F&R (夜泣マクーラ)
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戦国世界

 落ちていく、どこまでも深く、深く――

 四肢どころか、心臓の鼓動までもが感じられず、ただ落ちていっている事だけが認識出来る。自分が今まで何をしていたのか、何を為そうと生きていたのかが曖昧なまま、僕は閉じそうになる意識を必死に繋ぎ止める。

 人間が一番恐れるものは何か?それは未知だ。故に人は死を恐れる。その先に待つものが何もわからないからだ。だからこそ僕はこの未知を未知のままにすることに恐怖し、それを拒否する。

 考えろ、思考停止は僕の最も忌み嫌う行為だ。そう、そうだ。僕は未知を解き明かす科学者だ。ならばこの状況を少しでも整理しなければ。四肢が動かない?心臓の鼓動が感じられない?何を馬鹿な。思考出来ているのならば身体も死んではいないということ。つまり、五感を奪われていると推測する。それを前提に考え、まずはなぜこのような理不尽でクソッたれな状況に陥っているのか……残念ながら重要であるはずのそれが思い出せそうにない。

 脳裏には思考とは関係ないはずの顔ばかりが浮かぶ。いや、無関係ではないな。むしろ最優先だろう。

 僕等が戦場の理不尽に打ちひしがれた時、彼女の優しい手が僕達を何度も救ってくれた。相手を殺す事に慣れそうになると、隣で相手を殺す事に怯え躊躇する臆病者が、僕を日常に引き戻してくれた。どれだけ完全な敗北を経験しようとも、彼はその尊い不屈の心を持ち続け、何十、何百と挑む事を止めなかった。そんな僕等を羨ましそうに、でも決して自分の手で汚さぬように、後ろからただ独りで眺め続ける少女がいた。そう、僕の大切な家族達だ。僕のこの小さな命と虚勢と科学を持ってして守らなければならない、唯一無二の家族。そんな少しだけおかしな家族には欠かせないもう一人の、そう欠かしてはいけない僕の半身がいて……

 そこまで思い出した時、五感がないというのに、心臓を直接掴まれたかのような痛烈な息苦しさを覚え、思考に靄が掛かっていく。

 ああ、止めてくれ。僕から一時でも彼女を引き離そうとしないで。引き離されたらそれはもう僕じゃなくなる。彼女が彼女じゃなくなってしまう。それだけはどうしても許せそうにない。科学の神の所業でもそれだけは僕の全てで許しはしない。

 

 

 もうこれ以上、僕から彼女を奪わせてなんかやらない――

 

 

 

 彼が目を覚ますと、目の前には見たこともない木造の天井。人の気配はなく、上半身にはとても温かく柔らかい布が掛けられ、身体の下にも掛かっている布と少し違うが、身体に負担が掛からないような柔らかな布が敷かれている。

 周囲に目を配ると、格子型の戸に白い紙が貼り付けられていたり、草を編み込んだような床。どれもこれも産まれて此の方目にした事のないような物ばかりで、彼は……

(ん~……どうにも思考が鈍いなぁ。これはきっとあれだ)

「睡眠不足に違いない」

 と惰眠を貪る事に。彼にとっての最優先事項は目下睡眠を取る事らしい。が、ふと気付いた違和感。その違和感が何かを彼はすぐに察知し、すぐさま飛び起きる。

「……クス?」

 彼の小さな相棒である光精霊のクスの姿がどこにもない。いつもなら目覚めと共に声を掛けてくるはずの相棒がいない事に焦り、布をどかしたり、室内をくまなく探すがどこにも見当たらない。

「嘘、だろ?」

 精霊が主人の下から勝手にいなくなることなど、本来ならば有り得ない事。冷たい汗が額から頬を伝い、徐々に早くなる鼓動とは裏腹に、彼はひどくゆったりとした動作で恐る恐る戸を押す……が、押しても戸は開かない。どうしてかと戸の上下を見ると、戸の上下に小さな溝が走っており、そこに戸が嵌っている形だ。

「なるほど、横にスライドさせるわけか」

 自分がいたはずの世界との違いに眩暈を覚えそうにもなる。そして今度こそ彼は戸を開き……

「――なッ!?」

 目の前の光景に絶句するしかなかった。

 

 

 これが、彼の……イクタ・ソロークの異世界譚の始まりだった。

 

 

 彼は自分の目を疑った。目の前に広がる光景は彼に現実感を奪わせるには十分なものだったからだ。いや、過去に見て、今でも恋焦がれる風景だったなら少しは違ったかもしれない。胸が高鳴り、期待と幸福感に包まれていただろう。

 だが、彼の目の前に広がる光景は郷愁など微塵も感じさせない、見たことのない光景だった。

「……どこだよ、ここ?」

 辺りに広がるのは農地ばかりで、点々と民家があるばかり。どこかの集落か村なのかもしれないが、とんと彼には見当もつかなかった。

 彼の名は深海直刃(ふかみすぐは)。現代に生きる大学二年生で、剣道の世界では無敗の王者でもある。筋骨隆々ではない、細身の身体だが、しっかり引き締まった筋肉が衣服の下に隠れている。

 そんな直刃は本来ならば混乱して取り乱すものだが、多少動揺しつつも冷静に状況を鑑みる。

 そもそも彼がこのような事態になるのは初めてではない。過去に何度か時間を逆行した経験があるのだ。その経験から、もしかしたらと動揺を抑えていられるのだが、過去と違う点が二つ。

「どういうことだ?」

 一つは自身の服装である。以前はもう一人の直刃という男性の身体を借りて、意識だけが自分だったのだが、今回は違う。服装が黒のパンツにシャツとジャケットという現代の服で、しかも身体も現代の自分そのもののようだ。それだけならまだしも、彼にとってはもう一つの違いが重要だった。

「なんで、赤穂じゃないんだよ」

 そう、彼が過去にタイムスリップしたのは忠臣蔵の時代、大石 内蔵助の住む赤穂だったのだが、今いる場所はまるで見覚えのない場所なのだ。自分がタイムスリップするのなら赤穂しかないはずなのに、これはどうしたことか。

「いや、でも場所が違うってだけで、ご城代達が赤穂にいる可能性もあるよな」

 自分がタイムスリップするのなら、忠臣蔵の時代に違いない。そう、確信していた。なぜなら、彼と忠臣蔵には切っても切れない縁があるのだから。それに、なによりもずっと忘れられずにいる願いが彼にはあった。

 ただただ会いたいと。想いを紡ぎ合った彼女達にもう一度。幾度も夢に見て、幻を幾万抱いたことだろうか。もう一度会えるのならと、切に願い続けたのだ。

 万感の想いが胸に去来し、喜びに打ち震える心。

「ご城代、安兵衛さん、主税、右衛門七、皆……今会いに行きますッ」

 そう決意し、彼は未知の歩みを進める。

「……けど、その前に」

 先程から道行く農民の視線から忌避の目を注がれていた。

「この格好をなんとかしないとなぁ」

 今の自分が明らかにおかしい格好なのは誰の目にも明らか。しかし、どうしたものかと頭を捻る。この時代のお金を持ってはいないし、まさか盗むわけにもいかない。盗むための店も見当たらないのだが。

 とにかくどこかの城下町に行こうと、足を進める。

 農民に道を聞こうにも、とても聞ける雰囲気ではなさそうで、正直野宿もあり得るかもしれないなと、彼はため息を一つ吐いてしばらく道なりに歩き続けた。

「それにしても、ツイてないよなぁ。せめて一魅(かずみ)がいれば……」

 甲佐一魅(こうさかずみ)。吉良家の血筋で、彼女も直刃と同様の過去を持つ。当初は清水一学(しみずいちがく)という吉良家家臣の身体を借りて敵対していた。一魅は浅野家を憎んでおり、本来悪ではなかった吉良上野介が悪となってしまったことで、現代で吉良家は差別されていた事に納得がいかず、過去を変えようと画策していた。上野介が悪となった原因は様々な要因がるのだが、ここでは割愛させていただく。

 彼女はとても利巧で歴史に造詣も深い。このような場合でも何かと役に立ってくれるのだが、頼みの綱の彼女の姿はない。今では蟠りもなく現代で連絡を取り合っている位の仲なので、いてくれたのなら心強い。

「チッ、無いものねだりしても仕方ないか」

 歩きながらとりあえずタイムスリップしてしまった原因を考える。

 ここに来る経緯はまったくわからないが、直前まで何をしていたのかを思い出す。大学から帰って、夕食を食べ、就寝前にナニをして寝て……そこからの記憶がない。意識が目覚めたらいきなり道の真ん中に立っていた。以前はとある呪いで過去に辿り着いたが、今回はそういうことでもない。まるで理解出来ないのだ。

「となると、第三者の手によるものって可能性はあるが、目的はなんだ?」

 赤穂浪士を救い、因縁に終止符を打ったのだから、もう彼が忠臣蔵の時代に戻る理由はないはず。

「……わかんねぇなぁ」

 自分を呼び戻す理由に見当がつかず、兎にも角にもどうにかして赤穂を目指そうとしていると、少し離れた民家からなにやら野蛮な声が聞こえた。

 そちらに目を向けると、数人の刀を持った粗暴な男達が、貧しそうな家の娘の手を引いて無理矢理馬に乗せようとしている。

 この時代、野盗が貧しい民家を襲うなんて事は良くあり、治安を安定するための法などなかったため、様々な犯罪が横行していた。その一つが人攫いであり、直刃の目の前で行われている行為もその一つだった。

 赤穂では見られなかった光景に、少々唖然としたが、彼はすぐさま民家へと駆け寄って声を上げた。

「おいッ!何してやがる!」

 背を向けている三人の野盗が一斉に振り向く。一様に濁った瞳をしており、まともな倫理観を持ち合わせていないのはすぐにわかった。

「あ~、んだテメェ?」

 最も体格の良い男が威圧的な声を上げるが、幾度も死線を潜り抜けた直刃には脅しなど利くわけがない。

「通りすがりの者だが、そんなのはどうでもいい。その子の手を離せ。さもなくば斬るぞ?」

 冷え冷えとした声には、命の遣り取りをした者だけが発する事の出来る殺気が含まれており、猛禽類のような視線に男達は喉を鳴らす。

 なるほど、男達の実力は自分の足元にも及ばない。そう確信し足を一歩踏み出しながら腰に手をやる……

「……あ」

 のだが、直刃は一つ大きなミスを犯していた。この時代に慣れていた直刃は完全に失念していたのだ。

 しまった、刀がない!?

 この時代にいた時は当たり前に腰に差していた刀だが、現代の服装のままの直刃が刀を持っているはずがない。それに気付いて冷や汗が頬を伝う。

「おい、あいつ刀持ってねぇぞ」

「ああ。しかも変な格好してやがるじゃねぇか」

 まずい。刀があればこんな三下なんざ、とっとと切り伏せられるが、その刀がないのでは話にならない。素手でどうにか出来るほど、刀の間合いは甘くない。その事を直刃は誰よりも知っていた。

 どうする?白刃取りをしたとしても、残りの二人に殺られる。二人まではなんとかなっても、残りの一人を対処するなんて出来やしない。

「ふぅ、脅かしやがって。威勢が良いのは買うが、お頭(おつむ)は空らしいな。囲めテメェ等」

 三人に囲まれ舌打ちを一つ。これではどうしようもない。だが、赤穂浪士としての魂が逃げることを彼に許さない。仁義を貫けなければ、赤穂浪士として名乗ることなんてこの先出来やしない。その魂に泥を塗ることだけはなんとしても……

「殺れぇッ!」

 掛け声に一斉に三人が斬りかかってくる。正面の男が上段から斬りつけてきた刃を、額に触れる寸前で両手で挟み、動きを封じつつ、地面へと叩きつけるように払う。その間に叫ぶように彼は娘へと声をかけた。

「今のうちに逃げろッ!」

 だが、娘は腰が抜けたように地面にへたり込んで動けない。クソッ、と心の中で毒づきながら左からの突きを後方に飛んで躱したが、着地と同時に右から斬り払いにより胴が狙われる。

 野盗のくせに連携が取れてやがる!

 なんとかして躱そうと身体を捻るが、どうにも間に合いそうにない。

 臓物が飛び出る様を想像し目を閉じる。

 死んだらやり直せたあの時とは今回は違うかもしれない。せめてもう一度だけでも皆に会いたかった。

 次々と愛しい者達の顔が過ぎった。

 ご城代、安兵衛さん、主税、右衛門七……すまない。

 覚悟を決めて目を閉じ続けていた……が、痛みは訪れずに目を開けると、そこには……

「どうやら間に合ったようだな」

 目の前にある背中に目を瞬かせる。

 声もなく地に伏した野盗に、仲間がそいつの名前を呼びながら騒然とし始めるが、直刃の耳にも目にも彼等の姿は完全に世界から消えてしまった。

「あ、嗚呼……」

 その背中に何度救われただろう。どれだけ懸命に追いかけただろう。まだその背中に追いついたなんて自信はない。だが、その背中を世界で一番愛している。その想いは永久不変。

 その背に心が奮い立ち、直刃はその背に寄り添うように立とうとした。

「すまない、直刃。今俺の横に立たないでくれ」

 なぜと、野暮なことは聞かず、一つ頷いて立ち止まる。なぜなら、直刃も多分同じなのだから。直刃は横に立とうとしたのではない。

 スッと、刀を一振差し出され、それを背を合わせるように立って受け取り、これまで雪のように徐々に降り積もって、溶ける事のないはずだった想いの全てを込めて、その名を口にする。

「受け取れ、直刃」

「はい、安兵衛さん」

 堀部安兵衛、元赤穂浪士随一の剣士であり武士。そして、直刃にとっては刀の師匠で、最愛の一人。凛とした佇まいと己を律するかのような声色。だが、その声が今だけは微かに震え、やっぱりと直刃は微笑した。

 微笑する直刃の頬が少しずつ濡れていく。安兵衛の頬と同じように。だから二人はまだ向き合えない。そんな自分を最愛との再会の顔にしたくないから。

 野盗の一人が指笛を吹くと、近くにいたらしい仲間達が五人合流してしまう。数にして七対二。端から見れば絶望でしかないそれを、二人は不敵に笑って迎え入れる。

「ところで安兵衛さん、どうしてここに?」

「ああ、ご城代からの指示でこの辺りで調べものをしていたんだが……そこで俺の唯一を見つけてな」

「なるほど」

 ご城代もいるってことは、皆もいるのかもしれない。

「そうですか。じゃあ、早くご城代に挨拶に行かないと」

「……いや、ゆっくりでも」

「テメェ等ッ!暢気に話してんじゃねぇぞッ!」

 前後から二人、背中合わせの二人に襲い掛かる、が――

「せいッ!!」

「シッ!!」

 上段から袈裟に恐ろしく重い一刀が振り下ろされ、野盗の肩に減り込む。救いだったのは直刃が不殺の精神だということ。峰打ちで相手を昏倒させ、すぐに上段の構えに戻る。

 救いがなかったのは安兵衛へと斬り掛かった者だ。肩から心臓まで綺麗に捌かれていた。おそらく、自分が死に絶えたことにも気付かないほどに鋭い一閃だっただろう。

 二人の実力(ちから)を目の当たりにし、野盗達が二の足を踏む。攻撃に踏み出せないまま、その内の一人が恐怖の隠せていない声で言った。

「何者だ、テメェ等……」

 その問いに、二人が郷愁を込めた声で応える。

「俺達か?俺は元赤穂藩堀部安兵衛」

「同じく、元赤穂藩深海直刃」

「俺達の前に現れたのは運がなかったな。無辜の民にその凶刃を向けるのなら、お前達に明日はない」

「鬼に金棒って言葉知ってるか?だが、俺達に刀を持たせたなら……」

「赤穂浪士に」

『勝利だ』

 二人の言葉が合わさると同時、野盗へと刀を振るう。この瞬間、直刃も安兵衛も同じ感覚だったに違いない。例え神だろうと斬り伏せられると。

 

 

 

 両の眼を見開き、その雄大美麗な景色に息を呑み立ち尽くす。

 海と見紛うばかりの湖がまず目に飛び込んできて、一気に心を引き込まれる。次におそらく山の上にこの建物はあるのだろう、麓に活気に満ちた町並みが心を躍らせてくれる。

 しばらく放心していたイクタだが、自分の現在位置を知るため、吹き抜けから上と下を確認すると、どうやら六階建ての建物の四階に自分はいるらしい。いるらしいのだが、またしても見たことのない建築様式にますます混乱してしまう。

 見下ろした町の景色でも感じたが、建物の造りが帝国やキオカではまずお目に掛かった事のない技術で造られている。材質は木で出来ているのはわかるが、この建物は各階の壁の色が全て違う。どういう理由があるのかはわからないが……

