、断る者なんていない、仲間の絆はそこまでヤワじゃないと啖呵を切ったからなのだと。

 説明を聞いた時、姉弟はがたりと立ち上がり「馬鹿な!」と叫んだ。

「そんな―――そんな、馬鹿なこと、認めちゃ」

「言うな、ペロロンチーノ」

 ばさり、と翼を羽ばたかせたペロロンチーノの肩を押さえて呟いたのはぬーぼーだ。彼は首を横に振っていた。

「俺達にそれを言う権利はない。この色も匂いも味もある夢みたいな世界は、俺達が最後の時にあの人と一緒にいれば、あの人が何も支払うことなく得られたものなんだ。俺達が本来手に入れられなかったものなんだ。それを、あの人は、俺達への思いだけで俺達にまた与えてくれている。

 一度ナザリックを離れた俺達に、何も返せていない俺達に、あの人の行動にとやかく言う権利はない」

「でも!」

 でも、とペロロンチーノはだだをこねる子どものように接続詞を続ける。それじゃだめだ、でも理屈で理論でだめを説明できない。なんとかできない。だからこそ接続詞を力なく続ける彼に、ブルー・プラネットがゆらりと首を横に振る。

「気持ちはわかるよ。だから、私たちは彼に恩返しをしなくちゃいけない」

「そのための情報を集めたい」

「情報?ネットとか?」

「そんなものはここにはない。時代としては中世くらいなんだよ、ここ」

 ぷにっと萌えの否定の言葉に「じゃあ」と続けたのはぶくぶく茶釜だった。

「じゃあどうすればいいの?聞き込み?」

「近いな」

「少なくとも私は無理だよ、それ…」

「聞き込みする相手はまずはナザリックのメンバーだ。NPCが持っている情報を皆で集めてくれ。その上で、可能なら先程言った『翼持つ人々』のギルド拠点に行ってみてほしい。特にペロロンチーノ」

「俺?」

 ぷにっと萌えのご指名にペロロンチーノが首を傾げる。きょとんとした鳥頭に、植物頭は深く深く頷いた。

「拠点が天空城なんだ。ここ最近はナザリックの上にあるらしい」

「じゃあ速攻行って見てくればいいじゃん」

「それがそうも行かないんだ。まずナザリックの外に護衛無しで出るのが難しい。これは先程言ったNPCの忠誠心からくる妨害のせいだね。それと、それより厄介なのが天空城に入れる条件が『ギルドマスターに敵意を持たぬこと』らしいんだ」

「じゃあここに居る奴全員だめじゃね?」

「そういうことだ。だから、可能なら、と言ったんだよ。足…じゃなくて翼があるのは君だけだから、できれば心を騙してなんとか侵入してきてほしい。デミウルゴスがモモンガさんから聞いた話によるとあそこには図書室があって、こっちの世界に来たプレイヤーの備忘録やら日記やらがあるらしいんだ」

 ぷにっと萌えは情報を得ることは不得手だ。諜報スキルがない故に。しかし、得た情報を使い組み立て作戦を立てることは誰よりも得意だ。故に彼はここに宣言する。

「万が一、モモンガさんがこちらに帰ってこられない事態になった場合、私達が彼を連れ戻す。それを第一の恩返しとするんだ」

 モモンガは、言ってしまえば「たかがゲーム仲間」の自分達に、惜しみのない愛情を向けている。愛情を向けて、その身の全てで崩れ落ちた自分達をこの世界に連れてきてくれた。自分達が愛したユグドラシルに似たこの世界に。

 対して自分達は置いていった。あの優しいギルドマスターを、ただ一人ナザリックにおいて、くそったれなリアルを取った。それが間違いだったとは思わない。けれど、正しかったとも思えない。胸にわき上がり身を締め付けるこの苦しみは、間違いなく罪悪感という感情だからだ。

 この感情を晴らすには、無垢な優しい彼の愛に、彼の想いに答えるためには、行動するしかない。そうして彼らは決意を胸に行動を開始した。悪魔的な誘いを愛情深いギルドマスターに向けた者に対する、対抗手段を探すという行動を。

 だが、彼らはこの行動をすぐに後悔することになる。何故なら得られた情報を元にぷにっと萌えが組み立てた構図とそれが導く暫定的な回答が、彼らの手に負える範囲を超えていたからだ。

 スレイン法国に散在する伝承、王国の迷信、帝国の伝説、諸国の逸話を集め、ぷにっと萌えがタブラ・スマラグディナと死獣天朱雀という知識の倉庫達と情報を組み立てた結果得られた答えとは。

 

「なんてこった…あのひと…ギルドマスターリュウズは…」

 

 ―――プレイヤーでは、ない。




まあたぶんこれだけ情報ばらまけば読んでる方にはバレバレなんでしょうが…。
次回からまたモモンガロールにもどりまーす。出目を工夫しろとか言いつつドカッと更新分で一度もダイス振ってないっていう。あーダイス振りたい!女神様期待してますよ!


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第18話

 モモンガとリュウズが次に現れたのはアインズ・ウール・ゴウンで脳筋解答を愛する女教師やまいこの所だった。だが、たどり着いたのは今までとは毛色の違う世界だった。

 世界、という言い方をしたのは辺りの光景が広い範囲でおかしかったからだ。モモンガの知っているこちらのリアル世界は空にはスモッグが垂れ込め、人々は不格好な呼吸器を背負わなければ屋外を歩けず、ただぽつりぽつりと存在するアーコロジーが世界全体の幸福度のバランスを取ろうとしているかのように財を集めて理想郷を作っている、というものだ。

 けれどここには何もなかった。疲れ切った人々が働くための会社も、生活するための住居も、少し富める人が住む中級住宅も、何もなかった。

「ここ、本当にリアルなんですか」

「そのはずよ。荒廃しまくりだけど」

 荒廃。その言葉が相応しい。アスファルトで覆われていた地面は殆どが大きく割れている。クレパスのように広がった割れ目の奥には地下空間が広がっているが、のぞき込めばそこもそこで大なり小なりの破壊の跡があった。

「こんなところにやまいこさんが…?」

「ええと…あ、あったあった。何々…ほう」

「何一人で納得してるんですか」

「これをご覧なさいな」

 リュウズがモモンガに差し出したのはくしゃりと皺の入った紙だった。見たところ新聞紙だ。どうやら風に流れて転がっていたものを捕まえて開いたものらしい。

 モモンガが受け取って新聞紙を開くと、そこには「アーコロジー戦争勃発」「ニューヨークアーコロジー壊滅」という文字が踊っていた。驚いて日付欄を見れば、そこに書いてあるのは2184年という文字だった。

「ゆ、ゆぐどらしるがおわってから、ごじゅうねんご!?」

「やまいこさんって方ずいぶん長生きなさったのね…あの方かしら」

 すっとリュウズが指さした先には壁にもたれるようにして数人の人間がいた。皆死んだような顔をしている。いや、正確な表現をすると一人を残して死んでいる。状況を考えればその一人がやまいこなのだろう。けれど、モモンガには信じられなかった。

 だって彼の知っているやまいこは快活に笑う女教師だったのだ。「とりあえず殴ってから考える」をモットーにした、気持ちのよい女性だったのだ。なのに、目の前にいるのはまるで動死体のような生気のなさと濁った目をしていた。

「やまいこさん」

 呼びかける。けど、彼女は反応しない。手を伸ばし、その肩に手をかけても、彼女は何の反応も示さない。一体どういうことかとモモンガがリュウズを振り返ると、彼女は少し考えた後やまいこの頬に手を当てた。

「あー…」

 じいと顔を見て、リュウズが大きく顔を顰める。白い指を顔から離すと、彼女は「処置無し」とばかりに首を振った。

「どうしたんですか」

「この人は無理。生きているうちに魂が砕けてる」

「はっ!?」

「魂が壊れたけど体が動いているから生きてるってこと。簡単に言うと心が壊れたというべきか…」

 おそらくそれのせいねとリュウズは呟いた。それ、と言いつつ指さしたのはモモンガの手の中の新聞だ。モモンガが情報の収集のためにそれを開くと、そこには恐るべきことが書いてあった。

「核戦争…」

「ついにやらかした感じねー」

 今から五年前、ついに資源枯渇までの現実的な日付が出た。そのためついにアーコロジー間の全面的な資源争奪戦争が勃発。多数のアーコロジーの戦いに外界の貧民層のみならずアーコロジーの富裕層そのものも巻き込まれ、人類はその生命の多くを失った。新聞の中記事、おそらくは記事の量の嵩ましのためのコラムにここ最近の出来事がわかりやすく書いてあった。

 得た情報からわかることはもはやこの星にあるのは残骸のみということだ。そんな状況だ、確かに心の一つ二つや魂の一つ二つは砕け散ってしまうだろう。

 その言葉の示す通り、リュウズが諦めの溜息をともに指を一つ振ると、女性の体はくらりと傾ぎ、ぱたり、というおよそ人が倒れたとは思えぬ音とともに地面に倒れこんだ。その体から、今までみてきた半透明の魂やら霊体やらが出てくる気配は、ない。

「やまいこさん…」

「もう少し早くに亡くなっていれば魂が壊れきることもなかったんでしょうけど」

 

 ―――ああ、なんて運の悪い人。

 

 純粋な憐れみのみで構成された声をかけられたのは、おそらくはアインス・ウール・ゴウンにおいて一番その言葉が似合わぬ女性だ。だというのに、モモンガにはどうすることもできなかった。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

やまいこ 56 失敗
ぷにっと萌えのクリティカル報酬を使用し再ロールします
やまいこ 99 ファンブル

出目を工夫しろとは言ったがここまで工夫しろとは言ってない。

成功11、失敗9


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第19話

 西暦2138年某日。日本勢アーコロジーの一つで貧民層によるテロが勃発。死傷者49名、重傷者194名を出す未曾有のテロ事件となった。

 首謀者は依然逃亡中。富裕層との接触が推測されているが、詳細は掴めていない。

 テロ事件実行犯のうち、生きたまま捕らえられた者は28名。現行犯であったこと、アーコロジーに牙を剥いたこと、その他諸々の理由により全員の死刑が二週間で決定された。その次の二週間で実行されることになった。訴訟手続きがまともに取られず急ぐように犯罪者の死が決定した最大の理由は、この世界には犯罪者を更正させる刑務所制度が確保できていなかったことだろうか。

 その刑は、とある男にも手続きを踏んで実行されることになっている。

 その男は殺風景な独房の中、己の行動に一切の恥や後悔も抱かずに狭苦しい空間に座し、その時を待っていた。彼の黒髪は短く刈り込まれ、身につける服は白の作業服。くたびれたその衣服は、一体これまで幾人の人間の死に装束なってきたのだろうか。

(―――む)

 座した男の眉が微かに上がる。他人の気配を察知したためだ。ついに自分の番が来たか。そう彼が思った次の瞬間、彼はとんでもないものを見た。目の前の、厳重に施錠された扉をすぅっとすり抜けたて「なにか」が現れたのだ。

「!?」

 思わず腰を浮かせ、警戒態勢を取る。だが、手近なところにある物を手にとって武装する前に、目の前に現れた者の記憶が頭の中の記憶の引き出しの一つに入っていることに思い当たり、彼の手は止まった。その黒い目が驚愕に見開かれる。呼吸が止まりかける。乱れた呼気の合間に、彼は押し出すようにして呟いた。

「も…も、もんが、さん…?」

 ただし、それは人間の姿ではない。オフ会で会った気の弱そうな、優しそうな、頼りなさそうな、誰の話も受け入れて聞いてくれそうな男の姿ではない。見慣れた骸骨のアバターだ。もっとも、見慣れているのは電脳空間での話であって現実でではない。こんな所に動く骸骨があっていいわけがない。

 彼は思った。死の間際の緊張感が天元突破して、ついに幻覚を見たのかと。覚悟して行った行為だし、後悔もしていないが、己の心には相当の負担があったのかと。

 だがそれを現れた者は否定した。否定して、とうとうと語り出した。夢のような物語を。それが夢ではないと彼がわかったのは、きっと彼が今まで劣悪な環境で生き残るために己の生存本能を磨いてきたためだ。鋭敏な感覚が今自分の陥っている状況が現実のものであると告げていた。

「―――という、わけで。皆さんを誘っているんです」

 骸骨は、モモンガは、もう二十回ほどこの説明を繰り返してきた。それ故に彼は慣れた口調で自分のことと世界のことを話し、いつもの一言で話を結んだ。

 ぱたりと骸骨の手を膝の上に置いたことで話が終わったのを悟ったのだろう。いつの間にか真剣な顔をして聞いていた男は「ふむ」と一つ頷いた。

「わかった。そういうわけで俺のことも誘ってるんですね」

「はい。ウルベルトさんならきっとイエスって言うかなってちょっと期待してたりもします」

「はは。そりゃ言いたいさ。言いたいけど、これを見てくれよ、モモンガさん」

 いつの間にか二人で座りこんだ狭苦しい空間。両手をめいっぱい広げれば横の壁に手が届くようなその狭い空間で、ウルベルトと言われた男は笑った。

「俺、犯罪者だよ?しかも死刑囚。そんな奴誘ってどうすんの」

「俺にとって殺人って特に珍しいことじゃなくなりました。俺も、アンデッドになってから人間に対する同族意識とか無くなったからどうでもいいです。それに…」

 骸骨の顔をそろりと動かしてモモンガはじいとウルベルトの顔を見る。悪魔を演じ、悪に拘った男の顔を。世界への憎しみを遊びの環境で誤魔化して尚、言葉の端々に混じったこの世界への憎しみの感情が、その顔には表れていた。今この瞬間も。

 それが泣き出す寸前の顔のようにも見えるのは、きっと見間違いなどではない。

「俺、知ってますよ。ウルベルトさんが、ゲームではともかく、現実世界では理由なく誰かを傷付ける人じゃないって」

 きっと、何か、とんでもない理由があったんでしょう。いや、そうに違いない。そうモモンガは言い切った。

「この世界は終わってる。もう終焉に向かっている。そんなところで罪を犯した? 人を殺した? そんなの俺には関係ないです」

 モモンガは正座している身をぐいと前のめりにしてウルベルトの手を取った。ウルベルトの手は肉のついた手だった。肉体労働をしていたのだろう、その手の皮膚は硬く、筋張っている。

「この世界はくそったれです。そこで何をしようが、俺はどうでもいいと思います。大体、これからあなた死ぬんですよ。死んで罪を償うんですよ。だったら、それでこの世界の精算を終わらせてもいいじゃないですか」

 モモンガの脳裏に蘇る、先ほど見た世界(50年後)の終焉。核戦争勃発によりかつて水と緑の星と呼ばれたらしい地球は本当の枯渇と荒廃を迎えることになる。そんなものの前では、そんな、人を百何人殺したなんて些末な問題だ。

 それはきっと人間の思考じゃない。ヒトの思考じゃない。けれどそれがどうした。もう自分は人間じゃない。

「だから、一緒に行きましょう、ウルベルトさん。死んで、あっちで生まれ変わって、悪魔になりましょう」

 モモンガは気づいてるのだろうか。自分の発言の方がよほど人間を誑かす悪魔的なものであることに。己の見目が魔王然としている故に、彼は人間を堕落させる闇の存在にしか見えないということに。

(たぶん気づいてないだろうなぁ)

 だって彼にその意識はない。ウルベルトの手を掴む骨の手は微かに震えており、恐ろしい骸骨の顔は表情がなくとも雰囲気だけで如実に彼の感情を伝えてきた。

 

 ―――断らないでください。お願いします。どうか、どうか。

 

 ―――もう置いていかないで。

 

 そこまで必死になる理由。考えずともわかる。彼は自分達ギルドメンバーのことが大好きだからだ。まぶしいほどに、好いてくれるからだ。

 正直なことを言えば、ウルベルトはそこまで自分が好かれるような奴ではないと思っている。こんな、血の繋がらない他人、ゲーム仲間のために正真正銘命を張って幸せらしい世界への手をさしのべてくれるような光の人に、自分のような存在は救われる価値なんてないと思う。同じような境遇にあったからこそ尚のことそう思う。腐らなかったこの人に、腐ってしまった自分は似合わない、側にいてはいけない、と。大体自分は彼を、あの世界を、捨てた身じゃないかと。

(けど…)

 けれどこうも純粋に慕われては否と答えることが愚かしい。優しい心のこの男に、ここまでさせて断るなんて!そこまで堕ちては流石にいない。

 だからウルベルトは骨の手を握り返した。

「俺、一度はユグドラシルから引退したけど」

「それを言ったら皆さん殆どそうです。最終日のユグドラシルが終わる瞬間にナザリックに居たのは俺だけでした」

「俺、死刑囚だけど」

「こんな終わった世界で犯罪者なんてどうでもいいです。あ、でも、向こうでは秘密にしておきますよ」

「そっか。でも、別にそれはいいや。俺、ちゃんとあいつに謝りたいし」

「あいつ?」

 こて、とモモンガが首を傾げる。それにウルベルトは少し目を開き、答えた。

「たっちさんもそっちにいるだろ」

 

 次の瞬間モモンガの体が独房の床に崩れ落ち、ウルベルトが焦った声を上げ、焦った声を聞いて部屋の外で待っていたリュウズが慌てて首をつっこみ、見たこと無い異形にウルベルトがマジの悲鳴を上げ、なんだかんだで十分ほどてんやわんやになったのであった。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ウルベルト・アレイン・オードル 友情補正で+30 01クリティカル

出目を工夫しろとは言ったがここまで工夫しろとは言ってないつってんだろうがァアアア!!!


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第20話

 ディーラーにはプレイヤーに快適な遊戯環境を提供する義務がある。プレイヤーが必要以上の混乱状態に陥った際、速やかにそれを排除する義務がある。

 ウルベルトの何気ない一言で独房の床の上に崩れ落ちたモモンガに、リュウズはディーラーとして対処が必要だと判断した。故に独房の中に体を入れてモモンガを抱き上げ隅に寝かし、ぺらぺらの布団を「無いよりはまし」と思いながらその体にかけて彼を休ませた。その後、リュウズはこれまで見てきたもろもろをウルベルトに説明した。

 今彼は命と魂をチップに仲間を自分の住む世界に呼ぶために『遊んで』いること。その中で出会った一人、たっち・みーは限界ギリギリの状態であったこと。残りたいと願う彼に、モモンガはともに行けぬのならば餞に少しばかりの幸福をと願い行動したこと。しかし彼の幸福たる娘に一目会わせようと向かった先で、彼の娘は既に息絶えていたこと。その衝撃が彼の魂にトドメを指す形になったこと。モモンガはそれをいたく後悔していること。

 あらかたの説明を終えた時、ウルベルトは思わず言ってしまった。「お前は悪魔か」と。友達思いなだけの優しいスケルトンに食らいつかざるをえない餌を示して、結果的にとはいえ友にとどめをさすという行為を行わせるなんて地獄の悪魔のようだ。彼はそう言って強い目をしてリュウズを責めたが、彼の言葉にリュウズは失笑した。

「悪魔がそれを仰るの?」

「生憎俺はまだ人間だ」

「体はね。それよりも、これで説明は済んだから、向こうに行くつもりがあるならさっさと行かせてあげたいのだけど」

 リュウズはもう目の前の死刑囚に関心が無い。何故か?彼女にとってもう目の前の存在は表か裏かはっきりしてしまったコインでしかないからだ。換金した後の当たり馬券と例えてもいいかもしれない。とにかく、もう結果がわかったものに彼女は興味を持たない。

 だが、ウルベルトは人間だ。彼はものを考える存在だ。コインでも馬券でもない。だから彼は震える拳を握りこみ叫んだ。

「巫山戯るな!」

 リュウズが時を止めていると知らなければこんな大声は出せない。この、大気がびりびりと震えるほどの声は。部屋の隅で唸っていたモモンガが自分の怒声ではたと気を戻し起き上がるのを視界の端に捕らえつつ、ウルベルトは自分をモノとしてしか見ていない宝石色の目を睨んだ。

「巫山戯るな、とは随分と大きく出ましたね?」

 それに対しリュウズはじいと目を細めた。その顔に、明確に不快感が浮かぶ。

「あなたはただのゲームの駒よ。プレイヤーやディーラーの行動にどうこう言う権利などない」

「俺は生きてんだぞ!?そんなの認められるか!」

「ふふ、人権でも主張するつもり?それを否定されたあなたが。喜劇だってもう少し手の込んだ笑いを仕掛けるわよ」

 リュウズの指先がついと指さすのは自分の後ろにある鉄製の扉だ。内側に錠はなく、内に入れられる者は根源的権利たる生存権を否定された者のみ。そんな扉を指さして、彼女は酷く嗜虐的な笑みをその顔に浮かべ、嗤った。そのままドアを指していた手を自分の額にするりと当てる。

「リュウズさんっ」

 その動きにただならぬものを感じたのはモモンガだ。彼は自分の上にかけられた布団をはね飛ばし、リュウズに手を伸ばす。だがその手はまるでネット回線が不安定になった時の動画のようなブレを起こした。

「!?」

 それが示すのは、彼がこの世界に関わる上で必要な全てが彼女の手の内にあるという事実である。彼女はやろうと思えばウルベルトの魂の救済を認めず、この場から去ることもできるんだという実力表示である。モモンガの表情でそれを悟ったのだろう、ウルベルトはさっと顔を青くして口を閉じ―――

 

 ―――る、わけがなかった。

 

 もしこの程度の脅しで身をすくませるなら、この男、テロリストなどになってはいない。悪魔ロールなど嬉々としてやったりしない。

 彼は伊達や酔狂で世界災厄(ワールド・ディザスター)の二つ名を背負っていたわけではないのだ。テロリストなどという犯罪者に身を落としたわけではないのだ。

 

 彼は電脳世界という絆が希薄になりがちな世界で友と呼べる者に出会い、仲間の意味を知り、日々を情熱的に生きることを知った。その後に何があったにしろ、当時抱いた情熱、当時学んだ感情、それら彼の奥底に蓄積された熱の塊は、彼の奥底に生まれ、消えずに残っている。おそらくは今この瞬間彼に力を与えるために、残っていた。

 「現実をみろ」という言葉で数年前にそれは封印した。封印された。けど今この瞬間、それは封印をぶち破って大きく膨らみ、彼の身から飛び出した。

 

「巫山戯んなよ…!」

 ウルベルトは己の腹の奥から湧いてくるふつふつとしたエネルギーを言葉の形にして口に出す。吐き出した言葉は、感情は、彼自身が驚くほど熱いものだった。

 それを真正面の女人が感じぬわけがない。彼女はぶつけられた溶岩のような灼熱の感情に「ほう」と一つ呟いた。

「どうするというのですか」

 つう、とその目が弓なりに細くなる。駒のままで駄々をこねるなら彼女はこんな反応などしない。喋るチップに用は無いと消すだけだ。だが、彼女はなおも刃向かうウルベルトにそうしなかった。その理由はただ一つ。彼が駒ではなくなりつつあるからだ。

 リュウズはディーラーだ。ディーラーであると己を定義する彼女は、挑まんと欲する者の声を聞く義務がある。

「さっきあんたは言ったな、モモンガさんが今賭をしてるって。俺達を餌にして、あの人の優しさにつけ込んで、あんたはモモンガさんの苦しむ様を見て笑ってるって」

「合ってるのは半分ね。モモンガくんを見て楽しんでいるのは確かだけど、私は彼が苦しもうが楽しようが同じだけ楽しんだわ。だってゲームを見るってそういうものでしょう」

 ディーラーの特権というのかしらね、と。彼女は唇に白い指を僅かに当てて小さく笑う。その笑みにウルベルトはそれ以上の笑みを、いっそ壮絶と言ってしまった方がよいほどの深い笑みを浮かべ、叩きつけ、声高に宣言した。

 

「なら、俺もあんたのゲームをプレイする。内容はたっちの救済。俺の命を賭けてあいつの魂を救えるかどうか、賭けをする!」

 

「だめだ!!」

 ウルベルトの宣言にかぶせるようにして叫んだのはこの展開を呆然とした表情で見ていたモモンガだ。彼の眼窩の赤い炎は見てしまったのだ。ウルベルトの言葉を予測したリュウズの顔を。それは自分を賭けに誘った時にリュウズが浮かべていた喜悦の顔と全く同じ顔だった。地獄に行くか天国に行くか、どちらに転ぶかわからぬ者の足掻く様を楽しみにする、寒気と吐き気がするようなおぞましいとしか例えようのない笑みだった。

 それが示すのは何か。彼女が見る先に、今の自分が苦しむような未来が、ウルベルトの前に現れるという事実だ。

 アンデッドのくせにショックで倒れている暇はない。目眩のする身を起こし、モモンガはウルベルトに掴みかかった。

「ウルベルトさん、ダメです。それは、ダメです。こんな苦しいの、あなたがやっちゃいけない」

「でもモモンガさんはやってるだろ」

「それは俺がギルド長で皆に会いたいからだ!あなたを、皆を、助けたいと思ったからだ!」

 冷める気配のない高ぶりに身を燃やし、モモンガは言葉を重ねる。ウルベルトを翻意させるために。けれど、どれほど言葉をかけようとも、彼は自分の発言を決して撤回しようとはしない。それどころか彼は「ハイリスクハイリターン。上等じゃないか」などと言い出しはじめた。その言葉にモモンガは白い骨の顔をますます白くさせ、逆にリュウズは「なるほど」と身を乗り出した。

「確かにモモンガくんの誘いにはいと言ったあなたは、モモンガくんのチップの駒()()()ものとして、新たにプレイヤーになれるわね」

「リュウズさん!」

 モモンガの声が、半分ほど怒りに染まった声が、部屋の中に響く。そんなことは許しはしないとばかりに眼窩の奥の赤い炎がゴウッと燃える。己の意にそぐわぬ言葉など認めぬと言わんばかりに。けれど、その熱は杞憂だ。なぜならば、彼女が「心底愉快だ」という笑みを浮かべて次に続けた言葉はモモンガの望むものだったのだから。

 

「でも残念。無理よ。その賭けは立てられない。彼は救えない」

 

 モモンガが望む答えだ。そのはずだ。けれど、その言葉を聞いた瞬間、モモンガの胸の奥、空っぽなはずの肋骨の奥がずきりと痛んだ。まるで幻肢痛のような、そんな痛みだった。

「『観察者の目』とて万能ではないのよ。見えるのは全て。干渉できるのは現実の変わらぬ霊体世界まで。そして二度目の霊体世界への干渉はできない。何故ならそれは観察者たる地位にいる『過去の私達』に干渉することになるから。過去の私達に未来の私達を見たという歴史はない。ならば、それが()()()()私達は矛盾の間に挟まれてしまう」

 そうなればどうなるか。自分達が消えるならまだいいだろう。けれど、たっち・みーを助けられなかった後に助けた者達はどうなる。過去の一点に干渉した、その先で何が起こるか。もしかすると過去の時点で矛盾の間に自分達が飲み込まれ存在を失うかもしれないのだ。そうなれば、その後に助けた者、具体的にはク・ドゥ・グラース、死獣天朱雀、ヘロヘロ、ぷにっと萌え、ぶくぶく茶釜、ペロロンチーノ、この六名がどうなるかわからない。

 

「私達が、モモンガくんが過去のあの時点で消えることで、助けたという歴史が消える可能性がある。大いにある。ああ、そうなったら今ナザリックにいるであろう彼らの被造物達はどうなるのかしらね?感動の再会の最中、笑い合ったその瞬間、煙のようにかき消える創造主―――被造物(NPC)がどれだけ創造主を愛しているかわかるモモンガくんには、想像付くわよね」

 

 ―――たった一人の友の魂の、その今際の安寧のために、全てを捨てる賭けなどするな。

 

 ―――今まで助けた者達の幸せを、得られた分だけを、得られなかった痛みごと慎ましく抱えて生きていけ。

 

 リュウズは笑う。どこまでも楽しげに。目の前で悲しみに暮れる者に「それはお前が賭けに失敗したから得てしまった悲しみだ」と事実を叩きつけならがら、失敗したその顔に浮かぶ絶望を笑いながら、彼女は現実を宣告する。

 

「それに、消えるとなれば同行するこの私だって消えるのよ。私はこんな所で消えたくはないわ。

 私個人を動かせるものも持たずに、私の温情だけで作られたこの賭博に、わがままを言いすぎよ、ウルベルトさん。あなたもそう思うでしょう、モモンガくん」




ヘロヘロのフラグ建設、ウルベルトの01クリティカル報酬、ウルベルトのリアル説得ロール、その他の事情によりたっち・みーの確定性を排除、ファンブルですが解除可能とします。
たっち・みーについて新たな賭けを設定可能とするにはリアル説得ロールを要求します。
成功した場合、再ロールを認めます。失敗した場合、再ロールを認めません。
また、結果の如何に関わらず、たっち・みーについて、これ以降の再ロールはいかなるクリティカル・いかなる説得ロールを重ねようとも認めません。


読者のヘイトをオリ主に集めていくスタイル。さてどうするモモンガくん。さてどうするダイスの女神。そしてどうなるこの私。


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第21話

 狭苦しい部屋の中、そこをさらに狭苦しくさせる大蛇の下半身をうねらせて、人ならざる者がおぞましい笑みを浮かべている。人の幸福も不幸も等価のものとして捕らえ楽しむ常人では決してあり得ぬ視点を持った人の笑みだ。感情のプラスマイナスを判断せず、その絶対値の大きさだけみて喜ぶ者の笑みだ。その笑みを真正面から見つめることになったウルベルトは、まるで自分が踏みつぶされる直前の虫になったような錯覚を覚えた。相手の見るものが異質であること、相手が異質であることを、本能で理解してしまったせいだ。

 体を崩れさせたり頭を垂れることこそ気合いで耐えたが、つうと頬を一筋の汗が伝った。気づかぬうちに距離を取ろうと身を引きかける。腕が僅かに動いた所で、彼の体がすぐ側にあったモモンガの体にぶつかった。

「あ、すみませ」

「―――わがまま、か」

 すみません、と言いかけたが、それを言い切る前にぞっとするほど冷ややかな声がモモンガから発せられ、ウルベルトは今度こそ目を見開いて硬直した。

 今の声は誰の声だ。明るくて、優しくて、やわらかな声はどこに消えた。今発せられた、冷徹で、静かで、冷たくも燃え上がる炎の様な強い感情の宿った声は、誰の声だ。

 問うまでもない。モモンガの声だ。かつてナザリックに攻め込んできた1500人の討伐隊を迎え撃った時、彼は侵入者を迎え、蹂躙した。その時に彼が絶望のオーラを背負いながら侵入者に嗤いかけた時の声だった。もっとも、あの時よりもよほど恐ろしい声色になっているのだが。

