ようこそ実力至上主義の『デスゲーム』へ (syuman)
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デスゲーム No.1 『隠れんぼ』-1

1

 

「ゲームの説明をする前に、所定の必要書類にサインをお願いします。長文の規約に目なんか通せないよなる方の為に要約すると命の保証はなかったりするんだからねっ!」

 

 どうでも良い議題に付き合って欲しい。

 義務教育制度の発達した日本で例えるなら『最期に何か質問はあるか』という試験前の在り来りな教師の問いかけ。

 この質問に対する最良のカウンターは?

 

「状況説明を最初にしてくれないか……?」

 

 オレの言葉に熊が小さく舌を鳴らした。

 

「期待外れだなぁ、Mr.ホワイトルーム。日本の太子様は同時に十人の話を聞くらしいけど、君なら一を知って十を理解してくれると期待していたんだけどね?」

 

「世間の一を知っている奴は、他人を誘拐して状況説明もないままに怪しげな書類にサインさせようとなんかしないだろ」

 

 オレの指摘に失笑のため息を零す熊。

 先程からのコレは説明不足や変換ミス、ましてや婉曲的表現なんかではない。 少女は熊の着ぐるみに身を包んでいた。

 

「私はアトラクト・マスター。君を召喚した張本人にしてルールブックその物です。 実際には誘拐よりもノックオフと言い換えた方が正確かも知れませんがね」

 

「初耳の内容を疑問系で差し出されても反応に困るんだけどな。アトラクトにノックオフ、概ねの内容は理解できた」

 

 それで? 先を促すオレの態度に熊少女の連続舌打ちが出迎える。質問をすれば答えが返ってくるのが当然だと思ってる?

 そんな社会風刺代表みたいな瞳だった。

 

「異世界召喚だなんて大袈裟に表現したけれど、別に君に働いてもらうおうって意味じゃない。端的に言えばやって欲しい事、倒して欲しい人達がいるだけなんだよね」

 

「魔王撃破を期待するならお門違いだ。歴戦の猛者か、戦場の悪魔。百発百中のガンマンに万能の魔法使い辺りを呼べば良い」

 

 何せオレは洗濯機の故障と一悶着繰り広げていた一般的な学生身分。頑張っても洗浄の悪魔が良い所、進んで諍いに参戦したい戦闘民族ではないのだから。

 

「具体的には何をさせたいんだ。肉体労働をさせたい訳じゃないんだろう? 頭脳労働というんなら他に相応しい人材も……」

 

「デスゲームって言えば分かりやすい?」

 

 至極、楽しげに熊少女はそう言った。

 

「制限時間は三十分、五対五の隠れんぼ。全員を見つければ鬼の勝ちで、一人でも生き残れば人の勝ち。この場合、勝利の女神はどちらの行方に微笑むのか?」

 

 君の解答例を答案用紙に書いて欲しい。

 要求されたのは、単にそれだけだった。

 

「答えを決めたら鬼か人、どちらかを選んで実際にゲームに参加して頂きます。勝利された方には細やかな自由、敗北者には永遠の自由を約束するといった企画ですね」

 

「ゲームの内容に興味がない。他人に物事を頼むなら、相応の報酬を用意して然るべきだろ」

 

 仮にゲームに参加したとして、コチラには何の得があるのか。至極、当然の疑問に対して熊少女がやれやれと首を振る。

 

「放送コードなら規制の嵐だけど、現在の君はまな板の上の鯉だ。生存権も選択権も私達の手の内にあるんだからね?」

 

 殺す気が在れば今すぐに、そんな前提。

 

「何より、私達は暇潰しの駒にもなれない子供を生かしておく程、慈善事業では動いていないって所を理解して欲しいよね」

 

 不参加は敗北よりも性質が悪い。

 最高なら当て馬、最低でも噛ませ犬の遠吠えを私に聞かせて死んで行け。

 熊の大きな瞳がそう物語っていた。

 

「生存権に選択権、付け加えるなら拒否権もオレにはないって訳か」

 

「君相手だと話が早くて助かるよね」

 

 辟易の溜め息と共に備え付けられた万年筆を手に取った。最初はイカれたサイコパスが単独で世迷言を実行に移しているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 コイツは自分を『私達』と呼称した。

 少なくとも一朝一夕では逃げきれない。

 

「分かってくれたみたいだね……?」

 

「オレだって命は惜しいからな。それにゲームは隠れんぼなんだろ? 鬼にさえならなければ走り回る必要もない」

 

 なんて、あまり深く考えずに『人』と書かれた空欄にサインを書き込んだ。

 

 思えば。

 

 すでにこの時から『隠れんぼ』は始まっていたという事に、オレはもっと早い段階で気づくべきだったのだ。

 

2

 

 次に瞳を開くと、まず最初に飛び込んできたのは、赤く錆びついてボロボロになった巨大な観覧車の姿だった。

 

「それじゃ、ゲームを始めるんだね!」

 

 下は幼い女の子から、上は中年の男達まで幅広い年齢層が分布する中、熊少女がやたら楽しそうに声を張り上げた。

 

「皆さん、左腕の腕章に注目して下さい。赤い方が鬼で、白い方が人になります。分かったらバラバラに分かれてね~!」

 

 オレの左腕には、白い腕章がある。

 つまりはハイド、人間サイドだった。

 言われるがままに分かれると、人間は男が三人、女が二人の五人組。他方で鬼側は全員が男の五人組になっていた。体力自慢が鬼側に立候補した為に偏ったのだろう。

 

「名前の確認を。鬼側は山口広さん、笹山忠宗さん、猪川庄司さん、田崎雄大さん、浜崎公平さん。人側は黄桜藤之助さん、葉山田陽一さん、緑川美紀さん、斉藤由梨さん、綾小路清隆さん。以上が今回の参加者になりますね」

 

 正直な所、欠片の興味もなかった。

 熊少女にしても同じようで、共闘しようが個人主義に走ろうが、彼女にとっては無意味な些事に変わりないのだろう。

 

「隠れんぼの範囲は敷地内だけ。鬼側の皆さんにはインスタント・カメラをお渡ししますので、撮影された人側の方はアウトになります。人側は捜索時間中に動いても構いませんが、見つかる可能性が跳ね上がるのも覚えておいてくださいね」

 

「リスクとリターンのバランスか……」

 

 オレの呟きに、熊少女はクスリと笑う。

 

「まず最初に鬼側の方々にはここで待機して頂いて、人の方々に三十分かけて隠れて頂きます。次の三十分は鬼側のターン、制限時間以内に全員を見つけるか、一人でも人側が逃げ切るのか」

 

「その前に、確認を取りたいんですが」

 

 声を上げたのはスーツにメガネ、いかにもエリートコースを真っ直ぐに進んできたようなインテリ感の漂う青年だった。

 

「おや、笹山さん。意外な所から質問の矢文が飛んできましたね。はいはい、核心に触れない程度でお答えしますね」

 

 至って淡々と熊少女はそう言った。

 