「ふむふむ、これはアレだ」

 幼少時から培われてきた未知への探究心が抑えられず、彼は科学の徒として迅速に行動を開始した。

 壁伝いに歩き、階段に辿り着いて上へと向かう。これがキオカ等の気の許せない国であったなら、こんなに軽率な行動はしなかっただろう。ただ、見るもの全てが未知だというならば話は別で、師匠の行動力をそのまま受け継いでいるイクタは、張り裂けそうな好奇心で子供のように眼を輝かせながら歩みを進める。もう自由に動かすことの出来ない左脚を引き摺りながら。

 一つ上に上がると壁面には絢爛豪華な絵が描かれ、数秒足を止める。あまりに神々しい雰囲気が、人が入っていい聖域なのかと躊躇させた……が、そもそも神なんて非科学的な浮浪者を嘲り笑うイクタは、この知的好奇心の前に神がどれほどの価値がある。と、スキップでもしてしまいそうな足取りで、いくつかの部屋の中を覗いていく。

「ほおほお、なるほど。あれはなんだろう?変な髪形をした彫像があるけれど……その前には儀式で使うのかな?蝋燭や変なお椀があるし、壁も絵に金が惜しげもなく使われてる。となると、あの女性からモテるという概念を捨てた姿の像が神なのかな?」

 宗教なんてどの国にでもあるものだし、それぞれに形が違うのも当たり前だ。ならば、この国の神の形があのブサメンなのだろう……神への冒涜をものともしない姿に好感を覚えるね。なんて罰当たりな思考を巡らせながら、仏像の御前にある物を次々と手にとって眺める。材質は何か、使用目的は何か?一つ一つ細かなところまで眺めて、思考の海に溺れていく。

 幼子が初めて玩具を手にしたかのような無邪気さ。あまりに熱中し過ぎて、きっと周りが声をかけても気付かなかったに違いない。視界の隅にソレが映ってしまうまでは。

 期待なんて、ちょっとしかしていなかった。なぜなら彼にはわかっていたから。これは、彼女の気配じゃないと。自分の片割れの気配に気付けないなんて愚の骨頂は犯さない。そんな絶対の自信があったから。しかし、それでも期待をしないわけではない。幻のような現実が目の前にあっても悪くはないはずだ。

 紅く、紅く……どこまでも紅く染めてしまう、見るもの全てを魅入らせる炎髪。その胸打つ紅だけは、まさしく彼女と遜色のないものだった。

「ようやく目を覚ましたと思うたら、コソ泥とは良い度胸じゃのう」

 慇懃にして粗暴。しかしどこか品を感じさせる声。煙管を指で遊ばせながら、戸に背を預けて笑う姿に、イクタは恐怖と同時に畏怖を覚える。そんな異様な感覚が全身に駆け巡る。

 身体どころか心まで震え出しそうな、その濃密で圧倒的な気配を醸し出す人物に、イクタは戦場で被る仮面で表情を覆い、飄々と会話を続けることにした。

「いえいえ、盗もうだなんて思っていませんでしたよ。むしろ、今まさに盗むべき宝石を目にしたのですから。この世の至宝の如く美しい貴方を、ね?」

「かっかっかっかっ、ワシを前に怯えを隠しながら余裕を見せるか……面白い、実に面白い小僧じゃ」

「ええ、怯えますとも。貴方を前にして怯えない男なんてこの世にいるわけがない。貴方に釣り合う男かどうか、それを試されることが怖いのだから。というわけで、僕は卒倒してしまいそうな美貴である貴方のお名前をお呼びしたいのですが、まずは僕から名乗りましょう。僕の名前はイクタ・サンクレイ。科学者を本職として、軍人なぞを副職でやってます。貴方は?」

 背中に流れる汗を悟らせないよう、ありったけの強がりで微笑を崩さない。今まで出会ったどんな人物よりも大きい。その有り様が、イクタの天敵であるキツネ、もといトリスナイ・イザンマとは正反対のベクトルで振り切れている。

 心臓を直接掴まれたかのような居心地の悪さ。それを気力で踏ん張り続けながら、イクタはその名を脳の深奥まで刻みつける。

「なかなかの胆力よ。その勇気に報いるべく名乗ってやろう。ワシは織田ノブナガ、しがない天下人を夢見る阿呆よ」

 

 

 

 血に沈む野盗を一瞥し、直刃は運が無かったなと心の中で呟く。彼だけが相手だったならまだしも、安兵衛は武士としての矜持を重んじる。そんな彼女を前に悪を成そうとするなど、命を溝に捨てる行為に等しい。

 物言わぬ屍をそのままに、直刃は腰を抜かして動けずにいる娘へと手を差し出す。

「ひっ」

 しかし、先の修羅の如き二人の死線を目の前にし、娘は二人への恐怖を隠せずにいる。

 仕方のない事だとは思いつつも、少しだけ苦虫を噛み潰したような表情。それは安兵衛の過去に起因している事で、安兵衛が過去の傷に悲しんでいるかもしれないと、直刃は彼女を振り向いた……が、そこには直刃の心配を杞憂へと変えてくれる彼女の穏やかな笑み。

「すまなかったな。いくら助けるためだったとはいえ、血生臭いものを見たい娘などいぬものな。どうか、許してくれぬか?」

 柔らかな表情で娘に語りかけると、徐々に娘の緊張がほどけていき、ゆっくりと直刃の手を取って立ち上がる。

「あ、あの……助けて頂いてなんとお礼を申したら良いか……」

「礼などいらぬ。ただ悪党を切り伏せただけの事。武士として恥じぬ自分でいるためにな」

 それよりもと、本当は直刃との再会に高鳴る鼓動のままに抱き締め合いたい衝動を抑え、安兵衛は大石内蔵助からの命を優先する。

「少し、話を聞かせてくれないだろうか、奴等は何者だ?」

 なぜそんな事を安兵衛が娘に尋ねたのか、その意図がすぐには直刃には腑に落ちなかった。

「あの野盗達と刀を交えた瞬間、俺はなぜ?と不思議だったのだ」

「安兵衛さん、どういうことですか?」

「直刃は気付かなかったか?」

 もう一度どういう事かと問う前に、彼等との戦いを顧みる。何かおかしな事なんて……と、数瞬考えて、そこで直刃は安兵衛の問いの意図に気付く。

「そう、ですね。奴等、剣術を齧ってる動きでした。刀の握り、振り、間合いの取り方……全員が素人じゃなかった」

「そういうことだ」

 忠臣蔵の時代では早々なかった事だ。中に数人は剣術に精通した者がいても不思議じゃないが、全員となると話は変わってくる。そう、刃を交えて感じた感覚はまるで……

「それはおそらく、合戦で敗れて生きて逃れてきた者達が野盗となったからかと」

 娘の言葉に二人が驚きを隠せずに、お互いを信じられないかのように見合う。

「合戦、だと?」

 合戦なんて忠臣蔵の時代に起こる事象ではない。徳川の世、天下泰平の時代はあの後も長らく続いていくはずの時代だ。そんな合戦なんて起こるわけが無い。

 混乱する思考と感情を抑え、勤めて冷静に直刃は娘へと尋ねる。

 タイムスリップを何度か体験した直刃と安兵衛の頭の中で、最悪な予想が形となっていて、どうかそれを消し去って欲しいと願いながら。

「それじゃあ、ここはどこで、領主は……?」

「はい?」

 知らないわけがないでしょう?と言いたげな娘の様子に、彼等は嫌な汗が流れ出すのを止められず、そしてそんな彼等に娘は応える。救いのない答えを。

「ここは駿河国で、領主は駿府の館におられる今川ヨシモト様ですが?」

 娘の言葉に、二人は理解する。やはり、と。彼等がいるのは赤穂でも、ましてや徳川の世でもない。

(今川義元だって?てことは、ここは戦国時代じゃねぇかよッ!)

 しかも、今川義元が生きているということは、これからまだまだ乱世は激化していく。現代の日本人なら誰もが知っている、殺戮の時代……

 直刃の顔から血の気が失せていく。

「そうか、不躾にすまぬな娘。礼を言う」

 背を向けて安兵衛は歩き出す。一刻も早く行かねばならぬと、その背中は無言で語っている。

「すまん、直刃。本当はお前の温もりを今すぐにでも確かめたいが、そうもいかなくなった」

 まったく、なんて空気を読まない事をしやがるんだ、誰か知らない俺をここに呼んだ黒幕め。愛し合う二人のイチャラブを壊すなんて、馬に蹴られて非リア充になってしまえ。

 などと、まだ見ぬ誰かを呪いながらも直刃は安兵衛の横に立つ。

「ですね。まあ、今は安兵衛さんを抱くのは後のお楽しみにしておきます」

「あ、ああ」

 頬を染めながらそっぽを向く安兵衛。その姿が愛らしくて、直刃はキスだけでもと血迷いそうになる自分を殴り飛ばして黙らせる。

「す、直刃!」

「はい?」

「あ、あのな……その、ご城代への報告が終わったら、そのだな……」

「終わったら?」

「ち、毒吸いをしてッ!すす、する、ぞ!」

 こんな時に何をと他者は思うだろうし、そもそも毒吸いとは何か?と疑問に思うだろう。決して安兵衛は吸血鬼などではないが、毒吸いとはなにかと言えば……

「しゃあッ!早く行きますよ安兵衛さん!戦国時代かかってこいやぁッ!」

 直刃をアホにさせる魔法の言葉……ということで、行為についてはご想像にお任せする。

 安兵衛の手を引いて急ぐ直刃の背中を、彼女は自然と慈しみの笑顔で眺める。彼の手の温度、感触に狂おしい愛しさを胸に宿しながら。

 そんな二人は気付かない。背後の遺体が泥のように土に消えていく様を……

 

 

 

 尾張と駿河に異邦の者が来訪すると時を同じくし、各所でも異変が起こっていた。

 近江国、琵琶湖側の森林地帯。世闇の中、慣れたように疾走する幾つかの不穏な影に、眠っていた鳥達が一斉に飛び立っていく。

 月も雲で隠れ完全な暗闇の中、全身を黒で覆っているため、性別等の判断がつかない。そう、常人なら人かどうかも判別が難しいはずなのだ。だが、太い樹の枝と気配を同化するかのような二つの影は、疾走する影を目視して一人は溜息、もう一人は玩具を見つけた子供のように笑う。

「あ~、あの柔らかい体の動かし方は完璧女だねぇ~」

「……なんで楽しそうなのさ」

「えー、だって楽しくない?目が覚めたらこんなファンタジー世界にいるとか、マジ有り得ないっしょ?」

「順応性高すぎでしょ。あのね、状況わかってる?」

「わかってるから様子見してんじゃ~ん」

「もう、ほんと勘弁して欲しいよ。僕、明日採用試験があるんだけど」

「俺も早朝に省庁(お財布)まで遊びに行かないとだけどさぁ、ぶっちゃけ今どうでも良くない?」

「良くないよ。僕がここまで来るのにどれだけ掛かったと思ってるのさ?それなのに、目が覚めたらこんなファンタジー世界にいて、しかもどこかの見張りっぽい人達に見つかって、わけもわからず追い回されて……」

 小さな相方のそんな愚痴を、背の高い影が笑って流す。そんなの、本心じゃない事くらいわかっている。愚痴を垂れ流しながらも、彼はそんな事を少ししか憂いていないだろう。なぜなら、それは本心を隠すための隠れ蓑だ。本当は彼だって懐かしいと思っているはず。

 こんなとんでも展開、彼等は初めてじゃないのだから。

「そんな事よりも~、とりあえずどうしよっかぁ?」

「どうしようも何も、僕達右も左もわからないままなんだけど」

「だよねぇ~。でさぁ、そんな俺達に右と左くらいなら教えてくれそうな親切な人(獲物)達が俺達を探してくれてるんだけど、ちょっとナンパしてきてよ」

 眼下を疾走し、枝から枝へと飛び移る人影を顎で指し示して笑う。

「なんで僕が?」

「だって、俺がやるとナンパで終わるかわかんなくね?」

 彼の言う事には一理も二理もあり、小さな影は押し黙る。むしろ、彼にやらせてしまうと余計に騒ぎを大きくしてしまう可能性が大いにある。面白くしたいという理由だけでだ。

 難なく想像出来てしまい、もう一つ溜め息をついて仕方ないなぁと小さな影は呟く。

「あ、狙うのはなんか陣頭指揮執ってるのでよろしく~」

「気楽に言ってくれるなぁ、もう」

「楽な仕事じゃ~ん。別に相手はマッハで動くわけじゃあるまいしさ~」

 そんな言葉に、小さな影は自然と笑みが零れた。

 それもそうだ、僕達の標的はマッハで動く触手を持った黄色い生物じゃない。

 あの自然の中で活き活きと標的を追っていた過去を想い出し、小さな影は一抹の寂しさと優しい思い出に胸が一杯になる。

「だね。じゃ、ちょっと行って来るよカルマ」

「行ってらっしゃ~い、渚」

 椚ヶ丘中学校元3年E組、潮田渚と赤羽業。ここから暗殺教室という特殊な環境で学んだ二人の、二度目のファンタジーが始まる。

 渚が闇と同化して気配が消えたのを確認すると、業は自分達の世界とは違う、雲から覗き始めた綺麗な形の月を見上げ、かの教室にいた頃のような笑顔を浮かべる。

「異世界、ねぇ……ま、退屈凌ぎにはなるかな。ね、殺センセ?」



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魔法少女からお弁当を!

 奇想天外奇々怪々なんてものは世の中割と良くあることだと、僕は目の前の光景を他人事のように眺めながら、お馬鹿の代名詞中二へと上がったばかりのとある事件を唐突に思い出していた。

 当時運動神経だけがアイデンティティと校内どころか、他校にまでその名を轟かす残念ながら僕の自慢の幼馴染である石岡君。僕が広部さんと一向に仲が進展しなかったのは、二割が著我が四六時中僕にくっついたりしていた所為だ。あれ?著我と一緒にお風呂に入ってたのっていつまでだったかな?まあ、どうでも良い情報だからいっか。それよりも、二割が著我なのだけれど肝心なのは残り八割を一人が独占してしまっている。僕等、馬鹿な男子の勇者と名高い石岡君。彼と幼馴染だというだけで、彼の負のオーラに若干どころじゃないレベルで感染する。実際石岡君を交えて数人で話していると、急に石岡君が舌を出し入れし始め、どう?どう?等とやたら必死に聞いてきたのだ。あまりの必死さに僕等はウィルスに感染しないように、石岡君から顔を背けて広部さんの髪型で一番美しいのは?談義を敢行するも、空気を読むというスキル皆無な彼は僕等を逃がしてくれなかった。回りこんで、これでいいか?こうだよな?と眩暈を起こすディープテクを見せ付けてくる。どこの汚いドーベルマンだよ。これが女子ならCIAに連絡していたことだろう。そんな彼を広部さんが踏まれたゴキブリを見る目で「誰かスプレーとライター持ってない?あそこ虫けら数人燃やしたいんだけど」と本気の言葉を口にした。これこそ石岡ウィルスの恐ろしさだ。無関係を装おうとも、インフルエンザよりも強力な感染力で僕達を殺しに来る。普通にしていれば、モテないけれど気の良い変態なのになぁ。

 とまあ、そんな彼が一時期中指を骨折した事がある。本題はこっち。今までのは彼がどれほど有能な変態かを紹介しただけなのだけれど、ここからは更に深度が増していく。人はこんなにも深淵へとゆけるのだと、僕は感動さえしたものだ。そもそも彼が骨折した状況がおかしい。なぜなら彼は、トイレ掃除をしていて中指を骨折したのだから。どうしたら、トイレ掃除をしていて中指を骨折する事態に至ったのかだが、多少なりとも僕に責任があることは否めない。

 中二は性への好奇心に目覚め、鉛筆が転がるだけで起立してしまうお年頃。そんな僕等は女体の神秘を、真理を求める探求者だった。その気持ちに一切の下心等なく、夢見る子供のような……はい、嘘つきました。下心っていうか下(しも)心で一杯でした。