 ふふ、と彼は笑った。さらにもう一度「わがままとはな」と呟き、ウルベルトの肩に硬い手をのせ、ぐいと引っ張って下がらせる。代わりに身を起こした彼は、笑みを引っ込め油断なき目でじいと彼らを見るリュウズに向かい合った。

「何かおかしいことでも言ったかしら?」

「いや、何も。ウルベルトさんの言ってることは確かに我が儘だ」

「モモンガさん!」

 反射的に出た声。けれどモモンガはウルベルトの顔を一瞥しただけだった。

 一瞬向けられた赤い炎は言っていた。「黙っていてください」と。そしてそのまま骸骨は蛇に向き直った。絵だけ見るとここが人界であることを忘れてしまいそうな景色だ。

 その光景の中でモモンガはにやりと笑った。骸骨の顔は微動だにしない。だが、彼は確かに笑った。

「だが、私はもっとわがままだ。あなたの提示するものが、欲しくて欲しくてたまらない。

 己の過ちを、恩人への最悪の所業を、拭い去りたくてたまらない」

 

 モモンガは思い出す。一番最初、たっち・みーに助けられた時のことを。

 

 モモンガは愛おしむ。たっち・みーに手を取られ導かれた先にあった幸せな日々を。

 

 モモンガは希求する。幸せな日々の切っ掛けをくれた人に、今度こそ幸せをお返しすることを。

 

 モモンガは渇望する。ここまで来たなら、道が先に見えるなら、可能性があるのなら、今度こそ恩人を素晴らしき世界に連れていくことを。

 

「あなたは言ったな、あなた自身を動かせるものも持たずに、わがままを言い過ぎだと。ならば―――」

 

 ならば、と彼はもう一度言葉を置き、はっきりと宝石色の目を見て言いきった。

 

「あなた個人を動かすための対価。それを払おう。私の命は今賭けに使われているから払えない。なら、それ以外の私のものから払おう。

 

 教えてくれ。あなたはいくらで買えるんだ」

 



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第22話

 もしもリュウズが悪魔なら、きっとモモンガの提案に舌なめずりして喜んだだろう。

 もしもリュウズの所にアルベドがいれば「対価などいりません!ですが、ですが、できることなら(以下省略)」と金の瞳を欲に輝かせ言っただろう。想像に難くない。ちなみにアルベドは現在タブラにつきまとわれて自分の堪忍袋の緒と戦っている。

 だがリュウズはそのどちらでもない。彼女は悪魔でもアルベドでもない。だから彼女は彼女だけの反応を返した。即ち。

 

「……うーん、予想外のリアクションだわ」

 

 困った顔で頬に手を当てて首を傾げたのだ。

「……は?え?」

「えっ…?」

 これに拍子抜けしたのはモモンガとウルベルトだ。だって今完璧に「そういう」流れだった。だが彼女にとってはそうではないらしい。リュウズは困惑する二人にはっきりと「困ったわ」と言って首を振った。

「モモンガくん、あなた、自分が何を言っているのかわかってる?」

「えっ何をって…」

「今のはディーラーに『お金払うから自分の都合のいいように卓を回せ』って言ってるようなものよ。八百長を持ちかけたのよ。詐欺をもちかけたのよ。そんなこと、面と向かって言われるとは思わなかったわ。それと女に向かって『あなたを買う』とか失礼すぎるわ。私は娼婦じゃなくてよ」

 あまりに失礼すぎて怒る気にもなれない。彼女はそう呟き、溜息をついた。天井を仰ぎ見た彼女の口から「見込み違いだったのかしら」などという非常に恐ろしい言葉が聞こえてくる。モモンガとウルベルトは総身に寒気が走るのを感じた。やばい、というやつだ。

「い、いや、そうじゃないと思いますけど!?」

 モモンガは慌てて否定する。だって彼にそんなつもりは毛頭なかったのだ。彼女がディーラーであることを忘れかけては確かにいたが、彼としては提示された道に従って答えを出しただけなのだ。それで幻滅されるいわれなどない。

「そうじゃないって、じゃあどうなの。なんなの。面白くない」

「面白くないとか恐ろしいこと言わないでください!それに、だって、あなたさっき『私個人を動かせるものも持たずに』って言ったじゃないですか!ならそれを払えばいいんじゃないかなって思うのは普通では!?」

「そんなものものの例えでしょうが。あなたに私を動かせるだけのものがもう払えるとは思えないわ」

「『もう』?」

 『もう払えない』。それは『依然払ったことがある』という事実を指しはしないか。

 モモンガは発言に引っかかるものを覚えた。だって彼は何かを彼女に払ったことなどない。少なくとも彼の自覚している間では。

 わからないなら聞いてみるしかない。

「リュウズさん。俺は以前何を払ったんですか」

「最初に言わなかったかしら。仲間を求めて建国なんてたいそれたことをやっちゃったその姿よ。あなたを中心に置いた喜劇を見せてもらったわ。面白かった。あなたというひとは私にとってとても好ましいひとだった。だから私はあなたにこの賭けを持ちかけたのよ」

 

 ―――私はね、愛に溢れ、優しい子が好きなんです。

 

 確かに彼女は言った。最初に言った。今もそれを繰り返す。

 

「その面白い生き様、命の燃える様、精神の動く様、体の奔る様、そういうものを見せてもらった。それがあなたが私に支払ったもの。というか、正確に言うと私が勝手に買い取ったものね、うん」

 生き様を見せてもらう様が支払いになった。だから、それを払いきってしまった今、モモンガに払えるものはない。だから彼女に頼めない。だからたっち・みーを救えない。彼女はそう言いたいのである。モモンガはそれを正しく理解し、理解した瞬間思った。

 

 あ、この人馬鹿だ、と。

 

 だってこの人は忘れているのだ。そのロジックを使うなら、モモンガにはまだ払えるものがあることを。

 だってこの人は気づいていないのだ。彼女が寄って立つロジックに、モモンガがつけいる隙があることに。

 それに気づかずヤレヤレなんて言ってる人を馬鹿と言わずして何と言えばいいのだろうか。モモンガは内心少し笑ってしまった。

(ああ、でも…)

 だが、『これ』を払うことには一つ問題がある。モモンガが払うことは仲間の誰もが反対し、認めないだろうということだ。特にぷにっと萌えとかその辺の非常に頭がいい理知的な人間が「ちょっと待ってモモンガさん、他に方法があるはずだ。考えよう」とモモンガを止めるのが明白である。黙っていればバレないと考えることもできるが、今ここにウルベルトがいるから無理だろう。そして彼もまたきっと止めるだろう。

 けど、止めて、止められて、考える時間は残されていない。今も尚彼女はこの賭け事を辞めようとしている。ディーラーとしての彼女にケチをつけられ不快だからとプレイヤーを追い出そうとしている。

 それを止められる時間はもう数秒もない。モモンガは自分の横で拳を握り、どうすれば、と狼狽えるウルベルトに小さい声で囁いた。

「ウルベルトさん」

「は、はい」

「先に言っておきます。すみません。許してください」

「は?」

 ウルベルトが聞き返す。それに答える暇は無い。リュウズが目を伏せ、肩を落とし、額の飾りに手を伸ばしている。

 その手が触れるその寸前、モモンガは身を乗り出し、リュウズの手首を掴んで止めた。

「ん?」

「リュウズさん。残念ながらまだ払えるものがあります。俺はそれであなたを買う…いや、あなたの()()を使わせてもらう」

「は…?」

 リュウズは掴まれた手首を引っ張って取り戻そうとする。だが、できない。物理的に不可能なのではなく、モモンガの気迫がそうさせているのだ。彼女は一瞬顔を本気で引きつらせ、けれどすぐにその表情を塗り替えた。伊達に千年生きてはいない。

「面白い。あなたは何を払うのかしら」

「受け取る覚悟はできたか?」

「私を満足させてくれるものならね」

 

 ―――乗った。乗ってきた。もう逃がさない。

 

 モモンガは笑う。自分の目的のため、仲間のために手段を選ばないが故に先に進める喜びで。ずっと上から目線で見てきたディーラーに、初めて自分の希望を叩きつけ、思う道に進ませることができる喜びで。

 それの対価に何を失おうとも、身を傷付けようとも、彼は喜ぶ。目的を達成できるが故に。

 モモンガは骨の顔の眼窩の奥にある炎を燃え上がらせ、地獄の悪鬼も震え上がるほどの壮絶な笑みを身に纏わせ、答えた。

「―――全てだ」

「えっ?」

「俺の全て、俺の身の全てをやる。ナザリックのものは無理だ。この腹の世界級アイテムもギルドのものだから…取り外して他人が使うことはできないから、『あなたには使わない』という約束をする。もしも俺が賭けに勝って、命を永らえたら、それもあなたのものだ」

 リュウズは目を大きく見開いた。宝石色の目が、モモンガの目の前で七色の光を見せる。

 そんな彼女の顔が、刹那の後一変する。彼女は美しい顔を歪めた。恐ろしい顔になった。獄卒が裸足で逃げ出し、天使が頭を抱えてうずくまり、いかな亡者の悲鳴もいかな管弦の音も皆丸まって震え上がるほどの壮絶な表情が、彼女の顔に浮かんだ。

「おまえ……!」

 リュウズには独自のルールがある。それは彼女が「自由」であるための対価として己に課したルールである。変人がもつ、他人から見ればよくわからないルールの山は、変人が自我確立のために何よりも大切にするものだ。モモンガはそれを知っていた。るし★ふぁーという自由人で問題児(マイルールでうごくやつ)がいたために。

 変人のマイルールはその人物が世界から自由であることの対価として受け入れる枷である。彼らは枷を枷として認識しないことで「自分は自由である」と認識している。

 今回においての当該ルールとは何か。それは「リュウズはディーラーであること」「ディーラーはまっとうなゲームプレイをプレイヤーに提供すること」「ディーラーの判断は絶対であること」だ。

 先程ディーラー(リュウズ)はモモンガに道を示した。それがものの例えのつもりであったとしても、示したことには変わりない。八百長じみていようが、詐欺じみていようが、それをディーラーが示したなら、それは立派なルールとなる。プレイヤー(モモンガ)が堂々と乗れるものになる。

 リュウズとしてはモモンガを諦めさせたかったのだろう。一度決まった結果を覆したくはなかったのだろう。自分の身を危険に晒し、己にとっての「過去」を変え、己の存在を危うくなどしたくないのだろう。

 だがそれはもう無理だ。モモンガが正規の手段で選択を取ってしまったから。彼女は「モモンガの生き様が対価になる」と示した。「ならばモモンガの全て」が対価にならないということはあり得ない。それを断ることは、彼女が自分で自分を否定することになるのだから。モモンガの人生に価値を認めた彼女は、彼の人生を価値なきもの、対価として相応しくないものと認めることはできないのだ。

 悔しげなリュウズの顔を見て、モモンガは心の中に愉悦の感情が生まれるのを感じた。

「逃げ道の無い選択肢の提示……あなたが最初にしたことだ。俺がやっても何も問題ないでしょう」

 だめ押しの一言を紡ぐ。リュウズはそれで己が詰んでいることを認めた。鬼気迫る表情をすぱりと消して、重い溜息を吐いたのだ。逆立ちかけた緑青色の髪はへたりと力を失い、リュウズもまた肩を落とした。

 モモンガが手を離すとリュウズの手首には赤い骨の手の跡がついていた。よほど強く握っていたらしい。その跡をさすりつつ、リュウズは心底悔しげに小さく呟いた。

「自分の身を切ってまでやることではないでしょうに…」

「たっちさんにはそれだけの恩がある。だからやった。それだけだ」

「あなたの底を見誤ったわ。面白いけど、面白くない。あーもー」

「諦めてください」

「諦めるわよ。もう。運が絡まないと弱いのよね、私」

 はあ、と肩をすくめ、彼女は一つかぶりを振った。その後目を閉じ、ぱんと音を立てて両手で自分の頬を叩く。

 次に目を開けば、もうそこにあるのは覚悟を決めたものの顔だった。

「わかりました。私は私の権能の全てを使ってあなたとウルベルトさんを過去に送ります。私も消えたくないからタイムパラドックスが起こらない方に賭けて動きます。対価に頂くのはモモンガくんの全て。行った先でウルベルトさんはたっち・みーさんの魂を救ってもいいし、いっそもう一度説得してもオッケーです。これはウルベルトさんの命との賭けとします。ウルベルトさんが勝ったらウルベルトさんは生きてるし、たっちさんも幸せになれる。ウィンウィン。たっちさんが救われなかったら、ウルベルトさんの魂は私達の世界に意識を持ったまま行くことは叶いません。

 それでよろしいかしら」

「俺の全ての下りはいい。けど、ウルベルトさんの命の部分を俺の命に代えることは?」

「お人形の首のすげ替えじゃないんですよできるわけないでしょうが。それにもうチップとしてあなたの命はテーブルに載っている。別のテーブルに移すことは不可能です」

「うっそうですか…ウルベルトさん、ちょっと作戦会議を…ウルベルトさん?」

 モモンガがウルベルトの方を向くと、ウルベルトは頭を抱えていた。頭を抱えて「なんでこんなことに…」と呻いていた。

「う、ウルベルトさん!?一体どうしたんですか!」

 慌ててモモンガがその体に手を当てて起こさせようとする。だが、そうさせる前にウルベルトは跳ね起き、モモンガにくってかかった。

「なんてことを約束してんだアンタ!」

「えったっちさんを助けるための約束ですけど。それより、ウルベルトさん、反対した身で悪いんですけど、説得、お願いできますか」

「もう後戻りできねぇんだろ!?」

 ウルベルトの確認にリュウズは首を縦に振った。ええそうよ、と。声に出さなかったのは万一声に出すとウルベルトの意識が飛び火してくると思ったからかもしれない。

「お、落ち着いて下さい、ウルベルトさん」

「これが落ち着いていられるか!なんだってあんたはたっちのために命なんて張ろうとした!?」

「同じ言葉をそっくりそのまま返させてもらいます」

「俺はあいつを倒すのが俺じゃないと気にくわないからだ。でもモモンガさんは違うだろう!?」

「違いません。いや、違うかもしれないけど、似たようなものだと思いますよ」

 モモンガのローブの襟元を握っていたウルベルトの手をモモンガはやんわりほどき、その手を下ろさせる。そして確固たる意思と表情を持って言いきった。

「俺はたっちさんにしてしまったことを後悔しています。その後悔を背負って生きるくらいなら、後に何があろうとも、払拭できる機会を掴みます。

 俺は後悔したくないんです。諦めたくないんです。泥沼上等ですよ。何をしてでも渡りきってみせます」

 モモンガの意思は変わらない。何があろうと、絶対に。それでもウルベルトは足掻くことを辞められなかった。幾度も言葉を重ね、身振り手振りを加え、なんとかモモンガを翻意させようとした。たっちは自分の敵だからやっぱりそのまま消させるわとも言ってみた。けど、それについてモモンガは小さく笑いながら首を横に振ってきた。

「ウルベルトさんはそんなことしません。たっちさんを叩きつぶす時は、堂々と、真正面から。そうでしょう?俺の知ってるウルベルトさんってそういう人です」

 そう言って、そんな「悪」のあなたが俺は結構好きですよ、なんて続けられてしまえば。

 ウルベルトにはもうそれ以上否やの言葉を紡ぐことはできなかった。




モモンガのリアル説得ロール成功により、たっち・みーの再ロールを認めます。
第一賭「ウルベルトによるたっち・みーの救済」
第二賭「リュウズによるタイムパラドックスの回避」

第一賭はウルベルトとたっち・みーの友情補正-30にモモンガの補正+30を加え、1d100で50以下で成功、51以上で失敗とします。


モモンガくんによるリアル説得ロールが火を噴きました。
オバロの2巻のリィジーとアインズ様との会話のとこ読んでから読むとちょっとギミックきいてて面白い、かも?稚拙とか言わないでネ♥(目つぶしの構え)

ところで私るし★ふぁーさんが結構好きです。ああいうやらかすタイプのある意味アダムスファミリー的な人って遠くから見ていたくなりますよね。そういうわけでこの小説は地味にるし★ふぁーを推していくつもりです。
誰だ親近感湧いてるんでしょとか言った人。その通りです。


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第23話

「よーしそうと決まればウルベルトさんとっとと死んできましょうか」

「は?」

「は?じゃなくて。それどころじゃなかったからかお忘れのようだけど、あなた死刑囚なのよね」

「あ」

「つまり刑の執行を待つ身なのね。今は私達がお話しするために時間を止めているから来ていないだけなのね。というわけで戻します」

 この会話の五分後、リュウズが時間停止の結界を解いたためにやってきた重苦しい顔をした刑務官達に囲まれ、ウルベルトは処刑場に向かった。

 刑務官達はウルベルトと同じ、どちらかといえば貧困層に属する人間である。職務内容を考えれば富裕層の人間がするものではないというのは明白だ、仕方なかろう。彼らは貧困層であるからこそウルベルトとその仲間が富裕層の象徴たるアーコロジーに牙剥いた理由をよく理解し、さらに心情的にはそれを応援する気持ちすらあった。しかしそれを示すことは許されない。故に彼らは皆一様に沈黙し、黙ってウルベルトを処刑場に連れて行った。寄る辺を同じくする者かつ立ち上がった勇者とも言える人物の、その首に縄をかけることをせねばならぬ己の身を責め立てる言葉とともに。

 そんなわけで刑務官達はものすごく深刻な顔をし、黙っていた。となると当然四方を黙り込んだ人間に囲まれたウルベルトも会話などできない。当たり前だ。

 だが、彼が会話できないだけであって彼には人ならざる者達との会話が聞こえていた。言うまでも無くリュウズとモモンガである。彼らはまるでウルベルトの死に神のように刑務官に囲まれた彼の後ろを歩きながら周囲を見渡しぺらぺらとおしゃべりに興じていた。そういうわけで彼は処刑場に行くまで死と緊張の気配の中で繰り広げられる暢気なおしゃべりを聞き続けることになった。後に彼は語る。この空気の差の中で黙って進まなければいけなかった時間こそ、自分にとっては何よりの拷問であったと。主に表情筋の運動とツッコミ衝動を耐えねばならなかった的な意味で。

「なんでウルベルトさんは俺達が来てから死ぬまでにこんなに時間があるんですか?」

「最初に説明しましたよ。『アクセスするタイミングは彼らが死んだか死ぬときにしましょう』って言ったじゃないですか。ウルベルトさんの場合は『死ぬとき』に該当するのです。私達は彼がもう死という定めから逃げ出せなくなった瞬間にこの時代にアクセスしてるってことです」

「なるほど。え、てことは逆に言うとあの独房に入れられた状態でもウルベルトさんが逃げ出すか何かして生き残る可能性があった、ってことですか。刑務官が来る前なら」

「そういうことになるわね?彼の仲間が助けに来るとか、そういう可能性が無いわけじゃないですからねぇ」

「なるほど。でもたっちさんの時は彼が亡くなった後に俺達は彼に会いましたよね。あれはどういうことなんですか。死んだか死ぬときっていうよりは、死んだ後って感じでしたけど」

「死んだ後は『死んだ』の方に入れてもいいでしょう。あんまり細かいこと言わないで下さいな」

「いや人の生き死に関わってるんですよ結構大きくないですか!?」

「私にとっては誰が死のうが誰が生きようがあまり関係ないわよ。彼は私の仲間ではないし」

「仲間以外はどうでもいいと」

「あなただってそうでしょ?」

「それは否定しませんが…」

「そういうところに親近感わくのよねぇ。あなたの作戦にまんまとハマッちゃったせいとはいえ、モモンガくんを手に入れたんだから何か…こう…面白いことしたいわね?」

「お、面白いこと…ですか…ってそれよりも俺確かにあなたに全部やるとは言いましたけど、何か契約とかあるんですか?」

「契約?書類とか交わすってこと?」

「はい」

「そんなものいらないわ。あなたはリィジー・バレアレを『受け取る』時に何かそのようなものをかわして?」

「いえ。でもエ・ランテルからカルネ村に移住させて軟禁状態にはしています」

「同じ事しようかしら」

「……」

「冗談よ、冗談。でも契約書面などが何もいらないというのは本当よ。私があなたをもらうと言う。あなたが自分をあげると言う。それだけで契約は為されるわ」

「形がない分抜け道も無い…よく考えられている…」

「そんなに難しいことじゃないわよ。言葉の力は思っているよりも強い、ということです」

「言葉の力?」

「昔蓬餅さん…あ、うちのギルメンの一人ね、彼から教えてもらったことがあります。言葉の力で、人は人に天の月をくれてやることもできるのだと」

「蓬餅さんって、あの、最後まであなたと一緒に居たという人ですか」

「そうです。もっとも、彼はヒトじゃなく熾天使だったけれど」

 熾天使。確かるし★ふぁーがそれだったな、とウルベルトが思い出すと同時に懺悔室についた。ここで神父だか牧師だか坊さんだかの話を聞くのが死刑囚の決まりなのだ。ウルベルトが刑務官の開けたドアの先に入ると、そこには坊さんがいて、ありがたい言葉をつらつらとしてくれた。だがそんな言葉はウルベルトの耳には一言も入ってこなかった。それよりも後ろの人外の会話が気になって仕方ないからだ。

「へぇ。でも、そんなことどうやってやるんですか」

「月を指さし、月をあげたい人にこう言うのです。『君にあの月をあげよう』と。それに月を捧げられた人が『はい』と頷けば、月はその人のものになります」

「なんだそれ」

 なんだそれ。

 ウルベルトの心の声とモモンガの言葉がハモッた。まだ坊さんの説法は続いている。

「うふふ。これが言葉の力というものです。魔法モノとかでよくある『呪文』とか『呪術』とか『呪い』に纏わるものは、これらが跳梁跋扈していた千数百年前には『(しゅ)』と呼ばれたものだったらしいです。

 言ってしまえば、私とモモンガくんは古の呪術で所有の縁を結ぶということですね。これは結ぶこと容易ならざるものですが、その分解くことも容易ならざるものです。ほらご覧なさい。なんと強固な契約でしょう。紙切れなどあるだけ邪魔というものです」

「そう…なんで、しょうか」

 そうなんだろうか。

「そうですよ。もしもあなたの側が破棄すれば、いえ、破棄しようなどと考えようものならばその途端『(しゅ)』は解かれ、解かれることでその上に乗っているありとあらゆるものが崩壊するでしょう。その『ありとあらゆるもの』の内容が何であるかは…言わなくてもわかりますよね」

 にこ、と深い笑みが刻まれる気配がウルベルトの背後でした。ぞわりと総身に鳥肌が立つ。ぶるりと震えたウルベルトを見て僧侶は死の恐怖を感じたのかウルベルトを哀れむ目で見た。

 二三の指示の後、ウルベルトの前に酒が並べられる。最後の晩餐というか、最後の食事と言った所だろうか。慣れ親しんだ、半分ドラッグのような安酒の匂いがぷんと辺りに漂う。それにゆっくりと手をつける。

「ああっウルベルトさん!そんな薬品みたいなもの飲まなくても!ナザリックに行けば美味しいお酒がいっぱい飲めるんですよ!」

「行けるかどうかわからないじゃない。たっちさんの説得に失敗したら彼もまたあちらの世界には行けないのよ?」

「ウルベルトさんなら絶対にできます。できるから、ああーっだからそんなものを飲まなくても!ウワッなんか負けた気がする…!」

 やかましい。ウルベルトは自身の身を尊ぶ故のモモンガの発言に顔の端を引きつらせつつただ脳みそを鈍くするためだけの酒を飲みほした。

 飲み干したのを確認し、刑務官がウルベルトを別室に連れて行く。そこで彼は首に縄をかけられ、顔に白い布をかぶせられた。

「後でいいじゃないのね」

「なんかムカついてきました。こいつら人間のくせにウルベルトさんを殺すなんて…」

「あのねモモンガくん、まだウルベルトさんも人間なの。ていうかたくさん人を殺した…殺したのかしら?まあいいや、とにかくテロリストなわけなのよ。その罪を死んで償うことで綺麗な魂になるわけなのよ。

 あなた死の支配者(オーバーロード)にまでなったのだから死者の本持っているのでしょう。アレに魂の在り方についての記述があるわよ。読んでないの?」

「よ、読んでません…」

「……読んだ方がいいわよ……あっ」

「そんな真顔で言わなくても……あ」

 

 彼らの言葉が途切れた瞬間、がこん、という音がした。

 

 



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第24話

「これが魂の状態ってやつか…」

 死刑執行の後、ウルベルトはぷらぷら揺れる自分の肉体を見上げ、己の手をしげしげと眺め、呟いた。一般的常識に基づく幽霊像がそうであるようにうっすらと透けている。己の手を何度もひっくり返す彼に、リュウズは汗の浮いていない額をわざとらしく手の甲で拭いながら「そうよ」と答えた。

「これであなたが一ゲーム終わるまでは持ちます。言い換えればそれ以上は持ちません」

「はあ」

 道理と常識を軽やかに踏みつぶして舞い踊るような超常の所業に、ウルベルトの口からはもうまともな返答すら出てこない。はあ、ともう一度気の抜けた相づちを打つ彼を見て、まだ超常に耐性のあるモモンガが呆れた口調で呟いた。

「すごいことですね。あなた一体なんなんですか」

 当然の問いだ。モモンガの問いに、リュウズは艶やかに笑った。

「あら私はディーラーよ。欲するままに動くあなたたちが喜びや苦しみで見覚えする様を見たくてたまらないだけの、それだけの存在よ」

 言いきられた言葉に、ウルベルトとモモンガは顔を見合わせ、そしてウルベルトの方だけが大きく表情を歪ませた。モモンガの方は表情が変わっていないが、正確な表現をするならば変わりようがないが、おそらく同じような表情を浮かべているのだろう。それを証明するように、彼らは二人同時に呟いた。

「趣味悪いですね」

「趣味悪ィぞそれ」

「なんとでもおっしゃいなさいな。さてそれでは賭けに参りましょ…ああそうだ。ウルベルトさんはその格好でよろしくて?」

「格好?」

 ウルベルトが自分の体を見下ろす。見やった先にあったのは、くたびれかけた囚人服だった。

「たっちさんは警察官でしたよね?いくら幽霊とはいえ流石にその姿じゃいかがかなと」

「それもそうか…でも、着替えなんてどうやったらできる?」

 ウルベルトは自分の服を摘まんで引っ張ってみた。着替える、という行為は可能な感触だ。けれど着替える対象がない。

 首を傾げながらリュウズを見ると、彼女は「簡単です」と言って両手を広げた。

「ただ思い浮かべればよろしい。物理的制約の全ては、もう今のあなたには意味無いのだから」

 リュウズはそう言うと手本を示すように広げた両手にそこそこの勢いを付けて自分の腰の辺りに振り下ろし、下半身をぽんと叩いた。すると、大蛇の身は一瞬で消滅し、代わりにそこに蛇の鱗柄のロングスカートを履いた二本の足が現れた。

「……は!?」

 男二人の目が点になる。彼らの目に見せつけるように彼女は笑いながらスレンダーというよりは肉感のある足を持ち上げて見せた。まぶしい程に白い足がスカートの裾から見える。内股の際どい所が見えそうになってモモンガとウルベルトが咄嗟に目をそらすと、彼女はにんまり笑ってまた手で腰の辺りを叩いた。途端、また下半身が蛇に戻った。

「ご覧の通り、このように。さあ、やってみて」

 微笑む彼女が腰から手を離し、ウルベルトの手を取る。言われるがままに挑戦してみたのだろう、次の瞬間ウルベルトの囚人服はさらりと風のようなものに吹かれて揺れたと思ったらごく平凡なシャツとジーパンになった。

「おっ」

「うわっ」

「そうそう、上手い感じ上手い感じ。それでは参りましょう」

 言うと同時に彼女の手がモモンガとウルベルトに伸びる。そのまま白い指が彼らの服の端を掴んだと思ったら、彼らは次の瞬間死体揺れる処刑場ではなく凝り固まった死の香り満ちる無機質で威圧的な建物の中に居た。

 

 

 

 彼らが立っていたのは白を中心とした四角い廊下の真ん中であった。両側の壁の腰辺りに手すりが設置されている。等間隔で開けっ放しの引き戸があり、その横には消毒用アルコールが入ったプラスチックポンプがある。

「ここは…」

「病院…でしょうか」

「そうね。時刻はたっちさんが亡くなったテロが起こる数十分前。彼は職場たるあの会議場に行く前に娘さんの姿を見に来たようだわ」

 言うと同時にリュウズは向かいからやってくる一人の男性に目をやった。端正な顔立ち。すらりと高い背。スーツ越しにもわかる、引き締まった体。すれ違う女人に恋慕の溜息を吐かせ、すれ違う男に無駄な対抗心を抱かせる彼の、その表情は沈み強ばっている。

 彼の手には、彼に似合わぬファンシーな柄の袋がある。どうやら見舞いの品らしい。かつ、かつ、と音を立てて廊下を歩く彼は彼を凝視するウルベルトに真正面からぶつかり、なんの抵抗もなく通り過ぎていった。

 ウルベルトは油を差し忘れてこりかたまったブリキ細工のような動きで振り返り、皺のないスーツの背を見つめる。その額から噴き出す汗を見た気がして、モモンガは不安そうに体を揺らし、リュウズはにんまりと笑った。

「さぁ、ウルベルトさん。はじめましょう。あなたの賭けですよ」

 白い手がウルベルトの手首を掴む。だが、その手が力を込めてウルベルトを引っ張る前にモモンガがはたと気づいて慌ててリュウズの手を掴んだ。

「え、ちょっと待って下さい」

 まるで三人で手を繋いだような構図である。見る者が当人達しかいないからまだいいようなものの、そうでなければ滑稽すぎて噴き出してしまいそうな光景だ。それに気づいたリュウズは不快感を微塵も隠さずにモモンガを睨んだ。

「なんですか」

 声に剣呑な色があった。下手なことを言えば恐ろしい何かが返ってくるだろうと用意に想像させる色だ。いっそ威圧すら感じるそれを、けれどモモンガは全く気にせずはじき飛ばし、リュウズに詰め寄った。

「なんですか、じゃないですよ。タイムパラドックスはどうなってるんですか!?今ここでたっちさんを助けたらこの後の展開がどうのこうのって…!」

「それはもう解決しましたからお気になさらず」

「はっ!?どうやって!?」

 モモンガが骨の顔の奥の炎をカッと燃え上がらせる。おそらく、驚愕で目を見開いたということなのだろう。ウルベルトもはたとそれに思い至り、こくこくと激しく首を縦に振った。

 そんな二人の行動に対しリュウズは逆に目を見開いた。

「さっき言いましたけど…」

「いつ!?」

「ほんとあなた人の話聞いてないのね…さっき言ったでしょう、『私も消えたくないからタイムパラドックスが起こらない方に賭けて動きます』って」

 だからおしまいです、解決です、と繰り返すリュウズに、モモンガは数秒完全に動きを停止した。その後、己の世界ががらがらと崩れかねない事象に彼ははたと気づいた。その気づきは彼の正気を削るものであったが、それが真実だと理解したならば彼の精神に多大な負荷をかけるものであったが、モモンガは問わずには居られなかった。

 それはきっと、彼が賽の目を振られる側の存在であるが故なのだろう。

「えっと……もしかして、あなたはその賭けに、勝ったと」

「はい」

「その口ぶりからすると、勝つ前提で賭けていた…?」

「正確なことを言うのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()。言ったでしょう?私は()()()()()()()()使()()と」

 リュウズは答えながらモモンガとウルベルトから手を離した。そのままゆるりと腰に当て、子どもにお使いの注意事項を言い含めるような顔をして、モモンガに向き直る。ウルベルトを意識の外に追いやった彼女は、ただ一人、始まりの賭け事に身を投じたモモンガに、それはそれは優しい目を向けて言った。

「よくお考え下さいな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を。

 私はあの城の主であり、主であるということは、挑戦者を受ける者という位置におります。けれど私はあなたを挑戦者にはしなかった。私の膝元で遊ぶ者にした。私は今までずっとディーラーディーラーと言っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 白い指先が、きらきらぎらぎら輝く『観察者の目』に伸びる。その輝きをつるりと撫で、彼女はその輝きを指先に灯し、はっきり言いきった。

「それは賭け事には私は必ず勝つからです。私はそういう存在になりはてた身の上なのです。そんな身で賭けをしても面白くないでしょう。だからやらなかったのです」

 答えから逆算すればわかりきったことだろう。けれど、そんな答えを逆算で導ける者などいるのだろうか。モモンガは自身の内心に浮かび上がった疑問に心から首を振った。そんなの、視点が狂っている奴にしか導けない。

 骨の身が、得体の知れないものを前にして小刻みに震えかける。それを手をぎゅっと握ることで耐えたモモンガに、リュウズはぴたりと人差し指を当てて締めくくった。

「そういうわけで、あなたたちのタイムパラドックスも『起こらないかもしれない』という『可能性』に賭けて当ててきました。そんなわけでウルベルトさんは安心して己の賭けを為せるのですよ。

 おわかり頂けたかしら?だいたい、そもそもこれほどの力が無ければご友人を異世界から呼び寄せるなんて奇跡起こせるわけないでしょうが」

 まったく、これだから発想力の無い人は、などとぶつぶつ言いながら彼女は首を振る。そんな彼女に、ウルベルトとモモンガはまた顔を見合わせて心の声を揃えた。

 

 これだから頭の中が狂っている奴は、と。




モモンガくんの願いを叶えるために必要なシステムがでかすぎるから話がでかくなる(逆ギレ)
オリ主の正体を考察しながら読んでもらえると楽しいかな…うん…あっ次回はダイス振ります。やっとファンブルとクリティカルの傷が癒えてきたので!とか言うとまたとんでもない出目を出されそうな気がする!と口に出すことでフラグクラッシュ完了じゃー!!