「今回は人間側に女性が偏っている様ですが、死の淵に立たされた人間は男女問わずに恐ろしい物です。とてもでは有りませんが、無抵抗など貫き通せる物ではない」

 

「マハトマ・ガンディーの発言は、デスゲームに巻き込まれる事態を想定していませんからね。平和ボケって奴ですかね」

 

 デスゲームを想定した日常生活って何なんだ。常に相手の裏を欠き戦略を張り巡らせる平和的活動家みたいな話だろうか。

 怖すぎるぞ、そんな想定してる奴。

 

「抵抗のみに関わらず、逃亡の際に建造物を破壊したり、必要な物を奪ったりという可能性も考えられるはず……」

 

「つまりはゲーム内での犯罪行為がどの程度までなら許容されるのか、ルール違反に問われないのかを聞き出したいのですね」

 

 全てはお見通し、そんな口振りだ。

 

「まぁ、あなた方には外も内もないのですがね。答えから言うと刑法だの人権だのは気にして頂かなくて結構ですよ。別にあなた方にモラルを身に付けて頂こうなんて私達はカス程も思っちゃいませんからね」

 

 ゲームの根本を破壊しない限りですが。

 熊少女はそう付け足して咳払いを零す。

 

「他に質問はありますか? なければ時間的にもゲームを始めたいのですがね。いやはや下働きも辛いものでね」

 

 それでは、と彼女の声が封切りだった。

 

 開始のホイッスルが鼓膜を揺らす。

 オレ達は白い腕章の人側なので、説明通りにバラバラに散らばっていった。鬼側とは違い、人側には一ヵ所に集まって共闘するメリットはあまりない。一人でも生き残れば全員が『勝利』になるルール上、離れて距離を取った方が勝率は上がるはずだ。

 

「やはり、重要なのは隠れ場所か……」

 

 放置され、荒廃した遊園地で一番目立つのは観覧車だが、敷地内を縦横無尽に走り回るコースターのレールも目に留まる。ホラーハウスやフリーフォール辺りの施設の他に、お土産用のショッピングモールや飲食街みたいな一角もある。

 隠れんぼである以上、何かしらの建造物に潜入するのは定石だろう。

 その上で、当面の議題はこれ。

 

「一ヵ所に留まるか、少しずつ動くか。どちらを想定した位置取りをするかだな」

 

 全く動かず固まっているのが前提なら、とにかく誰もやって来れないような場所に潜り込む必要がある。例えば、コースターのトンネル部分。普段は立ち入りが禁止されている危険地帯だが、コースターが廃止されている今ならば潜り込める。

 しかし一方で、こうした複雑な場所に潜り込んでしまえば、周囲の状況を観察できなくなる。そして、いざ見つかりそうになった場合に脱出するのも困難だろう。

 少しずつ動く場合は、複数の逃走ルートを意識した場所に隠れなければならない。ある程度は見つかりにくく、ある程度は脱出しやすい状況を作る訳だ。逆を突けば鬼側も簡単にやって来れる場所でしかないので、単純に見つかるリスクは跳ね上がる。

 どちらを取ろうとも一長一短だろう。

 方針の選択に頭を悩ませていた所で、背後から声をかけられた。

 

「ねえ、そこの君。白い腕章を付けてるんなら君も人側でしょ? 私は斉藤って言うんだけど、君は何て言うんだっけ?」

 

 振り返ると、女子大生ぐらいの女の子がこちらに近づいてきた。

 

「……、綾小路だ」

 

「フム、あやのんね。ところで隠れる場所だけどさ、まさかトリッキーな場所にしようとか思ってないよね? 観覧車の支柱の頂上に昇って、下からは見えないぜ的な」

 

「だとしたら何だって言うんだ……?」

 

 決めてはいないが、適当に相槌を返す。

 すると斉藤は眉をひそめて、

 

「ルールはちゃんと理解してる? 鬼側はカメラで撮影したら人側を捕まえた事になるんだよ。手が届かない場所に逃げ込んだとしてもシャッター一発終わりだよ」

 

 考えてみれば、確かに一理ある意見だ。

 カメラというアイテムを改めて考慮してみると、実に面倒なゲームの全貌が明らかになってくる。

 

「逆もまた真、鬼側が一人でも高所に昇り、敷地全体を撮影なんてすればトリッキーサイドは全滅だって有り得る訳か」

 

「そ、そこまでは考えてなかったけど。後は時計合わせってちゃんとやってる? これを欠かすとギャンブル漫画ならヤバイよ?」

 

 首を捻るオレに、斎藤が仕方ないなと溜め息を零した。

 

「基本中の基本の考え方でしょ。三十分で人側が隠れて、次の三十分で鬼側が捜索することになる。ここで考えてみて、ステージは廃墟とは遊園地。玩具に着ぐるみ、日用品だって落ちてるんだもの、非常用のホイッスルぐらいはあると思わない?」

 

 そうしてホクホク顔で勝利を宣言する人側を撮影すれば一網打尽。正にギャンブル漫画並の逆転劇の完成となる訳だ。

 

「改めて教えとくと、さっきのホイッスルが鳴ったのが四時半ちょうど。今はそこから三十分で隠れる人側のターン。基準時間は絶対に覚えておくようにね。私だって生存者は多い方が助かるんだから……」

 

 この隠れんぼは命をかけた熾烈なものだが、敵味方がはっきりしているのは不幸中の幸いと言えるだろう。チーム全体が連帯責任で動く為、仲間を裏切る行為は有り得ないのだ。

 

「じゃあ私も隠れるわ。お互い、生存を目指して頑張りましょうね」

 

 ホラーハウスの方へ走り去る斉藤の背中をしばらく見送っていたが、やがてそんな暇はない事を思い出す。

 人側に共闘のメリットはないが、一方の鬼側には共闘するメリットが大きい。鬼側の一人が高所に登り、カメラを構えて待機。その上で他の鬼がホラーハウス等の屋内施設を虱潰しに調べていけば、人側の全滅は時間の問題だ。

 加えて、屋内施設は限定された空間だ。どんなに上手に隠れても、建物を隅から隅まで調べられたらお仕舞い。

 ……制限時間の三十分以内に、高い所の見張りを除く四人が全ての施設を調べきれない、という可能性もなくはないが、それに頼るのは余りにも危険だろう。

 

 状況は明らかなどん詰まりだった。

 

 ここで勝たなければおしまいなのだ。

 勝利の為ならどんな手段も使う。それは鬼側も人側も共通の認識であるはずだ。でなければ犯罪行為の確認なんて取るはずがないのだから。

 真正面から、まともに隠れんぼをしていては駄目だ。

 もっと卑劣に、相手が絶対に見つけられない『必勝法』を用意しなくては。

 

「いや、待てよ……」

 

 建物の中に入らなければ、高所の見張りに発見される。

 屋内施設に隠れても、一つずつ隅々まで調べられれば大抵は見つかってしまう。

 でも。

 屋内でも屋外でもない、第三の逃げ場があるとしたら?