 数人で講堂のトイレ掃除をしていたのだが、隣の女子トイレは馬鹿な男子とは違ってすぐに掃除は終えられていたらしく、女子トイレは無人だった。部活もまだ始まってなくて、人の気配が僕等以外に感じられない。そんな中、石岡君は仙人のような達観した目で「さあ、行こうか」とやたら格好良く決めて、女子トイレに向かった。この時の僕は彼が気が狂ったのではと思ったものだが、今考えればあの年頃の男子にとって女子トイレとは、憧れのラブホテルに近いものがあった。体育倉庫、更衣室、女子トイレは三種の神器。彼はそれを手に入れに行ったのだ。まあ、女子トイレの個室に何をしに行ったのか、皆目見当もつかなかったけど。石岡君を神風特攻隊のように見送り、僕等はいち早く逃げ出すために掃除を黙々と終わらせようとしていると、一緒に帰ろうぜと著我が僕を迎えに来た……これが悲劇の始まりだった。まだ掃除が終わっていない僕を待っていた著我が、石岡君の存在に気付かずに用を足しに行ってしまった。数分後、著我が戻ってきた時、僕は石岡君の存在が露見したのではないかと、内心冷や汗を掻いていたのだが、幸いにも著我は石岡君に気付かなかったらしい。ただ「なんか、隣のやつめっちゃ鼻息荒かったんだけど、救急車呼んだほう良くない?」と心配する言葉。救急車よりも国家権力を呼ぶべきだろう。嫌な予感がした僕は著我を昇降口へと向かわせ、隣の女子トイレへと向かった。すると、やたら変態ブレスをしている個室があり、僕はそこに無表情で近づく……と、便器の前に正座して中を猛禽類のような眼で覗き込む石岡君がいた。全然僕に気付く事もない彼は、なぜか便器の中に指を突っ込もうとしている。まるで一万円札を自販機の下に見つけた浮浪者のように必死の形相で。「はぁ、はぁ……こ、ここでしゃ、しゃ、しゃ……せ、聖水……」等と言語すら崩壊している有様だった。さすが石岡君。落ちた著我の髪の毛を集めていた変態だ。もちろん、その髪の毛は焼却処分した。とまあ、そんな変態の石岡君の事後処理は幼馴染の僕の務めだ。そういう義務感から、情け無用で無言で彼の心のように穢れた尻を思い切り蹴飛ばし、その勢いで便器に指を思い切り打ち付けて彼は悶絶。これが広部さんの……だったなら、一生男として生きられなくしていたところだ。

 と、これが石岡君が指を骨折した真実なのだが、この事実は僕と彼だけが知っていて、周囲にはバスケの最中にいつの間にか折っていたと彼は吹聴していた。まあ、誰も想像が出来ないしね。変態の果てに行き着いた骨折だなんて。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。

 つまり何が言いたいのかと言うと……

「ねえ著我?いつの間にVRなんて買ったの?」

「え、佐藤が買ったんじゃないの?あたしへの誕生日プレゼントにさ」

「この前買わされたペアリングはなんだったんだよ」

 土曜の夜、大学に進学した僕達はリタ(著我ママ)の勧めでルームシェアをしていて、寝落ちするまでメガドライブ版『雷電伝説』をプレイしていた。

 縦スクロールシューティングで、元はアーケード作品。セガ信者でこの作品を未プレイな者はいないはず。この『雷電伝説』はセイブ開発が担当し、当時アーケードシューティングで有名な東亜プランを抑えて、一番人気があったシューティングでもある。そんなゲームを逸早く家庭用ゲーム機で発売したのがセガだ。さすが僕等のセ~ガ~だ。しかも、このメガドライブ版にはスペシャルステージが追加されているという豪華使用!ザクとは違うのだよ、と言いたげなスタッフの方達に涙を流して拍手を捧げたい。しかし、このスペシャルステージをクリア出来る猛者は数えるほどだ。このステージだけコンテニュー不可で、難易度が飛び抜けて高い。なぜスペシャルステージをここまで鬼畜ステージにしたのか、それには理由がある。スペシャルステージをクリアすると出てくるメッセージを、アンケート用紙に書いて送ると、10名にテラドライブのモニターになれる権利が与えられたからだ。ただ、テラドライブをやりたいが為、僕の親父は有給を使って一週間自室から姿を見せなかった。

 雷電伝説……まさに、伝説の名に恥じぬゲームなんだけど……おかしいな。疲れてるのかな?数百メートル先に、黒い鎧を着た軍勢が見えるんだけど。黒い鬼の面を全員が着けていて、大筒隊やら弓矢隊が前方に出ている。あっれ、雷電伝説の隠しステージか何かかな?周りの風景も宇宙じゃなくて、広大な野原だし。

「ていうか佐藤、あたし等メガドライブしてんだからVRがあるわけないじゃん」

「いや、僕の願望ではあっても良いと思うけど。むしろ開発して欲しい」

「ああ、セガ信者の夢だよね~……てかさ、後ろにもなんか面はつけてないけど、鎧着た軍勢がいるんだけど」

 ふむ、つまり僕達は睨みあう軍勢の中心でセガ愛を叫んでいるらしい。そういえばなんでコントローラーと本体はあるのに、テレビがないんだろう。

「佐藤さ、現実逃避で中学の時のこと考えてたろ?」

「これが現実とか無茶だよな?妄想逃避が正解」

 なんて言って二人であははと笑うと、両陣営から二次元でしか聞いた事のない『てぇーーーーーッ!!』の合図。途端、砲弾と弓矢が宙に舞った。

「著我!コントローラー死守!僕は本体を命を懸けて守るから!」

「当然!佐藤の犠牲は無駄にしないからさ!セガの礎になりな!」

「おまッ!僕を盾にするなって!」

 間に合わないかもしれないけれど、横に全力疾走。戦線離脱しなければ!間違ってメガドライブに矢が当たったりしたならば、僕は犯人を殺しかねない。しかも、さり気なく著我は僕を盾にするの止めて欲しい。

 いくら僕でも限界があり、夥しい数の弓矢が頭上に降り注ごうとした時、僕の脳裏に、親父がカラオケで必ず歌うセガの名曲達が流れた。クソッ、なんでよりによって親父ヴォーカルなんだよッ!

 いくつかは避けられるけど全部は無理だ。メガドライブを盾にすればいいじゃないかだって?HAHAHA!そんな選択肢は僕にはない!

 あれだよね?どうせ死んだら夢でしたオチでしょ?そうだよ、こんなの現実なわけないじゃん。なら、いっそのこと……そう、だな。

「著莪」

「はっ、え?ちょっ、佐藤何やってんの!?」

 著莪を抱き寄せて、僕の全身で覆い隠す。夢ならせめて僕の半身だけは守らなければならない。

「……ああ、映画のクライマックスごっこね」

「あ、バレた?どうせ夢なんだから、一回くらいやってみたいじゃんか」

「あたしよりもメガドライブは……ああ」

「ちゃんと守ってるから平気」

 僕と著莪の間に二人の子供のように入り込んでいる。これで備えは万全。弓が僕を夢から覚ますまであと……

「ちょっと、こんなところで何やってんのよあんた達!?」

 颯爽と現れた白いマント。そのマントで弓矢を払い落としながら、彼女は僕達へと問い掛けてくる。

「やばいね佐藤。この夢にはコスプレ少女が出てくるあたり、絶対佐藤の趣味だよね」

「ばっか!僕がこんな露出が少ない年下の女の子を出すわけないだろ!出すんだったら茉莉花をケモっ娘にして出すよ!」

「どうでもいいんだけどさ、あんた等早くどっか行ってよ。今あんた等を守ってる余裕なんてないんだけど……杏子!」

「オーケーッ!マミ、さぼってんじゃねぇぞッ!」

「はいはい、美樹さんはそのお二人を保護してね」

「はい、任せてください!」

 お、おお……なんていう事だ。茉莉花と並んでも遜色ない少女達が、淫靡ではないが、そこはかとなく男子を誘惑するようなコスプレをして戦っている。特に金髪のおっとりとした少女が素晴らしい。どこが素晴らしいかは誇らしげに口に出来ないけどさ!だってどう見ても未成年だもん!一部分は未成年には見えないけども!

「佐倉さん、一気にやるわよッ!」

「あいよッ!」

 鬼面の軍勢に向かい赤髪の少女は疾走。降り注ぐ弓矢を槍と三節昆が合わさった武器で次々と落としていき、そしてマミと呼ばれる少女は何もない空間からマスケット銃を何丁も生み出していき、目にも留まらぬ速さで次々と打ち出す。早撃ちに眼を引かれながら、僕はその精度に驚愕する。

 あんなに速く撃っているのに、全てが必中。狙いなんてつけて撃っているようには到底見えないのに……

「さっすがマミさん!」

「へぇ~、佐藤よりも上手いんじゃね?」

「ふざけるな!僕のが勝負したらスコアは上だよ!ていうか夢じゃないっぽいんだけど」

「あのさ、スコアってゲーセンの話?」

 それにしても、あの子達凄いな。マミって子が弓矢隊、大筒隊の足並みを乱して突破口を作り、杏子って子を筆頭に次々と相手を屠っていく。光陰矢の如しとはまさにこの事。そして何より凄いのは……

「全然パンチラしないじゃん!」

「それ僕の台詞!」

 あれだけ派手に動いているのに!未成年に厳し過ぎだろ!茉莉花ならその奥まで見せてくれるのに、クソッ!

「ねえ、佐藤?」

「ん、わかってるよ著莪」

 僕達を守ってくれている少女の横を抜けて歩き出す。

 弓矢隊と大筒隊は機能していないし、これならなんとかなるだろう。

「ちょっと、あんた達何やってんの!」

 僕達が気が狂ったとでも思っているのか、叱責するような声。

 まったく、情けないったらない。僕達が今のこの状況で取るべき行動は一つだけ。腹の虫の加護は……十分だ。なにせ、僕達はスーパーに行こうかと話している時にここに来たのだから。

「ねえ、一つ聞きたいんだけど、ここで活躍したら僕達に褒美とかないかな?」

「は?」

「例えば、美味しいお弁当……とか」

 僕の問いに、少女は首を傾げながらも答えてくれた。

「それなら多分、後ろのあたし等の大将が作ってくれると思うけど……料理が好きだって言ってたし」

 それは兆畳。その答えが聞けたなら迷いは何もない。僕達の邪魔をする目の前の軍勢は野に放たれただけの獣だ。

「それがなんだって言うのよ?」

「いや、それさえ聞ければ十分。正直、年下の女の子に守られるだけなのは格好悪いし」

「もっと近くでならパンチラも見れるし」

 狼の咆哮が二つ。僕と著莪の目の前には、褒美を邪魔する犬達。牙を剥き出して僕達は笑った。

『僕(あたし)達狼は食い散らかすだけさ』

 

 

 

 城下町から大分離れているという空き家へと、安兵衛さんに案内された。季節は春なのだろう。空き家近くの桜が満開を迎えていて、少しの時間安兵衛さんと二人で桜を眺めていた。俺と安兵衛さんは、こうして離れぬように手を繋いで桜を見ることは今までなかったから、感慨深いものがあった。

 空き家の戸の前に立つと、不思議な緊張感があった。この戸を開けることが怖いような、嬉しいような……

 ご城代との別れが瞼の裏に映し出され、知らず手が震える。俺は、強くなれたのだろうか?ご城代が祈ってくれた俺でいられているのだろうか?ご城代の涙を拭った強さを今も俺は……

「直刃……なのじゃな?」

 俺が二の足を踏んでいると、中から思い出の中のご城代の声と寸分違わぬ声が俺の名を呼ぶ。

「はい、ご城代」

 ご城代の声に応え、ご城代を不安にさせないようにと、気丈な顔を張り付けて戸を開ける。

 がらんとした部屋の中、ご城代が綺麗な姿勢のまま、俺をその聡明な瞳で見つめる。少し、潤んだ綺麗な瞳はあの日のままで……

「ご、城代……」

 その姿を眼にしただけで、俺の強がりは打ち壊された。

 声は震え、早くその愛おしい身体を名を呼びながら抱き締めたいのに、身体が思うように動いてくれない。

 何度も、何度も何度もご城代を呼んだ。心の中でずっと呼び続けた。あの島で、みんなと穏やかに過ごしてますか?俺がいなくて寂しくありませんか?幸せでいてくれていますか?そう……数えるのも馬鹿らしくなるほどに、ずっと想っていて……

 涙で情けなく折れそうになる自分を叱咤し、足を進め……すす……まない?

 横を見ると、ぎゅっと俺の腕に組み付く安兵衛さん。

「あの~、安兵衛さん?」

「ん?どうかしたか直刃?」

「どうかしたかじゃなくて、その……ちょっと放して欲しいんですが……」

「なぜだ?せっかくもう一度会えたのだ、もう少し直刃と共にいたい。それをお前は放せと……」

「いや、そうじゃなくて……」

 そ~っとご城代に目をやると、ああやっぱりと俺は額に手をやって溜息。

「これ安兵衛!直刃を独り占めにするとは何事じゃ!」

「何を申しますご城代。俺は独り占めになどしていません。左腕が空いているではないですか」

「そういう問題ではないわ!直刃!」

「はい!」

「直刃は私と抱き合いとおないのか!?」

 めっちゃ抱き締めたいです!というか普通は感動の再会になるシーンですから!ぶっちゃけ昨夜から悶々と皆を想って……をしてたんだ!

「直刃が困っておるじゃろ!はよ離れぬかぁ!」

「いくらご城代の命でもそれは聞けません」

「むきーーーー!そこに直れ安兵衛!」

 ああ、いつもの光景に別な意味で涙が出そうだ。幕末でも三人が俺との記憶を取り戻してから、いつも俺を取り合って喧嘩をしていたっけ。

 幕末を懐かしんでいて、ふと気になった事があった。

「そういえば、ご城代?皆はどこに……」

「残念ながら、俺様で全員だ」

 ご城代への問いかけに答えたのは、いつの間にか戸を開けて立つ数右衛門(かずえもん)さんだった。

 相変わらず着物を着崩し、自由奔放を絵に描いたような人だ。

「え、全員って……どういう事ですかご城代!?」

 ここにくれば、また皆と会えると……今度はどんな冒険譚が待っているのかと期待をしていたのに……主税(ちから)、右衛門七(えもしち)ともう一度会えるって、そう……

「すまぬな、直刃。皆はここに……いや、この世界には連れてくるわけにはいかんかったのじゃ」

 別にご城代を責めたかったわけじゃない。だが、俺の勝手な期待を裏切ってしまった事に、ご城代は心を痛めたかのようだった。

「あ、すみません。ご城代が悪いわけじゃないのに」

「いや、直刃の申す事は間違っておらぬ。私の責任でもあるのでな、謝らんでも良い」

 ご城代の責任?という事は、ここに皆がいないのも、安兵衛さん、数右衛門さん、ご城代、俺の四人だけしかいないのもご城代が関係しているってことか?