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第25話

 西暦2138年某月某日。

 日付を跨いだ瞬間に一つの夢の世界が永遠に失われると決まっていた日。

 その夜、午後10時を少しだけ回った頃。一人の男が病院に現れた。ぱりっとしたスーツ、見る者全てに好印象を与えそうな整った顔、引き締まった肉体、そういったものをバランスよく兼ね備えた男だ。

 彼は病院に受診のために来たわけでは無い。難病にかかって入院している娘に会いに来たのだ。その証拠に彼の手には女児向けの玩具が入ったポップな絵柄の袋があった。

 重病人ばかりがいるフロアの奥に男が向かう。いくつかの閉ざされた扉を通り過ぎたところで、男はドア横の名札の上に花の形の折り紙が飾られている部屋に着いた。それは彼の娘がまだ元気だった頃に手慰みにと与えた折り紙で作ったものだ。一体いつからそこに飾られているのか、壁に接着されていない花びらの一つが重力に逆らえず下に向かって垂れ下がっている。

 それに一瞬視線をやった後、男は娘の病室に入室した。時刻は夜の遅い時間。当然のように、娘は寝ている。寝息は聞こえない。か細すぎるのと、病院という施設自体がもつ消しきれぬ音の方が大きいからだ。

「やぁ」

 個室だけど、囁き声の挨拶をする。病院の微かな騒音の中に添えるが如き小さな声で、来訪を伝える。答えが無いのはわかっている。気にすることなく、男は持ってきた見舞いの品を彼女が起きた時に見える位置に置いて、そのまま娘のベッドの横に腰掛けた。

 彼が見つめる先ですっかりやせ細った娘が眠っていた。占い師に見せれば「死相が浮かんでいる」と言いそうな、死体のような顔色だ。もしも彼女が貧困層の人間であったなら、彼女の父が警察官という高給取りな職業に就いていなかったら、彼女はきっと今この時間まで生きながらえることはできなかっただろう。そう思わせる顔色だ。

 彼は座ったまま寝息を立てて眠る娘の顔をじいと見つめた。その脳裏に、数年前に亡くなった妻の面影が過ぎる。

「っ…」

 思わず手を伸ばして娘の頭を撫でて体温を確認してしまった。まだ僅かに暖かい。それに安心しつつ、彼は数日前に主治医に言われた言葉を思い出した。

(そろそろ覚悟を決めておいてください、か…)

 薬での延命。機械での延命。そのどちらも大枚はたけば可能なのが今の世の中だ。噂によるとアーコロジーの一つを牛耳る巨大企業の一つである蛇川財閥の一人娘が電脳化手術に適合せず全身麻痺になり、毎月目玉が飛び出るような金をかけて延命されているらしい。脳の一部だけでも生きていれば体が動かなくても「生きる」ことができるという証明の最たる例が彼女だろう。もっとも、彼女の場合は本人の意思ではなく、蛇川財閥の血統主義に基づき「胎」を残すことが目的の延命らしい。

 そんな巨大企業対して男には金がない。いや、一般的な基準からみればあるのだが、そんな、世界でも数人しか出来なさそうな治療を行うほどの金はない。さらに生命倫理的な問題もある。頭蓋骨を割り開き、脳に電極を差し、様々な薬品と様々な機械に体をつなげて生きることは、果たして本当の生と言えるのだろうか。そんな生を生と呼んでいいのだろうか。いやそれは生という監獄に人の魂を押し込め、死という救済から人間を遠ざける愚行だ。そんな生は本人が希望する生ではなく、他人が望む我が儘でしかない。

 男は娘の頭を撫でていた手をぎゅうと手を握りこんだ。娘は自分の玩具ではないのだと、手のひらに痛みを刻んで言い聞かせるように。そしてそのまま立ち上がり、病室を出ようとした。男には仕事があるからだ。いつまでも娘の顔を見つめていたいが、いつ死ぬかわからぬ娘を見守っていたいが、そんなことはできない。

 だが、後ろ髪を引かれる思いをしつつも彼が振り返った瞬間、彼の頭から仕事のことなど吹っ飛んでしまった。何故なら目の前に骸骨が突っ立っていたからだ。

 

 あり得ぬものを見たことで脳内で反応の交通渋滞が起こった男は、きっかり一分後硬直から解き放たれ、男らしい悲鳴を上げながら自身の座っていた椅子を持ち上げ骸骨に殴りかかった。

 

 

 

 

 

 

 一時間後。十分かけ落ち着かせ、職場に体調不良による欠勤を連絡させ、さらに五十分かけモモンガはウルベルトとともにたっちに事情を説明した。

 彼らにとっての過去、たっちにとっての未来でたっちが死ぬ運命にあること。

 その運命にモモンガが下手に干渉したせいで彼の魂が砕け散ったこと。

 彼の目的はそんな所業を為すことではなく、たっちを異なる世界に連れていきたかっただけであること。

 けれどそれが叶わぬようだから娘との最後の対面だけでもさせてあげようと思っていたこと。

 それができなくて彼の魂が砕けてしまったこと。

 何故出来なかったかと言えば、彼が亡くなる前に、彼の生きる目的であった娘さんが亡くなっていたからであること。

「それはつまり、私の娘がもう死にそうということですか」

 強ばった顔で聞き返すたっちの目は、既に死んでいるらしく半透明のウルベルトがいる。彼は腕組みすると「そういうことになる」と答え、ちら、とたっちの娘を見た。

「言っちゃ悪いが、俺に言わせれば『もう死にそう』っつーか、『ほんとは死んでるけど無理に生かしてる』だぞ、これ」

「っ…」

「家族の命の存続を望む気持ちはわからんでもないがな…」

 たっちの娘の腕にはいくつもの点滴の跡がある。今も点滴の管が彼女の体から伸びている。一体いつから起き上がっていないのだろうか、体にかけられた毛布もその下の肉体が薄いことを示すかのようにうすべったい。眠る少女の頬は痩け、髪は最低限の栄養があるだけなのかひどくぱさついている。枕元に集められた子ども用玩具の明るさが、彼女の生命力の枯渇ぶりを逆に強調しているようにも見える。

 ウルベルトは半透明の身で冷静にそれを指摘する。たっちは思わず反論しようとしたが、死人に生を歌っても意味ないし、そもそもモモンガとウルベルトは両親を貧困層故の事情ではやくに亡くしていると聞いていたことを思い出し、ぐ、と口をつぐんだ。彼らにはこうやって家族と少しでも長く居ることすらできなかったのだ。何を言っても嫌味のようになってしまうかもしれない。

 それに、たっち自身わかっているのだ。かの最高級の延命処置には及ばずとも、これだけのことをして生きながらえさせることが当人のためになるのか、それがわからないことに、彼自身気づいているのだ。

「だ、がっ…なら、どうすればいいんだ!」

 たっちは思わず拳を自分の太ももにがつんと叩きつけながら叫んだ。彼とて娘に痛い思いをさせたいわけじゃない。おとうさん、いたい、と、泣く娘を楽にしてやりたい気持ちも確かにある。でも無理なのだ。どうしようもないのだ。

 彼の血を吐くような言葉に応えたのは、モモンガでもウルベルトでもなかった。自己紹介した後彼らの後ろでとぐろを巻いて待っている女性だった。薄い青色の口紅を差した彼女の唇が滑らかに開き、言葉を紡ぐ。

「何もしなくていいわ」

「は…?」

「何もしなくても、いいわ。言ったでしょう。娘さんの命はもう長くないと。見ていたわけじゃないから確実なことは言えなかったけれど、どうやら眠っている間に逝けるらしいわね」

 白い指先がゆっくりと持ち上がり、たっちの後ろで眠る少女をついと指さす。弾かれたように振り返ったたっちはすぐに娘の手を取った。その、骨と皮ばかりの手首を押さえて脈を探る。

 脈は弱くなっていた。一つ鼓動する度に、段々と弱くなっていく。手の中で命が失われていく。たっちは反射的にナースコールを取ったが、それを押し込む前に病院内がにわかに慌ただしくなった。

「な、なにが―――」

「たっちさん、これは俺が前にあなたと会った時にあったテロ事件です。さっき言ったでしょう、あの時あなたが死んだことで俺はそこであなたと会えたと」

 おろおろするたっちに答えたのはモモンガだった。彼にはこの喧噪にお覚えがあったのだ。

 答えられた内容に、たっちは思いっきり目を見開いた。

「て、ことは私も今この瞬間死んでいた…?」

 たっちの手から、ことりと音を立ててナースコールが落ちる。状況の変化と叩きつけられる情報の奔流にいよいよ理解が追いつかなくなってきた彼に、ちらりと時計を見たウルベルトは首を振った。

「いや、お前が死んだのはもうちょっと前だな」

「何故知っている」

「そりゃお前、俺があのテロ事件に参加してて、俺の目の前でお前が死んだからだよ」

「!?」

「!?」

「あ、やっぱりあなたはそのテロのテロリストだったのね」

 目を剥いたのはたっちとモモンガ。あっさりとした返答をしたのはリュウズだ。呆然としている中にまたさらに情報を積み上げられたたっちは、よろ、とよろめき娘のベッドにぶつかった。咄嗟に柵にしがみつき、焦点の合わぬ目でウルベルトの半透明の体を見る。

「え、ええと、つまり、お前が私を殺してる…?」

「いや殺したのは別人。つーか、お前は生きてるけどな、今」

「一体何がどうなっているんだ…」

「リュウズさん以外みんな同じ事考えてるから一周回って無視した方がいいですよ、その疑問」

 悟りきった声でそう言うのはモモンガだった。彼の言葉にウルベルトが深く深く頷き、さらに彼はがたりと椅子を引いて立ち上がった。半透明の身で一歩二歩と歩を進め、たっちの娘の顔をのぞき込む。濃い死相の浮かぶ彼女の顔を見つめ、布団の外に出ている手をつつき、彼はくるりとリュウズを振り返った。

「あんた」

「私には名前がありましてよ」

「リュウズさん。ちょっと。この子を起こすことってできるか?」

「何をしたいのかによって方法は変わりますが、おそらくは」

「あんたの言葉を信じるなら、この娘はもう死にそうなんだろ。で、この馬鹿は娘の死に目に会えなかったからさらさらーって崩れたんだろ」

 この馬鹿、と言いつつウルベルトはピッとたっちを指さした。たっちは額に浮かぶ汗を拭うことすらできず呆然とした表情で話を聞いている。おそらくSAN値チェックに失敗したのだろう。そんなたっちを気にすることなく言葉を紡ぐウルベルトに、はあ、とリュウズは気のない相づちを打った。

「そうですね。まあその切っ掛けを作ったのはモモンガくんですが」

「うぐっ」

「それをしないためのやり直しの機会なんだろ、今。

 なあ、この子を起こして、この子に父ちゃんとちゃんとお別れさせてやりたいんだが、いいか。大事なのはそこなんだろ」

「あーそうなりますと……ああ、うん、私が何もしなくてもできますよ。ほら」

 ほら、という言葉と同時に、すう、と娘の体がぶれる。微細かつ高速の運動をしたわけではない。娘の体と全く同じ、けれど半透明のものが娘の体に重なっているからそう見えるのだ。

 不思議な言い方になるが、その「質感」は今のウルベルトと良く似ていた。つまりは幽霊だ。

「―――!」

 たっちの顔に、絶望が表れる。悲鳴じみた声で娘の名を呼ぶ彼の手は、娘の手をすり抜けた。まどろむような目をした娘の手は、すぐにふわりと消えていく。

「幼いし、生に諦めがついているから浮遊霊にも地縛霊にもならずに成仏するのね…まっすぐに育ったよい子なのねぇ」

「そんな、待ってくれ。嫌だ!」

「言うと思った。お嬢ちゃん。ちょっと待ってくれ」

 血を吐くような叫び声。それでは止まらず消えて行きかけた少女の手を、ウルベルトはぱしりと音を立てて掴んだ。一見すると犯罪だ。一見しなくてもおっさんが少女の手首を掴んでいるので犯罪だと判断できる。なのでたっちは条件反射で叫んだ。

「その手を離せ!手を上げろ!」

「いや、俺が離したらこのお嬢ちゃんすぐに消えるぞ」

 冷静なツッコミである。話の輪からだんだん押し出されていったためなんとなくリュウズと一緒に壁際に寄ってみたモモンガはもっと冷静に「いやそもそもなんで成仏しかけた魂をウルベルトさんが捕まえられたんだろう」と思ったが、特に口にすることはなかった。否、口に出せなかった。

 何故か?その答えは簡単だ。何故なら彼が何か言葉を紡ぐ前に、この部屋に最初から居たにもかかわらず今の今までずっと喋らなかった人間が言葉を発したからだ。

 

「―――おとう、さん?」

 

 半透明の身で、目を見開いた、たっちの娘が。




もうこの話たっちさんが主人公でよくない?


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閑話

 これはモモンガが仲間との再会を願った日から千年と数日前の、とある不思議なギルドのお話。

 

 

 

 

 ユグドラシル最終日当日。誰より早くユグドラシルにログインしていたリュウズが拠点内でぼうっとしていると、ギルドメンバーのログインを知らせるログイン音が鳴った。それと同時に自分の前にギルドメンバーが現れる。

 アバターが表示される前にぴこんと立ち上がったバーに示されていた名は、蓬餅。リュウズが統べるギルド『翼持つ人々』の副ギルドマスターだ。六対の翼を持つ美しい熾天使の彼は、ログインと同時に目の前にいるギルドマスターに片手を上げた。

「おはよ。今日も早いねぇ」

「蓬餅さんこそ。今日はお仕事では?」

「んーお休みってかんじかな。それよりもさ、ちょっと手伝って欲しいことあるんだけど」

 肩をすくめて答えた蓬餅にリュウズは不思議に思いつつもこくりと頷いた。

「暇ですから大丈夫ですよ。でも、最終日にやることって何ですか?パーティーでもするの?」

「いんやーうちそんなのやるっつったって誰が集まるかわかんないっしょ」

 からからと笑う彼は、笑いながらアイテムボックスから次々とアイテムを取り出しはじめた。イベント用の花火や爆薬やら魔法薬やら色々だ。戦闘には使えないがパーティーグッズであることは明らかなそれをあらかた床に出した彼は、こんもりと山を作るそれを半分ほどリュウズの方に押し出した。

「これをさ、売ってきてユグドラシル金貨に変えてほしいんだ。最終日だから高く売れると思う。で、売ったら本を買うから」

「本、ですか…」

 リュウズはあからさまに「意味がわかりません」という雰囲気を滲ませた声を出す。だってそんなもの、今晩終わる世界に用意したって意味ないじゃないか。

 ギルドメンバーは皆大なり小なり自由人だ。自分の好きなことを好き勝手やることを楽しむ者達の集まりだ。それでも、そんな遊び場が終わる日に態々遊び場にものを持ち込むことは不思議で不審すぎる。

 リュウズの声を聞いて、蓬餅は白い手をトンと胸に置いた。

「そ。本。ここ、本とかめっちゃ少ないでしょ」

「要りませんからね」

「でもね、俺ね、必要だって朝起きたら思ったんだよ」

「どうしたんですか、一体」

 聞き返しつつ、リュウズは並べられたアイテムをもぞもぞと自分のアイテムパックの中に入れていく。ついでに魔法を使う必要があると判断し、頭に被る世界級アイテム『観察者の目』も外してアイテムパックの中に放り込む。途端起動する天空城の防衛機構の数々の駆動音が彼ら二人のいる広間の向こうで響きだした。

「あー…なんつーのかな…」

 問われ、蓬餅はかゆくないはずの頭をぽりぽり掻いた。

「一言で言うとな、夢を見たんだ」

「夢、ですか」

「ああ。あ、あーっとな、た、たぶん昨日ログアウトした後読みあさった小説のせいだと思うんだけどさ!うん」

「はあ。で、その内容は一体…」

「えっとな、一言で言うと異世界転移モノ」

 すぱりと返ってきた言葉にリュウズはしばし硬直し、その後、ぷふ、と堪えきれぬ笑いを漏らした。

「ふ、ふふっ…い、異世界転移ですか…」

「あんだよー!このゲームだって似たようなもんじゃんか!で、だな。急にユグドラシルに愛着湧いちゃってさ。だったらここが異世界転移しちゃった時に備えて色々と備蓄しておこうかなって」

「昔からカッ飛んだ発想の人だとは思っていましたが、最終日でまたカッ飛んだところを見せてきましたね…」

「いいじゃんかよ!でさ、まあそういうわけでだったらまず本が欲しいわけだよ。おけ?」

「オッケーです。もしかするともしかするかもしれませんしね。面白そうだし」

「んんー俺あんたのそういうノッてくれるとこ大好き!」

「うふふ。それでは売り切ったら<伝言>を使って連絡しますね」

「あいよっ」

 蓬餅が立ち上がると同時にリュウズが羽ばたき、窓の外にぽんと身を投げ出す。暫く自由落下していったのち、彼女は背中の玉虫色に輝く翼をばさりと羽ばたかせ、異形種の集う街に向かって飛んでいった。

 彼女の後ろ姿を見ながら蓬餅は思う。今日はユグドラシル最終日である。それ故、彼女に託したパーティーグッズは需要があり高値で売れる。金貨など取っておいても意味がない故に、おそらくとんでもない高値でもひょいひょい売れるだろう。蓬餅はその売った金で、たたき売りされている本や、家具や、住みやすくするものを集めていくつもりなのだ。

 残された時間は十数時間。蓬餅は昨夜見た夢を正夢と信じ、仕事を辞めて時間を捻出してきた。辞めてきたからには腹をくくるしかない。現実(リアル)は無職が生きながらえられるほど甘くないのだ。ついでに言うと美味しくもない。固執してしがみつく理由なんて全くない。

 

 ここではないどこかに行ける可能性があるのなら、それに賭けてみるのはきっと良い案だ。

 

「モモンガさんとコンタクト取ればよかったなー…でもヘルヘイムに今から行くなんてことできないし。せめてたっちさん系の話ができるように変身ヒーローのデータ入りの本集めとくか…無ければ作ってもいいしな。片手間でできるだろ。

 あとは…そうだ、飯の類。あれなんとかせんと。NPCで料理出来る奴は…いねぇか。うーん、誰かの設定欄弄って書き換えとくか…ギルマス権限で後でやってもらお。あとはスクロールか。買い溜めできる分がっつり買っときたいなー。俺達に研究技能はないし。

 タイミングが問題なんだよな…できれば向こうが転移した後に現れたいような、そうでもないような…うーん、迷ってもしゃーねーか!よし、いこっと」

 蓬餅はぶつぶつと考えをまとめようと呟いた後、うん、と頷いて立ち上がった。ばさりと翼を広げ、リュウズが出て行った窓と同じ窓から外に出て、彼女が向かったのとは違う街に向かう。

 その後彼はちらほらとログインしてきたギルドメンバー皆に同じような話をし、おもしろがったギルドメンバーは皆で「このギルド拠点が異世界に飛んだ時のための準備をする」という遊びを満喫した。ある者は投げ売りされていた神器級アイテムと溜め込んでいたクラッカーの山を交換し、ある者は突貫工事で天空城の内部に簡単な厨房を作ったりもしてみた。たった一人の男の妄言の元に彼らは一致団結し、最後の時を彼らなりに有意義に遊び尽くした。

 そして日付が変わる時。もしもこのまま異世界に行けるのであれば行ってみたい、と口を揃えた者達のみが残り、天空城の一番てっぺんに上って輝く月を見上げた。

 彼らの真ん中で、月光に翼と髪と鱗を煌めかせるリュウズに、その隣で月を見上げる蓬餅は呟いた。

「綺麗だな」

「ええ、全く」

「ギルマスも綺麗だよー」

「俺達ってこういうしんみりした空気になれたんだな」

「ちょ、台無し台無し」

「お菓子たべたーい」

「一応酒も用意したのに飲めないって辛いな…」

「バフ用のやつは置いといたじゃん。バーも作ったし」

「使えないだろ…」

「くしゃみ出そう」

「ギア外さないように気をつけてやれよ」

「外れてアバター止まったら『おおゆうしゃよしんでしまうとはなさけない』ごっこやろうぜ!」

「てめぇはどっちかっつーと魔王だろ」

「シューベルト?古いねぇ」

「シュークリームたべたーい」

「飴でも舐めてろ」

 一人の声がきっかけでしんみりした空気はがらがらと崩れ去り、途端皆が好き勝手しゃべり出した。だが、全盛期千人以上いたのに対し、今ここには数十人しかない。時によって選りすぐられた自由人達の中で、波長が合う者達しかいない。だから好き勝手な喧噪でさえ心地よい。

 そんな喧噪を聞きながら、リュウズはふふっと笑った。仲間の声を愛おしむように、仲間の心を慈しむように。

 そんなリュウズのかすかな笑い声を聞きながら、喧噪の中、残り一分を切った世界の中で、蓬餅は隣を見た。月光にきらきらと『観察者の目』の宝石が輝くのが見えている。不思議なことにいつもよりも強く輝いているようにそれを無視し、その下の、乳白色と虹色を混ぜたようなリュウズの目を見て、蓬餅は問うた。

「なぁ、ギルマス…いや、リュウズさん」

「はい、なんでしょうか」

「もしも俺の言ったように、マジで他の世界に行けるなら、リュウズさんは行きたいと思う?」

 アバターの表情は仕様の問題で変えられない。だが、声だけで真剣なことがわかる蓬餅の声を聞き、周りで好き勝手喋っていたメンバーは皆潮が引くように口を閉ざし、皆が蓬餅を見つめ、リュウズを見つめた。

 緩んだ空気に、言語化の難しい類の緊張と例えるべき何かが満ちる。言語化が難しいと言ったのは、それが人の生において前に体験したことがないもの、つまり、例えるべき類似事象が見当たらぬ希有な雰囲気だからである。緊張という二文字を当てはめたのは、それが一番近いからに過ぎない。そのものずばりというわけではない。

「そう…ですね」

 問われた言葉に、リュウズは額の飾りにそっと手を当て、月を見上げた。

「万に一つ。億に一つ。兆に一つ京に一つ……星の数を分母とし一を分子とした、それだけの確率でも、真にその可能性があるのなら……」

 彼女を見つめる者全てが、動くはずのないアバターの、その目がぎらりと光ったように感じた。答えている唇は動いていないから、目だって絶対に動いていないはずなのに、動いたように幻視した。額で輝く額冠の宝石が、まるで生き物の目のようにギラリと光ったように見えた。

 その幻視に沿うように、彼女はこくりと頷き、答えた。

 

「ええ。私は別の世界に行きたいと思います。いえ、行きたいです。動かぬ体を捨てて、動ける身で。私だけではなく、皆が。私だけでは無く、この世界を愛し、友を愛した、その全ての人々が。慈しんできたこの世界のもの、全てとともに。

 

 可能性があるのなら、私はそれを掴みたい」

 

 白い手が輝く満月に伸ばされる。地上にあるよりもずっと近いそれに、彼女は手のひらをかけ、ぐ、と握り込んだ。神の宝珠と例えられそうな白銀色の天体を、彼女は握り込む真似をした。掴み取る真似をした。

 奇しくもそれは時刻午前零時になった瞬間だった。リュウズと蓬餅以外の皆が雰囲気に飲まれ黙っていたが、終了時刻を過ぎても終わらぬ世界に一人二人と異変を感じ、騒ぎはじめた。これは一体どういうことだ、お前顔動いてるぞ、ぎゃあ足踏んだの誰だ、痛いってことはフレンドリーファイア解禁か!?などなどエトセトラ。

 騒ぎはじめた仲間の異変を感じ慌てたリュウズが体を起こし仲間の調子を確かめはじめたのを見ながら、蓬餅はふうと息を吐いて自分の翼の羽を一枚引っこ抜いてみた。痛い。痛いことも大切だが、()()()()()()ことも大切だ。

 ユグドラシルでは翼はただの翼であり、骨と肉と羽の集まりではない。そうなった、ということが示すのはここが現実であるという事実だ。それをしみじみ感じつつ、蓬餅はふはっと笑った。

 

 

 

 

 

 『翼持つ人々』副ギルドマスター、蓬餅。彼はその後四百年ギルドとともにこの世界を謳歌した。そんな彼は仲間のために多くの知恵を残した。いずれこの世界を席巻するであろう者への交渉材料として様々な知識を巧妙に己の居室やギルドの埃まみれの宝物庫に残していった。

 だがそんな彼が墓場まで持っていった言葉が一つだけある。天使の翼を全て失い、暁の輝きを耐えさせて、その身を愛しい人がかき抱き、宝石色した両目から滝の如く涙溢れて崩れ落ちる体を濡らす中、それでも口にしなかった、その言葉とは。

 

(……丸山くがね作『オーバーロード』。まさか、こんな形で楽しめるとはなぁ。あと何年後になるかはわからないけど、モモンガさんと仲良くね、リュウズさん)

 

 ―――彼が愛した、とある一つの物語。




実は蓬餅さんは転生者でしたという本編のストーリーにはあんまり関係ないお話でした。だって彼もう亡くなってるしネ。
昔から転生者の自覚があったわけではなく、ユグドラシル最終日一日前の夜に夢で「思い出し」たのでモモンガさんたちとの接触はしたことがありません。


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第26話

 殺伐とした世界に咲く可憐な花。たっちという男にとってそれは家族であった。愛おしい妻子であった。その片方を何年も前に失い、今この時もう片方も失った。その衝撃は筆舌に尽くしがたく、故に彼は己を呼ぶ娘の声にすぐに応えることができなかった。

「おとうさん…?」

 そんな彼に、半透明になった娘はもう一度声をかける。最初の言葉が呼吸に近い自然なものだったのに対し、今度の言葉は明確な「心配」の色をのせている。それを敏感に察知したたっちは止まっていた呼吸を再開し、娘に駆け寄った。だがその手は娘に触れること能わない。

 生者と死者。それは明確な断裂に隔たれた存在である。互いの岸からお互いを見やることは稀にあろう。だがその手を取ることは叶わない。

「―――、―――っ…」

 まるで壊れた音響装置のように彼は娘の名を何度も繰り返した。ただ逝くばかりとなったその身を、心を、僅かでもまだ自分の側に置こうとするように。その姿は紛う事なき子の死を嘆く父親のものだった。哀切を極めた慟哭が、病室の消毒液の匂いに満ちた大気を震わせる。

 モモンガもウルベルトも、その鳴動に飲まれていた。彼らは幼少期に親に置いて行かれた側の人間だったために親というものの記憶が酷く薄い。微笑んだ顔も、子守唄を歌う声も、抱きついた体の温もりも、その香りも、とうの昔に彼らの記憶からは消えている。