 

3

 

 開始から三十分が経過した。

 人側の持ち時間はなくなった事が、遠くから響くホイッスルの音色で伝えられる。

 すぐにバタバタという足音が複数聞こえてきた。

 おそらく鬼側の中でも一人は、高い所に昇って見張りをしている事だろう。

 もっとも、隠れている場所が場所なだけあって、オレの視界はかなり制限されていた。手の込んだ隠れ方をすると、周囲の情報が分からないのは難点だった。テレビゲームのように、入り組んだ地形を真上から除き込む機能なんてないのだから。

 おまけに息苦しさが半端じゃない。

 呼吸をするたびに生暖かい空気が溜まり、このまま窒息死するんじゃないかと思ってしまう。

 

「うわぁ‼ 待て、撮るんじゃない!」

 

「人間を発見したぞ! 確か葉山田だったか? おい、掴みかかるんじゃねえ! 大人しく捕まれやバカ野郎が‼」

 

「ホラーハウスの方に誰か走って行ったって連絡があったぞ! 猪川が見張ってるから応援に行ってこい‼」

 

「見張りのクソが! その時点で写真を撮れてれば捕まえてたってのが分からねぇのか! このゲームは追いかける必要は欠片もねえんだよ‼」

 

 視界が制限され、ほとんど周囲の状況が分からないまま、人々の会話だけで隠れんぼが加速しているのが分かってくる。自分の心臓が鼓動を速め、その音が周囲に漏れているのではないかと錯覚までしてくる。

 でも、大丈夫、大丈夫なはずだ。

 鬼側の考えが、見張りが屋外を、残りが屋内を、という二択で捜索活動を続けているならば、オレの隠れている第三地帯は絶対に見つけられないはずだ。

 

 何故なら、

 

 オレは地面に転がった、薄汚い着ぐるみの中で息を殺していたのだから。



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デスゲーム No.1 『隠れんぼ』-2 (終)

1

 

 現状を簡単に説明しよう。分類としては、オレは『屋外』にいる事になる。

 でも高い所に昇って遊園地の敷地全景を見渡している見張り役の鬼側は、転がっている着ぐるみの中に人間が入っているかどうかを見極められない。近づいて呼吸音でも確かめればバレる可能性はあるがら地面を走っているその他の鬼側は、屋外には人側がいないと踏んで行動している。

 だから、根気良く調べたりはしない。

 一刻も早く屋内施設に飛び込み、少しでも多くの建物を調べようと躍起になるはずだ。タイムアップで調べられなかった建物があった、なんて展開にさせない為に。

 ならば、オレに課せられた使命は一つ。

 華麗なスパイアクションを真似て、スポットライトから逃れる事でも、敵の動きに合わせて物陰を回り込む事でもない。

 ただ、ひたすらに息を殺す事だ。

 一切の物音を立てず、じっと動きを止める事。まるで、ゲームの進行には関わろうとせず沈黙を守る、あの熊少女の様に

 言葉にすると簡単かも知れないが、敗北が命の危機に直結する状況で三十分間を無為に過ごすのはかなり堪える。というか、時間の感覚は遠の昔に失われていた。携帯のライトが試合終了を知らせる様にはなっているが、それがなければ着ぐるみの中で発狂していたかも知れない。

 着ぐるみの位置は、ショッピングモール跡地のすぐ近く。

 いざバレそうになったら、一応は建物の中にも飛び込めるような位置取りはキープしてある。

 これで正解のはずだ。

 着ぐるみは服です、だから着ぐるみを撮影しただけでアウトだなんて屁理屈を言われるリスクはあるけど、下手に敷地内を走り回るよりは遥かに安全なはずだ。

 そうは思っていたのだが。

 状況の変化は、周りが生み出す事もある。

 

 どかん、と。

 唐突に着ぐるみの頭を誰かに蹴飛ばされたのだ。

 

 思わず声をあげそうになるのを、必死で抑える。

 今回の隠れんぼはチーム戦だ。終了時に人側が一人でも残っていれば全員の勝ち。だからオレが捕まっただけなら希望が消える訳でもないが、人側が何人残っているかは分からない。

 そして、何よりも……だ。

 もう、オレはオレの人生を、誰かに左右されるなんてまっぴらだ。誰かに敷かれたレールの上を手順通りに最高速度で走る試行には付き合いたくなんてなかった。

 そんな事情も相まって。

 今のがたまたま誰かが躓いたのか、それとも明確に中に誰かいるのではという確認作業なのか、オレは必死に見極めようとする。どちらにしてもやるべきは、じっと固まっている事しかないのだが。

 どちらにしたって、中に誰かいると思われたらおしまいなのだから。

 通り過ぎてくれ、立ち去ってくれ。

 必死にそう祈っているのだが、そこで予定外の出来事が起きた。

 

「ひょっとして、あやのん……?」

 

 聞き覚えのある声が飛んできた。確か同じ人間側の斉藤だ。

 答える義理はないし、何より人間同士で共闘してもメリットはないのだが、こうしている場面を他の鬼側に見られたらおしまいだ。オレは万に一つも見張り役の鬼に異変を察知されないよう、身動きをしないまま小さく呟いた。

 

「あぁ、そうだが。何の様だ……?」

 

「良かった。まだ見つかってないんだね」

 

「そういうお前はどうなんだ? 他の奴等がどうなったか分かるか」

 

 この隠れんぼは、人側同士で裏切る事にメリットはない。そう思って話しかけ、しかし直後に何か違和感を感じ取った。

 そう、斉藤の言動は明らかにおかしい。

 着ぐるみの中に誰かが隠れているのは、細かい身じろぎや呼吸音なんかで分かるかも知れない。でも、それが何でオレだなんて分かったんだ?

 まるで。

 

 他の人側がどうなったのか、その末路をつぶさに観察してきたみたいじゃないか。

 

 まさか、冷や汗が背中を伝う。

 その間にも状況は刻々と進行する。

 まさか、そんな事があるはずがない。

 そして、人側であるはずの斉藤は、有らん限りの大きな声でこう宣言した。

 

「ここにも人側がいるぞォォォォォォ! 着ぐるみの中だ、全員手を貸せェェェ‼」

 

 意味不明な宣言だった。

 しかし、隠れんぼに大きな影響が出たのは間違いない。

 オレは着ぐるみを脱ぐ暇もなく、そのまま起き上がってショッピングモールの建物の中へと飛び込んだ。ひょっとすると見張り役の鬼がカメラを構えたかも知れないが、少なくとも見つかってはいないらしい。

 でも、それも時間の問題だ。

 これからどこに隠れれば良い。ショッピングモールは広いが、屋内の空間は有限だ。見張り以外の鬼側が四人全員で虱潰しに調べたら、いつかは見つかってしまう。

 そして。

 ゆっくりとショッピングモールに入ってきた斉藤は、にやにやと笑いながら死刑宣告を突きつけた。

 

「ムダムダ。人間側はもう私とあやのんしか残ってねぇんだっつの。ここで二人とも見つかっておしまいだよ!」

 

 人側が仲間を裏切っても、隠れんぼ上でのメリットはない。

 チーム全員が敗北すれば、斉藤にも命の保証はないのだから。

 もしも。

 その前提が崩れているとしたら?