「あれ?ちょっと待って下さい」

 ちょっと前のご城代の言葉が引っ掛かり、なんとご城代が言ったかを思い出す。

「あ、この世界?ご城代、この世界って一体?」

「うむ、まずは直刃には謝らねばならないのじゃが、その前に少し聞いて貰わねばいかん話がある」

 まずは座ると良いと勧められ、ご城代の対面に俺、左右に二人が座る。

「まずはどこから話したものか……そうじゃのぉ、私の前に現れた黒衣の男の話をせねばならんの」

 そうしてご城代が語ったのは、幕末へのタイムスリップなんて吹き飛んでしまうような信じ難く、予想だにしない疫災へと繋がる話だった。

 

 

 

「で、なんでこうなるかなぁ」

「何か不服か?ソロークとやら」

「いいえ、貴方のような美しいご婦人にお誘い頂けて、喜びに胸が打ち震えてしまうのですが……」

 客室なのだろうか?彼女の使用人らしき女性がお茶を運んできて、僕は畳?という床の上に敷かれた座布団なるものの上に座らされ、なぜか将棋板が目の前に鎮座している。

「なに、ワシの暇潰しに付き合うだけじゃ。良かろう?」

 う~ん、軽い自己紹介で指揮官やら軍師やらと語ったのがいけなかったらしい。どうにも将棋で僕の腕を確かめようとしているようだ。どうしたものか……

「その前に、主は将棋については知っておるか?」

「そうですね、僕の暮らしていた国でも将棋はありましたけど、ルールが同じかどうかは……」

「ルール?ルールとはなんじゃ?」

 しまった。言語体系の違いもあるのか。会話が普通に成立しているものだから、僕等と寸分の違いもないと思い込んでいた。いけないな、未知の場所にいての先入観ほど視野を狭めるものはない。

「ルールとは決まりごと、規定の事です」

 そう前置きして、僕の知る将棋のルールを語ると、彼女はふむふむと頷きながら、犬歯を見せて豪快に笑った。

「ほお、それは面白い!取った駒を自分の駒として扱えるとはのぉ!確かに、戦場で敵兵を陣営に招き入れる事も戦術のうちじゃ。そのルールとやらで打ちとうなったわ!」

 なっ!?何一つ迷うことなく不慣れなルールで打つだって?明らかに不利なのに、それを嫌がるどころか豪快に楽しむなんて……プライドという概念を持たない?いや、天下人となると語った人間だ。プライドがないわけがない。

 接戦にして少しの差で勝って、三局ほどで負けるのが上策かな。

「先番はぬしからで良いぞ。じゃが……」

 一つ呼吸を置いたかと思うと、鬼の瞳で僕を捉える。その眼の異様な圧力に、金縛りになったかのように動けず、息苦しさを覚えた。

「頭(こうべ)が蹴鞠になりたくなくば、手を抜く事は許さん。良いな?」

 僕はどうやら思い違いをしていた。正確に相手を見抜くなんておこがましい行為だった。目の前の鬼はプライドなんて持ち合わせていない。持ち合わせているのは、殺すか、殺されるか。その絶対の価値観だけだ。それ故に、僕に殺気がない事を悟ったのだろう。僕の本気を見せろ、見せなければ喰う。彼女はその真実を突きつけてきた。

 参った。こんな燃える様な生き様をする人間を、僕は一人しか知らない。まったく、炎髪だけじゃなくて、そんなところまで似ているなんてね。それなら、遠慮は失礼だというものだ。

「……では、素敵で苛烈なお言葉に甘えましょう」

「存分に振るうが良い」

 そうして始まった将棋だが、中々どうして面白い手を打ってくる。定石なんて一手も打たず、型破りな手ばかり。並みの打ち手なら形になるはずもない手なのに、先を読むとこれが綺麗に嵌まる。しかも、取るであろう駒を使っての手までも読んで。このルールが初めてのはずなのに、並外れた才覚……いや、先見の鬼だ。まるで白髪イケメンを相手にしているかのような、気の抜けない戦略の応酬だ。あいつを認めるようで癪だけどさ。

「ふむ、少しワシが不利のようじゃな」

「……本当に恐ろしい人みたいだ。僕と同じ先まで読んでいるなんて」

 そう、何十手も先を見て僕は最初から打っていたけれど、このままいけば僕が王手を掛けるまでの絵は出来ている。出来ているけれど……なんだ、この不可解な不安は。僕は何を見落としている?そう思えてならない。

「かっかっかっ、なぁに、下手の横好きなだけよ。どうしたものか、このままでは負けてしまう。じゃが、負けるのは好かんでな。そこでソロークよ、ワシはどうすべきじゃろうな?」

 間違いない、この鬼は僕を試して遊んでいる。最近思うのだけど、僕の周りの女性はなんで皆宝石のように美しくて、獅子のように逞しく獰猛なんだろうか。ハロもシャミーユも……ヤトリもさ。

 せっかく傾城のような美鬼に試されているんだ、その期待に見事応えて見せようじゃないか。

 不敵に笑い、僕はおもむろに……

「簡単な事です。僕なら、こうする!」

 将棋板の駒を勢い良く手で薙ぎ払った。

 板状はまっさらな状態で、勝ちも負けもなし。負けを打ち消す方法をいくらでも試せば良い。戦場で大切なのは、勝つ事よりも負けない事だ。不利な戦況でも生き残る。僕は仲間を死なせない。それが僕の最低限のルールだ。

「で、あるか……なるほどのぉ、まこと面白い。面白いのぉ、ソロークとやら」

 どうやら僕は鬼の目に適ったらしい。下手な手を打ったらきっと、僕の頭は畳から鬼を見上げていたに違いない。

 ふぅ、とりあえず窮地を脱したと内心安堵していたのだけど、それは一時のものだった。

「まったく、ワシはよくよく天運に恵まれているらしいのぉ。こんなにも面白い輩がワシの元に集うとは思わなんだ」

 機嫌良く笑い、煙管を指で遊ばせながら立ち上がって、マントを翻しながら鬼が僕に穏やかな視線を向けて言い放った。

「気に入った。ソローク、ワシはおんしが気に入ったぞ!今からおんしは我が軍の軍師じゃ!その智謀、存分に振るうが良い!」

 

 

 

 ご城代の話を聞き終え、場が静まり返る。数右衛門さんでさえ一言も喋ろうとしない。

「これが、この世界の存在理由じゃ」

 理解が追いつかない。いや、理解は出来るが、あまりにも夢物語過ぎて……けれど、一つだけ信じられる物がある。ご城代は決してこんな嘘をつかない。それだけは信じられる。

「そんな、じゃあもしかして俺達のようにこの世界に別な時代、別な世界の人達がいるかもしれないって事ですか?」

「黒衣の男の言う事が真ならば。じゃが、あの男は狂言は言うが嘘は言うておらぬようじゃった」

 なんだよ、それ?なんでご城代や俺がそんな……

「すまぬな、直刃。私の所為で」

「違うじゃないですか!ご城代の所為なんかじゃない!」

「しかしの、私があの男に恩があるのも事実。それを返さねばなるまいて」

「そんな……安兵衛さん!安兵衛さんは良いんですか!?」

 諦めたように笑うご城代の代わりに、俺は安兵衛さんに助けを求める。安兵衛さんならご城代を止めてくれると、江戸からご城代に抗議をしにきた時のようにと。でも、俺の縋るような希望を安兵衛さんは振り払った。

「すまない、俺もご城代と同じでな。あの男に恩があるのだ」

「安兵衛さんまで……」

 二人が感じている恩が何かは俺には知る由もない。話している最中に尋ねてみたけれど、頑なに答えようとしてくれなかったから。だから、俺には話せない事なのだろう。それに、ご城代がやろうとしている事は悪い事ではない。だけど、ご城代を……俺達赤穂浪士を体の良い道具にしようとしているのが気に食わない。

「安心せい直刃、何もただで利用されようとは思っておらぬ」

 歯噛みする俺に、ご城代が意地の悪い無邪気な笑みを浮かべる。それは、ご城代がただで起き上がらない時の顔そのものだった。

「ご城代、じゃあ!」

「あったりめぇだろ直刃。目の前にいるお方を誰と心得てんだよ。俺達の道標、大石内蔵助、だぜ?」

「まったくだ。幕末で俺達が踊らされただけだったとでも思っているのか?」

 そうだ、ご城代は一魅の策謀を逆手にとって、俺達を勝利に導いた凄い人なんだ。俺が信じないでどうすんだ。

「じゃあ、これからどうするんですか?」

「そうさのぉ~、まずは今川ヨシモト様の軍勢に参列させて頂こうかの」

「え、武田シンゲンか徳川イエヤスではなくですか?」

 ご城代ならこの二人の武将のどちらかにつくと思っていた。なぜなら、ご城代は山鹿流兵法を学んでいる。山鹿流兵法は孫子の兵法や、信長、信玄の戦い方を組み込んだ兵法。だからこそ、ご城代は徳川への忠義か、武田シンゲンの弟子としてどちらかの下に向かうと思ったのに。

「直刃、様をつけるんだ。俺達にとって、かの武将は雲の上のお人なのだ」

 安兵衛さんに注意されても、実際俺は現代人なわけで、そういう感覚は正直湧かないんだけどなぁ。

「直刃の申す事は最もじゃが、ちと理由があっての。それについては後々教えるでな。それよりも……」

 さっきまでのシリアスな雰囲気から一転、ご城代は小さくなって俺に向かって飛びついてきた。

「す~ぐは~!」

 解説しよう!ご城代は大人形態と子供形態の二つに変身する事が可能なのだ!ロリとアダルト二度美味しい!

「うわっ、ご城代!」

 俺の胸に飛び込んできて、顔を埋めてしきりにこすり付けてくる。

「ご城代!抜け駆けはせぬようにと申していたではないですか!」

「な~にが抜け駆けはせぬように、じゃ!最初に抜け駆けして腕を組んでおったのは安兵衛ではないか!」

「そ、それはつい気持ちが……」

「直刃~、す~ぐは~」

「あは、あはは……さっきまでの陰鬱な雰囲気仕事しろよ」

 兎にも角にも、俺達は今川ヨシモトの居城『駿府の館』へと向かう事となった。多分。

「おう、直刃!酒飲めるようになってんだろ?俺様に付き合えや」

「ほう、そうなのか直刃?なら私と夫婦らしく酌を交わそうではないか!」

「酌なら俺がします!夫の酌をするのは妻の役目ですから!」

「酒も呑めぬくせに酌など百年早いわ!」

「呑めぬからこそ夫に寄り添えるのです!」

「ぬぬぬ、ならば今宵は私と床に入るのじゃ直刃!」

「それなら俺は風呂を共に!直刃!」

 数年振りの再会なのに、全然そんな気がしない。だからこそ俺は確信する。この先何があろうと、俺達は大丈夫なのだと。ご城代が道を示し、俺が踏み外さなければきっと……

「じゃあ私は今直刃を貰うわ!」

「いくらご城代でもそれは許せません!」

「すみません、綺麗に締めさせて下さい」

 

 

 

「なん、だと……こんな……」

「魔王様!」

 ユニシロで全身をコーディネートした平凡を絵に掻いたような男、真奥貞夫と、顔面蒼白で地に膝を着ける彼を支えるように寄り添う長身の痩せ型の男、芦屋四郎。その二人の実態は魔界を支配する魔王とその側近で、地球では善良なフリーターと有能な主夫だ。そんな二人はかつてない事態に血反吐を吐いていた。

「魔王様、気を確かに!」

 上田領内、人通りの少ない田んぼに囲まれた道に彼等はいた。

「芦屋、俺は……どうやらここまでのようだ……」

「なにを仰るのですか!この芦屋がいる限り、魔王様を決して一人になどしません!果てるのなら私も共に果てます!」

 かつてない窮地に彼等は絶望を感じ取っていた。目の前にあるのは行けども行けども暗闇のみ。羽ばたく翼は折れ、道を切り開く牙は抜け落ちていた。なんて無残な有様。かつての栄光は廃れてしまっている。

 魔王には果たすべき野望があり、芦屋はその野望を共に歩む事が至上の喜びとし、これまで幾度の困難を乗り越え生きてきた。それがどんなに強大な壁でも打ち壊してきたのだ。しかし、今目の前に聳え立つ壁はあまりに大きく、硬く、何者も寄せ付けない。その強大な壁を前に、ついに魔王は膝を屈したのだ。

「芦屋、あとはたの……む……」

「魔王様?まお、う……魔王様ああああぁぁぁッ!!」

 力なく倒れ伏す魔王の身体を抱きとめ、芦屋は天に吼える。このような悲劇が許されてなるものかと、神を断罪する叫びそのものだった。

「……いい加減諦めなさいよ。ちーちゃんがいるんだし、シフトは回せるわよ」

 そんな二人の本音の茶番に冷めた目と声で割り込む声。魔王を仇敵としてこの間まで憎んでいた遊佐恵美。父親の敵である魔王を追い、地球までやってきた勇者で、地球ではドコデモのコールセンターで働いていた。だが、父親が生きていて、自分を理解してくれる魔王に最近は心を開き始め、とある事件でコールセンターをクビになった後、マグドナルド幡ヶ谷駅前店にて真奥の同僚として働いている。

「おまっ、なんでそんな冷静なんだよ!」

「冷静も何も、貴方達の取り乱しっぷりを見たら誰でもこうなるわよ」

「ふっ、さすが血も涙もない勇者だな遊佐。いいか?魔王様は正社員登用試験で落ちた傷も癒えておらんのだぞ?そんな時に、何者かの手によって見知らぬ異世界へと召喚されたのだ。魔王様の悲しみがいかほどの物か貴様にはわかるまい!」

「わかりたくないわよそんな小さい傷なんて」

「小さくなんかねぇ!おま、すぐに帰れるなら良いが、帰れなかったらどうすんだ!俺は明日、朝一からのシフトなんだぞ!」

「あ~、何を取り乱しているかと思えばそんな事ね」

「そんな事って、恵美お前な!お前だって無断欠勤が続いたらどうなるかその身を持って知ってんだろうが!」

 きっと、真奥にはクビ宣告は神々の戦争であるラグナロクに匹敵するのだろう。社会人ならほぼ全員が真奥と同じ気持ちを共有するはずだ。

「そうだぞ遊佐!それに我が家の冷蔵庫にはタイムセールで買った卵があるのだ!腐らせるなど、私のプライドが許さん!」

「悪魔大元帥のプライドの安さに涙が出そうだわ。こんな奴を必死に殺そうとしてた自分が情けなくて仕方ないわ」

「ふん!放っとけ芦屋!生活に苦しんだ俺達の気持ちなんて恵美にはわかんねぇんだからよ」

「そうですね。遊佐、貴様はいずれ一円に泣くことになると断言してやる」

「現代社会でそんなこと早々ないわよ」

 一円を笑う者は一円に泣くとよく言うが、確かに恵美の言う通り、現代社会で一円に泣く者はほぼ皆無である。

 取り乱す二人とは逆に、あまりに冷静な恵美に真奥は疑問を抱いた。無断欠勤という大罪を前に、自分とは違い一切取り乱さない。一度それが理由でクビになった恵美がその心配をしないのはおかしいと。

 その疑問を問い掛けるよりも早く、深い、深い溜息を吐いて恵美は黙って持っていたスマホを取り出して、画面を真奥の目の前に突き出した。

「お前、これ……」

「気付いた?」

「アラスラムスの寝顔じゃねぇか!この壁紙俺にも送ってくれ!今すぐに!」

 アラスラムス、イエソドの樹の宝珠であり、真奥と恵美の娘としてすくすく育っている。恵美の聖剣ベター・ハーフと同化し、恵美の体内と同化している状態で、恵美と一定の距離を離れると元に戻ってしまう。普段は表に子供として具現化することはないが、許可が下りたときだけ外に出て、パパとママと遊ぶ。

 そんなアラスラムスは今は恵美の中でお昼寝中。

「嫌よ、これは私だけの壁紙なんだから!じゃなくて、良く見なさいよ。もっと他に気付く事があるでしょ?」

「あん?他に気付く事なんて……」

 アラスラムスの可愛い寝顔以外どうでも良いと親馬鹿発言をしようとしたが、その言葉を途中で引っ込めて、スマホをじっと見つめる。

「魔王様?」

「芦屋、恵美が冷静なのも頷けるぜ。というか俺達にとっちゃ朗報だ」

「それは?」

「どういうカラクリかはわからんが、見ろ。時計が動いていない、一秒もな」

 燦々と輝く太陽は徐々に位置を変えているし、電子時計を見なければ気付かなかったかもしれない。なるほど、恵美が冷静なわけだと得心する。

「この世界……おそらくだが時間が止まってるみたいだぜ?」



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それぞれの主

戦国乙女に関してですが、原作のキャラクターで書いておりますのでご容赦下さい。


 明智ミツヒデ……一般には本能寺の変の首謀者で知られる偉人だけれど、僕個人が調べた彼は、織田信長を敬い、その理想と生き様に忠誠を誓う清廉な人という印象が強い。なぜ彼が謀反を起こしたのか、未だに不明な部分があまりに多い。信長が彼の意見に対し辛辣な仕打ちをしていた等の説があるが、信長は光秀を心から家臣として信頼していた。そんな光秀に信長が理不尽を働くのか?また、光秀は信長を討つなんてことをするか?現代人の僕には当時の事は何一つわからないけれど、二人がいがみ合っていたとは到底思えないんだ。

「で、その話は長くなる?」

「細かく説明すると国語辞典くらいの長さだよ」

「そんなだから渚は彼女が出来ないんだって。どうせ、将来の生徒の為に?知識はあればあるだけ良いとか、殺センセみたいになろうとか考えて、無理矢理小さい頭に詰め込んだんだろうけどさ」

「どんな小さな事でも調べて知識にする事は重要だよ。生徒に聞かれた事の多くを知識から教えてあげられるからね。まあ、僕みたいな普通の頭じゃ、先生みたいにはなれないけどね」

「渚ならなれるよ」

「そうかな?そうだと良いんだけど」

「なれるって。だってさ……」

 業は後ろにいる僕……というか、更にその先を見て笑いながら口を開いた。

「普通の人間は城に潜り込むなんて出来るわけないじゃん?」

「言い出したのはカルマだけどね」

 現在、僕達はカルマの悪癖に付き合う形で明智ミツヒデが守る坂本城に潜入中。坂本城は東側が琵琶湖に面してして、西側が比叡山という天然の要塞となっていて、こうして琵琶湖から潜入するのが手っ取り早いのだけど、戦となるとこんなに簡単には潜入出来なかっただろうな。

「だって生ミツヒデに会えるとかヤバくない?」

「カルマの中でミツヒデが完璧にアイドル化してるよね」

 僕達と追いかけっこをしていた鬼さんにちょっと尋ねてわかった事は、どうやらこの世界はどうにも僕等の知っている戦国時代じゃないらしい。僕もカルマも最初からこの世界が異世界じゃないか?という推測は出来ていた。殺先生がいたという証である月は、破壊された跡もなく綺麗な形をしていたから、僕達はもしかしたらと現実離れした推測を立てていた。

「まあ、アイドルってのはあながち間違いじゃないだろうね。なんせ、俺等の知ってる明智光秀は男だし」

 そう、どうやらこの世界の数多の武将はほぼ全員女性らしい。その臣下の人もほとんど女性っぽかったし。なにより、驚くべき事にこの世界の武将のほとんどが天下を夢見て戦をしているらしいんだ。本来なら、明智光秀は織田信長の家臣であるはずなのに、なにがなにやら僕には予想も出来ない世界。

「ていうかさ、カルマ気付いてたでしょ?」

「何を?」

「ここが坂本城だって」

「それは渚もじゃね?」

 そりゃあ、それなりに歴史を学んでいれば誰でも気づくよね。琵琶湖と比叡山っていう自然の要塞の中に聳え立つお城なんて、坂本城しかないし。しかも現代に坂本城は存在していない。となれば、ある程度の時代背景も見えてくるわけで、だからこそそれ以外の情報が欲しくて、追手にある程度の基礎知識を教授していただいたんだけど。

 天井裏をゴキブリのように這っていると、僕の前を行く不意にカルマが止まって下を指さす。どうやら、ここから下に降りようという事らしい。それに頷いて、僕達は下に音を立てないように着地。ここからは気配を消しながら進むことになる。とりあえず、一つずつ襖の中を探っていこう。

 ああ、なんだか懐かしいな。昔も似たような事をしていたっけと苦笑すると、カルマも僕と同じ事を思い出しているのか、穏やかに笑みを浮かべている。

 そうだよね、僕等は何一つとして忘れてなんていない。あの鷹岡先生の事件の時の潜入時の事が克明に思い出せる。そういえば、あの時カルマは語尾に「~~ぬ」を付ける殺し屋の人に、なんとも酷い仕打ちを嬉々としてやっていたっけ……なんて笑っていると、カルマにしては珍しく驚いた顔をして立ち止まった。

 どうしたの?と目で聞くと、苦笑しながら小さな襖の隙間を指差す。

 それに倣って中を覗くと、僕も寸分違わずカルマと同じ顔になってしまった。

(千葉君と速水さん!?)