 だからこそ彼らは思う。もしも、もしも、彼らの親が生きていれば、彼らは今目の前で娘のために泣き叫ぶ男のように自分の死を嘆いてくれたのだろうか、と。

 その思考が嫉妬心のようなものを呼び起こすその前に、ウルベルトは手に取る娘の手首を僅かに引っ張った。

「お嬢ちゃん」

「はい」

 病院着の隙間から見える細い手を引くウルベルトに娘の顔が向けられる。その顔には混乱はあれどその度合いは低いものだった。

(理知的な光を宿した目をしている)

 ウルベルトは正面から見つめた目にそう感じた。見目から判断する歳からはちょっとかけ離れた理性の色だ。きっと頭がよく判断能力に優れているのだろう。半透明の自分、泣き叫ぶ父親、部屋の隅に居るこの世のものとは思えぬ異形……そういったものを見て、何があったか、何が起こっているのか、判断できているのだろう。この壊れた大気に毒されて居なければさぞ優秀な人間に育ったに違いない。

 ウルベルトは、すいと身を屈めて床に膝を着いた。目線を合わせるためだ。

「今何が起こっているか、説明しよう。落ち着いて聞いてくれるかい」

「はい。あ、でも、おとうさんが…」

「おいたっちお前いい加減正気に戻れ。ここからだぞ、本題は」

「……たっち?」

 ウルベルトがたっちに向けて言い放ったぞんざいな言葉を捕まえて、娘は僅かに首を傾げる。聞き覚えがある言葉だったらしい。彼女は暫く考えて、ああ、と頷いた。

「おとうさんの、ゲームでのお名前ですか」

「そうだ。俺はこいつ…じゃなくて、たっち、さん、の、ゲーム仲間だ。まあもう死んじまってるが。ゲームでの名前はウルベルト。リアルでの名前は…死んだ身だ、いらんだろ」

「わかりました。ウルベルトさん、ですね。私の名前は―――です」

「うん」

 ウルベルトはゆっくり頷いた。利発で聡明な子どもは嫌いじゃない。辺に騒ぎ立てない辺りたっちよりも好印象だ。僅かに口の端に笑みをのせつつ、彼は「さてそれでは説明しよう」と前置きをして、彼女に今の状況を説明した。

 

 彼女はもう死んだ身であること。

 彼女の死に目に会えなかったことで、たっちの心が壊れてしまったこと。

 その壊れた心を助けるために、今時間を遡って過去のたっちを病院に留めて彼女の死に目に合わせてあげていること。

 だというのにたっちは絶賛崩壊中であること。主に涙腺的な意味で。

 何故たっちの心を助けようとしているかというと、部屋の隅にいる骸骨が、たっちの死後魂を別の世界に連れていくために誘いにきており、そも壊れたら話にならないから壊れないようにしようとしているからであること。

 

 説明にかかった時間は体感時間で一時間ほどだろうか。二つの世界に二つの時間が絡みつき、事象がこんがらがっているので説明は困難を極めてしまった。それでも、時折たどたどしくなるウルベルトの説明を、娘はしっかりと最後まで聞いて理解した。きっと彼女は己の命の刻限を悟り理解し納得していたために心穏やかでいられるのだろう。それができていない男はモモンガに背をさすられて部屋の隅の椅子に座っている。ポケットから出したティッシュはとうに空になり、今はベッドサイドのチェストに入ったティッシュボックスを一定ペースで空にし続けている。

 そんな父親の情けない姿をちらちらと見ながら、娘はウルベルトが語り終え口を閉じたタイミングで口を開いた。

「つまり、あなたはおとうさんを助けるためにここにいるってことですか」

「そ……そういうことになる……かな……」

 ウルベルトが、たっちを、助ける。仲間に聞かれたら確実に一生ネタにされ続ける表現だ。これを口にした人間がアインズ・ウール・ゴウンの仲間であれば魔法の切っ先を突きつけていい笑顔で「訂正しろ」と迫れるのだが、年端も行かぬ子どもにしていい所業ではない。ウルベルトは肯定か否定か迷った挙げ句、歯切れ悪く肯定することにした。後ろで骸骨が噴き出したような音が聞こえたのは聞かなかったことにする。

 ウルベルトの肯定を娘はただ肯定と受け止めた。父と母の遺伝子を素直に受け継いだ整ったその相貌に晴れやかで、誇らしげな笑みが浮かんだ。

「おとうさん、いい友達だね」

「えっ…あ、ああ…」

「ユグドラシル、だったっけ。辞めちゃったの、もったいなかったね。私、もっとおとうさんのユグドラシルの話聞きたかった」

 彼女は思い出す。ゲームでの世界のことを、異世界の物語を語るように熱く語ってくれた父の声に満ちていた興奮と、心底楽しげな表情を。白熱した語りに苦笑しつつ、母が用意してくれたコーヒーとココアを二人で飲んだ時の、喉を下った熱の心地よさを。腹に収めた熱のままに、電脳化手術をしたら私もユグドラシルをやりたい、と言った時の、夢の世界に心弾ましたその時の興奮を。

 彼女にとってユグドラシルは夢の世界だ。父が愛した、愛する、素晴らしい世界だ。その世界から父の友人が父を連れてこようと態々やってきたのなら、父には是非その手を取って欲しい。彼女は、幼い少女は、無垢な魂を輝かせ、心の底から愛しい家族の幸せを願う。

 にこりと笑い、娘は涙で目を腫らすたっちに言った。

「行きなよ、ユグドラシル。私のことは、心配しないで」

 優しい言葉だ。愛に溢れた言葉だ。ただしそれは、あくまで一方的な愛情だ。

 幼い娘の無垢な愛に、たっちはがたりと椅子を倒しながら立ち上がった。そんなことはできない、と彼は涙ながらに首を振る。どこの世界に愛する娘の死を見ながら夢のような世界に旅立つ親がいるだろうか?

「お前だけ置いていけるか!」

「リュウズさん、この子も連れてく方法はないんですか」

 ウルベルトは部屋の隅の闇に体を置くリュウズの方を振り返る。誰より遠い場所でこれまでのやりとりをじいと見つめていた彼女は、ぞろりと蛇の体をくねらせて首を振った。

「無いわ」

「可能性すらもありませんか?」

「可能性すらもありません。だってその子、ユグドラシルをやっていなかったのでしょう」

 その子、と言いつつリュウズの手が娘を指さす。指された娘は人のようで人ではなく、目のようで目とは違うリュウズの眼球を真正面から見て息を止めつつこくりと頷いた。

「はい、やってません」

「ということは、あちらの世界にはあなたの「魂」を入れる「肉体」がないということになるわ。それじゃあ無理です。あなたという個人を完全に維持したまま向こうに連れて行く方法は、百パーセントありません」

 可能性が無いものはどうしようもない。リュウズの能力らしきものは万能ではないのだ。肩をすくめて言いきった彼女に、たっちは「なら」と首を振る。

「私はそちらの世界には行けない。娘を置いて、そんな、こと」

「お前が夢を諦めることで嬢ちゃんが幸せになるわけでもないのにか?」

「それでもだ…!」

 血を吐くような叫びで大気を震わせつつ、たっちはそろりと手を伸ばす。触れられぬ故に、添えるようにして、娘の頬にその手を当てる。温度も何も感じないのに確かに手と手の間から自分を見つめる丸い目に、彼は顔を歪ませた。

「子どもよりも幸せになれる親なんているか…」

「でも、でも、おとうさんが幸せなら、私はうれしいよ…?」

「お前が生きててくれることが私の幸せなんだよ…」

 どうしようもない。繰り返す。どうしようもないのだ。どちらかの幸せを取ればどちらかの不幸せがやってくる。娘の幸せを取ればたっちは娘の魂の消滅を目に焼き付けて壊れて消えるだろう。たっちの幸せは、もうどうがんばっても叶わない。ならば双方不幸になるしかない。階段を上がれるのが一人しかいないのなら、二人して奈落の底に落ちるしか、一緒に居る術はない。

 そんな時、人間はどうするか。大体の場合において人間はその時ともに落ちることを望む。幸せの総和が一番少ない選択肢を何故取るのか。その理由は人間の本能にある。

 人間は他のありとあらゆる種族よりも「一人でいること」を恐れる。彼らは知っているのだ。孤独を理解する理性があるが故に、彩度高き目と高度な頭脳を持ったが故に、孤独が何より恐ろしいものであることを。だから彼らは幸せよりも共にあることを選択する。

 その知的生命体故の呪縛から彼らを解き放つ鍵は無いのだろうか。赤信号皆で渡れば怖くない、絶望の選択皆で選べば傷を舐め合える、そんな後ろ向きな連帯感を切り裂けるものはないのだろうか。ウルベルトは心底似合わぬ絶望という表情をその顔に刻み込んだたっちの顔と、焦り出す彼の娘の顔を見ながら必死に言葉を探した。道を探した。

 

 そして、唐突に、本当に唐突に、彼は解決策を見つけた。そう、彼は正しく「見つけた」のだ。彼の目の前に「置かれていた」その選択肢を。

 

「―――ッ!?」

 思わず目を見開きつつ闇の中に戻ったリュウズを凝視する。部屋の角を埋めるようにして翼で身を覆いじいとうずくまる彼女の目と、目が合った。

 直後その宝石色の目はつうと弓形に細められた。口も、白い歯を見せてニィという音が似合う笑みを浮かべている。してやったり、とか、作戦通り、とか、そういう心の声が聞こえてきそうなその笑みを見て、ウルベルトは全身に鳥肌が立った。彼女にとって、命の瀬戸際で足掻く親子のやりとりなんてただの娯楽に過ぎないのだと思い知ったがために。

 神様の愉悦のほんの一端に触れた、その接触面から凍っていきそうになる。貼り付けた視線から凍らされそうになるのを気合いと根性で回避し視線を無理矢理剥がし、ウルベルトは涙と嗚咽の混じる親子の会話に一呼吸置いてから割り込んだ。



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第27話

 年末なので言いそびれていたことを言っておきます。この作品のテーマ曲はSoundHorizonの『Moira』全編です。運命は残酷だされど彼女を恐れるな以下略。


「ならば言葉を交わせばいい」

 静かに割り込んだウルベルトの言葉に父と娘はきょとんとした顔をした。言葉?一体なんの?どんな?そんな思考が透けて見える表情だ。

「言葉…?」

「ああ。生まれ変わって彼の地に至ると、そこに行くから待っててくれと、お嬢ちゃんが言えばいい。それにお前が頷けば、お前等はいつかきっとまた出会えるだろう」

「そんな馬鹿な」

 魔法とも言わぬ、児戯に等しい約束事だとたっちは笑った。たっちの娘も「なんですかそれは」と苦笑した。しかしそんなリアクションをしなかった者もいる。言わずもがなモモンガだ。彼はハッとウルベルトと同じ思考に至り、その眼窩の奥の炎の揺らめきを動揺で大きくした。

「な―――」

「そうだろう、リュウズさん」

 息を飲んだモモンガの声を黙らせるようにウルベルトが少しだけ大きな声で確認を取る。闇に沈み成り行きを見守るリュウズの口はニィと上がったまま喜悦に満ちた肯定を返した。

「そうですよ、ウルベルトさん。(しゅ)の話を聞いていたのね」

「ああ」

「本当、なのか…?」

 たっちと娘の目が信じられないとばかりに見開かれる。まさかそんな、と口の形で呟く彼に、リュウズは闇の中から身を引き出しつつ「ただし」と言葉を続けた。

「今すぐ一緒に、というのは無理です。そのお嬢さんは」ついと白い手が娘の顔を指さす。「言わば正規のルートで転生することになります。どこぞの物語のように前世の記憶を持っているかは賭けですし、そもたっちさんが出会える場所に現れるとも限りません」

「それは…ものすごく低い確率なのでは?」

「ええ。干し草の山の中から一本の針を探し当てるよりも引き当てるのが難しい賭けになるでしょうね」

「そんなの無理だ!」

「そう思うならそれまでのお話」

 くす、と彼女は目を弓のように細めて嗤った。僅かな光を得て輝く虹色の目が、残虐とも非情とも無情とも例えられる感情を宿している。ぎらぎらきらきらめらめらと輝くそれが、絶望に屈しかけるたっちの表情を見て、喜悦に満ちる。彼女の耳にはきっと届きはじめているのだろう。彼の身の内にあるたっちの魂を絶望が締め上げ、ヒビが入っていく耳障りなパキパキという音が。

 それをさせまいと思ってここに来たのがウルベルトだ。彼は喉の奥で嗤うリュウズを見、たっちを見、たっちの内心を悟り慌てて声を張り上げた。

「バカヤロウ、無理じゃねぇ!しっかりしろ!」

 たっちの娘の手を掴んでいるのとは逆の手をたっちの胸ぐらに伸ばす。そのまま掴み捻ってやれば、彼は簡単に胸元を締め上げられて目を驚愕に見開いた。

「っ!?」

「落ち着け、あのひとの言葉をよく聞いて考えろ。可能性が無いとは言ってないんだ」

「そんなの屁理屈だろう」

「屁理屈だって理屈のうちだ。あの人が俺の理解した通りの人なら、可能性がある限りそこには必ず道がある」

 そうだろう、と彼はリュウズに問わなかった。問う必要もないほどに確信しているからである。ウルベルトは馬鹿ではない。貧困層故に満足な教育を受けられなかっただけで彼は地頭はいいのだ。でなければ複雑なシステムを誇るユグドラシルの世界で『世界災厄』などという大層な二つ名を頂くことなどできない。

 彼は人の身で見せる。彼を(あくま)たらしめる明晰な頭脳の片鱗を。これから向かう世界においての彼の姿に見合う思考を。

 幽体の身でわざとらしく一つ深く呼吸した後、彼はじいとたっちとたっちの娘を見つめた。よく似た二つの顔がウルベルトを不安げに見つめ返す。

 その顔を見て、ウルベルトは腹の奥で何かがぞわりと鎌首をもたげるのを感じた。ぐるぐるとうずまき波打つそれは、何故だか酷く暖かくて心地よくで気持ちよい。なんだろうと内心で首を傾げつつ、彼は言葉を続けた。

「いいか、言葉っていうのは馬鹿にならないものなんだ。約束は力だ。世界に規則を刻む行為だ。お前達が願えば、誓えば、約すれば、必ずそれは叶う。叶うと信じて言葉を交わせばなんだってそれは真実になる」

「雨乞いの儀式が必ず成功するのは雨が降るまで踊るから、みたいな理論だな」

「その通りだ。でも、それだって雨が降るって現実は確かに起こっているだろ。それが重要なんだよ。だいたい、今までお前はこんな風に幽霊と話せる機会なんてあると思っていたか?」

「いや…」

「この世界は思ったよりも柔軟なんだよ。思うとおりになるものなんだ。だから、思え。ねがえ。いってしまえ」

 顔が歪むのを感じる。口の端が、つうと上に向かうのを感じる。常識を崩され己を崩されかけている男にたたみかけるのが、とても楽しい。ムカつくイケメンが、自分の言葉で道を選びかけているのが楽しくて、楽しくて、仕方ない。

 そんなことをウルベルトが考えていることは、真正面のたっちはきっとわかっている。わかった上で指摘して反抗できないのは彼にその余裕がないからだ。迷っていて、余計なことを言う暇がないからだ。

 

 けど、よく考えてみて欲しい。どこに迷う余地があるのだろうか?

 

「なぁ、モモンガさん」

「っは、はい、なんですか」

 ウルベルトがぐるりと後ろを振り返る。リュウズと同じように端にいるモモンガがはたと顔を上げて応える。彼はウルベルトの今の表情を見て、一瞬固まった。だが直後、とても嬉しそうな雰囲気を身に纏い「はい、なんですか」ともう一度聞き返した。

「あっちの世界って、綺麗な世界か」

「はい。緑は豊かだし、空は青いし、水も綺麗だし、科学がないからちょっと水回りは不便みたいですけど、それでも魔法で快適に過ごせますから問題ないです。俺は食べたことがありませんが、どうやら食事も美味しいらしいです。本物の肉や、野菜や、魚や、米や…いろんなものを、本物を食べられますよ」

「おにく!」

 モモンガの声に反応を示したのはたっちの娘の方だった。丸い目をきらきらと輝かせ、モモンガの言った「肉」という単語に食いついている。そんな娘の前にゆっくりと移動し、モモンガはたっちの娘の前にかがみ込んだ。ナザリックのNPC達のことを「友人の息子や娘」と例えて大切に接している彼にとって、紛うことなき仲間の娘であるたっちの娘は慈しむ対象である。恐ろしい顔の印象を払拭するために努めて優しい声を出しながら、彼はウルベルトの言わんとすること、やらんと欲することの援護を言葉で行った。

「お肉が好きなのかい」

「うん、好き。お母さんがハンバーグを作ってくれたの。お父さんも好きなんだよ!」

「そうか。じゃあナザリックに来たらいっぱい食べたらいい。たっちの娘である君を、私達は必ず歓迎する」

 すう、と骨の手が伸びる。控えめに伸ばされた白い手を、ウルベルトが離した小さな手が掴もうと伸びる。それを目にしたたっちは止めるか止めないか数秒迷い、結果迷って出遅れたために、彼の娘は骸骨の手を取った。

「うん、行く。行きます。私、前から行きたかったから」

「待っている。いつまでも、君が私達の元に至るまで―――」

 

 ―――()()()

 

 ぴんと弦が弾かれ、震え、一つの音を奏でたような緊張感が刹那部屋を満たす。それはその場にいる者全てから言葉と呼吸を奪い去って行った。まるでそれが約束の証人だとでもいうように。刻まれた約束を世界が見届けたと言うように。

 きっとそれはただの幻覚だ。緊張感がもたらした幻だ。けれどそれが世界にとって真だろうと幻だろうとどうでもいい。当事者にとって真実であれば、彼らが約束を交わしたことを覚えていれば、それで充分なのだ。

 モモンガの言葉に、交わされたやりとりの意味に、最初に気づいたのはウルベルトだった。彼は目を丸くし、直後、おかしくて仕方ないとでも言うように笑い始めた。

「ふは―――は―――あははは!モモンガさんがそれ言っちゃうわけ!?しかも肉で!?」

「いいでしょう。デミウルゴ…じゃない、ウルベルトさんの目的はこれなんでしょう?」

「おう。って、今デミウルゴスって言いかけたのか?」

「はい。さっきの表情が悪魔みたい(そっくり)でした。

 さて、たっちさん。これで娘さんはこっちに来ることが確定しました。いつになるかはわかりませんが、それは当たりを引くまで俺達が待てばいいだけの話だ」

 モモンガが立ち上がる。ばさりと広げた暗い色のローブは見る人が見たらタナトスの黒き翼と例えたかもしれない。その中心で白い骸骨顔に明確に笑みとわかる雰囲気を纏わせ、彼はとても優しい声を出した。

 眠りにつく子に寝物語を語り聞かせるような低くて優しい声だ。それは成人男性が成人男性に向けるものではないけれど、死の支配者が死の淵で立ち止まって途方に暮れた男に向ける声には相応しい。

「俺達は待てます。種族特性で、たっちさんの蟲人も、俺の死の支配者も、ウルベルトさんの最上位悪魔も、みんな不老不死です」

「俺も不老不死か。そりゃそうか。悪魔が年喰って死ぬとかないもんな」

「そうです。だから待てるんですよ。いつまでも。それに今は世界を改革している最中です。私達を害さないと誓う者、私達の庇護下に入った者には種族の差別なく願う者に仕事を与え、満足な生活を保障できるように国を作っているところです。素晴らしい国を作っている最中です。娘さんをお迎えできるように、たっちさんもこっちに来て一緒に国作りをがんばってくれたらとても助かります」

「たっちは警察官だからルールとかにも詳しそうだよな」

「法律は俺にはからきしですからねぇ。たっちさんの助言があればいい具合に仕事がはかどりそうです」

「おとうさん、お仕事するの?」

 きょと、と娘が首を傾げる。ゲームの世界で仕事をするということが上手く結びつかないのだろう。首を傾げた彼女にモモンガは少し考え言葉を選んでから頷いた。

「ああ。幸せな世界を作るためにね。こっちみたいに富裕層のいいなりで働く必要はない。君のお父さんは、向こうで最高に格好いい正義の味方になれるんだ。ユグドラシルで君のお父さんがそうだったように」

 病気の子どもを一人残して仕事に行かせるようなことは…極力、しない。どうしてもの場合は申し訳ないが、そんなことにならないように努力する。モモンガはそういう国を、社会を、目指している。鈴木悟がそうではなかった故に。そうではない世界に絶望していたが故に。

 たたみかけるモモンガの言葉にたっちは口を開いたり閉じたりして言葉を探すが、見当たらない。自分が身の振り方を決める前に外の状況がごろごろ転がって変わっていくのに顔色を失って慌てる彼に、モモンガとウルベルトは視線で言葉を交わし、そして同時ににこり(にやり)と笑って手を伸ばした。彼らの真似をして、娘も父親に手を伸ばす。その透明な手が触れることは無いとわかっている故に、触れるか触れないかのところで手を止めた彼女は、特定個人に対してのみ強烈な破壊力を有する上目遣いをしてその特定個人に問いかけた。

 

「おとうさんは…おとうさんは、私を待つの、嫌…?」

 

 その問いかけが決定打となった。

 

 悪魔と死の支配者の行動と言葉でぐらぐらと揺れていたたっちの精神がいい意味で崩れ落ちる。がらがらと壊れた下から顔を見せたのは彼の本心だ。

 『前回』それは崩れ落ちるものと強固に密着していたためにともに崩れ去ってしまった。

 だが『今回』それは揺さぶられたがために壊れるものの巻き添えを免れて、いや、むしろ堅く貼り付いたそれを壊され失ったがためにまっさらな状態で世に現れた。輝く彼の本心にあるのは家族への強い愛情と、そして、弱き者を慈しみ守る正義の心である。

 心が導くままに、彼は()()()()()()()()()()()()()()

「いや…いや、いや。そんなわけない。待ってる。向こうで待ってる。君が笑って過ごせる世界を、私は向こうで作って待っている!」

 答えた言葉が世界を震わす。彼と娘の間に約定の縁を結ぶ。今世の縁を超えて彼らは結ばれた。そう仕向けられたが故に、彼らは見事に縁を結んだ。

 仕組んだ男二人は大仕事を終えた喜びと疲労感で息を吐きつつ(双方そういう真似をしただけではあるが)笑った。

「お前じゃなくてモモンガさんが主導で作るんだけどな」

「いえ、結構皆来てくれますしまた合議制で物事決めて行きますよ」

 肩をすくめたモモンガの手を、たっちが取る。その瞬間、たっちの体をまるで電流が駆け抜けたような衝撃が走り、直後、彼の耳にどさりと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。音のした方向を見れば、そこにあるのは自分の倒れた体だった。

「……っ!?っ!!?」

「えっ何が起こって…死んでる!?」

「なんで!?」

「おとうさん!?」

 声もなく驚くたっちがモモンガの手を取った自分の手を見るとそれは半透明になっていた。他の三人も目を丸くして叫んでいる。え、え、と四人が狼狽え、すぐに答えを知っていそうな人に目を向けた。即ちにリュウズだ。彼女は重ねた蛇の体の上に組んだ腕を置いて、楽しそうに言った。

「心臓発作でご臨終。これは私のプレゼントよ、新しい世界の子」

「ってことは、私今殺され…!?」

「殺したわけじゃないわ。人間の言葉で言うなら、そうね、止めていた運命の流れから手を離した…って所かしら。本来ならそもこの時間まで生きているほうがおかしいのよあなたは」

 そう言って彼女が指さした壁の時計はいつの間にか午前一時を過ぎていた。『前回』でたっちが死んだ時間から一時間以上経っていることになる。

 たっちは自分の半透明の体を見下ろした。娘の手を握る己の手を見つめた。掴めている。何故かはわからないが温度も感じる。子どもの少し高めの暖かな温度を。必ず守ると誓ったその温もりを。

 ぎゅ、と握り返すと娘は自分の顔を見上げて笑った。

「お母さんに、また、ハンバーグ作ってもらおうね」

「ああ。楽しみだね」

 たっちは娘をひょいと抱き上げた。年相応の重さが腕に伝わってくる。暖かさが胸に広がる。しばしの別れの前に抱きしめ合った家族を見ながらモモンガとウルベルトは振り返った。闇の中からずるずると鱗が擦れる音を立てながらこちらにやってきたリュウズに。

 見つめられ、彼女は笑った。

「お見事でした。あなたたちの運命への抗い、立てる作戦、転がす言葉…どれも素晴らしいものでした」

 ほんとうに、心のそこから、彼女はそう言った。胸のすく素晴らしい物語を見せてもらって大満足だ、と彼女は笑った。彼女にとって、人の魂の行く末がどうなるかなどそれくらいの価値しかない。

 ころころ笑う彼女はとても楽しそうだ。美しい女性が心の底からの喜びで笑う様というのは目の保養になる。けれど、笑っている対象が対象なために顔が引きつるのを我慢できないウルベルトは頭を振って「そりゃどうも」と答えるに留めた。けど、続けられた言葉を聞いて彼は目を見開いてリュウズを凝視した。

「だから、一つだけサービスをして差し上げます。娘さんを呼ぶよい方法を、一つだけ教えてあげましょう。といっても藁山が半分になるくらいの確率確実化ですが」

「!?」

「そ、それは一体…!?」

「簡単です。ナザリック地下大墳墓でお嬢ちゃんを弔うのです。死者への祈りは生者の自己満足と言う。けれど、それに留まらぬのがこの世界です。木々に生える数多の木の葉のどこかを闇雲に探すよりは、その葉のうちから呼べばいい」

 灯台の灯が嵐に揺られる小さな小舟の道標になることは明らか。ならば灯台を建てて火を絶やさねば、いずれ小舟はたどり着く。それが諦めぬ限り。

 リュウズは白い手を伸ばした。柔らかな指先がモモンガの手に重ねられる。リュウズの言葉で呆けていたモモンガは手を重ねられたことで何をすべきか思い出し、慌ててたっちとウルベルトの手を掴み直した。途端、彼らの体になにかの力が満ちていく。彼らという存在がこの世界から剥がされ、浮かび、どこかへと引っ張られていく。

 遠のきかけた意識の際、腕の中の娘の重みが遠くなる中、たっちはこれが異世界に行くことだと直感的に理解した。理解したから、最後の言葉を娘に贈るため、叫んだ。

 

「―――、ありがとう…私の娘に産まれて来てくれて、ありがとう!また会おう!待ってるよ!」

 

 自分という存在が薄れていく。人間の指が、手が、腕が、体が、何もかもが薄れていく。それが完全に消えて別の何かに切り替わる、その本当に刹那の際で、彼は確かに聞いた。

 

「うん!待っていて!」

 

 彼をこの世界につなぎ止める、何より愛しい娘の声を。




ヘロヘロのフラグ建設、ウルベルトの01クリティカル報酬、ウルベルトのリアル説得ロールを使用しての再ロール

たっち・みー ウルベルト友情補正で-30 モモンガ友情補正で+30 36 成功



ちょっとした解説
・なんでウルベルトは「可能性がある」と聞いた時点で「娘ちゃんの魂が正規ルートで異世界に転生する可能性」を買わなかったのか?→そもそも支払えるものがなかったから。リュウズにとって一番価値のあるものはモモンガの全てであり、それを支払った後には彼らに支払えるものは何もないから。ウルベルトは回避したが、もしもその案をリュウズに提案したら提案した時点で「この人自力で物事解決する気ない人なのね」とリュウズに一気に見限られてバッドエンドルート真っ逆さまだった。
・なんでリュウズは最後にちょっとサービスしたの?→ウルベルトの健闘っぷりが見ていて面白かったから。本当にそれだけの理由。
・娘ちゃんは結局転生してたっちに会えるのか?→いつになるかはわからないが必ず会える。そういうものです。

年を越す前にたっちさんの話にけりをつけられて安心しました。これでとりあえずは心安らかに年を越せます。みなみなさまよいおとしを!