 

「……最初にアンケートがあった。勝つのは鬼側か人側かってヤツだ。てっきりそれで二つのチームを分けたと思っていたが……」

 

「でも、どっちか片方に人が偏ったら隠れんぼがゲームとして成立しないよね?」

 

 五対五の構造にならなかった場合、どうやってチームを決めたのかオレは知らない。くじ引きか何かで決めたのかも知れないし、想像もつかない計略が渦巻いている可能性だってある。

 とにかく重要なのは、斉藤は元々「隠れんぼの勝者は鬼側」だと記入していたのだろうという事。

 そして、隠れんぼの勝敗が『チーム』ではなく『どちらが勝つか、予測を記入した個人』で決まる二者択一のギャンブルだった場合。

 コイツの様な人側に属していながら、鬼側の為に動いている人物だっていたかも知れないのだ。

 

「……、最初から仕組まれていた訳か」

 

 役に立たない着ぐるみを脱ぎ捨て、慌てて携帯に目をやるって。アラームが鳴るまではまだ十五分もある。闇雲に逃げ回るだけでは鬼側から逃げ続けるのは不可能。

 ショッピングモールの建物は広いと言っても、全体的な空間を大きく見せようとする設計の為か、それほど入り組んだ構造はしていない。つまり隠れようとしても簡単に見つかる。正面にある巨大な水槽は水が濁っていたが、流石にこんな所に潜っても息は続かないだろう。

 

「負けたら永遠の自由。どうやって殺されるのか具体的には知らないけど、ゲラゲラ笑って見ててやるから安心しろや」

 

「…………、」

 

 普通に屋内や屋外に逃げても見つかる。

 既にそういうシステムが構築されてしまっている。

 必要なのは、先ほどまでの着ぐるみのような鬼側が探そうとも思わないスポットを見つけてやるしかない。

 心理的な死角を上手に突く事。

 勝算は、もう一つだけしかなかった。

 

2

 

「それで、今の進行はどうなってる?」

 

 薄暗い大学の研究室のような部屋で、メガネの女は煙草を吹かしていた。

 

「やはり、斉藤グループの思考予測型AIがゲームをかっさらって行きましたよ。ホワイトルームには期待していたのですがね」

 

 若いリクルートスーツの学生は、見飽きた光景に辟易の溜め息を漏らす。やはり、今年もこうなるのかと。

 

「通年通り、斉藤グループの勝利かぁ。審査員からは悪女とまで表現される人間らしい強かさが、人工知能の騙し合いという観点では頭一つ抜けるのかなぁ」

 

 全国人工知能ベンチマークコンテスト。

 世界中の研究機関・研究室が予算や立場を排除され現実に『誰が最も優秀な人工知能』を作れるのかを競う科学祭である。

 一回戦のテーマは生死を賭けた隠れんぼ。前年の数億桁の四則計算や数兆字のアナグラム解析とは違い、思考の柔軟性や人間らしさが命運を分ける、知能では量り切れない展開になる、そう思われていた。

 

「先輩のPROGRAM.ホワイトルームは惜しい所までは行ったみたいですが、斉藤グループにまんまと出し抜かれた形ですね」

 

「やっぱり物語の主人公を人格として採用するってのは失敗だったかな? 心理学で言う所の一貫性を人工知能に持たせる為には面白いアイデアだと思ったんだけど」

 

 恐らく、目の付け所自体は悪くない。

 反省点を述べる必要も、後悔を抱くのも既に遅い。要は怨敵の方が強かったのだ。

 

「まぁ、審査員の熊の子グループも腹に一物抱えてそうではありますよ。実際、最新のMRIの中枢システムを斉藤グループから輸入しまくってる癒着企業なんて噂も後を絶ちませんからね……」

 

 世の中には正々堂々なんてない。

 そんな格言が名を体で以て表していた。

 

「身近な所では資金力の差ってのも有りますか。このコンテストの最大前提が資金の差を考慮しないって事です。公正ではあっても公平からは程遠い条件ですよ」

 

「だからこそ、学生から成り立つ私達や中小企業はワンポイント突破型の人工知能で勝負するしかない。まさしく最高の当て馬になってくれれば御の字って訳かな」

 

 この結果を有る者は計画通り、また有る者は出来レース、人によっては胸糞悪いバッドエンドと評するかも知れない。

 だが、得てして現実はこんなものだ。

 主人公は都合良く勝てないし、ヒーローは土壇場で逆転される。ヒロインは魔王に奪われるし、弱者はいつも虐げられる。

 

「先輩、もうすぐ結果発表みたいですよ。最期くらいは自分の眼で見た方が結果はさておきスッキリするんじゃないですか?」

 

「いやいや、結果の決まった勝負なんて見ても楽しい訳ないでしょうが。スッキリなんてのはナルシストのする事だよ」

 

 それだけ言うと、先輩と呼ばれた女は煙草とライターを片手に研究室を後にした。やはり、ニコチンというのは一仕事終えた後には最高のリラクゼーションだ。

 結果は最初から分かっていた。このレベルの人工知能を相手にするのなら最初から小細工なんて仕掛けるだけ無駄だった。

 

「そもそも彼はデスゲームに生きる主人公ではない。現状把握の隙を上手く突いた斉藤グループは実に見事な手際だった」

 

 とはいえ。

 人前では感情を表に出すな。そんな風な教育を受けてきた彼女にも限界はある。感情の坩堝に溜まった辛抱の針が、限界点を容易に飛び越えてしまう。

 それは実に甘美で、蜂蜜を見つけた熊の子の様な陶酔にも似た感覚だった。

 

「おめでとう、綾小路君。二回戦突破もよろしく頼んだよ?」

 

3

 

 そうしてショッピングモールに踏み込んできた鬼側に、オレは簡単に見つかった。

 一応ゴミ箱の中に潜り込んでいたのだが、それぐらいは調べるようだ。着ぐるみの中に隠れていたという情報が、狭い場所への警戒心を与えたのかも知れない。

 オレは最初の質問男の……何とかにカメラで顔を撮られると、主催者の熊少女に誘導される形で、遊園地の正面広場へ連行された。

 そこには他の人側も集められていた。

 判定に使われるカメラを奪おうとしたのか、切れた唇から血を流している女の子もいた。

 広場の時計をしばらく眺めていた熊少女は、やがて鉄製のホイッスルを口に咥えると、甲高い音色を敷地中に響かせた。

 絶望と希望の入り交じった音。

 鬼側と人側。そのどちらか一方に未来を与え、もう片方の全てを奪う終焉の宣言。

 熊少女は、にこやかな笑顔でこう付け足した。

 

「それでは結果は火を視るよりも明らかですが、一応お伝えしておきますね?」

 

 彼女の声が広がっていく。

 人側は恐怖に怯えた顔で涙を流し、鬼側は正しく悪鬼羅刹の恵未を浮かべて勝利を確信していた。

 

 

「捕まった人側は全部で四人。『斉藤由梨さんは健在です』という訳で、生存者が一人残っている状態ですので、隠れんぼは人側チームの勝利になりまっすね~☆」

 