(みたいだねぇ~。てか、なんで捕まってんの?だっせぇ~)

 大広間と言うほど広くはない室内には、何人かの兵と縄で縛られて座らされている二人。状況を鑑みるに、二人も僕等の近くに漂着?して、追手の人に捕まったらしい。そんな二人をカルマは揶揄(からか)うネタが出来たと、時計の止まったスマホで撮影していた。

 千葉君と速水さんもこの世界にいるって事は、もしかしたら暗殺教室の級友はみんなこの世界に来ているのかな?それとも、何か条件でもあるのだろうか?

(どうしよう、早く助けなきゃ!)

(え~、俺等のクラスきってのベストカップルのこんな美味しいシーン、すぐに助けちゃもったいないって)

(ネタ集めしてる時間のほうがもったいないよ!)

 さすが、茅野さんが触手に侵されていた時、その暴走を止めるために彼女にディープキスをしてしまった僕を、その身を賭して撮影した猛者の内の一人だ。未だにあの写真消してくれないし。

 とにかく早く助け出さないと。僕一人じゃ無理だけれど、僕とカルマならやってやれない事はない。

(もう撮影は満足した?)

(ん~、もうちょっとピンチになるのを待ちたいかな)

(……じゃ、襖開けたら速攻ね。僕が右側の人達を相手にするから)

(もぉ、せっかちだなぁ渚は。それよりも気になってる事があるんだけど、それを確認したほうが良くない?)

(なに?あまり時間をかけても……)

(捕虜と兵はわかるけどさぁ、そんな状況で、ここの当主が部屋の中にいないのっておかしくね?)

 見落とし、というにはあまりにも致命的だった。なぜなら、僕等の背後から尋常じゃない殺気が立っていたのだから。それはまるで殺意の塊に思える密度で、これまでに相対してきたどんな殺し屋よりも濃密な死の臭いが僕達を包んでいく。

 咄嗟に襖を開ける余裕もなく、僕達は前に飛んで転がりながら襖を弾き飛ばした。

「なるほど、良い判断だ。存外鈍間ではないらしい」

 心臓が早鐘のように鳴る。こちらから仕掛けるなら冷静でいられるのに……まさか、僕達がこうも容易く背後を取られるなんて。只者じゃない、相対するだけで漂う異常な死の気配を纏うなんて……まるであの死神のようだ。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 背後を振り向くと、その気配を放つ女性は顔色一つ変えず、掛けた眼鏡を押し上げながら僕等を値踏みするように眺める。

「渚!?カルマ!?」

 突然飛び込んできた僕等に、普段は大人しい二人が驚愕の声を上げる。

「やあ、元気そうだね二人共」

「ええ。それよりも渚あなた……驚くほど背が伸びていないのね」

「驚いたのそこなの!?」

 二人は助けなくても平気だったかもしれない。こんな時に冗談を言える余裕があるなんて。冗談じゃないかもしれないけど。

「ほお、そこの二人の顔見知りらしいな」

「ああ、俺の下……仲間だよ」

「おい、今下僕って言おうとしただろ」

 千葉君がすかさず突っ込みを入れてくれる。一応下僕と言い切らないくらいには大人になっているんだけどね。

「で、俺の仲間を捕まえてどうするつもりだったの?豪勢な宴でも開いてくれるようには見えないんだけど。てかおたく誰?」

「名を聞く前に、まずは自分が名乗るべきではないか?」

「あっれぇ、礼儀とか宣う余裕があんの?てことはあんた二流だぁ」

 お得意の挑発をしながら、いつの間に持ってきていたのか、得体の知れない相手に小さな石を放つ。と同時にカルマは相手の懐に飛び込もうと姿勢を低くした――

「ならば、二流の私に二度も背後を取られる貴様は、果たして何流だろうか?」

 が、カルマが飛び込むよりも数段上の速さで、彼女は僕達の背後を取っていた。かろうじて見えたのはその淀みのない足運びだった。外から内へと足を付けることで音を消し、体幹がぶれることもない。その流れるような美しさに目を奪われてしまった。

「渚……」

「うん、カルマ」

 これは今現在の僕達の手に負える範疇にはないと判断し、揃って両手を上にあげる。せめて多少の備えがあればどうにでもなったんだけど。

「すみません、降参します。勝手にお城に入ったことも謝ります」

「あ~あ、無理ゲーじゃんこれ。せめて木の剣くらいは装備させて欲しかったな」

「なんでゲーム脳になってるのさ?」

「いやだって、多分ここじゃゲーム脳でいたほうが正解じゃないかな。ね、明智ミツヒデお姉さん?」

 自分を知らないはずの僕等に名前を呼ばれ、多少訝しむ明智さん。どうやら正解らしい。カルマが投石した瞬間、主が怪我をしないと確信していても、兵の体が一瞬硬直した。おそらく命があるまで動かないようにされていたんじゃないかな。でも、いざ主に危険が迫りそうになると兵の顔は強張った。つまり、彼女が明智ミツヒデの可能性は少なくはなかった。だけど、本当に明智ミツヒデなんだぁ~……うん、カルマの言う通りゲームの世界にいると考えてもいいかもしれない。少なくとも、僕の知る明智光秀は男だし、それに……

「私の名を当てるとは……どうやら多少の知恵は回るらしいな、異世界人」

 彼女のようにクナイなんて持って戦う武将じゃないもの。

 

 

 どうしてこうなったんだろう?

「直刃、負けてはならぬぞ」

「直刃~!あまり本気になるなよぉ!」

 刃引きした刀を手に、俺は駿府城の有名な試合場に立たされていて、そんな俺を物見遊山のような気軽さで、ご城代と数右衛門さんがお茶を飲みながら見ていて、そんな二人とは対照的に綺麗な姿勢で黙している安兵衛さん。そんな三人から少し離れたところには……

「あら、随分と期待されていらっしゃるのね」

 絶世の美貌を誇るかのような女性が一人。今更驚きはしないが、やっぱりかと思いもした。黒髪が美しく風にそよぐ彼女こそ、かの今川ヨシモトらしい。

 そもそも、普通に戦列に加えて欲しいなんて言っても信用はしないだろうとはご城代の言。ご城代曰く、今川ヨシモトという人物は政に長けているらしく、俺の知る蹴鞠ばかりしている呑気な人ではないようなのだ。内政で寄子寄親制度に重きを置き、家臣との結束を強めるだけでなく、それを実現するため、味方とする者を見定める目は常人よりも厳しいものだった。ただ、本人の性格もあって、見た目があまりに優れない者は受け入れなかったのだともいうが。

 その人柄も貴族の母親持つ為か、礼儀作法は美しく卒がない。だが規律に厳しいわけでもなく、実は人情に弱かったりと、高慢な言動とは裏腹にそういう優しさを持っている……との事なんだけどなぁ。

「あ、ああああ、あのえっと、お手柔らかにお願いします直刃さん!」

 相変わらず人見知りが激しいなこの子は。

 目の前に同じく刃引きした刀を持つ彼女、黛由紀恵。剣聖黛十一段の娘さんで、過去に何度か手合わせをしてもらった事がある。ちなみに、その手合わせの結果は俺の全敗だ。

 しかし、彼女もこの世界にいて、しかも今川ヨシモトに囲われていたのは運が良かった。たまたま町中で遭遇した俺達を今川ヨシモトと引き合わせてくれたのだから。なぜ黛さんが今川ヨシモトと共にいるのか聞いたら、野盗に襲われて仕方なく正当防衛をしてしまった場面を、偶然彼女に目撃されてしまい、黛さんの立ち居振る舞いと愛らしさが気に入って囲っている……と。う~ん、とんだ我侭武将だな。一々おほほほほと笑うのもなんか腹立つし。

 そんなこんなで今川ヨシモトの下で忠を尽くさせて欲しいと頭を下げた……これっぽっちも下げたくなかったけど!ご城代の方針に従って仕方なく下げただけだけど!

 すると、では貴方がたの実力がわたくしの家臣となるに相応しいかどうか、この目で確かめさせて頂けますか?と。そうして今の状況になるわけだけど、俺じゃなくても良かったんじゃないか?と思ったりもする。ただ、黛さんは極度の人見知りで、しかも仕合う相手が赤穂浪士となれば緊張で本来の実力は発揮出来ない。そういうわけで彼女と顔見知りの俺が抜擢されたわけだけど……安兵衛さん以外の二人が俺の勝ち負けを賭けているのはなんでだ。しかも数右衛門さんは俺が負けるほうに賭けてるし。そりゃ、全敗してるけどね!

 やんややんやと騒ぐ二人を安兵衛さんが窘める。

「二人共、お静かに」

「んだよ、こんなおもしれぇ見世物そうはねぇぜ?」

「それと賭博は別の話だ。大体、直刃が負けるほうに賭けるとはどういうことだ?」

「そうじゃそうじゃ!直刃が負けるわけがなかろう!」

「え~!あたしが負けに乗せなきゃ、賭けにならないってご城代が……」

 どこにいても変わらないなあの人達は。今川ヨシモトの御前では恭しくしていたのに、一度離れるとこれだ。

 一つため息を吐いて、気を取り直す。刀を火の位、上段に構えて相手を見据える。気を抜いて無事でいられる相手じゃない。しかも得物は竹刀ではなく、刃引きしているとはいえ刀だ。振るう者の力量次第では充分に斬れる代物。そして、その力量を確実に持つ者が目の前に立っている。

 中段に構えた彼女は、仕合となって初めてその本性が表に出てくる。清流のような淀みのない構えは隙がなく、どう斬りこもうと彼女にいなされる想像しか出来ない。

(やはり、凄まじいな。剣聖に自分を超える逸材と言わしめさせるだけはある)

 構えを取ってお互いの気力が高まり切った絶好のタイミングで、今川ヨシモトが合図の声を上げた。

「――始めッ!!」

 声と同時、先の先を取るため踏み込もうとした。

「せいッ!」

 が、俺の予想を大きく超えた剣先が俺の肩へと打ち込まれ、辛くもその剣先を鍔で受ける。

 俺の全力の初手より速いのかよッ!

 傍から見れば惚れ惚れとする剣線にほう……と溜息をついたかもしれない。

「……美しいですわぁ」

 うん、マジでぶん殴りたいあの武将。

 傍から見ていれば綺麗なものだが、受けているこっちからしたら綺麗なんてとんでもない。

「はッ!せいッ!」

 揺らがず走る刀は死神のそれだ。瞬き一つが生死を分ける。しかも一合一合が尋常じゃなく重い。過去に受けた中では、近藤勇クラスの力強さを持っていて、剣の美しさの中に野獣のような獰猛さも飼っている。

「おい直刃ぁ!少しは反撃しろやぁ!」

 軽く言わないで下さい!そんな暇があったらとっくにやってます!

「ご城代、あの娘相当な腕ですね」

「のようじゃな。驚くべき事にあの娘……巻き上げの警戒も怠っておらん」

 そう、俺が巻き上げを持っているなんて知らないはずなのに、巻き上げさせないように斬り合っている。剣聖に教わったのかよ、その隙のない心構えってのは!

 いくつか受けた後、ほんのちょっとの間が出来た。それは瞬きするかしないかの時間。しかし、俺達には致命的な時間。どんな達人もいつまでも刀を振るえるものじゃない。人間には体力の限界がどうしても付きまとう。不本意にも受けに回った俺よりも、幾度も刀を振るっていた彼女のほうが体力は消耗している。

 ここしかないと、骨まで届くかのような衝撃を受け続けた痺れの残る腕に活を入れ、今の俺に出せる最高の剣をと、逆袈裟に斬りつけようと踏み込んだ……

「――ッ!?」

 不意に悪寒が走り、咄嗟に俺は前に向かう体を無理矢理に捻る。

「疾ッ!」

 彼女の神速の刺突が首筋を撫でる。それだけで皮が斬られ血が流れた。

「クソッ!」

 捻った状態のまま横に転がりながら立ち上がる。あのままだったなら、突きから横薙ぎに斬られていた。危なかったと、内心汗が噴き出して止まらない。もしも着物であったなら、こんなアクロバティックな動きは出来なかった。運……だろうな。今俺が無事でいるのは運以外の何物でもない。

 お互い距離が空いて構えなおす。

 チッ、向こうは息一つ乱れていないっていうのに、俺は肩で息をしなければいけない始末。

「おほほほほほほほ!良いですわよ黛さん!そのような優男なぞ、とっちめておやりなさい!」

「……すみません、安兵衛さん。そこの武将を黙らせて下さい」

「直刃、一応あの方は今川ヨシモト様なのだぞ。出来るわけないだろう」

「一応とはなんです!処罰しますわよ!」

 庭で蹴鞠でもしてやがれ。

「直刃、もしも無理ならば私が代わっても良いのだぞ?」

 俺の様子を見て、ご城代が優しくも厳しい言葉を投げかけてくる。その言葉に俺はきつく歯を喰い縛った。

 わかっているんだ、ご城代も、安兵衛さんも数右衛門さんも。今の俺の心をみんなが見抜いている。知らないのは今川ヨシモトと黛さんの二人だけ。

「直刃、どうじゃ?」

 情けない。俺の心情を見抜かれて、挙句にご城代に情けの言葉を掛けられて……それを俺は、深見直刃は許せるのか?最愛に格好悪い姿を晒して、俺は許せるのかよッ!