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第28話

 モモンガが天空城の主とともに命を賭したゲームに赴いた後、彼が創造した唯一のNPCであるパンドラズ・アクターはエ・ランテルにおいて魔導王アインズ・ウール・ゴウンの影武者としてその執務室で執務に励むことになった。誰に言われたわけでもなくその任を彼が受け持ったのは彼以外にそれを為せる者がいなかったからだ。能力的な意味でも、精神的な意味でも。彼以外のナザリックのシモベ達は一人どころか一匹残さずその唯一の主であるモモンガの不在に動揺し仕事ができなくなっていた。

 そんな皆の動揺を見て、彼は逆に己の心を落ち着けた。己の為すべき事を為さねばならぬと、彼はその魂に感じたのだ。それは彼がモモンガという「大切なものを守るために己を抑えて在り続けた者」の性質をシモベらしく色濃く受け継いだためである。故に彼は変身した。大切な主に。愛おしい父親に。敬愛する王に。その王の、この居場所を守るために。

 アルベドやデミウルゴスは天空城からの使者への意味なき抵抗を暫く続けてから諦めた後、パンドラズ・アクターの行動を見て驚いた。それはそうだろう。彼にとってこの状況は親であるその存在が奪われたといっても過言では無い状況で、けれど彼はナザリック一理性的な行動を取ったのだから。デミウルゴスが彼にその理由を尋ねると、彼は少しだけ胸を張って答えた。

「アインズ様の御心を守るのがこのパンドラズ・アクターの勤め。であれば一体どうして主の行動の間、かの方が愛すナザリックを放っておけましょうか」

 ナザリックのシモベだから愛されているという絶対の自信と、ナザリックのシモベだから持つ誇りを、パンドラズ・アクターは彼らしく解釈した。その結果がこの行動なのだと彼は語ってみせた。平素であればデミウルゴスはそれを絶賛したし、彼だって同じような行動を撮っただろう。聖王国でスクロールの材料製作に励んだだろう。けれど、至高の御方の話題はナザリックの面々にとってそれこそ禁断の箱(パンドラズ・ボックス)だ。それを開け放たれてしまった彼に平素と同じ対応を取る余裕は存在しなかった。

 それをパンドラズ・アクターは気にしない。デミウルゴスがどれほど自分の仕事を疎かにしようとも、シャルティアがナザリックに引きこもろうとも、アウラとマーレがそわそわしようとも、コキュートスが第五階層に新しい建造物を建築しようとも、アルベドが殺意を滴らせてその拳を震わせようとも、気にしない。その分自分が働けばいいのだと彼は考えている故に。

 彼は他人が働かないなら自分が働けばよいと考えるタイプの存在だった。他人にあれこれ難癖を付けるなんて無駄なことだと割り切っているのである。けれどその無駄が自分に積極的に関わってくれば話は変わってくる。今この瞬間エ・ランテルの執務室で執務机を挟んで自分に相対しているアルベドとかその好例だった。

「は…?」

 彼女の美しい顔が、とんでもない怒りで染まっている。ぶるぶる震える体はどうやら真の姿を解放しそうなのを抑えているようだ。金色の瞳をカッと見開き黒い瞳孔を極限まで細めた彼女は、地を這うような低音を口にした。

「なんですって…?」

「二度も三度も言わせないで下さい、お嬢さん」

 周囲に生命反応も不死者の反応もない。皆下がらせているからだ。だからパンドラズ・アクターは遠慮無く変化を解き、創造主から与えられた卵頭と軍服の姿に戻った。

 これから口にする言葉をアインズの姿形を借りて言いたくは無い。ただそれだけがナザリック外で己の姿をさらした理由だ。

 椅子を引き、机を回り込んでアルベドと何もない状態で相対する。かつかつと軍靴を鳴らしかかとを揃えた彼は、かつり、という終いの音を大きく立てて、先程言った言葉をもう一度口にした。

「私はあなたの計画に参加しました。けれど、賛同は致しておりません。私があなたの至高の御方を『隠す』計画に乗ったのはその計画を水際で阻止するためです。それがもう必要ないのなら、あなたの計画にこれ以上乗る意味はない。

 残念ながら、あなたにとって私は最初から協力者などではなく裏切り者だったのですよ」

 暫く前、アルベドはモモンガに進言した。至高の御方がこの世界に来ているかもしれないから捜索隊を結成して探したいと。けれど彼女の真の目的は違う。それは至高の四十一人がモモンガに接触する前に殺し、モモンガを自分達ナザリックのシモベだけのものにするという計画であった。

 アルベドはその計画を己一人で進めるつもりだったが、そこにパンドラズ・アクターが接触してきた。彼はその時アルベドに言った。あなたの気持ちはよくわかる、と。宝物庫で仲間の虚像としての性格を与えられ、「代替品」でしかない自分には、向けられる気持ちを受け取るべき者達に対する怒りがあるのだ、と。あなたと私は同志だ、と。その言葉をアルベドは信じ、彼を計画に加えた。

 だがそれはパンドラズ・アクターの計画であったのだ。あの言葉は真実本心などではなく、アルベドを欺くための嘘だったのだ。突きつけられた三行半が冗談や皮肉では無いとパンドラズ・アクターの態度で悟ったアルベドは、怒りのあまり轟くような咆哮を上げてパンドラズ・アクターに殴りかかった。

「きっ…さまぁああ!!」

「おっと!」

 幸い、今のアルベドは至高の御方タブラ・スマラグディナの指示で世界級アイテム『真なる無』を所持していない。もちろんバルディッシュなど取り出されてしまえばインドア派なパンドラズ・アクターには勝機はカスほども見えないが、そうなる前に状況を好転させればよい。

 飛んできた拳がただの木のデスクを木っ端に変える。轟音轟く執務室にエ・ランテルの住民は驚いたかもしれない。けれど流石に彼らのことを考える余裕はない。なので意図的にその思考を廃しつつ、彼は後ろに飛び退き、薄っぺらい窓ガラスを割りながら外に飛び出した。怒り狂ったアルベドの頭が迫ってくるのを百レベルNPCらしい軽やかな身のこなしで避けていく。先日のアインズへの嘆願叶って与えられた自己満足(じい)用のマジックアイテム達が身体能力を上げてくれているから可能な動きだ。

 風を切ってはためく軍服をばさりと広げつつ、空中でポーズをきめながらパンドラズ・アクターは叫んだ。

「諦めなさい、お嬢さん。あなたの思考はシモベにあるまじき思考だった。ただそれだけのことです!」

「だまれぇえええ!!!」

「黙りませんよ、私だってあなたに言いたいことはたくさんあるのですから!」

 屋敷の敷地内であれば外界に対する認識阻害の魔法が働いている。轟音は流石にどうしようもないが言葉の内容はまるで霧で城を隠すように隠すことができる。だからパンドラズ・アクターは誰もない屋敷の庭を跳ね回りつつ、アルベドの攻撃を避け続ける。

「モモンガ様の愛しいものを破壊しようとする!その思考!行動!それはナザリックのシモベとして許される行為ではありません!」

「煩い!私はあの御方に愛するようにもとめられた!その求めに歓喜し答えることの何がおかしい!他の者を排することの何がおかしいと言うの!」

「ほほう。シャルティアとはそれなりに仲良くやっておられるようですが!?」

「あの子と『あの者達』は違う!『あの者達』は私達を、ナザリックを捨てた奴らだ!そんな奴らを、モモンガ様の御心に置いておく―――それだけでも、怒りで腸が煮えくりかえる!!」

 アルベドの右手にバルディッシュが現れる。それがくるりと円を描き、音の速度を超えた速さで振り抜かれる。いくらマジックアイテムでもって己の力を底上げしていても戦闘能力にリソースを割いていないパンドラにとってはその一撃は避けきれない。運が良くても腕一本、運が悪ければ頭をかち割られ即死するだろう。

「憎い、憎い、憎い!モモンガ様!愛するモモンガ様に私を捨てたあいつ等がいることが!ナザリックから去った者が居ることが!どうしてモモンガ様は私を愛しては下さらない!抱いて下さらない!?」

 アルベドの黒髪がざわりと粟立つ。めりめりと、その顔の真ん中に線が入っていく。完全に振り抜かれたバルディッシュはパンドラズ・アクターの左腕を切り飛ばしていった。切り口からドッペルゲンガーの体液がぶしゃりと派手に飛沫を上げる。

「っ…」

 痛みは、あるのだろう。パンドラズ・アクターは僅かに身を硬直させた。その一瞬の隙にアルベドがくるりと持ち替えたバルディッシュを振り抜く。だがそれはひらひら翻る軍服の裾を斬って終わった。パンドラズ・アクターが足をもつれさせて転んだからである。

「それはあいつらがいるからよ!邪魔なのよ!邪魔なら殺す!絶対に殺す!!!」

 めりり、と堅いものが裂ける音とともにアルベドの姿が変わっていく。美しい女の姿から顔面を縦に裂くような口のある醜悪な化け物の姿に。口の位置が変わることでか声の質も変わり、まるでギガントバジリスクの咆哮のような耳障りな音を立て、彼女は吠えた。口角から唾液を滴らせ、美女の面影を全て消し去った彼女の……いや、怪物の四つの手がおぞましいバルディッシュを構え直し、天高く掲げた。眼下にあるのは地面に腰を付けたパンドラズ・アクターの姿。体勢を崩し、逃げ場の無い彼に、もはやアルベド渾身の一撃を受けきる力はない。

「まずはお前からだ。モモンガ様の被造物。羨ましい。羨ましくてたまらないのよ。ねぇ、パンドラズ・アクターあなたの特別も私は大嫌いよそこだって私の場所なのよだから」

 

 死ね。

 

 にぃいいと笑みのような表情を浮かべ、彼女はバルデイッュを振り下ろした。逃げ場無き男の脳天に。

 

 けれどそれは男の頭をかち割るには至らなかった。何故か。それは彼の前に一瞬で広がった転移門の暗闇から、かの攻撃を受け止める銀の剣が現れたからである。アルベドのバルディッシュの刃に浮かぶ病んだ緑の光を受け止めた銀の剣が、ずるり、転移門からその持ち手とともにその全貌を現す。

 一秒後、そこに現れたのは純白の鎧を身に纏った一人の男だった。胸に輝く青いサファイアの光が、不正や悪を見逃しはしないと輝いている。遅れて響いたギギィンという金属と金属の擦れる不快な音が大気中に消えて後、現れた彼はその甲冑の下で小さく安堵の溜息を吐いた。



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第29話

おひさしぶりです。寒くなってきたので戻ってきました。
アニメの第三期、カッツェのシーンにわくわくしてたのになんか実際みて見るとあんまりインパクトありませんでしたね。なんでだろ。CGでのっぺり感が強くていくつもの人生が蹂躙されてる感が薄かったからかなぁ。


 たっち・みーを見送った後、モモンガとリュウズはまた世界に流れる時間の川を遡ったり進んだりした。それはもう、自由自在に行き交った。

「ホワイトブリムさんがメイドで釣れるとは思っていたけど、まさかベルリバーさんのあんな所に出くわすとは……」

 モモンガが呟きながら見下ろしたのは、先程見送ったベルリバーの亡骸である。彼はとある企業のまずい情報を知ってしまい、事故に見せかけて殺された。その現場にモモンガは来ており、彼の嘆きともっといい世界に行きたいという願望を聞いて、ならばうちが最適ですよとどこぞの販売員の如く己の今居る世界をアピールして転移を促した。それが五分ほど前のことである。

 その大企業に思う所があるらしいリュウズは先程から笑みを深めた状態で黙っている。それが何か思案する姿であるということを、もう二十回以上ともに世界を渡ってきたことでモモンガは気づけていた。ただし何を考えているのかまではわからない。そして、いつまでも考え込まれていると自分のやりたいことができなくて困ってしまう。

 適当な所でモモンガは骨の右手を挙げた。先の尖った指先で、ちょい、とリュウズの素肌部分である二の腕をつつく。

「リュウズさん」

「……あ、ああ、はいはい。次ね」

「何か思うところでもあるのですか?この企業に」

 モモンガが呟いて指さしたのは蛇の文様が入ったエンブレム輝くモニターである。情報こそ削除されたがモニターの映像記録は別口で残されたらしいそれをじっと見つめ、リュウズはふるりと首を横に振った。

「ありますが、それはあなたには関係のないことです。それでは次に参りましょう」

 そう言ってモモンガが次に向かったのは武人建御雷の所だった。この人はこの肉体を軽視するご時世において武術に傾倒した人間であり、リアルの人々に前時代的と言われてきたためか、彼の死の間際には道場はとっくのとうに壊されており、彼の心の根も同じようなものだった。

 その姿を見てモモンガは最初これはダメかなと思った。二十回以上同じようなことをしていればそろそろ勘のようなものも宿ってくるのである。しかし、彼の勘は外れた。「こっちに来れば理想の肉体で好きなだけコキュートスと戦えるし、コキュートスはたぶんあなたという己が知りうる限り最強の存在と戦うことを希っている」と告げるとやる気大爆発してスキップしながら異世界にとんでいってしまった。曰く、

「俺と戦うことを望む強者がいるのなら、いかないわけにはいかんだろう!」

 らしい。彼の返答を聞いてモモンガとリュウズは顔を見合わせこれはどういう意味だろうとお互いに目線で会話したものの、二人とも武人の精神などわからないので理解を諦めてしまった。

 賭けの行為はその後も続いた。眠ることも食べることもいらぬ、肉体から離れた存在となった彼らにとって、時間感覚もまた縁遠いものなのだ。モモンガは種族的にもそうなっていたし、リュウズはというと「六百年たっぷり昼寝したからこれくらいどうってことはない」と言ってモモンガに付き合った。

 そうして彼らは、ついに、遂に、最強最悪のアインズ・ウール・ゴウンのメンバーと相対することになった。

 

 

 

 

「あっれー。なんで俺の目の前に骸骨がいるわけ?」

 そう、あっけからんとした声で言う男は三十代の後半くらいだろうか。不健康な痩せ方をしていて顔色も悪く、というか死んでいるのでそれらは最悪の状態になっている。けれど体から抜け出したらしい半透明の存在はそんな不調をものともせずにモモンガにとって聞き覚えのある声を出しながら首を傾げた。

「るし★ふぁー……」

「あっその声はモモンガさん!?アレッ俺の死神ってモモンガさんの姿で出てくるわけ!?マジで!?そんなことならモモンガさんにオリジナルアイテム渡してから引退すればよかった……!」

「されなくてよかったなと今心の底から思ってますが、ちなみにもしも渡すとしたら何を渡すつもりで?」

「んなもん『恐怖公の』無限召喚アイテムに決まってんじゃん!俺と会ったら作動するタイプのやつ!モモンガさんの骨の隙間からめっちゃ出てくるの。うっはめっちゃ面白そうじゃねーのこれ!」

 ケタケタケタケタと男が笑う。モモンガはこいつだけは正直な所呼びたいか呼びたく無いか答えを濁らせたい程度には色々と思う所があるが、まだ『成功』したのが十五人しかいないので、可能ならば彼も世界に連れていく必要がある。なので、モモンガは額に骨の手を当てながら自分がここにいる事情を説明し、彼がどうなったのか、これからどうすることができるのかを示した。

「で、どうしますかるし★ふぁーさん」

「そんなん行くに決まってんじゃん。こんなクソみたいな世界よりそっちのが面白そうだし」

「ですよねあなたそういう人ですもんね!ああもう、向こうに着いたら俺が戻る前に可能な限りナザリックに仕掛けた自爆系の罠外しといてくださいね!?」

「なんでさ」

「あっちではフレンドリーファイアが解禁されてるからシャレにならないんですよ。あんた、風呂場にゴーレム仕掛けておいたでしょう。あれで危うく守護者が怪我する所だったんですよ」

「まじでーゴッメーン」

 男はてへぺろ!と口で言いながら馬鹿にした表情を浮かべつつポーズを取った。殴りたい、この笑顔感が半端ない。モモンガは今の自分に精神高揚を抑えるスキルがあれば間髪入れずに作動しまくっているのだろうなぁ、と思いつつ、リュウズの手を借りてこの男を異世界に送り飛ばした。

 いや、モモンガの精神的にはケツを蹴り飛ばしたといった方がいいかもしれない。その証拠に、彼はるし★ふぁーを送った後思わず地面に手をついて疲労の滲んだため息をついた。だが、彼の苦労はこれだけでは終わらなかった。

「モモンガさん」

「次ですね。わかりました、さてゆきま──」

「そうじゃなくて」

 話しかけてきたリュウズがモモンガを否定する。膝をついて立ち上がりかけたアインズは、否定の言葉に少し首を傾げてリュウズを見つめた。そして彼女の目がきらきらしているのを見て、見なかったことにしようとして視線を逸らした。

 しかし一度みて仕舞ったものを無かったことにはできない。リュウズはきらきらを体全体にまとうとぐいっとモモンガに詰め寄った。

「先程の、るし★ふぁーさんという方。とても面白そうな方ですね。是非ご紹介ください」

「あの、めちゃくちゃ聞きたくないというか、知りたくないんですけど、何故……?」

「趣味が合いそうだから」

「混ぜるな危険!!」

 モモンガが絶叫したのは言うまでも無い。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ホワイトブリム 30 成功
名無しの誰か 65 失敗
ベルリバー 47 成功
武人建御雷 25 成功
スーラータン 67 失敗
名無しの誰か 81 失敗
チグリス・ユーフラテス 78 失敗
るし★ふぁー 自動成功

どっちかっていうとナザリックのカオスのが書きたいけど、そのためにもさくさく進めるぜ。

成功16、失敗13


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第30話

「すまん、少し目を離した隙に暴走してしまった」

 そう言って円卓の間で頭を下げたのはタブラである。彼が頭を下げた先にいるのはつい先日この世界にやってきた白銀甲冑の男たっち・みーだ。

 たっちは円卓の上で緩く組んでいた指を解き、右手を少し持ち上げて横に振った。

「気にしないでくれ」

「そうだぞタブラさん。こういう時に使わなきゃいつ使うんだこんな物理馬鹿」

「よく言うな魔法馬鹿」

「はいはい仲が良いのはいいことですねっと。しかし今はあんたらのじゃれあいに付き合ってる場合じゃないんですよね」

 険のある声でそう言ったのはぬーぼーである。それに口を閉じていたメンバーが頷くと、たっちとウルベルトは顔を引き攣らせて肩をすぼめた。

「す、すまない」

「わかりゃーいいんですよ。つーわけで緊急会議始めますよ。暫定議長お願いします」

「では僕が」

 ぬーぼーの言葉を引き継ぎ立ち上がったのは全身植物人間といった姿のぷにっと萌えだ。どこに目があるのか、いやそもそも目という器官があるのかわからない彼は頭をぐるりと回してまばらに埋まり始めた円卓を見渡し、手元にモニター画面を立ち上げた。

「建御雷さんとるし★ふぁーさんは来たばかりでしたね」

「ああ」

「そうだよー」

 こくりと二つの人外が頷く。応えを聞いてぷにっと萌えも頷いた。

「では現時点で我我が置かれている状況を説明します。シモベ達にも聞かせられない話が混じるので、シモベにはこの場に近寄らないように話し、盗聴防止魔法を上乗せしています。これだけ言えばわかると思うんですけど、他言無用でお願いしますよ。特にるし★ふぁーさん」

「おっけおっけ」

 るし★ふぁーは複数ある腕の全てを円卓の上に持ち上げ、全ての手で親指をぐっと上げてぷにっと萌えに向けた。了解した、というポーズなのだろうが、当人のこれまでの戦歴があるので信用できない。リアクションが軽薄過ぎるというのも信用できない理由の一つだ。

「心配だなぁ」

 内心がぷにっと萌えの口からぽろりと零れ落ちる。皆大なり小なり似た思いなのだろう、ことあるごとに反目するたっちとウルベルトの二人でさえぷにっと萌えの言葉に深く頷いた。

「流石にマジで命が危険になるような悪戯はしないよ。状況がわからないうちは」

「状況解ったらするのかよ……」

「うん、それはね、俺の生きる理由だからね。どーしよーもないよね。

 つーか俺のことはどうでもいーんだよ。さっさと説明説明よろよろ」

 今度は六本の腕をぴろぴろ動かして先を促す。何をしても滑稽で軽薄な彼にぷにっと萌えはまだ何か言いたそうにしていたが、るし★ふぁーの信用の無さは語り出したら終わらせない限り終わらないのでぐっと飲み込み終わらせた。ぷにっと萌えは出来る大人なのである。

「じゃ、ま、説明していきますね。

 まず、モモンガさんが教えてくれた概要の確認から。ここは私達が生きていた現実(リアル)とは違う世界です。科学が無くて魔法がある。自然があって汚染がない。そういう世界です。異世界って言っちゃっていいですね。

 ここに来られたのはモモンガさんが縁を紡いで私達の魂とやらをあちらの世界からこちらの世界に呼んでくれたから。で、私達がアバター姿なのは、ナザリックに残る私達の存在残滓とでもいうべきものが私達の魂を核として再形成されたから。能力に関しては各のアバターごとに違いますので詳細は省きます。ただ、飛べる人は飛べるようになったし、食事が水と光で済ませられるようになったりもしました。

 それに伴い精神構造も変化しました。モモンガさん曰く、種族設定に応じた意識になるらしく、顕著なものは人間に対する同族意識が欠落していくことだそうです。この点に関しては後から説明することと被る点が多いので後で言いますね。

 はい、この時点で何か言いたいことがある人はいますか」

 ぷにっと萌えが言葉を句切って見渡すと、十五人は各「無いです」と返事してきた。

「よろしい。では続けます。

 この世界に来てからのナザリックの行動方針は私達を捜す、というものでした。まずは最寄りの村と接触し、信頼獲得。その後モモンガさんは全身鎧の冒険者『モモン』として、不死者であることを隠し、人間としてリ・エスティーゼ王国の都市だったエ・ランテルに出向。そこでいくつかの冒険者の仕事をこなす傍ら、何故か世界征服に向けた行動を開始しました」

「いや、待て。なんでだよ」

 ぷにっと萌えのさらっとした説明に建御雷が手を上げて突っ込んだ。それはそうだろう。冒険者として行動していたと言われた次に世界征服を開始したと言われれば誰だってそうなる。

 建御雷の言葉にぷにっと萌えは深く頷いた。

「なんでも、モモンガさんが『この世界綺麗だなー世界征服なんていいかもなー』って冗談で言ったのをデミウルゴスが真に受けて世界征服計画を立てたらしいです。しかも、モモンガさんはそれを聞いて『世界征服したらアインズ・ウール・ゴウンの名前をこの世界の人皆が知るってことか。そしたらギルメンがこっちに居たら気付いてくれるかも!よし、世界征服しよっか!』みたいな発想で事後承諾したらしく」

「モモンガさん、ギルドのことになるとすげーからなぁ……」

 しみじみと呟くのはペロロンチーノだ。腕を組んで顔を上げた彼の目線は虚空に向けられていた。きっと在りし日のアインズ・ウール・ゴウンの姿を思い出しているのだろう。もしかするとそれは大侵攻を迎撃した時の光景かもしれない。

「話を続けるね。具体的に言うと、まずは戦力強化のために蜥蜴人の村を制圧。次にリ・エスティーゼ王国王都で情報収集に当たっていたセバスが王国の裏組織に接触し、王国の闇を暴くような形でこれと対立。同時にデミウルゴスが悪魔軍勢として王国に襲来。モモンガさんはモモンとして王国の救援にはせ参じこれと戦闘、退ける形で勝利を収めた。その際のごたごたで王国から物資という物資をかっさらい、この下手人を悪魔軍勢と説明し、さらに悪魔軍勢が来た原因が王国裏組織が悪魔の求めるアイテムを手に入れて引き寄せられたためだとして表からもこれを抑圧。こんな感じでリ・エスティーゼ王国は裏組織経由で秘密裏に掌握した。

 次にあったのはバハルス帝国との接触だ。バハルス帝国は突如出現した墳墓に警戒心を抱き、これを探索する『ワーカー』なるチームをここに派遣した。で、ナザリックが返り討ちにしてさらに帝国にちょっとだけお礼参りした。帝国は慌てて謝罪し、モモンガさんはこれを許した。で、さらに帝国と同盟を組むことになった。

 その後がまたすごいぞ。この帝国と王国は毎年小競り合いをしているんだが、今年の小競り合いにはモモンガさんが帝国側に付くことになった。理由はナザリックの領土主張だね。ナザリックの出現ポイントが王国領土内だったから『ここには昔から自分が住んでいたここは自分の領地だ』『ついては近くのエ・ランテルをよこせ』って主張したんだ。

 で、その上で戦争の開幕で<黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)>を発動して王国兵七万を即死させ、黒い仔山羊を五体も召喚。王国兵を蹂躙し、王国を完膚なきまでにたたきのめした。で、勝った上での建国宣言をして、先日晴れてアインズ・ウール・ゴウン魔導国が建国されたそうだよ」

「えげつねえ」

「さすがモモンガさんだ」

「人がたくさん死んだのか……」

「お前の娘さんはいねえだろうから安心しな」

「ああ、それはわかる。わかるんだが……」

 むむう、とたっちが唸る。どした?と首を傾げて彼を見つめたペロロンチーノにたっちは顎に手を当てて答えた。

「以前の私なら、七万の人間を殺したと言われたら憤っただろう。だが、何故だ、そこまで心が乱されん」

「そりゃ種族特性に引っ張られてるんだよ。さっきぷにっとさんが言ってただろ」

「それなんだよね」

 ぷにっと萌えが大きく頷く。それ、とは?と聞き返したたっちに、彼は触手じみた蔓の腕をわさわさを揺らしながら答えた。

「私たち異形種にとって、人間の死は動物の死と大差なくなってるんだ。ブルー・プラネットさんみたいな博愛主義者くらいしか人間の死を『同族の死』くらい重く認識できなくなっているんだ」

「これは俺の考察なんだが」

 ぬーぼーが手を上げる。ぞる、と音を立てて彼を見た皆を見回し、ぬーぼーは己の胸に手を当てた。

「たぶん、俺達にとって人間っていうのはユグドラシルにおける人間種みたいな認識になってるんじゃないのか」

PK(ころ)してくる相手ってことか」

「そうだ。だったらその防衛反応として人間を敵対種族……とまではいかないものの、同族として見ないことの理由は説明がつく」

「私なんて人間に見られたら真っ先に討伐されそうですもんね」

「私もね」

 ぬるぬるぞるぞるコンビであるヘロヘロとぶくぶく茶釜が体を揺らしながら言うと、ペロロンチーノは「だろうな」と頷いた。

「てことは、だ。世界征服(人間の制圧)はこれ以上やる必要の有無は置いておいて、強硬に反対する理由はない。そうだね、皆」

「そういうことになるな」

「つまりはこれまでのモモンガさんの行動に否の意識を持つことはないわけだ」

「そうだな。って、なんでそこ強く確認するんだ?」

「この世界征服っていう行動に否を唱えるとNPC達と対立関係に陥る可能性があるからだよ」

 怖いことを言い出したぷにっと萌えに、来たばかりの建御雷とるし★ふぁーはぎょっとした。

「それは本当か」

「本当だ。NPCにとって人間は明確に下等生物なんだ。退けてもいいどころか虐待して玩具にしていい存在とまで思っている者もいる。幸せな生活を壊すのが楽しい、とかね。そういう設定にしたNPCに心当たりの多い人はいると思うよ」

 ぷにっと萌えの言葉で何人かが目をそらした。るし★ふぁーなどどうやっているのかへたくそな口笛まで吹いている。プピーという間抜けな音を出した彼に、ウルベルトが「やかましい」と呟いてデコピンを打つような仕草をした。

「その上で言わせてもらうと、NPCとの対立はナザリックの分裂を招きかねない。最たるものはアルベドの反乱だろうか。アルベドはモモンガさんへの愛情を拗らせてモモンガさんが常に気をかけている僕たちを彼が発見するのに先んじて殺そうとしていた。それはたっちが助けたパンドラズ・アクターからも確認が取れている」

「アルベドの暴走は単に私の設定のせいだ。モモンガ君は自分が設定を弄ったからだと猛省していたが、私の設定文章のうちたった十文字を換えただけでああもこじらせなどするか」

「それは置いといて、とにかく、アルベドほど私達に憎悪を拗らせたものはいないと思うんだけど、モモンガさんに反対しすぎたり、人間種に対して愛情を持ちすぎるとNPC達との認識の齟齬が生まれ、それが巨大な分裂に繋がりかねない。各位そこには十分に注意してくれ」

「了解」

「わかった」

 念を押すぷにっと萌えの言葉にそれぞれが了解の返事をする。ペロロンチーノは隣の姉に「結局俺はどうすればいいわけ?」と聞いて姉に「要はモモンガさんを立ててあんまり人間に肩入れしないでナザリックを大事にすればいいの」とおおざっぱな説明をされていた。大体合っているからいいだろう。

「アルベドの行動はそんな感じだ。今は彼女を第五階層の氷結地獄に幽閉してある。これは魔導王の任をこなしているパンドラズ・アクターの許可を出してもらってのことだから、モモンガさんが帰ってきた後でも怒られないと思う。怒られたら皆でごめんなさいをしよう」

「戻ってこられたら、だけどな」

 ぬーぼーの呟きで皆の雰囲気ががくりと暗くなった。

 そう、そこが一番の問題なのだ。他のいかなる問題を合わせたよりももっと大きな問題なのだ。



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第31話

「モモンガさんが行っていることは、私達にとっては感謝してもしきれないことだ。なんせ、くそったれな世界から解放してくれたんだ。しかも、彼は友愛の心だけでそれを為した。最後の時を一緒に過ごせぬどころか、ナザリックを、ユグドラシルを捨てた私達に、彼は一方的な愛情で『チャンス』をくれたんだ。

 だというのに、どうだ。私達は、ここで彼の帰りを待つことしかできない……」

 ぷにっと萌えの声には悔しさが滲んでいた。実際悔しいのだろう。だって彼はモモンガの言葉に「YES」と返す程度にはユグドラシルを、ナザリックを、アインズ・ウール・ゴウンを好いた人なのだ。その「好き」の受け皿を魂を千切ってでも与えようとしてくれたモモンガの心に感謝を抱き、その魂を危機にさらす者に怒りを覚えるのも無理はない。

「でもそれをうだうだ言ってる場合じゃないでしょう。それが今日の会議の本題だ」

 そう言うのはふわふわ浮かぶ風の精霊(シルフ)のブルー・プラネットである。彼の言葉に、ぷにっと萌えの心情に同調して拳を握っていた者達は各深呼吸して気持ちを落ち着けた。

「そう、そうだね」

 同じようにしてぷにっと萌えも己の意識を落ち着ける。深呼吸、なのだろう。数度蔦まみれの体を膨らませたりしぼませたりさせた後、彼はしゃきりと背筋を伸ばした。

「モモンガさんを助け出す。彼をこの世界に連れ戻す。或いは、彼が帰ってきた後に私達が彼を守る。そのための作戦をここで立てたいと思う。

 まずは考え得る状況の洗い出しだ。考え得るものは三パターンある。一、モモンガさんが自力で戻ってきて、かつあのリュウズというギルドマスターと自力で縁切りしてくるというもの。ただしこれは望み薄だ。二、モモンガさんは自力で戻ってくるが、リュウズというマスターに存在を握られた状態であるというもの。私はこれが一番可能性が高いと思う。三、最悪のパターンだけど、モモンガさんが戻ってこないという状況だ」

「三に関してはさらに色々考えられる。監禁されるか殺されるか、あるいは『あちら』の世界に、あの不安定状態で取り残されるかとかね」

「そうなると、今この時点で作戦を考えるには情報が少なすぎる。この場では、このパターンになった時に『モモンガさんを連れ戻す』という行動にナザリック全体が舵を切る、という総意の確認で済ませておきたい」

「異議無し」

「そこで見捨てちゃ男が廃らァ」

 皆が頷く。それをぐるりと見渡して確認した後、ぷにっと萌えは「では次」と続けた。

「一の可能性が極小な理由をウルベルトから説明してくれ」

「わかった。事の発端はたっちなんだが、俺のわがままも関わっている。というのも……」

 立ち上がり、ウルベルトは片眼鏡を一度持ち上げてから説明した。たっちが元々一度『失敗』した存在であること。それ故にモモンガはやり直せるものならやり直したいと願っており、その願いに自分が乗ったこと。しかしその対価として、モモンガは魂どころか『全て』を彼女に差し出してしまったこと。それを彼女は受け取り、遊戯(ゲーム)を成立させたこと。結果、ウルベルトは勝利したこと。