 

 ようやく、肩の力が抜けた。

 そして、僅かばかりの安堵感。

 多分、それは常人であれば無為と表現した方がそれらしい程の感情の揺れ。

 

「私達が……勝った……の?」

 

「どうやら、そうみたいだな……」

 

 緑川と呼ばれていた小学生は、口の端から流れる血を拭くと疑問符を浮かべてそう言った。そう、何であろうと勝利は勝利。

 オレ達は紛れもなく、このバカみたいな『デスゲーム』に勝ったのだ。

 他の面々も、状況は分かっていないようだがとにかく緊張はほぐれたらしい。赤の他人同士だったはずなのに、涙を浮かべて抱き合ったりしている。かくいうオレも知らない人に抱き締められて頬にキスをされた。してきたのが葉山田とかいう男の参加者だったのは残念だが。

 一方で、心穏やかではないのは鬼側だ。

 

「な、何でだ! よりにもよって、斉藤の奴が最後まで見つからなかったって、どういう事なんだ⁉ あいつは鬼側の勝利に賭けていたんじゃなかったのか⁉」

 

「私達に協力していたのも含めてブラフ。いえ、そんなメリットはありませんね。現にこうして隠れ続けているのです。そんな安全地帯があるなら、そもそもブラフを仕込む必要なんて有りませんし……」

 

 誰が何と言おうが隠れんぼは終わった。

 結果は既に確定している。これでどん詰まりの現状は取り敢えず打破できた。

 そう確信したオレに熊少女が話しかけてきた。

 

「見事な勝利、おめでとうございますね」

 

「どうでも良いが、褒美を何かくれ……」

 

「では、ほんの少し失礼しますね……?」

 

 至福の欧米式挨拶を頂いた。これて着ぐるみを脱いでいたなら全国の男子高校生は歓喜の渦に包まれていただろう。

 これでは熊に教われる男の子である。

 

「ところで、おそらく『隠れんぼの鍵』を握るのは綾小路さんだと思うんですが、事の真相をお尋ねしてもよろしいですか?」

 

「その前に、ゲームの結果を確定してくれ。後になってソイツは反則だなんて言われたらどうしようもない。何があっても結果は覆らず、手にした生存権を没収されないと保証してくれよ」

 

「構いません、私が知りたいのは斉藤さんの居所と本ゲームの必勝法のみ。結果にまで関わる権利は持ち合わせてませんのでね」

 

「ああ……」

 

 それなら実に簡単だ。

 斉藤は鬼側の勝利に賭けていたが、立場はあくまでも人側だ。だから彼女が最後まで見つからなければ、オレ達は勝てる。

 そう思って、最後の行動に出た訳だ。

 鬼側の連中が絶対に探さない場所。

 それでいて、オレには絶対に隠れられない場所に。

 

「はて、そんな場所がありましたかね?」

 

「ショッピングモールの濁った水槽の中。服に適当な錘を入れて、底に沈めてあるよ」

 

 

 ルールには。

 

 

 人側の『生死』に関する記述は特にない。



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デスゲーム No.2 『野球』

1

 

 私、緑川美紀は小さく溜め息を吐いた。

 

「人生に休みはありません。鈍った体躯も動かせるスポーツ隠れんぼをさせるつもりが、着ぐるみに包まれた方と永遠の眠りに着いた方のせいで今回もスポーツですね」

 

 廃墟と化したバッティング・センター。

 ピッチャーマウンドに立っているのは熊の着ぐるみに身を包んだ少女だった。

 野球の専門家に言わせれば、素人がスパイクも履かずにそんな所に立つんじゃないと顔面本塁打なのかも知れないが、残念ながら私には野球にかける熱意はない。

 

「ミニゲームで使うのはこちらですね!」

 

 と、熊は傍らの無骨な機械を叩いた。

 

「改造式のピッチングマシンです。使い古されてはいますが、型は割と最近のモデルですよ。ストレートは時速200キロ。変化球の機能もあったりするのですね!」

 

 今回も無駄に明るく声を張り上げる熊少女だが、そんな説明よりも私には気がかりで仕方のない事があった。

 

「うげぇ、腐敗水が喉の奥から臭いやがる。水も滴る良い女が聞いて呆れるぜ。誰のせいだろうねぇ、あやのん……?」

 

 全身を水浸しにした裏切り者の女。

 確か、斉藤とか名乗っていたはずだ。

 一回戦では彼女にゲームの裏を欠かれ、私達は危うく敗北を喫する所だった。

 

「何でコイツがここにいるんだ……?」

 

 辟易の目線でそう投げ掛けたのは、特徴とか個性なる物を母親の子宮に置き忘れた印象を抱かせる地味な印象の青年だ。

 確か、綾小路清隆とか言っただろうか。

 

「前回のゲームの勝利条件は、ゲームの勝者を正解させる事でした。彼女は確かに鬼側の勝利にかけていましたが、立場は人側に違いありません。なので、彼女が一回戦で敗北すると人側のメンバーから敗北者が発生する事態に陥ってしまいますよね?」

 

「そうなると人側を選択した者の勝利とも言えず、鬼側の勝利とも言えない。だから、文字通りに敗者を復活させたのか」

 

「綾小路さんは話が早くて助かりますね」

 

 とはいえ、私達が彼女に向けているのは怨嗟の視線以外の何者でもなかった。こうして落ち着いて熊の話を聞ける様になるまでには、私と綾小路清隆を除いた全員が彼女に掴みかかっていた程だ。

 

「つかさぁ、現状を理解してないみたいだけどさ。私がみんなを死の危険に晒したとか遥か昔の話だろ? 実際に殺された訳でもねえのに喚くなよ……」

 

 結局の所、私達は勝因を知らない。

 小学生の私に分かるのは、斉藤由梨に裏切られたという事実。勝因もまた彼女が大きく関わっているだろうという予測。

 熊は口を割らず、彼女が屈辱に口を閉ざしている以上、真相は闇の中だ。

 

「まぁ、私情はその程度で。とにかく、言い換えれば皆さんは勝者であって勝者とは言い難い複雑な立場なんですよね」

 

 それ故に敗者復活のデスゲーム。

 生き残りたくば実力を示してみろ。

 いつでも熊の言葉はそれだけだった。

 

「ゲームのルールは簡単、持ち球は十球、一本でもホームランにできれば皆さんの勝利となります。ここをピープルドームだと思ってかっ飛ばしちゃって下さいね!」

 

 思わず、辟易の息が漏れていた。

 

「おや、緑川さんはご不満ですかね?」

 

「どうせ何か普通とは違ったルールが追加されてるんでしょ。単純なバッティングがデスゲームだなんて冗談よね?」

 

 一回戦のテーマは隠れんぼだった。

 体力勝負の面がないのかと問われれば、首を横に振るのは難しいだろう。実際、私が筋骨隆々の大男であったなら、『カメラを奪って壊せば良い』という私の見つけ出した必勝法は実行できていたはずだ。

 だが、争点のベースは頭脳戦だった。

 