 それだけは許してはならない。俺は赤穂藩藩士、深見直刃を名乗りたい、名乗っていたいんだろうがッ!ならば覚悟を決めろ!目の前にいるのは剣の申し子と言っても差し支えない存在だ。ならば、認識を改めろ。俺の目の前にいるのは新選組に勝るとも劣らない剣客だと。

「直刃、ならば俺が……」

「いえ、もう大丈夫です」

 片手で安兵衛さんを制し、息を整える。

 悠長なものだ俺も。ここは戦国時代で現代じゃない。ならば、それに相応しい振る舞いというものがある。

 沸々と湧き上がってくる鼓動。その久しい鼓動に自然と笑みが零れた。

「悪かったな、黛さん。謝るよ」

 安兵衛さんが教えてくれた言葉……『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行けばあとは極楽』

 ああ、そうだ。この斬り合いが愉しくて愉しくて、永遠に溺れていたいと思えるような……あの時の感覚を身体が思い出す。そうだ、これこそがあの時に得た……

「今から俺と斬り結ぼう」

 武士の鼓動だ。

 

 

 

 全身が総毛だった。過去に幾度か試合をさせて頂いた事がある直刃さんが、今は全くの別人……いいえ、怪物に思える。

 私の知っている彼は真っ直ぐに素直な剣を振るう人で、そこには彼の人柄である柔らかさがあった。人はそれを甘さだと言うかもしれないけれど、私はそんな彼の剣が嫌いではなかった。ただ、時折太刀に迷いがあるかのようなぶれがあり、その正体を察することが出来なかった。むしろ、そのおかげで私は負けなかったと言っても過言じゃない。

「悪かったな、黛さん。謝るよ」

 息を整え、私を見据える。いえ、視線で射貫く。

「今から俺と斬り結ぼう」

 凛とした殺気。知らない、私はこんな彼を、こんな刀のような殺気を持つ人なんて今までに相対したことなんて一度もない。

 義経さんと仕合った時でさえ、私は彼女を恐ろしいだなんて感じなかった。なぜなら、私も彼女も殺意を持って斬り結んだわけではないから。そこにはなかったんです、死という存在が。

「直刃、さん?」

 本当に目の前に立つのは私の知る深見直刃その人なのでしょうか?年の割に落ち着いていて、穏やかで実直な剣を振るう……そんな直刃さんとは別人が目の前に立っている。

 あ、れ?どうして?どこかで刀の小さな音がする。私達以外に刀なんて使っていないのに。

 音の発生源に目を向けると、それは私の刀から鳴っていた。刀が細かく震えてる?ううん、違う。そうじゃない。直刃さんの殺気に私が怯えているんだ。

 そんな私の様子を見て、直刃さんはおどけてみせた。

「そっか、そりゃそうだよな。現代じゃ命懸けじゃないもんな」

 何を、言って……直刃さんだってそれは同じはずじゃ……

「でも悪い、実は俺は経験してるんだ、死合ってやつをさ。何度もね」

 仕合じゃなく、きっと直刃さんは死合って言ったんだと直感で理解出来た。

「黛さん、君は確かに卓越した天才だ。認めるよ。あの沖田総司となんら遜色のない才能だ。認めるよ。けど、それでも俺は負けない。仕合と死合は違う。それを知らない君に俺は殺せない」

 何を当たり前のことを彼は言っているのだろう。殺し合う必要が、そんなどうしようもない心構えが必要だなんて……

「いいか?刀ってのは人を殺す為に作られた凶器だ。それはどこまでいっても変わらない真実で、刀を振るうなら刃に命を乗せないなんてあってはならない。それが最低限の礼儀だから。まずはそこを理解することだ」

 父に刀を持つにあたってまず教えられた真実と同じ意味の言葉を、直刃さんは嗜めるように口にしながら、刀を鞘に納めて腰を落とす。

「おいおい、まさか直刃のやつ……」

「ふっ、負けず嫌いは相も変わらずか」

「うむ、それでこそ私の愛する男じゃ」

 彼の構えに、共にいた人達がおかしそうに笑っている。なぜこの状況で笑えるのか私には理解出来ない。

 今までどの試合でも見せなかった彼の姿、本能が顔を覗かせる。

 彼の身体から立ち上る気迫……いえ、殺気に足が竦んでしまいそうで、それをなけなしの気力で強がってみせる。ここで逃げることは、剣士の端くれとして許されはしないのだから。

 ああ、これは駄目だと心の隅で叫ぶ声を押し留める。わかっている。今目の前にいる相手は物が違う。あの百代さんだってこんな研ぎ澄まされた殺気を持ち合わせてなんて……

「黛さん、降参してもよろしくてよ?」

「いいえ、心配無用です」

 物が違うとヨシモトさんにも見抜かれたようです。このままでは私が斬り伏せられると……でも、やっぱりヨシモトさんもこの時代の人なのでしょう。命を懸けた戦いに水を差すのは無粋と、無理に止めることはない。それを経験していないのはどうやら私だけで、この場にいる全員が経験して得ている心構え。

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行けばあとは極楽」

「その言葉……」

 昔、父が小さな私に良く口にしていた言葉……

「この言葉の意味を、今から体験させてあげよう」

 鯉口を切るのを目にした瞬間、濃密な何かが私を襲う。早鐘のように鼓動が脈打ち、絶対に抜かせてはいけないと、直刃さんが抜くよりも速く、これまでの何よりも速く――絶望的な焦燥感と共に、私は初めての死地に迂闊にも踏み込んでしまったのだった。

 

 

 

「役者が揃い始めたみたいだな」

「多少歪ではあるが、それもこんなにもまた美しく映るものだ。いやだからこそ美しいのだろうね。ああ、いや私の失策を忘却の彼方に置いてきたわけでは決してないのだがね」

「ほざけよ道化。こっちはお前のように俯瞰していられるほど暇じゃあない」

「いやはやこれは手厳しい。これでも舞台の幕を開ける準備に余念がないのだがね」

「恐慌劇(グランギニョル)を始めようとしていなければそれで構わない」

「私の信用も堕ちたものだ。億の渇望を形にすれば、辿る道は違えど結末は変わりはしない。故に美しいのだよ人というものは」

「戦争をしたければ好きにしろ。だが、その時にお前の首があればの話だ。それよりも……」

「あん?なんか俺に用かよ」

「ああ、そうだ。ここからはお前が舵を取れ。こっちは手が空きそうにないんでな」

「出たよ、俺ぁブラックに就職したつもりなんざねぇんだけど。残業代はきっちり出るんだろうな?」

「黙れ馬鹿。残業代が欲しいなら、その前に俺への利子を返してから言えよ」

「カビの生えた話をすんじゃねぇよ。お前、部下に過去の栄光とか語って?そんで陰口叩かれるタイプだわ」

「お前が上司なら会社は自己破産に追い込まれるだろうが。そうならないようにしてやっている俺の苦労を察しろよ」

「へいへい、そんじゃあお前等が重役出勤出来る位には働くとすっかな。あ、ボーナスは忘れんなよ?」

「黙れ不能……」

「イケメンな俺様にんなもんはハンデにもならねぇよ」

「はてさて、私は少しの間仮眠を取ることにするよ。終幕に間に合わないようではわが女神に顔向けできないのでね。花束の一つも用意する余裕は残しておきたいのだよ」

「一生目覚めなくても一向に構わないがな……。さあ、幕が上がるぞ主人公達。これから主人公のなんたるかを俺が教えてやるよ」



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騎士団三人

 美しい桃色の髪を風に靡かせ、寒気がするほどに穢れのない瞳を彼女は星々へと向けている。常人には見えない何かを映し出す瞳は、心なしか頼りなさげに揺れているようだ。

 後に戦国の世を生き残り、天下泰平を築く者。徳川イエヤスである。

 彼女は邪馬台国の姫であり、天照大神とも呼ばれる卑弥呼の生まれ変わりであり、星詠みに長けているのだが、その潜在能力の一端をも彼女はまだ引き出せてはいない。今の彼女に出来るのは、この先の時代の揺れ動きを見ることだけ。それでも十二分に驚異的な能力ではあるが、卑弥呼の能力が覚醒することが起こり得るならば、神をも凌駕する魔力を有するであろう。

「……やはり、もう時間はないのですね」

 誰にともなく呟いて、彼女は星から一時も目を離さずに背後に傅(かしず)く者達へと、穏やかに声を掛ける。

「申し訳ありませんが、どなたか文を書くので手を貸しては頂けませんか?」

「はっ、恐れながらわたくしが」

「……えっと、その……あまり畏まらなくても」

 神を崇め奉るかのような各々の態度に、彼女は困惑してしまう。なぜ彼女達がこんなにまで自分を崇拝するのか、まったく理由がわからなかった。

「いえ、わたくし達は徳川家の刀。イエヤス様の為ならば、この些末な命、いつでも捧げる覚悟が出来ております」

「と言われましても……」

 面を上げてくださいとイエヤスが言っても、頑として面を上げてはくれない面々にため息を吐く。

 仕方ないと彼女等の態度を変えることを諦め、早急に取り掛からなければならない事に集中することに。

「早く皆に伝えねばなりませんね……覇道を歩む者達が来訪すると」

 なぜこの時代、この世界にそのような者達が現れるのか……昨日、突如としてイエヤスの手の内に現れた桜色の宝玉。それと関係があるのかもしれない。何より、宝玉が現れると時を同じくして現れた、もう一つの異変。関連がないとは思えなかった。

 宝玉が現れてすぐの事、大広間に宝玉とは別の異変があった。

 浅葱色の羽織を身に纏い、炯々たる光を双眸に宿した四人。その四人が静かに何もない空間から舞い降りてきたのだ。

 彼女等はイエヤスを眼にすると、すぐさま膝をついて頭を垂れ、勝手な御前の拝借に謝罪したのだった。イエヤスとしては、どのような事態なのか知ることもないのに、切腹までしそうな彼女等……目下の悩みの種の一つである。なんとか切腹を止めると、今度は忠義を尽くさせて欲しいと申され、渋々ながらも彼女等を傍に置くことに。

 だが、イエヤスは今宵の星詠みにより、傍に彼女等を置くことは間違いではなかったと確信する。

 背後を振り向いて、傅く女性達に声を掛ける。

「では、近藤さん。早急に皆に文を届けますので、ついて来て下さい」

「はっ」

 新選組局長、近藤勇は誇らしげに応え、イエヤスの命に覇気を宿した返事をする。

 そんな彼女に苦笑して、彼女はもう一度星々へと目を向けた。

「それと、土方さん、沖田さん、斎藤さん……今より少し後に何者かの襲撃があります。それで、大変厚かましいのですが、現在私について来てくれる兵達だけでは、その……彼女達の命を無駄に散らせてしまうでしょう。それもこれも、不甲斐ない将である私の責任なのですが……」

「何をおっしゃります!イエヤス様に責などありはしません!貴方様の為なら兵達も喜んでその命を」

 近藤の言葉を、イエヤスはその肩にそっと手を置くことで遮った。彼女の言葉は主としてとても誇らしいものではあるが、同時に心を切り裂く刃でもあった。

「散って喜べる命などどこにもありません。近藤さん、貴方の忠義は嬉しいですが、私は皆の命を無駄に散らせたくはないのです。この乱世で世迷言と笑われる事でしょう。ですが、命を粗末にするなど、ましてや私の為に散らすなどあってはならないのです」

 一人の武将として、彼女の考えは甘えた考えだろう。だが、その慈しみに溢れた言葉に近藤は反論など出来はしなかった。なぜなら、それが本心からの言葉であると理解出来てしまったから。もし叶うならば、生きている間に彼女に仕えたかったと、目頭が熱くなる思いだった。

「申し訳、ありません」

「いえ、それでですね、貴方達の手を貸して欲しいのです。私を信じてくれる民の為、どうかそのお力で民をお守り頂けませんか?あ、命令ではないので断って」

「我ら新選組、喜んで徳川イエヤス様の刀となりましょう!」

「早いです!?」

 悩む時間すら惜しいというような返答に、イエヤスは二度目の溜息。

 この先に待つ戦と、彼女達の意味不明な厚い忠義、その二つの板挟みの中小さく彼女は『助けて下さい、お姉さま』と、今は近くにいない今川ヨシモトへと救いを求める。

 これが、この世界への最初の来訪者、近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一と、徳川イエヤスとの邂逅であった。

 

 

 

「え?なにこれ?ちょっと思考回路ショート寸前とか歌っちゃいそうなんだけど」

 銀髪の天然パーマは寝癖かどうかの判断が出来ず、死んだ魚の目は寝起きの所為かも判断に困る、その風貌からしてやる気を根こそぎ落としたような男が、一振りの刀を手に呆然と立ち尽くしていた。

 目の前には数千の兵が声を高らかに上げて目の前の敵に斬りかかり、飛び交う砲弾と弓矢に苦悶の声を上げ、ドミノのように倒れていく。それは正に合戦の真っただ中であり、それ故に男の存在は場違いの雰囲気をこれでもかと醸し出していた。端的に言えば目立ってしょうがない。

 この世界名物、武田シンゲンと上杉ケンシンの犬も食わぬ喧嘩である。事ある毎に喧嘩をするため、あ~はいはい、いつものいつものと、他の武将達からは放置されているほどに、毎度行われる合戦だ。

 男は起き抜けのような顔でなぜこうなったかの経緯を順繰り思い出す。

(あ~、なんか起きたらいきなりどっかの陣内にいたんだよな確か)

 無一文で見ず知らずの世界に放り出された彼は、運良く気前の良い大将の世話になった。確か名前は武田シンゲンと言ったような気もすると、全く信じていない情報。なぜなら、彼の知る武田信玄は男であって女では決してないのだから、信じないのも仕方ない。

 戦の最中、彼を世話してくれた彼女のなんと豪気な事か。見も知らぬ他人を多少警戒するに留めて、貴重な兵糧を与えてくれるなど、普通の武将なら有り得ない。

(そんで、なんだっけ?しこたま酒を呑まされて……ああ?なんか言ってたような気もするな。飲み比べに負けたらなんとかかんとか。あれだ、俺の為に酒池肉林を味合わせてやるとか、ハーレム王に君はなれとか、そんなイチゴ牛乳を和三盆で固めたような事を言っていたな。うん。そんな気がする)

 などと妄想の類は置いておいて、真実は異なる。彼女は彼が負けたら、明日の戦に手を貸せと言っただけである。その段階ですでに記憶もあやふやなほどに酔っていた彼に、女子(おなご)に負けるのが怖い臆病者か?と挑発されてその誘いに乗り、彼はそのまま夢の中。彼女はその様子を満足気に見下ろして笑っていたのだ。そもそもシンゲンは彼を一目見た段階で、歴戦の猛者であることは察しがついており、尚且つ異世界からの訪問者が多数現れているという情報も得ていた。そして、数多くの勢力が彼らの能力を欲して動いていることも。それは一重に卑弥呼の生まれ変わりである徳川イエヤスの星詠みで、異世界から来た彼等の存在の重要性が語られた為だ。彼女の星詠みが的を射ないことなど今までなかったのだ。ならばこそ、彼女が口にした『覇道を歩む者達』という言葉は無視出来るものではない。

 各武将はその彼女の言に重きを置いて、我先にと異世界からの来訪者を探していたのだ。全ては民が苦しむ事のない国を自分の手で勝ち取る為に。

 そんな彼女の意思を汲み取ろうともせず、鼻を穿って股を掻くこの男を人は、戦わない天パはただの高木〇ーと呼ぶ。

 そうしてしばらく戦場を眺めていると、合戦の中心で一際派手に兵が飛んでいる。いや、物理的に放物線を描いて飛ばされている。その原因は言わずもがな、彼が営む万事屋の看板クラッシャー、鼻くそ姫、ゲロくそ姫、他にも多数のヒロインらしからぬ二つ名を恥じることなく持つ女の子。神楽というエセチャイナ娘だ。

「おら、おめぇら!姉御の道に転がってんじゃねぇぞごらぁ!げははは!」

 嬉々として媚び諂う声が戦場に響く。権力に従順な少女は、少女らしくない価値観と振る舞いと暴力で、シンゲンの進む道にいる石ころを蹴飛ばしていく。

 あまりに順応力が高過ぎる神楽を、公園の砂場で遊ぶ我が子を見るような目で眺めながら、彼は隣の存在に声をかける。

「おいおい、ぱっつぁん。誰もこんなファンタジーに飛び込みたいなんて頼んでねぇんだけど。どちらかといえば、いちご百パーとか?とらぶりたいんだけど。つうかもうこういうの飽きてんだよ民衆はよ!延々と人に愛される伝統芸能と違って、俺達は吹けば飛ぶような紙芝居なんだよ。もう絶滅した紙芝居おじさんなんだよ。こういうのは俺等に求められてねぇって気づこうぜマジで。こんなファンタジーはワンピとかに任せときゃ良いじゃねぇか!そうだろ、ぱっつぁん?」

「いえ、あの……それよりもっと他に言う事ないですか?」

「ねえよ、俺の中にはもう何も残ってねぇよ。最近のマスコミみてぇに、大したことでもねぇ細かいことを、面倒臭ぇメンヘラみてぇに捏ね繰り回さねぇっつうの。特にあれな、すも」

「はいアウトーーーーッ!今言おうとしたやつ、今現在一番口にしたら危ないやつッ!あんたはプロローグから退場する気ですか!?」

「あん?ぱっつぁん、まだわかってねぇのかよ。映画はな、始まってすぐの予告がクライマックスなんだよ。本編より面白く見せるあの本気度合いに大人は感動して、あとは全てエピローグだ。本編なんて初めから存在してねぇんだよ。予告に喰われて、そんなでもなかったわぁとか言われるわけだ」