「だから」

 あったことの説明を終え、喜ばしい結果を喜ばしくない手段で得た報告を、ウルベルトはこう結んだ。

 

「仮にモモンガさんが『ここ』に戻ってきたとしても、あの人の全てはあっちのギルドマスターのものだ。ギルドのものである腹のワールドアイテムがあるから実際どうなるかはわからんが、『契約』上は、モモンガさんがこのギルドから引き抜かれることになっても俺たちに抵抗する術はない」

 

「なんということを……」

 ウルベルトの説明に、建御雷が絶句した。トラブルメーカーで問題上等もるし★ふぁーすら口を閉ざしていることから、これがいかに拙い状況かおわかりいただけるだろう。

「悪魔に魂を売ったようなものか」

「端的に言うと、そうだ。俺がそれを肯定するなんてな」

 悪魔が悪魔と言う相手なんて、それは悪魔を通り越したもっと性質の悪い何かだ。例えばそう、邪神とか。

「邪神か……」

 ホワイトブリムの呟きに死獣天朱雀が頷いた。

「そうだ。私は、というか、私とタブラさんとぷにっと萌えさんはあの人を『邪神』相応の存在だと思っている」

「あー、前にぷにっと萌えが言ってた『プレイヤーじゃない』ってやつか」

 暫く前に第六階層で聞いたことを思いだしたぬーぼーが手を打った。どういうことだ?と首を傾げたのはたっち・みーとウルベルト以下新しく来た者達である。そんな彼らに、先にこの地に辿り着いていた者は当時のぷにっと萌えの発言を教えた。曰く、あの時点でぷにっと萌えはリュウズを相当危険視していたのだと。

「だけど、その時はまだ時期じゃないって言われてたんだ。でも、そろそろいいだろ、ぷにっと萌え。あの言葉を説明してくれ。あいつは一体何なんだ」

 ぬーぼーは円卓の上に身を乗り出すようにしてぷにっと萌えに迫った。他のメンバーも各の方法でぷにっと萌えに意識を向けた。

 十五の意識が己に収束するのを感じ、ぷにっと萌えは一拍置いてから重々しい声で答えた。

「結論から言うとエネミーだ」

 その答えで円卓の間が沈黙する。誰が何を言ってもおかしいとしか認識できないからだ。しかし、すぐに意識を取り戻したメンバーが声を出した。

「はあ?」

 呆れた、という色を隠さない声を出したのはペロロンチーノである。鳥人の顔にわかりにくいながらも呆れの表情を浮かべた彼は、何を言っているんだ、と目線でぷにっと萌えに言った。しかしぷにっと萌えはその視線を正面から受けた上で「嘘でも冗談でもない」と首を振った。

「おそらく、彼女単体の力は弱い。六百年寝てたらしいしね。たぶん、守護者一体、それも非変身状態のデミウルゴスで勝てるだろう。

 だが攻略難易度は非常に高いと思われる。その結果、私は彼女を『エネミー』と評したわけだ。これは解釈の結果であって、ユグドラシルのシステム的なものじゃあない。それを今から説明する」

 矛盾した発言にぷにっと萌えとタブラと死獣天朱雀以外の十三人があっけに取られた顔をした。弱いのに攻略できないとか、よくわからなさすぎるからだ。しかし、ぷにっと萌えは仲間の反応を無視し、体の蔦の隙間から羊皮紙を一枚取り出した。そこにメモが書いてあるらしく、乱雑な文字──しかも日本語だ──が書き記してあった。

「まず、ユグドラシルの設定の確認だ。ワールドアイテムは世界の葉っぱの一枚一枚が形になったものであり、世界の「可能性」である。次に、これは時にワールドエネミーを倒すことで手に入ることがある。

 ということは、だ。リュウズというプレイヤーを倒せばワールドアイテム『観察者の目』が手に入るから、彼女はワールドエネミーと解釈できる」

「待ってください。それは乱暴すぎやしませんか」

 ぷにっと萌えの言葉に、ホワイトブリムが待ったをかけた。

「説明が途中なんですが……理由をどうぞ、ホワイトブリムさん」

「ぷにっと萌えさんの言い方だと『砂糖は甘いから甘い物は砂糖となる』って言っているようなものです。そんなの事実でもなんでもない」

「そう、それ単体ならそうです。でも、ここにあのギルドマスターの言動を組み合わせるとそれだけじゃなくなる。

 あの人は言っていました。モモンガさんのような人が好きで、自分のエリアで戦ってほしい、と。かつてプレイヤーとして自分が戦った所で、今度はモモンガさんがその位置に来て戦ってほしい、と。そのためにこの遊戯を持ちかけたのだと。

 その視点はプレイヤーの視点というよりも運営の視点です。『倒した時の益を目の前にぶら下げて、それを奪取させるためにプレイヤーを戦うように仕向ける』……それは、プレイヤーの視点じゃない。ダンジョンを作り侵入者を『迎え撃つ』ギルドの態度でもない。

 それとね」

「まだあるのか!」

「ある。似たような事例で、ワールドアイテムを保有したワールドチャンピオン・ムスペルヘイムが呪いでボス化したイベントがあっただろう。あれでプレイヤーのエネミー化が可能だという前例があった以上、リュウズさんがボス化している可能性は十分考えられる。そしてそれはただのボスではなく、文字通り『世界』をまたにかけた九曜の世界喰いのような存在だろう」

「股無いけどなあの人」

「黙れ馬鹿弟。マジで黙ってろ」

「ごめんねぇちゃん」

 流石にこの空気でギャグに走るのはダメだったらしい。同士討ち(フレンドリーファイア)が解禁されているというのに中々の速度と重さでぶくぶく茶釜はペロロンチーノの後頭部をはたいた。そんな姉弟のコミカルなやりとりで円卓の間の重い空気が多少和らいだ。

 ぷにっと萌えの話を総合すると、ユグドラシルのシステムではなく『設定』の解釈の結果、リュウズはボスエネミーと化している、ということになるだろうか。運営から「そうあれ」と言われてそうなったのではなく、「ワールドエネミーはこういう要素で構成されます」という要素全てを斜め上から満たしたことによりそうなってしまったということである。

 ワールドエネミーというのは真正面からぶつかっていってもまず勝てない存在だ。だが、同時に何かしらの攻略方法があり、そこを突くと倒せたり、倒せなくても生還できたりする。

「この会議の内容を総合すると、あのリュウズって人はワールドエネミーの亜種的存在である可能性が濃厚だが、今はあくまでその能力の片鱗で『遊んでいる』だけなのか。だったらモモンガさんも取り返しのつかない所まで行く可能性はない……のかな」

 ウルベルトは自身が聞いた「自分はモモンガと『勝負』しない」という発言を思い出しながら呟いた。それにぷにっと萌えがこくりと頷く。

「単騎でワールドエネミーと『戦って』いないだけ、よしとしておくしかないです。そしてその間に、私達は彼女の攻略法を見つけなければいけません。でも、見つけるまでもないといえばないんですよね」

「そうですね」

 ぷにっと萌えの言葉にヘロヘロが頷く。彼は黒いどろっとした体をうねらせて、深く身を曲げ、その声に自嘲の色を乗せて答えた。

「真正面から挑めばいい。『あなたと賭けをしたい』って。ちょっとしか見てないですけど、あの人、相応の賭け品(かくご)を見せたら嬉々として乗ってきますよ、きっと」

「特定フィールドで馬鹿みたいに強いボスエネミーってことか。どっちかっていうとガチ戦闘系のボスっていうより謎解き系のボスって考えた方がいいのかな」

「相手のフィールドで真正面からリアルラックでたたきのめすのか」

「それ、たぶん、一番やったらまずいやつだぞ。勝ち目無し的な意味で」

「そうなんですよね。でも、当人がそれをやってあの城の主となって構えている以上、こちらも同じことをしてあの人以上の『運』と『覚悟』を示す必要があるんですよね。もしも『観察者の目』を持っていなかったら裏から武力攻撃で制圧とかもできたんだけど……」

「単品で見たらそうでもないけど凶悪な組み合わせだから『攻略難易度が非常に高い』ってことになるのね」

 ぶくぶく茶釜の言葉に、ペロロンチーノは頭を掻きむしった。

「ああもう!真正面から戦っちゃいけないのがボスエネミーなのに、攻略法が真正面から戦うことなんてボスエネミー普通いないぞ!?」

「それが特徴のエネミーってことなんでしょうよ。全く、とんでもない」

「賭博のボスエネミーか」

「そもそも『挑もう』と思わない限り彼女は全く脅威じゃないってのがおっそろしいわ……」

 リュウズをエネミーとみた場合、もし仮に彼女にモモンガの『所有権』がなかった場合、彼女に挑むメリットは一切存在しない。勝算がまるきり見通せず、さらに戦いに使うのは鍛えられたプレイヤースキルでもアイテムでもなく、ただ当人の機転と運ばかり。せっせと積み上げたスキルやアイテムはただのチップと成り下がり、価値を貶められてしまう。ナザリック地下大墳墓に挑む時にあった初見攻略の楽しさと高揚感とて、ただただ延々と賭けを続けるだけの戦いには存在しない。つまり、楽しくないのだ。彼女との戦いは。

 そんな彼女との関係の正解は『関わらない』だ。倒すメリットも関わるメリットもないのであれば、放置して無視が一番なのだ。なんせ向こうからも手出しはしてこないのだから。

 それでも戦いを挑む奴はきっとただの狂人だ。例えば、額冠を得ていなかった頃のリュウズのような。彼女のような、仲間の命を『賭ける』ことそれ自体に楽しさを見いだせるような狂人だけだ。そんな人でなければ、彼女との賭け事(ゲーム)という狂気の遊びを続けることはできないだろう。続けられないならそも始めるべきではない。

 しかし、そんな彼女に、ナザリックはマスターの存在を握られた。挑む価値がないからこそ許された『チート』を持つ相手に、人質が自分から行ってしまった。

 出来の悪い悪夢のような詰みの状況に、皆が深いため息を吐いた。モモンガの行動を『愚か』と罵るには、彼らはその行動の益を受けすぎていたために、ため息くらいしか口からはき出せないのだ。

 そのため息が円卓の間に質量を持つほど降り積もり、また空気を陰鬱なものに変化させた頃。誰かがぽつりと呟いた。

「なんつーか、アレだね。ダイスの女神みたいだ」

 振ら(たたかわ)なければ『失敗』することはない。(たたか)って『成功』した所で、幸福になれるとは限らない。ダイスの女神に挑めるのは、挑むこと(ゲーム)自体を楽しめる人だけ。

「そう……そう、言われれば、確かにそうだね」

「天使も悪魔も殺してきたけど、神話の神様の名前を持つエネミーだって殺してきたけどさぁ……」

「正直、勝てる気がしない……」

 誰かが頭を抱えて呟いた言葉を否定してくれる人は、いなかった。

 

 

 

 

 

 

「へぷちっ」

「あれ、どうしたんですか。風邪ですか」

「くしっ、ぷしっ……ん、違うわ。気にしないで」

「気になりますよ。ていうか、なんですかそれ。くしゃみなんですか」

「えくしっ!……くしゃみよぅ。誰か私のことを噂してるわね……」

「俺の仲間じゃないですかね。今頃あなたを倒すための作戦を練ってるんじゃないかな」

「あらまぁ。ついに『私に』挑む人が来るのかしら。それはそれはとても楽しみだわ」

「俺が頑張って止めないと」

「ああんいけずぅ。私の六百年ぶりの楽しみを取りあげないでくださいませ」

「あなたに関わるとロクなことがない。犠牲者は俺一人で十分です。下半身の蛇といい、言動といい、誘い方といい、あなた聖書の蛇並みに性質悪いです」

「褒められると照れてしまいますね。っぷし」

「褒めてないです」

「褒めてるって言っておいた方がお得ですよ。それに、あんまり不用意なことは言わない方がよろしくてよ」

「何故」

「あら、ちょっと前に私、言いましたよね」

 

 ──言葉の力は思っているよりも強い、って。

 

 




神っていうのは「あれが神だ」って言う人間がいるからこそ生まれる存在なんですよねアッハッハ


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第32話

 モモンガのゲーム(たたかい)は進んでいく。先に辿り着いた仲間達がどれほど焦っていようとも、どれほどユグドラシルから離れた己を後悔しようとも。

 モモンガにとってユグドラシル最終日はもう痛みの伴う過去であり、言い換えるなら乗り越えた過去なのだ。彼にとって、それはもう上書きができる単なる事象でしかないのだ。そして今、彼は仲間という深い心の傷の上に貼る絆創膏を得ている真っ最中なのである。前に進む気こそ起きようとも後悔で足を鈍らせるわけがない。だってこの絆創膏はモモンガがいかなる金銀財宝いかなる名誉よりも求めた至高の存在なのだから。

 そんな絆創膏を、モモンガはまた一枚得ることができた。

 

 

 

「それでは」

 表情など浮かびようのない骨の顔に、確かに歓喜の色が浮かぶ。そんな彼の前にいるのは草臥れ萎れしぼみかけている男の体と、その体の側にいる草臥れ萎れている男だ。前者はもはや生物の要件たる魂を擁してはおらず、後者はこれまた生物の要件である肉体を纏っていない。

「それでは、源次郎さん、また向こうで会いましょう」

「おう。エントマどんな感じか楽しみだ」

 にかり、と笑った半透明の手をモモンガが握る。その上からリュウズが右手を添えると、男は明け方に残った夜霧よりも儚く消えた。

 男の姿が消えたことで少しだけ増した部屋空間の広さが、二人にこの部屋の異様さを伝えてきた。床に散らばっているのは多くの生活用品や仕事用品。それに埋もれるようにして仕事用のパソコンが置いてあり、それは随分前にスリープモードになっている。さらに、狭い部屋の奥にはこの頃にはだいぶ型遅れとなったダイブシステム器材が雑貨に埋もれて眠っている。

 まとめていうと、汚部屋である。散らかりすぎて足の踏み場は当然ないし、ものを踏みつけること覚悟で足を出しても足の方が怪我しそうな有様である。そんな空間であるために、リュウズは転移してすぐに顔を顰めた。自分の体の置き場所がないじゃないか、という文句の表情らしかった。

「よくもまぁ、物を簡単に手に入れられない時代にこれだけ部屋を物で散らかせますね」

「汚部屋はある種の才能だそうですよ」

「そんな才能いらないと思うのですが」

「常識人みたいなことを言わないでください」

 モモンガのツッコミも容赦がない。しかしそれは仕方ないかもしれない。源次郎で三十回目なのだから。一回三時間と考えても、もうモモンガはリュウズと九十時間は一緒にいるのだ。二メートルも離れられないことも合わせると、彼らの仲がある程度親密になるのは避けられぬ流れである。そして、親密になった故にツッコミが厳しくなるのも、仕方の無い流れである。

 モモンガの容赦ないツッコミにリュウズは片眉を引き上げてモモンガを見たが、モモンガは彼女が彼を見る前に、彼がユグドラシルで遊んでいた時に利用していたダイブマシンと同じ型のそれに目をやっていたため、彼女の視線には気付かなかった。彼女が僅かに見せた人間らしい表情を、彼は見逃してしまった。

 それが幸福なことだったのか、はたまた不運なことだったのか、それは事を終えて振り返ってみないとわからない。そしてリュウズは己の視線でモモンガが振り返る前に人間の顔を仕舞い込み、ふわりと笑って彼に先を促した。

「それではモモンガさん、次に参りましょう」

「はい。ああ、えっと、今は何人成功したんでしたっけ」

 リュウズが伸ばした手を取る前にモモンガが尋ねると、リュウズは「数えていらっしゃらなかったのですか」と呟いてから教えてくれた。

「成功が十七名。失敗が十三名です」

「結構、断られてますね、俺……」

「ここは成功を誇るべき所ですよ」

 モモンガは一度も天秤を失敗に傾けていない。それはすごいことだ。そう口にするリュウズに、モモンガは沈んだままの声で答えた。

「でも、俺はもっと多くの人がナザリックに答えてくれると思っていました」

「彼らにとってあなたの存在と問いかけは現実と空想のどちらを取るかという非現実的な選択肢でしかありません。そして人の心というのは不思議なもので、たとえ死んでも現実を捨てられなかったりするんですよ。仕方のないことです」

 リュウズの言葉には実感がこもっていた。ちら、とアインズがリュウズを見ると、彼女の目には過去を懐かしむ色があった。

「あなたにもそんな経験が?」

「もちろん。私だってユグドラシルに最終日まで残っていたギルドマスターですよ」

「でもあなたの所には最終日にも人がたくさんいたんですよね」

「ええ。その点は、私はあなたよりも恵まれていたかもしれませんね」

 くすくすとリュウズが笑う。それにモモンガは何か言い返そうとしたが、何を言い返すこともできぬと気付いて大人しく口を閉じた。代わりに、伸ばされたままだったリュウズの手を掴む。

「次、お願いします」

「ええ、あと三名、先に頷いてもらえるかしら?」

「絶対頷いて貰えます。俺は仲間をあの世界に呼ぶし、俺はナザリックに帰るんですから!」

「その意気よ、モモンガさん。君の顔が絶望に染まりかける所、早くみたいわぁ」

 リュウズの笑みが音を立てて変質する。それは極上の美人が浮かべる最高の笑顔なのに、モモンガの肌のない骨の体の全身に鳥肌が立つ感覚を覚えさせた。そしてその笑みと悪寒が呼び水となったのか、この後モモンガはウィッシュⅢと獣王メコン川の説得に失敗した。

 目の前で信じた仲間の魂が消えていくのを見ながら、モモンガの後ろでリュウズは楽しそうに笑った。

 

「成功十七名、失敗十五名。さて、あと三人よ、モモンガさん」




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

源次郎 35 成功
ウィッシュⅢ 89 失敗
獣王メコン川 72 失敗

成功17、失敗15


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第33話

 ナザリックを拠点としていながらも、ナザリックを「作り込む」ことにそこまで力を入れなかった者、あるいは作り込むこと以上の魅力を他所に見つけた者は、それがナザリック内に無い場合、円卓の間のど真ん中にぼたりと落ちるようにして現れる。例えばたっち・みーとウルベルトがそれだ。たっち・みーは正義という無形の概念にこだわっており、自分の担当NPCであるセバスに対しての思い入れは浅い故の円卓という答えだった。ウルベルトは第七階層の作り込みを頑張ったが、彼にとってアインズ・ウール・ゴウンという組織を思い浮かべた時に一番最初に出てくるのはそこではなく、己が嫌いことあるごとに対立する白銀の甲冑だった。だから彼もまた円卓の間のど真ん中にぼたりと落ちるようにして現れた。ちなみにこの二人、イイ感じに重なって落ちたのだが、当人達の記憶からはそのシーンは意図的に消されている。一体どういう『体勢』で落ちてきたのかは、想像してやらないのが情けというものだろう。

 そして今日もまた一人、そんな人が現れた。ナーベラルの創造者にして紙装甲大火力の弐式炎雷である。情報共有会議により中々のっぴきならない状況であるという認識が共有された彼らは、守護者以下シモベ達を排し、連日会議を重ねていた。そのど真ん中にぼたりと現れた弐式炎雷は驚きと安堵で迎えられ、その場で早口気味に伝えられた情報に面の下の顔を青褪めさせた。

「も、モモンガさんは、そんなことは一言も…」

「言ってどうにかなることでもありませんからね。それはそうと、そろそろいい時間ですね。一度解散としましょうか」

「もう夜か。気づいたら眠くなってきた」

「俺はバーに行きたい」

 くぁ、とあくびしたたっちの隣で、胸元のスカーフを直しつつウルベルトが言うと、ペロロンチーノが彼の言葉に乗ってきた。

「バーか。ウルベルトさん、一緒に行くか。たまには男同士で飲むのもいいだろ」

「いいとも。しかし俺の方には連れがいるんだが」

 それが誰かなど考えずともわかる。金色の嘴をかちりと鳴らし──おそらく笑ったのだろう──ペロロンチーノは頷いた。

「デミウルゴスだって男だろ」

「よし。では繰り出そう!」

 二人がこうも楽しげにバーに行く理由は単純だ。彼らにとって酒は高価な希少品であり、リアルでは縁がなかったからである。付け加えるならかの店で出される酒が一級品どころか超級品でありその美味さで口をつけた者全てを虜にするから、というものだろうか。

 男二人が連れ立って円卓の間から出ていく後を、メイドを愛する三人衆が追いかけるようにして出ていく。彼らの行き先はもちろんそれぞれの自室だ。なぜならばそこには己が作り出した最高のメイドたちが控え、お使えする主すなわち自分たちを待っているからである。メイドをメイドたらしめる使命のためにいそいそと退出していった彼らは、しっかりナザリックを堪能していると言えるだろう。

 彼らが出ていった後、それでも何人かが円卓の間で会話を続けている。それはギルドメンバーとしての会話ではなく友人としての会話だ。例えるなら学校の休み時間の会話というのが一番近いだろうか。言葉と言うには意味がなく、雑音と言うには言語すぎるそれが、深刻な空気で満ちていた空間を気安いものへと変えていく。

 そんな仲間たちの会話を聞くともなしに耳にしながら己の席に座っていたぶくぶく茶釜が、しばらくしてピクリと揺れた。目のない頭部をぐるりと向けるのは開け放たれた円卓の間の扉だ。長い廊下が広がるそこを、金髪の子どもが二人、足取りも軽く駆けている。

「お迎えに上がりました、ぶくぶく茶釜様!」

「お、えと、お迎えに、あがりました…!」

「ありがと、アウラ、マーレ。みんなじゃあねー」

 円卓の間に入る一歩手前で足を止めた双子に頷き、ぶくぶく茶釜は椅子から降りてアウラとマーレを横に並ばせ自室に帰っていった。ゆったりとした移動速度は双子の歩幅に合わせてか、それとも双子がぶくぶく茶釜に合わせている故か。どちらにしろ互いに思い合っていることは、背中越しにでも聞こえてくる彼らの和やかな会話からよくわかる。

 暫くするとセバスが現れ、ぶくぶく茶釜と同じように己の創造主をエスコートして帰っていった。厳格そうなその顔に歓喜の色が浮かんでいたとわかるのは聡くあれと命じられた守護者くらいだろう。例えば、セバスとともに現れたデミウルゴスとか。

「ウルベルト様…?」

 円卓の間に入らないようにして入り口から室内を伺ったデミウルゴスの口から小さく声が漏れる。それを耳ざとく聞いたのは建御雷との再会を喜ぶ弐式炎雷を微笑みとともに見守っていたブルー・プラネットだった。

「ウルベルトさんならバーに行ったよ。デミウルゴスに迎え頼んでたの忘れてたんだなあの人。僕が注意しとくよ」

 からから笑ったブルー・プラネットにデミウルゴスは慌てて頭を下げなが首を横に振った。器用な男である。

「至高の御方のお手を煩わせるなど!己の創造主であるウルベルト様のお望みを察せなかった私が至らぬだけでございます!どうかそのようなことは…」

「そう?じゃあやめとくけど……でも、あんまりそうやって自分卑下しちゃだめだよ」

「はい」

 デミウルゴスは深々と礼をし、ひとしきり至高の御方の心がいかに広く慈悲深いかを感謝とともに語った後、踵を返して去っていった。心なしか早歩きなのは彼が内心の興奮を抑えきれないからだろう。見た目に反して高い忠誠心を持つ彼は、守護者たちの中ではかなり『純粋』な方なのだ。

 その後もぱらぱらと会話の切れ目とともにギルドメンバーは円卓の間から退出していった。最後の二人となったのは会話が盛り上がりすぎた建御雷と弐式炎雷だ。彼らは睡眠耐性を得られるアイテムまでつけて会話していたのだ。そして、その積もる話の続きをもう少し狭い空間、すなわち建御雷の部屋でやろうと言って円卓の間から出てきた彼らは、部屋から出てすぐ部屋の扉のすぐ外にNPCが二体控えていたことに気がついた。

 それが誰かを言う必要はないだろう。弐式炎雷の姿を見て白磁の頬を涙に濡らした彼女は、喉を引きつらせながら己の創造主の名を呼んだ。

「弐式、炎雷、様…!」

 この気が狂いそうな奇跡が始まる前、その言葉に返ってくる言葉は「それは至高の御方のお名前だね」という仲間からの応えだけだった。だが、今この瞬間、それは正しい受け手を得た。

 受け手である弐式炎雷は、己が見下ろす先にいる絶世の美女をまじまじ見つめ、感嘆のため息とともに彼女の名を呟いた。

「ナーベラル……ほんとに、生きて動いてるんだな……」

「はい。あなた様に創造され、私は生まれました」

「触っても?」

「どうぞ!!」

 弐式炎雷が右手を僅かに持ち上げて尋ねると、ナーベラルは大きく頷いて背筋を伸ばした。白い頬を伝っていた涙はそのままだが、もう新しい涙は流れていない。代わりにその頬を赤く染め、呼吸を荒くしている。

 そんな彼女の頬に、手甲で覆われた弐式炎雷の手が伸びる。彼は触れる寸前で僅かに躊躇いを見せたが、その躊躇いを振り払い、ナーベラルの頬に指先を触れさせた。

「あ……」

 僅かに沈んだ頬の感覚に、ナーベラルの唇から熱い声が漏れた。世の男共が聞けば思わず前屈みになってしまいそうな声である。どちらかというと冷め気味な態度を取ることの多いナーベラルがそういう顔をするとギャップというスパイスもあって非常に蠱惑的なのだ。

 しかし、今現在それを見て居るのは弐式炎雷という彼女の創造主、言ってしまえば親である。父親である。パパである。故に彼は股間を押さえて前屈みになるのではなく、「自分の趣味を詰め込んだNPCがこんな美人になるなんて」という感動と、彼女に対する関心でぐいと体を前に傾けた。詰め寄った。

「モモンガさんからちょっと聞いたが、お前さん、モモンガさんと外を冒険してたんだって?」

「は、はい。仰る通りでございます」

「モモンガさん、お前に感謝してたよ。こっち来てからちょっとの俺でもこっちが楽しいだけじゃないってのがわかった。そんな中でよくやった。えらいぞ、ナーベラル」

 この発言は半分が本心で半分が下心だ。下心というのはもちろん性的な意味ではなく、「娘のポイント稼ぎをする父親」的な意味でである。モモンガからNPCは創造主からの言葉を好むという情報を、建御雷からどういう言葉が具体的によいのかを、それぞれしっかり聞いていた弐式炎雷はそれらを適切に盛り込んだ言葉をナーベラルに贈ったのだ。

 彼は一撃必殺を好む紙装甲大火力NINJAである。一撃必殺に関しては右に出る者のいない男である。そんな彼が組み立てたこの態度とこの言葉、刺さらぬ道理がどこにあろう。刺さらぬ現実がいったいどうして成立しよう。

 どこにもない。成立するわけがない。正しくNPCの心を撃ち抜き射貫き貫き通したその言葉はナーベラルの思考回路を瞬時に焼き切り……そして、彼女から全ての力を蒸発させた。

 端的に言うと、感動でナーベラルは気絶した。

「おっと」

 ふ、と目が虚ろになり倒れ込んできた彼女の体を、弐式炎雷は真正面から受け止めた。力の抜けた女の体は軽いようで重く、重いようで軽い。リアルでは女というものにあまり縁がなかった弐式炎雷はそんなナーベラルをどうしたものかとほんの少しだけ悩んだが、すぐに彼女を抱き上げた。

 そんな彼に、ナーベラルに付き添っていたコキュートスが白い吐息をふしゅふしゅ吐きながら四本の手を振った。

「弐式炎雷様!御身ノ手ヲ患ワセルナドシモベノ恥!ドウカ斯様ナ事ハナサラズニ……!」

「俺は自分に会えて感動で気絶したような女をほっとく趣味はないよ」

「それでこそ弐式だ」

 弐式炎雷の言葉に、建御雷が深く頷いて肯定の意を示す。そんなことをされてしまえばこれ以上何を言うこともできなくなり、コキュートスは四本の腕を所在なさげに下げた。

「所でさ、コキュートス。俺はこのまま弐式と一緒に俺の部屋で酒を飲みながら話したいんだけど、お前もどうだ?」

「!?」

「ナーベラルが起きたら、四人で」

「!!?」

 言葉にならない、という顔をしているのだろうか。コキュートスの複数ある目が激しく輝き、冷たい排気がぱきぱきと辺りを凍らせていく。それを見ながらナーベラルを心持ち胸に引き寄せた弐式炎雷は少し笑った。

「興奮するのはいいけど、ナーベラルみたいに気絶はやめてくれよ。建やんだって流石にお前背負って動くのは大変なんだから。で、どうよ。嫌?」

「嫌ナモノデスカ!同席ヲ許シテイタダケルノナラ、是非……!」

「おっしゃ決まり。じゃあさ、適当にメイドさん捕まえて、酒見繕って持ってきてくれ。なんか美味そうなやつあればいいわ」

「畏マリマシタ!」

 答えた途端にコキュートスは徒歩の中で出せる最大速度で廊下を歩いていった。今現在メイド達は己の創造主達に仕えることに熱を上げているが、ちゃんと連絡すればメイドとして他の至高の方の世話もしてくれる。何故ならば、彼女らはそうあれかしと願われて生み出された者たちだし、彼女らを生み出した三人のギルメンはそうやって働く彼女達を愛しているからだ。

 遠くなっていく青っぽい白さを持つ背中を見ながら、建御雷は声に笑みを含ませて言った。

「こうも直球で好かれると、正直嬉しくなっちゃうよな」

「ああ。今俺、こっち来て良かったって思ったわ」

 たぶんそれは、このナザリックの全てが、彼らを心から愛しているからだ。




(ロール結果を付けるの忘れてました)

モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

弐式炎雷 38 成功
名無しの誰か 54 失敗
名無しの誰か 88 失敗
エンシェントワン 81 失敗

成功18、失敗18

うそだろジョニー


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第34話

 世界征服という言葉を聞いた時、一番最初に頭に思い浮かべる印象は何だろう。世迷い言だろうか。中二病だろうか。壮大な野望だろうか。精神疾患だろうか。子どもの冗談だろうか。