「いやいや、今回はルール通りですよ。時速200キロ超で放たれるボールであれば女性でもホームランは可能ですからね」

 

 そうなると心配は速球に反応できるか。

 理論上は人間は170キロ超えの投球にもタイミングを合わせることができる。だが、素人の小学生や女の子が三球の間にそれを実現できるとも思えない。

 

「身体能力の話ならご安心を。マシンの上部のディスプレイに注目して下さい。ここにはピッチャーの投球フォームが表示されるのでタイミングを合わせるだけです」

 

 男女の能力差の方は、皆さんには設定されていませんし。そんな風に熊は呟いた。

 

「それで、何か質問はありますかね?」

 

 ルールに見落としや設計ミス、隠された意図や抜け道はないか。私達は熊の言葉を隅々まで反芻して考えていた。

 もう誰も同じ轍を踏みたくはなかった。

 

「先に聞いておきたいんだが、今回のゲームはチーム戦で良いのか。まさか裏切り者がミット片手にボールをキャッチしてアウトみたいな展開はないだろうな」

 

「今回は完全なカジノ制、運営サイドの私達が皆さんと争う形になります。ですから裏切りや隠れた敵なんていませんよ。加えてゲームの進行に私達が手を加えない為のピッチングマシンですからね」

 

 私達が直接に手を下すまでもない。今にも悪役じみた台詞を吐きそうな笑顔でアトラクト・マスターは恭しくそう宣言する。

 天井までの高さは五メートルもない。酸性雨のせいかボコボコと穴の開いた天井の下にネットの切れ端と『本塁打』の三文字が書かれた鉄製の点数板。的当て式ではなく純粋に飛距離を出せと言う事らしい。

 室内という条件を考えれば逆風の心配もないだろう。

 むしろ、ここで警戒するべきなのは。

 

「私からも質問なんだけど、ボール球のカウントはどうなるの? ストライクゾーンを外れた球をバカスカ放たれて十球って言うんじゃ挑戦者不利にも程があるよ?」

 

「それに関してはノーカウントですね。どこかの綾小路さんが企みそうな事を先に潰しておきますと、デッドボールもノーカウントに含まれるので気をつけて下さいね」

 

 そう言ってニッコリと笑いかける熊。

 二百キロを超えるデッドボールなんて当たり所が悪ければ大怪我だ。そもそもデッドボールは進塁、本塁打にはならない。

 あくまでも必要なのはホームラン。屁理屈では誤魔化せないぞと熊女の眼が比喩表現抜きで光を発している。

 

「さぁ、ヤル気になった方からどうぞ?」

 

2 緑川の回答

 

 結果から言えばみんなは惨敗だった。

 力は要らないと説明を受けたにも関わらず全力で振り抜いた葉山田、何故か木製バットを選んだ黄桜。そして斉藤は、

 

「もう私に優勝の可能性はない。それなら別にお前らを勝たせてやる必要もねえだろ。精々、苦しんで死ねやバカ共が」

 

「流石に死者が言うと説得力が違うな」

 

 綾小路清隆と夫婦漫才に興じていた。

 残るは私と便りにならなそうな綾小路。

 間違いなく勝利の鍵は私の手にある。

 私は金属バットを手に、バッターボックスの右打席へ足を踏み入れた。

 

「頼りにならない大人達の失敗を見てきましたが、人生初のバッティングセンターに立った気分はいかがですかね?」

 

「最初から誰も頼りにしてないから」

 

 ガコン、という機械音が、予想よりも大きく響いた。

 ピッチングマシンのチューブの中に、白の悪魔が流れ込んでいくのが分かる。

 分厚い二枚のローラーに挟まれる形で、莫大な斥力を得たボールが、凄まじい速度で射出さ、れ……‼

 ガキィ‼ という鋭い音が炸裂した。

 ボールの流れに合わせて勢い良くバットを振ったつもりだったが、手首に恐ろしい痛みが走る。ボール自体も前方へ飛んでくれず、斜め後方へと弾かれ、私の背中側にあるネットへ激突する。

 

「あららぁ、これだと緑川さんも頼りにはならなそうですねぇ……?」

 

「……、」

 

 熊女が何か特別な裏技を使ったり、投球のタイミングをずらす訳ではない。

 人間の反応速度を超えた領域。

 時速二百キロ、速度の暴力。

 何の変哲もない力技だが、それ故に人間のピッチャーには絶対に出せない威力を平気で実現してくる。メジャーリーグだって時速160キロもあれば立派な豪腕選手だ。それをこんなにも簡単に凌駕してみせる。

 

「とはいえ、二百キロ設定でバットに当てるとは。出力が高いのもあって多少はボールがホップしたみたいですけど、それがなければヤバかったかも知れませんね」

 

「…………、」

 

「あれ、ひょっとして天才小学生ちゃん、ビビって漏らしちゃいましたかぁ……?」

 

「……好きなだけ、言ってれば良い」

 

 笑って見せた。大丈夫、まだ笑える。

 痺れた掌を数回開閉し、改めてバットのグリップを握り直した。

 

「良い基準点になりました……」

 

 焦る必要は欠片もない。どれだけ失敗を重ねても、最後に一発を飛ばせば成功者になるのが四番の役割だ。

 最良、最大、最適の一発。

 全ての球は、それを叩き出すための布石に過ぎない。フルカウントの絶体絶命でも最後の一球次第で全ての結果が変わる。そういう意味では今のは『良い学習』だ。

 

「じゃあ二球目行きますからね!」

 

 熊女は微笑みながら、ボタン操作でピッチングマシンに命令を送っていく。ガコン、と音が鳴り、ボールを吐き出す首の部分が駆動し回転する。

 これが変化球の機動音か。

 あのピッチングマシンは高速回転する二枚のローラーでボールを挟んで発射するタイプのものだ。そして変化球はボールに与える回転によって軌道を曲げる技術。

 つまり。

 多種多様な変化球を手っ取り早く実現するには、二枚のローラーの位置を変えてしまえば良い。『首』の部分が駆動したのはその為だ。

 

 という事は、その逆を突けばどうなる?