「起承転結を勉強し直して来て下さい!実写化されたばかりなのに、確実に映画業界を敵に回してどう……じゃない。そうじゃありません銀さん。あるでしょ、他にほら」

 隣でやたら何かをアピールする眼鏡こと志村新八は、雇い主の坂田銀時に早く気づけと催促をする。

「…………ああ、そういえばぱっつぁん」

「そうです、やっと気づいて」「フレーム曲がってんじゃねぇか、お前の息子みたいにアウトロー一直線なレベルで」「なんでだぁーーーーーーーーーーー!!!!」

 あまりの仕打ちに彼は身悶え……いや、レンズ悶えする。

「そうじゃなくて、僕これだけなんですけど!僕の息子どこにもいないどころか、親すらいないでしょうがッ!」

 そう、傍から見れば銀時と宙に浮く眼鏡が会話をしているという、世界不思議探検でも探検出来ない不思議がそこにはあった。

「何言ってんだ新八。お前の息子ならここにちゃんといるじゃねぇか。これが息子達の家で、こいつが息子達が渡る天橋立だろ」

「それ鼻当てとフレームッ!!全世界の眼鏡男子に謝罪会見しろおおぉぉぉッ!!」

「うるせぇな。もう良いじゃねぇかお前はそれで。世界的に需要あるよその姿。シャープな線が大人の色気漂わしてるもん」

「んなわけあるかッ!これで喜ぶのは仕事量が減る僕等の神のあのゴリラだけ!」

 そんな二人のやり取りにすぐ隣から息を吐く何者かがいた。黒の隊服に帯刀、帯マヨをしているその人物は、煙草に火を点けて深く息を吐いていた。

「お前等、本当にこの状況分かってんのか?」

「それこそ俺はおたくに言いたいね。大丈夫なのトッシー?この時代にマヨネーズなんてねぇけど、禁断症状で死ぬんじゃねぇの」

「うるせぇ、なければ作りゃあいいんだよ。クック先生舐めんなよ」

「すでに予習済みなんですか」

「それよりもだ、こんなとこで足止め食らってる余裕ねぇだろ。一刻も早く元の世界に戻る方法を探すべきじゃねぇか」

 元の世界か……と、今は遠い故郷の風景を思い出していく。

 ダークマター製造機に、ドМストーカーに、酒癖クソ太夫……その他の害を多大に及ぼすアホ共全てが走馬灯のように流れていき……

「いや、探さなくていいだろ。つうかむしろこっちのが平和だわ、うん」

「ちょっと!何を血迷ってるんですか!」

「いや、だってよぉ、お前だって道場の再建とか設定なくなってるようなもんだし?戻ったところでお通ちゃんにナニを通せるわけでもねぇ。ならいっそこっちでナニを通せる相手を見つけた方が幸せじゃねぇか」

「通すモノが残ってないんですよッ!このままじゃあ、志村家が途絶えますから!」

「まあ、そうなる可能性が高いかもなぁ……お妙の唯一の希望のゴリラがあの様子じゃあな」

 二人が戦場にもう一度目を向けると、土方は口元を引くつかせて煙草を踏み潰す。

 二人の視線の先では、槍を自由自在に操るセクシーな女性の隣で、彼女を守るように刀を振るう猿人ことゴリラがいた。

「お前等ぁーーーー!ケンシン様には指一本触れさせんぞぉッ!!」

 なぜだろうか、いつもの職務中よりも真剣な模様。まるで志村妙をストーカーしている最中の本気モードのようだ。

「なに、どうしたのあれ?ていうか、この世界には徳川だっていんだろおい。お前等真選組じゃねぇの?なのになんで上杉の下にいんだよ。将ちゃんへの裏切りだよなぁこれ」

「そういえばそうですよね。歴史上、新選組は尊皇派ですから、徳川の刀となって戦に加わっていたはずですし」

 正確には会津藩平容保公の部下という位置づけであり、その会津中将様がいかなる事があろうと、徳川幕府に忠義を尽くすという方針であったためという事情もある。

「なるほどなるほど~、へぇ~、ほぉ~。なに君達?徳川家康様がいらっしゃるのにぃ、上杉ケンシンの下についたのぉ?士道不覚語じゃねぇの?」

 にやけ顔で下から覗き込む銀時を、危うく土方は刀で斬りつけそうになり、渾身の忍耐でなんとかその殺意を抑え込む。

「うるせぇッ!んなことは俺だって近藤さんに忠告してんだよッ!だが、近藤さんがな……」

 土方がこちらの世界へ来た経緯について説明を始めると、銀時はへ~、ああうん、それな、あるある、マジないわぁ~と適当な相槌で聞き流し始め、新八に至っては表情がまるで読めないまま。それでも業火の中を我慢するジャンヌダルクのような気持ちで、土方はめげずに話を進めていく。

 どうやら、近藤がこの世界で目覚めた時、彼は全裸で道端に立ち尽くしていたらしく、それにぎょっとした浪人が近藤を切り捨てようとしたのだ。さすがの近藤も着る物も着ずの状況では何も出来ず、最後の瞬間お妙のドS笑顔とダークマターを瞼の裏に浮かべていたのだが、そんな絶体絶命を通りすがりの上杉ケンシンが助けたらしい。

「へぇ~、それで近藤さんは恩を感じて彼女の下に?」

「いや、そうじゃなくてな」

 助けられた近藤だが、彼は女性に見せるような恰好ではなく、普通なら女性は彼に近づこうとさえしないだろう。だが彼女は何を気に留めるでもなく、近藤の手を取り立たせ、「ふむ、怪我はないようだな」と一番に彼の心配をしたのだ。それだけでも近藤の心を揺さぶるには充分だったが、なぜ不埒を働いたかもしれない自分を助けたかを尋ねると……

『我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし……これが私の志なの。だから、あなたを救う事に大層な理由なんてないわ』

 と答えたのだそうだ。

「え、何それ?めちゃくちゃかっこいいじゃないですか」

「ああ、それを聞いたら俺も強くは言えなくてな」

「まさに理想の上司ですよ!……そこの給料未払いの大人にも見習ってもらいたいですね」

 上杉ケンシンのカリスマ性に感動する二人をよそに、銀時はげんなりした顔で口を開いた。

「何が理想の上司だ。どうせあれだろ?武士は食わねど高楊枝っつうか、部下も巻き込んで精進料理ばっか食わされてんじゃねぇの?いるんだよなぁ、そういう上司。自分の理想を押し付けて勝手に納得してよぉ。部下の言い分なんざ聞きもしねぇ。俺はやだね。三食イチゴオレ出さねぇとか、とんだブラック企業だ」

「あんたのブラック企業の基準おかしいよ」

「ああ、テメェみてぇな糖尿神にゃあわからんだろうな。脳がいちごで、血はおしるこじゃあ、まともな思考を求めるのは酷ってもんだ」

「純度百パーマヨネーズに言われたくねぇんだよ。テメェの食ってるもんなんざ、精進料理じゃねぇ。成人料理だろうが。成人病を撒き散らさねぇように、マントルに埋まって二度と出て来んな」

「マヨネーズはヘルシー調味料の最先端だごら」

「デザートは完全栄養食ですぅ!」

「だあッ!二人共こんな所で場違いなケンカは止めてくださいよ!とにかく今はお互い協力して、この世界から抜け出す方法を探しましょうよ!」

 このままではマヨネーズ騎士団と糖分ゲリラの戦争に発展しそうだったため、二人に協力を促すメガネ。

「まったく……そういえば、沖田さんはどこ……に?」

 真選組きっての天才剣士の姿が見えないことに疑問を抱き、戦場に目を移すと異様なドSが降臨していた。

「ケンシン様~、このメスぶ……倒れて弱っている敵兵を俺の奴れ……側仕えに連れ帰っても良いですかい?」

 敵兵を首輪で繋いで四つん這いにさせながら、その内の一人の背中に腰かけて主君に許しを貰おうとしている男、沖田総悟がそこにいた。心なしか活き活きしているようにさえ見える。

「そうね、無用な殺生をせずに済むのならいいわ。その漢気、あなた見どころがあるじゃない」

「へぇ、お褒めに授かり光栄でさぁ。さあ、テメェ等ついてきな」

「はい、総悟様」

 既に調教済みであった。

「おいおい、そうじゃねぇだろ。豚はなんて鳴くんだ?」

「ぶ、ぶひぃ」

 その戦場とは思えない光景に眼鏡は無言になり、銀時は彼の上司をジト~っと見つめ、土方は全力で顔を背けた。

「……あの、土方さん」

「何も言うな」

「いや、ていうかおかしいでしょ今の!上杉さんどんだけ純粋なんですか!どこをどう見たら側仕えへの態度に見えるんですかあれが!」

 上杉謙信、僧侶として修業をした彼は戦国武将の中で最も純粋な武将……故に、人に騙されることも度々あったのかもしれなかった。

 こうして奇しくも眉目秀麗で忠義に厚い美女集団である新選組と、歩くネタの宝物庫である真選組が同じ世界に降り立ったのだった。

 

 

 

「今この国の武将達は異世界人を探すのに躍起になっておる。その筆頭がワシだがな」

「異世界人……つまり、僕の世界だけじゃなく、他の世界の人間もこの世界に来訪していると解釈しても?」

「そういうことじゃ」

 町中を衛兵もつけずに威風堂々と闊歩する彼女の隣を歩きながら、今のこの世界の現状についての説明を受ける。彼女の守るべき領民が皆気さくに彼女に挨拶をし、色々な物を手渡したりしている。普段から城下町を散策しているのか、随分と慕われているのがわかる。

 なぜ城下町を二人で歩いているのか、それは彼女が僕に是非紹介したい人物がいると、笑いを噛み殺して誘ってきたのだ。

 世界全てのご婦人を幸福にすることが僕の務めなれば、彼女の誘いを断る理由等考えるまでもない。喜んで彼女の手を取り、僕はデートのついでにこの世界についての情報を聞いていた。

 この世界の武将は天下を取る為に争っていたのだが、近頃鬼面を被った勢力が各方面で武将達を何度も襲撃し始めた。その矢先に、彼女達の下にある物が光と共に手の中に落ちてきたらしい、それが彼女が無作法に腰にぶら下げている……

「この宝玉じゃ。これが何を成す代物かはわかっておらんが、呪術関連に詳しいイエヤスによると、これが何らかの重要な儀式で必要な物らしいのじゃが……それがどのような物か、とんとわかっておらん」

 彼女の手の中で遊ばれている、鮮血のような宝玉。僕の世界には関係のないであろうそれに、僕はどこか薄ら寒い感じを受けた。

 科学的に根拠のないものを信じはしないけれど、今の僕には解き明かせそうにない何かがあるような気がしてならない。

「試しに刀で斬りつけてみたのじゃが、傷一つつかん」

「それなら、桐のようなもので穴を空けてみたり、高温で溶かしてみたりはどうでしょうか?」

 まずはこの宝玉の物質を調べてみたい。いったい何で出来ているのか……宝石ではこうも綺麗な球体には中々ならないだろうし、微量の塵も見受けられない。科学者としてこれは是非とも解明したい代物だ。

「ほお、確かにそこまではしておらなんだ。では城に戻った後に試してみるかの。じゃがまあ、それよりもおんしに会わせたい者が……」

 ノブナガさんの言葉が、そこに近付いた瞬間に遠くへと消えていった。

 もうまともに動かないはずの左脚が疼いて、あの日の灼熱が足から上半身、内臓の隅々にまで移っていく。

 人々が円状に集まり、中心では数人が激しく交差している。そんな彼等に観衆が熱狂的な歓声を上げた。いや、彼等にではない……その中心で演舞をしているかのように舞う一人に、その場の人々が称賛を捧げている。

「ソローク?」

 どれだけ時が経とうと、眼を潰され、耳を壊され、鼻を削ぎ落され、腕も脚も切り落とされ、徹底的に五感を閉ざされようとわかる。こんなにもわかってしまう。だって、僕達はいつだって一緒にいた。片時も離れず、僕と彼女は融け合って二人は一人になって……だから……どうしようもなくわかってしまう。

 ノブナガさんが歩き出すと、観客が道を作るために二つに割れて中心が露わになる。数人の体格の良い男が五人が、世界で一番の宝石の足元で気を失っている。

 片手にマンゴーシュ、片手にサーベルを携え、彼女は息一つ乱さず演舞を終えたかのような静寂の中にいた。

 思うな、考えるな、それだけは裏切ってはいけない。そう自分に言い聞かせても、僕の心は言うことを聞いてくれない。人の心の動きを制御する術を編み出せるほど、化学は心を解明出来ていない。どうしようもなく願ってしまう。

 ――どうか、この夢を永遠に……――

 なんて馬鹿なことを。僕には果たさなければいけない誓いがある。彼女が最後に僕に願った……シャミーユを幸せにしてあげて。その願いをこの命全てで叶えると……その願いだけは裏切るわけにはいかない。

「…………ッ!!」

 わかっている、血迷っている、気が狂っている。

 もう、夢でも良い。こんなに、だって僕はこんなに……

「ヤト……」

 呼んではいけないという気持ちと、ありったけの慈しみを込めてその名を呼びたい衝動が鬩ぎ合う。

 混然とした心が僕の身体を金縛りさせ、一歩も動けずにいると、視線の先にいる世界で最も尊い真紅の宝石が、あの頃と同じように……いや、何一つ変わらない笑みを浮かべた。

 なんて単純なのだろうかと、自嘲してしまう。たったそれだけの事で僕自身が掛けた拘束が、真綿のように軽くなり空気に溶けて消えていった。

 僕は知っている。彼女は偽物でも何でもないと、体も心も認めてしまっている。つまり、それが僕達にとっての科学的根拠となってしまう。

 軽くなった脚が前へ、彼女の下へと自然に歩き出す。

「やあ、久しぶりだね。ところで大変な報せがあるんだ。もう知ってるかもだけど……今の君、すごく……すごく……」

 唇が震えて、言葉がそれ以上出てきてはくれない。あの日、人を斬って赤に染まった彼女に掛けた言葉を口にしようとしたはずだったのに。なんて情けない。こんな再会を僕は夢想していたわけじゃないのに。僕等はもっと僕等らしい、なんでもない日常の延長線上の再会を夢見ていたのに……なのに、僕は……

「そうね、こうなってしまうと、私もなんて声を掛ければいいのか迷ってしまうわ。でももう一度あんたに会えたなら言いたい事があったのよ」

 マンゴーシュとサーベルを鞘に納め、空いた道をゆっくりと歩いてくる。僕から一時も目を逸らさないまま。

「ありがとうイクタ。私はヤトリ……あんたに救われたヤトリシノよ」

 僕だけに向けた祝福の言葉。

「う、ああ……そ、んな……ちが、僕は……」

 たったそれだけの事で、僕の心を縛る全てが空へと散っていった。

「ヤ、トリ……ヤトリッ!!」

 左脚がまともに動かない事まで忘れて、足がもつれて倒れる僕を彼女がその身体で受け止めてくれた。その身体に僕は腕を回して、彼女の炎髪へと顔を埋める。

 その日、僕とヤトリは初めて子供の様に……いや、子供の頃に戻って泣きじゃくりながら抱き締め合った。この幸福な夢に心から感謝をしながら……

 そんな僕達を、ノブナガさんはただ黙して見守ってくれていた。

 

 

 

「それで、お前は僕の無様な姿を腹を抱えてみていたわけだ」

「ち、違うよイッくん!僕はただ二人の邪魔になるかなって」

 ヤトリと憚ることなくお互いの体温を確かめ合っていると、僕達よりもずっと酷い泣き顔をしながら笑っているトルウェイが観衆に混じっているのを見つけた。

「邪魔も何もあるか。騎士団は僕とヤトリの家族なんだ、それを遠目で笑うなんてどういう性根をしているんだ?」

「そういうあんたの性根は治ったのかしら?」

「治すような性根なんて僕にはないよ」

「だそうよトルウェイ?」

「えっと……あはは」

 僕の言葉を素直に受け止められないらしいヤトリがトルウェイへと返答を求めると、困ったように笑われる。

「ほらみなさい。あんたの悪い癖が治る事なんて天地がひっくり返っても無理なのよ」

「それは天地如きでは僕の決意は揺らがないという称賛だと受け取っておくよ」

「ええそうね。あんたの信じる科学ですら投げ出すような悪癖だものね」

 遠慮のない心許す言葉の応酬。そんな僕達二人を傍らにいるトルウェイは、今にも泣きだしてしまうのを堪えた笑顔で眺めていた。

 ああ、もしここに騎士団が全員いたのなら、僕はこの幸福の沼の奥底まで自分から嵌って、二度と這い出ようなどと思う事はなかったかもしれない。

 そう、この場所にハロ、マシュー、シャミーユ、僕の家族が全員いたのならば、だ。

「やはりソロークの仲間であったか」

「ノブナガさん」

 騎士団の面々の所在を確かめようとしたのだが、それまで遠くで僕等を眺めているだけだったノブナガさんの言葉に遮られてしまう。

 煙管を吹かしながら、僕達三人を満足気に一人一人と目を合わせると、彼女はその途方もない野心を隠せない瞳を細め、豪快に不遜に傲岸にかっかっかっと…高らかに笑い、天に宣言というよりも吠えると例えた方がしっくりくる声でその言葉を放つ。