 かつて存在した夢幻の世界において、とある男にとってそれは『現実的な目標』だった。少なくとも彼はそう思っていたし、彼の友人もそう思っていた。

 その世界の名は、ユグドラシル。男のような社会的下層に位置する人間をなだめすかして騙すために社会が率先して用意した現実からの逃避先であり、生まれを無価値とする対等な強さが約束された世界である。そんな世界でしか夢を見られぬ男は、だからこそそこで夢を見た。多くの仲間とともに世界をかけた。そして、ある時、彼は仲間に向かってこう言った。

 ユグドラシルの世界の一つでも征服してみようぜ、と。

 だがそんな世界はもう消え去った。オンラインゲームの宿命、サービス終了という無慈悲なギロチンを受けて。その際ちょっとしたトラブルが発生し、ユグドラシルに最後まで貼り付いていた多くの人間が謎の死を遂げた。それは最下層の人間から富裕層の中でもトップの人間まで多岐にわたった。皮肉なことに、終わりを迎えたことで、ユグドラシルは人々の関心領域に返り咲いたのだ。

 しかしその徒花も散り果てた。今はもう覚えていない所か知らない人がいるくらいだ。そんな中で、男は今でも黄金期の写真達を見返すことがあった。ともに笑ったフレンド達。現実ではありえない大自然。そこを跳梁跋扈する異形の存在達。そして、そんな者達だけが集まった、白銀の円卓を囲んだ写真。

 それをなぞる男の手には人間が持ってはいけない色が浮かんでいる。刻まれた深い皺がある。歳ではなく病でそうなた男の手は、もはやなぞることしかできず、持ち上げることは叶わない。

 男の手から、ふっ、と、力が抜けた。受け止めてくれる手もないそれが、薄汚れたベッドの上に落下する。撫でていたモニターはもはや手を伸ばすことさえできぬ高みにあって、もう彼に過去を郷愁させる時さえも与えてくれない。

 だから、もう、彼はユグドラシルの面影にすら戻れない。最終日の夜、漸く五年かかったプロジェクトを終わらせて家に駆け込みヘッドギアに手を伸ばした瞬間に日付けが替わって失われたあの世界に、もう彼は戻れない。

 

 戻れない、はずだった。

 

「……?」

 男の手を、何かが掴んだ。

 それは白さと硬質さを併せ持つ何かだった。少なくとも人の手ではない。人の手であれば、流石にそれとわかるから。

 では何なのか。男は視力を減退させて久しい両眼を凝らし、己の手の先を見た。

 そして、そこにあるものを見て、目を見開いた。

 だって、そこにあったのは、いや、いたのは──

 

「お久しぶり、です。ばりあぶる・たりすまんさん」

 

 撫でていた写真の中どころかリアルにすらもういないはずの、ギルドマスターだったのだから。

 

 

 

 自分と同じようにナザリックを思っていた人間がいたことを、モモンガはこの奇跡の遊戯で知ることが出来た。それと同時にユグドラシルを、ナザリックを、アインズ・ウール・ゴウンを己ほど愛していなかった者もいたという現実も知ることができた。それらは彼に幸せと落胆を等価もたらし、彼の精神に波風を荒々しく立てた。

 そんな中、彼は成功と失敗の数を同数抱えるという状態に至った。次の人間の説得に失敗すれば夢幻の彼方どころか理と意識の狭間の向こうに流れ果てることが決定されたのである。それにリュウズは多いに笑った。モモンガの、表情など浮かべようのない顔に確かに浮かんだ焦りの色を、まるで性交の果てに得る絶頂を楽しむが如き顔で喜んだ。

「あなたの勝ちは次では決まらないけれど、あなたの負けは次で決まるかもしれないですねぇ」

 愉悦の色を滲ませて、消えて逝った魂の名残を見ながらそう言った彼女に、モモンガは首を横に振った。そうじゃない、そうじゃあないんだ、と。

「俺の仲間はみんな呼びます。これ以上、誰だって欠けさせない」

「そういう気合い、好きよ。さてではゆきましょう」

 骨の手に女の手が重ねられ、向かった先。それは何度もみた荒廃した世界の光景であり、その中の、モモンガにとってはかなり覚えのある貧困層の一つだった。その瞬間、彼は自分がどこに来たのかを悟り、迷いない手で目の前の窓を通り抜け、今まさに亡くなろうとしている男の手を取った。

 男はモモンガの言葉を聞き、一も二もなく頷いた。それはもう、あっさりと。そこにはモモンガが己の命を失う瀬戸際を焦るようなシーンも無ければ、モモンガの姿を見て死に神だとわめき立てる人間の姿もなかった。彼らは驚くほどすんなりとその再会を喜び、言祝ぎ、そしてばりあぶる・たりすまんは異世界への旅立ちを希望し、旅立っていった。

「面白くないわ」

「面白さなんて求めてませんから」

「でもモモンガさんドヤ顔してますよねぇ」

「そりゃあね!残り全員呼び戻しますよ!」

 ふふん、と笑ったモモンガは、ばりあぶる・たりすまんを見送った後、意気揚々と次のメンバーに会いに行った。しかしそこであったのは強固なまでのつれない答えであり、結局彼はその人物を説得できなかった。

「振り出しね。と言っても、泣いても笑ってもあと二人なのだけど」

 嫌な消え方をしていった魂の残光が消えた後に呟かれたリュウズの声に、愉しそうな色が滲んでいたのは、言うまでもない。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

ばりあぶる・たりすまん 01 クリティカル成功
名無しの誰か 52 失敗

名簿を見た所、あと一人名前が出ている方がいらっしゃるので、クリティカル報酬はそちらに使うことにします。

成功19、失敗19


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第35話

 事実は小説よりも奇なり、という言葉がある。人が考えた人の運命よりも神の手によって定められた運命の方が劇的であるという意味だ。それは人は結局人の枠の中でしか物事を考えられず、その発想は人の身を越えたものになり得ないからかもしれない。

 しかし、万事が全て小説(そうぞう)よりも奇抜だとは限らない。事実、モモンガが行った生命倫理を明後日の方向に放り投げたこの命運(ゲーム)も、波瀾万丈な要素はあったものの、結局はありがちな結論に落ち着いた。

「これでおしまい、ね」

 さらさらと崩れていくのは命だったもの。春に気まぐれに降った雪、あるいは朝焼けの中の名残夜霧よりも儚く消えたそれを見送った蛇鱗艶めかしい美女は、もやの向こうでぱちぱちと手を叩いた。その顔には賞賛の色と興奮の名残の熱のようなものが絡みついているのが見える。

 それを見て、モモンガはつけぬはずの息をついた。ため息を吐いた。といっても彼の息はそこまで重くない。いや、むしろ、彼の為した偉業を考えれば、呼気どころか足までも軽くなるべきだ。だって彼は助けたのだ。この世界ではなく、別の世界の仲間達を。死の支配者(オーバーロード)の名にふさわしく、彼は死を超越してみせたのだ。

 

 己が背負った死でさえも。

 

「そうですね」

 だからモモンガは平坦な声で答える。結局、救えた命の数は二十。救えなかった命の数もまた、二十。彼らの意思がモモンガ程度の説得で変わらないのであれば、これはどちらの二十を先に集めるかというゲームでしかなかったわけだ。

 あっけない。

 なんともあっけない。

「三十九人目の成功で、あなたの勝ちは確定して、四十人目は消化試合。それで負けて終わっては、気分も晴れぬというやつでしょうか」

「消化、試合、とか、言わないでください」

 口にするのもおぞましい、という雰囲気を纏いながら、モモンガがゆっくりと言葉を形にする。まるで血まみれの鈍器のように重さを感じる。彼の言葉を重くしているのは、仲間への愛情だろうか。であればその愛情は恐ろしいほどの重さを誇っている。

 大体、『たかが』オンラインゲームの仲間、それも何年も前に辞めていった者達のために、どうして盤石の地位と鉄壁の防護壁の中から抜け出して世界征服などしようと思い立つだろうか。百歩譲ってそれが他者から上がってきた案であることを含めても、笑ってしまうほど重い愛情である。

 だが、リュウズはその愛情をこそ気に入ったのだ。彼女は己の発言が真実まことのど真ん中失言であったことを悟り、宝石色の目を謝罪の形に細めた。

「ごめんなさい」

「別に、いいですけどね。あなたがそういう人だってのはわかっていますし」

 ふ、とモモンガの肩から力が抜ける。そうして、説得に失敗して淡雪と消えた魂の残滓の影を追うことも諦めた彼は、くるりと振り返った。

 為すのは宣言。放つのは終わりの鐘音。始まった物語は何れ終わりの時を迎える。であればその終わりの宣告は、プレイヤーたる自分が最初に口にするのが相応しい。

 そんな思考の末、モモンガは遠くなっていく在りし日の『故郷』の姿を振り返ることもなく、厳格な声色で言った。

「俺の勝ちです、リュウズさん」

「はい。命を賭けた此度のゲーム『天秤』は、モモンガくんの勝ちです。報酬は仲間の命と、自身の帰還。

 

 おめでとう。君は賭け事に勝ちました。──やっぱり、私の目は間違っていなかった。ああ、なんてこと。残念だわぁ」

 

 リュウズの発言に載せられた前半と後半の感情は相反するものだった。前半は喜び。後半は嘆き。一体彼女は何に嘆いたというのか?それが明らかになるのは、もう少しだけ後のことである。

 

 

 

 

 バハルス帝国の皇帝ジルクニフは、ここ数週間の間でその頭髪の輝きを取り戻しつつあった。輝きを失った原因である魔導国に陰りが見え始めたからだ。彼の頭髪の輝きと頭髪の幾ばくかは魔導国の輝きによって失われた。であれば、その魔導国が陰れば、必然的にジルクニフも元気になるのである。

 簡単な言い方をすると「嫌いなやつが惨めなことになっていると気分がいい」だろうか。

 陰り、というのはエ・ランテルを守っている不死者達の数の減少に、時折外を歩いていた魔導王がエ・ランテルの館に篭もりめっきり姿を見せなくなったこと。さらには、それと相反するようにしてモモンが全く姿を見せなくなったことだ。恐らく、魔導王がついにモモンの逆鱗に触れるようなことになり、相打ちとなったのだろう。これでジルクニフが見たことのある「階層守護者」なる格別の力を持つ者達が元気にうろうろしていれば「もしや何か良からぬ策を実行するために闇に潜ったのではないか」と考え、スキンヘッドもやむなしとなりそうなものなのだが、そんなことは全くない。代わりに、数週間前に確認されたという「彼ら」の姿は、疲弊仕切っていて、とてもではないが万全ではないとのことだった。そう考えるとエ・ランテルに篭もりきりの魔導王という存在は部下の誰かが成った影武者だろう。

 あれだけ忠誠心が高そうな者達が疲弊する理由など、魔導国の長の不調に違いあるまい。

 そう考えたジルクニフは、神の視点でいうならばなんとモモンガが『ゲーム』を始めて十日後には行動を開始した。ナザリック的に言えば四人目の帰還者であるブルー・プラネットが現れた頃である。簡単に言うと、まだ息のある帝国軍の一部に激を飛ばし、魔導国殲滅のための同盟を作るための戦力作りを再開させたのだ。同時に、闘技場での一件以降完全に連絡途絶していた法国に対し、『魔導国が健在の頃ならば』危険な方法で魔導国の異変を通達。国境を挟んだ隣接地であるからこそ正確な情報はその結びに「同じ人類として、生きる者として、轡を並べることを切に望む」という一文で締めくくってやった。普段のジルクニフからしてみれば演技の一貫でしか出してこなさそうな文句である。しかし、羽ペンを手に取り、指先をインクで滲ませ、羊皮紙に刻み込むようにして書いたその言葉は、今度ばかりは彼の本心からの言葉であった。

 法国からの返事があったのは、それから暫く経ってから。しかし色良い返事だったのはいいことだった。彼らは彼らで独自の情報回線を使い魔導国が何か良からぬ事態──すなわち人類にとっての福音──に陥っているとわかったのだ。

 ここに来て、魔導国の強者故のおごり高ぶった強硬路線が裏目に出た。強者が丹精込めて育てたものを、その強者が目を離した隙に、彼らは次次と奪い取っていったのである。例えば連絡網。例えば街道。例えば秘密裏に制圧していた村。例えば、例えば、例えば──上げれば切りが無い。

 魔導国の状態は、一言で例えるなら、ピラニアの棲む水に落ちた象だろうか。その巨体は溺れている間にゆっくりと囓られていった。もしもエ・ランテルでパンドラズ・アクターが不死者共を操って内政を回していなかったら、モモンガは廃墟となった領地に戻ることになっただろう。もしもNPC達が戻ってきた至高の御方に順次仕事を回していればまた違った状態が導かれたのだろうが、生憎、涙を流して喜ぶNPCや己の幸せを心から願ってくれたギルドマスターの意に反した行動を取れるほど剛胆な者はおらず、魔導国はじりじりと周辺諸国に囓られていった。

 真正面から戦う必要はないのだ。不死者とて、それ単体で存在するなら糧など要らなくとも、己の栄誉の証明のために生者を使うのならば、糧を必要とする。社会性維持のためには不死者だけではどうしても回らない所があるのだ。エ・ランテルからはひっそりこっそり住民を引き上げさせた。エ・ランテルの冒険者組合長アインザックは暫く前に語られた冒険者のあるべき姿の情報が夢幻と消え去るのを感じ、すっかり萎れて引きこもってしまったのでそのまま都市に置いてある。そうやって、人間達は大連合を作り上げ、糧という糧を奪い、盛り返した。

 バハルス帝国ジルクニフを盟主とし、頭脳として王国のラナー王女を迎え。聖王国からは北部系派閥から不死者に対して有利を取れる聖職者達を集め、評議会からも同意を取り付けた。

 正直、十年前であれば、こんな人類大連合を作ることはできなかっただろう。何故ならばその当時はこれほどまでの才と理解ある人間が世に現れていなかったからである。

 今は確かに悪しき不死者の王が現れ人類存続のピンチに陥っている時代である。しかし闇が深ければ光もまた濃くなるように、人類側にも知恵者が生まれてくるものなのだ。それは世界のバランスと言ってもいい。

 その、世界の力に押された生者達は、エ・ランテルとナザリックを取り囲むようにして諜報員達を配置させた。魔導国がいかなる手を打とうとも、必ずそれにすぐに対抗できるように。前は近寄れなかったその領域に、彼らは足を踏み入れ、死を覚悟して種族の生存のために戦うことにした。

 だが、それは後から見れば間違いだった。だってそうだろう。そんなことをして仕舞えば、見てしまうではないか。賭けが終わって天空城から解放されたアインズ・ウール・ゴウンを。恐ろしい彼をまるで猫でも持つようにして降りてくる鳥の異形を。そして、アインズ・ウール・ゴウンと並び立つであろう、蛇と鳥と人の特徴を持つ、美しくも恐ろしい化け物の姿を。

 そんなもの、ただの人間が見ていいものではない。




モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗

音改 94 失敗
ばりあぶる・たりすまんのクリティカル報酬を使い、再ロール
音改 19 成功
名無しの誰か 54 失敗

先に成功20人を達成したので、モモンガの勝ちが確定しました。
これよりエンディングに移行します。


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第36話

 モモンガは自分の体がやけに重いと気付いた。不死者になってから感じたことのなかった、けれど人間の頃には覚えのある重さである。これを人間は疲労感と呼んでいる。まさかそれかと思ったが、意識が戻ると同時に解放された視界が、彼の予想を否定した。

 単純に、彼の体が包まれていたのだ。緑を帯びた玉虫色の蛇鱗に。その長い蛇体と女の肢体、それから同じく緑の大きな翼すら覆う、細い蔦達に。

「──……あ、ぁ」

 道理で体が重いわけだ。二重の枷が働いているようなものなのだから。モモンガは寝起きと例えるのが正確なふわふわした思考力の中でそう判断した。

 頭を回すと、頭の両側にある、角のような肩のような装飾パーツにもたれかかる重さに気がついた。十中八九モモンガからは全容を確認出来ないリュウズの上半身だろう。それを避けようと体を動かし、けれど特に動けなかったため、モモンガは仕方なく声を出した。

「起きてください、リュウズさん。リュウズさん」

 返事はない。その代わり、すうすうという寝息が聞こえてくるだけだ。

(俺は抱き枕か何かか)

 仮にそうだとしたらリュウズは余程の物好きだ。なんせ、モモンガの体は骨。たっぷりとしたローブを被っていようとも、奥にあるのは硬質な体であり、抱いた所で心地よさは何も感じないはずなのだから。

 起きる様子がないので、モモンガは暇つぶしもかねて辺りを見渡してみた。自分の体を包む蔦はどこから来たのか。どれくらいの時間が経ったのか。それらを把握するためである。

 蔦はこの部屋を覆うタイル状の模様の隙間から伸びてきていた。もうずっと昔に見たような気がする天空城のあちこちに生えていたものと同じように見える。しかし、その蔦はあまりに細く、葉は若い。おそらく、そう時間は経っていないだろうと思われる。あたりに積もった埃もうっすらと積もっているだけだから、長くても数週間というところだろう。

 そこまで理解して、モモンガはもう一度声を出した。今度は体も揺さぶった。

「リュウズさん、起きてください。俺は抱き枕じゃないですってば」

「スピー……ス、、ふが」

 女性の寝起きというものを見たことは無いが、あまりロマンのない起床音だった。モモンガは頭のすぐ近くで発されたその音を聞かなかったことにした。誰だってあの美女から鼻息と豚みたいな音がしたらロマンぶちこわしと思ってしまうではないか。

「あーよく寝た。あら、モモンガくん、先に起きていたの」

「ええ。離していただけますか」

「あらまぁごめんなさい」

 答えが返ってくると同時に、体に巻き付いていた蔦たちがぶちぶちとちぎれる音とともにリュウズの体が離れていく。

 解放と同時に、彼女はモモンガの前に立ってモモンガをしげしげと眺めてきた。体の調子に問題はないか。魂……というか、意識がちゃんと肉体におさまっているか。問題なく活動できる状態か。

 ぐるぐると見て回った後、彼女はうん、と頷いた。

「問題ないわね。君は命をチップに天空城(ここ)で戦った。そして勝った。その間に払ったものはともかくとして、それ以外の一切の体調不良を、私は君に与えていない。間違いないわね?」

 彼女がそれを執拗に確認しようとするのは、それが彼女のディーラーとしての責務であり、誇り、でもあるからだろう。彼女は賭博の卓を適切に保たねば何もかもが成立しないことをよくわかっているのだ。

 モモンガは己の両手を見下ろして、いくつかのマジックアイテムの起動してみた。この領域では魔法も特殊技術(スキル)も使えないからそれらの確認はできない。だから、それ以外の確認をしたのだ。

 それらは問題なく起動した。だったら、不死者にとってはおかしな表現だが、こう言っていいだろう。

「はい。体調は万全です」

「よし。では次にあなたがちゃんと報酬を得ていることを確認しに行きましょう。それをしなくては卓は終わらせられないわ」

「仲間に会えるんですね!」

 モモンガの声が喜色で満ちる。愛しくて大好きな仲間に、この世界で会える。その喜びに、モモンガは骨の顔であるにもかかわらず万人がそれとわかるほどの笑顔をその顔に浮かべた。

「ええ。だって、あなたの目的はそれでしょう。じゃ、行きましょ」

 頷いたリュウズが手を伸ばす。それはまるで姫をエスコートする騎士のように、掌を上に向けた手だった。

 応えたモモンガが手を伸ばす。それはまるで騎士にエスコートされる姫のようであった。掌を下に向けた手が、皿の形で伸ばされた手の上に重ねられたのだ。

 両者が互いの手を握る。そうして彼らは賭博の間から出た。

 出た所で、扉の両脇で立っていた自動人形の鳥人が彼らを見て目を丸くし、直後、嬉しそうに笑った。

「マスター、お疲れ様でした。モモンガ様、勝ったのですね」

「あ、ああ」

「マスター、お疲れ様でした。モモンガ様、おめでとうございます」

 ふわりと笑ったのは大きい方。きりりとした雰囲気で笑みを浮かべたのは小さい方。そのどちらも、モモンガの勝利を心から喜んでいた。それが違和感といえば違和感である。モモンガは思わず首を傾げた。

「どうして君達は私の成功を祝う?」

「え、祝っちゃダメなんですか」

「そういうわけではないが……」

 モモンガの勝利はギルドマスターの敗北を示すのではないか。そう言いかけて、モモンガは違うのだ、と思い出した。リュウズはモモンガとは戦っていないのだ。リュウズはただ見ていただけなのだ。それだから、彼らは損得勘定抜きにモモンガが成功したことそのものを祝っているのだ。

 おそらくこの兄弟のカルマ値は善に大きく傾いているのだろう。モモンガはそう考え、改めて頷いた。

「ありがとう。これで漸く仲間に会えるよ」

「というわけで、ナザリックに行こうと思うの。チョウ、タン、私達がいない間、城を頼むわね」

「畏まりました」

 ぺこりと兄弟は頭を下げ、そのまま入り口付近まで二人とともに移動した後、リュウズがモモンガを抱えて飛び立つのを城の端に立って手を振って見送った。

(……なんだ、この違和感は……)

 そんな双子とリュウズを見て、モモンガはふと首を傾げた。何か、違和感を感じたのだ。けどそれについて彼は深く考えることができなかった。何故なら、考えている間に雲を割って下界を見やった所で、彼はナザリックを取り囲むようにして点在するいくつもの陣営の姿を視認してしまったからだ。

「──なんだ、あれは」

 思わず、口から硬質な声が漏れ出た。それに滲むのはナザリックという己の領地を犯さんと欲する不届き者達への憤怒だ。

 それにのんびりと答えたのはリュウズだった。

「きっと君がいないのをチャンスと見た諸外国がこれを機に魔導国を潰そうとしてきたのね。気持ちはわかるし、どうせできっこないんだから、あんまり怒っちゃだめよ、モモンガくん」

「これが怒らずにいられるか!」

「いいじゃない、侵入はしていないのだから。とか言ってる間にお出迎えね」

 ばさり、ばさり、と翼をはためかせて降りていく途中で、カルネ村から高速接近してくる影があった。赤い髪に尖った帽子。黒と白を基調としたドレス姿に、金色の目。

「アインズ様ァ!!」

 それはルプスレギナだった。彼女の目からは抑えきれぬ涙が流れ落ちている<飛行>の魔法を使って接近してきた彼女に、モモンガは両脇に手を差し込まれて持たれるというなんとも情けない姿のまま鷹揚に手を振った。

「久しいな、ルプスレギナ。ナザリックの皆は息災か? ──いや、違うな。私の友は、素晴らしい仲間達は、戻っているか?」

 アインズの問いかけに、ルプスレギナは大きく頷いた。右手を頭に当てていることから察するに彼女は<伝言>を使いながら話しているのだろう。そんな彼女は、この地に辿り着くことのできた至高の存在の名を二十上げた。

 そして、上げた所ではたと気がついた。二十までしか上げられない所で、モモンガが帰ってきた。それが示す残酷な真実は。

「アインズ様。まさか、まさか──」

「そうだ……力及ばず、すまない。私は半数の友を、彼の地から呼び戻すことができなかった」

「ま、それについてはちゃんと降り立ってからしましょう。二度も三度も同じことを話すのは手間よ」

 アインズの言葉を、彼を持っているリュウズはあっさりと切って捨てた。それはナザリックに属するシモベ達にとっては万死に値する行為である。当然ルプスレギナは瞬時に憤怒の感情を抱き、背負っていた武器を振り上げた。

「おのれ!」

「やめよ!」

「ですが!」

 瞬時にかかったモモンガの制止の声に、ルプスレギナは手を止め、しかし悔しそうに顔を歪めた。そんな彼女を見て、リュウズは呆れ顔を作って彼女を見つめた後、顔を下に向けてモモンガに問うた。

「ねえ、モモンガく……いえ、もう外ですから、アインズと呼びましょうか。アインズ君。まさか、彼女は、君を支えて飛んでいるこの私を攻撃しようとしたの?確かに当たるはずがないのだけど、それでも?」

「ああ。ルプスレギナ。やめよ。落ち着け。彼女を攻撃してもなんの益にもならん」

「くっ……」

 モモンガの言葉にルプスレギナは唇を噛みしめ破き血を流しながら武器を仕舞った。だがそれでも側から離れるという選択肢だけはないらしく、彼女はリュウズがナザリックの入り口に降りるまで、しっかりとモモンガの側にくっついていた。

 ナザリックの入り口に降りると、既に話を聞いていたらしい仲間達が守護者やシモベの反対を押し切って外に出てきていた。わあ、と上がるのは歓声だ。それと同時に、ナザリックの周辺から、絶望の絶叫が聞こえてきた。

 後者の方は気にしない。やろうと思えば瞬時に屠れるものだから。だからモモンガは地面に足を付けてすぐ駆けだし、墓地の入り口から溢れ出した仲間達の中に飛び込んだ。

「おかえりなさい、みなさん!」

 喜びの感情が爆発する。抑えきれない感情は声に乗り、その場にいる皆に届いた。ペロロンチーノがそんなモモンガを抱き上げて、ぎゅうと抱き締めてくる。

「ただいまです、モモンガさん……!」

「心配したよー!」

「無事でよかった!」

「本当に……!」

 様々な異形が、モモンガを取り囲んで抱き締める。もはや異形の団子状態だ。彼らは自身を新天地に導いてくれたギルドマスターに最大の感謝と、彼が見せた親愛への返答を親愛で返した。即ち、何故か胴上げに走った。

 ばんざーい!ばんざーい!という喜びの声とともにモモンガの体が宙を舞う。それは滑稽な光景であり、こうやって目立つことはちょっぴり苦手だったモモンガにとっては恥ずかしい行為だ。けれど、今は、今だけは、恥ずかしいという感情よりも嬉しいという感情が勝っていた。

 だって仲間が側にいるのだ。

 自分の家族とも言える存在が側にいるのだ。

 それらを自分は助けられたのだ。

 また、彼らとともに居られるのだ。

 それをどうして喜べないことがあろうか。

 

 それがどうして胸の中で溢れ続けない(・・・・・・・)理由があろうか。

 

 感情が爆発する。幸せで思考が塗りつぶされる。それは結局彼らが祝い疲れて周囲から人間達が撤退するまで続いた。続いてしまった。

 そして、一時間ほどの時間が経った頃。彼らの再会を微笑ましいものを見る目で見ていたリュウズがまだそこにいてにこにこと彼らを見ているのを見て、幾人かのギルドメンバーがはっと正気に戻った。そのまま、皆が後ろに飛んで彼女から距離を取る。たっちは咄嗟にモモンガを片腕で抱きかかえ、そのまま後ろに大きく飛んだ。もしも腕の中身が骨でなく美女だったらおとぎ話の一ページになりそうな光景だ。

 動きとともに空気が変わる。がらりと変わったそれに、リュウズは笑顔のままじいっと彼らを見た。彼らの手に現れた凶悪な性能を持つ武器達を見た。

 その唇が、笑みをたたえたまま、動いた。

「あら、これは一体どういうことですか」

「それはあなたがワールドエネミー格の存在だからだ」

 リュウズの問いかけに答えたのは、全身植物の異形種であるぷにっと萌えだ。前衛職ではない彼が前に出てきたのは、リュウズには火力ではなく知略で勝つしかないというのがナザリックに来た者達の答えだったからだ。もっとも、万が一武力が通じた場合に備えて、守護者を始めとしたシモベ達も外に出てきている。ナザリックは最低限の階層維持力以外を外に出したのだ。

 リュウズが首を傾げながらナザリック地表部をぐるりと見ると、彼女は見え隠れする影や姿の中に己が以前会った闇妖精の双子やオレンジスーツの悪魔がいるのに気がついた。それが全て憎悪の視線で己を見て居るのに気付き、彼女は笑みを深くした。

 

「あら。あなたはそう言うのね」

 

 頬に手を当て、困ったような、嬉しそうな、どちらでもない顔をして、彼女は言う。その視線は間違いなくぷにっと萌えに向けられているのだが、意識の何割かはその後ろにいるウルベルトに向けられてもいた。

「そうだ。事実だろう?」

 頷くぷにっと萌えにも、その後ろのナザリックメンバーにも「どうだ参ったか」という色がある。お前の正体暴いてやったぞ、という色が。

 それを見て、じいと見定めて、リュウズはゆっくりと頷いた。

 

「困ったわ。でも、そうね、あなたがそう言うのなら(・・・・・・・・・・・・)私はワールドエネミーなのでしょう(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その笑みが深くなる。額の輝きが深くなる。

 蛇の鱗が妖しく輝く。

 緑の翼が強く煌めく。

 彼女は彼らに多くのヒントを出してきた。それでも彼らは気付かなかった。

 

「それでは、改めて自己紹介をしましょうか。嗚呼、言葉の力は思っているよりも強いのに」

 

 彼女を視認する。彼女と相対する。彼女と敵対する。彼女を無視しない。

 それこそが、最大の禁忌であることに。

 




次かその次くらいで終わらせたいですね。
ここまで匂わせたらオチくらいわかりますよね。ぬはは。
でも書かせてくださいね。

だってそうしないとナザリックが幸せになれる機会が一個減るんですから。
私はモモンガさんが大好きなのです。彼が幸せになるために、どんな艱難辛苦も与えたくなる程度には。その先の幸せにガッツポーズする彼を見たい程度には。

その点これは深い愛情の物語と言っていいのでは?(名案)(迷案)


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最終話

 ばさり、と翼を翻し、リュウズは艶然と微笑んだ。

 

「それでは皆様、改めまして自己紹介をさせていただきましょう」

 

 陽の光差し込む昼間の墓地の中で、緑の女神の微笑みが深くなる。パンドラズ・アクターを思わせる大仰な礼を一つした後、彼女は身を持ち上げて、浪々と宣言した。

 

「私はマチュピチュ天空城の主にして賭博の神。戴く階級(クラス)世界級(ワールド)なれど、その実態は小さな世界の主でしかありません。名前は……そうね、不遜ながら、世界の名に恥じぬよう、骰子の女神とでもしておきますか。

 私は私の世界に来る者と賭博での戦いをします。相応の賭け品(チップ)を見せれば、私はどんな戦いも受けましょう。当たり前ですけど、小さな賭け金では受付けません。

 さあ、私と戦いたい方、いるのならばいらっしゃい。世界級(ワールド)の私が相手をして差し上げましょう」

 