 

 生身のピッチャーと違って、ボールを投げる前にどんな球が来るか先読みできる‼

 

「フォークの確率が七割五分……」

 

 白球が発射されてから目で追っても間に合わない。

 ピッチングマシンの駆動に合わせて狙いを下方に修正し、地面を噛み締めて腰を大きく回す。体重の移動を強く意識してコントロールを始める。バットの描く半円の機動と、白球の描く曲線の交差を強く思い浮かべた。全てが教科書通りのホームランの打ち方だ。

 金属バットを握る手に強い衝撃が走る。

 芯を捉えた感覚、そのまま振り抜いた。

 鐘の音よりもはるかに甲高い、金属バット特有の弾ける音が頭の中では若干遅れて炸裂する。

 白球が大きくアーチを描いた。

 ボールは三塁側へ流れたが、ファール球になる程じゃない。

 いけるのか、届くのか……いや、

 

「あぁ、惜しいですね。八十五メートルラインって所です‼ 残り十五メートルも出せばホームランじゃないですか‼」

 

「………………、」

 

 距離なんかどうだって良い。ホームランにならなければ何の意味もない。

 だが、感覚は完璧に掴んだ。

 豪速球のストレートが来ない限りは、反応できないスペックではない。

 まだ残るチャンスは八球もあるのだ。

 これは、勝てない勝負なんかじゃない。

 

3

 

「前回は最大の逆転劇を見せたホワイトルームですが、今回の課題はどうなるんでしょう。限られた試行回数で最良の結果を出す勝負、まるで野球みたいですよね」

 

 リクルートスーツの学生はスポーツ新聞を開きながら、贔屓球団の敗北に落胆の舌打ちを零してそう言った。

 スポーツに最良の行動なんて物はない。場所や天候、時の運を前にしてはいかなるプロスポーツ選手も無力でしかないのだ。

 だが、選手が人工知能であったなら。

 

「まぁ、人工知能に性差なんて物はないからね。単純勝負ならMr.ホワイトルームよりも瞬間的判断力で勝る緑川スポーツクラブのAIの方が優秀な結果になるのかな」

 

 尤も、今回はチーム戦であって勝負の要素は存在しない。裏を返せばクリアするのが誰でも大きな違いはない事になる。

 

「先輩も残念でしたね。折角、ホワイトルームが逆転勝利と思ったら厳密には勝利とは言えないとか斉藤グループからイチャモン付けられちゃって……」

 

「どうせ単純な機能勝負を設定すれば、ホワイトルームの粗と能力を測定できると考えたんでしょ。審判と対戦相手が癒着してるっていうのは最悪の障害だよね」

 

「まぁ、資金提供には勝てませんから」

 

 実際、科学の栄誉には莫大な資金を必要とする。資金の潤沢なB級科学者と開発費に喘ぐA級科学者なら歴史に名を残すのは間違いなく前者になるだろう。

 

「実際、ホワイトルームの運動能力はどんなモンなんです? まさかとは思いますが運動音痴の鈍足野郎でもないでしょう」

 

「全体的に不利対面のない子だからね。特に速度の勝負なら敵はいない、人間で例えるなら脚の速さはズバ抜けてると思うよ」

 

 仮に、それを発揮できるならばだが。

 そう付け足した女の言葉に、学生は疑問符を浮かべざるを得なかった。先程は今回の課題を野球に例えたが、詳細に例えるならバッティングセンターだ。

 決められた回数内で結果を残せ、求められるのは正に瞬発力や集中力。ここで発揮しなければ何処で発揮すると言うのか。

 

「まぁ、単純勝負ならその通りだけどね。もしホワイトルーム君に忠告するんなら、これは運動能力の問題なんかじゃない」

 

 そこだけはハッキリと断定する。

 

「これは曲りなりにもベンチマーク。一回戦では単純な隠れんぼの試行の中に恐るべき罠を潜ませていた熊の子側のやる事だ」

 

「今回のゲームにも、運営。熊の子側が敢えて隠し通している『アンタッチャブル・ルール』が存在する、って訳ですか?」

 

 触れたらアウトのルールではなく、見つけられなければデス。罠の仕掛けられた巨大な迷路を闇雲に走る凶器のゲーム。

 

「でも、今回のゲームには隠されたルールなんて存在しないはずですよね。流石に運営サイドが嘘を言うとは思えませんし」

 

「嘘を吐きたくなければ、嘘を吐く必要のない会話の流れを意識すれば良いだけさ。ある事情を言わない事は、人を欺くのとは全く別の行いだよ」

 

 諭す様に世迷言を呟いて、裁く様に断言する。詐欺師のテクニックを語る彼女こそが誰よりも詐欺師に思えて、スーツの学生は身震いを隠せなかった。

 

「断言しよう。このゲームを単純な準備運動、頭を使わない簡単なボール遊びと捉えているのなら、彼等はここで敗退するよ」

 

4 綾小路清隆の回答

 

 そこから五球、立て続けに緑川は失敗を重ねた。ストライクゾーンを外れた訳じゃない。熊女が底意地の悪さを全開にして豪速球を立て続けに放った訳でもない。

 彼女はボールの芯を確実に捉えていた。

 金属バットの芯を用い、運動エネルギーを最大限に伝える為にバットの先端側で。

 あれ程の当たりはオレには無理だろう。

 

 だが、現実は残酷極まりなかった。

 

「またもや九十メートルですね。あと少しのパワーがあれば甲子園の親御さん、ピープルドームの外野席を直撃なんですがね」

 

「今回の勝負に裏はない。なら、私の技術が及んでいないとしか考えられない。単純なパワーゲームで私が負けるはずがない」

 

 最初の内はオレも同じ事を考えていた。

 だが、こうも連発で失敗を重ねている姿を見れば流石に絡繰りにも気づいてくる。

 

「重さや硬さに違和感はない。中身に細工されてる可能性は否定できないけど、触った感じは一般的なバットで問題ない……」

 

 となれば、導ける回答は他にない。

 

「ボールに細工がしてあるのね! 通常の高校野球の公式球でもなければ、プロの硬球でもない。もっと格段に柔らかくて衝撃を吸収してしまう特殊素材にッ!」

 

そもそも、プロであれ高校野球であれ、『公式』と名付けられたボール自体がルール変更に合わせて細々と変化を遂げている。ボールの素材を少し変えてやるだけで、選手の打率はコントロールできてしまう。

 しかし、熊女は微笑んだまま首を傾げ、

 

「はぁ? 誰が公式球を使った勝負をするなんて言いました? ていうか、屁理屈を捏ね始めたら200キロの豪速球を投げる人間がいる訳ないでしょ。そんな簡単なお題に十球もチャンスがあるのは変だよね?」

 

「そんなの、クリアできる訳がないッ!」

 

「諦めるならご自由に。ただし不戦敗として扱わせて頂きますので、お命は確かに頂かせてもらいますから、そのつもりでね」

 

 そこで緑川は完全に折れてしまった。

 クリアできない課題に取り組み続ける程に残酷な仕打ちもこの世にはないだろう。

 

 そして、オレの番が静かにやって来た。

 

 横合いのベンチでは葉山田はスマホを握りしめて『痛くない死に方』の検索に精を出しているし、黄桜は放心状態だった。

 残る斎藤は最初からゲームの進行に興味はない様で、遠くのマシンで60キロの鈍球を相手に悪戦苦闘していた。

 

「どれだけ期待されていないんだ……」

 

 少しだけ落胆するオレに、緑川は憔悴しきった眼差しを向けた。

 

「辞めておきなさい。無惨に失敗して熊に笑われるピエロになりたいの? 今回のお題にかけて、最も専門性が高いのは私。長所も短所もないアナタが挑んでも……」

 

「まだ、諦めるのは早いんじゃないか」

 

 続きを遮る様に言い切ると、オレは目の前の四本のバットを見下した。古い木製のバットが二本と金属バットが二本。

 

「選択肢は金属バットしかないわね」

 

「弘法は筆を選ばないが、何も無刀流とか言う気はないから睨むのはやめてくれ。普通にお前が使った物で問題ないか……」

 