 

 

 ――では、主らを率いて天を我が手にしようかのぉッ――

 

 

 




お久しぶりの更新となります。
願い雨の方が一章終結となりましたので、少しこちらを進めていこうと思います。
一つ一つの話が短いですが、こちらは刻むように更新していくスタイルとなります。


実はこちら、まだプロローグが終わっていない状況なのです(汗
そもそもこの小説を書こうと思ったのは、とある革新PK動画に物凄く影響を受けたためです。
皆さん知っている方も多いかもしれませんが、ひなやぼと呼ばれる動画です。
物凄く面白いのですが、途中で止まってしまった動画でして、是非とも続きをと僕は願ってやみません。
その動画に影響を受けたわけですが、実のところ僕は戦国時代に特別詳しいわけではなく、どうしようかと考えた結果、戦国乙女の世界を借りてみようと思いついたのです。
お城などの情報や地理等はその都度調べて書いているので、とても苦労していますがその分楽しく書かせてもらっています。
沢山の作品が今後も参戦していく予定ですので、今後も楽しんで頂ければ幸いです。
……なんてあとがきで説明している間に書けやって話ですがww
あ、あと少しでプロローグを書き終えられるよう頑張ります。すみません。


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鬼面強襲

 彼女は生まれながらに強者だった。試練など紙のように軽く脆く、立ち塞がる敵は赤子よりも小さい。故に彼女の生まれてからこれまでの人生は苦痛でしかなかった。

 多少の努力で手に入る最上にどれほどの価値があるというのか。

 夢というのは困難であればあるほど、手にした時の充足感は何物にも代え難い歓びとなる。例えその過程でどれだけの苦痛、苦難、苦悩を抱えようと、手人した瞬間にその過程は愛しい記憶として残る。

 子供の頃鈍足だった者が、必死に努力し、決死の覚悟を持ち、挫折を跳ね返して世界へと挑戦出来るまでの実力を手に入れる。そんな人物を彼女は恨めしく思う。

 自分の持つ強者の才にどれほどの価値があるのか、誰にも理解は出来ない。自分の苦悩を誰が共感出来る?出来やしない。それどころか羨望の眼差しを向けるばかりだろう。

 自分でわかってはいるのだ。自分の悩みは贅沢に過ぎる代物であり、他人には悩みですらないという事は。

 そう、常人にとっては悩みですらない。だからこそ彼女はいかなる時も抱えてしまう感情が離れてはくれない。

 この世界の中で自分はあまりに孤独だからこそ感じる感情。ただ、寂しいと。

 唯一無二の強者故の孤独は彼女を苦しませ続けた。解放出来ない全身全霊。自分の欲望を抑えなければ壊してしまう仲間との時間。孤独に耐え抜かなければならない未来。

 誰にも理解されない孤独と苦悩に発狂してしまいそうだった彼女に、しかし救いは訪れた。

 

 

 ――その呪い、妾(わらわ)が解いてみせよう――

 

 

 呪いという名の祝福が彼女、川神百代の苦悩に入り込んだ瞬間だった。

 

 

 

 空はどこまでも青く、太陽は燦々と地上を照らす穏やかな日……だからこそ、あまりにも唐突な光に皆が戸惑い、混乱と同様が兵の心を搔き乱す。

 大分県の丹生島城(にゅうじまじょう)、島を丸ごと要塞化したその城は城内に礼拝堂を有していることで有名で、城主である大友ソウリン自身もキリシタンとして有名である。

 城下にはキリスト教の施設もあり、民はそこで祈りを捧げる事も多い。

 聖域とも呼べるその場所……それを凌辱する者達が神を、祈りを血と炎へと塗り潰していく。

「ドウセツ!避難は終わったの!?」

「はい、滞りなく。負傷兵は城内に運び終えました」

 カソックに身を包む小さな少女。いや、少女のような女性が側近である長身の女性、立花ドウセツへと確認の言葉を投げつける。

 小さな女性、彼女こそ城主である大友ソウリンその人であり、確認が済んですぐに思考を切り替える。

 突如の襲撃に狼狽える暇などなく、即座に指揮を取り迎撃に赴いた彼女は、襲撃してきた勢力の正体を予想していた。

 まず最初に頭に浮かんだのは島津家だが、それにしては攻め方が行儀が良すぎる。島津ならばおそろしく統率の取れた修羅の如き蹂躙をせしめるはず。それに、島津家の家紋が見当たらない。島津家の可能性は否定は出来ないが、この者達は違うと本能が告げる。

 なにより、島津家の兵は鬼面等で己を隠すようなこと、その矜持が許さないだろう。

 他家についても考えるが、鬼面を被る家などありはしない。となると、西の勢力とは別であると考えた方が正しいだろう。

「ドウセツ、合図を!あそこの兵を下がらせて!」

 港へと目を向けると、鬼面の軍勢が数えるのも馬鹿らしくなるほど上陸しようとしているのが見えた。

「はい」

 ドウセツの傍にいる兵が軍旗を振ると、それを目にした港の兵が一斉に下がり始める。

 早く、もっと速く!

 ソウリンの額の汗が目に入るか否かの瞬間、兵が安全圏へと撤退したのを確認。

 よしと頷き、ソウリンはその小さな身体で扱えるとは思えない、彼女には不釣り合いな巨大な大筒を港へと向ける。

「神の裁きを受けなさい!弩・佛狼機砲(ドン・フランキーほう)!」

 天を劈(つんざ)く怒号と衝撃に大地が震える。

 港に上陸する鬼面の集団へとその裁きが降され、圧倒的な破壊に鬼面が悉く弾け飛ぶ。

「ドウセツ、港は私が守ります!あなたは城下へ向かって!」

「承知しました」

 指揮を執る者が二人同じ場所にいてもこの襲撃を退ける事は出来ないため、即座にドウセツは城下へと駆ける。

 ソウリンが港を守るならば心配するだけ野暮というものである。港の問題は何もない。となるとあと一つの懸念をどうにかしなければ。

 どうか間に合えと自分を叱咤し、彼女は駆ける。城下を守る彼等の下へと。

 

 

 

 闘神の御使い。目の前の女性がそうだと言われても俺は疑えない。疑う要素が欠片も見当たらない。

「ははは、あはははははははッ!!面白い、面白い面白い面白いッ!面白いなぁ、お前!ここまで私の拳に耐えた奴なんていなかったぞ!あの揚羽さんでさえここまで耐えられなかった!」

 愉悦に顔を歪ませる彼女の笑顔に全身が震えそうになる。

 耐える?ああ、確かに耐えられてはいる。けど、耐える事しか出来ていない。

 自分の弱さに歯噛みし、彼女の才能に嫉妬すら覚えてしまいそうだ。

 俺が欲した圧倒的な力を彼女は持っている事が羨ましくてたまらない。

 肋骨を砕かれ、左腕を無力化され、左の視界も怪しい。骨折と打撲を数えるだけでうんざりする。それでも立っていられるのは自分が戦鬼としての修業をしてきたお陰以外の何物でもない。

 紅真九郎(くれないしんくろう)としての全てで闘わなければ命すら危うい。

 夕乃さんには城門を守ってもらっているけれど、こんな姿を見せたら何を言われるか分かったものじゃない。

 崩月(ほうづき)流に敗北と言う名の泥を塗る事だけは……

「良いな、良いぞお前。名を聞いておこうか?」

 この敵に手加減は不要。殺す気で闘わなければ守る事も出来やしない。

 夕乃さんには後で怒られるだろうけれど、俺の未熟が原因だ。いくらでも叱責されよう……目の前の女性より危ないけれど。

 一つ息を吐き、右腕へと神経を集中させる。

「くぅ、おお……おおおおおおおッ!!」

 右腕の肘から皮膚を突き破り、ソレが姿を見せる。鬼の角を連想させる凶悪を形にしたソレを。

 角を目にした瞬間、女性が目を見張り、先程の笑みをより凶悪にした恍惚を形作る。

「なるほど、それがお前の本気というわけだ。道理で体の作りに違和感があったわけだ。急所を突いても手応えがなく、しかも耐久力が異常だ。その身体のわりに力はお粗末だったわけだが……そういうことか。つまり、その角に耐えるための土台だったわけだ」

 血管を熱が駆け巡り沸騰しそうだ。

 早く解放しろと急かす熱を落ち着かせ、頭は冷静を保ちつつ相手を見据える。

「崩月流甲一種第二級戦鬼、紅真九郎」

「川神流川神百代」

 互いに名乗りを交わし、刹那拳が交わる。

「おおおおおおぉぉぉッ――!!」

「川神流無双正拳付き――!!」

 拳と拳がぶつかり合い、衝撃で地面が沈み込む。

 間違いなく俺は全身全霊を放ったはずだ。手加減なんて入り込む余地もない。なのになんで?

「良い、良いなぁ!楽しいなぁ!」

 なんでこんなに拮抗するんだよッ!

 俺の全力に拳を引くどころか、徐々に俺の拳が押し込まれていく。

 噛みつきたくて仕方ない無邪気な顔をくっつきそうなほどに近付け、彼女は余裕を崩さない。いや、余裕ではなく遊んでいるのだ。俺の全力をジェットコースターでも楽しんでいるかのように受け止め、もっと、もっととせがむ。

「あの呪術師の誘いに乗って正解だった!諦めかけていた私の夢をあいつなら叶えてくれる!こんなに心躍る瞬間があるなんてなッ!!」

 こんなものの何が楽しいんだ?強者と戦いたいのなら他所で好きなだけ探せばいい。傍迷惑以外の何物でもないんだよ、あなたの存在はッ!

「川神さん、あなたの夢が何かは俺にはわからない。理解したいとも思わない。だけど……」

 このままでは押し負けると自覚し、拳を引いてその流れを殺さないまま後ろ回し蹴りを、相手の命の保証を度外視に叩き込む。

「誰かを傷つけなければ叶わないような夢なら滅んでしまえッ!!」

 まともに、いやわざとか?俺の蹴りを受けて後方へと吹き飛ぶ。いくらでも避けようはあったはずなのに。

 裏の世界でもああいう壊れた人間は稀に現れる。自分の限界がどこまでかを試したくて、自分の命をチップの代わりにベッドする狂人。自分の限界を知りたいだけの憐れな人間。その末路はいつだって下らない結末になるっていうのに。

 もう立ち上がる事はないだろうと、鬼面の軍勢が押し寄せているだろう城門へと向かおうとした。背後の異様な気配に気づくまでは。

「はは、今のは少し危なかった。試しにと受けてみたが、とんでもない化け物がいたものだ。世界は広いな。見限るには早過ぎるというわけか……」

 立てるはずがない。少なくとも、俺と同等の土台を作っていなければ今ので全身の骨が無事なわけがないんだ。あの星噛絶奈でさえ耐える事は出来なかった一撃。それを何事もなかったかのように無傷で立ち上がるなんて……

「化け物……」

「角を生やす化け物に言われる筋合いはないだろう?それよりほら」

 構えを取り、玩具を強請る子供の様な無邪気さで俺を誘ってくる。

「お姉さんともっと、あ~そ~ぼ?」

 

 

 

 

 ――同時刻徳川領――

 

 

 

 鬼面の軍勢を率いて一人の女とも男とも見える、酷く整った顔立ちの人物が散歩でもするかの如く歩を進める。

 身長は成人男性の平均よりも低く、黒のスラックスとワイシャツ、その上に真紅の着物を羽織るという独特な格好。だが、そのミスマッチな合わせ方が、その者の美麗さ故にこれ以上ない程にその者の美しさを飾っている。

 柔和な笑みを湛えながらその者は鼻歌交じりに闊歩する。血が滴る刀をその手に携えて。

「いやぁ~、時化てるよなぁ~、実際さ。そうは思わねぇ?」

 その美しい顔立ちからは想像出来ない粗野な言葉遣い。その言葉を追随する鬼面は無言で返す。

「ああ、お前等マグロなんだっけ?んだよ、こいつらも時化てんじゃねぇか。つっかえねぇ~」

 言葉とは裏腹な笑み。その笑みにどれだけの者が心を奪われ騙されただろうか。この者が人の手に負える代物ではない、正に抜身の刀だというのに。

「撃てぇッ!!」

 遠間から発せられた声。その声と共に、到底回避出来ない数の弓が敵目掛けて降ってゆく。

「そうそう、頑張ってねぇ~」

 弓矢の的であるその者は、自分は蚊帳の外にでもいるかのように気楽に適当に言葉を投げかけ……

「てなわけで、ゴミガードってな」

 すぐ後ろにいる鬼面の二人を引っ張って足を掛けて体勢を崩し、自らを覆うように味方を盾と変貌させた。

 弓矢の雨が降り終わるまで、こいつ等クソみてぇに重いじゃねぇかと毒吐く。

 そんな人の命をヘリウムガスのように扱う相手に、徳川軍の兵達は憤りを覚える。

 同じ主君に忠を尽くす仲間をゴミと扱う。その所業を許せる者などこの場に一人としていなかった。

 一斉射が止み、数多の鬼面の屍が築かれるのを確認した後、怒号と共に刀を振り上げてただ一人を目掛けて兵が襲い掛かる。

「喚くなよ、やかましい」

 のらりくらりと刀を構え、上段からの斬り込みを紙一重で躱しながら、流れるように逆袈裟で相手の頸動脈へと刀を滑らせ、背後から迫る兵を、滑らせた刀の流れのままに斬り伏せた。

 一連の流れは殺傷とは程遠い舞のような美しさを連想させる。雅やかとはこの者を指す言葉なのではないだろうか。

 刀に愛され、刀に狂気を宿し、刀として生きる。その存在が刀そのもののような人物。

 憤怒に捕らわれた兵と共に優美な演舞が続く。狂気に満ちた瞳が煌々としていた。

 まだだ、この程度じゃ満足出来ない。もっと、もっと……

 この程度の相手じゃ刃毀れすらかなわないと嘆く彼の演舞はしかし、一人の狼により邪魔をされてしまった。

「――はあああああッ!!」

 気当たりと共に放たれる強者の一刀。踏み込みの異常な速さと斬撃の重さ、下手な受け方をすれば刀が折れるであろう初撃。

 その太刀を折れぬよう、上手く受け流す為に真紅の着物を翻して、そっと放たれた刀の軌道を逸らしながら後方へと自ら飛んだ。そうしなければ刀どころか、命までをも斬られていたのだから。

「皆さん、この者はわたくしが引き受けます。皆さんはまだ息のある者、負傷者を連れて城へ!まだ戦える者は、イエヤス様の刀となってわたくしとここを死守しますわよ!」

 浅葱色の羽織を靡かせ、牙を剥いて敵を威圧する。

「ってぇ~。くっそ、上手く受けたつもりだったのに腕が痺れやがる。コンティニューすんなら金払えよパツキン」

「パツキン?何のことかしら?」

「けどまあ、少しは殺りがいのある奴が出てきたわけだし、結果オーライかぁ」

 目の前の狼の威圧に動揺するどころか、愉悦に顔を歪ませる。

 これでまともな斬り合いが出来ると嗤う。

「ご公儀へ兇刃を向けるなど、わたくしが斬って捨ててくれましょう」

「そんじゃ俺は、てめぇの無駄にでかいその胸を斬ってどっかに飾ってやるよ」

「品の無い阿呆のようですわね。良いでしょう……」

 左の肩を引き右足を前に半身に開いた平青眼の構えを取ると、修羅道を歩んで来た者特有の空気が彼女の身体を覆い、その瞳は得物に牙を突き立てんとする狼へと変貌する。

「会津中将様、家臣!新撰組局長、近藤勇!推して参るッ!」

 幕末、最強の人斬り集団と恐れられた壬生の狼が今、時代を超えて野へと放たれたのだった。




いつもよりもさらに短いですが、刻んで更新していくスタイルをお許しください。
それとですね、百代以外の敵に関してですが、徳川へと進行している敵はあえて名前は出さないでいこうかと思います。
完璧にキャラはつかめていないのですが、ああ!こいつは!みたいに楽しんでくれたらいいかなと。マイナーなキャラ多いですが。
基本的に、鬼面を有する勢力は歪んでいるキャラが集まっています。戦国乙女が好きな方には、そりゃそうだって思われるでしょうけどww
ではでは、次の更新をお待ち下さいませ。


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