 腕を伸ばし、リュウズ愉しそうに言った。戦いを挑む者がいるならばともに逝こう、果てるまで遊び尽くそうと誘うように。

 しかしそんな手を誰が取るだろうか。彼女の言葉に返ってきたのは容赦のない守護者とギルドメンバー達からの攻撃だった。

 轟音とともに地面がえぐれる。大地が吹き飛ぶ。たっちなどモモンガをぶくぶく茶釜に預けて次元断切をぶちかました。しかしその攻撃のどれもが、優美なナザリックの地表部を吹き飛ばすばかりで、彼女には傷一つ与えることができなかった。

「あらまぁ」

 翼を羽ばたかせ、えぐれた地面から浮きながら、リュウズは一瞬で荒れ地と化したその場所を見て、呆れた声を出した。

「無駄なことを」

「とっとと城に帰れ!あなたには確かに感謝している、しかし!これ以上悪魔の甘言に乗るわけにはいかない……!」

 ワールドチャンピオンの武器を装備したたっちが叫ぶと、そうだそうだと皆が同調の声を上げた。それに唯一目を白黒させているのはモモンガだけだ。もっとも、それはあくまで比喩なのだが。

 リュウズは一瞬で針のむしろと化した己の周りをもう一度見渡し、そうして、こてりと首を傾げた。

「つまり、私に挑戦する人は、少なくとも、今の所はいないわけですね?」

「今所か永遠にいない。自分の城に引きこもっていてくれ!」

 そう言ったのはウルベルトだった。彼の言い方がたっちよりも比較的マイルドなのは相当な便宜を図ってもらった自覚があるからだろうか。

 リュウズはウルベルトをじいっと見つめた後、「そんなこと言ってはいけませんよ」と微笑んだ。

 その微笑みはあまりに含むものがありすぎた。

「何故だ」

 リュウズの言葉をさらに否定しようとしたギルドメンバーを制し、違和感を感じたぷにっと萌えが尋ねる。その彼に、リュウズは逆に尋ね返した。

「あら、あなたたち、ウルベルトさんとたっちさんのことは聞いていないのですか?」

「聞いている。相当な便宜を図ってもらったと。そのせいで、モモンガさんがあなたのものになったと。

 だから私達はあなたにもう彼に近寄ってほしくないし、彼をあなたに近寄らせたくないんだ」

「え、ちょっと!?」

「モモンガさんは黙ってて。──だから、どうか、もう、我我と金輪際関わらないでもらえないだろうか」

 敵対の色が懇願の色になる。守護者の何人かは、そう言ったぷにっと萌えに「恐れながら!」と反論の声を上げた。

「恐れながら、ぷにっと萌え様!あの者はアインズ様に不敬をはたらいた身!死を救済と思うほどの苦痛を与える道理はあれど、生かして返す理由など毛ほどもないかと!」

「下手に関わっちゃいけない存在ってあるんだよ。人間にとってのナザリックみたいなものだ」

 デミウルゴスの言葉にぷにっと萌えはもどかしい現実を突きつけた。そりゃあ、ぷにっと萌えとしても倒せるものなら倒したいのだ。幸せな世界に来るきっかけをくれたとはいえ、目の前の異形種は確かにモモンガの命を危うくした存在なのだ。自分たちをこうも愛してくれた存在に、返しきれぬ恩を返すために、まずはせめて強大な危機からその身を守ってやりたくなるのは道理ではないか。

 ぷにっと萌えの言葉は皆の総意だ。示し合わせて放った総攻撃の全てが全くダメージを与えられなかった時点で、彼らにはその選択肢しかないのだ、目の前の異形から逃れる術は。

 

「──ふ、うふ」

 

 だが、それは彼らの思い込みだ。

 

 もう遅い。遅すぎる。彼らの最も大切なものは、もうリュウズの手中にある。

 

 彼らには、挑まないという選択肢は、残されていない。

 

 

 

「──うふふ、ふふふふふ!あははははは!それですそれ!ああ、美しい!素晴らしいわ!」

 

 

 

 超越していた微笑みが、壊れた。かろうじて被っていた彼らと接するための顔が、ぱきんと壊れて大地に落ちる。額の輝きはその光度を増し、彼女の笑みは深いものになった。赤い唇からは、全ての生命をぞっとさせる、深い深い笑い声が飛び出した。

 ぞっとさせる理由はただ一つ。彼女の声に、深すぎる愛情があったからだ。

 モモンガはそんな声を一度だけ聞いたことがあった。賭けを始める直前の声だ。仲間を愚弄するなと叫んだ自分の答えに、彼女はこんな笑い声を上げた。好きで好きでたまらないという、明るい声を上げた。

「ええ、ええ、ええ!素晴らしい!そうこなくては!アインズくん、いいえ、モモンガくん!今ここにあなたの賭け事は終了しました!あなたは真にあなたを思う仲間を手に入れた!取り戻した!」

「アッハイ」

「その上であなたに要請するわ──モモンガくん、魔法を一つ使ってみて」

「え?」

「なんでもいいわ。特殊技術(スキル)でもいいわ」

 さあはやく、とリュウズが急かす。奇妙なことに今この場で一番リュウズに対するヘイト値が低いモモンガは、己の体の半分を飲み込んでいたぶくぶく茶釜から這い出すと、手を上げてみた。使うのは第三位階魔法火球(ファイヤーボール)だ。

 けれど、その手からは何も出てこなかった。

 

「──え?」

 

 モモンガの口から間抜けな音が漏れる。彼はすこし手に力を込め、今度は龍雷(ドラゴン・ライトニング)を使おうとしてみた。

 しかし、何も出てこなかった。魔力が動く気配すら感じられなかった。

 そんなモモンガに、周りのギルドメンバーが、守護者達が気付いていく。その中で一番最初に理由に思い至ったのは彼がそうなった現場に心当たりのあるウルベルトだった。

「ま──さ、か」

 山羊顔で器用に青ざめてみせた彼の首が、ぎ、ぎ、ぎ、と音を立ててリュウズを見る。嘘だろう、そんな、という視線を向けた彼に、リュウズは大きく楽しげに頷いてみせた。

 

「彼は私のもの。つまりは『観察者の目』の効果範囲の者ということになるわ。

 これを装着している間、装着者と効果範囲の者は一切の魔法・特殊技能を使用できない。

 そして、非公式的とはいえ、ワールドエネミーとしての格を持つと宣言した私は、その格の維持のために、これを外すことはしない」

 

 それが示すことは。

 

「さあ、アインズ・ウール・ゴウン!あなたたちはどうする!あなたたちを命を賭して助けたギルドマスターはその力の全てを失った!ユグドラシルで培ったものの大半を失った!

 それを持つのはこの私。友のために取り返したいのなら、もしもあなた方が彼の優しさの上に胡座をかく存在ではないというのなら、どうぞ『相応の賭け品(チップ)』を持っていらっしゃい!」

 

 両手を大きく広げ、楽しそうに、愛おしそうに、彼女は叫ぶ。

 

 背中から伸びる大きな翼を広げ、彼女は無慈悲に歌い上げる。

 

 そんな彼女に、皆が声を呑んだ。彼女の領域で彼女と戦うことはそれ即ち絶望的な賭けに乗るということだ。モモンガが仲間を助けた以上に難しい賭けに挑むということだ。なんせ、戦う相手はリュウズ(ワールドエネミー)なのだから。

 

「どう──し、て」

 

 誰かが掠れた声で問うた。どうして、そんなに、酷いことをするのか、と。

 

 どうして、このまま、皆で楽しく在らせてくれないのか、と。

 

 その問いに、彼女は笑みを浮かべたまま答えた。

 

「そりゃあもう──私は、愛に溢れた優しい子が好きだからですよ」

 

 その愛を証明するためならば、機会をいくつも差し出そう。団結の機会(・・・・・)をいくつだって提供しよう。

 リュウズは言った。それはもう、幸せそうな顔をして。

 

「私は君達が輝く所が見たい。モモンガくんが君達を助けたように、モモンガくんを助ける君達が見たい。そうやって、団結していく君達を見たい。

 アインズ・ウール・ゴウンは元々対PKギルドでしたね。その、愛に溢れた在り方を、友人のためにその命すら捨てるという在り方を、私はたくさん見たいのです。あなた方がたくさんたくさんたくさんたくさんがんばるところを見たいのです」

 

 だから、だから、だから。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの皆さん。友を愛する善き人々。さあ、どうか、私に牙を剥きなさい。勝てぬ神に挑みなさい。

 

 かつてあなた方がそれをしてまとまったように。繰り返すようですが、私はあなたが、あなた方を愛したモモンガくんが──」

 

 

 

 ──好きで好きで、愛おしくって、たまらないのですから!




卓の終わりは新しい卓の始まりってな。


ここまで読んで戴きありがとうございました。ここでこの話はおしまいです。後日談とか付けるかもしれませんが、その辺は未定です。
新しい戦いにアインズ・ウール・ゴウンはどう挑むのか?人間に構ってる場合じゃねー彼らは、ピーチ姫と化したギルド長のために何をできるのか?ていうか魔導国はどうするのか?
そんなものはリュウズさんには関係ありません。彼女はただ、挑んでくる者を迎えるだけです。そのためにいつまでも天空城でモモンガくんや彼を愛おしむ人々を待っています。明日、十日後、一年後、十年後。あるいはもっと先。いつか、友愛を極めたギルドの人達が、友のために戦うという選択肢をとって自分の所に来て自分を楽しませてくれる日を待っているのです。


……あ、ちなみにこのオチは当初から計画していたものじゃないですからね!ウルベルトさんのクリティカル処理とぷにっと萌えさんたちが『認識』という名の推理作業をしまくったのが原因ですからね!リュウズさんはただそれにのっかっただけですからね!
何が言いたいかっていうと、彼女は悪魔でもなんでもなくて、ただ自分の持ってるカードで最大限かわいい子を愛でたがる、愛に溢れた人なだけなのです。うふ-。


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第二部を終えての登場人物などの整理

今までのまとめ
モモンガくんが命を対価にギルメンみんな呼び戻しチャレンジをしたら、最終的に二十人がこっちの世界にやってきた&モモンガくんはいかなる攻撃も効かないが同時に魔法と特殊技術(スキル)を使えない体になった。


リュウズ:神羽蛇種(ケツァルコアトル)の女性。プレイヤーにしてギルド『翼持つ人々』のギルドマスター。外見も中身も完全に人間をやめている。状況を引っかき回すことで人々が苦しみそこから立ち上がる様を何より愛するために『挑まざるを得ない苦難』を提示してくるとんでもない奴。一言でいうとトリックスター。関わっちゃダメな奴堂々No.1。

 

モモンガ:死の支配者(オーバーロード)。がんばる主人公。仲間とギルドが大好きな、仲間と守ると決めたものには非常に心優しい骸骨。ただいまピーチ姫状態。リュウズのことはフレンド的な認識をしている。最近は一緒にオセロやTRPGをする仲。どさくさに紛れて魔王の英知的なものもリュウズに持っていかれたことにしたので、ガチ支配者ロールから解放されて心安らかな隠居生活を送っている。デミウルゴスに「今なんつったの」「お前の考え全くわからん。教えて」と真正面から言えて非常にストレスフリーなう。

 

パンドラズ・アクター:モモンガが作ったNPC。誰よりもモモンガの『意に沿った』イエスマン。モモンガよりも彼の内心の願望を理解し、その成就の手助けをしたいと願っている。リュウズの事はプレイヤーというよりも自身の創造主を楽しませるイベントと認識しており、実はちょっと好ましくすら思っている。(自分にはできない方法で)創造主に喜びを提供した存在、という意味で。

 

アルベド:モモンガ大好きな女悪魔(サキュバス)にしてそれ以外の至高の存在を心から(・・・)激しく憎んでいるNPC。その憎しみはNPCには秘匿され、至高の御方には情報共有されている。当人もそれを知っている。アインズにもバレているが、アインズがアルベドの思考を受け入れたので恋する乙女の一面はますます暴走中。

 

シャルティア・デミウルゴス・コキュートス・アウラ・マーレ・セバス・その他様々なNPC:感動中。

 

ナザリックNPCの共通認識:至高の御方が戻ってきたのマジ嬉しい。リュウズとかいうあのクソ蛇いつか死ぬより苦しい目に遭わせてやる。

 

※至高の御方は種族などの一部を妄想補完してあるので『うち設定』込みで整理しておきます。

 

タブラ・スマラグディナ:脳喰い(ブレインイーター)。アルベドの手綱を自発的に持っており、基本的にアルベドと行動している。周囲のNPCはそんな状態のアルベドが「喜ばないわけがない」と思っており、アルベドも「この状況に喜んでいなければ他のNPCに自分の内心が露見してしまう」と認識しているので、彼らは表面上仲良くやっている。

モモンガに言わせれば「再婚相手の思春期の娘を引き取った男」

 

あまのまひとつ:鍛冶スキルを持つ蟹系異形種。この世界で何とかいい武器作れないかと試行錯誤中。

 

ぬーぼー:不定の影。影状のスライム。そんな異形種なイメージ。探知系に特化した能力を持っているが、『影に潜む』ようなニンジャ的活動もこなせる。性格はFGOのロビンみたい。皮肉屋。

 

ブルー・プラネット:風の精霊(シルフ)。大自然を愛する精霊様。優しい性格をしている。自然>>>越えられない壁>>>人間という優先順位なので、実は結構人間はどうでもいい派。

 

ク・ドゥ・グラース、ヘロヘロ・ホワイトブリム:メイド達をメイドたらしめる者達。メイドLOVEであり、彼らの存在によりメイド達の輝きが十倍増した。本場のメイドも気になっているので、アインズがジルクニフをのぞき見する時にたまに一緒に覗いている。

 

ぷにっと萌え:大蔦の酷死(ヴァイン・デス)。AOGの軍師にして諸葛孔明。現在はモモンガの能力を戻す術を探して必死に思考中かつ魔導国の舵取りでいっぱいいっぱい。

 

ぶくぶく茶釜、ペロロンチーノ:自分のNPCを愛でてのんびりしたり、仲の良さを生かしてモモンガのぼでーがーどもしている。ぼでーがーどという名のTRPG仲間にされていたりもする。

 

ウルベルト、たっち・みー:トムとジェリー

 

ベルリバー、ばりあぶる・たりすまん:モモンガに「そういえば俺皆に会うために世界征服しかけてたんですよ」と言われ、ウルベルトとるし★ふぁーを加えて強制的に魔導国の事務仕事をさせられている。言い出しっぺお前等じゃねーか的な意味で。

 

弐式炎雷、武人建御雷:よく一緒に遊んで(鍛えて)いるし、ナザリックの外に遊びに行ったりもしている。最近はコキュートスとたまにナーベラルを連れて蜥蜴人の村に遊びに行くのが楽しいらしい。

 

るし★ふぁー:熾天使。見た目だけは非常に神々しく美しい。中身はとんでもない。リュウズが来た時は必ずモモンガの側から離され自室に閉じ込められる不憫な人。波長的な意味でかなり気になるらしいが、全ギルメン及び全NPCに「ブラックボックスにブラックボックスを突っ込むようなことはさせられない」として会わせてもらえていない。しかしいつか会いそうな気がする。

 

音改、源次郎:宝物殿でパンドラの仕事を手伝っている。片方はエクスチェンジボックスを使って金貨量産の仕事、片方は宝物殿の本格的な整理作業。

 

死獣天朱雀:鳥人(バードマン)。図書館に納める本を探すためにNPCを幾人か連れてあちこち回っている。この世界の歴史や文化に非常に興味を持っており、そのうち帝国に遊びに行きたいな~と思っている。

 

※魔導国は魔導王の能力減衰を理由に専制君主制から合議制に政治構造を変更した。エ・ランテルその他周辺はただいますっからかん状態だが、いずれパンドラが変身したモモンガがアンデッドを使って周辺地域をコツコツ耕していくので富んでいくことは確定している。その上、モモンガのような脅威的な存在が一気に二十人も現れたので、軍事力は他国の追随を許さない状態になった。

 

バハルス帝国:恐怖で色々とハゲそう。……でも実は唯一アインズが属国にした国なので、AOGギルメンは「モモンガさんが友達になりたいつった人なら友達認定していいのでは?」としてわりと優しい対応をしてくれる。ただしそれをジルクニフが素直に受け取れるかどうかは別問題である。

 

リ・エスティーゼ王国:ラナー王女が「魔導王の失墜」という万に一つが起こったことで人類側に鞍替えしたが、直後に魔導国がとんでもねー復活(?)を遂げたので、今色々と考え中。

 

スレイン法国:やばい、あいつらプレイヤーだ。でもなんかこっちに味方してくれなさそう。滅ぼしたいけどムリそう。どうしよう。

 

アーグランド評議国:魔導国がプレイヤーの国であることを認識したが、打ち出される政策の大半がかなりまともなため、現在外交的接触をしようか思案中。

 

マチュピチュ天空城:いつでも挑戦者受付中。ただし門前払いもありえる。チップは最低限であなたと大切な者の命です。

 

 




私自身がこんがらがりそうなので、後日談を書くためのメモがてら書いておきます。いや、これを書いた所で後日談を書くかどうかは確定してないんですけども。でもこれ書いておかなかったら確実に書けないので。


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おまけの章
後日談1


 モモンガが天空城から生還した後、魔導国はその政治体制を変更すると大々的に宣言した。

 その内容は独裁的な専制君主から合議制に変更するというものであり、理由は魔導王の体調不良による退位である。

 後の歴史家のうち、愚かな者が「一年も在位していなかった愚かな異形種」と呼び、賢しい者が「自身の権能の全てを使い自身と同じ神々を二十柱も召喚した最も素晴らしい魔法詠唱者(マジックキャスター)」と呼ぶ魔導王の存在は、こうして歴史に刻まれた。

 

 

 

 うららかな陽光差し込むナザリック地下大墳墓。の、表層部分。二百メートル四方の広さを持つ混沌とした墓地の形をしたそこに、空から一つの影が降り立った。

 長い尻尾に大きな翼。長い青髪は海の底から見上げた青空のような揺らめきと輝きを有しており、きらきらと美しい。宝石色の目をゆっくりと瞬かせたその存在は、降り立ってすぐ、ずりずりと蛇の下半身を引きずって中央の大霊廟に近寄った。

 彼女の姿がナザリックに現れた途端、ナザリックを包む高い壁の向こうから人がやってきた。転移で。恐るべき速度で移動したその人の体はシックなメイド服に包まれており、彼女がメイドであることを教えてくれる。夜会巻きの形にひっつめられた黒髪を艶めかせ、かけた伊達眼鏡を光らせる彼女の名前は、ユリ・アルファ。本日のナザリック外ログハウスシフトの七姉妹(プレイアデス)である。

「お待ちください」

 険のある声を発しつつ、ユリは流れるような動きで自身の体をこの地に降り立った存在と大霊廟の間に滑り込ませた。同時にガントレットの中で両手を握り込み、いつでも攻撃できる態勢になる。もちろん、彼女は目の前の存在にはいかなる攻撃も効かないということを知っている。だが、それは彼女がアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーを守るための盾として戦闘態勢に移行しない理由にはならない。

 死地に赴く兵士もかくや、という表情を浮かべたユリに対し、彼女に立ちはだかれた存在──天空城の主リュウズはこてりと首を傾げた。

「こんにちは。遊びに来ただけよ、私」

「お帰りください。あなたはナザリックにおいて第一級敵性存在と認定されています」

「あらあら。そんなに熱烈に警戒しなくても宜しいでしょうに」

 からころとリュウズが笑う。青っぽい玉虫色の輝きを有する唇に指先を当て、淑女のような笑みを見せる彼女に、ユリの眉間に皺が寄った。

「帰って、ください。あなたをアインズ様と会わせるわけにはゆきません」

「それを決める権限はあなたには無くてよ。モモンガくーん、遊びましょうー」

 ユリの手が触れぬ程度に身を乗り出し、リュウズは大霊廟の外からその中に向かって声をかけた。

 もちろん、普通はそんなことをしても第九階層でごろごろしているモモンガに声なんて届かない。第九階層どころかこの大霊廟の奥にだって届くかどうか怪しいものだ。

 しかし、彼女は、リュウズは、普通の存在ではない。「かもしれない」や「普通なら起こらない」という可能性を引き当てることに関しては天下一品どころではない才能を持つ存在である。そのため、数十秒後、ユリの真後ろにモモンガが現れた。

「何か呼ばれた気が……ああ、リュウズさんでしたか」

「モモンガ様!お下がりください!」

 ユリの後ろからリュウズを見たモモンガが「なんだ、お前か」という顔をしてリュウズを見る。そんな彼に、リュウズはにこりと笑った。

「遊びにきました」

「いつも言ってますけど、せめて先触れで自分とこのNPC出してくださいよ。うちじゃあなたは今敵性存在なんですよ」

「あらあら。私は別にナザリックを侵略しに来たわけじゃあないですよ。ただちょっとモモンガくんとオセロをしに来ただけです」

「本当ですか」

「オセロ以外でもいいですけどね」

「なるほど」

 淡泊なやりとりの後、モモンガは盾となれずに震えているユリの肩にぽんと手を置いた。

「というわけだ。一人だとまた仲間にあれこれ言われてしまうから、誰か呼んできてくれないか」

「っ……かし、こまり、ました……ですが護衛のシモベは付けさせて戴きます」

「いらないんだけどなぁ」

 ユリが呼ぶと、転移門からぞろりと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が出てきた。それらはアインズの周りを取り囲むようにしてリュウズと相対する。威嚇のつもりか、八本の足のうち四本の足を持ち上げる彼らに、リュウズは笑いながら手を振った。そんな彼女を一睨みしたユリが転移門の向こうに消えていくのを、瞳孔がわからない目で見ながら。

「こんにちは」

「帰れ!」

「まあド直球」

「リュウズさんってこういうリアクションを楽しんでいる節がありますよね」

「だって六百年も寝ていたんですもの。リアクションどころかやりとりそのものに飢えていても仕方ないことですよ」

「そう言われるとそういう気が……ああ、今日はペロロンチーノさんでしたか」

 会話の途中で転移門が開き、そこから鳥人(バードマン)が飛び出してきた。フル装備のペロロンチーノである。彼はユリと同じようにすぐにモモンガとリュウズの間に入ったが、数秒リュウズを見つめ、やがて諦めたように深いため息を吐いた。

「またあなたですか」

「そうですよ。今日はオセロをしに来ました」

「なんで敵陣にオセロしに来るんですか」

「それは私が君達のことを敵とは思っていないからですよ。例えるなら、そうですね、今の私達の関係は人間国家群と魔導国のような関係ですかね。私は少なくともそう思っていますよ」

 くすくすと笑いながらリュウズが言った例えは至極正確である。全ての種族が分け隔て無く過ごせる国を、という建国理念で国富計画を進めている魔導国は、今現在の敵対存在を天空城のみと大々的に宣言している。そんな魔導国に、人間国家群は何故か気付いたら対魔導国大連合を築き、脆弱な武器を振りかざして威嚇していた。

 魔導国にしてみれば人間国家群の態度は「あっそう」で終わらせられるものである。リュウズはそのリアクションが自分の君達に対する感想だ、と言ったのだ。敵と認識する価値すらお前達にはないのだ、と言ったのだ。

 当然、アインズ・ウール・ゴウンに席を戻したペロロンチーノには看過し難い発言である。しかし、彼は元々そこまで真面目だったり熱血だったりギルドに重すぎる忠誠を誓っているわけでもない。故に彼は握っていた拳をゆっくりと開き、苦い顔をして「それ、他の人に言っちゃダメですからね」と言うに留めた。

「はいはい。ところで、ペロロンチーノさんもオセロをするので?」

「なんで俺までやらにゃならんのですか。大体、オセロって二人でやるゲームでしょうが」

「あら、別にオセロじゃなくても宜しいんですよ。ほら、この前やったクトゥルフ神話TRPG。あれでもいいです。それだったらぶくぶくさんを呼んできた方がよろしいかしら」

「ぶくぶく茶釜さんは一昨日からエルフの国に行ってますよ。アウラとマーレを連れて」

 どうやら本場のエルフを見ておきたいのと双子を労るためらしい。気分は慰安旅行だと笑っていたぶくぶく茶釜を思いだしながら優しい顔をしたモモンガに、リュウズは残念そうに眉をハの字にした。

「あら、残念。彼女は他の方と違ってむやみやたらと攻撃してこない分私的にはちょっと好感度高めなのに」

「じゃあ数合わせにパンドラでも呼びます?」

 モモンガが手を上げて提案すると、リュウズはにこりと笑って頷いた。

「いいですね。パンドラくんも私好きです」

「俺にとっちゃ黒歴史ですけどね……ハハハ……」

「でも国家運営を実質一人でやってたんだから、そのご褒美で構ってあげるのは大事なことよ」

 め、とリュウズが人差し指を立てて言うと、モモンガは毛など生えようのない頭蓋を尖った指先でかりかりかいた。

「わかってますよ。それに、逃げちゃあダメですもんね」

「そーゆーこと。というわけで、さあさあペロロンチーノさんパンドラくんを呼んでくださいな」

「ナザリックの宝物殿守護者をゲームのために呼び出すのってアリなの?」

「ナザリックの長がゲームのためにプチ家出したんだからアリでは?」

 ツッコミを入れたペロロンチーノの横で流れ弾に被弾したモモンガの柔らかな雰囲気が引き攣った。そのまま何かを言おうと口を開きかけるが、何か言える言葉を見つける前に<伝言>を受信したパンドラが転移門からひょっこりと顔を出してきた。

「お呼びでしょうか、ペロロンチーノ様。おや、我が創造主に、リュウズ殿まで」

 埴輪顔をぐるりと回しつつ体全体を転移門からぬるりと出す。かつん、と軍靴の踵をならして敬礼をした彼にリュウズは腰の横についている金色の鎧のようなパーツを指先ですくって持ち上げ、ちょこんと上体を下げた。カテーシーである。もっとも、下半身が蛇の女人に「跪く」動作の代わりの仕草など、やって意味があるのか甚だ疑問だが。

「おや」

「うふふ」

 誰にも話したことはないし、誰かに話すつもりもないことだが、リュウズは完全環境都市(アーコロジー)に居た者である。その中の知識から適切な行動を選ぶことなど彼女にとっては造作も無いことだ。それを「教養」という形で示した彼女に、パンドラはもう一度軍靴を鳴らす敬礼を行った。

 そんなパンドラに、リュウズはつうっと目を細めた。まるで、愛おしくて仕方が無いとでも言うように。

 そんな彼女にペロロンチーノとモモンガは気付かない。彼らはナザリックのNPCと外のギルドの者が微笑ましいやりとりをしていると表面のみを見て判断し、そのまま「じゃあ何をしようか」という話に移行した。

「ナザリックの中でやるのは流石にダメだから、また七姉妹(プレイアデス)のログハウスを借りるか」

「そろそろリュウズさん用にもう一軒ログハウスを建てた方がいい勢いですよね」

「それな。じゃー適当にタブラさんにゲーム見繕って持ってきてもらうかー」

 頭の横に手を当てて、ペロロンチーノは早速<伝言>を使った。

 ペロロンチーノの言葉を聞きつつ待っていると、不意にモモンガがパンドラからつつかれた。四本指の一本でつんつんとローブの外から肘辺りをつつかれたのだ。

「ん?」

「我が偉大なる創造主よ。女性がこうして待っているのですから、エスコートするべきかと」

 こう、こうするのです、と言いつつ、パンドラがオーバーアクションを控えて手を差し出すポーズをする。それをつい真似したモモンガの手に、リュウズはさっと手を乗せた。

「うわっ」

「あらあら。女性の手をとってそんなことを言うものじゃあありませんよ。魔導王様ムーブはまだ時々必要なんですから、これも練習と思って」

 あんよが上手、と口の端でいいながら、リュウズはころころと笑ってみせた。

 彼女はいつも笑っている。

 ある時は理不尽な嵐のように。

 ある時は理知的な女性のように。

 ある時は狂気に笑う女神のように。

 ある時は異形の先輩のように。

 様々に仮面を付け替えて、それでもその全てに微笑みを浮かべる彼女に、モモンガは「はい」と頷いた。

「あら素直」

「最近学習したんですよ。あなたには下手に逆らわない方がいい、って」

「それは正しいわね。私、自分のイエスマンは興味無いですから」

「そのうち俺に飽きて放りだしてくれたらいいなとか思います」

「さてさて、何百年後になることやら。ああ、でも──」

 ふ、とリュウズが後ろを向く。モモンガがエスコートした状態で歩き出していたので、後ろを向くとなったら、その視線の先にいるのはパンドラとペロロンチーノがいることになる。

 二人のうち、パンドラに視線を向けて、リュウズは宝石色の目を露わにした。つまり、彼をじいっと見つめた。

「もし君に飽きたのなら。次はパンドラくんで遊ぼうかしらねぇ」

 この言葉、もしも以前の余裕のないモモンガが聞いていたらぞっとするか「ならば」と策略を練っただろう。

 しかし、繰り返すが彼は学習したのだ。その学習の結果が告げていた。こういう発言に下手に真面目に付き合ったらろくな目にあわないぞ、と。

 だから彼はリュウズの発言を「はいはい」と軽く流した。

「とりあえず、今ゲームするんでそれでパンドラと遊んでくださいね」

「よーしパンドラくん私と遊んでくださいな」

「アインズ様、どうか私の分のキャラシートは五枚ほど予備をください」

「わかった」

「今日はどんな邪神と戦うのかしらねー。楽しみだわ。がんばりましょう!」

 楽しみだわぁ、といいながら、リュウズは尻尾の先を振った。それが機嫌がいい時の仕草らしいと知ったのは、こうやってナザリックに不定期に遊び(ちょっかいかけ)にやってくるのが十回目を越した頃である。

 ふりふり揺れる尻尾の先をじっと見たのはモモンガとパンドラだ。同じものを見つめていたからだろうか、二人はなんとはなしに視線を合わせ、そして、同時に呟いた。

 

「邪神が何を言っているんだろう……」

 

「ほんまそれな」

 <伝言>を終えたペロロンチーノが心の底から頷いたのは言うまでもないことである。




ちなみに、この後タブラと一緒にTRPGセットを持ってきたアルベドがエスコートしているモモンガとされているリュウズをみてキィイイ!!!となって思わず攻撃をしかけ、七姉妹(プレイアデス)のログハウスは全壊した。


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