 呼吸を整える、というよりは溜め息を吐く様にバットを握ると熊少女の待つマウントをレンタルのスパイクで踏み締めた。

 

「おや、綾小路さん。先に忠告しておきますが私にボールを当てて殺そうとかしないで下さいね? 故意にやった場合は普通に怒りますからね?」

 

「心配しなくても、それは最終手段だ」

 

「コイツ、当てる気マンマンじゃね⁉」

 

 冗談はともかく、現状では解決策が全く思いつかない。このゲームは良くも悪くも力技で押し通せる世界だ。

 ルールが単純すぎて、前回の様に屁理屈を挟み込む隙間がない。例えば今から周辺を探索して公式球を発見するとか、ピッチングマシンを壊して続行不可能にするなんてやり方は『ゲームの進行』が不可能になってしまうから認められない。

 だから、熊少女が提示するルールの中でやるしかない。コイツは絶対に成功しないと思っている様だが、そのよそくを完全に覆すような抜け道を探す他はないのだ。

 

 絶対に勝つ為に、どんな方法がある?

 

 この勝負はホームランを賭けたものだ。

 だが、あのボールを使う以上は絶対に百メートル飛ばすのは不可能。きっと値として不可能な数値を用いたに違いない。

 真正面にピッチングマシンから放たれるボールに挑んだって、この壁は乗り越えられない。だったら、百メートルの原則を打ち破らなくても勝利の恩恵を得られる何か。そんな夢みたいなルール、ルールの抜け道はこれまでの何処かになかったか?

 これまでの白球のスコアを確認しろ。打ち返したボールの軌道を思い出せ。野球において無駄球なんて代物は存在しない。一球一球の単純な結果、試合運び全体の大きな流れ。そこには膨大な情報が込められている。勝つ為ならばどんな手段でも使い、紐解いてみせろ。ゲームはまだ始まってすらいないんだ。

 

「そう簡単には思いつかない……か?」

 

 オレは頭上を見上げて息を吐いた。

 いや、あるにはある。この環境でなら逆転の芽は確かに息づいている。

 ルールの中だけの、机上の空論じゃない。実際に過去のプロ野球選手がやらかして審判と乱闘になった記録もあるはずだ。

 

「どうかしました? やっぱり流石の綾小路さんでもリタイア案件ですかね? いやはや流石に今回のは意地が悪す……」

 

「いや、四球もいらないと思っただけだ」

 

 ざわめいたのはベンチの方だった。

 ピッチャーマウンドにいる熊女を睨みつけたオレは、金属バットの先端をそちらに向けてみせる。

 

「アイツ。意味分かってやってるの……?」

 

 まるで剣の様に、突き付ける。

 小学生でも分かる宣言、サインを残す。

 

「始めろ」

 

「結構です」

 

 静かに、ゲームの幕が上がった。

 緑川達とは方法論からしてガラリと変わるが、失敗は許されない。考えが伝われば後付けで禁止にされるかも知れない。

 初球が暴れ廻る獅子の如く喰らいつく。

 ほとんどオレの上半身に掠めるように襲いかかる、内角ギリギリのカーブだった。タイミングを外され、慌てた様にバットを振るが、間に合わない。

 ボールは大きく真上に弾かれ、バッティングセンターの天井スレスレまで浮かび上がってから、オレのすぐ後ろへ落下した。

 

「典型的なキャッチャーフライですね。四球もいらないとか言ってましたが、やっぱり十球必要なのではないですかねぇ?」

 

「…………、」

 

 純粋な距離なら確実に手近だが、この方法には運の要素が大きい。単純計算が当てはまるとは思わない方が良いだろう。

 だが、既に方針は決まっている。

 

「む、無視しなくても良いじゃないですか。こうなりゃ絶対にあと二球しか投げてやりませんからねっ!」

 

 二球目。

 変徹もないスライダー。今度はタイミングを合わせる事ができた。ポイントは、下から救い上げるように打ち上げる事。バットとボールの打撃音が炸裂し、白球は上方へ大きく狐を描いた。

 

「なんだ、格好つけてもやっぱりホームランなんて無理なんじゃないの」

 

「どうやらこれが綾小路さんの限界みたいですね。私としましても残念ですよ」

 

 熊少女は大して残念そうな寵しも見せずにそう言った。

 

「まず外野方向に飛ばないんじゃ話にもなりませんからね。これが野球で言う所のスランプってヤツなんでしょうかね?」

 

 ベンチからも落胆の声が続出する。

 音声認識検索で痛くない地獄の暮らし方とか調べている奴までいるんだが。

 

「何でも良いですけど。最後は当機自慢のストレートで決めちゃいましょう‼」

 

 悪趣味極まりない宣言だった。だが、悪趣味だろうが悪食だろうが関係ない。何が起ころうが、最後に勝つのは必ずオレだ。

 スパイクで地面を踏み締める。腰を大きく回す。全身で蓄えた血からの塊を、バットの先端まで移動させていく。

 白い悪魔がやって来る。

 これが紛れもない最後のチャンス。

 生存権を賭けた最後のチケット。

 球種もコースもピッチングマシンの角度を見れば分かるから、空振りはない。時速200キロという圧倒的な威力に押し負かされさえしなければ、何とかなるはずだ。

 

 そして。

 金属バットと白球が激突する。

 硬い音。

 ボールは百メートルゾーンへと向かう理想的なコースからは大きく外れ、真上へと突き進んでいく。

 熊少女はわざとらしく目の上に片手でひさしを作り、天井を見上げてこう言った。

 

「どうやら、この勝負は私の勝ちみたいですね。Mr.ホワイトルーム?」

 

「本当にそうか?」

 

「…………?」

 

 わずかに怪訝そうになった熊少女はオレの顔を見て、その疑念をより強くする。

 命を賭けた、正真正銘、最後の一球。

 それが百メートルゾーンに向かって飛んで行かなかったのに、オレの顔から絶望を感じ取れなかったからだろう。

 そしてそれは間違っていない。

 最後の最後、引き当てたぞ、クソッタレ。

 

「落ちてこない。どうやらボールがネットに引っ掛かってるらしいな」

 

「え……あ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」

 

「打ったボールが落ちてこない場合はどうなるんだ? 確か、ドーム球場ごとのルールがあったはずだ。打ち上げたボールが照明器具にぶつかったり、骨組みに挟まって落ちてこなかった場合はどうなるか。ここをピープルドームだと思ってかっ飛ばすんだったな? 球場のルールブックには何て書いてある?」

 

 外野席までの距離が両端ギリギリでさえ百メートルなのに対し、ドームの天井は高い所でも五十メートル前後。水平方向と垂直方向事情が変わってくるはずだが、単純な距離だけなら天井を狙った方が効率的だったりする。

 何より、ここは天井の低いバッティングセンター。ドーム気分でかっ飛ばせばハプニングが起こってしまうのも仕方のない話だ。

 

「……って、事は、え? 嘘でしょ……?」

 

「ホームランでゲームセットだよ」

 



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